二人の鬼 (子藤貝)
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第一部
プロローグ


プロローグのため短め。主人公ほとんど登場しません。(改行等を修正しました)


キリキリ舞イテ ハラハラ堕チル

 

人ノ世イキテ 鬼ノ世歩ム

 

カミハ宿リテ 鬼ヲキリ

 

鬼ハ嘆キテ 人ヲキル

 

愛シ咎人 キリ捨テテ

 

人ハ常世ノ 鬼トナル

 

己ガ獣ヲ 飼イ慣ラシ

 

望ムハ終焉 好敵手

 

然レド鬼ハ 出会イタル

 

孤独ナ心ノ 運命(サダメ)ノ鬼ト

 

巡リテ出会ウハ 必然カ

 

将又(ハタマタ)刹那ノ 偶然カ

 

コレハ ヒトツノ物語

 

闇夜ヲ統ベル 魔ノ鬼ト

 

血ニ飢エ殺ス 剣ノ鬼

 

交ワル悪夢ハ キリキリト

 

世界ヲ回ス 歯車カ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだ、その程度か? 所詮は連合もこの程度というわけだ」

 

「くっ! たかが一傷負わせただけでよく口が回るものだ……!」

 

森林とも言えるし、草原とも言える場所に彼らはいた。尤も、森林と言えたのは先程までのことであり、今は草原と表現するのが妥当というものだろう。その原因を生み出したのは彼らであるが、それは今重要なことではない。今現在、彼らを取り巻く空気はかなり異様な状況であり、これが平和な世であれば間違いなく双方ともに手錠でも掛けられているだろう。

しかし、今彼らを止められる人物は誰もおらず、たとえいたとして止める者はいないだろう。

 

「どうしたどうしたぁ! 傷が痛むのか腰抜けぇ!」

 

「貴様は口が過ぎる……っ!」

 

片一方の嘲笑を含んだ煽り。それはもう一方の人物の琴線に触れ、彼を激高させるに足りた。

煽りを口にした、鎧に身を包んだ男に向かって、煽られて激昂した、奇妙な杖をついた男が走りだす。杖の男は脇腹に傷を負っており、先程の会話から類推するならばこの傷負わせたのは鎧の男だと想像するのは必然的だ。実際、彼にこの深手を負わせたのは鎧の男であり、彼の手には長大な銀色に鈍く輝く両刃の剣には、杖の男のものと思われる真っ赤な血が付着している。

 

「此処で貴様を仕留められれば……連合は逆転のチャンスが得られるんだ!」

 

「ほざけ! 貴様程度にやられる帝国兵士ではないわぁ!」

 

杖の男から、突如(もや)にも似たものが溢れ出す。それは全身から薄く立ち上り、やがて彼の持つ杖へと集中していく。

 

「フハハ! 今更魔法を放ったところで何だというのだ!」

 

鎧の男から発せられた言葉。それは現実に生きるものからすれば空想の産物であり、そんなものがあるといえばトチ狂ったかと言われる、そんな存在。

 

魔法。かつて中世ヨーロッパにはそれらを使いこなす魔法使いや魔女、それらの使い魔たる存在や、精霊などがあると信じられていた。実際、その魔女の存在を危惧してある国家では総力を上げて、全知全能なる神の御業の真似事をし人心を惑わす存在として、魔女を異端者として狩り出し、処刑するという狂気の行為、世に名高い『魔女狩り』を行なっていたことが知られている。

 

しかし、現代の科学が発展した世界で、世界の神秘は否定され、自然の発する『現象』や、人が操る『科学』や『まやかし』として、全てが否定されていった。かつて国家さえも狂わせた魔性の技は、今では空想の中の産物であり、妄想に囚われた一部の人間がそれを現実として存在すると肯定する程度だろう。

 

だが。

 

「やってみなくちゃ分からねぇだろ……!」

 

今、彼の周囲に集まるこの力の奔流は何だ。

 

彼がなし得ようとしているものは何だ。男が嘲笑した魔法だとでも言うのだろうか。

 

何を馬鹿なと、此処に人々がいれば笑うだろう。然れども、それは真っ向から否定されることとなる。

 

「アイン、ツヴァイン、ドライラグン……」

 

韻を踏んだ、独特な言葉。これに意味は存在しない。これは『キー』だ。彼が成すための、奇跡の技の発現に必要な前準備。

 

彼は紡ぎ続ける。その奇妙な言葉を。

 

「風精召喚、剣を執る戦友!!」

 

紡がれた言葉はやがて目に見える形となって現実を侵食する。杖に集まっていた靄が徐々に形を取り、人の姿を形作っていく。その姿は言葉を紡いだ杖の男そっくりであり、その手には同じくそれらと同じ性質のものによって造られた剣。

 

「行け……奴を吹き飛ばせ!」

 

形作られたそれらは、剣を構えた後、一斉に鎧の男に突貫する。その早さは一迅吹き抜ける風が如く、およそ人間の姿をしたものが出せる早さではない。正しく、それらは風であった。

 

彼の紡いだ言葉こそ、杖に集まっていたものを媒介とした奇跡の技を発言させるための『呪文』であり、彼から立ち上っていたものが『魔力』。そしていま彼が鎧の男に向かわせた風によって形成された彼の人形(ひとかた)こそ、空想とされ、現実に存在するはずのない『魔法』である。

 

魔法は鎧の男に一目散に接近し、手に持った剣で鎧の上から攻撃を加えようとしてくる。本来、風が凪いだ程度で全身鎧(フルプレート)を砕くなど到底起こり得ない。だが、風でできているはずの剣は鎧の男の胸当てを切りつけ、傷をつけるに至った。

 

「くっ! まだこれだけの力が残っていたか! 侮っておったわ!」

 

先程まで余裕を見せていた男が初めて焦りの声を上げる。目の前にて剣を振るうそれは、先程までの満身創痍であった男のものとは思えぬ力強い魔法だ。だが、鎧の男もただ黙ってやられているわけではない。手に持った両刃の長剣は、ただの飾りではないのだ。

 

「実に力強い魔法……だがこれでは俺は殺せんわぁ! ぬぅんっ!」

 

剣を両手持ちに変え、頭上に振り上げたそれを勢いよく振り下ろす。すると目の前で剣を振るっていた風の分身は、一撃のもとに真っ二つにされて元の空気となって霧散する。しかし、その隙は他の風の分身、この魔法によって召喚された『風の精霊』の攻撃の的となる。

 

すかさず彼らは隙だらけの真横から剣を突き入れる。だが、鎧の男は振り下ろした剣をわざと地面に差し込み、体を屈めた後勢いよくその剣を軸にして飛び上がる。全身鎧を纏っているとは思えぬ身の軽やかさ。それは彼の纏う全身鎧にも、魔法が掛けられているためだ。それにより重さは20分の1まで軽減され、あの軽やかな動きが実現されたのである。

 

攻撃を行った直後で、風の精霊達は一瞬の隙を生んだ。それを見逃すほどこの男は生易しくはない。男は腰に差していたもう一本の、回避に使った長剣より二回り短い剣を引き抜き、精霊に振り下ろす。一体が風に還元され、すぐさま別の精霊を。それを続けていくうちに、数体の精霊たちは全て消え失せていた。

 

「フン、貴様の最後の足掻きもこれで終わりだ……な!?」

 

鎧の男の視線の先。そこで杖を持った男が、別の魔法を放とうとしていた。その力の奔流から、先程よりも遥かに魔力が強大であることが伺える。

 

「ちぃっ! 撃たせてたまるかよ!」

 

鎧の男は走りだし、杖の男が魔法を放つ前に仕留めようとする。だが、既に杖の男は魔法を完成させる寸前であり、

 

「これが俺の……全力の魔法だぁ! 『雷の暴風』!!!」

 

男が魔法の名を叫ぶと同時、凄まじい光の奔流が鎧の男に放たれた。男たちが戦っているこの場所。近隣の村に住むものは『暗闇の森』と呼び近づかない鬱蒼とした森林であった場所を、今の草原に塗り替えた原因こそこの杖の男が今放った魔法、『雷の暴風』である。雷撃をまとった荒れ狂う暴風の威力は、この一帯の木々が消し飛んでいることから想像に難くない。

 

すると鎧の男は足を止め、剣を体の前に構えて迎撃の準備をした。

 

(躱すのは不可能・・・ならば一か八か……勝負だ小僧!)

 

彼が纏う鎧にはある程度の雷系魔法を軽減させる魔法も掛かっている。あれだけ強大な魔法は受けたことはないが、上手く行けば何とか耐えられるかもしれない。男はそう判断して、真正面から魔法を迎撃することに決めたのだ。

 

魔法はもう目前へと迫っている。何とか耐え抜いてみせると、歯を食いしばりながら、されど眼をつぶることなくしっかりと目の前の光景を見据えようとした、その時。

 

「「なっ!?」」

 

男たちは、同時に驚きの声を上げた。何故なら、魔法と鎧の男の間に突如、一人の人間が現れたのだ。それも、まだ15にも満たぬであろう少女が。

 

鎧の男は決して油断などせず、眼前の魔法を見据えていたはずだ。

 

杖の男も、満身創痍とはいえ周囲に人の気配がないことを理解したうえで『雷の暴風』という強大な魔法を放ったはずだった。

 

ならば、彼女は一体どこから現れたというのだろうか。答えを得られないまま、少女は強大な魔法に無防備に晒され、荒れ狂う暴風に飲み込まれ、

 

「邪魔」

 

ることなく、魔法は突如として消え去った。

 

一瞬。そう、余りにも一瞬で。

 

「「!?」」

 

男たちは再び驚愕する。鎧の男が倒れることを覚悟するほどに、先程の魔法は強力であった。だというのに、少女がただ一言つぶやくと同時に、魔法が消滅してしまった。これを異常と言わずしてなんと言おう。

 

二人は突如現れた少女に、警戒心を顕にする。鎧の男は剣を構え、杖の男は杖を構えたまま少女を睨みつける。

 

少女は目鼻立ちの整った顔をしていた。黒い髪は黒曜石を思わせる神秘の輝きを、月明かりを反射することによって演出しており、着ている奇妙な衣服、知る者がいれば"着物"と答えるであろうその衣服は艶やかな紫色。惜しむらくは少女がまだ成人していないということだろう。その美しさはまだ幼さが残るものであり、女性が持つ色気といったものはまだ見受けることができない。

 

だが、そんな彼女の美しさにうつつを抜かしている場合ではないのだ。杖の男が放ったのは彼が使える、現状で最も強大な魔法であり切り札。それを何をしたでもなく消滅せしめた彼女は、得体のしれない存在だ。静寂が続く。杖の男の頬に一筋の汗が伝う。鎧の男は剣を構えたまま動くことなく少女を見つめている。そんな均衡は、意外にも早く崩れ去ることとなった。

 

微風がないだ一瞬。そう、ほんの一瞬だ。鎧の男の眼前から少女が消失し、次いで一瞬だけ"鈴の音"が。

 

「っ! どこに消えた!?」

 

慌てて周囲を見渡すが、どこにも少女の姿はない。逃げたのだろうか。そんな思考が彼を支配する。それが間違いだと気づいたのは、その思考をした数秒後。突如、目の前で呆然としたままであった杖の男が、膝をつき倒れたのだ。

 

そして……倒れた衝撃で、男の首が(・・・・)ゴロリと(・・・・)転がった(・・・・)

 

「……は?」

 

鎧の男は茫然自失となった。少女が消えたと思った少し後に、先程まで相争っていた男が首を胴体から分離して倒れたのだ。驚かないほうがおかしいだろう。

 

「ば、馬鹿な……! 連合の魔法戦士長が一撃で……!?」

 

鎧の男が争っていた相手は、彼の祖国と戦争をしている相手国、"連合"でもそれなりの地位にいる軍人であり、鎧の男も同様に祖国では魔法騎士団第七隊隊長という高い地位にいる騎士団員なのだ。そんな彼らが知覚できないほどの一瞬で、人一人を殺すことなど並大抵の技術ではない。鎧の男は先ほど消失した少女の姿を血眼になって探した。だが、それは徒労で終わることとなる。

 

「無様」

 

彼の耳に、そんな言葉が微かだが聞こえた。慌ててその声が聞こえた方へと顔を向けようとして、何故かそのまま(・・・・)地面に(・・・)倒れて(・・・)しまった(・・・・)

 

「な……に……」

 

男は鎧越しに己の足を見る。倒れる寸前と同じく鎧を纏っていた。

 

とても、そうとてもよく見えた。

 

己の下半身が(・・・・・・)

 

「は……はは……」

 

もはや悪い夢としか思えなかった。自分の下半身が上半身から分断され、眼の前に横たわっているのが見えたのだ。おかしくなってしまいそうだった。失血しているのが、地面が真っ赤になっていくことで分かった。段々と、痛みとともに眠気が襲い掛かってくる。

 

(……これは夢だ……そう、眠っちまえば俺はベッドの上なんだ……)

 

そう考えると思考を止め、男は睡眠の欲求に従って目を閉じ、そして二度と覚めることのない夢の世界へと飛び去った。

 

 

 

 

少女は先程斬り殺した二人の男の懐から、金品や食料がないか探し続けている。今のところ、金品は十分な額を手に入れた。後は食料さえあれば文句はない。

 

「……生きるのも楽じゃない……」

 

少女はそんな呟きを漏らす。少女に両親はいない。生まれた後暫くはいたが、少女を残して死んでしまった。両親だけではない。一族郎党、死んでしまったのだ。彼女の一族はもう彼女のみしか生きてはおらず、その結果彼女はこんなを夜盗じみたことして生きている。

 

「……これ以上は望めそうにない……」

 

あらかた調べ終えた後、少女は戦利品を手持ちの革袋に仕舞う。結局、金品意外は見つけるには至らなかった。

 

「……弱すぎる……」

 

そんな、吐き捨てるような一言を二人の男に言い放つと、もうそこには彼女の姿を見つけることはできなかった。



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第一話 悪の芽生え

第一話。主人公の名前と、彼女達の
出会い。それは運命の悪戯か、
それとも大いなる意思の必然か。
(追記:修正を行いました。また、主人公の名前にルビを振りました)


「……第七隊隊長殿が戻られない……」

 

「何かあったのだろうか?」

 

「馬鹿な、彼ほどの騎士がそう容易く・・・」

 

「しかし連合には最近活躍している『赤き翼(アラルブラ)』がいるというではないか」

 

「ううむ、だとすればまさか彼奴らに……」

 

「悲観的になってどうする! 隊長殿は生きておられるはずだ!」

 

此処は鎧の男の祖国、ヘラス帝国の帝都のある一室。彼の同僚である騎士団員たちは彼の帰還の遅さに不穏な空気を醸し出していた。ヘラス帝国騎士団といえば、その実直な働きと厳しい訓練をこなして来た精強な騎士団である。その部隊長といえば、帝国でも指折りの戦士である。第七隊長を務める彼ほどの人物がこんな長い間に報告もよこさず、行方知らずということはおかし過ぎる。

彼が行方不明になってから既に3日。5日前に連合、敵国であり大小様々な国家を統合して戦争を開始した相手、メセンブリーナ連合の特殊魔法戦闘部隊との戦闘を開始し、それらに勝利したという報告が最後であった。

 

「我々は待つしか無いのか……」

 

「俺は、俺は隊長殿を探しに行くぞ!」

 

「よせ! 俺たちはこの帝国の守護を隊長殿に任せられたのだ。それを破ってどうする!」

 

「そうだ、そんなことをすれば隊長殿の信を裏切ることとなる」

 

「分かっている……分かっているが……!」

 

悲痛な声。それだけで彼がどれほど慕われている人物だったかを如実に理解できる。騎士団員たちは、只々彼の無事を願い、帰還を待った。

それが既に叶わぬ願いだとも知らず。

 

 

 

 

「ううむ、やはり部隊は全滅であったか」

 

「くっ、これさえ上手く行けば帝国に大きく損害を出せたというに!」

 

「全く……役立たず共めが」

 

「全くですな」

 

こちらはメセンブリーナ連合首都、メガロメセンブリアの議会室。老人たちが忙しなく口々に意見を交わしていた。彼らはメセンブリーナを代表する議会である元老院の人間であり、いわば国会議員である。そんな彼らは、帝国騎士団と交戦し敗北した、連合が誇る特殊魔法戦闘部隊を口汚く暴言を放っていた。そもそも、彼らに秘密裏に帝都へと向かい破壊工作を行うよう

命じたのは元老院なのだが、彼らはそんなことは関係ないとばかりにかの部隊を貶していた。

 

「次の手を早く考えねば」

 

「では最近連合に加わった……何でしたかな……アラ……?」

 

「『赤き翼(アラルブラ)』ですよ、グラニア議員」

 

「おお、そうでしたそうでした。歳をとるとどうにも」

 

「いやいや、まだお若いではないですか! で、『赤き翼』とは?」

 

「最近連合に加わった若造が率いている駆け出しの連中ですよ。が、最近戦場で次々と戦果を上げてまして」

 

「そうか。なら、そ奴らにはグレートブリッジの奪還作戦に参加してもらうとしよう」

 

「では、軍備はどのように?」

 

「そうだな……」

 

彼らの思考には既に、特殊魔法戦闘部隊の面々はいない。結局、彼らは議員たちにとっては体の良い駒程度なのだ。連合の利権を食い物にし、贈収賄は常である彼らにとって、手先となる人間に一々構ってはいられない。むしろ、尻尾切りをするときにはその方が便利だ。

会議は進む。されど人々のためではなく。

 

 

 

 

少女は眠っていた。懐かしい思い出を夢に浮かべながら。彼女がその人物に出会ったのはいつだっただろうか。少なくとも5年以内なのは確かだと思ってはいるが、それが本当に正しい認識なのかは定かではない。彼女に出会う前は酷いものだった。一族郎党が全滅する大殺戮が展開され、少女は一人になった。

最初の数日は何とか生きられた。

だが、家が放火された後は路頭に迷った。

それでも、何とか生きてこられた。少女は生きること自体にはあまり興味がなく、ある一点のみを目的として生きていた。目的のためなら平気で人も殺し、奪った。そんな事ばかりしていたせいで、公的機関に目を付けられた。追われ続ける日々が始まった。警官に見つかれば殺し、金がなければ民家に入って殺し、食料がなければまた殺し。気づけばどれだけの人間を殺してきたのかわからない。だが、彼女にとってみればそんなことはどうでも良かった。彼女の目的が達成されれば、それでよかったのだ。

しかし、いよいよそんな彼女も逃げるのが辛くなってきた。彼女の生まれた国家、日本には凶悪犯罪者専門の組織があった。古くから日本を守護してきた組織の名は、『関西呪術協会』。

後々知ったが、正確には凶悪犯罪者も対応するというだけで、彼らの専門はもっと悍ましいもの、魔の討滅にあるらしい。即ち魔物や妖怪といった存在や、邪法を操る陰陽術師に敵対している西洋魔法使いなどだ。

最初はまだ戦えた。彼女の一族は現代から逆行した考え方を持つ古い歴史を持つ武家であったため、彼女もその手解きを嫌というほど受けていた。不思議な術を使ってはきたが、その尽くを殺した。だが、徐々に強くなっていく彼らを相手にするのは辛く、彼女は海外に逃げることを決意し、朝鮮半島行きの密航船を利用して海外へと逃亡することに成功。以降彼女を追う者はいなくなった、かに見えた。

彼女は行く先々で日本と同様の事をしていたため、日本同様に犯罪者として追われ、そしてその国々の裏事情に関わる魔法使いやら何やらとも戦ってきた。そうして2年程逃げ続け、ヨーロッパ諸国を回っていた時。

彼女は運命の出会いを果たした。

 

 

 

 

「……腹が……減った……」

 

昨日も、彼女は目的と欲求を同時に満たすため、民家に押し入って殺しをした。箱入り娘として育った彼女は、古風な考えに囚われ続ける武家の生まれであったために、しっかりとした倫理観を持てないままでいた。彼女の流派は殺しを是とするものであり、いかに効率良く人を殺せるのかを幼い時から叩きこまれてきた。

その結果、彼女には歪な人格が宿った。命の尊さを知っていながら、平然と人を殺せる人間となってしまった。そして、彼女の一族が全滅してからはそれが顕著になった。彼女の目的のために、彼女は進んで人を殺すようになったのだ。彼女が強盗まがいのことをしていたのは、その目的は9割方目的のため、欲求を満たすのは1割程度しか無い。

 

「……いつになれば、終わるのか……」

 

彼女の目的は未だ果たされない。その目的が果たされる前に、自分は死ぬのか。だが、それでいいのかもしれない。自分は人々を殺して殺して、殺し続けた。

幸せそうな家庭があった。

結婚を控えたカップルがいた。

長年連れ添い、固い絆で結ばれた老年の夫婦がいた。

どれも、彼女が奪ってきたものだ。

自分の目的という、エゴのために。

吐き気のするような行為だ。自分からしても最低の行為だと分かっている。

それでも、彼女は確かめずにはいられなかった。目的を果たすためには。

 

「……霧が……?」

 

今晩は冷えると思っていたが、彼女の勘は今日は一日晴れ渡るはずだと告げていた。

だが、現に彼女の勘は外れ、霧が辺りに立ち込めている。それでも、彼女は違和感を感じていた。

 

「……微かだけど……何かが違う……」

 

彼女は霧の中に何か別のものを感じた。それは彼女を追ってきた者達がよく使ってきたものであり、

 

「……魔法……」

 

そう、この感じは魔法を発動するためのエネルギー、魔力が霧に含まれていることからの違和感だった。

 

【ほう……私の魔法に気づいたか】

 

突如彼女の耳に届いた、妖艶な声。霧の奥から聞こえるそれは、彼女を警戒させるに足る、とても冷たく、威圧感を放つものだった。

 

「……誰だ……」

 

彼女は一言、声の主に尋ねる。声の主はそれを聞いたからなのか、クスクスと笑う。

 

【ふ、私が誰であるか……か。貴様ならば知っているのではないか?】

 

「…………」

 

彼女は黙して語らない。彼女には声の主がどんな人物か分からないからだ。ただ、少しだけ分かったことは、声からして恐らくは女であること。そして、彼女はそこそこに有名な人物であるようだ。それも、裏に関わる類の人間に。

 

【フン、だんまりか。まあ、それでもよかろう。魔法を知っている時点で、貴様が裏に携わる人間であると判断するには十分だ】

 

やはり。彼女は裏に関わる人間には有名な人物であり、こちらがそういった人間だと勘違いしている。

 

(……このまま勘違いさせてやり過ごす……?)

 

答えはNoだ。霧の向こうからであるというのに相手の威圧感が如実に伝わってきている時点で相当な実力者。力量を見誤るほどドジではないだろうし、逃げるのも不可能だろう。この霧からは先程から視線のようなものを感じ取れる。恐らく、相手はこの霧を何らかの方法で視覚と一体化させ、四方八方から自分の位置を確認できているのだろう。

対して、こちらは濃霧による視界の悪さで逃走経路は確保できない。下手をすれば相手のいいように誘導されて不利になった挙句嬲り殺しがいいオチだろう。

ならば。

 

(……寄って、斬る……)

 

彼女はそう意識を固めると、手に携えていたモノ(・・)を構える。それは、彼女が相手に唯一対抗しうる手段であり、今の彼女の全て。一族郎党を失って唯一つ手に残ったもの。一族の者達によって厳重に保管されていた、秘中の秘にして彼女の流派における至高の宝物。代々受け継がれる名刀、そして忌まわしき歴史を持つ妖刀。

 

「……『紅雨』、逝くぞ……」

 

そんな彼女に、日本刀である紅雨が答えるはずもない。だが、彼女の言葉に呼応するかのように、紅雨が僅かに鞘の内で震えた。気配は分かる。ならばあとは突撃して斬るのみ。距離は遠くない。よしんば遠かったとしても大した違いはない。彼女の流派はそれさえも容易く解決できるからだ。

 

「……狙うは、首か……」

 

日本刀というものは、切れ味が鋭いものだと思われがちだが、その実正しく運用できなければ重いだけのペーパーナイフと同じだ。重さで斬るというのもあるが、刃筋をしっかりと立てるのがその重さで難しい上に、人の肌というものは存外柔弱であるがゆえに斬り難い。更に骨はそれ以上に強固だ。骨というものは軽いくせに固い。それ故、斬るときに勢いがなければ骨で止められてしまうし、密度が低いせいで斬れずに折れてしまうこともあり、それで刃筋が逸れて歯が止まってしまったり、下手をすると刀身が折れてしまう。人を切るというのはそれ相応の技法が必要なのだ。

では、数々の人間を屠ってきた彼女はどうか。言うまでもない。間違い無く刃毀(はこぼ)れ一つ起こさず何十人と斬れる。その証拠に、彼女は人体でも切り飛ばしやすい首を狙っている。刃筋を立てやすいし皮が薄く、骨が太いがゆえに骨と皮の違いによって歯を阻まれにくい。頸動脈や太い神経も通っているため、よしんば斬り損ねてもほぼ致命傷だろう。ただ、その分人間の五感全てが頭部には搭載され、更に的も小さいため関節を曲げるだけで回避を行いやすい。そして最大の問題は、ただでさえ重くて振り回すと隙が出やすい日本刀を、重力に逆らって水平かそれに近い形で振る必要がある。素早く、勢いよく、一撃で屠れなければ途端に隙を晒してしまう。

だが、彼女にはその心配は無用である。彼女は人の斬り方を熟知し(・・・)過ぎている(・・・・・)

 

「……参る……」

 

言葉はその場に置き去りとなった。彼女は既に常人では不可能な、武を修める達人クラスでも

知覚は困難であろう速度で音もなく走りだしたのだ。ある程度の実力を持つ武人が体得している技の一つに、『瞬動術』と呼ばれるものがある。これは己を気と呼ばれる生命エネルギーや、魔力と呼ばれる精神エネルギーで強化し、凄まじい速度で直線的に移動する技だ。

勅選移動しかできないという弱点があるが、達人はこれを上手くコントロールし、ブレーキを掛けながら方向転換したり、文字通り虚空を蹴って移動できる『虚空瞬動』が存在する。

或いは、『縮地』と呼ばれる武術の技法が存在し、距離や早さは瞬動に劣るが、行動にある程度の自由が効き、気配を消せば相手の背後を素早く取り、気絶させるなど容易い。

これらを掛けあわせ、かつて仙人が使ったと言われる"本物の縮地"が如き動きを可能とするのが『縮地法』だ。

 

だが、少女が使っているものはそのどれでもない。『朧縮地』。彼女の流派で『縮地法』と同様の技法。その本質はただひたすらに速度のみを追求した、文字通り縮地を目指した狂気の技である。小回りだとか連続使用だとか、そんなものは一切考えず、ただひたすらに速さを、疾さを。あまりの速度であるためほんの一瞬、刹那とも言える時間だけその姿がその場に留まる。そして次の瞬間にはその姿は(かすみ)に溶けて消える。そのため、彼女がその場から突如消えたかのような、そんな錯覚に陥ってしまう。正に朧月夜のごとく、月に掛かっている間はその姿を見せるが、月から一度離れれば闇に溶けてゆく。

勿論、こんな技は使い勝手が最悪なものであり、完璧に修得するのは普通の人間では不可能。

だが、彼女の流派はそれを扱うことを最低課題とし、扱えきれねば無能の烙印を押される。それ故一族の者は皆過酷な修練を積むことが前提であり、脱落者は数知れず。そして速度に慣れ、扱いこなすために特殊な薬品、今にして思えば魔法関係の薬品であろうそれを何度も服用し、感覚を強化する。しかし同時に強烈な副作用も存在し、そのあまりの激痛で自殺したものが大半であった。これほどに苛烈な修練と肉体改造をしていたのは、彼女の流派が復権を狙っていたためだ。元々は日ノ本において長い歴史を持っていたのだが、ある時期から別の流派に仕事を奪われ、落ちぶれていったのだ。だが、最近まではそれで満足していたのだ。しかし、それだけでは満足できないものが、一族から出てきたのだ。ただし、それは今語るようなことではないことであり、このまま割愛させていただく。

 

(……見つけた……)

 

霧の向こうに黒い(シルエット)が見える。恐らく、あれがこの霧の発生元である魔法使いだろう。だが、そのシルエットは・・・。

 

(……? ……やけに小さい……)

 

その姿は幼い彼女と同等か、少し小さい。童だったのだろうか。だが、一度斬ると決めた以上

相手が女子供だろうと老人だろうと斬ってきたのが彼女である。躊躇いなど無い。そのまま一気に近づいていく。握った柄を勢いよく前方へと引き抜き、次いで刀身を抜き身へと移行させていく。速度は相変わらず出鱈目なもの。相手も恐らくは知覚できてはいまい。彼女は速度を維持したまま、居合の要領で鞘から抜刀する。そして次の瞬間には、

 

「き、貴様……!」

 

リィン

 

鈴の音が辺りに澄んだ音色を響かせ、首を撥ねた。

 

 

 

 

(……一瞬、私を見ていた……)

 

刀身を(・・・)鞘から出し(・・・・・)、血振りをして刀身にこびり付いた血液を振り落とす。

彼女が先ほど放ったのは、彼女の流派で『時雨』と呼ばれる技だ。短くしんしんと降る雨が如く、一瞬にして相手の生命を刈り取る、それがこの技名の由来である。やったことは大したことではなく、いわゆる移動型の居合である。ただし、神速の速さで放つ、という常人離れした技だが。居合の"ため"を利用して刀身を放ち、相手の肉と骨を有無を言わさず寸断する。そしてその勢いを再利用して刀身を一瞬で鞘に戻す。戻すには刃を返す必要があるが、勢いを殺さないために手の内で直接刀身を返し、もう一方の腕で鞘を刀身に向けて伸ばし、そのまま納刀するという、荒技とも言えるやり方である。普通そんなことをしようにも、勢いのついた重い

刀身はゆうことなど聞かない。慣性の法則に従ってそのまま動こうとするだろう。が、それを可能とするのが彼女が厳しい鍛錬を乗り越えた末に手に入れた恐るべき膂力である。日本刀という重い部類に入る刀身をこれだけ自在に扱えるのは、彼女の握力、膂力が凄まじいレベルであるからである。尤も、それ以外にも"気"による自己強化も多少の恩恵があるが。

さて、彼女は先程の光景を鮮明に覚えていた。霧を抜けて対象を斬ろうとした一瞬。見えたのは自分と同じく幼いながらも、恐るべき威圧感を持つ金髪の少女。漆黒のゴシックドレスは金の髪によく映え、美しかった。だが、それ以上によく覚えているのは、達人クラスでさえ知覚が困難な自分の姿を、その目に写していたことである。尤も、その後すぐに『時雨』で首を跳ねてしまい、今は自分の背後でおびただしい血液を噴出しながら倒れている。

 

「……もしかしたら……」

 

彼女であれば。自分の目的を果たしてくれていたのでは。一瞬そんな思いが胸の内を駆け巡る。だが、それは今となっては無意味な考えだと振り払うと、いつも通り少女は殺した相手の荷物を確認しようと近づこうとして。

 

【やってくれたな……!】

 

「……っ!」

 

地の底から響くかのような、怨嗟の声。それは先ほど殺したはずの相手と全く同じもの。少女は一瞬で死体から距離を置き、剣を構えて警戒する。すると、その少し後で信じられない光景が広がった。

 

「……馬鹿な……!」

 

死体の周りに広がっていた血液が、凄まじい速度で死体の内部へと逆流し始めた。それだけではない。切り取ったはずの首は、血の(あぶく)を浮かべながらどんどんと血液に変換されていく。そしてその血液もまた、死体となったはずの少女に向かって伸びていく。やがて、すべての血液が彼女に集結した後、その血液の一部が彼女の頭部を形成していく。暫くして、全て完了した後。そこには完全に生前の姿を蘇らせた少女の姿があった。

 

「…………」

 

夢でも見ているような気分だった。様々なものを、少女はみてきた。魔法使いの強大な雷の魔法、風を操り木を切断する魔法、水を操り溺れさせる魔法。

その中には、傷を癒す魔法も勿論あった。だが、所詮は人間。首を切り落とせばそれまでだったし、心臓を射抜かれれば絶命した。

では、今目の前で起こっているものは何だ。

あれは本当に人間だというのか。

否。

 

「……化物……」

 

「そう、その通りだ。ガキ」

 

彼女の思わずついた呟きに、返答が。その主と思しき、眼の前で復活を果たした少女はゆっくりと、地面から体を起こしていた。

 

 

 

 

 

「驚いたぞ……この私でさえ目で追うのがやっとの速度とは」

 

 

「……」

 

「だが、もう終わりだ。此処からは油断などしない……。本当なら女子供は殺さないが、貴様は危険すぎる……!全力で(くび)り殺してやる……」

 

リィン

 

再び鈴の音。その音と共に、少女は復活した少女の心臓を、正確に射抜いていた。

 

「ゴハッ!?」

 

「……死なない……?」

 

心臓を、即死するようわざわざ捻りを入れながら突き刺した。だというのに、目の前の少女は死なない。

 

「こ、の……!」

 

少女の怒りに満ちた目。それは刃を振るう少女を高揚させる材料に足りた。すぐに『紅雨』を引きぬき、距離をおこうとする。だが、それは不可能であった。

 

「……糸……」

 

「よく分かったじゃないか……私は『人形遣い(ドールマスター)』の呼び名を(ほしいまま)にする……悪の大魔法使いだっ!」

 

彼女の腕には、肉眼ではほとんど捉えられないような、それこそ闇夜では肉眼で確認できそうもないほど細い糸が絡みついていた。見ることができたのは、たまたま月明かりが細い細い弦を照らし出していたからだ。少女は抵抗できないまま、中空へと糸によって放り投げられた。

その真上に、何らかの魔法を使ったのかゴスロリの少女が現れた。そして放り出された剣の少女の胸に掌を置き、言葉を紡ぎだし、それと同時に落下が始まる。

 

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック、来たれ氷精、大気に満ちよ。白夜の国の凍土と氷河を!」

 

「……っまさか……!」

 

魔法を放つための、呪文。それが彼女の紡いでいるもの。直撃すれば間違い無く死は免れない。何とか抵抗して逃げ出そうとするも、ここは上空であるためうまく力を出すことができない。彼女は気を使って足元に地面を擬似的に形成し、瞬動を行う、『虚空瞬動』も扱うことができるが、今の彼女ではそれはできない。体中が糸によって雁字搦(がんじがら)めになっているからだ。

 

「『こおる大地』!」

 

地面に到達する直前。彼女は掌に集めた凄まじい魔法を放つ。間違い無く殺した・・・魔法を放った少女は確信する。だが、それは間違いであるとすぐに思い知ることとなる。放ったはずの魔法が……少女の(・・・)胸の中に(・・・・)吸収された(・・・・・)のだ。

 

「なにぃっ!?」

 

驚きの声を上げる少女。そのまま何事も無く、二人は地面に激突した。

 

「ガハッ!?」

 

剣の少女が悲痛な声を上げる。背中から3階建ビルの高さから落下したのだ。即死しないだけマシである。だが、間違い無く少女の体のどこかに多大なダメージを与えただろう。ゴスロリの少女は剣の少女を片手で持ち上げ、問いただす。

 

「貴様……一体何をした……!」

 

「……し、知らない……」

 

「……なんだと……?」

 

嘘を行っているようには見えない。ゴスロリの少女はそう判断する。これでも人を見る目はあるつもりだからだ。

 

「……本当に知らないようだな」

 

そう言うと、彼女は横へと彼女を放り投げる。地面に落とされ、傷を刺激されて咳き込む。

 

「……貴様は一体何だ? 吸血鬼(・・・)である私以上の速度と知覚能力で私を二度も殺し、その上魔法を吸収だと。出鱈目にも程がある……」

 

「……吸血鬼……?」

 

「そうだ、私は偉大なる真祖の吸血鬼にして『闇の福音』。あるいは『人形遣い』、『禍音の使徒』、『童姿の闇の魔王』。誇り高き悪の大魔法使い、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだ」

 

「……誰?」

 

「そうだ、貴様とて私の恐ろしさぐらい知っているだろ……なにィ!?」

 

「……私は、知らない……」

 

あんぐりと口を開け、呆けるエヴァンジェリンと名乗った少女。彼女は魔法使いたちにその悪名を轟かせる、正真正銘の悪の大魔法使いであり、彼女を知らないものなど、関係者には皆無であるからだ。だというのに、明らかに裏の関係者と思しき少女は、自分を知らないという。

異常だ。これだけの実力者ならば、そもそもエヴァンジェリンが名前と容姿ぐらい知っていてもおかしくない。だが、彼女の噂など全く聞いたことなど無いし、彼女も自分を知らない。

 

「一体何なんだお前は!」

 

「……よく、分からない……」

 

「……なに?」

 

「……自分のこと、よく分からない……」

 

改めて、剣の少女を見てみる。艶やかな紫の着物は返り血で所々が黒ずんでおり、奇妙なグラデーションを演出している。黒い髪はボサボサではあるが、手入れすれば美しく輝くであろうことはよく見て取れた。顔も幼いながら美しさと可愛さを両方備えており、将来随分な美人となるであろうことは想像に難くない。

だが、その瞳には何も写ってはいない。いや、何も宿ってはいないのだ。虚ろといっていい。

 

「……私は、一体何なの……?」

 

「……知るか。そんなものはお前で探せ」

 

「……駄目、もう私にはできない……」

 

「……お前は……っ! よせっ!」

 

少女に何かを語りかけようとした時。少女は首筋に己の日本刀を当て、自殺を図ろうとしていた。それを防ごうと、エヴァンジェリンは少女の握る日本刀の刀身に手を伸ばす。鋭い刃のせいで手の皮が切れるが、吸血鬼である彼女にはさしたる問題ではない。

 

「……離して……もう、生きたくない……」

 

「……何故だ、何故今になって死のうなどと……」

 

「……もう、目的を失ったから……」

 

「目的、だと?」

 

そこから少女は、ポツリポツリと言葉を吐き出し始める。少女は幼い頃から剣術を習い続けていた。少女の両親は、彼女に厳しくも、優しかった。父は厳格ながら、たまに散歩に連れて行ってくれ、優しい笑顔を零すことがよくあった。母も、弱音を吐くことは許さなかったが寝る前には必ず一緒に布団に入り、本を読んでくれた。ある時、少女は手合わせの最中に人を殺してしまう。真剣同士での勝負であったが故に、だ。少女は、その時何の感慨も浮かばなかった。むしろ、その時から彼女は空虚になっていった。

人はこうも簡単に死ぬものなのかと。

世界はこんな単純であるはずがない、と。

少女は斬って、斬って、斬り続けた。

母が読んでくれた、鬼を斬り捨てた武士の話。

鬼という、妖怪の中でも強大な存在を斬り伏せるという、馬鹿げたお伽話。

だが、彼女はその武士こそを欲した。

自分が人を殺す鬼となれば、そんな存在が現れるのではないかと。そんな存在が現れれば、世界はこんな愚図な自分に容易く斬られるような、そんな単純で軟弱なものではないと実感させてくれる。それを信じてここまで来てしまったのだ。

 

「……正に狂気の沙汰だな……」

 

「……でも、もう駄目。……貴女は私が初めて殺し損ねた。……でも、貴女は化物、人間じゃない」

 

「……」

 

彼女の目的。自分のような化物に斬り殺されず、自らを討滅するような、そんな存在。彼女が欲したのは人間という仇敵だった。それを得るためだけに、少女は鬼と成った。そう、『剣の鬼』に・・・。

 

「……私は、『呼吸』が見える……、初めて見えたのは、初めて鍛錬をした日の時……。それから、色々な『呼吸』が見えるようになった……」

 

『呼吸』。彼女が、そう言うそれは様々なものにあるらしい。動物の呼吸、植物の呼吸、虫の呼吸……。それは生物だけに留まらず石の呼吸、水の呼吸など、無機物にも見えるらしい。

エヴァンジェリンは、かつて日本を訪れた際に武の達人と出会ったことがある。彼は合気術を修めていたが、彼曰く『武の果てには、その命の息吹さえも読む術もある』という独自の理論を展開していた。何を馬鹿なと、その時は歯牙にも掛けなかったものだが、今確信した。

この少女は、この幼さで武の深奥に辿り着いてしまったのだ。彼女は、生まれついての剣術の類まれなる才能があった。そして彼女は、精神が成長する前に世界の脆さを知った。それを認めたくない幼い少女は、お伽噺の鬼を騙り、自らを打ち倒す存在をひたすらに渇望したのだ。

 

「……貴女の魂は、人間のものだった。……だから貴女なら、私の剣を受けても死ななかった貴女なら……そう思った」

 

「……そうか」

 

エヴァンジェリンは、幼い頃に無理矢理に吸血鬼にされた苦い思い出がある。そして自らが人間であったことを忘れないように、人間らしい生き方を心がけてきた。それでも、周りは寄って集って彼女を化物扱いした。目の前の少女もそうだ。だが、彼女は自分の魂が人間であると、そう言ってくれた。武の深奥にたどり着いた、それこそ本当に魂の本質を見抜けるであろう少女に、そう言ってもらえたことが少し嬉しかった。だが、少女の魂はどうか。救われているかと問われれば、否だろう。

 

「……でも、貴女は吸血鬼だった。……吸血鬼って見たことがないから、吸血鬼が皆人間と同じ魂なのか、それとも貴女が特別なのかはわからない……。……それでも、貴女が人間じゃない以上もう望みなんて無い。……貴女ほど強い存在なんて……どこを探したっていないだろうから……」

 

 

その悲痛な姿が、かつての自分に重なった。こんな幼い少女が、己と同じ道を歩まざるをえない。なんという悲劇であろうか。600年。自分は生きてきて世界を知った。だが彼女は、そんな長い時間を生きられない。ならば、自分がそれを教えてやればいいではないか。

 

「……なあ」

 

「…………何?」

 

「お前は鬼なんだろう? だったら、お前も化物だ」

 

「……うん、私は……剣のバケモノ。……それ以上でもそれ以下でもない」

 

「だったら、私の下僕になれ」

 

その言葉に、少女は呆けた表情になる。その愛らしい姿に、エヴァンジェリンはようやく彼女の、歳相応の顔を見れた気がした。

 

「……いいの?」

 

「ん、なにがだ?」

 

「……私は、人を殺しすぎて……もう魂が鬼と同じ……」

 

日本では古来より、人を殺すのは鬼の所業であるとされた。人を殺めれば人として揺らぎ、人を何人も殺せば殺人"鬼"だろう。では、人を殺しすぎたものの末路は何か。その答えこそが彼女だろう。人をあまりに殺しすぎ、その魂の本質は人から逸れてゆき、鬼と成ったのだ。

 

「何だそんなことか? 私とて吸血"鬼"だぞ?」

 

「……でも、貴女の本質は人間と同じ。……それに私は、人を殺しすぎた。……吐気がするような犯罪者……」

 

「ククク、それを私に言うか? 私は『闇の福音』だぞ?女子供は殺さないとはいえ、夥しい人間や亜人を殺し、この手を血に染めてきた。今更たかだか数十人や数百人の人間を殺した程度の相手に、嫌悪感など抱くものか」

 

そう言うと、エヴァンジェリンは少女の口元に手を添える。

 

「あ……」

 

「ククク、美しいなぁ……ますます欲しくなった」

 

「……私を、下僕にしてどうするの……?」

 

そんな、彼女の最後の抵抗とも、自らを下僕にして欲しいが故の

理由付けを欲しているとも取れる、そんな言葉に。

エヴァンジェリンはただ愉しそうに答える。

 

「そうだな……英雄を探しに行くなんてどうだ?」

 

「……えい、ゆう……」

 

「そうだ。私達強大すぎる悪には、それを打ち倒す英雄こそが必要だ。だが、待っているだけでは我々の性に合わん。ならば探しに行こうではないか」

 

ククク、と。喉の奥で愉快に笑い声を漏らす。少女には、目の前の吸血鬼が、悍ましく、邪悪な存在に見えた。そして、それは彼女にとってはかけがえの無いものに見え、長年焦がれた永遠の忠誠を誓うべき存在に思えて他ならなかった。気づけば、少女は目の前の吸血鬼の抱擁を抵抗なく受け入れ、その胸の中に額を擦りつけていた。

 

「ん、どうした?」

 

「……やっと、見つけた……」

 

 

「……そうか。よかったじゃないか……」

 

エヴァンジェリンは、自分の腕の中で啜り泣く少女を、少し力を強めて抱きしめた。

月夜は彼女らを照らし、新たなる出会いを祝福しているかのようだった。

 

 

 

 

「……ん。マスターの夢……」

 

少女は朝日が昇るのを日の出で感じ、目を覚ます。夢に出てきたのは、自らが初めて彼女と出会った日。あの日に、少女は誕生したと言っても過言ではない。そんな夢を見る事ができて少し上機嫌な彼女が、川辺で顔を洗い、朝食をどうしようかと思案していた時。

 

【鈴音。起きているか?】

 

脳内に直接語りかける声。エヴァンジェリンの声だ。彼女は敬愛する主人の声に慌てることなく応答する。

 

【……はい。……お早う御座います、マスター】

 

【うむ、早起きは三文の得とお前の国では言うが、たまにはいいものだな。空気が澄んでいる】

 

【……それは私も喜ばしいことです】

 

【フフフ、どうした? いつもより少し上機嫌だな? 普段からあまり感情を表に出さないお前が】

 

【……夢を……とても良い夢を見ました……】

 

その答えに、エヴァンジェリンもまた楽しそうな声で問う。

 

【そうか。どんな夢だった?】

 

【……秘密、です】

 

【……ほう?】

 

少女の返答に、エヴァンジェリンは少し意外そうな声を出す。

 

【お前が私に秘密など、益々珍しい……。まあ、お前が楽しそうだからこれ以上は問わんよ】

 

【……寛大な御心、感謝致します】

 

【いいさ。お前は私の大事な下僕、従者なのだからな】

 

【……光栄に存じます】

 

【さて、お前にはこれからグレート=ブリッジに向かってもらう。そこで少し暴れてこい】

 

【……マスターの、ご命令のままに】

 

【くれぐれも危ない橋は渡るなよ? 私の愛しい従者】

 

当然だ。自分は彼女の、『闇の福音』のシモベにして同じく邪悪を背負いし剣の鬼。

 

【……はい、この明山寺鈴音、我が主人にして『闇の福音』、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル様の名に、傷を付けぬよう誠心誠意努めさせて頂きます】

 

【ククク……お前の名にも恥じぬようにな、我が下僕にして『狂刃鬼』、明山寺(みょうざんじ)鈴音(りんね)よ】

 

少女は今は別の場所にいる自らの主人に向け、頭を垂れる。出会いし巨悪は、物語を歪な姿へと変え、壊していく。



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第二話 英雄の胎動(前編)

第二話。戦場に似合わぬ気楽な男たち。
彼らは、英雄足りえるのか。
今回は主人公出番少ないです。
(追記:修正をしました)


魔法世界(ムンドゥス・マギクス)。その成り立ちは詳しくは不明だが、紀元前以前から存在するとされている。現在、この世界では大分裂戦争と呼ばれる、世界規模の超巨大国家同士の戦争が続いている。古くから亜人達を中心に形成されていた南のヘラス帝国、新たに魔法世界に居を構えた、人間を中心とした北のメセンブリーナ連合。互いに度々確執を生んでいた両国は、ついにそれを爆発させて他の国家さえも巻き込む大戦争を勃発させたのである。

 

グレート=ブリッジ。

連合が誇る長大なる橋にして、超巨大戦術要塞である。

帝国との戦闘の要衝ともなっている場所であり、戦争における重要拠点でもあった。しかし、先年に帝国からの奇襲を受け、防衛戦を展開。しかし、奮闘むなしく陥落。この防衛戦における最大の失敗は司令官として新しく着任した人物の余りに愚劣な判断能力、決断の遅さにあったとも言われ、撤退の折に数百人の死者を出す第損害を被った。勿論、その後司令官はクビになった挙句、不正に私財を溜め込んでいたとして投獄された。だが、それでグレート=ブリッジが返還されるわけでもなく、帝国との戦線の境とも言えるグレート=ブリッジを失ったことで連合の士気は著しく下がった。これを打開すべく、連合側は総力を上げて大要塞、グレート=ブリッジ奪還作戦を敢行することとなる。時に旧世界の西暦において、1982年の出来事だった。

 

 

 

 

 

「くっそー、あいつらしつこすぎるぞ!?」

 

「馬鹿を言っていないで手を動かせ、ナギ!」

 

「つったって、こんだけ数が多いとちと骨だな」

 

「これだけ士気があれば更に厄介じゃのう」

 

「お師匠様でもちとヤバめか?」

 

「何を言うか。ワシはお主の師匠じゃぞ?この程度で音を上げてられんわ」

 

「フフ。ナギ、恐らくは後もう一息です。ここが踏ん張りどころかと」

 

「アルがそう言うんだったら多分そうなんだろうな。んじゃ、景気付けに一発お見舞いしてやるぜ!」

 

現在、大要塞グレート=ブリッジでは、連合による奪還作戦が展開され、一度は帝国側は敗北を喫した。だが、すぐに戦線を立て直した帝国側は戦列を再構成し、未だ完全に回復しきっていない連合を追い立てようと戦線を展開していた。

そこに、戦争とは思えない愉快な会話を繰り広げる一団が。彼らこそ、最近前線において目覚しい活躍をし、戦功を重ね続けている連合側の現在の大戦力の一つ。人員は僅か5名でありながら艦隊戦においても数十の戦艦を落とした、正に無双の戦団。その名を『赤き翼(アラルブラ)』と呼ぶ。

メンバーは、馬鹿でお気楽ながら魔法と格闘戦は超一級品のリーダー、ナギ・スプリングフィールドを筆頭に。『サムライマスター』の呼び名を持つ青山詠春、様々な魔法を使いこなし、重力魔法さえも編み出したと言われる魔法使い、アルビレオ・イマ。かつては敵であったが

ナギと戦っているうちに意気投合し、雇い主である帝国を裏切って入団した、気合で全てを解決する豪放磊落な男、ジャック・ラカン。そして姿は少年だが、ナギの師匠にして数百年を生きる謎多き存在、フィリウス・ゼクト。彼ら5人のみで1国家の保有する軍隊にも匹敵し得るとまで言われる。

 

「くらえ! 『千の雷』!」

 

「馬鹿! こんな狭いところで広域殲滅魔法を放つな!」

 

「うおっ!? こっちに飛んできやがったぞ!?」

 

「……全く、馬鹿な弟子を持つと苦労するわい……」

 

「いえいえ、あの方が実にナギらしいではないですか」

 

さりとて、彼らが無双の戦人ではあれど、戦争に似つかわしくない空気を纏って戦うのは、敵味方問わず気の抜けるものであった。

 

 

 

 

 

帝国の戦線を押し返し、現在は戦闘休止の一行。腹が減ってはなんとやら、ということで。

城壁の上で暫し憩いの時間である。ただし、睨み合いの真っ只中であるため酒など存在しないし、ナギは未成年のためそもそも飲むことができないが。

 

「ふー、何とか押し込んでやったぜ!」

 

いい仕事をしたとばかりに、満面の笑みを浮かべて水筒の水を嚥下するナギ。

 

「そのかわりこっちもボロボロだがな……」

 

背中が煤けているようにも見える、と言うよりところどころ服の裾が焦げている詠春。先ほどの魔法を躱し損ねたようだ。

 

「詠春よう、あんまカリカリしてっと将来ハゲるぜ?」

 

ラカンがそんなふうに茶々を入れる。そのせいで「誰がハゲるかっ!」と半ギレした詠春がラカンを追い回し始めた。

 

「いやぁ、賑やかですねぇ」

 

ほっこりした顔のアルビレオ。

 

「少しは止めようとは考えんのか」

 

溜息をつきつつ、携帯食を齧るゼクト。そんなゼクトも、彼らを止めようとはしない。答えは簡単、面倒だからだ。最近メキメキと実力をつけた弟子に、それに追随するように詠春も強くなった。ラカンは帝国側でも屈指の実力者であったし、アルビレオも重力魔法を開発した高位の魔法使い。こんなメンツのじゃれ合いなど、まともに相手するだけ無駄というものであった。

 

「はぁ……癒しでも欲しいもんじゃのう……」

 

「どったよ師匠? さすがにもう歳か?」

 

「戯け。ワシはまだまだ現役じゃ。頭痛の種はお主らじゃよ、馬鹿弟子に真面目馬鹿に筋肉馬鹿」

 

「「ちょっと待て! こんな馬鹿と一緒にするな!」」

 

「んだとテメェら! やるか!?」

 

「いいぜ……そろそろ決着つけようじゃねぇか!」

 

「一度、お前に灸を据えねばと思っていたところだ……丁度いい!」

 

「やめんか馬鹿共が!」

 

ゼクトの渾身の拳が三バカの頭に振り下ろされた。その後、珍しく説教をゼクトが三人相手に展開し、その様子をニコニコ笑顔のアルビレオが眺めているのだった。

 

 

 

 

 

「なあ……」

 

「なんだ?」

 

「俺たち、いつになったら祖国に帰れるのかねぇ?」

 

「知るか。戦争が終わったらだろ」

 

要塞内部、とある一室。連合側の兵士の会話。彼らは度重なる戦火の拡大と戦線の激化に疲弊しきっていた。むしろ、『赤き翼』らがあれほど元気なのが異常なのだ。常人からすれば、彼らはまさに別次元と言っていい。

 

「……俺さぁ、おふくろが買ってくれたお伽噺が、子供の頃好きだったんだよ」

 

「ああ? んだよ急に。んなこと言ってると死ぬって上官が言ってただろ」

 

「んなもん迷信に決まってんだろ……。まあ聞けよ、俺ってよぅ、お伽噺に出てきた騎士に憧れたんだよ・・・。どんなものでも斬り裂く聖なる(つるぎ)に、何も通さない硬い鎧を纏って、お姫様を魔王から助け出すんだ。その本の挿絵の騎士がかっこよくて、すっげぇ憧れたもんさ、こんな風になりたいって」

 

「…………」

 

「そんで、こんなでっかい戦が勃発して、俺もあの騎士みたいに英雄になりたいって思ったんだよ。でもさ、俺一人が何やったって所詮はチカラのないちっぽけな男だって現実を突き付けられた……」

 

幼い頃の、淡い夢。勇者に、英雄になりたいと望んだ男に、現実はかくも残酷な事実を叩きつけた。たかだか一人の人間では、戦争という多くの人々の思いが錯綜する強大なうねりに対抗などし得ない。それができるのは、それに立ち向かう勇気と実力を持つ、それこそ本物の英雄ぐらいだろう。

 

「だから、俺はもう戦争なんざゴメンだ……。何人も死んで、皆いい奴らばっかだったのにさ、昨日喋ってたそいつらは次の日には皆帰ってこねぇ……。もう嫌なんだよ」

 

「……俺もだよ。さっさと故郷に戻って、お袋と一緒にいてやりたい」

 

人々は、英雄ほど心が強くはない。だからこそ肩を寄せあって生き、大きな悲劇が起こっても対岸の火事を決め込むのだ。しかし、今回ばかりはそうも行かない。魔法世界を丸ごと

戦火に引きこむ大分裂戦争は、彼らを許してはくれない。

 

「……こんな時、本物の英雄様が現れてくれればなぁ……」

 

「よせよ……。そんな希望的観測じゃ何時まで経っても戦争が終わらねぇ」

 

「……違ぇねぇや」

 

 

 

 

 

「行くぞ……」

 

「応」

 

こちらは帝国側。城壁の真下にある海面、そこに幾人かの帝国兵の姿があった。グレート=ブリッジは海峡を結ぶ非常に長い連絡橋だ。その橋脚は海面下にあり、荒れ狂う波や潮風にも

へこたれない強靭な素材でできている。そんな橋脚を、帝国兵士らが鉤爪を利用して登っている。今回、彼ら帝国側が承った任務は、何としてでもグレート=ブリッジを死守、奪われたのなら奪い返せという司令だった。皇帝の勅命であったが故、皇帝に信を置かれていると帝国兵達は士気も高く、万全の体制だった。だが、今回参戦した連合側の大戦力、『赤き翼』が余りに強敵であり、城塞を手放さざるを得なくなってしまった。帝国兵士は皆、グレート=ブリッジを死守することができず、悲嘆にくれていたのだが、指揮官が優秀な人物であり、兵士を鼓舞して奪還のために城塞戦を展開した。それでも、奪い返すには至らなかったが、連合の兵士の士気はガクンと落ちた。なにせ、いくら『赤き翼』が強大でも、あくまで勝敗を決するのは兵士たちの踏ん張りだ。連合は、度重なる波状攻撃を受けて疲弊しきり、兵士たちの空気はまるで通夜の参列である。

 

「この奇襲が成功すれば……我々の勝利だ」

 

そう呟くのは、この数人の帝国兵からなる部隊を率いる、隊長の地位にいる者だ。今回の城塞戦を行なっている上で、最も活躍をしているのが彼ら隠密部隊である。場内に火を放ち、情報をリークして持ち帰り、戦略に利用する。その働きぶりは直接戦闘を介さない部隊であれど、

今回の一番手柄といってもおかしくない働きぶりだ。尤も、日陰者をよしとする彼らは褒賞などに興味はないし、求めるのはあくまで帝国の繁栄につながる、ひいては勝利のみである。

 

現在、彼らは司令官の密命を受けて奇襲作戦を展開中だ。先程戦闘を介さない部隊と述べたが、彼らはあくまで情報収集や工作活動が主な仕事であるだけで、そこらの一兵卒よりも遥かに高い能力を有する。そんな彼らが、音もなく城塞に侵入して奇襲、できるならば連合側の高官や将校を暗殺するために城塞を登っている理由。それは帝国側の疲弊の問題だった。今回、帝国側は当初は防衛戦こそが主体であった。しかし、連合に敗北して撤退を余儀なくされた彼らは、兵士の士気は高くあれど、食料の問題が首を(もた)げた。

『腹が減っては戦はできぬ』とはよく言ったもので、今は士気の高さでカバーできているが、その内空腹に耐えかねて帝国側の不利が明白になりかねない。よって、早期に決着をつけるために奇襲作戦を敢行したのだ。本来であれば、こういったものは何度も不規則に行って相手の不安や恐怖を煽ってから総力戦を行うのだが、時間が惜しいために、暗殺や破壊工作を行うことを余儀なくされた。

これは、即ち上官からの死刑宣告に等しい。なにせ、十分に恐怖を煽ったり士気が下がってもいないのに、こういったリスクの高い任務をするのは愚策としか言いようがない。それでも、彼らは文句も言わずに任務を果たそうとしている。

 

「俺らが死んでも……帝国軍が頑張ってくれるはずだ」

 

「ああ。そのためならこの命、惜しくなど無い」

 

彼らの思いは唯一つ。

『犬死するよりも、少しでも戦果があげられるように頑張りたい』

という一念だけだ。彼らは死ぬかもしれないし、死ぬのだろう。だがそれでいい。それで帝国に勝利があるのならば、死などどれほどのものか。げに恐るべきは、帝国が誇る影の精鋭。その凶刃は連合の喉元に届こうとしていた。

 

 

 

 

 

その少し前。グレート=ブリッジ近海の海上。

 

「……あれかな?」

 

海上を凄まじい速度で疾走する存在が一人。黒い髪をなびかせ、艶やかな紫の着物を羽織る少女。かの『闇の福音』の忠臣にして従者、明山寺鈴音である。彼女は海上を両の足を使って走っていた。これは彼女がエヴァンジェリンの指導によって得た、気の操作による初歩的な移動術である。とはいっても、かの悪名高き大魔法使いであるエヴァンジェリンにとっての初歩的な技術、だが。普通、数千kmはあろうかという海洋上を疾走するなど、一般的な魔法使いや気の使い手ができることではない。あの出会いから数年。元から異常な実力者であった鈴音は、エヴァンジェリンという良き師の指導の下、様々な技術を叩きこまれた。

ただし、彼女の体質上(・・・)魔法だけはどうしても扱えなかったが。

 

「……霧が深い……」

 

グレート=ブリッジ近海の気候は、潮風により湿気が強く、霧が発生しやすい傾向がある。これにより、グレート=ブリッジでは長い橋の上で度々自己が多発したり、事故対策に頭を悩ませてきた。今回の戦闘でも、グレート=ブリッジを得てからまだ十分な気候の把握や戦い方を把握できず、連合相手に敗北した。ただ、連合側も味方に魔法を誤射する者が多発したり、攻城側となった帝国軍の奇襲に頭を痛くすることとなった。敵味方問わず、この気候は厄介極まりなかったのだ。

 

「……問題ない、切り抜ければいい……」

 

だが、あらゆる戦闘状況を想定した模擬戦を、あのエヴァンジェリン相手に強いられてきた彼女にとってみれば、この程度は造作も無い。彼女と出会った時でさえ、彼女の『呼吸』を読む能力で苦もなく発見することができたのだから。さて、そんな彼女はそろそろグレート=ブリッジに接近していたのだが。

 

「……? ……様子がおかしい……」

 

霧の向こう側から、魔法による爆撃音や雄叫びが聞こえてくる。戦闘中であったのか、それとも別の何かか。

 

「……好都合……」

 

この喧騒に紛れれば苦もなくあの城塞に潜り込めるだろう。そう判断した鈴音は、城塞へと向けていた足を早め、戦闘の真っ只中へと向かっていった。

 

 

 

 

 

「て、てめぇらなにもんだ!」

 

「大人しくしてもらおう……」

 

帝国兵の奇襲を受け、部屋にいた二人の連合兵士はあっという間に無力化されていく。

 

「くそったれ、帝国の奴らかよ!」

 

「口を塞げ」

 

「なにをむぐぐぐ!」

 

口に詰め物をし、兵士二人を黙らせる。

 

(こいつら手際が良すぎる……隠密の奴らか!?)

 

兵士の一人は帝国側に存在すると言われる、その非常に厄介な部隊を想起していた。苛烈な訓練をこなした者だけがなれ、精鋭で揃えられた部隊。その噂を聞いた相手曰く、命なき部隊。

命を度外視して行動する捨て身の部隊だと。

 

「よし、ロジャーとナルススは城内の破壊活動。隙を見て城門を開けろ。タイラーは連合の犬共を撹乱させろ。俺は、司令官をやる」

 

(やべぇ……! このまま行けばまた泥沼の戦場になりかねない……!)

 

ちらりと、もう一人。連合兵士である戦友の方を見つめる。どうやら、彼の方もそれを理解しているらしい。幸い、相手はこちらが一兵卒だと油断しているようで、手持ちの杖1本だけを没収された。だが彼らはこういった時のため、予備の杖を服の内側に縫いつけてあるのだ。二人はアイコンタクトで会話する。伊達に、数年一緒に戦場で活動してはいないのだ。

 

(俺が不審な動きをしてるように見せる……その時に……)

 

(……なるほど。あいつが囮になってその隙にやれってことか)

 

チャンスは一瞬。失敗すれば祖国は遠のく。そんなのはもうたくさんだと、囮役を買った男は内心で呟く。そして、いざ実行に移そうとしたその時。

 

ガシャアアアアン!

 

「見つけたぜ」

 

ガラスの割れる音と同時に現れたのは、連合の救世主にしてこの度参戦した『赤き翼』のリーダー。

 

「な、ナギ・スプリングフィールドが何故此処に!?」

 

「ば、馬鹿な! 気配遮断の魔法を使っていたというのに!」

 

「気までは遮断できねぇみたいだなぁ? 俺には手に取るように分かったぜ」

 

そう言って現れたもう一人。傷だらけの肌に筋肉の鎧で覆われた巨躯。ナギと同じく、『赤き翼』のメンバーであるジャック・ラカンだった。

 

「なんか怪しいと思ったら奇襲かよ……もっと真正面から来いやァ!」

 

ラカンの右ストレートが帝国兵士の腹部に炸裂する。そのあまりの威力に、さしもの精鋭を誇る隠密部隊の隊員とはいえ悶絶は必至であった。

 

「ケッ、なんだよもうダウンか?」

 

「……おのれぇ……!」

 

歯噛みする隠密部隊の隊長。これだけの戦闘能力の差では、抵抗など無意味。司令官の暗殺など夢のまた夢だった。だが、彼らは帝国の命なき部隊。転んでもただでは起きず、死んでも多少の置き土産はしてみせる。

 

「ただでは死ねん……貴様らにも多少の痛手を負わせてやる……」

 

「ハッ、それができるんならな」

 

隊長の、苦し紛れとも取れる言葉に、ナギは余裕の表情だ。

だが。

 

「残念だがな……俺たち数人だけかと疑わなかった貴様らの負けだ」

 

ドォン!

 

「な、なんだぁ!?」

 

ナギたちがいる部屋から反対の位置にある、砲台が密集した場所から突如として爆撃音が。

慌てて窓から窓を乗り出してみてみれば、黒煙が昇っていた。

 

「クソッ、他にも仲間がいやがったのか!」

 

そう、隠密部隊は別働隊が存在した。彼らはそれぞれがナギたちに捕まった部隊と同様に役割分担されており、その部隊の一つが砲台が密集してある城壁にて魔法で爆発を起こしたのだ。

 

「おいてめぇ! 他にどれぐらいいやがるんだ!」

 

ナギが隊長に詰め寄って胸ぐらをつかみ上げ、情報を吐かせようとする。しかし、それはもはや叶わなかった。

 

「おい! 何とか言えよ! 言わねぇんだったら力づくでも……!」

 

「……ナギ、そやつもう死んでおるわい」

 

先ほど割れた窓から、ゼクトが現れてナギに語りかける。どうやら、敵襲があったことを確認し、ナギ達を探していたのだろう。

 

「……畜生、毒を飲んだってことかよ……!」

 

見れば、既に隊長の瞳孔は開ききっており、生気が感じられない。他の者達も同様の有様である。心臓の鼓動さえ聞こえはしなかった。恐らくは、奥歯に仕込んでいたものを服毒して自殺したのだろう。これでもう、破壊活動をして回る連中を止めるには、虱潰しに倒していくしかなくなってしまった。

 

「こやつ、帝国の隠密じゃろう……凄まじい奴らじゃ」

 

「敵ながらアッパレ、てか?」

 

「……冗談じゃねぇ。結局泥沼になっちまっただけじゃねぇか……」

 

ナギは歯噛みして声を絞り出した。彼は頭の出来は良くないが、それでも戦局の有利不利などぐらいは分かる。このまま連合側が勝ち続ければ、帝国軍は兵の損耗を恐れてグレート=ブリッジを一先ずは諦めただろう。だが、ここにきて彼らが帝国側に希望を持たせてしまった。これで、もう両者共に後に引けぬ戦いとなってしまったのだ。

 

「……この馬鹿野郎どもめ……」

 

寂しさを含む、ナギの声。そして彼らの死体を一瞥すると、戦場へと向かうため、ゼクトとラカンを引き連れて部屋を後にした。後に残った、連合側の兵士二人は。

 

「なあ、こいつらも……俺達と同じだったんだな……」

 

「……そうだな、こいつらだって家族がいたんだろうし、譲れないものってのがあったんだろうな……」

 

「……何年も戦場にいたってのに、気づかなかったよ俺ァ」

 

「俺も……、俺も『赤き翼』の連中に英雄を幻視してたんだ。でもよ……英雄ってのがあんなに辛そうな、悲しいもんだとは思わなかったぜ……。感傷に浸って、馬鹿みてぇだわ」

 

「ならよ……せめて。せめて少しでも頑張ってこいつらが浮かばれるように、あいつらが楽できるように、戦争終わらせて平和にしねぇとな」

 

「……ああ。そうでもなきゃ、こいつらに顔向けできねぇや」

 

覚悟を決め、肚を括った。彼らの遺体にそっと、部屋にあったタオルを被せる。葬式は後でしてやるから、我慢してくれよ。そんな言葉を残し、彼らは部屋を後にした。残ったのは静寂のみ。

 

 

 

 

 

そんな場所に、僅かばかり遅れて訪れた人物が一人。

 

「……死体……?」

 

海上を走破し、虚空瞬動で城塞に侵入した鈴音である。この部屋に入ったのは、丁度ガラスが割れて手頃な感じだと思ったからだ。気配も感じなかったので、そのまま突入してきたのである。

 

「……何かがあった?」

 

何が起こったのかを思案するが、これといって思いつかないのでそこで思考を切る。

 

「……どうでもいい、かな……」

 

考えてみれば、彼らが死んでいたところで鈴音には何ら影響はない。むしろ、死体がそこらに転がっているだけで邪魔だと感じる程度だろう。

 

「……上のほう……」

 

戦闘の気配を察知した鈴音は、侵入してきた窓から外に飛び出し、そのまま城塞の上へと飛んでいった。



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第二話 英雄の胎動(後編)

英雄と、鬼の邂逅。
その出会いは何を意味し、どんな因縁を紡ぐのか。
そして、物語は破綻していく。
戦闘描写はお察しください・・・。
(追記:修正を行いました)


グレート=ブリッジは大陸同士を結ぶ、巨大な連絡橋だ。その全長は海峡を跨ぐだけあって非常に長く、この橋をわたるのであれば徒歩はまず考えないべきだろう。大抵は、箒や杖などを利用した飛行や、動物を利用した乗り物、馬車などが一般的だ。国が運営している企業が馬車を貸し出したり、専用の馬車を引いて食い扶持を得ている者も存在している。

また、そのあまりの長さに魅せられ、あえて徒歩でこの橋を走破しようとする者も絶えず、普段であれば中々に賑やかな場所でもある。ただ、不定期に発生する霧のせいで事故も多いのが難点だが。

さて、そんな観光名所とも言えるグレート=ブリッジの一般歩道路である、通称『明けの道』。その場所では、帝国の工作員と連合側の兵士たちが、激戦の様相を呈していた。

 

「少しでも時間を稼ぐのだ! ダメージがデカければデカイだけ、帝国の勝利は揺るぎないものとなる!」

 

「敵は少数だ! 数を活かせ!」

 

「なんの! 貴様ら連合の弱卒に敗れる我らではないわ!」

 

 

数では有利だが思うように帝国兵を倒せない連合兵。数は圧倒的に少ないが、士気が高く精鋭揃いの帝国兵。帝国兵の予想以上の抵抗に、連合兵は段々と消耗していく。

 

 

 

 

 

そんな様子を眺め、苛立ちを覚える者が一人。

 

「ええい、何をしておるのだ! 早く奴らを殲滅せんか!」

 

「し、しかし中佐! 相手は中々に手強いようです!」

 

「フン、たかだか数十名の帝国の犬共に手こずるなど、連合の兵は腰抜けばかりなのか!」

 

必死に戦っている味方であるはずの者達に、暴言を吐く高飛車な男。今回の戦闘を任された前線司令官、アーノルド=デイモンである。メセンブリーナ連合最高議会である元老院。その議員の一人の子飼いの人物であり、性格は最低の一言に尽きる。味方が有利であれば当然とばかりにふんぞり返り、敗北が濃厚ならば一目散に逃げ出す。正に絵に描いたような小物だ。

そんな彼が司令官という重要な地位にいられるのは、(ひとえ)に彼の上司が、汚職議員ではあれど優秀な人物だからに他ならない。そんな人物の笠を着て、彼はふんぞり返っていられる。

 

(……旧世界では、確かこういうのを『虎の威を借る狐』とかいうんだっけか?いやむしろ豚か)

 

そんな上官に対して失敬な考えをする護衛を務める兵士。出来れば今戦っている者達の援護に行きたいのだが、アーノルドがいるせいでそれもできない。悔しさに奥歯を軋ませる兵士もいた。と、そんな状況で。

 

「ん? そういえば砲台は全て壊されてしまったのか?」

 

そんなことを聞いてくるアーノルド。割と真面目な質問出会ったため聞かれた兵士は少々驚いたが、すぐに平静を取り戻して答える。

 

「は……。かなりの数がやられましたが主砲級の数門はまだ無事だと、連絡が入っております」

 

「そうか! ならば今すぐに砲台の準備をさせろ!」

 

困惑。それが今の兵士たちに相応しい表現だろう。何故、こんな入り乱れた白兵戦を展開している最中に、砲台を動かせなどと命令するのか。その疑問は、彼の次の一言で氷解した。

 

「砲弾を帝国兵に向けて発射しろ、それで全て片がつく!」

 

その表情は、われながらいい考えだとばかりに満足気な顔。しかし、兵士たちからすればどんだけ馬鹿なんだと頭を抱えたくなる命令だ。未だ、味方の兵士たちが戦闘を継続しているのに、なんてことを考えるんだこの馬鹿はと。しかし、そんな彼らの言葉を聞くアーノルドではない。嬉々として作戦を進めるように兵士に言い渡す。反論する兵士もいたが、脅されたのか、青ざめた顔をして最後には顔を縦に振っていた。

 

(……終わったな。唯でさえ兵の損耗は避けたいのに、目先のことに囚われすぎて後のことをまるで考えていない……)

 

帝国に対しての最大のアドバンテージであった数の利を、自ら放棄するような作戦に辟易しつつも、上官の命令では逆らえないため命令を告げようとした。

だが。

 

「     」

 

通信機を利用して命令を下そうとしても、何故か声が出なかった。正確には、喉から(・・・)息が漏れてしまっていた。

 

(……え?)

 

次いで、喉元から何か温かい液体が漏れ出る。そのまま、ゆっくりと彼の視界は暗くなっていった。

 

 

 

 

 

「き、貴様どこから侵入した!? 何者だ!?」

 

司令室に音もなく侵入した鈴音は、まず連絡を取られないよう通信機器を破壊しようとし、丁度命令を発しようとしていた兵士の首を水平一閃に切り捨てた。そのまま、通信機器を真っ二つにしておく。突如現れた彼女に、アーノルドを含め皆が驚き、アーノルドは彼女に怒鳴り声をあげる。鈴音はそれを鬱陶しそうに振り向きながら、

 

「邪魔」

 

「き、貴様俺に向かって! 口の聞き方にアブレッ!?」

 

一言。告げると共に縦一線に捌く。2枚に下ろされた上官の姿を見て、一瞬呆ける兵士。次いで、彼の生暖かく、鉄臭い液体が足元に伸び、現実に引き戻された彼らは悲鳴を上げて逃げ出そうとする。だが、彼女はそれを許さない。

 

「た、たすけっ……ぐぇっ!」

 

「ば、バケモンだぁ! おぶっ!」

 

次々に、恐ろしいスピードで捌かれていく兵士。気づけば、司令室は血の臭いに満ち満ち、生きているのは鈴音だけという酷い状態になった。それでも、彼女は顔色一つ変えはしない。

当然だ。彼女は既に魂が鬼と化しており、肉体は人間でも人間相手に情など抱かない。これはエヴァンジェリンも同様である。彼女達の出会いは、お互いに最悪の変化を齎す羽目となってしまったのである。

 

「……下が面白そう……」

 

彼女は、眼下で展開されている闘争の匂いを、剣風渦巻く戦場の色濃い匂いを感じ取り、窓を叩き割ると、そこから落下していった。

 

 

 

 

爆薬を仕掛けていた者を蹴散らし、砲台を爆破していた連中を魔法でなぎ払った後、『赤き翼』のメンバーは橋の上でなおも抵抗を続けていた数十名の帝国兵相手に、激闘を演じていた。

 

「流石に帝国の精鋭……やるのぅ」

 

「でもよぉ、この程度で俺たちが」

 

「やられるかってんだよおおおお!」

 

雄叫びを上げながら、拳に魔力を集結させて殴るナギ。その攻撃で数名の帝国兵達が吹っ飛んでいき、そのまま気絶したのかピクリとも動かない。いくら帝国の精鋭が集まった隠密部隊とはいえ、彼らは基本的に直接戦闘を介さない存在。そんな彼らが、最前線で暴れまわってきた『赤き翼』相手に、まともな勝負になるはずなどなかった。

だが。彼らは既に役目を終えた。後は帝国がこの騒ぎを聞きつけてくれさえすれば、連合側は一気に瓦解するだろう。

 

(このままじゃ埒が明かねぇ……!)

 

時間がかかればかかるだけ、彼らの思う壺だ。かといって、乱戦状態である戦場に、『千の雷』のような大規模な魔法を放つ訳にはいかない。やはり、数の少なさから考えて各個撃破が最もいい作戦だ。だが、ラカンでは手加減しないと兵を巻き込んでしまうし、接近戦をさせようとしない帝国兵の飛び道具や魔法が邪魔で、ナギとゼクトは思うように戦えない。アルビレオは魔法詠唱を邪魔されてしまい、詠唱破棄ができる低級魔法を放っている。

こういった戦闘は、多数を相手にすることも想定され、なおかつ柔軟に動くことが可能である古より続く古流剣術、『神鳴流』の使い手でありその宗家の出身である詠春が最も適任といえるだろう。なにせ、時間稼ぎのためにとっている戦法である飛び道具による牽制が神鳴流には全く通用しないのだ。相性最悪である。現に、詠春が今回の戦闘で最も戦果を上げている。既に20人近くの帝国兵が彼の足元で伸びていた。

 

「くっ、思った以上に手強いな! 『赤き翼』共め!」

 

「てめぇらもな!」

 

魔法の応酬、響く剣戟音。数を減らしていくも不敵な笑みを浮かべる帝国兵に反比例し、有利を得つつも苦い顔になる連合とナギ達。

 

「もはやこれで我々の勝利は確定したも同然。ならば後は少しでも貴様らに手傷を負わせれば御の字よ!」

 

「捨て身の攻撃か……っ! 厄介な!」

 

「不味いのう、そろそろ帝国側が気づくじゃろうし……」

 

「せっかく取り返したってのにまた奪われちまったら、全くの無駄骨になっちまうからな。やられるわけにゃあイカンぜ!」

 

「ラカンの言うとおりです。犠牲になった兵士の方達のためにも、此処で落とさせるわけにはいきません!」

 

ラカンとアルビレオの言葉を聞き、皆更に奮戦する。その暴れっぷりに、さしもの帝国兵も苦しそうな顔をし始めている。それでも、帝国兵達は勝利を疑わない。連合兵達は疲弊しきっており、勝ち目などとてもない。大多数の兵士たちが士気が低ければ、士気の高い帝国が勝利することなど確定事項だ。

しかし、そこに綻びが生じる。

 

「俺らだってなぁ……やるときゃやるんだぜっ!」

 

「なっ!?」

 

「さっきのおっさん達か!」

 

「多少力不足だが、手助けにきたぜ!」

 

「俺らも、もう黙って人に任せっきりにしたかぁねぇんだよ!」

 

背後から突如現れた連合兵に、帝国兵達は初めて驚愕の表情を浮かべる。たった二人、そうたった二人だ。だが、乱戦の真っ只中である彼らにはそれで十分だった。連合に、まだこれだけの士気がある兵がいると。

 

「馬鹿な……まだこれほどの余力があっただと……!」

 

「てめぇらに測れるほど……俺たちゃ小さくねぇんだぜ!」

 

そんなことを叫びながら、ナギは帝国兵達に向かって、膨大な魔力を込めた拳を大きく振りかぶった。その攻撃が向かった先は、帝国兵を纏めていた人物であり、この奇襲の指揮を総合して執っていた人物であり。彼のその頬にとてつもない衝撃が激突した。そのまま水平に数百メートル吹っ飛んで、硬い地面に背中を強打する。

 

「ご、あ……!?」

 

彼が気絶する最後に吐けたのは、そんな呻き声だけだった。

 

 

 

 

 

「はー、疲れた……」

 

「ここまで粘られればのう……もう魔力が底をつきそうじゃわ」

 

「こっちももう、剣が重く感じ始めてるぞ」

 

「俺はまだ大丈夫だが?」

 

「おー、俺も同じだ」

 

「「このバグ共め」」

 

「んだよ、だったらアルだってピンピンしてるじゃねぇか」

 

「私は後方支援が主でしたから、クフフ」

 

「つーかさっさと運んでくれよ……俺らだってヘトヘトなんだから」

 

「全くだぜ……」

 

ようやく帝国兵全ての掃討が終わり、疲れが顔に現れている四名と、余裕そうな三名。その内訳は言わずもがなである。

 

「つーかよ、この程度でへばってたら次に来る帝国の本隊と当たったら気絶しちまうぞ?」

 

「うむ。今の内にしっかりと休んでおかねば、な」

 

ゼクトの言葉に皆が頷く。さすがにラカンやナギでも疲労はそこそこ溜まっており、早く休んでおきたかった。そんなこんなで、伸びている帝国兵を縛り上げた後、彼らを牢屋に入れてから仮眠でも取ろうかと動いていたその時。

 

リィン

 

突如、この場に相応しくない澄んだ鈴の音。

 

「っ! ラカン、おっさん達! 後ろだ!」

 

ナギの野性的な勘が最大に警鐘を鳴らし、即座にラカンに注意するよう、声を反射的に出す。

しかし、その言葉は一歩遅かった。

 

「ぐ、お……!?」

 

ナギの目に写った光景は、既にラカンが背中から何かによって斬りつけられ、切り傷から止めどなく出血している光景だった。

 

「ラカンッ! おっさん達!」

 

崩れ落ちるラカンと二人。あまりにも痛々しい傷だ。しかし、

 

「こ、この程度で俺が死ぬかよ……!」

 

「い、生きてるぜ……」

 

「いっつつ、悪運だけは、強かった見てぇだ……」

 

ラカンの声が聞こえる。空元気のようだが、それでも致命傷ではないようで一安心だ。他の二人も、ラカンが咄嗟に庇ったおかげで軽傷で澄んでいるようだ。ナギは安堵の溜息をつくと、即座に警戒態勢に入る。

 

(にしても、ラカンの『気合防御』を物理的に抜くなんてどんな野郎だよ……!)

 

ラカンは『魔法世界』においてトップクラスの気の使い手だ。当然、常に気による防御を展開しており、並の人物では傷一つつけられない。彼を暗殺するなど物理的には不可能なはずなのだ。だというのに、鈴の音が聞こえたと思えば、恐るべき危機感を感じ取り、ラカンに呼びかけようとするも、既に彼は斬り捨てられた後であった。

 

(催眠術? 違ぇ、それならアルが見破ってるはずだ。姿を隠すマジックアイテム? だったら気や魔法で場所が分かるはずだし、ラカンの奴が気配を察知できないなんてヘマするはずはねぇ!)

 

そうなると、答えは一つしか思いつかない。

 

リィン

 

再び、鈴の音。今度はナギ自身に命の危機が迫っていると、彼の勘が告げてくる。ナギは、その勘を頼りに全魔力を攻撃されるであろう場所、左脇腹に集結させ、障壁を展開する。これでほぼ無防備となってしまったが、何とか致命傷だけは避けられるはずだ。そんな希望的観測は、甘いだけだと思い知ることとなるが。

 

「ぐっ!?」

 

障壁が突如機能を停止して、刃らしきものが脇腹を通過する感触を味わう。しかし、それは一瞬の出来事でありナギが反撃を放とうとしていた時には、攻撃される刹那にかろうじて見えていた人影はどこにもなかった。

 

「ナギッ!?」

 

「来るな詠春! とんでもなくやべぇのが此処にいやがる……!」

 

意識を研ぎ澄ませ、感覚で世界を見ようと試みる。気配が察知できない以上、ダメ元でもこの方法ぐらいしか敵を察知するすべがない。どくどくと流れ出る血の生暖かさに気持ち悪さを

感じつつも、彼は集中し続ける。

 

(やっぱか……こりゃ何も小手先の技を使ってねぇ、純粋な速さで察知しきれてねぇんだ……!さっきの鈴の音・・・あれがなんらかの合図のはずだ……)

 

相手を知覚できないのは、自分やラカンたちでさえ感知できないほどの速度によるものと、即座に判断するナギ。蓄積していた疲労と、脇腹を斬られた痛みで視界が揺れる。何とかぼやけかける意識を繋ぎ止め、霧の奥に潜む恐るべき魔物を必死に探る。

 

(魔法障壁が抜かれた理由は分かんねぇ……。だが、よければ問題はないはずだ。どこだ、どこにいやがる)

 

リィン

 

「っ来た! そこだァ!」

 

背後から迫っていた敵に、振り向きつつ全力で己の拳を標的に振り下ろす。そして相手をその視界に捕えたその時。

 

「いっ!? 子供ォ!?」

 

そう、攻撃を行なっていた恐るべき相手は、一人の少女。その手には凶器と思しき日本刀が鞘に収められており、まさに今、それを抜き放たんとしているところ。年端もいかない少女がそんな攻撃をしてくるとは、ナギもさすがに予想だにしていなかった。だが、それを言えばナギだって14になったばかりの青二才。一瞬だけ迷ったナギは、戦争に大人も子供もないと即座に思考を切り替え、速度を緩めず振りぬく。今ここで倒さねば、確実に殺られる。そんな直感的な確信がナギにはあったのだ。

そして……。

 

「……見事……」

 

「……やっぱ止められたか」

 

少女の、短く、そして小さな言葉。ナギの、予想通りの結果と、呟き。

 

「嘘だろ、オイ……!」

 

「ナギの全力のストレートを、片手で止めた!?」

 

そう、少女は抜き放とうとしていた剣の柄から即座に手を放し、ナギの拳を片手で受け止めたのだ。受ければ間違い無く、ドラゴンですら悶絶するであろう必殺の、ナギの全力を込めた威力の拳を。

 

「……面白い……」

 

「っ何を言って、ぐあっ!?」

 

少女が紡いだ言葉に疑問を吐露するが、返ってきたのは脇腹を狙った爪先蹴り。無論、ナギが先ほど傷を追った方のである。傷口というウィークポイントを攻撃されて痛みと出血で先程より若干意識がクリアになる。ぼやけ始めていた、視界も元に戻り。ナギは少女を睨みつける。

 

「お前……ナニモンだ……!?」

 

「……答える必要はない、『英雄の卵』」

 

「ああ?」

 

少女の意味不明な言葉に、チンプンカンプンとなるナギだが、彼女の言葉から察するに、答えるつもりは微塵も無いのだろう。それを理解したナギは、不敵に笑いながら。

 

「だったら吐かせてやるぜ、嬢ちゃん」

 

「……無駄……無謀……」

 

「はっ、だったら無茶か無謀かはっきり教えてやるぜ!」

 

「……不可能……」

 

「そこまで言うか!? 俺だってなぁ、舐められっぱなしは……」

 

そこで言葉を切り、鈴音目掛けて走りだす。

 

「我慢ならねぇんだよっ!」

 

いや、それは一瞬の挙動。そのすぐ後に彼は、爆発的な加速で速度を上げ、鈴音へと瞬時に詰め寄る。

 

「……速い……」

 

「喰らえ、コイツが俺の……今の俺が出せる正真正銘の本気だ!」

 

唸る拳。魔力を付与され、直撃すれば意識を刈り取るであろう威力を有するナギの本気の一撃。だが、それは鈴音にとっては大したものではない。

 

「……普通よりは(・・・・・)、速い」

 

最小限の動き。しかしそれは相手にかすりもさせないような、まさに余裕を見せた動きだ。

だが、ナギはそれを見て悪戯が成功したかのように、口の端を吊り上げる。鈴音は躱すという動作を、既に完了させた。即ち、そこには一瞬だけだが隙が生じているということ。

 

「かかったな!」

 

「……!」

 

彼の今の行動が囮であると理解し、再び回避行動を取る。幸い、彼からはある程度の距離がある。回避を行った後に攻撃をすれば良い。そう判断していた。しかし。

 

「……っ! 邪魔……!」

 

「放さ……ねぇぜ……!」

 

鈴音の着物、その裾を引っ張られるかのような感覚。いや、事実引っ張られていた。足元にいたのは、先程斬り捨てようとして失敗し、足元に転がっていた連合の兵士の一人。鈴音は、いつの間にか彼のすぐ近くにいたのだ。全くの偶然。しかし、それがナギに幸運を呼び込んだ。

 

「ナイスだおっさん!」

 

自分に拳を当てられなかったはずの少年が。鈴音の服、その腕の裾をしっかりと掴んでいた。

目の前で不敵に笑いながら。

 

「掴んじまえば……もう逃げられねぇぜ!」

 

「……成る程、見事……」

 

服を掴まれている以上、行動は著しく制限される。この近距離では、刀を抜くことも、殴る蹴るといったような近接戦も、上手くはいかないだろう。締めるといったサブミッションなら有効かもしれないが、鈴音が掴まれているのは腕の裾。絞め技さえ掛けに行く事は不可能。噛み付きのような攻撃であれば行うこともできるだろうが、彼女の歯はそこまで鋭くなど無いし、極限状態で戦っているナギには、噛まれたことによる痛みなど通用しないだろう。だが、それは相手も同じ状況であること。近接戦も、絞め技も使用不可能。だが、相手はあくまで前衛もこなせる魔法使い(・・・・)

 

「百重千重と重なりて、走れよ雷! 見せてやるぜ・・・、コイツが、俺の全力の魔法だァ! 『千の雷』!」

 

「え、ちょ! 待て俺がいる……!」

 

閃光。彼が呪文を唱え終わり、掴んでいた裾の片一方だけを放して魔法を放つ。術名を叫んだ時、周囲は圧倒的な閃光に包まれ、それはまるで世界が塗りつぶされていくような感覚。連合の兵士の必死の訴えも無視して、無常にも魔法が発動した。その名の通り幾百幾千もの雷の柱が発生して伸び、攻撃対象である鈴音に向かっていく。必死に抵抗していた連合の兵士も、あまりの力の奔流が迫ってきたことに呆然となり、動きを止めた。

そして、魔法が鈴音に(・・・)直撃すると(・・・・・)同時に(・・・)消滅した(・・・・)

 

「んなぁっ!?」

 

「……私に魔法を当てた……思ったよりもやる……」

 

鈴音が出会った強者に対する、掛け値なしの賞賛の言葉。だが、ナギはそれを素直には受け取れない。いや、受け取れるような状況ではなかった。一方、連合兵の彼は何が起こったのかが分からないといった風だったが、とりあえず魔法の直撃は避けられたので安堵の溜息をつく。

 

「『魔法無効化(マジックキャンセル)』か!?」

 

驚きに満ちた顔で、ナギはそう叫んだ。鈴音は、ナギの掴んでいた裾を振り払うと、ナギからある程度の距離を取る。無論、足を掴んでいた連合兵士の腕も振り払っている。その際、足が兵士の鼻っ面に激突して彼が悶絶しているが。そして、彼女は目的を果たしたのか、将又(はたまた)戦闘に満足したのか。そのまま、彼女は霧の奥深くへと消えていった。

 

「マジかよ……まさか姫さんと同じウェスペルタティア王家の人間か?」

 

「いや、彼女はどう見ても日本人だ、同じ日本人として似た雰囲気を感じる……」

 

「ワシらでさえ知覚できない速度で動き、魔法を無力化する女娘(おなご)、か」

 

各々が、突如起こったことに対する疑問に混乱し、様々な憶測が行き交う。魔法をかき消した、何らかの能力。それを見て彼らが想像したのは、その効力に最も近似した能力である。

魔法無効化(マジックキャンセル)』。

この魔法世界においてあまりにも強大すぎるチカラ。空間、幻術系といったものを除く、あらゆる魔法を完全に無効化してしまう、魔法使いの天敵たる能力である。この『魔法世界』はその名の通り、魔法を主要な技術とする世界だ。当然戦闘、生活、日用品などなど。あらゆるものに魔法が関わっている。そんな世界で、この能力が意味するのは余りにも強力な、危険な力。

本来であれば、『魔法世界』でもごく一部の人物しか持ち得ない、具体的に言えば、今彼らが戦闘を行なっているグレート=ブリッジからほど近い場所にある、ウェスペルタティア王国。その王家の中でもほんの一部の人間しか発言できない希少な能力だ。彼らがまっさきにこれを思い浮かべたのは、『赤き翼』のメンバーの一部が、その『魔法無効化』のチカラを持つ人物と接触したことがあるからだ。しかし、一人だけ冷静に彼女を分析する者がいた。

 

「いえ、あれは無力化したのではないかも知れません……」

 

「? どういうことじゃ」

 

アルビレオが、彼らの吐露した仮説を否定する。

 

「彼女のはむしろ……魔力を吸っている(・・・・・)かのように見えました」



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第三話 考察、行方

ご感想で改行を直したほうがいいと言われ、
改行を少なくしてみました!
見づらいという意見が多い場合は、ご感想を
頂いた方には申し訳ないですが、元に戻す
可能性もございますのでご了承の程を。
さて、本年初めての投稿でございます。


グレート=ブリッジでの戦闘から数日。

『赤き翼』はメセンブリーナ連合の首都、メガロメセンブリアにて表彰を受けていた。

帝国から見事重要拠点であるグレート=ブリッジ要塞を奪還し、帝国側の攻勢にも動じず

守りきったその武功は並々ならぬものと称され、特にリーダーであるナギは、連合から

贈られた『千の呪文の男(サウザンドマスター)』の異名が瞬く間に広まっていった。

今、彼らは連合側で最も篤い注目を浴びる、正に連合を救う英雄といった雰囲気だった。

ただ、当の本人達は迷惑そうな顔をしており、余計な期待を背負わされるのが気に食わな

いといった感じであった。まあ、ナギは『千の呪文の男』の呼び名を気に入ったらしく、

以降自分から名乗っていくのだが。

 

「んで、俺らに合わせたい奴って誰だよ」

 

「連合側の人間で、俺らに協力したいって奴らがいるんだとさ」

 

と、ラカンが言う。詠春もナギも、一体どこの誰だと疑問符を浮かべていた。アルビレオは

いつも通り不敵に微笑んでおり、ゼクトはこれ以上面倒な奴が増えないことを祈っていた。

 

「お、来たみたいだぜ」

 

「どれどれ・・・何だおっさんかよ」

 

ナギの言葉を聞いて、その視線の先を見てみるが。いたのは中年齢ほどの男性と、

まだ10歳ほどであろう少年。それを見て、ラカンは著しく興味を失せていった。

 

「おいおい、今まで俺達のことを元老院に売り込む手助けをしてくれてた人たちだぞ、

もう少し敬意を持ってだな・・・」

 

「構わんさ、『サムライマスター』。これから暫く共に行動することになるんだ、堅苦し

いのは抜きにしたい」

 

「・・・ガトウさんがそうおっしゃるのなら」

 

詠春がナギ達を叱責しようとしたのを止めた男。ガトウと呼ばれたこの男こそ、

後に『赤き翼』においてその人ありと言われた人物、

ガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグであり、

 

「は、初めまして! ぼ、僕はタカミチと言います!」

 

幼いながらも礼儀正しく、されど緊張しているのか所々たどたどしい喋りの少年の名は、

タカミチ・T・高畑。ガトウの直弟子でもある人物だ。

 

「ハッハッハ! ぼうず、俺達が行くのは戦争だぜ?覚悟はできてんだろうな?」

 

「も、勿論です! これ以上、戦争を黙ってみていられません!」

 

少年の力強く、決意の篭った言葉と視線に、質問をしたラカンはいい目をしているなと、

内心で少し評価を上げた。

 

「さて、無駄話は省くとするかの。ガトウ殿・・・いやガトウ。

お主に少し聞きたいことがあるのじゃが」

 

「ん? ・・・なにか重要な話のようだな。ここで話すのも何だ、近くに

俺が借りてる家がある。詳しくはそこで聞こう」

 

 

 

 

 

「成る程・・・その謎の少女について心当たりはないか、と」

 

ガトウの借家にやってきた一行は、リビングにてソファに座り、ナギ達が聞こうとした

話題について触れていた。タカミチ少年はキッチンでコーヒーを淹れている。

 

「ええ、彼女ほどの実力者が名も売れていないなんてはずがありませんから」

 

「帝国側の人間かと思ったが、だとすれば帝国の精鋭である隠密部隊を回収しないまま

逃げていったのは不自然だからな」

 

と、詠春なりの考察を述べる。

 

「俺らに恐れをなして逃げ出したんじゃね?」

 

「バカモン、お前が疲労と油断をしていたとはいえ、終始有利を保っておったあ奴が、

そんな一筋縄でいく相手であるはずが無いじゃろうが」

 

ナギの馬鹿な回答に、ゼクトが叱責する。

 

「ナニモンか分からねぇうえに、俺の『気合防御』を抜く攻撃と、

魔法を消滅させる能力持ちだぜ? やべぇどころじゃねぇな」

 

と、いつもより真面目に話をするラカン。

 

「私から見れば、むしろ彼女は『消滅』を行ったのではなく、魔法を『吸収』

したようにも見えたのですよ」

 

そして、アルビレオがいつもの笑みを浮かべず、

なにか納得がいっていないような表情で見たことを話す。

 

「あー、大体分かった。そいつは紫の民族衣装みたいな服を着てて、長い黒髪をした、

魔法を無力化するような能力を持つ少女というわけだな?」

 

彼らの今までの話を統合し、結論を出したガトウは確認するように彼らに聞く。

 

「正確には、俺の祖国で昔女性が着ていた"着物"だが」

 

訂正を加える詠春。彼としても、彼女の正体を知っておきたかった。

なにせ、恐らくは自分と同じ日本人。彼女がもし、祖国の魔法団体であり、

今回の戦争に参加する折に人員を借りてきた『関西魔法協会』の人間であれば、

彼女と詠春は無関係という訳にはいかない。

彼女が何故、あのような行動をとったのか、その真相を知りたかったのだ。

ガトウは暫し唸った後。

 

「・・・心当たりはないわけでもない、が」

 

「本当か!?」

 

「いや、正直半信半疑なんだ・・・。もしお前たちが出会った人物があの少女で

あった場合・・・非常に厄介なことになっていると言わざるをえない」

 

「・・・一体どんな人物なので?」

 

急かすメンバーたち。まあ待てとガトウが一旦皆を落ち着かせると、

その人物について語りだす。

 

「お前たち・・・『狂刃鬼』という人物を知っているか?」

 

 

 

 

 

「久しぶりだな、鈴音」

 

「・・・マスターもお元気そうで・・・」

 

「フ、吸血鬼である私が不調になどならんよ」

 

「・・・失言でした・・・」

 

「別に構わん。お前のそういうところも私は好きだからな」

 

「・・・有難う御座います・・・」

 

グレート=ブリッジでの戦闘を離脱してから、鈴音は再び海上を走行し、

自らの主人であるエヴァンジェリンと事前に取り決めていた集合場所にて、

1ヶ月ぶりの邂逅を果たしていた。

まあ、ちょくちょくエヴァンジェリンからの指示や、雑談などで念話をしていたので、

互いにさほど長い別れとは思ってはいないのだが。

 

「さて、『赤き翼』の面々はどうだった?」

 

楽しそうに、エヴァンジェリンはそう聞いてくる。

まるで、もう聞く結果など分かっているというかのように。

 

「・・・はい。"十分"かと・・・」

 

「ククク・・・そうか・・・! そりゃあ良かった」

 

薄く笑い声を出す、エヴァンジェリン。三日月のように釣り上げられた口元は、

少女という外見でありながら恐るべき艶めかしさを演出し、

彼女の美貌を引き立たていた。

 

「『英雄の卵』は順調に育っているか・・・。他にはよさそうなのは見かけたか?

奴らだけでは不安もあるんでな」

 

「・・・いえ。・・・私に反応できたのは、彼だけです・・・」

 

「そうか、それは残念な話だ。・・・ナギ・スプリングフィールドは、想像以上に

有望なようだな? お前に反応できるとは」

 

「・・・正直、驚きました・・・」

 

初見だったとはいえ、600年も生き、魔法、体術共に最強クラスである真祖の吸血鬼。

そのエヴァンジェリンを二度も致命傷を負わせ、更に本人さえ知らなかったが、

彼女の魔法さえ能力で防いでみせた鈴音を、疲労していた身でギリギリ

ではあるが反応して見せ、なおかつ魔法を当ててみせた人物に、

エヴァンジェリンはますます興味と期待を抱く。彼ならば、彼ならば二人の目的を

達成できるのではないかと、エヴァンジェリンは思う。

 

「楽しみだ・・・ああ、楽しみだなぁ・・・!」

 

「・・・私もです、マスター・・・」

 

二人の狂気的な笑みは、邪悪さと危機感を感じさせるものであり、

なおかつそれは、とても美しくも見えるのであった。

 

 

 

 

 

「『狂刃鬼』、ねぇ・・・聞いたことねぇぞ」

 

「だろうな、此処1ヶ月ほどで名を挙げてきた人物だ」

 

「んで、どんな奴なんだ?」

 

ガトウはナギの少し期待を含んだ目を見て若干言うべきか迷ったが、言わねば

どちらにしろ調べるだろうと判断し、口に出す。

 

「・・・正直、話すべきか一瞬迷ったが・・・。まあ、問題はないだろう。彼女はな、

ただ名を挙げてきたんじゃない。恐るべきはその実績だ」

 

「実績?」

 

ラカンの疑問を含んだ声。ガトウは話を続ける。

 

「彼女は誰かと組んだという噂が全くない。だというのに、戦争中に彼女は常に大軍を

相手にしているんだ」

 

「そりゃあ、まあすげぇと思うがよ・・・。別に自信があっての行動だってことだろ?」

 

当然とばかりのラカンの反応。だが、ガトウは首を振って、

 

「確かに、お前たち・・・いや今は俺も含めるか。俺達『赤き翼』であればそれも可能

だろうよ。だが、それを実行できるような人物は非常に少ないだろ? まあ、いるには

いるんだろうが、そいつらは既に有名所ばかりだ。それにな、彼女の恐ろしい所は

大軍を相手にできるような実力だけじゃあない」

 

そう言うと、一旦懐からタバコを取り出そうとするが、仲間になったとはいえ、まだ

少ししか経っていない相手方が来客している時に部屋の中でタバコは失礼かと思い、

ポケットから手を離して話に戻す。

 

「んで? その恐ろしいところってのは何なんだよ?」

 

勿体つけずに早く言えと、ナギが暗に急かす。

 

「そうだな・・・単刀直入に言おう。お前たち、2000の軍勢を皆殺しにできるか?」

 

「「「は?」」」

 

「・・・どういうことじゃ?」

 

「・・・もしや、いやしかしそれならば・・・」

 

何を言ってるんだコイツとばかりに呆ける3人と、それらを無視して正直な感想を言う

ゼクト。そして、何かに納得したかのような、されど疑問が晴れないような表情の

アルビレオ。ガトウはまず、ゼクトの質問に対し、

 

「言ったままの通りだ。2000人の訓練された兵士を皆殺しにできるかって」

 

「・・・無理じゃな。ワシらはあくまで戦争を終わらすのが目的であって、殺戮が

したいわけではないからの」

 

しかし、ゼクトのその返答にそうじゃないと首を振るガトウ。

 

「単純に考えて欲しいだけだ。お前たちの戦力で、出来るのかってことだ」

 

ガトウのその真剣な表情を見て、ゼクトも暫し押し黙る。そして。

 

「・・・うむ、できんな。ワシら全員であっても、不可能じゃろう」

 

「・・・そうか」

 

2000人の抹殺。これがどれほど大変なことか。人は死を恐れ、そしてそれに対する

直感はとてもよく働く。逃げるのであれば散り散りに、予測もつかないような、

正に蜘蛛の子を散らすような様であろう。そんな状況で、いくら前線にて名を上げ続ける

『赤き翼』であれど、そんな状況で皆殺しなと不可能だろう。だが。

 

「出来る人物が、いるとすればどうする?」

 

「・・・なんじゃと・・・?」

 

 

 

 

 

「ほう、帝国の連中とも遊んできたのか」

 

「・・・はい。・・・正直、期待外れが過ぎました・・・」

 

「ま、仕方ないだろうな。お前が相手では、な」

 

実は、鈴音はグレート=ブリッジでの戦闘から離脱した後、その足で帝国が駐留している

野営の陣地にも侵入し、戦闘を行なっていたのだ。だが、あまりにも相手が弱すぎると、

鈴音は落胆する気持ちで戦い、やがて帝国軍は完全に崩壊した。我先にと逃げ出すさまを

眺めていた鈴音は、せっかくだからと暇つぶしも兼ねて逃げる兵士たちを次々と

虐殺し始め、命乞いをされようが泣き喚こうが殺し続けた。結果。

 

「・・・まさかあの程度で、殲滅できてしまうなんて・・・」

 

「ああ、うん・・・お前は少し自重というものを覚えるべきだな」

 

一人残らず殺し尽くしてしまった。辺りには血で彩られた真っ赤な大地が広がり、

その上には無数の骸が、あるものはバラバラに、あるものは三枚に下ろされ、

酷いものでは原型すら留めていないものさえもあった。

 

「・・・一応、苦しまないように・・・皆一撃で殺しました・・・」

 

「・・・お前なりの優しさなんだろうが、その優しさは余計すぎるな。下手をすると、

帝国に目を付けられる可能性だってある」

 

「・・・迂闊・・・でした・・・すみません・・・」

 

「な、泣くな! 別にお前を責めているわけではないぞ!?」

 

目に涙を浮かべて涙目な鈴音。その様子を見て慌てるエヴァンジェリン。

会話の内容がこんな物騒なものでなければ、実に微笑ましい光景なのだが。

 

 

 

 

「・・・つーと何か、帝国側が何もして来なかったのは既に全滅してたから、か?」

 

「・・・そういうことだ」

 

あまりの内容に、さすがのラカンも目が点にならざるを得なかった。

グレート=ブリッジでの奇襲を受けた日。その後全く帝国の兵士は現れなかったのだ。

それ以前は、連合の戦力を削るために波状攻撃を仕掛け続けていたというのにだ。

それを不審に思っていた『赤き翼』の面々であったが、帝国側もさすがに疲弊しきって

士気が持たず、撤退したのだろうと結論づけていたのだが。

 

「おいおい・・・帝国兵2000人をたった一人で殺し尽くした?

・・・冗談にしても笑えやしねぇ」

 

「だが事実だ。帝国側から何の音沙汰もないから気になって調査隊を派遣したんだが、

帝国が駐留していた野営は酷い有様だったらしい。・・・何なら詳細を聞くか?」

 

「やめてくれ、多分気分が悪くなるような内容だろ?」

 

詠春のその言葉に、そうかと一言呟いて話を戻す。

 

「何故全滅したのかが分かったのかは、敵方の司令官が有能な人物であったが故だ。

兵士一人一人の情報を記載した資料があってな、毎日朝と夜に兵士と資料が一致するかを

確認していたようだな。お前たちが捕えた、若しくは死亡した人物たちを除けば、駐留

していた兵の死体の数がぴったり一致した。人員が増減する度にやっていたようだから、

よほどマメな人物だったらしい」

 

「恐らくは、敵方のスパイが潜入したり、兵士の脱走を危惧してのものだったのでしょう」

 

「つまり、ガトウが言っていることは誇張表現でもなんでもないということか・・・」

 

その通りだと、ガトウは頷く。

 

「・・・以上が彼女に関する比較的大きな情報だ。正直、情報が少なすぎてどんな

人物なのか、何かの組織に所属しているのか。全く全貌が見えてこない」

 

苦虫を噛み潰したような顔。彼からすれば、帝国兵を皆殺しにできるような戦力を有する

危険人物の情報がこれほど少ないことに、危機感を感じているのだ。

 

「先程も言ったが、彼女が相手をするのはいつだって大軍だった。そしてその尽くで、

彼女は連合、帝国問わずに大殺戮を展開している。彼女が有名になった理由、それは

戦争の『英雄』としてではなく、『殺人鬼』としてのものだ」

 

「おいおい・・・」

 

「ついた異名が『狂刃鬼』。あまりに狂的な殺戮劇を展開するところから

つけられたらしい」

 

あんまりな内容に、さしもの『赤き翼』の面々も沈黙する。

ガトウも最初はそうであった。なにせ、自分よりも遥かに年若い少女がたった1ヶ月で

数千人規模の殺戮を行なっていたなど、正気の話ではない。

年齢で言えば、弟子であるタカミチとだいたい同じかそれよりも下。そんな彼女が

一体何を理由に無差別殺戮を行なっているのか。ガトウとしてもその理由を解明し、

その背後に潜む恐るべき何かを探ろうと模索していたところだ。

だが、今は大戦の真っ只中。あくまで相手は規格外なだけの殺人鬼でしかなく、戦争に

大きく関わるほど重要な話ではないため調査を本格的に行うことができず、元老院からも

帝国を優先して調べるように言われていたのだ。元捜査官としては、犯罪者を見逃す

ような真似はしたくないのだが、状況が状況である。諦めるほか無かった。

だが、戦争を早く終わらせるために『赤き翼』を裏方から支援し、今日からは表舞台で

直接仲間として、共に戦っていこうと思っていた矢先のこの話。

ガトウにとっては、正に行幸とも言える話であった。

 

「しかし気になるのう・・・あのような幼い少女が何故・・・」

 

「生活に困って・・・。ねぇな、だったらもっと動きが素人なはずだしな」

 

少女の目的が分からず、首をひねるゼクトと、とりあえず尤もらしい理由を上げては

みるものの、即座にそれを否定するラカン。

 

「・・・正直、俺でもあれほどの動きは初めて見る。『本家』でもあれだけの動きが

できる者はいないだろうな」

 

「剣術なら俺達で一番強い詠春でも無理、か。本格的によく分かんねぇ嬢ちゃんだ」

 

グレート=ブリッジでの死闘を思い出し、見事なまでの動きと効率的な殺しの技術を

魅せつけた少女に、詠春は背筋にうすら寒いものを感じ。

ナギは詠春が言ったことを真剣に受け止めつつも、少女の目的を思いつかない。

すると、今まで沈黙を保っていたアルビレオが。

 

「・・・彼女の姿を見た時、一つだけわかったことがあります」

 

「「「!」」」

 

たったそれだけ。それだけの言葉を発しただけで、彼に嫌というほど視線が集中する。

『赤き翼』で長く頭脳労働を担ってきた彼ならば、自分たちでさえ気づかなかった事実を

見つけてくれたのではないかと。

 

「さすがアルだ! で、何が分かったんだ!?」

 

「はい、さすがに迷ってしまいましたが・・・。一番しっくりくる答えが見えました」

 

「そうか。して、お主が見出した答えとは何じゃ?」

 

「それは・・・」

 

「「「それは・・・?」」」

 

緊迫する空気。アルビレオの、彼の言わんとする事をしっかりと耳にせんと、この場に

居合わせる全員が息を呑む。そして、アルビレオの口から、衝撃の言葉が放たれる。

 

「彼女はメイド服が非常に似合いそうであるということです!」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」

 

「それもミニではありません・・・。ロング(スカート)こそが至高ですね」

 

「・・・・・・こ」

 

「色は白よりも黒を基調としたものがよいですねぇ。あと」

 

「「「「この変態があああああ!」」」」

 

「コーヒーはいりましたよー!」

 

 

 

 

 

「さて、冗談はここまでにしておきましょうか」

 

ホクホクとした笑顔のアルビレオと、疲れきった面々。それもこれも、全ては

アルビレオの悪ふざけのせいである。

 

「・・・で? お前がわかった事実ってのは何だ?」

 

「先程も言ったじゃないですか、彼女はめいd分かりました、真面目にやりますから

斬岩剣を放とうとしないで下さい。ラカンも『千の顔を持つ英雄(それ)』を仕舞って

下さい。話が進みません」

 

「「誰のせいだと思ってる、誰の!」」

 

冗談めかした言い方をしながら、詠春とラカンを弄ぶアルビレオ。魔法使いとして

この世界でも指折りの実力者である彼だが、惜しむらくはその性格であろう。

さて、ようやく大人しくなった二人を見て、アルビレオも真剣な表情を見せる。

 

「彼女は、我々を相手にした際、わざと逃亡していたように思えました」

 

「ああ、そりゃ俺も感じてたな。なんで逃げたのか分かんねぇけど」

 

とはナギの談。彼自身、大きな違和感を抱いていたらしい。

アルビレオは続ける。

 

「思うに、彼女は何らかの条件を満たす人材を探しているのでは。

そんなふうに思えたんですよ」

 

「人材探し? 何故そんなことをわざわざ・・・」

 

と、疑問の声を出すガトウ。彼女の目的が何なのかをこの半月ほど調べていた彼では

あるが、彼女と接触したこともなく、そもそも彼女と出会って生き残れた人物が

少なすぎたこと、そして生き残れた人物に話を聞いてみても、皆あの地獄を思い出したく

ないと口を閉ざしてきた。そんな中、彼らは彼女に出会い、それも疲労している中

ほぼ対等に戦ってみせた。実際には、彼女が手加減している可能性もあったがそれは今

論じる点ではない。彼らが彼女を見て、どう思ったのかを聞きたかったのだ。

そして、アルビレオは彼女の行動の確信とも言えることに気づいているのかもしれない。

しかし、それが単なる人材探しとあっては、疑いを抱かざるをえない。

人材が欲しいのであれば、わざわざ相手を殺すような真似はする必要がないからだ。

 

「ええ、その点は私も疑問に思っていましたが・・・。彼女の求める人材の条件を仮定

した場合、彼女の行動にも納得がいくのです」

 

「目的ねぇ・・・さっぱり分かりゃしねぇ」

 

「強い奴を探してるとかそんなんか?」

 

「はい、ナギ。正解です」

 

「え、マジ?」

 

当てずっぽうで言ってみたことが、よもや正解だとは思いもよらずに少し驚く。

 

「彼女は私達『赤き翼』に対しては、まるで私達の力量を試すかのような戦い方をして

いました。恐らく、元々それが目的でグレート=ブリッジへとやってきたのでしょう。

そして、一手手合わせを行った後に、実力を十分把握したため撤退。

帝国側も探ってみたが、見合うような実力者がいなかったため、恐らく自身という

情報の秘匿をするために皆殺し・・・こんな具合でしょうかね?」

 

「情報の秘匿・・・する意味はあるのか?」

 

「自分が行動しやすくなる、相手に警戒されづらい。これだけでも実力者探しには

十分なメリットになります。そして、それは誰かが指示している可能性が高い」

 

「指示・・・やっぱり背後に組織的なものが関与している可能性があるか?」

 

とはガトウの疑問。確かに、アルビレオの言葉通りであれば、そういった辻褄が合う。

少し戦って即離脱した理由も、こちらの実力を確かめに来たのなら納得だろう。

帝国兵を皆殺ししたことも、理由がかなりぶっ飛んでいるが可能性はある。

そして、彼女がああもあっさりと引いたのは、何者かに予め指示されての行動であると

判断すれば、その背後に何らかの組織的な存在が見え隠れするようにも見えてくる。

 

「そこまではなんとも・・・。ですが、相手は少なくとも二人以上で連携をとっている、

油断のならない人物たちであるということです」

 

「まあ、俺達ですらまともに反応できない速さで剣を振るう少女に、それに指示を出す

未だその姿を見せない謎の人物。警戒しすぎるといったことはないな」

 

詠春としても、彼女の正体が未だ不明である以上、何としてもその正体を突き止め、

可能であればその凶行を止めたいと考えている。

 

「厄介なことにならねばよいが・・・」

 

ゼクトの、戦争の行方を心配する呟きは空気に溶けて消えていった。

 

 

 

 

 

「さて、そろそろ次へ行くとするか」

 

「・・・人材探しは、・・・もうよいのですか・・・?」

 

「あらかた探し終わったからな。とはいえ、まさか対象が『赤き翼』位しか

おらなんだとは、連合も帝国も腑抜けが多いようだな」

 

「・・・マスターが・・・相手では・・・」

 

事実、エヴァンジェリン相手では一国の大軍を相手にすることに匹敵しうる。

なにせ、不死身にして600年を生きる膨大な知識を有する存在であり、老人特有の

老獪な思考さえも簡単に看破してみせる。そこに魔法という巨大な対抗手段を

完全に封殺する鈴音が加われば、正に鉄壁の布陣だろう。

 

「・・・行き先は・・・」

 

「そのことなんだが。実はな、鈴音。お前のあの『能力』について調べていたのだが」

 

「・・・お手数をかけてしまい・・・申し訳ありません・・・」

 

「私が好きでやっているだけだ。お前のことをもっと知っておく必要があるしな」

 

「・・・・・・ポッ・・・」

 

「頬を染めるな! というか口で言ってるだろ!?」

 

「・・・マスターは・・・いけず・・・です・・・」

 

「・・・一体どこでそんな知識を学んだんだ・・・。まあいい、話を戻すぞ。お前の

能力と類似した効力を持つ『魔法無効化(マジック・キャンセル)』能力を

持つ人物が、ある国家にいることが判明した」

 

「・・・ウェスペルタティア・・・?」

 

「そうだ、やはりお前も調べていたか。アリアドネーに真っ先に向かわせたのは、

どうやら正解だったようだな。お前は要領がいいからすぐにその結論を出せると

思っていたぞ」

 

 

ぐしぐしと、鈴音の頭を強めに撫でる。褒められたことが嬉しいのか、はたまた

撫でられるのが恥ずかしいのか。先ほどの茶化すようなのとは違って、熱を帯びた

頬の染め方をしている。

 

「で、だ。ウェスペルタティアでは、そのある人物(・・・・)が兵器として利用

されているらしい」

 

「・・・黄昏・・・」

 

「お、そこまで辿り着いていたか。流石、私の従者だよお前は」

 

誇らしげに、エヴァンジェリンは微笑む。自分を理解してくれる従者が、思った以上に

優秀であることに喜びを感じているのだ。そんなエヴァンジェリンを見て、

 

「・・・かわいい・・・」

 

「な!? べ、別に褒めても何もでないぞ! ええい、この1ヶ月でお前に何があったと

いうのだ!?」

 

「・・・本を、読んで・・・?」

 

「元凶はアリアドネーかっ!? ・・・今度行った時にあの都市を丸々凍りづけに

してやるか? ・・・いや、それよりも鈴音を再教育すべきか・・・」

 

鈴音は、よくも悪くも純粋だ。学んだことを貪欲に吸収し、昇華させる。

戦闘訓練を行った時も、エヴァンジェリンのスパルタな特訓にも数日で慣れていき、

半年で及第点を出せるレベルまでに至った。ただ、知識で知らないことは基本的に

なんでも学ぼうとするため、無駄な知識まで増えていくのは困りものであった。

そんな彼女がアリアドネーに行けば、当然学ぼうとする真剣な姿勢に歓迎されるだろうと

彼女を真っ先に向かわせたのだが、悪い部分も如何なく発揮されたようで、

エヴァンジェリンは頭を抱えてしまった。うんうん唸っている彼女を見つめ、首を傾げる

鈴音。実に可愛らしいが、彼女が己が主人の頭痛の種であることは理解できなかった。

エヴァンジェリンは、とりあえず鈴音の教育ことは保留にしようと結論を出し、中途で

あった話を続けはじめた。

 

「は、話が脱線し過ぎたな・・・。ウェスペルタティアの、人間兵器として扱われて

いる存在・・・。正に人間としての尊厳など考えられてはいないのだろう。

・・・実に面白いと思わないか?」

 

「・・・仲間・・・」

 

「ああ。私達はまだ『少なすぎる』。『英雄』を見出すというのなら、それこそ巨大で、

強大な力が必要だ。ならば、私達と志を同じくする同志を集めればいい。その点、かの

『黄昏の姫巫女』ならば我々と同じくバケモノ同然の扱い。勧誘対象には十分だ」

 

「・・・王国の、妨害・・・」

 

「死にかけの国家1つ程度が、私と鈴音(バケモノ)を止められると思うか?」

 

「・・・否、無駄な・・・抵抗・・・」

 

「ククッ! さあ、向かおうか・・・新たな同志を求めてな!」



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第四話 泉の毒

第四話 バケモノは新たな仲間を求めて、毒を流し込む。
そして毒は彼女を蝕む。


ウェスペルタティア王国。始祖アマテルの直系からなる、由緒正しき王家を頂く古き国家の一つ。

大分裂戦争の折、その双方の丁度ど真ん中に存在したため、互いの板挟みにあっている国でもあり、度々国境付近では小規模な激突が続いている。だが、かの王家をまとめる今代の王はそれに対して沈黙。周りの貴族が帝国側につくか、連合側につくかで分裂し、政治は混乱を極めていた。

帝国側は、そんなウェスペルタティアを救う名目で兵を動員して侵攻を開始。その規模は巨大なもので、鬼神兵を数体用いるなど、大々的なものであった。

しかし、帝国側の目論見は見事失敗することとなった。その最大の原因は2つ。

ひとつは、この挙兵に対して危機を抱いた連合もまた、兵を動員し、その中には後の『千の呪文の男(サウザンドマスター)』の異名で知られるナギ・スプリングフィールド率いる『赤き翼(アラルブラ)』がいたこと。これらが鬼神兵をなぎ倒し、艦隊も少なくない被害を受けて敗走。これによって窮地に陥っていた連合が息を吹き返したのだが、連合は再び帝国と膠着状態に。一方で、帝国もウェスペルタティア王都が連合側に奪われ、ウェスペルタティアが事実上の連合配下となったことで、帝国は目と鼻の先に連合が陣取られるという非常にマズイ事態となった。この危機を解消するため、2度に渡って王都オスティアに侵攻するも、戦線を二度の侵攻で共に押し返され、連合を有利にするばかりであった。

 

しかし、重要地点である王国の中枢といえる場所であるとはいえ、何故その首都に2度も戦力を投入していたのか。帝国側からはオスティアは遠く、集中攻撃しても押し返される可能性のほうが高かったというのに。それには、帝国側が敗北した第二の理由が関係していた。彼らが恐れ、大きな痛手を出す無謀な侵攻を敢行せざるを得なかった理由。それは、ウェスペルタティア王家が有する『ある能力』と、それを有する人物がオスティアに存在していたからだった。その人物こそ、『黄昏の姫巫女』と呼ばれ、同時に兵器として扱われていた少女。

名を、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア。帝国が恐れる能力、『魔法無効化(マジックキャンセル)』を有し、王都に幽閉されていた人物。ナギによって救出され、多少は王国内でも扱いが良くなったが、相変わらず人々からは『魔法無効化』を有する人間兵器として扱われていた。確かに彼女は、ナギによって肉体的には救われたのかもしれない。だが心に、救いは未だ訪れてはいなかった。そんな彼女の、未だ波紋すら浮かばぬ群青色の心の泉に、一石を投じる者達が現れようとしていた。そう、邪悪な鉛の鉱石を投じる、バケモノ達が。

 

 

 

 

 

「弱いな。衛兵がこれとは笑わせる」

 

「……う……あ……」

 

「ケケケ、ゴ主人。コイツマダ息ガアルゼ」

 

「応援でも呼ばれると面倒だ、(なます)にしろ」

 

「アイサー。ケケケッ」

 

小さな悲鳴と、骨が無理やり削られて鳴るゴリゴリという嫌な音。それはまさに、解体ショーと呼ぶにふさわしい光景であった。骨から肉を麻酔なしで削ぎとり、綺麗に剥がしていく様は、醜悪にして吐き気を催す。鼻歌混じりに頭皮を剥がしていき、声にすらならない乾いた叫びがハーモニーを奏でる。それが終わると、腹部の内蔵を引きずり出し、まだ息のある自身の目の前で切り刻む。そんなことをしていると、やがて虫の息であったその男は、白目を剥いて倒れた。解体していた大振りの刃物に血振りをくれてやり、懐から紙を取り出して拭う。くっついた人体の脂は、この程度では取れないので後で処理しようと刃物を仕舞う。

 

「ンー、イイ感触ダッタナ。ホンノ数年前ナラ滅多ニ味ワエナイ感触ダッタンダガ」

 

「……私の……おかげ……」

 

「ソーダナ。ホレ、イイコイイコ」

 

「……ポッ……」

 

「ソレハヤメロ」

 

「……いけず……です……」

 

鈴音をその固い感触の手で撫でくり回す人形。彼女こそ、エヴァンジェリンが最初に契約を結び、自らの相棒として数百年を共にしてきた自動殺戮人形。名をチャチャゼロ。鈴音の先輩でもある彼女は、人を斬るということに快感を感じる醜悪な趣味を持つ。だが、つい数年前までは自制して、めったに人を斬る機会がなく鬱憤が溜まっていた。というのも、エヴァンジェリンがそれを明確な敵以外にはさせない、更には彼女を使うまでもない相手ばかりであったためだ。むやみに殺してしまっては、足がつく可能性が高い。身を隠しながら放浪を続けていた彼女にとって、危険はなるべく避けたかった。

 

しかし、そこに鈴音が現れた。彼女との出会いによって、エヴァンジェリンは自らを人間として考えることをやめ、本格的にバケモノとして生きるようになった。それによって、人間というものに対してさほど情を抱かなくなった。同情はするが、あくまでそれは雨に濡れる子犬を見るような、踏みそうになる蟻のような感覚であり。彼女がそれを助けるといった行動にはいかない。あくまでかわいそうだと思うだけであり、それに手を差し伸べるには理由が必要だ。犬が芸達者で面白ければ拾うし、蟻が恩返しでもしてくれるなら喜んで足をどける。そうでなければ、犬など見捨てるし蟻だって容赦なく踏み潰す。彼女にとって、かつて身近であった人間は遠いものとなっていた。彼女に近いのは、鈴音やチャチャゼロのような、バケモノに近い存在のみ。ただ、相変わらず鈴音が言うには、『魂』は未だ人間であり、不完全な真祖の吸血鬼、といった具合である。どうやら、600年もの間人間らしく振る舞ってきて、魂の在り方を変えぬまま今に至ったが故の弊害であろうと、エヴァンジェリンは結論づけている。未だ人の身に戻りたいというちっぽけな思いが、心の片隅で息づいているのだと。彼女は、そんな自分を自嘲している。最上級のバケモノである真祖の吸血鬼たる自分が、不完全で歪などとはなんと滑稽なのだろうと。なんという失笑モノだと。まあ、鈴音も人の肉体でありながら鬼に至った存在であるので、彼女たちはある意味似たもの同士の存在であるようだ。

そんな彼女は、チャチャゼロを仕舞いっぱなしでは可哀想だと引っ張り出し、以後は鈴音の戦闘面での教育や、話し相手として楽しくやっている。邪魔だと思えば容赦なく人を斬り殺しても良いと許可を出し、チャチャゼロも好き勝手にやっている。一度の出会いでこれだけ。これだけの邪悪が今に脈動するに至ったのだ。

 

「さ、せっかく王宮などという面倒な場所に来たのだ。せいぜい楽しもうか」

 

口元を三日月に歪めて笑い、奥へと進む。その後ろを、二人の従者がついていった。

 

 

 

 

 

「なに!? 賊の侵入を許しただと!?」

 

「衛兵共は何をやっていたのだ!」

 

「ええい、これが帝国による犯行であれば由々しき事態ぞ!」

 

王国の会議室では、貴族たちが鼻面を合わせて議論を交わしていた。王宮に賊の侵入あり。その報告を聞いた貴族たちは緊急招集を掛け、会議室にこもって今の状態を延々と続けていた。衛兵に度々連絡を受け、指示を出したりと一見仕事を全うしているかのようだが、その実彼らは何もしてはいない。会議室にこもっているのは、身の安全を守るため。何らかの襲撃があっても、この会議室は余程のことがない限りは壊れないほど頑丈で、王族を守護する精鋭が周りを固めている。指示を出しているのは、自分たちがこの安全な場所から出たくないため。だというのに、命を賭して戦っている衛兵に対して文句ばかりをつける様は、まるで怯えを隠すための子供のようで滑稽だ。その様子を、冷めた目で見ている女性が一人。美しい金の髪、目鼻立ちの整った顔。白い肌はなめらかな白磁の陶器のようで、力強い目は凛とした美しさを際立てる。彼女こそ、このウェスペルタティア王国の王族にして、次期女王候補。アリカ・アナルキア・エンテオフュシアであり、この議会を取り纏める役目を持ている。本来であれば、この役目は現国王であるアリカの父がやらねばならないのだが、彼は戦争が始まってからしばらくして、政治にさして関わらなくなってきている。これによって、貴族は連合派閥と帝国派閥に分裂。やりたい放題の有様であった。

しかし、連合に組み込まれてからは帝国派閥が大きく弱体化し、その隙を突いてアリカが政治に関わり始め、彼らを取りまとめることに何とか成功した。彼らからは不満の声が相次いだが、さすがに王族相手では迂闊なこともできず、神輿にして担ぎ上げようにも、彼女は優秀で聡明であり、実行しようとした貴族が逆に手玉に取られた挙句没落してしまった。尤も、これは彼ら貴族が政治能力が低い事を僅かながらに露呈したことでもあり、今の王国がどれだけ腐敗しているのかは想像に難くない。

 

(全く……。この馬鹿共を何とかせんといかんな……)

 

ため息をつくアリカ。その姿は実に可憐なのだが、その憂鬱なさまはどこか哀愁を感じさせるものであった。さて、彼らの口論をじっと眺めていると、アリカはふと、あることを思い出して貴族の一人に質問を投げかけた。

 

「モルドー伯爵。『黄昏の姫巫女』はどうした? しっかりと警備させているのか?」

 

「……要らぬ心配でしょう。あそこの壁は頑丈で、大規模魔法でさえ破壊できませんよ」

 

質問された貴族、モルドー伯爵は鬱陶しそうに返答する。露骨な態度にアリカは内心、嫌味な奴だと毒づくが、今はそんなことをいちいち考えている訳にはいかない。

 

「……衛兵はしっかり配置されているので?」

 

「衛兵? あれほど頑強な場所に閉じ込めているのにですか? アリカ様は随分とご冗談がお好きなようですな!」

 

アリカを完全に舐めきった態度で、貴族はフンと鼻息を一つ。その後、再び貴族たちとの意見交換とも言えぬ会話を続ける。

 

(会議は踊る、か。『旧世界(ムンドゥス・ウェストゥス)』ではそんな言葉があると読んだが、正にこの事じゃな)

 

苦い顔をするアリカ。ここにいるのはどいつもこいつも阿呆ばかりだ。あの『黄昏の巫女』が奪われれば、どれだけの事になるか分かっていない。下手をすればこの国は利用価値を失うかもしれないのだ。『魔法無効化』という稀有な能力を、代々受け継ぐウェスペルタティア王家だが、連合はこの能力を保持するためにこの王国を解体せず、保護する名目で支配下においている。戦争が終われば実効支配はされていない現状であるため、素早く動いて支配から抜け出すことができる。だが、今この国を維持する価値がなくなってしまえば、連合は容赦なく切り分けてしまうだろう。アリカも、例に漏れずに能力を有してはいるが、アスナに比べれば微々たるもの。この状況でもし、アスナを失えば最悪自分が矢面に立たされる。即ち、希少な能力を有すアリカを保護する名目で、幽閉されて政治から遠ざけられかねない。

 

(マズい……非常にマズい状況じゃ。私も、そして王国の未来もこのままでは

閉ざされる……!)

 

アリカは立ち上がると、直ぐ様出入り口のドアへと近づいていく。幸い、貴族たち(バカども)はおしゃべりに夢中で気づいてはいない様子。今なら気付かれずに脱出できるだろうと、アリカはそっと扉を開ける。案の定、貴族の誰一人としてこちらを見た者はいなかった。そのまま、アリカはゆっくりと扉を締める。そして、扉の前で待機していた衛兵に、頼みごとをする。

 

「頼みがある。妾を、『黄昏の姫巫女』のところに連れて行ってくれ」

 

 

 

 

 

鈴が鳴る。一人の首が宙を舞い飛ぶ。

鈴が鳴る。一人の両腕が落ちる。

鈴が鳴る。二人の胴が泣き別れになる。

 

「相変ワラズ、綺麗ナ斬リ方スンナァ……。鍛エタ身トシチャ、誇ラシクモアルガ嫉妬モシソウダゼ」

 

「お前の教育がよかったのだろう。それに、あいつは元々そういったことに関しては天性の才能があったからな」

 

音もなく次々と、衛兵たちを惨殺していく鈴音の姿を見て、二人はそんな他愛もないことを話すかのような喋りで会話する。

 

「……少ない……」

 

「ふむ……。罠の可能性も考えられる、か。鈴音、周りに他の人間はいるか?」

 

「……生き物の『呼吸』は、感じません……」

 

「ブービートラップデモ仕掛ケテアンノカ?」

 

チャチャゼロはそんなふうに勘繰るが、どうやらその予想はハズレであったようだ。

 

「ナーンモナイナ……」

 

万が一のため、幾つかの人形を使ってエヴァンジェリンが罠を探すが、それらしきものは全く見当たらない。

 

「なんだ、もう着いてしまったじゃないか」

 

「……呆気無い……」

 

眼前に(そび)え立つのは、重厚な扉。オスティア王宮の離宮の一つであり、魔法でも掛かっているのかその錠前は破壊するということがバカバカしくなるような威圧感を持っている。だが、こちらには鈴音がいるのだ。

 

「……斬りますか……?」

 

「そうだな、任せた」

 

魔法でいくら強化されていようと、彼女の能力が相手では意味が無い。腰に()いた日本刀の柄を再び握り、腰を低く構える。

 

「……『俄雨(にわかあめ)』……」

 

リィン

 

鈴の音が響く。錠前は一見すれば、相変わらず頑丈な様を見せつけている。だが、先程まで感じられていた威圧感が全くない。次いで、数秒後に錠前はゆっくりと、その惨状を晒していく。

 

「見事」

 

エヴァンジェリンの簡潔にして、掛け値なしの賞賛の言葉。その言葉とともに、錠前が重々しい金属音を響かせて石畳の床に落下していった。

 

「ヒュー、イーイ斬リップリダゼ……」

 

「切断面が非常に滑らかだ。これだけの錠前をここまで綺麗に捌くとは、お前もこの1ヶ月で色々と学んだようだな」

 

「……更に、『呼吸』が読めるように・・・。あと、気も大分……勉強に、……なりました……」

 

『俄雨』。鈴音が会得している流派の技の一つであり、これも『時雨』同様居合を用いる。ただ、こちらは時雨と違い、居合そのものに特化した技であり、連続使用を想定しない技だ。その代わり威力、速度共に時雨を超える。それだけであれば唯の居合だが、恐るべきはその納刀。今は行なっていないが、この技は納刀する瞬間にわざと予備動作を入れることで、万が一相手が死ななかった場合でも、恐るべき真空の刃を放つことができる。受け身の技であるがゆえに、相対する相手が全く攻撃のタイミングが読めない、正に唐突に降る俄雨のようであり。これをくぐり抜けてももう一手が存在する『二分(にわか)』の言葉が掛かっている。

 

「さて、ようやくご対面だ……」

 

重厚な扉を、幼い姿のエヴァンジェリンがゆっくりと押し開ける。実に奇妙で不可思議な光景だが、彼女の纏う雰囲気がそれを感じさせない。扉の先に、悠然と彼女たちは進んでいった。

 

 

 

 

 

「急げ……急がねばならん……!」

 

何とか衛兵を説得し、『黄昏の姫巫女』が隔離されている離宮へと急ぐ。アリカはとてつもなく嫌な予感が胸の中に渦巻き、それは段々と大きくなってきている。

 

(何か、帝国の刺客以上に厄介な何かが此処へとやってきている感じがする・・・!)

 

政治に関わってから日は浅いが、彼女は元々そういったことに関しては一級以上の能力を有している。そうでなければ、あの貴族という狸共に利用されているだろう。そんな彼女が最も突出しているのは、危機に対する察知能力だ。彼女は常に狸共が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する魔窟たる王宮にて育ってきた。度々命の危機に瀕する場面がいくつもあった。それによって、彼女の危機を察知する能力が鍛えられた。そんな彼女がこれほど背筋に寒気を覚えるような警鐘は、これまででも感じたほどがないほどのものであった。

 

(帝国だの連合だの……そんなことが小さく思えてくるような怖気……! 一体、彼女に何が迫っているというのじゃ!?)

 

急ぎ足で進む。恐怖をごまかすために人差し指の第二関節の山を噛む。強く噛みついてしまったのか、そこから血が流れだしてきたが、痛みは感じない。はっきりいって、そんなものを感じている暇がない程、彼女は切羽詰まっていた。ようやく離宮に繋がる通路へとたどり着いた。しかし、絶えず巡回を行なっているはずの衛兵が誰一人。そう、誰一人として見当たらなかった。

 

「こ、これは……!」

 

先に進み、安全を確認していた衛兵の声が聞こえる。駆け足で向かってみれば、そこは地獄であった。

 

「う、酷い……!」

 

あたり一面が血の池であり、歩く度にピチャピチャと水音がする。足の裏から僅かに感じるゴツゴツとした感じは、冷えた石畳によって凝固し、床にへばりついている血の塊である。散乱しているのは衛兵の首や、足や、腕。その全てが鋭利な刃物による切断をされたものだと判断できる滑らかな断面。

 

「これだけ綺麗な斬り方は初めて見ます。正直、賊でさえなければ手放しに賞賛してしまいそうなほどの……」

 

「衛兵は皆王宮警護のために選抜された生え抜きばかり。それがこんな容易く……」

 

「ただの賊でないのは間違いなさそうじゃ」

 

惨状を眺め、アリカは自らの不安が現実のものであると確信する。先へと進む。今はただ、それしかできない。

 

 

 

 

 

「……誰」

 

「ごきげんよう、『お姫様』」

 

「……誰なの」

 

「フフ、そう警戒しなくてもいいさ。私はただの魔女だよ」

 

ただし、悪い魔女だがなと付け加える。アスナは空虚な瞳で、彼女の姿を眺めていた。自分と同じぐらいの体躯に、人間とは違う何かを感じさせるオーラ。そして、彼女が抱いた感想は"落胆"であった。

 

(……ナギじゃない……)

 

自らをあの激戦の中から救い出し、裏のない純粋な優しさを与えてくれた人物でない。その事実は、彼女を酷く失望させた。彼女が今興味がある存在とは、ナギやその仲間、そして王家の人間や、自分を利用しようとする貴族たちのみ。どこの誰とも知れない人物に彼女が興味を抱くはずもない。下手をすれば、自分をさらいにきた人間だろうし、実際それだろう。ただ、わざわざ自分から"悪い魔女"などという酔狂さは、彼女には到底理解できなかったが。

 

「ふむ。予想以上に反応が少ないな、だが私も鈴音相手に数年かけて会話をつなげるようになったのだ、この程度はどうということも無し」

 

「……マスター、かっこいい……」

 

「そ、そうか? ……って今度はかわいいではなくて、かっこいい?」

 

コクコクと頷く鈴音。鈴音の感性がよくわからんと首を捻るも、今はそんなことを悩んでいる暇など無い。

 

「さて、単刀直入に聞こう。外に出たくはないか?」

 

「外になら……ナギが出してくれる……」

 

「ほぅ……あの『英雄の卵』か……」

 

顎に手を当て、対象の顔を思い浮かべる。14という年齢で戦争に介入し、『赤き翼』を率いる若きリーダー。鈴音が優秀であると判断し、エヴァンジェリン自身本命として考えていた存在。そんな彼が、アスナに関わっていたことはさすがに知らなかったが、それならば懐柔策が自然と浮かび上がる。

 

「……なら」

 

彼女が投げ込むは、重い重い鉛の鉱石。

 

「ナギに会いたくはないか?」

 

その波紋は大きく彼女の心の泉を揺らす。だが、所詮はそれだけだ。彼女はナギから再び会おうという約束をされた。ならば、彼が来るのを待てばいいだけ。

 

「……別に。待てばいいだけ」

 

「無理だな。あいつは戦争で忙しい、その内にお前はまた兵器にされるだけだ」

 

「……ナギは強い……」

 

クククと、面白そうに。愉快そうに笑うエヴァンジェリン。彼女に合わせるかのように、カタカタと音を鳴らしながら笑うチャチャゼロ。そんな二人を見て、鈴音は微笑む。

 

「たしかに奴は強いなぁ。だが、私達のほうが数段上だ。お前が着いてきてくれないというのなら、私はうっかり奴らを殺してしまうかもなぁ?」

 

「……無理」

 

「無理かなぁ? なら、此処の壁ならばどうだ? ナギ・スプリングフィールドよりは弱いだろ?」

 

「……それも無理」

 

「そうか。……鈴音、此処の壁。できるか?」

 

エヴァンジェリンが指さしたのは、この離宮の分厚い壁だ。特殊な魔法がかかっており、『千の雷』でさえ(ひび)一つはいらない。アスナは鈴音を見る。華奢であり、力は無さそうだ。

だが。

 

「……はい……」

 

「ではやれ」

 

簡潔かつ、絶対的な命令。

 

「……了解……しました……」

 

そして、彼女の雰囲気が、変わった。その研ぎ澄まされた気は、歴戦の戦士や長年鍛錬を積み上げた達人を思わせる。だが、彼女はどう見てもエヴァンジェリンや自分と同じ、幼さを見せる姿だ。実際には、鈴音は10歳などとうに過ぎているのだが。驚くべきことに、彼女の実年齢は14歳程。まあ、全くといっていいほど肉体が成長していないせいで、幼く見えてしまうのだが。エヴァンジェリンは、彼女の魂に肉体が引っ張られることによるものだとしている。鬼は基本的に長命な種族が多い。中には吸血鬼という不老不死の存在だっている。鬼の魂を持つ彼女ならば、肉体もそれに従おうとしているらしい。まあ、不老でもなければ不死でもないので、鈴音は己のマスターとは逆に肉体面で不完全な鬼といえよう。そんな彼女だが、纏う雰囲気は冷たく、そして鋭い。鍛えあげられた一本の剣のようだ。

 

(……人間?)

 

アスナが疑問に思うのも無理は無いだろう。エヴァンジェリンは人間ではない雰囲気を漂わせてくるため判別できたが、彼女は肉体は人間のもの。魂を見分けられる鈴音の『呼吸』が使えないアスナでは、人間の気配を持ちながらそれとは違うオーラを発する鈴音に戸惑いを覚えるだろう。

 

リィン

 

鈴の音。ただそれだけがこの部屋の空気に溶け込んでいく。鈴音のあまりに速い抜刀は、音を置き去りにする。即ち、金属である刀身が空気に晒されて微かな音を奏でるのだ。故に、彼女の鈴の音が聞こえたが最後。相対するものは何が起こったのかも分からずに死ぬ。ただし、この鈴の音にはもう一種の理由が存在するのだが。さて、彼女の神速の剣技によって、分厚い壁はどうなったのか。しんと静まり返った部屋では、アスナには自らの心臓の鼓動が早くなっていく様子が、音でよく分かった。

 

(……何……この不安……このいやな感じ……)

 

彼女の予感は、当たって欲しくないという願いとは裏腹に実現する。壁の一部、そうほんの一部分が小石となって地面に落ちる。そして怒涛の勢いで崩れ去る、壁。数百年もの間傷一つつけられなかった強固な壁が、こんな幼い少女によって。

 

「……壊れた……!?」

 

「ようやく……動揺したな?」

 

「……っ!」

 

邪悪な微笑み。アスナが不可能だと言ったことを実行してみせた鈴音。それらが普段全く感情を発露しないアスナの心を乱す。泉に鉛の石を投じたのはエヴァンジェリンだが、波紋は、彼女自身の手によって発生させられてしまったのだ。その波は、彼女を大きく揺さぶっていく。

 

「分かっただろう? 私達が『赤き翼』を殺しうる存在であると」

 

本気だ。彼女らは本気で、自分が従わなければ殺すつもりだということを、アスナは直感的に理解した。体が僅かに震える。自分を救い出してくれた人々。彼らを失うことが、アスナはとても怖かった。感情などとうに忘れたと思っていたが、この恐怖の体現者がそれを記憶の奥底から無理矢理に引っ張りだしたのだ。

 

「……目的は何? ……私の力が欲しいの……?」

 

彼女らに主導権を握られ切らないよう、こちらから譲歩を行う。こちらが折れれば、彼女らはとりあえずは『赤き翼』を殺すといったようなことはしないはずだと、彼女の本能が囁いてくるのだ。だが、それは彼女の犯した致命的なミス。返ってきた答えは予想外のもの。

 

「いや、能力などこれっぽちも興味が無い。私が欲しいのはな、アスナ姫。お前自身なのだよ」

 

「……私、自身……?」

 

「そうさ、『魔法無効化』のせいでバケモノ扱いされているお前が欲しい」

 

彼女は顔を顰める。慣れてきているとはいえ、そんなことを真正面から言われれば嫌な気分にもなる。だが、彼女は気づいていない。感情を久々に表しているせいで、彼女の思い通りに話を進められていることに。

 

「そう嫌そうな顔をするなよ、悲しくなってくるじゃないか」

 

おどけてみせるエヴァンジェリン。アスナの警戒は強くなる一方だ。だが、エヴァンジェリンは内心ほくそ笑んでいた。こうも上手くいくとは、と。

 

「実は私もな、バケモノとして扱われ続けてきたんだよ……」

 

「……」

 

「魔女狩りで焼かれたこともあるし、人と共に歩もうと努力しても駄目だった。人間はな、私達のような存在は排斥しないと気がすまないんだ」

 

「……同情でも誘うの? ……その手には、乗らない……」

 

「いいや、そうではないさ。私が言いたいのは、人間なぞ信用出来ないということさ」

 

「……ナギはちが」

 

「違うと言い切れるか? ん? お前は奴の心の中を覗いたことでもあるのか?」

 

「……それは……っ!」

 

言い切れない。彼女はナギと出会って日が浅いし、彼とあまり会話もしていない。考えてみれば、自分は何故彼にあそこまで期待を抱いていたのかと疑問がわく。彼女の心の泉は、今やエヴァンジェリンによって投げ込まれた鉛の石によって毒の泉になっている。鉛の中毒は少量では発生しないが、何度も摂取すれば段々とその症状を発してくる。彼女は、エヴァンジェリンによって揺り動かされた心の泉の水を飲み、それを吟味している。何度も何度も、頭の中で反芻して。

彼女の心は、既に毒によって汚染され始めている。信じていた者達に対する疑惑。自分が抱いていた思いの真偽。本当に自分は彼によって救われたのか。本当に自分は救われただけで彼らに好意を抱いたのか。

 

(……私は、必要とされたことがない……?)

 

一瞬。そう一瞬だが、そんな風に疑ってしまう。そんな自分に気づき、必死にその考えを否定しようと頭を振る。自分の頭を押さえつける。吐き気が催してきて、胃の奥から酸性の液体がせり上がってくる。それを何とか嚥下し、呼吸を整える。だが、一度湧いてでた疑問と不安は彼女の脳をどんどんと侵していく。

 

「なあ、不安だろう? いつ裏切られるか、本当に自分を信頼してくれているのか。本当はバケモノとして見られているのでは、そんな不安が湧いてくるだろう? 私もそうだったさ、何度も何度も裏切られたからな」

 

「……あなたも……? ……でも、今はそんな風に見えない……」

 

「ククク、それはな。私の従者、ああ紹介するよ。鈴音というのだがな、コイツもまた私と同じくバケモノであったからだよ」

 

人間はすぐに自分を裏切る。それは、人間とバケモノは違う存在だからだ。だが、人間はある程度は人間同士で信頼を置く。そうしなければ孤独と不安で押し潰されてしまうからだ。ならば、バケモノ同士であればどうだ。そんな風に、エヴァンジェリンは語る。アスナは、エヴァンジェリンと鈴音を見比べて、その関係を羨んだ。とても、とても固い信頼を見て取れたのだ。エヴァンジェリンの目からは鈴音に対する絶対の信頼を。鈴音からは、エヴァンジェリンへの親愛と忠誠を感じる。だが、自分はどうだ。彼女らのように、自分はナギ達と信頼を結んでいるか。

 

(……違う……)

 

信頼など無い。不安。孤独。感情を取り戻したが故の弊害。彼女に襲いかかるのは数多の人間たちが恐怖した巨大な恐怖。不安は疑惑を拡大させていき、孤独は人をゆっくりと殺していく。

 

(……私も……必要とされたい……)

 

『赤き翼』は助けてはくれた。だが必要とはしてくれていない。自分という存在を、かけがえの無いものとしてくれてはいない。再度、二人を見る。

 

(……私も、あんなふうになりたい……!)

 

毒は、彼女に回りきった。今彼女は、エヴァンジェリンの掌の中。

 

「……アスナ……」

 

「っ!」

 

ここまで一言も喋らなかった鈴音が、一言。そう、ほんの一言だけ語りかける。

 

「……お友達……に……なりたい……」

 

エヴァンジェリンからではなく、鈴音による最後のひと押し。差し伸べられた手はとても魅力的で、でもとってしまえば戻れなくなりそうで。

 

「わ……私は……!」

 

「そこまでじゃ!」

 

 

 

 

 

(間に合ったか……! 早く、早くアスナ姫を別の場所へ避難させねば……!)

 

(すんで)の所で間に合い、一先ず安堵の表情となるアリカ。だが、そのほんの僅かの気の緩みが、決定的な引き金を引かせるチャンスをうんでしまう。

 

「大人しく縄につけ、この賊共め!」

 

剣を構え、エヴァンジェリンへと突貫していく。だが、狙いが逸れたのか、彼が振りかぶった相手はアスナ(・・・)だった。

 

「な、なんだ!? 体が……!?」

 

「ま、まずい!」

 

しかし、最悪の事態は免れる。エヴァンジェリンがアスナに届く寸前で身を呈して庇ったのだ。

 

「が……あ……!」

 

「ひっ!」

 

小さな悲鳴を上げるアスナ。目の前では、真っ二つにされたエヴァンジェリンの死体。アスナ自身にも、エヴァンジェリンの返り血がかかってしまい、真っ赤に染まっている。

 

「……酷い……!」

 

鈴音が、怒りを顕にした顔で衛兵を睨む。衛兵としても、何故手元が狂ったのかが分からず、呆然としている。ただ、アリカだけは冷静に状況を分析していた。

 

(……何じゃ……何故衛兵が相手を誤るなどという失態が……そもそも何故、あの賊の少女はあれに反応できたのじゃ?)

 

組み上がっていく答え。その全体像が浮かび上がってきた時、彼女の背筋に氷点下の寒気を感じさせた。

 

(いかんっ! これは奴によって組まれた茶番だ!)

 

ピクリと。エヴァンジェリンの死体が動く。上半身がゆっくりと起き上がると、分断されていた腰から下と飛び散った少量の肉片が、彼女に向かって進んでいく。衛兵たちは、それを呆然として只々眺めているしかなかった。やがて、血液さえも彼女に吸収されて肉体が再構成されると、エヴァンジェリンはゆっくりと起き上がる。

 

「酷いじゃないか、見ず知らずの相手を真っ二つにするなんて」

 

「……ひ、こ、この……」

 

「っ! よせっ!」

 

言ってはならぬ一言を、衛兵が口にしようとしているのを見て、アリカが止めようと叫ぶ。だが。それは無駄であった。

 

「このバケモノめ……!」

 

言ってしまった。もう、取り返しのつかない事態となってしまった。

 

「……やっぱり……」

 

アスナの、か細い声。

 

「誰も私を……人間だなんて思ってない……!」

 

エヴァンジェリンに向けられたはずの言葉を、彼女の間近にいるアスナも真正面から受け取ってしまった。彼女はついに、人間に対して完全に別れを決めた。

 

「……連れてって……」

 

それは、衛兵やアリカに向けられた言葉ではない。

 

「ん? いいのか? 『赤き翼』の連中が迎えに来るんだろう?」

 

そんな、意地悪なふうに言うエヴァンジェリン。アスナは首を横に振り、

 

「……もう、いいの……私は……あなた達に必要とされたい……!」

 

懇願。アスナの精一杯の感情表現は、エヴァンジェリンにしかと伝わった。

 

「ではアスナよ、私に忠誠を誓ってくれるか? 私とともにいてくれるか?」

 

「誓う……! 誓うから……連れて行って!」

 

アリカは内心歯噛みしていた。間に合ったと思っていたが、その実彼女は既に篭絡寸前であったということに気づけなかった己が情けなかった。

 

(あの姿、恐らく懸賞金600万ドルを懸けられた『闇の福音』だろう。『人形遣い』の異名を欲しいままにする奴なら、衛兵を不可視の糸で操って『黄昏の姫巫女』を狙わせるなど容易いはず。そして彼女を庇うことで、彼女に信頼を刷り込ませ、再生するところを見せつけて『バケモノ』と呼ばせることで彼女にその言葉を真正面から浴びさせる。……なんと狡猾な……!)

 

エヴァンジェリンはアリカの知らないところで彼女を追い詰めていき、人間に対する不信をどんどん膨らませていったのだろう。そして、この茶番とも言える一連の流れで、ついに彼女は人間と決別する意志を固めてしまった。

 

「……クククッ! では『黄昏の姫巫女』、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアよ。私はお前が共にいようとする意思を持つ限りお前を愛そう……。鈴音同様、な」

 

その言葉に、アスナは感極まって涙を流しながら頷く。

 

「ありがとう……ございます……っ!」

 

「では、もう此処に用はない。行くぞ鈴音、アスナ」

 

「ま、待てっ!」

 

アリカの静止も聞かず、アスナは先ほど壊した壁から、鈴音と共に出ていく。下は断崖だが、それを恐れている風には見えない。部屋から抜け出る際、一瞬だけ彼女はこちらを見ていた。その目は、かつて自分に向けてきた、同じウェスペルタティア王家の人間でに対する友好的な雰囲気を持った目ではなく。

興味を失ったよな、そんな無機質な視線であった。

 

「クク、アリカ王女、だったかな?」

 

「そういう貴様は、エヴァンジェリンじゃろう?」

 

「さすがに知っているか。中々聡明そうな面構えだが、アスナは頂いたぞ。次は、大事なものを

しっかりと守れるようにしろよ?」

 

そこで会話を切り、エヴァンジェリンは影の魔法で消えていった。後に残されたのは、崩壊した離宮とアリカと衛兵たちのみ。

 

(私の勘が告げていたのはこれかっ! 由々しき事態じゃ……! あれだけの巨悪が世に解き放たれようとしておる!)

 

戦慄するアリカ。彼女らの目的は全くの不明だが、碌でもない事は間違い無いだろう。

 

(何とか……何とか対抗できる戦力を揃えねば……!)

 

固く決意するアリカ。この数ヶ月後、彼女は『赤き翼』と接触する。



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第五話 宣戦布告

必要としてくれるのは彼? それとも、彼女たち?
少女が理解者を得た時、歯車はゆっくりと回り出す。
そしてバケモノたちは、英雄に挑戦状を叩きつける。


『黄昏の姫巫女』誘拐。この大ニュースは各国に衝撃を走らせ、今迄手をこまねいていた帝国側は再び侵攻に向けて軍備を整え始め、逆に連合側は抑止力の一つを失って大騒ぎ。

 

アスナ姫と同様『魔法無効化(マジックキャンセル)』を有するアリカ姫を失ってはたまらないと彼女を幽閉しようかと貴族たちが考えていた矢先、彼女は独自に『赤き翼(アラルブラ)』に接触。彼らとともに行動を開始した。王国はこれに猛反発したが、彼女のいない王国など利用価値もないに等しい連合側は、連合の主力である『赤き翼』の面々であれば護衛として不足ではないとして訴えを退けた。彼女は、アスナの喪失によって自らの希少性、重要性を得るとともに、仮初ではあるが、自由な行動を可能にした。

 

「ほう、アリカ姫が『赤き翼』と接触したか」

 

「……面白く、なる……?」

 

「ああ、だろうな。今まで頭脳担当であったアルビレオの奴では少々不足気味だったが、アリカほどのやつであればその穴を埋められる。それに、事実上国家一つを味方につけたことに等しいからな」

 

クククと喉を鳴らして笑うエヴァンジェリン。今彼女らがいるのは帝国の帝都、ヘラス。その一角にある小さなオープンカフェで優雅にコーヒーを啜っているのが彼女だ。鈴音は彼女の前で黙々とサンドイッチを平らげ続けている。どこにそんな入るのか、エヴァンジェリンとしては謎であったが、瑣末なことだと思考から消す。そして彼女の右隣に鎮座している今話題の少女に、エヴァンジェリンは話しかける。

 

「一応聞くが、アリカ姫に対して何かコメントでもあるかな?」

 

「今更興味無いです、あんな無愛想な女」

 

「ケケケ、オ前モ未ダニ無愛想ダロウガ。ココ数ヶ月デ分カッタガ、オ前結構毒ハクヨナ。結構喋ルヨウニナッタノハイイガ、教育間違ッタンジャネ、ゴ主人」

 

「ただでさえ鈴音があまり喋らんのだ、少しは会話もしたくなる。それにアスナはこっちのほうがよほど、らしく見えるじゃないか」

 

「有難う御座います、マスター」

 

嬉しそうに、しかし簡潔に礼を述べるアスナ。横では鈴音が食事を終えたところであった。

 

「……ご馳走様……」

 

「鈴音ハ鈴音デマイペースダナ。テカ、何皿食ッタンダヨ」

 

「……? ……分から、ない……?」

 

「アー、ウン。オ前ハソノママデイテクレ」

 

何となく小動物的な庇護欲を掻き立てる鈴音の仕草に、チャチャゼロは自然と頭を撫でる。くすぐったそうにする鈴音と、それを羨ましそうに見るアスナ。

 

「チャチャゼロ、私も」

 

「アン? 急ニドウシタ?」

 

「私も」

 

「アー、ハイハイ」

 

鈴音を撫でるのをやめ、アスナの方に手を伸ばす。そのまま彼女の頭に手をおいて、優しく彼女を撫で始めた。どうやら、アスナは鈴音がに撫でられているのを見て羨ましくなり、チャチャゼロに甘えたかったようだ。可愛いやつだなと思いながら、チャチャゼロはケケケと笑いつつ、アスナを撫でくりまわした。途中から興が乗ったのか、ワシャワシャと撫でてアスナを驚かせていたが、嫌がっていないのを見てひとしきり強く撫でた後、彼女の乱れた髪を櫛で解かしはじめた。

 

「ふふっ」

 

嬉しそうな顔のアスナ。鈴音は撫でられて気持ちよかったのかウトウトとしている。

 

「私、今とても幸福。夢だったら覚めてほしくない」

 

表情はあまり変化はないが、それは彼女が長年そうであったからまだ変われないだけ。彼女と深く関わった彼女らには、その顔がとても悲壮を帯びているのが見て取れた。

 

「アスナ、お前は下を見てるなぁ」

 

「下? どういうことですかマスター?」

 

「ケケケ、目ノ前ヲ直視デキナクテ下バッカ見テルッテコトサ」

 

エヴァンジェリンの何の気なしに言った言葉に疑問符を浮かべるアスナと、それを補足するチャチャゼロ。

 

「まあ、別にお前のことはお前自身で決めることだ。下を見て俯くのも、前を向いて生きるのもお前の自由だよ。主従契約をしているとはいえ、お前はもう誰にも縛られないんだからな」

 

そんなふうに言う、エヴァンジェリン。そして更に、だがな、と続ける。

 

「お前が欲しかったのは、そんなつまらない人生を得るためだったのか?」

 

「っ! ご、ごめんなさいマスター!」

 

エヴァンジェリンの機嫌を損ねたと思ったアスナは、慌てて謝罪の言葉を口にする。彼女にとって今こそが人生至上の時間。そんな大切なモノを、くだらないことで失うなどしたくない。彼女の顔には、捨てられるかもしれないという悲壮感漂う表情が浮かんでいた。それを見て、エヴァンジェリンは面白そうにカラカラと笑い出した。

 

「ハハハ! どうした、不安になったのか?」

 

快活な笑い声に、アスナは一瞬きょとんとするが、エヴァンジェリンが機嫌を損ねたわけではないと分かり安堵の表情を浮かべる。

 

「す、捨てられちゃうかと思いました……」

 

「そーかそーか、存外寂しがり屋だなお前は!」

 

「うー、マスターのいじわる……」

 

「ククク、すまんすまん。どうにもお前は鈴音と違っていじり甲斐があるからな、ついつい苛めたくなってしまうんだ。許せ」

 

エヴァンジェリンの今の状況を、彼女を知る者がいれば信じられないものを見たような目で見るだろう。なにせ、かの『狂刃鬼』を従え、ウェスペルタティアの王宮にたった二人で乗り込んでアスナを攫った大悪党。既に連合側から要注意人物として指名手配されている彼女が、こんな見た目相応の笑い声を上げる姿を誰が想像できよう。ひとしきり笑ってようやく落ち着いたのか、目尻に浮かんだ笑い涙を指ですくいつつ、話を戻す。

 

「いいんだよ」

 

「え?」

 

「いいんだ、それでいい。私たちは人間という圧倒的多数から迫害される運命(さだめ)だ。で、あればこそ、孤独はその身を蝕んでいく。寂しいという気持ちがあればこそ、生きている実感を感じているのと同義だ。なにせ、孤独を埋めてくれる何かを探し続けているのだからな」

 

「…………」

 

いつの間にか、うたた寝をしていた鈴音も目を覚まし、彼女の言葉を真剣に聞き入っていた。

 

エヴァンジェリンは、少し遠い目をしながら話を続ける。

 

「私も長く生きてきたが、人生とは探しものばかりだったよ。生きる意味を探し、死に場所を探し、そして、誰かを探した」

 

「……孤独を、癒してくれる、誰か……」

 

鈴音の言葉に、エヴァンジェリンは微笑みながら頷く。

 

「いつだって足りないものばかりだったさ。その場その場で手札を切り、何とかしていかねばならなかった。手札が足りなくて、魔女狩りで焼かれたこともある。経験と知識という手札がな。だが、今はどうだ? 『闇の福音』と恐れられ、最強クラスの魔法使い様さ」

 

何度も、何度も。生きるために必死になって手札を切った。そのために、誰かを裏切ることもあった。先に裏切ったのは人間側ではあったが、それでも心が痛かった。

 

だが、一旦それに慣れてしまえば、心はその痛みを鈍化させていく。そうして、少しずつ少しずつ、心をすり減らし、終いには寂しいということさえも忘れてしまった。鈴音との出会いがなければ、彼女は今も意味を持たない生を続けて彷徨っていただろう。

 

「それでも、心が満たされなかった。当然だな、安全を得る対価に、私は人と交わらぬ道を歩んでしまっていたのだから。……人形遣いが、とんだ人形だったわけさ」

 

皮肉げに、彼女は自身を自嘲する。生きる意味を持たない生など、所詮おもちゃの人形と変わりない。そこにあるだけであって、おもちゃ箱の中で忘れられていく。普通、そういったことを人間は恐れるが、人との関わりを失い、孤独に隅々まで蝕まれた彼女は、そういった考えすら浮かばなかった。

 

「しかし、今は違う。鈴音がいて、忘れてはいたがチャチャゼロがいて」

 

「……ポッ……」

 

「モウツッコム気スラ起キネーヨ……ッテヤッパ忘レテタノカゴ主人!?」

 

「お前は私が人間だった(・・・・・)頃は色々と問題児だったからな。今は大事な従者だと思っているよ、お前のことは」

 

話が逸れたな、と会話を一旦仕切りなおすエヴァンジェリン。横ではなんか納得いかないと微妙な表情をしているチャチャゼロと、慰めるようによしよしと頭を撫でる鈴音。なんとも愉快な光景である。

 

「そして、新たにお前もいる」

 

そう言って、アスナに人差し指を向ける。アスナは向けられた指先ではなく、エヴァンジェリンの暖かな眼差しを見つめていた。その目を見ていると、堪らなく幸福な気分になれる。ああ、やはり自分は彼女とともに来てよかったと。これが、生きるという事であり、必要とされることなのだと。

 

「お前は、私達がいる。それでいいじゃないか、たとえこれが刹那の時間でも、お前は確かに生きていたのだと、胸を張って生きればいいさ」

 

「……はいっ!」

 

いつの間にか、曇りがかったアスナの表情は晴れやかに、日を浴びて輝く花のように明るかった。

 

 

 

 

高岸深谷(こうがんしんこく)。世は常ならず流転するが如し。

 

戦争もまた、流れる濁流の小石に他ならず。その流れゆく先は誰にも分からない。

 

血風渦巻く戦火は人々の負の感情や、死を糧として広がっていく。聞こえるのは武器と武器のぶつかり合う金属音や、魔法による爆発。あるいは風切り音に雷鳴か。戦争は常に多数の人によって成り立つものであり、当然、彼らの怒号や雄叫びもまた、戦場に響き渡る。

 

「押し込め! 勝利は目前ぞ!」

 

「「「帝国に栄光を!!!」」」

 

叱咤激励、意気揚々。闘志十分、鷹揚自若(おうようじじゃく)

 

「ここが粘りどころだ! 生きて帰れたら一杯奢ってやるぞてめぇら!」

 

「「「連合万歳! ロフト隊長万歳!」」」

 

オスティアから北に数千km離れた場所にある、帝国に属する小規模国家ノアキスに、連合が侵攻を開始したことから勃発した此度の戦場は、通常では考えられない激戦の様相を呈していた。

 

と、いうのも、メセンブリーナ連合が侵攻を行った理由、『黄昏の姫巫女』を攫った輩が潜伏している可能性があるとして、調査を行おうとしたところノアキス側がこれを一蹴。連合は強硬手段に出てそのまま戦場へと発展していったというわけだ。

 

「しっかしまぁ、くだらねぇ理由で引き金を引く連合の奴らもどうかと思うぜ」

 

「抑止力たる『魔法無効化(マジックキャンセル)』を有するアスナ姫が攫われたんじゃ、連合も焦っておるのじゃろうよ」

 

「だからって急ぎすぎだろ!」

 

「ナギ、元老院の奴らに何を言ったって無駄だ。俺らで変えるしか無いんだよ」

 

そんなガトウの言葉に、ナギはそうだなと短く、苦い顔で頷きつつ目前の帝国兵たちを蹴散らし続けている。ガトウもまた、居合い拳の拳圧を用いて重装兵を吹き飛ばしている。

 

連合側は戦争を有利に進めるため、帝国の脇腹たるノアキスを奪取する腹づもりでいた。そこで、いまや連合の最高戦力とも言える『赤き翼(アラルブラ)』に出撃を要請。被害を増やさないためにも速攻でかたをつけるほうがいいとのアリカの判断から、ノアキスでの戦闘に参加することに合意した。

 

現在、彼らは帝国を押し込むという、今回の作戦の生命線とも言える役割を担っている。帝国側の鬼神兵の大量投入により、前線を崩されれば一気に瓦解するといった状況で、その鬼神兵をたった数人で押さえ込めなどという無茶なことを任されるなど、本来であれば正気の沙汰ではないであろう。それを実行してみせるのが彼らの恐ろしいところだが。

 

「これ以上戦線を押し込みきれんか」

 

「帝国側も後方で待機していた戦力を投入してきたようですね」

 

「こっちの後方支援部隊が狙撃されてやがるぜ、こりゃ助けは期待できそうにねぇな」

 

帝国の後詰を担う艦隊数隻も到着し、さすがに維持が厳しくなってきた。魔法による遠距離支援を行なっていた部隊が艦隊の砲撃で蹴散らされ、或いは甲板の狙撃部隊に狙撃されてしまっている。いくら一騎当千の『赤き翼』でも、5人で大部隊全てを相手にできるわけではない。ラカンは戦艦を何十隻と落としてきてはいるが、それができるのは帝国の邪魔が入らないよう他の手助けがあってこそ成り立つ。戦略の要たる艦隊を、単騎で落とせる戦力であれど一人で実行できるなどと自惚れた考えをしてはならないのだ。

 

事実、そういった過信をして戦艦を落とそうと支援なしに無謀にも実行しようとした大馬鹿者は皆帰っては来なかった。

 

そう、普通なら(・・・・)無理だが(・・・)

 

ズッドオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!

 

周囲に響き渡る、圧倒的な爆発音。それが聞こえたのは、遙か上空に浮かぶ戦艦からであった。

 

「お、おい! 巡洋艦から火が吹いているぞ!?」

 

帝国兵からの、驚きの声。見上げてみれば、小型の戦艦は真っ赤に燃え上がり、その外殻を散らしながらゆっくりと高度を下げてきていた。いや、落下しているのは戦艦のパーツばかりではない。

 

「……ひでぇ光景だ」

 

ラカンがそう毒づく。人、人、人。中空に投げ出され、悲鳴を上げるそれは人であった。

 

戦艦から落下する人々を杖や箒を用いて、あるいは竜騎隊などがそれらを回収してはいたが、こぼれた人々らは抵抗むなしく地面に叩きつけられ、真っ赤な花を咲かせた。自力で飛行し、何とか凌いだ者もいたが、飛行魔法は媒体なしでは高度な術だ。自力で逃げた者達は、爆発で魔法媒体を飛ばされずにすんだもので、落下した者達はその幸運を得られなかった人々だ。

 

「ありゃあわざとだ……わざと動力部が大爆発起こすように破壊して落下死させてやがる……!」

 

戦艦落としとして有名なラカンから見ても、この戦艦の落とし方には胸糞悪い吐き気を覚えた。

 

ラカンは脱出の猶予をわざと与えるため、戦艦の外部装甲を落とすなどして、動力部を狙わずに飛行能力を奪うスタイルだ。戦争とはいえ、好戦的な性格とはいえ。人死には寝覚めの悪いものであり、なるべく殺生はしない。甘いといえば甘いが、この行動は強者であるが故のものであり、決して驕りではない。自分自身の矜持を捨てることは、ラカンは一介の戦士として断固として拒否する。

 

だが、この爆破を起こした人物は違う。動力部を破壊して戦艦を即座に停止、そして大爆発を誘発させることで乗組員の安全を脅かし、あるいは魔法媒体を吹き飛ばして逃げ場をなくし、落下する人々を生み出している。まさに外道のやり方だった。

 

「み、見ろ! 他の戦艦も!」

 

見渡してみれば、敵味方問わず。上空に浮かぶ戦艦は尽く黒煙を上げ、落下を始めていた。異常だ。いくら戦争の真っ最中とはいえ、敵味方がこんな甚大な被害を被るなど、滅多に起こることではない。そういった事例は、敗北が確定した側が、最後っ屁に総力戦を仕掛け、勝者側にも痛手を負わせるなど、限られた状況でしか起こり得ない。

 

「何だ……この嫌な感じは……!」

 

近くで敵兵と切り結んでいた詠春は、胸騒ぎを抑え切れないでいた。魔を討滅する神鳴流、その宗家である青山の家に生まれた彼はそういった魔性の存在を敏感に感じ取れる。彼が今感じているものは、そういった類のものであった。

 

だが、この深淵の縁を覗きこんだような、得も言われぬ怖気は一体何だ。この戦場に、これほど自分を不安にさせる何かが、地獄の蓋を開けて湧き出してきたのではないかと思わせるほどだった。

 

 

 

 

 

上空では戦艦の機関部から発生した、荒れ狂う炎によって陽炎が波立っていた。その陽炎の向こう側に佇む、この場に似つかわしくない、しかしある種この状況こそがその人物らを引き立てる役割を担っているかのような、そんな人物たち。

 

彼女らは皆が皆、少女であり、そして皆美しかった。

 

「フフ、いよいよお前のデビュー戦だな」

 

「はい、マスター。鈴音、チャチャゼロ、私のこと応援してね」

 

「……頑張れ……」

 

「ケケケケケ! マア冷ヤカシ位ハシテヤルヨ」

 

マスターと呼ばれた少女は、熱風に靡く金の髪に、それを引き立てる白い肌。愛らしい顔は人形のようで、ほぼ黒一色であるゴスロリは彼女の魅力をよりいっそう印象付ける。少女の姿でありながら、艶めかしさや色っぽさを感じさせる、熟れた果実のような、そんな雰囲気を漂わせている。

 

黒い髪の少女は、艶やかな紫の着物が幼さを残した顔に一見不釣り合いであるが、赤々と燃える炎を反射させて妖しさを演出する墨染の如き髪や、それを結っている赤い漆塗りの、朱色の珊瑚と瑪瑙(めのう)で装飾された(かんざし)など、全体と調和することで見事な美を演出している。

 

ツインテールをしている少女は、金髪の少女と同じく黒いゴスロリ服。ただ、こちらは白色が2割、黒が8割といった風で、金髪の少女を美しいと表現するなら、彼女は可愛らしいというべきか。髪を縛る紙紐は、彼女の赤い髪と自然に融和する金色。装飾である宝石も、同じく金色であるタイガーズアイ。幼さを全面に押し出した、少女相応の姿である。

 

そんな彼女であったが、表情は少し固く、緊張した面持ちであるとともに、何か不安を隠しているかのようにも見て取れた。

 

「……大丈夫……」

 

「えっ?」

 

「……貴女の、仲間は……私達……。……だから、私は貴女の選択を……信じる……」

 

「鈴音……」

 

ツインテールの少女、アスナは、再び『赤き翼』と面と向かった時、平静でいられるか、不安でいっぱいであった。彼らという光に呑まれ、人間としての自分を諦め切れずに、自らが心酔する美しきバケモノたちを裏切ってしまうのではと。

 

そんな彼女を見て、黒髪の少女、鈴音は信じるといってくれた。普段は口数少なく、然れど金髪の少女、エヴァンジェリンが絶大な信頼を寄せ、アスナ自身も大切に思っている人物。

 

そんな彼女が、心が裏切りを否定出来ない、こんな弱い自分を信頼してくれている。その事実が、彼女の表情を和らげた。

 

「うん……!」

 

「悔いの残らないよう、しっかりケジメでもつけてこい」

 

「マスター、違いますよ」

 

「うん?」

 

満面の笑みを浮かべながら、エヴァンジェリンの言葉を否定するアスナ。

 

「私達バケモノの、あいつらへの宣戦布告。でしょ?」

 

その力強い言葉に、最早迷いはなかった。

 

「ふ、そうだな。さあ我が愛しき従者アスナよ」

 

両腕を広げ、鋭い笑みを浮かべるエヴァンジェリン。これから起こることが楽しみでしょうがないと、そして同時にアスナの成長を喜んでいるようにも見えた。

 

「行って、そして確かめてこい。『英雄』を、な」

 

「はい」

 

短く返事をし、アスナは眼下に見える彼らに向けて、飛んでいった。それを眺めながら、長きに渡るであろう戦いの引き金が引かれることを確信し。彼女は呟く。

 

「戦争を、始めるとしようか。『赤き翼』」

 

 

 

 

 

上空から落下してくる残骸が止んだ後。戦場は混乱の局地に達していた。無理もない、突如戦艦が、それも連合と帝国の双方で爆発したと同時に撃沈したのだから。

 

「一体何が起こってるってんだよ……!」

 

ナギは、この状況をつくり出した人物に心当たりがあった。数ヶ月前、自分が手も足も出なかった少女。アリカによれば、彼女はかの『闇の福音』とともにウェスペルタティアの首都オスティアの宮殿に現れ、アスナを攫っていったのだという。

 

話を聞いたときは、自分があの時あの少女を止められていればそんなことが起こらなかったという後悔があり。アスナを取り戻してみせるという決意を決めたのであった。そんな彼女が、ここに来ているかもしれないと、ナギはそんな予感があった。

 

だが。

 

(何なんだよ……この嫌な気分は!?)

 

彼の野性的な勘が、この状況を更に最悪のものにする何かがやってくると告げているのだ。

 

自分の心を脅かす、そんな恐怖を覚えるような何かが。

 

彼が戦々恐々としていたそんな時。

 

「な、何かが降ってきてるぞ!」

 

「馬鹿な! 戦艦は一つ残らず撃墜されちまってんだぞ!? 他に何が降ってくるってんだ!」

 

「そ、それが……人間です! 人間が落下してきてます!」

 

見上げてみれば、そこには人型のシルエット。一般的な成人男性の半分ほどの体格しか無いそれは、子供であろうことは想像できた。

 

「生存者か!?」

 

「あれ子供じゃないか!? だ、誰か! あのままだと地面に叩きつけられちまう!」

 

そんな慌てるような声が聞こえてくるが、ナギには聞こえてはいなかった。しかし、頭でそれを理解せず、心で理解した。もしかしたら。あれは彼女なのではないかと。だとすれば、ガトウの言っていたことがここで再現されるのではないかと。

 

気づけば、既にナギはその人影に向かって全速力で虚空瞬動を使っていた。

 

(これ以上、犠牲者を増やしてたまるか!)

 

止めてみせる。あの時とは違い、今の自分は疲労も少なく全力を出せる。今度こそ彼女を捕らえて、アスナを助けだしてみせる。彼女を裏から操っているであろう『闇の福音』をぶっ飛ばして、人殺しなんて止めさせてやる。

 

そんな決意を心の内に秘め、距離をどんどんと縮める。次第に、落下してきている人物の姿がぼんやりとだが見えてきた。

 

それを見たナギは。

 

(……? あの嬢ちゃんじゃない? ……いや、そんなまさか……!?)

 

その姿はあの少女のものではなく、されどとてもよく知っている、同じく少女のものであり。

 

その少女はナギが目前に迫る少し前に、速度を落としてゆっくりと中空に着地した。

 

見たところ、魔法媒体も持たないような少女がそんなことができる事自体驚きだが、彼にとっては今はそんなことは瑣末なことであった。なにせ、目の前の少女は。

 

「……アスナ……無事だったの、か……?」

 

『闇の福音』に攫われ、彼が助けだそうと決意した、連合が血眼になって探している『黄昏の姫巫女』。

 

アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアであったからだ。

 

「久しぶり」

 

短い挨拶。

 

しかし、それはナギにとっては驚くべき光景であった。あれほど感情に乏しかった少女が、挨拶などという普通な、しかし彼女を知っている身としては異質な状況。

 

「あ、ああそうだな。お前、確か『闇の福音』に攫われたんじゃ……」

 

「ああ、そのこと」

 

ナギの言葉を聞いて、まるで悪戯を画策しているかのような小悪魔的な笑顔。

 

分からない。一体彼女に何が起こったというのだろうかと、ナギは疑問が尽きない。

 

しかし、そんな疑問は彼女の次の言葉で吹き飛んだ。

 

「別に、何かあったわけでもないよ? マスター(・・・・)は私に何もしてないよ?」

 

何の気なしに言い放たれた言葉は、ナギを混乱させるのに十分であった。

 

「……どういうことだ。なんでお前を攫った相手を"マスター"なんて呼ぶんだ!?」

 

「どうでもいいじゃない」

 

ナギのそんな言葉に、至極どうでもいいといった風に答える。アスナは無邪気に笑っている。

 

だが、その無邪気さが今はとても不気味で、恐ろしかった。

 

「私ね、本当に自分を必要としてくれる人、ううん、バケモノに出会えたの。だって、ナギは私を必要としてくれなかったじゃない」

 

「何を言って……」

 

「私を助けてくれたことは感謝してるけど、それとこれとは話が別。私はナギ達とは違う」

 

「っ! そんなわけないだろ! なあ、アスナはきっと『闇の福音』に騙されてる!」

 

「証拠もないのにあの人を悪く言わないでよ」

 

アスナから立ち上る、圧倒的な怒気。感情を殺していた彼女がこれほどまで凶悪な、濃密な殺気を出せることにナギは酷く驚く。そして、それは彼女が『闇の福音』を悪く言われたと思って出したもの。

 

彼女は、最早ナギの知る少女ではなくなっていた。

 

「……話を続けるね。今日は、マスターの伝言を伝えるために来たの」

 

「伝言、だと?」

 

「そう、伝言」

 

そう言って彼女は、懐から何かの羊皮紙を取り出す。それを真上に放り投げると、丸められていた羊皮紙が紐が自動的に解かれ、その内側に記されていた文面を顕にする。

 

内容はたった1行。

 

【我々バケモノは、英雄たる『赤き翼』に宣戦布告する】

 

「なっ!?」

 

「これが、私達(・・)の意思表示。そして……」

 

アスナは、まっすぐとナギを見据える。そのオッドアイの瞳には、闘志が見え隠れしていた。

 

「今の私がどれだけ戦えるか、試させてもらう!」

 

開戦の火蓋は、切って落とされた。



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第六話 新たなる決意

少女は戦う。少年は止めようとする。
邪悪なバケモノに、少年は立ち向かえるのか。


「くっ! アスナ、目を覚ませ!  俺はお前と戦いたくなんて無い!」

 

「言いたいことはそれだけ?」

 

アスナの拳がナギへと迫る。一見すれば少女の華奢な手では、前線で常に戦ってきた『赤き翼』のリーダーであるナギに、ダメージなんて入るはずがない。確かに体重を載せたいい拳だが、受け止められない程ではない。ナギはアスナの拳を受け止めようとして。

 

(っ! 何かやべぇ!?)

 

咄嗟に腕をクロスさせ、ガードを行う。アスナの拳は確かに、ナギに直接的にはダメージを与えなかった。衝撃や威力で腕が痺れるわけでも、折れたわけでもない。

 

だが。

 

「ハッ!」

 

「ぐぅっ!?」

 

気合の入った声とともに、アスナは更に拳を押し込む。すると、ナギの額に脂汗が湧く。殴られると同時に、凄まじい痛みとともにガードに使った腕から白煙が上がっていた。ナギの服の袖が、そして肌が焼けていたのだ。ただの拳による攻撃では、決して起こり得ない現象。

 

(な、何だこりゃあ!?)

 

ナギは内心驚きを隠せないでいた。数カ月前までは、虫も殺せないような非力な少女であったはずが、行方をくらませている内に全く別人のように振舞い、そしてナギにダメージを負わせるほどになっていたのだ。驚く他ないだろう。アスナの、次の攻撃が迫る。

 

 

 

 

 

「ククク、大分"仕上がって"きたな」

 

「……傷を、負わせた……」

 

「オー、ヤルジャネーカ」

 

上空では、相変わらずエヴァンジェリン一行が戦闘の様子を眺めていた。エヴァンジェリンは所業の成果が発揮されていることに満足し、チャチャゼロも感心した様子だ。

 

ただ、鈴音は無言でアスナの動きを見つめている。動きの無駄は少なくなったが、まだまだ体捌きに難があるため、今回の戦闘を終えた後は鈴音と模擬戦を行なってそれらの不安要素を潰していく予定であるため、アスナの動きを逐一観察しているのだ。

 

「デモヨ、今ノアスナノ動キデ、ナギノ野郎ニ勝テルノカヨ?」

 

「無理だな」

 

「……不可能……」

 

「ソリャソーカ」

 

相手は常に戦場で戦ってきた強者。経験値が圧倒的に違う。今のナギは困惑によって手加減をしているが、そのうち本気を出してアスナを気絶させつもりだろう。

 

「ふむ、もう少し様子を見てみるかな」

 

「……マスター……」

 

「ん? どうした」

 

アスナの動きを眺めていた少女の言葉に、エヴァンジェリンは返事をする。彼女のことだ、何かを察知したと見て間違いないだろう。だが、彼女の返答は予想の斜め上をいくものだった。

 

「……アスナが……」

 

「アスナがどうかしたか?」

 

「……宙返りで、下着が……見えました……」

 

「……………………」

 

沈黙。正直、コメントに困るエヴァンジェリン。チャチャゼロはといえば、もう慣れたといった風で、無視してアスナを見ていた。

 

「……とりあえず帰ったら教育だな。さすがに恥じらいぐらいは覚えさせんと……」

 

「……私も、手伝う……」

 

「鈴音、お前もだ。ええい、戦闘ばかり学ばせていたせいで情操教育の方を疎かにしてしまったか!」

 

「オ、ナギノ野郎ガ動キダシタナ」

 

眼下では、既に状況が動き出していた。

 

 

 

 

 

場面は少し前。先ほどの戦闘の続きから。

 

(やべぇ、腕がまるで火傷したみたいになってやがる。このままにしとくと腕が……!)

 

腕を蝕む何か(・・)は、彼の腕を少しづつ、しかし着実に火傷を広げていた。ナギは手に持った長大な杖を自身の、火傷を負った右腕に向け。

 

「確か……ものみな焼きつくす、浄化の炎! 破壊の主にして、再生の微よ、我が手に宿りて敵を喰らえ!」

 

唱えるのは、炎熱系の魔法。ナギは魔法使いとしては破格の魔力と、天性の才を持ってはいるが、得意系統の魔法はあまり扱えない。それでもこうして呪文を唱えられるのは、この数カ月の特訓の成果の賜物だ。

 

アスナを誘拐された彼は自身の実力の不足を憂い、ゼクトの指導のもと、『赤き翼』の面々らで特訓をしていたのだ。ゼクトから指摘された、魔法のバリエーションの少なさをカバーするため、少しでも多くの中級以下の魔法を学んだ。勉強が苦手なナギだが、今回は必死になって学んだため、未熟ながら何とかものにすることができた。

 

「『紅き焔』!」

 

その中でも、比較的早く習得できた魔法がこれだ。掌から放つには未熟であるため、杖を通じて行わなければならないが、そこそこの威力は期待できる。しかし、ナギはそれをなんと、自らの腕に放った。

 

「ぐっ……!」

 

腕に放たれる、強力な炎。それは腕を蝕んでいた何かを焼きつくし、腕に更に痛々しい火傷をつくりながらも、何とかじわりじわりと広がり続けていた火傷を止めることに成功した。

 

「『治癒』……」

 

今度は、初級魔法である癒しの呪文を言葉に紡ぐ。すると、柔らかな光が腕を包み、ナギの腕から徐々に痛みが引いてきた。火傷の痕はそのままだが、後で治癒術師に頼めば、あとひとつ残らず治療してくれるだろう。

 

(よし、ひとまずはこれでいいはずだ……)

 

だが、ここは戦場であり今は彼女と相対している最中で、それは十分な隙となる。

 

「油断大敵だよ」

 

アスナが素早い動きで、ナギへと迫ってくる。『魔法無効化(マジックキャンセル)』を有するアスナがどうやって魔法を行使しているのかは分からないが、一流の近接戦闘技術を持つナギから見ても、動きに無駄が少ない。空気抵抗を減らすため体を直線的にして動いている。並の人間では意識してもできないようなことを、アスナは平然とこなしている。

 

「はや……!」

 

「せいっ!」

 

今度は、スピードを乗せた軽やかな蹴り。これも一見すれば、少女相応の可愛らしい攻撃に見えてしまうのだが。今度は、ナギはその異様さに気づいた。

 

(ヤバい!)

 

彼を幾度と無く救ってきた直感は、再び彼を極悪な一撃から遠ざけるに至った。咄嗟に蹴りを中空で屈むことで躱し、頭上スレスレを彼女の蹴りが通り過ぎていく。僅かに掠めた髪の先が、なにか強力な熱でも受けたのかのように、焦げ臭い匂いを放つ。

 

「チッ、いつの間に魔法なんて覚えたんだよっ!」

 

応戦しないと、下手をすれば再起不能にされる。そう判断して、ナギはアスナと納得いかないながらも戦闘を開始した。先ほどのお返しとばかりに、ナギも拳を固めて放つ。ただ、アスナが相手であるため手加減はしてあるが。

 

「私、魔法なんて(・・・・・)使ってないよ(・・・・・・)

 

しかし、アスナはそう言いながらナギの拳を軽やかに跳んで躱す。ナギの頭上を宙返りしながら、後頭部目掛けて(かかと)で蹴る。

 

人体の全体重を一身に受ける足は、腕よりもはるかに筋肉密度が高く、腕ほど精密な動きは期待できないがその分拳よりも蹴りの威力は高い。加えて、最も分厚い皮膚と太い骨が存在する踵は人体でも硬い部位。女子供であっても、全力で側頭部などを蹴れば大人も失神させることができる。

 

「危ねっ!?」

 

拳を放った直後であったため、腕によるガードは間に合わないと考え、おもいっきり仰け反る。顔面まで後数㎝といったところを蹴りが通過し、鼻先を風圧がかすめる。何とかなったと安堵し、仰け反ったままで見てみれば、アスナはなんと腕で空間に着地し、自分がスカートであることも気にせず腕を軸として横薙ぎの回転蹴りを強引に実行。

 

このままでは仰け反ったせいで再び頭部が蹴りの餌食になりかねないと、ナギは蹴りを避けるために更に後ろに倒れた。いや、より正確に言えばそのまま中空で逆さになったのだ。これにより、アスナの攻撃は再び躱されてしまった。

 

もし起き上がろうとすれば回転蹴りは足を狙われて躱せなかっただろうし、今の咄嗟の行動も、もしここが地面であればナギは成すすべなく餌食となっていただろう。

 

「い、今のはやばかった……」

 

未だ生きた心地がしないナギであったが、それよりも気になったのは先程の言葉。

 

「魔法を使ってない……? 冗談だろ、あんな妙な戦い方、魔法でもなきゃ説明がつかねぇぜ」

 

アスナに問いかけるナギ。アスナはといえば、躱されたことが不満なのか、口を尖らせている。なんとも可愛らしい仕草ではあるが、そんな顔になった理由がナギに攻撃をかわされたという物騒なことからであるため、全く微笑ましくない。

 

「やっぱり、経験が足りないかな……マスターも言ってたし」

 

「……なる程な、お前を鍛えたのは『闇の福音』ってわけか。道理でいい動きするわけだぜ。つーか無視すんな、お前ホントは魔法使ってるだろ」

 

「え、無理に決まってるじゃない。私は『魔法無効化(マジックキャンセル)』」能力持ちなんだよ? 私はそもそも魔法が使えない(・・・・)んじゃなくて魔法と相性が最悪(・・・・・)なのに」

 

「……」

 

確かにそうだろう。アリカ曰く、強力な『魔法無効化』はデメリットも大きく、魔法を生まれながらにして行使できない体だという。精神力や生命エネルギーである魔力操作や気は扱えるらしいが、魔法や呪術はそれらを利用して"現象を具現化したもの"であり、既にエネルギーではなく擬似的な現象そのものであるため、能力が自動的に干渉するらしい。

 

そもそも、『魔法無効化』自体が未だ謎に包まれた能力であり、詳しいことははっきりとしていないのが実情である。何故普通の魔法は無効化できるのに空間系や幻術は無理なのか、通常の魔法を無効化する原理は何なのか。能力者が希少であるのと、能力が弱いものでは魔法を扱える者も実在しており、更に研究を複雑化させているのだ。

 

「……まあいいさ。お前をとっ捕まえて、それで終わりだからな」

 

「できると思う?」

 

「ああ。だってなぁ……」

 

何の変哲もない会話。しかし気づけば、ナギがアスナの目前にいた。

 

「っ!? 速い……!?」

 

「もう手加減なんざしねぇ……余裕こいてたら、また俺は何かを失っちまうからなぁ!」

 

彼が行ったのはただの虚空瞬動。だがその入りは全く気配を感じさせないものであり、経験値が圧倒的に足りないアスナは、それに反応できなかった。

 

「おらっ!」

 

「ぐぅっ!」

 

ナギの強化された蹴りを、何とか受け止めようとしたが、さすがに本気を出したナギ相手では分が悪すぎた。そのまま吹き飛ばされてしまい、空中できりもみしながら数十メートル先でようやく止まる。

 

(強い……!)

 

ガードしたはずなのに、ダメージは甚大であった。これが、一流の戦闘力を有する相手。さすがにアスナも戦々恐々とし、額からは緊張からの汗が流れ出していることに気づく。鈴音やエヴァンジェリンと実践的な修行を積んできたアスナだが、それはあくまで数ヶ月。加えて、修行であるため手加減がもちろんあった。

 

だが、目の前の男は違う。本気で自分を倒すために攻撃をしてきたのだ。

 

「どうしたアスナ。これぐらいでへばってちゃ、俺は倒せねぇぞ」

 

「……よく分かった。ナギが強いことは」

 

「だったら、こんなくだらない事はやめて俺達のところに帰って来い! 今ならまだ、『闇の福音』に誑かされたって言い訳ができるはずだ!」

 

「冗談言わないでよ。私は……」

 

勝てる相手ではないことはよく分かった。だが、それで引く理由にはならない。

 

「誇り高き悪のシモベ!」

 

 

 

 

 

「いかんな……特攻する気か」

 

倒せないなら、せめて相打ち狙い。エヴァンジェリンと出会って、以前よりもいくらか感情豊かになったアスナは、どうも非常に負けず嫌いであり、そして多少の無茶でも押し通す我の強さがあることが分かった。そのまま健やかに成長していれば、快活な少女であっただろう。

 

「……でも、無理……」

 

「ダナー。捨テ身ノ攻撃ナンザ格上相手ジャ通用シネーヨ。油断シテレバ別ダガナ」

 

非情ではあるが、彼らの言葉は正しい。慢心していない格上相手では、たとえ特攻しようとも相打ちすらさせてもらえない。軽くあしらわれて終わりだ。

 

「仕方ない、ここまでだな」

 

エヴァンジェリンは傍観することをやめることを決め、鈴音とチャチャゼロに指示を出す。

 

「行くぞ、今度は私達が挨拶する番だ」

 

 

 

 

 

「は、放してよ!」

 

「どうどう、暴れるなよ」

 

特攻を仕掛けたアスナだが、エヴァンジェリン達の予想通りナギに躱され、その上そのまま捕まってしまったのだ。

 

「帰ったら、じっくり話を聞かせてもらうぞ?」

 

意地の悪い、しかし底抜けに明るい笑みを浮かべながらナギは言う。アスナはそれを見て、何も感じ(・・・・)なかった(・・・・)

 

(そっか、やっぱり私は……)

 

アスナはしみじみと、ああ、自分はもう彼らとは違うんだなと思った。もはや彼らに、彼に対する憧れは霧散してしまったんだと。

 

もう、彼らとともにいる理由もない。アスナは、ナギの腕から脱出する策を必死になって考え。

 

「……ねぇ」

 

「んー? 何だ?」

 

「ナギってさ、"魔法"について考えたことって無い?」

 

「なんだよ、藪から棒に」

 

アスナは、会話による時間稼ぎを行う作戦に出た。会話内容は、エヴァンジェリンが以前、『旧世界(ムンドゥス・ウェストゥス)』から持ち込んだ書物を呼んでいた時に、自分が興味を示して発展した会話の内容。

 

「マスターが言うには、魔法はある種の『錬金術』、らしいよ」

 

アスナは話を始める。彼女のマスター、『闇の福音』から聞いた話らしいのだが、曰く、魔法、呪術は魔力や気という、通常よりも強大なエネルギーを用いて行う。これによって通常の熱エネルギーや光エネルギーをはるかに凌駕する、それこそ核エネルギーに匹敵するようなエネルギーが現象を発生させる触媒、呼び水となったり、それらを人工的に実現できるのだ。

 

訓練すれば誰でも扱える手軽なエネルギーでありながら、一見すれば対価に明らかに吊り合わない現象を行使できるのは、対価そのものが強力なものであり、等価値足りえるかららしい。水を電気分解すれば、つまり電気エネルギーを用いれば水素と酸素に変化するように、魔法もまた、魔力というエネルギーで実現する現象なのだ。

 

「そして、私の能力はそういった現象への移行、或いは既に実現された現象を強制的に"リセット"するらしいよ」

 

「……ええと?」

 

アスナは、ヤレヤレといった風に溜息をつきながら。

 

「ナギってさ、予想以上にバカだったんだね」

 

「悪かったな! どうせ魔法学校は中退だよ!」

 

アスナの毒舌に、ナギも思わず叫ぶ。自分がバカであるという自覚はあるが、さすがに見た目10歳かそこらの少女に言われたくはなかった。

 

「……話を続けるけど、魔法や呪術が『創造する』力なら、私の能力はそれと正反対の『破壊する』力。魔法が"正"なら私は"負"なの、電気のプラスマイナスみたいにね」

 

「マイナスの力……」

 

「プラス同士、マイナス同士は反発しあうからそれによってエネルギー同士の激突が起こって現象を発生させるの。で、私の能力はマイナスで、魔法がプラスだから互いに引き合って現象を0に変換しちゃうんだって」

 

破壊する力同士では、創造をすることはできない。だが、魔力や気という、強大すぎるエネルギーが存在してなおエネルギーバランスの均衡が保たれているのは、そういった天秤を保つ重要な役割を持つこの"負の力"があるためらしい。魔力、気を分解して、世界に還元する。

 

そうやって世界は常に循環を果たしていると、エヴァンジェリンは言っていた。ちなみに魔法使いなどにもそれが微弱ながら存在し、その力を無意識のうちに利用して魔法をレジストしているという。

 

「まあ、『魔法無効化』同士はマイナスだから創造の現象を起こさずに、消滅の現象を循環させちゃうらしいけど」

 

アスナの話でチンプンカンプンといった風のナギ。そんな時。

 

「ほう、興味深いですね」

 

「お、アル! やっときたか! アスナを捕まえたんだが、なんか難しいことばっかでよく分かんねぇんだよ」

 

救助をしていたアルビレオが合流した。

 

 

 

 

 

ナギは、アスナが喋っていた内容に関してぎこちなく説明する。

 

「ふむ、つまり彼女によれば、『魔法無効化』は本来だれでも持っているエネルギーであり、彼女はそれが人よりも多い体質である、と。そしてその負の力と魔法が引き合えば、魔法をプラスとマイナスがぴったりはまって魔法が消滅するということですか」

 

「うん、さすがにアルなら分かるよね」

 

「ふふ、恐縮ですね。しかしまあ、随分と賢くなりましたね、アスナは」

 

「まあ、マスターのおかげ、かな」

 

誇らしげな顔の少女。それを見て、アルビレオはナギに耳打ちする。

 

(ナギ)

 

(なんだよ、どうせ俺はバカだよ……)

 

どうやら、話しについていけなくて拗ねてしまったようだ。

 

(拗ねている場合ではありません。彼女がどういう経緯で『闇の福音』に心酔するようになったのかは分かりませんが、『闇の福音』は彼女を教育(・・)している(・・・・)

 

(? それがどうしたってんだよ)

 

(つまり、『闇の福音』は彼女を大切に思っているということです。人質や捨て駒として使うなら、教育など態々施しません。そんな人物が、彼女だけを戦場に送り込むとは思えない)

 

(……じゃあ、そいつが今此処に来てる可能性があるってことか?)

 

(そういうことです。警戒しておいたほうがいいでしょう)

 

ヒソヒソと話をしている二人を見て、アスナは怪訝な表情となる。時間稼ぎをしていることがバレたかと思ったが、どうもそうではなさそうだ。

 

(二人相手は……無理だね)

 

ナギ一人であれば、隙を見て逃げ出せたかもしれないが、アルビレオにはそんな作戦は通用しない。仮にも『赤き翼』の頭脳労働を兼任していたのだ。たかが少女に騙されるほど甘くはないだろう。どうしようかと新たに作戦を練っていた時。

 

「っ! ナギ!」

 

「んだよ一体……って、うおっ!?」

 

上を突如見上げ、珍しく大声を出したアルビレオを見て、ナギも上空を見上げると同時に、その目に写った光景に驚愕した。

 

なんと、上空から魔法であろう吹雪が押し寄せてきていたのだ。それも、並のものではない。よく練磨された、濃密な寒気を纏う大吹雪である。それが、ナギと、そして彼が抱えているアスナに(・・・・)向かって。

 

「ちいっ!」

 

何とか躱すことはできた。アルビレオが注意をしてくれなければ、今頃は凍りづけだっただろう。

 

だが。

 

「! ナギ、彼女はどうしたのですか!?」

 

「は? いや姫さんはここに……っていねぇ!?」

 

腕に抱えていたはずの少女が、今はナギの腕から消え去っていた。吹雪を躱した時、それによって注意がアスナから逸れてしまい、アスナは彼の腕から脱出を果たしたのだ。

 

「やっと逃げられた……」

 

振り向いていみれば、そこにはアスナの姿があった。皺になってしまった服の裾を払い、人心地ついて余裕を見せている。

 

「余裕こいてる暇があると思うなよ、姫さん。すぐにもう一度捕まえてやるぜ」

 

意気込むナギ。確かに、アスナではナギから逃げ切ることなどできないだろうし、今はアルビレオもいる。彼女はもう袋の鼠であるはずだ。しかし、その表情はまるで彼らを嘲笑うかのように穏やかなものであった。

 

「もう捕まらないよ。だって……」

 

そう言って、ニヤリと。狡猾な笑みを浮かべる。

 

直後。

 

リィン

 

響き渡ったのは、彼らがよく知る、あの音。

 

「ぐあっ!?」

 

「くっ!」

 

音が鳴ると同時に、ナギとアルビレオは鮮血をその身から迸らせる。ナギは肩口から、そしてアルビレオは脇腹からだ。痛みで一瞬視界が揺れるが、すぐに体勢を立て直す。アスナの方を見てみれば、そこにいたのは、グレート=ブリッジにて彼らを翻弄した少女の姿が。

 

「……久しぶり……」

 

「くそっ、嬢ちゃんまで来てやがったのかよ!」

 

アスナが余裕を見せていた理由はこれだったのだ。『赤き翼』の面々が手も足も出ず、ラカンとナギに至っては深手を負わされた苦い経験を持つ人物。巷では殺人鬼として名をあげてきた、『狂刃鬼』の異名を有する謎の少女がそこにいた。

 

そして。

 

「こんにちは。いや、こうして面と向かって出会うのは初めてだから初めましてがいいかな?」

 

金の髪に白い肌。漆黒の服と獰猛な笑み。そしてそこから覗く、人間らしくない鋭い犬歯。

 

「『闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)』……!」

 

「知っていたか……いや、あのアリカ姫から聞いたのか」

 

アスナを攫った張本人。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが現れたのだった。

 

 

 

 

 

「アスナが世話になったな。実戦を経験するのにはちょうどよかったぞ」

 

クククと、喉を鳴らしながら笑うエヴァンジェリン。一方ナギは怒りに顔を歪めていた。

 

「俺を練習相手にさせたってことかよ……! ふざけんじゃねぇ!」

 

「ああ、そうだが? なにか不都合でもあったか? せっかくお前たちにアスナを取り返すチャンスを与えてやったというのに」

 

エヴァンジェリンは、さも当然だろうといった風に言い切った。それが、ますますナギを激昂させた。

 

「ふざけんな! テメェに施しされるほど俺たちは弱くねぇ! それに、アスナをまるでモノみたいに言いやがって……!」

 

歯を軋ませ、怒りに震えるナギ。アルビレオからしても、ここまで怒りに怒ったナギを見たのは久しぶりであった。

 

「いいや? 私は彼女を信頼(・・)している(・・・・)からこそ、お前たちを相手取らせたんだよ。そこら辺を勘違いされてしまうのは困るなぁ?」

 

そんなことを、平然と言ってみせる彼女に、さすがにアルビレオも不快感を抱く。

 

「白々しい……先ほどの魔法、貴女の仕業でしょうに……!」

 

「ああ、確かに私は先程『闇の吹雪』を放ったが」

 

「貴女は、彼女がナギと一緒にいることを知って攻撃したのでしょう」

 

アルビレオは、吹雪が放たれる寸前で彼女の姿を視界に捉えていた。アルビレオが見た彼女は、笑みを浮かべながら魔法を放っていたのだ。

 

「おい待てよ、ってことは……!」

 

ナギも、アルビレオの言葉を聞き、少しだけ頭を冷やして彼に問いかける。アルビレオは、彼の問いかけに頷きながら、話を続ける。

 

「ええ、そういうことです。彼女は……アスナ(・・・)姫ごと(・・・)攻撃したんですよ……!」

 

アルビレオが、いつも余裕の表情で飄々としている彼が怒っている。その事実が、ナギにエヴァンジェリンがやったことを理解させるのには十分であった。

 

「……ふざけんなよ……」

 

拳を握り締める。爪が掌に食い込むほどに強く。ポタリポタリと、真紅の血を滴らせて。

 

「俺だけじゃなく……姫さんまで……!」

 

怒りのボルテージが頂点に達し、エヴァンジェリンを睨みつける。そして、アルビレオですら反応できない速度で虚空瞬動で彼女との距離を一気に詰めた。

 

「ナギ!?」

 

止めようとするが、体が動かない。みれば、彼の体が魔法で拘束されていた。

 

「くっ、捕縛魔法!? "遅延呪文(ディレイ・スペル)"ですか……!」

 

「テメェを慕ってる姫さんを……分かった上で俺ごと攻撃しやがったのか!!!」

 

限界まで、それこそ掌を指が貫通してしまいそうなほどに握った硬い拳。それにありったけの魔力と、スピードを乗せる。直撃すれば、エヴァンジェリンの顔はスプラッター映画さながらの有様となったであろう。だが、彼女は今、一人では(・・・・)ない(・・)のだ。

 

「……させない……」

 

「くそっ! どけっ! 退いてくれよ!!!」

 

ナギの拳は、エヴァンジェリンの直撃する後二、三歩手前で、グレート=ブリッジで対峙した少女に止められてしまった。エヴァンジェリンはそれを見つつ、そういえば忘れていたなといった風に言葉を口にする。

 

「そいつは私の従者の一人、明山寺鈴音だ。『狂刃鬼』、と言えば分かるかな?」

 

鈴音の紹介をした後、彼女はナギの問いに答えた。

 

「先ほどの問いに答えるが……別に問題なかろう? 当たったところでアスナは『魔法無効化』で傷一つつかんし、結果論ではあるが、お前が私の魔法を躱したのだからな」

 

「だからって!」

 

「私は、気にしてないし。マスターがそれだけ私を信頼してくれているってことだから」

 

アスナのその言葉で、ついにナギは押し黙ってしまう。

 

「……無力……」

 

鈴音の言葉に、ナギは歯噛みした。実際、彼女の言う通りであったから。エヴァンジェリンの放つ圧倒的な強者のオーラ。たとえ『赤き翼』の面々であろうとも、命を賭してようやく届く高み。そう思わせる雰囲気が、彼女にはあった。

 

それでも、殴りかからずにはいられなかった。彼女を慕うアスナの思いを踏みにじるような、彼女の唾棄すべき行為が、ナギにはどうしても許せなかったのだ。

 

「青いなぁ、『英雄』」

 

「……俺は、ナギ・スプリングフィールドだ……そんな風に呼ばれるつもりはねぇ」

 

「だが事実だろう? 連合の英雄、『千の呪文の男(サウザンドマスター)』。それが今のお前だろうに」

 

連合の英雄。そんな風に言われていい気になっていた自分。しかしそんな自分は、今何もできない全くの無力。数ヶ月前の自分を笑ってやりたい気分だった。

 

「私達を否定したいのならば、私を倒せるほどに強くなることだな。だが、私達バケモノを打倒し得るのは、それこそお伽噺の『英雄』を超えるぐらいでなければ務まらんぞ?」

 

半月に口元を歪めて微笑むエヴァンジェリン。そのまま、彼女はアスナを連れて上空へと飛び去っていった。ナギを止めていた鈴音も、彼の拳を開放し、虚空瞬動で彼方へと飛び去っていった。

 

「……楽しみに、してる……」

 

そんな言葉を残して。

 

 

 

 

 

「ナギ、無事ですか」

 

彼らのやり取りを見ていたアルビレオが、ナギへと近づいてきた。

 

「すみません、捕縛魔法が予想以上に強力で……」

 

「……気にしてねぇよ」

 

アルビレオは、ナギを見て思わず目を背けたくさえなった。あれほどまで快活で、無鉄砲で、それでいて一直線な男であったナギが、無力さを感じて泣いていたのだ。その悲壮な顔は、長年付き合いのあったアルでさえ初めて見る。

 

「アル……俺って、弱ぇな……」

 

「そんなこと、ありませんよ。ナギは強いです」

 

「だけどよ、あいつには届かなかった……。足元にすら届いちゃいねぇんだ、俺は……」

 

「……ナギ」

 

アルビレオがなんと声をかけていいか悩んでいたその時。

 

「だったら強くなりゃいいだろこのボケナギがっ!」

 

「あぶろっ!?」

 

ナギがその顔面に強烈なストレートを食らって吹き飛ぶ。見れば、いつの間にかやってきたラカンがそこにおり、どうやら彼がナギをおもいっきりぶん殴ったようだ。横には詠春の姿もあった。

 

「な、何しやがる!」

 

吹っ飛んでいったナギが、叫びながら戻ってくる。すると今度は詠春が、

 

「分からないのか……この大馬鹿ナギがっ!」

 

「へぶっ!?」

 

詠春が青筋を立てながら、神鳴流『斬岩剣』をぶちかました。再び吹き飛ぶナギ。

 

「な、な、何すんだよ詠春まで!?」

 

「それはお前の胸に聞いてみろ!」

 

「はぁっ!? 何わけの分からねぇこと」

 

「やれやれ、儂の弟子はとことんバカじゃったようじゃの」

 

「ああ、全くだ……」

 

背後からの声。見ればゼクトとガトウがそこにいた。

 

「どういうことだよお師匠様まで……」

 

「儂も耄碌(もうろく)したかの……こんな阿呆を弟子にしてしまうとは……」

 

ゼクトの一言に、ナギもさすがに驚く。バカだなんだと言いつつも、自分のことを師匠として誇りに思ってくれていた彼から、そんなことを言われたのだから。

 

「お、お師匠様……」

 

「ケッ、俺もこんなヤローをライバルだなんて思ってたなんざ、一生モンの恥だ」

 

ラカンがそんなことを言う。はじめは敵同士であったが、戦ううちに気が合い、共に戦う仲間であり、好敵手でもあったラカンが。

 

「皆……なんでそんなこと言うんだよ……!」

 

「まだ分からないのか!!!」

 

詠春が、ナギの胸ぐらをつかみ叫ぶ。恐ろしいほどの怒気と気迫は、ナギですら一瞬怯んでしまった。

 

「お前は……お前は何のために仲間がいると思ってる!!!」

 

言われて、ハッとする。自分を弱いといった、先程の言葉。それがどれだけ仲間を傷つける言葉であっただろうと。

 

詠春は、なんだかんだ言いながら自分を信頼して一緒に来てくれた。

 

アルビレオもそうだ。こんな自分にここまで付いて来てくれたのだ。

 

ラカンは、自分をライバルだといって自分を認めてくれた。

 

ゼクトは、未熟な自分を鍛えてくれた。弟子は取らないと豪語していたはずなのに。

 

そしてガトウは、戦争を終わらせるために自分を、そして皆を信じて仲間となった。

 

ナギの言葉は、そんな彼らを蔑ろにするような言葉に他ならなかった。

 

「お前が言った言葉は俺達を、俺達の心を裏切るものだったんだぞ……!」

 

「………」

 

「お前には、お前にはこんなにも仲間がいるというのにだ!」

 

「でも、俺は……!」

 

弱い。そう、言葉に出しそうになって飲み込む。言葉にすれば、それこそ自分はただの弱虫だ。

 

「さっきも言ったろ。弱ぇんなら、強くなりゃいいだけだ」

 

「落ち込んどる暇など無かろう、そんなことでは奴らには届かんぞ」

 

「俺はお前が強いから仲間になったんじゃない。お前なら、やってくれると信頼してこの命を預けたんだ」

 

「……お前はほっとくと危なっかしいからな。最後まで付き合うぐらいはしてやるさ」

 

「皆……」

 

皆が、思い思いの言葉を向けてくれる。自分が立ち上げた『赤き翼』のメンバーたちが、自分を勇気づけようとしてくれている。

 

「ナギ」

 

アルビレオが、ナギの手を取る。

 

「私たちは、貴方を支えるには足りませんか?」

 

友の言葉。ナギの視界が段々と歪む。頬を暖かなものが流れ、それが涙だと気づく。

 

「んなわけないだろっ……! 皆……、皆俺の最高の"仲間"なんだからよ……!」

 

鼻声で、言っていることが上手く伝わっているかわからない。それでも、気持ちだけは伝えたかったし、彼らはきっと分かってくれただろう。何故なら、彼らこそ『赤き翼』の仲間たちなのだから。

 

 

 

 

 

「ま、とりあえず元の超バカナギに戻ったか」

 

「んだとコラ! つーかよくも殴ってくれたな!」

 

軽口を言いつつ、ナギとラカンは睨み合う。

 

「フフ、ようやくいつもの調子が戻って来ましたね」

 

ナギの様子を見て、アルビレオはいつもの微笑みと眼差しを向ける。

 

「おうよ、もうくよくよすんのはやめだ」

 

明るい、見る人を不思議と引き付けるそんな笑みを見せる。

 

「『英雄』か……だったらなってやろうじゃねぇか……」

 

拳をグッと握りしめ、天に向かってそれを掲げる。

 

「首洗って待ってろよ、『闇の福音』。今度は、おもいっきりぶん殴ってやるぜ!」

 

決意を胸に、少年は『英雄』の道を突き進む。頼もしき仲間たちとともに。



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第七話 彼らと彼女(前編)

彼らと彼女。始まりは同じ。
しかし、そこに善悪が加わった時。
決して相容れぬ見えない溝がそこにはある。


あれから半年。『赤き翼(アラルブラ)』が連合から指名手配され、各地を転戦していた時。エヴァンジェリン一行は未だ帝国に滞在し、水面下で戦力を整えていた。

 

「いらっしゃいませー♪」

 

……ウェイトレスをしながら。

 

「マスター……なんで態々こんなことを? 私も傭兵なりやれば簡単に稼げるじゃないですか」

 

ウェイトレス姿のアスナが、客としてやってきたエヴァンジェリンに聞く。

 

「そういう発想になる辺り、お前も大分一端の悪党になってきたようだな。だが、まだまだ見通しが甘いぞ。傭兵というのは実力主義、出る杭は打たれるし有名になればそれはそれで隠れて稼ぐことが困難になる。こういった地道な積み重ねが重要なのだ」

 

この職に就く前のアスナは鍛錬を中心としていたのだが、最近は彼女も実力がついたため、こうして表向きはまともな仕事をしつつ、彼女を世間に慣れるようにしてもいるのだ。エヴァンジェリンはその裏で日の当たらぬところで取引などをし、資金集めや人脈作りを行なっている。

 

「でも、鈴音は別の仕事してる……」

 

同じく世間知らずというならば、彼女もある種負けてはいないだろう。なにせ、彼女はエヴァンジェリンに出会うまでは、強盗や殺人をしながら生きていたのだから。基本的な社会的知識はあれど、まだまだ常識を覚えてはいないのである。

 

「あいつは必要以上に喋らないから接客に不向きだ。大体、魔法で顔を変えて働かせようにもあいつの能力のせいで無理だ。この前の挨拶で皆顔が割れているのだからな。帝国でも連合でも働かせられんよ」

 

そう言いながら、紅茶を一口含む。今のエヴァンジェリンは、幻覚魔法を用いて見た目を20歳程のグラマーな姿になっており、とても見目麗しい。

 

「それなら、私だって大した変装もせずにこうして働いてるんですけど」

 

一方アスナはといえば、姿を変えずに髪を下ろし、伊達眼鏡をかけただけである。顔は態度同様不満気で、しかし人形のような彼女のその仕草はとても愛らしい。そんなアスナの頭を撫でて宥めながら、エヴァンジェリンは続ける。

 

「所詮、意識の外にある相手は例え指名手配犯であろうとそう簡単には気づけんのさ。少し格好を変えるだけで記憶の像と結びつけるのは難しくなる」

 

長年追われる生活を続けてきた彼女にとっては、そういったことは朝飯前だ。加えて、鈴音と出会ってから彼女は人間に興味を示し、様々な書物を紐解いて貪欲に知識を得た。

 

何度も辛酸を嘗めさせられた人間が強いのは、数の利や魔法技術の高さもあるが、何より吸血鬼である自分より圧倒的に弱いということを自覚した上で、対抗策を講じる強かさにあると睨み、彼らの叡智を学び取ろうと数年間、人間に擬態して近くでそれを学んできた。

 

「心理学、というんだったかな。こういった分野を専門とするのは。なかなか面白いぞ」

 

「……マスター、さすがにあまり話し込むとマズいので注文をしてもらえますか」

 

「む、それもそうだな。今日のおすすめは何だ?」

 

訝しげな顔をしたアスナに言われ、これ以上は営業妨害になるなと判断したエヴァンジェリンは、メニュー表を開いて眺めながらそんなふうに尋ねる。

 

「今日は、新鮮な川魚が手に入ったそうですよ」

 

「ほほぅ、たまには魚も悪くない」

 

 

 

 

 

「……任務、完了……」

 

「ご苦労。いやはや、優秀な人材を得られて私も嬉しいよ、薫ちゃん」

 

場面は変わり、ここは独立学術都市国家、アリアドネー。そこに、彼女はいた。

 

「しかしまあ、その歳でこれほどの腕前とは……驚異的といえるな」

 

「……では、私は……これで……」

 

「うん、ご苦労」

 

挨拶を軽く済まし、部屋から出て行くスーツ姿の少女。それを見送るのは、この部屋の主にして彼女を雇っている人物。アリアドネー議会議員、カットラース・オサフネ議員だ。

 

「あれが、私の父の故郷の人間か……。物静かで自己主張が弱く、流されやすい民族だと聞いていたのだが。まあ少なくとも、彼女には流されやすい所は当てはまらんな」

 

彼の父親は旧世界の日本の出身で、この世界に魔法を学びに来た流浪の呪術師であった。彼の魔法に対する飽くなき探求と姿勢はアリアドネーでも高く評価され、後にある研究を完成させた際に名誉ある賞を受け、近年でも特に優秀な人物として今現在でも有名である。

 

(そんな父が母を娶り、そして私が生まれたが……。冴えない父に似ず、肝っ玉の強い母に近い容姿と性格となった私から見ても、あれほど肝の座った少女を見たことがない)

 

一方母親は、このアリアドネーで最も赤子を取り上げたベテランの産婦人科医師であり、周囲からはできる女医として認識されていた。父との出会いは最悪であったそうで、出会って数分で彼女からビンタを貰ったそうだ。どういう経緯で結婚まで至ったのか不思議でならない。

 

そんな二人に囲まれて育った彼は、人の役に立ちたいという理由で議員を目指し、頭脳面を父から、精神面を母から鍛えられ、現在では議会でも若輩ながら腕の立つ若手として弁舌を揮っている。

 

今回彼女、薫を雇ったのは、彼女のアリアドネーで知る人ぞ知る文武両道の才女という評判に興味を持ち、彼女に会ってみたのだが。その対面の際に彼女に雇って欲しいと、短いながらはっきりと圧力さえ感じる言葉で頼まれたのだ。

 

彼は少し気圧されながらも彼女の優秀さを買って、秘書見習いとして雇った。正直に言えば、彼女以外で専属の優秀な秘書がいたため雇うことに抵抗があったのだが、彼女の目を見て頑として譲らないと悟ったために、彼女を見習いとして雇うことにしたのだ。

 

最初は慣れない職場と無口さで、かなり浮いてしまっていたのだが。数日で場の空気に溶け込み、先輩秘書からの助言であっという間にひと通りのことが出来るようになった。

 

(流石に書類仕事までは手を出していないが、まさかここまで仕事をこなすとは……)

 

優秀なのは分かる。父の祖国の者は口よりもまず手を動かす特色が強い、いわゆる職人気質の者が多く、また仕事に熱心であるとも聞いた。だが、彼女ははっきり言って異常だ。僅か10歳かそこらの見た目をした少女が、秘書として何の違和感もなく仕事を淡々とこなしている。

 

時折、数日休みをとることも気にかかる。彼女がいなくとも、他の秘書がいるため別に困るなどということはないが、どうにも引っかかる点が多い。

 

(……彼女の身元を調べるべきか……?)

 

一瞬そんなことが頭を過り、次の瞬間にはそれを思考から消す。彼女が何者であるかを調べようとした人間は、尽く謎の死や失踪を遂げている。第一、学ぶ意志さえあれば犯罪者だろうと迎え入れるアリアドネーでそういった行為はナンセンスにほかならない。

 

(……まあ、彼女が有能なのには変わりない。暫くは様子を見ましょうか)

 

執務室の重厚な椅子の背もたれに体を預け、天井を見上げながら、彼は次の議会でどうするかを考え始めた。

 

 

 

 

 

【仕事はどうだ、鈴音】

 

カットラースの事務所を後にし、街中を当てもなく彷徨っていた時。薫、いや鈴音に主人からの念話がかかって来た。今の姿は眼鏡に三つ編みの地味めな姿であり、灰色のスーツがそれに拍車をかけている。

 

【……順調……です……】

 

【そうか。……感づかれてはいないだろうな?】

 

【……議員は、予想より……優秀……でした……】

 

エヴァンジェリンの問に、鈴音はそう返答した。エヴァンジェリンという、長き時を生きた老獪な思考を有する人物に教育され、アリアドネーで知識を貪欲に吸収し。実戦では鬼神の如き殺戮を見せる鈴音が、悪くないと評価を下す。

 

感情表現をあまりしっかりと見せない彼女は、その実本質を突く言葉をよく発言したり、過小評価も過大評価もしない物言いが多い。そのため、彼女に一定以上の評価をされる者は、総じて優秀な者が殆どだ。

 

【ふふ、そうか。アリアドネーにも英雄足りえる人物がいたか】

 

鈴音が彼に接近した最初の理由は、中立国家であるアリアドネーの動向を調べるためと、政治というものの知識をある程度経験とともに得るため。その目的自体は、既に書類仕事以外をこなしているためほぼ達成しているといえよう。

 

だが、彼を見ているうちに少しずつだが興味が出てきたのだ。若く、清廉な精神を持つ彼は、政治家として英雄足りえるのではと。

 

【お手柄だぞ、鈴音。これでまた、私達の目的を達成する可能性が増えたな】

 

【……ありがとう、ございます……】

 

エヴァンジェリンから褒められ、いつもであれば嬉しそうにする鈴音なのだが。

 

【どうした鈴音。妙に元気が無いじゃないか】

 

【……マスターに、撫でてもらえない……】

 

【あー……】

 

そう。これはあくまで念話越し。いつものようにエヴァンジェリンに撫でてもらうことができないのだ。以前は別になんともなかったのだが、最近はアスナも増えたせいで彼女に構っていることが多く、鈴音は少し寂しくなっているのだ。

 

【ま、まあ帰ったら撫でてやるから我慢してくれ……】

 

【……チャチャゼロも……】

 

【オレモカヨ。シャーネーナ】

 

チャチャゼロからの許可もおり、思わずガッツポーズをしてしまう。

 

【……あまり先のことを夢見て仕事を疎かにするなよ? あと1ヶ月は会えんのだからな】

 

【……いけず、です……】

 

 

 

 

 

夕方。この時間帯はアリアドネーの市場が最も賑わう時間帯だ。夕飯の準備をするため、鈴音もこの市場へとやってきたのだが、今回の目玉商品と事前に告知されていた目当ての魚が手に入らず、仕方なく別のものを探している。

 

「……? …………これ」

 

「おお、嬢ちゃんまた来たのか。つーかまたいいものに目をつけたな、そいつはアリアドネーでもめったにお目にかかれない珍味さ」

 

「……蠢いてる……」

 

行きつけの店にやってきた時、まっさきに目についたもの。それは壺の中に入っており、軟体の足を中で蠢かしている生物。見た目的には(タコ)に近いが、足は八本ではなく十六本。

 

「バイダーコって名前でな、蒸してよし、焼いてよし。生でだっていけるぜ?」

 

「……倍蛸?」

 

珍妙な名前に、首を傾げる鈴音。実にシュールである。というか、蓋を開けっ放しにしていたせいで、バイダーコがいつの間にか壺から這い出て鈴音に纏わりつこうとしていた。

 

「げっ!?」

 

「シャギャアアアアアア!」

 

「……倍蛸が、鳴いた……」

 

そんな鈴音の呟きの次の瞬間。バイダーコは鈴音の顔面にへばり付き、ガッチリと頭をホールドした。こんな状態でも身動き一つとらない彼女も彼女だが。

 

「やべぇ、窒息しちまう!」

 

店主が必死に剥がそうとするが、張り付いた吸盤が強力で一向に剥がれる気配がない。一方鈴音もそろそろ鬱陶しくなってきたので剥がそうかと考えていたのだが。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

聞こえてきたのは、若い男性の声。少年に分類されるであろうその声の主は、鈴音の顔に張り付いていた軟体動物を。

 

「い、居合い拳!」

 

殴り飛ばした。……鈴音ごとだったが。

 

「あ……」

 

吹っ飛ぶ鈴音。そのまま、あろうことか頭から落下してコマのごとく回転しながら直進し、そのまま市場の中央である噴水にダイブしていった。

 

 

 

 

 

「本当にすみませんでした!」

 

「……気にしていない」

 

夕闇が辺りを包みだした頃。二人の少年少女が並んで帰路についていた。一人は、少年に吹き飛ばされた鈴音。今の彼女は露天で購入した質素な緑のTシャツだ。カジュアルチックなそれの代金を出したのは、もちろん鈴音の服を水浸しにした少年の懐から。

 

アリアドネーでの彼女はスーツ姿であり、着物でなかったのが幸いだった。もし彼女が、アリアドネーで身元バレがしないように着物以外を着用していれば、少年の支払った代金は倍額以上となったであろう。

 

「……貴方は未熟……あの程度は、私には効かない……」

 

「うう、怪我がなくてよかったんだけど、女の子一人にあの程度って言われるなんて……」

 

一方の少年は、凛々しい顔つきをしていながら、何故か情けない雰囲気を醸し出している。スーツ姿という、少年の年齢には似つかわしくない服装は、しかし彼をアンバランスに見せず、自然な出で立ちを見せている。

 

「師匠にもっと厳しくしてもらうべきかな……」

 

「……頑張れ……」

 

鈴音の励ましの言葉にも、苦笑いを浮かべることしかできない少年。ふと、彼は思い出したように鈴音に質問を浴びせる。

 

「あの、そういえばまだお名前を聞いてませんでしたね。僕は、高畑・T・タカミチ。タカミチと呼んでください」

 

「……灘淵、薫……」

 

「カオルさん、ですか。お名前からして、『旧世界』の出身の方ですか?」

 

「……日ノ本……」

 

「やっぱり! 僕の師匠の友人が、そこの出身なんですよ!」

 

楽しそうにしゃべる少年と、それに相槌を打ちつつ淡々と答える鈴音。一方的に話しているだけのようにも見えるが、生来から無口の鈴音がここまで他人と言葉をかわすのは、むしろ珍しい光景といえる。

 

「その人がとっても強くて……一緒に戦っている人たちも凄い人ばかりで、僕もいつか、あんなふうになれたらなって、ちょっと夢見がちですけど……」

 

「……努力……」

 

「そうですね……今は、努力あるのみです。僕、まだまだ弱いですから」

 

そんな時。

 

「なんだ、遅いと思ったらこんなところで油を売っていたのか?」

 

背後から、少年のものと思しき声が。振り返ってみれば、そこにいたのは、眼鏡を掛け、やや生意気な印象を感じさせる、タカミチと同年齢程度の少年の姿が。

 

「クルト! いやーよかった、実は道に迷っちゃってて!」

 

「馬鹿が! だからふらふらとあっちこっちに行くんじゃないといっただろうが! というか、その女の子は何だ! ナンパでもしていたのか!?」

 

「いやいや、ちょっとしたトラブルを起こしちゃってさ、お詫びに家まで送ってあげようと……」

 

「トラブルとは何だ! どうせ街のゴロツキ相手に喧嘩でもやらかしたんだろう!」

 

ぎゃあぎゃあとやかましく捲し立てる、クルトと呼ばれた少年。一方のタカミチ少年は、飄々とした雰囲気で笑いながら言葉を交している。

 

「……仲、良し……?」

 

「違いますよ!? こんないい加減な奴と、誰が仲良くなんて……!」

 

「おいおい、酷いじゃないか! 僕達友だちだろう!?」

 

「ええい、そんなものはお前が一方的に思っているだけだ!」

 

鈴音の一言を聞き、ますます会話がヒートアップする。友達であると必死に訴え、仲直りをしようと握手という手段に出たタカミチ。そしてそれを露骨に嫌がり、威嚇した様子で彼を睨みつけるクルト。そしてそれを、無機質な目で見つめ続けている鈴音。

 

「だいたいだな! 僕はお前が気に喰わないんだ! いけ好かないへらへらとした笑いをして!余裕でも見せてるつもりか!」

 

「ちょ、そこまで言わなくてもいいだろう! 僕だってわざとやってるわけではないんだぞ!」

 

「……やっぱり、仲良し……」

 

彼らの会話を聴き続け、鈴音は再び同じ感想を口にしたのだった。

 

 

 

 

 

「まったく、そうならそうと早く言え」

 

「話を聞かなかったのは、ソッチのほうだろうに……」

 

「ぐ……それは悪いと思っているが、お前もお前だろう。勝手に市場を見に出て行って、挙句トラブルを起こしたんだからな!」

 

「ううん、そこを突っ込まれると痛いなぁ……」

 

ポリポリと頭を掻きながら、そんなふうに呟く。鈴音はといえば、少年二人の前を興味なしといった風にマイペースに歩いている。

 

結局、先程出会った少年、クルト・ゲーデルも、タカミチと一緒に鈴音を送っていくことにしたのだ。さすがに、近いからといって夕方以降は暗くなる裏通りを、女性だけで歩かせるのは危険だと判断したからである。

 

「それにしても、何なんだあの女の子。どこか、不思議な感じがするが……」

 

「そうそう。彼女って何かさ、ミステリアスな雰囲気があるよね。なんでも、詠春さんと同郷の人らしいよ」

 

「師匠の……なるほど、どうりで似通った雰囲気があるわけだ……」

 

「僕の、未熟だとはいえ居合い拳を受けても、傷一つなかったんだよ」

 

「お前が弱いだけじゃないか? ……って今聞き捨てならない事を聞いた気がしたんだが?」

 

クルトが、鬼の形相でタカミチを睨みつける。その気迫に、さすがのタカミチ少年も思わず顔を逸らしてしまう。

 

「おい、詳しく話してもらうぞ……」

 

「や、やだなー。僕がそんな……」

 

「やらかしてないとは言わせんぞ……!」

 

このタカミチ少年。礼儀正しい性格の割にしょっちゅうトラブルを起こすことがあり、その度にクルト少年は胃を痛めている。同年齢で、孤児として拾われた時期も近い身としては、余計なことをして彼らの、ひいては彼女の手を煩わせるようのことを仕出かすタカミチが、クルトはどうにも気に食わなかった。

 

「あはは……。あ、そういえば、王女さまの救出は成功したのかな?」

 

「……仮にもアリカ王女が信頼している人達なんだ、今頃はもう助け出した後だろう」

 

「僕らじゃ戦力なんてならないからね。今は帰りを待つしか無い、か」

 

「……僕らは、いつになれば認めてもらえるんだろうな……」

 

クルトのそんな言葉に、笑みを浮かべていたタカミチも、笑みをやめて少し暗い雰囲気になる。

 

「仕方ないさ。僕たちは元々、無力な孤児だったんだ。むしろ、『赤き翼』に拾ってもらえた事自体、奇跡的なことだろう?」

 

「……分かっている。分かってはいるが……!」

 

その先を言おうとした時。二人の頭に鈍い痛みが走った。

 

「「あだっ!?」」

 

痛みで思わず頭を抱えて屈む二人。涙目で見上げてみれば、そこには彼らが送っていた少女の姿があった。

 

「な、なんですかいきなり!?」

 

「……弱さを……理由にしては、駄目……」

 

「な、なにを……」

 

「……諦めた時、大切な人は……死んでしまう……」

 

その瞳には、奈落に落とされた者が放つ、黒く鈍い闇の輝きがあった。そんな彼女の視線を見て、タカミチは言葉を発することができなくなってしまう。しかし、クルトはむしろそんな彼女の言葉に、ひどく苛立ちを覚えた。

 

「貴女に……一体何がわかるというのですか!」

 

思わず、強い口調で言ってしまう。普段他人には礼儀正しく彼が、だ。それほどまでに、鈴音の言葉は彼の負の部分に触れてしまったのだ。

 

「…………」

 

「理不尽に親を奪われ! 拾い上げてくれた人の恩に、報いることさえできない! 貴女に、そんな無力さが分かりますか!?」

 

慟哭。彼の、嘘偽りのない飾りっけの一切ない本音。感情的になったためか、彼の目からは光るものが流れ出ていた。

 

「……分かる……」

 

「分かるわけがない……。貴女に、分かってたまるか! 今思い出しましたよ、貴女はアリアドネーでも注目されている天才で! 若いながらやり手の議員であるカットラース議員の秘書として働いている! 誰かに必要とされている貴女に、僕の気持ちなど……!」

 

次第に、彼の口調に熱がこもる。孤児として死に怯え、誰からも必要とされないまま死んでしまいそうになる恐怖。それは、同じ境遇であったタカミチも同様だろう。そんな極限状態は、経験したものでなければ分かるはずがない。だが、彼女は首を横に振った。

 

なぜなら。

 

「……私も、かつてそうだった……」

 

彼女もまた、そうであったからだ。

 

 

 

 

『鈴音。お前はただの刃でいい……。奴らを屠殺するための、ただの牙でいいのだ……!』

 

『鈴音! 逃げなさい! お前を、お前を奴の道具になどさせるものか!』

 

『鈴音……私の……娘……』

 

『は、はは……所詮、俺にお前は御せんか……バケモノめ……』

 

血にまみれた記憶。かつて、エヴァンジェリンと出会う前。彼女は一人となった。

 

父がいた。しかし死んだ、己の目の前で。

 

母がいた。彼女も死んだ、己を抱きかかえて。

 

友達がいた。彼もまた、己を守らんとして死んだ。

 

みんなみんな、死んでしまった。彼女だけを残して。

 

歪な彼女だけを、世界に一人きりにして。

 

彼女は、世界の脆さを知っていた。彼女は、諦めたがゆえに失った。

 

故に。彼女は諦めきれずに、殺し続けた。

 

そして、彼女は出会い。今ここにいる。

 

 

 

 

 

「……私を、必要としてくれる人……マスターが現れるまで……私は、死んでいた……」

 

「…………」

 

「……私は、かつて諦めた。……そのせいで、皆死んだ……。……父さんも、母さんも……」

 

「そんな……」

 

彼女の言葉に、クルトとタカミチは驚く。何より驚いたのはクルトだ。散々、自分のことなど分かるまいと暴言をぶちまけた少女こそが、彼らと同じ道程を歩んだというのだから。

 

「……私は、その時一度死んだ……。……死にながら、今度こそ諦めきれずに……彷徨った」

 

彼女は淡々と話す。だが、その言葉の一つ一つには確かな重みがあった。無口で感情を見せない少女の言葉の端からは、感情の篭った何かが見えた。

 

「……それでも、最後はまた、……諦めようとした……」

 

「でも、諦めなかったんですよね?」

 

「……そう。……私は、マスターに……出会えたから……必要と思ってくれる人に……」

 

「必要と思ってくれる人、ですか……」

 

タカミチは思い出す。かつての自分の父母のことを。彼らは、こんな無力さを感じるちっぽけな自分を、大切に思ってくれた。『赤き翼』の彼らもまた、打算などなしに自分たちを拾い、

鍛えてくれた。そこに、使える使えないなどといった考えなどあっただろうか。

 

「……あなた達にも、いるはず……。……必要だと……思ってくれる人……」

 

「……そう、でしたね……」

 

クルトもまた、思い出す。『赤き翼』の面々と、淡い恋慕を抱いた彼女を。彼女の笑顔に、いるいらないなどといった、下らない感情などあっただろうか。

 

「……大切なのは、諦めないこと……。……諦めずに、必要としてくれる人を……信じる心……」

 

孤独を味わった彼らは、孤独を癒してくれた人のために、必要としてくれた人のために。努力し続けたのではないか。ならば、ただ嘆くだけではそれこそただの恩知らずではないのか。

 

「……薫さん」

 

「……?」

 

「ありがとう、ございます」

 

クルトが、照れながらも鈴音に感謝の意を示す。その様子を見て、鈴音は優しく微笑みながら。

 

「……頑張って……」

 

そんな彼女の言葉に照れたのか、クルトはそっぽを向いてしまう。その様子を見たタカミチも

笑みを浮かべ、鈴音に頭を下げる。

 

「僕からも、言わせてください。ありがとうございます、おかげで、まだまだ僕達が未熟だと理解することができました」

 

「……別に……大したことは……言ってない……」

 

「いやぁ、僕達も思うところがあったんですよ。だから、本当に感謝して」

 

彼が再び彼女に感謝の意を示そうとした時。

 

「おやぁ? 目的の人数より一人多いじゃあないか」

 

夕闇に紛れ、魔が這いずり出る。

 

 

 

 

 

「っ! 馬鹿な、こんな街中に悪魔の集団が!?」

 

「……クルト、目的はどうやら、僕達みたいだ」

 

「ご名答。花丸でもあげようかね?」

 

ゲラゲラと笑う周囲の悪魔。いつの間にか囲まれていたらしく、十数もの影が見える。ほとんどは下級の悪魔のようだが、目の前で余裕ぶっている悪魔だけは別格だ。

 

「こんばんはぁ。とある組織の命令で呼び出された悪魔で、フランツ・フォン・シュトゥックと申します。一応、子爵の位は持ってけど、没落してるから気にしないでいいよぉ」

 

「爵位級悪魔……! 上位悪魔か!」

 

爵位持ちの悪魔となれば、その実力は有象無象の悪魔とは一線を画す。悪魔の中でも高い実力を有し、たった一人で熟練の魔法使い数人を相手取れるほどだ。

 

「『赤き翼』のタカミチ、それからクルト君だねぇ? 私と一緒に来てくれれば、悪いようにはしないかもねぇ?」

 

「断る! どうせ僕達を人質にするつもりだろう!」

 

「分かってるようで何よりさぁ。で、も。そこの女の子はどうなるかなぁ?」

 

そう言って、鈴音の方を指さすフランツ。二人は彼女の実力を知らないが、とてもではないが爵位級悪魔を相手にできるとは思えない。

 

「その子を守りながら戦うなんてさぁ、無理だよねぇ? まして、君たち程度が私に敵うなんて、夢見てくれないほうが楽でいいんだけど?」

 

奥歯を噛み締め、悔しそうにするクルト。タカミチも、この状況でどうすることもできない自分に腹がたった。

 

(また僕は、自分の無力さを痛感しなければならないのか……!)

 

悔しい。いいように言われることが。このままおとなしく捕まるしか無いといった状況が。だが、どうすることもできない自分が、最も恨めしかった。

 

「また……諦めようと……している……」

 

「っ!」

 

気づけば、少女がタカミチの隣までやってきていた。そして彼女の言葉で、彼は先程の会話を思い出す。

 

『……大切なのは、諦めないこと……』

 

(そうだ……何を弱気になっているんだ僕は! まだ、なにもしてすらいないじゃないか!)

 

悔しさで握りしめていた拳を、再び握り締める。今度は、戦う意志を貫くために。

 

「クルト……」

 

「……ああ。不抜けていた自分を殴り飛ばしたくなる……!」

 

クルトも、鈴音の言葉を思い出し。戦う意志を見せたようだ。

 

「薫さん、僕達が時間を稼ぎます……その間に逃げて下さい!」

 

「周囲の雑魚は任せるぞタカミチ! 僕は奴を足止めする!」

 

「なんですかぁ? 戦意を無駄に復活させて……。お姫様救うナイトにでもなったつもりか糞ガキィ!」

 

抵抗する意思を見せた二人を見て、気味の悪い笑みを浮かべたままであったフランツが突如豹変する。面倒を増やされたことが気に食わなかったらしい。

 

「薫さん、早く!」

 

ジリジリと後退しつつ、周囲の悪魔に警戒する二人。これ以上時間をかければ、完全に包囲されてしまって逃がすことができなくなる。だが、彼女は。

 

「……いい。私も……戦う……」

 

「無茶だ! 爵位級悪魔に、下級とはいえ魔の存在が十数もいるんだぞ!」

 

「……あれぐらい……大したことは、ない……」

 

クルトの警告も虚しく、彼女はフランツの前へと出て行ってしまう。

 

「あぁ? 何だおい、テメェには用はねぇんだよ。下級の奴らにおとなしく捕まっとけ」

 

「……久しぶりに……斬り応えがある……」

 

彼女の言葉に、フランツは大声を出して笑う。

 

「キッハハハハハハハ! 斬るだぁ? この、フランツ・フォン・シュトゥックをか?ナメんのも大概にしろや。第一、刃物もねぇのにどうするってんだよ?」

 

「……これ……」

 

そう言われて、彼女が差し出してみせたのはなんと右手。その手は、手刀の形をとっていた。

 

「……あーもう決めたわ。てめぇ……ブチ殺す!」

 

彼女の行為にフランツの怒りは頂点を迎え、恐るべき速度で彼女に飛びかかる。

 

「死ね! 『悪魔の鎌足』!」

 

真空波を纏わせた、食らうものを徹底的に切り刻む無慈悲な鎌。それが彼女に直撃する寸前。

 

「『懐刀(ふところがたな)』」

 

彼女はすでに攻撃を完了していた。



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第七話 彼らと彼女(後編)

「ぎ、いやああああああああああああああああああああ! 私の足がぁ!?」

 

僅かの間の出来事。誰も、目にすることができず、誰も動くことさえ出来なかった。彼女が何かをしたということだけは分かったが、見える結果はあまりにも不可思議。

 

「な、何が起こったんだ!?」

 

「……見えなかったんだ。僕達に、見えないほどの速度で彼女は何かをしたんだよ……!」

 

足を切断され、痛みで叫び続けるフランツ。そんな彼の様子を見て、動揺を見せる悪魔たち。

 

((チャンスだ!))

 

これぞ好機とばかりに、彼らは下級悪魔目掛けて渾身の一撃を繰り出す。

 

「全開・居合い拳!」

 

「喰らえ! 神鳴流……極大『斬魔剣』!」

 

それぞれの攻撃は、周囲を塞いでいた悪魔たちを一斉に吹き飛ばす。面食らった悪魔たちは、パニックになってそのまま逃げ出そうとし始める。

 

「お、おいこら! 私の命令も無しに逃げるんじゃねぇ!」

 

「……懐刀……」

 

「グエッ!?」

 

片足がなくなり、覚束ないながらも立って逃げ出す悪魔たちを叱責しようとしたが、鈴音はその隙を逃さず彼の上半身と下半身は泣き別れとなった。

 

「……足りない……」

 

「ひ、ひいいいいいいいいいいい!」

 

彼女の、あまりにも人間離れした雰囲気に流石のフランツも恐怖し、萎縮してしまう。

 

「さんざん威張っていた割に見かけ倒しか……」

 

クルトが侮蔑の眼差しで彼の見下ろす。実際には、彼も上位悪魔相応の実力があるのだが、鈴音の実力が遥か上だったのと、彼女を舐めてみていたのが悪かった。クルトの刃が彼の喉笛に突き刺さり、そのままフランツは向こう側に送り返された。

 

「……諦めなかったからこそ、勝つことができた……かな」

 

「……そうだな」

 

未だ、実感がわかない。フランツを倒したのは彼女だが、この状況を切り抜けるために諦めなかった自分たちの意志は本物だ。そして、あれほどの数の悪魔を吹き飛ばし。困難な状況を覆すことができた。

 

「……僕達も、少しずつだけど強くなってるんだ」

 

「ああ、今回はいい経験になった。……薫さん、少し聞きたいことがある」

 

「……何……?」

 

「先ほどの攻撃、あれは一体何をしたんですか?」

 

未だ残る疑問。素手の鈴音がいったいどうやって、高速で接近するフランツの足を斬り捨てたのか。

 

「……素手、で……」

 

「本当に、なのですか?」

 

再度入念に聞いてみるが、彼女は頭を縦にふる。即ち肯定だ。

 

「馬鹿な……生身で魔法も使わず上位悪魔を相手にあれほどの攻撃を? あれほどのことが神鳴流以外でできるとは思えないが……」

 

何やら納得いかないといった風にブツブツと小声で喋り始める。そんな彼の様子を見て、タカミチは苦笑いを浮かべつつも、彼の代わりに更に質問をしてみる。

 

「ええと、僕からもいいかな?」

 

再び肯定を示す頷き。

 

「……その技、僕でも使えないかな?」

 

「ブツブツ……っておいタカミチ、お前にはガトウさんがいるだろ。あれほどの達人に師事してるっていうのに不満だって言うのか?」

 

「いや、そうじゃないよ。僕も、もう少し貪欲にやってみようと思ってね。彼女の技なら、接近されると厳しい居合い拳と相性は悪くなさそうだし」

 

「……あれは、私ぐらいしか……使えない……」

 

彼女の言葉で、少し落胆した表情となるタカミチ。一方、クルトは彼を一瞥した後再び思考を埋没させていった。

 

「……腹が、減った……」

 

既に日が完全に没し、薄暗い裏通りを抜けた3人の目の前を、明るい街灯が出迎えた。

 

 

 

 

 

あの出会いから、彼らは度々出会っていた。最初に再会したときは、彼女の実力を知りたがった二人に連れられ、アリアドネーの運動施設で模擬戦闘をしたのだが。たとえ素手であっても、エヴァンジェリンに鍛えられた彼女はあらゆる不利な状況での戦闘を想定し、それをこなしてきている。

 

本気でかかって来た二人を相手に、ちぎっては投げちぎっては投げ……。結果、施設がボロボロになったうえに彼らを見ていた面々も巻き込まれ、厳重注意を受けた。それでも入場禁止にせず、数日でより頑丈に復旧させた向こうも凄いが。

 

そして、彼女の実力に見込んで鍛えて欲しいと懇願されたが、彼女は誰かに稽古をつけた経験など無いため最初は断った。それでも諦めなかったので仕方なくこれを了承。代わりに、彼女のことはあまり詮索しないようにすることと、彼らのもつ戦闘技術をある程度見せて貰うことで手打ちとした。

 

「……踏み込みが、甘い……」

 

「ぐぅっ!?」

 

「……体重が、乗ってない……」

 

「ぐぁっ!?」

 

組手をするにあたり、鈴音は魔法を使えないことを言ったのだが、タカミチも体質的に使えないためむしろ戦い方が勉強になると言われ、クルトも近接戦闘が主であるため問題ないとしてそのまま開始。だが、実際にやってみれば魔法を使うだの何だの以前の問題だった。

 

「……基礎能力が、足りない……」

 

「ぜぇ、ぜぇ、……みたい、ぜぇ、ですね」

 

「はぁ、はぁ、くっ……ここまで差が、はぁ、あるとは……」

 

基礎が足りないのはしょうがない。彼らが師匠に師事してまだ1年も経っていないのだ。戦闘の才能はありそうなのだが、如何せん経験が足りない。

 

「……どうすれば……」

 

彼女がエヴァンジェリンを相手取れるほどの怪物的強さを有しているとはいえ、彼女自身は経験が最近まで不足していた身だ。エヴァンジェリンの過酷な修行に耐え、『魔法世界』の各地を転々として命のやり取りをし。ようやく実戦でも十分な経験を得たといえる。

 

「……マスターに、聞いてみよう……」

 

 

 

 

 

【……マスター……】

 

【鈴音か、どうした?】

 

【……実は……】

 

事の顛末を話す鈴音。念話の向こうでは、エヴァンジェリンがそれを興味深そうに聞いている。

 

【なるほど……。基礎がないのは仕方ないとして、短期で強くなりたいなら経験を積ませるほうを先にすればいい。そのほうが楽だ】

 

どうやら、修行を行うこと自体は別に問題ないらしい。ただ、問題は。

 

【……やり方が、分からない……】

 

そのやり方自体が分からなくて困っているというのが現状だ。

 

【ふむ、それもそうだな。お前はいつも私に鍛えられる側だったから、いきなり言われてもよく分からんだろう。……鈴音、一つ聞きたいんだが】

 

【……なんですか……?】

 

【お前が鍛えるなどと言う事は、期待できる人材か?】

 

【……『赤き翼』……】

 

【ほぅ、奴らのルーキーというわけか。次世代に可能性を見出すのも悪くない。どうせ私達は

そう簡単にはくたばらんからな】

 

彼女の短い返答で、彼女に言いたいことを掴む。まさに以心伝心だ。

 

【まあ、聞いた感じでは中々真っ直ぐな奴らのようだし、私はそういった青臭い奴らも嫌いじゃない。純粋であることは悪いことではないからな。それが善であれ悪であれ、だ】

 

鈴音と彼らはまだ幼く、純粋であるがゆえに染まりやすい。鈴音もエヴァンジェリンではなく、『赤き翼』に出会っていたらまた別の可能性とてあっただろう。彼らも同じだ、もし絶望のうちに出会ったのがエヴァンジェリンであったなら。彼らは果たして、清廉なる少年でいられただろうか。

 

もっとも、彼女の内なる狂気を『赤き翼』が理解できたかは別であり、袂を分かったかもしれないし、彼らもエヴァンジェリンの下で善悪の葛藤に苦しんだであろうが。

 

【お前たちは始まりは同じだ。だからこそ、まだ未熟なそいつらがどういうふうに育つかが、私にとっては楽しみであるのさ】

 

【……よく、分かりません……】

 

【善と悪は違う。だが、決して対にはならんのだよ。始まりが同じであるが故に、だ。いうなれば、善と悪は近くて遠い隣人だ。表と裏には成り得ないのさ。お前に鍛えられることで、そいつらにどんな変化が訪れるのか……試してみたくなったというわけだ】

 

【……じゃあ、私が……鍛えても……問題はない……?】

 

【ああ。むしろ積極的に扱いてやれ。『赤き翼』の奴らはどうにもまだ甘さを捨てきれてない奴が多い気がするのだ。これを機に、奴らの意識を変えさせる必要もありそうだし、そうだな……】

 

少し考えた後、エヴァンジェリンは鈴音が修行を始めたばかりの頃の内容を実行するよう促した。

 

これが、彼らにとっての地獄の始まりであった。

 

 

 

 

 

「……私が、アリアドネーに……いられるのは……あと1ヶ月……。だから……基礎がなくても、戦える……ようにする……」

 

「ぐ、具体的には……?」

 

「……殺す気でいく……」

 

「「ひいいいいいいいい!!?」」

 

エヴァンジェリンが彼女に最初の頃施したそれらは、所謂実践的形式で不足がちな経験を補う修行方法だ。殺す気とは言ったが別に、本当に殺傷するまでのことなどしない。あくまで、この修行方法は熟練者を相手にした経験値稼ぎが目的なのだ。が、鈴音がそういったところを解しているわけもなく、本当に殺す気で始めてしまった。

 

最初は殺気に慣れるところから始め、手足の内一つに重りを付けて、万が一にでも手足が欠損してアンバランスな状態でも戦闘が続行できるようにし。水中で息が切れる寸前まで組手をして、溺れて何度も死にかけたりもした。

 

こんなことばかりであるため、修行が終わればいつも二人は死屍累々と言った有様だった。鈴音もかつてはそうだったが、既に通過した道である。容赦などしてはくれなかった。

 

強固な精神力が培われれば、いざという時に多いに役立つ。恐怖で身が竦むこともなく、絶対的な差があろうとも引かない覚悟を身に付けることができるからだ。日を重ねていくうちに、彼らは少しずつ変化を見せ始めた。

 

へばってばかりであった最初の頃とは違い、半月も経てば、満身創痍でも立ち上がってみせる

気概を見せつけるようになったのだ。まあ、立ち上がったらまだ戦えると判断した鈴音に容赦なくふっとばされるのがオチだったが。それでも大きな進歩であっただろう。彼女の恐るべき殺気にも怯むことがなくなり、一端の戦士の顔つきを見せるようになった。

 

「……少しは、ましになった……」

 

「よ、ようやく少しはまし程度ですか……」

 

「僕はもう、一生分の臨死体験をした気分だぞ……」

 

「……ん、そこまでいけたなら……成果は出てる……と、思う……」

 

彼女のあんまりにもあんまりな基準の付け方に、目眩のしたクルトであった。

 

 

 

 

 

「薫さんは、どうしてそんなに強くなれたんですか?」

 

「……?」

 

ある日、修行を終えたあとの帰り道で、タカミチがそんなことを聞いてきた。クルトも隣で興味深げに聞いている。彼の突然の質問に、わけがわからないといった風の鈴音。そんな彼女を見て、タカミチはアハハと苦笑いを浮かべる。

 

「ええと、薫さんは僕らと同じくらいの歳なのにどうしてそんなに強いのかなって……」

 

「……父と母が……生きてた頃に……基礎を、鍛えられた……」

 

少し表情に影を落とし、そう答えた。

 

「っ! すみません! デリカシーもなくそんな質問をしてしまって……!」

 

彼女が辛い過去を経験していることは、あの日の出会いの時に感じ取っている。彼女もまた、自分たちと同じなのだということを彼らはすっかりと忘れてしまっていた。

 

「……大丈夫……今は、大切な人が……いるから……」

 

しかし、彼女はそんな彼らを責めることもなく、今はもう気にしてなどいないと言った。そのまま、彼の質問の回答を続ける。

 

「……私は、幼い頃に……訓練を受けたから……」

 

彼女の話では、父や母が存命中の時は家の方針で、5歳の時から鍛え続けられたらしい。その後、父と母が亡くなって路頭に迷った後は、今の彼女を養っている人物と出会って、生きていくために厳しい修行を施され、今の彼女があるという。

 

「……凄いなぁ……」

 

「……ああ、そして強いわけだ……」

 

聞けば、彼らが受けている修行も彼女が通った道なのだとか。二人の修業をする際、彼女はその修業をつけた人物に修行方法を聞き、彼女が最初の頃施された修行を実践してみろと言われたらしい。

 

「……私が……あの人に、出会えたのは……とても、幸運だった……。……だから、あの人の……役に立ちたい……」

 

父母の死という悲しみを幼くして経験しながら、大切な人といえる人物との邂逅という幸運も

あったが、挫けず歩んだ彼女を、二人は素直にすごいと思えた。

 

(……いつか、いつか必ず……僕も皆のために戦いたい……!)

 

(……僕も、アリカ王女のためになりたい。……もっと勉強するか)

 

二人の少年は、鈴音のその有り様からまた一つ。目標をしっかりと見定めたのだった。

 

 

 

 

 

出会いがあれば別れもある。修行を始めてついに1ヶ月。彼らとの別れの時が来た。

 

「……これで、私からの……修行は……終わり……」

 

「「ありがとうございました!!!」」

 

元気よく、そして深々とおじぎをする二人。見れば、彼らの足元には湿った土があった。

 

「……泣いてる……?」

 

「い、いえ! そんなわげな゛いじゃな゛いでずが!」

 

「そ、そうです! 泣いでな゛んが……!」

 

二人の目は真っ赤だった。無理もないだろう、彼らは孤児として『赤き翼』に拾われた。彼らは若いとは言われても、戦争に参加しているように皆大人だ。そのうえ最近では、彼らが指名手配をされて各地を転戦していたため、会うことすらできていない。『赤き翼』は連合と帝国双方から狙われていたため、アリアドネーでも近寄ってくるものなどいなかった。同年代の友人などお互いぐらいだっただろう。

 

そんな二人と近い年齢で、彼らのために態々修行までつけてくれて。同じように暗い過去を持ち、彼らのことをよく理解してくれた少女との別れは、辛いものだった。

 

「……大丈夫……」

 

「「え?」」

 

不意に、そんな言葉が重なって出てしまう二人。何故なら、彼女が二人の手をそれぞれ握り、そんな風に言ってきたからだ。

 

「……あなた達は……強い……」

 

「そんな……僕らなんてまだまだですよ」

 

「……未だに薫さんに触れることさえ出来ませんし……」

 

ネガティブなことばかりを口にする二人。鈴音は頭を横に振り、言葉を紡ぐ。

 

「……私は……弱いよ……。……今でも、乗り越えられてない……」

 

そう言って、彼女は自分の服の袖をまくる。そこには、鋭い刀傷の痕があった。

 

「っ! 薫さん、それは……」

 

「……私の、父と母を殺した……人からつけられた……傷……」

 

即ち。それは彼女にとって忌まわしき傷痕。彼女から全てを奪った者がつけた傷。

 

「……薫さんは、復讐を考えているんですか?」

 

クルトは恐る恐る聞いてみる。彼も最初は、父母を殺した相手を恨んだ。だが、後に恋慕を抱いた彼女に諭され、戦争を終わらせるべきだと考えを改めたのだ。彼女がもし、復讐に生きているのだとすれば。それはとても虚しく、哀しい生き方だ。そんな生き方を、彼女にはして欲しくなかった。

 

だが、彼女の言葉は予想を超えたものだった。

 

「……復讐は、できない……。……父と母を、殺した後……死んだ……」

 

「そんな……」

 

彼女は。父と母というかけがえの無いものを奪われながら。それを奪った相手に復讐さえできないまま死なれたというのか。あまりにも、あまりにも救いのない話に二人は呆然とする。

 

「……私は、まだあの時のことが……脳裏から離れない……」

 

彼女はかつて全てを失った。そして、今度は悪夢になって彼女を苦しめているのだ。

 

未だ癒えない傷痕を体に、そして心に残して。

 

「……私に比べれば……二人は、強いよ……」

 

美しく、しかし儚いほほ笑み。この1ヶ月彼女とともに過ごしたが、これほどまでに悲しげな顔は見たことがなかった。

 

「……薫さん」

 

「……何……?」

 

少年は決意する。彼女を、クルト以外で初めてできた友人をこれ以上悲しませたくはないと。

 

「いつか……いつか僕が強くなって、貴方を倒せるぐらいになったら……!」

 

「…………」

 

「僕の……パートナーになって下さい!」

 

「……駄目……」

 

決死の覚悟で彼女にそう言ったが、あろうことか正面から撃沈した彼に、さすがにクルトも同情した。

 

「り、理由を聞いても……?」

 

「……私には、もういるから……」

 

「そ、そういえば……」

 

彼女が大切な人と言っていた人物のことを、時折"マスター"と呼んでいたことを思い出す。がっくりと項垂れるタカミチと、彼を珍しく慰めるクルト。

 

「……でも……」

 

そんな彼らを見ながら、くすりと笑う鈴音。普段ほとんど無表情の彼女が、だ。その顔を見て、思わず二人は見惚れてしまったが、我に返ると気恥ずかしさから慌てて顔を背ける。

 

「……私と……友達でいて欲しい……」

 

彼女の、そんなささやかなる願いを聞いて。

 

「もちろんだよ!」

 

「ああ、こちらこそ!」

 

二人は鈴音の手を握り、力強く答えたのだった。

 

 

 

 

 

そして、彼女の仕事が終わり、アリアドネーから去って数日後。

 

「お久しぶりです、師匠」

 

「ああ、長く留守にしてすまなかったな」

 

『赤き翼』のメンバーたちが、アリカ王女と、帝国のテオドラ第三皇女を連れて帰還した。

 

「修行、サボってなかっただろうな?」

 

「そんなわけないじゃないですか! むしろ、この1ヶ月程は地獄でしたよ……」

 

クルトのそんな言葉に、師匠である詠春は一体何があったのかと疑問符を浮かべる。話を聞いてみれば、悪魔に襲撃を受けた折、その少女の助力と助言で危機を乗り越えられ、ついでに修行もつけてもらったらしい。

 

……内容は二人共が言おうとした途端に小刻みに震えだしたので聞くのを慌ててやめたが。

 

「余程きつい扱きを受けたんだろうぜ。お前らはちょいと弟子に甘い感じがするからな、丁度よかったんじゃねぇの?」

 

「「ぐ、そう言われると……」」

 

いくら相手がまだ子供だとはいえ、半年近く経ったのだから厳しく修行をつけるべきだったのだ。その点で言えば、今回の彼らの経験はいいものとなっただろう。

 

「その少女に感謝しなければな。タカミチ、なんて名前の子なんだ?」

 

「はい、灘淵薫さんですね。僕達と同い年ぐらいの女の子なんですが、すごく頭がよくて、とっても強かったです」

 

「カオル……? もしかして、ジャポンの出身者か?」

 

ガトウのそんな質問に、今度はクルトが答える。

 

「ええ、どうやらそうみたいです。知識の探求を目的として来ていたみたいで、巷では中々に有名な人だったみたいです。アリアドネー議会の若手議員であるカットラース議員の秘書見習いまでこなしていたらしいです」

 

その言葉に、最も驚いたのは以外にもアリカであった。幼い頃から政治に近い生活をしてきた彼女にとって、そういった仕事の難しさはよく知っている。

 

一方、テオドラは第三皇女という継承権の低い身であるため、そういったことにあまり関わっていないので素直に凄い少女がいるなと感心しているだけだ。

 

「なんと……それほどの逸材がおったとは……。むう、我々に協力してくれはせんかのう……。タカミチ、その少女の向かった先がどこかわかるか?」

 

「行き先を聞き忘れてしまったので……今どこにいるのかは……」

 

「むぅ……惜しいな……」

 

「ま、どうせ指名手配されてる身だ。無関係のやつまで巻き込むわけにはいかねーだろ」

 

そんなナギの言葉で、アリカは渋々諦めることを決めた。そして今後のことについて話し合いをしようかと思っていたその時。

 

「そうだ! 師匠に聞きたいことがあるんですが」

 

今思い出したとばかりに、クルトが詠春に質問を浴びせる。内容は、彼女が上位悪魔を相手に圧倒したことだ。その話自体は先ほどしたので問題はない。だが、彼女が戦った方法自体が異質であることを伝え忘れていたのだ。

 

「なんと、魔法も使わず素手で……。儂でも聞いたことがないぞ、そんな戦い方は」

 

「気は使っていたようですけど、魔力は感じませんでした。純粋に体術だけで斬ったと考えたほうが自然だと思います」

 

クルトのそんな意見に、さしものゼクトも首を捻る。見た目の数十倍は生きている彼でも、そんな戦闘方法は聞いたことがない。しかし、詠春は違った。

 

「……その戦い方は、神鳴流の無手での戦闘技法に近いな……」

 

「なんと! 詠春は心あたりがあるのか」

 

「はい。神鳴流は武器を選ばずと言いますが、素手での戦闘方法も心得ています。その少女が行ったのは、恐らくその技法に極めて近いものかと」

 

実際に、詠春が手に気のオーラを纏わせてみせる。その様を見て、クルトはそれとそっくりなことをしていたと話す。

 

「そうか……。しかしこれができるのは神鳴流でもある程度の力量が問われる。僅か10歳ほどの少女ができることではないはずなんだが……」

 

「……実は、もう一つ聞きたいことが」

 

 

 

 

 

「ふふ、久しぶりだな鈴音」

 

「……本当に、久しぶり……です……」

 

アリアドネーにて『赤き翼』の話題にあがった人物は、1ヶ月ぶりの再会を果たしていた。感極まって、思わずエヴァンジェリンに抱きついてしまう。

 

「ああもう、可愛い奴め。ほらほら撫でてやるから……」

 

「……ん……」

 

頭を撫でられ、嬉しそうに顔を更に埋める。その様子を見て、アスナが少し頬を膨らませている。

 

「むー、私だって頑張ってたんだから……」

 

「シャーネーダロ、鈴音ハ1ヶ月以上モ会エナカッタンダカラナ。今回グライハ大メニ見テヤレ」

 

「……じゃあ、後でチャチャゼロが撫でて」

 

「アア? ナンデオレガ……」

 

「いいじゃないか、減るものでもあるまい」

 

会話を聞いていたエヴァンジェリンからそう言われ、仕方なく了承するチャチャゼロ。

 

「ほら、アスナもこっちに来い。久しぶりに4人揃ったんだ、皆で食事といこうか」

 

彼女の言葉で、嬉しそうにエヴァンジェリンに近づいていく。頭にはチャチャゼロを乗せ、ケケケと笑いながら楽しそうに揺れている。そして歩き出そうとした時。

 

「……マスター……」

 

「ん? ……アリアドネーでの件か」

 

立ち止まり、真剣な表情で鈴音の話に耳を傾ける。

 

「……実は、二人を鍛えた時……」

 

「……成る程、お前の流派(・・)のことを話したのか」

 

「……正直、かなり迷った……。……けど、少しだけ……昔のことを……話した……」

 

彼女の表情は、いつもの無表情とは違い暗く沈んでいる。彼女の生い立ちはエヴァンジェリンも知っている。初めて聞いたときは彼女の短いながら壮絶な人生は聞いて、とても同情を抱くことなどできなかった。同情など、何の役にも立たず、ただ彼女を傷つけるだけだと分かったから。

 

この数年で多少は立ち直れたが、それでも彼女の心に暗い影を落としていることに変わりはない。

 

(他人に流派(・・)を話せたことが、今後の一歩につながればいいが……)

 

エヴァンジェリンでさえ、癒してやることのできない傷。鈴音もまた、理不尽な理由で鬼になってしまったのだ。それを理解してやれるのは、やはり同じ体験をした自分しか無いだろうと

彼女は意思をより強く固めた。

 

「マスター! 早く早く!」

 

「ケケケ、久々ニイイ酒飲ミテーンダゴ主人。ダカラ早クシロヨ」

 

不意に、二人の声に思考を遮られ、溜息を一つ。そして、顔に微笑みを浮かべると。

 

「そう急くな、アスナ。あとチャチャゼロ、あまり酒ばかり飲むなよ?」

 

鈴音の手を引き、彼女たちの方へと駆け出す。急なことだったので、よろけそうになるが何とか踏ん張る鈴音。走りながら、エヴァンジェリンは彼女にこう言った。

 

「心配は無いさ。お前にはあいつらが、そして私がいるんだ。もうお前は一人じゃないんだよ」

 

 

 

 

 

「……もう一度言ってくれ。今、なんと言った?」

 

「は、はい。彼女の流派は『村雨流(むらさめりゅう)』というそうです」

 

「……馬鹿な! かの流派は既に家ごと消滅していたはず……!」

 

話を聞いていた詠春の、突然の豹変。顔は険しく、そして驚愕の表情を張り付けている。

 

「お、落ち着け詠春! 一体どういうことなんだよ!」

 

ナギが興奮気味の彼を、慌てて宥める。『赤き翼』では非情に珍しい光景だろう。普段暴走するナギ達のお守り役をしている彼が、これほど取り乱すなど殆ど無かったからだ。

 

「ああ、すまん……」

 

ナギの言葉で、ようやく彼も少しだけ余裕を取り戻す。

 

「して、その『村雨流』とは一体どんな流派なんじゃ?」

 

「……村雨流は、元は我々神鳴流と同じ流れをくむ流派です」

 

聞けば、かつては同じ京都の守護を任されていた由緒ある流派であり、共闘した時もあれば相争ったこともあるという。だが、時代の流れには勝てず没落していったらしい。神鳴流は神秘の秘匿という名目で体裁を保つことができたが、村雨流はもう宗家であった家が残っただけなのだという。

 

「で、では彼女は、神鳴流と因縁が深いがゆえに、神鳴流の技を使えるということですか?」

 

驚いたのは弟子のクルトだ。彼女の技が神鳴流に似ていると感じたのは彼だが、まさか因縁深き流派の出身者だったとは、さすがに思わなかった。だが、それならばある種納得もいく。

 

神鳴流でしか使えないであろう技術を彼女が使えたのは、彼女が神鳴流に関わる村雨流であり、その先代がが神鳴流の技を模倣した可能性があるからだ。

 

「……そうだろうな。村雨流は他流派と積極的に交わって技を盗んでいたと聞いている。そのせいで他流派から嫌われて、京都を追放されたとも聞いている。だが……」

 

歯切れの悪い、詠春の答え、まるで何かに納得していないといった風だ。その様子を見ていた

ナギは黙したまま、話を続けるよう彼に促す。

 

「……話を続けるぞ。少し前まで、村雨流は存続はしていたんだ。細々と家を繋ぎ、意志があれば神鳴流に門下生として送り出していた。いずれは流派を完全に捨て、神鳴流にその技術を提供するという話も持ち上がっていたんだ」

 

「……少し、前?」

 

「……正確には数年前だ。その日、村雨流唯一の継承権を有する宗家が、滅んだ。一族郎党が皆殺しにされるという恐るべき結末で……」

 

「「「!?」」」

 

その場の全員が驚く。何故なら、彼が言うにはその村雨流を継承してきた家は滅び、既に使い手が途絶えているはずなのだという。なぜなら、当時全国紙の一面を飾るほどの惨殺事件が起こったのだから。

 

「では、一体彼女は何者だというのですか……!?」

 

それは、やがて一人の鬼の原初へと繋がる。彼女の闇は鋭く、そして深い。



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第八話 交渉

悪と悪の邂逅。選択を迫られる彼女。



『……して、その少女に作戦を阻まれたと?』

 

『申し訳ありません。上位悪魔を召喚してけしかけたのですが、力量の差があまりにも大きすぎたため……』

 

『うーむ、『赤き翼』に味方するものか?』

 

『1ヶ月ほど彼らを観察していましたが、少年二人組の稽古をつけているようでした。しかし、それだけでは判断材料には成り得ないかと……』

 

『……お前の見解を述べてみよ……』

 

『は。私が考えますに……彼女はむしろ中立的な人物かと』

 

『奴らを鍛えている時点で中立者とは思えんが?』

 

『……彼女は、経歴が全くの謎です。出身が『旧世界』であること、そしてアリアドネーでも多少有名であること以外はほとんど探ることができませんでした』

 

『なんと。アーウェルンクスシリーズたるお前がか』

 

『私自身の目から見ても、彼女は少々異質です。人間でしか無い彼女が上位悪魔を素手で圧倒し、気配を完全に隠して観察していたはずなのに、何度もこちらのことを見つめているかのような仕草をしていました。味方とは、どうにも思えないのです』

 

『むぅ、しかし計画の障害にならねば良いが……』

 

『……『赤き翼』が我々に感づいた以上、いずれ決戦のときは来るだろう。それまでに少しでも不安要素は取り除いておきたい……』

 

『全くですな。『黄昏の姫巫女』も回収せねばならないというのに……厄介な』

 

『彼女のことは私にお任せを。偵察を部下に続けさせておりましたので、位置は特定できております』

 

『では、こちらは引き続き『黄昏の姫巫女』を捜索するとしよう』

 

『……プリームム、デュナミス。……我が片腕たちよ、頼んだぞ……』

 

『『は! 必ずや計画の実現を!』』

 

 

 

 

 

「で、あの鬱陶しい監視は何だ?」

 

「……多分、アリアドネーの……時の……」

 

「上位悪魔をけしかけてきた輩か。その割には随分と雑魚ばかりじゃないか」

 

夕食の後。エヴァンジェリンは微かながら遠くから監視されている視線を感じ取り、部屋に戻った後に結界を張って、鈴音に問い詰めた。

 

「……でも、いつもの……視線じゃない……」

 

「交代で見張っているのか。ご苦労なことだ」

 

若干呆れ顔になりつつも、棚からワインの瓶を取り出し、栓を抜く。グラスに真っ赤な液体を注ぎ、香りを少し楽しんだ後、ゆっくりと口に含む。

 

「うん、悪くない酒だ。中々いい買い物ができた」

 

このワインは、鈴音が帰ってくる前日に購入したもので、特売品として安く手に入れたのだ。翌日に鈴音が帰ってきたら、二人きりで話をじっくり聞きながら飲もうと考えていたのだが、先ほどの視線のせいで若干気分が悪くなってしまったため、そこだけが心残りだった。

 

「……前の視線は、もっと……強い、気配……だった……」

 

「そうか。連合の奴らは……無いな。鈴音に強いと言わせるような強者(つわもの)は『赤き翼』ぐらいだったし、奴らも今は連合から追われている身だ」

 

「……第三の、組織……?」

 

「可能性はあるな。どうもこの戦争はきな臭いと思っていたのだ、裏で糸を引いている輩がいる可能性もあるだろう」

 

怪しい点は幾つもあった。わざわざお互いが戦争を泥沼化させるような行動ばかりしているし、そもそも戦争が始まった理由が人間側と亜人側の確執かららしいが、そうなるまでに歩み寄ろうとしていた人物がほとんど失踪か、または死亡している。やはり何らかの操作をされていると考えたほうがいいだろう。

 

もっとも、この戦争自体は彼女らにとって歓迎すべき状況だ。簡単に名を挙げて広めることができ、同時に彼女らの"目的"に必要な『英雄』を探すのが手早く済む。

 

「仮に戦争を長期化させるのが目的だとすれば、待ち受ける結末は」

 

「……共倒れ……」

 

目的は不明だが、求めている結果が『魔法世界』の破滅という、およそ狂人的な内容だとすればある程度今の世情に納得もいく。

 

「国家を崩壊させ、世界情勢を混沌に叩き落とすのが目的……ではないだろう。そうなれば、困るのはむしろそいつらだろうからな」

 

「……目を、逸らす……?」

 

「ほぅ、そういう見方もあるか。大規模なことを、例えば何らかの儀式などを仕出かすために、わざわざ戦争を誘発させて泥沼にし、目立つそれらを覆い隠す、か。いや、むしろ戦争そのものも必要な過程であることも考えられるな」

 

鈴音の意見を聞き、また別の解を導き出す。しかしそうだとしても、やはり目的がわからない。

 

「仮に、本当に世界の崩壊が目的だった場合……、アスナを狙ってくるやもしれんな」

 

「……『魔法無効化』……」

 

彼女の能力は、そのチカラを増幅すればそれこそ世界の消滅へと導くことさえできる。魔法がプラスであれば、それと引き合い打ち消しあうマイナスが『魔法無効化』だ。そして、エヴァンジェリンが科学的な視点も含めて考察した、あるひとつの仮定。

 

プラス同士の反発で魔法が生まれるならば、マイナスの反発、即ち『魔法無効化』の反発現象による強力な消滅力場。もしこれが本当であった場合、彼らが行おうとしている儀式がそれである可能性は否定出来ない。

 

「……アスナは、守る……」

 

無論、むざむざ彼女を渡すつもりなど無い。彼女もエヴァンジェリンや鈴音にとって大事な仲間だ。

 

しかし。

 

「鈴音。お前の能力(・・・・・)もまた、『魔法無効化』と同じマイナスの力だ。そいつらにお前らのことが知れた場合、お前も対象になるだろうな」

 

「……私は、負けない……」

 

「まあ、魔法が通じない上に体術だけなら私さえ追いつかないお前なら心配ないかもしれんが、万一ということもある。気をつけておけ」

 

月明かりに照らされたエヴァンジェリンの顔は、美しく。そして少しだけ憂いを帯びていた。

 

 

 

 

 

翌朝。アスナはいつも通りウェイトレスの仕事で出かけ、エヴァンジェリンは大事な取引があるため朝早く出かけている。

 

「……誰……?」

 

エヴァンジェリン一行が帝国にて利用している住居は、そこそこ広い。それでも、彼女が剣の素振りをするにはやはり狭いため、人目の付かない森林へとやってきていた。そこで暫く素振りを続けていたのだが、ふと、誰かの視線を感じたのだ。

 

「……やはり、見えているのか……」

 

木々の合間から、まるで突如出現したかのように現れる、一人の青年。恐らくは、姿を隠す魔法を使っていたのだろう。

 

「いやまさか、アリアドネーで有名な才女がかのエヴァンジェリン一味の人間、それも『狂刃鬼』だったとはな……」

 

青年の顔立ちは、それこそ人形のように整っており、白髪がそれを更に印象付ける。そして、その視線さえも無機物的であった。

 

「……丸見え……」

 

「どういうことだ? 君は僕の気配に気づいていながら、今まで何のアクションも起こさなかった。監視をしていることを承知で、だ。余裕でも見せていたつもりかい?」

 

「……必要ない……。……人形では、私は……殺せない……」

 

「っ! 僕の秘密まで分かっているとは……。どうやら、君は予想以上に危険な人物らしい」

 

そう言うと、青年は指に魔法媒体と思しき指輪を嵌めた。

 

「こちらに引きこもうかとも思っていたんだが、不安要素が多すぎる。君は僕らの障害になり得る。排除させてもらおうか」

 

殺気が、森林の中に一気に膨れ上がる。そのあまりの迫力からか、周囲で(さえず)りをしていた小鳥たちが一斉に飛び立つ。

 

「……やってみろ……」

 

対して、鈴音もそれを感じ取った次の瞬間には意識を既に切り替えていた。その瞳からは、吸い込まれそうになるほどの怖気を感じさせる鈍い眼光。

 

「……信じられないな。偽の感情を与えられただけの僕ですら、嫌な気分になる。君ほどの人物が未だ賞金首止まりとはね、『闇の福音』は相当な手練のようだ……」

 

しかし、現状では鈴音はやや不利だといえる。ただの素振り稽古でここにやってきたため、練習用の木刀を携えているだけなのだ。相手が火属性の魔法でも放てば、彼女は武器を失ってしまう。あとは魔法で嬲られるだけだ。

 

そう、通常で(・・・)あれば(・・・)

 

「君が剣士であることは知っている。そして、素手での戦闘が出来る人物でもあることも。なら、君が接近できないほどの質量で魔法を放てばいいだけだ」

 

剣士というものは、ひどく難儀なものだ。なにせ剣という、大抵の場合は長物を利用する以上は距離を保つのが重要となる。長距離からの攻撃には防戦するだけで精一杯であり、逆に近接ではインファイトとなるとかえって剣が邪魔になる。

 

しかし飛び道具が通用せず、あらゆる武器での戦闘が可能な神鳴流であれば、そのデメリットは存在しないし、鈴音の『村雨流』も同様である。加えて、彼女の流派には独自の移動術である『朧縮地(おぼろしゅくち)』が存在し、無理矢理にでも縮地を行うことが可能だ。

 

「……遅い……」

 

一瞬。彼女の姿がぶれた。その次には目の前にその姿があった。余りに理解不能な状況に、青年はほんの少しだけ思考が混乱した。彼女はまだ、先ほどの場所にいるのに。残像が消える頃には、彼は地面に叩き伏せられた後であった。

 

「ぐぅっ!?」

 

彼女の、鋭く、そして重い一撃は彼に大きなダメージを与えていた。彼自身、彼女の余りにも予想外な戦闘能力に驚いており、彼女の速度に自分の反応が追いつかなかったことに、なんと驚きを通り越して激怒していた。

 

「ありえない……。たかが人間の少女如きが、あのお方(・・・・)に造られしこの僕が太刀打ち出来ないなど、あってたまるか!」

 

彼女から極力距離を取り、始動キーを唱える。紡ぐ呪文は、少女を容易く轢き潰すであろう殺傷能力の高い魔法だ。

 

「…………」

 

その様子を、彼女はただ見ているだけであった。再び距離を詰めて攻撃してこないのかと、普段であれば疑問に思ったであろう彼も、激高した状態では気づけない。

 

「では、サヨウナラだ」

 

目の前では青年が、呪文を完了させていた。よく練り上げられた魔力を利用し、強大な魔法を現出させ、一気に彼女の方へと投げ飛ばす。巨大な水の塊であることから察するに、恐らくは水流系統の呪文だろう。その圧倒的質量に、彼女は全く動じることなくそれを受け入れる。

 

(とった……!)

 

青年が排除の完了を確信した次の瞬間。

 

魔法が突如消滅した。

 

「……何が起こった?」

 

見れば、少女は先程の位置から少したりとも動くことなく佇んでいる。その無表情は、こうなることが当然とでも言うかのように。

 

「魔法が、消えた!? 君は、まさか『魔法無効化』能力持ちか!」

 

もしそうだとすれば。青年にとっては、いや組織にとって好都合だ。『黄昏の姫巫女』がエヴァンジェリンに連れ去られていることは知っていたが、エヴァンジェリンは恐らく彼の組織の人間でも倒せるか不明なほどの魔法使い。

 

彼も、魔法世界ではトップクラスであろう実力があるが、残念ながらエヴァンジェリンを相手取れるほどではない。不老不死の怪物を相手取れるほどの人物は、それこそ彼の同僚か主人ぐらいだろう。

 

だが、この少女であれば。今一人きりの状況である彼女さえ何とか出来れば、不安要素の

排除と儀式に必要な鍵が、一気に手に入る。

 

「……気が変わったよ、君を……連れて行く」

 

 

 

 

 

「ンア? 鈴音ガイネーナ」

 

エヴァンジェリンといつも行動を共にしているチャチャゼロも、今日は鈴音と共に仮住まいでの留守番をしていた。とはいえ、昨晩浴びろほど酒を飲んだせいでぐっすりと眠っており、起きたのは既に日が高いところまで昇るかという時間帯。とりあえず寝起きで鈴音を探していたのだが、彼女の姿がどこにもないのだ。

 

「ンー、素振リデモシテンノカ?」

 

彼女の朝の習慣を思い出す。最近は仕事で離れていたため、彼女の稽古に付き合えなかったのだが、久しぶりに彼女と手合わせでもしようかと思っていたのだ。ならば丁度いいなと、彼女は鈴音が素振りをしていそうな近場の森林を目指したのだが。

 

「……ナンダコリャ」

 

周囲の木々は、まるで大質量の何かに押し潰されたかのようになぎ倒されており、或いは鎌鼬でも起こったかのように鋭い切り口で無残な姿を晒していた。

 

「コノ斬リ口ハ……鈴音ニ間違イネェナ。トナルト、誰カト一戦ヤラカシタカ?」

 

この惨状を冷静に分析しながら、そんな結論を出す。だとすれば、彼女とここまで苛烈な戦いを展開した相手は一体何者なのか。そして、彼女は今どこに行ったのか。

 

「……コイツハマタ、面倒クセェコトニナリソウダゼ……」

 

 

 

 

 

「さて、君がこうして交渉に応じてくれたことを、心より感謝するよ」

 

「…………」

 

チャチャゼロが到着する少し前。青年と鈴音の戦闘は膠着状態に陥っていた。彼女は魔法が通用しない代わり、接近されないよう青年に警戒され、思うように攻撃が届かず。一方青年は魔法攻撃という大きな手段を封じられ、接近をさせないように警戒するだけで精一杯であった。

 

「……このままでは埒が明かない。一旦、休戦といこうじゃないか」

 

「……了承……」

 

罠である可能性もあるが、現状ではどうこうもしようがない。相手がエヴァンジェリンに準じる実力者である以上、余計なことはしないほうが面倒が少なくていいと、鈴音は判断した。こうして、二人は現在帝都のとある建物の一室にいた。

 

「何か飲み物でもいるかな?」

 

そう言いながら、手にはミネラルウォーターのボトルと紅茶の香りのするティーポット。

 

「……お茶……」

 

「紅茶のことかい? ストレートがお好みならダージリン、ミルクならアッサムもあるが……」

 

「……番茶……」

 

「すまないが、その、バンチャ? は置いていないな」

 

彼女の要求するものが何なのかが分からず、謝罪をしながら自分のカップに紅茶を注ぐ。

 

「……要求は……?」

 

「話が早くて助かるよ。簡潔に言おう、僕らとともに来て貰いたい」

 

「……断ったら……?」

 

「僕らのことを知った以上、生かすつもりはないさ」

 

ふと、背後の壁をちらと一瞥する。その向こう側からは、物音一つしないが……。

 

(……背後に一人、この部屋に……二人(・・)……)

 

背後から、並々ならぬ気配を感じ取る。一方で、この部屋からは彼女を抜いた二人の気配。一人は目の前の青年。もう一つは、部屋の隅。

 

(……魔法で隠れてる……)

 

気づいていることを悟られないよう、そちらの方は見ないようにする。視線というものはある種口以上にものを語ることもあるのだ。

 

「……条件は……?」

 

「『黄昏の姫巫女』をこちらに渡す。その代わり、君たちを今後付け狙わないことを約束しよう」

 

「……話にならない……」

 

この部屋にいる人物全員が纏めてかかったとしても、エヴァンジェリンは倒せない。それだけ、世界最高クラスの魔法使いとそれに準じるだけの実力者の隔たりは大きいのだ。しかし、青年は余裕の笑みを崩さない。

 

「そもそも、僕達が狙っていたのは『黄昏の姫巫女』、彼女だけだ。だが、かの『闇の福音』たるエヴァンジェリンが相手ではどうしようもないだろうね。それでも、僕らの戦力を集中させれば奪って逃げることは可能だ」

 

そう、あくまで彼らの目的は『黄昏の姫巫女』たるアスナのみ。彼女だけを集中して狙われれば、いくらエヴァンジェリンや鈴音でも守り切れないだろう。それに鈴音達は、彼らの組織がどれだけの大きさなのかを知らない。鈴音は、エヴァンジェリンが考察していたことを思い出す。

 

(……世界規模の、戦争を……起こせる……組織……)

 

そうであれば、恐らくは末端を含めて万単位。下手をすればその数倍かもしれない。それだけの数を相手に、例え鈴音たちであろうと苦戦は必至だろう。どこへ行こうとも、一時の安息さえ与えられないままじわじわと体力と精神を削られるかもしれない。

 

「言っておくが、僕らは現在勢力を少しずつ減らしているとはいえ、まだ末端を含めて数万の戦力を有している。このままこの交渉を破棄して逃げ切ったとしても、どこまでも逃げ切れるなどと思わないほうがいい」

 

「…………」

 

彼女の想像通りの言葉を、青年は話す。鈴音は、とりあえずは彼の交渉の内容をさらに聞いてみることにした。

 

「しかし、だ。君はどうやら、『黄昏の姫巫女』と同じ能力を持っているようだ。ならば、君自身を対価にしてくれれば構わない」

 

どうやら、彼らは自分自身でも問題ないらしい。確かに、せっかく自由を得てこれからを生きていこうとしている彼女を引き渡すよりも、自分のような最低な殺人鬼の方がいいだろう。アスナはまだ、常識を学んでいる最中であり悪事に手を染めてはいないのだ。

 

「……そちらの、提示する……条件の……保証は……?」

 

「それならば問題ない。これを使えばいいからね」

 

そう言って、懐から手のひらサイズの(ワシ)の彫刻を取り出した。

 

「……これは……?」

 

「言霊を縛る代物さ。封印級のこのチカラを使えば、僕らも君も取り決めたことを順守せざるを得ない」

 

くれぐれも触れないでくれよと念を押していることから、中々に貴重なものであるらしい。鈴音の目から見ても、潜在している魔力は普通の魔法具とは比べ物にならない。

 

「さあ、こちらの条件は提示した。次は、君の番だ」

 

「……こちらからの、条件……」

 

これで、条件を提示して話を纏められれば交渉が成立してしまう。そうなれば、この魔法具は鈴音を縛るだろう。いくら鈴音の『能力』が強力でも、空間魔法や幻術魔法、そして誓約魔法は無力化できない。彼女は少し悩んだ後、

 

「……今決めなければ……駄目……?」

 

ただの引き伸ばしにしかならないが、向こうからすれば歓迎できない話だろう。彼がこうして形だけとはいえ1対1の場を整えたのは、エヴァンジェリンがいないという状況が好都合であったからであり、この機会を逃したくはないはずだ。

 

「駄目だね。聡明な君なら気づいているだろうが、ここに連れてきたのは『闇の福音』がいないからだよ。君だけならば、ダメージ覚悟で戦えば君を無力化だってできる」

 

「……つまり、脅し……」

 

「こうして交渉の場を設けているのだから、どちらかと言えば"お願い"、かな?」

 

先延ばしにするのは、やはり無理のようだ。こういった交渉事の場は、アリアドネーで秘書見習いとして働いていた時にさんざん見たし、エヴァンジェリンのもとでも経験済みだ。が、自分自身がその矢面に立たされることは初めてである。これだけ重要なことを自分だけで決定していいものかと、鈴音は悩んでいた。

 

「…………」

 

「早くして貰いたいね。僕らもあまり暇ではないんだ、これ以上引き伸ばしを行うなら……」

 

「……待って……。……条件……決まった……」

 

これ以上待てないという、相手側からの念の押しように、さすがに鈴音もこれ以上の時間稼ぎは無理だろうと判断した。

 

「決まったか。なら、早く君の口から言ってくれ。さっさと話を纏めたいからね」

 

ようやく決まったかと、青年は呆れながらも書類をテーブルの上に出す。恐らくは、契約を履行するための誓約書だろう。

 

「……私の、条件は……」

 

鈴音はまっすぐ青年の顔を見つめ、言い放つ。

 

「……貴方の、死……」

 

その言葉と同時。背後からの強烈な殺気に、青年は横へと飛び退く。青年が一瞬前にいた場所には、巨大な片刃の刃物。それが、テーブルごと誓約書を断ち切っていた。

 

「オイオイ、躱シタラブッタ斬レナイダロ」

 

「っ! 君は、『闇の福音』の……!」

 

青年が背後を見れば、チャチャゼロの姿が、そこにはあった。

 

 

 

 

 

「マッタクヨォ、アチコチ探シ回ッテヨウヤク見ツケタト思エバ、ナニ鈴音一人ニ勝手ナ交渉事ヲ決メサセヨウトシテンダ」

 

そう言いながら、大刀を肩に担ぐ。あの後、鈴音が落としていったメモを頼りに、ここまでやって来たのだ。ただ、書いてあったのが"帝都"の二文字であったため、探すのに大分手間取ったが。チャチャゼロは、家から持ってきた鈴音の愛刀を彼女に放り投げる。

 

「……チャチャゼロ、ナイス……」

 

それをキャッチし、親指を立ててチャチャゼロにそういう鈴音。鈴音は、青年の背後にチャチャゼロが忍び寄っていたことに気づいていたのだ。

 

「馬鹿な、いくら『闇の福音』の従者とはいえ、所詮は人形だぞ! 僕があれほど接近されて気づかないなんてことは……」

 

「甘ェヨ。オレヲソコラノ量産品ト一緒ニサレチャ困ルゼ」

 

そう言いながら、青年に向けて片刃の大刀を振り下ろす。青年はそれを紙一重で躱し、距離をとる。幸い、この部屋は広さがそこそこあり動きやすい。それでも、壁や天井がある以上は、接近戦主体の二人を相手にするのは骨が折れるだろう。

 

「まあいいさ、交渉が上手くいくかは期待していなかったんだ。傷めつけてから連れて行ったほうが楽だ」

 

彼が頭上に手を上げると、部屋の隅で姿を隠しながら待機していた人物が姿を現す。そして壁の向こうで待機していたであろう人物も、壁をぶちぬいて登場した。

 

「なんだ、結局やりあうのかよ。だったら初めからそうしてた方がよかったんじゃねぇの?」

 

筋骨隆々の、中年ぐらいであろう男性。しかしその体から迸る熱気は、只者ではないことを悟らせる。

 

「…………排除」

 

一方で、姿を隠していた方は物静かながら、底冷えのする寒気を感じさせる雰囲気の女性。頭部の二本の角が印象的だ。こちらも、相応の実力者だろう。

 

「さて、君たちには悪いが3対2だ。なにせ君等が相手ではこちらも正々堂々などと言っていられないのでね」

 

先ほどの不意打ちを受けた時とは違い、冷静かつ余裕の表情の青年。

 

「一応、紹介ぐらいはしておこう。こっちのごついのが、火のアートゥル。で、こっちの無口な方がセプテンデキム。僕と同じく、さる偉大なお方に造られた人工生命体だ」

 

「人工生命、ネェ。オレト同ジヨウナモンカ?」

 

大刀を方に担ぎ、そんなことを呟く。チャチャゼロもエヴァンジェリンに造られた人形ではあるが、目の前の三人ほど歪ではない。魂がしっかりと定着しているからだ。だが、相手方は人間らしい感情を見せていながら、しかし違和感しか感じさせない。まるで意図的に感情をでっち上げられているかのようだ。魂が、随分とぶれている。

 

「そこはノーコメントとさせてもらうかな。紹介が遅れたが、僕の名前はプリームム。アーウェルンクスの『1番目』だ。ここまで語った以上、その人形にはスクラップとなって貰うとしよう。ああ、安心するといい。君は殺さないよ」

 

大事なキーだからね、と鈴音を指さして言う。それに対し、鈴音は。

 

「……今、なんて言った……?」

 

「ア、コリャヤバイワ」

 

圧倒的な怒気を含んだ眼光と、言葉。青年側からすれば彼女の纏う空気が変わったこと以外は、特に変化は見受けられない。しかし彼女をよく知るチャチャゼロには、普段の無表情からは想像できない怒りの表情を読み取れた。

 

「……チャチャゼロ、あいつら……殺していい……?」

 

「……イイケドヨォ、オレニモ残シテクレヤ」

 

チャチャゼロは、こうなった鈴音が止まらないことをよく知っているので、渋々了承する。本当であれば、青年を鈴音に譲り、二人両方を切り刻みたかったのだが、今の彼女は三人纏めて斬り殺しそうな勢いだ。せめて一人ぐらいは譲って欲しかった。

 

「……あっちの、筋肉……あげる……」

 

「ケケ、斬リ応エノアリソウナ方カ。アッチノ女モ、柔ラカソウデイインダケドナ、今回ハ諦メルトスッカ」

 

「がっはっは! 俺を斬るってか!? たかが人形にできるわけが……」

 

「油断大敵ダゼ?」

 

ザシュッ

 

余裕の笑いを浮かべていたアートゥルは、一瞬で首を宙に飛ばしていた。その足元には、先程まで鈴音の隣にいたはずのチャチャゼロの姿。そして彼女が握っている大刀には、アートゥルのものと思しき血が付着しており、彼女は大刀に血振りをやる。

 

「…………死んだ?」

 

その様子を、何の感慨もなく冷静に分析するセプテンデキム。やはり、彼らには感情的な部分に大きな違和感を感じる。

 

「馬鹿な……!? 油断していたとはいえ、アートゥルが一撃だと!?」

 

「ケケケ、ナメンジャネェヨ。コノ『狂刃鬼』ノ剣戟戦闘面ヲ、誰ガ鍛エテヤッタト思ッテル」

 

魔法戦闘や武器なしの近接戦闘は、エヴァンジェリンが鍛えたが、刃での戦闘はどうしても不足してしまう。どうしようかと悩んだ末、チャチャゼロのことを思い出し、彼女の師匠に据えたのだ。鈴音自身の戦闘技法や基礎は十分だったが、刃物同士の独特の戦闘は、距離の維持や

防御方法などを学ぶには、熟練者を相手に経験を積むしか無い。

 

その点、チャチャゼロは人を斬り殺し慣れている点で非情に優秀な師であった。数年の研鑽は確実に鈴音を強くし、エヴァンジェリンでさえ本気で相手をせねば首が飛ぶレベルまで成長した。そして彼女を鍛えたチャチャゼロも、彼女の『村雨流』独特の技法に興味を抱き、その技術を戦闘を重ねるうちに身につけていったのだ。先程プリームム及び二人にも感知させなかったのも、その技術の応用である。

 

「ケケケ、ヤッパ鈴音以外ダトオレカゴ主人グライダナ、『朧縮地』ガ使エンノハ」

 

肉体の限界を考慮せず、只々速さを求めただけの技とも言えぬ暴挙。しかし人形である彼女であれば習得は容易かった。むしろ、魂は鬼とはいえ肉体は人間の鈴音が使いこなせていることが異常なのだ。

 

「イイネェ、コノ生命(イノチ)ヲ刈リ取ル瞬間ッテノハ。マ、人形ミタイナ奴ノ魂ジャチト味気ナイガナ」

 

生命の終わりゆく、そんな物悲しさを感じ取ることができる殺しの一瞬。彼女が人を斬る理由は単純なそれだ。人形の身に魂を収めているからこそ、生命の懸命なる姿と儚さ、そしてそれを奪う瞬間がたまらなく好きなのだ。

 

「まさかこれほどだったとはね……認識を改めるとするよ、チャチャゼロ君」

 

アートゥルが死んだことで、形勢はイーブンとなった。だが、それも少しの間だけ。

 

リィン

 

鈴音が、愛刀『紅雨』を抜刀した。普段居合を主に用いる彼女にしては珍しい。だが、その抜刀も異様だった。まるで、抜刀と同時に何かを振り抜いたかのような勢いだったのだ。事実、彼女の抜刀の数瞬後、窓の閉まっているはずの室内でカーテンが大きく揺れた。

 

「セプテンデキム、そちらの人形は任せるぞ。僕は、彼女を相手する」

 

「…………」

 

「どうした、セプテンデキム!」

 

ぐらりと。彼女の腰から上が地面に倒れる。続いて、その衝撃で腕が、頭が、頭部の角が。バラバラになって転がり落ちる。

 

「……風、奥義……『疾風(はやて)』……」

 

彼女は、抜刀と同時に攻撃を完了させていたのだ。あの勢いの良い抜き方は、剣先から恐るべき真空波を発射するためのものだったのだ。それをもろに食らったセプテンデキムは、一瞬で切り裂かれてしまった。見れば、彼女の背後の壁は何度も鋭利な刃物を振り下ろされたかのように深い切り傷が、それも丁度彼女の背丈程に集中していた。

 

「……ありえない……なんだ、お前たちは!?」

 

攻撃する際の殺気に気づくまで、気配を感じさせなかったチャチャゼロに始まり、自分さえ反応できない速度でアートゥルを一撃で斬り捨て。そして都合よく一人だけを真空波でバラバラにした鈴音の謎の技。全てが、彼の想像の遥か上だった。

 

「……とんだ失態だ。貴重な戦力二人を、何の成果も挙げられないまま失い、あまつさえあのお方に造られた僕でさえ、勝てないと感じている……!」

 

彼からすれば、これほど屈辱的なことはなかった。主人に自分から任せるよう進言して返り討ちにあい、主人が造り上げた自分が、偽りの感情しかのないはずの自分が。

 

「この僕が、恐れているというのか……!?」

 

目の前の鬼と人形に、恐怖を覚えているということに。



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第九話 悪と悪

夢幻の世界で語らうは、バケモノと人形。
悪を解する者は、また悪である。


「……降参だ」

 

先程から十分程後。そこには、片腕をもがれてボロボロになった青年、プリームムの姿があった。2対1という圧倒的不利な状況で、彼はそうとうに善戦したといえる。魔法の通じない鈴音と、神速のチャチャゼロを同時に相手して、腕一本ですんだのだ。

 

「……許さない……」

 

しかし、鈴音は無情な言葉を告げる。彼女からすれば、自分の大切な仲間であるチャチャゼロを壊すなどと言われたのだ。普段感情の起伏が乏しい彼女でも、この逆鱗に触れられれば怒りを爆発させる。未だ彼女の怒りは収まっていないのだ。しかし。

 

「マア待テ。コイツマデ殺シチマッタラ、後々オレ達ガ付ケ狙ワレカネネェ。コイツヲゴ主人ノ真ン前ニ連レテッテ、背後組織ノ事ヲ吐カセルベキダト思ウゼ?」

 

「……でも、こいつは……チャチャゼロを……」

 

チャチャゼロにそんなことを言われても、なお食い下がる鈴音。

 

「鈴音。戻レナク(・・・・)ナル(・・)ゾ」

 

「……わかった……」

 

チャチャゼロのそんな一言で、ようやく彼女も引き下がる。

 

「アア、逃ゲヨウナンテ考エンナヨ? 両足モ切断シタラ持チ運ビシナキャナンネェカラナ」

 

「……今更、逃げられるなんて思っちゃいないさ」

 

既に、プリームムは満身創痍。加えて、重要な戦力二人を瞬殺された失態と、圧倒的実力差を見せつけられて心も折れそうな有様である。逃げ出すような気力さえ沸かないが正解だろう。

 

「……マスターに、処断……してもらう……」

 

 

 

 

 

「で、私のいない間によからぬことをしようとした不逞の輩を捕えたと」

 

「……はい……」

 

日が落ちて今は夕暮れ時。家へと戻ってきたエヴァンジェリンに事情を説明し、この青年をどうするかを決めてもらおうとしていた。一応、鈴音の意見としては今すぐにでも3枚に下ろしてやりたいと言ったが、チャチャゼロが言った通り背後組織の情報を得るために生かしておくべきだと却下された。

 

「二人共、こいつは私に任せて今日はもう休め。特に鈴音、お前は少し頭を冷やせ」

 

二人にそう言って部屋から出て行くよう命じる。エヴァンジェリンにしては珍しく、鈴音を窘める言葉まで言い渡して。

 

「……チャチャゼロ……戻ろう……」

 

「ダナ。コレ以上ハオレ達モ邪魔ニナルダケダロウシナ」

 

少々きつい言われ方をしたため、項垂れながら部屋へと戻っていく鈴音。それを宥めながら、チャチャゼロも部屋を後にした。

 

「さて、私の大事なシモベに手を出した貴様は、一体何者だ? その作り物の体といい、少々異質すぎるな」

 

「……貴女も僕の正体に感づいていたのか。どうやら、君たちに手を出したのは藪をつついて蛇を出したようなものだね」

 

「フン、私は『人形遣い』だぞ? 人形のような貴様など人間と全く気配が違うわ。さあ、私達にちょっかいを出してきた報いとして、貴様の所属している組織を吐いてもらおうか」

 

彼の首に、いつの間に張り巡らせたのか細長い鋼線(こうせん)を食い込ませて脅す。しかし、プリームムは顔色一つさえ変えず、

 

「断る。僕もあのお方に造られた以上、矜持がある。自分可愛さに情報を吐くなどと思わない方が身のためだ」

 

「ほう、この私を目の前にしてよくそんなことが言えるものだ」

 

そう言うと、エヴァンジェリンは彼の頭を両手で固定し、自分の顔へと向けさせる。

 

「プリームムと言ったな。お前、私の目を見ろ」

 

「何を言って……!」

 

【イイカラ見ロ……】

 

彼女の瞳を見た瞬間。その宝石とも、暗黒とも呼べる輝きを最後に、プリームムは意識を失った。

 

 

 

 

 

「これは……幻想空間か」

 

目が覚め、周囲を確認してみれば先ほどの部屋ではなく、何故か屋外にいた。周辺からは焦げ臭さが鼻につき、家々は全て焼き払われた後であり村であったであろうその場所は、一言で言えば廃墟であった。

 

「……わざわざこんな幻覚を自分に見せて、何をするつもりだ……?」

 

そんなふうに思考してみるが、ふと地面を見れば、随分と近い気がする。

 

「そういえば……腕がないのは元々だが、何故ここまで周囲を大きく感じるんだ?」

 

とりあえず、近くに転がっていた民家のものと思しき鏡の破片を見つけて拾い上げる。そこに写っていたのは。

 

「……なんだと」

 

自分の姿が、縮んでいた。腕は先ほど失ったから違和感を抱くの仕方がないが、まるで自分自身をそのまま幼くしたかのような姿には、さすがのプリームムも動揺した。

 

「くっ! 出てこいエヴァンジェリン! 僕をこんな姿にしてどうする気だ!」

 

叫んではみたが、虚しく空気に溶け込んでいくだけ。どうやら、彼女は出てくる気はないらしい。

 

(まて、落ち着け……僕はあくまで幻覚を見せられているだけ。幻覚を解除する魔法を使えば問題ないはずだ)

 

早速、始動キーを唱えた後、その魔法の呪文を紡ぐ。だが。

 

(魔法が発現しない……!?)

 

魔力を体内で練り込むところまではできた。しかし、そこまでなのだ。彼の口からいくら魔法を唱えても、それが現出する様子はない。

 

(恐らくは彼女の仕業か……! ともすれば、この幻覚は特殊な条件で成り立っている……!その条件をクリアするまでは、現実には戻れないということか)

 

なにせ、幻術を掛けられた相手が600年を生きる大魔法使いだ。この程度の魔法はお手のものなのだろう。仕方なく、彼は徒歩で周囲を歩いて探索することにした。

 

「ここは……幻覚であるとはいえどこに相当する場所だ?」

 

仮にも、魔法世界全てを裏から操る組織の者である。場所さえわかれば、自然と対処法も分かってくるはずだ。

 

(急いで覚めなければ……術者であるエヴァンジェリンは恐らく現実世界で動けないはずだから彼女は問題ないが、あの二人に動けない状態で何かされるかもしれない……!)

 

しかし、現状では打つ手が無い以上は、目の前の問題を片付けるしか無い。幸い、旧世界では生息していない生物がいる時点で此処が魔法世界だと分かったので、まだチャンスは有る。暫く歩いていると、難民キャンプと思しきテントの集落があった。

 

(しめた……今の僕は幸か不幸か子供。大人に保護してもらえればそれでいい……。あとは魔法が使えないことを何とかしていけば……)

 

急ぎ足で、その難民キャンプへと近づいていった。

 

 

 

 

 

「スマンな坊主、もう食い物の配給は終わっちまっただ。こんぐらいしか残ってねぇ……」

 

キャンプについた後。プリームムは中年の男性に事情、といっても住んでいた村を焼かれたという嘘であったが、それを話してここのまとめ役をしている男性のところに案内された。そこでまず、ひと通りの事情を話した後、固いパンと薄いスープを出された。腕のことには触れて来なかったことから、気を遣われているのかもしれない。

 

「いえ、別に大丈夫です。それより、ここはどういった理由で?」

 

そんな質問をぶつけてみる。すると、テントの外で見張りをしていた人物が中に入ってきて、何の話をしているんだと聞かれたので話してみると。

 

「ああ、連合と一戦やらかした際に、この周辺の村々が被害を受けてな。……西の村は全滅したようだ、緊急時のためにここを避難場所として定めていたというのに誰も来やしない」

 

兜を脱ぎ、傷だらけの顔を晒すと、汗で濡れた頭と顔を拭く。その拭き布も、所々が黒く変色してボロボロだ。

 

「娘からもらったハンカチもボロボロだ……帝都に疎開させたから大丈夫だとは思うが、無事でいるか……」

 

「うちの息子は……グレート=ブリッジに左遷されたらしいだ。激戦地だかんなぁ……」

 

そんな、子供を心配する親の言葉にも、プリームムは眉一つ動かさない。

 

(どうでもいい話だ。どうせ彼らも幻覚……そもそもたかが人間に僕が同情するとでも思っているのか彼女は)

 

彼は、今の状況が自分に彼らに対する同情を抱かせて精神的に不安定になってから情報を抜き出すつもりなんのではと勘ぐったのだが、それは愚策。彼は人間に近い姿ではあるが、本質的にはむしろエヴァンジェリンら人外に近い。人間に対する情など、はなから欠片も備わってなどいないのだ。

 

(それよりも、今の僕はただの子どもと同じ。……ここにいる以上は大人が僕を守ってくれるだろうが、それではこの状況は進展しない)

 

安全をとるか、それとも危険を覚悟で戦場を横切る真似をするか。この幻覚が生死に関わるものなのかは分からないが、少なくとも精神的な死は覚悟した方がいいだろう。

 

(ままならない状況だ。ここまで厄介な事をしてくれるなんてね……)

 

 

 

 

 

保護されてから1日が経過した。相変わらず彼はこのキャンプ地に縛られていた。というのも、此処に来てから連合からの攻撃が激しくなり、動くに動けない状況なのだ。

 

(時間だけが無為に過ぎていく……歯痒いな……)

 

今の彼は非力な子供。何もできない、ただの子供でしか無い。これからどうすべきかを考えていた時。ふと、自分の服の裾を引っ張られる感覚が。

 

「なーなー、にいちゃんにいちゃん」

 

「……なんだい?」

 

無視してもよかったのだが、それで泣かれでもしたら面倒なことになる。仕方なしに、彼は返答をした。

 

「にいちゃんてどこからきたの?」

 

「…………この近くの村だよ」

 

村の名前などは当然知らないため、適当にはぐらかすかのように言う。要領を得ない返答に子供はそれでも満面の笑みを見せながら、

 

「ぼくはね! ぼくはひがしのむらからきたんだ!」

 

「そ、そうかい……」

 

子供の元気な様子を見て、思わず怯んでしまう。非力な状態になったことのないプリームムには今の状況は不安で仕方ないのだ。

 

「も、もういいかな?」

 

「えー、もっとおはなしー!」

 

「これこれ、お兄ちゃんが困っとるじゃろ」

 

駄々をこねる子供を見て、老人が間に入ってくる。老人に促され、少年は渋々老人とともに彼から離れていった。

 

「ばいばーい! またおはなししようね!」

 

 

 

 

 

その後、村ごとから出た代表者での話し合いが行われた結果、子どもたちを帝都にある孤児受け入れ施設に送ることとなった。この決定に、プリームムは内心舌打ちしてしまう。

 

(マズいな……孤児院などに入れられれば、ただの子供になっている僕では自由を奪われるのと同じようなものだ)

 

たとえ幻術でも、このまま流されてしまえば一生抜け出すことさえできないかもしれない。こんなくだらない精神世界で惰性で生きていくなんて状況など耐えられるはずがないのだ。結局、彼はこの決定に従いたくないため、危険を承知で戦場を横切ることを決意した。

 

そして、日が落ちて今は宵闇時。彼はこっそりと、キャンプを抜けだした。

 

「さて、これからどうしたものか……」

 

周囲は森林。月明かりだけを頼りに歩いてはいるが、行く宛がない。足元さえ見えない暗さであるため、ぬかるんだ地面に足を取られて転んでしまう。

 

「くそっ!」

 

魔法が使えない非力な子供に成り下がった自分に腹が立つ。これほど屈辱的な幻覚を掛けられた自分にもだ。何故あそこでレジストをしなかったのか。簡単だ、する暇さえない手際の良さで為すがままにされてしまったから。

 

「……起き上がることさえ不便な体だ……」

 

右腕は幻術を食らう前から無いが、それを失ったのはつい先程。バランスの悪い片腕では体を思うように起こすことさえできない。何度も何度もぬかるみの中でもがき、ようやく近くの木の根を掴んで体を支えながらゆっくりと起き上がる。

 

「あれは……?」

 

起き上がった後、彼は目の前に一筋の光明を見た。明かりが見えたのだ、魔法的な光かはたまた篝火(かがりび)によるものなのかはわからない。ただ、この現状を打破しうる何かがあるとプリームムは直感的に理解し、その明かりに向かって歩いて行く。

 

「……こんなところに、民家が……?」

 

見つけたのは、粗末な掘っ立て小屋。だが、頼りとした明かりである篝火があることから、ここに誰か住んでいるのだろう。

 

「……とりあえず、住人がいるようだし背に腹は変えられない……」

 

ドアをノックする。体中泥まみれになっていて気持ち悪い。せめて水浴びぐらいはしたい。しかし、開かれたドアから現れたのは。

 

「ほぅ、遅かったじゃあないか」

 

彼が今最も殺意を覚え、そして出会いたくなかった人物。エヴァンジェリンがそこにいた。

 

 

 

 

 

「ククク、面白いことになっているな。どうした、そんな泥まみれになどなって」

 

「よくも抜け抜けと……! 今すぐここから出せ!」

 

右頬が泥で汚れており、姿も子供であるため全く迫力がないプリームム。それを見て、エヴァンジェリンは実に面白そうな顔をしている。

 

「何がおかしい……!」

 

「いやな、わざわざ幻覚をかけている相手に解除しろと言われたのでな。実に滑稽だと思っただけだ。そんな声まで荒げて、怒っているのか?」

 

「怒るだと? 感情のない僕が? 巫山戯たことを言ってくれる……。大体なんだこの幻覚は。僕をバカにするためにこんな真似をしたのか」

 

エヴァンジェリンの言葉で、これ以上相手のペースに乗せられる訳にはいかないと冷静さを取り戻し、幾分落ち着いた口調となる。エヴァンジェリンはなお笑みを崩さず。

 

「言っておくがな、これは私が術をかけたのは間違いないが、この光景自体はお前自身の深層心理から再現されたものだぞ?」

 

「……なんだって?」

 

「思い出してみろ、貴様の眺めていた景色は……貴様の記憶の片隅に眠っていたものであるはずだ」

 

記憶を必死になって掘り返す。すると、徐々にその光景に対するデジャブを感じてきた。

 

(まさか……本当に?)

 

ありえないと否定したいが、それは自分はさる人物に造られた自分を否定することになる。記憶違いなどということは起き得ない。だが、あれは果たして自分が体験したことだったか。

 

(いや……あれは……)

 

あの光景は、確かに自分が体験したものだった。自分が、目的のために行った行為の数々だ。最初の焼け焦げた村は、自分が帝国に連合と争わせるために引き起こした、悪魔による襲撃の跡。次のキャンプ地は、幻影魔法で子供になって潜り込み、混乱を引き起こして更に連合への敵愾心を煽るために訪れた場所だ。

 

すると、急に景色が小屋から一変して、燃え上がる村の中へと変わる。

 

「助けてくれ! 火が! 火がああああああああああ!」

 

「ジェーン! どこにいるジェーン!? 返事をしてくれ!」

 

轟々と燃え盛る紅蓮は、人々を次々と飲み込んでいく。逃げ遅れたものから順に、まるで生きているかのように。

 

「ま、魔法だ! この炎は魔法だぞ!?」

 

「誰がこんなことを……ぐおああああああああああああ!」

 

焼け焦げていく、人、人、人。老若男女差別なく、物言わぬ炭へと姿を変えていった。それに紛れる、無数の黒い影。これら全てが、炎を吐き散らかす悪魔だった。悪魔たちは人々が燃えていくさまを見ながら、下卑た笑い声を上げながら蹂躙する。誰一人とて例外はない。

 

上空には、この光景を静観する一人の人物。それは、まさしくプリームムの姿だった。

 

「……まあ、こんなところか」

 

一言。たったそれだけを言い残し、彼は去っていった。それを見ながら、ああこんな感じだったなと、冷めた目で見ていた。更に場面は変わる。

 

「うわあああ!? 子供たちが襲ってくる!?」

 

「誰かに操られている! 早く解呪の魔法を!」

 

「ねーねー、あそんでよー」

 

「たのしーよー!」

 

恐怖の声を上げながら逃げ惑う人々。子供たちを助けようと奮起する人々。そして、操られながら無邪気に笑い、手に手に武器を持って走り寄る子供たち。足元には、地面ゆえ分かりづらいが真っ赤な斑点が散らばっている。正に地獄絵図だった。

 

「術者を探せ! 術者を倒せば子供たちの目が覚めるはずだ!」

 

「おじさん! 向こうに怪しい人達がいたよ!」

 

指揮をとっていた中年の男性に、一人の子供が近づく。それは今の自分と瓜二つの、いや正しく彼自身であろう少年。幻影で姿を変えたプリームムだ。ただひとつ違うのは、このプリームムは腕がしっかりとついていること。

 

「その人達、魔法の杖を持ってなにかしてた!」

 

「そうか! おい皆! 近くに術者の集団がいるぞ! 手分けして探せ!」

 

無論、これは彼の仕組んだ罠。実際に子供を操っているのはプリームムの仲間であり、近くにいる杖を持っている集団、即ち連合の兵士は杖のメンテナンスのために軽い魔法を唱えていただけだ。このメンテナンスをさせている兵士の長も、彼側の人間。全てがミスリードを誘うためのものだった。

 

ふと、子供たちの一人を見てみれば。そこには昼間に纏わりついてきた少年の姿があった。少年は同じく昼に見た老人の喉にナイフを突き立て、やたらめったらにナイフを動かし、苦しむ老人を見ながら無邪気に笑う。昼間に見せた、屈託のない笑顔で。

 

「クク、随分と悪趣味じゃあないか」

 

「……この方法が効率が良くて無駄がない。そう思っただけさ」

 

いつの間にか横にいたエヴァンジェリンの言葉に、しかし冷淡な言葉で返す。

 

「さて、もういいかな」

 

声に反応して振り返ってみれば、幻覚のプリームムは幻覚を解除して水の『(ゲート)』を使って転移をしているところだった。水の中に消え、後に残ったのは混乱だけ。やがて目の前の空間がぐにゃりと歪んだかと思うと、再び小屋の中へと戻っていた。

 

 

 

 

 

「覚えていないはずだ……こんなどうでもいい、記憶の片隅にさえ留めておく必要さえない光景など」

 

彼からすれば、あれらは計画に必要な下準備。いちいちそれで被害にあった人間やら亜人やらを覚えておく必要など無いのだ。

 

「ふん、確かにこれは僕の記憶らしい。だが、それがどうした。僕に罪の意識でも芽生えさせて良心に訴えかけて情報を吐かせる気か? とんだ茶番だね」

 

人造生命体であり、偽の感情を与えられただけである自分に、精神的な搦手などはなから通用しない。それを皮肉って発言したが、彼女の笑みは崩れない。

 

「そりゃそうだ。私は別にお前にそんなくだらない事をするために、この幻想空間に引きずりこんだわけじゃない」

 

そう言うと、彼女は片手を頭上に向け、パチンと指を鳴らす。すると、今までいたはずの小屋の中ではなく、プリームムには見慣れた光景が広がっていた。

 

「ここは……」

 

「お前の最近の記憶から抽出した光景だよ」

 

そこは、彼が絶対服従する主の姿と、同僚の姿があった。

 

 

 

 

 

「……随分と悪趣味だね、吐き気を覚えるよ」

 

先ほどの光景を実行した彼が言えたことではないが、彼は率直に心情を吐露した。本当なら目の前の彼女に魔法の一発でもぶち込んでやりたいが、生憎彼女はこの幻影の掌握者。攻撃などしても無意味だろう。

 

「そうか、それは光栄だな。私は自分が意地の悪い悪党だと自覚してるんでな、褒め言葉にしかならんよ」

 

目の前では、元の姿のプリームムを含めた人物3人が、話をしているところだ。

 

「アレが元の貴様だから……あの怪しい黒ローブが貴様の主か。その横にいる、魔族のような奴が同僚といった具合か?」

 

「…………」

 

彼女の問いかけに沈黙するプリームム。ここで下手に喋ってしまえば、彼女に有利な情報を与えてしまいかねない。しかし、彼の考えとは裏腹に、ドンドンと組織の秘密や目的をばらしてしまう幻覚の自分。

 

「なるほどな、貴様らの主は"造物主"などと呼ばれ、目的はアスナの能力を用いて魔法世界を分解し、この幻影世界のような場所に送り飛ばすことか」

 

(くそっ! 目の前で秘密がバレていくというのに、何もできない……!)

 

無力な自分に思わず歯噛みする。これほど屈辱的なことをされたのは、主人たる造物主に造られてから初めてだろう。

 

「ククク、秘密が筒抜けなのを目の前にして何もできんのが悔しいか? 貴様は恐らくこの造物主とやらに造られてから不自由など何一つ感じていなかっただろうからな。貴様自身のスペックから考えれば容易に想像できる」

 

だからこそ、あえてこんなやり方で情報を抜き出そうとしているということか。なんという、憎たらしくも効果的なやり口。間違い無く、このエヴァンジェリンという人物は将来的に我々の大きな壁となりうる。否、既にその障害として立ちふさがっているのだ。

 

「強大であるがゆえに、お前たちは犠牲となった存在を忘れかける。私にはそれがたまらなく許せないのだよ……」

 

「下らない……たかが計画のための必要なプロセスでしか無い」

 

「若いなぁ。認めたくないとムキになるその姿、昔の私のようだ。言っておくがな、私達のような悪党が、奪ってきたものを忘れてしまえばそれはただの逃げ(・・)だ。毒とも思える後ろめたい過去を飲み干し、平らげてこそ……一流の悪党だと私は思う」

 

「……この僕が、君たちに劣るとでも言うのか」

 

「ああ、そうとも。今のお前は少し強いだけの人形。何もかも背負う覚悟を持った私達に、お前程度が勝てると思うか?」

 

返す言葉はない。実際、彼女らには手も足も出なかったのだ。

 

「面白い……!」

 

ここまで苦戦を強いられる相手は、『赤き翼(アラルブラ)』のあの男ぐらいだった。だからこそ、この少女の皮をかぶった悪魔を乗り越えてみたいと感じている。

 

(……なんだと?)

 

そう感じていた自分にハッとし、一瞬で頭が冷える。自分が、彼女に対してまるで人間のように対抗意識を向けている?

 

(馬鹿な……)

 

たしかに今、自分は圧倒的な逆境に立たされている。幻覚で姿が子供にされ、魔法も使えず腕がないために戦闘もまともに出来ない泥まみれの姿。そして、敵に情報さえ与えてしまう体たらく。彼からすれば首を括って主人に謝罪したい状況だろう。

 

しかし、今彼はかつてない感覚を抱いていた。あの憎たらしい赤髪の少年を相手取るよりも、この少女の優位に立つことを欲している。何故、どうして。

 

「自分の感情に振り回されていては、まだまだガキだ。お前は相応の年数を生きてきたのだろうが感情が未発達であるゆえに、まるで幼子のようだ。まあ、お前の数倍は生きているだろう私からすれば当たり前のことだろうが」

 

「……その指摘は不適格だ。僕に感情なんて」

 

「では今のお前はなんだ? 初めて感じる不便さに憤りながらも、それを乗り越えようとする心が見え隠れしている。二律背反のようでその実当然の昂ぶり……。まさに感情の暴走だ」

 

自分が、感情を走らせている。その事実を、プリームムは理解できなかった。造物主に製造されて以来百と余年。ただひたすらに主人のために尽くしてきた自分は、偽の感情を与えられただけの木偶(でく)だと思っていた。それが、違っていたというのか。

 

「たとえ造られた生命であろうと、魂が宿った存在に変わりはない。お前もまた、鈴音が言うには歪だがしっかりと魂を確認できたらしいぞ? 人形であるチャチャゼロがそうであるようにな」

 

「だが、それが感情を有する証拠となるものか!」

 

「ああ、なり得んだろうな」

 

「なら……!」

 

「ならば何故、お前は必死になって否定しようとする?」

 

その言葉に、プリームムは言葉を詰まらせる。答えられないのだ、自分が何故こうも必死に否定を貫こうとしているのかが。

 

「怖いのだろう? お前は感情を否定することで冷徹に、機械のように一定で在り続けて強さを維持してきた。感情は、時として邪魔になることさえもある」

 

「……ああ、そうだ。僕には必要のないものだろう……?」

 

「だが、それだけではただの機械とどう違う? 時に感情は、我々バケモノすら凌駕するチカラを発揮させる起爆剤ともなりうる。そして、人間的思考は感情によって生まれる。お前たちの目的達成には、邪魔者とているだろう? ならば有利にも働くはずだ」

 

「そうではあるだろうが……。一つ聞きたい」

 

湧いたのは、彼女に対する疑問。

 

「感情の有る無いでは、果たしてどちらが強いんだ?」

 

プリームムからの質問に、彼女は少し思考するような仕草をして、こう答えた。

 

「さて、な。私もよくは分からんのだ。感情を捨てた者の強みもあるが、それは果たして捨てない強さを持ったものを打倒し得るのか、とな」

 

エヴァンジェリンも、かつては人間に度々裏切られてきた苦い過去がある。その度に、もう二度と同情など抱くかと思ってきた。だが、結局そうすることはできなかったのだ。かつて本当に自分を友人だといってくれた者、涙を流しながら彼女と敵対した者、彼女と戦い、誇りを胸に散った者。彼らを思い出すと、どうしても無感動ではいられなかった。

 

「感情を最も発露するのは知性ある存在、即ち人間や亜人達だろう。そんな存在と、私は今でこそ決別したが、まだ魂は未練を残している。バケモノであり、人間の近くて遠い隣人となった私でさえ、彼らと同じでなくなったことを惜しんでいるのさ」

 

彼女は紡ぐ。彼を揺さぶる言葉の数々を。それがたとえ彼女の思惑通りの作戦だとしても、プリームムは聞かずにはいられなかった。自分が感じている、この『何か』を理解したいから。

 

「見て、聞いて、そして体感したはずだ。お前自身の過去の記憶から。必死になって生きている彼らは、強者であるお前にとっては羽虫のようなものだろうが、同じ弱者である今のお前は

彼らと同じだ」

 

それを考慮して、改めてどう感じたかと、彼女は問いかける。プリームムは、やはり同情する気持ちなど抱かなかった。だが、今度はなぜか、はっきりと思い出せる。こうして体験したのだから強烈に印象に残るのは当たり前だが、記憶の彼方へと押しやった光景でもある。思い出せなかったのは、記憶に留めるに値しない存在だったからだ。

 

それはこの幻影の中でも同じ事であったはずなのに。

 

「はっきりと覚えている……? 僕にとって瑣末な存在であるはずのものをか……?」

 

「それだよ、お前はまず、鈴音との戦いで恐怖を覚え、そしてこの幻影内で無力を知った。一度だけでも弱さを知ったものは、それと同等だった存在を忘れにくくなるものだ。感情的になる奴は叩き潰されやすいが、逆に弱さを知らない相手は足元をすくわれる」

 

「……忌々しいが、彼らは確かに足掻いていたよ。無駄だとしか言えないような状況で」

 

「そう感じている事実が、お前に感情を肯定させうる証拠というわけだ」

 

黙して、考える。確かに、感情的になることで欠点も生まれるだろう。だが、自分の目の前で笑っている存在は感情なき存在か。自分たちを追い詰める『赤き翼』は無感動か。それらを総括して考えをまとめ、彼はひとつの結論を出した。

 

「……認めよう。僕は、たしかに感情を有しているらしい」

 

肯定の言葉。彼にしてみれば本来意地でも認めなかったであろうことを、口にして認めたのだ。しかし、今の彼は既に不快感はない。考えてみれば、たかがそれだけのことを拘っていた自分が滑稽に思えてくる。認めてしまえば、意固地になっていただけの自分のなんと愚かなことか。

 

「いい顔だ。ようやく一歩を踏み出したわけだ、お前という生命は」

 

「フッ、なんとも複雑な気分だよ。敵であるはずの君にこんなことを気付かされるなんて、ね」

 

しかし、悪くはない。そう感じていた。まるで好敵手といえる存在と出会えたかのような、そんな不思議な感覚。

 

「君たちはたしかに、僕らの脅威だ。だが、それを打倒してみせてこそ……あのお方に造られた存在だと誇ることができる」

 

「ククク、私たちはそう簡単にやられはせんぞ? 我々を打倒するのは、悪党を駆逐する真の英傑のみ。たかが世界最大の悪党など、捻り潰してやるさ」

 

「苦労しそうだよ、『赤き翼』と君達を同時に相手するのは。まあ、それでも最後に勝つのは僕らだろうね、たかがバケモノ相手に負ける気なんかない」

 

「ククク、いいだろう! ならば万難を排し、万全を以って我らを打倒して屈辱を与えてみせろ小僧!」

 

敵に塩を送ってみせるエヴァンジェリン。そして、初めて感じる壁に挑戦する意気を見せるプリームム。幻想の空間で、悪党と悪党の笑いが木霊(こだま)した。

 

 

 

 

 

「デ、結局情報手ニ入レタラ返シチマッタノカ」

 

「ああ。これから面白くなるぞ、きっとな」

 

まるでクリスマスプレゼントを待望する子供のように、その期待を隠しきれていない主人を見て、チャチャゼロはため息をつく。

 

「コレ以上敵増ヤシテタラ、キリガネェト思ウンダガ……」

 

「どうせいずれは世界のすべてを敵に回すんだ、気にする必要もあるまい?」

 

再度、溜息を一つ。この主人は、器と威厳の大きさは流石なのだが、悪の大ボス特有の余裕を態度で示す癖はなんとかして欲しい。なんだか油断して足元を掬われそうで胃が痛む気がする。人形の体だというのに。

 

「……次会ったら……殺す……」

 

「鈴音ハ殺ル気満々カヨ……アスナ、怪シイ奴ニハ気ヲツケロヨ?」

 

「うん、わかった」

 

最近、この二人の相手ばかりしているせいか保護者的な立ち位置になってきたチャチャゼロ。だとすれば、エヴァンジェリンは威厳のある父親か、などと考えていたが、思いの外それがよく当てはまったのでなんとも言えない気分になった。

 

(アーア、昨日ノ緊張感溢レル戦イガ遠イ昔ニ感ジルゼ……)

 

騒々しいのも嫌いではない。しかしもっとこう、戦いの余韻ぐらいは感じさせて欲しい。久々に肉体を解体したので満足はしているが。

 

「もっと修行して、早くマスターの役に立ちたいなぁ」

 

「焦る必要はない。この戦争中は少なくともお前を戦わせるわけにはいかん。いつ油断を突かれるか分からんからな」

 

「うぅー、分かりました……」

 

アスナとて自分の実力不足は自覚している。ナギとの戦いの時よりは強くなったとはいえ、まだまだ修行も基礎の段階。無理に戦闘に参加して足手まといになるよりましだ。

 

「さあ、役者は揃い始めた……。後は貴様次第だぞ、小僧」

 

 

 

 

 

『……プリームム、遅かったな』

 

『そ、その腕はどうした!? お前がそれほど深手を負うとは……』

 

『はっ、遅れまして申し訳ありません。かの人物を追っていた際にこの手傷を負わされ、惨めな逃走をしてきた次第です』

 

『その割に……随分といい顔をしているな?』

 

『ああ、今までで一番最悪で……しかし楽しい。そうか、これが楽しいというものなのか。存外悪くない……』

 

『なんと……あのプリームムが、楽しいなどと……』

 

『……感情を、発露したか……』

 

『その通りです、主よ。ですが、もう私は否定するつもりはございません。この感覚を胸に、私は更に御身のため粉骨砕身する次第です。もし、感情を得た私が不要だと思われるのならば、どうぞ主の手で処分して頂きたい』

 

『……よい、お前の働きが鈍るなど、元より思わぬ……人間のように情を抱いて機を逃すような不出来に造った覚えはないのでな……』

 

『しかし、連れて行ったセプテンデキムとアートゥルを失いました。せめて、何か処断をして頂きたく存じます』

 

『なっ!? あの二人がか! 調整はかなり上手くいっていたはずだというに』

 

『……早急に、予備の調整をするべきか……』

 

『それはこのデュナミスめにお任せを。主の手を煩わせるわけにはまいりませぬ』

 

『……プリームムよ、私はお前に信を置いている。……お前を罰するは、お前を信じて任せた私の責任となる。……故に、これは私の失態だ……お前を罰する理由はない』

 

『はっ! お心遣い感謝致します』

 

『それで、二人を倒すほどの人物……何者だ? たしかお前は、アリアドネーの才女を追っていたはずだが』

 

『ああ。しかし、彼女の足跡を追っているうちにある人物に繋がったんだ』

 

『……その人物とは』

 

『かの『闇の福音』、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルです』

 

『なっ!?』

 

『……そうか……彼女が……』

 

『主よ、面識があるのですか?』

 

『……少し、な……』

 

『エヴァンジェリンといえば、『黄昏の姫巫女』を奪った小憎たらしい小悪党ではないか!』

 

『デュナミス。彼女らを舐めてかからないほうがいい。正直、今の僕等ではかなりきつい相手だと言わざるを得ない』

 

『ムムム、お前や私が相手でようやくということか?』

 

『負ける気はないが何とか五分だろう。加えて、かのアリアドネーの才女の正体は『狂刃鬼』、僕達とは相性最悪な人物だ』

 

『相性最悪……どういうことだ』

 

『彼女が何者なのかは分からないが……『魔法無効化(マジック・キャンセル)』、またはそれに類似した能力を有している』

 

『なにっ!? まさかウェスペルタティア王家以外の者が……。そうか、お前のその負傷はその『狂刃鬼』によるものか!』

 

『……そうか。……しかし、その人物の能力の明確な正体が分からない以上……』

 

『狙うべきはやはり『黄昏の姫巫女』、ですか』

 

『主よ、私は至急残りのスペア達の調整を行なっておきます……』

 

『……そうか。……プリームム』

 

『はっ、ご命令ですか』

 

『……その者らには、今後も注視しておけ……』

 

『はっ。では私も、『赤き翼』の対策を考えておきます』

 

『…………因果なものだ…………』

 

 

 

 

 

「『完全なる世界』の本拠地が分かった!?」

 

部屋の中に、若い少年の声が木霊する。その声の主こそ、現在各地を転戦しながらプリームムらが所属する組織、『完全なる世界(コズモエンテレケイア)』の末端組織を潰して回っている『赤き翼』の若きリーダー、ナギ・スプリングフィールドである。

 

「ああ。彼奴らめ、とんでもないところに居を構えておったわ」

 

対照的に、冷静に返事をしているのはアリカ・アナルキア・エンテオフュシアである。ウェスペルタティア王国の王位次期継承候補であるが、彼女は今『赤き翼』とともに指名手配を受けている身だ。

 

「よもや我がウェスペルタティアの下に広がる、『墓守り人の宮殿』に潜んでおったとは、さすがの私も気づかなんだ」

 

「"灯台下暗し"ってか? しかしまあ、これでようやく奴等を根本から叩くことができるってわけだ」

 

「そうじゃの。やれやれ、ようやく戦争を止める目処が立ちそうじゃ」

 

今まで彼らもただ虱潰しに末端組織を潰しまわっていたわけではない。『完全なる世界』の考えについてゆけず、ナギ達に強力を申し出た人物との情報の共有や、ナギ達に味方する人物たちとのコンタクトを行なっていたのだ。今では、その輪は魔法世界中に広がり、『完全なる世界』の野望を阻止すべく奮闘している。

 

「アリアドネーのカットラース議員も、我々に協力してくれるとのことです」

 

「武装中立を貫くアリアドネーの精鋭、『戦乙女旅団』の協力があれば、大きな対抗戦力を得るに等しいでしょう」

 

そんな皆の表情は明るいが、一方でアリカの顔は対照的だ。

 

「どうした姫さん、そんな辛気くさい顔してさ」

 

「いや、『完全なる世界』については問題ないのだが……。むしろもう一方(・・・・)に打つ手が無いことが悔やまれてな……」

 

もう一方。『完全なる世界』とは別の意味で因縁深い一派。『闇の福音』とその一味だ。彼女らはアスナを攫い、更に彼らに宣戦布告までしてきた存在。そして、現状で『完全なる世界』の幹部クラスを凌ぐ実力者が少なくとも二人いる。未だ大きく活動をしてはいないようだが、決して無視できない存在だ。

 

「心配すんなって! アスナのことはもう、覚悟を決めた。なんであいつらについて行くって決めたのか、理由は知らねぇ。だけど、あいつはそれを自分なりに決断して、覚悟してる。だったら、俺も真正面からぶつかってやるさ!」

 

「そう、じゃの。アスナもそれを望むじゃろう」

 

「もう、負けたりなんざしねぇ……大事なもんは全部、この手で護り抜いてやる! 奪われたら、奪い返してやる! 俺は絶対に諦めねぇ……!」

 

ナギの、峻烈な覚悟。それを目の当たりにした、若き戦士たちも、心のなかで覚悟を固める。

 

(薫さん……もう僕は諦めません……!)

 

(絶対に、強くなって……貴女に届いてみせる)

 

役者は集う。最後の戦いの足音が、迫り始めていた。



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第十話 父と娘

親と子。近くて遠い、見えない壁。
絆を取り戻すのは、誰の言葉か。

1ヶ月近く空けてしまい、申し訳ありあせん……。
今後は、長く投稿が滞った場合は作者ページの活動報告を
投稿いたします……覚えていればですけど……。


ウェスペルタティア王国。その王家、現王位継承者はアリカの父である。幼い頃からあまり笑ったところを見たことがない無愛想な父が、アリカは苦手であった。

 

『ちちうえは、ははうえをあいしておられたのですか?』

 

ある時、アリカは父にそんなことを尋ねた。幼い頃から聡明であった彼女は、しかし早くに母を亡くし、父も政務で忙しかったがゆえに乳母や世話係の老人に育てられ、本来の親からの愛情は乏しかった。故に、彼女は父に問うた。彼女の誕生に、愛は存在したのかと。

 

『…………』

 

対する父、国王たる男は黙りこくっている。その眉間には深いシワが刻まれ、年齢相応の威厳、重圧を感じ取れた。父と会うこともあまりない彼女は、彼が怒っているのかと思いそわそわとしている。会う機会がないからこそ、今この場所で彼に問いかけたのだが、軽率な行動であったと今更ながらに気づき、涙目になりそうだ。

 

『……ああ、そうだ……』

 

短く、しかし厳かなる声。父は確かに、アリカの母である女性を愛していると肯定した。その答えに、アリカは一瞬呆けた顔をしたかと思うと、目元の涙を両の腕で拭い、彼から聞けたことから湧いた少しの嬉しさから笑みを浮かべる。その様子を見て、彼はアリカの小さな体を、その両の腕でひょいと持ち上げると、その大きな胸の中に抱き入れた。

 

『ちち、うえ?』

 

その突飛な行動に、アリカは戸惑う。父と娘という関係でありながら、触れ合うといったことが全くなかった父に抱きかかえられるなど、考えもしなかったのだ。

 

『……アリカよ。我が妻であったお前の母は、美しく、気高かった……』

 

『はい』

 

『私は、お前を愛してやれるか分からぬ。お前は彼女に似て聡明であり、美しい。しかしお前は母とは違う。だから愛してやれるか分からぬのだ……』

 

彼の言葉を、アリカが理解できていたかはわからない。彼女は賢くはあれど、所詮は幼い少女。彼のその言葉を、正しく理解できるほど年月を経ていない。だが、彼女は彼のその雰囲気を何となく感じ取ったのであろうか。

 

『だいじょうぶです』

 

彼の顔を見上げ、ニコリと微笑む。屈託のないその太陽の如き笑みは、彼の心を揺らす。

 

『わたしは、ちちうえの、そしてははうえのむすめですから!』

 

『!』

 

その言葉は。今まで悩み続けてきた彼の心に光明を差すものであり。彼が悩んでいたことが馬鹿馬鹿しくなるほど当たり前の言葉であり。

 

『……アリカ』

 

彼は、彼女が苦しくないように手加減しつつ、彼女を抱いている腕の力を強めた。

 

『ちちうえ?』

 

『……ありがとう』

 

『え?』

 

『愛しているぞ……我が最愛の娘よ』

 

アリカは、腕の中から彼の顔を見上げる。そして、自分の父である彼の、初めての表情を見た。顎に蓄えられた立派な髭がくすぐったく、陽の光もあってしっかりと見えはしなかったが。彼は、娘である彼女に確かに……微笑みかけていた。

 

今でも覚えている。アリカが尊敬し、大好きであった父の、初めての笑顔。彼女の記憶に刻まれた、優しき父の姿を……。

 

 

 

 

 

「よいな……もはや父上は"敵"だ。合図をしたら突入する」

 

「本当に、よろしいのですか姫様……」

 

「……覚悟の上だ。もはやこれ以上の国内外の惨状は見過ごせぬ……」

 

自分を育ててくれた老婆、自分の母代わりとも言える人物に心配されたアリカの顔は暗い。その事実を知ったのはほんの数週間前。父が『完全なる世界』と繋がっているという恐るべき内容であった。彼が政治に最近関心を向けない理由が、それであったということを知ったときは流石のアリカも呆然となったものであった。

 

(……父上、何故……何故国を裏切られたのです……!)

 

常に近くから彼を見てきた彼女は、しかしよく彼のことを理解していたかといえば違う。ただ、国のために政務に励む彼の姿を、彼女は覚えている。そんな彼が何故、国を裏切るような真似をしたのかが理解できなかった。

 

「こちら東門……そちらの準備はどうだ」

 

今、彼女はその父に事の真相究明と王位簒奪のためにクーデターを起こそうとしている。指名手配中である身でありながら、そんな自分に付いて来てくれた兵士たちにはほとほと頭が下がる思いだ。

 

「そうか……。アリカ様、『赤き翼』も所定位置についたとのことです」

 

クーデターなどという、国家をひっくり返すことをやらかすには、それ相応の時間と準備が必要になってくる。しかし、彼女はその手腕とカリスマ性で的確に指示を行い、僅か2週間でクーデターの準備を完了させた。これは、国内の戦力を握る貴族の者達が無能ぞろいであったことも幸いしたのだが、それでも準備期間としては驚異的な短さである。

 

「……時間です。突入の準備を」

 

「……皆、征くぞ」

 

 

 

 

 

「……私に何用だ、賊よ」

 

「何、貴様には会っておいてみたかっただけだよ、ウェスペルタティア国王」

 

謁見の間にて、ウェスペルタティア現国王の男は、この茶番の行く末を待ち構えていた。そんな彼は、娘に嫌われることを承知で王としてあり続けた。相応の地位についたものに、孤独は珍しいことではない。甘言を振りかざす魑魅魍魎と日常的に戦っているのであれば人間を信用しなくなるのも頷ける。

 

「お前は、何故奴等の協力者となったのかをな、聞いてみたいんだ」

 

「……そんなくだらぬ話のために来たのか。去れ、これよりこの国は大きく揺れるだろう」

 

「警備兵を呼んで捕縛しないのか? お優しいことだ」

 

「貴様のような不愉快な邪悪にこれ以上、見つめられるのが心底うんざりするだけだ」

 

対話をしているのは、金髪の美しい少女。エヴァンジェリンである。彼女はこの国王が『完全なる世界』の協力者である事を突き止め、此処へとやってきた。彼女が興味を抱いた、彼のある行動を問いただすために。

 

「しかしまあ、国が揺れるどころではないだろうに。ある種の革命だぞ? 貴様はどこかに逃げなくていいのか?」

 

そんな彼女の問にも、彼は鉄面皮で淡々と答える。

 

「余計な心配は要らぬ。元より、ここは私の生まれた地。そして私は今はまだ王の位だ、逃げ出すわけにもいくまいに」

 

「……嘘つき……」

 

突然の、エヴァンジェリンの背後からの声。柱の影から現れたのは、これまた黒髪の麗しい少女、鈴音であった。

 

「……嘘か真かなど、たかが(わらべ)に分かるものか? 戯言も大概に」

 

「……魂が、泣いてる……」

 

そんな言葉とともに視線を合わせた彼は、その鉄面皮を維持しながらも内心驚愕した。まるで、自分の中身を見透かされているかのような感覚。彼女の言う通り魂というものが己のうちにあるのならば、泣いていると言うよりも怯えているというべきだろう。それ程に、彼女の黒く冷たい眼差しは何かを秘めていた。

 

「……娘が、愛しい……」

 

「!」

 

「……私には、分かる……」

 

そう言いながら、彼女は己の腰に佩いた日本刀を抜刀する。暗がりの中であるため、窓の外から漏れだした光を反射し、キラリと光っている。次いで、彼女は一歩。前に踏み出した。

 

同時。彼女は国王の前にいた。いや、そこに現れた。

 

「っ!」

 

リィン

 

鈴の音。澄み切ったその音は謁見の間を静かに響き渡った。思わず反射的に目をつぶってしまうがそれで何かが変わるわけでもない。迫り来るであろう刃を目を閉じながら想像し、それによって齎されるであろう痛みに備えた。しかし、何時まで経ってもその時は来ない。

 

「……目を開けろ……」

 

彼女の言葉を耳にし、恐る恐る目を開ければ……。

 

「なんと……」

 

目に入ったのは、恐ろしいほどに美しい、(あか)

 

金属的な赤みを帯びていながら、血のような脈動を感じさせる対照的な印象を抱かせる。

 

一振りの剣にしては、余りにも規格外な代物。

 

芸術家も裸足で逃げ出すほどの神秘。

 

「……我が『紅雨』は、父より賜った……」

 

これほどの逸品を、国王は見たことがない。いや、芸術品やら調度品やらであれば見たことはある。しかし、これほどに寒気を覚える幽玄な刃を、彼は知らない。

 

「……父の剣だ……父は……私を生かすために……これを私に与えた……」

 

首筋に感じる冷たさは、恐らくこの紅が肌に与えているらしい。見れば、この紅を更に濃く染めるかのように一筋の赤が滑り落ちていく。それはさながら、この刃が己の内に流れる命の水を啜るかの如く。血が刃に滲んでいき、そして消えていく。刃は気のせいか、ほんのりと赤みを増したように見えた。

 

「……貴様の目は、父と同じだ……」

 

その使い手の瞳は、深い闇を湛えて輝いており、しかしすべての光を飲み干したかのように暗く重い。彼はそれだけでよく分かった。彼女は父を尊敬し、そして失ったのだと。

 

「……娘の幸せなど……考えていない……!」

 

刃が僅かに震える。ああ、彼女は分かってしまったのか。同じ父であったが故に。自分のような身勝手な父親をもったが故に。

 

「……なぜ……娘に(・・)殺させようと(・・・・・・)する……!」

 

「……それが、最善であるからだ……」

 

彼女は民衆に大きく支持されている。かつての自分のように。かつて高潔なる人物などと煽てられた(・・・・・)自分を見ているかのようであった。いや、彼女は自分で考えて行動し、正しき心を持っている。自分のような、傀儡にされ続けた愚か者ではない。そんな彼女に王位を簒奪させ、国内の腐敗貴族を一掃させ、民衆とともに有る為政者を。

 

「そのために、ここまで仕込みをしたのだな」

 

エヴァンジェリンの言葉。そう、全てが仕組まれていた。わざと政治に無関心を装って民衆の不満を膨らませ。腐敗貴族の幅をきかさせてボロを出させ。彼女がここに来た理由も、本当は鈴音のたっての頼みだった。彼女は、彼の心の内に気づいて問いただしにきたのだ。

 

「……私は、『完全なる世界』の手駒として生きてきた。それに不満もなかったし、我が臣民と家族を守れるのであれば十分であったよ」

 

「…………」

 

「……お前たちは、『完全なる世界』が作り上げた"世界"を見たことが有るか?」

 

「そういうお前は、見たことがあるのか?」

 

「……ある。あそこは……(おぞ)ましい場所であった……」

 

一度だけ。彼らに深く関わる協力者として、彼らの『目的』を見せて貰ったことがある。そこは、皆が皆平和であり、争いはなく、苦しみも、憎しみも、悲しみも存在しない。

 

「……あそこには、何もない(・・・・)

 

精神を満たす場所ではあるだろう。事実、自分は大きな幸福感を得ていた。しかし、何かが欠落していた。充たされない、言い知れぬ何かを感じたのだ。

 

「あんな所に……我が臣民を、娘を放り込めるものか……!」

 

密かに彼らと道を違える決意を決めた後、彼らに抗うすべを持たない彼は壮大な茶番劇を仕掛けることにした。その主役は娘、そして道化は自分。

 

「皮肉なものだな、国民を裏切り続けた貴様が、貴様だけがその脅威に立ち向かえるただ一人であったなどとは」

 

「……これは罰だ。私に対する、罰なのだ。裏切り者は所詮理解されずに死んでいくもの。だがそれでいい……あのような悪夢に永劫囚われ続ける未来よりは遥かにマシだ。思い通りにいかない現実とは、かくも苦しく……しかし素晴らしい」

 

目を閉じ、そんな感慨深気な言葉を呟く。彼はもう死ぬ覚悟を固めている。その姿はいっそ清々しいほどに高潔な意志を見せる。娘に自分を殺させるという親として最低の行いをさせようとしているのにも、だ。

 

「ふん、狂人め。残される者達の末路さえ考えないのか、いいご身分だな」

 

「……私は、妻を失ってからずっと孤独であった。娘さえ、どう接してやればよいか分からず、寂しい思いをさせてしまった。それでも、娘を愛していることに変わりはない……。例え彼女の歩む未来が茨の道であろうとも……今は彼女を支える者達がいる」

 

身勝手で、親のエゴを剥き出しにした彼の願望は、彼女を大きく傷つけ、苦難の道を歩ませるだろう。しかし、甘やかすだけが親ではない。厳しき道を示すこともまた、親の務めだ。彼が情報を彼女にわざと流したのも、彼女を支えてくれる人物たちと出会い、共に戦い、その絆を深めたことを確認した上でのこと。

 

「私では無理だ……彼女に必要なのは、困難に打ち勝つ意思と、それを支える仲間。それが今、彼女には、娘には備わっている……」

 

実の父親相手であろうとも、悪徳を許さない清廉なる意思とそれを支持する者達。もはや父であるだけ(・・)の自分は必要ではない。

 

「貴様らにも、感謝しておる」

 

「……なんだと?」

 

「『黄昏の姫巫女』、いやアスナ姫のことは私の考えの外であった。彼女は『完全なる世界』の目的に必要な人材であったゆえ、どうすることもできず……本来であれば娘とその仲間たちに託すつもりであった」

 

しかし、エヴァンジェリンが彼女を攫ったことで彼の想定以上の展開となった。アスナは自分の意思を持つようになり、道は違えたが幸せにしている。アリカは、彼女を奪われたことから

心のなかにあった油断や甘さを見直すきっかけを得た。

 

「私には、どうすることも出来なかった。何もできずに来たせいで、最早こんなことでしか彼女らに手向けることができない。貴様ら悪党を、彼女らを苦しませる貴様らを許したくはないが、それでも感謝ぐらいは述べたかった……」

 

「別に感謝などいらん。私はお前の娘という宿敵を得ることができたのだ、それでチャラにしろ」

 

「……そう、だな。さあ、去れ……もうすぐ娘と兵がここに来るだろう」

 

年寄りには見えない、王の威厳を放つ鋭い眼光。だがエヴァンジェリンはそれに微塵も怯むことはない。むしろ、その顔は喜色に満ちていた。

 

「そういうわけにもいかんのだよ……」

 

ニィと、その口の端を吊り上げ、邪悪な笑顔を見せつける。その様を見て、さしもの王である彼も背中から冷や汗が流れる感覚がした。

 

(なんだ……このバケモノ、何を企んでおる……)

 

とらえどころのない、目の前の少女。その考えていることが全く読めない。

 

「これがなにか知っているか?」

 

そう言って彼女が懐から取り出してみせたのは、黒くて四角い重厚な箱。彼が初めて見る代物だ。

 

「私は旧世界で人間とともに生活していたことがあってな。その時にたまたま触れる機会があったんだが、それがトランシーバーというやつでな……魔法も使わずに離れた人物と話ができるという面白い機械だ。まあ、そこでだと電波法やら何やらで使う機会がなかったんだが、魔法世界なら問題あるまい」

 

「……機械か。魔法の秘匿されている旧世界で発展した、科学技術とやらの結晶……」

 

「ほう、存外旧世界の情報も知っている辺り中々優秀らしいな。流石に長く続いているウェスペルタティア王国の現国王だ」

 

「御託はいい。その機械で何を仕出かすつもりだ」

 

彼の眼光は、さきほど彼女らに感謝を述べた時に見せた優しいものではなく、最初に対峙した時の鋭く射抜くものとなっている。いや、むしろ彼女らに警戒をしている今はそれ以上だといえる。

 

「言っただろう、離れた(・・・)人物と(・・・)話ができる(・・・・・)と」

 

「だから、それがどうしたと……」

 

苛立たしげに言葉を吐き出す。その様子を見て、エヴァンジェリンはヤレヤレといった風に首を振りながら、驚くべき言葉を言い出した。

 

「先程からの会話、この機械を通して漏れ出していると言ったらどうする?」

 

「なっ!?」

 

 

 

 

 

「なんと……国王様はそんな葛藤を抱えられて……」

 

「ケケケ、マア王様ナンテ大体ソンナモンダロ。周リガ国賊バッカジャ、誰ニモ心ヲ許セナイモンサ」

 

こちらは王宮の廊下をひた走っていたアリカ達と、エヴァンジェリンのトランシーバーから流れてくる音声を拾う役目を負ったチャチャセロ。一連の会話は、彼女らに駄々漏れであった。

 

「父上……やはり、あなたは……」

 

「急ぎましょう、姫様。今こそお二人は腹を割って話すべきですじゃ!」

 

もう一人の母とも言える老婆のその言葉に頷くアリカ。

 

「ああ……私も、父の本当の心の内を知りたい!」

 

「感謝シロヨー、オレ達ガ気マグレデコンナコトシテナキャ、今頃王様ノ本当ノ気持チヲ知ラナイママ殺シテタカモナ?」

 

ケタケタと笑うチャチャゼロに、苦い顔をするアリカと兵士たち。彼女らからすれば、目の前の人形はかつてこの王宮に侵入し、アスナを連れ去ったという前科があり、本来であればここで即刻捕えるべきなのだが今の二転三転した状況ではそんなことも言ってられない。

 

仕方なく、彼女はチャチャゼロを無視して謁見の間へと無言で進んでいった。それを後から追う兵士と、その様子を眺めてなお笑うチャチャゼロ。

 

「感謝ノ言葉モナシカヨ。マ、当然カ……」

 

そう言うと、チャチャゼロは廊下の影になっている場所に向かって手を挙げる。すると、そこから一人の少女が姿を現した。チャチャゼロはトランシーバーをその人物に手渡す。

 

「デ、オ前ハコレカラドウスルヨ、アスナ」

 

「……気にしてくれてたってのはありがたいけど、結局何もしてくれなかったことには変わりないし、どうでもいい」

 

アスナであった。今回のこの一連の行動は、鈴音がアスナに残った最後の選択を決めさせるために考えたのだ。この会話で彼女が戻りたいと願うなら、戻してやろうと。彼女はバケモノ扱いされてきたが、あくまで人間でしかない。これから先を考えれば、彼女には辛いことが山ほどのしかかってくるだろう。

 

だからこそ、彼女に最後に選ばせようとした。彼女が本当に一緒にいたいと願うのはどちらであるかを。

 

「……戻ッテモオレ達ハ何モ言ワネーゾ? オ前ヲ強引ニ連レテ来タ事ハ後ロメタイシ、アクマデ魂モ肉体モ人間ノオ前ニハ辛イコトガコレカラ待チ受ケテルゼ?」

 

「それでも、それでも私は皆といたいの。私を必要だと言ってくれたマスターと、私と一緒にいてくれた鈴音と。そして、私のワガママに付き合って頭を撫でてくれた、チャチャゼロと」

 

笑みを浮かべる彼女に、悲壮感も、葛藤もない。とてもスッキリとした様子だ。

 

「……ソーカ。ダッタラ、モウ後戻リナンテデキネーカラナ? ドレダケ泣キ喚イテ、人間トシテ生キタイナンテ言ッテモ遅イゾ?」

 

「それこそ今更じゃない。だって私は、マスターの誇り高きシモベなんだから」

 

 

 

 

 

「ククク、面白いことになりそうだなぁ?」

 

憎たらしいほどに"イイ"笑顔である。さしもの彼もこの所業には開いた口がふさがらなかった。なにせ、彼が長い時間を掛けて仕組み、発覚しないよう綱渡りしてきたことをあっさりと茶番に変えてみせたのだ。

 

「貴様……一体何を企んでいる!?」

 

「さて、な?」

 

「おのれ……! うっ、ゴホッゴホッ!」

 

興奮気味に叫ぼうとし、突如咳を発して口元を抑える。見れば、そこには赤い(まだら)ができている。その様子を見て、彼の首筋に剣を当てていた鈴音は刃を収める。

 

「病か、道理でこんな七面倒な計画を企むはずだ」

 

「貴様に言われずとも、ゴホッ! 私の体だ、私が一番よく分かっている……。このことを悟られぬよう慎重に慎重を重ねたというに……貴様のせいで全て水の泡だ!」

 

ようやく咳が治まってきたのか、彼は最後に少し唸った後にゆっくりと玉座に座り直す。

 

「あと1週間ももたぬだろうな……。医者にかかれば貴族の豚どもに暗殺されかねん故、死を覚悟していたというのに……」

 

「ククク、私にはむしろ別の理由が見えたがなぁ?」

 

「……どういう意味だ」

 

相変わらず嫌らしい笑みを浮かべたままのエヴァンジェリンに、訝しげな顔をする王。何を企んでいるのかは分からないが、どうせろくでもないことであることだけは想像に難くない。この悪党は非常に質が悪い輩であると、これまでのやり取りでよく分かっている。

 

「貴様は、怖いのではないか? 自分の娘に拒絶されることが」

 

「何を言うかと思えば、実の娘に殺されようという者が、そんなことを考えるとでも」

 

そこだ、と言いながら彼女は人差し指を突き出す。その指をゆっくりと、ぐるぐる回し始めて話を続ける。

 

「そこが確定しているのがおかしい。逆転の発想で考えれば全く別の視点が見えてくる」

 

「……言ってみろ」

 

「貴様はさっき言っていたな? 自分は国も国民も裏切った者だと。だからこそ、このまま裏切り者として娘に拒絶されるような生き方よりも、憎まれ役で初めから彼女に敵意を向けられる事を覚悟する死の方が気が楽に感じられた……そんなとこだろう」

 

「根拠もない妄言ではないか、下らん」

 

彼は彼女の言葉を一蹴するが、しかし彼女の笑みは崩れない。さながらその様は、絶対的な自身を身につけた邪悪な王者。王である自分でさえ、彼女の前では只の人間でしかないと直感的に思わせるかのような立ち振る舞い。

 

「貴様は娘と触れ合うことが少なく、それ故娘との距離感を上手くつかめずにいる。王としては孤独を是とするその姿勢は見事だろうが、父親としては失敗だった。お前は、娘を愛していながら彼女を理解できていない。時が止まっているかのようにな」

 

「……戯言だ」

 

「いや、自分の心も理解できていないのかな? 娘が大事なのは頭で理解できていても、心で彼女を愛しているかは分かっていない」

 

「ッ黙れ!!!」

 

咆哮ともいうべき、彼の大声が部屋中に響き渡る。立ち上がり、ぜいぜいと息を乱しながらエヴァンジェリンを睨みつけるが、呼吸の乱れのせいでまたゴホゴホと咳き込む姿は酷く弱々しい。

 

「まあ、部外者である私が言うことではないがな。あとは、親子水入らずで話すといい」

 

そう言いながら、彼女は影へと溶けていく。鈴音はそのあとに続くように、柱の影に消えていった。彼は息を落ち着かせると、ゆっくりと座って目を閉じる。そして。

 

「父上……!」

 

彼が先ほどまで待ち望んでいた、しかし今は出会いたくなかった、愛娘の姿があった。

 

 

 

 

 

「父上……」

 

「……来たか、アリカ王女(・・)

 

親子というにはよそよそしい、彼の言葉にアリカはしかし怯むことなく彼を問い詰める。周囲の兵たちはいつでも彼女を守れるよう、剣の柄に手をかけている。

 

「……先ほどの会話、真なのですか?」

 

「……何の話だ」

 

「ですから、先程『闇の福音』との会話は真なのかと」

 

「黙れ」

 

「っ!」

 

彼に質問を投げ続ける彼女を、たった一言で止める王。あまりにも冷淡な態度に、彼女の世話役であった老婆は彼に問い詰めようとするが、それをアリカは無言で手をかざして制す。

 

「あのような賊との話など、よもや信じるつもりか? あのような戯れにもならぬ下らぬ会話を」

 

「しかし!」

 

「これ以上話すことなどあるまい。そこの兵隊たちはお前の手のものだろう?」

 

王から咎めるような視線を向けられ兵士たちに若干の動揺が走るが、すぐに平静を取り戻す。伊達に王宮の警護についてはいないのだ。

 

「革命か。随分と過激なことをする……。よもや我が娘がこのような野蛮人の如き企みをするとはなんとも愚かな……。これでは彼らに申し訳が立たんではないか……」

 

「……彼ら、とは……『完全なる世界』の者たちのことですか」

 

「ふん、知っているか。ならば彼らの崇高なる目的も知っていよう」

 

「父上……」

 

「私は最早愚かな民を統治することに疲れたのだ……彼らの理想を達成することで、私は永遠の安息を」

 

「父上!」

 

彼女の声に、王は言葉を止める。彼女の真剣なその顔に、彼は思わず言葉を止めてしまったのだ。その姿は、かつて彼が最も愛した女性と瓜二つであり。

 

(あ、アリア……)

 

最愛の娘(アリカ)と、最愛の妻(アリア)。彼にとって、かけがえのない二人。

 

「父上、ただ1つだけ……お聞きしてよいでしょうか」

 

「…………よい、申してみよ」

 

先ほどの茶番を無にしようと、『完全なる世界』の名前まで出して道化を演じたというのに。今眼の前にいる彼女の瞳は、自分のすべてを見透かしているかのようで。

 

(……存外、あの賊の言う通りなのやもしれん……)

 

彼女を直視することを恐れている自分を、今になって認識している己に、呆れてしまう。実の娘を恐れるとは、一国の王である前に父親として失格ではないか。そんな自分が滑稽で、内心自嘲の笑いがこみ上げてきたが、ぐっと口元で抑える。

 

「……どうした、早く申せ」

 

「……すみません、父上。私は怖いのかもしれません……貴方に再びこの質問をすることが」

 

怯えたような、引きつった表情の彼女を見て彼は疑問符を浮かべる。何故私に怯えている。やはり私を拒絶するのか、裏切り者である自分を。いや、だが彼女は"質問をする"ことを恐れている。いったい、どんなことを聞こうとしているのだ。

 

「……幼い頃、父上に同じ質問をしました」

 

その言葉を聞き、彼は記憶を手繰り寄せようと思考を巡らせるが、幼いことに彼女と話し、質問を投げかけられたことを思い出すも内容までは出てこない。

 

「覚えている……お前がまだ10にも満たぬ頃であったな……」

 

「父上、この場で再びお聞きします……。今もまだ、母を愛しておられますか?」

 

「…………」

 

沈黙。しかしこれは彼が彼女の質問を拒絶しているからではない。目を瞑り、彼女を抱きかかえたあの時を懐かしむ。彼にとって、あの時間は父親としてかけがえのないものであった。

 

「……父上?」

 

「……懐かしい。お前を抱きかかえ、私はお前に言ったな……お前を愛せるか分からぬと」

 

天井を仰ぎ見て呟く。そこに、王としての厳かな雰囲気は感じられず。一人の臆病な父の姿があるだけだった。

 

「今一度答えよう、()よ。私はお前の母を、妻を……アリアを愛している」

 

ゆっくりと天井から視線を落とし、目の前に立っている愛娘へと顔を向ける。その表情は。

 

「!」

 

「そして、お前もだ……アリカ(・・・)

 

柔和なほほ笑みが、父親として娘に向ける暖かなものが感じ取れた。

 

「わ、私もです……父上……!」

 

アリカは思わず彼に駆け寄り、父は両腕を開いて迎え入れ、抱きしめる。老婆はその二人の姿を見て、目尻を下げる。

 

「なんとも、難儀なところが似たものですじゃ……。お互いに距離がありすぎて、臆病になっていただけでしたのじゃな……」

 

気づけば、彼女の目元には薄っすらと水滴が滲んでいた。しかし、それを拭うことなく彼女は二人の光景をしかと目に焼き付けようとし。

 

「っ! 危ない!」

 

誰の声であっただろうか。兵士の一人のものであったのだろうその危険を知らせる叫びは、しかし彼らに届くことなく。とっさにアリカを突き飛ばした彼は。

 

「グフッ……!」

 

死角から現れた鈴音の凶刃を、躱すことなど出来なかった。

 

 

 

 

 

「ちち、うえ……?」

 

アリカには、倒れゆく父の姿がゆっくりに見えた。あるいは、世界は静止してしまったのかもしれない。自らの父の腹部から止めどなく溢れ出る鮮血は、真っ赤な絨毯をなお赤に染め上げる。

 

「国王様!!!」

 

兵士たちの叫び声に、アリカは意識を現実に引き戻す。そして目の前にいる、己の父の腹に刃を突き刺した鈴音を見つける。彼女はゆっくりと彼から愛刀を引きぬき、血振りをしている。

 

「きっ……」

 

「……手応えあり……」

 

「貴様ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

半狂乱になって叫びながら、腰に帯びていた剣を抜き放ち。彼女に向かって突進した。

 

「よくも……! 父上を……っ!」

 

怒りに我を忘れ、暴力的に振り上げた諸刃の剣を彼女に振り下ろすが、鈴音は他愛もないといった様子で、アリカの父を屠った刃で受け止める。強烈な金属音が響き渡った。

 

「……憎いか……父を殺した私が……」

 

「黙れッ!」

 

激高し、吐き散らした言葉を肯定と受け取った彼女は、アリカの剣を弾くと距離を取り。

 

「……ならば……きたるべき時に……私を討ち滅ぼせ……」

 

そのまま背後の闇へと消えていった。

 

「待てッ! この……下衆がぁっ!」

 

追おうとする彼女であったが、それを引き止める声があった。

 

「待て姫さん! 王様をおいてく気か!?」

 

ナギであった。本当はありかと合流する手はずだったのだが、城内に張り巡らされた罠と、人形によって到着が遅れたのだ。もちろん、これらは全てエヴァンジェリンの仕業である。正確には、彼女から命令されたチャチャゼロによるものだが。

 

「っ! そうだ父上は……!」

 

苦い顔をしつつも、彼の言葉で思いとどまり父のいた場所へと視線を戻す。

 

「ア……リカ……」

 

「父上!」

 

走り寄って彼を抱きかかえるも、腹部からの出血は止まらない。治癒魔法をかけるようアルビレオに懇願するが、王が待ったをかけた。

 

「もう……助からぬよ……寒くなっていくのが分かる……」

 

「喋ってはなりません! 出血が酷くなります!」

 

「元より……余命幾許(いくばく)もなかったのだ……それが、ゲホッ……早まっただけのこと……」

 

「そんな……!」

 

父の告白に、彼女は動揺を隠しきれなかった。ようやく、ようやく彼と親子として絆を手に入れたというのに。それが儚いものであったなどと、誰が考えようか。

 

「アリカ……私は、王としてではなく……父としてお前に接してやりたかった……。だから……『完全なる世界』に協力した……」

 

彼はポツリポツリと話し始めた。自分は王として、たとえ娘であろうとも心を許せない。ならば、そんなことを気にする必要もない『完全なる世界』に行き、彼女に父親らしく接してやりたかった。

 

「何とも……自分勝手であろう……? お前の気持ちも考えず……私一人の独断で……。だから私は怖かった……お前に拒絶されることが……」

 

「何をおっしゃいます! 私も、父上が私をまだ愛してくれているのか不安でした……! だから、貴方の周辺を探り……『完全なる世界』との繋がりを見つけた時、心臓を悪魔に掴まれたかのような苦しさがありました……!」

 

お互いの心の内を、罪を。吐き出すかのように告解する二人。誰もが、その二人の姿を黙って見届けている。

 

「ふ、ふ……なんとも……嫌なところが……似たものだ……」

 

「……そっくり、ですね……父上……」

 

「アリカ……もうお前の顔も……分からないが……最後の言葉を……。お前はアリアの子だ……、きっとどんな困難も……乗り越えられよう……」

 

「貴方の娘でもあります……そのことが、私には何よりも誇らしい……」

 

ゆっくりと、彼の生命の感覚が薄れていくのを感じていた。ああ、父は死ぬのだと。アリカは直感的に理解し、父の最後の言葉を受け止める。

 

「お前の名前……アリアの……で……私と……名前を……」

 

「そうですか……私の名前は……」

 

「あ……い…………し………て……い……………」

 

「…………父上……?」

 

「…………………………」

 

パタリと。彼の腕が地面にこぼれ落ちた。もう、生命の鼓動は止んでいた。

 

「……父上……私は……貴方の娘に生まれて……幸せでした……!」

 

雫が一つ、冷たい赤の絨毯に滑り落ちた。

 

 

 

 

 

その様子を、遠目から眺める人物が一人。プリームムであった。

 

「始末する手間が省けたけど……少し物悲しいな」

 

彼は長らくかの王と接しており、それが仕事上の事務的なものでこそあれ、感情を解した今の彼には寂しいものがあった。

 

「しかし、君たちも随分とえげつないな……」

 

ここにはいない人物たちに思いを巡らせ、独りごちる。彼女らは今回のことで明確に『赤き翼』とアリカ王女に敵対者として認識されたことだろう。目的は依然不明だが、彼女らは大戦の中で『英雄』と呼べる人物たちと敵対することを望んでおり、今回のこれもその一環であろう。しかし、恐るべきはその想像の遥か外をゆく強かさ。

 

「アリカ王女に現国王を討たせないことで正統なる彼女の王位継承に箔をつけ、後々の彼女らの罪を取り除く……。しかも革命時であれば彼女に従う兵士ら証言者も確保できる……。そして彼女らは国賊として更に名を上げられる、か」

 

父との和解の場面まで見せつけ、それを見たものが王国中に広めればアリカの民衆からの支持は盤石となるだろう。ここまで見越した上で今回のことをしたのであれば、彼女はまさに影ながらウェスペルタティアを手助けした功労者であろう。

 

「フ……それぐらい手強いほうが、打倒しがいがある」

 

今はない右腕を掴むように肩口を掴み、武者震いをする。その顔は、これからのことが楽しみで仕方がないといった風だ。彼はもうここには用はないと立ち上がると。

 

「それにしても、自分と妻の名前から娘の名前をとってアリカ、か」

 

ふと、眼下に見えたのは。彼の遺体に縋りついて泣くアリカと、冷たくなり横たわっている国王。彼のその表情は、遠目から見たプリームムはとても安らかなものに見えた。

 

「君を利用した僕が言えた義理じゃないが……」

 

そのまま彼は振り返り、一言だけ呟いて去っていく。

 

おやすみ、と。

 

カーネギー・オルフェウス・エンテオフュシア。享年52歳。後に国民から『偽りなき王』と呼ばれ敬愛される彼は、『完全なる世界』の企みを阻止した功労者として親しまれ続ける。その亡骸は妻であったアリア・アルテミア・エンテオフュシア王妃の墓の隣に埋葬された。娘のアリカは彼の死を大いに悲しみつつも、国のために王位継承をとり行い、民衆は彼女を盛大に歓迎した。

 

後に、アリカ女王が子を身篭った際、彼女の夫の名前、そして彼の名をとってつけたことは、彼女に近しい者以外は知らない。



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第十一話 父と娘②

悪党は時に慢心で腐る。
その代償は、決して安くはない。


王都オスティア。そこに集ったのは東西南北、帝国連合、あらゆる場所から集った強者達。

知る人が見れば、いや一般人であろうとその人の群れを見れば驚愕するだろう。そのそうそうたる人物たちが、一堂に会している事実に。

 

「ついにここまで来たか……」

 

「ああ、ようやく……ようやくこの戦いも終わりじゃ」

 

「ふふ、わくわくしますねぇ」

 

「俺も武者震いが止まらない……!」

 

「暴れまくってやるぜぇ!」

 

「全く……血の気の多い奴らじゃの。ワシもいつになく高揚しているが」

 

先頭に立つのは、『赤き翼(アラルブラ)』のフルメンバー。大分裂戦争を影から操っていた悪の組織、『完全なる世界(コズモエンテレケイア)』と水面下で戦い続け、罠にかけられて指名手配されて各地を転戦しながらも、反撃のために仲間を増やしていた彼らによって、『完全なる世界』は少しずつその数を減らしていた。

 

そしてアリカ王女がカーネギー前王の死後、王位を継承し、連合を。帝国のテオドラ第三皇女が父である皇帝に働きかけ帝国を。それぞれ内側から和解政策を推し進め、ガトウらの働きもありついに大分裂戦争は一時的とはいえ休戦へ。

 

「こうして双方の総力を上げて戦えるのも、『赤き翼(おぬしら)』のおかげじゃの!」

 

彼らのそばにやってきたテオドラが、誇らしげな顔で言う。別に彼女はこの戦力を集めるのに一役買った、というわけでもないが帝国側を説得した彼女の功績はやはり大きい。

 

「懸念があるとすれば、『闇の福音』の一派じゃが……」

 

そう言いながら、アリカの顔をちらとみてみる。彼女は先日の一件で父を殺されており、今もまだその傷は癒えてはいない。テオドラの言葉を聞いた彼女の表情は苦々しい。

 

「父を殺した奴らを……私は許しはしない」

 

歯が砕けんばかりに噛み締める。そのせいで口元から一筋の赤い線が伸びるが気にもしない。その瞳に見えるのは、明確な殺意と憎悪。復讐を胸に抱く彼女はとても危うく見える。

 

「姫さん、それ以上はいけねぇ……。血腥い闘争に身を投げるのは、俺たちだけで十分だ」

 

そんな彼女に、ナギは言葉をかける。復讐に身をやつした者の末路を、彼らは知っている。戦争に参加している以上、彼らも少なからず恨みを買っている。そして復讐にやってきた者達を、彼らは絶対に無下にはしないし真剣に相手をする。それがせめて自分たちが出来ることだと信じて。

 

「お主はもう一国を背負う身。気持ちは分からんでもないが、お主のその願望を果たそうとした所で、エヴァンジェリンはきっとそれすらも利用してくるじゃろうな。そしてお主は奴らと同じにされてしまうじゃろう。そうなれば、お主の臣民はどうなる?」

 

「っ、それは……」

 

「あいつは許せねぇ奴だってのは分かる。でもよ、奴らに一泡吹かせてやる役目は、俺たちが譲るわけにはいかねぇ」

 

「ああ。二度に渡って辛酸を嘗めさせられてきたからな」

 

「アスナ姫の件も含めれば三度目だな。そろそろ決着をつけるべきだろう」

 

「そういうこった。あんたはただ目の前の敵に集中しててくれや」

 

幾度となく死線を共に乗り越えてきた皆が、自分を案じている。今また自分が死地へと向かわせようとしている自分を。そんな事実を突きつけられ、彼女は自嘲の笑みを内心浮かべた。

 

(フフ……私は馬鹿だ、本当に馬鹿だ! 私を信じてここまで来てくれた皆を、今また生死を掛けた戦いに向かう皆を心配させてしまっている……。これでは、本当にただの足手まといじゃないか)

 

何を迷う必要がある。彼らはいつだって成し遂げてきた。各地での戦いも、日陰者になりながら仲間を集めたことも。そして、さらわれた自分を助けだした時も。

 

「俺たちは、そんなに信用出来ないほど弱かったか、姫さん?」

 

己の騎士(ナイト)が、不敵な笑みを浮かべて尋ねてくる。その瞳に宿るのは、彼女を信じる明確な意志の炎。

 

「そう、だな。お前はいつだって、いつだってやり遂げてみせてくれたのに。私が心配されてしまっては世話がない」

 

そう言うと、彼女はナギのそばにゆっくりと近づいていき。

 

そっと、顔を彼の頬へと寄せた。

 

「へ!?」

 

あまりの予想外のことに、ナギは素頓狂な声を上げ、それを見ていた皆が冷やかしの声を上げる。固まったままのナギから離れ、アリカは凛々しい顔で告げる。

 

「私の、愛しい騎士よ。……私に勝利を魅せてくれ!」

 

「っ! ああ、もちろんだぜ!」

 

呆けていた彼はその言葉で意識を引き戻すと、力強く答えてみせた。しかし。

 

「フフ、声が上ずってましたね」

 

「ヒューヒュー」

 

「むぅ……残してきた彼女が心配になってきた」

 

「はは、羨ましいやつだな」

 

「ケケケケケ、マルデ映画ダナ」

 

なおも彼に冷やかしを続ける5人(・・)

 

「少しは空気読めよお前ら!?」

 

「ケケケ、無理ダナ」

 

「冷やかすのも大概にしろ……って」

 

4人に紛れて冷やかしをしていた彼女(・・)にようやく気づき、ナギは思わず固まる。

 

「ヨウ」

 

そんなふうに気軽に挨拶をしてきたのは、アリカの暗い感情の根源たる人物と関わりの深い人形。

 

チャチャゼロがそこにいた。

 

「てめぇ……なんでここにいやがる」

 

ナギの眼の色が変わる。つい先程までとは違い、立ち昇る殺気には憤怒が見受けられる。そうなる原因をつくったのは厳密には彼女ではないが、その一味であることには変わりはない。

 

「マア、落チ着ケ。今ノオレハ戦イニキタンジャネェ。言伝ヲ預カッテキタンダヨ」

 

「そんなこと、我々が信じると思っているのか」

 

彼女の背後に、逃げ道を塞ぐように回り込みながら腰の剣に手を添える詠春。見回せば、『赤き翼』のメンバー全員が戦闘態勢である。

 

「オイオイ、人形一人ニ物々シ過ギヤシネーカ?」

 

「残念じゃが、いくらお主が人形とはいえ……その実力を侮る気はないぞ」

 

そんなふうに言うゼクトの目は、正に真剣そのもの。

 

「マ、イイカ。オレガ死ノウガ御主人ニ不利益ハ一切ナイシナ。殺ルナラスパットヤッテクレヤ」

 

「っ! ならば望みどおり粉々にしてやる!」

 

「待て姫さん! 気持ちは分かるがまずは話を聞いてみるべきだ!」

 

激情が爆発する寸前の彼女を宥めるナギ。何とか落ち着きを取り戻すと、アリカはチャチャゼロに怒りを隠して言って見るよう促す。

 

「アーアー、怖イ怖イ。ンジャ、一度シカ言ワネェカラ耳ノ穴カッポジッテヨク聞ケヨー」

 

ケタケタと笑いながらアリカを挑発するチャチャゼロに、睨みをきかせるナギ。しかしそれをどこ吹く風といった感じに受け流すチャチャゼロは、そのまま用件を話しだす。

 

「今回ノ最終決戦……オレ達ダケ除ケ者ニスルノハチト寂シインデナァ、飛ビ入リ参加ヲサセテ貰うウゼ」

 

「……だと思ったぜ。お前らみたいなのが、こんだけデケェ戦いに顔を出さないわけがねぇ」

 

ラカンの吐き捨てるような言葉。彼自身、この人形にはいい思いを抱いていない。というのも、彼の宿敵とも言えた火のアートゥルが何故か幼女の姿になって現れ、彼女に殺された旨を聞かされたからだ。彼女は『(ニィ)』と名乗っていたが、ラカンへの好戦的な姿勢はそのままであった。が、彼女の口から聞き捨てならないものを聞いた。それは。

 

『……あれ、ラカンってこんな弱く見えたっけ?』

 

という挑発的な一言。さすがに彼も少しムカッときたのだが、彼女曰くチャチャゼロに比べればまだ怖くはないという見解らしい。しかも、彼女は確かに前の火のアートゥルの記憶を継いでラカンへの敵対心を燃やしてはいるのだが、どうにも不完全燃焼らしく無意識の内にやる気を十全にぶつけられないようだ。

 

(気に入らねぇ……獲物を横取りされた気分だぜ……)

 

言外に、自分が彼女に劣ると思われていることに。自分の戦士としての実力に自信を持つ彼が腑に落ちない気分になるのは当然であった。

 

「……一つ聞きたい。アスナ姫はどうしているのだ?」

 

詠春のそんな質問に対し。

 

「ンー? 保護シテタノニ手ヲ噛マレタ相手ダッテノニ気ニスル必要ナンカアルカ?」

 

意地の悪い返答をするチャチャゼロ。その顔も、心なしか歪んで見える。

 

「敵同士だろうと、アスナを助けた俺達としちゃ嬢ちゃんの安全が気になっちまうんだよ。それに嬢ちゃんは奴らの計画の鍵らしいからな、そういう意味もある」

 

「アア、存外壊滅的ニバカッテワケジャネーミタイダナ、ケケケ。半分本心、半分打算ッテカ。安心シロ、アスナハモウオレタチノ所ニハイネーヨ」

 

「っ、どういうことだ!?」

 

あまりにも予想外な言葉に、さしものアリカも思わず大声を出してしまう。そのせいで、彼らに配慮して離れ、各々の役割を確認していた味方の兵士たちが、こちらに注意が向き始めている。

 

「オイオイ、アンマデケー声出スンジャネーヨ。オレガ逃ゲヅラクナンダロガ」

 

「逃すとお思いで?」

 

不敵な笑みを浮かべつつも、濃密な殺気を放つアルビレオ。しかしチャチャゼロは。

 

「伝エルコトハ全部言ッタンダシ、サッサト帰ラセテクレヨ」

 

と、随分と余裕のある態度だ。単純に1対7の状況で、これほど落ち着いているのは肝が座っているのか、逃げる策があるのか。……あるいは両方か。

 

「ンジャ、ソロソロオ(イトマ)スルゼ」

 

そんな一言とともに、まるでそうあれかしといった具合に歩み出るチャチャゼロ。

 

次の瞬間。気づけば、彼女は既に彼らの囲いを抜けていた。

 

「「「なっ!?」」」

 

余りに予想外の出来事に、さしもの面々も驚きを隠せずにいた。何が起きた。さっきまでそこにいたはずのチャチャゼロが、まるで通すのが当たり前のように、道行く知らない相手とぶつかりそうになり、無意識に躱してしまったかのような感覚。

 

「こ、これは……。『村雨流』の……!」

 

ただ一人。全く別の意味で驚愕している人物が一人。詠春である。彼は度々かの流派と交流があったためその技を見ることがあったのだが、今のはまさにその技術の一つ。その言葉に振り返るチャチャゼロ。

 

「知ッテヤガッタノカ。マ、ダカラト言ッテ問題ハネーガナ」

 

「貴様、一体その技をどこで……!?」

 

「知リタキャ、『墓守人ノ宮殿』ニ来ルンダナ」

 

転移魔法が展開され、そのまま地面へと溶けるように吸い込まれていった。恐らくは、転移用の魔法符でも使用したのだろう。

 

「……確かめなければいけないことが増えたな……!」

 

ギリッ

 

奥歯を噛み締める彼。アリアドネーでの件といい、その影をちらつかせる滅びたはずの流派。今の彼の脳裏に浮かんだあるひとつの可能性。それが現実であってほしくないと、切に願う詠春であった。

 

 

 

 

 

「……来たか」

 

「ククク、随分といい面構えになったじゃないか」

 

完全なる世界(コズモエンテレケイア)』の本拠地、墓守人の宮殿にて待ち構えていたプリームムに真っ先に出会ったのは、彼がある意味最も出会いたくあり、そして出会いたくなかった人物。

 

「君が最初の到達者とはね、何とも複雑な気分だよエヴァンジェリン」

 

「そうだな……本来であれば貴様は『赤き翼(アラルブラ)』と因縁深い最終決戦といきたいところだっただろうが、生憎奴らはまだ上のほうだ」

 

現状の戦力では、恐らく彼女を抑えることはできないだろう。厄介さで言えば『赤き翼』など比べ物にならない。幸い、彼女の従者はいないようだが気配を完全に断つことができる彼女らに対して油断はできない。

 

「仕方ない……なるべく戦力は温存しておきたかったんだけど……」

 

「ほう、やる気か?」

 

「生憎、君たちをこの先に通すわけにはいかないからね。彼女を攫う(・・・・・)のは針の穴を通すほど神経を使ったんだ、奪い返される訳にはいかない」

 

その言葉に、エヴァンジェリンは笑みを消して眉根を顰める。数日前、エヴァンジェリンと鈴音が不在の時に彼らからの襲撃を受けたのだ。チャチャゼロは必死に抵抗をしたのだが、残念ながら彼女の仲間の一人を攫われてしまう。

 

「アスナ姫はこの先だ。ただし、僕らを倒して進めるかい?」

 

その言葉とともに、周囲に荒々しい魔力をまき散らして魔法陣が展開されてゆく。現れたのは、プリームムと同じく『造物主』によって作成された人工生命体。

 

「紹介しておこう、こっちが(ニィ)。チャチャゼロ君に殺された火のアートゥルの二代目だ」

 

「あいつはどこだ、殺してやる……」

 

逆巻く熱風を纏いながら、攻撃的な死線をそこかしこへと注いでいる少女。恐らく、先代を殺したチャチャゼロがいないか見回しているのだろう。

 

「こちらがセプテンデキム。鈴音にバラバラにされたんだが、幸いにもスペアの体があったから魂を入れるだけですんだ」

 

「…………彼女はどこですか? 彼女を心ゆくまで凍てつかせたいのですが」

 

「……少し頭の螺子(ねじ)がトんだみたいだけどね」

 

凍てつく氷の吐息を吐き出しながら、少し興奮気味に鈴音を要求してくる女性。頭の角は、かつてと違って片方がポッキリと折れてしまっている。

 

「そして、こっちが僕の同僚で『完全なる世界』の大幹部……」

 

「デュナミスという。私も君には興味があったのでな……会えて光栄だ」

 

他のメンバーより二回りほど大きい巨躯に加え、浅黒い肌を袖から覗かせる男。他とは違い強烈な殺気は感じないが、それ以上に凶悪な眼を光らせている。相当な実力者だろうことは想像に難くなく、恐らくはプリームムと互角かそれ以上。

 

「随分と大仰だな……そんなに私が怖いか?」

 

挑発的な言葉を言い放つが、プリームムはそれを気にも留めず。

 

「何、君ほどの実力者相手なら僕とデュナミスだけでは不安要素が大きい。それにこの後は『赤き翼』を相手しなければならないんだ……総力で以って叩き潰したほうが都合がいい」

 

「フン、後のことを考えてばかりでは足元を掬われるかもしれんぞ。日本のことわざで、"明日の事を言うと鬼が笑う"というじゃないか」

 

「なら、文字通り鬼である君が笑うのかい? それとも、人ながらにして鬼と成った彼女がか?」

 

皮肉で返してくるプリームムに、無言となるエヴァンジェリン。

 

「フハハハハ! 随分と洒落た言い回しじゃあないかプリームム! 見ろ、あの『闇の福音』が押し黙っているぞ。これは傑作だ!」

 

面白そうにフードの中から笑い声を上げるデュナミス。存外、面白い性格をしているらしい。エヴァンジェリンはといえば、相変わらず無言の状態でありついには俯いて震えだしてしまった。

 

(……意外と口喧嘩などは弱い(たち)なのか?)

 

そんなことを考えていたその時。

 

「ククククク……」

 

彼女の口元から聞こえてきた、吐息が漏れ出る音。いや、これは笑い声かと気づいたプリームム。

 

「クハハハハハハハハハハハ!」

 

ついには天を仰ぎ見るかのように顔を上げ、大声で笑い出す。一体、何が可笑しいというのか。

 

「むぅ……笑いを堪えていただけか! 一体何が可笑しい!」

 

「これが笑わずにいられるか! クク……ああ可笑しい。笑いすぎて死んでしまいそうだ……クク。あれほど無感動であったプリームムが皮肉を皮肉で返すほど、これほど面白く成長していたとは思ってもみなかったんでなぁ!」

 

予想以上の成長ぶりが嬉しくてたまらないと、そんなことを口走る。デュナミスは思わず絶句し、冷や汗が背中を伝っていった。危険だ。相手の成長さえも愉悦とするこの狂気の怪物は、あまりにも危険過ぎる。彼にそんな危機感を抱かせた。

 

「そしてもう一つ……むしろこれがあったからこそ思わず笑ってしまったんだが……ククク!」

 

思い出し笑いでもしたのか、必死に口元に手を添えて笑いを堪えようとする。見ていて不愉快になるような光景だった。

 

「笑っていないでさっさと言ってみたらどうだ! どうせくだらない事だろう!」

 

しびれを切らしたデュナミスが叫ぶ。それを横から窘めるプリームム。

 

「やめておけデュナミス。彼女はこういう性格だ。少しだけ彼女と話をした僕もだったけど、彼女は自分のペースに巻き込むのが得意なんだから」

 

エヴァンジェリンの会話術を実体験していた彼は、そのことを改めて認識させられていた。デュナミスはかなり苛ついているようだ。どうにも、彼は乗せられやすい性格をしている。

 

「で、僕達が可笑しいと思えるもう一つの理由は?」

 

「そうだなぁ、一つ聞きたいんだが」

 

「……なんだい」

 

「私が……大事な従者(・・・・・)をわざわざ(・・・・・)攫いやすい(・・・・・)状況に晒す(・・・・・)と思うか(・・・・)?」

 

凶悪な笑みとともに、彼女は言外に罠であったことを告げる。

 

「……無いだろうね。攫うのをデュナミスに任せたとはいえ、僕も疑問視すべきだった」

 

「っ! 馬鹿な! 散々調べたのだぞ、替え玉でないか魔法でスキャンもしたし、何より魔法無効化(マジックキャンセル)の能力も有していた!」

 

デュナミスとて、しっかりと検査を行なっていた。その結果、間違い無くあれは『黄昏の姫巫女』だと確信していた。だが、エヴァンジェリンは違うという。一体どういうことなのか。

 

「鈍いなぁ……デュナミスとやら」

 

「なに……?」

 

「私の従者で、魔法無効化を持つのはアスナだけ(・・・・・)だったか(・・・・)?」

 

「……だがよしんば彼女であったとして、彼女は変身魔法など受け付けないはずだ」

 

動揺を隠せていないデュナミスを尻目に、冷静に意見を述べるプリームム。だが、彼女はたかがハッタリでこんな事を言いはしない。彼としてはほぼ確信的ではあったが、あくまで確認のために質問をしてみた。

 

「別に魔法を直接使う必要など無いさ……ちょいと人の肌に似た素材を魔法で加工して、それを被って髪を染めれば完璧だ。幸い、体格はほぼピッタリだったからな」

 

まさに逆転の発想。魔法を使って直接偽装するのではなく、あくまで魔法はそれを実行するために必要なプロセスでしか無い。魔法世界の人間では、なかなか出てこない発想だ。事実、プリームムもデュナミスも気づくことができなかった。

 

「っ! ということは……マズいぞプリームム! 主は今儀式のためにアスナ姫と二人きりだ!」

 

その言葉と同時に。

 

ドグオォォォォォォォォォン!

 

「……遅かったみたいだね」

 

見れば、背後の建物から煙が上がっており、そこから人影が2つ飛び出してきた。一人は、彼らの創造者にして主。漆黒の服をまとい、フードで頭をすっぽりと覆っている。周囲には曼荼羅のような魔法陣を展開しており、直接見るエヴァンジェリンでさえ、これほど馬鹿げた術式を展開する相手に内心ひやりとしたものを感じた。

 

もう一人は、彼女の従者にして最強クラスの近接戦闘能力と、ほとんどの魔法を受け付けない恐るべき剣の鬼。彼女が振るう刃が曼荼羅へと触れる度に、その構成が崩れて消失し、相手に斬りかからんと刃が襲いかかっている。そのあまりにも出鱈目な戦いぶりに、さしものデュナミスも茫然自失となった。

 

「……分からぬ……」

 

二人が距離を取り、地面へと降り立つと造物主が口を開く。その声には、少しだけ戸惑いの色が感じ取れる。

 

「……我が子孫たるアスナを、私が違えるはずがない……だが……」

 

特殊な魔法や薬品を使って100年以上も前から兵器として利用されてきたアスナを子孫呼ばわりする造物主。その言葉から、エヴァンジェリンは相手の正体を推測する。

 

(なるほど、奴はアスナを子孫というほどの長命な存在ということか……。いや、むしろもっと前に遡るほどの人物である可能性もあるな。それこそ魔法世界最古の王国が擁する王家であるウェスペルタティア王家の誕生に関わるほどの……)

 

もしその予想が当たっているとすれば、紀元前から存在するといわれる魔法世界の誕生にも関わるほどの人物ではないかと、彼女は思い至る。仮にも『造物主』などという大仰な名前を持っているのだ、あの圧倒的なまでの存在感を加えればそれを十分に決定付けることができる。

 

「……彼女の『呼吸』を……真似ただけ……」

 

対する彼女の返答は、答えているようで全く答えになっていない。状況に置いてきぼりとなった(ニィ)もチンプンカンプンと言った感じで首を傾げている。だが、造物主はどこか納得がいったような、しかし認めたくないような雰囲気で。

 

「……馬鹿な、お前のような幼子如きが、私が2000年もかけてなお到達できない領域に到達できるわけが……」

 

リィン

 

「……外した」

 

斬撃が彼の鉄壁とも思える魔法障壁を容易く両断する。だが、造物主はそれをわずかに体を逸らすだけで躱してみせた。彼の掌に濃縮されたかのような魔力の束が収束し、彼女の向けてそれを放つ。行く先全てを飲み込む破滅の光線は、しかし彼女に触れた途端に霧散する。

 

「そのうえその能力……。お前は何者だ、人の鬼よ」

 

「……明山寺鈴音。……それだけのモノ……」

 

相対する二人の雰囲気は最悪であり、すぐにでも炸裂しそうな爆弾のようだ。しかし、鈴音が急に造物主を無言で見つめた後、怪訝な顔をし。

 

「……この『呼吸』……お前は……人間……?」

 

その言葉に、造物主はピクリと一瞬だけ動きを見せ、収束していた魔力を霧散させた。

 

「……生かしておくわけにはいかなくなったな……」

 

そう言うと、彼はゆっくりと鈴音へと近づいてゆく。抜き身の『紅雨』を構えたまま、鈴音は油断なく構えていた。だが。

 

「……なん、で?」

 

まるで意識が飛んでいたのかとでもいうかのように、あっさりと、造物主は鈴音に近づき、その頬にゆっくりと手を添え。

 

「……夢幻(むげん)に堕ちよ……」

 

そして、彼女はその眼から光を徐々に失い。

 

人形のようにゆっくりと、崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

「……さて……」

 

造物主は、倒れている鈴音に一瞥もくれることなく、それこそどうでもいいかのようにエヴァンジェリンへと顔を向ける。視線の先の彼女は、その可愛らしい顔を大きく歪め、彼を射殺すかの如き怒りの視線を向けていた。

 

「貴様……私の従者に何をした……!?」

 

「……彼女が欲する幸福を与えてやった……二度と覚めぬことが代償だが……」

 

「なんだと……!?」

 

エヴァンジェリンは、予想を遥かに超える事態に動揺を隠せていない。握りしめた掌からは爪が食い込んで血が滲んでいる。例外はあるとはいえ、ほぼすべての魔法を無力化してしまう彼女が、ああもあっさりと。確かにその例外である幻術魔法を食らえば彼女もキツイだろうが、それを考慮しないエヴァンジェリンではない。むしろ、そういった対策をするよう修行で常々言ってきたし、レジストもできるように仕込んだ。

 

だが、彼女はまるで時が止まったかのように静止したまま造物主の接近を許し。そして手が頬に触れた瞬間に意識を失ってしまった。ある種の絶対的な信頼を置いていた彼女にとっては、鈴音のあっけない敗北は大きな衝撃で。その喪失感は彼女を焦りに追い込む。

 

「おい……起きろ鈴音! 起きてくれ! 私を、私を一人にしないでくれ!? お前は私の、私の半身そのものだ! ようやく、ようやく孤独から逃げられたのに……! また私を、ただ生きるだけの幽鬼にする気かっ!?」

 

そしてその衝撃を与えた人物が、ゆっくりと迫ってくる。それは彼女が久方ぶりに味わう感覚。絶望的な状況で与えられる、恐怖であった。

 

「ひっ……!」

 

おもわず、声が震えてしまう。鈴音と出会ってからの彼女は、まさに順風満帆であった。お互いがお互いをよく理解し合い、無敵のコンビとも言える相性の良さ。彼女はそれに慢心してしまった。

 

「……怯えるな……お前をどうこうする気はない……」

 

静かな物言いだが、その圧倒されそうな威圧感はそこにいるだけで彼女を押し潰そうとする。

 

(私は……恐怖しているのか……!?)

 

喉がカラカラに乾く。汗が吹き出し、全身の肌がピリピリとした感覚を訴える。見開いた(まなこ)はその根源たる存在を映し続け、彼女に耐え難い現実を打ち付ける。

 

「……あの娘に依存していたか、我が娘よ(・・・・)……」

 

「……え?」

 

その言葉に、エヴァンジェリンは言葉を失う。今、目の前のこの人物は何と言った。

 

娘。そう、彼は確かに娘といった。だが、それはおかしい。彼女の父母は数百年も前に墓の下だ。父親など覚えてはいないが、母は自分が真祖となった時に殺してしまったはず。

 

「……その肉体の具合はどうだ……キティ(・・・)……」

 

彼女の名前。そのフルネームをエヴァンジェリン・アタナシア・キティ・マクダウェル。しかし、彼女はこの名前で呼ばれるのを嫌い、A・Kと略して使ってきた。キティなどという可愛らしい響きが嫌だったというのもあるが、何よりも、まだ人間であった幼い頃に母や使用人からそう呼ばれていたことを思い出したくなかったから。故に、この名前を知っているのは、今ではアスナや鈴音といった、数少ない心が許せる相手のみ。誰も、知るはずがない。

 

だが、目の前の相手はそれをさらりと言い、そして"その肉体はどうか"などと言った。自分を娘と言い、そして肉体の具合を聞いてくる。まるで、まるでかつて自分が激昂のままに屠った、あの男のようで。

 

「……お、まえ、は……」

 

「……まだ分からぬか……。……私はお前を……」

 

「聞きたくない……聞きたくない聞きたくない聞きたくない! やめろ、もうこれ以上はやめてくれ! 鈴音! アスナ! 誰か、誰か助けてくれ!」

 

心のなかで切にそう願う。だが、もう遅かった。

 

「……私はお前を……」

 

その肉体へと作り替え、お前が殺したはずの男だ。

 

プツン

 

「お前があああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

600年。その余りにも長い年月を経て、納得ができないながらも己の内へと押し込めていた感情が、張り詰めた糸が切れる音とともに一気に爆発した。憎悪、嫌悪、殺意、狂気。様々などす黒い感情が己の内をのたうち回って叫ぶ。

 

目の前の奴を殺せ、と。

 

一度目は親しき人と、人間であることを奪われた。そしてようやく鬼である自分を受け入れ、共に有れる半身を得た。だが、二度目はそれさえも奪われた。同じ鬼として、最も信頼し。お互いの心を埋めることができた鈴音を失った彼女には。もはや、何も残っていない。

 

目の前の相手を殺すという、最後の選択肢を除いて。

 

 

 

 

「あっ……」

 

陶器の割れる音。飲んでいた紅茶のカップの取手が外れ、地面に落としてしまったのだ。その唐突かつ不吉な出来事に、彼女は不安を覚えた。

 

「……マスターと鈴音、大丈夫かな……」

 

アスナが今いるのは、魔法世界から『旧世界(ムンドゥス・ウェトゥス)』と呼ばれる魔法が秘匿されている世界。その2つの世界を繋ぐ『(ゲート)』が程近いイギリスの小さな町。

 

「あの二人なら大丈夫だと思う……けど、やっぱり心配」

 

なにせ世界の存亡を賭けるような戦いだ。一応、その鍵である自分はこうしてエヴァンジェリンによって旧世界に避難させられているため、『完全なる世界』の目論見は既に破綻している。ただ、鈴音はアスナと同系統の能力を有しているためそのスペアとすることは可能だろう。尤も、魔法使いの天敵とも言える彼女を倒せればの話だが。

 

「……大丈夫、だよね?」

 

誰かに聞くかのような言葉は、不安とともに風に溶けていった。



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第十二話 二人の鬼(前編)

鬼は巡りあう。歪な、しかし確かな繋がりで。


ここはどこだ。

 

ここは……私の……。

 

「薄汚く生き残ったお前を、今この手で……」

 

「僕を見捨てた君を」

 

「望み通り……うちらが」

 

「「「「殺してやる」」」」

 

ああ……そうだ。

 

これこそが、私が望んだ……。

 

 

 

 

 

「返せ……」

 

魔法を放つ。雪風が、いや猛吹雪が周囲を氷結させながら猛進していく。しかし、曼荼羅の如き魔法陣はそれをくもなく受け止め、やがて猛吹雪はただの風となる。

 

「返セ……!」

 

再びの魔法。周囲の温度を一瞬で奪い去る絶対零度の殺意は、しかし発動したと同時に超高温を纏う炎熱によって押し負け、霧散する。その時に生じた一瞬の耳を劈(つんざ)く空気の振動は、あたかも断末魔のよう。

 

「カエセエエエエエエエエエエエエ!」

 

右腕に空気中の水をかき集めて液体化し、それを圧力を用いて一気に固体化から気体化させて圧縮した死の刃を纏う。低温状態での構造相転移によって起こした、凶悪な冷気の剣で斬りつけようとするが、寸前で喉元を抑えられて止められる。

 

「ゴァ……ガ……ア゛ア゛……!」

 

窒息死寸前の彼女は、しかしその殺意を衰えさせることなくギラついた(まなこ)で、その相手を睨み続ける。決して許しはしないと、八つ裂きよりも残酷に殺してやると。彼女を片手で締め上げている人物は、その凍えるような殺意をしかし受け流すかのように冷ややかな視線を浴びせ。彼女の喉を更に締め上げる。

 

ゴキャ

 

何かが折れたような、しかし潰れたようにも聞こえる音。見れば、彼女は口から尋常ならざる量の血を吐き出しており、それによって完全に窒息状態に陥っている。先ほどの音は、彼女の首の骨が折れた音であった。

 

「ゴボ……ァ……!」

 

溺れた人間が出す声というものは、こうも醜悪な鳴き声であろうか。或いは、死を目前にしようと構わず藻掻(もが)き続け、叫び続ける彼女のみがこうであるのか。彼はゆっくりと腕を引き、その溜めを利用して勢いよく彼女を放り投げる。背中から地面に激突した彼女は、口元から真っ赤な命の雫をまき散らしながら、さながら噴水の如くそれを吐き出す。喉の奥から溢れ続けるそれらを煩わしく思いながらも、徐々にそれらの量が減っていくことを実感する。

 

「……これが、彼女か……?」

 

彼ら、造物主とエヴァンジェリンの死闘。いや、一方が嬲られ続けるこの様はむしろ虐殺や屠殺という言葉が適切か。そんな光景を、どこか傍観者のごとく眺めているプリームム達。横で所詮この程度か、などとほざいているデュナミスを尻目に、彼が抱いたのは大きな困惑と僅かな失望。

 

(……いくら主が強いとはいえ。いくら彼女の片腕を失ったとはいえ……。ああも無様な姿を見せつけられるとはね……)

 

彼の心には、今小さな怒りが宿っていた。あれほど自分に悪党としての矜持を自慢げに話していながら、いざ全面対決をしてみれば鈴音を失い、因縁深き様子が伺える主を相手に狂乱しながら駄々っ子のように荒れている。そして一番怒りを覚えるのは、何を隠そう自分自身。

 

(主に任せっきりで、自分は蚊帳の外じゃないか……!)

 

駄々っ子のようだとは言えども、相手は巨人の力を持った鬼。全力で戦っているであろう彼女と、それを苦もなく受けきってみせる主。双方共に自身とは力の次元が違いすぎて、近づくことさえままならない。知らず、彼の両の(こぶし)は固く結ばれ、奥歯は砕けんかというほどに噛み締められていた。

 

「プリームム。この場は主がじきに収めるだろう。我々は、今できることをしておくべきだ」

 

そんな彼に、デュナミスは別の仕事をなすべきだと提案してくる。しかし、その言葉の真意は。

 

「……暗に言わず、主の足手まとい(・・・・・)だといえばいいじゃないか」

 

「そう言うな。口惜しいが、我々では対抗することは愚かまともに相対すら出来んだろう。この場は己の力なさを嘆いているよりも、為せることを為すべきだ。敵は何も彼奴らだけではない、むしろこれから来る方が本命というべきだろう」

 

そう。エヴァンジェリンや鈴音という、この世界でも最上位クラスの戦闘能力を誇る人物たちを相手にしていたため忘れそうになるが、むしろ未だ上空で足止めを食らっている人物たちこそが本来、本命とも言える人物たちだ。

 

「『赤き翼(アラルブラ)』、か……」

 

「彼奴らもまた、我々と互角の実力を有する難敵だ。我らの目的を成就するためにも、障害足る奴らを屠り去るべきだ」

 

「……分かった」

 

理屈では納得していても、しかし心は反発している。できることならば、勝負の勝ち負けに関わらず、彼女らと心ゆくまで戦いたかった。その心残りが、無念さと虚しさを彼の胸へと去来させていた。

 

「ヴァアッ、ガアアアアアアアアアアアアア!」

 

もはや獣の如く荒れ狂う、彼女の叫び声と共に。

 

 

 

 

 

彼女が生まれたのは、時代を逆行するかの如き旧き因習に従い続けてきた一族であった。しかし、それは決して古臭い考えに凝り固まった風通しの悪い家ではなく、ある理由から彼らは偉大な祖先を純粋に尊敬しており、彼ら先人の教えや忠告を守り続けていただけであった。

 

「今年も庭の椿は満開となったな」

 

「寒うございましたから……丁度春先とは残念どすわ」

 

「残念、とはどういうことか。力強く咲いた白椿のどこが不服か」

 

「いえ、うちは寒椿の方が好みで御座います故」

 

厳かな雰囲気を醸し出す坊主頭の男と、少々訛りの混じる言葉で話す品の良さそうな女性。男の名を明山寺鐘嗣(かねつぐ)といい、女性の名は明山寺小唄(こうた)という。鐘嗣は訝しげな表情で女性に顔を向けると、先ほどの彼女の言葉に少々の反論を行った。

 

「然れども、自然の営みを我ら人の身が否定するは傲慢ぞ」

 

「そうどすなぁ……。うちもそない思いますけど、椿はひっそりと咲きますでしょう? 春先は桜が派手に咲いて、椿をうちらから隠してしまいますわ」

 

「……それこそ贅沢な話よ。小さき幸せや美しさとは、それゆえに希少であり見つけた時の喜びも至上となる。面倒であるからと探す努力を怠っては、それこそ侘びも寂びも無い」

 

「うふふ……旦那様は相も変わらず風流なお方やな」

 

口元を小さな掌で隠しつつ、様になった仕草で笑う。しかれどその手の甲には、痛々しい裂傷や切り傷が散見できる。隠れて見えはしないが、彼女の掌も胼胝(たこ)肉刺(まめ)でゴツゴツとしており、女性のものとは思えない。しかし、彼はその手をゆっくりと両の手で包み込み、グニグニと軽く揉みながら彼女の手の感触を楽しむ。

 

「あの、旦那様……。毎度思うんどすけど、その……うちの掌なんか触って何が楽しいのどすか」

 

「うん? 可笑しな事を聞く。おまえの血と汗を染み込ませた美しき手を握る……これがどうして楽しくないと言えようか」

 

握られた手から感じる愛しい人の温度は、彼女に小さな喜びを感じさせてくれる。心のなかで、彼が先ほど言った言葉が真であると思いながら暫く感じ入っていると。

 

「……ちちうえ、ははうえ……」

 

「おお、花の香に惹きつけられて可愛らしい蝶がやって来おったか」

 

軒先で日を浴びながら静かな時間を過ごしていた二人の(もと)に、一人の少女が現れる。その姿は幼いながらも、将来美人になるであろう可愛らしい顔つき。滑らかな黒の髪を首元で切り揃えたその髪型は、華やかさはないが歳相応の美しさを感じさせる。

 

「ん、さては陽気で転寝(うたたね)をしておったな? 髪が乱れておるぞ。おまえ、いつも持っている櫛を貸してくれ」

 

「はいはい、雑に扱いまへんでおくれやす」

 

「分かっておる。……此方へ来い、髪を()いてやろう」

 

少女は無言で一度だけ頷くと、てちてちとゆっくり、しかし彼女にとっては急いで近づいていく。そして彼の近くまでやってくると座るように促され、軒先に脚を出す形で腰掛けた。

 

「相変わらず滑らかな髪だな」

 

「……ははうえに、にた……?」

 

「そうであろうな、尤も私はあまりお前の母の髪を触ったことはない」

 

「ややわぁ、髪は女の命どすもの……触れられるより眺めて楽しむものどすえ」

 

クスクスと笑いながら、自分の髪を手で掻き上げる仕草をしてみせる。その一挙動だけで非常に絵になり、浅葱色の着物は艶やかだ。やがて、鐘嗣が髪を梳き終わると彼女をゆっくりと抱きしめる。

 

「……あったかい……」

 

「今日は日差しが優しい。冬将軍殿もようやくお帰りになったようだな」

 

「昨晩はえろう寒かったどすからなあ……。おや土筆(つくし)

 

「……はる、ですね……」

 

 

 

 

 

「カ……エ……セ……!」

 

「……諦めの悪いことだ。四肢をもがれてなお殺意を衰えさせぬか」

 

周囲に立ち込める、悍ましいほどの血の臭い。その出処はエヴァンジェリンの失った手足、その傷から流れ出ている(おびただ)しい血であった。

 

「……時間の無駄だ」

 

彼はなお彼女が再生しようとしている四肢を、曼荼羅の如き魔法陣で固定した。流れ出ていた液体は止まったが、同時に彼女の再生しかかっていた手足もその動きを止めた。

 

「ぎいいいいいいいいいいいいいい!!?」

 

再生中であるにもかかわらず、それを止められた。その結果ひたすら再生しようとし続ける新たに生み出された体組織(にく)が彼女に激痛を与えた。それを阻止しようにも四肢を奪われて達磨となった状態では、それさえも叶わない。

 

「ぎ、あ、がああああああああ!」

 

痛みでまともに喋ることさえ出来ない。その様はまさしく醜悪であり、目も当てられないほどの惨状であった。

 

「そこで大人しくしているがいい……」

 

「ど、こへ……いく……!」

 

痛みをこらえながら、殺意のこもった視線を浴びせかけるエヴァンジェリン。しかしそれを軽くいなしながら、彼は横たわる彼女に近寄っていった。

 

「っ! き、さ、ま……!」

 

「『魔法無効化(マジックキャンセル)』とはまた違う能力ではあるが……同系統の力であることに変わりはない。アスナがいない以上、コイツで代用すれば済む……」

 

「やめろっ! 私の従者に触れるなッ!!!」

 

喉が擦り切れんほどに叫ぶエヴァンジェリン。しかし、無常にも鈴音の体は造物主によって拾い上げられ、ゆっくりと祭壇の方へと連れられて行く。

 

「待てっ! 私の、私の鈴音を返せっ!」

 

「……ならばなぜ、先程この娘を助けようとしなかった」

 

「……あ」

 

思い出す。彼女を助けようにも魔法が通じぬ以上回復魔法など施しても無駄だと理解して絶望したこと。しかし、冷静になってみれば彼女を連れて離脱し、その方法を模索すればこんな事にはならなかっただろう。600年の憎悪に心を塗りつぶされ、ただ餓鬼のように喚きながら造物主に突貫したのは誰だ。

 

「ああっ……!」

 

声が震える。その事実を真正面から叩きつけられた彼女には、もはや己を支えるものが何一つ残されていない。先程まで猛り狂った憎悪でさえ、後悔で霧散していく。

 

「は、は……」

 

頬の筋肉が痙攣し、乾いた笑みを浮かべさせる。その様は、壊れた西洋人形のようで。

 

「あはははははははははははははははははは!!!」

 

家族も、人間性も、半身も、憎悪も、そして心さえも失った。

 

 

 

 

 

「やはり、我が明山寺(みょうざんじ)家も消えゆく定めか……」

 

「今まで細々と続いてこれたのも神鳴流のおかげじゃしのう……」

 

薄暗い部屋の中、小さな行灯の明かりに照らされる人物が二人。一人は三十代ほどの男性で、鐘嗣であった。もう一人は相当に歳を経たであろう老人であり、しかしその鋭い眼光は衰えを感じさせない光を伺わせる。その正体は鐘嗣の実の父であり、先代の『継承者』である前明山寺家当主、明山寺定鬨(さだとき)

 

「父上、やはり……」

 

「うむ、残念なことじゃが……我が家ももう時代の流れには逆らえん。いくら"流派"を受け継ごうと、それが役に立たぬ平穏な時代では害にしかならぬ」

 

神鳴流とかつては双璧をなした流派とはいえ、今はお家おとりつぶしによって分家さえも残っておらず、宗家とされた明山寺の血を受けたものも僅かに十数人。その内、鐘嗣と定鬨を除いた他の者は半分以上が移りゆく世に己をぶつけてみたいと出奔し、残る者達も才能が芳しくなく流派の存続さえ危うい。

 

「では、やはり神鳴流に……」

 

「うむ。我が流派は危険な(わざ)も多いが、必ず彼らの助けとなろう。我らは……ここまでじゃ」

 

「明山寺家は解体……となりますか」

 

その言葉に、二人(・・)(うつむ)く。当代最後の当主として責任を感じている鐘嗣と、今を失うのではと不安になる彼女(・・)

 

「……どうしよう……」

 

彼らの話を聞いてしまっていた少女は、少なくない動揺を見せていた。明山寺家が無くなってしまうとなれば、父や母と離れ離れになってしまうかもしれない。そんな思いを抱いてしまった彼女は、不安で胸が押しつぶされてしまいそうになる。部屋からの物音で意識を戻した彼女は、そそくさと部屋へと戻っていくが、気分は優れない。

 

そんな時。

 

「おやおやぁ、こんな夜中に散歩ですかぁ? 悪い子ですねぇ」

 

男の声。振り返ってみれば、そこにいたのは彼女の父の弟、つまり自分にとっては叔父に当たる人物がいた。名を、明山寺影鳴(かげなり)といい、少女が苦手としていた人物である。

 

「どうしましたかぁ? そんな難しい顔をしてぇ」

 

「……かんけいない」

 

「おやおやぁ、これは酷いですねぇ仮にも叔父さん相手にそんなそっけない態度はぁ」

 

「……うるさい」

 

「んふふぅ……君がどうして不安になっているのかは容易に想像がつきますよぅ? 先ほどの兄さんと父上の会話を盗み聞きしたのでしょう?」

 

「っ!」

 

その表情が一気に険しいものになったのを見て、影鳴は図星であることを感じ取る。そして、同時にチャンス(・・・・)でもあると。

 

「そうですよねぇ、明山寺家が無くなってしまえばぁ、義理姉(ねえ)さんはご実家に帰らなければならないですからぁ。そういう取り決めがあったはずですしぃ」

 

「…………」

 

もちろん嘘である。彼女は実家を出る際に大いに明山寺家を、そして鐘嗣を信頼して送り出しており、戻ってくるよう催促などされるはずもない。

 

「ですがぁ……それを回避できるとすれば、どうしますかぁ?」

 

「……! ……できるの……?」

 

「ええ。ただしそれには……君の協力が必要不可欠ですねぇ」

 

言外に、方法を教えるから自分に従えと言ってくる。それを何となくではあるが感じ取った少女は。

 

「……わかった」

 

彼の言葉を信じることにした。してしまった。それが、彼女を後々まで苦しめる悪夢までの道程とは知る由もなく。

 

 

 

 

 

一人残されたエヴァンジェリンは、何をするでもなく横たわったままであった。

 

「……もう、どうでもいい」

 

何もする気力が湧いてこない。輝いて見えた世界は、今は汚れた灰色と同じだ。幸いにもアスナは避難させているから、自分が鍛えたのもあって一人で生きていけるだろう。あとは、チャチャゼロに連絡して彼女を守らせればいい。幸い、魔力は万一を考えてアスナと新たにパスをつないでいたので問題無いだろう。

 

しかし、自分はもう何も残っていない。彼女の中身は空っぽであった。

 

「ナニヤッテンダヨ……」

 

ふと、頭上から声がした。見れば、そこには彼女の従者であるチャチャゼロの姿。丁度いいと思い彼女にアスナを助けるように指示する。

 

「チャチャゼロ……鈴音が死んだ」

 

「……オイオイ、冗談キツイゼ、アイツガ早々死ヌワケ……」

 

冗談だと思いたい。チャチャゼロは心の底から望んだが、主人の悲惨な姿を見て冗談などでは決して無いことをうすうす感じ取っていた。

 

「……私はもうだめだ、アスナを頼む……」

 

「……ハ?」

 

主人のあまりに弱々しい声から感じ取れた、敗北者特有の惨めな感情。諦めがそこにあった。

 

「……フザケンナヨ」

 

「巫山戯てなどいない……私はもう、何もしたくないんだ……」

 

「ソレガフザケテルッテ言ッテンダヨ!」

 

主人の胸ぐらをつかみあげて、彼女は大声で叫んだ。

 

「散々巻キ込ンデ自分ハ途中デ諦メルッテノカ!? 馬鹿ニスンノモ大概ニシロ!」

 

「そうだな……私は最低だ……でも……もう私には何もない……鈴音の体さえ、持っていかれてしまったなぁ……」

 

怒鳴ってはみても、彼女は暖簾(のれん)に腕を押したように淡々と喋り、目は虚ろなまま。死人だ、目の前にいるのはあの誇り高い悪の大魔法使いではなく、中身が抜け去った抜け殻。これならまだ屍人(グール)の方がましだ。

 

「今マデ背負ッテキタモノ全部捨テルキカヨ! アスナヲ攫ッテ巻キ込ンダクセニ! 生キルタメニ殺シテキタクセニ!」

 

彼女はかつてプリームムに言った。目を背けるのはただの逃げだと。それを飲み干す強さをもってこそ、悪党として一流なのだと。しかし、今の彼女は逃げようとしている。怯える少女のように、必死に現実から目を背けようとしていた。

 

「いやだ……もういやなんだ……もう何もいらない……いらないから誰も私に関わらないでくれ」

 

すべてを失って、何もかもが嫌になり。現実から目を逸らして迷惑など、他人のことなど気にしない。まるで駄々っ子だった。

 

「……ケッ、結局コノ程度ダッタッテワケカヨ。アレダケ抜カシテオイテ、イザ危機ニ陥レバ餓鬼ミテェニ喚キ散ラス。……鈴音モ浮カバレネーナ!!!」

 

あまりにも情けなさすぎて、彼女の従者であることさえ忘れて暴言を吐く。滲み出る怒りは彼女に対してでもあり、自分にでもあった。もっと早く戻ってこれれば、こんなことにはならなかったかもしれない。いや、よしんば間に合ったとしても鈴音とエヴァンジェリンの最高のコンビとも言える二人でどうしようもなかったのだ。自分がいた所で数合わせにすらなりやしないだろう。

 

「……オレハ、鈴音ヲ助ケニイク」

 

「よせ……お前一人でどうにかなるもんじゃない……。死んでしまった鈴音より、アスナのそばに居てやったほうが……」

 

「……本気デ言ッテンノカ」

 

彼女から飛び出た、絶対に言わないであろう言葉。彼女は、死んでいるとはいえ鈴音を見捨てるようなことを言ったのだ。

 

「……アンタニハ失望シタゼ、エヴァン(・・・・)ジェリン(・・・・)

 

もう、チャチャゼロはエヴァンジェリンを主人と呼ばなかった。心の底から、彼女に失望したからだ。バケモノの仲間を欲していたくせに。孤独に怯え続けていたくせに。死んでしまったから見捨てるなどと、聞きたくもなかった。

 

「……オレハ、アンタトハ違ウ。絶対ニ、最後マデ諦メヤシネェゾ……!」

 

諦めは死であると、かつて鈴音が言っていた。チャチャゼロもそうだと共感し、それを忘れずにここまでやってきた。なら、最期まで足掻くことだけはやめたくはない。彼女なりの、最後の意地であった。

 

「一生ソコデ這イツクバッテロ、負ケ犬(・・・)

 

造物主が向かった祭壇へと、彼女は飛んでいく。後に残されたのは、惨めな敗北者だけであった。

 

 

 

 

 

修行を始めて数年が経過した。影鳴曰く、自分は才能があるから『村雨流』を扱えるようになれば、継承者として認められて家が存続できるだろうと。

 

「……はぁ……はぁ……」

 

「どうしましたぁ? この程度でへばっていてはぁ、兄さんに追いつくなど無理無駄無謀ですよぉ」

 

「……まだ、いける……!」

 

過酷な修練が続いた。最初は刃で生き物を殺すことを教えられた。山に行って、無抵抗の猪の眉間に刃を沈み込ませたのは今でも鮮明に覚えている。殺すことによる吐き気などは感じなかった。しかし、後のあの出来事に対するきっかけではあっただろう。

 

「いい顔だぁ、諦めの悪さを感じさせるいい表情だぁ」

 

「……ふっ、はっ……!」

 

二年前、彼女は真剣での勝負を行なっている時に誤って相手を殺してしまった。幸いにも、相手は流れの剣士であり父母には内緒で修行をしているため表沙汰になることはなかった。だが、それをきっかけに彼女は人とは違う何かを感じ取るようになっていた。

 

(……感じ取れ……『呼吸』を……)

 

様々な生命、環境、物質等から独特の何か(・・)を感じ取れるようになったのだ。それは何かの波動のようでもあるし、振動のようでもあるし、呼吸のようでもある。よくは分からないが、これを利用することで様々なことができることだけはよく知っている。

 

「……またですかぁ」

 

見れば、彼女はゆっくりと呼吸を落ち着けていき、疲労を軽減させていっている。原因は不明であるが、彼女固有の特殊な技術を用いているのは間違いないだろう。

 

(まぁ、その方が都合がいい(・・・・・)

 

彼女は仮に名付けた『呼吸』を用いて、体調を整えることに成功した。はじめはただ感じているだけであったものが、いつの間にか自分が様々な『呼吸』を使うことで修行の助けとした。

 

「はっ!」

 

模擬戦の相手が勢いよく刃を振るう。死合ではないため、ただの木刀同士での勝負だ。彼女は眼前の相手に集中し、地面を蹴った。あまりの速さに残像が一瞬取り残される程だったが、相手もまたそれに負けないほどの速度で彼女に肉薄する。ただの木刀同士での剣戟でありながら、その裂帛(れっぱく)の気合は見るものがいれば圧倒し、音を忘れさせるだろう。

 

幾度になるかわからないほどの打ち合いの後。

 

「はーいそこまでぇ」

 

影鳴の言葉で二人は木刀を止めた。丁度、彼女は相手の額にわずかに届くかというところで。相手の少年は彼女の喉一寸前の所だった。

 

「まぁ、これだけ見事な打ち合いができるのならぁ、そろそろ奥義も教えてあげましょう」

 

「……ホント?」

 

「本当ですか!?」

 

「うん、叔父さんは嘘つかないよぉ」

 

目に見えて喜んでみせる少年と、表情には出さないが期待を込めた眼差しを見せる少女。少年は明山寺家を出奔した男の息子であり、両親共に行方不明という名の置き去りをされて転がり込んできた。少女にとっては従兄弟であり、親友でもあった。

 

「ただしぃ、教えるのは明日からだよぉ。今日はもう休んでいいよぉ」

 

「……分かった」

 

「あう、残念です」

 

二人揃って残念がる。少女の方は相変わらず表情に出ていないが。

 

「……行こ、鳴海」

 

「うん、そうだね!」

 

二人揃って外へと遊びに出て行った。その後姿を眺めながら、邪悪な笑みを浮かべる彼に気づくこともなく。

 

 

 

 

 

エヴァンジェリンはただ生きるだけの状態であった。四肢を奪われ、気力を奪われ、先ほどのチャチャゼロの言葉を無意識の内に反芻するだけの存在だった。

 

(私だって……こんな結末が欲しかったんじゃない……。でも、どうすればよかったんだ……)

 

考えてももう後の祭りだ。彼女は帰ってなど来ないし、チャチャゼロには失望され、アスナは遠く異世界にいる。

 

(眠い……)

 

生きることさえ疲れてしまったのか、自然と(まぶた)が重くなる。意識はどんどんと遠のき視界は暗く塗りつぶされてゆく。

 

(鈴音……ごめんよ……)

 

最後に、自分が最も信頼し、そして愛した従者を想いながら眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

今日は修行はお休みである。監督をしている影鳴が用事で他所へと行っているようで、朝早くに彼の部屋を訪ねてみれば、今日は休みにするという旨が書かれた文面のメモが置いてあった。

 

「……暇」

 

残念なことに、友人である鳴海も遊びに出て行ってしまったせいでやることがない。学校は祝日でないし、勉強は問題ないためわざわざやる必要もない。宿題はとうに終わっている。

 

「……父上の所に行こう」

 

厳しいながらも優しい父。明山寺家の現当主であり『村雨流』の継承者である彼は、本来であれば剣術などとてもではないが扱うことなどできない。それを克服したのも彼の、血の滲むような努力と研鑽の成果だろう。自分にも他人にも厳しいが、それは自分がそうあらねば今の彼はあり得ないだろうから。

 

「…………」

 

修行を極秘に始めてから、あまり話すことも無くなった。後ろめたい気持ちもあったが、何より彼女は恐ろしかったのだ。自分がどんどんと空虚になっていくことに。

 

「……父上」

 

「ん、珍しいな……お前がここに来るとは」

 

部屋にたどり着いて、部屋の外から声をかけると返事があった。入っていいか聞いてみると、いいとの返事が来たので障子を開けて入る。彼女の父、鐘嗣は書物を片手に将棋盤とにらめっこをしていた。どうやら詰将棋をしていたらしい。

 

「……母上は?」

 

休日には部屋で一緒になってのんびり過ごしている母の姿がないことに疑問を抱き、父に聞いてみる。すると、どうやら買い物に出ているらしいことを聞いた。互いに無言ながらも穏やかな時間を共有する二人の姿が鈴音は好きだったので、少々残念に感じた。

 

(……あのこと、聞いてみよう)

 

思い出すのは、己が空虚になり始めた原因。真剣での勝負で人を殺してしまった時のことだ。彼女はその時から世の無常さを無意識の内に感じ取りはじめた。『呼吸』を知り、それを読み取って刃を振るうと岩だろうと金属だろうと寸断してみせた。

 

そして彼女は理解してしまった。余りにも脆い世界(・・・・)を。

 

金属でさえ呼吸を読み取れれば斬れるのだ。ただ刃を振るうだけで殺せる人間や生物であればそれこそ赤子の手を捻るようなものだろう。彼女は他者が見えないものを通して世界を見、そして世界から徐々に色を失い始めていた。

 

だからこそ、剣士として生きてきた父に聞いてみたかった。

 

「……父上は、人を殺めたことがありますか?」

 

「…………何故、そのような事を聞く?」

 

「……いえ、父上は剣士ですから……どう思っているのか気になって……」

 

鐘嗣はふむ、と顎に手を当てて手に持っていた本をパタリと閉じる。

 

「実はな、生と死というものは非常に曖昧だ」

 

「……? ……曖昧、ですか? ……そうは思えません……」

 

死んでしまえば、もう動くことはないし考えることもできない。どこが曖昧だというのか、彼女には理解しがたかった。

 

「少々難しいが……生が世界の表側であるとすれば、死は裏側の世界だ」

 

「……裏側?」

 

「生命はぐるぐると巡っているのだ。昔の人々は生と死により密接であった故、それらを無意識の内に感じ取っていたのだろう、これらを輪廻(りんね)と呼んでいた」

 

「………………」

 

「我が国、日の本にある国には生と死の不思議な話が多くある。それだけ、それらが身近であり、死を畏れ敬い、生を精一杯謳歌したのであろうな」

 

脈々と受け継がれる生命の伝承。そこには恐ろしくも面白い、不思議なものが数多く残され、生と死に対する独特の価値観が存在したことを伺わせる。尤も、妖怪変化の類は事実が膨大な逸話の中に眠っていることもあるのだが。

 

「盆には死んだ者の魂がこの地に戻り、やがてあの世へ戻ると言われている。死人でさえも、すぐ隣りにいるような価値観だ」

 

実際、彼らには身近に感じる何かがあったのであろうな、と言って更に続ける。

 

「さて、私はお前が知るように剣士としては不適格に生まれた。実際、剣の腕を磨くのに血反吐を吐くほどの鍛錬を重ねた」

 

そう言いつつ、指の腹でまゆをなぞる。そこには痛々しい傷跡が残っており、以前彼女が聞いた話では、まだ未熟であった頃に剣で切れてしまったのだという。

 

「それ故、加減を知らぬこともあった。その際に人を殺してしまったことも、もちろんある」

 

尋常の勝負であったがゆえに、お互いに一切禍根のないものとなったが、彼は大いに悩んだ。彼は人を殺したことではなく殺したことに何も感じていないことを恐ろしく感じた。

 

「そんな時だ、私が『世界』を知るようになったのは……」

 

人とは見えるものが違う世界。様々な生命の、木の、石の、水の、あらゆる存在の『吐息』を感じとり始めたのだという。その時から、彼は少しずつ世界を知るようになった。

 

「不思議な感覚だった……見えぬはずのものが見えるような……そんな気分であった」

 

(……私と、同じ……)

 

「私は初め、世界からの罰であるのかと思った。吐息を解して刃を振るえば、それだけで容易く大岩を切断してみせた。人を殺した私が、より過ちを犯しやすいようにして苦悩せよと責め立てられた気分だった」

 

「……父上は、それでどうして」

 

「剣を捨てなかったか、だろう? 困ったことに私には剣しか残されていなかったのでな、不安を胸に抱えつつもそう生きていくしかなかった」

 

そうして生きているのか死んでいるのか分からぬまま過ごしていった数年は、色を失った世界を眺めている気分だったそうだ。しかし、ある日を境にそれは色鮮やかなものへと転じた。

 

「……お前の母と出会った時であった」

 

最初に出会ったときは、ただ一瞬だけ視線を交わしただけであった。だが、彼の心には何か今までとは違うものを去来させていた。

 

「一目惚れ、であったのだろうよ。私は来る日も来る日も彼女を、小唄を想い続けた」

 

そうして悶々とした日々を過ごし、ふと自分のことを思い出して想いは段々と哀しみへと変わっていった。人を殺し、なおそれを恐れない心の歪さ。これでは彼女に受け入れられるはずもないと理解して悲しくなったのだった。

 

そうして、諦めを胸に再び生死の曖昧な世界を生き続ける日々。しかし、彼女は再び彼の目の前に現れたのだった。

 

「驚くべきことに、私を覚えてくれていてな……。一目見た時から忘れられなかったと言われた」

 

互いに恋慕を抱きながらも、互いの心を解さないまま避け続けていたようで、鐘嗣は人を殺したことで見えてしまった世界のことで悩み、小唄は剣術に明け暮れる日々であったせいで女として見てもらえるか不安であった。

 

「そして再会した時、私と小唄は互いの秘密を打ち明け、そこから恋愛へと発展して籍を入れるまでに至った。まあ、そこら辺は省こうか」

 

親の惚気話にしかならんでな、と話を一旦区切り、そばに置いてあった将棋盤にいつの間にか乗っていた蜘蛛に手を伸ばし、それを甲へと這わせてから廊下へと出て逃がしてやる。そして再び同じ場所に座ると、話を続け始めた。

 

「それからだ……私の世界に色がついたのは」

 

見える世界が違うといえど、同じものだって確かに見えていたはずなのに。それに気づかぬまま腐っていた自分のなんと愚かしいことか。小唄は鐘嗣を根気よく支えようと務め、それに応えようと見える世界を理解するために努力を続けた。

 

気づけば、見えるもの全てが鮮やかに感じるようになった。花も、虫も、騒がしき町並みも。全てが全て諸行無常であるがゆえに生命に満ち満ちていた。路傍の石ころでさえも、そうあらんとしていることに何を考えるだろうかと。

 

「私が見ていた価値観は、人のものではなかっただけだったのだ」

 

人を殺せば鬼となる。しかし、それで見える世界が悪いものかは、結局のところその人がどのように感じ、考えるのかによるのだと。

 

「私が人を殺したことに対しての罪悪感は、もちろんある。しかし、生命の営みとは善悪を超越している。なにせ、善も悪も倫理観も道徳も、所詮は人のこしらえた仮初の縛りであり、真なる自然の中には、弱肉強食の厳しき現実や、曖昧模糊(あいまいもこ)とした、とらえどころのない価値観があるのだ」

 

そうして彼は、それらを受け入れた上で生きていくことを決意した。もちろん、人間としての尊厳や道徳などを忘れたりなどしない。先人たちが残したそれらは、己を律し、そして助けるためのものであり、決して軽んずるべきものではない。

 

「……だが、生と死は尊いものだ、それが忌避されるようなことであれど、人の身が拒むことは許されることではない」

 

現代では、生きることが難しくなくなり、そして死ぬことが難しくなった。体中に管を繋げば仮初でも生を繋ぐことができるし、死は忌避されるべき穢れという考えが定着してしまった。

 

「……私が人を殺したことは、人間倫理としては許されることではないだろう。だが、一方で定まった掟がない人間の外側から眺めてみれば、それは生きとし生ける者のほんの一つの営みでしかありえん」

 

「……そんな風に、決めつけても……いいのでしょうか?」

 

少女のそんな問に、彼は小さく首を振る。

 

「よくはなかろうよ。私が言っている価値観は、人間を軽く見た考えだ。私は人間としては破綻しているだろうな」

 

だがな、とさらに続ける。その瞳には、一切の迷いを感じられない。

 

「どれほど人間的に逸脱しようと、この世界で私はただ少しだけ獣に近いだけに過ぎぬ。人間的に許されざるものであろうと、世界は残酷にも受け入れるのだよ」

 

それで心が壊れるようであっても、変わらず世界は廻り続ける。ただ無情に、そうあれかしと。

 

「まさに、それもまた"輪廻"なのだ」

 

「……輪廻……」

 

「そうだ、お前の名も"りんね"……。廻る世界を生き、感じ取り、生と同時に死も共に在るようにと、名を授けたのだ」

 

「…………」

 

父との対話で、彼女が掴んだものは、結局のところ何もなかった。所詮、自分自身のことは誰かに教えられるのではなく自分で見出すものなのだと、父も言った。ただ、彼からの言葉をどう受け止めるかで、自分がどうあるべきかが分かるかもしれない。

 

鈴音はそんな思いを抱いたのであった。

 

 

 

 

 

「……父上の、言葉……」

 

忘れていた。今の今まで。生と死は表裏一体、どちらかを軽んじればそれだけもう一方は軽くなっていく。

 

「……マスターも、言っていた……」

 

生があるのは死があるからこそ。死があるからこそ人は生に喜びを感じ、全力で生き、死へと向かってゆくのだと。死ぬことさえできない彼女だからこそ尊く思える生命の巡り。

 

「……私は……」

 

場面がまた変わる。先程までの暖かな陽射しはなく、暗い修練場の中。そこにいたのは、修行を完了した自分と、影鳴と。

 

「……っ! ……まさか……」

 

ずっと修行を秘密にしていた、父の姿であった。

 

 

 

 

 

「よもや、我が娘を使ってそんなことを企むとはな……」

 

互いに睨み合う。その気迫は、並のものであれば失禁して気絶するであろう程の濃密な死。

 

「さてねぇ、私としちゃこんな才能あふれる娘を鍛えないほうがどうかしてるよぉ」

 

「戯け。我が明山寺家ももう存続など不可能よ。『村雨流』は没落した我が家が扱うには危険過ぎる」

 

「そっかぁ、兄さんはやっぱり家を解体する気だったんだねぇ」

 

そんな巫山戯たような喋りを区切ると、鐘嗣の後ろの戸から顔をこっそりと覗かせている一人の少年の姿を捉える。

 

「君には失望しましたよぉ、鳴海君。せっかく強くなりたいって言うから修行をつけてやったのに、まさか兄さんにチクるなんてさぁ……」

 

不意に呼びかけられてせいで、ビクリと体を震わせる。しかし、その眼は毅然としており、気圧された様子はない。

 

「あ、あれが修行だといえるわけがないです! 最初はまともな修練だと思ったけど、どんどん死ぬようなものばかり……。それも鈴音にばかり課していたじゃないですか! なぜあんな過酷な、拷問じみたことを彼女にさせたんです、父さん!」

 

「だって君才能ないんだもん。役に立たないやつなんか育てたってしょうがないでしょぉ? あと、僕は君のこと息子だなんて思ったこと無いからぁ」

 

余りにもあんまりなその言葉に、さすがの鳴海も呆然となった。仮にも自分の新たな父として慕っていた人物に、あっさりと捨てられたのだ。まだ10にも満たない少年には非常に酷な仕打ちであった。

 

「どこまでも堕ちたか、下衆めが」

 

「兄さんはいいよねぇ、そんななり(・・・・・)でも才能があったから努力が実を結んだ。一方僕は自分がいずれ当主になれるなんて舞い上がってて、でも兄さんが剣士として大成してさぁ、僕は兄さんのスペア扱いされる始末だった」

 

「……努力を怠った貴様の因果応報であろうに」

 

「努力だってしたさ、それこそ兄さんに追いつかれる恐怖で死に物狂いでさぁ! それだってのに僕をあっさりと追い抜きやがってよぉ!? 巫山戯んなよクソがぁ!?」

 

どす黒い感情を吐露する彼の姿は、酷く歪で醜悪極まりない。兄弟間での仲は良いとも悪いとも言えず、しかしこの状況を作る遠因となったと考えればある種最悪なものだったのかもしれない。

 

「だからこそ、あんたの娘に私の野望を手伝ってもらおうと思ってさぁ? あんたが家を解体するなんてことを聞いちゃったせいで不安がっててさぁ、とても従順だったよぉ?」

 

そんな風に言いながら、ゲラゲラと笑い声を上げる。それを見つめる少女の瞳は、何も写していなかった。酷く空虚で、ガラス球をはめ込んでいるだけののではと思えるほどに暗い。

 

「んでもさぁ、最近は兄さんに何か聞きに行ってから反抗的になってきたんだよねぇ。だからぁ、一族秘伝の薬で従順になるよう仕込んであげたわけぇ」

 

「っ! 馬鹿者が、あれは劇薬であろう!」

 

「知ったこっちゃないねぇ、私が権力握るための道具であってくれりゃそれでいいんだし。ただただ私に尽くすためだけの刃であればそれでいい」

 

当主の座を奪われたと逆恨みしている彼にとっては、兄の娘など利用価値のあるだけの道具でしかないのだ。その過程で死ぬことがあっても、彼からすればどうでもいいし、むしろ兄が失意で死んででもくれればそれでいい。前当主の父は既に他界しているため、自分が当主になることに反対するものは一切いないのだから。

 

「さて、お喋りもここまでにしよっかなぁ。さぁ鈴音、あいつらをぶっ殺せ、一人残らず」

 

「……はい」

 

彼女から発せられた声は、まるで幽鬼のようであった。死んでいるのかも生きているのかもわからないその様は、死んでいたほうがまだマシに見える。

 

「彼女はとっても優秀だったよぉ、かつての僕ですら遥かに凌駕する才能と戦闘能力。加えて、兄さんと同じ『世界』が見えてる」

 

「……! まさか貴様、鈴音に人を殺させたのか!?」

 

「あれは事故だよ、真剣同士の勝負で起こった尋常な死合だったから問題ないさぁ。その御蔭で彼女は憧れの父と同じ景色が見えるようになったんだからぁ、感謝して欲しいもんさぁ」

 

「……だから、操られているとはいえあれほどまでに容易く人を斬ったのか……!」

 

今日は一族の者の一人が結納するという話があり、一族総出で祝宴を行う日であった。そんな時、用事で席を外していた鐘嗣と小唄が戻ってみれば、屋敷から濃密な血の臭いがしたため急いで広間へ向かってみれば、そこは地獄絵図であった。ただ一人隠れることで生き残った鳴海から事情を聞けば、真剣を抜いた鈴音によって行われた所業であるという。

 

以前から、鳴海から影鳴が何か企んでいるとの話を聞いていたが、まさかこんなタイミングで実行に移すとは、さすがの二人も想定外であった。企みを暴くために、鈴音にあえて気づかないふりをしたのは失敗だったと二人は後悔したが、今は彼女を止めるために動くべきだと意識を変え、彼女を探しまわった。そして、現在の状況に至っている。

 

鐘嗣からすれば、人を殺したことがない人物であれば、たとえ薬で操られようとも本能が人間的な倫理を訴えかけて動きが鈍るはずであった。いくら強力な薬品とはいえ、さすがにそこまでの強制力はない。そうであれば、前線から退いたとはいえ退魔師として戦った者も幾人かいたため彼女を止められたはずなのだ。

 

だが、実際は彼女は人を殺したことで殺すことに対する危機感が希薄化し、本能的な部分での(たが)が外れてしまっていた。殺された者についていた傷は、鋭く容赦の無いものであったため相当な実力を伺わせ、鐘嗣でも太刀打ちできるか分からないほどであった。

 

「……殺す」

 

鈴音が刃を構える。その様は隙がなく、歴戦の古強者をして見事という他ないだろう。娘を相手するとはいえ、このままでは確実に死ぬであろうと理解した鐘嗣は、彼の愛刀にして村雨流が代々受け継いできた最悪の妖刀を静かに抜刀した。

 

真っ赤なその刀身が(あら)わになり、鞘の内にて満たされていた妖気が修練場の中に充満していく。その背筋が凍る様な死の匂いにさえ、彼女は微動だにしない。

 

「娘の不始末は、親が責任を持つべきであるな……!」

 

父と娘。双方が殺し、殺される戦いが始まった。



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第十二話 二人の鬼(後編)

「やめろ……!」

 

体を動かそうにも、彼女の身体は石像のように動かない。目の前でかつての悪夢が再現されようとしているのに、動くことさえできないのが腹立たしい。

 

「嫌だ……」

 

これが覚めぬ幻覚(・・・・・)だということは理解している。己のマスターが言っていた、『完全なる世界』によってみせられている自分が望んだ世界であることも。だが。

 

「私は……こんなことを望んでない……!」

 

目の前で、仮初の夢とはいえどうにか出来るかもしれない場面で、動くことすら許されない。どうして。これは自分が望んだ世界のはず。ならば何故、この悲劇を回避できないというのか。

 

「……父上、母上、鳴海……!」

 

手を伸ばせば、届く距離にあるというのに。もどかしい気持ちで一杯になっていても、彼女の願いが届くことはなかった。

 

 

 

 

 

剣戟の音が響く。ギャリギャリと金属の擦れ合う音が飛び散り、(しのぎ)が削られていく。暗い修練場に赤い火花が咲き、二人の剣士がぶつかり合う。さながら、その様は見事な剣舞を想起させるほどに荒々しくも美しい。しかし、そこにあるのは確かな死の領域。

 

「これほど強くなったとはな……複雑な気分だ」

 

「……はぁっ!」

 

彼女が放った、近接で最も厄介な村雨流の技の一つ『五月雨(さみだれ)』。刺突を用いた連撃なのだが、放つモーションと引き戻すモーションを極限まで短縮した文字通り雨の如き怒涛の剣閃。しかも、その一つ一つに微妙な緩急をつけることで攻撃の先読みを困難とし、達人クラスの相手でさえ見切るのは難しい。

 

だが、それは目が見える(・・・・・)からこそ(・・・・)の弊害(・・・)であり。

 

「剣筋が素直過ぎるぞ、鈴音!」

 

その全てを躱し、或いは剣の背でいなしながら彼女に肉薄して蹴りを放つ。モーションを短縮した攻撃とはいえ、隙がないわけではない。引き戻す際の僅かな攻撃後の硬直を見切ったのだ。彼女は防御が間に合わず、土手腹(どてっぱら)に強烈な一撃を食らってくの字に曲がる。

 

「ガハッ!」

 

苦悶の表情で呻き、口から胃酸混じりの唾を吐き出す。喉が焼けるような不快な感覚を無視し、彼女は距離をとって呼吸を整えようとする。しかし、相手は村雨流の正統継承者。そんな隙を見逃してくれるほど甘くはない。

 

「此方の番だ、鈴音」

 

村雨流、『五月雨』。しかし先ほどの彼女の連撃と違い、酷く遅く見える。彼女はそれを苦もなく見切ろうとし。

 

足元を払われて転倒した。

 

「……っ!」

 

あくまでも五月雨は囮。本命は外側からくる対処しづらい体術であった。しかも、五月雨は隙の少ない連撃。蹴りを放つためにわざと遅くしたとはいえ、転倒した彼女に追撃を仕掛けるだけの余裕は十分であった。

 

「……はっ!」

 

とっさに彼女は地面を思い切り叩き、その反動で一気に剣の雨へと飛び込んでいった。そのまま面積の少ない刃を用いるのではなく、受けやすい腹を用いて受け止め、或いは横にそらして流れるようにすり抜けていく。今度は鐘嗣が懐へと飛び込まれる形となったが、しかし死線を多く乗り越えてきた彼が、刀を振るい辛い懐に入られた時の対策をしていないはずもなく。

 

「……秘奥、『懐刀(ふところがたな)』」

 

なんと、素手であるはずの手で彼女の刃を受け止めてみせた。この時まだ彼女は自身の能力に気づいていなかったのだが、ただ気を纏わせただけでは彼女の剣は受け止められない。だが、彼は気を纏うのではなく、それを圧縮し、擬似的な剣圧に変換して物理的な攻撃にしたのだ。結果、彼は素手の皮一枚を隔てた剣圧を即座に形成して迎撃してみせたのだった。

 

「私にこれを使わせるとはな……!」

 

しかし、これは彼が戦闘を重ねる内に編み出した、彼の村雨流の中でも秘奥義の一つ。神鳴流の無手での戦闘を参考にし、かつて神鳴流と競い合った歴史を持つ村雨流の書物を紐解いて同じような技を使っていたことを発見し、それを独自にアレンジしたのだ。大元は元々存在する技法だが、『懐刀』は彼の最も苦心して編み出した小さな大技。

 

「そら、お前が不利になったぞ!」

 

刃を弾き返すと、その返す刀で真空の刃が彼女を襲う。技の名を『雨陰(ういん)』。名の由来である風上の山で雨が振り、風下では乾燥した風が吹く現象。それと同様、真空の渦を纏う鎌鼬(かまいたち)を風下とするなら、風上となる刃は間髪入れず頭上から高速で振り下ろされるもう一つの刃。

 

間断なき神速の十字攻撃は、真空の刃を止めれば頭上を、頭上を止めれば鎌鼬をもろに受ける。二刀でなければ防ぐことはできないが、握りの甘くなる二刀流では双方を防ごうにも余程の握力でなければ剣を取りこぼして追撃を食らう。いくら天才的な才能を有していようと、彼女では二刀流でも受け止められないだろう。だが。彼女は予想を超える方法を用いてきた。

 

「……馬鹿な……」

 

なんと、頭上の刃を素手で(・・・)受け止めた(・・・・・)のだ。そしてもう一方の真空の刃は、刃を高速で捻りながら打ち込み、形成されていた刃に衝撃を加える事で無効化した。

 

「『懐刀』だと……!?」

 

彼が独自に編み出した技故、彼女がこれを知っているはずもない。となれば、この土壇場で一度目にしただけの技を使用したということ。手から血が滴って入るものの、ほぼ完璧に近い扱い方であった。

 

「……剣の申し子か……」

 

尋常ならざる動体視力と、見ただけで完璧に模倣しうる天賦の才能。一族に伝わる、初代村雨流の使い手にして創始者の逸話を彷彿とさせた。

 

(……初代の再来……か)

 

村雨流創設者。雨すら断ち切ることを目指した稀代の天才。後に明山寺家の礎を形成した明山寺(あけのやまでらの)大鳳(たいほう)。幾多の流派と戦い、その闘争の中で技を盗んで己の流派の糧としたとされている。

 

もし彼女が、もう少し早く生まれていれば。平穏な時代ではなく乱世に求められていれば。しかし運命は皮肉なことに、彼女を最も疎ましく思わせる現代へと呼んだ。彼女の才能を一切発揮させない、滅びゆく村雨流最後の時代に。

 

「悔やんでも仕方なきことか……世はいつも無常なものよ」

 

娘の才能を憐れみつつも、しかしここで倒れてやるわけにはいかぬと再度心を引き締める。決着は未だ着く様子はなかった。

 

 

 

 

 

「……なんだこれは」

 

エヴァンジェリンが目を覚ました時に見えたのは、見渡す限りの真っ赤な液体が広がる光景。空は暗くて見えず銀の太陽が鈍く光り、そこに立ち尽くしている自分。鉄臭さが鼻につくことから、ここに広がる液体は血液だと理解した。

 

「……幻覚か? いや、私はただ眠っただけだったはず……」

 

ならばこれは一時の微睡みの中にある仮初かと考え、とりあえず歩いてみることにした。

 

(……どうせ現実に戻ったところで、私が何かできるわけでもない……)

 

『フン、我が使い手も何故このような脆弱な精神のバケモノなぞに仕えたのか……』

 

不意に、後ろからの声。驚いて振り返ってみれば。

 

「……? 誰もいない……?」

 

どこにも声の主らしき存在を見受けることはなかった。空耳かと思ったが、此処は夢のなか。そんなことはないはずだと思って注意深く辺りを見回してみれば。

 

『此処だ、卑しきバケモノよ』

 

「!?」

 

もう一度振り返る。すると、そこに何者かがいた。

 

纏っているのは灰色のボロ(きれ)一枚。逆立った髪は汚れたように白濁であり、かろうじて灰色とは違う印象を受ける。顔は血のように真っ赤であり、額には二本の角が逆ハの字に生え、爛々と輝く瞳は金色。鬼の類ではあると分かるが、その雰囲気は最高位の幻想種である真祖の吸血鬼たるエヴァンジェリンでさえ気圧されるほどの存在感があった。

 

「貴様は誰だ」

 

『分からぬか……。まあ、仕方のない話かもしれぬな。あのように情けない敗北を喫した負け犬では、な』

 

「何を……!」

 

『貴様の一部始終を、俺(私)はずっと間近で見ていた』

 

近くで見ていた? では造物主の仲間かと聞いてみれば、答えは否であった。

 

『俺(私)をそのような俗物と一緒にするな。あれは力の強いだけのヒトよ』

 

「……あれだけのチカラを持つ存在が、ただの人だと……?」

 

『分からぬのか、愚物め。存在だけは高位でありながら精神(こころ)はまるで未熟か。その程度だから、大事な従者を失うのだ』

 

「っ!」

 

『俺(私)は腹立たしいことに屑のような貴様と同格の鬼よ』

 

真祖に匹敵する鬼。格で言えばこれ以上が存在しないような存在だ。造物主によって人工的に生み出されたとはいえ、その力は間違い無く本物。鬼神でさえ彼女には遠く及ばない。

 

『人造とはいえ、貴様は600年を生き、その格を確実に上げてきた。存在としての位階であれば俺と同等なのは間違いないだろう。認めたくはないがな……』

 

「……仮にも私は真祖なんだぞ、私に匹敵するという貴様はいったい何なんだ……?」

 

『俺(私)か? ……ふん、いいだろう教えてやる。俺(私)の名は紅雨』

 

「! 鈴音の持っていた妖刀が貴様だと!?」

 

『仮初の名だが、な』

 

 

 

 

 

「「はぁっ!」」

 

剣先と剣先がぶつかり合う。切っ先同士が激突するなど本来では有り得ないが、互いが互いの刺突を止めようとした結果になった。勢いの乗った攻撃を相殺したせいで、二人は弾かれたように吹き飛んだ。

 

「ぐぅっ!」

 

「がはっ!」

 

壁まで弾き飛ばされ、背中を強く打つ。さすがにこの状態では呼吸を整えることさえできず、意識をはっきりさせるまでに数秒を要した。

 

「ぐ……よもや10にも満たない娘と互角とは」

 

「……殺す殺す殺す……!」

 

「薬による興奮作用か……」

 

痛みさえも意識の外にある鈴音の様子を見て、彼女が暴走状態になっているのだと理解した。彼女が飲まされた薬物は劇薬であり、興奮作用も含まれているため全力での戦闘を強要される。しかし、長時間それが続けば、肉体も精神も崩壊を始める。これ以上は、時間が掛けられない。

 

(次で、決める……!)

 

刃を水平にして低く構える。使うのは、村雨流でも一部の人間にだけ継承される、最高峰の奥義の一つ。

 

「雷……奥義……!」

 

瞬間。彼は音を完全に置き去りにして突貫した。そのスピードは空気の層を破り、刃の先端から衝撃波をまき散らして超音速の域へと達する。

 

「『雷霆』!!!」

 

村雨流の強力無比かつ、禁断とされる三つの奥義。ただ一切の無駄を削ぎ落した超音速の刺突。爆発的な気の圧縮からの暴走を起こし、脚力を限界まで高めて敵に避ける間もない一瞬で近づき、衝撃波を纏うほどの剣先を向けて突貫する。単純にして攻略不可能に近い技とも言えない(わざ)

 

しかし、その代償は安くはなく、一発放つだけで人間の肉体限界をはるかに超えた速度による内出血や脳への圧迫。下手をすれば身体がボロボロになりかねない諸刃の業。

 

だが。

 

「……馬鹿なっ……!」

 

彼女は、回避不能の弾丸とかした一撃をなんと受け止めてみせた。躱すことができないからこそそうするしかないのだが、圧倒的速度で迫る刃を受け止めようとすれば、刃を砕いてそのまま肉を断ち切る。そういう業なのだ。実際、彼女の持つ刀は罅が入ってボロボロであった。

 

しかし、彼女は受けきってみせた。村雨流の"奥義"で。

 

「"雲"の奥義を、完璧に使ったというのか……!」

 

雷霆を受け切られたのはただ彼女の技量だけではない。彼女によって彼の刺突を無意識的に逸らすよう(・・・・・)誘導された(・・・・・)のだ。彼の若き日からの弱点であり、それ故に己のバネとなった盲目(・・)を利用されて。

 

「なんという……才能だ……」

 

盲目ではあれど、努力でそれを補った彼は人を殺した折に彼女と同様に世界が見えていた。視覚からではなく、勘を感じ取る第六感を越える、第七感とも言える不可思議な感覚で。彼はその世界を通して世界を見ることができ、普通の生活をおくることができた。

 

しかし、此度はそれを利用される形となった。達人クラスの人間は、時として視覚に頼らず己の内にある感覚を利用して戦うことがある。それを逆手に取る技が、彼女が土壇場で使ってみせた奥義、『雲霧(くもきり)』。

 

その本質は、雲や霧のように存在を極限まで希薄化させて相手を惑わせる特殊な剣舞。完璧に扱いこなせば直感や内なる感覚さえも騙して煙に巻く。彼は視覚がないがゆえに、まんまと術中にはまったのだ。

 

「……()った……」

 

雷霆を放った彼の身体は、ボロボロであり。彼女の凶刃を逃れるすべはなかった。

 

 

 

 

 

「……ここは一体どこなんだ?」

 

『此処は……俺(私)の世界であり、貴様の世界であり、そして我が主の世界』

 

「……どういうことだ」

 

『言うなればここはもうひとつの世界であるということ。貴様らが見ている世界を表とすれば、ここは裏の世界。生の反対である死の世界よ』

 

「! まさか、ここが鈴音の言っていた……!?」

 

エヴァンジェリンは以前彼女から聞いたことを思い出した。鈴音には特殊な『呼吸』が見え、それを用いれば容易く鉄さえ断ち切れるのだと。そして、それを通して見える世界があると。

 

「鈴音が見ていたのは、死の世界(・・・・)そのもの(・・・・)だったというのか!?」

 

『左様……。彼女は歴代の継承者でさえ気づくことのなかった私さえもこの世界から見つけ出し、従えさせたのだ』

 

「では貴様は……冥府の鬼か?」

 

眼の前にいる鬼がそうである場合、確かに真祖に匹敵しうる存在だろう。冥界にいる鬼はその存在意義そのものが普通の鬼とは違う。罪人を苦しめ、その罪を贖わせる役目を帯びているのだ。間違いなく下っ端の鬼でも普通の鬼とは格が違う。

 

『それこそ否よ。俺(私)は今でこそこんな姿をしてはいるが、元々は神代に打たれた一振。ただ、あくまで俺(私)はある存在(・・・・)の分霊のようなモノ。それさえもヒトは忘れて俺(私)を妖刀などと巫山戯た存在に変えてしまったがな』

 

「分霊だと……まさか、貴様は旧き"カミ"だとでもいうのか!?」

 

『当たらずとも遠からずよ。いっただろう、あくまで分霊だと』

 

眼の前にいる存在が、あの圧倒的な実力を見せた造物主をも人と言い、分霊ではあるが正真正銘のカミであることに驚きを隠せない。そして、彼女はある一つの可能性を思いつき。

 

「鈴音はここにいるのか!? カミである貴様なら分かるはずだ!」

 

『……いることにはいる、意識だけではあるが。今、主は死にかけているのでな』

 

「だったら……!」

 

『それでどうするというのだ? お前は我が主を見捨て、あまつさえあんな醜態まで晒した。俺(私)からすれば貴様などどうでもいいのだよ』

 

「っ! ……それでも会いたいんだ! もう一度会って……あいつに謝りたい」

 

脳裏に浮かぶのは、チャチャゼロの言葉。

 

(「絶対ニ、最後マデ諦メヤシネェゾ……!」)

 

ここで諦めてしまえば、ほんとうの意味で自分は愚かなバケモノに成り下がってしまう。600年を生きた自分の最期の自負として、そして鈴音のマスターとしてもう一度胸を張るため。鬼は顎に手を当て思案した後。何か名案を思いついたかのような顔をし、続いて悪巧みを思いついたような笑みを浮かべてみせた。

 

『そこまで言われたのならば仕方がない。どうせ主がいない俺(私)は暇でしかないのだ。なれば、ゲームをしようではないか』

 

「……ゲームだと?」

 

『左様。お前が俺(私)の正体を見抜ければ勝ちだ』

 

一見すれば破格の条件に思える。なにせ相手は分霊とはいえ旧きカミ、その実力は不明ながら圧倒的な威圧感を考慮すれば食い下がるだけで精一杯、いや今のエヴァンジェリンでは勝ち目はないだろう。

 

「いいだろう……絶対に鈴音に会ってみせる……!」

 

『ヒントは俺(私)の『紅雨』の名のみ。間違える度に地獄のような苦痛を味わわせてやろう』

 

鬼と鬼の知恵比べが始まった。

 

 

 

 

 

「……娘の成長すら分かっていなかったとは、親失格だな……」

 

「……父、上……?」

 

彼に致命傷を与えたと同時に意識を取り戻した鈴音。どうやら、操られていた間は無意識の状態に陥っていたらしく先ほどの戦闘を覚えていないようだ。

 

「怖かったであろう、色の無い世界を見続けることは……」

 

「あ……あ……」

 

ボロボロになった父が、目の前にいた。貫かれたその胸からは夥しい量の血が垂れ流しになっており、滴り落ちた先には真っ赤な池が出来上がっていた。

 

「あああああああああああああああああああああああ!!?」

 

か細い声。しかし、その絶叫は絶望の色を感じ取るには十分であった。錯乱状態に陥った娘を見て、鐘嗣は。

 

「落ち着け、馬鹿者」

 

「あぅっ!?」

 

拳骨を一発見舞ってやった。痛みと突然の出来事で彼女は一瞬呆然となるが。

 

「あ……父上、その……」

 

一旦頭が冷えたおかげか、冷静に目の前で起こった惨状を理解できた。そして、それをやったのが恐らくは自分であろうことも。罪悪感で胸が押しつぶされそうになる鈴音。しかしそんな彼女を胸に掻き抱く。

 

「……よい、お前の意思ではあるまいに。誰がお前を責めようか……。ぐぅっ……!」

 

「父上! 傷が……!」

 

「だがな、一人で不安を抱えたままとは頂けぬ! この馬鹿者が……! 自分の心配もせんで……何のための家族か! 本当に馬鹿者めが……!」

 

「……ひっぐ……ごめんなさい……ごめ゛んな゛ざい゛……!」

 

父親からの優しさを感じる叱りの言葉。彼女が滂沱の涙を流すのは必然であった。自分が、自分が明山寺を継ぐなどという身の丈に合わぬ願いを抱いてしまったからの結果を、父は許してくれたのだ。知らず、彼女は滂沱の涙を流し、嗚咽を漏らしていた。彼はそんな彼女が泣き止むまでしっかりと抱きとめていた。

 

やがて、彼女が一頻(ひとしき)り泣いた後、彼は鈴音をその腕から開放し。

 

「……引き抜けば失血で即死するであろうな。鈴音、スマンがこの刀は折らせてもらう」

 

彼女の突き立てた刃を懐刀を用いて根本から叩き折った。

 

「……鈴音、下がりなさい」

 

「で、でも……」

 

「お前も私も既にボロボロだ……やつを相手にするには無理がある」

 

そう言って指さした先にいるのは、先程から眉一つ動かすことなく高みの見物を決め込んでいた彼女の叔父の姿。酷く不機嫌そうな顔をしている。

 

「いやはやまさかねぇ……薬が土壇場で切れちゃうなんてねぇ。ま、結構面白いものが見れたし私は満足ですよぉ?」

 

そう言いながら彼は腰に帯びていたものを抜刀する。月明かりに照らされて、白銀の鈍い光を反射している。彼は握っていた刀を納刀すると。

 

「鈴音……母と鳴海と共に逃げろ……時間は私が稼ぐ」

 

「で、でも……」

 

「行け!! ……私はもう、助からぬ。小唄、二人を頼むぞ」

 

満身創痍ながらも、己の腰に佩いていたもう一本を引き抜く。その姿を見て、小唄は彼がもう死ぬ覚悟を決めているのを悟った。

 

「……うちを、置いてかれるのどすか」

 

「先に逝く……お前は後からゆっくりとついてくればよい……」

 

「……うちは待たせるのは嫌いどす」

 

「そうか、俺は待つのは好きだ。……達者でな」

 

「ご武運を、あなた様」

 

「ああ。……鈴音、持っていけ」

 

そう言いながら、彼は鞘ごと納刀した刀を彼女に投げ渡す。それを何とか受け取る鈴音。

 

「……これは」

 

「お前はもう一人前だ……お前を今を以って継承者として認める。それは私からの餞別だ」

 

「……有難う御座います」

 

感謝の言葉とは裏腹に、彼女の表情は複雑だ。彼の決意に満ちた瞳は、間違いなくこれから死ににゆくものの目だったから。そんなやり取りをただ眺めているだけの影鳴ではなく。

 

「逃がすかよ、私はそこまでお人好しじゃねぇんだ」

 

朧縮地にて急速に接近する彼を、鐘嗣は何とか刃で受け止めた。

 

「別れの挨拶ぐらい満足にさせんか……!」

 

「知るかよ、私はあんたが気に入らないんだ……全部全部奪ってやるよぉ!」

 

「行けっ! 小唄、くれぐれも鈴音……私の……娘……を……!」

 

その言葉を最後に、彼は弟の凶刃をその身に受けた。呆然とする鈴音を抱きかかえ、彼女らは修練場を大急ぎで後にした。

 

 

 

 

 

「ぐ、がは……! 炎雷(ホノイカヅチ)でもないか……」

 

『意外だな、存外にも耐えるか』

 

「諦め……切れるか……!」

 

鬼の予想した正体を口にしては、不正解と周囲の血液によって体の中を直接蹂躙される拷問を受け。再度答えては魂さえも穢れていくという血液による内側からの責め苦。しかしなお、彼女は諦めない。その瞳は確固たる意志を垣間見せていた。

 

「もう二度と同じ過ちなど繰り返すか……! 私は、意地でも彼女に会ってみせる……!」

 

造物主との戦いで、彼女は己の怒りに任せて鈴音を見捨てた。そうして全てを失い、従者であるチャチャゼロにまで見放されてしまった。彼女はもう何もない、故にもう捨てるものがない。

 

「私自身を擲ってでも……鈴音を助ける!」

 

『ほう……』

 

鬼自身、一度心の折れた彼女ではこの悪夢のような拷問に耐えられるはずもないと思っていたのだ。しかし、目の前の彼女はどれだけ強固な精神を持つものでも発狂するであろう魂を直接穢すような内側からの陵辱に耐えてみせている。

 

(『中々どうして、存外養殖モノでも頑張るではないか!』)

 

鬼は歓喜していた。己の主たる少女が認めたのは、存在としての位階は高いが精神は未熟な、はっきり言ってしまえば自分から見て雑魚と思える存在。先程まで、実際にそうであったことは確かだと彼は思っている。

 

だが、今の眼前の彼女はどうだ。全てを失い、失意の中にいた彼女は。それによって己自身を犠牲にしてでも彼女を取り戻そうとしている。まるで、諦めの悪い人間だ。

 

(『クハハ! なるほど、確かにコイツの魂は人間であったな』)

 

ゲームは、未だ続いてゆく。

 

 

 

 

「ほらほら、鬼さんこちら」

 

「くっ!」

 

逃げ出して数分。屋敷の中を逃げまわったものの、影鳴はあっさりと追いついてきてみせた。

 

「よくもっ……よくも旦那様を……!」

 

その手に、鐘嗣の首(・・・・)を携えて。小唄はそれを目撃すると一瞬で激高し、彼に突撃していった。しかし、彼女の実力ではどうすることもできず。

 

「ほーら、捕まえた」

 

「放せっ! 放せぇっ!」

 

捕まってしまう。じたばたと暴れるものの、体がいうことを聞いてくれない。その時。

 

「はぁっ!」

 

「おっと」

 

彼の背後から、鈴音の刃が襲いかかった。彼はそれを受け止めてみせるが、そのせいで腕の中の彼女を取り逃がしてしまった。

 

「ちっ! 調子に乗るんじゃないっ!」

 

放たれた刃を鈴音は腕で受け止めるも、そのまま小唄の方へと吹き飛ばされる鈴音。それを受け止めるも、影鳴によって片腕が使えない彼女はただ受け止めるだけで精一杯であり、彼女を抱きかかえたまま吹き飛んだ。痛みで顔を歪めるも、彼女を抱いて起き上がると。

 

「鈴音! 逃げなさい! お前を、お前を奴の道具になどさせるものか!」

 

自分をおいて逃げるよう、彼女に言い聞かせるように言った。だが、鈴音は母の言葉も聞かず戦意を衰えさせない。鈴音は彼女の瞳を見て、逃げたくないと心の底から思った。あれほど強い父を、負傷していたとはいえ容易く殺してみせた相手に母が敵うはずがない。母も相応の実力者ではあるが、父に追いつかれたくない一心で修行した影鳴はその上をいく人物。母までをも失いたくない、そう強く思った。

 

だが。

 

「はいはい、臭い親子愛はそこで終了だよぉ」

 

「ぐ……あ……!」

 

彼女の喉を、白銀の刃が貫いていた。小唄は最後の力を振り絞って娘を鳴海のいる方へと突き飛ばし、その数瞬後に喉から刃を引きぬかれて倒れ伏した。鳴海は足元に転がってきた彼女の腕を引き、逃げ出す。

 

「っ! 放して!」

 

彼女の腕を強く掴んで引いてゆく、鳴海。必死に抵抗を試みるも。

 

「鈴音! このまま戦っても君は役立たずじゃないか! それとも、鐘嗣さんの、小唄さんの死を無駄にするのか!?」

 

「…………!」

 

「君の両親は、必死に君を守ろうとした! だったら、全力で逃げなきゃ駄目だろう!」

 

その悲痛な叫びは、彼女を冷静にさせるには十分な効果を発揮した。彼女は不安そうな顔をしながらも、無言で頷く。目の前の少年だって辛いはずだ。父と慕っていた人物に裏切られ、殺されかけている。現に、彼の目からはとめどなく涙が溢れてきている。

 

それでも、彼は父や母と同様自分を生かそうと必至になってくれる。自分を親友だと思ってくれているから。それだけに、彼の言葉に従うしかなかった。

 

「行こう! 生きて……いつかあの人に罪を償わせるんだ……!」

 

 

 

 

 

「……母上……」

 

自分自身が去っていくその場面をまざまざと見せつけられ、彼女は苦悶の表情を浮かべた。己は知っている、このあと母は影鳴相手に決死の抵抗をするも、父と同様殺された。覚えている、影鳴は再び目の前の少女と相まみえる。それもほんのすぐ後に。そして……。

 

「……どうして……この夢は私が望んだもののはずなのに……」

 

完全なる世界(コズモエンテレケイア)』。組織名と同じ名称の擬似的な幻想空間であり、幸福感を満たし望んだ世界を見せる魔法。だというのに、目の前に広がるのは自分が最も忌み嫌う最悪の過去。

 

「……誰か……助けて……!」

 

彼女の悲痛な叫びは、しかし誰にも届くことはない。

 

 

 

 

 

「さあ、ようやく追い詰めたよぉ?」

 

必死に逃げ惑い、入口の門までやって来たというのに。そこには先回りした影鳴がいた。逃げきれると思えた希望的状況を、一気に絶望へと落としてみせた彼に、鈴音は既に戦意を失いかけていた。

 

「……母上はどうした……」

 

幽鬼のような瞳で、彼に問いかける。それを嬉々とした表情で答える影鳴。

 

「いい線はいってたけどさぁ、結局あの程度じゃ私は殺せないよ。苦しそうにしてたからより苦しくなるように腕と足を切り落としてから更にバラバラにしてやった。ほら」

 

そう言って放ってきたのは、一本の腕。握られていたのは、母が大事にしていた櫛。

 

「……そう」

 

鈴音の表情は、もはや感情を感じさせないほどに無表情であった。一夜にしてに二人の肉親を失い、意識がなかったとはいえ一族を皆殺しにした。もう、彼女の心は限界まで磨り減り、無口ながら感情豊かな少女は消えかけてしまっている。

 

「鈴音……僕が時間を稼ぐ」

 

「……だめ、どうせ死ぬ」

 

彼女をよく知る鳴海から見ても、今の彼女はとても痛ましく見えた。彼女はもう、諦めてしまっている。これでは、彼女も死んでしまうと思った鳴海は。

 

「……鈴音、歯を食いしばるんだ!」

 

彼女の頬を思い切り打った。突然のことに目を白黒させる彼女。鳴海はそんな彼女に真剣な眼差しで話す。

 

「どんなに絶望的な状況でも、決して諦めちゃ駄目だ! ああそうさ、僕はどれだけ努力したって強くはなれなかったし、君に嫉妬してた! でも、絶対に諦めたくなかった! 僕が僕らしくあるために!」

 

普段優しい彼が言い放った心の内。彼は、才能あふれる鈴音にコンプレックスを抱いていた。だが、親友である彼女にそんな感情を向けたくなくて、必死に努力し続けた。例えどれだけ無駄であろうとも、彼女を、そして自分を裏切らないために。

 

「だから……僕程度ができるのに君が諦めちゃ駄目だ……!」

 

「……うん」

 

その時。

 

「お喋りはいいけどさぁ、さっさとどけよ糞ガキ」

 

影鳴のしびれをきらせた声。義理とはいえ、息子を糞ガキ呼ばわりする彼に、しかし鳴海は抜刀して構え。

 

「……死んでも止めるよ……父さん(・・・)

 

なお、彼を父親と呼んだ。彼にとって影鳴は、両親が蒸発して絶望の淵にいた自分を救い出してくれた人に、変わりはなかったのだから。しかし。

 

「あっそ、じゃあ死ねよ」

 

ブシュッ

 

彼の首が、目の前で跳ね飛び。そこから噴水のように血が吹き出して。

 

彼女の意識が反転した。

 

 

 

 

 

「……え?」

 

眼の前に広がる、真っ赤な血の海。上空は暗く見えず、銀の太陽が輝くのみ。

 

『ほう、今回の使い手は見えているようだな』

 

「っ! 誰だ!」

 

『! なんと、俺(私)の声が聞こえているのか。コイツは驚きだ』

 

姿無き声に戸惑う鈴音と、感嘆の声をあげる何者か。周囲を警戒していると、血の海の中からゆっくりと何者かが姿を現した。

 

「……お前は……」

 

『初めませて。俺の名は紅雨』

 

「……父上の刀と同じ名前……」

 

『そう、俺はまさしくそれよ。尤も、お前の父親は俺の声までは聞こえなかったが』

 

眼の前に現れた存在は、ボロ布を纏っただけの真っ赤な鬼。理知的な言葉からして相当に位階の高い鬼であるらしい。

 

『此処に来たのは、死に近づいたからだろうな。世界が見える分意識が引っ張られたのだろう。まあ、稀に例外もあるが』

 

「……! そうだ、鳴海が殺されて……」

 

フラッシュバックしてくる、自分の親しい人たちの死。

 

「……ここはどこなの?」

 

『ここは死の世界……お前たちが普段見てる世界の裏側だ』

 

思い出すのは、父の言葉。世界が巡る先の世界であり、輪廻を担うもう一つの世界。

 

「……じゃあ」

 

『言っとくが、あんたの両親もお友達もここにはいない』

 

「……どうして?」

 

此処が死の世界というのならば、既に死んだ皆がいないのはおかしい。

 

『既にそいつらは輪廻を巡った。魂はここで浄化されて何処かに行っちまったよ。行き先は俺も知らないし、もう既に別人だ』

 

死の世界に来てもなお、彼女は両親にも親友にも会えない。しかし、彼女はもうそんなことを悲観しない。親友に諦めるなと諭されてなお、彼女は無気力であった。

 

「……もう、全部どうでもいい……」

 

『本当にそれでいいのか? 何も望まないのか?』

 

「……いい。……皆死んで……私だけ残って……。……世界ってこんなにも脆いの……」

 

尊いはずの生命は、一晩で紙のように薄くて安いものとなってしまった。彼女は、幾度もの死に触れてしまったせいで世界を脆いと感じるようになってしまった。

 

『参ったな……これじゃ復活しても人間じゃいられない』

 

鬼から見て、彼女は魂がねじ曲がってしまっている。これでは現実世界に帰ったとしても魂が変質してしまうだろう。

 

(『……まあ、それも一興か』)

 

彼にとっては、己を見つけ出すことのできた初めての人物。今までよりも面白いことになると、鬼は考えていた。そして。

 

『あの男に復讐したくはないか?』

 

「………………」

 

『憎くはないか? 親も親友も殺したあの男が。殺したいと思うだろう? 俺なら、お前を向こうの世界に帰してやれるぞ?』

 

「……………い」

 

『ん? はっきりと言え。戻りたいのか、戻りたくないのか』

 

「……憎い……憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎いニクいニクイ……! 私は……あいつを殺したい……!」

 

ニヤリと、悪どい笑みを浮かべる鬼。その答えを待っていたとばかりに。

 

『いいだろう……ならば行け! 憎いあの男を殺してくるがいい!』

 

 

 

 

 

『諦めの悪いやつだ』

 

「なんとでも……ぐっ……言え……私は……鈴音に会って……謝るんだ……!」

 

『あの時の主とは真逆だな……。絶望に落とされてなお足掻くか。尤も、あの時既に魂が鬼に成った主では不可能であったな』

 

懐かしむような鬼の言葉。どうやら、己の従者も此処に来て絶望を抱いたまま戻ったのだろう。そして、今は自分がその状況にいる。

 

「思えば……私は鈴音に頼りっぱなしだったな。そんな風に依存していって、失って喚いて……。なら今が、今こそが鈴音を頼らずに踏ん張る時じゃないか……。彼女が超えられなかった絶望を、私が踏み越えてやる!」

 

『できるものならばな』

 

 

 

 

 

「気絶したか……。ま、そのほうが運びやすくていいけど」

 

突然糸が切れた人形のように倒れ伏した彼女。影鳴は何が起こったかよくは分からなかったが、恐らくは恐怖と絶望で意識が強制的にシャットダウンされたんだろうと思いおもむろに近づき、襟首を持って彼女を持ち上げようとしたその時。

 

リィン

 

「は?」

 

鈴の音。同時に、目の前にいたはずの少女の姿を見失った。

 

「……手応え、あり」

 

次いで、背後からの声。振り返ろうとして、彼の腕が動いた振動か、突如として音もなく地面に落ちた(・・・・・・)

 

「おいおい……! 俺が斬られたってのか……!?」

 

慢心していた覚えはない。相手は先ほどの戦闘でボロボロな少女一人であり、突如として気絶したが、むしろ万が一狸寝入りで接近した時に一撃を入れられないように警戒をしていた。だというのに、彼は彼女を一瞬で見失い、次いで腕を切り落とされたのだ。

 

みれば、彼女の醸し出す雰囲気が先ほどまでとは全く違う。絶望に彩られた瞳で空虚であった先ほどの彼女ではない。今眼の前にいるのは鬼気迫る殺意を漲らせ、己を心の底から憎んでいることが見て取れる、濁った目の色。

 

「おいおい、これじゃまるで"鬼"じゃねぇか……」

 

彼は兄や鈴音のように"世界"を見ることはできない。だが、彼も実力者として幾度と無く妖怪変化や魑魅魍魎と戦った身だ。その彼からしても、鈴音が放つ鬼の気配は、上級の鬼さえ虫けらに思えるほどのものであった。

 

「……お前を、殺す……!」

 

人を殺せば、それは鬼の所業だと古き時代では言われ、殺人鬼と呼ばれる。今の彼女は、何らかの理由で鬼に成ってしまったのだろうが、それにしては異常過ぎる。元々、そういった素養があったとしか思えないほどに。

 

「は、はは……所詮、俺にお前は御せんか……バケモノめ……」

 

彼女を利用して、地方の実力者に脅しをかけ、裏の世界で権力を握るつもりだった影鳴。しかし目の前の少女こそが、自分を脅かす最も恐るべき存在だと理解し。彼の計画が完全に破綻したことを理解した。

 

「……まあ、いいか。あのクソッタレを殺すこともできたし、娘もこんなじゃあ浮かばれないだろうよ……」

 

そう言って、彼は己の胸に自らの刃を突き立て、呻き声一つさえ漏らさずに死んだ。その様を見て、彼女はポツリと漏らす。

 

「……卑怯者……」

 

後に残されたのは、人とも鬼ともつかぬ中途半端な人の鬼。

 

彼女は、人であることをやめながら、その目的さえ果たすことはできなかった。

 

 

 

 

 

「…………」

 

奥歯を噛む。最初から最後まで目の前で見せられながら、何もすることなどできなかった。それはそうだ、これはあくまで幻覚にすぎない。どれだけ望んだとしても、あの時間は戻ってなど来ないのだ。ゆっくりと、世界が暗くなってゆく。後に残されたのは、自分だけ。

 

「……私は……」

 

後悔は今でも続いている。あの時、自分が彼の口車に乗ってしまわなければ。しかし、いくら悔やんだ所で願いはかないやしない。

 

「本当にそうか?」

 

「っ!」

 

「お前は本当は望んでいたはずだ……己の命で償いたいと」

 

突然の声に驚いていると、目の前にゆっくりと暗い光が現れて集まっていく。やがてそれが人の姿を取っていくと、そこにいたのは。

 

「……ちち、うえ……!?」

 

「うちもおるよ」

 

「僕もいます」

 

かつて、彼女によって死に至った3人がそこにいた。

 

「ここは間違い無くお前が望んだ世界」

 

「うちらが死んだ原因を見つめなおし」

 

「殺されたいと願ったのがこの世界だよ」

 

『完全なる世界』は、彼女の表層的な願いではなく彼女の無意識の願望、叶わぬと分かっていながら償いのために死にたいという願いが具現化されたのだ。

 

「薄汚く生き残ったお前を、今この手で……」

 

「僕を見捨てた君を」

 

「望み通り……うちらが」

 

「「「「殺してやる」」」」

 

「……そうか、これが私が望んだ……」

 

各々が抜刀し、彼女に刃を向ける。彼女はそれを見て微笑み。

 

「……ごめんなさい、マスター……」

 

瞳から雫をひとつ滴らせ、その凶刃を全身で受け止めたのであった。

 

 

 

 

 

(考えろ……奴は『名前』がヒントだといった……。奴の仮初の名は『紅雨』……、赤い色を連想させるカミ……いや、そんな単純なものではないはず……)

 

頭をフル回転させる。思いつくだけの名前は全て言った。元々日本に訪れた際に日本神話を詳しく調べたことがあるが、メジャーな神々は尽く外れた。

 

(ならば雨を連想……雨…………あめ……待てよ?)

 

鬼は時代を経るうちにいつの間にか妖刀と称されるようになったらしい。ならば今の姿は人の意識による穢れによって形成されたものだとすれば、正体はもっと別のはず。

 

(あめ)ではなく、(あめ)だとすれば……!)

 

雨は天が人づてに変わってしまい、紅はあくまで比喩表現だとすれば。

 

「…………分かったぞ、お前の正体が……」

 

『さて、何度目になるかも分からんが……期待せずに聞いてやろう』

 

「お前の……本当の名は……!」

 

 

 

 

 

冷たくなっていく己の感覚。ここが精神世界とはいえ、死ねばそれは精神が息絶えるということ。ならば、現実でも死が訪れるのかもしれない。そんなことを考えながら、ゆっくりと目を閉じようとし。

 

「…………っ……ね…………」

 

(……声?)

 

目を開けてみるも、そこには自分を冷たい瞳で見下ろして黙る三人のみ。気のせいかと思って再び目を閉じようとするが。

 

「……! ……こ……いる……りん……!」

 

「! この……声は……」

 

聞こえるはずのない、彼女がよく知った声。だが、ここは閉ざされた幻想の世界。いくら彼女が優秀でもこれほどの幻想空間に干渉など。

 

「鈴音!」

 

「……ます……たー……?」

 

はっきりと、今度は自分を呼ぶ声が聞こえた。ゆっくりと、体を起こす。貫かれた痛みで顔を歪めるが、それを気にしないで立ち上がろうとする。

 

「まだ立ち上がるのか? お前の苦しみが続くだけだぞ」

 

「……会いたい」

 

「私達を死なせたお前がか。どうせ、お前のせいで彼女も死んでしまうだろうよ」

 

「それでも! ……会いたい……!」

 

しかし、体はいうことを聞いてくれない。体のバランスが崩れ、倒れそうになる。

 

すると。

 

「……父上……」

 

「それほどまでに願うならば、私は止めはせんよ」

 

父が自分の腕を掴み、そのまま引いてくる。それを利用して彼女は立つと、彼に頭を下げた。

 

「……ありがとうございます」

 

「よい、元々我らはお前の望んだ世界……」

 

「君が強く願ったことを達成するのが僕達だからね」

 

「それに、娘を任せられる人か確かめたいどすなぁ」

 

皆が、笑顔でそんなことを言ってくれる。そう、ここは鈴音が望むものを叶えてくれる幻想。たとえそれが虚構だとしても、彼女の願いで生まれたものであることには変わりない。そして、暗闇の向こう側が突如として開き、光が溢れた。

 

「鈴音っ!」

 

「……マスター……!」

 

現れたのは、彼女の最も愛しい人。己の半身にして、主人。エヴァンジェリンが現れた。

 

 

 

 

 

「ごめんな、ごめんな鈴音……! 私はお前を見捨ててしまった……!」

 

「……いいんです……私も、マスターに無断で死のうとしました……」

 

ひしと抱き合う二人。己の犯した罪を涙を流しながら互いに吐露し。

 

「……ク、ハハハハハ! それじゃあお互い様というわけか! どこまでも私たちは似ているな」

 

「……だって、私はチャチャゼロがいて、アスナがいて。……そしてマスターがいて初めて一人前なんですから……」

 

笑いあう二人。先程まで、互いに地獄のような苦しみを味わっていたというのに。再会を果たした彼女らは活力がみなぎっていた。

 

「む、そういえばそこの三人はだれだ?」

 

「申し遅れたな。私は鈴音の父、明山寺鐘嗣と申す」

 

「母の小唄いいます、よろしゅう」

 

「僕は鳴海、鈴音とは親友といった間柄でした」

 

「……私の、死んだ家族と友人です……」

 

彼らの紹介を聞き、そうかと首肯する。そして、エヴァンジェリンは彼らに向かい。

 

「お前達の娘は私が悪党として育てた。たとえお前が鈴音が望んだ幻覚といえど、申し開きはしない。好きにしろ」

 

「何もせぬよ、悪の道であれ善の道であれ、彼女は逸脱しすぎてしまった以上まともな相手では付き合えんだろう」

 

「うちは、感謝しとりますえ。鈴音は友達さえ鳴海君しかいなかったどすから」

 

「僕じゃ、鈴音は守ってあげられなかったから……何も言えないですよ」

 

それぞれが、彼女に感謝の意を述べる。そして鐘嗣がエヴァンジェリンの前に出て。

 

「……娘を、頼む」

 

「頼まれんでも、あいつは私のものだ」

 

「フッ、尊大だな。しかし、嫌いではない」

 

話を終えた彼女は鈴音の腕を引いて、光の向こう側へと向かっていく。そして光に呑まれる寸前。鈴音はこちらを向きながら一言だけ告げて消えた。

 

『さようなら』、と。

 

 

 

 

 

『まさか、本当に当ててしまうとはなぁ……』

 

頭を掻きながら呟く鬼。先ほどの彼女の回答は、彼の予想に反して正解であった。

 

 

 

『貴様の本当の名は『天穂日命(アメノホヒノミコト)』だろう? 紅はあくまで陽の光の比喩表現に過ぎず、"日"、つまり太陽を表している。恐らくは、本来は紅でもなく同じ赤い表現として"緋"の字だったのではないか? そして、(あめ)も本来は"(あめ)"だったのだろう?』

 

純粋に驚いた。名前から類推し、数多い神々の中から己の名を引き当てた理知的な頭脳。

 

『そもそも、分霊とはいえカミの存在が封じられた刀となれば、直接カミが力を込めたか、高い霊力を有する伝説級の金属が使われたか。あるいは両方かだろうことは思い至った。そして、あの真っ赤な刀身は、その金属……緋々色金(ヒヒイロカネ)だな?』

 

『そこまで気づいたのか、やるな』

 

『何より、天穂日命は使命を帯びて大国主の元へ行ったという伝承がある。つまり一度は地上に現れたカミだということだ。鬼の姿は穢れによってだろう、妖怪といえば日本では鬼が一番メジャーだしな』

 

鬼の姿さえ偽りであることも見ぬかれた。流石の鬼、いや天穂日命の分霊たる彼も舌を巻く。分かりづらいよう態々一人称を俺と私を同時に使っていたというのに、男神である天穂日命と見破ってみせるとは。

 

『お前は名前のみ(・・・・)がヒントだといった。つまり容姿など当てにならん。お前は鬼として私と同格だとはいったが、それはあくまで分霊であり鬼としてでの話だろう。そしてお前を連想させる神々をペナルティ覚悟で言い続けたことが功を奏した』

 

『……当てずっぽうで言っていたのかと思ったが、正解を絞るためだったとはな。そうだ、俺は鬼としては最上位ではあるがそれだけ。カミとして比べでもしたら、お前と同格などありえんよ』

 

最初に交わした言葉さえ精査して情報とした。そして己の苦痛さえも布石とし、ゲームに勝利してみせた少女。認めよう、彼女は己の主が仕えるにたる存在だと。

 

『……ゲームはお前の勝ちだ。今、幻想空間に囚われている主の所にゲートをつなごう』

 

そう言って、彼は何かの言葉をブツブツと唱える。すると、目の前の空間に亀裂が走り。そこには暗闇が広がっていた。

 

『この先に、鈴音がいるのか?』

 

『ああ。もっとも、早く行ったほうがいい、精神が弱り切って死にかけてる』

 

彼女はゆっくりとその亀裂へと進んでいき、中へ体を潜り込ませてゆく。

 

『……エヴァンジェリン、真祖の吸血鬼よ。お前を我が主の主人として認めよう……頼んだぞ』

 

『フン、言われなくても分かっている。次は現実で会おうかってうおっ!? 吸い込まれ……!』

 

その会話を最後に、彼女は亀裂へと完全に飲み込まれていったのだった。

 

 

 

『クハハ! 中々愉快であったな! これからも退屈しないで済みそうだ!』

 

先程のことを思い出し、カラカラと笑いながら鬼は血の海へと沈んでいく。後に残ったのは、静寂のみであった。



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第十三話 反撃の始まり

黄泉返りし鬼は、新たな力とともに立ち上がる。
真なる邪悪は再び反撃の牙を剥く。


「ぐぉぉ……! そういえばこんな状態だったな!?」

 

目覚めたエヴァンジェリンを迎えたのは、強烈な痛みと最悪な気分であった。まあ、先ほどの

死の世界で味わった地獄の苦しみに比べればマシに思えたので叫ぶようなことは幸いにもなかった。

 

「……なるほど、これが鈴音が見えていた世界か。悍ましく……そして何とも美しい……」

 

死の世界を訪れたことにより、彼女は鈴音程ではないにしろ世界の裏側が見えるようになった。先程までどのような構造をしているのか皆目検討もつかなかった曼荼羅が如き魔法陣も、その術式構成が丸裸同然に見えている。

 

「ふむ、幸いにも私は肉体を封じられはしたが魔法も魔力も封じられていない……か」

 

見える世界が変われば、己を構成するものも見え方が変わってくる。ただの血と肉でできたタンパク質の塊でしかないと捉えていた己の肉体は、凄まじい勢いで魔力を周囲から吸収し、肉体を再生させようと自動的に魔力を肉体へと変換しているのが感じ取れた。どうやら、彼女の肉体は魔力を物理的な肉体へと自動変換して体を再生しているようだ。

 

「……なるほど。私自身も、特殊とはいえ魔法世界人と大筋では変わらないようだ」

 

この身体を作り上げたのは、忌々しいがかの造物主。彼は魔法世界をも作り上げた存在とエヴァンジェリンは考えていたが、その予想はどうやら当たりのようだ。

 

(構成の仕方が肉体か魔力生命体かの違いでしかないということは、私を利用して何らかの事をしようとしていたと見て間違いない)

 

自分の娘をバケモノに変える血も涙もないやつかと思ったが、こうして見えないものが見え、冷静になればまた別の真意が覗いてくる。

 

「まあ、それはさておき……いい加減この鬱陶しい魔法を解除するとしようか」

 

 

 

 

 

「……つまらない」

 

ああ、つまらないつまらないツマラナイ……。彼の心は暗く淀みきり、目の前の少年相手に全力を出せないでいた。感情がなかった頃の自分は、恐らくこんな下らない考えに左右されずに冷徹に、事務的に仕事をこなしたことだろう。しかし、今の自分は違う。先ほどの出来事で心が沈んだままになっており、酷く退屈を覚える。

 

「てめぇ……まじめにやりやがれ!」

 

目の前の少年、ナギ・スプリングフィールドが吠える。最終決戦の火蓋が切って落とされ、『墓守人の宮殿』へと突入した『赤き翼(アラルブラ)』の一行であったが、待ち受けていた『完全なる世界(コズモエンテレケイア)』のメンバーによって足止めを食らっていた。そして交戦へと至ったわけだが、最終決戦にもかかわらず相手のリーダー格の男、プリームムと名乗り度々彼らを苦しめてきた人物が上の空といった状態だった。まるで、目の前の自分を見ていないような。むしろ自分に対しての興味などとうに無くなったというような態度。ナギからしてみれば、実に腹立たしく思えるような状態であった。

 

「……さてね、これでも君という実力者相手なんだ、精一杯やってるつもりさ」

 

「嘘つけよ、てめぇの目は俺を見てなんかいねぇ……。いや、誰も目に映していないだろ!」

 

図星。全くの事実を言い当てられ、しかし彼は一切動じることもなく。

 

「……今更ながら後悔しているよ、感情なんて持つべきじゃなかったってね」

 

「……どういうことだ、オイ」

 

「別に。僕に感情を自覚させた人物のあまりに滑稽な姿を見てしまってね……。あんな奴に自分が翻弄されていたと考えるだけで腹立たしく思える」

 

ああ、自分は今怒っているのかなどと口走り、無表情を顔に貼り付ける。かつての人形のようなその様は、何故かナギには哀しく、痛々しい表情に見えた。

 

「……それでいいのかよ」

 

「? おかしなことを言うね、本来の僕はこちらの方だったはずだ」

 

「ああそうだろうさ……だがな、自分の感情を押し殺して……悲しくねぇのかよ!」

 

彼の目を見て、しかしプリームムは冷淡なままの視線を投げかけるだけ。

 

「俺はお前がどうして人間みたいに振る舞うようになったのかも、そんなふうになったのかも知らねぇ……。だがな! 今のテメェの方が余程強敵に思えるのだけは確かだ!」

 

「……冗談はやめてくれないか。己の心に惑わされて満足に戦うことさえできていない今の僕が以前の僕より強いはずが……」

 

「ごちゃごちゃうるせぇっ!」

 

「っ!」

 

否定しようとするプリームムに、ナギは腰の入った拳を見舞った。頬を正確に捉えたそれは、その勢いのままにプリームムをふっ飛ばし、彼が吹き飛んでいった先にあった遺跡の壁を破壊した。粉塵が晴れると、プリームムが額に青筋を浮かべ、凄まじい眼光で睨んでいた。

 

「君はいつもそうだったな! 論理的な思考を放棄して直情的なまでに本能で動いて、僕達の計画の邪魔をしてきた! 鬱陶しくてたまらなかったよ、さんざん練りに練った計画を強引に破綻させて行く君の存在が!」

 

今まで溜まっていた鬱憤を晴らすかのように捲し立てる。その饒舌さには思わずナギも面食らい、呆然となった。ここまで激情的な彼の姿は初めて見たからだ。

 

「エヴァンジェリンもだ! 僕に悪党の理念なんてものを説いていながら、主に手も足も出ないで醜悪な醜態を晒して! どいつもこいつも、僕の心を掻き乱していくくせに自分勝手なやつらばかりだ!」

 

「って、お前が変わった理由って……!」

 

「ああそうさ、彼女のせいだよ! 僕が手も足も出ない相手だった! 初めてだった、僕があれほど敵わないと思えた相手は! 僕が初めて心の底から負かしてみせたいと思ったのも彼女だった! だというのに……!」

 

悔しさで顔が歪む。己の初めての、明確な敵。『赤き翼』が彼の任務上の強敵であるならば、エヴァンジェリン一味は乗り越えるべき同類。それを、自分の主に横取りされた。文句は一切ない。計画の遂行のためには自分よりも主の方が確実だったはずだ。彼に作られた身の己が不満を言うなどあってはならない。だが、納得ができていない。心が認めようとしないのだ。

 

「……アスナの次はお前かよ。ったく、俺の大事なもんばっか横取りしていきやがって……」

 

「はぁ……はぁ……。何だ、君は僕をライバルとでも思ってたのか?」

 

「……まぁな。敵とはいえ、真正面からぶつかり合える相手ってのは案外少ねぇ。ラカンもライバルだが、今はあくまで仲間だしな」

 

「……君は、馬鹿か? 世界の存亡がかかっているような相手を、好敵手認定など」

 

「馬鹿げてるってか? だったらテメェはどうなんだよ。エヴァンジェリンの奴を倒したいって思ってたんだろ? 俺と大差ねぇじゃねーか」

 

そう言われて黙りこむプリームム。言われたことが何とも図星すぎて、反論できなかったのだ。

 

「ごちゃごちゃ悩むぐらいだったらよ、自分の胸に手を当ててよーく考えてみろ。それでやりたいことがわかると思うぜ?」

 

「……僕のやりたいこと……」

 

目を閉じ、そして考える。心を得た自分がやりたいこと、それは願っても叶わないことだろう。だが、彼女ならば。ひょっとすればあの醜態を払拭するほどになって戻ってくるのでは。彼にはそんな確信めいた思いがあった。ならば、今自分が為すべきことは。

 

「……まさか敵である君に諭されるとは思わなかったよ」

 

目を開き、ゆっくりと構える。片腕のない彼は、以前に比べれば戦闘能力は劣る。だが、それを補うのが戦い方というもの。沸き立つ闘志は、先程までとは比べるまでもなく強大であり、ナギをしてちょいと発破をかけすぎたかなぁ、などと内心ぼやくほどに見違えていた。

 

「彼女は……いずれまた現れる……。ならば今は、君を倒すことこそが最優先すべきことだ!」

 

「いいぜ、ようやくらしくなってきたじゃねぇか! だが、勝つのは俺だ!」

 

両者は再び激突した。

 

 

 

 

 

「グ……クソ……!」

 

「……脆弱なる人形よ。お前もまた主人と同じく愚かしいな、勝てぬ相手に勝負をしかけるなど」

 

「ウルセェ……オレハ、諦メタリナンザシネェゾ……!」

 

エヴァンジェリンに見切りをつけ、一人やってきたチャチャゼロは造物主と一人戦っていた。しかし、いくら彼女がエヴァンジェリンが作り上げた最高傑作たる殺戮人形とはいえど、彼女の主が手も足も出なかった相手に勝てる道理もなく、既に上半身と下半身を真っ二つにされてしまった。それでも、上半身だけを腕の力を頼りに動かして斬りかかったのだが、その刃は強固な障壁によって防がれてしまったのだ。

 

「鈴音……ナニヤッテンダヨ……! 目ェ覚マシヤガレ……!」

 

だが、その眼には未だ諦めの色は浮かばず必死に魔法陣に縛り付けられた彼女に向けて声を張り上げる。そのせいで腕のパーツがもげてしまったが、歯を食いしばって耐える。人形の肉体である故に本来痛みは感じないのだが、造物主は魂に直接ダメージを与える魔法を放っていたため、彼女の魂そのものが悲鳴を上げて精神的な痛みを訴えているのだ。

 

「オ前ノ主人ガボロボロニサレテンダゾ……! 従者ガ仇ヲトラナクテドウスンダ!」

 

実のところ、チャチャゼロはエヴァンジェリンを見限ったわけではない。あくまで彼女に辛辣な言葉を投げかけたのは彼女にもう一度立ち上がって欲しかったから。ここに来たのも鈴音を助ける他に、主人の仇討ちも含まれていたのだ。彼女は確かに殺戮を楽しむ歪んだ心を持った人形であり、殺す相手のことをいちいち考えるほどお人好しというわけでもない。しかし、己を創造した主人への忠誠心はしっかりとあり、それが彼女の誇りでもある。

 

悪党ならば悪党らしく、邪悪で魅力的な主人とともにあり続けたい。それが彼女の願いだった。

 

「頼ム鈴音! オレジャ口惜シイガコイツニハ勝テネェ! ダカラ、セメテオレノ代ワリニコイツヲブチノメシテクレ!」

 

必死なその慟哭は、しかし虚しく空気に溶けていくだけ。

 

かと思われたが。

 

【……分かった】

 

「!」

 

それは真か、将又幻聴か。鈴音の返答が聞こえた気がした。造物主はチャチャゼロに向けてなおも冷たく言い放つ。

 

「無駄なことを……この娘は既に我が『完全なる世界』に幽閉されている。彼女が永久に目覚めることはない」

 

「ハッ! テメェ如キニ鈴音ヲ抑エキレルナンテ思ワネェ方ガイイゼ? ナニセ」

 

ビシッ!

 

「……!」

 

何かがひび割れるかのような音が聞こえた。造物主は音のした方角を向く。そこは鈴音が縛られた魔法陣がある場所であり、しかし一見すれば魔法陣に異常は見受けられない。だが、造物主ははっきりと目に捉えていた。ほんの小さな(ひび)が、魔法陣に入っている様子を。

 

「アイツハオレデサエ手ヲ焼イタジャジャ馬ダカラナァ……!」

 

ひび割れはゆっくりと、しかし確実に大きくなっていた。それはやがて裂け目となってゆき、芸術的なまでに整っていた術式は無残な有様となった。

 

「……馬鹿な……!」

 

造物主は、ここ数十年の中で最大の驚きを無意識のうちに声に出して表した。この術式はそう簡単には破れないよう強固な作りになっているし、『魔法無効化(マジックキャンセル)』に干渉されないよう特殊な組み方がされている。そして媒体となる存在が抵抗せぬよう、態々不完全ながら脱出困難である『完全なる世界』へ意識を飛ばしておいたのだ。万全に万全を期した下準備がなされていたはずだ。

 

だが、目の前で起こっている光景はそれらを嘲笑うかのようであった。魔法陣は崩壊寸前なまでにズタズタになっており、ひび割れは全体へと走って蜘蛛の巣が如く広がっている。亀裂となった中心付近はもはや原形を保っていない。造物主渾身の作品とも言えた魔法陣が、だ。

 

そして。

 

ガッシャアアアアアアアアアアアアアアアアアン!

 

まるでガラスが割れるかのような、耳を(つんざ)く音。それ即ち、魔法陣が完全に崩壊した音であった。中心に縛り付けられていた鈴音の体は支えを失ったことで急速に地面まで落下していき。

 

そのまま顔面から(・・・・)地面へと激突した。

 

「ア……」

 

固いもの同士がぶつかり合ったような鈍い音が、床の僅かな振動とともに響き渡る。造物主もチャチャゼロも何一つ言葉を発しなかったことで僅かだが静寂が部屋を埋め尽くしていたため、よく音が響いたのかもしれない。

 

「……アー……鈴音、大丈夫カ?」

 

「…………」

 

返事はない。当然だろう、本来であれば彼女は造物主によって意識を別の擬似世界へと飛ばされてしまい、二度と覚めるはずはないのだから。そう、本来ならば(・・・・・)

 

「恥ズカシイノハ分カルガ、今ハソンナコト言ッテル場合ジャネーカラナ?」

 

「…………………………………………分かった」

 

チャチャゼロの問いかけから約十秒後。うつ伏せになっている鈴音から返答があった。そのまま腕を、足を、指をバタつかせ、体の調子を確認するかのように不規則に動かす。そして腕で体を支えながら、ゆっくりと起き上がる。

 

起き上がった彼女の顔には、鼻から微量ながら赤く細い線が。

 

「……チャチャゼロ、ティッシュ」

 

「……今持チ合ワセガネェ」

 

「……いけず」

 

「オレカ!? オレガ悪イノカ!?」

 

何とも気の抜ける会話であったが、造物主は静止したまま動きがない。想定外過ぎる出来事に、さすがの彼もどう行動すべきか思い浮かばなかったのだ。鈴音は手の甲で鼻血を拭ってからチャチャゼロを見やる。

 

「……チャチャゼロ、体が……」

 

チャチャゼロの痛々しい姿に気づき、心底心配そうな顔をする彼女。だが、チャチャゼロは空元気ながら笑ってみせた。

 

「アア? 気ニスンナ、ドウセ人形ノ体ダ後デ直セルサ」

 

「……やったのは、あいつ?」

 

「ア、ヤベェ」

 

鈴音が造物主の方を向き、そして今までにないほどの殺気と怒気を爆発させた。

 

「……許さない……!」

 

鈴音にとって最も嫌うことは、かつて己のせいで肉親を失ったことからくる、大切な人の喪失。大怪我を負わせるなど、彼女の憤怒を起爆する材料としては十分過ぎる。

 

「……お前は、(なます)にしてやる……!」

 

だが、そんな様子の鈴音を前にしてなお造物主は怯むことなく、掌に圧倒的で強大な魔力を集約させた魔法を展開し、言い放つ。

 

「……やってみるがいい、今一度貴様を『完全なる世界』へと幽閉し、儀式を完了させる」

 

次の瞬間、鈴音の姿が消え、次いで部屋全体に爆発音が響き渡った。

 

 

 

 

 

「な、何事だ!?」

 

ラカンらと交戦中であったデュナミスの耳に入ってきたのは、先程も聞いたことのある爆発音。デジャヴを感じる状況ではあるが、少女は既に主人によって眠らされ、エヴァンジェリンも戦闘不可能にされているはずだと思い、別の輩が侵入したのかと焦る。

 

「おのれ……! 別の賊がおったか……!?」

 

だが、それはないはずだと彼は確信を持っていた。儀式を執り行う間は主人以外は防衛のために出払うため、侵入者などが無いよう徹底的に警戒をし、蟻一匹いないことも確認済みだ。そのうえ、周囲に張ってある結界は超重量級戦艦の主砲が直撃しても耐えられる代物であり、物理的に突破するのは容易ではない。結界の構成は大分複雑であり、アルビレオクラスの魔法使いでなければ解くことなど出来るはずもない。

 

ならば、一体誰が。

 

(可能性があるとすれば……ありえんことだがエヴァンジェリンか……!?)

 

あれほどズタボロにされてなお心が折れていないのであれば、可能性は0ではないだろう。だが、0ではないだけで決して可能性と呼べるものではない。0が0.1になったところで、大差などないのだから。

 

(もしそうでなければあの少女が目を覚ました……? それこそありえん!)

 

もう一つの可能性は、儀式のために代替として使用している鈴音という少女。だが、それこそあり得ないだろう。不完全とはいえ、2千年以上を生き、『造物主』とまで呼ばれる主人が考案した意識だけを迎え入れる擬似世界。望んだ幸福を実現し、二度と覚めることのない楽園。それだけに破ることなど不可能に近い。

 

(しかし……不完全であるがゆえに可能ではある……!)

 

デュナミスはそういった部分を楽観視などしない。主人に造られて仕え、数百年以上も共に生きてきた彼は、そこまで夢見がちな馬鹿ではない。むしろ様々な予防策を張り、極力穴を減らしてリスクを減らすことに長けている彼は、大分リアリストじみた思考をしている。

 

「よそ見してると危ねぇぞ、ってなぁ!」

 

だが、この一瞬だけは彼の思考がそうであることが、可能性の模索のために意識が逸れてしまったことが災いした。横合いから殴りつけてきたラカンの拳に、対応が遅れたのだ。

 

「しまっ……!」

 

「超必殺ぅ! ラカンダイナミック(適当に命名)!!!」

 

巫山戯た名前であれど、それを放つ人物が魔法世界でもトップクラスの気の使い手ともなれば話は違ってくる。纏う気の濃密さと鋭さ、桁外れの拳の威力に流石のデュナミスも直撃を受けてケロリとできるほど頑丈ではない。即座に頭を横に捻ってかわそうとする。

 

「なんのこれしきいいいいいいいいい!」

 

それがラカンの狙いとは気づかずに。

 

「かかったな! 派生奥義! 羅漢圧殺砲ぅ!」

 

拳に込められていた膨大な気が、拳先から放たれた。デュナミスが頭を捻りながら後ろに逸らしたのが完全に仇となり、無防備な顎へとビームが吸い込まれるように激突した。

 

「ぐ、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

 

野太い悲鳴を上げ、放たれた攻撃に任せて吹き飛ばされていく。

 

「ハッハァ! ホームランってかぁ?」

 

薄れ行く意識の中、デュナミスに聞こえたのはそんなラカンの言葉だけであった。

 

 

 

 

 

「っ、なんだ!?」

 

「……まさか、彼女が目を覚ましたのか?」

 

互いにボロボロになりながらも戦闘を続行していた二人であったが、突然の爆発音に思わず動きを止めてしまう。ナギは困惑で、プリームムはある種の確信で。

 

「彼女って……まさかエヴァンジェリンの奴か!?」

 

「……いや、爆発音は儀式をしている部屋からだった……だとすれば、まさか『狂刃鬼』……?」

 

「あの嬢ちゃんか!」

 

『だとすればどうする?』

 

「「っ!?」」

 

突然の声。爆発の方に気を取られていたせいなのかもしれない。しかし、それでもこの二人は魔法世界最強クラスの人物たちである。そんな彼らが、近づいてくる相手の気配一つ悟れないなど普通はありえない。では、それを容易く為してみせるその人物とはいかほどの実力者か。

 

『随分とまあ、楽しそうだったじゃないか。ん?』

 

その声の主こそ、プリームムが心の底から渇望し、超えてみせると誓った相手。規格外の大悪党にして、先程無様に敗北して醜態を晒していたはずの人物。

 

ナギからはアスナ姫を奪い去り、宣戦布告を言い渡され、そして自分勝手ながら好敵手と思っていたプリームムの心さえ奪っていた憎たらしい相手。

 

「……まさか、主にあれほど傷めつけられてなお……立ち上がってきたのか……!?」

 

純粋な驚愕、それが彼の抱いた感情であった。確かに漠然と彼女が戻ってくるという確信が心のなかにはあった。だが、一方でやはり諦めの心があったことは確かであったのだ。だが、彼女はそんなものを歯牙にも掛けずに舞い戻ってきた。驚く以外に、彼が取れるリアクションなどなかったであろう。

 

『あー、そうだな。お前の主人にはさんざん世話になった。昔も、先程も』

 

彼女のその言葉に、しかし怒りはなかった。むしろ、笑ってさえいるように思える。そして、それを聞いて二人はようやく理解できた。彼女がただ声を発しているだけであるというのに、はっきりと存在感を示す悪意を振りまいていることに。

 

ナギは背筋に冷たいものを感じ、それが自分が流している汗だということに気づいた。冷や汗をかいていたのだ。倒すべき巨悪であると認識し、立ち向かう覚悟はできていたつもりだった。だがこの濃密に感じる、清々しいまでの悪意は何だ。以前とは比べ物にならないほどに肥大化しているこの怖気(おぞけ)は何だ。

 

自分はまさか、怯えているというのか。

 

『ナギ・スプリングフィールド、やはりお前は英雄足り得たな。今の私に純粋な恐ろしさを感じ、そして怯えている。怯えるのは人間として当たり前だ、恥じることはない』

 

己を見下し、値踏みするかのような発言に、しかしナギは言い返すことができない。言葉を発するために息を漏らすだけで、そのまま胸が潰れてしまうのではないかと思うほどの強烈なプレッシャー。

 

『いいぞ、実にイイ(・・)。我々が欲していた英雄像そのままだ。自信に満ち、しかし慢心を抱くことなく、強大な悪意に怯えながらも立ち向かおうとする意志。ああ、最高だ』

 

恍惚とした声色の発言に、しかしナギは不快感しかなかった。冗談ではない、と。こんな邪悪に好かれるようならまだ期待外れだと突き放されたほうがマシであった。彼女に認められたということは、つまり彼女に立ち向かうことを許された実力が己にあるということ。ならば、正義を掲げるものとして、何より人間として戦うことを選択せざるを得ない。

 

しかし、それは同時に果てなき戦いに身を投じる事。怪物と人間との、決して相容れない闘争に。それは英雄という名の生贄であり、降りることなど許されない。そしてそれは、彼自身が人間として生きる限り彼の心が降りるのを許さないということ。

 

この巨悪を、邪悪な怪物が有ることを許せば人間の希望は絶望へと染められ、それを彼が許すはずはないと心が知っているから。何より、この怪物はいずれ自分の仲間や大事な人を脅かすと、人間としての本能が告げていた。

 

『プリームム、お前も実にいい。その意志を貫こうとする姿勢、しかし悪としてまだ完成していない故の迷い。ただ誇りを掲げるだけの下らない悪より、とても魅力的だ。悪党として喰らいあうに足りる』

 

彼女の賞賛の言葉に、無意識のうちに彼は口元を歪め、釣り上げていた。足元さえ見えていなかった相手から、初めて認められたのだから。この一瞬だけ、彼は心の内から主人たる造物主を失っていた。それは無意識のうちに、彼自身があの強大なる邪悪を真っ向から滅ぼし、まだ見ぬ高みを目指したいと思ったから。それには、主人である造物主の存在は彼の邪魔になるとどこかで理解したからだった。

 

『さて、私はそろそろ行かせてもらおう。これ以上鈴音を待たせるわけにはいかんしな。お前達の成長ぶりは十分に見て取れた、今はそれで十分だ』

 

その言葉とともに、あれほどの重厚なプレッシャーが嘘のように消失する。

 

「―――――ぷはぁ! ったく、なんだってんだよ!」

 

「……ひとつ言えることは、彼女は以前よりも色んな意味で恐ろしい、ってとこかな」

 

彼女が去ってなお、二人は動けずにいた。水を差されたせいで気が乗らないというのもあったが、何より彼女の悍ましい悪意から開放されたことを実感し、心を落ち着けたかったからであった。

 

 

 

 

 

熾烈を極める造物主と鈴音の戦いは、一進一退であった。造物主が先程鈴音を夢幻の世界へと堕とすために使用したもの、それを再び使って彼女を『完全なる世界』へと幽閉せしめんとしたのだが、鈴音はまるで彼の手の内を理解しているかのように平然と躱していく。

 

「……む」

 

「……もう、それ(・・)は効かない」

 

それだけではない。その行動を好機と見て彼女は攻撃の糸口にさえしている。これでは、いたずらにこちらの身の安全を損なうだけだと判断し、彼は鈴音と距離をとる。

 

「……よもや、私のこれ(・・)を見破るとは、な」

 

「……この世界はお前と同じ(・・・・・)呼吸(・・)がする。……お前がこの世界を造ったのならば……お前が一体化(・・・)できるのも必然……」

 

彼女が先ほどの戦闘で全く動くことさえ彼に近づかれた理由はそれであった。この世界を造った造物主はこの世界と同じ気配を纏っており、そしてそれと同化することができる。あくまでも世界と気配を同調させたり、一時的な同化をして瞬間移動じみた行動をしているだけなので、無敵というには程遠い。だが、それでも世界との同化という規格外過ぎる離れ業を平然とされては、流石の鈴音も反応などできなかった。

 

だが、今は違う。二度目の死に触れ、より濃密な世界の感覚を感じ取る第七感が相手の居場所を正確に告げてくる。『呼吸』はより大きく聞こえ、扱い方(・・・)も少しずつではあるが分かってきた。

 

「……魔法が通じぬならば物理攻撃で攻めるまで」

 

再び魔法陣が展開される。しかし、その数は尋常ではない。10や20ではなく、100を優に超えるそれらから現れたのは、長大な両刃の剣。それと同様のものが全ての魔法陣から展開されていく。それらは鈴音の背後にも多数展開されていた。

 

「……駆逐せよ、『剣の進軍』」

 

それらが中空へと浮かび上がり、切っ先を鈴音に向けたかと思えば目にも留まらぬ、否、目にも映らぬほどの速さで一斉に射出された。一本一本から感じられる威力は、ミサイル1発分に匹敵するであろうことが伺え、魔力を物理攻撃に変換しているらしく彼女の能力では無効化することができない。

 

しかも全方位360°からの攻撃、素手の状態でも戦うのにも限度があり、例え剣があったとしても、彼女が人の領域を踏み外した剣技を有していようが、これほどの質量攻撃であれば串刺しにされるのが道理であった。

 

だが。

 

「……はー……」

 

彼女は眼前まで迫っている刃に怯えも、恐怖も微塵も抱いていない。そもそもこの程度は脅威として認識していないとでも言うように。そして、彼女が目を見開いた瞬間。

 

「……はぁっ!」

 

一瞬だけ、強烈な光が閃いた。

 

 

 

 

 

「……なるほど、こういう使い方もできる……か……」

 

閃光で一瞬だけ見えなかった彼女の姿は、見えるようになった数秒後もそのままそこにあった。周囲には、無残に叩き折られた、いやむしろ粉砕されたとも言えるほどにバラバラになった夥しい剣の破片が散らばっていた。それらは、やがて光の粒子となって消失してゆく。

 

「……何をした、小娘」

 

造物主の相も変わらぬ平坦な声。しかし、そこには僅かではあるが驚愕の色が滲んでいた。

 

「……斬っただけ」

 

ただ、そう言った。確かに彼女には己が手を刃と化し、素手でも斬撃を行うことができる『懐刀(ふところがたな)』があるが、あくまであれは彼女の父、鐘嗣(かねつぐ)が接近戦での懐に潜られた時の切り返しのために編み出されたものであって、威力そのものは使用者の技量にもよるがそこまではない。まして、ミサイル1発分の威力を有する大剣を100以上も射出されれば無力だ。せいぜい1本落とせれば御の字だろう。

 

そう、それがあくまでも『懐刀』であればの話だが。

 

「……全身で(・・・)……」

 

そう、彼女は攻撃範囲の狭い『懐刀』を全身を用いて利用することで範囲と、最大の弱点である威力不足を補った。勝手知った己の身体であれば、自由自在に操るのなど容易い。一瞬で彼女は迫り来る大剣目掛けて腕を、足を、胴を、頭を刃と認識して真空波を放ったのだ。

 

その真空波は、村雨流で『疾風(はやて)』と呼ばれるものと同じであった。真空波を剣先から勢いよく射出して相手を切り刻む、村雨流でも禁忌とされる三つの奥義、その一つである"風"の奥義たるそれと同じ事を、無手でしてみせたのだ。

 

彼女は『呼吸』をただ読むだけではなく、己が使うことでそれと同様の効果を得ることができると先程からの戦闘で掴んでいた。そしてそれを今ぶっつけ本番でやってみせたのだ。己の肉体を刃と見立て、刀を振るうようにイメージして『疾風』を再現したのだ。

 

先ほどの閃光は、全ての大剣に真空波が激突して火花が一斉に飛び散ったから起こったのだ。そうして、彼女は『剣の進軍』を防いでみせたのだが。

 

(……威力が増してる……)

 

以前の彼女であれば、死にこそせずともあれほどの質力攻撃は凌ぎきれずに負傷しただろう。鈴音はあくまでも魔法に対しては無敵に近いが、物理攻撃に関しては違う。魂がいくら鬼と化していようとも、肉体は人間のままであるため何事にも限界がある。最上位クラスの魔法使いや気をコントロールする武の達人がミサイル数百発をものともせずとも、彼女にとっては致命的だ。なにせ、それを防ぐ高火力の技を持ち得ていないし、彼女の能力が邪魔をして扱えないのだから。

 

だが、今使用したものは彼女の今までの技よりも遥かに強力であった。どうやら、自分自身が刃となることで格段に威力を増せるらしい。刃に篭っていた鬼が原因なのか、己が剣の鬼と成ったが故なのかは不明だが、今はどうでもいい。

 

「……名前、考えないと……」

 

腕一本を刃と化す『懐刀』も、あくまで気を剣圧に変換しているだけであり、本質的に肉体を刃と同一化する先程の技は全くの別物といっていい。なんとも桁外れのことをやってみせたのだが、実は彼女にとって初めて編み出した技である。彼女は村雨流の技を受け継いだとはいえ、自分自身で剣技を編み出したことがなかった。なにせ、彼女は見ただけで相手の技を真似る事ができるのだ。そもそも編み出す必要が無かったといえる。

 

「……村雨流じゃないから……我流……?」

 

剣技に関係する技とはいえ、これは剣技ではなくあくまでそれを行使するための補助でしかないため、村雨流の技術とするには正直首を傾げる。だから我流として考えるべきだと彼女は思った。

 

「……我流、『鬼道招来(きどうしょうらい)』……」

 

中国において、鬼とは死者の霊魂、冥界の霊的存在とされていた。そして人の世の理、つまり原理法則を『人道』と呼び、天の理を『天道』と呼んだ。そして『鬼道』とは、鬼神の住まう世界の理であり、死者の世界たる冥界の法則。彼女は冥界の理を己が肉体に呼び込み、再現した。それ故に、『鬼道招来』である。

 

「……うん、いいか……も……」

 

彼女にしては珍しく、しっくり来るネーミングができたおかげか思わずぐっと拳を握っていた。それを眺めていたチャチャゼロは、戦闘中だというのにちょっと浮かれ気味な彼女を見てため息をひとつ漏らした。その時である。

 

「いい名前じゃないか。お前はセンスがいいな、鈴音?」

 

「……!」

 

突如、鈴音へと放り投げられてきた一振りの日本刀。それを、鈴音は無言で受け止めた。チャチャゼロにとっては聞き慣れた声。しかしその主は、この場にやってくるのは絶望的と思われた人物。

 

鈴音は信じて待ち続けた、彼女の最大の理解者にして愛しき主人。

 

「……遅ェジャネーカ、ゴ主人、大分待タサレタゼ」

 

「……うん。……待ってた……」

 

「そうか。待たせて済まなかったな……我が従者たちよ」

 

邪悪な笑みとともに現れた、美しく、そして恐ろしい真祖の吸血鬼。エヴァンジェリンがそこにはいた。

 

「ククク、アスナがいないのは残念だが……ようやく悪の一味勢揃いといったところか」

 

ここに、真なる邪悪を体現する存在が三人揃ったのであった。



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第十四話 それぞれの戦い

闘争は加速し、そして終息へと向かい始める。


エヴァンジェリンによって戦闘に水を差され、一時休戦を互いに了承して造物主が儀式を行なっていた部屋へと二人がやってきた時には、既に部屋は無残な状態であった。

 

「主の魔法でさえ容易には壊れないとおっしゃっていた儀式場が……」

 

「ズタズタのボロボロだな……」

 

中心では、造物主がエヴァンジェリンと鈴音の二人を相手に戦っている。本来であれば、造物主ほどの魔法使いであれば一人相手も二人相手も変わらない。なにせそこには隔絶した実力の差が存在するのだから。

 

だが、その差を埋められる二人が相手であった場合どうなるか。

 

「……ぬ」

 

「どうした、防戦だけでは我々は倒せんぞ?」

 

「……安い挑発だな」

 

「それを吐かれるほど余裕を相手にもたせている証拠だろう? 先程は我を忘れてしまったが、冷静に対処すれば貴様の魔法も攻略は可能だ」

 

「……障壁など、無意味……」

 

離れて魔法を放とうとすれば、無詠唱の魔法を使って出先を潰してくる。魔法自体は、『魔法の射手』などであり障壁で防げる程度のもの。躱す必要などないのだが、一瞬で間合いを詰めてくる鈴音が前衛をこなしながら、彼女の能力で障壁を問答無用で突破してくるため、彼女の攻撃と魔法を同時に処理せねばならず、防御することを意識せざるを得ない。無詠唱で特大の魔法を放てることこそが造物主の強みなのだが、それを潰されてしまうのだ。

 

対して、エヴァンジェリンが魔法を詠唱しているときは、造物主が魔法攻撃でそれを阻止しようとしてもやはり鈴音によって魔法をかき消される。さらに攻撃の一瞬の隙を狙って迫ってくるため、迂闊にエヴァンジェリンへ接近できない。

 

「……おのれ……!」

 

「苛立ってるのか? なぁ、『父上』?」

 

ほんの少しだけ垣間見えた造物主の苛立ちに、エヴァンジェリンはさらに挑発を畳み掛ける。(こす)っ辛い戦術ではあるが、彼女は既に慢心を完全に捨てている。勝つためならば、どんな下らないてであろうとも積極的に使い、虎視眈々と造物主の隙を伺っているのだ。

 

「……私の心を乱して隙を狙うか。無駄なことを……」

 

「クク、その割には随分と不機嫌そうだな? 我が『父上』ながら情けないことだ」

 

「先ほど醜態を晒していた娘が言うことか」

 

「生憎、私は自分に都合の悪いことはすぐに忘れる質なんだ」

 

そんな憎まれ口を互いに叩き合いつつも、凄まじい攻防は続いている。無詠唱の魔法では圧倒的に造物主の方が威力が上だが、それを五角以上に持っていけるのが鈴音の存在である。まるで別の誰かが二人を的確に動かしているかのように、互いの次のして貰いたい一手を解して実行しているのだ。

 

「……村雨流、『雨陰』」

 

隙のない速攻の十字攻撃で造物主の逃げ場を封じる。造物主はやむなく上方の真空波を魔法障壁で受け止め、障壁の効かない鈴音の刃は瞬時に手元に両刃の剣を召喚して受け止める。しかし、鈴音の剣圧に押されて造物主は刃を弾くこともできずに吹き飛ばされる。そこにすかさずエヴァンジェリンの『闇の吹雪』などの強力な魔法が叩き込まれる。

 

「ぐ……! 小癪な……!」

 

障壁を再び張ろうとするが一手遅い。完全に造物主が防御を行う前に届くよう計算されて放たれた魔法を相手に、造物主は一瞬だけ無防備となる。

 

「ぐあああああああああ!」

 

いくら造物主の防御が堅固であれども、その防御そのものが出来なければ当然ダメージは通る。無敵にも思える造物主が、初めて苦悶の叫び声を上げた。しかし、そこに鈴音は追撃をいれようと接近していき、エヴァンジェリンは再び魔法を唱え始める。それだけ造物主が強敵であることを理解しており、油断なく攻めようとする姿勢が見て取れる。

 

「……斬る」

 

「さあさあ、次はもっとでかいやつがいくぞ父上? どこまで耐えられるかな?」

 

 

 

 

 

「すげぇ……」

 

ナギはその戦いに魅せられていた。あまりにも次元が違い、その圧倒的な攻防にただ唖然としていたが、エヴァンジェリンと鈴音の戦いは彼の目を釘付けにしていた。

 

最初は強い奴と戦いたいという思いからこの世界に飛び込んだ。3人だけの気楽な戦いだったが、それだけ見捨てなければならない人々がいた。それでも戦い続けたのは、そんな彼らに少しでも報いたかったから。

 

いつの間にか一人、また一人と仲間が増えていった。相変わらず、手のひらからこぼれ落ちてしまう人々がいたが、それも初めに比べれば随分と少なくなった。仲間とともに戦うことの大切さを、ナギは次第に理解していったのである。エヴァンジェリン達から宣戦布告をされた際も仲間たちに勇気づけられ、そのありがたさを再確認した。

 

今目の前にあるのは倒すべき敵たるエヴァンジェリンとその従者。先ほどの対話から、エヴァンジェリンに対して悍ましいほどの悪意を感じ、彼女を倒すべき敵だと認識した。だが、眼前の戦闘はナギにとっては余りにも魅力的過ぎる戦い方であった。

 

ナギはこの世界でも最上位の魔法使いである。だからこそ、自分一人だけではできることが限られることを、戦いを通じて感じてきた。同時に、仲間とともに戦えば、それを補い合えるということもだ。仲間とともに、言葉すら要らず強敵へと立ち向かう。それがナギにとっての理想。唾棄すべき邪悪であろうとも、それを体現して見せている二人の姿は、ナギの目にしっかりと焼き付いていく。

 

そんな時だった。横からその戦場へと飛び込んでいく一つの影が躍り出たのは。

 

「ちょっ、お前!」

 

「生憎、もう目の前で手を拱いているつもりはないんだ」

 

プリームムであった。彼女との再戦を熱望していた彼にとって、主人にそれを横取りされた先ほどのことは未だに胸の内で燻っていた。そして今、その主人でさえも劣勢に立たされている。誰が彼を止められよう。守るべき主人のために、戦う彼のことを。彼は大義名分を得ると同時に彼の欲した戦いを得るに至ったのである。

 

(もう誰も戦いを阻むことなんてない……)

 

全力で、戦うことができる。それはなんと甘美で芳醇な誘惑であろうか。心は人の欲望もまた現出させるもの。プリームムは今、完全に人形としての己を捨て去ったのである。

 

(さあ、戦おう……我が好敵手(エヴァンジェリン)……!)

 

 

 

 

 

ガギン!

 

本来であれば造物主を捉えたであろう鈴音の一撃は、重い金属音とともに防がれた。鈴音の前には彼女もよく知る人物が、片手だけに重厚な篭手と脛当てを装着し、鈴音の刀を防いでいる。彼は刃を弾くと、彼女の腹部に強烈な蹴りを見舞った。鈴音は片腕を使って防御を行うが、何らかの金属でできたすね当てが装着された脚部はそれだけで凶器であり、彼女の腕からミシリと嫌な音がして吹き飛ばされる。

 

「……プリームムか」

 

「……出すぎた真似だとは重々承知しています。しかし、主の危機に飛び込まぬ配下など何の役に立ちましょうか」

 

「…………今のお前に敵う相手ではないぞ」

 

「私自身が、私の心が戦いたいと叫んでいるのです。あの悪党ども相手にどこまで通用するのか、己を試したいのです」

 

もし、主人にならぬと言われようとプリームムは戦うつもりであった。自分では先ほどの攻防について行くだけで精一杯であろうことは想像できる。だが、だからといってこの絶好の機会を逃したくはない。無意識のうちに、彼には反逆の芽が芽吹こうとしている。

 

「……ならば存分に戦え。お前は我が片腕なのだから」

 

そこに、予想もしていなかった答え。しかし、彼の心は歓喜に包まれた。ああ、やはり自分はこの主人に尽くしてこそ己なのだと。こんな下らない己の私事に付き合ってくれようとしている、己の心を汲んでくれる最高の主人を仰ぐことこそが。エヴァンジェリンが植えつけた反逆の芽は、芽吹く寸前で摘み取られたのだ。

 

「有難う御座います……!」

 

主人とともに、生涯で初めて共に戦うことを許された。これほど嬉しいことはない。恐らく、もう一人の片腕とも言えるデュナミスでさえ、こんな栄誉は賜らなかっただろう。彼は眼前の敵を見据え、言葉を投げかける。

 

「ようやく、借りを返せるよ。『闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)』」

 

「クク、先程の言葉を撤回させてもらおう。お前はまさしく私達と命を殺り合うに足るよ、プリームム。ほんの少しのきっかけでこうも成長するとは」

 

エヴァンジェリンが不敵に笑う。しかしそれは嘲笑ではなく、己の求めたものを得られた子供。そんな無邪気で、しかし邪悪な笑み。彼女は今度は造物主へと向き。

 

「お前の配下に反逆の芽を植えつけたつもりだったが、見事にそれを逆利用されたか。さすがに悪の大組織の黒幕なだけはある」

 

「……考え過ぎだ」

 

「フン、どうやら親子で面白いところが似たらしいな。貴様を許すつもりもないし、怒りも収まったわけじゃないが認めるしかない、か」

 

体勢を整えた鈴音がエヴァンジェリンのもとにやってくる。

 

「さて、鈴音。ここからは同条件で2対2だ、覚悟はできているか」

 

「……元より。私はあなたの従者ですから……我が主人(マイマスター)

 

「クククククッ! いい返事だ、実にいい返事だ! ああ我が愛しい従者よ、お前はたとえ死が目前であろうとも怯むことはないだろうな。敵は強大だ、なにせこの世界を分裂させる大戦争を仕掛け、この世界を生み出した存在とそれに忠誠を誓う人間のような人形。だが、大いに結構じゃないか!」

 

「……殺しがいがある」

 

「……征くぞ、プリームム」

 

「ハッ!」

 

役者は揃い、今最後の戦いの火蓋が切って落とされた。

 

 

 

 

 

この世界の命運を決める戦いが始まった一方で、その遥か上空でもまた死闘は続いていた。

 

「なんという数だ……」

 

「落としても落としてもきりがねぇ!」

 

造物主の配下の一人が召喚した、見渡す限りを覆う黒い影。遠目から見れば羽虫のようであるが、その実態はそんな生やさしいものでは決してない。その影一つ一つが、下級から上級まで揃った悪魔の群れなのだ。

 

「戦艦は!?」

 

「既に2つ落とされました! その内一つは連合の弩級戦艦です!」

 

「"スカイレイン"が撃墜されたというのか!? どんな悪魔がいたというのだ!?」

 

「そりゃ~、今目の前にいるあたしよあたし」

 

「は?」

 

下級悪魔を殲滅していた男の眼の前に現れた、スリットの深いドレスを纏った女性。その蟀谷(こめかみ)には悪魔のものと思しき角。

 

「ごきげんよう。此度の召喚に応じてやってきた上位悪魔ちゃんよ~」

 

手をひらひらと振りながら洗浄に似つかわしくない気の抜けた声で挨拶をする自称上位悪魔。しかし、その体から感じる暗い魔力は相応の実力を垣間見せる。

 

「上位悪魔……! だが、貴様程度で弩級戦艦が落とされるとは思えんのだがな?」

 

「あら、予想よりも現実的な男だこと。ちょっと冷めちゃうわ~」

 

「答えろ! 貴様以外にどんな悪魔が襲撃したというのだ!」

 

声を荒げながら、男が叫ぶ。そんな様子を見て、女悪魔は不機嫌そうに睨みつけ。

 

「じゃ・ま・よ」

 

唇へと指を這わせ、投げキッスを背後の男へと飛ばす。それと同時に、その男は爆炎に包まれた。声すら上げることもなく、黒焦げになった男は遥か下へと落下していった。

 

「弱いくせにしゃしゃってるなんて、馬鹿な男よね~」

 

「……貴様、今のは魔法か?」

 

男の背後で戦っていた人物が睨みつける。黒い装束で全身をすっぽりと覆い、顔は伺えない。しかしその影から覗く眼光は鋭く、歴戦の強者であることは明白だ。組織だった印が見受けられないことから、恐らくはこの戦いにフリーで参戦した傭兵だろう。

 

「あ~ら、気づかれちゃった? ま、普通わかるわよねぇ。そ、私の得意な爆炎魔法よ」

 

傭兵は油断なく鉄製の杖を構える。先端が鋭く尖っており、戦闘にも用いることができるよう武器と兼用しているものだ。

 

「ふ~ん、やる気? あんたじゃ勝ち目なんてないと思うけど。あら、結構いい男」

 

熱風で一瞬持ち上がったフードの奥に見えたのは、顔立ちの整った青年の風貌。しかし、それはただ美青年であるのではなく冷酷な冷たい美貌といっていい。

 

「さてな、勝負事に絶対はない。せいぜい貴様の喉笛を噛み砕かれんことだ」

 

「あ~ん、ゾクゾクするぅ! 久々にマジでいい男じゃな~い! あなたのお名前は?」

 

「……人の名前を聞くときは自分から話すものだ」

 

鋭い眼光で返されるが、女悪魔は飄々とした態度を崩さない。むしろ、そんな彼の姿が面白いらしくなおも笑みを絶やさない。

 

「そ~ね~。先に名乗るのは礼儀、常識よね~。じゃ、私から名乗っちゃう!」

 

そう言うと、女悪魔の周囲がどんどんと暑くなっていく。熱気が彼女へと収束しているのだ。やがて熱気は炎熱へと変わり、彼女を火柱で覆った。ほんの数秒、彼女の姿が見えなくなる。そして火柱が消失した時、そこには禍々しい姿の異形がいた。

 

赤く爛れたような肌はグラグラと沸騰したように表面を泡立たせ、頭の角は木の枝のように不規則に捻れ曲がり、先程よりも大きく見える。口は耳まで裂け、ズラリと並んだ歯は白く鈍い光を反射する。髪はボサボサで燃えるように赤く、その間からは怨嗟の声を上げる牛のような顔と笑い声を上げる羊の顔。足は鳥のようで、ガチョウのもによく似ていた。

 

特に目を引くのは、その蛇のような、しかし余りにも大きな尾。鱗はヌメリとした爬虫類特有の湿り気はないようだが、舞い散る火花を反射してテカテカと照っている。総じて、悪魔らしい外見を体現したかのような醜悪な怪物がそこにはいた。

 

「あたしの名前はアスモダイ。アスモデウスとか、アエーシェマとか色々名前があるけど、アスモダイが一番語呂がいいし気に入ってるの」

 

「ソロモン72柱、序列32番の悪魔の王か……」

 

「あらご存知? そうそう昔はソロモンなんて言うガキに付き合ってたこともあったわね。あれも中々いい男だったけど最後はがっかりしちゃったわ。で、次はあなたの番よね?」

 

「……ネロ・ブラッコだ」

 

「へぇ、イタリア人? 昔バチカンに喧嘩売りに行った時を思い出すわねぇ」

 

体をくねらせながら、身悶えるように話すアスモダイの姿を冷めた目で見据えるネロ。

 

「御託はいい。それとも油断したところに噛み付いてやろうか?」

 

「そ。なら始めましょうか、身も心も燃え盛るような熱戦を!」

 

後に『黒き猟犬(カニス・ニゲル)』と呼ばれる有力傭兵組織を率いる男の、初の表舞台での戦いであった。

 

 

 

 

 

一方、次代を担う者達もまた奮戦していた。『赤き翼(アラルブラ)』の若きメンバー、タカミチとクルトである。

 

「よしっ! これで52体目!」

 

「フ、僕はもう58体目だ」

 

「ええっ!? 負けてたまるか!」

 

「僕だって!」

 

下級悪魔ばかりとはいえ、並の魔法使いならばとっくにバテているようなハイスピードで悪魔たちを殴り倒し、或いは斬り捨てていく二人。その瞳には未だ闘志が燃えている。

 

「若いってのはいいねぇ……」

 

とは、それを遠目で眺める老練の剣士の言である。

 

「皆さんは無事なんだろうか……」

 

「無事だろうさ。あの人達はもはやチートを通り越してバグだからな」

 

「ははっ、違いないや!」

 

休むことなく、そんな軽口を叩きながら悪魔を掃討していく。そんな時であった。

 

「随分と暴れまわっているじゃないかぁ」

 

「っ! この声は……!」

 

声の方を振り返ると同時、凄まじい威力の蹴りを見舞われる。咄嗟の事で防御が間に合わず、タカミチは大きく吹き飛ばされた。

 

「タカミチ!」

 

「へ、平気だよ……かろうじてだけど……」

 

何とか空中で姿勢を戻すことに成功し、クルトの叫びに返答する。脇腹を抑えていることから攻撃をもろに受けてしまったらしい。じわりと血が滲んでいるのがかすかに見て取れた。目の前にいたのはかつてアリアドネーで相対した上位悪魔、フランツ・フォン・シュトゥックであった。

 

「おやおやぁ、そこにいるのはいつぞやの糞ガキ共じゃないかぁ。元気してるぅ?」

 

「フン、お前なんぞに応える義理はない!」

 

「反抗的なガキは嫌いだねぇ……。あの時のあのガキはいないわけだし、今度は邪魔は入らない」

 

二人の額から冷や汗が流れ落ちる。あの時は、あの少女によって事なきを得た。だが、今回は戦場のまっただ中という状況であり、手助けは期待できない。つまりは、ここにいる二人だけで相手をしなければならないのだ。

 

「まずいな……」

 

「ああ、腐っても爵位級悪魔だからな。……どこまで通用するか」

 

「通用ぉ? 馬鹿言ってんじゃねーよ。お前らみたいなザコに俺がやられること自体が奇跡だったってのに。舐めた態度してっとバラバラにして煮て食うぞ? それともテメェらのけつの穴穿ってヒイヒイ言わせてやろうかぁ?」

 

「品性を疑いたくなるような奴だ……」

 

以前戦った時も、最初は紳士的な仮面を被ってこそいたが本性をすぐに表していた。そして今は既に本性を知られていると理解知っているためか非常に口が悪い。

 

「ケッ、本当だったら私もこんな辛気臭い場所来たくなかったんだがな……。私の上司とか腐れ縁のクソジジイに連れて来られちまったのさ。抵抗しようにも上司は悪魔の王の一人で、クソジジイは私以上の爵位級悪魔だ、従うしかねぇだろよぉ……クソがっ!」

 

何かを思い出したようで歯軋りをしながら頭をガリガリと掻く。自分たちを襲った相手とはいえ、彼も彼なりに事情があって苦労しているようだ。

 

「……悪魔も大変なんだな……」

 

少しだけ同情の眼差しを送るタカミチ。理不尽に振り回されるのが世の常とはいえ、その大きなうねりである戦争に巻きこまれた彼は理不尽に対する憤りの気持はよく分かる。とはいえ、ここは戦場であり相手は敵に召喚された存在。戦いは避けられない。

 

「ま、いいや。お前らで私の憂さを少しでも晴らせりゃそれでいい」

 

「とことんゲスい悪魔だ」

 

呆れたようにクルトが言う。

 

「キッハハハ! そいつぁー褒めてくれてんのか? やめてくれよ鳥肌が立ってゲロ吐いちまいそうだ」

 

「言ってろ。刀の錆にしてやる」

 

「ここでお前を止めれば、少しでもこっちの有利に働くんだ。負けてやるつもりはないよ」

 

「あーあー、雑魚が粋がっちゃってまぁ……。ぶち殺してやるよ」

 

 

 

 

 

鈴音は苛立ちを覚えていた。感情の揺れが少ない彼女にしては珍しいことだが、相手がかつて己やアスナを攫おうと画策し、チャチャゼロを破壊するなどと宣った相手であれば、仲間を大切にする彼女にとっては仕方ないことだ。相手が自分よりはるかに劣る技量であり、彼女が狩る側で彼が狩られる側という、獲物を相手にするだけの認識であることも原因の一つであった。

 

「……小癪」

 

攻撃を全て脛当てと篭手によって防がれ、或いは逸らされている。近接戦闘でここまで梃子摺る相手は、さしもの鈴音も亡き父やチャチャゼロ以来だ。防御だけであれば、間違いなく一流だ。

 

「……村雨流、『俄雨』」

 

「くっ!」

 

片腕のみを用いて防御の姿勢をとるプリームム。衝撃が数瞬後に彼を襲うが、腕に装着された金属製の篭手が攻撃を肉体に届く前に遮断する。切断力においては村雨流でも随一の技に、鈴音の『呼吸』を合わせたというのに防具は全くへこたれていない。いや、傷ひとつとしてついていないといったほうがいい。

 

「……今のはさすがに斬られたと思ったよ。予想以上の防御力だな……」

 

頬を斬撃がかすめたものの、傷らしい傷はついていないところからプリームムは無事のようだ。

 

「……硬い」

 

その結果を冷静に分析し、あるひとつの心当たりに至る。

 

「……『紅雨』と同じ類の鋼……か」

 

「オリハルコンとミスリルを用いた合金素材だ、そう簡単に抜けるとは思わないほうがいいね」

 

「……なら、手薄なところを狙えばいい」

 

そう言うと、今度は篭手と脛当てが無い胴や首を狙い始める。

 

(……予想以上に、防御が硬い……隙を見て、一撃で倒すしかない……)

 

しかしウィークポイントを狙うということは狙いが絞られるということ。その分プリームムは防御に徹するしか無いが、この状況ではむしろそれが最適な行動原理となる。

 

「彼女の加勢には行かせないよ」

 

そう、鈴音をこうして引きつけておけばエヴァンジェリンは造物主と1対1の勝負を強いられる。魔法使い最大の天敵である鈴音を攻撃に参加できないようにすれば造物主の分厚い障壁とノーモーションで放たれる上級魔法の数々を一人で捌く必要がある。そうなれば、あとはひたすら消耗戦となる。さしもの真祖の吸血鬼たるエヴァンジェリンとて、無尽蔵の魔力を有するわけではない。この世界と一体となっている造物主は魔力切れなどあり得ない。ならばジリ貧になるのは必定であった。

 

そう、あくまで常識の範囲で語ればの話だが。

 

「……何が可笑しいんだい?」

 

嗤っていた。無表情の上にのっぺりと貼り付けたかのような、口の端を少し釣り上げただけの、しかしはっきりと小馬鹿にしているとわかる不快な嘲笑。

 

「……いけない……マスターに……毒されてきたのかも……」

 

そう言いつつも、その口角は上に向いたままだ。主人が主人なら従者も従者なのかと、プリームムは内心ため息をついたが、攻撃の手はしっかりと緩めない。

 

「……私を引き離したぐらいで……今のマスターは止められない」

 

「何を……」

 

先ほどの戦闘で、鈴音との絶妙なコンビネーションで造物主を追い詰めていたエヴァンジェリンはたしかに見事な戦いぶりであったが、それより前には、造物主に単身で挑みボロ雑巾のようにされたのをプリームムはその目に焼き付けている。実際、チラと己が主人とエヴァンジェリンが闘争を演じている部屋の反対側では、造物主がエヴァンジェリンを追い詰めているかのように見える(・・・・・・)

 

だが、その戦闘に彼はほんの少しだけ違和感を感じた。

 

(……っ! まさか!?)

 

そして気づいた。エヴァンジェリンは何か(・・)を隠していると。ほんの一瞬の思考による意識のズレ。それを見逃すような鈴音ではない。

 

「……我流『鬼道招来』」

 

「しまっ……!」

 

鈴音の『鬼道招来』は呼吸を整えて発動をするために短時間だが隙が生じる。鍛えればその隙も埋められるだろうが、生憎まだ彼女はこの力の使い方を認識したばかり。まだまだ上手く扱うには時間がいるだろう。よって、相手の隙を誘って発動するのがよい。つまり鈴音は、よりにもよって自らの主人を囮としてプリームムに隙を生じさせたのだ。

 

「……『雨露霜雪(うろそうせつ)』」

 

瞬間、プリームムは片腕と両足を折りたたみ、体の面積を最小限にして防御に徹した。その片腕と両足の間から垣間見えたのは、刃の暴風。飛び交う斬撃、真空波、刺突。それらの中には回避を阻むフェイントまで織り交ぜてあった。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

過ぎ去る風切り音に強風を覚えるが、彼は必死になって体を最小に縮こませる。この斬撃の嵐に晒されてしまえば、さしもの防御を誇るこの防具、『銀月手甲(メス・デ・ラ・プラタ)』と『白金陽甲(ソル・デ・プラティーノ)』を装着していようと防御が間に合わない。荒れ狂う真空波や剣圧に圧し潰されまいと奥歯を噛み締め、耐え続ける。吹き飛ばされ、壁にたたきつけられようと、体中にカミソリで切られたような切り傷が刻まれようと。

 

ついには嵐は終息し、ゆっくりとプリームムは防御の構えを解き、次いでゆっくりと立ち上がった。周囲は斬撃にさらされたためか見るに耐えないほどに滑らかな亀裂がそこかしこに存在する。暴風の爪痕から、自らがどれほどの攻撃に晒されたのかを理解し、それを耐え切ったことに内心で静かに安堵する。

 

「……耐えた……?」

 

淡々と、しかし驚きを以って告げられた言葉。見れば彼女の両腕は傷がついていない場所がないと言えるほどに痛々しい切り傷で溢れ、滲んだ血で覆われていた。

 

村雨流でも禁忌とされているのが3つの奥義。しかし、それはあくまで伝承されるべき人知の技術であり、あくまでも歴代伝承者や一部の者は会得できた代物だ。だが、先程鈴音が放った『雨露霜雪』は違う。ただでさえ肉体の負荷を一切顧みない奥義に比べ、この技は負傷が前提とされているのだ。奥義3つを会得できた者にのみ行使できる技で、各奥義の技法を纏めて一つの技にしたのがコレだ。当然、一つ一つで強大な負荷を強いられる奥義を束ねた技となれば、肉体はただでは済まない。

 

"疾風(はやて)"の技術で放った真空波の嵐は己の腕ごと相手を喰らい、斬撃とともに放った"雷霆(らいてい)"の神速の突きは脚力を用いない分腕に負担が余計にかかって左腕が筋断裂を引き起こした。"雲霧(くもきり)"によるフェイントによって更に隙を減らし、それを為すために針に糸を通すような神経を使い、精神に大きな負荷をかけて疲労を増幅する。

 

幼い頃から村雨流を扱うために影鳴に鍛えられていた鈴音は、今まで負担を気にすることなく扱って見せていた。それは才能と、血の滲むような鍛錬によって得た肉体があればこそ。だが、それでも彼女の肉体はあくまで人間のものでしか無い。どれほど気で強化しようと、どれほど頑強な肉体であろうと、村雨流でさえ闇に葬った"裏式"は負担が大きすぎた。

 

プリームムは鈴音を見据えると、一直線に特攻を仕掛けた。しかし鈴音は『雨露霜雪』の反動でうまく体が動かない。その結果鈴音の行動がワンテンポ遅れ、とっさに腕で防御するものの。

 

生木を圧し折るかのような耳障りの悪い音が彼女の左腕から発せられた。

 

何とかその腕で彼を弾き飛ばすものの、灼熱と激痛が彼女を襲う。それに眉ひとつ動かさないながらも、鈴音はその発生源をチラと一瞥する。

 

「……左腕……動かない、か……」

 

腕はだらりと下がり、よく見ればあらぬ方向に少しだけ反れている。それも、関節部ではなく肘から手首にかけての前腕。肘から二の腕にかけては無事なものの、指先は一切言うことをきかない。

 

「……問題なし……」

 

それでも彼女はさしたる問題ではないと切り捨てる。利き腕である右腕は動くし、痛みは放っておけばいいという結論に達したのだ。

 

「……何とも情けない限りだ。君の攻撃を受けるだけで手一杯、その上暴風のような斬撃に晒されて必死になって縮こまっているだけなんて、ね。おまけに君に初めてダメージを与えたのは君自身の攻撃によるものだった」

 

「…………」

 

「それでも、ようやく互角ぐらいまで引きずり降ろせた」

 

どれほど守りに徹した臆病な戦いであろうと、自滅によって初めて勝機を得た泥にまみれた戦い方であろうと。ただひたすらに耐え、エヴァンジェリンの加勢に行かせないという最低限の目的は果たしていた、彼自身が掴んだチャンスには他ならない。腕一本と腕一本、勝負は確かに肉体的には互角の状況となったのだ。

 

「……面白い……」

 

鈴音が造物主や鐘嗣などの特級の部類に相当する相手以外を。プリームムを初めて明確に敵として認めた瞬間であった。

 

 

 

 

 

「ほぅ……お前の従者も中々やるじゃないか。鈴音の招いた種とはいえあいつに負傷させるなんてな」

 

「……お喋りをしている暇があるのか?」

 

「ハッ、余裕も見せられんようじゃあいつの主人など到底務まらんよ」

 

軽い口調だが、迫り来る魔法攻撃は確実に自分を害するであろう攻撃ばかり。さすがに真祖の肉体をエヴァンジェリンに与えた存在なだけあり、回復能力を極端に低下させる魔法を付与した銀の剣による攻撃や、傷口を広げ、そこから魔力を霧散させる特殊能力を持つ矢を射出するなど、戦いにくい事この上ないやり方を徹底してくる。

 

それでも、彼女の不敵な笑みは消えない。

 

「契約に従い、我に従え、氷の女王! 来たれ、とこしえのやみ、えいえんのひょうが!」

 

周囲150フィートを絶対零度に包み込む範囲魔法を繰り出す。エヴァンジェリンを中心として周囲が氷の彫刻のように変化していく。冷気が部屋の半分を飲み込み、祭壇まで這いずり寄る。

 

「『紅蓮の壁』」

 

しかし祭壇へと到達する前に、造物主によって灼熱の炎壁が出現し、冷気を阻む。そして炎壁はそのまま冷気と相殺され、部屋の半分までが凍りついた状態で侵食は止まった。

 

だが、それはエヴァンジェリンには織り込み済みだ。

 

「そら! 先程よりも2秒ほど早く解析できたぞ!」

 

そう言って彼女が指を鳴らすと、造物主を守護していた曼荼羅が如き複雑な魔法障壁は霧散した。そう、彼女も死の世界に触れて世を構成する理を目で見ることが可能となったのだ。流石に、不死身であるため本当に死んだわけではなく仮死状態で渡ったため鈴音のようにより抽象的な感覚では把握することはできないが。

 

そうして彼女は、複雑に編まれた魔法障壁を目で解析し、600年以上の人生で培った知識と経験から解法式を当てはめるかのように分解していく。最初は1分かかったが、次いで45秒、30秒と段々とかかる時間は減っていく。

 

いくら造物主が無詠唱で上級魔法を放てるとはいえ、自身を守るための強固な障壁は再構築のために意識を割かねばならない。構築に約10秒かかるとして、現在のエヴァンジェリンの解析時間が約6秒。更に今も時間は短縮されていく。エヴァンジェリンの攻撃可能な時間がどんどんと増えているわけだ。

 

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック、来たれ氷精、闇の精! 大気を凍てつかせ常夜を呼べ! 彼の生命に安息の眠りと罰を! 『暗き国の断頭台』!」

 

造物主の手足に黒いもやのようなものが纏わりつく。振りほどこうにも、煙のように散るだけで離れることはない。次いで彼の周囲前後左右の4方向に氷塊が出現すると。

 

「固定! 次いで目標を確定!」

 

エヴァンジェリンの合図でもやは凍りついたかのように硬質化し、枷のように造物主を縛った。氷塊は形を徐々に変えていき、そのフォルムは分厚く鋭いギロチンの刃であった。

 

「放て!」

 

ギロチンの刃は号令とともに、造物主を目掛けて凍えるような冷気を纏って放たれた。しかし造物主もこの程度の魔法を安易に受けるほど愚図ではない。

 

「迎え入れろ、『灼熱の回廊』」

 

造物主の周囲に螺旋状の炎が4つ出現し、四方から迫る氷の刃を飲み込んだ。いかに魔法で強力な冷気を纏わせているとはいえ、それを上回る熱量では為す術もない。飲み込まれた刃は炎の半ばほどで全て蒸発してしまった。

 

「そう来ると思っていたさ」

 

しかし、彼女の真の狙いはそこにあった。凝縮され、零度以下に冷えきっていた氷の刃には極低温によって固体化した窒素、即ちドライアイスが詰め込まれていたのだ。急激な温度上昇によってドライアイスは一気に気化し、視界を大きく遮る。

 

「……(けむ)に紛れて攻撃する気か?」

 

造物主は周囲への警戒を怠らない。既に魔法障壁は再構築済みだ。どれだけ強大な魔法を彼女が撃ってこようとも、防ぎきる自信はある。そして、その瞬間が彼女にとって致命的となる。攻撃後の隙を突いて彼女を拘束してやればいい。ただ、先ほどは四肢を断った状態で再生を妨害しての拘束であったが彼女は抜けだしてここにいる。今度は肉片になるまでバラし、そこに再生望外の魔法陣を敷くつもりだ。

 

しかし、一向に攻撃は造物主へと向けられない。むしろ、嫌に静かだ。

 

そう、既に造物主は決定的なミスを犯していたのだ。エヴァンジェリンとの1対1の勝負であったのは確かだが、同時にこれは2対2(・・・)でもあるということに。

 

「む……?」

 

漂っていた窒素の煙が晴れていく。警戒は怠らないが、エヴァンジェリンが見当たらない。そして完全に晴れきった時、造物主は驚愕した。

 

鈴音とエヴァン(・・・・)ジェリン(・・・・)の二人(・・・)の足元に転がるプリームムの姿を見て。



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第十五話 それぞれの戦い②

話は少し前に遡る。左腕を使用不能となった鈴音は、プリームムを明確に敵だと判断して今まで以上の攻めを見せた。しかし、片腕となってしまえば変幻自在な手数の多さがウリの村雨流の長所は半減してしまう。結果、『俄雨』さえも耐えてみせたプリームムに有効なダメージを与えられず、逆にプリームムの攻撃を許してしまう。

 

「はぁっ!」

 

「……っ!」

 

プリームムは以前の魔法主体の戦闘とは違い、近接戦闘を主体とした戦い方で攻めてきた。剣士である鈴音にとって、コレほど厄介なことはない。なにせ、剣士は長物を使用する分インファイトに弱く、相手との間合いの取り方が重要となるのだ。

 

だが、今の鈴音は片腕を使用不能な状態で剣の持ち替えによる素早い迎撃が困難となった。これによって相手の接近を許し、篭手や脛当ての強度に任せた打撃を受けなければならない。村雨流には超近接戦闘に対応するための『懐刀』が存在するが、あれは片手を剣、もう一方を盾にするような使い方が主だ。片腕しかない状態では剣が邪魔をして素手で迎撃できない。

 

「シッ!」

 

接近状態からの膝。腕での防御ができないため直撃は避けられない。鈴音は受けるのではなく、後方に宙返りを敢行。同時に腹に向けて爪先蹴りを浴びせる。篭手を盾代わりに突進してきたプリームムはその反撃にワンアクションが遅れてしまう。防御しようにも腕はすでに前面を防御するために構えており、それをすり抜けるように下から迫る蹴りを止められない。

 

「がぁっ!?」

 

運が悪いことに胃へと直撃を喰らい、衝撃で吐瀉物を口からまき散らす。もし、もしも以前鈴音に片腕を奪われていなければ。腕を失ったままでいることを選択しなければ、蹴りを受け止めることはできただろう。

 

「ぎ、ぁ、ぶぇっ! ゲホッ! ゲホッ! ……はぁ……はぁ……なん、と、も……、まま、はぁ……ならない……ものだ、ね……。不自由っていうのは……」

 

喉を焼く酸性の液体を咳き込みながらも何とか吐き出し、大きく息を吸い込む。片腕であるが故の弊害を自嘲する。しかし、今更腕の一本を失った事を悔やむような彼ではない。腕を失ったままでいるのは己への戒め。悪党としての矜持さえ持っていなかった中途半端な自分に戻らないための誓いであったからだ。

 

一方、なんとか攻撃からは逃れられたものの、着地に剣を握る右腕のみを使用したため体勢を崩しそうになり、とっさに折れた左腕を無理やり突き出す。本来であれば片腕が使用不能な時点で盛大に転んでいるだろうが、姿勢制御を含めた訓練を課した彼女の主人による特訓で、不自由な状態であろうともバランスを完全に崩すことはなかった。ただ、姿勢を制御することには成功したが、その代償は大きかった。折れた骨が皮を突き破り、露出してしまったのだ。

 

「ぐぅっ……!」

 

さすがに鈴音もこれだけの大怪我による痛みは無視できず、苦悶の表情を浮かべ、苦しそうな声を出した。好機と見たプリームムはそのまま鈴音に接近するが、鈴音は何とか痛みを堪えてプリームムを迎撃する。片手でも十分な攻撃を行える『五月雨』で刺突を行い、牽制する。プリームムも片手で防いで反撃するのは無理だと判断し、一旦距離をおく。

 

「……ハァ……ハァ……」

 

「……お互い、消耗が激しいようだね」

 

プリームムも限界が近かった。というのも、この篭手、『銀月手甲(メス・デ・ラ・プラタ)』と脛当てである『白金陽甲(ソル・デ・プラティーノ)』はそれぞれ篭手が魔力を、脛当てが気を大量に消費することによって身体能力の増強と驚異的な防御を実現できるのだ。これを手に入れた当初は魔力切れや気力切れで気絶ばかりしたが、なんとか最終決戦前にはものにすることができた。

 

だが、負荷を軽減させるまでには至らなかったのだ。扱い方を身につけられれば消費量はぐんと減るのだが、彼には時間が足りなかった。結果、今の彼は限定的に鈴音と互角に戦えるが、その制限時間をオーバーすれば気絶してしまう。そうなれば、プリームムの敗北は必定だろう。

 

「……待てば、お前のほうが先に消耗して……勝てる……。……でも、その分マスターが……不利になる……」

 

「そうだね、僕もこれ以上時間をかけるつもりはない。なら……」

 

鈴音は無事であった右腕で納刀する。この動作も、片腕が使えないハンデを想定した修行で自然に行えるように鍛えられた(たまもの)だ。プリームムも、手のひらをゆっくりと握り、構えをとる。

 

「……次で、決める……」

 

「次が……最後だ」

 

両者に緊張が走る。呼吸の一つ一つさえもが静かに聞き取れる。すぐ近くでは造物主とエヴァンジェリンが魔法戦で激しい音をまき散らしているというのに、だ。それほどまでに、集中力が高まっているのだろう。

 

「…………」

 

「…………」

 

睨み合ったまま動かない。いや、動けないのだ。本来、実力が拮抗している者同士での戦いというものは膠着状態の時、先に動いたほうが有利となることが多い。不意をつける上、何より先手を取れるという大きなアドバンテージを得られるのだ。故に、遅れたものは反応が間に合わずに対応を誤ってしまう。

 

だが、それは通常での戦闘の話。今この空間で対峙している二人は間違い無く世界最高峰の近接戦闘の達人。その域にまで達すると、最早先に動くことが不利になってしまう。

 

(……どう出てくる……)

 

(腕は動かないとはいえ、彼女のスピードは健在……迂闊な行動は自殺行為だ……)

 

ほんの数秒、いやコンマ数秒さえも霞むような刹那の未来に起こる行動を、己の経験を基に先読みし、迎撃する。そこにあるのは究極の予測。それはまさしく未来予知に等しい。相手の細かな一挙手一投足にさえも目を光らせ、アクションを待つ。

 

(……あいつは嫌い……。……チャチャゼロを壊そうとした……。……あいつの主人も、大嫌い……。……でも……)

 

(額を伝う汗さえ拭う余裕が無い……。息が止まったように窮屈な気分だ……。でも、嫌じゃないな……)

 

(……マスターの、認める相手……。……私たちの、敵……。……なら、持ちうる全力で……突破する。……それが、せめてもの……礼儀……)

 

(痛みさえも心地いい……。痛覚を誤魔化しているんだろうが、後で酷いことになりそうだ。この二度と味わえないだろう最高の戦いを、できればもう少し味わいたかった……)

 

己が主人のため、双方は敗北を信じない。いや、勝利以外は見えてなどいない。ただ勝利のみを求めて、息を潜めながら目を凝らし、糸口を探る。

 

(……ここじゃない……今でもない……)

 

(余計な思考は捨てろ……彼女はそんな甘い存在じゃない)

 

(……防御は捨ててくるはず……防げばそれだけ不利になる……だからこそ、私の反応を……越えようとするはず……。……なら、それを……)

 

(想像しろ、彼女が抜刀する直前を。それが彼女の抜刀する瞬間だ……僕はそれを……)

 

((……上回ればいい……!))

 

どれほどの時間が経ったのであろうか。いや、音を置き去りにしたこの静寂は、その実数分にも満たないだろう。されど、先の先を読むために思考する二人にとっては、その僅かな時間さえも、長大な時を感じていた。

 

 

きっかけは、きっと何ものでもなかったのだろう。

 

 

((――――――――今!))

 

 

しかし、二人は突如として矢が放たれるが如く突撃した。最高の一撃を、その手に携えて。()しくも、初動は全くの同一であった。

 

 

「……"我流"村雨流……」

 

抜き放たれようとしている刀身は、鞘の内にもかかわらず鮮血を想起させる真紅の光を反射させている刀身を、彼女の行動を予測していたプリームムに幻視させ。

 

「『炸裂(ボルスト)』……」

 

握りしめられ、今にも放たれようとしている拳を、彼女は自らを圧し潰すであろう一撃だと、想定しており。

 

「『雨過天晴(うかてんせい)』!」

 

「『砲撃(ボンバルデオス)』!」

 

両者の、正真正銘最大の一撃が激突する。耳を(つんざ)くような激しい金属音が音を置き去りにした世界に数瞬遅れて現出する。(しのぎ)を削るが如き鍔迫り合いは一瞬で、(まばゆ)い火花と共に儚く終わった。

 

あとに残るのは、背を向けて立ち尽くす二人のみ。それは相手への敬意を表す残心か、将又(はたまた)物言わぬ哀れみか。

 

「………………見事」

 

短く、しかし雄弁な一言で彼を讃え、ゆっくりと納刀していく鈴音。

 

「…………かはっ」

 

ゆらりと、プリームムの体が揺れた。胸からは鮮血の飛沫を上げ、まさに雨のように血を噴出し。そのまま、彼はゆっくりと倒れていく。

 

「…………いざ、さらば」

 

そのまま彼は、その身を地べたへと投げ出した。

 

 

 

 

 

かに思えたが。

 

 

 

 

 

(……生憎、諦めは悪い方なんだ……!)

 

彼は寸前で踏ん張り、足を踏みしめて倒れ伏すことを回避した。彼の最後の意地が、彼を踏みとどまらせたのだ。踏みしめた足を軸として、背を向けたままの彼女へと向き直る。

 

(この勝負は潔く負けは認めるさ……だが……主のためにも、君を道連れにさせてもらう!)

 

最後の力を振り絞り、拳を握り直して振りかぶる。鈴音は、未だ振り向かない。

 

(これで、さよならだ……!)

 

命を狩りとるべく、彼の拳は彼女の無防備な後頭部を正確に狙い。

 

勢いよく、振り下ろされた。

 

 

 

 

 

「キッハハハハハハハハ! どうしたぁ!? その程度か糞ガキ共!」

 

「っ! 減らず口を……!」

 

「そうら、避けてみろよぉ! 『悪魔の鎌足』!」

 

二人の攻撃を軽々と避け、下卑た笑い声を上げながら二人を甚振(いたぶ)るように手加減を加えながら痛めつけるフランツ。

 

「ぐぁっ!?」

 

カミソリのような鋭さを発揮するフランツの蹴り。避け損ねたクルトは防御もできずに直撃を食らう。吹き飛ばされていくクルトを、タカミチは何とか受け止めた。

 

「くっ……前が……、(かす)む……」

 

だが、タカミチも最初にフランツから受けた攻撃で、左脇腹から出血をしていた。フランツの放った必殺の蹴りは深く彼の脇腹を抉り、痛みと出血で動きを緩慢(かんまん)にしていた。

 

「タカミチ!? お前はもう休め! このままだと死ぬぞ!?」

 

慌ててタカミチを支えるが、支えた相手の顔色は非常に悪い。蒼白を通り越して土気色にも見える。既に、二人は満身創痍であった。

 

「あらぁ、私が逃がすと思ったかい? そりゃ残念、無理な話だねぇ」

 

周囲を取り囲む下級悪魔たち。伊達に上位悪魔ではないらしく、周辺にいる自分よりも下位の存在、その殆どを纏めて見せている。

 

「……逃げることは無理そうだね」

 

「……みたいだな」

 

「お、ようやく諦めたぁ? いいねぇ、希望を毟り取られて遂には絶望する……。私はそういうのに喜びを感じるのさぁ、キッハハハハハハハハハハ!」

 

笑い声を上げながら、勝利を確信するフランツ。その脳裏では、既に自分をコケにしたこの少年二人をどう料理するかを考えていた。

 

「それにしても、あの時は屈辱の極みだったわ。恐怖を振りまく側の私が、人間の少女ごときに恐怖を感じさせられるとはね。ま、次はぶっ殺すけど。さぁて、とりあえずお前らは手足もいでから死にたいと懇願するまで虐めた後にぶっ殺す」

 

しかし、フランツは知らない。

 

「……逃げられないなら……」

 

「……全部倒せばいい……!」

 

彼に屈辱を味わわせた少女の教え。

 

「はぁ……? 塵クズどもが粋がってんじゃねーよ!? いい気分だったってのに台無しじゃねぇかぁ!!!」

 

「諦めたら……」

 

「大切なモノは守れないんだ!」

 

諦めない心こそが、大切な人を守る。

 

「私直々に相手してやるのはここまでだ。後は雑魚どもにくれてやるわ、さぞ屈辱だろうなぁ?」

 

「クルト、左全部任せるよ」

 

「フン、お前こそ腹の怪我で右の奴らを取りこぼすなよ」

 

なおも彼らの瞳には、燃える光が灯り続ける。

 

「うっぜぇ、そのイキイキした眼すっげぇうぜぇ! おいお前らぁ! こいつらを殺さない程度に痛めつけろぉ!」

 

苛立ちが頂点に達したフランツは、下級悪魔の群れに突撃を命じた。それを迎え撃つのは、次代を担う若き戦士二人。

 

「「どこからでもかかってこい!」」

 

 

 

 

 

衝撃。ボロボロの肉体で放った渾身の一撃は、確かな手応えがあった。

 

だが。

 

「エヴァン……ジェリン……!」

 

「生憎だったな、私はもう己の従者を見捨てないと決めたのだよ」

 

プリームムの最後の奇襲は、失敗に終わった。振り向きもしないで突っ立ったままであった鈴音の後頭部を、プリームムは正確に狙った。だが、直撃する寸前で阻まれてしまったのだ。彼女が使えないはずの、『魔法障壁』によって。

 

造物主を煙に巻いて駆けつけたエヴァンジェリンが、その身を呈しギリギリのタイミングで防御することに成功したのである。

 

「……百を編み……千を束ねて……幾星霜(いくせいそう)

 

百の時間を編み、千の時間を束ねて長い年月を待つ。

 

「……去りし曇天……」

 

待ちわびるうちに曇り空は晴れ渡り。

 

「……呼ぶは十五夜……」

 

見事な名月を呼んだ。

 

「ククッ、吸血鬼の象徴たる月を私に見立てたか。そして村雨流のお前は雨を降らす曇天、いい(うた)だ」

 

「……光栄です」

 

勝負を決めたのは、たった一つの差。この戦いを最後まで2対2として戦っていたかどうか、であった。全気力を振り絞った一撃を防がれたプリームムは、ゆっくりと倒れた。

 

「……負けたか」

 

「ああ。そして私達の勝ちだ」

 

敗北を悟り、勝利者は宣告する。勝負とは常に勝者と敗者を生み出す。それこそが、残酷にして絶対のルール。

 

「お前の主はよくやったよ、あれほど強大な力を有していれば協力して戦うなんてことはしたことがなかっただろうに」

 

「僕が不甲斐なかった、ただそれだけの話だ」

 

敗北者を称賛すれど、その言葉に意味は無い。敗者は潔くそれを認めることだけが、唯一の矜持を守る方法。敗北者とは常に惨めでしか無いのである。

 

「……これ以上語れば、お前の誇りを穢すだけだが、どうだ? 今お前は抵抗さえできない捕虜同然、このまま我々の仲間にならんか?」

 

勝利者の悪魔の甘言。縋り付きたくなるようなその甘美な響きは、彼女の圧倒的な邪気と悪意によるものだろう。

 

「……断る。僕の主人は、ただ一人だけだ」

 

だが、それを彼は切って捨てる。ただ(ひとえ)に、彼は主人の人形であった。

 

「ああ、そうだと思ったさ。ただ少し惜しい気持ちはある……。お前程の実力者を、私が相手もしてやれずに死なせること、何よりこれでお前というよき好敵手を失うということに、寂しさを覚える」

 

「……所詮、僕達は同じ悪党だ……。君たちを打倒し得るのは、やはり光の中にある彼らなのかもしれないね……」

 

思い起こすのは、未だ部屋の隅で動くことさえできない赤毛の少年とその仲間たち。

 

「いずれ、戦うことになるだろうな」

 

「……心残りだよ。僕達を散々邪魔してくれた君たちが、彼らに滅ぼされるさまを見れないことが」

 

「それだけか?」

 

「……主の目的を果たす、それがもう実現不可能なんだ。主よりも先に逝くことの悔しさで胸が押しつぶされてしまいそうなほどだよ。それに比べれば、他のことなどどうとも思わないさ」

 

彼の瞳は、ただ彼女らを写していた。涙はない、悔いはあれど心は不思議と満たされている。ならば、最後は誇らしく。

 

「…………」

 

鈴音の暗い闇を湛えた黒い瞳は、プリームムを真っ直ぐと見つめていた。鈍い光が言外に言い放つのは、敗北者への哀れみではなく未だ明確な敵意。それは、同時に彼を同格の敵と認めているからこそ。主を守るためであれば、排除すべき敵を殺しつくすのは当然のこと。鈴音はゆっくりと、刃を逆手に持ち替えて切っ先を彼の心臓へと向ける。

 

「……では、さらばだ、『最初の敵(プリームム)』」

 

「……さようなら、『最後の敵(エヴァンジェリン)』」

 

そして、刃は彼を刺し貫いた。

 

 

 

 

 

プリームムへと近づき、彼の顔を覗き込む造物主。彼の最後の表情は、満足そうに小さく笑みを浮かべたままであった。

 

「……プリームム……」

 

「謝罪など吐くなよ、コイツの名誉のためにもな」

 

「……それぐらい、心得ておる」

 

「…………お前は……どうする……?」

 

未だ臨戦態勢の鈴音は、造物主にそんな問いを投げかける。

 

「……プリームムの奮闘を、無駄にする訳にはいかぬ」

 

造物主の魔力が、一気に空間を埋め尽くした。それを感じ、二人は一気に警戒心を強める。

 

「……儀式に費やす魔力を温存したかったが、貴様らを黙らせねばそれどころではない。……使うつもりはなかったが……塵も残さず消してやる」

 

「……鈴音、左腕はどうだ?」

 

「……使用不能です。……この状態では、万全とは……」

 

「言い難いな。鈴音、耳を貸せ」

 

「……! ……しかし、それではマスターが……」

 

エヴァンジェリンが耳打ちした作戦は、驚きのものであった。だが、それは一歩間違えばエヴァンジェリンに大きな危険が伴う。

 

「いいや、できるさ。前々から構想はしていたんだが、あの世界を見たおかげでお前の感覚も強化され、そして私も視認できている。ぶっつけ本番になるが、勝算はある」

 

「……『呼吸』は、マスターに……?」

 

「合わせてくれ。私では、感覚で理解はできないからな」

 

「……(はかりごと)か? ……生憎、これ以上貴様らの児戯に付き合うつもりはない」

 

造物主の前方に出現したのは、今までとは比べ物にならないほどに高度に編み上げられた巨大な魔法陣。その中心に集約していく魔力もまた、馬鹿げていると思えるような密度。しかし、エヴァンジェリンは。

 

「『解放・固定』」

 

「……む?」

 

不敵な笑みを消すことはない。彼女が言い放った言葉は、先ほどの魔法の照準を合わせるためのものではない。これは、彼女がかつて脆弱であった時代に編み出した、禁忌の魔法。

 

「……煙に紛れていた時に魔法を仕込んでいたか。……だが、貴様の残り少ない魔力で一体何をする?」

 

「ククク、流石に父である貴様も知らんよな? この魔法(・・・・)はかつての私が10年来をかけて編み出したオリジナルだからな」

 

「……!」

 

「『氷晶の銀嶺』……『掌握』!」

 

掌に留めていた固定化した魔法を、勢いよく握りつぶす。するとその魔法が暴走したかのように勢いよく彼女を包み込み、やがて冷気が辺りを侵食し始めた。荒れ狂う魔法はなおも彼女を閉じ込めたまま勢いを衰えさせず、遂には巨大な氷柱へと変化してようやく収まった。

 

氷柱の中心には、氷漬けとなったエヴァンジェリンが膝を抱いて眠っている。その様は、さながらクリスタルオブジェの中に埋め込まれた人形であった。が、その氷柱に罅が入り、ガラスが割れるような音とともに砕け散った。

 

中から現れたのは、全身から冷気を発し、半透明に透き通った肌となったエヴァンジェリンの姿。

 

「……ほう、固定化した魔法を、取り込んだか……。……だが、それがどうした?」

 

驚きはあった。しかし、その程度では造物主にとっては話にもならない。確かに、自身を一時的に魔法と同一化することで足りない魔力を補うことはできたが、それだけだ。造物主にとっては先程までのように障壁を解析してこられたほうがよほど厄介なのだ。

 

「早計は愚行だぞ? 本番はこれからだ」

 

「……何?」

 

「鈴音。……吸い取れ(・・・・)

 

「……仰せのままに……」

 

エヴァンジェリンが、鈴音の体へと突如覆いかぶさった。その行動に、さすがの造物主も一瞬思考が止まる。アスナのように魔力に対するマイナスの能力を有する鈴音に、今のエヴァンジェリンが接触すれば、消滅しかねない。

 

だが。

 

起こったのは、明らかな異常。

 

繰り広げられる光景は、想定の遥か斜め上。

 

エヴァンジェリンが、ゆっくりと鈴音に埋没(・・)していく(・・・・)

 

「……なんだ、これは……!?」

 

理解不能な光景に、造物主はそんな言葉しか吐けない。かろうじて口が動いたことが、ある意味で奇跡的とも言える。なにせ、彼の生きてきた長き時の中で、このような現象を目の当たりにしたのは初めてであったからだ。

 

「おーおー、驚いているな。鈴音、あいつのマヌケな面が見えるか?」

 

「……いえ」

 

「私も見えんよ、雰囲気で察しろということさ。さて……鈴音、私はお前を通して奴の敗北を拝ませてもらうとしよう」

 

「……ごゆっくり……お楽しみを……」

 

やがて、エヴァンジェリンの体が半分以上も沈み込んだ所で、ようやく造物主は思考能力を取り戻すに至った。

 

「……させぬ。何をしようと企んでいるのかは分からぬが、このまま吹き飛ばしてくれる!」

 

魔法が通用しない鈴音ならばともかく、未だ体の半分が残っているエヴァンジェリンであれば、魔法で吹き飛ばせる。そうなれば、エヴァンジェリンは鈴音から離れ、目論見は失敗に終わる。造物主はそう直感的に理解し、温存していた魔力をつぎ込んだ魔法を、一気に解き放ち。

 

「……『天蓋射抜く咆哮』……!」

 

巨大な光線に、二人は飲み込まれた。

 

 

 

 

 

「キッハハハハハ! いいざまだなぁオイ?」

 

「ご……がぁ……!」

 

「タカ……ミチ……」

 

悪魔の群れ相手に、満身創痍ながらも善戦していた二人であったが、しかし数が違いすぎた。ほんの一瞬の隙を突かれ、タカミチが下級悪魔の一人に捕まってしまったのだ。クルトも、タカミチを助けようとして横合いから殴られ、3匹の悪魔に拘束されている。

 

「ケケケケケケケ」

 

タカミチの喉を締め上げる悪魔はカラカラと笑いながら締め上げる力を上げる。タカミチは必死に藻掻くが腕の力は一向に緩まない。叫び声を上げるクルトを眺めながら、下卑た笑みを浮かべながら彼の顔面を踏みつける。

 

「ぐぁっ!」

 

「ク……ルト……!」

 

「いいねぇ、お互いを助けたくても自分が無力なせいで助けれらない……。足掻け、藻掻け、そして絶望しろぉ! てめぇらの呻き声が私にとっては最高のBGMだ、キッハハハハハ!」

 

「諦め……るか……!」

 

「まだ……戦え……る……!」

 

「……なぁ、もういい加減諦めたらどうだぁ? どれだけ頑張ったってよぉ、お前らじゃ上級悪魔の私を倒すなんて夢のまた夢だ。今だって下級の奴らに捕まって死にかけてんだ。もう受け入れちまえよ、そして楽になれや」

 

「「嫌だね……!」」

 

「……チッ。不快な野郎どもだ、吐き気がするぜぇ。おい、もうそいつら甚振(いたぶ)るのも飽きたから殺していい……」

 

フランツが殺すように指示した、その時。

 

 

 

ゴッ!!!

 

 

 

「あぁ?」

 

それは一瞬の出来事であった。地表から放たれたとしかわからない巨大な光線は、運の悪いことに彼らを中心に捉えていた。接触すると同時に、片っ端から消滅していく下級悪魔たち。その光景はまるで悪夢のようであった。

 

「は?」

 

気づけば。周囲にあれほど存在していた下級悪魔は一切尽くが消滅しており、クルト達を取り押さえていた悪魔も巻き込まれて消えていた。

 

「ケホッゲホッ……! ……助かった……のか?」

 

「……どうもそうらしい」

 

「はぁ!? ちょっ……ふざけんなぁ!? こんな……こんな偶然あってたまるかァ!?」

 

取り乱すフランツ。この状況が余りにも突発的すぎて混乱しているようだ。その御蔭かこちらのことに気づいていない彼を尻目に、二人は目配せをして考える。

 

「……どうする?」

 

「そりゃあ、もちろん……」

 

「つーかなんだあの馬鹿げた魔法はよぉ!? あんなの私も見たことねぇぞ!? いったい下で何が起こっ……」

 

「最大……」

 

「神鳴流決戦奥義……!」

 

「っしまったぁ!? 糞ガキどものことを忘れて……!」

 

二人から感じられる巨大な気の気配を感じて慌てて振り返るが、もう遅い。

 

「一条大槍無音拳!」

 

「真・雷光剣!」

 

巨大なレーザーの如き一条の拳圧と、凄まじい電撃を帯びた斬撃がフランツを襲った。

 

「がっぎああああああああああああああああああああああああああああ!?」

 

二人の渾身の一撃は、フランツを大きく吹き飛ばし、絶叫を響かせた。全身を電熱で焼かれ、大槍の如き拳圧で肉体を圧迫されて血を吐き出す。そのまま、彼は体を一切動かすことなく遠方にいた下級悪魔数匹に受け止められることでようやく静止した。

 

「……やったか?」

 

「いや……」

 

二人が今出せる最高の一撃を、絶好のタイミングで直撃させたのだ。これで倒せなければもう打つ手は残っていない。だが、タカミチには確信めいた予感を抱いていた。あの程度で、フランツが倒れるはずがないと。

 

その予感は、最悪なことに的中してしまった。

 

「…………やりやがったなぁ……糞ガキどもがあああああああああああああああああああ!」

 

煙が晴れ、そこから現れたのは。殺意を剥き出しにして叫ぶフランツの姿であった。

 

火傷で顔の半分が焦げ付いているが、叫ぶ程度の元気はあるらしい。いくら修行で身につけた必殺の一撃とはいえ、まだまだ二人は未熟であったが故。そして爵位級悪魔としての肉体能力の高さによってフランツは生還したのだ。

 

「ぶ、ぶ、ぶ、ぶちころ、し、て、やる!」

 

言葉がうまく形成できないぐらいに、怒りで我を忘れているようだ。怒りに任せて暴走寸前と言った風だ。が、それに待ったをかける一人の人物がいた。

 

「フランツ、下がりたまえ」

 

背後に突如、水の魔法による『(ゲート)』が出現し、二人の悪魔が出現する。片方は全身に水を纏ったずんぐりとした体型の悪魔。先ほどの『(ゲート)』を発動したのはこちらのようだ。そしてもう一人、フランツに下がるよう促した老齢の男性の姿をした悪魔。

 

「……ヴィルかよ……何のつもりだぁ?」

 

「君は負傷している、後は私に任せろ」

 

「ざけんなっ! あいつらは私がぶち殺して……!」

 

「そんな大怪我でどうするのかね? 再びあの子供らに負けたなどと知られれば、それこそ魔界で笑いものにされるぞ?」

 

そんなふうに釘を差され、フランツは何も言い返せない。実際、これほどあの少年たちに追い詰められるなど思ってもいなかったからだ。まさに、上級悪魔であるが故に舐めてかかったフランツの自業自得なのだ。

 

「……ちっ、クソジジイめ」

 

「なんとでも言いたまえ。私の数少ない古い友人がこれ以上醜態を晒すのを見たくはないからね」

 

フランツはその悪魔にそう諭されると、納得いかない風ではあったが水を纏った悪魔に近寄り、術を発動するように言う。水の悪魔はそれを了承し、転移の魔法を発動した。

 

「てめぇらはいずれ俺が殺す。それまで首洗って待ってろ、糞ガキ共……!」

 

そんな捨て台詞を吐いて、彼は『(ゲート)』の向こうへと消えた。

 

「いや、すまんね。彼は私の馴染みの友人なんだが、口が悪くてね」

 

「……貴方は」

 

「おっとすまん。まだ自己紹介を済ませていなかったな、紳士としてあるまじき行為だ」

 

優雅な雰囲気を感じさせる男性だが、しかし纏う空気は戦場に非常に似つかわしい禍々しいもの。

 

「私の名はヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・ヘルマンだ。伯爵位は持っているが、没落している身でな。今はしがない雇われさ」

 

「っ! フランツは確か子爵だったはず……」

 

「あれ以上の上位悪魔だと……!?」

 

「いやいや、フランツも子爵に甘んじているのは品性に問題があったが故だ。実力で言えば、本気で殺り合うならば私と互角だろうね」

 

どちらにしても、それは死刑宣告に等しかった。ボロボロになりながら倒すことさえできなかったあのフランツと互角以上という相手と戦わなくてはならないのだ。

 

「フフ、私は若く才能のある子供が好きでね。ひとつ、手合わせ願おうか」

 

絶望的な戦いは、未だ終わらない。



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第十六話 それぞれの戦い③

「なんつー魔法だよ……」

 

事の成り行きをただ見ているだけしかできなかったナギは、おもわず苦々しい顔をした。理由の一つは、部屋の半分を吹き飛ばした先程の極大魔法。そしてもうひとつの理由とは、もし、さっき戦いに自分が参加したとして。果たして生き残ることさえできたかどうか。

 

(……あいつ……満足そうだったな……)

 

自分で勝手にライバル扱いしてはいただけあって、本気の彼はナギとの彼我の実力差があったとは言い難い。近接戦闘はナギの十八番であり、鈴音相手に善戦していたのはあの防具の存在が大きかっただろう。

 

それにナギから見て、恐らくあの防具は物理防御は高いが魔法による攻撃に弱かった可能性がある。エヴァンジェリンの障壁を殴った際、ほんの少しだけ罅が入っているように見えたのだ。今までの戦闘で全くへこたれることなく輝きを放っていたというのにだ。

 

魔法を使う様子が一切なかったことから、あの少女は魔法が使えないのだとナギは推測する。つまり、あの防具は対少女専用のものであった可能性が高い。恐らく、少女ではなくナギが戦っていれば何れは破壊できていた可能性が大きい。

 

だが、それは可能性の話である。彼は少女への切り札まで用意して決戦に臨んでいた。つまり、自分は眼中に入れられていなかったということだ。おまけに、先程までの1対1を匂わせておいて最後の最後に2対2へ引き戻すシングルプレイのようなコンビプレイ。ナギは、思わず関心してしまったほどだ。

 

(……最初っからタッグマッチなんだから、そりゃシングルマッチと誤解してる奴のほうが悪いよな)

 

戦いとは千変万化。常に可能性を忘れてはならないのだ。むしろ、出し抜かれた造物主にこそ責任があったはずだ。それでも、自分の主人に最後まで殉じたプリームムの姿は美しく、それを負かしたあの二人は正しく勝利者だ。

 

「くそっ……!」

 

思わず拳を握り締める。その指の隙間からは、赤い液体がぽたぽたと地面へと降り注いだ。悔しかった。あれほどの見事な戦いを見せられ、それに自分がついていけないであろう事実に。羨ましかった。自分でさえ目で追うのがやっとの少女相手に、プリームムが防戦一方ながら食い下がってみせたことが。

 

(俺は……俺はっ……!)

 

滲む視界は、世界を容易く歪めてしまう。見るだけしかできないのに、更に視界を遮るのか。どうして、自分はあそこにいられないのか。竦んだまま動かない足へと必死に心の内で檄を飛ばすが、彼の意志に反して足は全く動いてくれない。

 

英雄の雛鳥は、未だ巣立ちの時は遠く。

 

望む大空は遥か遠く。

 

 

 

 

 

「…………」

 

濛々(もうもう)と上がる土煙の中、造物主はひとり佇んでいた。彼にとっては、プリームムは右腕として認めていると同時にただ重要な手駒であり、それだけの存在であったはずだった。だが、先ほどの魔法を放つときに彼の心の中で、確かにプリームムの仇をとるという感情がはっきりと現れていた。それが、少々予想外であった。

 

(……情に、流されたか……)

 

感情など、全て捨ててしまったはずだった。だからこそ、自分の部下で最も信頼を置いていたのがプリームムだった。機械的で事務的であり、忠実に任務をこなしてくれる存在。それが彼を信頼している理由であったはずだ。

 

(……なぜ、あの時……)

 

感情に目覚めたプリームムを、封じてしまわなかったのか。余計なものなど必要ないと、自分は考えていたはずであったのに。

 

(……やはり、お前の存在が……)

 

脳裏に思い描くのは、ただ一人の女性。今はもう、顔さえも朧気にしか思い出せない。しかし、大切であった女性。そして、己が感情を切り捨てるきっかけとなった人物。

 

(……因果なものだ……本当に……)

 

ゆっくりと目を閉じ、そして目を開く。眼前には、徐々に晴れてゆく土煙。造物主の魔法の中でも、特段殺傷力の高いものを放ったのだ。本来ならば、生きていられるはずなど無い。あの少女であれば生存可能であろうが、あの魔法は複雑に織り込んだ魔法の集合体。つまり一箇所を無効化された所で他の箇所まで無効化されるなどあり得ない。

 

そして、今回は少女への対策として外的要因によって消滅した端から魔法が再生するように編みこんである。少女のすぐそばにいたとして、少女は無事でもエヴァンジェリンは魔法を不自由な状態もあって直撃したはずだ。

 

(……残り魔力はまだ十分にある。ならば、あの娘を眠らせて儀式を再開できるか……。……ナギ・スプリングフィールドは邪魔だが、あの様子では障害にはならんだろう)

 

ちらと一瞥すれば、そこにいる少年は動こうにも動けないといった状態だ。先程までのケタ違いの戦闘に圧倒され、足が竦んでしまっているのだろう。徐々に晴れていく土煙の中、一人分の人影が見えた。

 

(……そこか)

 

音もなく大量の槍を召喚し、シルエットへと向けて射出する準備を整える。そして土煙が完全に晴れる寸前に、それらを彼女の心臓目掛けて放った。魔法無効化系の能力者は、幻覚魔法や空間魔法、一部の結界魔法にも弱い。射出した槍には永続的に睡眠を強制する幻覚魔法が仕込まれている。槍自体も魔法であるため破壊されるだろうが、それをクッションにして幻覚魔法をかけることができるはずであるし、彼女は左腕を使用不能となっているためこの量を防ぎきるのは不可能であろうはずだった。

 

だが。

 

「……邪魔」

 

彼女は、土煙ごと槍の群れを。勢いよく左腕で(・・・)刃を振るい、斬り裂いた。

 

(……なに……!?)

 

吹き飛ばされる槍と土煙。そこから現れたのは、鈴音であった。いや、それは当たり前のことだ。問題は、彼女がプリームムによって負わされたはずの傷や、折れて骨が露出した左腕が。どこにも(・・・・)見当たら(・・・・)ない(・・)ということだ。

 

「……なんだと……」

 

通常であれば、治癒魔法を使ったかと疑うだろう。だが、彼女は魔法無効化系の能力者。当然治癒の魔法など一切受け付けないはずだ。では、一体どんなトリックを用いたというのか。更に目を引くのは、その瞳だ。純日本人である鈴音は黒い瞳であるが、今の彼女は青の妖しげな光を宿した瞳をしていた。

 

「……マスター、……感謝します……」

 

左腕を眺めながらそんなことを言う鈴音。エヴァンジェリンの姿はどこにもない。造物主が魔法で吹き飛ばしたはずだからだ。しかし、そんな彼の予想は大きく裏切られた。

 

【感謝などいらんよ、お前を治すために態々吸収(・・)されたんだからな】

 

エヴァンジェリンの声が、鈴音の方から聞こえてくる。否、彼女の内側(・・)から響いてくる。

 

「……何をした……」

 

「…………」

 

「……何をしたのかと聞いている!」

 

声を荒げながら、造物主は高速展開した魔法陣から先ほどの倍はあろうかという真っ赤な槍を次々と射出する。だが、鈴音はその尽くを『五月雨』を用いて弾き飛ばしていく。

 

(何故だ……!? プリームムが負わせていたはずの重傷が何故癒えている!?)

 

驚きを隠しきれない造物主。鈴音には彼の動揺がはっきりと見て取れていた。その隙を好機と見た鈴音は、造物主が疑念の目を向けている左腕を水平に構えると。

 

「……了承。……放出(・・)

 

掌から(・・・)魔法を(・・・)射出した(・・・・)

 

「……っ馬鹿な!?」

 

思わず声を上げてしまうが、なんとか自らの魔法障壁で防御することに成功する。彼が驚いた理由は鈴音が魔法を放ったからだけではない。今目の前で鈴音が射出したそれは、紛れも無く先程(・・)造物主(・・・)自身が(・・・)放った(・・・)魔法(・・)であったからだ。

 

「……意趣返し?」

 

【フン。私を吹き飛ばそうなどとしてくれた礼ぐらいはしたかったしな。これであいこだ】

 

再びエヴァンジェリンの声。やはり彼女の声は鈴音の、それも胸辺りから聞こえてくる。よくよく目を凝らしてみれば、彼女の右眼の瞳には魔法陣のようなものが浮かんでいた。

 

【気づいたか。鈴音、少し体を借りるぞ】

 

「……はい」

 

鈴音はそう了解の返答を短く済ませると、体を脱力させて目を閉じた。すると、彼女の体が少しずつ異変を起こしていく。長いストレートの黒髪にはなめらかなウェーブがかかってゆき、金色へと変貌してゆく。服装も同様に、艶やかな紫の着物から漆黒のゴシックドレスへと徐々に変化していく。しかし瞳の色は、逆に黒へと変化していく。

 

そして完全に変化が止まった時。その姿は一部の特徴を除いて、完全にエヴァンジェリンその人に他ならなかった。

 

「ククッ。どうだ『父上』? 驚いてくれたか?」

 

「……なんだ、これは……」

 

「言うなれば、私と従者の一体化だ。尤も、構想自体はあったが成功するかは今の今まで半々だったのでな、これをお披露目したのは貴様が初めてというわけだ」

 

「……一体化だと? ……馬鹿な、そんなことをどうやって……っ!」

 

そう言葉を零す造物主であったが、先ほどのことを思い出してある一つの可能性へと思い至ったのだ。それは。

 

「……まさか、魔法化した自身を従者と融合させたのか……!?」

 

一つの仮定を吐露すると、エヴァンジェリンはパチパチと大袈裟な風に拍手を贈る。

 

「ある意味正解だよ、いやぁさすが我が父上だな!」

 

ケタケタと嗤うその様は、非常に不愉快なものであり。しかし、彼女のこれ以上ない自信と余裕を感じさせるものでもあった。

 

「私の愛しの従者、鈴音の能力はただの魔法無効化能力とは少し違う。正確な呼称は、『魔法吸収(マジックハーヴェスト)』能力とでも言うべきかな?」

 

「……『魔法吸収』だと? ……そんなものは聞いたことなど無い、でたらめを……」

 

「先ほどの鈴音が放った魔法……貴様が放ったものとそっくりだったと思うが?」

 

「……それがどうした」

 

「『魔法無効化』系統の能力者は例外なく魔法が使えない。魔法を使おうにも、魔力は扱えても魔法を放つときに能力で分解してしまうからな」

 

黙したまま、造物主はエヴァンジェリンの話を聞き続ける。不意打ちでも食らわせてやりたいが、相手が何をしているのか不明な以上、態々それを話してくれるのは彼にとって好都合であり、対策を立てるのも容易になると判断したため実行しない。

 

「だが、鈴音の『能力』は少々風変わりでな……魔法を『吸収』することができるのさ。ただし魔法のまま(・・・・・)で、だがな」

 

「……なるほど、先程のは私の魔法を吸収した後、それを『放出』したわけか」

 

「ただし、魔法無効化系統の能力者の宿命として、魔法をそのまま放とうとすれば能力で魔法を分解してしまうが……それを解決できる方法が1つだけあった。放出する瞬間に魔法の制御を他の誰かが実行すればいいのさ」

 

「……それを貴様が担ったということか」

 

ニヤリと、口角を釣り上げることでエヴァンジェリンはその返答とした。

 

「いやはや、我が父上は本当に理解が早くて助かる。鈴音は魔法を保ったまま吸収できると気づいた時、私はふと一つの疑問を抱いたんだ。"魔法化した私自身"を吸収させれば、一時的な融合を行うことができるのではないかと」

 

その結果がコレだ、とエヴァンジェリンは己を指さす。本来鈴音の中で分解されてしまうはずのエヴァンジェリンは、鈴音が『呼吸』を合わせることで個として内在することに成功し、内部から魔法に能力が干渉しないようにコントロールしているのだ。

 

「ぶっつけ本番になってしまったが、"従者との完全融合"を成し遂げることに成功した。今の私達は二人にして一人、一人にして二人というわけさ」

 

「……馬鹿な、そんなものは有り得ん……! 世界の『(ことわり)』そのものを覆すようなものだ……!」

 

「ククク、有り得んなんてことは常識の中で語ることさ。私達は、人間とは違うのだからな」

 

魂が鬼へと成った鈴音と、肉体的に人外と成ったエヴァンジェリン。常識の尺度で彼女らを測るなど、彼女らからすれば愚の極み。人間を超越したなどという傲慢な考えはない。人間には人間の強みが有り、それが弱さからくる向上心だということも知っている。バケモノである彼女らにはとても真似などできないだろう。弱さを知っても、向上心へとつなげることはできないのだから。

 

だが、バケモノであることに彼女らは抵抗など無い。受け入れているからこそ、バケモノにしかできない人間とは隔絶した離れ業さえやって見せられるという自信があった。だからこそ、彼女らは可能性に賭け、そしてそれを成してみせたのだ。

 

 

「しかしまあ、改めて自分の体が異常だと思ったよ。この体は鈴音であると同時に私でもあるが、私の肉体の特性で鈴音の腕を回復するとは思わなかった」

 

喉を鳴らすように笑うエヴァンジェリンだが、造物主にはそれが確信犯めいたものだとすぐに看破できた。恐らく、エヴァンジェリンは最初からそれが目的で融合を図ったのだろう。

 

「さて、無駄話もここまでにしておこう。どうせこの状態になってしまった以上、後は貴様を嬲るぐらいしか無いからな」

 

「……減らず口を。たかが融合程度でこの私を嬲るなど……」

 

「ほう、私達に追い詰められていたことを忘れたか?」

 

反論を試みるも、造物主の言葉は遮られる。

 

「分かっちゃいないのは貴様のほうだ、父上。真祖の吸血鬼の肉体を持ち、魔法の扱いなら右に出るものなどいない私と、近接戦闘と剣術において最強クラスとも言える我が従者たる鈴音。双方の実力を殺すことなく発揮できる今の状態は、先ほどまでとは比べ物にならんぞ?」

 

「……だが」

 

「ああ、魔力を制限していたらしいな? 手加減していたというわけか、とんだ言い訳だな」

 

「……何を言っても無駄か。ならば、今一度思い知らせてやろう……」

 

そう言うと、巨大な魔法陣が地面に突如出現する。そこから現れたのは、一振りの巨大な剣。それから放たれる禍々しい邪気は、ひと目で妖剣、魔剣の類であると推測することができた。造物主は、今までのように物量にものをいわせた戦法から、数が減った代わりに高い質を持つ強力な武器を用いる戦法に切り替えたのだ。

 

「……光栄に思え、この魔剣を再び抜いたのは2000年ぶりだからな」

 

「ほほぅ、見事な剣じゃないか」

 

「……名すら存在しない(いにしえ)より存在する正真正銘の魔剣だ。抜けば最後、破壊を振りまき命を狩り尽くす。私でさえ制御が難しく、抜くのを最後までためらう代物だ」

 

「面白い」

 

そう言うと、エヴァンジェリンの姿が徐々に変化していく。

 

「鈴音、お前の『紅雨』と奴の魔剣……どちらが上か見せつけてやれ」

 

エヴァンジェリンの面影が完全に消え去った時、そこには再び鈴音の姿があった。

 

「……いざ、参る」

 

鈴音が腰の紅雨へと手を這わせ、腰を落として低く構えた。それに応じるかのように、造物主は巨大な魔剣を片手で振り上げ、切っ先を鈴音へと向ける。

 

「……本来は生かしていたほうが術の効果範囲が広がるが、贅沢も言っていられん。その遺体を用いて儀式の贄にしてやろう」

 

「……村雨流……『時雨』……」

 

一息きの一瞬。そんな瞬息の時間で、鈴音は造物主へと肉薄した。

 

「……ぬうっ……!」

 

目にも留まらぬ、いや目にさえ映らない神速の居合を造物主は辛うじて魔剣で弾いてみせた。見た目の重量から鈍重そうなイメージがあった鈴音も、素早い反応と対応に一瞬驚くが、即座にかち合った刃を弾いて距離をあける。

 

「……何だ……その剣は……」

 

剣士として達人とも言える鈴音だからこそ抱いた違和感からでた言葉。先ほどの反応は、どうにも解せなかったのだ。まるで、造物主が剣に振り回されているかのようで。

 

「……この魔剣は扱いが難しい。ただの剣ではない、コイツには意思がある」

 

「……!」

 

それは、鈴音にとって聞き捨てならないことであった。彼女の愛刀にして妖刀、『紅雨』。これにもまた、神代の神の一柱が生み出した分霊が宿っているからだ。

 

「……ほう、お前の剣にも何かが宿っているらしい。だが、こんな厄介な代物がこれ以上存在されると面倒だ。破壊させてもらうぞ」

 

「……やってみろ」

 

鈴音にとってこの『紅雨』は愛刀であり、そして父の形見だ。むざむざ破壊されたくはない。だが、あの大剣にはその力がある。いくらカミの分霊が存在しようとも、あくまでそれは分霊。妖刀としての格は高いが破壊不可能というわけではないのだ。

 

ならば、その逆も可能だということだ。この『紅雨』を破壊されないためにも、鈴音は憂いを断っておきたかった。造物主は倒すべき敵であり、都合がいい。

 

「……かかってくるがいい。二人いっぺんに片付けてくれよう……」

 

「……そうか」

 

瞬間。鈴音の姿がブレる。それが残像であろうことは造物主には理解できた。

 

だが。

 

「……もう、慣れた(・・・)

 

迫る赤い刀身に造物主が気づけたのは、それが後数センチで彼を斬り捨てるだろうといった超至近距離であった。

 

「……何だと……!?」

 

先ほどまでとは違う、圧倒的速度と隠形技術。造物主は魔剣の意思によって体を無理矢理に動かされ、辛うじて攻撃を受け止める。

 

「……掴んだ(・・・)

 

受け止められたという事実に、しかし鈴音は眉一つ動かさず刃を弾いて距離を取り、そんな言葉を吐く。そして、今度は残像が造物主の周囲に何十と出現する。

 

「……ぬうっ!」

 

魔剣を振るい、周囲に衝撃波をまき散らす。まるで空間そのものを攻撃しているかのような荒々しい攻撃は、一瞬で全ての残像を消し飛ばす。それだけでは飽きたらず、周囲の壁面に一切の(ひび)さえ入れずに、バターを掬うかのように削り、吹き飛ばした。

 

だが、破壊のあとに鈴音の死体は存在しなかった。むしろ、鈴音の姿は完全に消失し、まるで初めから存在しなかったかのようであった。それでも、造物主には認識できる。彼自身が創造したこの世界では、世界そのものが彼のようなものだ。

 

「……捉えたぞ……」

 

巧妙に死角に潜んでいたが、造物主には手に取るように分かった。後方へと顔さえろくに向けず、造物主は魔剣の意思の赴くままに攻撃させた。しかし、返ってきた手応えは。

 

「……これは……!」

 

人を斬った感触でもなく、刀身で防がれた金属音でもない。ついさっきのように、石造りの柱を削った感覚であった。

 

「……村雨流奥義……『雲霧(くもきり)』」

 

そう、鈴音は認識を感覚レベルで誤魔化す村雨流の剣舞、『雲霧』であたかも死角に隠れているかのように見せかけていたのだ。そして本人は、『呼吸』を造物主自身に合わせ、全く別の場所から機会を伺っていた。

 

そして今。攻撃後の一瞬の隙を、造物主は晒してしまっていた。

 

「……村雨流…………」

 

限界まで、脚に気を集中させる。放つのは、村雨流において最速にして突き技では最強の奥義『雷霆(らいてい)』。

 

「……"我流"奥義……」

 

だが、鈴音はその先をゆく。人間の肉体では、『雷霆』は一度限りの大技。放てば肉体はボロボロとなり仕留め切れなければ一気に不利に陥る。プリームムに放った村雨流禁断の"裏式"『雨露霜雪(うろそうせつ)』でも、最も負担を強いるのが『雷霆』の突きの技術なのだ。

 

では、今の鈴音はどうか。一見すれば肉体的には只の人間のものと同じ。しかし、今彼女はエヴァンジェリンと融合してその肉体の特性の恩恵を受けている。そう、どれほど傷つこうと周囲や自前の魔力で肉体を完璧に再生し、人間とは比べ物にならないほど強靭な真祖の吸血鬼の肉体的特性を、だ。

 

つまり、鈴音は肉体の(・・・)損傷を(・・・)一切(・・)気にする(・・・・)必要がない(・・・・・)

 

「……『驚浪雷奔(けいろうらいほん)』」

 

音が、置き去りとなる。肉体のことを一切考慮する必要がなくなった、鬼としての鈴音本来の動きが可能となった今。彼女は音の壁など一跨ぎであった。

 

ズブリと、造物主の肉体に刃が突き刺さる。しかし造物主は気づけない。痛みが到達するまでの時間が追いつく前に刃が引きぬかれ、彼女は放れてゆく。そして痛みが到達する瞬間。

 

「ぐおおおお!?」

 

造物主の悲鳴と同時に、彼女の刃が再び突き刺さる。先ほどの脇腹ではなく、今度は肩口。そしてまた、その痛みが到達する前に刃は放れ、痛みが来ると同時に刃が造物主へと襲いかかる。一切の反応も、反撃も、防御さえも許さない怒涛の連撃。それはまるで、岸に打ち付けられると同時に波頭を岩に激突させて飛散し、雷のような轟と荒々しさを見せつける高波。引いては押し寄せを繰り返し、岩肌を削る悪魔の喉笛。

 

「……が……あ……!」

 

全身を襲い続ける痛みの奔流に、流石の造物主でさえも痛みにのたうつ隙がない。痛みの絶頂は常に彼を蝕み、それらが合わさって並の人間ならばとっくにショック死を引き起こしているだろうことは想像に難くない。いや、造物主でさえこの巨大過ぎる痛みには耐え難かった。

 

「……とどめ」

 

鈴音が、最後の一撃を造物主の腹へと放つ。刃が腹を貫通し、背中まで突き抜ける。刃から血液が伝わり、ポタリポタリと地面へと滴る。

 

「……ようやく捉えたぞ……!」

 

だが、造物主も強かであった。痛みに翻弄されてなお、彼女を捕まえることだけを考え、腹に攻撃が来る瞬間をずっと待っていたのだ。刀身を掴まれ、刃を引く抜くことができない。

 

「……無限の奈落へ落ちろ、怪物め!」

 

魔剣が、鈴音に襲いかかった。

 

 

 

 

 

暗闇の中にいた。自分自身が誰かさえも忘れてしまいそうなほどの真っ暗な漆黒の世界に、ただただ彼は立ち尽くしていた。

 

藻掻き、足掻いた。しかし一向に塗りつぶされてしまいそうな黒からは逃れられない。必死になって走りだしたが、上も下も左右でさえよくわからない。自分はここにいるのか、それともいないのか。

 

最後には、地面さえ存在するのかわからない暗黒の中で膝を折る。手が暗闇へと触れているのに感触は全くない。いや、そもそも触れているのかさえわからない。

 

気が狂いそうだった。どんどんと疲れが、増して……ふと自分は生きているのかさえ疑問に思い始めた。そこからは湧きだす不安で胸を潰されてしまいそうな感覚に陥る。意識がある時点で自己というものが存在しているのは理解できても、それが生死を決める決定的な証明にはならなかった。

 

己の両手を見た。未熟ながらも良き師に鍛えられた己の手ならば、確かめられるのではと考える。自分の首を掴み、力強く握る。苦しさも痛みも感じない。だが、たしかに己の首は触れられている感覚を訴え、手は握る感触を伝えている。

 

このまま続ければ、いつかは死ねるのかもしれない。そうであれば、自分は生きていたという逆説的証明になるだろう。だが、それが果たして確かめるすべがあるかはわからない。だが、ここにいるのかさえわからない己が、生きてさえいないなど認めたくない。

 

ふと。何故自分はこんなところにいるのかという当たり前の疑問を、今更ながらに思いつく。先ほどまでの己は一体どこにいたのか、それさえも思い出せない。だが、何かとても大事な事を忘れてしまっているかのような、そんな気がした。

 

『あ……め……大切……死……』

 

断続的な誰かの声。途切れたテープのように頭の中で再生されたそれを、己は覚えている。

 

『諦め……大切な……死んで……』

 

徐々に、その声は鮮明になってゆく。聞いたことのあるその声は、かつて己に道を示してくれた大事な人のものだと思い出す。

 

「そうだ……」

 

いつの間にか、腕は己の首を絞めるのをやめていた。呟いた声が、空間に響き渡る。闇が、不気味な暗黒が己を中心として引いてゆく。世界が白に染まってゆく。

 

「僕はまだ……戦っている……!」

 

思い出すのは蹂躙。友人とともに嬲り続けられた痛ましき記憶。だが、それを恥だとは思わない。無様であろうと戦おうとする意志を曲げなければ。まだ、戦える。

 

彼女の言葉を、彼は口に出して覚悟を決める。

 

「……諦めては……大切な人は守れない……!」

 

世界が、彼ともども真っ白に包まれていった。

 

 

 

 

 

ヘルマンは目の前の蹂躙した二人を見つめながら、少々の失望を覚えた。メガネを掛けた少年はまだ息があるが、既に視界が定まっていない。当然だ、悪魔である彼のストレートを何発も何発も真正面から受けたのだ。むしろ、原形が残った状態でまだ息があることを賞賛すべきだろう。だが、それでも少年がヘルマンに一撃さえ入れられずにいることに変わりはなかった。期待していただけに、ヘルマンの落胆は大きかった。

 

もう一方の少年は、既に虫の息だ。ヘルマンの強靭な腕で喉を締められ、既に意識が飛んでしまっている。先ほどまで己を睨みつけていたあの諦めの悪い眼光は久しぶりに高揚するようなものを感じていたのだが。

 

(……才能はあった。だが、所詮はそこまでだったというわけか……)

 

いつからであったか。老練なる戦いよりも若々しい激しい闘争を好むようになったのは。いくら年月を経て、その実力を十分に伸ばした相手と戦ってきた。それはそれでとても楽しいものであったが、何かが決定的に足りていなかった。

 

ある時。一人の少年の母親を手にかけた。仕事だとはいえ、恨まれて当然であっただろう。そして驚くべきことに、彼は再びヘルマンの前へと現れた。復讐を果たすため、彼を打倒するために。

 

その戦いを、彼は今でも覚えている。初めてであった。あそこまで気分が昂ぶる闘争は。満たされるような、そんな感覚が確かにあったのだ。そして彼は理解した、足りなかったものはこれであったのだと。たとえ復讐のためであろうとも、若さから成される熱く滾る闘争の意志。全力をぶつけ合う、小細工など無い原始の戦闘。

 

少年を殺す直前、ヘルマンは彼に感謝の言葉と、謝罪を投げかけた。少年は悔しそうな、しかしどこか満たされた顔で眠った。

 

(……あの頃から、私は若く才能ある人間と戦い続けた。あの時のような感動を、もっともっと味わいたかった)

 

だが、未だにあの戦いを越えるような滾りは得られなかった。心の疼きは、渇きは癒やされない。

 

「残念だが、君たちでは私は倒せないようだ。せめてもの手向けだ、苦しまずに」

 

そんな宣告をしようとした時であった。

 

ペチン

 

「殺して……ん?」

 

己の頬に、奇妙な感触があった。そっと、頬を撫でてみる。何の痛みも痒みもない。大した違和感も感じない。ならば、今の感覚は一体何だったのか。

 

「……君か」

 

彼が目を向けたのは目の前で生命の灯火をかき消してやろうとした少年。その右手が、先ほどまでだらりと下げられただけであったはずの手が。小さく拳を握っていた。

 

「……まさか無意識で私を殴ったというのかね……?」

 

相変わらず、少年の瞳は虚ろなままだ。意識も完全に飛んでしまっているはずだ。だが、彼の右拳(みぎこぶし)だけは、ゆっくりと動き始めていた。

 

ペチン

 

再び、彼の頬が殴りつけられる。だが、それは余りにも弱々しく、上位悪魔であるヘルマンにとうてい傷を与えられるようなものではない。

 

だが、ヘルマンの心にはそれがしっかりと響いていた。

 

「は、はは……ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 

思わず、ヘルマンは大声で笑い声を上げた。彼の諦めないという執念にも近い鋼の意志が、彼を無意識的に動かしていたその事実にヘルマンは歓喜の笑いを上げずにはいられなかった。見れば、メガネの少年も意識のないまま、刃を構えている。感じられる闘志は、先ほどとは比べ物にならないほど強烈であった。

 

求めていた、ずっと求めていたあの滾りが、興奮が。今彼の中へと戻ってきていた。

 

「素晴らしい! 素晴らしいぞッ! 気絶してなお立ち向かおうとするその意志! 傷つきながら拳を握ることを止めないその精神! 君達は今までで最高だッ!」

 

彼は首を絞める手の力を緩め、そして彼を抱え上げる。そして気絶したまま日本刀を構えているメガネの少年を、もう一方の手で肩に担ぎ上げた。

 

「君達のその不屈の闘志……敬意に値するよ。どうやら迎えも来たようだし、今回は引き分けにさせてもらおう……」

 

背後から放たれている殺気の源へと向き直す。そこにいたのは『赤き翼(アラルブラ)』のメンバーの一人であるガトウの姿があった。ただ、右足からは出血しているようで膝から下が真っ赤に染まっている。

 

「チッ、運がいいのか悪いのかわからんな……。魔法で吹き飛ばされて片足をやられちまったのは最悪だったが、弟子のピンチには間に合えたらしい……」

 

ハンドポケットの状態で油断なくヘルマンを見据える。隙のないその佇まいは、周囲の下級悪魔が攻めあぐねている様子から見て相当に出来る人物だと認識させた。

 

「……ふむ、君はこの二人の知り合いかね? 『赤き翼』のガトウ」

 

「俺の弟子と友人の弟子だ。何より俺たち『赤き翼』の大切なメンバーであり"戦友"なんでな、返してもらうぞ」

 

ガトウはヘルマンと一勝負するぐらいのつもりでいた。片足は使い物にならないが、幸いにも攻撃の要である両腕は健在であり、機動力はなくとも十分戦えると考えていた。だが、ヘルマンの返答は予想外のものであった。

 

「よかろう」

 

ただ一言。肯定の言葉を返して二人を投げ渡したのである。慌てて二人を抱きとめるが、流石に子供とはいえ二人分の重さに少し蹌踉(よろ)めいてしまう。

 

「一体、何のつもりだ?」

 

二人を抱えている以上、ハンドポケットは封じられてしまうが、それでも対抗手段がないほど手の内が安いわけではない。ハンデでも負わせる気かと思っていたが、返ってきた答えはやはり意外なもの。

 

「何、彼らの闘争に敬意を評してが故さ。久々に、胸の内が燃え滾るほどに心を揺さぶる戦いぶりを見せてもらったからね」

 

「……貴様ほどの悪魔が、か?」

 

「気絶してなお戦おうとするその闘志、実に青臭くも見事だった。再び相見えた時には、是非とも心ゆくまで戦いたいと、伝えてくれないかね?」

 

「……分かった、と言いたいところだがそれは貴様を倒してからにしよう」

 

「おいおい、私はもう今日は戦うつもりはないのだよ。私も、あれほどの戦いを味わった後に無粋な戦いで余韻を汚したくないのでね、退場させてもらおう」

 

そう言うと、口笛で全身を水で覆った悪魔を呼び出し、『(ゲート)』を発動させる。

 

「っ! 待てッ!」

 

「君も足を負傷している。その二人を抱えてでは全力など出せまい、よしたまえ。いずれ、縁があれば再び相対することもあるだろう」

 

大きなつばの付いた帽子を目深に被り、ヘルマンは悪魔とともに戦場を後にした。

 

「……逃げられたか。まあ、どうやら本当に戦意がなかったようだしもう現れはしないか……」

 

腕の中の二人を、ガトウはじっと見つめる。

 

「上位悪魔に認められるまでになったか。……弟子の成長ってのは早いもんだな。嬉しいのやら悲しいのやら……」

 

そういえば、こうして二人を抱え上げるのは何時(いつ)ぶりだったかと考える。あの頃は二人共まだ不安に怯えた顔をし、それを紛らわすために抱え上げていた。

 

「あの頃はまだ軽く感じてたんだがなぁ……。いつの間にか、こんなに重く感じるほど大きくなったってことか」

 

それとも俺が老けたのかね、などと思いながらガトウは戦場を後にした。

 

 

 

 

 

魔剣が振り下ろされる中、エヴァンジェリンは鈴音に短く命じた。

 

【鈴音、受け止めるな(・・・・・・)

 

エヴァンジェリンは、造物主の魔剣の特性に気づいていた。この魔剣は、一振りするだけで空間ごと斬撃で周囲を削る特性があった。つまり、鈴音が『懐刀(ふところがたな)』を用いて防いでも、腕ごと刈り取られてしまう。そうなれば、頭ごと削り取られてしまう結果が目に見えているのだ。流石に、頭部を再生不能にされてしまうと死んでしまう可能性は高い。エヴァンジェリンを吸血鬼化させた造物主だからこそできた対策であった。

 

だが、エヴァンジェリンがそれを看破した今。鈴音も対処法を変えられる。

 

「村雨流……"裏式"……」

 

完全なゼロ距離は、剣士にとって死の距離に等しい。それは村雨流であっても例外ではない。だが、助走を必要とする『雷霆』の突きを、『雨露霜雪』では腕の負担が増す代わりに距離関係なく放ってみせた。つまり。

 

たとえゼロ距離であろうと、対処法がないわけではないのである。

 

「……『紫電一閃(しでんいっせん)』」

 

腰を深く落として力を入れ、力を一瞬で爆発させた。それは各関節を利用したブーストであり、中国拳法で言う寸勁、あるいはワンインチパンチと呼ばれるものに近い。

 

それを、『雷霆』レベルの突きで放てばどうなるか。

 

「ぐああああああああああああああああああああああああああ!?」

 

造物主が、腹に突き刺さった紅雨ごと吹き飛ばされ、石柱へと叩きつけられて磔にされる。さながら、その様子はかつて磔刑に処された神の子のようであり。この世界を生み出した造物主にとって随分と皮肉の効いた状態であった。

 

「……ぐ、ご……あ……」

 

藻掻いてみるものの、体はもういうことさえ碌にききはしない。完全に、造物主の敗北であった。鈴音は体からエヴァンジェリン自身を放出し、融合を解除する。勿論、鈴音の能力で分解されてしまわないように、エヴァンジェリンはしっかりと能力の干渉をされないように自らを構成してからだ。

 

「随分と無様だな。なぁ鈴音?」

 

開口一番に、そんなことを言うエヴァンジェリン。造物主は、弱々しくも衰えぬ眼光をエヴァンジェリンへと浴びせるが、彼女には一切通用していない。

 

「フン、敗北者となった貴様の目など今更怖くはないな」

 

「……敗北、だと……この、私が……?」

 

「自分の様子を見てよーく考えてみろ。そして今の貴様の気分を感じてみろ、それが敗北感というやつさ」

 

意地の悪い笑みを浮かべながら、造物主へと指摘する。造物主は少しの間逡巡する素振りを見せたが、最後には諦めに似た言葉を吐き出した。

 

「……そうか、これが敗北か。……所詮、世界の救済など今の私には手に余るものだったということか……」

 

「この世界を作ったのはお前なのだろう? ならば、たかが救済でここまでだいそれた事をする必要はなかったはずだ。魔力で肉体を再生できる私を生み出した貴様なら、継続的に魔力を世界に供給できたはずだろう?」

 

「……この肉体は既に別物だ。私の本来の肉体は、貴様を生み出した際に殺されたせいでとうに朽ちている」

 

「なるほど、私は実験体だったというわけか。そうかそうか……」

 

そう言うと、エヴァンジェリンは造物主へと急接近し、胸倉をつかみ上げた。

 

「そんなくだらない理由で私は人生を奪われたわけか! 巫山戯るなよ!」

 

「……全ては、我が子らのため」

 

「そのために自分の娘まで犠牲にしたというわけか! とんだ偽善者だな!」

 

「……100は救えぬ。ならば99を救うために1を犠牲にせねばなるまい」

 

「チッ、どこまでも不愉快にさせてくれる……」

 

エヴァンジェリンが一瞬目を離した、その時だった。

 

「……そうだ、私は救わねばならん……生み出した者の責任として……親として……。造物主として……!」

 

「っ、貴様……!」

 

「……そのためにキティ……いやエヴァンジェリンよ! 今一度その礎となるのだ!」

 

造物主を覆っていた、黒いフードが突如伸び上がる。それは一直線にエヴァンジェリンへと向かい、全身を一瞬で絡めとった。

 

「な、これは……!?」

 

「……貴様の体であれば、よく馴染むはずだ……」

 

「私を乗っ取るつもりか……!」

 

造物主のフードから(こぼ)れだしてきた顔は、低く重々しい声には似つかわしくないうら若い女性のものであった。ただ、先ほどまでの戦闘のためか顔中が傷だらけであり、片耳は削げ落ちている。おまけに、右目の眼孔はぽっかりと穴が空いている。

 

「他人から奪い取った体か! 下衆め!」

 

「……体ヲ、ヨコセ……!」

 

真っ黒いナニカがエヴァンジェリンの内部へと侵入しようとしたその時。

 

「……!? ゴ、ギガ……!?」

 

造物主が、突如口から大量の血反吐を吐き出す。エヴァンジェリンはその返り血を顔に受けたがそれを気にしている場合ではない。この好機を逃すまいと、造物主に向けて無詠唱の魔法をこれでもかと食らわせた。

 

「……ガギギギギ!?」

 

それによって黒い物体による拘束がゆるみ、エヴァンジェリンは開放され、鈴音のもとへと戻る。

 

「……何が起こっている……?」

 

疑問の言葉を呟くが、それに答えたのは意外な人物だった。

 

「……『紅雨』に、命じました……。……生命を吸い取れと……」

 

見れば、紅雨が突き刺さった腹部から、先ほどの喀血とは比べ物にならないほどの出血が起こっていた。そして腹部に突き刺さったままであった紅雨が、それをまるで吸い取っているかのように、赤みを増していく。いや、鈴音の言葉から察するに実際に啜っているのだろう。生命の循環を担い、生命の象徴とも言える血液を。

 

「……バ、カ……ナ……」

 

「こりゃあ傑作だ! そのバカ面は随分と見ものだな! クハハハハ!」

 

邪悪な笑い声を上げるエヴァンジェリン。その横で、無表情で、無機質な視線を向ける鈴音。

 

「……マダ、死ヌワケニ、ハ……世界ヲ……我ガ子ラヲ……!」

 

「お前は誰も救えないんだよ、『父上』。お前は所詮チンケな悪党でしかなかった。人を救うなんて大層なことができるのは、光の中に生きる者だけだ」

 

「……ワ、タ……シ、ハ……」

 

「せいぜい祈るんだな、今度はまともに生まれられるように」

 

「キ……ティ……」

 

「その名で私を呼ぶな、『搾りカス』め」

 

救いを求めるように手を伸ばし、彼女の名を呟く造物主へのエヴァンジェリンの返答は。一切の容赦の無い『闇の吹雪』であった。

 

 

 

 

 

「……終わったか」

 

あとに残ったのは氷像とかした造物主だったものと、赤く爛々と輝く紅雨だけだった。

 

「……フン、これでようやく私の因縁に決着がついた、か」

 

「……お疲れ様、です……」

 

感慨深げに言うエヴァンジェリンに、鈴音は労いの言葉をかける。すると。

 

「オーイ……終ワッタナラ早ク拾ッテクレヨー……関節ガナンカギクシャクスルシヨー……」

 

声の主は、体が真っ二つになったせいで身動きがとれないチャチャゼロであった。

 

「……忘れてたな」

 

「オイィ! 今ゴ主人ナンツッタ!?」

 

「……よしよし」

 

「鈴音、ソンナ憐レムヨウナ事ハ頼ムカラシナイデクレ! 余計惨メダ!」

 

鈴音がチャチャゼロを宥めようとするも、完全に逆効果であった。エヴァンジェリンは造物主だったものから紅雨を引き抜くと、鈴音へと投げ渡した。

 

「……しかしまあ、改めてそいつには世話になったな」

 

「……?」

 

「いや、こっちの話だ。別に忘れていいぞ」

 

「サッサト帰ロウゼゴ主人。下半身ガ無イセイデ落チ着カ無クテショウガネェ」

 

さっさと帰ろうと提案するチャチャゼロ。やはり自分の体が欠けた状態というのは、あまり気分がいいものではないらしい。だが、エヴァンジェリンの返答は。

 

「何を言っている? ここは奴らの本拠地だぞ、恐らく色々なものを貯めこんでいるはずだ」

 

「……奪う?」

 

「あれだけの大組織だったんだぞ? 各方面に精通した情報やら資料やらが無ければおかしい。で、あればだ。それらが我々の『目的』の役に立ってくれるはずさ、ククク」

 

上機嫌で笑うエヴァンジェリン。

 

「オオ、イツモ以上ニ悪イ顔シテルゼ」

 

それにつられて、ケラケラと笑うチャチャゼロ。鈴音も、いつもの無表情ではなくほんの少しだけ微笑んでいる。三人は廃墟同然となった部屋を後にし、どこかへと消えていった。後に残されたのは、無力さに歯噛みし一人佇むだけでしかなかったナギ、ただ一人のみであった。

 

数十分後。増援として『赤き翼』のメンバーが駆けつけるも、ナギは何も話そうとせず、やむなく連れ帰ることとなった。その後、彼の口から造物主が倒されたことが告げられ、事実上の戦争終結と相成った。戦争の終わりに、世界中が歓喜して祝福の声を上げるものの、事実を知る当事者達は不安の気持ちを隠せなかった。

 

 

 

 

 

そしてこの一年後に起こる、世界を揺るがす大事件の準備が既に進められていたということを、今はまだ誰も知る(よし)もなかった。



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第十七話 始まりへの序章

正義と悪は遂に衝突する。

舞台は整った。

さあ、終わりなき闘争を始めよう。


大戦終結後、『赤き翼(アラルブラ)』は戦争終結の最大の功労者として、連合と帝国の双方から多大な感謝の意を送られ、終戦式典にて叙勲式が執り行われた。造物主が目論んだ半魔法場による世界の滅亡は未然に防がれ、魔法世界の危機はひとまず追い払われた。

 

だが。

 

「なんだってあいつが捕まんなきゃなんねぇんだよ!?」

 

拳を机に叩きつけるナギ。その衝撃で、頑丈なはずの重厚な木製の机は真っ二つになる。

 

「……正直、俺の認識が甘かったと言わざるを得ない、済まなかった」

 

「貴方のせいではないですよ、ガトウ」

 

「そうじゃ、まさか戦争が終わって早々に責任の擦り合いをやるほど馬鹿だとは、誰だって思わんじゃろう」

 

戦争終結に伴い、停戦協定が結ばれたわけだが双方から反対の声が少なくなかった。いくら人為的に引き起こされた戦争だったとはいえ、殺し合いをしていたことには変わりはないのだ。祖国のために戦った者達にとっては、こんな結果は余りにもあんまりなものに思えた。そして戦争従事者や遺族らから不満の声が広まり、挙句暴動まで起こりかねない状態であった。

 

そう、造物主が消滅してしまった今、怒りの矛先を向けるものが必要になったのだ。何時の時代でも、押し込まれた不満を解消するには生贄を用意するのが最善である。そして、その生贄に選ばれたのが。

 

「姫さんが『災厄の女王』だと!? ふざけんじゃねぇ!」

 

アリカ女王は、『赤き翼』とともに行動し、『完全なる世界(コズモエンテレケイア)』が暗躍していることを見抜き、その企みを阻止しようとしていた。その上『完全なる世界』の本拠地を見つけ出し、最終決戦でも前線で指揮を執っていた。民衆からは絶大な信頼を寄せられており、『赤き翼』やテオドラ姫に並ぶ功労者として人気がある。

 

しかし、彼女の治めるウェスペルタティア王国はメセンブリーナ連合に所属しており、連合を取りまとめているメガロメセンブリア元老院にとっては目の上のたんこぶと言ってもよかった。戦時中元老院がろくな成果を挙げられていなかったこともそれに拍車をかけている。

 

そこで、元老院は都合のいいように彼女を公的に裁く方法を採った。それが、アリカに『完全なる世界』と繋がっていたという身も蓋もないような濡れ衣を着せることだった。更に父親殺しの汚名を着せることで、民衆からの人気を引き剥がしにかかった。

 

事実を知るウェスペルタティアの民達は、この誇大妄想が如き悪名を着せた元老院を非難したが、怒りの捌け口を求めていたその他の国々からは大ブーイングをくらい、彼女を擁護するウェスペルタティアの民達さえも蔑んだ。

 

結果、ウェスペルタティアの民は心では彼女に申し訳ないと思いながらも、家族や己の身を守るために表立って彼女を弁護しようとするものはいなくなってしまった。そして最悪なことに、メガロメセンブリアへと恩を売って出世を目論もうとした者や、彼女の政治姿勢に反感を抱いていた貴族らが元老院に同調。これにより、アリカは政治方面で完全に包囲網を敷かれ、投獄されることとなった。

 

「本当の敵は、まだどこにいるのかさえも分からないってのによぉ……。こんな時に足の引っ張り合いなんざしてる場合じゃねぇってのに……」

 

ラカンが珍しくため息をつきながら愚痴をこぼす。そしてそれに同意する面々。ゼクトや詠春でさえ額に青筋が浮かんでいるが、なんとかそれを堪えているようだ。

 

「やっぱ助けに行くっきゃねぇ……!」

 

「戯け! それができるならとうにやっておるわ!」

 

居ても立ってもいられないといった風にナギが立ち上がるもゼクトがそれを(たしな)める。しかし、納得の行かないような顔でナギはゼクトに怒鳴りつける。

 

「だったら、だったらどうすりゃいいんだよ師匠!? このままじゃ、あいつは、あいつは……」

 

「処刑、されるのが目に見えてるだろうな」

 

詠春が苦々しげに呟く。その一言で、ついにナギまでも黙りこんでしまった。空気が重々しく、この場の全員を包み込む。

 

「いくら私達でも、彼女を助けるために脱獄の手伝いなどをしてしまえば悪い前例を作ってしまいかねません」

 

英雄と持て囃される『赤き翼』がそんなことをしでかせば、正義のためであれば、犯罪をしても構わないという捻くれた理屈に利用される前例となりかねない。

 

「……悪法もまた法なり、か。法治主義国家で法律に逆らうことは、法の意義を喪失させる……」

 

元メガロメセンブリア捜査官であるガトウには、それが痛いほど理解できた。誰かが例外を生み出せば、それは矛盾を孕んで法を瓦解させる。そうなれば、最終的に行き着くのは暴力で解決という獣と何ら変わらないもの。人間は、法で縛られているからこそ人間らしい自由を保証されているのである。

 

「どうにかなんねぇのかよ……!」

 

最終決戦で、何もすることができずただただ傍観するだけでしかなかった自分が情けなくて、ナギは精神的に大分追い詰められていた。一時は、強さを求めるあまりに無茶な修行ばかりしてゼクトに叱責されたが、ナギは聞く耳さえ持たずついには師に見放されそうになるほどであった。

 

そんな彼を、アリカは全力でぶん殴った。最初は殴られたことに怒り、溜まっていた鬱憤や苛立ちを彼女にぶつけるように吐き出した。そして。

 

『気は済んだか? だったら、いい加減目を覚ませ戯けめ』

 

彼女は、ナギの抱える闇を全て受け止めてくれたのである。無力さに嘆く自分を、彼女は見放すことなく抱きしめてくれたのだ。父を目の前で殺され、彼女のほうが余程悲しいはずなのに。そして彼は改めて理解した、自分は彼女が本当に好きなんだと。

 

そして1ヶ月前、ナギは彼女に思いを打ち明けていた。

 

『――――姫さん、俺……あんたのことが好きだ……』

 

『……そうか。……っ済まない、突然のことでなんだか頭が混乱しているらしい……』

 

『返事は、今すぐじゃなくてもいい。でも、いつか必ず……返事をくれ』

 

『……分かった。お前のその真摯な気持ちに、返事もしないのは不義理だな。……少しだけ、待ってくれないか? そうすれば、答えが出せそうだ。今はまだ、戦争が終わったばかりで後始末が忙しいからな……』

 

『ああ、そっちを優先してやってくれ。それからで、いいさ』

 

『……済まないな、ナギ。私はいつもお前に助けられてばかりだ』

 

『……いや、感謝するのは俺のほうだろ。腑抜けてた俺に喝入れてくれたんだしよ』

 

『別にあれは、その、いつまでもウジウジしているお前が鬱陶しかっただけだ』

 

『ああ、んじゃそういうことにしとくぜ――――』

 

「返事ももらっちゃいないのに……諦められるかよ……!」

 

思い出すのは、苦い思いをしたあの日。アスナに面と向かって敵だと言われ、エヴァンジェリンに嘲笑われたあの日だ。アスナを奪われ、二度と誰も奪われないと誓った決別の日。

 

(ああそうさ、俺が不甲斐ないばっかりにいつも助けられてばっかりだ……!)

 

そして仲間とともに戦うことを、仲間を信頼し戦うことをしっかりと意識するようになった。

 

「……今はまだ、堪えるしかありませんね……ナギ?」

 

「……そうだな。でも、俺はこのまま姫さんを見殺しになんかしたくねぇ……」

 

そう言うと、彼は突然地べたへと膝をつき、そして頭を垂れた。

 

「おいおい、一体どうしたんだ!?」

 

突如土下座を敢行したナギに、ラカンもさすがに驚きを隠せない。

 

「皆悪い! やっぱ俺だけじゃどう考えても姫さんを助ける方法なんて思い浮かばねぇ! だから……だから俺に力を貸してくれ!」

 

普段脳天気なナギが、ここまで真剣になったところは、『赤き翼』のメンバーでさえほとんど見たことがなく、そしてこうして頭を下げて頼み事をしたのは初めてのことであった。

 

「……ようやく、頼ってくれましたね」

 

アルビレオが、優しく微笑みながらナギの両肩に手を置く。

 

「頭を上げて下さい、そんな格好じゃ、『赤き翼』のリーダーとして示しがつきませんよ?」

 

その言葉で、床に擦り付けんばかりであった頭を、ナギは持ち上げた。

 

「アル……」

 

「お前とはなんやかんやでここまで来てしまったからな、乗りかかった船だ」

 

「詠春……」

 

「俺様が認めた終生のライバルが、そんな泣きそうな顔してんじゃねぇ。男なら、いつだってどんと胸張ってみせろよ」

 

「ラカン……」

 

「僕達だって、できることがあるはずです!」

 

「だから、手伝わせて下さい!」

 

「タカミチ、クルト……!」

 

皆、思い思いの言葉を投げかける。立ち上がり、皆を見る。そこにいるのは、幾多の戦いを乗り越えてきた頼もしい戦友たちの顔。

 

「皆……ありがとな!」

 

「全く、馬鹿な弟子を持つと苦労するわい」

 

「お師匠、そりゃないぜ!」

 

「ま、そんな弟子をとったワシも、相当に大馬鹿者かもしれんな」

 

そう言うと、ゼクトはおもむろに懐に手を入れて何かを探りだす。そして出てきた手が握っていたのは。

 

「なんだぁ、その汚ねぇ巻物は?」

 

一本の巻物であった。ただ、所々が汚れており大分色あせている。思わずラカンがそんなことを口走るが。

 

「戯け! コイツは価値で言えば黄金でさえ比較にならん代物じゃぞ!」

 

と、ラカンに睨みをきかせる。いつもとは違うその迫力に、ラカンは思わず押し黙ってしまった。

 

「これはな、ワシの古い友人から譲り受けた秘伝書じゃ。この巻物の中には、武術の深奥が記されとる」

 

「……マジで?」

 

「マジじゃ」

 

「ってそんなもんあったんだったら最終決戦の前に見せてくれりゃよかったじゃねーか師匠!?」

 

ナギの、ある意味尤もな叫び。しかしゼクトはナギにただ一言、うるさい黙らんかと拳骨を見舞って黙らせる。

 

「ワシとてそう思ったわい。じゃがな……こいつはそう安々と見せていいような、生半可な代物ではないんじゃよ……」

 

「……お師匠がそこまで言うもんなのかよ」

 

「ワシが何故お前に魔法を教えるだけに留めていたか、体術を基礎だけしか教えなかったかを話そう。ワシはかつて、ある流派に身を置いていたことがあった。そこはワシが見てきた中で最も過酷な修練を積む流派じゃった……」

 

曰く。その様は連日修行者が逃げ出す程のものであったとか、重傷など日常茶飯事だとか。時には死人も出たらしい。心なしか、ゼクトの目が遠いものを見るようであった。

 

「その流派は組手だろうと殺す気でやらせていたのじゃが、そのせいでワシも修行だろうと手加減が一切できなくなってしまったんじゃよ」

 

「……なんか、ナギが直感でゼクトさんに弟子入りしようとした理由がわかった気がする……」

 

「……それは初耳じゃぞ。あれだけ頼み込んでくるからそれなりに理由があるのかと思ってたんじゃが……」

 

ゼクトの雰囲気が目に見えて暗くなる。弟子入りの理由がただの直感だったなどという衝撃的過ぎる事実に、落ち込まないほうがおかしいだろう。

 

「ま、まあまあ……俺を鍛えてくれたんだし、俺は師匠に弟子入りできてよかったと思ってるぜ!  それより、そんなことは置いといて話の続き続き!」

 

固く笑いながら誤魔化すナギにゼクトは疑惑の視線を送るが、とりあえずあとで説教すると心の中で密かに決めて話を戻す。

 

「ん゛ん゛! 話がそれたのう。さて、ワシがその流派に入っていた理由が、先程も言った古い友人に誘われてのことじゃった」

 

その友人こそが、その流派の継承者であったらしい。修行を満了し、師範代さえ相手にならない程になったゼクトは、その友人に呼び出された。曰く、もはや継承できる人間は君しかいないと。だから、信頼出来る友人たる君にそれを託したいと。

 

「そうして、ワシはコイツを譲り受けたわけじゃ。この中にはその流派の技、修行法が事細かに記されておる。勿論、奥義もじゃ」

 

「そりゃあ、確かに気軽に見せられるもんじゃあねぇな」

 

「技を習得しようにも、下手をすれば死にかねんような修練を積む必要があるからな、大事な戦いを前にそんな無茶はさせられんかったからこそ、じゃ。何よりここに記されているのは、全て殺人技、人殺しを突き詰めた技術じゃ。はっきり言って、こいつをお前に学ばせるのはどうしても抵抗があったんじゃ」

 

「……でもよ、そんな大事なもんを見せてくれたってことは……」

 

「ああ。ワシはコイツをお前に教える腹づもりじゃ。正直、お前が拒否してくれればどれだけ気が楽になるか……。じゃが、エヴァンジェリン一味という規格外の敵が存在する今、お前が短期間で強くなるにはコレぐらいしか方法がない」

 

「……残念だろうがよ、俺はやるぜ?」

 

「じゃろうな、ワシもそう言うと思っとったわ」

 

そう言うと、封印を施していたのか巻物に解呪の呪文を掛ける。すると、古ぼけた巻物の表面にうっすらと文字が浮かび上がってきた。所々掠れてしまっているが、読む分には問題はないだろう。

 

そして、そこにはこう記されていた。

 

『秘伝 拳派叢雲流』

 

と。

 

 

 

 

 

『馬鹿な、この私に仲間になれというのか! 我が主を殺した貴様なんぞに!』

 

『そうだ』

 

『断る! 私にとって貴様らは殺したいほど憎い相手! そんな奴らに下るなど、私の矜持が絶対に許さぬ!』

 

『そうだろうよそうだろうよ。私は貴様にとっての怨敵だ』

 

『ならば去れ! ここは我ら『完全なる世界』最後の砦! 首を洗って待っていろ、いずれ貴様らを地獄の底まで追い詰めてやるぞ……!』

 

『追い詰める? ただ一人でか?』

 

『……セプテンデキム、何故そんなところにいる』

 

『……この方について行けば、鈴音さんと一緒になれますから』

 

『貴様、裏切るつもりか!?』

 

『別に私達は造物主に忠誠を誓ってたわけじゃないよ』

 

(ニィ)!? お前もか!?』

 

『チャチャゼロと戦いたいらしくてな、仲間になれば何時でもできるぞと言ったらなると即答したぞ?』

 

『ええい、急造で調整をしたうえに起動したばかりのせいで忠誠意識が薄かったか!』

 

『ククク、これでもうお前一人しかいないなぁ? で? どうやって私達を追い詰める気だ?』

 

『ええい黙れ黙れ! そもそも調整に失敗したのは貴様らがあの二人を殺してしまったせいだろうが! おかげで突貫作業で寝る間も惜しんでいたんだからな!』

 

『おやおや、とんだ言い掛かりだな。我々は命を狙われたんだからそれ相応の返答をしただけのことさ』

 

『ぐぬぅ……確かに殺そうとしたのだから当然といえば当然だが……』

 

『そうそう、そんな罪悪感を抱くぐらいならスッパリと私達の仲間に加われ。今なら大幹部の席が空いているぞ?』

 

『ぐぬぬ、そうやすやすと主を裏切るわけには……』

 

『既に死んでいるのだ、誰が咎める? 奴が死んだのはヤツ自身の責任であって貴様の責任じゃあない。わざわざそんな奴のために義理を貫くつもりか?』

 

『黙れ! 我が主を侮辱するのは許さんぞ!』

 

『お前は心の中で悔いているんじゃないか? その主人とともに死ぬことさえできなかったことが』

 

『何を言って……』

 

『羨ましかったんじゃないか? プリームムのことが。妬ましかったんじゃないか? 奴が主人のために殉じたことが』

 

『ふ、巫山戯たことを抜かすな!』

 

『私ならばその願いを叶えてやれるぞ? 私は誰も見捨てない。お前は造物主によって生み出された人形。しかも目的のために容易く悪を成せる意思を持っている。お前には我々と共に来る資格がある』

 

『や、やめろ! 私を惑わすんじゃない! 私は』

 

『では主人とともに戦うこともできず、復讐だけを胸に虚しく滑稽に残りの人生を潰す気か? 随分と惨めだろうなぁ……たった一人で、誰にも認められず、主人の幻影だけを追う虚ろな、本当の意味での人形……』

 

『私は……私は……!』

 

『まだ躊躇うか。ではとっておきのことを教えてやる。私は造物主の実の娘だ』

 

『な、なにっ!?』

 

『奴は既に肉体は別物となっていたが、私を吸血鬼化させた時に本来の肉体を失ったと言っていた。つまり、私は奴の肉親である可能性は極めて高いぞ』

 

『…………』

 

『更に、私は奴に無理矢理吸血鬼化させられたからな、正統な復讐の理由があるし奴自身も他人の体を乗っ取るなどという下衆だった』

 

『それは、貴様も同じではないか……』

 

『いいや違うね、私はアイツのように矜持を捨てちゃいない。聞いたぞ、お前は悪の大幹部という自らの立場に誇りを持っていると。ならば奴に不満を抱いたこととて少なくなかろう?』

 

『そ、それは……』

 

『そして奴の娘たる私はそんな思いは断じてさせんと約束する。一応は父親だったわけだからな、その尻拭いの意味合いもある』

 

『フンッ、打算だな』

 

『ああ、そうさ。だが、お前が欲しいのは本当だ。使命感などではなく、純粋に悪党として、英雄共と戦いたいとは思わんかね?』

 

『……ああ』

 

『よし、では決まりだな。歓迎するぞ、我が新たなる同志よ』

 

『貴様の配下になるつもりはない。あくまで、私はあのお方のものだ。……だが、貴様と手を組むというのも、悪くはない』

 

『そうか、まあ好きにしろ。さて、これから向かう場所があるんでな、一先ずお前は鈴音に付いて行ってくれ』

 

『分かった。お前はどこへ行くんだ?』

 

『何、お前と同様に勧誘している人材がいるんだよ。その返事を貰いに行くだけだ』

 

『貴様の毒牙にかかるものがどんどん増えていくな……』

 

『カリスマ性があると言ってくれ。ではな』

 

『……お気をつけて』

 

 

 

 

 

それから2年後。

 

「これより! 『災厄の魔女』、アリカ・アナルキア・エンテオフュシアの死刑執行を行う!」

 

不自然なまでにスムーズに進行した裁判での判決は、死刑であった。そしてその執行が僅か1年後という異例のスピードであったことに、ゴシップ誌は様々な憶測を混ぜつつ記事を書き立てていたが、それもあくまで元老院の裏を示唆するようなものばかりで、アリカ女王を擁護するような記事はただの一つとてなかった。

 

「彼女は魔法世界を大混乱の渦へと叩き落とした大分裂戦争を影で操っていた『完全なる世界』の首謀者であり、その罪は計り知れぬものである! よって、その罪を全世界の罪も無き被害者たちへ償わせる意味も込め、映像中継による公開処刑とする!」

 

処刑場は、かつて大規模な魔力反転現象によって魔法が一切使えない不毛の土地へと変化したケルベラス渓谷。その窪地には大量の魔獣が生息し、その凶暴さは折り紙つきである。そんな場所の中心に、アリカは磔にされていた。

 

「……フッ、情けないものだ……国内の裏切り者を一掃しようとしたところでこれか……」

 

アリカは、国内で害にしかならない貴族の地位を合法的に剥奪しようとしていた。それを恐れた貴族らが結託し、密かに元老院へと情報を横流しされていたのだ。

 

「……だが、幸い最悪の事態は避けられた。アルには感謝せねばな……」

 

ウェスペルタティアの王族が不在の今、貴族らは権力を手に入れようと醜い争いを繰り広げ、あわや王座を掠め取られようかという時に、元老院側でも不正をよしとしない議員が待ったをかけた。もしものことを想定し、アルビレオが彼の支援者となり、表立って民衆へも働きかけたのである。

 

大戦の英雄であり、民衆からの支持が厚いアルビレオの言葉に呼応し、ウェスペルタティアの民衆は大規模なストライキを行った。これによって貴族らは渋々王座を一時空席の状態で政治を執り行うことになった。

 

更にガトウが貴族たちの不正を秘密裏に調査し、クルトが元老院側で通じていた議員を特定し、その事実関係を明らかにすることで貴族らを一斉摘発し、大規模な人事異動を行った。皮肉なことに、ウェスペルタティアを支配下に置く元老院の議員によって国内の裏切り者が裁かれたのである。

 

「……ほんの僅かな間しか、父の愛した国を守れなかったのは悔しいが……後顧の憂いはない……」

 

ウェスペルタティアは未だ不安定ではあるが、新しい一歩を踏み出そうとしている。彼女がおらずともいずれ王政が廃され、民衆が国を支えてくれるはずだ。そんな彼女にとっての、最後の後悔は。

 

「……ナギ……」

 

アリカは2年前の、ナギに告白された日のことを思い出す。あの時は混乱してしまい、返事すらまともにできず仕舞いであった。その後、1ヶ月の間にうじうじと悩み続けていたことも。

 

「結局……お前に返事すらできなかったな……」

 

なぜ、あの時素直にこの胸のうちにある一言を吐露できなかったのか。悔やんでも悔やみきれない。眼の前に迫る魔獣の生暖かい吐息に、死のリアルを感じ取る。

 

(……私は、死ぬのか……)

 

思えば、波乱に満ちた人生だった。誘拐されかけた幼少時代、若くして狸共が跋扈する政治の世界へ入り戦い続け……。アスナがエヴァンジェリンに攫われ、『赤き翼』へと接触し、ナギと出会った。発覚した父の裏切りと真意、そして戦争の終結から処刑へと……。

 

(私は……幸せだったのだろうか……)

 

父に愛されていたという事実は、紛れも無い幸福だっただろう。だが、一人の人間として、女として果たして幸せだったのだろうか。

 

(……嫌だ)

 

脳裏に浮かぶのは、残酷な結末を迎える己が姿。その姿に、世界中の誰もが同情などしてくれず、何れ歴にに名を残す悪党として嫌われてゆくのだろう。何より、本当の自分を誰からも忘れられてしまうという未来が、彼女の胸を締め付ける。

 

(……嫌だ……、死にたくない……まだ私は……)

 

視界が歪む。頬を伝う温かな感触は、自分の涙だとわかる。気丈に振る舞い、女傑とまで言われた彼女は今はここにいない。いるのは、死に怯える弱々しい一人の女であった。

 

(助けて……!)

 

「ガフッ、ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

魔獣が吠える。見えるのはギザギザした鋭い牙と、真っ赤な口内。それは彼女を今にも迎え入れようとしている。

 

「助けて、ナギ……ッ!」

 

目を瞑り、叫ぶ。しかしアリカの叫び声も虚しく響き、魔獣は彼女へと襲いかかった。

 

 

 

 

 

かにおもわれたが。

 

 

 

 

 

「グルルガアアアアアアアアアアアアアアア!?」

 

「……え?」

 

魔獣の、突然の悲鳴の声。恐る恐る目を開けてみれば、そこには血まみれになった魔獣の死骸が転がっていた。

 

そして。

 

「クク、随分と可愛らしい声で泣くじゃあないか、ええ?」

 

背後から聞こえたのは、彼女が聞いたことのある声。

 

「王子様でも来て欲しかったか? 残念、来たのは悪い魔法使いさ」

 

金の髪を靡かせ、黒いゴシックドレスを纏ったその姿は、愛玩人形のように可愛らしく、美しい。しかし、纏う雰囲気は邪悪なそれでしか無い。透き通るが如き瞳の奥から感じる得体の知れない何かは、そのままのぞき続けてしまえば狂わされてしまいそうなほどの濁りを想起させる。

 

口の端を歪め、逆さの三日月のようにも見える鋭い笑みと、そこから見え隠れする犬歯の白色は、小さな恐怖を覚えた。

 

「エヴァン……ジェリン……!?」

 

彼女が最も警戒し、最も忌み嫌った"最悪"。『闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)』がそこにはいた。

 

「しかし情けないぞ? いくら終戦直後とはいえ貴様にしては油断し過ぎだろう?」

 

「くっ、何をしに来たッ!?」

 

「おいおい暴れるんじゃない。なに、私達の目的を果たしに来ただけさ」

 

「目的……だと……何を企んでいるッ!?」

 

エヴァンジェリンは笑みを崩さず、頭上へと右腕を(もた)げ。

 

「来い、我が同胞たちよ」

 

フィンガースナップの音が静かに響いた。

 

そして。

 

それに呼応するかのように複数の魔法陣が展開された。

 

「ッ! これは、転送魔法陣!? 馬鹿な、ここでは魔法は使えないはず……!」

 

「ククク、そう思い込んでいてくれたおかげでここまで順調に事が進められたよ。たかが反魔力場程度、世界の『理』が見える私ならば正常に戻すなど容易い」

 

現れたのは、数人の男女。年若い少年少女が多いが、中には老人も混ざっていた。そして何よりの驚きは。

 

「あ、あ奴らは……!」

 

「紹介しよう、我が同胞と協力者たちだ」

 

最終決戦の折に姿をくらまし、指名手配で追い続けていたはずのデュナミスがいた。みれば造物主の元配下も何人かいる。

 

「馬鹿な、貴様らとあ奴らは敵対関係にあったはず……!?」

 

「私が勧誘したんだよ。過ぎたことは忘れて、今後は末永くよろしくといったところさ」

 

「嘘を言うな。半分脅しのように勧誘しただけだろうが。それと、私はそいつとは協力関係であるだけだ」

 

エヴァンジェリンの説明に、デュナミスが訂正をつける。処刑場の場外では、アリカの処刑の顛末を見物していた元老院の議員や、警備の兵達が慌てふためいていた。

 

「な、なんだ! 一体何が起こっている!?」

 

「分かりません! しかし想定外の事態であることは間違いありません、早く避難を!」

 

狼狽える議員たちを宥め、避難誘導をしようとする警備兵達。

 

「サセネーヨ」

 

だが、それを実行できるものは誰一人としていなかった。突如突風が吹き、議員たちは思わずつんのめって転倒する。風は一瞬でやみ、突然の自体に困惑しながらも、同じく倒れている警備兵たちに命ずる。

 

「は、はやく避難場所まで案内しろ!」

 

しかし、兵たちからは一切の返事がない。

 

「お、おい貴様ら! 何をぼさっとしておるのだ! さっさと我々を安全なところへ……!」

 

議員の一人が苛立たしげに倒れたままの兵士を揺さぶる。すると。

 

「…………え?」

 

突然、警備兵の四肢が取れてしまう。あまりにも奇っ怪な現象に、議員は一瞬呆ける。そしてその四肢が接合していた部分から、勢いよく血液が噴出した。

 

「うわっ! う、うぇぇ!?」

 

飛散した血液は、議員の顔に大量に付着した。あまりの出来事に、不快感が来るよりも驚きが勝り、狼狽えてしまう。一方、それを眺めていた他の議員たちはそのあまりの凄惨さに胃の内容物が逆流した。みやれば、倒れている兵士は皆惨たらしい斬殺死体と化していた。

 

「おいおいチャチャゼロ、挨拶も抜きに殺すんじゃあない。やるなら徹底的に恐怖を刻みつけてやったほうが面白いだろうに」

 

すると狼狽えている議員が背に、妙な重みを感じた。それとほぼ同時、彼の首に鋭いナイフが押し当てられる。その正体は、先程目にも留まらぬ速さで兵士を解体したチャチャゼロ。

 

「悪ィナ、ゴ主人。久々ダッタセイカ我慢デキナカッタゼ」

 

「次からは気をつけるんだぞ」

 

まるで日常会話をするかのように何気ない素振りで話すエヴァンジェリン。しかし傍から見れば、その異常性に薄ら寒いものを感じるだろう。実際、アリカでさえ従者の殺人に何の感慨も抱かずに話すエヴァンジェリンが気味が悪く感じていた。

 

「……マスター、……準備が出来ました」

 

音もなく、気配すらも感じさせずにエヴァンジェリンの傍に少女が出現する。その滑らかな漆黒の長髪は、アリカも覚えがあった。

 

「ご苦労、鈴音」

 

「明山寺……鈴音……!!」

 

目の前で、父に凶刃を突き刺した憎き少女がそこにいた。アリカはその時のことを思い出し、一気に怒りの沸点へと達する。荒々しく暴れ、磔にされた状態から抜けだそうとする。しかし、頑丈に縛られたロープは一向に緩む気配がない。

 

「ようやく、ようやく見つけたというのに……! 私の父を殺した奴がそこにいるのに!!!」

 

慟哭。彼女は涙を流しながら大声で叫ぶ。その声は、中継が繋がったままの映像魔法具にも届いていた。そう、全世界へと(・・・・・)

 

「……ありがとう」

 

鈴音が、小さくアリカにそんなことを言う。突然の感謝の言葉に、取り乱していたアリカも流石に一気に頭が冷静になる。

 

「な、何を言って……」

 

すると。

 

「全世界の諸君! 君等は実に馬鹿だ、救いようのない馬鹿だ!」

 

突如エヴァンジェリンが、映像を送信している魔法具に向かって大声で語り始めた。

 

「先ほどのアリカ女王の言葉の通りさ。彼女の父親を殺したのは我々だ。アリカ女王はただ先王の意思を継いで戦争終結に奔走したにすぎんよ。だというのにだ! 貴様らはそんな彼女に濡れ衣を着せた元老院の言葉を鵜呑みにし、彼女を処刑しようとした!」

 

アリカを庇うかのような演説。しかし、その言葉の節々にアリカは違和感を感じていた。

 

(何だ……何のつもりだ……!?)

 

エヴァンジェリンの意図が、読めない。アリカは不可解な事態に混乱する。

 

「おまけに『完全なる世界』と繋がっていたのは彼女ではなく元老院のほうだ。我々の中には元メンバーがいてなぁ? 事情はよく知っているぞ? ほら、こいつが証拠の裏金帳簿だ」

 

「なっ……!?」

 

すると、議員の一人が血相を変える。

 

「ば、馬鹿な……あれは確かに金庫にしまって……」

 

「おい、何を口走っとるんだ! 我々はあんなものは知らないはずだろう!」

 

「あ、あれ……なんで私は本当のことを……!?」

 

慌てふためく議員たち。その様子に、滑稽だなと笑いながら評するエヴァンジェリン。

 

「奴らには予め暗示が掛けてある。特定の事柄に関して真実を話してしまうようにな」

 

そう言うと、エヴァンジェリンが議員たちのところまで飛んでゆく。そして着地するとゆっくり議員たちへと近づいてゆき。

 

「元老院は『完全なる世界』に協力していたのか?」

 

「はい、そうです。ってなにを言ってるんだ私は!?」

 

「国民の血税を支援金として送っていたのか?」

 

「はい、それも本当、な、何を喋らせるんだ貴様!」

 

問答を続けてゆく。そしてボロボロと出てくる真相。叩けば埃の出る布団のようである。

 

「聞いたか諸君? 君等は愚かにもそれが真実だと信じて疑わず、彼女を処刑するまでに至った! 戦争終結に尽力した人物に、恩を仇で返したのだよ! なんと厚顔無恥なんだろうなぁ!?」

 

そう言うと、エヴァンジェリンは心底面白いといった具合に笑い声を上げる。周囲の仲間たちの何人かも嘲笑うかのように嗤っていた。

 

「き、貴様ら……!」

 

「その結果がコレだ。我々という本当の巨悪をみすみす逃し、こうして戦力まで整える時間を与えてくれた! 感謝するぞ? 最低な人間共。クハハハハハハハ!」

 

「ケヒャヒャヒャヒャ! コリャ最高ダゼ! 俺タチミタイナ化物ヲ迫害シ続ケテキタ人間ガ、オレタチニマンマト嵌メラレテヤガルンダカラナァ!?」

 

そう言いながら、チャチャゼロは議員の一人の耳を、ナイフで削ぎ落した。

 

「ぎゃあああああああああああああああああ! わ、私の耳があああああああああ!?」

 

「オイオイ、中々イイ声デ鳴クジャネェカ。ドーダ、助ケテ欲シイカ?」

 

「た、助けてくれ! 何でもする、なんでも欲しいものはくれてやる! だから!」

 

「ンジャ、コイツデソコノ奴ヲ刺シ殺セヨ」

 

「は……?」

 

「へ……?」

 

チャチャゼロは、逆手で持っていたナイフを通常の持ち方に変え、議員の手に無理矢理握らせる。

 

「ナンデモヤルンダロ? 早ク殺レヨ」

 

「は……ひぁ……!?」

 

「や、やめろぉ! 死にたくなぁい!」

 

ガタガタと体を震わせる二人の議員。顔は涙と鼻水でグシャグシャで、だらしなく涎まで垂らしている。

 

「や……嫌だ……! 人殺しなんかしたくない!」

 

「アア? ダッタラアリカ女王ニ濡レ衣着セテ処刑シヨウトシタノハ、自分ガ手ヲ下スワケジャナイカラ人殺シジャナイッテカ? ソンナ屁理屈ガ通用スルカヨ」

 

「嫌だ……いやだあああああああああああああああああ!」

 

錯乱した議員は、ナイフを放り出して一目散に逃げ出す。しかし、走っている最中に彼の首が胴体と泣き別れになった。先回りしていた鈴音が、彼の首を刎ねたのである。

 

「ナンダヨ、人殺シガ嫌ナラ初メカラ下ラネェコト言ッテンジャネェ」

 

殺されそうになった議員は、安堵で泣きながら失禁していた。しかし、チャチャゼロはその議員の右腕を掴むと、ナイフで彼の腕を切断しにかかる。しかもただ切断するのではなく、あたかも(のこぎり)で切るかのように押したり引いたりを繰り返しながらだ。あまりの激痛に議員は泣き喚くが、チャチャゼロは気にした様子もなく続行する。

 

「なんと醜悪な……」

 

吐き気をこらえながら、アリカが呟く。

 

「そうだろう、人間のやる所業じゃあ無いさ。だが、我々は貴様らとは違う」

 

「何を言いたい……」

 

そんなアリカの言葉に、では答えてやろうと彼女は再び魔法具へと顔を向ける。

 

「人間、亜人諸君。諸君らはよくも我々を虐げてくれたな……我々という怪物を虐げ続けてくれたな! 我々はそのことを一日たりとも忘れなかった……一日たりともだ!」

 

声を荒げながらエヴァンジェリンが叫ぶ。いや、実際には怒りは演技でただ声が大きいだけだ。アリカはそれを見抜いていた。しかし、その鬼気迫る迫力は、映像の向こう側にいる者達には信じさせるには十分過ぎる材料だ。

 

「私は吸血鬼として、迫害され続けた! 確かに人は殺したが、それは貴様らが先に襲ってきたからだ! そうして虐げられてきた!」

 

大仰に身振り手振りを交えて演説するエヴァンジェリン。

 

「だから私は悪になった。貴様らが決めつけたせいで、私はそうせざるを得なくなった! だが! 私は最早それを糾弾するつもりはない! 私には仲間ができた。同じように貴様らに虐げられ続けた者達が、悪党が!」

 

この場を完全に掌握している。これではアリカが口を挟む隙さえない。

 

「感謝しているぞ、お前たちのお陰で私は自分の内に潜んでいた悪を理解できた。お前たちの迫害のお陰で私は生まれたと言ってもいい」

 

そう言って、彼女は画面の向こうにいる全ての者達にむけて指を指し、不敵に笑う。

 

「そう、全ては貴様らの蒔いた種さ。貴様らによって、我々バケモノが生まれた。貴様らは自らパンドラの箱を開けたんだよ。そして、今最後に残ったはずの希望さえも捨て去ろうとしていた。これが愚かと言わずしてなんという?」

 

つきつけられる言葉に、人々は動揺を隠せない。目の前で語る邪悪を生み出したのが、他でもない自分たち自身だと。そして自分たちによって再び己の首を絞めているということに。

 

「さて、無駄話はここまでにしよう。我々がここにやって来た理由はただひとつ、我々の脅威となるアリカ女王を我々の手で始末することさ」

 

「なっ……!?」

 

「先ほどまでの私の言葉、彼女を擁護しているように感じなかったか? つまりそれだけ我々は彼女を評価しているのだ、敵であれど、な。だからこそ、直接この手で殺すのが一番安心できる。だからこそ、こんな茶番を用意したのだ」

 

「……まさか、貴様が……!?」

 

エヴァンジェリンの言葉から、アリカはある仮説に到達した。それはエヴァンジェリンがアリカを処刑するために元老院を裏から操作し、この状況を作り上げたのではというもの。エヴァンジェリンはアリカが言いそうにした言葉を察して喉を鳴らして笑いながら肯定の言葉を返す。

 

「正解だ。そう、こうやって全国中継を行わせたのも、我々が意表をついて出現したのも、人々の印象に強烈に残るようにするため。いわば我々の初舞台を華々しく飾るための材料として利用させてもらったのさ」

 

「だが、元老院の奴らは狼狽えていた……一体何をしたのだ!?」

 

「おいおい、元老院は『完全なる世界』と繋がっていたのだぞ? 元メンバーならばそのコネクションを利用して働きかけるなど造作も無い。もっとも、多少脅しはしたがね」

 

アリカはその言葉で、数カ月前に看守たちが話していた元老院議長の変死事件を思い出す。つまりその事件は、エヴァンジェリンらが口封じのために行った可能性があるのだ。

 

「クク、馬鹿な奴らだったよ。鞭で恐怖を植え付けて、ちょいと飴をぶら下げてやればすぐに食いついた」

 

「下衆め……!」

 

アリカの憎々しげな視線にも涼しい顔をしている。いつの間にかエヴァンジェリンの傍まで戻ってきていた鈴音が、『紅雨』を抜いて彼女の首に添える。

 

「さぁて愚かな人民諸君、君たちによって整われたこの舞台で、君たちの希望を今! 我々が奪い去ってやろう!」

 

振り上げられる刃。陽光を反射して真っ赤に光る『紅雨』は、まるで今まで啜ってきた血液によって形を保っているかのようで、どこまでも不気味であった。

 

「ではさらばだ、可哀想な女王様」

 

エヴァンジェリンの合図とともに、鈴音は重力に従ったまま刃を振るう。振り下ろされる刃は、正確に彼女の首筋を捉えており。

 

 

 

次の瞬間には……彼女の首は飛ばなかった。

 

 

 

バチバチバヂィッ!

 

「……マスター……!」

 

突如、エヴァンジェリンに向かって雷撃が襲いかかった。そのせいで、鈴音は寸前で刃を止めてしまった。エヴァンジェリンは障壁でその雷撃を防いでいたが、不機嫌そうな顔をすると雷撃が飛んできた方向へと顔を向ける。

 

「……よくも邪魔をしてくれたな、ナギ・スプリングフィールド……!」

 

みやれば、崖の上に人影が見える。

 

「ハッ、怒ってんのか? だったら万々歳だぜ、てめぇに一矢報いれただけで十分だ」

 

そこにいたのは、赤毛が特徴的な少年。ナギ・スプリングフィールドだった。そしてその背後から続々と現れる、彼の仲間たち。

 

「最近大人しいと思っていたが……こんなことを企んでいたとはな……」

 

"サムライマスター"の異名を持つ、青山詠春。

 

「おいおい、いつの間にこんな人数集めてやがったんだ? しかも見た顔もチラホラいるぜ?」

 

ナギと互角に渡り合う歴戦の戦士、ジャック・ラカン。

 

「エヴァンジェリンが勧誘したのじゃろう。しかしデュナミスまでおるとは、全くどこまでも厄介な……」

 

ナギの魔法の師匠にして、数百年を生きる存在、ゼクト。

 

「しかし、我々もこの2年間ただ手をこまねいた訳ではないです。今の我々ならば、彼女らに十分通用する筈」

 

重力魔法を生み出し、魔法戦闘では右に出るものはいないとまで言われた、アルビレオ・イマ。

 

「観念しろ、貴様らはこの初舞台が終着点だ」

 

元メガロメセンブリア捜査官にして、無音拳の達人、ガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグ。

 

そして。

 

「あれはまさか……!?」

 

「カオル……さん……!?」

 

若きルーキーにして確かな実力を持つ二人の少年、タカミチ・T・高畑とクルト・ゲーデル。しかし二人は鈴音を見るやいなや、呆然としてしまっていた。

 

「フン、『赤き翼』のメンバーが勢ぞろいか」

 

「姫さんを返してもらうぜ、エヴァンジェリン!」

 

 

 

 

 

「……やはりか……!」

 

詠春は二人の反応を見て、嫌な予感が的中してしまった。手配書では正体不明の人物として顔がわからなかったし、薫という人物と会ったことが無いため確信はなかったのだが、かつてグレート=ブリッジにて彼女がナギと交戦した際を思い出し、その太刀筋に見覚えがあった。そしてウェスペルタティア先王を殺した時もまた、その太刀筋に何処か懐かしさを覚えた。滅んだはずの村雨流の剣士がどうしてエヴァンジェリンとともにいるのかは分からないが、村雨流継承者と交友があった詠春としては、気分のいいものではなかった。

 

「余所見はよろしくないのではないかね?」

 

頭上からの声と、衝撃波が共に迫り来る。

 

「くっ!」

 

詠春はすんでのところで躱すが、下にいた魔獣は衝撃波に圧し潰されてザクロのように飛散した。詠春は上空を睨みつける。そこには、一見は紳士然とした、しかし鋭い目をした男と、老年の風格を漂わせる男がいた。

 

「……上位悪魔か」

 

「ケッ、一発で見抜きやがったか。私はフランツ・フォン・シュトゥック、覚えなくていいぜ。どうせすぐぶっ殺されるんだからな」

 

「お初にお目にかかる。私はヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・ヘルマン、没落貴族のしがない雇われだ」

 

「……! タカミチとクルトが言っていたのは貴様らか」

 

「おお、あの二人は素晴らしかったぞ。是非とも再戦をと思っていたが、まだ彼らは未熟。今回は君の足止めをさせてもらう」

 

「本当ならあいつらをぶっ殺してやりたい気分だが、命令とあっちゃ逆らえねぇ。代わりにテメェをサンドバックにしてやるぜ」

 

「やれるものならばやってみろ!」

 

 

 

「おいおい、またテメェらかよ」

 

ラカンの行く手を塞いだのは、元『完全なる世界』のメンバーであり、色々と因縁がある二代目火のアートゥルこと弐と、セプテンデキムであった。

 

「ジャック・ラカン……。先代のアートゥルの記憶だと、あんたと戦いたくて仕方がなかったみたいだけど、正直私はあんまり興味が無いのよね……」

 

「ですが、命令は絶対です。そうでなければチャチャゼロさんと遊んでもらえませんよ?」

 

「セプテンデキムだって、ドジを踏んで鈴音と買い物にいけなくなっても知らないわよ」

 

「……慢心せず全うしましょう。もしそうなったら、私は耐えられません」

 

「……なんか前より人間臭くなったなオイ」

 

二人の会話に思わず呆れてしまうが、実力者であることは確か。ラカンは気を引き締め、戦闘を開始した。

 

 

 

「久しいな、"フィリウス"」

 

「その名は既に捨てた。彼を裏切ったあの時からな……」

 

ゼクトはデュナミスと対峙していた。『赤き翼』と『完全なる世界』という関係上、因縁は根深いがそれ以上に彼らの関わりは深い。

 

「デュナミス……忠誠心の厚いお主が、どうして主人を殺したエヴァンジェリンなどに下っておる……」

 

「勘違いするな、私はあくまで協力関係にすぎん。それに主は私ではなく、プリームムを選ばれた。最初の使徒として生み出され、長年組織を支えてきた私ではなく、な」

 

「だからといって……」

 

「私自身、不満を抱いていたのかもしれん。悪党としての自覚があったからこそ、その誇りを抱かぬ主人を心の底では疎ましく感じていたのだと、私は気づかされた」

 

そう言うと、デュナミスを覆っていたローブが突如はじけ飛び、筋肉は一気に膨張する。戦闘の準備は万端だと言わんばかりだ。

 

「一人の悪党として、私は柵もなく戦いたいと思った。しかし矜持は捨ててないどいない。誇りを胸に、私は最後の一人として、『完全なる世界』として戦おう」

 

「ならばお前を倒し、因縁に決着をつけるまで……!」

 

「「いざ、参る……!」」

 

 

 

「……久しぶり」

 

「……そうですね」

 

タカミチとクルトは薫と、いや鈴音と再会を果たしていた。

 

「……なんでですか」

 

「…………」

 

「なんで……そんな平然としていられるんですか! 僕たちに、友達になって欲しいって言ったじゃないですか……!」

 

「……今でも、友達……」

 

「っ! だからっ! どうして……その友達と敵同士になって平気でいられるんですかッ!」

 

クルトの悲痛な叫びに、しかし鈴音は淡々と答えるだけ。

 

「僕達を鍛えたのは……僕達と戦うためだったんですか……」

 

タカミチが、意を決したように質問を投げかける。それに対し、鈴音はただ一動作、首を縦に振って頷くだけであった。

 

「どうしてっ……僕達に諦めるな、なんて言ったんですか!!!」

 

涙を流し、裏返りながらも荒れた声で彼女を攻め立てる。鈴音はただ、静かに語る。

 

「……あなた達に、私のようになって欲しくなかった……」

 

「え……」

 

タカミチは、その言葉に一瞬言葉を失った。彼女のその言葉だけは、彼女の心の底から出てきたものだと、何故かわかったから。

 

「カオル、いや鈴音さん、それはどういう……!」

 

「……お喋りはここまで……。……ここからは、本当に敵同士……」

 

追求しようとするクルトに、鈴音は有無を言わせぬと言葉を遮り、刃を抜く。こうして、二人と一人の道は分かたれた。

 

 

 

アルビレオはナギとともに一直線に進んでいた。他のメンバーが抑えをしてくれているおかげでスムーズに進行できていたのだが。

 

「『天蓋回す炎車輪』」

 

突如、下方から巨大な炎のリングが迫ってきた。二人は魔法障壁で防ぐが、その威力が予想を遥かに上回りアルビレオが吹き飛ばされてしまう。

 

「アルッ!」

 

「ナギ! 貴方はアリカ女王を早く奪還なさい! ここは私が引き受けます!」

 

アルビレオの言葉で、ナギは後ろ髪を引かれる思いをしつつも前進していった。一方、アルビレオは先ほどの魔法を放ってきた相手と対面する。

 

「……何者ですか?」

 

「柳宮霊子。貴方の足止め係よ」

 

現れたのは、14、5歳ほどの少女。青白い肌は血が通っているのかと思うほどで、腕も枯れ枝のように細い。おまけに着ている服はツギハギのようになっており、様々な色の生地が強烈に自己主張をしている。鮮やかというよりも趣味が悪い格好である。総じて、まるで出来の悪い人形のようだ。

 

「……何?」

 

少女、霊子をしげしげと眺めていたアルに対し霊子は疑問を投げかける。

 

「いえ……どこかでお会いしましたか?」

 

アルビレオは、どこか既視感のようなものを感じていた。そう、昔どこかで出会ったかのような、そんな感じがした。

 

「そう。私は貴方みたいな変態には憶えがないわ」

 

「出会い頭で変態扱いとは。私はこれでも紳士ですよ?」

 

「そう。だったらその邪な雰囲気は何?」

 

「紳士の嗜みとだけ言っておきましょうか」

 

「そう。……話すのも馬鹿らしくなってきた。さっさと始末されて」

 

「生憎、そういうわけにもいかないんですよ」

 

無表情のまま淡々という少女に、ほほ笑みを浮かべたままのアルビレオ。二人の醸しだす雰囲気は、なんとも表現に困るものであった。

 

 

 

「来たか」

 

エヴァンジェリンが笑みを浮かべながら言う。

 

「あの時は何もできなかったけどよ……今回は違うぜ」

 

「力をつけてきたか。私の気配に圧倒されなくなったな」

 

対峙する二人。そのピリピリとした雰囲気は、かつての造物主とエヴァンジェリンとの戦いを彷彿とさせる。

 

「ナギ……」

 

「よう、姫さん。返事、貰いに来たぜ」

 

磔にされたままのアリカに、ナギはひらひらと手を降ってみせる。

 

「馬鹿者……遅いではないか……」

 

毒づきながらも、顔を綻ばせるアリカ。その目尻には、光るものがあった。

 

「ナギ……返事もできず2年も待たせてしまってすまない……」

 

「かまやしねぇよ。俺だって姫さん待たせちまったし……」

 

照れ隠しに鼻頭を書くような仕草をするナギ。そんな彼をみて、アリカは微笑む。

 

「ナギ……お前が好きだ……愛している……」

 

「ありがとう、姫さん。いや、アリカ。これでもう、俺は無敵だぜ!」

 

ナギから立ち昇る魔力が、一気に噴出する。その濃密さは、エヴァンジェリンでさえ少々驚かされたほどだった。

 

「ほほう、魔力量なら私以上か。だが、それで勝負が決するわけでもない」

 

「ああ、そうだろうさ。それでも俺は勝つぜ、なんせ今の俺はアリカの愛で最強無敵だからな!」

 

「なっ!? こっ恥ずかしいことを言うな!」

 

「ハハハハハ! そうかそうか! だったら徹底的に叩き潰してやるよ、『英雄(ナギ)』!」

 

「かかってきやがれ、『悪党(エヴァンジェリン)』!」

 

 

 

 

 

西暦1985年。世界を震撼させる大事件、『夜明けの世界(コズモエネルゲイア)』事件が起こる。この日は濡れ衣を着せられたアリカ女王が処刑される日であったが、これは元老院とエヴァンジェリン率いる組織、『夜明けの世界』によって仕組まれたものであった。彼女が処刑される直前に『夜明けの世界』は現れ、全世界へと中継がされる中アリカ女王を直接殺害しようとしたが、『赤き翼』が駆けつけたことにより阻止される。

 

その際に激戦が繰り広げられ、ケルベラス渓谷の周囲一帯に大きな爪痕を残した。『赤き翼』は辛くも『夜明けの世界』を撃退したが、メンバー全員を取り逃してしまう。『赤き翼』リーダーのナギ・スプリングフィールドは救出したアリカ女王とのちに結婚。王座はアリカ女王のままだが彼女を陰日向で支えてゆく。また、他のメンバーとともに『夜明けの世界』を追い続けたが、アリカ女王に子供ができたことで引退。『赤き翼』は解散となる。

 

 

 

 

 

そして、時代は移ろい……。

 

 

 

 

 

「ナギ・スプリングフィールドでは、我々を打倒することはできなかった」

 

「…………」

 

「ならばどうする? 諦めるか?」

 

「…………否」

 

「そうとも。ならば次の世代に期待すればいい。何、気長に待とうじゃないか。どうせ我々にはいくらでも時間があるんだからな……」

 

悪は栄えず。しかし、未だ滅びず。

 

世代を超えて、再び邪悪は動き出す。



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閑話 役者は揃いゆく

現れる新たな役者と、歪められた役を与えられた者。
歪んだ物語はそれでもなお始まりへと繋がってゆく。


これは、少年の物語が始まるまでの前日譚。

 

現れるはずのなかった少女らの歩んだ道。

 

そして、歪められる物語への布石。

 

 

 

 

 

「君がアリアドネーの『魔女』か、思ったより幼いな」

 

「……私の研究棟に勝手に入ってきて挨拶もなし。相手にする必要もないわ、去りなさい」

 

「クク、すまなかったな。だが私も有名人なんでな、いきなり名を明かしては怯えられるかもしれないと思ったのだ」

 

アリアドネーには歴史的に価値がある建物が多い。学ぶものを拒まぬ独立国家たるこの国では、多くの学者が日々己の研鑽を積み、芸術家は思い思いの作品を手がける。そして名のしれた建築家も多く排出しており、彼らが手がけた作品が今も残っており、知識を求める探求者達の学び舎や貴重な資料を保存する図書館として利用されている。

 

中でも、青々とした木々が生い茂る森のなかに存在しながら異様な存在感を放つ奇妙な塔は、アリアドネーに住むものならばよく知られる建物だ。アリアドネーでも特に優秀な人物が使用することを許される研究棟であり、ここに入ることをアリアドネーから国家として認められることは、探求者として最高の名誉である。

 

現在、この研究棟を使用しているのは、たった一人の少女だ。彼女は近年稀にみるほどの魔法研究における発見をし、魔法学に多大な貢献をした。そうして、彼女は莫大な支援金と名誉ある研究棟を許されたのだった。

 

「……知っているわ。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル、『狂刃鬼』と『黄昏の姫巫女』を従える真祖の吸血鬼にして歴代最悪の賞金首、『闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)』」

 

「ほう、研究に熱中して外のことなど気にもしない人物だと聞いていたが、存外世間知らずというわけでもないらしい」

 

予想よりも情報に通じていることにエヴァンジェリンはニヤリと笑みを浮かべる。アリアドネーに鈴音が滞在していた際に、優秀な人物がここにいると聞き、興味を惹かれてやってきたのだが、少々の威圧をしたにもかかわらず己に平然と意見を述べる少女に、どうやらあたりを引いたようだと考えた。

 

「で、その『闇の福音』が私に何のよう? 一滴で数十人を狂わせる幻惑剤? それとも悪魔さえ忌避する外法?」

 

「いいや、私は君の噂を聞いて興味本位にここへと来ただけだ」

 

そう言いつつ、エヴァンジェリンは少女へと近づいてゆく。

 

「だが、たった今興味が欲望へと変わった。君がほしいという欲望にね」

 

「お断りよ、あんたみたいなのにかまってる時間より、読書と実験に時間を割いたほうが有意義よ」

 

そう言って、彼女は再びフラスコの中の液体を観察し始める。研究棟を持つ者は、それに相応しい人物でなければならないとされ、定期的に研究結果や成果をレポートとして提出せねばならない。それができなければ、最悪研究棟から外されてしまう。

 

「おいおい、悲しいじゃないか。せっかく来たんだ、もう少し話でもしようじゃないか」

 

「……鬱陶しい」

 

そう言って半眼で彼女を睨む少女。するとその背後から、黒い靄が発生するとともに殺気がエヴァンジェリンへと発生する。少女からではない、その背後の靄からだった。

 

「ほぅ……それほどのものを従えているとは……」

 

思わず感嘆の声を上げるエヴァンジェリン。しかし少女は。

 

「出てこなくていいわ、大人しくなさい」

 

そう短く告げると、黒い靄は空間へと溶けて消滅した。それと同時に、殺気も消滅する。

 

「飼い慣らしているな」

 

エヴァンジェリンからすれば大した相手でもないが、それでも相当な力を持つ存在だろう。彼女は自然と口元を笑みに歪める。

 

「……チッ、レッドヴァイパーの毒が足りなかったか。いえ、むしろ別のアプローチで考えたほうが……」

 

エヴァンジェリンの言葉には耳も貸さず、彼女は実験を続行している。しかし新たに開発している魔法薬の感性まで後一歩届かないことに苛立ちを隠せていない。

 

「……ノアキスオオトカゲの皮かしら……いや、鬼灯(ほおずき)の根か……」

 

使用する材料を別のものにしようと考えるものの、どれも確証が持てない。材料とて手に入れるのに手間や金がかかる。そう節操無く試せるものでもないのだ。

 

「ハカマオニゲシの実だ」

 

あれこれ少女が考えているところに、エヴァンジェリンが一言そんなことを告げる。

 

「ハカマオニゲシ? あれは試したけど殆ど効果がなかったわ」

 

少女が反論する。彼女はひと通りの植物は試しており、ハカマオニゲシも当然使用していた。麻薬類似成分を含んでいるため、彼女の母国日本では栽培を禁止されており、アリアドネーでも実験等に使用するには許可が必要であったため手続きに時間がかかった。

 

「あれの未成熟なものを使用しただろう? 確かに未成熟の状態の実にはヘロインが含まれていて魔法薬の材料として期待できる。だが、未成熟状態では魔力を貯めこむ前のせいで特定の材料と反発してしまう」

 

「へぇ……じゃあどの状態がいいわけ?」

 

「完熟状態、それも腐り始めた頃がちょうどいい。魔力を十分に含んで果汁と融和しているからな、反発も起こらん」

 

「それ、初耳なんだけど」

 

今までの常識では、未熟果を使用するのがよいとされていた。しかし、彼女は熟しきった実を使用しろというのだ。

 

「まあ、知らないヤツのほうが多いだろう。麻薬として闇ルートで捨て値で売られているからこそ判明していることだからな」

 

「……なるほど、裏の知識か……」

 

「興味が有るのか?」

 

「……ハァ。貴女、分かっていってるでしょう? 私のところに来たってことは、私が非合法なことをしているって噂を知らないはずがないわ」

 

この研究棟には少女一人しかいない。確かに研究棟はそこまで大きな建物ではないため個人で使用するものもいるが、実験や書類整理などで色々と手が欲しくなるものが多く、助手を雇うものが多いのだ。

 

だが、彼女は助手を欲さず一人で研究を黙々と続けていた。助手を願い出るものもいたが、彼女の眼鏡にかなうようなものはおらず、この建物が不気味な外観をしていることもあって彼女が法から逸脱した実験をしているなどという噂が立ったのだ。

 

「なんだそんなことか、事実だろう(・・・・・)?」

 

「……根拠は?」

 

「ガロードラゴンの牙、八つ目バッタ、魔結石トーチナイト……どれも表では決して入手できない違法物(・・・)だ」

 

「……さすがに、600年生きてるだけあるわね。バレづらい偽装をしたはずなんだけど」

 

エヴァンジェリンは少女を尋ねる前に研究棟の中を見て回っていた。そして倉庫に入った時、見覚えのある品々があることに気づいていたのだ。

 

「なるほど、ぎりぎりグレーなことをしているように見せながら、実態は真っ黒だったというわけか」

 

「……仕方ないわ、私が求める知識は表社会ではもう皆無に等しいのだもの」

 

彼女が研究棟を与えられているのも、彼女が自身の欲求のままに知識を貪り、それを実践し続けて来た結果だ。彼女自身、罪の意識そのものが欠如しているように見受けられる。

 

「で、私をどうする気? どうせ仲間になれとかでしょ?」

 

「察しがいいじゃないか」

 

「悪党との付き合いは短くないもの。まあ、貴女みたいな大悪党とはさすがにお目にかかったことはないけどね」

 

「クク、聞き分けがいいな。さては、私を試していたな?」

 

今までの問答も、エヴァンジェリンを試すものだったのだろう。わざと実験に四苦八苦している様子を見せ、裏の人間のみが知っている知識で試した。そして、違法物を分かりづらいように偽装していたのも彼女の知識を試すためだった。

 

「私が来ると、何故思った?」

 

「あら、これでもアリアドネーで最も秀でた魔女だと自負してるんだけど? それでこんな黒い噂が絶えないなら、貴女みたいなのが引き抜きに来てもおかしくないでしょ? まあ、まさかあの『闇の福音』が来るとまでは予想してなかったけど」

 

「フ、違法物を貯めこんでいたのは実益を兼ねた餌か。我々のような悪党が見つければ脅して勧誘という手が取れる。だが、表の人間に見つかればただではすまんだろうに」

 

「その時はさっさと逃げるだけよ。ここの環境は悪くはないけど、これ以上できる研究なんて殆ど無いもの」

 

彼女にとって、ここでの研究など暇つぶし程度でしかなかった。それでも残っていたのは環境の良さと研究資金があったからだ。彼女ほどの魔女ならば、使う資金を最低限にしつつ懐に入れるなど造作も無い。

 

「そうか。では私から君をスカウトさせてもらいたい。待遇は応相談だぞ?」

 

「ぜひ頼むわ。貴女ほどの魔法使いなんてそれこそ裏でも稀でしょう。これでようやくやりたいことができるようになるわ」

 

「これから宜しく頼むぞ、柳宮霊子」

 

「こちらこそよろしく。エヴァンジェリン」

 

こうして、エヴァンジェリン一行に新たな仲間が加わった。エヴァンジェリンを筆頭とした最悪の事件、『夜明けの世界(コズモエネルゲイア)』が起こる1年程前のことであった。

 

 

 

 

 

時は移ろい……。

 

「ふふふ、鈴音さんは本当に可愛いですね……!」

 

「……セプテンデキム、離して……」

 

「もう少し、もう少しだけ……!」

 

赤き翼(アラルブラ)』との戦いに一つの決着がつき、つかの間の休暇を楽しんでいた鈴音。だが、セプテンデキムに見つかり後ろから抱きしめられたまま身動きが取れなくなっている。かつては鈴音にバラバラにされた彼女だが、今は彼女のことが可愛くて仕方ないらしい。

 

デュナミス曰く、

 

『一度死んだせいで頭のネジが飛んだ可能性があるな』

 

と言っており、事実かつての無言ぶりが嘘のようによく喋る。最近はスキンシップがいささか過剰すぎるせいで鈴音に若干鬱陶しがられている。

 

「あ、まーたセプテンデキムが鈴音を抱きしめてる」

 

「ケケケ、サスガノ鈴音モアイツダケハオ手上ゲラシイナ」

 

たまたま通りかかったチャチャゼロと(ニィ)がそんなことを述べる。昔からこういったスキンシップなどには慣れていないせいか、セプテンデキムの行為にどう対処すればいいのか彼女自身思い至らないのだ。そして、結局セプテンデキムにいいようにされてしまう。

 

「ケケケ、仲良キ事ハ美シキ哉、ッテカ?」

 

「あんなベタベタされるのは私も嫌よ、それよりも殴り合ってたほうが楽しいし」

 

「オ前モオ前デ色々トネジガトンデルヨナ」

 

弐の場合、ああいった触れ合いによるスキンシップより、殴り合いのガチンコバトルのほうが好みらしい。そういう点で言えば、弐もセプテンデキムと大差はない。

 

悪党たちの日常は、少々の異常を孕みつつも穏やかなものであった。

 

 

 

 

 

さて、日常があれば非日常もあるのが彼女らである。鈴音と弐、そしてエヴァンジェリンは久々の任務に就いていた。セプテンデキムもついてきたいといったのだが、鈴音が珍しく露骨に嫌がったことでかなり落ち込んで辞退した。やはり、休暇中にベタベタし過ぎたらしい。

 

今回の任務は、『魔法世界(ムンドゥス・マギクス)』ではなくゲートの向こう側。つまり『旧世界(ムンドゥス・ウェストゥス)』が目的地だ。『悠久の風』が彼女らの下部組織を攻撃しており、このままでは一帯の関係組織が纏めて殲滅されかねない。そうなれば、せっかくの『旧世界』への足がかりが潰されてしまう。

 

「紛争地域であるここならば、足がかりにするには格好の隠れ蓑になる。そのためにも壊滅されるのはちと困るからな」

 

「……組織の、拠点は……?」

 

「えーと、ここが拠点から東の場所だから……あっちね」

 

三人は目的地へと向かう。途中、武装したゲリラ集団と出くわすが彼女らは歯牙にも掛けずに通りすぎようとする。銃を向けてくるものの、彼女らにとっては銃弾など玩具程度。弾丸が彼女らへと接触する前に溶けるか、バラバラになる。唖然とするゲリラたちを尻目に、彼女達は組織の拠点へと歩いて行った。

 

到着した先では、既に戦闘が終わった後だった。転がっている死体は『夜明けの世界』の下部組織であり『旧世界』との橋渡しを担っていた『飢えし狂犬』と、『悠久の風』所属の組織。身分証明を見てみると、どうやら『四音階の組鈴(カンパヌラエ・テトラコルドネス)』という組織だったようだ。

 

「最近名うての新人が多く入ったという団体だな。だが、この様子ではその新人らも殆ど死んだだろう」

 

「……被害が、大きい……」

 

「こんだけ死んでりゃ、お互い痛み分けでしか無いわね。こっちは組織が維持さえされてればいいから、向こうはほぼ犬死にか」

 

重要な足がかりとはいえ、所詮は彼女らの下部組織。組織の体面さえ維持できていれば彼女らの口利きで再建できるし、最悪、代わりはいくらでも用意できる。それでも、新たな足がかりをつくるための時間はかかるが。結局、『四音階の組鈴』は手痛い被害を被っただけだ。

 

「ここを嗅ぎ当てる鼻のよさは中々だが、戦力として投入するにはいささか失敗だったようだな」

 

「まあ、『赤き翼』レベルがそうホイホイ出てくるわけでもないしね」

 

そんなことを話していた時だった。

 

「……今、物音が……」

 

「生き残りがいたか」

 

建物の中へと入る。魔法戦が繰り広げられたらしく、壁の所々が崩落している。が、それでも建物としての体裁は保てているあたり、なかなか頑丈な作りをしている。

 

「うぅ……」

 

「……いました」

 

奥のほうで下敷きになっていた青年を発見する。下部組織のメンバーではなさそうだ、少々小奇麗な服装である。

 

「……前が、見えない……誰かそこに……いるのか……」

 

「貴様は『四音階の組鈴』のメンバーか?」

 

「そ、そうだ……ここで密輸行為をしていた『飢えし狂犬』を追って……魔法戦に……」

 

痛みをこらえながら話す青年。しかし、そのせいで腹部は瞬く間に真っ赤に染まってゆく。どうやら、崩落した壁に挟まれた際に内蔵をやったらしい。

 

「お、俺は……助からない、だろうな……」

 

「だろうな、ここまで酷いと治しようがない。そもそも、私は治癒魔法が苦手でな」

 

「……あなた達は……どこの……」

 

「私達? ふふ、『夜明けの世界』って言えば分かる?」

 

「っ! ……まさか、あの組織の……輩だとは……」

 

魔法使いにとって、『夜明けの世界』の名は恐るべき存在として広く認知されている。その悪道ぶりは、子供らを寝かしつけるための殺し文句にされるほど一般的である。

 

「いや……むし、ろ……都合が、いい……頼みを……聞いてくれ、ないか……」

 

「……頼み?」

 

だが、彼女らの正体を知り、むしろ笑みを浮かべる青年に鈴音は怪訝な顔となる。

 

「俺の、従者が……奴らに……攫われ、た……まだ、幼い……。彼女を……助けて……くれない、か……」

 

「はぁ? ばっかじゃないの? あいつらの上位組織である私達、それも『魔法界』でも悪名轟く『夜明けの世界』と知って?」

 

青年の頓珍漢な頼みに思わず弐が罵声を飛ばす。彼女らも十分正気を疑うような行為を繰り返してきたが、目の前の青年の頼み事は彼女からしてもいささか酔狂が過ぎる。

 

「……たの、む……俺は……どうせここで、死ぬ……だが、あの子、だけは……」

 

「我々は悪党だ。善意など期待などされては困る。もっとも利益があれば動かすこともできるだろうがな?」

 

「なら……彼女を……差し出す……」

 

青年の驚くべき発言に、さすがの弐も驚く。助けてほしいと頼んだ相手が『夜明けの世界』だと分かっていながら、その従者の少女を差し出すというのだ。

 

「彼女は、魔族、の……ハーフ、だ……。紛争で、両親を亡くし……孤児院では、虐められ、俺が引き取った……。だが、俺の組織でも……魔族に対する、差別が……酷くてな……。どうせ、助かっても……俺が死んだ後じゃ……追い出されちまう……」

 

魔法使いの中には魔族に対して強い偏見を持つものがおり、その数は決して少なくない。特に、魔族と人間のハーフは忌み子として忌避されている地域も多く、酷いところでは奴隷として扱われていることもある。

 

「あんたたちは……反吐が出るような、邪悪だが……化物には、寛容なんだろ……? なら、彼女も……今より、扱いが悪くなることは、ないはずだ……」

 

「最低だな、その少女の幸せも理解せずに我々に売り飛ばすなど」

 

「嫌気が、さしてたんだ……彼女を、詰るあいつらに……正義なんて……どこにもありゃしない……」

 

彼女を理解してやれたのは、結局青年だけだった。肩身の狭い思いをさせてしまいながらも、組織の一員である彼は同僚から爪弾きにあうことを恐れて少女を表立って庇うことができず、二人の時に少女にいつも謝ってばかりだった。

 

それでも、少女は自分を許してくれた。こんな最低な奴でも、彼女にとっては地獄から救い出してくれた恩人であり、傍にいたいと言ってくれた。

 

「恨まれても……構わない……だが、彼女は……幸せを知るべきだ……」

 

「……偽善」

 

「は、は……だろうな、俺は……正義の味方じゃない……ただの、偽善者……だ……」

 

自嘲の笑みを浮かべる青年。しかし、後悔しているようには見えない。いや、していないのだろう。

 

「クク、いいだろう。貴様は対価を支払った、ならば私もそれに応えるのが取引というもの」

 

「本当、か……ありが、と……う……」

 

エヴァンジェリンの言葉に安心したのか、気力を失ったのか。最後に感謝言葉を呟きながら、青年は息を引き取った。穏やかな顔をしている。

 

「……行くぞ、もうここに用はない」

 

「……彼女は?」

 

「無論、取引をしたのだ。例え相手が死んでいようが受けた以上は遂行する。まあ……」

 

奴の望んだ通りにはしてやらんがな。

 

 

 

 

 

エヴァンジェリン達は『飢えし狂犬』の別拠点まで行くと、少女が衣服を肌蹴ている状態を一目見て組織の頭に詰問する。最初は言い訳をしていたが、彼女の恐るべき殺気に当てられて正直に話しだした。どうやら、彼女を使って"お楽しみ"をしようとしていたらしい。

 

エヴァンジェリンはそれを聞くと、ただ一言『そうか』と告げると、少女以外のこの場の人間を糸で切り刻んで皆殺しにした。壁面には臓物や血糊がべっとりとつき、少女はあまりの光景に震えて体を縮こませている。

 

「クク、そう怯えるな。我々はお前を助けに来たのだ」

 

「たす、けに……?」

 

「ああ、お前のマスターに頼まれてな」

 

「本当!? あの人は!? 無事なのっ!?」

 

青年に頼まれたといった途端、少女は彼女に矢継ぎ早に質問を投げかける。それほど、あの青年のことが大事だったのだろう。

 

「お前を助けてやってくれと言われてな? 仕方なくだが助けに来てやった。ああ、それと残念なお知らせだが……」

 

そう言うと彼女は言葉を一旦区切り。

 

「もう死んでいるぞ? 私が殺したからな」

 

「え……?」

 

衝撃的な言葉に、少女は一瞬思考が止まる。しかしエヴァンジェリンは、彼女のこともお構いなしに喋り続ける。

 

「あんまりにも苦しそうだったのでとどめを刺してやったのだ。やさしいだろう? お前が攫われたうえに瓦礫の下敷きになって不安だったんだろうなぁ、目が見えなくて相手が『夜明けの世界』の者とも気付かず(・・・・)必死に頼み込んできたよ、お前を助けてくれって」

 

「……貴女は、我々が引き取る……」

 

「当然よね、悪党に頼み事をするなら対価が必要だもの」

 

「え、あ……?」

 

彼女らの言っていることがわからない。頭が混乱してグルグルとまわっている。気分が悪く、吐き気を催す。だが、彼女の脳髄は彼女に現実逃避をさせてくれるほど出来の悪いものではなく。

 

「いやぁ、最高だな。必死になって従者の助けを求めた相手は悪の魔法使いで、おまけにお前という手土産まで差し出した。滑稽極まりない」

 

目の前の少女が、彼女の愛しい人を騙し、そして殺したのだと理解した。

 

「お、まえええええええええええええええええええ!」

 

少女は足元に転がっていた銃を一瞬のうちに拾い上げると、少女に向けて構える。

 

「何の真似だ?」

 

「お前が殺した……あの人を……。許さない……許さないッ!!!」

 

少女は撃鉄を起こし、躊躇いなく引き金を引いた。反動で少女が後ろへと倒れるが、銃弾は真っ直ぐにエヴァンジェリンへと直進してゆき、彼女の頬をかすめた。

 

「ほう、私を殺そうとしたのか。だが、惜しかったな」

 

「殺す……! 殺す殺す殺す殺す殺す殺すッ!」

 

明確な殺意をエヴァンジェリンへと向ける。だが、エヴァンジェリンはそよ風でも浴びているかのようにニヤリと笑い。

 

「いいぞ、殺したければやってみろ。もっとも……」

 

そう言うと同時に、彼女の頬についた一筋の傷が塞がってゆく。少女は一瞬驚いて目を丸くするが、すぐに彼女を睨み直す。

 

「私を殺そうにも、その程度ではとてもとても……」

 

「お前、魔族か……!」

 

「魔族? 違うな、私は真祖の吸血鬼、『闇の福音』にして『夜明けの世界』首領。名をエヴァンジェリンという。しかしいい拾い物ができるかと思ったが、こんな反抗的な奴はいらんな……」

 

そう言うと、エヴァンジェリンは少女へと近づき。

 

「お前の名前は?」

 

「お前に教える名前なんて無い!」

 

「そうか、だったら名前など捨ててしまえ。お前が復讐を果たしたいのなら、な」

 

そう言って少女に眠りの魔法をかける。少女が眠る寸前、エヴァンジェリンはこう告げた。

 

「私はいつまでもお前を待とう、お前が殺しに来るのを。だが、私にたどり着きたいならば己を磨け……地獄を越えてみせるほどにな……」

 

 

 

 

 

少女を近隣の街にある魔法使いの建物の前へ放置した後、一行は『魔法世界』へと戻るためにゲートへと向かっていた。

 

「よかったの?」

 

帰り道、弐がそんなことを言う。

 

「ん? 何がだ?」

 

「さっきのあれ、わざわざあんたが殺したなんて言わずにいれば仲間に出来たでしょうに」

 

「ああ、そのことか」

 

するとエヴァンジェリンは意地の悪い笑みを浮かべ、こう答えた。

 

「奴の頼みは確かに聞いてやったが、ヤツの思い通りの展開では少し癪だろう? だからこそ我々の将来の敵として期待することにしたのだ」

 

「将来の敵、ねぇ……」

 

「我々は強大過ぎる。我々を打倒しうる『英雄』は未だに『赤き翼』ぐらいだろう。だからこそ、我々の敵をつくり、将来性に期待するのもいいかもしれんのだ」

 

それに、と彼女は続ける。

 

「あの青年には悪いが、あの少女には光の道を歩ませてやった方がいい。我々のような、誰からも愛されることのなかったものとは違う。あいつはまだ、戻れるのだよ」

 

それが復讐の、茨の道だとしても。彼女はエヴァンジェリンと決して相容れないだろう。それは必然的に、悪と敵対する者だ。ならば、彼女は光の中を歩む権利を有している。エヴァンジェリンらが決して手に入れることのなかった光の道を。

 

「あのまま事実を話せば、鈴音のように狂ってしまっただろう。愛を知っているが故に、な。それではつまらん、どれほど苦しかろうと生きてもらう」

 

それが、あの青年に対する嫌がらせだ。さぞかし口惜しいことだろう、任せた相手によって復讐者にされてしまったのだから。

 

「……クク、将来の敵、か……」

 

復讐者をひとり生み出し、エヴァンジェリンの頭脳はなおも悪だくみを始めるのだった。

 

 

 

 

 

「入学、ですか?」

 

エヴァンジェリンの唐突な言葉に、アスナは少々困惑した顔となる。なにせ、帰ってきていきなり学校へ通えと言われたのだ。しかも小学生として、だ。確かにアスナは昔、人間兵器として運用するために薬で成長を止められているため背格好は小学生そのものだろう。

 

ちなみに、鈴音も似たような体型である。魂が鬼になった影響で、肉体が鬼の魂に引っ張られて一切成長していないのである。完全に不老の状態だ。

 

「そうだ。我々は確かに『英雄』を欲しているが、しかし現れるのを待つのは飽いた。なら、将来我々の敵となりうる存在を幼いうちに見つければいい」

 

「つまり、将来が有望そうな人間を探せと?」

 

エヴァンジェリンの言いたいことを理解してそんなことを言う。だが、エヴァンジェリンに唐突にそんなことを言われたため、自分が嫌いになって理由をつけて遠くに追いやろうとされているのではと邪推してしまい、涙目気味だ。

 

「ああ、別にお前が嫌いだから遠ざけるとかではないぞ? お前が一番適任で、信頼出来るからだ。鈴音だと不安要素が大きすぎるし、そもそも成長できないからな」

 

アスナは最近になってようやく成長を始めている。エヴァンジェリンによって薬物を中和されたからだ。これにより、肉体が通常通り成長し始めたのだ。ただし、既に彼女は肉体を留め過ぎた反動で、成長できてもせいぜいが高校生までだろうとエヴァンジェリンは考えている。それ以降は、完全に不老の存在となるだろう。

 

「アスナには、前に鈴音とともに行った『麻帆良学園』に行ってもらう。あそこは優秀な子供が多い。それに、以前話したが『彼女』もいるしな」

 

「それって、マスターが見出したっていう新しい仲間でしたっけ?」

 

数年前、エヴァンジェリンは戯れで日本へと趣き、二人の少女と出会った。一人はまだ仲間にするか経過を見ている最中だが、もう一人は既に化物としての才能を開花させており、新人として組織の一員に加わっている。

 

「クク、お前は『彼女』と同期で入学してもらう。まだ不安定な子でな、お前が抑えになってほしい」

 

「それはかまいませんけど……麻帆良の地下には『赤き翼』のアルビレオがいますよ?」

 

そう、何故かは知らないがかのアルビレオ・イマが麻帆良学園で生活しているのだ。ただ、世間の目の届かない場所で暮らしているらしいが。

 

「その点も抜かりはない。霊子、聞こえているか?」

 

【なによ、今実験中だから後にして】

 

念話を通して霊子へと話をする。どうやら実験の最中だったらしく、それを止められて若干不機嫌そうだ。

 

「お前には万一アルビレオが出てきたことを考えて、抑えとして『麻帆良学園』に行ってもらう」

 

【嫌よ、せっかく最高の環境があるってのにそんなガキ臭いところに行きたくないわ】

 

あくまでも拒否の姿勢をとる霊子。だが、エヴァンジェリンはそれも予測済みだったようで。

 

「麻帆良学園には生徒としてではなく、あくまで遊撃として行ってもらうのさ。ああ、隠れ場所ならお前にうってつけの所があるぞ」

 

ニヤリと笑みを浮かべながらエヴァンジェリンが言う。霊子も、エヴァンジェリンの妙な自信に何かあるなと感じていた。

 

「麻帆良学園には『図書館島』という場所があってな、地下は学園側でも把握しきれておらず、隠れ蓑にはうってつけだ。おまけに、その図書館島には世界中の珍書や貴重書が数多く所蔵されていて、中には貴重な魔導書や禁書が……」

 

【行くわ】

 

即答だった。魔法の知識を貪欲に求め、飽くなき探究を続ける霊子にとって、貴重な魔導書や禁書はかなり魅力的だ。彼女は魔法実験と同じぐらい、読書を好んでおり、活字中毒ならぬ知識中毒者なのだ。

 

「さあ、我々ももう大人しくはしてやれんぞ?」

 

青空へと顔を上げ、彼女は不敵な笑みを浮かべる。悪党がおとなしくしていられる時間は終わった。

 

これより、再び終わりなき闘争の幕があがる。



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第二部
第十八話 始まる物語


新たなる物語とともに、悪は胎動し始める。


僕が初めて父さんと母さんについて聞いたのは、4歳の頃だった。

 

『ネカネおねえちゃん、ぼくのおとうさんとおかあさんってどんなひとだったの?』

 

『え? どうしたの急に?』

 

『だって、アーニャはおとうさんとおかあさんと、たのしそうにしてる……』

 

『……そう。じゃあ、お父さんとお母さんのこと、ちょっとだけ教えてあげるね』

 

僕が最初に聞いた、父さんと母さんの話。それはとても新鮮で、僕は夢中になってネカネお姉ちゃんの話を聴き続けた。

 

『ネギのお父さんとお母さんはね、長く続いた戦争を止めて、世界中の人を助けたの。お父さんなんて、世界中の誰よりも強かったんだから』

 

『すごーい!』

 

『そう、本当にすごい人達だったわ。でも、本当にすごいのは"心の強さ"よ』

 

『こころのー?』

 

『そう。昔ね? 世界中の人達が怯えるほどこわーい、悪い魔法使いがいたの。その悪い魔法使いは多くの人を苦しめたわ』

 

『え? まほうつかいなのに、わるいひとなのー?』

 

『ネギ、確かに私達の村の魔法使いは悪い人なんていないわ。でもね、世の中には悪いことを平気でやっちゃうような魔法使いもいるの。その中でも一番悪いことをしたのが、そのこわーい魔法使いなの』

 

『そうなんだ……』

 

『その悪い魔法使いはとっても強くて、多くの魔法使いたちを殺したの。そのせいで、みんな心の底からその魔法使いを怖がって、ついには戦うことさえできなくなっていったわ』

 

『こわいよー!』

 

『ふふ、大丈夫よ。もうその魔法使いはいないから。でね? ネギのお父さんはそんな魔法使いに勇気を持って立ち向かったの。心が強くなければ、そんなことはできないわ。そしてそれを支えたお母さんもよ。そしてネギのお父さんはその悪い魔法使いと戦い続けて、遂にその魔法使いを倒したの!』

 

『おとうさんすごい!』

 

『でも、その悪い魔法使いはお父さんに大怪我を負わせたの。お父さんは、その怪我を治すために今も眠っているのよ……』

 

『おとうさんねてるのー?』

 

『ええ、そうよ。きっと……きっとまた目が覚めて……今度は二人一緒に……ネギに会いに来て……くれるわ……』

 

『おねえちゃんないてるの?』

 

『大丈夫……大丈夫よ……』

 

その時のネカネお姉ちゃんの涙の訳を、僕はまだ知る由もなかった。

 

 

 

 

 

そして、それから1ヶ月後。悪魔の群れが僕達の村を襲った。

 

『スタンおじいちゃん! ネカネおねえちゃん!』

 

『来るなネギ! お前は隠れておれ!』

 

『ほぅ、その少年が『千の呪文の男(サウザンド・マスター)』の……』

 

『おのれ……どこからその情報を……!』

 

『我々の情報網を舐めてもらっては困るな。"封魔師"スタン』

 

『儂のことまで知っているか……! 陛下になんと詫びればよいか……』

 

『スタンさん、もうこれ以上はレジストできません……!』

 

『永久石化のお味はどうかね? 永劫の時を石像で過ごす恐怖というのは』

 

『ぐむぅ……!』

 

僕が燃え盛る村を逃げまわっていた時、上位悪魔に遭遇して石化光線を向けられた。でも、スタンお爺ちゃんとネカネお姉ちゃんが僕を庇って体が石化し始めたんだ。

 

『その少年にはなかなかの才能を感じるが、今の甘やかされた環境ではとてもではないが我々に太刀打ちなどできまい。喜べ、我らが彼を苦難の道へと追いやってやる』

 

『あ……あ……!』

 

抵抗することもできずに、僕は悪魔に攫われそうになった。だけど。

 

『戯けが。子供はのぅ……小さいうちは大人に甘えさせてやるもんじゃ!』

 

『ぬっ、これは……!』

 

『とっときの"封魔瓶"じゃよ……消え去れ悪魔め!』

 

『ぬおおおおおおおお老いぼれガアアアアアアアア!』

 

スタンお爺ちゃんが、最後の気力を振り絞って悪魔を封印したんだ。

 

『ぜぇ……ぜぇ……老骨にはちと堪える……わい……』

 

『て、てが……』

 

『ふ、ふ……大丈夫じゃよ……。いいかネギ……お前はなんとしても逃げきれ……』

 

『で、でも……』

 

『でももヘチマもあるか! 本当なら、魔法使いの一軍隊相手でも負けはせんこの村が、この有り様なんじゃ! お前に何ができるかぁ!』

 

『……うぁ……』

 

幼かった僕でも、スタンお爺ちゃんが言っていることは分かった。僕が、足手まといでしか無いこと。何もできるわけがないことを。

 

『……ネギ……達者で……な……』

 

『スタンおじいちゃん!』

 

『うぅ……』

 

『おねえちゃん! だれか、だれかたすけて!』

 

スタンお爺ちゃんは石像となり、ネカネお姉ちゃんもどんどん石化に侵食されていく。必死に助けを求めても、集まってきたのは悪魔たちだった。みれば、そこら中で村の皆が石像にされていた。その中には、僕の幼馴染のアーニャの両親の姿もあった。

 

だからだろうか。いや、僕はネカネお姉ちゃんに話を聞いてずっと会いたかったのかもしれない。

 

『助けて……お父さん……お母さん……!』

 

僕のその叫びが届いたのかはわからない。けど。

 

『『雷の暴風』!』

 

その日、僕は父さんと出会った。

 

 

 

 

「う、うぅん……」

 

「ネギ! さっさと起きなさい! 今日は卒業式でしょうが!」

 

「あれ……アーニャ……? なんで僕の部屋に……?」

 

「ネカネさんから起こすように言われたの! ほらさっさと顔洗う!」

 

寝ぼけ眼なネギを、彼の幼馴染であるアンナ・ユーリエウナ・ココロウァ、通称アーニャが叩き起こす。彼の親代わりのような存在であるネカネ・スプリングフィールドは朝ごはんの用意で忙しいため彼女が来たようだ。

 

洗面所で顔を洗いながら、ネギは珍しくはっきりと覚えている夢の内容を反芻した。

 

(……そっか、もうあれから5年以上経つんだ……)

 

思い出すのは、悍ましい悪魔の群れと燃え盛る村、石にされた村の人々。そしてさっそうと現れた一人の魔法使い。

 

「……よし、頑張ろう!」

 

気合を入れるように、両の頬を叩いて気を引き締めると、ネギは居間へと向かった。

 

 

 

 

 

「卒業おめでとう、ネギ」

 

「ありがとう、ネカネお姉ちゃん!」

 

卒業式を無事に終え、ネギが最終課題が表示されるのを待っているとネカネがやって来た。横には、アーニャの姿もある。

 

「もう課題は表示されたの? 私はロンドンで占い師をやれってでたわ」

 

「もうちょっと待って、今浮かんできてるから……」

 

ネギが本日卒業したここメルディアナ魔法学校は、魔法使いを育成するための学校である。ここの伝統として、魔法使いとして一人前になるために卒業証書と同時に最終課題が渡され、それを修了して初めて一人前の魔法使いとして認めてもらえるのだ。ちなみに、ネギは今年度の主席卒業生である。

 

課題が表示される紙を眺めていると、徐々に変化が起こる。文字が段々くっきりと現れ、課題の内容が(あらわ)となる。そこに書かれていたのは……。

 

「ええと……"日本の麻帆良学園へと赴き、3年間中等部の教師をすること"」

 

「「え?」」

 

「え、これ大丈夫なのかな? 僕まだ10歳なんだけど……」

 

「ダメに決まってるでしょ! 年上にものを教えるとか馬鹿にしてるようなもんじゃない!」

 

「い、一応ネギは大学の課程を終了してるけど……」

 

幼い頃から努力家で、知識に貪欲であったネギは、メルディアナ魔法学校の校長の伝手で魔法使いの関係者が通う大学へと飛び級で入り、僅か1年で課程を終了して魔法学校へと戻ってきた経緯がある。彼からすれば、彼の目的のためには一般的な知識よりも魔法的な知識のほうが余程重要であったため、魔法学校へと戻れるよう必死になって勉学に励んだ結果そうなっただけだが。

 

「おお、ネギか。それにネカネとアーニャも一緒にどうしたのだ?」

 

すると、廊下の奥から老人が歩いてきた。あごにたっぷりと蓄えた白い髭は威厳を感じさせ、優しげな眼差しを持つこの老人はこのメルディアナ魔法学校の校長である。

 

「あ、おじいちゃ……じゃなかった校長先生!」

 

「何、いつも通りで構わんよ。お前たちはもうこの学校を卒業したのじゃからな」

 

アーニャが慌てて言い直そうとするが、それを制してそのままでよいという校長。ネギとアーニャは幼い頃から彼と顔見知りである故、お爺ちゃんと呼んで慕っている。

 

「ええとお爺ちゃん、僕の最終課題についてなんだけど……」

 

「何じゃそんなことか。それは儂も納得した上で最終課題として提示しておるんじゃよ」

 

「で、でもお爺ちゃん! ネギみたいなちびでボケな奴に教師なんて……」

 

「そうですよ、それに日本だなんて……ネギはまだ海外旅行どころか国内旅行だってあんまりしていないんですよ? それなのに海外に滞在だなんて……」

 

アーニャの若干必死そうな反論に、憂いを感じさせるネカネの心配。アーニャにとっては大事な幼馴染だし、ネカネにとっては弟のような存在を危険な目に合わせたくなかったのだ。

 

「しかしな、大学の課程を1年足らずで卒業している時点で普通の課題なぞやれんのじゃ。最終課題はその人物のことも多少は考慮して決められるが、それ以外はだいたい平等なんじゃよ」

 

「そんな……」

 

すると、ネギは何かを決意したかのような目で、ネギは校長にこう言った。

 

「お爺ちゃん、僕……やってみるよ」

 

「ネギッ!?」

 

驚きで思わず声が上ずってしまうネカネ。校長は顎へと手を当て、少し思案したあと。

 

「儂も実は少々不安に思っておったんじゃ。……ネギ、できるか?」

 

「やれるだけやってみせます。出来ないなら、僕の目標には届きません」

 

「そうか……」

 

覚悟を決めたその瞳に、校長は最早言うことはないだろうと判断し。

 

「ならばやり遂げて見せるんじゃ、途中で投げ出すことは許さんぞ?」

 

「はい……!」

 

二人も、ネギのやる気に満ちた雰囲気に負けたのか、それ以上は何も言わなかった。そして数日後、ネギは日本へと旅立ってゆくのだった。

 

 

 

 

 

「……まったく、アイツそっくりな子じゃのう……」

 

校長室にて、メルディアナ魔法学校校長、グラディス・ビューマンは今頃日本へと向かっているであろう少年に思いを馳せていた。思い出すのは、彼の父親であり魔法学校を中退した大馬鹿者の顔だ。

 

「やれやれ、ナギにはさんざん手を焼かされたが……息子は逆に手がかからなくて困るとはのぅ」

 

ネギが大学へ行くことになった推薦は校長がしたものだったが、これはネギを魔法へと関わらせないようにと考えてのものだった。かつて住んでいた村を悪魔に襲われ、心身ともに傷ついていたネギを魔法学校に迎え入れてから1年。ようやくその傷も癒え、魔法を教える事になったのだが、魔法を教わるときのネギはその性格も相まって非常に真面目だったが、ある種鬼気迫るものを感じた。

 

そこで、このまま魔法にかかわらせるのは不味いと判断したグラディスは、ネギの優秀さも考慮して大学へと飛び級で入らせた。魔法関係者が多く進学しているこの大学では、あくまで一般的な学問を学ばせている。

 

一般的な常識を学ばせる意味もあったのだが、一番の目的は大学生並みの頭脳を持つネギとはいえ、修了するのには4年かかるだろうと考え、その間に魔法と関わらなければ別のことに興味をいだくはずだと思ったからだ。

 

しかし、ネギはそんなことに脇目もふらず必死に勉強をし、その努力を向こうの教授らにも認められて僅か1年で魔法学校へと復帰した。これにはさすがのグラディスも驚いたが、戻ってきてしまったのならば仕方ないと魔法を学ばせることを決心した。

 

しかし、やはり彼の鬼気迫るものは危険な予感しかさせず、やむを得ず古くからの知り合いがいる麻帆良学園へと彼を送り出したのだ。

 

 

 

 

 

そして、ここまでが表向きの理由である。

 

 

 

 

 

「ドネット君、向こう(・・・)の様子はどうじゃったかね?」

 

「はい、やはり不穏な動きを見せていました。が、彼が麻帆良学園行きと決まった折、その動きがピタリと止みました」

 

この魔法学校の教員であり、彼の秘書でもあるドネット・マクギネスへと声を投げかけると、彼女は予想していた通りのことを報告してくれた。

 

「やはりか……『元老院』め、ネギをまだ狙っておったか……」

 

「どこから情報が漏れたのかは未だ捜査中ですが……恐らくは……」

 

「うむ、それは儂も考えておった。やはり『奴ら(・・)』の差金か」

 

「可能性としては十分すぎることかと」

 

ため息を一つつくと、グラディスは背もたれへと背中をゆっくり預ける。最近は書類仕事が多くて腰の調子が悪くなりやすいのが悩みの種だった。

 

「ネギは……やはり魔法使いの道を辿ってしまったのう……」

 

「仕方ありませんよ、あの日の無力が、ここまでネギ君を支えてきたんですから」

 

数年前に起こった悪魔襲撃事件では、存在が秘匿されていたはずのネギのことがバレての事だった。幸いにもネギは攫われることはなかったが、多くの善良な魔法使いが石像へと変えられてしまった。ネギを大学に行かせた理由は、ネギを狙う一派から彼を隠し通すため。つまりは目眩ましのためだった。

 

しかしネギは戻ってきてしまった。魔法使いとして育てるとしても、ネギが大学に行っている間の4年間でネギがいたという痕跡を消し、ネギを狙う一派が探るのを諦めてからにしようと考えていたためこれは予想外のことであった。

 

そして、やはりネギの存在がその一派へと漏れ、最終課題という格好の手段をもってネギを手元へと置こうとしてきた。そこで、彼を大学に行かせたことを逆手に取り、教員として麻帆良学園へと送り込んだ。

 

生徒として送り込んでは、いくら友人が経営する学園であろうともその一派とつながりの深い本国(・・)とつながりがある以上、色々なことを口出しされる可能性は高い。しかし教員として赴任すれば、最低でも大人と同格として扱う必要が出てくる。そして教師を統括するのはあくまでも現場であり、麻帆良学園の理事長だ。そうなれば迂闊に手出しはできない。

 

「……『奴ら(・・)』は探し続けておる……ナギに代わる英雄を……」

 

「……やはり『元老院』は……」

 

「全く、20年前の再現とは……進歩がないのう」

 

思い出すのは、血みどろの戦争の後に起こった大事件。魔法世界を恐怖のどん底へと突き落とし、未だ終わらない悪夢を振りまいた怪物達の宣戦布告。当時は余りにも大きなインパクトを与えたその事件のせいで、世界各地で大混乱が起こった。今でこそ落ち着いたが、未だあの事件を恐れている人々は多い。

 

「……ネギが英雄になってしまえば、再びあの事件のように世界は大混乱への道を辿るじゃろう。なにせ、『奴ら』が再び表舞台へと姿を現すということなのじゃからな……」

 

「……何事もなければよいのですが……」

 

窓の外を眺めると、真っ白な雲がちぎれて浮かんでいた。

 

 

 

 

 

「二人には明日やってくる新しい先生を出迎えて欲しいんじゃ」

 

「えー……」

 

「アスナ、そこまで露骨なんはどうかと思うんよ」

 

麻帆良学園の一室で、二人の女生徒と一人の老人がそんな会話をしていた。そのすぐ側では一人の男性教諭もいる。

 

「ううむ、しかしのぅ……高畑先生が出張でいなくなってしまう以上、代わりに迎えに行く人が必要になるでな……」

 

「理事長、それならば他の先生方にお願いすればよいのでは?」

 

「高畑君、それは儂も考えておったのだが……手が空いておる先生がおらんのじゃ」

 

「なるほど……」

 

理事長と呼ばれた老人、近衛近右衛門(このえ このえもん)はそう返す。高畑と呼ばれた男性教員、高畑・T・タカミチは納得した様子だが、二人の女生徒は不満気だ。

 

「せやけど爺ちゃん、それにしたって見ず知らずの先生を迎えに行くゆうのはちょっと勇気いるで?」

 

「そうそう、このかの言う通りだと思います」

 

「じゃが、儂も年寄り故教員以外で頼れる人が少なくてな……孫娘の木乃香ぐらいしか頼めんのじゃ……」

 

そういって溜息をつく近右衛門。このかと呼ばれた女生徒、近衛木乃香(このえ このか)は困った様子の老人、もとい祖父を見て引き受けるべきかと考えていたが。

 

「それでも、私が呼ばれる必要はなかったんじゃないですか?」

 

アスナと呼ばれた少女、神楽坂アスナはそんな風に不満を漏らす。

 

「まあ、確かにそうなんじゃが……君にも関係する話じゃから呼んだんじゃ」

 

「……? 私にも関係する、ですか?」

 

「そうじゃ。その先生なんじゃが、実は向こう……つまりは海外なわけじゃが、そこでは天才と呼ばれた少年でな、飛び級で大学に入学し、僅か1年で卒業した子なんじゃ」

 

「へー、凄い人ですね」

 

「せやなー」

 

「しかし、確かに教員資格はあるんじゃが……まだ10歳なんじゃよ」

 

近右衛門の口から飛び出した衝撃的過ぎる事実に、二人は驚く。

 

「え、うちらよりも年下なん!?」

 

「ちょっと、それ労働基準法違反なんじゃ……」

 

「本来なら、そうじゃ。しかし彼も色々とあってな、日本政府が特例として認めてるんじゃ」

 

「色々、ですか?」

 

「そうじゃ。詳しいことは話せんが、海外の飛び級制度を日本でも試験的に導入してみようという話があって、その際に労働基準法に満たされていない年齢の少年少女が大学を卒業した後、就職しても問題がないかを調査するために彼を日本と呼んだらしくてな」

 

「つまり、その試験的な就職にこの学園が選ばれたってことですか?」

 

「概ね、その通りじゃ。そして、その担当のクラスに選ばれたのが君たちのクラスじゃ」

 

本日二度目の衝撃的な事実に、さすがの二人も言葉を失った。彼女らが通う女子中等部は問題児が多く、彼女らを抑えられる高畑によってもっているクラスだった。

 

「でも、今の担任は高畑先生ですよね? 先生はどうするんですか?」

 

「いやー、最近は僕も海外でのNGO活動のせいで出張が多いから、非常勤講師として働こうと思ってたんだよ。だから僕と交代という形になるけど、最初のうちは僕も彼のサポートをするつもりだ」

 

「そうなんかー。でも、子供の先生ってなんかワクワクするわぁ」

 

「まあ、私は勉強に支障が出なければいいけど……。でもやっぱり私が行く必要って」

 

「そういうわけじゃ。これはもう決定事項となっとるし、二人共よろしく頼むぞい」

 

そんなこんなで、二人は新しくやってくる少年教師、ネギを出迎えることとなったのだった。

 

 

 

 

 

二人が退出した後、高畑教諭、もといかつてのタカミチ少年は小さく息をつく。

 

「申し訳ありません、学園長」

 

「気にすることはないぞ、君にとっては聞き流せない話じゃろうし」

 

「ええ、あの人(・・・)が再び現れたというのであれば、由々しき事態でもありますから」

 

そう言うタカミチの顔は、いつになく真剣だ。『赤き翼(アラルブラ)』が解散して、戦いの日々から抜けだした彼は抜け殻のようだった。それはかつての因縁深き人物が原因だったのだが、その姿に業を煮やした彼の師ガトウが、麻帆良学園へと入学させた。

 

そこで一般的な青少年として学生生活を送り、彼はようやく気力を取り戻した。そしてその際に色々とお世話になった教員に憧れ、教師になったのだ。

 

だが、最近になって表向きはNGO団体として活動している魔法団体、『悠久の風』からとある情報が流れてきたのだ。それによると、かつて魔法世界を震撼させたあの事件を引き起こした一派のメンバーが目撃され、その特徴が彼を抜け殻のようにさせる原因となった人物に酷似していたというのだ。

 

「ネギ君は、間違いなく狙われるじゃろうな」

 

「はい。だからこそ、今のうちに確かめておく必要があります」

 

「くれぐれも頼んだぞ、この学園も優秀な子らが多い。もしも目をつけられればどうなるか分かったものではないからのぅ……」

 

「では、僕はこれで」

 

タカミチは一礼すると、理事長室から退出していった。後に残ったのは、椅子に座る理事長と静寂のみ。

 

「はてさて、どうなることやら……」

 

これからのことに不安を抱きつつも、一教師として生徒を守りぬこうと心の中で改めて決心し、仕事を再開するのであった。

 

 

 

 

 

アスナは木乃香と別れた後、人気のない校舎の裏へと足を運んでいた。そこに到着してポケットから取り出したのは、一本の携帯電話。やや赤みがかった桃色のそれは、今流行の最新機種でありその機能性や扱いやすさから人気がある。何より、この携帯の強みはちょっとやそっとでは破損しない頑丈さにもある。

 

「…………誰もいない、か」

 

若干挙動不審な動きをしながらも周囲の確認を行い、彼女は折りたたみ式の携帯を開く。そしてメモ帳を開くと、そこに記された携帯番号を入力して目的の相手へと電話をかける。なぜ電話帳ではなくメモ帳を用いているのかといえば、電話帳に登録していて万が一にでも誰かにバレてしまうのを恐れてだ。

 

その点、メモ帳機能など好んで覗くものはいないし、もし探られたとしても最近のものはメモ帳機能であってもキーロックが掛けられるのだ。そしていざとなればメモ帳のデータは消去すれば問題ない。

 

【アスナか、久しぶりだな】

 

「お久しぶりです、マスター」

 

先ほどの教師らを相手にした時の固い声色ではなく、明らかに安らいだかのように柔らかな声で話すアスナ。

 

【どうだ、そちらの様子は】

 

「まずまずですね。交友関係は良好と言えます」

 

【そうか、それは何よりだよ。で、用事は何だ?】

 

「例の子供が先生としてこの学園へと赴任してくるようです」

 

【そうか、概ね予想通り(・・・・)だな】

 

「鈴音はどうしてますか?」

 

【イスタンブールで活動中だ、これでタカミチの目を逸らせるだろう】

 

「相変わらず平和ぼけしている人間が殆どですが、優秀な人材は多いですからね。こちらで取り込めそうな相手はマークしておきます」

 

【逆に我々と敵対できそうな者はいたか?】

 

「はい、数年前にマスターが関わった彼女(・・)の姿がありました」

 

【ほぅ……】

 

電話先の相手が、楽しそうな様子で返す。そしてその背後から、ケタケタと別の笑い声も聞こえてきた。

 

「チャチャゼロもいるのですか?」

 

【ああ、代わるか?】

 

「……いえ、やめておきます。話をして甘えたくなるかもしれませんから」

 

【クク、殊勝な心がけ、素晴らしいぞアスナ。今度そちらに行く用事があるんでな、その時に久々に会えると思うぞ】

 

「本当ですか!?」

 

相手の人物と久々に会えると聞き、アスナは思わず嬉しそうに大声を出す。

 

【こらこら、嬉しいのはわかるが声が大きいぞ。誰かにバレたらどうする】

 

「あ……すみません」

 

【お前も今は大幹部の立場だ、自制ぐらいはできるようにしておけ】

 

「はい、申し訳ないですマスター」

 

【フフ、期待しているぞ? ではな】

 

通話が切れる。ツーツーとリズムよく刻まれる音に少々の物悲しさを覚えながら、アスナは携帯をポケットへとしまった。

 

「……はぁ、早く逢いたいなぁ……」

 

溜息を一つこぼしながら、アスナは自らが住む中等部女子寮へと足を向けたのだった。

 

 

 

 

 

麻帆良学園は、学園都市という形態であることもあり様々な施設が存在するが、その中でも特に謎に満ちた場所がある。それこそが通称『図書館島』と呼ばれる孤島だ。麻帆良湖の中心に浮かんでいるその小島は、世界レベルで見ても最大級の大きさを誇る大図書館であり、様々な蔵書が眠っている。

 

その成り立ちは不明とされており、学園の設立前から存在するとか、伝説の魔法使いが建造したとかいう荒唐無稽な噂までまことしやかに学生の間で語られている。実際問題、この図書館島は地下に凄まじい規模での空間が存在し、複雑な構造となっているためこんな噂がたてられるのも無理は無いかもしれないが。

 

しかも、地下の深部に行けばいくだけ罠が仕掛けられており、余りにも危険なため一般の生徒は地下2階より下は立入禁止となっており、地下3階への入り口は厳重に封鎖されている。

 

それでも、図書館島という、ゲームで言えばダンジョンじみた存在にロマンを感じる生徒も少なくない。それ故、図書館探検部なる、図書館島内部を探検、調査などを行う部活も存在している。ただし、やはりそれ相応の制限がかけられており、中学生以下は表層に近い場所までしか許されておらず、深部まで潜れるのは教員から許可をもらった大学生ぐらいだ。

 

さて、そんな図書館島には様々な都市伝説の場所が存在すると言われている。最も有名なのは、"地底図書室"なる場所が存在し、そこには様々な貴重書の数々が存在していると言われている。

 

また、この図書館島を統括する『司書長』が地下の何処かに住んでいるというものがある。事実、この図書館島には司書は多くいるものの、それを取りまとめる司書長が存在せず、理事長の管轄となっているのだ。

 

そして、もう一つ。図書館島をよく利用する生徒の間で語られる都市伝説が存在する。

 

曰く、『触れてはならぬ禁忌』。

 

曰く、『死神の潜む奈落』。

 

様々な呼ばれ方をするその伝説は、ある一つの言葉に収束する。

 

『魔女』という、ひとつの単語に。

 

その伝説の名は、『秘密の禁書庫』。

 

麻帆良に存在するあらゆる禁書、魔導書を保管し、管理するという魔女が住むという場所。

 

 

 

 

 

「都市伝説、噂……それ自体こそが何かしらのヒントだというのに。しかし超常の現象を信じない現代の人間では、私の部屋へはたどり着けるわけがないわね」

 

図書館島地下。とある一室にて一人の少女がそんな風に言葉を零す。

 

「そうは思わない?」

 

彼女は意見を求めるように、同じ部屋にいるもう一人の少女へと言葉を投げかけた。

 

「…………」

 

意見を求められた少女は、しかし彼女を一瞥するでもなく黙々と本の整理を行う。綺麗に整頓された本棚は天井に届くほどに伸びており、背が高い。少女は木製のよく使い込まれた木製の梯子を登って、ポッカリと空いた場所へと本を挿入する。

 

一方で、意見を投げかけた少女はゆったりと椅子に座りながら本へと目を通している。先ほどの意見を無視されたことを、全く意には介していないようだ。

 

「貴女は相変わらず私とお喋りするのが嫌なようね。退屈だわ」

 

「…………」

 

「まったく。命の恩人相手に随分なことね。まあ、貴女も所詮は私と同じ……」

 

「っ! 違うッ!」

 

座っている少女のそんな言葉に、無視を貫いていた少女が反射的に叫ぶ。息も荒々しく、明らかに激高しているであろう彼女は、それを見て微笑む少女の顔でハッとなる。

 

「そうそう、それでいいのよ。その罪悪感も何れは消えてしまうのだから。今のうちに精一杯感情を昂ぶらせればいいのよ」

 

「貴女が……そうさせているのに……!」

 

絞りだすように、少女は言葉にする。その瞳には明確な殺意が宿り、座っている少女へとその視線を刺すように向けている。

 

「ふぅん……。なら貴女は自分に非がないというの? 裏切り者(・・・・)の癖に。友人を欺き続けているくせに」

 

「……っ!」

 

「西洋の言葉にこんなのがあるわ。"山は山を必要としないが人は人を必要とする"。貴女は友人を裏切り続けているのだから、友情なんて必要ないわね。そして私達化物も人間を必要としない。人間と袂を分かったのだから」

 

貴女も私達と同じなのよと、彼女はその少女へと蔑むような眼差しを向けながら言う。

 

「どうして……どうして私は……!」

 

「偶然にケチをつけてもしょうがないのよ。所詮誰も運命からは逃れられないのだから」

 

涙を流しながら、懺悔するかのように(うずくま)る少女へ、そんな言葉をかける。

 

「でも。あの時望んだのは……結局のところ貴女自身なのよ? 綾瀬夕映(・・・・)

 

嗚咽とともに少女、夕映は泣き出す。それを冷めた目で見た後に少女、柳宮霊子は再び視線を手元の本へと戻した。

 

誰にも知られていないところで、悪は蠢き始めた。



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第十九話 日常の表裏

表と裏。人の心は目に見えない。


学園へとたどり着いたネギは、二人の女生徒に遭遇した。

 

「えーと、君がネギ君?」

 

「は、はい。たしかに僕はネギ・スプリングフィールドですけど……」

 

「……予想以上に小さい子だったわね」

 

「せやなー、でも丸こくてかわええで?」

 

名前を尋ねられたので反射的に答えたが、ネギは相手が誰なのかわからないでチンプンカンプンである。一方の女生徒二人、アスナと木乃香はネギを置き去りにしてヒソヒソと話をしている。

 

「あ、あの……麻帆良学園はここでいいんでしょうか……?」

 

恐る恐るといった風に、ネギは二人に尋ねてみる。

 

「え? ああ、ごめんごめん。ここで問題ないわよ」

 

「後、君がうちらの先生になるゆう話やから、一緒について来て?」

 

「あ、わかりまし……」

 

その時。乾燥した空気が風となって塵を巻き上げ、ネギへと飛んできた。目にゴミが入った訳ではない。彼の鼻をくすぐったのだ。

 

「へ、は……は……」

 

彼の鼻は反射的に異物を吐き出そうと。

 

「はぶしょい!」

 

大きなくしゃみが出た。そしてそれと同時に。

 

ブワッ!

 

「きゃ……!?」

 

「……っ!」

 

一陣の風が彼女らを襲う。彼の秘める膨大な魔力が、生理的反射によって暴発して擬似的な魔法を発生させたのだ。そしてよりにもよって、今回暴発で出たのは、"もうこれ脱がすための魔法じゃね?"などと一部で言われている『武装解除』の魔法だった。

 

これは相手の武器や魔法具を強制的に吹き飛ばす比較的初歩の魔法なのだが、なぜか服まで吹き飛ばしてしまうという欠点を持つ。つまり、今の二人は下手をするとすっぽんぽんになってしまう可能性が非常に高い。

 

しかし。

 

「うひゃ~、随分強い風やったなぁ……」

 

「……そうね」

 

二人はスカートを抑えながらそんな余裕の会話を交わしていた。一方のネギは、反射的に発動しただけだったためその異常(・・)に気づくことはなかった。

 

「うーん、風邪ひいちゃまずいし早く理事長のとこ行こうか」

 

「せやせや、それがええな」

 

鼻をすするネギの腕を掴み、アスナが率先して歩き始め、木乃香はその後を追っていく。木乃香は歩いている途中で、アスナがなにかブツブツと言っているような気がしたが、気のせいだと思い忘れるのだった。

 

「まったく……魔力制御もろくにできないのね。これじゃあ先が思いやられるわよ……」

 

 

 

 

 

理事長との顔合わせも済ませ、生徒名簿を受け取る。そして彼が担当することとなる中等部2-Aの副担任だった源しずな教諭に案内され、教室まで歩いてゆく。そして教室へと足を踏み入れようと扉に手をかける直前で。

 

「えーと……これって……」

 

「黒板消し、ですわねぇ……」

 

ふと扉が少し開いていることが気になってなんとなしに上を見上げてみれば、そこにはチョークの粉が大量に蓄えられているであろう黒板消しの姿が。

 

「うーん……どうしよう……」

 

扉の隙間から少しだけ中を覗いてみれば、楽しそうに談笑している少女たちの姿が見えたが、その中でも一際目を輝かせている二人がいた。容姿がそっくりなところからして、双子なのかもしれない。

 

「ネギ先生? 今黒板消しを取り除きますので少しお待ちになって……」

 

「いえ、しずな先生。ここはあえて行くべきだと思うんです!」

 

「ネギ先生!?」

 

黒板消しを取り外そうとしていたしずなに待ったをかけたネギは、そのまま勢いよくドアを開いた。そして重力に従って落ちる黒板消しは、彼の頭上へと吸い込まれるように落下していき。

 

一瞬だけ彼の頭上で静止した。

 

(しまった! 魔法障壁を消すのを忘れてたー!?)

 

即座に障壁を解除してチョークの粉をかぶる。ちらと少女たちの方を一瞥してみると、訝しんだような様子の人物はいないようだ。そのことにホッと胸を撫で下ろすと。

 

「いやー、引っかかっちゃいましたー」

 

と、どうみても棒読みでしか無い喋り方で仕切り直しにかかる。しかし、そのまま一歩を踏み出そうとした瞬間。

 

足元に張ってあったロープの存在に気づかなかった。

 

「あれっ?」

 

そのまま彼は転ばないように体勢を立て直そうとするが、頭上から降ってきたバケツによって水浸しになりながら視界を塞がれて阻止され、前が見えないまま盛大に転ぶ。しかし、それだけでは終わらなかった。

 

足元が、降ってきたバケツに入っていた水によって滑りやすくなり、そのまま回転しながら前方へと進んでゆき、その最中で玩具の矢が彼のいたるところに命中する。そして最後は大きな音とともに窓側の壁へと激突したのだった。

 

「ネギ先生ッ!?」

 

あんまりにもあんまりな一連の出来事に、呆けていたしずなが血相を変えて彼へと歩み寄る。一方の彼は、頭にバケツを被ったままあちらこちらに玩具の矢についた吸盤が張り付いて色々と形容できない感じになっている。

 

「だ、大丈夫です」

 

それでも、しっかりと返事は返す。当の仕掛け人である女生徒側は、当惑した表情だ。担任に罠を仕掛けたつもりが、全く関係のない人物が引っかかってしまったのである。

 

彼らの担任であるタカミチは、学内で『デスメガネ』の異名をとるほどに荒事に慣れていることが有名で、今までどんな罠を仕掛けても引っかかることがなかったのだ。故に、今回はいつも以上に罠を増やしたのだが……。

 

「わー! ごめんなさーい!」

 

「ちょ、ちょっとこれ大丈夫!?」

 

「きゅ、救急車! だれか110番を!」

 

「それは警察や! ええと、177番やったっけ!?」

 

「亜子さん、それは天気予報です」

 

ギャーギャーと騒ぐ生徒たち。動揺のあまり救急車を呼ぼうとするものまでいたが。

 

「お静まりなさいっ!」

 

一人の少女が一喝してそれを制する。麗しい金髪にスラっとした体躯。しかし中学生とは思えないほどにメリハリの有るボディがなんとも悩ましげである。

 

「これ以上騒ぐことは、新任の先生に迷惑ですわ! クラス委員長として、この場は私が預かります!」

 

「おおー、さすがいいんちょ」

 

「やるぅー!」

 

「お黙りなさいっ! そもそもお二人があんなものを仕掛けなければこんなことにはなりませんでしたのに、少しは反省なさいっ!」

 

「「はーい……」」

 

慌ただしい初顔合わせとなったが、その後は10歳のネギが担任を務めるということに対する衝撃と、彼を愛でる2-Aメンバーが暴走したぐらいでなんとか無事に終わることとなった。

 

 

 

 

 

【で? 私に電話してきたの?】

 

「だって常識がないのよあの子! 教室で魔法障壁展開してんじゃないわよ!」

 

【まあ、それは確かに駄目ね。でもその程度のことで私の読書を邪魔したわけ? あと、声が大きいわよ】

 

「う……だって霊子っていつも暇そうにしてるじゃない……」

 

【私をなんだと思ってるのよ。下らないこと言ってるとあだ名が『アスリン』になる呪いかけるわよ】

 

「また色々と突っ込みどころが大きい呪いね……」

 

【あら、じゃあ『あすにゃん』のほうがお望みかしら?】

 

「どっちも嫌よ。というかどういう呪いよそれ……」

 

放課後。人気のない校舎の隅でアスナはとある人物へと電話をかけていた。

 

【一応私の馬鹿弟子がいるから、万が一の時には動くはずよ】

 

「夕映のこと? なんか頼りないわねぇ……」

 

アスナの脳裏によぎったのは、親友の木乃香と同じ図書館探検部に入っている少女だ。性格的にはクールな子ではあるが、かつては世界の全てに興味が無いような虚ろな状態だったことは覚えている。

 

「まあ、あんたの弟子になってからは多少ましになったっぽいけど……それでも不安だわ」

 

 

【あらそう。だったらもう一人(・・・・)にでも打ち明けてみる?】

 

「駄目よ。彼女は普段通りに生活するようにってマスターに言われてるのよ。それに彼女も私が関係者だってことは知らないし」

 

【まあ、一般人らしく生活してるあなたが実はこっち側(・・・・)であるなんて普通は分からないわよね】

 

夕映と同じもう一人のクラスメート。アスナと同じくこちら側の者なのだが、彼女は普段通り生活するよう言い渡されており、更にアスナが関係者であることは知らない。アスナや電話の相手はほぼメンバーを把握しているが、夕映は迂闊に情報をばらされないために、その女生徒はとある事情により知らされていないのだ。

 

【そう。じゃあ一番厄介なあの子(・・・)ならどう? パートナーは常識人だし】

 

更に提示された相手は、確かに二人とは違ってこちらのことに明るい人物だ。しかしアスナにとっては一番関わりたくない者だった。彼女もまたクラスメートなのだが、正直アレに関わるぐらいなら自力でなんとかしたほうが方がいい。

 

「論外よ、彼女は不安定すぎるわ。結局私が頑張るしか無いのかなぁ……」

 

【あら。大分お疲れみたいね。じゃあ後で私のとこに来なさい、疲れが取れる薬あげるから】

 

「なんかその言い方だと怪しいお薬みたいに聞こえるわね……。というか貴女はクラスメイトでもなんでもないから口止めすればいいけど、私は夕映と同級生なのよ? バレたら不味いわ」

 

【今日は先生が来たからどうせ歓迎会でもやるんじゃない? 貴女のクラスってそういうの好きな娘ばかりでしょ?】

 

その言葉で、彼女は先ほど騒いでいた教室内での事を思い出す。ネギの歓迎会をしようといっていたが、どう考えてもパーティをするための口実にしか思えない。

 

「ああ、そういえばやるとか言ってたわ。ってそれじゃ私が歓迎会をサボることになるじゃない」

 

【あら、参加するの? 意外ね】

 

「新任の先生が来て普段礼儀正しい私が歓迎会をサボるなんて不自然すぎるでしょ。適当に理由をでっち上げようにもすぐバレる可能性があるし」

 

一応、アスナはクラスでも優秀な生徒であり、真面目で礼儀正しい模範的な生徒だというのが先生方からの一般的な認識だ。ただ、何人かには猫をかぶっていることがバレている可能性は否定出来ないし、クラスメイトには公然の秘密も同然である。

 

同室の木乃香には優等生を演じることの辛さを聞いてもらうし、初等部から腐れ縁であった委員長こと雪広あやかとはよく喧嘩をする仲である。

 

【そう。じゃあ私は色々と忙しいから。じゃあね】

 

「えっ、ちょっ!」

 

話は終わったとばかりに、一方的に通話を切られてしまう。先ほどの会話の流れからしても、最低限協力はしてやるが興味はないと言わんばかりだったことから、読書に勤しむために会話を放棄したのだろう。

 

「まったく、少しは別のことにも興味を示しなさいよ……」

 

そんな風に呆れつつ、彼女は携帯をしまう。そして人気のない廊下を歩き出す。暫く進んでいくと、階段を降りている少女を発見した。

 

「あれって……本屋ちゃん?」

 

アスナの同級生にして、一部からは本屋ちゃんの愛称で呼ばれる宮崎のどかが大量の本を抱えて階段をぎこちなく降りていた。

 

「ふらふらして危ないわねぇ、手伝ってあげるか……」

 

彼女にとっては宮崎のどかがどうなろうと知ったことではないが、友人の木乃香と仲がいい彼女が危ない所を見て見ぬふりをするのも気分が悪い。彼女を手伝おうと歩き出したその時。

 

「きゃっ……!」

 

のどかがバランスを崩して足を滑らせ、階段から今にも転げ落ちそうになる。

 

(ああもうっ!)

 

彼女は自身の健脚を活かして彼女を助けようとした。徐々に接近し、このままいけば助けられるだろうと当たりをつけていたのだが。

 

突如、別の方向から高速で走り抜けてきたネギによって先に彼女は助けられた。

 

「だ、大丈夫ですか宮崎さん!?」

 

「は、はいぃ……」

 

彼女を抱えたまま無事を確認するネギと、腕の中で何が起こったのか理解が追いつかないながらも、なんとか返事をするのどか。そしてそれを隠れて傍観するアスナ。

 

(へぇ……意外とやるじゃない)

 

魔法を使ったとはいえ、なかなかの速さで彼女へと接近して救助してみせたことで、アスナは内心での評価を少しだけ上げた。そして二人が妙にいい雰囲気だったため、アスナはそのままこっそりとその場を後にした。

 

(素質は十分、か……まあ、楽しめそうではあるわね)

 

 

 

 

 

「わ、私達の部屋に!?」

 

校舎を出た時、アスナを探していたらしい木乃香が駆け寄ってきて、理事長に呼び出されたと言われて再び校舎へと戻った。理事長室に行く最中にのどかと別れたであろうネギと遭遇し、同じく用事で呼び出されたということで一緒に理事長室へと向かった。

 

そして理事長からとんでもないことを頼まれた。なんと、ネギを二人の住んでいる寮の部屋に共同で住まわせてほしいというのだ。

 

「ええと、ネギ君を、うちらの部屋に?」

 

「そうじゃ、ネギ君はまだ子供じゃから保護者が必要じゃろ? そこで君らの部屋に共同で生活させて欲しいんじゃ」

 

「爺ちゃん、うちはかまへんけどネギ君は先生やで? 色々と不味いんちゃうか?」

 

まだ少年とはいえ、男女を同じ部屋に住まわせれば間違いが起こらないとは限らない。

 

「しかし教員用の寮は古くなってきたせいで危ないし、元々学園の近くに家を持っとるか借りておる教員が殆どでな。近々取り壊す予定だったんじゃ。そうなってはネギ君に一人暮らしなど無理じゃし、海外から来たばかりの彼にこの広大な学園の地理は分からんじゃろ? 下手をすれば学園外で迷子になりかねん」

 

「それはそうですけど……」

 

この学園は非常に広大で、それこそ年に何人も迷子になる者がいる。更に自宅から歩くだけでも相当な距離になってしまう場合が多く、路面電車が走っているぐらいだ。

 

「ならば二人にそれを教わればよいし、寮は学園内じゃから迷っても誰かに道を尋ねれば何とかなる。それに学校から近いからのう、うってつけじゃろうて」

 

「んー……せやなー……アスナ、どうする?」

 

「アスナくん頼む! ネギ君のためなんじゃ!」

 

「……はぁ、分かりました」

 

こうして、ネギはアスナと木乃香の部屋に下宿するという形となったのだった。

 

 

 

 

 

さて、アスナは委員長に連絡を取り買ってきて欲しいものを聞きくと、用事があるからとそのまま別れた。木乃香は、元々歓迎会をサプライズ形式にするために教室から離すという役割があったため、そのついででアスナと共同で住んでいる寮の部屋へと案内した。そして委員長から連れてくるよう連絡を受けて、ネギを教室まで連れて行った。

 

「「「ネギ先生、ようこそ2-Aへ!」」」

 

突然のことに面食らってしまうが、ネギは慌てて言葉を返す。

 

「えっ、あっあのっ、こちらこそどうぞよろしくお願いしますっ!」

 

そのしどろもどろとした様子に、感極まったあやかが思わず飛び掛かり、胸に掻き抱いて力強く抱きしめた。あまりに一瞬の出来事であったため、ネギは避けることさえできずに窒息しそうになる。

 

「なーにやってんのよこの馬鹿いいんちょ!」

 

さすがに苦しそうなのでアスナはあやかの頭を引っ叩いてネギを開放した。

 

「いきなりなんですのアスナさん!」

 

「ネギ先生が窒息しそうだったじゃない。あんたは少し加減を知るべきだと思うわ」

 

「だからといっていきなり頭を叩かなくてもいいじゃないですか!」

 

そのまま二人は睨み合う。が、あやかは溜息を一つ漏らすと。

 

「まぁ、今回は私が悪かったのですから、潔く謝らせていただきますわ」

 

「お、珍しいねぇ。いいんちょがアスナとの喧嘩から身を引くなんて」

 

あやかとアスナは何かと同じクラスになりやすかった。その度にあやかとアスナは喧嘩ばかりしてきたが、あやかはその全てで敗北しているのだ。あやかも財閥の娘として武術を嗜んでいるが、アスナにはどうしても勝てた試しがない。その悔しさから今でもあやかはアスナに勝負を挑んだりするのだが、自ら身を引くのはかなり珍しい。

 

「今日はネギ先生を歓迎し、祝うための場ですのよ? 流石に無粋な喧嘩などいたしませんわ」

 

「へー、いいんちょもわりかし割り切れるんだねぇ」

 

先程から二人をカメラで撮影しつつそんなことを言うのは、クラスメートの一人にして2-Aのお騒がせパパラッチ、朝倉和美だ。スクープのためには手段は選ばないが、意外と分別はあり大事な一線までは越えることはしない。中々に人情味もあり、悪を許さない正義感も併せ持つ、そんな少女である。

 

「むしろネギ先生だからなのでは?」

 

そんな風に言うのは、2-Aの誇るお馬鹿5人衆、バカレンジャーの一人にして図書館探検部所属の綾瀬夕映。ただ、最近は勉強にも大分力を入れているようなのだが、それが成績に結びついていない。

 

「ほら、のどか。チャンスですよ」

 

「で、でもゆえ~」

 

「のどかはもう少しガツンと前へ出るべきです。さあさあ!」

 

夕映に押されて出てきたのは、先程ネギによって助けられたのどかであった。

 

「え、えと……あの……」

 

「み、宮崎さん?」

 

「あの! 助けていただいて、ありがとうございました! これ、よかったら使って下さい!」

 

そう言って差し出してきたのは、数枚の図書券であった。ネギは慌てて受け取れないという。一方ののどかはと言えば、顔を恥ずかしさで真っ赤にしながらも差し出した手を引っ込めない。意外と覚悟を決めたら引かない性格らしい。

 

「え、いやそんな! 生徒を助けるのは先生として当たり前ですよ、受け取れません!」

 

「ネギ先生、のどかは先生にとても感謝してるです。受け取るのが男というものでは?」

 

「え、でも……」

 

「もらっときなさいよ、それとも本屋ちゃんの感謝をふいにする気?」

 

アスナからのダメ押しの一言で、ネギはのどかの差し出した図書券を受け取る。まだ顔が赤いのどかは顔を洗ってくると言ってそそくさと教室を後にした。

 

「にゅふふ~、なーんかラブな香りが漂ってますなぁ」

 

そんなことを言いながら現れたのは、のどかや夕映と同じく図書館探検部に所属し、共に行動することの多い友人でもある早乙女ハルナ。漫画研究会にも所属しており、ペンネームは"パル"。クラスの何人かからもパルと呼ばれており、愛称となっている。そんな彼女は、他人の色恋沙汰に興味津々な人物であり、そういった話が絡む度に暴走する。時には色々と突っ走りすぎて注意を受けることもあり、彼女の悪癖といえるだろう。

 

「ハルナ、のどかは恥ずかしがり屋なのですからあまり話を大きくしないほうがいいです」

 

頭についた二本の触覚のような髪を、ピコピコと揺らしながら楽しそうにしているハルナへと夕映は苦言を呈す。ハルナもそれを分かっていたのか、大人しくなる。色々と暴走しがちな彼女だが、普段は友人達からも頼られる姉貴分のような存在であり、互いの信頼は深い。

 

「……あら? 美姫さんと茶々丸さんはどちらに?」

 

「いや、見てないぞ。そういえば確かにいないな。茶々丸もいないし、保健室にでも行ったんじゃないか?」

 

クラスメートの二人がいないことに気づき、あやかがそんなことを尋ねるが、近くにいた龍宮真名がそう答える。中学生とは思えない長身とプロポーション、褐色の肌が特徴的であり、雰囲気も一般的な中学生とはかけ離れている。その目は妙に鋭さを帯びており、人を近づけない印象を与える。

 

「そうですか……それは残念ですわね……」

 

「まあ、風邪でも引いたら大変だからな。それにあいつは元々体が弱いから、仕方ないさ」

 

「今日は妙に饒舌ですわね、龍宮さん?」

 

「私をなんだと思ってるんだ。これでも人並みの社交性はあるんだよ」

 

「そうでしたか。私、龍宮さんと殆ど話したことがありませんでしたから、勘違いしてましたわ」

 

「いや、私も自分が無愛想なやつだとは分かってるんでね。……そういえばこの時間帯では保健室は開いていないな。だとすれば、美姫と茶々丸はどこに行ったんだ?」

 

「私がどうしたと言うんだ?」

 

そんな会話をしていると、背後から声がしてきた。振り向いてみれば、そこには二人の少女がいた。一人はショートカットに切り揃えられた黒髪に、透き通るように白い肌が特徴的で、きりっとした顔つきは生真面目さを感じさせる。

 

もう一方の少女は、妙に大きな耳飾りをつけており、緑色の髪は腰まで伸びている。顔は無表情で変化に乏しく、まるでロボットのようだ。というよりも、彼女は実際にガイノイドという女性型のロボットなのだが。

 

「なんだ、美姫も茶々丸もどこに行ってたんだ?」

 

「ちょっと花を摘みに行ってただけさ」

 

「私は美姫さんの付き添いです。女子校といえども、遅い時間ですのでお一人では危険だろうと思いまして」

 

この二人こそ、件の人物である大川美姫と絡繰茶々丸であった。美姫は身長が他の3人と比べて低いため、見上げるような形になっている。

 

「むぅ、相変わらず君たちは身長が高いな。本当に中学生か?」

 

美姫を除けば、この3人は平均身長で170cmをオーバーしている。特に真名は180cm以上であり、とても女子中学生のようには見えない。が、本人達も大分気にはしているようで。

 

「ぐっ、それは突っ込まないでくれるか美姫。私も結構気にしているんだ……」

 

「ほ、おほほほほ……」

 

「私はガイノイドですので、初めからこの身長で確定していますから」

 

と、三者三様の返答をする。美姫はそうか、済まなかったというとそのまま教室の隅へと移動していった。ちなみに、彼女の身長は135cm。小柄な夕映以上の低身長である。

 

「……意外と、気にしてらっしゃるんでしょうか?」

 

「さあな……。だが、無い者からすれば有る者は非常に羨ましいらしいぞ?」

 

「そういうものなのでしょうか? 私には理解ができません」

 

「まあ、君はロボットだからな、そういうのとは無縁だから分からんのだろうさ」

 

「……少し、お話しませんこと?」

 

「……そうだな、私も少し話がしたいと思ったところだ」

 

そうして二人は、一緒に窓際まで移動すると何かを話し始める。茶々丸は微動だにしない。クラスメートたちも新たに交流の輪を広げながら、歓迎会は続いていったのだった。

 

 

 

 

 

ネギが学園にやってきてから数日。様々な出来事があった。

 

まず、彼が女子寮住まいになったことで一悶着あった。年下の少年が好みのあやかが暴走してネギの争奪戦が勃発。しかしその場は学年主任の新田先生が現れたことで何とか収まり、一度は終息したかに見えた。

 

しかし、共同生活を始めてアスナがネギの体臭を指摘し、彼の風呂嫌いが発覚。そのまま強制的に風呂場へ連行して洗ってやったのだが、そこに2-Aメンバーが入浴のために現れ、再び争奪戦が加熱。今度は色々と収拾がつかなくなり始めてアスナが珍しく怒りを露わに一喝。さすがに悪ふざけが過ぎたと本人たちも反省してようやく争奪戦は終結した。

 

次に起こったのは、体育の授業で使用するはずのコートを横取りした高等部との対決だ。コートの使用権をかけて高等部のドッジボール部、通称『黒百合』と対決をしたのだが、辛くもそれに勝利した後、ドッジボール部の主将が背後からアスナを狙ったボールを投げ、ネギがそれを受け止めた。

 

そこまではよかったのだが、ネギは勢い余って『武装解除』を纏ったボールを投げてしまい、彼女らの服が吹き飛んでしまい、高等部の女生徒たちは悲鳴を上げながら去っていった。結局有耶無耶のままに2-Aが勝利して終わったが、勿論服はネギが弁償に行った。翌日に何故か高等部の生徒たちが勧誘をしに来たが。

 

「これがここ数日の報告よ、マスターにメールで送っておいて」

 

そう言ってアスナはリングタイプのメモ帳の紙を破き、相手に手渡す。その相手とは、彼女のクラスメートにしてガイノイドである絡繰茶々丸である。彼女もまた、アスナと同じく組織のメンバーだ。

 

「お疲れ様です。紅茶は飲んでいかれますか?」

 

「いいわ、あんまり長居もしたくないし」

 

今アスナがいるのは、女子中学校からほど近いログハウスの居間だ。本当は、ここは彼女が苦手とする相手の住居であるため来たくなかったのだが、報告をするためにも来ないわけにはいかなかった。メールは電子精霊の存在があるため電話以上に危険なのである。

 

「で、あいつはどうしてるの?」

 

「私のマスターはいつも通り趣味(・・)に関してのことで出払っております」

 

「はー、助かった。アイツと話すと疲れるから、なるべく会いたくないのよね」

 

「マスターはアスナさんとの会話は楽しいとおっしゃっていましたが?」

 

そう言われて、アスナは件の少女のことを思い起こす。普段はかなりまともに見えるのだが、その本性は色々と狂的なものがある。最近は精神的に安定しているとはいえ、一度暴れだすと手がつけられなくなる。アスナはそれを一度体験しているため嫌というほど知っているのだ。

 

「あいつは苦手なのよ。茶々丸はよく平気ね?」

 

「私はマスターの従者ですので」

 

毅然とした態度で、というよりは機械的な対応だ。無表情だからそう感じるのかもしれないが。

 

「ま、あいつならそう言ってもらえれば嬉しいでしょうね。いい従者に恵まれたわねぇあいつ」

 

「私には過分な評価でございます」

 

「あーはいはい、そういうのは素直に受け取っとくものよ。じゃあね」

 

そう言って彼女は出入口の扉に手をかけ、ログハウスを後にしたのだった。

 

 

 

 

 

ネギ少年は悩んでいた。ここ数日過ごしていてなんとなくだが、同居人の一人とあまり友好的とはいえないのだ。木乃香は生来の天然な性格からすぐに打ち解けられたのだが、アスナの若干余所余所しい態度が気になっている。

 

彼女はプライベートではネギを呼び捨てで呼んだりとフレンドリーなのだが、どこか壁を感じている。この前はわざわざ風呂へ強引に連れていかれたが、あれも自分を気遣ってと言うよりは常識を覚えさせるためのように感じた。

 

 

 

「うーん、どうすればいいんだろう……」

 

ウンウン唸りながら考えてみるものの、元々山奥の村で暮らしていた彼は同年代と遊ぶということをしなかった。そのせいで、魔法学校でもあまり同級生と話をすることもなかった。せいぜいが幼馴染だったアーニャとぐらいだろう。彼の社交性は、あまり高くないのだ。

 

「ただいまー」

 

そんなことを考えていると、悩みの原因である少女が帰ってきた。

 

「おかえりなさい、アスナさん!」

 

「あら、ネギだけか。木乃香は?」

 

「木乃香さんは冷蔵庫の中身がないからと買い物に行きました。僕は留守番です」

 

「そ。宿題は終わらせてるし、オセロでもしない?」

 

と、ここで彼女の方から絶好の機会を提案してきた。無論、ネギからすればこれを断る理由はないので喜んで参加することにした。

 

「そういえば、あんたここには慣れた?」

 

「はい! まだ学園内は探検していないのでその内しようと思ってます!」

 

「この学園って下手なテーマパークよりも広いから、見回るだけで1日が過ぎてくわよ」

 

「それは大変ですね……。ああっ! いつの間にか角が全部取られてる!?」

 

「先生とはいっても、まだまだひよっこねぇ」

 

得意気に笑ってみせる彼女は、いつになく打ち解けた雰囲気がする。ネギはアスナと出会ってから初めて、彼女の本当の顔を少しだけ見たような気がした。

 

 

 

 

 

イスタンブール。トルコ最大の都市にして経済、文化、歴史など様々な中心地である。東西を行き交う人々が絶えずここを通り、アジアとヨーロッパの文化を結ぶ場所となっている。かつてはローマ帝国皇帝、コンスタンティヌス1世によってかのコンスタンティノープルが建設された土地でもある。

 

また時代が移りコンスタンティノープルが陥落した後は、オスマン帝国が支配者となり、メフメト2世によって都市インフラを再興された後は、多文化的な交易都市として再び文化の中心を担った。歴史上最も重要な都市の一つとして数えられるほどに、ここは様々な人々が行き交う都市なのだ。

 

そして、そんな多文化的な地であるからこそ、魔法使いにも様々な人種がいる。正義を志す『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』もいれば、それを毛嫌いする魔法使いだっている。金次第で何でもやる者もいれば、そういった者を取り締まる者もいる。

 

そして、魔法使いたちから恐れられる、かの組織の者もここにいた。

 

「……無駄足」

 

行き交う人々の波を流れるように躱し、その人物は呟く。小汚い赤茶けたマントを頭から被り顔を隠しているが、その声から女性のものだと分かる。また、かなり小柄な体格であり、下手をすれば10歳やそこらの少女にしか見えない。手には長い包みのようなものが握られており、長い布でグルグルと巻かれている。

 

「……お腹が、空いた……」

 

懐を漁り、財布を取り出す。開いてみてみれば、ぎっしりと詰まったトルコリラが顔を覗かせる。彼女は手近な露店へと向かい、ドイツ語でドネルケバブの値段を聞く。トルコでは基本的にトルコ語が公用語だが、ドイツへ出稼ぎに行く者が多いトルコでは、クセが強いながらもドイツ語を話せる人が意外と多いのだ。

 

「1つ5トルコリラだ」

 

「……昨日買った店は、2トルコリラだった」

 

「そりゃそこの商品に自信がないからだ。うちのは自信を持って提供できるからこそ強気の値段で出してるのさ」

 

「……そう。……じゃあ、買わない……」

 

「ああ、待ってくれ。今はサービス期間だったのを忘れてたぜ。半額の2.5トルコリラだった」

 

「……買った」

 

商業の中心地であり、観光地でもあるここでは商魂たくましい商売人が多い。観光客相手には、普段よりも高い値段を言ってそれで売れれば儲けもの、という認識がある。少女は渡されたケバブの代わりに代金を渡し、再び歩き出す。

 

「……おいしい」

 

店の主人が、自信があるからといっただけあり、中々に美味だ。少女は黙々とそれを食べ、完食する。無意識的に歩いていたせいか、いつの間にか裏通りへと足を踏み入れてしまったらしく、周囲には浮浪者がチラホラと見える。

 

「よう、恵まれねぇ俺たちに色々と恵んでくれねぇか?」

 

そんな言葉に振り返ってみると、鉄の棒を振り上げた男がそれを振り下ろそうとしている瞬間だった。少女は咄嗟にバックステップでそれを躱し、距離をとる。

 

「おいおい、恵んでくれねぇのかよ。じゃあ通行料をもらうしかねぇな」

 

持っている鉄の棒を弄びながらそんなことを言う。少女は、顔が隠れているせいで表情が伺えないが、心なしか余裕そうに見える。

 

「おいコラ、痛い目にあいたくなきゃさっさと通行料を出せよ」

 

「…………」

 

「おい、話し聞いてんのかゴラァッ!」

 

男は凄んでみせるが、少女は一向に反応しない。痺れを切らせた男は大声で怒鳴るが、少女はどこ吹く風である。まるで人形にでも話しかけているかのような薄気味悪さを、男は感じていた。すると、少女は少しだけ覗く口元を笑みの形に歪め、持っていた包みの持ち方を変える。

 

少女が棒状の包みの布を解こうとし始めたその時。

 

「お兄さん、その人に喧嘩ふっかけるのはやめておきな」

 

「あ゛あ゛?」

 

男の背後からの声。そこにいたのは、こんな場所には不釣り合いな身なりの整った男だった。スーツを着こみ、腕には銀の腕時計。銀縁のメガネを掛け、口にはタバコを咥えている。

 

「誰だテメェ! これは俺とコイツの問題だ! 部外者は黙ってろ!」

 

「そういうわけにもいかないんだよ。その人はうちの大事な顧客なんでな」

 

そう言って男へと近づいていき、密着した状態で懐から何かを取り出して突きつける。

 

「ひっ!?」

 

「たかが成人もしてねぇガキが、いきがってんじゃねぇぞ」

 

布越しに伝わってくる硬い感触に男は恐怖で竦んで動けなくなる。スーツの男はそのまま少女の方へと向き。

 

「すいません、すぐに片付けますんで。おらさっさとどっか行け!」

 

怯えている相手をどつくスーツの男。そのせいで怯えていた男は尻餅をつく。

 

「は、はひっ!?」

 

怯えていた男はしどろもどろになりながら去っていった。

 

「……全く、下手すれば死んでいるとこだったぞ」

 

スーツの男はポケットに突っ込んでいた手を出し、取り出したジッポライターでタバコに火をつける。

 

「……タカミチか」

 

先ほどまで平然とした様子だった少女から、殺気が漏れ出る。対するスーツの男、タカミチも両の手をポケットに突っ込み、表情が険しくなる。

 

「やはり貴女か、鈴音さん」

 

「……前よりは、マシな顔つきになった」

 

「貴女のお陰で、色々と吹っ切れたんでね。……何を企んでるんですか?」

 

「……言う必要はない」

 

少女、明山寺鈴音は巻きつけられていた布を一気に解く。そこから現れたのは、一振りの日本刀だった。

 

「……腕が訛っていないか、確かめてあげる……」

 

「貴女を止める……ここで、必ず……!」

 

時を経て、二人は再び激突した。



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第二十話 図書館島にて

正しくあることは難しく、悪に足を取られるのは容易く。


ネギが先生として麻帆良学園に来てから、1ヶ月の月日が流れた。最初はなれない環境や生徒たちに戸惑いながらも、次第に周囲と打ち解けていった彼は、今では一端の先生として仕事をこなせるようになってきた。そこで、学園長は彼に最終課題を出した。その内容は、万年最下位状態の2-Aを導き、最下位から脱出するようにという内容であった。

 

「えーと、ここはですね……」

 

このクラスには成績優秀な人物は多い。学年トップ、いやこの学園全体で見てもトップクラスの頭脳を持つ超鈴音(チャオリンシェン)を筆頭に、マッドサイエンティストながらも超に引けをとらない成績である葉加瀬聡美。生真面目で勉学に対しても真剣な大川美姫に、模範的な生徒として先生方からの評判も良いアスナ。クラス委員長のあやかも、アスナに張りあうように成績が高い。実はクラス全体を見ても、それほど成績が悪いものはいないのだ。

 

その内の5人を除いて、だが。

 

「あいやー、私も頑張ってはいるアルが……日本史は複雑アル……」

 

「拙者は英語がどうにも……日本史なら得意でござるが……」

 

「ええと、お魚と弱い……マグロっ!」

 

「まき絵さん、それは(いわし)です。はて? ここは割り算ではなかったですか?」

 

「わ、私にはさっぱりです……」

 

2-Aには、通称バカレンジャーと呼ばれる5人が存在する。バカレンジャーとは、学年でも最低クラスの成績を安定して叩きだすという、なんとも先生泣かせな5人の総称だ。

 

「足利義満が3代将軍だったはずアル……。足利義政は……5代アルか!?」

 

中国からの留学生で、学園でも武闘派として有名な古菲(クーフェイ)。戦闘は得意だがその分頭を使わないせいでバカイエローの地位を確立している。

 

「read(リード)の過去形の読みはレッド……? はて? レッドは赤(red)では?」

 

同じく武闘派であり、散歩部という謎の部活に所属している、バカブルーこと長瀬楓。どうみても忍者っぽいが彼女はそれを頑なに否定し続けている。

 

「えーと、えーと……色を使った二字熟語……。あっ! 色々!」

 

天然ボケで脳天気な元気娘、佐々木まき絵。記憶力は悪くないのだが、興味が無いことには発揮されないためバカピンクの座を獲得している。

 

「むむ、塩分濃度の計算ですか……5%の食塩水200gと7%の食塩水300gを混ぜた場合は……」

 

クールで意外と行動的なバカレンジャーのリーダー、バカブラックの綾瀬夕映。ただ、最近は勉学にも力を入れているようで5人の中では一番マシなのだが、それでもその努力はあまり実っていない。

 

「二酸化炭素は水に溶けないから水上置換だったはずや……そして空気よりも重いから下方置換でも集められる……なら酸素は逆に溶けやすく、空気より軽い……? つまり酸素は下方置換が正解や……!」

 

謎理論を展開しながらテンパっているバカホワイトこと桜咲刹那。彼女もまた麻帆良では有数の武闘派である。関西出身のため学園に来る際に標準語に直したらしいが、このように取り乱すと素が出てしまい京都弁となる。

 

「せっちゃん……」

 

そんな刹那を、心配そうな目で見ているのが彼女の幼馴染である木乃香だった。幼い頃から仲がよく、京都の名家である近衛家の跡取り娘である自身を友人として見てくれる刹那を大切に思っている彼女だからこそ、彼女の今後に関わることに心配になる。

 

学園に来てからも友情に変わりはないが、木乃香の護衛としての役割を木乃香の父に与えられており、少々よそよそしくなってしまったのが悲しかった。故に木乃香は彼女と積極的に関わろうとし、成績が悪いものを集めた今回の補習にも参加したのだが……。

 

「せっちゃんの護衛、お父様に言って止めさせてもらおうかな……」

 

正直、木乃香の想像以上に勉強が出来ない刹那に驚き、それが自分の護衛という任務のせいではと思い、木乃香は真剣に悩むのであった。

 

 

 

 

 

夕方。入浴中に和美がとある情報を仕入れてきたと言い出す。その内容が次の試験で2-Aがまた最下位だった場合、幼稚園へと逆戻りにされるというとんでもないものだったのだ。

 

「もはや手段を選んでいる場合ではないです……!」

 

突如そんな言葉を発した夕映に、バカレンジャー他の視線が集まる。

 

「でもでも、どうすればいいのかわかんないよ~!」

 

とまき絵が言う。他のメンバーも首を縦に振って同意した。

 

「ええ。テストまでもう一週間もありません。ですから裏技を使うです!」

 

夕映によれば、図書館島の地下には膨大な数の貴重書が眠っており、その中には読むだけで頭がよくなるという魔法の本が存在するらしい。

 

「で、ですがそんな都合のいいものが存在するとは思えませんが……」

 

「……うち、夕映についてく」

 

「お、お嬢様!?」

 

「せっちゃんがこれ以上おバカになる前になんとかしいひんと!」

 

「このちゃん!?」

 

色々と酷いことを言ってはいるが、彼女が刹那を心配していることに変わりはない。が、あまりにもあんまりな言葉にさすがの刹那も素が出てしまう。

 

「私も行くアル!」

 

「拙者も同行させてもらいたいでござる」

 

「わ、私も!」

 

「私も行きます! お嬢様に危険なことはさせられません!」

 

「では、決定ですね」

 

こうして、バカレンジャーによる図書館島地下に眠るとされる魔法の本を探しに行くことが決定した。刹那は同行しようとする木乃香を何とか説得しようとしたが、意外と頑固である木乃香は頑として譲らず、結局同行することとなった。

 

 

 

 

 

話を間近で聞いていたのどかは、事の推移をネギに話しに行き、それに仰天したネギはそのまま彼女らを追いかけていった。幸い、まだ地下に潜る前だったため発見することができたが、夕映にあれこれと理屈を捏ねられて説得されてしまい、先生同行という形の夜の図書館島探検が開始された。

 

(どうしよう……。いつもなら万が一があってもこっそり魔法で何とかできるけど、今は魔法が使えないよ……)

 

今回の期末テストは、ネギにとっても魔法使いになれるかどうかの大事な試験だ。しかし勉学はあくまでも自分で身につけなければ意味が無いと、大学時代に可愛がられた教授に言われ、彼もそれを肝に銘じてきた。だからこそ、今回は魔法に頼らないようにと自らに一時的な封印を施したのだ。

 

「はぁ……」

 

「んー? ネギ君どうしたの? ため息なんかしちゃって」

 

「あ、いえ! なんでもないです!」

 

「そーお? 何か悩みがあったら相談にのるから、遠慮なく言ってね!」

 

屈託のない笑顔でまき絵が言う。と、その時。

 

バキッ!

 

「え?」

 

足場にしていた木の板が突如割れ、一瞬宙に浮く。しかし彼女が重力に逆らえる訳でもなく。

 

「いやああああああああああああああああ!?」

 

叫びながら一気に落下していくまき絵。

 

「ま、まき絵さーん!?」

 

慌てて手を伸ばそうとするが、一瞬遅れて彼女の手を掴み損ねる。最悪の事態が頭を過り、真っ青になって硬直するネギ。

 

しかし。

 

「し、死ぬかと思った……!」

 

新体操で使うリボンを用いて、間一髪手近にあった謎の銅像に巻きつけて生還していた。

 

「大丈夫ですか?!」

 

「う、うん。チョビっと怖かったけど問題ないよ!」

 

屈託のない笑顔で言うまき絵。その様子からネギはホッとした表情を浮かべて胸を撫で下ろす。

 

「この先は罠も多くなってくるです。努々足を掬われないように気をつけて進むですよ」

 

夕映の注意を受け、一同は気持ちを引き締めて先へと進んでいった。

 

 

 

 

 

その頃、麻帆良女子中等部に据えられた理事長室では。

 

「今頃は、ネギ君達は図書館島の地下におるかの」

 

「恐らくは。しかし、本当によかったんでしょうか……? 彼女達まで付き合わせる必要は……」

 

理事長、近右衛門にそう返すのは、黒い肌が特徴的なガンドルフィーニ先生だった。彼もまた、魔法に携わる魔法先生の一人であり、一般人の娘を持つ彼としてはネギ少年の課題に彼女らを巻き込むのは、正直反対だった。

 

「悪いがそうもいかん。彼女らはこの麻帆良でも有数の実力者。いずれ訪れる戦いに備え、少しでも強くなってもらわねばならん」

 

「ですが、彼女らは一般人なのですよ?」

 

「そうも言ってられん。彼女らは才能に溢れすぎておる。それ故に『奴ら』に狙われる可能性は非常に高い。彼女らを守ってやれるのはあくまで在学中のみ……。彼女らが卒業してしまえば『奴ら』はいくらでも手段を講じてくるじゃろう……」

 

「そんな……」

 

「儂らにできるのは、少しでも彼女らを影から支えてやるぐらいしかないんじゃよ」

 

そう言って、近右衛門は窓の外を眺める。

 

「儂は婿殿と同じく、かつて木乃香を魔法に関わらせずに生活できるようにと駆けまわった。じゃが、かつての戦争で儂が関西魔法協会と確執をつくってしまった以上、どれほど手を尽くしても彼女には常に危険がつき纏う……」

 

「学園長……」

 

「じゃからこそ……ネギ君が来た今こそ、彼女に魔法を打ち明けるべきだと思った。彼女がこれから安心して生活するためには、もうそれしかないんじゃ……」

 

娘がいるガンドルフィーニには、孫をそんな手段でしか助けてやれない彼の辛さが痛いほどわかった。かつての戦争も、本国からの強制によって苦渋の決断を迫られた末に起こった悲劇だった。近右衛門は、その時の責任をとって関西と絶縁している。

 

どれだけ誹られようと、今後あのような悲劇を繰り返さないために関東魔法協会の理事長となり、関西呪術協会へ干渉できないように手をつくした。わざと険悪な状況を作り出し、自分の血族に大戦の英雄を取り込んで関西に縛り付け、本国に対する抑止力とした。これは、今は亡き娘とその婿も了承してくれている。

 

「そしてようやく、関西も昔のように力を取り戻してくれた。あの頃は魔法に対しての反発が強くて足の引っ張り合いをしている隙に絡め取られてしまったが、今は理解を持った若者が次代を担おうとしておる。本国との関係も、改善できるようになるはずじゃ」

 

「……早くその時がやってくればいいのですが……」

 

「だからこそ、儂ら大人がやらねばならぬのじゃ。負の遺産を子供らに背負わせるわけにはいかぬからな……」

 

夜空に瞬く星を見て、彼は何を思ったのか。それは、彼にしかわからない。

 

 

 

 

 

「クキキッ! 最高だなそれは! 私も参加してみたかったぞ!」

 

「少し静かになさい。読書の邪魔よ」

 

「何だつまらん、もう少し話をしようじゃないか」

 

「私は騒がしいのが嫌いなの。いくら今日の貴女がそう(・・)だからって私まで態々話を合わせる義理はないわ」

 

図書館島地下。その暗がりで二人の少女が話をしている。片方は柳宮霊子。相変わらず不健康そうな白い肌と細い腕に、趣味の悪い派手なツギハギの服。

 

そしてもう一人は、目深にかぶったフードで誰かが分からないが、その声色から女性のものであることは分かる。そしてその後ろには静かに佇む茶々丸の姿が。

 

「楽しいことになりそうじゃないか、ん?」

 

「まあ、面白い茶番は見られそうではあるわね」

 

そう言いつつも、興味がなさ気な霊子に対し、少女はその反応の薄さにつまらなさを感じて話題を変えることにした。

 

「で? あのジジイが当初考えていた計画だと、2-Aの成績不振を利用して噂を流して図書館島の地下に誘い込み、地底図書室でみっちり勉強させつつゴーレムで襲いかかって連帯意識を育てるんだったか?」

 

「あと、勉強は魔法で解決できないから魔法に頼らないように心構えをつけさせる、という意図もありそうね」

 

「ご苦労なことだな。まあその御蔭で我々の計画の手助けになってくれているわけだが」

 

そんな話を続けていると。

 

「マスター、そろそろお薬のお時間です」

 

背後に控えていた茶々丸が言う。

 

「むぅ、もうそんな時間か?」

 

「はい。お水はご用意しておりますが、オブラートはご使用になりますか?」

 

「いや、どうせ錠剤だ……必要……」

 

茶々丸の言葉に返事をしようとした彼女は、突然言葉の歯切れが悪くなり。

 

「……ない、から……」

 

「……また変わった(・・・・)わね」

 

「マスター、お水と薬です」

 

「ご、ごめんね茶々丸……」

 

さっきまでとは打って変わり、臆病な小心者のようにおどおどとし始める少女。それを見て呆れたような視線を向ける霊子と、無表情のまま薬を手渡す茶々丸。それを受け取ると、少女は慌てて薬を飲み下した。

 

「貴女、いい加減精神を安定させる方法を考えなさいよ。仮にも私と同じ幹部でしょうに」

 

「だ、だって……」

 

「不安定すぎて困るのよ。戦力として期待しようにも土壇場でそんなふうになったら困るわ」

 

「はい……」

 

「くれぐれも、あの状態にだけはならないで欲しいわね。ここを荒らされたくないし」

 

そう言って読書を再開する霊子。俯いたままの彼女に、茶々丸はねぎらいの言葉一つさえ投げかけはしない。否、しては(・・・)いけない(・・・・)

 

「……ふぅ、済まないな霊子。とりあえずは落ち着いたよ。茶々丸もすまなかったな」

 

少し経つと、少女は先ほど同様の口調に戻り、おどおどとした態度も鳴りを潜めた。茶々丸はただお気になさらずと返答した。だが、少女は知らない。

 

(……貴女を支えることさえも、私には許されないのでしょうか……マスター……)

 

無表情の裏で、彼女の葛藤が渦巻いていることを。

 

 

 

 

 

「そろそろです、ね……」

 

図書館島地下深部。大分深くまで潜り、一度小休止を入れようと提案した夕映がポツリと無意識の内に小さく言葉を零す。

 

「んー? ゆえなんか言うた?」

 

「えっ!? いえいえ、なんでもないです! ただの独り言ですよ!」

 

「むむ、なんか怪しいアル……」

 

慌てふためく素振りを見せた夕映に、怪訝な目を向ける古菲。視線を向けられた夕映は、顔を真っ赤にして顔を下に向けるとモジモジとしだし。

 

「じ、実は……です……」

 

「聞こえないアル」

 

小声で言う夕映に対し、もっとはっきり言うよう促す。すると彼女は真っ赤だった顔を更に耳まで赤くさせ。

 

「と、トイレに行きたいんです!」

 

大声で叫んだ。よりにもよって、ネギ少年がいるところで。

 

「…………ひうっ!?」

 

彼の姿がようやく視界に入っていたその時には既にもう遅かった。

 

「ご、ごめんなさい……」

 

「……ち、ち……」

 

「わ、悪かったアル、夕映……」

 

「違うですよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

 

彼女の絶叫が、地下に響き渡ったのであった。暫くの間、古菲は夕映に頭が上がらなかったというのは、また別の話である。

 

 

 

 

 

羞恥に塗れながら、顔を真っ赤にして夕映は席を外し、残されたメンバーには微妙な空気が漂っていた。

 

「だ、大丈夫なんでしょうか?」

 

夕映を心配して、刹那がそんなことを言う。

 

「うーん、ゆえも結構乙女やからなー。戻ってくるまでに時間かかるやろなぁ……」

 

「悪いことしたアルよ……」

 

「まあまあ、過ぎたことを悔やんでもしょうがないでござるよ。後できちんと謝れば許してくれるはずでござる」

 

普段元気が有り余っている古菲が、珍しく落ち込んでいるのをみて慰める楓。

 

「ネギ君サンドイッチ食べる?」

 

「あ、はい。頂きます」

 

そんな一同を尻目に、のんきにサンドイッチを頬張るまき絵と、罪悪感を感じながらもどうすることもできないことにやるせなさを感じるネギ。ただ一人和気藹々とした雰囲気を醸しだすまき絵が眩しい。

 

「ですが、そろそろ彼女を呼びに行かないといけません。もう既に日を跨いでしまっています」

 

「あちゃー、ほんまや」

 

木乃香が腕時計で確認してみれば、既に0時を回っていた。早く目的を遂行して帰らねば、試験を受けるどころではないだろう。

 

「ぼちぼち、出発するでござるか」

 

「せやねー。うち、夕映を呼んでくるわ」

 

「では私も同行します。罠があるかもしれませんから」

 

「別にええって。うちも図書館探検部やで? そこんとこは心得とるし」

 

そう言って歩き出そうとしたその時。

 

「おやおや? こんなところに悪い子が大勢いるな」

 

「……お嬢様、やはりお一人で行動なさるのはおやめ下さい。どうやら碌でも(・・・)ないもの(・・・・)が現れたようです」

 

刹那が木乃香に戻るように再度促した。今度は、語気を強めながら日本刀を構えて。

 

「ひいふうみい……大人数だな。いやはやこんな夜中にどうしてこのような危険な場所に」

 

指先で彼女らを数えるそれは、異様な雰囲気を醸し出していた。纏うボロ布のような灰色のマントは所々が汚れており、爛々と輝く目は不気味な金の光を宿している。しかし何より異質なのは。

 

「なにかね? 吾輩の顔になにかついているか?」

 

「お、お、お……!」

 

「"お"? それは一体どういう意味合いだね? いや、言葉にできていないのか? ではこの状況で"お"から始まる言葉で連想されるのは……」

 

「おばけええええええええええええええええええええ!?」

 

「んん、予想通りか。たしかに吾輩を夜中のこんな場所で見たならばおばけがしっくりくるが」

 

彼女らを指さして数えていた指先にも、マントから覗く顔にさえ。肉も皮も、存在していない。目は眼球が存在せず、金色の光を湛えるのみ。鼻も独特の尖りはなく穴が存在するだけ。歯は整っているが剥き出しだ。骨格は人間のものとよく似ているが、そもそも普通の生物は骨のみで活動などできはしない。

 

「吾輩は名をロイフェという、こんばんはやんちゃな少年少女たちよ」

 

「い、意外と礼儀正しいアル!」

 

「これでも紳士を自称する身だ、最低限の礼節は心得ておる。して、君たちは何故こんな辺鄙な場所へとやって来たのかね? 返答次第では安全に送り返してやるぞ?」

 

「……話し合いはできそうな御仁でござるな」

 

冷や汗を垂らしながら、楓がそんなことを言う。感じる圧倒的プレッシャーは、実力者である彼女でさえもお目にかかったことのないほど凶悪なもの。戦えば無事では済まないと、戦闘者としての勘が警鐘を鳴らしてくる。コイツはやばいと。

 

「ええと、実はですね……」

 

ネギがことのあらましを説明する。魔法に深く関わる彼にとっては、このような姿をした者と直接会ったこともあり冷静な対応ができた。

 

「ふぅむ……。この地下に存在する珍書や貴重書目当てでやって来たか。まあ、若気の至りというのもあるだろうし、今回ぐらいは見逃してやってもよいが……何の本を探しに来たのだ? 少し興味があるし、場合によっては渡してやれんでもないぞ?」

 

「え、ホント!?」

 

「見た目はコワイけどいい人(?)やなー」

 

見た目の異質さに反して礼儀正しい人物であるとわかり、警戒を続ける二人以外はロイフェへの評価を改めた。

 

だが。

 

「えっとなー、うちの親友が言うとったんやけど、頭がよおなるゆう魔法の本(・・・・)を探してて……」

 

「……今、なんと言った?」

 

彼女の言葉を聞いた途端、ロイフェの雰囲気が変わった。彼女にもう一度言うように聞き返す。

 

「んー? せやから頭がよくなる魔法の本を……」

 

「……お前たちを返すわけにはいかなくなったな」

 

「え?」

 

ロイフェは突如そんなことを言うと、木乃香に向かってその枯れ枝のような骨の手を伸ばし。

 

「貴様……お嬢様に何をしようとした……!」

 

「ほぉ、一目見て思ったがやはり裏を知る者だったか」

 

木乃香に触れる寸前で、刹那が愛刀『夕凪』を抜刀して二人の間に割って入った。見れば、ロイフェの骨だけの手からは目に見えるほどの禍々しい『何か』が纏わりついている。

 

「答えろ! 返答如何では貴様を祓ってくれる……!」

 

「何を、か? 態々聞くほどのことかね?」

 

「せっちゃん……一体どういうことなん……?」

 

状況が飲み込めず困惑する木乃香。しかし刹那は彼女を自分の背に隠したまま油断なくロイフェに対して刃を向けている。

 

「返すわけにはいかない、と言ったはずだ。ならば生かしてやる義理などあるまい?」

 

「やはり、貴様『呪詛』をお嬢様に使うつもりだったな?!」

 

刹那は怒気混じりの声でロイフェに向けて叫んだ。その怒りようは、ネギやクラスメイトたちでさえ口を挟むことができないほどだ。

 

「吾輩は仕事を忠実に遂行しようとしただけだ。唾棄すべき侵入者を葬る、それが吾輩の役目であり絶対だ」

 

「貴様は一体何者だ!」

 

今度は明確な敵意を込めて叫ぶ。余りにも普段とはかけ離れたその姿に、木乃香は呆然とするほかなかった。そして、そんな状況でさえロイフェは悠然と答える。

 

「吾輩はここを守護する者。禁忌の魔女の下僕にして冷酷なる処刑人。我が名はロイフェ、『首狩り』ロイフェだ」

 

そう言うと、ロイフェは宙空に手をかざす。最初は何もなかった場所に、徐々に黒紫色の靄が集まっていき、形を成していく。そして、完成したそれをロイフェはゆっくりと両手持ちにし、構えた。その様は、彼の見た目も相まってまるで……。

 

「し、死神……!?」

 

まき絵が思わずそんな言葉を漏らす。ロイフェの手元に現れたそれは、空想に登場する死神が持つような、巨大な大鎌だった。

 

「成る程、確かに君等を殺すという意味では死神というのは正しい表現だな」

 

「なんで……? なんで急にうちらを……?」

 

「君が言ったではないか。『魔法の本を探しに来た』と。それだけで十分過ぎる」

 

「で、では拙者たちはもうそれを探さないでござる! それでは駄目でござるかッ!?」

 

楓がそう提案する。先ほどまでの会話から、話し合いができないような人物ではないと楓は確信していた。だからこその提案だったのだが。

 

「悪いが見逃すことはできない。吾輩の主人はただこう言われた。『我が書を求める者は例外なく殺せ』、とな」

 

「どうあっても無理のようでござるな……」

 

「お嬢様、皆を連れてお逃げ下さい。コイツは私が相手をします」

 

「で、でも夕映が戻ってないし、せっちゃんを置いて行くなんて……」

 

「お嬢様ッ!」

 

「っ!」

 

混乱と不安でしどろもどろとする木乃香に、語気を強めて強制する。その迫力に、木乃香は押し黙ってしまう。

 

「お願いします、お嬢様に何かあったら……私は悔やんでも悔やみきれません」

 

「せっちゃん……」

 

「私は大丈夫です。すぐに、追いついてみせますから。綾瀬さんも、きっとご無事のはずです」

 

「…………」

 

今度は、優しく諭すように言う。聞き分けのない自分を諭しているのだと、木乃香には分かった。これ以上は、刹那の足を引っ張るだけだとようやく悟った。ならばせめて、彼女を信じなくてどうするのか。

 

「……分かった。うち、せっちゃんを信じる」

 

「ありがとうございます。私もお嬢様がいるから、頑張れるんです」

 

「けど、1つだけ約束して?」

 

「なんなりと」

 

「……絶対に、無事に帰ってきて。帰ってきたら、前みたいにうちを『このちゃん』と呼んで?」

 

「……承知しました。必ず、無事に戻ってみせます」

 

そう言うと、彼女らは小指を絡ませて約束を誓う。それが済んだのを見て、楓が刹那へと近づいていく。

 

「刹那殿、拙者も加勢するでござる」

 

「いや、楓には皆に何かがあった時のためについて行ってくれ」

 

「……一人で大丈夫でござるか?」

 

チラとロイフェを見る。その威圧は、先程以上のものとなっていた。

 

「いざとなったら逃げる、心配するな」

 

「了解したでござる。皆は、拙者が命に変えてでも守りぬくでござるよ」

 

「頼むぞ」

 

そして、彼女らは刹那を残し図書館島の闇へと消えていった。

 

「……律儀に待ってくれるとはな」

 

彼女らを見送った後、刹那はロイフェの方へと振り返る。

 

「何、感動の別れを邪魔するほど無粋ではないのでな。それに、吾輩としては君が一番厄介だと思っただけだ、神鳴流剣士(・・・・・)

 

「! 私の流派まで知っているのか」

 

「神鳴流とは少し関わりがあったのでね、その野太刀をみて得心がいっただけだ。まあ、つまりは君の手の内もある程度は読める、ということだ。そして見るからに君はまだ未熟、ならば手早く君を片づけて彼女らを仕留めるのも容易い」

 

「そう、見くびってもらっては困る。私も容易く負けてやるつもりは毛頭ない」

 

「そうか、それは楽しみだ……なっ!」

 

上段の構えで、大鎌を振り下ろす。空気を切り裂いて迫るそれは、まるで呻きを上げる亡者のごとく不気味に音を鳴らす。刹那は『夕凪』でそれを受け止めるものの、予想以上の重圧に一瞬刃がさがる。

 

「耐えるか。中々にやるな」

 

「貴様もな、これほど重い一撃は想定外だったぞ」

 

「中々に口も達者らしい。だが……」

 

刃を弾いて距離をとったロイフェは、大鎌を勢い良く振り回し始める。

 

「次はもう少し強めにいくぞ。受けきれるかね?」

 

「……余裕を見せているつもりか? 遠慮なくこい」

 

「……よい返答だ」

 

ロイフェが、その骸骨の顔に初めて笑みを浮かべた。激闘は、始まったばかり。

 

 

 

 

 

彼女らの様子を、二人の少女は水晶球が映しだした映像越しに眺めていた。霊子は普段の眠たげな表情をほんの少しだけ歪ませ、もう一人の少女は腹を抱えて笑っている。

 

「クキッ! こいつは傑作だ! お涙頂戴の感動巨編だなぁ! 全米が号泣すること間違いなしのコメディとして売り出せるぞ!」

 

「私としては、そっちはどうでもいいわ。そろそろ彼女(・・)も戻ってくるはずだし」

 

「しかしまあ、あの狸爺の出した課題を利用するとはねぇ……」

 

「いくらあの少年を早く育てたいがためとはいえ、性急が過ぎたわね。まあ、守るべき対象の生徒が敵(・・・・)だなんて思いもしなかったでしょうけど」

 

すると、部屋の扉がノックされる音が。

 

「来たわね。悪いけど茶々丸、出迎えてくれる?」

 

「かしこまりました」

 

霊子にそう頼まれた茶々丸は、扉の鍵を外して開け放つ。

 

「お待ちしておりました、綾瀬(・・)さん」

 

「あ、ありがとうございます」

 

ペコリとお辞儀をしてそう返したのは、ネギ先生一行らとはぐれているはずの綾瀬夕映であった。

 

「ご苦労様。貴女にしては上出来だったわよ?」

 

「クキキッ、面白い見世物を見れて笑いが止まらんよ。感謝するぞ綾瀬夕映」

 

「……っ!」

 

「気分はどう? 裏切り者(・・・・)の綾瀬夕映さん?」

 

「……最悪ですよ、貴女のせいで……っ!」

 

意地の悪い笑みを浮かべながらそう聞いてくる霊子に対し、夕映は吐き捨てるように言った。その反応に満足したのか、霊子は普段よりも機嫌がよさそうに満足気な顔をする。

 

「そうよね? 私の弟子である貴女に指示したのは私、それは揺るがない事実でしょう。でも、それに逆らえずに実行に移したのは貴女よ?」

 

「……やめて」

 

椅子から立ち上がり、ゆっくりと夕映へと近づいていく。夕映は途端に怯えたような表情となり後ずさる。

 

「いえ、逆らわなかったのよね? 私という存在が怖くて、自分がどんな仕打ちを受けるのかが怖くて逆らわなかった」

 

「やめて……!」

 

近づくのをやめない霊子。後ずさっていた夕映の肘に硬い感触がぶつかる。背後にあった本棚に、ぶつかったせいだった。

 

「貴女は友人を売ったのよ、自分可愛さに」

 

「やめてぇっ!!」

 

霊子の言葉を遮るように、彼女は大声で拒絶の意思を示す。だが、霊子はそんな彼女のことなど気にも止めることなく悠然と彼女に近寄ると。

 

「この、裏切り者」

 

彼女の耳元で、そんな言葉を囁いた後に離れていく。夕映は、しばし呆然としたまま立ち尽くしていたが、ゆっくりと膝から崩れ落ち。次いで一筋の線が走り、雫となって落ちた。

 

「は、はは……あはははははははははははははははははははは……!」

 

そして彼女は、壊れたおもちゃのように力なく笑い出した。

 

「いい表情よ。もう少し、後押ししてやればうまくいきそうね……」

 

滂沱(ぼうだ)の涙を流しながら狂ったように笑う夕映を眺めながら、霊子はクスリと微笑んだ。



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第二十一話 図書館島にて②

「さーてさて、夕映を苛めるのもそこら辺にして次の段階に進もうじゃないか」

 

「そうね、そろそろ彼女も合流するはずよ」

 

自己嫌悪から顔を涙と涎で汚しながら茫然自失の状態となった夕映を放置したまま、二人は作戦を次の段階へとすすめる相談を始める。

 

「茶々丸、あいつらの方につけた小型カメラはしっかり追跡を続けてるか?」

 

「はい、マスター。鮮明な画像で彼らを捉えております」

 

「よろしい。大変よろしいぞ茶々丸、さすが私の自慢の従者だ」

 

ニヤニヤと笑みを浮かべながら茶々丸へ賞賛の言葉を投げかける少女。茶々丸は無表情のまま恐れいりますと返す。しかし、霊子は少々怪訝な顔をしている。

 

「彼女を信用していないわけじゃないけど、不自然に思われる可能性もあるわよ?」

 

「クキキキ、細工は流流仕上げをご覧じろ、さ。私の茶々丸が下らないヘマをしないと、この私が約束しよう」

 

「そう。期待してるわよ」

 

「さあさあ、茶番もそろそろ幕引きの時間だ」

 

 

 

 

 

「せっちゃん……」

 

「木乃香殿、今は彼女の勇気を無駄にせぬためにも逃げるのが最善でござるよ」

 

「……うん」

 

「それにしても……」

 

「ここはどこアルカ?」

 

刹那の足止めによって何とか逃げおおせた彼女らであったが、夢中で逃げまわっている内にどこを走っていたのかがわからなくなってしまっていた。気づけば、だだっ広いくらい空間へと足を踏み入れていた。

 

「あれって……」

 

「んー? ネギ坊主、どうしたアルか?」

 

奥の方を見つめるネギに対して、古菲がそう聞いた。先程の逃走の時から、ネギの顔色が悪い。

 

「いえ、あの祭壇のような場所にある本……」

 

「何やら、宝物を飾っているかのような雰囲気でござるな」

 

みやれば、仰々しい雰囲気を醸し出す祭壇のようなものが部屋の奥には存在していた。そこには、一冊の本が安置されている。

 

「……! あれって……まさか……!?」

 

「ネギ君、あれ知ってるん?」

 

「あの本は……もしかしたらメルキセデクの書かもしれません……。僕も実物を見たことはないですけど、伝承に描かれているものにそっくりです……」

 

「んー? それって凄い本なの?」

 

「凄いなんてものじゃないです! それこそ、読むだけで頭が良くなるのも可能かもしれない魔導書です!」

 

興奮気味に言うネギ。彼の雰囲気からして、あの本が余程凄いものなのだろうと理解した一同は。

 

「ほ、ほんまに頭がようなる本が?」

 

「凄いアル! 魔法の本発見アルヨ!」

 

「ううむ、本当に存在しているとは……」

 

「こ、これで幼稚園にいかなくてすむね! ……だよね?」

 

半信半疑だった一行は、まさか本当にそんなものが存在していたとは思いもせず思わず歓喜する。だが、木乃香だけは違った。

 

「……でも、あの本を欲しがったせいでせっちゃんも、夕映も……」

 

「木乃香殿……」

 

確かにそうだと、一同は思い起こす。あんなものを求めたがために、皆がロイフェという恐ろしい存在に遭遇し、刹那が危険を顧みずに留まり、夕映も行方知れずだ。彼女らの犠牲で手に入れるにしては、あまりにも安っぽい理由とものであり。釣り合いなど取れるはずもなかった。

 

「……やっぱり、戻りましょう」

 

ネギがそんなことを言う。

 

「し、しかしそれでは刹那殿の奮闘が……」

 

「勉強は頑張れば何とかなります、何とかならなくても僕が皆さんを何とかできるようにしてみせます!」

 

「でもでも、あんな怖いのなんてどう戦えばいいの~?」

 

実際、まき絵の言う通りだった。あんな恐ろしい存在はネギ少年でさえあの雪の日以来出会ったことがない。先ほどの対面で、彼はその光景がフラッシュバックして震えを止めるのに必死だった。

 

「皆さんはこのまま地上を目指して下さい。僕は……刹那さんを助けに行きます」

 

そう言った少年の表情は、決意に満ちており。

 

「ネギ坊主一人でどうこうできる相手ではないアル!」

 

「それでも! 刹那さんは、刹那さんは大切な僕の生徒です! 僕は一度逃げました、無力だからと刹那さんに押しつけてしまいました! 本当なら、先生である僕が彼女を守るべきだったのに! 僕はそれが恥ずかしい……!」

 

誓ったはずだった。あの日、無力を思い知らされたその日から強くなると。誰にも負けない強さを。大切な皆を守れるだけの強さを。だからこそ、今でもネギは父の背を追い続けている。強くなりたい。ネギの悪夢を吹き飛ばした父のように。失った村の皆を取り戻すために。

 

だというのに、今の醜態は何だ。守るべき生徒に押しつけて、自分はのうのうと安全な場所へ逃れている。恐怖で顔が真っ青になり、胃から何かがこみ上げてきそうだ。これのどこが、強さだというのだ。

 

(お姉ちゃんが言ってた……。父さんも母さんも……一番強くて凄かったのは、心の強さだって……!)

 

震えは未だ止まらない。奥歯を噛み締めて必死にこらえようとするが、体の芯まで凍えたように全身が熱を感じない。今の彼は魔法が使えないただのガキだ。武術も習ったことはないし体が特別強いわけでもない。あの死神の鎌で、あっという間に真っ二つにされるだろう。

 

それでも。彼の決意は揺るがない。冷えきった体をなおも動かそうとする鉄の意志と、灼熱の覚悟は彼の背中を押してくれる。

 

「僕は古菲さんみたいに武術は使えないです。楓さんみたいに身軽でも、まき絵さんみたいにずば抜けた特技があるわけでもありません……。でも、僕は先生なんです。例え役立たずだとしても、僕は皆さんを守らなきゃいけないんです! 義務でも、立場からでもない……僕自身の心がそう決めているんです!」

 

ネギのその気迫は、楓からしてもとても少年が決意でできるような覚悟からくるものではないと感じた。心から、彼は生徒である自分たちを助けようとその小さな体を震わせながら決意したのだ。

 

「楓さん、古菲さん。僕は刹那さんと夕映さんを助けに行きます。だからまき絵さんと木乃香さんをお願いします」

 

「ネギ坊主……」

 

「身勝手なことは分かってます、刹那さんを助けるために皆さんを置いていくんですから。それでも、僕の生徒に大事じゃない人なんて誰一人だっていません! 誰一人欠けることなく、皆さんを学年最下位から脱出させてみせます!」

 

そう言うと、ネギはきた道を戻ろうと振り返ろうとする。しかし、楓は彼の肩へと手を伸ばして彼を止める。

 

「放して下さい、楓さん」

 

「待つでござるよ、ネギ坊主」

 

「こうしている間にも刹那さんが……!」

 

「落ち着くでござる!」

 

大声でネギに対して怒鳴りつける楓。普段からは想像できないほどの迫力に満ちたその声は、固く決意をしたネギ少年でさえひるませるには十分だった。

 

「お主一人で行ったところで、刹那殿の邪魔になるだけでござる」

 

「……っ」

 

痛いところを突かれ、少年は押し黙る。魔法も使えないような10歳児が、あれほどの存在と切り結ぶ刹那の助けにならないと、ネギも心の何処かでは理解していた。しかし、理解はしていても心が納得しないのだ。

 

「拙者は刹那殿にお主や皆を守るよう頼まれたでござる。勝手は拙者が許さぬでござるよ」

 

「でも……!」

 

「ただし、お主ら全員が元きた道を戻ってしまうと拙者もついていかざるをえないでござるが」

 

「え……」

 

予想外の言葉に、ネギは一瞬呆ける。しかし、その意図を感じ取ったネギは顔を驚きのものへと変えた。

 

「私も刹那を放っては置けないアル! それにあんな強そうなやつ、滅多に戦える機会なんてないアルよ! だからさっさと戻るアル!」

 

「わ、私だってやる時はやるんだから!」

 

「せっちゃんのことは信じとる。……けど、このまま何もしないなんてうちが自分を許せへん!」

 

「皆さん……!」

 

誰だってあんな恐ろしいものと戦いたくはない。だが、刹那は自らそれに立ち向かってみせた。そして彼女らよりも幼いネギもまた、勇気を奮い立たせて助けに行こうとしている。なら、自分だってできることがあるはずだと、彼女らは決意を固めたのだ。

 

今、皆の心はひとつだった。

 

「さあ、急ぐでござるよ!」

 

「はい!」

 

そうしてもと来た道を戻ろうとし始めた、その時だった。

 

ガコン

 

「へ?」

 

まき絵が足元に違和感を覚える。見れば、石で出来た床が陥没していた。そして。

 

「なっ!? 扉が!」

 

突如入り口の扉が閉まり、密閉状態になる。閉じ込められてしまったのだ。

 

「わーん! ごめんなさーい?!」

 

「罠があったでござるか……!」

 

「な、なんか変な音がしてるアル!?」

 

次いで、後方から鈍い音が。岩石同士がぶつかり合っているかのようなその音の発信源を探してみれば、そこには。

 

「ま、またおばけ~!?」

 

「ご、ゴーレム……!?」

 

祭壇を守護するかのように鎮座していた石像が、ゆっくりと動き始めていたのだ。手には大ぶりの剣が握られている。

 

「で、でっかいアルな~……」

 

その巨体はゆうに3mを超えており、長身の楓でさえ小人に見えてしまう。

 

「くっ! 万事休すでござるか!?」

 

ゆっくりと近づいてくるゴーレムに対し、必死に対抗策を考えるが思いつかない。そしてゴーレムは大ぶりの剣を振り上げると。

 

彼女らへと勢い良く振り下ろした。

 

 

 

 

 

「なぜ『首狩り』がここに……!?」

 

事態の推移を見守っていた学園長は、現在刹那が交戦している相手を見て目を見開いた。かの『組織』の恐るべき魔女に仕え、幾人もの魔法使いの首を断った上位悪魔。爵位こそ有していないが、その実力は折り紙つきであり、まだ未熟な刹那では荷が重すぎる相手だ。

 

「刀子先生! 刹那君が『首狩り』と交戦中じゃ! 至急援護に向かってくれ!」

 

図書館島地下の上層で彼女らの道程を見守っていた葛葉刀子へと大急ぎで指示する。

 

【なっ!? まさか学園にあの『首狩り』ロイフェが!? どういうことですか!?】

 

「儂にも分からぬ! じゃが刹那君にはとても相手できる存在ではない! しかし刀子先生ならば送り返すことは可能なはずじゃ!」

 

【分かりました、迅速に彼女の助けに向かいます!】

 

指示を終えてなお、彼の胸騒ぎは収まらない。想定していた以上の最悪が起こった以上、何が起こるかわからないのだ。そして、その悪い予感は的中した。

 

「馬鹿なっ……なぜゴーレムが勝手に……!?」

 

学園長は驚愕していた。本来であれば到達した彼女らを相手にするために用意したゴーレムは、彼自らが操って彼女らを害さぬ程度に攻撃を仕掛ける手はずだった。今の彼女ら一人一人では到底破壊できない頑強さを誇るこのゴーレムを相手にすることで、仲間との連携の大切さを理解させ、結束を深めるという目的が成就したはずだった。

 

だが、現実は彼の制御を離れたゴーレムが、今にもその巨大な大剣を振り下ろして殺戮を成そうとしているところだった。

 

「待て! 待つんじゃ! 彼女らを害するな! なぜ儂の言うことを聞かぬ!?」

 

必死に念波を送ってみるが、いっこうに受信をする気配がない。どうやら、なんらかの要因で念波を遮断されているようだ。

 

「神多羅木先生! 彼女らを至急救援に向かってくだされ! 儂が用意したゴーレムが何故か暴走をしておる! このままでは彼女らの命が危ない!」

 

同じく上層で巡回任務にあたっていた神多羅木先生へと指示を飛ばす。少女らが危険に晒されている裏で、大人たちもまた危機感を覚えていた。

 

 

 

 

 

「熱き友情かぁ。クキキ、いいねぇ青春だねぇ。どこかの誰かとは大違いだねぇ」

 

少女の言葉に、呆けていた夕映がビクリと体を震わせた後。小刻みに体を揺らし始める。ガタガタと震えるさまは、怯えているように見えた。

 

「あら。あまりイジメちゃ駄目よ。彼女は私の弟子なんだから」

 

「なんだ、嫉妬か? お前らしくもないな」

 

「私の数少ない娯楽をとるな、ということよ」

 

そう言いつつも、夕映には一瞥もくれてやることはない。薄情なやつだねぇと言葉を漏らすと、霊子は珍しくギロリと彼女を睨む。少女は霊子を怒らせるとろくな事にならないことを分かっているため軽く謝罪する。

 

「それはさておいて……。あのゴーレム、中々高度なものだけどどうやって(・・・・・)暴走させたの(・・・・・・)?」

 

「なぁに、予め安置されてたから気配を断って近づいてちょちょいと手を加えただけさ」

 

「相変わらずそういったことは得意ね。私でもできなくはないけど、あれほど細工をした形跡をなくして内部を書き換えるなんて時間がかかるわ」

 

「内部構造はそんな複雑でもなかったからね。クキキッ、ざっと2分で完了したよ」

 

楽しげに語る少女だが、あのゴーレムは学園長自らが用意したかなり高性能なシロモノだ。外部からの工作をされないために対策魔法を施してあったはずであり、それを楽々突破して違和感なく改造を施すなど困難極まりない。

 

そんな中、茶々丸は内部の通信装置を通して誰かと連絡をとっているようだった。

 

「マスター、準備が完了したとのことです」

 

「そうか。それじゃ詰めの一手といくか、クキキキキ!」

 

楽しそうにケタケタと笑いながら、彼女は暴走状態のゴーレムの制御を始めた。

 

 

 

 

 

剣が振り下ろされる寸前、ネギは反射的に生徒たちの前に立ち両手を広げて彼女らをかばおうとした。彼一人があの巨大な剣の前に立ちはだかったところで、容易くひき肉にされてしまうだろう。だが、せめて自分がクッションになれば彼女らの危険を減らせるかもしれない。ネギはそう思っていた。

 

風圧が彼に襲いかかり目を閉じてしまう。そしてもうじき襲いかかるだろう痛みを覚悟して待つ。だが、いくら待ってもその瞬間はやって来ない。恐る恐る目を開いてみると。

 

「え……?」

 

剣が、何者かによって阻まれていた。その人物は赤みがかった髪をツインテールにしており、麻帆良学園中等部指定の制服を着用している。そして、なんとあの巨大な剣を片足で(・・・)止めていた。

 

「全く、心配になって追っかけてきてみればどういうことよこれ……」

 

「あ、アスナさん!?」

 

そう、ネギ少年が居候している部屋の主の一人であり、木乃香の親友がそこにはいた。大剣を片足を上げて足裏で受け止めたまま静止しているが、全く姿勢がブレず、疲労も感じている気配はない。至って平静であった。

 

「す、すっごい……!」

 

まき絵が思わずそんな言葉を漏らす。木乃香も首を縦に振って同意していた。楓は普段細めているその目を大きく見開き、古菲は開いた口が塞がらないといった感じだ。

 

前者二人は純粋にその状況に、後者は自分たちでさえ太刀打ち出来ないであろう石像の攻撃を容易く防いでいる事実をよく理解した上で驚愕していた。

 

「で、コイツは一体何なの?」

 

「え、ええと……」

 

「襲いかかってきたってことは、敵に違いないアル!」

 

「きっとさっきのお化けの仲間だよ!」

 

確証がないためネギは言い淀んだが、まき絵と古菲がそう言った事でとりあえず眼前の存在が敵であると認識したアスナは。

 

「そ。じゃあぶっ壊しても問題ないわよ……」

 

剣を蹴っ飛ばして弾く。重量のある巨大な剣が突如蹴り上げられたせいで、拮抗状態で踏ん張っていたゴーレムは突然のことに対応できなかったのか、大きく体勢を崩す。

 

「ねっ!」

 

その隙を逃さず、彼女はそのままゴーレムに対して足払いを敢行する。本来の重量差で考えれば、その行動はそびえ立つ重い大岩相手に行っているのと同じことだ。普通は足が止められてしまうか、最悪折れる危険性もある。

 

だが。

 

 

「な……!?」

 

現実は、足を大きく払われたゴーレムが一瞬宙に浮き、そのまま後方へと倒れた。土煙を巻き上げながら轟音を響かせるゴーレム。恐るべきは、床の石畳がひび割れるほどの重量を持ちながら倒れても傷ひとつないゴーレムか、それとも……。

 

「あ、アスナってなんか武術やってたアルか……?」

 

「んー? 昔、ちょっとね」

 

驚愕の表情のままアスナにそんな問いを投げかける古菲と、それに曖昧ながらも答えるアスナ。見れば、彼女は息一つ切らしていない。起き上がったゴーレムはなおも彼女らへと襲いかかろうと勢い良く突進してきたが。

 

「邪魔よ」

 

高く跳躍したアスナは、突っ込んできたゴーレムの頭部へと回転の勢いを加えながら勢いよく蹴りこんだ。またも、質量差を無視するかのように側頭部を蹴られた勢いで横倒しになる。見れば、蹴りこまれた部分には罅が入っていた。

 

「す、すごい……」

 

(クー)、お主に今の芸当は可能でござるか?」

 

「いや、多分無理アルな。あのでっかいのは相当硬そうアル、いくら私でも罅を入れるなんて不可能に近いアルよ……」

 

「と、なれば……恐るべきはアスナ殿の力量でござるか……」

 

冷や汗を流しながら目の前の光景を見届ける二人。麻帆良学園でも指折りの実力者である二人がこんな身近にこれほどの実力を有する者がいるとは思わなかった。いや、気づけなかったのだ。それだけ、彼女の隠蔽能力の高さが伺える。

 

「何故実力を隠していたのでござろうか……。木乃香殿、何か知らぬでござるか?」

 

「うちも知らんかったわ、アスナがあんな強いなんて……」

 

「木乃香殿も知らなかったのでござるか。ますます謎でござるな……」

 

彼女への疑念を深める一同の眼前では、ゴーレムの頭部を蹴りで完全に粉砕しているアスナが。

 

「うしっ、いっちょ上がりね」

 

腰に手を当てながらさわやかな笑みを浮かべる彼女。そのまま木乃香らへと近づいていく。

 

「あんたたち、行動力があるのはいいけどもうちょっと危機感ってもんを覚えなさいよ」

 

そう注意をしてくるアスナに、しかし彼女に対する疑問が勝った彼女らは。

 

「いや、それよりもどうやってここまでこれたでござるか?」

 

「アスナって実は強かったアルか! 帰ったらぜひ私と手合わせして欲しいアルよ!」

 

「アスナ、なんでうちに秘密にしてたん? うちとアスナの関係って……」

 

「アスナ~! 怖かったよ~!」

 

「あ、あのアスナさん……助けていただいてありがとうございます!」

 

皆が皆思い思いのことを喋るせいで非常にやかましい。一応、ネギは彼女に対して感謝の意を口にしているが、他の彼女らがやかましいせいで殆ど聞こえなかった。

 

「あーもうっ! うるさいわよっ!」

 

そう言うと、片足をその場で思い切り踏みしめた。その衝撃で、踏みしめた部分だけ地面が陥没する。あまりの光景に一同は言葉をやめて目を点にする。

 

「まず、勝手にこんなとこに行ったことについて何かいうことは?」

 

「「「すいませんでしたー!」」」

 

アスナのあまりにも優しい(?)笑顔に一同は全力で謝罪するほかなかった。

 

 

 

 

 

「ネギがこっそり夜中に抜け出してるから何事かと思って追いかけてったらあんたたちが図書館島に入ってくんだもの、そりゃ心配にもなって追いかけるわよ」

 

「う、ごめんなさい……」

 

「まあ、あんたは皆を説得しようとして丸め込まれちゃったみたいだし、一応先生として心配だから一緒に行ったんでしょ? それぐらいは察せられるわ。でも、先生だったら力づくでも止めるか他の先生呼ぶなりできたでしょ?」

 

アスナにそんな正論を言われて何も言えなくなる。

 

「んー? でもそれってアスナも先生を呼んで待機してればよかったんじゃー?」

 

「うっ……私もちょっと短絡的だとは思ったわよ……。このかも一緒だったから心配だったし」

 

「アスナ……おおきにな……」

 

「私とあんたの仲でしょ、気にしなくていいわよ」

 

「けど、なんでうちに隠し事してたん?」

 

先ほどの暴れっぷりを見た木乃香はそれが気になって仕方がなかったらしい。古菲や楓もかなり気になっている様子だ。

 

「私が海外から来たことは知ってるでしょ? 私の保護者をしてくれてる人の都合で世界中を旅してたんだけど、その時に色々と習ったりしたの。で、私が学校に通えるように麻帆良学園へ編入させてくれたんだけど、学生らしく大人しく過ごせって言われてね……」

 

「あー、せやなぁ……。アスナが強いって分かったら古菲とかがうるさそうやし」

 

「って私のせいアルか!?」

 

「さっき手合わせしようとか言ってたのは誰だったかしら?」

 

そう言われ、大人しく口をつむぐ古菲。色々と図星だった。

 

「でも、どうやってここまでこれたの?」

 

「……あんた達追っかけてたら落とし穴の罠にハマって彷徨ってたのよ……。さっきもここの隠し扉見つけて入ったらあんた達見つけただけ」

 

「な、なるほど。つまりここに辿り着いたのは偶然だったでござるか……」

 

なんとも、手放しで喜べない理由であった。

 

「あ! そうやせっちゃんが!」

 

「え? 刹那さんがどうかしたの?」

 

「先程、得体の知れない何かと遭遇して襲い掛かられたでござるが、刹那殿が殿を務めて足止めを買って出たのでござる!」

 

「夕映さんも行方不明なんです!」

 

皆の必死な様子から、大体の事を察したアスナ。

 

「ちょっ、そういうことは早く言いなさい! 入り口は閉まってるみたいだから、私が入ってきた隠し扉から出るわよ!」

 

「かたじけない!」

 

こうして、彼女らはきた道を戻ってゆくことになった。

 

 

 

 

 

一方、件の刹那の方は……。

 

「はあっ!」

 

「ぬぅっ! 小娘にしては粘りおるわ……!」

 

刃が歪で耳障りな絶叫を響かせると、それに呼応するかのように真っ赤な火の花が咲き乱れ、散る。そして数瞬の鍔迫り合いの後、両者は再び刃を弾いて距離をとる。

 

「神鳴流……『斬空閃』!」

 

「『影狩り(アンブラル・ハンティング)』!」

 

螺旋状に形づくった気の斬撃と、影を屠る漆黒の三日月が激突し、弾ける。衝撃で相手の姿が一瞬だけ隠れるが、両者はその一瞬を利用して相手に肉薄せんと突貫する。

 

「神鳴流『斬魔剣』!」

 

「『三日月影(クレセントムーン・アンブラル)』!」

 

魔を断つ神鳴流の刃と、鋭い影を纏う魔の刃。双方の一撃は、またも拮抗状態で止まった。いや、ほんの一瞬だけ刹那の刃が蹌踉(よろ)めいた。

 

「どうした? 疲れが見えてきているぞ!」

 

そのまま、今度は刹那だけが吹き飛ばされた。なんとか空中で姿勢を制御して地面に降りるも、息が荒くなっている。

 

「まだだ、まだやれる……!」

 

「それを蛮勇と呼ぶのだよ、未熟者めが!」

 

鎌を振り上げ、刹那の命を刈り取るために突撃しようとした時だった。

 

「……む、暫し待て」

 

突然そんなことを言うと、刹那に聞き分けられない程度の声で独りしゃべり始める。どうやら、何者かと念話をしているようだ。しばらくして、ようやく会話が終わったのか一息つくと。

 

「……我が主から引けとのご命令だ。この勝負預けるぞ」

 

「待てっ! 貴様の主人とは一体……!」

 

「それは口が裂けても言えんな。ただ、迂闊に関わろうとすれば火傷では済まないと忠告しておこう。もっとも、君にも(・・・)関わりの(・・・・)あること(・・・・)だが、な」

 

「なにっ、それは一体どういう……!」

 

それ以上は刹那の問に答えることなく、ロイフェは霞のように消え去った。

 

「まさか……。いや、そんなはずはない……」

 

思い浮かんだ一つの可能性を、しかし刹那は即座に否定する。彼女が想定したことはありえないことであり、事実ではないと思ったからだ。刃を鞘へと収めると、彼女らの後を追いかけようと反転して背を向けていた方へと足を向ける。

 

すると。

 

「せ……ゃ……ん!」

 

向こう側から、聞き慣れた人物の声が小さく木霊してくる。それはだんだんと大きくなり、ついにはその声の主が姿を現す。

 

「せっちゃん!」

 

刹那にとっての大切な友人であり護衛対象でもある人物、近衛木乃香であった。

 

「お嬢様! ご無事でしたか!」

 

「うん! 途中で色々あったけど、アスナが助けてくれたんよ!」

 

「え、アスナさんが、ですか?」

 

みやれば、遅れてやってきたネギ一行の中には、先ほどまでいなかったはずのアスナの姿が。

 

「というかせっちゃん!」

 

「え、な、なんでしょう?」

 

突然不機嫌そうな顔をする木乃香に困惑する刹那。なぜいきなりそんなふうになったのかと困惑する刹那を見て、ますます不機嫌になる木乃香。

 

「無事に帰ってきたら、このちゃんって呼ぶ約束! 忘れてたん?」

 

「あ……!」

 

木乃香に言われてようやく思い出す。なにしろ、先ほどまで極限の戦いを強いられていたため先ほど交わした約束が頭から綺麗に抜け落ちていたのだ。

 

「ご、ごめんな……こ、このちゃん……」

 

「あーん、せっちゃんかわええ!」

 

恥じらいながら頬を染めて昔の呼び方で応える彼女を見て、木乃香は思わず抱きつく。傍から見て、なんとも微笑ましくも甘ったるい光景であった。

 

 

 

 

 

明け方、夕映を捜索していた一行はとりあえず一旦地上に出ようというネギの提案で図書館島の地表付近まで上がってきたのだが、そこで巡回任務についていた葛葉刀子教諭に発見された夕映と対面し、お互いの無事を喜ぶとともにこってりと怒られた。

 

「いやはや、ご迷惑をお掛けしたです」

 

「まったくです、これからはこういう危険なことはなるべくしないようになさい!」

 

さんざん説教を受けた挙句、テスト期間が終わったら全員で反省文を書かされることになった。勿論、ネギやアスナも同様である。

 

(それにしても、刹那さんの救援に向かおうとしたら結界に阻まれるなんて……。一体誰があんな妨害を……。神多羅木先生も同様だったらしいし、ロイフェが出てきたことも考えて……まさか『組織』が……?)

 

彼女の疑問は尽きることはなかったが、術を張った者の痕跡は一切残っておらず、迷宮入りとなったのであった。

 

余談だが、ネギ少年によるバカレンジャーのための特別授業により、彼女達は数日でメキメキと理解力を上げた。彼女らが必死に取り組もうとする姿勢と、分からないところを相談しあう連携の高さを発揮したのも大きかった。結果、2-Aは見事学年最下位から学年トップへと躍り出て、周囲を驚かせた。

 

もう一つ余談だが、2-Aのとある少女は期末テストのトトカルチョにてほぼ一人勝ち状態となり大量の食券を手に入れた。彼女いわく。

 

「皆が頑張ってるとこみて、思わず皆に賭けてみたくなっちゃってさー」

 

らしい。こんなところでも、クラスメイトの信頼は発揮されていたのであった。

 

 

 

 

 

「クキキキキキ! これで連帯意識が上がった彼女らに、我々の仲間が紛れ込めたってわけだ」

 

「ロイフェ、ご苦労だったわね」

 

「なんの、お安いご用です。それに久々にあれほどの実力を持つ若手と戦えたのは吾輩としても心躍るものでしたぞ」

 

「貴方が襲いかかってきた後でゴーレムなんてものが暴走して襲ってくれば、彼女らをどうやって発見したのか不明なアスナよりそっちを同じ敵と認識するわよね」

 

全てが、仕組まれていた。ロイフェの役割は彼女らの恐怖心を煽ることで未知に対する警戒心を芽生えさせ、暴走するゴーレムを敵として認識させること。そしてさっそうと助けに現れたアスナは、同じクラスメイトであり疑いを持たれる可能性が非常に低い。

 

万一疑われても、彼女らが心配で追いかけてきたと言えば納得の行く理由となり、図書館島の構造の複雑さで迷っていることにたまたま遭遇することができたという言い訳も現実味を帯びる。

 

そして、当初の学園長の目的であった連帯意識を育てるという点では一致しているが、そこには彼女らと同じ『組織』の人間であるアスナが滑りこむこととなる。

 

「これで彼女らを、アスナを通してコントロールできるってわけだねぇ、クキキッ!」

 

「我々の存在はまだ秘密にしておかなければならないわ。今後の計画で万が一にでもボロを出して悟られてしまわないよう彼女には意識の誘導を担ってもらう」

 

「彼女らは結構鋭い子が多いからねぇ、これで後は教師連中を警戒しながら計画を進めるだけでいいってわけだ」

 

「まあ、さすがに過信はできないけど。いざとなれば馬鹿弟子と茶々丸……それと」

 

「私がいるわけだ。信頼関係が厚いクラスだからこそ、一人が怪しくてももう一人がかばえば疑いは薄くなり……三人以上がグルならむしろ自分を疑ってしまう、クキキキッ」

 

少女らの信頼関係でさえ、悪党にとっては利用価値がある。しかし、そこに血が通った考えなど一切ない。

 

楔は、知らぬ間に打ち込まれていた。



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第二十二話 動き出す物語

動き始める悪。少年は苦難の道を歩みはじめた。


私は私が嫌いだった。

 

周囲の人間は私と違って騒ぐのが好きだ。

 

私は騒がしいの苦手で、いつも距離をおいていた。

 

でも、きっと心の何処かで混ざりたいと思ってたんだと思う。

 

それでも、私はみんなに混ざることができなかった。

 

恥ずかしいとか、意地になってるところとかもあったんだろうけど。

 

私はみんなと触れ合う方法を知らなかった。

 

私は私が嫌いになった。

 

私が周りのみんなと違う"ナニカ"なんじゃないかと思うほどに。

 

そんな私の前に、『彼女』が現れるのは。

 

きっと偶然なんかじゃなかったのだろう。

 

 

 

 

 

『……泣いてるの?』

 

『……だれ?』

 

公園で一人ブランコを漕いで、俯いている私にそう話しかけてきた。声からして女の人、だったと思う。不思議な人だった。顔は仮面をかぶっていて分からなかったが、紫の着物と真っ黒な髪が印象的な人だった。

 

『ないてないよ?』

 

『……嘘。貴女は、心で泣いてる』

 

否定した私に、指を指しながらそう指摘してくる。実際、泣きそうだったのだ。誰とも仲良くできず、そんな私自身が嫌で嫌で泣きそうだった。

 

『……怖いの?』

 

そう尋ねられて、私は戸惑った。何を? 誰が?

 

『……独りは、怖いよ……?』

 

私がひとりぼっちだということを、彼女が正確に言い当てたことに、私は驚いた。

 

『……貴女が、独りが嫌なら……』

 

そう言って彼女は私へ手を差し伸べると、こう言った。

 

『……私達と、来る……?』

 

その言葉に、私は……。

 

 

 

 

 

期末テストも終わり、短い春休みが到来した。ネギは無事に課題を完遂し、翌年度に3-Aとなる2-Aを引き続き担当することとなった。そこで、この春休みを利用して少しでも生徒たちと交流を深めるべく行動したのだ。

 

長瀬楓と鳴滝姉妹の散歩部メンバーらに連れられて、学園中を回った。主に自らが受け持つ生徒たちが所属する部活動に顔を出したりしたのだが、その行く先々でトラブルに巻き込まれたのは最早2-Aではお馴染みのことなのか。

 

結局、学園を回りきる頃には心身ともに疲れ果てていた。が、それでも充実した一日だと感じられ、これからの学園生活に思いを馳せたのだった。

 

また、雪広あやかの実家に招待され、色々と可愛がられたりもした。一緒に招待されたアスナのことはネギのついでだ、などと言っていたが、楽しそうに喧嘩をしている二人を見て、喧嘩するほど仲がいいとはこのことかとネギは思ったのであった。

 

そして、春休みも終わり……。

 

「3ねん!」

 

「A組!」

 

「「「ねぎせんせー!」」」

 

彼女らは3年生へと進級した。しかし、相変わらずの騒がしさは健在である。彼女らが大人しくなることは、恐らく天地がひっくり返るほどのことでもなければないのだろう。

 

「はい、出席取りますよー」

 

一人一人の出欠確認をとっていく。すると、まき絵の姿がないことに気づいた。

 

「あれ、まき絵さんはどうしたんでしょうか?」

 

「まき絵は昨日用事で寮に戻ってこんゆうてたけど……、届けとかなかったんですか?」

 

そう言ったのはまき絵と同室の和泉亜子だ。関西弁が特徴的な子だが、気が弱くお人好しな性格で損をすることが多い子でもあり、3月に卒業生の先輩に告白したが振られたという苦い体験がある。春休みのうちに乗り越えたようだが、一時はかなり凹んでいたらしい。

 

「うーん、まき絵さんのことは連絡が来てないなぁ……。後で届けがないか調べておきますね」

 

欠席届も来ていないということに不安を覚えつつも、あとでもう一度確認をしておくことにし、そのまま出欠確認を続ける。

 

(……なんか、視線を感じる……?)

 

ふと、誰かから見られている感じがしてそちらを見てみると、独りの女生徒がじっとネギのことを見ていた。

 

(あの人は……確か長谷川千雨さん……?)

 

生徒名簿を見て確認をする。彼女は眼鏡を掛けて地味な印象を感じる、ごく普通の一般人にしか見えない。だが、まるで刺すように鋭い視線には若干の敵意のようなものが感じられる。

 

(な、なんか怖いなぁ……)

 

結局、千雨自身がネギと目があった途端に視線を逸らした。一体何だったのかとネギは思ったものの、まだ担任となって日が浅いため生徒の機微など分かるはずもない。結局、疑問には思いつつも頭の片隅へと追いやったのであった。

 

 

 

 

 

出席確認をした後、軽く連絡事項を伝えてから教室を後にしようとした時。しずな先生が慌てて教室へとやってきて、身体測定の旨を伝えた。今日は、進級して一回目の授業日であり、身体測定などが主となっているのだが、ネギはそれを知らなかった。

 

どうも、プリントの印刷ミスでその部分が消えていたらしく、学園に来てまだ日が浅いネギ以外の先生は毎年の恒例行事として忘れていなかったため問題なかったのだが、そのせいでネギにその旨を伝えるのが遅れたらしい。

 

「と、いうわけで皆さん。1限目は身体測定となったため授業はないようです! 時間も押してますし、急いで服を脱いでくださいね!」

 

「あのー、ネギ君。それってネギ君が見てる前でってこと?」

 

「え!?」

 

身体測定のために服を脱いで準備をするよう促したつもりが、一部の生徒は曲解してネギが今すぐ脱げと言っていると勘違いしたらしい。あたふたするネギとそれをニマニマと眺める彼女達。最終的に、あやかによって場を仕切られ、ネギは慌てて教室を出て行った。

 

「そういえば、最近面白い噂を耳にしたんだけどねぇ~」

 

毎度お騒がせのパパラッチ、朝倉和美がそんなことを言うと、そこは噂好きな彼女ら。和美の話に即座に食いついて、どんな話なのかと急かす。

 

「いや、面白いと言っても大したことじゃあないよ? 最近桜通りで夜な夜な怪しい人物が刀を振り上げて襲い掛かってくるって話」

 

「なにそれ!? 面白いじゃなくて物騒な話じゃん!?」

 

「いやいやそれがね、そいつに襲われた相手は傷ひとつつてないの。で、気づいたら足跡一つ残さずに消えるらしいのよ」

 

これは何かの事件の匂いがするわね、などと言いつつうんうん頷く和美をよそに、彼女らは噂話に花を咲かせる。

 

「なんか嘘くさいわね……」

 

「でも、実際襲われた人がいるらしいよ? 3-Bでも襲われたって話を友達から聞いたし」

 

「え、本当だったの? てっきり都市伝説とかの他愛ない噂話かと思ったけど」

 

「ね、ね。これってもしかして幽霊なんじゃ!?」

 

ついにはオカルトじみた話にまで飛躍し、最終的に、『麻帆良学園が建つ遥か昔、ここは合戦場であり、そこで果てた武将の幽霊が今もさまよっている』などという尾ひれのつきまくった内容となった。

 

「むむ、そんな非科学的なものは存在するはずがないですよ!」

 

しかし、それに待ったをかけたのがマッドサイエンティストこと葉加瀬聡美であった。科学に取り憑かれた科学者を自負する彼女としては、非科学的な存在である幽霊などという存在は到底許し難かった。

 

「えー? でも幽霊って存在しないっていう証明もできないじゃん!」

 

と反論するのは明石裕奈。バスケ部に所属する明るく快活な少女である。自他ともに認めるファザコンであるが、父である明石教授は早く娘が父離れをしてくれないかと悩みの種となっていることを彼女は知らない。もっとも、父親である彼がだらしないせいでそれに拍車がかかっていることを彼自身は気づいていないが。

 

「なんと、ここで悪魔の証明を出してきますか! いいでしょう、だったら私自らその桜通りへと赴いて検証を……!」

 

非科学的な存在を前に、挑戦に燃える聡美であったが。

 

「おいおい、やめておけ。最近は巡回の先生が増えているからろくな事にならんぞ」

 

待ったをかける人物がいた。クラスでも落ち着いた雰囲気で彼女らのストッパーを務める大川美姫だ。

 

「最悪、あの新田先生に捕まって説教コースが確定するが?」

 

彼女がそう言うと、聡美が石のように固まる。いや、彼女だけではない。クラスメイトのほとんどがそうなった。新田先生といえば、彼女らの学年主任でありとにかく厳しい人物として有名だ。しょっちゅう羽目をはずす3-Aメンバーにとっては天敵といえる人物でもあり、通称は『鬼の新田』。

 

「や、やっぱりこの話はまた今度にしましょう……」

 

「そ、そうだね……」

 

誰も、好き好んで地雷原に突っ込むものはいないのだ。結局、この話は有耶無耶にして別の話題へと移行していった。

 

 

 

 

 

「そういえば、まき絵が珍しくいなかったけど、なんかあったのかな?」

 

「うーん。まき絵が休むなんて明日は雨かもとか思ってたけど」

 

「風邪でも引いたのかな?」

 

普段から元気だけがとりえとも言えるまき絵が、珍しく朝から姿を見せていないことに疑問符を浮かべる彼女達。

 

そんな話をしていた時だった。

 

「はぁ、はぁ……た、大変や! ま、まき絵が倒れた!」

 

保健委員として保健室に行っていた和泉亜子が大慌てで教室へと戻り、衝撃的なことを口にした。

 

「……どういうこと……?」

 

「まき絵になんかあったの!?」

 

まき絵と特に仲がいい裕奈と大河内アキラは驚きのあまり亜子へと近づいてそう聞く。二人の迫力に押され、亜子は思わず縮こまった。

 

「はぁ、はぁ……え、えと……」

 

「落ち着きなさい二人共! 亜子さん、まずは少し落ち着いて息を整えましょう? 走ってきて息が切れていますわ」

 

「せ、せや、な……。ふぅ、大分落ち着いたわ」

 

ゆっくりと息を整え、平静に戻る亜子。そして彼女はゆっくりとまき絵の容態について話し始めた。彼女に目立った外傷はなく、穏やかに眠っているということ。今は眠っているだけでもうじき目を覚ますであろうこと。

 

そして、彼女が桜通りで倒れているところを朝方に発見されたこと。

 

「さ、桜通り……!?」

 

「うん? 和美なんか知っとるん?」

 

「さっきその桜通りの噂話を話していたんだよ、桜通りにお化けが出るって話」

 

と、柿崎美砂が補足を入れる。普段はオカルトやアダルトな話題を好んで話す彼女も、クラスメイトが倒れたとあってやや険しい顔をしている。

 

「お化け、でござるか……」

 

「お化けアルか……」

 

クラスメイトがまき絵のことで話を広げている中、バカレンジャー達他は教室の隅に集まって難しい顔をしていた。

 

「この前の死神でござろうか……」

 

「いや、あれほど強力な魔であれば私が気づかないはずがない。それに奴は主人とやらに忠実な存在のはずだ。我々を殺すメリットはあれど見逃すメリットは無いはず……」

 

「まき絵大丈夫やろか……」

 

図書館島の地下で得体の知れない存在と邂逅した彼女らからすれば、噂話程度でしか無いこととて最早看過できるものではない。いくら怪我一つしていないとはいえ、未知なる相手がどんなことをするかなど分かりはしないのだから。

 

歯車は、再びゆっくりと回り始める。

 

 

 

 

 

日も沈んだ頃。遅くまで図書室で本を読みふけってしまったのどかは、急いで寮に戻ろうと早足で道を進んでいた。すると、今朝話題になっていた場所が目につく。

 

(桜通りだ……)

 

まき絵が気絶していた場所である。幸い、彼女は1時限目半ばの頃に目を覚まし、軽く保険医に診察を受けた後、無事に授業へと復帰した。しかし、なぜあんなところで倒れていたのかは覚えていないというのだ。

 

(……どうしよう、ここを通ればすぐ寮だけど……)

 

この桜通りはその名の通り桜並木が美しい隠れた名所として有名であり、学校施設へ行くためのショートカットとしても重宝している。ここ以外の道をたどる場合、かなりの時間をロスすることになってしまう。日がとうに沈んでしまっている今、早く帰らねば寮の門限に間に合わなくなるだろう。そうなれば、お説教と反省文は免れない。

 

(うう、怖いけど……行くしかない、よね……)

 

元来大人しい性格の彼女にとって、お化けや幽霊などのホラー話は大の苦手だ。小説や物語であれば楽しめるが、そういった噂話のたぐいは時折妙なリアリティーがあってどうにも受けつけないのである。

 

が、ここでいつまでも二の足を踏んでいては戻れるものも戻れなくなる。そう勇気を奮い立たせて彼女は桜通りへと足を踏み入れた。

 

だが、彼女は後悔することとなる。お説教を受けてでも、安全な道を通るべきだったと。

 

 

 

 

 

「暗いなぁ……」

 

街灯の明かりは辛うじてあるものの、それさえ塗りつぶすかのような暗闇にはか細い蜘蛛の糸のようである。チカチカとチラつく白色電灯の明かりが不気味さに拍車をかけており、別の世界へと迷いこんだかのような錯覚を覚えさせた。

 

頬を撫ぜる生暖かな風は、桜を舞い散らせて美しい桜吹雪を演出する。しかし、月明かりに照らされた夜桜は美しくも妖しく、気味の悪い調和を成している。

 

「うぅ……怖いよぉ……」

 

普段はなんとも思わないようなこの道に、まき絵が倒れたという事実を聞かされた今日に限っては小さな恐怖を感じていた。急いでここを通り抜けようと、早足で道を進んでいく。

 

すると。

 

「誰かいる……」

 

なるべく周囲を見ないように、地面を見ながら歩いていたため気付かなかったが、もう少しで桜通りを抜けるだろうと思い顔を上げると、誰かが行く先にいた。

 

「あ、あれ……!?」

 

一瞬、その誰かの姿がブレた気がした。目の錯覚かと思い思わず両目を擦る。すると、先程と同様にその誰かが佇んでいた。

 

「や、やっぱり目の錯覚だよね……」

 

その時。先ほどまでの微風とは違い、一瞬強い風が彼女の前を横切った。

 

「きゃっ……!?」

 

桜の花びらが一斉に散り、彼女の視界を塞ぐ。それは一瞬の出来事であり、彼女の前を塞いだ花びらはすぐに遠くへと飛び去っていったのだが。

 

「え?」

 

遠くにいたはずの誰かが、何故(・・)目の前に(・・・・)いるのか(・・・・)

 

「ひっ……!」

 

真っ黒なローブを纏ったその人物は、頭をフードですっぽりと覆い隠し、顔は全く見えない。背丈はそこまで大きくはなく、女子としては平均的な身長ののどかとさして変わらない。だが、感じる雰囲気はただの一般生徒である彼女からして異常に感じられた。

 

「あ、あなたは誰……!?」

 

『……お前が知る必要はない』

 

彼女の問いかけに答えることなく、相手はそう言って彼女に手を伸ばす。明らかに人間らしくないその声は、恐らく機械音声によるものだろう。

 

「あ、あ……!」

 

逃げようと必死に体を動かそうとするが、何故かいうことを聞いてくれない。そして相手の指先が彼女の額へと添えられると。

 

『眠れ』

 

最後に彼女の意識が薄れ行く時、彼女の耳にはただそんな言葉が聞こえた。

 

 

 

 

 

のどかが気絶した直後だった。

 

「『魔法の射手(サギタ・マギカ)』!」

 

『む……?』

 

まき絵が気絶していた原因を探ろうと、桜通りへやってきていたネギが不審人物がのどかに触れている場面を目撃したのだ。そして、彼は生徒である彼女を守ろうと魔法によって攻撃を放った。

 

だが。

 

「っ! 魔法障壁!?」

 

魔法によって形作られた矢は、同じく魔法の障壁によって防がれた。

 

『来たか、ネギ・スプリングフィールド』

 

「僕のことを知っているのか……!」

 

飄々とした態度で目の前の相手はそんなことを言う。自分の名前を言われ、警戒心を強めるネギ。

 

『君を待っていたのだよ、ネギ先生』

 

「僕を……待ってた……?」

 

『そうさ。私が昨晩佐々木まき絵を襲ったのも、今日宮崎のどかを襲ったのも……全ては君をおびき寄せるため』

 

衝撃的な言葉に、ネギは驚く。目の前の相手は、自分を誘い込む、それだけのために彼の生徒二人に手を出したというのだ。その言葉にネギは怒りを顕にした。

 

「そんな、そんなことで僕の生徒に手を出したんですかッ!」

 

『だからこそだ。君が生徒を大切にしていることは知っているからな、誘い出すためのいい餌になった』

 

「僕は、僕は貴方を許さない!」

 

『そうかい、じゃあどうするんだ?』

 

ネギは身の丈ほどもある杖を構えると。

 

「貴方を捕まえて、目的を吐いてもらいます!」

 

一直線に目の前の人物へと突撃していく。無論、魔法を唱えながらだ。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル……、『魔法の射手(サギタ・マギカ)! 光の九矢(セリエス・ルーキス)』!」

 

九本の光の矢を自在に飛ばしながら相手に肉薄しようとするが、その尽くは対象の魔法障壁で防がれてしまう。

 

『どうしたネギ先生。その程度かい?』

 

しかし、相手の行動を鈍らせるには十分な働きを期待できる。ならば、本命の魔法を放つ時間も稼げる。

 

「どれほど強力な障壁があろうと関係ありません! ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 『風花(フランス)武装解除(エクサルマティオー)』!」

 

対象の身につけているものすべてを吹き飛ばす呪文だ。魔法としては初歩的な部類のものだが対象の武器を吹き飛ばして無効化させるといった事が可能であるため、単純ながら強力である。魔法使いは何らかの魔法媒体が存在しなければ基本的に無力となり、たとえ魔法障壁は媒体なしで維持できても、媒体がある状態とは天と地ほどの差が生じる。

 

しかし、彼の予想とは違う結果が起こる。

 

「そんなっ……!」

 

『『武装解除』か、小賢しい』

 

目の前の相手は若干不機嫌そうな声になったものの、身につけている衣服は全くの無事であった。

 

『私が嫌いな魔法だ、衣服を剥くなどという品がない上に私の大好きなものまで吹き飛ばしてしまうからな。もっとも、だからこそ対策はしっかりとしているが』

 

そう言って相手は、右腕を掲げてみせる。そこには、青い宝石が嵌め込まれたシンプルなデザインのブレスレットがあった。

 

『『武装解除』を無効化する対策魔道具さ。まあ、一流の魔法使いはこんなものなどなくても対策魔法で無効化できるだろうが』

 

「くっ! ラス・テル・マ・スキル・マギステル……」

 

『遅い』

 

再び魔法を放とうとするが、相手が左手をさらけ出すと、突如その腕が伸びて彼の喉笛へと襲いかかった。

 

「がっ……!」

 

『ジョークグッズでも案外役に立つ。この腕にはめているのは『バネ人間』という装着者の身体をバネのように伸び縮みさせることが可能となる魔法のパーティグッズさ。気まぐれでつけていたんだが、何事も使い方次第というわけだ』

 

伸びる長さは3m程度であり、本来ならばとても戦闘に使えるようなものではない。しかし、一気に勝負を決めようとかなり接近していたネギを捉えるには十分だった。そのまま腕を縮ませ、彼をすぐ近くまで引き寄せる。

 

『気分はどうだい、ネギ先生』

 

「は、な……せ……!」

 

『よかろう、放してやる』

 

ネギの言葉に対し、相手はその要望に応えてやる。ただし、上空に放り投げるという方法でだったが。ネギは慌てて杖による飛行術を発動して息を整えようとする。

 

「ぜぇ、ぜぇ……」

 

『なんだ、もう息が上がったのか?』

 

「まだ、やれます……!」

 

『その意気だ。では……』

 

その時だった。

 

「何やってんのよ、あんた」

 

 

 

 

 

『ん?』

 

横から別の誰かの声。のどかのものではない、彼女は今も気絶したままだ。

 

「あ、アスナさん!?」

 

「……あんたなんで浮いてんのよ」

 

神楽坂アスナであった。彼女は杖で浮いているネギに怪訝な表情を向けつつも、目の前にいる怪しげな人物へと問いかける。

 

「あんた何者よ?」

 

『神楽坂アスナか。君が来るのは予想していなかったな』

 

「答えなさいよ!」

 

『……邪魔が入ったな。今回はここまでとしようか』

 

そう言うと、何者かは虚空へと浮かび上がる。

 

「ちょっ、コイツも浮いた!?」

 

驚愕するアスナを尻目に、何者かはネギを指さしてこういった。

 

『私の目的はあくまで君だネギ先生。君と戦う事こそが目的、だが部外者に介入されるのは正直好ましくない。次はもう少し人払いを済ませるべきだな……』

 

「次なんてありません! 貴方はここで捕らえます!」

 

『無理だよ。たしかに君は優秀だし、逃げようとしたところで捕縛されるかもしれない。だがね……』

 

その時。二人の間を分け隔てるかのように、何者かが現れた。

 

その人物は。

 

「ちゃ、茶々丸さん?!」

 

「こんばんは、ネギ先生」

 

「え、あっ、こ、こんばんは……」

 

彼の受け持つ3-Aの生徒の一人である、絡繰茶々丸だった。彼女は恭しくお辞儀をし、ネギも思わずそれに習ってお辞儀をする。

 

『いいタイミングだ茶々丸、さすが私の従者』

 

「恐れいります、マスター」

 

「茶々丸さんがこの人の従者!?」

 

衝撃的な事実に、ネギは思わずそう叫ぶ。まさか、自分の生徒がこの事件の犯人と関わっているとは思わなかったのだ。

 

『さあ、君は自分の生徒を傷つけるか? 無理だろう、君は優しすぎるからな。それに、よしんば君が茶々丸と戦うとしても、その間に逃げおおせられる』

 

「くっ……!」

 

『君に従者がいれば私を捕らえられるだろうが、今は不可能だ。君が私を捕らえたいのならば、従者を探すことをおすすめするよ。ああ、そうそう。この学園でも魔法関係者はいるが、そういった人物らに話さないでくれよ? うっかり君の生徒に何かしてしまうかもしれん』

 

そう言うと、謎の人物は悠々と虚空を泳いでゆく。追いかけようにも、無言で立ちはだかる茶々丸に塞がれてしまう。

 

「どいて下さい茶々丸さん!」

 

「残念ですが、私の優先命令権はマスターに御座います。先生のその要望にはお答えできません」

 

結局、謎の人物が見えなくなるまで茶々丸は彼を抑え続け、謎の人物が完全に去った後は役目を終えたとばかりに退散していった。

 

 

 

 

 

「なんで茶々丸さんが……」

 

茶々丸に妨害をされたことのショックで、思わずそんな言葉が漏れ出る。

 

「……色々聞きたいことはあるけど、まず1つだけ聞くわよ。あんた、何者なの?」

 

「えっ!? ええと、その……」

 

茶々丸のことで頭からすっぽりと抜け落ちていたが、彼が魔法を使っていたところをアスナが目撃していた事実は覆らない。しかし、魔法使いは秘匿された存在であり、たとえ信頼する相手であろうとも迂闊に喋ってはならないのである。

 

「……ひょっとして、魔法使いとか?」

 

「なんで分かったんですか!? あっ……」

 

「簡単に引っかかるとか……。まあ、前のゴーレムを見た時からそういうのがあるのかもって薄々思ってはいたけどね」

 

アスナがかけた鎌にあっさりと引っかかってしまうネギ。しかし、アスナはどうやら図書館島の件で殆ど気づいていたらしい。

 

「あ、あのアスナさん! 僕が魔法使いだってことは誰にも言わないで下さい!」

 

「ああはいはい、分かってるわよ。あんたのその態度からして余程秘密にしないといけないことなんでしょ? それに魔法使いがいるとか言いふらしても、誰も信じやしないわよ」

 

「ありがとうございます!」

 

「それより、本屋ちゃんをさっさと運びましょ? 風邪引いちゃうわ」

 

のどかを運ぶ道中で様々な問答をしながら、彼女を寮へとおぶってゆくアスナと、難しい顔でこれからのことに不安を抱くネギだった。

 

 

 

(まずは私が魔法を知ることには成功、か。一番最初に魔法がバレた相手になるから、色々と頼られるってポジションは確保できたわ。こいつの従者になるつもりはさらさら無いけど、さっさと従者候補を見立ててあげますかね)

 

彼は知らない。自分を二度も助けてくれた頼れる女生徒が、『向こう側』でも高い地位を持つ内通者であることなど。

 

 

 

 

 

翌朝。彼はいつも通り出欠確認をとった後、のどかが桜通りで倒れていたことを説明して質問攻めにされるも、彼女の無事と、彼女が安全のために欠席したことを話すと、彼女らは一先ず落ち着いた。

 

そして1時限目が担当の授業だったためそのまま授業を始める。

 

(従者……パートナー、か。僕に協力してくれる人なんているんだろうか? もし選ぶなら僕と親しい人がいいけど……)

 

ふと、視線を彼女らへと向けるが、すぐに視線をそらす。それを何度も繰り返すネギの様子に、彼女らはヒソヒソと話しだす。

 

(ねぇ、なんかネギ先生こっちをちらちら見てない?)

 

(せやなぁ、ちょっといつもと雰囲気が違うわ。何かあったんやろか?)

 

(いや、駄目だ。生徒を巻き込むなんてできない、やっぱり僕だけで何とかしないと……)

 

彼の普段とは違った態度とちらちら向けられる視線に生徒たちは興味津々といった風で、結局授業はあまり進行しなかった。

 

 

 

 

 

「あ、茶々丸さん……」

 

「こんにちは、ネギ先生」

 

昼休み、廊下を歩いていた彼は茶々丸と遭遇していた。昨夜の事があったにもかかわらず、彼女は無表情のまま平然とした様子であった。

 

「あ、あの……」

 

「昨日のことですか?」

 

彼が聞きたいことをズバリ当ててきた彼女に、ネギは少し苦い顔になるが構わず彼女へと質問を投げかける。

 

「昨日のあの人は、一体何者何ですか?」

 

「お答えすることはできません」

 

「どうしてですか……?」

 

「私が答えられる質問ではございませんので」

 

無表情のままそう告げる。取り付く島もない状態で、ネギは言葉に詰まってしまう。しかし彼女はこう続けた。

 

「ですが、マスターより答えられる範囲であれば話してもよいと言われております。その範囲内であれば、お答えすることは可能です」

 

「ほ、本当ですか?!」

 

「はい、マスターの正体は明かすことは許されておりませんが、マスターのへたどり着くためのヒントはある程度までは与えても構わないとのことでした」

 

茶々丸の言葉に、ネギは一瞬喜びの表情を浮かべるもついで告げられたことに困惑した。なぜ、あの人物は正体は明かさないにもかかわらず自分へとたどり着けるようにレールを敷くような真似をしているのか。

 

その疑問は、次の彼女の言葉で嫌でも理解させられることとなった。

 

「私のマスターの正体へ関与することで私が把握していることは2つです。一つは、マスターはネギ先生との戦いを望んでいること、そしてもう一つは……」

 

ネギ先生の担当する3-Aの生徒であるということです。

 

 

 

 

 

茶々丸が去った後も呆然としていたネギは、脳内で先程の言葉を反芻していた。

 

(あの犯人が……僕の生徒……!?)

 

だから、情報をあえて公開したのか。彼の庇護下にある存在が、実は彼の命を狙うブルータスであるからこそ。中途半端に公開された情報は毒として機能する。それこそ、彼のクラスの誰があの人物なのかと疑ってしまうほどに。

 

(そんな……僕は茶々丸さんだけでなくクラスの中に紛れたもう一人にも警戒しなくちゃならないなんて……!)

 

実際にはアスナも協力者であり、夕映も裏切りを強制されている身のため少なくとも4人の生徒が彼の敵である。だが、その二人はネギと表向きには敵対はしていないため気づくことはない。

 

(誰なんだ……)

 

必死になって考えてはみるものの、思い当たるはずもない。そもそも、自分の生徒を疑う行為自体が恥ずべき行為であり、ネギもそう思っているからこそ苦しい心持ちになる。

 

(駄目だ……僕には、みんなを疑うなんてできない……!)

 

この2ヶ月ほどで、生徒たちと随分と思い出ができた。特に、図書館島の地下ではあの苦労を共にしただけあり特別感じるものがある。そんな彼女らの誰かと、敵対しなくてはならないのだ。

 

「はぁ……どうしよう……」

 

溜息を一つつくも、状況がよくなってくれるわけでもない。とぼとぼと職員室へと戻ろうとしていたその時だった。

 

「ネギ先生」

 

背後から、彼を呼び止める声がした。振り返ってみると。

 

「千雨さん? どうかしましたか?」

 

長谷川千雨だった。普段ほとんど話すことのない相手がいきなり話しかけてきたことに、彼は少し以外だなと思う。

 

「いや、少しお聞きしたいことがあるんですが……」

 

どうやら、彼に話を聞きに来たらしい。一瞬、彼女があの人物だとすればなどと思うも、そんなことは考えるだけ無駄だと無理やり思考から弾き出す。

 

「ネギ先生?」

 

「あ、すみません! ちょっと考え事をしてて……」

 

「そうですか。それで、聞きたいことっていうのは宮崎さんのことなんですけど」

 

「あ、そのことですか。のどかさんは今寮で安静になさってますが、明日には学校に来れると思いますよ」

 

「いえ、そっちのことではなく。彼女の事、というよりは彼女に関わることで」

 

彼女の質問に答えたネギだったが、どうやら千雨の質問の意図は別のことであったらしい。

 

「彼女を気絶させたのは一体誰なんですか?」

 

「それは……不明です。ですが先生方が調べているらしいですのでもう少しすれば原因がわかると思います」

 

とりあえず、無難に今分かっていることを話す。実際に犯人が誰かなど知らないので答えようがなかった。

 

「……そういえば、ネギ先生は宮崎さんを発見した後介抱していたらしいですが、睡眠はきちんととられたんですか?」

 

「あ、はい。のどかさんをしばらく介抱した後に同室の夕映さんにお任せして、そのあとはしっかりと寝ましたよ」

 

「そうですか。ありがとうございました」

 

「いえ、クラスメイトののどかさんとまき絵さんが襲われて、不安に思わないはずもないでしょうし、長谷川さんの質問は当然だと思います」

 

「では、私はこれで失礼します」

 

ひと通りの質問を終えた彼女は、そのまま教室へと戻っていった。ネギもそのまま戻ろうとしたのだが、ふとあることに気づく。

 

(……あれっ? 僕、今日の朝にのどかさんが倒れていたことは話したけど、それが昨日の夜だなんて言ったっけ?)

 

彼女が倒れていたことを話した後、質問攻めにされたせいで慌てて彼女の無事を説明したのだが、それ以上のことを話した覚えがない。だが、千雨ははっきりと言っていた。

 

睡眠は(・・・)きちんと(・・・・)とったのか(・・・・・)、と。

 

(……そんな、いやまさか……)

 

彼がのどかを寮へと運び入れた時、既に門限を過ぎていたため殆どの女生徒が部屋に戻っていたはずだし、同室の夕映にはこのことを話さないように言っていた。話が広まって、混乱が起こることを避けるためだ。

 

勿論、ネギの事情を知ってしまったアスナにも言わないように釘を差した。つまり、彼がのどかを助けたのが夜だと知っているのは夕映とアスナだけのはずなのだ。

 

あの、犯人と茶々丸以外を除いては。

 

(千雨さんが……あの犯人……!?)

 

疑惑は深まり、淀んでいく。



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第二十三話 光と闇の邂逅

孤独な中、それでも戦う者がいる。
孤独は時に光と闇を分かつ。


ネギ少年が自らの生徒に対する葛藤で悩んでいる時。アスナは人気のない場所にて携帯である人物と連絡をとっていた。

 

「……という感じです。今のところは、予定通りかと」

 

【あの子もしっかりと役割を果たしているようだな。最近は発作(・・)を起こしてないか?】

 

「はい、安定はしてきてます。ただ、やはり不安定な部分が大きいかと」

 

【仕方がないな、今度訪れた時に私が直接診るとしよう】

 

電話の相手に近況を報告するアスナ。

 

【あまり長い時間話すと勘づかれるな、今日はここまでにしよう】

 

「そうですね、ではまた」

 

【ああ、1週間後にな……】

 

約束を交わし、電話を切る。数年ぶりとなる再会に思いを馳せつつも、彼女は携帯をポケットにしまい、その場所を去る。

 

 

 

 

 

生徒たちの間で話題になっている『桜通りの幽霊』と邂逅を果たした日から二日後。再び3-Aから被害者がでた。大河内アキラと、大川美姫であった。アキラは部活帰りに、美姫は下校時の事だったらしい。

 

幸いなことに、二人もまた気を失っていただけで外傷は一切見受けられなかった。また、今回は二人共救出して僅かな時間で意識が回復したのだ。意識を取り戻した二人によれば、いつの間にか桜通りへと迷いこんでいたのだという。

 

「……意識誘導の魔法……なのかな」

 

難しい顔をしながら思案するネギ少年。今日も調査のために桜通りへとやってきたのだが、一切の魔法的痕跡が見受けられない。

 

「もしかして、魔道具……?」

 

魔法は便利ではあるが、魔力を媒介にして現象を発生させるため、その痕跡を残しやすいという欠点がある。そのため、魔法を使用した痕跡が少しでも残っていれば、優秀な魔法使いならば簡単に魔法が使われたのだと特定できる。

 

だが、魔道具の場合はそうはいかない。魔力を使うが現象を行うための魔法が道具の内部に格納されているため痕跡が極めて残りにくいものが多いのだ。尤も、それはあくまでも小規模な魔法を発生させた場合であり、中大規模の魔法は濃い魔力が滞留するため痕跡を消しきれないが。

 

「……なんとしてでも、こんなことをやめさせないと……!」

 

彼の生徒であるという犯人。その人物によって被害にあっている人間は既に2桁まで増えた。今はまだ気を失う以外の被害はないが、このまま手を拱いて重傷者や、下手をすれば死者が出るのはなんとしても避けたい。ネギはひと通りの調査を終えると、寮へと戻ろうと足を反対方向へと向けた。

 

「あ……茶々丸さん……」

 

「どうも。ネギ先生」

 

そこにはかの犯人の共犯者であり、従者でもある茶々丸の姿があった。

 

「本日はネギ先生にご報告に参りました」

 

「報告、ですか?」

 

どうやら、自分に用事があるらしいことを理解したネギは、一体どんな話だろうと考える。

 

「マスターはご体調が優れず、本日より三日間行動を起こさないと言われました。また、その三日間の猶予のうちに少しでも強くなれとのお達しです」

 

「三日の……猶予……」

 

「それでは、私はこれから食材の買い出しがございますので」

 

ペコリとお辞儀をすると、ネギの横を通り抜けていった。振り返ってみれば、既に彼女は公園の入口付近まで歩いていっている。

 

「……強く、か」

 

母代わりとも言えるネカネが、かつてネギに言った言葉。大切なのは、『心の強さ』だと。

 

「もっと、強くなろう。僕にどれだけできるかはわからないけど、僕の生徒をこれ以上危険には晒せない」

 

決意を新たに、ネギもまた公園を去った。その様子を眺める、一人の女生徒の姿に気づかぬまま。

 

「……まだ駄目だ。もう少し判断材料がいる……」

 

 

 

 

 

「で、アイツは調子に乗って体調を崩したと」

 

「みたいね。今は自宅で療養中、明日には復帰出来ても三日は大人しくするように言い含めておいたから」

 

図書館島地下、柳宮霊子の自室にて二人は対話する。アスナがここにやってくるのは非常に珍しい。普段普通の優秀な一般生徒を演じることを心がけている彼女にとっては、少しの綻びも許さないがごとくこの図書館島地下へはやって来ないのだ。

 

だが、今はここにいないもう一人によって起きている事件の調査で、魔法生徒や先生の目が逸れている。おかげで、久々に霊子と直接対話をすることが出来る余裕ができたのだ。長い付き合いである彼女の来訪に霊子も少々気分が高揚しているらしく、もてなしの茶を自身が淹れるぐらいには機嫌がよい。

 

「まったく……マスターがもうすぐ来るって聞いてはりきってたけど、倒れるぐらいはりきるなんてナンセンスすぎるわ」

 

「彼女の不安定さは知っているでしょう? あの人(・・・)に対する彼女の信頼は、ある種の狂信に近いものがあるわ」

 

あの人のことについて言及する霊子。その人物と霊子は一応組織内での序列があるとはいえ、私事では対等の関係でもある。それをわざわざアスナの前であの人と言うのは、アスナもまた倒れたもう一人と同じく彼女を慕っているから。

 

(アスナとも、彼女とも対等な友人関係は築けてはいるけど、組織にいる以上は上下関係をしっかりしないと……最悪、アスナに殺されかねないわ)

 

霊子とて『組織』では幹部の一人である。それも古参の一人であり、同じく幹部ではあるが新参であるもう一人とは実力が違う。そんな彼女でさえ、アスナにはかなわない。相性もあるが、まず間違いなく勝てないと霊子は確信している。

 

「無茶ばかりされるとこっちにまで飛び火しそうだし、一応しばらく大人しくするよう茶々丸を通して言い聞かせたわ。あとは、あの人が来るまで抑えればいいだけよ」

 

「悪いわね、霊子。私どうもアイツだけは苦手でねぇ……」

 

昔彼女と一悶着あって以来苦手意識が抜けないアスナ。心底関わり合いになりたくないという雰囲気が伺える。

 

「別に感謝はいらないわ。さ、久々に私が直々に淹れた茶が冷めてしまうわ」

 

そう言って飲むのをすすめるも、アスナは一向にカップへと手を伸ばさない。

 

「これ、なんか変な匂いがするんだけど……霊子が淹れたって、絶対変な味でしょ……」

 

「あら、意外とイケるのよ? パイナップル練乳ティー」

 

 

 

 

 

「まただ……」

 

『桜通りの幽霊』と出会って以来、誰かからの視線を頻繁に感じるようになった。犯人やネギも知らない共犯者が監視しているのか。それとも……。

 

(いや、今はそんなことはどうでもいい。大事なことは……)

 

茶々丸は主人の体調がすぐれないと言っていた。だから三日だけ猶予を与えると。

 

(裏を返せば、僕の生徒であるというその人物は今全力が出せないということ……!)

 

犯人は彼の生徒の中にいる。茶々丸の言葉にそれは嘘ではないかと問うたが、それはあり得ないと証言している。もし疑うのならば、自分の記憶用ハードディスクを製作者である葉加瀬聡美に解析してもらって構わないと。

 

つまり、彼の生徒であることはまず確定している。そして、今その人物は体調が優れず全力を出すことが困難。これも嘘かと疑ったが、それならば態々三日の猶予を与えるなどと彼に通告する意味が無い。加えて、茶々丸が言うには今回の事件には共犯者が存在しないという。絶好のチャンスと言えよう。

 

(今日欠席している生徒は……)

 

意識が回復した後、風邪を引いてしまい休んでいるアキラと美姫、そして……。

 

(長谷川……千雨、さん……)

 

人を寄せ付けないながら、普通の一般人という認識しか抱かなかった少女。だが、思えば身体測定の時にも自分を睨んできていたし、何より犯人しか知らないはずののどかが発見された時刻を知っていた。

 

「確かめなきゃ……!」

 

 

 

 

 

ネギは千雨の住居前まで来ていた。

 

「千雨さーん! 授業用のプリントを届けにきました!」

 

彼女に会うため、建前として授業で使用したプリントを届けに来た。委員長自らが届けると言い出した時には焦ったが、彼女の様子を見るついでだと何とか誤魔化すことができた。

 

「おかしいなぁ、ここのはずなんだけど……」

 

先程から呼びかけても、住人が一向に応じないことに疑問符を浮かべる。目的地はここで合っているはずだ。

 

「うーん、出直すしか無いかなぁ……あれ?」

 

窓をよく見ると、明かりが小さく見えている。どうやら、目的の人物が中にいることは確からしい。

 

「やっぱり……」

 

間違いなく居留守だろう。つまり、相手は呼びかけに応じるつもりが初めから無いということ。

 

「どうすれば……」

 

どうやって相手を中から出すことができるか、思案しながら無意識のうちにドアに背を向けてもたれかかり。

 

「うわっ!?」

 

突如、ドアが開いて後ろへと投げ出されてしまう。それと同時に首根っこを何者かに掴まれ、ぐいと引き寄せられつつもその人物によって扉が勢いよく閉められた。

 

「ようやく油断したな……先生」

 

「千雨、さん……!」

 

彼を後ろから羽交い絞めにしている人物。それは目的の相手、長谷川千雨本人だった。首に冷たいものが押し当てられていることから、なにか金属製の凶器を押しつけられていると理解する。

 

「放して下さい……!」

 

「生憎、信用出来ないような相手を開放するほど甘ちゃんじゃねーんだ」

 

「何を……」

 

「とぼけないでくれよ……あんたが不思議な術を使うことぐらいは知ってる」

 

夕方のせいで日が差し込まない部屋は暗く、僅かな明かりが二人を照らすのみ。そんななかでも、ネギの動揺ははっきりと感じ取れるほどのものだった。

 

「前々から怪しいとは感じていた。子供が教師になれるはずがないし、あんな賢いなんて常識外もいいところだ。尤も、この麻帆良じゃ私以外は気づけ無いんだろうが……」

 

ぶつぶつと何かを漏らす彼女。しかしそれを気にするだけの余裕がネギにはない。なにせ、羽交い締めにされて凶器を添えられている上に、魔法を使おうにも杖は持ってきていない。おまけに、ここは屋内であるため杖を引き寄せようにも閉じられた窓と扉が邪魔をする。ほとんど手詰まりに近い。

 

「ようやく、逆転への一手を掴んだんだ……容易く手放すつもりはねぇよ」

 

「逆転……? 何のことを……」

 

「アンタたちみたいな非現実的存在に対する一手だよ……()に対する対抗手段が思いつかない以上、アンタみたいな存在をとっ捕まえるのが最善だと判断したまでだ」

 

千雨が言っていることの意味がわからず、混乱するネギ。奴とは、対抗手段とは? そして何故彼女は魔法を知っている?

 

「さっきから何を言ってるんですか……」

 

「……知らないのか……? いや、だが確かに奴がああいう存在だからといって仲間だというわけでもない、な」

 

一瞬、腕の力が緩む。その隙にネギは彼女の腕の中から逃れることに成功した。強引に抜けだしたせいで足がもつれて前のめりに転ぶが、なんとか距離をとることには成功した。

 

「ハァ……ハァ……」

 

まともに息が吸えるようになり、息を荒くしながら深呼吸を繰り返す。数回それを行い、ようやくネギは平静を取り戻した。

 

「……一ついいか。あんたは『桜通りの幽霊』か?」

 

「僕が犯人!? い、いえ違いますよ!」

 

「じゃあなんで犯人側の茶々丸のやつと話をしてたんだ?」

 

「それは、犯人からの伝言を茶々丸さんから受けただけです!」

 

「……嘘はいってないっぽいな。よし、じゃあ今だけはアンタのことを信じておく」

 

そう言うと、彼女は手に持っていた金属製の警棒を放ってキッチンへと赴く。

 

「チッ、インスタントコーヒーは切れてるか。先生、あんたは紅茶でいいよな?」

 

「え、あっハイ……?」

 

 

 

 

 

木製のちゃぶ台を挟んで対峙する二人。眼の前におかれている二人分の紅茶からは湯気が立ち上っており、二人の眼鏡を少しだけ曇らせる。

 

「飲まねぇのか?」

 

そう薦めてくるものの、先程襲われた相手から薦められた茶など普通は飲みたくはない。

 

「さっきあんたを襲った相手が言うのも何だろうが、毒は入ってねぇから安心しろ」

 

安全かどうかを証明するかのように、率先して紅茶に口をつける千雨。その様子を見てなおネギは飲もうかやめようか逡巡していたが、意を決してマグカップを手に取り、恐る恐る口に含む。

 

(……あんまり美味しくない)

 

紅茶の国とまで揶揄されるイギリス出身の身としては、些か口に合わなかった。それでも、変な味がしたわけでもないのでちびちびと飲み始める。

 

「あー……そういやあんたイギリス人だっけか。ティーバッグの茶じゃ満足できねぇよな」

 

「い、いえそんなことないです!」

 

「世辞なんか要らねぇよ。どうせうちに缶入りの茶葉や豆のコーヒーなんてお高いもんは置いてねぇからな」

 

そう言うと、彼女はマグカップの紅茶を一気に飲み下す。一気に飲むために呷ったせいで、湯気で眼鏡が完全に曇ってしまっていた。鬱陶しげに眼鏡を外して服の裾で曇りを取り、再び装着する。

 

「さて、どこから話せばいいやら……」

 

「まず、どうして僕に襲いかかってきたんですか?」

 

「そこからか、まあいいだろう。……ネギ先生、あんたが"そっち側"の人間だと確信したから襲ったんだ」

 

彼女の視線が若干鋭くなる。ネギはそれに射抜かれたかのような錯覚を覚え、緊張で体が強張る。そして何より、彼女はネギの秘密についてほとんど確信を抱いている。

 

「"そっち側"、ってどういうことでしょう? 僕にはさっぱり……」

 

「今更とぼけんなよ、先生。あんたが魔法使いだってことぐらい知ってる」

 

はっきりと。彼女はネギが魔法使いであると言い切った。それこそ、自らの考えが間違いないと信じているような雰囲気で。恐らく、ここで嘘を言ったとしても彼女は信じないだろう。言い訳をすれば、それこそ何をされるかわからない。

 

「……はい、確かに僕は魔法使いです」

 

よって、ネギは正直に話すことを選択した。いざとなれば、確実性は低いが忘却の魔法で彼女の記憶を混濁させれば良いと判断したのだ。それに、彼女はどうもネギ一人によってその確信を抱くに至ったように思えなかった。

 

「ですが、どうして僕が魔法使いだからという理由で……?」

 

「……私は昔、あること(・・・・)が原因であんたらみたいな存在が実在すると知ってたんだ。それ以来、私は魔法使いだのそういう存在を信じるとともに危険だと認識するようになった」

 

彼女の言葉にネギは渋い顔になる。確かに、魔法使いには危険な人物もいるし魔法そのものも使い方次第で兵器にもなる。だが、それは魔法使いの中でも少ない方であり、現実では日々人助けのために影で活動する魔法使いが多い。だからこそ、そういった偏見じみた見方をされるのは、魔法使いであるネギにとってはしてほしくなかった。

 

「だがな、世間じゃ魔法使いなんて存在しないって認識だ。いくら私が存在すると訴えかけても、周りは信用なんかしちゃくれない」

 

奥歯を噛み締め、苦い顔で話を続ける。

 

「この麻帆良学園はどう考えても世間的常識から外れた場所だ。意思を持つロボットを開発する技術力の大きさ、一般人とは思えないような強さを持つ輩に、巨大な地下が存在する図書館。どう考えても不可思議なものばかりあるのに、それを当たり前のように受け入れてる」

 

拳を握りしめ、悔しそうな顔をしている。その様子に、ネギは息を呑む。彼女の余りにも鬼気迫る、その雰囲気に。

 

「歯痒かった……常識外な場所で常識知らずとからかわれるのが。世の中にはその常識の外にある恐ろしい存在(・・・・・・)が実在すると知っているのに、周りは誰も信じない。まるでオオカミ少年になった気分だった」

 

「恐ろしい存在……?」

 

彼女は一旦息を吐き、握っていた拳を解く。そして、今度は少しだけ怯えたような顔になる。

 

「……先生、私はさっき言ったよな? あることが原因であんたたちみたいな存在を信じるようになったって。私が魔法使いを危険視するようになったと」

 

顔色が心なしか悪くなっているようにみえる。先ほどまで、理不尽に対して怒りを顕にしていたとは思えないほどに。

 

「偏見だと思っただろ? だけどな、私が最初に出会ったそいつのせいで、私はそう思わざるを得ないほどに心を乱された……」

 

そして彼女は語りだす。己の人生を一変させてしまった出会いを。

 

 

 

 

 

いたって普通の家庭に生まれた千雨は、仕事で忙しいながらも親から愛情を一心に受け、小学生に上がるまで幸せな生活をしていた。当時の彼女は大人しい性格ながら、言いたいことははっきりというタイプで、少ないながら友人にも恵まれていた。

 

それが少しずつ変化したのは、麻帆良学園の女子初等部に入学してからだった。初めて来た麻帆良学園は、今までとは全く違うものばかりだった。彼女は当初はそれを楽しんでいたが、次第に疑問を持つようになっていった。

 

『どうしてここはあんなにおおきなきがあるの?』

 

幼い頃から他の子よりも少し聡明であった彼女は、前に住んでいた場所とあまりにも常識が違うことに疑問を覚え、クラスメイトにそれを尋ねた。

 

だが。

 

『え? なにがそんなおかしーの?』

 

返ってきた言葉は、ここの常識に一片の疑いもないようなもの。誰に聞いても、同じように返答する。彼女は、急に怖くなった。ここは自分が知っている常識が通じず、仲の良い友人達も自分とはどこか違う。

 

そのうち彼女は自分が間違っているのではと錯覚するようになった。自分はみんなと違って、おかしくないことをおかしいと思ってしまっているのでは。次第に、彼女は友人達と距離を置くようになった。今まで何を考えるでもなく自然と話せていたはずなのに、心の蟠りが邪魔をして言葉を詰まらせる。

 

元来活発的な性格でないため、騒がしいのが苦手だった彼女は、騒がしい子が多い麻帆良では友人も少なく、次第に孤立していった。誰かに虐められているわけでもないのに。彼女は、自分が嫌いになった。周りとは違う自分が嫌になり、一人でいつも遊んでいた。

 

だが、孤独は幼い彼女には酷なことだった。騒がしいながらも楽しそうな皆の輪に混ざりたかった。だが、いつの間にか彼女は皆と触れ合う方法がわからなくなっていた。昔はあんなに簡単に友人と遊んでいられたのに。

 

自分が人間じゃない『ナニカ』に思えてしまうようになった。

 

『ぅ……ぐす……』

 

自分が怖くて、一人で遊んで。でも一人は寂しくて。その日も一人でブランコを漕ぎながら泣きそうになっていた。そんな時、彼女は一人の人物と出会った。

 

 

 

 

 

『……泣いてるの?』

 

『……だれ?』

 

公園で一人ブランコを漕いで、俯いている彼女にそう話しかけてきた。声からして恐らく女性だろう。不思議な人物だった。顔は仮面をかぶっていて分からないが、紫の着物と真っ黒な髪が印象的だった。

 

『ないてないよ?』

 

『……嘘。貴女は、心で泣いてる』

 

否定した彼女に、指を指しながらそう指摘してくる。実際、泣きそうだったのだ。誰とも仲良くできず、そんな自分が嫌で嫌で泣きそうだった。

 

『……怖いの?』

 

そう尋ねられて、彼女は戸惑った。何を? 誰が?

 

『……独りは、怖いよ……?』

 

己がひとりぼっちだということを、彼女が正確に言い当てたことに、彼女は驚いた。

 

『……貴女が、独りが嫌なら……』

 

そう言って相手は彼女へ手を差し伸べると、こう言った。

 

『……私達と、来る……?』

 

その言葉に、彼女は思わず手を伸ばし……。

 

 

 

 

 

『っ! やだっ!』

 

そして寸前で差し出された手を弾いた。彼女は感じ取ったのだ、手を差し出す寸前に邪悪な気が相手から発していたのを。

 

『おねえさん……なんかへんなかんじがする!』

 

一方で、手を弾かれた仮面の女性はかなり驚いた様子だった。

 

『……驚いた、一般人が……隠していた私の気を……感じ取るなんて……』

 

相手はその気配を隠していたつもりだったらしい。だが、彼女はその気配をしっかりと感覚的に理解していた。その発しているものが、おどろおどろしいドロドロとしたものだと。一歩、二歩と後ずさる。早く、この人物から離れないと、自分はきっとおかしくなる。

そんな漠然とした思いが無意識的に行動に現れた結果だった。

 

だが、相手はすぐに彼女まで近づくと、その顔を仮面ごとずいと彼女へと近づける。途端に、彼女は金縛りにでもあったかのように動けなくなる。

 

『……私が、怖い……?』

 

『こ、こわく、な、ない……!』

 

必死に声を絞り出して怖くないと反論する。ここで怖いと言ってしまえば、目の前の相手に負けると思ったからだ。くだらない意地だったが、何故か彼女はそれがただしいことだと思っていた。

 

『……すごい。……貴女は、私を恐れない意志の強さを持っている……。……貴女は、正しく光の中を歩んでいる……孤独なはずなのに……』

 

仮面の女性は彼女から顔を離すと、次の瞬間には姿がなかった。

 

『あ、あれ……?』

 

一瞬で消えた相手に戸惑う。慌てて周囲を見渡すと、彼女から10mほど離れた場所にいた。

 

『……貴女は、もしかしたら私達の敵(・・・・)となれるかもしれない……』

 

そう言うと、仮面の女性の雰囲気が一変する。

 

『あ……あ……!』

 

相手が抑えていた邪悪な気が開放され、空気が重くなる。喉がカラカラになり、動悸は激しくなってっゆく。なにより、感じ取っていた嫌な雰囲気が更に濃くなり、明確な嫌悪の表れとして吐き気がこみ上げて頭がクラクラする。それでも、なんとか意識は保つ。

 

『……これでも、倒れない……。……貴女は、期待できそう……』

 

気配が急に萎んでゆき、先ほどまでの不快感を感じる程度に収まる。吐き気とめまいから開放され、段々と鼓動もゆっくりになってゆく。

 

『……いずれ、私は再びここに来る……その時までに、強くなって……』

 

ようやく彼女が回復した頃には、仮面の女性の姿は既になかった。

 

『あのひと、またくるっていってた……』

 

あれほどの邪悪が再びここへやってくる。今日は何事も無く去ったが、次にやってきた時、何をしでかすかわからない。ひょっとしたら、学園の人々が殺されるかもしれない。そんな嫌な予感が脳裏をよぎる。震えが止まらず、歯の根が合わない。

 

『わたしが、わたしががんばってつよくなって……あのひとをとめないと……!』

 

かくして、長谷川千雨の非日常との対面は、最悪な第一印象を残した。

 

 

 

 

 

「……つーわけで、私は魔法使いだとかそういった輩は警戒するようになったわけだ」

 

最初に出会った存在が、あまりにも危険すぎたために彼女はそちら側の存在に対してはあまりよい印象を抱いていない。

 

「そんなことがあったんですか……」

 

「おかげで未だにふと不安になることがある。アイツが今日にでもここに来るんじゃないかって」

 

心休まることのない日々。それは彼女の心を疲弊させ、荒ませていった。周囲の理解が一切得られないこともそれに拍車をかけ、いつしか彼女は誰にも心を許すことなく孤独な戦いを、見えない敵と戦い続けてきた。

 

「周囲に合わせることを覚えて、自然に溶け込めるように地味な人間として生きてきた。アイツに見つからないように、アイツが現れた時不意打ちを狙えるように」

 

「辛くは……なかったんですか?」

 

「辛いなんてもんじゃない、最初の頃は不安で仕方なくてしばらく食事も喉を通らないし、食ったもんも吐いちまった」

 

その名残で、今も食事は最低限で済ませられるようにブロッククッキーやゼリー食品などの栄養食品が主食だという。

 

「この眼鏡も伊達なんだ、誰も信じられなくて誰も彼もが敵に見えてたからか軽く対人恐怖症になっちまってな、これがないと人前に出られない。まあ自分を地味に見せるための道具ってとこだな」

 

誰にも頼らず、頼れずに彼女は生きてきたのだ。両親がいないとはいえ、親代わりで従姉のネカネや幼馴染のアーニャがいるネギはまだ恵まれているとさえ思える孤独。

 

「だからこそ、あんたを捕まえられればアイツへの強力な対抗手段が得られるんじゃないかと思ってたんだが……すまなかったな先生、どうも焦りでおかしくなってたらしい」

 

「いえ、気にしてませんよ。それに焦る気持ちもわかります、誰も信じてくれない状況でたった一人で戦い続けるなんて、僕には想像もできないほどですから」

 

「そう言ってもらえると助かる。……正直、こうして自分が秘密にしてたことを話題として共有できるのは心が軽くなる」

 

「魔法使いの存在は秘匿されてますから、真面目に話すことなんてできないでしょうね……」

 

皮肉にも、自分が敵視していた存在と話すことで彼女は安らいでいた。

 

「で、だ。あんたは『桜通りの幽霊』とどういう関係なんだ?」

 

「……少なくとも、味方同士ではないです。かといって、敵というのも……」

 

「なんか煮え切らねぇな……。じゃあ茶々丸は『桜通りの幽霊』の仲間か?」

 

「はい、彼女は犯人の従者、協力者みたいです。というか、先程茶々丸さんを犯人側だと言ってましたが千雨さんは知ってたんですか?」

 

少し冷めてしまった紅茶を飲み干し、ネギはそう尋ねた。千雨は少しだけばつの悪そうな顔をすると。

 

「あー……実はな先生、私はあんたのことを怪しいと思って前々から監視しててな、あんたが戦ってるとこもバッチリ見てたんだ」

 

「……全然気づきませんでした。というより、千雨さんがこのタイミングで襲ってきたのって……」

 

「あんたが魔法を使ってたとこを見たからだ」

 

頭を抱えるネギ。生徒が害されているところを見て冷静でいられなかったこと、そしてアスナが現れたというのもあるが、一般人が見ていたことを見落とすなど魔法使いとして抜けているどころの話ではない。

 

「まあ、さすがにあの人気のない場所で藪の中から誰かが見てるなんて思わねぇよな。大分暗くなってたおかげで、かなり近くを通ったアスナも気づいてなかったっぽいし」

 

「それでも周りが見えてなかったのは不味いです。もし噂好きの人に見つかって魔法が存在するなんてバレてしまえば、僕はオコジョの刑でした。それだけじゃない、魔法という便利でもあり危険でもあるものが迂闊に公表されれば、世界中が混乱します」

 

「だからこそ秘匿する義務は重い、か。じゃあなんでここで先生なんかやってんだ?」

 

「魔法使いは、一人前になるために魔法学校を卒業するときに最終課題を課せられるんです。僕の最終課題は、麻帆良学園で先生をすることでした」

 

すると千雨は溜息を一つつき、虚空を仰ぐ。伊達であるらしい眼鏡を外して横に放ると、彼女は少々鋭い目つきでネギに問い詰める。

 

「つーとなにか? うちのクラスはあんたの課題とやらに付き合わされてるってことか? こうして変な事件が起こってるのもあんたが関わったことが原因っぽいし」

 

「それは……申し訳ないと思っています。ですが、千雨さんがその人を倒すために手段を選ばなかったように、僕も魔法使いとなって成さねばならないことがあるんです」

 

ネギの決意のこもった目を見て、そうか、と一言だけ言うと千雨は少しだけ態度を軟化させる。先ほど彼に襲いかかった自分が、これ以上彼相手に色々言う資格はないと判断したのだ。それに、謝罪をしつつも意思を曲げない彼の態度が、千雨には好ましく思えたというのもある。

 

「だが、またなんでうちの学園なんだ? ここは一般人がわんさかいるんだぜ?」

 

「……恐らく、ここが選ばれたのはここが魔法使いと関わりの深い場所だからだと思います。図書館島などまさに魔法使いが造った建物といった感じですし、魔法使いの方もいると学園長から聞いてますから」

 

「なるほど、魔法使いが暮らしやすいような環境ってことか。ここの成立が明治頃らしいし、当初から魔法使いのために建設された場所なんだろうな。大方、一般人との融和のためってとこか」

 

そんな考察を述べる。ネギも恐らくそういった事情が存在したのだろうと思っている。魔法使いは人々を助けられる力があるが、それが公になって悪用されてしまうのを避けるために秘密にしなければならない。だが、魔法使いとて人であり一般人と関わらない訳にはいかない。そんなジレンマを解消するために、麻帆良が建設されたのだろう。

 

「まー、なんだ。あんたも大変だな、うちみたいな問題児ばっかのクラスを受け持っちまって」

 

「いえ、ここでの生活は楽しいですし、皆さんと一緒の時間は、短い期間ですが僕にとってかけがえの無いものだと思ってます」

 

ネギの言葉に嘘偽りは一切ない。彼女の辛い過去を聞き、誰にもいえなかった本音を明かしてくれている千雨に対して、自分も真摯に話そうと思ったからだ。

 

「ネギ先生、私はまだあんたを完全には信用していない。それを前提にして聞いてくれ」

 

「はい」

 

「今回の事件、私にも協力させてくれ。ようやく何か掴めそうなんだ、このまま黙っていられねぇ」

 

「ですが……」

 

「危険は承知のうえだ、何かあったら逃げるつもりだしな。それに、あんたは生徒を見捨てたりなんてしないだろ? 宮崎のやつを助けてたの見てたから確信してる」

 

彼女が言うには、そういったお人好しな部分は信頼出来る、ということらしい。

 

「……分かりました、あまり危険なことには関わって欲しくはないですが、千雨さんの意志を尊重したいです。これから、よろしくお願いします」

 

 

 

 

「私は今回の事件、何か嫌な感じがするんだ。アイツほどじゃないが、気色の悪い悪意をピリピリと感じてる。ひょっとしたら、犯人はアイツに関係がある人物かもしれない」

 

現在二人は情報交換と犯人についての考察をしていた。すると千雨が言うには、かなり直感的なことではあるが、何か犯人が自分と無関係ではない気がするらしい。もしそうなら外部の犯人という線もあり得るが、ネギは犯人が内部の人間だと知っている。そのことを、まずは話すことにした。

 

「……その、犯人のことなんですが。茶々丸さんが言うには、犯人は3-Aの誰かだというんです」

 

「……茶々丸が嘘を言ってるんじゃねーのか?」

 

「いえ、茶々丸さんは自分の記憶を覗いてもらっても構わないと言っていました。葉加瀬さんに聞いてみましたが、茶々丸さんの記憶を覗くことは可能らしいですし、データの改竄を行っても葉加瀬さんにはすぐにバレるという話です」

 

「葉加瀬か超の奴が犯人、もしくは共犯って可能性は?」

 

「犯人の可能性は低いです。犯人と戦った夜、二人共寮にいました。ただ、二人共関わりはあるそうで、茶々丸さんはその人物のために制作されたそうです。でも、その依頼した人物は明かせないと言われました。そういう契約だそうです」

 

茶々丸が犯人側である以上、その製作者である葉加瀬聡美と超鈴音(チャオリンシェン)に疑いの目が行くのは至極当然だろう。生憎、二人はその日寮で目撃されていたので犯人ではない。では共犯者かといえば、それも違う。

 

「それと、茶々丸さんは今回の事件に少なくとも今回のことで共犯者はいないと明言してます」

 

そう、茶々丸は共犯者がいないと既に言っている。今回の事件はあくまでも犯人と茶々丸の二人が行っていることだと。

 

「共犯者はいない、犯人はクラスメート二人。アイツは外部の人間のはずだし、そうなると私の勘が外れてるって考えたほうがいいのか? いや、だが……」

 

いまいち納得のいっていない表情で考えこむ千雨。数年来に渡ってかの存在に怯え続けてきた彼女が過敏になっているだけかとも思ったが、逆に強烈に残ったかの雰囲気を一日たりとも忘れたことがないという彼女の言からするに、的外れというわけでもなさそうだ。

 

「仮につながりがあるとして、その人物とどういった関係が……もしかして、外部の人間が手引をしている……?」

 

ネギが、そんな一つの可能性について示唆する。

 

「その可能性はあるな、アイツは私に期待してるって言ってたし、犯人を通して私を試している可能性も否定出来ない」

 

共犯者はいなくても、葉加瀬聡美や超鈴音などの協力者はいるのだ。外部の人間に関係者がいてもおかしくはない。

 

茶々丸は嘘は言わないが、そこがむしろ厄介だ。話すことが全て事実である分、他の事実を上手く包み隠してしまう。共犯者はいないが、協力者が存在するといったように。

 

こちらから気づいて尋ねなければ彼女は答えてはくれない。必要のないことを、彼女はわざわざしないのである。そこが人間とロボットの決定的な差であり、アドバンテージだ。

 

「茶々丸さんが嘘を言っていないということは、犯人が具合が悪いということですが……」

 

「度合いは分からねぇもんな。それが出席できないレベルなのか、それともなんとか授業は受けられるのか」

 

結局、犯人についての考察は1時間ほど続いたものの結論は出ず。それでもネギは、秘密を共有できる得難き協力者を得て。千雨はようやく非日常への切符を手に入れたのだった。

 

 

 

 

 

「ふむ、機内食というのは初めてだがなかなかいけるな」

 

上空1万mを飛ぶ飛行便。その乗客の一人である金髪の少女はそんなことを呟く。サラサラとした金の髪はそれだけで一種の芸術品のようであり、白磁の如き白い肌は少女特有の柔らかな弾力と張りを見せている。

 

青い瞳はアクアマリンを彷彿とさせ、彼女の金と白の中に爽やかなアクセントを与えている。黒いゴシックロリータ服は彼女をいっそう美しく際立て、全体の調和を整える。総じて、完成された人形の如き美しさを見事に表現していると言っていい。

 

彼女はカバンから一台の薄型ノートパソコンを取り出すと、あるサイトへとアクセスする。そこは魔法使いが利用する秘密のマーケット、通称『まほネット』と呼ばれるサイトだ。商品の売買から情報の提供、様々な分野で活躍する魔法使い御用達の最大手。彼女はそこのニュース欄へとアクセスすると、話題のニュース一覧へと飛ぶ。

 

「クク、鈴音は上手くやっているらしいな」

 

そこの見出しに一段と大きく書かれている文字を見て、彼女は薄く笑いながらそんなことを呟いた。その見出しの内容は、

 

『元赤き翼(アラルブラ)メンバー、イスタンブールにて重傷で発見される!』

 

というもの。内容としては、ある男性がイスタンブールにて全身を切り刻まれた状態で発見され、病院へと搬送されたというもの。幸い男性に命に別条はないが、傷は全治1ヶ月になるほどのものであったらしい。

 

なにより、その男性が『赤き翼』の元メンバーだったということが大きな波紋を呼んでいる。魔法世界でも知らぬものはいないとまで言われる、20年前の戦争を止め、『ある組織』と長年戦い続けた英雄たち。それが『赤き翼』である。

 

それほどの集団に所属していた元メンバーが、全治1ヶ月の重症を負わされたというのである。その男性は現在世界を見渡しても並ぶ者の少ないAA+ランク。重傷どころかかすり傷を負わせられることさえ困難な人物だ。

 

「これで暫くアスナ達が自由に活動できるな。まあ、学園長には警戒せねばならんが」

 

パソコンを閉じ、カバンへとしまうと同時に炭酸飲料が入ったペットボトルを取り出す。普段はあまりこういったものは買わないのだが、戯れで買ってみたのだ。

 

「……なるほど、こういうものか。少し砂糖が多すぎる気がするが、たまにはいいか」

 

中身が半分ほどなくなったところで飲むのをやめ、これもカバンへとしまう。

 

『成田空港まで、あとおよそ1時間ほどの飛行の予定でございます。化粧室のご利用はベルト着用サイン点灯前に……』

 

「アスナたちとは数年ぶりの再会か。件の少年と会うのも楽しみだ……ククク……!」

 

巨悪を乗せて、鉄の箱はただ目的地へと飛行する。



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第二十四話 水面下の動向

少年は、協力者を得て行動を開始する
少女は、一人で焦りを募らせる


「下着泥棒?」

 

「はい、最近被害にあっている人が増えているらしくて」

 

女子寮のとある一室にて話をしているのは千雨とネギ。与えられた猶予は残り2日、だが昨日は千雨に襲われたりしたためあまり調査に時間を裂くこともできず、二人で犯人を推測してはみたものの、全く見当がつかなかった。

 

「あんま関係なさそうだがなぁ……」

 

「万一ということもあります。もしかしたら、何らかの魔法的触媒に用いて何かを企んでいるんじゃないかって」

 

「さすがに考え過ぎだ。犯人自身が生徒っつー人質みたいなもんだし、事件を起こしてたのもあんたをおびき寄せるためにやってただけらしいじゃねぇか。一般人を巻き込み続けるのはさすがにリスクが高くないか?」

 

「そうなんですよねぇ」

 

額を突き合わせるかのように真正面に座っている二人は、ウンウンと唸りながら犯人の手がかりがないかと考え続ける。だが、やはりいい案が浮かばない。

 

「あ、そういえばまほネットで取り寄せたものがそろそろ来るんでした! すみません千雨さん、ちょっと部屋に戻って荷物を受け取ってきます!」

 

「おー、近衛にばれねぇようにな」

 

 

 

 

 

「あ、ネギ。あんたどこ行ってたのよ」

 

「すみません、ちょっと用事があって……。あの、僕宛に荷物が届いてないですか?」

 

「荷物? そんなの来てないわよ。それより、ちょっと見てもらいたいものがあるの」

 

戻ってきて早々、アスナと遭遇する。ちょうどいいと荷物のことについて聞いてみたが、届いてはいないらしい。そして、何やら見てもらいものがあるという。

 

「見てもらいたいもの?」

 

「さっき捕まえたんだけど……これよ」

 

部屋にはいると、テーブルの上に置かれているものを指さす。それは白くてフワフワしており、細長い形をしている。よく見るとその白い物体は毛皮のようであり、何やらもぞもぞと動いて……。

 

「う、動いてますよ!?」

 

「そりゃ動くでしょ、動物(・・)なんだから」

 

アスナがそれをむんずとつまみ上げると、その全貌があらわになる。彼女が掴んでいる部分が首根っこのようなあたりで、うなだれているような部分が頭、だらりと垂れ下がっているのが四肢のようだ。総合して全体を見てみると、フェレットのようにみえる。

 

「どっから潜り込んだのかはわかんないけど、帰ってきたら私の下着を漁ってたのよコイツ」

 

「……ええと、寒かったんですかね?」

 

「寒さで女性用下着盗むフェレットなんて聞いたことないわよ」

 

ジタバタ藻掻いてはいるものの、足に括りつけられたたこ紐が逃亡を阻止している。

 

「ま、コイツは後で寮長さんに渡すとしましょうか。ネギは用事があったとか言ってたけど、もしかしてまた魔法がらみ?」

 

「は、はい。桜通りの犯人について調べてました」

 

手元のフェレットを寮長に預けることを決め、話題を変えて話を続けようとした時だった。

 

「兄貴!」

 

「ん?」

 

「あれ?」

 

突如、誰かの声がした。アスナではない、女性の声とは明らかに違っている。かといって、ネギかといえばそれも違う。

 

「兄貴! 俺ですよ俺!」

 

再び声がした。今度は先程よりも大きかったため発信源はすぐに突き止められた。だが。

 

「……今、こいつ喋った?」

 

そう、発信源はアスナに摘まれた状態のフェレットだった。常識的に考えて、フェレットは喋ったりなんてしないだろう。それはあくまでお伽話や創作の中での話だ。しかし、ネギは魔法使いという創作の中でしかないはずのものを目指しており、魔法も使える。つまり、非現実的な存在はすでにいると証明されているのである。

 

「俺っちです! アルベール・カモミールですよ兄貴!」

 

「か、カモ君!?」

 

非現実的存在は、それに類する存在を引き寄せるものなのか。喋るフェレットがそこにはいた。

 

 

 

 

 

「いやーすまねぇっす。俺っちもまさか兄貴が世話になってる人の部屋に忍び込んでたなんて」

 

「……あまり驚かれないんですね、アスナさん」

 

「アンタみたいな非常識な存在がいるって分かってるから、いちいち驚いたりなんてしないわよ」

 

テーブルの上で人間のように喋っているのは、自称オコジョ妖精のアルベール・カモミールだ。彼は昔罠にかかっていたところをネギに助けられ、それ以来彼を慕っていたらしい。

 

「でもカモ君、アスナさんがいるのにいきなり喋り出すのはマズいと思うよ?」

 

「それなら問題ないでさぁ、アスナの姐御が魔法って単語を平然と話してたのを見て関係者だと確信してのことやしたから!」

 

「まあ、私もまさかオコジョが喋るなんて思いもしなかったしね。で、なんであんたは私の下着を漁ってたのかしら?」

 

目を細めて問い詰めるアスナ。アルベールは冷や汗をだらだらと垂らしながらしどろもどろと言った様子で慌てて弁明を始める。

 

「そそそそそそれは、あっしは妹がいやしてそいつは寒いのが大の苦手で妹のために温かいものを探してたら女性用の下着がそれで」

 

「分かりやすい嘘並べてんじゃないわよ。ようはあんた女性用下着盗むようなエロオコジョってことじゃない」

 

ぐうの音も出ない的確な言葉にアルベールは項垂れる。どうもこのアスナ相手では得意の口先も上手く回らないことを悟ったらしい。

 

「……もしかして、最近女性の下着が盗難にあってるって話……」

 

「多分コイツね」

 

下着盗難事件があの犯人によるものでなかったことを喜ぶべきか、自分の知り合いが起こしたことを嘆くべきか反応に困るネギだった。

 

「コイツ魔法関係者なんでしょ? じゃあそれ関係の人に引き渡さないと駄目ね」

 

「か、勘弁してくだせぇ! 兄貴を頼ろうと、俺っちようやっとここまで辿りつけたんです! 今更帰ってまた投獄されたくねぇっすよ!」

 

「は? 投獄? また?」

 

「し、しまったぁ!?」

 

完全に墓穴をほっているアルベール。さすがにこれは見逃せないネギは、アルベールに質問する。

 

「カモ君、投獄って……まさか獄中にいたの?」

 

「……すいやせん兄貴、隠し通そうなんて考えた俺っちが馬鹿でした。俺っち、実は下着ドロを重ねてるうちにとうとう捕まって投獄されちまいやして、いまは脱獄の身なんでさぁ」

 

衝撃的な事実に目を丸くするネギとアスナ。なんでも、下着2000枚以上を盗んだとして捕まり、魔法使いを投獄するインフェルヌス刑務所で服役していたらしい。だが、ある日刑務所でなんらかの非常事態が発生して大騒ぎとなり、アルベールはそれに乗じて逃げ出したのだという。

 

「そっから兄貴を頼ってここまで来たんでさぁ……」

 

「カモ君、いくらなんでも脱獄はマズいよ」

 

脱獄は言うまでもなく重罪だ、下手をすれば死刑になりかねないほどに。だが、カモは何やら苦い顔をしている。

 

「兄貴、俺はそれを承知できたんでさぁ。そもそも俺っちが脱獄をしようと考えたのは、俺っちが濡れ衣を着せられたからなんすよ」

 

「濡れ衣?」

 

「まさか下着泥棒は自分じゃないとかいうんじゃないでしょうね、さっきやってたことをもう忘れたつもり?」

 

「いえいえ、そっちじゃないっす。俺っちも下着を盗むことへのリスクは承知でやってることっすから、それで捕まっちまって臭い飯食わされるのは覚悟できやす」

 

アルベールは、下着ドロをする上で女性相手に迷惑をかけていることは自覚しているらしい。だからこそ、捕まったのなら潔く罰を受けるつもりはあったようだ。

 

「けど、身に覚えのないことで捕まったってんなら別っすよ、俺っちが捕らえられた当初は下着ドロの件でやしたが、それにしては魔法裁判がスムーズに進みすぎてやしたし、収監されるまで1ヶ月もかからなかったっす」

 

「……それは、確かにおかしいね。魔法裁判は短くても収監されるまで3ヶ月はかかるはず……」

 

「そう、そうなんすよ。そして判決を言い渡された時俺っちは愕然としたんす、下着ドロ以外に殺人の罪科が加わっていたんす!」

 

「さ、殺人!?」

 

殺人罪は魔法界だろうと旧世界だろうと重罪であることは共通である。アルベールは身に覚えのない殺人罪によって懲役20年を宣告され、無実を訴えても既に判決の後。結局、長い長い服役生活が始まりそうになった。

 

そもそも、この裁判はおかしなことだらけだった。まるで周囲が示し合わせたかのように殺人罪には触れず、下着ドロの窃盗罪についてだけ論じられていた。証人喚問に来た人物も皆そのことについての証人ばかりだったのだ。

 

だが、書類上では殺人罪のことについてしっかりと触れられていた。被告であるアルベールが一切目を通していないままで、だ。

 

「おかしいことばかりなんすよ、俺っちが殺人をしたっていう相手の魔法使いは、確かに俺っちが下着を盗んでた場所の近くで遺体が発見されてやした。でも、殺されたって推定される時刻に、俺っちは既にそこにはいなかったはずだったんすよ」

 

「えーと、盗むことは悪いことだからなんとも言えないんだけど、アリバイがあったってことだよね?」

 

「俺っちが下着を咥えて逃げてるのを追っかけてた男がいやしたから、そいつが証人になる……と思ったんすけど」

 

やや顔を青くして、アルベールは震えていた。まるでなにか恐ろしいものでも見たのかのように。

 

「現場に行って、その男の住居を特定して訪ねてみたら……死んでたんすよ、その男が」

 

「……え」

 

「おまけに(はか)ったかのように魔法警察の人間が現れて、その男を殺したのも俺っちだと疑われて……」

 

そのまま弁明する暇もなく、無我夢中で逃げ続け、あてもなくさまよい続けたらしい。そして、一縷の望みを賭けてネギを訪ねて旅してきたそうだ。

 

「幸い、ここは魔法警察の管轄が違うらしくて追手はなくなったんすけど、どうにも夜風が冷たくて……」

 

「私の下着を盗んで暖を取ろうとしたのね、かわいそう……なわけあるかエロオコジョ!」

 

「ぷろっ!?」

 

「か、カモくーん!?」

 

アスナに突如むんずと掴まれると、胴体を一気に締め付けられて苦しむアルベール。

 

「アンタが捕まることになった原因自体が解決してないじゃない! こんな目にあっといて反省しとらんのかー!」

 

「ぎ、ギブっす姐さん! ど、胴が絞まるぅ……!」

 

顔が段々と青くなっていき、次いで紫に変色していく。さすがにこれ以上はマズいと判断し、アスナもテーブルに叩きつけるように握っていたナマモノを放る。

 

「ぜぇ、ぜぇ……死ぬかと思ったじゃないっすか!?」

 

「反省してない罰よ、これに懲りたらもうしないと誓いなさい」

 

「は、はい! 二度としない……と…………やっぱ無理っす!」

 

その後、二度目の締め付けが敢行されたのは言うまでもないだろう。

 

 

 

 

 

「ふむふむ、兄貴達も大変なことになってるっすねぇ」

 

「うん、けど犯人が誰か全く見当がつかなくて……」

 

ネギはとりあえずアルベールを信用することにした。全てを鵜呑みにするほど愚かでもないが、頼る相手もいない友人を見捨てるほど冷血でもない。今味方の少ない状況では、彼はある程度信用できる貴重な仲間でもあり、彼を匿うことに決めた。

 

「でしたら、その茶々丸っつー生徒をさきになんとかすりゃあいいんじゃないすかね?」

 

「でも、茶々丸さんは僕の生徒だし、あんまり暴力的なことで解決はしたくないし……」

 

「かぁ~、兄貴ぃ……兄貴のその優しさは美徳っすけど命狙われてるような状況でそんなこと言ってたら他の子にも被害が広がっちまいやすよ!」

 

「その点は私も同意するわ。このまま放置してたらこのかまで巻き込まれそうだし」

 

「…………」

 

実際、彼女らの言う通りである。こちらが躊躇をしている間に、相手はどんどんと生徒を毒牙にかけていっているのだ。そしてそれはネギと戦うためだという。ただ決断をすればいいだけ、だがその決意が固まらない。生徒と戦うという苦渋の決断を。

 

不意に、玄関からチャイムの音がした。

 

「? 誰かしら」

 

アスナが立ち上がって玄関へと向かう。怪しい人物ではないかと警戒してドアスコープから様子をうかがってみると。

 

「……? なんで長谷川さんが?」

 

扉の前で佇んでいたのは、長谷川千雨だった。とりあえず怪しい人物ではないことを確認できたので、ドアチェーンをかけつつも扉を開ける。

 

「こんにちは」

 

「あ、ああこんにちは。珍しわね、長谷川さんがうちに来るなんて」

 

普段から他の生徒と関わることを嫌っているようなフシがある彼女が、わざわざアスナたちの部屋までやってくるなどかなり珍しい。

 

「ネギ先生は、今いますか?」

 

「いるけど……」

 

ちらりと後ろを見る。居間ではアルベールとネギが未だ話し合いを続けている。こんな状況で彼女を入れる訳にはいかない。

 

「ごめんね、いまちょっと忙しいみたいで……」

 

「……はぁ、めんどくせぇ」

 

「はい?」

 

礼儀正しい普通の生徒、それがアスナの千雨に対する認識だ。だが、今彼女はとても普段とはかけ離れたような言葉を口にした。

 

「単刀直入に聞く、お前はこっち側(・・・・)だろ? 神楽坂アスナ」

 

「……何を言ってるの?」

 

「とぼけなくっていい。私もネギ先生関連での関係者(・・・)ってことだ」

 

一瞬目を見開くも、すぐに平静に戻るアスナ。

 

「そう、あんたも知ってるのね、『あれ』を」

 

「ああ、詳しいことは入ってから話したい。ここだと他の奴らに聞かれちまう」

 

「……分かった。いまチェーンを外すから」

 

 

 

 

 

「へぇ~、アスナの姐さん以外にも協力者がいたっつーことっスか」

 

「そういうことになるな。……しっかしまあ、本当にオコジョが喋ってやがる……」

 

部屋に入り、アルベールに警戒されるもネギの説明で納得したアルベール。そしてそれをしげしげと眺める千雨。

 

「あっしはアルベール・カモミール、由緒正しきオコジョ妖精っす!」

 

「私は長谷川千雨、普通の人間だ」

 

そう言うと、お互いに右手を差し出して握手をする。どうやらある程度は心を許せる相手だと理解したらしい。

 

「で、なんでお前はここにいるんだ?」

 

「話せば長くなりやすが……」

 

「下着泥棒して捕まって脱獄してネギを頼ってきたのよ」

 

「……へぇ?」

 

「ちょ、姐さん誤解されるようなこと言わんといて下さい?!」

 

「大体事実でしょうが」

 

千雨の視線が冷たくなり、慌てて弁明するために自分がここに至った経緯を話す。

 

「苦労したんだな、下着ドロは最低だが」

 

「いやぁ、耳が痛いっす……。で、千雨の姐さんにも聞いて欲しいんすけど」

 

アルベールは、さらに茶々丸を襲撃するか否かを話し合っていたことについて話した。それを聞いた千雨は。

 

「なるほど、たしかにそれはありだな。幸いにも今日は土曜日だ、尾行して隙を狙えばなんとでもなる」

 

「千雨さんまで……」

 

「ネギ先生、私も少々常識で考えちまってたきらいがあるからあんまり言えたことじゃねぇが、今は非常事態とも言える。被害を減らすためにも積極的に打って出るべきだ」

 

既に、ネギらは何度も後手を踏まされている。このままでは被害者が増えるばかりだろう。

 

「……分かりました。やりましょう!」

 

協力者からのダメ押しで、ようやくネギは決意したのだった。

 

 

 

 

 

「で、なんでアスナまでついてきてんだよ」

 

「私も関わってることだからよ、犯人に顔見られちゃってるし」

 

茶々丸を追跡する一行。その中には、アスナの姿もあった。本当ならば一般人である彼女の同行はネギが拒もうとしたのだが、アスナも犯人に顔を見られており、犯人に襲撃されるよりは一緒に行動した方がいいと言われ、こうしてここにいるわけだ。

 

「来たわよ」

 

千雨とネギが前へと向き直ると、彼女の居住場所であるログハウスから件の茶々丸が出てきた。どうやら、散歩に出るらしい。

 

「よし。追いますぜ、兄貴」

 

「ほ、本当にやるの?」

 

「今更尻込みしたって、やるしかねぇだろ。覚悟決めろよ、先生」

 

未だに抵抗を覚えるネギだったが、千雨の説得によってしぶしぶながらも彼女の尾行を開始した。最初はただ淡々と道をゆくだけの彼女を、こちらを誘っている罠かと疑ったが、しばらくしてこちらに気づいていないことに気づき、襲撃をかけようとしたのだが。

 

「うえぇぇぇん!」

 

「あれは……」

 

「チッ、子供かよ。いま出てくわけにはいかねぇな……」

 

子供が突如泣き出し、すんでのところで茂みへと再び身を隠す。観察していると、どうやら風船を手放してしまい、それが木に引っかかってとれず、どうにもならなくて泣き出してしまったようだ。すると、茶々丸は突如足についたジェット機能を開放して飛び上がると、木にひっかかっていた風船を手早く取り、子供へと手渡した。

 

「い、いい人だ!?」

 

「待つっす兄貴! こっちの油断を誘う作戦かもしれないっすよ!」

 

「そ、そうだね。もう少し様子を見よう……」

 

しかし、そこからは襲撃をかける暇などないほどに、茶々丸の周囲はせわしない状況が続いた。子供らに囲まれてそれをあやしていたり、老人の重い荷物を持ってやったり。挙句の果てには川で流されそうな子猫を、服が汚れることを気にもとめずに川へと入って助け、周囲から歓声が上がった。

 

「……ねぇ。茶々丸さんって実はそんなに悪い人じゃないんじゃ……」

 

「いやいや兄貴! それらをひっくるめて敵の作戦かもしれないっすよ! 気持ちを揺るがせちゃ駄目っす!」

 

自分が間違っているのではと不安になるネギだったが、アルベールは頑として引かない。結局、彼女が人気のないところに向かったのでそこで奇襲を仕掛けることになった。しかし、そこでも茶々丸が猫に餌を与えており、とても行動する気になれない。

 

「もう帰りましょうよぉ……」

 

「駄目だ。いくらアイツに悪意がなかろうと、犯人を庇っている以上同罪だ。先生がやらないんなら私がやる」

 

「わ、わかりました……。僕が、行きます」

 

ネギが行動しないならば自分がやると千雨に言われ、さすがのネギも肚を決めた。茂みから躍り出ると、大声で彼女に向かって声をかける。

 

「ちゃ、茶々丸さん!」

 

「これは……ネギ先生、こんにちは」

 

対する茶々丸は、一切の同様もなく平然と挨拶をする。そんな彼女に態度に思わず礼で返すネギ。

 

「あ、ど、どうもこんにちは。じゃなくて!」

 

「分かっております。私を倒しに来たのですね?」

 

「茶々丸さん、貴女を倒し……ってなんで知ってるんですか!?」

 

茶々丸から言われたことに面食らい、思わずそう尋ねる。すると、彼女の主人が不在の現状で自分が一人で行動しているならば、そういうことがあってもおかしくないと考えていたらしい。

 

「チッ、こっちの行動は読まれてたってことか」

 

隠れて様子をうかがっていた千雨も、茂みから出てくる。

 

「茶々丸さん、これ以上僕の生徒たちを、クラスメイトの皆さんを襲わないと貴女の主人を説得してくれませんか?」

 

「それは不可能な要請です、ネギ先生。私がマスターに逆らうことは了承しかねます」

 

「そうですか……。なら、貴女を行動不能にします!」

 

茶々丸の返答に、ネギは魔法を使うことを決めた。始動キーを唱え、魔法の矢を生成する。一番威力の低い魔法を使うのは、彼なりの配慮でもあるし、迷いの体現とも言える。

 

「『魔法の射手(サギタ・マギカ)! 光の三矢(セリエス・ルーキス)!』」

 

光の矢は茶々丸へと寸分違わず放たれるが、彼女はそれを少ない動作であっさりと回避する。しかし、そこまでは予想済みだ。

 

「っ、今です! アスナさん!」

 

ネギの言葉に呼応して、突如茶々丸の背後からアスナが姿を現す。それによって一瞬だけ隙が生じた茶々丸。その機を逃さず、アスナは茶々丸に躍りかかった。

 

「訓練された兵士のような動き、一般人とは思えないほど素晴らしい行動です」

 

「お褒めに預かり光栄だけど、逃がしゃしないわよ。ネギ!」

 

茶々丸を背後から羽交い締めにし、行動を制限する。ようは、協力者であるアスナによって茶々丸を捕らえ、その隙に攻撃するという実に単純な作戦だ。しかし、先程観念したかのように茂みから出てきた千雨の行動がここで意味を持っていた。不意打ちを狙っていた相手が姿を現せば、それ以上の追撃がないと錯覚してしまうというわけである。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル。光の精霊11柱(ウンデキム・スピリトゥス・ルーキス)集い来たりて(コエウンテース)敵を撃て(サギテント・イニミクム)!」

 

先程よりもさらに多くの魔法の矢を生成していく。しかも、その速度は先程よりも明らかに早い。この不意打ちのために、先程はわざと遅く生成し、射出したのだ。

 

「『魔法の射手(サギタ・マギカ)! 連弾(セリエス)光の11矢(ルーキス)』!」

 

11本の光の矢は、全てが茶々丸へと高速で放たれる。着弾する前にアスナは拘束を解いて離れた。

 

「目前の攻撃、回避不能。威力、ボディへの著しい損傷があると予想。申し訳ありません、マスター。不肖の身であった私をお許し下さい。私の破損後、猫の餌は超に……」

 

攻撃が目の前でありながら、淡々とこの後起きるであろうことを予測し、ここにいない彼女の主人へと謝罪の言葉を告げる。

 

「や、やっぱりだめえええええええ!」

 

そして、そんな彼女に対して迷いがあったネギは、魔法が当たる直前に軌道を上空へと変えてしまった。突然のことで目を見開く一同。その中には、魔法による攻撃で破損するであろうと予測していた茶々丸も含まれた。

 

しかし、慌てて軌道を変えた魔法は制御が甘く。

 

「あばばばばばば!?」

 

「ちょっ、ネギッ!?」

 

「おいおい大丈夫か!?」

 

制御されていない魔法は、そのまま術者であるネギへと降り注ぎ、ネギへと直撃した。一発一発はネギの魔力を込めたストレートと同程度であるため魔法障壁で防げるが、それが束になって襲いかかってくるとなると別だ。収束させて威力を何倍にも増そうとしたため、魔法障壁さえも破って顔面にモロに入ったのだ。

 

「あ、おほしさま……」

 

「兄貴いいいいいいいいいいい!?」

 

夕暮れの茜空に、アルベールの絶叫が響き、溶けていった。

 

結局、茶々丸はそのまま逃走し、作戦は完全に失敗となってしまったのだった。

 

「……どうやら、本当に敵対しているらしいな。だが、それにしては魔法を当てなかった……。もう少し様子を見る必要があるな……」

 

その一部始終を眺める何者かが、いるとも知らずに。

 

 

 

 

 

ログハウスのとある一室。そこに、ベッドで蹲る少女の姿があった。しかし、その様子はみるだけで分かるほどにおかしかった。ベッドの上で狂ったかのように身を捩らせ、空を掴むかのように両の腕を突き出したかと思えば、顔を覆ってうめき声を上げる。

 

「ぐ、が、あ、おえええええええええ!」

 

枕元の洗面器に、胃の内容物を吐き出す。喉元に酸っぱい味が広がり、焼けるような感覚が更に吐き気を促進する。

 

「ぜぇ、ぜぇ……クソッ!」

 

気分の悪さから来る苛立ちで悪態をつく。元来、彼女の体は頑丈ではない。はっきりといえば脆弱と言って差し支えのない虚弱さ、そのせいで大事な計画の最中に動けない事実に更にイライラが増してゆく。

 

「ぜぇ、あの人(・・・)が来るのに……こんな醜態を見られるわけには……!」

 

焦り、不安、そして恐怖。様々な感情がない混ぜになってグルグルと胸の内で渦巻く。計画を実行できない現状への焦り、失敗してしまうのではという不安。そしてその失敗によって彼女が慕う人物から失望されて見放されてしまうのではないかという、恐怖。

 

「嫌だ失望されたくない見放されたくない嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だああああああああ!」

 

頭を抱え、想像してしまったことに恐怖して涙が溢れ出る。風邪のせいで止まらない鼻水と混ざり合って顔はぐちゃぐちゃになり、動悸が収まらない。横隔膜は引きつってしゃっくりを引き起こし、それによって再び胃へと悪影響がもたらされる。

 

「う、ぷ、んんん!」

 

とっくに胃は空っぽだというのに、焼けるような液体がせり上がってくる。今度はなんとかそれを口を抑えることで飲み下すが、不快感までは抑えられない。

 

「只今戻りました、マスター」

 

「……茶々丸か」

 

ネギに襲撃を受けていた茶々丸が戻ってきた。その手には、白い袋が携えられている。

 

「今日は、夕暮れまで、戻って、くるなと、いったはずだぞ」

 

息も切れ切れに、彼女を刺すような視線で睨みつける。しかし、茶々丸は顔色など一切変えずに淡々と言葉を紡ぐ。

 

「マスター、すでに夕暮れです。お薬をお持ちしましたので、お飲みになって下さい」

 

「そこに置いて早くでておけ……今の私ではお前も……う、ぐ……!」

 

「マスター!」

 

突如うめき声を上げ、苦しそうにする少女。慌てて近づこうとするが、少女は手で制す。

 

「き、ちゃ、だめ……!」

 

「で、ですが……」

 

「来るなっつってんだろーがッ!」

 

「っ!」

 

一瞬気弱そうな喋り方になったかと思えば、茶々丸が二の句を継ごうとすると大声で彼女に悪態をついた。その様子は、まるで最初の言葉と次の言葉を別々の人間が喋っているかのようだ。

 

「はやく、部屋から離れなさい、茶々丸……これは命令ですよ?」

 

今度は、礼儀正しい口調で彼女を諭す。困惑しつつも、茶々丸は薬をテーブルに置くと、静かに部屋から退出していった。

 

「うふ、うふふ……クソがッ! 胸糞悪くなってきやがる……! 茶々丸に、あんな大声で怒鳴っちゃった……ぐ、ぅ……」

 

コロコロと口調と雰囲気が変わっていくさまは、まるでテレビのチャンネルを手当たり次第に変えているかのようだ。彼女は薬の入っている袋へ手を伸ばすと、中にはいった錠剤を水も飲まずに飲み下した。

 

「はぁ、はぁ……クキッ」

 

薬を服用して数分経つと、気でも狂ったかのように短い引きつった笑い声を上げる。その様は非常に不気味で、見る者がいれば忌避したくなるような状態だった。

 

「このままじゃあの人がいる間に計画を進められない……予定を、早めるか……そうだ、それがいい……クキキッ!」

 

ベットから這い出すと、クローゼットへと向かう。両開きのそれを開くと、何かを探し始めた。そして、目的のものを見つけ出し口元を歪める。

 

「実行は水曜が妥当だと思ったが、こうなったら仕方ない。与えた猶予が終わると同時に計画を進めるとしよう。そう、これは仕方ないんだ、やらなきゃ駄目なんだ……クキキ」

 

 

 

 

 

「結局、進展はなし、か」

 

「ごめんなさい、僕がもっとしっかりしていれば……」

 

「仕方ないわよ、自分の生徒を攻撃するなんてあんたにはそうそうできないでしょ」

 

アスナの部屋へと戻ってきた三名と一匹。木乃香はまだ帰ってきていないようだ。

 

「明日はどうする?」

 

「やはり、犯人を探したほうがいいと思います」

 

「そうっすねぇ、このまま手を拱くわけにもいかないッスから」

 

「あ、ごめん。明日は私用事があるからいないわ」

 

明日のことで話し合いだすが、アスナが突然そんなことを言う。

 

「えぇー、用事っすか? 姐さんがいないと戦力が著しく低下するっすよ?」

 

「私の育ての親みたいな人が日本に来るのよ。さっきメールで空港に着いたって連絡があったから明日東京まで迎えに行くの。だから予定変更なんてできないわ」

 

「はぁ~、姐さんの育ての親っすか。一体どんな人何すか?」

 

「私が一番尊敬してる人よ。私にとって一番大事な人」

 

その人物を話すアスナの目が、ネギには心なしか輝いているように見え、彼女がその人物を非常に慕っているのだと理解した。

 

(僕も、アスナさんやクラスの皆さんに慕われる先生になれたらなぁ……)

 

名前も知らないその人物に羨望と少々の嫉妬を覚え、そんなことを考えるのだった。

 

 

 

 

 

東京都内某所。とあるホテルの一室で気取っているかのようにワイングラスを傾け、窓から眼下の光景を眺めているのは金髪碧眼の少女。どう見ても未成年なはずなのだが、彼女の妖艶な雰囲気がそれを一切感じさせない。彼女こそ、アスナが語った件の人物であった。

 

「アスナの迎えは明日か。ククッ、さぞ驚くだろうな……」

 

実は、彼女はアスナに日本へ訪れることは告げたが、彼女の他にもう一人がやってきたこと、そしてもう一人の人物が明日到着することを隠していたのである。

 

四人(・・)が揃うのも久しぶりか。お前も心なしか楽しそうだな?」

 

ソファにいるその人物にそんな言葉を投げかける。

 

「ケケケ」

 

その相手は、ただカタカタと笑っただけであったが、彼女にはそれだけで相手が上機嫌であることが分かった。

 

「計画は順調らしいが……あの子の調子が悪いと聞いたし、万が一暴走(・・)でもすればちと面倒になるな……」

 

「観光ハ諦メルカ?」

 

そんな相手の言葉に、少女は頷いた。

 

「だな。明後日には麻帆良に向かってあの子の体調を診るべきだろう。アスナには悪いが、予定を繰り上げるか」

 

グラスをテーブルに置くと、相手の真正面にあるソファへと座り足を組む。

 

「鈴音が見出した彼女とあの少女(・・・・)も気になるが……やはり"英雄の息子"が一番楽しみだ……かつての『宿敵』に足るか、それを思うだけでゾクゾクする……!」

 

ニヤリと口角を上げる少女。愛らしい笑顔のはずなのに、まるで猛獣のような凶悪さを感じさせる笑みであった。

 

因縁は収束してゆく。それは抗えない運命の糸にして絶対の出会い。

 

それらは等しく必然へと向かう。偶然とは必然なのだから。



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第二十五話 闇夜の攻防

闇夜に戦う彼らと彼女ら
彼の本心は義務感? 責任感? それとも……


日曜日。一般的な認識であればこの日は休みを謳歌する者が大半であり、学生にとっては土曜日と同じく天国のような曜日だろう。尤も、ほんの少し前までは土曜日も半日の学習が存在する、いわゆる半ドンが存在したため、長く休みとして親しまれてきたこの曜日はやはり別格だろう。

 

「とりあえず現状でできるだけのことはしてみました、みたいな感じか」

 

「はい、無いよりはまし、程度ですが」

 

アスナが不在のため、本日は千雨の部屋にて話し合いをしている。

 

「……結局、提示された猶予内には発見できず、か」

 

「相手が体調が悪いってぐらいしかわかりませんし、残っていた2日が休日だったというのもマイナスでしたね」

 

既に日は傾き始めており、犯人探しはとうに終了している。与えられた猶予で最終日の今日は、クラスメイトたちの動向を探った。大半が外に出て元気に遊んでいたり、街に出て買い物を楽しんでいたようだが、女子寮の部屋にこもって寛いでいる者ももちろんいた。犯人は現状動けない可能性が高いため、そういった生徒を訪ねてみたが該当する人物はいなかった。

 

「襲われた人も元気でしたから、今のところ何かされた形跡はないみたいですが……」

 

「油断できねぇわな。大川はまだ風邪ひいてるみてぇだし」

 

被害者の一人である大川美姫は、風邪をかなりこじらせてしまったらしく、今も同室のクラスメイトの看病を受けているらしいと、神社で掃除をしていた龍宮真名が言っていた。

 

「で、さっき言ってた罠ってのは?」

 

「捕縛結界の一種を、犯人が現れる可能性が高い場所に設置してあります」

 

「設置場所は俺っちが調べやした!」

 

「へぇ、意外とやるなエロオコジョ」

 

「せめて名前で読んで欲しいっス!」

 

犯人探しのめどが消えたため、ネギは犯人との戦闘を想定し、予め罠を設置することで少しでも優位に立てるようにと行動した。犯人が現れた桜通りをはじめ、アルベールと相談したり、彼の助言を受けて設置場所を変えたりなどした。

 

「もう大分遅いし、戻ったほうがいいだろ。近衛が心配するぞ」

 

「そう、ですね……。できればもう少し今後について話しあいたかったんですけど……」

 

「あとはなるようになれ、だぜ?」

 

「……はい、あまり考えすぎてもよくないですよね。少し気分が楽になりました、ありがとうございます、千雨さん」

 

「よせよ、礼なんか言われ慣れてねぇからむず痒くてしかたない」

 

肩をすくめてそんなことを言う千雨に、ネギは一礼すると部屋から退出していった。

 

「……なんか、嫌な予感がするな……」

 

血のように真っ赤な夕日を浴びて、千雨はそんなことをポツリと零した。

 

 

 

 

 

「あ、おかえりネギ君」

 

「ただいまです、このかさん」

 

部屋へと戻ってくると、木乃香がネギを出迎えた。アルベールは昨日のうちにネギとアスナが迷いこんできたオコジョだと一芝居うち、一時的に預かっているという扱いのため部屋のケージで寛いでいた。

 

「そうそう、ネギ君にお手紙が届いとるんよ」

 

「えーと、誰からだろう……」

 

順当に考えればネギの姉代わりであるネカネか、彼の幼馴染であるアーニャだろう。だが、二人からの手紙は既に春休みの間に届いている。迷惑をかけてないかだとか、風邪を引かないようになどの他愛もない内容だったが、それ故にこんな短い期間で二通目がくるなど考えにくい。

 

そして、彼は手紙の差出人を見て驚愕した。

 

「……! まさか……!」

 

差出人の名前は、絡繰茶々丸。魔法がかかっていないか確認し、安全を確保する。そして彼は封筒を開けると、その手紙に記された内容に目を通した。

 

『やあ、ごきげんいかがかな先生。私が動けない間にずいぶんとまあ私のことを嗅ぎまわっていたらしいじゃないか。まさか私がこの程度のことでボロを出すとでも思っていたのかい? だとすればずいぶんと失望させてくれる。ま、君のその下劣な精神性は今はどうでもいい』

 

前半はこちらが探りを入れていたことなど知っているという内容だった。ネギは苦い顔となり、額には一滴の玉が流れ落ちる。

 

『お仲間ができたそうじゃないか、茶々丸から話は聞いているぞ。神楽坂アスナに、長谷川千雨……まさか自分の生徒を巻き込んでまで私を探しまわるとは、見下げ果てた紳士だね君も』

 

二人のことについても書かれており、一瞬ひやりとしたが、内容は主に遠回しな罵倒だ。彼女らについて何かするといった内容は見受けられず、安堵の溜息をつく。

 

『しかも従者じゃないらしいな、いざとなれば切り捨てるつもりかい? たったの3日で随分と冷酷で薄情になったじゃないか、ある意味尊敬の念を禁じ得ないね』

 

挑発的な文章が続く。怒りが腹の底でふつふつと煮えたぎるが、それを何とか抑えて読み続ける。

 

『こう長々と書くのも疲れてきた。何せ病み上がりなのでね、単刀直入に用件を言おうか。今夜0時、戦おうじゃないか。場所は屋内プール場、逃げても構わないがその場合、君の生徒の安全は保証しかねる。ああ、罠を仕掛けようがご自由にと言っておこう、たかが君程度の魔法使いの罠など取るに足らんものだからね。盾代わりの協力者さんも連れてくるといい、いい弾除けになってくれるだろうさ。ではな』

 

最後の文はそんなふうに結ばれていた。腹立たしいが、罠でも設置しなければ今の彼女らが相手では太刀打ち出来ないだろう。そして、二人を連れても構わないという自信に満ちた発言。負けるつもりなど、端からないのだろう。

 

「……今日の0時、か……」

 

彼の小さく呟いた言葉は、その小ささに違わぬ希薄さで空気へと溶けこんでいった。

 

 

 

 

 

深夜零時前。誰もかれもが寝静まった、静寂が空間を支配する時間。そんな時間帯に、息を殺して走る少年が一人。その人物こそ、ネギ・スプリングフィールドであった。

 

「兄貴! やっぱ一人でやるなんざむちゃが過ぎるッスよ!」

 

「ううん、これはあくまで僕の問題だ。協力関係ではあるけど、これ以上千雨さんを関わらせるわけにはいかない。それに勝算だってあるよ!」

 

並走しているのは彼の相棒であるアルベールだ。彼は、ネギから決闘の手紙が犯人から送られてきたことを聞いており、千雨とともに迎え撃とうと提案した。しかし、ネギはそれに真っ向から反対し一人で戦うと言って聞かなかった。結局、ネギに押し切られてしまいこうして夜中に決闘に指定された場所へと向かっているのだが、アルベールはやはり不安を拭えなかった。

 

「言ったでしょ、犯人側は千雨さんとアスナさんが協力者であることを知ってる! このまま一緒に連れて行けば、何があるかわからないよ!」

 

「そ、そりゃあそうでしょうけど……やっぱり一人でなんて!」

 

「僕の生徒が相手なんだ。僕が、自分自身で向き合わなくちゃならないことなんだ!」

 

そう、手紙で二人のことが書かれていた以上、犯人はそれを織り込んで迎え撃とうとしているに違いない。そんな状況で、戦闘は全くの素人である千雨を連れて行くなど自殺行為に等しい。アスナがいないことが非常に悔やまれた。

 

「カモ君! 僕のことはいいから、千雨さんに危害が及ばないようついてて!」

 

「なっ!? そんな兄貴! おれっちまでハブにする気っすか!?」

 

「ごめん……でも、他に頼める人なんていない。アスナさんがいない今、カモ君だけが頼りなんだ!」

 

「ええい、兄貴のいじっぱりめ!」

 

そう言うと、アルベールはブレーキをかけ、真反対へと走り始める。

 

「千雨の姐さんを安全な場所に避難させたら、おれっちもすぐに向かいやすから!」

 

「分かった! 無茶だけはしないでね!」

 

「兄貴にその言葉、そっくり返しやすよ!」

 

去ってゆくアルベールの姿も目に入れず、ひたすらに屋内プール場へと向かう。不安と恐怖で圧し潰されそうな胸。それでもなお、足を止めはしない。大事な生徒が危機にさらされ、そしてその大事な生徒が凶行に及んでいる。ならば、それを止めるのが彼の役目だ。生徒を守れず何が先生か。間違いを正してやれずなにが正義の魔法使いか。

 

揺るがぬ決意を胸に、彼はひた走る。

 

 

 

 

 

『……来たか』

 

「ハァ、ハァ……。貴女を、止めにきましたよ!」

 

屋内プール場に入ると、そこでは黒いマントで身を包み、フードを目深にかぶった犯人の姿。息を切らせながらも、決意のこもった眼で相手をみやる。

 

「さあ、これ以上僕の生徒を襲うことをやめてください! 聞いてもらえないなら、僕は実力行使も辞しませんよっ!」

 

『そんなっ! 先生は私に暴力を行使するということですか!? ひどい! 私もあなたの生徒です! 守ってくれないんですか!?』

 

急に態度を変え、あたかも被害者を装う犯人。彼女は知っている、ネギが生徒相手に魔法を行使するのをためらうことを。

 

だが、彼の返事は。

 

「……確かに、僕には生徒を守る義務があります。ですが! それだけでは生徒を甘やかすだけです! 時に間違いを正してあげることも、先生の役目なんです!」

 

『そのために魔法を行使するんですか! ひどい!』

 

「僕が魔法学校で間違いを犯したとき、校長先生は拳骨で教えてくれました。痛みを理解できなければ、覚えられないことだってあると! 人の痛みを知るには、自分自身がまずその痛みを理解する努力をしなくてはならないと!」

 

そう言って、背負っていた大きな魔法使いの杖を手に持ち、戦闘態勢に入る。

 

「貴女に、その痛みを教えるのが今の僕がすべきことです!」

 

『ハッ! 詭弁を並べるんじゃあない! 所詮ただの自己満足でしかないくせに! この偽善者め!』

 

「偽善だってかまいません! 人は誰だって間違うことだってある、でもそれを間違ったままにしてしまうのはよくない! 正し、導いてあげることも必要だと! それが偽善だと罵られようと、僕はやり遂げる! 僕が大事だと心の底から言える生徒のために!」

 

杖を握りしめ、心の叫びをぶちまける。偽善だろうとなんであろうと、己が正しいと思ったことから目を背けたくない。そんなことをすれば、今までの自分を否定してしまう。だからこそ、絶対に曲げられない一本の芯。

 

『じゃあ私も教えてやるよ先生……世の中には、更生なんざ不可能な悪がいるってことを!』

 

戦いが、始まった。

 

 

 

 

 

先手を取ったのはネギだった。

 

「『魔法の射手(サギタ・マギカ)』!」

 

十数本の光の矢が犯人へと襲い掛かる。しかし犯人は悠然と佇んだままだ。

 

『無駄だっ!』

 

手をかざし、魔法障壁を展開すると、容易くそれらは弾かれてしまう。しかし、それはネギにとって初めて犯人と対峙したあの夜から分かっていたこと。ネギは間髪入れず次の魔法を詠唱していた。

 

「闇夜切り裂く一条の光! 我が手に宿りて敵を喰らえ!」

 

収束していくのは、光の属性魔法とは違った荒々しい光。

 

「『白き雷(フルグラティオー・フルゴーリス)』!」

 

『無駄だと言っている!』

 

再び弾かれる魔法。今まで犯人相手に使った魔法の中では、攻撃魔法の中でも魔法の矢より遥かに強力な魔法であった。にもかかわらず、彼女はそれを防げる魔法障壁を、タイムラグも一切なしに発動して防いだ。一見して、これでは、その強固な魔法障壁に為す術が無いようにも見える。

 

だがネギは見逃していなかった。犯人が用いている魔法障壁は確かに強固だが、しかし確かな弱点があることに。魔法をぶつけられると自動で防御を行っているようだが、一瞬だけ隙ができるのだ。それは魔法を弾いた直後、そのタイミングでネギはさらに無詠唱で風精を召喚して彼女へと放つ。

 

『ちいッ!』

 

犯人は迫りくる魔法を辛うじて躱す。そう、受けるのではなく躱したのだ。

 

(やっぱり……! 彼女が使っているのは自動防御を行う魔法障壁と常時展開している魔法障壁の二つを運用しているんだ!)

 

自動生成される魔法障壁と、常時展開の魔法障壁。どちらも防御能力は大したものではない。せいぜいが魔法の矢を受けられる程度であり、自動生成の障壁などは、一度攻撃を受けてしまえば掻き消えてしまうだろう。だが、その二つを同時に運用することで障壁を重ねて発動し、強力な魔法もノータイムで防げるようになっているのだ。

 

しかし、先ほどは『白き雷』という強めの魔法によって魔法障壁を攻撃された。それにより、自動生成される魔法障壁の一瞬の隙が生まれ、貧弱な常時展開の魔法障壁がむき出しとなってしまったのだ。

 

「逃がしません!」

 

杖に跨り、ネギは飛びながら一気に犯人へと肉薄する。そして魔法の矢を、遅延呪文で腕に乗せて彼女へとそのまま振りかぶった。眼前では、しつこく追い縋る風精による執拗な攻撃。彼女は何らかの魔法具と思しき爪で風精を蹴散らすが、攻撃を受けるために魔法障壁で防御してしまっていた。これでは、ネギの追撃を防ぐ術がない。

 

「はああああああああああああ!」

 

『しまっ……!』

 

ネギの攻撃は犯人の頬を正確にとらえ、魔法障壁を一気に破壊して彼女を吹き飛ばした。

 

『ぐああああああああああああああああ!?』

 

吹き飛んで行った犯人は、そのまま温水プールへと突っ込んでいった。

 

(……妙だ。あの時の彼女は、もっと余裕を見せていた。でも、今日はまるで何かに焦っているみたいに余裕を感じなかった……)

 

不自然さや違和感を感じながらも、しかし油断なく揺れ動く水面を凝視する。すると、水面に気泡が浮いてきて、次いで犯人が飛沫をあげながら飛び出してきた。

 

「はぁ、はぁ……よくも、やってくれたな……!」

 

びしょ濡れになりながらも、相手はネギをギロリと睨みつけてくる。しかし、ネギは何も言うことができずにいた。動揺のあまり思考が停止したのだ。しかし、それは彼女の鋭い眼光に竦んだからではない。

 

「あ、あなたは……まき絵さん!?」

 

そう、ほんの少し前に図書館島地下へともぐり、共に助け合った人物。ネギにとっては特に親しい生徒の一人である少女、佐々木まき絵の顔がそこにはあった。

 

 

 

 

 

「あのバカ! なんで自分一人で特攻してやがんだッ!」

 

「そうは言っても、姐さん達じゃ魔法使い相手はむりっすよ! むこうの従者が襲ってくる可能性だってあるんすから、早く避難してくだせぇ!」

 

走る、走る、走る。夜の帳の中をひた走るのは一人の少女と一匹の獣。長谷川千雨とアルベールであった。アルベールは彼女を安全なところに連れて行こうと説得を試みた、いや今も避難するよう呼びかけ続けているのだが、彼女はまるで聞いてくれない。

 

「バカ野郎! あいつは私より強いっつってもまだ10歳なんだぞ!? 戦った経験なんざろくにないだろうに、一人で戦って勝機なんかあるわけないだろうが!」

 

「だからといって、兄貴のとこに行って何になるんすか! 足手まといでしかないっすよ!?」

 

「いーや、私はあいつに言った。危険は承知の上、やばかったら逃げるってな。確かに今は中々に厳しい場面だろうが、本当にやばい状況じゃあない。だったら、飛び込むことに躊躇してちゃあいつまでたってもあの仮面の女には届かねぇ!」

 

いまだ彼女の心を掴んで離さない、絶望の象徴。それがいつ来るのか、不安で休まることがなかった幼い自分。それを乗り越えるには、今逃げるわけにはいかなかった。

 

「ええい、兄貴といい姐さんといい強情っぱりばっかりか! こうなりゃとことん付き合わせていただきやすよ!?」

 

実は、アルベールは今回の戦闘で極力協力するだけにとどまり、戦いの矢面に立つつもりなどさらさらなかった。妖精とはいっても所詮はオコジョ、戦いなんてさっぱりである。だからこそ、戦闘はネギ達に任せるつもりだった。

 

だが、彼女の眼を見て彼はその考えを改めた。

 

(自分より年下の女の子が逃げねぇっつてんのに、ここで退いたら男が廃るッ!)

 

己の過去に打ち勝とうとする彼女を見て、己もまた自身の濡れ衣を払しょくするために戦っていることを思い出したのだ。似た境遇の彼女が、魔法さえ使えない非力な少女が覚悟を決めているのに、己はなんという体たらくか。己可愛さに他人に戦わせて自分だけ逃げるのか。

 

(そんな、格好悪いことができるかってんだッ!)

 

目つきが変わったアルベールを見て、千雨は口の端を釣り上げた。

 

「ハッ! ようやく肚決めたかエロオコジョ! 逃げ出したいなんて言ったってもう後戻りできねぇからな!」

 

「望むところでさぁ!」

 

 

 

 

 

「チッ、まさか隠蔽の魔法具が壊れるなんてな……」

 

忌々しそうに毒づくまき絵。その様子に、普段の明朗快活な雰囲気は一切ない。あまりに予想外の展開に、ネギは理解が追いつかずに目を白黒させる。

 

「え、あれっ!? まき絵さんが犯人……いやでも彼女は犯人に襲われて……いやでも目の前にいるのはまき絵さんだし……犯人がまき絵さんでまき絵さんが犯人で……?」

 

「フン、訳が分からず混乱しているか。こんな奴に大事な魔法具を3つも壊されるとは、私も焼きが回ったな」

 

そう言うと、彼女は右腕に装着していた『バネ人間』で彼の頭を引っ叩いた。

 

「犯人が茶々丸さんをまき絵さんで襲われて……もぷっ!?」

 

「いい加減現実を見たらどうだ? いくら考えたところで、犯人が私だという事実は覆らんぞ?」

 

「で、でもまき絵さんは犯人に襲われて……! あなた、さては偽物ですね!?」

 

「自分を容疑者から外すために一芝居打っただけだ。私は正真正銘、佐々木まき絵だよ」

 

「…………」

 

残酷に、事実を突きつけるまき絵。共に苦労も喜びも分かち合った彼女が、ネギを狙う犯人だという事実は、彼に大きなショックを与えた。

 

「……んで……」

 

「ん?」

 

「なんで他の生徒の皆を襲ったんですか……?」

 

喉から絞り出すように言葉を発する。しかしその声はか細く、震えていた。

 

「言ったはずだが。あんたをおびき寄せるためにやった、それだけだ」

 

その返答に、ネギは何も言葉を発せず俯き、杖を握りしめる。

 

「んー? 覚悟を決めたんじゃなかったのか? 親しかった私が犯人だと分かった途端に意気消沈するなんてな。所詮は口先だけの安っぽい覚悟だったってわけだ」

 

いやらしく挑発するまき絵。その言葉のすべてが、彼の心に突き刺さる。

 

(……そうだ。僕は覚悟を決めた『つもりになっていた』……。僕の生徒の中でも特に親しかったまき絵さんが犯人だってわかって混乱して……彼女が犯人なのに、覚悟を決めたつもりだったのに……途端に戦う気が全くなくなってしまった……)

 

それは、教師が抱いてはいけない考え方。他の生徒、親しくない生徒であれば先ほどと同じように戦おうとしたはず。つまり、彼にとっての生徒とは、親しくなければ戦えるが、親しければ手も足も出ないという酷いもの。

 

(……なんて最低なんだ、僕は……!)

 

何もかもが嫌になってしまう。自分自身の浅ましさ、犯人を止められない不甲斐なさ。なにより生徒を贔屓する教師として恥ずべき心。全てが、嫌で嫌でたまらなくなる。視界が歪み、自分が泣いているのを自覚すると、最早それを止めることさえできない。

 

「ふん、嫌悪感で頭がいっぱいか。まあいいさ、このまま先生にはゆっくりと眠って頂こうか。これで計画も完遂、あの人にも褒めてもらえる……!」

 

そう言うと彼女は、自己嫌悪で周りが見えていない彼にゆっくりと近づき、その俯いている頭へ、ゆっくりと手を伸ばす。

 

「じゃあな先生、おやすみ……」

 

 

 

 

 

「オコジョフラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッシュッ!」

 

「っ!?」

 

まき絵がネギに触れようとした瞬間。突如現れた一匹のオコジョによってそれは防がれた。アルベールが、マグネシウムリボンを用いて強烈な光を灯したのだ。薄暗い屋内プール場で、しかも至近距離でこんなことをされれば、目が一時的に機能を狂わされるのは必定。

 

「ぐ、クソがッ! オコジョ妖精ごときがこの私に……!」

 

「姐さん! はやく兄貴を連れてってくだせぇ!」

 

「了解! いい働きだったぞエロオコジョ!」

 

「そこはせめて名前呼びにして欲しいッス!?」

 

物陰に隠れていた千雨が素早くネギを抱えると、そのままプール場の出口まで走りだす。

 

「ま、待てっ!」

 

「待てと言われて待つわけねぇだろ!」

 

視界を封じられたまき絵が叫ぶも、千雨はそれを一蹴してネギとともに脱出を果たしたのだった。

 

 

 

 

 

「あいつはいないようですぜ……」

 

「とりあえずは追ってこないか……」

 

屋内プール場の近くにあった薄暗い茂みのなかで、アルベールと千雨は周囲を確認しながらそう漏らす。千雨はぜぇぜぇと息を吐きながら呼吸を整えるも、普段運動なんてしない彼女にとってはかなりの運動量だったらしく、心臓が激しく鼓動する。

 

「千雨、さん……?」

 

「大丈夫か先生……ってなわけでもなさそうか」

 

「僕は……僕は先生失格です……」

 

「……あいつになんか吹きこまれたか?」

 

先程から一言も喋らなかったネギが、ようやく口を開いたかと思えばそんなことを言い出したことから、千雨は犯人になにか言われたのか考えた。しかし、帰ってきた返答は。

 

「……犯人が、まき絵さん、だったんです……」

 

「……ああ、私も見たぜ。さすがに驚いた」

 

「僕は、犯人と最初に対峙した時、力づくでも止めると言い切りました。それをできる覚悟を決めたと、言ったんです。……でも、僕はまき絵さんが犯人だと分かった途端、戦いたくないって思ってしまったんです……」

 

10歳の少年がするには、あまりにも悲壮的な顔。絶望を顔に貼り付けたかのようなその暗い表情は、どこか千雨を苛つかせるものを感じさせた。

 

「僕は気づいてしまった……僕が大事に思っている生徒は、結局僕と親しい一部の生徒だけで、他のみんなのことなんてどうでもいいと思っていたことに……」

 

「…………」

 

「僕は……僕は……!」

 

頭を抱え、蹲るネギ。暗くてよく見えないが、照明灯の明かりが彼が下を向いている場所をほのかに照らし、その土が湿り気を帯びているのが微かに分かった。

 

「……先生」

 

「僕は先生なんかになっちゃいけなかったんだ……こんな僕が……」

 

未だそんなことを言いながら啜り泣く彼の頭を鷲掴みにし、顔を露わにさせる。涙と鼻水で酷いものだったが、それを気にせず千雨は。

 

「歯ぁ食いしばれ」

 

全力の右ストレートをネギに見舞った。

 

「が……!」

 

非力な少女の拳とはいえ、受ける側も10歳の少年である。当然それ相応のダメージはある。ネギは受け身も取れずにそのまま地面へ倒れた。

 

「あ、姐さん!?」

 

驚愕するアルベール。まさか、こんな状況でネギを殴るなどという行為に走るとは思わなかったのだ。一方、ネギは混乱しつつもすぐさま起き上がった。

 

「……っ! 何を……」

 

「自分の胸に手を当てて聞いてみやがれクソガキ」

 

「なっ……!?」

 

突然殴られたことに驚きつつも、殴った千雨を睨み返そうとし、逆に睨み顔で暴言を吐かれて唖然とする。

 

(なんで苛つくのかわかった……こいつは、昔の私そっくりなんだ)

 

仮面の女と出会い、いずれやってくる彼女に対する不安や、それに対抗しようにも無力な自分への悲観。ベットで泣き喚きながら過ごした日々。まるで幼いころの自分そっくりだった。そう、昔の自分を見ているようで、無性に腹がたったのである。

 

「さっきから聞いてりゃくだらねぇことをグダグダと……苛つかせんじゃねぇよクソガキ!」

 

「いっ、いきなり何ですか殴ったりして! しかも訳のわからないことを言って、そのうえクソガキって……!」

 

「分からねぇのか? てめぇはまごうことなきアホで馬鹿で何もわかってないクソガキだ!」

 

ぎゃあぎゃあと喚きながら言い合いを続ける二人。口汚く罵る千雨に、それを必死に否定しようとするネギ。犯人から逃げている最中とは思えない行為だった。

 

「いいか! てめぇが先生だろうがなんだろうが、てめぇ自身が10歳かそこらのガキってことに変わりはねぇ! 一々親しくない人間と親しい人間を等しく扱うなんてできるわけねぇだろ!」

 

「例えそうだとしても、僕は先生なんです! そうでなくちゃダメなんですよ!」

 

「ガキのくせして大人の先生気取りか? やっぱてめぇはクソガキだ! 誰だって他人とつながりを持ちたいと思うし、親しくするのが当たり前だ! だのにてめぇは何だ? 親しくもない人間相手に、友人と同じように接せられるってか? んなもんできるわけねぇだろうが!」

 

「ま、またクソガキって……!」

 

「気に入らねぇか? じゃあなんどでも言ってやる、このクソガキ! 大体てめぇは色々と難しく考え過ぎなんだよ! てめぇの自己満足だろうがなんだろうが、不平等に生徒のことを考えようが、てめぇが先生として生徒を守ろうとしたことは嘘じゃねぇだろうが!」

 

「……っ!」

 

千雨の言ったことに、ネギは言葉を詰まらせる。しかしなおも千雨はまくしたて続ける。

 

「さっきから聞いてりゃなんだ、先生としての自分をあーだこーだと。あんたが抱いてるのは結局は義務からくる責任感じゃねーか! そんな生徒自体を見てもいねぇ考え方で、私は心配なんざしてほしくねぇよ!」

 

「僕だって……僕だって必死なんです! みんなの先生になって、しっかり先生として職務を全うできているのか不安で……僕のせいでみんなに迷惑をかけてないか不安なんです! 僕のせいで犯人に襲われた人だって、申し訳なくて、情けなくて……!」

 

ネギが、ついに千雨の言葉に耐え切れず心の中をぶちまける。自分よりも年上の、それも異国の生徒相手に先生をするなど、いくら大学を卒業するような天才少年でも大変な重荷だった。そこからくる不安、そしてそれを抱えた時に生徒を襲う犯人が現れ、いつしか彼は抱いていた義務からくる責任感を頑なに守ろうとしてしまったのだ。

 

しかし、それを聞いた千雨の反応はといえば。

 

「ああ? そんなことかよ、くっだらねぇ!」

 

「そ、そんなことなんて言わないでください! 僕は真剣に……」

 

「言っただろ、義務感で先生やってるような奴に心配なんざされたくねぇって。私が聞いてるのは、ようはあんたが本当はどう思ってるのかってことだ!」

 

「どう、って……」

 

「あんたの心からの本心だよ。それとも、自分の思ってることも分からねぇ、本当のクソガキなのかあんたは? あんたの事情だって知ってる私という生徒さえ、信じてはくれねーのか?」

 

まるでネギの心を、鋭く射抜くかのような眼光で千雨は問い質す。ネギは、少しだけ深呼吸をして俯き、考えこむ。

 

(僕の……本当の気持ち……)

 

初めてこの学園に来て、アスナと木乃香に出会った。教室に入ったら罠にはめられてひどい目にあったが、同時に年上の生徒を相手にする不安感も消えてしまった。歓迎会を開いてもらい、フレンドリーな生徒たちに戸惑いつつも、これからやっていけそうだと安心した。

 

お風呂場での騒動や、ドッジボール対決。いろんな事があった。特に図書館島での出来事は、今までまだ距離をおいていた生徒たちと協力し合い、喜びを感じた。だからこそ生徒を、仲間とも言える彼女らを守りたいと思ったのだろうに。

 

そう、もう答えなどとっくに出ていたはずなのに、自分で難しく考えていたのだ。

 

「僕は……アスナさんや木乃香さんを守りたい。バカレンジャーの皆さんを守りたい……! たとえ犯人がまき絵さんだろうと、僕はまき絵さんも守りたい! 敵同士なんて嫌だから、戦いたくないからこそ、まき絵さんを止めたい……! 止めるために戦いたい……!」

 

「……んだよ、ちゃんと分かってんじゃねぇか」

 

そうぶっきらぼうに言いながら、ネギの頭に手を置いてくしゃくしゃと乱暴に撫でる。

 

「わぷっ!?」

 

「今はまだ、大事な生徒が少なくてもいいさ。あんたはまだここに来て、3ヶ月も経ってない。よくわからない生徒がいたって不思議じゃない。これから時間をかけてそいつらを、大事な生徒にしてやりゃいい」

 

「千雨さん……」

 

彼女とて、かつて出会った仮面の女のせいで不安で仕方なかったはずだ。だからこそ自分という、魔法をよく知り、理解してやれる存在は大きかっただろう。彼女の言ったようにネギの存在は、信頼はないが信用できる協力者、という風なのだろう。

 

「デカイ悩みは、吹っ切るんじゃなく胸に抱えて進んじまえ」

 

「……っ、はいっ!」

 

「……以上だ。ったく、私としたことが柄にもねぇことを……」

 

だが、そんな自分のために彼女は今、心を砕いてくれた。不安の闇を取り払ってくれたネギのために、彼女は彼を信じてくれたのだ。最低な先生だとようやく自覚した、こんな自分を。彼女を、生徒を思う先生なのだと。

 

ならば、自分がするべきことはただひとつだ。

 

(千雨さんの、僕の大事な生徒の信頼に応えること……!)

 

彼の目に、今一度光が灯った。



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第二十六話 闇夜の攻防②

「なんだ、戻ってきたのか先生。てっきり逃げ出したのかと思ったが」

 

屋内プール場に戻ってみれば、先程と同様にまき絵が待ち構えていた。ただ、今度は先ほどとは違い黒いマントは脱いでいる。先ほどずぶ濡れになったため脱いだのだろう。よく見れば、濡れていた制服も乾ききっている。

 

「いいえ、貴女を止めるまで……僕はもう逃げないと決めました」

 

「ハッ、ご立派な考えだができるのか? あんたは私と戦いたくないんだろ?」

 

「……確かに、僕は貴女と戦いたくないです」

 

「私でなければ戦えただろうになぁ? 残念だったな、最低なネギ先生?」

 

ネギが戦えないことが分かっていることをいいことに、言いたい放題なまき絵。自分がネギにとって大事な生徒であり、危害を加えられないことを理解しているためだ。

 

だが。

 

「……ですが、僕は貴女と戦います。矛盾してるかもしれないけど、貴女と(・・・)戦いたく(・・・・)ないから(・・・・)戦います(・・・・)

 

「……は?」

 

「そういうこった、悪いがこいつにこれ以上あれこれ言っても無駄だと思うぜ」

 

予想外の言葉に呆けるまき絵。そして、それを補足する言葉を発しながら一人の少女が暗がりから現れた。

 

「長谷川……千雨……!」

 

「よう、随分と口汚くなったな佐々木」

 

そんな軽口を叩く千雨に、まき絵は顔をしかめて嫌悪を示す。その様子を見て、千雨はため息をひとつ吐く。まき絵は眉をひそめながら得心のいった様子だ。

 

「そうか、貴様が彼に何か吹き込んだか」

 

「人聞きの悪い言い方すんじゃねぇ。それに、吹き込んだっつーんならてめぇも同じだろ」

 

互いに視線を逸らすことなく、彼女らは言葉をかわす。一見すればただの口の悪い会話だが、言葉の端々からピリピリとした雰囲気が感じ取れる。級友が戯れに軽口を叩き合うような雰囲気ではなく、もっと棘棘としたもの。

 

「で、貴様が来たところでどうする気だ? 先生の足でも引っ張りに来たか」

 

「生憎、他人と関わることがないせいでそもそも他人の足を引っ張る事が少なくてな」

 

「……減らず口を」

 

「お互い様だろ、犯人様よぉ?」

 

罵り合いの応酬で、割り込む隙さえ見出だせないネギはオロオロとするだけ。話の中心的人物が置いてきぼりになってしまっている。

 

(千雨さんって、親しくない人とこんなに話せたんだ……)

 

そう、千雨は軽い対人恐怖症である。そのせいで同級生とすらろくに会話ができないせいで友人もろくにいないと聞いているのだ。故にネギは、千雨が親しい人間以外ではろくな話もできないのだと思っていた。いや、実際その通りであり、彼女が最近一番話をしたのは実はネギだったりするのだが。

 

今現在、彼女は軽く興奮状態になっていた。普段運動をしない彼女が息が切れるまで走ったことを基点とし、現在の自分を形作る原因となった者と関わりを有する可能性がある相手を目の前にし、目指していた目的に近づけることに対する潜在的な喜びが起因していた。

 

「しかし驚いたぞ。普段教室の隅で物静かに光合成でもしているのかのように大人しい貴様があんな大胆な行動に出るとは」

 

「私の目的のためなんでな、大胆にもなる。……お喋りはここまでにするか」

 

「何?」

 

「お前に聞きたい。"仮面の女"を知ってるか」

 

「……知らんな。そもそも、そんな曖昧な特徴で尋ねるのがどうかしている」

 

否定の言葉。そもそも、犯人にとってまともに答える必要性さえないのだ。千雨の質問は全くの無駄に思えた。

 

「そうかい。……じゃあもうひとつ特徴を付け加えるぞ」

 

だが、次の言葉が犯人の心に波紋を呼んだ。

 

「"紫の着物を着た黒髪の女"を知ってるか」

 

 

 

 

 

「…………知らん」

 

「嘘だな。さっきと違って答えるのに少し時間がかかったぞ」

 

「知らんと言っているッ!」

 

先ほどとは違い、怒鳴り散らすまき絵。まるで千雨の言葉をかき消そうとしているかのような言動だった。

 

「随分大げさに否定するな……やっぱ知ってるんじゃないか?」

 

「黙れ、そのべらべらとうるさい口をこれ以上広げられたいか」

 

先ほどまでとは雰囲気が一変してる。明らかに触れられたくない何らかに関わっていると見て間違いないだろう。これ以上聞こうとしても無駄だろうことを感じた千雨は、話の方向を変えることで切り込んでいくことにした。

 

「おお怖い怖い。新体操なんてやってる割に中身は凶悪なんだなお前」

 

「あれも適当に部活動を選んだだけだ」

 

まき絵は言い切る、自分の本性を包み隠すための行為でしかなかったと。しかし、そこに千雨は違和感を感じた。

 

(……ひょっとしてこいつ)

 

「ハッ、聞くだけ聞いてだんまりか。自分勝手なやつだ」

 

黙りこくる千雨を見てそう吐き捨てるまき絵。しかし、千雨はそれに反論するわけでもなく新たな質問を投げかける。

 

「……お前、本当に(・・・)佐々木か(・・・・)?」

 

「えっ?」

 

千雨の言葉に驚いたのはネギだった。まき絵は余裕から浮かべていた笑みを消し、若干苦い顔をしている。

 

「……何をとち狂ったことを言い出すかと思えば。私は正真正銘、佐々木まき絵だ」

 

「だろうな、そんな感じはする」

 

「千雨さん、一体何を言って……」

 

「先生、私は"仮面の女"と出会って以来、他人の悪意とかそういうもんに敏感なんだ。だからこそ分かる、こいつは佐々木(・・・)じゃない(・・・・)

 

「ど、どういうことですか?!」

 

今度ははっきりとまき絵を偽物だと断じる千雨に、何を言っているのかをネギは聞く。

 

「こいつは今、新体操のことを適当に選んだと言っていた。だがな、私が以前こいつの部活動をたまたま目撃した時、心の底から楽しそうにしていたのを見ている。あれは、間違いなく嘘偽りないあいつ自身だった。それをこいつからは感じねぇ」

 

千雨が言うには、他人の何かに向ける感情に対して敏感な彼女が、新体操を心底楽しそうにやっていたというのに、今のこのまき絵からはそれを一切感じないのだという。むしろ、悪意ばかり感じるというのだ、あたかも別人のように(・・・・・・)

 

千雨の目つきが鋭くなり、まき絵を睨みつける。

 

中身は誰だ(・・・・・)?」

 

「……っ!」

 

「あんたの言うとおり、確かにあんたは佐々木まき絵だろうさ。ただし、それはあくまで肉体だけ(・・・・)の話だろ?」

 

「中身が違う……まさか、精神転移……!?」

 

「何か知ってんのか、先生」

 

「はい、昔本で読んだことが……魔法で自分と他人の精神を入れ替えるといったものです。でも、あまりに危険な術なので禁術として扱われてますけど……」

 

魔力に自分の精神を乗せることで、他人の精神内へと強制的に入り込んで入れ替わるこの魔法は、非常に危険な代物である。なにせ、使用者にも被害者にも精神が迷子になるというリスクが付き纏う上に、入れ替わってしまえば完全に肉体を支配できてしまうのだ。

 

しかも、成功して精神を追い出された被害者は術者の精神が消えた後、下手をすると廃人になってしまう。あまりに危険なため、魔法使いの間では使用を禁じられている禁術なのだ。

 

「……つまりあいつはそれを使って佐々木になりすましてるってことか」

 

「……実は魔法を必ずしも使う必要はないんです。精神に作用する特殊な魔法具の一つに、『幻惑の万華鏡(カレイドスコーペ・イルージオ)』というものがあって、それを使えば簡単に相手の精神を乗っ取ることができます」

 

非常に希少な魔法具であることに加え、その強力さと違法性から所持するだけで重い刑罰を与えられるといういわくつきの代物なのだという。

 

「種は割れたぜ? いい加減白状したらどうだ、偽物さんよぉ!」

 

千雨に核心を突くようなセリフを吐かれ、彼女が口から漏らしたのは。

 

「…………クキッ」

 

喉を引きつらせたかのような、気味の悪い笑みだった。

 

 

 

 

「いやはや、よく看破したものだ。敬意を表するよ、長谷川千雨」

 

「本性表しやがったな……」

 

「クキキッ。そうさ、私はこの佐々木まき絵の中に魔法具を用いて精神を潜り込ませた。そして私の本体は全くの別、というわけだ」

 

観念したかのようにペラペラと喋り出すまき絵、いや、まき絵になりすました犯人。やはり彼女は中身が入れ替わった別人であった。

 

「まき絵さんを解放してください!」

 

「クキキッ、いいだろう。私の正体を見抜いた褒美だ、それぐらいは飲んでやってもいい」

 

そう言うと、彼女の口から真っ白な靄のようなものが吐き出され、プール場の奥へと飛んでゆき、みえなくなった。するとまき絵の目から精気が無くなり、彼女が膝を折って崩れ落ちる。慌てて彼女に接近して抱きかかえ、そのまま地面へと横たえる。

 

「ふぅ……。でもまさか、まき絵さんに犯人が乗り移ってたなんて……」

 

「あいつを追うぞ先生、追っていけばあいつの体が見つかるはずだ。そうなりゃ、あとは犯人を捕まえればいい」

 

「そうですね、急ぎましょう!」

 

「佐々木は置いてくしかねぇな。まああとで迎えにくりゃいいだろ。さっさと犯人捕まえて、色々と聞き出さねぇとな」

 

まき絵に上着をかぶせて冷えないように配慮し、犯人を追おうとしたその時。

 

『その必要はないさ』

 

先程と同様に黒いマントを纏い、フードを目深に被った人物が柱の陰から現れた。

 

「本物のお出ましか……」

 

「もう体に戻っていたんですね……」

 

身構える二人。特にネギは油断なく杖を構え、いつでも魔法で迎撃ができるようにしている。

 

だが、二人は驚愕することとなる。あまりにも予想外すぎる事態に。

 

『ふふ、さっきは見破られてしまったが』

 

『今度はどうかな?』

 

「え……ええっ!?」

 

「こりゃ、どういうこった……?」

 

『見ての通りだよ』

 

『何も私は早々に正体をあかしてやるほど』

 

『お人好しじゃないのさ』

 

『さっきは油断しただけだ、もうヘマはしない』

 

影から現れたのは、一人だけではなかったのだ。合計で6人、全員が同じ姿をしていた。

 

「幻影か……?」

 

「い、いえ。見た限り本物の人間みたい、……っ!」

 

ネギは自らの言葉と、先ほどの犯人の正体が頭のなかで結びつき、気づいてしまった。ここにいる犯人たちの正体に。想定していた以上の最悪の事態に。

 

『気づいたようだ』

 

『まあ、さっき種明かしをしてしまったからな』

 

『もうちょっと遊んでやりたかったが……』

 

『まあ、戯れもここまでにしよう』

 

そう言うと、犯人たちは一斉にマントを脱ぎ捨てる。その下から現れたのは。

 

「……胸糞悪ぃことしやがって……!」

 

千雨がそう毒づく。だが、彼女の言も最もだろう。なにせ、犯人たちの正体が3-Aのクラス(・・・)メイト達(・・・・)だったのだから。

 

「み、みなさん……!」

 

「どうだい先生」

 

「これでもなお」

 

「戦えるかい?」

 

先ほどのまき絵のように、不敵な笑みを見せる彼の生徒たち。のどか、アキラ、美姫、夕映、祐奈、亜子。6人の内3人が犯人に襲われた人物だった。

 

「まさか、犯人が僕の生徒を襲っていた理由って……!」

 

「ああ、自分の精神を憑依させる相手を確保する目的もあったみてぇだな……」

 

「そこまで気づくか、やるねぇ」

 

パチパチと拍手をするのどか。普段の気弱そうな彼女とは全くかけ離れた言動にネギは薄気味悪いものを感じた。

 

「宮崎や大川は分かるが……他の奴らはどうやって憑依しやがった」

 

「襲った娘と親しいからねぇ、簡単に油断してくれたよ」

 

そして残りの3人も、被害者の2人と繋がりがある。夕映は友人であり同室でもあるのどかと。そして祐奈と亜子はアキラと、先ほど犯人が憑依していたまき絵とも交友関係が深い。そう、彼女らは既に憑依されていた友人によって体を乗っ取られたのだ。

 

「なんて酷い……!」

 

「クラスメイトに対してこの仕打ちかてめぇッ!」

 

あまりに外道な犯人に対し、二人は目に見えるほど憤りを露わにする。しかし、犯人はどこ吹く風といった様子で。

 

「だからなんだ、私のために働いてくれればそれでいい」

 

「言っておくが、私の本体はこの中の誰かだ」

 

「憑依しているからといって、私が実は先生の生徒じゃありませんなんて詐欺みたいなことはないから安心してくれ、クキキッ!」

 

ネギが仄かに抱いていた、犯人が生徒に憑依しているだけで、生徒の中に本物の犯人はいないという希望的観測を指摘され、ネギはたじろぐ。

 

「とことん下衆だなてめぇはよぉ……!」

 

「言っただろう? 私のために働いてくれればそれでいいと。不要になったら切り捨てればいい」

 

「なんてことを言うんですか!」

 

犯人はネギの生徒であることは本人が認めた。だが、クラスメイトをまるでモノのように扱う犯人の考え方は、明らかに常軌を逸していた。

 

「これ以上好きにはさせない……何人だろうと関係ありません! 全員、貴女の魔の手から救いだしてみせる! 貴女にも色々と話すべきことがあります!」

 

「クキキキキ! そうかいそうかい、やれるもんならやってみな……できるもんならよぉ!?」

 

 

 

 

 

「っ! あのバカ、なんてことやってんのよ……!」

 

薄暗い部屋の中、少女が水晶球を眺めながら叫ぶ。犯人の行動を見張っていた柳宮霊子である。体調不良であった犯人が機を焦って猶予期間が明けた直後に行動を起こしたのはまだよかった。あくまで今回の計画を進める役目は犯人の少女に一任されており、霊子は不測の事態に備えていれば問題はなかったはずなのだ。

 

「精神が不安定な時に『幻惑の万華鏡』を、それも複数人相手に使うなんて馬鹿な真似をして……」

 

元来、使用を禁じられるほどの強力な力を有する『幻惑の万華鏡』だが、なにもそれだけで所持しているだけで重罪になるほどのことにはならない。問題は、この魔法具に非常に厄介なデメリットが有ることだ。

 

それは、精神が不安定な人が使用した場合、それをトリッガーにして精神の異常暴走を引き起こす恐れが有ること。過去、そういったことが魔法世界のとある街で起き、街の人間は精神を暴走させて狂った人間によって皆殺しとなってしまった。実行した人間も、精神の暴走による魂の摩耗によって精神が崩壊し、精神病院で息を引き取ったという。

 

(マズイわ……あのままあの子を暴走させてしまえば、英雄の子が死ぬ……)

 

大事な計画の核とも言える存在が死んだとなれば、これまで行ってきた計画の準備やら何やらが全て台無しとなってしまう。

 

(それだけじゃない、最悪……学園そのものが消し飛ぶわね……)

 

組織に入ってまだまだ日が浅いうえ、精神が不安定で実力をうまく発揮できない新参者である犯人の少女だが、逆にその若さで、短期間で幹部にまで上り詰めた実力は決して低くはない。むしろ、潜在的ポテンシャルを考慮すれば伸びしろが更に存在するという恐ろしい才能の持ち主なのだ。

 

だからこそ、そんな人物が精神暴走で暴れまわれば、この学園が地図から消えるレベルの破壊が巻き起こされても何ら不思議ではない。

 

「よりにもよってアスナがいない時に行動するなんて……計画の都合上、私が上で行動できないからあの子を止められるストッパーが誰もいない……。こうしてはいられないわ」

 

すると霊子は水晶球の映像をかき消し、代わりに別の映像を映し出す。そこに写っていたのは、現在犯人に乗っ取られているはずの綾瀬夕映の姿。霊子は念話で相手に話しかける。

 

【夕映、聞こえている?】

 

【……何ですか? 仕事なら今していますが】

 

そう、夕映は本当に操られているわけではなく、犯人一味に協力しているだけだったのだ。とはいえ、言動やら動きやらは全て犯人の少女によって制御されている。あくまで意識があり、その気になれば独断行動が出来るだけの、いわば万が一の保険。

 

【緊急事態よ、あの子は今暴走する一歩手前まできてる。いざとなったら、貴女が彼女を食い止めなさい】

 

【はっ!? 何を……】

 

【説明してる暇はないの、これから援軍を呼ぶから、それが来るまで何とか持ちこたえさせなさい。これは命令よ】

 

一方的に念話を切り、今度は立ち上がると背後にある本棚へと駆け足で向かう。そしてほんの重厚な作りの本を一冊引き出して開くと、そこには携帯端末が。

 

「確か番号は……」

 

普段こういったものをあまり使用しない彼女なのだが、いくら機械に疎いとはいっても操作もまともに出来ないほど頭は硬くない。覚えていたある人物への連絡先である番号を打ち込み、通話ボタンを押す。

 

電話の接続音が連続する。相手がなかなか出てくれないことに苛立ちを覚えるが、それはすぐに解消された。

 

【……もしもし】

 

【アスナ? なんで貴女が……今はそんなこと言ってる場合じゃないわね。緊急事態よ、貴女のマスターに代わって】

 

【! 何かあったのね?】

 

【ことは一刻を争うわ、早くして】

 

【分かったわ、ちょうど今マスターがお風呂から出たとこよ。今代わるわね】

 

普段の彼女からは想像できないほど急かしように、電話に出たアスナは電話の元の持ち主へと迅速に手渡した。

 

【私だ、何があった】

 

【あの子が暴走一歩手前まで来てます。上で行動できない私じゃ止められません、至急麻帆良学園まで来てください】

 

【分かった。急いでそちらに向かう。そうだな……念の為に、一人先行させよう】

 

【感謝します。私は引き続きあの子の様子を確認します】

 

【異変があったらすぐ知らせろ。ではな】

 

通話を切り、とりあえずは一人が先にこちらへ向かうと聞き、胸を撫で下ろす。日本へやってきた電話相手を迎えに行っていたアスナを含め、今回は一人を除く大幹部クラス全員が揃ってやってきているはずのため、そのうちの一人だけでも十分すぎる援軍だ。

 

(まったく、ヒヤヒヤさせてくれるわね……)

 

件の人物を再び水晶球に移し、再び監視を始める。今回の計画が終わったら、自分の実験に協力させようと心に決めた霊子であった。

 

 

 

 

 

屋内プール場で閃光が走る。ネギの魔法による雷撃や、のどか達が持つ魔法の杖から光線が放たれる。閃光の正体はそれであった。薄暗い屋内でそれらは周囲を一瞬だけ明るくしながら消えていく。ついては消え、ついては消え。時にぶつかり合って火花を散らしてより明るく光り、消える。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル!」

 

撃て(ノミーノ)!」

 

始動キーを唱えたと同時、彼女らは一斉に杖を使用するためのキーを唱えて射出する。彼女らが使っているのはただの魔法の杖ではなく、予め魔法が込められた魔法具だった。発動のためのキーを唱えるだけで魔法がはなてるので、いくら犯人が憑依をしているとはいえ魔法が使えるわけではない彼女らでも、魔法を扱えるのだ。

 

「くっ!」

 

魔法を唱える隙もなく、ネギは魔法を避けるに留まる。しかし相手はその隙を逃さず、何らかの魔法具で浮遊しながらネギを追撃する。ネギも杖に跨って逃走するが、相手はピッタリと後ろをとってはなれない。

 

(攻撃の射出速度が違いすぎる……!)

 

無詠唱であっても、魔法を始動キーで始めなければならないネギに対して、魔法具によって攻撃を短いキーのワンアクションで完成させる彼女らとでは速度が全く違う。こちらが1撃を完成させる間に相手はその倍を行えるのだ。しかも、相手は6人。即ち、12回分の攻撃を躱しつつ魔法を行使しなければならない。

 

(このままじゃマズイ……!)

 

だが、状況を打破するには手数が少なすぎる。

 

(あれが使えれば……でも今の状態じゃ無理だ……)

 

この時のためにまほネットで取り寄せておいた、犯人に対抗するための切り札。それが使えれば犯人を無力化できるだろうが、6人もの相手に隙なくぶつけるのは困難だ。

 

「くっ、どうすれば……!」

 

必死になって考える。目眩ましの魔法を使おうにも、相手は多勢であり攻撃は苛烈。そのうえここは屋内プール上という狭い空間。行動が制限されるせいで、徐々に魔法を躱すことが難しくなってきた。

 

「兄貴! ここはあっしが、もういっちょオコジョフラッシュを! ってうおっ!?」

 

ネギの肩に乗っていたアルベールが再びマグネシウムリボンを取り出すが、アキラに憑依した犯人がアルベールへと魔法を放ち、間一髪それを躱したもののマグネシウムリボンを取り落としてしまう。

 

「小賢しい真似を。二度目は通じんぞ!」

 

先ほど出し抜かれたことを思い出したのか、犯人が声を荒げながら言う。これで、目眩ましをするという選択肢も消えた。

 

「もう手札はないだろう! もう諦めろ先生!」

 

「これで終わりだ!」

 

逃げていた2人に前方を塞がれ、慌てて地上へ急降下して逃れるものの、上空をその2人が旋回して逃げ道を絶つ。そして前後へ残りの4人が降り立ち、絶体絶命の状況。

 

「随分手間取らせてくれたが……」

 

「もう逃げられないよ」

 

一方柱の陰では、戦闘に参加できない千雨がその様子を眺めていた。

 

(くそっ、これじゃ本当に足手まといじゃねぇか!)

 

だが、戦うことはおろか運動さえろくにできない彼女では、今出て行ったところでせいぜいがネギの盾代わりにしかならないだろう。歯噛みして地面へと視線を落とし、ふと、壁際にあるものが見えた。

 

(! あれなら……!)

 

彼女はそれを掴むと、抱きかかえて勢いよくネギたちの場所へと走りだす。

 

「先生!」

 

「千雨さん!? 戻ってください、危ないですよ!」

 

危険だと、千雨に再度隠れるように言うが千雨はネギのところへと来てしまう。犯人たちは、彼女の行動を嘲笑した。

 

「クキキッ! 長谷川千雨、何をしに来た?」

 

「足手まといにでもなりに来たか?」

 

「それとも先生の肉壁にでもなるのか?」

 

しかし、彼女はニヤリと挑発的な笑みを浮かべると。

 

「いんや、てめぇに一泡吹かせるために来たんだよッ!」

 

その手に抱えていた消火器(・・・)を構えた。

 

「き、貴様ッ!」

 

「そら、目に入らないように気をつけろよッ!」

 

安全装置であるピンを外し、ホースから勢いよく消火剤を射出した。その煙で、あっという間に視界が塞がれる。

 

「くっ! 長谷川、千雨ええええええええええええ!」

 

「好きなだけ叫んでろ! 先生、逃げるぞ!」

 

「は、はいっ!」

 

二度目の奇襲に成功し、2人と一匹はプール場から逃亡することに成功した。

 

「逃すかよ……!」

 

怒りで顔を歪ませた犯人は、彼女らの追跡を開始した。

 

 

 

 

 

「先生、これからどうする!?」

 

「橋の方へ向かいます! あそこなら人気もなくて広さは十分ありますし、うまく戦えるはずです!」

 

あれ(・・)を使う隙も伺えるっつーわけっすね!」

 

ネギの乗る杖に千雨もまたがり、後ろから問いかけた彼女にそうこたえる。後ろからは既に猛スピードで追いかける犯人たちがいるが、一般人に見つかることを警戒してか、彼女らは魔法による攻撃を放ってこない。

 

(……そういえば、茶々丸さんはどこに……?)

 

今まですっかり忘れてしまっていたが、よくよく考えれば彼女がいないことはおかしい。だが、それを考えている暇もないまま、目的地が見えてきた。

 

「見えましたぜ、兄貴!」

 

麻帆良に存在する巨大な湖、麻帆良湖にかかる大橋が見えてきた。外から麻帆良学園に入るための連絡橋でもあるこの橋は、巨大な湖の対岸を渡しているため一般的なものよりもはるかに大きい。ネギはとりあえず考えていたことを保留して更に速度を上げ、2人と一匹は橋の入口まで到着する。

 

「よし、あとはあそこまで行くことができれば……!」

 

その時だった。

 

撃て(ノミーノ)!」

 

犯人の一人が、ネギたちが人気がない麻帆良大橋に入ったからだろう、魔法具のキーを唱えて魔法を射出してきたのだ。跨っていた杖に直撃してバランスを崩し、ネギたちは地面へと放り出されてしまう。

 

ただ、橋に入ったところで低空飛行をしていたことが幸いし、たいした怪我もなく転がり落ちるだけにとどまった。

 

「いっつつ……」

 

「大丈夫ですか、カモ君、千雨さん……!」

 

「ああ、ちょいと擦りむいただけだ。大した怪我はない」

 

「俺っちも大丈夫ですぜ」

 

地面に打ち付けられた鈍い痛みが体を襲っているが、それを歯を食いしばって何とか抑えこみ、急いで立ち上がって体勢を整える2人。アルベールも、橋の脇まで飛ばされたものの無事なようで、すぐさまネギのところまでやってきて肩をよじ登る。

 

「ずいぶんと楽しませてくれるじゃないか、先生」

 

「学園外に逃れるつもりだったのかぁ? 残念だったねぇ!」

 

追いついてきた犯人たちが地面に降り立ち、皮肉めいた言葉を言う。徐々に接近する犯人たちに、ジリジリと交代するネギと千雨。

 

(もう少し……もう少し……!)

 

「長い夜だったが、それもここまでだ」

 

「潔く負けを認めたらどうだ?」

 

「これ以上逃げようなんて、見苦しいだけだぞ?」

 

そう言いながら、6人が足を踏み出した。

 

その時。

 

「今っ!」

 

ネギがいうと同時、6人の足元に魔法陣が出現した。それも1つや2つではなく橋を一直線に分断するかのように、多数の魔法陣が一直線に並んで発光していた。

 

「何っ!?」

 

「これは……!」

 

驚く犯人たちは、すぐさま魔法陣の外へと逃れようとしたが既に遅い。魔法陣から伸びた魔法の鎖によってあっという間に拘束されてしまう。もがいて解こうにも、その強力さで逃れることはおろかまともに動くことさえできない。

 

「捕縛結界……!」

 

「そう! ここには予め兄貴が魔法陣を設置していたのよ!」

 

「カモ君に言われたとおり、ここならみんな油断してくれたね。学園外に逃げると思わせられるこの大橋なら!」

 

罠として設置していた捕縛結界。ネギはそれを頼りにしてここまで逃げてきたのだ。これで、一時的とはいえ6人は一切の行動が不能となる。魔力を予め注入しておいた設置式のため、魔力切れになるまで5分はかかるはずだ。

 

「これで、あなた達の行動は封じました。降参してください、そしてみなさんの中から出て行ってください!」

 

油断なく杖を構えながら、ネギは降参を促す。だが、彼女たちは。

 

「……く、クキキキキッ!」

 

「これで、本当に私達を……」

 

「捕まえたつもりかぁ?」

 

全員が、余裕の笑みを浮かべていた。

 

「私がなんの保険もなく、あんたを追いかけてるとでも思ったか?」

 

「な、何を……」

 

「兄貴、所詮苦し紛れに言ってるだけっすよ」

 

「そうならいいんだが……」

 

犯人たちの態度に、アルベールはあくまで強がりだと言ってみるが、内心は穏やかではない。千雨も、半信半疑といった様子だ。

 

だが、彼女たちの言葉が強がりでないことを証明する一言を、のどかに憑依した犯人が発する。

 

「なぁ、なんで茶々丸が(・・・・)ここにいない(・・・・・・)と思う(・・・)?」

 

「そ、そういえば……」

 

「あ、あれはなんでぇ!?」

 

湖の向こうから、猛烈なスピードで何かか接近してきた。それは火花を上げながら、湖の上を飛んできている。よく見れば、それは人の形をしていた。

 

「あれは……まさか!?」

 

そのスピードに違わず、接近していた物体はすぐに橋へと到着し、橋の上へと降り立つ。それも、犯人が捕まっている捕縛結界のすぐ側へ、だ。

 

「夜分遅く失礼致します、ネギ先生」

 

「茶々丸、さん……!」

 

そう、ずっと姿を見せていなかった犯人のパートナー、絡繰茶々丸だった。彼女は軽く一礼すると犯人が憑依した6人へと近づいてゆく。

 

「いいタイミングだ茶々丸。さすが私の従者」

 

「恐縮ですマスター」

 

そう、彼女はずっと、犯人が憑依した少女達に何かあった時のために様子をうかがいつつ待機していたのだ。茶々丸のことを今までネギたちが頭からすっかり抜けてしまっていたのも、プール場に予め意識誘導の魔法がかかっていたため。

 

「早速で悪いが、この結界を破壊しろ」

 

「了承。結界の構成をスキャン、結界破壊プログラムを起動します」

 

彼女の耳についていた機械的な飾りが開き、そこからアンテナのようなものが伸びる。結界に触れ、それを解析すると彼女は自らに組み込まれているプログラムを実行し。

 

パキン

 

「け、結界が……」

 

結界が、氷細工のごとく砕け散った。

 

「ご苦労、いい仕事だ」

 

「感謝」

 

結界を破壊し、自由となった犯人が茶々丸へと労いの言葉をかけ、茶々丸はそれに短く返礼する。

 

「さあ、ご自慢の罠は解除されてしまったぞ?」

 

再び6人に憑依した犯人が開放され、そのうえ今度は茶々丸までいる。

 

(打つ手が……もう、ない……!)

 

ほぼすべての手札を晒してしまった今、ネギたちは完全に追い詰められてしまっていた。



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第二十七話 闇夜の攻防③

暴力描写がありますのでご注意を。


6対1という不利、魔法具による攻撃速度の違い、茶々丸の登場。おまけに隠し札でもあった罠まで解除されてしまった。最後の切り札は辛うじて晒していないが、それを使用する隙が一切ない。

 

(考えろ、考えるんだ……! この状況を打破する方法を……!)

 

必死の形相で考えるネギ。頭は高速で対策を算出しようと回転を続けるが、一向に良いアイディアは浮かんでこない。

 

「考えたって無駄無駄」

 

「そちらの手札がない上に」

 

「こちらは一人加えて7人。そちらは役立たずの女学生とペットの妖精一匹」

 

「戦力というよりも足かせ同然だ」

 

余裕の表情を浮かべて話す犯人たち。既にネギがもう対向するための手段が存在しないことを見抜いており、後は嬲るだけだということを確信している。

 

「兄貴ぃ……」

 

「くそっ、先生が戦いやすい広い場所ってのが逆に仇になったか。隠れる場所もろくにねぇ」

 

先程と同様に千雨が隠れて足手まといを回避しようにも、今度は遮蔽物が少なくてある程度広いことが災いし、ろくに隠れる場所がない。おかげで、今現在も犯人からの攻撃に無防備に晒されてしまっている。

 

「茶々丸、先生を拘束しろ」

 

「了解。失礼致します先生」

 

亜子に憑依した犯人が茶々丸に指示を出す。彼女はそれに短く了解の意を伝えると、ネギに謝罪の言葉を言って急接近する。一瞬で距離を詰められ、そのあまりの速さに驚く彼をそのままに、茶々丸はネギの背後に回って腕を掴んで拘束した。

 

「ぐっ!?」

 

「兄貴っ! このっ!」

 

ネギを助けようとアルベールが茶々丸の頭に取りついてぺちぺちと叩くが、全く効果が無い。むしろ、そのままむんずと掴まれてしまう。

 

「マスター、こちらはどうしますか?」

 

「そっちに用はない。橋の下にでも投げ捨てろ」

 

主人に意見を求め、その命令を聞くと無言で頷き、大きく腕を振りかぶる。無論、その腕にはアルベールが掴まれている。

 

「ちょっ、まさか!?」

 

「春先とはいえ、夜の湖は冷たい。せいぜい凍死しないようにな。いや、溺れ死ぬのが先か」

 

「や、やめ……っ!」

 

「I'll pray for your good luck.(君の幸運を祈ってやるよ)」

 

振りかぶった勢いのまま、アルベールは夜の湖の上へと放り出され。

 

吸い込まれるように水面へと消えていき、次いで小さな波紋が広がった。

 

 

 

 

 

「か、カモ君……」

 

仲間の一人を、無慈悲にも冷たい湖へと放り投げた茶々丸。そしてそれを命じた主人たる犯人。あまりにも、異常すぎる行動にネギは呆然となった。

 

「さぁて、散々苦労させてくれた礼はしないとなぁ?」

 

ニタリと笑うアキラ、いや、憑依した犯人。普段の表情に乏しいクールな少女が浮かべるとは思えないような気味の悪い笑顔だった。

 

「茶々丸、縛り上げろ」

 

「了解。先生、申し訳ありませんがマスターの命令ですので」

 

茶々丸が軽く謝罪の言葉を言ったと同時、彼女の袖口から細長い何かが射出され、ネギへと絡みつく。それは、彼女に収納されていた対象を拘束するための太いワイヤーだった。ワイヤーを袖口から切り離し、茶々丸がネギから離れる。手足を雁字搦めにされたせいで、支えを失った彼はそのまま受け身も取れずに前向きに転ぶ。

 

一方茶々丸は、そんなネギに対して一瞥もくれてやることなく千雨へと近づいてゆく。千雨は抵抗を試みるも、振り上げた手を捕まれ、あっという間に羽交い締めにされてしまった。

 

「くっ……!」

 

「クキキッ! こりゃ傑作だ! まるで出来損ないの芋虫だなこりゃ!」

 

「もっとも、蝶になったところで杖がなけりゃロクに飛べももしないけどなぁ!」

 

そう言うと、足元に転がっていたネギの杖を思い切り蹴飛ばす。杖は放物線を描きながら橋の下へと落下していく。

 

「ぼ、僕の杖が……」

 

大事な杖を湖に捨てられ、呆然となるネギをよそに高笑いを続ける犯人たち。

 

「クキキキキッ! 大事な杖がお池にポチャンでさあ大変ってねぇ!」

 

「女神様でもいれば、もっといい杖を持って現れてくれるかもなぁ!?」

 

ケタケタと笑いながらそんな悪質なジョークを言う犯人たちに、千雨は怒りと同時に薄ら寒いものを感じた。

 

(人の大事なものを捨てておいてこの態度……同じ人間とは思えねぇ……)

 

考えてみれば、最初に犯人とネギが対峙していた夜にみた犯人は、もう少し理知的で強かだったはずだ。だが、今日の犯人はまるで狂気にとりつかれたかのように邪悪さを剥き出しにして理解できないような言動ばかりが目立つ。

 

「がっ……!」

 

「っ! 先生!」

 

地面に倒れ伏していたネギに向かって、突如犯人の一人が蹴りを入れたのだ。幸い頭部ではなく腹部であったため目立った外傷はないが、痛みでネギが悶絶している。

 

「ほんとさぁ、手間かけさせてくれたよねぇ……!」

 

発せられた言葉は、明確な憎悪を感じさせる語気の強さ。見れば、憑依している少女たちの顔も恐ろしい顔へと変化していた。

 

「あんたのせいでどれだけ苦労したと思ってるッ!」

 

「ぐあっ!」

 

「せっかく順調だったのに、全部あんたのせいだッ!」

 

「ぐうっ!?」

 

「なんとかいったらどうなんだよ、ああッ!?」

 

「う、あ……」

 

6人が一斉に、倒れているネギを足蹴にし始める。ある者はかかとを脇腹に落とし、ある者はつま先を腹部に蹴りこみ。背中を蹴り続けるものもいれば、ただただ怒りに任せて踏む者もいる。明らかに、度の過ぎた私刑(リンチ)であった。

 

「やめろっ! それ以上やったら先生が死んじまうぞ!?」

 

必死に声を出してやめるように言う千雨。その言葉に反応して、犯人たちの動きが止まる。

 

「死ぬ? ああ死ぬの? そういやこいつ殺しちゃダメなんだよなぁ」

 

「参ったなぁ、殺したほうが憂さが晴れるのに」

 

「じゃあ半殺しにするかなぁ」

 

そう言うと、再びネギを蹴りだす。まるで話が噛み合っていない。

 

「おい茶々丸! 仮にもてめぇの担任教師だろうが! 黙ってみてないで助けてやれよ!」

 

「申し訳ありませんが、私にとってマスターの命令は絶対です。手出しをするわけには……」

 

「あいつは止めるななんて一言も言ってねぇ! てめぇ自身の意思で考えろっつってんだよ!」

 

「……私はマスターの従者です。人間的意思で行動することはありえません」

 

そう言うと、再び口をつぐむ。最早誰も犯人たちの凶行を止める者がいない。

 

「狂ってやがる……!」

 

「クキキッ、そうだろうとも。私は人間として生きられないからこうなったんだよ。私は、人間なんかじゃない。"バケモノ"なんだよ」

 

自分自身をバケモノと呼ぶことも憚らない犯人に、千雨はそれ以上言葉を出せなかった。

 

(同じだ……あの"仮面の女"と……)

 

脳裏に蘇ってくる恐怖。己の心を掴んで離さぬ、人間らしからぬ雰囲気を漂わせた恐怖の権化と酷似する犯人が恐ろしい。

 

(何とかしねぇと……そういえば……!)

 

彼女はポケットに入れていたある者のことを思い出す。この戦いに参加するにつき、最低限自分の身を守れるようにと持ってきていたあるもの。

 

(あれさえ使えれば……!)

 

だが、現状では茶々丸に拘束されているため、ポケットに手を伸ばすことさえできない。

 

 

 

 

 

目の前では相変わらず、一方的な暴力が振るわれ続けていた。

 

「う、ゲホッ、ゲホッ!」

 

血が混じった唾を吐き出すネギ。朧気な知識から、これがもし喉の奥から逆流してきた血であった場合、内臓の何処かで出血している可能性がある、ということを思い出して怖くなるが、幸いにも口の中を切ったせいであると分かり安堵する。

 

(でも、このままじゃ本当にそうなりかねない……)

 

魔法が使えない現状ではネギはただの10歳そこらの子供である。仮にも中学3年生となった女生徒数名を相手に戦えるほど、体ができていない。

 

「痛いか、先生?」

 

「苦しいか、先生?」

 

「泣き叫んでもいいんですよぉ?」

 

「助けてなんてあげないけどねぇ」

 

無慈悲にそう告げながら、彼女らはようやくネギから足をどける。ボロボロになったネギが打ち捨てたれたかのように横になっており、千雨は思わず目を背けたくなる。それほどに、ひどい有様だった。

 

(目が、霞んできた……変なものまで見える……)

 

犯人たちの足の向こうに、何か白い小さなものが動いているように見えた。ついに痛みで幻覚まで見えたのかと思ったが、それにしてはおかしい気がした。

 

(! あれって……まさか……!)

 

思わず起き上がろうとしたが、痛みで体が思うように動かない。

 

「あ、でも一つだけ条件を飲んでくれたら助けてあげようかなぁ」

 

「先生が、私達に負けを認めてくれれば……助けてあげる」

 

ニヤニヤと笑いながら、ネギに敗北を認めるよう提案する。これ以上暴力を振るわれたくないなら従えという、脅迫じみた提案だった。

 

「……ます……」

 

「もっと大きな声で言ってくれないとわかんないなぁ?」

 

「お断り、します……!」

 

なお諦めることなく光を宿した目で、ネギは毅然と言い切った。その態度に犯人は苛立たされたようで、再びネギに蹴りを入れようとした、その時だった。

 

杖よ(メア・ウィルガ)!」

 

「何……?」

 

突如、ネギが杖を引き寄せる呪文を唱えた。既に虫の息と思われていたネギがいきなり捨てられた杖を引き寄せようなどという行動出るなど思わず、面食らった犯人たちは一瞬動きを止める。

 

「……風切り音?」

 

妙な音に気づき、犯人たちが背後をみると、そこには高速で飛行してくる物体が。

 

「馬鹿な! なぜ湖に捨てた杖がここに!?」

 

そう、ネギの持っていた無骨な杖が飛来していた。犯人たちが面食らった最大の理由が、この呪文ではあくまで目に見える場所に存在する小物しか引き寄せることができないからだ。だからこそ、ただのハッタリだと思っていたのだが。

 

「どんなトリックかしらないが、所詮杖を引き寄せただけだ!」

 

犯人の一人が杖の方へと走りだし、杖をつかもうとした。

 

「生憎、お触り厳禁でいっ!」

 

「なっ、貴様はっ!?」

 

しかし、杖の影に捕まって隠れていたアルベールが現れ、犯人が伸ばした手を叩く。犯人は驚きで杖を取り逃してしまう。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル!」

 

「しまっ、こいつ予備の杖を……!」

 

背後に気を取られすぎていた犯人たちの完全な失策だった。ネギから目を離していたせいで、その隙に予備の、星形がついた子供用の杖を取り出したネギを見逃していたのだ。すでに始動キーを唱えられてしまった今、犯人が彼を止めるすべがない。

 

風化(フランス)武装解除(エクサルマティオー)!」

 

武装解除を強制する一陣の風が、犯人たちを襲う。その衝撃で、犯人たちが持っていた杖を、その衣服ごと剥ぎ飛ばした。本来であれば威力を弱めれば服などを飛ばさずに済むのだが、状況が状況だけに手加減をすることができなった。魔力を込めすぎたせいか、予備の杖は砕け散ってしまう。

 

「くっ、小癪な……!」

 

下着姿となりながらもこちらを睨みつける犯人だが、それがまずかった。こちらに来ていた杖のことが頭から抜けてしまったのだ。犯人たちの横顔を、あざ笑うかのように杖が横切る。

 

「兄貴っ!」

 

「ありがとうカモ君!」

 

やってきた杖は、アルベールを乗せたままネギへと辿り着き、ついにネギの手へ。

 

「カモ君、大丈夫だった?」

 

「兄貴に渡された魔法具で、何とかなりやした!」

 

「なるほど、そういうことか……!」

 

得心がいったと同時に、怒りに声を震わせながら犯人がそんなことを言う。実は、アルベールは落下して湖に着水する直前に、ネギにあらかじめ渡されていた、細い糸状の魔法具である『吊るされる者(ハングドマン)』で橋に命綱をつけていたのだ。まほネットで"切り札"と共に購入した品であり、万が一アルベールが杖から落ちた時のことを考えて渡しておいたものだった。

 

そしてアルベールは何故か落ちてきた杖を拾い、伸縮自在なその魔法具の慣性を利用して橋の上へ降り立つと、ネギに向けて杖を振って合図をしたのだ。それに気づいたネギは、茶々丸も犯人もアルベールのいる場所から背を向けていることに気づき、杖を引き寄せる呪文を唱え、奇襲を仕掛けたのだ。そこから、現在に至るというわけである。

 

「これで、あなた達は戦うすべをなくしましたよ!」

 

「馬鹿が! こちらにはまだ茶々丸がいる!」

 

「絡繰ならもう動けないぜ」

 

その言葉に振り返ると、そこにはいつの間にか拘束から抜けだしている千雨と、倒れ伏している茶々丸の姿が。千雨の手には、一昨日ネギを襲った時に使った折りたたみ式の警棒が握られていた。

 

「ちゃ、茶々丸……」

 

先ほどの武装解除呪文で千雨の服まで消し飛んでしまい、それによって僅かな隙間ができた千雨は拘束から抜け出し、かろうじて無事だったスカートのポケットから警棒を取り出して茶々丸へと押しつけたのだ。実はこの警棒、スタンガンと同じ効果を有するスタンロッドだったのである。

 

「ガイノイドっつーことは、機械部品がわんさかあんだろ? 弱めとはいえ、ロボットなんて精密機械が電流食らっちまったら動けるわけねぇよな」

 

「お、の、れええええええええええええええええええええええええ!」

 

我を忘れて千雨へと飛びかかろうとしたが、それは再びネギへ大きな隙を晒すということ。

 

「兄貴!」

 

「うん! 『人形の夜明け(アウローラ・セルント)発動(ノービス)』!」

 

彼が懐から取り出した、円筒形の物体を彼女らへと向けると、発動のキーを唱えた。すると、その円筒の先から突如まばゆい光が放たれ、一瞬でその場にいた全員を包み込んだ。

 

「こ、これは……!」

 

「"強制武装解除"の魔法具……だと……!?」

 

「マズイッ! しかもこの魔法具は……!」

 

取り乱す犯人たち。すると、目に見えて犯人たちがもがき苦しみだす。ネギが用意していた切り札。それは、犯人が魔法具を操ることが得意であることを見越して購入した、武装を強制的に剥ぎ取る魔法具だった。

 

通常の武装解除であった場合、犯人が所持していた武装解除を無効化する魔法具で打ち消されてしまうが、この魔法具、『人形の夜明け』に込められた強制武装解除魔法はそれらも問答無用で解除するのだ。

 

今回は犯人が他人に取り憑いていたため武装解除無効化の魔法具をつけていなかったのか、ただの武装解除ですでに魔法具を吹き飛ばしているが、この魔法具にはもう一つ利点がある。

 

それは、魔法具によって作用した現象を無効化する能力。

 

魔法具によって他人に取り憑いている彼女らにとっては、問答無用で体から追い出されてしまう絶対の天敵だった。

 

「こんな、ばかな……!」

 

「この、私が……」

 

「こんな、ガキに……!?」

 

少女たちの口から、白い靄が溢れだして空へと昇っていく。それらは集合してより大きな塊となると、一人の少女の体へと入っていった。それと同時に、少女たちの瞳から生気が失せ、バタバタと倒れていく。

 

ただ一人を除いて。

 

「……ようやく見つけましたよ、貴女が今回の犯人だったんですね」

 

「ぜぇ、ぜぇ……おの、れぇ……!」

 

「僕達の勝ちです、大川美姫さん!」

 

 

 

 

 

「まだだ、まだ……!」

 

「負けてないってか? この状況でどうするんだ?」

 

なおもあがこうとする犯人こと大川美姫。だが、彼女が持っていた魔法具は武装解除で全て吹き飛ばされてしまっているし、数の利であった人数も逆転した。従者である茶々丸は動けない。

 

「王手、ってとこだな」

 

「おとなしく捕まってください。これ以上、貴女を傷つけるのは僕としても望みません」

 

「黙れっ! 私は負けてなど……」

 

「だったらやってみろよ。さっきの私と先生みたいにな」

 

そう言われ、今度こそ二の句が告げなくなってしまう。先ほどの逆転劇は運が良かった部分もあるが、結局のところアルベールの奮闘に、即時対応してみせたネギと千雨の実力で勝ち取った一手だった。だが、今の美姫では運を天に任せて限りなくゼロに近い偶然を掴まなければとてもではないがこの状況をひっくり返すなど不可能だろう。

 

「負け……? 私が、負けた……?」

 

「そうだ、そして私達の勝ちだ。色々と白状して……」

 

「負けちゃった……あの人(・・・)に褒めてもらえない、見捨てられる……い、嫌だ……」

 

「……先生気をつけろ、様子がおかしい」

 

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だイヤダイヤダイヤダイヤダいやだああああああああああああああああああ!」

 

ぶつぶつと何かを言っていたと思えば、突如大声で叫びながら頭を抱えて暴れだす。あまりに突然のことで驚いたが、抑えようとネギが近づこうとしたその時。

 

「いけ、ない……せんせ、いマスターか、ら離れて……」

 

動けないながら、茶々丸が上半身を起こしてネギを制止する言葉をかけてきた。普通であれば犯人を守ろうとする茶々丸の欺瞞に満ちた言葉だったろうが、普段の彼女からは考えられない必死な様子から、千雨は嫌な予感を感じた。

 

「先生、私も何か変な感じがする。近づかないほうが……」

 

総言葉をかけようとしたと同時に、暴れていた美姫が突如動きを止めて静かになる。その突然の変化に不気味なものを2人は感じていた。

 

「み、美姫さん……?」

 

「……ク、クキキッ」

 

彼女は抑えていた頭から手を放し、だらんと垂れ下がらせる。そして、俯いたまま一度だけ小さく笑い声を漏らすと。

 

「クキックキキキキッ! クカコカケカキカカカカキカカキカカキィッ!」

 

「ひっ……!?」

 

奇声を上げながら、満面の笑みで笑い出して、懐から何かを取り出した。あまりに凄絶なその笑顔に、ネギは思わず小さな悲鳴を漏らす。そして、強大な魔力の奔流が彼女のもつ黒い包みから一気に噴出した。

 

「こ、これは……!?」

 

「おい、どうなってんだ絡繰!」

 

「マスターの、精神が、暴走を、おこして、いま、す」

 

「暴走、だと……?」

 

「早く、止めなければ……"あの魔法具"が発動、してしまい、ます」

 

目に見える形で荒れ狂うそれは、黒い物体を中心として大きくうねりながら、今にもはじけ飛びそうだ。

 

「まずい! こんな強力な魔力を持った魔法具が発動すれば、学園が消滅してしまいます!」

 

「どうにかできねぇのか!?」

 

「どうしようにも、もう僕も魔力が殆ど残ってないんです……!」

 

「手詰まりかよ、くそっ!」

 

「みんなみんなみんなみんな消えしまえええええええええええええええええええ!」

 

恐ろしい叫び声を上げながら魔力をその物体へと一気に濃縮し、ついに魔法具を発動した。

 

 

 

はずだったが。

 

 

 

「……発動、しない?」

 

破壊をまき散らすはずの魔法具が、発動を止めた。いや、正確には魔法具の発動はしたのだが。

 

「魔力が……ない……?」

 

その物体に込められていたはずの魔力の一切が、消え去って(・・・・・)いた(・・)

 

「……危なかった」

 

小さく、しかしはっきりと聞こえる声に美姫が振り向くと。そこには先程までいなかった何者かの姿があった。

 

「あ、貴女は……!?」

 

「……美姫、暴れるのはダメ」

 

「で、でも……」

 

「……ダメ」

 

相手は、口数が少ないながらも有無を言わせず美姫を言葉で押さえ込んだ。美姫もそれ以上は何も言えず、項垂れてしまう。声からして、その人物は女性のようだった。

 

一方、ネギは何故か体の震えが止まらなかった。みればアルベールも同様のようで、寒さに震えているかのように体を縮こまらせている。唯一、千雨だけが苦い顔で歯を食いしばりつつも震えを抑えこんでいた。

 

「先生、私あんたとあった日に言ったよな。この事件はあいつ(・・・)が関わってるんじゃないかって……」

 

千雨が、そう言いながらネギの前へと移動して彼をかばうような形になる。

 

「……私の勘は、どうやら正しかったらしい」

 

現れたその女性と思しき人物は、紫の艶やかな着物に身を包み、漆黒の長い髪を月光に反射させていた。そして、その腰には一本の日本刀が佩かれている。何より、最も目を引くものは。

 

「ようやく会えたな……『仮面の女』!」

 

和風的な模様があしらわれた、白い仮面であった。

 

 

 

 

 

「この人が、仮面の女……!?」

 

ネギが驚きの声を上げた。なにせ、千雨を長年苦しめてきた存在が突然現れたのだ。いくら千雨が犯人と仮面の女に関係性を感じていたと言っても、まさかこのタイミングで現れるなど思いもしなかった。

 

「……久しぶり。……強く、なった……」

 

「戦うのはからっきしだが、あんたを追い続けてきた成果は出てくれたな……」

 

対峙する2人。相手は千雨のことをしっかり覚えていたらしく、千雨も長年の仇敵に会えて青い顔をしつつも口角をあげている。

 

「あんたがきた理由はそいつか」

 

「……美姫は、私達の仲間。……でも、勝手が過ぎた……」

 

仮面の女曰く、大川美姫は彼女の仲間であったことは事実らしい。だが、どこまでが本当かは分からないが勝手に行動を起こし、彼女はそれを止めに来たらしい。

 

「ハッ、あんたの仲間だったらもうちょっとしっかり管理してやれ」

 

「……忠告、耳が痛い」

 

精一杯虚勢を張りながら皮肉を言うものの、千雨の手にはびっしょりと汗が。いくら彼女がかつてこの女と出会っているとはいっても、そう耐えられるような威圧感ではないのだ。

 

「……お前が、ネギ・スプリングフィールド……」

 

「な、なんで僕の名前を……!?」

 

「……知っている。……お前も、お前の父と母(・・・)も」

 

「父さんと母さんのことを知っているんですかっ!?」

 

仮面の女の言葉に食いつくネギ。事情は知らないものの、両親のことでこうも食いつくということは何かあるのだと千雨は悟った。

 

「教えてください! なぜ、父さんと僕のことを知ってるんですか!?」

 

「……それは、無理」

 

「どうして……!」

 

ネギが我を忘れて詰め寄ろうとした、その時だった。

 

「おいおい、あまり私の従者を困らせないでくれ」

 

空気が重くなる。胃に鉛石でも落とされたかのような気分になり、吐き気がこみ上げてくる。先ほどまでの仮面の女が醸し出していた雰囲気を凌駕する、圧倒的な重圧感。

 

「あ、あ……!」

 

「美姫。今回の計画はお前に任せるとはいったが……なぜこうも焦った?」

 

言葉の一つ一つで、冷えたつららが胸を穿つかのような薄ら寒い感覚を訴える。眼の奥がピリピリとし、呼吸さえろくにできない。

 

「まあ、お前の処断は後にしよう。初めまして、"英雄候補"と"光の人間"よ」

 

目を合わせただけで、力なく膝をついてしまいそうな眼光。言葉で誘われるでもなく、己を堕落させてしまいそうな濃密な邪気。

 

「私の名はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。美姫の保護者、といえばいいかな?」

 

 

 

 

 

「エヴァン、ジェリン……!?」

 

「知ってるのか、先生」

 

「魔法関係者で知らない人はいないと思います……! かつて、魔法世界を狂気と混沌の渦に叩き込んだ、『闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)』と呼ばれている人物です……!」

 

「なっ……!?」

 

あまりの大物に、さすがの千雨も絶句する。これほどの存在が、千雨が追い続けていた人物の裏に潜んでいたとは思わなかった。

 

「僕も本で知った程度なんで、詳しいことはわかりません。魔法世界が排他的な場所だってせいもありますけど……。ただ、魔法世界では『闇の福音』の名前を出すことさえ憚られるらしいです」

 

それも納得できると、千雨は心からそう感じた。目の前に存在する凶悪な威圧感を放つ2人が、普通の人間に耐えられるようなものではないと思ったからだ。

 

「……名前を言ってはならない?」

 

「こちらの世界で出版されているファンタジー小説にそんな登場人物がいたな。あれも確か、魔法使いを題材にしているものだったか」

 

「……私達が、元?」

 

「魔法使いと関わりがある人間が書いたのかもしれん。まあ、どうでもいいことだ」

 

一方、向こうは冗談交じりの会話を楽しんでいる。しかし、垂れ流される雰囲気は一般人であれば即座に卒倒するようなもの。事実、アルベールは既に意識が朦朧としていた。

 

「あ、兄貴……もう、だめ……」

 

そしてついに、アルベールは力尽きて気絶してしまう。無事かどうか声をかけてやりたいが、のしかかる重圧でそれさえできない。

 

「さて、今回は私の部下が粗相をして済まなかったな。本来であれば、彼女が暴走を起こさぬように努めていたのだが……今回は色々と不幸が重なってしまった」

 

「……美姫さんは、どうして僕達を襲ってきたんですか……」

 

なんとか声を絞り出すが、言葉を発するだけで肺の空気がもっていかれて苦しくなる。呼吸が満足にできないこの状況では、言葉さえろくに喋ることができない。

 

「それは秘密だ、と言いたいところだが。長谷川千雨、君を試すためだ」

 

「な、に……!?」

 

「君のクラスにやってきたのが、ネギ少年だった。彼は私が将来を期待している人間でな、注目していたんだが……すぐに分かったよ、君を」

 

「……だから、試した……。……ネギ・スプリングフィールドを、偶然同じクラスにいた美姫に……襲わせた……」

 

「そうすれば、我々を追っていた君は必ずネギ少年と接触し、団結して打倒しようとするだろうと考えた。結果は、ご覧のとおりという訳だ」

 

全て、犯人の手のひらの上であったという事実に、千雨は歯噛みする。

 

(全部……全部あいつらの思う壺かよ……!)

 

必死になって、不安と闘いながら追い続けていた相手は。しかしあざ笑うかのように千雨を弄んでいたのだ。

 

「とはいえ、美姫が暴走してしまうとはな。彼女に植えつけた人格も、最早使い物にならないだろう」

 

彼女は美姫の顔を覗きこんでそういう。みれば、美姫はまるで魂でも抜かれてしまったかのように目に光がなく、放心状態になっている。

 

「……人格を、植えつけた……?」

 

「そうだ。私が昔日本を訪れた時、戯れに彼女の中に人格を摺りこんでおいたんだ。そして何か用があれば、私の手一つで忠実で冷酷な人格が表に現れる」

 

あまりにも、あまりにも荒唐無稽なその言葉に耳を疑う。だが、もしそれが事実であるならば美姫もエヴァンジェリンによって操られていただけの少女に過ぎなかったということ。

 

なんと醜悪で、下劣な行いであろうか。

 

「ふむ、やはり壊れてしまったか。これではもう、こいつを操ることはできんな」

 

「……さない……」

 

「ん?」

 

「許さない……! 僕の生徒を、まるで! 玩具みたいにっ!」

 

「下らん。人間なんぞ我々にとってみれば玩具のようなものだ」

 

その言葉で、ついにネギがキレた。空っぽであったはずの魔力が一気に吹き出し、それに身を任せて魔法を紡ぎだす。怒りで、無意識的に抑えられていた魔力でてきたのだ。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 来たれ雷精風の精! 雷を混といて吹きすさべ南洋の嵐!」

 

「ほう、その年で上位の戦闘用呪文が扱えるか。だが……」

 

「『雷の暴風(ヨウィス・テンペスタース・フルグリエンス)』!」

 

圧倒的な破壊力を持つ雷が、ネギの掌から噴出する。それは、あたかも荒れ狂う暴風雨のような力の奔流。それがエヴァンジェリン達を飲み込んでいった。巻き込んだ橋のコンクリートがパラパラと舞い、視界を遮る。

 

「や、やったか……?」

 

「ハァ、ハァ……」

 

怒りに任せて残存していた魔力を一気に込めたため、激しい疲労が彼を襲った。今彼が撃ったのは、ネギが現状で放てる最高火力の魔法であり、これでダメならばもう打つ手が残っていない奥の手中の奥の手。

 

だが。

 

「ふむ。少々構成が雑になっていたが……及第点をやろう。よくぞその歳でここまでの魔法を練り上げたな」

 

「……頑張った」

 

相手は、一歩も動くことなく悠然と佇んでいた。だが、ネギはどこかその結果が出るだろうと漠然と理解していた。

 

(分かってた……僕程度じゃどうにもならない相手なんだって……)

 

相手は、世界最悪とまで呼ばれた悪の魔法使い。そんな相手に、魔法学校を卒業した程度の新米で半人前な魔法使いが勝てるはずがないのだ。だが、それでもネギは悔しさから涙が溢れてきてしまう。生徒をここまで振り回し、犯人として操られていた美姫。彼女を弄んだ相手に一矢さえ報いることができない。

 

視界が滲み、そして段々と光を失っていく。体に力が入らず、ふいに浮遊感が体を包んだ。

 

「先生っ!」

 

崩れゆくネギの耳へ最後に聞こえてきたのは、千雨の叫び声であった。

 

 

 

 

 

「……ハッ! こ、ここは……?」

 

「お、目が覚めたか先生」

 

「千雨さん! あ、あの僕はどうなって……!」

 

「まあ待て、私が見聞きした限りのことを話すから」

 

目を覚ますとネギは保健室にいた。魔力を使い果たして気絶したネギは、同じく保健室で休んでいた千雨からあの後何があったのかを聞いた。

 

なんと、ネギが気絶した後に学園長自らが現れ、エヴァンジェリンと一戦交えたらしい。考えてみれば、あれほどの戦いを繰り広げていたのに学園の魔法使いの一人も現れなかったのが不思議だった。どうやら、美姫が魔法具によって戦闘していた区域を隠蔽していたらしい。その美姫も、目を覚ませば何も覚えていないらしく、ネギはひとまずホッとため息をつく。

 

「私も途中で気を失っちまってよく分かんなかったが、大河内たちも無事に家に帰されて、何も覚えていなかったらしい。茶々丸も、元々は体の弱いあいつのために作られたらしくてな。同居してるらしいからその時にやられたんだろ」

 

操られていた美姫によって茶々丸は人格プログラムをいじられており、そのせいであんな状態の美姫に従っていたようだ。それまでの記憶データが綺麗に消去されており、再起動してみれば何も思い出せないのだという。

 

「そうですか、よかった……」

 

ネギを痛めつけていた記憶が残ってしまっていたら、彼女らは心に深い傷を負っただろう。幸いにも、彼の生徒たちは事実を知らないまま日常へと帰還することができそうだ。

 

「私も記憶を消すかって聞かれたが……やめておいた」

 

「え……でも……」

 

「ここまでこれたんだ、今更降りるつもりはない。つーか、あんたが危なっかしくて放っておけねぇ」

 

「あ、あはは……」

 

「つーわけだ、これからもよろしく頼むぜ? 先生」

 

そう言って、彼女は手を差し出す。その意図を察した彼は。

 

「はいっ! 不甲斐ない先生ですけど、これからもよろしくお願いします!」

 

差し出された手を、強く握り返した。

 

 

 

 

 

魔法世界(ムンドゥス・マギクス)』、某所。

 

『お帰り。あの三人はどうだった? ちゃんと仕事してたの?』

 

『ああ、ただいま(ニィ)。アスナと霊子はしっかりと責務を果たしていたぞ。ただ、美姫が焦って計画を強行してしまってな。仕置きとして記憶をしばらく封じた』

 

『ふーん、それは可哀想ね』

 

『あいつの正体を今知られるわけにはいかんからな。とりあえずは、私が人格を植え付けて操っていたということで誤魔化した。記憶を封じたのも、その一環だ。まあ、美姫にはすこしきつい罰になるが仕方あるまい』

 

『美姫ハゴ主人大好キダカラナァ。思イ出シテカラ、ゴ主人ヲ忘レテタ事実ニ大分凹ムダロウゼ。妹モ記憶データ抜カレテルカラ、暫クハタダノ学生トシテ生活シテルダロウヨ』

 

『妹って、茶々丸っていうんだっけ? 私も会ってみたいな』

 

『……セプテンデキム。お前の調合した薬だが、大分効き目が薄くなってきていたようだ。そのせいで美姫が不安定になっていた可能性が高い』

 

『調合した薬では、もう効き目が薄くなっていましたか。私の不手際でした、申し訳ありません。レシピを変えて、新たに霊子へ送ることとします』

 

『マァ、使ウノハ記憶ガ戻ッテカラダロウガナ』

 

『さて、今回の計画は美姫が失敗してしまったせいで目的を果たせていない。そこで、代替案として別の者がこの計画を実行する必要が出てきた』

 

『……私が、やる』

 

『ほう、我が愛しい従者よ。お前がやるのか?』

 

『……はい』

 

『そうか、ならば頼んだぞ。次の舞台は……ほぅ? これも因果か?』

 

『……京都。……あの子(・・・)の、故郷……』

 

『ケケケ。コリャ面白イコトニナリソウダゼ』

 

 

 

悪夢のような夜を越え、2人はより強固な絆を育んで日常へと帰還する。

 

偽りの、日常へ。

 

彼らは知らない。新たな戦いが、すぐそこまでやってきていることに。



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第二十八話 小休止

つかの間の休息。偽りの安息の中で英気を養う
その裏で、邪悪が蠕動しているとも知らず


『桜通りの幽霊事件』から暫く経ち。

 

「ねーねー、最近桜通りで誰かが襲われたって話、聞かないね」

 

「解決したんじゃない? 先生たちが見回りしてたらしいし、犯人が捕まったとか?」

 

「うん。学校新聞に、そんな記事があったよ」

 

3-Aメンバーは日常を謳歌していた。犯人に憑依されて操られていた生徒たちも、特に異常はなく復帰していた。

 

「むぅ……」

 

「どうされましたか、マスター」

 

「いやな、最近なにか大事なことを忘れている気がするんだ」

 

「……記憶障害でしょうか。一度、病院に行かれては……」

 

「さすがにこの歳で健忘症は勘弁したいが、病院は別にいいだろう。どうせそのうちに思い出すはずだ」

 

そして事件の中心人物であった大川美姫も、多少の違和感を抱えつつも通常通り生活を送っていた。

 

「…………」

 

「アスナ、どしたん?」

 

「んえっ!? な、なんでもないわよ……」

 

「こん前帰ってきてから、様子がおかしいえ?」

 

「大丈夫だって、なんともないわよ」

 

ただ、事件解決から暫くの間、アスナの様子が少しおかしかったことを除けば。

 

(美姫めぇ……せっかく久々にマスターと会えたのに、殆ど時間が取れなかったじゃない!)

 

胸の内で、アスナが一人の少女に対して軽い殺意を覚えていたことは、誰も知らない。

 

 

 

 

 

ネギと千雨は、かの事件に関して学園長から呼び出され学園長室へとやってきていた。古めかしい扉の前に立つと、ネギは軽く2回ほどノックする。

 

「入りなさい」

 

短い返答が帰ってきた後、2人は理事長室へと入室した。待ち受けていたのは、呼び出しをした学園長こと近衛近右衛門。そして、切れ長な目つきが特徴的な葛葉刀子教諭。

 

「待っておった。さ、立ち話もなんじゃ、座りなさい」

 

「は、はい」

 

「緊張せんでもええ。別に君を解雇するわけではないからの」

 

少し緊張気味な彼に、そう言葉をかける。2人は軽くお辞儀をした後、ソファに腰掛ける。刀子は学園長に会釈した後、部屋の外へと出て行った。

 

「さて、ここに呼び出された理由はわかると思うが……」

 

「『桜通の幽霊事件』、だろ?」

 

近右衛門の言葉に即座に返答する千雨。近右衛門はうむと首肯する。

 

「かの事件を裏で操っていた存在。ネギ君は知っていると思うが、そこまで詳しいわけではないじゃろ? 千雨くんに説明するついでに君にも話しておいたほうがよいじゃろう」

 

「はい」

 

「ああ、頼むぜ」

 

千雨が話を聞くことを前提にしていることを、改めてネギに告げる。ネギも千雨も、既にこの件に関して深く関わることを了承している。そのため、千雨は普段の猫かぶりをやめて普段の少し乱暴な言葉づかいで応答する。近右衛門は咳払いをひとつすると、事件の黒幕について話し始めた。

 

「まず、エヴァンジェリンについて話したほうがよいか。かの存在こそ魔法関係者の住む世界、魔法世界(ムンドゥス・マギクス)を恐怖と混乱の渦に叩き込んだ、恐るべき犯罪者じゃ。『闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)』の異名を持ち、活動を最近まで鈍らせていた今なお名前さえ呼ぶことを躊躇われるほど恐れられている」

 

「そこは先生にも聞いた。具体的に、あいつらはどういった存在なんだ?」

 

「そうか。では、もっと詳しく話をしよう。まず簡潔に彼女を一言で表すならば……『最悪』、じゃな」

 

「最悪、ですか……」

 

「左様。彼女は魔法世界でも最上級の高位存在、真祖の吸血鬼でな、かつては魔法使いたちから追われる存在じゃったんじゃ。じゃが、ある時期から彼女は行動を開始してな……自分のような"バケモノ"を仲間としていったんじゃ」

 

かつてのエヴァンジェリンは、殺しはするものの女子供をむやみに襲うようなことはせず、事を荒立てて目立つことを嫌った隠者のような生活を送っていたらしい。だが、ある時期を境に彼女は積極的に裏で活動を始め、強大な力を身につけていった。そして自らのように人間たちから"バケモノ"と呼ばれ忌避される存在を仲間としていき、ついに表舞台へと現れたのだという。

 

「それが、魔法世界を震撼させた大事件……『夜明けの世界(コズモ・エネルゲイア)事件』という」

 

「そんなことがあったんですね……」

 

「つっても、それだけで名前が言えないぐらい怖がられるなんてことはないだろ。その事件、まだなんかあったんじゃねぇか?」

 

「鋭いのぅ。その聡明さ、素晴らしいが危険でもある。こちらに関わると決めたのならば、使いどころには気をつけなさい」

 

「忠告、感謝するぜ。んで、何があったんだその事件」

 

「それに関して、少し魔法世界のことについて話さねばならんの」

 

魔法世界では、かつて世界中を巻き込む大戦争が起こっていたらしい。後に『大分裂戦争』と名称がつけられたこの戦争は、人間が主要な種族である連合側と、亜人が主である帝国側で別れて行われ、魔法世界に多大な犠牲がでたらしい。そしてその戦争が、実は裏から操る存在によって引き起こされていたのだという。

 

「なるほど、それがあいつらだったってわけか」

 

「……残念ながら違う。その組織の名は『完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)』、当時魔法世界を裏から掌握していた大組織じゃ。じゃが、それらは既に魔法世界の『英雄』によって滅んでおるから安心なさい」

 

当時連合に所属していた彼らは、一騎当千の活躍をみせ劣勢であった連合を立て直した。だが、『完全なる世界』は彼らを罠にはめ、連合と帝国の双方から追われることとなる。しかし、彼らは諦めることなく真実へと辿り着き、協力者を得て双方を一時停戦させて最終決戦に挑み、『完全なる世界』を打倒したのだとか。

 

「マジで英雄じみてんな……」

 

「実際、今でも彼らを慕うものは大勢いる。魔法世界を救った象徴的存在じゃからな。……さて。彼ら、『赤き翼(アラルブラ)』には協力者がいるといったが、その中でも特に尽力した人物が濡れ衣を着せられた」

 

戦争が終わっても、人々の憎悪の行く先が定まらず、暴動が起こり始めていた。そこで、連合の最高議会である元老院、その当時の議員たちはその協力者に濡れ衣を着せることで『完全なる世界』と繋がりがある人物として生贄にしようと考えた。そして、彼女は処刑される寸前までいった。

 

「ひどい……」

 

「いつの時代も、汚いことってのは起こるもんだな」

 

「まあ、それも『赤き翼』によって阻止され、彼女は救出されたわけじゃが」

 

「よ、よかったぁ……」

 

「……それだけならば、どれだけよかったじゃろうかのぅ」

 

そう、これだけであればよくあるおとぎ話のような救出劇。だが、現実はそうはいかなかった。

 

「その処刑を仕組んだものこそ、『夜明けの世界』首領、エヴァンジェリンだったんじゃ」

 

『赤き翼』の到着前。エヴァンジェリン率いる『夜明けの世界』のメンバーが処刑場へと現れ、瞬く間に場を乗っ取った。世間の憎悪を鎮める意味もあったため、処刑の様子を世界中継にしていた。そこに現れたエヴァンジェリンは、自らが協力者の女性を罠にはめたのだと暴露し、彼らを糾弾した。

 

「悪どいな、実行したのは確かにそいつらだが、世間がそれに加担したも同然だったわけだろ」

 

「うむ、彼らの罪悪感を最大限に引き出し、彼奴らの存在を強烈に印象づけたのじゃ。そして、処刑を実行する寸前で『赤き翼』が現れ、彼女を助けだしたというわけじゃ」

 

「確かに、それだけのことがあれば名前を呼ぶことも憚られるようになりますね……」

 

「ああ、あいつらは魔法世界の人間にとって自分の罪の鏡写しみたいなもんだ。そりゃあ、自分の罪をさらけ出すようなもんだから名前を出すことだって嫌になるな」

 

「エヴァンジェリンらは、戦時中既に目撃されておってのぅ、すでに行動を始めておったらしい。そして、戦争終結後のゴタゴタに紛れて戦力を整えていたのじゃ」

 

それでも、『赤き翼』は彼女らと互角に戦い、一時は撃退することができた。しかし、彼女らは何度でも現れ、『赤き翼』と戦い続けた。その度に『赤き翼』は名声を増してゆき、そしてそれに比例するかのように『夜明けの世界』も認知されていった。

 

「彼奴らの本当の狙いは、『英雄』に対する『巨悪』となることじゃったんじゃ。こうして、魔法世界で知らぬものはいない程に名が売れてゆき、20年以上経った現在でも名前さえ呼ぶことを躊躇われる程に恐れられ続けているのじゃ」

 

「そんな……」

 

「……だいたい分かったが、じゃあなんで奴らは私達に関わってきたんだ?」

 

「うむ、その疑問も尤もじゃろう。それには、現在の状況が関わっておる」

 

「現在の状況、ですか?」

 

「……十年以上前、『赤き翼』のリーダーが行方不明となったのじゃ」

 

長きに渡って、『夜明けの世界』と『赤き翼』の戦いは続いた。しかし、数年前の戦闘で『赤き翼』のリーダーが負傷して海へと落下。そのまま生死不明で行方が分からないのだという。

 

「元々、『赤き翼』はメンバーがだいぶ歯抜しておってな。結婚を機に去ったものや、負傷して退いた者もおった。『赤き翼』もリーダーが解散を宣言していたんじゃが……そのタイミングで彼奴らが現れ、仕方なしに『赤き翼』のリーダーが単騎で戦いに赴いた」

 

そして、多くの魔法使いの援護も虚しく圧倒的不利を覆すことはかなわず、彼は戦いの最中『夜明けの世界』の攻撃を受けて重症を負い、海中に沈んでいった。

 

「その後の行方は誰にも分からず、世間では死んだと言われておる」

 

「……そう、なんですか……」

 

「……それからじゃ。彼奴らの活動が静かになったのは。当然じゃな、自らを絶対たらしめるために必要だった『赤き翼』が、いなくなってしまったんじゃからな」

 

世界は『赤き翼』の消滅、そしてそのリーダーの死を悲しんだ。世間を絶望が包み、生きる気力を奪われたものが自殺するといったことも頻発した。そう、こういった状況のせいで、彼女ら『夜明けの世界』に立ち向かおうとする存在もいなくなってしまったのだ。

 

「こんな状況では、『夜明けの世界』もその影響力が絶対でなくなってしまう。そうなれば、彼奴らの立場は危うくなる」

 

大きすぎる悪は、自らの首を絞めることになってしまう。正常な世界であるからこそ悪がのさばる環境としてありがたいのであり、逆に荒れた世界では商売敵が増えて旨味が減る。そうなっては困るのだ。

 

「彼奴らは『魔法世界』を主な活動拠点としているが、最近になってこの世界、向こうで言う『旧世界(ムンドゥス・ウェストゥス)』までもその手を伸ばし始めていた。儂ら魔法使いの一部は、彼奴らの動向に常に気を配っていた。そして、ある結論へと辿り着いた。彼奴らは、『赤き翼』に代わる『英雄』を探しておったのじゃ」

 

「そういうことかよ……!」

 

そう、彼女らは『赤き翼』亡き今、新たな『英雄候補』を探していたのである。時には、彼女らの思想に染まって組織に入った者も多いという。

 

「じゃ、じゃあ僕達も……!?」

 

「うむ。千雨くんは数年前に彼奴らの一人と出会っておるのじゃろ? その時から目をつけられていたんじゃろうな。そしてネギ君は……」

 

「僕は、山奥で生活してただけの半人前です。目をつけられるようなことなんて……」

 

そう、千雨は直に見定められているわけだからおかしなことではないが、ずっと山奥の村で暮らしていた彼が目をつけられるとは考えにくい。

 

「そうじゃな、いくら彼奴らの手が長く伸びているとはいえ、ウェールズの僻地にまで手を伸ばせるほど彼奴らはまだこちらの世界で影響力を持っていない」

 

「じゃあどうして……?」

 

「……ネギ君。君は、父上のことに関してなにか知っているかね?」

 

突然の質問に、ネギは面食らうが冷静に応対する。

 

「え、ええと。父さんは偉大な魔法使いだった、とネカネお姉ちゃんに聞いたぐらいで……」

 

「そうかそうか。そうじゃろうのぅ、軽々しく彼の正体を話すわけにはゆかぬからな……」

 

「! 僕の父さんのことを知ってるんですか!」

 

「うむ。儂も彼とは多少なりとも関わりがあったからのぅ」

 

ネギにとっては、あまりにも謎が多くその素性を知ることができなかった両親。長年親の愛を受けずに育ち、しかしネカネから聞かされた話でネギが憧れた両親。ある理由(・・・・)も含め、その正体を追ってきた彼にとって何よりも知りたい情報だった。

 

「教えてください! 僕の父は、どんな人物だったんですか!?」

 

「……君の父の名は、ナギ・スプリングフィールド。先ほど語った『赤き翼』のメンバーにしてリーダーだった男じゃ」

 

「なっ……!?」

 

千雨はあまりのことに驚いた。ネギが彼女らから狙われるほどであるからこそ、その両親に相当な人物がいるのだろうとは思っていたが、まさかこれほどの人物だったとはさすがに思っていなかった。

 

「マジかよ……先生、あんた英雄の息子だったんだな……」

 

純粋な驚きから、千雨は思わずそんな言葉を口にした。しかし、先ほどの学園長の話を思い出し、慌てて謝罪する。

 

「わ、悪ぃ。さっきの話からすると、もう亡くなってんだもんな……」

 

だが、ネギは。

 

「……いえ、大丈夫です。なにせ、父さんは生きているはずですから」

 

千雨の言葉を否定した。学園長も、驚きで目を見開いている。

 

「ど、どういうことかの? 彼が生きているという話は……本当なのか?」

 

「はい。僕は6年前、父さんと一度だけ会っているんです。この杖は、その時に父さんから貰ったものです」

 

「む、むむむ……確かにその杖はナギが使っておったものじゃが、儂は遺品だと思っておったぞ」

 

どうやら、学園長は杖のことは知っていたがそれがネギの父によって直接与えられたものであるとは知らなかったようだ。

 

「そうかそうか、ナギは生きているのかもしれん、か。婿殿にも教えてやらんとな」

 

心なしか嬉しそうな顔をしながらうんうんと頷いて何かをブツブツと口にしている。どうやら、ネギの父親が生きている可能性が相当に嬉しかったらしい。

 

「む、おお! スマンスマン、ネギ君の話があまりにも嬉しくてのぅ、ついつい舞い上がっておったわい。……ん゛ん゛! さて、君らは既にエヴァンジェリンらに狙われておる。それは分かってくれたと思う」

 

「はい!」

 

「ああ、まあな」

 

学園長の言葉に、二人はそれぞれ首肯する。

 

「これから、彼奴らは君らに様々な干渉をしてくるじゃろう。彼奴らにとっては自らと同格に戦える存在が必要じゃ、君らにあの手この手で刺客を差し向けるじゃろう。悔しいが、彼奴らにとっては君らも育てば御の字の候補でしかないし、死んでも構わないと本気で思っておるじゃろう」

 

なにも、候補となる人材がネギ達だけとは限らないし、恐らく世界中に存在しているだろう。あくまで、そのなかでも特に注目している存在、というだけだ。

 

「なれば、奴らの思惑に乗っておくのが今は得策じゃ。強くなれば、いずれは彼奴らの干渉を跳ね除けるのも可能となるかもしれん」

 

「一理あるな。現状、先生は魔法が使えるがそれだけだし、私はただのガキでしかねぇ。少しは戦闘ができるようになりゃいいんだが……」

 

先日の事件では、結局のところ戦闘面ではほぼ役立たずであったことが心残りであった千雨は、戦えるようになることを望んでいた。

 

「そうか。ならば丁度いいかもしれんのぅ」

 

そう言うと、彼は懐から一通の封筒を取り出す。

 

「ん? なんだそれ」

 

「これか? これは親書じゃよ。これをとある組織の長に渡して欲しいんじゃ」

 

 

 

 

 

「とある、組織?」

 

話がよく見えてこないネギはちんぷんかんぷんといった様子だ。

 

「この日本には、魔法関係の大きな組織が2つ存在しての。一つは、ここ麻帆良を中心とする関東魔法協会。西洋魔法を主とする魔法使いの組織じゃな。そしてもう一つが……」

 

そう言って、封筒の表を彼らに見せる。そこには、『関西呪術協会』の文字が。

 

「東洋の呪術を主とする、『関西呪術協会』じゃ。実は関西呪術協会と関東魔法協会は昔から仲が悪くてのぅ、互いにいがみ合うような仲なんじゃ。しかし、エヴァンジェリンという巨大な脅威が露見した今、そんなこともしてられん。そこで、君たちにこの親書を届けてもらいたいというわけじゃ」

 

「ここに呼び出した別の理由がそれってことか?」

 

千雨の質問に、近右衛門は黙って首を縦に振る。千雨は、少々怪訝な顔になり。

 

「ただの学生に持たせる気かよ、先生とかに頼めばいだろ」

 

「ならん。向こうは西洋の魔法使いを毛嫌いしておるから、まともに取り合ってくれん可能性が高い」

 

「なら余計にダメだろ。そんな、下手すれば危害が加えられそうなとこに放り込むつもりか?」

 

彼女の目つきがさらに険しくなる。近右衛門の腹の中を探ろうとしているのだ。軽く人間不信気味な彼女は、常に疑うことを怠らない。

 

「……正直に言えば、打算的な部分もある。君らのような子供相手に、向こうもさすがに簡単には手出しができないだろうと踏んでおったわ」

 

「んなこたろうと思ったぜ。大方、関西の方と仲が悪くなった原因もあんたがつくったんじゃねぇのか? あんたが直接持っていけばいいものをあえて私に持たせてるってことは、向こうに行けない後ろ暗いことがあったんじゃねぇかと勘ぐっちまうぞ」

 

「むぅ、千雨くんは本当に鋭いのぅ。正直、自分の無能を晒すようで悪いが話そう。先ほど話した魔法世界での戦争が起こっていた当時、日本も援軍をよこせとせっつかれたんじゃ」

 

そもそも、日本に西洋魔法使いがやってきたのは明治の前後辺りであり、その当時から西洋文化に対して偏見が強かった東洋呪術師たちとの仲は良好とはいえなかった。だが、互いにいがみ合うほどではなかった。

 

問題へと発展したのは、大分裂戦争が起こった20年前。元々、西洋魔法使いは連合の後ろ盾によってここ麻帆良へとやってきたため、親元である連合に逆らえなかった。そのため、戦争のために兵を集めていた連合から徴兵の通告が届き、戦争へと身を投じていったのだ。

 

しかし、関東魔法協会だけではとても人員を賄えなかった。そこで連合は関西呪術協会に目をつけ、強制的に従わせようとしたのだ。当初は関西呪術協会は頑なに拒んだのだが、連合からやってきた魔法使いたちが武力行使を行おうとしたため、一触即発の状態へと発展したのだ。

 

「仕方なく、当時関西呪術協会の長であった儂は従うことを決めた。勿論反発はあったが、儂はそれを無視して東洋呪術師を魔法世界へと送った……」

 

「なるほど、それで恨まれてるってわけか。そりゃああんたが行ったら襲撃されてもおかしくないだろうな」

 

なおも険しい目つきで睨む千雨に、しかし近右衛門は泰然と佇んでいる。そこにいたのは、普段の飄々とした学園長ではなく、鋭い目つきをした関東魔法協会の長であった。

 

「否定はせん。じゃが、儂も当時は魔法に対する関心はあったが関西にしかパイプがなくてのぅ、戦争参加を回避するために奔走したが無駄足じゃった。結局、儂はその責任をとって長をやめて関西と絶縁し、関東へとやってきたんじゃ」

 

「そう、だったんですか」

 

「儂は魔法を学んでなんとかここの長に納まった。しかし、関西で歴代の長を務め、有力家であった近衛家は儂が絶縁したことで肩身の狭い思いをしてのぅ。連れてきた娘を関西へと引き渡すこととなってしまった」

 

幸い、娘もその婿も近右衛門に理解を示してくれた。特に婿は、魔法関係者と友人であったこともあり幾度と無く力となってくれたらしい。

 

「実はな、その婿殿こそ『赤き翼』の元メンバーであった人物でな。ナギとは親友といえる間柄だったんじゃ。今は関西呪術協会の長でもあって、こちらとの仲を取り持とうと尽力してくれておる。ネギ君に親書を託そうと思った理由の一つでもあるのぅ」

 

「父さんの親友……」

 

「長く滞在していたこともあるから、彼の仮住居もあったらしいぞい。もしかすれば、彼の手がかりになることや、強くなるための手段を手に入れられるやもしれん」

 

「ほ、本当ですか! あ、でも僕先生の仕事もあるから行くことなんて……」

 

手がかりがあるかもしれないという期待に一瞬胸を膨らませたが、しかし先生としての職務がある彼には学園外に行く時間などない。そもそも、親書を届けるという大役自体遂行できるか分からない。しかし、学園長は顎鬚を手で梳きながら小さく笑うと。

 

「大丈夫じゃ。この時期に君へ頼むのには、もうひとつ訳がある。親書を届ける場所なんじゃが、実は京都なんじゃよ」

 

「キョウト、ですか? 観光名所として有名らしいですけど、かなり遠い場所では……」

 

「あー、だいたい分かった。私らの修学旅行に合わせたわけだな」

 

「シュウガクリョコウ? ……あ!」

 

「そうじゃ。今年の修学旅行先は京都、親書を届けるには絶好の機会じゃ」

 

普段であれば、険悪な仲である魔法使いを関西へと入れようとしない呪術協会だが、例外的に一般生徒が含まれる修学旅行などでは入ることができるのである。それを利用して呪術協会の本部へと親書を持っていければ、学園長と関わりの深い長が応じさえすれば協力関係を結ぶことができるという算段だ。

 

「相手の裏をかくようなもんじゃ、怒りを買ってもおかしくはない。危険な旅になるじゃろう。……やってくれるかのぅ?」

 

「……正直、僕には荷が重いと思っています。僕はまだ、魔法学校を卒業したばかりの半人前で、先生として働くのも大変です。……それでも、僕は僕の目的のために、そして生徒のために精一杯のことをしたいです」

 

真っ直ぐな瞳は、決意を感じさせる光を宿していた。

 

「お受けさせていただきます」

 

「私も手伝うぜ。先生とは知らない仲じゃないしな」

 

「そうか……ありがとう、二人共」

 

近右衛門は深々とお辞儀をし、謝意を示した。

 

 

 

 

 

「ではネギ君、あまり言えたことではないが……修学旅行、楽しんできなさい」

 

「はいっ! では、僕はそろそろ戻ります!」

 

「私も戻るかぁ、修学旅行の準備しとかねぇと」

 

そう言って席を立つ2人。しかし、近右衛門はそのうちの一人に声をかけて止める。

 

「ああ、千雨くんはもう少しだけいてくれないかのぅ」

 

「……先生、先行っててくれ」

 

「あ、はい。じゃあ廊下のあたりで待ってますね」

 

そう言って、ネギは扉を開けて退出していった。扉の閉まる音とともに、静寂が訪れる。

 

「さて、勘のいい君ならば分かっておるとは思うが……」

 

「気づかねぇわけねぇだろ。あれ、どう見ても半分泣き落としじみてたじゃねぇか」

 

そう、学園長は2人に自らの事情を話すことで同情を誘い、次いで利益をぶら下げることで彼らを誘導したのだ。尤も、千雨はそれに気づいていたフシがあったため、こうして学園長が呼び止めたのだ。

 

「ネギ君はまだ幼い。純粋な部分もあるから、儂らのような腹芸は苦手じゃろう。万が一、彼奴らが関西へと既に手を伸ばしていた場合、ネギ君が騙されて都合のいいように振り回されてしまう可能性は高い」

 

「だから、勘のいい私にお目付け役として頼むってことか。別にそんぐらいこんな遠回しに頼まれないでも、私自身が先生を助けようって思ってんだ。心配すんなよ」

 

「頼もしいのぅ。ネギ君はいい生徒と仲間を持ったわい」

 

「んじゃ、私も帰らせてもらうぜ」

 

そう言って扉の方へと向かい、取っ手に手をかけたところで。

 

「……ああ、そうだ。もう一つだけ、聞いてもいいか」

 

「何じゃ」

 

「エヴァンジェリンと一緒にいた奴がいただろ。……あの仮面をつけた女、なんて言うんだ?」

 

長年の仇敵、その名前を問う。エヴァンジェリンらのことをあれほど詳細に話していたのだ、それぐらい知っていてもおかしくはないと思い、こうして聞いてみたわけだ。

 

「……あ奴か。かの人物の名は、明山寺鈴音。エヴァンジェリンの右腕とも言える存在じゃ」

 

「そうか、そんな名前なのか……」

 

「気をつけなさい。純粋な戦闘能力では、右に出るものがいないとまで言われておる。間違っても正面から戦おうとせんことじゃ」

 

「……ああ」

 

話を聞き終わると、千雨は学園長に背を向けて去っていった。学園長以外誰もいなくなった部屋で、彼はきょろきょろと周囲を見回した後。

 

「……誰もおらんな。出てきてかまわんぞ」

 

そう、言葉にする。しかし、この部屋には彼以外の姿はないように見える。一見して、虚空に話しかける変人でしかない。

 

「そうか」

 

しかし、その言葉には返事が伴った。調度品の一つ、大きなアンティークの棚の影から何者かが現れた。

 

「聞いていたとは思うが、千雨くんは思った以上に聡明な子じゃ。彼女がついていればネギ君は道を誤らんじゃろう。……じゃが、今の彼らではあまりにも無力じゃ」

 

「ああ、分かっている。それで、依頼はやはり……」

 

「そうじゃ、彼らの護衛を頼みたい。ただし、あくまで気づかれない距離で、じゃぞ」

 

「フ、分かっているさ」

 

その何者かは、学園長の提示した条件を聞いてニヤリと笑う。学園長の言わんとしていることが分かっているようだ。

 

「この依頼、受けてもらえるな?」

 

「無論だ。それに、先生も彼女も……奴らと深く因縁があるようだしな、私としては好都合だ」

 

ギシリと、その人物は掌を強く握る。皮の手袋をつけているというのに、指先はしっかりと掌の中に収まるほど強く握りしめていた。その目には、明らかな憎悪が宿っている。

 

君の因縁(・・・・)も、勿論分かっておる。じゃが、憎悪に飲まれてはイカンぞ」

 

学園長は憎しみを瞳に宿すその人物へと忠告する。その危うさを分かっているからこそ。

 

「分かっている。……ああ、分かっているとも……」

 

 

 

 

 

「ふぅ、これぐらいにするか」

 

桜咲刹那は、日課となっている素振りを終えるとタオルで汗を拭い、水分補給をする。彼女は、毎日欠かさず素振りを行う。剣道部の所属でもあるため道場でこうして振っている事が多いが、この日課を絶対に欠かさない彼女は、道場に来ない日も公園などでこの日課を消化している。

 

「せっちゃーん!」

 

自らの友人であり、護衛対象でもある少女の声がした。反射的に後ろを振り返ると、道場の入口付近に近衛木乃香の姿があった。

 

「あ、お嬢様!」

 

汗を拭い終わり、慌てて彼女の方へと向かう。木乃香はどこか不機嫌そうな顔であった。

 

「せっちゃん、約束!」

 

「あ、すみません……。え、と……この、ちゃん」

 

図書館島の一件から、刹那は幼いころのように木乃香を呼ぶことを約束させられたのだが、未だにそれに慣れないためこうして間違えてしまうことが多い。

 

「んー、まだ固いなぁ」

 

「あ、あのやっぱりお嬢様と呼ばせていただきたいんですが……」

 

「ダメ」

 

「で、ですが」

 

「ダメや」

 

意外と頑固者である木乃香相手に何とか食い下がろうとするも、結局気迫で押し通されてしまう。なんとなく逆らえない独特な雰囲気に、刹那はどうしても根負けしてしまうのだ。

 

(……もっと、精進せねば)

 

色々とダメな方向で自らのたるみを自覚し、更なる向上を誓うのであった。

 

 

 

 

 

「でなー、最近アスナの様子がおかしいんよ」

 

「そうなんですか。ですが、学校にいる間にそのような雰囲気は感じられませんが……」

 

「普段は優等生の猫かぶっとるから、せっちゃんでも分からんと思うえ。アスナとよっぽど親しくないとあの微妙な変化はわからへんわ」

 

「む、難しいものですね」

 

帰り道。2人で他愛のない話をしながら下校する。刹那は剣道着から着替えて制服になっているが、道場が寮から意外と近いため普段ならそのままの格好で下校することもままあるのだが、今日は木乃香と一緒であるためそういったはしたない行動は謹んでいる。

 

(汗臭くないだろうか……)

 

制汗スプレーは一応しているため、それほどではないとは思う。が、剣道着というのは男であろうと女であろうとかなり臭う代物である。その強烈な匂いが残っていてもおかしくはないのだ。

 

「んー? せっちゃん?」

 

「あ、いえ。あの、汗臭くないかと思いまして……」

 

「いっこも気にならへんよ。うちかて、今日は体育があったから汗まみれや」

 

「しかし、私は稽古もしていましたし、剣道着というものは、その、結構匂うものでして……」

 

「どもない、匂いなんてせんよ。第一、そないなこと、うちはかまへんで? ……それより、さっきから京弁多めに使こうてるんに、せっちゃんはお堅い標準語のまんまやから寂しいえ」

 

どうやら、先程からの訛り具合は意図的にしていたもののようだ。なんとか刹那と昔のように打ち解けたくて、こっそりアプローチをしていたらしい。

 

「ですが、私はお……このちゃんを護衛する立場です。馴れ馴れしいことはできません」

 

「せやかて、それでお友達と砕けた話もでけへんなんて、そないんうちはあかんえ!」

 

木乃香の言葉に、刹那は少し驚いた顔をし、次いで僅かばかり頬に紅葉を散らすと、小さく微笑んでみせた。

 

「……そんなら、今だけは、昔みたいに話してもええ? 護衛やなく、お友達で」

 

「っ! せっちゃん!」

 

感極まったのか、木乃香が思わず刹那へと抱きつく。普段鍛えているとはいえ、いきなり飛びかかられたことに驚いて足元が危うくなるが、なんとか体勢を整えた。そして自分の胸に顔をうずめている彼女の頭を優しく撫でる。

 

「ふふ、昔とは逆やな」

 

「せやなぁ。昔はあかんたれなうちが、こうしてこのちゃんに慰められてやはったね……」

 

昔を懐かしむ2人を、真っ赤な太陽が2人を朱に染め、長く影が伸びる。夕方とあって、既に日は傾き始めていた。

 

(……こうして夕日を眺めとると、あの日を思い出すなぁ……)

 

思い起こすのは、今日まで続く自らが生まれた日。誕生した日ではなく、己の存在を世界に認められた日。

 

『……一緒に、来る? ……寂しいのは、怖いよ……?』

 

幼き日、孤独から掬い上げてくれた恩人のことを思い出す。あの出会いがなければ、きっと自分は今こうして友人と仲睦まじくあることもなかっただろう。

 

(……ありがとうございます、姉さん……)

 

と、そんなふうに胸の内で、ある人物へと感謝を述べていた時だった。

 

「んふふー、せっちゃんなんかかわええなぁ」

 

「こ、このちゃん?」

 

「なんか子供っぽい顔しとったえ。昔のことでも思い出しとったん?」

 

刹那にそんな風に聞く。尤も、木乃香自身が今現在子供っぽい笑みを浮かべているので、人のことはあまり言えないが。

 

「……うちの、大事な人のこと思い出しとったんや。もうすぐ修学旅行で京都にも」

 

「せっちゃんを連れてきた人やな。そういえば、剣術も元々はそん人に習っとったんやっけ?」

 

「せや。とっても強い人やった……。今はどこにおるかわからへんやけど、また会いたい……。あの人は、うちの目標や」

 

日課の素振りも、その当時に必ずやるように言われていたものだ。別れてからこの方その行方が一切わからないが、今も思い出は色あせることはない。

 

「そんなら、まずはお父様を超えんとなぁ?」

 

「せやなぁ。お師匠様も、あの人も越えられるほど強うなって……このちゃんのこと、しっかり守ってあげたい」

 

「もう、せっちゃん。そない、うち告白かと勘違いしてまうで」

 

「そ、そないつもりあらへんて! もう、からかわんといて!」

 

「ふふ。修学旅行、楽しみやなぁ。お父様に会うんも久々や。せっちゃんも、楽しみ?」

 

「……うん、楽しみや」

 

女三人寄れば姦しいというが、一人足らなくてもそれは当てはまるようだ。夕日も顔を隠しきる寸前の黄昏時の中、2人は仲睦まじく帰り道を歩んでいった。

 

 

 

 

 

『……今回の任務は、私が指揮を執ることになった……』

 

『まさかあんたが直接現場に赴くなんてねぇ、意外だわ』

 

『……美姫の失敗を、取り戻さないといけない』

 

『次の作戦は京都だっけ。『赤き翼』のメンバーが居る場所ってことは、セプテンデキムは連れていけないわね。私も今回は留守番か』

 

『くぅ、顔さえ割れていなければ……』

 

『面白そうなのになぁ、残念だわ。……で、鈴音以外にもメンバーはいるんだよね、誰なの?』

 

『……既に、現場で活動中。……私以外の、2人』

 

『ふーん、ということはあの新人2人か。美姫同様ヘマしなきゃいいけど』

 

『……一人は、私の弟子……やわな育て方は、してない……』

 

『ああ、そういや二人いる弟子の一人だっけ。もう一人は神鳴流に預けてるって話だけど、そっちはどうするつもりなの?』

 

『……今回、それを選ばせる。……あとは、彼女の意思次第……』

 

『こっちにつくか、あっちにつくか……せいぜい苦悩してもらおうじゃない、ふふっ』

 

つかの間の平穏な昼間は終わりを告げる。黄昏時は過ぎ、闇夜を伴う禍刻が迫る。再び、闇の中で邪悪は動き出した。



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第二十九話 修学旅行初日

旅立ちの始まりは、決してよいものばかりではない
だが、気の合う仲間と出会えることもままあるものである


修学旅行に向けて準備をしていたある日。ネギのもとに一通のエアメールが届いてきた。その内容は、アルベールの冤罪が認められ、指名手配を取り下げたというもの。どうやら、真犯人が発覚したらしい。

 

「よかったねー、カモ君!」

 

「これで追われる身でなくなったっつーわけですね……!」

 

「ふーん、よかったじゃない。これであんたもここにいる必要がないわけでしょ?」

 

「あ、姐さん冷たいっす……」

 

「元々下着ドロしてたんでしょ。そんな奴がいたら私の下着がどうなるかわからないもの」

 

アスナの言葉も尤もである。依然として下着泥棒の前科が消えたわけではなく、更にはやむをえぬ事情があったとはいえ脱獄までしたのだ。当然、それに対するペナルティも記されていた。

 

ただ、そのペナルティの内容が。

 

「ええと、アルベール・カモミールは窃盗罪、脱獄罪の前科を踏まえ、特別奉仕活動の措置を執るものとする。現在修行中のネギ・スプリングフィールドの補助を行うべし……」

 

「げっ、ネギの手助けしろってこと? ってことは結局一緒!?」

 

「ヒャッハー! ありがてぇ!」

 

こうして、アルベールは引き続きネギ達とともに行動をしていくこととなるのであった。

 

 

 

 

 

【高畑くん、調子はどうだね?】

 

【まだ、十分とは……】

 

【ううむ、そうか。とはいえ、その怪我で無理をさせてしまったな。すまんかった】

 

【いえいえ、当然のことをしたまでです。冤罪なんて、司法の意義に関わることですし】

 

学園長室にて、近右衛門はタカミチと連絡を取り合っていた。『桜通の幽霊事件』の前に彼が何者かによって重症を負わされてしまい、1ヶ月近く治療を強いられることとなったため、かの事件で人員不足のまま彼女らと対峙しなければならなかったのが痛かった。

 

ただ、彼も黙って療養していたわけではない。アルベールの脱獄を魔法新聞によって知り、不自然な点がいくつも見受けられたことで行動を開始。結果、何者かによって買収された汚職裁判官によるものだと発覚し、逮捕に至った。しかし、依然として背後から操っていた人物が不透明なままなのがタカミチにとって気がかりだった。

 

【高畑くん、聞いているとは思うが……エヴァンジェリンが学園に現れた】

 

【……はい、ガンドルフィーニ先生から電報を頂いてます。まさか、ここまで手を伸ばしていたとは……】

 

【儂も予想外じゃった。今回はネギ君と、それから彼の協力者となってくれた千雨くんが奮闘してくれたおかげで最悪の事態は避けられたが……既に生徒の一人が毒牙にかかっておった】

 

【申し訳ありません……僕が、動けていれば……】

 

【気にせんでええ。一時は集中治療室にいたほど重症を負ってたんじゃ、無理をしてはかえって足手まといになっとったじゃろう】

 

【はは……これは手厳しい……】

 

学園長をはじめとする、魔法先生を全員集結させてエヴァンジェリンと一戦交えたが、結果は彼女らにとって鎧袖一触であった。魔法もろくに通用せず、肉弾戦を挑んだガンドルフィーニは鈴音の手刀による突き一発で意識を断たれた。エヴァンジェリンは霧を発生させ、霧が晴れた頃には姿はもうなかった。完全な敗北である。

 

【いやはや、あれほどとは思わなんだ……。あれが『魔法世界(ムンドゥス・マギクス)』最悪の魔法使い、『闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)』と、その右腕にして従者である『狂刃鬼』か】

 

【……ナギさんでさえ、敵うことがなかった相手です。いくら学園の先生方が優秀とはいえ、戦闘に特化しているわけではない以上、常に戦いとともに生き続ける彼女たちが相手では分が悪すぎます】

 

【戦争経験者は語る、のう】

 

【恐らく、大幹部クラス相手では……学園で対抗しうるのは僕か貴方ぐらいでしょう】

 

それでも、引き分けに持ち込めるか否か、という言葉が続くが。近右衛門も、初めて間近であれらと遭遇したわけだが、滴る汗が凍りつくような寒気を覚えた。何十年と生き、東洋呪術の最高峰へと至り、魔法使いとしても高い実力を持つ自分でさえ、だ。

 

【特に彼女は、生半可な腕では戦うことさえできません。魔法使い最大級の天敵の一人ですから】

 

【いやはや、まさか魔法が全てかき消されるとは思わなんだ。あんな能力者がまだ他にもいるというのだからそら恐ろしいわい】

 

【……しかし、引っかかりますね。僕がいなくなった途端に行動を開始した……】

 

【怪しいのぅ。儂も、少々本国の方へ探りを入れてみるわい】

 

 

 

 

 

「はいネギ君、朝ごはんのおにぎり」

 

「ありがとうございます、木乃香さん! それじゃあ、僕は先に行きますね」

 

「ちょい待ち、ネクタイ曲がってるわよ。ああもう、髪もハネちゃってるじゃない。直してあげるからじっとして」

 

「は、はい……」

 

修学旅行当日。教師であるネギは、一足先に駅へと向かわなければならないのだが、前日に楽しみであまり眠れなかったせいかやや寝不足気味だった。そのせいで、普段気にしているはずの身だしなみにも乱れが多く、アスナに直される有り様だった。

 

「よし、これでばっちりね」

 

「ううー、すみません……」

 

「気にしてないわよ。んじゃ、私も自分の荷物確認するかな」

 

「ぼ、僕ももう行かなきゃ!」

 

まだ時間に余裕はあるが、早めに行って損をするということはない。ネギはカバンを掴んで玄関の扉を開ける。

 

「それじゃあ、行ってきます!」

 

「はいはい、またあとでね」

 

「ほななー、ネギ君」

 

 

 

 

 

【この電車は、かざみ号、新大阪行きです。途中の停車駅は……】

 

「はい、それではみなさんこれから乗車してもらいますが、改めて全員いるかを確認しなければいけないので、班ごとにゆっくりとお願いしますね!」

 

ネギが名簿を片手にそう言うと、彼女たちは元気に返事を返す。そして、班ごとに別れて彼の方へと移動する。一人ひとりの確認を終え、6班までの確認を終えるとネギも荷物を掴んで乗車した。

 

「うわー、綺麗だなぁ……」

 

外見は細長い筒のようで、中が狭苦しいのではないかと思っていたのだが、乗車してみればそれは杞憂だったと悟る。内部は清潔に掃除されており、席の一つ一つも乱れ一つ無い。また、思っていたよりもスペースがあり、彼が日本に来る折に乗ってきた飛行機のそれと比べてもなんの見劣りもしない。

 

「あのー、申し訳ありませんが通らせて頂いても……?」

 

しばしボーっとしていた彼は、突然背後から話しかけられたことでビクリとする。

 

「え、あっ、す、すみませんっ!」

 

「いえいえ、こちらも急かしてしまったみたいで……」

 

振り返って平謝りする。見れば、艶のある長い黒髪と白い肌が特徴的なやや長身の女性がいた。手には、手押しの台車がある。

 

「あ、車内販売の方ですか?」

 

「あ、はい。本当ならお客様が乗る前に準備を済ませなければならないんですが、置いたままにしていた荷物を忘れてしまって……」

 

「そうなんですか。あ、邪魔でしたよね、すぐにどきます!」

 

「あらあら、ありがとうございます」

 

彼女は一礼すると、そのまま奥の方へと進んでゆき、扉をくぐって去っていった。ネギはポケットからチケットを取り出すと、座席を確認しようと歩き出す。

 

(……そういえば、あの人僕のことについて何も言わなかったなぁ……)

 

いくら教員免許を有しているとはいえ、彼はまだ10歳程度の子供。そんな彼がスーツ姿であれば疑問に思わないことのほうが少ないはず。しかも外国人であり、そういうことを無意識的に尋ねることの多い日本人であるだろう彼女が、何も聞かないというのは少々不自然だ。だが、そんなことを考えているうちに、駅の発車メロディーが鳴る。

 

「ネギ先生、お席はこちらですよ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

他の教員に呼ばれ、彼は思考を中断して席へと向かった。ドアの向こうから、何者かが覗いていることになど気づかず。

 

(ふーん、あれが東の親善大使様、ねぇ……。西も随分と舐められたもんどすなぁ……)

 

鋭い、憎しみの篭った瞳をそらし、その人物は去ってゆく。カラカラと、台車を押していきながら。

 

 

 

 

 

「ふぅ、いい眺めだなぁ……」

 

「そうですねぇ……」

 

鞄の隙間から、アルベールの同意の言葉が聞こえる。本来ならばペットの持ち込みはカゴに入れるかしなければならないのだが、仮にも魔法生物であるアルベールには窮屈で仕方がない。そのため、隠蔽の魔法をかけたネギのカバンに入っているのだ。

 

「しかし、妙っすねぇ。修学旅行に兄貴たちが来てるってのに、なんのアクションもないのは不気味っす」

 

「まだ、新幹線の中だからね。一般の人にも迷惑がかかるかもしれないし」

 

「でも、車両ごとに貸し切りにしてるんすよね? だったら兄貴のクラスにだけちょっかいかけるって可能性も……」

 

「うーん、考え過ぎだと思うけど……」

 

そんな時であった。

 

『きゃー!』

 

「兄貴っ!」

 

「うん、僕も聞こえた!」

 

2つ隣の車両、3-Aメンバーがいる場所からの悲鳴。ネギはそれを聞き取り、急いで現場へと向かった。だが。

 

「きゃあ!」

 

「うわっ!」

 

車両を抜けたところで、誰かとぶつかってしまったのだ。

 

「すみません!」

 

「あ、あらあら。あの時の坊やね」

 

慌てて謝罪するネギ。そして相手の言葉を聞いて顔を見てみれば、先ほど会った車内販売員の女性であった。

 

「あ、あのすみません。急いでいたもので……」

 

「大丈夫ですよ、私もちょっと目を離してましたし」

 

「そ、それじゃ失礼します!」

 

再びお辞儀をすると、彼はそそくさと向こうの車両へと去っていった。

 

(あれ? あの人向こうの車両からきたのに、すごく平然としてたなぁ……)

 

 

 

 

 

「な、なんだこれ……」

 

「あ、ネギ君!」

 

「なんかカエルが、カエルがー!」

 

車両に入ってみれば、阿鼻叫喚な状態であった。車内を無数のカエルが飛び回り、お菓子の箱から飛び出すものもあれば、座席の下から湧いてくるものもいた。

 

「せせせせせせ拙者カエルは苦手でござるうううううううううううううううう!?」

 

「わー! 楓が壊れたー!?」

 

カエルが大の苦手であった楓にとっては、まさに地獄であったのだろう。いつもののほほんとした彼女が、慌てふためいて涙目である。終いには、そのまま気絶してしまった。

 

「こ、これだけいっぱいいて小さいと対処しづらいアル……」

 

「うえーん! ぬめぬめするー!」

 

生徒たちもなんとかカエルを捕まえようとするが、いかんせん人数が人数なため狭い。そのせいで生徒たちがぶつかったり、カエルを踏み潰しそうになってしまう。すると、千雨がネギの方へとやってきた。

 

「先生、どう考えてもおかしいぜこりゃ」

 

「はい、多分関西呪術協会からの刺客かと……」

 

「ちょっとちょっと、なんなのよこれ!」

 

反対側の車両から、アスナが現れてそんなことを言う。どうやら雪隠であったようだ。彼女もネギの方へとやってきて、彼から事情を聞いた。

 

「はぁ、また面倒なことになってるわけね……」

 

「ま、こっち側に関わっちまった以上仕方ねぇだろ」

 

「はー、千雨ちゃんって結構ドライねぇ」

 

そんな話をしていると、事態は更に悪化しているようで。

 

「わっ、ちょっ服の中入ってきた!?」

 

「もーやだー!」

 

「と、とりあえずカエルを捕まえちゃいましょう!」

 

「……だな」

 

結局、クラス総出でカエルの捕獲作業をすることとなった。捕まえたカエルをどんどんと袋の中へと放り込み、最終的には袋がパンパンになるほど入ったところで打ち止めとなった。

 

「んもー、なんだったのー?」

 

「楓、もうカエルはいないアルよ」

 

「うう、かたじけのうござる……」

 

普段元気な3-Aメンバーでさえ、ぐったりとする有り様であった。一段落したところで、アルベールがあることに気づく。

 

「……はっ! そういや兄貴、親書は!?」

 

「さっきのドサクサに紛れて取られた可能性ってことか」

 

そう、先ほどの大騒ぎに乗じて親書を盗まれた可能性がある。あれだけのカエルを発生させた中であれば、それに紛れてネギの持つ親書をかすめ取っていてもおかしくはない。

 

「待って、確か裏ポケットに……」

 

そう言ってスーツを開いてポケットから親書を取り出す。無事に親書があったことにほっとするネギ。

 

「うん、大丈夫。ちゃんとあっ……」

 

だが、それがいけなかった。親書を取り出したまま気を抜いた瞬間、猛烈なスピード飛んできた何かによって親書が奪われてしまった。

 

「つ、つばめ?!」

 

「チッ、はじめから狙った瞬間を待ってたってわけか!」

 

これだけの騒動だからこそ、あからさまに西側からの刺客であると理解させ、親書が無事であるか確認するために取り出す瞬間を待っていたのである。慌てて走りだすネギとアスナ。千雨もその後を追うが、いかんせん体力のない千雨はすぐに息切れしてしまう。

 

「ぜぇぜぇ、先生先にいけ! 私は後から行く!」

 

「分かりました! 千雨さんもあまりムリしないで!」

 

車内を駆け足でゆく2人。魔法で強化しているネギに、それに追従するアスナ。凄まじい健脚である。が、それが仇となった。

 

「うわわっ!?」

 

「す、すべるっ!?」

 

相手の術者によるものなのか、ツルツルになった床によってネギとアスナは転んでしまう。ネギはとっさに魔法で風を発生させて転倒を防ぐが、それが大きなロスになる。親書を咥えたつばめは、あっという間に次の車両へと消えていってしまった。

 

 

 

 

 

つばめは悠々と、次の車両を飛び続けていた。だが、そこに立ちふさがるかのように何者かが歩いてきた。つばめはそれを避けようとして急加速しながら相手の人物の脇を通ろうとした。

 

だが。

 

「……無駄だ」

 

彼女の横をかすめた瞬間、つばめは真っ二つとなり、やがてその姿を徐々に変化させていく。最後には、そこに残ったのはつばめの死骸ではなく、二切れの紙。彼女、桜咲刹那はそれと共に落ちている親書を拾い上げた。

 

「……式神、か」

 

陰陽術における、媒体に妖怪変化や魑魅魍魎を付与して使役する術。似たものでは神降ろしなどの神楽などがあるが、そちらは和御霊(にきみたま)であり、平たく言えば神が人に益をもたらす魂の面。だが、式神が付与するのは鬼神。即ち和御霊だけではなく、神のあらぶる魂の面である荒御魂、妖怪などの低位の神も使役するのだ。

 

同様に『鬼神』と呼ばれる巨大な存在もあるが、そちらは自ら、あるいは人の手によって堕ちた中高位の神である。尤も、信仰によってその強大な力を顕現させていたそれらは、鬼神となったことで大きく力を削がれてしまっているのだが。

 

(……中々に精度のいい式神だな。西の腕利きが動いているのか……?)

 

冷静に式神を分析し、それが高い実力を持つものによるものだと判断する。あれだけの速さと動きのよさは並の術者では実現できないだろう。式神も、依代に憑依している存在とはいえ人間よりも強い力を持つ存在が殆どのため、上手に扱えなければいうことさえ聞いてもらえないのである。

 

だからこそ、最小限の動きで刹那をかわそうとしたあのつばめの動きは、高い練度を持つ術者によるものだと即座に判断できたわけだ。だからこそ、下手に逃がしてしまわないように一瞬でかたをつけたわけだ。

 

(……お嬢様に、何もなければいいが……)

 

西の長の娘である彼女は、その血筋と膨大な魔力から次期西の長として関西呪術協会側から幾度となく身柄を要求されている。近右衛門と西の長は、彼女が政治的に利用されることを恐れ、彼女を東へと逃がした。彼女の親友であった刹那を護衛として連れて。

 

そんなもの思いにふけっていた時。

 

「あ、桜咲さん……」

 

「……ネギ先生。それに、アスナさんも」

 

ネギとアスナが、式神を追って刹那のいた車両へとやってきたのだ。しばし佇む2人。

 

「あの、これ……」

 

「あっ! それって……!」

 

刹那がそう言って彼に差し出したのは、彼が求めていた親書だった。ネギはそれを受け取り、彼女へ感謝の意を示す。

 

「ありがとうございます、刹那さん!」

 

「いえ……では、わたしはこれで……」

 

彼女は彼の感謝もそこそこに、さっさと立ち去って行ってしまった。ぽかんとするネギ。すると、ネギの胸ポケットからもぞもぞと這い出てきたアルベールが疑問を呈す。

 

「兄貴、なんか怪しいですぜ……」

 

「ええっ!? 刹那さんは親書を取り返してくれたんだよ?」

 

「不自然ですぜ、なんでそんな都合よくここにいたのか、なんで兄貴に親書を手渡したのか。なによりどうやって取り返したんすか?」

 

「そういえば、ネギが渡して欲しいって言ったわけでもないのにすぐに親書を手渡してくれたわね。でも、彼女は木乃香の友人でボディーガードよ? 木乃香の不利益になるようなことはしないと思うけど」

 

「そこですよ。あの嬢ちゃん、実は西側のスパイなんです!」

 

一見すると荒唐無稽な話だが、彼女の態度や状況等がそれに信憑性を足す。仮にもし、彼女がスパイであった場合、中々に筋も通る。それらの話が組み上がる材料が揃っていたため、あんなそっけない態度で接してしまえば、誤解が生まれるのも当然だった。

 

「そんな……刹那さんが、スパイ……!?」

 

再び、彼の生徒は彼へと牙を剥くのか。すれ違いから生まれた不安と、それを隠せない彼らを乗せ、新幹線は京都へ向かう。

 

 

 

 

 

京都についてからも、様々な妨害が行われた。清水寺で、恋占いの石にまつわる言い伝えを試していた委員長こと雪広あやかと佐々木まき絵が穴に落ち、再びカエル地獄に。その時、近くにいた楓がまたも失神してしまった。

 

そして音羽の滝では、滝の水を汲んで飲んだ生徒たちが突然酔っぱらいのようになり、調べてみれば屋根の上に酒樽に繋がれたホースが設置してあった。結局、3-Aメンバーの殆どが酔いつぶれてしまい、急遽ホテルへと直行することとなった。

 

「うーん……段々ひどくなってきてるなぁ……」

 

「まだ誰も襲われてねぇが、これじゃその内怪我人も出かねねぇな」

 

「やっぱ刹那っつー奴に直接聞き出したほうが……」

 

ロビーにて、二人と一匹が頭をもたげて今後のことについて話し合う。アスナは、滝の水、つまり酒を飲んでしまったせいでダウンしてしまっている。

 

「でも、もし本当にスパイだったら迂闊な行動は危険だよ」

 

「図書館島の地下で、バケモノ相手に剣で大立ち回りしたらしいからな……少なくとも私達じゃ敵わない可能性も高い」

 

「アスナの姐さんは動けねぇしなぁ……」

 

ウンウン唸って考えてはみるものの、結局答えは出てこない。三人共、深い溜息を吐いた。

 

「……とりあえず、僕はお風呂に行ってきます」

 

「一回頭をリフレッシュしたほうがいいな。私もブログの更新でもするかぁ」

 

「俺っちは、アスナの姐さんの様子を見てきやす!」

 

 

 

 

 

露天風呂で、日中の疲れを洗い流すネギ。今日一日だけで、様々な妨害が起こり、今後の不安が隠せない。しかし何よりの不安は。

 

(……また、あんな辛いことになるんだろうか……)

 

思い起こすのは、先日の事件。大川美姫によって引き起こされた、彼の生徒たちに狙われるという悪夢のような夜。結局、美姫も操られている一人でしかなかったという結末であったが、いつまたあの二人(・・・・)によって生徒たちが狙われるかわからない。

 

(……じっとしてても仕方ない、か……)

 

いつまでも、手を拱いていては二の舞を演じるだけだ。ならば、ダメ元でも動いてみるのがいいのかもしれないとネギは考えた。行動し、それによって変化を求めてみる。後手に回るよりはずっといいだろう。

 

(よし、あとで刹那さんに聞きに行ってみよう!)

 

とりあえず、今後すべきことを決めて拳を握る。風呂から上がろうと立ち上がったところで、ふと物音に気づいた。

 

「……あれ? もう男子生徒の入浴時間は過ぎてたはず……」

 

しかし、彼にとって予想外の人物が露天風呂へとやってきた。スラっとした体躯に、白い肌。黒い髪をサイドに縛り、一糸まとわぬ姿でやって来たのは。

 

(さ、桜咲さん?!)

 

ネギはとっさに背後の岩陰へと隠れ、こっそりと様子をうかがう。

 

(……きれいな人だなぁ……)

 

思わず、そんな感想が出てくる。他の生徒と比べても、やや色白であるためか先ほどの姿は湯気の煙と相まってなんとも色気のあるものであり。掛け流した湯が彼女の肌を伝うさまは瑞々しさと共にそれを引き立てる。

 

女性の裸は、まだ幼い彼は従姉であるネカネと一緒に風呂にはいることが多いため見たことは少なくはない。が、それはあくまで親戚の仲の良い相手だからであり、よく知らない女性の体など、見たことはない。

 

(って何やってるんだ僕は! 今刹那さんは裸だろう!?)

 

彼は自分がしていたことを頭のなかで咀嚼し、ようやく理解して視線を逸らした。

 

「むっ! 邪な気配!」

 

だが、彼の無意識から出てきた邪念を、刹那は敏感に感じ取っていた。彼女は即座に置いてあったモップを掴んで水平に構え。

 

「神鳴流、『斬岩剣』!」

 

そのまま一気に振りぬき、なんとネギの隠れていた大岩をスッパリと斬り捨てた。幸い、モップが通過したのは彼の頭上ギリギリであったため、彼は無事だった。が、あまりのことに驚いて茫然自失となってしまう。そして、そんなことはお構いなしに刹那は岩陰へと一気に距離を詰める。

 

「そこかっ!」

 

「うわぁっ!?」

 

突然目の前に現れた刹那に、さすがのネギも驚きで意識を取り戻す。一方で、刹那も相手がネギであることが発覚して驚きの声を上げる。

 

「ね、ネギ先生!?」

 

「あ、あはは……」

 

「あの、ここは女性用ですよ……?」

 

彼女は持っていたタオルで前を隠しながら、彼にそう言う。その言葉にネギは首を傾げるが、ふと自分が男性用である右側の露天場にいないことに気づく。どうやら、考え事をしていたせいで入る場所を間違えたらしい。

 

「ごっ、ごごごめんなさい! 入る方を間違えちゃったみたいで……!」

 

「……まあ、ほんの少しだけ邪気は感じましたが、悪気があったわけではないようなので構いませんが……」

 

彼女は構えをといてモップをひとまず納める。しかし、なんとも言いがたい雰囲気が場を包み込んでしまい、互いにどうすればいいのか分からなくなってしまう。ふと、ネギはむしろこの状況はある意味ではチャンスなのでは、と思い至り。

 

「あ、あのっ!」

 

この状況を打破する意味も含めと、ネギは彼女へ話を聞くために問いかけようとする。が、それが叶うことはなく。

 

『きゃー!』

 

「悲鳴っ!?」

 

「この声、まさかお嬢様!?」

 

脱衣場の方から、女性の悲鳴が聞こえてくる。ネギと刹那は即座にそちらへと向かう。が、またも彼は失念していた。ここが女性用の風呂であったことを。

 

「お嬢様!」

 

「だ、大丈夫です……っ!?」

 

見れば、そこにいたのは木乃香であった。いや、それだけであればよかったのだが、ここは衣服を脱ぐ場所であり、当然ながら彼女は風呂に入ろうとしていたわけで。

 

「うわわわっ! すみません!?」

 

衣服をはだけ、あられもない姿の彼女がそこにいた。慌ててネギは両手で顔を塞ぐ。しかしこれではどうなっているのかがわからない。

 

「やーん! なんやこれー!?」

 

『ウキキーッ!』

 

彼女の悲鳴の理由。それは、何匹もの猿が彼女に群がっているせいだった。しかも、それらは彼女の下着を奪おうとしていたのである。

 

「こ、のぉ! お嬢様に何をしている!」

 

怒りを露わに、刹那がモップを片手に猿へと肉薄する。しかし、さすがに猿は素早く、タオルで自分の体を抑えているため片手がふさがり、思うように動けない。結果、攻撃は空振りとなり猿に背後を取られてしまう。

 

「チッ、なかなか素早い……! って、なにをするっ!?」

 

『ウッキー!』

 

背後をとった猿は、なんと今度は刹那へと群がっていく。そして彼女が辛うじて裸にしていないタオルを、引き剥がそうとしてきたのだ。

 

「や、やめろっ、このっ!」

 

『ウキャキャッ!』

 

必死に抵抗するも、いかんせん数が多すぎる。最後には抵抗むなしく一気にタオルを引っ張られ、その肌を晒す羽目になった。そして抵抗していた彼女は、タオルを抑えていた反動で一気に体制が崩れ、顔を隠して棒立ちであったネギに衝突する。

 

「うわっ!?」

 

「ひゃあっ!?」

 

激突の最中、普段の凛々しい彼女からは想像できないような可愛らしい悲鳴が短く漏れるが、そんなことはどうでもいいこと。2人はもつれるように倒れこみ、刹那がネギの頭部へ馬乗りになるような形となった。つまり、彼の顔の上に裸の刹那が乗っかっているわけで。

 

「あぶぶぶぶっ!?」

 

彼の視界を、上気して桜色のなにかが塞ぐ。彼はそれが何なのか一瞬わからなかったが、それが上から聞こえてくる刹那の声で即座に理解して目をつぶる。一方、刹那も慌てて下敷きにしてしまった彼から離れる。

 

「あわわっ、ごめんなさい!」

 

「い、いえこちらこそ……そ、その……見ましたか……?」

 

顔を赤らめて恥じらう刹那。普段とのギャップが凄まじく、あたふたとしている彼女は何とも可愛らしい。

 

「あ、だ、大丈夫です! み、見てないですっ!」

 

彼女の質問を即座に否定し、顔がゆでダコのように真っ赤になるネギ。またもお互いに気まずい雰囲気になるが、今はそれどころではない。

 

「あ、木乃香さんはっ!?」

 

「はっ! しまった私としたことが!?」

 

『ウッキ! ウキキッ!』

 

慌てて室内を見渡すと、サルたちは露天風呂の方へと彼女を担いで運び出そうとしていた。木乃香は抵抗した様子はなく、どうやら気を失っているようだ。

 

「おのれ! 獣風情がお嬢様に手を触れるなっ!」

 

彼女は取り落としてしまったモップを再び手にすると、猿の方へとすさまじい速度で突っ込んでゆき。

 

「神鳴流奥義! 『百裂桜花斬』!」

 

『ウキャッ!?』

 

円を描くかのようにモップを振り、斬撃がその軌跡をたどって吹き荒れる。猿達はその奔流に飲み込まれ、かき消されていくが、木乃香と彼女を抱える刹那はその中心にいるため斬撃に晒されることはなかった。

 

「あ……せっちゃん……」

 

「もう大丈夫です、このちゃん」

 

「うふふ、なんやせっちゃん、かっこええなぁ……」

 

「あ、あんまからかわんといてや……」

 

いい雰囲気になる2人。その後、木乃香が風呂に入っている間は刹那が見張りを続けることとなった。そして、斬撃の余波に巻き込まれたネギが、地面にたたきつけられて暫く伸びていたことも追記する。

 

 

 

 

 

「なるほど、私が西の出身だったゆえにスパイだと疑われていたわけですか……」

 

「ごめんなさい! 僕達、早とちりしちゃったみたいで……」

 

「うう、まさか木乃香の姐さんのために関西呪術協会から脱退してたなんて。疑ってすいやせんでした!」

 

木乃香の入浴が終わり、意識を取り戻したネギが刹那に事情を聞こうとし、どうせならば全員集まって木乃香の側にいたほうがいいだろうと、木乃香とアスナのいる部屋へ場所を移して話をすることとなった。木乃香は既に眠っており、アスナは昼の酒騒動のせいで未だに酔いつぶれたままだ。

 

一方、布団でぐっすりと眠っていると思われているアスナは、当然のことながら酔い潰れて寝込んでいるなんてことはなかった。年齢で言えば、彼女はとうの昔に成人を迎えている。当然、彼女も酒など嗜んだことはあるわけで。

 

(……安酒とはいえ、久々にお酒なんて飲んだから思わず飲み過ぎちゃったわ……もうちょっと自制と自己管理をしっかりしないと……。……意外と美味しかったし、今度マスターのおみやげに買っておこうかしら……)

 

他の生徒とは別の意味で酒を貪ってしまったアスナは、彼女らの話を横でひっそりと聞きつつ、そんなことを考えていたのだった。

 

「しっかしまあ、親友一人のために故郷を離れて見知らぬ地へ来るなんてなぁ。それでその親友とも、護衛とその対象って間柄だからあまり親しくはできない……随分と茨の道を歩んできたんだな、桜咲も」

 

「いえ、それでもこの……お嬢様は私と仲良くしてくださってます。私は、生来不器用でお嬢様と距離を置いてしまっていますが、彼女はそれを気にせず以前のように接して欲しいと……」

 

「くぅー、友情はいつまで経っても不滅ってわけですかい! 泣けるぜぇ……」

 

こういったことに涙もろいアルベールは、思わず男泣きをしてしまう。ネギも、それにつられて涙ぐんでしまい、刹那がどうしていいか分からずあたふたとする。千雨はそんな二人と一匹を微笑ましく眺めている。

 

「ええと、その……話を続けても?」

 

「ぐすっ、はい、続けてください……」

 

「気にすんな桜咲、こいつらちょっと感受性が高いだけだ」

 

「は、はぁ……。で、先ほどの猿の襲撃ですが、恐らくは西の刺客でしょう。お嬢様は代々の長を務めたことの多い血筋である近衛家の出身で、現在の長の娘でもあります。東を毛嫌いする一部の人間にとっては、人質として最高の人材でしょう」

 

「また七面倒くせぇ事になってるな……木乃香の祖父があの学園長の爺で、色々と因縁があるらしいし、その娘婿っつったら反発はあるわな」

 

未だに近右衛門を恨んでいる輩は多く、その娘婿であり繋がりの深い西の長に対して不満を持つものは少なくない。だからこそ、今回のことを利用して彼を引きずり降ろそうとする輩が刺客を放っているのだろうと推測する。

 

「だとすりゃあマズイな。今日一日でも随分な妨害がされたし、それが近衛を攫うための作戦だとしたら……」

 

「こちらがジリ貧になるだけですね……」

 

敵の手がどれほどなのか未知数な現状では、彼らだけでは妨害に対処するだけで手一杯の可能性があるし、刹那だけでは木乃香の護衛に不安が残る。

 

「刹那さん、提案があるんですが……」

 

「……奇遇ですね、私も先生にお頼みしたいことがあります」

 

双方の言葉で、思わず微笑を浮かべる2人。ネギと刹那は向い合って、真剣な眼差しで見つめ合う。そして、同時に言葉が続いた。

 

「私に、手を貸してしてください!」

 

「僕達と、一緒に木乃香さんを守りましょう!」

 

二人は手を取り合い、固く握手を結ぶ。そこに、千雨とアルベールが手を置いて頷いた。かくして、新たな協力者を得たネギ。

 

だが。

 

『……ネギ・スプリングフィールドの、秘密を知りたくないか……?』

 

『……分かった。取引成立ね』

 

彼女らの知らないところで、既に邪悪が牙を剥こうとしていた。



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第三十話 修学旅行初日②

桜咲刹那とネギ・スプリングフィールド一行による共同戦線が結ばれ、彼女らは早速このホテルに侵入されないように結界を張り巡らせていくことにした。

 

「あとは、ここに設置すれば……」

 

「兄貴、あっちの方に小窓がありやしたぜ。鍵はかけときやしたが、一応注意してくだせぇ」

 

「うん、ありがとねカモ君」

 

「……こういう時はやることがないのが辛いな。完全にお手漉きだぜ」

 

刹那は起点となる場所へ札を貼り、ネギとアルベールは相手の侵入経路となりそうな場所を調べあげて鍵をかけ、軽い罠も設置している。各々自分にできることをやっていた。ただ一人、魔法を知っている以外は一般人と大差ない千雨はやることがなく歯痒い思いをしていたが。

 

「これで、よし。先生、結界の設置は終わりました。そちらは?」

 

「はい、こっちも簡易的ですが細かいところに罠を張ってみました。あんまり出来のいいものではないので過信はできませんが……」

 

「いえ、十分です。外からの侵入には結界がほぼ防いでくれますから、強行しようとしても先生の罠が足止めさえしてくれればすぐに対処できるでしょう」

 

「つっても、それだけじゃまだ不足がありそうだな。相手は手練だろうし、数で押されてもマズイ」

 

相手の勢力がどれぐらいなのかが未知数な今、可能な限り手は打っておきたい。しかし、現状で対抗できるのはネギと刹那のみ。かろうじてアルベールはサポートに回るという手もあるが、千雨は完全に足手まといになるだろう。

 

「フッフッフ、いよいよオレっちの出番というわけですね!」

 

「ん? なんか手があるのか?」

 

「いえ、オレっち自身はあくまでしがないオコジョ妖精でしかありやせん。ですが! 千雨の姐さんを強化できるかもしれない方法なら知ってやすぜ!」

 

「! マジか!?」

 

アルベールの突然の発言に、千雨は目をむいて驚いた。まさか、こんな身近に自分が強くなれる可能性が転がっていたなど思わなかったのだ。

 

「つっても、あくまで可能性ってだけでさぁ。千雨の姐さん自身を強化してあげられるわけじゃないっす」

 

「……つーと、あれか? なにか強力な武器が手に入るかもしれない、ってことか?」

 

「おおっ、さすが姐さん鋭い! オレっち、妖精なだけあって魔法使いに関する契約にはちょっとしたもんがありやして、昔は『魔法使いの従者(ミニステル・マギ)』の仲介なんかをやってたんす!」

 

『魔法使いの従者』。平たく言えば、魔法使いにとってのパートナー的存在であり、呪文を詠唱している間無防備である魔法使いを守護するなどの役目を担うサポート役だ。勿論、魔法使いと契約を結んでいるからその恩恵を受けているため戦闘に参加することも少なくない。

 

「ええっと、もしかしてカモ君、千雨さんと契約をさせるってこと?」

 

「そうっす! 最近こそ平和な世の中だから『魔法使いの従者』は恋愛対象とかの扱いになってやすけど、本来は戦闘の補助や戦闘への参加を可能にするためのものっすから!」

 

「はぁ、東洋呪術における"善鬼・護鬼"のようなものですか」

 

東洋の陰陽師なども、西洋の魔法使い同様に呪文を止められてしまうと術が発動できない。そこで、東洋呪術師の場合は式神に付与させた善鬼・護鬼などで身を守るのだという。

 

「私は神鳴流という魔払いを生業とする剣術を扱っていまして、その神鳴流剣士も東洋呪術師のパートナーとして共に戦うことが多いです。まあ、殆どの場合雇われですが」

 

「刹那の姐さんも似たような感じなんすか。んじゃ、姐さんも契約行ってみやすか?」

 

「戦力強化になるのでしたら是非もないですが……先ほどの、可能性という言葉にどうも引っ掛かりを覚えます」

 

「そっすね。じゃあ、少しだけ説明しときやすが、『魔法使いの従者』となると、その契約を結んだ人物一人につき一つまで特別な道具、アーティファクトが精霊から与えられるんす。契約の証はパクティオーカードっつー認証カードが与えられて、そこからアーティファクトを取り出すことができるっす」

 

ただし、原則として契約を結べるのは一人まで。また、その人物の潜在能力を引き出す魔法のアイテムが与えられるため、完全にランダムである。よって、戦闘に寄与するものなのか、日常で役立つものなのかは分からないのだとか。

 

「なるほど、それ相応のリターンはあるかもしれないがハズレもありうるってとこか。って、一人しか契約できねぇんなら桜咲のこと勧誘してもいみねぇだろ」

 

「ふっふっふ、実はそれはあくまで本契約、正当な契約であってのことでして、お試し期間として結ぶことができる『仮契約(パクティオー)』なら何人でもオッケイなんすよ!」

 

契約をするにしろ、どうしてもそこに不安を抱くものが多い。そこで、それを試験期間として結ぶことができる契約が出来上がった。それが『仮契約』であり、これで何人もの人間と契約を結ぼうと構わないのだ。ただし、タダではないため大抵有料の契約を仲介する業者を雇うことになるのだが。

 

「オレっちは既に兄貴に雇ってもらってやすから、そこら辺は気にしないで頂いて結構っす。契約自体も難しい手順なんてなくてパパっとできやすから」

 

「契約、ねぇ。まあ、とことん付き合ってやるって決めたんだし抵抗はないが、どうやって結ぶんだ? やっぱ血の盟約とかそういうのがあんのか?」

 

「いえいえ、書類も何もいらないっす! 俺っちが刻んだ魔法陣の上であることをしてくれればいいんすよ!」

 

「あること?」

 

「接吻っす! ようはキスをすりゃいいんすよ、ムチューっと!」

 

アルベールの言葉に、三人は固まる。まさか契約がそんな破廉恥なものだとは思わなかったのである。普段冷静な千雨さえ強張った笑みを浮かべているだけだ。

 

「つーとあれか? 私が先生とキスしろってことか? まあ、額とかならいいけどよぉ……」

 

「ダメに決まってるでしょ! 口と口じゃないとしっかり結べないんすよ!」

 

「え、ちょ私まだ未経験なんだが……」

 

「ほらほら、姐さんも覚悟決めてんでしょう? だったらもう潔くいっちまいやしょうぜ!」

 

そう言われ、千雨もそれ以上言うことができなくなってしまう。この程度のことで揺らぐようなやわな覚悟は決めたつもりはない。が、ここまで予想の斜め上な展開がくるとは思っていなかったため、心の準備ができていない。彼女も一応乙女、躊躇いはある。が、それで止まるような彼女ではなかった。

 

「……しゃあねぇ。やるぞ、先生」

 

「ええっ!? でも、千雨さんは……」

 

「もう後戻りできねぇんだ、だったら毒食わば皿までってやつだぜ。この程度のこと、受け入れられないで先になんか進めっかよ」

 

アルベールは魔法陣を二人の周りに刻むと、契約を結ぶための準備にとりかかる。既に準備万端であった。

 

「……まさか、こんな形でファーストキスを男にやることになるとはなぁ……」

 

「だ、大丈夫です。僕も多分初めてですから……」

 

「それ、なんの慰めにもなってねぇから。……ま、あんたにならくれてやるのもいいか」

 

「え? 千雨さんそれって……」

 

ネギに最後まで言わせることなく、千雨はその唇を塞ぐ。いきなりのことに目を見開くネギだが、その驚きもそのままに契約はしっかりと結ばれていく。魔法陣がまばゆい光をあげ、その光が段々とアルベールの方へ収束してゆく。

 

「ヒャッハー! パクティオー!」

 

アルベールが叫び声を上げながら、契約を確約させる。そして、彼へと集まっていった光が形を取り始め、やがて一枚のカードへと変化した。

 

「契約完了っす!」

 

アルベールが契約が結ばれたことを告げると、千雨はすぐさま唇を離す。唾液が糸を引き、一瞬だけキラキラとした橋が形成された。その様子を、刹那は顔を両手で覆いながらも指の隙間から顔を真っ赤にして見ていた。

 

「……存外、悪くねぇもんだな」

 

「…………」

 

口元を拭いながらそんな感想を漏らす千雨と、呆然としているネギ。あまりのことに、思考が停止してしまったようだ。

 

「兄貴! 仮契約のカードですぜ!」

 

「……っは! 僕は何を……?」

 

「……すごかったです」

 

アルベールの言葉でようやく我に返ったネギと、未だ顔が赤い刹那であった。

 

「で、どんなのが出たんだ?」

 

「えっと、称号は"IDOLUM VIRTUALE(仮想世界のアイドル)"、ですか」

 

「……まあ、ネットアイドルなんてやってりゃそうなるわな……」

 

千雨は人付き合いが苦手なため、誰とも顔を合わせなくてもよいネットで普段の憂さを晴らすことが多く、それが段々とエスカレートしていった結果、ネットアイドルとして活動するようになった経緯がある。現在、彼女のブログはランキングにも乗るほどの大型ブロクだ。

 

「まあそっちはどうでもいい。肝心の武器はどうなんだ?」

 

「兄貴、とりあえずカードはコピーしておきやしたから本物は契約主の兄貴が管理してくだせぇ。で、こっちのコピーを姐さんに」

 

「千雨さん、どうぞ」

 

「おう。しっかし、これにそのアーティファクトっってのが収められてるってのが信じられねぇな……」

 

「『アデアット(来たれ)』と唱えれば、アーティファクトが出現します」

 

「こうか? 『アデアット』!」

 

千雨がカードを構えて唱えると、カードから何かが召喚される。それは細長く、まるでステッキのようなものであった。

 

「って、魔法少女のステッキじゃねーか!」

 

装飾としてピンク色のハートをあしらったそれは、完全にアニメやらで出てくる魔法少女が使うそれであった。あんまりなものの出現に、千雨は思わず叫んでしまう。

 

「はぁ……どっちみち私は戦力としては期待できねぇってことかよ……」

 

仮にこれが魔法を使うことができる杖として、彼女は魔法に関しては全くの素人。完全に宝の持ち腐れである。

 

「これは……なんとも言えないですね……」

 

結局、その一部始終を見ていた刹那が仮契約を結びたいと思うはずもなく、しばらく千雨は一人打ち拉がれるしかなかった。

 

 

 

 

 

就寝時間となり、各々が一旦部屋へと戻った。だが、ようやく目を覚ましたアスナは眠気が全くないせいで暇を持て余していた。

 

(あー、そろそろ時間かな……)

 

時計を眺めつつそんなことを考える。すると、夕映がトイレの方へと行きノックを始めた。

 

「木乃香、まだですか?」

 

「あとちょっと~」

 

木乃香が返事する。それを聞いて夕映は近くの洗面台にあった台座に座るが、少し経ってから再びノックする。しかし、返事は先程のものと同じ。それを、10分ほどの間続けていた。

 

「どしたの?」

 

「木乃香がさっきから出てこないです。こ、このままでは……も、もるです~!」

 

どうやら、先ほど入っていた木乃香が一向に出てこないようだ。夕映の表情を見ながら、彼女のそれが演技ではないことをアスナは見抜いた。

 

(あーそっか、今回の作戦は夕映は関わってないんだったっけ)

 

彼女はあくまでも霊子の子飼いであり、外部の協力者的扱いなのだ。今回の計画は京都で実行されるため、学園の地下を拠点としている霊子は出てこれず、夕映も今回だけは部外者なのである。

 

(……頃合いか)

 

アスナは早速、ネギ達へとメールを送った。暫くして、刹那とネギと千雨がやってきた。

 

「お嬢様の様子がおかしいとは本当ですか!?」

 

「わっ、ちょっ刹那さん落ち着いて! トイレから出てこないからおかしいってだけよ!」

 

「……近衛、返事しろ」

 

「あとちょっと~」

 

「さ、さっきからおんなじ返事ばっかです~! 早く出てください木乃香~!」

 

モジモジしながら、若干涙目になりつつある夕映は顔を真っ赤にしつつ早く出るように急かす。一方、ネギ達は夕映の言葉に不審な点を感じ取っていた。

 

「先生、返事が同じものばかりというのは……」

 

「ああ、どう考えたっておかしいぜ」

 

「で、でも侵入した場合は刹那さんの結界に引っかかるんじゃ……」

 

「……あれは、かなり簡易的なものですので外からのものしか防げないんです。恐らく、既にホテル内にいたのかもしれません」

 

彼女の言葉に、千雨とネギは危機感を覚えた。ネギが設置した罠も、多少の足止め程度にしかならない簡素なもの。犯人が容易くかかるとは思えない。刹那も大分焦りを感じたのか、トイレの扉を無理矢理に開けようと試みたところ、鍵がかかっていなかった。

 

そして、開け放ったそこに彼女の姿はなく。

 

『あとちょっと~』

 

「こ、これは……!」

 

「呪術の符!」

 

「チッ、既に攫われた後だったか!」

 

代わりに、彼女の声を放つ札が一枚置いてあるだけであった。

 

「くっ! お嬢様を救出せねば!」

 

「待て! 相手がどこにいんのか分かんねぇのに闇雲に探すのは危険だ!」

 

部屋の扉を開け、一目散に駆け出そうとする刹那。しかし、直前で千雨がそう呼び止めたため彼女は足を止めて振り返る。その顔には、明らかな焦りが見えた。

 

「では、一体どうすれば!?」

 

「私も分かんねぇよ! だが、相手がこんな小細工してきたってことは道中に罠があってもおかしくねぇ! それに捕まっちまったら近衛の救出なんて不可能だ!」

 

千雨の言葉は正論であったが、しかし刹那はどうしても納得ができない。こうしてグズグズしている間にも、木乃香を攫った相手はどんどん離れていっているのだ。それこそ、こちらが追いつけなくなってしまう可能性が高い。

 

「脱出したのは、窓の小窓からでしょう。あそこなら木乃香さんぐらいの大きさなら通れます」

 

冷静に分析するネギ。こういうときこそ、落ち着いて対処することが有効であるとネギは前回の戦いで学んでいた。千雨もネギの意見を元に逃走経路を考えるが、如何せん彼女にそんなずば抜けた推理力があるわけではない。

 

(クソッ、またお荷物かよ……!)

 

前回の戦いでは、ずっとネギのサポート以下であった。精神的に不安定なネギに喝をいれるという彼女にしかできないこともやってはいるが、あれはあくまでネギが未熟だったからこそ。今のネギは、あの戦いを乗り越えて精神的にも成長している。今度こそ、彼女は何もできない役立たずへと成り下がりかねない状態だった。

 

【……す!】

 

(……ん?)

 

【京都駅に向かってます!】

 

(は? 京都駅? ……というか、この声はどっから……)

 

何処かから聞こえてくる声を千雨は聞き取る。それがどこから発されているのかを聞き耳を立てて注意深く探す。

 

(……私の鞄の中、か?)

 

そして、それは彼女の鞄の中であると分かり、彼女はカバンにしまっていたパソコンを取り出して開く。

 

【あ、気づいてくれました!】

 

「は? なんだこりゃあ!?」

 

そのデスクトップ上に、全く見慣れない何かが浮かび上がっていたのだ。それはデフォルメされたネズミのような姿をしており、まるで魔法少女のアニメに出てくるマスコットキャラクターのようでもあり。

 

【初めましてご主人様! 私は電子精霊、電子の世界を漂う精霊の一種です!】

 

「え? あ、精霊ってことはエロオコジョとおんなじような奴ってことか? つってもそんな奴がなんで私のパソコンに……っていうかご主人様ってなんだ?」

 

【もう! 先ほど契約をされていたではないですか!】

 

「契約? ……あ!」

 

就寝時間前に、ネギと仮契約をしていたことを思い出し、慌てて彼女は仮契約カードを取り出した。そして呪文を唱えてアーティファクトを出現させる。彼女にしては珍しく周囲への注意を怠ってしまっていたが、幸い、唯一起きていた夕映は既にトイレに篭っていた。

 

「ひょっとしてこれのことか?」

 

魔女っ子ステッキを画面の前へとつき出す。すると電子精霊は嬉しそうな声を上げ。

 

【おお! まさしくそれは我々を統率するための笏、王たるものの持つアーティファクト! 『力の王笏(スケプトルム・ウィルトゥアーレ)』!】

 

「こ、これが!?」

 

あまりにも予想外な物体であったことに驚きを隠せない。ああだこうだと話し込んでいたネギと刹那も、ようやく千雨の様子に気づいて彼女の見つめている先へと視線を向けた。

 

【見た目は可愛らしいですがとても高性能なのですよ! それ自体が演算装置と記憶装置を備えたコンピューター! しかも我々電子精霊の中でも上位存在である上位電子精霊に命令を下すことができる優れものです!】

 

「上位電子精霊? お前がってことか?」

 

【はい! 私と、あと今は起動したてでおりませんが私の他に6人の上位電子精霊がおります! 我らは数多の電子精霊を指揮する千人長七部衆なのです!】

 

「お、おう。なんか凄そうだな」

 

誇らしげに語られても、彼女にはなんのことかさっぱりわからないので受け流す。しかし、ネギは電子精霊の言葉に驚いていた。

 

「上位電子精霊、千人長七部衆!?」

 

「先生、知っておられるのですか?」

 

「電子精霊に上位の存在がいるのは知ってます。僕も本で読んだことがありますから。でも、まさかそれを取り纏める千人長が……」

 

どうやら、ネギにしても相当にすごい精霊であるようだ。見た目はただのネズミだが。

 

【とりあえず、ご命令を頂きたいのですが……何分名前も持っておりませんので、入力していただけないでしょうか?】

 

「あ、ああ分かった。……って四文字制限かよ! 濁点も一文字換算って一昔前のRPGか!」

 

【我々、データが軽いのが売りでして】

 

「ああ、そういう……んじゃその伝統に則って"ああああ"とでも……」

 

【そんな投げやりな名前は嫌ですぅ!】

 

即座にダメ出しをされ、彼女は面倒くさいと思いながら頭をかく。結局、空腹から適当に思いついたものを名前としてつけていった。ちなみに、思いついたものというのは彼女が愛食するコンビニのおでんからだ。

 

【ありがとうございますご主人様! こんにゃ、がんばります!】

 

「……気に入ったんならいいけどよ。あと、ご主人様はやめろ」

 

【ではちう様と!】

 

「なんで私のネットアイドルとしての名前知ってやがんだッ!」

 

【上位電子精霊ですからー】

 

こんな適当な名前でよかったんだろうかと、今更ながらに後悔する千雨であった。そして、先ほどこの電子精霊が必死に訴えていたことを思い出し、質問する。

 

「で、さっき京都駅がどうとかって……」

 

【はっ! そうでした、ちう様が探しておられる木乃香様を監視カメラを通して発見したのです。彼女は何者かと一緒に京都駅へと向かってました!】

 

「……マジか?」

 

【マジです】

 

こんにゃの言葉に再度問うが、それが本当であると言い切る。後ろで聞いていた二人も、驚きでポカンとしていた。

 

「先生、こりゃ相当な拾い物したかもしれないぜ?」

 

千雨は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて彼へと振り返って言った。

 

 

 

 

 

夜の闇を、少女を一人抱えてひた走る影。抱えている少女は、ネギ達が探していた木乃香であり、それを抱えて逃げているのは当然誘拐の犯人。

 

「待てー!」

 

「お嬢様を返せ!」

 

追いかけるのはネギと刹那。千雨はネギの杖に乗っている。相手は何故か猿のきぐるみを着ていて顔が判別付かないが、声から女性だと推測できる。

 

「チッ、まさかこんなに早く追い付いてくるやなんて!」

 

彼女がここまで早く発見されたのは、千雨が電子精霊に命令を飛ばして監視カメラの映像をリアルタイムで追ってきた成果だ。監視カメラを経由するため最短ルートではない分、逃げ続ける犯人を見失いづらかった。

 

(くっ、どないなっとるんや! うちがしこたま仕掛けた罠を全部素通りしよったんか!?)

 

また、犯人の足跡を正確に追ってきたおかげで、犯人が逃走経路以外に設置してあった罠は全て無駄になってしまった。自他問わず反応する分強力な束縛ができるため採用したのだが、自らがかからないためにその逃走経路に仕掛けなかったことが裏目に出てしまったのである。

 

「待て言われて待つ阿呆はおりませんえ!」

 

犯人はスピードを上げて引き離そうとするが、ネギ達もスピードを上げて喰らいつく。だが、相手が京都駅へと入ってしまい慌てて杖から降りる。改札口を軽々と飛び越え、犯人とネギ達は発射寸前の電車へと転がり込んだ。

 

「さあ、逃げ場はないですよ!」

 

「お嬢様を放せ、さもなければ切る!」

 

車両の端と端で対峙する。しかし犯人の女性は余裕の笑みを浮かべており。

 

「残念、ここまで来たのも計算のうちですえ!」

 

そう言って、一枚の札を取り出す。とっさに術の発動を止めようとネギと刹那が動いたが、ギリギリで届かない。

 

「御札さん御札さん、うちを逃しておくれやす!」

 

彼女の言葉をキーに、呪術が練りあがる。すると、全く水気とは縁のない車両内で突如膨大な水が洪水となって湧き上がった。

 

「水のないとこから水を出した!? 高等魔法もがっ!」

 

「なんだこりゃ!? うわっ!?」

 

「わぷっ!?」

 

「くっ!?」

 

アルベールが思わず叫んだが、それを言い切る間もなく車内が水で満たされる。水の中で辛うじて目を開けられたネギは、既に犯人が別の車両にいる様子がドア窓の向こうから見えた。

 

【千雨さん! 聞こえますか!?】

 

契約カードを用いて彼女へと念話を飛ばす。事前に説明しておいてあるので、恐らくは千雨も気づいてくれるだろうと思ってのことだ。案の定、彼女は応えてくれた。

 

【聞こえてる! これからどうする!?】

 

【詠唱ができないせいで、僕も魔法が使えません!】

 

【万事休すか……!?】

 

魔法が使えなければただの子供。ネギの弱点がここで大きく露呈してしまう。これでは、どうすることもできない。

 

(このままでは全滅だ……! そうなれば……)

 

水に押し流されて車内で激突を繰り返し、意識が朦朧としていた刹那が、ようやく考えられる程度の思考能力が戻ってきた。だが、このままいけば全滅は必定。そうなれば、木乃香は攫われてしまう。

 

(お嬢様……!)

 

彼女は辛うじて握り続けていた愛刀『夕凪』を握り締めると、水の流れに逆らって勢いよくそれを振るった。まるで、人間では(・・・・)ないかの(・・・・)ような(・・・)膂力で以って。

 

(神鳴流、『斬空閃』!)

 

空を切り裂くほど鋭い気の斬撃が、水中を螺旋状に駆け巡って車両を分かつドアを穿つ。その衝撃でドアが勢いよく押し出され、水圧がそれを支援する。結果、ドアはその勢いで向こう側の車両まで解き放たれ、次の車両のドアと犯人ごと吹き飛ばした。

 

「あーれー!?」

 

マヌケな声を上げながら、犯人は木乃香を抱えたまま水に押し流されてゆく。一方、水かさが一気に減ってようやく呼吸ができるようになった一同は、飲み込んでしまった水を吐き出しながら呼吸を整える。

 

「ゲホッ、ゲホッ!」

 

「み、皆さん無事ですか……」

 

「助かったぜ、桜咲……」

 

「し、死ぬかと思ったぁ……」

 

活路を切り開いてくれた刹那に、一同は感謝の意を告げる。そうこうしているうちに、電車は次の駅へと到着したらしく、既に停車しようとしていた。犯人はドアが開く瞬間を狙って素早く飛び退った。それを追って、彼らも駅へと降りた。

 

「だ、ダメだ……これ以上は動けねぇ……」

 

だが、溺れかけたせいもあって息が上がってしまった千雨は暫く休むとネギに告げ、駅の柱に座り込んだ。此処から先は戦闘になる可能性もあるため、彼女は足かせにならないようにする意味もあった。ネギと刹那はそれに同意し、すぐさま犯人を追った。

 

 

 

 

 

「しつこいおすなぁ……しつこい人は嫌われますえ?」

 

「悪いが、お嬢様に嫌われようと私はお嬢様を助ける。それだけだ」

 

駅から降りると、猿のきぐるみを脱いだ犯人の女性が広場に佇んでいた。階段の上からネギ達を見下ろす形となっている。

 

「あ、あなたは新幹線の時の!」

 

そう、その女性は新幹線で車内販売員の姿をしていた人物だった。ただ、今は露出度の高い和服を着ているが。

 

「貴方が関西からの刺客だったんですね!」

 

「ふふ、今更気づくなんて遅いですえ。お嬢様はもう、うちらのもんや」

 

「いいや、すぐに返してもらうぞ!」

 

刹那が素早く跳びかかり、犯人へと肉薄しようとする。だが、相手は懐から再度札を取り出す。しかも今度はさっきの三倍の枚数である三枚だ。

 

「御札さん御札さん、うちを守っておくれやす! 三枚符術『京都大文字焼き』!」

 

札を投げると、それらは勢いよく燃え上がって瞬く間に巨大な紅蓮の壁と化す。あと僅かで届くといったところで炎の壁に阻まれてしまい、刹那は立ち止まる。

 

「くっ、あと少しだというのに!」

 

「ほな、さいなら」

 

犯人が悠々と逃げ出そうとした、その時だった。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 吹け、一陣の風。『風花(フランス)風塵乱舞(サルタティオ・ブルウェレア)』!」

 

ネギが魔法を唱え、強力な風が一陣吹き荒れる。それは容易く巨大な炎壁を吹き飛ばし、かき消してゆく。

 

「な、なんやー!?」

 

あまりにも巨大な風にさすがの犯人も驚く。その隙に、刹那が一気に彼女へと接近する。

 

「うひぃっ!?」

 

振り下ろされる刃に一瞬敗北を幻視するが、しかしそれは横槍によって阻まれた。

 

ガギィッ!

 

「むっ!?」

 

「あや~、間に合ってよかったどすわ~」

 

予想を裏切る金属音。とっさにそれを弾いて飛び退る。そこには、可愛らしい服装をした小柄な少女の姿があった。ロリータ・ファッション特有のひらひらとした服装であり、フリルが大量にあしらわれている。長くたなびく髪は白みがかっており、月明かりによく映えている。手には、二本の刃が握られており、長さからみてどうやら小太刀のようだ。

 

「貴様、神鳴流の人間か?」

 

「はい~。うちは神鳴流剣士ですえ~。月詠いいます~、どうぞよろしゅう先輩~」

 

「な、なんか気が抜けるな……」

 

どうやら、見かけ相応にのんびりとした人物のようだ。この緊迫した場面でものほほんとしている。

 

「遅いで、月詠!」

 

「すんまへん千草さん~。うち、眼鏡がないとろくに前が見えへんと、眼鏡が見当たらへんかったんや~」

 

「くっ、神鳴流剣士を雇っていたのか!」

 

彼女が想定していた最悪な展開がここにきて当たってしまった。いくら刹那が優秀な剣士とはいえ、同門である神鳴流相手では骨が折れるのは間違いない。そうなれば、後はネギに頼るしかないのだが。

 

「いでよ『猿鬼(えんき)』・『熊鬼(ゆうき)』!」

 

そう、呪術師は術者を守るための前衛役の式神、"善鬼・護鬼"がいる。ネギ一人では善鬼・護鬼を相手するだけで精一杯。その間に犯人、千草は逃げればよい。

 

「さあいけっ!」

 

「来るっすよ、兄貴!」

 

やってくる善鬼・護鬼を迎撃する。しかし、相手が強力な大型の式神、それも二体を相手にしているため、かなり戦いづらそうだ。

 

「さあさ、うちらも始めまひょか」

 

「くっ!」

 

よそ見をしていた刹那に肉薄する月詠。ふんわりとした雰囲気とは打って変わって中々に鋭い太刀筋。しかも本来防御を主とする小太刀で、多数の手数で以って攻勢を仕掛けてくる。野太刀を主とする神鳴流では珍しいが、その主流である野太刀を用いる刹那には小回りの効く相手というのは戦いづらい。

 

「うふ、先輩お強いどすなぁ……」

 

「なるほど、貴様戦闘狂か……!」

 

彼女の瞳からこぼれた僅かな暗い光を刹那は感じ取り、そう評した。そう、月詠はあくまで彼女の護衛としてここにいるが、その本質は強い相手と戦いたいという欲求からきている。しかも、相当に重度なものだろう。こちらを完全に標的として定めており、これでは一瞬の隙を突いて助けに行くこともできない。

 

「にと~れんげき、ざんがんけ~ん」

 

「くっ、戦いづらい……!」

 

一撃一撃はそこまで重くはないが、しかし決して軽くもないのだ。段々と疲労が溜まってゆけば、受けきれる可能性も低くなる。

 

(どうする……あれ(・・)を使うか……!? いや、だが……!)

 

彼女には、この状況を覆すことができるものがある。それは、幼き日に彼女を拾い育ててくれた人物から伝授された技の数々。だが、彼女はそれらを封印していた。教えられた本人に、固く言い聞かされていたからだ。

 

『……これを使っていいのは、大切に思ってくれる人を守る時、だけ……約束……』

 

あまりにも強力で、そして負担の大きい技術。だからこそ、使うことを禁じられている。これを使っていいのは、彼女を心から大切だと思ってくれる相手のためにのみ許すと。

 

(お嬢様……私は……!)

 

彼女が親友と思っている相手でさえ、曝け出していない秘密。それを知って、木乃香はまだそばにいることを許してくれるだろうか。

 

「……先輩、うちと戦っとる時に他の人のこと考えるなんて、灼けますえ」

 

「なっ、ぐあっ!?」

 

思考の乱れは、それ即ち遅れへとつながる。コンマ一秒さえ油断が許されない剣撃の最中では、彼女のその大きすぎる隙は絶好の的だ。若干不満気な月詠は、小太刀を防御の隙間を縫って彼女の肩へと差し込んだ。

 

「うふ、斬り損ねてしもうたわ~」

 

幸い、肩口を浅く斬られるだけで済んだ。だが、彼女の顔には焦りがある。

 

(はやく、はやくお嬢様を……!)

 

「そないな焦らへんでもええやないですか。じっくり楽しみまひょ?」

 

背筋が寒くなるような陶酔気味の笑みを浮かべ、再び月詠が襲いかかった。

 

 

 

 

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステ、うわあっ!?」

 

『ウキーッ!』

 

『クママーッ!』

 

「ダメだ、呪文を唱える隙がない……!」

 

一方、ネギも大分苦戦を強いられていた。複数相手はこの前の事件で経験しているが、あの時は相手の油断を突けたからこそ勝利できた。だが、今回はプロの呪術師が使役する式神だ。当然連携もうまく、魔法を唱える隙を突いて攻撃を加えてくるため魔法が発動できない。

 

「『魔法の射手(サギタ・マギカ)』!」

 

無詠唱で魔法の矢を放つが、如何せん威力が足りない。どうしても善鬼・護鬼を抜けないのだ。

 

「くっ、どうすれば……!」

 

このままでは、みすみす木乃香を連れ去られるだけ。だが、打つ手が無いのが現状。

 

「ははは! 最早手札もないんやな! このまま悠々と行かせてもらいまひょか」

 

千草の高笑いが広場に響く。刹那も、ネギもそれをただただ聞き続けるしかない。

 

だが、その状況は次の瞬間覆されることとなる。

 

「うひゃあっ!?」

 

突如、千草の足元へと高速で何かが突き刺さったのだ。それは金属で出来た巨大な十字の物体であり、よく見れば手裏剣のようでもある。

 

『手札がないのであれば、補充すればよいでござる!』

 

「な、何奴!」

 

手裏剣が飛来してきた方向を見やると、街灯の上に何者かの影があった。その影は勢いよく跳躍すると。

 

『はぁっ!』

 

空中で一息に分裂(・・)した。

 

「は?」

 

何が起こったのか分からず、一瞬硬直する千草。しかし、その答えは直ぐ目の前で行われる光景によって分かった。

 

『ク、クマーッ!?』

 

『はぁっ!』

 

飛び散った影は、一目散に熊鬼へと殺到し強烈な蹴りを叩き込んだ。しかしそれだけで消滅するほど熊鬼も弱くはない。反撃で鋭い爪を振りかざしながら影へと両手を叩き込む。しかし、両手の先に既に影は存在せず、空振りとなった。首を傾げる熊鬼。

 

すると熊鬼の背後、背中めがけて複数の影が何かを投擲する。それらは熊鬼へと正確に飛来してゆき、寸分違わず熊鬼の背へと突き刺さった。そう、それらは先ほど投げられた巨大な手裏剣と同じ意匠のものであり、苦無や棒手裏剣などの暗器であった。

 

「な、何が起こっとるんや……」

 

熊鬼は甲高い悲鳴を上げながら消滅していく。熊鬼のいた場所に残ったのは、一枚の人型をした紙切れだけであった。

 

『影掴むこと能わず、でござるよ』

 

熊鬼を屠った影は、やがてひとつの影へと収束していき、ついに一人となる。そして纏っていた黒い衣服を脱ぎ捨てると、そこにいたのは。

 

「か、楓さんっ!?」

 

そう、彼の生徒である長瀬楓であった。

 

「様子がおかしいとつけてみれば、まさかこんなことになっているとは思わなかったでござる」

 

「くっ! 甲賀モンかいな!」

 

「悪いが拙者忍者ではござらんぞ」

 

「嘘つきぃや! そんなステレオタイプな忍、うちも初めてみたわっ!」

 

楓の否定の言葉に即座に突っ込む千草。しかし、楓はそれで隠し通せていると思っているように見えた。一連の珍妙な出来事に、一同はポカンとなる。ただし、戦闘に夢中な月詠のせいで刹那だけは未だに鍔迫り合いが続いていたが。

 

「か、楓!」

 

「刹那、バカレンジャーの(よしみ)で助太刀に参った!」

 

「そ、それは喜んでいいのか……?」

 

「む、言われてみれば確かに……」

 

「あ~ん、よそ見はせいでってゆうとるやろ先輩~」

 

「くっ、しつこい!」

 

場を引っ掻き回した挙句、本人がのほほんとしているせいで全く締まらない。千草は完全にペースを崩されてしまった。このままではマズイと、再度猿鬼に命じる。

 

「猿鬼! あのでっかいのを捕まえよし!」

 

「でっかいのとは何でござるか、でっかいのとは!」

 

千草の言葉の一部分に不服があったのか、彼女が不満気味に声を上げる。それを無視して猿鬼が突っ込んでくるが、楓はそれをすり足と僅かな動きで躱し、そのまま攻撃直後の無防備な首へと苦無を走らせる。

 

『ウキャーッ!?』

 

猿鬼は叫び声を一つ、そのまま紙へと戻ってしまう。千草は自慢の善鬼・護鬼である二匹をたった一人に処理されてしまい、頭を抱えた。

 

「な、なんなんやあんたは!?」

 

「麻帆良学園中等部所属の、しがない女生徒でござる」

 

不敵な笑みを浮かべ、楓はそう言った。どこにプロの呪術師が操る善鬼・護鬼を、たった一人でかたづける中学生女子がいるのかと突っ込みたいが、千草にそんな余裕はない。もう、彼女を守るものは彼女が持つ守護の護符ぐらいしかないのだ。

 

「先生! 今でござるよ!」

 

「え? あっはいっ! ラス・テル・マ・スキル・マギステル!」

 

「しまった! もう防ぐすべが……!」

 

「光の精霊29柱! 集い来たりて、敵を射て! 『魔法の射手(サギタ・マギカ)連弾(セリエス)光の29矢(ルーキス)』!」

 

「きゃーっ!?」

 

光の矢が、千草へと殺到する。その攻撃に為す術もない彼女は、とっさに蹲って腕を突き出し、身を守ろうとした。そう、彼女が今掴んでいた人物、攫ってきた(・・・・・)少女(・・)が矢面に立たされてしまっているのだ。

 

「あっ!? そ、逸れろっ!」

 

直撃する直前、ネギは魔法を逸らしてしまう。だが、無理もなかった。千草が無意識のうちに盾にしていたのは、彼らが救出するために追ってきた木乃香だったのだから。

 

「……あれ?」

 

魔法が襲ってこないことに違和感を覚え、目を開けてみれば完全に無傷な自分の姿に気づく。そして、彼女の前に構えている少女と、相手の苦々しげな様子をみて彼女は即座に状況を理解した。

 

「ふ、ふふふ……! まさかこないな利用価値がおますとはなぁ!」

 

勝ち誇った顔になる千草。木乃香がいる限り彼女に外は及ぶことがないとわかった今、彼女は完全に勝ちを確信していた。

 

「うふふ、そら攻撃できひんわなぁ。大事な護衛対象に生徒、そっちのでかいのも見た感じ同級生やろ? 傷つけるなんてできんやろぉ!」

 

「ううっ……!」

 

「なんと卑怯な……!」

 

ようやく届きそうだったというのに、最後の最後で人質が立ちはだかる。ある意味では、彼らにとって最大の障害だ。

 

「つーかまーえた~」

 

「しまった!」

 

木乃香の事に気を取られ、刹那も月詠に組み伏せられてしまう。その様子を見て千草は完全に調子に乗り始め、終いには彼女を抱え上げて挑発してくる。

 

「ふふ、所詮は東の、西洋の魔法使いにうちらは倒せんちゅうことや。せっかく西を裏切ってまでお嬢様についてったのに、今じゃうちの手の中や。所詮はガキの集まりやな」

 

ニヤニヤと苛立たしくなるような笑みを浮かべ、ケタケタと笑う。手が出せないだけに、どんどんと怒りが湧いてゆく。

 

そして。

 

「ほななー、ケツの青いガキども。おしーりぺーんぺーん」

 

木乃香の尻を叩きながら、彼女は挑発した。だが、それがまずかった。

 

ブチッ

 

「ぶち?」

 

「き、さ、まあああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

親友であり、彼女の護衛対象でもある木乃香に対する仕打ちで、ついに刹那がキレた。彼女は抑えていた月詠を乱暴に吹き飛ばし、千草へと飛びかかる。

 

「させませんえ!」

 

だが、月詠もプロ。刹那の前へと飛ばされていたため、即座に体勢を立て直して彼女へと飛びかかる。

 

「邪魔だっ!」

 

それでも、刹那は止まらない。斬りかかってきた月詠に、刹那は怒りの中でも研ぎ澄ませた刃で応じる。一瞬の交叉、野太刀と小太刀が激突する。しかし一瞬でその均衡は崩れ、重さがない小太刀が弾かれて月詠は吹き飛ばされる。

 

「あ~れ~!?」

 

間抜けな声を上げながら茂みの中へと落ちてゆく。刹那はそれに一瞥もくれることなく、千草へと飛びかかる。

 

「く、くんなや! きたらお嬢様がどうなるか……!」

 

木乃香を盾にして刹那に凄む。しかし、あまりの迫力に彼女も無意識のうちに腰が引けてしまっていた。

 

「『風花・風塵乱舞』!」

 

「わぷっ、また突風が!?」

 

そこに、ネギが支援として突風の魔法を放つ。そしてそれを足場に、楓が千草へと急接近していく。普段のほほんとしている彼女にしては珍しく、その額に青筋を浮かべて。

 

「木乃香殿を返してもらうでござる!」

 

風に押されたまま、楓は正確に木乃香を千草の腕から引き剥がし、そのまま後方へと飛び去ってゆく。唖然とする千草の前には、既に間合い寸前の刹那。

 

「貴様だけは、許さんッ!」

 

刹那は鞘へと刃を収め、居合の構えをしたまま突っ込んでゆく。

 

「ま、まだや! まだ守りの護符が……!」

 

刹那と千草が交わる瞬間。刹那はその場から一瞬姿を消した。いや、正確には消えたように見えた。あまりにも速すぎ、誰の目にさえ映らなかったのだ。振り返り行く末を見つめていた、類まれな動体視力を有する楓にさえ。

 

鈴の音が、響き渡った。どこまでも澄んだその音は夜の闇へと伸び、溶けこんでいく。やがて静寂が辺りを包み込み、無が場を支配する。千草の背後には、再び姿を現した刹那。

 

「な、何がおこっ……かはっ」

 

ようやく脳の反応が追いついた千草は、一瞬の間に何が起こったのかを理解しようとし、次いで胸の激しい痛みとともに呼吸ができなくなる。蹲って息をしようとするが、呼吸をまともにすることさえできない。

 

「は、あ……な、に、が……」

 

やがて彼女の視界は暗転し、薄れ行く意識の中で最後に聞こえたのは。

 

「…………流、『時雨』」

 

刹那の、そんな声だった。

 

 

 

 

 

「何とかなりましたね……」

 

「申し訳ありません先生、楓。頭に血が上ってしまって……その上サポートまで……」

 

「構わないでござるよ。拙者も頭にきていたでござる」

 

「はい、結果的に木乃香さんを取り戻せたんですから!」

 

刹那の元へと駆け寄る二人。刹那は礼を言うが、それによって木乃香が救えたのだから問題ないと言い、彼女を攻めることはなかった。

 

「それにしても凄かったでござるな! よもや拙者の視力を以ってしても見失うほどの速さとは!」

 

「はい、僕も一瞬刹那さんがいなくなったのかと思っちゃうほどでしたよ!」

 

「あ、あはは……あれは普段使うことを禁じている技なんですよ。速さがある分、体に負担が大きいものですから」

 

「え!? だ、大丈夫なんですか?!」

 

「はい。連続して使えば危険ですが、一度だけなら大したものでは……。とりあえず、その話はここまでにしてあの女を捕縛しないと」

 

刹那の言葉に、二人は即座に思考を切り替えて倒れ伏している犯人へと近づいてゆく。

 

「峰打ちですから、気絶しているだけだと思います」

 

「うむ、確かに外傷はないでござるな。ではさっさと……」

 

「あきまへんえ~」

 

背後からの突然の殺気に、楓は危険を覚えネギを抱えて飛び退る。みれば、先ほど茂みに落ちていった月詠の姿があった。

 

「一応雇われてるんで~、好き勝手させるわけにはいきまへん」

 

「む、ならば相手になるまででござる」

 

「僕もです」

 

身構える二人。しかし、月詠はクスクスとその様子を微笑ましいかのように笑いながら。

 

 

 

一瞬で二人の背後へと立っていた。

 

 

 

「消えた!? 一体何処に……」

 

「あっ! 犯人がいない!?」

 

しかし、二人は月詠が消えたとだけしか認識できず、犯人がいないことに注意を惹かれる。

 

「こっちですえ、こっち」

 

「っ!」

 

彼女の呼びかけによってようやく気づいた二人は、慌てて飛び退く。月詠の両腕には、気絶している千草の姿が。

 

「い、いつの間に……!」

 

「刹那の先ほどの技と同じスピード……!?」

 

一方で、刹那も驚きで目を見開いていた。しかし、その驚きはその速さからではない。なにせ彼女は、月詠の一連の動きを見てとっていたのだ。彼女が驚いたのは、むしろその体捌き。

 

「なぜ、貴様がその技(・・・)を……!?」

 

思わず問いかける。が、彼女は微笑みを浮かべたまま、

 

「うふ、知りたいどすか? でも、今はだ~め」

 

そう言ってはぐらかし、その場を去っていった。

 

(月詠……奴は、一体何者なんだ……!?)

 

一つの疑問を残し、波乱の幕開けとなった修学旅行は初日を終えたのであった。

 

 

 

そして……。

 

「……大きく、なった……」

 

彼女を見つめる瞳が2つ。暗黒を湛えたかのような漆黒の瞳は、彼女を捉えて離さない。やがて、その瞳は瞬きをひとつするとともに夜の闇へと霞んでいった。



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第三十一話 修学旅行二日目

親愛、友愛、恋愛、愛憎……様々な愛があり、形がある
故に正しい形などなく。誰もが悩み、迷う


追跡劇から一夜明け。修学旅行二日目に突入した。昨夜は夜通しの追いかけっこであったため、彼らはほとんど眠っていない。が、刹那はこういったことには慣れているため眠気はなく、千雨も夜更かしをよくするタイプなので眠気はあっても耐えることは容易だった。問題は、そういったことに慣れていないネギは絶えずうつらうつらと船を漕いでいることだ。

 

(うぅ、こんな状態じゃ木乃香さんを守るなんてできないよ……)

 

「おい、眠いなら今のうちに寝といたほうがいいんじゃねぇのか?」

 

「だ、だめですよぅ……皆さんの引率をしないといけないんですから……」

 

「……なんか不安だな……」

 

眠気と闘いつつ、今日の目的地へと向かうネギであった。

 

 

 

 

「え? 今日は襲撃の心配はない?」

 

「はい。御存知の通り、関西呪術協会の本拠は京都です。実は、関西呪術協会にも様々な派閥がありまして、ここ奈良にも大きな勢力があるんですが、昔から関西呪術協会とは仲が悪く、度々衝突を起こしているためあまり干渉しないんです」

 

奈良にある勢力は、平城京が存在する頃から続いてきた由緒正しき一族達によって形成されており、平安京から誕生した現在の関西呪術協会の下地となった一族達の勢力を下に見てきた。その因縁は深く、現在でも互いに不干渉が暗黙の了解となっているらしい。

 

「とはいえ、現在は奈良の勢力はかなり衰退してしまっています。というのも、かつてこの地に存在した最も古い家が断絶してしまい、その権威の大部分を失ってしまったのです」

 

「はぁ、ようはてっぺんがいなくなってまとまりがなくなったてことか」

 

「要約すればそうなりますね。その断絶した家は、実は私が修める『神鳴流』とかつて双璧をなした剣術を代々伝える家だったらしいのです。相当に高い位の家だったのでしょう」

 

ただ、既に一族尽くこの世を去っており、詳しいことは刹那も知らないのだという。

 

「ま、なんにせよ襲撃の心配がないってのはいいな。今日一日ぐらいは修学旅行を楽しむとすっかな」

 

「そうですね、お二人共まだまだ学生なんですから、今を楽しく過ごして欲しいです」

 

屈託のない笑顔でネギがそう言うが、千雨は眉をひそめる。

 

「先生は私らより年下だろ、今日ぐらい生徒に混じって羽を伸ばせよ」

 

「で、でも僕は先生……」

 

「だーかーらー、そういうの考えないで遊んでろってことだ! おーいアスナ!」

 

抵抗を見せるネギにしびれを切らし、千雨は強引な手段に出た。アスナを呼ぶと、彼を任せると言って自分の班へと戻っていってしまう。一方、千雨の意図を察したアスナは、ネギの頭を軽く小突く。

 

「千雨さんの言う通りよ、あんたは少し難しく考え過ぎ。今日ぐらいゆっくりしなさい」

 

「せやせや、ネギ君もうちらに甘えてええんやで」

 

「木乃香さんまで……」

 

結局、二人に押し切られてしまったネギは、アスナら5班とともに行動することとなった。

 

 

 

 

 

「わー、鹿ですよ鹿! いっぱいいる!」

 

「はいはい、もう少しおとなしくなさいな」

 

「僕、山奥暮らしだったから鹿はみたことはあったんですけど、こんなにいっぱいいるのは初めてです!」

 

さて、今日一日は子供らしくいろと言われたものの、ネギは気恥ずかしくて最初は遠慮がちだったのだが、次第に見知らぬ地の様々なものに触れていくうちに、元来の子供っぽさが表に出てきたようで。

 

「あ、お店がありますよ!」

 

「はいはい、羽目をはずすのはいいけど、はしゃぎ過ぎないの」

 

今はすっかりはしゃいでしまっている。普段の抑えらていた部分を全開にしているため、少々はしゃぎ過ぎの嫌いはあるが。アスナもそれを注意するが、あくまでもやんわりとだ。今日ぐらいはいいだろうと思っているからかもしれない。

 

「看板がある……えーと、し・か・せ・ん・べ・い?」

 

奈良公園のそこかしこで売られているものに興味をいだいた彼は、看板に書かれているグネグネとした文字を首を傾げながら何とか読み解き、再び首を傾げる。

 

「ああ、それは鹿にあげるための煎餅よ」

 

「せんべいって、あのお米を平らにして焼いたものですよね? ……食べれるんでしょうか?」

 

「……さすがにそれは私もわからないわ」

 

ネギの色々とズレた質問に、さすがのアスナも苦笑いでそういうほかない。ちなみに、鹿せんべいは食べても害はないが、そもそも食べるものではない。入っているのは米ぬかなどであり、鹿のおやつ程度のものである。

 

「のどか、今がチャンスですよ!」

 

「ゆ、ゆえ~……」

 

一方、それを物陰からじっと見つめる人物が二人。アスナや木乃香と同じ5班のメンバーである宮崎のどかと綾瀬夕映である。普段大人しめな彼女にしては珍しく、前髪を上げており、可愛らしい素顔があらわになっている。

 

夕映はのどかがネギに気があることに前から気づいており、彼女のことを応援しているのである。同じく彼女を応援しているパルこと早乙女ハルナは、やや暴走気味だったので夕映が本の角で黙らせたため公園のベンチで伸びている。

 

「ほらっ、言ってくるです!」

 

「あわわっ!」

 

夕映に後ろからやや強引に押され、彼の方へとふらつきながら近づいていく。彼女の危なっかしい挙動に気づいたネギは、慌てて彼女を抱きかかえる。

 

「だ、大丈夫です、か……?」

 

「え、ひうっ!?」

 

無事を確認しようとネギが声をかけるが、抱きかかえた状態で顔が接近していた今の状態はのどかにはかなり刺激が強かった。前髪による視界の遮断もないため、ダイレクトに彼の顔を間近で見てしまったのだ。

 

「あわわわわわわわ……!」

 

「ど、どうしたんですかのどかさん!?」

 

一瞬で顔がゆでダコのように真っ赤になったのどかをみて、ネギが更に問いかける。しかし、ややパニック状態な彼女には聞こえていないようで。

 

(ど、ど、どうしよう先生の顔がこんな近くにでもちょっとかっこいい……じゃなくて私はどうすればいいんだっけええと……!?)

 

頭のなかでいろんな事がごちゃまぜになってしまっており、正常な判断がまるでできていない。そんな彼女でも、今日は普段より積極的に行こうと意気込んでいたためか。

 

「せ、先生! 私と一緒に大仏を見に行きませんか!?」

 

「は、はい!」

 

朝方に決めていた、ネギ先生を班行動に誘うという今となっては果たされている目的を、彼女にしては大声で言った。ネギは反射的にそれにYesをしたが。

 

「あの、でもこれから一緒に行きますよね?」

 

「ひゃわっ!?」

 

結局、その頑張りも空回りとなってしまったのだった。

 

 

 

 

 

刹那は6班のメンバーであるザジが何処かへと行ってしまったため手持ち無沙汰な状態だった。確かに戦士に休息は必要だが、それも暇であっては味気ないだけだ。因みに、同じく班員である美姫は、生来の体の弱さから熱を出してしまい介護にあたっている茶々丸とともに京都のホテルで留守番である。

 

「はぁ……お嬢様の言うように、もっと自分の趣味を広げたほうがいいのだろうか……」

 

常々木乃香から言われていたことを思い出し、今更ながらにもっと見聞を広めるべきだったのではと考える。相手に気持ちを伝えることも素直にできない不器用な彼女は、普段から護衛対象である木乃香を守るために修行を行っている。たいていは暇な時間はそうやって時間を潰していたため、いざこういった状況になるとやることがなくて困る。

 

(……鹿、か。こうしてみると中々愛らしいな……)

 

目の前で草を喰む鹿を眺めてそんな感想を抱く。京都にいた頃は、たまに木乃香と共に奈良へとやってきていたため、鹿など珍しくも感じない。しかし、いざこうやって間近で眺めてみると、中々に愛らしい顔をしているなと思えた。

 

彼女は鞄から鹿せんべいを取り出し、割って鹿の方へと放る。先ほどザジが大量に買い込んでその一部を渡してきたのだ。鹿は放り出されてきた方、つまり刹那を見つめるが、暫くするとその鹿せんべいを食べ始めた。

 

(……結構、癒やされるな……)

 

鹿ののんびりとした仕草に癒やしを感じる刹那。そして幼いころに"恩人"に連れられて鹿狩をやらされたことを思い出し、苦笑する。必死に逃げる鹿を、同じく必死に追い続けたあの頃。辛くもあったが、しかし幸福だった日々。

 

「姉さん……」

 

未だ出会えぬ人物を、脳裏にいまだ焼き付いて離れぬ相手を思う。感傷に浸っていると、更にせんべいを催促しにきたのか鹿が首を振りながらこちらを見ていた。

 

「……ふふっ、欲しいのか? ……可愛いなお前は」

 

そう言いながら、鹿の顔をなでてやっていると。

 

「先輩のほうがかいらしいと思いますよ~?」

 

投げかけられた言葉で、長閑な雰囲気が一変する。鹿は獣の勘によってそれを敏感に感じ取ったのか、ビクリと体を一瞬硬直させ。次いでブルブルと体を震わせて猛烈な勢いで走りだし、刹那を置き去りにしていく。

 

「お前は……!」

 

「昨日ぶりどすなぁ~、先輩?」

 

獣さえ怯えさせる邪気を帯びて現れたのは、昨夜激闘を繰り広げた相手、月詠であった。刹那は警戒しながらも、いつでも迎撃できるよう夕凪を片手で握りしめながら鋭い眼差しを向ける。

 

「なんの用だ」

 

「うふふ、そないな怖い顔せいでくださいよ。かいらしいお顔が台無しですえ?」

 

刹那の言葉に、微笑を浮かべながらそう返す月詠。しかし、その笑みはどこか薄ら寒いものを感じさせる。それによって、更に警戒を強める。

 

「今日は会って欲しい人がおりまして~」

 

「……どんな奴かは知らないが、私にその気はない。さっさと往ね、素っ首たたっ斬るぞ」

 

普段礼儀正しく、真面目な彼女からは想像もつかない鋭く重い言葉。素が出ると京都弁が出てしまう彼女だが、それはあくまでも気安い相手であればこそ。むしろ彼女は、敵であれば一切の容赦をしない激情を秘めており、今の彼女はまさしく抜身の刃というに相応しい。だが、そんな彼女の圧力さえも彼女にとっては心地よいものでしかないらしく。

 

「ああん、素敵やわぁ……今斬りあいたいどすけど、生憎それができひんのが辛いわぁ……。ええんどすか、先輩? うちが先輩に会わせたいお人は、貴女が探しとった方ですえ?」

 

「……何?」

 

「ふふっ、噂をすれば何とやら、やなぁ。もう来てしもたみたいや」

 

みれば、いつの間にか周囲いっぺんから人の気配が消えていた。あれだけいた鹿さえ姿を見せていない。いや、正確にはいるにはいる。皆、怯えて地面に蹲ってしまっているため姿が確認しづらいだけなのだ。人の姿がないのは、人払いの呪によって無意識の内に誘導され、ここに近づいていないせいだろう。襲撃されることを想定し、周囲を警戒する刹那。

 

「……久しぶり」

 

唐突に聞こえた声に、刹那は一瞬反応が遅れた。声が聞こえた背後から何者かの腕が刹那へと迫ってくるのが、振り向きざまの視界に映る。刹那は、何とかそれを紙一重で躱した。

 

(先程まで誰もいなかったはずだ……一体どこから現れた……!?)

 

気配もなく、魔法や呪術で転移したわけでもない。まるでそこに突然現れたかのようだ。そのあまりにも不可解な登場の仕方をした人物は、真っ白な下地に和風の絵付けがされた仮面をつけていた。

 

「……何者だ」

 

「……分からない? ……そういえば、仮面をつけたままだった……」

 

怪訝な顔をして何者かと問い質す。相手はなぜか自分のことが分からないのが不可解だといった風で首を傾げたが、それが仮面をつけたままであるせいだと思いいたり、仮面に手をかける。そしてゆっくりと外された仮面の下から覗いた顔は。

 

「……そんな、まさ、か……!」

 

「……改めて……久しぶり、刹那」

 

「り……鈴音姉さん(・・・・・)……!?」

 

彼女が、探し続けていた人物が目の前にいた。

 

 

 

 

 

一方、ネギも衝撃的な場面に直面していた。

 

「先生の気持ち、聞かせてください……!」

 

目の前には、地面に倒れているネギの上に乗って、顔を真っ赤にしているのどかの姿。

 

(ど、どうしてこんなことに……!?)

 

先ほどまで、5班メンバーと大仏を眺めたり神社仏閣を巡っていただけのはずだ。どうしてこんな状況に陥ってしまったのか。

 

 

 

――――遡ること数十分前。

 

 

 

「うーん。なんか頭が痛いんだけど、夕映なんか知らない?」

 

「さ、さあ? 知らないです」

 

痛む頭をさすりつつ、復活したハルナは夕映にそう聞くが、彼女は目をそらしつつ知らないと答えた。腑に落ちなさを感じつつも、まあいいかと脳天気に忘れることにした。

 

「で、のどかはどうなのよぅ?」

 

「起きて早々それですか……まあ、先生と一緒に観光名所めぐりです」

 

「おおっ! やるじゃんのどか!」

 

「我々5班メンバーと一緒に、ですが」

 

「だめじゃん!」

 

「うるさいです、ハルナ」

 

相変わらずのやかましさに注意するが、熱が入り始めた彼女は簡単には止まらない。

 

「うっしゃー! それなら二人きりの桃色空間、つくってやったらー!」

 

両腕を掲げあげ、大声で叫ぶハルナに周囲の人々は驚いて視線が集中する。当然隣の夕映にも視線が集まっているわけで。

 

「やめるですっ!」

 

「ほてっぷ!?」

 

再び分厚い本を取り出し殴りつける。変な声を上げて倒れるハルナ。はぁ、と溜息を吐くと、夕映はハルナを引きずって大仏殿から出ていこうとしたが。

 

「って気を失ってる場合じゃないわ!」

 

「ひぅっ!?」

 

気絶したはずのハルナが勢いよく立ち上がる。いきなりのことに驚く夕映、そして先程以上の意欲を見せるハルナ。完全に周囲の目を釘付けにしてしまっている。というか、大仏そっちのけで大半の人間が目を向けていた。

 

「さぁ、いざ桃色空間へレッツゴーよ!」

 

「もう好きにしろです……」

 

元気溌剌な親友の姿に、ぐったりとした夕映はそう言うしかなかった。

 

 

 

 

 

『私達先に二月堂に行くねー!』

 

『え? でも』

 

『のどかと一緒にのんびり来てください』

 

『ゆ、ゆえ~!?』

 

『まあ、そういうわけだから私達も行くわよ木乃香』

 

『二人共、頑張ってな~』

 

ハルナと、仕方なく手伝う夕映によって説得されたアスナと木乃香は、二人とともに二月堂へと一足先に行ってしまい、置いてきぼりとなったネギとのどかは、やむなく二人で歩き出したのどかとネギだったのだが。

 

「あの……」

 

「はい、なんでしょう?」

 

「え、と……あの……」

 

「? どうかしましたか?」

 

「いいいいいいえ! そうじゃ、なくて……うう、やっぱり言えないよぅ……」

 

二人きりの今だからこそチャンスだと、ハルナに言われたのだが。いくら頑張ろうと心に決めていても、それが本番で発揮されるかは別である。引込み思案な性格である彼女には、ただでさえ世間一般でも苦労するであろう告白など、彼女には一世一代の大勝負に等しかった。

 

「あ、そろそろ見えてきましたね!」

 

見れば、二月堂へ通じる道の途中にある三月堂の姿が見えてきつつあった。このままでは、告白をするどころかそのチャンスさえ生かせずに目的地についてしまう。

 

「あ、あの!」

 

「え、どうしましたか?」

 

「こ、こっちに!」

 

「うわわっ!?」

 

焦った彼女は、彼の手を掴んで脇道へと強引に進んでいく。いくらネギが力がない子どもとはいっても、ネギには非力なのどかの手を振りほどくことは簡単なはずだ。だが、振りほどく理由もないためと、何故かいつも以上の力を発揮しているのどかの手はしっかりと彼の手を離さないせいでどんどん道を外れていく。

 

「の、のどかさん! そっちは違いますよ!」

 

「だ、大丈夫です! こっちでいいんですぅ!」

 

テンパっている彼女は、顔から火が出そうなほどに熱を帯びながらぐいぐいと彼を引っ張っていく。やがて、ひと目がないところまでやってくると、周囲を確認して深呼吸を一つ。

 

「ご、ごめんなさい先生」

 

「い、いえいえ。のどかさんにんもなにか言おうと思ってここへ僕を連れてきたんでしょう?」

 

ネギは気にした風ではない。生徒の言いづらいことを聞いてあげるのも教師として当然であると思っているからだ。

 

(きっと、なにか言いにくいことで悩んでるだけなんだろう。僕が相手になってあげないと!)

 

と、どこかズレた思いでのどかの言葉を待つ。堂々と待つネギの姿に、のどかはまたも気後れしてしまう。思わず、一歩下がってしまった。

 

すると。

 

「あっ……」

 

「っ! 危ない、のどかさん!」

 

坂道であったため、後ろにあった小石を踏んでバランスを簡単に崩してしまったのどかを、ネギは慌てて抱きとめる。しかし、そのままのどかを抱きかかえたまま二人で滑り落ちていってしまい、林の中まできてようやく止まった。

 

「大丈夫ですか、のどかさん……」

 

「だ、大丈夫れふ……」

 

幸い、のどかはネギが抱きとめたままであったため目立った外傷もない。ネギも途中に落ちていた小枝で引っかき傷ができた程度だ。しかし、意識が正常に戻ってきたのどかは現在の状況に思わず赤面する。

 

「す、すみません先生! す、すぐにどきます!」

 

「あはは、大丈夫ですよ。のどかさんは軽いですから」

 

二人の格好は、のどかがネギに馬乗りになっているような状態であったのだ。思わずネギに謝罪するが、ネギは気にした様子はない。

 

(……何やってるんだろ、私……)

 

どんくさい自分に嫌気がさす。告白しようとして先生を困らせてしまっている。これでは本末転倒だ。だが、だからこそ彼女は覚悟を決めた。

 

(なら、せめて……)

 

嫌われようが、自分の気持に正直になろう。これ以上大好きな相手に迷惑をかけないように。

 

「先生……私、先生のことが好きです……!」

 

 

 

――――そして現在に至る。

 

 

 

「先生の気持ち、聞かせてください……!」

 

「え、あの……その……」

 

しどろもどろな様子を見て、のどかは彼が混乱しているのだとすぐに分かった。そして、その原因が自分であることに申し訳無さを覚える。

 

「……ごめんなさい先生。こんな、いきなり言われても困りますよね……」

 

事実、ネギの脳内はショート寸前だった。いきなりの告白に脳内の処理が追いついていないのだ。こんな状態では、とても返事なんてできないだろうことを悟った彼女は。

 

「……返事は、今でなくていい、です……でも、必ず……お返事をください」

 

そう言うと、彼女は彼の頬へと顔を近づけていく。ネギの頬に何か柔らかい感触があった。

 

「……えっ?」

 

突然のことに一瞬で彼の脳内がクリアになる。彼を引っ掻き回していた衝撃をそのまま押し潰すようなさらなる衝撃によって打ち消したのである。呆然とするネギ、顔を真っ赤にしながらも体温を感じ取れるほどに近づいているのどか。そして彼女は彼から顔を離すと、そのまま彼の上からどいて小走りで去っていった。

 

「…………」

 

未だ言葉が出てこないネギ。自分が先生であることは分かっている、そしてのどかが彼の生徒であることも。では、先程の言葉は一体何だ。まさしく愛の告白に違いなかっただろう。それが分からないほど、ネギは鈍感でも愚昧でもない。

 

「いやー、のどか頑張ったねぇ」

 

「……頑張ったです」

 

「意外と度胸あるのねぇ本屋ちゃん」

 

「うち、感動したわぁ。のどかがあんな大胆に告白するやなんて」

 

一方、その一部始終を見ていた残りの5班メンバー。先ほどの転倒の際はさすがに助けようと思ったが、無事であった様子を見てそのまま様子を見ていたのである。途中、のどかを心配して珍しくハルナが出ていこうとしたのだが、なんと夕映がそれを静止したのだ。

 

「まさか夕映が止めるとは思わなかったねぇ」

 

「のどかの一世一代の告白ですよ? 邪魔しちゃダメです」

 

「せやなぁ」

 

「おーい、ネギ。聞こえてる?」

 

先程からピクリとも動かないネギに、アスナが声をかけるが返事はない。おもむろに手を額へと伸ばしてみると。

 

「え、ちょすごい熱!?」

 

「うーん……」

 

「いきなり告白されたせいで、頭が追いついていないのでは?」

 

「あちゃー、知恵熱やな」

 

結局、熱を出して倒れたネギは、そのまま京都のホテルまで瀬流彦先生によって送り届けられ、美姫とともに茶々丸に看病されたのであった。

 

 

 

 

 

「……そう、楽しそうでよかった……」

 

「うん! とても楽しくて、嬉しくて……!」

 

刹那は鈴音と二人、ベンチに並んで話をする。月詠は積もる話もあるやろ、と言って二人をそのままに何処かへ去っていった。突然の再開に慌てる刹那だが、鈴音が話をしようと言ってきた。そして現在に至るわけだが、今まで話せなかったことや会いたかったことなどから懐かしさや感情が溢れだし、思い出話を始めたのである。

 

「友達も、出来たんや」

 

「……そう。……護衛は、辛くない……?」

 

「ううん、お嬢様……このちゃんは今でもうちを友達と言うてくれるんや」

 

親しい相手、今では木乃香相手でも時々しか使わない京都弁で話す刹那。余程彼女のことを慕っているのだろう。鈴音も、普段はめったに変わらない無表情をやや崩し、微笑みを浮かべている。見上げてみれば、空は雲ひとつない快晴だった。

 

「……姉さんと会ったのも、こないな晴れた日やったっけ。なぁ、姉さんも何か話してよ」

 

主に話をしているのは刹那であった。鈴音は、彼女の今まであったことを話して欲しいと言い、それを聞いていた。だからこそ、色々と話して欲しかった。

 

「……姉さんは、なんでうちを置いて行ってしもうたん?」

 

幼い日。彼女は鈴音に置いて行かれた。今に至るまで世話になっている関西呪術協会の総本山に。初めは捨てられたのかと思い、泣く日々だった。木乃香がいなければ泣き虫のままだっただろう。

 

「……やむを得なかった」

 

鈴音は短くそう答える。どうやら詳しい事情までは教えてくれないらしい。だが、彼女はほんの少しだけ申し訳無さそうな顔をし。

 

「……でも、貴女を捨てたつもりはない……そう思わせたのなら、謝る……」

 

そう言って頭を下げる。刹那はわたわたしながら別にいいと彼女を許す。そもそも、彼女を恨んだことなんてその初めの数日間ぐらいで、後は会いたい気持ちでいっぱいだったのだ。

 

「……ありがとう。……他に、聞きたいことって、ある……?」

 

そう言われ、刹那はある疑問をついにぶつけることにした。先程から気になり続けて、しかし聞いたら彼女が何処かへ行ってしまうような気がして聞けなかったこと。

 

「……なんで月詠と一緒におったん?」

 

そう、先ほど彼女が現れたのは、月詠によって仲介されたから。つまり彼女は、月詠と関係のある人物だということだ。

 

「……彼女は、私の弟子(・・・・)……」

 

衝撃。彼女の頭を割れんばかりに殴り飛ばしたのはそれであった。

 

「ほな……ほな月詠も……?」

 

「……『村雨流』の遣い手」

 

幼い頃、彼女によって教えられた流派。まだ姉として慕った彼女との唯一の絆。それだけに、彼女にとって思い入れが深い。だからこそ信じられなかった。あれほどの狂気を内に秘めた存在に剣技を教え、弟子にとっているというのだから。

 

「なんで……なんでや!」

 

「……素質があった」

 

「うち、ずっと守っとったんや! 姉さんが言っとったこと! 大切だと思える人のために使えって!」

 

大切な誰かを守るために教えられたのだと、信じて疑わなかった。それを教えてくれた姉が、強く美しい彼女が誇らしかった。自分が将来越えたい相手だと、木乃香に言って憚らないほどに。

 

「……『村雨流』は殺人技、そう教えたはず……」

 

「使い方次第やとも言った!」

 

確かにそう教わった。だが、それでも使い方次第だとも言われた。だからこそ、道を誤らないように務めてきたのだ。魔を断ち、人を守る剣として。

 

「……本質は、変わらない。……月詠には、殺人剣の『村雨流』を扱う素質があった……。……だから弟子にした。……彼女は、私に近い(・・・・)……」

 

「え? それってどういう……」

 

瞬間。恐怖が膨れ上がった。理解が追いつかない現象に、刹那は一瞬思考が停止した。心をかき乱されるような恐ろしい何か。それが急に出現して膨れ上がったのだ。それは威圧と狂気を伴い、先ほどの月詠が見せた邪気とは一線を画すような巨大さ。まるで、周囲の全てを呪ってしまうかのようだ。

 

そしてその中心にいるのは。

 

「ねえ、さん……?」

 

「……刹那には、まだ話していなかったね。……これが、本来の私……」

 

薄々、刹那は気づいてしまっていたのだろう。数年前と全く変わらぬ容姿、衰えのない肉体。そして僅かながら感じられた、悪意。それら全てを、彼女は心のなかで理解しながらも否定しようとし続けていた。慕っていた相手が、そんな恐ろしいものであるはずがないと。

 

しかし。現実はどこまでも残酷で、正しかった。彼女の勘は正確に働いており、事実、鈴音は人間とは違うナニカだった。魔を断つ『神鳴流』の剣士としては、彼女をそのままにしていいわけがない。

 

それでも。

 

「せやけど……姉さんと戦うなんてうち、でけへん……!」

 

涙を流しながらも、唇を噛み締めて泣き声を上げることだけは阻止する。今、彼女が恥も外聞もなく泣いたら、きっと壊れてしまうだろう。それほどに、彼女の心は揺らいでいた。

 

「……刹那、私はバケモノ……貴女も、その"素質"がある……」

 

「うちは、うちは……!」

 

「……私についてきてくれるなら……私は貴女とずっといる……」

 

鈴音は立ち上がると、発していた威圧を内へと収めた。そして、彼女の方へと歩いてゆく。

 

「……でも、貴女が人間として生きたいなら……」

 

そこからは、敵同士。

 

そう告げながら、刹那の脇を通り過ぎ。振り返ってみれば、もう彼女の姿はない。

 

「……姉さん……どうして……」

 

膝から崩れ落ち、刹那は一人慟哭の声を上げた。

 

それは青々とした空に溶け、そして消えていく。

 

どこまでも、どこまでも。

 

儚く、思いが届かぬかのように。

 

 

 

 

 

「……ただいま」

 

「おかえりなさい姉さん。どうでした?」

 

刹那との対話の後、活動拠点まで戻ってきた鈴音を出迎えたのは月詠だった。帰って早々、彼女は話をしてどうだったかと尋ねる。

 

「……分からない」

 

彼女の問いかけに、鈴音は歯切れの悪い言葉で返す。

 

「先輩は、どっちにいくんやろ~。楽しみやわぁ~」

 

とても楽しそうに、月詠は笑みを浮かべる。恍惚としたその表情は、狂気と悪意を孕んだものであり、可愛らしいはずなのに恐怖さえ覚える。

 

「こっちに来てくれれば、姉さんと先輩、そして私の三人で……うふふ。でも、先輩があっち側になるなら、それはそれで死合えるわけやし……あ~ん、決められへんわぁ」

 

体をくねくねとさせながら、刹那がどうなるかを想像する。どちらに転んでも、彼女には困ることはない。戦うことばかりが頭の中を駆け巡り、それに思わず舌なめずりしてしまう。どちらも捨てがたいと思い、彼女は姉に聞くことにした。

 

「姉さんは、どっちがいいと思うん?」

 

「……できれば、刹那には……」

 

そう言いかけて、彼女は言葉を止める。

 

「……やっぱり、内緒……」

 

「あぁん、姉さんいけずやわ~」

 

教えてくれないことに少しだけ拗ねつつも、月詠は大して気にした様子もなく奥にある部屋へと引っ込んでいった。

 

(……私が、悪へ進まなければ……こうならなかった……?)

 

少しだけ、己の過去を顧みてみる。自分が悪でなければ、彼女を悩ませるようなことはなかっただろう。だが、もしそうなった場合。自分はエヴァンジェリンとのかけがえのない出会いを果たすことも、刹那や月詠と出会うこともなかった。

 

(……考えても、詮無いこと……)

 

所詮、一度過ぎ去ったことは変えることはできない。既に己はどうしようもないような悪だ。そしてそれに喜びを感じ、躊躇いもない。後悔など、遠い過去へと置き去りにしてきた。

 

(……願わくば……彼女は私のように……)

 

願いを胸のうちに秘め、ひっそりと蓋をする。あくまでも決めるのは刹那自身。そこに、自分の考えが及ぶ余地など一切ないと切り捨てて。

 

運命は巡る。それはまるで輪廻のように、瞬きするような一瞬を繰り返して。



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第三十二話 修学旅行三日目(朝)

好きも嫌いも、分からぬ思い。
心ころがし、廻りて揺れる。


たとえ全てを振り出しに戻そうとしても、そのもしもは決して存在しない。一秒先が己へと忍び寄り、一秒後が過ぎ去ってゆく。過去に意味はなく、未来に価値はない。きたる未来は現在を束ねた過去ならぬもの。去った過去は未来であったものの残滓。

 

大切なのは、それらに意味をもたせる現在をどう生きるかだけだ。

 

「……はぁ」

 

そして現在と、ゆく先に悩む少年がここに一人。ネギ・スプリングフィールドである。彼が悩んでいるある事柄も、既に事象としては過去に類する。

 

(まさか……のどかさんに告白されるなんて……)

 

頭を埋め尽くすのは、想定外の言葉と恋慕。生まれてより十年程度の彼にとって、初めての赤の他人からの愛の吐露。それはガツンとネギの頭を殴りつけるような衝撃であり、知恵熱で頭の回路がぐちゃぐちゃになるほどであった。

 

(……どうしよう)

 

生徒から慕われるならばいい。尊崇の念を受けるならいい。教師とは彼女らの先達であり、教え、導き、行く末を見守るものなのだから。だが、そこに恋という一滴の劇薬が垂らされた時、そこにあるのは先生と生徒ではなく、男と女にすり替わる。

 

(のどかさんのことは、嫌いじゃない……好きとも言えるけど……でもそれは"恋愛"として好きなんじゃなくて……!)

 

湯けむりの中で頭を抱え、髪を振り乱す。茶々丸の看病のかいあって翌日の朝、つまり今日には熱が下がったためこうして温泉に来たが、これではまた熱が出てしまいそうだ。答えのない堂々巡りが複雑怪奇な迷宮へと手招きする。

 

(っ! ダメだ、考えすぎればそれだけ複雑化していく……落ち着いて整理しよう……)

 

なまじ頭がいいだけに、現実とそれによって付随する数多の問題を用意に弾きだしてしまう。だからこそ、突破口の見当たらない奈落でもがき続けているのだ。しかし、それは藻掻けばなお深みにはまる泥の落とし穴、底なしの流砂だ。

 

「うぅ……どうすればいいんだろう……」

 

魔法学校を主席で卒業し、僅かな期間で大学を出た天才たる彼でも、人類の歩んできた歴史の中で度々議論の的となる『愛』は聳え立つ山脈のように高く険しい。いや、むしろそういったことに関心を持ちづらい彼だからこそ、その頂はより高く、鋭く見えるのだろう。

 

火照った体と頭を冷やすように、頭から冷水をかぶる。若干の冷え込みがみえる朝ではあるが、露天風呂とはいっても体を温める効能は十分に作用しており、風邪をひく心配はない。滴る雫が、前髪からポタリポタリと垂れ下がるのを眺め、手ぬぐいで顔を拭く。

 

「……答えが出ないことなんて、今までなかったのに……」

 

己の頭脳に自信を持っていた。それ故にどんな問題にも体当たりでぶつかってきた。生徒に襲いかかられようとも、邪悪と対峙しても。だが、そのどれとも本質を違えるこの問題にだけは、解を求めようとしても出てきやしない。所詮、経験の浅い子供でしかないのだと、ネギは改めて現実に思い知らされた。

 

「……賢いつもりでいたんだ、持て囃されて……」

 

大川美姫の魔法具も、エヴァンジェリンの威圧も。彼にとってはたった一人の可憐な少女の勇気には敵わない。最も厄介で、そして強大だ。

 

「……単純に考えろ、か……」

 

昨夜、戻ってきた千雨にアスナ達が事情を説明すると、千雨はそういったのだ。

 

『難しいことじゃねぇ。単純に考えちまえよ、先生。その頑固でお堅い頭をもっと柔らかくするんだ。自分の気持と正直に向き合え』

 

「ハハ、千雨さんも難しいこと言うよなぁ……自分の気持なんて、自覚するどころか曖昧すぎて分からないのに……」

 

精神的に幼い彼では、千雨のヒントも今回ばかりは助けにならない。そもそも、千雨自身も恋愛などしたことはないし蚊ほどの興味もない。尤も、彼女の場合は"仮面の女"によってその人生を費やさせられているからというのもあるが。

 

「……のどかさんに、会いたくない……」

 

嫌いなわけではない。合わせる顔がないだけだ、この気持に整理がつかぬ愚か者のマヌケな面を。恥じ入るべきは己の怯懦(きょうだ)、臆病風に吹かれたちっぽけな心。無意識的な己への嫌悪が、相手へと八つ当たりをするかのような感情へと転じて記憶の中の彼女を責める。

 

なぜ、告白したのだと。なぜ、自分なのかと。

 

「っ! なんで僕は、のどかさんのせいにしてるんだ!」

 

他社へ責任を転嫁して、己の安全を確保する。不安で追い詰められた者がとる心の防壁。自然だ、自己と守るために発される防御システムなのだから。しかし、それが感情的な観点からでは卑怯者の非難が飛んでくる。己可愛さに、他者のせいにするのかと。

 

「嫌だ……のどかさんを嫌いになりたくない……!」

 

せめぎあう2つの思い。彼女と恋仲になってはならないからこそその突破口を求めようとする。彼女を嫌おうとしている理性と、一方で彼女を嫌いになりたくない思い。

 

感情か、それとも理性か。二者択一の悪魔が笑う。

 

「……? 今、戸が開く音が……」

 

そんな彼の思考を打ち壊したのは、予想外という小さな一石。しかしそれは静かに波紋を広げ、彼に疑問という新たな意識を植え付ける。

 

朝風呂自体は珍しいことではない。だが、彼は入浴の際に一人で考えを纏めたいと思ったため、人払いの魔法をかけていたはずなのだ。それを避けてくるような人間となると、そういった暗示が効きづらい体質の人間か、或いは。

 

「まさか、もう別の刺客が……?」

 

ネギは湯けむりで視界の悪い風呂場を見渡しながら警戒を強める。今、彼は杖も持たない裸の姿。加えて、相手からの不意打ちに対処しづらい状況だ。

 

「……いざとなったら、杖を呼べばいいけど……」

 

それでも、武術も学んでいない身で無手とあっては心もとない。やがて、煙の中から黒い影がゆっくりとこちらに向かっているのが見えた。次第にわかってきたのは、相手は思っていたよりも小柄であったこと。そして、体つきが男性のものではないようにみえることだ。

 

「……あれ?」

 

ここは男風呂である。いや、相手が襲撃者である場合ここに来る必要があるのだからおかしくはないのだが。なぜ、体つきがはっきり分かるほど衣服の影がないのか。

 

「はろ~、先生。ごきげん、い、か、が?」

 

「あ、貴女は……!」

 

煙の向こうから姿を現したのは、先日の誘拐犯でも、知らない誰かでもなく。

 

「朝倉さん……!?」

 

彼の生徒の一人であり、タオルを体に巻いただけの格好の、朝倉和美だった。

 

 

 

 

 

『そこのお嬢さん、いいものあるよぉ』

 

時はさかのぼって修学旅行初日。清水寺でクラスメイトたちを写真に収めながら観光を楽しんでいた朝倉和美は、道端で商売をしていた人物に呼び止められた。普段であればこんな怪しげな人物の呼びかけに見向きもしないのだが、しかしその時だけは妙に興味を惹かれた。

 

「私?」

 

『そうそう。お嬢さん、学生さんかい?』

 

黒いフードを目深に被り、顔は伺えない。ただ、声が若干女性らしいものであることは分かるが、それも判断材料としては乏しい。総じて、得体のしれない不気味な人物だった。

 

「何か用ですか? 言っておきますが、キャッチセールスとかはお断りですよ」

 

『いやいや、私はまっとうな商売人さぁ。あんたに似合いのアクセサリーがあるから、つい呼び止めちまっただけさぁ』

 

「……まあ、確かに良さそうなのが揃ってるなぁ……」

 

みれば、置かれている品々はどれも中々にセンスを感じさせる装飾品が多い。特に目を引くのは、緑色の石がはめ込まれたペンダント。気づけば、手にとってそれをしげしげと眺めていた。

 

(……あれ、いつの間に私……)

 

無意識的に商品を手にとっていた彼女は、いきなり自分がペンダントを持ち上げていることに驚く。だが、その原因を考えようとすると頭に靄のようなものが立ち込め始めた。

 

(……これ、欲しいかも……)

 

いつになく沸き上がってくる欲求。それは、このペンダントを手に入れたいという物欲的なものであった。見れば見るほど、魅力的に思えてしまう。

 

『おぉ、それが気になるかねぇ。うちの商品はあまり人づてのものは扱わないんだが、そいつはたまたま手に入った逸品でね、商品に出してるのさぁ』

 

頭が若干ながらボーッとしていることに、露天商の言葉でようやく気づく。しかし、このペンダントが欲しいという欲求は、むしろはっきりとしていった。

 

「……これ、おいくらですか」

 

『ちょっと高いよぉ。1200円……といきたいところだがお嬢さん学生みたいだし、どうせ譲られたもんだから半額にまけてあげるよぉ』

 

「……じゃあ、これください」

 

結局、彼女はそれを購入した。胸の内に湧き上がる、欲求を満たしたがゆえの満足感が何故に沸き上がっているのかも分からずに。

 

『お買い上げありがとうねぇ……キッハハハ』

 

 

 

 

 

「ふんふーん」

 

「あら? 和美ちゃん何かごきげんねぇ」

 

鼻歌交じりで布団を敷いて寝るための支度を整える和美に、同じ班員である那波千鶴がそういった。確かに、和美の調子はかなりごきげんな様子であるのは傍から見て明白であった。

 

「あ、分かる? 実は露店でいいもの見つけちゃってさ」

 

そう言って首から下げたペンダントを掲げあげる。緑色の石がはめ込まれたそれは、怪しくも美しく光を反射している。

 

「うふふ、綺麗ね。確かにウキウキするのも分かるわ」

 

そういって微笑む千鶴。ここ最近は、和美も新聞に載せるネタが少なくて『桜通りの幽霊』事件を追っていたのだが、結局詳しいこともわからないまま犯人が捕まったと学園側が発表し、全て無駄骨となってしまったため元気があまりなかったのだ。久しぶりに楽しそうにしている彼女をみて千鶴も心なしか温かい気持ちになった。

 

(うーん、千雨ちゃんは相変わらずねぇ)

 

同じく班員である千雨が入っている布団をみて、そんなことを考える。普段から仏頂面で社交性が薄く、まともに会話したことも少ない。今も会話するどころか先に布団に入ってしまっている。

 

(この修学旅行の内に少しでも打ち解けられればいいのだけれどね……)

 

実は、この時既に千雨は布団の中におらず刹那に渡された変わり身の呪符を使って布団の中にいるように見せかけていただけで、本人は夜の追いかけっこに参加していたのだが。

 

やがて消灯時間となり、全員が布団の中へと入る。

 

「明日はいいネタが見つかるといいなぁ……」

 

布団の中で一人ごちる和美。やがて、睡眠欲求に身を任せて夢の中へと誘われて行った。

 

 

 

 

 

『……美。朝倉……和美……』

 

「んぁ?」

 

『……聞いているか、朝倉和美……』

 

「んん……誰か、呼んだぁ……?」

 

真夜中。誰かに呼ばれたような気がしてむくりと起き上がる和美。寝ぼけ眼で辺りをキョロキョロと見回してみるが、この部屋を使用しているものは和美以外全員眠っている。気のせいだったかなと再び意識を手放そうとする。

 

『……ここだ、私はここだ……』

 

「……? やっぱり聞こえる……」

 

再びの声。それによって若干意識がはっきりしてくる。再びその無機質な声の主が誰なのか探すが、やはりどこにもいない。首を傾げ、まさか心霊現象かなどと考えていると。

 

『……ペンダント……』

 

「ペンダント? そういや首にかけたまま眠ってた……!?」

 

首にかけたまま眠ってしまったことを思い出し、自分の胸元の方を見る。そして驚愕した、淡く緑色に光るペンダントを見て。

 

「ひ、光ってる?!」

 

『……気づいたか……朝倉和美……』

 

「え、ちょまさかこの声って……」

 

ついに頭が完全に目覚めた状態へ覚醒するが、同時に頭の中で今起こっていることがどんどんとイコールでつながっていき、混乱を生じさせる。この声の主、光り輝くペンダント。それらが結びつけるものは。

 

『……そうだ、私はペンダントの中にいる。……お前に話があって声をかけた』

 

「えっ……ええええええええええええええええええ!?」

 

あまりに衝撃的な言葉が声の主から伝えられ、和美は思わず大声で叫んでしまう。

 

『……静かにしろ……他の者が起きるぞ……』

 

そう言われて慌てて自らの口をふさぐ。幸い、誰も起きてはこなかった。ほぅ、と溜息を一つ漏らし、冷静になって再び視線を胸元へと向ける。

 

「……で、あんたは何者なんだい? どうせペンダントの中に拡声器でも仕込んであるんでしょ?」

 

『……心外だな、私をそんな陳腐な方法を取る者だと決めつけられるのは』

 

「じゃあなにさ、あんたは魔法でペンダントにでも閉じ込められてるって?」

 

『……そうだと言ったら?』

 

相手の若干不愉快そうな言葉に、思わず吹き出すのをこらえる。あまりにも荒唐無稽で出鱈目な与太話にしか聞こえない。

 

「あー、はいはい。じゃあそれでいいよ、それでその閉じ込められちゃったかわいそうなペンダントさんは何を訴えたくて話しかけてきたの?」

 

『……貴様……まあいい。貴様に話しておくべきことがある』

 

「宗教勧誘はお断りだよ、怪しい黒魔術もパスでね」

 

『……そうではない、私を買ってくれた礼をしたくてな。……忠告をしようと思う』

 

「忠告?」

 

てっきり、このペンダントを利用した霊感商法やら宗教勧誘だと思っていた彼女は、意外な言葉に眉をひそめる。だが、これもそういった類の話に繋げるための話術ではないかと思い、迂闊に流されたりしないよう気を引き締める。

 

だが、次いで出た言葉は更なる想定外。

 

『……貴様の教師は、魔法使いだ』

 

「は?」

 

あんまりにも予想の斜め上すぎる言葉に、さすがの和美も呆然となる。確かに僅か10歳の少年が教師をしているのはおかしい話だが、それでもまだギリギリ常識的な範囲だ。アスナに聞いた話では、飛び級制度導入における実験的試みであるらしいし、日本政府が協力しているという点で疑問はほぼ解決する。

 

「……はぁ、どんな言葉が飛び出すかと思えば……」

 

正直言って、和美はこのペンダントに失望したと言わざるを得なかった。もう少し面白いことを吐いてくれれば新聞のゴシック程度にはなっただろう。だが、ここまで意味不明なことをさすがに新聞に載せる訳にはいかない。下手をすれば信用問題だ。

 

「もうちょっと捻りとかないの? 私が不幸な目に遭うーとか、友達が行方不明になるーとか」

 

『……真面目な話をしているつもりなんだが?』

 

この言葉に、和美はかなり苛ついた。まだしらを通せると思っているらしい。ここまで厚顔無恥な相手と話すのも精神衛生上よくない。いい加減下らない問答をやめてさっさと寝ようとする。そして明日にでも葉加瀬聡美に頼んでペンダントに仕込まれているであろう拡声器をバラしてもらおうと思い布団に潜ろうとした。

 

『……『桜通りの幽霊』』

 

「っ!?」

 

ペンダントがポツリと零した言葉に、和美はガバリと起き上がる。

 

『……ようやく真面目に話を聞くきになったか?』

 

「……なんであんたがそんなこと知ってるのよ……!」

 

ペンダントを手に入れたのは今日。いくら相手がこちらの動向を探ろうとも、学園から遠く離れたここでその情報を手に入れることなどできるはずがない。

 

(まさか、私をはじめからターゲットにしてた……?)

 

既に学園にいた頃からストーキングをされていたのであれば、納得のいく話だ。だが、それではなぜ一介の学生にすぎない自分を狙っている。むしろ実がいいのは、同じ班員である雪広財閥の一人娘である雪広あやかのほうだろう。

 

(いや、いいんちょを狙うために私を……!?)

 

外堀から攻めるため、自分を狙ったのだとすればかなり事態はまずいこととなっている可能性が高い。自分以外にもこうやって弱みを握ろうとされている可能性がある。

 

『……ふむ、なにか勘違いをしているようだから訂正するが、私は君のために忠告をしようとしているだけだ』

 

「……どういうこと?」

 

『……そうだな、先ほどの君の態度からして考えたんだが……やはり実践した方が早いか』

 

そう言うと、ペンダントの光が段々と弱くなってゆく。一体何をするつもりなのか、段々と不安になってくる。

 

(……まさか超音波でも流して催眠術でもかけてくるんじゃ!?)

 

そう思いつくと、急いでペンダントを外そうとする。しかし、なぜかペンダントの鎖が手に絡みついてしまい、外すことができない。為す術もない和美は、何もできない歯がゆさを噛み締めつつもペンダントの相手の反応を待つ。

 

『……そう身構えないでくれ。君に害を及ぼすつもりはない』

 

黙したままであったペンダントからようやく言葉が漏れ出てきた。次いで、ペンダントが明滅し始める。部屋の中が暗くなったり明るくなったりを繰り返し、目がチカチカするのを堪えながら和美は固唾を呑んでペンダントを凝視し続ける。

 

『……よし。朝倉和美、君に魔法をかけた……飛べと念じてみろ』

 

ようやく事が終わったらしく、ペンダントは元の輝きに戻ると和美にそう言った。だが、念じろと言われてもよくわからないと彼女は伝える。

 

『……イメージするだけでいい。後は私がやる』

 

そう返され、仕方なく目をつぶりながら自分が空を飛んでいるイメージをする。翼を背にもって軽やかに飛び回るイメージ、ではなく現代人でらしく、漫画によくある気を用いた浮遊術を頭に思い浮かべる。

 

『……目を開けてみろ』

 

ペンダントの声に促され、恐る恐る目を開いていくと。

 

「………………は?」

 

目線が高くなっていた。天井が近づき、自分が座っていたはずの地面が少し遠く見える。目の錯覚でも起こったかと目をこすってみるが、普段の見慣れた目線に戻らない。これは一体どうしたことかと立ち上がろうとするが、なぜか足が地面を捉えられずに体のバランスが大きく崩れてもんどり打って倒れる。

 

いや、倒れそうに(・・・・・)なった(・・・)

 

「なに……これ……」

 

体が逆さになっていた。ペンダントのある胴体上部を基点として体が上下逆さまになったのだ。180度逆転した真っ逆さまな世界に、まるで今見えている光景が別の世界であるかのような錯覚を覚える。

 

『……私を基点とし、お前を浮かせたのだ』

 

ありえない。まるでファンタジーのような現象など、現実世界で起こるわけがない。誰もが夢想し、夢物語として書物やテレビの中でしか実現できなかったことが、ただのペンダントごときで起こり得るはずがない。今起こっている現象に対してどうにか説明をしようと彼女の脳内が必死に解を求めようとするが、当てはまるものが出てこない。

 

「ありえない……どうせトリックに決まって……!」

 

『……現実を受け止められないのか? ……仮にも記者だろう、事実を受け止めるだけの度量はあると思っていたのだがな……』

 

これが現実ではないと、説明ができないまでも彼女の常識が訴え続ける。こんな非常識が、こんな不条理が魔法などというご都合的で抽象的な存在もしないものによって為されているなどあり得ないと。

 

「どこかに糸でも……!」

 

『……君の体にでも巻いているのか? ……それは君の体が一番知っていると思うがね』

 

「なら磁力か何かで……」

 

『……君の体は鉄ででも出来ているのか?』

 

「なら、なら……」

 

『……いい加減認めてしまったらどうだ? ……魔法が存在すると』

 

認められない、認める訳にはいかない。魔法などという常識から外れたものを現実だと思ってしまえば、それこそ記者として失格だ。そんな単純なことに思考を向けてしまうような大馬鹿者になってしまっては、真実を暴く記者とはとても言えやしないだろう。

 

「認められるわけ無いでしょ……そんな非科学的で現実味のないこと……!」

 

『……君は記者を目指しているようだが。常識の範囲で語れないような出来事も、世の中には確かに存在するはずだ。高層ビルから落下して無傷だとか、行方不明だった人間が数十年ぶりに発見されるだとか……そういう事例は少なからずある』

 

「……何が言いたいわけ?」

 

『……時には、認められないような事実と向き合い、それを受け入れるのも記者の度量だと私は思うのだがな。固定観念に縛られているようでは、多角的にその事象や事件をみることなどできはしないと思うぞ』

 

その言葉に、和美は奥歯を噛んで押し黙る他なかった。悔しいが、この相手の言っていることにも一理ある。時として常識を越えるような出来事に遭遇した時、それを認めることができなければ真実は遠のいていくこともあるだろう。

 

だが、だからといって認められるはずがない。頑として認めようとしない和美の態度に、ペンダントはさらなる提案をした。

 

『……では、決定的な証拠を君に見せてあげよう。それで君は私を信用してくれるはずだ』

 

「証拠?」

 

『……今、この部屋には長谷川千雨がいない』

 

「っ!?」

 

千雨が入っている方の布団を見やる。そこには頭から布団をかぶって顔が見えない膨らんだ布団があった。だが、確かに顔が見えずとも彼女が入っている可能性は高いはずだ。

 

『……直接確かめたらどうだ?』

 

「……下ろして」

 

確認しようにも、浮いたままでは無理だ。下ろすようにペンダントに命じ、ゆっくりと布団の上に下りていく。そのままペンダントは輝きをだんだんと薄れさせ、元の何の変哲もないペンダントに戻った。和美は足音を立てないように慎重な足運びをしながら、千雨の布団へと近づく。

 

(……彼女がここにいればこいつの言葉は嘘って確定する。……でも、もし……)

 

千雨がいなければ認めざるをえない。ペンダントの言葉を、魔法という空想の現象が実在すると。緊張で口の中が乾き、喉が貼り付くように感じる。無意識の内に唾をごくりと飲み込み、震える手で布団を剥がそうとした、その時。

 

(っ、足音!?)

 

廊下から微かな足音を聞き取る。それも慎重かつゆっくりと歩いているような風で、今がもし皆が寝静まって静かな夜中でなければ聞き逃してしまうだろう。

 

(先生の巡回の時間は終わってるはず……とりあえず布団に入らないと……!)

 

後ちょっとというところであったが、こうなっては仕方ない。まるで自分にそう言い聞かせるかのように、内心でそう思おうとする。慌てて布団へと潜り、事の成り行きを見守る。

 

(……! 入ってきた……!?)

 

ドアノブの回る音と、次いで扉の開く音。どうやらその何者かは部屋へと入ってきたらしい。これがもし強盗や変質者であれば、彼女としてはまだ気が楽だっただろう。だが、残念なことにその相手は彼女の想像していた通りの人物で。

 

(長谷川……さん……!)

 

ペンダントが言っていた人物が、そこにはいた。彼女は慎重に自分の布団まで戻っていくと、彼女が入っていたはずの布団をめくる。

 

そして布団の中にいたのは。

 

(ええっ!?)

 

もう一人の(・・・・・)長谷川千雨(・・・・・)だった(・・・)

 

「便利なもんだよなぁ、そっくりな身代わりまでつくれるなんざ」

 

小さくそう呟く千雨。だが、その言葉は和美の耳にはしっかりと届いており、布団の中から彼女を凝視していた。

 

(なんで長谷川さんが二人いるの!?)

 

彼女そっくりの人形が入っていたのか。いや、それでも彼女は和美が見ているところで布団に潜り込んでいた。たとえロボットだとしてもすぐにバレるはず。そして、更に驚くべき現象が起こったのだ。

 

千雨が布団の中のもう一人に手を置いた瞬間、布団の中にいた千雨が消えたのだ。いや、正確には一枚の紙切れになったというべきか。

 

(な、何が起こったの……!?)

 

結局、千雨はその紙をポケットに入れると寝間着に着替え、そのまま布団に潜り込んで眠ってしまった。和美は、あまりにも衝撃的すぎる一連の出来事に頭を悩ませ、眠れたのは夜明け前になってしまったのだった。

 

 

 

 

 

(……結局、コイツの言ったことは本当だった。魔法は確かに存在する……!)

 

そして修学旅行3日目の朝である現在、和美は朝風呂へ向かったネギの後をつけていた。2日目の昼、昨夜のことは夢だと思っていた和美だったが、再びペンダントは輝き彼女に告げたのだ。

 

『……ネギ・スプリングフィールドには気をつけろ。奴は魔法使いであり、君たちに正体を話さずにいるのは君たちを自身の目的のために利用するためだ』

 

相変わらずペンダントの胡散臭い言葉は信用できなかったが、それでも調べてみる必要があった。だからこそ彼が一人になる機会を待ち、そしてそれを掴んだ。今、風呂に入っているのは彼一人であり、裸である以上丸腰だ。

 

(……万が一もあるだろうけど、ここなら先生も油断するはず)

 

『……油断するなよ?』

 

「……分かってる」

 

ペンダントから忠告の言葉が告げられるが、彼女はあまり深く考えずに男湯へと向かう。衣服を脱ぎ、バスタオル一枚になると、引き戸を開けて露天風呂へと進入する。湯けむりの向こう側に人の姿を確認すると、彼女は静かに近づいていく。

 

「はろ~、先生。ごきげん、い、か、が?」

 

「あ、朝倉さん?!」

 

男湯であるはずのここに彼女が現れたことに余程驚いたのだろう。目をまんまるにしてこちらを見ている。

 

「ん~? そんなにジロジロ見ちゃって、ひょっとして私の体が気になっちゃうかな~?」

 

「す、すすすすすすみません!」

 

和美にそんなことを言われ、ようやく自分が何をしていたのか気づいたネギは、慌てて後ろを向いて視界から彼女を外す。そしてそのまま反対側の縁まで、水の抵抗を受けながらもザブザブと歩いてゆき、座り込む。

 

(よし、作戦は有効そう……!)

 

一方、和美は考えていた作戦が思い通りに進んでいることに思わずほくそ笑む。彼女も、一部のクラスメイトたちには劣るが、抜群のプロポーションを誇っている。むしろ、体つきのバランスの良さでは上位に食い込めるだろう。だからこそ、彼女はこの浴場という体を見せることが必然となる場所で、それを武器にしようと考えた。

 

(いくら子供とはいえ、相手は男の子! そういうのに気恥ずかしさを感じてもおかしくない年頃に近づいてる。だからこそ、色仕掛けは有効だわ……!)

 

彼女は再びネギへと接近し、今度は後ろから彼を抱き寄せるようにした。

 

「あ、あああああ朝倉さんなななななにを?!」

 

「ふふっ、慌てちゃって顔真っ赤にしてるなんて可愛い~」

 

耳元でささやくように言葉を告げる。それによってネギはさらにゆでダコのようになる。なんだか和美にはそれが面白く感じてきたが、目的を忘れたつもりは毛頭ない。だからこそ、彼女は一気に切り込んだ。

 

「先生、私達に隠し事してない?」

 

「い、いきなりどうしたんですか?」

 

突然の質問に困惑するネギ。動揺を見せたことで、疑惑は確信へと変化してゆく。

 

「だって先生、まだ子供だってのに教師じゃない? 何か事情でもあるんじゃないかと思ってさぁ?」

 

「い、いえ。そんな、ことは……」

 

怯えたような顔をするネギ。和美は更に切り込んでゆく。深く、深く。

 

「例えば……そうねぇ……」

 

自らの疑問を解消するためと、ほんの少々の好奇心を満たすために。

 

「先生が……魔法使い……だとか?」

 

それが、彼女の首を絞めていくとも知らずに。

 

 

 

 

 

「なん……で……?」

 

「……本当に、魔法使いなの?」

 

頭が真っ白になった。動悸がどんどん激しくなり、茹だって熱くなっていた頭からどんどんと血の気が引いてゆく。もっとも知られてはならないことが、なぜか知られてしまっていた。それも、彼の生徒に。

 

(ど、どこでバレたんだろ!? この前の事件? それとも学校に来た時から!? ど、どうしよう記憶を消さないとでも朝倉さんに危害を加えるなんてできないしでも……)

 

グルグルと、頭の中で様々なことが巡ってゆく。目の前に突如現れた問題を解決しようと必死になって考え、ノンストップでそれを処理しようとする。だが、今の彼は別の問題を抱えてもいたわけで。

 

(朝倉さんはクラス一のパパラッチ……じゃあクラスの皆さんは僕の正体を知ってる!? いいんちょさんも、夕映さんも……宮崎さん、も?)

 

そう、彼にとって初めての体験であり、先程までの悩みの種であった、宮崎のどかからの告白に対してどうしようかと悩んでいた問題。突然現れた和美のせいで頭の片隅へと追いやられていたが、まだ答えは決まっていないのだ。

 

(そうだ宮崎さんから告白されてそれで返事も考えてないしでも宮崎さんも僕が魔法使いだってこと知ってるってことはそれも含めて告白した……?)

 

頭の中では負の連鎖反応が次々と起こってゆき、自分にとって最悪な予想がどんどんと明確なビジョンとなって固まっていく。彼の精神はもうはちきれる寸前だ。

 

「先生! なんで私達にそのことを隠してたの! 私達を利用するためだって、それは本当なの!?」

 

ペンダントの相手の言葉によって、彼女にはネギに対する先入観が固まりつつあった。そのせいで、相手のことを正しく捉えようとすることができず、普段の彼女ではしないような偏った視点からの追求をしてしまっている。それにより、ネギは更に追い詰められてしまう。

 

「あ、う……」

 

「答えてっ!」

 

そして。

 

「う、うわあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

彼の限界が、ついに訪れる。

 

 

 

 

 

和美は、呆然とその光景を眺めるほかなかった。突然ネギが叫ぶと同時に強烈な突風が巻き起こり、彼女は吹き飛ばされて風呂の外へと落ちた。幸い怪我はなかったが、痛む腰をさすりながらネギを見ると、彼を中心にまるで旋風が吹き荒れるかのような状態になっていたのだ。

 

「な、何が起こってるの……!?」

 

「あああああああああああああああああ!」

 

なおも叫び声を上げるネギ。頭を抱え、狂ったかのように振り続ける。ただでさえのどかのことで悩んでいたところに和美の追い打ちがはいったことで、頭が完全に飽和状態になってしまたのだ。いくら優れた頭を持ってはいても、まだまだ精神的に未熟な子供である彼には最早感情を抑えられず、暴走してしまったのである。

 

「ちょっと、これ一体どうなってんの!? 答えなさい!」

 

慌ててペンダントに向かって叫ぶが、ペンダントはなんの反応もない。最早、和美にはどうすることもできなくなっていた。

 

「先生何があった!?」

 

「こ、これはいったい!?」

 

異変を感じ取った千雨と刹那、アスナとアルベールは露天風呂へと駆け足でやって来た。そして、風呂の水を巻き上げるほどの暴風を起こしているネギを見て驚愕した。

 

「や、やべぇ! 魔力が暴走してるぜ!?」

 

「暴走だと!?」

 

「兄貴は魔力がバカでかいんだが、その全てを扱えるわけじゃねぇんでさぁ! だからこそある程度セーブしてるんだが……感情が高ぶるとそれが外れちまうんです!」

 

「くっ、これほどの魔力……お嬢様以外にはみたこともない……!」

 

「こ、これじゃ近づけないわ!」

 

凄まじい魔力の奔流に、さしもの刹那も近づくことができない。下手をすれば、魔力に当てられて気絶してしまうだろう。千雨は朝倉に詰め寄り、この原因であろう彼女を問い詰める。

 

「おい朝倉テメェ! あいつに何しやがった!?」

 

「し、知らないよ! 私は魔法使いかどうかが知りたかっただけで……!」

 

「クソッ、それが原因か!」

 

昨日から悩み続けていたネギはストレスが積もっていた可能性が高い。いや、むしろ先日の事件から静かに、ゆっくりと溜まり続けていたのだろう。そして、和美への魔法バレが決定的な引き金となってしまった。

 

「どうする、このままじゃまずいぜ……!」

 

「魔力を限界まで吐いちまったら命に関わりまさぁ! 早く止めねぇと!」

 

「で、ですがこの暴風では私でも……!」

 

一方で、さすがのアスナもこの予想外の状況に焦りを感じていた。

 

(本気でマズイわ……このままだと死にかねない。でも今、迂闊に私の実力を彼女たちに見せる訳にはいかないし……ああもう、じれったいわねぇ……!)

 

誰もが焦り、しかし打開策を思いつかないまま手を拱くだけ、そんな時だった。

 

「ね、ネギせんせー……!?」

 

それは、本来現れないはずの人物。

 

「ほ、本屋ちゃん!?」

 

「馬鹿な、人払いの結界は張っていたはずなのに……!?」

 

刹那の人払いの結界によって誰一人一般人が寄り付かないようにしたはずのここに、宮崎のどかの姿があった。

 

 

 

 

 

「ど、どうなってるんですか? ネギ先生が……」

 

ネギを見て困惑しているのどか。無理もない、想い人が狂人のように体をじたばたとさせながら荒れ狂う風を発生させているのだから。

 

「話は後だ! 今は危険だから部屋に戻れ!」

 

この非常事態に、更に一般人の彼女がいては止められるものも止められない。だからこそ彼女に部屋に戻らせようとしたのだが。

 

「……です」

 

「は?」

 

「……嫌ですっ!」

 

普段の引っ込み思案な彼女からは想像もつかない、力強い拒否の言葉。たったそれだけの言葉だというのに、先日修羅場をくぐった千雨が、怯んだ。

 

(な、なんだ……この迫力は……!?)

 

千雨は知らず、一歩足を退いていた。彼女は知らない、引っ込み思案とはいえ彼女は一度決めた意思はそう簡単に曲げない頑固な人物であることを。

 

(何が起こってるかわからないけど……せんせーを止めないといけない気がする!)

 

ここで引いては、一生彼と本当の意味で一緒にはいられなくなる。そんな気がしたのだ。彼女はポケットからあるものを取り出して握りしめる。それは修学旅行の前に親友から渡されたもの。

 

夕映から(・・・・)渡された(・・・・)お守りだ(・・・・)

 

 

 

『いいですかのどか、それを肌身離さず持っていてください。そのお守りにはありがたーいご利益があるです』

 

『そ、そうなの?』

 

『安全祈願に、無病息災。それから恋愛成就の効能もあるです』

 

『わ、分かった。ちゃんと持っておくね!』

 

『……絶対に無くしちゃダメですよ』

 

 

 

(私は……先生が好き! この気持ちに嘘なんてつけない、だから先生と一緒にいたい!)

 

一歩踏み出す。それだけでも彼女にはとても辛いものだった。なにせ周囲は強烈な風が吹いている。彼女がいつ吹き飛ばされてもおかしくない。

 

だが、彼女はさらに歩を進めた。諦めたくない一心で、彼へと手を伸ばす。それを見て、一同は驚きで目が点となる。

 

「ほ、本屋ちゃんてあんなに強い子だったかしら……?」

 

「さ、さぁ? これが恋の力って奴っすかねぇ?」

 

「いやまさか、あそこまで度胸があるなんてなぁ……」

 

「凄まじい精神力です……」

 

口々にそんなことを言う。一見余裕そうだが、この暴風の中では立っているだけでやっとだ。のどかが動けているのは、彼女が握っているお守りのおかげだ。実は、このお守りは夕映が柳宮霊子から渡された護身用の魔法呪符が入っており、強力かつ感知できない魔法障壁を自動的に生成する代物だ。魔力もいらず、持ち主に危険が迫ると発動する。おまけに人払いなどの呪いも効かない優れもの。

 

ただし、一回限りの使い捨てである。効力も長くは続かないし、魔法の存在など架空のものだという認識の世界で生きてきた彼女には魔法に対する抵抗力など持っていないため、障壁越しでも風圧がきついのだ。徐々に、障壁の構成が緩んでゆく。

 

「ねぎ、せんせー……!」

 

精一杯の声で呼びかける。風に遮られて聞こえていないかもしれない。こんな弱々しい自分では無理かもしれない。それでも、彼女は力の限り訴え続ける。彼の心に、届くまで。

 

「ねぎせんせーっ!」

 

「っ!?」

 

既に目を見開いたまま意識が混濁していたネギが、のどかを見やる。既に理性的な部分が殆ど無い彼は、本能的に相手を分析した。そして、自分がストレスを感じてこうなった原因の相手だと理解する。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」

 

すると彼は、呻き声を上げながら一直線に彼女へ突撃した。避ける間もなく、いや、彼女はそれを正面から堂々と受け入れた。衝撃で、構成が緩んでいた魔法障壁がついに破壊される。

 

(あ……)

 

のどかは気づいてしまった。ネギが彼女へ、憎悪の視線を向けていることに。

 

(………先生は、私のせいでずっと悩んでたんだ……だからこうなっちゃったんだ……)

 

その瞳から溢れて見えたのは、葛藤と悲しみ、怒り、そして優しさ。優しいからこそ、彼は自分がのどかを嫌いになりそうな気持ちを抑えこもうとした。そして、それが抑えられなくなって溢れだし、暴走してしまった。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい先生……!」

 

のどかは涙した。自分の身勝手な言葉で愛する人を傷つけていたことに気づけなかった自分が情けなく、悔しかった。こんな風に相手を傷つけてしまうような恋など、初めから芽生えなければよかったと思うほどに。

 

先ほどまでいっしょにいたいと思っていた。だが、それも彼女が望む身勝手。それによって彼が傷ついてしまうならいっそ、嫌われてでも彼を助けたかった。好きだという身を焦がすような思いに、背いたとしても。

 

「先生……私は先生が好きです……でもそれは私の勝手なんです……! 勝手に押しつけてしまったことなんです……! だから、私を嫌いになっても、大丈夫なんです……!」

 

涙で視界が滲む。感情と涙で世界はぐちゃぐちゃになってゆくが、それでも彼女は彼に訴えかける。好きで好きでたまらない相手に、嫌いになってほしいと本心から叫ぶ。包み込むように抱きしめて、泣き声を上げながら。

 

彼女を嫌いになりたくないせいで暴走したネギと、彼のために嫌われようとするのどか。

 

互いに互いを傷つけあうそれは、まるで針で互いを傷つけあうヤマアラシのよう。

 

「先生……私は、先生を……!」

 

「あ゛、あ゛ぁ」

 

「私なんかのために、先生を傷つけたくないっ!」

 

「!」

 

のどかの言葉と同時。それまで吹き荒れていた暴風が突如として止む。暴走していた魔力も彼の内側へと収まってゆき、ついにはゆっくりと落ち着いていく。

 

「お、収まったの、か?」

 

「み、みたいでさぁ……」

 

突然の出来事に、固まったままの3人と一匹。暫く動くこともなく、俯いたままだったネギだったが。

 

「だめ、ですよ……のどかさん……私"なんか"なんて、言っちゃ……」

 

「ネギ、せんせー……」

 

顔を上げ、そう言った。のどかの言葉によって、正気を取り戻したのだ。

 

「僕、本当は多分……すごく嬉しかったんです……のどかさんのことが、きっと好きだったから」

 

そう言って、彼はニコリと笑う。年齢相応の、幼い笑みだった。本心からこぼれ出た笑顔であった。

 

「私、いいんです、か……? 私は、先生を好きになって……いいんですか……?」

 

「いいんです。僕は教師で、のどかさんは生徒です。……だから、あなたが卒業するまで……そして僕が大人になるまで、待っててくれませんか?」

 

「は、はいっ!」

 

ストレートなその告白に、のどかは赤面しながら応える。ネギは、そのままのどかへと顔を近づけてゆき……。

 

「うう、感動的でさぁ……!」

 

「……い、意外と大胆なんですねネギ先生も……」

 

「一件落着、かしら?」

 

「……はぁ。まあ、本人たちで納得したなら、いいか」

 

その様子に、三人と一匹は各々の感想を口にする。収まるところに収まったことで、ようやく騒がしい朝は落ち着きを取り戻そうとしていた。

 

だが。

 

「朝倉……お前には後できっちり話を……どうした?」

 

先程から一切微動だにしない朝倉を見て、様子がおかしいことに気づく。

 

『……感動的なところを悪いが』

 

朝倉和美は、突如そんなことを言いながらゆっくりと立ち上がる。そして、その顔をあげると。

 

「っ! オイまさか!?」

 

目が、狂喜の色を浮かべていた。

 

『……まだ、終わらせるつもりはない……クキキッ』

 

千雨はその目を知っている、覚えている。

 

それは、暫く前に起こった"あの事件"の首謀者のものと、全く同じものであった。



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第三十三話 修学旅行三日目(午前)

混沌は加速してゆく。やがてそれは、
誰も逃れられぬ大渦へと姿を変えてゆく。


『クキキッ、ようやく体が手に入った……』

 

先ほどの一切動きのなかった和美が、突如豹変したように凶悪な笑みを浮かべながらケタケタと笑っていた。非常に不気味な光景ながら、しかし千雨とネギには見覚えのある光景。

 

「てめぇ、まさかあの時の……!」

 

『お察しのとおりさ! 私は君たちと一度戦っている。以前『桜通りの幽霊』などと呼ばれた存在だ』

 

そう、彼らの前に再び現れたのだ。大川美姫に取り憑き、あの悪夢を繰り広げた最悪な人格が。尤も、あくまでネギ達がそう思っているだけで彼女は本物の大川美姫なのだが。

 

「そんな、でもエヴァンジェリンは使いものにならないって……!」

 

『悪党の言葉を信じていたのか? おめでたいやつだ、あの人は私という人格を廃人になったように見せかけて回収し、仮初めの体として別の器物へと封じたのさ』

 

そう、和美が持っていたペンダントこそそれであった。彼女は和美の不安をわざと煽るような言い方をして彼女に罪悪感を抱かせ、体を乗っ取ることを考えていたのだ。そのついでで、彼女をこんな目に合わせた原因たるネギにも苦しみを味わわせてやろうと画策し、和美にネギのことをわざとばらしたのである。

 

「どこまでしつこいんだテメェは!」

 

『生憎、私はあの人のように泰然と構えるタイプの悪じゃなくてね。すべきと思うなら意地汚かろうと邪魔をするさ』

 

彼女は体を得るために、虎視眈々とそのタイミングを狙い続けてきた。そして先ほど、ネギの暴走という彼女にとってこの上ないチャンスを手に入れたのだ。その余裕すら感じさせる笑みから、余程上機嫌であることが伺える。

 

自分にとって憎き敵たるネギが、自分の生徒によって追い詰められて魔力暴走を起こし、更にはその生徒も自分の魔の手に堕ちた。一石二鳥とはまさにこのことだろう。

 

『まだ体がうまく同調できないが、最早関係ないな。何せ私の体はそのまま人質そのもの。先生にはどうすることもできないだろう?』

 

「本当にムカつくやつだなテメェは!」

 

思わずそんな悪態をついてしまう千雨。同じ手で二度もこんなことをされたのだ、しかも今回は相手が完全に舞台から退いたと思っていたため、対処を使用にもそのための道具など持っていないため余計にたちが悪い。

 

『クキキッ、最っ高だ! 私を散々な目に合わせ、こんな姿になる原因となったあの長谷川千雨とネギ・スプリングフィールドが、指をくわえているしかないなんてなぁ!?』

 

「……事情は分かりませんが、あれが以前事件を起こしていた存在というわけですか?」

 

「ああ、見ての通り最悪なやつだ。取り憑いた相手のことなんざこれっぽっちも考えちゃいねぇ」

 

「あいつの言葉が正しければ、あのペンダントが原因なんでしょ? あれを引剥がせば朝倉も正気になるんじゃない?」

 

アスナがそう言う。確かに、相手はまだ体を乗っ取ったばかりで完全にはシンクロしていない。だからこそペンダントを外せば元通りになるだろう。だが、相手がそんな単純なことを許すはずがない。

 

『おっと、動くなよ? 私としては体は惜しいが最悪捨ててしまってもいいんだぞ? 無論、体を好き勝手にした後にでも、な』

 

そう言って、彼女は胸元から小さなカッターを取り出す。チキチキと音を立てながら刃を出すと、それを自らの首筋へとゆっくり押し当てた。

 

「下衆が……!」

 

いくらタオル一枚しか羽織っていない姿とはいえ、和美もなんの予防策も持たずにネギへと接近していない。ペンダントの助言によって、刃物の一つぐらいは隠し持っていたのである。しかし、それも彼女の目論見通りでしかなかった。

 

『それに、君も動くことなどできないだろう……なぁ、桜咲刹那?』

 

「……どういう意味だ」

 

『君のお姉さんが私の同僚、って言えば分かるかな?』

 

「っ!?」

 

相手の言葉に動揺する刹那。昨日のやりとりのことを思い出し、体がわずかに震えた。

 

『勧誘されたはずだと思うがねぇ? まあ、君には選択肢なんて端から一つしかないと思うけど。なにせ君は……』

 

「やめろっ!」

 

大声で、彼女が語ろうとしていた何かを止める。その表情は普段の凛々しさはどこにもなかった。怯え、怒り、恐怖、動揺。それらが入り混じったかのような、脆さを感じさせる。

 

『ま、私はどっちでもいいさ。君がこちらに来ようが来まいがどうでもいい』

 

心底どうでもよさそうな態度だった。仮にも同じ組織に所属している者が勧誘した相手に対して、ここまで無関心だというのも異常である。結局のところ、彼女にとって刹那は構成員が増えるか増えないか程度にしか考えていないのだ。

 

『無駄話も飽きた。私はそろそろお暇しようかねぇ』

 

「朝倉さんをどうするつもりですか!」

 

『知れたこと。この体を私という意識になじませた後に組織へ復帰するのさ』

 

「させると思うか?」

 

体を人質にとっているとはいえ、逃げの動作に入れば一瞬の隙は生まれる。そこを狙えばネギ達へと天秤は傾くだろう。

 

『そんな状態でか? 迷いを捨てられない剣士に、役立たずの人間共。そして魔力暴走で魔法も使えないただのガキ。負ける要素がないねぇ?』

 

彼女の言葉は、まさしく正鵠を射ていた。刹那は姉につながる人物を相手に斬りかかれるかという迷いがあり、千雨は荒事は向かない。アルベールは奇襲ならできるだろうが、前回の戦いで二度もその屈辱を味わっている彼女が油断するはずもない。アスナも、強かろうとあくまでも一般人でしかない。ただし、そう思っているのはネギ達だけだが。

 

(……ま、私が動くわけないんだけど。私も向こう側なんだし)

 

――――アスナは内心ほくそ笑んでいた。

 

今回の作戦、実はアスナが考案したものだった。前回の戦いで、再会の時間を邪魔された彼女は非常に鬱憤が溜まっていた。そこで、それを晴らすために彼女はエヴァンジェリンが抜き取った美姫の記憶と人格を、ペンダントに封じるようわざと進言したのだ。一時的とはいえ、ペンダントに閉じ込められるなど屈辱だろうと。

 

が、彼女はむしろ喜んでしまった。元々美姫の負の感情の大部分を占めているような人格が彼女なのだ。先の戦闘で魔法具を多用したことから察せられるだろうが、彼女は道具や魔法具を偏執的に好んでいる。そんな彼女は、自らが魔法具になれたことが新鮮で楽しかったらしい。

 

『これじゃ進言した意味が無い……っていうか余計に悪化してる……』

 

結局彼女の思惑通りにはいかず、しかもペンダントはアスナが預かることとなってしまった。元々美姫が苦手であった彼女にとっては地獄もいいところである。そして、なんとかしてこのペンダントを他人に押し付ける事を考え、今回の責任者である鈴音へ作戦の一部として提案したのだ。

 

『朝倉和美は厄介だし、今のうちにこっちでコントロールできれば作戦が進めやすくなると思う』

 

元々、その情報収集能力の高さに彼女らは警戒していたため、その提案はすんなりと通った。そうして、わざわざ別任務で近くにきていた幹部の一人である悪魔に命じ、和美へとペンダントをまんまと押しつけることに成功したのである。

 

――――これがこの作戦の真実であった。

 

『クキキッ、じゃあな……次会った時には覚悟しておくといいさ』

 

(一度に二人も邪魔が消えるのは有り難いことね。ようやく私も少しだけ肩の荷が下りるわ……)

 

後は美姫が体を奪ったまま逃げればいい。そして戻ってきた時には体の支配権は完全に美姫が掌握しているだろう。前回の失態もあり、美姫は今回の作戦には参加できないが、それでもネギ達の意識をそらしやすくなるだろう。

 

だが、その計画はあと一歩で頓挫することとなる。

 

『さらばだ、ネギせ……うおっ!?』

 

突如、強烈な風が吹き抜けた。それによって和美に憑依している美姫はバランスを崩して尻餅をつく。慌てて起き上がる一瞬、その一瞬が決定的だった。

 

「朝倉さんを返せっ!」

 

『なっ! 馬鹿な、はや……!』

 

一瞬で、ネギは彼女の前へと距離を詰めていた。そのスピードは、前回戦った時とは比べ物にならないほどの差があった。

 

『何故だ! 魔力など残っているはずが……!』

 

ネギはすかさず胸元のペンダントを掴み、そのまま器用に首を通過させてペンダントを放り投げた。驚愕に顔色を変えたまま、彼女は抵抗さえできずに肉体を失ったのである。

 

金属が軽く擦れるような音と、硬いもの同士がぶつかった時のような音を立て、ペンダントは露天風呂の縁まで転がっていった。そして、和美の肉体はゆっくりと崩れ落ち、慌ててネギはそれを抱きとめる。

 

(チッ、美姫め。最後の最後で油断したわね。それにしても予想外だったわ、まさか余力があったなんて……)

 

冷静に状況を分析するアスナ。しかし想定外の事態に驚きこそあれど、彼女の計算に狂いはない。

 

(まぁ、どっちにしろ朝倉は再起不能だろうけど)

 

「朝倉さん、朝倉さん!?」

 

彼女を揺さぶりながら声をかける。もしも精神が彼女によって傷つけられてでもいれば、それだけで和美は日常生活を送るのも難しくなる可能性が高い。だからこそ、和美の無事を一刻もはやく確かめたかった。

 

そして、何度か声をかけた時。

 

「……あ……れ……ネギ、せん……せ……?」

 

「朝倉さん!」

 

「私……なにが、どう……なって……?」

 

「よかった……無事で……」

 

目を覚ました彼女を見て、ほっと安堵の息を漏らす。一方、和美はぼぅっとした頭で何が起こっていたのかを少しずつ思い出していこうとし。

 

「そう、だ……私、先生に……迷惑……」

 

「いいんです……朝倉さんが無事でいてくれただけで十分です……」

 

「駄目、私が、私が先生を傷つけた……本屋ちゃんにまで辛い思いさせて……は、はは……最低だ……私……」

 

思い出し、そして反芻した彼女は次第に己の良心が死にかけていくのを理解した。自分の中途半端な認識で、触れられたくない部分へ土足で踏み込んだのだ。そして、あんなことになってしまった。教唆をされたのは事実だが、それでも実行したのは自分。最早、彼女は押しつぶされそうなほどに肥大化した罪悪感で心が壊れそうになっていた。

 

一線をわきまえたつもりでいた。ジャーナリズムを志し、悪を暴く正義を目指している気でいた。だが、所詮はただの人を傷つけることしかできないパパラッチなのだと、現実を正面から叩きつけられた。

 

(正気に戻ったみたいだけど、もう彼女は駄目でしょうね。心なんて脆いもの、砕けてしまえばガラス細工と同じで元には戻らないわ)

 

心のなかで哀れむでもなく、ただ淡々とそう思うだけの仕掛け人。たとえクラスメイトであろうと、彼女にはそれだけのことでしかない。むしろ、計画にじゃまになりそうな人間が減るのならば喜ばしいと思ってさえいる。

 

「……私……皆に、これ以上、迷惑……かけたくない……だから、記者なんて、やめる……」

 

「で、でも……記者になるのが朝倉さんの夢だって……」

 

「……もう、夢なんて、どうでもいいや……」

 

壊れてゆく、彼女も、彼女の夢も。ガラス細工のように、パキリパキリと折れてゆく。支えきれない罪悪感によって、ついに少女は限界を迎え砕け散る――。

 

「どうでもよくなんてありませんっ!」

 

――はずだった。

 

「僕は知ってます、朝倉さんが皆さんの思い出を残すために熱心に写真を撮ってたことを! 形として残そうとしていたことを!」

 

「せん、せ……?」

 

折れて砕けたはずのガラス細工が、少年の言葉によってかき集められてゆく。

 

「朝倉さんの夢が、困難なものだということも知ってます! 時として、誰かを傷つけることだってあることも!」

 

それらは、情熱という熱を灯した炉へとくべられ溶かされてゆく。

 

「だから、諦めちゃ駄目です! 確かに朝倉さんは間違いを犯したかもしれません、でもそこで立ち止まっちゃ……前に進むこともできないんです」

 

和美は思い出してゆく、自らの原点を。憧れた背中、拳にではなくペンにその力を込めて、存在しない敵などではなく机に向かうその姿。誰かを楽しませ、誰かを苦しみから救うために敢然と死地へさえも赴く勇気ある者達。

 

「失敗を犯すことは誰だってあります、大切なのはそこから学ばなければいけないことです。朝倉さんは今日、僕を通じて学んだんです、人を傷つける怖さを、そうなってしまう危うさを。それを、放ったままにしていいんですか!?」

 

「…………!」

 

失敗を恐れるものは、誰も成功へはたどり着けない。真実へとたどり着く努力を怠ると、真実が遠のいてしまうように。誤りがあるなら正せばいい、二度と踏み外さぬように。

 

それさえできないのなら、本当にただのろくでなしだ。

 

「学んでください、それができるまで僕はどこまでも付き合います。朝倉さんが、夢を捨てる必要がなくなるまで」

 

「せん、せい……」

 

胸の内の灯火は、轟々と燃え盛りながら熱を強めてゆく。優しく溶かされていった破片は、いつの間にか割れ目を失っていた。

 

「私……まだ、やり直せる……かな……?」

 

砕けたガラス細工は、確かに元には戻らない。だが、再び炎で炙ってやれば、形のない新たな可能性が生まれてくる。それは歪になってしまうかもしれない。不格好でみすぼらしくなるかもしれない。

 

「大丈夫です。それを正してあげるのが、僕達教師の役目なんですから」

 

それでも、二度目は失敗から学んでより強靭に。過去の過ちで己を磨き、より輝きを強くして。

 

二度と砕けぬように、祈りを込めながら。

 

 

 

 

 

屋根の上で、それを眺めている人影が一人。彼女こそが、先ほど起こった突風の原因だった。目の前の光景を眺めながら、彼女は自らの行動について考える。

 

(……何をやってるんでしょう、私は)

 

彼女は、ペンダントの相手のことをよく知っている。事件のことだって知っている。その時には、自身の親友が操られていながら、何もしなかった。いや、何もしなかったわけではない。その犯人に手を貸していた。最低な行為だったと、自覚はしている。本心では、それを望んではいなかったにしろ、だ。

 

(……のどか)

 

逆らうことができなかった。あの恐ろしい、禁忌の魔女の言葉に。彼女は屈して、親友を売ったも同然のことをした。そのせいで、数日は食事は喉を通らず、吐いてしまった。時間が経つにつれ、自分に都合のいい言葉を言い聞かせて何とか心の均衡を保ったが、未だチクチクと胸の奥が傷んでいた。

 

(……贖罪のつもり? ……だとすれば、私は救われたいんでしょうか……。なんて、身勝手で最悪で……)

 

不意に、自らと魔女の姿が重なる。今の自分と、とても似通って見えてしまった。

 

(……今更、誰に許されたいんですか、私は……)

 

自らを自嘲しながら、少女はその場から姿を消した。

 

 

 

 

 

一方、みながネギと和美に意識を向けている中、千雨は一人ペンダントが転がっている露天風呂の縁にいた。彼女は警戒しながらも、ペンダントを見下ろしている。

 

「まさかてめぇがまた出てくるなんて思わなかったが……年貢の納め時だな、オイ」

 

『…………』

 

「チッ、だんまりかよ。……ま、これ以上被害が出ても困るし回収したほうがいいか……」

 

前回も今回も、この迷惑な存在によって一般人であるクラスメイト達が巻き込まれている。また被害が及ぶ可能性を摘み取るため、彼女は回収しようとペンダントを手にとった。

 

『……かかったな!』

 

直後、ペンダントが不気味な黒緑色の光を放ちながら静かに輝いた。そして、ペンダントを握ったまま体の自由がきかなくなってゆく。

 

(体が動かねぇ……声も出ねぇ……!?)

 

『待ってたぞ、長谷川千雨……貴様が私を拾い上げる瞬間を……!』

 

心底憎らしそうな声で美姫がしゃべる。千雨は甘く見ていたのだ、彼女という人格の執念深さを。自由がきかなくなった千雨の腕は、ゆっくりとペンダントを首へと持っていく。ようやく相手の意図を理解した彼女は必死に抵抗する。千雨に起こった異変に、しかし誰も気づけていない。

 

『無駄だ、私の全力を以って強制しているんだからな……! 仕方ないが、貴様の体を頂くとしよう……!』

 

(クソッ、動けよ……私の体は私のもんだ、好き勝手されてたまるか!)

 

だが、あまりにも虚しい抵抗だった。腕はついにペンダントの紐を首へくぐらせることに成功し、相手の求める条件は完了してしまった。

 

『クキキキキ! 朝倉の時は万一を考えて完全には憑依をしなかったが、今度は違うぞ。今度は精神を乗っとらず、私の精神で直接貴様に繋がってやる! これで、お前の体は私のものだ!』

 

和美の時には、体が戻るまでの中継ぎとして体を奪うために、態々相手の罪の意識を利用して精神的に支配しようとしていた。だが、絶体絶命となった彼女は最早なりふりかまってなどいられず、千雨の精神に直接自らを接続したのだ。それは彼女の主に背く行為だったが、それを考えられないくらいに必死になっていたのだ。

 

だが。

 

「……? 体が、動く?」

 

『……どういうことだ、体が、動かせ、ない……だと!?』

 

支配したはずの肉体が、全く動かせていないという事実。それに反比例するかのように、千雨は自由に体を動かしていた。

 

『何故だ、何故だ何故だ何故だ!? 精神を直接つなげたんだぞ!?』

 

実のところ、彼女は致命的なミスを犯していた。幼い頃から、千雨はあの鈴音を相手に強がりをみせられるぐらい精神的に強い。加えて、意識誘導などの精神に作用する魔法に強い耐性がある。『桜通りの幽霊』事件の折、人払いの呪などに誘導されることなくネギを発見できたことがその証拠だろう。だからこそ、ネギに対してどこか違和感を持てたし、エヴァンジェリンと相対しても意識を保ち続けることができたのだ。

 

つまり、彼女の精神に直接接続するという方法は最悪の一手だった。元々精神的には不安定である美姫が、そんな千雨の精神を乗っ取ることなど、どだい無理な話だったのである。

 

「……なんだか分からんが、私はお前に支配されないっぽいな。私が拾ってよかったぜ、これで他のやつに被害が及ぶこともないな」

 

『くそっ、くそっくそっくそっ! どこまでも私の邪魔をする気か、長谷川千雨ええええええ!』

 

こうして、ようやく朝の騒動は終わりを告げたのだった。

 

 

 

 

 

騒動の後。一同は一度部屋へと戻り、今後について話をすることにした。騒動を知らなかった楓は、泣きつかれて眠ってしまった和美を千雨が部屋へ連れて行き、その途中で出会い事情を聞かされ部屋へとやってきている。

 

まず、和美のことは一旦保留ということになった。本人が不在であるし、今はそっとしてやったほうがいいと千雨が言い、修学旅行が終わるまで持ち越すこととした。

 

次に、ネギの体調はどうなのかと千雨が聞いたが、なんと前より調子がいいらしい。これについて、アルベールがある推測を立てた。

 

『多分すけど、兄貴は普段魔力をセーブしてやしたから、それを一気に開放したせいで体がストレスを感じなくなって楽になったんじゃないっすかね?』

 

どうも、魔力暴走によって膨大な魔力を抑えるので精一杯だった肉体が、今回のことで無意識ではあるが抑えていた魔力もコントロールできるようになったかららしい。そのせいか、魔力暴走を起こしたにも関わらず、魔力がほとんど消費されていないという。

 

次に、事情を知ってしまったのどかの処遇についてだが。

 

『僕が、最後まで責任を持ちます!』

 

と、なんとも男らしい事をネギが言ってのけ、のどかの希望もあり、記憶を消すことはしないこととなった。因みに、のどかはネギの言葉に終始真っ赤になっていた。

 

また、ペンダントの処遇について一悶着あった。千雨が体を乗っ取られそうになったことを話したのだが、そのせいでネギが珍しく本気で怒ってしまい、説教まで受けてしまった。千雨は以後、勝手な行動は慎もうと密かに決意したのであった。

 

「では、ペンダントは長谷川さんが持つということでよろしいんですね?」

 

「ああ。私以外が持つと、体を乗っ取られかねねぇしな。それに……」

 

『……チッ』

 

「ペンダントが外せなくなっちまってるから、私が持つ他ねぇよ」

 

美姫が精神を直接つなげてしまった結果、ペンダントを外そうとすると肉体が引っ張られて強烈な痛みが発生するようになってしまったのだ。どうやら、彼女らは一蓮托生の状態となってしまったらしい。

 

最後に、親書を届けに行く件についてだが。

 

「しかし、こんな事態まで起こってしまった今、早く親書とやらを届けるのがよいでござろうな」

 

「ああ。幸い今日は自由行動の日だ。お嬢様を護衛する以上、私は同行できないが……」

 

相手の妨害が激しくなってきた今、一刻も早く任務を終わらせるべきだと楓が言ったのだ。皆も、その意見に賛同した。これ以上手を拱いていては、被害者が増える可能性が高い。

 

「私とネギ先生で行くしかないか……」

 

「私もついていったほうがよさそうね。大丈夫よ、自分の身ぐらいは守れるし」

 

「拙者も同行しよう、数は多い方がいいでござる」

 

「わ、私は……」

 

「のどかさんは、修学旅行を楽しんでください。さすがに危険ですし、他の皆さんが心配します」

 

「あぅ……お役に立てなくてすみません……」

 

こうして、大体の話は纏まった。刹那は護衛のため、のどかは荒事に向かないため不参加。それ以外は、ネギとともに関西呪術協会本部へ向かうこととなった。

 

「でも、刹那さんがいないからどうやって行けばいいか……。本当なら、呪術協会側から迎えが来るはずなんだけど……」

 

近右衛門は、予め西の長に連絡して迎えをよこすよう言っていたのだが、3日目の今日になってもやってこない。恐らく、関西側で妨害を受けているだろうことは想像に難くない。

 

「その点についてはご心配なく。私の式が、後ほどご案内いたします」

 

「なら安心か。さて、これ以上妨害がないことを祈りたいが……」

 

千雨の虚しい祈りは、やはり届くことはなく。既に新たな刺客が手ぐすね引いて待ち構えていることを知るのは、この少し後であった。

 

 

 

 

 

出発前の小休止の時間。アスナは一人席を外していた。自分の失態を同僚に連絡するためだ。携帯電話の相手は、今回の作戦の指揮を担い、責任者でもある鈴音である。

 

【……そう。美姫が……】

 

【ゴメン、さすがに私の落ち度だわ。もう少しうまくいくと思ったんだけど……】

 

【……アスナ、美姫を押しつける気だった……】

 

【うっ……バレてたか……】

 

どうやら、彼女の考えていたことは既に看破されていたようだ。恐らく、鈴音は自分の敬愛する人物へとそれを報告するであろう。今度会うときはお仕置きされるかもしれないと思い、アスナは少しだけ顔が青くなる。

 

【……報告しないってのは、駄目?】

 

【……駄目】

 

【そこをなんとかっ!】

 

【駄目】

 

アスナの必死のお願いも、鈴音には通用しなかった。中々に頑固な彼女は、例え組織で最も長い付き合いの一人が相手であっても容赦はなかった。二度目は即答する徹底ぶりである。

 

【うぅ……マスターの楽しそうな顔が目に浮かぶわ……】

 

エヴァンジェリンは生来のいじめっ子気質なせいで、なかなかえぐい罰を与えるのだ。そんな彼女の気持ちもよそに、鈴音はアスナに確認を取る。

 

【……美姫は、彼女の手に……?】

 

【……ええ、そちらは予定通りになったわ】

 

今回のアスナの案、実は全てが失敗だったわけではない。彼女の計画していた目的が、段階を踏めなかったのが問題だったのだ。本来ならば、美姫が和美の体を乗っ取っておき、その間ネギ達と敵対状態であれば、優秀な情報収集能力を有する和美と関係を分断しておけた。そうすれば、ネギ達を対象とした計画を進める間、余計な情報が渡らなくなる可能性が高かったのだ。

 

その目論見は美姫の失態によって水の泡となってしまったが、本当の目的自体は別にあった。そしてそれが、段階をすっ飛ばして成功してしまったのだ。その目的とは、ペンダントの美姫をネギ達へ一時的に預けた状態とすること。

 

【肉体的には記憶を抜くって措置だったけど、それだけじゃ罰とはいえないもの。精神面で不安定なせいで失態を犯したんだからそっちへの罰がないと】

 

修学旅行が終わった後に、美姫には再度ネギ達と戦ってわざと負けさせる腹づもりだったのだ。それは、美姫に必然的な敗北を味わわせるという屈辱による罰という意味があった。因みに、その罰の執行はエヴァンジェリンに許可をとってある。幹部であろうと、懲罰には手を抜かないのが上に立つものの務めだ。

 

【むしろ、任務遂行に失敗しての敗北だから余計こたえてるでしょうね。美姫にはいい薬になるわ】

 

【……マスター、罰を考えてる時楽しそうだった……】

 

【……恍惚とした表情になってたんでしょうね】

 

尤も、それが彼女の性質に合致するせいもあるのだろうが。

 

 

 

 

 

「この先にあるのか?」

 

『はい、関西呪術協会の総本山は此処から先を行ったところです』

 

物静かな雰囲気を醸し出静し、どこか不気味な静けさを感じる神社の入口。石段の向こう側には、幾重にも建てられた朱塗りの鳥居が泰然と構えている。一同は、関西呪術協会本部がある神社の前へとやってきていた。

 

「ようやく懐に潜り込めるわけか。……にしても」

 

『? どうかされましたか?』

 

「いや、こうしてファンシーな存在を見てると、改めて非日常に生きてんだなぁと思うわ」

 

千雨は、案内役をしている刹那の式を見やる。そこには、ちんまりとした姿の刹那がいた。名を『ちびせつな』と言い、なんでも、自分の分身のような存在を式に当てているらしい。本人の記憶や性格などが反映され、戦闘力こそないものの、遠くの相手と齟齬なく連絡を取れるなど、色々と便利な存在らしい。

 

「姐さん、あっしも一応妖精っすよ?」

 

ファンタジーな存在というならば、アルベールもオコジョ妖精なのだが。

 

「お前はオコジョだから実在する動物だろ。どうせなら羽生やして出直してこい」

 

実在する動物であるためか、千雨にはそういった実感がないらしい。しゃべるだけなら、大したこともないという認識から、どうやら千雨も順調に非現実的な思考に染まり始めているようだ。

 

「千雨ちゃんはエロオコジョ相手だと辛辣よねぇ」

 

「むむ、世の中は面妖な出来事でいっぱいでござるな……」

 

「楓の姐さんには言われたくなかったっす……!」

 

敵前でありながら、どこか和気藹々とした雰囲気の一同。いや、これから起こるであろう激戦を前に、気を解そうと無意識の内にやっているのかもしれない。

 

『此処から先は、油断されぬのがよろしいかと。仮にも刺客は呪術協会側の人間、相手が罠を張っている可能性は極めて高いです』

 

そんなネギ達に、緊張をほぐすのはいいが油断はしないようにと忠告する。根が真面目な刹那らしい式である。

 

「だな。行くなら行くで、さっさと進んじまおう」

 

「万が一の時は、皆さん僕の近くに。魔法障壁で防ぎます」

 

『呪術による罠は、私にお任せを!』

 

「荒事ならば拙者が請け負うでござる」

 

各々が自らの役割を確認し、襲撃を受けた時のことを想定しておく。

 

「では、行きましょう!」

 

覚悟を決め、いよいよネギ達は神社の奥へと突入していった。

 

 

 

 

 

『んあ? どうやら来たみたいやな』

 

『……ええか? 引き込むんは戦えなさそうなやつだけや。神鳴流の女と隠形のデカ女は強敵やから弾きだすんよ?』

 

『強いんか……ちょいと戦ってみたいわ』

 

『どあほ! それで作戦をふいにしてもうたら本末転倒や! しっかり親書持っとるガキと人質にできそうな眼鏡のガキを引き込むんやで!?』

 

『分かっとる。俺もそん程度のことは理解しとるわ』

 

『うちはこれから、木乃香お嬢様を拐いに行くから、しっかり足止めしいや!』

 

『りょーかい。まあ、あんなひょろっちい西洋魔術師なんざけちょんけちょんにしたるわ』

 

『うちのとっときの鬼蜘蛛置いていくから、あんじょう使いや』

 

『……だいぶ近づいてきとるわ。そろそろやな』

 

『ほな、うちはもう行くで。罠の管理はしっかりしとき』

 

『なんや、留守番やるちびを心配やるオカンみたいやな』

 

『アホなこと言っとらんで、あんたもさっさと行き!』

 

『へいへい。んじゃ、思い切り暴れたるわ!』

 

 

 

 

 

「ぜぇ、ぜぇ……まだ、奥の社に、たどり着かないのか……」

 

「散々走ったでござるが……」

 

「ねぇ、この鳥居の傷の形、さっきも見た気がするんだけど……」

 

千本鳥居の中をひたすら駆けてきたネギ達。だが、いつまで経っても罠の気配はなく、襲撃される雰囲気もない。最初は拍子抜けだったが、それも油断を誘う罠だと思い、気を引き締めてはぐれぬように慎重に行動していたのだが。

 

「先が全然見えない……」

 

「静かすぎるぜ、鳥の(さえず)りさえ聞こえねぇ……」

 

体力のない千雨が、息を切らせながら周囲を見渡す。草木が風で擦れ合い、ざわめきが起こる。それはまるで、木々がひそひそと囁き合っているようであり、異なる世界にでも迷いこんでしまったようであった。

 

「不気味っすねぇ……」

 

「本当に何もないでござるなぁ……」

 

「もしかして、もう既に罠にかかってるとか?」

 

ふと、アスナがそんなことを言う。その言葉に、ちびせつなは何かに思い至ったようで。

 

『そ、そうか! これは敵方の罠です!』

 

「何? 既に罠にかかっていたというわけでござるか?」

 

『はい、恐らくですが『無間方処の咒法』かと! 半径500m以内囲い込み、侵入したものを無限にループさせることで脱出させない術です!』

 

「ってことは、さっきからグルグルと同じとこを回ってたわけか?」

 

先ほどアスナが言った、鳥居の傷跡が同じに見えた現象。それは同じ鳥居を見ていたからに他ならなかった。

 

(……というか、二度もヒントを貰ってようやくって……遅すぎよ)

 

既に気づいていたアスナは、それとなくヒントを零していたのだ。同じ場所を延々と回るなどつまらないし、かと言って自分から言い出すわけにはいかないのでそういった形でネギ達が突破するのを待つしかなかったのである。が、一度目のヒントはスルーされ、二度目に漏らした言葉でようやく彼女らが気づいたことに、アスナは少々苛立ちを覚えた。

 

「じゃあ、これは結界系の魔法なんですね?」

 

『はい。そして先生がご想像しているとおりだと思いますが、起点となる場所を破壊すれば抜け出せるはず……』

 

「ふむ、ならば拙者がそれを探すでござる。ちびせつな殿、場所はわかるでござるか?」

 

楓が、その起点となる場所の破壊を買ってでた。広い空間内を探る以上体力勝負となるならば、この中では最も適していると判断したのだろう。

 

『時間はかかりますが、何とかできると思います』

 

「では、行くとするでござるよ!」

 

『そういうわけにはいかんなぁ!』

 

行動を開始しようとしたその時。鎮守の森に何者かの声が響き渡った。

 

そして。

 

「もろたで!」

 

「なっ、一体どこから?!」

 

誰もいなかったはずの場所から、何者かが姿を現した。

 

「不意打ちは嫌いやけど、これも仕事や! すまんな、でかいねーちゃん!」

 

「くっ!?」

 

その人物は、一瞬で楓へと距離を詰めて蹴りを放った。咄嗟にそれを両腕を交差させることで防御するが、反動で後ろへと吹き飛ぶ。

 

そして、楓の姿が忽然と消失した。

 

「か。楓の姐さんが消えた!?」

 

「てめぇ、何しやがった!」

 

「結界の向こう側に行ってもらっただけや。尤も、帰ってくるのは無理やけどな」

 

その人物、少年はニヤリと不敵な笑みを見せる。背格好は、ネギとほぼ同じ。ネギは突如現れた少年を冷静に観察した。黒い学ラン服に身を包み、ボサボサに伸ばした頭髪からは犬のような耳が見え隠れしている。どうやら、一般人ではなさそうだ。

 

「関西呪術協会所属の、犬上小太郎や。少しの間、付き合ってもらうで!」

 

「……麻帆良学園教師、ネギ・スプリングフィールドです」

 

「お、きっちり名乗ってくれたんは嬉しいわ。西洋魔術師なんて名乗りもできんような不躾な奴ばっかやと思っとったけど、礼儀がなっとる奴もおるんやな」

 

妙なところで嬉しそうにし、犬耳をピコピコと動かす小太郎。しかし、纏う雰囲気は正しく戦闘者のそれだ。

 

「んー、神鳴流の女はおらんようやな。なら、作戦は概ね成功っちゅうことか」

 

「作戦?」

 

「……あー、しもた。これは言うたらアカンやつやったわ」

 

「……! まさか、僕達を閉じ込めて、このかさんから分断する気か!」

 

ネギが相手の言葉から、一つの解を導き出す。一方の小太郎も、自分の犯した失態に軽く舌打ちする。

 

「このかさんが危ない……!」

 

「さっさとここから出ねえといけなくなったな、早く基点とやらを見つけねぇと……!」

 

「させる思うんか? 鬼蜘蛛!」

 

小太郎の号令で、林の奥から突如巨大な何かが飛び跳ねた。それは一瞬太陽の光を遮り、段々とその影を濃くしながら落下してくる。着地した途端、軽く地面が揺れた。

 

「で、でかっ!?」

 

千雨が思わずそんな叫びを上げるほど、現実離れしたサイズの蜘蛛がそこにはいた。高さだけで3m近くあり、全長なら5mは堅いであろう巨体。

 

「鬼蜘蛛、あの嬢ちゃんらの相手したれや!」

 

鬼蜘蛛は小太郎の命令を受けると、一目散に千雨とアスナの方へと向かってゆく。

 

「おいおいおい! 私は戦えねぇぞ!?」

 

「姐さん、逃げてくだせぇ!」

 

猛進してくる鬼蜘蛛を前にして、千雨は立ち尽くすしかなかった。このままではあの巨体に踏み潰されてしまう。そう思っていても、あれほどの巨体が放つプレッシャーは大きく、体が思うように動いてくれない。あわや大惨事か、と皆が思った時。

 

「せりゃっ!」

 

アスナが、掛け声と共に鬼蜘蛛へと飛び蹴りを放った。それは鬼蜘蛛の胴へと命中し、蹴りを受けた鬼蜘蛛は薄気味悪い鳴き声を上げた。また、彼女の放った蹴りの衝撃で鬼蜘蛛の進行方向が変わり、千雨は紙一重で直撃を避けた。

 

「……し、死ぬかと思った」

 

エヴァンジェリン相手でも意識を保てる胆力を有する彼女だが、さすがに目の前で起こった交通事故のような一連の出来事には肝が冷えたらしい。一方、鬼蜘蛛を止められた小太郎は、どこか面白そうな顔をしている。

 

「おお、いっちゃんでかくて頑丈なやつ貰ってきたんやけど、蹴っ飛ばすなんてなぁ。面白い奴や」

 

「ネギ! こっちは私が何とかするから、そっちお願いね!」

 

蹴りを食らったことで激怒したのか、鬼蜘蛛はアスナを執拗に追いかけまわし始めた。それを好機と見て、アスナは鬼蜘蛛を引き連れたまま森の奥へと走り去ってゆく。

 

「チッ、女と戦う趣味はないし放っといてええか。それより……」

 

去っていくアスナと鬼蜘蛛を横目に見た後、小太郎はネギの方へと視線を戻し人差し指を向ける。

 

「ネギ言うたか? どうせ俺を倒さにゃでられないんや。一勝負付き合ってくれや」

 

不敵な笑みで誘う小太郎。ネギは背負っていた杖を手に持つと、戦闘態勢をとることで小太郎へ無言で応える。それを見て、小太郎は満足そうに口角を上げると。

 

「ええ返事や! ほな、いくでぇっ!」

 

戦闘の火蓋が、切って落とされたのであった。

 

 

 

 

 

「……っと、この辺でいいかな」

 

林の奥まで来たアスナは、その場で急停止して反転する。追ってきた鬼蜘蛛も、相手の行動の変化に対応せんとアスナの眼前で止まった。

 

「キシャアアアアアアアアアアアアア!」

 

「うわ、気持ち悪っ! 蜘蛛って鳴く器官なんてないはずよね!?」

 

ざらざらとした耳障りな鳴き声を上げる鬼蜘蛛に、アスナは直球で気持ち悪いと感じた。本来蜘蛛には鳴き声を出すための器官などないが、相手は式とはいえ妖怪である。鳴き声ぐらい上げても不思議ではない。

 

「ま、いいわ。最近運動不足ってのもあったし、久々に思いっきり動くかな」

 

「ギシャアアアアアアアアアアアアア!」

 

再び鳴き声を上げながら、アスナへ覆いかぶさるように襲いかかってきた。しかし、彼女は泰然と構えたまま動じることなどなく。鬼蜘蛛の腹めがけて、爪先をえぐり込むようにして蹴りあげた。

 

先ほどの飛び蹴りとは、一線を画すような重く鋭い蹴り。それは鬼蜘蛛の胴へと深くめり込み、そこからポタリポタリと体液を滴らせていた。

 

「グ、グギャ!?」

 

鬼蜘蛛は、口から体液を逆流させながら八本の足をぐねぐねと動かし、不気味な踊りを見せる。体液を浴びぬように足先を抜き、バックステップで回避するアスナ。鬼蜘蛛はそのままアスナから飛び退り、怯えたようなふうに体を震わせる。アスナはそれを冷めた目で見ながら、鬼蜘蛛へゆっくりと距離を詰める。

 

鬼蜘蛛は理解した。眼前の相手は人ではないと。鬼蜘蛛は狩る側などではなく、甚振られる側なのだと。しかし、それに気づくことが、余りにも遅かったことが鬼蜘蛛の不幸。

 

「今朝のこともあってイライラしてんの。いいサンドバッグになって頂戴ね」

 

そう言って、彼女は自らを守るようにしていた鬼蜘蛛の前足を蹴り飛ばす。たったそれだけで、鬼蜘蛛の前足の一本はちぎれ飛ぶ。鬼蜘蛛の8つの目には、確かな恐怖が宿っていた。

 

魔法世界最悪の怪物の一人による、一方的な蹂躙劇が始まった。



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第三十四話 修学旅行三日目(午前)②

ネギ達が突入を果たした一瞬後。太秦の映画村にて。

 

「この感じは……!」

 

「せっちゃん、どうしたん?」

 

「い、いえ。なんでもないです……」

 

険しい顔になっていた刹那に、木乃香がそう尋ねるも彼女は問題はないと返した。やや怪訝な顔をしたものの、木乃香は土産物屋の奥へと一足先に進んでいった。それを見送った後、再び刹那の目つきが鋭さを帯びた。

 

(式神とのパスが途絶えた……いや、繋がってはいるが感覚がつかめないな……遮断系の結界か……? やはり罠があった……と考えるべきだな……)

 

式神との感覚共有が突如遮断され、連絡が途絶えてしまった。幸い、繋がりそのものは切れていないため式神が自動消滅したとは考えにくいが、何らかのアクシデントが起こったと見てまず間違いないだろう。

 

「……どうしたです? 刹那さん」

 

「あ、いえ。少々考え事をしていただけです、綾瀬さん」

 

いつの間にか直ぐ側にいた夕映にそう返す。神鳴流を学び、気配に敏感な彼女が夕映の接近に気づけなかったのである。刹那は心のなかで自らの油断を反省した。

 

「そうですか。何やら難しそうな顔をしていたので」

 

「気を遣わせてしまったようですね、すみません」

 

丁寧にお辞儀をする刹那。夕映は別にいいと言ったが、刹那の生真面目な性格もあり、最後には夕映が折れて素直に謝罪を受け取った。

 

「そうそう、ちょっと聞きたいですが」

 

「はい、何でしょう?」

 

「のどかを見かけませんでした?」

 

「のどかさん、ですか?」

 

そういえば、と刹那が夕映の隣へと視線を移すが、そこには彼女の親友の姿がない。彼女は普段引っ込み思案な性格もあって、仲の良い夕映と一緒に行動することが多いはず。しかし、周囲を見渡しても件の人物らしき姿がない。

 

「最初に行った神社のところで一旦別れて、ここに集合という手はずになっていたですが……」

 

「うーん……申し訳ありませんが、私は見ていないですね……」

 

「そうですか。迷子になっていないといいですが……おーい、のどかー!」

 

刹那の返答に落胆した表情を見せる夕映。しかしすぐに気持ちを切り替えたのか、刹那に一礼した後大声で彼女の名前を呼びかけながら去っていった。

 

「……皆、無事だといいが……」

 

 

 

 

 

「なんや、もうちっと骨のあるやつや思っとったんやけど」

 

「ぐ、ぁ……!」

 

「かぁーっ、男が蹴り食らったぐらいで情けない声出すなや!」

 

戦闘が始まってから僅か5分。ネギは地べたに頬ずりをしていた。いや、叩き伏せられて這いつくばっているのだ。魔法障壁は割られ、彼は無残な姿となっていた。

 

(動きが、見えなかった……!)

 

彼の身に何が襲いかかったのか。それは単純明快なもの、最もシンプルなこと。圧倒的な速さで接近され、受けたことのないような強烈な連撃を叩きこまれた。

 

ただそれだけ、だがそれだけのことが脅威であった。

 

「所詮西洋魔術師なんざ、この程度っちゅうわけか。期待して損したわ」

 

やれやれといった様子で、至極退屈そうに欠伸まで噛み殺してみせる。この場を支配する者の余裕の現れか、それとも怒りを誘って立ち上がることを望んだ挑発か。いずれにせよ、この少年、犬上小太郎が上で、ネギが下であるという状況は変わりない。

 

(マズイ……魔法使いにとって一番相性が悪い相手だ……)

 

魔法使いは接近戦では不利だ。特に、遠距離から魔法によって攻めることが主流である西洋の魔法使いたちは体術などを学ばないことも多い。元々、従者や契約者、あるいは召喚した魔物などによって前衛を固め、その隙に魔法を詠唱するといった手法を取るため、そもそも体術を学ぶ必要性が少ないのだ。

 

しかし、だからこそガチガチのインファイター相手では苦戦を余儀なくされてしまう。それらを克服するために体術も学んで前衛と後衛両方を担える魔法剣士というスタイルもあるが、生憎ネギは後者ではなく前者なのだ。数少ない対策としての魔法障壁も、気で強化された拳で抜かれてしまった以上意味を成さない。

 

「くっ、ラス・テル・マ・スキル……」

 

キーを唱え、魔法を放つために準備を整える。

 

「遅いわアホ」

 

「ぐあっ!?」

 

だが、余りにも隙だらけな彼を、小太郎が攻撃しないはずもない。一小節さえ唱えられないまま顎に強烈な一撃をもらう。目から火花が飛び出してきたのではないかと思うほど、目の前がチカチカとする。足元はおぼつかず、視界がグラグラと揺れて焦点が合わない。

 

「先生っ!?」

 

傍からネギを見守っていた千雨が叫ぶ。しかし、今のネギには彼女の姿が二人にも三人にも見えてしまう。まさに満身創痍といった状態だった。

 

「……俺も弱い者いじめは好かん。親書っつーのを渡すんなら見逃したる」

 

圧倒的な実力差に、さすがにこれ以上戦うことを望まない小太郎はそんな提案をする。しかし、それを聞いてふらふらとしていたネギが足を踏みしめて強引に体勢を戻した。

 

「い……や、です……!」

 

「意地っ張りな奴やなぁ……けど、嫌いやないでそういうとこは!」

 

中々に歯ごたえのある相手だと理解した小太郎は、再度ネギへと突貫した。

 

 

 

 

 

「くそ、どうしようもねぇ……!」

 

千雨はもどかしさを感じていた。彼女の首に下がっているペンダント、その中に封じられた人物によって引き起こされた先日の事件。千雨は終始サポートに徹するほかなかった。素人でしかない彼女にはしかたのない事であったが、どこか歯がゆさを感じた。

 

次いで一昨日の夜、今度は仮契約によって力を得た。それによって犯人の追跡が可能となったが、あくまでそれは電子世界にて真価を発揮するものだったからだ。現実ではただの棒切れと同等でしかなく、途中でバテて離脱を余儀なくされた。

 

(また、また私は何もできないってのかよ……!)

 

そして今。今度は無間方処の咒によって閉じ込められ、何もできないでいる。魔法に関しては素人であり、結界の解呪はできない。戦闘など論外である。完全に足手まといだった。悔しさで奥歯を噛みしめる千雨。

 

『……クキキ、力がほしいか?』

 

そんな彼女に何者かが声をかける。アルベールではない、彼は今目の前で戦っているネギを応援し続けている。ちびせつなも、結界の基点を見つけようと、小太郎に気付かれないようこっそりと離脱していた。

 

では、一体誰が。

 

「……散々(だんま)りだったくせに、どういう風の吹き回しだ?」

 

『何、悔しそうな顔をしているんでな。大方力のない自分にもどかしさを感じていたんじゃないか?』

 

「ハッ、だったらどうする。お前が手を貸してでもくれんのかよ?」

 

ペンダントの人物、本来の美姫の人格が話しかけてきたのだ。今朝、朝倉和美を教唆してネギを追い詰め、挙句体を乗っ取ろうとした人物。最終的に千雨と精神が繋がってしまい、一蓮托生の関係となってしまった相手は、今の今まで完全に沈黙を保っていたはずだった。このタイミングで話しかけてきたことに、千雨はきっと裏があると踏んでいた。

 

(力がほしいかだって? どうせ私を(そそのか)そうとしているに決まってる)

 

『……言っておくが、今回に限っては他意はないぞ。私は貴様に手を貸してやろうと言っている』

 

疑惑の目を向けてくる千雨に、彼女はそういう。あまりにも胡散臭い言葉に、千雨はますます疑いの心を膨らませていく。

 

「おい、どうせならもうちょっとひねった方がいいんじゃねぇか?」

 

『……どういう意味だ』

 

「私を騙すんなら、もうちょっとマシな言葉を選べよ。どう考えたって私をどうこうしようって魂胆が丸見えじゃねぇか」

 

言い方がやや荒っぽくなっていることを、千雨は心の隅で自覚していた。今のどうしようもない状況を打破できない苛立ち。それをペンダントの彼女へとぶつけていることに千雨は気づいていた。

 

『クキキ、どうした長谷川千雨。普段の冷静さが欠片も見当たらんぞ。今の状況への歯がゆさで私にあたっているのかな?』

 

「……それ以上なんか言ってみろ、石を叩き割るぞ」

 

『いいのか? 精神がつながっている以上、私が死ねばお前の精神も道連れだ。それとも、君には破滅願望でもあるのかな?』

 

「黙れっつってんだろッ!」

 

ペンダントの石を、右の手で握りしめる。怒りのままにペンダントを引きちぎろうとするが、死の恐怖が脳裏をちらついて腕が凍りつく。だが、彼女が思い留まった理由ははそれだけではない。冷静さを取り戻した千雨は歯ぎしりをしながら、彼女はゆっくりと掌を開いた。

 

「……てめぇ、本気で私を道連れにするつもりだったな……!」

 

『クキ、やはり貴様は厄介だよ長谷川千雨。怒りのままに死にゆけば、今の味方の少ないネギ少年は苦境に立たされるだろう。死の恐ろしさもあっただろうが、そこを理解して冷静に分析したのは驚嘆に値する』

 

「……てめぇらにとって、ネギ先生は大切な英雄候補じゃねぇのか?」

 

『ああ、その通りさ。だがな……私は憎いんだよ、ネギ・スプリングフィールドが! 私に敗北を与え、こんな屈辱的な状態になる原因となったあいつが!』

 

ペンダントの彼女が吐露したのは、どす黒い憎悪であった。千雨は知らない。彼女が新入りとして異例の幹部へ抜擢され、それに伴い大事な計画の進行を担い、その責務を果さんとしていたことを。それを、自身の過失もあったがネギと千雨によって妨げられ、仕置きとしてペンダントの姿にされた。それだけなら、まだ彼女も我慢ができた。

 

だが、今朝の事件。それを想定外の事態とネギによってまたも妨害され、挙句こんな有り様になった。せっかく与えられたチャンスをものにできず、二度目の失態を犯した。最早、彼女の立場そのものが危うくなってしまったのだ。敬愛してやまない、組織の長と共にいるには、幹部としての立場が必要だというのに。

 

『だからこそ、私はあいつの苦しむ姿が見たい……あんな小物に甚振られるのではなく、私の手によってッ!』

 

そのためならば、千雨を道連れに自分が死んでも敵わない。だからこそあんな挑発をした。千雨はペンダントの彼女から感じた狂気に、背中に冷たい汗が流れ落ちた。

 

『そのためなら、私はプライドだって捨てる……あいつを苦しめるためなら何だってやってやる。お前を道連れにしようとも、な』

 

「……だから私に協力するとか言い出したのか」

 

『その通りだ。私なら、あの程度のガキなど簡単に止められる……と言いたいが、私の体は今はない。何より貴様と精神で繋がってしまっている。そこでだ……』

 

「っ! 私の体を貸せってことか!? ふざけてんのかテメェ!」

 

相手の言わんとする事に、千雨は冗談ではないと思った。散々こちらを苦しめ、今朝方は和美や自分の体を乗っ取ろうとした相手に体を明け渡すなど、自殺行為もいいところだ。

 

『いいのか? 私ならあのガキを止められるのに』

 

「今お前が言ったこと思い出してみろ! 先生を憎悪してるテメェに体なんかやったら、それこそ取り返しがつかねぇに決まってる! 大体てめぇが止めてくれる保証なんざねぇだろ! そもそも体を動かす権利を渡して、返すって保証もねぇ!」

 

『ああ、その通りだ。……だが、現状ではそれを証明する方法がある』

 

「……何?」

 

『今のお前と私は精神で繋がった、いわば二重人格に近い状態だ。……だが、お前の精神力が強すぎて主導権が握れない。もし出来ているのら、とっくに奪っているからな』

 

そう、彼女が体を乗っ取れなかったのは偏に千雨の精神力の強さのせいだ。だからこそ、接続された状態にも関わらず一切の干渉ができないのである。

 

『おい、エロオコジョ』

 

「な、なんだってんだよ?」

 

ネギの戦いの行く末を見守っていたアルベールは、突然話しかけられ、戸惑いを隠せない。それがペンダントの彼女からでは尚更だ。

 

『精神魔法について聞くが。2つの精神が肉体に同居している場合、精神力が優位の方が常に肉体の所有権を有する。また、元の肉体の精神のほうが優位を得やすい。そうだろう?』

 

「そ、その通りだが……なんで急にそんなことを聞いてくるんだ?」

 

『お前には関係のない話だ』

 

そう言って一方的に会話を切ろうとするが、千雨が待ったをかけた。

 

「……ちょっと待て。おいエロオコジョ、精神力が優位なら、体を動かしてる精神があっても割り込めるのか?」

 

「は、はいそうっス。……って姐さんまさか!?」

 

「つまり、私が使用権を一時譲っても、私の意思一つで取り返せるってことか」

 

アルベールという味方側の言葉から、体が返されるという保証を得た千雨。一方アルベールは、彼女の何かを決意した顔から質問の真意を理解し、慌てて止めようとする。

 

「ダメダメダメっす! 体を渡したりなんかしたら、何をされるかわかったもんじゃないっすよ!?」

 

「ああ、私だって本当なら嫌だ。……だがな、現状ネギ先生を助ける方法はこれっきりだ。長瀬も神楽坂も桜咲もいねぇ、だったら私らで何とかするしかねぇだろ」

 

「で、ですが……」

 

「これから先……自分の体一つ差し出す覚悟もできなきゃ私はついていけねぇ、そんな気がするんだ。先生にばっか任せてられっかよ……!」

 

それが、彼女なりに考えだした結論なのだ。アルベールは最早それ以上口を開くことができなかった。

 

『クキキ、契約成立ということでいいな? では、さっさと明け渡してもらうぞ』

 

「……つっても、どうやるんだ?」

 

『何、私とお前は精神がつながっている。意思一つで自在だ、目を閉じて念じてみろ』

 

そう言われ、千雨は目をゆっくりと閉じ、小さく息を吐く。緊張感からくるものか、それとも他人に体を渡すという恐ろしさからくるのか。それは千雨にもわからない。

 

十と数秒後。彼女はゆっくりと目を開く。その瞳に宿っているのは、高潔な精神ではなく、暗く淀んだ狂気であった。

 

「あ、姐さん……?」

 

「……クキキッ、私は千雨ではない。残念だったな?」

 

「ほ、本当に体を! なんてこった……!」

 

「ふむ。しかし、この先長谷川千雨と私を混同されるのも困るな……」

 

彼女はそう言うとしばし考えこみ。

 

「よし、今日から私のことは氷雨(ひさめ)と呼べ」

 

『なんでそんな呼び分けづらい名前にすんだよ!?』

 

我ながらいい名前だとでもいうように笑みを浮かべて言う氷雨へ、ペンダントから千雨のツッコミが飛んできたのであった。

 

 

 

 

 

「……久しぶりね、Mr.フランツ」

 

「ケッ、相変わらず陰気な顔しやがってぇ」

 

麻帆良学園、図書館島の地下深く。柳宮霊子は久方ぶりの知り合いと対面していた。相手の名はフランツ・フォン・シュトゥック。組織の幹部の一人ながら下っ端呼ばわりされている悪魔だ。彼はとある任務をこなし、その報告のためにここへとやってきていた。

 

「ったく、仮にも上位悪魔の私をこき使いやがってぇ……」

 

「あら、寄り道でもしていたの?」

 

「ちょいとなぁ、帰りがけで京都とかいう古くてカビ臭い都市に寄ったんだがぁ、そこで最悪なことにアスナのやつにとっ捕まっちまってぇ……」

 

「ああ、向こうじゃ美姫の失態を補填するために作戦行動中だから」

 

珍しく他人に愚痴を吐くフランツ。メンバーの中でも良識がある方である霊子は、フランツにとって数少ない本音で語れる相手だ。彼女が使役しているロイフェが、彼の古い馴染みであることもそれに貢献している。

 

「知ってるぜぇ。んで、俺は奴に美姫の人格が入ったペンダントをガキにつかませるよう指示された」

 

その言葉に、霊子は眉をひそめる。作戦行動に、そのようなことはなかったはず。だとすれば、後から追加された作戦なのだろうかと思案する。

 

「まあいいさ。私の仕事は完了、あとは暫くフリーだぁ。せいぜい観光でもするとしようかねぇ」

 

「……しっかりやってきたんでしょうね?」

 

「私を疑ってるのかぁ?」

 

「手を抜いてでもみなさい、アスナに殺されるわよ」

 

そう言って、彼女は妙な香りと色合いの紅茶を口に含む。さしもの悪魔であるフランツも、彼女のこの奇っ怪な趣味は理解できない。爵位級悪魔であり、かつては自分の領地も持っていた貴族である彼は、中々にグルメなのである。

 

「……毎回思うがよぉ、霊子はアスナが怖いのかぁ?」

 

ふと、フランツがそんな質問をする。いつも話をする時、彼女はアスナの指示にはしっかりと従えと言うのだ。まるで、彼女を恐れているかのように。

 

「……ええ。彼女は怖いわ」

 

「友人関係だったと思ったがぁ、もしやその関係も打算からきてるってわけかぁ?」

 

「……正直、そういう意味合いも含まれているわ。けど、彼女のことは大切な友人だと思ってもいる」

 

テーブルに置かれた呼び鈴を一振りし、鳴らす。すると背後に黒い靄のようなものが集まり、彼女が飲んでいたティーカップを持ち上げる。そして、そのまま奥の暗闇へと消えていった。

 

「まるでウェイターか執事だな。ま、あいつも収まるべきところに収まったのかもなぁ。んで、お前にとってアスナはどんなやつなんだぁ?」

 

指を(はじ)いて鳴らし、テーブルから少々離れた場所にある本の山から、分厚く、厳かな装丁が施された一冊の本を手元まで呼び寄せる。そしてその本を開きながら、彼女はフランツの質問にこう答えた。

 

「そうね私にとって彼女は……組織で最も恐ろしい人物、かしら」

 

 

 

 

 

「案外脆かったわね。ちょっと不満足かも」

 

目の前の光景を見ながら、まるで運動不足であるかのような言い方。だが、その平然とした佇まいが何より異常であった。

 

「キ……キ、キィ……」

 

「うんうん、まだ死んでないのは偉いわ」

 

アスナの眼前では、悲惨な姿となった鬼蜘蛛がいた。8本の足の内、6本がちぎれ飛び無くなっている。根本から千切れたものもあれば、関節部で無くなっている足もあり、そこから青黒い体液が流れ出ている。8つあったはずの目は3つが焼け爛れ、2つが潰れ、残った3つが辛うじて無事といった有り様。腹は裂け、中から飛び出してはいけないであろう器官と思しき物体が垂れ下がっている。牙は折れ、口から体液が滴っていた。

 

何より恐ろしいのは、それだけの状態であった辛うじて生きているということ。奇跡的に死なずにすんでいる? いいや、そんな生温いものではない。

 

鬼蜘蛛は生かされて(・・・・・)いるのだ(・・・・)。情けでも何でもなく、ただアスナが自らの鬱憤を晴らすためだけ(・・)に。

 

「遊びすぎちゃったわね。そろそろネギ達の様子を見に行かないと」

 

「グ、ギ……」

 

鬼蜘蛛が抱いていたのは、死への恐怖ではなくやすらぎであった。死にたいほどの苦痛や恐怖の生地獄を、ようやく抜け出せるのだから。

 

「ああ、もしかして殺して欲しい?」

 

アスナがニンマリと、まるで花のような笑顔で微笑む。鬼蜘蛛は破れた腹の痛みも忘れ、それを肯定するのに必死に声を出す。早く殺してくれ、早く楽にしてくれと。その様は、まるでアスナという少女に救いを求めるかのような、酷く歪な光景であった。

 

「そっか。じゃあやめた(・・・)

 

そう言うと、彼女はくるりと反転してネギ達のいるであろう方向へと歩き出す。求めていた答えとは違うアスナの行動に、鬼蜘蛛は悲痛な声を上げながら懇願し続ける。絶望の中で神に祈り続ける敬虔な教徒のように。

 

だが、その祈りが通じることはなく。

 

「ガ……ァ……」

 

最後には自らの生暖かい体液の中でゆっくりと冷たさを感じ、消えることのない痛みとともに崩れ落ちた。式神でありながら、送り返されることもなく。ただそこに初めから存在しなかったかのように空気に溶けて消えていった。

 

「あーあ、あんまり楽しめなかったなぁ……」

 

鬼蜘蛛のことを考え、再度ため息を漏らす。あまり期待はしていなかったものの、予想以上に柔で耐久力が低く、アスナが調整しながら甚振っていなければとうに死んでいたであろう。殺さない程度で痛めつけ続けたせいか、ストレス解消にもあまり役立たず、不満は解消されなかった。尤も、アスナの求める最低値が高すぎるせいもあるのだが。

 

何より、最後に死を求めてきた点がマイナスだった。怯え竦み、それでもなお生に対する執着が見えたからこそ鬼蜘蛛を嬲り続けたのだ。だが、最後には死を享受するだけの畜生へと成り下がった。彼女にとって、それは殺す価値さえもないのだ。

 

「さて、向こうはどうなってるかな」

 

気配を消し、ネギ達の様子を観察する。どうやら、小太郎という少年によってネギが一方的に殴られているようだ。

 

(ふーん、結構やるわね。けど、候補としては対象外かしら)

 

小太郎も筋はいいのだが、如何せん現状ではただの戦闘狂でしかない。戦いを楽しむというのはいいが、楽しい戦いばかり知っているせいで戦いの狂気を知らないようだ。いつか壁にぶつかった時潰れる可能性が高い。戦いの酸いも甘いも理解した上で、その狂気的な本質を愉しむ事ができなければ戦闘狂としては失格だろう。

 

(ん? 千雨ちゃんの様子がおかしい……?)

 

先ほどまで傍観を余儀なくされていた千雨の雰囲気が変わった。代わりに、よく知っている人物の感じが現れてくる。

 

(もしかして、美姫と入れ替わった……?)

 

美姫の人格が封じられたペンダントは千雨が持っている。精神が接続され、しかし千雨の精神力が高いせいで乗っ取りができずに終わった彼女だが、千雨が許可さえ出せば入れ替わり自体は可能だ。

 

(あっ、ネギ達の方に突っ込んでった……なるほど、戦闘に参加できないもどかしさから、美姫に体を貸すことを提案されて乗ったわけか)

 

なかなか面白いことになってきたと、アスナは木々の間から様子をうかがう。魔法世界最悪の怪物の一人は、事の推移を静観するのみに留まり、行く末を観察し始めた。

 

 

 

 

 

「……う……くぁ……」

 

揺れる、揺れる、揺れる。この世が反転したかのようにめまぐるしく動いていく。天地がひっくり返り、呻き声が出るがなおも体は地につかず。ネギの精神力が肉体を奮い立たせ、尚も地につくことをよしとしないのだ。

 

「……ええ根性しとるわ。ここまでズタボロになってまだ戦おうっちゅう根気は認めたるわ。だから……」

 

賞賛の言葉を送り、小太郎は自らの影から、犬の姿をした黒い何かを出現させる。それは彼にとっての式神のような存在であり、狗神と呼ばれるもの。それが5、6体出現した。

 

「ええかげん、楽になれや」

 

疾走して襲いかかる狗神。あまりのスピードに、満身創痍のネギは反応できない、いや、たとえ万全の態勢であっても無理であっただろう。

 

「……ま、け……る、もん……か……!」

 

それでも、彼は挑む。この程度の逆境、乗り越えられずして何が東西の和平か、何が一人前の魔法使いか。歯を食いしばり、杖を構えて眼前の敵を睨む。大口を開け、ズラリと並んだ牙が迫る中、ネギはそれを迎え撃とうとした。

 

そんな時であった。

 

「キャイン!」

 

狗神が、悲鳴を上げながら横へ吹っ飛ばされた。そしてそのまま溶けて消え、跡形もなくなる。他の狗神も、別々の方向へと吹き飛ばされていき、同様に消えてしまった。

 

「な、何が……」

 

「私だよ、ネギ先生」

 

驚きのあまり漏れでた言葉に、何者かが返事を返す。それはとても聞き覚えのある、一人の少女のものであった。

 

「ち、千雨さん!?」

 

見れば、千雨が不敵な笑みを浮かべながら歩み寄ってきた。その手にはネギの持ち物である子供用の練習杖が。それはネギの鞄の中にしまっており、その鞄は千雨に預けられていたため、千雨が持っていてもおかしくはないが、千雨は魔法に関しては素人なはずである。

 

「生憎、私は長谷川千雨ではないよ。クキキッ」

 

「っ! その雰囲気、まさかペンダントの!? 千雨さんを返せ!」

 

千雨が乗っ取られたのだと思ったネギは、杖を構えて彼女を睨んだ。

 

「安心しろ、今回は私は味方だ」

 

「……どういうことですか」

 

『すまねぇ先生。私がコイツの提案に乗ったんだ』

 

「千雨さん?! 一体どうして……」

 

『……いつまでも足手まといってのは癪だったんでな。私は戦えないが、体を張るぐらいならできるってことだ』

 

ネギはその言葉で理解した。千雨は自らの力の無さを嘆いていたのだと、だからこそ体を貸してまでこの戦いに割り込んだのだと。

 

「……千雨さん」

 

『気に病むことはねぇよ、先生が責任感が強いことだってわかってるし、私のことで気負っちまうことだって考えたさ。だがな、これは私の決断だ。私なりにできることを考えた結果なんだ。だからやめろなんて言ってくれるなよ?』

 

「……はい。千雨さんがそう決断されたというのなら、僕はこれ以上何も言いません。でも、大丈夫なんですか?」

 

「残念なことに、体の絶対的な所有権は長谷川千雨のものだ。私は貸し与えられているだけに過ぎん」

 

『それに、どうせこれから暫くはコイツと付き合うことになるんだ、利用できるってんなら利用するまでさ』

 

「クキキ、私のことは氷雨と呼んでくれネギ先生。これからよろしくな?」

 

千雨が普段見せないような、どこか狂気じみた笑みを見て不安を覚えるものの、今のネギにはどうすることもできない。時として、流れに任せるということも大事なことだ。

 

「なんや、素人かと思っとったけど案外やるみたいやん」

 

小太郎が愉快そうに言う。一対一のタイマンを好む小太郎であるが、一方的に嬲るのは好まない。ネギを追い詰めてはいたものの、どこか退屈さを感じていたのかもしれない。だからこそ、この想定外の事態に喜んでいるのだろう。

 

「クキキッ、小太郎とか言ったな? ここからは私も相手してもらおうか」

 

「うーん、女殴るのは趣味やないんやけど……ええわ、ネギも根性はあるけど弱っちいし、このぐらいのハンデは全然OKや!」

 

小太郎の言葉に、ネギはむっとした表情となる。先ほどまで戦っていた相手に、ストレートに弱いなどと言われてはネギとしても納得がいかなかった。彼も歳相応の少年であり、そういった男の子特有の意地だって持ち合わせているのだ。

 

「ふむ……」

 

その表情を見て、氷雨は何やら思案したような顔をする。次いで意地の悪そうな笑みを浮かべると。

 

「前言撤回だ。一時退却といこう」

 

「は?」

 

「え?」

 

このまま戦闘に突入すると思っていたネギと小太郎から、間抜けな声がこぼれ出す。そして氷雨は、ネギを抱えると。

 

「戦術的撤退!」

 

「は、あ、え!?」

 

林に向かって勢いよく走りだしたのだ。さしもの小太郎も突然のことに脳の処理が追いつかず、硬直してしまう。が、そこは仮にも戦闘者。

 

「逃げんなコラッ!」

 

すぐに意識を切り替え、走り去ろうとする氷雨を追走する。

 

「前の体よりは体力はあるが、それでも走るのは辛いな……」

 

『うっせぇ! こちとらインドア派なんだよ!』

 

元々美姫は虚弱な体であったため、一般人としては体力がない方の千雨の体でも大して不満はないが、それでも走るだけで息切れしそうである。既に小太郎が手が届きそうなほどの距離まで迫っている。

 

「足止めはしないとな。アラ・オラ・ハーベル・イウカーリ、『惑いの霧』」

 

「な、なんやこれ!?」

 

突如放たれた水粒に、小太郎が一瞬怯む。水の粒子は瞬く間に広がり、周囲の景色を遮断する霧へと発展していった。

 

「クソッ、逃げられた! しかも霧が匂いを洗い流しとるっ!」

 

彼女が放った『惑いの霧』は、中級魔法でありながら妨害という一点においては非常に有効な魔法である。なにせ霧によって周囲の景色を阻み、匂いを洗い流してしまう。更に霧の中にいる者の方向感覚を狂わせるのだ。

 

「戻ってこーい! 俺と勝負しろー!」

 

小太郎の大声は、虚しく霧の中へと消えていった。

 

 

 

 

 

「クキキッ、まさに五里霧中だな」

 

「に、逃げ切れたみたいっすね……」

 

林の奥、休憩所らしき場所にて一息つく一行。自販機を発見し、硬貨を突っ込んで適当なものを選んでボタンを押し、目的のものを吐き出させる。

 

「そら、お茶でいいかな?」

 

「あ、ありがとう、ございます……?」

 

「疑問形……まあ、しかたのない事か。あくまで敵同士だからねぇ」

 

困惑しつつ礼を言うものの、やはりあれほどの非道を行った相手に心の底から礼を言うことができないでいるネギ。氷雨は、それを気にすることもなく缶のプルタブを引き上げ、中身を飲み下す。

 

『……変な感覚だな。味覚もないのに味を感じるぞ』

 

「クキキッ、普段は私がそうなるんだろうな。そう考えると、貴様の付属品になるという屈辱以外は楽しめそうだ」

 

「でも、これからどうしましょうか……」

 

逃げられたとはいえ、ここは閉鎖状態の空間だ。いつまでも逃げ続ける訳にはいかない。何より、足止めをされている以上木乃香にも危険が迫っているかもしれないのだ。

 

「ネギ先生~!」

 

「あ、ちびせつなさん!」

 

そんな一行の元へ、結界を調べていたちびせつなが戻ってくる。氷雨が発生させた霧によって迷い続けていたらしく、ようやく出られた場所がここだったようだ。

 

「結界の基点は、残念ながら発見できませんでした……」

 

「そうですか……やっぱり、彼を倒して術を解いてもらう以外なさそうですね……」

 

諸々の事情を彼女へ伝え、ちびせつなは結界の基点が発見できなかったとお互いに情報を交換しあう。アルベールは、氷雨が魔法を使っていたことを思い出し、結界を解けないのか尋ねてみた。

 

「あんたは魔法が使えんだろ? 解呪とかできねぇのか?」

 

「私も魔法はあまり得意ではないんだよ。あくまで補助的に扱えるだけだ。それに、私は肉弾戦は苦手だし、長谷川千雨の肉体的スペックが低いこともあって近接戦は不可能だ。せめて何か魔法具があれば別だがな」

 

『……そういや、思い出してみりゃお前倒せるとは言ってなかったな』

 

そう、あくまで止められるといっただけで、倒せるなどとは言ってなかったのである。まさにモノは言いようであった。

 

「別に騙したわけではあるまい?」

 

『てめぇが隠し立てするのが好きだってのはよく分かった。今後はテメェの一言一句を注意深く探らせてもらうぞ』

 

「クキキ、怖い怖い」

 

殺伐とした空気を発する二人に、一同は話しかけることもできずにオロオロするだけだ。

 

「ほ、本当に大丈夫なんでしょうか?」

 

「う、うーん……?」

 

「俺っちは不安ですぜ……なにせ相手は『桜通りの幽霊』っすから」

 

微妙な空気が漂う中、それを打ち破る出来事が起こった。

 

「! 誰だっ!」

 

背後の茂みから、葉がこすれ合う音がしたのだ。ここは閉鎖された空間、出ることはできないし、楓がやってこないことから察するに入ることもできないはずだ。ならば、そこにいるのは動物か先ほどの少年か、あるいは新たな刺客か。

 

「ふえぇ……やっと人がいた……」

 

しかし、現れたのは彼らの予想を裏切る人物であった。

 

「あ、あれ!? なんでネギせんせーが……!?」

 

「の、のどかさん!?」

 

別行動をしているはずの宮崎のどかの姿が、何故かそこにはあった。



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第三十五話 修学旅行三日目(午前)③

欲しかったものは何だったか。

 

それを手に入れるために何を手放したのか。

 

『御機嫌よう。目が覚めたようね』

 

出会いは多分、偶然で。

 

『その目……。……面白い。久々の客人、(もてな)しぐらいはしてあげましょうか』

 

きっと、必然への道程。

 

 

 

 

「……い。おーい、ゆえー」

 

「んん……寝てしまっていた、ですか……?」

 

目を擦りながら開いてみれば、日が高く昇った青空が見えた。寝ぼけた頭で、自分は眠ってしまったらしいと気づく。確か、中々見つからない友人を探していたはずだが、疲れてしまい近くのベンチで座って休んだのだ。どうやら、そのまま眠ってしまったらしい。

 

(なにか懐かしい夢を見ていた気がするです……)

 

思い出そうとするも、所詮泡沫の如き夢。すぐに記憶の彼方へと消えていってしまったらしい。そうして何となく自分の周囲を見渡してみると。

 

「……んん!?」

 

「おっ、起きたー?」

 

だが、今彼女がいたのはベンチの上ではなく。

 

なぜか、時代劇で出てくる木製の乳母車のような物体の中であった。

 

「いやー、気持ちよさそうに寝てるからつい」

 

そんなことを言いつつ、こちらを覗きこんできたのは友人の早乙女ハルナであった。服装は浪人のような姿で、腰には模造刀であろう刀が刷いてある。夕映はここが映画村であることを思い出し、そして自分の現状から自らが何かの役どころを演じさせられていることに気づく。

 

「ついじゃないです! というか、なんで私が大三郎なんですか!?」

 

夕映はハルナの装いと自らの状況から一つの時代劇に思い至った。一昔前に驚異的な視聴率を叩きだした伝説の時代劇、『子連れ猪』にそっくりな状況だったのだ。そして彼女の役は、主人公の浪人の息子にして、乳母車から愛らしい姿をのぞかせる大三郎である。

 

「いやー、だって夕映なら丁度いいぐらいのサイズじゃん。ちゃーんってね?」

 

「だからって幼児扱いは酷いです! なにがちゃーんですか言いませんよ!?」

 

しかし、乳母車の中にちょうどよく収まっている彼女は実に愛らしく、道行く人々が何か微笑ましげな顔で通り過ぎて行く。そのせいで、彼女の羞恥心はどんどん高まっていくという悪循環に陥ってた。

 

「大体、私の体型のことを言っているんでしたら、美姫さんのほうが余程合ってるじゃないですか!」

 

「それは考えたけど、だって茶々丸さんいるじゃん? 絶対阻止されるって」

 

 

 

「いっくし!」

 

「マスター、まだお風邪が治っておられないのでは……」

 

「いや、体調はすこぶる万全だ。お前の看病のおかげだな。どうせ、誰か私の噂でもしたんだろ」

 

『ママー、あの女の子ちっちゃいのにお姉ちゃんと同じ格好してるー』

 

『あらあら、姉妹なのかしら?』

 

「……何故私はこんなに小さいのだろうな」

 

「大丈夫ですマスター、私はマスターの成長期が必ずくると信じております」

 

 

 

「まったく……態々私の格好まで着替えさせて……」

 

「まーいいじゃん、町娘姿も中々にあってるよ?」

 

不貞腐れた様子で唇を尖らせ、ハルナと並列して歩く。どうやら寝ている間にハルナによって服を着せかえられたらしく、今の彼女は江戸時代の町娘のような格好だ。一方のハルナは、左目に革製の眼帯をしている。そんな彼女の顔を怪訝そうな目を向けて見つめる夕映。

 

「というかハルナ、眼帯は最上三刀じゃなくて敵の柳生の首領、柳生烈火のモデルになった列堂義仙の兄、柳生三厳(柳生十兵衛)がつけてたものですよ?」

 

「いいじゃん、このほうがかっこいいし!」

 

「はぁ……もういいです……」

 

こういった時代劇やら神社仏閣に詳しい彼女から見て、かなりちぐはぐな格好のハルナに一言申すもまさに暖簾に腕押し。これ以上考えるのも馬鹿らしくなり、訂正を諦めた。

 

「そういえばハルナ、のどかの姿を見かけませんでした?」

 

「のどか? 私はてっきり夕映と一緒で、今は別行動してると思ってたんだけど」

 

「ハルナも知らないですか……」

 

午前に別れてから、未だ姿を現さない親友に彼女は不安げな顔になる。

 

「だーいじょぶだって! のどかももう高校生まで一歩手前なんだから、迷子になろうと自分で何とかできるって!」

 

「……そう、ですよね」

 

励ましてみるものの、暗い表情が崩れない夕映にハルナは苦い顔になる。

 

(夕映にとって、のどかは特別だもんなぁ……)

 

ほんの2年前まで、夕映はまるでこの世の終わりでも待つような暗さを背負っていた。だが、それはハルナや木乃香、そして何よりのどかとの出会いによって変わったのだ。

 

(もう吹っ切れたと思ってたけど……こりゃすり替わっただけだったのかもねぇ……)

 

夕映の様子を横目に、彼女はそんなことを考える。しかし、湿っぽいことばかり考えるのは彼女の性に合わないと、即座にそれらを頭の片隅にぶん投げ。

 

「ほら、夕映! 向こうでなにかやってるみたいだよ! 行ってみよう!」

 

「ちょ、ハルナ! 引っ張らないで欲しいです!」

 

彼女の手を引き、人だかりのできている場所へと走っていった。

 

 

 

 

 

「うぅ、ここに関西呪術協会があったんですね……」

 

『申し訳ありません、場所ぐらいは教えておくべきでした……!』

 

のどかとちびせつなが交互に謝り続ける。突然現れたのどかにネギが事情を説明し、のどかがここに偶々きてしまったことを話してからずっとこの調子である。

 

「でもまさか、自由行動先がここだったなんて……」

 

『こんな辺鄙な神社に来るやつ自体が稀だろうしなぁ……』

 

観光名所でもなく、辛うじて敷地の大きさがそこそこあるだけの、地元の人間もあまり訪れないような寂れた神社。修学旅行生がくるような事自体がほぼあり得ないような場所故、ネギ達も誰も来ないだろうと思っていたのだが。

 

「クキキ、貴様らの不手際だな。不安要素というものは、なるべく潰すことが定石だろうに」

 

「返す言葉もないです……」

 

色々とブーメランな発言をしている氷雨だが、今はネギ達には言い返すことは出来ない。連絡の不備があったことは事実であるし、それによってまたものどかに危険が及んでしまったことも事実なのだ。

 

「そ、それでネギ先生は今……その……戦ってらっしゃるんです、よね……?」

 

「……はい。関西側からの刺客が潜んでいて……」

 

「ボコボコにされたんだよなぁ?」

 

「おうコラ! 好きかっていうんじゃねぇ!」

 

「事実だろう? だから長谷川千雨が助太刀のために私に手助けを求めた」

 

氷雨に食って掛かるも、一蹴されるアルベール。その様子に、のどかはある疑問を抱く。

 

「あの……千雨さん、じゃないですよね……?」

 

「……フン。私の正体、貴様は既に気づいてるんじゃないか?」

 

「……もしかして、朝に朝倉さんに取り憑いてた……」

 

「その通り。私は氷雨。朝は良くも邪魔してくれたな?」

 

そう言いながら、氷雨は彼女に殺気をぶつける。一瞬、のどかは身を竦ませるが、しかしその次には毅然とした眼差しを氷雨へと向ける。

 

「ほぅ、私の殺気に耐えるか。中々気丈な奴だ」

 

『おい、あんまり好き勝手するなら体を返してもらうぞ』

 

「分かった分かった。肝に銘じよう」

 

千雨に釘を差され、やれやれといった様子でのどかから視線を外した。

 

 

 

 

 

「とはいえ、これからどうしましょうか……」

 

のどかの登場という珍事件はあったが、現状では小太郎相手に打つ手が無い。このままでは、こちらがどんどんジリ貧になっていくだけだ。

 

「接近戦じゃ勝ち目がないからな、なるべく距離を取りたい」

 

いくら氷雨がネギよりも戦闘経験が多いとはいえ、魔法の才能は並より上、ネギが知らない魔法を知っている程度でしかないし、近接戦闘は論外もいいところ。

 

「でも、相手がそう簡単に得意な距離を逃すとは思えないし……」

 

魔力が多く、強力な魔法を主軸として戦えるネギだが、接近戦は氷雨と同じく苦手。更に先ほどの戦闘でかなりダメージを負ったせいで、これ以上は耐えるのは不可能に近い。

 

『せっかく代わってもこれかよ……』

 

そして戦闘はド素人、アーティファクトは強力なものの戦闘には使えない千雨。これでは万に一つも勝ち目はないだろう。

 

そんな時。氷雨はふとある一つの可能性を思い出す。

 

「……いや、一つだけ可能性があったな」

 

『何だと、それは本当なのか?』

 

「ああ」

 

そう言うと、隅っこのほうで縮こまっていたのどかの方へと向かっていく。その様子から、千雨は即座にある一つの結論へといきつく。

 

『おい、氷雨まさか……!?』

 

「クキキ、気づいたか。だが黙っておけよ? 交渉に手間取るし、何より私に手助けを求めた時点でお前に何も言う資格はない」

 

氷雨にそう言われ、彼女は押し黙る。これから彼女がしようとしていることに異論をはさみたい気持ちはある。だが、既に氷雨の手を借りてしまった彼女にはもはやそれをいう資格などない。

 

「宮崎のどか」

 

「は、ひゃいっ!?」

 

いきなり話しかけられ、驚きのあまり素っ頓狂な声が出てしまうのどか。

 

「貴様は悔しくはないか? 何もできない自らに、現状を打破できない事実に」

 

「いきなりなにを……」

 

「それを覆せる方法があるとするなら……どうする?」

 

「っ!」

 

思わず目を見開く。まさか、今朝方まで敵であった相手からそんな言葉が飛び出てくるとは思わなかったのだ。

 

「クキキ、食いついたな。やはり落ち込んでいた理由はそれか」

 

「本当に……私が先生たちを……?」

 

「ああ。この体の持ち主もそうだった。なぁ? 長谷川千雨?」

 

そう言って、ペンダントに言葉を投げかける。一方の千雨は完全に沈黙を保っていた。

 

「教えてください! 私も、私だけ足手まといなんて、嫌なんです……!」

 

予想していた言葉に、氷雨は内心ほくそ笑んでいた。ネギの大切な生徒、それも彼にとっては特別とも言える生徒の一人が思うように釣れたことに、彼女は暗い愉悦を覚えた。

 

「しかしだな、これをすれば最早お前はこちら側(魔法)から完全に逃げられなくなる。それでもいいのか?」

 

彼女は、そこであえて突き放す。こういった輩は、自らの無謀と覚悟を履き違えてくれるからこそ引き込みやすい。だからこそ、それをより確実にするために引いてみせる。

 

「分かっています……本当は、魔法関係者ではない一般人は記憶を消さなければいけないって。先生は責任を持つって言ってくれましたけど……それが許されないことぐらい……分からないほど子供じゃないです」

 

予想していたよりも、なかなか現実的な回答に氷雨は少々驚いた。ただの夢見る文学少女かと思っていたが、中々どうしてリアリズム的な考えもできるらしい。

 

「つまり、先生との繋がりがほしいから私の提案に乗るつもりだったのか?」

 

「……はい。軽蔑してくれて構いません、浅ましい思いだと私だってわかってます……。それでも、私は先生が好きだから……せめて、この想いだけは無くしたくない……!」

 

「ふむ……」

 

しかし蓋を開けてみれば、そこにあったのは一人の少女が抱いた我儘。敬愛し、恋慕する相手と親しく有りたいという身勝手さが生むもの。

 

(クキキ、いいじゃないか。自己犠牲的な聖少女かと思ったが、中身はどうしてエゴイズムから逃れられないただの少女……素質がある(・・・・・)な)

 

のどかに見られぬよう、顔をやや伏せながら彼女は笑みで顔を歪ませる。いくら精神的に繋がっていようと、心まで共有しているわけではないため、千雨にもバレてはいないだろう。

 

(揃いも揃って歪だねぇ……親友同士)

 

「あ、あの……?」

 

「ああ、すまん。少し考え事をしていただけだ」

 

笑みをやめ、顔を上げて何食わぬ素振りを見せる。

 

「さて、貴様の覚悟は分かった。しかしそれだけでは不十分だ。なにせ、君が力を手に入れられるかはネギ先生の許可が必要になってくるからな」

 

「許可、ですか……」

 

「貴様は元々何も知らなかった一般人だからな。普通なら無理だが……」

 

そう言って、彼女は口角を上げる。同じ千雨の肉体であるにもかかわらず、のどかは全く違った印象を受けた。

 

「今なら、押しきれるはずだ」

 

そして氷雨は、そのまま思案顔で頭を突き合わせているネギとアルベールのもとへと向かう。

 

「……何か用でしょうか?」

 

未だ氷雨に対して警戒を解いていないのか、やや刺々しい声色のネギ。学園にいた時は命のやりとりをした相手であり、生徒を操っていた張本人。そして修学旅行では和美や千雨の体を乗っ取ろうとした人物。警戒するのも無理はなかった。

 

「おいおい、これから暫くは付き合いがあるんだ、そんな敵対的にならないでくれ」

 

「……僕はまだ、あなたを許したわけではないですから」

 

「クキキ、それでいいさ。私も貴様と仲良しごっこなんかしたくないからな」

 

心なしか、視線に火花が飛んでいるかのように見える。その様を見て、アルベールは話に割り込むことはおろか迂闊に発言することさえできない。

 

(おおぅ、兄貴が物怖じしなくなってきてやがるぜ……)

 

敬愛する人物の成長を喜ぶべきか、戦慄を覚えるべきか悩むアルベールであった。

 

 

 

 

 

「僕は反対です!」

 

予想通りの回答に、氷雨は薄く笑う。

 

「のどかさんは一般人なんですよ! 危険すぎるし、下手をすれば死ぬかもしれないんです! 千雨さんみたいなタフさもないし、戦うことだってできないです!」

 

『おいこら、私も一応宮崎と同じ女子中学生だぞ』

 

「……だそうだが?」

 

明らかに、ネギは過剰反応をしている。まるで、彼女を必死に守ろうとしているかのようだ。氷雨が提案した内容は、至って簡単なもの。

 

『宮崎のどかと仮契約をしろ』

 

そう、彼女が仮契約をすることによって得られるアーティファクトが目当てだ。とはいえ、のどかは戦闘には向かない。しかし、千雨のように補助的なものも期待できる。

 

「ダメです。これ以上、僕達の事情に僕の生徒を巻き込みたくないんです!」

 

「クキキ、言っていることと現状が矛盾しているぞ? ネギ先生」

 

巻き込みたくないのならば、初めから彼女の記憶を消すべきではなかったのかと問い詰める。ネギは、痛いところを突かれたかのように押し黙る。彼自身、自らの矛盾点には気づいていたようだ。

 

「なあ先生、あんたも教師をしているから馬鹿じゃあないだろう? 自分がやっていることのちぐはぐさが分からないはずがない」

 

「そ、それは……」

 

「あんたは大人ぶろうとしているガキだ。だから、生徒を守ろうなんていう建前で自分を武装しながら、自分のしたいことを抑えこもうとしている。だがな、どんなに取り繕おうとしても、自分を完全にだますことはできない」

 

その結果がこれだ、とのどかを指さして言う。

 

「中途半端に責任を持つなんて言って、自分に好意を持ってくれる相手の記憶を消さなかったツケがこうして回ってきたんだ。おかげで、彼女はこちらのことを知っているがゆえに手助けしたいなんて思わせている」

 

彼女はズイとネギに近づくと、襟首を掴んで顔を引き寄せて凄む。その表情は、相手を甚振ることに喜びを覚える嗜虐的なものだ。ネギは、千雨の顔でありながらここまで凶悪な豹変をしてみせる氷雨に恐怖を感じた。

 

「大体責任だと? 甘すぎるんじゃあないか、ええ? 誰が責任をとれる、彼女が魔法による事件事故に巻き込まれた時に。お前か? 無理だな、所詮ただのガキだ。じゃあその責任は先生であるあんたの上に向かうよなぁ?」

 

「……そう、です」

 

「大変だろうなぁ? 一般人には絶対口外不可能な案件で、一般人が傷ついたなんてどう説明すればいいやら……。長谷川千雨は既に覚悟していたからよかった、だからこそ先生に面と向かって記憶を消さないで欲しいって言えたんだからな」

 

千雨と先にであったことの弊害。それは、誰しもが彼女のように強くはないということ。千雨は幼いころに鈴音と出会ったからこそあそこまで強靭な精神が培われていったのだ。しかし、それを一般的な女学生に求めるのは酷というもの。まして、気弱なのどかになど求められるはずもなし。

 

「先生、あんたは言ったよなぁ、宮崎のどかには危険すぎると。じゃあなんで、あんたは彼女の記憶を消さなかったんだ?」

 

「…………え、と……」

 

「分からないなら教えてやるよ。あんたは、自分を持って知ってもらいたかったんだろう? 生徒さえ信用できなくなるような事件、起こした私が言うのも何だが辛くないはずがない。だからこそ、明確に味方といえる人物を失いたくなかった」

 

叩きつける、彼にとって都合の悪い事実を。下らない正義感で塗り固めた彼の心を、氷雨は冷酷に打ち砕いていく。ネギの心に芽生えてきたのは、自らの身勝手によってこの状況を招いたことに対する罪悪感。

 

「あんたは巻き込んだんだよ。自分たちの事情に、危険な危険な魔法の世界に。そう、他でもないあんたが!」

 

「僕の、せい……」

 

「大事な生徒、それも自分を慕ってくれる、恋慕を抱いている少女を巻き込んだんだよ。あんたに正義なんてない、あるのは身勝手さから生じた結果だけだ」

 

「僕が、宮崎さんを……」

 

『そこまでにしろ』

 

ペンダントからそんな言葉が響いてくる。千雨がネギの言葉を遮ったのだ。

 

「千雨、さん……」

 

『……おい、氷雨。やり過ぎだぞ』

 

「クキキッ、事実を述べたまでだ」

 

素知らぬ顔をする氷雨。千雨もそれ以上は氷雨には何も言わない。

 

『先生、私も今回は氷雨のやつの意見と同じだった』

 

「っ! そう、だったんですか……」

 

味方であったはずの千雨から、思わぬ言葉が飛び出てきて驚くも、ネギはそれもそうだろうと思った。氷雨から言われたことは、間違いなく事実なのだから。

 

『私は、自分の意志であんたと一緒に戦いたいと思った。だから教師連中もとやかくは言わなかったし、学園長だって快く了承してくれた。だがな、宮崎はまだ覚悟が足りなかった。実際に危険な目にはあったが、完全には理解していなかったはずだ』

 

だからこそ、彼女の記憶を消さなかったネギを不審に思っていた。後々で随伴の先生にそれを説明するのかと思っていたがそれも違っていた。

 

『今回ばかりは、先生が悪いと思う。相手の意志も確認せずに、こっち側に引き込んじまったんだからな』

 

「……はい」

 

『……わからないでもないさ。私だって、孤独と戦い続ける日々だったし、先生と一緒に戦えるようになってから寂しさとは無縁になった。でもな、線引だけは忘れちゃいけねぇ。私達が歩いているのは、生半可な覚悟じゃ成し得ないはずだぜ?』

 

思い出すのは、麻帆良大橋での邂逅。圧倒的な邪気をまとう二人に、ネギも千雨も為す術なく敗北した。いや、あれはそもそも勝負ですらなかったはずだ。土俵にすら上がれず、足元を這いまわっただけだ。

 

「……忘れてました。僕は、先生であり、そして魔法使いでもあるってことを……」

 

『先生、あんたには仲間が、私がいることを忘れないでくれ。あんたがいつまでも一人で背負い込んでばっかじゃ、なんのための仲間だか分かんねぇからな』

 

「はい! これからは、もっと頼りにさせてもらいますからね!」

 

『ああ。……あと、私も謝らなきゃなんねぇな。あんたが教師ってこと以前に、私よりも年下の男の子ってこと、すっかり忘れちまってた。ごめんな』

 

千雨も見落としていたのだ、ネギが孤独な少年であったことを。味方の少ない現状で、ストレスがないはずがないと。ネギの魔力暴走で、それは分かっていたはずだったというのに。

 

「いいえ、気にしてません。それに、いつも僕を支えてくれたのは千雨さんじゃないですか」

 

『そんなんじゃねぇよ』

 

照れ隠し気味な千雨の声に、ネギは微笑みを浮かべた。

 

(……立ち直ったか。まあ、それぐらいしてくれなけりゃ面白くない)

 

ネギを精神的に追い詰めるつもりで攻めたはずだったが、大分説教臭くなってしまったようだ。これでは、ネギを手助けしたようなものだろう。

 

(……何をやってるんだ私は。あいつは敵、私はあいつを叩きのめすために協力するだけ。それだけだろう……)

 

胸のうちに抱いた小さな疼きに、氷雨は気のせいだと自らへと言い聞かせた。

 

 

 

 

 

(やっぱり、私はダメだなぁ……)

 

千雨とネギの様子を見て、のどかは心の奥底で黒いものが渦巻いているのを感じていた。二人の親密な関係に対する羨望、そしてその中に自分が入れていないことからくる劣等感。

 

そして……。

 

(私、千雨さんに嫉妬してる……)

 

敬愛以上の感情を向けるネギと、腹の(うち)を晒せる間柄が羨ましく、妬ましかった。なぜ、自分はその中へと入ることができないのか。

 

(わかってる……私は所詮ただの生徒……千雨さんはネギせんせーと一緒に戦ってきた、仲間……)

 

味わうのは、明確な疎外感。自分だけ場違いな感覚。ネギによって巻き込まれたとはいえ、自分は所詮部外者なのだ。

 

(……やめよう。これ以上は、先生に迷惑がかかるだけ……)

 

今朝、理解したはずではなかったのか。愛するだけでは、人を傷つけてしまうこともある。だからこそ、ここは自ら引くべきだ。

 

(……でも、苦しいなぁ……)

 

胸の奥がズキズキと痛む。恋心を意思でねじ伏せようとしても、暴れてのたくってくるせいで痛みが治まらない。こんな気持になるなら、いっそ恋などしなければよかった。嫌いだと思っていればよかった。

 

なのに。

 

(……嫌だ……嫌いになんて、なれない……!)

 

感情が溢れ出す。好きで好きでたまらなく愛おしいと、心が訴えかけてくる。視界が歪んでいく。疎外感からくる寂しさからか、あるいはこの痛みのせいなのか。

 

「のどかさん」

 

不意に、声をかけられる。その声の主は、自分がよく知っている相手。愛しくてたまらない、恋心を芽生えさせた男性。

 

「ねぎ、せんせー……」

 

「……ごめんなさい!」

 

そう言うと、彼は勢いよく頭を下げる。突然のことに吃驚し、彼女は慌てて頭をあげるように言う。

 

「せんせー、頭を上げてください!」

 

「いいえ、のどかさんを巻き込んでしまった僕が悪いのは事実です! だから、僕に謝らせてください!」

 

「そ、そんなことないです! 私だって、せんせーと一緒にいたくて……危険なことだって分かってたはずなのに我儘を言って……」

 

ああ、思い返せば自らの浅ましいこと。勢いに任せて記憶を残してほしいと言い、彼が孤独さからそれを了承することを分かっていながら、その気持ちを利用した。そして、そのせいでネギを困らせてしまっている。

 

「私なんて……先生の気持ちを何も分かってなくて……最低な女です……」

 

「そんなことないです!」

 

ネギはそう言って、彼女の手を取る。

 

「僕が暴走した時、のどかさんがいなければどうなっていたかわかりません! それに、僕が巻き込んでしまったのにのどかさんが気に病むことなんて無いです!」

 

「で、でも……」

 

「僕は今朝言いました。責任を取ると。僕みたいなガキにそんなことをいう資格がなかったはずなのに、それでものどかさんは僕に任せてくれました」

 

「違うんです! それだって、私がせんせーと一緒にいたかったから……!」

 

「それでも、僕は嬉しかった……!」

 

彼の気持ちを利用したも同然の行為だったというのに。それでも、ネギは嬉しかったと言った。その言葉に、一切の偽りは見受けられない。

 

「こうして巻き込んでしまった以上、僕のあのちっぽけな発言はなんの意味もありませんでした。だから……改めて言わせてください。僕と、一緒に戦ってくれませんか!」

 

「え……」

 

責任などという曖昧な言葉ではなく、共に戦おうと。庇護対象ではなく、仲間として一緒にいてくれないかとネギは言ったのである。

 

「は、はいっ……!」

 

こんな最低な自分を見てなお、彼は受け止めてくれた。保護すべきとして下に見るのではなく、肩を並べて戦う仲間として迎えようとしてくれた。彼女にとって、これほどに嬉しい事はないだろう。

 

だからだろうか、彼女は感極まったあまり。

 

「せんせー、大好きです……!」

 

「んっ!?」

 

彼の唇を、大胆にも奪ったのだ。

 

「エロオコジョ、今だ!」

 

「合点だ! パクティオオオオオオオオオオオオオオ!」

 

そのままの流れで、アルベールは仮契約を執り行う。今回は魔法陣を敷いていないが、こういったいざという時のために魔法陣の代わりとなる魔法具を用意しておいたのが幸いだった。

 

「クキキッ、無事契約完了ってねぇ」

 

『……もしかしてお前、初めからこれを狙って……』

 

「さぁてね、だがこれで戦力は確保できたと思うが?」

 

『……ま、いいか。雨降って地固まるってな』

 

キスを終え、お互いに耳まで真っ赤になっている二人を眺めながら、千雨と氷雨はこれからのことに思考を巡らせ始めた。

 

 

 

 

 

「くっそー! 出てこい臆病もんがー!」

 

あれからずっとネギたちを追い続けていた小太郎だったが、広く設定した無間方処の咒が仇となってしまい、中々発見できずにいた。

 

「はぁ、はぁ……まあどこにも逃げられないんやし、虱潰しに探せばいずれ見つかるやろ」

 

小太郎側からすれば、何もそんなに急く必要はないのだ。相手は所詮籠の鳥状態、じっくりと追い詰めればいいだけのこと。

 

(そういや、鬼蜘蛛が帰ってこんなぁ……)

 

千草からとっておきのやつを借りたはずなのだが、まさか倒されたのだろうかと考える。

 

「……まさかな、どうせまだあの嬢ちゃんを追ってるんやろ」

 

森のなかを走っている以上、探すことも面倒だ。やられたとは考えづらいし、放置すればいいかと結論づけて捜索を再開しようとしたその時。

 

「……見つけたでぇ! まさかそっちから出てきてくれるなんてなぁ!」

 

姿を現したのは、散々探し続けた少年。ネギ・スプリングフィールドがそこにいた。横には、千雨とオコジョの姿もある。

 

「さんざん探させてくれた礼、たっぷり返したるわ」

 

「そうはいきませんよ、君を倒して……この結界の起点を教えてもらいます!」

 

「ほざけ! そういうんは俺に一撃入れられるようになってから言えや!」

 

拳に気を纏わせ、一気にネギへと接近する小太郎。しかし、千雨、もとい氷雨が彼の攻撃を中断させる。

 

「アラ・オラ・ハーベル・イウカーリ、『水花・水障壁』!」

 

10tトラックの衝撃さえ防ぐことができる風障壁、その水術版を用いて瞬間的に防御を展開する。水の壁に阻まれ、小太郎の拳は届かない。

 

「ちっ、防がれたか。けどそんな強力な術、何度もポンポン使えんやろ!」

 

そう、風障壁に連なる系統の魔法は、発動後に若干のタイムラグが有る。もう、ネギは自らの障壁しか防御手段がない。

 

「もろたで!」

 

再度ネギへと突貫する小太郎。先ほどの戦闘が証明しているように、ネギの障壁では小太郎の拳は防げない。

 

ならば。

 

「せんせー! 右によけて!」

 

当たらなければいいだけのこと。

 

ネギは拳が直撃する(すんで)のところで彼の拳を回避したのだ。

 

「んなっ!?」

 

小太郎はひどく驚いた。躱されたこともだが、何より驚いたのはどこからか聞こえてきた声。それは、小太郎が左に向かって攻撃を行おうとしていたのを読んでいたかのように、右に避けろといったのだ。

 

(チッ、他にも仲間がおったんか!)

 

よく見れば、林の木の影に見知らぬ少女の姿があった。手に持っているのは、持ち歩くには不便そうな分厚い装丁の本。

 

(読心術師か!?)

 

先ほどの攻撃を読まれたこととその出で立ちからそう推理する。だとすれば、小太郎にとっては相性は最悪レベルの存在だ。性格的にも直情的だからこそ、考えが読まれやすいのだ。

 

(せやけど、いくら心を読んで動けたゆうてもそれだけや!)

 

指示が出せないぐらい素早く攻撃できれば十分に勝機はある。何より、ネギには小太郎を倒すには魔法を使わなければならない。ならば、そこに隙が生まれるはずだ。

 

回避を行って硬直しているネギに、三度目の拳がネギへと襲いかかる――。

 

 

 

『ええと、アルベールさんは今、私のアーティファクトがどんな効果を持ってるのか気になっている……ですか?』

 

『おお、当たってるっす!?』

 

『宮崎のアーティファクトは読心術の本か』

 

『使いドコロによればかなり強力だな。尤も、いくら相手の動きが読めても攻撃が貧弱じゃあな……』

 

『け、けど契約者は主人からの魔力で強化できるっすよ!』

 

『だからって宮崎が戦えるわけじゃねぇだろ』

 

『……ねぇ、カモ君』

 

『なんスか、兄貴?』

 

『その、契約者を強化する術ってさ……』

 

僕にも掛けられるかな――。

 

 

 

「『契約執行(シム・イプセパルス)10秒間(ペル・デケム・セクンダス)ネギ・スプリングフィールド(ネギウス・スプリング・フィエルデース)』!」

 

「何っ!?」

 

一瞬。たったその僅かな時間でネギが自らを強化し、小太郎の拳を受け止める。受け止められると思っていなかった小太郎は、決定的な隙を晒してしまう。

 

「はっ!」

 

受け止めた腕とは反対の手で拳を握り、小太郎の腹部めがけて振り上げる。

 

「ぐはぁっ!?」

 

魔力を供給して強化するだけで、一般人でも高い身体能力を獲得できる魔法を自らにかけたのだ。その威力は小太郎であっても許容できないダメージを負わせるには十分なものであり、そのままの勢いで上空へと跳ね上げられる。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 闇夜切り裂く一条の光! 我が手に宿りて敵を喰らえ!」

 

「ヤバイ……直撃が、くる……!」

 

落下しつつも、なんとか体制を整えようとするが、空中では思うように動けない。落下地点では、ネギが魔法を練り上げ、その掌には稲光が閃いていた。そして、ついに落下地点までやってきた小太郎に、ネギは掌を押し当て。

 

「『白き雷(フルグラティオー・アルビカンス)』!」

 

一気にそれを放出した。

 

「ぐ、うおあああああああああああああああああああああああああ!」

 

本来放射して放つ魔法を、単一の相手に収束して放ったのだ。その威力は通常の数倍は下らないだろう。雷撃で体中をバチバチと発光させながら、小太郎は苦悶の叫び声を上げる。

 

「はああああああああああああああああああああ!」

 

ダメージはあれど、小太郎はまだ気絶していない。だからこそ、ネギは一切の手心を加えることなく全力で魔法を放ち続ける。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」

 

「いっけええええええええ兄貴いいいいいいいいいいいいい!」

 

契約執行時間はあと2秒。持てる全力で、ネギは魔力の限り小太郎へと電撃を浴びせた。

 

そして。

 

「かはっ……」

 

ついに、小太郎に限界が訪れる。それと同時に、ネギに掛けられた魔法も解除された。ネギは小太郎を地面に投げ出すと、そのまま尻餅をついてしまう。

 

「はぁ、はぁ……」

 

「俺の、負け、や……」

 

敵からの、明確な敗北の宣言。悔しそうな、しかしどこか晴れ晴れとした顔だった。ネギもまた、苦しそうながらも笑みを浮かべ、言い放つ。

 

「僕の、僕達の勝ちだ……!」



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第三十六話 修学旅行三日目(午後)

揺れ動く心。少女は選択を迫られる


「うーむ、仕掛けは分からぬがどうやら中には入れないようになっているでござるな……」

 

小太郎によって結界外へと吹き飛ばされた楓は、ネギたちと合流するために神社の様々な場所から侵入を試みたが、どれも不発に終わった。どうやら、不可侵の結界が張られているらしく、触れた瞬間に外へと弾き出されてしまうらしい。

 

「結界破壊の術では時間がかかりすぎる……」

 

彼女も、それなりにこういった奇妙奇天烈な出来事に遭遇してきた身だ。だからこそ、彼女はそれを打ち破る方法も持っているのだが、生憎それを為すための装備は手持ちにはないうえ、一から作るとなれば時間が大分かかる。まさに八方塞がりであった。

 

「先生方の無事を祈る他ない、か」

 

せめて、彼らが無事であればと考えるが、その望みは薄いだろう。奇襲とはいえ、楓を出し抜いてみせた速攻に、結果以外に飛ばされる直前に見えた相手の雰囲気。あれは、明らかに場馴れした戦闘者のそれであった。

 

取り残された3人の内二人は接近戦は無理だ。残るアスナも、実力的には不明。図書館島の地下で見せた脚力からして、楓や古菲に匹敵する戦闘能力はあるのだろうが、魔法が絡むとなればどうなるかは分からない。

 

「むっ!?」

 

そんなことを考えていた時であった。急に、目の前の景色が歪み始めたのだ。その歪みは徐々に大きくなってゆき、楓は警戒しながらその様子を眺める。

 

やがて、歪みが段々と収まってゆくと、先程まで底にあった光景と同じものが再びそこに形成されていく。

 

いや、一つだけ違う部分があった。

 

「あ、楓さん! ご無事でしたか!」

 

「ね、ネギ坊主! それに他の皆も……!」

 

結界の内部に閉じ込められていたはずの、ネギ一行がそこにはいた。そして。

 

「……! その肩を貸している人物は、もしや……」

 

「犬上小太郎君です。さっきまで僕達と戦ってました」

 

楓を結界外へと吹き飛ばした少年の姿であった。

 

 

 

 

 

「約束通り、結界の基点を教えて下さい」

 

「ちゅーてもなぁ……俺も仕事やから、勝手に外にだすわけにはいかんし、けど負けたのにそれを認めないのも男らしくないしなぁ……」

 

戦闘終了後。ネギは小太郎を魔法である程度治療したあと、結界の基点部分を教えるように迫った。しかし、相手もさすがに戦いに生きてきた戦闘者。自分がなすべき仕事をしっかりと覚えており、中々首を縦に振ろうとしない。しかし、彼個人としては敗北したのに約束を守らないのは納得はできていないらしい。

 

「あの……」

 

そんな彼らの様子を眺めていたのどかが、おずおずと手を上げて声をかける。

 

「……悪いとは思ったんですけど……すみません、見ちゃいました」

 

そして、その手には先ほどしまったはずのアーティファクトの姿が。

 

「……見たって、つまり?」

 

「結界の解除方法、です……」

 

「……俺の葛藤は何だったんや……!」

 

頑なに教えないようにしていた結界の解除方法が、こうもあっさりとバレてしまってはがっくりと項垂れるしかなかった。

 

「あー……もうええわ。悩んでてもしゃーない、元々俺は頭使うんは苦手やし」

 

そう言うと、ふらふらと覚束ないながらも立ち上がる小太郎。そして親指を、ネギ達が入ってきた鳥居の方へと向けると。

 

「約束は守らんとな。結界の基点、教えたるわ」

 

「い、いいの?」

 

「久々に真っ向勝負で戦えたし、俺としちゃ満足や。本当なら一対一(サシ)の勝負で戦いたかったけど、贅沢言えるような立場やないしな。だから、これは俺なりのお前への敬意の示し方ってとこやな」

 

ニカリと、清々しい笑みを見せる小太郎。

 

「あ、ありがとう……」

 

「ええて。けど、次()りあうときは一対一で戦いたいわ。お前、西洋魔術師のくせにど根性あるし、鍛えたら強くなりそうや」

 

「そ、そうかな……?」

 

「俺にあんだけボッコボコにされてまだ立ってるタフさは正直驚いたわ」

 

「クキキ。どうやら、こいつは一旦腹をくくると精神的に大分タフになるらしい」

 

ネギの今までの戦闘を鑑みて、そんな感想を漏らす氷雨。一般人の体だったとはいえ、氷雨に憑依された少女たちにリンチにされた時も、瀕死の状態から立ち上がってみせていたし、彼女の推測はあながち間違ってもいないだろう。

 

『というか、いい加減私の体を返してもらうぞ。もう戦闘はないしな』

 

「はいはい、さっさと返すよ」

 

千雨にそう言われ、大人しく精神人格が交代する。先ほどまでの、冷酷で暗い光を湛えていた千雨の目に、光が戻ってくる。

 

「……うし、元に戻れたな」

 

『クキキ、だから言っただろう。体の所有権は元々お前にあるとな。まあ、これからは私が使うこともあるんだ、あまり無茶はやらかしてくれるなよ』

 

「私の体だ、私の好きにさせてもらう……と言いたいが、いざ戦いになった時に動けなかったら困るな。なるべく注意すべきか」

 

自らの課題に気づいた千雨。修学旅行が終わったら、体を鍛えようかなどと考える。

 

「ほな、いくとする、うっ……」

 

案内をしようと、歩き出そうとしたところで小太郎が片膝をつく。さすがに、あれほどの電撃を浴びた状態ではまともに体が動かないらしい。再び立ち上がろうとした小太郎であったが、そこに手を差し伸べる人物がいた。

 

「……一人で立てるわ」

 

ネギだった。彼は小太郎の右腕を自らの右肩へと回すと、そのまま歩き始める。

 

「けど、ふらふらじゃないか。肩を貸すよ、そうなったのは僕のせいなんだし」

 

「情けなんかいらんて。それに、こうなったんは俺の自業自得や」

 

「だったら僕もだよ。そっちの罠にはまって戦わなきゃならなくなったのは僕の自業自得。君をボロボロにしたのも僕の責任」

 

「……お人好しなやっちゃ……」

 

「そうでもないよ。早くここを出たいって打算もあるし、あわよくば君から情報を引き出したいって思ってる」

 

「普通はその相手にそんなことばらさへんわ、アホ」

 

ネギのそんな言葉に調子を狂わせる小太郎。しかし、不思議と嫌なものでもないなと感じていた。その様子を眺めていた千雨は、思わずニヤリと笑っていた。

 

「へぇ、こりゃ面白いことになるかもな」

 

『……フン、敵対しているものに手を貸すとはな』

 

「けど、ねぎせんせーらしいです!」

 

さて、そんな一行であったが。結界の基点がある鳥居の所まで来たところでようやくあることに気づいた。

 

「……そういや、アスナの奴はどこ行ったんだ?」

 

「あっ!?」

 

『クキキ、忘れていたな』

 

そう、鬼蜘蛛に追い掛け回されて林の中へと消えていったアスナがいないのだ。

 

「あ、アスナさんもいらっしゃったんですか……」

 

後からやってきたのどかはアスナがいたことなど知らなかったが、そういえば関西呪術協会の本部へ一緒にいくと行っていたことを今になって思い出した。

 

「やいやい、アスナの姉さんを追っかけてた蜘蛛をさっさとけせや!」

 

「分かった分かった……? んん? パスが切れとる……」

 

預かった際に、鬼蜘蛛を自由に操れるよう自分とパスをつないでおいたはずなのだが、いつの間にかそれが切れてしまっていたことに小太郎は気づく。

 

「そういや、向こうからのパスが切れとるな。こりゃ、既に消滅しとるわ」

 

「ってことは、アスナが鬼蜘蛛を倒したってのか? 俄には信じがたいが……」

 

「あ、でも図書館島の地下に行った時にアスナさん、おっきなゴーレムを蹴りで破壊してましたよ」

 

「はぁ!?」

 

ネギから飛び出した予想外の言葉に、千雨は思わずそんな声が出た。まさか、自分と同じ一般人だと思っていた人物がそんな超人染みた身体能力の持ち主だとは思っていなかったのだ。

 

「……あれか? 私の周りに普通の人間なんて望めないってことか?」

 

「気をしっかり持ってくだせぇ姐さん!」

 

「よりによって一番ファンタジーじみた奴に慰められた……」

 

『クキキキキッ、コイツは傑作だ! お前まだ自分が一般人だとでも思ってたのかよ!』

 

ペンダントから、氷雨の嘲笑が聞こえてくる。考えてみれば、こんな非日常的な場面に何度も遭遇している時点で自分も一般人とはいえないだろう。が、やはり面と向かってその事実を突きつけられるとやるせないものがあった。

 

「……ま、いいか。どうせ私の平穏は、少なくともあいつを倒さない限りあり得ないし」

 

彼女の人生をねじ曲げ、尚もその尻尾さえ容易に掴ませない存在。学園長の話では明山寺鈴音というらしいが、かの存在があるかぎり千雨に心の平穏は訪れないと言っていい。

 

(……何を考えてるのかは分からねぇが、絶対に、奴らの思い通りになんてさせねぇからな……!)

 

千雨がそんな決意をしていた時。

 

「あ、ようやく見つけた! おーい!」

 

「あ、アスナさんだ!」

 

手を振りながら、アスナがこちらへとやってくる。聞けば、鬼蜘蛛を何とか撃退したはいいが、林の中で方向もわからずに駆け回っていたらしい。

 

「あれ、本屋ちゃん? というかさっき襲ってきた奴も!?」

 

「ど、どうも……」

 

「よー姉ちゃん。鬼蜘蛛倒すなんてやるなぁ」

 

ここにいないはずの少女がいること、そして敵であったはずの少年がいることに驚くアスナに、事情を説明する。勿論、彼女と仮契約をしたこともだ。

 

「へー。あんたも隅に置けないわねぇ」

 

「あ、あわあわ……」

 

ニヤニヤしながらアスナはネギを小突き、それにどう返せばいいか思いつかず戸惑うネギ。なお、彼に肩を借りている小太郎は小突かれる度にゆらゆら揺れるせいで地味に体を鈍痛が襲ってきて辟易している。

 

「ま、とりあえず出られるならいいか。さっさとこんなとこ出ましょ」

 

「そうですね。あと、のどかさんのことも班の皆さんに知らせないと……」

 

「刹那さんにも、このかが危ないってことを教えないとね」

 

「あ……私、携帯持ってたのに、すっかり忘れてました……」

 

「うわ、いつの間にか昼も過ぎてやがる。どうりで腹がへるわけだ」

 

とりあえず、のどかがメールで安否の連絡をするべきなのは明白であった。

 

 

 

 

 

さて、ネギ達がまだ小太郎たちと戦闘を行っている頃。太秦までやってきていた刹那と木乃香は、普段の制服姿ではなく貸出されている衣装に身を包んでいた。

 

「せっちゃん、そのカッコ似合うわぁ」

 

「そ、そうでしょうか?」

 

刹那が新選組の羽織、木乃香が大名の姫君といった風の格好である。そして、木乃香と同じ班であるハルナと夕映も感嘆の声をあげる。

 

「うんうん、新選組の美少年剣士ってかんじだねぇ」

 

「言うなれば、一番隊組長の沖田総司でしょうか」

 

本来であれば、ここにのどかがいるはずなのだが、彼女は未だ太秦にやってきていないらしく、夕映が探しまわっても見つからなかった。実際には、午前中に行った神社で無限方処の咒によって閉じ込められているのだが。

 

「で、どうだったよ太秦は」

 

「おもしろかったで~。うちらも、地元とはいえ行く機会がなかったから新鮮やったわ」

 

「そうですね、中々興味深かったです」

 

「時代劇の撮影にも使われる場所ですから、町並みもかなり精巧に再現されているです」

 

実は、刹那と木乃香は夕映達とは別行動で先に太秦にやってきていた。なにせ、彼女らは京都出身であり、神社仏閣には慣れ親しんでいる彼女らは今更見知った神社に行くのも気が乗らず、先に太秦へと向かったのだ。

 

ただ、これはあくまで表向きの理由、建前だ。本当は関西呪術協会から少しでも木乃香を遠ざけようと、刹那が態々提案したのだ。珍しく刹那がそんなことを言ってきたため、木乃香は彼女と信仰を深めるチャンスだとして乗り気になり、他の面々も賛成してくれた。

 

「うーん、でもせっちゃんがまだお固い感じがするんはなぁ……」

 

「申し訳ありませんが、私はあくまでもお嬢様の護衛ですので……」

 

「そっか……」

 

やや意気消沈気味の二人を見て、ヒソヒソと話すハルナと夕映。

 

(なんか、ややこしい感じになってるねぇ)

 

(このかも、色々と苦労しているようですね)

 

(間を取り持ってあげたいけど、こればっかりは本人たちの問題だしなぁ……)

 

二人の微妙な距離感は、本人たちで解決できなければ根本的な解決にはならないだろうと、ハルナは結論づける。夕映もハルナの考えに賛成で、願わくばこの不器用な二人が修学旅行をきっかけにより距離が縮まればよいと考える。

 

(……なら、私はいつ自らを曝け出すことができるのでしょうか……)

 

夕映はそんなことを考える。親友と呼べる相手にさえ、頑なに秘密にせざるを得ない事。自分はいつか、それを話すことができるだろうか。

 

『この、裏切り者』

 

(……っ!)

 

思い出すのは、自らを縛る少女の言葉。そうして彼女は現実的な思考に引き戻される。それは、不可能なことであると。

 

(そう、です……こんな私が、許されたいが故にそんな甘ったれたことをするなんて、できるはずがない……そんな資格なんて……私にはない……)

 

誰とて、心に秘めたるものはある。だが、彼女がうちに秘めるそれは、余りに後ろ暗く、どす黒い。

 

「んー? 夕映、どったん?」

 

ハルナに声をかけられ、ハッとなる夕映。慌てて何でもないと言い、怪訝な顔をしながらもハルナはとりあえずは大丈夫だと判断したようだ。

 

「大丈夫……私は大丈夫、です……」

 

ボソリと呟いた言葉は、本人以外の誰の耳に入ることもなく消えていった。

 

 

 

 

 

暗く冷たい奈落の底。見渡すかぎりの本、本、本。その全てが魔法使いたちにとっても忌避される魔書や奇書、或いは禁書であり、読むだけで発狂しかねないような危険な代物もチラホラとある。そんな悪夢を詰め込んだ本棚から、この奈落の主が一冊の本を抜き出す。

 

「……」

 

おもむろに本を開くと、ペラリとページを捲って流し読みする。この行為だけで、並の魔法使いなら精神崩壊を起こして廃人になりかねないが、こと彼女に限ってはそんなヘマはない。あらゆる危険な魔書を読み漁り、禁書の実験を行ってきた彼女、柳宮霊子にとっては。

 

『何か考え事ですかな?』

 

不意に、後ろから誰かの声がかけられる。しかし、彼女の背後には闇が広がるばかりで、誰かの姿などない。いや、しかし誰かの気配は存在する。

 

「……ロイフェ、片付けは」

 

『既に済んでおりますよ、我が主』

 

闇が集い、凝り固まってゆく。不定形であったそれはやがて形を成し、死神のような風貌の悪魔、ロイフェへと変化した。

 

「貴女が何か考え事をしている時は、決まってそうやって読み終わったはずの本へと無意識に手を伸ばされる」

 

「……よく私を見てるわね。さすがに、私が見込んだ悪魔」

 

「光栄でございます。吾輩も、貴女のような聡明な方にお仕えできるが何より愉しい」

 

「縛られることに愉悦を覚えるなんて、契約で自らを縛る悪魔らしい性質よね。あなたはまさに典型的な悪魔だわ。それで、私に話しかけた理由を聞かせなさい?」

 

背表紙にムーン・チャイルドと金字で書かれた本を閉じると、彼女へ声をかけた理由を問う。

 

「いえ、貴女が考え事をしている場合、大抵はすぐにそれを解決されますが……今回は、それがすこしばかり長い。それが気になりましてな」

 

膨大な数の魔法実験を繰り返し、時に疑問にぶつかることは何度もあった。しかし、彼女は自らの優秀な頭脳や、先人たちの残してきた偉大なる知識を用い、それらをすぐに解きほぐしてきた。

 

だが、今回はそれが少々長い。はじめは誤差程度に考えていたが、ここまで思考を埋没させ、無意識的に彼女の癖を誘発するほど考えこむのはここ十数年では滅多になかったことだ。

 

「……知っているでしょう? 私が(・・)目指している(・・・・・・)もの(・・)のことを」

 

「ええ。存じております」

 

「以前見つけた書物の中に、そのヒントになるものを見つけたのよ」

 

「ほぅ、あれ(・・)の手がかりになるものですか」

 

「それで、ようやく残されていた中でも、大きなピースがはまったわ。あとは、私の理論と照らしあわせていけば……」

 

そう言うと、また彼女は俯いて考え始める。その様は、まるで欲しがっていた玩具が、ようやく手に入ることとなりその日を待ちわびる子供のよう。実際には、そんな無邪気なものではないが。ロイフェは溜息を一つ吐くと、再び彼女に尋ねる。

 

「では、彼女が帰り次第実験を行うおつもりで?」

 

「そうね。これでようやく、私の研究は大きく前進する」

 

ロイフェの言葉で意識が戻ってきた彼女は、そう返す。

 

「実験準備は?」

 

「万端でございます」

 

「なら、後必要なパーツは彼女だけね」

 

普段殆ど表情を変えず、気だるけな顔の彼女だが、この時だけは口の端を吊り上げ、歪ませる。

 

「しかし、彼女が協力するでしょうか?」

 

「愚問ね。そのために態々私は彼女を弟子として教育し、私に忠実に仕上げたのよ? 今更拒否ができるほど彼女の心は強くない」

 

弟子にとったのは気まぐれではあった。だが、元々別の目的があったからこそ彼女を弟子として教育したのだ。彼女はその向上心と熱意で霊子のもつノウハウを次々と吸収し、助手として使える程度にまで成長した。

 

しかし、時が経つにつれて、彼女は霊子が気まぐれを起こす理由となったものを薄れさせていった。だから、彼女はそれを思い出させるために虐げ始めた。そして今、最初に出会った時以上のそれを溜め込んでいる。それこそが、霊子の望んだ状態。

 

「希望を知れば、より深く絶望を知るものよ。帰ってきたら、完膚なきまでに壊してあげるわ、夕映」

 

懐から何かを取り出し、それを見つめながら彼女は呟いた。

 

 

 

 

 

午後となり、木乃香たちは昼食の時間を過ぎても未だに戻ってこないのどかのことを心配し始めた。

 

「なぁ、ちょい遅過ぎへん?」

 

「確かに……未だに連絡もなしとは……」

 

「うーん、まさか何かトラブルに巻き込まれたのかも……?」

 

「そうだとすれば大変です、早く探しに行ったほうが……!」

 

ハルナの言葉に、夕映はどこか落ち着きなくそんな言葉を口にする。

 

「まてまてゆえ吉。まだそうだと決まったわけじゃ」

 

「ハルナは心配ではないのですか!?」

 

「いや、私だって心配だけどさ……」

 

普段の冷静さが欠片も見当たらない夕映の姿に、ハルナは戸惑いを覚える。

 

「夕映、少し落ちつこ? 焦ったってしゃあないえ」

 

「……そうですね。すみませんハルナ、少し取り乱していたようです」

 

「いや、別にだいじょぶだって。のどかのことが心配だってのはわかるし」

 

木乃香に諭され、ようやく落ち着きを取り戻す夕映。その様子を見て、このままだと夕映の不安が爆発してしまうのではないかとハラハラしていたが。

 

「あ、メールだ……」

 

ハルナの携帯が突如鳴り、確認してみればメールの着信音のようであった。そして、その差出人を確認すると。

 

「! 夕映、のどかからメールが来た」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

「うん、道に迷っちゃってたらしい。どうも電波が届かないところだったせいで、連絡が遅れちゃったってさ。これからこっちに向かうって」

 

「そうですか……よかったぁ……」

 

安堵した表情を見せる夕映。それを見て、やはり夕映がのどかに対して依存気味であることをハルナは再確認した。

 

「んじゃ、ちょいと遅いけどご飯にしようか。のどかはこっちに来る途中で済ませるらしいし」

 

「そうですね。そういえば私もお腹がぺこぺこです」

 

「あ、それでは向こうの蕎麦屋に行きましょう。先ほどは行列ができていましたが、この時間ならば人は少ないでしょうし、蕎麦ならばすぐに食べられるはずです」

 

「ええな~、いこいこ!」

 

友人の安否もわかったところで、遅めの昼食をとろうと店へと向かう。しかし、そんな彼女らの前へ、一人の少女が立ちふさがった。

 

「ふふ、見つけましたえ~」

 

「っ! 貴様は……!」

 

白いゴスロリ衣装に身を包み、同じく真っ白な長い頭髪は風に揺れてなびいている。手には中世ヨーロッパの貴婦人が持つような、縁の部分に羽毛の意匠があしらわれた扇子。そして小太刀が握られていた。

 

「月詠……! 貴様何をしにきた……!」

 

「刹那さん、お知り合いですか?」

 

「……ええ、少々」

 

夕映に尋ねられ、刹那は知り合いだと認めたくないながらも、話をややこしくするよりはマシだと考え、そうだと回答した。

 

「うふふ、先輩にお会いしにきただけ、ですよ~」

 

「大方、お嬢様を攫いにきたのだろう!?」

 

「それもありますけど、一番の理由は先輩ですえ」

 

月詠はそう言うと、扇子を開いて口元を隠す。一見すれば目元は笑っているように見えるが、瞳の奥に見え隠れしているのは戦闘への渇望と狂気。しかし、それに気づけたのは刹那ただ一人のみ。

 

「戦いたくてウズウズしとるんです~。今はまだ、先輩とうちは敵同士どすから」

 

「戦闘狂め……」

 

「受けてくれますやろ?」

 

「断る。貴様ごときにいちいちかまっている暇などない!」

 

「そうですか~、それはお嬢様と回る時間のためどすか? それとも……」

 

姉さんへの回答を考えるためですか?

 

「っ!」

 

「うふ、そんな怯えた顔をされると、ぞくぞくしてしまいますえ~」

 

月詠は扇子を畳み、懐へしまうとおもむろに手袋を外し。

 

「それ~!」

 

「っ、なんの真似だ!」

 

刹那へと手袋を投げつけた。それはつまり。

 

「お嬢様を賭けて、決闘を申し込ませていただきますえ」

 

その様子を眺めていた周囲の人間は、少女を巡っての決闘だ、愛憎劇だなどと野次馬気味に囃し立て始めた。ハルナも、何やら面白そうなことになってきたとにやけ顔だ。

 

「うふ、うちもお仕事せんとお駄賃頂けないんどす。だから、決闘を断ると先輩がおっしゃるなら強行手段もあり得ますえ?」

 

「…………」

 

「改めて聞きますえ。受けて頂けますやろ?」

 

「……分かった」

 

「では、一時間後に橋のほうでお待ちしてますえ」

 

彼女の返答に満足し、笑みを浮かべたまま彼女は立ち去っていった。

 

 

 

 

 

「ねぇねぇ、あれってどういうこと?」

 

「あ、あまり話せるようなことでは……」

 

「このかに対して横恋慕? それともまさか刹那さんを巡る三角関係!?」

 

「ち、違いますよ!?」

 

ハルナからの怒涛の質問攻めに、刹那はオロオロとするしかない。先ほどまでの剣呑な雰囲気はそこにはなく、歳相応の少女らしい部分が表面に出ていた。

 

「ハルナ、あんませっちゃん困らせんで。あんましつこいと怒るえ?」

 

「えー、だってお堅いイメージの刹那さんからこんなラブ臭漂う話が出るなんて思わなかったし! そこんとこ、このかはどーなの!?」

 

「黙秘権を行使するえ」

 

テンション高めなハルナに、木乃香は口を閉ざす。彼女が何者で、刹那とどんな関係があるのか知らない木乃香は、内心穏やかではなかったが。そんな彼女の内心も知らず、面白そうにしているハルナ。

 

(どうも二人の仲がこじれてる原因がありそうな気がするのよねぇ。ここでそれが解決できれば、二人の仲は解消されるはず!)

 

尤も、彼女の場合はこのお祭り騒ぎを利用して、木乃香と刹那の距離を縮めようと考えての行動でもあったりする。なんやかんやで、彼女は友人のために一肌脱ごうとする人物なのだ。そして、何気に刹那の過去に関係する何かがあることをその嗅覚で嗅ぎつけかけていた。

 

(……私は、どうしたいのだろうか)

 

そんな彼女らをよそに、刹那は昨日の出会い、そして与えられた選択肢を思い返してた。姉についていけば、彼女と離ればなれになることはないだろう。きっと、孤独とは無縁の人生が待っている。

 

一方で、親友の木乃香をとるというのであれば、彼女とは敵対者となる。姉自らがそう刹那に言ったのだから。

 

(……このちゃんは、私の正体(・・)を知ったら、どう接するだろうか)

 

友人として今までどおりか、それとも拒否されて……。

 

(……いや、このちゃんはそんなこと言う子やない。それは分かっとる……でも……)

 

だが、人の心は移ろいやすい。どれほど中の良い者同士であっても、容易に引き裂かれることだって少なくない。

 

刎頸の交わりというものがある。互いに首を差し出してもよいとするほどの仲を意味し、そんな誓いをした趙の藺相如(りんそうじょ)廉頗(れんぱ)が由来の言葉だ。

 

そんな二人にあやかろうと、その50年後に張耳(ちょうじ)陳余(じんよ)という、秦代末期に反乱軍として戦った人物が同様の誓いを交わした。しかし、張耳が追い詰められた時に陳余は援軍を送ったが、秦の大軍に気圧されて見ているだけであった。その後、二人は仲違いし、ついには殺しあうような仲となってしまった。

 

誰であれ、心変わりになるような理由というものはある。それが、納得できるものであろうと、納得出来ないようなことであろうと。

 

(……私は、ずっとこのちゃんに隠しごとをしてきた。それを知って、私の正体を知れば嫌わない保証はない……きっと、裏切られていたと思うだろう……私だって、そう思う)

 

誠実さの欠片もなく、親友面をしていた自分に対する嫌悪感。騙していると分かっていながら、彼女に救われたことから離れたくないという気持ちのまま、護衛という立場まで手に入れて彼女とともに麻帆良までやってきた。

 

(……私は、誰が大切なんだろう……)

 

絶望から掬い上げてくれたが、姿を消して再び刹那を一人にした姉か。

 

孤独から救ってくれたが、自らが騙し続けている親友か。

 

その答えは未だ、見えない。

 

 

 

 

 

約束の時間。彼女らは指定された橋へとやってきた。その橋の上に、一人佇む少女の姿があった。月詠だ。彼女はギラギラとした目をしながら、恍惚の表情を浮かべている。これから起こる戦いに思いでも馳せているのであろうか。

 

周囲には、噂を聞きつけたのか野次馬の集団が押し寄せている。遠巻きから、痴情のもつれだの三角関係だの好き勝手言っているが、大したことではないと刹那は思考の外へと押しやる。

 

「うふ、お待ちしていました~」

 

「……一つ聞きたいことがある」

 

「ん~、うちの言える範囲で、お願いします~」

 

「……お前は何故、姉さんとともにいる」

 

刹那の言葉に、一瞬きょとんとした顔になる。しかし、言葉の意味を理解したと同時に、意地の悪い微笑みを浮かべ、言った。

 

「知りたいでどすか?」

 

「……ああ」

 

「実はぁ~、うちも先輩とおんなじ境遇なんですえ」

 

クスクスと笑いながら、そんなことを言う。一方で、刹那はその言葉の真意を掴みかねていた。一方で、悍ましいものを感じた木乃香達は凍りついて動けなくなっていた。

 

(ね、ねえなんかあの人、ちょっとやばくない……?)

 

(いえ、かなりやばい人物にみえるです。何か狂気を感じさせるような……)

 

(うち、あんな寒気のする人初めてみたわ……)

 

そんな彼女らの様子にも気づかず、刹那は考えこむような顔になっていた。

 

(同じ? まさか……いや、あんな邪気を発してはいても奴は人間のはず……)

 

「先輩が考えてること、分かりますえ。うちは人間どす、残念ながら」

 

「……まるで人間であることが嫌なように聞こえるな」

 

その言葉で、月詠の雰囲気が少しだけ変わる。先ほどまでの戦闘に対する高揚感や、飄々とした様子に混じって、何かどす黒いものが混じり始めた。

 

「うふ、うふふ。うちは自分が人間でなかったらと思うことはよくありますえ。人として生きれば、その理に縛られる……そんならうちの欲求は満たされへん」

 

「随分な話だな。貴様は人間でありながら、神鳴流でありながら魔を望むのか」

 

「最初は、そないは思わへんかったです~。けど、うちの前にあの人が現れて、そう望んでいくようになった」

 

思い出すのは昨日出会った時のこと。姉が見せた邪悪な気配と圧迫感。刹那の人生の中でもあれほど濃い死の臭いは嗅いだことがない。

 

「うちは嬉しかった。人間でありながらあれほど血の臭いをさせる人に出会えたことが。だから、うちはあの人について行ったんどす」

 

「…………」

 

「そういえば、先輩はあの人のこと、なんにも知らなかったみたいですね~。こちら側に来れば、あの人とずっと一緒にいられますえ?」

 

「そ、れは……」

 

「せっちゃん……」

 

刹那の揺れ動く心を感じ取ったのか、木乃香は不安げに声をかける。その体は、軽い恐怖によるものか震え、寒気をこらえるように縮こまらせていた。

 

「せっちゃん……あの人、なんか怖いんや……」

 

「お嬢様……」

 

木乃香を気遣い、心配そうに声をかける。そんな様子を見て、月詠はどこか苛立ちを含んだような声色になる。

 

「もぅ~、先輩はどっちにつくんどすか? まさか、姉さんを裏切る……なんてことはないですよね~?」

 

「……分からない」

 

威圧するように尋ねる月詠に対し、刹那は曖昧な返事を返す。その返答がますます月詠の癇に障ったようで。

 

「……そないな半端モンとは思いませんでしたわ。体が(・・)半端モン(・・・・)ならせめて意思ぐらいはマシや思っとったんですけど……」

 

「っ、貴様何故そのことを……まさか!?」

 

月詠の言葉に、刹那は驚愕の表情となる。彼女の秘密は、ほんの一部の人間にしか伝わっていない。だからこそ、いくら同門の出とはいえそんなことを知っている月詠に驚いたのだ。そして即座に、その情報の出どころを思いつき、更に驚愕する。

 

彼女は、今誰とともに行動をしているのか。

 

(そんな……まさか姉さんが……!?)

 

親友にさえ話したことのない秘密を、彼女がバラしたのだとしたら。そう思うだけで頭の中がグチャグチャとなり何も考えられなくなる。月詠は溜息一つ吐くと、小太刀を抜刀し、刹那に向けて構える。

 

「もうええどす。ここで結論も出せないようなら、味方にはおろか敵にもいりまへんわ。この程度で揺らぐ方やとは思いまへんでしたわ……」

 

月詠がついに抜刀したことで、周囲がにわかに活気づく。恐らくは、彼女が握っているのが模造刀か何かだとでも思っているのだろう。しかし、その鈍い光沢は間違いなく金属のそれ。それに気づいているのは刹那と、もう一人。

 

(ま、町中で抜刀するですか……!?)

 

夕映であった。何度となく本物の輝きを見たことのある彼女にとって、あれが本物か偽物かの区別ぐらいはできる。月詠が、魔法関係の人間であることも読んではいた。だが、まさかこんな人だかりの中で平然と抜刀するほど常識知らずな相手だとは思っても見なかった。

 

「貴女はあの人の敵にも、味方にも不要どす。せめて、その死に様でうちを愉しませてや」

 

瞬間。月詠が音を置き去りにしたかと見紛うほどの速度で刹那へと肉薄する。一般人から見れば、あたかも瞬間移動をしたかと勘違いするほどの一瞬。咄嗟に刹那は隣に立つ木乃香を突き飛ばし、夕凪を抜刀しようとした。しかし、この一瞬では重く長い野太刀を抜き放つことはできない。

 

ギィン!

 

「うふ、良い反応です~」

 

「き、さま……!」

 

鈍い金属音が響き渡る。刹那は、彼女の攻撃を受け止めるために刃を出すだけにとどめ、彼女の斬撃を受け止めた。観客たちは一瞬何が起こったのか分からなかったが、彼女らの戦いがいよいよ始まったのだと即座に理解し、歓声が沸き立つ。

 

「ふふ、うふふ……おしいわ~、先輩ほどの腕があればあの人の教えを受ければもっと(くら)く輝ける思うてたのに……」

 

「私は、貴様のようになる気は断じてないっ!」

 

「ええんどすか~? うちを否定するんは、姉さんを否定することと同じですえ? いえ、むしろ姉さんのほうが余程……」

 

「黙れっ!」

 

彼女の言葉に激高し、刹那は月詠の刃を押し返す。その勢いのまま、刹那は夕凪を抜き鞘を放り出す。少しの間、両者は睨み合うもすぐにお互いの距離を詰めた。

 

鳴り響く斬撃音。金属の(いなな)きは周囲の興奮をより大きく盛り立て、あたかも時代劇の殺陣のように切り結ぶ美少女二人にその目は釘付けとなる。

 

『すげぇ! こんなリアルな殺陣初めて見たぜ!』

 

『あのダイナミックな動き、何かCGでもあるのか!?』

 

『つーことはこれって映画の撮影? カメラ、カメラはどこだ!?』

 

「煩わしいわぁ……斬り捨てれば静かになるやろか?」

 

周囲の歓声に煩わしさを感じたのか、ボソリとそんな言葉を零す。そんな彼女を、刹那は厳しく窘めた。

 

「一般人に手を出すな。いかな狂人であろうと、暗黙の了解ぐらい弁えているはずだ。それとも、それさえ分からぬ程の畜生だったのか?」

 

「うふ、うちかて冗談で言っただけですえ。でも、先輩は一般人やないですから、殺したって構わんですよね~?」

 

「そう簡単に殺されてやると思うなよ?」

 

互いに鎬を削りながら、火花を散らして縦横無尽に駆けてゆく。先ほどまでぶれていた刹那も、頭を戦闘時の思考に切り替え、冷静さを保っていた。

 

「うふふ、うちは一般人に手は出しまへんけど……危害を与えなければ問題無いとも言えますね~」

 

「……何を言っている」

 

「こういうことです~。『百鬼夜行』~!」

 

彼女は懐から素早く札の束を取り出し、それを周囲にばら撒いた。それは徐々に変化してゆき、やがて形を成していく。

 

「なっ!?」

 

出現したのは、可愛らしい外見の有象無象の魑魅魍魎や低級な妖怪変化。それだけであれば、刹那にとっては脅威にもならない。だが、その数が尋常ではなかった。まさに、百鬼夜行を地でいくような膨大な数の妖怪共が、一般人へと襲いかかったのだ。

 

『うわっ! なんか来たぞ!?』

 

『よ、妖怪!?』

 

『こっちにくるぞ!』

 

妖怪たちは、次々と観客へと襲いかかりはじめる。とはいえ、やっていることは相手をすっ転ばしたり視界を塞ぐといった、迷惑行為でしかないので実害はほぼない。それでも、妖怪に襲われるなどたまったものではない。雪崩を打つように観客たちは這々(ほうほう)(てい)で逃げ出し始めた。

 

「うふ、これでようやく落ち着いて戦えますわぁ~」

 

「そんなことのためにこんな騒ぎを起こすとはな……思っていた以上だ」

 

「それよりいいんどすか? 大事なお嬢様が攫われてしまいますえ?」

 

彼女の言葉で、月詠の刃を止めながら木乃香達がいる場所を向く。そこには、妖怪に追い立てられて段々と遠ざかっているのが見えた。

 

「貴様、初めからこれが目的でっ!?」

 

「うふ、さあもっと愉しみまひょ? それとも、お嬢様を追いますか? だったら、姉さんよりお嬢様をとるってことどすなぁ?」

 

月詠に背を向け、木乃香を追いかけようとしたところでそんな言葉が投げかけられる。刹那はそれだけで体を硬直させ、動けなくなってしまう。

 

「どちらか選ぶなんて……私には……!」

 

「なら死んでしまいよし」

 

獰猛な笑みを浮かべた月詠の刃が、刹那の首筋へと斬りこんだ。



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第三十七話 修学旅行三日目(午後)②

「……よし、メール送信できましたー」

 

携帯の画面とにらめっこしていたのどかが、そう言ってくる。一行は、楓に事情を説明したあとに近くの休憩所へと足を運び、そこで一息ついていた。

 

「ふむ、つまりこの作戦事態に参加したのは不本意な部分もあったと?」

 

「俺も強いやつと戦いたかったっつー我儘もあったからそれを許容してくれたからこそ参加したんやけど、大筋の内容がだまし討ちみたいで好かんかったんのは確かやな」

 

既に敵意を持っていない小太郎から、楓は色々と聞き出していた。それでわかったのは、彼は元々この作戦には乗り気でなく、戦える相手をこちらで請け負うという条件で参加したのだという。そして、もう一人の方は既に木乃香を攫いに向かったとのこと。

 

「ってそれじゃあこんな腰を落ち着けてる場合じゃないでしょ!?」

 

「しかし、現状ではネギ坊主はボロボロ、アスナ殿も鬼蜘蛛とやらの戦闘でヘトヘトでござる。他の二人も戦闘には向かんでござるし、動けるのは拙者ぐらい……」

 

「言っとくけど、向こうには神鳴流のねーちゃんもおるで」

 

「げ、月詠とか言うあの娘っ子もかよ!? こりゃ刹那の姐さんだけじゃマズイですぜ!」

 

動くこともままならない状況に、焦りを感じるアルベール。そんな時だった。

 

『うっ……くっ……!?』

 

「ど、どうしたんですか、ちびせつなさん!?」

 

突然、ちびせつなが苦しそうに呻きだしたのだ。みれば、段々とその体が透けていっているようにも見える。

 

『ど、どうやら本体の私の方に……何かあったようで……!』

 

そして、とうとう向こう側が見えるぐらいまで姿が薄くなってゆき、ついには完全に消滅してしまった。一枚の紙切れを残して。どうやら、依代となっていた符のようだ。

 

「そ、そんな……」

 

「マズイでござるな、悠長なことをしている場合ではなくなったでござる」

 

「……長瀬、いけるか?」

 

厳しい表情をしていた千雨が、突如楓にそう振った。楓は千雨の言葉の意味を介したようで、首を縦に振った。

 

「どのぐらいかかりそうだ?」

 

「幸い、ここから太秦はそう遠くないでござる。全速で行けば、それほどかからぬはず」

 

「じゃあ頼む。先に桜咲と合流してことにあたってくれ。私らも、落ち着き次第そちらに向かう」

 

「あい分かった。では、後でまた」

 

楓はそう言い残すと、一瞬で姿を消した。戦闘能力で言えば、その実力を隠しているアスナを除けば最も高いであろう彼女であれば、助太刀としては十分だろう。

 

「うし、私らももう少ししたら太秦に行くぞ」

 

「で、でも僕達も早く行ったほうが……」

 

焦り気味のネギ。先ほどまで激しい戦闘があったことを覚えていないのか、それとも無理をしてでも向かいたいと考えているのか。

 

(……こりゃ、精神的にタフってのもいいことばかりじゃないな)

 

肉体の限界を精神が凌駕している。体がボロボロでも立ち上がれるといえば聞こえはいいが、それは同時に肉体の限界を考えないで行動できてしまえるともいうこと。無理をしてしまえば確実に負担が大きくなる。加えてネギは未だ体がしっかりできていない子供。この先、こんなことが続けばいずれ致命的な怪我を負いかねない。

 

「せんせー、今はしっかり休んだほうが……」

 

「……心配してくださるのは嬉しいです。けど、ここで手を拱いているなんて……」

 

のどかがネギを諌めようとするが、ネギは逸る気持ちを抑えられないのか立ち上がり、杖を手にしている。

 

「皆さんはここで休んでいてください。僕は杖で飛んで……いたいっ!?」

 

ついには杖で飛び出そうとしていたネギを、千雨がデコピンで止める。痛みでその場に蹲るネギに、千雨は声をかける。

 

「アホか。杖でこんな人が大勢いる土地の空飛んでみろ、魔法のことがバレるぞ。それがないにしても、未確認飛行物体ってゴシップに載りかねねぇよ」

 

「で、でも……」

 

「でももヘチマもねえ。あんたはさっきの戦闘で重傷だったことも忘れてんのか? しっかり休んでかねぇと、足手まといにしかならんぞ」

 

強引にネギを座らせると、くしゃくしゃと頭を撫でながらネギに言い聞かせる。

 

「あんたは頑張りすぎだ。少しぐらい、生徒を信頼して待ってやるのも教師なんじゃねぇのか?」

 

「……そう、ですね。僕、少し焦ってたみたいです」

 

落ち着いたのか、ネギはそれ以降焦燥感を顔に出すこともなく、呼吸を落ち着けていく。やがて、疲れが出てきたのかそのまま微睡んで眠ってしまった。

 

「……こうしてみれば、歳相応のガキなんだがな……」

 

彼の背負っているものが何かはわからない。しかし、同じ尋常ならざる邪悪に付け狙われている身としてはあまりにも彼の負う宿命は重すぎる。

 

「疲れてらっしゃったんでしょうね……」

 

ネギの寝顔を覗きこむのどか。どこか、ホッとしたような柔らかい微笑みを浮かべている。

 

「なあ、宮崎」

 

「な、なんでしょう……?」

 

突然千雨から話を振られ、驚きながらも応える。

 

「……私は、先生に助言はできる。それに、氷雨のお陰で戦闘面でもサポートが出来るようになった」

 

彼女の言葉に、のどかの気分は少し暗く沈む。なにせ、言外にのどかではそれは無理だと言われているようなものだ。

 

「だがな、私じゃ先生は支えられない。私は相手を慮ることはできないし、先生と違って図太いからな。その点、宮崎は私よりもうまくやってくれてると思う。今朝のこととかな」

 

「え……」

 

思わぬ言葉に、のどかは驚く。同時に、彼女は自らを恥じた。彼女に対して抱いていた嫉妬。ネギとの付き合いの長さと、信頼関係の深さ。しかし、相手はそんな自分にもネギに対してできることを説いてくれているのだ。自分一人でできることには限りがある、それを知っているからこそできた助言だった。

 

「これから先、多分お前も魔法に関わっていくことになる。そうなったら、先生を支えていかなきゃならねぇが、私にはそんな細かい配慮は無理だ。感情面で、先生を助けられるのはお前だけなんだよ、宮崎」

 

「私、でもそんな……」

 

「押し付けてることはわかってる。先生はああ見えて歳相応に打たれ弱い、けどそれを表面上は見せないようにしてるから質が悪い。そんな先生に対して機微を感じ取れなんて難しいことだ」

 

そこまで言うと、彼女は一息だけ呼吸を起き、告げる。

 

「けど、誰かがやらなきゃ駄目だ。もう一度言うぞ、それは宮崎にしかできない」

 

「私にしか、できないこと……」

 

その事実に、のどかは嬉しさがこみ上げてくる。同時に、暗い独占欲もだ。彼を心のほうからサポートできるのは自分だけ。それが何よりも嬉しい。彼の、本質に近い部分を独占できることに対する濁った欲望。

 

『クキキ、やはり……こいつも才能があるな……』

 

彼女の闇の部分を垣間見た氷雨は、密かに小さな笑い声をあげていた。

 

 

 

 

 

「うふ、うふふふふ……よう止めましたなぁ……先輩」

 

「生憎、死角からの攻撃というものには死ぬほど慣れていてな……!」

 

彼女の首筋へと迫った必殺の刃は、しかし彼女の命を刈り取ることなく止められた。それも、刹那のもつ野太刀、夕凪ではなく。

 

「村雨流の秘奥、まさか先輩も使えるなんて思わへんかったです」

 

彼女の小太刀を、素手で(・・・)受け止めていたのだ。それも、刃を掴んでいるのではなく手刀で。

 

「その技は、うちも未だ教わってへんのに……嫉妬してまいますわぁ……」

 

「どちらかと言えば憎悪にも見えるがな、貴様のその顔からして」

 

月詠は一見すれば笑みを浮かべているだけだが、その瞳の奥にはドス黒い炎が渦巻いていた。その様は、嫉妬というよりもまさしく憎悪と表現するのが相応しい。刹那は手刀を振って月詠の刃を弾くと、飛び退いて大きく離れる。

 

「貴様の相手をしている暇はなくなった。悪いが、お嬢様を助けに行かせてもらう」

 

「あら、うちとの決着はいいんどすか? このまま逃げるなら、姉さんとは袂を分かつと……」

 

「貴様と戦うことの何処に、姉さんを裏切る意義がある」

 

「……あらら、バレてもうたわ」

 

そう、彼女は確かに鈴音と共に行動しており、同じ立場の人間なのだろう。だが、それで鈴音の言葉を代弁しているわけではない。あくまで、彼女はこの決闘のために姉のことで刹那を揺さぶっていただけだ。

 

(奴の口車に乗せられたこともだが、何より私はそもそもお嬢様の護衛、それを見失いかけるとは精進が足りないな……)

 

ここで重要なのは、相手は木乃香を狙う敵であること。彼女の護衛であるならば迷う以前に身を挺して守るのが当たり前のことだ。

 

「せやけど、うちが逃すと思います?」

 

「愚問だな。貴様から逃げ切れないほど私が未熟だとでも思ったか?」

 

刹那は胸元から数枚の紙札を取り出すと、何かの呪術的な言葉を呟いて上空へ放り投げる。

 

「符術『風塵颪(ふうじんおろし)』!」

 

彼女の言葉と同時に、紙札は空に溶けるかのように消滅し、代わりに凄まじい勢いで突風が上空から吹き迫る。殺傷力は皆無だが、その分風圧で相手を足止めするのには最適な術だ。

 

「うひゃ~!」

 

さすがの月詠もこれには耐えるだけで精一杯で、視界が大きく狭まる。その隙に、刹那は木乃香とそれを追いかける低級妖怪の群れへと向かっていった。

 

「あやや、逃げられましたか~。けど、すぐに追いつきますえ~」

 

体勢を立て直した月詠は、ギラリと目を光らせて刹那の後を追った。

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……!」

 

『ケケケケケ』

 

『ケタケタケタ』

 

「もー! しつっこいなこのお化け共は!」

 

「は、ハルナ、もう私限界ですー!」

 

ホログラムにしては妙にリアルな妖怪の群れに追われ、ひたすら逃げ惑う三人。しかし、三人共に文化系なためか既に体力は限界に近い。特に、運動の苦手な夕映は完全に息が上がってしまっている。

 

「もぅ、うちも、バテバテや……!」

 

「くぅ~、締め切りという修羅場をくぐってきた私でもこれはキツイ! 精神的な耐久レースなら自信あるけど、走るのは辛いっ!」

 

しかし、走るのをやめれば妖怪たちに追いつかれる。そうなれば、何をされるかわかったものではない。なにせ、さっきまで悪戯程度のことしかしていなかった妖怪たちが、彼女らを追うと同時に目の色を変えたのだ。明らかに危害を加えようとしているのが見て取れた。

 

『クキャキャ!』

 

「あうっ!?」

 

ついに、三人で最も足の遅い夕映が妖怪の投げた枝に足を引っ掛け、転んでしまう。幸い怪我はなさそうだが、既に妖怪たちは夕映を逃げられないように取り囲んでいた。

 

「ピ、ピンチですか……!?」

 

『ウケケケケ』

 

『ヒョヒョヒョ』

 

『アヒャウヒャ』

 

見るからに知性というものが希薄そうな妖怪たちは、何が面白いのかしきりに笑い声をあげている。見た目は可愛らしいのだが、こうも大量にいるとかえって怖くも見えてしまう。

 

(くっ、魔法を使うわけには……しかし……!)

 

何とか切り抜けようにも、彼女が魔法を使えることは絶対に秘密にせねばならない。しかし、それではこの状況を脱するには手札が足りない。

 

「夕映!」

 

妖怪たちの群れの向こうからハルナの声が聞こえるも、その姿は見えない。いよいよ妖怪が夕映へと襲いかかり、万事休すかと目を瞑った時であった。

 

『楓流、五月雨手裏剣!』

 

『ウケケー!?』

 

『ヒョオオオ!?』

 

何か重たいものが地面に落下する音と、僅かな金属音。そして妖怪たちの悲鳴が聞こえてきた。恐る恐る目を開けてみると、そこにいたのは。

 

「な、長瀬さん!?」

 

「いやぁ、間に合ってよかったでござる」

 

3-A屈指の武闘派である、長瀬楓その人であった。神社から全速力で走ってきたせいで若干息があがっているが、それでも大分余裕が見える。一方、彼女の手裏剣攻撃で数が大幅に減った妖怪たちだが、未だ戦意は衰えていない。しかし、彼女がひと睨みすると途端に小さく震え上がり、その場から霞のように消え去った。

 

「夕映! 無事だった!?」

 

「変なことされへんかった!?」

 

妖怪たちが消えたことで、木乃香たちが夕映の方へと向かってくる。

 

「大丈夫です。長瀬さんが助けてくれました」

 

「危ないところでござったな。しかし、あれは一体何だったのでござるか?」

 

そう尋ねてくる楓に、夕映は言葉を濁す。あれが魔法関連のものであることは分かるが、かといってそれを馬鹿正直に話してしまえば彼女が疑われるのは必然。夕映はすぐに気持ちを切り替えると先ほど起きた事実のみを述べるだけにした。

 

「ふむふむ、それで刹那は戦闘中でござるか」

 

「はい。何やら、彼女とも関わりのある人物のようで、木乃香を賭けて勝負だと言っていました」

 

「ん? しかしおかしくはないでござろうか。賭けの対象である木乃香嬢を態々襲うなど……」

 

「……確かに、矛盾してるわねぇ」

 

楓の言葉に、ハルナが同意する。態々彼女を賭けて戦うぐらいなのだから、木乃香を害する理由はほぼない。ならば、別の目的があったと考えるべきだろう。

 

「もしや、決闘事態が囮で、木乃香嬢を追い立てて孤立させたあとに誘拐する腹づもりなのでは?」

 

「そう考えるとたしかに辻褄は合うけど……ひょっとして複数犯ってこと?」

 

「うむ。その可能性は大いにあるでござる」

 

楓自身はネギ達から話を聞いているためそのことを知っているが、彼女たちはそうではない。ならば、遠回しにでもその事実に気づかせて彼女らに危機感を持ってもらったほうがいいと彼女は考え、話を誘導していった。

 

(……彼女も、魔法のことについて知っているはず。ならば、これは私達の意識を誘導するためにやっているはずです)

 

尤も、夕映にはそのことは見透かされていたが。仮にもかの悪辣な魔女に育てられたのだ、この程度の思考の看破は容易い。

 

「お嬢様っ! ご無事ですか!?」

 

やや遅れて、刹那が木乃香たちのもとへとやってきた。妖怪から逃れるため、木乃香達もそれなりに走り回っていたはずだが、刹那はそんな距離を走ってきても息切れ一つしていない。

 

「楓、来てくれたのか」

 

「うむ。何やら嫌な予感があったため、参上した次第でござる」

 

「それは有り難い、悪いが二人のことを頼めるか? さすがに一般人に本当に危害を加える可能性は低いが、人質とされてはマズイ」

 

そう言って、夕映とハルナの方へと目配せする。彼女の言わんとすることを理解した楓は、首を縦に振った。

 

「構わんでござるが……刹那はどうするでござるか?」

 

「お嬢様を連れて逃げる。月詠のやつが私を追っていてな……下手にお嬢様から離れてしまえば向こうの思う壺だ」

 

「なるほど、あれほどの速さの持ち主相手では、拙者でも厳しいでござるからな」

 

思い出すのは、修学旅行初日に戦った時の夜のこと。それなりに速さに自信を持つ楓でさえ、月詠の残像さえ掴むことができなかった。恐らく、同じ速さで対抗できるのは刹那ぐらいだろう。とはいえ、あの時月詠と刹那が使った技術は、長距離を走るのには向かない上に体への負担が大きいため滅多に使わないのだが。

 

「お嬢様、失礼致します」

 

「ひゃ!? きゅ、急に持ち上げんといて?」

 

「申し訳ありませんが、悠長にしている暇がございませんので。楓、後を頼むぞ」

 

「了解したでござる」

 

楓に後を託すと、刹那は木乃香と共に街の中へと消えていった。そしてその数瞬後に、彼女らの場所にだけ突風が吹いた。

 

「び、びっくりしたです。急に風が吹くなんて」

 

「すごい風だったわねぇ」

 

(……月詠か。あの程度であれば拙者でも追いつけるが、あれが全力というわけではないはず。とんでもないでござるな……)

 

突風の正体にただ一人気づいた楓は、月詠や刹那の秘めたるポテンシャルに、無意識に武者震いをしていた。

 

 

 

 

 

「め、目が回る~」

 

「すみませんお嬢様、しかしこうでもしないと逃げ切れません故、今少しご容赦を」

 

刹那の走るスピードの世界についてゆけず、軽く目眩を覚える木乃香を、刹那は尚も抱きかかえたまま走り続ける。

 

「せんぱ~い、どこに逃げるゆうんどすか~?」

 

しかし、全力で走っているはずの刹那に後ろには月詠の姿があった。しかも、徐々に彼女はこちらとの距離を詰め始めている。

 

「くっ……しつこい奴だ……!」

 

「うふ、先輩は往生が悪いです~」

 

笑みを浮かべてはいるが、月詠の目は笑っていない。明らかにこちらを狩ろうとする捕食者特有の目をしていた。

 

(マズイな、このままでは追いつかれる……!)

 

木乃香を抱えている分刹那の出せるスピードには限界がある。一方、向こうは小太刀以外は持っていない身軽な状態。これでは追いつかれるのは時間の問題だった。

 

「お嬢様、少し荒っぽく行きます故、お覚悟の程を」

 

「え? ひゃわっ!?」

 

刹那は月詠を振り切るためにスピードを上げる。しかし一定の距離で速度を落とし、そして再び上げるといった具合に断続的に行っている。

 

「うふふ、確かにそれならうちから逃げられますけど……バテるのも早いですえ?」

 

どんどんと距離を離していく刹那だが、その顔には疲労の色が見える。なにせ、一回使うだけでも体への負担がばかにならない技を、連続使用しているのだから当然だ。彼女は月詠の姿が見えなくなったことを確認すると、ようやく立ち止まる。

 

「はぁ……はぁ……」

 

「せっちゃん、大丈夫?」

 

「ええ、大丈夫、です……」

 

息切れしている刹那を心配する木乃香。刹那は大丈夫だと言ってはいるが、疲労の色は濃い。普段部活動で過酷な練習をし、それでなお素振りをする余裕を見せるほどの彼女が、ここまで疲れた顔をするなど滅多にない。

 

「どこかで、休憩しよ?」

 

「そうですね、私もすこしばかり疲れました……」

 

とりあえず、体を休めるべきだと思い刹那に提案する。刹那もそれに同意し、近場にあった茶屋にでも入ろうとしたその時。

 

「っ! 危ない!」

 

木乃香に飛びかかって倒れこむ刹那。一体何が起こったのか混乱する木乃香の手を引いて起き上がると、先ほどまで彼女らがいた場所に一本の矢が突き刺さっていた。

 

「ふん、逃さへんえ」

 

「貴様は……!」

 

屋根の上に現れたのは、先日木乃香を攫おうとした天ヶ崎千草だ。その隣には、大柄な体躯の烏族らしき存在が弓を構えてこちらを狙っている。

 

「チッ、ここへくるように誘導させられていたのか……!」

 

いくら刹那があちらこちらに逃げ回っていたとはいっても、偶然彼女らと遭遇したというはずもない。月詠によって、知らないうちにここへと追い立てられていたようだ。

 

「お嬢様を渡してもらうえ!」

 

刹那に向けて矢が放たれる。刹那はそれを横に飛んでかわすと、再び木乃香を抱きかかえて逃走する。

 

「くっ、足を狙うんや!」

 

再び放たれる矢。指示通り、刹那の足元を狙うも地面に突き刺さるに留まる。うかうかしていれば刹那に逃げられてしまうと考え、千草も後を追う。

 

「このままでは……」

 

一方で、刹那も焦りを覚えていた。間断なくこうも攻められては体がもたない。何処かに隠れてやり過ごそうかと考えていた。

 

「うふ、みーつけた」

 

しかし、前方に見覚えのある姿を見て足を止める。月詠が追いついてきたのだ。後ろからは、烏族を連れた千草が迫っている。まさに前門の虎、後門の狼であった。

 

「お嬢様、舌を噛まないようにお気をつけ下さい」

 

「う、うん」

 

木乃香の了解を得ると、刹那は勢いよく飛び上がり屋根の上へと着地して再び月詠たちから距離を取る。当然、月詠も千草も後を追ってゆく。

 

(あまり魔法がバレるようなことは避けたいが、今は緊急時だと割り切るしかないな……)

 

できれば刹那自身はなるべく目立つような行為を避けたかったのだが、既に月詠のせいで大勢の観衆に見られている。幸い、映画の撮影か何かだと思われているため、余程奇怪なことでもしなければ怪しまれることはないだろう。

 

千草の式神であろう烏族の放つ矢は中々に速く、躱すごとに体勢を崩されそうになる。更に、月詠が神鳴流の斬撃を飛ばす技、『斬空閃』でその隙を突こうとしてくるため逃げ足が鈍ってしまう。

 

(さすがに二対一は辛い……!)

 

背後に気をつけながら逃げていたせいか、いつの間にか大きな城の目前まできていた。道へ下りて城を大回りしようとしたが、月詠の飛ぶ斬撃が迫る。咄嗟に飛び上がって躱すも、今度は烏族の矢が襲いかかる。刹那は逃げるままに城を屋根伝いに飛びながら登っていく。

 

だが、それこそが彼女らの狙い。

 

「うふ、もう逃げ場はありませんえ~」

 

「動いたら射ますえ。大人しくお嬢様を渡しいや」

 

そう、逃げ場のない城の天辺まで誘導されたのだ。これでもう、刹那に退路は完全になくなってしまった。

 

 

 

 

 

「せっちゃん……」

 

「大丈夫です、お嬢様」

 

不安そうな顔をする木乃香を安心させようと、刹那は微かに笑みを浮かべながら応える。だが、月詠は意地悪そうな意味を浮かべると。

 

「へぇ、先輩はお嬢様のために命を懸けられるゆうわけどすか?」

 

「当然だ。私はお嬢様の護衛……」

 

「いえいえ、ちゃいます。お嬢様を友人として助けたいんかゆうことです」

 

「……無論だ、私にとっては大事な人に変わりはない」

 

月詠との問答。こちらを揺さぶるためにまた姉のことを持ち出してくるかと警戒するが、どうもおかしい。まるで、木乃香を守ること自体に意味があるのかと問われているかのようだ。

 

「へぇ~、ならお嬢様は知っとるんどすか? 先輩の秘密(・・)を」

 

「っ! 貴様っ!」

 

「せっちゃんの、ひみつ……?」

 

よもや、こんなところから切り崩してくるとは思わず、刹那は驚きと怒りで声を荒げる。一方で、月詠の言葉に引っかかりを覚えた木乃香は、複雑な表情だ。

 

「あら~、親友同士ゆうから知っとるんかと思っとったんやけどな~」

 

「……せっちゃん、本当なん? 私に、隠してることあるん?」

 

「そ、それは……」

 

嫌な汗が背中を伝う。隠し事をしているのは事実であり、そのことで悩むようになってから彼女とは親友としてではなく護衛として付き合うようになった。それでも、護衛として彼女とともにいるのは、やはり彼女と離れたくないから。二律背反の心が、ずるずるとなし崩しで年月が経つ原因となってしまった。

 

「せっちゃん、うち昔言うたよね。お互いに、秘密はなしにしようって」

 

「は、はい……そう、でしたね……」

 

「なら、あの人は嘘ついとるん?」

 

「…………」

 

「せっちゃん、答えてっ!」

 

幼い頃に友人が少なかった木乃香にとって、刹那は特に特別な存在だった。だからこそ、彼女は刹那にだけは自分の心の中を曝け出せると思っており、刹那もそうしてくれていると思っていた。しかし、刹那は申し訳無さそうな顔をしたまま黙ってしまう。

 

「……そっか。そうやったんやな……」

 

木乃香は、刹那の様子からそれが本当であることを察し、悲しそうな顔をした。親友と思っていた人物が、腹を割って話せると思っていた相手が秘密にしていることがあったという事実。自分が刹那に信用されていないと思えてしまうような、裏切られたかのような気持ち。

 

(うふ、人は自分が最も信頼する相手に裏切られたと思った時、その気持ちが反転するて姉さんが言うてはったけど……)

 

「私、結局せっちゃんに親友づらしてただけやったんやな……」

 

「そ、そんなことは……!」

 

「ええて。本当は、うちのことうっとおしい思っとったんやろ?」

 

(うふふふふ、確かに……そん通りかもしれまへんなぁ~)

 

信頼しあっていたはずの少女らが、心を急速に離れさせていく。そんな壊れ行く関係を眺めて、月詠は暗い愉悦を覚えた。

 

「うちを守るゆうんも、お父様の命令だからなんやろ?」

 

「ち、ちが……!」

 

「何が違うんやっ! 嘘つきっ!」

 

感情的になり、木乃香は刹那を思わず突き飛ばす。か細い腕にはさしたる力はない。だが木乃香に拒絶されたという事実に、刹那は呆然となってへたり込んでしまう。

 

「せっちゃんなんか……大嫌いや!」

 

「そん、な……」

 

親友からの明確な嫌悪の言葉。それは、刹那の心を突き刺すには十分であった。刹那は、見開いた眼から涙を溢れさせ、視界はぐにゃぐにゃと歪んでいく。まるで、自分がただ一人になったかのような錯覚を覚える。

 

バシュンッ!

 

だが、更に最悪の事態が起こった。動いたら打てと言われていた烏族が、刹那を突き飛ばしたという動きがあったために構えていた矢を放ったのだ。

 

それも、木乃香(・・・)へ向けて(・・・・)

 

「アホウっ!? お嬢様を射ってどうするんや!?」

 

千草のそんな叫びが聞こえるが、もう何もかもが遅い。鋭い風切り音を上げながら、高速で矢は木乃香へと飛来してゆき。

 

 

 

「……このちゃんっ!」

 

 

 

しかし既のところで、何かが彼女の前方を遮る。それによって、迫っていたはずの矢は彼女の眼前から消失した。

 

「…………え?」

 

それは背中だった。彼女がよく見た、彼女の背中。融通がきかなくて、お固い少女の背中。たった今拒絶した、親友だったはずの少女。

 

刹那の姿がそこにはあった。

 

「せ、ちゃ……ん?」

 

「よか、った……まに、あ……た……」

 

ぐらりと、横に倒れる。その胸には、先ほど飛来した矢と全く同じものが生えており。そこから、真紅の液体が滲み出ていた。

 

「い、いやあああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 

 

 

 

(ああ、私はこのちゃんを守れたのか……)

 

徐々に薄れ行く意識の中、刹那を抱き起こし、滂沱の涙を流しながら必死に話しかけてくる彼女を見て、刹那は彼女を守れたのだと、そんなことを考えていた。

 

彼女にあんなことを言われ、呆然としていた刹那であったが、木乃香に危険が迫っていると理解した途端に、勝手に体が動いてしまったのだ。まるで条件反射のように、彼女を守ろうと。

 

(やっぱり……うちはこのちゃんが大好きなんやな……)

 

秘密を持って、彼女に嫌われるようなことをしてもなお、彼女の側にいたいと願った。彼女にとって、木乃香は姉と同じ、いやそれ以上かもれしない大切な人なのだと、今更ながらに理解した。

 

「ごめ、ん……このちゃ、に、隠しごと、して……」

 

口をついて出たのは、謝罪の言葉。彼女を裏切ってきたことに対する懺悔。許してほしいとは思わない。ただ、どうしても謝っておきたかった。あんなに取り乱すほど、信頼してくれていた彼女に対して申し訳がなくて。

 

(ごめん、ね……)

 

急速に意識が遠のいていく。視界が暗転し、世界から突き落とされていくのが分かる。ああ、これから自分は死ぬのだと実感ができた。

 

「……せっちゃん? せっちゃん、せっちゃん! あああああああああああああああああ!!!」

 

最後に聞こえたのは、木乃香の悲痛な叫び。それを最後に、彼女はぷっつりと意識が途切れた。

 

 

 

 

 

――――ああ、また私はここへと来てしまった。

 

冥く吸い込まれそうな黒い空。

 

銀の太陽。

 

一面を覆う赤黒い海。

 

どこまでも見果てぬ、懐かしさを覚える何処か。

 

『本当にそれでいいのか?』

 

誰かの声。知らない声。姿はどこにもない。

 

『お前を呼ぶものがいる。お前を呼び戻すものがいる』

 

誰だ。お前は誰だ。第一、私を呼び戻すものとは一体……。

 

『お前はまだここにくるべきではない。この世界はまだお前を求めていない』

 

なんだそれは。私は来るべくして来たはずだ。今更戻れるものか。

 

『聞け、お前を呼ぶ者の慟哭を。在るべき場所へと還れ』

 

光……? 眩しい……誰かの、声……。

 

『ゆけ、宿命背負いし者よ。お前の刻はまだ終わってはいない』

 

宿命? 私の宿命とは一体……?

 

――――さらばだ、またいずれ出会うその時まで。

 

 

 

 

 

「……ちゃん、せ……ちゃん」

 

目を覚ました時に聞こえたのは、誰かの啜り泣きと呼び声。刹那は、その声をとてもよく知っていた。

 

「この、ちゃん……?」

 

眼前に見えたのは、泣き腫らして顔がぐちゃぐちゃになった木乃香。かなり大泣きしたようで、涙の跡が濃く残っている。

 

「せ、ちゃん……?」

 

「うん、私だよ。このちゃん」

 

「せっちゃああああああん!」

 

刹那が目を覚ましたことに気づいた途端、木乃香はガバリと刹那へとすがりついた。いきなりのことに戸惑うものの、刹那も木乃香を抱き返す。

 

「ごめんな、ごめんな……! うち、せっちゃんの気持ちも考えんで、あんなこと……! そんで、矢が刺さって、死んでまうかと思って……!」

 

「うん、うん。うちもごめんな? このちゃんに、どうしても言えないことがあって。もし言ったら、このちゃんに嫌われるんやないかと思って……」

 

「……うち、自分のことばっかで、せっちゃんがそんな悩んでたことなんて全然気づかんかった。自分が恥ずかしいわ……」

 

「ええって。そのためにこのちゃんに隠しごとしとったんやからお互い様や」

 

すれ違いばかりであった二人であったが、刹那の命の危機によって、ようやく二人の関係はかつてのように戻りつつあった。

 

「……そういえば、うち、矢で射られたはずやけど……」

 

見れば、胸に刺さっていたはずの矢はそこにはなく、あるはずの傷も存在しない。ただ唯一、服についた大きな血の染みが致命傷を負った事実を物語っている。そもそも、先程まで城の頂点の屋根にいたはずなのに、今は地面の上なのもおかしい。

 

「えっと、うちもよくわからんかったんやけど……せっちゃんが矢で射られたあとに、お城の屋根から落ちそうになって、慌ててうちが手を掴んだんやけど……」

 

木乃香の話を聞くと、驚くべきことがわかった。刹那の手を掴んだ木乃香は、そのまま城から落下していったらしいのだ。だが、木乃香は落下死することよりも刹那が死にかけている事のほうで頭がいっぱいだったらしく。

 

「せっちゃんを助けたい! って心で念じてたんやけど、そうしたら体の奥底からなんかあったかい力が沸き上がってきて……」

 

彼女の周囲にその力が溢れだし、光りに包まれたのだという。そして、それと同時に二人の落下速度が目に見えて減り、更に刹那の胸の傷が段々と治っていったというのだ。しかし、それでも目を覚まさない刹那の姿に号泣していたのが事の顛末のようだ。

 

(このちゃんの潜在能力が開花したんやな……)

 

刹那はそう冷静に分析した。木乃香は近年でも、いや恐らくここ100年でも稀に見るほどの魔力容量を誇っている。恐らく、落下死するという命の危機と、親友である自分の死という恐怖から、彼女の眠っていた魔力が溢れだし、重力を和らげ、刹那を癒やしたのだろう。

 

「……このちゃん。うち、このちゃんに秘密にしてたこと、言ってもええ?」

 

「水臭いえ。せっちゃんはどうかは分からんけど、うちはせっちゃんのこと親友やと思っとる。大嫌いなんて言うたけど、やっぱりせっちゃんが大好きやから」

 

「……うちもや。うちも、このちゃんのことが大好きや。だから、うちの秘密を打ち明けたい。けど、これを教えたらこのちゃんが危険にさらされるようになる」

 

刹那の真剣な目に、木乃香はそれが本当なのだと理解した。

 

「……ええよ。うち、せっちゃんと一緒なら怖くない。どんなに危なくなっても、せっちゃんがうちを守ってくれるんやろ?」

 

心からの信頼の言葉。身を挺して自らを守ってくれた刹那に、木乃香はこれ以上ないほどの信頼を寄せていた。

 

「……うん、守るよ。うち、このちゃんのこと守れるようにもっと強くなる。このちゃんに嫌われるなんて思うような臆病な私を、認められるように」

 

いつまでも臆病なままではいられない。守ってくれた親友を、今度は守るために強くならねばならないから。

 

 

 

 

 

 

そんな二人を、遠巻きに眺める存在があった。和風の模様をあしらった仮面を身につけ、艶やかな紫の着物を着こなす少女。人にして鬼、明山寺鈴音であった。彼女は仮面を外すと、ポツリと呟く。

 

「……そっか。……それが、刹那の選択なら……」

 

刹那の成り行きを見守っていた彼女だが、その選択に対して彼女は表情一つ変えることはない。視線を自らの腰、そこに佩いている一本の刀へと向けると、再び呟く。

 

「……『紅雨』、何かした(・・・・)……?」

 

そもそも、いくら木乃香の潜在的ポテンシャルが高かろうと、瀕死の重傷を負った刹那を呼び戻すなど不可能に近い。ならば、何か別の要因(・・・・)があった可能性が高いだろう。

 

鈴音の問いかけに、刃は何も応えることなく、沈黙を保つのみであった。しかし、微かにカタカタと鞘の内で震えたような気がした。

 

「……そう。……あなたも、期待(・・)している(・・・・)わけ、か……」

 

鈴音は、ゆっくりと右手を持ち上げ、人差し指を立てて刹那へと指を指し。

 

「……刹那。……次は、敵同士……」

 

明確な敵対の言葉を告げると、彼女らに背を向けて飛び去っていった。



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第三十七話if 再誕

※第三十七話のif話です。本編とは一切関わりがありません。


ああ、世界はなんと残酷なことか。

 

すれ違い続けた少女らの、互いの心の中を知ることもないままの別れ。

 

決して、もとには戻らない。

 

砕けたガラス細工を継ぎ合わせても元の輝きは戻らないように。

 

少女の心は、途方も無き暗闇で曇りゆく。

 

 

 

 

 

木乃香に拒絶されたという、余りにも衝撃的な出来事は彼女の行動を鈍らせた。それこそ、彼女が最も優先すべきことを数秒忘れてしまうぐらいに。

 

「ぐ……ぁ……」

 

刹那を突き飛ばし、嫌悪の言葉を吐いていたはずの木乃香から苦悶の声が漏れでた。その胸元には、一本の矢が突き刺さっており、そこから真っ赤な液体が滴り落ちている。

 

ゆっくりと、彼女が崩れ落ちていく姿を刹那の目は正確に捉えていた。まるで時間の流れが急激に遅くなったかのように、数秒の出来事であろうことが数分にも数十分にも感じられた。

 

やがて、木乃香は胸から矢を生やしたまま屋根の瓦に、受け身も出来ずに倒れこんだ。

 

「阿呆っ! なんでお嬢様を射たんや!」

 

千草に責め立てられ、慌てふためく烏族。あくまで、彼は千草の動いたら打てという命令に忠実に従っただけだ。だが、その打った相手が問題であった。

 

「この、ちゃん……?」

 

一方で、刹那は未だ状況がうまく飲み込めていなかった。木乃香に何かがあったことは分かったが、それがどういうことなのか理解できていない。いや、脳がそれを理解することを拒否しているかのようであった。

 

「な……なぁ……このちゃん……どうしたの……?」

 

目を見開いたままの木乃香へ、刹那は恐る恐る声をかける。木乃香からの返事は、ない。

 

「顔色、真っ青やで……? なぁ、気分悪いん……?」

 

彼女へと触れようとして、おっかなびっくりに手を伸ばす。不気味なほどに、木乃香は静かであった。

 

『大嫌いや!』

 

「っ! ご、ごめんなさい……このちゃ……」

 

刹那は、彼女に触れようとした瞬間に先ほどのことがフラッシュバックし、既で手を引っ込めた。

 

「ごめんなさい……私なんか、が、触るなんて……嫌、だよね……」

 

身を縮こませながら、小刻みに震えている刹那。彼女はゆっくりと、木乃香から離れていく。木乃香からの反応がないのは、大嫌いな刹那が近くにいるせいだと勘違いしたのだ。

 

「ごめんなさい……ごめん、なさい……」

 

両の目から涙を流し、怯えるようにして体を掻き抱く。その姿はまるで、孤独の中で泣く幼い子供のようであった。

 

「許して……ごめんなさい……一人は嫌だよぅ……」

 

「って慌てとる場合やない! は、はよう回復の呪符を……」

 

あまりの事態に慌てふためいていた千草であったが、ようやく落ち着きを取り戻したらしく、木乃香を助けようと回復の呪符を取り出して木乃香へと近づいていく。その間、刹那はただ泣きながら震えているだけであった。

 

「お嬢様、申し訳ありません。すぐに回復して……」

 

千草は彼女を見下ろすと、謝罪の言葉を吐きつつその白く細い腕を取り。

 

「……脈が、ない……」

 

最悪のことが頭をよぎり、千草は真っ青な顔になる。だが、そんな彼女以上に木乃香の顔色は青白く、まるで幽鬼のよう。

 

「だ、大丈夫や。傷を直せばすぐに回復して……」

 

きっと目を覚ます。そう思って彼女を癒やそうとするが、札が反応しない。

 

「そ、そんな……何かの間違いや、きっとそうや……」

 

だが、札はいつまで経っても反応しない。うんとも、すんともいわないのだ。この呪符は傷を負った対象に対してかざせば発動する。大怪我であっても即座に回復でき、その分作成には手間もかけた自信作。

 

しかし、発動には例外も存在する。対象が怪我をしていない場合は勿論のこと、怪我を負っている場合でも……。

 

「……死ん、でる……?」

 

死者に対しては、効果は発揮されない。

 

「ああ……ああああああっ……!」

 

千草はわなわなと震え、事の重大さを即座に理解して恐怖した。関西呪術協会の正統後継者を、殺してしまったのだ。最早、彼女一人では事は済まない事態へと発展してしまった。

 

「うちが、うちが……殺してもうた……」

 

そして、千草の様子を怯えながらも見ていた刹那もまた、ようやく彼女の死を理解した。いや、理解してしまった。

 

(このちゃんが、死ん、だ……?)

 

何の冗談だそれは、と思った。先ほどまで、彼女は自分を突き飛ばすほどの元気があったではないか。認めるものか、彼女が死ぬはずがない。理解してなお、それを受け入れることを拒否しようとする。

 

嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だだウソだウソダ……。

 

「嘘だ嘘だ嘘だ……!」

 

だが、現実は覆せない。目の前で青白くなっている彼女からは、全く生気を感じない。壊れかけの彼女に、邪悪な笑みを浮かべた月詠が追い打ちを掛ける。

 

「いいえ~、お嬢様は死んでまいましたえ~」

 

ただ、事実を述べただけ。だが、千草以外の更に別の者が言った一言は現実味を持たせるには十分すぎた。

 

「死ん、だ……? もう、起きない……の……? じゃあ、もうこのちゃんは、いないの……? 私、独りぼっち……?」

 

「そうですえ~、そして殺したのは千草はんですけど~」

 

見殺しにしたのは先輩ですえ?

 

「私、このちゃんを……そんな、つもりじゃ……」

 

世界が反転していく。暗く、冥く。重く淀んで粘りつき、沈み込んでいく。

 

落ちる、落ちる。意識が落ちていく。

 

堕ちていく――――。

 

 

 

 

 

『ここ、は……また、きてしまったのか……』

 

『……ふん。期待していたのだが、駄目だったか……』

 

『誰、だ……?』

 

『知る必要はない……とはいえんか。私はここを見定める者……世界の裏に潜む者だ』

 

『世界の、裏……』

 

『貴様はこの世界に求められた。お前は資格を得たのだ、ここへとやってくる資格を』

 

『資格……そ、か……私……このちゃんを……』

 

『お前は何を望む? 親友を殺した者への復讐か、それとも殺戮か』

 

『……何も』

 

『……全く。ここに辿り着けるだけのものをもっていながら、いざ私を見ることができるようになれば無気力とは。まるで幼いころの主を見ているようだ』

 

『主……お前は誰かに仕えているのか』

 

『そうとも。そしてお前のよく知る人物だ』

 

『……まさ、か……』

 

『主もかつてはお前のように無気力であったよ。だが、目的のために生き続けた。そして今も』

 

『……私も』

 

『ん?』

 

『私も、あの人といきたい……このちゃんはもう、行ってしまった。私のせいで……もう、一人は嫌だ……』

 

『それがお前の望みか……。よかろう、ゆくがいい……新たなる修羅よ……』

 

 

 

 

――――光が戻り、意識が浮上する。

 

「戻って、きたのか……」

 

意識が戻った時。見える景色が変わっていた。あまりにも、そうあまりにも脆くはかないバランスで成り立つ世界のカタチ。

 

見渡してみれば、先程まで木乃香であった死体が転がっていた。刹那はそれを暫し眺めたあと。

 

「……ごめんな、このちゃん……嘘ついて……うちはバケモノやから……このちゃんと一緒にいられるわけなかったんやな……」

 

転がっていた夕凪を手にし、彼女はゆっくりと木乃香の死体へと近づいてゆく。未だ、木乃香を蘇らせようと必死の形相で呪符を翳している千草は、背後から近づいてきた刹那に気づいて振り返る。

 

「な、なんや……あんた、何があったんや……?!」

 

刹那の醸しだす異様な雰囲気に、千草は(おのの)いた。先ほどまでの凛と張った、清廉な空気は一切感じさせることはなく、むしろそんな雰囲気が以前感じられたこと自体にさえ違和感を覚えるほど、重く淀んだ、濁りくすんだ気配を漂わせている。

 

まるで、彼女の中身が変わってしまったかのようであった。さっきまでの刹那のはらわたを抜き取り、代わりに真っ黒い何かを詰め込んだかのような。

 

「うふ、うふふっ」

 

そんな彼女を見て、月詠はとても楽しそうに笑っていた。しかし、その目は暗く濁りきっており、悪辣な愉悦を感じているようであった。

 

「このちゃん……さっき、このちゃんはうちのこと嫌いゆうたよね? ……うちも、このちゃんが嫌いになってもうたわ。うち、本当に化け物になってもうたから。人間のこのちゃんなんてどうでもようなったわ。だから……」

 

一方で、刹那は取り乱している千草に対して何の反応もせず、ただただ木乃香を見つめている。そして、抜身の夕凪を逆手に持ち変えると。

 

「あ、あんた何する気……!」

 

ザシュッ

 

「サヨナラや、このちゃん」

 

木乃香の躯から、首を切り離した。

 

千草は、刹那のやったことに一瞬訳がわからず呆けるが、すぐに気を取り戻すと絶叫を上げた。

 

「あ、あ、あああああああああああああ!」

 

まだ、人の姿であったからこそ千草は木乃香が生き返るかもしれないという、どうしようもない程にちっぽけな希望にすがりついていたのだ。だが、これでもうそれもなくなってしまった。首が分断された人間が、生きていられるはずがないのだ。

 

「う……く……ふ、ふふふ……」

 

笑みを、浮かべていた。深く鋭い、獰猛な獣のような笑みであった。だが、なぜか千草にはその表情が笑いには見えず。

 

「あんた、泣いとるんか……?」

 

むしろ、涙を流していないだけで、泣いているかのようであった。

 

「泣いてる……? ……アハハッ! アハハハハハハハハハハ!」

 

千草にそう言われ、一瞬ほうけた顔をしたかと思えば、急に大声で笑い出した。これが、さっきまで気丈に親友を守り続けようとしていたあの少女だというのか。

 

「そっか、うち悲しいんや……悲しいのに涙が出ないで……笑っちゃっとる……」

 

悲しいはずなのに、涙がでることもない。気分は高揚し、歓喜に打ち震えている。感情も表情も気分も心も。全てがあべこべになっている。

 

「じゃあ、あんたを殺したらうちはスッキリした気分になれるんやろか? 大好きだった、今は大嫌いなこのちゃんを殺したあんたを殺せば」

 

「ひっ!?」

 

その凄絶な笑みを浮かべたまま、刹那は今度は千草へと向き直る。千草は即座に、自分が彼女の標的にされたことを理解した。見つめてくる眼差しはどこか人間味に欠け、気味が悪い。殺気を感じはすれども、余りにも透き通り過ぎている。不純物が一切感じられない、ただ殺気のみを抽出して発しているかのようだ。

 

(ば、バケモンや……こいつ、バケモンになったんや……!)

 

人ならざる者はよく見てきた。妖魔鬼神に魑魅魍魎。妖怪変化のたぐいは東洋呪術とは深く関わっているし、善鬼・後鬼のように使役することだってある。高位のものであれば、人のように知恵をつけ賢しく動いたりもする。

 

だが、目の前のこれはそのどれとも違う。人間でもなく、妖怪でもない。そうであればこんな不気味で歪な人形のような生き物であるはずがない。

 

ならば、彼女はまさにバケモノと呼ぶに相応しい。

 

「……このちゃんの仇や」

 

無造作に、夕凪を振るう。それだけで、真空の刃が発生して千草を襲う。それは彼女の体を容易く通過し、虚空へと消えていく。

 

「こ、の……バケモンが……」

 

ゴプリ、と口から血を吐き出し、悪態をつく。腰回りからもゆっくりと血が衣服へと染み渡り、不自然に千草の上体がズレてゆく。やがて、体を支えきれなくなったのか千草の上半身は前のめりに倒れ、下半身はその逆へと崩れ落ちた。

 

「……全然スッキリせえへん。そもそも、嫌いな奴の仇なんかとってもスッキリなんてせえへんやろし……」

 

怪訝な表情をし、そんな感想を漏らす。人一人を殺したというのに、一切同じた様子もなく、むしろそれを当たり前として許容してしまっている。

 

「もっと殺せば分かるんかなぁ……」

 

無邪気な言葉。罪悪も何も、感じていないかのような価値観。人間の枠で捉えられない、常人からすれば狂気的な認識。人と同じで思考し、理性を持ち、倫理観を有していたはずの少女は、バケモノへと羽化を果たした。

 

 

 

 

「綺麗やわぁ……先輩……」

 

人間ではない何かに変貌を遂げた刹那を見て、恍惚の表情を浮かべる。月詠には、刹那の姿がとても美しく見えた。歪で醜悪で狂的で邪悪な彼女の姿が、たまらなく愛おしい。敬愛する姉と、比べてみても遜色ないほどに。

 

「はふぅ……羨ましい……嫉妬してまいますわぁ。うちもああなれたらなぁ……」

 

溜息を吐き、羨望の眼差しを向ける。彼女はかなり破綻した認識の持ち主だが、あくまでも心も体も人間。鈴音も体は人間だが、魂そのものが鬼へと変質しているため、月詠とは全く違う。だからこそ、嫉妬で狂ってしまいそうなほどに刹那が羨ましい。

 

「……月詠。姉さんはどこにおるん?」

 

「うふふ、聞いてどうするんどすか?」

 

「会いたいんや。悲しさとかは全然ないのに、寂しゅうて寂しゅうて……。うち、このちゃんはどうでもええのに姉さんのこと考えるとすごく寂しく感じるんや」

 

先ほどまで喜悦で濁っていた瞳は、悲哀によって驚くほどに澄み渡っていた。あまりにも純粋過ぎる悲しみ。それを、木乃香に対してではなく姉へ、鈴音へ向けていた。

 

「うふふ……教えてもええですけど~、先輩はうちらとは敵同士やなかったでしたっけ~?」

 

「……さっきまではそうやったけど、今はちゃう。うち、やっぱり姉さんについていきたいわ」

 

「お嬢様、は死んでもうたから仕方ないとして……ネギ先生はどうするんどすか~? 気になったりせえへんのですか?」

 

「え? 全然。なんであんなんを気にせなアカンのや」

 

心底どうでもいいかのように言う。共闘関係にあるはずの人物らを、刹那は一切の容赦なく切り捨ててみせた。彼女の返答に満足したのか、月詠は薄く笑い。

 

「……了解しましたえ。ほな、姉さんに会わせたげます」

 

 

 

 

 

月詠は、現在仮の住まいとしている場所へと刹那を案内した。そして彼女らの気配を感じたのか、鈴音が扉を開けて姿を現した。鈴音と出会った途端、花が咲いたかのように無邪気な笑顔を見せ、駆け寄る刹那。そんな彼女を、鈴音は優しく受け止めた。

 

「……そう、貴女もきたの……」

 

「うん! うち、やっぱり姉さんと一緒がいい! このちゃんなんて嫌いや。うちは姉さんと一緒にいられればそれでええ」

 

刹那の言葉を聞きながら、ゆっくりと頭をなででやる。サラサラとした髪を、鈴音の手が梳いてゆく。

 

「んふふ~、姉さんの手や~」

 

くすぐったそうにしつつも、刹那は嬉しそうに体を震わせている。なにせ、長らく姿を見せることなく行方を晦まし、いざ再会すれば敵同士。そんな彼女と、再び一緒にいられるなど、まるで夢のようであった。

 

「う~、ズルいおす。うちも撫でてください~!」

 

二人の様子を眺めていた月詠であったが、我慢できなくなり姉に甘えようと駆け寄って頭を差し出す。横から突っ込んできた月詠に面食らった刹那をよそに、鈴音は月詠の頭を撫でる。

 

「ふあぁ~、落ち着くわぁ~」

 

だらしなく顔を弛緩させ、うっとりとした表情をする月詠。普段の不敵な笑みを浮かべ、食えない態度の彼女とは思えないほどにリラックスしている。やはり、彼女にとっても鈴音の存在はとても大きなもののようだ。

 

「……なあ姉さん。うち、これからどうすべきやろ」

 

「……近衛木乃香は、死んだ……。……なら、今更ネギ・スプリングフィールド一行に……混ざるのは不自然過ぎる……」

 

そう。木乃香は死んでしまったのだ。その護衛である刹那がネギ達のもとへと戻っても、怪しまれるだけだろう。ならば、今後は月詠のように鈴音とともに行動すべきだ。

 

「……話しておいたほうがいいか。……アスナも、私達の仲間……」

 

「えっ!? アスナさんも仲間やったん!? 全然気がつかへんかったわ……」

 

「……アスナは、演じるのが上手い、から……」

 

今後誤解を生まないように、アスナがこちら側であることを伝えると、刹那は酷く驚く。普段の明るく礼儀正しい、まさに絵に描いたような優等生と認識していたアスナが、まさか鈴音と同じ組織の大幹部であるとは、思いもしなかった。

 

「……アスナは、組織内でもかなり年長……。……付き合いも、かなり長い……」

 

アスナは、鈴音にとっては無二の親友の一人らしい。相当にお互いを信頼しあっていることが言葉の端々から伺える。

 

対して、自分はどうだろう。姉がいるおかげで孤独とは無縁になろだろう。だが、友人の一人もいなというのは寂しい。かつては友人であった木乃香も、既に死亡している。尤も、彼女のことなど今更どうでもいい刹那は、すでに彼女の存在が頭から消えかかっていたが。

 

「うちも……また友達ができるやろか……」

 

俯いて、暗く呟く。そもそも姉とともに行くことを決める決定的な原因となったのが、木乃香との喧嘩と死に別れだ。友人関係というものに不安を覚えるのも無理は無い。

 

「……大丈夫。……組織には、刹那と同じぐらいの娘はいる……きっと、仲良くなれるはず……」

 

「それに、うちもおりますえ。先輩とは敵同士やったけど、今はおんなし立場や」

 

「姉さん……月詠……」

 

不安な顔をしている刹那に、鈴音と月詠がそれぞれ声をかける。特に、月詠は刹那に対してかなり友好的な態度で接そうとしていいるのが見て取れた。

 

「それとも、やっぱり先輩はうちのこと嫌いおすか? 友達、なれへんのやろか?」

 

月詠はそう言いながら、右手を差し出す。月詠の言葉に暫し困惑するも、やがて刹那はゆっくりと月詠に近づくと、おずおずと手を差し出し。

 

「つ、月詠……うちと、友達になってくれへん……?」

 

「うふふ、喜んで~」

 

こうして、刹那は再び友人を得た。それは、本当の自分を知る相手であり、とても得難い親友であった。

 

 

 

 

 

「く、そ……」

 

「……よくもった方。……けど、貴方では私は倒せない」

 

燃え盛る火炎の中、倒れる子供が一人と、佇むバケモノが一人。倒れているのがネギで、それを眺めているのが鈴音であった。

 

刹那がバケモノとして再誕した後。後から来たネギは、楓から木乃香の死を知り、一時はかなり荒れた。しかし、千雨やのどからによって宥められ落ち着きを取り戻し、関西呪術協会の本部へと向かった。

 

無事、とは言えないが親書を手渡すことには成功し、木乃香の死を知った西の長は大分怒りを抑えつつも仕方ないことと割り切り、彼らを労った。

 

そしてその日の夜。関西呪術協会の過激派による襲撃を受けた。屋敷を焼き討ちされ、過激派の呪術師達がなだれ込んだのだ。

 

最初は優勢であった。魔法世界の大戦において英雄と称された西の長相手に、数もそれほど多くなかった呪術師たちはほとんどが蹴散らされた。

 

『うふふ、うちらも混ぜておくれやす~』

 

だが、その後に乱入してきた勢力によって戦況は覆された。『夜明けの世界』のメンバーが仕掛けてきたのだ。西の長は即座に交戦を開始、ネギ達も奮闘したが、相手によって分断され、ネギと長以外はどこにいるかもわからない状態となった。

 

『……さらばだ、取り残された英雄……』

 

『この、か……』

 

そして、長は相対していた仮面の女、鈴音によって斬り伏せられ、それに激高したネギが無謀にも勝負を挑んだ。だが、彼女相手には一切の魔法が通用せず、拙い体術もまるで効いていなかった。結局、圧倒的な実力差を見せつけられ、ネギは敗北した。

 

ネギが悔しさで歯噛みしていた、そんな時。

 

「姉さん、他の輩の掃除は終わりました」

 

聞き覚えのある声が、ネギの耳へととどいた。顔を上げてみれば、そこには。

 

「刹那、さん……?」

 

「あ、お久しぶりですネギ先生」

 

そこにいたのは、昼間に行方を眩ませたはずの、桜咲刹那の姿。だが、その容姿は前とはかけ離れていた。時代劇に出てくるような侍の如き格好をしており、漆黒の袴と着物がまず目に入る。そして、黒髪であったはずの刹那の頭髪は、白銀の色へと変わっており、漆黒の衣服と相まってよく映えている。

 

そして何より、その瞳の奥に暗く淀んだ光を湛えていた。

 

「刹那さん、今までどこに……」

 

「そんなこと、先生に言う必要があるんですか?」

 

おかしい。出発前に見た彼女とは、明らかに違いすぎている。

 

「木乃香さんが亡くなったんですよ!? それなのにどうして……!」

 

「だって、それ私が見殺しにしたせいですし」

 

「え……?」

 

木乃香のことを話すも、むしろ刹那から衝撃的な言葉が告げられた。親友といえる間柄の彼女が、木乃香を見殺しにしたと。

 

「それに、あんな奴もうどうでもいいんです。私の事嫌いだって言いましたし」

 

「そんな……」

 

「それよりも、私は姉さんと一緒の方がいいって分かったんです。だから、こうして姉さんと一緒にここへ来たんですから」

 

そう言って、鈴音へと近づいてゆく。それだけでネギは理解した。彼女の言う姉とは、あの仮面の女だったのだと。

 

「う、ぁ……」

 

「今日は挨拶代わりに顔を出しただけや。けど次会うとき、うちらは殺しあう仲っちゅうことをよく理解してや、せんせ?」

 

寒気のする笑みを浮かべながら、刹那は明確な敵対の言葉を告げる。自分の生徒が、再び彼の敵となった。先日の氷雨のことといい、最早ネギの許容量をオーバーしてしまった。

 

「う、うわああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 

 

 

 

翌朝。何とか生き残ることが出来た千雨は、他のメンバーの安否を確認するため山の中をさまよい続けていた。そして、ようやく焼け落ちた関西呪術協会本部へたどり着くも、そこには魂が抜け落ちたかのように無反応な少年が座り込んでいるだけであった。

 

ネギ・スプリングフィールドは精神に異常をきたしたとし、故郷ウェールズへと帰され、ベットの中で生活する日々が続いた。長瀬楓は死亡、宮崎のどかと神楽坂アスナは行方不明とされ、関西の裏社会は混乱が続いた。長谷川千雨も、後に麻帆良学園から失踪した。

 

後に、『夜明けの世界』が旧世界へと本格的に手を伸ばし始めた時。標的の一つとなった日本へ、幹部の一人が送り込まれた。その姿は、真っ白な頭髪と羽が特徴的な剣士であったという。



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第三十八話 修学旅行三日目(夜)

舞台に上がるは光と闇。刃の鬼が腰を上げ、
一夜の悪夢が廻り出す。


鈴音は仮のアジトにて、一人瞑想をしていた。今回は、大川美姫(氷雨)の尻拭いのためにここにいる。彼女の妹分たちに関わりの深い場所であることもあって、思うところはあった。だが、それでも彼女は自らの為すべきことを見失うことはない。

 

 

 

――――鈴音は以前、エヴァンジェリンに組織の活動について尋ねたことがあった。

 

『……聞きたいことが、あります……』

 

『……どうした、鈴音?』

 

『……我々が、英雄を育てるのは……なぜですか……?』

 

『ふむ。大本の理由で言えば、以前言ったとおり我々を打倒できる英雄の出現を待つのに飽きた、といったところだが』

 

『……しかし、我々が育てた英雄が……我々を打倒できるとは……』

 

『思えない、というわけか』

 

いつの時代も、英雄というものは苦境の中から生まれるものである。その下地は、彼女ら『夜明けの世界(コズモ・エネルゲイア)』によって出来上がっているが、未だかの『赤き翼(アラルブラ)』を超える傑物は出現しておらず、待ち続けるのは非常に消極的で退屈だ。

 

その点、英雄を育て上げるということ自体は悪いことではない。しかし、それで彼女らのようなバケモノが打倒できるかといえば疑問が残る。やっていることはあくまでもマッチポンプであり、他者によって育てられた、いわば人工培養された英雄の中からでは、とても『赤き翼』を超えるような英雄が出現するとは思えなかった。

 

エヴァンジェリンはクスリと、妖しい笑みを浮かべると。

 

『鈴音、一つ聞こう。野生の木に成ったリンゴと、人の手によって育て上げられたリンゴ。どちらのほうが甘く、美味いと思う?』

 

そう言って、テーブルの上に置いてあったリンゴを掴むと鈴音へと投げ渡した。鈴音はそれを受け取ると、不思議そうな顔をした。

 

『……? ……なぜ、その質問を……?』

 

『関係有ることだからだ。で、お前の考えを聞かせてくれ』

 

『……当然、人の手によって育てられたもの、です……』

 

『何故、そう思う?』

 

『……人の育てたものは、品種改良されているし……美味しく食べられるように、管理する……から……』

 

鈴音の回答に、エヴァンジェリンは満足そうに口角を上げてゆっくりと頷く。鈴音は、投げ渡されたリンゴを口元へと近づけ、そのまま一口齧る。口の中に仄かな酸味と蜜の甘さが広がり、シャリシャリとした音が心地よい。

 

『そう、人の手で育てられたリンゴは美味い。それは、人類がそのリンゴを美味く食べるために費やした年月、技術、品種改良……様々なものが関わっているからだ』

 

『……でも、人間はそうはいかないはずです……』

 

『そうとも。思い通りにいくはずもない。理性を持ち、飼われることを嫌い、自由を求める。人間の本質にはそういった部分が多い。だからこそ、かつては革命が起こり王権を打倒したわけだ。抑圧された怒りに火がつくことによってな』

 

人間をコントロールすることは、未だ解明されることのない、複雑怪奇なる心を操ることでもできなければ不可能。エヴァンジェリンはそれをよく心得ていた。鈴音はエヴァンジェリンの言わんとしていることが、ようやくつかめた気がした。

 

『……もしかして……逆境……?』

 

『クク、相変わらず理解が早いな。そうとも、あえて我々が抗わせることによって、想像もつかないような方向へと向かう……それが狙いだ』

 

英雄候補となるものであれば、エヴァンジェリンらに従うことをよしとしないのは明白である。必ず、そのシナリオから外れようと足掻くはずだ。だが、それこそがエヴァンジェリンの狙い。

 

『人は自ら進む生き物だ。弱さを知っているからこそ向上心がある。自らの強みを活かし、武器を生み出して、より強大な獣に立ち向かった。自然界における弱者の立ち位置に我慢が出来ずにな。押さえつければ押さえつけるだけ、そこから抜けだそうと藻掻くはずだ』

 

『……自ら、反逆させることで成長を促す……』

 

『養殖された存在からの脱却。作られたものはやがて本物の輝きを手に入れるようになる。そう、お前が今食したリンゴのように』

 

かつて、まだ人がリンゴを育てていなかった時代。リンゴといえば野生のものを採るのが当たり前だっただろう。それを育てる者がいても、野生のものとさして変わりがなかったはずだ。むしろ、育て方も分からず矮小な実しかできなかったかもしれない。

 

しかし、今では人はリンゴを育てて食べる果実だと認識している。それは、人の飽くなき執念と費やした時間の結晶の賜であり、いつしか本物の輝きを手に入れるようになった。

 

『私は以前、復讐者を生み出した。私を殺せる光の中に生きる復讐者を。人の持つ執念は偉大だ、時に血反吐を吐く鍛錬も平気で乗り越えてみせる』

 

臥薪嘗胆(がしんしょうたん)捲土重来(けんどちょうらい)、一念岩をも通す。欲望、復讐、怒り、執念。理由は様々であれど古来より、人の強固な意志は時に思わぬ成果をもたらしてきた。

 

『私は人間を尊敬している。人間の持つ飽くなき渇望。それは弱さゆえの向上心の裏返しでもあり、我等バケモノには到底真似できないことだ』

 

『……では、我等の行っていることは……』

 

『徹底的に追い詰めていくことだ。よくあるだろ? 逆境に真の力を発揮する英雄譚やヒロイズム。我々はそれを用意し、逃げ道を塞いで追い込んでいく。そうすれば、英雄たりえる者はその機会をしっかりと活かしていくはずだ』

 

『……成程……』

 

 

 

「――――刹那。貴女は困難へと向かう道を選んだ……」

 

目を開き、独り言ちる。ゆっくりと立ち上がり、深呼吸を一つ。

 

「……だから、私は貴女に全力で応えよう……」

 

その目に、既に身内に対しての優しい光は、欠片も存在しなかった。

 

 

 

 

 

ネギ達は先行していた楓、そして刹那たちと合流した。千草と月詠は、人が増えてきたせいでこれ以上の作戦続行は無理だと判断したのか、いつの間にかいなくなっていた。そしてネギ達は今後のことについて話しあった結果、再び関西呪術協会の本部へと向かうことを決めた。

 

「あの……刹那さん」

 

「はい、なんでしょう?」

 

「夕映さんたちに黙って出てきてしまってよかったのでしょうか?」

 

再び神社へと向かう中、ネギが刹那に聞く。話し合いをしたと言っても、実際にはほんの数分言葉を交わして、お互いの無事の確認と今後の方針を決めただけであり、夕映たちに内緒で行動しているのである。

 

「3-Aの皆は好奇心旺盛ですから。下手に尻尾を掴ませればついてきてしまう可能性が高いかと」

 

「だな。これ以上一般人巻き込むわけにゃいかんし」

 

同意しつつ、千雨がのどかのほうへと視線を向ける。既に全く無関係な少女を巻きこんでしまっている。これ以上それが増えること自体まずいし、何より下手をすればお荷物が増える危険がある。身も蓋もない言い方だが、これ以上足手まといが増えるのが一番面倒なのだ。

 

「木乃香さんは……やはり知ってしまったんですね?」

 

刹那に負ぶさって寝息を立てている木乃香をみやる。刹那から、彼女が秘めていた力が解放されたことは聞いていたのだが、どうやらそれで疲労したらしく眠ってしまったらしい。ちなみに、小太郎も楓の背中でよだれを垂らしながら眠っている。一応過激派に関与する人物として捕虜扱いなのだが、緊張感の欠片もなかった。

 

「はい。……でも、私はこれでよかったと思います。お嬢様が知っていようと知るまいと、その力や血筋を狙う輩が絶える訳でもありません。ならばいっそ、お嬢様にも知っていただいたほうがよろしいかと」

 

しかし、刹那の顔には若干の陰りがあった。尤もらしく言ったが、ようは自分が木乃香に自らのことを知ってもらいたいがための方便でしかないと思えたからだ。仲違いが、そして自らの死がきっかけという偶発的なものとはいえ、彼女は木乃香にこれ以上隠し事をせずに済むことが嬉しかったのは事実だった。

 

「……気に病む心配はないぜ? 学園長もいずれ近衛に魔法のことをばらす算段だったらしいしな」

 

そんな刹那に、千雨が助け舟を出す。実は彼女、修学旅行の前日にガンドルフィーニ先生からこっそりと話を聞いていたのだ。というか、学園長のことを誤解しないでやってほしいという思いから、彼から話しかけてきたのである。

 

『学園長は、立場上ああやって本音を表に出さないようにしてらっしゃる。だが、本当は誰よりも生徒の無事を願ってらっしゃる人だ。本来なら、彼女の平穏を守るためにあえて魔法のことを教えていなかったが、今度の修学旅行を通じて魔法のことを木乃香ちゃんにバラすつもりらしい』

 

『……いいのか? そういうのは普通極秘事項だろ?』

 

『ハハ、しかし学園長は他言無用とはひとことも言っていないからな。話したところで大した問題ではないさ』

 

『ふーん、先生はもうちょい頭の固い人だと思ってたんだが』

 

『心外だなぁ。私も娘がいる身だ、頑固なだけでは娘に見せる背中がないからな』

 

「むむ、あの新田先生並みに堅物なガンドルフィーニ先生がそのようなことを……」

 

「私らも、先生らに見守られてるってことなんだろうよ。確か、引率できてた先生の中にも魔法関係者の先生がいるって学園長から聞いたぞ。さすがに名前までは聞けなかったが、おかげでこっちの用事に集中できる」

 

あくまでも、一般生徒を陰ながらに守ることが役割であるらしいため、ネギたちとの関係性を疑われてはまずいため秘密ということになっているらしい。とはいえ、そういった存在があるからこそ、ネギたちは他のクラスメイトたちに関して神経をとがらせる必要がない。非常にゆとりを持って行動ができるのだ。

 

「それは初耳でござるな……。というか、ひょっとして麻帆良学園にはそういった教員方が大勢いるのでござるか?」

 

「つーか、魔法使いが一般人に混じって通える学園ってのが元々の創立理由らしいぞ」

 

「思いっきりファンタジーのど真ん中に住んでたわけね、私達」

 

そんな話をしている内に、関西呪術協会の入り口である神社の前までやってきた。相変わらず、千本鳥居が不気味だ。

 

「……今度は罠とかねぇよな?」

 

「慎重に進むことに越したことはないでしょう。注意しつつ行きましょう」

 

刹那の言葉に一同は頷くと、千本鳥居の向こうへと進んでいく。やがて、先ほど交戦した場所へと辿り着き、周囲を見渡しつつ誰も居ないことを確認して更に進んでいく。

 

「階段だ……」

 

「この石段の先に、関西呪術協会の本部があります」

 

見上げるほどに長い石段が姿を現す。この先に、目的地があるのだという。

 

「勘弁してくれ……私はインドア派なんだぞ、こんな長い石段登りきれる気がしねぇ……」

 

「後もう少しです。頑張りましょう」

 

既に体の節々が痛いのに、これ以上さらに運動をさせられるのかと辟易としている千雨を刹那が激励する。結局、千雨はゼイゼイと息を切らしながらも登頂に成功するのであった。

 

 

 

 

 

「これが関西呪術協会本部……」

 

「ぜぇ、ぜぇ……山の上に、こんなでけぇ建物が、あったのか」

 

石段を登り切ったその先。そこには荘厳な雰囲気の門と、その向こうにかすかに見える大きな木造建築があった。

 

「結界で本来の姿を隠しているのですよ。仮にも神秘を扱う総本山、公にするわけにはいかない場所ですから」

 

「なるほど……」

 

楓が納得しつつ、うちの隠れ里みたいでござるな、などと周囲に聞こえないよう小さく呟いた。ようやく息が整った千雨が、門を眺めてきょろきょろと見回す。

 

「んで、これどうやって入ればいいんだ? そもそも、どうやって家主に来訪を告げりゃいい?」

 

「インターホンとかはないわね……」

 

「それならば心配には及びません。結界を超えた時点で、向こうはこちらを感知しているはずですから」

 

刹那の言葉を肯定するかのように、いきなり木造の門が音を立ててゆっくりと開きだした。驚きつつも、楓は臨戦態勢をとり、ネギも杖を構えておく。

 

そして開いた扉の先の光景は。

 

「「「お帰りなさいませ、木乃香お嬢様!」」」

 

「へ?」

 

「おろ?」

 

大勢の巫女さんによる、出迎えであった。

 

「あら、お嬢様はお休みでしたか……。申し訳ありません、このように騒がしくしてしまってはかえって迷惑でしたね」

 

「いえ、お嬢様が実家に戻られるのもかなり久々のことですから、皆さんが心待ちになさるのは当然かと」

 

「うふふ、ありがとうございます。長は、本殿の方にてお待ちですよ」

 

巫女さんの一人と会話する刹那。その光景を見て、改めてここが木乃香の実家なのだと認識した。

 

「あら、そちらがお嬢様の担任の……?」

 

「あ、はい。3-A担任のネギ・スプリングフィールドです」

 

「クラスメイトの長谷川千雨だ。こっちのでかいのが長瀬楓」

 

「でかいのは余計でござる、千雨殿。それから、拙者がおぶっているのは関西呪術協会の者でござる。襲撃された故、こうして捕虜扱いとして連れ立っておるでござる」

 

「まあ……やはり内部で強行手段に出てしまった者がいましたか……申し訳ありません、我々も睨みをきかせてはいたのですが……」

 

申し訳無さそうな顔をする巫女服の女性。聞けば、彼女はこの関西呪術協会の総本山を守護する巫女であり、巫女らを取り纏める人物らしく、所属している者の中から独断専行が起きないよう網を張っていたらしい。

 

が、如何せん人手が足りなかったらしく、本来ネギ達を迎えに行くはずだったのだが、不穏な動きをしているものらの対処に追われて手が回らなかったのだとか。

 

「組織というものは大変でござるなぁ……」

 

「こういった内部事情をお話しなければならないこと、真にお恥ずかしい限りです。……あの、ところで……」

 

一礼して詫びた後、巫女服の女性は楓たちの後ろを指差し。

 

「そちらの方々も、お知り合いでしょうか?」

 

背後の門、その影になっている場所を示した。

 

「む?」

 

よく見れば、そこには何者かの影がくっきりと映し出されており、誰かがいるのが明白であった。一瞬、潜んでいた刺客かと一同は疑ったが。

 

「たはーっ! バレちった!」

 

「全く……むしろ今まで気付かれなかったことの方が驚きです」

 

「ゆ、夕映さんにハルナさん!?」

 

そこにいたのは、修学旅行5班のメンバーである綾瀬夕映と早乙女ハルナであった。

 

 

 

 

 

「いやぁ~、まさか木乃香の実家がこんなでかいとこだったなんてねぇ!」

 

「驚いたです。学園長の孫娘という時点で、良家の娘といった気はしていましたが」

 

奥の本殿へと案内されるネギ達一行に交じるハルナと夕映。まいてきたと思っていたネギ達だったが、実はこっそりと後をつけられていたのだ。普段であれば気づいたかもしれないが、今回は戦闘後の疲労によって勘が鈍っていたらしく、誰も気づくことがないまま尾行を許してしまったのだ。

 

(……のどかが心配で、つい魔法で探知してしまったです……迂闊に使うなと言われていたのに、反省せねば……)

 

尤も、そもそも彼らをどうやって発見したのかといえば、夕映が探知魔法で居場所を特定して追ってきたせいなのである。どちらにせよ、後をつけられていた可能性は高いだろう。

 

やがて、案内をしていた巫女服の女性がひとつの障子戸の前で立ち止まると。

 

「此処から先は、お嬢様に関係する方のみをご案内する手はずとなっております。申し訳ありませんが、おふた方はこちらの客間でお待ちくださいませ」

 

「ええっ! 私達木乃香の親友ですよ!」

 

まさかの待機を言い渡されたハルナは驚きつつも反論する。

 

「今回先生方をお招きしたのは、お嬢様に関する大事な話なのでございます。ご友人とはいえ、事情を知らない方を、残念ながらお連れするわけには……」

 

しかし、相手の女性の真剣な目つきと物言いに、さすがのハルナも分が悪いと感じて渋々了承した。一方の夕映は特に反論することもなく、先に障子戸の向こうへと消えていった。

 

「何も知らない娘達に、血なまぐさいお話など聞かせられませんからね」

 

ウインクをしつつ、そうネギ達に言った。どうやら、アドリブで彼女らを遠ざけたようだ。先ほどまでのやりとりをみて、二人が関係者ではないと察したらしい。ネギは軽くお辞儀をして謝意を示しつつ、再び彼女の後をついていった。

 

「ゆえ吉~、なんであんなあっさり引き下がったのよ~」

 

「家庭の事情にホイホイと首を突っ込むのは無粋だからです」

 

一方で、客間に通されたハルナは不満気であった。親友に関連する話からのけ者にされたこともだが、夕映があっさり引き下がったのも気になったのだ。が、夕映から返ってきた返事は至極もっともな話であり、ようやくハルナも納得はしたようだ。

 

「まー、色々と家庭の事情があるのかもねぇ……」

 

(……それ以上のものがあるのですよ、ハルナ。のどかも関わってしまった以上、貴女までこちらに来る必要はないです。こんな、危険と死が隣り合わせの世界なんかには……)

 

夕映の真意は、その胸中にのみしまわれ、ハルナに届くことは決してなかった。

 

 

 

 

案内された広い部屋にて、一同は用意されていた座布団に座ってくつろいでいた。木乃香もようやく目を覚まし、久々の実家の雰囲気に懐かしさを覚えていた。

 

「えー! 刹那さん昔は泣き虫だったの!?」

 

「せやで~、それでうちがしょっちゅう慰めとったんや」

 

「こ、このちゃんそれは……!」

 

彼女らの昔話で盛り上がっていると、襖の開く音がした。

 

「すみません、お待たせしました。少し外に出払っていたもので……」

 

入ってきたのは、長身痩躯の特徴的な服装をした男性だった。神社の宮司が身につけているようなその白い服に、やや痩せぎすな顔。人当たりはよさそうな雰囲気だが、しかししっかりとした威厳というものがかいま見える人物だった。

 

「父様ー!」

 

木乃香がそう言いながら彼のもとへと駆け寄っていく。刹那以外のメンバーが唖然とする中、男性のところへたどり着くとその胸の中へとダイブした。

 

「ハハハ、大きくなったな~このか!」

 

「久しぶりやー! けど父様、ちょっと痩せたんちゃう?」

 

「仕事が忙しくてね。食事の方を疎かにしてしまっていてねぇ……」

 

「ちゃんと三食、食べるように手紙で言うたやろに~!」

 

「ゴメンゴメン、このふぁ、いふぁいいふぁい」

 

男性の頬を両手でグニグニとこねくり回す木乃香。相手の男性も、特に嫌がった素振りはない。ようやく木乃香から解放された男性は、一同のもとへと歩み寄り。

 

「刹那君、任務ご苦労だったね。木乃香と仲良くやってくれていたようで安心したよ」

 

「お久しぶりです、長。ご健勝のようで何よりです」

 

「それと、すまなかった。親友同士だというのに気を遣わせるようなことをさせてしまって……」

 

「気になさらないでください。私が無理を言って頼んだことでもありますから」

 

「そう言ってもらえると助かる」

 

親しげに会話を交わした後、今度はネギの方へと向き直った。

 

「初めまして、とは言っても君とは二度目の出会いになるかな?」

 

「え、ええと……?」

 

「おっと、自己紹介がまだだった。僕は近衛詠春、関西呪術協会の長にして、近衛木乃香の父親です」

 

目の前にいる男性が、目的の人物であることを理解したネギは目を丸くし、次いで慌ててお辞儀をする。

 

「こ、ここここんにちは! ぼ、僕はネギ・スプリングフィールドです! 麻帆良学園中等部3-A担任で、それで刹那さんと木乃香さんの担任で……!」

 

「ハハハ! そう畏まらんでください。とはいえ、一応は重要な面会でもあるわけですから、居住まいぐらいは正してお話しましょうか」

 

そう言うと、彼は部屋の上座に相当する場所へと上がり、そこに座布団を敷いて座す。一同も、それに習って座布団に正座で座り直した。なお、未だ眠りこけている小太郎は部屋の隅に放置されていた。

 

「それでは、改めまして。僕がここの総責任者である近衛詠春。君は、関東魔法協会から派遣された大使ということでよろしいかね?」

 

「は、はいっ! 本日は、と、東西の友好をより深めるために親書を持参した次第です!」

 

そう言って彼は懐から親書を取り出す。ネギは立ち上がって詠春へと近づいてゆき、手渡した。詠春はそれを受け取ると、親書を開いて読み始めた。

 

その内容は以下のとおりだ。

 

『拝啓 関西呪術協会の長 近衛詠春殿

 

  昨今の魔法世界における不穏な動き、そして暗躍する『夜明けの世界』の動向がこの頃見え隠れしております。関東でも既に幹部クラスの者が姿を現しており、何かを企んでいることは明白。また、関西の方でも最近妙な動きがあるとの噂を伺っております。

  関東と関西は昔からいがみ合う仲ではあれど、今は日ノ本を脅かす者共に立ち向かうが先決。図々しい話ではございますが、過去の確執は今は一旦置いておき、東西力を合わせて脅威に立ち向かうべきかと存じます。色よい返答を、お待ちしております。』

 

更に同封されていたもう一枚の紙には。

 

『 こちらは親書ではなく、個人的な手紙として書かせてもらうぞい。

  婿殿、自分の部下ぐらいしっかり統率せい。それと、木乃香には魔法のことを話すべきじゃ。いよいよ彼奴らが動き出した今、知識もないままでは木乃香があまりにも危険じゃからの。

  残念じゃが、木乃香に平穏な暮らしは与えてやれん。なれば、せめて危険を少なくしてやるのが儂ら大人の務めというもの。そしてそれができるのは父親であるお前にしかできんことじゃ。くれぐれも、木乃香を頼んだぞ。』

 

(はは、こりゃ手厳しい……しかし親の務め、か……思えば、僕は逃げていたのかもしれないな。木乃香を幸せにしてやれるかが不安で……馬鹿なやつだよ、全く……)

 

溜息を一つ吐く。手紙の内容に対してではない、情けない自分を自嘲してのことだ。こうもはっきりと、木乃香に平穏はないと言われてしまえば、さすがにショックもある。だが、それは想定してしかるべきもの。彼女は英雄だの何だのと呼ばれるこの中途半端な自分の娘であり、今は亡き妻のやんごとなき血を受け継ぐお嬢様なのだから。

 

「はい。確かにお受け取りしました。我々関西呪術協会は関東魔法協会との連携に対して好意的に考えてます。後ほど、正式な場でもって話し合いに臨みたいという旨の手紙をお渡しします。とにかく、ネギ・スプリングフィールド君、お疲れ様でした!」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

こうして、ネギはついに親書を届けるという大任を成し遂げたのであった。

 

 

 

 

 

「なるほど……事態は大分複雑な状況になっているようだね……」

 

今までに起こったことや、それを実行していた人物らの特徴、名前を告げると詠春は腕を組んで苦い顔をする。そして木乃香の方へと顔を向けると。

 

「このか……真実を知る勇気は、あるかい?」

 

暗に、これ以上踏み込めば戻れないぞと告げる。たとえ愛する娘であれど、中途半端な意識でこの世界へと足を踏み入れさせるつもりはないのである。

 

「……うち、知りたい。せっちゃんが嘘つかんといかんなら、うちが知らなあかん。これ以上、知らないままはいやや……!」

 

木乃香の強固な意志を感じ取った詠春は、少しの間目を閉じ。やがて目を開くと。

 

「……分かった。ならば話そう、お前の出生にまつわることを、その秘密を」

 

彼は語りだした。それは木乃香にまつわるあらゆる魔法関連の秘密。父がかつて魔法世界の英雄であったこと。関西の魔法関連を取り仕切る組織の長であること。祖父もまた魔法使いであり、関東の長であること。

 

そして木乃香の内に眠る膨大な力、その血筋。それを狙う輩がいることと、関西と関東がどうして確執が深刻化したか。それに木乃香に流れる血筋が関係していること、現在もそれによって溝は深まるばかりなのだと。

 

「お義父さんを責めないであげてくれ。あの当時、関東と関西は一触即発の状態だった。それをうまく収めるには、どちらかが折れるしかなかった。従うしかなかったんだ」

 

「……気にしてへん。うちにとっては、おじいちゃんはおじいちゃんや。それにしても、うちが魔法使いの娘だったやなんて……それでせっちゃんの傷が治ったんやな……」

 

「このかはどうやら治癒師としての適性が高いようだね。お母さんも、昔は治癒師として活躍していたんだよ」

 

「母さまと同じ……」

 

幼いころに亡くなった母のことを思い出す。もう朧気にしか思い出せないが優しく、芯の通った強い女性であったことは覚えている。思えば、怪我をしても母が魔法の言葉を唱えればたちまち怪我が治っていた。あれも、母が魔法によって怪我を治してくれたからだったのかと納得した。

 

「お母さんはお義父さん……近衛近右衛門方の一人娘でね。近衛家は昔から影に日向に日ノ本を守護してきた一族なんだ。元々は藤原の一族に名を連ねる公家だったんだけど、いつしか陰陽師と似たような役割を持つようになった影響から、そういったことを取り仕切るようになったんだ」

 

その歴史は古く、平安の時代から脈々と受け継がれてきた血筋なのだという。近衛家は陰陽師、治癒師、呪術師、占術師などの優秀な人材を数多く排出しており、それらの功績から関西では最も強い力を持つ血筋の一つなのだ。

 

「はぇ~、うちほんまもんの占い師の家系やったんか……」

 

木乃香も趣味で占いをやったりするが、不思議と当たることが多い。占いは所詮占い、当たるも八卦当たらぬのも八卦と特に気にしてはいなかったのだが、まさかご先祖様が本物の占い師とは露とも思っておらず、酷く驚いた。

 

「そして僕は、そういった要人を陰ながら守護してきた流派、神鳴流を修めている。僕自身、その神鳴流における宗家の血筋である青山家の出なんだ」

 

「あ、せっちゃんがつこうとる剣術の流派やろ?」

 

「はい。私がお嬢様の護衛として同行できたのも、近衛家と繋がりの大きい神鳴流の剣士であったことも大きいですね」

 

「神鳴流は、昔から妖魔や妖怪変化を退治してきた魔を退ける退魔師の流派でもあるんだ。だからこそ、どんな状況でも対応できるようにあらゆる武器を使いこなせるようにしている」

 

「それ故、『神鳴流は武器を選ばず』という理念が存在しているのですよ」

 

やや胸を張っていう二人。刹那の神鳴流の師は、実は詠春であり、まさに似たもの師弟だった。

 

「しかし……いよいよ出張ってきたか、『夜明けの世界』め……」

 

「確か、魔法世界の犯罪組織だよな? あんたら英雄が戦ってたっつー」

 

「……む、その話を誰から?」

 

「学園長からだよ。私も先生も、そいつらにつけ狙われてる身だ」

 

確認するように千雨が詠春へと尋ねる。まさか彼女から魔法関係の話題が出てくるとは思わず驚き、尋ねる。そして返ってきた言葉に、詠春はある意味納得したらしい。

 

「ああ、そうか。ナギの息子であるネギ君なら、奴らが英雄候補として選んでもおかしくないか……。そして君も、その若さからは想像できないくらい肝が座っている。奴らが求める人材としてはピッタリだろうね」

 

「千雨ちゃん達も大変なんやなぁ……これからはうちもそうなるんやろけど」

 

「そういった脅威からお嬢様を守るのも、私の役目です」

 

「やぁん、せっちゃんかっこええ~!」

 

刹那に飛びついてもみくちゃにしている木乃香を尻目に、ネギは詠春に質問する。

 

「学園長からお聞きしたんですが……長さんは父さんと友人同士だったというのは本当ですか?」

 

「そうだね。僕とあいつは腐れ縁でもあり、親友でもあり、互いに高め合う仲間でもあった。魔法世界での大戦のときは、一緒に暴れまわったものだ。まあ、若気の至りってやつだね」

 

遠い日を懐かしむかのような顔をする詠春。やはり、かなり親しい人物だっただろうことが伺え、ネギは父の死に関して聞くことにした。

 

「あの……僕の父さんが死んだっていう話なんですけど……」

 

「……ああ、知っているのかい。彼が死ぬことになったちょうど少し前、僕は関西呪術協会の長になるため『赤き翼』を脱退して日本に戻っていたんだ。……今でも時々思うよ、僕があの時彼のそばにいてやれたら、死なずにすんだのかもしれないって……」

 

詠春は悲しみの表情を浮かべて話しだした。そこには、どこか後悔と葛藤を抱えているような、血を吐くかのような苦しみが見え隠れしていた。それをみて、ネギは学園長の言葉を思い出した。父の最後の戦いのとき、メンバーはほとんど抜けてしまっていたのだと。

 

「……長さん。実は、僕の父さんについて話したいことがあるんです」

 

「……? しかし、ナギは君が生まれる以前に死んでいる。恐らく、君が知っていることなら僕も大体は把握して……」

 

「父さんは、生きています」

 

ネギから放たれた衝撃の言葉に、詠春は少しの間固まった。今、彼はなんと言った。

 

「6年前、僕は父さんに会ったんです」

 

「そんなはずは……だってナギは既に死んで……!」

 

「……僕がまだ4歳の時、住んでいた村を悪魔が襲いました。その時、父さんがやってきて、助けてくれました。その時、僕にこの杖をくれたんです」

 

背負っていた杖を手に取り、詠春の前に掲げる。詠春は震える手でそれを受け取ると。

 

「確かに、あいつの杖だ……海に消えた時、一緒に行方がわからなくなったと聞いていたが……」

 

それが、魔法世界ではなく旧世界に存在する。それも、彼の息子が手渡されたと言っているのだ。これは、信憑性のあるかなり有力な証拠だろう。

 

「そうか……あいつ、生きてやがったんだな……ハハ、殺しても死なないようなやつだとは思ってたが、そうかそうか……!」

 

天を仰ぎ、片手で顔を覆いながら笑い出す。だが、隠しているはずの顔を伝って、一筋の線が流れ落ちた。彼はひとしきり笑った後、腕で顔をゴシゴシと拭くと、笑顔を浮かべながらネギの手をとった。

 

「ありがとう、ネギ君……君が来てくれて、本当によかった……!」

 

「い、いえ。僕は何もしてません。僕だって、父さんのことが聞きたくてきたわけですから」

 

「それでもいい、ナギがまだ生きてるって知れただけで十分だ……ありがとう……本当に、ありがとう……!」

 

腹の底から沸き上がってくる歓喜を抑えきれず、感極まった詠春は嬉し泣きをしながらネギを強く抱きしめた。

 

 

 

 

 

「いや、すまなかったね。とんだ醜態を晒してしまった」

 

ようやく平常に戻った詠春は、居住まいを正してネギに詫びる。ネギは慌てて、気にしていないと言ったのだが、結局詠春の詫びを受け取るという形で収まった。

 

「それにしても、ナギが生きていたとはなぁ……もしや、アルの奴は知っていたのか? だとすれば秘密にしていた理由は……」

 

ぶつぶつと独り言を呟く詠春。しかし、すぐに意識を切り替えたのか、再びネギ達に視線を向けた。

 

「ひとまず、君たちを労うのが先だったね。長い道のり、本当にお疲れ様だった。今日はもう遅いし、帰るのは明日になさい」

 

「えっ、けど私らはホテルが……」

 

「帰りに襲撃されてはたまらないだろう? 既に、うちの術者が君たちの姿を模した式神を作ってある。それを向かわせるから、そっちのほうは安心してくれ」

 

変わり身を既に手配しているあたり、さすがに手早い。やはり彼は組織の長なのだと、ネギは理解した。

 

「『夜明けの世界』は狡猾だ。特に夜陰に紛れて行動されては、こちらも動きを掴めないからね。聞けば、かの『狂刃鬼』もこちらに来ているかもしれないらしいから、気が抜けないよ」

 

「『狂刃鬼』?」

 

聞きなれない単語に、千雨は首を傾げる。何やら物騒な言葉だが、一体何を指しているのかが分からない。

 

「『夜明けの世界』、その大幹部の一人だよ。通称『狂刃鬼』、組織でも随一の剣士だ」

 

剣士という言葉に、刹那が反応する。もしやと思い、刹那は詠春に尋ねてみることにした。

 

「長……もしやその人物の名は、明山寺鈴音という名前では……?」

 

「なっ!?」

 

思わぬ人物から飛び出た言葉に、詠春と千雨は目を丸くする。特に、千雨の驚きようは大きい。詠春も言葉を詰まらせたが、すぐにその眼光は鈍い光を放ち、切れ味するどい目つきとなった。

 

「刹那君、それを一体どこで知った……? 魔法世界の事情を知らない君が、何故彼女の名を知っている……」

 

殺気を纏い、威圧するような言葉で尋ねる。一線を退いてなおこの迫力と圧力。かつての英雄は今だ健在のようである。しかし、刹那もそんな気合に気圧されることなく口を開く。

 

「その人は、私の姉です」

 

衝撃的な言葉に、さすがの詠春も言葉を失った。張り詰めていた空気は霧散し、沈黙が部屋を支配する。

 

「そう、か……君の育ての親は、彼女だったか……」

 

「申し訳ありません、隠し立てするつもりはなかったのですが……」

 

「いや、自分を育ててくれた人物が、まさか悪の大幹部などとは思わないだろう。気にすることはないさ。……それにしても、彼女とはこんなところまで因縁がつながっているとはね……」

 

「因縁、ですか……?」

 

詠春の言葉に、刹那は何かを感じ取っていた。姉の、自分が知らない何かが分かるような、そんな気がして。

 

「前に言ったが、君には兄弟子がいる。才能豊かな人物で、かつては『赤き翼』のルーキーとして活躍していたほどだ。しかし、そんな彼も昔は色々と思い悩んでいる時期があってね。そんな彼に助言をし、鍛えた人物がいたんだ」

 

「そ、それがもしや……」

 

「明山寺鈴音だよ。彼女と出会ったのは偶然だったらしいが、色々と大切なモノを学んだと言っていたよ」

 

まさか姉が、会ったこともない兄弟子とそんな関係にあったことに刹那は驚く。それを聞いていた千雨は、意外と世間というものは狭いものなのかもしれないなどと考えていた。

 

「ああ、ネギ君は会ったことがあると思うけど、タカミチ君とも関わりがあったんだよ。なにせ、うちの弟子とタカミチ君は同じ『赤き翼』に所属し、そのメンバーの弟子であり、友人同士だったからね」

 

「タカミチが!?」

 

ネギは驚きのあまり大きな声が出てしまう。タカミチとは村にいた頃からの知り合いなのだが、彼もまた『狂刃鬼』と関係のある人物だったとは思ってもみなかった。

 

「……ということは、刹那君は彼女から剣技を学んだことが?」

 

「あります。姉さんが使っていたのは、神鳴流ではなく村雨流でしたし、教えられたのは基本的な技術や技ですが」

 

「やはり村雨流、か……」

 

複雑そうな顔をする詠春。なぜ、村雨流という流派に対して苦い顔をするのか。刹那は気になって聞いてみることにした。

 

「あの、長は村雨流を知っているのですか……?」

 

「……知っている。いや、むしろ僕は刹那君以上に関わりがある、村雨流とはね」

 

「それは一体……」

 

「村雨流は、かつて神鳴流と双璧をなした流派なんだ。僕は、かつての村雨流当主とは旧知の仲だったんだよ」

 

「えっ……!?」

 

姉と師。彼女にとって尊敬するその二人がこうも密接な関わりがあったのはさすがに予想外だった。因縁というものは、こうも収束するものなのかと。

 

「前に話したことがあったね、奈良には神鳴流と双璧をなす流派があったと。それが村雨流であり、それを現代まで受け継いできたのが明山寺家だったんだ」

 

その成り立ちは古く、神鳴流と同じく関西を長く守護してきたらしい。しかし他流派との真剣勝負を常に持ちかけ、その技を盗んでいたことから嫌われており、特に神鳴流とは仲が悪く、そのせいで京都と奈良は昔から折り合いが悪かったらしい。

 

「……しかし、村雨流の宗家たる明山寺家が、ある日突然滅びたんだ。一族尽く皆殺しにされ、放火されたらしい」

 

「そう、だったんですか……」

 

だから、奈良の勢力が弱まったのだと刹那は理解した。神鳴流と互角の流派ともなれば、その影響はたしかに大きいだろう。そして、それが滅びた時も。

 

「実はね、関西と関東の仲が悪化したのは、ここにもあるんだ」

 

「それは一体……」

 

「明山寺家は、元々既に断絶する寸前だったんだ。平和な世がやってきて、魔を退ける神鳴流とは違い、あくまで殺しの技術として発展していた村雨流は、最早世に必要とはされなくなってしまった」

 

だから明山寺家は、村雨流の技や秘伝の数々を神鳴流へ手渡し、村雨流をその代限りで途絶えさせるつもりだったらしい。実際、明山寺家と青山家はその代では既に良好な仲にあり、話し合いもスムーズにいっていた。いずれは、奈良も別の家にまとめ役を譲り、家を解体するはずだった。

 

「そんな時、明山寺一族が皆殺しになった。明山寺家はね、実は関西と関東を隔てる防波堤のような役割も担っていたんだ。折しも、関東側は魔法世界での戦争のせいで日ノ本から人員を寄越すように本国からせっつかれていた状態だった。そんな時に、その防波堤役がいなくなってしまったせいで……」

 

「関西側にも要求をしてきたんだろ? 従わなければ攻めるって脅して」

 

千雨が詠春の言葉を継いで話す。詠春はそれに頷き、話を続けた。

 

「そうだ。仮にも奈良は当時大勢力を誇った一派だったから、その頭がいなくなったせいで関西は大混乱。そんな時に、火事場泥棒のように関東から人員を寄越せと言われたせいで、対処が遅れてしまったんだ。このままでは堅気(かたぎ)の人間にまで被害が及ぶと判断し、お義父さんはこれ以上被害を増やさないため、苦渋の末に従うことにした」

 

「そんなことがあったのか……」

 

「そんなこともあったせいで、関西は関東に対して強い恨みを抱いている。あまりにもタイミングが良すぎて、未だに明山寺家を襲ったのは関東の輩だと言われているんだ」

 

詠春が言い終えると、沈黙が部屋を支配する。空気が重く、淀んでいるかのようであった。しかし、ネギは気になることがあった。それは。

 

「長さん……明山寺の人は、全員亡くなったんですか?」

 

「……ああ。当時、明山寺家では定期的に行っていた一族の召集で全員が揃っていたらしい。焼かれてしまったせいで遺体の完全な特定はできなかったが、遺体の数と一族の数がほぼ一致したらしい。それに、家を出ていた者達について聞いて回ったが、全て召集の手紙が届いて奈良へ向かったと話していたそうだ」

 

「けど……だったらなんで、『狂刃鬼』は存在するんですか? 彼女も、明山寺の人ですよね?」

 

そう、一族尽く根絶やしになったというのならば、なぜ彼女は存在するのか。まさか、明山寺の名を騙ってるのかと聞けばそれは違うと詠春は言う。

 

「彼女の名前は、当時の村雨流当主の娘と全く同じだった。それに彼女が有している刀、紅雨は刀身が紅い珍しい代物で、二つとないものなんだ。あれも、歴代の村雨流当主が受け継いできた由緒正しきものだ」

 

「身元はある意味保証されてるってことか」

 

偽物でもなく本当に一族の人間。だとすれば、彼女はどうやって生き残ったというのだろう。

 

「……まさか……いや、ひょっとしてそうだとすれば辻褄は合う……」

 

千雨は、今までのことから類推して、ある一つの仮説を導き出していた。しかし、本当にそうだとするならば、まさに彼女は『狂刃鬼』の名に恥じない悍ましい人物だろう。

 

「千雨君は、気づいたみたいだね。そう、明山寺一族を皆殺しにしたのは」

 

明山寺鈴音、彼女なんだよ。

 

 

 

 

 

「……そろそろ、動くべき」

 

「ですねぇ~、うちも今から楽しみやわぁ……」

 

関西呪術協会本部のある、とある山。その木々の間に、彼女らはいた。

 

「ほんとうに大丈夫なんやろな、月詠? 助っ人ちゅうから期待してたけど、まだガキやんか」

 

千草が不満げにそういう。鈴音は外見的にかなり幼い。12,3歳ほどの容姿で成長が完全に止まってしまっているのだから仕方がないといえば仕方ないが。

 

「千草はん、この人はうちの大事な人や。……あんまコケにせんでもらえます?」

 

一見すれば普段と同じ、ほわほわとした笑顔を見せる月詠。しかしそれを向けられた千草はおもわず小さく悲鳴を漏らした。あまりにも、凶悪なものを秘めたその笑みをみてしまったから。

 

「わ、悪かったわ……そんな大事な人とは思わなかったんや……」

 

「うふ、分かってくれたならええんや。それと、姉さんは千草はんより年上ですえ?」

 

「と、としう……!?」

 

ある意味最も衝撃的な言葉に、千草は言葉を失う。まさかこんなおぼこい娘っ子が、20代前半の自分よりも歳上なのだというのだから驚くのも無理は無いだろう。

 

「にしても、本部に入られてしまうなんてなぁ……あの結界、抜くのは相当苦労しそうや」

 

本部に到着される前に何としても木乃香を確保しておきたかったのは、本部にはられた強固な結界があるためだ。これを破って襲撃するなど、相当の人員を集めなければならない。しかし、関西呪術協会本部には優秀な術師が大勢おり、監視の目をきかせているため過激派の殆どが縫いとめられてしまっている。完全に手詰まりであった。

 

「大丈夫だよ、千草さん」

 

背後からかけられた言葉に振り返る。そこにいたのは。

 

「なんや、新入りか」

 

白い頭髪に、制服のような、真っ白の服装が特徴的な少年であった。彼は、イスタンブールから留学してきた人物で、関西の過激派と手を組んでいる者でもあった。実際、彼の手引によって様々な支援を受けることができ、月詠を雇えたのも、こんな少人数で行動できるのも彼の功績が大きい。

 

「大丈夫て……あんなぁ、あんたは知らんと思うけどこの結界はちょっとやそっとじゃ破れへんのや。何重にも重ねがけされた、強力な結界なんや」

 

「大丈夫、僕に任せてくれればいい。千草さんは、お嬢様を攫うことに専念してくれればいい」

 

無機質なその声色に、千草は少々不気味なものを感じていたが、これ以上打つ手がない今、彼に賭けるしかないと悟り。

 

「……大言壮語やと思うけど、今はできることもない、か。しゃあない、あんたに任せるで」

 

夜の闇がゆっくりと、音もなく忍び寄り始めた。



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第三十九話 修学旅行三日目(夜)②

魔法世界(ムンドゥス・マギクス)某所。薄暗い室内に、一つの明かりが灯っていた。そのすぐ横には、少女がソファに座りながら分厚い装丁の本を読んでいた。金髪碧眼の美しい少女の名はエヴァンジェリン。魔法世界を今なお恐怖の虜とする稀代の大悪党だ。

 

「入るわよー。ねぇ、元老院の方から手紙が来てるけど」

 

そんな彼女がいる部屋へ、燃えるような紅い髪の少女が現れる。(ニィ)と呼ばれる彼女は、厳密には人間ではない。そもそも、元はエヴァンジェリンと敵対していた組織に所属していた者だ。

 

「放っておけ。どうせ金の無心だろう。奴らめ、私達の後ろ盾を使うのはいいが、最近は調子に乗りすぎているきらいがあるな……手のかかる奴らだ……」

 

「ふーん……金なんて所詮紙切れなのに、なんでそんなに執着するのかしら」

 

「人間社会では万能の引換券だからだよ。あればあるだけ、欲しいものが手に入る」

 

「けど、買えないものとかもあるんでしょ?」

 

「世間の大馬鹿者は、愛だの友情だのを尤もらしく言う時の方便にしているがな、そんな曖昧で抽象的なものはそもそも買うだけ無駄だ。愛情が裏返れば憎しみに、友情は愛情によって亀裂が入ることも多々ある」

 

そういったものを、エヴァンジェリンはよく見てきた。かつて迫害され続けてきた日々、自分を愛しているといった男は懸賞金目当てに目の色を変えた。友人だと思っていた者も彼女が吸血鬼だと知ると距離を置いた。

 

「じゃあ、貴女はお金で買えない重要なものは何だと思うの?」

 

「クク、それを私に聞くのか」

 

彼女はソファから立ち上がると、この部屋の唯一の光源である古めかしいランプを持ち、本棚の方へと歩み寄る。すると、その近くで影が揺らめいた。風で火が揺れたわけではない。窓もないこの室内に風が吹く事などあり得ないからだ。

 

「さて、どう返答したらいいものか……」

 

ランプをかざし、本棚の横にあるガラスで出来た壁面を照らす。いや、ただの壁ではない。その向こう側には仄暗い水底があった。何匹もの魚がゆらりと泳ぎ、時折光に反射してその眼がギラリと光る。

 

そして、その中には大きな影があった。それはじたばたと激しい動きをしており、まるで人のような姿をしていた。いや、実際にそれは人であった。

 

「ほぅ、まだまだ元気じゃないか」

 

満足気にエヴァンジェリンは嗤う。彼女がそちらをランプで照らせば、その全貌が明らかになった。

 

『ゴボ、ガボァ……!』

 

(あらわ)となったのは、人間であった。それも、上等なスーツに身を包んだ初老の男性。しかし彼は苦悶の形相で泡を吐きながら無茶苦茶に暴れていた。よく見れば、彼は水の中にいるにもかかわらず、一切の水中用具を身にまとっていない。

 

「おーおー、魔法で酸素の減少を軽減してやっているとはいえ、暴れるほど元気とは。年寄りのくせに活きがいいじゃないか、クク」

 

「活きがよくても、こんな気持ち悪い魚は食べたくないわね」

 

「どうせ煮ても焼いても食えん奴だ。だったら、せめて水槽に入れて鑑賞したほうが余程有意義というものだろう?」

 

そう言って、彼女は巨大な水槽のガラスを叩く。男はエヴァンジェリンの方へと必死な顔で近寄ると、ガラスを叩いて何かを言おうとしている。尤も、水の重さに邪魔されて満足にガラスを叩くこともできていないが。

 

「まったく、私に隠れて勝手なことばかりしおって。お陰で英雄候補が二人も減ってしまった」

 

「あーあ、余計なことしなければ今も議員として不自由なく生活できたのにね」

 

男はメガロメセンブリア連合の元老院議員であった。元老院は、エヴァンジェリンら『夜明けの世界』が裏から糸を引いており、その資金を裏金として提供しているのも彼女らの仕業だ。これによって、元老院は腐敗が進み、そのほとんどが実質『夜明けの世界』の協力者という有り様だった。

 

だが、彼らはあくまでエヴァンジェリンにとっては多少役に立つ程度の駒だ。彼女の鶴の一声でいつの間にか議員の首がすげ変わるなんてことも珍しくない。この男も、そんな切り捨てられた一人だ。彼は税金を一部の地域で過剰に徴発していたのだが、それがバレそうになり、証拠を隠滅するために村を焼き払ったのだ。

 

しかし、その村にはエヴァンジェリンが目をつけていた英雄候補がおり、その少年二人も炎に巻き込まれて死んだことによって、エヴァンジェリンにバレてしまった。

 

その結果が、彼女にこうして弄ばれるという結末であった。

 

「安心しろ、そう簡単には死なんよ。その冷たい水底でゆっくりと頭を冷やすぐらいの時間は十二分にあるさ」

 

『ゴボボボボ……! ガボ、ゴボ……!』

 

彼女にとって、この男も元老院の他の議員も同価値でしかない。等しく、彼女のペットなのだ。バケモノに媚びへつらい、従うことに何の疑問も抱かない輩などそもそも人間として扱うつもりは全くない。彼女は人間は尊敬しているが、ペットを尊敬するような特殊な性癖はないのだ。

 

だから気まぐれで殺すこともあれば、同じく気まぐれで地位を釣り上げてやることもある。結局、元老院も彼女のさじ加減ひとつでどうとでもなるおもちゃ箱でしかない。

 

「クク、そうやって生に執着しているところは人間味があっていいなぁ。実に愛らしいぞ」

 

躾のなっていないペットなどいらないと、こうして水槽に入れて鑑賞していたわけだが、死の間際の足掻きというものは誰であれ必死さがあって彼女は好きだった。そこには、彼らが忘れていた人間の生存本能が透けて見えるからだ。彼女は、そういった人間らしさが堪らなく愛おしく感じるのである。

 

やがて、魔法の効果が薄れたのか段々と男の動きが緩慢になってゆき、ついに抵抗らしい抵抗をしなくなった。

 

「よかったな、最後ぐらいは人間らしく死ねたじゃあないか」

 

慈愛の眼差しを向けるエヴァンジェリン。死んでしまえば、最早彼女にとってはペットではなくなる。死人を支配することはできないし、最後まで生きようと藻掻いた存在をそれ以上辱めるような真似を彼女はしない。

 

「弐よ。先ほどお前は私に聞いたな、金で買えないもので重要なものとはなにかと」

 

そう言って彼女は振り返る。ランプの明かりに照らされた彼女の髪は、美しくも怪しい輝きを放ち、その笑みはどこか恐ろしさを掻き立てるものであった。

 

「私にとって買えないもの。それは"人間性"だよ」

 

「"人間性"?」

 

「人間の本質的な部分、人間を人間たらしめるものだ。それは主観的、客観的なものに分かれるし人によって千差万別だろう。だが、我々バケモノにとっては意味が少々異なる。弐よ、お前が人間らしいと感じるものは何だ?」

 

突然の質問に、弐は暫し黙考する。やがて答えが出たのか、彼女は顔を上げて言った。

 

「戦ってて楽しいところ、かな?」

 

「お前にとっては"闘争"か。なるほど、人間は古来より戦い、争い、勝利し敗北してきた。"闘争"もまた"人間性"、本質の一つといえるな」

 

「けど、はっきりいって貴女が戦いなんてものに価値を見出すとは思えないんだけど」

 

今までの彼女の所業や、それらを実行するために画策したことを見てきた彼女には、どうにもエヴァンジェリンが求めているものが戦うことではないと直感的に分かっていた。

 

「そうだな、私も"闘争"は好ましいが戦う事自体を求めているわけではない。先程も言ったが、"人間性"は人によって千差万別だ。お前が欲するのが"闘争"でも、私が同じわけではない。以前同じような質問をセプテンデキムにしたが、あいつは"創造と破壊"と答えたぞ」

 

「へぇー。まあ、セプテンデキムらしいといえばそうなのかも」

 

「我々バケモノにとって、思いつく"人間性"は各々が欲するものが反映されやすい。いわば鏡のようなものだ。だが、それはどんなに欲しても手に入ることはない。我々は人間ではないし、人間のようであっても確実に違いが生まれる」

 

弐の求める闘争も、相手となる人間がいなければ実現はしない。セプテンデキムの創造と破壊も同様に、人と同じような創造性や破壊性を得ることはできない。

 

「じゃあ、貴女にとっての"人間性"ってなんなの?」

 

質問を最初の方へと引き戻す。そこまで"人間性"に対して執心している彼女が、そこに求めている本質とは何なのか、弐は気になった。

 

「そうだな……言うなれば、"命"か」

 

彼女の言葉に、弐は拍子抜けした。てっきり壮大な答えがくるとばかり思ったのだが、まさかどこぞの慈善団体やらが声高に唱えるものと同じとは思わなかったのだ。

 

「えぇ~、そんな陳腐なものなの? 命なんて、お金で買えるじゃん」

 

命は、実際金で賄える。医療一つとっても、高い金を出せば病を治せる薬が手に入るし、高度な手術を受けられる。つまり治せる手段を金で買っており、婉曲的に命を買っているようなものだ。もっと最低な言い方をすれば、人身売買のように命の売買など古来から人間は伝統的に続けている。白人種による黒人奴隷や植民地化などがいい例だ。

 

「私が言っているのは、そんな個数で数えるようなものではない。命は生命の根幹だ、命があって生があり、思考が、知慧が、心がある。まさに全ての源とも言えるだろう」

 

「けど、それだったら人間だけじゃなくて生き物全般に言えるんじゃ?」

 

「そうだ。弱肉強食の理念が自然界にあるように、命はそれを持つもの全般に共通だ。だが、人間は命に対して他の生き物以上に真摯であり、しかし蔑ろにしている」

 

人が死ねば、葬式をあげ、手を合わせるのが人間だ。それは同族である人間以外に対しても行っている。時には、フィクションの中の人物にさえ手を合わせるほどである。

 

一方で、人は糧とする以外にも己の快楽や嗜好のために命を奪うこともある。そこに善悪を当てはめておきながら、無自覚に、残酷に命を奪う。

 

「命に対する二面性。ここまで矛盾した生き物を私は知らない。我々バケモノも人間に近しいが、我々は同族を迫害しない。同じ境遇を知っているせいもあるし、そもそも数が少ないという理由もあるがな」

 

彼女らバケモノは、いわば人間という種から生まれ落ちた突然変異。別の進化を遂げた人間という種に近しい別種だ。それは人間とチンパンジーという、全く異なる種の別れ方ではなく、同じであって本質を違えるという、いわば互いが邪魔な関係。

 

だからこそ、そういった異物を取り除こうとする。周囲と異なる存在を迫害するのも、そういった生存本能に従ったものでもあるのだ。いうなれば、癌細胞と、それを攻撃する正常な細胞との関係に近い。

 

「人間は敵である我々がいながら同族も殺すし、我々のような存在さえ迫害できる。かと思えば、哀れみや慈悲を与える奴だっている」

 

「そう考えると、人間って意味がわかんない奴らだね」

 

あまりにも矛盾している。だからこそ、弐はよくわからないと表するほかなかった。

 

「だがな、いざ自らの存亡が関わってくると、面白いように豹変する。その脅威に抗おうと、立ち向かおうとするのだ」

 

「? それって普通じゃない? だれだって死にたくはないだろうし」

 

「だが、おかしいとは思わないか? 同族さえ容赦なく殺す存在が、その危機のために団結するんだ。動物は危機が迫っても、本来敵対する存在と一緒になって立ち向かうなんてことはせんだろう?」

 

「そういえば……」

 

「その最たる存在が英雄だ。どうしようもない危機を打破するために、人間の中から生まれ落ちる特殊な存在。最後まで諦めず、立ち向かい続ける人間」

 

それは主に、人間同士の戦いの中で生まれてきた。人間は本質は同じでも互いにいがみ合い、分かれる。それが意見の違いや住む場所の違い、あるいは単純に男や女の関係からの発展。そうして敵が生まれるわけだが、それが国同士などの巨大なものとなった場合、それに対抗するべく人間の中から英雄が生まれでた。

 

"命"に対して、ここまで様々な側面を持つ生物などいない。これは人間に近いバケモノであるエヴァンジェリンらでさえ当てはまらない。なにせ、彼女らは元々が強すぎて危機があろうと英雄のような存在が生まれないからだ。

 

「そして今度は、我々バケモノが生まれた。人間にとっては生存競争における近すぎる隣人であり、まさに不倶戴天の敵だ」

 

「あ、もしかして英雄を求めてる理由って……」

 

「打倒し、打倒されるためだ。これは我々バケモノと人間の生存闘争であり、喰らい合いだ。ならば、英雄という人間の生存本能の象徴と戦ってこそ、我々の存在意義が増す。奴らが正義なら、我々が悪なのだ。戦うのは必然といえる」

 

人間が声高に正義を叫ぶのであれば、バケモノは悪だ。そもそも、彼女らバケモノは人間の負の部分、悪の側面から生まれでたのだから、その本質は間違いなく邪悪だ。

 

彼女らはそれを享受し、人間との敵対を望んでいる。種の存亡を賭けた戦い。まさに自らを肯定するための戦いだ。悪で在り続ける限り、人間とは違う存在なのだと裏返しに肯定できる。

 

「確かに、そう考えると"命"も"人間性"って言えるかも」

 

「私はかつて、鈴音に言った。我々という悪を打倒できる英雄を探そうと。私の魂は未だ人間で、鈴音も肉体的には人間だ。だからこそ、我々バケモノという脅威を打倒するために英雄に討ち滅ぼされることを、どこかで望んでいる」

 

「じゃあ、私達はいずれ負けるのが決まってるってこと?」

 

「それは分からんよ。私の中の人間が勝つか、あるいはバケモノが勝つかまでは分からないさ。我々が英雄を打倒し続ける限り、な」

 

だがそれは、永遠につづく英雄との戦いでもあるということ。終わることなき生存戦争。その終焉は、英雄に打倒されることでしか訪れないことを、彼女は理解していた。そして、同じくそれを理解しているであろう従者に思いを馳せる。

 

(鈴音、お前の為したいように為せ。たとえお前の妹が敵となろうとも、それは仕方のない事だ。人と我々では、必然的に相容れることなどないのだからな……)

 

 

 

 

 

一方、旧世界(ムンドゥス・ウェストゥス)では。

 

「そう、ですか……姉さんが……」

 

「君が気に病む必要はないさ。彼女は、言うなれば人から逸脱してしまった存在。いわばバケモノだ。彼女にとって、身内でさえ殺すことに躊躇はなかっただろう」

 

場を沈黙が支配する。刹那の育ての親に当たる彼女の姉が、まさか人ならざる存在で、『狂刃鬼』と呼ばれていたなどと。何より、自分の本当の身内を皆殺しにしていたということにショックを受けていた。

 

(……うちも、姉さんにとっては大した関係でもなかったんかな……)

 

そう考えてしまい、気が滅入る。だが、そんな彼女の手を、横に座っていた木乃香の手が掴む。

 

「大丈夫、せっちゃんがお姉さんに見放されるゆうんなら、うちがそばにおるよ」

 

「このちゃん……」

 

そうだ。彼女に自分の秘密を明かすと決めた以上、既に後戻りはできない。姉のことは今でも尊敬しているし、大事な人だと思っている。だが、それで悪の道に走ることは、彼女にはできない。まして、自分の親友を、裏切るなどできるはずもなかった。

 

「……長。私は、お嬢様に私の秘密について話そうと思います」

 

「……そうか。君が決めたのならば、止めはしないよ」

 

「それと姉のことに関して、私の生い立ちについてもお話しようかと」

 

彼女の言葉に、詠春は目を見開いた。これまで、詠春が尋ねても頑なに話そうとしなかった、彼女がここへとやってくる以前のこと。

 

「本当にいいのかい? 僕もその話には興味があるが……これまで君が決して、詳しく話そうとしてこなかったことだろう?」

 

「……実は、それは姉さんに言いつけられたからなんです。姉さんのこと、それに関する私の過去について、決して他言するなと」

 

「そうだったのか……」

 

「ですが、既にここの皆さんは姉さんのことについて知っています。ならば、既にこの約束は破ってしまったも同然ですから」

 

そう言うと、彼女は制服の上着を脱ぎ始めた。突然のことにネギが慌てふためき、のどかがネギに飛びついてあたふたしながら両手で目隠しをした。

 

ブレザーを脱ぎ、シャツ姿になると、彼女は背を少し丸めて俯く。その様は、まるで何かを背中から弾き出そうとしているかのようであった。

 

バサァ!

 

はためきの音とともに、白が空間に溢れだした。

 

「これが、私の秘密です……」

 

彼女の背から(あらわ)になったのは、真っ白な一対の翼であった。

 

 

 

 

 

(これが、せっちゃんが秘密にしてたこと……)

 

真っ白な翼を見て、木乃香は暫し目が釘付けとなった。幼い時から一緒に風呂に入ったりなどはしていたはずだが、背中に翼などなかったはずだ。それは学園に来てからも同様で、彼女の背中を洗ったことだってある。

 

「普段は、背中に折りたたんでしまっているんです。だから、お嬢様が知らないのも無理はありません」

 

ただ一人、詠春だけは彼女の秘密を知っていた。そして、それを木乃香に話さなかったのも、刹那がいずれ木乃香に明かしてくれることを願っての事だった。

 

「私は……烏族と人間の間に生まれました……」

 

刹那は、ぽつりぽつりと話し始めた。烏族の里に生まれた彼女は、しかし人間の母と烏族の父の間に生まれ落ちたことで嫌われ者だった。母は刹那を産んですぐに亡くなり、父も刹那が物心ついた頃には死んでいたため身よりもなかった。

 

だが、彼女が最も忌み嫌われた理由はその翼にあった。

 

「烏族では、白い翼は忌み子の証なのです……」

 

彼女は、生まれながらに真っ白な姿をしていた。白い頭髪、翼。そして瞳は紅い色をしていた。父が存命の時は、刹那を守ってくれていたのだと、幼いながらも何となく理解していた。しかし、父もいなくなった刹那は、ついに里から追放された。

 

「その後、私はあてもなくあちこちをさまよい続けました……そんな時、姉さんに会ったんです」

 

 

 

 

 

『……おなか、すいたなぁ……』

 

空腹でついに動けなくなり、刹那は地べたに倒れ伏した。雨まで降り始め、刹那を冷たく濡らしていった。まるで、世界から早く死ねと暗に言われているような気分だった。

 

(……うち、うまれてきちゃあかんかったんかな……)

 

死が近づいてくる。意識が段々と遠退き、世界が反転していく。

 

(とうさま、かあさま……)

 

沈んでいく。どこまでもどこまでも。

 

『……どうしたの』

 

不意に、声がした。それによって少しだけ意識が近づいてゆく。

 

『だ、れ……?』

 

『……貴女、一人……?』

 

女性の声だった。うっすらと見えたのは、紫の艶やかな着物に、雨水を反射して黒曜石のように輝く髪。そして、吸い込まれそうなほどに暗い闇を湛えた瞳。

 

『うち、ひとりぼっち……なの……』

 

『……そう』

 

『しんだら……とうさまとかあさまにあえるかな……』

 

そうであれば、自分は一人ぼっちではなくなる。それだけが、彼女に残された最後の希望であった。だが、もう姿もまともに見れない相手が、絶望を彼女へと言い放つ。

 

『……死んでも、貴女の父と母は、そこにはいない……』

 

彼女の言葉を最後に、刹那は意識を手放した――――。

 

 

 

『こ、こは……?』

 

目を覚ますと、そこには不思議な光景が広がっていた。空は重く黒ずみ、銀の太陽が怪しく光り輝いている。彼女が立っている場所は、地面ではなく水が広がっていた。しかも、それは真っ赤な色をしており、鉄の匂いがぷんと鼻を突く。

 

『これが、あのよなの……?』

 

あまりにも、殺風景で何もない。本で読んだあの世は、天国であれ地獄であれいかにも人が大勢いるかのように描かれていた。だが、これではあんまりではないか。生きていても一人で、死んでからも一人なんて。

 

『あのひとがいってたこと……ほんとうだったんだ……』

 

死の直前、女性が言っていたことを思い出す。確かに、父も母もここにはいない。それどころか、人っ子一人もいないのだ。何故、彼女はそのことを知っていたのか。彼女は、実は死神だったのではないか。

 

『ひぐ、えっぐ……さびしいよ、とうさま、かあさまぁ……!』

 

ついに、刹那は精神的に限界を迎えた。最後の希望であった死後の世界でさえ、彼女を慰めてはくれなかった。ならば、自分はどうして生まれ、死んだというのだ。

 

『うぅ、ぐす……』

 

蹲って泣く。泣き続けて、泣き続けて。涙は全然枯れてはくれない。ポタリポタリと、紅い海に雫が吸い込まれていいく。波紋が広がり、消えていく。その繰り返し。誰一人いないここで、一人ぼっちで続いていく。

 

また一滴が落ちた。だが、今度は波紋が消えない。

 

また一滴落ちた。今度はさらに波紋が広がっていく。

 

また一滴、また一滴。どんどん雫で波紋は増えてゆき、波打っていく。

 

『……? な、なにこれ……!?』

 

気づけば、水面はざわめき立ち、波紋が無数に広がっていた。やがてそれらは水面を波立たせ、どんどんと強くなっていく。

 

『わぷっ!?』

 

巨大化した波が、刹那に飛沫を上げて襲いかかった。

 

再び意識が遠のいていく。死んだというのに、今度はどこへいくというのか。

 

やがて飛沫が治まると、そこにはもう刹那の姿はなかった――――。

 

 

 

『ん……あ、れ……?』

 

目を覚ますと、先程までの不可思議な世界はなく、冷たい地面が確かにそこにあった。いつの間にか雨は止んだらしく、水たまりが雨が降っていたことを静かに主張しているのみであった。

 

『うち……いきてる……の……?』

 

死んだのではなく、夢でも見ていたのか。そんな気分になるが、しかし夢にしては妙にリアルで、現実味があった。自分の顔をぺたぺたと触ってみるが、しっかりと感触がある。どうやら、こちらも現実のようだ。

 

『……貴女が見たものは、本物よ……』

 

後ろから声がし、振り返ってみるとそこには大きな岩に腰掛けている何者かがいた。よくよくみれば、その格好は自分が意識を失う直前に見た人物と同じだった。艶やかな紫の着物は雨のせいか濡れ湿っており、髪も水気を帯びていた。その顔は、一切の感情を感じさせない無表情。

 

(もしかして、ずっとうちをみてたの……?)

 

しかし何故。身寄りもない、こんな忌み子の自分をどうして。そもそも、先ほど見た光景をどうして知っているのか。どうして、あれが本物だと知っているのだ。女性は立ち上がると、刹那へと近づき、何かを取り出した。

 

『……食べる?』

 

手に握られていたのは、ビニールラップに包まれた白いもの。握り飯であった。

 

『……いいの?』

 

『……お腹、空いてるでしょ?』

 

刹那は女性の手からそれをひったくると、貪るように食べ始める。さまよい続けて3日間、まともな食事も取れなかった彼女の胃は、強烈に食事を求めた。雨のせいかボソボソに冷えきっていたが、構わず食べ続ける。

 

あっという間に、握り飯は彼女の腹へと消えていった。女性は、相変わらず無表情のまま彼女を見つめていた。

 

『……なんで?』

 

『…………』

 

『なんで、うちをたすけてくれなかったん……しにそうやったのに……』

 

食事をくれたことは素直に感謝している。だが、そもそも食事を持っていたのならば何故餓死寸前であった自分を助けてくれなかったのか。

 

『……生きるか死ぬかは、その人の気力次第……貴女は本当に死ぬ寸前だった……。……私が手助けをしても、死んでいた……。……だから、貴女が生き返ったことに、驚いてる……』

 

刹那は、実際に一度死んでいたらしい。しかし、彼女の話では生き返ったのだという。

 

『……貴女があの世界で、輪廻へゆくのかを見ていた……』

 

『みていたって……あのよを、みてたってこと……?』

 

『……私には、あの世界が見える。……でも、生と死の営みは私には変えられない。……それができるのは、あの世界のモノだけ……』

 

先ほどまで、ずっと岩に腰掛けて自分を見ていたのは、そういうことだったのかと刹那はようやく得心がいった。

 

『……貴女はまだ、あの世界に行くべきではない……だから、生きている……』

 

女性はそう言うと、彼女へと手を差し出した。

 

『……まだ生きたいなら……一緒に、来る……?』

 

『え……?』

 

『……一人は、寂しい。……寂しいのは、怖いよ……?』

 

呆然とした。まさか、一緒に来るかなどと言われるとは思わなかったのだ。里では常に邪魔者扱いで、同年代からも嫌われていた。人から優しくされた経験などないに等しく、唯一の肉親であった父もそっけない態度を取る人物だった。

 

不意に、ポロリと涙が零れた。

 

『……ええの? うち、いっしょにいってもええの……?』

 

『……私は、貴女を拒絶しない。……貴女と共にいる』

 

『……うぇ、うえええええええん!』

 

もう、限界だった。初めて他人に受け入れられた喜びで、刹那はただひたすらに泣いた。彼女が泣き止むまで、女性は刹那を抱いて頭をなでた。人肌の温もりが堪らなく愛おしい。そのせいで、更に刹那は涙を流した。

 

『ぐす、ひっく……』

 

『……貴女、名前は?』

 

『……せつな』

 

『……刹那……か……。……今日から、貴女は桜咲刹那よ』

 

桜散る儚き一瞬。しかしその一瞬の如き満開の桜の美しさ。後に自分の名前の由来を聞いた時、彼女は刹那にそんなものを感じて名づけたらしい。今度は反対に、刹那が女性に名前を聞いた。

 

『おねえさんの、おなまえは……?』

 

『……鈴音。……明山寺鈴音』

 

いつの間にか晴れ渡っていた空は、夕焼けで真っ赤に染まり、二人を同じ色で照らしていた。

 

 

 

 

 

「あの時、あの人に出会っていなければ……きっと今の私はいないでしょう」

 

鈴音との出会い、そして自らの体験を語った刹那は、どこか懐かしむような顔をしていた。彼女にとっては、あの日から人生が始まったといえる。世界から拒絶されていると感じていた彼女が、誰かに初めて受け入れられた日であったから。

 

彼女に憧れて、無理を言って髪を黒く染めてもらい、黒目のコンタクトをつけた。彼女とお揃いでありたいと、自分の容姿が嫌だった刹那が願ったから。

 

「かぁ~っ! 刹那の姐さんも、大分苦労してたんすねぇ~」

 

刹那の幼少期の話を聞いて、アルベールは感極まって男泣きをしていた。ネギも、うっすらと涙を浮かべている。どうにもこの二人は涙もろい質らしい。彼女の翼を見ても、元々知っていた詠春も含めて一同は嫌な顔一つしていない。せいぜい翼を広げた時に驚いた顔をした程度だ。

 

だが、彼女にとってはその中のたった一人のことだけが気がかりだった。親友であり、この秘密を打ち明ける最も大きな要因である一人の少女の反応が。

 

「……お嬢様、いやこのちゃん。これが、うちの秘密や。こんな忌まわしい翼を持つうちやけど、このちゃんと一緒にいたいいう気持ちは本物なんや。けど、このちゃんがうちのこと、受け入れられないってゆうんなら、うちはこのちゃんから離れる」

 

決意の篭った目で、刹那は木乃香へ言った。もう、彼女に秘密を持つのはやめたい。これ以上、親友の心を裏切るような真似はしたくなかった。だから、彼女がこの翼に忌避感を覚えるのならば、潔く自分は身を引こうと考えていた。

 

木乃香はしばらく黙していたが、やがて立ち上がると刹那へと近づいてゆき。

 

「ふぇっ!?」

 

刹那の背から生える翼に触れた。感触を確かめるように、彼女の白い翼を撫で触る。

 

「こ、このちゃん……?」

 

「やーん、もふもふしとる~!」

 

困惑している刹那をよそに、木乃香は興奮気味に刹那の翼を触り続ける。ついには、そのまま顔を埋めてスリスリと頬ずりを始めた。

 

「あっ、このちゃん、くすぐったいよぉ」

 

「もうちょいやけ、ちょいやけこうさせてや~」

 

木乃香の行動に、一同はぽかんとしたまま動けなかった。先ほどまでの暗い雰囲気はどこへやら、完全に木乃香の独壇場と化していた。ようやく満足したのか、木乃香は白い翼から離れ、刹那が解放される。

 

「このちゃん、怖くないん? うち、半分は化け物なんよ? しかも、烏族でさえ忌避するような忌み子やよ?」

 

恐る恐る、刹那は木乃香に聞いてみる。正直、こういった反応が来るとは思いもしなかったせいで、それなりに混乱していた。

 

「やけど、せっちゃんはせっちゃんや。うちと幼いころから一緒に遊んだ友達で、うちのこと守ってくれる大切な人。それは変わりないんや。せっちゃんは、うちのこと嫌い?」

 

「そ、そんなことない! うちもこのちゃんのこと大好きや!」

 

「んふふ、うちもや。せっちゃんのこと大好きやもん、この気持は変わらへん。それにその翼、とっても綺麗や」

 

「きれ、い……?」

 

「うん! 天使みたいやわ~!」

 

『……刹那、貴女がどう思っていようと、私は貴女の翼は綺麗だと思う。……いつか、私以外にもそれを分かってくれる人が現れるはず……』

 

この翼を綺麗と言ってくれたのは、今まで敬愛する姉ただ一人であった。だからこそ、彼女にとって姉はとても特別な存在であった。

 

そして今、親友もまたこの翼を嫌うことなく綺麗だと言ってくれた。それは、彼女のことを本当の意味で受け入れてくれたということに他ならず。

 

「そっか……うちの大切な人……ようやく見つけられた……」

 

「せっちゃん、改めてよろしくな?」

 

そう言って、木乃香が手を伸ばしてくる。視界が滲んでよく見ないが、それでもしっかりと彼女の手を握り返す。伝わってくる暖かな感触が、これが現実なのだと伝えてくれる。

 

(姉さん……うち、ようやく見つけたよ……大切な人、大切に思ってくれる人を!)

 

こうして、二人の少女のあいだにあったわだかまりは完全に消え去った。互いにすれ違ってきた思いを打ち明け、二人の絆はより強固なものとなって。

 

 

 

 

 

だが、悲しいかな。それで終わらないのが世の常。

 

「仕込みは終わったよ。鈴音さん」

 

準備を整え終わった白髪の少年が、鈴音に報告する。既に関西呪術協会の本部がある神社のすぐ近くへと、一同はやってきていた。

 

「……ご苦労様、フェイト」

 

少年、フェイトへ労いの言葉をかける。彼女は手近な木へと近づいていくと。

 

リィン

 

清涼な鈴の音が響く。そのすぐ後に、彼女の前にあった木が無骨な丸太へと姿を変えた。引退しているとはいえ、かつては彼女ら『夜明けの世界』と戦った英雄の一人がいるのだ。彼女も、久々の強者との戦いに備えていた。

 

「これなら、勝てるかもしれん……!」

 

その様子を眺めていた千草が、もしかしたらという思いを抱く。木乃香が関西呪術協会の本部へと入ってしまったためやむをえないのだが、たった四人で総本山とも言える場所へ乗り込むなど正気の沙汰ではないと考えていた。だが、鈴音から感じる常人ならざる雰囲気に、これならばいけるのではないかと感じたのだ。

 

「うふふ、先輩とまた斬り合える~楽しみで楽しみでしゃあないわ~」

 

月詠もまた、刹那との再戦を心待ちにしていた。恐らく、もう彼女は迷いも完全に吹っ切っているだろう。つまり、文字通り一切の憂いなく本気で殺り合えるのだ。

 

「月詠、お嬢様の奪取が最優先だってことを忘れてへんやろな?」

 

そんな彼女を、半ば諦めながらも注意する千草。とはいえ、この戦闘狂が人の言うことをしっかりきくとは思っていない。あくまで、彼女は抑え役や撹乱役として動いて貰う予定だ。

 

「……始めようか」

 

開始の合図と同時に、神社を覆う大結界が消滅した。



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第四十話 鬼神事変

立ちはだかるは鬼。理不尽の体現たる暴力と恐怖。
立ち向かう少年と少女らは、恐怖を乗り越えられるか。


最初に異変に気づいたのは、詠春であった。

 

「っ! これはっ!?」

 

和やかな雰囲気から一変し、険しい表情へと変わる。一同には何かあったのかは分かったが、その原因が何かまでは分からなかった。詠春はゆっくりと立ち上がると、背後にかけられていた刀を取る。

 

(結界の魔力を感じなくなった……!)

 

関西呪術協会本部を覆う大結界。その管理や調整を行っているのは巫女の者達だが、彼とて関西呪術協会の長であり、神鳴流の剣士。結界の良し悪しを感じ取るぐらいは造作も無い。だが、彼のその勘から結界の気配が消失したのだ。

 

(まさか、いやそんな馬鹿なことを……!?)

 

思いつく限りでの最悪を想定する。しかし、その最悪とは原因たるものにも最悪であるはず。しかし、だからこそ彼はその可能性を考慮していなかったフシがあるのも否定できなかった。廊下側から、ドタドタと誰かが走ってくる足音が聞こえて、自分の予測が現実味を帯びてきたと感じ取っていた。

 

「長、大変です! 大結界が……!」

 

「……破られた、そうだろう?」

 

「っ! 既に感じ取っておられましたか」

 

慌てた様子で障子戸を開け、巫女姿の女性が転がり込んできた。その慌てようは、尋常でないものをネギ達に理解させるに十分なものであった。

 

「マズイことになったな……すまないが、至急戦闘態勢に入るよう伝えてくれ」

 

「は、はいっ!」

 

詠春の雰囲気が一変する。それはまさに数多くの配下を従える大組織の長たるもののオーラ。近づけば身を切られそうなほどの鋭い気配。とても一線を退いている人物とは思えぬ迫力であった。

 

「その必要はないよ」

 

だが、そんな彼に唐突に言葉が投げかけられた。同時に、部屋に煙が爆発的に広がった。

 

「石化の魔法か!」

 

煙の正体を即座に看破した詠春は、懐から何枚もの札を取り出して床のあちらこちらへと投げた。それらはネギ達と慌てふためく巫女姿の女性を囲むように配置されており、札が光ると同時に結界が展開される。詠春ももう一枚の札を取り出すと、それを起点として小規模の結界を張った。

 

煙はあっという間に部屋中に充満し、視界を大きく遮る。結界によって動きが制限されてしまっている今の状況では、かなりまずい。しかし、飾られていた生花が煙に触れた途端に石化していくのを、ネギ達は目撃する。これでは、迂闊に結界から出ることもできない。

 

(……マズイな、完全に袋の鼠だ)

 

千雨は冷静に状況を分析しつつも、その打開策を思いつけずにいた。そもそも、触れるだけで石化する煙などどうやって対処すればいいというのだと、内心毒づいた。いわば、これは強力な毒ガスと同じ。対処が非常に難しく、かつ効果的で効率的。ただの一学徒でしかない千雨に、そんな化学兵器のようなものに対抗できるような知識はない。恐らく、部屋の隅に転がっていた小太郎もあの生花と同じ末路をたどっているだろう。

 

最悪なことに、のどかはお手洗いに行っておりここにはいない。もし何も知らない彼女がここへと戻ってくれば、たちまちあの生花のようになってしまう。

 

「へぇ、さすがにこの程度の奇襲は対処できたか」

 

再び何者かの声。それも、今度はかなり近くに感じられる。やがて段々と煙が晴れ、それに伴ってここにはいなかったはずの何者かの影が、ゆっくりとあらわになってきた。

 

「大戦の英雄……一線を退いても勘は鈍っていないらしいね」

 

「! お前は……」

 

そこにいたのは、一人の少年であった。ネギと同じぐらいの背丈だが、その目は子供に似つかわしくない眼光を宿していた。白い頭髪は短めにまとめられ、顔立ちは外国人らしい風貌。将来成長すれば、相当な美形になるであろう美少年。

 

「なぜ、お前が生きている……プリームム(・・・・・)!」

 

詠春が、少年の名前らしき言葉を発する。どうやら、詠春はこの少年のことを知っているらしいことだけ、ネギには分かった。

 

「……その名前を僕に当てはめないでくれないか? とても不快だ」

 

だが、少年は詠春が叫んだその名前を否定する。無表情を貼り付けたかのような顔であった少年の表情が、わずかに歪んだ。どうやら、相当にその名前に嫌なことがあるらしい。

 

「僕はプリームム……オリジナルとは別の存在だ」

 

「何……?」

 

「僕はフェイト。フェイト・アーウェルンクスだ」

 

少年が自ら名乗りだす。きっぱりと、先ほど詠春が言った名前を否定するかのように。訝しげな顔をするも、詠春は気を緩めることなく眼前の少年を睨みつける。

 

「成程……僕が引退してから新たに入った新人、というわけか」

 

「本格的に組織で働いている時間としては、確かに新人だよ。尤も、生まれてから十数年も組織で生きてきた僕を新人と呼べるのかは疑問だけど」

 

やや意味深な言い回しをするフェイトであったが、詠春は惑わされはしない。会話の流れを向こうにもっていかれては、集中をかき乱されないからだ。

 

「しかしまさか、本部にまで乗り込んでくるとはな……目的は何だ?」

 

「"燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや"。こんな極東のちっぽけな島国の長になるために英雄を辞した君のような小物に、僕達の目的が分かるはずもないだろう?」

 

「言ってくれる……たかだか十と余年生きた程度の若造が……粋がるなよッ!」

 

殺気が一気に膨れ上がる。その殺意は、ネギが麻帆良学園で対峙したあの怪物が放ったものにも劣っていない。さすがのフェイトも、この峻烈な気迫に冷や汗を垂らす。

 

「伊達にあの人たちに認められていた英雄なだけはある……倒すには、今の僕でもかなり厳しいな」

 

「生憎、鍛錬を欠かしたつもりはないんでな……貴様らに親友を奪われた無念、一度たりとも忘れたことはなかった……!」

 

10年前。『赤き翼(アラルブラ)』を脱退し、日本へと帰還した詠春に届いたナギの死。あの時、自分が彼のそばにいてやれれば。そんな後悔と無念で胸がいっぱいであった。妻に支えられて何とか立ち直ったものの、怒りは未だにくすぶり続けていた。長となり、実戦に出る機会を失ってなお、彼は己を鍛えることを欠かすことはなかった。

 

十年近いブランクがあってなお、彼のコンディションは全盛期に近い。

 

『……そう。……なら、都合がいい、な……』

 

不意に、女性の声が響いた。いや、ただ極普通に声が聞こえてきただけだ。だが、それは詠春の殺気に押し負けることなく清涼に流れた。故に、思わず響き渡ったかのような錯覚を覚えたのだろう。

 

「……久しぶりだな、『サムライマスター』……」

 

「出てきたか……『狂刃鬼』!」

 

詠春にとっての宿敵であり、『夜明けの世界(コズモ・エネルゲイア)』にその人有りと謳われ、魔法世界(ムンドゥス・マギクス)の恐怖の象徴たる人物の一人。

 

大幹部、明山寺鈴音がそこにはいた。

 

 

 

 

 

彼女の登場によって、状況は一変した。いや、悪化したといったほうが正しいだろうか。相変わらず張り巡らされている詠春の殺気の領域に、鈴音は涼しい顔で踏み込んでいた。優れた剣士は己が領域を以って戦いの場を作り出せる。だが、彼女は一切のフィールドを構築することなく、ただこの部屋いっぱいに膨らんだ殺意の暴風の中に佇んでいるのだ。

 

「"明鏡止水の境地"か……相変わらず、邪念まみれの貴様がよく辿りつけたものだと感心するぞ」

 

「……純粋なる闘気は、善悪に縛られることなく研ぎ澄まされて刃を為す……高みを臨むのに、正邪は何の意味も持たない……」

 

「腹立たしいが、貴様がそれを体現している以上認めざるをえんな。悪党であろうと、頂に近しい剣士であることは疑いようもない、か」

 

「……貴様も、よくぞそこまで練り上げ続けたもの……実戦から遠ざかってなお、10年前と同じ、或いはそれ以上のものを感じる……」

 

互いに視線をそらすことなく会話の応酬が続く。詠春の領域内にいるフェイトは、倒れる程ではないにしろ、気分の悪化を明確に感じていた。その殺気を向けられているわけでないネギ達も、肌にピリピリとしたものを感じ、喉の奥がカラカラになっていた。

 

互いが睨み合ってからまだ2分と経過していないというのに、何時間もの間この膠着状態が続いているかのような錯覚にとらわれる。それほどまでに、濃密な時間であった。永遠に続くとも思えた。

 

だが、終わりとは必ず訪れるもの。

 

「隙ありですえ~」

 

「なっ、月詠っ!?」

 

刹那は思わず声を出す。つい先程まで、二人きりのような状態であったところから、突然月詠が現れたのだ。まるで透明人間のように、初めからそこにいて、突然正体を現したかのように。そう、彼女は初めからそこにいた。

 

巫女服の(・・・・)女性の姿(・・・・)になって(・・・・)

 

「くると思っていたぞ!」

 

だが、達人の領域にある詠春には、既に月詠の存在など察知済みであった。詠春は鈴音に警戒をしつつも周囲への索敵を怠っていなかったのだ。迫り来る月詠を、詠春は抜刀術を以って迎え撃とうとする。

 

「うふ、姉さんの予想通りどすわ~」

 

しかし月詠もまた、この状況を想定済みであった。彼女の姉は、死闘を尽くしてなお倒せるかわからない自分よりも、まず確実に倒せる月詠へ攻撃を向けるだろうと睨んでいた。そして、その読みは見事にあたっていた。

 

「一名様、ご案内ですえ~」

 

懐から取り出したのは、一枚の札。ただの札でないであろうことは、詠春にもすぐに分かった。

 

「チッ」

 

詠春はそれをかわそうと、勢いよく飛び退ろうとした。

 

「なっ……!?」

 

だが、詠春が一瞬だけ驚愕の声を上げたと同時に、一瞬だけ眩い光が迸り。

 

「消え、た……?」

 

ネギが呆けながらそんな言葉を漏らす。そう、詠春と月詠が忽然と消えたのだ。痕跡一つ残すことなく。

 

「……ふぅ、ようやく閉塞感から開放されたよ」

 

「……計画通り」

 

詠春の張っていた殺気の領域が消滅し、息苦しさから開放されたフェイトが深呼吸をする。そして、楓はたしかに聞き取っていた。鈴音の呟きを。

 

「計画通りとは……どういう意味でござるか」

 

鈴音の放つ得体のしれない感覚に、無意識から危険を感じ取っているのか腕の震えが止まらない。それでも、少しでも情報を得ようと慎重に動く。

 

だが、返ってきた答えは最悪のものであった。

 

「……近衛詠春の、分断……目的の一つはそれ……」

 

「月詠が使ったのは転移魔法符だ。今頃は京都の外れにでもいるだろう」

 

「クソが……!」

 

魔法世界を震撼させたかの組織。その中でも最高峰の剣士がいる状況で、味方の最大戦力がまさかの消失。おまけに、もう一人の少年フェイトもまた未知数。千雨には、もうこの状況をひっくり返せるような作戦が思いつかない。あとは、ここが関西呪術協会の本部であることから、手練の応援がきてくれることを願うほかなかったが。

 

「助けがあるなんて思わない方がいい。既に、ここの人間は一人残らず石化させてある」

 

フェイトからの無慈悲な宣告に、ついに万策が尽きた。そして、彼の言葉に嫌なものをネギは感じていた。

 

「まさか……のどかさんや夕映さんたちは……!」

 

「ああ、そういえば君たちと同じぐらいの年齢と思しき女性が何人かいたな。まあ、一人残らず物言わぬ石像に変えたのだから誰がどうであろうと同じか」

 

既に、彼の生徒たちは敵の毒牙に落ちていた。その事実にネギは歯噛みするほかなかった。圧倒的戦力差がありながら一切の応援さえも期待できない、絶望的な状況が完成してしまった。

 

 

 

 

 

「チッ! やはり転移魔法符だったか……!」

 

「うふ、成功ですえ~」

 

魔法符の発動後。二人は京都の外れ、頭巾山(ときんざん)近辺の山中にいた。周囲には明かりは一切なく、闇夜と静寂が跋扈している。

 

向こうの目的は分からないが、恐らく計画の邪魔になるであろう詠春は真っ先に狙われるか、分断されるかがあるだろうと詠春は睨んでいた。転移魔法符を用いて自分ごと目的地から遠ざかることも想定済みであった。

 

だが、詠春は逃げ切れなかった。何故なら。

 

「まさか一杯食わされるとはな……」

 

「うふふ、まさか距離を読み間違えるとは思わんかったでしょう?」

 

月詠との距離感を、詠春が誤認したせいであった。神鳴流でも達人級の剣士である詠春が、何故月詠との間合いを見きれなかったのか。それは、同じく剣士として最高峰の実力を有する鈴音が関わっていた。

 

村雨流"雲"の奥義、『雲霧(くもきり)』。"雷"の奥義『雷霆(らいてい)』、"風"の奥義『疾風(はやて)』と並んで三大禁忌と呼ばれる奥義。敵を惑わす剣舞や剣気で翻弄する技だ。相手の感覚を超えた勘や、鈴音が"呼吸"と呼んでいる感覚、第七感とも言えるものさえも騙してみせる奥義だ。これによって、詠春は月詠との距離が開いていると錯覚し、対処が遅れたのである。

 

「鐘嗣から聞いてはいたが……恐ろしい技だ」

 

この奥義の本質は、相手の感覚や勘などに訴えかけるものだという点だ。高い実力を持つ者ほど、こういった感覚さえも御して戦うものだが、この奥義はそれを逆手に取る。つまり、実力があればあるほど引っかかりやすい。かつて造物主も、この奥義に翻弄されたことからもその恐ろしさがよく分かる。

 

辺りを注意深く見やれば、結界らしきものが見えた。それも、1つや2つではない。複雑な術式がからみ合って強固な結界をなしている。

 

「ここには幾重にも結界が張り巡らせてあります~、突破は容易では無いですえ~」

 

「なら、貴様を倒してからさっさと解いていけばいい」

 

「うふ、先輩の相手もあるからあんまり無茶はできひんけど……こっちも楽しめそうやわ~」

 

瞬間。闇夜の中金属のこすれ合う音が響き、火花が辺りを一瞬だけ照らしだした。

 

 

 

 

 

「さて、残ったのは君たちだけだ」

 

「……近衛木乃香を、渡してもらう……」

 

動くことができない。声一つ、嫌呼吸一つするのさえろくにできない。詠春のように殺気を展開して領域を広げているわけでもないのに、圧倒的なまでの存在感が鈴音から感じられた。それは巨大な山脈のように、あるいは深く重い海のように。

 

(やべぇ……この状況はマジでやべぇ……!)

 

千雨は内心そう思いつつも、冷や汗が止まらない。ぜいぜいと呼吸は不規則になり、重苦しさから意識がぷっつりと途切れてしまいそうだ。彼女を奮い立たせているのは、目の前の存在が彼女の宿敵であるからこその意地。ただそれだけが彼女を支えていた。

 

(おい氷雨!)

 

(悪いが、今回は私は手伝わんぞ? 相手は私の所属する組織の人間だ、そもそも手伝うと思うか? それに、私にとってあの人は敬愛する方の一人。私があの人と敵対するなど、万に一つとして有りえんよ)

 

非力な彼女の持つ最後の切り札も、明確に手伝うことを拒否していた。結局、改めて自分の無力さを痛感させられるだけであった。何もできない自分が腹立たしい。

 

「あ、ああ……」

 

「……さあ、こっちに……」

 

「そこまでです」

 

段々と迫りつつある鈴音の前に、一人の少女が立ちはだかった。鈴音は歩みを止め、その人物と向き合う形となる。立ち塞がった少女が、自らの関わりの深い存在だから。

 

「姉さん……」

 

「……刹那、どいて」

 

「……できません」

 

刹那は首を横に振り、彼女の要求を拒否した。みれば、膝ががくがくと震えている。いくら幼少期から彼女と過ごしていたとはいえ、本性を露わにした鈴音相手では体の震えを止めることはできなかった。それでも立ちはだかったのは、偏に彼女の親友のため。

 

「例え姉さんだろうと……このちゃんは渡さない……!」

 

明確な、拒否の言葉。その瞳には力強い光が見える。だがその目尻には、それとは別にキラリと光るものがあった。刹那は泣いていたのだ、慕っていた姉と袂を分かつことになるであろうことを悟って。

 

(刹那さん……)

 

先ほど彼女の話を聞いていたネギには、その気持ちが痛いほどわかった。いや、わかった気になっているだけかもしれない。命を拾われ、育てられ、共に過ごした大切な人。そんな人物と対峙することの辛さはいかばかりか。ネギがもし、ネカネやアーニャと決別せねばならないことになったら、果たして自分は耐えられるかと己の胸の内に問うた。答えは、否であった。

 

「……そう。……貴女は、彼女を選ぶのね……」

 

「すみません、姉さん。私にとって貴女は敬愛する存在であり、目標でした。……でも私は、私を大切だと言い切ってくれた人のために戦いたい……!」

 

「せっちゃん……」

 

血を吐くような彼女の姿は、見ていられないほどに痛々しい。だが、それでも彼女は目を逸らさない。自分を選んでくれた親友の、精一杯勇気を振り絞ったその姿から目を背けたくはなかったから。

 

「……ついに、見つけたのね……なら……」

 

鈴音が腰の日本刀へと手を伸ばし、その柄を握る。刹那も同様に、自らの愛刀『夕凪』をゆっくりと構えた。

 

「……貴女は敵よ、桜咲刹那(・・・・)

 

「……臨むところだ、明山寺鈴音(・・・・・)

 

瞬間。周囲の動きが緩慢になる。いや、音速の世界へと一瞬の内に飛び込んだゆえに、あたかも周囲がスローになったかのようになっただけだ。

 

「「村雨流……」」

 

まるで共鳴しているかのように、互いの刃が鞘の内から顔をのぞかせる。放たれるのは、互いに決別を誓う一撃。

 

「「時雨!」」

 

リィン

 

澄んだ鈴の音が響き渡る。次いで聞こえたのは鋼の撃ちあった激しい音。それと同時に、周囲に衝撃波のように空気が吹き飛び、鈴音と刹那は互いに吹き飛ぶ。刹那は壁へと体を打ちつけるも、楓に助け起こされた。一方の鈴音は、一切の動揺もなく優雅ささえ感じられるようにふわりと着地した。

 

「くっ!」

 

「……見事」

 

起き上がった刹那は悔しげな顔をし、鈴音は相変わらずの無表情。いや、微かに笑みを浮かべているのが分かる。

 

(手加減された……それもこちらの力に合わせて……!)

 

自らの全力を以って放った一撃を、苦もなく同じ力で返す技量。まさしく天と地ほどの技量の差があるのだろうと刹那は感じ取っていた。だが、何よりも屈辱的であったのは。

 

(全力を出すまでもないと断じられた……雑魚とさえ扱われなかったのか私は……!)

 

彼女の姉、鈴音はたとえ雑魚相手であろうと認めた相手には全力の一端を開放して臨む。それが彼女なりの礼儀であり、理念。だが、刹那相手ではそれすらしていない。身内であろうと決して加減などしない鈴音が。

 

即ち。鈴音にとって刹那は、剣士ですら(・・・・・)無いのだ(・・・・)。一方、ネギはそんな彼女らの様子をうかがいつつも、いつでも刹那の手助けに入れるよう臨戦態勢に入っていた。楓や千雨も同様だ。そんな彼らの動きに気づいたフェイトが、助太刀するか尋ねる。

 

「……手伝おうか?」

 

「……無用」

 

フェイトの申し出を断り、鈴音はネギ達に向けて、挑発するように指をクイクイと動かした。

 

「……面倒。……まとめてかかってこい」

 

 

 

 

 

「っ! 巫山戯たことを……!」

 

いくらこちらが格下だとはいえ、ここまでコケにされるとは思っていなかった刹那は苛立たしげに言う。束になってかかっても敵わないことは刹那にも分かる。だが、それでもこうまで明確な形で挑発されれば、頭にくるのは当然であった。

 

一方で、そんな鈴音の言葉によって逆に冷静になった者がいた。千雨だ。彼女は、この状況はむしろチャンスなのではないかと気づき、考えを巡らせる。そして、一つの結論に達し。

 

「おい、桜咲」

 

「……千雨さん?」

 

刹那に、千雨は耳打ちをする。今まで沈黙していた彼女が自分に耳打ちをしてきたことに驚くが、そのまま彼女の話を聞くことにした。打つ手が無い現状、怒りで冷静さを失いかけた己よりも、冷静沈着にしている彼女と少しでも意見を交えたほうが有効だと判断したのだ。

 

「桜咲、ここは誘いに乗った方がいい」

 

「それはまたどういう……」

 

「相手は私らが逆立ちしても勝てっこない怪物だ。だが、私らがすべきことは奴らと戦うことじゃない」

 

「……成程、即ち木乃香殿を無事に逃がすこと、でござるな?」

 

千雨の言葉から察した楓は、そう答える。千雨は首肯すると話を続けた。

 

「ああ。幸い、向こうはこっちを舐めきってくれてる。うまく行けば逃げることも可能なはずだ。だが、近衛が標的である以上向こうから狙われる可能性は高い。つまり相手の足止めが必要だ。最低でも先生と長瀬が足止めをしなけりゃ止められないだろうし、そのせいで近衛の奴を連れて逃げられる人員が桜咲、お前ぐらいしかいない」

 

「……つまり私がお嬢様を連れて逃げればよい、ということですか?」

 

勝ち目のない相手に相対したとき、正面から戦わずに逃げて損害を抑える。兵法三十六計における走為上(そういじょう)がこれに当たる。つまり、相手の目的と思しき木乃香を奪取されるという最悪を避けるため千雨は、刹那が彼女を連れて逃げろと言っているのだ。

 

「話が早くて助かる。攻撃に参加するふりをして、近衛を連れて逃げてくれ」

 

「あとは僕が、足止めに魔法を放ちます」

 

そう言ったネギは、杖を構えつつ無詠唱で魔法を発動、遅延させている。既に準備をしていたらしい。アルベールも、よく見れば何かを隠し持っているのが見えた。

 

「しかし、それでは……」

 

「……最悪、死ぬかもしれねぇ。敵の最高戦力が出張ってる以上、今回向こうは相当本気みたいだしな。いくら私らが英雄候補とはいえ……代わりはいくらでもいるだろうしな」

 

目的は不明だが、今回の敵側の動きはかなり本気に見える。月詠に加え、実力不明の新たな人員。そして何より、完全に規格外である鈴音の存在。彼女らは、執拗に木乃香を狙っている。つまり、木乃香が此度の作戦でのキーなのだろう。

 

「だが、私らもいい加減振り回されっぱなしってのは我慢できねぇ。せめて一度ぐらいは、精一杯の抵抗をしてやるさ」

 

向こうが本気である以上、あくまでも候補として有力なだけのネギや千雨が邪魔立てをすれば、最悪殺される可能性だってある。それでも、千雨は邪悪な企みに屈するつもりは毛ほどもなかった。

 

「……私に異論はありません。お嬢様を助けられるのなら……例えこの身を犠牲にしてでも……!」

 

「……桜咲、率先して死ににいくのだけはやめろ。生き残れる可能性が少しでもあるなら絶対に足掻け。その方が、近衛を逃がしやすいし、なにより悲しませなくて済む」

 

もしもの時は我が身を犠牲にしてでも、と考えていた刹那であったが、千雨の言葉で考えを改める。最後の砦となる自分が死んでしまえば、それこそ木乃香は逃げ切れなくなる。それでは本末転倒だ。

 

「分かりました。必ずや生きて、逃げ切ってみせます」

 

「その意気だ。私らも唯々諾々と殺されるつもりはねぇ。何とか踏ん張ってみせるさ。近衛、そういうわけで暫しお別れだ」

 

「……分かった。うち、皆のこと信じるえ」

 

話の渦中にある木乃香は、あえて反対しなかった。守ってもらっている立場である以上、余計なことは言わないほうがいい。そう判断したためだ。本当は、彼女らにも逃げて欲しい。だが、そうもいかないのが今の状況なのだ。だから、彼女は委ねる。頼もしき仲間たちを信頼しているからこそ。

 

死に向かうのではなく、ただ逃げるのではなく、生きて日常へと帰還するために。決意を胸に一同は今一度怪物へと向き直る。

 

「近衛のこと、頼むぞ」

 

「……お気をつけて」

 

互いの無事を祈りつつ、一同は構えた。鈴音は特に何のアクションを起こすこともなく、ただそこに佇んでいた。不気味なほどに、静かであった。

 

「……こい」

 

ただ一言、かかってくるよう言った。その言葉と同時に、楓と刹那が突撃する。

 

「楓忍法……!」

 

「神鳴流……」

 

二人は一気に鈴音へと肉薄する。

 

「四ツ首白蛇!」

 

「斬空閃・散!」

 

四人に分身した楓のそれぞれが、鎖を鈴音へと投げつける。その動きはまさに蛇のごとくとらえどころがない動きをしており、四方からそれが迫り来る。鈴音を鎖で縛り、動きを封じるのが狙いであった。

 

刹那の放った気の斬撃が飛びかかる。それもただ飛んでくるのではなく、飛び散るかのように分裂して散弾のように襲いかかった。これも、あくまで牽制のため。鈴音には即座に弾き飛ばされることだろう。

 

更に、ネギがそのタイミングに合わせて遅延化させていた魔法を開放する。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 『惑いの霧』!」

 

『ちょ、それ私が使ってた魔法じゃないか!?』

 

ネギは氷雨が魔法を使っていた場面を見ただけであり、『惑いの霧』はそれで初めて知った魔法だ。だが、呪文とその魔法の発現、似たような魔法という数少ないヒントを元に、ぶっつけ本番で成功させてみせた。わずか数時間で、未知であった魔法をものにしたのだ。

 

霧が拡散していく。妨害という一点においては、この魔法は非常に効果的だ。霧中の人間は方向感覚を狂わされ、匂いも洗い流されてしまう。視覚は完全に遮られ、対象を発見するのは非常に困難だ。屋内であるため、霧が滞留する可能性も高い。

 

何より、霧で隠れるため、楓たちの動きを察知されづらいのは大きい。霧の中で、刹那は即座に床を踏みしめて勢いを止め、バックステップで鈴音から離れていく。

 

「いまでーい!」

 

アルベールが、ダメ押しにいざという時のために持っていた花火に火をつけて投げつける。焼け石に水に見えるが、火花の音が大きいタイプなため、音から中で起こっていることを察知される可能性を潰せるため中々に有効だ。

 

木乃香を逃すということ、そして楓達の援護ということに関しては現状でこの魔法以上の最適解はなかっただろう。

 

ただし、魔法を使用(・・・・・)すること(・・・・)自体が不適切(・・・・・・)であること(・・・・・)を除けば(・・・・)

 

「……無駄」

 

霧が拡散し、鈴音へと迫る。そして霧の一端が彼女へと触れると同時に。

 

「…………え?」

 

霧が、一瞬の内に消失した。それによって覆い隠されていたはずの茶番劇が露となる。そして、それとは反対に鈴音の姿が見当たらない。今そこにいたはずの、彼女の姿がない。

 

鈴音へと襲いかかっていたはず鎖は、対象を見失って4つ全てが床へと吸い込まれる。それだけではない、鎖が床に激突するとバラバラにはじけ飛んだのだ。刹那の斬空閃も、尽くが叩き落とされていた。

 

「なっ……!?」

 

驚愕の声が漏れると同時に、楓の腹部に鋭い痛みが走り、次いで体が後方へと急加速するのが感じられた。そのまま、天井付近まで飛び上がりながら壁へと激突し、肺の空気が引き絞られる。

 

「かはっ」

 

一瞬の内に呼吸ができなくなり、腹部が痙攣する。必死に空気を取り込もうとするが、呼吸器官がいうことをきかない。やがて、楓の意識は段々と暗闇へと落ちていく。

 

「かえ……!」

 

飛び退り、木乃香を連れて逃げようとしていた刹那は、一瞬の内に戦闘不能となった楓へと視線を向け、声をかけようとする。だが、この状況で意識をほんの少しでも逸らしたのは悪手であった。

 

リィン

 

「っくう……!」

 

鈴の音が響いた後、焼けるような鋭い痛みが肩口を襲う。それが斬撃によるものだと気づいた時にはもう遅い。

 

「ぁ……」

 

額を、今まさに貫かんとする刃が襲いかかる。一瞬、そう一瞬だけ楓を見なければ。この目にも映らぬような斬撃を躱せたかもしれない。コンマ数秒の意識のズレ、ただそれだけが彼女の明暗を分けてしまった。脳天を貫かれる気味の悪い感覚を最後に、刹那は意識を手放した。

 

「ら、ラス・テル・マ・スキル・マギステル!」

 

何が起こっているのかわからない。一瞬の内に、楓が吹っ飛ばされ、刹那が倒れた。それでも、木乃香を守らなければという意識が彼を再度魔法を唱えさせるに至った。

 

「『白き雷』!」

 

姿を晦ました鈴音へと、やぶれかぶれに魔法を放つ。とにかく木乃香に接近されるのだけはマズイと判断し、前方全面に拡散させて放った。

 

はずであった。

 

「な、んで……」

 

「嘘、だろ……!?」

 

魔法が、またも一瞬で消滅したのだ。何の前兆もなく、ただそうあるのが当たり前かのように。魔法を放った張本人であるネギも、それを見ていた千雨も驚きを隠せない。そんな二人の前に、いつの間にか鈴音の姿があった。

 

「……ネギ・スプリングフィールド。……お前は魔法使いとしては中々に優秀……だけど……」

 

一歩一歩、ただ淡々と歩んでくる。それだけのはずなのに、彼らには地獄の獄卒が舌なめずりをしながらやってくるかのような寒気を感じていた。

 

「……私に、魔法は通用しない」

 

「!?」

 

鈴音の言葉に、ネギは目を見開いた。それは果たして、ネギのような貧弱な魔法など自分には通用しないと言っているのか。あるいは。

 

「鈴音さんは魔法無効化(マジックキャンセル)系の能力者だ。魔法や気の類は一切通用しないよ」

 

フェイトが補足するように口を開く。それは、ネギにとって死刑宣告に等しいものであった。

 

「マジック、キャンセル……!?」

 

ネギの顔が蒼白となり、突如目の前の存在に対して、酷く怯えを見せ始めた。体中を震わせ、まるで子犬のようになってしまっている。その尋常ではない様子を察し、千雨はネギへと問いかける。

 

「おい先生、大丈夫か!? マジックなんたらってのは、どういうもんなんだ……!?」

 

「『魔法無効化』能力……一部の例外を除いて、一切の魔法を受け付けない、特殊体質、です……」

 

「なっ……!?」

 

魔法が通用しない。それはつまり、ネギの持つ最大の手が潰されたことにほかならない。魔法がなければ、ネギは一般的な10歳児と変わりない。一方で、相手は剣術、体術面において世界最高峰の怪物。唯一の対抗手段がない今、二人は為す術もない。

 

「駄目だ……勝てない……」

 

「こんな、ここまで理不尽なのかよ、畜生……!」

 

ここにきてネギと千雨は、完全に戦意を折られてしまった。

 

「……無様」

 

その冷たい眼光が物語っていたのは、侮蔑か嘲笑か。或いは両方であったのかもしれない。刃が振り下ろされる最中、二人が見た最後の光景は、そんな鬼の目であった。

 

 

 

 

 

「なんや、何が起こっとるんや……!?」

 

一方。犬上小太郎は建物の中をあちらこちらに走り回っていた。部屋の隅に放置されていた彼は、実は眠っていたのではなく隙を伺っていたのだ。そして、石化の煙が部屋に溢れだしたと同時にこれ幸いと縄を抜け、天井伝いに部屋を脱出していたのだ。追っ手がくるかと思ったが、それもないため暫くはのんきに歩いて脱出しようとしていたのだが。

 

「なんでこないな石像ばっかあるんや!」

 

建物のあちらこちらで、巫女服の女性の石像が鎮座してるのだ。しかも、まるで何かから逃げようとしているかのような姿で。しかも、それら全てが微かながら人間の匂いがするのだ。

 

「まさか、あれ全部人間なんか……!?」

 

石化の魔法。小太郎も話には聞いたことはあった。対象を一時的に物言わぬ石像と変える石化魔法。そして悪魔が用いる、対象を永遠に石像とする永久石化。どちらなのかは小太郎には分からないが、何者かがこの惨状をつくりだしたのは間違いない。

 

「許せへん……!」

 

小太郎は関西呪術協会の事情など殆ど知らない。ただ戦えればいい、そう思って千草達過激派へと与したのだ。だが、そんな彼にもこの所業は許せなかった。相手を趣味の悪い石ころへと変えるという弱者を嬲るが如き行為は、彼の戦いの理念に反する。だからこそ、こんなことをした輩が許せない。

 

「ん……? 人間の匂い……」

 

怒りに燃えていた彼が突然足を止める。小太郎の鋭い嗅覚が、石像から感じられる微かな匂いではなく、生きた人間のものと思われる匂いをとらえたのだ。生き残りがいたのかと、急いでそちらへと向かう。そこにも、いくつかの巫女姿の石像があった。まるで、何かを守るかのように両の手を広げて。或いは、誰かを逃がそうと誘導をしているかのような姿のままで石化している者もいた。

 

「ひっく、ぐす……ゆえぇ、ハルナぁ……」

 

部屋に入ってみれば、誰かのすすり泣く声がする。罠かもしれないと警戒にながらもゆっくりと、慎重に歩を進めていく。そして、部屋の奥にいたのは。

 

「あ、もしかして読心師の姉ちゃんか!?」

 

「ふぇっ!? だ、誰……!」

 

すすり泣いていたのは、宮崎のどかであった。彼女はこの惨状が起こっていた際、偶然にもお手洗いに入っていたことで難を逃れたのだ。そしてあちらこちらに点在する石像を見て何かが起こっていることを察し、屋敷中を走り回ってここへとたどり着いたのだ。

 

そう。親友たちが案内された客間へ。そこで見たのは、物言わぬ石像と化した巫女たちと。同じく石像となった親友二人の姿であった。彼女が泣いていた理由はそれだったのだ。

 

彼女の顔は、前髪のせいでよくはわからない。だが、涙でぐしゃぐしゃになっているであろうことは小太郎にも容易に想像できた。

 

「……スマン」

 

小太郎は女性の扱いなどわからない。泣いている女性のことなどなおさらだ。だから、彼はただ一言謝罪の言葉を吐いた。薄々気づいてはいたのだ、ここを襲撃する上でメリットがあるのは、彼の仲間だということに。

 

「……あんたのダチを石に変えたのは多分、俺の仲間や。治してやりたけど、俺も石化の解除方法なんて知らん。だから、スマン……謝るぐらいしか、俺にはできんわ」

 

完全に非があるのはこちらだ。ならば、せめて謝罪ぐらいはしたい。許されるとは到底思っていないが、謝るという最低限の筋を通さねば、きっと小太郎は自分を許せなかっただろう。

 

「……頭を上げて。貴方のせいじゃないことは、私にもわかるから……」

 

「けど……」

 

本当はのどかも、罵声を浴びせてやりたい気分だった。口汚く、罵ってやればきっと自分の気持ちは晴れただろう。だが、それで友人が帰ってくることはないし、何より彼は友人を石に変えた張本人ではなさそうだ。ならば、怒るのは筋違いというもの。

 

「……じゃあ、その代わり……私をその人たちのところに連れてってくれない、かな」

 

「なっ、だがよ……」

 

「危険なのはわかってる。でも私、友達を助けたいの……夕映を、ハルナを元に戻してあげたい……だから、お願い……!」

 

頭を下げてまで懇願するのどか。小太郎は少しの間黙したままであったが。

 

(……ちっ、自分が情けなく思えてくるわ。こっちのせいやのに、相手の女の子に頭下げさせるなんて俺も焼きが回ったもんや……)

 

そんな彼女の姿を見て、断れるはずもなかった。

 

「……そこまで頼まれちゃしゃあない。連れてったる」

 

「い、いい、の……?」

 

「かまへんて。むしろ、被害者の姉ちゃんに頭下げさした時点で俺の責任やし。場所の見当は大体ついとるから、そこまで連れてったるわ」

 

「あ、ありがとう……」

 

こうして、誰も与り知らぬところで新たに事態は動こうとしていた。

 

 

 

 

 

「う、ん……?」

 

目を覚ますと、そこはあの不可思議なる世界ではなく、意識を失う前と同じ、よく見知った関西呪術協会の部屋であった。

 

「私は、生きているのか……?」

 

確かに脳天を貫かれた感覚がした。だが、額に手を当ててみればそこには傷ひとつない。これは一体どういうことかと思案していると。

 

「あ、れ……?」

 

「生きてる、のか……?」

 

ネギと千雨が起き上がったことに気づく。痛むのか、首筋を抑えて擦りながら。そして、やや意識が朦朧としていた刹那はようやく、この場にいるはずの人物がいないことに気づいた。

 

「っ、そうだお嬢様は……っ!」

 

「……連れてかれたみてぇだな。奴らもいなくなってる」

 

「くっ……!」

 

守ると誓ったはずであったのに。こうもあっさりと奪われてしまったことに歯噛みする。だが、先ほどのことを思い出すと、背筋が凍るように冷たくなってくる。生きているはずなのに、あの時の感覚は確かに死を告げていた。夢にしては、実に出来過ぎている。

 

「まさか……あれは殺気、だったのか……?」

 

思い返せば、彼女の殺気を受けた記憶が無い。二日目のあれは邪気、そして先程まで感じていたのは威圧。ならば、先ほどのリアルな死を感じさせたものが、殺気だったとすれば。

 

(恐ろしい……ただ殺気を向けられただけで、死を意識して倒れるなんて……)

 

震えが止まらない。両手で体を掻き抱いた。それでも、この寒気と震えが一向に治まってくれない。見れば、ネギと千雨も小刻みに震えていた。恐らく、彼らもあの殺気をまともに浴びせられたのだろう。

 

「いつつ、どうやら生きていられたようでござるな……」

 

ようやく、楓も目を覚ましたようだ。刹那と違い、彼女の様子は特に変わっていない。いや、よくみれば指先が痙攣している。だが、あれほどの殺気を当てられてなおそうして震えを抑えて見せている彼女を、刹那は凄いと思った。

 

だからこそ、自分がこんなところでいつまでも蹲っている訳にはいかない。早く主人を、親友を助けに行かなければ。そう思うと、自然と震えが治まってきた。

 

「……楓、いけそうか?」

 

「無論。少々手傷は負ったが、大したものではござらんよ」

 

「そうか。……先生、急ぎましょう。このままでは、お嬢様が奴らに利用されてしまいます」

 

すぐにでも出発しなければマズイ。そう思った彼女は、ネギへと呼びかける。

 

「僕は……行きたくありません……」

 

だが、返ってきた言葉は予想外のもの。明確な拒否の言葉であった。

 

「せ、先生……?」

 

「あんな、恐ろしい存在とこれ以上、関わりたくない……」

 

「……私もだ。長年追い続けてきたが、もうどうでもいい。あんなのと関わるぐらいなら、私はここに残るよ……」

 

「っ、千雨殿までどうしたでござる!?」

 

千雨までもが、ネギと同じように同行を拒否する言葉を吐いた。みれば、二人の目に宿っていたはずの光が消え、その目が暗く濁っているのが見えた。二人共に、冷や汗を流し、涙を流して震えている。完全に、戦意を喪失していた。

 

「なんで私は……何年もあんなやつを追いかけてたんだよ……馬鹿じゃねぇのか……」

 

「僕なんかが……勝てる相手じゃない……無理だよ……怖いよぅ……」

 

ネギは魔法を学んではいたし、千雨は常に鈴音の存在を警戒する日々を送っていた。それでも、つい最近までは普通の日常を送っていたのだ。尤も、それも少し前に氷雨こと美姫との戦いで崩れてしまったが。

 

つまりネギと千雨は、刹那や楓のように実戦経験が豊富なわけではないのだ。そんな彼らが、あれほど濃密な殺気を浴びせられたのは初めてであった。今まで彼らが殺気だと感じていたものは、邪気や、或いは垂れ流しになっていた程度の殺気でしかなったのだ。一度たりとも、鈴音やエヴァンジェリンらの本気の殺気を浴びた経験がない。

 

いくらタフな精神力があっても、根本を支える戦意を挫かれてはどうしようもない。千雨もネギも、悲しいことに精神力だけは強固であったために、ここまでこれたのだ。だからこそ、ここにきて心の脆さが露呈してしまった。

 

圧倒的な暴力と恐怖が、気高い精神そのものを完全に、心根ごとポッキリとへし折ったのである。

 

「こ、こんなことって……」

 

「……我々は失念していたんでござろうな、二人が我々と違って実戦経験が乏しいことに。あくまで、心は年齢相応であったことを、忘れていた……!」

 

魔法世界を震え上がらせた鬼の置き土産は、余りにも残酷なものであった。

 

 

 

 

 

「……鈴音さん、大丈夫かい?」

 

「……何が?」

 

「さっきのことだよ」

 

木々が鬱蒼と茂る山の中を歩く2つの影。鈴音とフェイトだ。鈴音は気絶させた木乃香を抱えて走っている。あの後、二人は殺気に当てられて気絶した木乃香を連れ、千草と決めた合流地点へと向かっていた。

 

「桜咲刹那と戦っている時、ほんの少しだけ迷いが見えていた」

 

「……そう。……気づかれてた、か」

 

元来、彼女は寂しがりやだ。なにせ幼くして両親をなくし、ただひたすらに自分を殺せる人間を求めてさまよった経験がある。そしてようやくエヴァンジェリンやアスナ、チャチャゼロというかけがえのない家族を手に入れた。

 

だからこそ、彼女はそれを失うことを嫌う。英雄との戦いを渇望し、その果てに死ぬのであれば構わないだろう。その時はきっと、その死を送り出していけるはずだ。それでも、彼女にとって別れは辛い。家族の温もりを求めながら、戦いを望んでいる。あまりにも歪み、矛盾した思い。

 

「……泣いているのかい?」

 

「……!」

 

人をやめて鬼となり、もう随分と経つ。鬼となってから自分は一度として泣いたことはなかった。いや、あの時エヴァンジェリンと出会った時。一度きりだけ泣いたことを覚えている。だが、それは嬉しさからくるものであり、悲しさから泣いたのは、あの惨劇の夜以来。

 

自分が、父を殺したあの時以来だ。

 

「……そう、か。……私はまだ、泣けたんだ……」

 

それほど長い間、一緒にいたわけではない。だが、彼女にとって刹那は紛れもなく大切な妹であったのは確かだ。そんな彼女と袂を分かったことが、悲しくて涙を流していたのだろう。

 

「……あの時、私は手加減をしてしまった。……刹那を殺したくない、そう思ってしまった」

 

殺す気でやったはずだった。だが、最初の鍔迫り合いでは手加減し、次の攻撃では殺気で彼女を気絶させた。そうする必要があったのも確かだが、しかし手心を加えていないといえば嘘になる。無意識に流れていた涙を指で散らす。あとに残ったのは、いつも通りの鬼の瞳。

 

「……でも、もう加減はしない。……彼女は敵、ただそれだけ……」

 

次は容赦などしない。そう心に決めて。



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第四十一話 鬼神事変②

漆黒の闇の中、幾度の鬼火が灯り、脳髄を掻き毟るかのような悲鳴を上げて露と消えゆく。これを怪奇現象とするのなら、しかし現実に起こっていることのほうが余程奇っ怪であろう。

 

「うふ、うふふ……!」

 

「チッ、攻めづらい……!」

 

その正体こそ、近衛詠春と月詠によって繰り広げられる剣戟の軌跡。鋼の打ち合う度に発生する火花と金属音であった。だが、その戦いこそが常軌を逸している。瞬きする一瞬の間に互いについては離れ、離れては近づいてを幾度と無く数瞬の度に繰り返しているのだ。

 

誰か一般的な常識を持つ人間がここにいれば、恐らくこれを夢と見紛うだろう。だが、周囲の木々がその戦いの余波で無骨な丸太とかしていることを考えれば、やはり現実と思うほうが確からしい。

 

「小太刀の二刀流とは、神鳴流らしくない神鳴流だな」

 

「だってうちは神鳴流剣士であって、神鳴流剣士ではないどすから~」

 

「……成程、な」

 

神鳴流は基本的に、長大な野太刀を好んで用いる。それは、相対する敵が基本的に妖魔であり、魑魅魍魎であり、妖怪変化であるからだ。その中には、身の丈一丈(約3m)を超える鬼や、中には数十mをゆうに超える鬼神を相手にすることだってある。だからこそ、より効果的に相手にダメージを与えられ、間合いを広くできる野太刀は神鳴流にとって非常に相性のよい武器だ。尤も、神鳴流は基本的に武器は選ばないため、例外はいくらでもいるが。

 

だが、それにしても月詠の小太刀さばきは異常であった。小回りと手数がきく代わり、間合いが減った小太刀は基本的に防御の戦い方を得意とする。つまり、小太刀は受けでこそその真価を発揮するのだ。だが、月詠の戦い方はむしろその逆。攻めの小太刀であった。

 

「にとーれんげき斬魔け~ん」

 

「神鳴流、斬岩剣!」

 

二刀の小太刀と一本の野太刀が激突する。威力は、全くの互角。

 

「そ~れっ!」

 

「ちいっ!」

 

鎬を一瞬だけ削った後、一気に刃を弾いて吹き飛ばす。吹き飛ばされたのは、膂力で勝るはずの詠春であった。

 

「流石に上手いな、村雨流の(・・・・)小太刀は……」

 

「うふ、ひたすらに人を殺すことに特化した剣どすから~」

 

月詠もまた、刹那と同じく鈴音の手ほどきを受けた人物だ。しかも、彼女との付き合いで考えるとむしろ月詠のほうがその技術を吸収しているといえる。彼女の用いている小太刀術は、神鳴流をベースとしながらも村雨流の技術を取り入れたハイブリット。小太刀元来の防御術を攻撃に向けた月詠のアレンジに、対人戦を想定した村雨流独特の太刀さばき。

 

それは、自分の剣筋をわざとそらすことによって相手の剣筋をも歪め、その隙を狙うという奇抜かつ大胆なものであった。本来、こんな戦い方をしても攻め手に欠ける上に下手をすれば自分が不利になりかねない。だが、村雨流はそんな誰しもが用いないであろう針を通すような技を編み出してきた。相手を殺せる場面をいくらでもつくりだせるように。

 

「鐘嗣の『懐刀』といいこの剣捌きといい……村雨流は本当に引き出しが多いな」

 

「人を効率よお殺すことにおいて、村雨流の右に出る剣技は現代にはあらへんですえ~」

 

確かに、対人戦においては村雨流のほうが神鳴流より勝るかもしれない。だが、ひたすらに相手を殺すことだけを考えるその理念は、詠春には認め難かった。月詠の姿をみれば、尚更。彼女は詠春と一見すれば互角に射ち合っているようにみえる。だが、体には幾つもの切り傷が刻まれており、血で肌が斑になっている。

 

そう、彼女は自らが傷つくことさえ厭わずに、ただひたすらに攻めてきたのだ。その結果、防御が完全に留守となり、致命傷さえ避けてはいるものの、全身傷だらけになってしまっている。

 

「……どんな流派であろうと、活かすも殺すも結局はその遣い手次第だ。それがたとえ、殺人に特化した村雨流であろうと、な」

 

「剣技なんて、どこまでいっても所詮は殺しの技術の延長線ですえ~。さすが、退魔の神鳴流の剣士は言うことがちゃいますわ~。村雨流が殺人技を磨く原因になったくせに」

 

村雨流の凋落の一因。実は神鳴流にもその一端がある。かつて都を守護する双璧であった神鳴流と村雨流。互いにいがみ合う仲ではあったが、その使命を全うしてきた。だが、やがて時代は戦乱の様相を呈し、人と戦うことを強いられ始めた。

 

当時の村雨流の長は神鳴流の長に、これからは都を守護するには人との戦いも想定すべきだ。そのために、人殺しの技術を磨くべきだと提言した。だが、神鳴流はあくまでも本質は魔を断つためのものであり、人を殺すことではないとしてその提言を突っぱねた。歴史の裏側から支え続けてきた双方が、表に出て戦うことをよしとしなかったためでもあった。

 

「こん時に神鳴流も賛同してくれてたら、形は違ったと思いますえ」

 

「…………」

 

「あんたら神鳴流は押しつけたんや、村雨流に汚れ役を。自分らの手が汚れることを恐れて」

 

結局、神鳴流と村雨流の軋轢は決定的なものとなり、以後数百年近く交流を絶った。村雨流は殺人技を磨いてゆき、歴史の表にこそ立たなかったが、その影から幾人もの人間を排斥してきた。神鳴流の代わりに、村雨流は汚れ仕事を請け負うようになっていってしまったのである。

 

更に、村雨流はより殺人技を高めるため、この頃から他流試合を多く行い、その技術を吸収していくという悪習が始まってしまい、結果京都から居場所を失ってしまった。

 

結局、村雨流は本家のある奈良を拠点としていた場所を中心とし、京には一切の干渉が行えなくなってしまった。そして決定的であったのが、第二次世界大戦の勃発である。殺人技に特化していた村雨流の剣士らは戦争へと駆り出されていったのだ。優秀な剣士も多数戦地に趣き、そして散っていった。祖国の勝利を信じ、その勝利の先に村雨流が必要とされることを夢見て。

 

しかし、現実はかくも厳しかった。日本は敗れ、軍は解体された。そして村雨流もまた、大きく力を削がれた。軍との協力関係から村雨流の栄達を目論んでいた村雨流は、軍の道連れとなる形になってしまったのだ。そして平和が訪れ、残ったのは時代に必要とされない殺人技。

 

「だが、それは村雨流が選んだ道だ。それを今更掘り返すのはお門違いと言えるが?」

 

結局のところ、時代の潮流を読みきれなかった村雨流が悪いのであって、神鳴流が直接的に何かをやったわけではない。それに、月詠も神鳴流を扱う剣士であり、村雨流はあくまで鈴音から教わったもの。いわば、彼女は正統な村雨流剣士ではないのである。そこのところは、彼女も自覚しているらしく。

 

「うふ、そんくらいわかっとりますえ」

 

雰囲気からして、月詠が村雨流の因縁そのものにこだわっているようには見えなかった。だが、それでも何かしらに固執しているのは見て取れる。

 

「けど、だからこそ神鳴流に村雨流の殺人技を否定されるわけにはいかないのですえ~」

 

そこには、頑として譲れなきものがあった。村雨流の歴史、それは彼女の慕う姉が生まれた遠因でもある。彼女にとって村雨流の歴史だろうが神鳴流の責任だろうがどうでもいい。だが、姉をあんな風にした原因であるものは許せない。美しく、しかし余りにも哀れな鬼を、生み出したものが許せない。

 

自分のように、中途半端な狂気の出来損ないであればまだ、救いはあった。だが、彼女は鬼となり、完全に狂ってしまっている。平和な時代には、絶対に必要とされぬであろう修羅の鬼と成ってしまった。

 

「殺人技が必要とされないなら、必要とされる時代をつくればいい。そうすれば、うちもあの人とおんなじになれる」

 

「君の目的はそれ、というわけか」

 

「うふ、うちがこの組織にいるのは姉さんがいるからですえ。あの人がいるから、うちは自分をコントロールできる。自分がどれだけ狂ったふりをしても、あの人の前では霞んでしまうから」

 

歪んだ愛情。彼女の根底にあるのは正しくそれだ。詠春は彼女の言葉と、その瞳の奥に灯る暗く哀しい闇を見て気づいた。だからこそ、詠春はここで月詠を止めようと決意する。このまま進ませてはいけない。彼女はもう、向こう側へ片足を突っ込みかけている。一度でも振りきれてしまえば、二度と帰ってこれないであろう奈落に。

 

「……君を、逃すわけにはいかなくなったな」

 

「うふ、うちを止めるんどすか~? やめておいたほうがいいですえ、うちはもうどこまでも行くって決めてますから~。それに……」

 

タイムオーバーですえ。彼女がそうつぶやくと同時に。

 

「っ! 何かくるっ!?」

 

何かが猛スピードで接近するのを感知し、それに備える。

 

「ぐ、お……!?」

 

はじめにきたのは、防御の上からも感じるほどの衝撃。次いで自分の吹き飛ぶ感覚。詠春は何本もの大木をへし折りながら結界の壁まで吹き飛んでゆき、背を強く打ちつける。

 

「いつつ……折れてはいない、か」

 

すぐに体勢を整え、衝撃を受けた腕の状態を確認する。少し痺れはするものの、幸い折れてはいないようだ。そんな彼に、何者かの足音が聞こえてくる。

 

「……何者だ」

 

「何者って、何年ぶりかの再会だってのにとんだ言い草ね」

 

「っ! ……まさか!?」

 

現れた人物は、とても小柄であった。恐らく10歳程度の子供の身長しかない。普通なら、こんな戰場に姿を表すことなどあり得なさそうである。だが、詠春はこの人物を知っていた。この声を、赤みがかった頭髪を、勝ち気な瞳を知っていた。

 

「なぜ、君がここにいる……アスナ!」

 

鈴音と同じく、最初期から『夜明けの世界(コズモ・エネルゲイア)』に所属している人物。そして組織の大幹部たる一人。『黄昏の巫女』、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアがそこにはいた。

 

 

 

 

 

(月詠は……うまく逃げたか)

 

さて、ネギ達と一緒にいたはずの彼女が何故こんなところにいるのか。それは、今回の襲撃で彼女が月詠のサポートを担当していたからだ。

 

(今頃ネギ達は鈴音と戦ってるんでしょうねぇ。ああ、可哀想なこと)

 

そんなことなど、彼女は毛ほども思ってもいないくせに、内心独りごちる。アスナはフェイトらが奇襲をかけた際、誰にも悟られることなくこっそりとあの場から抜けだしていたのだ。フェイトがあの時なぜ態々、奇襲をかける直前に言葉を投げてきたのか。それは、フェイトが放ったもう一つの魔法を悟られないようにするため。奇襲という隠れ蓑を強調するためであった。

 

認識阻害魔法。対象の意識を、特定のものから反らしたり、歪めたりする魔法だ。本来であれば、詠春のような高い実力を有する相手や、それらがかかりにくい千雨には通用しないように思える。だが、あの場には鈴音という絶大なるインパクトを誇る存在がいた。結果、そちらに気を取られてしまい、皆が皆アスナの存在を忘れてしまっていたのだ。

 

「まさか、君までここに来ていたとはね……!」

 

「最悪は常に想定するべきものだと思うけど。ああ、最近の私は魔法界(あっち)でも音沙汰なしってなってたから想定してろって方が酷かな」

 

アスナもまた、彼とは浅からぬ因縁がある。なにせ、彼の親友とともに彼女を助けてくれたという経歴があるからだ。だが、彼女はエヴァンジェリンらによって悪徳の側へと足を踏み入れ、その才覚を存分に伸ばしていった。そんな経緯があるからこそ、敵対してから幾度かは『赤き翼(アラルブラ)』のメンバーに説得の言葉をかけられたこともある。

 

「相変わらず、その姿のままなのか」

 

本来のアスナは、肉体年齢が高校生で止まる予定とはいえ以前よりも成長している。だが、今の彼女はかつてと同じ幼い姿。これは、彼女が幻覚によって変身する薬を用いているからだ。魔法無効化能力も、幻術魔法と空間魔法には干渉できない。それを逆手に取り、服用すると質量のある幻覚を生み出す魔法薬をセプテンデキムが開発したのである。

 

尤も、彼女は成長するアスナを見て、幼い姿のほうが可愛いのにと思い、ならばその姿を堪能できる薬を作ろうと思い立ったのがはじまりなのだが。そんな経緯があるせいで、アスナはセプテンデキムが苦手である。

 

「何? あんた幼女趣味とかあったの? だとすればドン引きね」

 

「生憎、僕は妻一筋でね。……君がそちら側にいることが、僕はいまだに信じられないよ。エヴァンジェリンに攫われる前、君はナギにべったりだった」

 

「そんな私が、ナギ・スプリングフィールドを殺したことが解せないってこと? はっ、どこまでもおめでたい頭をしてるわね。私にとって、あんた達は宿敵であって、愛しさを覚える家族じゃない」

 

彼女にとっての大切な人とは、エヴァンジェリンらのことであって『赤き翼』ではない。救ってくれた事自体は感謝している。あのままであれば、きっと兵器として使い潰されていたのがおちだっただろう。なにより、エヴァンジェリン達に出会える状況を用意してくれたこと。

 

ようは、現状へと導いてくれた事自体に感謝しているのであって、恩など微塵も感じてはいないのだ。どこまでも傲慢で、自己中心的な考え方。人間相手に慮ることなど、今の彼女は絶対にしない。

 

「無駄話するのもいいけど、早くここから抜けだしたほうがいいんじゃない? 向こうは鈴音がいるのに」

 

「……どうせ、君がそれを阻止するのだろう?」

 

「まあね。私の役目は月詠のサポートとあんたの足止めだし」

 

「サポート……チッ、さっきの言葉はそういうことか」

 

『……そう。……なら、都合がいい、な……』

 

先ほど鈴音が言っていた言葉。英雄としての自分を見限った彼女が、何故自分が腕が鈍っていないことを『都合がいい』と表現したのか。妙な引っ掛かりを覚えていたのだがようやく得心がいった。

 

「あんたが考えてるとおりよ。月詠にあんたを任せたのは、ネギ・スプリングフィールドらと引き離すためと、経験を積ませるため」

 

「僕を実戦での修行相手にしたってことか……」

 

詠春は世界でもトップレベルの剣士だ。そんな人物を相手に死合をするならば、確かに経験は莫大なものだろう。だが、それは死と隣合わせのあまりにも危険な実戦訓練。だから、アスナが月詠を死なせないようにサポートとして赴いたのだ。

 

「さて、そろそろ始めましょうか」

 

アスナが構える。やはり自分を逃がす気はないのだと理解すると、詠春も日本刀を水平に構えて腰を屈める。夜の闇は、更にその深みを増し始めていた。

 

 

 

 

 

一方、小太郎とともにフェイトらを追いかけていたのどかはというと。

 

「う、吐きそう……」

 

「我慢せぇや。俺かてこれでもスピード落としとるんやで?」

 

小太郎の背で揺れながら、吐く手前まで酔っていた。小太郎のだすスピードに慣れず、更に不安定な背におぶさっているせいだ。小太郎も彼女を気遣ってなるべくスピードを落としているのだが、効果は薄そうだ。

 

「もう少しの辛抱や。もうすぐ、千草の姉ちゃんに言われた集合場所につくで」

 

小太郎は、千草が集合場所に指定していた場所へと向かっていた。山間部の森は深く、普通に動き回れば迷ってしまうような場所だが、生憎小太郎は獣並みに鼻がきく。微かに感じる千草の匂いを頼りに目的地へと向かっていた。

 

「! 姉ちゃん、見えたで……!」

 

グロッキーなのどかに聞こえていたかどうかは分からないが、遠目に千草の姿を見て彼女へそう言った。このまま出て行ってもいいかと一瞬考えたが、のどかに危害が及ぶと即座に判断した小太郎は急ブレーキをかける。

 

集合場所から少し離れた場所の茂美へと飛び込んで身をかがめ、のどかを背から下ろす。いまだ気分の悪さで顔が青いが、地面に立てたおかげか少々安らいだ顔になっている。茂みからわずかだけ顔を出し、様子を見る。

 

(……? 留学生の奴、確か……フェイトっちゅうやつやったか? そいつががおるんは分かる。けど、月詠の姉ちゃんがおらへんし……それにあっちの女は誰や?)

 

様子を見始めてすぐに、フェイトが何者かを伴って現れた。よく見れば、その人物は女性のようだが、その脇には人を抱えているのが見てとれた。抱えられている状態のせいで長い髪が垂れて顔がよく見えないが、匂いからして関西呪術協会の長の娘だろうと当たりをつけた。

 

ここまでの作戦でほとんど裏方に回っていたフェイトが行動を共にしているのは勿論疑問が残る。だが、それも関西呪術協会の本部を襲うという無謀を為すためなら人員は必要だろうし、実力があるのだとすれば一応の納得ができる。

 

(千草姉ちゃんは参加しとらんかったんか……? ……ほんなら、襲撃をかけたのはあの二人やっちゅうことか!? ここにいない月詠の姉ちゃんを含めても、たった三人やで!?)

 

だが、あちらの女性はその素性も顔も知らない人物だ。そんな人物と、部外者のフェイト、そして参加していたか小太郎にはわからないが、雇われの月詠。そんな輩に、千草は襲撃を一任したということだ。そして、襲撃は小太郎が見たとおり成功している。

 

(あかん……そないなヤバイ奴らを相手にせにゃならんとすると、とても俺一人じゃ無理や!)

 

仲間のよしみで石化を解いてもらう? 無理だろう、下手にそんなことをすれば作戦の支障となる可能性が高い。ならば力づくしかないだろうと考えていたのだが、相手が小太郎よりも圧倒的に上の実力を有している可能性が高いとわかった今、それは愚策でしかない。何より、自分が裏切ったと千草に判断されれば石に変えられかねないだろう。

 

(特にあの女……ヤバい雰囲気がする。血の匂いがいっちゃん濃い……!)

 

日本刀を佩いた素性不明の女。一見すれば少女然とした見た目だが、小太郎の野性的な勘があれはそんな生温いものではないと告げてくる。少なくとも、数十年の時を生きた歴戦の(つわもの)。小太郎が最終的に出した結論はそれであった。彼はそっと耳を傾け、彼女らの話を盗み聞きする。

 

『本当に連れて来おった……』

 

『これで、儀式に必要な物は全て揃ったはずだ』

 

『せや、お嬢様さえいればあれ(・・)を復活させるのも、操るのもわけないで!』

 

(そういや、姉ちゃんがあれ(・・)を復活させるんにお嬢様が必要ゆうとったな)

 

予め聞かされていた作戦を思い出す。その内容は、この関西呪術協会本部がある場所からほど近いところにある、あるものを復活させるというもの。小太郎も一度だけ封印されているそれを見たことがあるが、確かにあれほどのものを復活させれば関東を相手に戦争を起こすのも可能だろう。

 

(千草の姉ちゃんは、関東の奴らに恨みがあるゆうてた。けど、あいつらの考えてることはさっぱりわからん。もし、あいつらがさっきみたいなことを関西でやるつもりやゆうんなら……)

 

小太郎も、最初は気に食わない関東の奴らに泡を吹かしてやろうと思い、関東を相手にした戦争にも賛成していた。戦うことが生き甲斐のような自分には、その戦争がとても魅力的に写ったのだ。だが、先ほど見せられたあの光景が小太郎の脳内にフラッシュバックする。

 

(阻止せなあかんな……)

 

見渡すかぎり人の気配のない、無機質なまでの静寂。あんな恐ろしいことを戦争でやるつもりだというのなら、止めなければならない。小太郎はそう思った。彼は戦うことは好きだが、弱者を虐げることは大嫌いだからだ。

 

(けど、奴らの目的が見えてこへん。何を考えとるんか……)

 

フェイトも女も、素性のしれない人物だ。いや、フェイトはイスタンブールからの留学生という扱いにはなっているが、恐らくそれもダミーだろう。千草たちを手助けしているということは、関東に何かをするつもりだろうとは思うが、それが奴らのどんな利益につながるのか。相手の目的がわからない以上、千草を説得するのも無理だ。彼らは、千草が求めていたことをあっさりと成し遂げてしまい、その信頼を勝ち得ているのだから。

 

「あ、あの……」

 

「……すまんな姉ちゃん。あいつらしばいて石化解かせるか説得するかしよって思たんけど、無理そうや」

 

「……そう、ですか」

 

のどかの顔が暗くなる。親友を助けられる手立てが見つかったかと思えば、それが駄目だったと告げられたのだ。気落ちするのも無理はなかった。

 

「姉ちゃん、あいつらがなにもんか分かるか? 特に、あの日本刀持っとる女や」

 

ダメもとでのどかに聞いてみる。あれが何なのか、小太郎にはさっぱり分からないがやばい雰囲気は嫌でも感じる。だからこそ、その正体ぐらいは知っておきたかったのだが。

 

「! あ、あの人……確か……!」

 

しかし、予想外にも彼女は女の正体を知っていた。刹那や長から聞いた話を、のどかは小太郎へ伝える。

 

「魔法世界最悪、ねぇ……予想以上のバケモノやんか……」

 

まず間違いなく、正面切って戦えば命はない。そもそも、ここまできたのは彼女の友人の石化を解くためであって、戦うことではない。だが、頭の出来がそれほどよくない自分では、大した手札もなしに交渉の真似事などしても一蹴されるのが落ちだ。

 

「せめて、奴らに不利な情報でもありゃ、何とかなりそうなんやけど……」

 

昔戦った、狡っ辛いことが得意であった術師のことを思い出す小太郎。その時は、仲間の一人が弱みを握られて寝返ったことがある。そういう汚いことをする連中とは何度か戦ったことがあるため、相手の弱いところを突くということが有効であることを、小太郎は知っている。尤も、彼自身はそういったことが嫌いな性分のため、そしてそういった情報を集めるのがそもそも不得手なのでやったことはないが。

 

それでも、それを交換条件として石化の解除を引き出せる可能性があるのは確かだ。それに奴らのやった事自体、小太郎には許せない。せめてその企みの一端ぐらいは暴いてやりたいと考えていた、そんな時。

 

「……あ、あの……」

 

「んあ? どしたん?」

 

「あの人達の考えてること……私、分かると思います」

 

「それってどういう……あ! そういや姉ちゃん、読心師やったな!」

 

今更ながら、彼女が読心師であることを思い出す。そして、それによって自分が敗北したということも。自分という相性最悪の相手を前に、読心師という手助けを得て己を倒したネギのことを思い出す。

 

小太郎は、策を弄する相手を、実はそこまで嫌ってはいない。彼らは彼らなりに、弱さを補うためにに工夫と努力をし、策を用意するのだ。それを小太郎は、戦いにおける駆け引きとして許容している。ただ、それに引っ掛けられるのはあまり気分がよくないが。

 

(あいつならどうする……?)

 

彼女の力を借りるか、否か。本音で言えば、敵だった相手に、それも今回は被害者でもある彼女の手を借りるというみっともない真似はしたくない。だが、それで勝てるのかといえばノーだ。今の自分は、昼間のネギと同じく弱者の、強者に挑む側だ。ならば、それを補うために手を借りる必要とてあるはず。

 

「……姉ちゃん、頼みがある」

 

「は、はい」

 

「あそこの白髪の男と、あの日本刀差した女。あいつらの考えてること、読めるか?」

 

「……女の人は大丈夫だと思います。男の子の方は、名前さえわかれば……」

 

「なら問題あらへん。あっちの奴の名前はしっとる。フェイトっちゅうやつや」

 

小太郎は、のどかの手を借りることにした。他人と手を組むことはあっても、いつも一人で戦ってきた小太郎が、自分の意志を曲げてまで他人の手を借りたのだ。彼女に対する負い目や、仲間の所業に対する怒りのせいもあったかもしれない。だが、それでも彼に変化があったのは確かだ。あの戦いで成長したのは、何もネギ達だけではなかったのである。

 

「……これが、あの男の子が考えていること……」

 

早速、彼女のアーティファクト『いどのえにっき』を用いて相手の思考を読み取る。対象はまず、小太郎の仲間だとはっきりわかっているフェイトの方から。これでなにか怪しい情報を持っていれば、その時点で小太郎の予想は確定する。やがて、本型のアーティファクトに文字として浮き上がってきたのは、少年が持つ情報。

 

「……チッ、こりゃ千草の姉ちゃんも利用されてポイされる可能性が高いな……。姉ちゃん、今度はあっちの女のほう頼むで」

 

書かれていた計画の一部。そこには、千草の生死に関わってくるかもしれない危険な内容も含まれていた。これで、小太郎の嫌な予感が的中したわけだ。ますます彼らに対して不信感を募らせていく小太郎は、今度は女のほうを探るように指示する。

 

「えーっと……ひっ……!?」

 

女の思考を読み取ろうとした途端、のどかが小さな悲鳴を上げる。一緒になって眺めていた小太郎も、思わず黙りこくってしまった。

 

「な、なに、これ……!?」

 

白紙部分が、文字でどんどんと埋め尽くされていっているのだ。その文字自体もまるで、文字化けでも起こしたかのように支離滅裂で、血のように真っ赤であった。危険だと思い本を閉じようにも、のどかは体を動かすということ自体を忘却し、頭の中がパニックになった。小太郎もその光景から目を離せず、為すがままであった。

 

やがて文字が完全に白紙部分を埋め尽くすと、今度は虫食いのように高速でその赤が消滅した。

 

「な、なんだったの……」

 

「何が起こっとったんや……」

 

疑問は残るものの、本能的に危険なものを感じていた二人は何も起こらなかったことにほっと胸を撫で下ろす。それでも未だに冷や汗が止まらず、動悸が早まっているのが分かる。

 

「……見たな」

 

そんな二人の背後から、何者かの声が聞こえる。体を強ばらせた二人は、それでも何とか首だけ背後へと向けることに成功する。そこにいたのは。

 

「あ、ああ……!?」

 

「な、今まであそこにいたはず……!?」

 

明山寺鈴音がそこにいた。そもそも、彼女らは初めから小太郎たちの事に気づいていながら気づいていないふりをしていたのだ。

 

「……放っておくつもりだったが、お前は危険だ……殺す……」

 

のどかを危険と判断した鈴音は、愛刀の『紅雨』の柄へと手をかけると。その刃が、彼女へと一瞬の内に抜き放たれた。

 

 

 

 

 

「先生、お嬢様に危険が迫っているんです! 早くしないと……」

 

「刹那さんが行けばいいじゃないですか……僕なんて、足手まといも甚だしいです……」

 

「千雨殿、しっかりするでござる! あのような化生に惑わされては駄目でござる!」

 

「……あんなの相手に、私に何ができるってんだよ……」

 

関西呪術協会の本部に、いまだ刹那たちの姿があった。鈴音の死を意識するほどの殺気に当てられ、心を折られてしまったネギ達を何とか復活させようとしたためだ。だが、卑屈になってしまった二人は聞く耳を持ってはくれない。

 

「駄目だ……ここまで完膚なきまでにされてしまっているとは……」

 

「しかし、ここでいつまでも足止めを食っているわけにはいかぬでござる」

 

ならば、彼らを置いて追いかけるか? 敵は世界最悪の剣士に、本部の人間を残らず石に変える程の魔法の腕を持つ少年。たった二人では、勝ち目などあるはずもない。そして刹那も楓も、そんな圧倒的なふりを覆せるような策をひらめくこともできない。それができるのは、この中ではネギと千雨ぐらいだろう。

 

(どうする……楓と二人だけで行くか……先生たちの復活を信じるか……)

 

道は二つに一つ。己の腕を信じてゆくか、ネギ達の精神力に賭けてみるか。時間がない以上、ネギ達の復活を信じるのは絶望的だ。

 

「……刹那。こうなれば、お主と拙者の二人で……」

 

「だが、勝算など……」

 

「しかし、このままでは木乃香殿は奴らのいいようにされてしまう。こんな言い方はしたくないが、危険度の高い木乃香殿を優先したほうがいいでござろう」

 

楓が、残酷な現実を突きつける。そう、危険さで考えれば木乃香を第一に助けるべきだ。ここにいれば、最低でもネギと千雨は無事で済むだろう。だが、果たしてそれでいいのだろうかと刹那は悩む。

 

(不要と切り捨てて、それであの人に勝てるのか……?)

 

それではネギ達が使いものにならないから、置いていくのと同じではないか。そんなことで、自分の大事な親友を守りきれるものか。

 

「……駄目だ。置いていくわけには、いかない」

 

「だが、先生らが元通りになる保証など……!」

 

「不要だと切り捨てるのか? あれほどの強敵を相手にして、態々人を減らすなど愚の骨頂だ。それに、私はそんなことをしたくはない」

 

「刹那……」

 

「楓。私は怖い、先生たちを置いて行ったほうがいいと納得してしまう自分が。だが、それでは私はいつか……お嬢様まで見殺しにしてしまいそうだ……そんな奴に、私はなりたくない」

 

刹那の言葉に、楓はハッとなる。彼女の考え方は、自分にだって当てはまるはずだ。楓も裏の仕事には馴染みがある。非常に危険で、命がけのものばかりだ。時として仲間さえ見捨てねばならない非情な世界であることも。だからこそ、仲間内との連携が大切なことを彼女は知っていたはずだ。

 

それなのに、今の自分はどうだ。目先の危機に囚われて、無謀にもたった二人で挑もうなどと考えている。使えなくなったと判断し、冷酷にネギ達を切り捨てようとしている。

 

『非情なる世界であっても、それに流されるなかれ』

 

己の師がかつて言った言葉。戦いには非情さも必要だが、だからといって己の心をおざなりにしていれば仲間を見殺しにするようになり、いつかそれは自分に返ってくる。逆に言えば、仲間を大切にし、連携をよくすれば任務の効率も成功率も高まり、互いに窮地を助けあえるよき仲間を得られるということ。

 

情けは人の為ならず。情には情が、非情には非情が返ってくることを楓は忘れるところであった。

 

「……すまぬ、刹那。拙者、危うく己の本質を見失うところであったでござる」

 

気づかせてくれた刹那へと礼を言う。そして、己がまだまだ未熟であったことを悟る。一歩間違えれば、自分もネギ達と同じようになっていたに違いない。ただ強い弱いではなく、己の心と向き合うべきだと楓は感じた。そして、それを気づかせてくれた刹那に、心のなかでそっと感謝する。

 

「そうと決まれば、早く先生方の調子を取り戻してやらねばならぬでござるな」

 

「ああ、そうだな」

 

思えば、刹那もネギ達と行動するようになったのは修学旅行の間からだ。だが、僅かな時間で互いに気を許し合い、共に戦い、ここまできたのだ。彼女にとって彼らは、もはや長年共に歩んできた仲間に等しい存在となっていたことを、気付かされる。

 

(先生、千雨さん。私は……またあなた達とともに戦いたい……!)

 

とはいえ、鈴音の残した呪縛は余りにも大きい。恐怖というものは、人を最も強く支配する。それは死が必ず存在する生き物にとっては避け得ぬものであり、いずれはネギも千雨も避けては通れぬ道だった。だが、それが訪れるのが余りにも早すぎた。死の恐怖に耐えられる下地がまるでなかったのだから。

 

「何か余程、先ほどの絶望を吹き飛ばせるかのような衝撃があれば……」

 

そうして刹那たちが再びあれこれと思考していると。

 

「ネギのやつはどこやあああああああああああああああ!」

 

突然、誰かの大声が聞こえてくる。聞こえてくる言葉からして、どうやらネギを探しているらしいその人物は、段々と声が大きくなってくることから近づいてきていることが分かる。

 

そして。

 

「ここかああああああああああああああああああああああああ!」

 

凄まじいスピードで、部屋の中へと飛び込んできた。否、突撃してきた。

 

「ぷろもっ!?」

 

犬上小太郎が、ネギを吹き飛ばしながら。



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第四十二話 鬼神事変③

「おらああああああああ! ネギでてこいやああああああああああああああ!」

 

「い、犬上小太郎!?」

 

飛び込んできたのは犬上小太郎であった。そういえばいなかったなと、今更ながらに思い出す刹那。てっきり、この部屋で石になっていると思っていたが、よくよく考えたらこの部屋には石になった者はいなかったと気づく。

 

実は、フェイトが用いた認識阻害によって彼女らは、小太郎の存在まで忘却していたのだ。皆が皆、小太郎が石になっているだろうと思い込んでしまい、そのままずっと意識の外に追いやられていたのである。

 

「ネギはどこやああああああああああ!」

 

「な、何があったんだ!?」

 

興奮状態の小太郎の様子に、さすがの刹那も圧倒される。そのまま呆然としていると、自分が吹き飛ばしたネギを発見し、胸ぐらをつかんでブンブンと振り回し始めた。さすがにマズイと判断した二人は、小太郎を慌てながらも落ち着かせようとする。

 

「お、落ち着くでござる!」

 

「落ち着いてなんかいられるかああああああああああああああああああ!」

 

「か、楓! 二人で抑えこむぞ!」

 

「りょ、了解したでござる!」

 

さすがの小太郎も、刹那と楓の二人がかりでは分が悪く、あっという間にネギから引き剥がされた。取り押さえられた時に少々暴れたものの、ようやく息を荒げながらも小太郎は落ち着きを取り戻した。

 

「……悪かったわ、怒鳴りこんだりして」

 

「いや……私こそすまん、痛むか?」

 

取り押さえられた時に、刹那にぶん殴られた頬を擦りながら言う小太郎。余りにも暴れるので落ち着かせるために刹那がおもいっきり殴ったのだ。おかげで、小太郎は正気に戻ったが。

 

「で、どうしたのだ一体。あんな声を荒らげて」

 

「っ! そうや! ネギのやつに伝えなあかんことがあったんや!」

 

そう言って立ち上がろうとした小太郎を、楓がどうどうと再び座らせる。

 

「ネギ先生に、伝えたいことだと? というか、お前どこに行っていたんだ?」

 

「石化の魔法で視界が埋まった時あったやろ? あん時逃げ出したんやけど……」

 

そうして、彼がこれまでしていたことを話す。

 

 

 

 

 

 

あの時何故鈴音が動いたのか。実のところ、最初から小太郎たちのことはバレていたのだ。片方は仮にも味方だし、奇襲されようとも未熟な彼では自分たちは倒せない。もう片方も、今朝までただの一般人だった人物。警戒するに値しないと放置されていたのである。

 

では、そんな彼女に心変わりをさせた原因はなにか。

 

(……読心のアーティファクト……これが原因か……)

 

彼女は読心によって自分の心を探られていることを察知したのだ。元来、読心術は魔法でもかなり特殊な部類に入る。相手が気づいてさえいなければ、一切を悟らせることなく対象の心を探ることができるのだ。だからこそ、一流の相手であっても十分に通用するのがその恐ろしさたる所以である。尤も、心を閉ざした相手にはさすがに通用しないし、一流の戦士は大抵そういった技能を体得しているものだが。

 

だが、彼女は心を探られていることに気づき、素早く彼らの背後へと回っていた。彼女は『あの世界』の光景が見えている。この世界の法則や、成り立ち方。そういったものが透けて見えるかの世界にどっぷりと浸かったせいで。つまり彼女の心は、向こう側に通じているような状態なのだ。

 

のどかのアーティファクトが不気味な文字で埋め尽くされたのはそのためである。すぐに鈴音が心を閉ざしたおかげで文字は消え去ったが、下手をすれば死の世界でもあるあちらと繋がってしまう可能性もあった。

 

だからこそ、彼女はのどかを危険と判断し、その刃を抜いたのだが。

 

鈴音の刃がのどかへと迫る直前。

 

タァン!

 

「……!」

 

一発の銃声が、状況を一変させた。正確無比に鈴音へと放たれてきた弾丸を、鈴音はのどかを殺そうとしていたその返す刃で弾き飛ばした。金属同士がこすれ合う甲高い音が響き、弾丸はあらぬ方向へと飛び去っていった。

 

その隙を、小太郎は逃さなかった。のどかの腕を掴み、強引に引っ張りながらその場からの脱出を試みた。

 

「逃すと思うかい?」

 

だが、それを阻む者がいた。フェイトだ。彼は終始小太郎の動きを観察しており、なにかあればすぐに対処できるようにしていたのである。魔法の始動キーを唱え、先ほど関西呪術協会でも用いた石化の煙を発生させる。

 

「こいつは……!」

 

その煙から感じる嫌な雰囲気で、小太郎はこれこそが人を石に変えた魔法だと気づく。

 

(ちぃっ!)

 

内心舌打ちしながらも、のどかを引きずるようにして森の深くまで逃げようとする。だが、のどかは腰が抜けてしまっているのか思うように動いてくれず、どんどん煙が迫ってくる。やがて、周囲が完全に煙で覆われていった。

 

「……逃げられたか」

 

煙が晴れるとそこには、小太郎とのどかの姿はなかった。後を追うべきか逡巡するが、まずは先ほど弾丸を放った何者かを探すことを優先すべきかと意識を切り替える。

 

(煙は既に彼らに追いついていた……今頃はどこかで石像になっているはずだ)

 

既に石像となって物言わぬ存在となっているだろう二人など後回しでいい。だが、こちらに気配を気取らせず、正確無比に狙撃するなど並大抵の者にできることではない。ならばどちらが厄介な存在かは明白だ。彼は優先すべき順序をしっかりと弁えていた。

 

 

 

 

 

「…………」

 

一方、狙撃された鈴音は周囲に気を張り巡らせていた。のどかのことで若干注意を逸らしていたせいもあるが、気配を読むことに長けた彼女でさえ直前まで気づけなかった隠形。それほどの相手となれば、鈴音でも万が一のことがあるかもしれない。よって、現状で最も危険な相手を潰すのが道理というもの。

 

「……出てこい」

 

微かだが、気配を感じた方へと言葉を投げる。暫し静寂が空間を支配するが、やがて呼びかけに応じるかのように何者かが木の影から姿を現した。夜の闇に紛れるよう真っ黒な外套を頭からすっぽりと被り、顔も目元以外は覆い隠されている。

 

「……さすがだな、最小限まで気も魔力も抑えこんでいたはずなんだが……」

 

感心したような言葉を吐く。が、あくまでお世辞程度にしか言っていないようだ。声色からして女性のようである。

 

「……僅かだが、お前から怒気を感じた……」

 

感じる視線から、ほんの僅かではあるが怒りや憎しみといった感情を、鈴音は感じとっていた。相手は軽く肩をすくめて嘆息する。

 

「やはり、貴様相手じゃどれだけ抑えようとしても漏れでてしまう、な……」

 

淡々としているように見えるが、相手の言葉の端々から感じる憎悪を鈴音はしっかりと読み取っていた。そして、相手が何者であるかに気づいた。

 

「……そうか。……お前か、復讐者(・・・)

 

「……ああ。この時をどれだけ待ったことか……」

 

そう言って、顔を覆っている布に手を伸ばす。現れたのは、日本の出身ではないことを端的に証明する濃い褐色の肌。そして黒い髪をストレートに伸ばし、切れ長な目元や整った目鼻立ちがやや日本人ばなれしていることを更に強調する。

 

だが何よりも印象的なのは、その鋭いというのも憚られる程の眼光。そのまま対象を射抜くかの如き錯覚さえ覚える絶対零度の瞳。

 

「数年ぶりだな……明山寺鈴音……!」

 

「……名前を捨てたことは知っているが、あえてこう呼ばせてもらう……久しぶりだな、龍宮真名」

 

3-Aのメンバーの一人、龍宮真名がそこにいた。

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

少女の苦しげな吐息が、しんと静まり返った空間へと溶け出す。上気してほんのりと赤みを帯びたその頬は、どこか艶かしさを感じさせる。しかし、それを眺める少年の顔には影がさしていた。

 

「……なんで」

 

小太郎とのどかは、明かり一つ無い暗闇に覆われた森のなかにいた。あの時、石化の煙に追われて絶体絶命だった二人がどうやって生還したのか。

 

「なんで……俺をかばったんや……!」

 

「はぁ……ぅく……は……」

 

のどかが苦しんでいる原因、それは先ほどの逃亡劇によって息があがっているからではない。彼女の体が(・・・・・)段々と石に(・・・・・)なっている(・・・・・)せい(・・)だ。

 

彼女は二人共に煙に巻き込まれる寸前、小太郎を突き飛ばしたのだ。それによって、小太郎はわずかながらに煙より離れることができ、のどかを抱えることによって体勢を立て直して逃げ切ることに成功したのだ。

 

だが、のどかは足に煙を浴びてしまい、既に下半身が完全に石となってしまっている。

 

「なぁ、なんで……なんで俺を……」

 

「私、じゃ……どうせ逃げ切れなかった、から……」

 

腰が抜けてしまい、足手まといになっていたのどかでは、どうあがいても逃げ切ることはできなかった。だから、せめて小太郎だけでも逃げられるように突き飛ばしたのだ。

 

「小太郎くんは……私のために一緒に来てくれた……だから、私のせいで石にされちゃうのは、嫌だったの……」

 

「ドアホ! そもそも、俺の仲間のせいで姉ちゃんの友達は石になったんやぞ!」

 

「……小太郎くんは……やってない、から……あの人達とは、違うって……私、思った、から……」

 

小太郎はその言葉に目を見開いた。いくら自分が直接なにかやったわけではないといえ、仲間の手によって友人を石にされれば恨まれるのは当然だと思っていた。だから、小太郎は罪滅ぼしの意味で彼女の手伝いをしたのだ。

 

「恨んでない……て言ったら嘘になる、けど……それで、助けない理由には、ならない……」

 

小太郎が自分を助けたのは、たしかに負い目もあるだろう。だが、自分のためにここまでしてくれた彼を巻き添えにすることはしたくなかった。

 

「……アホや、ほんまモンのアホやで姉ちゃんは……」

 

知らず、小太郎は涙を流していた。幼い頃からこの裏の世界で揉まれ、孤独な一匹狼を気取って生きてきた。今回のように集団で行動することはあっても、別行動をして問題を起こすことはしょっちゅうだったし、助けあうなんてこともなかった。

 

温もりを知らずに生きてきた彼にとって、こうして誰かに優しく接されたことなどなかったのだ。

 

「大丈夫、だよ……きっと、せんせーが……助けてくれる……」

 

苦しさを押し殺して、にこやかな顔をするのどか。そんな彼女の表情に、絶望の色も陰りもない。

 

「なんで、そんなに信じられるんや……見捨てられるかもしれへんし、そもそもあんな化け物に勝てるわけが……!」

 

「……私の勝手な思いだけど……私にとってのせんせーは……ちょっとおっちょこちょいだけど……とても頼りになる人で……大好きな人、だから……」

 

二の句が告げなかった。彼女の優しさ、心根の強さ、そしてそんな彼女に信頼されている存在。どれも、小太郎が持っていなかったものだ。化け物に初めから勝てないと決めつけて逃げることばかり考え、心の何処かで怯えていた自分とは違う。

 

「……悔しいなぁ……」

 

心の底から、そう思った。昼間に戦って負けた時も、悔しさが胸をついてきたが、今はそれ以上のものがこみ上げてくる。一人のほうが気楽なはずだった。誰にも邪魔されず、大好きな戦いができると思っていた。

 

だが、彼女らの関係を見てそれが間違いだったことに小太郎は気づいた。自分がやりたいことばかりにかまけ、助けあうことの大切さを知らなかった。信頼の上に成り立つ絆を知らなかった。

 

これでは、本当に自分はただのガキではないか。

 

(俺が負けるのは、はじめっから決まってたことなんかもなぁ……)

 

羨ましい。妬ましさではなく、純粋な気持ちでそう思った。自分も、自分勝手をやめて千草らと連携すればこんな事態を招かなかったかもしれない。ネギに負けることもなかったかもしれない。

 

一人きりで、寂しい思いをしなかったかもしれない。

 

「……も、う……駄目みたい……」

 

いよいよ、のどかの石化が喉まで迫ってきていた。これ以上進行すれば、喋ることだってできなくなるだろう。

 

「……最後……私の我儘……聞いてくれない、かな……」

 

「…………」

 

「石に……なっちゃったけど……私の、アーティファクト……せんせーに、届けてあげて……」

 

のどかの足元に落ちていた、石の塊と化してしまったそれを拾う。そこには先ほどフェイトを読心した時の内容が表示されている。

 

「きっと……せんせーの役に……立ってくれるはず、だから……」

 

「……分かった。必ず届ける」

 

小太郎が力強く応え、首肯する。それに安堵したのか、彼女は薄く笑い。

 

「あ、り……が……と……う……」

 

完全に沈黙した。

 

「……」

 

無言のまま、小太郎はゆっくりと立ち上がる。そして上着を脱ぐと、それを彼女にかけた。

 

「必ず……必ず届けて、ネギを連れてくる……約束や……!」

 

彼の瞳に、決意の炎が灯った。

 

 

 

 

 

「宮崎さんが……」

 

刹那らが気絶していた間に、そんなことが起こっていたのかと二人は驚愕する。そして、小太郎がどうしてあれほどまでに興奮していたのか納得した。小太郎は義理堅い性格だ、彼女との約束を果たすために全力疾走してここまできたのだろう。それによって、一種のランナーズ・ハイになっていたようだ。

 

「んで、俺としてはネギにさっさと姉ちゃんを助けに行ってもらいたいんやけど……」

 

「……すまないが、今はネギ坊主をそっとしておいてやってはくれまいか?」

 

「……どういうことや」

 

怪訝な顔をする小太郎に、楓はネギを無言で指さして答える。先ほどは興奮していたせいで分からなかったが、見ればネギの顔にはすっかり生気がなかった。まるで、死ぬ一歩手前の病人か、幽鬼のようであった。

 

「な……!」

 

「先ほど、お主の仲間がここを襲撃した時……強烈な殺気を真正面から浴びて、心を折られてしまったのだ……」

 

「先生は元々戦いなんて殆ど経験したことがなかったんだ。にも関わらず、命のやり取りをするような戦いに巻き込まれたせいで心身共に限界だったのかもしれない……」

 

怯えきり、身を掻き抱いてまるで外界を拒絶するようにうずくまるネギ。その瞳には、昼間に戦った時に見えたあの輝きは微塵も感じられない。

 

「…………」

 

小太郎は、なにも言葉を発しなかった。ただひたすらに、ネギの姿をその瞳へ映し、見つめ続けていただけだ。そのまま彼は、ゆっくりとした足取りでネギへと近づいていく。

 

刹那と楓は無理もないと感じた、なにせ一度は彼を負かした相手が、こんな無残なことになっているとは思わなかっただろう。だから、茫然自失でなにも言葉が出なかったのだと二人は思っていた。

 

だが、それが間違いであったと二人はすぐに思い知らされた。

 

「この……バカ野郎がァッ!」

 

固く握りしめられた右手を、小太郎はネギに向かって強烈に振り下ろしたのだ。それは正確にネギの頬を捉え、鈍い打撃音とともに彼を吹き飛ばした。

 

「「なっ……!?」」

 

小太郎の突然の行動に、さすがの刹那と楓も驚く。直情的とはいえ、さすがの小太郎もあんな状態のネギに殴りかかるなんて思わなかったのだから。

 

「オイ……いつまで腑抜けた面晒しとるつもりや……ネギッ!」

 

「う、あ……」

 

ネギの襟首を掴みあげ、睨みつける。まさに怒り心頭といった様子で、ネギはその気迫によって何も喋ることができない。

 

「てめぇ、昼戦った時の根性はどこいったんや!」

 

「……めて」

 

「ちょっと脅かされた程度でグチグチと女の腐ったみたいな奴になって……!」

 

「……やめて……」

 

段々とヒートアップしていく小太郎に、なんとか抵抗しようと小声で抗議するも、それが逆に更に小太郎の怒りのボルテージを引き上げる。それに連れて、何も響かなかったはずの言葉の数々が、ネギの心を荒く抉っていく。

 

「そんなんだから……お前は……」

 

「やめてよ……」

 

「自分の生徒も守れずに奪われるんやッ!!!」

 

「っ! やめてって言ってるだろ!」

 

ついに我慢の限界を迎えたネギは、思わず小太郎を殴り飛ばしていた。だが、小太郎はそれに怯むこともなく、憎まれ口を叩く。

 

「ペッ、こんなへなちょこじゃあいつらに勝てるはずもないわ。俺に勝ったのも、所詮は偶然だったっちゅうことか」

 

「やめろ……」

 

「こんなんじゃ攫われたお嬢様も浮かばれへんなぁ……ま、そもそも頼みの先生がこんなんだからはじめっから希望なんかなかったんやろけどな」

 

「やめろっ!」

 

自分の情けなさをあげつらうかのような小太郎のいいように、苛立ちが増したネギは再び小太郎へと殴りかかる。だが、小太郎はそれを苦もなく最小限の動きでかわすと、お返しとばかりにカウンターをもろに浴びた。それをみた刹那は、さすがにこれ以上はマズイと思い止めに入ろうとするが、楓がそれを制する。

 

「楓っ、なぜ止める……!」

 

「落ち着け刹那。このまま、存分にやらせてあげるでござるよ」

 

「だがっ!」

 

「あれだけ無気力であったネギ坊主が、反撃をした……それだけネギ坊主を揺り動かすものがあったということの表れ。ならば、これ以上拙者たちが介入することはまかりならんでござる」

 

楓の言葉に、刹那は無言のまま引き下がる。そのまま、二人の一部始終を傍観することにした。ひょっとしたら、そう思わずにはいられず。

 

「君に分かるもんか! 頑張っても頑張っても、それが無力さを思い知らされることに! あんな、自分のすべてを否定されるような殺意の嵐を知らない君に!」

 

「ああ、分かるわけ無いやろ。そんな自分の情けなさを他人のせいにしてるような奴が何を吠えてようが、何も分からんわ!」

 

ネギの拳が、小太郎の拳がお互いに飛び交う。それを二人は防御もろくにせず行い、ノーガードで殴っては殴られを繰り返していく。

 

「姉ちゃんはな! お前を信じてたんやぞ! お前をいっちゃん頼れる人だって、大好きな人やって言うとったんや!」

 

「知らないよそんなの! 期待されることがどれだけ辛いか、君に分かるもんか! 先生になって僕より年上の人を守らなきゃいけないことが、その責任がのしかかってくることの重さが!」

 

「ハッ、そんな義務感じみたもんならはじめっから姉ちゃんらも願い下げやろな! 結局お前が仕方なくやってるだけやないか!」

 

「ああそうだよ! 僕はエゴの塊だ! 僕の事情のためにみんなを利用してるようなものだ! 罪悪感でいっぱいなんだよ! もう嫌なんだ、そんな僕に期待するような目を向けられるのが!」

 

先生という責務、知る人もいない異国にいる孤独、裏切られることの辛さ、信用できる人の少なさ。10歳の子供が体験するには余りにも酷な環境だ。それを、彼は自身の大人びた雰囲気でなんとかひた隠しにして頼れる人物像を築いてきた。

 

だが、所詮はそんな鍍金(メッキ)では剥がれ落ちるのも時間の問題であった。今朝の魔力暴走もその一端であったが、のどかによって抑えこむことができた。それが、鈴音との戦いで完全に溢れだしてしまった。もう、自分を偽ることもできなくなって怖くなった。

 

失望から白い目で見られることが恐ろしくなった。

 

「僕が見せていたのは僕じゃない、そんな僕の本性をみんなが知れば嫌いになるのは当然だ! みんなを騙してきたんだから!」

 

「それが、アホや言うとるんやッ!」

 

強烈な右フックを浴び、ネギは錐揉みしながら床を転がっていく。ネギは頬を抑えながら、顔だけを上げてキッと小太郎を睨みつけた。

 

「お前は、結局自分のことばっかで他のヤツのことを見てないやないか! お前、まさか自分のことを分かってない奴がいないと本気で思っとるんか!」

 

「そんなの……」

 

「いないなんて言わせへんで! 俺を昼に負かした時、お前は仲間と一緒に俺を倒した! あん時、お前は確かに信頼して戦ってたはずや!」

 

「それ、は……」

 

「眼鏡の姉ちゃんがいて、神鳴流剣士の姉ちゃんがいて、忍者の姉ちゃんがいて……。そんで読心師の姉ちゃんがいたやろッ!」

 

ネギは、先ほどの小太郎が話していたことを思い出す。いくら意気消沈していたとはいえ、彼の耳にはしっかりと届いていたのだ。もっとも、そのせいで変に期待をかけられていると思ったネギは更に塞ぎこんでいたのだが。

 

「読心師の姉ちゃんはな! 最後までお前を信じてたんや! 本当のお前を知ってて、それでも最後までお前のことを話してたんやで!?」

 

「のどかさん、が……僕を……」

 

『せんせー、大好きです……!』

 

思い出すのは、彼女の純粋な好意と柔らかな唇の感触。非力な一般人でありながら、こんな情けない自分のために戦う覚悟をしてくれた。こんな最低な自分を、好きだと言ってくれた。

 

「なぁ、頼む……もう一度立ち上がってくれ……でなきゃ俺が惨めでしゃあないんや……」

 

見れば、小太郎は涙を流していた。彼にとってネギは、自分を負かした男であり、己が唯一認めた好敵手であり。そして自分が持っていないものを持っている男だ。千雨のような頼れる仲間も、のどかのような信頼できる者もいない。

 

「俺が負けたお前がそんなんじゃ……俺は何なんや……!」

 

「小太郎くん……」

 

「自分勝手やって、仲間も何もいない俺は何なんや一体……!」

 

ネギと小太郎は、本質的にどこか似ていた。どちらも自分本位な考え方で、自分勝手なところがあって、しかし真逆であった。ネギには仲間が、小太郎には孤独があった。

 

「俺はな、逃げたんや……、あの化け物が怖くて逃げた……格上の俺に向かってきたお前と違って、俺は戦いもせず逃げた……!」

 

ボロボロと、小太郎は涙を流し続ける。視界がぼやけ、焦点が合わなくなっていく。惨めで、情けなくて、どうしようもなくて。戦いだけが生き甲斐だった自分が、戦いから初めて逃げた。その事実が彼の胸を容赦なく突いてくる。今にも、張り裂けそうな有り様だった。

 

「頼む、頼む……! 俺じゃあいつらには敵わへん……! 情けないやつやと思うやろけど、俺には無理なんや……!」

 

「でも、なんで僕に……」

 

「約束したからや……読心師の姉ちゃんに……!」

 

何もかも、戦いさえも放棄した小太郎だが、のどかとの約束だけは守り通したかった。自分では彼女を助けることはできない。だがネギならと、彼女が最も信頼していた男なら何とかしてくれると思ったから。

 

(何を、何をやっていたんだ僕は……!)

 

そんな小太郎の姿を見て、ネギの内にごく小さな、しかし確かな火が灯る。それは段々と勢いを強め、荒れ狂う(ほむら)となって燃え広がっていく。

 

「小太郎くん、僕……行くよ」

 

「……! ホンマか……? ホンマに……!?」

 

「これ以上、皆に情けない姿なんか見せられないし……何より、このかさんとのどかさんをこれ以上待たせる訳にはいかないから……!」

 

死への恐怖は未だある。歯の根が合わず、膝は震え、目眩すら起きそうな最悪の気分。それでも、ネギは立ち上がる。自分を支えてくれる人がいることを思えば、こんなもの屁でもないと空元気を出す。

 

「先生……」

 

「ネギ坊主……」

 

一部始終を見守っていた二人の方を見る。思えば、彼女らも随分と待たせてしまったと思う。

 

「お待たせしてしまい、申し訳ありません。楓さん、刹那さん」

 

「いえ、先生の調子が戻られたようで、私としては喜ばしい限りです」

 

「うむ。これで、あとは千雨殿だけでござるな」

 

「私がどうしたって?」

 

聞こえるはずの声にぎょっとした一同は、思わずそちらへと視線を移す。そこにいたのは。

 

「ち、千雨さん!?」

 

「おう、私だ」

 

先ほどまで身を縮こまらせていたはずの、長谷川千雨の姿があった。

 

 

 

 

 

『なぁ、お前はそれでいいのか?』

 

「…………」

 

『先生はもう立ち上がる覚悟をしたぞ?』

 

「……分かってるさ」

 

実は、千雨も先ほどの二人のやりとりを見ていたのだ。ネギが、自分を信頼できる仲間だと思って復活したことは嬉しい。だが、やはり千雨には再び立ち上がる勇気が湧いてこなかった。

 

「私は……どうしようもなく非力だ。先生ならできるかもしれないけど、私がいちゃ邪魔になる……」

 

『はっきりと言えよ、怖いんだろう? 鈴音さんが怖いって』

 

それらしい建前を述べても、氷雨は容赦なく事実を突き立ててくる。それが嫌になるほど正しいことに、千雨は自嘲の笑みを浮かべる。

 

「ああ、そうさ……私はな、もう嫌になったんだ……自分ごときが、あんな恐ろしい化け物に立ち向かえるはずがない、それを思い知らされてちまった……」

 

『……お前はそれでいいのか?』

 

「……何言ってんだ、お前にとっては好都合だろ? お前を倒した憎たらしい私が、こんな醜態を晒してるんだぞ?」

 

『フン、それは違うな。私にとって最も喜ばしいのは、自分の手でお前たちに苦悶の表情を浮かべさせることだからだ』

 

「そうかよ……」

 

心底どうでもいい、最早自分には関係のないことだ。そんな雰囲気が感じ取れた氷雨は、面白くなさそうであった。

 

『つまらん、欠伸が出そうなほどにつまらんな。お前がそんなところで止まっては困る』

 

「何を言おうが、もう私には関係ない話だ。もう、放っといてくれよ……」

 

『自棄にでもなったか? だがな、お前はもう舞台に上がったんだ。降りることは私が許さん。少なくとも、私がお前たちを殺すその時までは、な』

 

「勝手に決めるな、私はもうおり……」

 

『なら、お前にはもう平凡な人生も平和な時間も訪れはしないな』

 

氷雨の言葉に、千雨は僅かに顔を歪ませる。どうせハッタリだと思っているが、しかし何か胸騒ぎを覚えるものだった。

 

『お前、まさか私が弱ってるお前を狙わないとでも思ってたのか? とんだ馬鹿だな、笑いが止まらんぞ。言ったはずだ、今の状態は貴様の強靭な精神力によって成り立っていると。だが、心が弱れば精神も弱化する。そうなれば……』

 

後は分かるな? そう言っているような雰囲気に、千雨は薄ら寒いものを感じていた。もし、こいつに体を奪われればその後はこいつに好き放題される。クラスメイトをなんとも思わずに利用する奴だ、確実にそうなるだろうと。

 

「てめぇ……」

 

『ん? いっちょまえに怒ったか? 既にお前は降りるといったんだ、ならば邪魔な役者は早々に退場してもらうに限る。ダラダラと残り続ける大根役者など、喜劇にもならん。せいぜい私が有効活用してやるよ、先生を殺すためにな』

 

その言葉で、千雨は肌が泡立ち全身が冷えていくような錯覚を覚えた。いや、実際今の自分は真っ青な顔になっているだろう。

 

(先生が、死ぬ……? 私の、せいで……?)

 

思えば、孤独な人生を歩んできた自分がこうも賑やかな輪の中にいるのは、偏にネギとの出会いがあったからこそ。そうでなければ、今も自分は本来の自分を曝け出せる友も、信頼できる相手もいなかっただろう。

 

それを失うことを想像してしまい、千雨はとても怖くなった。あんな生き方に逆戻りしてしまっては、今度こそ自分は孤独に負けて怪物となってしまうだろう。そうなれば、最早鈴音らとともに生きていくしかない。それはとても甘美で、温もりを感じるだろう。しかし、千雨には耐えられない。

 

ネギとともに、正しさの中で生きる喜びを知ってしまったから。

 

「させるかよ……」

 

『ほぅ?』

 

「お前なんかに、好き勝手させてたまるかよ……ようやく見つけた、私の居場所をッ!」

 

『なら、どうするというのだ?』

 

なおも、挑発的な言葉を投げてくる氷雨に、千雨は悠然と言い放つ。

 

「てめぇら全員ぶっ飛ばして、私の平穏を手に入れてみせる」

 

『さて、できるかな? 非力な一般人でしかない君に』

 

「できるさ……私には先生が、共に戦える仲間がいる。ああ分かってたさ、もう私は一般人なんかじゃ無いってことを……!」

 

彼女が頑なに認めたくなかった、一般人であるという自負。それは、自分がかつてあった平穏の中へと帰ることができるかもしれないという淡い期待から。舞台を降りるといったのも、自分が非日常へと完全に逸脱することで、今の自分とは違う何かになってしまうのではないかという恐怖からであった。かつて、孤独の中で自分が人間ではない何かに思えてしまったあの恐怖のせいで。

 

「もう、私は躊躇わない。私もやるしかないんだ」

 

『……フン、ようやく元の調子に戻ったか』

 

千雨が調子を取り戻したことで、氷雨もいつもの皮肉めいた雰囲気へと戻る。

 

「お前、もしかして……」

 

『勘違いするな、私が殺す前にヘタれられるのは納得がいかなかっただけだ。それに、お前らはあの人達が探す英雄の候補だからな』

 

「……プッ」

 

『っ! 何がおかしい!?』

 

氷雨の言葉に、千雨は思わず吹き出してしまう。さすがにわけも分からずいきなり笑われるとは思わず、氷雨は思わず声を荒げる。

 

「いやまさか、現実でこんなテンプレ染みたツンデレが見れるなんてな! 誰得だよ!」

 

『ええい黙れ! 私の体があれば今すぐにでもその口を塞いでやるものを……!』

 

「ま、ありがとうよ。ようやく私も自分の大事なことがわかってきたし」

 

『……クキキッ、礼などいらんさ。いずれ、戻ったことを後悔させてやるんだからなぁ』

 

「ああ、楽しみにしといてやるよ」

 

 

 

 

 

「ってな具合だ」

 

「そ、そうだったんですか……」

 

小太郎とネギのやり取りのせいで、千雨のことなどすっかり頭から抜けていた一同は、まさかそんなことになっていたとは思わず驚き顔だ。

 

「つーわけで……これからまた頼むぜ、先生」

 

「はい! よろしくお願いしますね、千雨さん!」

 

互いにしっかりと手を握り合う。そこには、目には見えないが確かな信頼があった。

 

「あんたらもだ、桜咲に長瀬」

 

「僕達に、力を貸してください!」

 

二人に対して差し出された二本の手を、刹那と楓は笑みを浮かべて握り返す。

 

「勿論です!」

 

「無論、でござるよ」

 

「オレっちもやるっすよ!」

 

「ああ、少しだけなら期待してるぜ?」

 

「酷いっすよ姐さん!」

 

千雨の憎まれ口に、一同から笑いが起こる。ようやく、元の状態へと収まったことがアルベールは嬉しくて仕方がなかった。

 

「それから……」

 

ネギは、最後に少年の方へと歩み寄り。

 

「僕達に手を貸してくれないかな、小太郎くん」

 

「な……え……お、俺か?」

 

困惑気味の小太郎に、ネギは手を差し出す。

 

「君は、のどかさんのためにここまできてくれた。僕は、そんな君と一緒に戦いたい」

 

「ほ、ホンマに……? ホンマに俺と?」

 

ネギは無言で首肯する。知らず、小太郎は泣いていた。手を差し伸ばせば、掴み取れる。手に入らないと思っていたものが、共に戦える仲間が。

 

「勿論や……よろしゅうな!」

 

狂った歯車は、しかし再び噛み合って動き始める。更なる動力を得て、力強く。



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第四十三話 鬼神事変④

気力を取り戻したネギは、すぐにでも救出に向かいたい衝動を抑えつつも、これからどう動くべきかを話し合うことに決める。

 

「現状、我々にとって最大の脅威はやはり……」

 

「姉さん、ですね……」

 

間違いなく、今回の戦いで最強の敵といえる。いや、そもそも戦いにすらないらないであろう相手というなら、それはもう敵ではなく災害に等しい。人が巨大過ぎる災害に対して無力なのと同義なのだ。

 

「魔法が通じないうえに、体術面で僕達が敵う相手ではない……」

 

「かーっ、そこまでどうしようもない相手やったんか」

 

「最善手は、やはり彼女と戦わないことでござるな」

 

敵わない相手なら、そもそも相手にする必要はない。今回の作戦でもっとも重要なのはこのかの奪還だ。鈴音やあの少年を倒すことではない。現状、こちらは人数で勝っている。それを最大限に活かしていくべきだろう。

 

「ふた手に別れるべきか。片方が奴らを抑え、もう一方が近衛を奪還する」

 

「しかし、ただ抑えようとするにはこちらも相応の血を流すことになりますが」

 

千雨が手勢を分けて事に当たるべきというが、ただ分けただけでは苦戦は免れないと進言する。正面から当たれば、間違いなく瞬殺されるのが落ちだ。

 

「ですが、こちらが持っている情報アドバンテージを鑑みても、分かれて行動するというのは有効に生かせると思います」

 

そう、のどかによってもたらされたフェイトが持っていた情報。これがこちらの切り札だ。内容によれば、向こうはあるものを復活させるために事にあたっているらしい。そして、それを復活させるためには千草の協力が必要なのだとも書かれていた。

 

「リョウメンスクナノカミ……まさかこんな大物を復活させようと画策していたとは……」

 

刹那が神妙な面持ちでポツリと零す。師である詠春から、この怪物のことは聞いていた。何年も前に封が破られ復活し、詠春とその仲間によって再び封じられたという。そして封じられてなお、現在も気脈の流れを乱しているのだと。

 

「そのために、近衛のでかい魔力が必要だった、か」

 

「巫山戯た話でござる、災厄を齎すためにいたいけな乙女を、それもつい先程まで魔法の存在さえ知らなかった者を利用しようなどと画策するとは」

 

裏にもある程度精通している楓は、裏にもルールというものが存在することを知っている。堅気にむやみに手を出すような輩は、それこそ爪弾きにされる。それは裏に生きる者の信用とメンツ、あるいは矜持を汚すような行為だからだ。それを平然と行う彼らに、楓は憤りを感じていた。

 

「……こうしてる間にも向こうの作戦は着々と進んでる。悩んでる時間はねぇぞ」

 

「……ですね。現状で言えば、やはりこれが最善手と考えるほかないでしょう」

 

不測の事態に備えるのは大切なことだ。しかし、それが意図せぬ時にやってくるからこそ不測なのだ。満足とはいえない準備であっても、それを受け入れ立ち向かうほかないのである。その場その場においての必要な手札が何かを考え、どう切るかを考えるのもまた、戦いの醍醐味といえよう。

 

「では、作戦を実行するにあたって、それぞれのチームメンバーを決めようと思います」

 

「チーム分けは、それぞれの役割に合わせて行うことにするぞ」

 

着々と、このかの救出に向けて準備を進めていくのであった。

 

 

 

 

 

時間は少し巻き戻る。小太郎がのどかを連れて命からがら逃げ切った直後のこと。

 

「ようやく会えたな……私の怨敵」

 

「……見違えたな、復讐者」

 

一方は憎悪の言葉を吐き、一方は賞賛の言葉を返す。互いに互いを意識し合い、その瞳には相手のみが写り込んでいる。

 

「……よくぞ、そこまで練り上げた」

 

「貴様らを葬り去る、その一心のためなら、耐え難き苦痛も泥の味も瑣末なことだったよ」

 

「……憎悪と怒りがお前を鍛えたか……」

 

普段の飄々とした態度など、どこにも感じられない真名の鬼気迫る裂帛の殺気は、鋭く鈴音へと向けられている。だが、それにもかかわらず当の鈴音はそんなものはどこ吹く風といった雰囲気だ。

 

(……近衛詠春程ではないが、今の僕ではまだ厳しい相手か……)

 

傍からそれを見ているフェイトは、冷静に彼我の戦力差を分析する。彼の所属する組織は、怪物蔓延る魔窟そのもの。故に自他の実力も測れないような無能では生き残れない。現在、彼は幹部候補まで上り詰めてはいるが、決してそれに驕りはしない。その程度では、いくら地位があってもあっという間に転落するのが落ちだと知っているから。

 

(改めて、幹部の方々がどれほど異常なのかが分かるな……)

 

冷や汗を流しながら、一人心のなかでそうごちる。彼がよく知る幹部メンバーは、目の前の自分でも引き分けにできるかさえわからない相手と比較してなお、上をいくだろう。それに輪をかけて凶悪な大幹部など、最早次元が違いすぎる。

 

そんな大幹部の一人である鈴音を相手にして、なお戦意を高揚させている真名を、フェイトは素直に評価している。自分であれば、果たして逃げ出すまでに何秒もつか。いや、ひょっとすれば足が竦んで動くことすらままならないかもしれない。それほどまでに、フェイトにとって鈴音は畏怖の対象なのだ。

 

「……フェイト。……これからの戦い、しかと目に刻みつけておけ」

 

「は……了解しました」

 

恐らく、彼女は自分の戦いを参考にしろと言っているのだろう。なにせ、世界最高峰の剣士の戦いだ。得るものも多いことだろう。フェイトは剣術は用いないが、体術面でも鈴音はトップクラスのものがある。最も、さすがに無手での格闘は近衛詠春を足止めしているであろうもう一人の大幹部に譲るだろうが。そんな彼女が相手では、あっという間に決着が着いてしまうであろうことをフェイトは予測していた。

 

だが、彼は鈴音の言葉の真意を履き違えていたことをすぐに思い知ることとなった。

 

「……先手は譲ろう」

 

「余裕のつもりか? 額に風穴が空いても文句をいうなよ」

 

鈴音の挑発じみた言葉に、軽口で返すと同時。

 

ダァン!

 

流れるような動作で、いつの間にか手に握っていた拳銃で鈴音へと銃弾を放った。しかし。

 

リィン

 

澄んだ鈴の音が響き渡る。同時に、彼女へ直進していたはずの弾丸が勢いを急速に失い、地面へと落下する。みれば、弾丸は滑らかな断面を晒し、真っ二つに切断されていることを暗に告げていた。

 

「え……?」

 

その一連の動きを見ていたフェイトは、思わずそんな声を漏らす。余りにも自然に放たれ、ただ目で追うだけしかなかった銃弾。そして、それを一連の所作を一切感じさせることなく、まるで鞘の内にて斬撃を放ったかの如き速さで弾丸を斬り捨てた見えざる刃。

 

「……児戯では私には勝てんぞ」

 

「試しただけさ、そっちが鈍っていないかとな」

 

少しだけ、眉根を寄せてそう言った鈴音に対し、はぐらかすかのような態度で返す真名。どちらも、まだそれ程に余裕があるということをひしひしと感じさせる光景であった。

 

(見誤っていた……龍宮真名は幹部に劣るレベルではない……間違いなく同等かそれ以上の実力者だ……!)

 

考えてみれば、相手は気を逸らしていたとはいえ鈴音を騙すレベルの隠形で弾丸を撃ち込んだ。そんな人物が、幹部に劣る程度であろうはずがないことは、分かりきっていたことではないか。フェイトは冷静に分析をしたつもりでいた己を恥じ、そして彼女の真意をようやく理解した。

 

(そうか……この戦いは間違いなく最上級クラスの戦い……ということか)

 

片一方のレベルが高くとも、相対する存在がそれについていけなければ戦いは成り立たない。そういうものは蹂躙といったほうが正しいだろう。だが、相手がそれに喰らいつける実力を有する場合、まさに極上の戦いとなる。

 

鈴音が戦いと形容してフェイトに言ったのは、龍宮真名が自分に追いすがれる実力を有していることを瞬時に見抜き、フェイトにこの戦いを通じて上位者の戦いを学ばせようとしていたからなのだ。

 

(……遠い)

 

余りにも、遠い。フェイトはそう感じていた。組織で研鑽を積む日々、一日とて妥協したことはないし、己の力に驕ったこともない。だが、それでも届かぬ境地というものが、確かに目の前に存在しているのだ。

 

(……だが、いずれ……!)

 

それでもなお、彼の向上心は萎んだりなどしない。むしろ、届かぬからこそ面白いとさえ思っていた。若き悪党は、さらなる高みを望む。それが、どれだけ果てしなくあろうとも。

 

 

 

 

 

銃を構える。トリッガーを引き、装填された弾丸を吐き出していく。それにしても驚くべきは、その速射能力。銃自体に何らかの特殊な改造が施されているのか、弾丸をまるでマシンガンのように射出していくその驚異的なスピード。そしてそれを実現する速射技術。双方が揃って初めてこれらが実現されている。

 

その恐ろしさは、まさに同時に数発が放たれたかのように錯覚する弾丸の猛進にある。マシンガンの如き連射と、それを精密に対象へと放つ技術力でまさしく弾幕を張っているのだ。音速を超えるスピードで肉体をえぐり食らう凶器が、面で攻め寄せてくることのなんと恐ろしいことか。

 

だが、それさえも彼女の前では通用しない。

 

「……村雨流、『五月雨』」

 

横殴りの刺突の雨が、弾幕へと襲いかかる。それらは寸分の狂いもなく弾丸へと到達し、衝突と同時にはじけ飛ぶ。なんてことはない、弾丸を連続の突きで弾いて飛ばしたのだ。

 

しかし、言うは易く行うは難し。実際にそんな超超高度な大道芸をこんな極限状態で行えば待っているのは普通は死だけだ。それを難なく行う鈴音の恐ろしさといったらない。

 

弾丸すべてを瞬時に刺突で払い落とすなど、最早人間業ではない。鬼と成り、果てまできてしまったものの末路こそ今の彼女だ。体は人間でも、魂はまさに鬼。人間としての限界さえ置き忘れてしまった。

 

弾丸と刃の衝突と同時、凄まじい金属音とともに火花が飛び散る。それも弾幕レベルで打ち込まれた弾丸を全て鋼の刃で弾いたため、尋常ではない量の光が視界を覆った。真名はその隙を突いて一気に鈴音へと肉薄し、腹部めがけて蹴りを放つ。

 

「ちっ!」

 

「……甘い」

 

だが、視界を奪われてなお感覚で彼女の蹴りを感知した鈴音は左の手でその蹴りを掴んでいた。足を掴まれ不安定になった彼女に、鈴音は容赦なく返す刃で袈裟斬りを放つ。真名は左手に握っていた銃から迫り来る弾丸へと弾丸を数発打ち込み、それらは正確に刃に沿って整列した形で激突する。

 

真名を斬ろうとしていたため、弾丸に対して刃筋を立てることができず刃は数瞬その動きを狂わされる。その僅かな猶予を利用して真名は鈴音の左手のひらを足場代わりにして必殺の間合いから離脱する。

 

「……逃げたつもりか」

 

だが、彼女の間合いは剣士のそれとしては圧倒的なまでに広い。それは偏に、彼女の流派である村雨流の『朧瞬動』が理由だ。あまりの速さで朧月夜の如く影を残し、月が出ると闇夜に掻き消えるようにその姿を晦ます。今度は、彼女が真名へと肉薄した。

 

「近づいてきてくれて感謝するよ」

 

真名は、向かってきた鈴音へと自ら突貫した。横薙ぎの一線を背を屈めながら躱し、そのまま一気に彼女の懐へと潜り込む。剣士にとって、超接近のインファイトは最悪の間合いだ。ゼロ距離故に剣を目前の敵へと振るうことができない。真名はそのまま銃口を彼女の額へと照準を合わせるが、鈴音はそれを膝蹴りによって跳ね上げる。結果、銃弾は数瞬遅れて上空へと飛び去った。

 

鈴音は更に彼女の襟首を掴み上げると、そのまま背負投げのようにして投げ飛ばした。対する真名もそれに慌てることもなく、空中で姿勢を変えると振り向きざまに弾丸を見舞う。

 

無論、鈴音にはその程度は通じず弾き落とされる。今の弾丸は、わざと弾かせて動きに制限をかけ、着地を狙われないようにしたものだった。結果、彼女の地面への帰還は安全に実行されたのである。

 

(……すごい)

 

肉体のごとく刃を操る鈴音も、それについていける技量を発揮した真名も。特に真名は、敵ながらその格闘技術と拳銃操作技術を高いレベルで融合させている。その戦闘技法にフェイトも思わず目を見張ったほどだ。

 

(拳銃で、鈴音さん相手にあそこまで戦えるとは……)

 

銃は剣と違って誰でも扱えて殺傷能力が高い代わりに、それを操る技術面では未熟な武器だ。剣よりも歴史が浅いのもその一因である。故に、ある一定以上のレベルまでいくと、拳銃は剣に封殺されてしまう。

 

だからこそ、そんな銃でここまでの戦いを繰り広げる真名は並みのガンナーではないことが分かる。一体、どれほどの研鑽を積めばこの領域へとたどり着けるというのか。

 

「……流石だ」

 

「ちっ、脳天をぶち抜いてやるつもりだったんだがな」

 

鈴音の賞賛の言葉も、真名にとっては鬱陶しいだけだ。なにせ、相手は彼女が己の全てを賭けて殺すと誓った仇敵。そこに情も、敬意も挟む余地などない。

 

鈴音はちらりと千草の方を見やると。

 

「……天ヶ崎千草。……近衛木乃香を連れて先にいけ」

 

今まで黙して状況を見守っていた千草は、いきなりのことに暫し呆然としていたがすぐに意識を戻すと、鈴音へと問い返す。

 

「あ、あんたはどうするんや……?」

 

「……私はこいつの相手をする。フェイトを連れて先にいけ」

 

千草からの質問に、あっさりとそう答える鈴音。そして予想していた返答と、予想外の

追加の言葉に千草は驚愕した。

 

「ちょ、うちはどないやって身を守れ言うんや! フェイトはんが強いとはいえ、うちは戦闘は門外漢ですえ!?」

 

彼女は優秀な善鬼・護鬼を有している上位の陰陽師ではあるが、彼女自身にはそこまで戦闘能力はない。だからこそ月詠のような神鳴流剣士や、小太郎のような戦闘専門の仲間を連れていたのだ。

 

だが、今この場には鈴音とフェイトしかいない。月詠は詠春の足止めをしているし、小太郎は何故かわからないがこちらを裏切った。それでも実力十分なこの二人と共に行動すれば安全だと考えていた彼女は非常に面食らった。

 

いくらフェイトが強いとはいえ、関西呪術協会本部の異変に気づいた者が大挙すれば、さすがに厳しくなるだろう。京都の守護に出払っているだけで、上級陰陽師や神鳴流剣士などの実力者はまだ少なからず残っているのだ。だからこそ、慎重に動いていたというのもある。

 

「……月詠から先ほど連絡があった。間もなく転移魔法符を用いてこちらに着く」

 

「つ、月詠が? ってちょい待ち、月詠がおらへんなら長の抑えは誰がやるんや!?」

 

月詠がこちらに来てくれることに安堵を覚えると同時に、抑えを担っていた月詠の離脱後、詠春をどうするのかという不安が鎌首をもたげる。が、それは杞憂で終わった。

 

「……私のもう一人の仲間と交代でこちらに来る、だから大丈夫」

 

「だ、大丈夫て……」

 

「……もう一人の抑えは、私が最も信頼している人物。……実力も、私と互角」

 

「ご、互角ぅ!?」

 

まさか彼女のような怪物級の存在がもう一人いたと露も思わず、驚愕の声を上げる。だが、それはつまり詠春を抑えておくには最適な人材であるとも思い至り、一応の納得とした。

 

「ほんなら、うちは一足先に祭壇に向かいますえ!」

 

そう言うと、彼女は猿鬼を呼び出して木乃香を抱えさせ、自身は猿鬼の肩に乗った。そしてそのまま走り去ろうとしたが。

 

「逃すと思うか?」

 

彼女が背を向けた途端に銃声が鳴り響いた。それも一発ではなく数発も。思わず千草は顔を後ろへと向けるが、その目に映ったのは大きく映った鈍い光を放つ幾つもの礫。万事休すかと思ったその時。

 

「……邪魔をするな」

 

一瞬の内に視界が暗く覆われる。余りにも刹那の出来事に固まってしまったが、よく見れば先ほどまで別の場所に立っていたはずの、鈴音の艶やかな紫の着物がそこにあった。そして、足元には先ほど迫っていたのであろう弾丸が細切れになって落ちていた。

 

「……私は彼女を抑えておく、早く行け」

 

「お、おおきに!」

 

猿鬼に全力疾走するよう指示し、森の奥へと消えていく千草。そんな彼女を、これ以上追撃しようともせず真名は鈴音をただ見据える。

 

「……この先には行かせない」

 

「構わんさ、私にとっては貴様を殺すことが最重要だ」

 

闇夜の狂宴は、未だその終わりを見せない。

 

 

 

 

 

「ふむ、ここまで一切の妨害がないとは……」

 

「妙だな……」

 

作戦会議を終え、木乃香の救出作戦に乗り出した一行は、犬上小太郎の先導のもと、暗闇の森のなかを疾走していたが、相手からの妨害行為が一切ないことに不気味さを覚えていた。

 

「私達相手じゃ妨害も必要ないって舐められてるのか?」

 

楓の背に負ぶさりながら、千雨はそんな意見を述べる。彼女は身体能力は一般人以下なので、彼女らについていくにはこの方法しかないのである。最初は負ぶさることを酷くためらったが、時間がないこともあり、楓が強引に背負って走り始めてしまったため、最早諦めてしまっている。

 

「或いは、本部が既に壊滅状態である今、私達が追ってくる事自体想定していないのやもしれません」

 

千雨の意見に、刹那がそんな風に返す。最大戦力である長の消失、そして壊滅した関西呪術協会。こんな状況で、一般人ではないとはいえまだ中学生でしかない彼女らが、木乃香を取り返そうなんて意気込んでくるとは考えないだろうと。

 

「いえ、それはありえません。僕と千雨さんは奴らから英雄候補と目されてる身です」

 

「その程度で諦めるんなら、さっき対峙した時に殺されてるだろうよ」

 

だが、それはありえないと千雨とネギが言う。彼女らの存在がそれを否定する材料だからだ。自らの利のために、平気で他人を振り回すような輩がその程度を想定しないはずがない。

 

「……恐らく、僕達は試されているんだと思います」

 

「試されている?」

 

「この状況を私らの試金石にしてるんだろうよ、ふざけやがって……」

 

曰く、木乃香を誘拐した事自体には、リョウメンスクナ復活という意味もあるのだろうが、同時に彼女を奪還するためにどれだけ動けるのかも見ているのではないか、というのが千雨の予測だった。

 

「では、我々は奴らの遊びに付き合わされているのでござるか」

 

「恐らくは」

 

なんとも巫山戯た話である。こちらは大事なクラスメイト、特に刹那にとっては大切な親友を誘拐されるという一大事だというのに、向こうにとってはそれも片手間に行う遊戯かもしれないというのだ。

 

「姉さん……」

 

その予測が、刹那の胸に突き刺さる。彼女にとっては、暗い闇から自分を掬い上げてくれた敬愛する家族だった人物だ。そんな人が、親友を遊び半分で攫ったかもしれないという。彼女からしてみれば、これほど複雑なこともないだろう。

 

「……む」

 

「どうしやした、楓の姐さん?」

 

突如歩を止めた楓に、アルベールが尋ねる。訝しげなその表情は、何かが引っかかっているといった風だ。

 

「……この先に、何やら人の気配がするでござるな」

 

「奴らか?」

 

「や、そこまではなんとも……ただ、対象は二人ほどのように見えるでござる」

 

「さすがだな、楓。私でも意識しなければ分からなかったぞ」

 

「俺の鼻でも匂いが分からんかったわ。多分、俺に嗅ぎ分けられんよう対策しとるな……」

 

楓の鋭敏な索敵能力が、数十メートル先の何者かの気配を察知したらしい。相手はどうも隠形を用いていたため刹那でも殆ど感知できなかったようだが、楓には通用しない。

 

「罠かもしれん……」

 

「でも、僕達には余り猶予がありません。行くしかないでしょう」

 

たとえ罠であっても、ここで躊躇っている時間はない。意を決して、一行は気配のあった場所へと直行した。そこにいたのは。

 

「んな!?」

 

「…………」

 

「天ヶ崎千草っ!」

 

「もう一人は確か、フェイトでござったか?」

 

鈴音と別れ、祭壇へと向かう途中であった千草とフェイトであった。

 

「っ、お嬢様!」

 

みれば、猿の善鬼が抱えているのは、救出対象である木乃香であった。そして、今まで気絶したままであった木乃香が、刹那の呼びかけによって突如目を覚ます。

 

「ん……?」

 

「ちいっ、目を覚ましてもうたか!」

 

「んうっ!?」

 

だが、口元に貼られている呪符のせいで声を上げることさえできない。じたばたと暴れようとするが、手足も札で縛られており、猿鬼にガッチリと掴まれているため抜け出せそうもない。

 

「天ヶ崎千草、お嬢様を返してもらうぞ!」

 

「数の利はこちらにあるでござる。いかにそちらの少年が強者であろうと、取り返すのに苦はないでござるよ」

 

「ハン、大人しくハイそうですかと返すわけないやろ! オンキリキリヴァジャラウーンハッタ!」

 

そう言うと、千草は呪文を唱えだす。すると、木乃香の体が淡く発光し始め、悩ましげに体を強ばらせて身悶えする。そして、川面や地面のあちこちからも光が溢れ出す。

 

「んんー!?」

 

「お嬢様! 貴様、何をする気だ!?」

 

「お嬢様のお力の一端を、お借りするだけですえ。それ、いでよ!」

 

呪文を唱え終わると同時に、あちらこちらから異形の存在が顕現する。それらは鬼と呼ばれる存在や、烏族、あるいは中・上位の妖怪であった。

 

「あいつらの相手をしいや」

 

「あいよ」

 

最も強大な覇気をもつ鬼へネギ達の相手をするように命令し、鬼は短く応える。

 

「せいぜい指くわえてよし」

 

そう言って、猿鬼と共に逃げ去っていく。

 

「くっ、待て!」

 

「おおっと! あんたらの相手は俺達や!」

 

追いかけようとする刹那であったが、鬼の一人が手に持った棍棒を振り下ろして叩きつける。咄嗟に刹那は後ろに飛んでかわすが、既に千草の姿はなかった。

 

「……立ち直ったか」

 

「……?」

 

一方、ネギは先ほどからこちらを見つめているフェイトと目を合わせたままであった。その鋭い瞳には、何が宿っているのかもわからない不気味さがあると同時に、何かを感じさせるものがあった。

 

やがて、フェイトは視線を切ると千草の向かっていった方向へと走り去っていった。

 

「さて、どうすっかねぇ……」

 

冷や汗を流しながら、千雨はこの状況を打開する方法を模索していた。だが、数は圧倒的にこちらが不利。おまけに、何匹かはかなりやる奴がいそうだ。

 

「ぬう、久方ぶりに呼び出されたっちゅうに、相手はこんなかいらしいおなごかいな」

 

「ま、命令されたんやししゃあないわ。嬢ちゃんら、恨むんなら恨んで構わんで」

 

そう言って、ネギ達へと手を伸ばそうとしたその時。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル、逆巻け春の嵐、我らに加護を!」

 

「ぬうっ!?」

 

ネギが呪文を唱えだす。思わず、鬼は何かされるのではと思い手を引っ込めてしまう。

 

「『風花旋風 風障壁』!」

 

だが、それこそがネギにとって思う壺であった。魔法が完成すると同時、彼らを中心に巨大な竜巻が地面から立ち上ったのだ。

 

「しまったぁ!?」

 

竜巻は凄まじい勢いでうねっている。これでは、手出しをすることもできない。

 

「落ち着け、どうせこんなでかい竜巻、そう長くはもたんて」

 

だが、鬼の大将格は冷静にそう分析して鬼をなだめる。一方、渦の中心ではネギ達が作戦について話し合っていた。

 

「ネギ坊主、この竜巻は後どれぐらいもつでござるか?」

 

「残念ながらもって数分です。ですが、その間に作戦の変更について話し合うぐらいはできるはずです」

 

当初の予定では、刹那と楓によって鈴音を、小太郎でフェイトを抑えこむ予定だった。そして隙を見てネギが木乃香を奪還するつもりだったが、大幅に当てが外れてしまった。

 

だが、悪いことばかりではない。何故かは分からないが、明山寺鈴音は一緒に行動していなかった。待ち構えている可能性はゼロではないが、千草やフェイトの様子からこれからリョウメンスクナのところへ向かうつもりであろうことは分かった。ならば、鈴音は何らかの理由で別行動をしている可能性が高い。

 

「問題は、ここをどう抜けるかだが……」

 

「なら、俺が引き受けたる」

 

「小太郎君! でも、いくら君でもこの数は……」

 

「ならば拙者も残ろう。何、刹那と先生、それに千雨殿がいれば奪還は十分可能なはず」

 

「決まりだな、あまり時間をかけてるわけにもいかねぇ」

 

短いながら、なんとか作戦会議を終える。竜巻もあと少しで解けてしまうだろう。

 

「魔法が消えたと同時に、僕が『雷の暴風』を叩き込みます。その隙に、脱出しましょう」

 

「ネギ、しっかりお嬢様を助けてこいよ。んで、無事に戻ってきてくれ。そうでないと俺は読心師の姉ちゃんに顔向けできひん」

 

「うん、分かった!」

 

上空から、徐々に竜巻が解けて消えていく。それに合わせ、ネギは呪文を詠唱していく。

 

「タイミングをあわせて行くぜ。1、2……」

 

「おっ、ようやく見え……」

 

「3っ!」

 

「『雷の暴風』!」

 

極大の魔法が射出される。様子をうかがおうと何十匹もの鬼が正面の方へと集まっていたため、哀れにも直撃に巻き込まれて吹き飛んでいく。そして、ネギと千雨は杖による飛行術で、刹那は自らの足で一気に駆け抜けて去っていった。

 

「ちくしょう、追え! 追うんや! ぐへあっ!?」

 

相手を追うように指示する鬼を、小太郎は容赦なく蹴り飛ばして送り返す。

 

「さ、やろうやないか!」

 

「拙者たちが相手でござるよ!」

 

「生意気な……いてこましたれ!」

 

「「「応!」」」

 

妖怪変化が、一息に楓と小太郎へと殺到した。

 

 

 

 

 

囲いを脱出したネギ達は、真っ直ぐにリョウメンスクナが封じられている場所へと向かっていた。

 

「小太郎くんと楓さん、大丈夫かな……」

 

未だ一抹の不安を拭いきれずにいるネギ。二人共ネギよりも強いのは重々承知だが、それでもあの数の妖怪を相手にするのは相当に苦労するはずだ。いわば、ネギは二人をお取りにして逃げたようにも見える。それを気に病んでいるのだ。そんな彼を、千雨と刹那が宥める。

 

「心配すんな、あの二人がそうそうやられるタマじゃねぇことぐらい先生もわかってるだろ」

 

「ええ、楓とはよく手合わせをすることもありましたし、実力は我々の中でもトップクラスでしょう。犬上小太郎も、単純な戦闘ではかなりできます。早々遅れなど取らないはず」

 

暗い面持ちであったネギも、二人の言葉で段々と意気を取り戻してきた。

 

「そう、ですか。いや、そうですよね。楓さんはとても頼りになる人ですし、小太郎くんとは実際に戦ったから分かります。あの二人なら、大丈夫でしょう」

 

決戦を前にして、うだうだと悩んでもしかたがないとネギは割り切り、意識を切り替える。

 

「救出への道は、私が強引にでも切り開きます。お嬢様のこと、よろしくお願いしますね」

 

「先生はまず、目の前のことに集中してりゃいいさ。私は戦いには参加できないが、多少知恵を貸すぐらいならできるかもしれんしな」

 

「オレっちだっていやすぜ!」

 

頼もしき仲間の激励をうけ、ネギは決意を改めて先へと進む。待ち受けているであろう激戦に思いを馳せて。

 

 

 

 

 

千草とフェイトは、リョウメンスクナが封じられている湖のほとりへとやってきていた。祭壇には再度眠らせた木乃香を寝かせ、封印を解除する術の準備にかかっている。

 

「ようやく、ようやく東の奴らに……思い知らせてやることができる!」

 

「……千草さん、早めに片づけてしまおう。彼らがこっちにくる可能性もある」

 

「……あの数をくぐり抜けるんは至難やと思うけど……そやな、さっさと初めてまいまひょ」

 

準備を滞り無く済ませ、祭壇の前へと向き直る。

 

「イジャヤ」

 

始まりの呪文を唱えると、先程と同様に木乃香を淡い光が包む。そして、眠りながらも木乃香は声を漏らし、体を捩らせる。

 

(……長かった、ここまでくるのに)

 

呪文を唱えながら、千草は己が復讐を誓った道筋を思い出す――。

 

 

 

幼いころ。陰陽師として名うての実力者であった両親に育てられ、幸せな日々を過ごした。ぶっきらぼうながら優しさを持った父。柔和で温厚、しかし芯のある女性であった母。共に、大好きな人であった。

 

だが、今から20年前。突如彼女は両親を失った。両親は彼女の前から姿を消したのだ。いなくなる直前に預けられた祖父母の家は、決して苦ではなく祖父母も優しく接してくれた。

 

だが、やはり彼女にとって両親はそれに優る存在であった。だからこそ、親がいつまで経っても帰ってこないことに不安を覚え、毎夜涙で枕を濡らした。祖父母がいながら、言い知れぬ孤独と悲しみで胸がいっぱいの日々。

 

そして、決定的であったのはやはり。

 

『父さんと母さんが、死んだ……?』

 

半年が経ち、最早限界に近かった千草は、祖父母から知らされた突然の言葉に困惑した。死ぬとはどういうことだ、両親は一体どうしてしまったのだ。幼い彼女には理解できなかった。父と母に会うことはできないのかと尋ねれば、気の毒そうな顔で祖父が首を縦に振るだけ。

 

そしてようやく理解した。父にも、母にも。もう会うことはできないのだと。どうして、何故。胸には両親に会えないことへの悲しみ、理不尽への怒り。そしてひとつの疑問が残った。

 

『どうして……』

 

一体何があったというのか。彼女は成長するに連れ、それを調べようとし始めた。だが、大人に尋ねても嫌な顔をされて口を閉ざすばかり。自分は親に捨てられたのか、そんな風にさえ思い始めていた彼女を見かねた祖父母によって、ようやく何があったのかがわかった。

 

『戦争……?』

 

魔法世界(ムンドゥス・マギクス)』と呼ばれる別世界で勃発した戦争。それに参加するために多くの呪術師や陰陽師が連れて行かれたのだという。そして、その中には父と母もいたのだと。

 

原因は、関東魔法協会にあった。関東魔法協会は、その『魔法世界』にある本国との繋がりがあり、戦争によって消耗した人員を補填するために関東呪術協会に命じていた。そして、関東魔法協会は、あろうことか無関係の関西呪術協会を脅して呪術師らを連れて行ったというのだ。

 

『……許せない……』

 

両親の失踪の真相を知った彼女が抱いたのは、憎悪であった。穏やかに過ごしていた家族を、無理矢理に引き裂いて連れて行った関東魔法協会を、許せなかった。

 

『いつか絶対……報いを受けさせたる……!』

 

祖父母に頼み込んで、自分を陰陽師として育ててくれることとなった。父も母も、その道では中々に秀でた人物であり、その娘である彼女も、やはり相当に筋がよく、どんどんと教えられたことを吸収していった。

 

憎悪は彼女に執念を与えた。力をつけた彼女は、更なる飛躍を求めて祖父母のつてを使って関西呪術協会の門扉を叩き、その一員となった。実力の伴った彼女は次々と功績を上げ、協会の中でも一目置かれるようになった。

 

そして彼女は、いつの間にか上級陰陽師の中でも高いネームバリューを有する存在となっていた。そんな彼女に、関西呪術協会は相応の地位を与え、彼女が求めるものを与えた。そして、ようやく彼女は見つけ出したのだ。関東へと復讐を果たす方法を。

 

『リョウメンスクナノカミ……』

 

大昔、カミの一柱として崇められていた強大な存在。古の術師によって暴れているところを封じられたらしいが、今もその存在は生きているのだという。

 

彼女はリョウメンスクナを復活させる方法を模索した。そして、数年をかけてそれを発見し、実行に移した。だが、その時は復活をさせることはできても、制御することまではできず、暴れまわるリョウメンスクナを関西呪術協会の長である近衛詠春とその仲間によって再封印されてしまった。

 

しかも、彼女は封印を解いたのではないかと疑われた。幸い、万が一にもバレることが無いよう立ちまわったおかげで犯人とされることはなかったが、中央からは退けられてしまった。

 

 

 

――そして今回。京都の片隅で燻っていた彼女は、フェイトらの協力を得て再び、あのリョウメンスクナを復活させようと画策したのだ。リョウメンスクナは、強大な魔力さえあれば制御できることを明らかにしていた彼女は、長の娘である木乃香に注目していた。

 

そして、修学旅行という最初で最後の好機。これを逃すまいと、彼女は自らが誘拐を狙っていることがバレることも恐れずに実行に移した。中央から遠ざかっていたおかげで失うものなどないと思っていたのもあるだろう。

 

「さあ、復活するんや……リョウメンスクナノカミ!」

 

最後のじゅもんを唱え終え、彼女が両手を広げると同時。湖の中心にあった巨大な大岩が、突如ひび割れた。そして、どんどんとその形を変え、次第にその姿を露わにしていく。

 

『グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』

 

雄叫びが、闇夜に響き渡る。およそ二尺、約60mはあろうかという巨躯に、二面四臂の姿。二対の双眸は禍々しく光り、今にも暴れだそうかとしている。

 

「やった……これで……!」

 

リョウメンスクナの復活を見届け、彼女は確信する。これで、関東魔法協会への復讐を果たすことができると。

 

だが。

 

「ご苦労様、千草さん」

 

「かはっ」

 

突如、今まで黙したまま動かなかったフェイトが、背後から彼女を貫いたのだ。腹から突然に生えた石柱に驚愕しながら、なんとか首を背後へと振り向かせてみれば、そこには無表情のフェイトがいた。

 

「これで、僕達の目的は達した」

 

「どういう、ことや……」

 

「何、君をそそのかしてリョウメンスクナノカミを復活させることが僕らの目的だっただけさ。スクナが復活した今、君はもう用済みだ」

 

驚愕で目を見開く。そして、腹から熱いものがこみ上げてきて吐き出した。赤黒い血がぼたぼたと地面へ落ち、染みをつくる。

 

「うちが、おらんと……スクナの制御は……」

 

「ああ、勘違いしているみたいだけど、僕たちはスクナなんて欲してない。むしろ、これを暴れさせることが目的なんだ」

 

「な、ん……」

 

「京都で暴れまわるように仕向ける、といえば分かりやすいかい?」

 

その言葉に、千草は急激に顔を青白くさせる。出血のせいもあるだろうが、なによりフェイトの言葉の恐ろしさからきたものであった。彼らは、両親との思い出が残るこの京都を、故郷を火の海に変える気だというのだ。恐らく、それによって関西呪術協会をガタガタにし、あわよくば壊滅させてやろうと画策しているのだろう。

 

「ふ、ざけ……誰が、そん、な……!」

 

「ああ、そうそう」

 

彼女の怒りもどこ吹く風といった様子のフェイトは、更に驚愕の言葉を零す。

 

「君の両親が死んだ戦争。あれは、僕達の組織も関わってるんだ」

 

「……え」

 

「正確には別の組織が黒幕だけど、僕所属してる組織の人が戦争中に殺した者の中には、関西呪術協会の人間も結構いたって聞いたよ。それから、僕達の組織は関東魔法協会の本国、メガロメセンブリア連合とも関わりがある。謂わば、君は復讐対象の親玉が計画していたものの片棒を担いだわけだ」

 

それは、まさに青天の霹靂であった。自分の両親が死ぬ大本となった組織、その手先がこんなにも近くにいて、そして自分はその手助けをしていたというのだから。

 

「……して……やる……殺じでや゛る゛……!」

 

悔しさと怒り、己の不甲斐なさ。様々な感情が入り乱れて涙が零れ落ちる。精一杯の怨嗟の言葉を吐くが、しかし何もできず相手は涼しい顔だ。そればかりか、藻掻いたせいで石柱が半ばから折れ、大怪我を負った彼女は体に力が入らず、重力のままに倒れこむ。

 

『父さ……ん、か、あさ……』

 

薄れ行く意識の中、最後に思い浮かべたのは、あの懐かしき日々の両親の顔であった。



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第四十四話 鬼神事変⑤

血まみれの腕を振り、こびりついた千草の血肉を落とす。フェイトは湖の水を使ってそれらを洗い流し、腕が水からあがる頃には大した汚れも見当たらなくなっていた。

 

「……さて」

 

見上げれば、そこには巨体を誇る鬼神の姿。リョウメンスクナノカミは復活したばかりのせいかその動きはかなり鈍いが、いずれは本調子に戻って暴れ始めるだろう。そうなれば、過去に封じられたせいもあって人に強い恨みをもつかの存在は間違いなく人が集まる場所、即ち京の中心地へと侵攻していくことだろう。

 

「どれぐらいの被害が出ることかな」

 

まるで他人ごとのように呟くフェイト。彼にとっては、リョウメンスクナノカミが暴れようがどうだっていい。彼の最優先事項は作戦の遂行だ。それだけが、今回の彼の使命であり目的。それを達成した今、リョウメンスクナノカミの動きを見張る以外にすることはない。有り体に言えば、手持ち無沙汰な状態となっていた。

 

(鈴音さんのところに戻るか? いや、たしかにあの激闘を見るのは僕が強くなるためにも有意義なものとなるだろうが、かえって邪魔になる可能性も否定出来ない。それに……)

 

何か、予感めいたものを感じていた。ここに誰かが来ると。

 

(いや、実力から鑑みてもあの数の鬼を抜けてこれるとは……)

 

脳裏に浮かんだ可能性を、即座に否定する。あれほどの数の鬼、それも質の高い妖怪が何匹もいるあの囲みを突破できるとは思えなかった。

 

(……何だ? 僕は期待をしているとでも言うのか……?)

 

ならばなぜ、自分は来ると確信めいた心持ちだというのか。モヤモヤとした疑問は、しかしはっきりとした実像を結ぶことなく彼に困惑を与え続ける。尤も、それが表情に出るほど彼は腑抜けてなどはいないが。

 

そして。

 

「……!」

 

湖とは反対側、その上空へと彼の視線は釘付けとなる。最初は、真っ暗な夜空が見えるだけだった。しかし、次第に流れ星が空を横切るのが見えてくる。いや、それにしては遅すぎるし、何より大きすぎる。

 

「……来た、のか」

 

飛来した物体は、人の姿をしていた。杖にまたがり、魔法で飛んできている。そして、それは湖へと到達する寸前で森へと消えていく。だが、消えたわけではない。しっかりと、気配が感じられる。それは再びこちらへと向かい、やがて森を抜け出てきた。

 

「お嬢様!」

 

「木乃香さん!」

 

現れたのは、三人の少年少女。

 

「ネギ・スプリングフィールド、君か」

 

「フェイト・アーウェルンクス……!」

 

時を越え、大悪党の生き写しの如き少年と、大英雄の息子が対峙した。

 

 

 

 

 

「チッ、やっぱもう復活してたか……!」

 

ここへとやってくる道程で、湖から光の奔流が見えた時点である程度察してはいたが、こうして間近で見てみるとその圧倒的な存在感がよく分かる。しかも、一見して大人しげだが、よくみれば今にも暴走しそうにも見える。

 

「天ヶ崎、千草……」

 

一方、刹那は祭壇に横たわっている女性を発見していた。天ヶ崎千草である。その体は真っ赤に染まっており、ひと目で血を流して倒れているのがわかった。そして、それを誰がやったのかもある程度察しがつく。

 

「貴様がやったのか……!」

 

刹那の非難するような言葉に、しかしフェイトは冷ややかな視線を向けるだけ。依然、彼の最大の興味はネギへと向かっているようだ。

 

「どうして、彼女は君の仲間だったはず……!」

 

ネギもフェイトが行ったであろうことに、困惑しながらもそう尋ねる。

 

「生憎、彼女は僕達組織の目的達成のため、一時的に組んでいただけだ」

 

返ってきたのは、余りにも無情な言葉。つまり、彼らは彼女を散々に利用するだけ利用し、目的を達したから殺したというのだ。その言葉に、珍しくネギは怒りを発する。

 

「彼女を、利用だけして捨てたのか!」

 

「見解の相違だよ。初めから、彼女は仲間でも何でもない。必要だから用いただけの駒だ。君は、使い終わったティッシュを捨てることもしないのかい?」

 

そう言ったフェイトが、更に口を開こうとした時。ネギは一息でフェイトの目前へと移動していた。力任せにフェイトを殴ろうと、ネギが拳を大きく振りかぶる。だが、その動作は余りにも素人臭く、フェイトはあっさりとそれを躱して彼に蹴りを叩き込んだ。

 

吹き飛んだネギは、しかし空中で杖によって姿勢を制御すると、しっかりと足で着地した。蹴りを受けて反射的に零れ出た唾液を拭うと、鋭い眼光でフェイトを射抜く。

 

「へぇ……」

 

フェイトは、そのネギの動きのよさに感心した。仮にも幹部である大川美姫を倒しただけはある。そして、その豹変ぶりにも目をみはるものがあった。普段やや頼りなさ気な、あどけない少年の顔はそこにはなく、明確な闘争の意志をその目に宿した憤怒の顔がそこにはあった。

 

「先生、いきなり突貫すんじゃねぇ。相手は格上だ、無闇な攻撃なんか当たらねぇよ」

 

「すみません千雨さん、頭に血が上ってしまって……けど、僕は彼を許せない……っ!」

 

「その点に関しては、私も同感だ。腸が煮えくり返りそうな気分だぜ」

 

千雨に窘められ、ネギが自らの短慮を反省する。だが、双方ともにその顔には依然として怒りが見え隠れする。

 

「ネギ先生、どうやらお嬢様はリョウメンスクナノカミの付近にいるようです」

 

剣を抜き、フェイトに対して構える刹那はそういった。つまり、ここを任せて救出を、と言っているのだ。しかし。

 

「刹那さん、木乃香さんの奪還は貴女にお任せします。僕は、彼を相手します」

 

「ですが……」

 

彼我の実力差は歴然だ。ネギ達は知らないが、相手はかの組織において幹部候補まで上り詰めた人物。対して、ネギはその組織の幹部を倒してはいるが、経験も実力も不足している。

 

「恐らく、彼の興味は僕にある。僕が向かおうとしても妨害されるでしょう」

 

「それに、桜咲の方が足が速いし小回りも効く。あのデカイ鬼が暴れだしても対応できるだろ。いざとなりゃ、先生の首根っこ掴んででも逃げるぐらいはするさ。態々本気で相手する必要もねぇしな」

 

「……分かりました、お二人とも気をつけて」

 

そう言うと刹那は、木乃香を救出するために離脱して湖の中心へと向かった。残されたのはネギと千雨、アルベール。そしてフェイトのみだ。

 

「いいのか? 桜咲を素通りさせたが」

 

「構わないよ、どうせ彼女では無理だ。それに……」

 

フェイトの言葉を遮り、湖の方から轟音が響き渡る。何事かと目を凝らしてみれば。

 

「うふ、抜け駆けはいけませんえ~先輩」

 

「月詠……!?」

 

離脱していたはずの、月詠の姿があった。

 

「嘘だろオイ、近衛の親父さんと一緒に消えたあいつがなんでここに……!」

 

「生憎、近衛詠春の抑えは一人ではないよ。もう一人と交代でこちらに来てもらった」

 

これで、少なくとも木乃香を救出するにはどちらか一方でも倒さねばならなくなった。

 

「……しゃあねぇ、先生いけそうか?」

 

「正直、僕では勝ち目はないでしょうね……けど、勝つ必要はないです」

 

「負けなきゃいい、か。それでもちょいと厳しそうだが……やるしかないか」

 

そう言うと、彼女はポケットからあるものを取り出す。それは、彼女がネギと契約を交わした際に手に入れたもの。仮契約カードであった。

 

「先生、頼む」

 

「……分かりました。『契約執行180秒間、ネギの従者「長谷川千雨」』!」

 

魔力の光が、ネギからのパスを通じて彼女へと降りかかる。それは千雨の体を覆うと、そのまま彼女を包み込むかのように留まった。

 

「力が湧いてくる……これなら、多少は無茶ができそうだ」

 

「くれぐれも気をつけてください、千雨さん自身は元は非力な体ですから、相手の攻撃なんて喰らえば死んじゃいますから」

 

「あいよ、せいぜい死なないよう頑張るか」

 

そう、彼女はネギの魔力を借りて肉体を強化したのだ。通常であれば、重い石さえ満足に持ち上げることができないが、今の彼女なら脆い岩石ぐらいなら蹴りで砕くことができるだろう。とはいえ、契約で強化できる時間は今は最大でも3分間。それ以上は掛け直す必要がある。なお、それを聞いた彼女は当初、どこぞの光の国の巨人を思い浮かべたとか。

 

「いくぜ!」

 

「僕達が相手だ!」

 

 

 

 

 

「くそっ、そこをどけ月詠!」

 

「うふ、やですえ~。せっかく先輩と心置きなく戦えるゆうに、どけるわけないですえ」

 

剣撃の音が鳴り響く。刃と刃、その鎬が激突し、火花を散らし合う。

 

「「村雨流、『時雨』!」」

 

互いに納刀し、瞬速の抜刀術で抜き放つ。互いの実力が拮抗しているためか、激突と同時に双方が反動で吹き飛ばされて湖へと落下した。だが、刹那も月詠も並の使い手ではない。気で足を覆って湖面へと着地すると、そのまま水飛沫を上げながら目標へと向かう。

 

「にと~連撃、斬岩けーん!」

 

「神鳴流、『斬魔剣』!」

 

巨岩さえ両断する太刀筋と、魔を滅する斬撃が交差する。またも、威力は互角。数瞬の鍔迫り合いを経て、刃を弾いて距離を取り、並走する。

 

「先輩は、やっぱりお嬢様をとったんどすな~、姉さんを裏切って」

 

「私は、私の守りたいもののために戦うだけだ!」

 

月詠の斬空閃と、刹那の斬鉄閃が虚空で激突する。息をつく間もなく、双方は再び急接近し、斬り合いを演じる。さながら、それは長き時を経て復活したリョウメンスクナノカミを称える舞、剣舞を捧げているかのようであった。

 

「先輩は決して、誰にも理解されることなく終わりますえ~」

 

「貴様にそんなことを言われる筋合いはない!」

 

「図星どすか、分かってるんでしょう自分が化け物の仲間だということを、お嬢様たちとは相容れない存在だと」

 

「黙れ!」

 

烈火の如き攻めで月詠へと肉薄するが、しかし有効打が与えられない。元々、月詠の用いる小太刀は防御に秀でた武器。村雨流の攻めの小太刀術を使っているとはいえ、彼女は小太刀本来の扱い方をよく理解して使っている。

 

「村雨にとー、『水垂れ髪』」

 

両手の小太刀で、五月雨を放つ。ただの連撃ではない、五月雨独特の緩急のついた突きが倍になって迫ってくるのだ。長く絡みつく髪の如き攻撃を、刹那は捌ききれないと判断して即座に離脱を図るが、それこそが月詠の狙い。彼女は連撃をやめて刃を交差させると。

 

「うふ、かかりましたわ。『旋風(つむじかぜ)』!」

 

刃を攻撃のためにして、交差した強烈な真空波を彼女へと放つ。刹那はそれを迎撃しようとするが、真空波が急にその形を変じた。

 

「何っ!?」

 

真空波が、まるでハサミの口が閉じるかのように、刹那の両側頭部へと襲いかかったのだ。一発の真空波を相手に考えていた彼女はほんの少しだけ対応が遅れ、なんとか頭部を屈めることによってそれを躱すも、完全に動きが止まってしまった。

 

「隙ありですえ」

 

故に、接近していた月詠の蹴りが彼女の腹部へとめり込む。勢いのついたそれは、容易に彼女を吹き飛ばして湖へと沈めた。飛沫が上がり、水が跳ねる中刹那は水底へと沈んでいく。

 

(強い……)

 

水の中で、そんなふうに考える刹那。さすがに、姉のもとで研鑽を積んでいただけある。どうあっても、地力の差が出てしまっている。

 

(私では、勝てないのか……?)

 

弱気な言葉で自らに問いかける。あの人と過ごしてきた年月も、経験も劣る。そんな自分に、勝てるものなど。

 

(……いや、違う)

 

ある。自分にはかけがえのないそれらがある。仲間が、戦友が、そして親友がいる。確かに過ごした時間は決して多くはない。しかし、それは優劣の基準とはなりはしない。素晴らしい経験と体験は、時として万の時間に優る。

 

『……刹那、お前は自分の守りたい者のために戦いなさい……』

 

(そうだ、私は……!)

 

薄れかけていた意識が、浮上していく。

 

 

 

 

 

「威勢だけはいいが、大したことはないね」

 

「くそっ……」

 

「はぁ、はぁ……」

 

一方、ネギ達はフェイトたった一人を相手に苦戦を強いられていた。いや、むしろ戦いというよりは遊ばれている感覚であった。

 

「『風精召喚、剣を執る戦友』!」

 

風精を召喚し、フェイトへと向ける。それに合わせて、千雨もフェイトへと襲いかかった。

 

「無駄だよ」

 

しかし、フェイトは冷静に彼女を迎え撃つ。素人丸出しの蹴りを受け止め、無造作に放り投げる。襲い来る風精は全て、独特の動きで肘や拳で蹴散らしてしまった。

 

「くそっ、カンフーかよ! こんなとこまでファンタジーしてんじゃねぇ!」

 

フェイトが用いていたのは、漫画の中で出てくるような中国拳法であった。しかし、その完成度は相当なものであり、単なる真似事の遊びでないことが分かる。事実、風精はそれで蹴散らされたのだから。

 

「障壁突破、『石の槍』」

 

「く、ぐぅっ!?」

 

障壁破壊効果を伴った先端の尖った石柱が、地面から突然に生えてくる。ネギはそれを

直撃するすんでのところでかわすが、脇腹を掠めてしまい血が流れ出る。

 

「大丈夫か先生!」

 

「はい、なんとか……」

 

絶望的な差。どれだけに雷撃を、風圧を、打撃を放ってもいなされる。魔法の質でも、接近戦でも勝てない。どう足掻いても、軽くあしらわれてしまう。まるで、災害か何かとでも戦っている気分であった。

 

(……拍子抜けだな)

 

相対するフェイトは、ネギ達の予想以上の弱さに退屈さを感じ始めていた。大川美姫を倒したと聞き、自分と同じぐらいの年齢でそこまでのことをやってのけたネギに、彼は興味があった。美姫は精神面が不安定であるとはいえ、古参のメンバーが多く、最近ではとんとあがったものがいない幹部へと昇進してみせた生え抜きだ。間違いなく、フェイトよりも総合的に実力がある。

 

それ故、彼はそんな彼女を倒したネギに、ある種の対抗意識を無意識の内に持っていた。上を目指して幹部候補まで上り詰めた自分と、同程度の年齢ながらその幹部を倒したネギ。ある意味、重ねあわせていたところがあったのだろう。

 

ついさっきまでは、それも鈴音によって心を折られたせいで鳴りを潜めていたのだが、あの殺意の嵐に怯えてなお、再び立ち上がったことで再度火が灯ったのだ。だからこそ、彼のその弱さにフェイトは困惑し、次第に興味を失い始めていた。

 

(多分、今のあいつは相当に退屈してるはずだ)

 

そして、それを一人見抜いているものがいた。千雨である。相手がどんな理由でネギに固執していたのかは分からないが、明らかに興味を失いつつある。ネギとの因縁があるのか、それとも単に戦闘狂なのかはどうでもいい。

 

(それだけ、油断してるってことでもある)

 

真正面から戦ってダメなら、搦手で攻める。だが、相手が万全ではそれも通用しない。策を成立させるのに重要なのは、何もそれ自体だけではない。相手をどのようにして平常心を乱れさせるか、そういった駆け引きも必要なのである。

 

「先生」

 

短く、千雨が目配せをしながらネギの方に短く語りかける。ネギは、それに黙って頷くことで返した。

 

「ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイド、小さき王、八つ足の蜥蜴、邪眼の主よ。時を奪う毒の吐息を……何を企んでるのかしらないけど」

 

フェイトは、二人が何かを画策していることに気づいていた。そして、いい加減ネギに対する失望が過ぎ、その策諸共に吹き飛ばしてやろうと考えた。

 

「これで終わりだ、『石の息吹』」

 

「っ、マズい!」

 

「石化の煙か!」

 

そう、フェイトが放ったのは関西呪術協会本部を全滅に追い込んだ、生物を石像に変える魔法の煙。それが、彼女らへと襲いかかった。

 

 

 

 

 

「まだやるんどすか? 先輩じゃ、うちには勝てませんえ」

 

「お嬢様が待ってるんでな」

 

水から上がり、再び対峙した刹那はなおも戦意が衰えていないことをひしひしと感じさせる。そんな彼女の姿に、月詠は苛立ちを覚えていた。

 

「ふーん、先輩はやっぱり姉さんのことはその程度にしか思ってなかったちゅうことどすか」

 

「いいや、私がここに立っていられるのは、こんなちっぽけな私を必要としてくれる人がいたからだ。そして、最初に私を救い上げてくれたのは、間違いなく姉さんだ」

 

「だったら……」

 

「だからこそ、だ」

 

刃を鞘へと収め、構える。村雨流が得意とする居合抜刀術、それを放つ魂胆だろう。

 

「私は、そんな姉さんを尊敬し、愛している。あの人にはいろいろなことを教えられた。知識も、他人とのふれあいの暖かさも、そして戦い方も。それを、大切な者のために使えとも言われた」

 

「…………」

 

「私は、私を必要としてくれた人のために、あえて姉さんにも立ち向かおう。私が私らしくあるために、あの人の教えに背かないために。そして大切な人を守るために」

 

「……なんやそれ。結局、姉さんを裏切っとることに言い訳しとるだけやないか……!」

 

激高する月詠。自分のただ一人の理解者であり敬愛する姉を刹那が裏切った、彼女にはそれだけで許せない理由になる。例えどれだけ刹那の気高い覚悟がそこにあるとしても、月詠には関係のないこと。彼女もまた、刃を鞘に収めて構える。

 

「もうええわ、姉さんを裏切るような奴に、生きる資格なんてないわ」

 

「悪いが、押し通る。私は生きて、皆の元へ帰らねばならん」

 

「そんなん許すわけ無いやろ! 死ね、死んでまえあんたなんか!」

 

月詠が刀の柄に手を置いたまま走りだす。同様に、刹那もまた走りだした。

 

「村雨流『時雨』!」

 

月詠の神速の居合が刹那へと迫り。

 

「村雨流奥義、『疾風(はやて)』!」

 

「なっ、それは姉さんの……!?」

 

風圧が、刃とともに月詠へと迫る。風圧と同時に真空波を乱発生させ、寸分たがわぬコントロールを以ってそれを集束、対象を細切れにする最強の飛ぶ斬撃。それは月詠の『時雨』を軽々と弾き飛ばし、彼女へと襲いかかった。

 

「きゃああああああああああああああああああああああああ!」

 

月詠へと斬撃の嵐が降りかかり、そのまま湖の彼方へと(いざな)う。そのまま、森へと落下していった。

 

「安心しろ、死にはしないさ」

 

最早聞こえるはずもない相手に、刹那は納刀しながらそう零した。

 

 

 

 

 

「……石像になったかな」

 

煙のせいで視界が悪く、どうなっているのかは分からないが、間違いなく魔法の餌食となったはずだ。ならば、最早勝負は決したも同然。

 

「さて、いい加減リョウメンスクナノカミを動かすとしようか」

 

復活のために魔力を利用した木乃香だが、同時にその制御も彼女の魔力によって為されている。今は彼女が祭壇にいるためリョウメンスクナノカミも動けないが、木乃香さえどけてしまえばすぐにでも暴れ始めるだろう。自分は、それをうまく誘導して京都の街へと動かせばいいだけ。

 

「……結局、歯応えもない連中だったな」

 

「バーカ、そういうのは仕留めたのを確認してから言えってんだよ」

 

「マヌケなやつだぜ! やーいやーい!」

 

「!」

 

突然の声に、思わず彼はそちらへ釘付けとなる。みれば、祭壇へと続く桟橋の上に、千雨の姿があった。肩にはアルベールもいる。石化した様子はない。つまり共に魔法が当たらなかったのだ。アルベールの嗅覚によって風の流れを読み、煙を回避していつの間にかフェイトの背後へと回っていたのだ。

 

「近衛は返してもらうぜ!」

 

「させると思うかい?」

 

始動キーを唱え、呪文を詠み上げる。ネギの姿はなく、恐らく煙に巻き込まれたのだろう。ならば、最早強化もできない彼女など的にしかならない。魔法を遅延させ、彼女を石の槍で貫くために飛び出そうとした時。

 

「っ! これは!?」

 

見れば、足元にいつの間にか魔法陣が敷かれている。彼は即座に飛び退ろうとしたが、しかし魔法のほうがコンマ1秒の差で早かった。捕縛効果の魔法陣によって、地面へと立ったまま縫い付けられる。そんなフェイトを見て、アルベールが意地悪く声を上げる。

 

「やーい、ひっかかってやんの!」

 

「こんなもの……」

 

「すぐに破れるって?」

 

「それだけの時間があれば、十分です」

 

千雨の言葉と、もう一人の声にフェイトはハッとなる。この魔方陣を敷いたのは、長谷川千雨ではない。ならば、これを仕掛けたのはもう一人の声の主。

 

「ネギ・スプリングフィールド……!」

 

ようやく晴れた煙の中から現れたのは、ネギであった。右腕は煙に触れたためか石化が始まってしまっているが、その手はしっかりと握りしめられ、魔法がかけられている。そう、千雨はあくまでも囮。わざと自らの無事を見せつけ、確実に仕留めるために魔法を唱えて無防備になる彼を拘束するためだった。全ては、この一撃を為すため。

 

「やれ、先生っ!」

 

これから起こることに対して、フェイトは即座に結論が出る。そしてそれを回避するため、拘束から抜けだそうとする。だが、拘束は思いのほか強く。

 

(まずい、抜けだせな……!)

 

「これで、終わりだ……!」

 

文字通り石と化した拳が、フェイトへと迫り。

 

「はあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

「が、はっ!?」

 

フェイトの障壁をぶち抜いて石化した拳が側頭部へと激突し、骨が軋む打撃音とともに彼を湖へと吹き飛ばした。フェイトは重い水音とともに着水し、浮上してくることはなかった。

 

 

 

 

 

「お嬢様、助けに来ましたよ」

 

リョウメンスクナノカミの真下。そこに安置され眠っている木乃香を見つめ、そう零す。封をされていた口や手足を開放し、彼女をゆっくりと持ち上げる。

 

「んぅ……」

 

「お嬢様、目を覚まされましたか」

 

持ち上げた途端に、木乃香が目を覚ます。寝ぼけ眼なせいかはっきりとみえないが、次第に視界がクリーンになってくる。

 

「せ、ちゃん……?」

 

「はい、私ですよ」

 

目の前にいるのが、自分の大好きな親友であるとわかると、木乃香はにっこりと微笑み。

 

「やっぱり、助けに来てくれた」

 

「お嬢様……いえ、このちゃんのためなら、私はいつだって駆けつけますよ」

 

「やーん、せっちゃんかっこええ~」

 

「こ、このちゃんくすぐったいわ」

 

木乃香を救出し、彼女のどこにも異常がないことを確認した刹那は、すぐにでもこの場から離脱しようと考えていた。しかし。

 

『グルルオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』

 

「くっ! 何故今になって活発化した!?」

 

「せっちゃん……!」

 

動きを封じていた木乃香がいなくなったことにより、阻害されるものがなくなったため、リョウメンスクナノカミが行動を始めたのだ。地響きのせいでろくに身動きも取れないため、このままでは逃げ出す間もなく二人は叩き潰されてしまうだろう。

 

(どうする、このままでは……)

 

そう考えていた時。一つの案が浮かぶ。だが、それと同時に刹那の顔が暗くなる。確かにこの方法なら逃げ切ることはできるだろう。しかし、それは自らが忌避し続けてきたもの。使えるかどうかも分からないものだ。

 

(……いや、今更怖気づいてどうする。私は、何があろうとお嬢様を守ると決めたはずだ!)

 

意を決して、彼女は目を閉じる。強く木乃香を抱くと、自らの背へと力を込める。やがて、制服の背から彼女の一部が現れる。

 

そう、彼女が忌避し続けた、真っ白な羽。それをはためかせ、彼女は一気に飛んだ。

 

「わわっ!?」

 

「しっかり捕まって、このちゃん」

 

生まれて初めて、その翼で空を飛んだ。まだぎこちなくはあるが、しっかりと姿勢を維持することができている。まるで、生まれた時から飛び方を理解していたかのようだ。

 

「すごいすごい! 飛んどる、せっちゃん飛んどるよ!」

 

無邪気に、木乃香は飛んでいることに興奮していた。そこに、彼女の翼に対する嫌悪も、侮蔑もなかった。

 

「せっちゃん、泣いとるん?」

 

「え?」

 

彼女の笑顔を見て、刹那は知らず涙を一粒流していた。その涙が、彼女の心にあったつかえを洗い流していく。もう、翼を疎む心はどこにもなかった。

 

 

 

 

 

「ぜぇ、ぜぇ……」

 

「先生無事、か!?」

 

「だいじょ、ぶ、です……」

 

「大丈夫なわけ無いですぜ!? さっきより酷くなってるじゃねぇすか!?」

 

フェイトとの戦いに勝利したものの、その代償は余りにも大きかった。徐々に侵食する石化が彼を疲労させている。今はレジストできているため進行が遅いが、いずれは肺にまで達してしまうだろう。そうなれば、呼吸困難で死んでしまう。しかし、無理に動かせば石化した体が折れてしまう可能性もある。

 

「おい氷雨、石化を解除できる魔法とか知らねぇのか!?」

 

『生憎、私は魔法は基本たしなむ程度だ。石化解除の魔道具はあるにはある、麻帆良に、だが』

 

(くそっ! 分かってたはずだろ、先生が自分の怪我も厭わずに無茶をやる人だってことを!)

 

心のなかで悪態をつくも、しかし解決策はない。未だ、リョウメンスクナノカミも暴れたままだ。

 

「先生!」

 

「ネギ君!」

 

と、そんな一行の元へ木乃香を連れた刹那が合流する。二人はアルベールから一部始終を聞き。

 

「……せっちゃん、なんとかできひん?」

 

「私もこういった呪の類を解く術はある程度心得ていますが、さすがにこれほど強力では……」

 

「うーん……あ! うちの力ならどうやろ!?」

 

そう提案する木乃香になる程と刹那は思う。確かに、死にかけた刹那さえ癒やした彼女の力があれば、石化の力を打ち消せるかもしれない。

 

「しかし、お嬢様は力をコントロール出来ないのでは……」

 

「いや、できるようにする方法がありますぜ!」

 

アルベールによれば、仮契約をすることによって彼女の魔力を安定させ、それによって癒せるはずだと言う。また、うまくいけば治癒系のアーティファクトが手に入るかもしれない。

 

「しかし……それではお嬢様をこちらに巻き込むことに……」

 

「何いってんのせっちゃん、もう今更な話や。それに、うちも助けられてばかりは性に合わへん。今度は、うちが先生を助ける番や! ……で、何すればええの?」

 

「ああ、それなら……」

 

「キスっすよ、そりゃもうむちゅーっと!」

 

アルベールの言葉で千雨の仮契約の場面を思い出したのか、刹那は顔を赤くしてゆでダコのようになってしまった。いくら凛々しい神鳴流剣士でも、彼女もまた花も恥じらう女子中学生なのだ。

 

「なんや、そんなことか~。うちてっきり血とか必要なのかと」

 

「邪教の儀式じゃないんだからよ……って、え?」

 

「ネギ君、堪忍な~」

 

が、同じ思春期真っ只中の女子中学生であるはずの木乃香は、躊躇いもなくネギと唇を交わした。意識が既に朦朧しているネギは、木乃香の唇を何の抵抗もなく受け入れ、契約を交わす。刹那は、顔を更に真っ赤にさせて両手で覆いつつも、指の隙間からそんな二人を見ていた。

 

「パクティオー!」

 

契約の完了とともに、パクティオーカードが出現する。その少し後に、木乃香は口を離した。

 

「ぷはっ! ネギ君の唇、柔らかかったわ~」

 

「……すげぇ」

 

木乃香はアルベールからカードを受け取ると、アーティファクトを顕現させる。

 

「あ、これって……」

 

「まさか、治癒系のが出たのか?」

 

「うん、時間はかかるかもしれんけど、できると思うえ!」

 

既に、肺の当たりまで進行が進んでいる。急いで治癒をはじめなければマズいと判断し、木乃香はぎこちないながらもアーティファクト、『南風ノ末廣(ハエノスエヒロ)』を使って治療を始めた。

 

だが。

 

『グオオオオオオオオオオオオオオン!』

 

「げっ、こっちに気づいたのか!?」

 

暴走して湖で我武者羅に暴れるだけだったリョウメンスクナノカミが、ネギ達に向かって腕を伸ばし始めてきたのだ。

 

「くそっ、先生の治療で動けない時だってのに……!」

 

既に全員が満身創痍だ。あんな巨大な怪物と戦える体力は残っていない。

 

「私が行きます」

 

しかし、刹那は疲労した体に鞭打って立ち上がると、刀を抜いて構える。

 

「おい無茶するな! お前ももうボロボロだろ!?」

 

「もう、あれに太刀打ちできるのは私だけでしょう? なら、動ける者が動いた方がいい。大丈夫、私も死ぬつもりはありませんから」

 

そう言うと、目を閉じ、感覚を研ぎ澄ませる。放てるのはせいぜいが一太刀。ならば、最高の一撃を。イメージしているのは、彼女が未だその背を追い続ける人物。己にとっての最強。虚構でもいい、自分を今最強へと重ねて、自分のできる最大の一撃を。

 

(思いだせ、あの時のことを――――!)

 

 

 

『……刹那。……貴女は、あの世界を見た……しかし『呼吸』をつかめていない』

 

『呼吸?』

 

『……この世の息吹。……石も、花も、人もしているもの』

 

『うーん、よくわからへん……』

 

『……それを読みきれば……』

 

『あ、あんなおっきな岩が……!』

 

『……斬れないものなどない』

 

 

 

(――――そうだ、あの世界を見た私なら……!)

 

意識をさらに奥深くへ、さらにさらに深く、深く。そして、それが底へと到達した時。

 

ドクン!

 

(っ、なんだ……?)

 

体の奥が、熱い。脈打つかのような感覚は、次第にその間隔を狭めていく。

 

(鼓動がやかましい……四方八方から聞こえてくる……!)

 

まるで石ころの一つ一つから、木々や草花の一本一本から聞こえてくるかのよう。

 

(これが、まさか……!?)

 

そして、前方に迫るものからもそれは聞こえてくる。そう、リョウメンスクナノカミだ。自分の中に感じる鼓動、その中でも一際大きなものが、リョウメンスクナノカミから聞こえる鼓動と同調していく。

 

そして、それが完全にシンクロしたその瞬間。

 

「っ、今っ!」

 

反射的に、彼女は上段から刀を振りかぶった。それは、リョウメンスクナノカミの手が彼女をわしづかみにしようかという瀬戸際であり。

 

「……止まった?」

 

唐突に、その動きが止まった。

 

ピシッ

 

やがて、停止していたリョウメンスクナノカミの額が小さく割れる。何かあるのかと警戒していた千雨であったが。

 

「……大丈夫です。もう、あれは動きませんよ」

 

刹那の言葉と同時、勢いよくそのひび割れから縦に線が走り。

 

 

 

リョウメンスクナノカミが、真っ二つに裂けた。

 

 

 

「嘘だろ……!?」

 

千雨は、呆然とそれを見ながらそんな感想を漏らした。あれほどの怪物が、まるで包丁でリンゴを両断したかのようにきれいに二つに分かたれていた。

 

「さ、桜咲がやったのか今の?」

 

驚愕している千雨が、そんなふうに尋ねる。しかし桜咲も困ったような顔をして。

 

「分かりません、私のような気もするけど、そうではない気もします」

 

千雨は再度湖の方を見やる。両断されたリョウメンスクナノカミだったものは、どんどんとその体を崩れさせていき、湖の底へと沈んでいく。アルベールは開いた口が塞がらず、木乃香もまた大きく目を見開いていた。

 

「何にせよ、これでもうあれは身動きが取れませんよ」

 

「……だな」

 

「はぁー、やっと終わったんスね……」

 

最後、リョウメンスクナノカミに何があったのかまではわからない。しかし、これで終わりだ。長かったこの夜の戦いも終わりなのだと。

 

 

 

 

 

「やってくれたね……」

 

そう思っていた、そんな時であった。

 

「フェイト・アーウェルンクス!? あいつ、湖に落ちて沈んでったはずじゃ……!」

 

水底へと沈んだはずの、フェイトの姿があった。彼は普段通りの無表情ではあったが、言い知れぬ静かな怒りを感じさせる。一難去ってまた一難とは、まさにこのことか。千雨と刹那は、なんとか迎撃体制をとろうとする。

 

しかし。

 

「ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイド……地を呑む者よ、天を覆いて光を奪い、死者の都へ誘え! 『茫漠たる大地』!」

 

大地が持ち上がり、次いで乾いて砂粒へと変貌する。その巨大さは、リョウメンスクナノカミの4分の1程度だが余りにも規格外。

 

「潰れろ」

 

フェイトの言葉と同時に、それは彼らへと襲いかかる。

 

「やばい! 逃げられな……!」

 

巨大な砂津波が、森の木々諸共彼らを呑み込んだ。



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第四十五話 鬼神事変⑥

龍宮真名は知っている。誰であれ、弱い時期が存在していたことを。名うての剣豪も、始まりは素振りからだ。岩をも砕く鉄拳も、かつては傷ひとつない掌だったはずだ。力は研鑽ともに積み重ねられ、努力という水と鍛錬という土壌によって育まれていく。彼女はそう教わった。

 

何よりも、彼女自身がそうだったからだ。生まれた境遇は最悪で、人生は虚無に近かった。掴みかけた希望さえも踏みにじられ、無残に消え去った。彼女に残ったのは、ただひたすらの憎悪と憤怒。それらは彼女に執念を与えた。執念は鋼の芯と成り、彼女に力を与えるきっかけとなった。

 

(この女を、そして奴を殺すため……私は強くなったはずだ……)

 

弱々しく、銃の反動にも耐えられなかった少女はもういない。今ここにいるのは、復讐の鬼となる覚悟を持った戦士だ。

 

(それでもなお……届かない……!)

 

殺したいほど憎い相手がそこにいる。それだけで彼女の心は怒りと歓喜の入り混じったもので埋め尽くされ、しかし頭はひどく冷静に相手を殺す過程を模索している。それでもなお、目の前の女を殺すことができないのだ。

 

「……どうした、息が上がり始めているぞ」

 

「……気遣われる筋合いなどないな」

 

3発。連続でトリッガーを引き、ハンマーによって打ち出された弾丸が風切り音という唸り声を上げながら獲物へと襲いかかる。だが、それらは等しく一太刀で両断されてしまう。射出の際、僅かなタイムラグを用いて弾丸の到達時間をずらしたというのにだ。

 

(太刀筋が速すぎて、私にすら見切れていないというのか……!)

 

龍宮真名はその類まれなる動体視力によって、対象の動作やその機微などを容易く見抜く。本気を出せば弾丸を見切るのも難しくはなく、神速の斬撃さえその目に捉えられるはずだ。だが、彼女の目には鈴音の斬撃が一つにしか見えなかった。弾丸さえも見切るその視力を以ってしても。

 

(突破口が見つからん……)

 

強くなったはずだった。師に認められ、数多の戦場を渡ってきたはずだ。それでもなお、届かない領域。奥歯を噛み締め、自らが知らず驕っていたことに怒りを覚える。

 

(戯けが……そんな腑抜けた思考で、勝てるはずがないだろう……!)

 

強さは時に慢心を生む。それを本人が自覚していなくてもだ。彼女は自らの力に溺れる前に、それに気づくことができた。戦いの中で、一つ前進したと言ってもいいだろう。本来であれば、それはとても喜ばしいことだろう。だが。

 

「……うん、それでいい」

 

「……! 貴様、まさか私を……」

 

「……目的は全て果たした」

 

真名の疑問に答えることはなく、鈴音は一足飛びで彼女から距離を取ると。

 

「……次は、もう少し楽しませて欲しい……」

 

「待て! 逃げるき……」

 

霞のように、一瞬で姿を晦ました。

 

「……チッ」

 

舌打ちを一つし、真名はホルスターに銃をしまう。気配を探ってはみるが、先程まで感じていたあの巨大で強大な気配はどこにもなかった。隠形も相当のもののようだ。

 

「……奴め、私を試していたのか……」

 

真名は確かに強い。しかし、実力は確かに魔法世界でも上位に入れるものがあるが、自身と同格以上の強者と戦った経験が少ないのだ。だから、彼女は知らず慢心を抱いた。鈴音は彼女の慢心を払拭できるかを試していたのだ。

 

「……いいだろう、ならば次は存分に応えてやる……貴様の額に風穴を開けてな……」

 

更なる執念を燃やし、拳を固く握りしめて、彼女は一人そう呟いた。

 

 

 

 

 

「ぜぇ……ぜぇ……これほどとは……」

 

「つまんない、久々に体動かせると思ってたのに、これじゃ不完全燃焼だわ」

 

膝をつき、息を切らせる詠春と、不満気な表情で欠伸を噛み殺すアスナ。どちらが不利なのかは、一目瞭然であった。片腕を折られ、左足もびっこを引いている状態。額から流れた血が顔半分を真っ赤に染めている。何より酷いのは、その折れた腕や足が、醜悪な臭いを放っていること。人の脂が、燃える臭いだった。晒された肌からは、火傷のケロイドが覗いている。

 

(鍛錬を怠ったつもりはない……強さを維持できていると実感していた……それでも、なおここまで差が開いているというのか……!)

 

アスナも詠春も、理由は違えど今は第一線では戦っていない身だ。ほんの十年前までは、ほぼ実力も拮抗していたはずなのである。それなのに、いつの間にか両者の差は歴然となっていた。詠春が弱くなったのではなく、以前よりもアスナが強くなっていたことによって。

 

「フフッ、まあこれでようやく鈴音と肩を並べられた、かな」

 

「何故、これほどまでに……行方を晦ましてから一体何があったというんだ……!?」

 

「あら、確かに私は表向きの活動はしてこなかったけど、だからといって自分を磨くことを怠ってたわけじゃないの」

 

意地の悪い笑みを浮かべるアスナ。詠春は、その笑みにぞっとした。その堂に入った様は、まさしく悪の大幹部に相応しい貫禄があったのだ。かつて、あれほどまでに感情を見せず、エヴァンジェリンに絡め取られた後も少女らしい表情をする娘であったはずだった。

 

だが、今の表情はどうだ。まるで、あのエヴァンジェリンの如き邪悪さと、鈴音の如き重さを持つ笑顔。笑っているのに、負の感情だけを煮詰めて顔に塗りたくったかのようであった。

 

「……ん? あー、もう終わりか」

 

ふと、彼女が唐突にそんなことを言って、見当違いの方向を見つめる。その表情は、酷く残念だという雰囲気であった。

 

「もう少し暴れたかったけど、まあ仕方ないか」

 

「どういう……ことだ……」

 

「私達の目的が、全て果たされたってことよ」

 

そう言うと、彼女はパチンと指を鳴らす。同時に、ガラスが割れるようなけたたましい音と共に、結界が全て破砕された。

 

「色々確認できてよかったわ。もう、かつての英雄には期待するだけ無駄だってのも分かったし」

 

「くっ……」

 

「じゃ、私は帰るから。あの娘達を助けたいならさっさと行きなさい」

 

そう言うと、アスナは夜空の向こうへと消えていった。あとに残ったのは、無残な姿となった詠春と、再びの静寂だけ。

 

(目的は果たされた……? 何を狙っていたのかはわからない……だが、痛みに呻いている暇もない、か……)

 

娘とその友人らを残してきた場所には、あの明山寺鈴音がいる。既に大分時間が経過しているが、自分一人でも多少の助けにはなるだろう。ならば、自分がすべき行動は自ずと分かってくる。詠春は折れた腕をかばいながら、関西呪術協会本部へと走りだした。

 

 

 

 

 

「あでで、ようやるわこの(わっぱ)らめ」

 

「あんだけいた仲間が殆ど送り返されてもうた」

 

妖怪たちが、口々に悪態や賞賛の言葉を口にする。ネギ達と別れてから、小太郎と楓は数で勝る妖怪たちを相手に大立ち回りを演じた。分身術を駆使した連携攻撃に、俊敏な動きで相手を翻弄しつつ確実に相手の数を減らしていったのだ。

 

「ま、さすがにもうさっき程暴れる気力は残ってへんやろ」

 

「ここまでやな」

 

「小太郎、まだゆけるか?」

 

「まだ余力はあるけど……ちょい厳しいわ」

 

しかし、残り数匹になったところでその快進撃も止まった。この残っていた数匹は、事態の趨勢を黙してみていただけの輩だったのだが、これが先ほどまでとは比べものにならないほど強く。雑魚を何十匹と相手にして疲労していた分、二人のほうが不利になってしまった。

 

「うちらもかつては頼光共と戦ったこともある。童子に舐められるわけにはいかんのじゃ」

 

「うちは愛宕の太郎坊殿と験比べで競いあった仲でな。ここでおいそれと負けたらあの方に合わせる顔がないんや」

 

「頼光って、まさか酒呑童子のか!?」

 

「大妖怪の配下に、愛宕権現の旧友でござったか。どうりで強いわけでござる」

 

手を焼いていた残り数匹が、よもやそんなネームバリューの高い妖怪であったとは思わず、しかしここまで強い理由にようやく二人は得心がいった様子だ。

 

酒呑童子といえば、格の高い妖怪である鬼の多くを従え、京都で暴れまわった大妖怪だ。知らぬものは少ない程のネームバリューを持っているといえる。そして愛宕太郎坊といえば、日本一の大天狗とまで言われる、翼持つ者達の頂点の一人だ。そんな大妖怪のかつての配下と、験比べで競いあった旧友となれば、弱いはずがなかった。

 

「若いもんを殺すんは気が引けるが……これも戦いの習いじゃ。悪く思うな」

 

「ここまで戦ってみせたんや、せめて一思いに楽にしてやる」

 

鬼どもは棍棒を、烏族は鉤爪を立てて構える。このまま真正面からやりあえば、間違いなく殺される。万が一を避けるため、楓が腰に吊るしていた煙玉に触れたその時。

 

タァン

 

「ぐおっ!? な、なんや!?」

 

一発の銃声が響くと同時に、鬼の額を何かが貫いた。しかし、さすがは格の高い鬼というべきか、頭を押さえて何事かと周囲を見渡している。しかし、いくら目を凝らしても、何かを放った存在を把握できない。

 

「お、おいお前体が……!」

 

「なんや? うおっ!?」

 

仲間の言葉に自分の体へと視線を移してみると、いつの間にか下半身が煙のように靄となって消えていた。向こうへと送り返されているのだ。

 

「破魔の矢か!?」

 

「んなわけあるか! 矢があんな小さいわけ無いやろ!」

 

鬼が消滅し、妖怪たちは周囲への警戒を強める。破魔の力は、妖怪にとっては天敵といえる。一発でも喰らえば即退場だ。しかし、いくら気配を探ってもそれらしき存在はいない。一方で、楓と小太郎もまた動けずにいる。先ほどの攻撃が、自分たちを襲わないとは限らないからだ。そうして、膠着状態になって数分が経過した頃。

 

「む……?」

 

「あかん、時間切れや」

 

何が起こったわけでもないのに、突然鬼たちの姿が朧気になり始めた。どうやら、呼び出されてから大分時間が経過したらしく、現界することができなくなったようだ。

 

「口惜しいのう、あれだけ仲間を消されたいうんに、もう終いか」

 

「ま、うちらもちと長く眠りすぎとったわけじゃのう。勘が鈍っとったわ」

 

「もう少し暴れたかったが、しゃあないな。うちらの負けや」

 

口々に愚痴を零すものの、どこか晴れやかなものを感じさせる。恐らく、長年眠り続けていた彼らにとって、久々に暴れられたのが嬉しかったのだろう。不完全な形で終わってしまったため、満足とはいかないが、それでも楽しそうに笑い合っている。

 

「グハハ! (わっぱ)、なかなか強かったで! 次に会ったときはまた戦ろうや!」

 

「おう! けど、次も俺が勝つで!」

 

「カカカ、生意気なやっちゃ!」

 

豪胆な笑い声を上げ、鬼たちが消えていく。こうして敵同士として戦わなければ、きっと気の合う相手だったであろうと小太郎は思った。

 

「姉ちゃんも面白かったで! 今度は酒でも酌み交わそうや」

 

「俺は術比べもしてみたいわ、もっと隠し球もありそうやし」

 

「拙者は未成年故酒は無理でござるが、腕比べであればいつでも受けて立つでござるよ」

 

烏族らは、特に自らを翻弄してみせた楓に興味をもったらしい。次こそは全力で戦いたいと言い残して、虚空へと溶けていった。

 

「ふぅ、ほんまにしんどい相手やったわ……」

 

「強敵ではござったが、しかし張り合いのある相手というのもいいものでござるよ」

 

「けど、さっきの銃声はなんやったんやろなぁ……」

 

「気にはなるが、今は先に行った皆が心配でござる。急ぐでござるよ」

 

こうしている間にも、事態は進んでいるのだ。疑問は残るが、今は考えている暇はない。そう判断して、二人はネギ達のいるであろう湖へと向かっていった。

 

 

 

 

 

「やれやれ、あの程度に苦戦するようではまだまだだな……」

 

去っていく二人を、遠くの木々の上から眺める者がいた。その手には狙撃用の銃があり、浅黒い肌が服の袖から覗いていた。そう、龍宮真名である。危機的状況にあった彼女らに、助太刀の意味で銃弾を放っていたのだ。

 

(……ま、私の仕事はこれで終わりだ)

 

彼女が今回依頼されたのは、あくまで気づかれない距離からネギと千雨を護衛すること。二人が命の危機に陥らない限りは、自分から行動する必要はないと判断して、鈴音が本部を襲撃した時も、木乃香が攫われた時もスルーしていた。そもそも、彼女の護衛は刹那の仕事なため、完全に管轄外。他人の仕事に手を出さないのが彼女のポリシーだ。

 

鈴音と戦ったのも、あくまで鈴音をネギ達とこれ以上接触させるのを避けるため。襲撃時は木乃香をさらうことを優先していたためネギ達を殺そうとはしていなかったが、計画を妨害しようと追ってきた二人を、今度は殺さないとは限らなかったからだ。尤も、真名にとっては鈴音と戦うこと自体も大きな意味合いを持っていたわけだが。

 

(……それにしても)

 

今度は、楓たちが向かっている湖の方へと目を向ける。そこには、復活を果たしその威容を見せつけるリョウメンスクナノカミがいた。しかし、真名の目は誤魔化されない。既に、リョウメンスクナノカミは消滅する寸前だった。未だに気配が残っているのは、旧きカミの成れの果てであるリョウメンスクナノカミが死なないからである。しかし、彼女の目にはしっかりと、二つに分けられたリョウメンスクナノカミの姿があった。

 

(あの感じからして、恐らくは刹那の仕業か? だとすれば、随分と成長したな)

 

復活したてとはいえ、強大な力を有するリョウメンスクナノカミは真名でも手を焼く相手だろう。倒せなくはないだろうが、入念な下準備が必要なのは間違いない。それを、刃一つで打ち倒したのだとすれば相当なものだ。

 

(近衛木乃香の奪還も済み、ネギ先生は治療でなんとかなる。なら、もう私の出番はないな)

 

既に自分の手助けが不要だと判断し、真名はその場を後にした。

 

 

 

 

 

砂津波に飲み込まれ、生き埋めになったと思った千雨。しかし、一向に息苦しさや圧迫感を感じない。反射的に目を瞑ってしまったため周りの状況が分からなかったのだが、いくらなんでもおかしい。そう思い、恐る恐る目を開けてみると。

 

「こ、これは……」

 

砂が、周囲を覆っているのは確かだった。だが、それらが空中で静止しているのだ。いや、それは正確ではない。見えない何かによって、砂が覆いかぶさるのを防いでいたのだ。

 

そして、自分の目の前にいる人物を見て驚愕した。

 

「あ、あんたは……!」

 

それは、先ほどリョウメンスクナノカミの下で倒れていたはずの人物。胸元から血を流し、既に死んでいたと思っていた女性。

 

「天ヶ崎千草!?」

 

そう、敵であったはずの天ヶ崎千草がいたのだ。よく見れば、その手には何らかの文字が綴られた紙が握られている。恐らく、これは(まじな)いの札であり今の状況を生み出しているのは彼女によるものなのだろうとすぐに思い至った。

 

「あんた、なんで……」

 

「別、に……あんたらを、助けたわ、け……や、ない……あいつらに、吠え面、かかせ、たかっただけ、や……」

 

そう言い終わると共に、彼女は力なく崩れ落ちる。同時に、張られていた結界が解除されて砂が地面へと落ちていく。結局、千雨たちは砂によって押しつぶされることはなかった。慌てて千草の首筋に手を当ててみると、まだ微かだが脈があった。治療すれば助けられそうだ。

 

「……まさか、生きていたとはね……」

 

砂によって遮られていた向こう側の景色に、彼はいた。そう、フェイトである。砂津波によって押しつぶしたと思っていた相手が、まさか無傷で現れるとはさすがの彼も思っておらず、しかしそれを成したであろう千草を見つけて睨みつける。かなりの怒り具合だ。

 

「いいさ、だったら次こそ捻り潰してあげるよ。ヴィシュ・タル・リ・シュタル……」

 

始動キーを唱え、再度魔法を発動させようとする。ネギは相変わらず治療中、刹那も自分も満身創痍だ。今度こそ最後だと覚悟を決めようとする。

 

「待て」

 

しかし、そこに待ったをかける声。フェイトはその声に思わず振り返る。そこには仮面をつけた、フェイトほどの背丈の人物がいた。

 

「作戦は完了だ。このまま帰投するぞ」

 

「しかし……!」

 

「命令は絶対だ。それとも、まさかそこの英雄候補を害するつもりか?」

 

「……っ、了解、しました」

 

仮面の人物に強く言われ、納得はしていないもののフェイトは了承の言葉を発した。そして、再度千雨たちの方を向くと。

 

「……この屈辱は忘れないよ」

 

「ハッ、だったら次はせいぜい足元を掬われないようにな」

 

怒りを隠すこともなく、そう告げる。しかし千雨も挑発気味に返し、フェイトは千雨を鋭く睨みつつも水に包まれて消えていった。恐らくは転移系の魔法だろう。千雨は今度は仮面の人物の方へと向かって問いを投げかける。

 

「……てめぇ、何者だ」

 

仮面をかぶってはいるが、雰囲気からして明山寺鈴音ではない。そもそも、彼女は剣士なので腰に日本刀を佩いているはずだ。背格好は近いとはいえ、やはり別人だろう。だが、そうなれば一体何者だというのか。

 

「答える必要はない。何れは(まみ)えることもある」

 

千雨の問いに対し、相手は返答の必要などないとばかりに一蹴して、闇の中へと消えていった。千雨も、そして刹那も相手がいなくなると同時に握っていた拳を開く。掌は、汗でびっしょりと濡れていた。

 

(あいつと同じ……同格の気配だった……! まだあんなのがいやがったのか……!)

 

(姉さんと互角、いやもしかしたらそれ以上の実力者……恐ろしい相手だった)

 

自分たちを赤子の手を捻るが如く蹴散らした鈴音。そんな彼女に匹敵するほどのものを、二人は感じ取っていた。恐らく、もし戦っていれば一瞬で命を刈り取られていたであろうと。

 

「戦う覚悟をしたはいいが、まさかまだあんなのがいるとはなぁ……」

 

「それだけ、姉さんたちの組織は実力者揃いということでしょう。気を引き締めていかなければ」

 

改めて、自らの未熟を感じた二人。しかし、そこにはもう逃げ出すような弱さは微塵もない。この戦いを通して、彼女たちは着実に強くなっていた。ただ力が強いのではなく、心が。

 

 

 

 

 

「ん、この気配は……」

 

数時間後。何者かが近づいてきているのを感じ取り、刹那は湖の反対側に目を凝らす。すると、その数秒後に何者かが全力疾走でやってきた。ものの数秒もせずに湖を渡りきったそれは、刹那たちの前で足を止める。

 

「刹那君、無事か!?」

 

(おさ)っ!」

 

近衛詠春であった。転移魔法符によって何処かへと飛ばされていたはずだが、どうやら京都府内であったためこうして駆けつけることができたらしい。しかし、その姿は無残なものだった。服はボロボロで、所々が焦げ付いており、左腕が完全に折れている。足も左側をやや浮かせていることから、恐らくは足にも異常があるのだろう。そんな状態でよく走れたものだと千雨は呆れながらも感心する。

 

「皆無事、とまではいかないが生きててくれて何よりだ。こちらへ向かう途中、京都の境界線付近で警戒にあたっていた術師たちに呼びかけたから、すぐに応援が駆けつけるはずだ」

 

「なるべくなら早くきて欲しいな、こいつを治療してやりたいし」

 

「ん、天ヶ崎千草か? ひどい傷だな……しかし、彼女は敵だった人間だ、助けるのかい?」

 

ネギの治療が終わった後、千雨は千草を治療してほしいと木乃香に頼んだ。彼女を攫った人間を治療してやれというのは、さすがに酷なものだと思ったが、木乃香は思いの外すんなりと了承してくれた。死にそうになっている人間を放っておくようなことはしたくないとのことで、覚束ないながらも治癒魔法を施し、応急手当ぐらいにはなっていた。

 

「こいつも利用されてただけだったんだよ、最後のほうで助けてもくれたし。それと、目の前で死なれると後味が悪いしな」

 

そう言いつつも、彼女が死なないか不安げな顔を見せる千雨。境遇としてはある意味、千雨と似たようなものを感じるだけに死なせたくないと無意識的に思っているのだ。

 

「それにしても……」

 

詠春は、自分が渡ってきた湖を見やる。そこには、すでにその威圧感を欠片も残していないリョウメンスクナノカミの残骸が転がっていた。残骸とはいっても、リョウメンスクナノカミは死ぬことが無いためあくまで依代となった巨岩がスクナの形をとっているだけだ。それが、スクナの巨体であったであろう大きな塊が縦一文字に真っ二つに裂けている。

 

「凄まじいな、ここまで見事にリョウメンスクナノカミを両断するなんて」

 

「桜咲も、よくは分からないっつってたぜ。なんか、呼吸が合ったとかなんとか」

 

「……何にせよ、これでもう終わりだろう。既に、奴らは全員撤退したようだ」

 

「あの、長さん……お願いがあるんです」

 

不意に、後ろのほうから声がした。振り返ってみると、先程まで眠っていたはずのネギが立ち上がってこちらへとやってきていた。ふらふらとした足取りで危なっかしく、慌てて千雨がネギの方へ向かい支えてやる。

 

「僕は、これから小太郎くんと合流して、行かなければいけない場所があるんです」

 

「ネギ君、君はまだ石化を解除したばかりでボロボロだ。ゆっくり休んだほうがいい」

 

長に頼み事があるというネギ。しかし、彼は詠春の言う通り石化からようやく解放されたばかりで、傷はまだまだ癒えていない。とりあえず命の危機が去ったネギは、自分の治療は後でいいと言い、木乃香は千草の治療にあたっていたためだ。

 

「僕を、待っていてくれている人がいるんです」

 

少しの間、二人は互いを見たまま動かない。しかし、意地でも引かないといった様子のネギに詠春は根負けしたようで。

 

「……分かった。一応、応援の何人かを護衛としてつけさせよう」

 

応援が来た後であれば許可するとし、ネギは詠春にお礼を言ってから再び眠りについた。

 

(……ふ、やはり親子だな。アイツにそっくりだ)

 

ネギの強い決意の篭った目を見て、詠春はどこか懐かしいものを感じていた。長年、腐れ縁ながらも親友として、そして戦友として共に戦った男を思い出しながら。

 

十数分後。詠春の呼びかけに参上した術師によって千雨達一行は回収され、関西呪術協会本部の屋敷にて治療を受けた。ネギは合流した小太郎に肩を貸してもらいながらも森の奥へと進んでゆき、目的の人物を発見すると駆け寄り、そっとその冷たい頬へと手を差し伸べた。

 

「迎えに来ましたよ、のどかさん」

 

こうして、長い長い夜の戦いは、ようやく終わりを告げたのであった。

 

 

 

 

 

翌日。石像にされていた者たちも治療され、のどかや夕映達も無事に元の姿に戻ることができた。幸い、夕映やハルナは石化していた時のことを覚えておらず、魔法がバレるということもなかった。

 

「うっかりしてたわ~、まさか寝落ちしちゃうとは」

 

「まったく、私も疲れていたとはいえ布団も敷かずに寝てしまうなんて……」

 

昨夜のことは、疲れでそのまま眠っていただけだと夕映とハルナは判断したらしい。結局、二人はまだ用事があるネギ達と別れて先にホテルへと戻った。

 

「にしし、それにしてものどかも積極的になったわね~」

 

「……少々意外だったです」

 

帰りの途で、そんなことを言う二人。と、いうのも。

 

「あの、のどかさん……」

 

「…………」

 

「もうそろそろ、離れたほうが……」

 

「あ、の……もう少し、だけ……」

 

復活したのどかは、何故か朝からネギにべったりとなっていたのである。昨夜、ネギは確かに客間の布団に一人で入っていたはずなのに、翌朝になっていつの間にかネギの布団へとのどかが潜り込んでいるという、起きて早々に心臓が飛び出すかのような自体に遭遇した。そのまま、のどかはネギから離れようとせず、起きてからもずっと手を握ったままなのだ。

 

(先生が無事でよかった……)

 

石化していた間のことは覚えていないが、その間ネギが危険な目にあっていたことは何となく復活した後に分かった。だからこそ、またネギがひどい目に合わないか不安でしょうがないのだ。そのため、のどかはネギから離れられないのである。

 

「ほぅ、先生もいよいよ春到来でござるか」

 

「ええ話やな~」

 

「いや、さすがに先生と生徒という立場上、ああいうのはまずいだろ」

 

温かい目で見守る一同にツッコミを入れる千雨。自分は一般人ではないと認識を改めてなお、相変わらず一番常識的なのも自分なのかと嘆息した。

 

「ははは、若いってのはいいね。僕も昔は妻と……」

 

「父様、のろけはええて。用事があるんやろ?」

 

「ははは、木乃香は手厳しいなぁ」

 

ノロケに突入しそうだった詠春を木乃香が阻み、用事は何なのかと聞く。

 

「ナギが昔使っていた別荘が、この近くにあるんだ。あまり長居もできないだろうし、これからどうかと思ってね」

 

「本当ですか!」

 

「ああ、ネギ君になら是非にと思っていたところだ」

 

こうして、一行はナギの使用していたという別荘へと向かった。なお、いつの間にかいなかったアスナだが、詠春の転移魔法符に巻き込まれて遠くに飛ばされていたらしく、朝方に疲労しながらも戻ってきていた。疲労がまだ消えていないらしく、彼女は眠らせたままにしておこうということになった。

 

「うわぁ……!」

 

ナギのかつての仮の住処。そこには、様々な魔法書や魔法具が収蔵されており、珍しい魔法薬まであった。父が過ごしていた場所ともあって、ネギは大はしゃぎだ。そんな状態でも、のどかはネギから離れなかったが。

 

「すげぇな、意外と近代的な家だ」

 

「魔法使いというのは、基本世間に魔法がばれないように行動しないといけないからね。怪しい家なんかには住めないから、こういうちゃんとした建物に住んでいるんだよ」

 

「なるほど、忍が状況に合わせて服装を変えるのと同じでござるな」

 

楓の例えに頷きつつも、やっぱこいつ忍者だろと心のなかでツッコミを入れる千雨であった。

 

「っと、そういえばもうひとつ用事があったんだった」

 

ネギに声をかけようとするが、彼は夢中になってナギの残した魔法書や書き留めなどを読んでいる。邪魔するのも無粋だと思い、代わりに千雨に少しの間出てくると言い残して、刹那の方へと向かった。

 

「刹那君、少しいいかな?」

 

「は、はぁ……ですがお嬢様は……」

 

「うちは大丈夫や。それにせっちゃんも少しはうちのこと忘れて羽根を伸ばさんと」

 

そう言って、木乃香はぐいぐいと刹那の背を押して詠春へ刹那を押し付ける。

 

「はは、木乃香の許可も貰ったことだし、行こうか?」

 

「は、はい!」

 

 

 

 

 

ナギの別荘から更に少し歩いたところ。森の一角に奇妙な社があった。神社のようであるが、しかしまるで丈夫な倉庫かと見まごうばかりの大きさに、頑丈そうな鉄の扉が備え付けられている。

 

「長、ここは……?」

 

「……ここには、僕がある人物から譲り受けた貴重な資料が収蔵してある」

 

「それは一体……」

 

詠春は扉の方へと向かうと、袖口から鉄製の鍵を取り出して巨大な南京錠に手をかける。鍵穴にそれをはめ込むと、カチリという音と共にロックが外れた。南京錠を取り外すと、今度は呪いの言葉を唱える。すると、鉄扉の向こうから重い金属音がすると、扉がひとりでに開いた。

 

「この蔵は重要な資料や、貴重な書物を保管するための場所なんだ。だから、蔵全体に破魔の力が働いているから魔法も呪術も通用しない。一流の剣士でさえ、この壁を斬り裂くことはできないだろう」

 

更に、南京錠と呪文によって封をしており、この手順を踏まなければ決して開かず、強化の咒が重ねてかけられているためどんな攻撃も通用しないらしい。

 

「ここに、君に見せたいものがある」

 

「私に、見せたいもの……」

 

刹那を連れて、奥へと入っていく。中は思いのほか広く、様々な書物や呪具が見受けられる。中には、相当に危険なものもあるようだ。やがて、古びた本棚の一つの前で止まると、一冊の書物を抜き出した。

 

「えっ……長、これはっ!?」

 

刹那は驚愕した、その書物の題名に。何故なら、こう書いてあったためだ。

 

『村雨流 疾風之書』

 

「そう、これこそが僕のかつての友人……村雨流継承者、明山寺鐘嗣が亡くなる少し前に譲り受けた、村雨流の秘術書だ」

 

 

 

 

 

「村雨流の、秘術書……」

 

「これは村雨流における奥義や数々の技を収めた書、そのなかでも『風』と呼ばれる技術に属しているものが載った書だ。この他に『雷霆』、『雲霧』というのが存在する……が、どうやらこの騒動の間に奪われたようだ」

 

「奪われた?」

 

「今回の騒動、どうやら奴らにとっては二正面の作戦になっていたらしい。君たちが当たったリョウメンスクナノカミを復活させて暴走させる作戦と、もう一つ。この蔵に収められた村雨流の書を奪うことだったらしい」

 

聞けば、詠春は月詠とともに飛ばされた後は暫く月詠と戦っていたが、交代で現れたもう一人の人物と戦ったらしい。そして、それは刹那たちが湖で出会ったあの仮面の人物であるという。

 

「彼女は『黄昏の姫御子』と呼ばれ、かつて魔法世界で僕達が救出した少女だった。名をアスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア。エヴァンジェリンらによって奪われ、悪の道へ落ちた娘だ。今は、組織の幹部格になっているらしい」

 

「そんなことが……」

 

「彼女は魔法無効化の能力を有している。恐らく、僕の相手をする前にこの蔵へとやってきて、秘術書を奪っていったのだろう」

 

幸い、蔵ごと焼かれるということはなかった。あくまで書を奪うことが目的であったらしい。また魔法無効化系の能力者は、魔法が使えない。だから蔵を燃やすということもできなかったのだろう。とはいえ、刹那に手渡そうと思っていた書が敵の手に渡ったのはマズい。

 

「月詠という少女も村雨流を用いていた。恐らくは、彼女に村雨流をより深く教えるために奪っていったのだろう。消去するだけなら、蔵を燃やせばいい話だからね」

 

長の言葉に、刹那はやや顔を暗くする。決別したとはいえ、月詠のために村雨流の書を奪っていった姉。最早、自分は完全に身内として扱われることはないのだろう。

 

「だが二つだけ、奴らには誤算があっただろう」

 

「誤算、ですか?」

 

「ああ、一つはこの疾風の書。こいつは他の二冊と違って全く別の場所に保管してあった。ここの書物の数は膨大だ、探していれば時間がかかる」

 

そうなれば、月詠の加勢に行くのにタイムロスが生じる。だから、二冊だけを抜き取って去っていったのだ。

 

「そしてもう一つ。これは僕が鐘嗣に言われていたことを実践していたおかげだった」

 

曰く、譲り渡された時にこの書だけは絶対に肌身離すことなく持っていて欲しいと。詠春はその書物の内容を聞いており、書物が他者へ渡ることを絶対に避けるために約束を実行した。

 

「それが、このもう一つの秘術書だ」

 

「もう一つの、書……」

 

懐から取り出したそれは、呪法がかけられていることが一目で理解した。また、呪符が

巻きつけられており、厳重な封印が施されていることが分かる。

 

「『村雨流 雨之書』。これこそが、村雨流でさえ闇に葬ってきた禁忌の技術が綴られた、存在しないはずの四冊目だ」

 

 

 

 

 

『ごめん鈴音、言われてたもう一冊は場所が分からなくて確保できなかったわ』

 

「……気にしていない」

 

作戦からの帰りの途、アスナからの連絡を鈴音は受けていた。どうやら、三冊のうち一冊は発見できなかったらしい。しかし、それでも二冊を奪い取れたのは大きい。これで、月詠への稽古もより本格的に行える。アスナからの電話を切ると、一人物思いに耽る。

 

(……月詠は負けはしたが、着実に強くなっている……そろそろ次の段階に進ませるべきか……)

 

彼女がまだ幼い少女であった頃。影鳴によって様々な技術を仕込まれた。しかし幼かったことに加え、厳しい修行であったため意識が朦朧としていた時もあったため、それらの鍛錬法をあまり覚えておらず、結果として自らのやり方で村雨流の技術を月詠に伝授したが、しかし不安が残る。だからこそ、彼女は書を求めた。

 

(……さすがに、四冊目はなかった……?)

 

仕込まれたものの中には、村雨流でさえ忌避した技術もあった。しかし、それが記された書の情報がどこにもなかったのだ。もしかしたら、存在しないはずの四冊目があったのかもしれないが、今となってはもうわからない。

 

(……まあいい、作戦は全て完了した……)

 

今回の作戦で、肝となっていたのは三つ。一つは、リョウメンスクナノカミの暴走。これによって関西呪術協会に多大なダメージを与え、その隙を突いて関東魔法協会に圧力をかけ、組織の影響力を西にまで広げようと画策していた。が、これはあくまでおまけ程度。本命は残りの二つだった。

 

二つ目は、村雨流の書物の奪取。既に使い手が三人しかいない村雨流だが、その秘術書ともなればかなり有用な技術や技能、戦術などが記されている。それを神鳴流などの他流派の手に渡ってはマズいと判断し、月詠の指導のためという意味も含めて手に入れることを目論んだ。これはアスナの手によって成功している。

 

(……英雄候補……今回でかなり前進した……)

 

そして三つ目は、英雄候補に試練を課すこと。これは元々は、大川美姫によって実行されるはずだったものだ。しかし、彼女が失敗したために今回の作戦に組み込んだ。その内容は、一度英雄候補の心を折り、再起できるかを試すというもの。

 

大川美姫による生徒の裏切り、朝倉友美を教唆しての疑心暗鬼。そしてトドメが、鈴音による濃密な殺気。これらによって、ネギ達は完全に心が折れてしまったが、彼らは再び立ち上がることができた。

 

(一度折れた心は、中々治らない……けど、もう一度再起できれば……より強靭な心を手に入れて、立ち向かえる……)

 

エヴァンジェリンや鈴音という、極大の邪悪相手に決して折れないこと。それが英雄の必要最低限の条件だ。これがなければ、彼女らの求める英雄の資格はない。そのためなら、心が折れてそのまま廃人になろうが自殺をしようが、彼女らにとっては瑣末なことだ。

 

(……刹那)

 

決別した妹のことを考える。既に、彼女にとって刹那は身内ではなく敵。それも、高い将来性を持つ英雄候補だ。リョウメンスクナノカミを一太刀で斬り捨てたことから考えても、十分すぎる素質がある。

 

(……いずれ、私の領域までくる……その時が、楽しみ……)

 

暗い愉悦の笑みを浮かべ、来るべき時を待ち焦がれる。最早、そこに姉妹としての情はなかった。

 

 

 

 

 

短くも濃密な修学旅行が終わり、3-Aメンバーは帰りの新幹線の中にあった。さすがに疲れたのか、初日とは対照的に、とても静かな車内。引率であるネギも、他の先生から休むように言われ、眠りについている。

 

そんな中、ただ一人目を覚ましている者がいた。刹那である。普段から夜の警備などで起きていることが多いためか、睡眠が少なくても疲労が残りにくく、結果として少し眠っただけで目が覚めてしまったのだ。

 

(……色々なことがあったな……)

 

姉との再会と、決別。そして戦い。自らの秘密を話し、受け入れてもらえた喜び。人生で初めて、自分の翼で空を飛んだりもした。

 

(本当に、色々あった……)

 

物思いに耽っていると、不意に隣の席から手が伸びてきた。それは刹那の腕にふわりと乗ると、そのまま動かなくなる。横を見れば、自分に寄りかかったまま寝ている木乃香の姿が。

 

「ふふ、せっちゃ~ん……」

 

眠ったまま、刹那のことを口にする。そんな彼女が愛おしく、刹那は木乃香の髪をそっと掬いあげた。

 

(……奪わてしまったけど、取り戻すことができてよかった……)

 

心の底から、彼女はそう思う。守り続けることはできなかったけれど、それでも今こうして彼女はここにいる。それが、当たり前のことであって、それがとても嬉しくて。

 

(うちが、今度こそ守るえ……このちゃん)

 

優しい暖かさに包まれながら、刹那は再び眠りにつく。

 

『あっちむいてホイ! せっちゃんのまけ~!』

 

『つ、つぎは負けへん! このちゃん、もういっかいや!』

 

宝物のような思い出を、夢に見ながら。



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閑話 追憶

袂を分かち、敵対した姉妹。
これは、そんな二人の出会いたる前日譚。


きっかけは、単純なものであった。

 

『最近は方々の掌握も進んでやることが減ってきてな、暫く休んでくるといい。ククク、どうせなら2年ぐらいはぶらついても構わん。存分に羽根を伸ばしてこい』

 

主である少女から、珍しく長い(いとま)を出された彼女は、何故か自らの故郷である日本へと赴いていた。

 

「…………」

 

見渡す風景は、かつて狭い世界に生きていた幼い自分にはとても想像もつかないものだっただろう。しかし、すでに行く年もの時が過ぎ去った今では、彼女にとっては何の感慨もないつまらぬ雑多な風景であった。

 

(……何故私は、ここに戻ってきたのか)

 

望郷。人は己の生まれ育った地を再び訪れることが多い。だが、彼女にとってはここは自らが鬼へと生まれ変わり、全てを失った忌まわしい場所なだけ。そんな場所に、わざわざ戻ってきたいなどとは思わないだろう。

 

「……まあ、いいか」

 

それさえも、考えるだけ瑣末なことだ。結局己は鬼としてあり、人としての全てを捨てた。成し遂げたかった復讐も、憎悪も全て枯れ果てた。失ったことへの哀しみも、痛みすらそこにはありはしない。

 

(……それでも、私は期待しているのかもしれない)

 

最早戻れぬ、穢れを知らなかったあの時間。心の奥底で未だ渇望しているのやもしれない。ここにやってきて、ひょっとすれば昔のように父母が暖かく出迎えてくれるなどという、妄執にとらわれているように思えた。

 

「……バカみたい」

 

 

 

 

 

馴染みのない街中を歩いたが、何か発見があったわけでもなく、いつの間にか町外れへとやってきていた。思えば、自分には趣味と呼べるものがない。暇があれば修練か瞑想ばかりやっていた。これは幼い頃から影鳴によって教育された影響が今も残っているせいだろう。

 

(……心が落ち着く)

 

静かな森の中を歩いて行く。先ほどまでと違い、喧騒から遠ざかったこともあってか心が安らいでいるのが分かる。だが、対照的に空が段々と鈍色へと変化していっていた。

 

(……一雨くるか)

 

生憎、雨具は持ってきていない。このまま濡れ鼠になってしまうのは構わないが、まだ宿泊先を決めていないので乾かす目処もないのが困りものだ。

 

(……仕方ない、戻るか)

 

あてもなく彷徨っていたためか、結構な深さまで森の奥へと進んでしまっていたらしい。後ろへ振り返ってみても、先ほどの現代的な風景はどこにもなかった。

 

(……? ……『呼吸』?)

 

何かの、弱々しい『呼吸』が感じられる。それだけであれば別に気にもとめなかったのだが、ふつうのものとは違った感覚が引っかかった。

 

(……これは、人間と……別のもの、か……?)

 

人間の呼吸に混じって、何か別のものが混ざりこんでいる。普通とは違うそれは、魔の者に近いものだった。興味が湧いた彼女は、呼吸の感じられる方へと歩を進めてゆく。歩くにつれ、ぽつりぽつりと雨が降り始め、やがて本降りとなっていく。

 

「……子供、か?」

 

見つけたのは、雨の中地べたに這いつくばる少女。見れば、泥に汚れてはいるが白い頭髪に色素の薄い肌をしている。恐らくは、アルビノだろう。

 

(……半妖か)

 

先ほどの違和感は、これが理由だったのかと納得する。

 

「……おなか、すいたなぁ……」

 

弱々しい言葉が聞こえてくる。雨が容赦なく彼女を打ち、どんどん体温を下げている。このままでは、きっと死ぬだろう。

 

「……どうしたの?」

 

反射的に、鈴音は呼びかけた。取るに足らない存在であったはずなのに、何故か声をかけてしまった。

 

「だ、れ……?」

 

閉じかけていた目を微かに開き、こちらを見つめつ少女。その目には、生きようという気力も、活力も存在しない。ただ、絶望を湛えているだけだ。

 

「……貴女、一人……?」

 

少女を見下ろす鈴音。命の灯火が今、消えようとしているのが分かる。

 

「うち、ひとりぼっち……なの……」

 

「……そう」

 

「しんだら……とうさまとかあさまにあえるかな……」

 

(……!)

 

鈴音は気づいた。何故、自分がこんな少女から目が離せないのか。似ていたのだ、自分に。かつての、鬼に成る前の己に。

 

(……全て、失って……絶望に、沈みかけている……まるで、私だ……)

 

ならば。このまま絶望に突き落としてやれば己と同じものが生まれるのではないか。ふと、そんな考えが浮かんだ。

 

(……どうせ死ぬ。……なら、試してみるのも面白い……)

 

黒い狂気が鈴音を後押しする。

 

「……死んでも、貴女の父と母は、そこにはいない……」

 

口をついて出たのは、死した先に、慕う父母など存在しないという言葉。ただ、彼女はそれを向こう側を見たせいでよく知っている。あながち間違いというわけではない。少女は、その言葉に何か反論するでもなく、悲しむでもなく目を閉じた。

 

「……死んだ、か」

 

鼓動が止んだ。間違いなく死んだのだろう。最後に看取られたのがこんな怪物だというのが、実に哀れだった。だが、彼女は未だ少女から目を逸らさない。そのまま、近くにあった大岩に腰掛け、じっと見つめる。

 

(……やはり、あの世界へ行ったか)

 

彼女を通して、向こうの世界を見る。半分あの世界とつながっている彼女には、鮮明にその光景が見て取れた。

 

(……? ……おかしい、死ぬにしてもすぐに輪廻へ呑まれるはず……)

 

あの世界は死者にとっての岐路でしか無い。生まれ変わるものはすぐに世界へと溶け込み、全てが洗い流されて何処かへと消えていく。だが、あの少女にはそれが起こらない。

 

(……紅雨も反応していない……?)

 

彼女はまだ死なないのだとすれば、あの世界の門番でもある紅雨が反応するはず。既に現世での憑代の主である鈴音がいるため、異物として追い出すはずだ。

 

(……紅雨、何故動かない?)

 

彼女が紅雨へと呼びかけたその時。突如向こうの世界で水面に無数の波紋が広がり、どんどんと波立っていく。それはどんどん激しくなり、最後には大津波となって少女を飲み込んだ。

 

(……どういうこと?)

 

『呼びかけ感謝するぞ主、まさか俺が気づけなかったとは……』

 

(……気づけなかった?)

 

『何故かは俺にもわからん、だが俺の探知には全く引っかからなかった』

 

あの世界の住人である紅雨が、気付かなかった。明らかに異質だ。

 

「ん……あ、れ……?」

 

そして、少女が目を覚ます。そんな少女を、鈴音はじっと観察する。正直言って、本当に生還するとは思いもしなかった。まして、紅雨にさえ気取られないであの世界にいられる者など、彼女も初めて見た。

 

「うち……いきてる……の……?」

 

「……貴女が見たものは、本物よ……」

 

困惑気味の少女に、鈴音は夢ではなかったと端的に言う。少女はますます混乱している様子で、自分が死んでいるのか生きているのかもいまいち判別がついていない様子だ。ただ、生き返って間もないせいか、或いは元々衰弱していたせいかは分からないが、相変わらず呼吸が弱々しい。せっかく生き返ったのに、このまま死なせるのもつまらない。そう思った鈴音は。

 

「……食べる?」

 

コンビニエンスストアで購入した、ビニールに包まれたおにぎりを差し出した。

 

「……いいの?」

 

「……お腹、空いてるでしょ?」

 

少女は鈴音の手からそれをひったくると、開け方もわからないのか乱暴にビニールを破って中身を取り出し、口へと運んだ。余程腹が減っていたのか、無心になって食べ進め、あっという間に腹の中へと収まった。

 

「……なんで? なんで、うちをたすけてくれなかったん……しにそうやったのに……」

 

少女は、鈴音を非難するような眼差しで見る。ただ、そこには少なくとも先程までのような絶望に打ちひしがれ、光を失った目はなかった。

 

「……生きるか死ぬかは、その人の気力次第……貴女は本当に死ぬ寸前だった……。……私が手助けをしても、死んでいた……。……だから、貴女が生き返ったことに、驚いてる……」

 

あえて、自分が思っていたことを口にした。生き死には本人の生きようとする気力が重要であり、だからこそ自分は余計な手出しをせずに成り行きを見守ったのだと。

 

「……貴女があの世界で、輪廻へゆくのかを見ていた……」

 

「みていたって……あのよを、みてたってこと……?」

 

「……私には、あの世界が見える。……でも、生と死の営みは私には変えられない。……それができるのは、あの世界のモノだけ……」

 

そう、あの世界に住まう存在だけがそれを許される。自分は所詮、此岸における紅雨の憑代の所有者なだけだ。

 

「……貴女はまだ、あの世界に行くべきではない……だから、生きている……」

 

ともかく、かの世界から放り出されたということは、まだ死ぬべき宿命ではないということ。ならば、この少女の行く末を見てみるのも一興。

 

「……まだ生きたいなら……一緒に、来る……?」

 

「え……?」

 

「……一人は、寂しい。……寂しいのは、怖いよ……?」

 

何より、かつての己の境遇と同じ少女を、このまま見捨てるのは気分が悪い。かつて、己は鬼と成って放浪し、エヴァンジェリンに出会うまでは絶望の中を彷徨っていた。あの時、もし彼女と出会えなかったら。それを想像するだけで鈴音の心は恐怖する。

 

ここで少女を見捨てれば、少女はどうなるだろうか。それが分かるだけに、見捨てるという選択肢は選びたくない。

 

「……ええの? うち、いっしょにいってもええの……?」

 

「……私は、貴女を拒絶しない。……貴女と共にいる」

 

「……うぇ、うえええええええん!」

 

少女は、受け入れられた嬉しさと、寂しさからの解放で大いに泣いた。鈴音は、ただ泣くのが収まるまで少女の頭を撫でて宥め続けた。やがて、少女が泣き止むと、名前を尋ねる。

 

「……貴女、名前は?」

 

「……せつな」

 

「……刹那……か……」

 

儚く、一瞬にも満たぬ時間。鈴音はそこにどこか因果を感じていた。自らが廻る世界を生き、感じ取り、生と同時に死も共に在るようにと『輪廻』をもじって名付けられた鈴音という名。そして、その生と死そのものも、眩くも儚い刹那に等しい。それはまさに、鈴の音の如く。

 

不意に思い出したのは、母があまり好まなかった桜の中で、ただ一度だけ美しいと呼んだそれ。ひっそりと咲き、ただ散っていく山桜。鈴音も、幼いながら鮮烈に覚えている。

 

「……今日から、貴女は桜咲刹那よ」

 

我ながら、安直な名づけ方だと心のなかで苦笑する。だが、不思議としっくりくるものがあった。

 

「おねえさんの、おなまえは……?」

 

不意に、そんなことを聞かれた。そういえば、少女に対してまだ名乗ってすらいなかったことに気づく。

 

「……鈴音。……明山寺鈴音」

 

これが、鈴音と刹那の最初の出会い。運命が交わった瞬間であった。

 

 

 

 

 

「……腕が下がっている」

 

「はいっ!」

 

出会いから1年。鈴音は気まぐれから自分の妹とした少女、刹那に剣術を仕込んでいた。最初は護身が出来る程度に学ばせるつもりだったのだが、刹那の才能は眼を見張るものがあり、いつの間にか彼女は本格的な稽古を刹那につけていた。

 

「……反応が遅い」

 

「うわっ!?」

 

今行っているのは、木刀を用いての実戦的な戦闘だ。主な宿泊先はホテルなどの施設だが、日中はもっぱら山中へと向かい戦闘訓練が主だった。基礎体力をつけさせるために、ひたすら鹿を追わせたり、わざと山中に残して山の中を彷徨わせたりもした。

 

尤も、後者は見捨てられたと勘違いした刹那が大泣きしたため、以後二度と行うことはなかったが。

 

(……鬼も泣く子には勝てぬ、か)

 

「す、隙ありやっ!」

 

「……甘い」

 

「はうぁっ!?」

 

意識がそれていた自分を見て好機だと思ったのか、刹那が一気に打ち込みにきたがそれを軽くかわして脳天を木刀で叩いた。痛みで頭を抱え、蹲る刹那。

 

「うぅ、姉さん強すぎや……」

 

「……刹那も大分うまくなったよ」

 

「ほ、本当!?」

 

慕っている姉から珍しく褒められ、有頂天になる刹那。が、今度はその姉から後頭部に木刀での殴打をもらう。再び頭を抱えて蹲る刹那に、やや呆れながら鈴音は注意する。

 

「……調子に乗っちゃ、ダメ」

 

「はい……」

 

彼女も村雨流の継承者、鍛える以上妥協など許さないし伸ばせるところまで伸ばしてやりたいという気持ちもある。

 

(……本当に、甘い)

 

魔法世界(ムンドゥス・マギクス)最狂と恐れられる自分が、こんな子育てじみたことをするなんて、本当に甘いことだと自嘲した。しかし、一方でそれを悪くないと感じているのも確かだ。彼女が自分とお揃いがいいからと、刹那の白く美しかった髪を染め、黒目のコンタクトまで与えた。彼女に、一緒がいいと言われて嬉しかったのだ。完全に浮かれ気味である。

 

(……でも、いつか戻らなきゃいけなくなる)

 

出された暇はまだまだある。あと1年は帰らなくても問題ないだろう。必要なら、向こうから連絡がくるはずだ。それでも、いずれは帰らなければならない。自分は、決して光の中にはあれないのだから。

 

(……その時は、刹那も……?)

 

フェイト同様に、見習いとして組織に所属させるのもいいかもしれない。そんな考えが浮かんで、しかし対照的にそれをよく思っていない自分もいた。

 

(……刹那は、まだ純粋……私と違って、闇に馴染めないかもしれない……)

 

その時は、どうする。彼女は身寄りのない少女だ、自分と袂を分かつならば共にあるのは到底不可能。必然、一人で生きていくことになるだろう。

 

(……それは、少し嫌かな……)

 

最初は、興味本位と実験的な目的だった。だが今は、少しだけ愛着が湧いてしまったらしい。

 

道は二つに一つ、答えの出ない悩みに、鈴音は終始うわの空気味であった。

 

 

 

 

 

そんなことを考え始めていた矢先、刹那を連れて鈴音は京都へと足を伸ばした。普段修行ばかりでは刹那もストレスが溜まるだろうと思い、気晴らしに観光でもしようというわけだ。初めての京都の街並みに、刹那は興奮気味だ。

 

「姉さん、これは何やろ?!」

 

「……八つ橋」

 

「あれ、でも八つ橋ってお餅みたいなやつじゃ……?」

 

「……それは焼き菓子の八つ橋……とても硬い」

 

こうして普通に観光しているさまは、仲の良い普通の姉妹にしか見えない。尤も、鈴音が幼い容姿をしているせいもあるが。店に行くたび、親はどうしたと尋ねられるのは正直鈴音には煩わしかった。

 

「そういえば、姉さんはいくつなん?」

 

純粋な疑問からか、刹那がそう尋ねてくる。確かに、自分と同じぐらいの容姿をした自分が、本当に歳上なのか疑問に思うのは仕方のない事だろう。

 

「……20は既に過ぎてる」

 

「ええっ!?」

 

「……この話は、もう終わり」

 

別に年齢のことなど化け物になった時点で気にはしていないが、仮にもここは天下の往来である。さすがに人が見ている前で自分の年齢について語るなどという羞恥プレイは避けたかった。彼女とて、恥ずかしさを感じないわけではないのだ。

 

(……少し危険だが、あそこ(・・・)にも行ってみるか)

 

少し落ち着いた場所に行きたいと思い、それならばもののついでとばかりに、目的地へと向かった。

 

 

 

 

 

「……ほわぁ、鳥居がいっぱいある……」

 

「…………」

 

やってきたのは、京都の中心部から離れたところにある神社。ここは、かつて彼女が日本で鬼に成りたてであった頃に彼女を追いかけまわした組織の本部が置かれている場所でもある。

 

(……関西呪術協会、か)

 

彼女にとっては苦い思い出が多い。ひたすらに人を殺すことばかり考え、己を倒してくれる存在に執着し続けていた自分を追い詰めた組織。自分に殺されない相手を求めていた彼女にとって、それは最初は僥倖であったが、次第に相手をするのが辛くなっていった。

 

強いのは確かであった。しかし相手をしているのは大半が異形の存在や妖怪変化で、術者は後ろで指示をだすだけが殆どであった。彼女は人間の強者に倒されたかったのであって、これでは本懐は遂げられないと感じ、日本を脱出したのである。

 

では何故彼女はここへとやってきたのか。それは、ここが関西呪術協会の本部であることに意味がある。『旧世界(ムンドゥス・ウェストゥス)』と呼ばれるこちらの世界に、鈴音とその主らは進出することを目論んでいる。その候補の一つとして、鈴音の故郷でもある日本が挙がっているのだ。そのため、この地を古くから守護する関西呪術協会について、色々と探りを入れておく必要があったのだ。

 

「……刹那、ここなら人は少ないから、好きに歩いていい」

 

「ええの? じゃあ、うちちょっと向こう見てくるー!」

 

鈴音に許可をもらった刹那は、早速とばかりに林の向こうへと駆けていった。それを見送ると、彼女も気配を消しながら慎重に、階段の上へと向かっていった。

 

 

 

 

 

ひと通りの調査を終えた鈴音は、近場にあったベンチへと腰を掛ける。

 

(……私は、どうしたいのだろうか)

 

刹那とは、このままではいられない。いずれは自分とともに連れて行くのであれば、正体を明かす必要がある。その時、彼女は自分を受け入れてくれるか。

 

(……分からない)

 

どうするべきか、正体を明かすべきか。そんな苦悩が頭のなかで延々とループする。正直言って、ここまで彼女のことで悩むようになるとは鈴音自身思いもしなかった。

 

(……別れる、なら……彼女は一人ぼっちに戻ってしまう)

 

孤独の辛さは、彼女自身よく知っている。だからこそ仲間を求め、敵を求めているのだ。彼女にそんな辛さを味わわせるのは、今の彼女にはできなかった。

 

(……温くなったな、私も)

 

たった1年と少し。それだけの間に、彼女は仲間でもない存在に情が移っていたのだ。

非道の限りを尽くし、怨嗟と憎悪の的となってなおそれをやめることのなかった己が、こんなくだらないことで真剣に悩んでいる。実に滑稽な話だ。

 

「……このままでは、いけないはずなのに……」

 

この心地よさから、抜けだせないでいる。それが己を(なまく)らへと返事させていると理解していながら。己に必要なのは、主とともにあるための研ぎ澄まされた鋭い刃。それを捨てるなど彼女にはできない。

 

「……あ」

 

顔を上げてみれば、いつのまにやら日が傾いていた。空は薄赤く染まり始め、夜へと変じようと動き出しているのが分かる。大分長い時間、考え事をしていたらしい。

 

「姉さーん!」

 

何処かへ行っていたはずの刹那も、戻ってきた。どうやらずっとこの神社の中を歩きまわっていたようだ。

 

「……刹那、どうだった?」

 

「うん、楽しかった!」

 

彼女をほったらかしにしてしまったままにしていたことに申し訳無さを感じつつも、刹那が楽しめたのであればよしとしようと思っていたその時。

 

「あのね、あのね! 友達もできたんよ!」

 

「……!」

 

一瞬だけ、驚きの顔を見せるも即座に鈴音は平静を取り繕い、普段の無表情へと戻る。しかし、内心では動揺が隠し切れないでいた。

 

(……ここは人が寄りつきづらい場所、彼女と同い年の子が遊びに来る可能性は低い……なら、ここで彼女が遊んだ相手は……!)

 

相手の人物について、嫌な心当たりを思いつき、鈴音はその友達がどんな人物か尋ねた。

 

「……相手の子の、名前は?」

 

「えっとね、このちゃんっていうんよ」

 

「……そうじゃなくて、ちゃんとした名前」

 

「んーと、このちゃんはたしか、このかって名前だって!」

 

(……! ……近衛、木乃香……!)

 

刹那の挙げた名前から、嫌な予感が的中してしまったことを悟る。そうそれは、かつての宿敵でありサムライマスターの異名を持つ英雄、近衛詠春の娘であった。

 

 

 

 

 

刹那が近衛詠春の娘と親しくなった。これは、鈴音にとってはある意味で僥倖と言えるだろう。なにせ調べておきたい組織の長、その娘なのだ。このまま刹那を通じて情報を手に入れることができれば、相当に価値のある情報も聞き出せる可能性があると考えたのだ。

 

「……暫くは、京都に滞在する……その娘と、好きに遊んでいい……」

 

「え? でも修行はどうするん?」

 

「……修行も、暫くお休み」

 

こうして、なし崩し的に京都での生活が始まった。元々、二人で宿泊施設で生活していたため、こちらに来る時に荷物はすべて持ってきている。このまま長期滞在をしても何ら問題ないのだ。

 

「今日はかくれんぼしたんよ! このちゃんかくれるのがうまくて全然見つけられんかった!」

 

「……そう」

 

鈴音は、刹那が嬉しそうに語るその日その日の出来事を聞き、情報を精査していく。近衛木乃香の個人情報から、端々に出てくる木乃香を迎えに来た人物などを調査した人物と照らしあわせて絞り込んでいく。勿論、刹那には自分や村雨流のことは絶対に口外しないように釘を差している。根が真面目なため、それはしっかりと守っているようだ。

 

(……あまり、有用な情報はない、か)

 

所詮は子供の記憶頼り、欲しい情報はほとんどなく、むしろ刹那がどういう遊びをしていたのかなどのどうでもいい情報が大半であった。

 

(……そんなことは、初めから分かっていたはず)

 

むしろ彼女は、そういった情報よりも刹那が友達とどんな遊びをしているのかが気になっていた。一度だけ、二人が遊んでいるところを、こっそりと見に行ったこともある。二人が、とても仲睦まじく遊んでいたのを彼女は遠くから眺めていたのだ。

 

(……そう、か。……私は安堵してるんだ)

 

刹那に、友人ができたことに自身が内心喜んでいたのだとようやく気づいた。鈴音が彼女を連れて行かないのであれば、刹那はまた孤独な生活に戻る。だが、友人がいるのであればそれは異なってくる。

 

(……私は、刹那を連れていけない……連れて行っちゃ、いけない……)

 

自分は既に、数多の血でその手を汚している。もう光の道へは戻れない怪物だ。だが、刹那は違う。彼女はまだ純粋であり、悪ではない。そして将来を選ぶのは彼女自身が決めることだ。己が余計なことをするべきではない。

 

(……それでも、あと半年だけ……)

 

そんな考えが浮かび、すぐさまそれを振り払いつつも愕然とする。いつの間にか、別れすら惜しくなるほどに刹那は己の心の奥底にまで潜り込んでいたのだ。

 

(……これ以上は、本当にダメ……)

 

このままいけば、いずれ自分を許せなくなってしまう。自分が最も優先すべきは、敬愛する主人以外にありえない。主の刃であるのが己の意味、それを失ってしまえば、最早それは自分ではない。

 

(……なら、せめて……)

 

 

 

 

 

己とともにあったことを忘れてほしくない。そう思った彼女はその後、刹那に数々の技術を叩き込んだ。最近は修行を全くしていなかったことと、久々に姉と一緒に修行ができるのが嬉しかったこともあり、刹那はとても真剣に取り組んだ。

 

そうして1ヶ月の間、鈴音は一つの奥義と、父から学んだ秘奥を授けた。突貫であったこともあり、他の奥義や危険極まりない"裏式"は伝授できなかったが、それでも刹那は驚異的な飲み込みのよさと才覚で、それをものにしてみせた。

 

「……今日は、修行は休みだから、久々に友達と遊んできなさい……」

 

「やったー!」

 

「……それから、これを」

 

彼女が取り出したのは、一枚の茶封筒。刹那はそれを受け取ると、これが何なのか尋ねる。

 

「……それを、友達に渡して。……そして、友達のお父さんに渡すように言って」

 

「うん、わかった!」

 

彼女は返事をすると、そのまま友人が待つあの神社へと向かうために駆けていった。その後ろ姿を見送った彼女は、部屋に戻ると荷造りを始める。

 

(……これで、よかったはず)

 

あの手紙には、彼女を引き取ってもらいたいという旨が書かれている。刹那には剣術の高い才能がある。近衛詠春であれば、きっと神鳴流へと入らせるはずだ。また、村雨流は己が大事だと思った者を守るときにのみ使えと言い含めてある。彼女から自分のことがバレる心配はないだろう。

 

(……刹那は、きっと泣くだろうな)

 

あの娘は泣き虫だから、と。戻ってきて、自分の姿がないことに大泣きするであろうそんな光景が目に浮かぶ。胸に去来した苦しさを押し殺し、彼女は宿をあとにする。

 

「……さようなら、刹那」

 

願わくば、彼女が己のようにならないようにと祈りつつ。鈴音は刹那の前から姿を消した。しかし互いにその乾きは癒せず、一人は更なる仲間を求め、一人は友人を深く愛するあまり壁をつくった。

 

止まった二人の運命が、再び動き出すのは数年後。されど、より深き闇に進んだ姉と、光の道を歩んだ義妹。最早、二人の道が重なることはなかった。



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第四十六話 絶望と友情と

絶望から端を発した出会いと過ち。
絶望が再び足元を這いずり、少女を絡めとる。


思い出すのは、泡沫の記憶。世界のすべてが無価値に見えてしまっていたあの頃。生きているのか死んでいるのかも分からないほどに揺らいでいた私。

 

ある時何もかもが嫌になり、私は図書館島の滝壺へとその身を投げた。死の先にあるものが何か、ろくに考えもせずただこの灰色の世界から抜け出したくて。

 

『改めて御機嫌よう。自殺志願者さん』

 

『……なんで私を助けたんですか』

 

『気まぐれよ。誰しも人生の中でたまに起こすそれが偶然にも今日起こった。それのはけ口として貴女を助けたといったとこかしら?』

 

『そんな理由で……』

 

『理由を求めすぎるのはよくないわ、物事を探求する上での障害になりかねない』

 

滝壺の奥底、本来であればいくことのできない水中洞窟の先に私は押し流され、そこへたどり着いた。そこで私を助けたのが、一人の女性。つぎはぎだらけの、統一性のないカラーリングをした目に痛い服を着た人物。

 

『まあ、まずは紅茶でも飲んで体を温めなさい』

 

『っ!? か、カップが宙に……』

 

『ああ、貴女一般人だったわね。言っておくけど、これは手品でもなければ目の錯覚でもない』

 

『どういうこと、ですか……』

 

『端的に言えば魔法よ。信じるかどうかは貴女の頭に任せるわ』

 

常識はずれなことの多い麻帆良で過ごしてきた私でも、見たことのないような光景。非日常、非科学的なそれに、私は内心動揺と興味を抱いていた。

 

『ふぅん……少しだけ気分が浮き上がったわね。好奇心が湧いてきたってとこか』

 

『……っ!』

 

心の底を見透かすかのような、黒真珠の如き漆黒の瞳。吸い込まれそうなほどにそれに見つめられ、心臓を鷲掴みにされたかのような錯覚に陥った。滴り落ちる汗の一滴一滴が冷たく、氷の粒が滑り落ちているのではないかと思えるほどに。

 

『……面白いわ。世界の全てに興味が無いと思いながらも、この世界に対して執着と未練を感じさせる二律背反(アンチノミー)……矛盾を抱え、悩み、死にたいほどに苦しく……されど死ぬことを怖がっている。それも死に対して怯えているのではなく、何かを喪失することへの臆病さから……』

 

ひと通り私を眺め終えたその女性は、立ち上がり私の方へと近づき、こう耳打ちをした。

 

『貴女、魔法を学んでみる気はない?』

 

これが、私の過ちの始まり。奈落の魔女との出会いだった。

 

 

 

 

 

「……んぅ」

 

けたたましい音に目を覚まし、夢から離脱する少女が一人。音の発生源である時計を見てみれば、何故か予定していた起床時間よりも早い。大方、朝に弱い自分のために同居人が時間をはやめて設定したのだろうと考え、欠伸を噛み殺しながら布団を抜け出す。

 

「……今日から授業でしたね……」

 

修学旅行が終わり、休みを挟んで本日から授業が始まる。憂鬱な気分になるが、しかし休んでばかりでは学業が疎かになる。部屋を見渡してみると、他の同居人二人の姿がない。

 

(……二人共、先に起きてどこかに行ったですかね?)

 

恐らくは、早く目が覚めて暇だった一人にもう一人が付き合わされているのだろうと想像しつつ、冷蔵庫から紙パックの飲み物を取り出す。

 

「……んー、ハズレですね。もう少し刺激的なのを期待したですが……」

 

彼女が評価を下したその飲み物の名はハッカ青汁。麻帆良学園限定で販売されている飲み物で、名前の通りハッカのすっとした喉越しと青汁の絶妙な苦さが入り混じったキワモノである。しかし彼女はそんな代物を表情ひとつかえることなく飲み干し、残った紙パックをゴミ箱に放り投げる。

 

「抹茶コーラのような奇跡の産物には、中々会えないものですね……」

 

想像もしたくないような名前の飲み物を例に出し、それに匹敵するような飲料に出会えないことに不満を表す。彼女はこういったキワモノ系の飲料をこよなく愛し、見かければ思わず手を出してしまうほどのマニアなのだ。

 

「……お腹が減りましたね」

 

今日の朝食の当番は同居人の一人だ。が、肝心のその人物がここにいないため自分で作る他ない。

 

「……まったく、ハルナ達はどこへ行ったですか……」

 

ため息を一つこぼしながら、彼女、綾瀬夕映は朝食の準備へととりかかることにした。料理は余り得意ではないが、簡単に目玉焼きぐらいなら作ることはできる。

 

「……って、卵の買い置きがないじゃないですか!」

 

尤も、その材料がなければ意味を成さないが。

 

 

 

 

 

「いやー、悪いね! 押しかけちゃった上に御飯まで貰って!」

 

「全くよ、少しは遠慮ってものを学びなさい」

 

「うひー、アスナは厳しいねえ。小姑みたい」

 

「誰が小姑よ!」

 

夕映が途方に暮れているその頃。ハルナとのどかはアスナたちの部屋にいた。何故彼女らがこんな朝早くからここにいるのかというと。

 

「あの、のどかさん……」

 

「す、すみませんせんせー……けど、もう少しだけ……」

 

原因は意外にものどかにあった。ハルナが朝食の準備を済ませた頃、のどかがいきなり飛び起き、そのままネギのいるアスナたちの部屋へと向かおうとしたのだ。どうも、先日の戦いからネギが石化する悪夢を見たらしく、不安になってネギのところへ向かおうとしたらしい。ハルナはのどかに付き合ってネギのところへやってきただけなのだ。

 

一応、押しかけた手前朝食の手伝いぐらいはしている、のどかだけだが。ハルナはのどかを眺めてニヤニヤしていただけである。

 

「はぁ~、ラブいねぇ青春だねぇ」

 

「なーにじじ臭いこと言ってんのよ。あんたも同い年でしょうが」

 

「あたしゃ他の人の恋愛事情には興味あるけど、自分のことはさっぱりだし?」

 

「花の女子中学生とは思えない台詞ね……」

 

尤も、そんなことを言っている彼女は既に中学生なんて年齢ではないのだが。

 

「ん? 今度は誰かしら?」

 

再びインターホンの音が鳴り、今度は一体誰だと思いつつ玄関へと向かう。

 

「どなたですか……って、朝倉じゃない。どうかした?」

 

扉を開けると、そこには朝倉和美の姿があった。いつもの様におちゃらけた雰囲気ではなく、顔は真剣そのものだった。

 

「……前のこと、先生に謝りにきたのよ」

 

先日の修学旅行。氷雨に誘導されたとはいえ、ネギの触れられたくない部分を探ろうとしたことには変わりない。だからこそ、助けてもらったことのお礼と謝罪を述べにきたのだ。

 

「あー……そういうこと。とりあえず入んなさい」

 

立ったままというのも何なので、とりあえず和美を招き入れるアスナ。入ってくるときも、いつものズカズカとした調子ではなく恐る恐るといった感じだ。やはり、先日の行いに後ろめたさを感じているのだろう。

 

「そういえば、夕映はどうしたん?」

 

「あ゛」

 

なお、木乃香の言葉でようやく夕映のことを思い出したハルナは、和美と入れ替わる形で急いで部屋を出て行った。部屋に戻ったあと、夕映に大目玉を食らうのは避けられなかったが。

 

 

 

 

 

「本当に、申し訳ありませんでした!」

 

ネギと対面し、いきなり深々と土下座をする和美。ネギはいきなりのことに面食らいつつも、あたふたとしながら顔を上げてくれとお願いする。

 

「い、いえ! あれは仕方がないこともありましたし……!」

 

「それでも、です。私は、自分で自分のあり方を曲げてしまったから……」

 

悪を暴く正義の記者を目指していたはずなのに、怪しげなペンダントに教唆されて人の本当に触れられたくない秘密に触れてしまった。本当なら、罵声の一つでも浴びせられたほうがまだましだった。だが、ネギはそれでも自分と向き合い、諭してくれた。だからこそ、今度は真正面からしっかりと謝りたいと思ったのだ。

 

「ネギ、素直に受け取ってあげたほうがいいわ。朝倉もそうしなきゃ踏ん切りがつかないだろうし」

 

「は、はぁ……じゃあ、朝倉さん」

 

「はい」

 

「僕からの宿題です。今度からは、ちゃんと人のことを慮って取材してくださいね?」

 

「……っはい!」

 

涙をにじませつつ、和美はネギと握手を交わす。今度こそ、道を誤らないために。

 

(ふぅん……大分精神的に強くなったわね。これなら、この先心が折れるなんてことは早々ないか)

 

一方で、そんな二人を覚めた目で見つつ観察しているアスナ。先日での戦いが、ネギを成長させたことをしっかりと確認しておく。彼女にとっては、あくまでもネギ達は観察対象でしかなく、仲間意識などこれっぽっちもないのだ。

 

「あ、そういえばネギ君。お手紙がきとったえ」

 

「手紙、ですか? 誰からだろ……」

 

木乃香から手渡された手紙は、エアメールではなく簡素な茶封筒。当然、日本に来て日が浅いネギには思い当たる人物がいない。が、便箋の表にはしっかりとネギ宛だと書かれている。ただ、宛先が書いてあるだけで送り主の名前などが一切ない。

 

「……魔法とかがかかってるわけじゃないみたいだけど……っ!」

 

魔法の有無を確認し、手紙を開くとそこには、大きな字でこう簡潔に書かれていた。

 

『綾瀬夕映は裏切り者である。証拠は、彼女の持つお守りだ』

 

「これは、一体……!?」

 

 

 

 

 

「手紙はしっかりと出したわね?」

 

「抜かりなく」

 

奈落の図書室にて、会話を交わす人物が二人。一人は魔女、もう一人は悪魔。魔女はこの奈落の主であり、悪魔はその魔女に従う従者だ。

 

「しかし、よろしいのですか? このまま実験を実行に移せば、組織との軋轢を生むやもしれませんが」

 

「問題ないわ。私はエヴァンジェリンと契約する際、ある程度自分の裁量で行動することを許されてる。あくまで、私は協力者なだけなのよ」

 

「……それで、あの『黄昏の巫女』が納得するでしょうか?」

 

「しないでしょうね。けど、私の行動をエヴァンジェリンが保証してくれているから彼女は動けない。彼女にとって、エヴァンジェリンは全てだから」

 

計画の障害になるであろう事柄を再度確認する。悪魔、ロイフェは爵位持ちでこそないものの、実力は確かな悪魔だ。しかし、そんな彼でもあの大幹部の少女相手では万に一つの勝ち目もない。それは目の前の主たる少女も同じこと。だからこそ、対策を講じるのは当たり前のことだ。

 

「ひとまず、これで障害となるものは殆どないわね」

 

「魔法先生とやらは、恐らくすぐには動けないでしょうな。組織とはえてしてそういうものですから」

 

恐らく、実験を実行に移し始めても魔法先生らは図書館島を封鎖して慎重に動こうとするはずだ。万が一にでも魔法がバレてしまうことは避けたいはずだし、魔法世界出身者がそれなりにいるためこちらの恐ろしさを知っている者が多い分、動きは鈍いだろう。

 

「ただ、それに縛られない人間達がいる」

 

「ネギ・スプリングフィールド一行ですか。確かに、彼らは少し厄介ですな」

 

仮にもエヴァンジェリンが目をつける英雄候補。それも、かつて大戦中に活躍し、なおかつ『夜明けの世界(コズモ・エネルゲイア)』と互角に戦っていた大英雄の息子だ。潜在能力は侮れないものがあるだろう。だが、それならそれ相応の対策をすればいいこと。

 

「友の果たすべき役割は、間違っているときにも味方すること。正しいときには誰だって味方になってくれるわ」

 

数多くの本棚、その一つの前に立った彼女は懐から、古錆びた鍵を取り出す。そして本棚から一冊の鍵付きの本を抜き出し、その鍵で封印を解く。開かれた中にあったのは、インクによって紙に綴られた文字ではなく、掌に収まる程度の小石。

 

「真の友情は、過ちを犯した時にこそ試される。果たして貴女にそんな友はいるのかしらね、夕映?」

 

闇の中、これから起こることに対する愉悦で魔女、柳宮霊子は口元を歪ませた。

 

 

 

 

 

「うーん……」

 

授業が終わって放課後。ネギは夕映に手紙のことについて尋ねるべきか悩んでいた。もし裏切りが本当のことだとしても、今のネギはそれを気に病んだりしない。度重なる戦いが、彼を精神的に強くしているからだ。だが、もし本当は魔法のことも知らないような一般人なのだとしたら、迂闊に話を聞くのはマズい。

 

「どうすれば、確かめられるのかなぁ……」

 

のどかが持っていた夕映から渡されたというお守りには、確かに強力な魔法の残り香があった。恐らく、自分が魔力暴走を起こした時にのどかが無事だったのはこれが原因だろうとネギは推察する。が、これだけではやはり不十分。あくまで夕映がたまたまお守りを手に入れただけの可能性だってある。

 

「ん~? 先生何やってんの?」

 

「あ、椎名さん」

 

うんうんと唸っていたところに、ネギの生徒である椎名桜子がやってくる。手提げのかばんからチアリーディングに使うボンボンが覗いており、これから部活動に向かうところなのだろう。

 

「いえ、少々悩み事があっただけです。そんなに大したことでもないですから」

 

「ふーん……まあ、私には何を悩んでるのかは分からないけど、思い切って行動しちゃうのもひとつの手なんじゃないかな?」

 

そう言うと、彼女は鞄に手を突っ込んで、一本の鉛筆を取り出す。そして、それを強引にネギの手に握らせた。

 

「これ、私が使ってるコロコロ鉛筆なんだけど結構当たるんだよね~。もし悩みが解決しないならさ、こいつで選んでみちゃえば?」

 

「え、あ、あの……」

 

「それじゃ、私これから部活動だから。じゃーね!」

 

あたふたとするネギを置いて、桜子は駆け足で去っていった。

 

(あ、嵐みたいな人だなぁ椎名さんって……)

 

予想以上にアクティブな彼女に圧倒され、手渡された鉛筆を握ったまま呆然と立ち尽くすネギであった。

 

 

 

 

 

「……ふぅ」

 

授業が終わり、一人帰途につく夕映。今日は珍しくのどかと一緒には帰っていない。と、いうのも彼女は今日霊子に呼び出されているからなのだ。恐らく、修学旅行中に起こったことを報告させられるのだろう。

 

「……のどか」

 

自分の一番の親友が、ついに魔法と関わってしまった。幸い、彼女は自分のように悪の魔法使いに関わったのではなく、常識は不足しているものの良識ある魔法使いであるネギと接点を持てたので大分違っているが、それでも危険な世界には相違ない。

 

(……これから、のどかは魔法を覚えていくのでしょう……そうなれば、私のことだっていずれ……)

 

気づかれてしまう。そのことに、胃が鉄球を放り込まれたかのように重たくなる。自分が、彼女らを裏切り続け、邪悪な魔女の手伝いをしていると知られれば、どうなるか。

 

(……拒絶、されるでしょうね……)

 

きっと、友人は自分を見限るだろう。のどかは優しい少女だ、過ちを犯しても許してくれる可能性はあるだろう。だが、今回ばかりは駄目だ。彼女のみならず、彼女の愛する先生まで裏切り、その好意を踏みにじってきたのだ。いくらのどかでも、許すことはできないだろう。そうなれば、あとに待つのは決別。

 

(嫌……嫌です、そんなこと……!)

 

崩壊する友情、冷めた目を向けられる恐怖。それらを想像して、夕映はどうしようもなく怖くなる。両手で己を掻き抱き、夏に向かって暖かくなっているにもかかわらず、寒さで震えるかのように小刻みに揺れる。

 

「夕映?」

 

不意に自分の名前を呼ばれ、反射的に声がした方向の真逆に飛び退る。かの柳宮霊子に魔法を学んだだけあり、こういった気配の察知などの戦いにおける重要な要素はそれなりに鍛えられているのだ。

 

「な、なんだのどかですか……びっくりしたです」

 

声をかけてきた人物は、悩みの中心人物でも会ったのどかであった。鞄を持っていることから、一緒に下校するために声をかけたと考えるのが自然だろう。

 

「夕映、一緒に帰ろうよ」

 

「す、すみませんのどか。今日はちょっと図書館島の方に用事があるです」

 

「え、でも今日は探検部はお休みだったと思うけど……」

 

「それ以外の用事です!」

 

そう言って、足早に去ろうとする。しかし。

 

「っ!? のどか、何を……!?」

 

「待って、私……聞きたいことがあるの」

 

のどかに腕を掴まれ、強制的にその場に留められる。のどかの突然の行動に困惑する夕映。対するのどかは、夕映に聞きたいことがあるのだという。

 

「い、急いでるんですのどか。話はまた今度の機会に……」

 

「駄目、今すぐにでも確かめたいことなの」

 

まっすぐこちらを見つめてくる彼女の視線に、夕映はどうしようもなく恐ろしさを覚えていた。もし、もし彼女が自分が隠していることを知ってしまったというのなら。

 

(そんな、そんなの嫌です……信じたくない……!)

 

逃げ出したい。ただひたすらに、彼女の頭のなかはそれでいっぱいになっていた。彼女から遠ざかりたい、嫌われたくないという裏返しの心。

 

「あのね、夕映は……」

 

(やめて、その先は……!)

 

聞きたくない言葉が飛び出すことを予測し、反射的に目を瞑る。

 

そして。

 

「せんせーのこと、どう思ってる?」

 

「…………はい?」

 

全くの予想外の言葉に、思わず素でそんな言葉が飛び出してしまった。

 

 

 

 

 

「成る程、私が先生に好意があるのか気になった、と?」

 

「う、うん。もし夕映が先生のこと好きだったら、どうしようって悩んじゃって……」

 

どうやら、のどかは夕映がネギに対してそういった感情があるのかが気になっていたらしい。もしそうだったとしたら、友人とは恋敵となってしまうため、関係がギクシャクしてしまうのではないかと危惧していたらしい。

 

「……少なくとも、私は今のところ先生に対して特別な感情は一切ないですよ」

 

「ほ、ほんとに?」

 

「人物としては好ましいですが、一人の男性として意識することはないです」

 

「よ、よかったぁ……」

 

親友と愛する人を天秤にかけるなど、のどかにはできない。最近は大胆になってきた彼女だが、元々根は臆病で優しい子だ。そんな彼女に、要らぬ心配をさせてしまったらしい。

 

「まったく、そもそも私はのどかの恋を応援するといったはずです」

 

「そ、そうだけど……もし夕映がせんせーを好きだったとしたら、私に遠慮してるんじゃないかって……」

 

「そんな心配はいらないです。さ、私も用事を済まさねばならないのでこの話はここまでです」

 

「う、うん。そうだね」

 

恐れていたことが現実に起こらず、内心ほっとしている夕映。そのまま、霊子のいる図書館島の地下へと向かおうとしたのだが。

 

「あ、いた! おーい、夕映さーん!」

 

「本当にいた……長瀬の言う通りだったな」

 

「フフフ、拙者の索敵能力を舐めてもらっては困るでござる」

 

間の悪いことに、今度はネギがこちらへ大きく手を振りながらやってきた。更に、長瀬楓と長谷川千雨が一緒にやってくる。正直、今はあまり相手にしたくないメンツだ。

 

「あの、夕映さん。少しだけ、時間をいただけませんか?」

 

「何でしょう? 私はこれから用事があるのですが……」

 

「まあ、ちょっとしたことを聞きたいだけだ。すぐ終わる」

 

何やら剣呑な雰囲気に、夕映は再び逃げ出したい気分になるが、先ほどのどかに阻止されてしまったことを考慮し、楓がいる時点でそれは不可能だろうと考え、話を聞くことにした。

 

「ええと、実は今朝僕宛に手紙が届いたんです」

 

「手紙、ですか?」

 

それが一体自分とどんな関係があるのか、などと考える。正直、話の内容が見えてこず、困惑気味の夕映。ネギはポケットから一通の封筒を取り出すと、中から便箋を取り出し、広げてみせる。

 

「…………え」

 

そこに書かれている内容に、夕映は石像のように固まる。石化の魔法によるものではなく、今度は思考が停止してしまって。

 

「簡潔に聞きます……夕映さんは、この手紙に心当たりはないですか?」

 

 

 

 

 

息苦しい。呼吸が止まってしまい、酸素の供給が止まり胸が詰まる。しかし意識ははっきりと冴えており、目の前の現実をまざまざと目に映す。

 

「し、らな、い……です」

 

なんとか声を絞り出して、否定の言葉を発する。しかし、それは余りにも弱々しい声だった。よりにもよって、のどかの目の前。親友の前で疑いをかけられている。その事実が、彼女から冷静さを奪う。

 

「そう、ですか。じゃあ、これについても聞きたいんですけど……」

 

そう言って、今度はポケットからあるものを取り出した。それを見た彼女は、再び呼吸が止まってしまう。のどかに渡したはずのお守りだ。何故、ネギがそれを持っているのか。

 

「このお守り、どこで手に入れたのか教えていただけませんか?」

 

「そ、れは……」

 

「宮崎から聞いてるが、これは綾瀬がご利益があるって渡したらしいな。絶対に肌身離さず持ってろ、とも言ったらしいが」

 

千雨の言葉に、心臓を杭で貫かれたかのような錯覚に陥る。言い逃れはできない、彼女は徹底的に洗い出すつもりだ。あのお守りの出処を。そうなれば、自分は。

 

「千雨さん、そんな問い詰めるみたいな言い方は……」

 

「私がこういう質だってのは先生もよく知ってるだろ。それに、こういうのはバッサリ聞いたほうが早い」

 

元々、軽い対人恐怖症を患っている彼女は、ぶっきらぼうな話し方が多い。それは、会話の受け答えがしっかりできるか不安なため。だからこういった言動になってしまうのだ。

 

が、相対している夕映にとってはたまったものではない。まるで自分の後ろめたい部分を詰られているかのような錯覚に陥らされてしまう。

 

「で、どうなんだ綾瀬?」

 

いよいよ以って、窮してきた夕映。視線は宙を泳ぎ、歯の根が合わずガチガチと音を立てる。喉の奥がカラカラになり、掌は嫌な汗でびっしょりだ。最早、逃げ場はどこにもない。のどかは何も言わないが、こちらを射抜くかのように視線を向けている。

 

(もう、もう十分です……例え嫌われてでも……真実を……!)

 

自棄になり、もう全てを話そうと決意し。意を決して、口を開く。

 

そのはずだった。

 

「あんまり私の弟子をいじめないで頂戴」

 

 

 

 

 

「っ、危ない!」

 

夕映を中心に、突如として鋭い岩の刺が無差別に生える。ネギはのどかを、楓は千雨を抱えて飛び退る。次々に襲いかかるトゲの数々を何とか躱し続け、やがてトゲの増殖が止む。気づけば、夕映から大分距離を離されていた。

 

「あら、全部避けたのね。さすがに英雄候補なだけあるわ」

 

「っ、貴女は誰だっ!」

 

見れば、先程はいなかったはずの何者かが、そこにいた。毳毳(けばけば)しいまでに派手な、原色の布切れを継ぎ接ぎしたような服を身に纏った怪しげな女性がいた。やせ細った腕に、青白い肌が一層不気味さを醸し出している。

 

「柳宮霊子。『夜明けの世界(コズモ・エネルゲイア)』のメンバーといえば分かるかしら?」

 

「なっ……!?」

 

「あいつらの仲間か……!」

 

氷雨や鈴音と同じ組織に所属している人物。それも、膨大な魔力を身にまとっていることから、相当にできる魔女だろう。

 

「柳宮霊子……もしやっ、『奈落の魔女』!?」

 

ネギのポケットから顔をのぞかせ、そんなことを言うアルベール。彼はネギと一緒に来ていたものの、夕映が一般人である可能性を考慮していままでポケットの中で大人しくしていたのだ。しかし、聞き覚えのある名前を耳にし、思わず顔を出したのである。

 

「カモ君知ってるの?」

 

「魔法世界でも超ヤバイやつですぜ! 魔法の知識とそれを扱う技量は世界最高峰だなんて言われてた人物でさ! けど、昔から人体実験をしてるとか黒い噂が絶えなくて、とんでもなく危険なやつだって言われてたんでさぁ!」

 

「へぇ、中々ものを知っているオコジョね」

 

魔法世界の事情は、中々詳しいものが入ってこない。まほネットでも情報が規制されている。それは、魔法世界を影から支配する『夜明けの世界』の指示によって、メガロメセンブリアの元老院が情報を意図的にシャットアウトしているためだ。尤も、そんな事実はほんの一部の者しか知らないのだが。

 

「ついたあだ名が『奈落の魔女』。深淵の底まで沈んだ人でなしって話でさぁ……!」

 

「フフフ、まあ確かに人をやめているようなものね。この体で、もう既に70年は生きているし」

 

「最近は姿を見かけないんで死んだって話もあったが……こっちの世界に来てたっつーわけか!」

 

「ええ。私はこの麻帆良学園の地下に居を構えていたわけ。そして……」

 

彼女は夕映の方へと近づき、その真横まできて静止する。

 

「私の弟子を使って上の様子を探っていたってわけ」

 

「……っ!」

 

「そんな……夕映さんが……!?」

 

「ええ。私の忠実な協力者よ。『桜通りの幽霊事件』の時も、操られていたふりをしていただけ。修学旅行中だって、私の命令であなた達を監視するために動いていた」

 

霊子の言葉から、ネギは今までの夕映の動きを重ねあわせてみる。すると、それがピタリと一致するようなフシが見えてくる。率先して図書館島の地下へと行こうとし、地下で悪魔に襲われた際は彼女だけ迷子になっていた。修学旅行でも、慎重に動いていたはずの自分たちの後をつけてきていた。余りにも、不自然な点が多すぎる。

 

「クソッ、あの手紙の内容は本当だったってことかよ……!」

 

「フフ、それはそうよ。だってあの手紙は私が出したのだもの。そうして彼女を囮に、あなた達を一網打尽にするつもりだったのだけど……さすがにそう上手くはいかなかったわね」

 

俯いたままの夕映。先程から一言も発することがなく、最早否定する材料は一つもなかった。皆、言葉も無い。ネギや楓は、図書館島の地下探検で一緒に苦楽を共にした仲であり、千雨は直接的な関わりはないものの、夕映を3-Aの中でも常識的なやつだと一目置いていたのだ。

 

「夕映……どうして……」

 

何より一番衝撃を受けていたのが、のどかであった。親友が、まさか悪の魔法使いの手下で、自分たちのことをずっと監視していた。その事実に、彼女は涙をにじませてへたり込む。

 

『おいっ、霊子!』

 

千雨のペンダントから怒声が響く。氷雨のものだ。突然相手の名前を大声で呼び捨てにしていることに千雨は少々驚くも、考えてみれば彼女も元々は組織の一員であり、面識があってもおかしくはない。しかし、そんな彼女がこんな風に怒鳴り声を発する理由がわからなかった。

 

「あら、そういえばいたわね。今は氷雨とか名乗ってるらしいじゃない」

 

『そんなことはどうでもいい! 貴様、なんで姿を現した!』

 

「フフ、エヴァンジェリンに命じられたことと違うって言いたいの? 生憎、私は組織に入る際、彼女と約定を結んでるわ。私の目的を達成するために、組織の目的と反発することをしても咎めないってね」

 

『だからといって……!』

 

「待て、氷雨。私も聞きたいことがある」

 

興奮気味の氷雨を宥め、今度は千雨が霊子へと質問を投げかける。

 

「柳宮とか言ったな、罠を仕掛けてまで私達を狙った理由は何だ? この学園なら、むしろ魔法先生とかを狙うべきだろ」

 

「物怖じしないその態度に敬意を評して答えてあげる。あなた達が一番厄介だと思ったからよ。仮にも幹部の一人であるその子を倒し、あの明山寺鈴音を相手取って廃人にもならずに生き残った。警戒するには十分な理由よ」

 

「だからといって、態々私達の前に姿を現すメリットなんかないだろ。それとも、その目的とやらのために必要だったのか?」

 

注意深く、慎重に相手の言葉の端々から推察していく千雨。戦闘はからっきしだが、こういった相手の機微を読むことなら彼女は得意だ。霊子もそれなりに驚いたようで、口の端を釣り上げ、喉を鳴らして笑っている。

 

「驚いたわ、これだけの会話でそこまで導き出せるなんて。貴女、なかなか面白いわね」

 

「そいつはどうも。で、そこのところはどうなんだ?」

 

「フフ、推察のとおりよ。まあ正確には、あなた達を仕留めるってことと、地上に出る必要があったってことの両方だけど」

 

そう言うと、彼女はいつの間にか手に携えていた本を開き。

 

「『(よこしま)なる者を妨げし(へき)よ……』」

 

次いで右手の人差指で天を指すと。

 

「『弾けよ』」

 

バキン!

 

その言葉と同時に、ガラスが割れるような音が一瞬だけ響いた。

 

「一体何を……」

 

見た感じでは、特に変化はない。しかし、なにか薄ら寒いものを感じる千雨。一方で、ネギは何かに感づいたようだ。

 

「っ! まさか、学園の結界を……っ!」

 

「ご名答。この学園に張られていた結界を破ったわ。これで、私の目的に一歩前進した」

 

麻帆良学園には、邪なものを退ける結界が張られているとネギは以前、近右衛門から聞いていた。それを破られたということは、目的は不明だが彼女が行おうとしている邪悪な何かを実行に移せるようになったということ。

 

(そうか、結界に直接干渉するために地上に出てきたんだ……!)

 

麻帆良学園の結界は強力だ。間接的な干渉では揺らがない可能性もある。だからこそ、確実性のある直接干渉を行うために地上へ出てきたのだとネギは推測する。霊子が再び本を開くと、今度は彼女の周りを砂嵐が吹き始めた。

 

「私は麻帆良の地下にいるわ。私の企みを止めたければ、たどり着いてみなさい」

 

「はっ、また私らを誘い出すための罠か?」

 

「いいえ。今度のは私の自信の現れよ。実力を確かめた今、もうあなた達の脅威がそれほどでもないって分かったし。もう万に一つも負ける要素は無い」

 

せいぜい足掻いて見せなさい、そう言い残して霊子と夕映は姿を消した。あとに残ったのは、呆然と立ち尽くすネギたちのみ。

 

「夕映……」

 

親友の名前を小さく呟くのどか。だが、それは虚しく風にかき消されてしまった。

 

 

 

 

 

再び奈落の底。夕映を連れて帰還した霊子は、一息つくために愛用の椅子へと座り、ロイフェに紅茶を出すよう命じる。

 

「彼らは、我々を追ってくるでしょうな」

 

「されど、彼らはここには入れない。実力がまだまだ不足しているから」

 

「成る程、彼らを危険な目にあわせないために、封鎖を行っている魔法先生によって妨害されるわけですな」

 

先ほどの結界破壊によって、既に魔法先生らに自分たちのことは知れ渡っているだろう。ならば、ネギたちから事情を聞いた先生らが図書館島を封鎖するのは目に見えている。そして、ネギたちの安全を確保するために図書館島に近づけさせないことも想像に難くない。

 

誰一人として、満足に行動ができない状態。これならば、己の実験の邪魔は誰にもされないだろうと満足気に笑みを浮かべる。第一、ここへ辿り着くには道筋を知っているか、或いは余程の幸運で見つけ出すでもなければ不可能なのだ。

 

(それに、辿り着いたとしてもそれはそれで好都合。邪魔の少ない状況で確実に殺せる)

 

常に状況がどう転がるかを予測し、次善の策を用意する。こういったところで、彼女は決して手抜かりはない。

 

(違う……私は……なんで、なんで声が……)

 

一方、暗い表情の夕映の頭のなかをグルグルとそんな思いが巡り回っていた。先ほどの会話、彼女は否定の言葉を吐き出したくても、何故か声が出せなかった。恐らく、霊子の魔法によって喋ることができなくなっていたのだろう。

 

必死な表情をしていても、同じく強制的に俯かされていた彼女の顔をネギたちが窺い知ることは不可能。まして、敵と相対していたのだからそんな余裕はなかっただろう。霊子に警戒して、距離を縮めることもない。完全に、霊子の掌の上だった。

 

(知られてしまった……のどかに……私の本当のことを……!)

 

絶対に知られたくなかった。この悪辣な魔女と協力関係にあったなどと。裏切られていたと知った時、のどかは静かに泣き崩れていた。それだけで、彼女の胸は張り裂けそうなほどになっていた。声に出せない悲痛な叫びが、ずっと心のなかで暴れまわっていた。

 

「親友に、知られちゃったわね?」

 

そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、霊子は彼女へ言葉の矢を打ち込む。

 

「……れ……せい、で……」

 

「聞こえないわ」

 

「っ! 誰のせいだと思ってるんですかッ!」

 

抱いていた深い絶望感が、急激に怒りへと変化する。この魔女のせいで、自分は親友を失う羽目になった。もう、後戻りもできないほどのところまできてしまった。

 

「貴女のせいでしょ?」

 

だが、霊子の冷徹な瞳が夕映を黙らせる。幾度となく刻まれた、恐怖。あの日からずっと、逆らえないままに服従させられ続けた絶対的な関係。

 

「貴女が自分で選択し、行動した結果。貴女は私に一切逆らうこともなく、まるで家畜のようにただ従い続けただけ。そんなの、貴女のせい以外の何だというの?」

 

自分で考えても逆らわず、反発せず、意見しない。それはもう、己がないのと同じだ。まるでマリオネットのように、吊られた糸のままに動くだけ。原因は確かに霊子にもあるだろう。

 

しかし、それを変えようとしなかったのは他でもない夕映自身の怠慢であり、敗北。彼女は、霊子に対する恐怖に負けたのだ。

 

「ぜん、ぶ……わたしのせ、い……」

 

「そうよ。貴女は、きっかけはなんであれ自分で親友を裏切り……そして自分すら裏切った」

 

壊れていく。世界のすべてがガラスが割れるように音を立てて。崩れ落ち、残ったのはどうしようもなく愚かな自分だけ。かつて、自分は違うと思い込んでいた愚者の姿そのもの。

 

「あ、は……アハハハハハハハハハハハハハ! ひ、ヒヒヒハハハハ……!」

 

心の均衡が崩れ、決壊する。全てが己のまいた種であり、その結果が実を結んだだけのこと。知者を気取り、愚か者である事実から目を背けてきた。その事実を突きつけられ、彼女の心はついに絶望で真っ黒に染まりあがった。

 

「そう、その"絶望"が欲しかったのよ……」

 

霊子は意地の悪い笑みを浮かべ、満足気に頷く。彼女を裏切り者に仕立てあげたのも、態々自らの姿を地上へと現したのも。全ては、彼女を絶望の底へと叩きこむため。

 

ネギたちは知らない。彼女の企みは既に、最終段階に入っているのだということを。夕映こそが、その鍵であるという隠蔽された真実を。

 

「これで、ピースは全て揃った……さあ、実験を始めましょうか」



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第四十七話 錯綜する思惑

友情を信じる者、疑う者。そして目的へ向かう者。
思惑が混ざり合い、物語は進んでいく。


『世界の裏側?』

 

『ああ。私と鈴音だけしか見ることができないが、確かに存在する』

 

『面白いわね。死の先に存在する世界、か』

 

『普通に死ぬだけでは、輪廻の流れに乗って何処かへと消えていくだけだがな。恐らくは、ある種の精神世界とも言える場所だ。単純に世界を渡るだけでは到達し得ないだろう』

 

『条件があるわけね』

 

『詳しい条件は私も分からん。ただ、何らかのことがキーになっているのは確かだ』

 

『……ふぅん。じゃあ、そのキーになることを貴女は知っているの?』

 

『詳しくは分からん、と言っただろう。現状、それを確かめる方法もないから果たしてそれが本当に条件として当てはまるのかは不明だ』

 

『あら、可能性の模索は重要よ? 疑わしいならば徹底的に究明するのが研究者というものよ』

 

『……ふむ。なら、私が今考えている仮説があるのだが、聞いてみるか?』

 

『ええ、是非。それが例え研究に無関係なことだとしても、私の好奇心が尽きることはないわ』

 

『相変わらずだな。しかし、それでこそ勧誘した甲斐もあるというものだ。私が思うに、ある一つの感情が条件に当てはまるのではないかと思っている』

 

『感情? 随分と感覚的なものが条件なのね』

 

『感情のエネルギーというのは存外侮れないぞ。怒りで己の限界を超える者さえいるぐらいだ。強烈な感情ほどエネルギーは莫大なものとなる』

 

『ふぅん、つまりその感情によるエネルギーの爆発力が世界に穴を開けるってこと?』

 

『それも可能性としてはあるだろうが、今回の場合は逆だ。あの世界はむしろ、魔法に対する魔法無効化能力のような、マイナスのエネルギーに近い性質だ。私の『眼』には、少なくともそう見えている』

 

『マイナスのエネルギー、ね』

 

『怒りや喜びのようなプラスの感情ではなく、悲しみや憎しみのようなマイナスの感情が必要になってくる。しかし、我々や人間のような存在は、それらの感情をプラスもマイナスも混ぜ込んでバランスよく発している。そのおかげで、自己の精神世界は安定していると私は考えている』

 

『純粋なエネルギーが存在し得ないわけか。けど、それなら貴女達がかの世界へと到達したことと噛み合わないわね』

 

『ああ。しかし特定の感情は、その純粋性を損なわない場合もある。そしてそれが膨れ上がることによって、爆発的なマイナスエネルギーを生む可能性が高い。そういったものによって、感情を持つ生き物は自己の精神世界を傷つけ、心を病んだりするのではないかと思う』

 

『成る程。自己の精神世界に穴を開けることによって、その世界へと精神を結びつけるわけね』

 

『恐らくは、な』

 

 

 

 

 

「感謝するわエヴァンジェリン。貴女との話がなければ、私の研究はもっと遅れていたはずよ」

 

『ただの悲愴や憎悪では、あの世界には到達し得ない。マイナスのエネルギーとしてのパワーと純粋さが足りんからな』

 

「死の先に待つ世界。そこに到達するための条件それは……」

 

『最も己の心を狂わせるマイナスの感情で、最も肥大化するもの。それは……』

 

「『絶望』」

 

 

 

 

 

「霊子の奴……勝手なことして……ッ!」

 

霊子がネギたちを襲撃してから少し後。アスナは一人、人気のない場所で苛立ちを隠せずにいた。

 

(マスターに連絡しても、『干渉はするな』って言われちゃったし……でも、マスターから命じられたことを勝手に破ったのは許せない……!)

 

アスナにとって、エヴァンジェリンは全てにおいて優先すべき存在だ。ある種狂信じみたものさえあるほどに、彼女はエヴァンジェリンを慕っている。だからこそ、命令を破った霊子は許せない。だが、勝手に手を出せば主人の面子を潰してしまう。

 

「あああもう、苛々するッ!」

 

苛立ちの余り、建物の壁を力任せに殴りつける。拳は壁を貫通し、そのまま反対側の部屋の中へと突き抜けてしまった。アスナはハッとなってすぐに拳を引っ込めるが、壁にはポッカリと穴が開いてしまった。奇妙なのは、その穴の周囲には一切のヒビも破壊も見られなかったことだが。

 

(落ち着け私、こんなところ誰かに見られたら潜入している意味が無いでしょうに……!)

 

怒りのせいで、そんな基本的で大事なことまで頭のなかから抜け出てしまっていたことに気づき、アスナは深呼吸で自らを落ち着けつつ反省する。どうにも、こういうところはまだまだ詰めが甘いとつくづく思わされる。

 

「……ふぅ。今は霊子の独断には目を瞑りましょう。どうせ私はココでは自由に動くことなんてできないんだし」

 

恐らく、霊子はそこまで計算して動いたのだろう。相変わらず、涼しい顔して計算高い奴だと、内心アスナは舌を巻く。経験や場数では、結局のところ霊子にはまだまだ敵わない部分がある。霊子の画策していることが何かは分からないが、さすがに組織にそこまで不利益を被らせるものでもあるまい。

 

しかし、それでこのまま静観するというのも癪だ。何よりアスナのプライドと忠誠心が許せない。何か妙案はないかと考える。

 

「……いえ、別に私が直接動く必要はないわ。そう、発想を逆転すればいいのよ」

 

契約の性質上、組織の構成員では手出しはできない。だが、そうでないなら話は別だ。外部の人間が(・・・・・・)勝手に(・・・)霊子と(・・・)戦って(・・・)くれれば(・・・・)いいのだ(・・・・)

 

(なら、誰が適任かしらねぇ……)

 

魔法教師はあてに出来ない。組織というものは簡単に意見が割れる。素早い行動をと言う者がいれば、慎重になるべきだと反論が入る。そうして話が長引いている間に、霊子の企みは着々と進んでいくだろう。

 

(……やっぱ、ネギ・スプリングフィールド一行かな)

 

一番身軽なのが彼らだろう。長瀬楓や桜咲刹那などの武闘派を擁し、ネギ自身もこちらの仕組んだ戦いでかなり成長している。それでも実力不足なのは否めないが、計画にかかりきりになっている以上、霊子は普段のような全力が出せない可能性も高い。

 

(ネックなのは、地下に張り巡らせてる罠やルートどりよね……)

 

霊子による魔法的な罠と、今は氷雨となっている美姫が仕組んだ物理的な罠。これらを突破するのは彼らでは不可能に近いだろう。物理的な罠やルートどりは、氷雨の存在からなんとかなるだろうが、問題は魔法罠の方だ。

 

(霊子が得意とする結界系の罠は、相手を閉じ込めてから確実に仕留める凶悪なものばかり。私なら能力でなんとでもできるけど、彼らではそうはいかない……って、そういえば図書館島って機械仕掛けの隔壁があるじゃない! 封鎖されてちゃ魔法でも開けられないわ……!)

 

図書館島は、古風な見た目と異なりかなり近代的なセキュリティが張られている。特に、鋼鉄製の隔壁は並みの魔法ではびくともしないぐらい分厚く固い。システム側も、美姫によってプログラムを強化されているため突破はかなり困難だ。これでは、そもそもネギたちを侵入させることさえできないだろう。

 

「うーん……隔壁のロックを開けて、なおかつ霊子の魔法罠を突破しなきゃいけないわけか……。殆ど詰んでるわね」

 

ネギたちでは、物理的に隔壁を破壊するなどできないし、霊子が仕組んだ狡猾な罠を全てかわしていくなどできないだろう。千雨には『力の王笏』があるが、学生である彼女が麻帆良学園の誇る電子ロックを解除できるかは分からない以上不確定要素でしかない。

 

「……待てよ。いるじゃない、両方の条件を突破できて、かつ彼らに合流できる存在が……!」

 

アスナはある一つの結論へと辿り着き、足早にある場所へと向かった。

 

 

 

 

 

「まさか、夕映さんが……」

 

「ううむ、どうにも3-Aは難儀なクラスなようでござるな。氷雨に続き、夕映殿まで……」

 

一方ネギたちは、霊子の襲撃を受けた後にネギたちの部屋へとやってきていた。途中で木乃香も合流しており、この場にいないのはアスナだけだ。

 

「夕映……なんで、どうして……」

 

「のどか……」

 

泣きじゃくるのどかを、木乃香が宥める。一番の親友が裏切りとともに去ったという事実が、彼女の胸に深く突き刺さっていた。他の皆も、一様に暗い表情だ。

 

「…………」

 

しかし、ネギだけは神妙な表情で何か考え事をしているようだった。そんな彼に気づき、千雨はネギのそばへと腰を下ろす。

 

「先生、どうした?」

 

「いえ、これからどう動くべきかを考えていただけです。夕映さんを攫われてしまっている以上、こちらは既に後手に回っているわけですから……」

 

攫われた。ネギのその言葉に、千雨は思わず目を見開く。裏切ったのではなく、あの女に夕映は攫われたのだとネギは考えているのだ。

 

「どういうことだ先生、状況から鑑みても綾瀬のやつが裏切り者にしか見えないが……」

 

「はい、たしかにそう見えます。けど、そう見えるように仕組まれたのだとしたらどうでしょう?」

 

「仕組まれた?」

 

千雨の言葉に、他の皆も反応し視線を向けてくる。

 

「前提をひっくり返してみると、奇妙な部分が透けて見えてきます。まず、相手が地上に出てきた点ですが、ただ結界を破壊するにしてもあまりにも目立ちすぎている」

 

「そりゃ、相手が言っていた通り結界の破壊と私らを狙うためだろ? 綾瀬を餌にして一息に仕留めるつもりだった。んで、仕留め損ねたから結果的にああも悪目立ちした」

 

「確かに、相手はそう言っていました。恐らくはそういった狙いもあったのだと思います。しかし、だからといって夕映さんを動かせるなら、もっと確実性のある方法を取るはずです。彼女はかなり慎重な人物に見えましたし、夕映さんに毒を盛らせればよかったはず」

 

こちらは夕映がかの人物と関わりがあるとはしらない。ならば、そのアドバンテージを存分に生かせる方法をとったほうがうまく運べたはずだ。

 

「確かに……けど、私らが英雄候補だから殺せなかったってのはあるんじゃないか?」

 

「何も殺す必要はないです。麻痺毒や眠り薬を使えばよかったはずですから……。」

 

そう考えてくると、千雨の質問に対してあんなにも素直に返答をしていたのも頷ける。千雨に意図的に予め用意された解答を導き出させて、いかにもそれが目的のように見せかける。そして結界破壊を行うという強烈なインパクトで、それをさらに覆い隠す。

 

「成る程、私が答えに至ることを逆手に取って目眩ましにされたってことか?」

 

「もしそうだとした場合、相手は相当に狡猾な人物ですね……」

 

「しかし、それだけでは夕映殿が裏切り者ではないという確証には……」

 

「ええ、相手の狡猾さを浮き彫りにできただけです。そこで、気になるもう一つの点が出てきます」

 

「もう一つの点……ですか?」

 

のどかがそう言葉を零す。いつの間にか、涙は引いて真剣にネギの話を聞いていたのだ。

 

「先程は動揺していたせいで気づかなかったんですが、かの人物が現れてから夕映さん、一言も言葉を発していないんです」

 

ネギ曰く、夕映が裏切り者であるのを言葉に出していたのは、霊子だけだった。夕映を囮にするという性質上、手紙も彼女が出したものだろう。しかし、夕映自身は一度として、彼女の仲間であるとは言っておらず、一度として何の主張もしていない。

 

「我々に対して後ろめたさがあった、というのは?」

 

「それもあるかもしれませんが、そうであるならば尚の事言い繕ってもおかしくないと思います。のどかさんとの友情が嘘だったとは、僕にはどうしても思えない」

 

「……ああ。余程取り繕うのが上手い奴でもなきゃ、ああも仲睦まじくは見えないだろうさ」

 

『桜通りの幽霊事件』の際も、まき絵の中身が入れ替わっていたことを見ぬいた千雨もネギの言葉に頷く。相手を観察することにも長けた彼女を騙すのは容易では無いだろう。ただ、疑り深い彼女は夕映のことを裏切り者あるという材料が揃っていたことからそう断じ、敵だと認識したままでいた。普段の夕映の姿を思えば、裏切り者ではないかもしれないという考えが浮かんでもいいはずなのに。

 

(……駄目だな、味方かもしれない奴すら疑っちまうなんて……)

 

京都の一件以来、前以上に疑り深くなっている自分を戒める。孤独に戦ってきた中でネギと出会い、こうして信頼できる仲間とともに立ち向かえるようになったが、同時にそれを失う恐ろしさも改めて認識した。どうにも、仲間以外に対しての敵意を抱きやすくなってしまっているようだ。

 

「本当、ですか? 本当に、夕映は私の事……友達だと思ってくれてたんですか……?」

 

「はい。例え夕映さんにどんな事情があろうと、それは変わらないと思います」

 

「そうですか……よかったぁ……!」

 

ネギの言葉に、再び涙を流すのどか。今度は親友の裏切りのせいではなく、友情が偽りでないことに対する安心感からだ。

 

「本当に、よかった……今までのことが全部嘘だったらと思うと、とても怖かった……」

 

「のどかさん……」

 

親友に対する疑いの心が膨らんでいた中でも、なお彼女は夕映との友情が偽りであって欲しくないと心の底から願っていた。彼女は、疑いつつもなお親友を信じようと必死だったのだ。

 

「恐らく、夕映さんはかの人物によって言葉を封じられていたのだと思います。俯いたままだったのも、それを強制されていただけの可能性が高い」

 

「つーと、綾瀬は裏切り者なんじゃなく、無理矢理協力者にされていただけだったってことか?」

 

「はい。むしろ相手は、夕映さんを僕達に敵側だと明確に認識させようとしているように見えます。まるで、それそのものが目的のような……」

 

そうだとすれば、先程までのやり取りの意味が完全に逆転する。こちらを牽制するための行動だと思っていたことが、霊子によって二重にも三重にも隠蔽された別の目的のための目眩ましかもしれないのだ。ならば、ネギが先ほど言った通り、夕映は攫われたという可能性も十分に有り得る。

 

「私、夕映を助けに行きます!」

 

親友が危険にさらされている可能性がある。それを聞いたのどかは、いてもたってもいられなくなって立ち上がり、そう言った。しかし、それに千雨が待ったをかける。

 

「待て宮崎、綾瀬が本当に攫われたのだとしたら大変なことだが、それでも向こうの目的が分からない以上かなり危険だぞ? 宮崎はここで待ってたほうが……」

 

いくらのどかが図書館島探検部に所属しているとはいえ、今の図書館島地下は未知数の危険が潜んでいる。そんな場所に、まだ魔法と関わって浅いのどかを、そんな場所に連れて行くわけにはいかない。

 

「……いえ、一緒のほうがいいかもしれません」

 

「桜咲?」

 

だが、危険だからここで待機しておけと言う千雨に、意外にも刹那が待ったをかけた。この中でも相当な場数を踏み、木乃香という護衛対象を守ってきた彼女であれば、のどかのようなまだ経験の浅い素人が突入することの危険さをわかっているはずなのにだ。

 

「もし夕映さんが裏切り者に仕立てあげられたというのなら、今彼女は相当に参っているはずです。ならば、できるだけ早く彼女の理解者をそばに連れて行ってあげた方がいい」

 

「せっちゃん……うん、そやな。うちも、ゆえの友達やもん。一緒にいてあげへんと!」

 

「拙者も仲間はずれにはしないでござるよな? 夕映殿とは、バカレンジャーのよしみもあるでござるし、彼女がいなければまとまりが悪いでござるよ」

 

先ほどまでの暗い雰囲気は、いつの間にか完全に霧散していた。

 

「にしても、先生もよく綾瀬をそこまで信じられるな……」

 

対人恐怖症と、幼いころのこともあって千雨は親しい相手以外には伊達眼鏡を通さないと目を見て話ができないし、相手を信用することも中々できない。常に疑いの目を向けてしまう。だからこそ、夕映のことを信じようとするネギの姿勢に千雨は困惑気味だった。

 

「この学園に来てから色々あって……それで僕、思ったんです。生徒の皆さん一人一人が、何かを抱えていて、様々な理由があって。それをただ否定するんじゃなくて、一緒に力になってあげられたら、それはとても嬉しいことだって」

 

それで裏切られることになったとしても、向き合うことをやめてしまえばより悪い方へと向かってしまう。和美の一件や、木乃香と刹那の関係、そして千雨の因縁やのどかの恋心。その一つ一つが危ういバランスの上に立っている。それを支えてあげられるのは、やはり教師である自分しかいない。ネギはそう思うようになっていた。

 

「……そうか。私にはできねぇことだが、いい心がけだと思うぜ」

 

ネギの思わぬ成長ぶりに、千雨はぶっきらぼうながらも好意的な言葉を投げつける。ただ、どうにも気恥ずかしさのせいかネギの顔を直視できなかったが。

 

(くそっ、ちょっとかっこいいなんて思っちまった自分が恥ずかしい……)

 

 

 

 

 

果たして、準備を整えた一行は図書館島地下へと向かおうとしたのだが。

 

「悪いが、ここを通すことはできない」

 

図書館島への入り口で、入館を拒否されてしまったのだ。応対したのは、浅黒い肌が特徴的な教師のガンドルフィーニであった。

 

「そ、そこを何とかお願いします! 僕の生徒が待っているんです!」

 

「気持ちは分かるが……しかし今回ばかりは相手が悪すぎる。大人しく待っていた方がいい」

 

諭すように言うガンドルフィーニに、しかしなおも食い下がろうとするネギ。ネギからすれば大事な生徒が攫われたかもしれないのである、一刻も早く助けに向かいたいのは当然だ。早くしないと、彼女に一体何をされるかわかったものではない。

 

しかしガンドルフィーニからすれば、ネギもまだ幼い子供であり、魔法使いとしての経験も未熟な守るべき人物なのだ。同行している千雨たちも同様であり、これ以上修学旅行時のような危険な目には合わせたくないと思うのもまた当然である。

 

「……分かりました。じゃあ、私達は寮で待機しています」

 

「千雨さんっ!?」

 

にっちもさっちもいかなくなり始めた頃、千雨が突然寮に戻ると言い出した。これには

ネギも驚き、他のメンバーらも困惑気味の表情を浮かべている。

 

「ああ、そうしていてくれると助かるよ。今は魔法先生の殆どがここの封鎖で動いているから、あまり動いてもらいたくないんだ」

 

一方で、とにかく一刻も早くこの危険な場所から立ち退いてくれるならそれでいいと、ガンドルフィーニは内心安堵しつつ、暗に余計なことをしないようにと釘を刺す。

 

「了解です。先生、帰りましょう」

 

「え、あ、千雨さーん!?」

 

ネギの腕を掴むと、千雨は力づくで引き摺るようにネギを連れて去っていく。そんな彼女に面食らいつつも、他の皆も慌てて彼女らを追ってその場を後にした。去り際、不服そうな表情を少しだけ覗かせながら。

 

「ふぅ、やれやれ……」

 

とりあえず、一番の懸念であった彼女らが大人しく去ったことで一息つく。向こうからすれば意地悪に見えるかもしれないが、むしろそういう役割を負うのが大人の役目なのだと、ガンドルフィーニは思っている。、嫌われてもいい、しかし生徒や子供を危険に晒すのだけは絶対に避けねばならない。

 

(全く、損な役回りだ……)

 

自分が頑固者なのはよくわかっている。だからこそ、こういうやり方しか出来ない自分に不甲斐なさを感じてしまう。本当なら、今すぐにでも突入して柳宮霊子をとっ捕まえてやりたい気分なのだ。しかし、そこをぐっとこらえねばならないのが辛いところである。

 

(人払いが済んだ後は緊急会議を行うと聞いたが……荒れるだろうな)

 

これからのことに対する不安と、若干の苛立ちを覚えつつ、新たにやって来た学生を追い返すため、ガンドルフィーニは歩を進めた。

 

 

 

 

 

「ちょ、ちょっと千雨さん!」

 

千雨はネギを引っ張ったまま暫く歩き、いつの間にか先ほどの場所から大分離れていた。そこでようやく千雨は立ち止まり、掴んでいたネギの腕を放す。

 

「どうして帰るなんて言ったんです! 早く行かないと夕映さんが……!」

 

「あのまま言い合ってたって状況は好転しない。一度頭をクールダウンしろ、先生」

 

「う、それはそうですが……」

 

時間を無駄にしている場合ではないのは確かだ。しかし、こっそりと入ろうにも魔法先生が監視している状況では不可能である。

 

「ガンドルフィーニ先生は、魔法先生の殆どを動員していると言っていました。恐らくは、どこも入り口は封鎖されているでしょう」

 

「交渉して入れれば手っ取り早かったが、むしろ入れさせまいと過剰なまでに帰るよう勧告してきたからな」

 

「そりゃあそうでしょう、魔法世界(むこう)ではトップクラスに名の知れた犯罪組織の幹部で、最高峰の魔女なんですぜ? ピリピリしてても無理はないでさぁ」

 

「ガンドルフィーニ先生は頑固な方ですが、それでも一定の理解を示してくれる方です。そんな彼が、あそこまで頑として首を縦に振らない程となれば……やはり相当に危険な相手なのでしょうね」

 

「けど、このままやと夕映が……」

 

突入するにしても、入れる場所は全て封鎖済み。かといって、魔法先生相手に交渉はできそうにない。完全に行き詰まってしまったかに見えたが。

 

「いや、一つだけ可能性がある」

 

「可能性?」

 

「ああ。おい、氷雨」

 

すると千雨は、胸元にあるペンダントへ、正確にはその中に封じられている氷雨へと声をかける。

 

『……何だ? 今私は機嫌が悪いんだ、放っておいてく……』

 

「お前、あいつがいる場所への秘密の入口を知ってるだろ。教えろ」

 

不機嫌そうな声で放っておけと言おうとしたのを、千雨の衝撃的な言葉が遮る。

 

『……突然何を言い出すかと思えば、ついに私頼みぐらいしかなくなったか? 生憎、そんなものありは……』

 

「しないとは言わせねぇぜ。お前あいつに対して言ってたよな、『なんで姿を現した』って。逆に考えれば、姿さえ現さなければ見つからないような場所だって知ってたってことなんじゃねぇか?」

 

通常の方法では、辿り着くことができない場所に存在する。それならば独自のルートが存在してもおかしくないと、千雨はそう当たりをつけていた。

 

「図書館島地下は探検部が潜ってることも多い、普通なら偶発的に見つかる可能性だってある。だが、それでも見つからなかったってことは特殊な場所に存在してる可能性が高い」

 

『フン、それがどうした。同じ組織のメンバーだったのだからおかしくはないだろう』

 

「いいや、お前はあいつが地下にいることを知っている風だった。ただ情報で知っているのではなく、まるで直接見たように私には思えたがな」

 

『何の証拠があって……』

 

「綾瀬だよ。あいつがこっち側なのかあっち側なのかは今は分からねぇ。だが、あの女と関わりがあるのは確かだ。図書館島の地下で篭ってたあいつに綾瀬が会うには、図書館島に潜るしかない。だが、綾瀬が会いに行くには時間が限られる」

 

昼間は学校、夜は寮住まいのため外出は基本的にできない。ならば休日や放課後ぐらいがそれに該当するが、休日は基本的に綾瀬は寮におり、千雨は何度も彼女の姿を目撃している。

 

かの人物は相当に慎重で周到だ、こちらに真意を悟られないために千雨を誘導して隠蔽しようとするほどに。そんな人物が、細かい指示を出すために定期的に夕映を呼び出さないはずがない。

 

「最も可能性が高いのが放課後だ。だが、放課後は探検部の活動や図書館島の利用者が大勢いる。そんな大多数の目をかいくぐるには、秘密のルートがなけりゃおかしい」

 

『魔法具や魔法で誤魔化していた可能性もあるが?』

 

「あそこは常に教師の目もある。魔法先生だっているだろうさ」

 

そんな状況で魔法を使えば、直ぐにバレてしまうだろう。痕跡が残りにくい魔法具でも、使っている最中に近くにいれば感づかれるはずだ。

 

「なあ、お前もアイツに一泡吹かせてやりたくないか? お前の主人の命令に背いたアイツに」

 

『……言っておくが、私は協力する気なんかないぞ。あの人の面子を潰すわけにはいかん』

 

エヴァンジェリンが約定を交わしている以上、氷雨は動くことができない。敬愛する主人の顔に泥を塗るに等しい行為だからだ。

 

「何も問題はないさ。何せお前は私等によって(・・・・・・)無理やり(・・・・)協力させ(・・・・)られた(・・・)んだからな(・・・・・)

 

『……!』

 

約定の効力が及ぶのは、あくまで組織内でのみ。外部の人間が何をやろうが何も問題はない。外部の人間に巻き込まれて協力させられたのであれば、不可抗力といえるだろう。言い訳としては苦しいが、それでも筋は通る。

 

「そう。何も、問題はない」

 

『……いいだろう。今回だけはお前たちの尻馬にも乗ってやる。だが、今回だけだ』

 

「ああ、別に構わないさ。今回はお前の協力がないと始まらないからな」

 

『……この借りは必ずいつか返す。貴様に貸しをつくったままなど私の矜持が許さん』

 

こうして、再び氷雨はネギたちとの共同戦線を組んだ。

 

 

 

 

 

「成る程な、こんな場所に通り道があったのか」

 

「ほえ~、うちも初めてみたわ……」

 

「私も……」

 

氷雨の案内で、一行は図書館島と学園側を繋ぐ橋の下にやってきていた。通常ではまずやってこないような場所であり、人気も全くない。そこに、図書館島とを繋ぐ秘密の地下通路が隠されていたのだ。入り口は扉こそあるものの、岩肌そっくりに加工されており、全く見分けがつかない。

 

「湖の地下を通って向こうに出るわけか。こりゃ誰も気づかないわけだ」

 

『老朽化して使い物にならなくなっていたため業者が埋め立てた……ふりをして私が改修したのさ。麻帆良に詳しい人間でもここを知っているのはいないだろうよ』

 

薄暗い道を歩いて行くと、重厚な扉が見えてきた。

 

「……何でここだけこんな近代的なんだ?」

 

『万一発見された時のことを考え、麻帆良学園と同じセキュリティ扉を用意した。上級魔法でも容易には破壊出来ん造りだ。セキュリティプログラムもこっそりと引っ張ってきているが、数段強化してある』

 

「魔法使いを通さないようにってわけか。解除パスは?」

 

さっさと扉を開けようと、解錠するためのパスを聞く。しかし、氷雨の様子が少々おかしい。なにか訝しむかのように黙りこくっている。

 

『……待て、よく見ると少しおかしい。セキュリティランプが赤になっている』

 

「どういうことだ?」

 

『普段は黄色に設定されていて、これが通常のパス入力で解除できる状態だ。だが、赤ランプはパス入力だけでは解除できない非常用のブロックでな、恐らくパスを入力しても解除できない。恐らくは霊子の仕業だろう』

 

「チッ、なら私の『力の王笏』で……」

 

『無駄だ。いくらそいつが電子世界を統べる程の力を持つアーティファクトでも、お前のノートパソコン程度ではスペックが足りんだろう』

 

「クソッ、また手詰まりかよ!」

 

突入目前になって、またも道を阻まれる。一手一手、堅実に相手はこちらの行動を潰してくる。恐ろしいほどに周到に、予防線を張って妨害していた。

 

『敵にした時の厄介さで言えば、最も恐ろしい女だとあの人は言っていたが……ここまでとはな』

 

結局、30分ほど格闘したものの、一行はきた道を引き返すしかなかった。一度作戦を練り直すため、再びネギたちの部屋へと戻ることとなった。既に放課後を過ぎて大分経つ。日も沈み始め、このままでは夜になってしまうだろう。

 

「クラッキングしようにもマシンスペックが足りないとなると……いっそ超のやつに頼んでスパコンでも借りるか……?」

 

ぶつぶつとそんなことを呟きながら考える千雨。麻帆良大学の誇る工学部であれば、恐らくはスーパーコンピュータの1台や2台はあるかもしれない。しかし、仮に超鈴音を介してそれを借りるにしても、理由が説明できないのであればさすがに無理だろう。

 

『うぬぬ、こんな時に茶々丸がいれば……』

 

「アイツはお前が不正データを使って操ってただけだろ? 無関係なやつを巻き込むんじゃねぇ」

 

『馬鹿が。あれは確かに大川美姫のサポート目的で開発はされたが、元々私が意識の中に存在してたんだぞ? はなっから私の協力者だ』

 

「……マジかよ」

 

さらっと重大なことを暴露する氷雨。しかし、氷雨はそれに気づいてないのではなく、むしろこちらに知らせるように言ったように感じられた。

 

『私がこんな姿になった理由は前に話したな?』

 

「前の失態で、大川の体から剥がされて、お仕置きとして封じられたんだろ?」

 

『その時に、茶々丸も私に関する記憶データを抜き出されてしまった。だが、それはただ忘れてしまっているだけだ。思い出せばすぐにでも私につく』

 

「……牽制のつもりか?」

 

『そのつもりだが? 私は手を貸しはするが、貴様らと馴れ合うつもりはないからな』

 

こうして精神がつながってしまった千雨と氷雨だが、お互いに歩み寄るといったことはまるでしていない。千雨にとっては長年の宿敵の仲間、氷雨にとっては屈辱を味わわされた憎き敵。状態の関係上なし崩しで協力はするが、協調する気は欠片もないのだ。

 

「って、噂をすれば……」

 

「あ、茶々丸さん」

 

「こんにちは、ネギ先生」

 

向こう側から歩いてきたのは、件の人物である絡繰茶々丸であった。横には大川美姫の姿もある。

 

「急に茶々丸がネギ先生に会いたいなどと言い出してな。私はただの付き添いだ」

 

「申し訳ありません、マスター」

 

「いいさ。たまには寄り道でもしながら帰るのも面白い」

 

美姫はネギに軽く会釈すると、そのまま一人で去っていった。あの事件以来、美姫は特におかしな様子はない。相変わらず病気がちではあるが、氷雨がいなくなったことでいつもの調子に戻っているようだ。

 

「それで茶々丸さん、僕に用とは?」

 

「……先日の件で、謝罪をしにきました」

 

「謝罪?」

 

「はい。『桜通りの幽霊事件』のことに関しての謝罪です。ネギ先生」

 

 

 

 

 

『記憶が戻ったァ!?』

 

「はい。それから、お久しぶりですマスター」

 

ネギに対する謝罪を述べた後、茶々丸は氷雨と対峙していた。なんと、茶々丸は氷雨のことに関する記憶を全て思い出していたのだ。

 

『茶々丸の記憶データは霊子が預かっていたはずだぞ……何故』

 

「はい、確かに記憶データは柳宮霊子さんが持っています。しかし、私は万が一のことがあった場合のことを想定して、もう一つのコピーディスクも作成していました。そちらも回収されていたのですが……」

 

茶々丸曰く、仮面をつけた奇妙な人物が現れ、ディスクを渡してきたらしい。気になった茶々丸はこれの中身を分析し、茶々丸に搭載されているデータの形態と同じものであること、そして自分から抜き出された記憶データだと理解したのだ。

 

「マスターに関する直接的な記憶はすべて抜き出されはしましたが、関連性が薄い記憶はそのままであったため、データを閲覧するとともに記憶が連鎖的に掘り起こされ、思い出すに至りました。既に記憶データは再インストール済みです」

 

『成る程な……』

 

「しかし、仮面の人物ねぇ……」

 

「あの時対峙した人物……『黄昏の姫巫女』、ですか」

 

千雨たちは、京都での戦いの際に出会った仮面の人物が何者なのかを、刹那から聞いている。鈴音や月詠、フェイトと同じ組織の人間で相当な地位にいる人物だと。

 

『別段不思議な話でもない。奴はあの人に対する忠誠心が極めて高い。それこそ異常と言えるほどだ。恐らくは、茶々丸の記憶を戻して私に霊子の企みを止めさせるつもりなんだろう』

 

「拙者たちが動くことは想定済みだと言わんばかりでござるな……」

 

どうにも、踊らされようとしているとしか思えず、楓は渋い顔になる。このままいいように利用されて、それでいいのかと。

 

「……行きましょう」

 

「ネギ坊主?」

 

「仕組まれたことだとしても、僕達がやらなければいけないことは変わりませんから」

 

「……うむ、そうでござるな」

 

夕映を助けたいという思いは、決して偽りではない。例え整えられた舞台の上だとしても、彼らは進まなければならないのだ。

 

 

 

 

 

その頃、麻帆良のとある一室にて。

 

『ふむ、どうやら茶々丸の記憶が戻ったようだネ』

 

『いいのか? 下手をすれば彼女が向こうにつきかねないが』

 

『問題ないヨ。そういった場合のことも想定しているからネ』

 

『用意のいいことだ……』

 

『むしろ、君の方こそいいのカ? 学園側との契約を打ち切ったりして』

 

『こちらの方が、私にとって都合がいいからな』

 

『やれやれ、復讐を否定はしないガ、あまり燃やしすぎると自らまで灰になってしまうヨ?』

 

『そちらにだけは言われたくないが』

 

『アララ、手厳しい』

 

『今回の一件、関わる気はないのか? うまくいけば、奴らのことを吐かせることもできるぞ?』

 

『無意味ネ。私がそれを仮にやったとして、得るものはほんの一握りヨ』

 

『そうか。何を企んでいるのかは私も知らんが、恐らくろくでもないことだろう。止めなければ最悪麻帆良が消滅する可能性だってあると推測するが』

 

『さあ、どうだろうネ? 果たしてそれが成功するのか、失敗するのかなんてそれこそ最初から知ってでもない限り分からないものだヨ。どちらにせよ、今はまだ我々があがる舞台ではないということネ』

 

『……以前から思っていたが』

 

『何かネ?』

 

『そこまで豊富な情報を得ていながら、何故ここまで周りくどい真似をする?』

 

『愚問ヨ。私の望みを叶えるため、それ以外はない』

 

『望み、か。身に余る欲は身を滅ぼすぞ?』

 

『難儀なものでネ、最早これは私にとって妄執にも近い。ただひたすらに"超"えることへの挑戦など、馬鹿げたものにしか見えんだろうサ』

 

『……フッ、そういう意味では我々は似たもの同士なのかもしれないな』

 

『『名』を捨てた仮初めの『真名』に、『鬼』さえ『超』える、ネ。確かに似ているヨ、お互いに。本当に、難儀なものネ』

 

 

 

動く者、動かぬ者、そして蠢く者。それぞれの思惑が錯綜し、舞台は廻る。しかし、舞台裏でも物語は進んでいくもの。ならば舞台の筋書きを書くのは誰か。それはまだ、誰にも分からない。



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第四十八話 迷宮の罠

悪辣にして巧妙、堅実にして盤石なる魔女の罠。
欺罔(キボウ)に満ちた迷宮の奥底で、絶望が口を開く。


『我が主、侵入者です』

 

万が一の防衛のため、図書館島地下を見まわっていたロイフェからの念話を受けて、霊子は実験の準備をする手を止めた。

 

「……侵入経路は?」

 

『それが……どうやら、秘密裏に使用していた橋の下の通路から反応が』

 

「……成る程、美姫か」

 

あの通り道を知っているのは、夕映とロイフェを除けばアスナか美姫だけ。アスナは立場上おおっぴらに動くことはできないことから、氷雨と名乗り、長谷川千雨とともに行動しても問題ない美姫しかいないと判断した。となれば、侵入者は間違いなくネギ・スプリングフィールド一行だろう。

 

「セキュリティシステムは私が弄っておいた筈だけど」

 

万が一通路がバレたとしても、あの強固なセキュリティドアを突破するのは難しい。麻帆良学園側の用意した高度なプログラムを流用し、さらに改造しているため万全の状態と言っていい。

 

サイバー関連については霊子もロイフェも門外漢だが、彼女らでも分かりやすいよう氷雨によってかなり使い勝手のよい仕様になっているため、霊子が設定をいじったり、ロイフェが侵入に気づくことができたのだ。

 

『は、確かに正常に機能しておりました。……しかし、何者かによってロックをこじ開けられた模様です』

 

「こじ開けられた?」

 

ロイフェが言うには、セキュリティ制御室の情報を覗いてみたところ、何らかの干渉があったと画面に表示されていたらしい。

 

「……今、結界に触れた感覚がしたわ」

 

念話の最中、霊子の張っていた侵入者感知の結界からも、反応が返ってきた。

 

「どうやってセキュリティを突破したかは分からない……けど……」

 

止めていた手を再び動かし、実験用の魔道具の調整を始める。

 

「結界に触れている時点で、彼らの未熟さがよく分かるわ。私の結界魔法による罠は、突破するなんてほぼ無理ね」

 

仕掛けてあるのは、霊子が手ずから仕掛けた結界式の罠。威力も隠蔽能力も折り紙つきの代物ばかりだ。感知結界さえ踏んでしまうような未熟さでは、あっという間に囚われて終わりだろう。

 

「むしろ手間が省けるわ、確実に死んでくれるはずだろうし……」

 

彼女自身が仕込んだ罠でなら、彼らが死ぬ確実性が高い。そうなればもう、邪魔者は完全にいなくなる。魔法教師が突入する前に、実験はとうの昔に終わっているだろう。

 

「それに、貴方がいるもの……ねぇ、ロイフェ?」

 

『ご期待に、応えてみせましょう。吾輩の全霊をかけて』

 

 

 

 

 

「さて、中に入れたはいいが……」

 

「なんか、凄いことになってますね……」

 

茶々丸のセキュリティハックによって、扉を解除することに成功した一行は、無事に図書館島の地下へと侵入に成功したのだが。目の前に広がっていたのは、普段の図書館島とはかけ離れた光景であった。

 

「完全に魔境でござるな……」

 

「どこがどこか分からんわぁ……」

 

「これだと、探検部の地図も役に立ちそうにないです……」

 

ねじれ曲がった螺旋を描く階段に、上下逆さまになった状態で浮遊する本棚。滝の水は水滴の姿のままふよふよと浮いているし、右から左へと水が流れていっているような滝まである。

 

『霊子め、結界魔法で空間をねじ曲げたな……完全に元の地形がわからなくなっているぞ』

 

「マスター、所々に怪しげな結界が見えます」

 

『恐らくは奴お得意の結界魔法による設置罠だな。とことん用意周到なことだ。先ほどのセキュリティハックも既に知られているだろうな』

 

「結界で内部のものを一時的に変質させる呪術は知っていますが……これほど高度なものは初めて目にします」

 

恐らくは、図書館島地下の全体がこのような異境化しているのだろう。改めて、柳宮霊子という怪物の実力が如何程のものかを嫌というほど理解させられた一同であった。

 

「とはいえ、進まなきゃ話は始まんねぇし……」

 

『闇雲に探すだけでは見つからんぞ。通常でも秘密の通路を通って行かねばならなかったのに、この有り様ではどこにそれがあるかも分からん』

 

道案内であれば氷雨がいれば問題ないはずだった。しかし、それすらも許さないほどに変質した図書館島の地下は、まさに迷路ともいうべきものだ。下手に動き回れば、迷子になりかねない。

 

「マスター、いかがいたしますか?」

 

『まずはこの捻じ曲がった光景を元に戻さねば道順も分からんが……ふむ。そういえば茶々丸、奴が設置した結界の罠はどのような分布になっている?』

 

「かなり分散して設置されています。それも、かなり巧妙に隠されているようです」

 

『罠が集中している箇所は?』

 

「……左斜め奥に、他よりも若干多い結界反応があります」

 

茶々丸の話を聞き、考えこむようにして黙りこむ氷雨。暫く沈黙が続くが、再びペンダントから声が響くのに時間はかからなかった。

 

『読めたぞ。左斜め奥に奴の住処への道がある』

 

「設置されてる罠が多いから、か?」

 

『ああ。罠というのは対象の足止めや抹殺を目的として設置することが多い。なら、より相手がかかりやすいことが望ましい。そうなれば、正解のルートに多く設置するのが確実だ』

 

霊子の言葉に、しかし千雨は疑問の言葉で返す。

 

「だがよ、それも罠だとしたらどうする。こっちが判断できる材料が少ない以上、そういったあからさまなのはかえってやらないんじゃないか?」

 

こちらを誘導するためのフェイクなのではないかと氷雨に問う。しかし、氷雨は軽く笑いながらその疑問を否定する。

 

『ないな。そもそも、奴の結界魔法は本来我々に見破れるものではない。茶々丸の高度な科学技術によってようやく分かるレベルだ、見破られること自体考えていないだろう』

 

「魔法先生ならできるのではないでござるか?」

 

『忘れたか? 奴の仮想敵は我々だ、表でもたついているのろま共じゃない。そもそも、ルートを知っているのは私と茶々丸だけだ。そして茶々丸は霊子の持っている記憶ディスクがないから本来ここにいるはずがない』

 

つまり、霊子が想定した中ではネギたちに結界の罠を見破るだけの能力はないと判断して設置されているはずなのだ。また、罠を見破れる魔法先生らが侵入したとしても、集中して設置されているため解除に手間取るだろう。足止めとしては十分な成果が得られる。

 

「どう転んでも最低限の役割は果たすってわけか」

 

『フェイクを張るのは相応のリスクを伴う。それを奴はよーく知ってる』

 

「恐ろしい相手ですね……」

 

ともあれ、行き先は決まった。氷雨の弁はあくまでも仮説にすぎないが、それでも手がかりが一切ない現状で進む価値は十分ある。

 

『作戦変更といくか。奴の罠にあえて乗ってやろう、その先に奴が待ち構えているはずだ。罠の解除は任せるぞ、茶々丸』

 

「お任せください、マスター」

 

 

 

 

 

「……動いたわね」

 

再び結界から感知した霊子。どうやら、想定通り(・・・・)正しいルートを選んだようだ。

 

「フフ、私は決してあなた達を見くびってはいないわ。全力を以って叩き潰すに値する、そう思っているのだから」

 

セキュリティを容易に突破されたのは想定外だったが、向こうはここの数々の機械仕掛やプログラムをいじった氷雨こと美姫がいるのだ。それを理解しているからこそ、侵入されることは想定している。そして、千雨と話して分かったが彼女は相手の心理を読むことに長けている。こちらの性分を予測して、どこを通ればいいか見抜く可能性も十分ありえた。

 

「でも残念、その先こそ私があなた達を消すために用意した罠が仕込まれているのだから」

 

ネギ一行最大の弱点は、経験の不足だ。美姫との戦いや、京都での激闘で大分経験を積んではいるが、一流相手には程遠い。だからこそ、一つ仕込みを見抜くだけで安心してしまう。

 

その先に本命が待ち受けているとも知らず。

 

「見える罠があると……安心してしまうものよねぇ……」

 

バレバレな落とし穴の先に、深い大穴を巧妙に隠して仕掛けておくように。解除したトラップが別のトラップを作動させるキーとなっているように。罠とは常に、相手を出し抜くために工夫されるもの。

 

「相変わらず感知結界にも気づいていないわね。まあ、そちらに関しては茶々丸でも容易には見抜けないように工夫してあるから彼らに見抜けるはずもないけど」

 

罠の方は魔法的な仕掛けを用いる以上、どうしても隠蔽しきれない部分がある。しかし、ただ接触したことを伝えるだけならば見つけにくくすることは容易い。ならば、それを利用した物理的トラップはそうやすやすとは見抜けないだろう。

 

作業を続けていた魔道具の調整が終わる。いよいよ、実験開始の準備が全て整ったのだ。

 

「死の世界のその先……そこにはどんなものが見えるのかしらね?」

 

抜け殻のようになった夕映に向かって、彼女は笑みを浮かべながらそう言った。

 

 

 

 

 

そこかしこに仕掛けられた罠をかいくぐりながら、一同は先へ先へと進んでいた。しかし、進めど進めど同じような密集した本棚が見えてくるだけだ。

 

「むぅ、まるでネギ坊主から聞いた京都での無限に続く鳥居のようでござるな」

 

「『無間方処の咒』か、確かにそれに似ている気がするな」

 

「或いは幻覚を見せられている可能性もありますね……」

 

罠の中に更に罠が仕掛けられていた可能性も考慮し、周囲を見渡しながらおかしいことはないか注意深く観察する。今のところ周囲の光景がループしているように見えるだけで、大した変化はないが、いつ何かが起こってもおかしくはない。既にここは敵の胃袋の中なのだ。

 

『……むっ?』

 

「どうした?」

 

『見ろ、入り口らしきものがある』

 

ポッカリと口を開けた暗やみが、そこにあった。どうやら、幻覚やループをしていたわけではないようだ。更に歩を進めていくと、少し広い空間に出た。

 

「ここは……」

 

「前に図書館島の地下に来た時と同じ場所でござるな……」

 

そこは、異様な空間であった。先ほどまでの捻れたような光景でも、ループした本棚が広がっているわけでもない。正常なのだ、ここがきたことがある場所だと分かるほどに。まるでそこだけ、どこか別の場所を切り取って貼り付けているかのようだ。

 

「よく来たな、侵入者諸君」

 

「!」

 

「この声……!」

 

「まさか……っ!」

 

不意に、上から誰かの声が降ってきた。一部の者には、衝撃的で忘れられぬ声。あの恐るべき死神の声だ。

 

「久しい、とはいってもひと月ぶりほどか。また会ったな、愚か者どもめ」

 

上空から、黒い点が振ってくる。それは近づいてくるに連れ徐々に大きくなっていき、やがてその2m近くある巨躯を正確に視界へと認識させてくる。着地と同時に重々しい地鳴りをたて、地響きで足元が揺れる。そして土煙の中からゆっくりとシルエットが立ち上がった。

 

煙が晴れて見えてきたもの。ボロ布のような灰色のマントを被り、ランランと光る金の眼光はしかしそれを放つ眼球が存在しない。全身が肉も皮もない骨で構成されており、歯は歯茎すら存在しない剥き出しだ。そして、手には巨大な鎌が握られていた。

 

「貴様は、ロイフェ……!」

 

「懲りずにここへとやってくるとは、な。生憎だが、この先には行かせんよ。誰一人としてな」

 

かつて図書館島の地下で遭遇した、悪魔の姿がそこにあった。

 

 

 

 

 

「あー、やだねぇ。あの組織を敵に回そうだなんて馬鹿げてるったらありゃしないよぉ」

 

ネギたちが図書館島の地下へと突入していたその頃。麻帆良学園のとある場所で一人の女性がそんな風につぶやく。その正体は、霊子と同じ組織の幹部であるフランツであった。尤も、彼は幹部格では最底辺に位置する人物であり、大抵は他の幹部の使いっ走りをさせられているのだが。

 

(個人的には好感が持てる奴だったが……さすがに『夜明けの世界(コズモ・エネルゲイア)』に敵対する度胸は私にはないねぇ……)

 

そんな彼だが、霊子とはそれなりに良好な関係を築いていた。組織の中では常識的な人物であったこともあるが、何より古い馴染みであるロイフェの存在が大きかった。

 

(……チッ、あいつも霊子に忠誠を誓ってるのは分かるが……何も一緒になって破滅に向かわなくてもいいだろうがよぉ……)

 

実験のことに関しては、ロイフェは彼女から聞かされている。彼は友人に対しては中々に義理堅い男でもあるため、口外することはないと霊子から話をしたのだ。

 

(友人とはいえ、私が付き合う義理まではないねぇ。私だって命は惜しいしさぁ)

 

だが、彼も悪魔らしい悪魔だ。友情よりも自分の利や保守へ心が傾くのは当然。むしろ、ロイフェのような深い忠誠を誓う悪魔こそ珍しい部類といえる。

 

「しかしまぁ……私も古臭いもんになっちまったのかねぇ……」

 

旧世界で会う悪魔など、魔法使いに呼び出されるか偶発的に呼び出されるかであり、この世界で積極的に活動する悪魔など殆どいない。いたとしても、古くからいるような悪魔が殆どだ。その古い連中も、段々と数を減らしている。かつての人間と悪魔の関係など、もう現代では望めないだろうと。

 

(……若い連中は、知らないんだろうねぇ……かつて私達悪魔が、人間とどんな交流を交わしていたのかなんて……)

 

昔は、魔法陣に呼び出されてあれやこれやと願い事を頼まれたものだった。ある者は縋りついて泣き、ある者はひたすらに語り合い、ある者は戦いを挑み、ある者は悪魔を滅すべしと聖句を唱えながら襲いかかっていた。気まぐれで願いを叶えてやったり、あるいは全て嘘を教えてやったりもした。

 

人と悪魔の意地の悪い駆け引きの日々、互いの利益を求めた騙し合い。それらは長命な彼らにはとても刺激的だった。科学がまだ全能でなかった時代、悪魔はいつも人と共にあった。魔法世界では当たり前の存在となってしまった彼らにとって旧世界での人間との関係は、実に心躍るものであったのだ。

 

(ほんの100年……時代が変わるには十分だが、それでもこれは変わりすぎだねぇ……)

 

科学が進歩していくにつれ、人はまやかしを侮り、魔法も呪術も信じなくなった。それは、悪魔と人との関係の終焉であった。悪魔もまた空想であると断じられ、現代で呼び出されることなど稀となった。

 

「今じゃあの退屈な魔法世界のほうが生きやすい世の中になっちまったぁ……昔の連中は、魔界に篭りきりになっちまってるしぃ」

 

そして今日、また一人古い友人が消える。組織の命令に逆らった以上、厳罰は避けられない。下手をすれば主従諸共殺されてしまうだろう。上位の悪魔はそうやすやすとは死なないが、方法がないわけではないのだから。

 

「あー……やだやだ、辛気臭いったらありゃしないねぇ……」

 

気分を変えて、何か腹に入れることにしようと決める。せっかくの麻帆良観光だ、何か面白い店でもないかと歩きまわる。

 

「……おぉ?」

 

すると、どこからか芳しい香りが漂ってくることに気づく。匂いをたどって進んでいけば、一件の移動式屋台が姿を現した。

 

「……中華かぁ」

 

今は没落してはいるが、領地があった頃気まぐれで雇った中国人の料理は、中々に美味な料理を出してきたものだと思い返す。興が乗って料理人と語らったり、料理を教わったりもしたものだ。流行病で若くに亡くなってしまったが、陽気で面白いやつだったなと懐かしむ。

 

「……ま、腹が満たせりゃ贅沢は言わないが……」

 

あんまりマズければ文句の一つでも言ってやろうと、意地の悪い笑みを浮かべて店へ向かった。

 

 

 

 

 

「ほぅ、組織の計画に組み込まれている以上相応の修羅場はくぐってきていると聞いていたが……皆いい面構えだ」

 

ネギたちを値踏みするかのように金色の眼光を細め、一人一人指さしていく。

 

「組織のってことは……」

 

「やはり、お主は柳宮霊子の!」

 

「左様。吾輩こそは『奈落の魔女』と呼ばれる我が主、柳宮霊子が下僕。『首狩り』ロイフェよ」

 

「くっ、『首狩り』だってぇ!?」

 

ロイフェの名乗りに、アルベールが驚愕とともに声を上げる。

 

「エロオコジョ、何か知ってんのか?」

 

「知ってるも何も、魔法世界じゃ最低最悪の悪魔っスよ! 爵位こそないが、上位悪魔でも相当な強さを誇り、数多くの魔法使いを殺してきた奴っス!」

 

ここ数年は姿を見せなかったが、かつては彼の象徴とも言える巨大鎌で数多の魔法使いの首を刈ってきたという。魔法世界では、最も危険な悪魔として今も多額の懸賞金がかけられているらしい。

 

「吾輩のことを知っておる奴が旧世界にいるとは、少々驚いたぞ。向こうの情報は規制されているせいで入りづらいものだが、中々に精通しているようだな」

 

「あ、あんたに褒められても嬉しくないってんだ!」

 

「賞賛は素直に受け取るべきだと思うがね。まあ、どちらにせよ死ぬのであれば同じことか」

 

そう言うと、彼は鎌を持ち上げて構える。途端、先程までとは比べものにならないほどの殺気と気迫が漲っていく。それを受けて咄嗟に、楓と刹那は戦闘態勢へと入った。

 

「ひっ!?」

 

「息が……できひん……!」

 

襲い掛かってくる重圧に、戦いに慣れていないのどかと木乃香は息も絶え絶えとなる。アルベールも体中を嫌な感覚で支配されているようで、金縛りにあってしまった。

 

「っ、この程度……!」

 

「あいつらに比べれば……!」

 

「ふぅむ、実戦経験の少ないひよっこでは耐えられんかと思っていたが……」

 

のしかかってくるような重厚な殺意の中、千雨とネギはそれに冷や汗を流しながらも、歯を食いしばりながらしっかりとロイフェを真っ直ぐ見据えていた。

 

「面白い……久々に骨のある相手と戦えそうだ」

 

ロイフェは、骸骨の顔ながら好戦的な笑みを浮かべているように見えた。

 

「チッ、こっちは早く行かなきゃならねぇってのに……!」

 

「ゆかせんよ。どのみち誰一人として生かしてはおかんのだからな」

 

その言葉と同時。ロイフェの姿が一同の視界から消失した。それに驚きの反応を起こすよりも先に、ロイフェはのどかの背後へと姿を現していた。

 

ギャリン!

 

「そう容易くはやらせんぞ」

 

「神鳴流……以前よりも腕を上げたか?」

 

彼女の首筋に刃が突き立てられるよりも早く、甲高い金属音が木霊した。いち早く反応した刹那が、彼の刃を弾いたのだ。

 

「え、え……?」

 

一方、何が起こったのかわかっていないのどかは、困惑の表情を浮かべていた。一瞬でロイフェが消えたと思えば、背後に彼がおり、更に刹那と刃を交えていたのだ。相手の心を読めるアーティファクトがあるだけで、一般人と差し支えない彼女には一連の動きが全く見えていない。

 

「ネギ先生! ここは私が引き受けます! 先生は皆を連れて奥へ!」

 

「っ!」

 

それはつまり、刹那を置いて行けということだ。相手は魔法世界に名を轟かせる上位悪魔、刹那が勝てる見込みは低い。だが、ここで手を拱いていては時間はどんどん失われていく。

 

「……刹那さん、くれぐれも無茶はしないでください!」

 

そう言うと、ネギはのどかの手をとって駈け出した。のどかは、手を引かれつつも刹那に無言の会釈で健闘を祈る。

 

「せっちゃん、私……信じとるから!」

 

木乃香は、彼女を信頼してあえて先へと進んでいった。残っていても、自分が足手まといになることを理解しているからだ。ならば、後からやってきた彼女を癒してやることが、自分がすべきことだと信じて。

 

「皆を頼むぞ」

 

「無論でござる」

 

互いにその実力をよく知っている二人は、言葉少なくとも大丈夫であると確信して見送り、見送られていく。

 

「別れの言葉があれでよかったのかね?」

 

「生憎だが、私は皆を信じている。あの地獄のような夜を共に乗り切った仲間をな」

 

「……いい目だ。以前よりも迷いがない、いや迷いながらもそれを飲み込んで前へと進むことを決意したか。だが……」

 

鎌を水平に構え、次いでゆっくりと回転させ始める。それは段々と速度を増し、円を描いた残像が生まれるほどになると、その中心から漆黒の闇が広がっていく。

 

「我輩を以前と同じと思うなよ……此度の戦い、加減はなしだ」

 

大きく広がった闇は、やがて段々と立体となっていく。その姿は、まるで漆黒の闇でできた満月のよう。

 

「『暗黒の満月(アンブラル・フルムーン)』!」

 

巨大な球状の闇が、勢いよく刹那へと射出される。それを、彼女は静かな所作で刃を構える。果たして、闇の塊はその姿を球体から二つの半球へと姿を変えて彼女の後方へと飛んで入った。

 

「神鳴流、『斬魔剣』」

 

「最小限の動きで吾輩の攻撃を斬り飛ばしたか。下手に刺激すれば中の闇が飛び出すはずだが、一切刃筋をぶれさせることなく斬って捨てるとはな」

 

「侮られては困る。こちらも以前と同じと思われるのは心外だ」

 

双方共に、以前とは違った動きを見せる。ならば、以前交えた刃もどう変わっているのかは分からない。互いに手の内が明かされていないも同然だ。

 

「成る程、京都での一件で心技ともに磨かれたか。そういえば、あの少年も随分と成長していたな。惜しむらくは、若さゆえに詰めが甘いことか。最大戦力といえる君一人を私にぶつけて進んでしまうとはね」

 

「いいや、彼は私を信頼してここに残していったのだ。後から必ず辿り着けると」

 

「しかし、送り出したその先こそが本命の罠だとしたらどうするかね?」

 

「……何だと?」

 

 

 

 

 

「暗いな……」

 

「先が見えないです……」

 

魔法で光を灯しながら、慎重に歩を進めていく。しかし、それは周囲を照らすには不十分な光量であり、手探りで前へと進んでいるようなものだ。薄暗い周囲は、かろうじて通路や壁が見える程度でしかない。まるで迷路に迷い込んだかのようであった。

 

『茶々丸、ライトで照らせるか?』

 

ガイノイドである茶々丸には、ライト機能も備わっている。それを用いれば、この暗やみも照らせるのではと氷雨は思ったのだが、茶々丸は首を横に振った。

 

「可能ですが、機能を切り替えるため罠を発見できなくなる可能性があります」

 

『駄目か。では、罠はこの先どれぐらい見える?』

 

「現時点では発見できておりません」

 

『見つからない?』

 

茶々丸の言葉に、氷雨はおかしいと考えこむ。進んできた距離から考えても、それなりに深部に来ているはず。ならば、より罠を増やしていてもおかしくない。

 

『……いや、まさか』

 

罠が見つからないのではなく、既に罠の中に(・・・・)いるのだと(・・・・・)したら(・・・)

 

『……やられた』

 

気づいた時には、もう遅かった。

 

「か、楓さんがいない!?」

 

振り返ってみると、殿を務めていたはずの楓の姿がそこにはなかった。先ほどまで共に行動していたはずの彼女が、この暗闇に飲まれてしまったかのように消失していたのだ。

 

「氷雨、こりゃあ一体……」

 

『我々は既に奴の術中だったというわけだ。茶々丸、楓の反応は分かるか?』

 

「……熱反応、ありません。少なくともこの周囲には存在しないかと」

 

茶々丸がサーモグラフから楓の反応を探すが、冷たい石や本棚ばかりだ。人間の体温反応はどこにもない。

 

『魔法反応がないわけだ。この暗闇そのものが、結界の役割を持っているんだろう』

 

曰く、暗闇そのものが閉鎖的な空間を生み出しており、その概念部分を応用して結界としているらしい。迷いやすい迷宮のような構造をしているのがそれに拍車をかけているという。

 

恐るべきはその技法で、暗闇そのものは自然現象であるため茶々丸でも見抜けない。だから気づくのが遅れたのだ。

 

『この暗闇は方向感覚を狂わせ、距離感を失わせる。一度でも離れればあっという間に行方知れずになるぞ。そして、一人一人闇の中で確実に仕留めるつもりだ』

 

「じゃあ、楓さんは……!?」

 

『落ち着け。たしかに高度な魔法だが、それはあくまでも暗闇を利用して分断する結界でしかない。罠が感知できていないということは魔法的なトラップは仕込まれていないはずだ。あるのは物理的な罠、落下死などを狙う類の可能性が高い』

 

「ほんなら大丈夫、かなぁ……?」

 

この暗闇の中では、そんな状況で落とし穴に落とされれば、咄嗟の反応も遅れて真っ逆さまだろう。しかし、楓はネギ一行の中でも刹那と並ぶ実力者。罠にかかったとしても、生還できる可能性は高い。何より、下手にこの暗闇で彼女を探しまわっては全滅しかねない。

 

『むしろ、この罠は我々を狙ってのものだろう。非力な魔法使いや元一般人なら、容易く殺せるはずだ』

 

「……!」

 

「先生、宮崎の手を絶対離すなよ。近衛、私の手を握っとけ。この暗闇じゃ手つなぎだけが頼りだ……」

 

 

 

 

 

「ううむ、よもや暗闇での活動に慣れているはずの拙者が逸れてしまうとは……」

 

一方、一人闇の中を彷徨っていた楓は、自身の研ぎすまされた感覚を頼りに進んでいた。

 

(刹那に皆を任されたばかりでありながらこの体たらく……拙者もまだまだでござるな)

 

己の実力に驕っていたつもりはないが、それでもこの状況になってしまったのは間違いなく自身の油断が原因だ。弛んでいると自覚し、彼女は頬を叩いて気合を入れなおした。

 

「……む?」

 

僅かではあるが、何かの音が聞こえた。それは段々と大きくなり、彼女により正確な情報を伝えてくる。

 

(この音は……まるで滝のような……)

 

音が大きくなっているのは、彼女が歩を進めているからではない。むしろ、向こうから近づいてきているような変化の仕方だ。

 

(っ、まさか……!)

 

楓の悪い予感は、的中した。

 

「水攻めかっ……!」

 

彼女がつい先ほど通った箇所の壁から、勢いよく水が噴出した。恐らく、壁の向こう側にあった水流を流し込んだのだろう。楓は気づいていなかったが、魔法による感知結界が反応して仕掛けが作動し、水を引き込んだのだ。

 

「くっ、楓忍法『龍縛鎖』!」

 

先にフックの付いた鎖を四方に投げつけ、壁へと引っ掛ける。そして鎖が体に巻きつくと同時に、楓は水流へと飲み込まれた。

 

(水の流れが早い……このままでは、流される……!)

 

鎖によって押し流されることは避けられたが、このままでは溺れ死んでしまう。得意の分身術も、この状況ではただ流されて終わりだ。

 

(泳いで抜け出す他ない……)

 

水流は、壁の向こう側から流れ込んできた。ならば、壁の向こう側に空間があるということだ。水流のない場所があってもおかしくない。

 

(一か八か……できるか?)

 

楓は懐からもう一本だけ残った鎖のついた鉤を取り出し、考える。この水流の中でこれを引っ掛けながら、鎖を伝って少しずつ進んでいくつもりなのだ。だがそれは時間との戦い、辿り着く前に息が続かなくなれば終わりだ。

 

(生きるか死ぬか、我が天命は如何程か……いざ!)

 

水流に逆らいながら、流れ込んだ水によって穴の空いた壁際へと勢いよく投げる。鉤爪は水に流されることなく引っかかり、ガッチリと掴んだようだ。体の鎖を解き、楓は水流に逆らいながら壁伝いに進み始めた。

 

 

 

 

 

「な、なんやこの音……!?」

 

楓がかかったトラップは、ネギたちへも影響を及ぼしていた。流れでた水流が、彼女らへと向かっていったのだ。

 

「なんか分からんがマズい、走るぞ!」

 

千雨はなにか危険が迫っていると判断し、罠にかかるよりも走ることを優先した。

 

「どうやら知らないうちに罠を踏んでたらしいな……!」

 

『つくづく貴様らと関わると碌な目に合わん! 疫病神か何かか貴様らは!』

 

「うっせぇ! 私らだって好きでこんな目にあってるわけじゃねぇからな!」

 

出口がどこかもわからないが、ひたすらに突き進む一同。しかし、のどかと木乃香は既に息が上がる寸前であり、千雨も限界が近い。ネギからの魔力供給で一時的に強化しているものの、元々非力な彼女らでは走り続けるのは辛いものがあった。

 

「なっ、行き止まり……!?」

 

走り抜け、曲がった先には道がなかった。既に水流は彼らのすぐ後ろへと迫っている。万事休すかと思ったその時。

 

「あっ、扉が……!」

 

「出口っすよ兄貴!」

 

よく目を凝らしてみれば、壁と同色の扉がそこに佇んでいた。薄暗さによって、一見すれば壁にしか見えないようになっていたのだ。意を決して、ネギはその扉を開ける。

 

「っ!」

 

扉の先には、光があった。眩しさで一瞬目がくらむが、直ぐに目が慣れて扉の先を映し出す。だが、そこにあったのは。

 

「道が、ない!?」

 

扉の向こうにあったのは、深い深い奈落であった。底の方は永久(とこしえ)の闇を湛えているがごとく暗く、肉眼ではとても確認できない。向こう側には地面があるが、遠すぎて飛び越えるなど不可能。

 

追い詰められた状況から脱出する事ができたかと思えば、その先はまたも窮地であった。

 

(どうする、僕の杖じゃ僕を含めても3人ぐらいまでしか乗れない……!)

 

ネギの魔法の杖であれば飛ぶことが可能だが、4人を乗せることはできない。

 

「どうすれば……!」

 

突きつけられる選択肢。助かりたければ誰か一人を捨てなければならない状況に、ネギは焦りで冷静さを失っていく。

 

「兄貴! 早く杖で飛ばねぇと!」

 

「でも僕の杖じゃ、全員は乗せられないんだ!」

 

「兄貴、それは分かってやす。何も、乗せる(・・・)必要はない(・・・・・)んですぜ(・・・・)!」

 

「……!」

 

ネギはその言葉に、ひとつの答えを得た。彼は急いで杖にまたがり、勢いよく地面を蹴る。

 

「えっ……?」

 

「なっ、先生!?」

 

「なん、で……!?」

 

驚愕の表情を浮かべる三人を置き去りにして、たった一人で(・・・・・・)



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第四十九話 闇への門

絶望の果てに心を沈めた少女。
彼女の闇が、禁断の門を開く。


沈む、沈む、沈む。意識が遠のいていく。心が、砕け去ってゆく。

 

(痛い……)

 

どこが痛むというのか。五体は満足で、目立つ傷もありはしない。そもそも、感覚が無い。目は見えず、耳は聞こえず、匂いもせず味もしない。あるはずの皮膚が何もかもを訴えず、ただ緩慢な意識だけが虚空へとばら撒かれているかのような。

 

(痛いよぉ……)

 

ならば痛むのはどこだ。どこが痛いというのだ、自分という存在さえ曖昧になっているというのに。目の前は真っ暗闇で、大地も空もない。ここには、何もなかった。何もないのに、自分はここにいて、意識があって、痛みを訴えているのだ。

 

(たす、けて……)

 

誰も居ないのに、助けを求める。どうして、ここには誰も居ないというのに何故。

 

(……ぁ……ああ……)

 

湧きいでる疑問から生じたそれを手繰る。自分が何者で、そして何があったのかを思い出す。思い出して(・・・・・)しまう(・・・)

 

(わたし、は……彼女を……皆を……裏切った……)

 

不明瞭であった意識の輪郭を縁取りし、再構成していく。薄汚いと己を罵り、蔑み、引き裂いた己を再び構築していく。それによって、彼女が抱いた感情は恐怖。許されざる己を何度目かの再生を行っていることを思い出したから。

 

壊し、直し、また壊す。ずっとずっと繰り返していた、それらを思い出して。

 

(いた、い……こ、ころ……が……)

 

痛みの源は、何度も引き裂かれた己が訴えていた。心の悲鳴が鈍痛となって彼女を(さいな)ませていたのだ。

 

(ア、アハハハハハハハハハハハハ!)

 

親友を裏切り、魔女に屈し、ただ己を嘆くだけであった愚かしさ。人としての自由意志など一切存在しない文字通りの人形。それを思い出し、再び彼女は狂ったように己を嘲笑した。既に狂う寸前であった。しかし、なおも壊れられない。その程度で彼女の心は圧潰するほどやわではないから。

 

意識の奥底で、綾瀬夕映は繰り返し続ける。いつ晴れるかも分からぬ闇の中で。

 

 

 

 

 

「……! よし、最後の段階に入ったわね」

 

柳宮霊子は、巨大なフラスコの中に収められた少女の姿を見て口角を上げる。

 

(いよいよ、私の埒外の世界が口を開く……)

 

それが、とても楽しい。愉しいのだ。愉快で仕方がない、今にも小躍りをしてしまいそうな程に。この世を構成する一要素たる魔法、それらを研究して100と余年。自らができることをし尽くし、危険な実験にも手を出した。しかし、それらももう殆ど自らを満たしてくれない。

 

(ああ、私も愚かね……自分の想定を超える世界を求めてしまうなんて……)

 

最早、どんな魔法実験も結果を予測できてしまう。理論などいくらでも見つけてきたが、真新しいものは何もない。この脳髄は、なおも未知と知識を求め続けているというのに。

 

生まれながらに、知ることと興味が尽きなかった。どんな些細な事でも徹底的に究明し、調べ尽くさねば気がすまなかった。やがて、それはどんどんと広い世界へと向かってゆき、未だ見ぬ世界に胸を焦がしたりもした。

 

(でも、もう駄目ね。私はもう、その程度では満足できなくなった……)

 

人の得られる知識が、世界が、神に与えられただけの領域ならば、あえてそれを踏み越えよう。人として外れすぎた進化の先、知の怪物となって進んでいこう。行く先に待つ闇に向かって、滅びが来たるその時まで歩み続けよう。

 

(……夕映)

 

自らがとった、最初で最後の弟子。興味本位で始め、次第に助手として扱き使うようになった。彼女にとっては、余りにも深く関わってしまった少女。孤独に進むと決めた己でさえ、何かを揺さぶられた日々。

 

(……今更ね)

 

そんな彼女でさえ、霊子は実験材料にしてしまった。心より、感情より、この脳髄を優先した。それが自分というものだ。知に飢え、知に乾き、貪欲に求め続ける。これがなければ、彼女は柳宮霊子として存在し得ない。否定することは、許されない。

 

「さあ……始まりよ」

 

今までの惰性を捨て、より心を擦り減らせ。感情など、下らないと罵り踏みつけろ。

 

決意とともに、彼女は実験装置のレバーを引いた。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

断末魔の叫び声が、フラスコの中の少女から吐き出される。同時、彼女の胸元から暗黒が広がり、侵食していく。

 

「満たされぬ生はうんざりよ。下らない茶番はもう終わり……」

 

 

 

「ええ、確かに茶番は終わりです」

 

 

 

瞬間、閃光が迸る。それはまっすぐにフラスコへと直撃し。

 

「っ!」

 

粉々のガラス片へと変えた。

 

「……やってくれたわね」

 

閃光の正体は魔法、それも『雷の暴風』であると彼女は即座に看破し、射出地点を睨む。そこには、いるはずのない人間が四人いた。

 

「はっ、こっちも散々な目に合わされたんだ。せいせいするぜ」

 

「ようやく、追い詰めさせてもらいましたよ」

 

「夕映に変なことせんといてや!」

 

「ゆえを……返してください!」

 

ネギ・スプリングフィールド一行であった。

 

 

 

 

 

「最後の罠……普通なら乗り越えられるはずがない。何をした」

 

元々、彼女の罠は殺傷能力は高くとも限定的な代物だ。結界魔法は高度なものほどフィールドを限定しなければならず、異界化させた図書館島地下内部では全てをカバーすることはできない。

 

だからこそ、後半には物理的な罠を多く配置した。これは、種類の違う罠を張ることによってより効果的に用いることも考慮してのことだ。この合わせ技によって、ネギ一行を分断して個別に抹殺するつもりだった。

 

故に、解せない。あの大穴はネギの杖でも二人ぐらいしか運べない。よって、そこに至るまでに二人以上いればネギともう一人以外は見捨てるしか無いはず。何より、大穴の中には数百本の矢が射出される罠があり、二人乗りで上空を飛べばかわせるはずがない。

 

「あんたは私らをうまく分断して、個別に殺すつもりだったんだろう? 確かに、それは私らも嵌められたさ。そして最後は、大穴で逃げ道を塞がれ絶体絶命だった」

 

「ならば何故……」

 

「これだよ、こいつで私らは九死に一生を得た」

 

彼女が取り出したのは、一見すれば何の変哲もないカード。しかし、霊子は知っている。あれがどういったものなのかということを。

 

仮契約(パクティオー)カード……!」

 

魔法具の一種であり、アーティファクトを自由に出し入れできる仮契約の証。そして……。

 

「こいつで、大穴の向こうに渡った先生が私らを呼び出した(・・・・・)ってことさ」

 

「成る程……仮契約カードの機能である従者の召喚を行ったわけか」

 

そう、仮契約カードは契約主の呼び出しによって従者を召喚することができるのだ。ネギは、アルベールの『誰も乗せる必要はない』という言葉によってそれに思い至り、急いで穴の向こうへと到達するために飛び立ったのだ――。

 

 

 

『先生、今回ばかりはマジでビビったぞ。私らに何も言わずに飛び去っちまうんだもんなぁ』

 

『見捨てられちゃったかと思いました……』

 

『うちも肝が冷えたえ』

 

『す、すみません。水流が迫っていましたし、急いでたせいで言いそびれちゃいました……』

 

『……まぁ、こうやって助かったんだしよしとすっか。うし、さっさと進もうぜ』

 

 

 

――まあ、何も告げずに飛び立ってしまったため、三人をかなり不安にさせてしまったのだが。

 

「氷雨の時はそんなものはなかった……となると修学旅行中に、か」

 

そう、彼女が犯したミス。それは、氷雨との戦いでの彼らを参考にした罠配置にしてしまったことと、彼らの実力を見誤ったこと。修学旅行中に得た新たな仲間や、力。修学旅行での戦いは、彼女の計算を狂わすほどに彼らを成長させていたのだ。

 

「だとしても、私の結界罠をどうやって……」

 

『そりゃ単純だ、こっちには茶々丸がいたからな』

 

その言葉とともに、後ろから茶々丸が現れる。先ほどまで、この周囲にある結界を破壊していたのだ。これによって、守られていたはずの実験装置に魔法が通用したのだ。因みに、彼女は大穴を自力の噴射ロケットで飛び越えていたりする。

 

「茶々丸……あの子の記憶ディスクは私預かりだったはず……」

 

「はい、確かにその通りです。ですが……」

 

『コピーがあったんだよ。そして、それを『黄昏の姫巫女』に渡されたのさ』

 

相当ご立腹だったようだぞ、と嫌らしく笑う氷雨。まさか、完全に沈黙させていたと思っていた存在が動いていたとは完全に想定外だ。

 

「フフ、序盤こそ私の思惑通りに動いていたけど……既に盤面は様相を変えていたのね」

 

実験のために外の様子をほとんど確認できなかったことで、彼女は盤面を見ていないまま駒を動かしていたも同然。そんな状態では、相手がどんな勝手をしても分かるわけがなかった。

 

「観念しな、あんたの実験はここで終わりだ」

 

『ま、実験装置がああなっちゃ続行はできないだろうが』

 

「夕映さんは、返してもらいます!」

 

追い詰められているはずの彼女。しかし、その顔から余裕は失われていない。

 

「確かに、実験装置は破壊された。けど、それが失敗とは限らないわ」

 

「……何?」

 

霊子は、割れたフラスコの中で座り込んでいる夕映の方へ向くと。

 

「さ、いつまで寝ているの? さっさと(・・・・)起きなさい(・・・・・)

 

そう言うと同時に。

 

彼女の背から、闇が噴出した。

 

 

 

 

 

「くっ!」

 

「焦りで剣が鈍っておるぞ!」

 

激突し、弾き、またぶつかり合う。互いの刃が鎬を削り、火花が極限の闘争を彩る。

 

(お嬢様や先生達が危険な目にあっているかもしれないというのに……!)

 

ロイフェの言葉が正しければ、この先には罠が待ち受けているはず。それも、彼が本命と言う程のものだ。恐らく相当に狡猾で、殺傷力の高いものだろう。

 

(まただ、また私は……!)

 

殿を引き受けたのは、彼女がロイフェとやりあえる唯一の人間だから。確かに、他の者ではこの大悪魔相手では勝ち目は薄い。しかし急ぎであるからとはいえ態々一人で戦わずとも、協力して撃破すればよかったのではないか。そうすれば、自分は彼らの危機にも対応できたはずなのでは。

 

(皆の危機に歯噛みするしか無いのか……!?)

 

修学旅行、あの修羅の夜。義姉に完全敗北し、木乃香を攫われた。そして、鬼神の復活のためにいいように利用されてしまった。あの時は、仲間とともに奪還できたが、今回はどうだ。あんな綱渡りが、そう何度も通用するはずがない。ならば、彼らは既に……。

 

(私は……!)

 

その時であった。彼女の胸の内から、何かどす黒いものがせり上がってきた気がした。

 

「ぐ、ぅ……!?」

 

胸元を押さえ、蹲る。彼女の急な変調に、ロイフェも思わず驚きで刃を止める。

 

(な、何だ……!? この、脈打つような感覚は……!)

 

心臓の鼓動ではない、何か別の脈動。それは段々と全身へ向かってゆき、彼女の全てを侵さんとする。

 

(い、しき、が……)

 

脈動はなおも大きくなり、うるさい程となっていく。対照的に、意識はどんどん薄らいでゆき、視界が闇を湛えていく。

 

「……一体、何が」

 

一方のロイフェは、刹那に起こっている異変をその目に刻みつけていた。彼女の背から翼が飛び出し、同時に闇が噴出したのだ。それは彼女の全身を覆っていき、どんどんとその白い翼を漆黒へと染め上げていく。長い年月を生きてきた彼でも、こんなものは初めて見る。

 

「……なにかマズい!」

 

一瞬、降り注ぐ闇の中から見えた刹那の目を見て、ロイフェは嫌な予感を覚えた。ゾクリと、その目を見た途端背筋を凍りつかされたかのような感覚に襲われたのだ。何かが起こる前にしとめる、そう決めて彼は刹那へと大鎌を振り下ろす。

 

ガギンッ!

 

「な、に……?」

 

しかし、彼の大鎌は艶のある黒によって防がれた。それは、刹那の真っ白かった筈の翼。闇に染まりきった彼女の一部であった。

 

(馬鹿な、いかな術であろうと我が大鎌を止めるほどの強度を得るなど……!)

 

彼の用いる大鎌は、名こそないが鋭い切れ味を持つ業物だ。だからこそ、柔らかな烏族の翼で防げるはずがないのだ。

 

「……」

 

一方、噴出していた何かが止まり姿を現した刹那。その全身は、暗黒に満たされたかのようにどす黒いものとなっていた。肌は暗褐色になり、白目と黒目が反転している。翼は艶のある黒に染まり上がり、何もかもが異なっている。

 

対峙し、互いに動かぬ二人。しかし、突如刹那は獰猛な三日月をその愛らしい顔に浮かべ。

 

【さア、殺し合いまショ?】

 

ロイフェへと、暴風雨のごとく飛び掛かった。

 

「ぬぉっ……!?」

 

先ほどまでの彼女とは似ても似つかぬ速度。それにロイフェは一瞬怯んだ。そのせいで彼女に攻撃の隙を与えてしまう。しかし、彼も歴戦の猛者。迫る凶刃を間一髪で後ろへと反り返ることで躱し、同時に彼女を蹴り飛ばす。刹那は、それを受け入れたかのように、地面を二、三度バウンドして転がっていく。

 

【ウフ、ウフフ。ああ愉シ、狂シ……】

 

しかし、起き上がるとケラケラと笑いながら立ち上がる。まるで戦闘狂、いやこれはむしろ戦いに狂い果てた修羅のよう。

 

(先ほどまでとは明らかに違う……)

 

彼女を見つめ、冷静に分析していく。アクシデントがあろうと、冷静に対処できねば死んでいくのが戦いというもの。ならば、今は何が起こったかをしっかりと見極めるべきだ。

 

(彼女本来の清廉で鋭い刃ではない、もっと獰猛で暴悪な剣だ)

 

死人の剣、それが彼の抱いた感想だった。死ぬことも恐れずただひたすらに斬って斬って斬り続ける。そういう剣が今の彼女のスタイルらしい。

 

「……下らん。つまらん奴に成り下がりおったな」

 

恐怖すらも従え、なおも死に少しだけ怯えながら拳刃を振るう。己の命をあえて差し出し、極限の中で拾い、奪う。それこそ戦士のあるべき姿。そこに、善悪も種族も関係ない。

 

だからこそ、彼は落胆していた。死を恐れないのは確かに脅威だ、差し出された命を無視してこちらの命を奪いに来る。だが、所詮は狂人の剣だ。一定以上の強者には、大して面白みもない剣でしか無い。

 

「これ以上、私の前で無様を見せてくれるな。貴様の相手を務める私が惨めになる」

 

これ以上、彼女が醜態を晒すなら容赦なく首を刎ねよう。先ほどの彼女であればまだしも、今の彼女であればそれは容易い。落ち窪んだ眼孔から覗く金の光を鋭くし、ロイフェは彼女へと襲いかかった。

 

 

 

 

 

「な、何が……!?」

 

夕映から突如吹き出した暗黒に、霊子を除く一同は驚愕を顔に貼り付けていた。闇は彼女へと降り注ぎ、次第に彼女を真っ黒に染めていく。

 

「実験はたしかに途中だったわ。けれど、一番重要な死の世界へ繋ぐこと自体は既に成功していたのよ」

 

「死の世界……!?」

 

それは、刹那から聞かされたこの世の裏側であるという場所。全ての命が向かい、去っていく場所だという。

 

「あの世界に行くには、肉体的には不可能。精神世界を通じて辿り着くしか無いわ。けど、だからと言って死んでしまっては本末転倒。だから、私は個人の持つ精神世界をあえて破壊し、つなげることを考案した」

 

「っ! 夕映さんを使って、世界をつなげたってことですか!」

 

精神世界というのは、謂わばその人間の自己そのもの。それを破壊するとなれば、相当な精神エネルギーを必要とする。恐らく、あの実験装置はそれを増幅させるためのものだったのだ。そして、破壊された本人は無事で済むはずがない。

 

「人の心を壊すには、強力な負の感情が必要よ。そして、その最たるものが『絶望』。だから、私は貴方達を利用して彼女に絶望を与えたのよ」

 

期末テストの時、図書館島で態々彼女を使ってネギたちをおびき出したのも、ロイフェと戦わせるのと同時に彼女に罪の意識を植え付けるため。手紙を使って夕映の正体をばらし、おびき寄せる罠を張ったというのも、彼女を有無を言わさず裏切り者として仕立て上げるため。

 

一番の親友であるのどかの前で、夕映を裏切り者であると認識させることで、それを彼女の心の奥底まで刻みつけるためだったのだ。

 

「なんて……なんて(むご)いことを……!」

 

「あら、何もおかしなことではないわ。何かを為すためには何かを差し出さねばならない。それは貴方達人間が行ってきたことと何が違うの?」

 

魔法も科学も、共に戦争の中で発展してきた。どちらも、兵器を生み出したものの副産物から今へとつながっているのだ。それによって、どれだけの犠牲者が出たことか。それは、否定しようもない事実といえる。

 

「いいえ、それは違います! 確かに争いのために生み出されたものによって、進んできた部分はあるでしょう。しかしそれは、誰かのために人々が努力をした結果でもあります!」

 

戦争を早期に集結させるため、故国に勝利をもたらすため、家族を戦火に晒さぬため。それが結果として最悪であったのであろうとも、過程にある思いを忘れてはいけない。そこには、人が苦悩し、葛藤した歴史が確かに存在するのだから。

 

結果だけを見て同じと判断すれば、そこにあるはずの真実が抜け落ちてしまうのだ。

 

「貴女は、自分の為だけに夕映さんを犠牲にした! 自分は何も差し出さずに、夕映さんにだけ対価を支払わせたんだ!」

 

「私も誰かを自分のためだけに踏み台にするような奴と、一緒にはされたくねぇよ」

 

霊子が行ったことは、私利私欲のために他者を利用したこと。それも、自身は一切何も差し出さずに。己の我欲を満たすため、そんなエゴのために夕映を利用したのである。だからこそ、ネギは怒っていた。

 

「ええ。確かに私は利己主義的だわ、けれどそれを恥じたことはない。そうでなければ、私は私でないもの」

 

彼女にとっては、知を求め続けるこの脳髄こそが己の象徴。それを維持するためなら、例え誰かを犠牲にしようとも構わない。だからこそ、『夜明けの世界(コズモ・エネルゲイア)』に入ったのだ。己の我を通すために、己が怪物であると自覚しているがゆえに。

 

「まあ、下らない問答はいいわ。もう終わったみたいだし」

 

「何……?」

 

気づけば、夕映から噴出していた闇は跡形もなくなっていた。しかし、千雨は夕映に何か変化が起こっていることを嗅ぎとっていた。それも、嫌な感じのものを、だ。

 

(何だ……この感じは……)

 

似ているのだ、あの宿敵に。かつて感じた、暗黒のクレバスを覗いたかのような身の毛もよだつような感覚。

 

「積もる話もあるでしょうし、あとは彼女に言いなさい。さあ、ゆっくり(・・・・)お話し(・・・)なさいな(・・・・)、夕映」

 

霊子がそう夕映に向かって言うと、彼女はゆっくりと顔を持ち上げた。

 

「え……ゆ、え……?」

 

のどかは、変わり果てた姿の彼女を見てそう漏らす他なかった。白目と黒目が反転した眼球、体は黒ずんでおり、髪も紫黒ではなく完全な黒。おまけに、体からは何か得体のしれない黒いオーラのようなものが立ち昇っている。

 

「てめぇ、綾瀬に何しやがった!」

 

「別に。彼女の絶望をキーとして向こう側につなげただけよ。ふぅん、こうなるのね……興味深いわ」

 

千雨へ言葉少なく返答するとともに、夕映を面白そうに見つめている。一方の夕映は、ネギたちの方をじっと見つめている。その目には、何の感情も感じさせない。

 

(何が起こってるんや……!?)

 

木乃香も、驚愕を言葉にできずにいた。先ほどの闇の噴出も驚いたが、ああも変容した親友の姿には、最早口をついて出る言葉さえなくなってしまった。

 

「さあ、存分になさい」

 

その言葉が合図のように、夕映は姿を消し。

 

「えっ!?」

 

ネギの直ぐ目の前へと肉薄していた。既に、右の拳が振りかぶられている。

 

「ぐぅっ……!?」

 

ネギはすんでのところで障壁を展開し、彼女の拳を受ける。しかし、それを拳は貫通して彼の腹を抉る。少女のものとは思えない速度と重さの乗った拳を受けたネギは、そのまま本棚へと激突した。

 

「先生っ!?」

 

「宮崎! 危ねぇっ!」

 

一瞬、ネギへと意識が逸れた次の瞬間。のどかの前に夕映が既に移動し、攻撃の準備を完了していた。反射的に千雨はのどかへと跳びかかり、二人共地面を転がってゆく。しかし、それが功を奏し夕映の拳を回避することができた。

 

「おいおい、いくらアクティブだったとはいえ、綾瀬ってこんなバイオレンスな奴だったか……?」

 

振り下ろされた拳は、彼女の非力さと相反してレンガで舗装された地面にひびを入れていた。

 

「ゆ、夕映?」

 

恐る恐る、のどかは夕映へと声をかけてみる。だが。

 

【……イ】

 

「えっ?」

 

【痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ……!】

 

「ひっ……!?」

 

目から、どす黒いコールタールのような液体を流し、ただ痛いとだけ連呼している。あまりの気味の悪さに木乃香は悲鳴を漏らしかけ、それでも何とか飲み込む。

 

「何なんだよ……何なんだよこりゃあ……!?」

 

千雨でさえ、悍ましいまでの寒気を覚える光景だ。しかし、それに怯えている場合ではない。夕映は明確に、こちらへと敵意を向けているのだ。

 

「そうよ夕映、全部吐き出してしまいなさい」

 

【あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! フォア・ゾ・クラティカ・ソクラティカ!】

 

「っ! 魔法の始動キーか!」

 

ネギや魔法使いが魔法を使うときに始点とする言葉は、ある程度の韻を踏んでいる。千雨はそれを知っているからこそ、夕映が魔法を使う前に離脱を試みた。

 

【大気ヨ、その大いなる身を震わせ我が敵を弾ケ!】

 

「二人共逃げるぞ!」

 

千雨は、のどかと木乃香の手を引いて何とか逃げ出そうとするが、夕映の詠唱のほうが早い。

 

【『風塵・烈風壁』!】

 

本来は守りに用いられる風の結界が、その強度で上から迫ってくる。このままでは、地面と挟まれてお陀仏だろう。だが、二人の腕を強引に引いての走りでは、どうしても速度が鈍る。風壁は、ついに千雨の頭の上十数センチまで迫ってきた。

 

(まに、あわねぇ……!)

 

もう駄目かと目をつむった次の瞬間。

 

「『雷鳴の三叉!』」

 

直撃する寸前、三条の雷が千雨たちの上へと着弾した。それらは彼女らを押しつぶさんとする風の結界を強引に押し上げ、霧散させた。

 

「無事ですか、皆さん!」

 

先ほど吹き飛ばされていたネギが、魔法を放ったのだ。

 

「ああ、先生こそ大丈夫か?」

 

「幸い、障壁をすんでのところで張ったので威力はそれほどではなかったです。けど……」

 

千雨たちに合流し、夕映の方を見やる。相変わらず、無機質に視線を送ってくるが、やはり敵意だけは感じさせる。

 

「どうやら、強化の魔法と障壁突破を練り込んでいたようです。少なくとも、技量では僕と互角、いえそれ以上だと見て間違いないはず」

 

「先生より強い、か。まあ今さらな話だな」

 

「……そうでしたね」

 

いつだって、彼らが相手にしてきたのは格上だ。だからこそ、必死になって突破口を探し、戦ってきた。前を向き、相手を見据える。今は、それしかできないのだから。

 

 

 

 

 

(何だ、私はどうなったんだ……?)

 

宙に浮いた意識が、ゆっくりとまぶたを開く。見えたのは、あの銀の太陽が輝く世界。刹那は、再び死の世界に立っていた。

 

「馬鹿な……私は、死んだのか……?」

 

思い出すのは、ロイフェとの戦いの最中。謎の苦しさとともに意識が薄らいだ。あれがもし、ロイフェによる攻撃だったのだとすれば死んだというのも腑に落ちる。

 

『死んではおらんよ』

 

急な声に、思わず戦闘態勢へと移る。しかし、手元には愛刀『夕凪』は存在しない。神鳴流は武器を選ばないが、それでも得意な武器があるのとないのではやはり違う。

 

『そう身構えるな、何もせんよ』

 

「……貴様は何者だ、姿を見せろ」

 

『……悪いが、姿は見せられん。君は素質(・・)はあるが……まだ資格者(・・・)ではない』

 

「資格者……?」

 

『私のような存在は、資格を有するものでなければ見ることができない。だから姿を現せと言われても見ることはできんよ』

 

どうやら、相手は何らかの資格がなければ見ることができない存在らしい。声の感じから、以前京都で死にかけた際に聞こえたものとは別のようだ。

 

「それより、私はどうしてここにいるのだ?」

 

『門が開いたからだ。お前はそれに引きずられた』

 

「門?」

 

『どこぞの大馬鹿者が、この世界への道を無理やり繋げたらしい。おかげで、向こうでのお前はえらいことになっているぞ』

 

話を聞いてみれば、向こうの世界で誰かが此処への門を開き、道をつなげてしまったのだという。そのせいで、この世界に関わりがあった刹那が引っ張られてしまったらしい。

 

「では、やはり死んだのではないのか?」

 

『お前の魂は未だ死を迎えてはおらん、だからこの世界から飛び立つこともないからそのうち元の世界に戻る』

 

「そうか、それは安心し……」

 

『ただし』

 

何者かの言葉に安堵の言葉を漏らそうとしたが、それを遮るように相手は話を続ける。

 

『それは通常であれば、だ。今お前は向こうで開いた門を通じて共鳴してしまっている。それによって、現実のお前はお前自身の裏側……本来表に出るはずのない感情や意識で動いている』

 

「なっ、では今私の体は勝手に動いているというのか!?」

 

『左様。確かにお前自身ではあるが、ここにある意識とはまた別の存在。お前が有し、押さえつけてきた感情などだ』

 

それがロイフェと戦っている。経験や記憶などは共有されているため本人と遜色なく動けるらしいが、ある意味本能で動いてしまっているため予想もしない行動をしかねないらしい。このままでは肉体的に死んでしまい、ここにいる刹那も死を迎えてしまうという。

 

「何とかならないのか!? 私はまだ、死ぬわけにはいかないんだ!」

 

『人の生き死には誰にも決められぬ。それを決定づけるのは、不確定的であり確定的でもある運命によって決まってしまっているからな。この世界もあくまで世界を構築する要素の一つでしか無いとも言える』

 

「そんな……」

 

告げられた言葉に、項垂れる刹那。最早、仲間たちを助けに行くことができないかもしれないのだ。

 

『……とはいえ、今すぐ戻る方法もある』

 

「っ! 本当か!?」

 

『簡単だ、今のお前は肉体との繋がりが残っている。謂わば、こちらに引きずられたせいで意識が飛び出してしまった状態。そして、向こうでは押さえつけられていた意識に乗っ取られている』

 

曰く。乗っ取られている体を取り戻せればいいのだから向こうの刹那を再び押さえ込めばいいとのこと。だが、相手は刹那の本能そのものであり、勝つことは難しいらしい。

 

『かなり分の悪い賭けだぞ? 負ければ体の主導権を奪われる』

 

「それでも……私は戻らねばならないんだ」

 

『……キハハ、面白い。ならばやってみせろ! お前という存在を刻みつけてやれ!』

 

 

 

 

 

「夕映、もっと遊んであげなさい」

 

【苦しイ……痛イ……】

 

霊子の言葉を聞き、再び夕映が襲いかかる。しかし、今度はネギが彼女の拳を受け止め、逆に弾き飛ばした。

 

(身体強化での力は互角……けど、魔法は恐らく……)

 

【フォア・ゾ・クラティカ・ソクラティカ! 来たれ風精、此処に集いて風を織リ、鋭き疾風へと姿を変えヨ!】

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 闇夜切り裂く一条の光、我が手に宿りて敵を喰らえ!」

 

【『障壁突破・風の槍』!】

 

「『白き雷』!」

 

風でできた鋭い槍と、闇を照らす白い閃光が激突する。魔法はそのまま相殺されたかに見えたが、複数放たれていた風の槍のうちの一つがネギの頬をかすめていった。

 

「やっぱり、魔法の技量は……夕映さんの方が上だ……!」

 

ネギにとっての最大の強みである魔法で、上を行かれている。だが、それでも絶望的なほどの差は存在しない。本当に、少々の開きがある程度。

 

(それにしても……夕映さんは魔力が多いんでしょうか)

 

先程の高度な結界魔法や、今の風の槍。どちらもかなりの魔力を必要とする魔法だ。元から魔力容量の多いネギはともかく、普通の魔法使いではあんなものを連射すればあっという間に魔力が尽きてしまうはず。

 

「っ! そうか、だから夕映さんは……!」

 

そこから、ネギはある一つの仮説へと辿り着く。

 

「貴女、夕映さんに魔力を渡してるんですね」

 

「……」

 

「そして、その魔力パスを通じて……夕映さんをコントロールしている」

 

そもそも、夕映がネギたちに襲いかかる時点でおかしかった。夕映にとって憎んでいるであろう相手は霊子なのだ、なのに何故彼女に従い動く。答えは、霊子によって操られているから。

 

「恐らく、魔力パスを通じて夕映さんの意識を縛り付けているんでしょう? そして、命令は簡潔に口頭で伝える……言霊(ことだま)ですね?」

 

「……へぇ、こんなに早く看破されるなんてね。確かに、私の言霊がキーになってるわ。つまり、私を倒せば彼女を止められる」

 

自らの種がバレても、なお落ち着きを見せる霊子。それも当然だ、いくらバレたからといっても彼女を操ることを止める方法などないのだから。唯一の方法、己を倒すなんて彼らにできるわけがないという自負がある。

 

「まあ、手管をバラしてしまった以上遊ぶのもやめにしましょうか」

 

油断はなく、確実に一手一手を進める。それが柳宮霊子の戦い方だ。これ以上、手加減してやる義理はないと、彼女は詰めの手に入る。

 

「夕映、戦いなさい(・・・・・)

 

【フォア・ゾ・クラティカ・ソクラティカ! 来れ雷精、風の精。雷を纏いて吹きすさべ南洋の嵐!】

 

「さっきよりも高度の魔法……!」

 

【『雷の暴風』!】

 

轟と、すさまじい音を立てて荒れ狂う暴風が解き放たれる。先ほどまでとは密度も威力も段違いの一撃だ。

 

「『風花・風障壁』!」

 

とっさに、のどか達を守るために強力な対物魔法障壁を展開する。しかし、それでもなお障壁越しにビリビリと衝撃を伝えてくる。

 

「さっきまでのは、綾瀬に加減させてたってことか……!」

 

「ええ、だから言ったでしょう? 遊んであげなさいって。そして、本気で潰す以上は出し惜しみもなしよ。私も相手してあげる」

 

最後の、ダメ押しの一手。魔法においてはエヴァンジェリンと並び魔法世界最高クラスの魔女の参戦。魔法実験によって魔力をかなり消費してはいるものの、それでもその実力はネギたちの遥か上をいく。

 

「いえ、むしろ好都合です。貴女を倒せば、夕映さんは解放できる……!」

 

「氷雨、こっからは頼むぞ」

 

『チッ、また貧乏くじだな。まあいいさ、手伝ってやるよ』

 

それでも、彼女らの闘志は消えない。あの夜を経験し、一度は心が折れたからこそ、どんな怪物相手でも立ち向かえる。

 

「さ、行くわよ夕映」

 

【痛イ、苦しイ……】

 

「絶対に、負けてたまるもんか!」

 

「クキキ、吠え面かかせてやるよ!」

 

戦いの火蓋が、切って落とされた。



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第五十話 ただ意味を求めるでなく

己の生き方に迷い、道を踏み外した少女。
暗黒の中にあるのは絶望だけか、それとも……。


「……しぶといな」

 

【ウフ、ウフフ……】

 

対峙する二人。一方はほぼ無傷でありながら渋い顔をしている。もう一方は、傷だらけでありながら笑みを浮かべていた。

 

(想像以上にあの翼が厄介だな……)

 

刹那から生えている漆黒の翼、これが中々に面倒であった。ロイフェの大鎌は切れ味鋭いが所詮はそれだけの武器でしか無い。魔法によって鍛えられ、強化はされているものの、特別何かができるわけでもない。故に、漆黒の翼に攻撃を阻まれてしまう。

 

(成る程、ただ命を差し出しているわけではない、か)

 

少なくとも、ある程度の理性はあるらしい。今の状態になってから攻撃の鋭さはなくなり狂気に染まりきったかと思ったが、存外闘争の理念は失われていないようだ。

 

(……が、それだけのことだ。障害足りえるほどではない)

 

仮にも、彼は名うての大悪魔である。特殊な能力を有しているわけではないし、魔法が得意であるわけでもない。しかし、だからこそ己の腕一つで闘い抜いてきた自負がある。

 

「……ヘルマンが言っていたな、未来ある若者を殺すのは愉しくもあり、悲しくもあると」

 

数少ない友人の語っていたことを、ふと思い出す。既に彼とは10年近く話をしていない。もう一人の友人であるフランツも、悪態をつきつつもどこかもの寂しそうにしていた。出会いがあれば、必然別れも存在する。友人同士でさえそうなのだ、敵対する相手であればなおのこと。

 

「確かに、悲しいな。こんな化け物として最後を戦うというのは……」

 

久しくなかった強敵との戦い。それが、こんなにもつまらぬものとなってしまったことに、ロイフェは物悲しさを感じていた。

 

 

 

 

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 吹け、一陣の風! 『風花・風塵乱舞』!」

 

【フォア・ゾ・クラティカ・ソクラティカ! 大気ヨ、その大いなる身を震わせ我が敵を弾ケ! 『風塵・烈風壁』!】

 

巨大な風が、暴れ狂いながら衝突する。しかし、一方はその威力をかき消され、もう一方はその風すらも飲み込んでより巨大化しながら吹き荒ぶ。

 

「くっ!」

 

魔法で打ち負けたネギは、その巨大な風圧から逃れるために杖にまたがって飛び上がる。コンマ数秒で、ネギがいた場所は凶悪な大気の圧力によって押しつぶされた。みれば、レンガ造りの床が落ち窪んでいた。

 

(凄い……僕の魔法そのものを飲み込んでより凶悪化してる……!)

 

冷静に魔法の特性を分析しつつ、同系統の魔法を用いるのは危険だと判断する。しかし、ネギの得意な魔法は風と雷、そして光だ。夕映が用いていた魔法から察するに、彼女の得意系統は風と雷であり、魔法の性質がかなり近しい。

 

(炎の魔法はそこまで扱えないし、下手なものじゃ風にかき消されるだけ……。水も風の結界で阻まれる可能性が高い)

 

ネギは魔法に関しては各系統のものはひと通り修めている。が、それはあくまで魔法学校で学んだ程度のものだ。禁書庫に入って盗み得た得意系統の上位魔法と違い、威力も即効性も格段に落ちてしまう。

 

【痛イ……苦しイ……!】

 

「アラ・オラ・ハーベル・イウカーリ。『眠りの霧』」

 

追撃を与えようと突貫してきた夕映に、氷雨が魔法で牽制する。無論この程度で夕映が止められるわけもなく、無詠唱の風魔法で吹き散らされてしまう。しかし、それによって一瞬だけ余裕ができたネギは、夕映から大きく距離を取ることに成功する。

 

「ラプ・ラ・ウェル・テセ・プラギュゲス。そちらばかりに気を取られるのはナンセンスね。『赤口の光芒』」

 

「ぐぅっ!?」

 

が、柳宮霊子は援護を行っていた氷雨に向けて、指先から赤い閃光を放つ。それは氷雨の肩を正確に貫通し、氷雨は痛みで声を漏らす。

 

「千雨さんっ!」

 

「私は氷雨だっ!」

 

ネギの言葉に、氷雨は反射的に答える。魔法で肩に水をかけて血を洗い流し、持っていた大きめのハンカチで傷口を覆う。

 

「今はたしかにそうですが、その体は千雨さんのです。なるべく被弾は避けてください」

 

「ハッ、わかってるさ。こいつが死んだら私も死んじまうからな、そっちもせいぜい消し炭にされないようにしろよ」

 

ネギの辛辣な言葉に、氷雨も刺のある言葉で返す。修学旅行で共闘したこともあったが、基本的にネギは氷雨のことをあまり信用していない。未だ組織に忠誠を誓っており、体を失ってなお自分を罠にはめようと朝倉和美に毒牙を剥いた。更に、今の状態になったのも、元はといえば千雨の肉体を乗っ取ろうとしたせいだ。信用などできるはずがない。

 

ネギは、自分の仲間や生徒に手を出すような相手には容赦などしない。氷雨を許したわけでも仲間と認めたわけでもなく、あくまで共通の敵がいるから共闘しているといった認識だ。

 

「あらあら、仲間同士で反目しあっていては、私達に勝つなんて到底無理よ。ねえ、夕映?」

 

【苦しイ苦しイ苦しイ苦しイ苦しイ……】

 

「……理性的な部分が少々抜け落ちているのが難点ね。そこはおいおい改良していくとしましょうか」

 

霊子は浮遊術で飛び上がると、手に持った本を開いて魔力を練り上げ始める。どうやら、あの本自体が魔法の発動媒体として機能しているらしい。

 

「さっきは軽傷で済んだけど、今度はどうかしら? 『友引の誘い火』」

 

燃え盛る炎が、人の腕のような姿を取りながら無数に襲いかかる。ぐねぐねと動くさまが、ネギには地獄への手招きのように見えた。

 

「『風楯』!」

 

「『水霊の御手』!」

 

ネギは風で形成された魔法障壁を、氷雨は水の帯で自分の周囲を覆った。直後に炎の腕が殺到し、ネギたちを焼きつくさんとする。

 

「数が多すぎる……!」

 

「チッ、障壁がもたない!」

 

障壁の防御力を上回る魔法の物量によって、ついに障壁が突破されてしまう。ネギは再び杖にまたがって上空へと逃れ、氷雨は水の魔法で地面を滑りながら後退した。

 

「芸の無い子ね。うかつに飛び上がるのは的になってくれと言っているようなものよ」

 

「しまっ……!」

 

「『先勝の風将』」

 

風で形成された戦士の長が、ネギへとカマイタチとなって襲いかかる。とっさに障壁を

張るものの、容易く破壊されてしまい右脇腹を斬りつけられてしまう。

 

「く、ぁっ!?」

 

「死になさい」

 

風将の追撃で杖から蹴り落とされ、勢いをつけて真っ逆さまに落ちていくネギ。しかし、彼は痛みの中でも冷静さを取り戻し、風の魔法で衝撃を和らげることに成功する。

 

「ぐっ!?」

 

だが、それでも勢いを殺しきることができなかった。ネギは反射的に腕で体をかばったが、代償として腕を痛めてしまった。幸い折れてはいないようだが、少なくとも打ち身にはなっているだろう。

 

(ほぼノータイムで、あれほどの魔法を連続して発動できるなんて……!)

 

発動された魔法の一つ一つが、桁違いに高度だ。威力こそ上級魔法には届かないが、恐るべきは魔法の操作技術。ただ攻撃力が高いのではなく、障壁突破や拡散、収束がうまく行われており、何倍もの脅威になっているのだ。そして、それを短い時間で的確に実行している。

 

(けど、おかしい……魔法実験で魔力をかなり消耗しているはずなのに、そんな風にはとても見えない。それに無詠唱の魔法であそこまでの威力が出るなんて……)

 

対抗策を考えるため、霊子との戦闘を分析していく中で見えた、微かな疑問。足りないはずの魔力をどう補っているのかと、あまりにも早い無詠唱。魔力量が途方もなく膨大であるならば、それを使って一気に自分たちを圧殺すればいい。しかし彼女はそれをしない。

 

無詠唱の方も不可解だ。彼女は始動キーさえ唱えていない。いや、始動キーを唱えている場合もあるのだが、そうでない魔法のほうが多いのだ。

 

(そうだ、そもそも夕映さんに魔力を流しながら命令をしているのに、自分の魔法を放つ余裕なんて普通ならあるはずない!)

 

少しづつ、ネギの中でピースが組み上がり始めていた。

 

 

 

 

 

「ネギせんせー……千雨さん……」

 

まただ、と宮崎のどかは心のなかで思った。また、自分は戦いの中で一人取り残されている。犬上小太郎との戦いでは、少なくとも読心術でサポートができていた。しかし、関西呪術協会の本山では、読心による貢献こそしたものの、殆ど他人だよりだった。

 

そして今。あまりにも激しい戦いのせいで、口を挟むことすらできない。読心自体はできているが、下手に言葉にすれば邪魔になりかねない。おまけに柳宮霊子を読心した内容が、あまりにも支離滅裂すぎるのだ。恐らく、読心を防ぐ魔法か何かを使っているのだろう。

 

これでは、役立たず同然だ。

 

(私……何でここにいるんだろう……)

 

親友を助けに来たはずだった。だが、道中は仲間におんぶにだっこ。そして彼女が持つ唯一のアドバンテージたる読心も、全く機能していない。終始、お荷物同然の状態だった。

 

(……夕映)

 

先程は、あまりの変貌ぶりに驚いて悲鳴を漏らしたが、徐々にのどかは夕映の今の姿に心を締め付けられるような気持ちになっていた。

 

(痛いって、苦しいって言ってた……)

 

それはまるで、怨嗟の言葉のようでもあり、同時に救いを求めているかのような言葉のようにも感じ取れた。彼女は今、苦しみの中で無理やり戦いを強いられているのだと。

 

(けど、私じゃ夕映は止められない……止めて、あげられない)

 

考えれば考えるほど、自らの非力さを嫌というほど感じさせるだけだった。何もできない、動けない。立っているだけがやっとで、そこからは足がすくんで動かない。我武者羅に、ただ飛び出せたらどんなに楽だろう。それならまだ、無理やり夕映に飛びかかることだってできるだろうに。震えが、止まってくれないのだ。

 

(私……私って……どうして……)

 

視界が歪み、視線を落とす。瞼の奥から湧きだしたものが、赤レンガの地面を濡らす。助けたいのに、戦いたいのにそれができない。ネギのように勇敢になれないし、千雨のように前に進むこともできない。ないないづくしだ。

 

しかし。動き始めた戦況は、殆ど蚊帳の外であったのどかでさえも例外ではなかった。

 

 

 

 

 

「チッ」

 

【あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!】

 

悲鳴を上げながら襲い掛かってくる夕映に、氷雨は夕映の攻撃をかいくぐりつつ反撃をするといった状態が続いていた。今の夕映は、命令を下している霊子以外には無差別に襲いかかっている。霊子が言っていたとおり、理性的な部分が抜け落ちてしまっているためだ。しかし、その御蔭で氷雨は単調な戦い方となっている夕映相手に善戦できていた。

 

【『雷波・雷陣結界』!】

 

「しまっ……!」

 

しかし、どうしても地力の差が出てしまう。魔法の技量は相手のほうが圧倒的に上なのだ。なんとか騙し騙しでやってこれたが、一瞬で結界に閉じ込められ、電撃をもろにくらってしまった。

 

【あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! 苦しメェェェ!】

 

「ぐあっ!」

 

夕映の追撃の蹴りで吹き飛ばされた氷雨が、のどかの足元へと転がってきた。そして、それを追ってきた夕映が次いで降り立ってくる。

 

「夕映……」

 

【痛イ……苦しイ……!】

 

とどめを刺すつもりなのだろう。手に魔力を集めながら始動キーを唱え始めている。しかし、のどかにはどうすることもできなかった。

 

「ぐ、体が……!」

 

氷雨は、何とか立ち上がろうとするがうまく体が動かない。どうやら、先ほどの魔法に麻痺の効果があったらしい。

 

【お前モ……苦しメ】

 

一切の光を感じさせない暗黒の瞳がせせら笑う。まるで、人を傷つけるのが心底楽しいというかのように。人を苦しませることに喜びを感じているように。

 

(……ダメ。それは、ダメだよ夕映……!)

 

これ以上は、戻ってこれなくなる。本当に、もう手の届かないところまで堕ちてしまう。それが、のどかには恐ろしく感じた。親友が魔へとその身を落とすことに、たまらない悲しみを感じた。

 

【苦しメ、私と同じ痛みを知レ……!】

 

(動いて、お願い私の体! 動いて!)

 

ほんの少しでいい、ほんの少し走れるだけでいい。だから、この震えよどうか。

 

【死ネ】

 

「だめえええええええええええええええええええ!」

 

気がつけば、遮二無二飛び出していた。目の前には、風の刃が迫ってきている。だが、それがどうした。仲間の、そしてなにより親友の危機を助けられるなら、いくらでもこの身を差し出そう。彼女の胸を、ゆっくりと夕映の指先が沈み込んでいく。

 

世界が止まったような感覚。しかし、胸の中を何かがゆっくりと突き進んでいく感覚。そして、ほんの僅かだが感じた、暖かな温もり。

 

「綾瀬……貴様……!」

 

『何やってんだよ……!』

 

気がつけば、己の背から、赤黒く染まった腕が飛び出していた。それに気づくと同時に、鮮血が辺り一面へと飛び散る。

 

【……ア】

 

「ごめんね……ごめんね夕映……私、気づいてあげられなくて……」

 

【……メロ】

 

胸から、灼熱の感覚が押し寄せる。しかし、不思議と痛みというものはなかった。むしろ、とてもやわらかな温かささえ感じてしまう。いつの間にか、震えは止まっていた。

 

「ごめんね、ずっと独りにしちゃって……」

 

【ヤメロ……ッ!】

 

仮契約カードを取り出し、アーティファクトを呼び出す。この本は相手の心を読むための魔法具だ。ただそれだけでは、親友の闇を晴らすことはできない。だが、のどかは修学旅行の時に体験したあることを思い出していた。

 

それは、明山寺鈴音の心を覗き見た時。あの時は、自分のアーティファクトが侵食されていくことに恐怖を覚えたが、今思えばあれは向こうの世界とつながりかけていたせいなのではと、のどかは急に確信めいた思いを抱いていた。

 

「今、助けに行くから……!」

 

【ヤメロオオオオオオオオオオオオオオオオ!】

 

アーティファクトを開き、夕映の心を読心する。体が、心が深く沈んでいくかのような奇妙な感覚だった。

 

 

 

 

 

『人生に意味なんてない』

 

そう思うようになったのは、尊敬していた祖父が亡くなりしばらく経った後だった。ただただ生きることを享受するだけの人生がひどく空虚に思え、段々とバカらしくなってしまった。

 

『どうして、皆自分の生き方に対して何も考えないのですか』

 

祖父の死から、常に自分に問うてきた。生きることの意味、生きることへの理由。それを常々考えてきた。だが、一向に答えは出ない。周囲の人間は、馬鹿みたいに生きることが当たり前だと思考を放棄しているようにみえた。

 

『お祖父様……私は、どうしたらいいのですか』

 

疑問に思ったこと、不思議に思ったこと。時には辛く苦しいことがあった時にも、祖父は答えてくれた。しかし、今はそれはない。祖父に頼りきりであった自分は、独り立ちなどとてもできないほどに脆弱で、惰弱であった。

 

『……死ねば、分かるのでしょうか』

 

考えているように見えて、しかしどうしようもなく愚かしかった自分。色の抜け落ちた世界から、ただ抜け出したくて。私は滝壺へ身を投げた。そして出会ったのが、奈落の魔女。

 

『貴女、魔法を学んでみる気はない?』

 

魔女との出会いは、自分に衝撃を与えた。おとぎ話の中にだけ存在するものだと思っていた魔法が、現実に存在するということ。それらを学ぶ面白さ、楽しさ。私は魔法に触れている間だけは、人生の意味について考えずにいられた。

 

けれど、それは現実からの逃避に近かった。ただひたすらに考えないようにして魔法にのめり込み、思考することを投げ出した。

 

『あの……貴女も、その本読むの……?』

 

中等部に入って、私は新たな出会いをした。宮崎のどか、引っ込み思案で臆病な人物だった。最初は、遠巻きにこちらを見ていただけだったが、図書館島で本を読んでいる時に、彼女から話しかけられた。

 

他愛のない、ただ好きな本に関してお互いに話すだけだった。だが、不思議と嫌だとは思わなかった。まるで、ひだまりの中で語り合うかのような、ふわふわとした心地だった。

 

それでも、心を許せるわけでもない。ただ、暇をつぶして語り合える相手程度としか見ていなかった。それが、少しずつ変化していった。無表情が常だった、いや顰め面のほうが多かった自分が、少しずつ柔和な表情を浮かべるようになっていった。

 

それは、どこか嬉しくもあり、しかし恐怖でもあった。このままでは、どんどんと新しい自分に塗りつぶされてしまいそうで。大好きだった祖父のことさえ忘れてしまいそうで。

 

『もう、来ないでください』

 

『でも、私……もっとお話したいよ』

 

『……っ! だったら、貴女は人生の意義について考えたことはあるですか! 生きることの意味、理由を!』

 

当たり散らすように、喚くように言葉を叩きつけた。まるで子供のように、いや実際子どもとしか言い様がない幼稚さを露呈させて。

 

『うん、私もきっとわからないと思う』

 

けれど、彼女は。

 

『けど、死ぬことと同じように、私達は生きることも避けられない』

 

真剣に、普段のおどおどとした態度とは打って変わって凛とした顔で私に向き合った。

 

『私達は、こうして生きている。いつかは死んじゃうけど、それでもここにいて、考えて、喜んだり悲しんだり。そうして、私達は生きてる』

 

『……けれど、私はそこに意味を見出せないです。どうして、私達は生きてるのですか?』

 

『意味なんて考えちゃダメ。人生は、こうあるべきなんて決めつけちゃダメだよ。だって、私達はこうしたい、ああしたいって願って前に進んでるんだもん』

 

心のなかで絡みついていた何かが、ゆっくりとほどけていくのを感じた。

 

『人生に意味なんてない。だって、私達はそんなものがなくても生きていけるから』

 

『……は、はは……』

 

考えて見れば、簡単な事だった。矮小な己に人生という途方も無い巨大なものを当てはめようとしても、溢れてしまう。そうではなく、人生の中に自分はいて。好きに描いていくことができるのが人間なのだ。

 

『ゆえ、泣いてるの?』

 

気がつけば、頬に温かなものが流れていることに気づいた。ああ、ようやく自分は再び思考することができるのだ。人間らしく、自分の意志で。

 

『……ありがとう。私も、ようやく前に進めそうです』

 

 

 

 

 

 

(私のために向き合ってくれた、そんな親友を。私は裏切ってしまった……)

 

闇の中、綾瀬夕映は思考する。どこで、自分は道を違えてしまったのか。魔女との出会いか、親友との出会いか。或いは、それよりももっと前から。

 

(……もう、なにもかも遅いですね)

 

きっと、親友だった少女は自分のことを侮蔑の目で見るだろう。裏切られたという、怒りや悲しみで睨まれるだろう。きっと、もう元には戻れないのだ。

 

(とても、眠いです……)

 

暗い暗い闇の中、考え続けては自我が壊れ、再構築しての繰り返し。何度も何度もそうしている内に、彼女は疲れてしまった。もう、この闇に身を委ねてしまいたいと思うほどに。

 

(ああ、でも……)

 

叶うことなら。最後に一言、彼女に謝りたかった。すまないと、せめて自分の意志で言いたかった。

 

(……ごめんなさいです、のどか)

 

ゆっくりと、瞼を閉じる。もともと暗闇しかなかったため暗いままだが、それでも自分で目を閉じるというのはやはり違うものがあった。きっと、これから自分は誰でもなくなってしまう。自己という存在が闇に溶けて消えていく、そんな予感がした。

 

(……?)

 

ふと、何かが聞こえた気がした。

 

(だ、れ……こえ……?)

 

鈍っていく思考の中で、誰かの微かな声が聞こえた気がした。それが、自分のよく知る人物のもののように思えたが、幻聴だと思い再び眠りに就こうとした。

 

『……!』

 

(……っ!)

 

今度は、もう少しだけはっきりと。誰かの声が聞こえたのがわかった。しかし、ここは死人にしか来られない場所のはずだ。

 

『誰、だれなのですか……?』

 

『……ゆ……ぇ!』

 

段々と、声は大きくなってくる。いや、近づいてきているのだ。そして、それにつれてその誰かが何を叫んでいるのかがわかってくる。

 

『ゆ……え……!』

 

(私の、名前……)

 

ありえない、もう自分の名前を呼ぶのはあの魔女だけだと思っていた。しかし、この声は確かに知っている。忘れるはずもない、あの声。

 

『ゆえ……!』

 

(のど、か……?)

 

まだ、自分は未練たらしく幻聴などが聞こえてしまうのか。ありえない、もう彼女が自分の名を呼ぶはずなど。しかし、願ってしまう。そうあってほしいと、彼女は望んでしまう。

 

『ゆえー!』

 

『のどか……のどかーっ!』

 

声が、出てしまった。無駄なはずなのに、反射的に言葉が出てしまう。親友を呼ぶ声が、出てしまう。眠りかけていたはずなのに、いつの間にか立ち上がり、走りだしていた。

 

『ゆえーっ! どこーっ!』

 

『のどかっ、のどかーっ!』

 

求めてしまう、もう一度と。もう一度だけでいい、会って謝りたいと。どの面下げていうのだと自分でもわかっている。それでも、そうしなければならないと思ったのだ。

 

そして。

 

『ゆえっ!』

 

『のどかっ!』

 

二人は、ついに再開を果たした。

 

 

 

 

 

『ごめんなざい……ごべんな゛ざいのどがー!』

 

『ごめん、ごめんね。私、夕映がこんなにつらい思いをしてたのに、気づいてあげられなかった。自分のことばっかりで、夕映のこと全然分かってなかった……!』

 

涙を流し、互いにひしと抱き合う。あれほど不安であったはずの、親友に絶縁される恐怖は、出会った瞬間に吹き飛んでいた。

 

『そんなことないです、私は本当なら罵られたっておかしくないんです! 私は、私はのどか達を裏切ったです!』

 

『私だって、私だって同じだよ。夕映のこと、心のなかで疑っちゃった。私、夕映を信じてあげられなかった……。友達なのに……!』

 

そう言って、ポロポロと涙を流す。しかし、夕映は彼女の頬へと手を伸ばし。

 

『仕方ないです。疑うことは、誰だってしてしまうことですから。それが友達同士でも、例外であるはずがないです』

 

『ゆ、え……』

 

『むしろ、私は嬉しいです。私のために、涙を流してくれる人がいる……こんなに嬉しいことはありません』

 

心が、軽くなっていく。闇が、暗黒がこの世界から押し流されていくのを感じる。

 

『のどか……私は、あの魔女にずっと従い続けるだけでした。逆らう強さを持てない、とても脆弱な女です』

 

のどかの手をとり、視線を交わす。

 

『こんな、弱い私ですが……まだ、友達だと言ってくれますか?』

 

『……うん、うん! 私はいつだって、夕映と友達だよ……!』

 

涙を流しながら微笑むのどかに。

 

『……ありがとう、のどか』

 

感謝の言葉とともに、夕映もまた笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

「……ダメだ、もう助からないな」

 

『くそっ、くそがっ!』

 

「嘘や……のどか……目ぇ覚ましいや……!」

 

現実世界。のどかは既に呼吸が止まり、目を閉じたままピクリとも動かない。心臓マッサージを施そうにも、胸を貫かれたあとではかえって危険だ。応急処置として木乃香が治癒を行ってはいるが、もう助かる見込みが無い。いくら治癒のアーティファクトであっても、流れでた血を補うことはできないし、ここまで深手では治癒をされる側にも体力がいる。

 

「のどか、さん……」

 

のどかが胸を刺し貫かれたことを闘いながら見ていたネギは、夕映を魔法で即座に拘束し、彼女の胸から腕を引き抜いた。あまりにも無残な姿をみて一瞬呆然となったが、すぐに木乃香とともに治癒魔法をかけた。しかし、傷が深すぎて血が止まらず、もう手の施しようがなくなってしまった。

 

一方の夕映は、先程から不気味なほどに大人しい。目からはあの濁りきった漆黒は感じさせず、ただ目を見開いたまま微動だにしない。

 

「よそ見は厳禁だといったはずよ。『先負の戦斧』」

 

しかし、そんな状況でも霊子は追撃の手を緩めない。巨大な風の戦斧が形成され、彼らへと振り下ろされる。

 

「……『白き雷』!」

 

「っ!」

 

しかし、ネギは背面から迫り来る魔法に対し、白雷を以って拮抗する。戦斧は、予想外の威力の魔法によって弾かれてしまった。

 

「許さない……!」

 

(怒りで魔力が噴出している……感情の高ぶりで一時的にタガが外れたか)

 

「僕は、貴女を許さない……!」

 

怒りを顕にそう言うネギに、しかし霊子は冷徹に言い放つ。

 

「けど、彼女を刺し殺したのは夕映よ? 普通はそちらに怒りが向くべきではなくて?」

 

「夕映さんは操られているだけです。そして、そんな酷いことをさせたのは操っている貴女の他にない!」

 

「ならどうするの? 許さない? 言葉だけならなんとでも言えるわ」

 

そんな挑発的な言葉を聞くと同時、ネギは一瞬の内に霊子の眼前へと移動していた。

 

「光の精霊67柱……『魔法の射手・連弾・光の67矢』!」

 

光の帯を、怒りのままに解き放つ。

 

「『大安の大壁』」

 

しかし、霊子はそれを冷静に得意の結界魔法を展開して逸らしてしまう。それだけではない、逸らされた魔法がネギへと殺到していったのだ。

 

「くっ!」

 

ネギはなんとかそれをかわし切るが、既に霊子は次の攻撃を完了させていた。

 

「『赤口の光芒』」

 

「ぐぁっ!?」

 

赤色の閃光が彼の脇腹をかすめる。しかし、かすっただけでも強力な熱線である。服を燃やし、その下にある肌を焼いていた。

 

「所詮、貴方がどれだけ怒ったところでそんなものなのよ。魔法使いは常に状況を見極め、戦いの趨勢を観察することことが肝要だというのに」

 

続いて放たれた閃光が、今度は右足の太ももに直撃する。跨っていた杖でバランスがとれなくなり、地面へと叩きつけられる。

 

「う、ぐ……!」

 

「じゃあ、トドメといきましょうか」

 

彼の横へと降り立った霊子が、手のひらに魔力を集中させていく。

 

(呆気無い最後ね。やはり警戒しすぎただけか)

 

そんなことを思いながら、トドメの一撃を放とうとした時であった。

 

「…………」

 

今まで沈黙を保っていた夕映が、立ち上がりこちらへゆっくりと向かってきたのだ。

 

「あら、丁度いいわ。どうせなら貴女がとどめを刺してしまいなさい」

 

何の事はない、夕映の退路を完全に断ってやるつもりなのだ。親友を手に掛け、そのうえ自分の担任教師までも殺したとなればもはや彼女に居場所はない。そうなれば、あとは自分に従わせるだけだ。

 

魔力経路を通じて、彼女に魔力を渡す。そして言霊を用いて、魔力を拳へと収束させた。

 

「さあ、やりなさい」

 

ネギを殺すように、命じる。

 

拳は正確無比に顔面へ叩き込もうと振りぬかれる。

 

「歯ぁ食いしばるです」

 

主人であるはずの、霊子へと向けて。

 

バキン!

 

「か、は……!?」

 

魔法障壁を貫いて、霊子の顔に渾身のストレートが打ち込まれた。錐揉みをしながら彼女は吹き飛んでいき、地面を引きずっていく。

 

「フン、今までのお返しです」

 

鼻を鳴らしながら、しかし満足気にそう言った。一方のネギは、突然のことに驚きで目が丸くなった。

 

「あ、あの……夕映さん、ですか?」

 

「それ以外に誰だというですか、先生」

 

まるで憑き物が落ちたかのような、晴れ晴れとした顔だった。

 

「意識が、戻ったんですね……!」

 

「ええ、のどかのおかげです。のどかが、私の意識を引き戻してくれました」

 

その言葉に、ネギの表情が曇る。のどかは、既に夕映の手によって意識不明となっているのだ。それを言うべきか、彼は逡巡した。

 

「……夕映さん、のどかさんはもう……」

 

しかし、意を決してその事実を伝えようとする。

 

「何を言ってるですか、のどかならあそこで元気にしてるです」

 

「えっ」

 

見やれば、血まみれで倒れていたはずののどかが、上半身を起こしてこちらに手を振っている。

 

「私を助けるために、向こうの世界に意識を飛ばしてたみたいです。全く、相変わらず無茶をするですよ……」

 

「せんせー! ゆえー!」

 

「は、はは……」

 

めまぐるしいまでの状況の流転に、ネギは乾いた笑い声が漏れた。そして同時に、嬉しさもこみ上げてくる。のどかは無事で、夕映も取り戻すことができたのだから。

 

『やってくれたわね……!』

 

しかし、地の底から響くかのような恐ろしい声によって一同の背筋に冷たいものが走る。

 

「久々よ、こうしてクリーンヒットを入れられたのは……」

 

見れば、立ち上がってきた霊子から恐ろしいほどの魔力が渦巻いていた。結界魔法を得意とする彼女は、まともに拳を食らったことが殆ど無い。最も最近に食らったことがあるのは、せいぜい数年前に魔法世界最高峰の剣闘士から貰った一撃ぐらいだ。

 

「夕映、まさか裏切るなんてね……」

 

「従い続けるのはもうまっぴらです。今、私は貴女と決別する!」

 

「減らず口を……ッ!」

 

終始笑みを浮かべ、余裕を見せいていた彼女が初めて顕にした怒りの顔。これは、いよいよ霊子も余裕を崩さざるを得なくなっているということだ。

 

「……いいわ、見せてご覧なさい。全て、私が叩き潰してあげる……!」

 

「もう膝は屈さない……貴女の恐怖に打ち勝つです!」



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第五十一話 裏の裏

翼の剣士は、己に打ち勝てるか。
若き英雄候補は、老獪なる魔女を読みきれるか。


「では、とどめといこう」

 

時間は少し遡る。刹那とロイフェの戦いは佳境に入ろうとしていた。

 

【アハ、動けなイ……】

 

いくら厄介な漆黒の翼があったとしても、対処できないわけではない。防御を突破できないならば、相手がガードできない状況を作り出せばいいだけの話であった。ロイフェは防御の隙間から少しずつ斬りつけ、出血を強いて動きが緩慢になるのを待ったのだ。

 

目に見えて動きが悪くなったところで、影で縛り上げることで動きを完全に封じた。刹那はもがいてはいるものの、抜け出せる気配はない。血が減ったせいで力が出ないのである。翼も影の拘束によって封じられており、完全に無防備だ。

 

「正気であればこの程度、容易く気づけたであろうに。実に惜しい……」

 

本能に任せ、命を投げ捨てた戦い方では傷も痛みも考慮しない。だからこそ、少しずつ体の自由が奪われていくことにさえ、今の刹那は気づけていなかった。正気であれば、その狙いを即座に看破できたであろうことがロイフェには容易に想像できた。故に、惜しいと感じてしまう。

 

それでも、主人の命令はロイフェにとって絶対である。見逃してやるつもりも、正気に返るのを待つつもりもない。彼は大鎌を構えると、その落ち窪んだ眼孔から覗く黄金を鋭く光らせた。

 

「せめてもの情けだ、一撃で首を落としてやる」

 

魔力が大鎌に充填される。刃は鋭さを増し、黒く変色していった。彼が唯一得意としている影の魔法でコーティングしているのだ。それも、ただ纏わせるのではなく影を染み込ませている。これならば、翼でガードされてもそのまま貫通して斬り捨てることができる。ただし、ロイフェ自身の魔法の腕が低いため、戦闘中に維持するのは難しいという欠点もあるが。

 

「さらばだ」

 

別れを告げ、ロイフェは大鎌を振りぬいた。

 

 

 

 

 

暗黒の中、刹那は自身と全く同じ姿をした存在と対峙していた。いや、厳密には少しだけ姿が異なる。髪は雪のように白く、瞳は黒ではなく赤。服装も、刹那の白いシャツ姿と相反するかのように黒い衣服を着ている。

 

【何故邪魔をすル、私はお前そのものなのニ……!】

 

怒りを隠すでもなく、刹那をにらみつけるもう一人の刹那。その瞳には憎悪が満ち満ちており、今にも刹那に飛び掛からんばかりの怒気を発している。

 

『それはお前が勝手なことをするからだ。私がお前なら、お前も私のことが分かるはずだ』

 

対する刹那は、ただ真っ直ぐにもう一人の自分を見据えていた。その瞳には鋭い光が宿っており、相対する自分に睨みを利かせている。

 

【うるさイ! 本当ハ、あの人と一緒に行きたかったくせニ!】

 

『それはお前のほうだろう。お前は確かに私だが、私とは違う』

 

【あの人に会いたくてどれだけ涙を流しタ!? 手を伸ばせば届いたというのニ!】

 

『あの人はもう、昔とは違う! 私にやさしく微笑みかけてくれたあの人はもういない!』

 

【嘘ダッ! あの人への未練を捨てるためにそう思いたいだけだろウ!】

 

相手は自分が押さえ込んでいた心。姉に捨てられたと思い涙を流した自分であり、彼女と再び過ごしたいと思っている自分なのだ。言っていることは自分自身が心の奥底に封じ込めたものばかり。

 

【悔やんでいるのだろウ!? あの人の手を振り払ったことヲ! 長年探し続けテ、ようやく出会えてうれしかったはずダ! なのに何故!?】

 

『確かに、私も完全に気持ちを断ち切れたとは思っていない。だが、それでも私はお嬢様のために戦うと決めた。今更お前がでしゃばるのは筋違いだ』

 

自分を大切に思ってくれる人のために剣を振るうという、姉との約束。彼女はかつての姉との約束を違えるつもりはなかった。たとえ、それが自分の心が相手でも。何より、木乃香を裏切るなど彼女は絶対にしたくなかった。

 

『私にはもう、かけがえのない仲間がいる。親友がいる。それだけで、私が留まるには十分すぎる』

 

光が満ちていく。現実へ、世界が回帰を始めていく。

 

【おのレ……おのれおのれおのれおのレ……ッ!】

 

『失せろ! この体は私のものだ、お前ごときには渡さない!』

 

【おのレエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!】

 

もう一人の自分が、闇の中へと霧散していった。

 

 

 

 

 

【忘れるなヨ……私はお前自身なんダ……私からは逃げられないということヲ……!】

 

 

 

 

 

大きく振りかぶられた大鎌が、真横一文字に振りぬかれる。それは正確に彼女の(うなじ)へと差し込まれ、容易く首を切断した。

 

はずであった。

 

「……ほぅ」

 

数瞬後、大鎌を振り切ったロイフェの眼前に首なしの死体はなかった。あるのは、そこに彼女がいたという証拠である血痕のみ。

 

「正気に返ったか、神鳴流剣士」

 

「おかげさまでな」

 

みれば、先ほどまでの狂気は鳴りを潜め、再び凛とした清涼な空気を纏っていた。しかし、出血のせいで呼吸に乱れが見え、やや顔も青白い印象を受ける。

 

「よくぞ戻った。己の狂気に呑まれた愚か者は数多く見てきたが……再び立ち上がってみせた者は数えるほどしかないぞ」

 

「随分と嬉しそうだな、せっかく殺しきるチャンスだったというのに」

 

「何、久方ぶりの闘争に吾輩も少しだけ浮き足立っているだけの話よ」

 

闘い、争う。人によっては野蛮であるというだろう。しかし、同時に抗いがたいほどの魅力を持つ。それが大規模であれ小規模であれ、命を懸けるか否かであれ、だ。

 

古くから悪魔は、人との比べあいを何より好む。それは知恵であったり、信仰心であったり、単純に強さであったり。人間を相手に様々なことを競うのが、悪魔にとっての悦楽であった。

 

ロイフェもまたその例外ではない。むしろ、ロイフェはそういった傾向が強い悪魔なのだ。

 

「その傷、卑怯とは言うまい? 意識外でも戦っていたのは貴様なのだからな」

 

「丁度いいハンデだ。むしろ、手負いの私に負けるほうが恥ではないのか?」

 

「フハハハハ、ほざきよるわ!」

 

仕切り直しとばかりに、ロイフェが大鎌を構えなおして襲い掛かり、両者の刃が激突する。しかし、かちあったのは一瞬であり、刹那は滑り込ませるようにして刃を沈ませ、大鎌を弾きあげた。

 

「むぅっ!?」

 

「神鳴流、『斬魔剣』!」

 

がら空きになった懐に、白刃が襲い掛かる。下がって躱すのは不可能であると判断したロイフェは、逆に刹那の方へ前進した。多少のダメージは覚悟し、振り回している腕を弾いてダメージを抑えつつ、懐に入ることが狙いだ。

 

刹那の愛刀である『夕凪』は、刃渡り三尺、90cmを超える野太刀だ。非常に間合いが広く、殺傷能力も申し分ないが、一旦懐へと入られると不利になりやすい。剣士はインファイトが苦手であるが、大太刀はその重さと取り回しの長さが仇となって余計に不利が目立つのだ。

 

「ちぃっ!」

 

懐へと入られることを嫌った刹那は、反射的に下がることでロイフェを引きはがすことに成功する。しかし、同時に距離が開いたことでロイフェを浅く斬るだけに終わってしまう。

 

「驚いたぞ、出血多量の状態で吾輩の刃を弾いてみせるとは」

 

「なに、体の調子が妙にいいのでな」

 

そう言う刹那の表情は確かに余裕がうかがえる。しかし、その肌は血の気が失せて未だ青白い。

 

(一時的な気分の高揚で、不調を感じなくなっているようだな)

 

いわゆるランナーズハイのような、一種の興奮状態となっているのだろうと、長年の戦いの経験からロイフェは分析した。この状態なら、ある程度の苦痛は緩和され、継続して戦うことが可能だろう。

 

(恐らく、長続きするものではないな。早めに決めなければ……)

 

一方の刹那も、今の自分が苦痛を感じにくくなっていると理解していた。同時に自分の状態が、長続きはしないであろうことも。脳は脳内麻薬の一種でによって、苦痛の緩和や鎮痛を行ったりすることができるという。しかし、その許容範囲を超えれば、脳を守るためのリミッターが働き、気を失ってしまうのだ。

 

か細い蜘蛛の糸が、ピンと張りつめられた状態。少しでも気を緩めてしまえばあっという間にその糸は切れてしまうだろう。そうなれば、待っているのは地獄への逆戻りだ。もう今度は、帰ってこれる保証はない。

 

(長時間の勝負はこちらが不利……一気に片をつける……!)

 

刹那は、静かな所作で刀身を鞘に納めて瞑目する。

 

瞬間、世界が静寂に包まれた。

 

 

 

 

 

周囲の雑音がすべて無に帰し、相対する悪魔の気配だけが肌を通して感じられた。

 

(斬魔剣は、有効ではあるが速さが足りず届かなかった……)

 

魔を断つ斬魔剣は、悪魔であるロイフェには非常に効果的だ。しかし、どうしてもスピードで一歩届かない。ロイフェはその大柄な体格に似合わず、非常に素早い。刹那との戦闘に真向からついてこれるのがその証拠だ。

 

(時雨では、速さはあるが威力が足りない)

 

速さであれば、刹那が扱う技の中では時雨が最も速い。先ほどの斬魔剣は不意をつけたため肉薄できたが、恐らく村雨流の高速抜刀術でなければロイフェには防がれてしまう。しかし、悪魔であるロイフェ相手では、時雨は有効打になりえない。

 

(ならば……)

 

その双方の弱点を補い合う。即ち村雨流と神鳴流、かつて京の守護の双璧を担った流派を合成するのである。村雨流は一時期貪欲に他流派の技を吸収していたため、神鳴流の技術も取り入れた技もいくつか存在する。よって可能といえば可能かもしれない。

 

しかし、それは長い年月をかけて己の流派のものとして昇華させているからだ。異なる流派の技を、この土壇場で一つの技へと昇華させるなど、正気の沙汰ではなかった。

 

(私に、できるか……?)

 

正直刹那にも、できるかどうか不安しかない。それでも、今できなければならないのだ。

 

(やってみせる……いや、やらねばならないのだ!)

 

感じてとっていた気配が動く。ロイフェが静止している刹那へ向かってきているのだろう。刹那もまた、目を閉じたまま気配へ向けて急駛(きゅうし)した。

 

「『日食の影(エクリプス・アンブラル)』!」

 

ロイフェの言葉と共に刃が迫るのを感じる。このままいけば、頭から唐竹割にされてしまうだろう。

 

ならばもっと速く、もっと力強く。

 

「村雨……神鳴流……!」

 

全力で、すべて断ち切る勢いを以て抜き放て。

 

「『月時雨』!」

 

 

 

 

 

「フォア・ゾ・クラティカ・ソクラティカ!」

 

「ラプ・ラ・ウェル・テセ・プラギュゲス」

 

「『風塵(フランテ・アレーナム)烈風壁(ガーレウォール)』!」

 

「『砂塵(プルヴィス)濁流壁(トゥルビデ・フルミネウォール)』」

 

詠唱破棄された魔法が二つ。一方は空気が圧縮された暴風、もう一方は砂塵を捲込んだ荒れ狂う濁流だ。本来であれば、自身を守るために発動する結界魔法であるそれらが、圧倒的な殺意を以て激突した。

 

弾かれた暴風は上空へと逸れて岩壁を削り、濁流はレンガ造りの地べたを濡らす。驚くべきは、その双方がほとんど周囲に影響なく掻き消えたことだ。それは互いへと放たれた魔法を、自身の魔法によって上手に威力を殺した結果からくるものであった。

 

(力の扱い方が分かる……死の世界に繋がっているから、ですかね?)

 

本来の彼女であれば、魔力不足で霊子の魔法を逸らせなかっただろう。だが、今は魔力の効率的な扱い方が感覚的に理解できている。たった少しの魔力で、霊子の魔法に喰らいつけているのだ。

 

いや、むしろそんな状態の夕映と、弱体化してなお互角に戦える霊子の方が異常なのかもしれない。

 

「……魔力が半減以下というのに、やるですね。もう少し弱体化してると思ったですが」

 

「貴女に魔法を教えたのは誰だと思っているの? 死の世界に接続したせいで頭のねじが抜けたのかしら?」

 

「逆に言えばあなたの手の内も、私は知ってるということです。どこまで私に教えたと思ってるんですか」

 

師匠と弟子、綾瀬夕映と柳宮霊子の関係を一言で表せばそれに尽きる。霊子は魔法世界最悪の魔女の一人であると同時に、魔法使いの中でも最高峰の腕を持つ魔女でもある。そんな彼女に数年間鍛えられたとあれば、いやでも実力はついてくるもの。

 

「……手伝いのためとはいえ、余計な力をつけさせすぎたか」

 

「後悔は先に立たないものですよ。まあ、不測の事態を嫌う貴女がそういったことに布石を打たなかったのは完全に失策ですが。実に貴女らしくないです」

 

彼女の性格からすれば、万が一でも裏切られた時のために、自分の脅威となるような実力は付けさせないはずだ。しかし、夕映は彼女に追いすがれるだけの実力を有している。いくら死の世界と接続してしていることを差し引いても、間違いなく一流クラスと言えるだろう。

 

「弟子なんてとったのは初めてだったからよ、次に活かせばいいだけの話」

 

「これ以上私のような被害者を増やされるのはごめんです。貴女はここで終わりですよ」

 

「随分と大口をたたく……私の支配下から逃れたからといって調子に乗りすぎね」

 

そう言うと、霊子は再び魔法の触媒である本を開き、魔法を唱える。

 

「『友引の誘い火』」

 

腕を模した炎が、夕映を再び死へと招かんとうねうねと動きながら襲い掛かる。夕映は、風の魔法でそれらを吹き飛ばし、地面を滑るように飛んで囲いから抜け出した。

 

(まただ、詠唱もないのにあれほど高度な魔法を……)

 

先ほどまでの霊子との戦闘で疲弊していたネギは、夕映に戦いを任せて体力の回復に努めていた。本当であれば、意識を取り戻したばかりの彼女に戦いをまかせっきりにするのは嫌だったし、すぐにでも戦線に復帰したいのだが、相手が桁違いの怪物となればかえって足手まといになりかねないため彼女の厚意に甘える形となっていた。

 

そうして休みながら彼女らの戦いを眺めている最中、夕映と霊子の戦いを見てネギは再び違和感を感じていた。どう考えても、霊子の魔法が尽きなければおかしいレベルで魔法が放たれているのに、一向に霊子には疲れの色が見えないのだ。

 

(今は夕映さんに魔力を供給していないとはいえ、さっきまで倍の魔力消費をしていたのに魔力が尽きない……?)

 

ネギのように桁はずれに魔力が多いとしても、さすがに筋が通らない。もうネギでも気絶しかねないほどの魔力消費なのだ。これではまるで。

 

「霊子の奴め、底が見えないな。これじゃあ初めから魔力を用いていないようにしか思えんぞ」

 

(魔力を……使っていない……?)

 

ふと、ネギは氷雨の言葉を頭の中で反芻する。ピタリとはまったピースが、徐々に他のピースをくみ上げるための呼び水となるかのように、思考が組みあがっていく。

 

(魔力を自分のものではなく、あらかじめ用意していたものを使っていたのだとしたら……!)

 

不自然に感じていた事柄が、線となって繋がっていく。ただ魔力をストックしているのであれば、あれほど短い時間で魔法というレスポンスが返ってくるはずがない。だが、魔法そのものを引き出しているのだとすれば。

 

答えを導き出したネギは、杖にまたがると勢い良く飛び上がり、夕映へと大声で言った。

 

「夕映さん! 彼女は、柳宮霊子は恐らく魔法を(・・・)ストック(・・・・)しています(・・・・・)!」

 

「へぇ……」

 

ネギの言葉に、霊子は感心したような声を漏らす。

 

「よく看破できたわね、私もだいぶ注意を払っていたはずだけど」

 

「いくら貴女が僕より圧倒的に熟練している魔法使いとはいえ、あれほど短い時間で高火力の魔法を連発できるのは怪しいと思ったんですよ。第一、あれだけ魔法を放てば実験で魔力を相当に消耗しているあなたは、あっという間に魔力が枯渇しなければおかしい」

 

「それだけ? まさか、そんな弱い根拠で断定したのかしら?」

 

だとすれば、彼女にとっては唾棄すべき推測である。魔法使いとは常に、論理的に物事を見定め、組み立てるものだと考えているからだ。戦闘においては直観も確かに大事ではあるが、確たる証拠もなしに断定するのは愚かの極みであると彼女は思っている。

 

「いえ、それはきっかけにすぎません。ポイントは、貴女が徹底して詠唱や始動キーの省略を行っていたこと、貴女が得意としている魔法。そして夕映さんを操る際にも使用していた、言霊です」

 

「……面白い、答え合わせといきましょうか」

 

 

 

 

 

「まず、なぜ魔法を連発できたのか。これは貴女は魔法そのものを何らかの媒体に封印しているからです。貴女が得意とする、結界魔法を用いて。多分、その魔本が媒体ですね」

 

「結界魔法、ですか」

 

結界魔法は、本来何らかの基点を敷いて空間に干渉する魔法だ。熟練すれば霊子や夕映のように空間ごと叩きつけるという荒業で攻撃に転用もできるが、基本的には空間歪曲、或いは幻覚との併用などによる拠点防衛などに用いられる。

 

そして、結界魔法にはもうひとつ用途がある。それは、空間ごと内部に存在するものを封じるといったものだ。強大な魔や、危険地帯へと変貌した土地などが周囲に影響を及ぼさぬよう、或いは侵入を防ぐために用いられる。例とすれば、修学旅行でネギたちが閉じ込められた『無間方処の咒』がそれに近い。

 

「魔法を唱えるには、第一に始動キーが欠かせません。自身が魔法を唱えるうえでの起点とするものですから、魔法がぶれてしまいます」

 

そう言いながら、ネギは指を立てる。続いて、もう一本指を立てて話を続けた。

 

「第二に、詠唱を破棄すればそのぶん威力も落ちる。いくら貴女が魔法使いとして最高峰の実力を有しているとはいえ、その前提を覆すのは不可能に近い」

 

「そうね、魔法としての密度も威力も格段に落ちてしまうわ。仮にも(まじな)いだもの」

 

「だからこそ、貴女が始動キーすら唱えずにあれほどの魔法を連発できたのが引っ掛かった。僕は最初、それらを補う何らかの技法があると疑いましたが、それなら唱える必要がないのに、始動キーを唱えた魔法を挟む理由がない」

 

ですから、とネギは一呼吸を入れ、さらに話を続ける。

 

「僕はこう考えました。始動キーを唱えている方は現在練り上げた魔法で、そうでない方が封じてある魔法なのではないか、と。そう考えれば、貴女の行動に筋が通る」

 

「ブラフ、とは考えなかったのかしら」

 

「それも考えましたが、魔法使いの戦いは状況判断が最も重要です。僕たちを叩き潰すことを確実にするために貴女が参戦しているのに、わざわざそんなことをする必要性がない。まして、魔力を大幅に消費している今の状況ならなおのこと」

 

霊子の口角が、僅かに上る。この少年は、この年齢で魔法使いの戦いが本質的に何たるかということを理解しているのだ。エヴァンジェリンらが期待をかけるのも頷けると、内心で彼に対する認識を上方修正する。

 

「それに貴女は盤石に手を打ってくる人です。最後の奥の手になるであろう自前の魔力をわざわざ消費してまで、ブラフを作るとは考えにくい」

 

では、なぜ彼女はそんな真似をしたのか。

 

「理由は単純です、貴女は魔法をストックしているという事実を隠しておきたかった。瞬発的に魔法を放つことができる理由、それを隠しておくだけで大きなアドンバンテージです。まして、魔力が減っていることを考慮すればなおさら」

 

「隠し続けるために態々自前の魔力を消費するかしら? 先ほどの言葉と矛盾するわよ」

 

奥の手である残りの魔力を消費しては意味がない、そう指摘する。先ほどまで夕映にも魔力を与えていたのだから尚更だ。

 

「そうですね、それでは本末転倒です。やる意味がないし、貴女の目的がますます見えてこなくなる。だからこそ僕は騙され(・・・)そうになった(・・・・・・)

 

「…………」

 

ピクリと、霊子の眉が動く。初めて、彼女の表情から笑みが失せた。

 

「貴女の本当の狙いは、僕たちの思考を誘導することだった。いくらストックしている魔法と詠唱魔法を交互に放っても、違和感はぬぐえない。そんなことは貴女が想定しないはずがない」

 

「つ、つまりどういうことッスか、兄貴?」

 

アルベールは、ネギの話しについていけずちんぷんかんぷんといった様子である。相手の手の内を読むことを狙った思考の連鎖に、頭がパンクしそうだった。

 

「地上で邂逅した時と同じだよ、いかにもそうであると相手に思わせるんだ。自分でたどり着いたと思ってしまえば、それが正解だと思い込んでしまう。そうやって、本当の目的を隠すんだ」

 

「あ、ああ! 夕映の姐さんを悪党に仕立て上げようとしてたあれっスね!」

 

あれもまた、ネギ以外のほとんどが夕映が敵側であると信じて疑わなかった。霊子の恐ろしいところは、その老練な手管と、それを実現する思考誘導の巧みさだ。どんな秀才、天才相手でも有利に立ち回れる。いやむしろ、優秀な人間ほど彼女の掌の中に納まってしまう。

 

「そう、本当の狙いは魔法のストックを隠そうとしているように見せかける(・・・・・)こと。二重の隠蔽を行なっていたんです」

 

前提条件がひっくり返れば、矛盾に満ちた不可解な行動が一本の線へとつながっていく。魔法のストックも、それをわざと匂わせる行動も、本当に隠したいことから意識を逸らすためのブラフ。

 

「魔法をストックされている事実を知られたところで、貴女にはなんのダメージもない

ですからね、せいぜい少々のアドバンテージを失う程度です。その程度では実力差はくつがえりませんし」

 

魔法をストックしておくという常識はずれな技法も、彼女にとってはせいぜいその程度。本命を隠すために用意した餌にすぎない。

 

「多分、夕映さんへの魔力供給もその魔本に組み込んでいましたね?」

 

「……ええ。魔法を分解しながら与えていたわ。まだ実験段階のものだから、実験に使っていた夕映にしか使えない方法だけど。で、そうまでして私は何をしようとしたのかしら?」

 

挑発的に、再び笑みを浮かべながらそう返す。思考誘導に失敗してもなお、自信に満ち溢れている。それは、彼女は自分が何をしようとしているのか看破されるなどあり得ないという自負であった。

 

「そこで、最後のポイントである言霊がキーになります。特定の意味を付与することで簡潔な呪文として用いることができますが、その分魔法詠唱のように融通がききません」

 

夕映を操っていた時のように、単純なワードで結果を引き出せる利点はあるが、その分命令の内容が単調になってしまう。具体的なことを細かく行うのには不向きなのだ。

 

「貴女が本当に隠したかったのは、その言霊を戦いの中で仕込んでいたこと。それを悟られないようにするために」

 

「…………」

 

ぴくりと、霊子の眉がまた微かに動く。

 

「貴女が言霊に設定しているのは、貴女の始動キー(・・・・)だ!」

 

 

 

 

 

「……想定外だわ。まさかそこまで勘づくなんてね。どこで気づいたのかしら」

 

「何故封じてある魔法を使わなかったのかではなく、詠唱をなぜ行わなければならなかったのかと考えたんです。理由が不明瞭すぎますからね」

 

そこから、ネギは詠唱そのものになにか秘められたものがあるのではないかと考え、夕映を操る際に霊子が使用していた言霊に思い至ったのだ。

 

「そこからは簡単でした。始動キーであれば、戦闘中でも無理なく唱えられる言霊にできるし、詠唱を行う方の魔法であれば戦闘中でも無理なく始動キーを扱える。何度も詠唱ありの魔法を使用していたのは、言霊である始動キーを唱えた回数が重要になっているからです」

 

「…………」

 

「貴女は用意周到すぎました。完璧に意図を隠しきろうとするが故に、僕が思考の裏を読もうと考えるのを許してしまった。徹底しすぎたんです」

 

皮肉なことに、完璧を期するが故、ネギに付け入る隙を与えてしまった。彼女の性質そのものが失敗へと繋がってしまったのだ。他でもない、彼女の誇りとするその脳髄が故に。

 

「……正解よ。ただ、少しだけ間違っているわ。封じていた特定の魔法の名称を、一度以上唱えることも条件に含まれている」

 

既に、彼女の顔からは余裕を伺わせる笑みは完全に抜け落ち、代わりに無表情が貼り付けられていた。

 

「想定以上の優秀さね、ここまで私の思考を看破したのはあのいけ好かない古本以来だわ」

 

いや、よく見れば苛ついたかのような、ほんの少しだけの顰め面が見て取れる。目尻は吊り上がり、鋭い視線へと変わっていた。

 

「だからこそ今、確実に仕留める必要が出てきた」

 

そう言うと、霊子は手に持っていた本を開くと。

 

「ラプ・ラ・ウェル・テセ・プラギュゲス」

 

始動キーを、唱え。

 

「並行解除、『仏滅の必滅』」

 

最後の鍵を、解き放つ。

 

「『終末の笛(シビルス・デ・フィニス)』」

 

瞬間、図書館島が大きく鳴動を始めた。

 

 

 

 

 

「な、何が起こっている……!?」

 

地響きとともに大地が大きく揺れ、氷雨は地面に這いつくばるように倒れ込む。木乃香やのどかも同様だ。ただ二人、宙に浮いていた夕映とネギだけはその難を逃れていた。

 

「一体何を……!?」

 

夕映の言葉に、霊子は恐ろしいほどに凄惨な笑みを浮かべていた。今までの仏頂面や笑みなど、自分を覆い隠すための仮面だと思わせるようなほどの笑みを。

 

「私が魔力不足を想定していないわけ無いでしょう? だから、予め用意しておいたのよ。あなた達をまとめて葬れるように結界を」

 

「……! まさか、図書館島内部を覆っている異界化の結界!?」

 

「ご名答。あれこそが、私の最大の切り札。結界内部の生命を無差別に圧殺する空間制圧魔法よ」

 

そう、ここは霊子の用意した結界によって異界化している。即ち、彼女が空間内を掌握しているも同然なのだ。謂わば、彼女の胃袋の中に入っているようなもの。先ほどの揺れは、結界が再起動したことによって振動したためだ。

 

「か、体が重い……!」

 

「起き上がれへん……!」

 

「予め指定した座標内に、圧力をかけながら結界は狭まっていくわ。レジストできないと重力が増したように体が重くなり、やがて磨り潰される。さっきあなた達が破壊した結界には、その座標指定を行うための役割もあったのよ」

 

言霊を用いた手順を予め用意したのは、この魔法そのものが大規模であり用意に時間が掛かるから。どれだけ短縮しても1時間は唱え続ける必要がある超高難度なもののため、戦闘中に詠唱を行えるはずがない。故に、準備が必要だったのである。

 

それならそんな面倒なことをしなくても、ストックにしておけばいいと思うだろう。しかし、封じられる魔法はせいぜいが中級から上級程度の魔法のみ。そして空間魔法は、そもそも通常の魔法のように封じることができないのだ。実験で魔力が減るため高威力の魔法を放つのも難しいことも考えれば、確実性に欠ける。

 

「用意にだいぶ手間取ったけど……その分殺傷能力は折り紙つきよ」

 

この魔法を使用した理由は単純に、彼女が使用する魔法の中で最も殺傷能力が高く、確実性があるからだ。どこにも逃げられず、空間そのものが回避不能の凶器。どう足掻いても死は免れない。

 

「本当なら夕映を回収してから使いたかったけど、まあいいわ。別のを用意すればいいだけのこと」

 

「うぐっ!?」

 

やがて、ネギの体もミシミシと音を立て始める。それはつまり、骨や筋肉の軋んでいる音が聞こえてきているためであり、レジストの限界を超え始めているということ。このままでは、全員圧殺されてしまう。

 

「結界を破壊しないと……!」

 

「ですね……!」

 

ネギは霊子に背を向けて、一目散に飛び上がる。夕映もそれに続き、縮小したことにより天井から降りてきた結界へと攻撃を加えるべく詠唱を始めた。

 

「来れ雷精、風の精。雷を纏いて吹きすさべ南洋の嵐!」

 

「来れ地の精、風の精。茫漠たる大地を巻き上げ旅人を葬る砂塵の嵐を成せ!」

 

「『雷の暴風』!」

 

「『砂漠の熱風』!」

 

雷を纏った旋風と、砂塵を纏った熱波が結界へと襲いかかる。しかし、直撃してなお結界はゆらぎ一つ起こさない。やがて旋風は虚しく掻き消え、熱波は虚空へと溶けてしまう。

 

「くっ、堅すぎるです……!」

 

「普通の攻撃魔法じゃ破壊できない……!?」

 

「もう遅いわ、あと少しで結界は縮小し切る。誰一人として逃がしはしない。第一、あなた達で破壊できるほど脆くは……」

 

そう言って、はたと彼女は気づく。戦いと夕映への言霊による操作、そして結界を起動させるための詠唱に気を取られていて気づかなかったが、よくよく見れば、最初と比べ一人足りない(・・・・・・)

 

「……気づいたみたいだなぁ? 私の従者が(・・・・・)居ないことに(・・・・・・)

 

「まさか……!」

 

ビシッ!

 

結界が、奇妙な音を立てて突如ひびが入る。やがて、それは結界全体へと波及していき、恐るべき威圧感を放っていたその姿は無残なものへと変貌を遂げた。

 

「ネギ・スプリングフィールド! 綾瀬夕映! 今だ!」

 

「っ! 『白き雷』!」

 

「『風の槍』!」

 

白雷と槍の投擲が結界へと激突する。すると、先ほどの魔法を受け付けなかった結界が、今度は音を立てて崩壊を起こした。

 

「……馬鹿な……!?」

 

「生憎だったな、こっちには結界魔法への対策があったんだ。忘れてたのか?」

 

そう、この結界破壊の立役者は茶々丸だ。彼女は本来氷雨の魔法具を用いた遠距離戦闘をカバーするための接近戦主体であるため、霊子との戦闘には参加させず、密かに結界を破壊するように氷雨は指示していたのだ。

 

「最も、本当は帰り道を確保するためだったんだがな。備えあればなんとやらだ」

 

「多分、ちょい意味ちゃうと思うえ」

 

ケホケホと咳き込みながらそう言う木乃香。幸いにも、肉体に大した影響が出る前に結界を破壊することができたらしい。

 

「よくも……やってくれたわね……!」

 

底冷えするような声で、氷雨を睨みつける霊子。当然だろう、彼女にとっては奥の手中の奥の手を潰されたのだ。もはや、勝負はどう転ぶかわからなくなってしまった。彼女にとって、最も迎えたくない状況になってしまったのである。

 

「まず、貴女から殺してあげるわ……! 赤口の」

 

ストックしている魔法を放とうと、魔法の名前を唱えようとした時であった。

 

キィン!

 

「っ!?」

 

突如、彼女へと何かが飛来した。障壁によって金属音を響かせながら弾かれたそれは、霊子の意識を少しだけ逸らすこととなった。

 

「今です! フォア・ゾ・クラティカ・ソクラティカ!」

 

「しまっ……!」

 

「『障壁突破・風の槍』!」

 

その隙を、夕映は逃さなかった。障壁を貫通する風の槍は、目論見通り霊子の分厚い障壁をガラス細工のように砕き。

 

「か、はっ!?」

 

彼女の腹へ、深々と突き刺さった。

 

 

 

 

 

『終わった、のか……?』

 

夕映の魔法をモロに食らった霊子はそのまま落下し、ピクリとも動かない。嫌な空気も霧散し、静寂が辺りを包んでいる。

 

「終わった、ですか……」

 

「いえ、油断できません。ひょっとして気を失ってるふりを……」

 

「その心配はございません」

 

「うわっ!?」

 

突然、自分の横から別の誰かの声が聞こえてビックリするネギ。

 

「意識反応なし。ネギ先生方の勝利です」

 

「ちゃ、茶々丸さん!?」

 

声の主は、茶々丸であった。いきなり現れた理由は分からないが、恐らく結界破壊を終えたので戻ってきたのだろう。

 

「びっくりしたー……、脅かさないでくださいよ……」

 

「申し訳ありません。ハカセにつけてもらった光学迷彩を用いておりましたので」

 

『なんつーもんを追加してるんだ、あのマッドサイエンティスト』

 

自分の常識を疑うような茶々丸の言葉に、千雨は麻帆良が改めて常識はずれな場所だと再認識すると共に、氷雨と入れ替わる。

 

「そういえば、さっき飛んでいったのって……」

 

先ほど霊子に飛んでいったものが何なのか気になり、地面を調べてみる。すると、一本の金属棒が落ちていた。いや、それはただの金属棒ではなく、先端が鋭く尖った投擲武器であった。

 

「これって……もしかして」

 

「いやはや、間に合ったようで一安心でござるよ」

 

「!」

 

今度は茶々丸とは別の声が聞こえた。顔を上げ、声のした方を見てみると。

 

「ただいまでござる、ネギ坊主」

 

「か、楓さん!」

 

ここに来る途中ではぐれてしまった、長瀬楓の姿がそこにはあった。ところどころ服が擦り切れてしまっているが、目立った傷はないようだ。

 

「無事だったんですね!」

 

「おお、元気でござるよ。そちらも皆、無事……ではなさそうでござるな。しかし、生きていてくれてよかったでござるよ」

 

そう言ってポンとネギの頭に手を乗せ、よくやったでござると労いの言葉をかけながら、彼の頭を優しく撫でた。

 

「それにしても、今までどうしてたんだ?」

 

「うむ。拙者、水流に流されそうになりながらもあの迷宮を何とか脱出したでござる。しかし、道が複雑化しているせいで迷ってしまい……ずっとあちこちを走り回っていたでござるよ」

 

「そうだったんですか……」

 

「そんな折、凄まじい地鳴りがしたゆえ何かあったのではと思い奔走していたら、茶々丸殿に出くわしたんでござる」

 

茶々丸に道順を聞いた彼女は、全速力で走って一足先にここへと辿り着き、霊子へと手裏剣を投擲したのだ。これによって霊子は完全に不意を突かれ、夕映の魔法をかわせなかった。

 

「せっちゃん、大丈夫やと思うけど……やっぱり心配や」

 

「安心するでござるよ、木乃香殿。刹那は強い、きっとあの化生の者も倒しているでござる」

 

「こっちには主人がいるんだ、あいつも降伏するだろうよ。なんにせよ、これでようやく終わりだ」

 

「ええ。あとは他の先生達に彼女、柳宮霊子を引き渡すだけですね」

 

だが、その気の緩みが油断を誘った。

 

『そういう訳にはゆかぬ』

 

「!?」

 

突如、地面から影が伸び広がった。そこから、あのロイフェが姿を表したのだ。先程よりもボロボロの姿ではあるが、爛々と輝く不気味な眼光は健在だ。

 

「悪いが、この方を連れては行かせん」

 

「っ! てめぇ、桜咲をどうした!」

 

ロイフェがここにいるということは、刹那に何かあった可能性が高い。千雨はそう思い至りロイフェへと問い詰める。しかし、ロイフェの返答は冷淡なもので。

 

「さて、な。自分の目で確かめるがよい」

 

そう言うと、気絶したままの霊子を掴み、再び影の中へと戻っていく。

 

「くっ、逃がさぬでござる!」

 

いち早く飛び出したのは、楓であった。他のメンバーは激戦により満身創痍であったし、この中で最も素早く動けるのが楓だったからだ。

 

だが。

 

あと少し、手が届くといったところで。

 

「そん、な……」

 

ロイフェと霊子は、影の中へと消失した。



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第五十二話 師弟

知を貪る魔女は、ついにそのツケを払うこととなる。
しかし、なおも生き様を貫き通すは無様か、滑稽か。あるいは。


「……ぁ、ここ、は……?」

 

「目覚められたか、我が主」

 

図書館島地下、その薄暗い一角にて霊子は目を覚ました。傍には、自分の僕であるロイフェが控えていた。意識がはっきりしてくると共に、腹部に痛みが走る。

 

「ぅぐ……! はぁ……はぁ……なぜ、私はここに……?」

 

「気絶されておりましたので、吾輩がお運びいたしました。腹腔の傷は、主が持っておられた回復薬を使い、ある程度ふさぎました。ただ、あくまで応急手当程度ですが」

 

「……十分な働きよ、感謝するわ」

 

「もったいなきお言葉を」

 

どうやら、気絶していたところをロイフェによって助けられたということらしいと霊子は理解した。同時に、自分が何故そんな状態になったのかを考える。

 

(……あの時、私は確かに夕映の魔法を受けた。気絶したのは、そこから落下して頭を打ったと考えるのが妥当ね)

 

本来であれば、あの程度の魔法で障壁を突破されるはずがなかった。だが、魔力の大半を失っていた彼女には、高い防御力を有する障壁を張る余裕がなかった。まして、夕映が裏切ること自体が想定外であったため、障壁の防御力はあれで十分だと考えていたのだ。

 

(いえ、これは言い訳ね……)

 

そんな風に考えていた自分を、甘えた言い訳だと斬り捨てる。リスクがあるならば、それを回避するために万全を期すのが彼女のやり方だ。それを実践できていない時点で、詰めの甘さと腑抜けさを否定できる材料はなかった。

 

奥の手を使ったタイミングもひどい。あれは突入してきた魔法教師共を纏めて仕留めるために用意していたものでもあり、間もなく来たであろう彼らごと押しつぶす予定だった。そのために、態々解除キーを唱えて準備をしていたのだ。

 

(なのに、私は使ってしまった。……彼に想定以上の脅威を感じてしまったが故に)

 

少しの情報から、魔法のストックをダミーと見抜き、あまつさえ言霊に設定していた始動キーのことまで見抜かれた。たった10歳の少年が、入念に仕込んだ思考誘導を看破したのである。あそこで殺さなければ、必ず自分を脅かす存在となる。霊子はそう確信して、奥の手を使用してしまった。

 

ストックした魔法を総動員すればよかったと思うかもしれないが、実はあと少しでストックがなくなりかけていたのだ。いくら結界魔法に長けた彼女といえど、大量の魔法をいつでも発動できる状態で封じておくのは難しいし、暴発した際のリスクも高まる。だから、適度な威力の魔法を適切な量封じておくのが精一杯だったのだ。

 

(けど、何よりひどいのは……茶々丸の存在を忘れていたこと)

 

少なくとも、夕映を操っていた際にはまだいたことを覚えている。恐らく、夕映が支配から逃れた辺りの前後にいなくなったのだろう。科学に関しては詳しくないとはいえ、自慢の結界魔法を破られるはずがないという慢心があったのだろう。だが、いくらなんでも彼女を意識の外においてしまうなど普通ではありえない。

 

(……私は、動揺していたとでもいうの……?)

 

夕映が支配から抜け、自分へと拳を振りかぶってきたことに。そんなはずはないと否定しようとするが、己の脳髄は状況やタイミングを鑑みてそれが正しいと結論づけている。己を己たらしめ、最も信頼する脳髄が、感情的な自分を否定してくるのだ。

 

(……どうでもいいことね。直接的な敗因というわけではない)

 

戦いの趨勢を大きく変えた要因とはいえ、決定的な敗因というわけではない。本当の敗因は。

 

(……私は、侮りすぎた)

 

修学旅行以前の戦力分析で罠を張り、戦いに臨んだ。裏切るはずがないと高をくくり、夕映に貴重な魔力を与えて動かした。障壁の硬度も、奥の手を発動したタイミングも最悪であった。そもそも、弟子とはいえ被験体である夕映にあれほど魔法を学ばせる必要もなかった。

 

「……手ひどく、やられてしまいましたな」

 

そう言うロイフェもよく見れば、普段の彼とは違い纏っているぼろ布は刀傷と思しき切れ込みが多数入っており、いつも以上にボロボロな姿であった。特に、肋骨部分は半分ほどを失っており、袈裟懸けに斬撃を受けたことが伺えた。体の殆どが骨である彼にとっては、相当な重傷である。

 

大悪魔であるロイフェは、並みの攻撃ではびくともしない。それこそ、退魔の力でさえ弱いものは簡単に跳ね返してしまう程だ。恐らくこの傷は、あの神鳴流剣士にやられたのだろう。相当な退魔の力をぶつけられたらしい。

 

「……負けたのね、私たちは」

 

「左様ですな。……実に、貴女らしくない結末だ」

 

「……まったくね」

 

今回の実験は、非常に急ピッチで進められた。実行方法が分かって素早く準備を進めていき、夕映が帰ってきてすぐに実行に移した。いくら長年研究していた内容が前進するといっても、明らかに性急が過ぎた。

 

「いつもの貴女であれば、研究の進歩には純粋な喜びだけがあふれていた。しかし、今回はまるで何かを振り払おうとするかのように鬼気迫るものが静かに見え隠れしておりました」

 

「…………」

 

「無粋なおせっかいかもしれませぬ。しかし、あえて言わせてもらいましょう。我が主よ、貴女は気づいておられたのではないですか?」

 

何に、どんなことに気づいていたのかと霊子は考える。いや、初めから答えの出ていることなど、考えたところで意味のない話であった。

 

「……下らないわ。既に捨てたものに固執するなんて、私の在り方が許さない」

 

「己の心を裏切ってでも、ですか?」

 

「愚問ね。私を私たらしめるのは、この頭脳以外ありえない。怪物としての己が、正しく己の本質なのだから」

 

ふらつきながらも、霊子は立ち上がり砂埃を払い落とす。その瞳には、いつものような冷徹さが呼び戻されていた。

 

「今回は事を急き過ぎたわ。この反省を、次回に活かしていくべきね」

 

彼らに敗北した事実は、素直に受け止めよう。だが、それを繰り返すのは愚か者のすることである。機会はまだある、ならば次に活かしてしかるべきだ。

 

彼女がそんな風に、次の実験についての思いを巡らせていた時であった。

 

「へぇ、次があるとでも思ってるの?」

 

「っ!?」

 

それは、本来なら聞こえるはずのない人物の声。動けないはずだと、縛りつけていたはずであると考えていた者の声。

 

「ま、手酷くやられたみたいだけど。自業自得ね」

 

「……そうなるように誘導した貴女には言われたくはないわ、アスナ」

 

夜明けの世界(コズモ・エネルゲイア)』の大幹部がそこにはいた。

 

 

 

 

 

「ごきげんよう。よくもまあ色々とやらかしてくれたわね」

 

「……私は自分の権利を行使しただけよ」

 

「組織を裏切ってまで実行した実験の結果がこれじゃ、ざまあないわね」

 

そう言って、アスナはからからと笑う。だが、霊子はそれが実は表面的なものでしかないと長年の付き合いから理解している。あれは、内心で相当に荒れ狂っていると。

 

(……最悪のタイミングだわ)

 

なぜ、いるはずのない彼女が目の前にいるのか、それは今どうでもいいことだ。問題なのは、彼女がここにいるという純然たる事実そのもの。重傷を負い、魔力もほぼないに等しい状態で、裏切った組織でもトップに近い存在がいる。非常にまずい状況だった。

 

仮面を被り、素顔を隠してはいるが、逆に言えば虚像を脱ぎ捨てているということ。神楽坂アスナという仮面を脱ぎ、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアとしてそこにいるのだ。

 

(……つまり、彼女は本来の仕事(・・・・・)のために(・・・・)来たわけか)

 

アスナの組織での立ち位置は少し特殊だ。彼女は組織の長であるエヴァンジェリン直属の配下であり、一切の部下を持たない。他の幹部クラスのように何らかの任務に就くことも殆どない。

 

彼女の仕事は、他の幹部らを見張る仕事、いわゆる監査の役割なのである。組織に不利益を齎したり、裏切り行為を働いた者の抹殺を、彼女はエヴァンジェリンから一任されているのだ。つまり、今彼女は霊子に処分を下すためにここにきているのである。

 

「……私を殺す気? 契約の件は、貴女にも及んでるはずだけど」

 

幹部の一人とはいえ、霊子は正確には外部協力者の扱いだ。これはエヴァンジェリンに組織へと勧誘された際に結んだ契約によって成り立っており、エヴァンジェリンの権限によって例外的に干渉されないのだ。

 

そもそも、エヴァンジェリンが特例の処遇を与えてまで組織への組み込みを狙った事自体、本来なら場ありえないこと。それだけ、霊子はその実力を買われていたのである。ならば、いくら監査であろうとも、エヴァンジェリン直属の部下であるアスナでは彼女に手出しはできないはず。

 

「生憎だけど、すでに契約の範囲外よ。貴女はすでに実験を終えているわ」

 

(ちっ、はぐらかすのは無理か)

 

しかし、契約の内容は、あくまでも彼女が事を起こしている間にのみ有効なもの。これは霊子も了承している。ゆえに、既に実験を終えてしまっている今なら、アスナは動けるのだ。

 

「実験が終われば、私が動くことぐらい想定してたでしょうに。てっきり私に悟られないルートで逃げ道を確保してるかと思って、早めに潜入してたのに」

 

「……今回が、私にとってこの世界で最後の実験のつもりだったからよ」

 

彼女が目指した世界の裏側、死の世界。そこに到達するならば、恐らくこの世界にとどまることはできないだろうと彼女は踏んでいた。ならば退路など初めから用意する必要はない、そう考えて彼女は実験の準備に注力した。

 

「それに、失敗することを前提として逃げ道を用意するなんて、私の脳髄の矜持が許さないわ」

 

絶大な信頼と自信を持つ、己の頭脳。盤石なる手を是とする彼女が逃げ道を用意していなかったもう一つの理由がそれだ。なんてことはない、彼女もそれなりのプライドがあるというだけ。自身の脳髄が失敗することを信じるなど、彼女の生き方を否定するようなものなのだ。

 

「そういうところも、私は尊敬できると思ってたんだけどねぇ……」

 

「なら、それに免じて逃がしてくれるかしら?」

 

「……最初から答えが分かってるのに、それでも聞くのね」

 

「生憎、プライドはあっても生き汚いのよ」

 

そう言うと、ロイフェに目配せをして戦闘態勢に入らせる。それを見たアスナも、殺気を解放して叩きつけてくる。アスナからすれば、敬愛する人物のメンツを潰された格好なのだ、ここで逃がすつもりは絶対にない。

 

(魔力は殆ど空、おまけに魔法そのものが通用しない存在が相手……勝ち目はほぼゼロね……)

 

魔法使いタイプである霊子は、後衛で大火力を発揮して戦うのが定石だ。しかし、今は前衛のロイフェがボロボロなうえ、そもそも最大の火力源である魔法がアスナには通用しない。背後には通路があるが、狭い上に一本道。これでは逃げてもすぐに追いつかれてしまう。どうシミュレーションしてみても、生き延びられるヴィジョンがなかった。

 

(ここが年貢の納め時、なのかしらね……)

 

生への渇望を捨てたわけではない。しかし目の前の状況から推測し、彼女の脳髄が導き出した解答は、死以外にありえないというもの。

 

【悪かったわね、ロイフェ。こんな下らない最後になってしまうなんて】

 

ここまで付き従ってくれた従僕に、念話で謝罪の言葉を零す。

 

【……どのような結末も、吾輩は覚悟しておりました。あの日、アメリカの夜。吾輩は

己の身命を賭して付き従うと誓ったのですから】

 

薄暗い路地裏、その片隅で結んだ契約は、ロイフェにとってかけがえのないもの。時代に取り残され、空しく暴れるだけの己との決別を決定づけた、怪物との出会い。どうしようもなく欲望に忠実で、人間離れしていて。しかしどこか人間臭さを感じさせる主人。

 

【主よ、英知を極め知を貪る我が主人よ。貴女はただこう命じればいい、私が生き残るために命を賭して時間を稼げ、と】

 

この身はただ主人へと捧げるためにこそある、だから謝罪の言葉など言ってくれるな。彼は言外にそう言っているのだ。冷酷にして無情、目的のためならば手段を選ばない。それが彼の主人であり、それを承知でロイフェは付き従っているのだから。

 

【……フッ。そうね、諦めなど私らしくないわ。泥をすすり、這いつくばってでも生きていくことこそ、私には相応しい】

 

痛む腹から血が流れ出るのも気にせず、ゆっくりと立ち上がる。抵抗するだけ無駄、ならば全力を以て逃げ切ればいいだけだ。

 

命令(オーダー)よ、ロイフェ……私のために死ね」

 

「承った」

 

命令を聞き入れた大悪魔は、大鎌を振り上げながら突貫する。眼前の敵を打ち払わんと、己の体の一部が零れ落ちることもいとわずに。

 

命じた怪物は、己の二本の足で走り出す。狡く生きながらえんと、勇猛なる悪魔に背を向けて。

 

 

 

 

 

「『朔の影(Umbra Shuo)』!」

 

今までの英語による呪文と違い、ラテン語による宣言。元々、魔法の扱いが苦手であるロイフェは、近年生み出され、威力は落ちるがその分扱いやすい英語詠唱を主としている。ラテン語を用いたのは、この魔法だけは威力が必要なため。

 

「へぇ……考えたわね」

 

大鎌の背から、闇が迸る。アスナには魔法が通じない、よって影による攻撃・捕縛も無意味。ならば、それを全て補助に回し、全力で大鎌の物理攻撃を通す。持てる全ての魔力を影へと変じさせ、それを噴射させることで威力とスピードを底上げする。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 

地の底から聞こえるような、低く重厚な雄叫び。それと共に闇もまたその量を増していく。過剰な魔力を注いだことによって、最早濁流のごとく闇が吹き飛沫く。

 

(勝てぬは必定、なれど腕の一本は頂くぞ……!)

 

 

 

――魔法が苦手なロイフェは、悪魔の中で落ちこぼれ扱いであった。

 

元々種族的に強い悪魔は自らを鍛えること自体愚かしいと言われる中、彼は落ちこぼれからの脱却のために自らを鍛えた。

 

気づけば、大悪魔として居並ぶ上位悪魔と肩を並べるに至った。それでも、爵位を得ることはできなかった。魔法で願いを叶えることもできぬ、ただ強いだけの悪魔など、契約に呼び出す人間もろくにいなかった。

 

『何故、何故俺は認めてもらえない……!』

 

理解者はいた。数少ない人間の契約者は、その強さを認め敬意を払ってくれた。ヘルマンやフランツのような、気の許せる友人もいた。しかし、胸の内の蟠りは消えなかった。魔法を扱えるようにと、必死になって努力を重ねた。英語詠唱にも手を出し、以前よりも扱いがうまくなった。

 

『で、それがどうしたって?』

 

認められることは、ついぞなかった。悪魔のくせに人間の技術に縋った愚か者だと、後ろ指を差されるようになっただけ。荒れに荒れたロイフェは、魔法使いばかりを狙った辻斬り行為を行うようになった。それは、魔法が使えない自身のコンプレックスの裏返しであり、殺す相手が増えれば増えるだけ、惨めなものであった。

 

『へぇ、中々活きがいいじゃない』

 

ある日、一人の魔女と出会った。彼女は、怪物であった。その卓越した魔法は、魔法に長ける悪魔すら嫉妬するほどに見事であり、彼はボロ雑巾のようにされて敗北した。

 

『貴方、私の下僕になりなさいな』

 

曰く。魔法が使えるだけの無能などいらない。自分より劣る者など邪魔なだけ。だから戦闘能力に特化した悪魔を探していたらしい。確かに、ロイフェであれば戦闘能力は申し分ないだろう。だが、ロイフェはコンプレックスと敗北感から拒否しようとしていた。

 

『フフ、いいわね。そういう安っぽいプライド、嫌いじゃないわ』

 

魔女は条件を出してきた。自分という、最高の魔法の教材を身近で見ていれば、あるいは魔法が上達するかもしれないと。希望を失い、荒れ果てた彼にとってはあまりにも甘美な誘惑。欲に忠実な彼は、ついに彼女へ膝を折った。

 

――『何度言ったら分かるの。術の構成が甘すぎるわ』

 

『言われなくとも分かっている! でも上手くいかないんだ!』――

 

――『吾輩? なんかカビの生えたような喋りね』

 

『仮にもあんたの従僕なんだ。もっと威厳があったほうがいいだろう?』――

 

――『魔法は使えないけど、紅茶を淹れるのは本当に上手いわね貴方』

 

『はは、我輩の数少ない特技です故。お気に召して頂けたのであればこれ程嬉しいことはありませぬ』――

 

やがて、幾年もする内に彼の心は変化していった。今まで自分を馬鹿にしてきた悪魔など歯牙にもかけぬ主人の御業と、それを成すために彼が必要とされることへの喜び。気づけば、彼の心には妬みや嫉みは消え失せ、一つの誇りが形成されていた。

 

『俺は、吾輩は魔法はてんで使えぬ。だが、最高の魔女の前では誰とてそれは同じ。むしろ、その役に立てる者こそ希少であり、俺はそれで在り続けられた。吾輩はそれを誇らしく思う』

 

数十年。悪魔にとっては短い年月が、落ちこぼれの悪魔を磨き上げた――。

 

 

 

「主人への忠義……見事なものね、見習いたいぐらいだわ」

 

「ばか、な……!?」

 

だが。それでもなお、届かぬ領域というのは存在する。

 

「悪くはなかったわよ、攻撃のスピードもタイミングも最高のものだったと思う」

 

渾身の一撃は、アスナの差し出した人差し指で止まっていた。彼の全膂力を以って振りかざし、なけなしの魔法を最大まで高めて放った攻撃が、まるで綿毛にでも触れているかのような感覚で防がれた。

 

「それでも、私には決して届かない」

 

彼女の言葉と同時、胸を灼熱が襲う。見れば、いつの間にか肋骨を砕かれ、その奥にある暗闇へアスナの腕が伸びていた。

 

「ぐ、む……」

 

胸から腕が引き抜かれると、そこから一気に魔力が吹き出していく。力が、五体から抜けていく感覚があった。ヨロヨロと、千鳥足で後退していく。うまく踏ん張ることさえできない。

 

「ハ、ハハ……流石に『黄昏の姫御子』、吾輩でさえ児戯に劣るか」

 

「ここ最近相手した中だと、近衛詠春に次ぐと思うわよ、むしろ誇りなさいな」

 

弱々しいながら、なおも膝をつくことのないロイフェ。だが、少しずつ彼の体が崩壊していくのが見て取れる。不死身であるはずの彼が何故こんなザマになっているのか。それは、アスナの能力が大きく関係する。

 

(『魔法無効化(マジックキャンセル)』能力……ここまでとは……)

 

ロイフェのような化生の存在は、破魔の力と呼ばれる類に滅法弱い。それは、彼ら自体が半魔法生命体とも呼べるような存在であるからで、存在の維持に魔力を必要とするからだ。故に、その構成を解いてしまう力には成すすべがなく、送り返されてしまう。強力な上位悪魔や大妖怪であれば抗うこともできるが、天敵であることに変わりない。

 

そして、アスナの『魔法無効化』能力は最悪とも言える相性だ。普通に使われても一撃で魔界へと送り返される。そして、より巧みに扱うことができれば悪魔そのものを抹殺することも可能だ。

 

『……魔法はプラスの力同士による反発によって引き起こされる現象。そして『魔法無効化』という力を内部で循環させれば、その反発によって力の消滅現象が起こる。そういうことよ』

 

以前、彼の主人はそんなことを言っていた。魔力という通常の法則を超越した力を、同等の力によって抑制する負のエネルギー。そんなものを、半魔法生命体が食らえばどうなるか、想像に難くない。

 

「……どきなさい」

 

シュウシュウと音を立て、骨の体が崩壊していくロイフェは、なおもその巨躯を以って通路の入口を塞いでいる。

 

「どけぬよ」

 

短く、しかし力強い拒否の言葉。このまま待てばロイフェは消滅する。それこそ、跡形もなく無残に、だ。だが、それでは霊子に逃げられてしまう。

 

「……はぁ。加減したのが間違いだったか」

 

彼が退くことは決してないだろう。ならば、やることは一つ。障害を排除して追いかけるだけだ。

 

「ロイフェ、あんたの淹れた紅茶……嫌いじゃなかったわ」

 

「そう、か。それは、嬉しい、な」

 

渾身の力を込め、アスナはロイフェの側頭部へと上段蹴りを放つ。それをゆっくりとした流れの中で見つめながら、ロイフェは心のなかで独白した。

 

(主よ……永き(いとま)を頂きます)

 

一瞬の鈍い音が、虚しく虚空へと掻き消えた。

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

霊子は、走り続けていた。普段から肉体労働など殆どしない彼女は、体力などないに等しい。心臓はバクバクと早鳴りを続け、足も既に限界に近かった。それでも、ただひたすらに生への執着が彼女を突き動かし、その足を進めさせていた。

 

「う、ぐ……!」

 

しかし、ついに足が動かなくなり。前のめりに転んでしまう。運の悪いことに体を打ってしまった衝撃から、応急処置をしただけであった腹の傷が開き、激痛が走った。

 

「……ぁ、……!」

 

声にならないほどの、鋭い痛み。まめができ、先程まで続いていた足の痛みさえ掻き消えてしまう。時間にして5分にも満たないだろうその間に、彼女は火箸を押し付けられたかのような灼熱の痛みに苛まれ続けた。

 

「ハッ……ハァッ……」

 

ようやく痛みが治まり、仰向けになって深呼吸する。相変わらず気分は最悪で、足の痛みがぶり返してきたが、関係ないとばかりに彼女はうつ伏せへと体勢を変える。そしてそのまま起き上がり、歩き出そうとしたが。

 

突如、背中を強い力で押され再び地面を舐めることとなった。

 

「っ~~~~~~!」

 

再び腹を打ち、先ほどのものを上回る苦痛に、霊子は苦悶に顔を歪める。

 

「ようやく追いついたわ」

 

背後から聞こえてきた声に、霊子は内心やはりか、と思った。

 

「もう、追いついたのね……アスナ」

 

「ええ。あんたを逃がす訳にはいかないし」

 

背中を踏みつけたまま、アスナが返答する。彼女がここにいるということは、既にロイフェは。

 

「ぐっ!?」

 

「まったくさあ、本当に手間をかけてくれさせてくれたわね」

 

苛立ちを隠そうともせず、アスナは彼女の背中を再度踏みつけた。開いた傷口から、血が滲み出ていく。

 

「ほんっ、とにっ! あの人の! 期待を! 裏切ってくれちゃってさあっ!」

 

「がっ! ぐぎっ!?」

 

何度も、何度も。力任せに踏みつける。あえて魔力や気による強化はせず、純粋な筋力によって傷めつけ続ける。まるで壊れたおもちゃのように、アスナが踏めば霊子は苦しみの声を上げるを繰り返す。

 

「泣けっ! 叫べっ! あの人に詫びろッ!」

 

狂的に、暴力的に。罵詈雑言を浴びせ、口汚く罵り続ける。恐ろしいまでの変貌、それはアスナの内に隠され、普段は絶対に見せないものであった。

 

「はぁっ、はぁっ……これ以上時間をかけるのもまずいか」

 

一瞬で平静へと戻り、冷静に状況を見極める。意識の切り替えや感情のコントロールもまた、彼女にとっては朝飯前のこと。既に魔法先生らが突入している上、霊子を追ってネギたちがここへたどり着く可能性もある。これ以上余計な時間の消耗は避けるべきだ。

 

「まだ気分は晴れないけど、仕方ない。さっさと終わらせるか」

 

「そ、う……。……や、る……な、ら……はや、く、なさい、な……」

 

「……そういうセリフを言うなら、せめて逃げようとするのをやめなさいよ」

 

潔いセリフを言いつつも、這ってでも逃げようとする霊子にいっそ清々しさすら感じるアスナ。これが、生への執着からくる見苦しさであれば気分よく殺せるのだが。

 

「はぁ……なお知的欲求を満たすためだけに生き長らえんとする、か」

 

「ぶざ、ま……だ、と……おも、うで、しょう、ね……け、ど、わたし、に、は……こ、の……いき、か、たし、か……ない、の、よ……」

 

「……いえ、笑ったりはしないわ。私は改めて、あんたに敬意さえ抱いてる」

 

折れず、曲がらず。決して自らの存在理由を否定せず、ただひたすらに知を欲する。そんな生き方しか知らない彼女に、アスナは少しだけ敬意と、哀れみを覚えた。

 

「……い、ま、さら……ころ、す、のが……おし、く、なっ、た……?」

 

「それはないわね。私にとってマスターは全てにおいて優先されるわ、殺す以外の選択肢ははじめから存在しない」

 

「そ、う……」

 

「けどね、こうも思うのよ。あんたがこんな馬鹿をやらなければ、私はあんたとまだ友人でいられたのに……ってね」

 

感傷的になったわけでも、同情をしたわけでもない。そもそも、彼女が心をさらけ出せるのはエヴァンジェリンと鈴音、チャチャゼロだけだ。それでも、霊子との交友は決して嫌ではなかったし、ロイフェのことも気に入っていた。

 

結局、正しく交わることは決してありえない間柄とはいえ。この奇妙な関係に言い知れぬ何かを覚えていたのは確かだ。それは、霊子も同じであった。

 

「じゃあね、あんたのことは……まあ数年ぐらいなら覚えててあげるわ」

 

「どう、せなら……いっしょう、おぼえて、なさい、な……」

 

「気が向いたらね」

 

グシャリと、水音とともに何かが潰れる音がした。あとに残ったのは、静寂だけ。

 

 

 

 

 

『全く……余計な仕事ばかりが増えるものだ』

 

銀色の鈍い光を放つ太陽が、血で満ち満ちた地平線を照らす。その中に一人、佇む者がいた。

 

『世界の理を捻じ曲げる寸前まで行きおって、危うく死が世界に溢れ出すところだったぞ』

 

『…………』

 

そしてもう一人。少女がそこにいた。彼女は眠ったままなのか、血の海に浮かんだままピクリとも動かない。

 

『しかし、結果的には収穫もあった。あの少女はここへたどり着くことすらなかったが、資格(・・)を得られるかもしれない者を引っ張りこんでくれた』

 

にやりと、その何者かは笑みを浮かべる。

 

『しかしまあ、因果応報というか……死に近づきすぎたせいでここへ流れ着いてしまうとは』

 

目の前の少女は、長い時を生きてきたが、余りにも死が身近すぎた。そして彼女がこの世界への門を無理矢理に開いたことで、より一層距離が縮まった。彼女が素体として選んだ者は死の残滓を宿すにとどまった。むしろ、彼女のほうがこの世界へ来やすかったのだ。

 

『……残念だが、此奴も資格者(・・・)ではないな』

 

辿り着いてはいるが、あくまで死が近かったからというだけの話。ここで原型を保っていられるのも、門がまだ開いていたことによるものだ。直接ここへと至ったから、固定化されたまま流れ着いてきたのだろう。

 

『やはり、あの半人半魔でなければ資格者(・・・)足らんだろう』

 

そんなことを独りごちていると、少女がゆっくりと沈んでいった。

 

『ふむ。残った残滓を使って彼女一人分の門を開き、魂を呼び戻したか』

 

皮肉なものだと、嗤う。門を開きここへと至るために贄とした者によってここから戻ることができたのだから。

 

『向こうの事情など知ったことではないが……次はこんな面倒を起こさんで貰いたいものだ』

 

そう言って、何者かも血の海へと静かに沈んでいった。

 

 

 

 

 

『……既に殺された後、ですか』

 

『まだ完全に死にきってはいないようじゃがな。結界によって阻まれていたとはいえ、こうも後手に回らされるとはのう』

 

『仕方ありませんよ。結果的に彼らが無事であったのであれば十分すぎるぐらいでしょう』

 

『そうじゃのう……また、彼らに助けられる形となってしまったわい』

 

『それで、彼女をどうするおつもりで?』

 

『手の施しようがないでな、このまま逝かせてやるとしよう。まあ悪党とはいえ魔法世界の発展に寄与した功績もあるし、手厚く葬って……ぬおっ!?』

 

『? どうしました?』

 

『こ、これっ! 危険じゃから離れて……ああすまん、彼らの一人が急に彼女の遺骸にすがりついて……』

 

『もしや、それが例の……?』

 

『うむ、連れ去られた生徒なのじゃが……ぬ?』

 

『今度はどうしましたか?』

 

『おかしい……さっきまでほぼ死んでおったはずなのに……顔に生気が……』

 

『ほぅ……その女生徒は回復術師なのですか?』

 

『いや、そもそも回復魔法で治癒できぬレベルだったはずじゃから、例えそうだったとしても息を吹き返すなぞ有り得んはずなんじゃが……』

 

『なんと、では黄泉還りを果たしたと……?』

 

『仮にそうだとすれば間違いなく禁術じゃな。魔女が教えたのやも知れぬが……彼女に扱えるような技ではあるまい』

 

『フフ、興味が尽きないところですが……すみません、そろそろまた休まねばならないようです』

 

『すまんのう、わざわざ消耗させてしまうようなことをしてもうて』

 

『かまいません、どうせ外に出られない以上少しでも情報は欲しいですから』

 

『あと、どれぐらいかかりそうじゃ?』

 

『今回の消耗は誤差の範囲ですから、概ねもうすぐでしょうか』

 

『そうか。では、その時はよろしく頼むぞ』

 

『ええ。初めからそのつもりでしたから、むしろ渡りに船ですよ』

 

『そう言ってもらえると有り難い。ではまた』

 

『ええ、失礼します』

 

 

 

 

 

「…………」

 

二度と開かれることはないはずだった瞼が開く。最初に見えたのは、やや年季の入ったコンクリートの天井。次いで顔を少しだけ動かしてみると、そこには夕映の姿があった。

 

窓の外は雨らしく、水滴がガラス戸を叩いている。

 

「……起きろバカ弟子」

 

「ふぎゃっ!?」

 

寝息を立てている夕映の姿にイラっときたらしく、彼女の広いデコを指先で弾く。それによって、夕映は奇妙な悲鳴を漏らした。

 

「目、目が覚めたです、か」

 

「理解し難いことにね」

 

寝起きであるためか、或いは死に損なったことからか。霊子は非常に機嫌が悪い様子だ。

 

「私は確かに死んだはずよ、なのに何故私はこうして生きているのかしら?」

 

肉体的には完全に死に、魂がかろうじて精神とつながっていた状態だったはずだ。それは死してなお暫くの間稼働していた脳細胞が告げてきているため間違いないだろう。我ながら、本当に化け物じみていると思いつつ、目の前の人物を問い詰める。

 

「……私も、よくは分からないです。けど、地下で戦った時に私から溢れ出ていた未知の力、それに引っ張られるように貴女へと近寄ってたです」

 

すると、呼吸は止まり心臓も停止していたはずの体に生気が戻り、傷口がゆっくりと再生していったらしい。

 

(……死の世界の力が、死に向かう私と共鳴反応を起こした……?)

 

だとするならば、死の世界にゆくために夕映を利用したはずが、結果的に夕映に残されていた死の世界の力の残滓によって救われたということになる。なんという皮肉であろうか。

 

「……貴女、私を見殺しにすればよかったのに」

 

自分の欲を満たすためだけに友情を引き裂こうと画策し、死の世界へ強制的に繋げるための生け贄にしようとした。殺されても文句は言えないということは、十分すぎるほど承知している。

 

「……恨みつらみは、あの戦いでもう十分に吐き出したつもりです」

 

「お優しいことね、私なら念には念を入れて八つ裂きにするけど」

 

既に恨みの感情が薄まっていると言われ、霊子は鼻を鳴らして嘲笑する。喉元をすぎればなんとやらとは言うが、あれをその程度で済ませる感覚は霊子には理解しがたかった。

 

「今ならまだ、殺せると思うわよ?」

 

目覚めたばかりでほぼ魔力も体力もすっからかんな霊子は、挑発的に夕映へと投げかける。まるで、死にたがっているかのように。

 

「……貴女らしくないです」

 

「そうね、自分の罪過から目を背け、断罪されるために死を望むかのような真似、普段の私なら絶対にすることはないわ」

 

「なら、なんで……」

 

「……疲れてしまったのよ。一度死を受け入れた後にこんな肩透かしを食らっては、拍子抜けもいいところ。私の脳髄は相変わらず知を欲してるけど……私の心はもう、限界だわ」

 

驚きの言葉に、夕映は言葉を詰まらせる。あれほどまでに圧倒的な実力差、完全さを感じていた存在が、初めて弱音を漏らした。なんてことはない、結局は霊子も悩み続けてきたのだ。異質すぎる己を肯定しながら、ただひたすらに前へ前へ。折れてしまえばもう、二度と立ち直ることなどできないと心のなかで理解しながらここまできてしまった。

 

「……もう、私は自分自身に追いつけなくなり始めている。いずれ、私は私自身に食い殺されてしまうでしょうね。だから死の世界を無意識的に望んだのかもしれないわ」

 

儚げに、薄く笑みを浮かべて自嘲する霊子を見て、夕映は。

 

「巫山戯るなです……」

 

怒りに歯が軋むほどに噛み締め、その鋭い視線で霊子を射抜く。

 

「貴女は言った! 私を気まぐれで助けたと! そんな気まぐれから始まったことに振り回された振りをして全てを引っ掻き回し、あまつさえ死にたい? 巫山戯るのも大概にするです!」

 

普段殆ど口答えなどしてこなかった弟子が、突如怒りを顕にしてきたことに面食らう霊子。こんな風に霊子へ恐れもなく意見してくるのは、弟子にとってまだ間もなかった頃以来か。

 

「貴女はこうも言ってました! 理由を求めすぎるのはよくない、物事を探求する上での障害になりかねないと! 貴女はいつも欲求に忠実で、計算高くてそのくせ理由なんてものは二の次だった!」

 

そう言って、涙を流す夕映。よく見れば、彼女の目は泣き腫らしたのか瞼がやや腫れぼったく、目が充血している。

 

「そんな貴女だから……私は憧れたんです……魔法だけじゃない、貴女そのものに……!」

 

思考を止めず、知を貪り、己に妥協を許さない生き方。それはなんと難しく、しかし美しい生き様だろうか。己の生きる意味を求めていた夕映には、それがとても眩しく見えたのだ。そんな彼女に追いつきたくて、必死に魔法を覚えた。与えられた恐怖で忘れてしまっていたが、それが彼女の、魔法使いとしての原点であった。

 

「私は……私は貴女が妬ましい……! 意気地のない私にはできない、自分を曲げない生き方。それが羨ましくて……とてもかっこよくて……私は、貴女を目標にした……」

 

今も昔も変わらない、恥ずかしいほど単純な理由。死に損なった自分をつなぎ留め、やがてはのどかとの出会いを生み、生きることの尊さを知った。

 

「だから、死にたいなんて言わないで……私のちっぽけな願いを、壊さないで……」

 

のどかとの友情も、霊子への憧れも。彼女はどちらも捨てきれなかった。どちらも欲しい、そんなちっぽけながら欲深い願い。人間らしい、浅ましくも慎ましやかな願い。

 

「…………」

 

涙で濡れた瞳を、どこまでも無機質な瞳が見つめ返す。静寂の中、お互いを知らなさすぎたこの師弟はその瞳の奥底に眠るものを、無意識の内に見出そうとしているのかもしれない。

 

「……はぁ。何もかも理解した気になっていたけど……自分の弟子のことすら分からないなんてとんだ『奈落の魔女』だわ」

 

ため息を一つ。あれやこれやと自分に理由をつけて、いつの間にか自分の目が曇ってしまったことに、霊子はようやく気づいた。

 

「理由を求めすぎるのはよくない、物事を探求する上での障害になりかねない、か。私の基本的な行動指針だったはずなのに……まさか弟子にそれを再認識させられるとはね」

 

そう呟くと、彼女は夕映の頭にゆっくりと手を置いて。

 

「私が目標? せめて結界魔法をきちんと修めてから言いなさいなバカ弟子」

 

「いだだだだだだだだだ!?」

 

そのままアイアンクローを食らわせた。非力なはずの霊子のどこからこんな力が出ているのかと思いつつ、手足をばたつかせ、別の意味で涙目になる夕映。

 

「まあ、でも少しぐらいなら認めてやらんでもない、か」

 

「えっ?」

 

「半人前ぐらいにはなったてことよ」

 

「は、半人前ですか」

 

「魔法舐めんじゃないわよ、貴女に教えてないことはまだまだある。だから……」

 

掴んでいた手を、今度は撫でるように優しく置き。柔らかく微笑んでいった。

 

「魔法、もう少し学んでみる?」

 

「っ……! はいっ!」

 

泣き笑いする夕映を見て、霊子はもう一度、生き直してみるのも悪くはない。そんなふうに感じていた。

 

雨は、いつの間にか止んでいた。



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閑話 盤面を動かす者

善は急ぎ、悪は緩やかに待つ。
しかし待つばかりも、退屈なものである。


魔法世界(ムンドゥス・マギクス)』。魔法使いたちが一般的に知られた世界であり、魔法技術の発展とともに歩んできた歴史を持つ。科学の発展を遂げたこちらの世界は、『旧世界(ムンドゥス・ウェストゥス)』と呼ばれ区別されている。

 

魔法の世界、などと聞けば空想好きの少年少女には、それこそ夢の様な世界にも思えるだろう。しかし、現実は違う。魔法世界でも旧世界同様に様々な問題を抱えており、容赦なくそれらを叩きつけてくる。貧困、差別、汚職、無法。挙げだせば切りがないといえるだろう。

 

それら全ては、未だ解決の糸口を見ない大きな問題といえるだろう。それでも、魔法世界にはそれらの上を行く邪悪が今なお頂点に鎮座している。

 

『誰も逆らってはならない』

 

『立ち向かうことさえバカバカしく思える』

 

『この世のものとは思えないほどおぞましい』

 

皆、口々にその恐ろしさを口にし、ある者は怯え、ある者は怒り、またある者は嘆く。飛び出してくるのは負の悪感情ばかりながら、誰ひとりとしてその名を口にはしない。

 

『目をつけられれば命はない』

 

『死ねればまだましな方』

 

『名前を呼ぶことさえ躊躇われる』

 

人々の憎悪や怨嗟を受ける存在でありながら、その恐ろしさ故に誰もその名前を口になどしようとしない。一度目をつけられれば、最早どうなるか分かったものではないから。

 

『悪いことをすると、『闇の福音』が張った糸を伝って攫いに来るぞ』

 

その存在を表す名前は多岐にわたる。最も有名な『闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)』、『人形遣い』、『童姿の闇の魔王』、『禍音の使徒』。尤も、これらはかの存在が今よりも恐れられてはいなかった頃につけられたものだ。

 

「最近だと、『魔を統べる者』とか『暴虐の悪魔』なんてのもあるね」

 

「なんともつまらん呼び名だ。私個人に対して言っているように思われないよう、当り障りのない呼び方をしているだけだな」

 

赤い絨毯が敷かれた廊下を闊歩する人物が二人。その二人共が、幼い外見をした少女であり、しかしそれを感じさせぬほどの圧を周囲に撒き散らしていた。

 

「帝国側はどうなっている?」

 

「大方今までどおりかなぁ。最近は骨のあるやつが少なくって」

 

「世は大過もなく平穏無事ということか、実にいいことじゃないか」

 

「うわ、すっごい皮肉。この世界で一番の厄介事がそんなこと言うなんてね」

 

「世間一般における大半の輩にとっては、身近なこと以外などどうでもいい。私をあれやこれやというのも、結局は自分の都合の悪いことを他人のせいにしたいからというのが殆どだ。故に平穏はある意味で保たれていると言えるだろう。そして、私もまた平和を享受している」

 

ただし、それは彼女にとっては苛立ちの原因でもあるのだが。

 

「お前はどうだ、(ニィ)

 

「……まあ、平和といえば平和よね。……退屈だけど」

 

弐と呼ばれた少女は、自分なりの感想を吐露する。戦いこそが彼女にとって最も灼熱を感じる時間であり、飢え乾き欲するものなのだ。それがない現状は、彼女にとって張りのないものだった。

 

「そうだ、退屈なんだよ。私も気の長い方ではあるが、目的を成就させるためにとった手段では時間がかかる。ああ、昔は時間の流れなど気にもしなかったが、今は一日でさえ長い長い秋の夜更けのように感じてしまう」

 

「ふーん……あ、最近機嫌が悪い理由はもしかしてそれ?」

 

「……ああ、そうだ。平行して行っていた幾つかの育成計画は、その殆どが失敗に終わった。どれだけ試練を与えても、完成したのは劣化品ばかり。腹の足しにもならん」

 

その劣化品たちは、彼女に食い散らかされて無残な結末を迎えている。具体的なことを言うのも憚られるが、誰ひとりとして希望を掴んだものはいなかったことだけは言える。

 

「経過は悪くはなかった、むしろ順調だったと言っていい。だが、その誰もが私の予想を超えてはくれなかった。あくまで、成るべくして成ったものだ」

 

彼女が欲するのは、レールの上を歩き続けるだけの人形ではない。あくまでも、歩みを止めない人間を渇望しているのだ。

 

「皮肉な話だ、私は確かに『人形遣い』としては優れているらしい。だが、人形は作れても望んだ『人間』は生み出せない」

 

どれだけの悲劇を、試練を、逆境を用意してもなにかが足りない。どこまでも人間たらしめる人間性がどうしても欠けてしまう。中途半端に光を掴み、闇に飲まれ、最後には無価値となる。

 

「それでは駄目だ。私が、私達が欲しいのはとびきりの『英雄』なのだから」

 

それは、彼女にとって。そして彼女と同じモノたちが最も欲するもの。自らの存在を確立するために不可欠なものだ。

 

「前の時代は運が良かった、戦争という絶好の機会があったからな。強者を探しやすく、資質を持つものを見極めるのに時間はかからなかった」

 

もとより、彼女は長い時を一人で生きてきた。剣の鬼と出会い、兵器の少女と出会い、仲間を増やしはしたものの、戦争の時も少人数の行動故にフットワークは軽かった。

 

「今は違う。怠惰で緩慢な平和が砂上の楼閣の上に築かれているとも知らず、そのバランスを崩さぬように保身に走るバカどもばかりだ」

 

「じゃあ、戦争起こしたほうがいいんじゃないの?」

 

弐のいうことも確かである。戦争が最も効率的な手段というのなら、それを積極的に行うのが目の前の少女だと弐は思っていたのだが。

 

「戦争はあくまで最後の手段だ。あれは政治的な駆け引きの部分もある上に、ひどく資源を消耗する。いわば焼畑農業のようなものだ」

 

「……えーと、ヤキハタってなに?」

 

「……お前はもう少し、書物を読んだほうがいい。ようするに、畑を作るのに木々を燃やすのは確かに効率的だが、その後に木を生やすのには時間がかかる。これは人も同じということだ」

 

「あー、そういうことね」

 

戦争は金がかかるとよく言われるが、それと同等以上に人的資材を消耗する。そうなってしまえば、仮に彼女のお眼鏡にかなう英雄が現れなかった時、その損害は計り知れない。下手をすれば、英雄になるはずだった若い芽を大量に摘んでしまうことになる。

 

「ままならないものだよ。……まあ、思い通りにいかないからこそ人間は面白いとも言えるがな」

 

やがて、二人の少女は廊下にある一つの扉の前で立ち止まる。その扉は大きな両開きのもので、時代を感じさせる古い木製のものであった。弐は、その扉をゆっくりと開けていく。

 

中は広く、室内運動場程度の広さと高さがあった。そして多数の椅子と机が置かれている中心の場所に、十数人の人物たちが腰掛けていた。その多くが、顔に皺を刻んだ老人である。

 

「ごきげんよう、諸君。経過はどうかね?」

 

口元を釣り上げ、傲岸不遜に嗤う。ともすれば、不敬と取られかねない行為である。何故なら、今彼女らがいる場所こそ、魔法世界における人間の最大領域とも言えるメガロメセンブリア連邦国家、その中枢を担う元老院の本会議場なのだから。

 

だが。

 

「ははっ。特段変わったこともありませぬ」

 

「『夜明けの世界(コズモ・エネルゲイア)』の皆様に置かれましても、御健勝のようで何よりでございますれば……」

 

魔法世界における最高クラスの権力者達が、その少女らを相手に頭を垂れ、腰を折り曲げている。その様子を少女は睥睨し、少しの間をおいた後。手近にあった椅子に足を組んで腰掛ける。

 

「何、そんなに肩肘を張って畏まることもない。私に気を遣わずいつも通りにやってくれ」

 

「……承知いたしました。エヴァンジェリン様」

 

少女、エヴァンジェリンは腰掛けた椅子の肘掛けに片肘をつき、再び口角を上げる。

 

「では、いろいろと聞かせてもらおうか」

 

 

 

 

 

「以上が、最近の世情の動きで御座います」

 

「ふむ……」

 

渡された資料に目を通し、元老院議員の一人が話す内容に耳を傾ける。尤も、その殆どは既に組織の方で把握している内容ばかりだ。

 

「続きまして……」

 

「ああ、それぐらいでいいぞ。これ以上は時間の無駄だ」

 

「は、はぁ……」

 

「そんなことより、私を呼び出した理由(わけ)を話せ」

 

言外に、まさかその程度のことで呼び出したわけではないだろうと圧をかける。元老院一同は冷や汗を流し、乾いた喉の滑りをよくするために唾を飲み込む。互いの顔を見合わせた後、彼らは何とか話を切り出す。

 

「はい、実はですが……」

 

「先日、元老院に怪しい人物が紛れ込んだという話が警備の者から出まして……元老院の中へと入っていく姿を目撃したと……」

 

額から滑り落ちる汗を拭いながら、今回の本命の話を語る。

 

「不審者程度のことで、私達を呼び出したってこと? 舐めてんの?」

 

弐が、怒りを隠そうとせず語気を強める。みれば、彼女の背後はぐにゃぐにゃと歪み始めている。高熱によって陽炎が発生している証拠だ。

 

「そっ、そのようなことは決して……!」

 

「我々は皆様に忠誠を誓っておりますれば……!」

 

少しでも機嫌を損ねれば命はない、それを痛いほど彼らは知っている。少し前にも、彼女らの進めていた計画の重要な要素である少年を殺してしまった同僚がいたが、それを必死に隠そうとしていた彼はある日忽然と姿を消した。そして数日後に、醜悪な水死体となって発見されている。

 

誰とて、そんな結末を辿りたくはない。だからご機嫌取りに必死になっているのだ。

 

「弐、少し落ち着け。話が進まん」

 

元老院たちが竦み上がってしまい、このままでは更に余計な時間を消費すると判断し、弐に落ち着くように諭す。その言葉を聞いて、弐は不満げながらも矛を収めた。

 

「話を続けろ」

 

短く、しかし脅すように話を続行するように脅す。その言葉を聞いて、一瞬呆けていた面々もすぐに再起動して話を続けだす。

 

「は、実はその……侵入するにしてもその痕跡が殆ど見当たらず……」

 

「何者かが内部から手引した可能性も……」

 

「何より、不審人物が潜入している可能性が高い理由としてこんなものが……」

 

でっぷりと太った男が取り出したのは、一枚の手紙であった。そこには、元老院に対する恨み言や挑発するような内容が綴られていた。

 

「手紙は必ず係の者が一度改めることになっております。しかし、そのような手紙は見ていないと担当者は言っておりまして」

 

「ほぉ、『元老院に潜伏している。これから貴様らに懺悔の悲鳴をあげさせてやる』か」

 

「はい、ですがその程度のことであればご報告するまでもないのですが……」

 

手紙の後半に目を通すと、そこにはエヴァンジェリンへの内容も綴られていた。

 

「エヴァンジェリン様を名指しで非難する内容が御座いまして……どこからか我々と皆様との関係を嗅ぎつけたらしく……」

 

元老院が悪の組織と繋がっているなどという話は、本来ゴシップ記事にされるような馬鹿げた話であると世間一般は思っている。何しろ、エヴァンジェリンらがその活動を華々しく飾った時に、元老院の殆どを虐殺しているのだから。

 

ただし、繋がり自体の確たる証拠は握ってはいないものの、エヴァンジェリンの息がかかっていない国の上層部は、元老院がきな臭いことぐらいは把握している。恐らく、この侵入者はどこぞの国の上層部と何らかの関係があると見ていいだろう。

 

「『悪しき魔法使いよ、我らの裁きを受けよ』、ねぇ……」

 

「クク、面白いじゃないか。手紙という間接的なものではあるが、私の名前を使って非難する輩など珍しいからな」

 

実に愉快そうに笑う彼女を尻目に、弐は部屋に入った時から違和感を感じていた箇所へと視線を移す。

 

「なーるほどねぇ」

 

一言呟くと、おもむろに右掌を広げて魔力を集中させる。無詠唱による魔法が顕現し、野球のボール大の焔玉が形をなした。

 

「弐様、何を……!?」

 

「そおらっと!」

 

驚きを隠せないでいる議員を無視して、弐は火球を天井へと勢いよく叩きつけた。接触と同時に、火球は凄まじい勢いで爆発を起こした。普通であれば即座に警備員がやって来るが、エヴァンジェリンがくるために防音の魔法が部屋に施されており、爆発音は一切外に漏れることはなかった。

 

「ハロー、侵入者さんたち」

 

「……!」

 

煙の中から現れたのは、武装を纏った青年や少女たちであった。元老院たちは、ゲホゲホと粉塵の中で咳を続けている。

 

「隠れ場所が天井裏とかバレバレすぎだよ、部屋に入ってすぐに分かっちゃった」

 

「馬鹿な、魔力や気を探知できないよう魔法具を用いていたのに……!?」

 

「『夜明けの世界』の幹部舐めんじゃないわよ。熱感知で簡単に見つけられたわ」

 

魔法世界は、魔法技術が発展した世界である。故に、その常識で物事を測るものがほとんどだ。相手を感知する方法の大半は、魔力や気などの魔法的要素。これらは生きているうえで必ず、僅かばかりでも流れでてしまう。

 

尤も、そんな極微量のものはよほど魔力感知に長けた魔法使いでもなければ分からないため、魔法具を用いるのがほとんどだが。

 

しかし、『夜明けの世界』は旧世界側とも関わりを強め始めている組織である。何より、首領格であるエヴァンジェリンは旧世界の出身であり、こちらへ渡る前に多くの科学的な知識を身に着けているためそういったものに詳しいのである。そのため弐は、彼女の助言から工夫をこらし、ついには熱だけで相手を詳しく感知できるようになったのだ。

 

「どれだけ魔力や気を隠そうが、生命活動を続けている以上いつだって体温がそこにある。私にかかれば尻尾を出したまま隠れてたようなものよ」

 

「くっ、皆……覚悟はいいな!」

 

「オウッ」

 

「積年の恨み……ここで返す!」

 

一人は杖を構え、剣を抜き放つ。一人は拳を握り、一人は魔法書を開く。どうやら、三人構成のパーティらしい。

 

「うーん……?」

 

一方の弐はといえば、パーティの少女を見つめながらうんうんと唸っている。

 

「どうした、弐」

 

「あの中の一人、どっかで見た覚えが……あ」

 

頭のなかで何かが繋がったようで、思わず手を打つ弐。

 

「思い出した、あんたメガロの国境近くにあった町の奴か」

 

ピクリと、少女の眉根が動く。次いで、怒りの形相で弐を睨みつけた。

 

「あんたが……あんたが皆を殺した張本人か……!」

 

「当たりっぽいね、一切合切燃やしちゃったから候補ごと死んじゃったと思ってたけど」

 

「この通り、生きてるわ。あんた達に復讐するまで、死ねるものか……!」

 

少女は、かつて英雄候補として弐に目をつけられていた。しかし、弐は試練を与える名目で5年前に町を火の海にしてしまった。この火の海から脱出できれば、及第点であるとして。

 

しかし、瞬間的な大火力の炎は一瞬で町を焼きつくしたため、初撃で殆どの人間が死んでしまい。結果、誰一人町から脱出できたものはなく、一日中探索を続けても生き残りを発見できなかったため、彼女は落胆してその場を去ったのだ。

 

「あれ、でも町は消し炭になったから生き残りがいればすぐに分かったはずなんだけど」

 

地下にいた者達も、地表が熱せられた影響で蒸し焼きとなってしまい、無残な躯へと成り果てていたはずだ。

 

「あの時は母が、とっさに私を井戸へと突き落とした。その御蔭で、井戸の底から通じている町の外の川へと脱出することができた」

 

「ああ、町に既にいなかったんだ。納得」

 

「ようやく……ようやく、皆の敵が討てる……!」

 

魔法書を構え、水の魔法を唱える。どうやら、魔法書が発動の媒体であるらしい。

 

「いいわ。私が相手してあげる」

 

どうやら、弐も乗り気になったらしく、そのまま彼女と戦闘を開始した。

 

「ふむ、そちらの二人はどうする?」

 

「知れたこと……!」

 

「貴様という巨悪を討ち、メガロメセンブリアに真の平和を取り戻す!」

 

「威勢のいいことだ。……しかし、私がいきなり相手をするのも面白くないな」

 

そう言うと、彼女は右目を大きく見開いた。すると、そこから小規模な魔法陣が展開され、更に彼女の身長を越す大きさの魔法陣が目の前の空間へと射出された。

 

「っ!」

 

「ジン、油断するなよ」

 

展開された魔法陣は複雑怪奇で、あたかも曼荼羅のような構成になっている。

 

「クク、心配するな。いきなり大魔法をぶっ放す程、私は無粋ではない」

 

そう言うと、彼女はまるで何かに号令を出すかのように、右手を魔法陣へとかざした。すると、魔法陣の中から人間の腕と思しきものが生えてきたのだ。

 

「召喚魔法か!」

 

「ただ相手をするのもつまらん。まずはこいつで遊んでやろう」

 

腕に次いで、体全体が魔法陣から姿を現す。現れたのは、みすぼらしい格好をした少女。目はひどく虚ろで、口はだらしなく開かれ、首には鉄製の首枷がはめられていた。能面のような無表情は、彼らが少しだけ恐ろしさを覚えるほどに人形じみている。

 

「53号。こいつらの相手をしろ」

 

エヴァンジェリンは短く、少女に命じる。すると彼女は、腰に指していた細身の剣を抜き、男二人へと襲いかかった。

 

「くっ!」

 

「ぬおっ!?」

 

「…………」

 

明確な殺意の元、細剣で突き刺そうと追撃を続ける。その目は相変わらず虚ろなままだが、どこか怯えを含んでいるようにも見えた。少女は、しばし佇んだ後に再び突きを放ってきた。やむなく、ジンと呼ばれた男は応戦するために剣を振るう。

 

「悪いが、あんたが奴らの手先だってのなら容赦はしないぞ」

 

様子からして、何か事情があるのだろう。しかし今は、普段から表にはめったに出てこないエヴァンジェリンという大悪党を殺す絶好の機会。情け容赦をかけるつもりはなかった。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、こうするしかないの……ごめんなさい……」

 

しかし、返ってきた言葉は掠れた声での謝罪の言葉。それを何度も吐き出し続けていた。異様なまでの雰囲気に、ジンはこの少女がエヴァンジェリンに何かをされたのだと即座に理解した。

 

「貴様、この子に何をした!」

 

エヴァンジェリンへと怒りのままに問いかける。しかし、エヴァンジェリンは侮蔑の眼差しを浮かべながら少女を見て答える。

 

「何、そいつが私の期待に応えられなかったからそうなっただけさ。まあ、色々やったのは確かだがね」

 

「外道め……!」

 

「勘違いするな、私は人間には敬意を抱いているしそれなりに扱ったりもする。そいつは私がまともに扱うに値しなかっただけの話だ」

 

「それは、どういう……」

 

そんなことよりいいのかね、とエヴァンジェリンに言われる。振り返ってみれば、いつの間にか懐へ入らんと肉薄していた少女が、ジンへ襲いかかろうとしていた。

 

「くそっ!」

 

なんとか剣で細剣を防ぐが、相手の動きが素早く、カウンターで放った攻撃は空振りに終わる。

 

「実力だけはそこそこある。そいつも倒せないのなら、私が相手をする必要はない」

 

そう言うと、彼女はいつの間に用意したのか紅茶の入ったカップを口へと運ぶ。

 

「さあ、足掻いてみせろ。己が英雄足りえるか証明してみせるがいい」

 

 

 

 

 

「なんだ、威勢の割にてんでダメね」

 

「う、くぅ……」

 

弐と少女との戦いは、大した時間もかからずに終わりを迎えようとしていた。少女の魔法は強力ではあったが、弐にはかすり傷ひとつない。

 

「火力がない、速さもない、重さもない、技術もない……足りなさすぎて物足りない」

 

テーブルの上に腰掛け、足をバタバタさせながら退屈だと訴える。反面、少女の方は満身創痍で立ち上がることさえやっとだ。火傷で右腕は痙攣し、ケロイド状になってしまっている。

 

「ここまで、差があるなんて……」

 

「あんたさあ、私たちのこと舐めすぎでしょ。その程度で、本気で私達を相手に戦えると思ってたわけ?」

 

弐の苛立ちは、既に限界に近かった。最近はあまり強者と戦う機会がなく、戦闘衝動を持て余していた中で久々に現れた敵対者。それも、死んだと思っていた英雄候補となれば期待が高まるのも無理はなかった。

 

しかし、蓋を開けてみれば無難に強い程度、才能は確かにあるはずだし、順当に育ったのだとは思う。しかし、どこまでいっても弐にとっては平凡だ。これでは、己の欲求が満たされるなどとてもではないがありえなかった。

 

「はぁ、もういいや。とっとと終わらせよう」

 

高揚していた気分が一気に冷めてしまい、最早弐にとって少女は興味の対象外となってしまった。そうなればもう、遊ぶ必要もないただの邪魔者なだけ。

 

「うん、こんなもんでいいか」

 

先ほど天井を破壊するときに使ったものより、少しだけ大きな火球を指先に生成する。少女は魔法でそれに対抗しようとするが、遅すぎた。

 

「じゃあ、さよなら」

 

無慈悲に、弐は火球を少女へと放ち、寸分違わず相手の頭部へと高速で向かっていく。

 

「かあさ……」

 

最後の呟きもかき消され、着弾と同時に少女は炎獄に包まれた。一瞬で少女の頭部を吹き飛ばし、モノ言わぬ躯へと変える。そして糸の切れた人形のように少女の死体はドサリと倒れ、全身を炎が覆い尽くし、消し炭となる。

 

数年前に生き残った少女は、皮肉にも町と同じ最後を遂げた。

 

 

 

 

 

「呆気無いな」

 

欠伸を噛み殺しながら、エヴァンジェリンは呟く。結局、彼女が53号と呼んだ少女は命令通りに青年二人を相手にし、容易く刺殺した。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい……許して……ごめんなさい……」

 

二人の死体へ、未だ細剣による刺突をやめようとしない少女。相変わらず、口からは謝罪の言葉が漏れるばかりだ。

 

「全く、そんなに後悔するなら初めから裏切らなければいいものを」

 

53号と呼ばれた少女は、かつて英雄候補の一人の仲間であった。故郷を奪われたその英雄候補に同行し、仲間とともに戦いを続け、ついにエヴァンジェリンへと辿り着いた稀有な実力を有していた。

 

しかし、エヴァンジェリンが戯れとして直接相手をしていた際に、圧倒的な実力差と死への恐怖から、彼女は仲間を裏切った。満身創痍であった仲間を、背中から突き刺したのだ。

 

『殺さないで……死にたくない……死にたくないの……』

 

『いいだろう、貴様は生かしてやる。ただし、最早人間として扱ってはやらんぞ』

 

エヴァンジェリンは彼女を軽蔑し、奴隷のように扱った。たとえ巨悪が相手であろうと、立ち向かうのではなく裏切るなど彼女には許し難かった。与えられたのは区別するための名前代わりの番号と汚れ仕事。最低限の賃金だけ渡され、下働きとして飛び回る日々となった。

 

次第に己の中での罪悪感が膨れ上がり、かつての仲間の恨みの声が夢のなかで聞こえるようになってしまった。心身ともに疲れ果て、生きているのか死んでいるのかさえ自分でわからない程前後不覚に陥ってしまったのである。

 

自殺をしようとすれば、所有物が勝手なことをするなとエヴァンジェリンに回復され、元の木阿弥に戻る。まさにエヴァンジェリンの人形へと成り下がってしまった。

 

「人間とは不可解なものだ。光のごとく立ち向かえる勇気を持つこともあれば、汚泥のように媚びへつらうこともある。……不安定で、どうしようもなく脆い」

 

見渡せば、戦闘の余波に巻き込まれ、何人かの元老院議員が死んでいた。あれらもまた、己に媚を売り権力の甘い汁を啜っていたが、昔は理想に燃えた者もいたらしい。それが、今ではあのザマである。

 

「だからこそ、己の意志を貫けるものは強いのかもしれんな……」

 

そして、それができなかったものの末路はなんとも哀れであり、愉快でもあった。彼女の目には53号と呼ばれる少女の姿など、下らない喜劇か出来の悪い悲劇にしか映らない。

 

「まあ、裏切り者の末路には相応しい結末か。あの世で仲間も落胆しているだろうよ」

 

率直な感想を漏らし、エヴァンジェリン目の前の光景に背を向けてこの場を立ち去ろうとしたその時であった。

 

彼女の背に、何かが触れる感覚があった。次いで、少しばかりの痛みと生温かさを感じる。

 

「……何のつもりだ」

 

エヴァンジェリンの背を、53号と呼ばれた少女が細剣で突き刺したのだ。

 

「フーッ、フーッ……!」

 

息は荒く、手も震えてはいるが、こちらを睨みつける目は確かに殺気を帯びている。

 

「……死にたいのか?」

 

エヴァンジェリンの問いかけに、彼女は答えない。ただ、細剣を握る手は少しだけ震えが止まっていた。

 

エヴァンジェリンは極低温で出来た冷気の刃を生成し、一瞬で彼女の首を刎ねた。53号と呼ばれていた少女の頭部が、真っ赤な絨毯の上をごろりと転がる。彼女からすれば玩具にしていた者に手を噛まれたのだ、殺して当然だと思っている。

 

しかし、数年間ずっと従順であった彼女が、何故いきなり己を刺したのかが疑問だった。先ほどの戦いで思うところがあったのか、もしくは裏切りの後悔から断罪を望んだのか。

 

或いは、先ほどの言葉に激高し己に一矢報いたかったのか。

 

「何にせよ、私もまだまだか。やはり、人の心を御すのは難しいものだな」

 

真実はもう、永遠に知ることはできない。それでも、彼女はすぐに再生した己の背中を二度三度擦ると、少しだけ満足な笑みを浮かべて去っていった。

 

 

 

 

 

「私置いてくなんて酷くない?」

 

「戯け、暴れるにしても限度がある。後始末ぐらい自分でやれということだ」

 

組織の本部へと戻ったエヴァンジェリンは、遅れてやってきた弐から文句を言われ続けていた。弐が暴れまわったせいで半壊してしまったため、後のことを全て弐に丸投げして帰ってきたのだ。そもそもの原因が弐なので当たり前といえば当たり前なのだが。

 

「エヴァンジェリン」

 

「デュナミスか、どうした?」

 

浅黒い肌をした筋肉質の男がやってくる。名をデュナミス、『夜明けの世界』の大幹部であり、かつて魔法世界を裏側から掌握していた大組織、『完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)』最後の構成員である。組織での扱いは、柳宮霊子と同じく外部協力者であるが、大幹部という最高クラスの地位にいるのは、偏にエヴァンジェリンが彼を対等の関係と認めている故だ。

 

「アスナから連絡が入った。柳宮霊子が敗れたそうだ」

 

「えっ!?」

 

「ほぅ……」

 

デュナミスから告げられた言葉に、弐は驚愕の表情へと変わり、対照的にエヴァンジェリンは面白そうな様子だ。

 

「あの陰険魔女がそこらの魔法使いに負けるわけない……信じられないわ」

 

「私も俄には信じられなかったが、事実だ」

 

最初に敗れた大川美姫は、まだ幹部になって日も浅い若輩であり、その精神的な不安定さから思うような実力を発揮できなかったこともあり、敗れたのには納得できた。

 

しかし、霊子は組織でも古株であり、その実力は魔法だけならエヴァンジェリンに比肩しうる程。おまけに、その油断も隙も見せない盤石に根を張る強かさと冷静さは、デュナミスや弐も一目置いていた。

 

それに、彼女には魔法世界でも悪名高い大悪魔のロイフェが従属している。魔法の腕はからきしだが、その戦闘能力は幹部であり上位悪魔であるフランツやもう一人と比べても何ら遜色ない。

 

「あいつは確か、私の命令を無視して大規模な実験を行っていたな。アスナには手を出すなと言ってあったはずだが……」

 

「それが、倒したのはネギ・スプリングフィールドとその仲間らしい」

 

「ほう!」

 

予想はしていたが、それでもエヴァンジェリンは湧き出す喜びを抑えられず、三日月のように鋭く口元を歪めた。

 

「実験がどんなものかは知らんが、恐らく霊子は魔力を消耗していたのかもな。しかし、奴の性格からして何の対策も講じていないなど有り得ん。凶悪な罠や魔法をいくつも仕掛けていたはずだ。とっておきの奥の手も残してな」

 

エヴァンジェリンは霊子のことを高く評価している。それは同時に、彼女の実力や性格、行動も把握しているということ。だからこそ、霊子が倒されたという事実がそこに横たわっていても、霊子がネギ達に敗北するという予想などなかった。

 

「ふーん……結構やるじゃん。ちょっと戦ってみたいかも」

 

「クククッ! ここまで私の予想を裏切り、上回ってくるとは……実に愉快だ!」

 

ナギの息子というだけありそれなり以上の期待はしていたが、ここまで予想外の方向へ段階をすっ飛ばすとは思いもよらなかった。今までの英雄候補の中でも、ここまでのことを成し遂げた者はさすがにいない。

 

「笑い事ではないぞ。これで既に幹部が二人、その内一人は魔法世界で名を轟かせる怪物『奈落の魔女』だ。これが知られれば我々に対する認識が大きく揺らぎかねん」

 

「どうせ広まらんよ。奴を捕らえても、我々のことは契約上話すことができない。そして法の裁きに下そうとしても、それを行うのはメガロメセンブリアのジジイどもだ」

 

どうあがこうが、その事実は何処かでもみ消され、闇に葬られてしまうだろう。そして、裏切った霊子もまたどこにも逃げ場はなくなったわけである。

 

「恐らく、霊子は麻帆良の連中に取引を持ちかけるだろう。所在が公に知られていない以上リスクよりもリターンのが大きいからな、匿われる可能性が高い。あれほどの頭脳、向こうも協力を取りつけられるチャンスを逃しはせんだろうしな」

 

「魔法教師の中には、メガロ出身もいるはずだが」

 

「正義のもと裁くなり何なりすべきだと言うだろうって? 無駄だ、そんなことをしても一文の得にならないのはあの学園長もよく理解しているはず。押し切られて終わりだ」

 

「むぅ……」

 

美姫は現在氷雨として、裏切り行為に加担してはいるが、あれはあくまで罰としてそうなるよう仕向けたきらいもある。組織に忠誠を誓い、エヴァンジェリンを敬愛している彼女にとっては相当な苦痛であろうと考えてのことだ。

 

しかし、霊子は違う。自分の役目を放棄し、あまつさえ計画の要である英雄候補を殺そうとしたのだ。デュナミスからすれば、早々に抹殺すべきだと考えたのだが、現状では難しい。そもそも、アスナが自らの役目である監査として一度、霊子を殺したはずだったらしい。なのに、生きている。信じられないとアスナも言っていた。

 

「エヴァンジェリン、お前の言うように想定を超える存在こそ英雄に成り得るのかもしれん。しかし、それでもだ。この事態はやはり無視できない。このままでは我々は各個撃破され、組織としての体裁を保てなくなるぞ」

 

「ククク、そうだな。それもまあ、面白そうではある」

 

「なんだと?」

 

「考えても見ろ、元々私は鈴音、チャチャゼロ、アスナという少数で引っ掻き回し続けてきた。今更少人数に戻ったところで、何てことはないじゃないか」

 

その言葉に、デュナミスは絶句する。それはつまり、彼女にとっては組織など何の重要性も持たないということだ。かつてその組織力で魔法世界を思うままに動かした自分たちとは、根本的に考え方が違うのだと、デュナミスは初めて理解した。

 

「だが、英雄を相手取る黒幕が、何も率いずただ力だけを示すなど示しがつかんぞ。崩壊した組織の残党などという不名誉を被る必要もないはずだ」

 

冷静になり、組織の重要性を説くデュナミス。下手をすれば、本当にこの首領は組織を捨てる可能性もある。そうなれば、後に残されるのは頭のいない組織だけだ。

 

それならばデュナミスが新たに頭になればいいと思うだろうが、彼も悪党として存分に在りたいが故に協力者となった経緯がある。そんな後釜をお零れのようにいただくなぞ、矜持が許さない。何より、自分より上と認めた者がいる以上、トップになろうが虚しいだけだ。

 

「クク、そう熱くなるな。別に組織を捨てようなどと思ってはいない。あくまで、組織は我々という怪物を飾り立てるファクターにすぎんと言っているだけだ」

 

「そうか……」

 

内心胸を撫で下ろすデュナミス。どうにも、最近はこういった立ち位置が増えている気がすると彼は思った。

 

「まあ、お前の言うことも確かではある。歯抜けの悪の組織なぞ間抜けなだけだし、残党が黒幕面をしたところで情けないだけだ。多少はこちらも動くべきか」

 

「それにしても、わざととはいえ美姫も、そして霊子も向こうに協力することになるわけか。まるで将棋ね」

 

奪った駒を使うことができる将棋。勝利した相手を協力者として引き込んでいるネギ達。確かに、まるで将棋の対局のようである。

 

「将棋、か。まさにその通りだな」

 

「あっ、またなんか悪い顔してる」

 

弐の言葉を聞いて、エヴァンジェリンはにんまりとするが、しかしどう見ても悪巧みを裏で考えているようにしか見えなかった。

 

「ならば、こちらも相応に相手をしてやるとしよう。奪われた駒は2つ、その分を彼らに差し出してもらおうか」

 

巨悪が、再び盤面を動かし始めた。



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第五十三話 変わり始めた日常

奈落の底より生還した少年少女。
暫しの安寧の後、日常に影が落ち始める。


鮮烈に、劇的に、泥のようにこびりついて離れない、あの日の記憶。僕が、今の僕へと至る事となったあの雪の降る夜。僕の心を捉えて離さない、鎖のように絡みつく悪夢。

 

『遅れてすまん。ネカネは無事だが、他の奴らは助けられなかった。ごめんな』

 

初めて、自分の親に出会った夜。それはまるで、ピンチに現れたヒーローのようで。僕が歩み出すためのきっかけをくれた時間でもあった。

 

『とうさん、なの?』

 

『おう。会うのは初めてだが、確かに俺はお前の父親だぜ』

 

ネカネ姉さん意外では、殆どいなかった血の繋がった家族。村が火に包まれ、皆が石像に変えられていたというのに。僕が抱いたのは、嬉しいという感情だった。

 

『とうさん、なんで……なんでいまさらでてきたのさ!?』

 

次いで溢れだした言葉は、非難するかのようなものだった。ずっと、ずっと感じていた繋がりのない人生。村の人々には親しくしてもらったが、それでも心から自分をさらけ出せた相手はアーニャと姉さんだけだった。頼れる相手のいないことから湧き上がる不安。

 

『……ねえ、とうさん。ぼくは……ぼくはいつまで"ひとり"なの?』

 

一緒にいてくれれば、きっと村の皆だって助かっただろう。姉さんに負担をかけずに済んだだろう。寂しい思いをせずに、済んだのだろう。僕が初めて吐き出した、エゴに満ちたワガママ。心の奥底では仕方ないと分かっていても、感情では納得できていない。そんな、当たり散らすような言葉。

 

『……ごめんな』

 

それを、父さんは受け止めてくれた。迷惑をかけまいと。姉さんにすら吐き出したことのなかった不満の感情に対し、父さんはどこか寂しげな顔をしながら僕の頭をなでた。

 

『父さんはな、お前と一緒にはいられない。いたら、お前を巻き込んじまうからだ』

 

それは、初めて知った父さんについてのこと。悪い魔法使いと戦っていて、父さんのことを付け狙っていること。一緒にいれば巻き込んでしまうこと。そして、村を襲った悪魔は父さんの子である僕に目をつけてやってきたこと。

 

『……こんなことになっちまったのも、俺のせいだ。お前には、俺を非難する権利がある』

 

『……』

 

『恨んでくれたってかまわねぇ』

 

本当は知っていたはずだ、姉さんが言っていた話。父さんは、悪い魔法使いと戦っていて、大怪我を負って眠っているって。それなのに、父さんは来てくれたのだ。

 

『……さい……』

 

『どうした? 言いたいことがあるなら、今ここでぶちまけちまえ。俺に遠慮なんて……』

 

『ごべんな゛ざい……!』

 

『うぇっ!?』

 

僕は、僕のことしか考えていなかった。父さんにも父さんの事情があって、それでも僕のことをずっと思っていてくれた。情けなかった、そんな父さんのことを碌にも知らないで、自分の感情ばかり優先してしまう自分が。助けに来てくれた父さんに、こんな醜い言葉しか吐けない自分が嫌になった。

 

『お、おい泣くなよ……』

 

『ひっぐ……ぐす……』

 

『ああくそ、自分の息子相手だってのに何やってんだ俺は……チッ、時間もねぇし』

 

ガシガシと頭を掻いた後、父さんは

 

『ネギ、悪いがもう時間がねぇ。理由は話せねぇ、けどお前と一緒にいてやることはできない。だから、こいつをお前にやる』

 

『わわっ!?』

 

『ハハッ、さすがに重いか』

 

餞別だと、父は形見といえる品をくれた。僕よりも大きな、父さんの杖。今でも、決して肌身離さない僕と父さんの唯一の繋がり。

 

『きっとこの先、俺の残した火種が元でお前に幾つもの困難が襲いかかるだろう。その時、俺は今回みたいに助けてやることは出来ねえ。だから、お前が強くなるしかねぇんだ』

 

『……つよく? けど、ぼくがつよくなるなんて……』

 

『ああ、そうだろうさ。不安にもなるのは当たり前だ。けど、お前に何もしてやれず、しかも厄介事をお前に運んじまうのが俺だ。なっさけねぇ話だがよ、どうお前に接していいのかも俺はわからねぇ。それでも、お前の無事を願う気持ちはある。俺はお前の父親だしな』

 

一緒にいてやることは出来ないし、もう守ってやることも出来ない。ならばせめて、そんな困難をはねのけられるように強く在って欲しい。父さんはそう言った。

 

『ごめんな、結局何から何までお前任せだ』

 

『……ううん、いいよ。とうさんは、ぼくをたすけにきてくれた。なら、こんどはぼくがとうさんのためにがんばりたい』

 

『……ありがとよ、ネギ』

 

再び僕の頭を撫でた父さんは、ふわりと空中へと浮き上がり。段々と姿が薄らいでいく。別れの時が来たのだと、幼い僕でも分かった。知らず、僕は離れていく父さんを追いかけて走りだしていた。

 

『ネギ、頑張れよ』

 

父さんは幻のように消え、あとに残ったのは火の粉が舞う冬の村と。

 

『父さああああああああああああああああああん!』

 

嗚咽を漏らして父さんを呼ぶ僕だけだった。

 

 

 

 

 

『強くなりたい』

 

あの日の無力が、僕をここまで後押ししてきた。ただ子供でいるだけではいられぬほどに。魔法を覚え、必死になって勉強し、机にかじりつくように貪欲に本を漁った。幸い、僕は幼い時から物分りがよく、利発だと言われていた程だ。勉強は苦ではなかった。

 

『駄目だ、まだ足りない……こんなんじゃ、足りない』

 

この杖に見合う男になりたい、父さんと交わした約束を成し遂げたい。

 

『皆を助けたい』

 

悪魔の永久石化によって石像にされたスタンお爺ちゃんを、アーニャの両親を。村の皆を助けたい。魔法学校の禁書庫にこっそり忍び込んで、解除方法を探した。同時に、強力な魔法も探すことも忘れなかった。

 

『僕は、父さんみたいにはなれない。誰かのためじゃなく、僕のためにしか動けない』

 

どうしようもなく自己中心的な僕は、父さんのようのことを放り投げてでも誰かのためになんてことはできない。ならばせめて、この手の届くものぐらいは失いたくない。どこまでも、自分勝手な僕の思いだ。

 

『ネギ、あんた大丈夫なの? そんな、自分を追い込むようなことばっかりして……』

 

『約束、したんだ。強くなるって。もう、父さんを不安にさせたくないんだ』

 

『私はむしろあんたのことが不安だわ、いつかあんたが……どこか遠くに行ってしまうんじゃないかって』

 

『大丈夫だよ、僕は……』

 

アーニャに心配され、姉さんにも迷惑をかけてしまったと思う。それでも、僕は我武者羅に前へと進んでいった。心配する皆のことを、気にも留めないで。

 

『そうだ、僕は自分勝手なやつだ。だから、僕のワガママを押し通す。それが例え、無意味なことだったとしても、僕は必ず……』

 

 

 

 

 

柳宮霊子の起こした事件から2週間後。事件後の後始末のため、未だ開放されない図書館島の地下では、夕映と霊子の魔法戦が繰り広げられていた。

 

「動きが単純化してるわよ。ラプ・ラ・ウェル・テセ・プラギュゲス」

 

「くっ、フォア・ゾ・クラティカ・ソクラティカ!」

 

「離脱を図るために撹乱するための魔法詠唱……手札がバレバレよ、バカの一つ覚えじゃない。『砂塵(プルヴィス)濁流壁(トゥルビデ・フルミネウォール)』」

 

「えっ、きゃあ!?」

 

巨大な濁流が直撃し、そのまま落下していく夕映。地べたに激突する直前、無詠唱の防御魔法で何とか衝撃を和らげるが、尻を強打してしまい痛みで悶絶する。

 

「いい、戦闘における鉄則は相手と自分の有利不利を明確化すること。有利なら攻め、不利なら守る、基礎中の基礎よ。不利な状況で攻撃なんぞしても焼け石に水だわ」

 

「は、はぃぃ……」

 

「戦闘に関してはそこそこ叩きこんだと思ったけど、こうも腑抜けているのなら話は別ね。徹底的に矯正してあげるわ」

 

(スペシャルコースの流れですー!?)

 

霊子の弟子である夕映は当然、彼女に戦闘の手ほどきもしてもらっている。だからこそ先日の戦いで食いついていくことが出来たのだ。並の魔法使いでは歯牙にもかけないほど、夕映の実力は高い。が、そのレベルでも霊子には不満らしく、こうして力量を見てもらっているのだ。

 

ちなみに、霊子の修行にはいくつかのコースが有り、その中でもスペシャルコースは最も過酷で恐ろしい内容が盛り沢山である。尤も、他のコースでもきついのがわんさかあるのだが。

 

「改めて見ると、本当に僕達が勝てたのは奇跡みたいなものだったんですね……」

 

「……だな」

 

大川美姫の件から今まで、魔法を主体とした戦闘を仕掛けてきた相手はいなかった。霊子も魔力半減の弱体化状態で戦っていたため、連発していた魔法もネギより少し強い程度だった。だが、万全の状態で戦う霊子の魔法は、明らかにネギより2ランクは上の威力がありそうだ。

 

「しかしまさか、兄貴達を殺そうとした相手に弟子入りするなんて……。本当に大丈夫なんですかい?」

 

「うん、その辺はきちんと契約書もかわしてるし」

 

そう。現在ネギ達は、霊子の弟子となっている。組織を裏切って行き場のなくなった霊子は、麻帆良学園側にいくつかの条件のもと協力を持ちかけた。彼女の保つ技術や実力、それらを貸してやる代わりに安全を保証してくれと。

 

最初は相手も渋ったが、どのみち本国に移送しても『夜明けの世界(コズモ・エネルゲイア)』の影響力が強いため碌な事にはならないだろうと判断。幸い彼女がここにいることは外部には漏れていないため、魔法による契約を交わして彼女を麻帆良に置くことを決めた。

 

「ま、こっちは一応勝者ではあるんだ。これぐらいの見返りがあってもいいだろうさ」

 

その契約を行う際、事件の当事者として参加していたネギ達は、なんと霊子に魔法の指導をして欲しいと要求。周囲は困惑するが、霊子はこの要求をあっさり受け入れた。

 

『まあ、勝者に敗者が従うのは道理ね。いいわ、やってあげる。ただ、私は中途半端は嫌いよ。やるからには徹底的にやらせてもらうわ』

 

魔法先生らはこれに反対しようとするが、しかし相手は魔法世界でもエヴァンジェリンと並び称される魔女。教わるなら最高の人材であることは疑いようもない事実だ。加えて、彼女の弟子である夕映の実力も相当なもので、正直彼らでも夕映に勝つのは難しいかもしれない。

 

『夕映くんがいる以上、人材育成に関しても十分と考えるのが妥当じゃろうて。それとも、彼女以上にネギ君達を指導できる自信のある者はおるかね』

 

実績がある以上、何を言っても無駄だと学園長に言われ、口を閉ざすほかなかった。何より、今回の事件で彼らは後手後手に回ってしまい、結局ネギ達のおかげで大事にならずに済んだのだ。これでは、彼らの立場などないも同然だ。

 

「次、長谷川千雨。来なさい」

 

「んじゃ、行ってくる」

 

霊子から呼びつけられ、千雨は彼女の方へと歩いて行く。

 

「最初に言っておくけど、はっきり言って貴女は魔法の才能は殆ど無いと言っていいわ。血を吐く努力をしても一流手前止まり、それでもやる覚悟はあるかしら」

 

「上等じゃねぇか。少なくとも、今の私よりは役に立ちそうだ」

 

「結構。それこそ死ぬ気でもなければ無理なレベルだけど、貴女は精神的には強いほうだからその点は心配ないと考えるわ。それと、平行して別方面にも手を出してもいいかもしれない」

 

「別方面?」

 

「いくら魔法が使えるようになっても、結局足手纏じゃ意味が無いわ。上位者に食いつくなら、数多くの手を持つ必要がある」

 

千雨は戦闘に関してはド素人である。加えて、魔法の腕も上限が見えてしまっている以上、それ以外の方法で手数を増やすしかない。

 

「幸い、それを指導できる人物は貴女と常に行動をともにしているから、いくらでも時間はあるわね」

 

『おい、まさか私に押し付ける気か!?』

 

「あら、適材適所よ。魔法具を扱うことにおいて、私は貴女以上の才能を持つ者を知らないわ」

 

『だからといって、こいつらに肩入れする理由なんぞ……』

 

氷雨は二度に渡って共同戦線を張っていたとはいえ、敵側であることに変わりはない。今までは利害の一致から組んでいたが、今回は氷雨にとってのメリットが一切ない。

 

「何も千雨にやらせる必要はないわ。魔法具を使うのはあくまで貴女よ」

 

『へぇ……』

 

「魔法具を使うことに快感を見出す貴女なら、十分なメリットじゃない?」

 

同僚であった霊子は、新入りとはいえ幹部であった氷雨のこともよく知っている。だからこそ、そういった方面から彼女にメリットを感じさせつつ思考を誘導することにした。

 

普段の彼女ならここまで手をかけることなどないのだが、麻帆良での協力者となった今、ある程度の信頼を得るには手落ちがあるのは彼女にとっても問題だ。仮にも弟子にした以上は一定の水準に達してくれなければ彼女の沽券に関わる。

 

「いやいや待て待て、こいつが魔法具で私の体を乗っ取らない保証はないだろ! 第一、私自身で練習しなきゃ意味ないんじゃないか!?」

 

信頼できる相手ではない以上、最低限の線引はすべきだ。そうしないと足元を掬われかねない。実際、氷雨こと大川美姫は『桜通の幽霊事件』で、クラスメイトの肉体を操って戦わせるということをやっているのだから。

 

「心配せずとも、今のその子は貴女に寄生してる状態。肉体的な絶対の主導権を持つのは貴女よ。精神は肉体とより結びつきの強いものと固着化しやすいから」

 

「んじゃ、私が無理やりにでも主導権を取り返せばいいわけか」

 

「そういうことよ。それに、経験とはある程度肉体にも蓄積されるわ。魔法具の扱いに関しては天才的とも言える氷雨の肉体的経験なら、それは貴女の成長にも大きく繋がるはずよ」

 

この場合、肉体というのは脳のことである。反復練習は何かを覚える際に真っ先に挙げられる練習方法だが、実はただ反復すればいいというものではない。正解の行動を正確にトレースし、脳に覚えさせる必要があるのだ。

 

その点、直に体を動かすのが氷雨であれば、その正解パターンを確実に体に刻み込める。

 

「あと、あなた達の精神は大なり小なりお互いへ影響を及ぼしてるわ。肉体的な自由がない氷雨のストレスが影響する可能性もある」

 

『まあ、適度な自由は私も欲しかったところだ。いいだろう、ある程度の時間を私に与える代わりに、私がお前の体に魔法具の使い方を教えこんでやる』

 

(……こいつ、結構乗せられやすいんじゃないか?)

 

こうして、メリットデメリット以前に組織の敵に与するという大問題から意識が逸れた氷雨は、協力すると言ってしまったことをこの少し後に後悔するのであった。

 

 

 

 

 

静寂に包まれた、夕日の差す道場の中に一人の少女の姿があった。背筋をぴんと伸ばし、正座しているその佇まいはある種の美を感じさせるほどに周囲と融和し、溶けて消え去るのではと思わせるほどである。

 

「…………」

 

しかし、同時にそれは儚さの裏返し。触れれば砂糖菓子のように脆く崩れてしまいそうなほど、存在の薄弱さが見て取れる。

 

(まだ私は未熟……精進を重ねなければならない)

 

先日の戦いで、彼女はロイフェを取り逃すという失態を犯した。村雨流と神鳴流、双方共に尋常ならざる剣の技法を掛けあわせ、新たな技と成した代償は大きく、あの斬撃一つで肉体が悲鳴を上げてしまい、動けなかったのだ。

 

(肉体的な未熟さもあるが、何よりも気迫で押されてしまった……)

 

主人に何かがあったと悟り、動くのも辛かったはずのロイフェは凄まじいまでの執念でその場から離脱した。気力で、体力で、何よりも意志で彼女はロイフェに差をつけられた。故に、今彼女はこうして自分を見つめなおしているのだ。

 

(……あの日、あの時。私の中に眠っていたもう一つの感情が私を支配した……)

 

――【本当ハ、あの人と一緒に行きたかったくせニ!】

 

(私の未練が産んだ、切り捨てたと思っていた一部。姉さんとの日々を忘れられなかった自分の姿)

 

――【あの人に会いたくてどれだけ涙を流しタ!? 手を伸ばせば届いたというのニ!】

 

わだかまりは消えたはずだった。守るべき親友、心許せる仲間。それらのために剣を振るうと誓い、姉との約束を果たそうと決めた。その、はずだった。

 

(……それでも私の心の奥底では、あの人と再び共に有りたいという願いもあった)

 

無意識の内に蓋をして、それはもう無理なことなんだと、もう道は分かたれたのだと自分に言い聞かせて。まるで自己暗示のように自分の感情を否定し続けた。

 

(……っ!)

 

自信の愚かしさに、その唾棄すべきゆらぎに感情が高ぶる。自然、彼女の発していた凛とした佇まいの一切が掻き消え、一人の少女がただそこにあるだけとなった。

 

「……駄目だな、これでは」

 

精神統一のため、自信のうちへと解いを投げ続けていたというのに、こんな調子では己を高めることなど到底不可能だ。

 

「こんなことでは、あの人には届かない。それどころか笑われてしま……」

 

ふと発した言葉に、彼女は硬直した。未練を立つどころか、ますますそれに囚われ始めている。もう既に、無意識の領域で姉への気持ちを吐き出してしまうほどに。

 

――【忘れるなヨ……私はお前自身なんダ……私からは逃げられないということヲ……!】

 

(……っ、惰弱な……! 私というやつは、どこまでバカなんだ……!)

 

意識を奪い返す直前に聞いた、もう一人の自分の言葉。本来であれば、湧き出ることもなかったはずの自分の感情。それが、自分という意識の裏側から虎視眈々と主導権を狙っているという事実。

 

(もし、もし私の意識が呑まれ……お嬢様を殺そうなどとしたら、どうする)

 

もうひとりの自分が求めているのは、あくまでも姉である鈴音だ。その障害となっているのが木乃香であり、邪魔な存在だろう。そうなれば、その障害を排除するために彼女を害しようとする可能性もある。

 

(それだけは、なんとしても避けねばならない……!)

 

しかし、どうやって。今の自分では、膨れ上がった感情の塊とも言えるもうひとりの自分を抑えこむことはできるだろう。あの時は自分の意識が向こう側へと行ってしまったため苦労したが、今は主導権は完全にこちらにある。早々渡すつもりはない。

 

だが、御するとなると話は別だ。後顧の憂いをなくすためには、どうしてももう一人の自分を従わせる必要が出てくる。

 

(そうでなければ、私は姉さんには勝てない)

 

いずれ戦わねばならない姉は、世界最高峰の剣士。しかも、あの世界の力さえも掌握している怪物だ。自分もそれを制御できるようにならなければ勝てないだろう。それには何としてでもリョウメンスクナを倒した時の感覚をもう一度掴まなければならない。

 

その過程で、また自分の意識が向こう側へと飛ばされてしまったら。もうひとりの自分を止めることも出来ない状況が出来上がってしまったらどうする。自分自身で親友を殺してしまうのではないかという不安が、彼女の心を乱し続ける。

 

「私は、どうすればいいのだ……」

 

 

 

 

 

『……アスナからの連絡』

 

『なるほど、霊子に弟子入りしたか。まあ、そこら辺は勝者の特権だ。享受してしかるべきだろう』

 

『……事実上、霊子は組織を完全に裏切った形になるな』

 

『ケケケ、ソンナノコッチノ命令ヲ無視シタ時カラジャネーカ』

 

『……抜けた穴を埋める人材が必要』

 

『マァ、流石ニ二人モ抜ケチマッタラ補充モイルカ』

 

『美姫はそろそろ復帰させてやる予定だ。そうなれば、必要な穴は1人分となる』

 

『誰ヲ抜擢スルンダ?』

 

『……候補としては二人いる。以前、京都で鈴音の下動いていた幹部候補だ』

 

『ふむ、フェイトと月詠か。確かに、あれらなら十分実力はある』

 

『……伸びしろも、ある』

 

『製作者である私の贔屓目を抜きにしても、実力はほぼ拮抗している。あとは……』

 

『幹部である以上、戦闘以外もこなせる必要がある』

 

『決まりだな、月詠ではまだそこまで頭を回せんだろう』

 

『ケドヨ、幹部ニスルナラソレナリノ功績ガ必要ダゼ?』

 

『その点に関しては問題なかろう。奴は基本、私の元で働いていた。敵対組織への破壊活動、王族や重鎮の暗殺、アピールするには十分すぎるだろう』

 

『ふむ。ならばもう一つあれば文句の一つも出ないな。日本への足がかりを担ってもらうとしよう』

 

『しかし、あそこは本国でも手が出しづらい東西の魔法協会がある。派手な動きはできんぞ』

 

『クク、何のために以前、私自ら日本へ向かったと思っている。足がかりとするための楔を打ち込んできてある。あとは、私の(したた)めた書状を持って行かせればいい』

 

『ケケケ、ナラ丁度イインジャネェカ? コッチノ損失ヲ取リ戻ス手伝イヲサセテモヨ。モウ一人ノ方ハブランクガアルワケダシナ』

 

『……フランツは?』

 

『そういえばいたな、暫く休むとかほざいておったが、奴も参加させるか?』

 

『必要ない。奴は戦闘能力は大したことはないが、隠密行動や諜報活動には向いている。アスナが間近での情報を得られる分身動きがしづらい以上、奴に周囲の状況を確認させておいた方が効率的だ』

 

『では、フェイトから奴に伝達させ、3日後に行動を開始させるとしよう。……フランツに命じていた封印の解除は、しっかり行われているのだろうな?』

 

『……問題ない。……予定通り魔法学校から盗み出し、封印を日本で解かせた。……ある程度関西で暴れてから、向かうよう伝えているはず』

 

『英雄候補たちは、我々が向こうを殺さないと思っているだろう……だが、ここまで手を噛まれた以上は容赦はしない!』

 

『随分とご立腹だな、デュナミス』

 

『私にも大幹部としてのプライドというものがある。舐められるのはゴメンだ』

 

『そうだな、奴らに今一度……我々がどういうものなのか、叩き込んでやるとしよう』

 

『奪ワレル駒ハ二ツ、オ手並ミ拝見ダナ』

 

『狙うのは全員だ、英雄候補とて例外ではない。ネギ・スプリングフィールドとてな!』

 

『守り切るか、絶望するか。クク、今回は手心は加えてやらん。霊子を倒してみせた実力、とくと見せてもらおうか』

 

 

 

 

 

「がはっ!」

 

「いいぞ少年、久々の外だというのに君のような者がいてくれたのは幸運だった!」

 

「くそっ、バケモンが……!」

 

燃え盛る木々、倒れ伏した人々。彼らは古来より魔を払うことを生業としてきた組織、関西呪術協会の人間であった。この惨状を生み出したのは、少年の目の前にいるたった一人の怪物によるもの。

 

「ああ、やはりいい。若く闘争心に溢れ、煮えたぎるように血を沸き立たせる闘争は、何ものにも勝る甘露だ」

 

少年、犬上小太郎は冷や汗を流す。以前自分がしでかしたことで、関西呪術協会で観察処分となっている彼だが、情状酌量の余地があると判断されてある程度の自由を与えられた。そんな中、緊急事態ということで小太郎は応援の要請を受け、ここへとやってきたのだが。

 

目に飛び込んできた光景は、倒れている幾人かの関西呪術協会の人間と、その中心にて佇む一人の怪物。即座に危険な相手と判断し、戦闘を仕掛けたのだが。力量に明確な差があり、返り討ちにあいかけてしまっているのが現状だ。

 

(こいつ、今まで戦ったバケモンの中でも相当強いわ……)

 

小太郎も血の気の多い戦闘狂である。戦いの中での命のやり取りを幾度と無く経験し、勝利の美酒に酔うこともあれば、敗北の苦い味を覚えさせられたこともある。だが、この相手は今までとは全く違う。何か、怖気を感じさせるほど異常なのだ。

 

「とはいえ、君にそれを持っていかれるのはかなり困るのだよ。忌々しくも私を封じたあの封魔師の瓶だ、厄の種は取り払ってしかるべきだろう?」

 

「ハッ、だったらあんたがまず取り除かれるべきやないんか。この疫病神が」

 

「よく吠えることだ。あまり時間もかけられないのでな、そろそろケリとしよう」

 

(来るっ……!)

 

怪物が構えを取り、拳を固める。革のグローブをしているというのに、両の拳を握りしめるだけでギリギリと音が鳴り、凶器へと変貌していく。

 

「さらばだ、『悪魔の……』」

 

「三枚符術『京都大文字焼き』!」

 

拳が放たれる直前、突如として目の前が巨大な炎に包まれる。視界が遮られ、また炎の熱から逃れるために攻撃を中止して飛び下がる。

 

「全く、先行し過ぎや。あんたは猪か何やか」

 

「千草の姉ちゃんか!」

 

「ったく、うちはまだ病み上がりなんやけどな。病人は労るべきや」

 

現れたのは、かつて復讐心からリョウメンスクナを復活させ、関東魔法協会の壊滅を狙った天ケ崎千草であった。フェイトの石の槍で貫かれ、重症を負っていたが、何とか意識を取り戻し、五体満足で生還することが出来た。

 

利用されていたということもあって、彼女も小太郎と同様に予備戦力として関西呪術協会に再び籍をおいている。元々、一時は幹部職にまで登るほどの実力である。協会がボロボロな状況である以上、そんな人材を捨てるはずもなかった。

 

「気ぃつけたほうがええで。あいつ、並のやつやない」

 

「分かっとるわ。だから並じゃないのを連れてきたんや」

 

「どういうことや?」

 

火の勢いが、急速に弱まっていく。千草が込めた霊力が尽きたのだろう。そして炎の向こうには、先程までの怪物に加え、もう一人何者かがいた。炎の明かりに反射し、白刃が煌めく。どうやら、怪物と戦っているらしい。その見事な剣技は怪物相手に互角どころか圧倒している。

 

「って、うちんとこの長やないか!」

 

そう、戦っていたのは関西呪術協会の現長にして神鳴流剣士の近衛詠春その人だった。まさか、組織の最高職がやって来るとは思わず、小太郎も驚愕している。

 

「前のうちらの一件もあったし、連れてきたほうがいいと思うたんや」

 

『夜明けの世界』によって利用された彼女は、そういった万が一を考えて彼を連れてきたらしい。確かに、戦力としても最高の人材ではあるが、それを了承する長もどうなのかと内心思う小太郎だった。

 

「ぬぅ、君の弟子といい、処刑の日といい……つくづく奇妙な縁だ」

 

「その腐れ縁も今日で最後だ、ヘルマン。封印されていたはずだが、どうやって抜けだした?」

 

「なに、瓶を持ちだした者がいた、それだけのことだ」

 

先程まで優勢であったヘルマンは、近衛詠春の登場という想定外の事態で劣勢に立たされた。それでも、彼は余裕の態度を崩さないでいる。それは果たして虚勢か、それとも。

 

「『夜明けの世界』幹部であるお前を、ここで逃がすつもりはない。観念しろ」

 

「悪いが、そうはいかん。とっておきの(・・・・・・)楽しみ(・・・)がまだ残っているのでな」

 

すると、彼の足元から不自然に水が湧きだした。それはどんどんと彼を包みこんでいく。見れば、足元に蠢く軟体の何かがいる。

 

「転移魔法……! させるものか!」

 

神速の瞬動でヘルマンへと肉薄し、一刀両断の下斬り伏せようとする。しかし、ほんの僅かの差でヘルマンは転移を完了させ、斬ったのは触媒となった水のみであった。

 

「くっ、私も勘が鈍ったか……」

 

悔しそうに零しながら、刀を鞘へと納める。それにしても気になったのは、ヘルマンが言っていた楽しみという言葉。数年間封じられていた者が、果たしてそんなものがあるのか。

 

「……嫌な予感がするな」

 

また、よくないことが起ころうとしている。詠春はそれを肌で感じていた。

 

「……千草くん、小太郎くん。助力、感謝するよ」

 

「まー、俺らも迷惑かけたんやしおあいこや」

 

「うちもむしろ感謝しとります。あれだけのことをしでかして、まだ協会に置いて貰えるとは思いもしまへんでしたから」

 

「そうか、助かるよ。……しかし、また手ひどくやられてしまったな」

 

倒れている者の中に、幸い死者はいない。しかし重傷者がほとんどだ。ただでさえ人手が足りないというのに、これではヘルマンを追うことも出来ない。

 

「……二人共。少し、頼みがある」

 

「なんや? 俺ができることでならいくらでも聞いたるで」

 

少なくとも、関西は自分がいる以上そこまで大きくは動けまい。ヘルマンの狙いは、恐らくもっと別の場所だ。ならば、手を打たなければならない。

 

「二人に、関東にある麻帆良学園へと向かって欲しい」

 

 

 

 

 

「む、手紙でござるか」

 

長瀬楓は、寮の玄関口にあるメールボックスの内、自分の部屋番号が記された扉を開き、入っていた封筒を取り出す。裏返してみれば、そこには自分の名前が。

 

(拙者宛とは珍しい。里の者からでござるか……?)

 

封筒を破り、その場で開封する。緊急の要件かもしれないと思い、すぐに目を通そうと思ったためだ。そして、そこに記されていたのは。

 

「これは……!?」

 

確かに、緊急の要件ではあった。しかし、その内容に楓は驚愕する。

 

何故なら。

 

『甲賀中忍 長瀬楓

 

 以下の内容は、緊急のものとし、可及的速やかに行うこととせよ。

 

 ネギ・スプリングフィールドとの関わりを、今後一切禁ずるものとする。

 これは命令であり、里の総意である。万が一違えた場合、里より永久追放とする。

 

                              甲賀中忍 斎藤蓮』

 

ネギ・スプリングフィールドと、一切関わるなという指令書であったからだ。

 

「どういうことで、ござるか……!?」

 

邪悪な策謀が、動き出す。



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第五十四話 忍び寄る足音

狙われる少年少女たち。
雨に紛れて、魔の手が迫る。


楓宛の手紙が届く数日前のこと。

 

「……遠方より遥々来て頂き、恐縮の至り」

 

木造造りの建物、その一室。年季を感じさせる古い柱が、風でキシキシと音をたてている。部屋には数人が座しており、その殆どが堅気の人間ではない雰囲気を発している。特にそれが顕著であるのは、厳しい表情で目の前にいる相手を見つめる男。

 

「前置きはいいよ。僕がきた理由はただ一つ、先日の件で正式な返答を頂きたい」

 

相対する人物は、まだ年端もいかぬ少年である。しかし、相手の威圧もまるで柳に風の如く受け流している。その顔には表情が窺い知れず、未知の恐ろしさを醸し出していた。

 

「確かに、我らもこのまま飼い殺しにされるよりはマシではある……」

 

彼らが今取り交わしているのは、ある契約事に関してのことである。その内容とは、フェイトら『夜明けの世界(コズモ・エネルゲイア)』が旧世界(ムンドゥス・ウェストゥス)の日本で更なる足がかりを作るためのものであり、フェイトはその使者としてここに派遣されたのである。

 

そしてフェイトと話し合いをしている男たちこそは、古くから日本を影から守り続けた者達。裏を知る者たちからは『影』、あるいは『(しのび)』と呼ばれている者達であり、本来敵対すべき相手であるはずなのだ。

 

「契約の内容も、普遍的でおかしなものではないな」

 

「しかし、こやつらが裏切らぬとも限りませぬぞ」

 

横から、背の高い男が言葉を挟む。フェイトはそれを聞いて眉を一つ動かした後。

 

「そうかい、ならこの話はここまでにすべきかな?」

 

席を立ち上がり去ろうとするような所作を見せる。

 

「いや、わざわざ使者まで立ててくれたのだ。こちらとしてもある程度信用できる相手だと考えている。足立、そういきり立つな。これでは話し合いもできん」

 

席を立とうとしたフェイトを見て、男は口出しをしてきた者を手で制し、相手への不快感を少しでも軽減しようと努め、再び座るよう無言で促す。フェイトはそれを了承し、再び座布団の上へと腰を下ろした。

 

「非礼を詫びよう。ただ、我らは古くからこの日の本を支えてきた自負がある。だからこそそういったことに人一倍敏感なのだ」

 

一呼吸空けた後、男は続ける。

 

「それ故、もしこの地で何事かを起こそうと言うのであれば、我らは即座に見切りをつけさせてもらうぞ」

 

「構わないよ。むしろ外来の僕達に注意を払わないほうがおかしいからね」

 

「しかし、外国の企業が我らのことを知っているとは驚きだ。日の本でさえ、我らのことを知っている者達は少ないというのに」

 

何故、彼ら忍とフェイト達が話し合いの席につけているのか。それは、フェイト達が外国の企業としてここへやってきたためだ。中東を中心として事業を展開している企業であり、貿易産業を主とした実際に存在する会社である。

 

ただし、その裏の顔はこの世界での情報を集めるために組織されたものであり、世界中に彼らの手が伸び始めている。だが、日本にそのことを知る者達はほぼ皆無だ。麻帆良学園はメガロメセンブリアの直轄地であり、情報の遮断など容易い。よって、彼らはフェイト達の正体を知らないのである。

 

(……関東と関西が融和を進めているとは聞いたが、そのゴタゴタのせいで外来の干渉を許してしまうとはな……完全に不意を突かれた形か)

 

情報収集や隠密活動を得意とし、現代にも溶け込んで暗躍する彼らも、流石に管轄外である外国の世情には疎い。ネットを通じて情報を集めようにも、魔法に関する事柄は情報漏れを防ぐために電子精霊によって規制されているため情報が手に入りにくいのだ。

 

何より関東魔法協会と関西呪術協会との確執によって、日本を影から支えてきた者達は魔法使いに対する嫌悪感が大きいこともあり、西洋の魔法使いに関わるものを排斥してきたのも原因の一つといえる。彼ら忍のように、徹底的に感情を排除し、意見を取り入れて柔軟に動くというのは難しいのである。

 

「魔法に関してはある程度関わりもあるけど、如何せん僕たちはこの国では歓迎されない。だからその脅威を取り除いてもらいたい」

 

「……成る程、そちらの要求は以前と変わりなく、でござるか」

 

「そちらとしても悪くはないと思うけどね?」

 

一見すれば、裏からの脅威から守ってほしいという、この界隈ではごくありふれた内容。しかし、その条件の一つこそが彼らに契約を躊躇わせる理由である。

 

「麻帆良学園に対する接触の禁止……。何故それを求められるでござるか、フェイト殿」

 

「別段おかしなことではないさ。昔からの雇用主だった相手と下手に接触されては、僕達も安心できないのは当然だろう?」

 

「そうではない。むしろ我々との同盟よりも、我らを麻帆良学園から手を引かせることそのものが目的に見えるでござる」

 

まるで、学園になにか触れられたくないようなものがある。そんな裏を男は感じ取っていた。

 

「ああ、それなんだけどね。今、麻帆良学園には『英雄の子』がいるんだ」

 

「……何?」

 

英雄。一見して華々しいイメージを抱かせる言葉だが、彼ら裏に生きる者にとってそれは、先の大戦で活躍していた者たちを皮肉る言葉。多くの犠牲を強いたあの戦争は、彼ら忍であってもあまり気分のいいものではなかった。実際、里の少なくない若い戦力が犠牲になったのだから。

 

「近衛詠春の属していた『赤き翼(アラルブラ)』のリーダーの息子がいる。麻帆良学園の魔法使いは、彼を英雄の後継者にせんとやっきになっていてね。その周囲を優秀な人間で囲おうって考えているらしい」

 

「成る程、な」

 

得心がいったという風の男の態度。元々この取引に応じた理由として、贔屓の雇い主である麻帆良学園側から圧力をかけられることが最近多くなり、仕事に支障が生じていたという経緯がある。

 

(恐らくは、その『英雄の子』の情報が漏れないよう魔法使いらが結託している。大方、英雄として祭り上げるための下準備といったところか)

 

男は今までの麻帆良学園側の態度から即座にその答えを導き出した。実際は、目の前にいる少年の組織が元老院を使って行ってたことであり、大本の原因は彼らの仕業であるのだが。

 

とはいえ、ネギの存在を秘匿しておきたいという理由は麻帆良学園側にも確かにあり、積極的にそう動いていたのもある。が、それはネギを本国に利用されないようにという真逆の理由である。

 

「だが、そちらも西洋の魔法使いでござる。彼らと協力体制を取るほうがメリットも大きいはずでは?」

 

「僕達の長は西洋の魔法使いに散々苦しめられた過去があってね、毛嫌いしてるのさ」

 

フェイトの目を見て、男は嘘を言っていないことを確認する。確かにエヴァンジェリンには魔法使いから迫害された時期があり、言っている事自体は嘘ではない。尤も、そんな彼女こそ魔法世界を裏から牛耳る悪の親玉なのだが。

 

「……致し方あるまい。そちらの条件を飲もう」

 

「頭領!?」

 

「しかし、それでは彼らとの約定が……!」

 

彼らのような裏稼業の人間は、信用が第一である。実力があっても信用されるだけの後ろ盾や実績がなければ相手にもしてもらえない。麻帆良学園との契約は今だ健在であり、この取引を受諾すれば麻帆良学園を裏切る形となる。

 

「最早、麻帆良学園にかつての姿はない。魔法使いに支配され、我らのことさえ排除しようと動いている。それでもなお、約定を守るというでござるか?」

 

「そ、それは……」

 

「このままでは、いずれ里は立ちゆかなくなる。そうなれば我らという抑止がなくなり、余計に好き勝手をされるであろう。なれば、あえて泥も被ろうぞ」

 

彼らの忠義はあくまでも国家に対するもの。主人を変え場所を変え、その時代時代を生き抜くことを第一とし、それによって影から国を支えてきたのである。たとえ汚名を被ろうとも、それが里の存続に繋がるのであれば、即ち国益に繋がる。

 

「問題は、中忍の一人が麻帆良に通っておることだが……」

 

「このタイミングで呼び戻すのは、流石に怪しまれるな」

 

楓を魔法使いの暮らす麻帆良学園に通わせることで、その内情や魔法使いに関しての見聞を広めさせて後進へ繋げる腹づもりであったのだ。また麻帆良に危機が迫った時には素早く対処できるように麻帆良で暮らさせていたのだが、今回はそれが裏目に出てしまった。

 

「……やむを得ん、最低限その『英雄の子』との関わりを絶たせるぐらいしかあるまい」

 

「ネットが監視されている以上、連絡は手紙がよいか。余計な封術はせず、あくまで自然に」

 

話し合いが行われる中、フェイトは一人顔色一つも変えずにこの後のことを考えていた。

 

(これで、麻帆良への侵入は容易になった。あとはヘルマンと合流するだけだ)

 

麻帆良学園は様々な要因から侵入してくる輩が多い。学園を覆う巨大な結界があるとはいえ、それをくぐり抜けるものだって少なくない。だから、麻帆良の外部からある程度おかしな動きがある者を監視し、報告するという役割が彼ら忍にあった。

 

結界自体は強力だが、規模が大きいだけに抜け道もある。だが、その道の熟練である彼らの目を掻い潜るのは難しい。悪魔であるヘルマンならなおのこと。しかし、麻帆良との協調をこの取引で完全に潰したことにより、こちらへと向かっているヘルマンが侵入しやすい状況が生まれた。これこそが、フェイトが担う本当の役割であったのだ。

 

(……ネギ・スプリングフィールド)

 

京都で戦った際は、2対1とはいえ圧倒的な実力差がありながらフェイトを下した。その屈辱を、フェイトは決して忘れていない。

 

(……今回は君たちも標的だ、雪辱を果たさせてもらう……!)

 

瞳の奥に、闘志という怪しく燃える青い火が灯った。

 

 

 

 

 

時間は戻って、手紙が届いてから3日が経過した。本日もネギ達は修行を行っている。

 

「回復術、ねぇ……」

 

「せや、うちも色々勉強しとるんけど、よう分からへんのよ」

 

「……言っておくけど、私はそういう分野は専門外よ。少なくとも、その時点で魔力を消費して回復する治癒魔法と飲むだけで回復できる回復薬、私なら断然後者を選ぶわ」

 

柳宮霊子は不測の事態を嫌う。だからこそ事前に盤石な体制を整え、準備を怠らない。結界魔法であれば魔力を多く消費する代わりにそのまま維持することが出来、かついざという時に魔力を温存できる。そんな彼女だからこそ回復魔法による消耗を嫌うのも当然と言えた。

 

「うーん、どないしよ……ネギ君もあんまり回復魔法は知らないゆうてたし」

 

「貴女の場合、相性的には東洋呪術を学ぶべきでしょうけど、身近にそんな人物もいない以上西洋魔法で何とかするしかないわね」

 

少し前まで敵同士であったはずの霊子だが、彼女は弟子を取る以上極限まで妥協しないタイプである。知識を貪欲に欲する怪物であると同時に、それを使いこなせなければ知慧とは言えない。だからこそ、そんな自分に教わった者が半端であるなど許せないのである。

 

「まあ、現状では地道に行くしかないわね。いざとなったら、貴女のつてを使うのもありだと思うけど」

 

「つてって、うち魔法使いに知り合いなんておらへんよ?」

 

「貴方自身の身分を考えなさい。この国限定で言えば貴方自身が究極のつてみたいなものよ」

 

木乃香自身は忘れがちだが、彼女はあの英雄近衛詠春を父に持ち、古くから存続する近衛家の血を引くという漫画の主人公もびっくりな血筋である。日本限定とはいえ、間違いなく多くのつてが最初から存在すると言っていい。

 

「けど、あんま父様に頼るのも……」

 

「はぁ、貴女そろそろ自覚を持ったほうがいいわよ? どれだけ否定しても、貴女の持つ血の価値は計り知れない。そうである以上これからも命は狙われるし、修学旅行の時みたいな状況にだってなり得る。そんな時、護衛がいなかったらどうするの」

 

「うぅ、せやけど……」

 

「手っ取り早いのは自分が強くなる意外にはない。そしてそれを成しうる手段だってある。使えるものは何でも使うのが、そういう生まれの者にとっては最善なの。分かった?」

 

霊子の厳しい指摘に、木乃香は少し俯いてしまう。知らなかったとはいえ、遠ざけられていたとはいえ。彼女は自身の果たすべき役割を全うしていなかった。だから、関西は彼女を取り戻そうとやっきになったのである。

 

「私が教えられるのはせいぜい結界魔法ね。非戦闘要員でもある程度の攻撃能力と防御を両立できるから相性はいいはずよ。回復魔法に関しては、現状そこで伸びてる少年を頼るか魔法先生にでも聞いてみなさいな」

 

そう言って目線をやった先には、修行でズタボロにされたネギの姿があった。服の端は焦げ、髪はぐしゃぐしゃの状態で白目を剥いている。因みに、その隣には同じように白目を剥いた夕映の姿もある。

 

「……とりあえず、あの二人を治してくるえ」

 

「そうね、練習は大事よ。いい心がけだわ」

 

尤も、そういう意図でボロ雑巾にしているのだが。

 

「しかしよぉ、いざ戦うとなれば接近戦をされるとこっちはどうしようもねぇぞ」

 

去っていった木乃香を流し見した後、今度は千雨が意見する。

 

「あら、刹那と楓がいるじゃない。前衛としてはこの学園でも相当優秀な部類でしょうに」

 

「逆に言えば1対1の状況だとその二人ぐらいしか勝ち目がない。ネギ先生に近衛、私もサポートぐらいだろうし氷雨も私の体を使っている以上非力だ。綾瀬もある程度は戦えるが、近接専門の相手には分が悪すぎる。神楽坂も戦えはするが、あくまで一般人の部類だしな……」

 

パーティ全体からすればネギ達はかなりバランスが取れている。明確な前衛後衛が分けられ、火力も申し分なくサポートも十分。しかし、少数戦闘になった場合、余りにも分が悪くなりやすすぎるのが問題だった。

 

だが、刹那は剣士であるため教わっても意味が無いし、楓も熟練した体術と技能を存分に活かす戦い方をしているため、教えることは無理だと言われてしまっている。また、彼女の技術の幾つかは秘匿されているものがあるためそれも断った理由であるらしい。

 

「夕映を見ればわかると思うけど、私は多少近接の基礎に心得がある程度よ。それも、あくまでロイフェに大雑把に教えられた程度だからあまり参考にはならないわ」

 

霊子のように、その場その場における戦闘の趨勢を読めなければ、そんな大それた戦いはできないし、彼女自身がとても非力であるため殆ど役に立つことでもないのだ。

 

「となると、こっちも先生の誰かに師事するべきか……」

 

「この学校にいる大半の魔法使いは後衛タイプよ。前衛は身体強化を中心としたタイプだから、教わったとしてもその身体強化による恩恵程度ぐらいしか得られないわね」

 

その程度であれば、魔法全般に秀でる彼女のほうが教えたほうが無駄がなくて済む。必要なのは純粋な戦闘技法である。そうでなければ、修学旅行の時のようにただ蹂躙されるだけだ。

 

「むしろ前衛で戦う魔法剣士タイプに師事すべきね、あの手合は遠近両方に対応できるよう鍛えられているわ。こちらは魔法先生でも少数、そこから眼鏡にかなう者を絞り込むとすればせいぜい2、3人ぐらいかしら」

 

「それでもいるにはいるわけか。じゃあその人に……」

 

「無理ね。葛葉刀子は剣士だから教わっても付け焼き刃にしかならないし、ガンドルフィーニは麻帆良で広範囲をカバーできる人材な分時間が取れない。一番選択肢として最善であった高畑は海外で怪我を負ったままま帰ってこれていないわ」

 

「そうか……」

 

千雨の宿敵は世界最高峰の剣士だ。加えて魔法が通用しない以上、どうしても魔法と無関係な武器や兵器、近接戦闘で対処する必要がある。武器の扱いは氷雨に教えられているので問題ないが、それを活かすには接近された時でも対処するすべが最低限必要だ。

 

「先生も修学旅行の時に自分と同い年っぽい奴にさんざんボコボコにされたからさ、なんとかしたいみてぇなんだけど」

 

「ああ、彼のこと。実際あの子は強いわよ」

 

そう言いつつ、詳細を語ることをしない霊子。エヴァンジェリンとの契約により、組織や所属する人物の詳細を一切喋ることが出来ないからだ。そのため、フェイトの名前さえ出せず、彼やあの子という曖昧な表現になってしまっている。

 

「そういや、使ってたのが中国拳法みたいな感じだったな。けど、あれってそんな強いもんなのか?」

 

「確かに、一般的な中国拳法はそこまででもないわ。あれはあくまでスポーツ的な意味合いが強いから。けど、本物は相当に凶悪よ」

 

曰く、伊達に幾つもの流派を生み出し、現代へ脈々と受け継がれてきた武術ではないらしく、人を破壊する技術に関しては間違いなくトップクラスだという

 

「……中国拳法、か」

 

千雨はクラスメイトの一人を思い出す。しかし、すぐにその選択肢を捨てる。無関係の人間を巻き込む訳にはいかないし、強くなれる保証もない。何より、ネギも生徒を巻き込みたくないと思っているのだ、本末転倒もいいところだろう。

 

「ま、あれこれ手を出しても身につかなきゃ意味が無いか」

 

やれるだけのことをやる。それしか、今の彼女には出来ないのだから。

 

 

 

 

 

「げっ、雨か……」

 

本日の修業を終え、ネギ達は地上へと戻ってきていた。が、外は生憎の雨らしく、千雨は折りたたみの傘を持ってきていなかったため、このまま帰るなら濡れネズミにならねばならないようだ。

 

「木乃香、一緒に入りますか?」

 

「ううん、うちも折りたたみ持っとるからええよ」

 

「千雨さん、私の傘に入りますか?」

 

「いや、遠慮しとくよ宮崎。二人が入るにゃちと小さすぎる」

 

どうやら千雨以外は折りたたみの傘を持っていたらしく、各々が傘を取り出していた。のどかが一緒に入らないかと提案してくれたが、ただでさえ小さい折りたたみ傘で女性用のものだ。小さすぎてのどかまで濡れてしまうと思い遠慮した。

 

「千雨さん、僕の傘に入りますか?」

 

そういって傘を差し出すネギ。彼の傘も折りたたみ式だったが、男性用ということと通常よりもサイズが大きめなものであることもあり、ギリギリ二人分入れそうである。

 

「ん、確かにサイズは十分だとは思うけど……いいのか先生?」

 

「はい! あ、でも僕が持つと高さが足りないや」

 

「いいよ、私が持ってやるから」

 

ネギからひょいと傘を取り上げると、ボタンを外して傘を広げる。なるべく荷物が濡れないよう、千雨は鞄を片手で抱くと、ネギとともに外へと歩き出した。

 

(いいなぁ……)

 

その光景を眺めながら、のどかも後をついていく。しかし心なしか足取りは重く、少しずつネギ達と距離が開いていってしまう。まるで、二人から遠ざかりたいと思っているかのように。

 

(私も、せんせーと相合傘……)

 

遠ざかっていく二人を、ついには足を止めて見つめ続ける。遠慮無く付き合える関係で、それは彼らが短い期間ながら色濃い場数を踏み、共にそれを乗り越えてきたからなのだろう。

 

(私は、ねぎせんせーに心から信頼してもらえてるのかな……)

 

千雨は修学旅行の時、自分ではネギを支えきれないと言っていた。ネギに関して細かい配慮ができるのはのどかの方なのだと、彼女は言ってくれた。しかし、それでも相互の信頼関係が出来上がっているのかという不安がある。何より。

 

(羨ましいなぁ……)

 

気兼ねなく、お互いを信頼し合える絆を結ぶ千雨に、のどかは無意識の内に嫉妬していた。心のなかで暗く、仄かに燻っていた火種が、再びじわりじわりと彼女を蝕んでいった。

 

(私だって、私だってせんせーのことを……)

 

 

 

 

 

雨は、日本では古くから何かを予兆させるイメージが強い。雨をモチーフにした妖怪や魑魅魍魎、あるいは神々などが存在するものの、あくまでも雨という薄暗く、不気味でどこか怪しげな天気は何かの化身として描かれることはそう多くない。

 

それは、雨そのものの持つ不可思議な魅力が何故(なにゆえ)か人の心を掴んで離さず、またその中から現れいでる未知に対して、恐怖と期待の感情を抱かせるからかもしれない。

 

「ふむ、この先が麻帆良学園というわけか」

 

夕暮れの雨時。一人の訪問者が傘もささずに悠然とやってきた。目深に被った鍔の広い中折れ帽は雨で大分濡れてしまっているはずだが、防水処理でも施してあるのか水を吸っていない。黒いコートも同様らしく、水を滴らせているのは髪ぐらいだろう。

 

「フフ、関西で暴れて分かったが、私がいない間にも着実に若い芽が育っている。あの少年も、あの夜からどれだけの成長を遂げているか。年甲斐もなくワクワクしてしまうな……」

 

興奮を抑えられないといった風なその人物は、関西から移動してきたヘルマンであった。彼は封印を解除された時に命じられたことに従い、ここ麻帆良学園へとやってきていた。

 

「予定通りの到着だね、ヘルマン」

 

「おお、フェイトか。懐かしいな、私が封印される前はまだ生まれたばかりだったというのに、見ない間に一端の戦士の顔つきになったじゃないか」

 

「君が封印された期間が長すぎるだけじゃないかい?」

 

彼を出迎えたのは、同じく指令を受けたフェイトである。ヘルマンとは対照的に、彼は白い雨合羽を身に着けていた。これは単に濡れるのを嫌ったのではなく、侵入するにあたり怪しまれないようにするためのカモフラージュといった意味合いが強い。むしろ、服装を一切変えずに堂々としているヘルマンのほうがおかしいのだ。

 

「……もう少し、傘をさすなりしようとは思わないのかい? 仮にもこれから、敵地に乗り込む形になるというのに」

 

「フフフ、私はいつでも自然体であるべきだと考えているのだよ。悪魔なら堂々と悪魔らしく、胸を張っていくべきだと思わないかね?」

 

「……主義主張は個人の勝手だからどうでもいいけど、あまり任務に支障をきたさないようにして欲しい」

 

「心得ているさ」

 

親しげに話をする二人。フェイトが幹部候補となったのはほんの2年前だが、幹部以上の者とは昔から顔を合わせることが多い。それは偏に上司であるデュナミスに付き従っているが故であったが、その中でもヘルマンとは個人的に親しい仲なのだ。

 

「しかしまあ、驚いたよ。かつてはあれほど組織のことを嫌っていた君が、まさか今では幹部候補筆頭とはね。いや、この任務が終われば昇格かな?」

 

「……色々とあったんだよ」

 

「まあ、個人の理由に首を突っ込むほど野暮ではないさ」

 

こういう話題には触れぬ方がいいと、ヘルマンは何度となく経験してきたことから理解している。

 

「では、いこうか。今更だが、作戦目標は既に定まっているのかね?」

 

「ああ。作戦目標は二人だけど、既に狙いはつけてある」

 

「ほう、君が一人、私が一人なわけだが。一体誰かな?」

 

「ネギ・スプリングフィールド」

 

ピクリと、ヘルマンの片眉が上がる。僅かではあるが、彼のフェイトに向ける視線が鋭くなった。

 

「……理由を聞かせてもらいたい」

 

「前回の作戦で、色々と借りがあってね。彼を殺せる機会が不透明な以上、今回でケリをつけたいと思っている」

 

ここまで個人に執着を見せるフェイトの姿など、前の彼を知っているヘルマンからすれば驚愕に値する出来事だ。できれば、親しき相手として尊重してやりたくはある。しかし、彼もまた、欲望に忠実な悪魔なのだ。

 

「そうか……だが、私も昔から狙っている相手なのでね。そこは譲れない」

 

彼にとってネギは、長く寝かされて熟成されたワインを開けるが如き楽しみなのだ。長い間封印されていたことも加わって、その味はさぞ格別になるだろう。それを横から掠め取られるなど、我慢がならないのは当然だ。

 

「なら、今回は早い者勝ちということにするかい?」

 

「ふむ、そのほうが後腐れがなくていいな。では、先に戦い始めたか、その約束を取り付けるに至った方が先に相手をする。それでいいか?」

 

「異論はないよ。じゃあ、僕は先に行かせてもらう」

 

そう言って、フェイトは水のゲートを発動してその場を離れていった。

 

「フフ、いいぞ、滾ってきた……!」

 

口笛を吹き、ヘルマンは3体の悪魔を呼びよせる。

 

「おっ、出番カ?」

 

「……何するノ?」

 

「お仕事デスカ?」

 

「ああ、仕事だ。すらむぃ、ぷりん、あめ子」

 

現れたのは、体が水分で構成された三人の少女。ファンタジー的に言えばスライムである。彼女らもヘルマンとともに封印されていた悪魔であり、分裂戦争時に共闘した水の悪魔の親戚だったりする。

 

「ここにくるまでに教えた、特定の人間を捕らえて欲しい」

 

「エート、確か綾瀬夕映トー、宮崎のどかトー」

 

「近衛木乃香に桜咲刹那、それから長谷川千雨に神楽坂アスナダナ」

 

「……アト、長瀬楓」

 

確認のために復唱された名前は、全てネギのパーティメンバーだ。

 

「ああ、長瀬楓は捕縛対象外だ。彼女は今回動けないだろうからね」

 

「エエー、デカい女らしいから折角溶かして食べようと思ったノニー」

 

「はは、まあどちらにせよ今回は二人までが対象だから君のその望みはかなわんよ」

 

文句を言いつつも、すらむぃ達は目的の相手に接触するため雨に紛れて行動を開始した。

 

「さて、私も準備を整えておくとしようか」

 

 

 

 

 

場所は変わり、ここは浴場。雨で体が冷えてしまったこともあり、木乃香とのどか、そして夕映は他のクラスメイトとともに湯船に浸かっていた。

 

「ふぃ~、染みるねぇ……」

 

「じじくさいですよ、ハルナ」

 

「なにさー、私だって原稿描いてると疲れも溜まるのよー」

 

そう言って肩を揉むハルナこと早乙女ハルナ。湯船に浸かってなおその存在感を発揮している一部に、のどかと夕映は釘付けになる。

 

(……同い年、同い年なのにどうしてこうも格差が……っ)

 

(せんせーも大きい方がいいのかなぁ……)

 

思春期真っ只中な彼女たちにとって、ある意味深刻な悩みであった。

 

「リーダーもお年ごろアルか?」

 

「くーふぇ、実は意味分かってないやろ」

 

一方、木乃香は一緒に入っている古菲と共にゆったりと風呂を満喫していた。因みに木乃香や古菲はそういったあれやこれを気にするタイプではない。彼女らは彼女らで割りとマイペースなのである。

 

「そういえばさ、最近千雨ちゃんとゆえ吉達ってよく一緒にいるよね。なんかあったの?」

 

風呂桶で背中を流しつつ、そんな問いを投げかけてくる柿崎。

 

「そーそー、千雨ちゃんってなんか近寄りがたい雰囲気だったのに、最近は笑ってるとこも見るようになったよねー」

 

隣で髪を洗っていた桜子も同意する。無理も無いだろう、ネギがくるまでは味方のいない孤立無援状態で、いつくるともわからない怪物に怯える日々だったのだ。そのせいで軽い人間不信まで起こし、人との接触さえろくにできなくなってしまったのだから。

 

それに比べれば、今の彼女は何度も危険な目にあってはいるが、かなり充実した日々を送れていると言えるだろう。

 

「えーと、色々あったです。そう、色々と」

 

「う、うん。ちょっとしたきっかけがあって……」

 

「へー、今度私も話しかけてみよっかなぁ」

 

「前に話しかけた時は、無言で逃げられちゃったもんねー。てっきり美砂を怖がってたんじゃないかって思ってたけど」

 

「なんだとー、そんなこと言う娘はこうだー!」

 

「あは、あはははは! く、くすぐるのはやめてー!」

 

賑やかな二人を眺めつつ、ここにいない仲間のことを二人も考える。この二人にしても、千雨の印象はどこか暗く、冷たい印象が強かった。彼女と関わるようになってから、ようやく彼女が意外とお節介で頼りになる人物なのだと気づけたのだ。

 

(……そうだよね、せんせーが頼りにするのも分かる……だって私じゃ……)

 

一緒に戦えるようにはなった。それでも、一緒にいた時間までが増えるわけではない。どこまでいっても、ネギが最も信頼するのは千雨なのだ。そう思うと、余計に胸の奥が締め付けられ、嫉妬に狂ってしまいそうになる。

 

「はぁ~、体も温まったしそろそろ出るかぁ」

 

そう言いながらハルナが浴槽から出た時であった。

 

『今ダ』

 

『そーれパックン~』

 

話に夢中になっていた彼女たちの湯船に、すらむぃとあめ子が侵入していたのだ。湯船の水で肥大化した彼女らは、一瞬で夕映達を包み込む。

 

「ふぇ!?」

 

「な、なにがっ!?」

 

「なんや、ぬめぬめする!?」

 

抵抗しようにも、ここは風呂場で何も身に着けていない。即ち完全な無防備なのだ。必死に藻掻いてはみるものの、抵抗むなしく4人(・・)は湯船の中に消えていった。

 

「あれ? ゆえー? のどかー?」

 

残されたハルナは、さっきまでいたはずの夕映達がいなくなっていることに、首を傾げるのであった。

 

『ヤッター、確保成功ですぅ~』

 

『アレ、何か人数多クネ?』

 

『気のせいですヨォ~。さっさとヘルマンさんのとこに行きマショウ!』

 

 

 

 

 

所変わって学生寮の渡り廊下。ここには、部活帰りで部屋に戻ろうとしていた刹那が一人だけだ。

 

「……何者だ、先程から。出てこい」

 

しかし、刹那は即座に振り返ると、まるで誰かがいるかのように言い放つ。すると、突然コンクリートで出来た床から、水が湧きだして人の姿を形取る。

 

「っ、貴様は……!」

 

「やれやれ。もう少し穏便に終わらせるつもりだったんだけど」

 

現れた人物に、刹那は驚愕する。なにせ、目の前にいるのは修学旅行時に敵対した白髪の少年であったからだ。

 

「貴様、何の用だ!」

 

即座に愛刀を竹刀袋から取り出し、臨戦態勢に入る。

 

「何、君に少し協力してもらいたいだけさ」

 

「……どういうことだ」

 

「人質になってもらいたい」

 

その言葉に、刹那はますます警戒を強める。視線はますます鋭くなり、射殺さんばかりだ。

 

「はい、などと言うと思うか?」

 

「いいや、思ってはいないさ。だから穏便に済ませようと思ったんだけど、予定変更だ」

 

そう言うと、彼もポケットから手を取り出して構えをとる。途端、周囲の重力が極端に増したかのような、錯覚に陥るほどの圧迫感が支配した。

 

「力ずくで来てもらうよ。桜咲刹那」



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第五十五話 因縁の再会

少年は、因縁の相手と再び出会う。
近い過去と遠い過去、二つの因縁が絡みつく。


「ふむ、こんなところか」

 

麻帆良学園の一角、催し物で使用される屋外コンサート場にて、ヘルマンは着々と戦いのために準備を進めていた。

 

(しかし、雨になってくれたのは都合がいい。流石に匂いまでは隠せんからな)

 

ヘルマンとて名だたる大悪魔の一人だ、早々にヘマはやらかさないが思わぬところからケチがつくことがあることを重々承知している。数年前に老いぼれだと舐めきっていた相手に封印されたことがいい例だ。

 

雨は匂いや痕跡を消しやすい。足跡も残りにくいし雨音である程度の音もシャットアウトできる。加えて、スライムであるすらむぃ達はいつも以上に厄介なものになる。万が一邪魔が入っても十分足止めをしてくれるだろう。

 

「む、来たか」

 

そんなことを考えていると、すらむぃとあめ子が指示通りに人質となる少女を連れて戻って来たようだ。大人数を取り込んでいるため大分体が肥大化している。

 

「命令通リ、連れてきたゾ」

 

「ご苦労、溶かしてはいないだろうね?」

 

「そこまで食いしん坊じゃないですぅ」

 

のどからを包み込んでいた体を切り離し、すらむぃとあめ子は元のサイズまで戻る。体全体が体機能を全てまかなえるスライムである彼女らだからこそできる芸当だろう。

 

「しかし、なぜ裸なのかね?」

 

「風呂入って油断してたところヲ」

 

「パクっといっちゃいましたのデス」

 

「ふむ、まあ合理的ではあるな」

 

相手の油断や隙を狙うのは戦いにおける常套手段だ。それを卑怯とも抜け目がないというのも誰であれ自由だろう。少なくとも、ヘルマンにとっては結果さえ伴うならば構わないという認識だ。

 

「ここからだすです~!」

 

「お目覚めかね、お嬢さん(フロイライン)

 

水牢の中でいち早く目を覚ましたのは夕映であった。必死に水をかいて抵抗するも、プールの中で藻掻いているかのように動きが緩慢になってしまう。

 

「ひゃわっ!? わ、私、はだっ、裸……!?」

 

「これ、もしかしてまた誘拐されたん?」

 

次いでのどかと木乃香も目を覚まし、状況を察する。のどかは自身が裸であったことに驚き顔を真赤にしながら腕で体を必死に隠そうとし、木乃香は冷静に自分が置かれている状況を分析していた。

 

そして。

 

「うん? 何がどうなってるアルか?」

 

裸であることも気にせず、自分がどうしてこうなっているのかに首を傾げている者が一人。褐色肌が特徴的な中国からの留学生、古菲である。

 

「……すらむぃ、彼女は私が指定したターゲットとは違うはずだが」

 

「アチャー、風呂の時に一緒に連れて来ちまったらしいナ」

 

「……まあいい、堅気の人間を巻き込むのは本意ではないが、最少人数であるならばやむなしと考えるべきか」

 

スライムたちの大雑把ぶりに頭を痛めつつも、最低限の仕事はこなしてくれたため彼はよしとすることにした。一方で、古菲を除く3人はといえば。

 

「セセセセクハラです! 訴えてやるです!」

 

「ゆ、ゆえ落ち着いて! そんなに暴れると夕映も私もみえちゃうからぁ!」

 

「そっかぁ、うちまた攫われたんか……フフ、フフフ……完全にお荷物や……」

 

ようやく自分が裸である事に気づいてゆでダコのようになって叫ぶ夕映と、それをなんとかなだめようとしつつも何とか最低限の部分は隠そうとするのどか。そして木乃香は自分がまた攫われたという事実に密かにショックを受けて黄昏れていた。

 

「よく分かんないけど、元気出すアルよコノカ」

 

ただ一人、状況をよく分かっていない古菲だけが落ち着き払いながらも木乃香を宥めていた。

 

 

 

 

 

「このセクハラおやじ! せめて服をよこすです!」

 

とりあえず、服だけでも確保したい夕映はヘルマンにそう訴える。横でのどかも無言ながらこくこくと頷き、小さく主張している。

 

「それで、私に何かメリットがあるのかね?」

 

しかし、ヘルマンはその言葉を一蹴した。裸であったというのはヘルマンも少し想定外だったが、逆に言えば相手が何も持っていないということは確実であることがわかるし、逃げるという行動も制限できるというメリットが有るのだ。それを上回るものがなければ、ヘルマンは要求を飲むつもりは毛頭なかった。

 

「いたいけな婦女子を裸のままにして恥ずかしく無いですかこの変態! 適当な理由をつけて、裸が見たいようにしか聞こえないです!」

 

「まあ確かに、君たちは中々将来有望そうな少女ではあるな。まだ青いが、それゆえに瑞々しさがある。もしかすれば、私も君たちの裸で興奮しているかもしれないということは否定はできんだろうね」

 

だが、とヘルマンは続ける。

 

「今は君たち以上に、私にとって長く待ち望んだ最上のご馳走が待っているのだ。それなのに、その他のものに目移りするというのは失礼というものではないかね?」

 

ニンマリと、紳士的な笑みを浮かべるヘルマン。しかし、その顔を見て夕映は赤かった顔を瞬時に青くさせた。

 

(こいつ、あの人と同じタイプです……!)

 

少し前に敵対し、自分の欲求のためだけにひたすらに邁進していた自分の師、柳宮霊子をヘルマンの笑みから幻視したのだ。この眼の前の男は、劣情だのといったものよりもなお、己を駆り立てるどす黒い欲望が詰まっている。そう感じさせる笑みだった。

 

「さて、状況から察してもらえたかもしれないが。君たちは現在我々に捕らえられている」

 

「……目的は、人質ですか?」

 

「その通りだとも、ユエ・アヤセ」

 

「何故私の名前を……」

 

「知っているともさ。何せあの魔女の弟子だからね、調べないわけがないよ」

 

「っ、『夜明けの世界(コズモ・エネルゲイア)』……!」

 

あの魔女、という単語から即座に夕映は相手の正体を見破った。何せ、霊子がこの地にいることは、麻帆良学園外には漏れていない情報なのだ。それなのに夕映を彼女の弟子だと知っているということは、即ちあの組織の関係者であることは疑いようもない。

 

(そんなバカな、いくらなんでも早すぎる……第一、この学園には結界があるはず……!)

 

何故、どうして。夕映の頭のなかではそんな言葉がぐるぐると回っていた。彼女が知るかぎり、この麻帆良学園に潜んでいた者は大川美姫と柳宮霊子の二人。そのどちらとも、すでに撃破されて今は大人しくなっているのだ。少なくとも、麻帆良学園内で敵対的な組織メンバーはいないはずだった。

 

この学園に張られている結界は強力なもの。そうやすやすと抜けられるものではないし監視の目だってあるはず。ならば、それらをくぐり抜けられる実力を有する相手であるということ。そして、そんな人物がやってきた目的となれば。

 

「あの人を始末しに来たですか……!」

 

「ふぅむ、そう解釈してくれても構わんし、実はそうでないかもしれんよ」

 

夕映はこの人物が、始末し損なった霊子を再度殺すためにやってきたと考えた。それに対して返ってきた言葉は、要領を得ない曖昧なもの。当然だ、自分の目的を敵対する相手に態々漏らすほどの馬鹿には見えない。

 

(マズい、いくら魔法使いとしては最高峰でも、相手はあの人のことを知り尽くしている。ならば対抗策の一つや二つあって当たり前です……!)

 

全てに対して対抗策を練るのは不可能だろう。手数の多さも霊子の強みの一つである。だが、最大の強みである魔法を使えない状況にされてしまったら。身体能力は無に等しい彼女は、この屈強な男に捻じ伏せられるだろう。

 

(だとすれば、どうして人質を……?)

 

本来の人質としては、恐らく大して意味が無いだろう。何か思うところがないわけでもないと夕映としては思いたいが、根っこの部分は以前のままなのだ。自分の利益を損なうなら、平気で殺しにくる可能性は否定出来ない。

 

(っ、私達を駒にするつもりですか……!)

 

自分たちを尖兵として霊子を襲わせる。それを成すために、自分たちという人質を使うのだとしたら辻褄は合う。実力差を考えれば勝ち目はないだろうが、霊子の恐ろしさはその用意周到さにこそある。麻帆良側と取引をしている今は、悪辣な罠も幻術魔法も存在しない。

 

それでも何か仕込みはしているだろうが、大分防御は薄らいでいる。修行相手なら近づかれるまで気づけない可能性は高い。そしてその距離まで来てしまえば、その何らかの手段で持って霊子を無力化できると考えてもおかしくはない。

 

「……ハハハハハ! いいぞ、君も中々見込みがありそうだ!」

 

考え込んでいた夕映を見て、ヘルマンは突如面白そうに笑い出した。あまりにも唐突な出来事に、夕映は思考を止めて彼を見た。

 

「大方、自分の師が襲撃された際に私がどのような行動を取るのかでも予測していたのではないかね?」

 

「なっ……!?」

 

「ハハ、態度に出てしまうのはまだ未熟ゆえ仕方がないことだろうが、気をつけ給え。肯定しているのと一緒だぞ」

 

自分の考えていたことを当てられ、思わず態度に出してしまったことを指摘される夕映。その迂闊さに、思わず奥歯を噛み締めた。

 

「しかし、素晴らしいな君は。少ない状況から私の目的を懸命に予測しようとしている。そうだ、誰でもいつも準備万端とは限らない。だから必死に思考してそれを補う努力をする。ハハハ、君は間違いなくあの怪物の弟子だ、うん」

 

(何なんですかコイツは……まるでわけがわからない……!)

 

夕映からしても、初めて相手をするタイプだ。まるで考えていることが読めない、そんな印象を彼女は抱いていた。

 

「まあ、安心し給え。今回はあの魔女とやりあう気はないよ。そこまでの装備はさすがに持っていないのでね」

 

(今度ははぐらかさずに違うと言った……明らかにするよりも有耶無耶にしたほうが目的がどういったものなのか絞らせないのに? 私が正解を引き当てたからわざと違うといった? そんな分かりやすいやり口をするような奴には見えない……)

 

ますます混乱する夕映を尻目に、ヘルマンは呵々大笑している。どうやら、余程夕映のことを気に入ったらしい。

 

「まあ、せいぜい頑張って考えることだ。足掻き、藻掻く者は美しいが、それだけではダメだ。チャンスを呼び寄せるかは君達次第なのだからね」

 

そう言うと、ヘルマンはすらむぃ達になにか言った後。

 

(準備は整った、そろそろ宣戦布告と行こうか)

 

雨と闇夜に紛れ、姿を消した。

 

 

 

 

 

「遅いなあいつら……」

 

「雨降ってるんだもの、よく暖まらないと」

 

「逆に湯冷めしそうなもんだがなぁ」

 

女子寮の一室。アスナと木乃香、そしてネギが居住している部屋では、部屋の主であるアスナとネギと共にやってきた千雨がネギが淹れた紅茶で一服していた。さすがに紅茶の国とまで揶揄されるイギリス出身だけあり、淹れ方一つでこうも変わるのかと千雨は内心感心しつつクッキーを齧る。

 

「しっかしまあ、こうも穏やかな気分で過ごすなんざ久しぶりだな」

 

「最近色々あったんだっけ? この前の図書館島も」

 

「ああ、神楽坂は当事者じゃなかったから知らないか。学園の地下に組織の奴が潜伏してたんだ」

 

「うへぇ、物騒ねぇ。自分が生活してる場所の近くにいるなんて普通思わないわ……」

 

「大事になる前に何とかなったからよかったがな。神楽坂も気をつけといてくれ」

 

その言葉に、アスナは分かったと言って首を縦に振った。

 

「それにしても、すごい雨ですね」

 

「今日は一晩中振り続けるらしいからな」

 

紅茶のおかわりを淹れていたネギが、台所から戻ってくる。雨のせいで部屋も少し寒くなっているため、温かい紅茶は体を温めるのに調度よい。

 

「あーもう、これじゃ洗濯できないじゃない」

 

「なんだ、神楽坂はまめに洗濯するタイプか」

 

「まめにって、毎日洗わないと汚いじゃない……ってまさか千雨ちゃん毎日洗濯してないの?」

 

「大抵2、3日に1回だな」

 

「それはちょっと、女の子としてどうなのよ……」

 

腹の中が真っ黒なアスナではあるが、表向きは優秀な生徒を演じているだけあってやるべきことはしっかりとやる。これは演技ではなく元々まめなタイプだからであり、千雨の発言に内心でかなりドン引きしていた。

 

そんな和気藹々とした会話を暫らくしていた一同だったが。

 

「ん、戻ってきたかな?」

 

玄関からチャイム音がし、のどか達が戻ってきたのだと思い玄関の鍵を解除する。

 

「はーい、って……誰?」

 

ドアを開けてみれば、そこにいたのはのどかたちではなく見たこともない男性であった。いや、正確には神楽坂アスナとしては知らないはずの相手である。

 

「こんばんは、美しいお嬢さん」

 

そう言って、彼はにこやかに挨拶をしてくる。アスナはとりあえずお辞儀で返すが、内心では少々驚きを隠せないでいた。

 

(え、確かにフランツが封印を解いたって言ってたけどなんでここに……?)

 

「花でも一ついかがかな?」

 

懐から花を一輪取り出し、それをアスナに向かって差し出す。相手の男性、ヘルマンが自分のことに気づいていないのかと考えたが。

 

「油断はいけないな、アスナ嬢」

 

「えっ?」

 

花から、突如白い煙が吹き出してアスナの顔を覆う。突然のことに、アスナは一瞬だけ

硬直してしまう。

 

(しまっ……!)

 

息を止めようとするが、極微量の煙を吸い込んでしまう。しかし、ヘルマンからすればそのほんの少しで十分。

 

(こ……れ……睡眠……ガ、ス……)

 

「おやすみ、未熟な大幹部殿」

 

意識を失う寸前に聞こえてきたのは、彼女を嘲るかのような悪魔の言葉であった。

 

 

 

 

 

「アスナさん!」

 

玄関で突如倒れたアスナに、ネギは急いで駆け寄ろうとするが千雨がそれを手で制す。直感的に、何かヤバイものが玄関にいると感じたためである。玄関にかけられていたチェーンを引き千切り、ヘルマンはそのまま部屋へと侵入する。

 

「こんばんは、いい夜だね紳士淑女諸君」

 

「っ……!」

 

ゾクリと、千雨の背筋に冷たいものが走る。感じたのは、今までに感じたことがない種類の怖気。氷雨の敵意とも、鈴音の殺意とも違う。強いて言えば霊子に似通ったものを感じるが、彼女が知識欲に取り憑かれた怪物であるならば、こちらはまた別の狂気に取り憑かれた何か。

 

(なんだ、こいつ……!?)

 

得体がしれない、千雨が抱いた感想はそれであった。纏う雰囲気が柔和なものである分、余計にその異質さを際立たせていた。

 

「私の名はヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・ヘルマン、しがない没落貴族だ。一応、『夜明けの世界』で幹部をやっている身でもある」

 

「クソが、またてめぇらかよ……!」

 

「ハハハ、そう身構えなくていい。私は何も、今すぐここで戦おうと言うわけじゃない」

 

「……要は戦う気自体はバリバリあるってこったろうが」

 

「まあ、そうなるがね」

 

動かない、いや動けないといったほうが正しいだろう。千雨もネギも、恐るべき敵の登場に迂闊な行動は自殺行為であると無意識に感じ取っていたからだ。ある意味で、霊子の修行の成果が現れた結果でもあるのだろう。

 

「君たちの仲間は、既に我々が捕らえている。援軍は期待せん方がいい」

 

「っ、そういうことかよ……!」

 

仲間の帰りが遅かった理由を、千雨とネギはようやく理解した。既に、敵の手に落ちていたのだ。

 

「宮崎のどか、綾瀬夕映、近衛木乃香。彼女らを取り返したいだろう?」

 

「……要求は何ですか」

 

相手の言葉が嘘か本当かはまだ不明だ。しかし、浴場からここまではそこまで距離もなく、既に30分以上は経過している。長風呂にしても長過ぎる時間。つまり、相手が人質をとっていることはほぼ確実と考えてもいい。

 

「別に大した要求じゃないさ。ちょっとした、勝負をしたいと思ってね」

 

「勝負……」

 

飛び出してきた要求の予想外さに、ネギは一度頭を整理して考える。状況的に、相手のほうが人質がある分有利であり、要求を通せる立場であるのは間違いない。ただ、それによって得られるものが自分たちとの勝負というのは、どういうことなのか。

 

「まあ、受ける受けないは君の自由だ。大切な仲間であり生徒である彼女らを見捨てると言うのならばだがね」

 

「……分かりました。ただ、勝負の具体的な内容を聞きたいです」

 

この状況下で、相手の要求を突っぱねるのは危険だと判断したネギは、相手の要求をとりあえず飲むことにした。最悪、相手の勝負如何によってどうするかを考えるべきだろうと。

 

「フフフ、私も長生きしている分色々な勝負をしてきた。トランプ、腕相撲、知恵比べに度胸試し……。だが古来から連綿と続く、最もシンプルな男と男の勝負と言ったら一つだろう?」

 

そう言って、ヘルマンは拳を握りしめて顔の前に持ってくる。

 

「喧嘩を、しようじゃないか。一切合切容赦のない純粋な闘争、卑怯も何もないただただ血沸き肉踊る戦いを私はしたい」

 

ニヤリと、ヘルマンが笑う。その笑みに、千雨は再びゾッとするものを感じた。

 

(心から、戦うことだけを求めてやがる……)

 

戦闘狂、それも月詠のような魔性に狂った類ではない。本当に、純粋な闘争への渇望そのものでその瞳をギラつかせている。あり方そのものが狂っているように見える。

 

「つまり、皆さんを賭けて決闘しろということ、ですか」

 

「うむ、物分りが良くて助かるよ」

 

「……いいでしょう、受けて立ちます」

 

ほんの少し、ネギの表情には怒りが浮かんでいた。人質を使って要求を通そうとするヘルマンと、大切な仲間を盾にされていいようにされている自分への怒りによって。

 

(いい表情だ、若いゆえの未熟さからくる怒り……楽しくなりそうだ)

 

ネギの顔に表れていた怒りを見て、内心ヘルマンはほくそ笑む。ああ、やはり待ち続けた甲斐があったものだと。

 

「では、1時間の猶予をそちらに与えよう。好きに準備をし給え」

 

「……いいのか? 私達が勝負の前にあれこれズルをするかもしれないが」

 

「闘争には準備もまた大事なことだ、それを含めて猶予を与えると言っているのだよ。私も人質をとっている以上はこれぐらいは許さねばフェアじゃない。どうせ戦うならば(わだかま)りなくやりたいのだよ」

 

「不意打ちを仕掛けるかもしれないぜ?」

 

「不意打ちをするなら初めからそんな事はいわんだろう。それに不意打ちもまた戦いの醍醐味。それすら楽しめてこそ、だ」

 

それとも、と彼は続ける。

 

「私に不意打ち如きが通じると、侮られているということかね?」

 

一瞬。先程までの柔和な雰囲気が霧散し、空気が重くなる。殺気、それも明山寺鈴音と同じ鋭く禍々しい代物だ。いや、鋭さならばあちらのほうが上だったが、棘々(おどろおどろ)しさならこちらが上だ。鈴音が刃のごとき鋭さなら、ヘルマンは絡みつく鎖というべきか。

 

『……一足遅かったか』

 

突然、部屋の中から声がした。この中にいる誰でもない、誰かの声が。

 

「ハハハ、すまないが先着は私となったぞ」

 

その声に、ヘルマンは上機嫌に言葉を返す。すると、ヘルマンの背後から急に水が湧きだした。水の魔法による転移だと即座に見抜いたネギは、警戒しながら一歩下がる。

 

「お、お前は……!」

 

現れた人物は、修学旅行中に戦い、ネギを死ぬ一歩手前まで追い詰めた人物。

 

「やあ、この前は随分とやってくれたね」

 

フェイト・アーウェルンクスであった。

 

 

 

 

 

「まったく、一人でいた分人の目を気にする必要が無いと思っていたけど……まさかここまで抵抗されるなんてね。おかげで時間を食ってしまった」

 

そう言う彼の横から、水の塊が浮き出してくる。そして、その中には。

 

「っ、刹那さんっ!?」

 

ネギの仲間の一人である、刹那の姿がそこにはあった。気絶しているらしく、水の中を目を瞑ったままピクリとも動かない。

 

「刹那さんに何をした!」

 

「別に。ただ戦って気を失わせてから捕らえただけだよ」

 

至極どうでもいい話だとでも言うように、淡々と話すフェイト。ネギの仲間の中でも楓に並ぶ最高戦力である彼女が、こうもあっさりと捕らえられた。その事実に、千雨は改めて相手の強大さを痛感した。

 

「安全策をとったのは悪手だったな。約束通り私が先手だ」

 

「……分かっている。僕は手を出さない」

 

「……どういうことだ?」

 

「何、少し賭けをしていてね。先にネギ君の了承を得られた方から戦う。負けた側は手出しは無用とね」

 

戦う順番を賭けで決めていたということ。そしてもう一方は手出しをしてこないという。状況からすれば願ったり叶ったりではある。

 

「人のことなんだと思ってんだてめぇら……!」

 

だが、これは余りにも舐められていると千雨は感じ、さすがに怒りが声に表れてしまう。まるで遊び相手を決めるかのような、馬鹿にした態度。頭にこないわけがなかった。

 

「僕からすれば、君たちの立場なんてモルモット以外の何物でないと僕は思うけどね」

 

フェイトから見れば、ネギ達など所詮は英雄候補という名の実験動物程度の認識でしかない。計画の都合上殺さずにおかず、わざわざ試練を与えて経過を見る。そこに自由など存在しない。少なくとも、フェイトには彼らがそう見えていた。

 

「今まで死なずに済んでいたのも、そういう意向があったからだ。殺す気があったなら、初めからそうしていたさ」

 

事実、修学旅行の際はアスナに殺すなと止められている。ようは、生殺与奪の権利を握っているのはこちらであると言っているのだ。

 

「……だったらそのモルモットにしてやられた君も大したことないね」

 

「……なんだと」

 

だが、以外なことにネギがフェイトに言い返した。いつもの冷静で丁寧な言い方ではなく、どこか棘を含んでいるように千雨は感じた。

 

「修学旅行の時、君は僕達を殺す気でかかってきてた。あの仮面の人物が殺すなって制止したことが証拠だね。つまり、殺す気でかかるほど実験動物相手に苦戦してたってことだろう?」

 

「言ってくれる……」

 

互いに、敵意をむき出しにする二人。水と油、まさに徹底的に合わない者同士である。そして、その様子を見ていたヘルマンはほくそ笑んでいた。

 

(……成る程、なぜあそこまで執着を見せたかと思ったが……同族嫌悪(・・・・)か)

 

フェイトの過去を知っているヘルマンからすれば、その怒りの発現理由がすぐに分かった。自分はネギ・スプリングフィールドとは違うと、対抗意識を燃やしているのだろう。だからこそあんなにも張り合うのだ。モルモットではないと、ネギに勝つことで証明するために。

 

その時だった。

 

「こんのおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

勢いよく振りぬかれた回し蹴りが、突如としてヘルマンの側頭部へと迫った。しかし、ヘルマンもまたその乱入者のことを想定しており、裏拳にてその蹴りを受け止める。

 

「ほう、もう目を覚ましたのかね。神楽坂アスナ」

 

 

 

 

 

蹴りを放った者の正体はアスナだった。まだ薬が残っているのか、ふらふらとして重心が安定していない。が、それでも人一人を一瞬で昏倒させる強力な睡眠薬を受けてなお、こんなにも早く復活したことにヘルマンは内心で冷や汗をかいていた。

 

(凄まじいな……単純な実力ならやはり彼女のほうが圧倒的に上だ)

 

先程は余りにも不意打ちがうまく言ったおかげでなんとかなったが、そうでなければ今頃はミンチにでもなっていたかもしれないことを思うとぞっとしないヘルマンであった。今でさえ、薬で体が弱っているおかげでなんとか戦えているぐらいだ。

 

「よくも、やってくれたわね……うぐっ……!」

 

「アスナさん!」

 

「神楽坂、無茶すんな!」

 

(うるさい……煩い煩い煩い……ああ、鬱陶しい……!)

 

彼女のことを心配してくれている二人とは対照的に、アスナは心の中で悪態をついていた。油断していた、その事実が彼女の矜持を大きく傷つけたのだ。鈴音やチャチャゼロに並ぶ大幹部となれたのに、油断するような慢心で腐りきっていた自分を理解させられた。

 

(こんな奴らのせいで……私は下らない慢心を抱いていたのか……っ!)

 

強者であるがゆえの慢心は、誰とて抱くことはおかしくはない。しかし、それは確実に自身を蝕み付け入る隙を与えてしまう。かつてのエヴァンジェリンも、慢心によって鈴音を失いかけたことがあったとアスナは聞いている。だからこそ、そうならないよう心がけてきたはずだったのだ。

 

だが彼女は、監視対象であるから仕方ない、バレる訳にはいかないから、仕方ない。そうやってつまらない言い訳じみたことを、自分へといつの間にか言い聞かせていた。そして魔法が通じないという自身の特性に胡座をかき始めてもいた。それが、慢心を抱かせ、あの不意打ちによる意識喪失へと繋がった。

 

(これじゃ、マスターや鈴音に合わせる顔がない……っ!)

 

歯を食いしばり、必死になっている今の彼女の姿に、大幹部としての威厳は欠片もなかった。

 

「邪魔が入ってしまったな、本当は彼女も人質として連れていく予定だったのだが」

 

「まあいいさ、今回は今までとは事情が違う。今までは君たちを殺さないよう細心の注意を払う必要があったが、今回はそれがない」

 

「へぇ、そっちとしちゃ困るんじゃねぇのか? 英雄候補の私達が死ぬのは」

 

フェイトの言葉に、千雨は眉をひそめる。今まで、こちらを殺さないようにしてきたのは分かってはいた。自分たちを英雄という敵対者として仕立てあげ、利用価値を高めるために。だが、手塩にかけて育ててきた相手を熟していない段階で殺すというのが分からない。

 

「君たちはやり過ぎたのだよ。相手が弱体化していたとはいえ柳宮霊子を退けたのは事実だ。それが首領の興味を惹いたらしくてな、計画の段階を短縮する方向に決めたらしい」

 

「つまり、僕達を相手に生き残ることも出来ないならもうお払い箱というわけだ」

 

明確に、戦って生き残れもしないなら殺すとの宣言。柳宮霊子という強敵を打倒し、こちらへと引き込んだことが影響しているという皮肉さに、千雨は(ほぞ)を噛む思いになった。

 

(どういうこと……そんなの、私も知らされていない……)

 

一方で、アスナもまたフェイトの言葉に混乱していた。そもそも、ヘルマンがここに来ることなど彼女は知らされていなかったし、そんな計画変更も聞いていない。必死に、何が起きているのか考えている。

 

(ふむ、どうやら意識改善はされたらしいな。尤も、そうでなければやった意味が無いか)

 

一方、先ほどの不意打ちを食らわせたヘルマンは、自分が行ったことによる副次効果がアスナに作用したことを感じ取っていた。彼女が大幹部になったことを知ったのは封印から開放されたあとだったが、彼女が自分の実力に慢心してはいないか気になりエヴァンジェリンに尋ねた。

 

『ふむ、アスナの実力を改めて確認するいい機会かもしれんな』

 

するとエヴァンジェリンは、あえてアスナには作戦の変更を伝えず、ヘルマンにアスナの腕試しを命じ、ガス状に変化する睡眠薬を与えたのだ。慢心がなければそれでよし、もし不意打ちを食らうなら薬で弱体化するから相手をしてやれと。

 

(……我が上司ながら恐ろしい方だ、本当に)

 

どこまでも、臨機応変に計画の流れを組み替えていく計算高さ。ただいきあたりばったりに継ぎ接ぎするのではなく、あくまでも計画の流れに沿うようにしている。その証拠に、今まで実力の高さから魔法関連ではあまりネギ達に関われていなかったアスナを、こうして共闘させるよう仕立てあげてみせた。

 

これで、より深くアスナはネギ達に信頼されるはずだ。共に戦った仲間として。

 

「少し予定とは違うけど、目的は最低限果たしたと言っていいか」

 

そう言うとフェイトは、再び刹那を水のゲートへと沈めていく。

 

「ヘルマンに勝てたら、彼女も開放してあげるよ。できるとは思えないけどね」

 

続いて、フェイトも同じくゲートをくぐってゆき、ヘルマンも水に覆われていく。

 

「屋外コンサート場、そこで私達は待っている」

 

去り際、自らが待ち受ける場所と。

 

「あの雪の夜からどれだけ成長しているか、楽しみに待っているよネギ君」

 

「っ!? 待って、それはどういう……!」

 

「知りたければ、戦って聞き出すがいい。ではな」

 

ネギとの因縁を仄めかす言葉を告げて。



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第五十六話 高揚

仕組まれた盤面で、役者は踊る。
舞台上で心を昂ぶらせるのは悪魔か、それとも。


闇夜の雨。その中を駆ける一筋の漆黒があった。時折街灯の明かりに照らされるその姿だが、雨粒に街灯の明かりは大きく遮られ、ただその影をよりくっきりと浮かび上がらせるに留まる。

 

「急がなくては……!」

 

その影、長瀬楓より漏れでたのは、僅かな呟きと吐息。その色は焦りに満ち満ちており、急いでいることがありありと分かる。

 

彼女がこうも焦りを見せている理由は、彼女の故郷から送られてきた手紙によるものだった。ネギ・スプリングフィールドとの接触を禁じるというその内容は、雇用主相手であろうと、必要とあればその内部情報を要求する彼ららしからぬ命令である。

 

これは即ち、今現在麻帆良の中心的な事情であるネギを暗喩とし、遠回しに契約主である麻帆良学園側の事情に首を突っ込むなという意味合いでもあった。

 

(馬鹿な……この不安定な情勢で麻帆良学園と距離を置けというでござるか……!)

 

東西の不和がようやく解けようとしてはいるものの、その溝は深く大きく隔たっている。故に、未だ東西の結びに反対する勢力は多く水面下で小競り合いが起きているのだ。情報を第一として慎重に事を進める同僚たちとは思えない、あまりにも突然な動き。

 

(一体里に何があったのでござるか……!?)

 

下手をすれば、里は麻帆良との契約を打ち切る可能性がある。そうなれば、最早麻帆良へ害意を持つ存在を監視する者がいなくなってしまう。この不安定な情勢でそんなことになれば麻帆良は今以上に危険にさらされるだろう。

 

いや、むしろそれ以上の(・・・・・)脅威(・・)を楓は知っている。

 

(彼奴らに、付け込まれる隙を与えかねん……!)

 

既に麻帆良には幹部級の者が紛れ込んでいたことは知っているし、その上をいく大幹部がやってきたことがあることを、楓はネギから聞いていた。つまり、現状では幹部格の実力者でなければ麻帆良には入り込まれないということだ。

 

だが、その現状が崩壊してしまえば。魔法世界(ムンドゥス・マギクス)全体という、途方も無い規模を恐怖させる大組織が、その尖兵を送り込んできたときにどうなるか分かったものではない。

 

(とにかく、一刻も早く里の中忍たちに事情を聞かなくては!)

 

何故、同じ中忍である自分に連絡もなく独断で決めたというのかを聞かなくてはならない。そして、なんとしても麻帆良との契約を断つという最悪を回避せねばならない。

 

幸いにも、雨がある程度の音と匂いをシャットアウトし、視界も悪くしてくれているおかげで発見されないまま麻帆良の外に出られそうであった。尤も、その雨によって今現在ネギ達へ襲撃をかける者がいることにも気づかぬままであった。

 

「……む?」

 

もう少しで麻帆良の外に出るといったところで、前方に何者かがいることに気づく。巡回をしている魔法先生かと思い、どう対処すべきかと足を止める。

 

「……ッ、……から……!」

 

「……メだ……ない……」

 

(言い争い? 一方はガンドルフィーニ先生でござろうか。しかしもう一方の声、どこかで……)

 

近くの林に隠れ、耳を澄ませてみると僅かだが声が聞こえてくる。どうやら言い争いのような状況らしく、その一方がガンドルフィーニであると推測する。そしてもう一方、少年らしい少し高い声にどこか既視感を覚える楓。そっと、耳を澄ませて声を聞き取ることに集中する。

 

「だから、既に一般の人間が入れる時間ではないんだ! どうしてもというなら明日また来てくれ!」

 

「せやかて、急いどるんや!」

 

一方のそれなりに年齢を重ねたと思しき男性の声は、楓が睨んだ通りガンドルフィーニだった。

 

そしてもう一方は。

 

(まさか、犬上小太郎……?)

 

関西で共闘した犬上小太郎であった。しかし、彼が何故ここにいるのか。

 

「ここの、えーとがく、えんちょう? ちゅう奴に会いたいんや!」

 

「成る程、学園長殿に用事があるのか。しかし、こちらにも規則があるんだ。明日、また日を改めて来て貰いたい。夜は危険だからね」

 

「あーもう頑固なおっちゃんやなぁ!」

 

どうやら、学園長に用事があってきているらしい。楓の予想するに、関西からの使いである可能性が高い。

 

(ふむ、身分を隠して学園長に接触しようとしているようでござるな……)

 

閉園時間では、一般人の立ち入りは余程の例外がなければ出来ない。ならば関西呪術協会所属であることを伝えればいいかもしれないが、関西とは修学旅行で色々とあったばかり。和解を進めているとはいえ、下手に素性を明かしても警戒されるだけだろう。

 

「ガンドルフィーニ先生、その子を通してやって欲しいでござる」

 

「む、君は2-Aの……」

 

何か急ぎのようであるならば、十代な話である可能性も十分に考えられる。ならば助け舟を出してやるべきだと思い、楓は姿を晒した。一方、ガンドルフィーニは楓の突然の登場に少し驚きつつも警戒を解かない。

 

(流石でござるな、突然の状況にも落ち着いておられる)

 

ベテランの魔法使いであるガンドルフィーニの対応に内心で楓は感心しつつ、小太郎のことを説明し始める。

 

「ガンドルフィーニ先生、彼は関西呪術協会の者でござる」

 

「んなぁっ!?」

 

「何?」

 

現在別行動中だが、なるべく穏便に済ませるべきだと千草から言われたため素性を話さなかった小太郎だったが、まさかの人物から正体がバレて焦りを見せる。一方のガンドルフィーニは、楓の言葉に怪訝な表情となった。

 

「つまり彼は西側の人間か……」

 

「あいや待たれよ先生、彼が信用できる人物であることは拙者が保証するでござるよ」

 

疑いの目を向けそうになるガンドルフィーニへ、誤解をしないようフォローを入れる楓。

 

「彼は西で起こった事件の際、拙者達とともに戦ってくれた戦友。加えて今は西の長殿の元で働いていたはず。こうしてここに来たのも、長殿から何か用事を頼まれたのかもしれないでござる」

 

「む、君が信用できる、とまで言う相手か」

 

楓の出身である里については、魔法先生たちの内何人かが把握している。ガンドルフィーニもその一人であり、信用できる実力者として評価していた。加えて、彼女も西での一件に関わった一人なこともあり、直接共闘した人物となれば十分信用してもよさそうだと彼は判断した。

 

「分かった。君の言葉を信じて、学園長のところまで案内しよう。ただ、それまでは私が監視としてついていかせてもらう」

 

「かまわんわ。その方が俺も安心できるし」

 

(……ふむ、どうやらただの子供というわけではないらしい)

 

安心できる、ということはつまり他の先生や学園長に出会った際に説明に困らないということ。ここで通してもらい大丈夫だと考えない辺り、それなりに場数を踏んでいると彼は睨んだ。

 

「……そういえば、君はこんな雨の中どうしてここに」

 

ふと、楓が何故こんな場所にいるのか気になり、尋ねようと彼女の方へと振り返ってみると。

 

「む? 楓君?」

 

いつの間にか、姿を消していた。

 

 

 

 

 

「一つ気になっていたんだけど」

 

「何かね?」

 

ネギ・スプリングフィールド達を待つ二人の内、フェイトがもう一方のヘルマンへと質問を投げかける。

 

「君は何故、未熟な相手にそこまで執着するんだい?」

 

彼が封印される数年前まで、フェイトはヘルマンと共に仕事に従事することが多かった。互いの関係が良好であることと、フェイトに実践を経験させる意味合いでだった。フェイトは、その最中にヘルマンが未熟な相手であろうと全力を以って戦う姿が不思議であった。

 

「ふむ、何故そう思うのかね?」

 

「君は油断というものを滅多にしない。相手がどれほど矮小だろうと、常に全力で牙を剥いていた。だが、よくよく見れば君が相手をしたがるのは実力的にも未熟な若者ばかり。はなから弱小な存在を狙っているように見えた」

 

この抜目のない悪魔は、油断や隙といったものを滅多に見せない。フェイトが知る限りは、数年前の失態ぐらいだ。ならば、その油断を招いた原因は彼のその不可思議な行動にこそある気がしたのだ。

 

「それが君の封印された原因に繋がっている気がしてね、そこのところどうなんだい?」

 

「ああ、あの忌々しい封魔師に封じられた時の話か。確かに、あれは私の悪い癖が出てしまった典型例とも言えるな」

 

「悪い癖、かい?」

 

フェイトが反芻するようにヘルマンの言葉を零す。ヘルマンは無言で首を縦に振ると、話を続けた。

 

「私は昔から情熱というものを抱くことがなかった。ああ、別段私は無感動というわけではない。普通に喜怒哀楽を表すのは君とて知っているし、娯楽を楽しむ程度のものはあるさ。ただ、こう心を燃やし尽くすかのようなものが無かった」

 

ヘルマンは、少しずつ自分の過去を語りだした。悪魔として長く生きてきたが、自分を心底楽しませるものがどうしても見つからなかった。戦いも、賭け事も、舌戦も、淫蕩さえ。とにかく、彼の心には情熱がポッカリと欠け落ちてしまっていた。

 

ある時、仕事で一人の女を手に掛けた。女は母親であり、息子は彼を心底憎んだ。それから十数年が経ち、少年は再び彼の前へと現れた。

 

「初めてだった、私があれほど全力で叩き潰してやりたいと思った相手は」

 

以来彼は、若く才能溢れる相手と戦い続けた。また自分を燃えさせてくれる相手を探して。そして、彼は再びそれに巡り会えた。『赤き翼(アラルブラ)』の当時ルーキーであった少年二人である。

 

「今までで、一番私を燃えさせてくれた相手だった。才能もそうだが、なによりその不屈の意志は気絶してなお私という敵に立ち向かおうと体を動かしていた」

 

そして理解したのだ、ヘルマンは自分が求めていたものを。それは自分の枯れ果てたと思っていた情熱にさえ火をつける、燃え盛るような闘志。そんなものをもっているのは、確かに若者ぐらいのものだろう。

 

「だからつい、私は将来有望そうな若者を見ると感情が昂ぶってしまうんだ。お陰で、その油断を突かれて封じられてしまったがね。治そうにも、どうもこの悪癖だけは治らなくてね」

 

「…………」

 

フェイトは、ヘルマンの言葉に少しだけ共感を覚えていた。自分もまた、生み出された人形。本来であれば感情はあれど感動は抱けない、そう思っていたこともあった。

 

「それが、君にとっての譲れないものなんだね」

 

「そうだ。そして君もまた、それを獲得するに至ったようだねフェイト」

 

「……まあ、そうだね」

 

自分を(・・・)ここまで(・・・・)変えたもの(・・・・・)、それがフェイトにとってどれだけ大切なものなのかを、彼は改めて再確認した。

 

【……今、そちらに向かっタ】

 

「さて、そろそろか」

 

放ったスライムの内すらむぃとあめ子は捕獲を任せたが、ぷりんはネギ・スプリングフィールドの動向を監視させていた。万が一魔法先生らに接触しようとした場合に備えてである。

 

「約束通り、先手は君に譲る。まあ、君が相手になる時点で勝ち目なんてないだろうけど」

 

「ハハ、また随分とプレッシャーをかけてくれる。私も復活したばかりなのだがね」

 

しかし、そういうヘルマンの顔には、不敵な笑みが浮かべられていた。

 

「しかしこのまま戦うのも面白いが……ここは少し、趣向を凝らそうか」

 

 

 

 

杖にまたがり、雨の中を突っ切ってネギ達はやってきた。濡れるのも気にせず、まっすぐにこちらへと向かってやってきている。後ろには、千雨も一緒のようだ。そして、それを走りながら追いかける影がもう一つ。神楽坂アスナである。

 

「準備は整えてきたかね?」

 

「心配されるまでもありませんよ」

 

広場へと降り立ち、互いに向き合うネギ。少し遅れて、アスナも広場へと到着した。

 

「しかし、女性を走らせるのはいささか紳士さに欠けると思うが」

 

牽制とばかりに、そんな挑発を投げてくるヘルマン。ネギは少し苦い顔になると。

 

「……アスナさんが遠慮されただけです。女性の意志を尊重するのも紳士たるものでは?」

 

「ふむ、確かにそうだな」

 

一方のアスナは。

 

(アイツ……絶対わざと言ってやがるわね……)

 

アスナは『魔法無効化(マジック・キャンセル)』能力を持っているため、ネギの杖に乗っても飛ぶことが出来ない。そのため乗ることを断ったのだが。そんな事情を知らないネギ達には、別の意味で捉えられた可能性が高い。

 

(暗に重いから断ったなんて思われただろうな。ハハハ)

 

(思い出さないようにしてたのに……屈辱だわ……!)

 

なお、こういったヘルマンの意地の悪い言葉はこれが初めてではない。ヘルマンが封印される前は、こうしてからかわれることは結構あったのだ。そういった過去の鬱憤もあり、アスナの怒りはかなり高まってきている。

 

「やるならさっさと始めようぜ、てめぇらの遊びに付き合わされるのは癪だがよ」

 

「血気盛んなのはいいが、私は別に全員でかかってこいと言っているわけではないよ」

 

「……どういうことだ」

 

「ネギ君、私とは君一人で戦ってもらいたい」

 

それは、ともすれば死刑宣告に等しかった。今回の相手は、今までのように殺さない程度に仕掛けてくるのではなく、文字通り殺しにかかってくるのだ。如何ともし難い実力差をこれまで埋めることが出来たのは、相手の油断や手加減、そして集団で相手をしたことが大きい。

 

「オイふざけんなっ、てめぇらと私らでどれだけ実力差があると思って……!」

 

だが、ヘルマンはタイマンでの勝負を要求してきた。誰の手助けも借りられず、圧倒的優位の戦闘狂を一人で相手にしなければならない。そんな要求、通す訳にはいかないと千雨は抗議の言葉を放とうとするが。

 

「言ったはずだよ、この程度も生き残れないなら君たちに価値はないって」

 

「っ……!」

 

改めて、生殺与奪の権利が向こうにあるのだと認識し歯噛みする千雨。むしろ相手が合わせてくれているこの状況こそ、マシな方なのだ。ようは、勝てさえすればいい。それが全てである。が、その勝ちを拾うのがどれだけ難しいか、千雨はいやというほど理解していた。

 

「まあ、待っている間は退屈だろうから」

 

そう言うとフェイトはゆっくりと前へと歩み出る。

 

「代わりに僕が君たちの相手をしよう」

 

フェイトの言葉に、顔を引き攣らせる千雨。相手は、修学旅行で戦った際圧倒された人物。まともに当てられた攻撃はネギの拳一発分だけである。こちらも勝ちの目は零に近い。

 

(なんで、私まで……)

 

一方でアスナはショックを受けていた。本来情報が来るべき自分に計画のことが知らされず、更に抹殺対象に何故か自分まで含まれている。普通であれば不信感を抱いてもおかしくない。

 

(……いえ、それだけは絶対にないわ)

 

しかし、アスナはそんな考えを心の中で全力で否定する。

 

(あの人が私を裏切るなんてことは絶対にない。もしそうだったとしても、私は絶対にあの人を裏切りたくない……)

 

アスナにとってのエヴァンジェリンは、自分を必要としてくれる最も大切な人である。もし裏切られるのだとしても、それはエヴァンジェリンにとって必要なことだからそうするのだとアスナは考える。アスナに、エヴァンジェリンを裏切るという選択肢ははなから存在しないのだ。

 

(考えなさい私、あの人は必要のないことをわざわざ組み込むようなことはしない。なら、これは私に与えられた試練と受け取るべきね……)

 

睡眠ガスによる肉体的弱体化は著しい。恐らく後2時間はこのままだろう。つまり、ここから導き出される結論は。

 

(なるほど、マスターは私の慢心を見抜いていたんだ)

 

慢心を正させるよう、あえてこんなことをしたのだと彼女は理解し、笑みを零す。やはり、自分は裏切られてなどいない。必要とされているのだと実感し、多幸感に包まれる。

 

(分かりましたマスター、私は絶対に貴女の試練に打ち勝ってみせます……!)

 

なお、アスナを横目で見ていた千雨はというと。

 

(そりゃそうだよな、神楽坂は一般人……前の鬼蜘蛛の時はケロッとしてたから大丈夫だと思って連れて来ちまったけど、普通なら怖くて震えるよな……)

 

俯いて震えているアスナを見て、全く見当外れな思いを抱いていたのだった。

 

 

 

 

 

『……マスター、なぜアスナを巻き込む?』

 

魔法世界。鈴音はエヴァンジェリンにアスナのことについて尋ねていた。その顔は、いつもの無表情とは少しだけ異なりどこか機嫌が悪そうに見えた。

 

『どうした鈴音、不満気だな』

 

『……アスナは私の親友……なぜ』

 

なぜ、親友でもありエヴァンジェリンの従者でもある彼女にあんな仕打ちをするのか。それが彼女にはわからなかった。

 

『……アスナは、少々私に依存しすぎているきらいがある』

 

『……依存?』

 

『あいつは、少々盲目的すぎる』

 

ドゥナミスに、たまには手伝えと寄越された資料を眺めながら鈴音の質問に答える。

 

『……? ……けど、マスターを信頼していることには変わりない』

 

『いいや、確かに信頼も多大にあるだろうが……あいつは必要とされたいという気持ちが強い。それによって私という存在を自分の心に縛り付けているように思える』

 

『……それの、どこがダメなの?』

 

一段落がついたのか、彼女は書類を放り投げて溜息をつく。アスナと鈴音は性質的な部分が似ている。どちらもエヴァンジェリンに心を救われ、離れたくないと思っている。好意を向けられるのは嬉しいが、少し自立して欲しいとも思う。

 

尤も、アスナの場合は元々だが、鈴音の場合は日本へ休暇に行って帰ってきてからその傾向が強くなっていた。恐らく、例の妹との別れによるものだろうとエヴァンジェリンは考えている。事実、修学旅行時の作戦を終えた以降は、鈴音も区切りがついたのか、かなり依存が減っていた。

 

『精神的に言えば、まだ未熟な部分があるということだ。特に私に関することでは冷静さを欠くことも多い。だが、それでは駄目だ』

 

『……学園の件も?』

 

『ああ。あいつを学園に行かせたのは仕事の意味もあるが、むしろ私から離れてもやっていけるようにするという意味が大きかった』

 

『……でも、ダメだった?』

 

『霊子とネギ・スプリングフィールドの戦い。あれは本来であれば起こらなかったことだ。手引をしたのはアスナ、恐らく私との契約を破ったことに対して怒ったのだろう』

 

『……下手をすれば、バレていた』

 

あまりにも行動が軽率に過ぎた。アスナがうまく誘導したことにより霊子の目論見は見事に破綻したが、魔法先生らは学園内への監視の目を強くしてしまった。だからアスナを今回の作戦に巻き込んだのだ。アスナへ疑いの目が向かないようにするために。

 

『そうだな、アスナの演技力(・・・)は並ではないからうまく誤魔化せたが、次がないとも限らない』

 

『……おしおき?』

 

『分かってるじゃないか。少々灸をすえる意味合いもあるということだ』

 

そう言って、いじめっ子のような意地の悪い笑みを浮かべる。元々こういういじめっこ気質なところがエヴァンジェリンにあるのを鈴音は再認識し、内心でアスナを少し気の毒に思った。

 

『……けど、アスナは理解する?』

 

『できればそれでよし、できなければアイツの事だ、凹んで暫くは大人しくするだろうさ』

 

『……けど……裏切られたと思われるんじゃ』

 

もしもエヴァンジェリンや自分を不審に思い、敵対するような事になれば。そう思うと、鈴音は心臓が縮み上がるように錯覚した。そんな彼女を安心させるため、エヴァンジェリンは彼女の頭を撫でながら反論する。

 

『それはない。言ったはずだ鈴音、アスナは私に依存しているんだよ。どれだけ不信の芽を植えようとしても彼女は私を無条件で信じてしまう』

 

『……そう、ですか……よかった……』

 

『まあ、私としてはそこが一番問題なわけだが。本当の意味で信頼に変えられるようにしてもらいたいんだがな……』

 

『……私は、それでもいいと思う。……一人ぐらい、表も裏もなく信じられる人が……』

 

『私もそう思うさ。だが、それは一方的じゃ意味が無い。盲目的じゃダメなんだよ』

 

『……難しい』

 

『いいさ、別に。少しずつ進んでいこうじゃないか。時間ならいくらだってあるんだ、化物だって成長する権利ぐらいはある』

 

その言葉は、今この場にはいないもう一人の愛しい者にも向けられた言葉であった。

 

 

 

 

 

じりじりと、膠着状態に入ったフェイトと千雨、アスナ達。それを横目に、ヘルマンは顎鬚を二、三度触った後。

 

「さて、邪魔もはいらない確約が出来たことだし早速始めるかね?」

 

そんなことを言う。どうにも、早く始めたくてウズウズしているように見えた。

 

「……一つ、聞かせて下さい」

 

「何かね」

 

「……さっきの言葉の真意を、教えてください」

 

ヘルマンが去り際に告げた言葉、それはネギにとってはある種の原点とも言えるものに関わる内容。

 

『あの雪の夜からどれだけ成長しているか、楽しみに待っているよ』

 

「どうして貴方は、あの日の(・・・・)夜のことを(・・・・・)知って(・・・)いるんですか(・・・・・・)?」

 

あの襲撃の夜は、公式的には存在していない。何故なら、精鋭の魔法使いで構成された住民たちが一夜にして滅ぼされた事件など、余計な混乱を招きかねないからだ。それが魔法使いの根拠地ではない旧世界(ムンドゥス・ウェストゥス)ならばなおのこと。

 

事件は大きく公表されることもなく、調査がされることもなかった。いや、正確には調査をしようとしたら圧力を魔法世界側からかけられたのだ。おかげで、事件の首謀者が何者なのかも未だ不明となっている。

 

「答えてください、貴方は何を知ってるんですか」

 

ネギも事件の真相を知りたくて、色々と調べていた。しかし、子供であるネギでは情報封鎖がされている事件を探るのは難しい。魔法学院長であるグラディスから大学への飛び級を言い渡されたのは、彼にとってまさに渡りに船だった。

 

だが、それでも手に入った情報も極わずか。結局わかったのは、魔法世界からの圧力から考えてそちらの政治がらみであろうという予測と、当日に魔法世界と旧世界をつなぐゲートが使用された痕跡があったということぐらいだ。

 

「……どうだったかね?」

 

「えっ」

 

「君の言うその日は、どんな気分だったかと聞いている」

 

予想外の問いかけに、ネギは困惑する。事件の核心に迫れると思っていたが、返ってきたのは気分がどうだったかという突拍子もない質問なのだ。ネギは、少しばかり怒りを覚えた。

 

「ふ、ふざけないでください! 質問しているのはこっちです!」

 

「ハハハ、そうだな。つい聞いてみたくなってしまったんだ。さて、先ほどの質問だが……」

 

ヘルマンは少しの間、顎鬚をまた手で弄ぶと。

 

「もし私が犯人を知っていると言ったらどうするかね?」

 

ネギが求めていた答えの、ストレートど真ん中を突く発言が飛び出てきた。

 

「っ! 誰ですか、その犯人は!」

 

「知りたいかね? しかしなぁ、ただ情報を開示するのもつまらないと思わないかね?」

 

「っ! いいから言えっ! 誰だ、誰があんな真似をしたんだっ! 言えッ!」

 

ヘルマンのもったいぶったかの言い方に、ついに苛立ちから、ネギの口調が荒くなる。今までにない、鬼気迫るかのような激変ぶりに、千雨や人質となっているのどか達は唖然とする。

 

(あんなに怒ってるせんせー、初めて見る……)

 

(おいおい、氷雨と戦った時や、修学旅行で魔力暴走起こしてた時以上じゃねぇか……?)

 

普段、敬語は崩さず礼儀正しいネギがああも荒れた言葉を使うことに、とても驚いていた。千雨など、雨で体が冷えているというのに額を生温かな汗が流れるような感覚があった。

 

「おお、すまない。君がそれほど執着していることとは思わなかったからな」

 

「分かって言ってるんだろう、御託はいいからさっさと吐けッ!」

 

ネギが何か目的があって魔法使いを目指していることは、ネギと初めて互いの内を話した際に聞いている。しかし、それが何なのかまでは知らされていない。事件、というワードから何らかのことがあったことまでは分かるが、それ以外はまるで分からない。

 

ただ、ネギから感じられる敵意、殺意、憎悪。そしてそれらを隠すことなくぶちまけるネギを見て、ただ事ではないのだろうということは分かった。

 

(一体なんなんだ、あそこまで先生を執着させるものは……!?)

 

しかし何よりも感じられるのは、恐ろしいまでの執念。外聞さえ気にしないむき出しの感情。あれほどの執着を見せる事件とは一体何だというのか。

 

「村を襲った奴は、どこにいるッ!?」

 

「……ふむ、まあいいだろう。犯人なら、私もよーく知っているよ」

 

「……!」

 

「そしてその犯人が……」

 

私だとすればどうするかね?

 

「は……?」

 

ヘルマンの言葉に、ネギは頭から冷水を浴びせられたかのようにその感情を消沈させる。

 

「ハハハ、随分キョトンしてしまったね。まあ、君の執着する存在が今目の前にいるなんて思いもしなかったのかな?」

 

「……誤魔化しているわけでは、ないですよね?」

 

「疑り深いな。では、これでどうかね」

 

そう言って、彼は帽子をゆっくりと脱ぐ。その一動作で顔が隠れ、そして再び顕となった時。

 

「…………」

 

この顔に(・・・・)見覚えは(・・・・)ないかね(・・・・)少年(・・)?」

 

先程までの人の顔はどこにもなく。

 

異形の(おもて)がそこにあった。

 

「お、まえは……」

 

「左様。私はあの時、君の村を襲った悪魔を指揮していた者だよ」

 

捻れた二本の角が側頭部からシンメトリーに生え広がり、瞳のない白目だけの目はまるでガラス球のよう。口元は大きく裂け、鋭い歯が見え隠れしている。それは、まさしくヘルマンの悪魔としての素顔であった。

 

そしてネギの頭から離れることのなかった、悪夢の象徴でもあった。

 

「で、も……あいつはスタンお爺ちゃんが……」

 

「ああ、あの忌々しい老魔法使いに封じられたよ。しかし、所詮封印は封印だ。解かれればまた活動することだって可能だろう?」

 

雨音が、一瞬だけ酷く大きな雑音となる。それ以外の音が置いてきぼりになったかのようで、僅かな呼吸音さえ掻き消えていく。

 

「……けた」

 

「うん?」

 

「やっと、見つけたぞ……皆の、仇……!」

 

静寂を破ったのは、ネギの言葉。静かに、しかし確かに聞こえてくる彼の言葉は、周囲の全員を釘付けにする。体を震わせ、歯をむき出しにした彼の形相は、気の弱いのどかを、いやそれ以外の女生徒たちさえも震え上がらせる。

 

ネギが浮かべていた表情は普段の礼儀正しい紳士のものでも、怒りでもなく。

 

 

 

口元を三日月に変形させ、心底嬉しいとばかりに破顔していたのだ。

 

 

 

(笑ってる、のか……?)

 

普段の幼さの残るあどけない笑みではない。凶悪で、そしてどこかあの金の髪を持つ怪物を思い起こさせる笑みだった。

 

「さて、私は君の質問に答えたが。君はそれに対してどう応えるかね?」

 

悪魔としての顔を再び人間態へと戻して、ヘルマンはネギに問う。ネギの返答は。

 

「お前を……滅ぼし尽くす」

 

杖を構え、先程までの感情の発露が嘘のように、酷く静かなものであった。だが、千雨には分かる。ネギは最早、普段の彼とは全く異なってしまっていることに。静かに、そして冷酷に感情をコントロールしている。

 

「やってみるがいい、この上位悪魔たる私を相手に、できるものならばなッ!」

 

そして、戦いの火蓋は切られる。

 

(ダメだ、先生それはダメだ……! 戻れなくなるぞ……ッ!)

 

仲間の抱いた危機感に、気づくこともないままに。



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第五十七話 暴走

少年は思い出す、己の原点たる誓いを。
悪魔は哄笑する、求めていた戦いに。


雪の降る夜。空が赤々と燃え、ちらちらと降る雪さえも溶かす熱が村を襲った悪夢のような夜。ネギは、この夜のことを片時も忘れることはなかった。いや、より正確に言うならば忘れることができなかった。

 

石にされてゆく村の人々、幼馴染とよく遊んでいた広場を埋め尽くす悪魔の軍勢。焼かれ、壊されて行く建物。全て、鮮明に思い出せてしまう光景だった。そして、漠然とだが憧れを抱いていた父の姿もまた同じ。

 

(忘れちゃいけないことだったはずだ、僕にとってそれは、何よりも優先すべきことだったはずだ)

 

だが、学園にきてから彼の中に渦巻いていたはずの悪夢が、いつの間にか消え去っていたことにネギは気づくことができなかった。それほどに、学園に来てからは激的な日々であったのだ。

 

幼馴染や姉代わりの人以外で、初めて心を許せる仲間と出会い。共に戦い、共に分かち合い、我武者羅に歩む日々。それは彼の妄執さえ忘れさせるほどであった。

 

(でも、もう駄目だ)

 

きっと、そのまま忘れたままでいればよかったのだろう。それなら、あの仲間たちと共に戦っていくという選択肢もあったかもしれない。だが、ネギは思い出してしまった。自分がどうしようもないほどのエゴイストであることを。

 

あの日から誓ったこと。村の皆を助けたいという願いと、父から託された思いに応えたいという気持ち。それは彼にとってとても大切なことではある。しかし、一番であるというわけではない。彼にとって最も優先すべきであったこと。それは。

 

(あいつを、殺す……!)

 

それは、もう後戻りのできない道だ。どれほど相手が罪深くとも、相手が悪魔であろうとも。殺してしまえば、それはその後の一生に付きまとってくる。光の当たる世界にはいられないだろう。

 

だが、それがどうした。

 

(僕は父さんみたいにはにはなれない。分かっていたことだ)

 

憧れた父とは、決定的に違う自分。

 

どれほど手を汚そうとも、のうのうと闇に消えた首謀者と手先共を引きずり出してやるという執念。あの事件を企てた全ての者に、然るべき報いを与えるという宿怨。

 

(必ず報いを受けさせてやる……ッ!)

 

何者も望まぬ、どうしようもなく身勝手で独りよがりだとしても。このどす黒い感情を晴らす方法が、彼には復讐というたった一つの方法しか導き出せなかった。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル……!」

 

湧き上がってくる魔力は膨大で、今ならどれほど暴れても尽きることはないのではないかと思えるほどだ。きっと、自分は魔力暴走を起こしているのだろうとネギは考える。怒りや憎しみ、様々な感情が渦巻いていたはずなのに、頭はひどく冷静であった。

 

「来たれ虚空の雷、薙ぎ払え! 『雷の斧』!」

 

素早く、かつ一定以上の火力が期待できる魔法を牽制として放つ。ただの魔法の矢ではあの悪魔はびくともしないだろうことは、数年前のあの日に理解している。恐らくは、この魔法であっても掠りもしないだろう。

 

想定どおり、ヘルマンは素早い動きで大斧をかわし、カウンターで拳圧を飛ばしてくる。ネギはそれを最低限の動きでよけ、更に連続して魔法を叩き込む。

 

「『魔法の射手・光の7矢』!」

 

攻撃直後のわずかな硬直を狙い、魔法の矢をヘルマンへの顔面へ狙い撃った。当然、これもヘルマンには通用しない。本命は、ヘルマンの視界を一時的にふさぐこと。

 

「ぬ……!」

 

(背後をとった……これで!)

 

前方にいたはずのネギを見失ったヘルマン。そしてネギは、彼の死角となる背後へと。

 

「『白き……」

 

「遅い」

 

振り向くと同時、ヘルマンはネギの左側頭部へと裏拳を放つ。やむなくネギは魔法詠唱を中断して、ヘルマンの攻撃をしゃがんで回避する。

 

「残念だが、それは悪手だ」

 

姿勢を低くするというのは、存外次の動きが制限されやすい。特に視線が自然と下へ向いてしまうため、次の追撃に対処できなくなる。ヘルマンは裏拳の勢いで既にネギのほうへと向き直っており、そのまま彼の腹を蹴り上げた。次いで追撃の拳がネギの頭部を狙う。

 

「ぅぎっ……! う、ぐ、『魔法の射手』……!」

 

鈍く重い痛みにネギは思わず呻くが、追撃を食らわないためになんと自分へ魔法を撃ち込んだ。当然ダメージはあるが、しかしヘルマンの重い一撃を考えれば安いものだと切り替える。

 

「ハハハハハ! まさか自分を撃ってその反動で追撃を免れるとは!」

 

「はーっ、はーっ……すぅ、はぁ……」

 

呼吸を整える。相手は封印から解放されてからあまり時間が経っていないとはいえ、万全を期さねば、この悪魔を殺すことはできない。だが、逆に言えば今全力で戦えば勝機があるということだ。この機会を、絶対に逃すわけにはいかない。

 

(体が軽い、心もだ)

 

彼の心には今、憎悪や復讐心を存分に晴らせるという歓喜があった。理性で抑え込んで、気づかぬうちに鬱憤をためていたそれは、修学旅行のときに感情を暴走させた時でさえ無意識に蓋をして巧妙に表に出さなかったものだ。

 

理性的で紳士の皮を被り、覆い隠していてきた、黒よりなお黒い汚泥のごとき激情。腐臭すら感じられそうなほどの、醜悪なる独り善がり。それを、思うが侭に吐き出し、暴れられる。

 

(すごく気分がいい(・・・・・)……!)

 

眼前の敵を睨む彼は、しかしその口元に笑みを湛えていた。

 

 

 

(いいぞ、もっと感情を爆発させるがいい)

 

一方で、ヘルマンもまた楽しそうに笑みを浮かべている。期待していた通り、いやそれ以上の熱を感じさせてくれるネギに、彼は非常に満足していた。

 

(やはり、若い者は身を焦がすほどに熱くなれる)

 

京都で戦った小太郎といい、改めて若く有望な者との戦いは心が躍るものだと実感している。成熟したものにはない必死さや、まっすぐに突っ込んでくる愚直さがたまらない。

 

「実に、実に血が滾るぞ……!」

 

拳を固め、引き絞るように肘を折り曲げて引き、一気に振りぬく。悪魔の人ならざる腕力と魔力で強化された鋼のごとき拳から放たれる必殺の拳圧が数発連続して襲い掛かる。

 

(さあ、こいつにどう対処するかね!)

 

本気の全力というわけではない、しかし少年一人の命を刈り取るには十分すぎる威力だ。速さも、重さも未熟な者では対処できるはずがないそれらを、しかしネギはまたがる杖を自在に操ることで回避する。

 

「いい、実にいいぞ! ネギくん、君は今まで相手にしたものの中でも最上級と認めよう!」

 

思って以上にできる、どころではなかった。圧倒的なセンスと才能、ヘルマンをして過去最高クラスの実力を秘めていると感じさせる相手。

 

(ここまでの興奮を覚えたのは、あの二人(・・・・)以来だな……!)

 

走る、飛ぶ、攻撃、回避、反撃、防御、離脱。繰り返される闘争の一挙手一投足全てがヘルマンを更なる歓喜へと誘う。ネギもまた、冷静に冷徹に冷酷に。相手の命を奪わんと全力で悪魔へと喰らいついていく。

 

「『悪魔の右腕』!」

 

「『風花・風障壁』!」

 

並みの魔法使いならば嬲り殺されるであろう豪腕の一撃を、弾き、逸らすような角度で魔法を展開して受けきる。

 

「『白き雷』!」

 

「温いぞっ! 『悪魔パンチ』!」

 

膨大な魔力で威力が底上げされた反撃の魔法を、惰弱だと一喝し、拳圧で消し飛ばす。

 

目まぐるしく入れ替わる攻防に、しかしネギはしっかりと追いついて見せている。ヘルマンもまた、少しずつギアをあげてより激しく、苛烈に攻める。

 

(さて、どこまでついてこれるかね?)

 

地力で言えば、間違いなくヘルマンのほうが圧倒的に有利である。勿論、彼はそんなことに慢心するほど愚かではない。油断すれば、手酷いしっぺ返しを喰らうことを学んでいる。だからこそ確実に、相手が気づけないように追い詰めて行けばいいと考えていた。

 

(ネギくん、私は才ある若者と戦うのも、その力を試すのも好きだが……それらを真っ向から叩き潰して再起不能にするのも大好きなのだよ)

 

 

 

 

 

(くそっ、早く先生のほうに行かなきゃならねぇってのに……!)

 

一方、千雨はフェイトを相手に逃げの一手を取らざるを得なかった。いくら霊子に修行で魔法を教わっているとはいえ、あくまで初期呪文が殆ど。彼女が戦力となるためには、氷雨と入れ替わらざるをえない。

 

(先生、あんたがなにか隠してることがあったのは分かる、けど……!)

 

ヘルマンとのやりとり、ネギは今までで見たことがないほどに感情的であった。怒り、悲しみ、憎しみ、恨み。負の感情をありありと感じられた中で、しかしその顔には笑みを浮かべていた。

 

(また、一人で戦う気かよ……!)

 

彼にとって、相手は故郷を襲った仇であることが、先ほどの会話から何となくだが分かる。きっと、彼は復讐を果たすつもりなのだろう。だから、優等生の仮面を脱ぎ去ったのだと。最早目的のためなら、仲間とともに戦うという道すら断つために、復讐者という醜悪な自分を晒したのだと。

 

ネギは、共に戦ってきた仲間を置き去りにしていくつもりなのだ。

 

(嫌だ……)

 

それを理解している者がもう一人いた。のどかである。

 

(嫌だよ、せんせー……置いてかないで……!)

 

仲間であったはずだった。共に戦えると思っていた。だが、それは自分の思いあがりであり、ネギは一人で戦う道を選びかけている。共に苦難を乗り越えてきた仲間さえ、置き去りにして。

 

だが、無理矢理にでも加勢しようにも、水の牢獄ではうまく動けず、非力な彼女では脱出などできはしない。第一、仮契約カードもない状態では役立たずもいいところだ。

 

「な、何が起こっているアルか……?」

 

古菲は目の前で繰り広げられる魔法戦に混乱していた。元々、完全に無関係であったのだから仕方ないが、魔法という規格外の話に頭が追いついていない。

 

「どうにか脱出しなければ……しかし、魔法のない私たちではとても……」

 

夕映は、なんとか脱出できないか思案する。だが、魔法という手段を失っている今、ここにいるのは非力な女子中学生だけだ。ただ一人の例外を除いて。

 

「ゆえ、古菲ならどやろ!?」

 

「そうか! 彼女の拳ならあるいは……!」

 

木乃香の言葉に、夕映ははっとする。魔法が駄目なら、物理的な攻撃であれば破壊できるかもしれない。夕映は脱出を試みようと、古菲に水壁の破壊を頼む。

 

「古菲! この水の塊を壊せませんか!?」

 

「え、あ、や、やってみるアル!」

 

気を無意識で操っている彼女ならば、水壁を破壊できるのではないかと一縷の望みに賭ける。古菲は戸惑いつつも夕映の言葉に了承し。

 

「『崩拳』!」

 

外と水牢の境界に拳を叩き込む。が、いくら気で強化された拳であっても相手は水。どれほど殴ろうとも手応えなどなく、水牢が少し震える程度でしかない。

 

「だめアル、柔らかすぎて効いてないアルよ……」

 

「くっ、どうすれば……」

 

物理的に脱出することは不可能。魔法を使おうにも媒体がない。打つ手のない状況に、夕映は歯噛みするほかなかった。

 

 

 

 

 

「氷雨、替わるぞ!」

 

『クソっ、また私に貧乏くじを引かせるのか!』

 

氷雨と千雨が入れ替わる。千雨が死ねば、精神寄生状態である氷雨も死ぬのだから、協力せざるを得ない。

 

「『魔法の射手』!」

 

「……舐めているのかい? そんなもの、当たらないよ」

 

入れ替わると同時に牽制に魔法を放ってはみるものの、あっさりと回避されてしまう。

 

「『石の槍』」

 

「うわっと!」

 

その隙を狙ってフェイトが石柱を生やして攻撃してくるが、氷雨はすんでのところで横に飛んで回避に成功する。

 

「チッ、やはりあいつを相手に正面切って戦うのはきつい……!」

 

氷雨もまた、真正面から戦うよりは搦手を使うタイプである。『桜通りの幽霊』事件で魔法具を用いたり体を奪って人質にしていたことがその証拠だ。近接戦闘などすれば、下手をすると一撃で沈められるだろう。

 

『おい氷雨、あいつの弱点とか知らないのか? お前の同僚だろう!?』

 

「あったら私だってそこを突いてる! あいつは幹部でこそないが候補の中では一番実力が抜きん出てやがったんだよ! 私みたいに尖ったものはないが、まんべんなく強い!」

 

氷雨も幹部となって日が浅いが、実力は十二分にある。かの組織で幹部を張るというのは、ただ強いだけや頭が回る程度では務まるものではないのだ。その点では、氷雨はフェイトよりも上であるといえるだろう。

 

しかし、それはあくまでも魔法具を扱う才能や有利な状況を組み立てる手管にある。そんな強みが出せない状況で、なおかつ遠近両立の正統派に強いタイプであるフェイトを相手にするのは、苦しいと言わざるをえない。

 

「逃げるだけか。前の戦いはやはり、まぐれだったようだ……」

 

「せりゃぁーっ!」

 

逃げる氷雨を追いながら、挑発的な言葉を投げるフェイトを、アスナが横合いから蹴りこむ。弱体化しているとはいえ、『魔法無効化』能力と気と魔力で強化された強烈な蹴りはあの戦闘狂であるヘルマンでさえ冷や汗モノであったと聞いていたため、素直に回避を取る。

 

(うーむ、やはりアスナは強いアルな。やっぱり戦ってみたいアル)

 

期末テストの際、一度その実力を目にしている古菲は、改めてその実力を認識し。

 

(マジかよ……修学旅行の時にもしかしたらと思ってたが、あいつ結構強いんだな)

 

その時に同行していなかった千雨は、薄々ながら感じていたアスナの実力を見て驚嘆する。

 

「素人の動きじゃないな。君、本当に一般人?」

 

「どっからどう見ても普通の女子中学生でしょうが」

 

(普通の女子中学生は地面に(ひび)入れるような蹴りは出さねぇよ!)

 

自分のことは棚に上げつつ、アスナの言葉にツッコむ千雨。つくづく、この学園には一般常識が通用しないと感じる千雨であった。

 

 

 

 

 

(これが私に課せられた試練ならば、成長しろということ。ただ戦うだけではだめ。制限された状況でどう戦うか。恐らく、マスターはそれを期待している)

 

肉弾戦闘という点では、フェイトは中々に厄介な相手であるとアスナは思っている。彼がまだ見習いであった頃に付き従っていたデュナミスも、魔法戦闘と近接戦闘を両立できるタイプだった。恐らくは、そこからいろいろと学んだのだろうと推察する。

 

(魔法は効かないとはいえ、いつもの調子が出せない分不利ね)

 

魔法無効化系統の能力者の弱点として、空間に作用する魔法や幻術には通用しないというものがあるが、それ以上に魔法障壁が張れないという致命的な弱点がある。物理的な防御力が皆無に近いのだ。

 

いくら魔法が効かなくても、アスナとて物理的に攻撃されれば負傷はするし殺せば死ぬ。魔法使い相手であればこの上なく強力な武器だが、物理的な手段を用いる相手には意味が無い。

 

そして魔法を使うとはいっても、打撃主体の戦い方をするフェイトは、アスナにとって

相性が悪い相手なのだ。

 

奥の手(・・・)まで出すわけにもいかないしなぁ……)

 

普段であれば近接戦闘面でも天と地程の差があるため問題ないが、今の弱体化した状態ではそのアドバンテージもない。他にも対処する手段はあるにはあるが、ネギたちがいるこの場で使えば正体がバレかねない。

 

(……成る程。つまりマスターは、他のものに頼らず、単純に肉弾戦闘でこの状況を切り抜けてみろって試してるわけか)

 

思い出すのは、苦しくも辛かった修業の日々。宙吊りにされたり斬り刻まれそうになったり氷漬けにされたり細切れにされそうになったり。

 

(……思い出さなきゃよかった)

 

修業の日々を思い出して、アスナはゲンナリとした気分になる。組織を立ち上げてまだ間もない頃、そこらの魔法使いに毛が生えた程度の力しかなかったアスナは、とにかく強くなる必要があった。だから、主人に稽古をつけて欲しいと頼んだのだが。

 

エヴァンジェリンは容赦無いスパルタで鍛え上げた。修行に慣れて楽になったらレベルを上げてまた地獄、その繰り返し。時々稽古をつけてくれる鈴音とチャチャゼロからは逃げまわり、バテて気絶するまで追いかけ回される。

 

(あ、やばいなんか涙が……)

 

自然と涙が出てしまうが、幸い今は雨が降っているので誰かに気づかれることはなかった。

 

……ちなみに、アスナは同じく修行を受けた過去がある鈴音に当時どうだったのか聞いてみたが。

 

『? ……楽しかった……けど……?』

 

元々地獄のような修行を生家で経験していたため、エヴァンジェリンやチャチャゼロとの修業の日々は彼女にとっては新鮮でとても楽しかった思い出らしい。

 

兎も角。

 

(初心に帰れってことね)

 

今の状況は、まだ弱かった頃の自分と同じ。魔法が使えず、肉体一つでどうにかせねばならないのは、昔散々経験したことなのだ。いや、昔とは決定的に違うものがある。それは自分が強くなれたという確固たる自信と、経験だ。

 

(よし、ならやってやろうじゃない!)

 

あの頃に比べて、どれほど前に進めたのか試されているのならば。存分にやってやろう、アスナはそう決めてフェイトへ向けて走りだした。

 

 

 

 

 

(そーっと、そーっと……よし、バレてないか?)

 

激戦が繰り広げられるなかこっそりと、スライムたちに捕獲された木乃香達の背後へと忍び寄るものの影があった。

 

(……気づかれてないみたいだな、あともうちょいだ!)

 

白く細長い姿のオコジョ妖精、アルベールである。ネギたちと同行せずにいた彼は、戦闘に注視しているであろう状況下で、人質となっている仲間を救出するという役目を与えられていた。

 

(前の魔力暴走があったおかげで、今の暴走状態でも兄貴は上手く発散できてはいる。けど、結局魔力をコントロール出来てるわけじゃねぇ……このままだとガス欠になっちまう!)

 

今のネギは、限界性能以上のブーストを無理やり掛けた状態なのだ。短時間であればいつも以上の実力を発揮できるだろうが、長くは持たない。

 

(早く助けなきゃ取り返しがつかなくなる!)

 

数の有利はそのまま戦力的な優位に繋がる。加えて、刹那や夕映といった実力のある増援があれば、敵も後手に回らざるをえないだろうとアルベールは考えていた。

 

「あとはこの見習い用の杖さえ渡せば……」

 

「どうなるデスカ?」

 

「!?」

 

突然の声に、おもわずアルベールは振り返る。そこには、体の透き通ったヒトガタが浮いていた。スライム三人娘の一人、あめ子である。アルベールはすぐさま距離を取ろうとしたが、あめ子は腕を伸ばしてアルベールを絡めとった。

 

「し、しまった!」

 

「なんか捕まえたデス」

 

「なんだヨ、捕獲対象にはいなかったよナ?」

 

「……食べていいノ?」

 

残りの二人がアメ子の方へとやってくる。人質として利用している手前、のどか達を捕らえただけのおあずけな状態であるため、アルベールを食べるか話している。

 

「お、俺っちなんて食べてもおいしくねぇぞ!?」

 

物騒な会話にアルベールは青い顔をしながらジタバタと暴れまわる。スライム娘達も、肉の少なそうなアルベールを食べても腹が膨れないと判断したらしく。

 

「面倒だし捕まえとこうゼ」

 

「デスネ」

 

「ちょっ、やめっ!」

 

哀れアルベールは、無造作に水牢の中へと投げ入れられてしまった。その際、持っていた練習用の杖も取り上げられてしまう。

 

「ちくしょう、あともうちょいだったのに……!」

 

水牢の中に入るのは予定通りだが、肝心の杖が奪われてしまっては意味が無い。これで、脱出方法は完全に他人頼みとなってしまった。

 

「すまねぇッス、オレっちが油断してなきゃ……」

 

「気にすることはないですよ、助けに来てくれただけでも嬉しいです」

 

「うう、優しさが沁み入るッス……」

 

「あとは、せめて先生たちの無事を祈るぐらいしかできへんな……」

 

このまま、指を咥えてみているしかない状況に焦燥を感じる木乃香。それは、他の皆も同じであった。

 

(一応保険(・・)はかけてある……。間に合ってくれりゃいいんだが……)

 

 

 

 

 

「それにしても……失望したよ、大川美姫。仮にも幹部格である君が、敵対者に利用されるがままなんてね」

 

フェイトにとって美姫、氷雨は尊敬すべき相手であった。若輩者でありながらその実力で幹部の座を勝ち取った彼女は、フェイトにとって超えるべき壁と思っていたのだ。

 

「チッ、私だって好きでやってるわけじゃない。現状この体に寄生してるから仕方なく手を貸してやってるだけだ。死なれたら困るんでな」

 

「いっその事潔く死を選んだほうがいいと思わないのかい?」

 

「私はあの人のものだ、この命さえあの人に捧げてるんだ。勝手に死ぬことはあの人への反逆に等しいんだよ」

 

それは、ある種彼女なりの矜持であるのだろう。彼女にとって絶対である存在のためにこそ、自らの命は投げ打つ価値があるのだと。だが、フェイトにはそれが見苦しい言い訳にしか聞こえなかった。

 

「……どうやら、僕の買いかぶりだったらしいな」

 

ネギと戦えないことは大いに不満であったが、その代わり目標の一人であった相手と戦えるならば文句はないと思っていた。だが、蓋を開けてみれば腑抜けに成り下がっていたなど、期待はずれもいいところ。

 

「もういい、これ以上続ける意味もなさそうだ」

 

そう言うと、再び石の槍を展開する。今度は、おびただしい数の物量であった。

 

「っ!?」

 

「死ね」

 

一斉掃射。まさしく、フェイトの攻撃はそれであった。

 

「ボケっとしないっ!」

 

着弾する直前、持ち前の俊足を活かしてアスナが氷雨の首根っこを掴み退避する。コンマ一秒後、着弾地点は大きくえぐられた。

 

「く、首を持つな……絞まるぅ……!」

 

「我慢なさい!」

 

被弾すれば魔法無効化能力がばれしてまうため、全弾を回避しつつ氷雨に被弾しないようにブンブンと振り回す。それが余計に氷雨の首を絞めてしまっているが。

 

「神楽坂アスナ、君も厄介だが相手をする気はない」

 

「チッ、しつこい男は嫌われるわよっ!」

 

回避に専念していたせいでフェイトの接近を許してしまう。何とか距離を取ろうと、ハイキックをフェイトに放つも受け止められ、そのまま足を掴まれてしまう。

 

「邪魔だよ」

 

「はあっ!」

 

アスナは掴まれた足を軸として更にもう片方の足で掴んでいた手に踵を落とす。

 

「つっ……!?」

 

「片足取ったぐらいで勝ち誇ってんじゃないわよ未熟者!」

 

痛みで咄嗟に手を離してしまう。そこに、アスナは追撃の回し蹴りを繰り出す。一瞬の硬直で動けなくなっていたフェイトは、それを顔面にモロに受けてしまう。

 

「ぐぅっ!?」

 

弱体化しているとはいえ、気と魔力で強化されたアスナの蹴りは強烈である。フェイトは衝撃に乗せられて横一直線に吹き飛ばされた。そのまま、地面をこすりながら着地する。起き上がったフェイトは、しかしあまりダメージを負っているようには見えない。

 

「まさか、ここまでとはね。認識を改めるとするよ、神楽坂アスナ。君も十二分に敵であると考えることにする」

 

『おいおい、嘘だろ……あいつに一発入れやがった……!』

 

想像していた以上に、アスナの実力が高かったことに千雨は驚愕する。あれほど苦労して戦い、ついに倒すことのできなかったフェイト相手に、ここまでの奮戦をするとは千雨も完全に予想だにしていなかった。

 

「魔法障壁を破るなんて……」

 

それを見ていた、夕映もまた驚きを隠せなかった。ただ、彼女の場合は、アスナがフェイトの魔法障壁を抜いたことに、である。

 

「ん、そんなに凄いことなん?」

 

魔法に関して素人である木乃香が疑問を呈する。

 

「とんでもないことですよ、魔法障壁は術者の技量が高ければ破るのは非常に困難な対物理防御となります。魔法だって、容易くは通さないでしょうね。本来であれば解除させるか、魔法で突破するものなのですが……」

 

「けど、普通にあの男の子、蹴られとったえ?」

 

「魔力や気を込めた一撃で崩すこともできるにはできる、とあの人から聞いたことはあります。ですが、それは扱いに長けた者であることが前提なんです。アスナさんは、相当に魔力制御が上手いです。素人とは思えませんね……」

 

見つめる先、フェイトとアスナ、氷雨の戦いはさらに激化していった。

 

 

 

 

 

「どうした、まだ私は元気だぞ?」

 

「はぁ、はぁ……!」

 

一方のネギは、アルベールが危惧していた魔力切れ寸前の状態に陥っていた。いや、正確には魔力はまだ残っている。だが、魔力暴走によって吐き出されていた潜在魔力が底をつきかけているのだ。

 

「想像以上に楽しませてもらったが……それだけだな、私を満足させる程ではなかった。封印されている間も楽しみにしていたんだがなぁ……」

 

「勝手なことを……!」

 

自分が満足するためだけに、自分の欲求を満たすためだけに目の前の男は村を襲ったというのか。

 

「そんなことのために、村の人々は石にされたのか。アーニャの両親も、スタンお爺ちゃんも石にしたというのか!」

 

「その通りだが、それがどうかしたかね?」

 

あっさりと、それを肯定するヘルマン。

 

「必要だからそうしただけだ、そうでないなら別に村を襲いはしなかったかもしれん。私にとっては、まあその程度でしかないということだ」

 

「き、さまああああああああああああああああああああ!」

 

怒りに痛みを瞬間的に忘れ、勢いよくヘルマンへと殴りかかる。ネギ本人は肉体的に子供でしかないが、魔力で強化されているためその勢いは砲弾に匹敵するだろう。

 

「いいぞ! なおも執念を燃やしてくるか!」

 

だが、ヘルマンはそれをとても嬉しそうな声を上げて受け入れる。殴られた腹には、一切のダメージがなかった。

 

「そうだ、せっかく数年も待ったのだ。そうでなくては困るな!」

 

悪魔の膂力で放たれた拳が、ネギの顔面に突き刺さる。鼻っ柱を叩いたそれは、スピードを落とすことなく振りぬかれ、ネギを真反対まで吹き飛ばした。

 

「立てるかね、立てないならそこまでだが」

 

ヘルマンは期待していた。ネギが立ち上がり、なおも襲いかかってくれることを。その期待通り、ネギは立ち上がって呪文を唱えだす。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル……来れ雷精、風の精! 雷を纏いて吹きすさべ、南洋の嵐!『雷の暴風』!」

 

ネギが出せる最大クラスの魔法であり、最大火力の雷系魔法。全てを焼き焦がす電熱が、暴風を纏ってヘルマンへ襲いかかる。

 

「ぐ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

いくら潜在魔力が尽きそうでも、ネギが普段から扱える魔力も十分すぎる程に潤沢だ。その魔力を込めた最大火力ともなれば、さすがのヘルマンも無事では済まない。腕を交差させ、防御の体勢で魔法を受け止める。

 

「くたばれえええええええええええええええええええええええええ!!!」

 

怒りに任せ、滴り落ちる鼻血さえ気にも留めず、殺意を剥き出しにして叫ぶ。ズリズリと、魔法に押されてヘルマンが下がっていく。

 

「だが、詰めが甘い! ぬうんっ!」

 

しかし、ヘルマンは両腕を思い切り前へと押し出し、魔法を弾き飛ばしてしまう。同時に、『雷の暴風』も消滅してしまった。

 

「嘘だろ、あれでも倒れねぇのかよ!?」

 

上位悪魔の驚異的なタフネスに、アルベールが叫ぶ。圧倒的、ひたすら圧倒的に地力が違う。単純にして絶対の力の差に、しかしネギは怯むことなどなく。

 

「『加速』っ!」

 

杖にまたがり、加速をつけて突撃する。無謀にも思えるそれであったが、ヘルマンが迎撃しようと構えた目の前で、突如上空へと舵を切る。

 

「ぬっ?」

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル。吹け、一陣の風! 『風花・風塵乱舞』!」

 

突然のことに虚を突かれたヘルマンは、ネギの起こした強風によって立ったまま地面へ縫い付けられる。

 

「火力で倒せないなら、押し潰してやる……!」

 

「ぐ、ぎぎ……!」

 

破壊力で駄目ならば、風圧で地面と挟み込んで強引に押しつぶそうという考えだ。ヘルマンも既に雷の暴風を真正面から浴びたため、ネギの全力の魔法による風圧に耐えるだけで精一杯といった状態である。

 

「ハハ、ハハハ! やはり君は素晴らしい……!」

 

心からの、ヘルマンの賞賛。怒りに任せたものとはいえ、それでもこうして自分を追い詰め、危機感を抱かせている。こんなにも押されたのは、やはり『赤き翼』のルーキー二人以来。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

「はあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

最早、ネギは完全にヘルマンに対する怒りと気力だけで動いていた。精神が、肉体すらも凌駕して動いているに等しい。だが、それは必ず限界が訪れる。

 

「う、あ……」

 

魔力が、ついに切れてしまった。最早杖を飛ばすことすらできず、重力に任せて落下していくネギ。

 

「兄貴っ!」

 

「先生っ!?」

 

誰かが助けに行こうにも、捕獲されている面々は動けず、氷雨とアスナは戦闘中。誰もネギを助けることもできず、そのまま地面へと激突した。

 

硬いもの同士がぶつかる鈍い音と、水の飛び散る音が雨の中でもよく響いた。

 

『早く助けねぇと!』

 

「無理だ、コイツに少しでも隙を見せたらこっちが死ぬぞ!」

 

『だったらどうした、どっちにしろ先生が死んじまったら命の保証なんざねぇんだ!』

 

「おいこら勝手に……!」

 

ピクリとも動かないネギの様子に、千雨は助けに行こうとするも氷雨は危険だと止める。が、千雨は強引に入れ替わってネギの方へと駆けていく。

 

「舐めた真似を……!」

 

「あんたの相手は私よ」

 

背を向ける千雨を見て、フェイトは追撃をしようとするもアスナに阻まれる。ネギに駆け寄った千雨であったが、ネギは意識がない。

 

「先生! しっかりしろ!」

 

「ぅ……ち、さめ、さ……ん……?」

 

呼びかけると、なんとか意識を取り戻すことができたらしく千雨の名前を呼ぶ。体の状態は悲惨と言わざるを得ず、腕は折れ、骨が突き出てしまっている。魔力が切れかけ、満足に動くこともできないようだ。

 

「に、げて……あいつ、は……僕を……」

 

「何言ってんだバカ! 先生を見捨てていくなんてできるかよ!」

 

「ふむ、美しい友情か、あるいは愛情か。どちらにせよ素晴らしいものだな」

 

ヘルマンが、悠然と歩んでくる。体が電熱によって所々焦げてはいるものの、まだまだ戦闘は続行可能といった様子である。

 

「さて、この勝負私の勝ちだが……」

 

「先生は、やらせねぇぞ……!」

 

「邪魔だよ、部外者はどきたまえ」

 

ヘルマンに立ちはだかるも、ヘルマンは千雨に興味もなさ気にそう言って裏拳を一発見舞う。それだけで、非力な千雨は吹き飛ばされてしまった。

 

「ゴホッ……!」

 

「勝者は敗者を心置き無く蹂躙できる。それもまた、古から脈々と続くルールだ」

 

そう言うと、彼は意識が朦朧としているネギの首に手をかけて持ち上げる。

 

「ここまで楽しませてくれた礼だ、苦しまずに逝かせてあげよう」

 

ヘルマンは右手を手刀へと変え。

 

「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

「さらばだ、ネギ・スプリングフィールド」

 

その胸を、刺し貫いた。



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第五十八話 傷だらけの決着

生きるか死ぬか、それは誰にも決められない
だが、そこへ導くことは誰にだってできるのだ


静寂。今この場を支配しているのはまさしくそれであった。地面を叩く雨の音さえ、々しい。ヘルマンはゆっくりと、ネギの胸から腕を引き抜くと、無造作に彼を手放す。

 

「幕引きは、存外あっけないものだったな」

 

最早興味もないとばかりに、ヘルマンは淡々と自分の腕についた血を振り払う。

 

「……せん、せい……」

 

千雨は、目の前でピクリともしないネギを見て呆然としていた。死の恐怖は知っている。修学旅行の夜、あの怪物に嫌というほど味わわされた。一度は心が折れ、挫けそうにもなった。

 

それでもなお立ち上がれたのは、初めて手に入れた心を許せる仲間のおかげだった。ずっと孤独に戦い続けてきた千雨を、受け入れてくれたネギの存在があったからこそ、彼女は恐怖を克服できたのだ。

 

「返事して、くれよ……」

 

だがそれは、同時に失うことへの不安も生んでしまった。彼女にとって、ネギはあまりにも大きな存在となってしまっていたのだ。

 

「なあ、先生っ!」

 

ネギの体に縋り、嗚咽を漏らす。彼の体は、既に冷えて切ってしまっていた。

 

 

 

 

 

一方で、ヘルマンはネギに対する熱が休息に冷め始めていた。確かに、彼は長い間封じられていたヘルマンを満足させるに足る相手だった。しかし、それも最早過ぎ去ったことでしかなかった。あの昂りはもう、味わうことは出来ないのだから。

 

(十分すぎるほど楽しめた、これ以上を望むのは流石に贅沢だな)

 

ネギの才能はヘルマンをして予想外と言わざるをえないほどのものだった。魔力暴走を引き起こしていたとはいえ、ヘルマンをあと一歩まで追い詰めたのだ。

 

(あの冷徹なまでの理性と殺意、背筋が凍るほどのものだった。あのまま成長を遂げていればどれだけのものになったことか)

 

力の差があろうとも決して折れることなく、傷ついてなお殺意を剥き出しにして襲い掛かってくる様は、ヘルマンをして恐怖を覚えるものだった。それでもなお、それをスパイスに戦いを楽しむのがこの男なのであるが。

 

そうして、戦いの余韻に浸っていたヘルマンであったが。

 

「ヘルマンっ!」

 

「はあああああああああああああああああああっ!」

 

「何っ!?」

 

フェイトを足止めしていたアスナが、ヘルマンに向かって飛び蹴りを放ってきたのだ。

 

「ぐふぁっ!?」

 

咄嗟の反応が遅れたヘルマンは、アスナの蹴りをもろに受け、雨で濡れたコンクリートの上を滑っていく。

 

「よくも、よくもやってくれたわね……!」

 

アスナの目には、明確な殺意が宿っていた。先程までとは違う、本当にヘルマン達を殺そうという漆黒の憎悪が。口元の血を拭いながら立ち上がったヘルマンは、アスナがヘルマンに向けてこれほど怒りを向けている理由を考える。

 

(当然の話か、私が彼を殺した事で彼女の数年が無駄に終わったのだからな……)

 

(忌々しいけど、あの糞ガキが死んだ以上私の今までの苦労が全部水の泡だわ……! 本当に、よくもやってくれたわね、ヘルマンッ!)

 

事実、彼女の怒りの原因はネギが殺されたことではなく、ネギが死んだことによる自分の苦労が無駄になってしまったことだ。アスナからすればネギなど生きていようが死んでいようがどうでもいいが、彼が死んでしまえば計画は完全にご破産。与えられた任務をこなせなかったことになってしまう。

 

「あんた達、無事で済むと思わないことね……!」

 

言うが早いか、アスナはヘルマンへと一瞬で肉薄する。拳は一瞬の内に振りかぶる準備を完了しており、ヘルマンは咄嗟に後ろへと飛んだ。

 

「せりゃあっ!」

 

「ぐむぅっ!?」

 

先程以上の衝撃を、なんとか両腕でガードすることで受け止める。しかし、たったその一撃だけで腕の筋繊維が幾つか断裂する音が聞こえてきた。

 

(……まずい、予想より薬の効き目が短かったか! もう身体能力が戻り始めているとは……!)

 

ヘルマンはそう冷静に分析しつつ、どうすべきかを思案していた。アスナの実力はヘルマンでさえ圧倒的といえるほどの差がある。既にネギの抹殺に成功し、任務を果たした以上は、この場を離脱するほうがいいかと考え、すらむぃ達の方へ視線を向ける。

 

それを隙と見たアスナが再び拳を振りかぶり、一瞬で距離を詰めて振り下ろす。しかし、それを予想していたヘルマンは瞬動ですらむぃ達の場所へと移動した。対象を失った拳はそのまま地面に吸い込まれ、コンクリートの床を容易く貫いた。

 

(恐ろしいな、以前よりも更に磨きがかかっている……)

 

まだ薬の効果で弱体化しているとはいえ、彼女の本気の一撃に戦慄する。何より恐ろしいのは、その力のコントロールの上手さ。殴ったコンクリートの床に、彼女の攻撃で出来た穴以外に一切の破損がないのだ。

 

ひび割れもなく、まるでそこだけくり抜いたかのようになっていた。もしまともに相手をしていれば、死をまぬがれることはなかっただろう。

 

「ちょこまか逃げてんじゃないわよ!」

 

「そう言われても、さすがにこちらもボロボロなのでね。これ以上相手をする気はない。すらむぃ、あめ子、ぷりん。逃げるぞ」

 

「エェー!」

 

「まだ食ってないのニ」

 

「……おあずケ」

 

撤退するというヘルマンの指示に、三人は不満気である。なにせ久々に外に出られたのだ、彼女らも相当に空腹であった。そんな中でも、ヘルマンの命令で食べたりしないように我慢していたのだ。不満があるのも当然である。

 

「今回は諦めろ、命あっての物種だ」

 

「ちぇー、あとでちゃんとごはんくれヨー!」

 

水のゲートが開き、すらむぃ達が飛び込んでいく。

 

「そういうわけでフェイト、私は先に失礼するよ」

 

「了解。僕も終わったら合流するよ」

 

ヘルマンもそのゲートの中へと足を踏み出そうとする。

 

「逃がさないわ!」

 

だが、アスナは再びの瞬動でヘルマンへと蹴りを放つ。転移のゲートを潜る前に、アスナの攻撃が届くと判断したヘルマンは後ろへ飛び退った。ゲートが閉じてしまい、ヘルマンは退路を断たれた格好になってしまった。

 

「クッ!」

 

「あんたはボッコボコにしてやらなきゃ気がすまないわ」

 

「やれやれ、とんだことになってしまったな……」

 

 

 

 

 

「水が……!」

 

「消えていくアル……」

 

「先生っ!」

 

一方で、すらむぃ達が離脱したことにより水牢から抜け出すことが出来たのどか達がネギへと駆け寄る。

 

「先生、先生目を開けて……っ!」

 

「先生!」

 

「ネギ君……!」

 

口々にネギに呼びかけるが、しかしネギの反応はない。息をしていないのだ。

 

「近衛! 早くアーティファクトを!」

 

「ダメや、もう傷ができてから3分経ってもうてる……治癒魔法で何とかするしか……!」

 

既に3分が経過しているため木乃香のアーティファクト『コチノヒオウギ』でも治すことが出来ない。幸い、心臓はまだ鼓動しているが、あまりにも弱々しい上に出血の原因にもなっている。

 

「だめ、だめ……血が止まらへん……!」

 

回復魔法をかけても、木乃香の腕では止血するのがせいぜい。それに傷口が大きすぎて、止血自体うまくいっていない。のどかと夕映も回復魔法をかけて補助するが、それでも回復量は雀の涙だ。

 

「せんせー、嫌だよぅ……置いて行かないで……」

 

「ちくしょう、ちくしょう……!」

 

出会ってからまだ半年も経過していない。しかし、それ以上にかけがえのない時間を共に過ごしてきたネギの喪失に生徒たちは皆涙を流す。

 

「……立て込んでいるところ悪いけど、僕も仕事なんだ」

 

「ぐはっ!?」

 

ネギに縋り付いていた千雨に衝撃が襲いかかる。フェイトの魔法で吹き飛ばされたのだ。

 

「千雨さんっ!?」

 

「くるなっ! コイツの狙いは私だ……!」

 

駆け寄ろうとするのどかを静止する。ゆっくりと歩み寄ってくるフェイトの冷徹な瞳が、千雨の視線と交差した。

 

「さて、僕も役目を果たすこととしよう」

 

(……私も、ここで終わるのか……?)

 

このままむざむざ殺されるのは嫌だとは思う。しかし、千雨にはフェイトに対抗できるほどの力はない。氷雨でも逃げ回りながら戦うので手一杯だったのだ。それに、ネギも助かるかわからない今、千雨の心には諦めがはびこり始めていた。

 

『クソッ、こんなところで私は死ねんのに……!』

 

千雨が抵抗を見せないせいで、氷雨も焦りを見せる。彼女が死ねば自分も死んでしまうのだ、このままでは千雨と心中してしまう。

 

「往生際が悪いよ。せめて幹部らしく毅然としていてもらいたかったんだけどね」

 

フェイトの視線には、失望と軽蔑がありありと感じられた。自分よりも下の立場である彼に見下されるという、氷雨にとってはこの上なく屈辱的な光景。

 

「これで終わりだ」

 

腕に魔力を帯びさせ、千雨に向けて撃ち放つ。狙いは当然、心臓や肺など重要な器官が収まり急所である胸部。千雨は、その攻撃を只黙って受けるしかなかった。

 

「これ以上、やらせないアル……!」

 

「何っ?」

 

古菲が、フェイトの手刀を横合いから掴むまでは。

 

「崩拳!」

 

フェイトの側頭部を捕らえた強烈な一撃が放たれる。が、障壁に弾かれてしまい直撃させることはできなかった。反撃を食らうとマズいと判断した彼女は、続いて姿勢を低くして相手の懐へと潜り込む。

 

「絶招通天炮!」

 

相手をかち上げるようにして、掌底と拳を叩き込む。やはりダメージはないが、フェイトを吹き飛ばすことには成功した。

 

「へぇ……」

 

吹き飛ばされたフェイトは感心したように声を漏らす。彼自身、中国拳法はそれなりに学んでいるが、彼女のそれはまさしく達人クラスと言っていい。魔法も使えない一般人で、これほどの実力者がいたということに、フェイトは少し驚いた。

 

「早く逃げるアル……! こいつは私が相手するアルよ」

 

こちらに向かってくるフェイトから守るように、古菲が千雨の前に立つ。

 

「お、おい古菲! お前でも相手できるようなやつじゃ……!」

 

「心配無用アル、私もむざむざやられる程度ではないアルよ」

 

最早テコでも動かないと悟った千雨は、古菲に疑問を投げかける。

 

「なんでだよ、相手はお前よりずっと強いんだぞ? このままじゃ、お前だって……」

 

「それで諦められないから、私はこうして立っているアルよ」

 

古菲の言葉に、千雨はハッとした。自分は今、勝手に諦めようとしていたのだと。ネギが死んでしまうことを確定事項にしてヤケになっていたのだ。

 

(皆、まだ諦めちゃいねぇのに……私だけが諦めてどうすんだよ……!)

 

治療は木乃香達がやってくれている。もしかしたら助からないかもしれない、だが諦めたらもうそれは0でしかなくなってしまう。皆、まだ諦めてはいないのだ。千雨はガシガシと頭を掻き、顔を叩いて自分に喝を入れる。

 

(ああそうだ、先生はまだ死んじゃいないだろうが!? 何勝手に決めつけてたんだ私は!)

 

諦めかけていた心を奮い立たせて立ち上がる。先程よりも、幾分か気持ちが楽になっていた。

 

「そうだよな、このまま諦めて殺されるなんて、私もゴメンだ!」

 

「おおっ、なんかいい顔になったアルな。そっちの方がかっこいいと思うアルよ」

 

「そりゃどうも。さて、死なない程度には頑張らねぇとな……!」

 

二人は並び立ち、フェイトをまっすぐに見据える。

 

「……これ以上時間をかけるつもりはない」

 

瞬間。フェイトは古菲の目の前に立っていた。

 

「なっ、うぐっ!?」

 

喉を潰そうとして放たれた裏拳には即座に反応できたものの、そちらはフェイク。もう一方の拳が古菲の鳩尾に直撃し、体をくの字に曲げる。

 

「多少腕が立つところで、君と僕との差を覆すことはできない」

 

「がはっ!?」

 

「古菲!?」

 

腹にめり込んでいた拳を、今度は真上に向けて放ち勢いよく顎へと振りぬく。気と魔力で強化された拳である。そういったものを知らない古菲には防御するすべもなく、軽減することもできなかった。山なりに飛んでいく古菲は、何とか受け身を取るものの固い石畳に強かに打ち付けられた。

 

「かはっ!?」

 

「ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト」

 

宙空に石の槍が形成されていく。目の前の古菲は、立ち上がったはいいが顎を撃ちぬかれたせいでふらふらと覚束なく、意識が朦朧としかけている。千雨は最悪の事態に背が凍りつく。

 

(マズいっ……!)

 

このままでは、古菲が串刺しにされる。それを避けるために、千雨はフェイトの方へと突貫した。魔法が放たれる前に妨害する気だ。

 

「君なら」

 

「!?」

 

すると、古菲に向けて先端を向けていたはずの石槍が、急旋回をして千雨に切っ先を向けた。

 

そうくると(・・・・・)思っていたよ(・・・・・・)

 

(やばっ! 避けら……!?)

 

勢いよく走っていた千雨は、避けることもできずに脇腹を大きくえぐられる。肉のちぎれる嫌な音と、灼熱の痛みが一気に千雨へと殺到した。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?」

 

「外したか。だがもう動けないだろう?」

 

腹部の多くが欠損し、温かい血がどんどんと流れ出ていく感覚。反対に、体は雨に冷やされて冷たくなっていくのが分かった。痛みは段々と鈍くなり、目の前がかすみ始める。倒れ伏した千雨を見下ろし、フェイトは止めの魔法を準備する。

 

『痛い痛い痛い痛いいいいいいいいい! くそくそくそっ! 何故私がこんな目に合わなきゃならねぇんだ!』

 

「当然の報いさ。牙を抜かれた君にはね」

 

冷ややかな目で、千雨の胸元にあるペンダントを見やる。最早、相手が組織の幹部であろうと殺すことに一分のためらいも感じなかった。

 

「散々苦労させられたけど、これで終わりだ」

 

展開した石の槍を、彼女らを確実に仕留めるため、その頭部へ狙いを固定する。

 

「死ね」

 

無情な言葉とともに、石の槍はついに千雨へと射出されようとして。

 

 

 

「させないよ」

 

 

 

轟と、すさまじい何かがフェイトの右頬を貫くように叩きつけられた。子供ぐらいの体格しかないフェイトはいとも容易く吹き飛ばされ、睨み合いをしていたアスナとヘルマンの間へ落ちる。

 

「すまない、大分遅れてしまったね」

 

若い男の声が、雨の中でもよく通る声が聞こえた。着崩したスーツに、少しよれたネクタイ。眼鏡の奥に見える瞳は闘志に溢れ、精悍な顔つきを際立たせている。

 

「あ、あんたは……」

 

千雨はこの男を知っていた。ほんの数カ月前までは、彼女にとってはある意味身近な人間だった。それは、口をあんぐりと開けている古菲も同じ。

 

「た、高畑先生アルか!?」

 

「やあ、久し振りだね千雨くん、古菲くん」

 

現れたのは、かつての2-A担任であった高畑・T・タカミチ。麻帆良学園で学園長に並ぶ実力を有する魔法先生であった。

 

 

 

 

 

「驚いたよ、明山寺鈴音に重症を負わされたと聞いていたが」

 

フェイトに言われ、自分の右手をポケットから出してプラプラと振るタカミチ。その手には、包帯が巻かれている。

 

「ああ、確かにここ1ヶ月は満足に動くことが出来なくてね。おかげでまだ本調子じゃない」

 

タカミチはそう飄々と言ってのけるが、フェイトはむしろ警戒を強くしていた。仮にもあの『赤き翼(アラルブラ)』に所属し、若きエースの一人として活躍していた男である。

 

他のメンバーに比べれば見劣りはするが、少なくとも幹部クラスに実力は決して劣らない。むしろ、魔法が使えないというハンデを抱えてそれなのだから薄ら寒さすら覚える。

 

(参ったね、こちらはかの『剛拳』の弟子、ヘルマンは神楽坂明日菜が相手か。逃げづらくなったな)

 

「しかしよくもまあ、やってくれたものだね……」

 

ズンと、周囲の空気が一気に重くなる。タカミチの威圧によるものだ。その圧でフェイトは足を釘付けにされてしまう。冷や汗が、彼の背中を伝った。

 

(これが、かつての英雄……っ!)

 

京都で、近衛詠春からも感じた絶対的な差。未だ到達できない怪物たちの領域。フェイトが求めてやまない力を体現する者達である。

 

一方でタカミチの目には、明確な憤怒の炎が宿っていた。当然だ、共に戦った戦友の息子と元教え子達。目の前の少年は、そんな彼女らにこうも(むご)い行いを働いたのだから。

 

「僕達の目をくぐり抜けて何をやろうとしていたのか……じっくりと聞かせてもらおうか」

 

その言葉とともに、周囲に次々と人が現れる。葛葉刀子、瀬流彦、神多羅木などなど魔法先生がずらりと。中には教会の所属であるシスターシャークティの姿もあった。

 

「フォフォ、さんざん好き勝手やられたツケは払ってもらおうかのぅ」

 

そして、タカミチと並び学園の双璧とも言える魔法使い、近衛近右衛門の姿もあった。

 

「これはこれは。一体どうやって我々がいることに気づけた?」

 

「フォフォ、確かにネギ君たちでは儂らに伝えるのは無理じゃったろう。大方、監視でもつけていたんじゃろうな?」

 

そう、何かあったのならばネギと千雨を監視していたぷりんから連絡があるはずだ。それがないからこそ、こうしてバレていないと踏んで戦っていたというのに。

 

「じゃが、詰めが甘かったのう。たった一人だけ、監視から逃れられたものがおるじゃろう?」

 

「……! あのオコジョ妖精か」

 

「彼が最初、何故別行動をとっていたのか。それは、儂らに連絡を取るためじゃよ」

 

フェイトは内心で舌打ちしていた。すらむぃ達は種族としてはまだ若い部類だ。そのため、お世辞にもオツムがいいとはいえない。しかし、だからこそ素直に仕事を受け入れるし、単純な仕事では言われた通りにこなすことができるのだ。

 

だが、今回はそれが仇となった。ぷりんは監視対象であるネギと千雨だけを追いかけていたため、アルベールのことを置いて行かれただけだと思っていたのだ。

 

「いや、待て。我々が交戦してから10分もせずに彼は現れた。いくら妖精とはいえど小型の動物であるオコジョでは時間がかかるはずだ」

 

そう、どう考えても時間のつじつまがあわないのだ。学園長室までは人間サイズで換算としても10分はかかる距離だ。それを往復するとなれば更に時間はかかるはずである。彼らが戦闘を始めてからまだ20分も経過していないというのに、どうやって魔法先生らを集めたというのか。

 

「それには俺が答えてやるぜ!」

 

その疑問には、アルベール本人が口を開いた。

 

「そりゃーオレっちはすばしっこくはあっても長距離走るのには向いちゃいないさ。けど、それなら事情を知ってる人間に代わりを頼めばいい話だぜ!」

 

「そういうことよ!」

 

アルベールに応えるように魔法先生たちの後ろから現れたのは、なんと朝倉和美であった。

 

「あさ、くら……!? お前、なんで……?」

 

和美の登場に驚く千雨。そう、アルベールは同じ女子寮に住んでいる彼女の元へと走り、伝言を頼んだのだ。彼女は修学旅行時に魔法について知っているが、現時点ではネギ達と密接な関わりがあるわけでもないため捨て置かれていた。

 

「なるほど、一般人が相手ではオコジョ妖精は接触は出来ないが、彼女であれば接触することも、魔法先生に連絡を取ることも可能か」

 

「へっ、そういうことさ。俺っちは戦闘なんてできねぇが、できないなりのことはする主義なんでぇ!」

 

忌々しいとばかりにアルベールを睨むヘルマン。まさか、取るに足らないオコジョ妖精なんぞに出し抜かれたとは、上位悪魔としてのプライドに触ることだった。

 

(以前の借り、これで返しきれたとは思っちゃいないけど、私だって手伝いぐらいはしないとね)

 

修学旅行の際、ネギを暴走させてしまったことを彼女はずっと悔いていたのだ。だからこそ、こうして恩を返せる機会が来たことが彼女には嬉しかった。

 

「え、朝倉もなんかあの不思議なのを知ってたアルか?」

 

一方で、全く関係のなかった古菲はイマイチ状況が飲み込めていないのであった。

 

「しかし、事は急を要するようじゃな」

 

血だまりの中で倒れているネギと同じく重症を負っている千雨。ネギを必死に治療している孫娘、そのクラスメイト。上位悪魔と交戦しているアスナ見回して既に手遅れになりかけていたことを察した。

 

「先生……ち、ゆ……魔法……使える、ひとは……?」

 

「僕が使えるよ、というか君も重症なんだから喋っちゃダメだよ!?」

 

「よかっ……た……」

 

「千雨さんっ!?」

 

(先生……死なないで、くれ、よ……)

 

ネギが助かるかもしれないという安心感からか、千雨は急激に眠気に襲われる。

 

(ああ……なんか、眠いや……)

 

そのまま、意識を手放し気絶してしまう。これはいよいよマズいと感じたシャークティは瀬流彦に指示を出す。

 

「瀬流彦先生、ネギ先生をお願いします。私は彼女を」

 

「あ、はい!」

 

瀬流彦がネギの、シャークティが千雨の元へと駆け寄り、傷の状態を見て、治癒魔法による治療を始めた。

 

「これは、マズいな……」

 

「血が流れすぎています。早く塞がなくてはなりませんね……」

 

さすがに腕利きの魔法使いであり、先程よりも傷の治りが速い。出血もすぐに収まったが、出血が既に相当なものであるためすぐにでも本格的な治療を施す必要がある。千雨も同様であった。

 

「一刻も早く集中治療室に連れていく必要がありますわ」

 

「うむ、そちらのことは任せた。儂らは彼奴らの相手をする」

 

ネギと千雨を抱え、離脱していく二人。残ったのは、のどか達とヘルマンら。

 

「やれやれ、よもやこのようなことになろうとはな……」

 

「抵抗は無意味です。貴方が魔の者である以上、私の剣の錆になるだけ」

 

刀を構え、ヘルマンに警告する刀子。今は関東で先生をしているが、彼女も元は関西で神鳴流剣士として鳴らした強者だ。ヘルマンにとっては最悪の相手と言っていい。

 

「神鳴流剣士か、それも相当な熟練者だな」

 

「少しでも動いてごらんなさい、その髭を丸ごと刈り取ってあげるわ」

 

(厄介なことになってきたな……)

 

既に戦闘でかなり疲弊しているヘルマンでは、この状況から抜け出すことは難しい。フェイトもこの包囲網を突破できるほどまだ実力がついていない。

 

「仕方ない、投降するとしよう」

 

「っ……! だけど……!」

 

「既にこの一局は詰みの段階だ、フェイト。逆転の目は存在しないだろうな」

 

長年戦いの中で生きてきたヘルマンは、こういった戦局を見極める目や駆け引きに長けている。どう足掻いたところで、自分たちが勝てる要素はない。

 

「ふむ、では投降するということでいいかの?」

 

「ああ、そうだ」

 

ヘルマンはちらと、フェイトの方を見やる。そして、少しだけ口角を上げると。

 

「ただし、私一人(・・・)だがな」

 

「何?」

 

「すらむぃ! ぷりん! あめ子! フェイトを転移させろ!」

 

ヘルマンが言い放つと同時に、フェイトの周りに水のゲートが展開する。彼女らは逃げたのではなく、ヘルマン達を回収する機会を伺いながら雨の中に紛れていたのだ。のどからを捉えていた魔法を解除したのも、本当に逃げたと錯覚させるため。

 

「なっ!?」

 

驚愕するフェイトの前に、ヘルマンは背を向けて立った。

 

「お前は逃げろ、フェイト」

 

「だったら君も……!」

 

「生憎、二人いっぺんに逃げられる状況ではないから、なっ!」

 

「くっ、そこをどけっ!」

 

タカミチはフェイトに向かって走るも、ヘルマンに妨害されてしまう。そのまま、フェイトはゲートの向こうへと消えてしまった。

 

(ああもう、私が動けてたら……!)

 

魔法先生が集まってきてしまったせいで、迂闊に動けなかったアスナはこの状況を呪った。自分であれば、決して取り逃がしはしなかっただろうに、と。そんな彼女を嘲るかのように、ヘルマンは高笑いをした。

 

「ハハハハハ、詰めが甘かったな!」

 

「だが、お前はもう逃げられないぞ」

 

魔法先生らによって、拘束魔法で縛り付けられるヘルマン。これでもう、完全に逃げ場を失ったことになる。だが、それでもヘルマンは続ける。

 

「無論、分かっているとも。だが私を捕らえたところで、復活したての私に大した情報はない。君たちはとんだハズレを引いたというわけだな。ハハハハハハハ!」

 

雨が止み、静けさを取り戻した夜の虚空に、ヘルマンの笑い声がよく響いた。

 

 

 

 

 

「…………ここ、は……?」

 

真っ白な部屋で、ネギは目を覚ました。鼻をくすぐるのは薬品の匂い。

 

「確か僕は、あの悪魔に胸を貫かれたはず……うっ!」

 

胸に手を当ててみると、そこには包帯が巻かれ、かすかに痛みが感じられた。あれは現実であったことを嫌でも理解させられる。どうやら、あの後に病院へ誰かが連れてきて、治療を受けたらしい。

 

「そうだ、千雨さんたちは……!?」

 

周囲を見渡してみると、他にはベッドが見当たらない。ここは個室であるようだ。起き上がったネギは、痛む胸も気にせず、ベットを降りて部屋を出る。すると、目の前の別の個室に見知った名前があった。

 

「え……千雨さん!?」

 

長谷川千雨の札があったのだ。驚いたネギは、そのまま吸い込まれるようにその個室の扉に手をかけ、ゆっくりと開く。

 

「千雨……さん?」

 

窓のそばに、赤みがかった髪の少女の姿。髪をほどいてはいるが、その後姿は間違いなく千雨のものだ。

 

(よかった……立てるぐらいには回復できてるんだ……)

 

少なくとも命に別状がないということが分かり、ネギは安心するとともに、申し訳ない気持ちになった。復讐心から暴走し、自分だけでなく千雨の命まで脅かしてしまった。謝らないと、そう思い千雨へと近づいていく。

 

「あの、千雨さん……その……」

 

「…………」

 

ネギの呼びかけに、千雨は振り返る。寝起きなのだろうか、いつもより表情がいつもより険しい気がした。

 

「あの、すみませんでした!」

 

謝罪の言葉とともに頭を下げる。

 

「僕、考えなしに突っ込んでっちゃって……千雨さんも危険な目にあわせちゃって……」

 

「…………」

 

千雨は黙ったままだ。静寂が部屋を包み、気まずい空気が流れる。

 

「……なあ、先生」

 

「な、何ですか?」

 

頭を上げ、千雨を見る。先ほどと違い、少しだけ微笑みが見えた。千雨はそのまま頭に手を乗せて、彼に顔を近づける。

 

「一体誰に謝ってるんだよ?」

 

「えっ?」

 

「謝るのは私にだろぉ? せんせぇ?」

 

乗せていた手で髪の毛をひっつかみ、後ろに引っ張る。

 

「うぐっ!? ち、千雨さん……!?」

 

「お前、いつまで私の事アイツと勘違いしてんだよ。クキキ」

 

「お、お前は……!」

 

「そうだよ、"私"だよ先生!」

 

そう、表に出ていたのは千雨に寄生している精神体、氷雨だったのだ。

 

「いくらなんでも酷いなぁ? あいつと私を間違えやがってさぁ、クキキ」

 

千雨の顔で、邪悪に嘲笑う氷雨。ネギにとては非常に不快な表情だ。彼は今でも彼女を信用などしていないのだから。彼が最も信頼する相手の顔で、こんな不快な顔をされるのは我慢がならなかった。

 

「じゃあ、千雨さんはまだ眠ってるのか?」

 

「眠ってる? そうだなぁ、確かに眠ってるなぁ……」

 

ニヤニヤと笑いながらネギを見る。もったいぶったかのような言い方にネギは苛立ちを隠せず、少し荒っぽい声で問いただす。

 

「千雨さんはどうなってるんだ!」

 

「クキキ、まーだわかんないのかよ! 私がこんな好き勝手やってるのにアイツが出てこないんだぞ?」

 

「まさか……」

 

顔から血の気が引く。違う、そんなことはないと思い込もうとする。

 

「あいつはな、確かに眠ったよ。そう、それこそ永遠になぁ……?」

 

「そん、な……」

 

「あいつは死んだのさ、お前が気絶した後に負った傷のせいでなぁ!」

 

「う、嘘だっ! デタラメを言うな!」

 

必死に否定しようとするが、ネギは最悪の事態ばかりを想像してしまい、それを必死に振り払おうとするがどんどんと悪い方へと傾いていってしまう。本当に、本当に生きているのか。

 

だったらなぜ、目の前のコイツは自由に振る舞えるのだ。それは、千雨がもう出てこれないということではないのか。

 

「アイツはもう、この世の(・・・・)どこにも(・・・・)いないのさ(・・・・・)! クキキキキ! お前のせいでな!」

 

「嘘だ……嘘だああああああああああ!!!」

 

真っ白な部屋の中に、少年の絶叫が大きく響き渡った。



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第五十九話 不穏なる影

人が何を思っているか、それは見ただけではわからない
だが、もしそれが分かってしまうならば、なんと恐ろしいことだろうか


生まれながらに定まった運命。生まれながらに与えられた宿命。自分というものを自覚した時から、その2つは私に大きくのしかかった。私が果たさねばならないその使命に、何度押しつぶされてしまいそうになったことだろうか。

 

(私は、どうして生きているんだろう)

 

なまじ才能が有ることが憎かった。いっそバカであったなら、こうして悩むことなどなかっただろう。自分という存在の歪さに、それを生み出してしまった人間の悪意に私は飲み込まれてしまいそうだった。

 

それでも、私は悪に堕ちることが出来なかった。すべてを投げ出すことが出来なかった。だって、その宿命こそが私の生きるたった一つの理由であったのだから。それを否定すると、自分を否定してしまいそうで。

 

『やった! ついにやったぞ!』

 

『ついにアイツが倒された! 奴の配下もだ!』

 

『これで戦争は終わる!』

 

だが、唐突にその宿命は終わりを告げた。魔王は討たれ、封じられた。その配下もまた同様に。私の宿命たる者も、無論含まれていた。大きな爪痕を残しながらも、人々は歓喜した。長き戦いに終止符が打たれたのだから。

 

ふざけるな。ならば私は、なんのために生み出されたというのか。これが、こんな結末が私に与えられた役割なのか。こんな、ただ人の都合のために生み出され、下らない幕引きのために生きてきたというのか。

 

『奴らを殺せ!』

 

『今まで散々やられてきたお返しだ!』

 

『奴らの首を吊るしあげるんだ!』

 

ただひとつ、私の溜飲を下げたのは戦争が終わらなかったことだ。欲や復讐に駆られたバカどもが暴走して、泥沼の戦いに突入した。ざまあみろと、内心で嘯いた。しかし、それは同時に私という存在が再び使われる理由にもなった。

 

『奴らを殺せ!』

 

『そのためにお前がいるんだ!』

 

『殺せ! 殺せ! 殺せ!』

 

初めての人殺し。相手は人間ではないと教えられていたが、そんなはずがないと私は知っていた。私のように送り込まれた者達は、どうやら知らなかったようで皆胃の内容物を吐き出していたが。機械のように、自分と同じ形のものを殺す日々。それが延々と続いていった。

 

『私は、どうして生まれたんだ……! こんな、こんなことのために私は生まれたんじゃない!』

 

捻れに捻れた今に至る原点、それを変えることができれば。それは即ち、過去への反逆であり、未来の否定だった。私にはそれができる頭脳も、実力も備わっていた。戦争のおかげで、必要なパーツや機材を手に入れることは簡単だったのも幸いだった。

 

『私は、今度こそ私の役目を果たす……もう、私にはそれしかない……』

 

それが、私を証明する最後の方法。スタートラインにすら立てなかった自らの存在意義を、この手で果たす。例えそれが、かつて与えられただけであったものであったとしても。最早、私はそれに縋るしかないほどに壊れてしまったのだから。

 

『待っていろ……私はお前を"超える者"だ……!』

 

 

 

 

 

『ふむ、ヘルマンが捕まったか』

 

『……どうするんだ。補充されるはずの幹部がまた一人消えてしまったぞ』

 

『その点に関しては問題ない。美姫が帰還し、フェイトを新たな幹部として格上げするからな。もう一人に関してはデュナミス、お前に任せるぞ』

 

『……()を再起動させる気か?』

 

『そうだ。フェイトも幹部となる以上折り合いぐらいはつけられるようになってもらわねば困る』

 

『……分かった。確かに戦力としては十分だからな。少々問題児ではあるが、多少のことには目を瞑るほかあるまい』

 

『そういえば、アスナはどうだったの? 多分相当怒ってたんじゃない?』

 

『ああ。さすがに当初の計画がご破産になるようなことをなんでしたのかと聞いてきたな』

 

『……アスナ、ご立腹だった』

 

『それで、どうなされたのですか?』

 

『謝ったさ。さすがに私も少々手を早めすぎたと思ったしな。今回はアスナの言い分が正しい』

 

『お前が自分の非を認めるなど珍しいな』

 

『普段はこんな下手はうたんからな。どうも10年近く経っているせいで、堪え性がなくなってしまったらしい。反省せねばならん』

 

『……反省などという言葉が出てくるとは、気味が悪いな』

 

『……明日は槍が降るかも』

 

『ケケケ、言ワレタイ放題ジャネーカゴ主人』

 

『欲を出したのは私の方だ、柳宮霊子という怪物を打ち倒したことで少し突っ走りすぎたな。だが、お陰で現状のネギ・スプリングフィールドらの戦力諸々が分かったことはプラスだ』

 

『やはり、仲間とともに戦ってきただけあって互いをよくカバーしあっているな』

 

『逆ニ言ヤァ、オンブニダッコッテコトジャネーカヨ、ケケケ』

 

『まあ、そうとも言える。やはり、単体での戦力ではまだまだ成長途上といったところか』

 

『次はそこを突いてみるか。アスナを通じて指示を出しておくとしよう。それから、鈴音と私も直接見る必要があるか』

 

『何? お前たちまで動く必要性はないと思うが』

 

『気がかりなものが一つあってな。麻帆良学園の地下には、かつて使用されていたゲートが残っていると霊子から以前報告があっただろう? それがもし起動するとなれば面倒だ』

 

『え、でもそれって古すぎてもう使いものにならないんじゃなかったっけ? だから放っておくことにしたんじゃ』

 

『そのつもりだったんだがな。フランツが再調査を行ったところ修復された形跡があると報告してきてな』

 

『修復だと?』

 

『予想ではやはり、アルビレオがやっている可能性が高い。或いは、全く別の誰かかもしれんがな』

 

『オスティアと繋がってるんだっけ? 下手に旧世界(ムンドゥス・ウェストゥス)側と連携されると困るわね』

 

『ああ、だから私が直接行く。ゲートを完全に塞ぐならば私と鈴音が行くのが確実だからな』

 

『ですが、首領は魔法世界(ムンドゥス・マギクス)で最も警戒されている人物でしょう。以前の侵入とヘルマンの件があった以上、隠密に侵入することは不可能では?』

 

『侵入などせんよ。今回は正面から堂々と行く。丁度、学園の警備が甘くなる時期だ』

 

『警備が甘くなる?』

 

『時期?』

 

『ククク、麻帆良学園ではな、今の時期に学園祭を行うんだよ』

 

『祭りのようなものか』

 

『そうだ。規模も大きく、一般人も多く来場するお陰で紛れ込みやすい。実際トラブルも多いとアスナから聞いている』

 

『なるほど、それならば確かに魔法教師らだけでは手が足りんな』

 

『まあ、アスナのご機嫌取りも兼ねているといえるがな。三日間開催されるというし、アスナと見て回るのもいいかと思っている』

 

『……楽しそう』

 

『……鈴音。今回はあくまで計画の一部として行くんだ、お前も極力目立たないようにしてもらうぞ』

 

『……分かった』

 

 

 

 

 

終了のチャイムが鳴り、授業の終わりを告げる。昼の前ということだけあり、生徒たちは空腹に耐えながら待っていたこの終わりの瞬間を迎えて高揚していた。

 

「では、今日はここまでです。ちゃんと復習してくださいね」

 

『はーい!』

 

それは3-Aでも例外ではなく、授業の開始時はへにゃりとしていた彼女らは、急に元気を取り戻していた。4時限目の担当であり、クラスの担任でもあるネギが部屋を出ると、待ってましたとばかりに弁当を広げ、或いは食堂や購買に向かう。

 

「そういや、今日の先生はなんか元気なさげじゃなかった?」

 

「病み上がりだからじゃないかなぁ。先生、先週怪我で入院したんだし」

 

「そんなもんなのかなぁ……」

 

柿崎美砂の言葉に、明石裕奈はそう返すも、納得のいっていないかのような表情となる。1週間前、ネギが怪我で入院したとあってクラスは大騒ぎだった。急遽皆でお見舞いに行こうとしたが、安静第一だとして面会させてもらえなかった。

 

「正直大した怪我じゃなくてよかったと思うぞ、本当に」

 

「はい、先生がご無事でよかったと思います」

 

大川美姫がそう言い、絡繰茶々丸が相槌を返す。普段あまり接点を持とうとしないこの二人が会話に混ざってくるとは珍しいことだった。

 

「長谷川千雨、そこのところどうなんだ? お前も怪我をしたのだろう?」

 

「えっ、ああ、うん。先生が庇ってくれたお陰で軽症だったけど。あの日は雨が強かったし、ぬかるんでたから……」

 

「それで足を取られて階段からだっけ、本当に無事でよかったよ~」

 

同じく入院していた千雨によれば、雨でぬかるんでいたことで足を滑らせ、階段から落ちそうになったのをネギが庇ったという話だった。怪我の具合はそこまで酷くはなかったとのことで、今日から無事に学校に来ていたことに生徒たちは胸をなでおろした。

 

「先生……落ち込んでたですね……」

 

「うん……この前のこと、ずっと気にしてるみたい……」

 

「そうみたいアルね……」

 

一方、事情を知っているのどか達はネギの元気の無さを心配していた。魔法先生らのおかげでなんとか危機は脱せたが、あのままであったなら死んでいたかもしれないのだ。のどか達がしていたことといえば、捕まって見ていただけ。古菲の加勢でさえ、ほとんどなんの役にも立たなかったのだ。

 

「アイツ、全然歯がたたなかったアル……」

 

「仕方ないですよ、魔法について知っているかどうかで、実力に大きな差がつくのは当たり前って師匠も言ってましたし」

 

「けど、私悔しいアルよ。先生も、千雨も守れなかったアル……」

 

古菲が先日の一件を覚えているのは、古菲自らが記憶の処理を頑なに拒んだからだ。元々魔法とはなんの接点も持たないはずの彼女を、これ以上危険な目にあわせないようにと考えてのとこだったのだが、彼女は頑として首を縦に振らなかった。

 

『忘れるなんてしたら、逃げ出すのと同じある。そんなの、師匠にも先生にも顔向けが出来ないアルよ!』

 

その頑固ぶりについには先生らも折れ、魔法関係者として扱うこととなったのだ。意外にも、高畑教諭が助け舟を出したのも大きかった。なぜ手助けをしてくれたのかを尋ねてみると。

 

『いやぁ、君を見てると昔の僕を思い出しちゃってね。僕はそれで後悔したからさ、せめて君にはそんな思いをしてほしくないんだ』

 

という言葉が返ってきた。そんな彼の好意を無駄にしたくはないが、現状自分一人での鍛錬では限界があるのは見えていた。

 

「……じゃあ、私が師匠に掛けあってみるですから、一緒に修行をしてみませんか?」

 

「い、いいアルか!? あ、でも私魔法とかよくわかんないアル……」

 

「大丈夫です、多分古菲さんは魔法の適性が低そうですから。その代わり、魔力や気での強化といった戦闘技術は覚えられそうですし。前にチンピラを相手した時、拳に気を込めてるのが見えたので」

 

「え、私そんなことしてたアルか?」

 

実際、古菲は無意識的に気を用いて拳に強化をしていることが時々あり、それを夕映も何度か目にしていた。本当に微量なせいで大した威力増強にはなっていなかったのだが、それだけ素質があるという証明でもあった。

 

「魔法使い相手では戦い方も学ぶ必要があるです。その点で言えば、師匠は最高峰の魔法使いですから、いい経験になるはずです」

 

「そうアルかー。じゃあ、私からもよろしくお願いするアル!」

 

そう言って、深々と頭を下げる古菲。夕映は慌てて頭をあげるように言うが、古菲は頼みをするのに頭を下げないのは礼を失するとして聞かない。武術に対して真摯であり、ストイックな彼女ならではであった。

 

「じゃ、じゃあそうと決まれば千雨さんも交えて話を……」

 

「あの、夕映? 千雨さんはさっき教室から出てっちゃったけど……」

 

「むぅ、タイミングが悪いです。じゃあ放課後に校門で待ち合わせとしましょうか」

 

そのまま、彼女らも食堂へ向かおうと足を運びだしたが、のどかだけが立ち止まったまま微動だにしない。

 

「…………」

 

「のどか?」

 

ボーっとしているのか、のどかは夕映の言葉にも反応しない。彼女の頬を指でつつくと、突然のことに驚き小さく悲鳴を漏らしてわちゃわちゃと動いた。

 

「も、もうゆえ~っ! なにするの!」

 

「いえ、呼んでも返事がなかったですから。何かあったですか?」

 

「う、ううん……そういうわけじゃないよ……」

 

具合でも悪いのかと思い尋ねてみたのだが、どうやらそうでもないらしい。華奢ではあるが健康的な生活をしているはずなので、大川美姫のような病弱でもない彼女が体調が悪くなるということは、実はそれほどなかったりする。

 

「じゃあ、お腹減ってないとかアルか?」

 

「そ、それも違うかな……」

 

「ハッ、むしろお腹が空きすぎて意識を失ってたアルか!?」

 

「それは古菲のほうではないですか?」

 

そんな他愛のない会話をしつつも、夕映はのどかの手をひいて食堂へと再び歩き出す。が、のどかは夕映の手を離してしまう。

 

「あ、あの夕映。私ちょっと用事があるから……」

 

「? 何かあるですか?」

 

「ご、ごめんね。先に行ってて……!」

 

「あっ、のどか!?」

 

のどかは用事があると告げ、駆け足で夕映達とは反対の方へ走って行ってしまった。

 

「なんやろか、用事って」

 

「まあ、個人的なことならあまり詮索しないほうがいいアルよ、うん」

 

「そうですね。じゃあ先に食堂に行ってましょうか」

 

 

 

 

「やぁ、先生」

 

千雨がそんな風にネギへと話しかける。いつもであれば、この二人で食事をとりに屋上へ、ということもよくあるのだが、今日はネギの様子がおかしかった。

 

「こんにちは」

 

普段であれば、顔をほころばせながら話を続けるというのに、形式張ったような余所余所しささえ感じられる挨拶を返す。まるで、千雨と関わりたくないかのように。

 

「おいおい、つれないじゃあないか。私と先生の仲だろう?」

 

「誰と誰の、仲だって言うんですか?」

 

辛辣なまでに、否定を返すネギ。その目には柔和さなどは欠片もなく、ひたすらに冷たさと鋭さが宿っている。

 

「クキキ、酷いじゃないか先生。私はあんたの生徒なんだぜ?」

 

「僕はそう思ってませんが。貴女は千雨さんにへばりついた寄生虫ですよ、氷雨」

 

「手厳しいことで。クキキ」

 

互いに睨み合う二人。人気のない廊下だったからよかったが、もしも誰かがここを通ればその剣呑な雰囲気に圧され泣き出してしまったかもしれない。それほどまでに、二人の放つものは刺々しいものだった。

 

ヘルマン襲撃から一週間、ネギは氷雨が千雨の体を乗っ取ったという事実に打ちひしがれ、しかしそれでもなお千雨が戻ってくると信じている。だが、氷雨はそれを嘲笑い、そんなことはありえないとネギを何度も挑発した。

 

ネギは『桜通りの幽霊』事件を起こし、修学旅行での倉和美及び長谷川千雨を乗っ取ろうとした氷雨に、一切心を許していない。そのため、必然的に会話は減っていった。

 

「ま、いいさ。私も久々に自由にできるからだが手に入ったんだ。暫くは大人しくしてやるよ」

 

「自由? 千雨さんの体でお前に好き勝手なんてさせるものか。お前がやったこと、僕はずっと忘れてないし絶対に許す気もない」

 

「それでいい、私も貴様と馴れ合うつもりなんてないんでねぇ。今までは長谷川千雨にとり憑いてたせいで流されるままだったが、今は違う」

 

ニヤニヤと、普段の千雨ならば絶対にしない、神経を逆なでするかのような笑みにネギは顔を顰めた。遊んでいるのだ、この『亡霊』は。

 

「で、私のことを他の奴らに言わなくていいのか?」

 

「……千雨さんのことはショックを受けるだろうけど、今日中には伝える。お前のことは警戒すべきだ」

 

そして、それを理由にネギは仲間たちから離れるつもりだ。千雨の死という大きすぎる喪失は、ネギに同じことが起きてしまうことを嫌でも思わされてしまった。これ以上、犠牲者が増える前に関わらせないほうがいいと思っていた。

 

記憶を消すつもりはない、かえって目の前の相手に利用されてしまう可能性があるからだ。そして、もう魔法とは距離をおかせたほうがいい。たとえ拒否されようと、それが一番安全であるはずだから。ネギの中で、それはもう決定事項であった。

 

「言っておくが、私をこの体から追いだそうなんて考えないことだ。今のコイツの体は、私の精神が入っていることで成り立ってるんだからな」

 

「……どういう意味だ」

 

「私が消えれば、コイツは植物人間になるか、最悪死ぬってことさ、クキキキキ!」

 

思いつく限りで最悪なことを告げられ、ネギの視線が更に鋭くなる。感じられるのは、氷雨に対する憎悪だ。

 

「じゃあな、せいぜい私の機嫌に気をつけておくことだ。クキキキキ!」

 

去っていく氷雨を、ネギはただその背を見送ることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

「クキキ、傑作だったな。やはりこうでなくてはなぁ」

 

口角を上げ、氷雨は屋上への階段を登る。今は昼時であるため、いつもならばコートのある屋上には女生徒が大勢いるのだが、今日に限ってはそれは当てはまらない。彼女が人払いの結界をここに仕掛けているためだ。

 

「マスター、お昼をお持ちしました」

 

「ご苦労、茶々丸」

 

屋上で待機していた茶々丸から昼食のサンドイッチを受け取る。本来は大川美姫の補助を主として作成された彼女だが、その実態は氷雨という人格にこそ忠誠を誓う人形である。

 

今の美姫はそんな彼女を失った状態であるため、茶々丸にとってはあくまでその補助をするためという表の目的のためについて回っているだけである。

 

「私の元の体の調子はどうだ、茶々丸」

 

「はい、バイタルはいずれも良好な状態が続いております。マスターという人格が失われているため少々不安定ですが、お送り頂いた新しい薬が効いているようです」

 

「そうかそうか、そりゃよかった。私としても、あの窮屈な体(・・・・)からこうして解き放たれたのは清々しいが、それでも自分の体だからな」

 

そう言って、潰した卵とハムを和えたものを挟んだサンドイッチを口に運ぶ。ようやく自由な体を手に入れられたとはいえ、ここ一週間は病院食が続いた。こういったものが食べられるのは、やはり氷雨にとって少なくない感動があった。

 

「ま、あんな奴ら(・・・・・)でも私の一部なんだ、記憶がなくても根っこは同じだ。そこまで心配する必要もないか」

 

氷雨にとって、ある種のアイデンティティでもあり、同時に自らの最も懸念すべき事項。それにとりあえずの問題がないことを確認し、次の一切れを手に取る。

 

「マスター、扉の向こうから熱反応を感知しました。大きさから推測して、恐らくは小柄な女性と思われます」

 

茶々丸が、自らの目に搭載された高機能サーモグラフィによって扉の向こう側に何らかの生物がいることを検知する。

 

「……クキキ、招き入れてやれ」

 

「よろしいのですか?」

 

「ああ、むしろ私が待ち望んで(・・・・・)いた相手だ(・・・・・)

 

氷雨の言葉を受け、茶々丸は扉の方へと赴き、ノブを回して開ける。果たして、その先にいたのは氷雨、もとい美姫のクラスメートでもある少女であった。

 

「ふむ、少し暗示が強かったか……?」

 

「恐らくは。彼女から反応が返ってきません」

 

「ダメだな、やはり私には魔法は扱いこなせん」

 

相手の少女が一人になっていた時、こっそりと魔法で暗示をかけたのだが、どうやら強くかかってしまったらしい。暗示などの深層心理に働きかける魔法は、強く掛けるよりも相手の無意識に働きかけられる程度の適度さが大切なのだ。

 

「まあいいか、私の専門は道具だからな」

 

指を弾くと、少女にかけられた暗示が解かれる。いきなり意識が覚醒したせいで呆然としているが、すぐに周囲をキョロキョロと見回し始めた。

 

「クキキ、ようこそ。宮崎のどか」

 

「えっ、あれっ!? 私、なんで……ここ、屋上……?」

 

少女、宮崎のどかはしどろもどろといった様子だ。無理もない、彼女の認識からすれば、授業が終わってからいきなり屋上にいたのだから。

 

「千雨、さん……」

 

「おいおい、私の事が分かっていないふりはよすんだ」

 

「……っ!」

 

ドキリと、のどかは心臓が締めあげられたかのように痛んだ気がした。

 

「お前は読心師だ、私のことがわからなかったなんて言い訳が通じるはずないよなぁ?」

 

「それ、は……」

 

そう、のどかだけは気づいていたのだ。今の人格は千雨ではなく、氷雨であることを。そして、それに気づいていながら気づいていないふりをしていたのだ。誰にもその事実をいうことなく。

 

「聞かせてくれないかな? どうして私のことを黙っていたのか」

 

「あ、え、う……」

 

「言えなかったのか。或いは、言いたく(・・・・)なかった(・・・・)のか」

 

のどかは、言葉を詰まらせてしまった。なにか言わなくちゃいけないのに、言葉が口から出てこようとしてくれない。心臓が速音を打ち、息が苦しくなる。

 

「気づいていないとでも思ったか? お前、私の見舞いに来た際に喜んでいただろう」

 

「そ、それは千雨さんが回復したことが嬉しくて」

 

「嘘を言うな」

 

のどかの言葉を遮り、氷雨は鋭く切り込んだ。そんなまやかしの言葉でこちらが騙されるかと、内心でほくそ笑みながら。

 

「お前は嬉しかったんだろう? 長谷川千雨ではなく私だったことが(・・・・・・・)

 

「そんなことありません!」

 

「じゃあ、なんでお前はあの時」

 

口元が笑っていたんだ?

 

「っ!? そんな、そんなことは……!」

 

「クキキキキ、成る程無意識だったわけか。だが、自分の本心をいくら隠そうとしても、それが態度に出てしまうことだってある」

 

ミシミシと、のどかの心が悲鳴を上げていく。やめろ、それ以上はやめてくれと必死に懇願していかのようだった。

 

「なんでお前は私だったことが嬉しかったのか。いや、発想を逆転させるべきだな。お前は私がいたことが嬉しかったんじゃない、長谷川千雨がいなかったことが嬉しかったんだろう?」

 

「やめて……」

 

「お前にとっては愛しいあの人といつも心を通わせていたもんなぁ? そりゃあ邪魔だろう」

 

「やめて……っ!」

 

大声で氷雨の言葉を遮る。それは氷雨の根拠の無い話を嫌ったからか。或いは。

 

「じゃあ、お前自身に聞いてみるのが手っ取り早くないかな?」

 

「え……」

 

「アーティファクト、あれは何も他人の心を読むだけのものじゃない。使用者だって対象にできる代物だ」

 

「…………」

 

スカートのポケットに手を入れ、中に入っているものを掴む。それは、無論彼女の仮契約カードであった。それを展開して、アーティファクトを取り出そうとするが、出来ない。自分の潔白を証明するならばアーティファクトを出し、自分の心を読むべきなのだろう。

 

だが、彼女は怖かった。自分という、一番分かっているはずなのに一番分かっていないものを見ることに怖気づいてしまった。

 

「なんだ、早く出して見せればいいじゃないか。それでお前は自分を知ることができるんだ。それでいいじゃないか?」

 

「あ、う……」

 

「全く、仕方ない」

 

そう言って、氷雨はのどかのスカートのポケットに手を突っ込み、彼女の仮契約カードを取り出した。

 

「あっ、返して!」

 

「クキキ、慌てるなよ。別にお前から取ろうってわけじゃない。ただ単に、お前が考えてることを読み取ってやろうと思うだけさ」

 

そんなバカな、とのどかは思った。仮契約とはいえ、アーティファクトは個人個人が契約の証として持つものであり、他人が使うなんてことはほぼ不可能なのだ。

 

「『来たれ(アデアット)』」

 

「え、嘘っ!?」

 

だが、氷雨はそれを実行してみせた。成功という形でだ。

 

「ふむふむ、やはり素晴らしいものだ。一度触ってみたかった」

 

そう言って、手の中でのどかのアーティファクト『いどの絵日記』を弄ぶ。ネギと自分とをつなぐそれを好き勝手にされるのは、のどかにとってはあまりいい気分ではない。

 

「私には生まれついての才能があってねぇ。魔法具やアーティファクトといったものが十全に扱えるのさ。いわば、特殊能力と言っていいかな?」

 

「特殊能力……」

 

柳宮霊子から、のどかは聞いたことがあった。特定のもの以外の魔法を完全に無効化してしまう『魔法無効化』能力。数は少ないが、他にも様々な能力を有する者が魔法世界にはいるという。

 

「付喪神やアニミズムなどに代表されるように、物質には魂が宿るとされる考え方がある。魔法人形などもこの類だな」

 

いどの絵日記を開き、なんとなしにペラペラとめくる氷雨。すると、本に薄っすらと文字が浮かび上がってきたではないか。

 

「道具も同じだ、魔法で作成されたものや長年使われたものあれば魂が宿っている。魂の格が低すぎて誰も見ることは出来んがな。私はな、そういった道具の『声』が聞けるんだよ。そしてそいつらに頼み込んで、どうやって使えばいいのかを感覚的に理解し、それを実行してしまえるのさ」

 

「そんな……」

 

もしそれが本当のことだとすれば、彼女はこの世のありとあらゆる魔法具を扱えることになる。どれだけ頑強なロックがかかっていたとしても、彼女であればそれらを無視してしまえるのだ。

 

「加えて、私はあの御方から直々に鍛えられたこともあって道具の作成や改造に関しては自信があってねぇ。お陰で科学で生み出されたものでも問題なく使いこなせる」

 

図書館島の地下のセキュリティシステムを改造し、設定できたのもそれが理由だ。戦闘能力は低いが、道具を扱わせれば組織でも右に出るものがいない。加えて幾つもの強力な魔法具を生み出し、組織に貢献したことによって彼女は幹部へと至ったのだ。

 

「クキキ、まあ私が使っても疑われるだけだ。自分の心ぐらい、自分で覗くんだな」

 

そう言って、彼女はいどの絵日記を閉じて無造作にのどかへと放る。のどかはそれを慌てて受け止めた。

 

(私が……思っていたこと……)

 

この本を開けば、それが分かる。こうして手渡されてしまった以上、このまま逃げるのは自分が千雨がいなくなったことを喜んでいるということの証明になってしまう。そうなれば、彼女は喜々として皆にそれを教えるだろう。

 

(それだけは嫌……そうなったら私、ゆえにも、このかにも……先生にも……!)

 

気づけば、本を握る手が強張り、指先が震えていた。それでも、意を決して彼女は本を開いた。

 

「……え」

 

そこに書かれていたのは、支離滅裂に書かれた何か。真っ黒なインクをぶちまけたかのような文字の洪水は、のどかの意識を一瞬だけ空白にした。

 

「クキキ、お前はもう逃げられない(・・・・・・)

 

瞬間。いどの絵日記から文字がのどかへと溢れだした。叫ぶ暇もなく、彼女は一瞬で文字の波を顔に受けた。やがて、文字の奔流が止まると、のどかはパタリとその場に倒れてしまった。

 

 

 

 

 

「クキキキキ、思った通りになったな」

 

久々に行った策略が自分の思い通りに行ったことが嬉しかったのか、氷雨は喜悦の表情を浮かべる。

 

「まあ、こんな簡単に引っかかってくれるとはな」

 

のどかに暗示をかけたのは、彼女が見舞いにやってきた時。つまり、彼女が氷雨に気づいていながら誰にも喋らなかったのは氷雨の暗示によって操られていたからであった。千雨の生き死にに対するのどかの感情などというのは、彼女を追い詰めるための方便だ。

 

「人の心は案外強固なものだ、暗示程度で操れるほどやわじゃない。宮崎のどかは気弱な部類ではあるが、それでもここぞという時の意志の強さは眼を見張るものがある」

 

氷雨は、大した相手ではないと舐めてかかったせいでネギ達に手痛い目に合わされてきた。千雨とともになってからは、ネギ達がフェイトや柳宮霊子という格上相手でも奮戦してみせる姿を見てきている。だからこそ、彼女はそれにどう対抗すべきか考え続けた。

 

「前は私が体を乗っ取った形で操っていたから、魔法具を無効化する魔法具で対抗された。なら、自分の意志で戦わせるように仕組んでやればいい。クキキ」

 

「マスター、本当に彼女を使う気ですか?」

 

「戦力にならないだろうって? 戦闘面ならそうだろう、だがこいつの読心師としての才覚は眼を見張るものがある。さすがに今回の私のように相手の深層意識まで犯すというのは無理だが、それ以外でもいくらでも使い道がある」

 

先ほどのどかにかけたものは、いどの絵日記が持つ隠れた能力、読心対象者の心を操るというものだった。本来なら表には顕在化しないはずのそれを、氷雨は声で聞き取り、行使したのだ。その能力とは、読心の真逆、相手の心に働きかけ、上書きするといったもの。

 

「まったく、とんだ手間がかかったぞ。相手の心が弱った時にしか使えないとはな」

 

のどかを追い詰めた理由はそれだった。相手の心が弱まり、いどの絵日記の能力を発動させて相手に読ませるという発動条件を満たすために、彼女は一週間も前からのどかへ暗示をかけて、罪悪感という重しでじわじわと弱らせていったのである。

 

「だが、その分効果は強力だ。並の魔法具ではコイツは打ち破れんよ」

 

これで、使える手駒は手に入った。ネギが最も信頼しているのは千雨だが、他の仲間を信用していないというわけではない。むしろ、彼にとっては千雨が特別心を許せる相手なだけで、他の者達に対する信頼も高いのだ。

 

「クキキ、これで作戦通り切り崩しにかかれるというものだ」

 

「ネギ先生を孤立させろ、との指示ですね」

 

そう。今回氷雨がこうして動いている理由は、アスナから経由して渡された次なる指示があったから。それは、『ネギ・スプリングフィールド』を孤立させろというものだ。それは、氷雨に対してチャンスを与えてくれたということでもある。

 

「そうだ、やはりあの人は私を見捨ててなどいなかった! 私にこうして挽回のチャンスを与えてくださったのだから!」

 

「はい、私も喜ばしく思いますマスター」

 

「お前にも存分に働いてもらうぞ。さて、次はどうやっていくかなぁ」

 

茶々丸は、そんなマスターの姿を見て笑みを浮かべた。彼女にとっては氷雨こそが正当な主人であり、久々にこうしてはしゃいでいる姿を見れて嬉しかった。

 

(マスター、私はあなたのために尽くしましょう。貴女のためならば、私はいくらでもこの身を惜しみません)

 

あの日、彼女の下僕となった日から。彼女の忠誠は微塵もゆらぎはしない。例え主人が、悪の道をひた走ろうとも。彼女は決して主人に逆らうことなくついていく。

 

――『茶々丸、そうだお前の名前は絡繰茶々丸でどうだ?』

 

――『クキキ、安心しろ。私はお前を手放さないよ。私にとって、お前は家族なんだから』

 

正しくはないだろう、下僕でも主人に忠言をすべきなのだろう。だが、彼女はそれをしない。彼女は、主人の思うままにさせてあげたいのだ。どれだけ間違っていることであったとしても、主人とともにどこまでも堕ちていく。

 

「ああ、奴の苦痛に歪む顔が早く見たいもんだ……!」

 

そして、そんな忠誠を向けられ、高揚気味に語る氷雨の目は、ドロドロと盲目的に濁っていた。



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第六十話 接触

近づく者と、遠ざかる者。


放課後。ネギとその仲間たちは誰も使っていない空き教室にいた。集まったのは、楓と千雨以外の5人と、新たに加わった古菲、そしてアルベールの1匹である。

 

「……どういうことです?」

 

「皆さんを、これ以上魔法に関わらせる訳にはいかない。僕はそう判断しました」

 

「ふざけているんですか?」

 

ネギの言葉に、夕映は苛立ちを隠せない声色で言った。当然だ、既にここにいるメンバーは魔法とは深く関わってしまっている上に敵の組織にも顔を知られてしまっている。今更魔法と無縁の生活などできはしないだろう。

 

「先生、理由をお聞かせ願えますか?」

 

刹那もまた、難しい表情をしていた。木乃香を魔法に関わらせたくないと願っていた祖父や父親でさえ、彼女の身の安全を考えて魔法に関わらせることを決断したのだ。それを知っているネギが、なぜそんな判断をしてしまったのか気になるのは当然のことだろう。

 

「……千雨さんのことですか?」

 

「っ!」

 

のどかの指摘に、ネギは苦虫を噛み潰したような顔になる。他のメンバーも、薄々感づいてはいたのだ。千雨だけ、この場にいないという事実から彼女になにかが起こったことを。

 

「……千雨さんは、現在体を乗っ取られています」

 

「っ、そういうことですか……」

 

「下手人はやはり、氷雨ですね?」

 

ネギは無言で首を縦に振る。氷雨こと大川美姫は、二度の敵対を経て一時的に協力関係を築いた経緯がある。最初は桜通りの幽霊事件、二度目は修学旅行時の肉体乗っとり未遂。どちらも許しがたい所業ではあったが、千雨と精神が結合してしまったためやむを得ず体を共有する関係になっていた。

 

ネギは氷雨のことは殆ど信用しておらず、常に距離を置いて接していた。油断のならない相手と常々考えていたためだ。木乃香達はまだある程度打ち解けてはいたが、その中でも夕映と刹那はやはり彼女のことを警戒していた。

 

「千雨さんは、アイツ曰く死んだそうです……」

 

「そんなっ!?」

 

「姐さんがですかい!?」

 

「しかし、師匠曰く生きている限りは肉体の絶対的所有権は千雨さんにあるはず……意識がまだ回復していないせいと考えても、精神が繋がっていた氷雨が元気であるなら意識が戻ってもおかしくは……」

 

冷静にそう分析する夕映の言葉に、ネギは俯いてしまう。夕映はしまった、と思い言葉を止める。千雨はネギと最も長く戦ってきた仲間だ。期間で言えばまだ2ヶ月程度だが、それでも数々の死線をともにくぐり抜けてきた二人は強い絆を結んでいた。

 

「アイツは千雨さんの体を使って擬態しています。一見すれば普段の千雨さんと遜色ないほどに、違和感を殆ど感じさせない」

 

「確かに、気配も肉体が千雨さんのせいか邪なふうには感じられませんでした。恐らく、千雨さんに寄生していたことから、その一挙手一投足に至るまでを感覚的に覚えたのでしょう」

 

「魔法精神学的に補足すれば、体が彼女のものですから肉体に宿るくせや経験が補ってしまっているのもあるでしょうね。しかし、あそこまで違和感なく他人を演じられるというのは、空恐ろしいものを感じるです」

 

もし事実を知らなければ、彼女に騙されて何かされてしまっていたかもしれない。だから、ネギは魔法関係から身を引かせようとしたのだ。

 

「中身が違うとはいえ、僕は皆さんと千雨さんが戦うところなんて見たくないんです……」

 

「ネギ先生……」

 

「……先生の気持ちはわかります。しかし、既に関わりを持ってしまった以上後戻りなんてできないことは先生も承知のはずでしょう?」

 

「でも……!」

 

「記憶処理をしたところで、彼女は私達を利用しようとするだけでしょう。一般人だったクラスメートですら利用した彼女ですよ? もっと冷静になってください先生。普段の貴方ならそんな判断はしないでしょうに」

 

夕映から見て、ネギは精神的に不安定なのがよく分かる。今まで一番心の支えになってくれた相手がいなくなってしまい不安になっているのだろう。

 

「……そうですね、すみません」

 

「いえ、不安な気持はよくわかります。私も師匠に縛り付けられていた頃は同じ気持ちでしたから」

 

「先生、あなたの味方はもう千雨さんだけじゃないでしょう? 私達がいる、魔法先生だって手を貸してくれるはずです」

 

「うん、うちも役に立てるよう頑張る!」

 

「わ、私もせんせーのお役に立てると……思います」

 

「私は魔法を知ったのはこの前アル、けど私だって先生を守るぐらいはできるアルよ」

 

「俺っちだって、役に立てることぐらいはあるはずでさぁ!」

 

ネギはハッとなった。自分はずっと皆と戦っていたつもりだった。だが、自分は千雨を一番頼りにし、そして頼り切りにしてしまっていたのだ。本当の意味で、皆を信頼していたわけではなかった。

 

(……僕は、ずっと千雨さんに頼りすぎだったのかもしれない)

 

辛い時、苦しい時。いつも隣には彼女がいた。彼女がいてくれたから自分はこうしてここにいれるのだと。だが、逆に彼女はどうだったのだろう。自分は彼女に何をしてやれた。

 

それ以上に、本当の意味で信頼を向けていなかった仲間たちはどうだ。こちらはなお酷い。信頼を向けてくれていた相手に、自分は心から応えることをしていなかった。これでは、仲間をただ利用しているだけではないか。

 

「先生、私達はそんなに頼りないですか?」

 

それでも、彼女らは手を差し伸べてくれている。ネギは、その信頼に応えたいと思った。

 

「いえ……さっきの言葉、撤回させてください。お願いです、どうか僕に力を貸してください!」

 

「はい、これからもよろしくお願いします。先生」

 

そう言って、刹那は彼の手を取って柔らかく微笑んだ。

 

 

 

 

 

「目下問題なのは、氷雨が何をしてくるかですね」

 

「師匠にちょっかいをだすことはありえないでしょう。いくら同じ幹部格とはいえ、年季が違いますし」

 

「やっぱり、クラスメートに何やする可能性が高いやろなぁ……」

 

今後氷雨がどう動くかについて、あれこれと思索する一同。氷雨は桜通りの幽霊事件でネギ達に邪魔をされたことをかなり根に持っている。組織がこちらを殺すことを厭わないと分かった以上、氷雨が恨みを晴らすために行動する可能性は高かった。

 

「何とかして千雨さんの体を取り戻せないでしょうか……」

 

一番の問題は、氷雨が千雨の体を乗っ取っているということだ。肉体が千雨本人である以上、迂闊に手出しをすることができない。

 

「あ、あの……」

 

すると、のどかがおずおずと手を上げた。

 

「実は……霊子さんから預かっていたものがあって……」

 

彼女はカバンから、小さな箱を取り出した。カーキ色をしたシンプルな宝石箱と言った具合だ。のどかが開けてみせると、中には何個かの指輪が入っていた。色とりどりの宝石のきらめきが美しい。

 

「ほえー、綺麗アルなー」

 

「精神防壁を張れる指輪だそうです。万が一、精神支配をされないようにって、以前渡されていたんです」

 

「師匠が……」

 

夕映は一つを摘みとり、よく観察する。確かに、魔力が通っていることがわかる。なんらかのマジックアイテムであることは間違いないだろう。

 

「普段からこれを身に着けておけば、何かされそうになっても大丈夫だって……」

 

「ありがたい事ですね、また以前のように体を乗っ取られるといった事態は防げそうです」

 

体を乗っ取られるということは、イコールそのまま敵戦力の増強と人質をとられることだ。その可能性が潰せるのは大きなアドバンテージだろう。

 

「はめる場所が決まってるらしくて……右手の薬指がいいそうです」

 

「のどかー、これはめてみてもええ?」

 

木乃香から身につけていいかと聞かれ、のどかは小さく頷く。許可を得た木乃香は、早速指輪を右手の薬指にはめようとして。

 

バシィッ!

 

「へ?」

 

突如飛来した魔法の矢に、その指輪を弾き飛ばされた。

 

「っ!?」

 

「誰だっ!」

 

いきなりの出来事に、一瞬頭が真っ白になった木乃香と、即座に臨戦態勢に入る刹那。古菲も同様である。そしてネギ達もまた、それに一瞬遅れて身構えた。

 

(さっきの魔法、たった一発の魔法の矢ではあったけど……恐ろしいコントロールだった……)

 

基礎魔法に関して言えばネギもそれなりに自信はあるし、先ほどのと同じことをしろと言われれば、恐らくはできるだろう。だが、それは修行で魔法の練度を高めたからこそであり、一般的な魔法使いがやれと言われても無理と答えるのが普通だ。

 

つまり、少なくとも魔法を放った相手は、修業を経て強くなった自分と同等か、それ以上の魔法使いということになる。

 

「…………」

 

額から一筋の汗が流れ出る。魔法が飛来してきたであろう教室の入口を、じっと睨む。

 

「まいった、降参だヨ」

 

聞こえてきたのは、聞き覚えのある少女の声。この場にいる誰もが知っている人物であり、しかし殆どが関わりを持たない者。

 

「今の声は……」

 

そして唯一、太いつながりを持っている古菲が驚愕で目を見開く。何故ならその声の主は、魔法などというものに一番関わりの薄そうな人物なのだから。

 

「いやぁ、驚かせてすまないネ」

 

そんな言葉とともに、彼女は物陰から出てきた。

 

「ちゃ、超さん!?」

 

顕になったのは、彼女たちのクラスメートである超鈴音であった。

 

 

 

 

 

「先ほどの魔法……あれは貴女のもので間違いないですか?」

 

未だ警戒を解かない刹那の言葉に、しかし超鈴音は笑顔を絶やすことはなく。

 

「いかにも、あの魔法は私が放ったものに相違ないヨ」

 

「じゃあ、超さんは魔法使いなんですか……? でも、魔法先生から超さんが魔法使いなんて聞いてないし……」

 

「それはそうだヨ、だって私が人前で魔法を使ったのは今のが初めてだからネ」

 

「……隠していた、ということですか」

 

魔法が使えるという事実を態々隠していた理由は分からない。だが、それをなぜ今になって明かしたのかが気になる。

 

(万が一組織側の人間だとすれば、厄介なことになるです)

 

魔法の操作技術の高さは夕映もあの一瞬で理解していた。小さな指輪を摘んでいた木乃香へ、不意打ちとはいえ刹那ですら反応できない速度で正確無比にぶつける。熟練の魔法使いでもそう簡単にできる芸当ではない。

 

【どう思うです? 刹那さん】

 

【あまりにも疑わしいと言わざるを得ない、ですね】

 

互いに念話を使いながら、目の前の人物について意見を交わす。二人の見解は概ね怪しい人物というもので一致していた。

 

「そう警戒しないで欲しい、私は敵じゃあないヨ」

 

超はゆっくりと、そう語りかけながらネギ達へと近づいていく。

 

「ストップです。今この状況で、貴女は信用ができません」

 

「ふーむ、さすがにかの魔女の弟子だけあるネ、クラスメート相手でも警戒を怠らないカ」

 

「……師匠のことまで知っているですか」

 

「そりゃあネ、彼女は有名人だ。知らないほうがおかしいと思うけどネ」

 

これではっきりした、少なくとも彼女は魔法世界にも関わりのある人物だと。魔法世界の情報は現在容易には手に入れられない。まほネットですら制限をかけている状態なのだ。これは魔法世界に深く食い込んでいる『夜明けの世界(コズモ・エネルゲイア)』によるものだと、彼女の師は言っていた。

 

「場合によっては、拘束させていただきます」

 

不意打ちで攻撃をしてくる相手である以上は、それ相応の対応をする。戦闘において即断即決は非常に重要であることを刹那はよく理解していた。

 

「ちょ、ちょっとまって欲しいアル」

 

一触即発といった状態だったが、それに待ったをかける人物がいた。古菲である。

 

「超は確かに胡散臭いとこはあるけれど、かといって理由なく人を傷つけるような人柄ではないアル。ここは、一つ話し合いをすべきだと思うアルよ」

 

この場で最も超と親しい彼女から、そんなフォローが入った。だが、それはあくまで古菲の個人的な交流からくるものだ。刹那を納得させる材料としては厳しい。が、今度は木乃香がその古菲の言葉に賛意を示した。

 

「うーん、うちもそうしたほうがええと思うわ。何か、事情があるかもしれんしなぁ」

 

「……分かりました。そういうことであれば、皆さんにお任せします。私は交渉事といったものは苦手ですので」

 

お嬢様がそう言うならばと、刹那は剣を下げる。無論、警戒は怠らず。いつ何があってもいいように臨戦態勢を維持したままだ。

 

「一つ聞かせてください。超さんは奴ら側の人間ですか?」

 

ネギが超に尋ねる。敵対者であるならば、相手が自分の生徒であろうと戦う覚悟である。ここで迷えば、また千雨のように犠牲者が出てしまうかもしれないのだから。

 

「決断をあせらないで欲しいヨ。私は敵じゃないとさっき言っただろウ?」

 

「この状況で疑うな、という方が無理があると思うですが」

 

「それもそうカ、しかし今疑うべきは私ではないと言わせていただくヨ。むしろ……」

 

どういうことだと、夕映は訝しむ。自分から疑いを逸らすためだとすれば随分と稚拙だ。学園一の頭脳を持つ彼女がそんな子供だましみたいなことをするとは考えにくい。ならば、本当に彼女の言うとおり疑うべき人物がここにるというのか。

 

「……超さん、それは根拠があってこその言葉ですよね? そうでなければ、僕は怒りますよ」

 

ただでさえ千雨が乗っ取られてしまったという事実があとを引いているのに、更に互いを疑わせるかのような言動はさすがのネギも看過できなかった。

 

「根拠ならあるヨ。その指輪が何よりの証拠なのだから。だろウ? 宮崎サン」

 

「えっ……?」

 

口角を釣り上げ、不敵に笑う超。その視線の先には、のどかがあった。

 

「馬鹿な、のどかが疑うべき相手だというのですか!」

 

「信じられませんね……」

 

疑いの目で見る夕映と刹那。特に、夕映は親友であるのどかを疑うべきだという超に対して更に険しい顔となった。

 

「よく考えて欲しいヨ。まず、魔法具を渡す相手がなぜ宮崎さんなのカ、普通ならば弟子である綾瀬さんかネギ先生に渡すものじゃないかネ?」

 

「む……確かに、宮崎さんに渡す理由はあまり思い当たりませんが」

 

「逆に言えば別に誰に渡しても同じではないですか? 私達の誰かに渡そうが、後で配れば問題ないのですから」

 

彼女の言に惑わされはしないと、努めて冷静に反論する。

 

「まあ、そうとも言えるネ。しかし、第二になぜ今までそれを黙っていたかということがあるヨ。ネギ先生が退院するまで一週間もあったというのに」

 

「いう必要がなかったと考えるべきでしょう。ネギ先生が戻ってきてからでもいいはずです」

 

「そうかナ? 話を聞かせてもらっていたが、精神防壁を張れる、魔法具なんて先に渡しておいた方がメリットが大きいと思うけどネ?」

 

「うっ……」

 

「そもそも、彼女は一体いつそれを手渡されたんだイ? 1週間より前なら先生がいるし、1週間内であれば君たちは図書館島の地下には入れないはずだヨ。封鎖されていたのだからネ」

 

そう、時期から考えるとのどかが霊子から渡されたという日時が不明瞭となる。1週間より前ならば手渡されていないほうがおかしい。かといって、1週間以内ならば霊子は事情聴取と万が一のためにと図書館島地下へ通じる道が全て封鎖されていた。

 

会えるはずがないのだ。あんな事件が起こったあとなのだから。

 

「本当にその指輪、精神防壁の魔法具なのかナ?」

 

一般的に、婚約指輪は右手薬指に、結婚指輪は左手薬指につけるとされている。これは、かつて薬指には心臓に繋がる太い血管があると考えられ、そこにつけることで互いの絆を証明するとされた名残である。

 

だが、それゆえ呪術的、魔法的に薬指は心臓と精神に繋がる重要な指として、名前を呼ぶことを忌避して名無し指などとも呼ばれるようになった。これは、名前を知れば相手を支配できるという考え方からだ。世界的に見ても、薬指は名無しの指とされる場合が多いのだ。

 

「右手の薬指につける? 呪術的に忌避される指を指定するなんて、まるで支配するための条件じゃないかネ?」

 

「あ、う……」

 

追いつめられるかのように、のどかは一歩、二歩と後ずさりする。目尻には涙が浮かび、怯えたように体を震わせている。

 

「さあ、答えてもらうヨ。それをいつ、どうやって手に入れたのかナ?」

 

超の追求に、のどかは無言で俯いてしまう。

 

「ちょっと、超さん! いくらなんでも言いすぎです!」

 

「うちもやり過ぎやと思うで」

 

いくら疑わしいものがあるとはいえ、これはさすがにやり過ぎだと感じたネギと木乃香が超へと抗議する。

 

「なんだったら、疑いを晴らすために、柳宮霊子に連絡をするといい。後ろめたいことがないならできるはずだろウ?」

 

「それは、そうですが……」

 

一方で、刹那はほんの僅かだがのどかから何か怪しげな雰囲気を感じ取っていた。

 

(何だ……? この、胸をざわつかせるかのような感じは……)

 

まるで、自分の中に巣食うどす黒いものと似たような感覚。のどかかから感じられるそれが、もう一人の自分を想起させるように感じた。

 

「……はぁ、まさかとんだ横槍が入るなんてなぁ……」

 

 

 

 

 

のどかの震えが、止まった。俯いていた顔を上げ、のどかは笑みを浮かべた。だがそれは、普段の優しさを感じさせるやわらかなものではなく、鋭く、そして冷たい笑みであった。

 

「なっ、のどか。認めるということですか!?」

 

「え? そうだとすればどうするの?」

 

普段ののどかとは違う、まるでそっけない言葉に夕映は絶句した。いつもののどかを知る夕映からすれば、絶対に彼女がするような話し方ではない。

 

「やっぱり、正体を表したネ」

 

「正体? 何言ってるの、私は最初から私だよ? ねえ、夕映?」

 

浮かんでいる笑みが、まるで貼り付けたかのような能面の如き笑い方だった。違う、これはいつもののどかではない。夕映は即座に理解した。

 

「アハハハ、ねえ夕映。なにか言ってよ、私達親友でしょ?」

 

「の、のどか……」

 

親友の激変ぶりに、夕映は思わずたじろいだ。何かの間違いであって欲しかった、親友があんな恐ろしい笑い方をするなど。

 

「完全に支配されてしまっているネ」

 

「支配されている、とは?」

 

「彼女は自分で自分の人格を別人のように支配してしまっているんだヨ」

 

「そんな……!」

 

それはまるで、自分の中にいるもうひとりの自分と同じではないか。あるいは、夕映が世界の裏側と接続した際と同じ状態とでも言えばいいのだろうか。

 

(馬鹿な、彼女はあのような状態になる縁なんて持っていないはず……!)

 

「それにしても、なんでバレちゃったのかなぁ。私が私を手に入れたのは今日なんだけど」

 

「さぁて、どうだったナ。案外未来予知でもしたのかもしれないしれないヨ?」

 

互いに睨み合いを続ける二人。ネギ達も、驚愕と警戒で動くことができないでいた。

 

「のどかさん、一体何があったんですか……!」

 

彼女を正気に戻そうと、ネギはのどかに何があったか聞き出そうと試みる。

 

「それはねぇ……私、先生がもう好きで好きでたまらなくて……千雨さんが消えてくれたのがすっごく嬉しかったんです。そして、千雨さんがいない今こそ、先生を独り占めしたくなっちゃったの」

 

「なっ……」

 

だが、返ってきたのはネギの心をざわつかせるような言葉だった。普段の優しげな彼女からは想像もつかない、他人の不幸を喜び、それをチャンスと捉えているかのような言葉。

 

「ずーっと、先生は千雨さんばっかり見てたんだもん。羨ましくて羨ましくて、狂ってしまいそうだったんです」

 

無邪気に微笑んで見せるのどか。しかし、その笑顔にはどこか薄気味悪ささえ感じられ、あまりにもまじりっけがなく純粋すぎた。

 

「だから、さっきの指輪で皆人形になってもらいたかったんだけど……こんな横槍が入るなんて思わなかったなぁ」

 

そう言いつつ、超を睨む。

 

「やはり、それは精神を封じ込める呪具の類だったカ」

 

「封じ込めるって……」

 

「氷雨、もとい大川美姫の一人格が封じられていたペンダントとおなじだヨ。精神、或いは魂をあの宝石の中に封じてしまえる代物だネ」

 

それはつまり、ペンダントに意識を封じ込められ何もできない状態にされるということ。氷雨の場合は千雨に寄生して仮の肉体を得たが、そうでない場合は自分では何もできない状態である。ネギは、背筋に薄ら寒いものを感じた。

 

「しかし参ったネ、思った以上に強力な暗示が施されているヨ。これでは解除は難しい」

 

「する必要すらないとは思わないんですか? 今の私、すっごく気分がイイんですし」

 

「そうはいかないヨ。クラスメートに危害を加えようとしている以上、見過ごすわけにはいかないネ」

 

そう言うと、彼女は目にも留まらぬ速さでのどかへと肉薄し、拳をつきだした。

 

しかし。

 

「むっ、これは……」

 

攻撃が到達する寸前で、のどかの姿が掻き消えたのだ。

 

「転移魔法符カ、逃げられてしまったネ」

 

そう言うと、彼女は一度の深呼吸をして構えを解き、自然体へと戻った。ネギ達は、未だ少々の混乱が残っている。当然だろう、あまりにも色々なことが起こりすぎて理解が追いついていないのだ。

 

なぜのどかはあんな状態になってしまったのか。それをなぜ超が知っていたのか。そして、超はそもそも何者であるのか。

 

「あ、あの超さん」

 

「ストップだヨ、ネギ先生。今ここで私に質問を投げかけたところで、頭の整理がついていない状態では相互理解など不可能。話をするならば後日、とさせて貰うヨ」

 

こちらがまだ動揺していることを見抜かれている。それだけで、今の状況ではネギ側が不利だ。

 

「大丈夫、私も皆に色々と話すべきことがあるからこのまま口を閉ざすつもりはないヨ。明日の放課後、また改めて話をしようじゃないカ」

 

「……分かりました。ですが、その際にはしっかりとお話を聞かせてください」

 

その返答に対し、超は笑みで返して空き教室を後にした。

 

「一体、何が起こっているんやろか……」

 

「もう色んなことが起こりすぎて頭がこんがらがってきてるアルよ」

 

「超さんを信用していいのか、少々不安でもありますね……」

 

目まぐるしいまでに二転三転した出来事に、彼女らもようやく頭が追いつき始めたらしい。一体何が起こっていたのかを、冷静に分析しようとするぐらいには冷静になっているようだ。

 

「……少なくとも、一つだけ分かっていることがあります」

 

苦虫を噛み潰したかのような顔になるネギ。理性では理解しつつも、感情では納得ができていないのだ。認めたくはない事実だが、しかしそれで現状が変わるわけではないこと。そして、その分かっている事実を話し、皆に認識させなければいけないことを。

 

「もうのどかさんは、僕達と敵対してしまうということです」

 

 

 

 

 

「どういうことだ、なぜ宮崎のどかのことを超鈴音が知っていた?」

 

遠目から様子をうかがっていた氷雨は、怪訝な顔になる。一体どこから情報が漏れたというのか。

 

「マスター、センサーで辺りを確認してみましたが、付近には怪しい人物や機械などは見当たりません」

 

「そうか、ご苦労」

 

従者の仕事ぶりに満足する氷雨だが、ふと彼女が葉加瀬聡美と超鈴音の合作であったことを思い出す。

 

「……ところで茶々丸、お前を作ったのは葉加瀬聡美だったが、その設計には超鈴音も関わっていたな。まさかとは思うが……」

 

「いえ、私はマスターのことに関しては全て情報をシャットアウトできるようにプロテクトを施してあります。私からマスターの情報を抜くといったことは恐らく不可能かと」

 

茶々丸の言葉に、自分の最も信頼する従者を疑ってしまったことを内心反省する。何を馬鹿な事を言っているのだと。

 

「そうか、お前は私の忠実な下僕であり道具だ。お前の言葉を信じよう、茶々丸。疑ってすまかった」

 

「いえ、製作者と最も近しい者が私なのですから、マスターが疑われるのも当然のことかと」

 

「……しかし、だとすればなぜ、奴は私の企みを知っていたんだ? 一体どうやって……」

 

謎は残ったままだ。こちらの動きをまるで、知っていたかのようなタイミングのよさ。学園一の頭脳を誇るだけあり、強かであることは間違いないだろうが、それにしてもおかしい。

 

「奴のことを調べる必要があるか……」

 

「マスター、そろそろ夜の巡回が始まる時間です。あまり長居はされないほうがよろしいかと」

 

「そうだな、とりあえず今日はここまでにするとしよう。何、どうせ奴らでは宮崎のどかの暗示を解くことなど不可能なんだ、じっくり追い詰めてやるとしよう」

 

 

 

 

 

「ファーストコンタクトは上々、といったところだネ」

 

自らの研究室へと戻り、一息ついていた超はひとりごちた。今のところは、彼女の描いた計画の絵図通りに進めることができている。だが、油断はできないだろう。計画とは往々にして、イレギュラーの発生によって崩れ去ることがままあるのだから。

 

(まあ、このまま全てがうまくいくとは思っていない。それならそれで、計画の一部を組み替えていけばいいだけだしネ)

 

自分の目的を成就させるため、なんとしても失敗させるわけにはいかない。そもそもが、自分が反則じみた(・・・・・)行為(・・)をしているのに失敗しましたでは、マヌケも同然だ。

 

「はあ、肩が重く感じてしまうネ。心なしか腰も痛む気がするヨ」

 

「随分と錆びついたことを言うな。おまえもまだまだ若いだろうに」

 

背後から、そんな言葉が超へと投げかけられてきた。声のした方へと顔を向ければ、影からその声の主が現れた。

 

「それだけ苦労しているということだヨ。それに、見た目の若さを考慮するなら貴女のほうがよほど子供らしくはないと思うけどネ」

 

「喧嘩を売っているのか?」

 

見た目のことを指摘され、その人物は言葉に少々怒りをにじませる。だが、彼女を知る者であれば超の言葉はあまり的外れではないと思うものが殆どだろう。長身に色黒の肌、鋭い鷹のような目に鍛えられた肉体。どう見ても少女のそれといった風ではない。

 

「気にしているなら、魔法薬でも取り寄せてあげようカ? 体を成長させたり幼く見せたりできる不思議な飴玉だヨ」

 

「いや、いい。そこまでして変えたいとまでは思っておらんよ」

 

「それで、何か用かナ。龍宮真名サン?」

 

超と同じ、3-Aクラスメンバーである龍宮真名は手近な椅子にどっかりと座る。

 

「いや、少々気になっていたことがあるんでな」

 

「それを聞きに来た、というわけカ」

 

「ああ。宮崎のどかのあの感じ、私のよく知る奴とかなり似通ったオーラを発していた。あれは、何だ?」

 

真名にとって、忌むべき相手であり、怨敵の一人である人物。それと似たようなものを、物陰から観察していた真名は感じ取ったのだ。

 

「ああ、あれカ。彼女、読心のアーティファクトを持っていただろウ? そもそも彼女がああなってしまったのは、そのアーティファクトに隠されていた心を支配する能力を使われてしまったのだヨ」

 

「ふむ。それも、知っていた(・・・・・)ことなのか?」

 

「まあ、そうかもしれないとだけ行っておこうかネ」

 

目を細め、超を見る。厳密に言えば、真名にとって彼女はあくまでもビジネスパートナーだ。金払いもいいし信用できる人間ではあるから手を貸してはいるが、どうにも出処が不明な情報を数多く持っていることは気にかかる。

 

「……話を戻すが、彼女のアーティファクトに本来そんな能力は備わっていなかったんだヨ。それが付与されてしまった原因は、修学旅行の時に明山寺鈴音の心を読んでしまったかラ」

 

「……なる程な。以前お前が言っていた世界の裏側とやらに、奴を通じて擬似的に接続してしまったというわけか」

 

「まあ、ごく短い時間だったおかげでほとんど変質はしなかったみたいだけど、大川美姫はその僅かな変質に気づいて能力を行使したみたいだネ」

 

伊達に『夜明けの世界』で幹部をやっているわけではないか、と真名は少し感心した。今の話を聞く限り、彼女は魔法具の扱いに関して言えば天才的と言える。他人のものであるアーティファクトをそこまで使いこなすなど、熟練の魔法使いでも不可能だ。

 

新人ゆえの情報の少なさ、経験不足からくる詰めの甘さや実力の低さから、真名は彼女をそこまで脅威になるとは思っていなかったのだが、認識を改める必要があると感じた。

 

「ところで、そちらの方も準備はできているかネ?」

 

「ああ、問題ない。しかし、あの弾丸は中々の代物だな。学園祭の最中にしか使えないのが痛いが」

 

「だからこそ、この時こそが我々にとっての最大のチャンスなんだヨ。奴らがここにくるこの期間こそがネ」

 

そう言うと、目の前においてあるパソコンのモニタへと視線を移す。そこには、金髪碧眼の少女と、黒髪黒目の少女の画像が表示されていた。

 

「さあ、勝負といこうじゃないか我が宿敵。かつて超えることができなかったお前を、今こそ私は超えてみせるヨ」



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第六十一話 触れ得ぬ心

心は見えない、心は触れない
だからといって、存在しないわけではないのだ


翌日の放課後。超はネギ達を自らの研究室へと招いていた。昨日のように学校施設内で話をすると、どこからか筒抜けになってしまう可能性を考慮してのことだ。その点、彼女のラボは最先端技術や理論が溢れ返るゆえ、防諜のために様々な対策が施されている。

 

しかし、同時に敵か味方かわからない相手と一時的に孤立状態で話し合いとなるわけでもある。彼女のラボである以上、どんな機器が仕込まれているか分かったものではない。迂闊な発言は避けていくべきだろうと、夕映は目の前の超を見つつ考えていた。

 

「さて、まずどこから話していくべきカ……」

 

顎に手を当て、少々困ったように苦笑する超。一方のネギも、頭のなかではどんな質問を投げるべきか、またどこから話をぶつけていくべきか悩んでいた。

 

(彼女がどの程度のことを知っているのかは分からない。だが少なくとも、あの組織について知っていることは間違いなさそうだ)

 

夜明けの世界(コズモ・エネルゲイア)』。魔法世界を今なお震撼させる邪悪の根源。その幹部格たる氷雨を、超は何かをしでかそうとしていると事前に察知していた。それはつまり、彼女が氷雨を警戒していたからであり、それがどんな人物であるかを知っているから以外には起こし得ないアクションだ。

 

「まあ、まず妥当なところからいくとしようかネ。私が何者で、どんな意図であの割り込んでいったのかを話すヨ」

 

(いきなり……! つまり、開示すること自体彼女にとっては大した不利益にはならないということか)

 

ネギたちにとっては一番知りたかった情報ではあるが、彼女はまるで安売りするかのように一番最初にその情報を明かすと提示してきた。つまりは、彼女にとっては知られたところで痛くもなんともないことだというわけだ。

 

(今まで隠し通してきたはずの情報なのに何故……)

 

夕映も、彼女の意図を掴めないでいた。ネギという魔法使いとして大きな才覚を持つ人物がいながら、また魔法先生たちの目をかいくぐり続け、魔法使いであることを秘匿し続けてきた彼女が、なぜ今になってそれを平然と話すのか。

 

「一つ言っておくがネ、これを話すのはあくまで先生たちが信用できるからだヨ。明確にあの怪物たちと敵対していることが分かっている数少ない人物だからネ」

 

「……なるほど」

 

彼女の言葉に頷きつつも、夕映は決して気を緩める事はしない。自らの秘を、信頼できるから晒すなどというのは、ある種の甘言と同じだ。表向き信頼をしているように見せかけ、そこから相手の情報を引き出そうとする際の常套句である。

 

「まず、私が何者なのかという部分だネ。正直、あまり信じてもらえないかもしれないガ……」

 

そして、彼女の口から告げられたのは、あまりにも衝撃的なものだった。

 

「私は、未来を視る力があるんだヨ」

 

 

 

 

 

「未来を見れるって……」

 

「正確には、未来に起こるであろう可能性を見ることができる、というべきカ」

 

普通であれば、何を馬鹿馬鹿しいことをと一蹴できただろう。あるいは、ふざけているのかと怒りの言葉がついて出たかもしれない。だが、それを否定できない要素を、ここにいるメンバーは知っている。

 

「未来視の力……」

 

「ありえなくはない、ですね」

 

「そうっスねぇ……」

 

そう、魔法である。事実、未来をみることができる者は、魔法使いたちからすれば有り得なくはない話なのだ。何せ、ネギの幼馴染が得意としていた占いも、実はこれに分類される魔法である。尤も、本当に未来が見えるというわけではなく、あくまで起こりうる可能性を提示できるぐらいであり、かなり漠然としたものしかわからないのだが。

 

「魔法ってホント何でもありなのね……」

 

アスナが感心したような声で言う。

 

「といっても、そこまで使い勝手のいいものじゃないヨ。私の場合、寝ている時稀に未来をみることができるぐらいサ」

 

(……なるほど、仮に彼女の言葉が本当なら、超さんは予知夢を見たわけか)

 

夢見の魔法があるように、夢で未来を見通すことも珍しいことではない。正夢がそれに当たり、一般人でも無意識のうちに発動してしまうことが多い。とはいえ、大抵の場合それは魔法ではなくただのデジャヴであることが多いし、実際に魔法でできるのは、ほんの少し先の未来を見れるぐらいだ。

 

「私の場合、その少ない頻度のものが厄介な代物でネ。時間軸はバラバラだガ、決まって私やその周囲に大きく危険を及ぼすかもしれないものが見えてしまうのサ」

 

「危険が及ぶもの……ってまさか!」

 

「そう、私は昨日の出来事を夢で予知してしまったんだヨ。3年以上も前からネ。加えて言えば、私が見た予知夢の殆どはちょうど今、この時期を中心としていたんだヨ。麻帆良学園祭を中心としたネ」

 

ネギは、驚きで思わず目を見開く。何せ、生徒名簿によれば彼女がこの学園へやってきたのが約2年前。つまり、関わらないようにしなければ回避できたはずの未来であり、阻止しようとすればできたはずの未来でもあるのだ。

 

「しかし、なぜ……」

 

「おっと、誤解はして欲しくないネ。先生は今、『どうしてもっと早く手を打たなかったのか』、そう口にしようとしただろウ?」

 

彼女の言葉に、とっさに出かかった言葉を飲み込む。完全に思考を読まれている。今この場を支配しているのは、間違いなく彼女だ。

 

「確かに、回避すれば巻き込まれないと考えるのが普通だヨ。実際、初めはなんとかその未来へ繋がらないようにしようと考えていたサ」

 

「……今はそうではない、と?」

 

「ああ、そうだヨ。そうしたくてもできない理由があったのサ」

 

「できない理由、ですか?」

 

「さっき厄介と言った、この予知夢の問題点はもう一つあってネ。私は時折、前の夢とは別の未来も見てしまっているのだヨ」

 

曰く。彼女は分岐した先の未来をも見てしまったのだという。そして、その夢では氷雨をネギ達が事前に打ち倒し、千雨も無事であったらしい。だが、その先は最悪の結末だった。

 

「君たちが氷雨と呼ぶ彼女によって、この学園は壊滅させられていたヨ。最後の最後、彼女が隠し持っていた魔法具によってネ」

 

「そんな……いや、そういえば……!」

 

彼女の言葉で、ネギは『桜通りの幽霊事件』を思い出す。あの時、彼女は追いつめられた際に何らかの魔法具を発動しようとしていた。その魔力は、麻帆良学園そのものを消し飛ばしてしまえるほどのものだった。

 

「だからこそ、私は必要以上に彼女へと接触しなかったんだヨ。けど、昨日はそうじゃなかったから介入した。いや、しないとまずかったんだヨ」

 

昨日に関する夢には、別の未来はなかったが続きがあった。のどかによって操り人形にされたネギ達は、氷雨の悪事を手伝わされたらしい。そして最後には、口にするのも躊躇われるような末路をたどるという。そしてそれは、この学園全体も同様だというのだ。

 

「私はそれを回避するために、あらゆるツテを使って魔法について調べた。まほネットにハッキングをかけて、情報を抜き出すことに成功し、奴らの詳細を掴んだんだヨ」

 

そして、麻帆良へとやって来てことの推移を見守っていた。今年に入り、組織がネギたちを中心とした何らかの計画を実行しているのも知っているという。

 

(怪しくないわけではないですが……しかしどれも話の筋は通っているです。加えて、まるで最初から知っていたかのように行動した彼女の理由づけとしてもおかしな点はない)

 

冷静に分析する夕映。しかし、だからといって完全に信用できるとはいい難い。組織の人間かどうか信頼できるか分からないという理由で静観していたらしいが、むしろその予知夢のほうを信じて行動しないという点で、どうにも胡散臭さを感じていた。

 

「……話はわかりました。ですが、やはり僕には貴女を信用する理由がない」

 

それは、どうやらネギも同じだったらしい。彼女の言葉には、納得させるだけのものがないのだ。今までの全てが嘘だとすれば、それこそ彼女の思う壺になりかねない。

 

「そうカ、それならそれで別にいいヨ。目の前の問題を解決できるのならネ」

 

ネギの言葉を受けて、超は拍子抜けするほどあっさりと手を引いた。これには、さすがに夕映も困惑を顔に浮かべていた。彼女は、我々の協力が欲しくてこうして話し合いの場を設けたのではないのかと。

 

「どうして、という顔をしているね綾瀬サン。私は別に、完全に信用し貰おうなんて初めから考えてはいないんだヨ。何せ魔法使いとしての私は、君たちとある意味で初対面なのだかラ」

 

彼女にとって、予知夢で見た未来を回避することこそが第一。それさえ何とかなるのであれば、どちらに転ぼうと彼女にとっては問題がない。

 

「互いを利用し合う関係であろうと、少なくとも敵にならないなら十分な利がある。まあ、私は私で好きにさせてもらうということサ」

 

「……分かりました。今は、そうすることにしましょう。協力し合うにしろ、僕たちはお互いを知らなさすぎます」

 

「うん、頭から話を信じ込むような愚かさよりも、疑ってかかる賢しさの方が私には好ましいヨ。だから、君たちに一つだけ情報を与えるよ」

 

人差し指を立て、ニコリと笑う超。

 

「先日の悪魔襲撃の一件で分かっていると思うガ、もう君たちは、組織にとって後生大事に守る必要のある段階を超えたと判断されている。殺す気で襲い掛かってきたわけだからネ」

 

「ええ。氷雨も多分、そうするでしょうね。彼女は僕を相当に恨んでいるはずですから」

 

自分が担っていた計画の一部を台無しにされてしまい、ペンダントに封じられながらも体を乗っ取ろうとしたことから窺い知れる、恨みの深さ。千雨の肉体を得た今こそ、彼女が復讐を果たす絶好の機会だろう。

 

「彼女には気をつけたほうがいいヨ。そして、彼女本来(・・・・)の肉体(・・・)に関しても」

 

 

 

 

 

話が終わり、部屋を退出したネギ達。今後について、一度魔法先生や柳宮霊子を交えて話をすべきか考えていたところ。

 

「あ、私このあと用事があるから先に行かせてもらうアルよ!」

 

「え、でも一人で出歩くのは……!」

 

「『超包子(チャオパイズ)』で手伝いをするだけアル! そっちこそ一人で帰るなんてしないようにアルなー!」

 

古菲はそう告げると、早足で去っていた。窓の外を眺めれば、既に日は完全に没する前。学園祭前であるためまだまだ人通りも明かりも多いが、あまり遅くなるのはよくないだろう。

 

「じゃあ、今日はこのまま帰るとしましょうか」

 

「そうですね、修行時間を取ろうにも門限ぎりぎりになってしまうのは不味いでしょうし」

 

「時間がない、というのが本当に問題です……」

 

学業と魔法修行の両立というのは難しい。夕映が成績不振になったのも、魔法修行で勉学が疎かになったことが原因である。尤も、その時は霊子と親友との板挟みによって精神的に参ってしまっていたこともあるのだが。

 

(さすがにこのまま低飛行を続ければ師匠に怒られるのは間違いないです……!)

 

仮にも魔法世界では最高峰の叡智を有すると言われた魔女の弟子が、赤点ギリギリ続きなどというのは色々とマズい。下手をすれば、そっちの方面でもあの魔女からスパルタ特訓を課されかねない。

 

『この私の弟子が、馬鹿で務まるなんて思われたくないわ。その脳髄によーく刻みつけられるようきっちり指導してあげましょう?』

 

(そ、それだけは絶対に回避せねば……)

 

想像するだけで体が小刻みに震えてしまう。まずいことに、成績優秀者である親友は操られているせいで頼むことができない。地道に勉強するしかないと、密かに決意する夕映だった。

 

「んじゃー帰りましょうか。私もうお腹減っちゃって」

 

「んー、でも冷蔵庫の中身、殆ど空だったはずや」

 

「今から買いに行くとなると、ここからでは遠いですね……」

 

「じゃあどっかで食べていきましょう。皆はどうする? 一緒に行く?」

 

一緒に行く者がいないか確認を取るアスナ。すると、全員が賛成の意を示してきた。

 

「私も同伴するです。自分で作るのは得意ではないですし、どこかで済ませようかと思っていたところです」

 

「私もご相伴させていただきます」

 

そうして、とりあえず近場にある店へと入ろうと周辺を探していると。

 

「あ、『超包子』だ」

 

「丁度いいですね。あそこにしましょう」

 

『超包子』は車両を改造した移動式の店である。言うなれば屋台の一種であり、特定の場所にローテーションで移動して営業している。特に、今は学園祭の準備期間ということで客入りもいつも以上であり、相当に人で賑わっていることが遠目でもよくわかった。

 

[いらっしゃい]

 

微笑みながらそう言ったのは、3-Aメンバーでありネギの生徒の一人。四葉五月である。中学3年制とは思えないほど落ち着いた雰囲気と態度、しっかりと地に足がついたものを感じさせ、不思議と安心感を与えてくれる少女だ。

 

「お疲れ様です、四葉さん」

 

[先生もお疲れ様です]

 

「そういえば、古菲さんは?」

 

先に来ているはずである古菲のことを思い出し、彼女へ問いかける。すると、予想だにしない返答が。

 

[くーさんは、今日はお休みですよ]

 

「えっ?」

 

古菲は、彼女はここに来ていないというのだ。ネギは、突然背筋に寒いものを感じた。もし、彼女になにかがあったとすれば。

 

「すみません、僕ちょっと行ってきます!」

 

「え、あ、ちょっと!?」

 

「先に食べててください!」

 

そう言い残して、ネギは来た道を一目散に走り出した。

 

 

 

 

 

「…………」

 

「よかったのか、あいつらはお前を全く信用などしていないぞ?」

 

柱の陰から、龍宮真名が現れる。先程までの会話の一部始終全てを、彼女は陰から聞いていた。尤も、約二名(・・・)は正体を看破はせずともいるということは分かっていたようだが。

 

「別に信用が欲しいから話し合いの場を設けたわけじゃないネ。あくまで、こちらが彼らの敵対者ではなく味方になりうる存在であると認識させられるだけで十分ヨ」

 

「そういうものか」

 

「まあ、今回は顔見せという部分が大きいネ。本格的に関わるのはやはり、前夜祭が始まる辺りからぐらいだろウ」

 

「随分と悠長だな、もうあまり時間もないと思うが?」

 

「だからこそ、だヨ。私も長年続けてきた計画をつまらないことでおじゃんにしたくはないのサ」

 

焦らず慎重に、事を仕損じてしまっては仕込みも全て水の泡である。そうなれば、彼女の目的は果たしづらくなってしまう。

 

「リカバリーの策はあるが、それを使わないに越したことはないからネ」

 

「……ならばいい。だが、私にも役割は振ってくれよ? 前金だけもらって働かないなど私の矜持が許さんからな」

 

「ああ、それは勿論だともサ」

 

ふと、真名は廊下から足音がしてくるのを感知した。誰かがこの部屋に向かって歩いてくるようだ。

 

「超、誰かここに向かっているぞ」

 

「……さすがに想定していない事態だナ。念のため、隠れておいて欲しい」

 

「ああ、何かあれば私が動こう。ただし、油断はしてくれるなよ?」

 

「愚問だネ。まあ、忠告は受け取っておくヨ」

 

そうして、部屋へ向かってくる何者かを待ち構える超。やがて、ドアが開かれ訪問者の姿が超の目に前に現れる。

 

「……おや」

 

訪問者の姿を見て、超は内心で少しだけ驚く。なにせ、相手は先程この部屋を去ったばかりの人物だったからだ。

 

「何か用かネ、古菲」

 

「…………」

 

彼女の友人であり、ネギパーティの一員でもある古菲がそこにいた。彼女はネギ達と別れたあと、研究棟の反対側に回って別の階段からこちらへ向かったのだ。

 

「一つだけ、一つだけ確かめたいことがあって戻ってきたアル」

 

「確かめたいこと、とハ?」

 

「本当は、ちょっと聞くのが怖いアル。でも、どうしても確かめたいから聞きに来たアルよ」

 

そんな彼女の言葉に、超は知らず、目を細めていた。一体これはどういうことかと。普段のあの快活で脳天気な彼女とは違う、どこか不安や恐れを隠しきれていない表情。こんな顔は、超でも初めて見る。

 

(なんだ、彼女に何があっタ……?)

 

超は相手の顔色から、相手がどんなことを考え、どんな状態であるのかを判別するのが得意だ。それは環境のせいでもあり、あるいはとある事情(・・・・・)のせいでもある。いずれにせよ、彼女が読心までとはいかずとも相手の考えがある程度読めるというのはある。

 

だが、今の古菲は読むことができなかった。一体どんな質問を投げようとしているのか、どんなことを不安に思っているのか。

 

「超、もしかして無理して(・・・・)ないアルか(・・・・・)……?」

 

「…………!」

 

どうして、そんな驚きが彼女の中に満ちた。冷静を装うための笑みが崩れ、目が見開かれる。

 

「……どうしてそう思ったのかナ?」

 

崩れかけたポーカーフェイスを、なんとか塗り固めなおす。次の瞬間には、彼女はいつもの余裕を感じさせる笑みを湛えていた。

 

「んー……なんでと言われると私も分からないアルが……」

 

唸りながら、頭に手を当てて理由について考える古菲。だが、彼女は元来そういった理屈で物事を話すことをしないタイプだ。だから、考えても無駄だとすぐに判断し、率直に自分が思ったことを述べることにした。

 

「なんかこう、いつもと違う感じがしたから、アルな」

 

「……それだけ?」

 

「それだけアル」

 

率直に言って、超にとっては意味がわからなかった。勘で動いているにしても、そこには何らかの理由が付随するはずだ。そして、その理由になるであろう自分の態度も今までを振り返ってみてもおかしな点はない。感づかれるようなヘマをする自分ではないと、自信を持って言えるだろう。

 

超はまっすぐに、古菲の目を見つめる。

 

「つまりは、私のことを心配してくれているってことでいいのカ?」

 

古菲は羞恥心からなのか、少し顔をうつむかせながら無言で首を縦に振った。

 

「……ふふ」

 

思わず苦笑が漏れてしまう。彼女は不器用なタイプだ。それを知っている超は彼女が本当に心配なだけでこんな風になっているのだと理解できた。それが、どこかおかしくて。

 

そのまま勢いよくチョップを彼女の脳天に叩き落とした。

 

「あだっ!?」

 

「全く、らしくない(・・・・・)ヨ?」

 

「らしくないって、私は超の心配をアルなぁ……」

 

「それがらしくないと言ってるヨ。いつも考えるより行動するのが古菲だろうに」

 

頭を抑えつつ、超の指摘を聞く。らしくない、確かにそうかも知れなかった。だが、彼女は超から感じた何か嫌な予感を、振り切りたかったのだ。何か、彼女が遠くへ行ってしまいそうな嫌な予感を。

 

「私の心配より自分のしたらどうかナ? そちらだって私を心配するような余裕はないはずだヨ」

 

「そ、そうアルけど……」

 

「そもそも、私が無理をする程のヘマなんてやらかすかネ? それを一番分かっているのは古菲だと思っていたんだがナァ」

 

つまり、自分のことを一番分かっているのは他でもない、古菲であるのだと超は暗に言ったのだ。それが分からぬほど、古菲は鈍感ではない。

 

「うん、ごめんアル。超の心配ばっかりしてて、自分のことを疎かにするのはよくないアルな」

 

「そもそも心配する必要すらないんだがネ」

 

「そこはまあ、一応親友だからということで納得して欲しいアル」

 

古菲に、いつもの笑顔が戻った。それを見て、超もまた笑みを浮かべる。

 

「いつもの調子が戻ったネ。そっちの方がらしい(・・・)ヨ」

 

「かえってそっちに心配させちゃったアルなぁ」

 

「もう大分遅い、早く帰ったほうがいいネ」

 

「うん、そうするアル」

 

超に促され、ラボ唯一の出入り口であるドアへ向かい、ノブに手をかける。

 

「古菲」

 

部屋を出る直前、呼び止められる。

 

「一応、お礼は言っておきたい。ありがとう」

 

「こっちこそ、アルよ」

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

心配して彼女の元へと戻ってみたが、逆に心配をされてしまう始末。まだまだ未熟だと、思わされてしまう。

 

「まあ、心配する必要がなさそうなのはいいことアルな」

 

ここ最近は色々なことがありすぎて、どうも気勢が弱くなっていたようだ。超に言われたように、確かにらしくないことをしてしまったと古菲は思った。

 

「よし!」

 

顔を叩き、気合を入れ直す。このまま腑抜けたままでは超に笑われてしまう。

 

「やっぱりあれこれ考えるのは性に合わんアル! 当たって砕けろ、アルね!」

 

両腕を上げ、高らかにそう言う。一瞬の反響音のあと、静寂が再び訪れる。すると、階段を上がってくる足音が聞こえてくるのが分かった。

 

「あっ、古菲さん!」

 

「おお、ネギ先生アルか」

 

「まったくもう! 心配したんですよ!?」

 

古菲を探していたネギがやってきた。親友である超のことが気になって戻ったのかもしれないと考え、ここへとやって来たのだ。

 

「すまんアル、ちょっと気になったことがあっただけアルよ」

 

「それでも! 一人で勝手にに行こうなんて危ないですよ、今は状況が状況なんですから……」

 

怒ったような風ではあるが、声色はむしろ彼女に何もなかったことに安堵しているのが感じられた。

 

(たはは、決意を改めた途端にこれアルか。何とも締まらないアルなぁ……)

 

自分を心配してくれる人は、この異国の地であってもいてくれるのだ。その嬉しさを、古菲は噛みしめるようにして感じた。

 

と同時。急に腹の虫が大きな音を立てた。

 

「あ、あはは……」

 

「心配事を片付けたせいか、お腹が減ったアルなぁ」

 

「あ、そういえば皆で『超包子』に行ってたところを抜けてきたんですけど、古菲さんも行きますか?」

 

「お、いいアルなぁ!」

 

 

 

 

 

一方。古菲が去ったあとのラボ。超は一人椅子に座って机に寄りかかり、考え事をしていた。

 

(思えば、私のことを心の底から心配するなんて人物は、彼女が初めてだったカ……)

 

そういう生き方を強いられてきた、とも言い直せるが、やはり自分は最悪な出会いばかりを経験していることを改めて思い出す。そして、今がどれだけ恵まれているのかということも。

 

「よかったじゃないか、少なくともお前を信じてくれるやつが一人いて」

 

「……そうだネ」

 

隠れていた真名が姿を現して言ったことに、生返事を返す。どうにも気持ちの整理がついていないのだ。彼女にとって、これは知識では存在していても体験したことのない未知なのだから。

 

「おいおい、私だってそれなりに心配はしていたんだぞ? いくらなんでも雑すぎないか?」

 

「すまないネ、今自分が感じているものについて、冷静に分析したかったんだヨ」

 

「研究者の性、というやつか? 随分と難儀だな、お前は」

 

「自分で納得がいかなければどうにも、ネ」

 

ただ感情的に動くことはできない、それは自分の行動指針に反する。未知があれば解析し、突き詰めてイレギュラー要素を徹底的に排除する。綿密に、巧緻に、自分の目的に向かって突き進むには回り道だって必要なのだ。

 

「……どうやら、私にもまだ人間的な部分が残っていたらしいヨ」

 

黙考して40と6秒、分析結果は意外にも自分が感情として嬉しいと感じていたのだというものだった。

 

「それは上等じゃないか。奴ら化物相手に、ただの機械じゃ勝ち目はない」

 

「分かっている。理屈や理論、あらゆる理を真っ向から叩き潰すのが奴らだからナ」

 

「まあ、くれぐれも流されてくれるなよ? 狂いが出れば思う壺にされてしまうことだってあるわけだからな」

 

理合いの外、合理の果て。彼女らが打倒しようというのはそういう存在だ。そういうものなのだ。それに対抗するならば、ただベストを突き詰めていくだけでは勝てない。

 

かといって、愛だの感情だのが加われば強くなるなどという、フィクションめいた幻想は捨て去るべきでもある。そんなものはまやかしであることは、この二人にはよく分かっていることなのだから。

 

「……正直、私自身戸惑いを隠せないヨ」

 

「そうか」

 

「君がどうしてそこまで破滅的になれたのかも、少しだけわかった気がするヨ。これは、抗いがたい(・・・・・)

 

感情的になるなど、もう何年ぶりなのかもわからない。まだ15にも満たない少女であるはずなのに、まるで遠い遠い過去のようだ。胸の奥からひろがる、じんわりとした暖かさ。

 

それはなんと心地よく、そして恐ろしいものか。

 

「こうも、胸をつくものなのだナ」

 

「ああ、せいぜい堪能しておくがいいさ。その方がずっといい」

 

「なんともまあ、酷い奴だよ古菲は。こんなの、怖くて手放せなくなっちゃうじゃないカ」

 

「だが、それが生きているという実感にもつながるのだから面白いだろう?」

 

超は小さく息を吐き、膝に肘を乗せて頬杖をつく。

 

「ならば、君はもう死んでしまっているのかネ?」

 

真名に目配せをして、そんな風に問いかける。

 

「ああ、そうだ。なにせ……」

 

真名は話しながら超の横を通り抜け、そのままラボの扉に手をかける。そして金属製の少し重い扉を開けると、外へと出ていった。

 

「あの日から、私の時計の針は止まったままなのだからな」

 

そう、言い残して。

 

 

 

 

 

「あ、ネギ君戻ってきたえ」

 

「ちょっと、あんた何処行ってたのよ?」

 

「ええと、ちょっと」

 

「まったく、一人で行動するなって言ってたあんたが単独行動してちゃダメでしょう?」

 

「うう、すみません……」

 

古菲を連れ、戻ってきたネギはアスナから軽いお説教を受けていた。だがまあ、これは当然のことであろう。残してきたメンバーを心配させてしまったのだから。

 

「まあまあ、殆どは私のせいアルし……」

 

「ってそうだ、古菲あんたバイトでここ来るって言ってたのにいなかったじゃない!」

 

「あー、それはアルなぁ……」

 

超と少しだけ話しをしていたことだけを話し、なんとか納得させようと試みる。結果、気恥ずかしさから一人になったという部分でとりあえず納得はしてくれたようだ。

 

「まあ、食事の席であんまガミガミ言うのもアレだし納得したことにしてあげるわ」

 

「おお、アスナは太っ腹アルなぁ!」

 

「そこはせめて寛大だとかにしてちょうだいよ……」

 

そうこうしているうちに、先に頼んでいた料理が運ばれてきた。

 

「お待たせしました、こちらエビの……げっ」

 

料理を持ってきた女性が、こちらを見た途端嫌そうに顔をしかめたのだ。

 

「この感じ……まさか!?」

 

「この気配は……!」

 

「魔性の気配、ですね」

 

そして、ネギと夕映、そして刹那も相手が発する気配に気がついたようで、相手のことをまじまじと見つめていた。

 

「貴女、悪魔ですね……!?」

 

悪魔に襲撃された過去を持つネギと、長らく師に付き従う悪魔と共に過ごしていたためその独特の雰囲気を知っている夕映。そして魔を退治する神鳴流剣士の刹那には、眼の前にいる女性の正体がすぐにわかった。

 

「…………ばれちゃあ仕方ないねぇ」

 

先程まで他の客を相手に見せていた笑顔とは違う、鋭いものを感じさせる笑みを、女性は浮かべていた。

 

「やはり、それも上位クラスの……!」

 

「お察しの通りさぁ。私はフランツ・フォン・シュトゥック、上位悪魔だ」

 

べたつくような、嫌な感じに変わった視線がネギたちへと向けられた。



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