仮面ライダー Chronicle×World (曉天)
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序章 予感―オーバーロードの惑星―
第一節 翼ある蛇の王
良ければ読んでみて下さい。
感想や評価、ご指摘・ご意見等々ありましたら、お寄せ下さい。
骸の山であった。
そこには、無数の屍が積まれている。
どれも、普通の人間のそれではなかった。
昆虫のような頭をしている。
鎧を纏っているものもあった。
一体、幾つの死体が、そこに重ねられているのか、数える気にもならなかった。
空は黒い。
月や、星の明かりさえもない。
唯、闇であった。
その異形の者たちの身体から溢れた血液が、大河となり、大地を覆い尽くしていた。
その真ん中に、一つの影が立っている。
これも亦、異形であった。
人間のプロポーションを持ちながら、とても、人とは思われない姿であった。
全身が黒い。
黒いが、それは皮膚ではない。
鱗であった。
黒い、鉄のような鱗が、その肉体を覆っているのだ。
地面に、三つの指が喰い込んでいた。
脛は、皮膚が角質化したようであった。
巨大な手に、巨大な爪が伸びている。
五指だ。
腕の小指側に、膜がある。
羽毛の生え揃った膜であった。
その膜は、脇腹から腕に掛けて、張るのであろう。
背中を、白いマントのように覆う翼は、広げればかなりの大きさになると思われた。
その翼の下から、長い尻尾が垂れていた。
太い頸の上に、大きな頭が乗っている。
人の顔を、歪に変形させたような形であった。
鼻から下顎に掛けて、前方にせり出している。
鼻は広がっていて、平らになっていた。
唇が存在せず、口を開けば、剥き出しの歯茎と、ナイフのような牙が見えた。
眼が、顔の横にある。
瞼はない。
黄色く濁っていた。
額から、天に向かって、尖った鱗が伸びている。
それは、翼からすると、鳥のようだ。
しかし、その尻尾や顔立ちは、蛇だ。
翼ある蛇――
鳥類と蛇の二つの特性を、人間の肉体に埋め込んだもの――
そのように見えた。
翼ある蛇の王が、屍の山の上に佇んでいた。
何をするでもない。
唯、虚空を眺めていた。
闇夜だ。
血の大地だ。
孤独に立つ異形の影には、そこはかとない哀しみが宿っているようにも見えた。
その怪人に向かって、一人の男が、歩みを進めていた。
金の髪の男であった。
銀色の鎧を纏っている。
白いマントを、闇の中にたなびかせていた。
異形の戦士が流した血の川を、具足が踏み締めて行く。
鋭い眼光は、左右で色が異なっていた。
男が、異形と対峙していた。
男の顔には、怒りが張り付けられていた。
眉を寄せ、歯を喰い縛っている。
男を眺める異形は、表情を変えない。
変わる表情がないのか、或いは、男に対して何の感慨も沸かないのか。
「お前は……」
男が言った。
怒りや、怨みや、憎しみを、必死で押し殺そうとしている。
咽喉の奥から迸り出そうな、負の慟哭を、意思の力で抑えていた。
その為、引き絞るような、低い声になっていた。
異形が、動いた。
とん、
と、地面に転がっていた骸を蹴って、跳躍する。
翼を広げた。
白い翼から、白い羽根が雨に変わる。
黒い空に、白と黒の異形が浮かび上がっていた。
男は、その異形の怪人を睨み上げると、マントを外側に振り払った。
その腰に、いつの間にか、ベルトが巻かれている。
大きなバックルには、オレンジ色の錠前が填められていた。
その左側に、金色の鍵が挿してある。
右側には、刃が備え付けられていた。
「――絶対、許さねぇ!」
男は叫んだ。
その身体を、光が包み込んだ。
その光に怯む事なく、異形が、男に向かって蹴り込んで来た。
あの爪で引っ掛かれれば、骨まで引き剥がされてしまうであろう。
男の纏った鎧とて、同じ事であった。
だが、男は異形に向かって、その腕を振り上げた。
がきっ――
と、鉄と鉄の噛み合う音がした。
異形が跳ね返された。
再び、骸の山に着地する。
その視線が持ち上がる。
光を放った、鎧の男を見たのだ。
だが、男は、先程までのものとは異なる鎧を身に着けていた。
胸のプレートは、更にぶ厚くなっている。
マントも、外側は黒く、内側は炎のような赤に変わっていた。
手に、何処から取り出したものか、一振りの銃剣を握っていた。
そして何より、仮面を纏っていた。
細い三日月と、丸い暈の兜飾り。
七色のバイザー。
「行くぞ――」
鎧を纏った男が、深く、腰を落とした。
左肩を前に出し、刀――無双セイバーを、右上に構えた。
鎧の男――
異形も、紘汰に躍り掛かって来る。
紘汰が、無双セイバーを袈裟掛けに振り下ろした。
翼ある蛇は、左腕を持ち上げて、前腕で防いだ。
金属質な音が響いた。
鱗は体毛が変質したものと見えるが、それにしても、無双セイバーを弾く程の硬度を持っていたのである。
刃が翻る。
続いて紘汰は、異形の腹部に、真横から剣を叩き付けて行った。
弾く。
鱗には傷一つ付いていない。
「うらぁっ!」
蹴った。
鉄の靴底が、異形の腹に吸い込まれて行き、その身体を後退させた。
怨めしそうに、鎧武を睨む。
紘汰は、無双セイバーのトリガーを引き、翼ある蛇の怪人に、銃撃を浴びせた。
光弾が直撃する。
しかし、鱗が少し焦げた程度であった。
「何――」
打撃としてのダメージはあるようだが、貫通所か、出血にも至らない。
――今度は、こちらの番だ。
とでも言うように、異形が、牙を剥いた。
地面すれすれを、滑るようにして、紘汰に肉薄して来た。
紘汰は、刃を擦り上げるように、蛇の頭部を斬り付けて行く。
だが、怪人は頸を傾けて、刃を通り過ぎさせ、左の爪を、鎧武の太腿に叩き付けて来た。
「ぐ――ぁ!」
鎧の身体が、宙に浮き、回転させられてしまった。
受け身を取って起き上がる。
その顔面に、異形の脛がぶつかって来る。
パルプアイにひびが入った。
体勢を立て直そうとする紘汰であったが、翼ある蛇は、大きな掌を顔に押し付けて来た。
爪が、銀の兜に喰い込んで、亀裂を奔らせた。
「離しやがれっ!」
紘汰が、剣を投げ捨て、両手で、異形の腕を掴む。
蛇の左腕が、紘汰の両腕の隙間から入り込んで、胸元を叩いた。
凄まじい衝撃であった。
一瞬、呼吸が出来なくなった。
その間に、翼ある蛇の怪人は、紘汰の胸に、幾つものパンチをぶちかまして来た。
紘汰の手が、怪人の腕から滑る。
抵抗する力がなくなった――
異形は、そのように思ったのか、更に牙を剥いてみせた。
しかし、紘汰の左手が、バックルの横に刺さった黄金の鍵――極ロックシードを捻っていた。
すると、異形の背後から、突如として出現した槍が、異形の背中を貫いていた。
赤い舌を伸ばして、悲鳴を上げる。
肋骨の下に、銀色の穂先が突き出していた。
影松と呼ばれる槍である。
紘汰は、掴む力の緩んだ怪人の手を振りほどくと、パンチを胸に叩き込んで、後退させた。
異形は、身体に刺さった影松を引き抜こうとする。
しかし、その前に、紘汰は同じように鍵を捻る。
数度――
と、異形の頭上の空間が歪んだ。
そこから、無数の影松が姿を現し、異形の全身を貫いてしまった。
ハリネズミのような姿になった。
しかし、先端は全て、怪人の身体を突き刺して、血に濡れているのである。
紘汰は、影松を出現させたのと同じように、白い突撃槍・バナスピアーを召喚した。
それを構えつつ、左手で、戦極ドライバーのカッティングブレードを倒した。
「――っらぁ!」
バナスピアーの先端が、地面に潜り込む。
すると、黄金に輝くエネルギーが、大地より湧き出して来て、翼ある蛇の怪人の肉体を抑え込んだ。
白い槍から手を放し、先程投げた無双セイバーと、手元に呼び寄せた火縄大橙DJ銃を合体させ、大剣モードにする。
バックルから、カチドキロックシードを外して、大剣にセットした。
腰に、大剣を溜める。
「せいっ――」
オレンジ、黄色、紫、緑、赤、黒、茶、金――
様々な色が、火縄大橙DJ銃大剣モードの刃に宿る。
ずぅ、
と、剣が持つパワーが、強大化した。
「――はぁぁっ!」
気合一閃、大剣が怪人の頭部に向かって振り下ろされ、大地ごと、異形を両断した。
紘汰は、自らの斬撃が生み出したエネルギーの余波を浴び、マントをなびかせる。
銀色の装甲が、光の照り返しを浴びていた。
――やった、か?
心の中で呟く。
と――
その炎の中から、黒いものが伸びて来た。
何⁉
仮面の内側で、眼を剥く紘汰。
その身体に、爆死したと思われていた異形の尾が、巻き付いた。
植物の蔓のように、無数に、であった。
紘汰の身体はあっと言う間に絡め取られてしまった。
脱出しようとするも、鎧武のパワーでは、その尾を断ち切れない。
アームズウェポンを召喚しようにも、極ロックシードに手が伸びなかった。
そして、オーバーロードとしての力――ヘルヘイムの植物を操作しようにも、この場所には、新しい生命が生まれる土壌がなかった。
鎧が軋む。
その内側で、異形と化した紘汰自身の身体が、苛烈な締め付けに力を奪われていた。
炎の中から、翼ある蛇の怪人が、歩み寄って来る。
ぺりぺりと、焼け爛れた鱗が、頭部から剥がれ落ちて行った。
その内側から、無傷の、より高度を増した鱗と翼を纏った怪人が、姿を現す。
翼ある蛇の王は、抵抗出来ない紘汰に歩み寄ると、その顎を大きく広げた――
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第二節 オーバーロード・葛葉紘汰
葛葉紘汰は、眼を覚ました。
嫌な汗が、金色の髪の間から、伝っていた。
全身が、ぐっしょりと濡れている。
嫌な夢を見たのだ。
暗黒の空の下、異形の戦士たちの骸が転がる大地で、謎の怪物と対峙した夢だ。
戦い――
その記憶がフラッシュ・バックする事は、珍しい訳ではなかった。
紘汰は、洞窟から外へ出た。
寝床となっている洞窟だ。
外へ出ると、蒼い空が広がっていた。
艶やかな芝が、生い茂っている。
滝が傍にあった。
透き通った水が流れ落ちて、足元の湖に注ぎ込んでいる。
そこに棲む魚は、地球人の知るものではなかった。
空を飛ぶ虫や鳥も、同じである。
不安そうな表情を浮かべる紘汰を心配するように、巨大な昆虫が、近くまでやって来た。
百足のように、体節が多い。
顔は、飛蝗に似ていた。
しかし、トンボのような羽がある。
独自の進化を遂げた、この惑星ならではの生命体であった。
紘汰が、言うなれば“神”の役割を務める星であった。
紘汰の脳裏に蘇る戦いの記憶とは、ここに辿り着くまでの、凄惨極まる戦いであった。
地球――
葛葉紘汰は、地球では、何処にでもいる平凡な青年であった。
運動が得意で、大きな優しさを持っていた。
姉と、二人暮らし。
学生時代は、ダンスに打ち込んだ。
彼が住んでいた開発都市・沢芽市では、ビートライダーズと呼ばれる若者たちが、ストリートでのダンスに熱狂していた。
しかし、家計を支える為にチームを脱退し、角居裕也や、幼馴染みであり、今の妻である高司舞、彼を慕っていた呉島光実に後を任せた。
その後、ビートライダーズは、変容する事となる。
元から、ランキングを付け、チームが活動するステージを奪い合うというようなスタンスは存在した。だが、その手段が、ダンスから、インベスゲームと呼ばれるものにシフトしたのだ。
いつの頃からか、ロックシードを用いて、小さな怪物“インベス”を召喚し、それを戦わせて勝敗を決め、ステージを奪い取る――
そのような形態になった。
紘汰が所属していたチーム鎧武だけではない。
チームバロン。
チームレイドワイルド。
チームインヴィット。
他にも幾らかのチームが、ロックシードを使ったインベスゲームに没頭し、ランキング争いは、殺伐とした雰囲気を纏うようになっていた。
それは――
沢芽市を開発した、巨大企業ユグドラシルの仕業であった。
ユグドラシルは、開発したロックシードを若者たちに流通させ、インベスゲームを加熱させ、ビートライダーズを対象に、次なる実験に乗り出した。
アーマードライダーの投入である。
ロックシードと戦極ドライバーの組み合わせで、使用者に鎧を装着されるシステムだ。
アーマードライダーと名付けられた仮面の戦士たちは、ロックシードで召喚されるインベスたちとは、段違いの性能を誇っていた。
それまで、インベスゲームで上位にランク・インしていたチームは、敵チームがアーマードライダーを入手した事で、一気に蹴落とされる事になる。
そのような事態を打開する為には、彼らも同じように、戦極ドライバーを手にして、アーマードライダーを擁する他にはなくなって来る。
そうして、次々とアーマードライダーを生み出し、そのデータを集める事が、ユグドラシルの目的であった。
では、その目的の背景には、何があったのか。
ヘルヘイムの森――
ロックシードや、戦極ドライバーを開発した天才科学者・戦極凌馬に依り、そう命名された世界からの侵略である。
そもそも、インベスとは何か。
ロックシードとは何なのか。
インベスは、異世界からの外来種とでも言うべきヘルヘイムに生息する生物だ。
そして、ロックシードとは、インベスの食糧となる、ヘルヘイムの果実が変化したものだ。
後に開発される戦極ドライバーは、ロックシードのエネルギーを、無害なままに人体に取り込むシステムであった。
プロジェクト・アークを実行する為のアイテムだ。
ヘルヘイムは、クラックと名付けられた“時空の裂け目”から、地球に種を飛ばし、地球に於いて繁殖しようとする。
ヘルヘイムの果実は、喰らった者を、インベスへと変身させる。
蜂が花の蜜を吸い、その身体に花粉を纏わされ、飛んで行った先でその種を撒き散らすように――
インベスは、ヘルヘイムの植物のない世界の生物に、ヘルヘイムの種を植える役目を持つ生命体なのだ。
それに対抗する為の戦極ドライバーであった。
地球は、やがてヘルヘイムに侵食されるというのが、戦極凌馬の意見であった。
それを、凌馬含むユグドラシル上層部は受け入れた。
受け入れた上で、人類という種を存続させる計画が、“アーク”だ。
ロックシード化させたヘルヘイムの果実から、栄養分のみを取り込む戦極ドライバーを量産し、人類に、ヘルヘイムとの共存をさせようとした。
その実用化の為の実験が、ビートライダーズたちをモルモットに、行なわれたのだ。
紘汰は、モルモットとしては一人目の、そして戦極ドライバーの装着者としては二人目のアーマードライダーであった。
鎧武――
かつて所属していたチームの名を、紘汰は名乗っていた。
アーマードライダー“鎧武”への変身能力を得た紘汰は、同じくドライバーを手に入れた駆紋戒斗を始めとするアーマードライダーたちとの関わりを通じて、ユグドラシルとヘルヘイムについての関係を知る。
その最中に、一人の青年が命を落としてもいた。
初瀬亮二――アーマードライダー黒影に変身した、レイドワイルドのリーダーだ。
ヘルヘイムの果実を喰らい、インベスと化し――この一件で、紘汰はヘルヘイムの一端に触れた――、そして、ゲネシスドライバーで変身する新世代ライダーたちに斃された。
ヘルヘイムの侵略に立ち向かおうとするユグドラシルであったが、紘汰は、自分たちを実験動物扱いにし、ヘルヘイムの真実を世間に隠し、そして、初瀬を殺し、あまつさえ、沢芽市がヘルヘイムに侵食された暁には、町ごと焼き払おうとさえ考えているこの巨大企業を、許す事が出来なかった。
その上、仮に“アーク”が実現されたとしても、生産する事が出来るドライバーの数は、その時点での地球の人口の、七分の一であった。
必然的に、六〇億の人類が死滅する事となる。
人類存続の為に、多くの生命を礎にせんとするユグドラシルの選択を、
“諦め”
と、呼んだ紘汰が選んだのは、誰を犠牲にする事もなく、ヘルヘイムの侵略を止める事であった。
その方法を模索しながら、紘汰の選びを“子供”と切り捨てるユグドラシルと、その間にも侵略を続けるヘルヘイムと戦う紘汰は、ヘルヘイムに関する新しい情報を入手する。
オーバーロード。
かつて、凌馬がヘルヘイムと名付けた世界にも、文明が存在した。
ヘルヘイムの植物の侵略に因り、滅亡した、高度な知能を持つ生命体がいたのだ。
生き延びた彼らは、ヘルヘイムの果実を喰らい、異形となりながらも、知性をそのままに備えていた。
フェムシンム――
異界の言語であった。
戦極凌馬は、駆紋戒斗を利用して、彼らと接触を図ろうとした。
しかし、彼らがヘルヘイムの中にあっても生存したように、人間にも生き延びられる術を授けて欲しいという紘汰の希望は、潰える事となる。
赤のオーバーロード・デェムシュは、他の生命を蹂躙する事にしか興味がない。
緑のオーバーロード・レデュエは、異界の人類を、退屈凌ぎの玩具と見ていた。
白のオーバーロード・ロシュオは、王でありながら、妃を喪った哀しみに打ちひしがれ
ている。
人類の助けとなろう筈もない。
しかも、彼らのみが生き延びたのは、同じく知性を残しながらも異形化した彼ら自身で、殺し合いを行なった為というのだ。
ロシュオは、その経験から、人類も同じ事を繰り返すであろうと言っている。
確かに、紘汰は、その時も、人間同士で戦っていた。
チーム同士の抗争。
ユグドラシルのライダー。
仲間と信じた光実も、紘汰に銃を向けた。
そんな中で、紘汰は、自分の希望を受け入れてくれる男と出会った。
呉島貴虎であった。
ユグドラシルの幹部であり、アーマードライダー“斬月”を装着する男だ。
初めて紘汰が“斬月”と邂逅したのは、“鎧武”となって間もない頃だ。
その時は、敵であった。
ヘルヘイムの森に、訳も分からず入り込んでしまった時、襲撃された。
“何故、襲うのか”
その問いに対して、
“理由のない悪意である”
と、斬月は述べている。
戦う覚悟もなく、アーマードライダーとして力を振るう紘汰と、理由も告げずに彼に襲い掛かる自らを、人類とヘルヘイムとの関係性になぞらえて、説いていた。
それから時が過ぎ、紘汰がオーバーロードを知るに至り、“アーク”以外の可能性に辿り着いた貴虎は、紘汰を信じた。
だが、二人の絆は、長くは続かなかった。
貴虎はユグドラシルの幹部であるが、同じ位の地位を持つ戦極凌馬以下、湊曜子、錠前ディーラー・シドがオーバーロードの事を知っていたのに対し、彼は、紘汰から初めて聞かされた。
何故か。
戦極凌馬は、オーバーロードの持つ力――ヘルヘイムの中でも、知性を保つ秘密に、人智を越えるヘルヘイムを更に凌駕する、神の領域を見ていた。
だが、貴虎は、神の力を手にしようとする凌馬には、興味を持たなかった。
貴虎にあったのは、人類の救済のみであった。
凌馬に失望を告げられ、彼は始末される事となった。
代わって“斬月”に変身したのが、弟の光実だ。
光実は凌馬たちに協力し、兄を蹴落とす側に回った。
そして、オーバーロードの助けを借りようとする紘汰を、兄以上に兄のように慕っていた彼を、ヘルヘイムの件から手を退かせようとした。
遂には、殺そうとさえ、してしまう。
紘汰が生命を懸けて初めて、彼の心に積もった黒い呪いが解けたのであった。
又、紘汰の戦いは、ユグドラシルやヘルヘイムばかりではなかった。
駆紋戒斗――
強き事を求めた彼との決着を最後に、紘汰は、この惑星へとやって来たのである。
『仮面ライダー鎧武』の自分なりの復習が、少々長くなってしまいました。
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第三節 オーバーロードの惑星―ほし―
黄金の果実――
戦極凌馬が、オーバーロードに見た、神の力の根源だ。
ヘルヘイムが世界に出現するたびに、一つだけ生成される。
その力は、創造と破壊である。
そもそも、何故、ヘルヘイムが誕生するのか。
それこそ、貴虎が言うように、“理由のない悪意”である。
ヘルヘイムに関しては、そういうものであるという事しか分からない。
そこに実る黄金の果実は、理由なく繁殖する森の、王を選定する為のものだ。
それを得た者が、その力で以て、森の覇者となる。
創造と破壊という、対にして不二であるその力をどのように使うかは、王の意志一つだ。
ヘルヘイムの王として、新しい世界を創るか。
それまでの世界を守る為、ヘルヘイムを壊すか。
何れにせよ、王の往く道は、孤独であった。
創造主となれば、その頂に独り座す。
破壊者となれば、超常の力を恐れられる。
その選択を、戦いの最中で、紘汰は迫られる事となる。
人類を守る為の力を欲した紘汰は、黄金の果実の力の片鱗を受け取る。
それが、極ロックシードであった。
オーバーロードに匹敵する力を得る代わりに、その肉体を次第に人間とは違うものに変えて行く紘汰――
願う事は、人類の救済であった。
しかし、それを叶える事は、破壊者としての道を往く事である。
一方、駆紋戒斗は、自ら進んで、黄金の果実を欲した。
強さに虐げられた幼少時代を持つ戒斗は、力に対する執着が凄まじかった。
ダンスでのランキング上位を目指し、アーマードライダーとなり、戦極凌馬に近付き、オーバーロードに接触したのも、力を求める故だ。
誰もが虐げられない世界の為に、今の世界を強さで滅ぼす――
一見、矛盾とも取れる思想の中には、揺らぐ事のない決意が存在した。
人類の存在を守る為、紘汰は、黄金の果実を求める。
人間の尊厳を守る為、戒斗は、黄金の果実を求めた。
それが――
最後の戦いであった。
結果として、勝利を収めたのは紘汰である。
黄金の果実を託された舞が、“始まりの女”となったように、舞と共に果実を得た紘汰は、“始まりの男”となった。
ヘルヘイムの全てを掌握する事が、出来るようになった。
その紘汰と舞に接触したのは、ヘルヘイムの意思であった。
サガラ――
そのような名前で、ビートライダーズや、ユグドラシル、そしてオーバーロードの動向さえも監視していた。
ヘルヘイムそのものと呼べる存在だ。
“理由のない悪意”そのものが、紘汰に問い掛けて来た。
神の力を得た今、お前は、どうするのか――
創造主となるか。
破壊神となるか。
紘汰の答えは、
“俺は、どちらも選ばない”
であった。
ヘルヘイムを、愛する姉や友のいる地球上に蔓延らせたくはない。
しかし、ヘルヘイムという一つの巨大生命を殺す事も、出来ない。
結論――
生命の存在しない惑星に、ヘルヘイムの種子を余す所なく連れて渡り、そこで、新しい世界を創る。
そういう事になった。
それが、今、紘汰が立っている星であった。
元々、只の土塊であった星だ。
太陽もなく、水もない。
そこに、自然と繁殖するヘルヘイムが持ち込まれた事に因り、生命が生まれた。
侵略は許さない。
オーバーロードとなった紘汰が、ヘルヘイムの植物を全て制御し、異世界へと渡る事を防いでいるのである。
平穏であった。
かつて、“鎧武”として戦った過去が、嘘のようだ。
姉の晶を思う。
友の光実を。
理解者の貴虎を。
チャッキー。
リカ。
ラット。
自分にドライバーを託すように死んだ、裕也。
ザック。
ペコ。
城之内。
初瀬。
シャルモンのおっさん。
坂東さん。
ロシュオ。
ラピス。
戒斗。
彼らを思う気持ちが、かつての戦いの哀しみや痛みを現実のものとして思い出させ、そして、今の世界の平穏に感謝させてくれた。
「紘汰――」
と、感傷に浸っていた紘汰の横に、舞がやって来ていた。
黄金の果実を、“始まりの男”に託す巫女である“始まりの女”となった舞は、紘汰と同じ金の髪と、左右で色の異なる瞳を持っている。
「舞……」
「どうかしたの? とても、不安そう」
舞が訪ねた。
紘汰は、空を見上げながら、答えた。
「夢を見たんだ」
「夢?」
「ああ――」
眼を閉じる紘汰。
その身体の各部に、あの怪人の感触が残っていた。
もう少し強く思い出せば、仮面を貫通して皮膚を引っ掻いた、あの爪の痕が、顔に浮かび上がって来るかもしれなかった。
「嫌な夢だ……」
紘汰は、予感していた。
新しい戦いを――
新しい、痛みを。
オーバーロードである自分の惑星には、まだ届かない、黒々とした意思を。
ヘルヘイムにも勝る脅威が迫っている事を、紘汰は、感じ取っていたのである。
次回から、本編に入ります。
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第一章 Who's That Guy?
第一節 暴発
風を切る。
クリーム色の車体が、唸りを上げて、コーナーを曲がった。
タイヤのゴムが擦れる。
おー!
おー!
観客たちが、声を張り上げていた。
アナウンサーが、マイクを使っているとは言え、それに負けじと、大声を出す。
無数の、機械の群れの轟きが、サーキットを支配していた。
フラッグが振られる。
先頭を走るマシンが、ぶっちぎりの一位でゴールしたのである。
黄色い歓声が上がる。
女性のファンが多いレーサーであった。
「ひゅーっ」
と、その男は口笛を吹いた。
ベレー帽を被り、ツナギを来た男だった。
赤いスカーフを巻いている。
頸からはカメラを提げていた。
「大したもんだな――」
男は、観客席から去って行くと、ヒーロー・インタビューを受けているであろう優勝者の許へ、駆けて行った。
テレビのカメラも入っている。
その中のフラッシュの一つに、自分もなるのであった。
「ちょいと失礼」
すっ、すっ、と、人の群れを掻き分けて、男は、レーサーを囲むファンやインタビュアーの前の方に位置した。
シャッターを切る。
後からやって来た男に気付いたのか、レーサーは彼の方を向き、爽やかに笑んで見せた。
キザったらしいが、何でも許してしまえそうな、甘い笑みであった。
「
と、インタビュアーの一人が、マイクを向けた。
かなり興奮しているようであった。
「今回も見事な走りでしたが、勝因は何でしょうか」
似たような質問が、レーサー・黒井
黒井響一郎は、余裕のある表情で、それに答えようとする。
と、人波の脇の方から、一人の女性がやって来た。
花束を持っている。
足元には、五、六歳になるであろう子供が、女性の服の裾を掴んでいた。
黒井響一郎が、
「この二人です」
と、言った。
黒井の妻と息子であった。
妻・奈央は、頬を赤く染めながら、勝利を飾った夫に、花束を手渡した。
奈央の頬に唇を当て、黒井は、息子の光弘を抱き上げた。
家族の揃った所を、写真に撮る。
――家族か。
と、ベレー帽の男が、心の中で呟いた。
男には、家族がいない。
元から、天涯孤独の身の上であった。
美人な妻と、可愛い息子のいる黒井響一郎を、羨ましいと思わないではない。
「黒井さん――」
男が声を掛けた。
ドスの利いた声は、歓声の中でも、黒井の耳に届いた。
黒井が、男のカメラに眼を向ける。
にこりと、家族で微笑んだ。
彼らをファインダーに収めて、シャッターを押す。
そのタイミングで、男は、背中の方から押されて、バランスを崩した。
と――
どんっ、
と、大きな破裂音がして、コンクリートの地面が、大きく抉れていた。
「えっ――」
そのへこんだ地面を見て、男は、驚き、眼を剥いた。
一文字隼人のカメラから、小さな爆弾が投下されたのである。
「こ、こうしちゃおれん!」
と、立花藤兵衛は、お気に入りのキセルを口から放り出しながら、立ち上がった。
立花レーシングクラブの事務所で、テレビを観ていたのである。
フォーミュラ・カー・レース――今で言う、F1グランプリである。
藤兵衛の場合、レースと言っても、モトクロスの方である。
一緒にテレビを観ていた滝和也や、今はいないが本郷猛など、優秀なライダーを育てている。
バイクに乗るのが、余り巧くなかった一文字も、彼のお蔭で、今では飛行機乗りをこなしてさえいる。
そんな藤兵衛が、フォーミュラ・カー・レースにチャンネルを合わせていたのは、
“隼人兄ちゃん、今日、このレースの写真を撮りに行くんだってさ”
と、楽しそうに言う石倉五郎の為だ。
それで、中継を観ていると、滝和也もソファに座り込んで来た。
「あの黒井さんって人、格好良いわねぇ」
「お嫁さんになりたいなぁ」
「でも、もう結婚してるみたいよ」
と、マリ、ユリ、ミチらが言っていた。
スナック“アミーゴ”で働いていたひろみの友人であり、立花レーシングの会員である。
最初は、
“五〇CCをすこーし”
とか、
“私は空手!”
“アタシはフェンシング”
などと言っていて、クラブの未来を憂えていた藤兵衛であったが、憎めない子たちであった。
「へぇ、まだ、若そうなのに、綺麗な嫁さん貰うじゃないの」
と、滝が言った。
「何言ってんだい、滝兄ちゃん」
五郎が声を上げた。
「滝兄ちゃんだって結婚してるだろ」
「とと……」
「そーよ、滝さん」
「偶には、奥さんに顔出して上げたら?」
「こんな所にばっかり入り浸っていないでさ」
と、三人の女の子たちから、刺々しい視線を向けられる。
こんな所とは何だ――と、今にも言い出しそうな藤兵衛の傍で、滝は困ったように頭を掻いていた。
洋子という妻が、いるにはいるが、その結婚には些か複雑な事情がある。
「しかし、この黒井っての、お前さんよりも年上だって言うじゃないか」
藤兵衛が、キセルから煙を吐き出していた。
「本当ですか」
「ああ、らしいぞ」
「あッ」
五郎が、画面を指差した。
黒井がヒーロー・インタビューを受けている所だ。
画面の端の方に、見慣れた顔が出て来た。
「あーっ、隼人さん」
と、マリが言った。
「お、どれどれ」
藤兵衛も、画面に見入った。
そうしていると、あの事件が起こったのである。
一文字のカメラから、小さな爆弾が飛び出して来て、黒井の足元で爆発したのだ。
「えッ⁉」
ぎょっとして、立花レーシングの一同が、声を上げた。
画面の中で、一番驚いているらしい一文字隼人を、警備員たちが取り押さえた。
黒井が、妻子を庇いながら、一文字を唖然とした顔で眺めていた。
そうして、冒頭の台詞である。
「おい、滝、行くぞ!」
「あいよ、オヤジ!」
藤兵衛と滝が立ち上がり、店の外に飛び出して行った。
「滝兄ちゃん、俺も」
と、五郎が腰を持ち上げるのだが、
「莫迦野郎、子供が来る所じゃねぇ」
と、滝に一喝されてしまう。
その二人と擦れ違うようにして、キッチンでコーヒーを淹れていたひろみが事務室にやって来たのだが、鬼気迫る顔の男二人に気圧されてしまった。
「どうしたの?」
「あ、大変なのよ、ひろみ。今、隼人さんがね」
と、ユリが説明しようとする。
すると、ミチが、ひろみが持っているものに気付いた。
「ねぇ、ひろみ、それって――」
「え? ああ、これ……」
ひろみは、そのカメラを持ち上げて、ユリたちに見せた。
「今日、隼人さんお仕事だって言ってたけど、これを忘れたら、何も出来ないじゃない」
一文字隼人の愛用のカメラであった。
「むぅ……」
街頭テレビで、その様子を見ていた男は、低く唸った。
くせ毛に、濃い目の顔立ち。
紺色の、ダブルのジャケットに、白いパンタロン。
カメラマンのカメラが暴発し、地面が爆発したのである。
決して大きな爆発ではなかったが、普通の人間を殺すには充分な威力であった。
そうして、輪を掛けて驚いていたようなカメラマンを、警備員たちが取り押さえる。
アナウンサーが、この異常事態を、早口で伝えていた。
男の傍で、同じようにテレビを観ていた人々が、ざわついていた。
今の爆発は、故意なのか。
事故で、カメラがあんな風に爆発するのか。
故意だとしたら、何の為なのか。
それが分からない。
分からないから、色々と、憶測をする。
しかし――
その男だけは、分かっていた。
そこに、何ものかの策略が絡んでいるという事だ。
そのカメラマンが、一文字隼人が、嵌められたという事を、男は分かっていた。
「ショッカー……」
男――本郷猛は、ぽつりと呟いた。
ヨーロッパから、舞い戻って来た男であった。
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第二節 陰謀
「済まんなぁ、滝……」
一文字が言った。
黒井響一郎を、暗殺しようと目論んだ犯人として捕らえられた一文字隼人であったが、滝和也の協力に依って、釈放された。
滝和也は、FBIの捜査官であった。
彼と洋子の結婚にある“複雑な事情”というのは、その事だ。
滝は、或る組織を探る為に、FBIから派遣されて来た。
その組織の名は、ショッカーという。
詳細は不明だが、ナチス・ドイツの残党が集まった、テロ集団という事である。
世界規模の組織であった。
その実態を探る為に、活動が活発ながらも、比較的被害の少ない日本――つまりは、情報を手に入れる事の難易度が、他の地域と比べて低いこの国に、滝は任務を帯びて帰って来た。
その事を隠す為に、同じくFBIの捜査官であった洋子と、結婚式を執り行った。
その頃のショッカーの活動の一つに、結婚式場から若い女を誘拐するというものがあった。
滝と洋子の結婚は、ショッカーの実態を探る為の、囮操作だったのである。
以来、滝は日本の、恩師である立花藤兵衛の許に留まり、ショッカーと戦っている。
一文字隼人。
立花藤兵衛。
そして、ライバルの本郷猛。
彼らも亦、ショッカーと戦う者であった。
「ひろみが言ってたぜ」
滝が言った。
「ひろみが?」
「カメラさ」
「カメラ⁉」
「お前、忘れて行っただろう」
「忘れた?」
一文字は首を傾げていた。
それはそうだ。
何せ、一文字が拘留されたのは、商売道具のカメラが、危うく人を殺し掛けた為である。
「すり替えらえたのさ――」
滝が言った。
「すり替えだって?」
「ああ」
滝は頷くと、声を潜めた。
「黒井響一郎を、何者かが、暗殺しようとしたのさ……」
「暗殺⁉」
「恐らくな」
「それは、どういう事だ?」
滝と一緒に、留置場を出ながら、一文字が訊いた。
「黒井響一郎が、何故、暗殺されなければならない?」
「さぁな」
「――」
「しかし、そういう事をする連中を、俺たちは知っている……」
「――」
一文字が、きつい顔で、滝の横顔を見やった。
建物の外で待っていた立花藤兵衛と合流する。
「ショッカーか」
「ショッカー⁉」
一文字が滝に言い、藤兵衛がその言葉を反芻した。
「それしか、考えられない」
「しかし、ショッカーが、何故だ」
「お、おいおい、滝。お前、この件にショッカーが絡んでるって言いたいのか?」
藤兵衛が言った。
「そいつぁ、分からねぇよ。でも、他に考えられるかい」
「――」
「わざわざ、お前さんのカメラを、爆弾を仕込んだものにすり替えるなんざ、連中の考えそうな手口じゃないか。黒井を殺す事が、奴らにどんな利益を生むのかは分からないさ。でも、自分たちは表舞台に姿を現さず、邪魔な連中を纏めて始末しようとするなんざ、奴らの考えそうな事だぜ――」
滝が吐き捨てる。
「黒井と……俺か」
一文字が、遠くを見ながら、呟いた。
黒井響一郎がショッカーに狙われる理由は分からない。
だが、一文字隼人をショッカーが狙う理由は、明らかであった。
滝和也、立花藤兵衛と共に、ショッカーにとっては、眼の上のたん瘤であった。
黒井がショッカーにとって邪魔者であれば、一文字に彼を始末させる事で、一文字を社会的に抹殺する事が出来れば、それは、カメラをすり替えたという一石で以て、障害を二つも同時に取り除けるという事になる。
「ま、取り敢えずクラブに戻ろう」
滝が、乗って来たバイクに跨った。
「儂は滝の後ろに乗ろう」
と、藤兵衛が、自分で乗って来たバイクを、一文字に勧めた。
一文字がバイクに乗り、ヘルメットを被る。
「そう言えば、お前、今日はバイクじゃなかったんだな」
滝が言った。
「ああ」
一文字が答え、バイクに火を入れる。
三人は、立花レーシングに戻った。
「隼人さん、大丈夫だった⁉」
「何か乱暴な事されなかった?」
「何処か怪我とかしてない⁉」
マリ、ユリ、ミチが、事務所に顔を出した一文字に、わっと押し寄せて、次々と言葉を投げた。
その様子を見て、一文字が笑った。
「まるで黒井だな」
「黒井?」
「テレビで観てたんでしょう?」
一文字が、藤兵衛と滝に言った。
成程、レースで優勝した黒井に、カメラマンやインタビュアーが駆け寄ったのを、テレビの中継で観ていたのだろう、という事だ。
「って事は、五郎が、俺の息子だな」
と、一文字が、五郎の頭に手を置いた。
「ちぇっ、何だい、子供扱いしちゃってさ」
実の兄のように慕っている一文字に撫でられて、嬉しい反面、恥ずかしくもあり、憎まれ口を叩く五郎であった。
「じゃあ、俺がお前さんだな」
滝が、カメラを構えるポーズを採った。
「いや、あっちさ」
一文字が、ウィンクと共に示す先には、一文字が忘れて行ったというカメラを持ったひろみが立っている。
「俺の事は撃たないでくれよ。尤も、ハートはとっくに撃ち抜かれちまってるけどね」
「もう、隼人さんッたら――」
ひろみが、頬を赤らめる。
「お前の言い回しも、黒井に敗けず劣らずキザだぜ」
滝が、苦笑いを浮かべていた。
「でも、本当に良かったわ」
マリが胸を撫で下ろしていた。
「良かったって?」
一文字が訊く。
「だって、隼人さんは悪くないって事が分かったんでしょう?」
「――」
マリたちは、滝がFBIの人間であるとは知らない。
だから、滝と藤兵衛が留置場に向かったのは、単に、一文字の無実を主張し、彼を迎えに行く為であると思っていた。
実際には、滝がFBIの権限で、一文字を引き取っただけで、彼の無実が証明された訳ではなかった。
しかし、
「ああ、そうさ」
と、言う他にはない。
彼女らもショッカーの存在は知っているが、出来るだけ巻き込みたくないというのが、一文字たちの意見であった。
「あ、そうだわ」
ミチが、テーブルの方から、封筒を持って来た。
「これ、マスターに届いていたわよ」
「儂に?」
事務室のソファに腰掛け、キセルに火を入れる藤兵衛が、封筒を受け取った。
相手の名前はなかった。
「まさか、ショッカーからの手紙ってんじゃないでしょうね」
滝が、小さな声で言った。
「う、うむ……」
そんな莫迦な、と、笑い飛ばしてやりたい所だが、さっきの今である。
その上、ショッカーの情報能力たるや、一文字のアパートを、その存在を知った数日後には突き止めているという位である。
敵対する者が寄り集まっている立花レーシングの住所など、とっくに知っている。
恐る恐る、藤兵衛が封を切る。
入っていたのは、白紙であった。
「ありゃ?」
「何でぇ、悪戯かよ」
肩透かしを喰らったような顔の藤兵衛と、吐き捨てる滝。
それを眺めながら、一文字がにやにやと笑っていた。
「どうした、隼人?」
「おやっさん、ちょいと、キセルを貸して下さい」
言うが早いか、藤兵衛からキセルと白紙を掠め取り、熱を持っているキセルを、白紙の内側に宛がった。
「お、おい――」
「まぁ、見ていて下さいよ」
そうしていると、一文字の手の中で、白紙に文字が浮かび上がって来た。
炙り出しになっていたのだ。
「ほぉー、これは、また、手の込んだ事を」
藤兵衛が感心した。
「ったく、誰が、こんな面倒な事を」
「――」
毒づく滝に、さっきから同じような笑みを浮かべている隼人が、手紙を渡した。
それを読んでみると、滝の、不機嫌そうな顔に、喜色が満ちた。
「どうした?」
立ち上がって、藤兵衛が、滝の手から紙を奪い取る。
「おおーっ」
と、藤兵衛も声を上げた。
「猛か!」
「えっ、猛さん?」
ひろみが、藤兵衛に駆け寄って来た。
「たけし?」
「どなた、その方?」
「――ああ、おたくらは、知らなかったな」
滝が、本郷猛について、簡単に説明した。
城南大学の生化学研究所に所属する、IQ600の天才科学者。
その上、運動神経抜群であり、特にバイクのレーサーとしての才能は眼を見張るものがある。
モトクロスに関して、いつも滝の一歩先を行く男であり、ライバルでありながら、親友であった。
暫く、日本を離れてヨーロッパに行っていたが、それが、久し振りに帰って来るというのだ。
「そうか、猛が……」
藤兵衛は、弟子との再会を心待ちにして、感涙さえしていた。
「オヤジ、それはちと早いぜ」
とは言うが、滝も、早く本郷と会いたくて堪らないという顔だ。
「でも、天才科学者っていうけど、お茶目な人なのね、本郷さんって」
ユリが言った。
「あん?」
「だって、わざわざ炙り出して送って来るだなんて」
「――おう、そうだな」
これに関しても、恐らく、ショッカー絡みなのであろうと、滝も藤兵衛も想像していた。
本郷がヨーロッパに渡ったのは、ショッカーとの戦いの為だ。
彼へのショッカーの監視の眼は、特に厳しい。
手紙の一枚も、チェックされる可能性があった。
そうなった時の為に、わざわざ、手紙を炙り出しにしたのだろう。
「しかし、良く気付いたな」
と、滝が一文字に言った。
「え?」
「全然匂わないぜ、これ」
滝は、手紙を鼻の近くにやった。
しかし、彼の言う通り、炙り出しに用いられる柑橘の香りは、全くしていなかった。
「あ、ああ……」
一文字は、薄笑いを浮かべた。
「何せ、鼻が良いからな」
「っと、そうだったな」
滝が頷く。
悪い事を言った――
そういう顔であった。
「それじゃあ、俺は、そろそろお暇するよ」
と、一文字が言った。
「うん?」
「家で、色々と情報を整理したいんだ」
そう言うと、一文字は、そそくさと立花レーシングを出た。
「うむ、じゃ、滝。儂らも、色々と考えて置くか」
と、藤兵衛が呼び掛ける。
「そうだな」
滝は、ユリたちを事務室から追い出すと、藤兵衛の斜めにあるソファに腰を下ろした。
「そう言えば、隼人の奴、何処に住んでるんでしたっけ」
「――何を言っとるんだ、お前は」
ボケたか? と、キセルで、滝の頭を叩く藤兵衛。
滝は、小さく笑った。
立花レーシングの雰囲気が出せていれば嬉しいかと。
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第三節 執着
数日前――
黒井響一郎は、間近に迫ったレースに向けて調整を続ける傍ら、余計な緊張を残さない為に、外で食事を摂った。
その後で、埠頭に立ち寄った。
汽船の音が聞こえる。
ぼぉー、
と、間延びした、肉を震わせるような音が、黒井の身体に染み込んでいた。
黒いコートのポケットに、冷たい両手を入れて、黒井は、コンクリートと水面の境界を、眺めている。
月が冴えている。
黒々とした海面に、半分が欠けた、銀色の、円やかな形が浮かんでいる。
黒井響一郎――
毎朝、早く起きて、ランニングや、補強運動をする。
バランスの良い食事を摂る。
ジムへ行き、身体を鍛える。
栄養になるものを、昼食として食べる。
少し休んだ後で、又、運動をする。
夕食は、妻の奈央の手料理だ。
小学校入学を控えた息子と一緒に、遊んでやる。
風呂に入った後は、入念に身体をほぐす。
そういう事を、三日程、続ける。
四日目は、柔軟体操や、ウォーム・アップは行なうが、激しい筋力トレーニングは控える。
酷使した筋肉を休める為だ。
その間に、チームのメンバーと、マシンの調子を見る。
実際にマシンを走らせる事は、何日か間を置いているが、シミュレーションだけは、毎日、続けている。
格闘家そこのけの肉体が、黒井響一郎であった。
普通の人間ならば――少なくとも、何事かに狂う程に打ち込む事なく、なあなあに過ごしている者ならば、すぐに逃げ出してしまいたくなる日常である。
勝利――
黒井の胸に、常にある言葉であった。
勝利者でなければ、意味がない――
戦前の生まれである。
第二次世界大戦。
若く見えるが、その子供時代は、軍歌を誇らしげに歌い上げていた。
欧米という大国に、小さな島国ながらも挑む日本は、黒井の中で、堪らないものであった。
多くの少年が――それ所か、物事の真贋を見極めるべき大人たちでさえ、熱くなっていた時代だ。
日本の勝利を、疑わなかった。
真珠湾攻撃。
海戦での勝利。
眼を輝かせたものばかりであった。
しかし――
敗けた。
大日本帝国が――である。
“耐え難きを耐え、忍び難きを忍び……”
ラジオから流れる、大仰な言葉を、初めは理解する事が出来なかった。
大人たちが、泣き崩れていた。
何があったのか。
敗けたのだ。
日本は、戦争に、敗けたのだ。
それから、黒井の眼の輝きは、失われた。
闊歩する異国の兵士たち。
それは、まだ、許せた。
敗けるとはそういう事だ。
しかし、黒井が許せなかったのは、敗けた者たちの態度であった。
今までは、散々、
“鬼畜米英”
“米兵撃滅”
などと、声高に叫んでいた大人たちが、その鬼畜共に、媚び諂っている。
“ギブ・ミー・チョコレート”
黒井と同じ年頃の子供たちは、下手な英語で、ガムをくちゃくちゃと噛んでいる白人や黒人に、手を差し伸べていた。
敗ける事は仕方がない。
勝負とは、そういうものだ。
別に、戦争だけではない。
柔道だって、剣道だって、スポーツだって、遊びにだって、勝者と敗者がある。
勝者は敗者を見下ろす資格がある。
だが、敗者は、いつまでも敗者である必要はない。
敗北という理不尽に克己する事が出来るのだ。
しかし、それをしなかった。
復興という意味で、それを行なった者たちはいる。
それでも、取り戻せなかったものはあった。
誇りだ。
一度、自らの意思で頭を下げてしまった者は、もう二度と、顔を上げられない。
敗北はきっかけに過ぎない。
敗北しても、顔を上げる事は出来るのに、それをしなかった。
醜い――
日本の勝利を信じて、大和の男として生まれて来た誇りを持って生きて来た黒井にとって、敗者たちが浮かべる卑しい笑みは、そのように映った。
醜い事を、悪と、断じた。
敗ければ、悪……。
では、勝者は何だ。
正義――
正義とは何だ。
正しい事だ。
正しい事とは?
黒井が辿り着いたのは、生きる事であった。
しかし、生きると言っても、それは単に生命を長らえる事ではない。
生きた証しを残す事。
人生に誇りを持つ事。
例え生命を断たれたとしても、誰かがその人間の事を語り継げば、それは死ではない。
生きている事になる。
そうやって生き残る事が、正しい事だ。
勝てば、生きる。
勝てば、正義。
敗ければ、悪。
歴史が証明している通りだ。
江戸幕府の事は、今でも学ぶ事になっている。
徳川家が勝利したからだ。
だから、語り継がれている。
織田信長は、明智光秀に敗れた。
明智光秀は、豊臣秀吉に敗れた。
豊臣秀吉は、徳川家康に敗れた。
それでも、秀吉は光秀を破り、光秀は信長を倒している。
だから、名前が残っている。
正義とは、そういう事だ――
黒井は、そう思っている。
狂気があった。
感受性豊かな少年時代に受けた、敗北の痛みが、黒井響一郎に、勝利への異常なまでの執着を与えていた。
その狂気があったからこそ、黒井は、普通の人間ならば逃げ出してしまいたくなるような生き方を、平然とやっていられるのだ。
「――」
黒井は、息を吐いた。
夜、独りになると、そういう事を考えてしまう。
普段、人前では、明るい優男を気取っているだけに、孤独の闇に包まれると、腹の奥底から、どろどろとしたものが湧き上って来るのだ。
黒井は、奈央や光弘に心配を掛けないよう、いつもの父親であるように、表情を緩めた。
帰路に着く。
踵を返した時であった。
黒井は、エンジンの唸りを聞いた。
オートバイであった。
六台――
何かと思っていると、黒井を包囲するように、黒いバイクに跨った、黒尽くめの男たちが、やって来たのである。
ぱっ、
と、ライトが、黒井の全身を染め上げた。
腕で光を遮る。
「何だ――」
最初は、流行りの暴走族か何かかと思った。
しかし、人を脅す為にクラクションを鳴らしたり、変にがなり立てる様子はない。
不気味な黒い影が、バイクから降りた。
「黒井響一郎だな」
一人が言った。
逆光で顔が見えない。
黒井は答えなかった。
「お前を連れて行く」
その男が言った。
「何?」
「捕まえろ」
その指示で、他の男たちが、黒井に迫った。
乱暴に腕を掴まれる。
咄嗟に、黒井のパンチが出た。
殴り倒す。
「抵抗するか⁉」
男たちは、殺気を剥き出しにして、黒井に掴み掛って来た。
「場所も教えずに連れて行く、だなんて、怪しいだろう」
黒井は、軽い身のこなしで、男たちの攻撃を躱し、逃げ出そうとした。
タックルを仕掛けて来る男がいたが、躱して、海に叩き込んでやった。
「何だ、お前たちは」
「黙って付いてくれば良いものを……」
最初に口を開いた男が、ヘルメットを取った。
光の中に歩み出して来る。
その顔が、裂けた。
「む⁉」
と、驚く黒井の前で、その男の顔が、べりべりと剥がれ落ちて行った。
「ぐにゃーっ!」
男が、甲高く叫んだ。
男の顔の内側から、猫のような形がまろび出た。
チーターの顔である。
しかし、頸から下は、先程までの男の――人間のものであった。
「ば、化け物――⁉」
黒井が思わず口走った。
「お前も、そうなるのだ……」
牙の間から、大量の空気が抜ける。
しゃがれた声が、チーター男の口から発せられた。
黒井が駆け出した。
「逃がすものか」
チーター男は、黒いとの距離をあっと言う間に詰めてしまう。
爪を立てぬように黒井の身体をホールドすると、地面に押し倒した。
「お前も、我がショッカーの一員となるのだ」
息が掛かる程の距離で、チーター男は言った。
黒井の顔が、恐怖に引き攣っている。
若々しい顔立ちが、怯えの為に、何歳か進んでしまったかのようであった。
チーター男は、黒井を引き起こしながら立ち上がり、他の黒尽くめの男たちに、黒井の身体を引き渡した。
「連れて行け」
黒尽くめの男たちは、黒井を引き摺って行こうとした。
その時である。
爆音を上げてやって来る、クリーム色の影があった。
仮面ライダー1・2号の時代、それと黒井を演じる及川光博さんの年齢、勝利への執着……などを考えてみると、この辺りは別に不自然ではありませんよね。しかも、及川さんの年齢よりは随分と若く設定されたみたいです(45なんだ、あの人……驚愕)。
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第四節 嵐斗
そのマシンは、黒尽くめ男たちを蹴散らして、黒井を解放させた。
「早く逃げるんだ」
と、滑らかなラインのバイクの上から、男の声がした。
低く、ドスの利いた声であった。
黒井は、男に言われるまでもなく、その場から立ち去っていた。
「ま、待て!」
チーター男が追おうとするが、その前に、バイクから降り立った男が両腕を広げる。
自分たちの邪魔をしようとする男に、黒尽くめの男たちが躍り掛かった。
彼らの顔面やボディを叩いたのは、緑のグローブであった。
闇の中に、身体の横を走る銀色のラインと、赤いマフラーと一対の楕円が輝いた。
「貴様、よくも、我々の邪魔をしてくれたな!」
チーター男が言った。
「仮面ライダー!」
骸骨にも似たヘルメットを被った男は、チーター男の前で、構えた。
「来い、ショッカー!」
仮面ライダーは、その瞬間に襲い掛かって来た黒尽くめの男たち――ショッカー戦闘員たちを、次々と打ち倒してしまう。
パンチが頭蓋骨を陥没させる。
ショッカー戦闘員とて、改造人間である。
普通の人間の、五倍の運動能力がある。
自らのパワーに耐え得る肉体を、持っている。
しかし、特殊な能力を持たない雑兵たちよりも、遥かに多くの金と時間とを掛けて造り出された仮面ライダーの敵ではなかった。
特にパワーに重点を置いて改造された仮面ライダーは、一つの拳で戦闘員の骨を砕き、一つの蹴りで内臓を破裂させてしまう。
戦闘員の五人や六人では、とても相手にならない。
戦闘員たちは、ナイフやサーベルを引き抜く間もなく、ライダーの為に叩き潰されていた。
残ったのは、チーター男だけであった。
「がぁっ!」
チーター男が、ライダーに咬み付いて行く。
仮面ライダーは、チーター男の胴体にしがみ付き、投げ飛ばした。
地面を転がるチーター男。
起き上がろうとする顔面に、脛を叩き込んだ。
又、怪人が転がる。
その腕を掴んで持ち上げると、もう片方の拳で、パンチを見舞った。
二発目。
三発目。
四発目。
チーター男の顔面の皮膚が切れ、血が飛沫を上げた。
仮面ライダーの、濃い緑色のグローブに、真っ赤な血が飛んでいた。
「とぅっ――」
ライダーがチーター男を投げ飛ばす。
チーター男は、空中で身体を捻り、近くのコンテナの上に着地した。
「ちぃ」
と、口の中で、長い舌を打ち鳴らす。
「仮面ライダー、この事は忘れんぞ」
捨て台詞を吐き、チーター男はコンテナの上から飛び出した。
ライダーは、怪人を追って、愛車に跨った。
サイクロン号――
二つのフロント・ライトに火が灯り、滑らかな車体が空気を後方に流しながら加速する。
空気の動きから状況を判断する超触覚アンテナが、チーター男の動きを読んでいた。
怪人との距離を、Oシグナルが、直接脳に教えてくれる。
――速い。
ライダーはアクセルを吹かした。
最高時速六〇〇キロのサイクロン号が、加速を強める。
しかし、チーター男は市街地に入ってしまった。
既存のどのようなオートバイよりも小回りが利くサイクロン号であったが、チーター男の加速に追い付く為に、最高時速を出すという事は、流石に町中では出来なかった。
結果として、仮面ライダーは、チーター男の逃走を許してしまった。
人目に付かない所で、マシンを停める。
Oシグナルは、チーター男が、ライダーから逃げ切った事を、点滅をやめて知らせた。
ライダーは、銀色の牙・クラッシャーと、緑の仮面を外した。
髑髏を思わせるマスクの内側にあったのは、一文字隼人の顔であった。
頬に、傷痕が走っている。
手術の痕だ。
ショッカーに捕らえられた一文字隼人が、飛蝗型のサイボーグ・仮面ライダーに改造される為、身体を切り開かれた痕である。
序でに言えば、この皮膚も、一文字隼人生来のものではない。
強化皮膚だ。
内側の筋肉も、培養された強化筋肉である。
飛蝗は、自分の身体の二〇倍の高さまで、跳躍出来るという。
それを人間が可能にする為の人工筋肉であり、その動きに耐え得る骨格が、一文字隼人の肉体を構成していた。
心臓や肺も、ショッカー製の機械である。
消化器も同じく、だ。
これらの、一見すると人間と変わらないように思える一文字の内側に埋め込まれた機械は、普段から一文字隼人を優れた人間に見せている。
しかし、その真価は――仮面ライダーとしての力は、ヘルメットを被る事で、発揮される。
スカルを連想させるヘルメットの内側には、特殊な電波を発生させるメカニズムが組み込まれており、その電波が一文字の脳波と同調する事で、ボディの人造臓器を起動させる。
そうすると、一文字の胸筋が開き、風を取り込むのである。
風が、仮面ライダーの動力であった。
しかし、全身のメカニズムが発動すると、幾ら強固な人工皮膚とは言え、その運動如何に依っては、自壊は免れない。
だからこそ、第二の皮膚を身に着ける必要があった。
大きなボディ・プロテクターを中心としたスーツである。
これが、一文字の皮膚と密着して、耐久性を引き上げる。
又、鉄のグローブとブーツも、攻撃に使用する拳や足を保護している。特にブーツは、底がスプリングになっており、一五メートルの跳躍力を誇る。
仮面ライダーが動力である風を取り入れるのは、そのプロテクターである。
コンバーター・ラングが、胸筋部分の、風の導入口と接続されている。
これは、風を取り入れるのと同時に、体内で生じた熱を放出する役割も担っていた。
そして、腰に巻かれたベルトには、大きなバックルがあり、バックルの中心には赤い風車が設けられている。
これは、仮面ライダーのエネルギーの、バロメーターであった。
一文字は、この肉体が好きではなかった。
ショッカーが造り出す、改造人間の身体であるからだ。
変身するメカニズムが、自分の肉体を引き裂いたショッカーを連想させるからだ。
人間を越えたものに、一瞬で造り変えられてしまうからだ。
そして――
ショッカーという巨悪を倒す為には、普通の人間の身体ではどうにもならないという、人間の肉体の脆さを、嫌という程、教えてくれるからであった。
それでも、一文字隼人は、往かなければならない。
ショッカーとの戦いに、だ。
――それにしても。
と、一文字は思った。
ショッカーに狙われていたあの男は、一体、何者だったのか。
それが、黒井響一郎である事を、一文字はまだ知らない。
そして、黒井響一郎が、やがて敵として眼の前に立ちはだかる事を、仮面ライダー・一文字隼人は、想像もしていなかった。
世界観は、タグにもあるように、萬画とTVのちゃんぽんです。
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第五節 死神
翼を広げた鷲のレリーフが、その中心のランプを、怪しく輝かせていた。
壁には、幾つかのモニターや、様々な計器が埋め込まれている。
中心に階段があり、二階部分の突き当りに、ドアが設けられている。
レリーフは、そのドアの上に飾られていた。
鷲の光に見下ろされる形で、フロアの中心に、一人の老人が立っていた。
灰色の髪が、肩まで垂れている。
頬の肉が、削げていた。
顔が蒼白い。
今にも命を終えそうな――と、言うよりは、既に棺桶の中の遺体のような色だ。
しかし、その眼だけが、いやにぎらぎらとしていた。
睨むだけで人を殺せるならば、その瞳は、幾つの生命を奪って来たのだろうか。
ひょろりとした、背の高い老人であった。
スリー・ピースの、白いスーツの上に、黒いマントを羽織っている。
杖を突いていたが、脚は悪くない。
「首領……」
老人が、ねちゃりとした声質で、言った。
ぞわりとする。
不気味な声であった。
「一文字隼人の件について、説明を頂きたい――」
『――死神博士よ』
何処かから、声がした。
ここにはいない何者かが、老人――死神博士に話し掛けているのだ。
死神博士に敗けない、不穏な匂いを湛えた声である。
まるで、地の底から響くかのようであった。
死神博士――
ショッカーの大幹部であった。
本名は、イワン=タワノビッチ。
一九一九年、日本人の父と、白系ロシア人の母の間に生まれ、日本の東京で育った。
幼少期から、訪れる先々で、死人が出た。その事が、“死神”という仇名の由来である。
学生時代には、博士号を取り、以来、現在のコード・ネームで呼ばれる事になる。
母の死後は、ポーランドへ渡り、臓器移植の研究に没頭。
三つ下の、ナターシャという妹がいたが、病弱な彼女の、延命の為であった。
第二次世界大戦の勃発後は、占領ドイツ軍に徴用され、アウシュビッツに於いて、生体実験の研究員となった。その際に、恩師であるシモン教授を、延命研究の実験台として使用し、死なせてしまっている。
終戦は、イワンが二六歳の時だ。
しかし、二三歳のナターシャは、戦後の世界を見る事が出来なかった。
イワンは、ナターシャの死を嘆き悲しんだ。
そして、彼女を生き返らせようと、活動を始めた。
遺体の冷凍保存と、蘇生術の探求。
科学ばかりではなく、西洋占星術などにも、傾倒し始める。
ショッカーに見出されたのは、その頃だ。
才能に恵まれたイワンを、ナチスの残党であるショッカーが、大幹部として迎え入れたのだ。
その主な任務は、改造人間の製造であった。
ショッカー日本支部の、草創期のメンバーであった。
改造人間第一号・蜘蛛男
同第二号・蝙蝠男
同第三号・蠍男
同第四号・
同第五号・蟷螂男
同第六号・
同第七号・蜂女
これら七体の改造人間を試作品とし、
強化改造人間第一号・仮面ライダー
を、製造している。
この仮面ライダーには、ショッカーからの脱走を許してしまっている。
そして、今、仮面ライダーはショッカーの敵として、ショッカーの活動や、送り込まれた改造人間たちを、次々と破壊されている。
それ以降の、
改造人間第八号・コブラ男
同第九号・ゲバコンドル
同第一〇号・ヤモゲラス
同第一一号・トカゲロン
なども、同じく、仮面ライダーに斃されてしまっていた。
業を煮やしたショッカー首領は、死神博士に更なる改造人間計画を命じる。
“第二期強化改造人間製造計画”と呼ばれるものが、それだ。
今までの改造人間――と、言うよりは、ショッカーの改造人間たちを打倒して来た、仮面ライダーのデータを基に、新しい強化改造人間を生み落すというものである。
つまり、新しい仮面ライダーである。
死神博士は、首領の命令に従い、六体の強化改造人間第二号を造り出す事に成功した。
だが――
改造間もなかった、新型の強化改造人間の内、五体が破壊されてしまう。
そして、その内の一体――
仮面ライダー第二号の一体として改造素体に選んだ人間・一文字隼人が、仮面ライダー第一号・本郷猛の仲間となり、彼と同じようにショッカーに敵対する事になってしまった。
その直後、死神博士は、ヨーロッパへ戻り、更なる研究を進める事になった。
死神博士を追い、ヨーロッパに飛んだ本郷猛に代わって、一文字隼人が、仮面ライダーとしてショッカーと戦っている――
そして、既に、死神博士と同じ大幹部の一人であるゾル大佐が、一文字隼人に斃されていた。
死神博士は、ゾル大佐に代わって、日本支部の指揮を執る為、来日した。
その死神博士が、首領に告げたのは、日本にいる仮面ライダー・一文字隼人の事である。
『一文字隼人について、とは』
首領が訊いた。
「私の造った、新しい改造人間が、一文字隼人に戦いを挑んだと聞き及びました」
『――』
「私の知らない所で、私の造った改造人間が、勝手に行動されるというのは、こちらとしても、余り気分の良いものではない……」
チーター男の事だ。
チーター男が、黒井響一郎を狙った事、そして、一文字隼人のカメラをすり替え、やはり、黒井響一郎を爆殺しようとした事についてであった。
それらの事を、死神博士は、首領から聴かされていなかった。
首領が、死神博士の質問に対し、無言でいると、
「私が説明しましょう」
と、扉が開いた。
死神博士が、眉を顰めた。
そこに立っていたのは、女であった。
美しい黒髪を伸ばしている。
ぞっとするような、整い過ぎた顔立ちであった。
黒い眼が、細められている。
鼻梁が、つぅと徹っている。
唇がぽってりとしていて、艶めいていた。
胸元の、ざっくりと開いた、金色のドレスを纏っている。
胸と尻が、大きく前後に突き出した、豊満な身体であった。
目の粗い、網タイツを穿いていた。
銀のハイヒールが、床を叩いく。
背丈自体は、高いという訳ではないが、そのプロポーションは、欧米のモデルに敗けない。
「貴様は?」
死神博士が、一つ上のフロアにいるその女に訊いた。
「マヤよ」
女は名乗った。
「貴方と同じ、ショッカーの大幹部――」
「何だと?」
「貴方の所の改造人間、一人、貸して貰ったわね」
マヤは、階段を下り、死神博士の前に立った。
死神博士は、その年齢からは考えられない程、背が高い。
マヤは、頭の上の方にある、死神博士の、頬の削げた貌を、見上げる事になる。
「メキシコから、わざわざ、ご苦労な事だ」
死神博士が言った。
マヤが、日本に来る以前にいた場所である。
彼女がメスティソである事が、分かったらしい。
メキシコの人種は、モンゴロイド――つまり、日本人と同じである。
肌の色は環境に因って違うように見えても、顔立ちは似ている。
「ええ。以前、うちの改造人間がお世話になったようだし」
マヤが言っているのは、死神博士がヨーロッパに引き上げてから、日本支部に派遣された改造人間――サボテグロンの事であった。
サボテンの改造人間であり、“メキシコの花”と呼ばれる爆弾で、ダムを決壊させる作戦を得意とした。
その頃、ショッカー日本支部では、死神博士やマヤのような“大幹部”の下で、改造人間が作戦を展開するというスタイルではなく、改造人間本人が作戦を指揮するという形を採っていた。
「ふ――」
死神博士が笑みを浮かべた。
「ピラザウルスの件で、大層な失態を演じたそうだな……」
一文字隼人――仮面ライダー第二号が、本郷猛に代わって日本での戦いを始めた頃、このマヤは、幹部として活動した事がある。
ショッカーは、ピラザウルスという、古代の爬虫類を発見した。
皮膚と筋肉をあっと言う間に溶融させてしまう毒ガスを吐く、恐るべき生物だ。
マヤは、このピラザウルスを、改造人間のモチーフとして選び、同名の改造人間の製造を指揮していた。
結果、一文字隼人の妨害に遭い、失敗する。
以来、姿を消していたが、この段になって、日本へ帰って来たようである。
「あら、博士、貴方も人の事は言えないでしょう」
「――」
死神博士が黙る。
マヤの失敗をなじったようだが、死神とて、仮面ライダー第二号の抹殺を、何度にも渡って失敗している。
計画の中止、改造人間の激減など、改造技術の大成者である大幹部でなければ、とっくに首を切られている所だった。
「同じ失敗続き同士、仲良くやりましょう」
マヤが、妖艶に微笑んだ。
死神博士は、忌々しそうに顔を歪めたが、それ以上、マヤと言い合いをする事をやめた。
「それで、首領。この女に、何をさせたいのですか」
死神博士が訊いた。
『勿論――世界征服の下準備よ』
首領は、それ以降は語らなかった。
マヤは、死神博士を流し見て、艶めかしく微笑んだ。
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第六節 戦嵐
黒井響一郎は、チーター男に襲撃された夜の事と、昨日のカメラの暴発の事を思い返していた。
自宅のリビングで、くつろいでいる。
黒井は、この二つの事件に、明らかなつながりを感じていた。
先ず、チーター男の事だ。
一人でいる所を、いきなり襲われた。
チーター男は、黒井を何処かに連れて行こうとしたらしい。
その時は、バイクに乗った何者かの助けで、逃げ伸びる事が出来た。
次に、レース直後の、カメラの暴発。
あれの詳しい事情は、聞かされていなかった。
あのカメラマンが、カメラに仕込んだ小型爆弾で、黒井を狙ったという事は聞いていたが、それ以上の事は、誰も話してくれなかった。
黒井には、狙われる理由が分からなかった。
何故、俺が?
チーター男が、自分を連れ攫おうとするのも、カメラマンに爆殺されそうになるのも、だ。
カメラマン・一文字隼人の件に関しては、彼の事も分からない。
あの、強く、大きく、太い、何処か安心する笑みを浮かべる青年が、自分を殺そうとするという事が、どうしても想像出来ないのだ。
それに、一文字隼人は、カメラが爆発した時、かなり驚いていた。
これから、眼の前の相手を爆破してやろうという者の顔ではない。
まるで、何ものかに嵌められてしまったかのような……
何故、自分が狙われたのか。
自分を攫おうとした怪物は、何ものなのか。
怪人と、カメラの爆発に関係があるとして、それは何なのか。
誘拐が失敗したから、殺そうとしたという事だろうか。
だとすれば、何故――
考えても、分からない事ばかりであった。
黒井は、ソファから身体を起こした。
一人であった。
奈央は、買い物に出ている。
光弘は、幼稚園だ。
黒井本人は、今日は、ゆっくりと休むように言われた。
長い間、準備して来たレースである。
そこで優勝したは良いが、妙な事件に巻き込まれてしまった。
肉体・精神の両面を、しっかりと休める必要があった。
この日は、いつもよりも軽く、ランニングや柔軟などをやっただけであった。
それ以外は、こうして、ソファに寝そべっている。
一人でいると、色々と、考えてしまった。
それこそ、自分を狙った二つの事件の事だけではなく、次のレースや、車の調子、今日明日の食事、子供の事、妻の事、戦争の中の子供時代の事、自分にとっての勝利と敗北の哲学など――
と、チャイムが鳴ったのは、そんな瞬間であった。
いつもは、奈央が出るのだが、いないものは出ようがない。
居留守を使う程、子供ではない。
黒井は、覗き穴から、マンションの廊下にいる尋ね人の姿を確認すると、鍵を開けた。
「こんにちは、黒井響一郎さん」
と、その女は言った。
黒髪の、ぞっとするような美しさを持った、豊満な身体の女であった。
眼鏡を掛けており、黒いスーツを着ている。
会社勤めという感じだったが、ボタンがしっかりと閉められている為に寧ろ胸の大きさが強調され、スリット・スカートから覗くむっちりとした太腿から尻に掛けて持ち上がるラインが、男を堪らなくさせてしまう。
妻子持ちの黒井でも、思わず、どきりとなってしまう。
「――僕に、用かな?」
黒井は、平静を装って、訊いた。
片方の口角を、片方の肩を竦めると共に持ち上げる。
それが、黒井の癖であった。
「マヤ――」
「まや?」
「私の名前よ、黒井さん」
マヤが、一歩、部屋に踏み込んで来た。
黒井が後退る。
マヤの動きの、何と自然な事か。
「ねぇ、黒井さん」
マヤが言った。
発音はしっかりとしてるが、何となく舌っ足らずな声であった。
現在であれば、“アニメ声”と称されるような声だ。
「私、貴方の事、好きだわ」
「――」
「ねぇ、して欲しいの……」
「何?」
マヤが、玄関で、靴を脱いだ。
爪先が、猫のようなしなやかさで、廊下に落ちる。
黒井は、何故か、マヤが歩いて来るのに対して、後退していた。
「分からない?」
「――」
「プレイ・ボーイでしょ、貴方……」
ねっとりとした口調で、マヤが言っていた。
気付けば、黒井は、リビングのソファにまで追い詰められてしまっていた。
丁度、膝の裏側をソファに押される事になり、倒れてしまう。
その上に、マヤが覆い被さって来た。
「ヒーローなら、奥さんの他に、一人位、女を作っても良いんじゃない?」
マヤの掌が、黒井の股座に触れていた。
びくん、と、黒井のそこが反応してしまう。
「ねぇ……?」
マヤの黒い瞳に魅入られて、黒井は、女の肩を抱いた。
「終わりましたか」
と、男が言った。
髪の短い、体格の良い男だった。
鋭い眼付き。
ハリケーン・ジョーだ。
ピラザウルスの一件で、マヤに協力した、改造人間のトレーナーを務める幹部である。
改造人間という訳ではないが、優れた実力者である。
ハリケーン・ジョーは、スーツを着直したマヤに言った。
ソファには、服を肌蹴させた黒井が、ぐったりとしている。
「ええ。堪能したわ」
にこりと微笑んで、マヤ。
唇が艶を帯びている。
ハリケーン・ジョーが、持って来ていた大きなトランクに、黒井を詰め込んで、持ち上げる。
二人は、何事もなかったかのように、マンションを出た。
駐車場に、黒塗りの乗用車が止まっている。
運転席と、助手席に、それぞれ男が座っている。
助手席にいるのは、チーター男に変身した男であった。
「さ、行きましょ」
マヤが、後ろに乗り込む。
ハリケーン・ジョーは、トランクを積み、マヤの隣に腰掛けた。
運転手が、車を走らせる。
マンションから、遠く離れて行った。
その途中で、一台のバイクと擦れ違った。
マヤが、硝子越しに、その搭乗者に目線を送った。
と、その視線を、バイクの男も受け取ったらしい。
通り過ぎて少し行った所で、ターンした。
紺色のブレザーと、白いパンタロンの男であった。
その男は、走行中の車から投げられたマヤの視線を受け止めたばかりではなかった。
「ショッカー……」
ぼそり、と、呟いた。
ナンバーの脇に、小さくではあるが、翼を広げた鷲のマーク――ショッカーの紋章があるのに、気付いたのである。
男は、マヤたちの乗った車を追った。
車内では、マヤが、愉快そうな笑みを浮かべている。
「どうしました?」
ハリケーン・ジョーが訊いた。
「魚が釣れたわ」
「魚?」
「今の男よ」
「今の?」
「チーター男、後ろを見て御覧なさい――」
マヤに言われて、人間態のチーター男が、バック・ミラーに眼をやった。
と、小さく、追跡しているバイクの姿が見える。
「むぅ⁉」
チーター男は、その男の顔を見て、声を上げた。
「あれは、本郷猛⁉」
「本郷⁉」
ハリケーン・ジョーが、驚いて、言った。
マヤだけが、にぃ、と、唇を吊り上げている。
「チーター男、本郷猛を誘導なさい」
と、指示を出した。
ショッカーの車を追う本郷は、自分が誘導されている事に気付いている。
人気の少ない住宅街を抜け、辿り着いたのは、お化けマンションであった。
骨組みだけは造られたものの、以降の工事が注意されてしまったマンションだ。
最初から最後まで、人が住む事はなくなってしまったのだ。
ショッカーの車は、お化けマンションの前の空き地で停まった。
本郷も、バイクを停めて、ヘルメットを取りながら、降車した。
車から、ハリケーン・ジョーと、チーター男、最後にマヤが降りて来る。
「初めましてね、本郷猛さん」
マヤが言った。
「お前は――」
「ショッカーの大幹部・マヤ……」
「大幹部だと?」
「ええ」
「あのマンションに、一体、何の用があった」
「素敵な男性を、デートに誘ったのよ」
「何だと?」
「――チーター男、ハリケーン・ジョー」
マヤが、二人に言った。
「後は任せたわ」
そうして、車に乗ると、再び走り出させた。
「待てっ」
本郷が追おうとするものの、その前にハリケーン・ジョーが立ちはだかる。
「ぬぅわっ!」
と、剛腕を叩き付けて来た。
本郷は、頭を狙って来たパンチを、左手で弾いた。
ハリケーン・ジョーの左拳が唸り、本郷のボディを狙う。
本郷の右腕が、ハリケーン・ジョーのパンチを外側に払い、同時に、本郷自身の拳が、ハリケーン・ジョーの顔面を打ち抜いていた。
ぐらつきながらも、ハリケーン・ジョーは、不敵な笑みを浮かべて、本郷に殴られた部分を、掌で撫で上げた。
改造人間である自分のパンチを受けて、平然としているハリケーン・ジョーを不審がる本郷に、チーター男が背後から躍り掛かった。
両腕を取られる。
本郷は、肩を敵の胸元に打ち付け、横蹴りで、チーター男の腹を突き飛ばした。
後退するチーター男の顔に、ひびが走った。
人間の皮が剥がれ落ちて、チーターの顔が現れる。
「ぐにゃーっ!」
と、吼えると、チーター男は身体の部分の擬装皮膚を、自らの爪で切り裂いて、本郷に襲い掛かって来た。
パンチ――
本郷が身体を沈める。
フックの軌道を描いたチーター男の一撃は、本郷の頭の上を通り過ぎる。
縮れた本郷の髪の毛が、かなり、切り落とされてしまった。
爪を、何度も突き出して来るチーター男。
本郷はそれを捌きながらも、もう一人の敵を警戒している。
ハリケーン・ジョーが、蹴り付けて来た。
チーター男の向けて来るパンチを、前転で躱して、腕の下を通り抜ける。
と、チーター男の爪は、本郷を蹴り飛ばそうとしたハリケーン・ジョーの顔面を引っ掻いてしまう事になる。
「し、しまった!」
と、赤く染まった爪と、顔を押さえて蹲るハリケーン・ジョーを見比べていると、チーター男は、本郷の姿を見失っていた。
「ど、何処だ⁉」
辺りを見回す。
本郷が姿を現したのは、お化けマンションの上の方であった。
吹き上げる風に、髪が揺れている。
剃刀のように細められた眼が、チーター男を睨んでいた。
その服装が――
変わっていた。
紺色のブレザーも、白いパンタロンも、着ていない。
黒いライダー・スーツに、深い緑色のプロテクターや、レガートを纏っている。
赤いマフラーが、炎のようになびいていた。
露出したその顔に、改造手術の痕が、くっきりと浮かび上がって来た。
明王が、怒りに顔を歪めるように、無数の筋が、本郷の顔の中心に向って駆け上がる。
本郷の横に、彼のバイクが来ていた。
こちらも、姿を変えている。
クリーム色の、滑らかな装甲を纏った、六本のマフラーを持つマシンだ。
サイクロン号――
そのシートの下から、飛蝗を模した仮面が現れる。
頭蓋骨にも似た不気味なヘルメットを被り、牙を取り付けた。
楕円の複眼が、深紅の輝きを帯びた。
本郷猛の中で、彼に埋め込まれたメカニズムが起動したのである。
「とぉっ――」
本郷が、マンションから飛び降りた。
コンバーター・ラングが開き、本郷の肉体に、風を送り込む。
ベルトのバックルに設けられた風車・タイフーンが回転する。
その回転数が増している。
本郷の肉体に取り込まれたエネルギーの量を示している。
空中で回転しながら、本郷猛が着地した。
地面が陥没する。
半身になって、構えた。
ぎゅうぅぅん、
ぎゅうぅぅん、
と、タイフーンが唸りを上げていた。
風は、本郷猛の、エネルギーだ。
風は、本郷猛を、別のものに変える。
風は、本郷猛を、敵に許へ運んでいた。
否――
既に、本郷猛ではない。
ショッカーの手で、五体を切り刻まれ、骨を鋼と変えられた。
筋を、
脈を、
肉を、
毛皮を――
強靭なものに、造り変えられた。
その身体は、兵器と成り果てた。
人間の自由を奪い、世界を独裁支配しようとする組織の為に。
それでも、本郷猛の肉体には、魂だけが残された。
ショッカーという組織に逆らう男の肉体には、向かい風がぶち当たる。
その風を力に変えて、戦う嵐に、なる男。
「来い、ショッカーの改造人間――!」
本郷猛――仮面ライダー第一号は、声を張り上げた。
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第七節 双嵐
チーター男が、仮面ライダーに襲い掛かって行く。
爪――
ライダーが身を躱すと、空気が唸った。
その風の流動を、仮面ライダーはエネルギーとする。
仮面ライダーのパンチが、チーター男の胸元を打った。
岩を砕く一撃だ。
しかし、チーター男は、打撃を受けて後退するばかりで、効いた様子がない。
仮面ライダーは、パンチや蹴りを、次々と繰り出して行く。
効かない。
効かなかった。
ライダーのパンチが顔を叩こうと、蹴りがボディを叩こうと、ダメージを受けている様子がないのである。
仮面ライダーは、パンチやキックをやめて、手刀を作った。
指を揃え、若干、指先を折り曲げる――
右手の小指の付け根が、チーター男の肩口に喰い込んでいた。
見るからに、敵の肉体の中に、ライダーの手刀がめり込んでいる。
だが、チーター男は牙の間から笑い声を漏らし、ライダーの腕を掴んだ。
肘を極めながら、投げ飛ばそうとする。
仮面ライダーはチーター男の腕を払い除けると、左の拳を、チーター男の顎に打ち付けて行った。
宙に浮かび、一回転するチーター男。
だが、砕いたと思った筈の顎は、無事なままだ。
着地したチーター男が、不気味に笑っている。
「無駄だ、仮面ライダー」
「何⁉」
「俺の身体に、お前のパンチやキックは効かん――」
そう言うと、チーター男は、ライダーに爪を向けて来た。
カウンターのパンチを当てようとするが、チーター男は直前に動きをキャンセルして、ライダーの背後に回っていた。
「ぬぅっ!」
と、背後に踵を持ち上げる仮面ライダー。
鳩尾に突き刺さる。
しかし、チーター男の身体は、ゴムのような弾力を発揮して、蹴りの威力を掻き消してしまった。
仮面ライダー・本郷猛は、チーター男の肉体の秘密に気付いた。
猫科動物特有の、人間などと比べると遥かに柔軟な筋肉が、衝撃を受け流してしまうのである。
又、チーター男の骨格も、一本一本が蛇腹になっている。
ライダーチョップが鎖骨を破壊しなかったのは、フレキシブルに可動する特殊な骨格が衝撃の形に変形した為であった。
チーター男が、四つん這いになる。
身体を撓ませて、一気に突撃して来た。
――速い!
仮面ライダーの胴体に、怪人が抱き付いて来る。
そのまま、押し倒そうとして来た。
ライダーの背中が、地面に着く。
チーター男は、馬乗りになって、ライダーに一方的な攻撃を仕掛けようとしたのだろう。
しかし、チーター男の頭部が持ち上がる事はなかった。
仮面ライダーの両腕が、チーター男の頸部に絡み付いている。
フロント・チョークだ。
改造人間の力と鉄のレガートで、上下から頸を圧迫されれば、改造人間であっても鉄の頸骨は破壊される。
戦闘員などであれば、頭蓋骨が頸椎から外れているだろう。
だが、この相手はチーター男である。
超柔軟人工筋肉と、特殊な蛇腹の骨格が、絞めを極めさせなかった。
頸動脈を押さえる事も、難しいのである。
「ぬぅ――」
仮面ライダーは呻きながら、チーター男の腰に両脚を回した。
胴体を締め上げる。
それも、出来ない。
チーター男の身動きは封じているが、仮面ライダーも同じく、攻め切れない。
仮面ライダーは、チーター男が頸を持ち上げる事を妨げていた左腕を、持ち上げ、肘を怪人の頭部に叩き込んだ。
頭蓋骨にも、あの骨格が採用されている。
――だが、脳となれば!
そう思った本郷であったが、不意に、視界が翳った。
顔を切り付けられたハリケーン・ジョーが、地面に寝そべっている二体の改造人間を、見下ろしていた。
足を持ち上げる。
鉄のブーツ。
あれで、二、三度踏み付けられても、ライダーのマスクはどうという事もない。
だが、それが、一〇にも、二〇にもなると、流石にダメージが蓄積される。
不味い――
とは思うが、ここでチーター男を解放するのは更に不味い。
今で言う総合格闘技のマウント・ポジション――その概念は、まだない。だが、本郷猛が、戦いに於いて馬乗りになられる事が、どれだけ不利なのか、分からない筈もない。
ハリケーン・ジョーが、仮面ライダーの顔を踏み付けた。
ヘルメットの背面が、地面に打ち付けられる。
ハリケーン・ジョーは、二度目の踏み付けを敢行する。
地面が、ライダーのマスクの形に抉れる。
三度目。
四度目。
五度目。
ライダーの力が緩んだ。
チーター男が、頭を引き抜こうとする。
怪人の頸を絞める力を、強めた。
ストンピング。
六度目だ。
七度目。
八度目。
九度目。
又、チーター男が、腕の中で身体を動かす。
頸を、絞め……
踏み付け。
踏み付け。
踏み付け。
踏み付 。
み付け。
踏 付け。
み け。
チーター男。
頸。
ハリケーン・ジョー。
踏 付 。
マスク。
仮面。
チーター男。
締め。
腕。
「悪いな――」
ドスの利いた声が、上から降って来た。
ハリケーン・ジョーの影が、仮面ライダーの視界から消えた。
咄嗟に腕を解いたライダーの顔の前を、緑色の靴底が走り抜けた。
チーター男の顔面を蹴り上げる。
「遅くなった、本郷」
仮面ライダー第二号、一文字隼人が、仮面越しに、第一号を見下ろしていた。
「立てるか?」
仮面ライダー第二号が、仮面ライダー第一号の手を取り、立ち上がらせた。
「勿論だ」
と、本郷猛は頷いた。
二人の仮面ライダーが、ショッカーを睨む。
「一文字隼人……」
「久し振りだな、ハリケーン・ジョー」
第二号が言った。
このハリケーン・ジョー、かつて、仮面ライダー第二号と渡り合った事がある。
「今度は、お前さんを逃がしやしないぜ」
「――チーター男、やってしまえ!」
ハリケーン・ジョーに命じられ、チーター男が駆け出す。
「一文字!」
仮面ライダー第一号が、Oシグナルを輝かせた。
第二号の眉間のランプも、同じように光を放つ。
本郷が、一文字に、チーター男のデータを送ったのだ。
「OK、本郷――やろうぜ」
切り付けて来たチーター男を、左右に展開して回避するダブルライダー。
本郷が、横からチーター男を殴り付ける。
同時に、一文字の鉄拳が、反対側から、チーター男の顔を挟むようにして、放たれた。
怯むチーター男。
しかし、すぐに、手の爪で反撃を開始する。
本郷も、一文字も、両腕のレガートで、斬撃をガードした。
そうして、同時にパンチを繰り出す。
本郷の拳が、チーター男の頬を掠めた。
一文字は、チーター男のボディを擦り上げている。
毛皮の奥から、血が溢れた。
打撃としてのパンチではなく、皮膚を擦る事で切り裂くやり方であった。
「おのれ!」
チーター男が、後方に跳ねた。
ハリケーン・ジョーよりも、後ろに下がって行く。
「な、何をしている、チーター男⁉」
ハリケーン・ジョーが声を上げた。
チーター男は、そのまま、サイクロン号をも振り切る速度で、逃げ出してしまった。
ハリケーン・ジョーが、
「うぬぅ」
と、唇を噛んでいた。
だが、自分がやるべき事を思い出したように、仮面ライダー第一号と第二号に向き直った。
腹の底からエネルギーを湧き出させ、生身ながら、ライダーたちに立ち向かって行く。
向かって来るハリケーン・ジョーにパンチを向けようとした一文字を、本郷が制した。
「があああああぁぁ~~~~っ!」
吼えるハリケーン・ジョー。
本郷――仮面ライダー第一号は、ハリケーン・ジョーの腕を掴むと、彼の身体を腰に乗せて、大きく投げ飛ばした。
ハリケーン・ジョーの巨体が、地面に沈む。
見事な投げであった。
ハリケーン・ジョーは、背中の痛みに、顔を歪めていた。
暫くは、呼吸も出来なさそうであった。
「――逃げられたな」
一文字が、ぼつりと呟いた。
ヘルメットを外している。
本郷とは形状が異なるが、彼の顔にも、手術の痕が浮かんでいる。
逃げられたというのは、チーター男の脳波を、Oシグナルが感知出来なくなったという事だ。
「うむ……」
本郷は、ハリケーン・ジョーの腕を捩じり上げた。
「お前たちの目的は何だ?」
問う。
しかし、肩を外されそうな痛みに耐えて、ハリケーン・ジョーは、自らの舌を噛み切った。
閉じた唇や、口と繋がった鼻から、口腔に溢れた赤い液体がこぼれ出した。
にたり、と、ハリケーン・ジョーが笑みを浮かべる為に口を開くと、その中から、ぼてりとした肉塊が、地面に落下して行った。
本郷の腕の中で、ぐるりと黒目を裏返らせて、ハリケーン・ジョーは絶命した。
失血ばかりではなく、刃に仕込まれていた毒液が、噛み切った下の傷口から体内に入り込み、ハリケーン・ジョーの全身を侵したのである。
ショッカーの情報を漏らすまいとした、幹部らしい最後であった。
立花レーシング――
「お、おお、猛!」
と、立花藤兵衛が、一文字と共にやって来た本郷を迎えた。
本郷は、少し照れ臭そうに笑いながら、
「お久し振りです、おやっさん」
と、言った。
その本郷の肩を、滝和也が叩く。
二人は、多くの言葉を語らなかったが、固い握手を交わした。
「待っていたぞ、さ、入れ――」
藤兵衛が、本郷を事務所に呼び、ソファに座るよう促した。
ひろみが、コーヒーを入れてくれる。
「やけに準備が良いですね」
と、本郷が言った。
「あ、一文字、お前だな」
そうやって、笑い掛ける。
どうやら、炙り出しの手紙の事らしい。
一文字――改造人間でなければ分からないような、ほんの微かな匂いの炙り出しを、藤兵衛たちにばらしたのが、という事だ。
少しの茶目っ気も、本郷は持っていたらしい。
一文字は、軽く肩を竦めながら、コーヒーを飲んだ。
「所で、おやっさん」
本郷が話を始めた。
「ん?」
「さっき、ショッカーとやり合いましてね」
「何だと⁉」
「黒井ですよ」
一文字が言った。
「黒井?」
「奴ら、黒井響一郎を拉致しやがったんだ」
質問する滝に、一文字が言った。
「黒井の住んでるマンションに乗り込んで、彼を連れて行っちまったんだ。俺は、丁度黒井の奥さんと子供に、マンションの前で会ってね、事情を聴いたのさ。そうしたら、本郷が、ショッカーの改造人間と戦っていたんだ」
と、語った。
「そうか」
頷く滝。
「でも、何で連中は、黒井を?」
「さぁな……」
「――改造人間……」
本郷が、小さく漏らした。
「何だって?」
「若しかしたら、連中は、黒井響一郎を、改造人間にしようとしているのかもしれません」
「――あり得るな」
一文字が頷いた。
強化型改造人間第一号・第二号の素体となった、本郷猛と一文字隼人だからこそ、分かる。
本郷は、知能指数六〇〇を誇り、又、運動能力に関しても抜群であった。
一文字は、カメラマンや新聞記者であるが、空手や柔道の段位を持っている。
体力・知力共に優れた人材を、ショッカーは求め、自分たちの配下である改造人間部隊に加えようと、常に暗躍を繰り返していた。
本郷も、亦、モトクロスではトップに近い人間であり、フォーミュラ・カーの世界で頂点を目指して走り続ける黒井は、改造人間の素体としては、申し分なかった。
「そんな事は、絶対に、させん――」
本郷が、強い調子で、言葉を吐き出した。
脚の間で組んだ拳に、力が込められていた。
本郷は、改造人間にされた事で、人間としての様々な幸せを奪われている。
身体の殆どを機械に変えられ、常人以上の力を手に入れてしまった。
水道のバルブを、紙を千切るように、壊してしまう。
子供をあやそうとすれば、その小さな手を握り潰してしまいそうになる。
傷の治りも、異様に速い。
事情を知らない者から見れば、本郷猛は、遠い宇宙からやって来た遊星人にも見えるだろう。
その事を、特に気にしていた。
「――」
それは、一文字隼人も同じであった。
一文字が改造人間として目覚めた時、傍には、本郷がいた。
仮面ライダーが、本郷猛だけであった頃、ショッカー基地に潜入し、そこで、改造手術台の上に横たえられた一文字隼人の姿を見たのだ。
本郷と同じ姿であった。
強化型改造人間第二号――
ショッカーを探っていた一文字は、逆に組織に捉えられ、その運動能力と、ショッカーに立ち向かおうとした気位を買われて、死神博士の手で、改造手術を施されていた。
本郷の侵入で混乱していた基地内で目覚めた一文字は、手術台に自分を拘束していた枷を引き千切り、脳改造前という事で抑え付けようとしたショッカーの科学者たちを、腕を軽く振るうだけで殺してしまっている。
身体は怪物同然にされながら、心は人間のままという地獄を、本郷と一文字は、味わっている。
そして、心までも改造された者たちを、二人は何人も斃して来ていた。
黒井が、その改造人間の一人となれば、ショッカーに従って人間に害ある行動を取るようになるのならば、二人は、彼を倒さなければならなくなる。
そうして残される、彼の妻や子供が、余りにも哀れであった。
絶対に、防がねばならない事であった。
「しかし、だとすると、急がなくちゃならんな……」
藤兵衛が呟いた。
「奴らの拠点を探さなくちゃな」
滝が言う。
「良し――」
と、一文字が立ち上がる。
「一旦、家に戻って、資料を揃えて来よう。何か分かるかもしれない」
「おう、頼んだぞ」
「俺も行こうか」
本郷が立ち上がり掛けるのを、一文字が制した。
「いや、俺とお前が一緒に行動して、その時にショッカーが現れると不味い。お前は、おやっさんたちと一緒にいてくれ」
「分かった」
そうして、立花レーシングから出て行く一文字。
と、その時、彼のツナギのポケットから、小瓶が落ちて来た。
急いでいたのか、気付かなかったようである。
滝が、その瓶を拾い上げた。
「何だ、こりゃ?」
追おうにも、一文字は既にバイクを走り出させてしまっている。
「香水かね。へへっ、色気づきやがって」
にやにやと笑いながら、蓋を開ける滝。
「おい、悪趣味だぞ」
と、キセルに火を入れながら、藤兵衛。
瓶の中の液体の匂いを嗅いだ滝であったが、怪訝そうな顔をした。
「どうした?」
「いや……ただ、これ、何なんだろうな」
「何?」
「香水にしちゃ、匂いがないぜ。しかし、水でもないみたいだ」
「――貸してみろ」
本郷が手を伸ばした。
黒井が、眼を覚ました。
マヤに、犯されるようにして、気を失った後から、記憶がない。
頭が痛かった。
冷たい床の感触を感じた。
ここは、何処だ?
辺りを見回す。
薄暗い場所であった。
光が、天井の、小さな窓から射し込んでいるだけだ。
と――
黒井は、そこに、自分以外の人間がいるのに気付いた。
男が、床に寝そべっている。
「おい、君――」
と、声を掛けた。
肩を揺すってやると、
「ん……」
と、息を漏らしながら、眼を覚ました。
何度か眼をぱちりとさせた後で、男が、がばっと身を起こした。
「君は――」
黒井が、驚いたように眼を開いた。
一文字のくだりは『仮面ライダーSPIRITS』より。
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第八節 偽物
家賃の安いアパートであった。
一文字隼人が、暮らしている部屋だ。
一文字は、部屋のドアの前で、ツナギのポケットに手を突っ込んで、鍵を探していた。
その背中から、
「一文字……」
と、呼ぶ声が聞こえた。
振り向いてみると、本郷が立っていた。
「どうした、本郷?」
「忘れ物だぞ」
本郷が、一文字に、それを投げ渡した。
小瓶であった。
一文字は、少し驚いたような顔を見せた。
「俺たち――」
ぼつり、と、本郷が言った。
「改造人間にしか分からない程、無臭に近い液体だ」
「――」
「そこまで薄めた、檸檬の汁だよ」
「――ああ」
一文字が頷いた。
「おやっさんから聞いた」
「聞いた?」
「炙り出しの手紙の事だ」
「――」
「一文字――」
本郷は、一文字と、少しだけ距離を作っていた。
「俺は、そんな手紙は、出してはいないぞ」
「――」
「お前には、俺が、日本へ戻る事は伝えていた」
「――」
「俺と、お前は、同型の改造人間だ。しかも、お前の身体には、俺が、手を加えている」
本郷が、ショッカー基地に潜入し、一文字が改造されていた所を助けた時――
一文字は、一度、破壊され掛けている。
改造直後、本郷と共に脱走しようとした一文字を、ショッカーが逃がそうとする訳もない。
危うく、殺される所であった。
瀕死の一文字を助ける為、本郷は、ショッカーの施設で、一文字の治療を行なった。
その際に、他の改造人間同士にもある通信機能を、本郷と一文字との間でだけ、強力なものに造り変えていた。
以前、本郷が、死神博士に脳波をコントロールされ、一文字を襲撃した事がある。
洗脳された本郷と、仲間を倒せない一文字では、戦闘力に大きな差が出る。
しかし、一文字は、強化されたテレパシー能力で、本郷に呼び掛けている。
“本郷、意識を取り戻せ。脳波を切り替えるんだ”
そうして、本郷は死神博士のコントロールを逃れている。
何千キロも離れていても通じ合う、二人の仮面ライダーの絆があった。
「しかし、今のお前からは、それが感じられない」
本郷が言った。
「意図的に脳波を遮断する事は出来るが、今のお前は、そういう状態ではない。さっきは気付かなかったが、お前は、俺が感知出来る状態にはないのだ」
「――ふ」
と、一文字が薄く笑った。
「そりゃ、あれだけ、蹴り込まれればな」
先程、本郷は、ハリケーン・ジョーから何発も踏み付けを喰らっている。
一文字は、それで、本郷の脳波感知に異常が出ているのだと言っていた。
「――むぅ」
唸る本郷。
「そうかもしれんな」
「話は良いか? 部屋の中から、色々と資料を……」
「――所で」
と、本郷が言った。
「確か、言っていなかったか。引っ越したと――」
「――」
一文字が、本郷の方を振り向いた。
「ショッカーには居場所が割れているから、住居を引っ越した。その場所は、滝とおやっさんにも教えていない」
「――」
「今、お前は、ここには住んでいない筈だ……」
本郷が言うと、一文字が開けようとしていた部屋のドアが、内側から開いた。
「あ、あのぅ」
と、戸惑ったような顔をした、パンチ・パーマに、サングラスを掛けた、小柄な男が出て来た。
「何か、ご用ですか?」
「――いいえ」
と、一文字が、頸を横に振った。
「失礼しました。どうやら、部屋を間違えたらしい」
「ああ、そうですか」
と、その男は、部屋の方に引っ込んで行った。
一文字は、ドアが閉まると同時に、本郷に向かってパンチを叩き付けて行った。
本郷は、一文字だと思っていた男のパンチを受け流すと、襟を掴み、壁に押し付けた。
「ぐぅ」
「貴様、一体何者だ⁉ 一文字ではないな――?」
本郷が、右の腕刀で、一文字の顔をした男の頸を押し付けた。
偽一文字は本郷を振り払うと、素早くアパートから出て行った。
「待て!」
追う本郷。
偽一文字がバイクで去り、その後を本郷が付けた。
偽一文字は、人気のないレースのコースに、バイクを向け、そこで停車した。
本郷がバイクを停めると、偽一文字はヘルメットを投げ付けて来た。
本郷が、それを振り払う。
偽一文字は、顔の皮膚を剥がし、内側から、黒い目出し帽を被った男が現れた。
ショッカーの戦闘員であった。
ショッカー戦闘員は、奇声を上げながら、本郷に攻撃を仕掛けた。
パンチ。
簡単に躱されると、逆に投げ飛ばされて、地面に落下する。
「一文字は何処だ⁉ 黒井響一郎を拉致して、何をする心算だ⁉」
本郷が、戦闘員の腹に膝を落としながら、詰問した。
戦闘員は、答えない。
口が利けないのだ。
敵に捕らえられた時、情報を漏らさないよう、言葉を発生する器官を取り外されている。
それにも文句一つ付けずに、ショッカーに従うというのが、この戦闘員たちであった。
「イーッ!」
戦闘員が叫んだ。
すると、コースの向こう側から、何台かのバイクが走って来る音が聞こえた。
色々な方向で舞い上がった土煙の中から、黒いコスチュームに身を包んだ改造人間たちが、バイクに乗って飛び出して来る。
「おのれ、ショッカー」
本郷は、膝の下の戦闘員の胸骨を、拳で砕いてとどめを刺すと、意識を戦闘の為に切り替えた。
戦闘を走るバイクが、ジャンプをして、本郷に体当たりを仕掛ける。
本郷が身を躱す。
次のバイクが、反対方向から襲って来た。
避ける。
三台目に襲って来たバイクに乗っていた戦闘員を、ラリアットをするようにして、弾き落す。
戦闘員がマシンから落下し、バイクが横転した。
バイクの数は、一〇台であった。
その内、一人の戦闘員が、今、倒された。
九台のバイクが、本郷を囲むようにして、回り始めた。
「ぬぅ」
回りながら、一台が、本郷に突撃する。
本郷が避けると、再び円の中に加わり、彼を囲んで回り始める。
このままでは、ジリ貧であった。
と――
「本郷!」
遠くから、バイクの音と共に、滝和也がやって来た。
滝は、自分の身も省みずに、ショッカー戦闘員たちの作るバイクの包囲網の中に、突進して行った。
円陣が崩れた。
本郷が、滝を小脇に抱えて、大きくジャンプをした。
小高い丘に着地する。
戦闘員たちが、バイクを停めて、本郷と滝を見上げていた。
「助かった、滝」
「良いって事よ」
そう言い合って、本郷が、ブレザーの袖を捲った。
腕時計があるが、只の腕時計ではなかった。
ツマミを捻ると、文字盤のランプが点滅する。
すると、本郷がさっきまで乗っていたバイクが、装甲を展開し、自動で本郷に向かって走り始めた。
戦闘員たちが、急に発進した無人のマシンに驚いている。
本郷が、向かって来るサイクロン号に、空中に跳び上がりながら、搭乗した。
その時には、本郷の身体に、第二の皮膚とでも言うべきライダー・スーツが装着されている。
緑色のグローブが、ハンドルを捻った。
スイッチを入れる。
サイクロン号を、直線コースで、走らせた。
風が、本郷の中に取り込まれる。
本郷は、戦闘員たちの元へ戻って来ると、その時には変身を終えていた――
「行けェ、ライダー!」
滝が声を張り上げた。
本郷猛――仮面ライダー第一号は、眼を深紅に輝かせ、マフラーをなびかせると、クリーム色のマシンで、戦闘員たちの中に躍り込んだ。
「滝ッ」
ライダーが、滝に呼び掛ける。
Oシグナルが、明滅していた。
「本物の一文字がいる場所が分かった!」
そのデータが、滝も腕に巻いていた通信機能付きの時計に、送信される。
「分かったぜ!」
と、滝がバイクに乗って、そのポイントへと向かった。
「俺も後で行く!」
そう言って、本郷は、戦闘員たちを蹴散らし始める。
悪を蹴散らす、嵐の男であった。
「君は――あの時の」
黒井響一郎が言った。
マヤと名乗った女に誘拐され、眼を覚ました先で、傍に寝そべっていたのは、一文字隼人であった。
黒井にしてみれば、自分を爆殺しようとした疑いが掛かっている男だ。
「う、うむ」
勢い良く身体を起こしたものの、一文字は、何処となく調子が悪そうであった。
少しの間、ぼぅっとしていた一文字であったが、やがて、
「畜生!」
と、声を迸らせた。
びくり、と、黒井が震えた
「ショッカーめ」
吐き捨てると、一文字は、あの後の事を回想した。
あの後――
黒井を襲っていたチーター男を取り逃がした直後の事だ。
一文字は、変身を解き、自分の新しいアパートに戻ろうとした。
以前、サボテグロンが“メキシコの花”を送り付けて来たアパートは、とっくに引き払っている。そことは別のアパートだ。
場所を知っているのは、本郷だけだ。立花レーシングの皆にも、教えていない。
そのアパートに向けて、バイクを走らせていた一文字の前に、女が現れた。
マヤだ。
“お久し振り、一文字隼人――”
マヤは言った。
誰だか分からないと言った顔をする一文字隼人。
“マヤよ”
と、名乗る。
そのすぐ傍から、ハリケーン・ジョーが姿を現した。
一文字は、
“あんたか”
と、呟いた。
ピラザウルスの一件を、思い出したのだ。
古代の爬虫類・ピラザウルス――
人間を一瞬で白骨にしてしまう、強力な毒ガスを吐く生物であった。
それをモチーフとした改造人間を、ショッカーは造り出した。
だが、ピラザウルスと名付けられた改造人間は、自らが吐き出す毒ガス“死の霧”の為に、自滅してしまった。
“死の霧”に耐え得る、強靭な身体を持った素体を、ショッカーは探した。
それが、プロレスラーの草鹿昇であった。
草鹿は見事に“死の霧”に耐え、ピラザウルス第二号となった。
一文字隼人・仮面ライダー第二号の活躍で、草鹿昇は、何とか元の人間に戻る事が出来たが、その作戦を指揮していたのが、このマヤとハリケーン・ジョーであった。
しかし、ふと、一文字は思う。
“マヤだと”
“マヤよ”
と、頷く、妖艶な女幹部。
“そんな筈はない”
一文字は言った。
“それが、あの女幹部の事なら、奴は、死んでいる筈だ――!”
そう。
マヤは――少なくとも、ピラザウルスの誕生に一躍かっていた、ショッカーの女幹部マヤは、ピラザウルスの活動を妨害せんとする仮面ライダーと、立花レーシングの面々――主にマリたちライダー・ガールズ――と乱戦を繰り広げ、ピラザウルスが吐き出した“死の霧”を浴びて、死亡している。
ハリケーン・ジョーは、ライダー、そして滝と戦ったが、逃走に成功していた。
だが、名前云々は兎も角として、このマヤが、あの時の女幹部である筈がない。
マヤは、愉快そうに微笑んだ。
“ええ、そうよ”
“――”
“私はマヤ――だけど、あの女とは、違うわ”
“それにしては、俺の事を知っている素振りだったな”
“有名人ですもの”
“――”
“それに、私は、初対面ではないわ”
マヤは、“私は”という所を、強調して言った。
“ここではない場所で、会っているのよ”
“へぇ”
一文字は、その辺りは置いておくとして、話を続けた。
“それで、俺に、どういったご用件で?”
“簡単よ――貴方に、来て貰いたい所があるの”
“ほぅ⁉”
“――地獄よ”
そう言ったかと思うと、マヤの全身から、白い煙が沸き上がった。
一文字が、それを警戒する。
と、戦いを想定して、マスクを装着しようとした一文字の首筋に、何かが噛み付いて来
た。
すると、一文字の意識は、ブラック・アウトしたのである。
ふふふ…“眠りなさい”ふふふふふ……
“泥のねむりを”ふふ…………
ふふふ…“深い、ゆめのないねむりを”
ふふふふ………“仮面の”ふふ……“ない”……“貴方は”……ふふ……
ふ……“只の一文字隼人……”……ふふふ
消えて行く意識の中で、一文字は、マヤの笑い声を聞いていた。
“そ 毒は、改 人間 も、三 間は眠り る よ……”
そういう事を、言っていたような気がする。
そうして、今に至る訳だ。
「糞ぅ、あの、女狐め」
と、一文字は毒づいた。
下手に美人なだけに、つい気を緩めてしまった自分を恥じた。
本郷ならば、このようなへまは侵すまいに、とも、思った。
「あ、あの」
黒井が、改めて声を掛けた。
「貴方は、一文字さん……でしたか?」
「え? 何で、俺の事を知ってるんだい?」
その質問に、黒井が面食らったような顔になる。
そうして、事情を聴いた一文字は、
「何てこったい!」
と、指を鳴らした。
自分が気を失っている間、偽物の一文字隼人が、黒井響一郎の暗殺を謀ったというの
だ。
――おやっさんたちは⁉
一文字の背中を、冷たいものが駆け抜けた。
又、本郷が帰って来るという通信を、受けてもいる。
本郷の身も危ういのでは⁉
そう思った時、一文字の脳に、本郷の脳波が届いて来た。
本郷が、仮面ライダーに変身し、ショッカーと戦っている。
一文字は、本郷にテレパシーを試みた。
そうして、本郷と情報を交換した。
――今、何処にいる?
本郷からの問いに、一文字は、周囲を探って、答えた。
町外れの倉庫であった。
そこに、自分と、黒井響一郎が幽閉されているのだ。
――滝を向かわせる。出来るようならば、自力で脱出してくれ。
と、本郷に言われた。
――OK、本郷。
そう答えて、通信を終えた。
「さ、逃げるぜ、黒井さん」
一文字が言った。
「はい」
まだ状況が呑み込めていないながらも、黒井が頷いた。
幸いにと言うか、間抜けな事にと言うか、一文字も黒井も、拘束はされていなかった。
見張りもいない
脱出は容易であった。
倉庫から出ると、車が一台、停まっているだけだ。
その傍に、チーター男の人間態が、佇んでいる。
「漸くお目覚めか、一文字隼人」
チーター男が言った。
「へっ」
と、一文字が笑った。
「拘束の一つもせずに、“お目覚めか”とは、随分と温いんだな」
「我々ショッカーは、そんな卑劣な真似はしない」
チーター男の言葉に、又、一文字が大きく笑った。
「どの口が言うのだ⁉」
「証明してやろう、一文字隼人」
「何?」
「俺と、一対一で、戦おうじゃないか」
「何だと⁉」
「但し、このままだ」
「このまま?」
「俺はこのままの姿で戦う。お前も、そのままの姿で戦え」
「――」
チーター男の奇妙な提案であった。
チーター男は、改造人間としてのポテンシャルを、フルで引き出せる姿にはならないと言う。
その代わり、一文字にも、同じ条件を課した。
一文字は、
「面白い!」
と、訝りながらも、構えを採った。
「柔道六段、空手五段――」
左手を前に伸ばし、持ち上げた右手で顔を庇う構えだ。
「人間・一文字隼人――」
「――来い!」
チーター男が、叫んだ。
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第九節 螺旋
一文字隼人と、チーター男は、素手で殴り合っていた。
一文字が、刻み突きを繰り出して、距離を測っている。
ボクシングで言えば、ジャブに当たる技術だ。
眼にも止まらない、複数のパンチが、人間の姿のままのチーター男の顔面を襲う。
しかし、そこは改造人間。
チーター男の動体視力が、一文字のパンチを全て捉え、弾き落とし、躱してしまう。
すぅ、
と、チーター男が、一文字の懐に入って来た。
タックルだ。
「む――⁉」
ぞくりとしたものが、一文字の背筋を駆け上がった。
その描く軌道が、その込められた意思が、一文字の知っている、レスリングのタックルとは、異なっているような気がした。
咄嗟に膝を繰り出す一文字。
しかし、その前に、チーター男の肩が、一文字の腹に押し当てられていた。
一文字の軸足に両足を絡め、チーター男は一文字を地面に押し倒す。
馬乗りになった。
拳を振り上げるチーター男。
だが、一文字が腰を捻ると、体勢を崩した。
一文字は、左脚にチーター男の両脚を絡められていたが、瞬時の判断で右脚を左脚とクラッチし、完全な馬乗り状態を防いだのだ。
現在で言うハーフ・ガードのテクニックであった。
ブラジリアン柔術の原型となっているのは、柔道である。六段の腕前を持つ一文字が、タックルから続く寝技の予感を、見逃す筈がなかった。
一文字は、下から、チーター男の横っ面を殴った。
揺らぐチーター男であったが、上から、拳を落として来る。
体勢を崩したとは言え、チーター男の方が有利であった。
一方、一文字は、腰の乗らないパンチである。狙いも粗く、効果は薄い。
チーター男が、右の拳を繰り出す。
そのカウンターを狙った。
フック気味に襲い掛かって来る腕の内側を、一文字の左腕が駆け上がる。
拳――
否、一文字の拳が、ぐん、と、手前に折れ、背中を跳ね上げる勢いで、一文字の左肘がチーター男の頬を叩いていた。
チーター男の身体が、一文字から見て右側に崩れた。
一文字は、チーター男の頸を左腕で抱え、両脚のクラッチを解き、チーター男の身体の下から、抜け出した。一文字の左の腹が、チーター男の右の腹に、密着する事になる。
「ぐわわわっ」
背中を取られまいと、逃げ出そうとするチーター男。
そのこめかみに、一文字の額がぶつかって来た。
ぐらつく。
一文字は左腕で頸を絞め上げながら、右の肘をチーター男の鼻先に叩き込んだ。
一発。
二発。
三発は、入れさせてくれなかった。
チーター男の右肘が、一文字の肋骨部分を叩いた。
身体の中で、金属が歪むのを感じた。
「ぐぎぃ」
舌を吐きながら呻く一文字。
一文字の皮膚には、改造手術痕が浮かび上がっている。
感情の昂ぶりが、そのような現象を呼び起こすのだ。
一文字から離れるチーター男。
鼻から、血を吹いていた。
しかし、まだ、変身をしようとする動きはなかった。
「ほぅ……」
立ち上がりながら、一文字が感心した。
「ショッカーの改造人間にも、誇りというものがあるらしいな」
一度言った事を、曲げようとしないプライドであった。
劣勢ではなかったにせよ、優勢という事もない。
そんな状況で、息を吐くように虚言を使うショッカー配下の改造人間が、最初の宣言通り、変身をしないと言う事に、一文字は少なからず驚きを覚えていた。
「ふ……」
チーター男は、曲げられた鼻の角度を、指で抓んで戻しながら、不敵に笑った。
そうしていると、バイクの走行音がした。
見れば、滝であった。
覚醒した一文字との通信機能が回復した本郷に、眠らされていた一文字の場所を伝えられたのだ。
「一文字!」
と、声を奔らせる。
「滝、黒井さんを連れて逃げるんだ!」
一文字が言った。
「任せろ!」
滝は、黒井に駆け寄ると、その手を取った。
「嫁さんと子供が待ってるぜ」
「奈央と光弘が⁉」
黒井が、滝の跨るバイクの後ろに乗った。
去って行く滝と黒井。
それを見送ったチーター男が、高らかに笑った。
「茶番はここまでだ――」
「何⁉」
「出て来い――」
そうやってチーター男が指示を出すと、倉庫の屋根の上に、無数の黒い覆面たちが現れた。
ショッカーの戦闘員たちだ。
気配を潜めて、隠れていたのである。
黒い戦闘員たちは、奇声を上げて、地面に下り立った。
ナイフや、棒を構え、一文字を包囲する。
彼らを率いて、チーター男も、怪人の姿に変身した。
「ふんッ、感心したと思ったら、すぐこれだ」
一文字が、吐き捨てるように言った。
「最早、芝居を打つ必要はないからな」
「芝居?」
「知る必要はない、やってしまえ!」
チーター男が命じた。
戦闘員たちが、ナイフを振り上げて、一文字を襲う。
腕を取って投げ飛ばし、ナイフを擦り抜けてパンチを繰り出し、やり過ごそうとする一文字。
そこに、爆音上げて、やって来る者があった。
サイクロン号に跨った、仮面ライダー第一号であった。
仮面ライダー第一号のサイクロン号が、チーター男を弾き飛ばし、一文字を包囲していた戦闘員たちを蹴散らした。
「待ってたぜ、本郷――」
サイクロン号から降りる仮面ライダー第一号。
彼に向かって跳躍し、空中で一回転した一文字は、着地する頃には、ライダー・スーツを身に纏っていた。
サイクロン号のシートから、マスクが吐き出される。
このサイクロン号は、一文字のものであった。
マヤたちに気絶させられた一文字が、その場に放置していたものを、本郷が回収していたのである。
そして、一文字のものを預かる形で、使用していた。
「い、いかんッ」
チーター男が、ライダー・スーツを纏った一文字に向かって言った。
「奴をライダーに変身させるな!」
戦闘員たちが躍り掛かる。
その前に立ちはだかった仮面ライダー第一号が、戦闘員たちを殴り倒す。
「そうだろうさ」
一文字が、自分の仮面を被っていた。
その露出した口元が、改造手術の傷痕を歪めながら、笑みを浮かべていた。
「仮面のない俺は只の一文字隼人――しかし、こいつを付けるとなると……」
鎖をも噛み千切る牙・クラッシャーをセットした。
その場から、高くジャンプする。
ベルトの両脇に設けられたバーニアが火を噴いた。
コンバーター・ラングが開く。
風が、一文字を変身させる。
タイフーンが、凄まじい速度で回転した。
空中で身体を捻り、仮面ライダー第一号の脇に並び立つ、仮面ライダー第二号。
「驚くな――仮面ライダーは、一人ではない!」
仮面ライダー第二号が、大きく叫んだ。
ダブルライダーが、ショッカー軍団に向かって、構えを採った。
戦闘員が、武器を以て迫る。
しかし、強化型の改造人間である仮面ライダーの前では、雑兵たちは余りにも無力であった。
ナイフが手刀で叩き折られ、パンチで頸を捩じられる。
棒を振り下ろせば蹴り折られ、投げ飛ばされて頭蓋を粉砕された。
チーター男が唯一人になるのは、あっと言う間であった。
「くぬむ」
チーター男が唸った。
両手の指から、長く太い爪を剥き出した。
それで、切り掛かって行く。
仮面ライダー第二号が、腕でそれを受けた。
ライダー・スーツが引き裂かれる。
「ぬ⁉」
「俺の爪は、電磁爪だ!」
防護服も、人工筋肉も、ずたずたに引き裂けるのだ――と、誇らしげに笑った。
叫びを上げながら、電磁爪を振り乱すチーター男。
切り裂かれる事を警戒して、間合いを取っての攻撃では、ダメージを与え切れない。
一文字が後退した。
その代わりに、本郷が接近して行く。
爪!
それをぎりぎりで見切って、腕を取った。
関節技に持ち込んで行こうとする。
チーター男が、頸を伸ばして来た。
肩口に喰い付く。
チーター男の牙が、本郷の肩の内側まで達していた。
血が溢れた。
チーター男を蹴り飛ばす仮面ライダー。
「牙も亦同じく、でね――」
チーター男が、その牙を剥いて笑った。
「本郷――」
一文字が、Oシグナルを点滅させた。
通信を交わしている。
「分かった」
仮面ライダー第一号が、前に出た。
チーター男が、万策尽きたかのようなダブルライダーに対し、勝ち誇った笑みを見せる。
第一号に、襲い掛かって行く。
爪か?
牙か⁉
カウンターを狙おうにも、チーター男の身体に、打撃は通用しなかった。
チーター男の爪が、仮面ライダー第一号に叩き付けられる。
刹那――
「ぬぅんっ」
ライダー第一号の左脚が唸り、脛が、チーター男の軸足を刈り取っていた。
足払いと言うには、余りにも威力のある一発であった。
柔軟な筋肉が、寧ろ仇となり、衝撃逃げる方向に、チーター男の身体も浮かび上がってしまう。
本郷ライダーは、素早く、右腕をチーター男の股の間に潜らせ、左手を頸に添えて、自身、そして、チーター男の全身にひねりを加えた。
足――
足首――
膝――
股関節――
背骨――
肩――
肘――
手首――
全ての関節が唸りを上げて、螺旋のエネルギーをチーター男の身体に叩き込んだ。
本郷の身体に端を発する回転が、チーター男の肉体にも伝播して行った。
ライダーの周囲の砂埃が、竜巻のように天空を目指した。
「う――うおっ⁉」
チーター男の身体が、錐揉み回転しながら、上昇する。
チーター男は、空中に投げ飛ばされたのだ。
それを追って、仮面ライダー第二号が、大きくジャンプしていた。
チーター男の頭上に位置している。
キックの体勢に入ろうとしていた。
飛蝗を模した能力を持つ仮面ライダーの特徴は、その脅威のジャンプ力にある。
それを活かした、高所からの落下攻撃――特に、スプリングを内蔵したジャンプ・シューズでのキック攻撃は、最大の必殺技であった。
だが――
「莫迦め、ライダーキックは俺には通じん⁉」
超柔軟筋肉。
蛇腹の骨格。
それらが、チーター男の肉体に、打撃を通じさせないのだ。
と――
その下方で、仮面ライダー第一号が、両腕を右側に振り出したポーズを採っていた。
その腕を、左側に力いっぱい振り回した。
チーター男を放り投げた、錐揉み回転のパワーが、逆方向に回転する。
上昇する回転の蛇は――
下降する螺旋の嘴となった。
その回転が、上空の仮面ライダー第二号の身体をも、巻き込んで行く。
落下エネルギー。
回転エネルギー。
そして更に、舞い上がる風のエネルギーが、一文字に吸収された。
バーニアが上を向く。
取り込んだ大量の風力エネルギーを、渦巻きの流れに乗って、放出させた。
それは、下方に位置している本郷ライダーの身体にも力を与える事になる。
ライダー一号と二号のCアイが、深紅の光を宿した。
――風よ叫べ!
風よ唸れ!
俺たちの身体の中で渦を巻け!
嵐となれ!
大自然のエネルギーが、この俺たちの力だ!
仮面ライダー第一号が、跳び上がる。
仮面ライダー第二号が、急降下する。
電光のような上昇のキックと、卍を描いた降下のキックとが、同時にチーター男の肉体に叩き込まれた。
チーター男の肉体は、一号ライダーの電光キックで貫かれ、二号ライダーの卍キックで細切れにされたのであった。
宙を舞った本郷猛と、地面を砕いた一文字隼人の間で、チーター男は体内に仕込まれた爆薬を燃やし、中空で紅蓮の華となったのである――
「大丈夫か、一文字」
チーター男を撃破した後、一文字は、その場に倒れ込んでしまった。
マヤに注入された毒が、まだ抜け切っていなかったらしい。
それなのに、あのような大立ち回りを見せたものであるから、体力が尽きたのだ。
「俺は平気さ」
と、一文字は言った。
マスクを外した顔には、まだ、手術痕が浮かんでいる。
「お前さんはどうだい」
と、自分の肩を叩いてみせた。
本郷――仮面ライダー第一号の右肩には、牙の痕が残っている。
かなり、血が出たようであった。
電磁牙の影響で、傷の治りが遅いのだ。
右腕が、真っ赤に染まってしまっている。
「これ位なら、問題ない」
と、本郷は答えた。
どちらも、意地っ張りな男たちであった。
「それより、本郷。黒井響一郎は、どうなったかな」
「滝が付いているんだ、無事さ」
「ああ」
「じゃあ、俺は、ちょっと様子を見て来よう」
「頼むぜ。俺はまだ、暫くここで休んでるよ」
そう言う一文字を置いて、自分のサイクロン号を呼び、走って行く本郷ライダー。
サイクロン号の起こす地面の震動を、背中で感じていた一文字であったが、その顔の上に、別の顔が突如として現れた。
「ハロー、仮面ライダー」
ぞっとするような美貌――
マヤであった。
「くっ⁉」
一文字は、身体を跳ね起きさせた。
マヤから距離を取る。
「あらあら、そんなに警戒しなくても良いのに」
「――」
「用は済んだの。もう、少しの間、日本から消えるわ」
「――貴様は、何者なんだ? 何が目的だ」
一文字が問う。
「首領の意に沿う事よ」
「首領?」
「貴方たちが、ショッカーと呼んでいる軍団の総帥――」
「――」
「神よ」
「神だと⁉」
唐突な言葉に、一文字が驚いた。
「ええ――」
マヤは、妖艶に微笑んで、頷いた。
「そして、私が何者か、訊いたわね。教えて上げるわ……」
「――」
「私は、神の創り給うた、神の似姿――」
「――」
「或いは、全ての生命の母……」
「母だと⁉」
「または、全ての罪の源――」
「――」
「或いはガイア、或いは蛇、或いはイヴ――“始まりの女”」
「始まりの、女?」
「――」
マヤは、赤い唇を持ち上げた。
そうして、踵を返す。
形良く膨らんだ尻が、一文字の方に向けられた。
「何れ、また、会いましょう。仮面ライダー二号……」
そう言い残して、マヤの姿は、その場から消失した。
大地に溶けるようにして、消えたのであった。
一文字は、妙な胸騒ぎを感じながら、それを見送った。
マンション――
黒井の部屋に、奈央と光弘はいた。
買い物から家に戻った時、家の中が荒らされていた。
黒井響一郎もいなくなっていた。
強盗か何かに遭ったのかと、警察に通報しようとした。
実際、ダイヤルを回したものの、警察が来る様子はなかった。
不安を抱いたまま、仕方なく、奈央は部屋を片付ける事にした。
パニックに陥っていたのだと思う。
と、そこに、二人の男がやって来た。
立花藤兵衛と、滝和也と名乗る男であった。
彼らは、
“ショッカー”
という単語を出して、奈央に説明したが、良く分からなかった。
出て行って――と、二人を追い出し、光弘と一緒に、日常に戻ろうとした。
部屋が荒れているのは、夫が、派手に転んだか何かしたのであろう――
無理矢理であったが、そうやって納得する事にしたのである。
夕方になった。
まだ、黒井は帰って来ない。
窓の外から、マンションの駐車場を見てみた。
すると、立花藤兵衛の姿が見えた。
奈央にとっては、寧ろ、この立花藤兵衛の方が、怪しい男であった。
昨日の、カメラが暴発した件もある。
夫の不在よりも、藤兵衛を通報した方が良いのではないか、などとも考えた。
“パパは?”
と、訊く光弘を、不安がらせない為に、いつもの通りの事をした。
黒井の為に、料理を作っていた。
すると、チャイムが鳴ったのである。
鍵は閉めていた。
――響一郎さん?
そう思って、ドアを開けた。
陽が落ちている。
寒くなっていた。
藤兵衛は、マンションの駐車場で、黒井の部屋が見える位置に立っていた。
「ばっくしょん!」
と、くしゃみをかます。
鼻水を啜り上げながら、部屋を見上げた。
当然と言えば当然かもしれないが、黒井奈央は、ショッカーに関する話を、聞こうともしなかった。
藤兵衛と、一緒に訪ねた滝が、変人扱いされてしまった。
しかし、黒井がショッカーに攫われたと言うのは、本郷から聞いた事実である。
何かあってはいけないと、マンションを見張っていた。
と、窓から覗いた奈央と眼があってしまい、軽く会釈をするも、カーテンを閉められてしまう。
――こりゃあ、相当だな。
と、藤兵衛は思った。
ショッカーの事を、誰も、信じてくれない。
規模の大きな組織でありながら、その活動は、全て闇の中に包まれている。
孤独だった。
FBIの中でも、極一部しかその存在は知らされていないと、滝も言っていた。
滝も、きっと、専門の捜査官以外の間では、変わり種扱いされているのだろう。
折角、米国に渡る事が出来たと言うのに、日本という島国に戻されてしまった――
左遷のように思われているのかもしれない。
しかも、真実を語る事は出来ない。
何処にショッカーの眼があるかも分からないのだ。
藤兵衛たちには、FBIの捜査官であるという事も、黙っていた。
ショッカーを知らない者には分かって貰えない苦しみが、あった。
――いやいや、何を言っとる。
藤兵衛は、一人、頭を振った。
分かって貰えない苦しみ?
孤独?
ふん。
そんなもの、身体を好き勝手に改造されてしまった、本郷や一文字に比べれば――
本郷も、一文字も、苦しみは表に出さない性格であった。
本郷は、持ち前の、成熟した精神で。
一文字は、社交的な、その明るさで。
孤独と苦しみを、誰にも明かそうとしないのである。
と――
藤兵衛がそう思った時、
「キャーッ!」
と、甲高い悲鳴が上がった。
黒井の部屋であった。
「何だ⁉」
藤兵衛が駆け出そうとした時、サイクロン号が滑り込んで来た。
本郷であった。
「本郷?」
その額のOシグナルが、点滅している。
改造人間がいると、知らせていた。
藤兵衛にも、その事は分かっていた。
本郷ライダーは、サイクロン号から降りると、黒井の部屋に向かって駆け出した。
開けっ放しだったドアを潜り、部屋の中に入る。
そこには、革のジャケットを羽織った男がいた。
ジャケットの背中には、大きく、ショッカーのマークが染め抜かれている。
足元に、人の顔の皮膚が落ちている。
黒井に変装する為に使われたものらしい。
ショッカーの男は、右手にナイフを持っていた。
その刃が、ぬらぬらとした血に染まっていた。
ソファの傍に、奈央が倒れている。
頸から、血を雪崩れさせていた。
腕を胸元で組んでいたが、その間には、光弘を抱いていた。
光弘の頭に、奈央の血が降り注いでいた。
ショッカーの男は、ライダーの方を眺めて、にぃ、と、唇を歪めた。
「や――」
“やめろ”と、本郷が発する前に、光弘の背中にナイフを突き立てた。
一度、小さな身体が跳ねて、それ切りであった。
「貴様――ッ!」
本郷が激昂し、ショッカーの男に殴り掛かった。
しかし、男は、ライダーに向かってナイフを振るい、血のはねを飛ばした。
動きを止めた仮面ライダーの顔面に、拳を叩き込んだ。
マスクをもろに殴り付けた男の拳は、ぐちゃぐちゃに壊れた。
肘から、白っぽいものが突き出している。
戦闘員クラスの相手のパンチなどでは、揺らがない仮面ライダーの筈だが、眼の前で女と子供を殺された事が、本郷の精神を蝕んだ。
ショッカーの男は、ライダーにナイフを投げ付ける。
それを仮面ライダーが受け止めると共に、開け放って置いたサッシ窓から、身を躍らせた。
窓際まで掛けて行く本郷であったが、男は、下に用意して置いたバイクで、走り去って行った。
悔しがる本郷――
その背中から、全身に火を点けられたかのような悲鳴が届いた。
振り返ると、黒井が、奈央と光弘の遺体に抱き付いている。
滝と藤兵衛が、廊下から部屋の中の惨状を眺めていた。
滝と黒井は、一旦、立花レーシングに戻り、怪我がないかを確認してから、マンションに戻って来たのだ。
その為に、本郷の方が、先にマンションに着いたのであった。
すると、恐らくは黒井に変装していたであろうショッカーの男が、奈央を殺してしまっていた。
本郷の前で、更に、光弘にとどめを刺した。
そして、黒井が帰って来るタイミングを見計らって、仮面ライダーにナイフを投げ渡し、逃げ出したのである。
唯でさえ、チーター男からの攻撃で、右腕を真っ赤に染めているライダーが、その腕にナイフを握っているとなれば、ショッカーの事も、仮面ライダーの事も知らない黒井には――
「怪物め……!」
黒井が、憎々しげに叫んだ。
仮面ライダーの飛蝗のマスクを、血涙を流さんばかりに眼を剥いて、睨んでいる。
「よくも、奈央を、光弘を!」
「ち、違うんだ、黒井さん――!」
滝が弁解に走る。
しかし、黒井は、滝の腕を振り払い、部屋から駆け出して行ってしまった。
叫んでいた。
黒井は、両手を、妻と息子を抱いた時の血に染めながら、泣き喚いていた。
泣き喚き、哭き叫びながら、走っていた。
黒い慟哭であった――
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第十節 惨轟
「た、猛――」
藤兵衛が、泣きそうな顔で、仮面ライダー第一号に歩み寄った。
ライダーの足元には、頸を掻き切られて死んだ黒井奈央と、その腕の中で背中を貫かれた黒井光弘が、血の池に沈んでいる。
冷たくなっていた。
死んでいるのだ。
本郷は、何も言わなかった。
「黒井には、俺から説明する」
そう言って、滝が、飛び出して行った。
「猛、お前、お前は――」
「おやっさん……」
仮面ライダーが、クラッシャーの奥から、声をひり出した。
「俺だ……」
「え――」
「この二人を殺したのは俺だ。俺は、守れなかった……」
「猛……」
「俺は、守れなかった……」
髑髏にも似た仮面は、鉄のように、どのような表情も浮かべてはいなかった。
しかし、赤い瞳が、昏いながらも、光を帯びていた。
黒井響一郎は、マンションから飛び出した後、滅茶苦茶に駆け回った。
何処をどう走っているのか、分からなかった。
腹の底から、自分の肉体を突き上げるものだけを、感じている。
奈央――
光弘――
その顔が、黒井の頭の中を、何度も駆け巡る。
笑顔。
泣き顔。
怒った顔。
嬉しそうな顔。
頬を染めた顔。
生まれた頃の顔。
色々だ。
奈央と出会ってから、彼女が黒井に向けてくれた全てが、蘇って来ていた。
黒井の瞼の裏側に現れては、しかし、シャボン玉のように消える。
光弘が生まれてからの事も、そうだ。
桜の花びらが、道端の溝に消えて行くように――。
黒井は、滾々と沸き上がる黒い感情を、吐き出すように、走っていた。
速く走れば、それが尽きるとでも言うかのように。
だが、それは消えなかった。
ぶっ倒れる。
走り続けて、遂には、道端に倒れる。
しかし、倒れて、消えそうになった黒井の全身を、再び黒い炎が包む。
奈央と光弘の死に様が、白昼に鴉が羽を広げるようにして、浮かび上がって来るのだ。
その黒い翼の向こうに、夕陽の逆行を浴びて佇む、異形の人影が現れる。
その手にナイフを握っていた。
その身体を赤く染め抜いていた。
殺したのだ――
あの怪物が、奈央を殺したのだ。
あの化け物が、光弘を殺したのだ。
それを思うと、又、黒井の中に溜まった疲労の果実が、一皮剥ける。
黒い果実の中から、黒い感情が迸るのだ。
走った。
走った。
走った。
走り続けた。
何処へ?
いつまで?
何故?
分からない。
分からなかった。
分からない黒井が、走っていた。
どれだけ速く走っても、どれだけ遠くまで走っても、それは消えなかった。
黒井が尽きる事はなかった。
黒井の身体の底から湧き上る感情が、やむ事はなかった。
走る事で、その感情を、完膚なきまでに叩き潰そうとしているかのようだった。
それが、勝利するという事だった。
だが、この時の黒井は、決して勝利を掴み取る事が出来なかった。
黒井は、やがて、無意識に辿り着いた場所で、倒れた。
東京から、かなり、離れてしまっていた。
遊園地だ。
やつれている。
夜だ。
あの夕方からの夜かもしれないし、それからもう何日か経っているかもしれなかった。
黒井には分からない。
走り続けたのだ。
走り続けて、ここまで来たのだ。
憶えがあった。
奈央と、光弘と、一緒に訪れた事のある遊園地だ。
近くに湖がある。
観覧車が、高くそびえていた。
コンクリートの中に、川が造られて、そこを屋根付きのボートが流れる。
ゴーカートに、一緒に乗った。
“僕も、パパみたいなレーサーになりたい”
胸の中で、光弘がそう言った。
奈央が、コースの外から、それを見ていたのだ。
メリーゴーランドにも乗った。
ティーカップでは、はめを外した。
ジェットコースターでは、奈央が、学生時代に戻ったかのように、抱き付いて来た。
開園時間は、とっくに終わっている。
闇の中だった。
闇の中で、全ての遊具が、時を止めていた。
黒井が、どうやって、その中に入っていたのか。
黒井には、どうでも良かった。
その場に、へたり込む。
動きを止めると、あの光景がフラッシュ・バックする。
光弘を抱いて死んだ奈央――
傍に佇む怪人――
血の色。
死の匂い。
怒りの味。
自身の哭き声。
身体にべっとりと纏わり付く、生命の終幕。
「うぐぅ」
黒井が、歯の奥から、声を軋らせた。
「うぐぅ」
「ぎぃぃ」
「ぐぅぁ」
頤を反らして、夜空に叫んだ。
「うがあああ~~~~~~~っ!」
「うるるらあああああ~~~~!」
「あぎゃああ~~~~~っっっっ」
獣のように吠えた。
猛獣のように吼えた。
悪獣の如き咆哮であった。
時が止まっていた。
時間の闇に、呑み込まれてしまいそうであった。
凍て付いた時の中で、叫んでいた。
狂おしい叫びであった。
怒りと怨みと憎しみと――
嘆きと哀しみに満ち満ちた、黒々とした哭泣であった。
鬼哭――
その黒井の背中を、抱き締める者があった。
マヤであった。
「黒井響一郎――」
優しく、マヤが囁いた。
「憎いのね……」
「――」
「怨んでいるのね」
「――」
「復讐――」
マヤが言った。
「あの男に、復讐をしたいと、思わない――?」
マヤが言った。
黒井が頷いた。
血の涙を流していた。
「手伝うわ……」
「――」
「私たちショッカーが、貴方の復讐を……」
「――」
「上げるわ」
マヤが、黒井の胸を背中から抱いた。
「貴方に勝利を上げる――」
「――」
「貴方に正義を上げるわ」
勝利。
正義。
二つの言葉が、黒井の中で結び付いた。
正義とは――
勝利する事だ。
「貴方にとって、勝利って何?」
マヤが訊いた。
「貴方にとって、正義って何?」
黒井が、拳を握り締めた。
立ち上がって、マヤに、覆い被さった。
マヤの背中が、地面に着いた。
「ねぇ、教えて――響一郎」
マヤが、黒井の顔を、下から撫で上げた。
「……ぅ」
黒井が、呻くように言った。
声が嗄れている。
血の味が、咽喉の中に、充満している筈だ。
「何?」
「――っぇぃ、て、きに……」
黒井が声を絞り出す。
「た……ぁ、つ、ぶ…ぅ」
咽喉に、石のようなものが、詰まっているようであった。
それを吐き出すようにして、黒井は、血を吐いた。
マヤの美麗な顔に、血が振り掛かった。
「徹底的に――」
黒井が、漸く、言葉を取り戻した。
「叩き、潰す、事だ……」
黒井が言った。
「そう、それが――」
「勝利と、いう、事だ。勝者と、いう、事だ……!」
「勝者には、何が、与えられるの?」
マヤの、他の女と比べると、長めの舌が、口の周りに落ちた黒井の喀血を、舐め上げた。
「正義――」
黒井が言った。
「勝てば、正義……」
「じゃあ、敗ければ……?」
「敗ければ、悪、だ……!」
「貴方は、どっち?」
「俺は、勝つ……俺が、正義だ」
黒井が言った。
その脳裏には、自らの勝利が、浮かんでいる。
復讐だ。
奈央と、光弘を殺した、あの怪人を倒す事。
勝利して、正義を手にする事だ。
「じゃあ、勝利する貴方は、誰?」
マヤが訊いた。
服を脱ぎ始めている。
黒井の衣服も、肌蹴させていた。
「黒井、響一郎――」
「違うわ」
マヤが、首を横に振った。
「貴方の名前は――仮面ライダーよ」
マヤは、黒井の身体を受け止めた。
第一章の後書きは、活動報告の方で。
次回から、第二章に入ります。
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第二章 Time
第一節 復活
ぴくり、と、その指が動いた。
モトクロスのレース・コース上に、一〇台のバイクが散乱している。
単に地面に倒れただけのものもあれば、ライトが真正面からの衝撃で砕かれ、タイヤが吹っ飛び、エンジンが爆発した――そのような姿のものもあった。
まるで事故現場であった。
そこには、黒いコスチュームの男たちが、倒れている。
バイクの下敷きになっている者もいた。
頸をねじ折られたり、腕や脚を明後日の方向に向けている遺体もあった。
身体の一部が千切れて、内側の、申し訳程度に埋め込まれたカーボンの骨格が剥き出しになっているものも、あった。
何れも、腰にベルトを巻いている。
鷲が翼を広げたバックルを付けていた。
全て、生命活動を停止している。
レースは行なわれていなかった。
マシンが走らなければ、そこは、只の荒野である。
風が吹き、茶色の土煙が上がるだけの場所であった。
黒い男たちと、マシンは、荒野に打ち棄てられているのだ。
その中で、唯一人だけ、風ではなく、自らの意思で以て、腕を動かす者があった。
上体を起こした。
黒い覆面を被っている。
右手を持ち上げて、手が動くかどうかを、確認した。
親指。
人差し指。
中指。
薬指。
小指。
拳を握る事も、開く事も、自由に出来た。
他の部分も、同じように、確認をした。
そうして、胸に、手を当てた。
そこだけ、異様に窪んでいる。
恐らく、胸骨が折れて、心臓が潰されている筈であった。
だが、黒い覆面の男は、生きている。
平然と、立ち上がってしまった。
男は、右手を咽喉元にやり、こりこりと、掌で骨を撫で上げた。
すると、男の口から、大量の空気が吐き出される。
息を吐き終えると、酸素をたっぷりと吸い込んだ。
と、へこんでいた胸が、盛り上がって来た。
胸のクレーターがなくなり、鍛えられた、男の胸板が出現した。
心臓が動き始めている。
男の手の動きからすると、胸骨が砕かれているという事も、ないようであった。
「チーター男に助けられたな」
男が言った。
「感謝するぜ、博士――」
覆面の男は、そう言いながら、マスクを剥ぎ取った。
ざんばら髪の、ぎらぎらとした眼の男の顔が、現れた。
すらりとした体躯ながら、引き締まった、逞しい筋肉を持っている。
その男の前に、何処からか、一人の老人が姿を見せた。
長い白髪。
ぞっくりと削れた頬。
白いスーツの上に、黒いマントを羽織っている。
肉の厚さ的には、ざんばら髪の男の方があるが、身長では一〇センチは大きかった。
死神博士――
ショッカーの大幹部である。
そして、黒いコスチュームの男たちは、ショッカーの戦闘員であった。
だが、このざんばらの男は、簡単な改造と、情報漏洩を防ぐ為の措置を施された戦闘員たちの中にあって、会話能力と、穿たれた胸骨を復元させる肉体を持っていた。
「身体の調子はどうかな、カツミ――」
死神博士が訊ねた。
「悪くない。何せ、あの本郷猛の一撃にも耐えたんだ」
カツミと呼ばれた男は、自分の胸を、拳で軽く叩いた。
直前に、本郷猛――ショッカーの科学の粋を集めた、強化改造人間計画の第一期として、唯一人だけ造られた、仮面ライダーのパンチを受けていた。
変身前であったが、それでも、戦闘員を倒すには充分の威力を持っている、本郷猛のとどめの一撃を受けて、生き延びたのだ。
チーター男――
死神博士が自ら手腕を振るった、改造人間である。
猫科動物に特有の、身体の柔軟性を、特性として組み込んでいる。
ゴムのように柔軟な筋肉と、蛇腹状の骨格で再現していた。
それと同じ機構が、このカツミには組み込まれているようであった。
どうも、只の戦闘員ではないらしい。
「気に入ってくれたようだな」
「ああ」
「だが、まだまだ、だ」
死神博士が、唸るように言った。
「カツミよ、お前には、まだ、更なるポテンシャルが秘めている」
それを聞いて、カツミは、愉快そうに笑った。
「知ってるさ、それ位の事は」
「あの女に眼を付けられた時は、どうなる事かと思ったぞ」
恨めしげに、死神博士が言う。
あの女――と、いうのは、つい先日、来日した女幹部・マヤの事だ。
最初は、以前、日本でピラザウルスの改造計画を指揮していた、同名の幹部かと勘違いしていたのだが、どうやら、そうではなかったらしい。
そのマヤに、カツミは、チーター男に備えられているのと、同じ機能を埋め込まれた。いや、マヤが、カツミにそういう手術をするように、死神博士に依頼したのである。
ショッカー内での権限は、最高幹部として同じ程の筈であったが、マヤのバックには、ショッカー首領が付いていたのである。
死神博士にとって、このカツミという男は、改造人間の素体として、虎の子であった。
チーター男が、幾ら、死神博士自身の作例だとしても、それと同じ肉体をカツミに与えよと命令される事は、屈辱であった。
本来ならば、このカツミ――自分の側近となり、同時に、戦闘面に於いて、誰よりもショッカーに貢献出来る可能性を秘めた男であったのだ。
第三の男――
死神博士は、カツミを、そう仕立てるべく育てていた。
かつて、二度に渡り、失敗を期している、改造人間計画。
強化改造人間計画の、第一期と第二期。
それに依って生み出された、強化改造人間第一号・仮面ライダー・本郷猛は、死神と共に執刀した、素体である本郷の恩師・緑川の手引きで、脱走された。その上、ショッカーの行動を、とことん阻もうとしている。
続く第二号は、六体の製造に成功していた。だが、その内の一体に、ショッカーを追っていた、フリーのカメラマンである一文字隼人を選んでしまった事が、失敗であったかもしれない。改造施設に乗り込んで来た仮面ライダー第一号が、改造を終えた一文字を、脳改造前に救出してしまったのだ。
その際に、成功体である五体の仮面ライダー第二号も、全て破壊されてしまった。
その後、本郷猛は、そのたびの失敗の責任を取ってヨーロッパ支部へと戻った死神博士を追い、スイスに飛んでいる。
本郷に代わって、日本の守りに就いたのが、瀕死の状態から回復した一文字隼人であった。
それから、日本の侵略は、大幅に遅れを生じる事になる。
様々な改造人間が倒され、幾つもの計画が潰えた。
サボテグロン
ピラザウルス
ヒトデンジャー
カニバブラー
ドクガンダー
アマゾニア
ムササビ―ドル
キノコモルグ
地獄サンダー
ムカデラス
モグラング
クラゲダール
ザンブロンゾ
アリガバリ
ドクダリアン
アルマジロング
ガマギラー
アリキメデス
エジプタス
トリカブト
エイキング――
そして遂には、中東から呼び寄せられた最高幹部の一人・ゾル大佐までもが、仮面ライ
ダーの為に、斃されてしまっている。
この上ない、眼の上のたん瘤であった。
彼らを始末するには、より強い改造人間が必要であった。
通常の改造人間では、難しい。
ならば――
強化改造人間計画第三期――
それが、始動しようとしていた。
だが、同じ轍を踏まぬようにしなくてはならない。
その為の、カツミであった。
というのも、カツミは、他の多くの改造人間と違って、脳改造を施していない。
ショッカーの目的は、世界征服である。
全ての人類を、ショッカー首領の許で管理する事であった。
現在、改造人間を用いて行なわれている破壊活動は、その為に必要な犠牲であった。
そのような事を行なうのに、普通に生活して来た人間では、精神が追い付かない。
故に、多くの改造人間には、脳に細工をして、ショッカーへの忠誠を誓わせている。
しかし、死神博士やゾル大佐、そして今は東南アジアにいる地獄大使などは、自らの意思で、ショッカーの為に行動している。
ゾル大佐は、ショッカーの原型となったナチス・ドイツの幹部であった。ナチスが解体され、その組織を乗っ取ったショッカー首領に、忠誠を誓ったのだ。
死神博士は、若くして亡くなった妹を蘇らせる技術を手にする為、ショッカーに与している。
地獄大使は、或る国の軍人であった。その国を独立させた手腕を見出されて、ショッカー首領に引き抜かれたのである。
そして、このカツミも同じく、自らショッカーと盃を交わした男であった。
第三の男――強化改造人間第三号となるのは、この
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第二節 来日
イワンは、復興の中々進まない、東京の町を歩いていた。
イワン=タワノビッチ――
その風貌に、多くの人々が、思わず振り返った。
イワンは、一八〇センチにも及ぶ自らの身体を、殊更に縮めて歩いていた。
当時、一七〇あれば、充分に高身長であった。それを更に一〇センチも上回るイワンは、最早、異質であった。
それでも、何とか、その視線に晒されるだけで済んでいたのは、彼の顔立ちが、日本人に寄っていたからである。
母親が、ロシア人であるが、父親は、日本人だ。
その顔が、げっそりとしていた。
頬が、ナイフで抉ったかのように、ぞっくりと削れているのである。
眼が、虚ろであった。
精神的に、かなり参っているように見える。
それに、周囲の人たちの視線に依るストレスが加わり、益々、イワンの顔には疲労が浮かび上がっていた。
とても、二六歳には見えない。
終戦後、イワンは、日本へとやって来た。
ドイツから、である。
アウシュヴィッツで、生体実験を主に執り行っていた。
同盟国に所属していたとは言え、何故、日本へやって来たのか。
幼少期は、東京で過ごした。しかし、戦後間もない故郷に再び足を踏み入れたのは、何の為であろうか。
或る男に、呼ばれたからだ。
いや、男とは言うが、本当に男であるかどうかというのは、分からない。
しかし、どちらでも良かった。
終戦後、絶望に暮れるイワンに、或る筋から連絡が入った。
“日本へ来給え”
最初、イワンは、それに返答する心算はなかった。
ナターシャの事があった。
三つ下の妹である。
元から病弱であったのだが、終戦前に、命を終えた。
イワンは、ナターシャの遺体を冷凍し、彼女を蘇らせる術を探し始めた。生体実験に協力したのも、ナターシャの延命の為の技術を手に入れる事が目的であり、終戦までナチスに籍を置いていたのも、余りにも早い死を迎えた彼女を生き返らせる為だ。
だが、それらの願いは叶う事なく、戦争は終わった。
ナチスの施設から、完全に追い出された。
実験の一つも、許されなかった。
凍て付いた遺体も、回収されてしまっていた。
生きる希望が潰えた――
そう思った時、イワンの肉体は、一気に衰えてしまう。
髪は抜け、肉は削げ落ち、唯の不健康なのっぽになってしまった。
そんなイワンに、連絡があったのだ。
“君の妹の遺体は、我々が、占領軍から押さえている”
“君の技術が欲しい”
“君の妹を生き返らせるのに、協力しよう”
だから、日本へ来いと、言ったのである。
イワンは、藁にも縋る思いで、日本へ飛んだ。
そうしての、東京である。
具体的な場所は、指示されなかった。
東京で、使いの者を出すとの事であった。
それから、三日である。
野宿をした。
宿など、望むべくもなかったのである。
使いの者は、まだ、接触して来なかった。
動き回って、自分がいるという事を、アピールしなくてはいけない。
だが、そうして町中を歩いていると、必ずと言って良い程、奇異の視線に晒される。
日本人には、進駐軍だと勘違いされる。子供などは、食べ物をねだったりするだけだが、大人になると、いやらしい程のへつらいか、敵意のようなものを向けられる。
日本人だと分かると、特に大人は、更に嫌悪感を明らかにする。背の高いイワンを嫉妬して、妙な嫌がらせをしたりするのである。
アメリカ兵にも、似たような対応をされた。連合軍側であると思われれば、優しく声を掛けてくれたが、日本人と分かった途端、掌を返して、見下して来る。更に、ナチスであった事が分かると、暴力を振るわれる場合があった。
早く見付けて貰わなければ、過労死するかもしれなかった。
イワンは、人々の視線を避けるようにして、町を抜けた。
川の傍にやって来た。
夕暮れ時――
川原に、大きめの石があった。
そこに、腰掛けた。
座り込んだ途端、ここ暫くの疲れが、一斉に襲って来た。
川を眺める。
濁った川だ。
ねっとりとした水が、流れている。
つい最近まで、焼死体がごろごろとしていた川だ。
空襲があった。
爆撃から逃れようと家を飛び出し、そのまま火炎に包まれてしまった。
その脂が、まだ、残っている。
時には、まだ回収されなかった、焦げた身体の一部が覗く事もあった。
それでも、川は流れている。
水の流れは、止まらない。
元に戻ろうとしている。
人の肉体にも、怪我した部分を治そうという働きがある。それと同じように、川が、溜まった脂を洗い流そうとしているのだ。
その自浄作用が、かなり、遅れているようであった。
イワンの眼には、そのように見える。
と――
そのイワンに、声を掛ける者があった。
見れば、アメリカ兵である。
ガムを噛みながら、三人、やって来た。
黒人が一人。
白人が二人であった。
「日本人か?」
と、英語で聞いて来た。
「そうだ」
と、英語で答えた。
「英語が分かるのかい」
「ああ」
「へぇ」
感心したように、白人の兵士が言った。
ガムを、くちゃくちゃと鳴らしている。
「丁度良かった」
「丁度良い?」
「通訳を探していたんだ」
「――」
「日本人は、教養がなくて困る。滅多に、我々の言葉が分かる者がいない」
不便でしょうがないので、英語と日本語の両方が分かる人物が、必要であったらしい。
報酬は払うとの事であった。
食糧などの事である。
殆ど、腹に入れていなかった。
若し、単に日本を懐かしんで東京に戻って来たのなら、受けても良い仕事であった。
だが、今の自分は、人を探している。
他人の事を考えている精神的余裕は、イワンにはなかった。
すると、米兵たちは、舌を鳴らし始めた。
かなりの好条件を提示したのに、断られたのが、気に喰わないようであった。
「もう一度、考え直してみたらどうだ」
と、白人兵士が言った。
「済まない」
と、言ってから、
「今は、そういう事をやっている、余裕がないんだ」
と、イワンははっきりと断った。
最初に、自分なりに誠心誠意、謝罪をした心算であった。
「イエロー・モンキー」
ぽつりと、白人兵士の一人が呟いた。
それだけならば、まだ、我慢も出来た。
「阿婆擦れた親を持った小僧が」
それには――
「何だと?」
我慢が出来なかった。
「何だと⁉ 貴様――」
混血児――ハーフであるという事が、分かってしまったようであった。
それを、阿婆擦れと思われた。
生まれた国の違う両親の事を、愚弄された。
それは、イワンだけではない。
ナターシャ――
最愛の妹さえ、侮蔑する言葉であった。
「訂正しろ」
イワンが言った。
ドイツ語が出ていた。
「訂正するんだ」
「――ジャーマン?」
と、黒人兵士が訊いた。
「ナチスか」
白人の一人が言った。
ガムを吐き出すと、胸倉を掴んで来た。
パンチが飛んで来た。
イワンの頬骨が軋んだ。
川原に倒れ込んだ。
イワンを殴った男が、倒れ込んだイワンに馬乗りになり、又、襟を掴んで、パンチを落として来た。
イワンは、抵抗しようとした。しかし、細い腕では、屈強な現役兵士の身体には、通じなかった。
パンチが落ちて来た。
拳が落ちて来た。
鼻が曲がった。
歯が折れた。
唇が裂けた。
瞼が切れた。
顔が腫れた。
「くああぁっ!」
イワンが叫んだ。
叫んだその口に、拳がめり込んで来た。
「かあああっ!」
「あきゃああっ!」
「けわっわわわっ!」
イワンは、男の脚の下で暴れた。
意味がなかった。
パンチ。
拳。
右。
左。
落ちて来る暴力に、抵抗した。
抵抗が、尽く、潰されていた。
泣いていた。
血が混じっていた。
糞――
と、思っている。
何故だ。
何故、俺が、こんな目に遭わねばならない⁉
最愛の妹は、どうして、あんなにも身体が弱く生まれたのだ。
そんな事まで、思い始めていた。
何で、戦争なんかが起こったのだ。
どうして、両親の生まれた国が違うと言うだけで、差別されるのだ。
髪の色?
眼の色?
身長?
言葉?
ふん。
それが、どうして、差別の対象になるのだ。
糞だ。
糞だった。
こんな奴らは、糞なのだ。
では、その糞に、殴られている俺は、何なのだ。
やはり、同じ、糞なのか。
それ以下なのか――
「おええええああぁぁぁっっ!」
イワンが吠えた。
その時であった。
「そこまでにしときな――」
日本語であった。
別に私に差別主義はありません。
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第三節 格闘
ざんばらの髪の男であった。
刃物のような光を、眼に湛えていた。
血走った、狂犬の眼であった。
「格好悪いぜ」
もう一度、言った。
日本語であったから、まだ、通じていないようであった。
イワンに馬乗りになった白人兵士が、ざんばら髪の男を睨んでいる。
「幾ら勝った側だからって、そういう事を、お上は認めてないだろう」
今度は、英語であった。
意味が通じた。
「その兄ちゃんの上から退きな」
「誰に向かって口を利いてるんだ?」
イワンの上から、白人兵士が言った。
声に、こわいものが潜んでいる。
「あんただよ。さもないと、酷い事になるぜ」
男が、軽い調子で言った。
しかし、決して、眼は笑っていなかった。
少しつつけば、破裂してしまいそうな危うさがあった。
「どう酷い事になるんだい」
もう一人の白人の男が、訊いた。
ざんばら髪の男は、唇を吊り上げて笑うと、自分の鼻を指差した。
「おたくの高いここが、潰れる事になる」
「――」
「次に、その白い肌が、赤く染まるだろうさ」
「――」
「その上、もっと白いものが、出て来る事になろうぜ」
「何――」
「骨さ」
強烈な台詞であった。
ざんばら髪の男は、見るからに屈強なこの兵士たちに向かって、解放性の骨折をさせる事を、宣言していた。
「面白い小僧だな」
イワンの上から、退いた。
「へい、ジム――」
その後ろで、ガムを噛んでいた白人兵士が、笑い掛けていた。
「ぼうやの言う通りだぜ。やり過ぎは良くない」
「――」
「でも、向こうから喧嘩を売って来たんなら、身を守る必要があるな」
それを聞くと、ジムが、嬉しそうに顔を歪めた。
「ああ。何せ、向こうは、最初から俺に怪我をさせる心算なんだからな……」
ジムはそう言うと、ざんばら髪の男に向かい合った。
若干、前傾して、両方の拳を顔の前に持ち上げた。
ボクシングの構えであった。
「ぼうや、やるんだろう――」
「――」
「もう、引き返せないぜ……」
そう言いながら、ざんばら髪の男に、間合いを詰めて行くジム。
その姿を、イワンが眺めていた。
見事に整った構えである。
少しばかり、武道を齧った程度の人間では、打ち込む事は出来なかった。
それに、ジムと、ざんばら髪の男では、体格が違い過ぎた。
ざんばら髪の男も、当時としては高身長である、一七〇センチ。
国民服の内側の肉体は、八〇キロ位はあるだろう。
筋肉が、良く発達して、引き絞られていた。
薄らと、脂肪を載せている。
ジムは、身長で、一八五センチはあった。
体重は、九〇キロを越えている。
ヘヴィ級だ。
一〇キロの体重差は、格闘に於いて、大きな壁である。
打撃の威力というものは、質量×速度である。つまり、同じ速度のパンチを出す二人であっても、片方が八〇キログラム、もう片方が九〇キログラムであれば、後者に一〇キロ分の威力がプラスされる事になる。
ジムと殴り合いになれば、ざんばら髪の男の不利は、否めなかった。
ましてや、ジムはボクサーである。
人を殴る事には、慣れている。
イワンを殴っていた時は、それでも、かなり手加減していたのであろう。
しかし、今度は、本気で相手を殴りに掛かっている。
「行くぜ、ぼうや――」
ジムが言った。
ざんばら髪の男は、自然体のままであった。
両手を、体側にだらんと垂らしている。
足は、肩幅に開いているだけだ。
狂犬のような眼だけが、ジムを眺めていた。
ジムが、フット・ワークを使って、男に接近して行く。
そうして、
「――ひゅっ」
と、呼気を吐くと共に、左足で踏み込みながら、左の拳を飛び出させた。
ジャブ――
本来ならば、間合いを測る目的で使われる技だが、ヘヴィ級のボクサーが、それ以下の階級の相手に使う時、それは必殺の威力を誇る。
しかも、牽制の意味も込めて打ち出される為、素早い。
打ったら、すぐに引き戻す。
そして、すぐに打つ。
まるで閃光である。
ざんばら髪の男と同じ程の身長体重の人物が、それなりに腰を入れた突きを、何発も叩き込まれるようなものであった。
だが――
すぅ、
と、ざんばら髪の男の身体が、沈んだ。
ジャブが、男の頭上を擦り抜けて行く。
ぶつり、と、髪の毛を幾らか引き千切って行った。
次の瞬間、ジムの顎を、男の軍靴が打ち上げていた。
上下の歯が噛み合い、そのまま、砕けてしまう。
ジムが、膝から崩れ落ちた。
顎を叩かれる事で、脳が、頭蓋骨の中で激しく揺れたのである。
暫くは、立ち上がれない。
ボクシングのリングの上であれば、テン・カウントを鳴らすまでもなかった。
見事な一撃であった。
膝を抜く事に因り、自然落下する身体を急激に持ち上げ、その動作で、落下エネルギーを攻撃に加えたのである。
自らの反射を基盤とした蹴りは、ジャブよりも速い。
「糞ッ」
と、黒人兵士が唾を吐いた。
ざんばら髪の男に向かって、タックルを仕掛ける。
こちらは、ボクサーの男よりも、更に一回り、身体が大きかった。
もろにぶち当てられれば、ざんばら髪の男でも、川に吹っ飛ばされてしまうであろう。
しかし、ざんばら髪の男は、冷静であった。
両脚を狙って来る為、体勢を低くしていた黒人兵士の頭を両手で押さえて、跳び上がった。
両脚は脇に振り出している。
跳び箱の要領であった。
黒人兵士が、川の中に、頭から突っ込んだ。
小さな水柱が上がり、米軍服はびしょ濡れになってしまったが、ざんばら髪の男の国民服は、その飛沫さえも浴びていないようであった。
「笑わないのかい――」
残った、もう一人の白人兵士に、ざんばら髪の男が言った。
白人は、有色人種を下に見ている気配がある。
日本人だけではない。黒人たちに対してもそうだ。
だから、無様に川の中に頭から突っ込んだ黒人兵士を見て、心の中では、嘲りたい情動に駆られている筈である。
しかし、一応は、自分たちの同胞であった。
しかも、そうさせたのは、敗国の敵兵なのである。
どれだけの差別的感情があっても、今だけは、笑える筈がなかった。
ふふん、
と、いった顔をするざんばら髪の男の後ろから、黒人兵士が立ち上がった。
瘤のように、全身を盛り上げている。
黒人特有の、素晴らしい筋肉が、ざんばら髪の男を倒す為に、総動員されていた。
「るるぁっ」
黒人兵士が、拳を叩き付けて来た。
ボクシングの、精錬されたパンチではない。
喧嘩っぽい。
しかし、それだけに、実戦向きな一発であったと言えるだろう。
ざんばら髪の男は、それに、冷静な対処を下す。
ダッキング。
膝を使って、頭の位置を変えた。
黒人兵士のパンチは、男の顔の横をすり抜けて行く。
ざんばら髪の男は、黒人の右側――つまり、振り出した腕の外側に位置していた。
とっ、
と、ざんばら髪の男の左足が跳ね上がった。
弧を描いて、背足が、黒人兵士のこめかみに直撃する。
先程のボクサーと、同じ事が、彼の脳内で起こっていた。
廻し蹴り――
使う部位や、足の運び方など、異なる所はあるが、近年では、空手、キック・ボクシング、テコンドー等々で、見た目の派手さもあり、決め手として使われる事が多い技だ。
しかし、この当時の日本には、廻し蹴りはなかった筈である。
空手が琉球から伝来したのは、大正時代であるが、それにしても、廻し蹴りは存在しない。
今で言う前蹴りとか、横蹴りのようなものしかなかった。
ざんばら髪の男が、最初に使ったのは、こちらに近い蹴りだ。
だが、このざんばら髪の男は、それと同じような自然さで、廻し蹴りを使ってみせた。
これから先、或る空手家がタイに武者修行に出て、そこで取り入れて、初めて日本で開発される筈の、背足での廻し蹴りである。
「あんたもやるんだろう?」
ざんばら髪の男が言った。
残った白人兵士は、顔を真っ赤にしていた。
決着は、すぐに付いた。
ざんばら髪の男が、襲い掛かって来た相手の襟を掴み、腰に乗せて投げ飛ばした。
下は、砂利の敷き詰められた地面であった。
一発の投げで、かたが付いた。
「大丈夫ですか」
ざんばら髪の男が、イワンが立ち上がるのに、手を貸した。
「ありがとう……」
イワンが、擦過音の混じった声で、答えた。
歯が折れており、そこから、空気が漏れるのだ。
「大変でしたね」
男の口調が、丁寧なものに代わっていた。
「いや――」
イワンは、首を横に振った。
思えば、こうして殴られても、仕方のない事をして来たのである。
ドイツで、何人の人間の身体にメスを入れた事か。
彼らの中に、その親類縁者がいないとは、限らない。
「強いな……」
イワンが言った。
「ええ」
「――助かったよ、私は……」
と、言い掛けて、イワンは口を噤んだ。
若し、外国人という事がばれれば、この男も掌を返すかもしれなかった。
「イワン=タワノビッチ博士――」
と、ざんばら髪の男が言った。
「え?」
「貴方を、迎えに来た者ですよ」
ざんばら髪の男は言う。
「俺は、松本克己といいます」
……あ、宣言通りの事をやっていない。
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第四節 組織
浜名湖畔――
イワンは、克己と共に、静岡までやって来た。
富士を臨む、大きな湖である。
夏の陽光を浴びて、水面が煌めいていた。
その向こうに、そびえる巨山があるのである。
克己は、イワンを、目立たない場所にある洞窟まで案内した。
「ここは?」
イワンが訊いた。
「俺も、良く、分からないんですよ」
と、克己が言う。
克己は、イワンに連絡を取った者からの、使いであった。
しかし、浜名湖までイワンを連れて来るように言われてはいたが、それが何者であるかという事は、聞いていないようであった。
暫く、食事と寝床を提供するので、イワンを案内するように、言われたらしい。
二人が、洞窟の前に立った。
洞窟と言っても、人が二人、腰を屈めて入る位の入口であった。
背の高い克己とイワンであれば、通り難い事、この上なかった。
しかし、入り口を過ぎて少し行くと、広く削られていた。
人の手が、明らかに入っている。
入り口の方を、中から岩で防いでしまえば、洞窟がある事も分かるまい。
外は、暑い。
陽射しが、ぎらぎらと降り注いで来る。
しかし、洞窟の中は、ひんやりとしていた。
上から、水滴が落ちて来る場合もある。それらが、水溜りを作っていた。
「恐らく――」
と、克己が言った。
声が反響する。
「日本軍の基地でしょうね」
「基地?」
「ええ。完成する前に、終戦を迎えたようです」
「――そんな所に、何故、私は呼ばれたのだ……?」
「さぁ?」
そんな話をしている内に、突き当りにやって来た。
扉が設けられている。
鉄の扉だ。
克己は、扉の中心に設けられているボタンを、何回か、タイミングを分けて押した。
モールス信号であった。
か
つ
よ
し
と、打っている。
かつよし――
何らかの暗号であろうが、日本語だろうと、海外の言葉だろうと、その意味する所を、イワンは分からないでいた。
扉が開錠された。
横に開いた。
扉は、壁の内側に引っ込んで行った。
「ほぅ……」
イワンが、声を上げた。
鉄の扉の向こうには、白い電球に照らされた廊下が、あったのである。
床は、コンクリートであった。
壁は、赤い。
通路も、決して広くはなかった。
一本道である。
廊下を行くと、又、扉があった。
そこには、鷲が翼を広げた紋章が、大きく描かれていた。
取っ手や、スイッチの類はなかった。
「どうするのだ?」
イワンが訊く。
「確か、こうやるそうです」
克己が、鷲の紋章に、顔を近付けた。
鷲の胸の辺りに、孔が開いていた。
硝子がはめ込まれている。
そこに、右眼を近付けて行く。
と、ロックが解除された。
網膜で、克己の事を認証したのである。
すると、扉が、先程と同じように、横にスライドした。
克己、イワンの順で、足を踏み入れた。
そこは、壁中に、液晶やキーボード、種々のスイッチが埋め込まれた部屋であった。
ドアから続く形で階段が下に伸びている。
その階段を、視線で辿って行くと、下のフロアの中心に、テーブルが置いてあった。
椅子が、三基。
手前に二つだ。
奥にある一つの椅子の傍に、男が立っていた。
カーキ色の軍服を着た、左に眼帯をしている男だ。
イワンよりも少し若く、一〇代の克己よりは歳を重ねて良そうな男であった。
しかし、そこはかとなく、ダンディな雰囲気を持っている。
軍服の男は、軍靴を鳴らして足を揃え、深く礼をした。
「ようこそおいで下さいました、イワン=タワノビッチ博士――」
軍服の男は顔を上げた。
モンゴロイド系の顔立ちであった。
「バカラシン=イイノデビッチ=ゾル――と、申します」
「ゾル……」
イワンは、その名に、憶えがあった。
「閣下の……」
「ええ。若輩ながら、お傍付きをさせて頂いておりました」
言いながら、ゾルは、右手に持った鞭を振り上げた。
「これは、閣下より賜ったものです」
二人の言う閣下というのは、ナチス・ドイツの総統である、アドルフ=ヒトラーの事だ。
面識はなかったが、どちらも、ナチスに従軍している。
ゾルに至っては、若いながら、大佐の地位に就いていた。
「お会い出来て、光栄です、博士」
「――君が、私を、呼んだのかね?」
「いいえ。唯、私は、ヘル・カツミに、貴方をお連れするよう、依頼したのみです」
“ヘル”というのは、ドイツ語で、英語の“ミスター”に当たる言葉だ。
「あの方は、人前には滅多にお姿を見せません。ですが、我々の言動を、逐一、把握していらっしゃいます」
「――」
「先ずは、どうぞ、お掛け下さい。ヘル・カツミも」
ゾルが、二基の椅子を手で示した。
イワンが、階段を下りる。
その後に、克己が続いた。
ゾルから見て、イワンが左、克己が右に腰掛けた。
克己は、浅く足を組んで、背もたれには寄り掛からなかった。
二人が着席すると、ゾルも、椅子に座った。
「私を呼んだのは、何者なのかね」
「我々にとっては、閣下に代わられるお方です」
ゾルが言った。
「そして、ヘル・カツミ」
「む――」
「貴方にとっては、この国に代わられるお方ですよ」
「何?」
「博士、カツミ――」
と、ゾルが、イワンと克己に顔を向けた。
真っ直ぐな瞳であった。
そして、妙な貫禄を持っていた。
イワンも、その背の高さと、疲労の為ではあるが削げた頬や、炯々とした眼から、凄まじい圧力を感じさせる。
恐怖を煽る。
敵意を持って睨まれれば、気の弱い者なら、糞便を垂れ流すかもしれない。
だが、それとは違うパワーを、ゾルは眼の内に溜めていた。
紳士的でありながら、凶暴。
圧倒的でありながら、寂静。
例えるなら、それは、満ちた月を背負い、崖の上に孤独に佇む、金の毛皮を纏った狼だ。
そのようなエネルギーが、ゾルの視線から感じられた。
克己でさえ、息を呑む。
「単刀直入に言います。我々の同志となって頂きたい」
「同志⁉」
「我々――?」
イワンと克己が、少し、訝しげな顔をする。
「ええ」
ゾルは頷いた。
「世界に平和を齎すのですよ」
「平和だと?」
「はい。その為に、博士の技術と、カツミのような若者が、必要なのです」
「――」
「新世界の建設です」
「新世界?」
「ええ。その為の組織に、貴方がたが欲しい」
「組織?」
「博士、カツミ――」
ゾルが、二人に呼び掛けた。
「この戦争は、終わりました」
第二次世界大戦の事である。
「しかし、争いがなくなるという事はありません。きっと、すぐに、次の戦争が起こるでしょう」
「――」
「だろうな……」
イワンが頷いた。
「争いは人間の本能です」
ゾルが言う。
「人間の歴史は、戦争の歴史と言っても良い。どんなに小さなものであっても、戦争の火種は消える事がありませんよ」
「――」
「但し――」
「ああ」
と、イワンが、ゾルの言葉を代弁した。
「次の戦争は、起し難くなるだろう」
「――」
「原爆だ」
「原爆?」
克己が訊いた。
広島と長崎に落とされた、たった二発の爆弾である。
しかし、そのたった二発が、無数の人々の生命を、無慈悲に奪い取ったのだ。
国民皆兵を謳ったとは言え、実際には戦う力などなかったに等しい人々でさえ、核の炎を浴びる事となった。
「只の二発で戦争を終結させる兵器――欲しくない訳がない」
ゾルが言った。
「これからの兵器開発は、それが主になって来るでしょうね」
「原爆が⁉」
「それは、そうでしょう。人は、常に、より良いものを求めます。戦争――人を殺し、領知を占領するに当たって、あれ程優れたものはない……」
「だが、あれを使うという事は、環境を著しく汚染する事になる」
「環境を?」
「左様――」
「つまり、人類は、自らの頸を、自らの手で絞め上げる事になるでしょう」
ゾルが、自分の首筋に、手を這わせていた。
「それだけは、防がねばならない」
「――それで、“世界に平和を”、か」
「はい。醜い争いに明け暮れている世界中の人々に、心の平和を与え、仲良く新世界の建設に協力させる――博士、カツミ、貴方たちは、その使命を為すべく、選ばれたのです」
「――何故だね」
自らの言葉に、恍惚としているようなゾルに、イワンが訊ねた。
「何故、私……たち、なのだね?」
「その優れた、頭脳と、肉体故に――」
ゾルが、イワンと克己を、それぞれ眺めた。
「頭脳?」
「肉体?」
二人が首を傾げると、ゾルが、このように言った。
「お話ししましょう――我らショッカーの、世界平和の為の計画を」
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第五節 人狼
「ショッカー?」
どちらともなく、ゾルに対し、訊いていた。
「ええ。ショッカーです」
ゾルが頷いた。
それが、ゾルが、今現在、席を置いている組織であるらしい。
イワンをドイツから呼び寄せた、平和な世界を建設する為の組織――
「私を含む、多くの、ナチスの残党が、再起の為に組織致しました」
「ナチス?」
「ええ。と、言っても、過去のやり方を反省した上での事です」
「――で、我々の頭脳と肉体が、どう、役に立つというのだね?」
イワンが質問した。
「平和な新世界の建設と言うが、それは、どうやって行うんだ?」
克己も、ゾルに訊く。
「もう一度……」
「む⁉」
「もう一度、戦争を起こすのです」
「何だと⁉」
椅子から立ち上がり掛ける克己。
彼を手で制して、ゾルが言葉を続ける。
「但し、国と国のそれではありません」
「――」
「人類に対して、戦争を仕掛けるのです」
「人類?」
「自らの利権の為に、戦争を始めようとする、醜い人々ですよ……」
「――」
「そういう連中は、平和な世界には必要ありません」
「そのような人々を、抹殺する為の、戦争か」
「ええ。そういう意味で、人類に対しての戦争です」
「――だが」
「先程の言葉と、矛盾していると?」
ゾルが、克己の言葉を、先回りした。
克己は、眉を寄せながら、頷いた。
先程、共通の認識として、次の戦争は起こす事が難しいと言っている。
次の戦争は、確実に、原子爆弾――核兵器を使用したものになるからだ。
そうなると、自然環境は激しく壊され、つまり、人間の生存も難しくなる。
「ヘル・カツミ――」
ゾルが、低く笑った。
「戦争とは、何も、戦車で町を焼き払う事だけではありません」
「――」
「“人狼部隊”……」
ゾルが、ぽつりと漏らした。
イワンが、小さく反応する。
「博士は、勿論、ご存じでしょう」
「――ああ」
終戦間際――
追い詰められたドイツに於いて、市民たちで編成された、所謂ゲリラ部隊の事である。
夜陰に乗じ、ソ連軍に奇襲を掛けた。
戦果も、それなりに挙げていたらしい。
しかし、結局は、ソ連を挑発する結果となり、被害を増やす事になった。
「私は、あれを、率いていたのです」
「――そうか、君が……」
イワンが、感慨深そうに言った。
「“人狼計画”、最後の生き残りという訳か」
「人狼計画?」
克己が、イワンに訊ねる。
「薬物投与に依って、人間の身体能力を引き上げた兵士――所謂、“超人”を生み出す計画です」
ゾルが、イワンに代わって答えた。
正確には――と、イワンが引き継いだ。
自分のこめかみの辺りを、指で、叩いた。
「脳下垂体から分泌されるホルモンを調整し、肉体の一部を変質させるのだ」
「変質?」
「例えば、腕の筋量を増して腕力を、足を太くして脚力を、という風にです」
「その成功例の一つが、“人狼化現象”だったのだよ」
「人狼化?」
「爪と牙が生えて来たのさ」
にぃ、と、ゾルは唇を捲り上げてみせた。
その内側に、明らかに普通の人よりも長い犬歯が見えた。
「末端肥大症――と、呼ばれる症状がある」
ゾルが簡単に説明した。
普通よりも、身体の一部が大きくなったりする事だ。
巨人症――身体は以上に大きいが、心臓は平均的な大きさであるという、そんな症状も、存在する。
それらの多くは、脳下垂体ホルモンの分泌異常が原因で起こる。
その症状を人為的に、しかも、望む形に起こそうという実験がされた。
ナチス内でその計画を提唱するきっかけとなったのが、イワンの実験で得られた成果の一つであった。
「その、“人狼化現象”を起こした者たちが、“人狼部隊”となった訳か」
「――いいや」
ゾルが、克己の言葉を否定した。
「結果は失敗だった」
イワンが言う。
「失敗?」
「ホルモンの調整が巧くいかなくてね、拒絶反応を起こして、死んだ」
「――」
「それが、“人狼化現象”を起こした一三人のナチスの兵士の内、一〇人だ」
「確か、最初の変身で、理性がなくなった、と、聞いた」
と、イワンが言った。
「ええ、それで、共喰いを始めましてね」
「――」
「残りの三人も、内二人は、強化細胞に蝕まれてね。要するに、異常発達を起こした細胞だ。それの為に、死んだ」
「――」
「では、その最後の一人が」
「俺だ」
ゾルが言う。
「俺だけが、“人狼化現象”に耐えられたのだよ。肉体的にも、精神的にもね」
「――」
「そして、“人狼部隊”を率いて、ソヴィエトと戦った……」
「――」
「結果は、ご存じの通りだがね」
そこまで言って、ゾルは、一つ咳払いをした。
一人称が、“私”から“俺”になり、口調が些か砕けていた事に、気付いたらしい。
「ここまで言えば、博士には、お分りでしょう?」
ゾルが訊いた。
「――戦争が、町を焼き払うだけではないという事かね」
「ええ」
「ゲリラ戦――」
「――」
「いや、火薬や放射能を必要としない、最強の、超人部隊の事か……」
イワンが言った時、克己が、小さく眼を剥いた。
「超人――さっきも言っていたな」
「“人狼部隊”は、本来ならば、そうなる予定であったのですよ」
「さっき言っていた、“人狼計画”に依り、“人狼化現象”を起こした――言わば、“人狼兵士”で構成される部隊の事か」
「ええ」
「ゲリラ――成程な」
克己が唸った。
「あんた、凄い事を考えるな……」
「――」
「要するに、強化された肉体のみで、敵を制圧する部隊を作りたいって訳だ」
「――」
「一種の生体兵器とでも言うべきか……」
「そうなります。自然や、文化財を、一切破壊する事なく、定められたターゲットだけを、あらゆる障害を乗り越えて抹殺する、超人部隊です」
「――その完成の為に、私が必要なのだね」
イワンが呟く。
“人狼計画”を発案させたのは、イワンの実験を知った科学者である。
しかし、“人狼計画”そのものに、イワンは着手しなかった。
その頃に、ナターシャが死に、ナチスの実験から手を引こうと考えていたのであった。
「その通りです」
イワンの言葉を、肯定するゾル。
「その報酬が、貴方の妹さんです」
ゾルが告げた。
イワンの眉が動いた。
「いえ、勘違いをなさらないで頂きたい。唯、我々は、貴方の研究を援助するだけです。貴方の妹さんを生き返らせる研究を、お手伝いします、と、いう事です」
「――」
「その研究の為の場所を、提供します。必要なものは何でもお申し付け下さい。金と場所と資材の心配ならば要りません。但し、貴方の研究は、全て、私たちに明かして頂きたい――」
「――」
「それが、我々ショッカーと、イワン=タワノビッチ博士との契約です」
ゾルは言い終えた。
イワンは、暫くの間、黙っていた。
この提案を呑むべきかどうか、考えあぐねていた。
ゾルは言った。
金。
場所――つまりは、研究施設の事だ。研究の為の環境を充実させるという事であり、冷凍保存したナターシャの遺体の無事も保障してくれる。
資材。
それら全てを、イワンが望む通りに提供する。
しかし――
と、イワンが迷っていたのは、戦争を起こすとか、平和な世界とか、そういう事ではない。
イワンにとって、戦争も、平和も、関係がないものになっていた。
ナターシャ……
小さい頃から病弱だった、愛しい妹……
若くして死んだ最愛の子……
彼女を生き返らせる為なら、例え、悪魔に魂を売ろうと、構わなかった。
だが、それをやるのは、自分の役目であるという。
環境は、全て、受ける事が出来る。
その充実した中で、ナターシャを生き返らせる為の研究を、する。
それは良い。
それは良いが、しかし――
自分に、出来るのか、と、思ってしまう。
自分の生体技術は、少なくとも現在では、誰にも到達出来ないものだと思っている。
慢心ではない。
正直な所、“人狼計画”を完璧に仕上げる事は難しいにせよ、これから少しばかり研究を続ければ、ゾルや、ヒトラーが望んだ、紛れもない“人狼兵士”を作り出せる自信がある。
だが、ナターシャを蘇らせる事が、果たして、出来るのか⁉
そういう思いがある。
“人狼化現象”だ、何だと言っても、所詮は、生きている者に手を加える事だ。
ナターシャは、既に死んでいる。
死んだその肉体を、自分の思い出の通りに、再び動かす――否、その肉体に、再び動き出して貰うという事は、出来るであろうか。
その為の設備が充実していたとして、その為に自分の一生涯を捧げたとして――
「博士」
ゾルが、イワンを見ていた。
あの、真っ直ぐな眼だ。
今なら、彼に幻視した、黄金の狼の理由も分かる。
「勿論、我々とて、技術は提供させて頂きたい」
「――」
「そして、遺体を動かすというだけであるのなら、我々は既に成し遂げている――」
「何だと⁉」
イワンは、思わず、立ち上がっていた。
ゾルが、口元に笑みを張り付けていた。
「お見せ致しましょう」
つぃ、と、ゾルが視線を克己に移した。
「カツミ、私が君を求める理由は、向こうで話しましょう」
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第六節 超人
席を立ったゾルの後に付いて、イワン、克己が、入り口の反対側の扉を潜った。
外から、このフロアに来るまでと同じような、剥き出しの岸壁――洞窟であった。
しかし、外から来る洞窟よりは、湿気が少ない。
冷たいが、乾いていた。
その地面を、一同の靴が叩いていた。
「ここ――」
ゾルが口を開いた。
「ここは、元は、日本軍の基地だったのですよ」
それは、先程も、克己が言っていた。
「外見――まぁ、外に出ていないのに、外見もありませんが――見た目は兎も角といて、目的だけは、果たしていたようでしてね」
「目的?」
「ええ。それは置いておくとして――終戦直前、我々が、もぬけの殻になっていたここを発見し、改装したのです」
「あの、壁に埋め込まれた機械もか?」
克己が、驚いた様子で聞いた。
日本にはないシステムであった。
それ所か、アメリカでさえ開発されていない、平成の世と比べても優秀なコンピュータが、基地には設けられていたのである。
「ええ」
「ほぅ……」
イワンが、歎息した。
「随分と、短い時間で、出来たのだな……」
「感歎せざるを得ません」
「あんたたちの事だろう?」
克己が言った。
「ナチスの残党が、終戦前に日本に来られたというのも、驚きだがな――」
「――ああ、いや」
ゾルが、克己の言葉を訂正する。
「我々と言っても、ナチスの事ではありません」
「む?」
「ショッカーですよ」
「ショッカー? だから、それは、ナチスの残党の事ではないのか?」
「いいえ、私を含むナチス残党は、彼らに吸収されたという形なのですよ。ショッカーは、元から、人類の陰に存在していたのです」
「人類の、陰?」
「ええ。我々――ナチスと言いましょうか、ナチスは、彼らに接触し、私や、他の将校たちを引き抜いて貰ったのです」
「――」
「“人狼計画”で、私だけが生き残り、そして、生き延びているという事も、彼らの技術に依る所が大きいのです。勿論、博士の力あっての事ですがね」
「――ショッカーとは」
イワンが訊く。
「何なのだね?」
「――」
「君たちの事ではない。君たちが接触したがった組織の事だ。それをショッカーと言うのであれば、ショッカーと呼ぼう。それ以外の呼び名があるのなら……」
「人間ですよ」
「――人間?」
イワンと克己が、顔を見合わせて、首を傾けた。
「人間の――影の部分、とでも、言って置きましょうか」
そうしていると、ゾルが、足を止めた。
突き当りであった。
やはり、扉が埋め込まれている。
ボタンを数度に渡って押した。
モールス信号で、開く扉だった。
広い空間であった。
天井が、一〇メートル位はある。ここまでやって来るのに、下り坂があった。
入り口から、向こう側まで、たっぷり五〇メートルはあるだろうか。
手前一〇メートル程度の所で、硝子で仕切られていた。
その硝子は、中心二〇メートルを四方から囲っていた。
空間の左右に、寝台が設けられているのが見える。
傍には、医療器具が設置された棚などがあった。
「病院……?」
と、克己が小さく呟いた。
「いいや」
イワンが、克己に言った。
「実験場だな、ここは……」
「実験場?」
「流石は博士――」
ゾルが満足げな顔であった。
「さて、カツミ。君の事です」
「――あんたたちの理想とした“人狼部隊”の完成に、イワン博士の頭脳が要るのは分かったよ。で、俺の肉体と、あんたは言ったが、どういう事だ?」
「簡単ですよ。私はね、貴方に“人狼”の――超人の役目を、求めているのです」
「超人?」
克己は、薄く笑った。
「莫迦な事を言うね、大佐」
「――」
「俺は、只の、武道しか取り柄のない小僧だぜ」
「知っているとも」
「そんな俺が、超人かい?」
「超人――と、言うには、些か普通過ぎるかもしれません。しかし、君の肉体は――そう、君の唯一の取り柄であるその肉体こそ、超人の因子となるべきものなのです」
「ほう⁉」
「先程、貴方は仰いました――」
“要するに、強化された肉体のみで、敵を制圧する部隊を作りたいって訳だ”
「別にね、それには、超人である必要はないのですよ」
「――」
「貴方のように、格闘技に優れていれば、それで良い……」
「――むぅ」
「例えば、カツミ。一〇人ずつで、戦争をする事にしましょう」
「――」
「大将を、互いに一人だけ選出して、その人物を殺せれば、勝ちです」
「――」
「武器は――ま、拳銃と刀剣、それ位でしょうかね。生物兵器……毒ガスや細菌などは禁止にしましょうか。勿論、原子爆弾もね。互いに、保持している武器の数や、大将の居場所を明かして、さぁ、戦争開始です」
「ふむ」
「そんな時、最も犠牲を出さずに、戦争を終わらせる手段とは何でしょうか」
「――すぐに、大将を、殺す事だろう」
「ええ」
「犠牲はその為だ。あちらの大将を殺したいが、こちらも大将は殺されそうになっている。だから、兵士同士で殺し合いが起こる。兵力を半分にするとして、攻めに行った者、大将を守る者、どちらにも、犠牲が出る……」
「その通り」
「犠牲を出来る限り少なくと言うのなら、攻めに行った事を気付かれず、相手の責めから大将を守らざるを得ない状況を回避する――」
「つまり?」
「暗殺だ」
「そう」
「敵の兵士に気付かれぬよう、敵将に接近し、悟られぬ間に抹殺する」
「素晴らしい」
「しかし、それが難しいから、犠牲が出るのではないか」
「毒ガスや細菌兵器を使えないのではね。しかし、その戦いは終わらせなくてはならない。どうしますか?」
「――」
「カツミ、君にならね、出来るのですよ……」
「俺に⁉」
「先程、言ったでしょう?」
「――暗殺か⁉」
「ええ」
「だが――」
「素手……」
「え?」
「カツミ、貴方が、仮に大将で、兵士たちに守られ、その上、機関銃で武装しているとして、裸の男を警戒しますか」
「――」
「その顔を見て、敵だと分かれば、即座に撃ち殺す事でしょう。しかし、見た事も聞いた事もない顔、或いは、知り合いの顔を真似ていたなら……」
「――」
「その男が、戦争に参加しているとは思わない貴方に、その男が親しげに話し掛けて来たなら――?」
「――ぬむ……」
克己が、息を漏らした。
「やれるな……」
「ええ」
「そいつが、友達の顔をしていれば、きっと、俺は言うだろうな。……“その男は俺の友人だ。銃を下ろしなさい。さぁ、こちらに来なさい”……と、でもね」
「貴方が兵士であってもそうですよ」
「あんな丸腰の男に、何が出来るか。仮に何かをやったとしても、大将とて武装しているのだ、何かあれば、自分で自分の事は守れよう――」
「そう考えるでしょうね」
「そういう事か」
「そういう事です」
「但し……」
「ええ、貴方の格闘技術が、余人よりも優れていれば、です」
「素手で、人を、殺せる技術を持っていれば――大将に警戒心を抱かせる事なく接近し、殺害する事が出来る――!」
克己が言った。
ゾルが、指を打ち鳴らした。
「私が、超人に求める事です……」
「素手である事が、即ち、武器である状態、か」
克己が、何度目とも知れない唸りを、漏らした。
肉体とは、そういう事か。
“人狼部隊”――
“人狼化現象”――
克己は、肉体のみを武器とする、シンプルなその計画を、自らの肉体に秘めながらも、全く思いも付かなかった。
と、そうしてゾルの話に唸っていたのだが、ふと、イワンの姿が見えない事に気付いた。
見れば、イワンは、入り口から少し離れた、寝台の傍にいる。
棚があった。
そこから、資料を取って、眺めている。
「イワン博士?」
「――ゾル、大佐」
イワンが、ゾルに呼び掛けた。
「ここは、本当に、日本軍の基地なのかね――」
「――」
「本当に、これが、日本で行なわれていた実験なのかね――⁉」
眼が、血走っていた。
何十、何百日と禁欲して来た男が、堪らない身体の女と出会った時のようであった。
「その通りです」
「これなら……」
イワンの手が、震えていた。
資料を持つ手だ。
歯が、かちかちと打ち鳴らされていた。
「ナターシャ……」
ぼつりと、妹の名前を呟いた。
それ切り、イワンは、黙ってしまった。
克己が、不思議そうにイワンを眺めていると、ゾルが克己の肩に手を置いた。
「カツミ、一つ、見せて欲しいものがあります」
「何だ?」
「君さ――」
「俺⁉」
「君の力を、私に見せて欲しい。――いや、あの方に、だ」
「あの方、と、いうのは、ショッカーの……」
「首領です」
「しかし、何をしろと?」
「イワン博士が驚いたものと、戦ってみせて欲しいのですよ」
ゾルが笑みを浮かべた。
ゾルは、克己とイワンを伴って、その空間の奥へと移動した。
そこには、今までのものよりも大きな、鉄の壁が設けられていた。
やはり、モールス信号を打ち込んで、鉄扉を開かせる。
と、扉の向こうには強化硝子が張られており、その向こうに、蠢く無数の影が見えた。
「これは⁉」
克己が声を上げた。
「この施設で実験されていた者たちです」
ゾルが説明した。
硝子の奥には、何十人もの人間が屯していた。
しかし、どの顔も、まともとは思えなかった。
白眼を剥き、涎を垂らし、失禁し――
その上、彼らの肉体は、何処かが歪であった。
腕が異様に太い。
足が異常に長い。
頭が、胸が、肩が、腰が――
獣のように四つん這いになっている方が、体勢が楽そうな者もいた。
見れば、爪や牙が生え、皮膚に鱗が浮いているものもあった。
「“人狼化現象”――?」
克己が言った。
「そちらは、我々が手を加えたものですが」
ゾルが答える。
「日本軍で開発途上であった、生体兵器です」
「何――?」
「我々と、同じような思想の下、造られた兵士ですよ」
「素手の……」
「ええ。そして、何より――」
「不死身……」
イワンが言った。
先程の資料を見て、実験の内容を知っているらしい。
「不死身⁉」
克己が声を上げる。
「どれだけ血を流そうと、鉛玉をぶち込まれようと、決して進軍をやめない兵士――」
ゾルが、遠くを見る眼で、硝子の向こうの彼らを眺めた。
「カツミ、彼らと戦い、君の力を証して欲しい」
ゾルが言った。
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第七節 克己
松本克己――
天涯孤独の身の上である。
父親は、いない。
母を、無理矢理犯して、克己を孕ませたのだ。
その男は、母が殺していた。
情状酌量の余地ありとされ、長い期間は、拘束されなかった母だったが、殺人の前科を背負った事で、白い眼で見られるようになった。
克己を生んだのは、獄を出てから頼った、遠縁の家の、馬小屋の事であった。
家の中には入れて貰えなかった。
妊娠している事が発覚しても、その扱いは変わらなかった。
糞を掻き集める仕事をした。
肥料として、畑に撒く。
馬に餌をやり、やはり、馬糞を掃除する。
冬の、寒い日の事であった。
その日も、馬小屋で過ごしていた。
腹が、見るからに膨らんでいる。
少し前に、馬も子供を生んでいた。
その傍で、破水した。
女の股から香る、血の匂いに、馬たちが興奮を覚えていた。
家の中には入れて貰えない。
子供が生まれそうだから、手伝ってくれと言えば、流させられる事が眼に見えていた。
馬小屋の中で、生む事にした。
薄汚れた着物を千切り、それを、噛んだ。
洗濯は、週に一度位しか、させて貰えなかった。他の服は、ないようなものだ。
糞の匂いが染み付いている。
鼻孔に立ち昇って来る匂いに、気を失いそうになった。
小屋の中にあった縄を、梁に回し、握り締めた。
湯をひっそりと沸かした。
陣痛――
口の中の布を、強く噛み締めた。
奥歯の鳴る音がした。
縄を、手に血が滲む程、強く握り締めた。
梁が軋む。
腹が裂けそうな痛みがあった。
脚を、桶に向かって開いていた。
筋繊維の裂ける音が、激痛と共に、肉体を駆け上がった。
ぞぶり、と、肉の内側から、弾力のある肉が剥き出して来た。
鼻から、息を吐いた。
砕けんばかりに、奥歯を噛んだ。
梁が落ちて来そうであった。
女の呻きに、馬たちが反応していた。
風が、馬小屋を叩いている。
眼を剥いた。
涙袋に、血が溜まっていた。
全身の至る所で、ぶつん、ぶつん、と音を立てて、血管が千切れているのが分かった。
身をよじる。
下腹部の痛みに、身をくねらせた。
小便を垂らし、糞をひった。
括約筋を絞め上げると、その圧力で、産道からまろび出るものがあった。
全身から力が抜けた。
魂というものがあるなら、その場で、全てを吐き出してしまいそうであった。
背中を地面に着いた。
乳首の黒ずんだ乳房が上下する。
その向こうに、内包していたものを吐き出した腹があった。
その腹の向こう側から――
赤いものが、上って来た。
赤子だ。
血濡れた赤子が、生まれ落ちてすぐに、這い上がって来たのだ。
血の絡んだ眼で、やがて克己と名付けられるその赤ん坊を、眺めていた。
赤子は泣かなかった。
小さかった。
自らの力で歩き、眼も開いたが、それが、その赤子の最後の活動になると思われた。
起き上がった。
疲労など知った事ではない。
痛みなど自分には関係ない。
彼女の肉体は、そのようにして動いた。
親の傍で眠っている仔馬の身体を手繰ると、その腹に歯を突き立てた。
ぞっぷりと、その柔い肉が、口の中に包まれた。
咀嚼する。
皮も、肉も、肝も、歯でぐちゃぐちゃに砕いた。
親馬が吠えた。
蹴りに来た。
膨らんだ腹を、蹴り付けられた。
残った胎盤が、勢い良く押し出された。
赤子に歩み寄った。
柵に妨げられ、馬はそれ以上進めない。
しかし、荒い鼻息と、向き出された歯茎、柵の向こうに振り出される足の動きが、子のはらわたを裂かれた親馬の怒りを表していた。
赤ん坊の口を、指で開き、口付けをした。
ペースト状になった馬の肉を、喰わせた。
背後で、木の折れる音がした。
馬が、柵を蹴破ったのだ。
馬小屋に満ち満ちた血の匂いは、馬たちから静けさを奪い取っていた。
翌朝――
いつまでも、糞をくみ取りに来ない女を不審に思い、家の者たちが、馬小屋を見に来た。
そこには、累々とした馬の死骸と、身体を丸めて死んでいる女があった。
その女の腕の下から、赤子が這い出して来た。
馬の肉を呑み、生き延びた赤子であった。
女の寄り掛かっていた壁に、血で、
克己
の、文字があった。
それが、松本克己の誕生であった。
克己は、或る程度の年齢まで、その家で育てられた。
しかし、当然のように、待遇は、冷たいものになる。
彼の母親が殺した馬の代わりとでも言うかのように、雑用を命じられた。
その家に子供が生まれ、彼らが育つと、遊びと称して暴力を振るわれた。
物心付いた時、克己は、とうとうその家を抜け出す事になる。
夜、その家の金を懐に詰めて、逃げ出した。
一晩の内に、遠く離れた。
それからは、若者と言うにも程遠い年齢ながら、住した町でちんぴら紛いの事をやった。
その町の悪がきたちを集めて、大人を脅し、金や食糧を奪い取った。
人の家に火を点けたりもした。
やらなかったのは、殺人と強姦だけである。
或る時――
生地から遠く離れた町の事、仲間の密告で、とうとう捕縛された。
その折に、或る武道家に出逢っている。
武道家は、克己を引き取ると、息子のように育て始めた。
何でも、克己に、自分の姿を見たからだと言う。
自分も、悪い事は散々やって来た。しかし、今ではそれを後悔している。克己程の事をやっていれば、自分以上に、後々悔やむ事になるかもしれないが、まだ小さな頃であれば引き返せる――克己の更生役を、買って出たのである。
最初は、その武道家を気に入らなかった克己であったが、一緒に暮らして行く内に、彼の事が決して嫌いではなくなっていた。
どれ程気に入らなかったかと言えば、食事中にちゃぶ台を蹴り上げて、箸で眼玉を突いて殺そうとしたり、寝首を掻いて、剃刀で咽喉を斬り付けてやろうとしたりする位であった。
だが、その尽くが失敗し、逆に、死なない程度に痛め付けられる事になる。
それが、克己は、嬉しかった。
その武道家は、克己の事を、真っ直ぐに見てくれたからである。
他の大人たちが、自分を叱る時は、必ずと言って良い程、冷たい視線を向けた。
ゴミでも見るような眼だ。
この世の屑を見下す眼だ。
自分が、ゴミ屑であるという事を、克己は分かっていた。しかし、そういう眼を向けられる事が、気に喰わなかった。
しかし、その武道家は、決してそのような眼はしなかった。
克己の過去など関係なく、克己の現状を、真っ直ぐに眺めてくれるだけであった。
克己を、“悪がきの中でも特に酷い”何かではなく、“松本克己”として見てくれたのは、その武道家だけであった。
“あんたの事を、必ず、ぶっ殺して、ここから出て行ってやるからな”
というのが、克己の口癖であった。
それを決意した日から、同居する武道家の稽古を盗み見て、武術を修得した。
克己の肉体には、凄まじい可能性が秘められていた。
天才というものだったのであろう。
一度、一つの技を見れば、それをあっと言う間に修得してしまえる性質であった。
その上、そのたった一度の成功に、堪らなく感動出来る男であった。
自分の肉体に、ここまでのものがあるのか――
それに、感動した。
それに、感激した。
その感激が、更に、克己の肉体を磨き上げた。
感動を持つ天才――
当たり前に出来てしまう事に驕る事なく、努力出来るのが、克己という男だった。
それに気付いた時、克己は、武道家の許を去った。
そうして、様々な武道や格闘技の道場に、殴り込みを掛けるようになった。
道場破りという奴だ。
空手。
柔道。
相撲。
合気道。
ボクシング。
レスリング。
それらを全部学び、それら全部に勝ち、自分なりに煮詰めて、近代の総合格闘技に勝る技術体系を、自らの中に練り上げて行った。
廻し蹴りの軌道なども、その中で、自然と創られていったものであった。
勝てる――
克己は、自分を拾い上げてくれた武道家の許へ帰った。
戦争が始まる、僅かに前の事であった。
しかし、武道家は既に他界していた。
結核を発症したのであった。
克己は、目標を失った。
失くした目標を探して、克己は入隊する。
格闘技術を、唯、学んで来ただけの人生であった。
戦う以外には、何も出来そうになかった。
しかし、戦いを求めて入った軍隊でも、終戦に依り、目標を見失う。
終戦間際、特攻隊に、志願した。
良く、美化されて語られる特攻志願ではあるが、実際には、同調圧力のようなものが強かった。
そんな中、少なくとも克己ばかりは、自ら一歩前に進み出た。
だが、克己が飛行機に乗る前に、戦争は終結を迎える。
又、独りになった。
克己は、何処にも行く場所がなかった。
荒れた。
喧嘩を、繰り返した。
相手は誰でも良かった。
適当な理由を付けて、喧嘩に発展させた。
眼付きが悪かった。
肩がぶつかった。
気に喰わない。
身体の奥に溜まりに溜まった、どろどろとしたものを、拳や蹴りに乗せて吐き出した。
虚しかった。
俺は何をやっているのだ……
そういう思いに駆られた。
そもそも、戦争なんて、嫌な事しかない。
人が死ぬのを見たり聞いたりして、悦ぶ性質の男ではなかった。
自らの肉体が、人をとことん破壊出来る可能性を持っている事を知ってからは、過去の悪行さえも、激しく嫌悪するようになっていた。
武道という粗野な世界にありながら、道場破りという蛮行に及びながらも――
克己の中には、優しさが生まれていたのである。
少なくとも、弱者をいたぶる事を嫌がる程度には、だ。
その克己に、ゾルが接触を図った。
克己を選んだのは、偶然か、それとも、何らかの意図があったのか。
克己の身体能力を見たゾルが彼を選んだのか、それともゾルに使者として選ばれた彼が、特異な身体能力を有していたのか。
それは、ゾルの口からも、語られていない。
しかし、克己がゾルと出逢い、イワンと出逢い、ショッカーと出逢ったのは、紛れもない事実であった。
「カツミ――」
ゾルが、硝子の向こうから、声を掛けて来た。
克己は、拳に包帯を巻いて、硝子に四方を囲まれた場所にいる。
その眼の前には、全身がぶくぶくと膨らんだ人間が、立っていた。
服は着ていない。
股間に、腹の肉が被さっていた。
とても、人間とは思えない姿をしている。
ごつごつとした皮膚が、何となく、蒼黒い。
人体の不健康の為に、そのような色をしているのではなかった。
ゾルが、硝子を上げ、鞭を鳴らして、この個体に、中心に出るように命令した。
その際に、コンクリートが擦れる音が、裸足の足音ではなかった。
鱗のようなものを、全身に、生じているのであった。
“人狼化現象”が、爪や牙、又は毛皮を生やすものであるならば、これは、“魚鱗現象”とでも呼ぶべきか。
そのような症状が、存在しない事はない。
しかし、全身を鱗が覆い尽くして尚、行動が出来るというのは、異常と言うべきであった。
異常に太い四肢――
最早、外骨格とさえ呼べるような鱗であった。
それと、戦えという事であった。
克己の実力を、ゾルと、そしてこの場を把握しているらしい首領に見せろと。
それで、克己は承知したのであった。
「ヨモツヘグリ――」
ゾルが、先に説明した。
「日本軍は、そのような名称で、この兵器を呼んでいた」
『古事記』に於いて、女陰を焼いて死んだイザナミノミコト。彼女を取り戻そうと、イザナギノミコトは黄泉へ赴くが、イザナミノミコトは既に黄泉の食べ物を喰い、高天原の住人ではなくなっていた。
その、黄泉のものを食べるという行為を、黄泉戸喫――ヨモツヘグリ、或いは、ヨモツヘグイと呼ぶのである。
つまりは、死者となるという事ではあるが、既に死んでいるものを殺す事は出来ない。
そのような認識と、薬物投与=体外からの物質の摂取に依ってその現象を引き起こす事から、ヨモツヘグリと呼ばれるようになったのである。
実用化されるには至らなかったが、その実験の途中経過が、ここには残っていた。
「気を付けて下さい、カツミ」
ゾルが忠告した。
「彼らは、強い――」
「――ふん」
と、克己は鼻を鳴らした。
そんなものに敗けるような、生温い生き方はして来なかった。
その克己を、硝子の向こうから、ゾルとイワンが眺めている。
「始めて下さい」
ゾルが、鞭を鳴らした。
武道家の事は、各自想像にお任せ致します。
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第八節 武王
ゾルの鞭の音に依り、ヨモツヘグリは、あるかなしかの眼を見開いた。
瞼が、重く、眼球に被さっているのだ。
視界が確保されているのかどうか、分からない。
ぼぉぉぉ~~~~ぅ、
と、奇怪な声を上げた。
叫びながら、突撃して来た。
克己が、半身になって構えた。
右側に跳び、同時に、ヨモツヘグリの方へ肉薄しながら、右の脛を叩き込んだ。
膝を、真横から叩いた。
関節蹴りの発想はあったにしても、タイ式ボクシング――ムエタイのローキックが、日本に取り入れられるまでには、まだ、時間が必要であった。
しかしながら、克己の下段蹴りは、普通の人間を悶絶させるには充分な威力を持っている。
狙ったのは、しかも、膝関節である。
克己が対峙したヨモツヘグリは、身長にして一八五センチ、体重では九五から一〇〇はある。
それだけの身体を支える足の負担は、かなり重くなる筈だ。
克己のローの一発で、倒れてしまってもおかしくはなかった。
だが、克己の脚は、ヨモツヘグリの脚に弾き飛ばされた。
密集した筋肉の束が、克己の蹴りの威力を、そのまま克己に返してしまった。
克己が、横に跳んだ。
着地した克己の右脚――打撃に使った脛の部分に、血が滲んでいた。
国民服のズボンの、そこが、破れそうになっている。
鱗が、鮫のそれのように、克己の脚を削ったのであった。
「――うしゃあっ!」
克己が、自身に喝を入れて、ヨモツヘグリに躍り掛かって行った。
フット・ワークを使って接近。
ボクシングの足運びに似ているが、拳の位置は、右で顔を、左で鳩尾をガードしている。
左のストレートを、ボディに叩き込んだ。
硬い鱗が、拳に巻いた包帯を、擦り上げる。
「しゅっ!」
右の拳を打ち上げて行った。
顎だ。
しかし、克己の腕には、まるで一〇〇キロ近い体重そのものを殴り付けたかのような負
荷が掛かった。
次は膝であった。
膝を、今し方、パンチを叩き込んで行った顎にまで、引き上げた。
普通の人間なら、今の二発で、二度死んでいた。
だが、ヨモツヘグリを殺す事は出来ない。
既に、死に体――
ヨモツヘグリが動いた。
克己に向かって、両腕を広げて、襲い掛かって来る。
克己は、その身体の下を潜ると、バックを取った。
拳を作る。
中指の第二関節を、拳から立てていた。
一本拳!
空気が、人差し指と、薬指・小指の上下に掻き消えて行く。
一極集中の拳が、ヨモツヘグリの背骨に喰い込んで行った。
だが、やはり、ぶ厚い脂肪と硬質な鱗が、克己の攻撃を受け付けなかった。
ヨモツヘグリが振り返りざまに、拳を大きく振るって来た。
バック・ブロー。
克己が、頭を下げて躱した。
身体を引き上げる勢いで、前蹴りを打ち上げて行った。
踵だ。
前蹴りは、基本的に、中足を返して蹴る。
中足を返すとは、指を甲の方に反らす事で、蹴りに使うのは足指の付け根のぶ厚い所だ。
しかし、克己は、軍靴の踵を咽喉笛に叩き付けてやったのである。
流石に、ヨモツヘグリが身体を反らせる。
が、その肥大化した手が、克己の右足首を掴んだ。
そのまま、持ち上げる心算であった。
克己の軸足である左足が、地面から離れて行く。
「おわわわわっ!」
そのまま、膝で蹴り込んで行った。
思わずヨモツヘグリが、空中で克己を手放す。
折り曲げた左膝を伸ばして、克己の足刀が、ヨモツヘグリの顔に伸びて行った。
更には、落下エネルギーを利用した、右の踵落としが、不死兵士の頭頂に打ち込まれる。
蹴りの反動で後方に跳び、着地する克己。
息が上がっていた。
鼻から、血を吹いた。
興奮の余り、血管が切れたのだ。
背筋が、ぞくぞくとしていた。
冷たいような、熱いような――
その判断が付かない。
尻の孔から脳髄に至るまで、熱された鉄の剣か、凍て付いた氷柱かが、呑み込まされていた。
今なら、背中に入れ墨を彫られても分からないだろう。
何か、硬いものが鳴る音を聞いた。
何だ?
何が鳴っている?
それが、自分の歯であると気付いたのは、ヨモツヘグリが、復讐の為に襲い掛かって来たからであった。
頭頂の、抜け落ちた髪の代わりに生えていた鱗が、剥がれている。
そこから、薄らと、血がこぼれていた。
ぼぉぉぉ~~~~ぅ、
と、低い唸りを上げて、ヨモツヘグリが駆け寄って来る。
「くひゅ」
克己の口から、息が漏れた。
「くひゅうっ!」
「くひゅうっ!」
「くひゅうっ!」
何度か、息を吐いて、肺の中の空気を空っぽにしてから、跳んだ。
ヨモツヘグリが、勢いを殺せず、強化硝子に突っ込んだ。
ゾルが平然とした顔で、イワンが少し驚いた顔で、それを見た。
ぼぉぉぉ~~~~ぅ、
ぼぉぉぉ~~~~ぅ、
ヨモツヘグリが、強化硝子に顔や腕を叩き付けて、泣いているように叫んでいた。
何だ。
何をしてるんだ、お前。
克己は思った。
歯を鳴らすのをやめた。
たっぷりと、空気を吸い込んだ。
お前……
おい……
ヨモツヘグリに呼び掛けようとした。
声が出ない。
咽喉の裏側に、言葉が縫い付けられてしまっていた。
どっと汗が出た。
肥溜めに突っ込んだような汗だ。
ねとねとした、畑に撒いた、糞のような汗だった。
あの家で、喰わされた事のある糞だった。
俺が、便所で肥を汲んでいると、あの家の子供に、畑に連れて行かれたのだ。そうして、そこで畑に突っ伏させられ、その上に、俺が汲んで来た糞の桶を引っ繰り返されたのだ。
“糞じゃ”
“臭い”
そんな事を言いやがった。
その後で、家のじじいとばばあに言いやがった。
“こいつ、桶を引っ繰り返しちまいやがった”
俺じゃないと言っても、じじいとばばあは信用しない。だから俺は黙っていた。
肥料をちゃんと畑に撒けない俺は、じじいとばばあにとって、お荷物以下だ。
散々、竹で全身を打ち据えられた後、馬小屋の中に放り出された。
“お前の父親はな、馬よ!”
そう言われた。
“馬が、お前の女を孕ませた”
“お前は馬の子じゃ!”
“馬は人間さまの言う事を聞いていれば良いのじゃ”
そんな事を言われた。
俺の中に、沸々と、怒りが沸き上がって来た。
馬の子だと?
人間じゃないだと?
ふん。
ふふん。
好き勝手言いやがって。
知るか。
知るか、そんな事は。
人間じゃないというのなら、それも良い。
俺は、人間じゃなくなろうが、構うものかよ。
俺は、克己だ。
松本克己だ。
父親?
母親?
ふん。
知った事か。
知った事ではない。
父がいなければ俺はいない? 母がいなければ?
だから、何だ。
俺は、俺だ。
俺は、俺だ!
そうだろう、ヨモツヘグリ――
「来いよ――」
克己は言った。
俺は言った。
ヨモツヘグリに対して、言った。
「来いよ、お前の相手は俺だぜ……」
何だ、お前は。
何をしてるんだ、お前は。
ゾルと、イワンの方ばかりを見やがって。
そんなに硝子を叩く事が楽しいかい?
それなら、後で好きなだけやったら良い。
今は、俺だろう。
今は、この克己を、ぶっ殺す為に戦っているんだろう⁉
いや、そうじゃないか。
別に、殺さなくたって良いのだ。
死んだとか、殺したとか、そういうのは結果に過ぎない。
今は、戦う事だ。
俺の実力を、ゾルと、首領に、見せ付けてやる為だ。
その為に戦っている。
その為の時間だろう。
こっちだよ、ヨモツヘグリ。
人間さまに作られた
何だ、素直じゃねぇか。
ゾルの鞭の音一発で、こっちを振り向きやがった。
ちぇっ。
何だい、ゾルの奴。
そんな事が出来るなら、早く、やりやがれってんだ。
何だ、あいつ。
俺の事を見て、薄く笑いやがった。
ふん。
そうかい。お前さんは、俺が回復するのを待っていたんだな。
ふん。
余計なお世話を焼きやがって。
まぁ、良いや。
そういう事もあるだろう。
そういう事もあるだろうさ。
さ、始めよう。
再開だ。
来いよ、ヨモツヘグリ――
俺はここだぜ。
俺はこっちだぜ。
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第九節 永遠
殴っていた。
蹴っていた。
叩いていた。
極めていた。
絞めていた。
投げていた。
松本克己という肉体が、である。
克己の拳が、ヨモツヘグリを殴る。
克己の足が、ヨモツヘグリを蹴る。
克己の手刀が、ヨモツヘグリを叩く。
克己の関節技が、ヨモツヘグリを極める。
克己の腕と足が、ヨモツヘグリを絞める。
克己の身体が、ヨモツヘグリを投げ飛ばす。
克己は、そのたびに、身体の何処かを傷付けていた。
殴れば、拳が擦れる。
蹴れば、脚が擦れる。
極めれば、皮膚が擦れる。
絞めれば、肌が削られる。
投げれば、骨格に負荷が掛かる。
しかも、ヨモツヘグリにしても、無抵抗のまま、やられる訳ではない。
格闘技の専門家からすれば、何とも隙だらけなパンチだ。
理に適っていない蹴りだ。
雑なタックルだ。
しかし、それでも、充分に人を殺し得る威力があった。
ヨモツヘグリの体躯の為である。
その巨躯が、当たれば、人を簡単に殺してしまえるのだ。
それを、克己は受けている。
大振りなパンチを躱し切れず、ボディを掠められた。それだけで、内臓がねじれそうな威力を持っていた。
不意に胴体を薙いで来た蹴りを、咄嗟に脛で受けた。しかし、吹っ飛ばされて、コンクリートの地面に強かに打ち付けられた。
弾丸のような突撃を躱せなかった。
一本一本が芋虫のような太さの指に掴まれ、振り回されもした。
地面に打ち付けられ、強化硝子に叩き付けられた。
足元がおぼつかなくなっていた。
眼が、例えではなく、白黒している。
左の拳が、歪に膨らんでいた。
手刀を叩き込んだ時、小指が、甲の方に反り返ったのだ。
それを、右手で掴んで、掌の方に無理に折り曲げた。
患部が蒼黒くなって膨らんでいるのである。
肋の数本も、折れているであろう。
細い息の感じからして、肺に突き刺さっているかもしれない。
背骨に与えられた衝撃が、克己の動きを殺していた。
腰を入れた突きを、一発繰り出すだけで、克己が表情を歪ませる。
その逆襲のパンチを、回避も防御も出来ずに、水月(鳩尾)に叩き込まれた。
白眼を剥いて、血を吐いた。
口の中から、先に顔から地面に落とされた時に折れた歯が、幾つも飛び出して来た。
コンクリートに、血で染まった歯が落下して、からからと音を立てる。
克己のズボンの正面に、赤黒い染みが出来ていた。
性器を前に出していれば、褐色の小便が飛び出す様子が見えただろう。
鉄とアンモニアの匂いに、栗の花粉も混じっていた。
睾丸は、戦う前に、自分の腹の中に収めている。
“釣鐘隠し”、沖縄では“コツカケ”と言って、男子の絶対急所である金的を守る為に、骨盤の窪みに隠してしまう手法だ。
腹の中で、冷却出来ないでいるきんたまから、精液が迸り出たのである。
身体をくの字に追って、倒れ掛ける克己。
ヨモツヘグリが、手を振り上げていた。
掌を、克己の頭に振り下ろす心算だ。
克己の、真っ赤になった眼が、ぎらりと戻って来た。
振り下ろされる腕を躱し、跳躍しつつ、ヨモツヘグリの腕に、脚を絡めて行った。
自身の攻撃の勢いと、克己の体重の為、ヨモツヘグリが倒れて行く。
一回転した時には、克己に、腕拉ぎを極められていた。
「ごわっ!」
克己が、血の霧を吹きながら、身体を反らした。
ヨモツヘグリの右肘から、周囲の鱗が、肉ごと盛り上がって、白っぽいものが突き出して来た。
克己が、ヨモツヘグリから離れて、立ち上がった。
すぐさま、倒れているヨモツヘグリを、踏み付けて行った。
左腕で、ボディを守るヨモツヘグリ。
一分余りも、それを続けていると、克己が圧し折った筈のヨモツヘグリの肘が、治ってしまっている。
見る見る骨が引っ込んで行き、開いた傷口が閉じ始めるのだ。
脅威の再生能力――
これが、不死身の生体兵器の力であった。
代謝という機能が、生命の身体には備わっている。
身体の中で、年老いた細胞を、垢や、糞便として排出し、そこに、新しいフレッシュな細胞を作り出す事である。
傷を治す時にも、この機能が使われている。
この機能を、人間の何倍にも引き上げる事が、ヨモツヘグリの実験であった。
だが、この為に、ヨモツヘグリの寿命は、決して長くはない。
代謝の回数は、決められている。
生体を構成する細胞が、何度再生出来るか、その上限があるのである。
テロメアというのだが、そのテロメアが、段々と短くなって行くのだ。
仮に、その一つの細胞が一〇のテロメアを持っているなら、同じ細胞が一一度生まれる事は、あり得ない。テロメアの数が一〇〇なら一〇〇度、一〇〇〇なら一〇〇〇回しか、その細胞は再生しない。
そして、細胞がストックを使い果たして起こるのが、老化という現象である。
一つの細胞が、テロメアを使い尽す。
二つ目、三つ目、四つ、五つ、六つ……
と、肉体を構成する細胞が壊れて行く。
肉体を構成する物質の絶対数が減る事で、肉体そのものが衰える。
そうして、生存に必要な器官の細胞が尽きた時、人は死ぬのである。
ヨモツヘグリは、その速度――ストックを使い果たすスピードを速めているのであるから、当然、普通の生命よりも、寿命が著しく短いのだ。
不死身を売りにする兵器が、寿命が短いという矛盾の為、この研究は中断された。
しかし、一人の人間の体力が尽きるよりも短いという事は、流石にない。
克己が動けなくなるまでは、持つであろう。
克己が、それ以上の速度でヨモツヘグリの肉体を壊せるのであれば、話は別だが、今のペースを見るに、それは、不可能な事に思えた。
だが――
それでも――
克己は、まだ、戦っていた。
今にも、疲労の為にぶっ倒れそうになりながらも、ゾルの鞭の音で蘇生するヨモツヘグリに挑み掛かって行く。
拳を、蹴りを、手刀を、膝を肘を投げを絞めを関節技を、叩き込んで行く。
一発殴れば、二倍のダメージ。
二回蹴れば、四倍のダメージ。
四度絞めれば八倍の、八度極めれば一六倍の――
どれだけ攻撃を加えても、ヨモツヘグリの身体に与えられる痛みは、克己の二分の一だ。
どう考えても、克己が倒れてしまうのが先に思えた。
しかし、克己は挑んで行く。
しかし、克己は向かって行く。
しかし、克己は起き上がって行く。
しかし、克己は戦い続けているのだった。
永遠に続くかと思われる、戦いであった。
「―― う⁉」
俺は、殴っている。
俺は、蹴っている。
俺は、叩いている。
俺は、極めている。
俺は、絞めている。
俺は、投げている。
ヨモツヘグリという肉体を、だ。
殴り、蹴り、叩き、極め、絞め、投げるそのたびに、俺を傷付ける肉体を、だ。
それが分かっているのに、殴っている。
それが分かっているのに、蹴っている。
それが分かっているのに、叩いている。
それが分かっているのに、極めている。
それが分かっているのに、絞めている。
それが分かっているのに、投げている。
何故だろう。
何故だっただろう。
何故、戦っているのか分からなかった。
殴り、蹴り、叩き、極め、絞め、投げる事の理由が分からなかった。
ヨモツヘグリ――
ヨモツヘグリ!
そう叫んでいるのは、間違いなかった。
唯、何故、叫んでいるのかは、分からないでいた。
何をしているのか――ああ、戦っているのか。
ふと、思い出す。
戦っている事を忘れそうになる。
まるで酒に酔っているかのよう。
まるで夢を見ているかのよう。
まるで陽炎のよう。
何故動いているのかが分からなくなる。
動いている事すら分からなくなる。
それで、
ヨモツヘグリ!
という叫びで、自分が取り戻されるのだ。
戦っている事を、思い出すのだ。
戦っている事を思い出すと、そこから更に、思い出せる者が増えて行く。
戦っている理由だ。
ゾルと、首領に、見せ付けてやるのだ。
何を?
俺だ。
俺の力を、見せ付けてやろうと言うのだ。
何故だ?
俺の肉体の強い事を、証明するのだ。
何故だ?
何故……何故だ?
見せてくれと言われたからだ。
ゾルに?
それで、何故、見せるのだ?
ショッカーに、協力するに相応しいかを見るのだ。
何故、俺がショッカーに協力するのだ?
平和の為だ。
平和?
何だ、それは。
平和は、平和だ。
知らないぞ、そんなものは。
だって、俺の人生に、今まで平和だった事など、なかったのだ。
ずっと虐げられて来た。
虐げる側に回った。
空虚を知った。
目的を失った。
抜け殻だ。
俺は、何も、なくなったのだ。
いや――
生まれた時から、俺は、引き千切られていたのだ。
母の腹の中から這い出して、それ切りだ。
血が口の中に蘇る。
馬の血と肉だ。
初めて呑んだのは、馬の血肉だった。
いや、そんな事はどうでも良いのだ。
今は、俺の事なんかどうだって良いのだ。
今は、ヨモツヘグリと戦う事だけに集中しろ。
そうだ。
そうだ、ほら。
そうだ、ほら、拳だ。
そうだ、ほら、蹴りだ。
良いぞ良いぞ良いぞ良いぞ良いぞ――
殴れ蹴れ叩け極めろ閉めろ投げろ殴れけれけれけれ拳拳肘膝パンチ右拳蹴り背足左膝膝膝頸パンチキック肘猿臂タックル殴れ蹴れ殴れ殴叩け――
「―― ろう⁉」
どれだけ。
過ぎたのか。
時間だ。
俺は。
どれだけ。
戦って。
いるのか。
ヨモツヘグリは。
まだ。
俺の。
眼の前に。
いる。
俺の。
眼の前で。
蒼黒い。
肌を。
赤く。
染めている。
俺の。
拳と。
俺の。
蹴りと。
俺の。
俺で。
俺は。
俺が。
ヨモツヘグリ。
俺の。
ヨモツヘグリ。
俺を。
ヨモツヘグリ。
俺……。
「―― だろう⁉」
長い事戦っていたどれだけの時間戦っていたのか分からないヨモツヘグリの事を叩いている何で憎くもない相手の事を叩いているのかいや憎しみはあるのだ俺の攻撃には全て憎しみが込められているしかしそれはきっとヨモツヘグリに向けるべき憎しみではないだが俺がヨモツヘグリと戦っているという事はこいつに勝たねばならないという事でその攻撃が憎しみで威力を増すのならば使うべきでならば結局ヨモツヘグリを憎んでいるという事になるとは言え俺はこいつの事を知らないのだしどうして憎んでいるのかどうして怒っているのかどうして哀しんでいるのかどうしてどうしてどうしてどうしてヨモツヘグリ俺俺俺俺
「―― んだろう⁉」
。
た。
いた。
ていた。
っていた。
殴っていた。
ん殴っていた。
ぶん殴っていた。
をぶん殴っていた。
リをぶん殴っていた。
グリをぶん殴っていた。
ヘグリをぶん殴っていた。
ツヘグリをぶん殴っていた。
モツヘグリをぶん殴っていた。
ヨモツヘグリをぶん殴っていた。
はヨモツヘグリをぶん殴っていた。
俺はヨモツヘグリをぶん殴っていた。
「―― るんだろう⁉」
「あぎゃああああ~~~~~っ!」
「うきゃあああああああらららっ!」
「おげぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
「うるるるるる~~~~~~~ぅぅぅっ!」
「くひぃぃぃあああぁいらららら~~~っ!」
「うじゃああああっ、ああああぅぅるる~~っ!」
「くるるるららららららららららららららららっ!」
「―― てるんだろう⁉」
永遠。
克己。
時間。
拳。
蹴。
血。
肉。
骨。
肝。
腸。
汁。
「―― きてるんだろう⁉」
腹、に、手、刀、を、ぶ、ち、込、ん、で、俺、の、指、が、折、れ、て、そ、の、ま、ま、突、き、込、ん、だ、す、る、と、や、け、に、大、き、な、弾、力、が、腕、を、押、し、返、し、て、来、た、そ、の、ま、ま、腕、を、ぶ、ち、込、ん、で、や、っ、た、肉、の、中、に、腕、が、埋、ま、っ、て、行、き、肉、の、温、か、さ、が、俺、の、腕、を、包、み、込、ん、だ、す、る、と、別、の、鼓、動、が、俺、の、指、先、か、ら、伝、わ、っ、て、来、た、何、か、と、思、う、と、そ、れ、は、赤、子、で、あ、っ、た、ヨ、モ、ツ、ヘ、グ、リ、は、子、を、孕、ん、だ、女、だ、っ、た、の、だ、俺、は、腹、の、中、で、手、刀、を、鉤、爪、に、変、え、て、柔、い、胎、児、の、頭、を、掴、み、腕、を、引、き、抜、い、た、ヨ、モ、ツ、ヘ、グ、リ、は、悲、鳴、を、上、げ、て、俺、に、襲、い、掛、か、っ、て、来、た、俺、は、胎、児を、引、っ、張、り、出、す、と、ヨ、モ、ツ、ヘ、グ、リ、の、顔、面、に、拳、を、叩、き、込、ん、で、そ、の、ま、ま、
「――生きてるんだろう⁉」
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第十節 生死
克己が眼を覚ました。
ベッドの上であった。
天井の様子からすると、恐らく、あの基地の別室であろう。
身体を起こそうとしたが、全身を鎖で拘束されているかのように、動かない。
意識が覚醒するに連れて、タールのような疲労が、込み上げて来た。
時計の音が鳴っている。
針が、一秒を何度も刻んでいた。
ベッドの右側に、扉があり、それが開いたのは、五分程してからであった。
「眼が覚めたかね?」
イワンであった。
初めて会った時より、さっぱりと小奇麗になっている。
服も、真っ白な、スリー・ピースのスーツになっていた。
イワンは、ベッドの傍にあった椅子の背もたれに、上着を掛けてから、腰を下ろした。
「私が分かるかね、カツミ……」
「――お、俺は……」
克己が口を開いた。
「や、奴は、どう、なった……?」
「奴?」
「よ、よも、よもつ……」
咽喉に、血の味を感じていた。
舌が巧く回らなかった。
空気が、折れた歯の隙間を通り抜けて行く。
「あの、ヨモツヘグリかね」
イワンが問うと、克己は頷いた。
「死んだよ……」
「死んだ⁉」
「憶えていないのかね」
「――」
克己には、ヨモツヘグリと戦っていた記憶はあるが、その結果が頭の中に残っていない。
いや、まだ、戦っている最中であるような気もして来た。
それなのに眠っているとは、どういう事か、と。
だから、死んだと聞いて、驚いたのである。
「君が、あれの、腹を突き破って、倒したのだよ」
「――」
右腕に、嫌な感触が蘇った。
臓腑の温もり。
その奥にあった柔らかさ。
返り血の温度。
ヨモツヘグリの、おぞましい悲鳴。
「女……」
ぽつりと、克己が呟く。
「あれは、女、だったんだな」
「ああ」
「子を、孕んでいたな……」
「そうだ」
「俺は、その、子供を……」
「――“生きてるんだろう”……」
「え?」
克己が、イワンの方に、顔を向けた。
「君は、そう言っていたよ」
「だ、誰に?」
「ヨモツヘグリにだよ」
「――」
思えば、確かに、そういう事を、言ったかもしれなかった。
だが、何故、そんな事を言ったのか。
「ヨモツヘグリが、抵抗をやめたのだよ」
イワンが説明を始めた。
「何?」
「君と戦うのを、やめようとしたのだ」
「――」
「しかし、彼が鞭を鳴らすとね、君に向かって行くのだよ」
「彼?」
「ゾル大佐さ」
「――」
「そうして、また、君らは戦った。けれど、少しして、ヨモツヘグリはまた、戦うのをやめようとする。すると、大佐が鞭を鳴らすのだ……」
そういう事を、繰り返したらしい。
その最中に――
“――生きてるんだろう⁉”
克己は、そう言ったらしい。
そう言って、泣いていたらしい。
そう言って、泣きながら、殴っていたらしかった。
「ああ……」
思い出した。
克己は、その時、自分が何故、そんな事を叫んだのかを、思い出したのだった。
「ゾルの、命令で……」
と、語り始めた。
「あいつが、俺から逃げようとするのを、やめるのが、分かった」
イワンは、それを静かに聞いていた。
「あの鞭の音で、あいつは、自分の恐怖心を、失くすんだ。でも、でも、それは、あいつ自身の意思じゃない。あいつと、実際に戦っていた俺には、それが、分かった……」
「――」
「だから、思ったんだ……」
「――」
「どうして、お前は、生きている筈なのに、自分の意志を押し通さないんだ――」
「――」
「子を孕んでいるのも分かった。それを守る為に逃げようとしたのも――」
「――」
「それなのに、あいつは……」
「カツミ……」
イワンが、静かに言う。
「君が、彼女の腹から、赤子を取り出した後……」
ヨモツヘグリは、それでも、まだ動いたという。
克己に襲い掛かった。
まるで、赤ん坊を取り戻そうとするかのようであった。
克己は、しかし、そのヨモツヘグリを返り討ちにした。
その一発の迎撃で、克己は倒れた。右手には、赤ん坊の胴体を掴んだままだった。
臍の緒で、ヨモツヘグリと克己は繋がっていた。
ヨモツヘグリが、這って、又、克己に襲い掛かった。
しかし、克己を叩いたヨモツヘグリの手が、赤ん坊に伸びた。
異様に太い腕が、赤子を抱き締めた。
すると、その凄まじい腕力が、自らの子供を絞め殺してしまったのであった。
ヨモツヘグリは、悲鳴を上げて、そのまま倒れた。
ゾルが、克己の戦闘力に、満足したように笑っていた。
彼が鞭を鳴らすと、何処にいたものか、黒尽くめの集団がやって来て、闘技場に入った。
疲弊した克己を助け出すのと、ヨモツヘグリを回収するのに別れた。
ヨモツヘグリを回収する黒尽くめの男が、彼女の手から、赤子を取り外そうとした。
肩を貸されて立ち上がった克己は、その光景を見て、眼を剥いて叫んだ。
“駄目だっ!”
“離しちゃだめだ!”
と、先程までの負傷などなかったかのように駆け出し、黒尽くめの男たちを、ヨモツヘグリから引き剥がしたのである。
克己は、真っ赤な眼で、男たちを睨み付けながら、ヨモツヘグリと、その赤子を抱き締めた。
ゾルが、克己の意思を尊重して、ヨモツヘグリと、その子の遺体を、決して別れさせる事なく運ぶよう、命じた。
「意外だったな……」
イワンが言った。
「君が、ああいう事を言うとはね」
「――俺じゃない……」
「――」
「空襲のあった、次の、日だ……」
克己の眼が、遠くを見つめていた。
その日――
隅田川に、遺体が溢れた。
空襲警報が鳴らされた。
人々は、自宅から、我先にと逃げ出そうとした。
川に飛び込んだ。
その川に、爆弾が落っこちて来た。
そのまま焼け死んだ。
そういう屍が、ごろごろと、脂の浮いた水の中に転がっていたのである。
遺体を回収する作業の指揮を、克己は執らされた。
その途中で、聞こえて来たのだ。
克己が言った通りの言葉だ。
“だめだ!”
“離しちゃだめだ!”
見れば、一人の少年兵が、川の中から引き上げた遺体を、抱き締めていた。
血涙を流さんばかりの凄い眼で、憲兵を睨み付けていた。
彼が抱いている遺体は、女であった。
女である事が、辛うじて分かる程度の膨らみを帯びるだけだ。
皮膚は真っ黒に焦げ、嫌な匂いが持ち上がって来る。
その遺体は、胸に、子供を抱いていた。
勿論、焼け焦げた遺体の腕の中で、子供が生きている筈もない。
それでも――
その親子の遺体を引き剥がそうとした者たちを、少年は睨み付けていたのである。
その時の光景が、克己の脳裏に焼き付いていた。
だから、ヨモツヘグリが我が子を抱く姿が、それに重なり、あの少年と同じ台詞を、克己に言わせていたのである。
「そうか……」
イワンが、静かに頷いた。
そうした所で、部屋のドアが開き、ゾルがやって来た。
「体調は如何ですかな、カツミ」
「――充分、休ませて貰った」
むすっとした様子で、克己が言った。
「それは良かった。こちらも、充分、君の力を知る事が出来ました」
「そうかい」
「首領も絶賛されていました」
ゾルが言った。
「あの男こそ、我らがショッカーに相応しい男だ、と」
「――」
「カツミ、君を、ショッカーに迎え入れたい」
ゾルが、悦に入ったような表情をしていた。
「……イワン……」
克己は、ベッドの傍のイワンに声を掛けた。
「あんたは、どうする?」
「私かね……」
イワンは、溜め息を吐くように言った。
「私は、彼らに与する事にした。あの技術を見せられてはね」
「――そうか」
「私は、どうしても、ナターシャを取り戻したい……。その為には、あの、ヨモツヘグリを、死人を再び動かす技術が必要なのだ」
「――」
「仮に、ショッカーが、悪魔であったとしても、私は、きっと同じ事を言う……」
「――」
「私には、他に、何もないのだ。博士号など、それで得られる名誉など、財産など、何の意味も持たない。傍で、ナターシャが、笑い掛けてくれなければ、そんなもの、ゴミだ」
「……そうか」
克己は、眼を閉じて、頷いた。
そうして、再び瞼を持ち上げると、イワンに眼を向けた。
「同じだな……」
「同じ?」
「ああ」
克己は、次に、ゾルの方に視線をやった。
「ショッカーに、協力しよう……」
「ほぅ!」
ゾルが、喜色を浮かべる。
「俺も同じだ。イワンと同じで、何もない。いや、イワン以上に、何もないと言って良い。何せ、俺には、愛する人もない。俺にあるのは、この、身体だけだ。けれど、何もしないのであれば、その身体さえも意味を為さなくなってしまう」
「ふむ」
「俺は、死人だ……」
「――」
「ゾル、イワン……」
克己は、言葉を一旦止めて、深く息を吸った。
そして、蒼い炎のように、その口から言葉を吐いた。
「俺を、生き返らせてくれ……」
克己がそう言った時であった。
「克己よ――」
と、いきなり、そんな声が聞こえて来た。
思わず、上体を起こす。
イワンや、ゾルが入って来た時は、誰もいなかった筈の空間から、その声は響いて来た。
それ以降に、ドアが開いた様子もなかった。
見れば、そこには、一人の僧が佇んでいた。
僧――と、言っても、日本でいう僧侶とは違う。
裸の身体に、オレンジ色の布を巻き付けているだけであった。
右肩を出している。
チベットの修行僧などは、このような姿をしている。
頭を剃り上げていた。
整った顔立ちだが、どう表現する事も難しい。
その眉間に、ぽつりと、デキモノのように膨らんだものがあるのは、見て取れた。
ゾルは、その僧を見て、両足を揃え、右腕を高く掲げた。ナチス式の敬礼であった。
「あ、あんたは……」
克己が問い掛けた。
「ヘールカ」
と、僧形の男は言った。
「――と、一応は、名乗っている」
「一応は?」
「イワン博士、私の事が分かるかね」
ヘールカは言った。
「ああ」
イワンが頷いた。
「私に、連絡を取った男だね」
イワンは、ドイツで、その男から様々な条件を提示され、日本へ来るよう言われた。
克己は、ヘールカを見て、それから敬礼のポーズを採ったゾルを見て、彼の事を察した。
どうやら、このヘールカという僧が、ショッカーの首領らしい。
と、不意にヘールカは克己を見て、
「その通りだよ、松本克己――」
と、言った。
克己の心の中を読んだかのようであった。
「克己、私が、君の生き甲斐となろう――」
ヘールカは言った。
「生き甲斐⁉」
「そうだ。人類の為に、我々ショッカーに、手を貸してくれ給え」
ヘールカは、克己の傍に寄ると、右手を差し出した。
克己は、
「生き甲斐、か……」
と、小さく呟きながら、ヘールカの手を握った。
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第十一節 改造
それから――
松本克己が、ショッカーに参入してから、二十余年の月日が過ぎた。
それまでに、死神博士のコードネームを得たイワンは、ショッカーの提供の下で、多くの人体実験を繰り返し、とうとう、改造人間計画を打ち立てた。
人間の身体に、他の動植物の特性を備えさせる事で、環境を破壊する事なく、世界に対して戦争を仕掛ける事を可能とする兵器である。
その第一号に選ばれた素材が、蜘蛛であった。
蜘蛛男――
と、いうのが、改造人間計画で、最初に実用化された個体の名称である。
以降、蝙蝠、蠍、サラセニア、蟷螂、カメレオン、蜂――と、様々な動植物を素材とした改造人間が生み出されて行った訳だが、その前に、第零号とでも呼ぶべき改造人間が存在した。
その零号の内の一体は、ゾル大佐である。
ゾルは、元から、ナチスに於ける薬物投与を用いて人間を超人化する、“人狼計画”の被験者であり、“人狼化現象”を起しながらも生存し続けた、稀有な固体である。
しかし、定期的な薬物投与をしなければ、延命は難しかった。
ゾルは、そのような我が身を死神博士に提供し、改造人間計画の礎たる事を望んだ。
死神博士に依る調整が行なわれ、ゾルは、薬物投与の呪縛から逃れる事が出来た。
改造人間第零号――その名は、“人狼化現象”を限界まで突き詰めた結果、安定を得た、狼の改造人間である、“黄金狼”であった。
そして、もう一人の第零号と言うのは、松本克己の事である。
克己は、幼い頃から争いと、修行の中で培って来た肉体を、常に死神博士に検体として差し出していた。
その優れた肉体は、どのような手術にも耐え、機械を埋め込まれ、別な生物の遺伝子を注入され、オリジナルと呼べる部分が、脳や、一部の神経だけと成り果てても、決して劣化する事がなかった。
寧ろ、改造されるたびに、その肉体は強化されて行った。いや、これは強化改造を重ねているのだから、当たり前にしても、その神経細胞が、改造の都度、強靭なものに成長を遂げているのである。
普通、そんなに手術を繰り返してしまうと、否が応でも、肉体が弱まって行く。
新たに埋め込まれた組織は兎も角、オリジナルの部分は、次第に擦り切れてしまうのだ。
だが、克己の場合は、異常なまでに発達した神経組織が、次からの手術に耐え得るように、進化を続けて行くのである。
一九七一年――
ショッカーの活動が、世界規模に及ぼうとしていた頃、克己は、死神博士と共に日本に帰って来た。
それまでは、死神博士が拠点としていたスイスにて、彼に身体を切り開かせていた。
日本に死神博士が呼び戻されたのは、新しい改造人間計画の為だ。
強化改造人間計画――
実用化された七体の改造人間のデータを基に、全く新しい試みが行なわれようとしていた。
今までの七体は、人間の身体に、他の生物の細胞を埋め込み、薬物で以て二種類の細胞を融合・適応させて行くという方式を取っていた。
更に、脳下垂体から分泌されるホルモンを操作し、人体に眠っていた進化の可能性を引き起こし、埋め込んだ他生物の遺伝子を元に、新しい器官を作り出すのである。
人間――ヒトは、猿から進化したものであり、その大本を辿って行けば、犬や鳥などにも行き付く。その為、人体の爪や牙を大きくしたり、翼を生やしたりという事は、人間の遺伝子に存在する可能性であった。
だが、昆虫と言うのは、人間とは全く異なる進化体系を遂げて来た。その為、ヒト遺伝子の中には、昆虫類の遺伝子の種が内包されていない。
そこで、昆虫の遺伝子を、人間のものと融合させるという計画が持ち上がった。
そうする事で、下垂体ホルモンを、昆虫の遺伝子に働かせ、人間の身体に、本来ならばあり得ない昆虫の組織を出現させる――
その成功例が、改造人間第一号・蜘蛛男なのである。
この蜘蛛男の例とも、又、異なる改造人間を創り出すよう、死神博士は命じられた。
ショッカー基地――
死神博士は、克己を伴い、或る男と面会していた。
歳は、死神博士とそう変わらない位であろう。
死神博士は、年齢以上にやつれた容姿であるが、それと同じ位に見えるという事だ。
しかし、死神博士の眼に、刃のような光が常に溜められているのに対し、その男は、何処となくおどおどとした雰囲気を、眼鏡の奥に秘めていた。
緑川弘――
城南大学の、生化学研究所に努める傍ら、人工臓器などの研究にも精通していた。
面会に使われた場所は、死神博士――イワンと克己が、ゾル大佐と初めて言葉を交わした、浜名湖の地下にある基地ではない。
東京郊外の、寂しい山の中に設けられている。
地下だ。
誰も足を踏み入れようとは思わない洞窟の奥深くに、オーバー・テクノロジーが眠っている。
円形の手術台が中心にあるフロアで、死神博士と緑川博士は向かい合っていた。
台の上には、一人の男が大の字に拘束されている。
死神博士は、手術台を右手に見る。その左斜め後ろに、克己が立っていた。
緑川博士は、手術台の男を、左の肩越しに眺めている。
フロアの壁には、モニターやスイッチが無数に設けられており、白衣を着た男たちが、忙しそうに動き回っていた。
天井は、ガラス張りである。
「初めまして、緑川博士――」
死神博士が言った。
二〇年余りで、その頬の肉は削げ落ち、髪は灰色に変わり、肌は遺体のように蒼白くなった。
だが、一八〇センチの身長と、炯々とした狂狼の眼は変わらなかった。
「お噂はかねがね――」
緑川が、死神博士と握手を交わした。
「イワン=タワノビッチ博士……」
緑川の言葉に、死神博士が、小さく笑った。
「どのような噂かね?」
「え? それは、生化学の権威、延命治療の第一人者と……」
「――」
死神博士の視線を、真正面から受けて、緑川は唾を呑んだ。
その名前の由来を、緑川も知っていたからだ。
行く先々で、死人が出る――だから、死神。
「死神博士で構わんよ」
と、言った。
「はぁ……」
こめかみに浮いた汗を拭いながら、緑川。
「この男かね……」
死神博士が、手術台の上の男を見た。
縮れた髪、太い眉、逞しい肉体……
その姿を見て、彼がモトクロスの選手である事は分かっても、知能指数六〇〇を差す、まさに文武両道の鑑のような人間であるとは、すぐには分かるまい。
強化改造人間計画の素体として選ばれた、優秀な人物である。
本郷猛――
それが、男の名前であったが、しかし、死神博士には彼個人については興味がない。
「そうです」
緑川が言った。
聞けば、本郷猛は、緑川の推薦であり、本郷は緑川の弟子であるという。
ふ――
克己が薄く笑った。
「どうしたのかね、カツミ」
死神博士が訊いた。
「いや、緑川博士のお気持ちが、痛い程、分かったものでね……」
「私の⁉」
ぎょっとして、緑川が訊いた。
「その男は、あんたの弟子……しかも、かなり、力を入れて育てていたようだな。そして、今回のプロジェクトは、この死神博士と、緑川博士の、現段階に於ける技術の粋を集めたものになる。要するに、緑川博士の、ご子息のようなものだ」
「――つまり?」
「息子のように育てた弟子に、息子として育てた技術を使ってみたいという気持ちが、分かるのさ」
にぃ、と、克己は唇を吊り上げた。
緑川は、苦々しい顔をしていた。
要するに、緑川の、科学者としての冷酷な欲求が、本郷猛の身体を、人間とは違うものに造り変えさせようとしている――それを、克己は見抜いたのである。
「よしなさい、カツミ」
死神博士が、克己を諌めた。
この一言が原因で、緑川が、死神博士に、ひいてはショッカーに不信感を抱くようでは、困る。
「分かったよ、博士」
克己は素直に頷く。
「悪かったな、緑川博士。悪気はなかったんだ」
と、克己が手を差し出した。
緑川が、その手を取った。
すると、
「うぐっ!」
緑川が、低く悲鳴を上げた。
「カツミ!」
死神博士が、克己の身体を、持っていた杖で打った。
克己の身体が跳ねて、緑川の手を握った克己の手が、勢い良く離れた。
「――済まない、博士。先程の発言は兎も角、今のは、本当に悪気がなかった」
今度は、死神博士が謝罪した。
緑川は、克己の手に握られた瞬間、凄まじい激痛を覚えた。
克己の手が、緑川の手を握り潰そうとしたのである。
「先に、貴方の理論で、実験をさせて貰った」
「実験?」
「強化改造人間計画――」
「――」
緑川が、克己の事を見上げた。
緑川が、スイスの死神博士に送っていた、強化改造人間の設計図を基に、克己の肉体をそのように改造していたのである。
それに慣れぬままに日本へ帰って来たのだ。
克己は、ここに来るまでに何度か、意識する事なく、身の回りのものを破壊していた。
「脳改造は、していないのかね」
緑川が言った。
力のバランスを調整する機能は、脳に組み込まれている。
脳改造には、改造人間が、ショッカーに逆らう可能性――ショッカーの目的自体は人類の為と謳っているが、その行動が余りにも過激である為――を、失くしてしまうのと同時に、そうした目的もあった。
「うむ」
と、死神博士が頷いた。
「そうか……」
益々、緑川が、苦々しい表情で言った。
「カツミ、君は、手術の間、外に出ていなさい」
死神博士が言う。
克己は、ズボンのポケットに両手を突っ込んで、
「分かったよ」
と、少し拗ねたような態度で言い、そのフロアから出て行った。
「さ、手の感覚が戻りましたら、早速手術を開始しましょうか」
死神博士が、緑川に言った。
改造のシステムは私の勝手な解釈です。
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第十二節 仮面
克己は、基地内に設けられたガレージにいた。
ガレージは、あの改造手術室の真上から、少し逸れた所にある。
そこには、一台のオートバイが停まっていた。
クリーム色の、滑らかなラインをしたマシンである。
赤い線が、流麗なボディに走っていた。
左右に三気筒ずつ、計六気筒が、後方に伸びている。
一対の丸いライトの中心に、バイクに跨るRのマークが貼られていた。
強化改造人間の外部ユニットと呼べる特殊自動二輪車――
サイクロン号と名付けられたマシンであった。
克己は、無人のガレージの中で、引き寄せられるように、サイクロン号に歩み寄って行った。
その滑らかなボディに誘われて、克己は、シートに跨っていた。
だが、ハンドルに手を伸ばそうとして、躊躇った。
強化改造人間計画の試作品としての改造が、克己の肉体には施されている。
緑川の設計通りではなく、その要となる部分のみを、肉体に埋め込んでいる。
いや、正確に言うならば、強化改造人間の実験素体に、克己を埋め込んだと言った方が良い。
今までの改造人間とは、全く異なる改造人間のシステム――
なるべく生身の機能を拡張する為に、特殊な機械を身体の中に入れるというものである。
だから、既に生身の部分の大半を失っている克己では、強化改造人間の実験となる事は出来なかった。
死神博士は、先ず、別な人間を用いて、強化改造人間の素体を作成した。
そこに、克己の唯一残ったオリジナル部分――つまり、脳と神経を移植したのだ。
克己には、特殊な体質があった。
あらゆる生物の遺伝子に対して、すぐに適応する事が出来るのだ。
普通の人間ならば、別の動物の遺伝子を身体に入れられて、拒否反応を起こす事がある。
“人狼計画”の失敗と、似たような現象である。
それが起こらない。
その克己であるから、別の人間の身体に、それが殆ど中身を機械と挿げ替えられたものであるとしても、問題なく適応出来る。
しかし、強化改造人間のボディそのものに、常人を遥かに超えるパワーが秘められているからか、中々、脳が肉体に馴染んでくれないのである。
リジェクションこそ起こらないが、肉体を自在に操れるようになるには、まだ、暫くの間、トレーニングを積まねばなるまい。
そうしなければ、触れるもの全てを握り潰してしまう。
サイクロン号――現在に於けるショッカーの最高技術を破壊してしまう事を、克己は躊躇した。
だが、握った。
ハンドルに、手をそっと置く。
それだけで、自然と握り込まれてしまう。
市販のバイクならば、この瞬間に、ハンドルがねじ折れている所である。
サイクロン号は、耐えた。
ぴたりと、掌に、そのハンドルが密着した。
「ぬぅ」
克己が呻いた。
ぞくぞくとしたものが、改造された肉体を駆け巡り、脳を刺激する。
身体の中に生まれた熱が、皮膚を切り開かれた痕を浮かび上がらせた。
恐る恐る――否、自ら積極的に、克己はハンドルを捻った。
ライトが、煌々と床を照らし上げる。
エンジンが、力強い唸りを上げた。
ごぉぉぉん、
ごぉぉぉん、
ごぉぉぉん、
まるで巨獣の咆哮であった。
大きく、強く、低く、逞しく、熱いものが、マシンから伝わって来る。
自分が、違う何ものかに変わってしまいそうであった。
作動した機械が熱を孕み、その熱が神経を犯して、脳を縦横無尽に斬り付けて来た。
斬り付けられた脳は、痛みを訴えて神経にフィード・バックし、機械に信号を送る。
その信号が、又、神経を逆流して、脳みそを活性化させた。
視界が、一気に広がって行く。
聴覚が、遠い場所で針が落ちたのを報せた。
鼻は、手術室でメスを入れられた男の血を嗅いだ。
舌は、吸い込んだ空気の味さえも全て判断してしまう。
皮膚は、バイクの唸りが舞い上げた埃を識別していたのである。
そして、精神は――
「そこまでにして置きなさい――」
何処かから、声が降って来た。
鼻に掛かった、甘い声だ。
この時から三〇年もすれば、“アニメ声”と呼ばれるようになる声だ。
克己は、エンジンを止めた。
声のした方向――頭上を眺めると、天井のふちに、一人の女が腰掛けていた。
豊満な身体を強調するような、ぴったりと張り付いたセーター。
気持ちの良い程、脚を露出するホット・パンツ。
黒い髪を、肩の辺りまで伸ばしている。
ぱっちりとした瞳、通った鼻梁、ぽってりとした唇――
ぞっとするような美貌の女であった。
克己は、声を掛ける事も忘れて、女に見惚れてしまった。
女は、くすり、と、微笑むと、そこからガレージまで跳び下りて来た。
蛇が、樹の上から落下しても、身体をくねらせて無事に済ませるような着地であった。
「壊れちゃうわよ」
「あ……ああ」
克己は、そう言いながら、ハンドルから手を離した。
女は、又、薄く笑う。
「そっちじゃないわ。貴方の事よ」
「俺の⁉」
「ええ。貴方、強化改造人間の試作品――言うなれば、零号らしいけれど」
「――」
「そのままだと、駄目よぅ」
「駄目?」
「強化型はね、その上に、もう一枚、着てなくちゃいけないのよ」
「――」
女が踵を返して、歩き出した。
克己は、サイクロン号から降りると、女の後を付いて行った。
「あんた、何者だ?」
克己が、女の背中に訊いた。
「マヤ――」
と、女は答えた。
「まや?」
「ショッカーの、最高幹部よ」
「……女が、か?」
「あら、女を舐めちゃいけなくってよ」
マヤが、肩越しに振り向いた。
「もう何年かすれば、男の子たちは、みぃんな、女の子のお尻の下なんだから」
「――ショッカーは」
克己が、呟くように言った。
「そういう事を失くすのが、目的ではないのか?」
ショッカーの理念――
克己は、別に、ショッカーに共鳴したから、首領の許に草鞋を脱いでいるのではない。
しかし、自分が属する組織の事を知らないままでは、いられない。
ショッカーの目的は、地球上から、争いを失くした、新しい世界の建設である。
貧富、美醜、人種、生まれや育ち、そして男女の差別を、全く撤廃して、それらの為に流されていたあらゆる血と涙を、無用のものとしようと言うのだ。
その為、克己自身の発言も、マヤの言葉も、ショッカーの理念には適わない事であった。
「ふふっ――」
と、マヤが笑う。
「偉い、偉い。きちんと、ショッカーを理解してくれているのね」
「――」
克己を子供扱いするようなマヤ。
改造して、イワンが出会った当初のそれに寄せている容姿や、精神的には兎も角、克己は既に四〇代である。
克己はむっとして、顔を歪める。
マヤの容姿からして、成人は迎えている筈だ。けれども、年下であろう。そういう相手に、手玉に取られるような事は、良い気分がしない。
そのマヤが、ガレージの端で立ち止まる。
そこには、細長いロッカーが設けられていた。
マヤがロッカーを開ける。
ロッカーの中には、マスクとスーツが掛けられていた。
マヤがスーツを引き出して、克己に手渡した。
ずしり、と、重いのは、鉄のプロテクターの為だ。
黒い、頑丈でありながらも、柔軟性を失わないスーツ。今は一繋ぎになっているが、上下のツー・ピースらしかった。
上着の胸の前に、人間の大胸筋と腹筋をデフォルメしたらしいプロテクターが付いている。
深緑色をしていた。
六分割されたプロテクターの下部には、何れもスリットが入っていた。
又、上着には他にも鉄のグローブが、ズボンの方には鉄のブーツが一体化している。
更にマヤは、太いベルトを克己に渡した。
白いベルトに、大きな銀色のバックルがあり、腰の左右に来るであろう位置にバーニアが設けられている。
バックルの中心から、内包された風車が見え、その上に透明なカバーが張られていた。
克己は、死神博士から見せられた資料で、その名を知っている。
プロテクターは、コンバーター・ラングと呼ばれていた。
このベルトは、タイフーンといった筈である。
そして――
マヤが最後に見せたマスクを、ヘルメットを、仮面を見て、サイクロン号に跨った時以上の、ぞくりとしたものを、克己は感じ取った。
それは、飛蝗の顔であった。
それは、向き出された頭蓋骨であった。
それは、苔むしたまま放置された髑髏であった。
血が溜まったような、一対の楕円が、眼である。
眉間に、仏像にも存在するランプが付いていた。
触角が二本、丸みの後方に反り返っている。
鉄をも噛み砕きそうな牙が、ぎらぎらと見せ付けられた。
強化改造人間計画で生み落される改造人間の能力を、限界まで引き出す為のユニフォームであった。
「S.M.R.……」
克己が呟いた。
それが、強化改造人間計画の別名であり、新戦士の名前であった。
だが、
「違うわ」
と、マヤが言った。
蒼いマスクを、たおやかな白い指で撫でながら、マヤが言う。
「仮面ライダーよ」
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第十三節 脱走
克己は、夢を見た。
マヤに、あれを見せられてからだ。
あれ――
仮面ライダーを、である。
S.M.R.――System Masked Ridersというのが、強化改造人間の名称であった。
しかし、マヤは、
「呼び難いわよ、それ」
と、言って、
「仮面ライダーが良いわ」
と、言い切ってしまったのだ。
「素敵な響きね。そう思わない?」
マヤに問われたが、克己は、答えられなかった。
彼女の腕の中に納まった、未だ、誰も被っていないあの仮面が、克己を眺めていた。
はらわたを、鉄の牙で喰い破られるような視線を、感じていた。
その夢を、何度も見るのだ。
あの直後、克己は、下級戦闘員に見咎められた。
一人で、ロッカーの前に、新兵器を持って佇んでいれば、そうなるのも当然であった。
マヤは、いつの間にかいなくなっていた。
それも含めて、夢なのではないか、と、思ってしまった。
マヤの事を、幾らかの戦闘員たちに訊いても、誰も知らないと言った。
死神博士や、緑川は、本郷猛を、S.M.R.――仮面ライダーに改造する手術に、忙しい。
首領は、こちらからコンタクトを取る事は、向こうとの約束がない限り、不可能である。
しかし――
あの仮面から感じる、冷たいながらも、熱を孕んだ視線は、忘れる事が出来なかった。
そして、克己が見る夢は、マヤに飛蝗の仮面を見せられた時の事ばかりではない。
自分が、あのマスクを被り、自在に駆ける夢だ。
しかも、それは不思議な事に、設計図を見たり、話を聞かされたり、そして自分でエンジンを唸らせてみたりした、あのオートバイと共に、思うままに荒野を駆け抜ける夢でない。
空――
戦争時、終ぞ、飛ぶ事が出来なかった空に、克己は、思いを馳せていた。
蒼空を、あの仮面を纏った自分が、飛び回る夢だ。
その不思議な夢を、克己は、毎晩のように見た。
本郷猛の改造手術が開始されてから、七日目――
硝子の割れる音で、眼を覚ますまで、だ。
「脱走だ――!」
その声を頭の中で聞いてはいたが、甲高い破壊音が鳴るまで、間抜けな事に、克己はそれが現実の事だと気付かなかった。
克己は、あのガレージで眠っていた。
他に場所は用意されていたが、どうしてか、眠れなかった。しかし、ガレージで横になると、とても寝てなんかいられない機械油の匂いの中でも、心地良く眠りの世界に浸る事が出来た。
サイレンが基地中に鳴り響いている。
何だ、と、起き上がる。
改造人間・松本克己の身体能力に、時間は関係がなかった。
どのような状況であっても、意識が覚醒すれば、一〇〇パーセントのスペックで行動する事が出来る。
「す、すぐ近くに、サイクロンを……」
と、言う声が、聞こえた。
「改造したオートバイを用意して置いた」
緑川の声だった。
「オートバイ⁉ しめた!」
初めて聞く声である。
しかし、その声の音程や、どの辺りから聞こえて来たか、そういう情報から、声を発した人物を分析する事は、難しくはなかった。
本郷猛――
あの時、一瞬だけ手術台の上に寝そべっていた男の声を、克己は、初めて聞くながらも、そうだと分かった。
どうやら、脱走者というのは本郷猛と、緑川弘らしい。
克己は、ガレージから繋がる出口へと向かおうとする、本郷と緑川の前に立ちはだかった。
「うむっ」
眼の前から迫る、剥き出しの肉体に、傷を浮かび上がらせた男と、睨み合った。
克己は、本郷猛が、今の自分と同じ肉体を持っている事を、察した。
いや、自分よりも、完全な――強化改造人間としての身体である。
不思議なシンパシーが克己の全身を覆った。
その高揚感が、体内の機械を作動させ、皮膚の上に改造手術の痕を出現させる。
――本郷!
克己は、心の中で叫びながら、本郷に掴み掛って行った。
本郷が、それを見て、床を蹴る。
豹のようにしなやかに跳び上がると、本郷は、克己のうなじに手刀を叩き込んで来た。
克己が感じたのは、巨漢が巨木に打ち込む、巨大な斧であった。
克己の頭骨が、頸骨から分離する。
頸の靭帯が伸び切ったのが分かった。
克己は、視線を明後日の方向に向けて、その場に倒れ込んだ。
「うっ」
本郷が呻いた。
「何をしているんだ! 急げ!」
緑川が、立ち止まった本郷を急かした。
本郷は、自分の手が、一撃の下に沈めた男を、何とも言えない表情で眺めた後、緑川に続いた。
「これだっ、早く!」
どうやら、緑川がサイクロン号を発見したらしい。
克己は、その場でもぞもぞと動きながら、ショッカー首領の声を聴いた。
『……二人とも殺しても構わぬ! 絶対に外には出すな――』
そうしていた克己の傍に、歩み寄る者があった。
死神博士である。
死神博士は、克己を見下ろして、
「驚いたな」
と、呟いた。
克己の傍に膝を着くと、彼を起き上がらせてやり、骨を接いでやった。
克己が、頭が固定されたのを確認し、蘇生する。
「君が、不覚を取るとはね……」
死神博士が笑っていた。
「ふん」
克己は鼻を鳴らす。
「それが、強化改造人間なんだろう」
「その通りだ」
死神博士は、得意げであった。
格闘技――と、言うよりは、武術のプロフェッショナルと言っても良い克己を、咄嗟の事とは言え撃退――普通の戦闘員であれば殺していた――したのは、本郷自身の運動能力ばかりではない。
強化改造人間の、人間や、他の改造人間たち以上に優れた感覚や、それが齎す運動神経あっての事である。
「しかし、良いのか」
克己が訊いた。
「何がだね」
「本郷猛を、ああも、簡単に、脱走させてしまって」
「今、蜘蛛男が追っている」
「いや、そういう事ではなく……」
と、言い掛けた克己に対して、死神博士は、薄笑いを浮かべてみせた。
「そうでなければ、面白味がない……」
「面白味⁉」
「そうだ――」
「――」
「足りぬのだよ、カツミ……」
「足りない? 何がだ?」
「血が、だ」
「血⁉」
「そうだ、血だ――」
「――」
「ナターシャの為の、貢ぎ物よ……」
死神博士は、そう言いながら立ち上がると、低く、笑い声を上げた。
克己は、その姿を見て、どうにも表現し難い感情を、胸に抱いた。
それから――
一年が経った。
本郷猛が、仮面ライダーとしてショッカーと戦っていた。
本郷を斃す為に、強化改造人間計画の第二期が実行された。
六人の仮面ライダー“第二号”の内、五体が破壊され、一体は脱走。
死神博士はヨーロッパに帰還する事となった。
仮面ライダー・本郷猛は、それを追って日本を離れる。
仮面ライダー・一文字隼人が、日本の守りを任せられた。
ゾル大佐の来日。
黄金狼――ゾル大佐の死。
死神博士の日本支部就任と、仮面ライダー・本郷猛の帰還。
ダブルライダーの結成。
斃される改造人間。
尽く潰される計画。
そして――
死神博士と共に、日本の地を再び踏んだ克己は、その女と一年振りの再会を果たした。
ショッカー基地――
その一室で休んでいた克己の許を、マヤが訪れた。
「私の事、憶えているかしら」
と、マヤが訊いた。
一年前とは異なり、官能的なドレスを纏っていた。
しかし、彼女の事を忘れ掛けていた克己に、その記憶を取り戻させるには、そのぞっとする程の美貌だけで、充分であった。
「あんた――」
克己が言った。
「現実に、いたんだな……」
「え?」
「いや……こちらの話だ」
と、克己が首を横に振る。
マヤは、口角を持ち上げた。
「ね、克己――」
馴れ馴れしささえ感じさせながら、マヤが、言い寄って来た。
「さっきね、博士に怒られちゃった――」
「博士?」
「死神博士よ」
「何だと?」
「チーター男を、勝手に借りちゃったの」
「――」
チーター男は、新しい改造人間だ。
強化改造人間に近い方法で、作成されている。
骨格を、全て蛇腹のものに挿げ替えてある。
筋肉も、培養した、異様なまでの柔軟性を持つものを使っている。
その身体に、更にチーターの遺伝子を融合させて造り上げたのが、チーター男である。
死神博士にとって、新機軸となる改造人間であった。
それを勝手に持ち出したと言うのであれば、死神博士も、怒るだろう。
そもそも、決して沸点の高い男ではない。
「自業自得だな」
克己が、ドライに吐き捨てた。
「酷ぉい!」
と、マヤが頬を膨らませた。
克己が小さく笑う。
と、マヤは克己に擦り寄ると、
「ねぇ、貴方、少し私に協力して欲しいんだけど」
と、囁いた。
「協力?」
「ええ」
「――」
「私は、ショッカーの最高幹部よ?」
マヤがうそぶいた。
しかも、この時、日本支部を任されている死神博士よりも、ショッカー首領からのバック・アップを受けていたのは、このマヤである。
克己は、やれやれと言った風に頷いた。
「何をすれば良いんだ?」
「話が早いわ。若いって、良いわねぇ」
マヤが言う。
克己は別に、若くはない。
戦争の直後と比べれば、歳を喰った容姿に作られているが、それでも、精々見積もって、三〇代という所であった。
「チーター男……」
「む?」
「あの子と、同じ身体になって欲しいのよ」
マヤが言った。
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第十四節 螺旋
そして――
チーター男と同じ肉体を持った克己は、マヤから、それを渡された。
プロテクターとレガートの付いたスーツ――
それと、飛蝗の頭部を模したヘルメットである。
「これは⁉」
と、驚く克己に対して、マヤは説明してみせた。
「強化改造人間計画第二期――それに際して造られていたユニフォームよ」
強化改造人間――つまりは、仮面ライダーの事である。
仮面ライダーは、当初より、
素体
仮面
自動二輪
の、三つの要素で構成されていた。
強靭な肉体と、優れた知能を持った人物を素材とした、改造人間ボディ。
そのメカニズムを発揮させ、ショッカーの人工衛星とリンクする仮面。
改造人間を、目的の場所まで問題なく運搬する、自動二輪車。
第一期には、本郷猛のみが改造されていた。
スーツとマシンが、それぞれ一つずつ作成された。
第二期には、一文字隼人を含む六人が手術を受けた。
スーツとマシンは、それぞれ六つ。
その第二期の内、五人分のスーツとマシンは、改造施設に侵入した本郷猛と、彼に伴われて脱走した一文字隼人の活躍に依り、破壊されてしまっている。
「これは、それを修繕したものよ」
マヤが言った。
「修繕?」
「ジャンクを組み合わせて、
破壊された五体の第二期強化改造人間のスーツやヘルメットの、使える部分を取り出して、何とか、一式のユニフォームを作り上げたのである。
元が全て同じであるから、外見は第二期強化改造人間のそれと同じである。
一文字隼人が、仮面ライダーとして戦う時に使っているものだ。
スーツは、本郷のものと違い、ワン・ピースである。
体側に、銀色のラインが入っている。
コンバーター・ラングやレガートは、第一期のスーツと比べると明るくなっている。
ベルトの部分も、色が赤に変更されていた。
又、タイフーンに関しても、第一期や第二期のそれから、仕様が変更されている。風車ダイナモの表面に、仮面ライダーのマークが描かれたシャッターが付いているのだ。
これは、脱走時にタイフーンを撃ち抜かれ、瀕死に陥った一文字隼人を、本郷猛が助ける為に、又、弱点ともなり得る部分をガードする為に、本郷が一文字のタイフーンに組み込んだものである。
それを再現していた。
そして、強化改造人間の要となる仮面。
第一期の仮面よりも、緑色が濃くなっている。
顔の中心を銀のラインが走り、クラッシャー部分も、プロテクターと同じ濃緑であったものが、銀色に変更されている。
「サイクロン号は、用意出来なかったけど、これで貴方も、仮面ライダーよ」
マヤが言った。
克己は、興味がない風を装いながら、
「――これで、俺に、何をしろと?」
と、訊いた。
「そりゃあ、勿論、仮面ライダーになって欲しいのよ」
「何だと⁉」
「と、言っても、一文字隼人が目覚めるまで、ね」
「目覚める?」
「一文字隼人は捕らえてあるわ」
マヤが、平然と言い放った。
つい先日、チーター男に黒井響一郎を連行するように命令した所、仮面ライダー・一文字隼人が邪魔をした。その後、チーター男を逃走させ、彼に振り切られた一文字隼人を、マヤが眠らせて、人気のない倉庫に監禁していた。
「何故、殺さない?」
克己が訊いた。
脱走するだけならまだしも、組織に敵対する男である。虜にして置きながら、身体をばらばらにしてしまわない意味が、分からなかった。
「こっちにも、色々と事情があってね」
「――」
「あ、それと、これね」
マヤは、二枚の人工皮膚を取り出した。
克己が渡されたのは、一文字隼人の顔と、もう一つ、黒井響一郎の顔であった。
仮面ライダーを除くショッカーの改造人間は、一度、別の動植物の遺伝子と融合されてしまえば、他の姿を採る事が出来ない。
人間の姿と、改造人間としての姿を、行き来する事が出来ないのだ。
だから、人間に紛れる必要がある時は、こうして人工皮膚を顔に纏う。
細胞の配列を変化させる事が出来るカメレオン男などは例外かもしれないが、それにしたって、いつまでも、カメレオン男以外の、同じ顔でいる事は出来ない。
一文字隼人の顔は、本郷を欺く為に必要であるとしても、もう一つの顔の意味が、克己には分からなかった。
「それはね――」
と、マヤは、克己に作戦の流れを説明した。
作戦の目的は、黒井響一郎を手に入れる事であった。
フォーミュラ・カー・レースで、常にトップに位置する程の身体を持つ黒井響一郎を、ショッカーの一員として迎え入れようというのである。
そして、出来る事ならば、彼を強化改造人間の座に就かせたいと、マヤは言った。
強化改造人間計画第三期――
言ってしまえば、仮面ライダー第三号である。
本郷を斃す為に、仮面ライダー第二号が造られた。
そして、本郷と一文字を斃す為、仮面ライダー第三号を造ろうとしていた。
その第三号の素体に、黒井響一郎が選ばれたのだ。
しかし、強化改造人間は、まるで呪いのように、その計画が次々と失敗している。
本郷の脱走。
六分の五体の破壊。
生き延びた二体は、何れも、ショッカーと敵対している。
第一期よりも第二期のライダーのスペックは上であり、一文字隼人と他の五体は同じ能力である筈だった。
では、今までに製造された七体の内、現在も戦い続けている二体と、破壊された五体の違いとは何であったのか。
それは、脳改造だ。
本郷と一文字は、脳改造前に脱走している。
他の五体は、脳改造を完全に受けた、ショッカーの尖兵であった。
「それが、違いか?」
克己は訊いた。
「ええ」
マヤは頷いた。
「やはり、ここを弄るとね、少し、身体の方に影響が出るのよね」
「――」
「ねぇ、克己」
「何だ」
「人間の利点って何かしらね」
「利点?」
「人間が、他のものよりも優れている所よ」
「他の――と、いうのは、獣や昆虫という事か?」
「それも含めて、よ。それも含めて、植物や、機械や……兎に角、他のもの」
「――」
「何だと思う?」
「……心……とか、いうものか?」
「惜しいわね」
「惜しい?」
「心というだけなら、犬や猫だって持っているわ。心なんていうのはね、所詮は、感覚器官から脳に送られ、脳から運動器官に送られる信号でしかないのだから」
「――では?」
「迷う事よ」
「迷う? それが、利点だと言うのか?」
「そうよ」
「――」
克己は、腑に落ちない顔であった。
「本郷猛と、一文字隼人は、今、地獄にいるわ……」
「地獄?」
「ええ。機械の身体で、人間の味方をしなくてはならない事よ」
「それが、地獄か」
「だって、貴方は、野生動物とは家族になれないでしょう? そういう事よ」
「――」
「その痛みが――」
「――」
「その苦しみが、哀しみが、嘆きが、怒りが、憎しみが――絶望が」
「――」
「彼らの力なのよ」
「地獄……」
克己が、石のように硬い声で、呟いた。
そう言われれば、分かる気がした。
生まれてから、虐げられ続けた人生であった。
馬小屋で、馬の血肉を喰らって、生み落された。
家畜か何かのように、働かされた。
悪い事をやって、虐げる側に回っても、周りの連中が向けた視線は、克己たちを憐れむようなものである事が多かった。
背が高いと言うだけで、妬みの対象となった事もある。
初めて持った目標は、呆気なく奪われた。
漸く見付けた目的も、終戦が掻っ攫った。
地獄だった――
しかし、その地獄があったからこそ、生きて来たのである。
地獄は、マヤが言う所の絶望は、克己の生きる動力源であった。
「ショッカーに絶望はないわ」
マヤが言った。
「同時に、希望もない」
「希望?」
「絶望の中でこそ――暗闇の中でこそ光るものよ」
「それが、仮面ライダーの……人間の利点だと?」
「そうよ」
「絶望が、か」
「ええ」
「希望も、か」
「ええ」
「その二つが、か」
「二つじゃないわ。絶望も希望も、同じものよ」
「同じ?」
「絶望と希望の二重螺旋――」
「らせん?」
「それが人間の力……」
「――人間の……」
「それが仮面ライダーの力よ」
「――では、仮面ライダーを斃すには……」
「その通りよ」
マヤは首肯する。
「勝利と敗北の螺旋を持つ者が必要なのよ」
「――大仰な言い方だな」
克己が、呆れたように言った。
「要するに、黒井響一郎という優れた素体を、その身そのままショッカーに引き入れようと言うのだろう」
「その通り」
「その為に、俺に、一肌脱げと言う事か」
「実際には、着て貰うんだけどね」
と、マヤが笑った。
「何をしろと?」
「本郷猛――」
マヤが言う。
「彼に、一度、殺されて頂戴」
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第十五節 地獄
克己は先ず、一文字隼人として、黒井響一郎の写真を撮りに行った。
フォーミュラ・カー・レースで、彼が優勝した時、既に一文字は捕らわれており、その後、立花レーシングに出入りしていたのは、全て克己であった。
黒井を殺害する事が目的ならば、この時に行なう事が出来たが、必要だったのは、一文字隼人に対する不審を彼の中に留めさせる事だ。だから、小型爆弾を仕込んだカメラを持ってレース場へ赴き、敢えて、暴発させたのである。
時を同じくして、本郷猛がヨーロッパから日本へ戻るとの情報をキャッチしたショッカーは、本郷から立花レーシングへの手紙を作成した。
炙り出しで、如何にも、“本郷がショッカーを警戒している”風を装ったのである。
その炙り出しに用いたのは、改造人間にしか分からない程、臭気を薄めた液体だ。立花藤兵衛や、滝和也には、只の白紙としか思われない。
それを、一文字に扮した克己が、教えてやる。この事で、後々、本郷から不信感を抱かれる事になるが、それが目的である。
マヤは、一文字(克己)が、滝のFBI権限で釈放される――前例があった――と、黒井を誘拐する為に動いた。マンションへ乗り込み、ハリケーン・ジョーと共に彼の身柄を確保する。
その際に本郷と擦れ違ったのは、マヤの狙っていた通りである。本郷が、立花レーシングに向かう為のルートを予想していたのだ。
ショッカーのマークの付いた車で走っていたのも、その為である。若し、その時に本郷と出会わなければ、車をぐるぐると走らせる心算であった。
本郷が、チーター男とハリケーン・ジョーと戦っている所に、仮面ライダー第二号に扮した克己を向かわせる。ハリケーン・ジョーは、偽物の仮面ライダーである克己が始末しようとしたが、本郷が打ち倒してしまった。結果として、情報を守る為に、ハリケーン・ジョーは自害した。
本郷と共に立花レーシングに向かった克己は、敢えて、小瓶を落とした。炙り出しに使った液体を入れた瓶である。
一文字が新しいアパートに引っ越したという情報も、勿論、知っていた。その上で、自分は一文字隼人ではないとアピールして、本郷に、変装である事を見破らせた。
ショッカーのバイク部隊を潜伏させていたモトクロスのコースに、本郷を誘き出して、そこで、克己は、通常の戦闘員の振りをして、本郷に斃される芝居を打つ。
本郷がライダーに変身するとほぼ同じタイミングで、一文字が覚醒するように、マヤは、彼に打ち込んだ毒の量を調整していたらしい。
その一文字の傍には、黒井を眠らせて置いた。
一文字と本郷は連絡を取り合って、滝に黒井を救出に行かせる。
この時に意外と作戦の肝となるのが、チーター男であった。
“我々ショッカーは、そんな卑劣な真似はしない”
一文字の前で、一文字ではなく黒井響一郎に、そう言い聞かせた。
変身する事なく、一文字と戦った。
混乱している黒井に、ショッカーが筋の通った者たちの集団であると、少しでも刷り込む為であった。
黒井が滝と共に去り、入れ違うように本郷ライダーがやって来て――
つまり、克己を含む戦闘員たちを、全て斃し、サイクロン号で本郷が去ってからの、モトクロスのコースで――
克己は、蘇生した。
死神博士と、二言、三言交わした後、克己は、黒井響一郎の顔を付けて、無事であったバイクで、その場を去った。
行き先は、黒井のマンションであった。
マヤからの最後の指令を――
黒井の妻子を、殺害する命令を、実行する為であった。
立花藤兵衛が、マンションを見張っているようであったが、今の克己にとって、黒井の部屋の前に侵入する事は、容易かった。
今の克己の身体は、チーター男のそれである。
超柔軟筋肉と、蛇腹の骨格。
全身の関節を外し、五体を一本の肉縄に造り変える事が出来るのだ。
バイクを、適当な所に停めた克己は、黒井響一郎の顔をした蛇となり、藤兵衛からは死角になる通風孔から建物の中に入り込んだ。
肉が、狭い、人の為の通路ではない通路で、ぐねぐねとうねっていた。
暗闇は問題にならない。
マンションの設計図は、頭に入っているし、仮にそうでなくとも、改造人間としての感覚が、目的の場所へと導いてくれる。
肉の螺旋が、黒井の部屋の前に辿り着くのは、すぐであった。
通風孔から出た克己は、関節を填め直し、黒井響一郎の姿になった。
片方の口角と、同じ方の肩を、同時に持ち上げてみせる。
黒井の癖であった。
チャイムを鳴らした。
閉まっていた鍵が、内側から開いた。
「はい――」
と、奈央が顔を出した。
「ただいま、奈央」
克己が、黒井の声で言った。
「響一郎さん――」
ほっとしたような顔で、奈央が言った。
「どうしたんだい」
「さっき、変な人たちが……」
「変な人が?」
「ショッカーとか、何とか……貴方が、攫われたって」
「攫われた?」
玄関に上がりながら、克己が笑った。
「部屋が、荒れていたものだから……」
「ああ――実は、派手に転んでしまってね。それで、少し怪我をしたんだ」
「え?」
「それで、薬を買いにね……」
ハリケーン・ジョーが荒らしたらしいリビングは、片付いていた。
そこに、光弘が玩具の車で遊んでいる。
と、その光弘が、克己の方を向いて、首を傾げた。
「だぁれ?」
と、訊いた。
奈央が、驚いたような顔をしていた。
克己は、
「どうした、ミッチ? お父さんだぞぅ」
と、膝を着きながら、笑った。
だが、光弘は、それが父親ではない事を、見抜いてしまったらしい。
子供らしい無垢な眼が、普段の父とは違う僅かな点を、理屈ではなく理解したのだ。
「もう、光弘ったら、何言って……」
そうして、奈央が、光弘の傍に腰を下ろそうとした時――
克己が、ぬぅ、と、ナイフを抜き放っていた。
「正解だぜ、坊や」
克己が、克己自身の声で言った。
ぎらりとしたナイフの輝きが、奈央の顔に映り込んだ。
「キャーッ!」
奈央は、咄嗟に、振り下ろされるナイフの前に身を投げつつ、息子を抱き締めた。
克己の手が素早く動き、奈央の顔を持ち上げると、その白い咽喉に、刃を滑り込ませたのであった。
仮面ライダー・本郷猛が、奈央の悲鳴を聞き付けて、部屋にやって来たのは、直後であった。
克己の内に変化が生じ始めたのは、それから暫く経ってからの事であった。
克己は、チーター男のボディから、通常の戦闘員と同等の肉体に戻っていた。
しかし、戦闘員と言っても、その改造された身体を動かしているのは、克己の脳なのであるから、人間の数倍に跳ね上がった身体能力の為、他の多くの改造人間にも劣らな
い。
死神博士と共に行動する時は、大体、その身体を基本としている。
そんな克己が、身体の不調を訴えたのである。
克己の日課は、トレーニングと実験で構成されている。
普段から、感覚を鈍らせないように、戦闘訓練を積んでいる。その傍らで、死神博士の造る改造人間の、実験体となっているのである。
その日は、実験がなかった為、何名かの戦闘員と共に、格闘訓練を行なっていた。
その際に、克己は、戦闘員の攻撃を喰らってしまったのである。
いつもの克己なら、起こり得ない事であった。
克己に一撃を入れた戦闘員は、もう少し鍛錬を積み、センスを磨けば、上位の改造人間にして貰える。
それを、戦闘員同士で喜び合っていた。
克己は、ショッカーの戦力の増強になるのならば、自分が攻撃を入れられる事も悪くないと思ってはいたが、その時ばかりは、驚きが勝っていた。
感覚が、働かなかった――
向けられた拳が、直後に消滅したのである。
気付けば、顔に一発、貰っていた。
そのような現象が、何度か起こった。
不意に、全身の感覚が消えてしまうのである。
酷い時には、足場がなくなったと感じ、何もない所で転んでしまった。
明らかな不調であった。
しかし、死神博士にチェックをして貰っても、異常は見られないと言うのである。
どうしたのか――
俺の身体は、どうなってしまったのか⁉
克己は、死神博士が日本から南米に異動しようという時、そんな悩みを抱えていた。
克己の悩みは、彼だけのものではなかった。
死神博士――イワンも、長年、伴侶のように連れ添った克己の身体の異変を、訝しんでいた。
二十数年も、一切の変調をきたさなかった身体である。
それが、どうして、今になって――
そういう思いがある。
流石に限界が来たのか?
しかし、脳と、そこから伸びる神経――克己のオリジナル部分に、損傷はなかった。
実験に耐えられなくなっているという事は、なかったのである。
――あの女が何かしたのか?
と、思わなかったではない。
マヤの事だ。
彼女に言われて、克己の身体にチーター男の筋肉と骨格を与え、暫くしてから、克己は不調を訴えるようになった。
しかし、仮にも大幹部である。ショッカーの有能な兵士である克己を、死神博士を蹴落とす為だとしても、潰そうとする訳がない。
では、本郷?
彼との接触が、何か、克己に変化を齎したのか?
そうとも思えない。
以前――本郷が基地から脱走を図った時、克己は本郷と一戦交わっている。
と、言っても、本郷の手刀の下に倒れ伏しただけだ。
あの時の克己は、本郷と殆ど同じ肉体であった。
強化改造人間の身体である。
あの時に、何らかの、肉体同士の共鳴が起こり、それが今になって――
だが、二度目に本郷と対峙し、斃される振りをした時には、克己の身体はチーター男と同じ規格のものであった。
強化改造人間に近いと言っても、完全に仮面ライダーと同じシステムではない。
何が原因なのか……
南米へ向かう為、ショッカー基地内の一室で、資料を纏める死神博士。
そこに、
ぐ、
ふ、
ふ、
と、低い笑い声と共に、現れた人物があった。
見ると、資料室の入り口の所に、妙なシルエットの男が立っている。
金色の、三角形の被り物を付けたような、全身に蛇腹を張り付けた男だ。
マントを羽織っている。
その内側に、蛇の尻尾と、その傍に小さな肉茎を突き出したような、異形の左腕が見えた。
「地獄大使……」
死神博士が言った。
南米へ赴く死神博士と擦れ違う形で、ショッカー日本支部の指揮を任される事となった、新しい最高幹部である。
うっ血したように赤い顔に、蒼い刺青が奔っていた。
「あの男の事ですな」
地獄大使が、いきなり、言った。
「何の事だ?」
「貴方のお気に入りの男の事ですとも」
「カツミの事か」
「そう――」
「カツミが、どうか、したのかね」
「あの男の不調の原因……」
「――」
「分からないものですかなぁ、死神博士――」
「何⁉」
「何ならば、あの男、私が、再び使いものになるようにしてやりましょうぞ」
「――お前に、カツミを、治せるのか?」
「治す……?」
地獄大使は、牙を剥いて笑った。
「治すのとは、ちと、違う事になるかもしれませんな」
「――ふん」
死神博士は、鼻を鳴らす。
「地獄大使、お前の言いたい事は分かる」
「ほぅ?」
「――お前に任せよう……」
「――」
「最後に、カツミの顔を見て行く事にする」
死神博士が、資料室を出た。
地獄大使が、にやにやと、蛇の笑みを浮かべていた。
夜――
克己は、浜名湖の畔に建てられた遊園地の中にいた。
独りであった。
明かりは点いていない。
どのような遊具も、動きを止めていた。
凍て付いた時であった。
克己と同じである。
克己も、動きを止めた時計の針であった。
いや、最初から、壊れた時計であった。
望まれて、宿った命ではない。
望まれて生まれたかもしれないが、生きる事を望んでくれた人は、いなかった。
そうであるなら、陽が昇れば、再び動き出すこれらの遊具たちの方が、克己よりは価値がある。
今は、眠っているだけだ。
だが、克己は、起きていながらも、死んでいた。
只の実験動物となる日々。
望んだ事だ。
いや、望んだ訳ではない。
自分が望んだように思い込んでいるだけだ。
それが生き甲斐だと――それを生き甲斐にして、生きている事を実感しろと、ショッカー首領から命じられていた。
抜け殻である。
虚空である。
その抜け殻を、ショッカーが動かしているのだ。
善悪は、克己には関係がなかった。
克己には何の生きる意欲もなかったのだ。
奪われるばかりの日々であった。
奪うばかりの日々であった。
それであっても、克己は、只虚しさだけを抱いて、虚しさの中で生きていた。
俺は、死人だ、と、思う。
生きている。
生きてはいるが、呼吸をしているだけだ。
目標はない。
願望はない。
快楽はない。
苦痛はない。
忿怒はない。
悲嘆はない。
ショッカーに従っていれば、その命令をこなしていれば、生きている心算にはなれた。
だが、結局、それはショッカーだ。
ショッカーが、松本克己という器を使って、自分の思う通りの事をしているだけだ。
克己は、何もしていない。
自らの意思は、虚空に、捨ててしまっていた。
ヨモツヘグリ――
ふと、思い出す。
俺は、あいつと同じだな。
生体兵器として戦場に出る前に、終戦を迎え、非道な人体実験の痕跡を抹消する為に閉じ込められ、ショッカーに回収された。
あの連中と、俺は、何が違う。
同じだ。
同じじゃないか。
“――生きてるんだろう⁉”
自分の言葉が蘇って来た。
自分に、真っ直ぐに帰って来た。
生きている――?
生きているとは何だ。
俺は、生きているのか⁉
生きていると言えるのか⁉
分からない。
分からなかった。
“だめだ!”
ふと思い出される声。
少年の、涙の混じった声――
“離しちゃだめだ!”
全身の血液が、脈打った。
血管の中で、全ての鉄分が刃となって、襲い掛かって来たような気がした。
克己の腹の底から、喰ったものがせり出して来る。
ショッカー戦闘員たちと一緒に喰う、改造人間用の強化細胞だ。
宇宙食みたいなものである。
味は、余り良くない。
プラスチックのような味だ。
“旨くないな”
死神博士が、イワンが、そんな事を言っていたように思う。
“旨くはないさ”
ゾル大佐も、同じような事を言っていた。
俺は――
克己は、確か、どうとも思わずに、喰ったのだ。
口に入れたものであったから、喰ったのだ。
それだけの事だ。
味など、知らない。
母がくれた、あの血肉の味しか――
吐いた。
克己は、胃の中のものを全て、地面に吐き出した。
馬の味がした。
馬の血と肉と糞の味だった。
ここ何十年も、喰った事のないものの味だった。
吐くものがなくなっても、吐いた。
胃液……胃液を再現したものを吐き出した。
それもなくなった。
咽喉が裂けて、血が……血の代わりを為す液体を吐き出した。
それもなくなったら――?
「……やはりな」
声が聞こえた。
死神博士であった。
その隣に、地獄大使がいる。
「イワン……」
思わず、その名で呼んでいた。
酸っぱい筈の胃液が、馬の血肉の味がした。
「カツミ……」
死神博士は、その場で四つん這いになっていた克己の傍に、膝を着いた。
「黒井奈央と光弘を殺した事が、大分、響いているようだな……」
「――」
「昔、聞かせて貰ったな……」
「――」
「子を抱いたまま、死んだ母親の話を……」
死神博士の背後で、地獄大使が、握っていた鞭を、地面に叩き付けた。
「下らんな……」
「カツミ……」
死神博士が、右手に持っていた杖の先端を、つぅと浮かせた。
克己の眼の前に、突き出す。
「お前は、ショッカーにいるには、甘い男だ……」
「――な、に?」
「これから、お前の脳を改造する――」
死神博士が、克己の前で、杖を振るった。
克己の意識は、暗闇に消えた。
“だめだ!”
子供の声。
“離しちゃだめだ!”
脂の匂い。
腐った肉。
焦げた身体。
川。
死の蔓延する川。
“だぁれ?”
首を傾げる子供。
“キャーッ!”
悲鳴を上げる女。
白い咽喉に滑り込むナイフ。
小さな背中に潜り込む刃物。
怒りに打ち震える赤い瞳。
哀しみに打ちひしがれる赤い瞳。
血。
死。
肉。
声。
“――生きてるんだろう⁉”
いや……
克己が眼を覚ました時、眼の前に、いきなり突き出して来たのは地獄大使の顔であった。
赤い顔の中にある、ぎょろりとした眼と、視線が合った。
「う⁉」
起き上がろうとしたが、四肢を拘束されていた。
ここが、何処であるのか。
自由になる頸を動かして、辺りを見回した。
ショッカー基地だ。
改造手術室である。
克己が寝かされているのは、その手術台であり、四肢を拘束しているのは頑丈な鎖だ。
「これは、どういう事だ⁉」
「カツミ――」
死神博士が、ぬぅと、克己の顔を覗き込んで来た。
「イワン……」
克己が言った。
「俺の、脳を、いじるのか」
「そうだ」
「――」
「あの日からだ……」
獣が唸るように、死神博士が言った。
克己も、分かっている。
黒井奈央と光弘を殺したあの日を境に、克己の身体に変調が訪れた。
何が原因か、克己にも、分かっていた。
光弘を腕の中で庇おうとした奈央が、空襲から逃げ切れなかった親子の遺体に重なり、赤子を引き摺り出されたヨモツヘグリに重なっている。
その為に、堪らない罪悪感のようなものが、克己の中に生まれてしまっていた。
「地獄だぞ、カツミ……」
死神博士が言う。
「今のお前に、ショッカーにいる事は、地獄だ……」
「――」
「お前を、私は、第三の男たるべく傍に置いていた。だが、ショッカーのやり方に疑問を持つお前を、このままショッカーに置いておく事は出来ない……」
「――」
「しかし、お前を手放すと言うのは、ショッカーにとっても、大きな損失だ」
「――」
「このまま、お前がショッカーに留まる事は、只傷付き、只苦しむだけだ。長年、連れ添った身としては、心苦しい事だ……」
「だから、俺の脳を、改造するのか」
「――」
死神博士が、無言で、顎を引いた。
克己は、納得したように、頷いていた。
「構わないさ……」
「――」
「俺は抜け殻だ。生きる意味が分からない。このままショッカーにい続けても、俺が、生き甲斐を見出す事は出来ないだろう。その為に苦しむなら、いっその事、そうしてくれた方が良い……」
「――だ、そうだ」
死神博士が、地獄大使に言った。
その死神博士に、克己が、不意に問うた。
「イワン……あんたは、ショッカーが正しいと思うか」
「む――?」
怪訝そうな顔をする死神博士。
「時々、考える事があったんだ……」
「――」
「ショッカーは、人類に戦争を仕掛けている。改造人間を造る為に人間たちを誘拐し、洗脳し、環境を破壊する事なく、密かに人間社会に侵略を行なっている……」
「――」
「それが必要な犠牲である事は分かる。最後には、ショッカーの下で、争いのない平和な世界が創られる事も分かる……」
「――」
「けれど――」
克己が、つぅと、視線を頭の上にやった。
逆さまになった、鷲のレリーフが、翼を広げている。
「母と子の絆を引き千切ってまで得る平和に、俺は価値を見出せないのだ」
克己は訊いた。
「イワン、あんたは、ショッカーを正しいと思っているのか?」
「――」
死神博士は、僅かに沈黙した。
その後で、静かに口を開いた。
「正しいか、悪いか――善か悪かで言えば、決して、善ではない……」
「――」
地獄大使が、死神博士の横顔を、細めた眼で眺めた。
「しかし、それが何だと言うのかね」
「――」
「私はね、カツミ――ナターシャが再び私に笑い掛けてくれれば、それで良いのだよ」
そう言うと、死神博士は、手術室を去って行った。
手術台の上の克己と、地獄大使、コンピュータの管理を行なっている科学者グループだけが、その場に残っていた。
地獄大使は、着々と克己の脳改造手術の準備を進める科学者戦闘員の一人から、頭蓋骨を穿孔する為のドリルを奪い取り、克己の顔の上に、頭を突き出した。
「全く、彼には冷や冷やさせられる」
と、死神博士の事を愚痴る。
克己は、もう、何かを話す気分ではないようであった。
地獄大使は、そのような態度を取る克己を見て、愉快そうに笑った。
「カツミくん、君は、これから頭の中をいじられて、まさに我々ショッカーの操る人形となる訳だがね――」
「――」
「君たちにとっては、それが、幸せであろうね」
「幸せ?」
「悩まなくて良いのだからね」
そう言いながら、地獄大使は、電動ドリルのスイッチを入れた。
螺旋を描く鉄の棒が、音を立てて、回り始めた。
銀の本体に刻まれた溝が、回転の中に白く浮かび上がっている。
空気を巻き込んで、唸りを上げていた。
「麻酔はしないよ、カツミくん。何せ、これが、君が最後に経験する痛みだ」
「――」
「地獄を楽しみ給えよ、カツミくん」
地獄大使が、電動ドリルの先端を、克己の頭部に向けて、ゆっくりと突き付けて来た。
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第十六節 粛清
砂――
見渡すばかりの、涸れ果てた世界であった。
風が吹いている。
さらさらと、砂が流れていた。
流れる砂の中に混じった小さな小さな石が、陽光をきらりと跳ね返す。
そういう光が、幾つも重なって、地面に太陽の川を作り出していた。
風が吹いている。
砂が舞い上がった。
その砂の煙の中に、二つの空白があった。
そこに、二つの人影が立っているのであるが、何れも異形であった。
一つは、鮮やかな緑の仮面を被った男であった。
頭蓋骨を剥き出したような、飛蝗の仮面。
赤い複眼が、砂煙の中に、ぼぅと浮かび上がっている。
頸から、赤いマフラーがなびいていた。
それは、恰も燃ゆる炎であり、蛇の舌先のようであった。
ヘルメットと同じ、明るい緑色のプロテクターを纏っている。
黒いスーツの側面には、二本の線が入っていた。
緩く開かれた手と、砂に浅く埋まった足を包むレガートは、刃のような銀色だ。
赤いベルトの中心、丹田に当たる位置に設けられた銀のバックルの中心で、風車が回転
していた。
仮面ライダーである。
本郷猛が、秘密結社ショッカーに依って改造された姿であり、更に強化されていた。
仮面ライダー・本郷猛と向かい合うようにしているのも、やはりショッカーの改造人間であった。
蒼い鱗が、その全身を覆っていた。
毒々しい、赤い蛇腹を、胴体に持っている。
肩や上腕から、鱗が硬質化して伸びて行った棘が、突き出していた。
左手の指先に、毒を滴らせる、赤い爪が伸びている。
右腕が、ぶ厚いゴムを捏ねたり練ったりして長くした、蛇の尻尾を模した鞭になってい
る。
頸の上に、蛇の頭が乗っていた。
顔が、中心から下顎に掛けて、前方にせり出している。
裂けた口から、牙が覗いていた。
舌も、ちろちろと動いている。
頭の両側に、翼のように突き出た鱗があった。
巨大な、黄金の眼が、仮面ライダーを睨んでいる。
ガラガランダ――
ガラガラヘビをモチーフとした改造人間であり、かつてのショッカー最高幹部の一人・地獄大使の変身した姿である。
かつての、というのは、地獄大使が、ショッカー首領から死刑宣告を受けている為だ。
度重なる作戦の失敗の為、首領に見限られている事を感じた地獄大使は、ショッカーの計画を仮面ライダーに密告した。それがばれてしまい、処刑される事となった。
しかし、それは、地獄大使最期の作戦であった。
地獄大使は、本郷猛や、その仲間の滝和也に取り入って、この砂丘に誘き出したのである。
仮面ライダーを、最高幹部である自らの手で斃し、ショッカー大幹部の座に、返り咲く為であった。
二人の戦いも、終わりが近付こうとしていた。
それを眺める、二人がいた。
マヤである。
マヤは、砂丘の、特に盛り上がった所に立って、二人の戦の行方を見守っていた。
美貌に、ぴんと張り詰めたものがある。
ショッカーの大幹部として、地獄大使の結末を見届けなくてはならなかった。
そして、もう一人というのが、改造人間であった。
だが、ショッカーの改造人間ではない。
緑色の、ごつごつとした兜を纏った改造人間。
左腕の大きな鋏からすると、蟹のようである。
しかし、その脇に張られた膜や、顔の左側から突き出た耳は、蝙蝠のそれである。
蟹と蝙蝠の合成改造人間――
ガニコウモルであった。
ガニコウモルは、地獄大使が自ら出陣する少し前、ライダーとショッカーの前に、姿を見せている。
しかし、姿も相まって、その素性の知れない改造人間は、不気味なばかりであった。
ガニコウモルは、マヤから離れた場所で、やはり、仮面ライダーとガラガランダとの顛末を、見届けようとしているらしかった。
風が吹いている。
風が吹いていた。
ライダーが動く。
砂を舞い上げて、ガラガランダに突撃した。
ガラガランダが身構えた。
右腕を振るう。
空気が唸り、砂煙が切り裂かれ、仮面ライダーの身体を真っ二つにする勢いで、迫った。
仮面ライダー・本郷猛が、地面を蹴った。
直前まで、ライダーの胴体があった空間を、ガラガランダの鞭が薙いで行った。
ガラガランダが腕を引き戻す。
尾の先端が方向を変えて、仮面ライダーに向かって来た。
ライダーは、ベルトの両脇に設けられたバーニアに点火した。
ごぅ、
と、バーニアが火を噴いた。
仮面ライダーの身体が、鞭を躱しざま、ガラガランダに向かって突っ込んで行く。
その身体に纏わり付く風圧が、コンバーター・ラングから取り入れられ、ライダーの原動力となっている。
タイフーンが回転した。
風車が、紅蓮の円盤となる。
「ぐぁぁぁらららぁぁぁぁっ!」
ガラガランダが叫んだ。
仮面ライダーが、その目前にまで接近していた。
左手で、掴み掛って行った。
仮面ライダーはバーニアを反転させると、空中で、身体を後方に倒して行った。
ガラガランダの腕が、ライダーの顔の上を通り過ぎて行く。
本郷はガラガランダの腕を、胸の中に抱え込むと、地面に自ら倒れ込んで行った。
ガラガランダが、それに引かれて、体勢を崩す。
ガラガランダを一回転させて、地面に引き倒す仮面ライダー・本郷猛。
立ち上がって来たガラガランダの懐に入り込み、打撃を連発した。
パンチ。
パンチ。
パンチ。
殴る。
殴る。
殴る。
ガラガランダの蛇の鱗が、ぼろぼろと剥がれて行く。
しかし、剥がれて行くその内側から、新しい、瑞々しい蒼の鱗が再生するのである。
それでも、ライダーはガラガランダを叩く。
左の拳が、ガラガランダの頭部を、がくん、と、後方に下げさせた。
持ち上がって来る蛇の頭。
左腕を引き、腰を捻って、右のパンチを繰り出す。
その風圧がライダーの体内に取り込まれ、タイフーンが回転数を増す。
ぎゅぉぉぉん、
と、風車が唸った。
加速されたライダーのパンチが、ガラガランダの左の頬骨を砕いた。
牙が、口の中で、からからと音を立てる。
左の鉄拳が、ガラガランダの鼻先を潰す。
右の一撃が、ガラガランダの左目を潰した。
パンチ。
叩く。
殴る。
拳。
拳。
拳!
唸っていた。
吠えていた。
叫んでいた。
哭いていた。
仮面ライダー・本郷猛の丹田に、風のパワーが蓄積される。
最高威力のパンチを繰り出す為に、ひねりを加える。
足首から膝、膝から股間節、股間から背骨、背骨から肩、肩から肘、肘から手首――
地面を踏み込む事で発生する反動が、回転しながら、本郷猛の鉄の骨格を駆け上がる。
螺旋だ。
本郷猛の肉体が描く、
本郷猛の精神が創る、
それらが、昇って行く。
それらが、降って来る。
絡み合い、和合し、融合して、仮面ライダー・本郷猛は拳を打ち込む。
絶望の痛みが、仮面ライダーの力であった。
希望の明日が、本郷猛の戦う意味であった。
「ぐぁぁぁらららぁぁぁぁっ!」
ガラガランダが叫んだ。
折れた牙の隙間から、大量の空気が漏れて行く。
地獄大使の慟哭である。
地獄大使の慟哭であった。
ぎゅぉぉぉん、
ぎゅぉぉぉん、
ぎゅぉぉぉん、
タイフーンが唸る。
タイフーンが唸った。
仮面ライダーのパンチが、ガラガランダの身体を、強く叩いた。
体勢が崩れる。
ライダーは、地面を蹴った。
大量の砂が、まるで海のように、波打った。
砂の礫が、ガラガランダの全身の傷口から吹き出した血液に、べっとりと張り付いて行った。
太陽を背にして、仮面ライダーのシルエットが浮かび上がっていた。
高所からの急降下――
鉄のブーツが、ガラガランダの身体を打ち付けていた。
靴底に仕込まれた強力なスプリングが、凶暴な破壊力となって、ガラガランダを吹っ飛ばす。
砂の地面を、水切りの石のように跳ねて行くガラガランダの全身から、鱗が剥がれ落ちて行き、その動きが停まった頃には、赤く染まった、刺青の入った顔が剥き出していた。
地獄大使の顔だ。
ダモン――
と、いうのが、彼が人間だった頃の名前だ。
ガラガランダは――地獄大使は、ぼろぼろの肉体で立ち上がると、自らの宿敵を見やり、折れた牙を剥いて笑い、
「ショッカー軍団万歳!」
そう叫んで、爆裂した。
毒の血が、身体に仕込まれた爆薬の為に、炎に包まれて蒸発した。
仮面ライダー・本郷猛は、その炎をじぃと見つめていた。
マヤが、静かに踵を返した。
ガニコウモルが、ライダーに向けて、歩み出していた。
一週間後――
マヤは、ぼろぼろの身体で、逃走していた。
森の中を駆けている。
樹から突き出した小枝が、腕や脚の皮膚を、こそいでいた。
裸の足が、湿った地面を踏み締めている。
薄いシャツと、血のにじんだジーンズの上に、袖のなくなった革の上着を羽織っている。
長い髪は、汗と夜露に濡れて、肌に張り付いていた。
そのマヤを、追う者たちがあった。
木々の間を擦り抜け、梢の上を飛び越え、木葉を散らしながら、マヤの四方から迫って来るのは、青と黄色のコスチュームを纏った、改造人間部隊であった。
マヤが、少し開けた場所に出た途端、同時に、四体の戦闘員たちが襲い掛かって来た。
一体が、後方からナイフを投げた。
マヤが身体を反らす。
刃物を掠められた耳が、ぞっぷりと裂けた。
ナイフの進む先にあった樹の幹に、どつっ、と、刃が突き立った。
樹のうろが剥がれ落ち、音とも言えない音を立てて、湿った根の上で跳ねた。
痛みに顔を顰める間もなく、脇から戦闘員の蹴りが襲って来た。
身体を沈めつつ、戦闘員の膝を横から蹴り付ける。
関節を打撃されて、体勢を崩す戦闘員の顔面を、マヤの掌底が襲った。
力そのものは、大して込められていなかったが、倒れ込みそうになっていた所に力を加えられ、太い樹の幹に後頭部をぶつけたのだ。ダメージは、決して小さくはない。
その反対側から、黄色いグローブが伸びて来た。
上着の襟を掴まれる。
マヤは、腰を切る事で、戦闘員を投げ飛ばし、地面に倒れ込んだ蒼い覆面越しに、踵を打ち付けた。
投げを打つ際に、上着が落ちて、成熟したボディ・ラインが、森の中に晒される。
下着を身に着けていないようであった。
シャツが透けて、肌色が見えている。
西瓜のように膨らんだ胸の先に、しこりが浮かんでいた。
最初にナイフを投げた戦闘員と、マヤの進行方向に現れた戦闘員が、すぅと樹の陰に身を隠した。
マヤは、樹の幹から、投擲されたナイフを引き抜くと、樹を背中にして、戦闘員たちの襲撃に備えた。
マヤを狙っている、この改造人間たちは何者か――
何も彼らは、マヤだけを特別に追跡し、殺害しようとしているのではなかった。
マヤが狙われるのは、彼女がショッカーの幹部であるからだ。
この改造人間の部隊は、ショッカーの粛清を目的として、動いていた。
地獄大使の敗北は、ショッカーの壊滅を意味していた。
ショッカー首領が、地獄大使――ひいては、ショッカーという組織そのものを、見限ったのである。
そこで、一部の幹部や科学者たちのみを集めて、アフリカの、ゲルダムという集団と手を結んだ。
かつて、ナチスがショッカーに対して行なったのと、同じであった。
違うのは、アプローチを掛けたのがショッカー側であるという事だ。
敗戦が間近に迫ったナチスから、ゾルを筆頭に将校を引き抜き、ショッカーに誘い入れた。
今は、壊滅を目前としたショッカーという組織から、自分に付き従う優秀な幹部たちを引き連れて、ゲルダムに手を組もうと言い寄ったのである。
いや――
そのゲルダムにしても、やはり、ショッカー首領が組織したようなものであるらしい。
兎も角、そのゲルダムと合併した新たな組織に、マヤは、迎え入れられなかったようだ。
新しい組織――その名もゲルショッカーは、新組織には与さないが、ショッカーの情報を少しでも持っているショッカーの残党を、狩り出していた。
それから、マヤは、何とか逃げようしているのである。
ナイフを構えて、襲撃に備える。
その眼の前に、いきなり、ゲルショッカー戦闘員の顔が、ぬぅとやって来た。
「――っ」
マヤは、ナイフを横薙ぎに振るう。
戦闘員は、伸びた太い枝に蝙蝠のように足で掴まり、背中を反らして、ナイフの一戦を躱した。
と、その間に、マヤが背にした樹の陰に入り込んでいたもう一人の戦闘員が、マヤの両腕を樹の裏側に引っ張った。
背中に幹が当たる。
樹に拘束されたようなものであった。
枝から降りた戦闘員が、ナイフを取り出して、マヤを突き刺そうとする。
マヤは、地面を蹴り上げて、泥を飛ばした。
眼に泥が入り、一瞬、動きを止める戦闘員。
マヤは自分の両肩を外しながら、跳び、眼の前の戦闘員を両足で蹴り付けた。
驚いたもう一人の戦闘員が、僅かに力を緩める。
マヤは腕を引き抜いて、一瞬、地面に伏せた。
両肩の関節が外れている。
樹の背後にいたゲルショッカー戦闘員が、マヤを取り押さえようとする。
マヤは、口にナイフを掴んでおり、擦れ違いざま、その頸を掻き切った。
頸動脈!
血の霧が吹き、マヤの、色の濃い肌に鉄臭い液体が振り撒かれた。
自分で、肩を填め直す。
マヤは、大きな胸を上下させながら、立ち上がって来る三体の戦闘員たちを見つめた。
頸を掻き切られた者は兎も角、他の戦闘員は、回復を終えている。
「――」
マヤの唇が、細かく動いていた。
「……五七、五八、五九……」
一斉に、マヤに掴み掛ろうとする戦闘員。
しかし、マヤのカウントが、
「六〇」
を、越えた時、戦闘員たちは動きを止め、悶えながら、その場に倒れた。
ゲルショッカーの戦闘員は、三時間ごとに摂取しなければ死亡するゲルパー薬を飲まされている。マヤを追跡している間に、その時間が過ぎたのである。
マヤは、その数字を数えていたのだ。
大きく息を吐いて、その場に座り込みそうになるマヤ――
梢が鳴ったのは、その時であった。
上を見ると、木葉と枝の間から、昏い眼がマヤを見下ろしていた。
ガニコウモルであった。
マヤは、木葉を掻き分けて落下して来たガニコウモルにナイフを投げ付け、それを払い落としている間に、逃げ出した。
又、逃走が始まる。
ガニコウモルは、時には地面を走ってマヤを追い、時には気を蹴って一息に距離を詰めて来たりする。
左腕の鋏が、マヤの背中を斬り付けた。
シャツが千切られ、背中がぱっくりを裂けた。
もう少しで、背骨が見えそうな程だ。
それでも、マヤは、樹の間を走った。
背中から、血がどろどろと流れ落ちる。
走っている内に、小枝に引っ掛かって、シャツの布が何処かへ消えていた。
背中からの出血が、ジーンズの中に入り込んでいる。
形の良い尻の頬肉を伝わり、菊座に鉄の液体が触れていた。
アキレス腱の所で、血河は二つに分かれ、地面に湿気とは違うぬめりを帯びさせる。
顔を真っ蒼にしながら、マヤは、森を走り抜けた。
ガニコウモルは、必死に逃げる彼女を追い詰めるのが楽しいとでも言うように、ゆっくりと彼女の後を追った。
森を出ると、そこに、大きな池があった。
向こう岸に渡る為に、迂回していると、ガニコウモルに追い付かれる。
マヤは、傷口の事も忘れて、池に跳び込んだ。
血を染みさせながら、マヤが、向こう岸まで行こうとする。
胸元の脂肪が、水に浮かぶ。
と――
その向こうに、二人の女性の姿が見えた。
キャンプ中の、女子大生であろうか。
彼女らが、マヤを発見した。
マヤは、
「助けて――」
と、大声を張り上げた。
女子大生らが、殆ど裸で、血を流しながら、必死の形相を浮かべているマヤに、手を差し伸べようと、池の傍まで駆け寄ろうとする。
しかし、マヤの背後から、池の水が持ち上がって来た。
ガニコウモルである。
ガニコウモルは、マヤに背中から覆い被さると、右手の爪を、マヤの胸の傍に突き立てた。
皮膚を毟り取られ、喘ぐマヤ。
「と、東京の、仮面ライダーに……」
マヤが、苦し紛れに声を発する。
その頭を、ガニコウモルの手が押さえて、水中に没させた。
ガニコウモルの胸の辺りで、気泡が幾つも浮かび上がる。
ガニコウモルが手を離すと、酸素を求めて、マヤが顔を上げた。
途端に、異形の手が、再び彼女の頭を沈めてしまう。
眼には血が絡み、ぽってりとした唇は紫色であった。
マヤは、美貌をぐちゃぐちゃにしながら、水面に顔を上げた瞬間に、どうにか叫ぼうとした。
東京
仮面ライダー
立花
そういう言葉しか、女子大生らには聞こえなかったであろう。
しかし、あの怪人に襲われる事を恐れ、彼女らはその場から逃げ出した。
マヤは、ガニコウモルの腕の中で、無茶苦茶に暴れ、何とか抜け出した。
手が、岸に着く。
べっとりと、胴体に、赤い色が塗りたくられていた。
岸に上がる。
乳房から、水滴が落ちて行く。
水と血を吸ったジーンズは、元の色が想像出来ない程だ。
岸辺で四つん這いになったマヤの太腿を、ガニコウモルの鋏が掴んだ。
僅かの隙も与えずに、大腿骨が切断され、ジーンズに包まれたままのマヤの左脚が、その場に転がった。
マヤは、声にならない悲鳴を上げて、傷口を抑えようとした。
そのマヤに、ガニコウモルが覆い被さる。
濡れた髪を、右手で掴み上げたガニコウモルは、左腕の鋏を何度か開閉し、マヤの首筋に宛がった。
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第十七節 屍鋼
一九七三年二月一〇日――
浜名湖の水面に、一つの、大きな水の柱が立った。
その詳細が、世界に明かされる事はなかった。
ましてや、浜名湖の真下に、旧日本軍の生体実験施設、ショッカー、そして、ゲルショッカーの本部が存在していた事などを、誰が知っていよう。
世界征服を目論んだ秘密結社の存在と、人知れず人類を守ろうとした戦士たちの事など、誰が知るであろうか。
爆発するゲルショッカーの基地から、二人の仮面ライダーが脱出した。
本郷猛と、一文字隼人である。
どちらも、搭乗しているマシンは、ショッカーから奪い取ったサイクロン号ではない。
立花藤兵衛や滝和也との協力で、サイクロン号をベースに全く新しいマシンに改造したものであった。
又、本郷猛の、仮面ライダーとしての姿が変わっているが。それは一文字隼人も同じであった。
腕のラインや、ベルトの色はそのままに、四肢のレガートを赤く変更している。
苛烈さを増すショッカーとの戦いの中で、強化して行ったものであった。
強化改造人間の、他の改造人間と異なる点は、進化するという点にあった。
戦う内に、その人工筋肉が強靭さを増して行く。
そういう事もあるが、それよりも特筆すべきは、優れた五感――その情報を処理する脳である。
普通の人間がするよりも、遥かに膨大な情報を処理しなくてはならないのだ。
それを支援する為の人工頭脳や、神経伝達物質の働きなどが折り重なり、強化改造人間である本郷猛、一文字隼人の脳は、進化を続けていた。
その進化する脳に適応し、半分以上が機械で造られている肉体も進化している。
その進化する肉体に適応する為の、新しいスーツが必要であったのだ。
だが、その戦いも、この日、終わりを迎えた。
ショッカーとゲルショッカーを率いていた首領は、幹部を倒され、基地内部にまで潜入され、とうとう自爆を決意したのである。
仮面ライダーの活躍で、ゲルショッカーは滅んだ。
だが、戦士たちに訪れる平和は、束の間のものでしかなかったのだ――
丘の上から、その男は、二つの白い影を眺めていた。
仮面ライダー・本郷猛と、仮面ライダー・一文字隼人の駆るサイクロン号を、である。
ゲルショッカーを壊滅させた直後の、二人の戦士であった。
男は、その姿を眺めると、片方の口角と肩を、同時に持ち上げてみせた。
黒井響一郎――
かつては誰もが振り返った甘いマスクには、明らかな狂気が宿っていた。
その身体を、黒い強化服が包んでいる。
身体の側面に、金色のラインが走っていた。
蒼いプロテクターと、同じく蒼いレガートを、胸と四肢に装着している。
手首と足首には、銀色の輪が填められており、その輪には鷲の姿が彫り込まれていた。
稲妻のような、黄色いスカーフが、風になびいている。
金のベルトを巻いていた。
大きなバックルの中心には、赤い風車が確認出来る。
その傍に、一台の自動車が停まっていた。
屋根が取り外されている、オープン・カーだ。
フロントには、巨大なスーパー・チャージャーのユニットが乗っている。
フロント・ライトが削り取られ、一対の三連装機銃が剥き出していた。
後部には、派手なロケット・エンジンと、六本のマフラーが伸びている。
クリーム色の車体。
前方や側面には、揺らめく炎が描かれており、その中に、バイクに跨るRの文字があった。
トライサイクロン――
それが、マシンの名であった。
黒井響一郎の為に、用意されたマシンである。
黒井は、トライサイクロンの右ドアを開き、シートに乗り込んだ。
自動的に、腰に、ベルトが巻き付いた。
黒井は、助手席のシートの下から、それを取り出した。
仮面――
人の頭蓋骨を思わせる、飛蝗の仮面である。
仮面ライダーのそれとそっくりであったが、色は、ダーク・ブルーであった。
複眼――Cアイや、単眼であるOシグナルの色は、黄色である。
黒井は、
仮面を被る。
クラッシャーが閉じ、小さく火花を散らした。
内装パッドが膨らみ、頭部と密着した。
眼に光が灯る。
黒井は――いや、既に黒井響一郎ではない。
ショッカーは壊滅した。
しかし、ショッカー粛清の際、黒井響一郎は、ゲルショッカーに引き抜かれる事となった。
正確に言えば、その時点で、既に黒井響一郎は黒井響一郎ではなくなっていた。
強化改造人間――
その第三期である。
しかし、すぐに実践に投入される事はなかった。
第三期のデータを採る為、第二・五期とでも呼ぶべき六体の強化改造人間が生み出された。
所謂、ショッカーライダーである。
ゲルショッカーは、黒井響一郎のボディに、仮面ライダー・本郷猛と一文字隼人に倒されたそれらのデータを加え、更に改造を施し、そして、トライサイクロンを造り上げた。
だが、黒井が目覚めるより早く、ゲルショッカーは壊滅させられた。
その直前に、黒井はゲルショッカー基地から、トライサイクロンと共に抜け出していた。
ゲルショッカーが、ライダーたちに壊滅させられるのは、時間の問題と見たのだ。
そして、今――
黒井響一郎――否、第三期強化改造人間――否々、仮面ライダー第三号は、仮面ライダー・本郷猛と、仮面ライダー・一文字隼人に対し、戦いを挑もうとしていた。
妻と、息子の復讐の為だ。
黒井は、妻の奈央と、息子の光弘を殺したのが、仮面ライダー第一号であると思っている。
約一年――
黒井は、右手首を左手で握り、意識を集中した。
エンジンに火を入れる。
機器に光が灯った。
唸る。
白い獣の唸り声が、大気を震わせた。
ギアをローに入れる。
アクセルに足を載せ直し、エンジンを吹かして行く。
クラッチを離して、駆け出そうとした。
だが――
「む⁉」
黒井は声を上げた。
仮面ライダーたちに向かって、飛び込んで行く筈のトライサイクロンが、動かないのだ。
タイヤが、空回りして、砂利を跳ね上げるだけであった。土煙が上がる。
幾らアクセルを踏み込もうと、トライサイクロンが進もうとする様子はなかった。
メーターの針が、進んで行く。
動かない。
ギアを、一番パワーのあるローにしているのに、後輪は、空回るだけだ。
黒井は、そうしている内に、身体が傾くのを感じた。
前方にせり出している。
後輪が地面を削る音が、なくなった。
只、空気を磨り潰すように、回転しているだけである。
トライサイクロンの後ろの部分が、持ち上げられているのだ。
「く――」
黒井が、仮面の奥で歯を噛んだ。
トライサイクロンが、エンストを起こした。
ブザーが鳴る。
傾きが直った。後輪が地面に戻されたのである。
黒井はギアをニュートラルにして、エンジンを切った。
ドアを乱暴に開け放ち、トライサイクロンの空ぶかしが齎した砂煙を掻き分けて、車の後部に回った。
黄土色の煙の中に、男が立っていた。
「貴様――俺の邪魔を、するな!」
黒井が鋭く叫び、拳を叩き付けて行った。
その男は、緩く後退して、パンチを躱す。
砂煙の中から現れた男は、緑色の飛行服を着て、その上に銅色のプロテクターを纏っていた。
黒井が、距離を取ろうとする飛行服の男を追った。
飛行服の男の身体に纏わり付くようにして、砂煙がうねった。
その奥から、黒井が蹴りを放って行く。
黒井の蒼いレガートが、飛行服の男のボディにぶち当たった。
しかし、その衝撃はプロテクターに受け止められ、しかも、飛行服の男は自ら後方に跳躍する事で、蹴りの威力を全く受け流してしまった。
ふわり、と、黒井の蹴りのパワーを利用して、男の身体が浮かび上がった。
空中高く、である。
「ぬ――」
黒井が驚愕している間に、飛行服の男は、月面宙返りをしてみせ、更に身体を数回捻りながら、黒井の間合いの外に着地した。
地面が、鉄のブーツを支え切れず、陥没する。
飛行服の男の身体から、何らかのエネルギーが立ち上っているかのように、土埃が天空に舞い上がって行った。
「貴様……」
黒井が、飛行服の男の姿を改めて目視し、動きを止めた。
その飛行服の男は、仮面を被っていた。
銅色のヘルメットは、飛蝗を模しているらしいが、本郷ライダーや一文字ライダー、そして黒井のものと比べると、やはり、飛行機のパイロットらしいそれになっている。
「何者だ⁉」
黒井が問う。
銅色の、仮面ライダーと同型のマスクを被った、飛行服の男は、その問いに、静かに答える。
「俺の名前は、仮面ライダー……」
「何⁉」
ぎょっとする黒井の前で、飛行服の仮面ライダーが、ヘルメットを外す。
本郷や一文字、形状は違うが黒井のマスクに設けられている、クラッシャーに当たる部分は存在していなかった。そこには、鉄のプレートが埋め込まれているだけだ。
そのプレートが左右に展開され、顎を押さえている鉄のチン(顎)・ガードに収納される。
チン・ガードが前方にせり出して、ヘッド・セットを起点に、後頭部にまで回転した。
赤い光を灯していた複眼から、光が消える。
飛行服の仮面ライダーは、そうして、仮面を外す事が出来る。
仮面の内側から、ざんばら髪の男の顔が現れた。
昏い刃のような光を、双眸に湛えていた。
松本克己であった。
第二章はここで幕引きとなります。
あとがきは活動報告にて。
では、第三章の投稿まで、少々待ち下さい。
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第三章 Geist
第一節 神隠
その男が、眼を開いた。
冷たい、鉄の台の上に、寝かされていたようであった。
男は、眼球をぐりぐりと動かして、周囲の状況を確認した。
上体を起こす。
男は、全裸であった。
下腹の辺りに、一枚、布を被せられているだけであった。
その肉体が、見事であった。
岩を削り出したように頑強で、白磁のように円やかであった。
体脂肪が極めて薄く、筋繊維が人よりも発達しているのである。
顔立ちが、整っている。
美しい。
男性的な魅力を、これでもかと貼り付けたような顔だ。
そして、その上で、余計なぜい肉をこそぎ落とした形であった。
蓬髪が、その魅力を少々妨げているようにも見える。
「ここは……」
低い声で、男が呟いた。
ここは、何処か。
そういった意味の問いが、込められていた。
昏い場所だった。
この鉄の台ばかりが、てらてらとした金属光沢を放っている。
他は、闇だ。
宇宙空間に放り出されてしまったかのような錯覚に、男は陥った。
先程、呟いた言葉が、小さく反響した。
そのエコーが、この空間に於ける、自分の孤独を強めて行く。
「――っ」
ずき、と、頭が痛んだ。
眼の前で、白い光が明滅する。
痛みを堪える為に瞑った瞼の裏側に、妙なシルエットが映った。
丸みを帯びた頭部。
そこから伸びるV字。
一対の赤い楕円。
銀色の身体――
黒鉄の掌底が、自分に向けられている。
そうして燃え上がる炎。
回転する視界。
拘束で移動する世界。
炎。
火炎。
火焔。
業火。
痛み。
熱。
苦しい。
呼吸。
酸素。
弾ける。
肉の内側から、
爆
爆
爆……
「眼が覚めたかい」
と、声が聞こえた。
男が、声の方向に眼をやった。
見れば、暗闇から、黒いコートを纏った男が、歩み寄って来た。
纏わり付く闇が、鴉の羽が舞い落ちるようであった。
台の上の男とは、違う意味で、整った顔立ちの男だった。
甘いマスク――と、そういう表現が似合った。
サングラスを掛けている。
コートが黒く、シャツが黒く、ズボンや靴までもが黒かった。
「お前は……」
男が、黒い男に問い掛けた。
「黒井響一郎――」
黒い男――黒井響一郎は、ぼつりと名乗り、サングラスを外した。
哀しみと狂気の籠った、刃のような瞳が、剥き出した。
「分かるかな」
と、黒井が言った。
「分かる?」
男が問い返す。
「君の事さ」
「俺の、と、いう事か?」
「ああ」
黒井が頷くと、男は、自分の事を思い出そうとした。
頭痛。
しかし、
「の、のろい……」
と、男の唇は動いていた。
「のろい?」
「それが、俺の……名前?」
男――のろいは、それに、確信が持てないようであった。
黒井は、
「そうだ。のろい……
と、頷いた。
「呪……」
男が、噛み締めるようにして、その名を呟いた。
しかし、自分の事を“俺”と分かっても、自分が“呪”である事は、まだ、納得し切れていないようであった。
黒井は、片方の口角を持ち上げると共に、同じ方の肩を小さく竦めてみせると、呪の座っている台に歩み寄り、彼に寄り添うように腰掛けた。
「じゃあ、呪くん」
と、黒井が言った。
「君は、自分が、どういう人間だったか、憶えているかな」
「俺が?」
「ああ」
「――」
呪は、少し黙った後で、
「警察……」
と、自信なさそうに言った。
「警察官だった」
「ほう」
黒井は、少し嬉しそうに笑った。
呪には、黒井がそのような表情を浮かべた理由が、分からない。
黒井は、コートの内側に手を突っ込むと、
「食べるかい」
と、銀の、棒状の包みを取り出した。
「これは?」
「スナック菓子みたいなものさ」
黒井が差し出したそれを、呪は、受け取ろうとした。
しかし、指先がその包みに触れ、掌の中に収めようとした時、その包みは、台の上に落ちてしまった。
黒井はそれを拾い上げてやり、封を切った。
「まだ、回復していないみたいだね」
「回復?」
「そうさ」
言いながら、黒井は、銀の包みの中から、茶色っぽい、麩菓子のようなスティックを突き出して、呪の口の傍に寄せた。
呪は、黒井から与えられた“食べる”、“スナック菓子”という情報から、それが食べ物であるという事を理解して、食べる為に、口を開いた。
黒井が運んで来るスナック菓子を、呪は歯で噛んで小さく千切り、口の中に入れた。
歯で、細かく噛み砕く。
舌で、噛み砕いたものを撹拌して、ペースト状にする。
飲み込んだ。
「変な味だ」
呪が言った。
「ヴァリエーションは増やすべきだな」
黒井が、笑いながら言う。
「ヴぁりえーしょん?」
呪のアクセントは、少し、黒井のものとは違った。黒井の言った言葉を、理解し切れないままに、繰り返しただけという風であった。
「種類って事さ。種類は分かる?」
「――莫迦にするな」
むっとした様子で、呪が言った。
種類位は分かる。
意味を説明しろと言われれば、言葉に詰まるかもしれないが、種類という概念がどういうものかは、理解している心算だった。
「結構だ」
黒井はそう言いながら、手に持っていたスナック菓子を齧った。
「やっぱり不味いな、これ」
「まずい?」
「旨くないって事さ」
「――」
「変な味、って言ったろう? そういう事さ」
「変な味というのは、不味いという事なのか?」
「場合にも寄るだろうけどね」
それから暫く、二人は、似たような会話を繰り返した。
黒井が何となく漏らした言葉の説明を、呪が求め、黒井が教えてやる。
何度もそういう事をしている内に、呪は、段々と説明を求める――分からない事が少なくなって来て、平気で色々な話を、黒井と出来るようになって来た。
話が、あさま山荘事件から、警察の事に辿り着くに当たって、黒井が、呪に言った。
「所で、呪くん」
「ん」
「君は警察官だったそうだね」
「そうだ。俺は、あの日――」
と、そこまで言った所で、呪は言葉を止めた。
何故、自分は、いきなり、“あの日”などと言い始めたのか。
黒井を見る。
話の流れを切ってしまう事は、余り良くないと、学んでいる。
黒井は小さく顎を引いた。
話を続けても良いという事であった。
「俺は、あの日、或る事件を捜査していた……」
「事件?」
「そうだ。確か……子供が、攫われる、事件だった」
「ほぅ、子供が」
「赤ん坊だ」
呪は、確信を持てないでいる筈なのに、途切れ途切れながらも、比較的スムーズにその唇を動かしていた。
脳からほろほろ漏れ出して来る記憶を、まるで、眼の前に差し出された台本を読むかのように、滑り出させている。
「赤ん坊が、攫われ……誘拐される事件だ」
「ふむ」
「一月に、一度……同じ頃に……」
「同じ頃に?」
「一人、赤ん坊が……生まれて、一年も経たない赤ん坊が攫われた――」
呪は、部下と共に、その事件を担当していたという。
しかし、一向に犯人の足取りは掴めなかった。
攫われたのが赤ん坊という事で、先ず、疑ったのは、子供のいない夫婦である。子供が欲しいが、中々授からず、神仏に頼ろうとさえしていた夫婦に、容疑を掛けるのは辛かった。
何れも、白であった。
又、子供がいる筈のない家から、泣き声が聞こえたとなれば、すぐに飛んで行った。
それでも、成果は挙がらなかった。
最初の一件から四ヶ月が経った――つまり、五件目の事件が起こった月に、その事件が進展した。
夏だった。
うだるような、熱い陽射しの降り注ぐ夏であった。
その月に、六件目が起きたのだ。
月に二度、一月に二人というペースは、今までにはない事であった。
しかも、この時には、殺人事件まで起こっている。母親だ。
母親が、赤ん坊を奪われて、その上、殺害されたのである。
この時、解決を見た。
赤ん坊を包んだような袋を持った男が、血臭を漂わせながら、現場付近から逃げるように去って行く姿が、目撃されたのである。
「旨かった」
と、いきなり、呪が言った。
黒井が怪訝そうな顔をしていると、
「蕎麦さ」
呪は言った。
「蕎麦?」
「うん。蕎麦だ」
「蕎麦って、あの?」
と、汁に浸けて、蕎麦を啜る動作を、黒井がする。
「そうだ。暑い昼間にな、打田と一緒に入ったんだ」
打田というのは、呪が、行動を共にしていた部下の事である。
「葱とわさびをたっぷりと載せてな……」
そこから、五、六分ばかり、呪は蕎麦の話をした。
スタミナを付ける為と言って、打田が、天ぷら蕎麦を頼んだ。それで、金色の衣を纏った海老天を食べようとして、汁の中に落としてしまい、汗だくのワイシャツにはねを飛ばしてしまった事を思い出して、小さく笑った。
ふと、自分が食べたのが、ざる蕎麦だったのか、掛け蕎麦だったのか、忘れてしまったらしく、口籠った。しかし、黒井のパントマイムを見て、ざる蕎麦だったと思い出し
た。
「それで、どうなったんだ?」
黒井が訊く。
「どうなった?」
「赤ん坊の事さ」
「ああ、赤ん坊か……」
と、話の本筋を思い出して、呪が言った。
「資産家でな……」
「資産家?」
「赤ん坊を誘拐して、殺していたのがさ」
「殺していたのか?」
「うん」
「それで?」
「殺して、埋めていたんだ」
「埋める?」
「家の庭にな」
「――」
「大きな家だった。塀に囲まれた」
「それで、その資産家の家まで」
「資産家? いや、何処かの大企業の部長の家だよ」
「そうだったか」
「そうだったよ」
「――で?」
「ん……娘がな、いたんだ」
「娘?」
「乗り込んだんだよ」
「赤ん坊を連れ去った、男を追って?」
「うん」
「その部長の家に?」
「ああ」
「それで、娘って言うのは?」
「部長の娘さ。赤ん坊を攫ったのは、その旦那さ」
「旦那? つまり、婿養子かい」
「婿養子?」
呪が首を傾げるので、黒井は、簡単に“婿養子”について説明した。
「それだ」
呪は納得したように言って、満足した顔になった。
黒井が、じぃと呪を見つめていると、呪は事件について話していた事を思い出す。
「そう、その旦那がな……」
「婿養子の旦那だな?」
「婿養子? いや、平社員だよ」
「そうか、平社員か」
「うん。赤ん坊を連れ去ったのは、平社員だ。その妻が部長の娘だ」
「ほう」
「それで――」
そこから、呪は、その部長の家について、時間を掛けて語った。
複雑な事情があったらしい。
先ず、その部長には、娘がいた。
部長が、娘を小さな頃から甘やかされていたらしく、奔放な性質であった。
だからか、悪い仲間と付き合う内に、子供を孕んでしまったらしい。
娘は、決して堕胎はしないと言う。しかし、世間体もある。
そこで部長は、会社の部下で、独身の男を一人、娘に宛がう事にした。
それが、呪の言う“平社員”である。
部長の娘を宛がわれた平社員は、大きな出世を遂げたという訳でもないが、それなりの地位、それなりの収入を得る事になった。
しかし、幸せであったかどうかは、別である。
部長の娘だが、何処の誰とも知れない男に孕まされた子供は、流れてしまった。
娘がおかしくなったのは、それからである。
結婚してから、娘は大人しくなったのであるが、月のものが始まると、以前にも増して樹が強くなった。と、言うよりは、荒れるようになった。
月に一度、自分の赤ん坊は何処かと、泣き喚く周期が訪れる。
平社員――夫は、そんな妻を見るに見かねて、何処かの施設から、赤ん坊を貰って来ようとした。
しかし、月のものが終わってしまうと、その養子に取ろうと思った子供を、自分の赤ん坊ではないと傍と気付き、返すように言う。
何度か同じ事が繰り返され、ノイローゼになった夫は、とうとう、赤ん坊を誘拐し始めた。
生まれて間もない赤ん坊である。
生理中は、その赤ん坊を、どれだけぐずられても自分の子供のように扱うのだが、終わってしまえば、憑き物が落ちたように冷静になる。
誘拐した赤子を、今更、親元に返すという事は、誘拐を認める事に他ならない。
夫は、仕方なく、その赤ん坊を殺して、庭に埋めた。
娘はその事を知り、大いに嘆いた。そうして、自分を仕置きするように、夫に頼んだ。
美人ではあるが、好きでもない女である。
収入はあるが、やりたくもない仕事である。
夫の鬱憤は溜まっており、妻を緊縛して、鞭や棒で、むやみやたらと引っ叩いた。
それが仕置きである。
繰り返す事、五回に及び、六度目の仕置きの最中に、呪と打田は乗り込んだのである。
事件については『佐武と市捕物控』から拝借致しました。
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第二節 太陽
呪の、長い独白が終わった。
長いと言っても、その半分以上は、呪の知識の整理であった。
それに、黒井響一郎は、根気強く付き合ってやった。
かつて、彼が刑事であった頃に担当した、赤ん坊誘拐殺人事件について、だ。
しかし、記憶を失っている――訳ではないにせよ、確信が持てないでいる呪が、その事を話し始めたのは、何故であろうか。
「その時、俺は……」
呪は、そう呟くと、少し、考え込んでしまった。
そして、くわっと眼を剥いて、
「怪物……」
と、漏らした。
「怪物?」
黒井が訊ねる。
「そうだ、怪物だ……」
呪は、今までの話の中では、言わなかった事を思い出したらしい。
「怪物だ、怪物が、それをやっていたんだ」
「平社員――部長の娘の夫じゃなくて?」
「そうだ、そうだ……」
「怪物って何だい?」
「良く、憶えていない。けれど……武器を持った怪物だった」
「武器を?」
「確か、こう……」
と、持ち上げた右腕を、左手でなぞって、右腕に何かが被さっている状態を現した。
「片腕に、ナイフ……いや、違う、刃物か? 兎に角、片方の腕に大きな武器のような武器の付いた……」
しかし、顔は、何らかの動物のそれだったらしい。
それを、大分、時間を掛けて言う。
「その、合成怪人が、赤ん坊を殺していたのかい」
黒井が訊く。
「合成怪人?」
呪が、黒井の言葉に問い返した。
「ああ、そうだ」
呪は頷いた。
「そいつが、殺していたかと思ったんだ。確か、確か……」
呻くように言う。
呪の白い額に、脂汗が浮かんで来ていた。
「組織……組織だったんだ……」
「組織?」
「何とかという、組織に……秘密結社に造られた、生体兵器……」
「改造人間――」
黒井が言った。
「それだ!」
呪が、黒井を指差して、鋭く言った。
「デストロンの機械合成改造人間――だね?」
「――そう、そうだ。うん、そうだ!」
呪は何度も頷いた。
「その改造人間が、赤ん坊を殺して――」
「――いた訳じゃ、なかったんだろう?」
黒井の言葉に、呪は、激しく首を縦に振った。
「だから、だから、俺は……」
「――」
「む⁉」
「どうした?」
「変だ……」
「何が変なんだ?」
「俺は、いつ、それを知ったのだろうか」
「それ?」
「改造人間が、赤ん坊を、殺したのではないという事だ」
「現場ではないのかい」
「現場?」
「部長の家さ」
「――違う……」
「――」
「だって、俺は……」
そこまで言った時、呪の顔から、血の気が引いた。
唇が紫色に変わり、吹き出していた脂汗が、止まった。
「だって、俺は……」
「死んだのだろう――?」
黒井が言う。
「死んだ⁉」
「うん。君はね、呪さん、その時に、死んだんだよ……」
「どういう事だ⁉」
「君は、デストロンの機械合成改造人間に殺されたのさ――」
「――だが」
「そして、蘇ったんだ。蘇った先で、君は、その話を聴いたのさ」
その話というのは、呪が、赤ん坊を殺していたのは機械合成改造人間だと思っていたが、実際には、部長の娘の夫であった、という事だ。
「蘇った?」
「そう、君は、蘇ったのさ――」
黒井は、ふと、台から立ち上がった。
そうして、暗闇の中で、指を打ち鳴らした。
すると、昏い空間に、ぱっと光が射し込んだ。
そこは、銀色の機械やコンピュータで埋め尽くされた部屋であった。
呪の寝かされていた台は、手術台のようであった。
余りの眩さに、眼を細める呪。
視力の回復と共に、黒井の姿を追った。
黒井は、部屋の隅に立っていた。
壁際だ。
その黒井の隣に、鎧が鎮座していた。
赤い兜の目立つ、白いマントを纏った鎧であった。
兜は、円筒形に近く、小さな覗き穴が開けられている。
その両側の、炎が燃え立つような飾りが、印象的であった。
胸当てには、太陽のフレアを思わせる文様が刻まれている。
左肩に、赤い装甲が備え付けられていた。そこを起点に、白いマントが全身を包む。
鎧の座る左横には、日輪を象った、恐らくは盾が置かれている。
右側には、腕に装着する、三連装機銃と、その中心から伸びるサーベルが一体化したもの。
その姿を見た時、呪の脳内に、津波のように記憶が溢れた。
「お――俺は……」
「そうさ」
膨大な情報量に、頭を抱える呪に、黒井が告げた。
「君は、GOD秘密警察第一室長として蘇った――」
呪が、黒井の方を――否、かつての自分の姿である赤い鎧を見て、言った。
「アポロガイスト……」
呪――アポロガイストは、全てを思い出した。
その事件でデストロンの合成改造人間に殺された後、自分の遺体が組織に回収された事。
組織と言っても、秘密結社デストロンの事ではない。
Government Of Darkness――GOD機関である。
世界各国のマフィアやアンダー・グラウンド組織が提携して、日本を始めとした世界征
服を目論んだ、デストロンと同等と言えば同等の組織であった。
呪刑事を回収したのは、GOD機関の総司令であった。
呪を回収した理由は、GOD機関が、改造人間を用いた日本転覆計画を考案しており、その改造人間たるべく資格――優れた身体能力と知能――を、呪刑事が有していたからである。
そして同時に、呪刑事が、GOD総司令こと、呪博士の息子であった為だ。
その事も含めて、蘇生された後、呪刑事は父親から聞かされた。
呪刑事は、正義感に溢れた男であった。
だからこそ、赤ん坊を攫ったのが、デストロンという謎の結社が造り上げた生体兵器であると知るに及び、益々解決に燃えたのだ。
しかし、実際には、そのような事件を起こしていたのは、人間であった。
生まれたばかりの赤ん坊を奪い、自分の悪事の発覚を恐れて殺害し、埋める――
とても、人間のやる事とは思えなかった。
呪刑事は、その正義感故に、人間を許す事が出来なくなってしまった。
GOD総司令が父親であったという事もあり、呪刑事は、GOD機関に与する事を決意。
自分を、薄汚い人間を支配し得る力を持った改造人間にするよう、自ら父に頼み込んだ。
そうして呪は、太陽神を模した改造人間・アポロンへと改造された。
GOD機関の改造人間は、ギリシャ神話をモチーフとしている。
海神ポセイドンを基にした、ネプチューン。
酒の神であるパーンがモチーフの、パニック。
ヘラクレス。
メドウサ。
キクロプス。
ミノタウロス。
イカロス。
アトラス。
マッハアキレス。
そして、その改造人間の素体となった人間の中でも、群を抜いて優れた呪刑事は、GOD機関の幹部である、秘密警察第一室長に任じられた。
その際に、自分は既に一度死んだ身であるとの思いから、呪刑事は、単に“アポロン”を名乗る事なく、“アポロガイスト”――太陽の亡霊を名乗ったのであった。
だが、そのアポロガイストの生命も、決して長いとは言えなかった。
Xライダーの登場である。
GOD機関は、改造人間と共に、或る兵器の開発を進めていた。
RS装置――極分子復元装置と呼ばれるものがそれだ。
空気中のあらゆる物質を、エネルギーに変換する事が出来る。
それが完成するという事は、無尽蔵のエネルギーを、GOD機関が手にするという事だ。
その為には、幾つもの優秀な頭脳が必要であった。
呪博士は、何人もの科学者・研究者に、資金援助を申し出て、RS装置の完成に協力させようとした。
科学者の精神というのは、興味で構成される。
どれだけ倫理的に忌避すべき実験や研究であっても、興味を惹かれない訳がない。
又、そうでなくとも、自分の研究の為に莫大な金を出すと言われれば、それに応えようとしてしまう。
そうした手段で、呪博士――GOD総司令は、RS装置を完成させようとした。
だが、呪博士が最も欲しがった頭脳を、彼は手に入れる事が出来なかった。
神啓太郎――
呪博士の友人であり、科学・化学に精通した男であった。
神敬太郎は、呪博士の計画に反対し、姿を晦ませた。
呪博士は、それでもやはり、神敬太郎の頭脳を欲し、何としてでも仲間に引き入れようと目論んだ。何としても、自分に匹敵する天才を隣に並べるべく、呪博士は、彼の息子を人質に取ろうとした。
神啓介――
沖縄の水産大学に通っていた彼の存在を調べ上げ、又、同時に神啓太郎の下にも、スパイを潜り込ませ、その生命の保証を引き替えに、自分たちに協力するように、と。
だが、それでも啓太郎は、呪博士――GOD機関への協力を拒んだ。
協力が得られないならば、自分の計画を知っている啓太郎は自分の敵となる。
そう思った呪博士は、スパイ――水城涼子に手引きさせ、神啓太郎に重傷を負わせ、息子啓介を瀕死に至らしめる。
だが――
神啓介は、生きていた。
啓太郎の開発していた、深海開発用改造人間――カイゾーグXへの改造手術を施す事で、我が子の生命を救ったのである。
そして、父の命を奪い、日本転覆の為に暗躍するGOD機関を斃すべく、戦いを挑んで来た。
神啓介は、カイゾーグとなり、神敬介となり、そして、仮面ライダーXとなった。
さて、その仮面ライダーという名前であるが、神敬介自らが名乗ったものではない。
それについて語るには、呪博士と神啓太郎、そしてもう一人の男との因縁を語らねばならない。
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第三節 神呪(親)
「神敬介……」
呪――アポロガイストが呟いた。
それは、アポロガイストのかつてのライバルの名であり、彼を斃した男の名であった。
神敬介――仮面ライダーX。
呪と同じく、瀕死の所を、父の培った改造技術で生き延びた男である。
呪博士。
神啓太郎。
二人は、城南大学の同輩であった。
大学では主に、人工臓器や義肢などについての研究をしていた。
その経過で完成されたのが、呪博士にはGOD機関の改造人間であり、神啓太郎には深海開発用改造人間であった。
そこに、もう一人の男がいた。
緑川弘である。
緑川弘も、生化学を研究する傍ら、人体に埋め込んで人間の活動をサポートする機械の開発に、心血を注いでいた。
啓太郎も、呪も、緑川の持つ技術を参考にしていた所がある。
その緑川は、或る日、突如として姿を消す。
ショッカーという組織に、殺されたのである。
正確に言えば、緑川はショッカーの協力者であったが、その組織の意にそぐわぬ行動を取った為に、抹殺されたのであった。
ショッカーは、GOD機関やデストロンと同じく、世界征服を企む結社であった。
ナチス・ドイツの残党と言われてもいるが、実際には、それより遥か以前から存在しており、終戦間際に、ナチスから優秀な将校や兵士を引き抜いていた。
そのショッカーが、世界征服の為の主な兵器としたのは、改造人間である。
人間に、他の動植物の遺伝子を埋め込み、超能力とでも呼べるものを使用する生体兵器を、造り上げたのである。
その兵器開発に、緑川の技術が必要であった。
緑川も、研究者の一人として、自分の研究がどれだけの結果を生み出すのか、気になっていたという事もあるであろう。
ショッカーに協力して、一体の改造人間の設計図を描き上げた。
その改造人間――強化改造人間とか、S.M.R.とか呼ばれていた生体兵器の理論を組み立て終わった後、緑川は、ふとしたきっかけで、ショッカーという組織の事を漏らしてしまった。
啓太郎と、呪にである。
緑川は、ショッカーが、人類から争いを失くす為の活動をしていると、信じていた。だが、啓太郎はそのショッカーに不信感を抱き、緑川に警戒するよう忠告した。一方で、
呪は、そのショッカーという組織に、魅力を感じていた。
啓太郎も、呪も、研究者としては優秀であった。
違うのは、人間であった。
啓太郎は、学問に通じると共に、武道を修めた、まさに文武両道の鑑のような男であった。
だが、呪は、学問に憑りつかれたかのように没頭し、啓太郎と緑川以外には、親しい人間のない、昏い男であった。
だからこそ、啓太郎は緑川からの話だけでショッカーの実態を見抜いて警告し、呪は同じく緑川からの話だけでショッカーの実態を見抜きながら魅了された。
結論、ショッカーは、啓太郎の危惧した通りの、危険思想の持ち主たちであった。
それに気付いた緑川だが、既に、彼のパーソナルな情報はショッカーの手に渡っている。
下手に反抗すれば、娘の命が脅かされる可能性があった。
科学者としての興味と、人間としての両親に板挟みにされた緑川は、啓太郎に相談した。
“戦うね”
と、啓太郎は言った。
“俺なら、戦うぜ。奴らの考えている事は、人類の自由と平和を奪う事だ”
子供を人質に取られたらどうする――と、緑川は訊いた。
“そんな生半な育て方はしていない”
と、啓太郎。
その、太く、強く、光り輝くような啓太郎の言葉に胸を打たれた緑川は、ショッカーに反旗を翻す事を決意する。
それは、ショッカーの新兵器である、強化改造人間の奪取であった。
ショッカーという巨悪に対抗する為には、どうしても武力が必要になって来る。それは、同じような改造人間でなければ務まらない事だ。
緑川は、ショッカーに従って、強化改造人間を製造する振りをしながら、その素体たるべく人間にショッカーの実態を告げ、共に戦う同志となって貰う事を考えた。
本当ならば、緑川自身がそうなるべきだが、強化改造人間に選ばれる人間は、頭脳と肉体が共に優れている者でなければならない。緑川は、歳を取り過ぎた。
稽古を怠っていない啓太郎ならば兎も角、緑川には無理な事であった。
“俺がなろう”
と、啓太郎は言った。
“俺を、その改造人間にしてくれ”
だが、既に強化改造人間の素体は決まっている。
城南大学随一の秀才である、本郷猛だ。
知能指数六〇〇で、ボクシングやモトクロスで何度も優勝を掻っ攫っている。
そこに、無理に啓太郎を捩じ込む事は、出来ない。
ならば――と、緑川が提案したのは、強化改造人間の技術を、啓太郎に譲渡するというものであった。
啓太郎は、深海開発の為の特殊装備について試行錯誤していた。緑川の強化改造人間のディティールを組み込む事で、完成は出来ないだろうか、と、緑川は提案し、そして、その深海開発用改造人間を、人類の自由と平和の為にショッカーと戦う戦士にしてはくれまいか、と、頼んだ。
そして、強化改造人間の改造手術の日が近付き、緑川から設計図を受け取った啓太郎は、姿を晦ませたのである。
一方、呪博士は、啓太郎や、緑川にも知られぬよう、ショッカーに接近し、その中枢まで潜り込んでいた。
そこで、呪博士は、ショッカー首領や、緑川と共に執刀を担当する死神博士に、緑川の事を密告している。
次のような会話が、あった。
呪 緑川博士は、ショッカーを裏切る心算で御座います。
死神 ほう。
首領 裏切るとはどういう事かね。
呪 あの強化改造人間を、ショッカーから脱走させるのです。
そうして、ショッカーに反抗させようとしているのです。
死神 あの気弱な男が、良く、そんな事を思い付いたな。
呪 神啓太郎という男の入れ知恵です。
その男が、緑川を唆して、ショッカーと敵対させようとするのです。
啓太郎にしても、やはり、ショッカーと敵対する心算です。
首領 神啓太郎の名前ならば聞いた事がある。
お前や緑川に劣らず、優秀な科学者であるらしいな。
呪 はい。
死神 如何致しましょう、首領。
首領 捨て置け。
死神 捨て置けとはどういう意味でしょうか。
首領 そのままの意味だ。緑川は放って置け。
死神 ですが――
首領 企業の発達にはライバルが必要だ。
君も、あの素晴らしい改造人間を越える改造人間を、造りたくはないかね。
死神 ――。
首領 呪博士、情報提供、感謝する。
君が望むならば、君も、ショッカーの技術陣として受け入れよう。
呪 ありがとう御座います。
死神 で、緑川はそれで良いとして、神啓太郎はどうするのですか。
首領 今暫くはそのままにして置け。
是非とも、味方に欲しい頭脳だ。しかし、今はそれも難しかろう。
死神 では、ほとぼりが冷めるまで、という事ですな。
首領 うむ。
呪博士、その時は、君に、彼の説得を任せたい。
呪 畏まりました、首領。
そうして、呪博士はショッカーに所属し、改造人間製造のノウハウを入手、ショッカー・ゲルショッカー、そしてデストロンが滅びた後、ショッカーの後継組織として、
GOD機関を立ち上げたのである。
GOD機関の設立は、しかし、ショッカー首領の手引きがあった。
ショッカーを見限った首領は、アフリカのゲルダムと組み、ゲルショッカーを組織。
ゲルショッカーが、脱走した強化改造人間――仮面ライダーに依って滅ぼされた後に、デ
ストロンとして行動を始めるが、これも、仮面ライダーの為に壊滅した。
これらの事に関する保険か、首領は、デストロン壊滅の半年は前には、呪博士を、新組織であるGODの総司令として据えていた。
総司令とは言うが、実際には、ショッカーに於ける最高幹部である、ゾル大佐・死神博士・地獄大使らと同じポジションである。
呪博士は、GOD総司令でありながらも、GODの最高幹部であった。
真の総司令というのは、やはり、ショッカーなどの組織を率いていた、首領である。
兎も角――
結成当初のGOD機関に届けられたのは、呪博士の息子である、呪刑事であった。
危うく死に至らんとする所を回収され、そして、呪博士の指示で、改造手術を受けた。
以降は、全て前述の通りである。
「しかし――」
アポロガイストは、自らの鎧を眺めながら、黒井に言った。
「私は、死んだ筈だ」
今まで、自分の事を“俺”と言っていたのが、“私”になっていた。
問いを向けられた黒井は、
「ああ」
と、頷いた。
「二度、だ」
「二度、か」
アポロガイストが、神妙に頷く。
二度――アポロガイストは、死んでいる。
GOD秘密警察の第一室長として働いていたアポロガイストは、日本での計画が遅延している事から、その原因たる男を排除すべく立ち上がった。
それが神敬介であった。
仮面ライダーXだ。
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第四節 神呪(子)
仮面ライダーというのは、そもそも、ショッカーの改造人間である。
人間と、他の動植物との遺伝子レベルでの融合を図っていた、今までの改造人間とは、別の方法で改造された、強化改造人間の事を言う。
肉体に人工の臓器や、培養した特殊繊維を埋め込み、脳神経を強化する為のユニットを取り付ける。
その上で、マスクとスーツから成る強化外骨格を装着し、ショッカーの人工衛星とのリンクで走行するマシンを用いる。
仮面とマシンを使用する事から、その改造人間は、S.M.R.と呼ばれていた。
System Masked Riders――それが、強化改造人間計画のプロジェクト名であり、誕生する改造人間の名前であった。
しかし、誰が呼んだか、S.M.R.は、仮面ライダーと呼称されるようになった。
その計画の第一期で改造されたのが、本郷猛である。
緑川博士の手引きで、ショッカーから脱走した本郷は、緑川や、彼にショッカーとの戦いを決意させた神啓太郎のお蔭で、ショッカーに敵対を始める。
彼を斃す為に、死神博士が、第二期強化改造人間計画を立案した。
そうして、六体の強化改造人間第二号が生まれた訳だが、ショッカー基地に潜入した本郷猛は、第二号の内の一体・一文字隼人を仲間として、ショッカーに牙を剥く。脳改造済みであった他の五体は、本郷と一文字を処刑しようとするが、返り討ちに遭って破壊された。
ショッカーと戦う道を選んだ二人の改造人間は、見事、ショッカーとゲルショッカーを壊滅させる。
その後、デストロンが誕生する。
デストロンは、先ず本郷と一文字を抹殺しようとするが、デストロンの暗躍を偶然にも目撃した青年・風見志郎の、命を懸けた妨害で失敗する。
風見志郎はデストロンに両親と妹を殺されており、その復讐の為に、改造人間となる事を、二人の仮面ライダーに望んだ。
改造人間の苦悩を知る本郷たちは、最初はこれを拒否する。
しかし、自分たちを助けた志郎の勇気に感銘した本郷・一文字の二人は、生命を助ける為に改造手術を施す。
そうして、三人目の仮面ライダーが誕生する事となった。
コード・ネームは、Variation 3……俗に、仮面ライダーV3と呼ばれている。
そのV3と、元はデストロンの科学者であったが、自分の出世を妬み、殺そうとした大幹部・ヨロイ元帥への復讐の為、結果的にデストロンに対峙する事となった結城丈二――この二人の活躍で、デストロンは滅んだ。
仮面ライダー本郷猛・一文字隼人は、ショッカーの改造人間である。しかし、脳改造前に脱出した事から、人類の自由と平和の為に、ショッカーと戦う宿命を背負った。
その本郷と一文字――仮面ライダー第一号と第二号に改造された、仮面ライダーV3・風見志郎は、仮面ライダー第三号と呼ばれるべきであろう。
ヨロイ元帥に奪われた右腕を、戦闘用の義手に換え、ライダーを模倣したヘルメットと強化服を纏って戦った結城丈二――ライダーマン。彼は、最初こそヨロイ元帥への復讐だけを考えていたが、最後には、東京に撃ち込まれようとしたプルトン・ロケットを、命を賭して破壊し、人々を守った。
風見志郎は、結城丈二の行ないに感動し、自らが受け継いだ仮面ライダーの名前を、ライダーマンに贈った。仮面ライダー第四号の誕生である。
しかし――
神啓介を殺したのは、ショッカーの系譜であるGOD機関だ。
とは言え、啓介を改造したのは、神啓太郎である。
深海開発用改造人間、カイゾーグX。
そのような肉体を手にした神啓介は、何故、仮面ライダーを名乗ったのか。
「何?」
アポロガイストが、怪訝そうな顔をした。
黒井が、突然、こんな事を言ったからだ。
「ちょっと、俺と、戦ってみよう」
「――」
アポロガイストは、黒井から、自分が神敬介・仮面ライダーXに敗れた事を聞かされた。
二度に渡り、だ。
一度、神敬介に倒されたアポロガイストは、どうにか生き延び、強化改造を施されて蘇った。
だが、復活したものの、アポロガイストの肉体は、強化改造手術の負担で、脆くなっていた。
一ヶ月というタイム・リミットが、宣告された。
それを逃れる為には、Xライダーのパーフェクターが必要であると言う。
風と太陽を、エネルギーに変換して吸収するデバイスだ。
アポロガイストは、パーフェクターを奪う為に策を弄したが、結局、神敬介に斃されてしまう。
それなのに、どうして蘇ったのか、どいう話をしていた。
黒井は、詳しい事は知らないようであったが、アポロガイストが復活したのは事実だ。
そして、これからもアポロガイストとして生きて行く心算があるのなら、復活した状態を見る為に、自分と戦ってみようと、黒井が言ったのだ。
「――分かった」
と、アポロガイストは頷いた。
「ここを出よう」
黒井は、アポロガイストが、兜以外の鎧を纏うのを見て、言った。
アポロガイストは兜を小脇に抱え、盾――ガイストカッターと、三連装銃剣――アポロマグナムを持って、黒井と共に、手術室を出た。
薄暗い通路を歩いて行くと、広い空間に出た。
床は、コンクリートだが、壁は、岩肌が剥き出しであった。
先程の、近未来的な手術室があった事が信じられないが、どうやらここは、地下らしい。
その広い空間は、まるで、闘技場であった。
闘技場に足を踏み入れると、
「よぅ」
と、ざんばら髪の男が、手を軽く持ち上げながら、歩み寄って来た。
赤いラインの入った、黒い革のジャケットを羽織っている。
「あんたが、呪さん?」
と、ざんばら髪の男が訊いた。
「アポロガイストだ」
「そうか。俺は、克己だ」
「かつみ?」
「松本克己――ま、あんたの先輩ってトコかな」
「先輩⁉」
「改造人間のさ。因みに、あっちは俺の後輩かな」
克己は、黒井の方を指差して、笑った。
黒井は、コートを脱いでいる。
黒いコートを放り投げた黒井は、いつの間にか、その身に強化服を纏っていた。
「ぬ――」
アポロガイストが、声を上げる。
黒井が装着していたのは、蒼いプロテクターとレガースである。
手首と足首に、銀のリングが填められていた。
黒いスーツの側面には、金色のラインが奔っている。
黄色いマフラーを巻いていた。
大きなバックルを有したベルトを巻いている。
バックルの中心には、バイクに跨るRの文字――
その姿は、アポロガイストの知るあの男と、何処か同じ匂いを感じさせた。
「仮面ライダー⁉」
ぎょっとなって、アポロガイストが言う。
黒井は、いつもの癖を見せながら、しかし、冷淡に鼻を鳴らした。
「忌まわしい名前だな」
「――」
「仮面ライダーを怨んでいるのは、あんただけじゃないのさ」
「何?」
「しかし、哀しい事に、俺の身体は奴らと同じ――言わば、兄弟なんだ」
黒井が言う。
と、何処に隠されていたのか、広大な空間の中に、クリーム色の車体が這い出して来た。
巨獣が、草むらから歩み寄るように、だ。
猛禽の瞳を、輝かせ、ド派手な自動四輪車がゆっくりと近付いて来る。
トライサイクロンである。
トライサイクロンのシートの下から、黒井は仮面を取り出した。
蒼い、人の頭蓋骨を思わせる、飛蝗の仮面だ。
牙――クラッシャーを押し出して、頭を入れるスペースを作り、すっぽりと被る。
クラッシャーを閉じると同時に、内装パッドが展開して、頭部と密着した。
その姿は、紛う事なき、仮面ライダーのそれであった。
黄色い瞳が、稲妻のように閃く。
アポロガイストの知る――仮面ライダーXとは異なっているが、やはり、共通の意匠が感じられた。
「アポロガイスト――」
黒井が、仮面の奥から呼び掛けた。
「君は、神敬介を――Xライダーを、怨んでいるか?」
「――」
アポロガイストは、脳裏に、神敬介の姿を思い浮かべた。
彼が装着する、深海開発用のプロテクターを思い出した。
アポロガイストの胸の内に、もどかしいような、切ないような、そんな炎が宿る。
「ああ」
と、アポロガイストが頷いた。
「俺と、同じだ」
黒井が言う。
「俺も、仮面ライダーが憎い」
「――」
「しかし、俺の身体は、仮面ライダーと同じものだ」
「――」
「君も同じだ」
「私も?」
「ああ。何故なら、君は、神敬介とは、鏡合わせの存在だからだ」
「――」
黒井がこのように言ったのは、神啓介と呪刑事が、改造人間となった経緯が似ているからだ。
神啓介は、GOD機関に殺され掛けたが、父・啓太郎の手術のお蔭で助かった。この時、GOD機関に立ち向かうのに、人間としての迷いを捨てるべく、父から貰った“啓”介の名前を、“敬”介と改めている。
呪刑事も、事件の最中に殉職し、父である呪博士の手術を受けた。そうして、薄汚い人間への怒りから、GOD機関に与し、改造人間アポロガイストとして二度目の生を選んだ。
だが、それだけではない。
「君は、仮面ライダーとも、兄弟なのだよ」
「何⁉」
「何故なら、アポロガイスト、君の身体は、強化改造人間のデータを基本に、改造されているのだからね――」
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第五節 神呪(兄弟)
強化改造人間――
つまり、仮面ライダーの事である。
神敬介は、深海開発用改造人間――カイゾーグXとしての力を得た。
その息子に対し、神啓太郎は、
“Xライダー”
という呼称を授けている。
GOD機関と戦う内に、やがて敬介は、
“仮面ライダーX”
とも、名乗るようになった。
それは、何故か。
先ずは、敬介が、立花藤兵衛という男と出会った為だ。
強化改造人間第一号、本郷猛の、オートバイの師匠である。
彼は、本郷や一文字、そして風見志郎や結城丈二をサポートして、ショッカーらと戦った。
その立花藤兵衛と神敬介は出会い、藤兵衛は、Xライダーの姿を見て、
“仮面ライダーX”
の名前を与えた。
神敬介の、本郷たちと同じように、人々を脅かそうとするGOD機関と戦っている姿が、四人の仮面ライダーの生き方と重なったのである。
だが、それ以前から、“ライダー”という呼び方を、啓太郎はしていた。
その“ライダー”というのは、勿論、仮面ライダーの事である。
城北大学で教鞭を振るっていた神啓太郎には、呪博士と、緑川博士という友人がいた。
緑川はショッカーに協力しようとしたが、啓太郎の助言で考えを改める。その際に、既に作成間近となっていた強化改造人間の設計図を、啓太郎に手渡していた。
啓太郎は、カイゾーグの理論が完成したならば、緑川の強化改造人間のボディと合わせて、やはり戦闘が可能な改造人間のシステムを組み上げ、ショッカーと戦おうと考えていた。
仮面ライダーとショッカーやデストロンとの戦いは、決して、歴史の表には出ない。しかし、都市伝説のようにひっそりと語り継がれ、啓太郎の下にも届いていた。
そうして、設計の完成した深海開発用改造人間に、仮面ライダーという名前を与えていたのである。
立花藤兵衛と出会わなかったとしても、神敬介は、仮面ライダーを名乗っていた事であろう。
神敬介の身体には、父・啓太郎が、緑川から受け継ぎ、そこから本郷猛たちに引き継がれたのと同じ、魂が込められていたのである。
しかし、元を辿れば、やはり仮面ライダーはショッカーの改造人間である。
その理論は、当然、後の組織にも引き渡される事になる。
GOD機関にも、そうだ。
呪博士は、その強化改造人間の設計で、幹部候補の改造人間・アポロンを造り上げたのだ。
要するに、アポロガイストの構造は、仮面ライダーと極めて似通っていたのである。
Xライダーが、GODの改造人間・クモナポレオンの為に窮地に陥った際、風見志郎が、敬介の身体にマーキュリー回路を埋め込んで、パワー・アップを計っている。
その強化改造手術が円滑に進んだのは、志郎と敬介――仮面ライダーV3と仮面ライダーXの構造が似通っていた為だ。
そして、アポロガイストが、Xライダーに敗れ、再生した後、Xライダーのパーフェクターを取り付ける事で、永遠の命を手にする事が出来ると言われていたのは、アポロガイストが、パーフェクターからエネルギーを取り込める――つまり、Xライダーと類似の構造を持っていたからなのだ。
そうした意味で、仮面ライダーXとアポロガイストの間には、深い共通点が存在している。
父の造ったサイボーグ・ボディには、それぞれ啓太郎の願いと呪博士の狂気が、血として、胸に、眼に、腕に、手に、流れ、渦巻き、滾っているのである。
神啓太郎の息子・敬介。
呪博士の息子・呪刑事。
仮面ライダーX。
アポロガイスト。
二人の親から生まれた、二人の子は、一つの兄弟として、複雑に絡み合った螺旋であった。
そのような話を聴いて――
アポロガイストは、小さく笑った。
何かに、納得出来たような顔であった。
「目覚めた時……」
と、アポロガイストが言った。
「最初に思い出したのは、奴だった……」
「――」
「神敬介……」
「――」
「そういう事だったのか……」
く――
と、アポロガイストが笑う。
く、
く、
と、アポロガイストが笑った。
兄弟のような存在だ。
鏡合わせの存在だ。
だからこそ、自分は、あの男に執着し、今も、復讐の炎を胸に灯している。
「私が蘇ったのも、その為なのだな」
「そうだ」
黒井が頷いた。
「長ったらしい話はお終いにしようぜ」
克己が、口を挟んで来た。
「やるんだろ、おたくら」
「ああ」
アポロガイストは頷くと、兜を身に着けた。
燃え盛る炎を宿した、赤い兜である。
兜を装着する事で、アポロガイストの身体が覚醒する。
それは、まさに強化改造人間と同じシステムであった。
アポロガイストが、マントを翻す。
胸に、太陽のフレアが輝いていた。
左手には、ガイストカッターを持っている。
右腕に、アポロマグナムを装着した。
「ま、軽い気持ちでやってくれ」
克己が、互いに歩み寄る二人の真ん中で、音頭を取った。
「アポロガイスト、あんたの身体だが」
「分かっている」
と、アポロガイスト。
二度――人間であった頃を含めると三度――の死を経験したアポロガイストの、身体の状態は、最高のポテンシャルを発揮するものではない。
一度、Xライダーに敗れ、強化改造手術を受けたが、その延命にはパーフェクターが必要であった。今は、勿論、パーフェクターがない。
であるから、GODのコンピュータに残っていた、強化改造以前のアポロガイストの能力を基準にして、再生手術が執り行われた。
装備自体は、強化アポロガイストの、三連装銃剣・アポロマグナムと、ガイストカッターであるが、それを存分に扱う身体かと言えば、首を横に振らざるを得ない。
「構わぬよ」
しかし、アポロガイストは、そのように言った。
試し合いだから、自分が壊される心配はないので、そう言っているのではない。
「じゃあ、そういう事で――」
つぅ、と、克己が数歩下がった。
アポロガイストと、黒井が、遠い間合いを保ちながら、立ち止まる。
パンチではない。
蹴りでもない。
アポロフルーレ――アポロマグナムの剣――が、ぎりぎりで届かない間合いである。
黒井が、手首をもう一方の手で握る。彼がレーサーだった頃も、そうして集中力を高めた。
蒼と赤――
二つの改造人間の身体の間に、ぶつかり合うパワーのようなものが充満した。
冷たい氷の殺意と、熱された炎の闘志が衝突し、相殺して真っ白い光を放つ。
その二人を眺めて、克己が、言った。
「始め!」
アポロガイストが、先ず、アポロフルーレを唸らせた。
剣――と言うが、サーベルである。
しなる。
鞭のように、鉄がくねり、その軽さ故に素早く動いて、敵を翻弄する。
黒井は、左斜め下から迫って来た剣先を、小さく後退して躱す。
アポロガイストは手首のスナップで、フルーレの剣先を返し、黒井の胸元に突き込んで来た。
如何に細いと言っても、幹部クラスの改造人間の武器である。コンバーターラングでも、貫通する威力がある。
アポロガイストの右側に、斜めに移動して、黒井が躱す。
そのまま、間合いを詰めて行った。
蹴りの距離に入った。
「――しゃっ」
黒井の、見事な横蹴りが、アポロガイストの開いた右脇腹に向かって進んだ。
アポロガイストは、右脚を引き戻しながら、左半身を黒井に向けて行った。
身体の前には、ガイストカッターを突き出している。
黒井が、押し当てられるガイストカッターを、両腕で受ける。
そのガイストカッターの下から、アポロフルーレが突き上げられた。
黒井は地面を蹴って、後方に跳躍。
月面宙返りを極めながら、距離を取って着地した。
「良い動きじゃないか」
黒井が言った。
一旦、構えを解き、その場で軽くジャンプしてみせる。
「お蔭さまでな」
アポロガイストが言う。
アポロマグナムを、黒井に向けた。
その銃口に、戦意が溜まる。
どっ、
どっ、
どっ、
と、銃弾が吐き出された。
しかし、これはあくまでも、黒井の感覚である。
普通の人間には、三つの銃口から、一体幾つの弾丸が放たれたのか、分からない。
黒井の周囲で、幾つもの火花が散る。
地面。
壁。
床。
小鳥のさえずりのように、爆音が地下の闘技場に連鎖した。
その音とフラッシュの為、鼓膜が破れてしまいそうにも思う。
又、その場に他に人影があれば、跳弾の為に生命を奪われていただろう。
黒井が、アポロマグナムを全て弾いているのだ。
その手が、目まぐるしく動き、銃弾から我が身を防御している。
黒井が弾いた弾丸の一つが、克己の顔に向かって飛んで来た。
克己は、それを掌で受け止め、床に放った。
アポロガイストが、銃撃をやめる。
闘技場に、硝煙が満ちていた。
床には、蟻の巣のように、幾つもの穴が開いている。
壁も、大きく削れている所があった。
無事なのは、強化服を纏った黒井と、射手であるアポロガイスト、そして克己である。
その場にいた三人は、何れも、そんな事など問題にしていなかった。
「――ウォーム・アップは終わりだ……」
黒井が、白い煙を手で払いながら、言った。
「悪いが、寝起きだからとか、万全じゃないからとか、試し合いだからとか、そういう事を、俺に言うのはやめてくれ」
「――」
「そうであっても、徹底的に叩き潰すのが、俺の主義でね――」
それを聞いたアポロガイストは、小さく鼻を鳴らした。
「それで、良いのだ」
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第六節 攻防
アポロガイストは、アポロマグナムを解除した。
銃弾が尽きたのである。
アポロマグナムの先端に突き出していた、アポロフルーレだけを、右手に握っていた。
煙の中から、黒井の、蒼い仮面が顔を出す。
緩く開いた左手を前に出し、右手で、胸の辺りをガードしていた。
その黒井に、アポロガイストは躍り掛かって行った。
アポロフルーレでの、刺突。
鉄の蛇が、樹から樹へと飛び移るが如く、剣先が唸った。
身体を沈めた黒井は、左手でアポロガイストの右手を打ち上げ、同時に、右のパンチを突き出した。
ガイストカッターで受ける。
アポロガイストは、日輪の盾を、身体の内側にずらした。つまり、黒井が叩き付けて来た右の拳を、黒井の身体の中心側に、引っ張ってやったのだ。
黒井が体勢を崩す。
その顔面に、アポロフルーレのナックル・ガード部分を叩き付けた。
右側を向いた黒井。
その胴体を、アポロガイストが蹴り込んだ。
後退する。
アポロガイストは、ガイストカッターとアポロフルーレを宙に放り投げ、落下するまでの間、黒井の身体を散々に打ち据えた。
拳。
蹴り。
拳。
拳。
蹴り。
キック。
パンチ。
パンチ。
その都度、鉄の拳が、鉄のプロテクターにぶち当たり、光を散らす。
「ぬっ!」
アポロガイストの、思い切り踏み込んだ正拳突きが、黒井の鳩尾を捕らえ、黒井が後退った。
そこに、丁度、アポロフルーレが舞い戻って来る。
アポロガイストは剣を振り上げ、黒井に斬り掛かった。
そもそもが刺突用の西洋剣であり、本来の用途は、鎧の僅かな間隙に突き込んで、そのまま殺傷せしめる事だ。如何に全力の潰し合いとても、トレーニングや、確認の一環で
ある限りは、そのような事はしない。
しかし、鉄の蛇剣のしなりは、打撃としては、十二分に有効である。
黒井は、コンバーターラングに、十字の傷を入れられながら、アポロガイストが追撃で放った後ろ廻し蹴りで吹っ飛ばされ、床を転がった。
アポロフルーレを携えながら、ガイストカッターを手にするアポロガイスト。
黒井はすぐさま立ち上がると、アポロガイストに向かって駆け出して行った。
真っ直ぐ――
と、フルーレを突き出そうとしたアポロガイストであったが、黒井は右に跳び、アポロガイストがそちらを向くと、左に跳んだ。
フット・ワークを使って、アポロガイストを撹乱する。
黒井が、アポロガイストの周囲を回り始めた。
飛蝗の能力を模した黒井の脚力で、周囲を目まぐるしく回られては、アポロガイストでも捉え切る事が出来ない。
しかし、赤い兜の奥で、アポロガイストは太い唇を吊り上げる。
ガイストカッターを振り上げて、後方に放り投げた。
蒼い飛蝗の仮面の残像を、日輪の盾が切り裂いた。
黒井は、アポロガイストの背中側に回っていた。
その瞬間、アポロガイストの、ガイストカッターを手放したばかりの左手が唸り、その延長線上にあったアポロフルーレの切っ先が、黒井の胸を横一文字に引き裂いた。
アポロガイストは、黒井がガイストカッターを躱し、自分の背後に回る事を予見して、盾を放り投げる動きのままに左側に回転し、同時に剣を持ち替え、黒井が攻撃をして来
るであろうタイミングで、アポロフルーレを振るった。
黒井は、舌を打ちながら、バック・ステップで下がった。
「どうした、黒井!」
と、外野から、克己が吠えた。
「良いトコなしだなぁ」
「――ふん」
黒井は、手首を握って、意識を高め直すと、アポロガイストに立ち向かって行く。
「ここからさ」
とんっ、と、地面を蹴った。
まるで空中を滑るように、黒井の身体がアポロガイストに真っ直ぐ進んだ。
簡単に、カウンターを取れそうであった。
しかし、持ち上げ掛けたアポロガイストの、フルーレを握り直した右手が、小さく、本当に小さくではあったが、揺れた。
その刹那、跳び上がった黒井の膝蹴りが、アポロガイストの顔面に叩き付けられていた。
ずずぅ、
と、アポロガイストは、蕎麦を啜っていた。
夏の陽射しに焼かれ続けた身体の内側、熱された内臓に、冷たい汁を絡ませた蕎麦が、するすると入り込んで行く。
葱の香りが、ワサビの辛さと一緒に、鼻を抜けて行った。
辛さという感覚は、痛み、熱と同じと言うが、冷たいものを触っても、痛みの反応が出る。熱くなった身体には、その冷たい痛みが、心地良かった。
「旨いな」
と、ぽつりと言った。
「そうっすねぇ」
と、打田が言った。
揚げ立ての海老天を、はふはふとやりながら、齧っている。
打田の歯に齧られたが、唇に触れて弾かれた衣が、ぽろぽろと、皿の方へ落ちて行く。
唇が、油でてらてらとしていた。
或いは、髪の生え際から落ちる汗が、鼻の横を通り、天ぷらに混じっているのかもしれない。
塩だな。
と、俺は思った。
天ぷらは、塩だ。
揚げ立ての、金色の衣に、はらはらと真っ白い塩を振り掛けて、それで喰うのが、旨いのだ。
液体に混じって、立ち上がって来る、とろとろと溶け出した塩の結晶の匂いが、堪らない。
俺も、天ざるにして置けば良かったかな――
そう思いながら、蕎麦を啜った。
「先輩」
と、打田が声を掛けて来た。
「何だ?」
と、言い返すと、黒井がいきなりパンチをぶち込んで来た。
痛みを感じる前に、次のパンチが、俺の腹にめり込んで来る。
おいおい。
打田よ。
確かに、この炎天下、お前を連れ出したのは俺だが、いきなりパンチを黒井する事は蒼い拳ないだ蒼い鉄ろう。
俺は今かなりいい気分で痛蕎麦を啜っ苦ていた拳ん蹴だ。
こんな天ぷらを倒れしたんだ。
お蕎麦、呪博士に神啓太郎を敬介してもアポロガイストじゃないか。
あれ⁉
あれれ⁉
何で、打田、お前、そんな変てこな仮面を被っているんだ。
まるで飛蝗みたいな……
パンチ。
パンチ。
パンチ。
ああ、黒井か。黒井が俺の上に馬乗りになって、蕎麦をぶっ掛けて来る。
打田はそのまま、天ぷらにパンチを落として、俺の茶碗を打ち砕いた。
痛み。
痛み。
痛み。
ワサビが熱い。
葱が苦しい。
蕎麦が痛い。
パンチが辛い。
パンチが香る。
パンチが旨い。
黒井が打田の拳を呪の腹に落として蕎麦が黒井の呪に克己を天ぷら。
む?
むむ⁉
違うな。
違うぞ。
お前は打田じゃないな。
お前は黒井だ。
黒井響一郎と名乗った男だ。
そうか。
俺は、何を勘違いしていたのだ。
俺は、今、炎天下の聞き込みの最中に思わず入ってしまった蕎麦屋にいるのではない。
私は、Xライダーに喫したに度目の敗北から蘇りその身体を確かめようとしているのだ。
その相手というのが、黒井だ。
その相手というのが、黒井響一郎だ。
その相手というのが、強化改造人間第三号だ。
強化改造人間第三号・黒井響一郎は、今、俺に馬乗りになって、俺の顔を殴り続けている。
右の拳が、弧を描くような軌道で、顔の脇に叩き付けられた。
兜の左側面だ。
鉄に亀裂の入る音が聞こえた。
次は、黒井の左の拳だった。
やはり兜が軋みを上げる。
私は、腰をぐりぐりと左右に動かして、黒井を振り落としてやろうとした。
すると、呆気なく、黒井の身体が横に崩れた。
どうやら私は、黒井に馬乗りになられる直前、黒井の胴体を両脚で挟んでいたらしい。だから、下から、俺が黒井を揺すってやる事が出来たのだ。
私は、左側、私にとっての右側に倒れて行く黒井を追って、身体を持ち上げた。
このまま起き上がれば、黒井から、馬乗りのポジションを奪う事が出来るからだ。
しかし、黒井は私の脚の中で腰を捻ってクラッチを緩めさせ、私の左脚を抱え込もうとした。
ぞくぞくと、私の左脚から、稲妻のように脳まで走る予感。
私が、黒井の腕から脚を抜くのがもう少し遅ければ、私のアキレス腱は捩じり上げられていただろう。
しかし、それにしても、親父はどうしてマッハアキレスに神話通りの弱点を与えたりしたのだろう。
アキレスという改造人間がいたのだ。
気の短い奴で、私は確か“瞬間湯沸かし器”と呼んだ。
その上、自分の力を過信する愚か者だった。
だから、Xライダーを一度はピンチに追い込みながら、逆転された。
もう勝てないだろうと見たから、私は、あいつの事を撃ったのだ。
ああ、それで、何の話だったか。
そう、今はアキレスの事などどうでも良いのだ。
私は黒井の腕の中から左脚を抜き、そのまま、右脚も一緒に脱出した。
尻で滑る、何とも間抜けな姿を晒しながら、立ち上がろうとする黒井から逃げる。
黒井は四つん這いに近い姿になると、そのまま、私を追って来た。
超低空の、タックルとも呼べないタックルだ。
私の上に覆い被さって来る。
又、馬乗りになろうと言うのだろうか。
そうはさせるか。
私は、向かって来る黒井の腹に、膝を打ち上げてやった。
奴のプロテクターと、私自身のレッグ・ガードの重みに、私の脚の筋肉と骨格が悲鳴を上げる。しかし、黒井にもダメージは通った筈だ。
私は左膝で黒井の腹を押さえたまま、そこを支点に右脚を跳ね上げ、黒井の左肩に脚を絡めてやった。このまま上下を反転し、脚で絡め取った左手首を握って捩じり上げてやれば、肩関節が極まる。
我々のように外骨格や強化服を纏う改造人間は、パンチやキック、銃撃などの瞬間的ダメージには強いが、関節を取られて動きを止められたりしては、どうにもしようがない。
だが、黒井は無理に自分の腕を引っこ抜くと、逆に、起き上がった私の右手首を右手で掴み、左掌を肘に押し当てながら、私の身体を引き倒した。
みちっ、
みぢっ、
と、私の右肘が叫んだ。
私が耐えると、黒井は左膝で私の右脇腹を小突き、左手を私の前腕に移動させると、肘の所に左肘を宛がった。
何をするかと思えば、黒井は私の横から頭の方へ移動して、頭部に右の肘を落としながら、掌で右肩を押さえ、私の身体をねじ伏せた。その際に、右肘の骨が、筋肉から剥離する。
「うむっ」
と、私は唸ったが、黒井はしつこくも私の右腕を破壊せんと、後ろに回って来ようとした。
壊れているなら構う必要はない、と、私は右腕を取り返して、黒井の顔に左のパンチを当ててやった。
そのお返しとばかりに、黒井の右の鉄拳が、私の兜の半分を砕いて行った。
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第七節 悪意
ガキの時分――
親父の事が嫌いだった。
先ず、自分の名前からして、俺は、大嫌いだった。
呪――
そんな名前を与えられて、良い気分なんか、しよう筈もない。
しかも、名前と言ったって、下の名前じゃないぞ。
苗字だ。
姓だ。
名前の方なら、幾らでも、変えてやれる。
しかし、苗字となると、中々変えてやる事が出来ない。
婿養子にでもなれば別なのだろうが、特別な事情がない限り、俺は、いつでもそう呼ばれる。
呪さん。
呪くん。
呪さんの所の。
その字が持っている、余り好ましくないイメージから、人は、俺を避ける。
しかも、音が良くない。
のろい。
ノロい。
のろまだと莫迦にされた。
のろまというのが、俺のあだ名だった。
そんな事を言われるから、俺は、初対面の人間にも、どんくさいのだと思われた。
俺が駆けっこで一等賞になると、そんな事は払拭してやれる。
けれど、俺がそう呼ばれている事を気にした先生が、
“普段から、皆、呪くんに酷い事を言っているけれど、全然そんな事ないからね”
とか、俺を庇うような事を言うと、俺は寧ろ惨めったらしくなってしまう。
ノロいくせに一等賞だなんて生意気だと、そんな風に言われる事もあった。
それは、良い。
そんな事は、どうだって、良いのだ。
そんな事は幾らでも我慢出来た。
我慢出来ないのは、親父だった。
研究ばっかりに没頭していて、俺や、母さんの事は相手にしてくれなかった。
母さんは、良い女性だった。
“お父さんの事、悪く思っちゃだめよ”
そんな事を良く言っていた。
俺が、親父が遊んでくれない事を愚痴った時だ。
頭でっかち。
がり勉。
研究バカ。
そういう事を言うと、母さんは、いつだって親父の事を味方した。
或る時、学校から帰ると、母さんが、顔に痣を作っていた。
どうしたのか、と、俺が訊くと、何でもないとか、そこら辺にぶつけただけとか、そういう事を言った。
嘘だ。
本当は、俺は、知っているのだ。
親父に殴られたのだ。
親父は、いつもは大学の研究室に籠っている。
けれど、偶には家に帰って来て、論文を読み漁ったり、小難しそうな理論を組み立てたりしている。
そういう時に、母さんは、茶や飯を運んでやるが、親父の機嫌が悪い時に出くわすと、ぶん殴られたりする。
お盆に載せた湯呑みを引っ繰り返されて、太腿に火傷を作ったのを、俺は知っている。
親父はそれを謝りもしない。反省もしない。
だのに、お袋は何でもないと言い張ってしまう。
それが気に喰わなくて、俺は、一度、親父に言った事があった。
何で母さんを殴るのだ。
何で母さんに暴力を振るうのだ。
“五月蠅い”と、一蹴された。
親父は俺をぶん殴り、蹴っ払い、棒で引っ叩いた。
その夜、親父は、お袋を犯した。
“お前、××に言ったな”
と、親父の言う低い声を、俺は聞いている。
全身、ぶっ叩かれた痛みにやられて、布団の上でダウンしている時だ。
襖の向こうから、親父が、母さんに詰め寄っているのが分かる。
母さんは何を言う機会も与えられずに、親父に荒縄で縛られて、先端をササラにした竹の棒で叩かれていた。
一通り、その暴力が終わると、今度は、尻を高く掲げさせられていた。
尻の外側から両手をあそこにやり、自分で開いて、脚の間から顔を出して、親父に向かって、卑猥な言葉を強要されていた。
親父は、生ゴムか何かで成形したらしいもので、母さんを貫いた。
親父が自分のものを出す事は、なかった。
親父は不能だった。
只の一度だけ、それが使えるようになり、その時が、俺が出来た時だった。
それ以降は、ずっと、親父は役に立たなくなった。
親父は、自分の不能を、母さんの所為にした。
自分は出来ないのに、俺が生まれた事が、益々、母さんへの負の感情を膨らませた。
あの一度だけで、息子が出来るものか。
きっと、他に男を作っていたのだ。
親父はそんな風に思い込んで、母さんや、俺を、決して好いてはいなかった。
俺は、中学で、柔道部に入った。
剣道や空手もやった。
親父が、母さんや俺をぶん殴るのを知っていたからだ。
自分と母さんの身を守る為に、俺は、空手を習い始めた。
高校が決まり、中学卒業を間近に控えた頃、親父が、母さんを殴っている現場に出くわした。
よせ――と、俺は、親父を母さんから引き剥がした。
親父は、元から身体が強い方ではない。
痩せ細った親父の腕が、お袋の肉をぶっている所は、正直、想像が付かない。
俺は、武道だけではなく、色々なスポーツにも手を出していた。
陸上でも、野球でも、アメフトでも、一番だった。
それも、親父が、俺を、自分の子供ではないと疑う原因だった。
その日が契機だった。
親父は、俺に対して、今までの不満を全部ぶち撒けた。
お前の母親は浮気をしていたのだ。
お前は俺の子供ではないのだ。
そのくせ俺の金で学校へ行っているのだ。
俺は、頭の中で、何かが切れる音を聞いた。
俺は親父をぶん殴った。
何発も殴った。
親父が母さんをぶん殴った時よりも、親父が俺をぶん殴った時よりも、ずっとずっと、拳を落とし捲った。
親父の顔はぶくぶくと膨れ上がった。
親父は、俺が胸倉を掴んでいる手を両手で包み込み、
俺が悪かった。
許してくれ。
許してくれ。
と、涙ながらに懇願した。
手を離すと、土下座までしくさった。
顔を上げろと言ったら、余計に縮こまってしまった。
まるで虫のようだった。
こんな虫の為に、殴られ続けていたのか――
俺も、母さんも。
酷く空虚な気分だった。
こんな――
こんな愚劣な男を、俺は恐れていたのか。
出て行け、と、言った。
二度と、俺と、母さんの前に、顔を出すな、と。
親父は、自分の書斎にあった本などを纏めて、その日の内に、家から出て行った。
母さんは、その少し後で、病で臥せり、死んだ。
俺は、独りだった。
高校へ入った。
学費は、自分で稼いだ。
親父の研究は、それなりに人の役に立っているらしく、その印税みたいなものが、家にはちょっとばかし残っていた。
それは、使いたくなかった。
だから、毎夜毎晩、すぐに給料の貰える仕事をやり、自分の金を稼いだ。
何故、警察官になろうと思ったのか。
親父が、この世のゴミだったからだ。
ああいうゴミが、きっと、世の中を悪くするのだろうと思った。
それを片付けられるのが、警察という組織だと、思っていた。
人間がゴミばかりじゃない事を、俺は知っている。
俺の母さんは、菩薩のような女だった。
親父にどれだけ乱暴されようが、いつでも良い妻、良い母親であろうとした。
そんな女が、尽した相手に犯されて、病気になって、決して幸せではないままに死んでしまうなんて、間違っていると思った。
そんな間違いを正せるのが、警察なのだと。
だが――
しかし。
やっぱり、人間はゴミだ。
俺が警官になってから、一体、幾つの手首に手錠を掛けてやってのか。
何度、人に向かって引き金を引いたのか。
悪い奴らをぶん殴り、極悪人の血を飛沫かせて、白いスーツを赤く染めても。
世の中は、ちっとも、良くなりやしない。
ゴミだ。
屑だ。
あれと同じだ。
空を汚す煙と同じだ。
海を汚す油と同じだ。
それだって、元はと言えば、人間が作り出したものだ。
人間の中に、時に、俺の母親のような善人が生まれる事は分かる。
それが人間の本質――俺が思う本当の人間だ。
けれど、その本質が、全く以て押し潰されているような世の中だ。
だから、決して悪ではない人間の本質が、捻じ曲げられているのだ。
そうでなければ、自分の身勝手で、人の子供を殺すような連中が、長い間、のさばっていられる訳がない。
人間は、ゴミだ。
人間は、屑だ。
アポロガイストと黒井は、地面に転がりながら絡み合いのた打ち回りながら戦っている。
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第八節 深化
足と足が絡み合う。
膝と膝が絡み合う。
腰と腰が絡み合う。
胸と胸が絡み合う。
腕と腕が絡み合う。
手と手が絡み合う。
頸と頸が絡み合う。
その都度、金属の鎧は軋み、特殊合成繊維のスーツはねじれ、肉が哭き、骨が吠え、全身の神経という神経を電流が踊り狂った。
アポロガイストには、何処から何処までが自分の身体なのか、分かっていない。
黒井には、どれがアポロガイストの身体でどれが自分なのか、分かっていない。
それだけ、絡み合っている。
そんな風に感じるまで、二つの肉体が軋み合っていた。
まるで交尾である。
アポロガイストの手が、黒井の脚を掴む。
黒井がアポロガイストの腰を跳ね上げる。
アポロガイストは小脇に太腿を抱え込む。
黒井は伸び上がった相手の手を捩じった。
弾けるのは、金属同士がぶつかる火花だ。
その鎧やスーツの隙間から、二つの肉体から漏れ出す汗が、溢れていた。
擦れ合う金属が、油を塗ったように、ぬらぬらと輝いている。
共に、その姿は凄惨を極めた。
アポロガイストは、兜の上半分をすっかり破壊されている。
口元を覆うパーツが、残っているだけである。
ダンディズムを感じさせる顔が、血と汗と涙でぼろぼろであった。
額が、獣の口のように裂けて、血をこぼれさせている。
その脂が眼に入り、白い部分がなくなっていた。
鼻の頭が、斜めを向いてしまっている。ハンサムが台無しである。
先程、黒井に捩じり折られた右腕から、レガートが滑り落ちている。外骨格が外れる際に、折れた肘に引っ掛かって、鉄の骨格が人造皮膚から人工筋肉と共に覗いていた。
マントはない。寝技の攻防をする内に、黒井がそれで頸を絞めて来ようとしたので、放り投げた。
胸のプレートが窪み、指を刺し込んで手前に引けば、剥ぐ事が出来そうだ。
一方の黒井も、無事ではない。
蒼いコンバーターラングに、クレーターが出来ている。
肩にも、スプリングを内蔵したパッドがあるのだが、それが、地のスーツごと千切られていた。
ベルトの横に設けられたバーニアの片方が、折られている。
仮面は、顔の半分が覗く位に、割られていた。
黄色いマフラーは、アポロガイストの返り血と、鳩尾に良いのを喰らった時に吐いた血で、色を変えてしまっていた。
そんなぼろぼろの二人が、一時間以上、立ち上がる事なく、相手を仕留めようとしている。
腕を取り、脚を取り、背中を取り、頭上を取り――
打。
投。
極。
自らが知るあらゆる技術を駆使して、鎧の向こうの肉体を破壊に掛かっていた。
試し合いであった筈だ。
アポロガイストの肉体が、どれだけ戦えるのか。
それを見るだけの筈であった。
しかし、試し合いは果し合いへと変貌し、殺し合いへと進展している。
そこから更に、愛する者と閨の中でするような、いやらしい蛇の交尾へと昇華されていた。
相手の腕や脚の動きを封じながら、相手の身体に自分自身を打ち込み、体液を塗り込んでいるのである。
もう、訳が分からなくなっている。
訳が分からないが、分からないなら分からないなりに、自分の肉体と、相手の肉体が求める事をやっている。
黒井も、アポロガイストも、そういう事をやっていた。
アポロガイストが、肉体に異常を感じ始めたのは、その最中であった。
ふと、黒井の感覚が消失した。
自分の脚の下にいる筈の黒井の姿が、なくなったのだ。
あれ⁉
と、驚いている間に、黒井はアポロガイストの下から抜け出している。
アポロガイストは、咄嗟に拳を繰り出した。
しかし、膝立ちになろうとしてからの拳は、空を切った。
黒井は、まだ、アポロガイストの下から脱出しただけで、顔を上げてはいない。
俯いたままだ。
アポロガイストが、その黒井を目視した時には、抱きすくめられ、押し倒されていた。
黒井は、やけにもったりとした動きで、アポロガイストの胴体の上に跨った。
アポロガイストは、逃れられた筈の黒井の動きから、逃げる事が出来なかった。
黒井はアポロガイストに馬乗りになっている。
両方の膝で、しっかりと、アポロガイストの脇腹を挟んでいた。
黒井が、深く息を吸う。
一つ、息を吸って吐くのにも、異様に時間が掛かっていた。
アポロガイストは、黒井を振り落とそうとするのだが、身体が動かない。
いや、動いているには動いているのだが、その動きが酷く緩慢なのである。
アポロガイストが逃れられないでいる間に、黒井が拳を振り上げた。
ゆっくりと、だ。
蛞蝓が這うような動きだった。
しかし、アポロガイストの聴覚は、黒井の筋肉の動きを聞き取っていた。
骨や、血液の流動でさえ、アポロガイストには聞こえていた。
そのゆっくりとした視界が、急に広がった。
ぎゅぅ、と、黒井の拳に、自分の視力が全て注ぎ込まれた。
そのグローブの、アポロガイストを殴っていた時に付いた、無数の傷や返り血を、事細かに観察する事が出来た。
黒井が拳を落として来る。
ゆっくりと、だ。
秒針が、分針の速度で動くようなものだ。
マウントを取られているので、完全に打撃を封じる事は出来ない。
しかし、あれだけ遅いパンチなら、腕を掴んで引っ張って引っ繰り返してそのまま逆転して腕緘を仕掛けて逃れようとする黒井を押さえ付けながら腕十字に移行し肘をぶち壊して裏返って裏十字で肩を外してやり脇固めで極めてやる事も可能だ。
そう思ったアポロガイストであったがアポロガイストの腕は全く上がらず黒井の拳が顔面に落ちて来て鉄の頭蓋骨に亀裂が入る音を聞いたアポロガイストは自分の腕が全く以て上がらない理由に思い至らないまま黒井がもう片方の拳を持ち上げるのを見たその視界の中でゆっくりと黒井のパンチが落ちて来る何でこんなに時間の流れが遅いのに俺は何も対応出来ないのかと思った拳が顔面を抉る黒井は次から次へとパンチを落としていたしかしアポロガイストはそのどれに対応したガードを行なう事も出来なかった。
お
と、黒井が言ったらしいが、何故急に“お”などと言い始めたのかアポロガイストには分からなかったしかしそれを言いながら黒井は拳を落として来る顔を殴られるのは嫌なので何とかガードしようと腕を動かそうとするのだが全身が鉛のように重いという訳でもないのに全く腕が上がらない。
い
と、黒井が言ったらしいどうやら最初の“お”と今の“い”は繋がっているらしくつまりは“おい”という呼び掛けのようなのだがそれにしてはどうしてあんなに一つ一つの文字に時間を掛けているのかアポロガイストには分からなかった。
お
黒井はそれからもゆっくりゆっくりと文字を発音して行ったアポロガイストはどうやらこれは黒井が何かを俺に伝えようとしているのだなと分かりこんな風に思考をしていては恐らく黒井はいつまで経っても俺に何も伝えられないのだと察したアポロガイストは一旦は何を考える事もやめて黒井の言葉を聞こうとした。
ま
え
み
え
て
い
る
の
か
黒井はそう言い終えるとパンチをやめたアポロガイストには黒井が何を言っているのか分からなかった何が見えているのだろうと俺は思ったアポロガイストは与えられる無数の情報とやむ事ない思考に困惑していたまるで自分の中に別の自分がいるようなしかしそれはやはり自分であり決して追い出す事の出来ない呪のようなものである事を察して追い出す事をやめた。
「アポロガイスト!」
黒井が叫んだ。
アポロガイストは、黒井に片足を絡まれながら上になった時から、妙な様子であった。
突然、動きを止め、黒井の脱出を許したかと思えば、黒井が動く前から、黒井が移動しようと思っていた方向に拳を向けた。
黒井がマウントを取り、拳を落とそうとしたら、手をわたわたと動かすばかりで、黒井のパウンドに抵抗する気がなくなってしまったかのようであった。
それで、若しかしたら、と思って、黒井は声を掛けたのだ。
その意味も、アポロガイストには通じていないようだった。
黒井は拳を止め、アポロガイストの名前を呼んだ。
アポロガイストは、はっとした顔になって、何かを言おうと口をぱくぱくと動かしたが、言葉にならない何かが、彼の中にあったらしい。
「終わったか?」
と、克己が訊いて来た。
「――そうかもな」
黒井は、アポロガイストの上から退くと、その場に尻餅を付いた。
クラッシャーをせり出させると、顎の所から、落ちた。
顔の半分が見えている仮面を外す。
剥き出していた方の顔が、痣やら出血やらで、凄い事になっていた。
仮面を外した事で、黒井の体内でメカニズムが停止し、体内に蓄えられた大量の熱が、コンバーターラングから放出しようとする。
黒井は、コンバーターラングを自ら破壊すると、窪みの為に妨げられていた排熱が再開し、黒井の周囲に、白い蒸気が巻き起こった。
タイフーンが、余りの排熱に堪らなくなったかのように、高速で回転した。
仮面を小脇に抱えた黒井は、大きく息を吐いた。
立ち上がる体力が、残っているようには見えなかった。
それを確認した克己は、倒れているアポロガイストの傍に歩み寄り、顔を寄せた。
眉間と眉間が一直線に並ぶ。
すると、アポロガイストは息を吹き返し、
「はぁっ!」
「はぁっ!」
と、荒い呼吸を再開した。
「大丈夫か? 俺が分かる?」
克己が訊く。
アポロガイストは、呼吸が落ち着くと、小さく頷いた。
「これで、完了だな」
克己が言った。
「完了?」
アポロガイストが訊いた。
「何がだ?」
「――進化よ」
克己が答える前に、女の声が聞こえた。
鼻に掛かった、甘ったるい、アニメのキャラクターが、ブラウン管から届けて来るような声であった。
「深化と言っても良いかもしれないわね」
マヤは、ぞっとするような美貌に、微笑みを浮かべていた。
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第九節 螺旋
最初の手術室に、三人の男と、一人の女が集まっていた。
アポロガイストは、破損した鎧を脱ぎ、手術台の上に腰掛けている。その白い肌にも、裂傷や痣などが、色濃く浮かび上がっていた。
黒井に折られた右腕は、骨を肉の中に埋めているだけだ。
黒井響一郎は、手術台の脇に簡単な椅子を持って来て、そこに座っている。
顔はぼろぼろだったが、黒いコートと黒いズボンを穿いた、いつもの姿である。
松本克己は、壁に寄り掛かって、腕を組んでいる。
そして――
タイトな革のパンツを吐き、タンクトップの襟から豊満な胸の谷間を見せ付け、肩に革のジャンパーを掛けている、黒髪の女。
細められた眼と、通った鼻梁、ぽってりとした唇――それらが余りに美しく、寧ろ、見る者をぞくぞくとさせてしまう。
そんなマヤが、手術台の脇に立っていた。
「今の説明で、分かったかしら」
マヤが、アポロガイストに訊いた。
「何となくはな……」
アポロガイストが頷く。
マヤが、アポロガイストにした説明というのは、強化改造人間特有の現象の事だ。
死神博士――イワン=タワノビッチが完成させた改造人間の理論は、人体に、他の動植物の能力を備えさせる事であった。
脳下垂体から分泌されるホルモンを制御する薬物を投与し、与えた他の生物の細胞に反応させ、更に下垂体ホルモンを分泌させて、人体に、埋め込んだ別の生物に存在する器官を誕生させるのである。
ショッカー、ゲルショッカー、デストロン、そしてGOD機関に至るまで、死神博士の造り上げたこの理論が、長く使われている。
死神博士自身も、烏賊の細胞を埋め込んだ改造人間に変身している。
それは、この場にいる松本克己の肉体で実験した結果でもあった。
しかし、強化改造人間というのは、従来の改造人間とは別のプロットで組み立てられている。
オリジナルの肉体の不要な部分を切り捨て、強化された臓器や骨肉を埋め込む。
そうする事で、装着する外骨格に依って、あらゆる局面に対応出来る改造人間を造り出
そうとした。
それが、強化改造人間計画である。
その強化改造人間は、身体の殆どの部分を、別のものに置き換えられているが、決して変えてはならない部分があった。
脳である。
脳や、その周囲の神経だけは、オリジナルであらなければならなかった。
しかし、改造人間たるべく与えられた、常人を遥かに凌駕する五感が捉える膨大な情報を、人間の脳では処理し切る事が出来ない。
その為、強化改造人間の脳には、情報処理をサポートする小型人工頭脳が取り付けられている。
その小型人工頭脳と共に生活を送る内に、脳は、人工頭脳のサポートなしでも、今まで以上の情報を捉える事が出来るようになる。
すると、人工頭脳は、脳に負荷を掛ける事なく、更に膨大な情報を吸収し、脳に処理させる。
そうして、オリジナルの脳神経の進化に伴い、人工頭脳が処理する情報量も多くなり、脳は更に進化を続けて行く――
その果てにあるのが、感覚が肉体を超越してしまうという現象だ。
アポロガイストが、黒井と戦っている最中、黒井の事を見失ったり、黒井のパンチを酷く遅く感じたりしたのは、五感が過敏に作動して、黒井の動きを予想してしまえたからだ。
しかし、その情報を脳が処理し切ったとしても、肉体はそれに追い付かない。だから、アポロガイストは、ゆっくりと迫って来るように感じた拳を、何発も受けてしまった。
「そいつを、あんたにも起こして欲しくてね」
克己が言った。
「俺に?」
「ああ。だから、ちぃと手荒な手段だったが、黒井とやって貰ったのさ」
「――」
黒井が、痣だらけの顔を、ふぃと背けた。
「超回復って奴ね」
マヤが言う。
「超回復?」
「ここを酷使する事で、その細胞を強化するって事よ」
とん、と、自分のこめかみを指でつつくマヤ。
「根性論だな。実用的じゃない」
ぽつり、と、黒井が言った。
黒井は、レーサーであった頃、トレーニングのメニューは、徹底的に管理していた。
三日のハード・ワークの後は、きちんと身体を休ませる。
間断なく鍛錬を積む事で、スポーツでも武道でも上達出来ると思われていた時代にあって、黒井のような男は珍しい方であった。
「確かにな」
と、克己が言う。
克己は、一時、或る武道家の許にいた。
その男は、鍛錬の合間には、柔軟体操やマッサージを欠かせていなかったらしい。
身体を休ませる事が、身体を強くする事だと、知っていたのだ。
「しかし、生物の身体って奴ァ、理詰めだけじゃない」
だから、マヤの言っている事――根性論を、頭ごなしに否定する心算はないと、克己は言う。
一晩中か、或いは何日かも掛けて、休む事なしに、東京から静岡まで走って辿り着いた経験のある黒井も、分からないではない事だった。
兎も角、アポロガイスト――最初の強化改造人間を創り出した緑川博士の設計をベースに改造された、同じ強化改造人間の系譜を持つ彼は、今、その特有の現象である脳の深化を体現した訳である。
「だが――」
アポロガイストが、口を開き掛ける。
「復讐、したいんだろう?」
黒井が、アポロガイストに先んじて、言った。
アポロガイストを蘇らせ、脳の深化を促した事の理由を、アポロガイストが訊こうとした。
「Xライダーに、さ」
「――ああ」
二度も自分を斃した、鏡合わせの男。
仮面ライダーX・神敬介への復讐の炎を、アポロガイストは宿していた。
「奴も、起こしてるぜ」
克己が言う。
「何?」
「脳の深化って奴さ」
「何だと⁉」
「驚く事はない。奴だって、強化改造人間さ」
「――」
「神敬介だけじゃない……」
黒井が、唸るように言った。
「本郷猛……」
その名前が、黒井響一郎にとって、何よりも憎むべき男の事であると、アポロガイストはまだ知らない。
「それと、一文字隼人、風見志郎も、ね」
マヤが、黒井を見て、それから克己に視線をくれて、言った。
克己は、マヤの視線の動きの理由が分からなかったが、
「それと、結城丈二も、だな」
結城丈二――ライダーマンは、デストロンのプルトン・ロケットの町への投下を妨害する為、ロケットに乗り込んで、東京湾上空で爆散している。
しかし、彼はタヒチに流れ着き、現地で蘇生した後、建設途中であった神ステーションで、神啓太郎と出会い、ヨロイ元帥に奪われた右腕だけではなく、全身をサイボーグに改造して貰っている。
神ステーションとは、神啓太郎が、海中に建設した要塞であり、啓太郎の人格をコンピュータに保存していた。だが、息子・敬介をサポートする為の要塞は、却って敬介の成長の邪魔になると考えた啓太郎の人格プログラムに依り、自爆している。
啓太郎の生前に、結城丈二は全身改造を受けたのだが、啓太郎の持つ改造技術は、緑川の考案した強化改造人間のそれである。結城丈二が、脳の深化を起こすのも、そう遠くはない。或いは、既に、という所だ。
「連中に勝つには、どうあっても、連中と同じ土台に立つ事が必要さ」
克己が言った。
「そこなのだが――」
アポロガイストが訊く。
「私は、その強化改造人間の技術がベースにあるのだろう?」
「ああ」
黒井が頷く。
「神敬介と同じだ」
「うむ」
克己が首を縦に振った。
「しかも、私が改造されたのは、恐らく神敬介よりも先だ」
「そうね」
マヤが、アポロガイストの言葉を肯定した。
「だのに、何故、私には脳の深化が今まで起こらなかったのだ?」
これが、例えば、神敬介とアポロガイストとの間に、明らかな戦闘経験の差があるのならば、分かる事である。
しかし、アポロガイストとても、Xライダーとの戦いを始めるまで、幾つかの戦場に踏み込んで、視線を潜り抜けて来た。
Xライダーとの戦いでは、特に全力でぶつかり合ったものである。
それが、どうして、神敬介には起こったらしい現象が、自分には起こらなかったのか。
「簡単な話よ」
マヤが言う。
「頭の中を弄くられていたからよ」
「頭の中?」
「脳改造よ」
「脳改造⁉」
アポロガイストが、ぎょっとなって言った。
まさか、GOD機関の最高幹部である自分が、他の改造人間たちと同じように、思考を奪い取られていたと言うのか⁉
そういう驚きと、屈辱とがあった。
「だって、おかしいとは思わなかった?」
「え?」
「貴方、GOD総司令――呪博士と、決して仲が良くはなかったじゃない」
「――」
確かに、アポロとして改造される以前、警察に入るよりももっと前、父がおり、母がいた頃、呪少年と、呪博士は、不仲であった。
呪博士は、臆病で矮小なくせに、自分に逆らわない母を散々にいたぶった。
それは、息子である呪少年に対しても同じであった。
呪少年が中学卒業を控えた頃、とうとう、少年の中の不満が爆発した。
父の顔を、膨れ上がるまでぶん殴った。
呪博士は、息子に土下座までして、許して欲しいと懇願した。
そんな父親を、少年は、虫のようだと言って、毛嫌いしていたのだ。
幾ら、人間の醜さを突き付けられた直後だったとしても、そんな父が率いる組織に与し、そんな父を総司令として崇める事など、出来る訳がない。
息子としては信用も愛も抱いていなかった呪刑事の、身体能力だけは、呪博士にとっても魅力的であった。
「し・か・も」
と、マヤは、更に呪博士の秘密を暴露する。
「呪博士ったら、貴方の身体だけが目当てだったんだから」
「身体?」
「その、若くて健康な身体よ……」
マヤの白い指が動き、アポロガイストの、逞しい胸板を撫で上げた。
呪博士の身体は、強い方ではなかった。
病にも蝕まれていた。
彼が、生化学や人工臓器の研究に没頭したのは、自分の生命を永らえる為であった。
自分の脳を、別の肉体に移して、永く生きる事を考えていた。
息子――同じ血を持つ人間の肉体は、その脳を受け入れるのに、最高のものだ。
その為、呪博士は息子である呪刑事を自らの下に呼び寄せ、秘密警察第一室長の座を与えて、その身体を乗っ取る時を待っていたのである。
その時に、アポロガイストが反抗しないよう、自分に都合の悪い記憶は抹消していたのだ。
「だから、深化が起こらなかったのか?」
「ええ。だって、思考放棄した脳みそが、どうして進化しようとするの?」
進化がなければ深化もない――と、マヤ。
マヤは、以前、克己に対して、ショッカーの改造人間と、仮面ライダーとの差について語っている。
それは、絶望だ。
人間ではない者が、人間を守る為に戦う、孤独感という絶望があるからこそ、人類の明日に対する希望を抱く事が出来る。
絶望と希望は、互いが存在する故に、存在する事が出来ている。
人間の遺伝子が描く、環状二重螺旋のように、だ。
一方、ショッカーはと言うと――
ショッカーの目的は、世界征服であった。
世界征服と言っても、それは、ショッカー首領の意思の下で、人間たちから戦争や差別を失くした、理想の世界を創り上げる事である。
希望に溢れた世界だ。
しかし、その世界には痛みがない。
痛み――絶望がないのである。
絶望がないのならば、希望も存在し得ない事になる。
絶望があり、希望を求めるからこそ、人間は絶望を避ける為に進化をしようと思い、深化して行くのである。
絶望と希望の二重螺旋――
仮面ライダー・本郷猛。
仮面ライダー・一文字隼人。
仮面ライダーV3・風見志郎。
ライダーマン・結城丈二。
仮面ライダーX・神敬介。
何れも、師を、友を、家族を、信じる者を、そして自分自身を、理不尽に奪われた者たちだ。
その絶望を、人類の明日に希望を見出すように昇華させているからこそ、彼らは戦い続けられるのである。
アポロガイストの場合は、GOD機関への忠誠プログラムのようなものを仕込まれていた為、強化改造人間のボディであったにも拘らず、深化に至らなかったのである。
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第十節 忌昂
「で――」
アポロガイストが訊いた。
「お前たちの目的は、何なのだ?」
「目的?」
「私を蘇らせた目的だ」
「――」
「まさか、私に神敬介への復讐をさせたいと言うだけではあるまい?」
「それも理由の一つではあるけどね」
と、マヤ。
「俺は、仮面ライダーに復讐したいだけだ」
黒井が言った。
「それを、こいつらが、中々させてくれないのさ」
少し不快そうに、黒井。
ゲルショッカーが壊滅させられ、浜名湖の下にあった本部から脱出する本郷ライダーと一文字ライダーに対し、トライサイクロンで挑み掛かろうとした黒井を、克己は止めている。
そうしている内に、仮面ライダーV3や、ライダーマン、Xライダーが誕生して行った。
「色々と事情があるのよぅ」
マヤが言った。
「舞台は間違いなく用意して上げるから」
「――何度、それを聞いた事やら」
「黒井、君の事は、分かった」
アポロガイストは、マヤに眼をやった。
「で、何の為なのだ?」
「そりゃ、決まってるわね」
「決まっている?」
「ショッカーの大幹部としては、ショッカーの意思を継ぐ事よ」
「――つまり」
「世界征服――」
「――」
「今はね、その準備期間なのよ。貴方の事も含めてね」
「私を?」
「ええ。兵力の充実は、何よりも大事な事よ――」
そう言いながら、マヤは、ジャンパーのポケットから、小さな包みを取り出した。
包まれていたのは、回路である。
「それは?」
「ブラック・マルス――」
「ブラック・マルス?」
「貴方の為の強化回路よ」
「強化回路⁉」
「貴方は知らないでしょうけど、神敬介は、貴方が死んでから、マーキュリー回路というものを埋め込んで、強化されたわ。それに対抗する為の回路よ」
「――」
「これを装着すれば、貴方は今の何倍にもパワー・アップ出来るわ」
「――」
「勿論、昔の貴方が悩まされた寿命についても、克服出来るわよ」
「ほぅ……」
アポロガイストは静かに頷いた。
「で、協力するのかい、アポロガイスト」
克己が訊く。
アポロガイストは、すぐに答えた。
「無論だ」
「――」
「親父――呪博士に対して、私は、恩義さえ感じる事もない。けれど、GOD機関に与した時の、人間を薄汚いものと思う心は変わらない。そして、神敬介への復讐も、だ」
「――」
「その点で、私が、お前たちに協力しない理由はないという事だ」
「――安心したわ」
マヤは、にぃ、と、唇を吊り上げた。
「それじゃあ、早速、手術の準備に入りましょう――」
あの闘技場に、二人の男がいる。
黒井響一郎と、松本克己だ。
黒井は、修理が終わった、自分の強化服を着用している。
蒼いプロテクターとレガートを装着した、金のラインのスーツである。
黄色いマフラーも、アポロガイストの返り血は、すっかり落とされていた。
脇に、蒼い飛蝗の仮面を抱えていた。
克己も同じように、強化服を着込んでいる。
強化改造人間第三号である黒井の着ているものは、まだ、レーサーのそれに近い。
しかし、克己が着ているのは、飛行服を思わせる、深緑色のスーツだ。
その上に、銅色のプロテクターとレガートを着けている。
背面には、小型ではあるが、ボンベを背負っていた。
垂らした右手で持っている仮面は、ヘッド・セットを起点に、チン・ガードが後頭部まで持ち上がっており、被る時に下げて、その内側のプレートを展開する方式のものだ。
黒井とほぼ同じ時期に改造されはしたが、全く異なる方向で改造されている。
黒井は、第一号と第二号に勝る“速度”をテーマにしていた。
オートバイよりも馬力のある四輪車――トライサイクロンは、その象徴だ。
では、克己に設けられたテーマと言えば、次元を一つ上げる事だ。
今までは、オートバイ、スポーツカーと、陸上の事だけを考えていた。
克己は、縦横の二次元である地上から、そこに空を加えた三次元を手にしている。
克己のベルト脇のバーニアは、本郷から黒井に掛けての前三期に共通のものよりも大型で、出力が高い。
又、全身に小型のバーニアが備えられており、空中動体制御も可能だ。
それに何より、S.M.R.の柱の一つであるマシンは、プロペラ機である。
ここにはないが、スカイサイクロンという名であった。
あれから、一ヶ月が経っていた。
アポロガイストが、黒井と戦った日から、である。
アポロガイストが、ブラック・マルスを体内に埋め込む手術を開始されてから、だ。
その日、黒井と克己が、強化服を着用し、この闘技場にいるのは、アポロガイストの強化改造が終了するのが、間近であるからだった。
この闘技場を含めた施設は、勿論、ショッカーの遺産である。
浜名湖下の基地は、本郷猛と一文字隼人に襲撃され、自爆プログラムを発動した。
デストロン基地も、仮面ライダーV3に破壊されている。
GOD機関の場合は、巨大ロボット・キングダークが立ち上がる際に、自ら崩壊させていた。又、そのキングダークは、仮のGOD総司令であった、呪博士の要塞でもある。
その他、様々な場所にショッカーやそれらの系譜の組織のアジト・基地は存在していたが、その中で、手術環境の無事だった場所を選んで、マヤたちは自分たちのものとしていた。
黒井と克己が闘技場に入ってから、暫く経った。
そうしていると、強化改造を終えたらしいアポロガイストと、彼の手を引くマヤが、一緒に闘技場にやって来た。
「ほぅ」
と、黒井が漏らした。
「中々、さまになってるじゃねぇか」
克己が言う。
アポロガイストは、染み一つない真っ白いスーツを着こんでいる。
髪は短く刈り上げられていた。
堀の深い顔には、ふとましい笑みが浮かんでいる。
その手を引くマヤは、白いドレスを纏っていた。
隠すべき所は、白い生地が覆っているが、その布の裏側から、彼女が持つ官能的なものが溢れ出して来るかのようであった。
「――で、又、俺は彼と取っ組み合わされるのかな」
黒井が訊いた。
「どれだけやれるのか、確かめて置くには、それが良いな」
「――いや」
克己の言葉を、アポロガイストは、首を横に振って否定した。
「そんな必要はないよ」
「ほぅ⁉」
「今の私なら、君たちを優しい眠りに連れて行くのに、一分も掛からぬ」
「――」
アポロガイストの言葉を受けて、黒井と克己の中に、緊張が走った。
黒井は、フォーミュラ・カー・レースのチャンピオンだ。
克己は、改造人間の手術に耐え続けた身体に、誇りがある。
そういう自分に対して、微笑みながら、戦えば一分で自分が勝つと、何もしない内から言う相手を、気に喰わないと思ったのだ。
「試すかい?」
「試すだろ?」
黒井と克己が、仮面を被った。
黒井の、蒼いクラッシャーが閉じ、黄色い眼に光が灯る。
チン・ガードが回転し、克己の顎を覆うと、プレートが展開する。
黒井響一郎――
アポロガイストは、マヤに目線をくれる。
マヤは頷いて、三人から離れた。
アポロガイストは、スーツの内側から、葉巻を取り出して、口に加えた。
右手を、葉巻の前に出し、指を小さく打ち鳴らす。
と、葉巻の先端が炎を帯び、白い煙を上げ始める。
アポロガイストは左手をポケットに突っ込むと、あっと言う間に吸い尽くしてしまった葉巻を右手で挟み、唇から放した。
「合図だ――」
葉巻を上空に投げ捨てる。
風を浴びて、残っていた火が、小さく、赤く光った。
黒井は、自然体から、左の開手を前に出した構えを採っている。
克己は左拳を顎の下に持ち上げ、右手を後ろに大きく引いた。
アポロガイストは、ハンド・ポケットのままである。
マヤは、その光景を、面白そうに眺めていた。
葉巻が――
――落ちる。
駆け出していたのは黒井だ。
黒井は、アポロガイストに肉薄すると、ローキックを叩き込んで行った。
太腿に直撃すれば、人間ならば、大腿骨ごと持って行かれる。
強化改造人間の鉄の骨格でも、歪む。
定石通り、脛で受けたとしても、同じ事だ。寧ろ、脛の方が硬い故に、綺麗に破壊される。
だが、アポロガイストは、膝を持ち上げて脛でガードし、黒井の蹴りを止めてしまう。
「ぬ――」
アポロガイストは、唇を持ち上げ、肩を竦めた。
黒井が、連続でパンチを打ち込んで行く。
それを、頭部を傾けたり、僅かに身体を開いたりするだけで、躱していた。
黒井は、左手を伸ばして、アポロガイストのスーツの襟を掴んだ。
投げに行くも、右手で殴るも自在である。
しかし、アポロガイストは、ポケットに手を入れたまま、腰を切るだけで、黒井を崩した。
黒井の左肘に、アポロガイストが右の肩を押し付ける。
「くっ」
と、呻いた黒井の脇腹を、アポロガイストが小さく蹴った。
よろめく。
ダメージとも言えないダメージ。
身体に痛みがない代わり、屈辱が、黒井を襲う。
アポロガイストは小さく笑む。
その頭上が翳った。
見れば、いつの間にか跳躍していた克己である。
克己は、アポロガイストに向かって、足を向けながら落下していた。
アポロガイストが動かなければ、その蹴りがアポロガイストを砕く。
これには、アポロガイストも回避行動を取った。
小さく跳ねる。
アポロガイストが立っていた地面を、克己の、銅色のブーツが踏み砕いた。
地面の破片が、克己とアポロガイストの周囲を漂う。
その破片に――
アポロガイストは、ポケットから抜いた拳を当てた。
破片が、克己へと飛んで行く。
しかし、アポロガイストの拳で投擲された瓦礫は、克己に到達する以前に、砕けてしまう。
恐らく、今のアポロガイストのパンチ力ならば、コンバーターラングをへこませる事も可能だ。
跳躍しての攻撃は控えるべきであった。
容易にカウンターを許す。
しかし、それは、空中での動体制御の左程優れていない、強化改造人間第三号までの話だ。
克己は、地面を蹴って跳び上がる。
アポロガイストが、地上で、迎撃の準備を始めていた。
克己は、ベルト脇のバーニアだけでなく、各部に設けられた小型の噴出口から、細かく空気を吐き出して、旋回した。
アポロガイストを撹乱して、予想だにしない方向から、拳を叩き付けて行く。
アポロガイストは、どうにかそれを回避した。
着地した克己と、戦意を取り戻した黒井に、アポロガイストは挟まれた。
「訓練だからな」
と、呟くと、スーツの前を開きながら、アポロガイストはそれを取り出した。
「使わぬ手はあるまい――」
その両手には、仮面を模した円形のユニットと、表面に段差のある角張ったデバイスがある。
円形のユニットには、楕円が二つ設けられていて、その色は緑である。
角張ったデバイスは、色こそ黒いが、Xライダーのパーフェクターと同様のものだ。
そして、腰にはベルトが巻かれている。
船のスクリューが、大きな、銀色のバックルには内包されていた。
アポロガイストが、円形のユニット――グリーン・アイザーを、自らの脳波で輝かせる。
すると、闘技場の暗闇から、進み出て来る機体があった。
見れば、重装甲の三輪バギーであった。
そのフロント部分には、日輪を模したマークが彫り込まれている。
三輪バギー――アポロクルーザーは、操縦者不在のまま、闘技場を駆け回り、黒井と克己を翻弄する。
アポロガイストがアポロクルーザーに乗り込むと、その全身に、マシンに積み込まれていた強化服が、自動的に装着されて行く。
白いスーツを、黒い強化服が覆う。
四肢に、黒鉄のレガートが装着された。
胴体には、緑色のプロテクター。
背中には、第四号のそれよりも巨大なボンベを背負う。
アポロガイストは、グリーン・アイザーを展開させ、ヘルメットを被った。
黒い円形に、緑色の炎が奔っている。
一対の楕円の間から、上に向かって緑色のVが伸びていた。
右手に持っていたパーフェクターを、口元に装着する。
アポロガイストは、セット・アップを完了し、新しい姿へと生まれ変わった。
アポロクルーザーの背に、一本の旗が立てられる。
日輪の中、バイクに跨るRの文字だ。
アポロクルーザーをドリフトさせ、アポロガイストはマシンを停める。
自らを象徴する旗を捥ぎ取ると、マントのように、身体に巻き付けた。
強化改造人間――第五号とも呼べる姿であった。
「これが、アポロガイスト、お前の――」
「――違う」
黒井の漏らした呟きに、アポロガイストが反応した。
「私は最早、アポロガイストでも、呪博士の息子でもない」
「――では、お前は?」
克己が訊いた。
「ガイスト――」
マヤが、三体の強化改造人間に歩み寄り、言った。
「貴方は今日から、ガイストと名乗りなさいな」
「ガイスト、か」
アポロガイスト――否、ガイストが、その言葉を反芻した。
「ええ。貴方は、ガイストライダーよ――」
ここに、GODの亡霊が、誕生したのである。
イレギュラー・ナンバーの仮面ライダーが、三人、揃った事になる。
第三章はここまでとなります。
あとがきは、活動報告にて。
第四章の開始まで、少々お待ち下さい。
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第四章 General
第一節 暗黒
月の光の届かない、森の中の事であった。
湿り気を帯びた、草木や、土の匂いが、辺りに充満している。
都会の空気に慣れた人間が、そこに放り込まれ、肺いっぱいまでその香りを吸い込んでしまうと、それだけで、身体の中の何かが書き換えられてしまいそうだった。
ねっとりと、夜の空気が、皮膚に張り付いて来る。
泥の匂いが持ち上がり、身体を覆ってしまいそうである。
温い風が奔ってゆく。
木葉や枝を撫でて、音を立てる風である。
それは、樹木の呼吸であった。
うろの間から、息が吐き出されているように思ってしまう。
無数の樹が、同じように呼吸をして、その積み重なりが、風の音のようにも思えてしまう。
その中で――
がつ、
がつ、
と、硬い音がしていた。
太い枝を切り出し、それで、樹の幹を叩くような音。
石で、石を打ち付けるような音。
暗闇の中に、そんな音が響いている。
その周辺には、森のそれとは違う匂いが、沸き立っていた。
血臭――
昏い森の中であるから、分かり難いかもしれないが、その周辺には血が撒かれている。
黒っぽい水溜りのようにしか、見えない。
だが、漂って来る鉄の匂いは、紛れもない血のそれである。
その匂いに導かれるようにして、一頭の犬がやって来た。
樹の陰から、すぅ、と、顔を出す。
元は、猟犬である。
人間に連れられて、山の中に入ったは良いが、ハンティングの最中に飼い主の傍を離れてしまい、そのまま置いて行かれてしまった。
そうして野生化する犬は、決して少なくはなかった。
その猟犬は、濃厚な血の匂いに誘われて、そこにやって来たのである。
少し開けた場所であった。
そこを覗き込んだ時、犬の眉間に向かって、何かが跳び掛かって来た。
犬は、それに頭蓋骨を貫かれ、脳を傷付けられて、絶命した。
どさり、と、倒れる犬の遺体に、血の香りを纏った男が歩み寄る。
開けた場所の真ん中に腰を下ろして、
がつ、
がつ、
という硬い音を鳴らしていた男である。
男は、左手に棒状のものを持っていた。
男が握っている所から、先に向かうに従って膨らんでゆき、その先は途切れている。
先端から、白っぽいものが覗いていた。
脚だ。
獣の後ろ脚であった。
それを、股関節から引き千切っていた。
男の口元からは、血が垂れており、どうやら、その脚を喰っていたらしい。
硬い音の正体は、男の歯が、犬の骨にぶつかる音であったのだ。
男は、左手に持っていた犬の脚を口に咥え、倒れ込んだ犬を左手で持ち上げて、さっきまで自分が座っていた場所に放り投げた。
脳から溢れた血液が、そこに積み上げられた、他の犬の死体の上に、どぶりと垂らされた。
男は、既に何頭もの犬を殺しており、それを喰らっていたらしい。
元の場所に腰を下ろすと、男は、犬の頭に刺さったままのものを引き抜いた。
それは、巨大な、鉄の鉤爪であった。
男は左手でその鉤爪を持ち上げると、手首から先のない右腕に被せた。
義手――と、言うには、余りにも禍々しいそれは、赤黒い錆が浮かんでいる。
男は、口に咥えた犬の脚を咀嚼しながら、右腕の巨大な鉤爪で、今、殺した犬の身体を解剖し始めた。
腹の中に爪を潜り込ませて、肉を裂いて、そこに顔を突っ込んでゆく。
血の滴る音を、顔中で聞きながら、男は、犬のはらわたを喰わっていた。
その歯が、肋骨などに当たって、
かつん、
と、硬い音を立てている。
内臓をあらかた喰い終わった男は、新しい犬の脚を切り落とした。
その太腿に、かぶり付いてゆく。
最初に咥えていたものと交互に、その肉を喰らっていた。
と――
ざぁ、
と、梢の鳴る音がした。
男は、眼を細めて、音の方向を向いた。
今のは、自然の風ではなかった。
何者かが、森の中で動いた音であった。
そして、それは、この猟犬のような、獣の立てる音ではなかった。
男はその場に立ち上がり、暗闇の奥を睨んだ。
湿った泥の上を踏み、落ちた小枝を踏み折る音がした。
男は、右腕の鉤爪を、緩く持ち上げた。
森の闇の中から、ぬぅ、と、顔を出して来たものがあった。
人間であった。
夜、しかも、真っ暗な森の中だというのに、サングラスを掛けている。
闇に溶け込むような、黒いコートを着ていた。
「旨そうだな」
コートの男が言った。
「俺にも、少し、分けてはくれないか」
「――」
鉤爪の男は、警戒を解かない。
こんな時間、こんな場所に、こんな格好で人間が来られる訳がない。
とすれば――
「――じゃっ!」
鉤爪の男は、コートの男に向かって、犬の死骸を蹴り飛ばした。
物言わぬ獣の骸は、コートの男に向かって飛来した。
コートの男は、樹の陰に隠れた。その樹の幹に、犬の死骸がぶち当たった。
その間に、鉤爪の男は、反対側の木々の隙間から、走り去って行った。
「ふん」
コートの男は、小さく鼻を鳴らした。
鉤爪の男は、逃げている。
あの黒いコートの男が、偶然、ここにやって来たのではない事は明らかだった。
若し、何かの目的があるならば、それは自分であると思った。
そして、そうならば、自分にとって良い事ではない筈だ。
だから、鉤爪の男は、逃走を図った。
情けない事ではある――
そう思っているが、死ぬタイミングも場所もなくなった自分は、こうして逃げて、生き延びる他にはないのだとも思っている。
男は、泥を踏み締め、木々の間を駆け抜けた。
常人ならば、この暗闇の中で、獣と同じか、それ以上の速度で走り抜ける自分に、追い付ける筈がない。
仮に、常人ではなかったにしても、この場所にすっかり慣れ切っている自分を、昨日今日、この森に足を踏み入れた人物が追って来るのは、難しい。
その僅かな難しさが生む僅かな時間で、鉤爪の男は、逃走を考えていた
だが――
追って来ている。
自分を追う者の存在を、男は感じ取っていた。
まるで猿のように素早く、この森の闇を駆け抜ける者がいるのだ。
男は、何度か方向転換をして、相手を撒こうとしたが、全て読まれてしまっている。
それ所か、何処かしらの場所に誘導されている可能性もあった。
「むぅっ!」
鉤爪の男は、足を止めた。
森を抜けて、川原に出ていたからだ。
昏い水面に、白い流れが見えて、月が映り込んでいる。
対岸に、男が立っていた。
白いスーツを着た男だ。
白いスーツの男は、持ち上げた右手の指先に火を灯すと、咥えた煙草の先端に近付けた。
森の中に、煙が吐き出される。
煙草の先で、赤い光が小さく燃えていた。
白いスーツの男の眼が、ぎらりと光り、鉤爪の男を睨んだ。
背筋に、ぞくりとしたものが奔った。
鉤爪の男は、男が川を渡って来る前に逃げ出そうとしたが、振り向いた先には、森から抜けようとしている黒いコートの男の姿を見付けてしまった。
黒いコートの男を避けて、別の道から抜けようとした鉤爪の男であったが、ふと、月が翳った。
見上げてみれば、恐らく、高い樹のてっぺんから跳躍し、鉤爪の男に向かって落下して来る人物があった。
それは、革のジャケットを羽織った、ざんばら髪の男だ。
ざんばら髪の男は、空中で身体を捻りつつ、鉤爪の男の前に着地した。
猫のような――と、言うよりは、飛蝗が、草むらから草むらへと飛び移るのに似ていた。
「う」
と、鉤爪の男は呻いた。
明らかに、この男たちは、常人ではない。
「糞ぅ」
と、叫ぶと、鉤爪の男は、右腕の爪で以て、眼の前のざんばら髪の男に切り掛かった。
ぎらり、と、月光を反射して光る巨大な爪。
しかし、ざんばら髪の男は、左腕の腕刀で鉤爪の男の手首を打ち上げ、爪での攻撃を止めた。
そうして、右のパンチを繰り出して、鉤爪の男のボディを叩く。
「ぐぃ」
身体をくの字に折り曲げる鉤爪の男。
ざんばら髪の男の左足が跳ね上がり、更にその鳩尾に吸い込まれて行った。
前蹴りは、普通、中足を返して蹴り込むが、ざんばら髪の男は、前蹴りの軌道を取らせながらも、ブーツの爪先で、鉤爪の男の腹に蹴り込んで行った。
倒れ込む、鉤爪の男。
「ひぃぃっ」
と、鉤爪の男が、身体を丸めた。
鉤爪の男に向かって、三人の男たちが歩み寄ってゆく。
と――
「よし給え、ユーたち……」
暗闇の中から、声が聞こえて来た。
三人の男たち――黒井響一郎、松本克己、呪ガイストが足を止めた。
見れば、いつからそこに立っていたものか、一人の老人が、三人と、鉤爪の男を眺めていた。
白い髪と髭が、茫々と伸びている。
黒いマントに身を包んでいた。
身長は、黒井やガイストと同じく一七五センチ程である。
「何者だ、あんた」
黒井が訊いた。
「俺たちの邪魔をするのかい」
「であれば、容赦は出来んぞ」
克己とガイストが、続けて言った。
「退きなさい――」
と、森の中から、姿を見せた女が言う。
マヤであった。
豊満な身体を、無理に、男物のタキシードに押し込んでいた。
タイを結んだ胸元が、今にも弾けそうになっている。
肩まである黒い髪は、頭の上で結わえていた。
「その人は、私たちの同志よ」
マヤが言う。
と、老人は、愉快そうに笑った。
「成程、では、ユーたちがそうでしたか」
「――こいつはどうする?」
黒井が、鉤爪の男を見て、マヤに問う。
「彼に任せるわ。私たちは、退きましょう」
「――分かった」
マヤが森の中に消えてゆくと、それに、黒井たちも続いた。
残ったのは、白髪の老人と、鉤爪の男だけであった。
「無事かね、ミスター」
と、鉤爪の男に歩み寄る老人。
差し伸べられた手を、左手で握ろうとした鉤爪の男だったが、
「ぎゃああっ!」
と、声を上げた。
老人が手を伸ばす時に、マントが自然と開かれたのだが、その隙間から見えたものに対して、悲鳴を上げたらしい。
老人の腰にはベルトが巻かれており、そのバックルには、曲がりくねった蛇の紋章が刻まれていた。
「ご心配なさらず、ミスター」
老人は、にこやかな笑みを浮かべて、後退る鉤爪の男の傍に膝を着いた。
「私は貴方の味方ですよ」
「――し、信じられるか……」
鉤爪の男は、絞り出すようにして、言った。
「貴様らの事など、信じられるものか!」
「――ほぅ」
「わ、我々を裏切った奴らの事など、誰が信じるものか⁉」
「――」
「デルザーめ……!」
鉤爪の男の顔に、さっと筋が浮かんだ。
白髪の老人は、その姿を見て、立ち上がると、自らのマントを開いた。
そうして、腰を飾っていたバックルを引き千切ると、川原に投げ捨て、踏み砕いてしまった。
鉤爪の男は、その様子を見て、呆気に取られている。
「これで、信じて頂けますかな?」
「――あ、あんたは?」
まだ、完全に信じ切ってはいないようであったが、鉤爪の男には、老人の行為がどれだけのものであるのか、分かっているらしかった。
「ミーは、暗黒大将軍」
老人はそう名乗ると、
「ミスター・デッドライオン、貴方を迎え入れに来ました」
と、鉤爪の男――デッドライオンに、手を差し伸べた。
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第二節 仮面
ここ何週間かの間で、夜の町からは、活気と言うべきものがすっかりと失せてしまった。
突如として始まった通り魔殺人は、犯人の正体が一向に掴めないままであった。
殺しの手口は、いつも決まって、五体をばらばらにするというものだ。
特に、腹を切り裂かれて、内臓が抜き取られている。
太腿や脹脛、上腕、胸、尻の肉なども削ぎ落とされ、骨が剥き出しになっていた。
目立った筋肉の部分は、殆ど持ち去られてしまっている。
猛獣に捕食されたかのようなありさまであった。
そんな遺体が、早朝、町の何処かに放置されて、鴉や、野良犬や、無数の蠅をたからせている。
又、遺体ですら見付からない行方不明者というのも、増えていた。
単独犯とは思えない通り魔殺人の事と絡めて、拉致だという声も上がっている。
まさか、白昼堂々とそのような犯行が行なわれる筈もなく、恐らくは犯行時間となる夜間、人々は外出を控えるようになったのである。
だが、それでも、どうしても星空の下を歩かなければならない人というのはおり、どうあっても人通りのない場所をゆかねばならない人というのもいる。
事件がやむ気配はなかった。
死人が減る気配は、なかったのである。
或る夜――
一人の女が、歩いていた。
蒸し暑い夏の夜の事であった。
温い風が、コンクリートの道路の上を駆け抜けてゆき、湿った空気が肌に張り付く。
嫌な気温と湿度であった。
陽射しもないと言うのに、後から後から、汗が浮かんで来るような夜だ。
店仕舞いをした商店街に、その女の姿があった。
袖を捲り上げ、襟を大きく開けたブラウスの上に、ベストを着ている。
ホット・パンツから、健康的な、長い脚が伸びていた。
物騒な事件が頻繁に起こる夜に、出歩く格好とは思えなかった。
その血色の良い肌に、ぽつぽつと汗の珠が浮かんでいる。
薄らと桃色の頬。
淡い色の唇。
まだ子供っぽさが抜け切っていない顔であった。
どうにも、堪らなくなってしまいそうな色気があった。
成熟には遠いが、男の眼を惹き付けるだけならば、もう充分なものがあった。
デニム素材のパンツに包まれた尻が、スニーカーが地面を叩くたびに揺れる所など、堪らなくなってしまいそうなのである。
と――
鼠一匹の気配さえなかった商店街であったが、その女の足音に、もう一つ、別の足音が重なって来た。
女が少し歩調を速めると、その足音も同じような速度を出した。
逆に、歩調を緩めると、やはり、付いて来る足音も速度が落ちる。
女は、歩く速さに緩急を付けながら、商店街の出口を目指していた。
女に歩みを合わせながら、後方から足音は付いて来ていたのだが、いつの間にか、距離が詰まって来ていた。
思い切り跳び掛かれば、背後から押し倒す事が出来る距離だ。
女も、それに気付いている。
気付いているからか、足を止めた。
背後から、ぬぅ、と、手が伸びて来て、女の肩に掌が置かれそうになった。
その時であった。
「――たぁっ!」
と、女の唇から鋭い気合が吐き出され、右足が地面を蹴っていた。
するすると、女の右足が後方に伸びてゆき、女を尾行するような動きを取っていた相手のボディに、スニーカーの踵が、力いっぱい叩き付けられていた。
「おぅ」
背後に立っていた男は呻いて、その場に倒れ込んだ。
女は、後ろを振り向いて、構えた。
右拳を胸元に引き、左拳を下段に突き出した残心の構えは、これからの対応如何に依っては、尻餅を付いた男に攻撃を叩き込んでやる事が出来ると言う意思の表れであった。
「あんたが、最近の事件の犯人ね!」
女はそう言うと、立ち上がって来ようとする男に、一歩踏み出してゆこうとした。
「ま、待った!」
男は言った。
白い無地のポロシャツに、ジーンズ。
頸や腕が太く、良く引き絞られた、逞しい身体をしていた。
「誤解だよ、誤解――」
と、両手を前に出して、女との間に距離を作りながら、立ち上がった。
優しい顔立ちである。
手慣れないパーマを当てられていなければ、女のように見えなくもない。
女は、後ろに引いていた右拳を顔の傍まで持ち上げ、スタンスを狭くし、いつでも突きや蹴りを叩き込めるように、構えを採っていた。
「ほら、最近、物騒じゃないか」
「――」
「それなのに、君みたいな女の子が一人でいるなんて、危ないぜ」
「――ふぅん。で?」
「それを教えて置こうと思ってね。何なら、家まで送って良い」
「――下心が見え見えね」
と、女は鼻を鳴らした。
男は、困ったような笑みを浮かべて、
「そんなんじゃないさ」
と、言うのだが、女は信じていないようである。
「結構です!」
そう言うと、踵を返して、すっ、すっ、と、その場から去ってゆく。
男は、気の強そうな女の後ろ姿を眺め、小さく息を吐いた。
そうして、彼女が商店街から出て行ったのを確かめると、柔和そうであった表情に、ぞろりとしたものを出現させた。
「さて――」
男が、硬い声で言った。
「そろそろ、出て来たらどうだ」
あの女性に対して語り掛けていたのとは、口調から異なっているようであった。
すると、その声に反応して、男を囲むように、無数の気配が立ち上がって来た。
商店街の闇の中に、黒尽くめの人影が、潜んでいたのである。
それは、着ているものが黒いと言うのではなく、肌そのものが、人間のそれではない黒をしていたのである。
皮膚の上に、薄らと、黒い膜を張っているようにも見えた。
極限まで厚さを減らした、外骨格のようであった。
仮面らしきものを身に着けている。
どうやら、ライオンをモチーフにして作ったマスクらしかい。
その顎は可動式のようで、開くと、鋭い牙と、赤い舌が覗く。
「貴様らか」
男が言った。
獅子の仮面は答えない。
男を囲んでいるのは、一五名程であった。
その一五の獅子の仮面のそれぞれが、男に対して殺気を振り向けていた。
「最近の事件を起こしているのは」
男が言った時、獅子の仮面たちが、男に襲い掛かって来た。
拳で突っ掛けて来て、蹴りを放ち、男の服を掴もうとする。
男は、それを巧く躱して、顔やボディに、パンチや蹴りを打ち付けて行った。
先程、女の後ろ蹴りを喰らった事が、信じられないような動きであった。
しかも、思い返してみれば、ボディに踵を叩き付けられた後にも拘らず、この男は平然とした顔であの女と喋っていたのだ。
男は、獅子の仮面の一人の腕を背中で極めてやると、盾にするようにして、身体の前にやった。
流石に仲間を殴る事は出来ないのか、他の獅子の仮面たちは、動きを止めた。
「お前たちは何者だ?」
男が問う。
獅子の仮面たちは、答える様子はなかった。
男は、捉えた獅子の仮面の腕を、何でもないような顔をして、圧し折った。
「ぎぃぃ」
と、悲鳴を上げて暴れる。
その獅子の仮面を蹴り飛ばして、地面に倒す。
と、他の獅子の仮面たちが、男に肉薄した。
顔に向けられたパンチを、スウェー・バックで躱そうとした男であったが、殴り付けて来た獅子の仮面の手の甲から、鋭い爪が剥き出して来た。
その分だけ、距離を見誤り、男の顔には、ざっくりとした切れ込みが入れられた。
「ちぃっ」
男は、その獅子の仮面の腕を取り、背負って、地面に落とした。
他の仮面の男たちが、男に向かって、同じように爪を向いて迫って来る。
男は、その包囲からどうにかして抜け出した。
と――
いきなり、昏い商店街を、真っ白な光が染め上げた。
動揺する獅子の仮面たち。
光は、男の後ろにやって来ていた、一台のバイクのライトであった。
不思議な事に、そのバイクには、人が乗っていないのである。
さっきまではなかった事を考えると、自動で、そのマシンがやって来たとしか思えない。
白い装甲のオートバイであった。
フロントの両脇に、プロペラが付いている。
男は、そのマシンに跨り、タンクに張り付いていたベルトを装着した。
中心に、船のスクリューを内包した、銀のバックルの脇には、赤いグリップが突き刺さっている。
ライトの光に慣れた獅子の仮面たちが、バイクに跨った男に、襲い掛かろうとした。
しかし、その前に男は、ベルトの両脇から、それを抜き取っていた。
一対の楕円の中心に、Vを伸ばした円形のユニット――レッド・アイザー。
表面に段差のある、角張ったデバイス――パーフェクター。
この二つを用いて、男――神敬介は、Xライダーへとセット・アップを果たす。
マーキュリー回路が作動して、白いマシン――クルーザーに搭載されていた強化服が、神敬介の身体に自動的に装着されて行った。
強化服やマーキュリー回路については、タグにあるように私なりの解釈という事で、どうか一つ。
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第三節 軍団
闇の中に、二度、三度と、赤い光が尾を引いた。
血の飛沫である。
噴水のように、血液が、夜空に向かって駆け上がってゆくのだ。
と、空気を擦り上げる生命の液体は、凄まじい速さで振り下ろされた、獣のヒレに依るものである。
冷たいコンクリートの上に、黒尽くめの人影が幾つも倒れ込んでいた。
黒尽くめと言っても、身に着けている衣服がそうなのではない。肌の上に、薄らと膜を張っているかのように、黒いのである。
獅子をモチーフとしたらしき仮面を被っている男たちであった。
その頸や胸には、赤い色が、ぱっくりと口を開けている。
鋭利な刃物で切り裂かれ、そこから、血の噴水を伸ばし上げたのである。
まだ立っている獅子の仮面たちであったが、その死骸の山を作り上げたものに対して、強い警戒心を抱いているようであった。
それは、獣であった。
しかし、人であった。
鱗に包まれた緑色の身体に、血管がぼこぼこと浮かび上がって、迷彩服のようになっている。
両手両足の爪は鋭く、腕刀と脹脛からぶつぶつと生えている棘は凶器であった。
歪に曲がった背骨に沿って、ヒレが生じている。
中心から、前方にせり出した、蜥蜴のような頭部。
瞼のない赤い双眸が闇の中に煌めき、眉間から小さな角が突き出していた。
顎を開くと、凶暴な牙と、赤々とした長い舌が見えている。
しかし、その獣は、衣服を纏っていた。
身体と同じ柄のベストと、腰布。
頸には、普段の生活の垢だけではなく、返り血を浴びるたびに水で注ぎ、元の色のすっかり分からなくなったマフラーが巻かれている。
腰にはベルトがあり、埋め込まれた赤い一対の石や、鋸やロープ、ピックの機能を持つアイテムが、まるでコンドルの顔のようである。
そして、その左腕には、獣の貌をした、銀色の腕輪が装着されている。
「けけぇーっ!」
獣人――否、仮面ライダーアマゾンは、猛禽類のような雄叫びを上げて、獅子の仮面たちに躍り掛かって行った。
獅子の仮面は、ナイフをアマゾンに向けるが、尽く躱され、逆に、その腕や脚を手足のヒレで切り裂かれ、首筋に咬み付かれて肉を抉られ、地面に伏せる事になる。
十数人はいた筈の獅子の仮面たちは、あっと言う間に、アマゾンライダーの餌食となってしまった。
アマゾンに斃されたこの異形の者共は、死亡してから暫くすると、内側から溶解液を噴き出して、全身を泡状のもので包んでしまう。その泡を払い除けると、既に、その身体は消滅してしまっていた。
消え去った獅子の仮面たちの中心で、アマゾンの肉体に変化が訪れた。
浮かび上がった血管が、皮膚の内側に沈んでゆき、体色も、人間らしく日焼けした、黒ずんだものに戻って行った。
四肢や背中のヒレカッターは、ほろほろと崩れ落ちてゆく。体毛が硬質化したものであった。
突き出した顔も、中心に向って引っ込んでゆき、眼も小さくなり、瞼が被さってゆく。
文明人とはとても言えないが、獣人ではなく、人間の姿になっていた。
仮面ライダーアマゾン――
南米のジャングルよりやって来た男であった。
赤ん坊の頃、アマゾンに墜落した飛行機から生還し、“アマゾン化石人”と呼ばれる人々に、二〇年にも渡って育てられた。
野生の中で育った故に、通常の人間を遥かに超える身体能力を持っていた青年は、古代インカ帝国の末裔たちの長老・バゴーに依って、獣人の姿への変身能力を授けられた。
その使命は、ギギの腕輪を守る事だ。
インカの残したオーパーツであるギギの腕輪は、対となるもう一つの腕輪“ガガ”と揃える事で、強大なパワーを発揮する。
その超エネルギーを求めた、強欲な科学者・ゴルゴスが組織した獣人組織ゲドンに、ギギの腕輪を渡さぬよう、バゴーは青年の身体にギギの腕輪を埋め込み、日本へ渡るように暗示を残した。
バゴーの暗示に従い、何も分からないまま日本にやって来た青年は、ゲドンに襲撃される。
又、本来ならば日本で育つ筈だった彼だが、未開のジャングルで過ごした青年は、高度経済成長を遂げた日本の中では、明らかな異端児であった。
そのような差別の中で、しかし、青年は、岡村マサヒコという少年と出会い、彼の言葉に依り、
アマゾン
という名前を得て、そして、立花藤兵衛との邂逅に際し、
仮面ライダー
の称号を与えられたのである。
そうして、仮面ライダーアマゾンとなった彼は、ギギの腕輪を狙うゴルゴス率いるゲドンや、ゼロ大抵率いるガランダー帝国との戦いを終え、故郷である南米のジャングルへと帰った。
しかし、半年前、新たに現れた、世界征服を目論む組織・デルザー軍団の出現を知り、再び日本に舞い戻ったアマゾンは、彼と同じく“仮面ライダー”の称号を持つ六名の戦士と共に、デルザーの統率者であり、ガランダー帝国を陰から操っていた“大首領”を打ち倒した。
だが――
戦いは、まだ、終わっていなかったのである。
獅子の仮面たちが消えた泡の中から、何か、彼らの手掛かりとなるものが見付からないか、と、地面に這っていたアマゾンを、白い光が照らし上げた。
見れば、それはクルーザーに跨った、Xライダーであった。
仮面ライダーX――
銀色の仮面と、赤いプロテクターが眼を惹く。
マフラーの黒地に、赤く染め抜かれたXの文字が、印象的であった。
手足のレガートは、黒鉄である。
額には赤と黒の二つのVが伸び、銀の兜の前面には赤い複眼が設けられている。
背中には大きなタンクを背負っていた。
バックルの脇に刺さったグリップは、ライドルと呼ばれる可変式の武器である。
Xライダー・神敬介は、口部に装着したパーフェクターを外し、レッド・アイザーを取り外して、Xマスクを展開する。
レッド・アイザー内部に収まったXマスクを、ベルトの左側に、パーフェクターを右側にホルダーすると、マーキュリー回路が停止して、自動的に強化服がクルーザーに収納される。
マーキュリー回路搭載以前は、自分で装着しなくてはならなかった強化服であったが、現在では、神敬介の意思一つで、変身する事が出来ていた。
「アマゾン――」
と、敬介が呼び掛けた。
アマゾンの本名は、山本大介というのだが、本人がそれを知らない為、他の者たちは彼の事をアマゾンと呼ぶ。
「彼女は、大丈夫だったか?」
「うん」
と、アマゾンは頷いた。
彼女、というのは、先程、商店街で敬介を蹴り込んだあの女の事だ。
「でも、こいつら、襲って来た」
「そうか」
敬介は、小さく唸った。
「奴らは、恐らく、デルザー軍団の残党と見て間違いあるまい」
「デルザー⁉」
「ああ」
このタイプの改造人間を、敬介やアマゾンは知っている。
デルザー軍団の改造魔人たちの配下の戦闘員たちは、この時、敬介とアマゾンが戦った、獅子の仮面たちと似たようなスタイルであった。
「となると、最近の事件も、奴らの仕業という事になる」
「――」
「何にしても、人間を襲うならば、放っては置けないな」
「うん」
「しかし――」
「ん?」
「彼女の事さ」
「彼女?」
「さっきの女の子は、どうして、わざわざこんな夜道を出歩いていたのかな」
「危ない……」
「そうだ、危ない」
「――いや」
と、アマゾンが言った。
「まるで、あいつら、来い、言ってるみたいだった」
「何?」
思い返してみれば、彼女は、
“あんたが、最近の事件の犯人ね!”
と、言っていた。
「まさか、自分でこの事件を解決する心算なのか?」
「多分……」
「――」
敬介は、大きく溜め息を吐いた。
「彼女が危険な目に遭う前に、この件を解決しなくちゃな」
「――」
アマゾンが、不意に、黙りこくった。
不審に思った啓介が、
「どうした?」
と、訊くと、アマゾンは、遠慮がちに言った。
「デルザー……」
「――」
「デルザー、また、戦うか?」
「――そういう事になるだろう」
アマゾンが心配しているのは、デルザー軍団の強さだ。
デルザー軍団は、
ジェネラルシャドウ
荒ワシ師団長
鋼鉄参謀
ドクター・ケイト
ドクロ少佐
狼長官
岩石男爵
隊長ブランク
ヘビ女
ヨロイ騎士
磁石団長
マシーン大元帥
という、一二体の改造魔人と、
岩石大首領
つまり、他の組織を率いていた“大首領”を含む一三人で構成されていた。
改造魔人は、世界各国に残る伝承上の魔人・怪人たちの子孫であり、一体一体が、それ以前の改造人間たちを超える戦闘力を持つ。
仮面ライダー第一号・本郷猛、第二号・一文字隼人らの時代に照らし合わせてみれば、その一二体が、何れも、
ゾル大佐が調整された黄金狼、
死神博士が自らを改造したイカデビル、
地獄大使の最終形態であるガラガランダ、
ゲルショッカー大幹部のブラック将軍が変身したヒルカメレオン
クラスの実力者なのである。
この事件の裏に、デルザー軍団の暗躍があるとしたら、Xライダー・神敬介、アマゾンライダーだけの力では、解決が難しいかもしれない。
その不安を、アマゾンは吐露したのであろうか。
それもあるだろう。
しかし――
「大丈夫だ。一応、風見先輩や、結城さんにも、話は通してある」
と、敬介は言う。
風見志郎・仮面ライダーV3
結城丈二・ライダーマン
この二人の事である。
「――」
アマゾンは、敬介を真っ直ぐ見つめて、
「茂もか?」
と、訊いた。
「――」
「茂も、また、戦うか――?」
「――」
敬介は、答えられなかった。
茂――城茂の事情を、敬介も、知っている。
知った上で、若しも自分であれば、
“戦う”
と、言うであろう。
しかし、城茂は、神敬介ではない。
城茂が、
“戦う”
と、すぐに答えられるかを、敬介は、答える事が出来なかった。
アマゾンは、SICより更におっかない外見の方が良いと思うので、ああ表現しました。
そして案外、あの片言が難しいです。
ヒーローをどれだけナイーブにして良いのかというのが、正直、判断に困る所です。
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第四節 東桜
城南大学――
約七〇〇〇人の学生を擁するキャンパスの一角に、風道館と呼ばれる建物があった。
空手部、柔道部、剣道部、合気道部が、活動の場として使っている。
華道部や茶道部などが使う和室も設けられている。
裏手には、城南大学寮も建っていた。
風道館は三階建ての建物で、一階に剣道部と柔道部の、板間と畳を半分にした道場、二階には、空手部と合気道部がそれぞれ使う、マットと畳の道場、三階が、華道や茶道などの和室と休憩室になっている。
その空手道場では、夕刻の現在、組み手の稽古が行なわれていた。
自由な相手を見付けて、決められた時間、実戦形式で行なう稽古だ。
柔道で言えば、乱捕りに当たる。
試合では、主に伝統派のルールに則るが、部内での稽古であれば、フル・コンタクトで行なっている。
空手のルールには、大別して、
伝統派
フル・コンタクト
の、二種類がある。
学生の部活などでは、伝統派の方が多い。
伝統派ルールというのは、実際には相手の身体に攻撃を当てずに、勝敗を決める。
空手家の、鍛え上げた拳が、顔面に思い切り突き込まれてしまったなら、頭蓋骨が陥没し、脳に損傷が齎される危険性がある。
それを防ぐ為の、寸止めルールであった。
しかし、それでは、実際に町中で暴漢に襲われた時など、実践性を損ねるという事で、フル・コンタクトが提唱された。
完全接触の名前が意味する通り、相手の身体に、拳や蹴りを当てる。
勿論、先の理由で、顔面への手での攻撃は認めなかったり、サポーター、或いは、顔への攻撃自体は許すが、剣道の面のような防具を装着したりする。
城南大学の風道館空手部では、拳や脚にサポーターを付けて、顔への打撃は足技のみに絞るというルールで、組み手を行なっていた。
道場には、季節の事もあり、むわりとした熱気が籠っている。
見学をしているだけで、皮膚に汗が湧いて来そうであった。
組み手をしている中には、女子学生の姿もあった。
その内、体格の大きく異なる男子学生とも、平気でやり合えている学生がいた。
以前、夜道で、神敬介に声を掛けられた、あの女であった。
黒帯に、
前田さくら
と、刺繍がしてある。
ぎらぎらとした色が、まだあどけなさを残した顔に浮かんでおり、繰り出す技というのが、又、剃刀のように鋭いものばかりであった。
稽古を終えて、道衣から着替える。
さくらの格好は、前と同じ、露出度の高いものであった。
「前田先輩、まだ、続けてるんですか?」
と、後輩の一人が訊いた。
「うん」
「余り、無茶しちゃ、駄目ですよぅ?」
「分かってるってば!」
さくらはそう言って、荷物を持って、道場から出て行った。
残った後輩たちは、さくらの話題で、盛り上がっている。
曰く――
最近、頻発している行方不明事件を解決しようと、前田さくらは奔走しているらしいのだ。
わざわざ、露出の多い格好で、夜道を歩き、犯人を炙り出そうとしているのである。
正義感――と、いう事もあるだろうが、それ以上に、彼女の友人が、事件の被害者であるという事も、関係していた。
さくらの友人である彼女が、その事件の中で、犠牲となっているのである。
大学からの友人であるが、奔放な性質のさくらと、おっとりとした深雪は、出会った当初から意気投合したらしかった。
その彼女が、無残な、辛うじて人と分かる程度の姿で発見された時から、さくらは、この事件の犯人を許しては置けないと、独り、解決を目指そうとしていた。
と言うのも、警察の、この事件に対する意欲が、殆ど見て取れないからである。
表面上は、犯人逮捕に尽力するなどと言って置きながら、一向にその動きを見せない。
そうした体制から、さくらは、自らの力だけで、犯人を白日の下に晒し上げようと考えていた。
若い女一人で、無茶ではないか――と、思われるだろうが、城南大学風道館空手部の中では、或いは、前田さくらならば、という思いがあった。
さくらは、幼い頃から武技百般を習い修めており、その実力たるや、成人男性にも劣らない程である。
流石に、ヘヴィ級のボクサーと同じパンチ力などを出せる筈もなく、グローブを填めて、四本のロープに囲まれた四角いマットの上に立たされれば、それはとても放送出来るような映像にはならないが、ルール無用の街頭での戦い――早い話が喧嘩であれば、例え、体重に四〇キロ近くの差があろうと、最後に立っている事が出来る。
主に用いるのは空手ながらも、柔術にも精通しており、
打
投
極
これらの連携に、恐らく、この七〇年代後半の日本に於いて、最も早く回帰した一人であっただろう。
深雪とも、そこで話が合ったのだ。
ブラジルに留学していたという深雪は、日本の武道が、地球の反対側で脈々と受け継がれている事を知っていた。そこでは、“バレツウズ”なる格闘技が行なわれており、深雪が話したそれについて、さくらは、その“バレツウズ”が、柔術である事を理解した。
深雪の話では、“バレツウズ”は、パンチや蹴りなどの打撃、相手を斃す為の投げ技、倒した相手を押さえ込んで関節を極める――と言うだけに留まらず、相手に馬乗りになって、相手がギブ・アップをするまで、拳を落とし続ける事が可能なルールであるらしかった。
深雪が出会った“バレツウズ”を教えるコーチは、“バレツウズ”が、ブラジルの中でも治安の悪い町で、弱者が素手であっても身を守る事の出来る技術である事を教えてくれた。
そして、“バレツウズ”は、明治の頃に日本からやって来た柔術家が伝えてくれたものだとも、言っていた。
さくらの理想としていた格闘技は、その“バレツウズ”の知識を取り入れる事で、完成へと近付いてゆこうとしていた。
深雪が殺されたのは、そんな折であった。
深雪の仇を討つ為、さくらは、猟奇殺人に立ち向かうのである。
しかし、深雪の仇を探せども、すぐに見付かる訳ではなかった。
他に殺された人たちと比べて、かなり挑発的な格好で歩いている。
すぐにでも乗って来るだろうと、さくらは考えていたのだが、思いの外、アクションが掛かって来ない。
あったとするならば、先日のような、下心丸出しの――少なくとも、さくらにはそう見えた――男たち位のものである。
隙だらけの格好が、寧ろ、犯人を警戒させてしまうのであろうか。
さくらは、いつまでも仕掛けて来ない犯人をもどかしく思いながら静まり返った、夜の町を歩いている。
不気味な程の静寂に包まれた町並みである。
温い風が、ゆらゆらと漂っている。
じっとりと皮膚の底から塩分が染み出して来る。
その汗の不快感が、さくらのささくれた心情を、更に煽っていた。
独りであった。
たった独りの道であった。
と――
「ぎゃ――ッ!」
悲鳴が、聞こえて来た。
さくらは、顔を上げると、声の方向へ向かって走り出した。
どうやら、この日、犯人が現れたのは良いが、その魔手が伸びたのは自分ではなかったようだ。
さくらは声のした方向へと駆けてゆく。
五分程走った所で、曲がり角に差し掛かり、さくらは転倒した。
何かと思うと、地面がぬめりとした液体で濡れていた。
立ち上がり、転んだ際に液体の付着した、露出した脛の辺りを拭ってみると、暗闇に翳った黒々とした液体は、血液であった。
それが、向こうの道へと延びていた。
視線を前に向ければ、そこには、女の顔があった。
顔を思い切り反らして、顎を天に向けている。
髪の生え際が、アスファルトの地面を擦っていた。
その頬に、赤い筋がだらりと垂れ下がり、血の油脂が、ぎょろりと剥かれた眼球を覆っていた。喰い縛った歯の奥から、溢れ出した鮮血である。
暗闇に浮かび上がった、赤く縁どられた蒼い頭が、逆さまになって、引き摺られてゆく。
その奥を見てみれば、脚が持ち上がっていたのだが――つまり、片脚を何者かに引っ張られている――、さくらの方から見るその脚は、膝の裏が見えていた。
仰向けになっている身体を引っ張ったなら、見えているのは膝頭の筈である。
掴まれているのは足首らしいが、さくらには、脹脛が見えている。脛ではない。
よくよく地面に近い所を見てみれば、頸の辺りにねじれた肉があった。
女は、頭を一八〇度捻転させられているのだ。
さくらは、背中を駆け上がるぞわりとしたものに、悲鳴を上げそうになった。
口元を両手で覆って、声を伸び上がらせるのを抑え込んだ。
しかし、その気配に気付いたのか、女の身体を引き摺っている犯人が、さくらの方を向いた。
さくらは、咄嗟に、曲がり角に引っ込んだ。
女を引き摺る音が止まる。
後方を、犯人が確認しているらしい。
さくらに気付いていなかったのか、それとも、気付いた上で見逃したのかは、さくらにはまだ分からなかった。
しかし、
ずり、
ずり、
と、女の身体を引き摺る音が再開した事から、現場から、遺体と共に去ろうとしている事が分かった。
さくらは、顔から手を外して、深く呼吸をした。
そうして、曲がり角から、そぅっと顔を出した。
犯人は、黒い姿であった。
黒いと言っても、服装ではない。
肌が黒い。しかも、それは地の肌の色ではない。黒い膜のようなものを、全身に張り付けている感じであった。
顔は良く見えない。
だが、振り返りそうになった一瞬の記憶を蘇らせると、仮面を被っていたように思う。
その姿を、脳内で反芻してみた。
仮面――
黒い……タイツか何かであろうか。
さくらの唇に、小さく笑みが浮かんだ。
何だ――と。
只の不審者か――と。
そう思った瞬間、さくらの心臓の中で、血液が業火の勢いで燃え上がった。
ごぅ、と、さくらの血流が鳴っている。
犯人だ。
友達を、無残な姿にした殺人者だ。
それを、見た。
見たから、何だ?
見ただけで終わるのか?
違うでしょ――
と、さくらが、自分に言う。
違うでしょ、そうじゃないでしょ、やるべき事があるんでしょ――
心の中で、何度も言う。
何度も思う。
何度も叫ぶ。
やる事は分かっている。
やる事は分かっているのだ。
――良し。
と、さくらは覚悟を決めた。
立ち上がる。
曲がり角から、顔を出した。
さっきよりも離れているが、まだ、走れば追い付く距離だ。
走って、後ろから声を掛けて、振り向いた瞬間に、蹴りをぶち込める。
いや、声を掛ける必要などない。後ろから襲い掛かって、その一撃で昏倒させてしまえば良い。
さくらは、その一瞬の為に、自らの気を高めてゆく。
ゆく――!
そう思って、曲がり角から足を一歩踏み出した時――
「――⁉」
後方で、アスファルトを踏む靴の音を聞いた。
振り返ったさくらの顔に向かって、黒い掌が突き出されて来た。
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第五節 外法
凄まじい匂いが、そこには、詰め込まれていた。
濃厚な鉄の匂い――
常人が踏み込めば、すぐにでも発狂しそうな程の、死の匂いであった。
狂気の空間であった。
町外れの倉庫である。
滅多に人の寄り付かない区画に、ぽつんと建てられ、打ち棄てられていた。
しかし、廃棄されて長い割には、小ざっぱりとしている。
いや――
少し前までは、小ざっぱりとしていた、と言うべきである。
今は、おぞましい光景が、その中に広がっていた。
高い天井から、鎖が、鬱蒼としたジャングルの羊歯のように、垂れ下がっている。
その鎖には、黒く変色した、ぶくぶくと膨らんだ蛇のようなものが絡み付いていた。
腸である。
若し、この倉庫に足を踏み入れたならば、腸が纏わり付いた鎖が、暖簾のようになる。
上の方の鎖は、隣の鎖と繋げられており、倉庫を一周している。
倉庫の、四方向の壁には、大きく、魔法陣が描かれていた。
赤く、掠れた色である。所に依っては、黒っぽく酸化しているものもあった。
血で描かれているのだ。
魔法陣は、外縁から、内側に向かって、螺旋を描いている。
渦巻きの線と線の間に、文字が並んでおり、この文字も、やはり螺旋を描く事になる。
文字と文字との間には、長い杭で以て、心臓が打ち付けられていた。
その心臓であるが、魔法陣の外側から、色が悪い。
軽く防腐処理はしているらしいが、すぐに、腐ってゆこうとする。
外側のものが古く、内側にゆくに従って、新しい心臓が追加される方式らしい。
垂れ下がっている鎖に巻き付いた腸であるが、上の方が、古い。
丁度、魔法陣の中心に来る辺りで、鎖は途切れているが、そちらに近い腸は、まだ薄らと赤い色が残っていた。
魔法陣は、天井と床にも描かれている。
やはり、螺旋状の魔法陣だ。
しかし、この上下の魔法陣は、描かれているもの自体は同じなのだが、打ち付けられた心臓の配置が、逆である。
内側から、古い心臓で埋めてゆこうとしている。
四方の魔法陣は、外側から順に配置しているが、上下の魔法陣は、内側から配置していた。
その魔法陣の外側の二ヶ所から、鎖が伸びている。
天井の魔法陣の、内側へ向かうラインに沿って床に垂れ、床の魔法陣の、反対側に、杭で固定されていた。
床から天井に持ち上げられた鎖は、天井から降りてくる鎖の反対側に、杭で固定されている。
捩じれた一対の鎖が、魔法陣を中心に描くのは、二重の螺旋である。
それが、色とりどりのパーツで構成されているのならば、教科書に載っている環状二重螺旋の図を思い起こさせるであろう。
しかし、螺旋の鎖を彩るのは、やはり、臓物であった。
心臓と腸を除く臓物がワン・セット、並べられている。どうやら、天井からの鎖は男性の臓器で、床からの鎖は女性の臓器で飾られているらしい。
男性の臓器は、上から、肺から睾丸までが飾られ、睾丸の下には、又、肺が置かれている。
女性の臓器は、下から、肺から子宮までが飾られ、子宮の上には、又、肺が置かれている。
丁度、鎖が交差する点では、睾丸と子宮が向かい合っていた。
その、おぞましい曼陀羅を、黒い膜を被った、獅子の仮面の異形たちが、作成していた。
大きく掛かれた魔法陣を踏まないように、配置された臓物を壊さないように、慎重に、獅子の仮面たちが動き回っている。
外に停められたトラックから、防腐処理を施された臓物を運び出して、丁寧に設置してゆく。
魔法陣の薄れている箇所があれば、保存されている血液のタンクを持って来て、上から重ねて塗ってゆく。
天井に配置する時など、特に苦労しているようであった。
伸縮式の長い棒を、何もない部分に突き立てて、下から何人かで押さえて、二人で上ってゆく。一人は手ぶらで、もう一人は、配置すべき臓物を入れた箱を背負っている。
天井に辿り着いたら、下の者が、上の者を支えつつ、箱を差し出し、上の者が箱から取り出した臓器を、杭で打ち付けたり、鎖に絡めたりしている。
設置が終わったら、そろりそろりと床まで下りる。
そうした作業を、一人の男が、眺めている。
森の中で、黒井響一郎、松本克己、ガイストらに襲われたが、マヤの言葉で危機を免れ、暗黒大将軍に引き入れられた男――デッドライオンである。
倉庫の入り口付近の地面に、邪魔にならないように胡坐を掻いているデッドライオンは、右手の鉤爪を外して、暗黒大将軍に与えられた義手と、一応は生身の手である左手で、一つの頭蓋骨を持っていた。
最近の猟奇殺人を行なっている、暗黒大将軍から宛がわれた部下たちに殺された、男女のものだ。
中身は、全てくり抜かれている。
視神経を脳に伸ばす眼窩の孔や、鼻、耳など、隙間は全て埋められていた。
下顎は、針金で留められているが、ぱかぱかと動かす事が出来る。
その頭蓋骨の頭頂を、掌に載せていた。
くり抜かれた内側には、黒ずんだ染みがある。
デッドライオンは、ぼぅっとした眼で、その染みを眺めていた。
と――
獅子の仮面――デッドライオン配下の戦闘員が、大きな樽を持って、デッドライオンの傍にやって来た。
「おぅ、出来たか」
と、デッドライオンは言った。
戦闘員は、獅子の仮面で頷き、樽の蓋を開けた。
鉄に混ぜられた、饐えたような、酸っぱいような匂いが、むんと立ち昇って来た。
中に入っているのは、どろりとした、赤い液体である。
殺した男の精液と、殺した女の経血を混ぜた液体であった。
獅子の仮面たちには、月経の期間に入っている女を狙わせていたのだが、そうでない場合は、愛液を搾り取らせ、やはり、この樽の中に混ぜ込んでいた。
デッドライオンが、頭蓋骨をすぅと差し出した。
この頭蓋骨も、実は、単にくり抜いて隙間を埋めたものではない。
頭蓋骨の大きさが同じ位の男女のものを、半分に断ち割って、くっ付けたものだ。
その内側に、戦闘員が、柄杓で掬い上げた和合液を、注いで行った。
デッドライオンは、頭蓋骨の中に溜まったその液体を、ぐぃぐぃと咽喉に流し込んでゆく。
無精ひげの浮いた咽喉が、毛虫のようにもぞもぞと動き、和合液が腹の中に蓄えられて行った。
髑髏の盃から唇を離したデッドライオンは、実に満足そうに、生臭い息を吐いた。
「堪らんなぁ」
と、次の一杯の為に、盃を差し出すデッドライオン。
その許に、別の戦闘員が駆け寄って来た。
何やら、急いでいる様子であった。
「どうした」
と、デッドライオンが訊いた。
「もう良いぞ、結城」
結城丈二は、風見志郎が、獅子の仮面を被った改造人間を捕らえたのを確認すると、さくらの口元から手を離した。
結城は曲がり角から出て、頸を絞めて脳への酸素供給を断った戦闘員を、小脇に抱えている風見と、顔を見合わせた。
さくらはと言うと、呆気に取られるばかりであった。
後ろから近付いて来た、ブレザーに、ワイシャツに、ネクタイときっちりとした格好の上、この季節には蒸し暑そうな黒いグローブなどを付けた、知的な雰囲気の青年に、口と動きを押さえられたかと思ったら、倒そうと思っていた獅子の仮面を、別の男に眠らされてしまった。
獅子の仮面を抱えているのは、蒼いカッター・シャツに、白いベスト、白いパンタロンを穿いた男だった。努めて浮かべた柔らかい表情の中に、ぎらぎらとしたものを持っている。
「――間に合わなかった」
ぽつり、と、風見が言った。
獅子の仮面の戦闘員を放り投げると、女性の、捻転させられた頸骨を元に戻してやり、見開いた眼と、血で染まった歯を剥いた唇を、閉じてやった。
結城も、哀しみの表情を浮かべている。
風見は、獅子の仮面の背骨に膝を当てて、肋骨を開かせ、蘇生させた。
びっくりしたように息を吹き返し、きょろきょろと辺りを見回す戦闘員。
その戦闘員を立ち上がらせると、風見は、鳩尾に下突きを入れた。
「うへぇ」
と、さくらが言った。
ボディに拳をめり込ませられた時の痛みは、充分に知っている。
「貴様らだな、ここ最近の殺しは?」
と、風見は、腕刀を戦闘員の頸にやり、塀に押し付けた。
苦しそうに身悶える、獅子の仮面の戦闘員。
「この人を何処へ連れてゆく心算だった?」
尋問するも、獅子の仮面から滑り出して来るのは、
「れぉぅ」
「がぅる」
などと言った、意味のない言葉であった。
「風見、無駄だよ」
結城が言った。
「そいつらは元から人間の言葉では喋れない。ショッカーやデストロンの戦闘員たちとは違って、改造人間ではないからね」
「――そうか」
風見と勇気のやり取りを聞いていたさくらだが、理解はしていないようであった。
「しかし、脳内を覗く事は出来るぞ」
結城はそう言うと、右手のグローブを外した。
その内側から、銀色の義手が剥き出した。
ブレザーとシャツの袖を、肘まで捲り上げる。
結城が、夏にしては厚着をしている理由を、さくらは知った。
さくらの視線も気にせず、結城は肘からカセットを排出した。
ブランクのカセットを取り出すと、腰のポーチから、別のカセットを取り出して、肘の空白の部分に挿し込んだ。
すると、結城の右腕にひびが入り、皮膚が裏返って、内側から、金属のパーツが盛り上がって来た。
見る見る内に、結城の右腕は、黒鉄色の、無機質なものに変わった。
その掌が展開して、五指の第一関節が分離した。
「新しいアームだな」
風見が言った。
「高坂博士の遺品さ」
結城はそう言って、五指の先端を、獅子の仮面の戦闘員の頭部に宛がった。
みり、と、指先に触れられた部分が音を鳴らした。
「がぎっ」
と、戦闘員が呻く。
指の腹から伸びた極小の針が、頭の膜を突き破り、頭蓋骨を穿孔して、脳に突き刺さったのである。
スキャニング・アーム――
指の腹から出る針が、生体電流を読み取り、その情報を、改造人間の脳内でグラフィック化するのである。
仮面ライダー第一号・第二号に依って改造された風見志郎と、神啓太郎の術式で全身改造を受けた結城丈二は、スキャニング・アームから送られて来る電波に周波数を合わせて、獅子の仮面の戦闘員の記憶を読み取っていた。
「ふむ」
「これは――」
眉を寄せて頷く風見と、皮膚に汗を伝わせる結城。
獅子の仮面の脳内にあった、あの異形の曼陀羅を見たらしい。
スキャニング・アームを回収し、ブランクに戻す結城は、風見に顔を向けた。
「ゆこう」
「うむ」
と、風見。
風見は、戦闘員にとどめを刺し、その場に放置した。
生命活動の停止から、暫くすれば、その細胞は自壊する筈である。
その場を立ち去ろうとする風見と結城。
と――
「ちょっと、待ってよ!」
すっかり置いてけぼりであったさくらが、声を上げた。
風見と結城が、そちらを振り向く。
「あんたたち、いきなりやって来て、何なのよ⁉」
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第六節 境界
「――君は」
と、結城が呟いた。
彼女の事は、神敬介から聞いていた。
「ね、そいつが、犯人なのね?」
「そうだ」
「じゃあ、そいつを、警察に――」
「無理だよ」
結城は、獅子の仮面の戦闘員の末路を、簡単に述べた。
そして、
「警察では、相手にもしてくれないだろう」
と、言った。
「君も、今日の事は忘れた方が良い」
「え⁉」
「踏み込んではならない場所だよ」
結城は、風見と共に踵を返した。
「待ちなさいってば!」
さくらが吠えた。
「忘れられる訳ないでしょ――」
さくらは、風見と結城の背中に向かって、叫んだ。
「こいつは、私の友達を殺したんだから!」
「――」
ふと、風見が足を止めた。
その風見に、結城が、小さく声を掛けた。
風見は、結城を手で制すと、
「仇か――」
と、さくらに訊いた。
「そうよ」
「それならば、俺が、やる」
「え?」
「こいつらの相手は、俺たちの仕事でね」
「――」
「君のような子を、巻き込む訳にはいかないんだよ」
「――何よ、それ」
風見は、さくらを振り向く事なく、言葉を続けた。
「君が来るような場所ではないという事さ……」
「何よ、場所って?」
「境界と言った所だな」
「境界⁉」
「人には人のテリトリーがある。そこを、踏み荒らさない事だ」
そう吐き捨てると、風見は、そのまま歩いてゆく。
結城も、その後に続いた。
さくらだけが、その場に取り残された。
「何ィ⁉」
と、デッドライオンが声を荒げた。
配下の戦闘員から、別働隊の一人が斃されたと報告された。
人間に、デルザー軍団の残党である戦闘員が斃せる訳がない。
相手は、改造人間である筈だった。
「奴か⁉」
デッドライオンは、報告に来た戦闘員に掴み掛った。
戦闘員は、首を横に振った。
デッドライオンの求める相手ではなかったが、しかし、人間を守る為に、デッドライオンたちに敵対する改造人間となれば、その正体は自ずと絞られて来る。
仮面ライダーだ。
仮面ライダーが、自分たちの活動を知り、邪魔をしようとしているのだ。
「くぅ」
と、デッドライオンは呻いた。
倉庫の中を覗き込んだ。
まだ、デッドライオンの計画は完成していない。
時間が掛かる。
時間と言うか、正確に言うのならば、材料だ。
材料が、まだ、足りなかった。
この異形の曼陀羅を完成させる為には、もう少し、人間の血を流さねばならない。
しかし、自分の計画を知った仮面ライダーたちは、間違いなく潰しにやって来る。
どうすれば良いのか――
狼狽えるデッドライオン。
と、そこに、
「落ち着き給え、ミスター」
と、しゃがれた声が聞こえて来た。
真っ白い髪と髭を、茫々と伸ばした、黒いマントの老人――
暗黒大将軍であった。
「仮面ライダーが、この、ミーとユーの計画を、邪魔しに来るのだね?」
「――ああ」
暗黒大将軍の、ゆったりとした喋り方に、苛立ったかのように、デッドライオン。
しかし、暗黒大将軍は、たっぷりと蓄えた髭を撫で付けながら、薄ら笑いを浮かべている。
「ミスター・デッドライオン、心配する事はないとも」
「何?」
「ユーから得たサタン虫の製造技術は、既に、ミーなりの理論で組み立ててある」
「何だと⁉」
「仮面ライダーなど、恐れるに足りぬとも」
「――」
デッドライオンは、じぃ、と、暗黒大将軍の表情を眺めた。
老人は、誇らしげに鼻を鳴らしていた。
その表情には、一切の翳りが見られない。
「……では、この計画は」
「ノー・プロブレム。仮面ライダーが何人来ようと、計画の遂行は完全よ。寧ろ、ライダーの連中が来てくれた方が、飛んで火にいる夏の虫ね」
「――むぅ」
「でも、やはり計画の発動は急いだ方が良い事に変わりはない」
「では?」
「手っ取り早く、人間共を拉致して来た方が、良いだろうね」
「――」
「それについては、ミーの改造人間部隊に任せ給え」
「ほぅ」
「ユーは、このステージを完成させる事に、集中するのだよ」
「分かった」
デッドライオンは、頷いた。
暗黒大将軍は、満足げに笑い、踵を返した。
風見と結城は、それぞれ、自分たちのオートバイで、獅子の仮面の戦闘員から入手した情報を頼りに、あの異形の倉庫へと向かっていた。
都市の中心部から離れた、殆ど人の寄り付かない、さびれた倉庫である。
その中では、血と臓物で形作られた、異形の曼陀羅が作成されている。
あの魔法陣が何の為であるかは兎も角、人間の生命を理不尽に奪い、あまつさえ、あのような狂気の礎としようとする事を、許すべきではなかった。
ましてや、人類の自由と平和を守るという使命を、仮面ライダーの称号と共に受け継ぐ風見と結城である。
夜道にマシンの走行音を薄らと響かせながら、二つの影が駆け抜けてゆく。
と、その最中に、結城が風見に声を掛けて来た。
改造人間特有の通信機能である。
風見は、結城に問い返した。
――彼女に言った事だが……。
と、結城。
風見は、小さく頷くと、
――今なら、本郷先輩たちの言葉の意味が分かる。
と、返した。
友人を、猟奇殺人で亡くしたさくら。
犯人を許すまいとする彼女の心情を、風見は理解する事が出来た。
風見志郎も亦、彼にとって大切な存在を、奪われている一人である。
父と、母と、妹だ。
風見は、ゲルショッカー亡き後、暗躍を始めた秘密結社デストロンの活動を、偶然にとは言え目撃してしまった。
その口封じとして、デストロンは風見の殺害を目論んだ。
数度に渡る暗殺の失敗から、デストロンは、とうとう改造人間に命じて、風見と、その家族を諸共に殺害しようとした。
ハサミジャガー
デストロンの改造人間は、ゲルショッカーが造り出した、二種類の生物の特徴を備えた改造人間というプロットを、違う形に変更している。それは、生物と機械の融合であった。
脳下垂体ホルモンで、他の生物の遺伝子を定着させた肉体を、更に、バズーカや、電動鋸、ガス・バーナー、テレビジョンなどの機械で武装させたのである。
ハサミジャガーは、その名の通り、鋏とジャガーの機械合成改造人間であった。
他には、
カメバズーカ
テレビバエ
イカファイア
マシンガンスネーク
ハンマークラゲ
ナイフアルマジロ
ノコギリトカゲ
レンズアリ
カミソリヒトデ
ピッケルシャーク
ドリルモグラ
ジシャクイノシシ
ガマボイラー
バーナーコウモリ
ミサイルヤモリ
スプレーネズミ
クサリガマテントウ
ハリフグアパッチ
ギロチンザウルス
ドクバリグモ
ウォーターガントド
プロペラカブト
ゴキブリスパイク
カマキリメラン
ヒーターゼミ
ワナゲクワガタ
カメラモスキート
タイホウバッファロー
カニレーザー
などがいた。
それらの尖兵であったハサミジャガーに依って、父、母、そして妹の雪子は殺された。
だが、風見だけは、デストロンの存在を知った本郷猛と一文字隼人――ダブルライダーの救出が間に合い、生命を長らえる事が出来た。
この時、風見はダブルライダーに、
“俺を改造人間にしてくれ”
と、懇願している。
結果として、風見志郎は、本郷と一文字の手術を経て、強化改造人間V3となった訳だが、最初は、本郷も一文字も、彼を改造する事を拒んだ。
本郷も一文字も、改造人間でありながら、人間の心を持つ苦悩を知っていたからだ。
少し力を込めただけで、水道の蛇口を捻り壊し、硝子のコップを握り潰してしまう。
下手をすれば、子供をあやしてやる事さえ出来ない。
改造人間になるとは、そういう身体になるという事だ。
風見が、家族の仇を討ちたいというのは分かる。だが、その怒りを晴らす為だけに、人間から逸脱した存在と化し、それからも生きてゆかねばならないというのは、地獄である。
身体の内側の機械が軋む音を、毎晩、聞かねばならなかった。
眠りの中にあっても、異常に強化された感覚の為に、癒される事はない。
そんな生き方をしなくてはならないのは、自分たちだけで充分だ――
それが、本郷と一文字の意思であった。
又、本郷は、一文字にその道を歩ませてしまっている事を、後悔している所がある。
強化改造人間第一号――
始まりの男・本郷猛。
本来、自分だけで、ショッカーという巨悪を斃すべきであった本郷は、いつ終わるともしれない戦いに疲れ、仲間を求めてしまったのである。
ショッカーと戦えるのは改造人間だけであった。
仮面ライダー・本郷猛の仲間たり得るのは、同じく改造人間でしかない。
一文字に、自分の歩む地獄を、無意識とは言え押し付けた事を、本郷は、心の片隅では後悔し続けているのだ。
その本郷と一文字であったが、危機に瀕した自分たちを救う為に、身を挺した風見志郎を、そのまま見殺しにする事は出来なかった。
だからこそ、風見志郎の身体に、自分たちの持てる技術を注ぎ込んだのである。
改造手術に利用したデストロンの基地が爆発し、カメバズーカに追い詰められたダブルライダーの前に、颯爽と現れた新たな戦士の姿を見た時、
“成功だ”
そう呟いたダブルライダーの胸中たるや、如何なものであっただろうか。
こうした経緯で誕生した仮面ライダーV3・風見志郎には、友人の仇を憎むさくらの気持ちも、改造人間になる事でしか仇を討てない事も分かっており、そして、その後に否が応でも訪れる、人間という境界からの出奔の苦痛も分かっている。
“俺たちだけで充分だ”
そう言った本郷たちの気持ちが、風見の中にも、生まれているのである。
と、住宅街からは遠く離れ、どちらかと言えば森林の多い道路に差し掛かった時であった。
「――風見っ」
結城が声を上げた。
風見は、ブレーキを掛けようとしたが、遅かった。
その前に、路面に無数の亀裂が入り、地面が陥没してしまった。
「むぅん」
風見は、前輪を持ち上げて、後輪だけで道路に踏み止まろうとしたが、バイクごと、陥没した地面に落ち込んでしまった。
風見のバイクが横倒しになる。
風見は、咄嗟に脚を引き抜いていたから、車体に潰される事はなかった。
だが、そのバイクが倒れた場所というのが、砂であった。
「ぬ⁉」
道路は大きく円形に沈み、中心に向かうに従って深くなっている。
左右を、森で挟まれた道路のど真ん中に、擂り鉢が出現しているのだ。
しかも、その擂り鉢を形成している砂は、中心に向って滑り落ちている。
「平気か、風見⁉」
「ああ」
結城に応える風見だったが、バイクも、風見自身も、流砂に巻き込まれている。
アリジゴクであった。
と――
流砂に引き摺られる形の風見が向かう先――つまり、擂り鉢の中心の砂が、こんもりと盛り上がって来た。
かと思うと、黄土色の砂が真ん中から裂け、切れ目を入れたコードから銅線が顔を出すように、黒い頭が浮かび上がった。
見れば、黒いジャンバーを着た男が、アリジゴクの中心から、上半身を出していた。
「何⁉」
いきなり出現したその男に、風見が驚愕しているが、結城は、風見ばかりに気を取られている訳にはいかなかった。
結城のオートバイのライトが向いている方向――アリジゴクの対岸に、ライトの為に、六つの人影が浮かび上がっていたのである。
猪首で、背の低い男。
肩幅が異常に広い男。
顔色の悪い、痩せぎすの男。
小太りの男。
胸と尻が突き出し、腰が見事に括れた女。
ほっそりとした体型の、髪の長い女。
「こいつらか?」
肩幅の広い男が言った。
「にしては、少々、間抜けだなぁ」
アリジゴクの中心にいる男が、風見を眺めていた。
「だけど、この道は滅多に人も通らないし」
「決まり、だ、な」
腰の括れた女と、猪首の男が、続けた。
「じゃあ、あれだ。お前さんたちは――」
と、痩せぎすの男が、やけに大きな擦過音と共に言葉を吐いた。
「仮面ライダー、って事ね」
と、小太りの男が、気の抜けるような調子で言った。
「おい、俺が言う所だろうが⁉」
痩せぎすの男が怒鳴ると、
「ひぇっ」
ほっそりとした女が、身体をびくっと震わせた。
「ちょっとぅ、ロウをイジメないでよ」
腰の括れた女が言う。
痩せぎすの男は、一つ、舌を打ち鳴らした。
その光景を見て、他の面々が笑っている。
風見と結城の事など、忘れてしまっているかのようだった。
しかし、そうした談笑の発声の原因でもある、ロウと呼ばれた女が、おどおどしながらも、他の六名に呼び掛けた。
「み、皆さん――」
「ん?」
「い、良いんですか、あの人たち……」
と、結城に手を差し伸べられ、道路に戻ろうとしている風見を指差した。
「あッ」
六名が六名とも、間の抜けた声を上げた。
その中で、すぐに意識を切り変えたのは、アリジゴクの中心にいる男だった。
「させねぇよ」
呟くと、その顔に、びきびきと太い筋が浮かび上がって来た。
すると、風見を捕らえていた、砂を溜めた擂り鉢が、流砂の勢いを増した。
「ぬぅ⁉」
風見は、もう少しで結城の手を取れるという所だったが、白いライダー・グローブは空を切った。
「風見!」
結城が声を上げる。
風見が、擂り鉢の中心に、吸い込まれて行くようであった。
結城は、しかし、はっと顔を上げる。
と、向こう岸に六つ並んでいる筈の人影が、五つしかなかった。
小太りの男が、消えている。
「結城、後ろだ!」
風見が、吸い込まれそうになりながらも、声を上げた。
結城が、身体を沈めて、左足を後方に伸ばし上げた。
結城の革靴が、後ろに回っていた小太りの男の腹にぶち当たるのと、小太りの男が繰り出したパンチが、結城の髪の毛を数本引き千切って行くのは、同時であった。
「ちぇ」
と、小太りの男が舌打ちした。
結城は、彼から距離を取る。
アリジゴクからも、離れてしまった。
「お前たちは何者だ?」
結城が訊いた。
「あんたたちの敵ね」
小太りの男が答える。
「敵⁉」
「デルザーか?」
風見が、もう数秒で、アリジゴクの中心にいる男と顔を突き合わせそうになっている。しかし、風見は無表情を保ったまま、問うた。
「ふふん」
と、アリジゴクの男は鼻を鳴らした。
「それとも、ショッカーとかデストロンの残党の、改造人間ってトコかな」
「改造人間だと?」
不愉快そうに言った男の、顔に浮かんだ太い筋が、蚯蚓のように這いずり回る。
そうしていると、額の両端の肉が、もこりと盛り上がり、その皮膚を突き破って、刺々しいものが突き出して来た。
触角――と、言うよりも、節くれだった一対のそれは、昆虫の顎だった。
ぎょろり、と、男の眼が膨れ上がる。
頭蓋骨が、肌の上にそのまま盛り上がって来たかのように、顔の形が変形した。
ジャケットを切り裂いた腕に、棘が幾つも生えだしている。
気付けば、その姿は、光沢のある黒い外骨格に包まれた、異形となっていた。
又、結城と相対した小太りの男も、皮膚の内側からぼこぼこと膨れ上がってゆき、その皮膚が破れた時、男の身体は無骨な外殻に包まれていた。
その両腕は巨大な鋏と化している。
頸と肩との境目が分からない程のぶ厚い外殻であり、頭部からは眼が眼窩から飛び出していた。
「そんな下等生物と一緒にするな、鉄屑め」
「何だと?」
「俺たちは、改造
改造魔虫アリジゴクが、風見志郎の頸に手を伸ばし、同じく改造魔虫クラブマンの姿を現した小太りの男が、結城丈二に躍り掛かってゆく。
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第七節 鬱憤
その日の前田さくらは、朝から機嫌が悪かった。
一限目の講義では、後ろの方の席にどっかりと陣取り、九〇分の間、ずっとむっつりとした顔をしていた。これは、他の時間でも同じ事であった。
昼になって、空手部の後輩や、同じ学部の女子学生と一緒に、学食で食事をしている時も、自棄になったかのように大量のメニューを注文し、鬼のような勢いで喰らっていた。
元より、同じ年頃の女性と比べると、大食いの傾向はあった。しかし、今日この日に限って言うならば、普段の倍近くは、腹の中に溜め込んでいたのではないだろうか。
風道館へゆくと、益々以て、さくらの機嫌が悪い事が明確になって来た。
風道館空手部の稽古は、準備体操、基本稽古、移動稽古、ミット打ち、と、来てから、自由組み手を行なう。組み手の稽古に割く時間が、一番長かった。
その組み手で、さくらは暴れ捲ったのである。
自分よりも背も高く、ウェイトもある男子学生にばかり挑んでは、ノックアウトの山を築き上げていた。
「勘弁して下さい!」
「許してくれぇ」
と、情けない悲鳴を上げる者が多かった。
最後には、誰もさくらと組みたがらなくなり、さくらは、道場の隅でサンドバッグに向かい合っていた。
その、サンドバッグに拳や蹴りを叩き付けてゆくにも、鬼気迫るものがあった。
豊かに膨らんだ胸中の鬱憤を、突きや蹴りに乗せて、吐き出してゆくかのようであった。
しかも、明らかに激情に任せた打撃の流れであると言うのに、その一撃には、恐ろしいまでに隙が生じていないのである。
サンドバッグを相手に、只殴り、只蹴るばかりではない。実際の試合を想像して、打撃を喰らうままに揺れるだけのサンドバッグの中に、対戦相手の姿を見ていた。
だから、自然とダッキングやウィービング、スウェー・バックなどといった回避行動のシャドーが見て取れるが、その架空の回避の後には、雨あられと拳やキックを打ち付けてゆく。
サンドバッグの表面が破れるのが先か、吊るしている鎖が千切れるのが先か、男子学生たちは面白がって、練習後の食事や飲み物を賭けたりしている。
女子学生は、組み手の手をやめて、炎のように燃え盛る心を持ちながらも、氷のように凍て付いた技を繰り出すさくらに、ぽぅっと見惚れてしまっているようであった。
さくらは、サンドバッグを拳が叩くたびに、汗と共に沸き上がって来る、苛立ちの念を感じていた。
昨晩、風見と結城と交わした会話が、精神をささくれさせていた。
“無理だよ”
“警察では、相手にもしてくれないだろう”
“君も、今日の事は忘れた方が良い”
“踏み込んではならない場所だよ”
“仇か――”
“それならば、俺が、やる”
“こいつらの相手は、俺たちの仕事でね”
“君のような子を、巻き込む訳にはいかない”
“君が来るような場所ではないという事だ”
“境界さ”
“人には人のテリトリーがある。そこを、踏み荒らさない事だ”
訳知り顔で、淡々と述べる二人の事が、気に喰わなかった。
自分のやろうとしていた事を、邪魔されたようにしか思えなかった。
星河深雪の仇を討とうとした自分を、真っ向から否定されたようであった。
その苛立ちが、さくらの中で、燃え上がっていた。
その苛立ちが、さくらの躯体を、激しく突き動かしていた。
サポーターの内側で、拳が悲鳴を上げている。素手であれば、とっくに皮膚が擦り切れていた。それは、脚も同じ事である。
全身を、休ませる事なく、駆動させていた。
地面を蹴る反動を、関節のひねりで全身に伝え、拳に到達させる。
螺旋の軌道を描くエネルギーが、手の先から、サンドバッグに叩き込まれる。
その打ち込んだ拳を引き戻し、その勢いで反対側の足を跳ね上げる。
さくらの頭を超える位置にまで、さくらの左脚が伸びてゆく。
ばぢ、と、サンドバッグの黒い表面を、さくらの背足が叩いた。
その反動が、脚に伝わり、蹴り足で後方に踏み込みつつ、軸足で蹴りにゆく。
既に、二〇分近く、さくらはサンドバッグを打っている。
若し、誰も止めなければ、一晩中でも叩いていそうである。
一晩とは言うが、正確には、体力が尽きて倒れるまでだ。
仮に、さくらの体力が、ここより三日間持つのであれば、さくらは三日後にぶっ倒れてしまうその時まで、こうしてサンドバックを殴り、蹴り続けているであろう。
一週間ならば一週間後に倒れるまで。
一ヶ月ならば一ヶ月後に失神するまで。
半年ならば半年、一年ならば一年後に気を失うまでだ。
それが、三〇分に差し掛かる前に終わりを迎えたのは、道場に駆け込んで来る学生の姿があったからだ。
「せ、先輩――!」
と、女子学生が、誰にという訳ではなく、切羽詰まった様子で、叫んだ。
流石に、さくらも動きを止める。
その途端に、どっと汗が吹き出して来た。
「どうした?」
男子学生が訊いた。
女子学生は、呼吸を整えてから、
「お、
と、言った。
呉割大学と言えば、この辺りでは、不良の溜まり場として有名な学校である。
他校との喧嘩は日常で、高校生や中学生を脅して金を奪う事もしばしばある。
夜道で、うだつの上がらなさそうな中年オヤジを、面白半分に殴って、重傷を負わせる、という事件も起こっている。
噂では、学長が広域暴力団の幹部であり、学生たちが行なった犯罪行為をもみ消しているとも言われている。
風道館に駆け込んで来た女子学生の話では、講義を終えて、男女の友人たちと一緒に風道館へ向かおうとしたのだが、その途中で、強面の連中に声を掛けられたという。
五人だ。
彼らは、呉割大学の者だと言い、そして、男子学生の事をいきなり殴り付けて来た。
二人が呆気に取られている内に、五人の内の四人が、男子学生をリンチに掛け始めた。
風道館へ走った女子学生は、空手部の先輩たちの力を借りようとしたのである。
そうして、さくらと、部長を筆頭とした数名が、風道館から急いで駆け付けると、ぼろ雑巾のように蹴り転がされた男子学生と、リンチに加わっていなかった呉割大学の男に腕を掴まれている女子学生の姿があった。
その様子を、キャンパスに残っていた城南大学の学生たちが、遠巻きに眺めている。
「貴様ら、何をしている⁉」
部長が、一喝した。
呉割大学の男たちが、やって来た、空手衣の連中を眺めた。
「何だい、おたくは」
「空手部の高橋だ。城谷に何をしている」
城谷というのが、リンチされた学生の名前である。空手部員であった。
城谷のガール・フレンドであった千恵子の腕を掴んでいる男が、高橋を睨んだ。
昏い双眸は、暴力慣れした人間である事を意味している。
高橋は、きっと睨み返した。
「おい、ムツ」
「うす」
と、城谷をリンチしていた男の内、顔に痣を作った男が、前に出た。
左の瞼が腫れ上がっており、裂けた唇の隙間から、前歯が折れているのが見える。
「ムツが、おたくの城谷くんにお世話になったらしくてね」
と、リーダー格らしい男が言った。
「そのお礼に来たのさ」
「礼⁉」
「おたくら、空手やってんだろう。危ないじゃないか、俺たちみたいな素人に向って、パンチをぶち込んで来るなんてさ」
と、言う。
高橋は、一度、倒れている城谷を見た。
確かに、空手の経験者と、武道らしきものを何もやっていない人間とのパンチを比べてみると、前者の拳は、非常に危険である。だからこそ、試合ではサポーターやグローブを装着するのだ。
「違います!」
と、千恵子が叫んだ。
「城谷さんは――」
そう言い掛けた所で、リーダー格の男が、千恵子の腕に込める力を強くした。
痛みに顔を顰める千恵子。
「やめなさい!」
さくらが、鋭く叫んだ。
上気した頬に、汗を吸って肌に張り付いた髪が、健康的なエロスを醸していた。
道衣の合せ目から覗く、透けた下着のシャツの内側の肌色と、その盛り上がりが、男たちを堪らなくしてしまいそうである。
そんな視線を無視して、さくらは、大凡の事情を察していた。
どうやら、城谷が、ムツと呼ばれた男を殴ったらしいのだが、リーダー格の男が、城谷が積極的にムツを殴ったと言っているのに対して、千恵子はそれを否定している。
呉割大学の普段の素行と、正義感は強い方である城谷の性格を考えるに、ムツがしていた迷惑行為を戒めようとした結果、最終的に拳を使わざるを得ない状況に陥ったのだろう。
そのように、判断していた。
「その子を離しなさい」
さくらが言った。
「城谷が、そこの彼に手を出した事は分かったわ。でも、ここまでやったのなら、もう、気は済んだでしょう。早く学校の敷地から出てゆきなさい」
城谷の怪我は、ムツとは比べものにならないが、事を荒立てるのは、誰も望む所ではない。
仮にも空手家を名乗るのであれば、素人に危害を加えてはならないのは、正拳の握り方や打ち出し方と共に、最初に教わる事だ。
城谷だって分かっている。
穏便に済ませるには、それが最善であった。
しかし、リーダー格の男を含む、ムツ以下五人の男たちは、さくらの凛とした態度に対して、下卑た笑いを浮かべていた。
「実はよぅ」
と、リーダー格の男が言い始めた。
「ムツの奴、顔だけじゃねぇ。股間に、一発、良いのを貰ったらしくてな」
「――」
「きんたまだよぅ、きんだま。お前さんには分からねぇだろうがな」
「――それが?」
「流石に、それで潰れちまいましたってんじゃ、笑えねぇだろう。だからな、確かめて貰いたくてな」
「確かめる⁉」
「おう。使えるかどうかをさ」
「な――」
さくらは、リーダー格の男の浮かべる、爬虫類のようないやらしい表情を見て、怒りで顔を真っ赤に染め上げた。
「後輩の尻位、拭ってやれよな、先輩よぅ」
リーダー格の男が言う。
すると、その傍に控えていた別の男が、
「拭うのは尻じゃなくて、竿の方じゃないんすか」
と、言った。
男たちが、げらげらと笑い始める。
さくらは、今にも咬み付いてゆきそうな眼で、連中を睨んでいた。
「別にあんたじゃなくたって良いんだぜ。何なら、ボーイ・フレンドがムツを殴ってる所を見ていた、こっちの嬢ちゃんでもな」
リーダー格の男はそう言うと、千恵子の腕を引っ張って自分の方に引き寄せ、彼女の胸元に掌を這わせた。千恵子が、拒絶感を現して、身をよじると、リーダー格の男は、益々興奮したように、唇をぎりぎりと吊り上げた。
「やめなさい!」
さくらが叫んだ。
「その子を離しなさい!」
「じゃあ、確かめて貰えるかい」
「――」
さくらが、リーダー格の男を睨んだ後、ムツに視線を移した。
痣だらけのムツの顔には、下品な色が浮かんでいる。
ムツが、喧嘩慣れをしていて、城谷でも危なくなり、仕方なく金的に蹴りを喰らわせたという事は、考えられる。
潰れていないかとか、使えるかどうかとか、そんな事は、ムツにとっては兎も角、リーダー格の男にしてみれば、どうでも良い事だ。
要は、自分たちが掻かされた以上の恥を、風道館の者に掻かせてやろうというのである。更には、千恵子やさくらに、そうした事をさせて、悦に入ろうという魂胆があった。
これが、さくら一人の問題であれば、全員をノックアウトしても構わない。
だが、このきっかけを起したのは城谷であり、千恵子も巻き込まれている。風道館空手部のメンバー以外にも、大学の学生たちが、この場に集まって来てしまっている。
下手に事を大きくする事は出来なかった。
飽くまでも穏便に、被害を小さくする為には――
さくらは、ムツの足元に跪いている自分の姿を想像し、燃え立つような怒りを堪え、又、千恵子にそんな事をさせてしまった場合に、自分の心に残る感情に恐怖した。
そんな時であった。
「あッ」
と、誰かが声を上げた。
顔を上げれば、呉割大学の、リーダー格の男の後方から、弧を描いて飛んで来るものがあった
リーダー格の男が気付いた時には、その頭に、グラウンドで練習していた、アメリカン・フット・ボール部の使っている筈のボールが、真上からぶつかっていた。
「何だ⁉」
と、リーダー格の男が振り向いた。
グラウンドにいたアメフト部の学生たちは、しきりに首を振って、自分たちではないとアピールをしている。
しかし、リーダー格の男の視界の真ん中――恐らくは、ボールが飛んで来たであろうその地点に、一人の青年が、悪びれた様子もなく、突っ立っていた。
「貴様か⁉」
「ああ、俺さ」
にぃ、と、唇を捲り上げて、胸元にSの文字を張り付けたシャツに、デニムの上下を合わせた青年が、頷いた。
最後にちらりとライダー要素。
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第八節 巫蟲
昼食と言うには遅く、夕食にはまだ少し早いという時間であったが、その居酒屋の一角に、四人の男女の姿があった。
客はまだ少なかったが、厨房からは、旨そうな匂いが漂って来る。
その四人が、たっぷりと注文をして、急ぎ、調理している所なのである。
入り口から見て、左の壁際にある、四人掛けの、正方形のテーブルには、既に飲み物が置かれている。
左奥から見てゆくと、大きなジョッキに入った生ビール、その隣に赤ワイン、正面には徳利が三つとお猪口が置かれ、その横にはオレンジジュースであった。
顔位の大きさのジョッキの中身を持ち上げ、黄金の液体を、ぐぃぐぃと咽喉に流し込んでゆくのは、マヤであった。
立っているだけで汗が吹き出して来そうな気温の為に、肌にべっとりと張り付いたショッキング・ピンクのタンクトップが、マヤの、豊満な身体のラインを、そのまま表している。テーブルの下に入れた脚は、太腿から下が、そのまま露出している。尻の膨らみを包んでいるのは、ホット・パンツであった。
その左隣で、グラスを傾けているのは、黒井響一郎だ。
染み一つない白いワイシャツの胸元を大きく開き、男にしては生白い、咽喉から鎖骨までのラインを見せ付けていた。捲り上げている袖から伸びる腕も、その白さからすると、太く、逞しかった。黒いスラックスは、右の太腿に左の脚を載せる形で、組まれている。
お猪口に注がれているのは、新潟産の焼酎だ。氷水の温度を撓めた徳利から、お猪口に移し、それをかなりのペースで飲んでいるのは、ガイストであった。
ガイストは、Tシャツにパンタロンという格好である。そのシャツが、ギリシャ彫刻のように発達した肉体の為に、ぱんぱんに膨らんでいた。少し、その上腕に力瘤を作ってやれば、袖から裂けてゆきそうである。
オレンジジュースを、ちびちびと飲んでいるのは、松本克己である。
克己は、灰色の浴衣を、着流していた。近くで、祭りでもあったのかと思わせるような格好である。襟元には、黒い骨の扇を差し込んでいた。下の合せ目から、無駄な毛のない、カモシカのような脚が覗いており、二枚歯の下駄を履いている。
「それで――」
と、話を切り出したのは、ガイストであった。
「この間の件だが」
「この間?」
マヤが問い返した。
「デッドライオンとかいう奴さ」
克己が、ガイストの言葉を代弁する。
「彼を引き入れようと、あんたに言われた訳だが、私は、彼の事を知らない」
一ヶ月程前の事である。
黒井、克己、ガイストの三人は、マヤの指令で、行方を晦ましたデッドライオンを、自分たちの仲間に引き入れようとした。
しかし、どのような誤解をされたのか、デッドライオンは黒井たちから逃げ、襲い掛かって来た。
その場に現れた白髪白髭の老人――暗黒大将軍の為、黒井たちは手を引いたが、そもそも、デッドライオンという人物の事を、黒井たちは詳しく聞いていなかった。
「ブラックサタンの大幹部よ」
マヤが答えた。
「ブラックサタン?」
「ええ。ガランダー帝国の次に、首領が眼を付けた組織ね」
ガランダー帝国とは、バルチア王朝の末裔である、ゼロ大帝を頂点に頂く組織だ。名に帝国とあるのは、ゼロ大帝の支配する帝国建設の途上にある組織である為だ。
ガランダー帝国は、古代インカのオーパーツ・ガガの腕輪を、ゲドンの十面鬼ゴルゴスから奪い、対になるギギの腕輪を、仮面ライダーアマゾンから手に入れる事を、建国の第一歩としようとした。
だが、度重なるアマゾンライダーの反撃に遭い、部下の獣人(改造人間)たちの殆どが殺害され、ゼロ大帝自身も、アマゾンに打ち倒される事になった。
マヤの言う“首領”とは、マヤや克己の所属していたショッカー、黒井に強化改造人間第三号の身体を与えたゲルショッカー、ゲルショッカーの壊滅後に出現したデストロンを、直接指揮していた謎の人物である。
又、ガイスト――呪刑事・アポロガイストの父であった呪博士に秘密工作機関GODを任せ、総司令として陰から指示を送っていたのも、この首領である。
尚、ショッカー・GOD時には一度も姿を見せず、ゲルショッカー・デストロンの壊滅間際になって、自爆プログラムを作動させた、一つ目の怪人や、白骨の姿なども、仮の姿でしかない。
克己や、ショッカーの大幹部であった死神博士とゾル大佐の前には、チベット僧・ヘールカとして現れた事があったが、あれも、真実の姿かどうかは怪しい。
その謎に包まれた人物“首領”は、ガランダー建国を目論むゼロ大帝に、改造人間製造の技術を提供し、“影の支配者”として、ショッカー時代からの目的である世界征服を成し遂げさせようとした。
それが失敗した後に、“首領”が、次なる組織として見出したのが、ブラックサタンである。
「組織と言っても、蟲だけれど」
「蟲?」
ガイストが訊き返した。
「サタン虫って連中なのよ」
「サタン虫?」
「人の身体に寄生して、その肉体を改造してしまう蟲の事。その長と、首領が交渉して、ブラックサタンを組織したらしいわ」
「蟲と、交渉?」
「ええ。多分、首領の実験の一つだったのでしょうね。貴方たちみたいな強化改造人間のプロットで造り上げたサイボーグに、サタン虫を寄生させたらどうなるか……」
「それが、ブラックサタンの改造人間か?」
「
「ふむ」
ガイストは頷き、続けた。
「で、その奇械人を造り出す事が、どのような目的で行なわれた実験だったのだ?」
「ん……多分、貴方の所と同じね」
「私の?」
「ええ、GOD機関の目的と、よ」
「それは、興味深いな」
ガイストが、少しだけ、身を乗り出して来た。
マヤが説明を続ける。
「サタン虫っていうのはね、首領に依れば、
「がむし?」
「蟲毒か」
ぽつり、と、口を挟んだのは克己だ。
「あら、知ってるの?」
「イワンから、聞いた事がある」
イワン=タワノビッチ――死神博士の事である。
「確か、蟲を使った呪術の一種だったな」
イワン=タワノビッチが、死神博士として、ショッカーに与したのは、たった一人の愛する妹の生命を、蘇らせる為である。
それ以前に、ナチス・ドイツに所属して延命治療技術について研究し、又、妹のナターシャが死んでからは、占星術や、東洋呪術などからも、その智慧を得ようとした。
「ええ、そうね。例えば、蛇とか、百足とか、蛙とかを、同じ容器の中に入れて、共喰いさせるのよ。そうして、生き残った固体は神霊になるとされているわ。その神霊を祀って、その身体から取り出した毒を食べ物や飲み物に混ぜ、人に危害を加えたり、逆に、幸福を得たりする事を目的とするの。そういう呪法を
「古代の中国では、蟲毒の法を用いて人を殺そうとした場合、斬首に処されたらしいな」
「へぇ……」
ガイストが、マヤと克己の話に、感心したように頷いていた。
「その、蟲毒の法で生き延び、祀られたものが、ブラックサタンと?」
「そうかもしれない、という話よ」
「それで、餓蟲とは?」
「空気中を漂っている、無害な霊体――の、ようなものね」
「霊体?」
「ええ。この世界に満ち満ちている、あらゆる物体の根源――」
「原子?」
「――を、更に細かく分解してみたもの、と言うのかしらね」
「――」
「科学の話じゃなくてね、スピリチュアルな話よ」
「スピリチュアルか」
「気とか、オーラとか、そういうものね」
「ふむ……」
「そういうものが、人の念で変化する事があるの」
「念?」
「感情ね。精神に影響される霊体――例えば、誰それが憎いと、強く思い続けて、その相手が不幸になったとするわね。そうした現象は、餓蟲が、悪いものに変質したから起こる場合があるのよ」
「まるで、呪いだな」
「まるで、ではなく、実際、呪いなのよ。そういう現象があるの」
「むぅ」
「それを意図的に起そうするのが、呪術師とか、道士、法師、魔術師……そういう風に呼ばれる訳ね」
「――」
ガイストは、ブラックサタンと、GOD機関の目的が同じと言われた意味が分かった。
GOD機関の改造人間たちは、神話に登場する神や獣をモチーフとしている。
生体や機械を元にした物理的な改造技術に加え、神話の神々の残留エネルギーである幽体を合成する技術を駆使していた。
アポロガイストが倒れた後、呪博士が巨大ロボット・キングダークから直接指示を出していた改造人間たちも、チンギスハンやジェロニモ、ヒトラー、ナポレオン、ルパン、石川五右衛門、皇帝ネロなどといった歴史上の人物の魂を受け継いでいた。
魂とか、幽体とかは兎も角、ブラックサタンが、餓蟲や蟲毒などの呪法をベースにして組織されたのならば、GOD機関で採用された幽体合成技術と、関わりがあってもおかしくはない。
「で、その餓蟲とか蟲毒で造られたか、或いは、元から存在していたそういう連中と首領が交渉して、ブラックサタンが出来上がった訳か」
「ええ」
ガイストの確認に、マヤが頷いた。
「その餓蟲――只のサタン虫から成り上がったのが、デッドライオンという大幹部よ」
「――そのデッドライオンだが」
ガイストが、更に訊いた。
「何故、あんな森の奥にいたのだ?」
「逃げていたからよ」
「逃げていた?」
「デルザー軍団からね」
デルザー軍団とは、ブラックサタンに次いで現れた組織だ。
組織とは言うが、構成しているのは、世界各国に伝わる魔人や怪物たちの子孫である改造魔人たちであり、その実力は、一人一人が大幹部クラスのものを持つ。
「ブラックサタンの崩壊には、デルザー軍団が絡んでいるのよ」
「と、言うと?」
「ブラックサタンには、タイタンという幹部がいたわ」
地底王国の魔王を名乗る、一つ目の大幹部である。冷酷非情な性格を持っていた彼は、その容姿から“一つ目タイタン”と呼ばれていた。
タイタンは、一度死ぬが、後にパワー・アップして復活。“百目タイタン”となった。
しかし、タイタンが一度開けた穴を塞ぐ為、サタン虫の長は、デルザー軍団よりジェネラルシャドウを召喚した。
百目タイタンとなるも彼は敗れ、デッドライオンが、次なる日本の侵略者として着任する事となる。
だが、ジェネラルシャドウは、自らを雇用したブラックサタンを見限り、ブラックサタンの没落を手引きしたばかりか、サタン虫の長を見殺しにした。
デッドライオンは、組織の崩壊から何とか逃げ延びたものの、ブラックサタン残党を狩り立てようとするデルザー軍団に追われる日々を送っていたのだ。
「むぅ」
と、ガイストが唸った。
「そして、そのブラックサタンの長を斃したのが――」
「城茂――」
マヤが言った。
「仮面ライダー第七号・ストロンガーよ」
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第九節 帯電
城北大学のグラウンドで向かい合う二人の間に、ぴりぴりとした空気が流れていた。
いや、ぴりぴりとしているのは、片方だけである。
呉割大学――近所で有名な、不良連中の溜まり場である。
そのリーダー格である男が、額に青筋を浮かべていた。
彼と向かい合っている青年は、飄々とした表情である。
胸元に大きくSの文字が染め抜かれた、黄色い長袖のシャツ。
デニムの上下。
両手には、湿気っぽい夏だと言うのに、黒いグローブを着けていた。
「てめぇ」
と、呉割大学の男が言った。
声が掠れている。
堪らない怒りを、必死に押し殺そうとしているらしかった。
「何をやったか、分かってるんだろうな」
「ノブさん――」
呉割大学の別の男が、リーダー格の男に言った。
ノブと呼ばれた男の足元には、アメフトのボールが転がっている。
直前に、ノブの後頭部に飛んで来たものだ。
今、ノブと向かい合っている青年が、キックしたものらしい。
「お前さんの頭に、ボールをぶつけてやったって事は、分かってるよ」
青年は、何でもないように言った。
場の空気が、更に引き攣ったようであった。
空が赤く染まるまで、もう少し時間が掛かるようである。そのグラウンドには、講義を終えて下校しようとする学生、外で活動している部活、それと呉割大学のノブやムツを含めた五人、蹴り転がされた城谷、ノブの傍で怯えている千恵子、さくらや高橋などの風道館空手部の面々が、立ち竦んでいた。
デニムの青年と、ノブの周りを囲んでいる。
ノブたちは、城谷に喧嘩で敗けたというムツの意趣返しに、大学に乗り込んで来た。
人の見ている前で城谷をノックアウトし、その場に現れたさくらか千恵子を辱めようとしていた所に、ボールがぶつかって来たのである。
「何だと⁉」
ノブが声を荒げた。
びくり、とする一同の中にあって、デニムの青年だけは、唇を吊り上げたままだ。
「あんまり格好悪い事するなよ、兄ちゃん」
「何?」
「恥ずかしい奴だな……」
「――」
「大層立派なものを自慢したくって、そっちで出すのは勝手だが、お巡りさんの厄介になっちまうぜ」
く、
く、
と、笑いながら、青年が言った。
「笑ってんじゃねぇ、この、餓鬼が!」
ノブが吠える。
青年は、笑みを張り付けたまま、
「餓鬼ってなぁ、あんた。俺は一応、大学は出てるんだぜ。おたくが何年か
「――」
「おっと、図星かい。そいつぁ、悪い事をしたな」
おどけた調子で続ける青年を前にして、ノブの拳が、小刻みに震えていた。
今にも、青年に向かって。パンチを叩き付けてゆきそうである。
「兎も角、年長者が年下を苛めるのは、特にそれが女の子だとなると、余計に格好悪いぜ。しゃしゃってるよりは、真面目に勉強に励んだ方が健全じゃないかねぇ」
ノブが怒っている事が分からないのか、それとも、分かっていて煽っているのか、青年は軽口を叩き捲る。
その間に、ノブの我慢が限界となってしまったようであった。
ノブは、すっすっ、と、青年に向かって間合いを詰めてゆくと、
「糞が」
と、吐き捨てて、右のパンチを、男の顔面に向かって奔らせた。
居酒屋――
ぽつぽつと話をしながら、マヤ、黒井、克己、ガイストの面々は、料理を食べていた。
枝豆の塩茹でが載っている大皿の半分が、既に鞘で埋まっている。
もやしとレバーの炒め物の皿が何枚も重ねられていた。
平皿に、タレが薄く被さった串が、五〇本は積まれている。
徳利が、パルテノン神殿の柱のように、並び立っていた。
主に食べているのはマヤであり、主に飲んでいるのはガイストである。
黒井と克己も、食べるには食べるのだが、意外と健啖家と見えるマヤと、見た通り酒豪であるガイストの量には、及ばなかった。
マヤが、ぽってりとした唇に、鶏の唐揚げを挟んでゆく。
黄金色の衣の内側から、下味がしっかりと付いた柔らかい肉が、押し出されて来る。
ガイストは、最早、徳利から直接飲むようなありさまであった。
焼き鳥が追加された。
ももと、皮と、ねぎまの、塩だ。
焼き立ての鶏の表面に、白い結晶が振られている。それが、溢れ出る肉汁と油の中に、溶け出していた。
ビーフ・ジャーキーも運ばれて来る。
黒井が、ワインを飲みすがら、干し肉を噛んでいた。
克己は、ちびちびとジュースを飲み、ちびちびと料理を食べる。
身長で食事の量をあれこれ判断するのは、一五四センチのマヤが一番食べている事から難しいのだが、黒井とガイストの一七五センチに挟まれた、一七〇センチの克己が、飲食の量は少ないようであった。
飲み食いしながら、話をしている。
「その第七号の話だが」
と、ガイスト。
ブラックサタンやデルザー軍団を壊滅させた、仮面ライダーストロンガーの情報を、まだ得ていないのである。
マヤは、仮面ライダーストロンガー・城茂について、話し始めた。
「逆恨みよ」
マヤが言った。
「逆恨み?」
「ブラックサタンに、自分から身体を捧げて改造手術を受けたお友達を、ブラックサタンに殺されたと勘違いして、戦いを挑んで来たの」
マヤは、黒井の手前、事実を少し変えて、言った。
変更したのは、城茂の友人であった沼田五郎が、“自分から身体を捧げて”という点である。
本当は、屈強なアメフト選手であった五郎の身体能力に眼を付けたブラックサタンが、彼を拉致して、改造を施そうとした。
その手術は失敗に終わり、沼田五郎は死亡。
茂は、その仇を討つ為に、ブラックサタンに挑戦を叩き付けて来た。
黒井は、仮面ライダー第一号に、妻と息子を殺された怨みから、ショッカーに協力し、強化改造人間第三号となった。だが、妻・奈央と、息子・光弘を殺した本当の犯人は、今、黒井の眼の前に座っている、松本克己である。
ショッカーが正当な組織であるとの考えから、脳改造なしに協力している黒井の前で、組織へのマイナス・イメージを作らせる事を、マヤはしなかった。
「自分からブラックサタンに乗り込んで来て、改造人間にして欲しいと言って来たのよ」
「それで――」
「沼田五郎の時の失敗を念頭に、城茂の身体を、強化改造人間に改造したわ」
「強化改造人間に?」
人体の殆どを機械に置き換え、脳やその周辺の神経のみにオリジナル部分を採用し、僅かに残ったオリジナル部分を深化させてゆく。
それが強化改造人間である。
黒井は、その第三号。
克己は、その第四号。
ガイストは、実質上、その第五号と言えた。
「それが、ストロンガーか」
ストロンガーが第七号と呼ばれるのは、第一号・本郷猛より始めて、組織に対して牙を向いた、七人目の仮面ライダーだからである。
第二号は、一文字隼人。
第三号は、風見志郎。
第四号は、結城丈二。
第五号は、神敬介。
第六号は、アマゾン。
黒井からガイストに掛けての三人は、ショッカーの技術としての、肉体面で言う三・四・五号であり、風見から茂に掛けての五人は、組織に敵対する者としての、精神的な潮流で言う三・四・五・六・七号である。
特に第六号・アマゾンは、強化改造人間の技術で造られている訳ではないのだ。
「“突撃型”と呼んでいたわ」
「突撃型?」
「強化服の上に、もう一枚、ぶ厚い装甲を装着するタイプだったの」
「ほぅ……」
「そうすると、貴方たちみたいに、風や太陽光だけでは、動力が都合出来なくてね」
仮面ライダー第一号からV3や、第三・四号までは、風を動力源としている。
Xライダーとガイストは、パーフェクターで太陽光と風をエネルギーに変換している。
生体改造であるアマゾンは、食事をそのままエネルギーとし、又、ギギの腕輪から得られる超古代のエネルギーをも利用している。
ストロンガーの場合は、膨大な電力であった。
ベルト・エレクトラーに仕込まれたバッテリーに、両腕に設けられたコイル・アームを擦り合わせる事で発生する静電気、更に空気中から微力な電気を吸収し、エネルギーに変換する機能――これらを併用して、三〇〇キログラムを超える“超強化服”を運用していた。
その電力の余剰分を、攻撃に転用する事も出来る為、強化改造人間突撃型は、別名・改造電気人間とも呼ばれていた。
「その力を、みすみす、敵に渡してしまったのよね」
と、マヤが嘆息した。
「それで、ブラックサタン、それに、デルザー軍団をも滅ぼした訳か」
唸るガイスト。
「でも、デルザーを斃したのは、何も、ストロンガーだけではないわ」
「む」
「他の仮面ライダーたちも、デルザー壊滅に尽力したそうよ」
「確かに、大幹部を、何人も一人で相手するとなると、厳しかろうな」
「ええ。でも、哀しい事に、デルザーは七人の仮面ライダーの為に全滅……」
「――」
「一人を残してね」
「一人を?」
「彼の事よぅ」
「彼?」
問い返したガイストであったが、その途中で、その存在を思い出したらしい。
「あの老人の事か?」
ガイストたちがデッドライオンに接触を図った時、錯乱していたデッドライオンは、克己に襲い掛かって来た。克己は、自己防衛の為にデッドライオンを攻撃したが、その時、ガイストたちを諌めるように現れたのが、白髪の、黒衣の老人であった。
「そう」
「あの老人は、結局、何者だったのだ? あんたは、同志と言っていたが」
「言葉通り、デルザー軍団の残党であり、我々ショッカーの同志よ」
大幹部クラスの実力者・改造魔人一二名で構成されるデルザー軍団。
七人の仮面ライダーの前に、一二体の改造魔人が屠られた時、岩石の巨人・岩石大首領として現れたその声の主を、仮面ライダーたちは、自分たちが敵対して来た組織の首領だと看破した。
本郷猛と一文字隼人は、ショッカー・ゲルショッカー首領と。
風見志郎と結城丈二は、デストロン首領と。
神敬介は、GOD総司令と。
アマゾンは、ガランダー帝国の影の支配者と。
それらの組織とは別に、“首領”が自らの側近としていたのが、デルザー軍団なのである。
その為、デルザー軍団の残党であるならば、あの老人は、“首領”の配下の者であると言えた。
「デルザー軍団とストロンガーとの戦いが激しくなるに連れて、世界中に散らばっていた他の改造魔人や仮面ライダーたちが、日本に集結し始めたわ」
エジプトからマシーン大元帥を追って風見志郎が来日。
ヨロイ騎士はギリシャで結城丈二と、スペインで神敬介と交戦するも、日本へ渡る。
南米から、アマゾンライダーは、磁石団長を追跡してやって来た。
そして、本郷猛と一文字隼人も日本へと帰って来る訳だが、その途中で、ダブルライダーは、一四体目のデルザーのメンバーと戦っていた。
「それが、あの老人か」
ガイストが訊いた。
「ええ。流石にダブルライダー相手では分が悪かったようだけれど、それでも、敗北した振りをして、生き延びたわ」
「ふむ……」
「ジェットコンドル――」
それが、デルザーの、一四番目の座に座る改造魔人の名であった。
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第十節 強者
デニムの青年は、ひょぃ、と、頸を傾けて、拳に顔の横を通り過ぎさせた。
ノブは、自分のパンチが避けられた事が信じられないような顔をしている。
しかし、そこで行動を止める事が、青年の間合いの中では危険であると感じ取って、素早く後退した。
「この……」
ノブは悔しげに唾を吐くと、ズボンから、棒状のものを取り出した。
円筒の金属が伸びてゆく。
特殊警棒であった。
打撃する為の部分が、夕陽を煌めかせていた。
それは、ノブが持っている、鈍い敵意の輝きであった。
「よせよ」
青年は言った。
「そんなものを出されると、困るぜ」
「へっ」
ノブが笑った。
「今更、びびっちまったのかい」
「ああ、おっかなくてしょうがないね」
「へ……」
「そんなものを出された日にゃ、俺だって手加減が出来ないぜ」
「何⁉」
「只のパンチや蹴りなら、どーにでもあしらえるがねぇ……」
青年は、ノブが持っている特殊警棒をすぅと指差した。
「お前さんが、それで殴って来るだけなら兎も角、投げられたりしちまったら、俺は、それだけに集中する事になる。つまりさ、怯んだ俺に殴り掛かって来るお前さんの顔を殴る時に、手加減を忘れちまうって事だよぅ」
「――」
「言ってる意味、分かるよな」
「くぬ」
ノブが唸った。
青年は、相変わらず、笑みを絶やさない。
暴力を向けられる事は怯えていない。若し、青年の顔に怯えが奔るとするのならば、それは、他者を必要以上に害してしまった場合だ。
つまり、それだけのクラスの暴力を、この青年は持っているのだ。
「分かったよ」
ノブが、静かに言った。
「やめだ、やめ」
ノブはムツたちを見渡して、
「行くぞ」
と、告げた。
ムツたちは頷いて、ぞろぞろと、校門の方へ向かってゆく。
その場にいた者たちは、一斉に、安堵の表情を浮かべた。
だが、さくらだけは、表情を緩める事がなかった。
「あッ」
と、声を上げ、
「危ない!」
と、叫べたのは、あっさりと引き下がろうとしたノブたちを信じていなかったからか。
呉割大学の五名の、最後の一人が、青年と擦れ違った直後、振り向いて、懐から取り出した木製の警棒で、青年の頭を叩こうとしたからである。
さくらの警告で、振り向く青年。
しかし、そのこめかみを削ぐように、警棒が振り下ろされた。
ごり、と、樹の幹に木刀を打ち込んだような音がした。
体勢を崩す青年の腹に、警棒を打ち込んで来た男が、蹴りを入れた。
その間に、他の学生たちが青年を囲み、蹴りを入れ捲って来た。
青年はその場に蹲るようにして倒れた。呉割大学の学生たちは、亀を虐める悪餓鬼たちよろしく、デニムの青年の後頭部や背中、尻を、これでもかと踏み続けた。
上着の背中に刺繍された薔薇の花が、やけに鮮やかであった。
一通り暴行を済ませると、ノブが特殊警棒を伸ばして、青年の頭に打ち下ろす。
ごぢっ!
とも、
めぎょっ!
とも聞こえる音だった。
ノブは、嗜虐の興奮で真っ赤になった顔を持ち上げ、亀の体勢に蹲った男の傍に唾を吐き掛けて、踵を返した。
「ゆくぞ」
と、今度こそ、出てゆこうとする。
その後ろ姿に、さくらが怒りを込めて躍り掛かろうとした。
しかし、それを止める者があった。
さくらの前に、横手から伸ばされたのは、蒼いデニムの袖と黒い手袋。
青年は、靴で蹴られた痕などを、服や顔に残していたが、平気そうな顔で立ち上がり、さくらを制止したのであった。
「え――」
さくらはぎょっとした。
人の身体の部分で、特に武器と成り得るのは、肘や、踵である。
一方、盾と成り得る部分は、背中であり、身体の前面と比べた時、その打たれ強さでは倍に上る。
背骨などは急所となる訳だが、素人の突き蹴りを受けるのならば、背中を丸めていた方が良い。
それは分かるが――
しかし、この青年は、蹴りを背中に打ち込まれただけではない。特殊警棒で後頭部を強かに殴られているのだ。
最悪、頭蓋骨が陥没して、死に至る。
そうでなくとも、鉢が割れる。
縫う程ではないにせよ、皮膚が裂ける。
それらがなくとも、脳震盪位は起こす筈だった。
だと言うのに、この青年は平然と立ち上がり、それ所か、さくらを制止してみせた。
ノブたちは、立ち上がって来た青年を見て、明らかに恐怖心を抱いている。
「まだやり足りないなら、相手になるぜぇ」
青年は言った。
眼がきゅぅと細まり、牙を剥くように微笑みを浮かべている。
「但し、次からは俺も手を出させて貰うよ」
「ぐ――」
ノブは、手に持った特殊警棒を構え直そうとして、その手の中の重心の違和感に気付いた。
見れば、特殊警棒は、中頃から直角に折り曲げられている。
青年の頭を叩いた時、こうなったと考えるのが妥当だ。
しかし、こんなになるまで叩いたのなら、青年の頭の方が拉げている筈だった。
「ひぃ」
ノブは、咽喉の奥から、引き攣ったような声を漏らした。
「ひぃぃあっ」
そう叫んで、そそくさと逃げ出してしまった。
他のメンバーも、それに続いて行った。
「ストロンガーの事だが」
赤い顔をして、ガイストが言った。
ブラックサタンやデルザー軍団についての話をしながらも、ガイストは酒を飲み、マヤはツマミを喰っていた。
酒に関して、ガイストは笊である。しかも、底の抜けた笊だ。
酔いはする。
酔いはするが、それで気分を悪くする事はないし、酒を飲むのもやめない。
そのガイストを、克己は、不思議そうな顔で眺めていた。
改造人間の、消化器官を含む内臓器は、殆どが機械に挿げ替えられている。
アルコールを、摂取した瞬間に分解してしまう事が出来る。
つまり、酔わない。
その筈なのに、ガイストが、ほろ酔いの状態になっている事を、だ。
「何故、ストロンガーなのだ?」
「あら、Xから乗り換えちゃった?」
マヤが、冗談っぽく言った。
彼女の顔も赤い。
メスティソであり、日本人よりも少し肌の色が濃いが、それでも、アルコールが回っているのが分かる位である。
「何?」
「ストロンガー、貴方はどうしてストロンガーなの? って?」
けらけらとマヤが笑う。
ガイストは、
「ふふん」
と、鼻を鳴らした。
「いやね、ストロンガーというのは、改造電気人間なのだろう?」
正確に言えば、今のストロンガーは、そうではない。
デルザー軍団との戦いで重傷を負った城茂は、ブラックサタンから脱走した正木博士に再改造手術を受け、超電子ダイナモを埋め込まれている。
そのダイナモを起動する事で、ストロンガーは、改造電気人間の一〇〇倍の力を持つ、超電子人間へと強化変身する事が出来る。
「奴のデザインは見たが」
ガイストはそう言って、自分の胸の辺りに、大きくSの字を指で書いてみせた。
「何故、電気人間なのに、“ストロンガー”なのだ?」
strongerは、“より強く”という意味だ。
確かに、今までの強化改造人間六名――ここでのカウント方法で言うのならアマゾンを除く五名だが――を、超える者としてのネーミングであろうか。
それにしても、電気と“より強く”という事が、ガイストには結び付かないようであった。
「最初はね、そういう名前じゃなかったの」
「へぇ?」
「スパークよ」
「スパーク?」
「本来ならば、城茂は、強化改造人間突撃型スパークのコード・ネームで呼ばれる事になっていたの。あの胸の字は、その名残よ」
「で、それがどうして、ストロンガーに?」
「城茂が言ったからよ。“縁起が悪い”って」
「縁起?」
「ええ。スパークというのは、城茂の前に改造され、手術が失敗して、破棄された改造人間の名前だからね」
「破棄?」
「さっきも言ったでしょう? 沼田五郎よ」
城茂の親友であった沼田五郎。
彼は、ブラックサタンの改造手術を受けたが、肉体が耐え切れずに死亡した。
茂は、その仇を討つ為の力を手に入れるべく、ブラックサタンに単身乗り込み、強化改造人間突撃型への手術を受けた。
その際に、
“自分の前に改造に失敗した者の名前など、縁起が悪い”
と、そう言って、名前を
ストロンガー
へと、自ら改めたのである。
「それは、何故だ?」
ガイストが、更に訊く。
「さぁ?」
マヤは肩を竦めた。
しかし、
「でも、それが、人間の本能だからじゃないかしら」
と、言った。
「本能?」
「強くなろう、強くあろうとする事よ」
「――」
「生物というのは、遍く進化への欲求を胸に秘めているものよ」
「――」
「貴方がそうであるようにね」
マヤは、ガイストに向けて、言った。
「私が?」
「ええ、そして、貴方も」
今度は、克己に向かって、呟いた。
「貴方だってそうよ」
そして、隣で静かにワインを口に含んでいる黒井に、囁いた。
二人は、マヤとガイストの会話に、殆ど入って来なかった。
克己は、既に脳改造を受け、ショッカーと共に生きて来たのであるから、ブラックサタンやデルザー軍団についても、充分な知識がある。その為、会話に加わる必要がなかった。
しかし、黒井は――
「おいおい、黒井よ」
ガイストが声を掛けた。
「だんまり決め込んでないでさ、もっと、元気に飲もうぜ」
「――あ」
と、黒井は、戸惑ったように返事をした。
「済まない……」
「謝る事はないが」
「いや……折角、あんたが誘ってくれたのに」
このたびの会合は、ガイストが企画したものであるらしい。
それまでは、基地で会う事はあっても、マヤや克己と、こうして食事を摂る事はなかった。
いや――
「実は、余り、こういう事がなくて」
黒井が、彼にしては珍しく、ぼそぼそと呟いた。
「ん?」
「――」
黒井響一郎――
凄腕のレーサーである。
甘いマスクと、キザな台詞で、フォーミュラー・カー・レースの、女性のファン層をぶ厚くした貢献者である。
しかし、その美貌の内側には、どろどろとした情念が渦巻いていた。
戦争で日本が敗け、幼い少年であった黒井の価値観は一変した。
敗者である事を受け入れ、勝者たちに媚び諂う同胞たちの態度を、醜悪と断じた。
それ以来、黒井は、勝者である事に異常なまでの執着を見せるようになった。
勝てば正義。
敗ければ悪。
歴史が証明するその事のみを真実として、正義たること、勝者たる事だけを目指して来た。
表面上の人当たりは良いのだが、誰よりも速くなり、勝利する事にしか興味がなかった黒井は、家族以外の者と食事の席を共にした経験というのが、なかったのである。
だから、こうした場面で、口数が少なくなってしまう。
「その、それで……」
黒井は、何やら照れたような感じで、蚊の鳴くような声で、言った。
「仲間ってのも、良いものだな」
「――」
しかし、どれだけ小さな声であろうと、改造人間の耳には届いてしまう。
ガイストが、アルコール以外のもので顔を赤くする黒井を見て、にやにやと笑みを浮かべていた。それを見て、黒井はふぃと顔を反らして、ワインを一気に咽喉に流し込んだ。
マヤは、黒井を流し見てから、克己に視線をくれた。
克己は、どのような表情も浮かべていなかった。
マヤの冷ややかな笑みは、道化たる黒井ではなく、克己の方に向けられていた。
「平気かい、君」
と、青年は、城谷の傍に膝を着いた。
同じようにリンチされた筈だったが、城谷はまだ立ち上がれず、青年は笑みさえ浮かべている。
城谷は苦しそうに呻いて起き上がった。
その城谷に、千恵子が抱き付いてゆく。
城谷の胸の中で、千恵子が、おいおいと泣いていた。
青年はそれを見届けて、その場から立ち去ろうとした。
背中の薔薇に、声が掛けられた。
さくらであった。
「あの、貴方は?」
「通りすがりのお節介さ」
青年は言った。
「久し振りに学び舎を見たくなってね、戻って来たらこれだ。思わず、手が出そうになっちまったぜ」
青年は、照れ臭そうに笑っていた。
この場で起こった事の話だけを聞けば、青年の言葉は、“手が出そうになった”が、“出す事が出来なかった”負け惜しみのようにも聞こえるであろう。
しかし、特殊警棒を頭に受けても、平気な顔で立ち上がった青年の姿を見ていれば、手を出してしまえば、あんな不良連中を伸ばしてしまう事は簡単な事だったのだ、と、思う事が出来る。
「それじゃあな」
青年は、さくらに背中を向けたまま手を振り、去ってゆく。
「私、さくら。前田さくらっていいます」
薔薇に向かって、言った。
青年が応えた。
「城茂だ」
去りゆく背中の薔薇には、切ない口笛の音色が漂っていた。
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第十一節 墓参
からりと晴れた日曜日であった。
その日は稽古もなく、暇があれば、結局、空手衣を着ている事になるさくらであったが、後輩からの誘いがあり、オートバイで出掛けようという事になった。
二五〇CCのバイクを、二台並べて、さくらは、二人の後輩と一緒に、神奈川県に向かった。
後輩の後ろに、もう一人、乗っている。
相澤というのが、バイクの免許を持っており、その後ろに乗っているのが吉塚だ。
事件の事に加え、呉割大学の学生たちの乱入で、神経質になっているさくらを気遣って、この二人が計画したのである。
向かっているのは、海沿いの美術館であった。
三崎美術館――
さくらは、詳しい事は聞かなかったが、建てられてからそれなりに経っているらしい。
その美術館が閉館するという事で、特別なイベントが設けられていたのである。
滅多にお目に掛かれない美術品が展示されているらしい。
さくらは、余りその手のものに興味がなかったのだが、後輩が自分に気を遣ってくれた事と、偶にはそのような場に足を運んでみるのも良いかと思った事、そして、港町で食べられる新鮮な魚介類に惹かれたからである。
東京から、バイクで神奈川県に入り、城ヶ島の方までやって来た。
朝早く出て来た為、閉館セレモニーまでは、まだかなりの時間があった。相澤と吉塚が、チケットを取っているというので、さくらは、少し付近を走り回ってみる事にした。
蒼い空に、白い雲が悠然と浮かんでいる。
潮の香りを含んだ風が、吹き付けて来た。
何かに誘われるようにして、さくらのバイクは、海の方へと向かってゆく。
島の中心を抜けて、崖の方までやって来た。
路肩にバイクを停めた。
アスファルトの道から、一歩踏み出すと、草の茂る地面が、海と空との境に向かって広がっている。
海鳴りと、風の音が、同時に聞こえて来た。
蒼い空と、碧い海と、青い地面を、同時に眺める事が出来た。
紺碧の天地の冥合に、さくらが心を奪われていた為、その景色に気付くのに遅れた。
海に臨む崖っぷちに、二つの人影を見た。
そこには、木を削り出したらしい塔が立っていた。
男の一人が、その塔の根元にしゃがみ込んでおり、もう一人の男は、しゃがみ込んでいる男の傍に佇んでいる。
何事かを話しているようだったが、さくらは、しゃがみ込んでいる方の男に、憶えがあった。
蒼いデニムの上下。
上着の背中には、赤い薔薇の花が縫い込まれている。
城茂と名乗った、あの青年であった。
さくらは、思わず、二人の男の方へと歩み寄ってゆく。
そこで、風になびく草を生やした地面が、崖の方へ近づくに連れて、変化している事に気付いた。
道路に近い部分では、健康的と言っても良い草の蒼さが保たれているのだが、海に近付くに連れ、生える草に腐敗の為らしい変色が見て取れた。
塔の中心に近い場所程、草の変色は進み、遂には草の姿さえ見えなくなり、土の色すらも、毒々しいものを放っているように見えた。
自分たちに近付いて来るさくらに、茂と、もう一人の男が気付いた。
「君は」
と、茂と、もう一人の男は、同時に言った。
さくらは、茂だけではなく、もう一人の男の方にも、見憶えがあった。
神敬介である。
さくらがやって来るより前に――
城茂は、近くの花屋で白百合を買い、オートバイを走らせ、この崖までやって来た。
草を枯れさせている中心に立った木の塔――
岬ユリ子之墓
に、花を供える為である。
前日にも、茂は、この場を訪れていた。
その前の日にも、茂は、やはり花を供えに来ていた。
更にその前の日にも、同じように、茂はこの場に足を運んでいる。
茂は、フロントに火花のような飾りのついた、赤い、派手なバイクを停めると、ユリ子の墓に向かって歩いてゆく。
と、茂が来るよりも先に、その墓の前に立っている男がいた。
それが、神敬介であった。
「よぅ」
と、声を掛ける敬介に、小さく頭を下げ、茂は、墓の傍にしゃがみ込む。
つい昨日、墓の根元に植えた花は、何週間も放置されていたかのように、腐り果てていた。
茂は、それを掘り出す作業に掛かった。
黒いグローブで土を掻き出してゆくと、地面の下から、凄まじい悪臭が立ち上がって来る。
噎せ返るような、甘い匂いは、その有毒性を物語っていた。
茂が、掘り起こした花の代わりに、純白の百合を供える。
しかし、ビニール袋から取り出したばかりの花は、すぐさま、泥の色に変わり始めるのだ。
一日も経てば、その花びらは、ずくずくと崩れ落ちてしまうであろう。
茂は、白い皮膚に、ねっとりと泥を塗られてゆくような花の姿を、努めて無表情に眺めていた。
本当ならば、その顔に浮かぶべきは、哀しみである筈なのだが、それを押し殺しているのだ。
「ここに――」
敬介が、ぽつり、と、言った。
「彼女が、眠っているのか」
「ええ」
茂が頷いた。
まだ、そこにしゃがみ込んでいる。
「おやっさんから、聞きましたか」
「うむ」
「――そう」
「お前と一緒に戦った、仮面ライダー第八号……」
岬ユリ子――
その墓に眠っているのは、城茂――仮面ライダー第七号・ストロンガーと共に、ブラックサタンやデルザー軍団と戦った、改造人間・タックルであった。
タックルは、ブラックサタンに自らを改造させ、自分が沼田五郎の仇を討つ事を高らかに宣言した城茂が、ブラックサタンの基地から脱走する際、出逢った少女である。
彼女も亦、ブラックサタンの非道な人体実験の犠牲者であった。
沼田五郎が、拉致され、強化改造人間突撃型に改造されようとしたように、岬ユリ子も、ブラックサタンにかどわかされ、電波人間として改造されたのである。
その改造人間としての名前が、タックルであった。
タックルは、脳改造の直前にストロンガーと出逢い、共にブラックサタン基地から脱出。
以降、ブラックサタン壊滅の為に旅を続けるストロンガー・城茂の相棒として、戦ったのである。
だが、ブラックサタンが瓦解した後に現れたデルザー軍団の猛攻の前に、決して能力が高い訳ではなかったタックルは、ストロンガー以上に苦戦を強いられる事となった。
タックルも、ストロンガーや、その試作型であったスパークと同様、強化改造人間に分類される。
しかし、その改造は未完成であった。故に、ブラックサタンが造り上げようとした、電波人間としてのフル・スペックを発揮する事が、終ぞ出来なかったのである。
そんな岬ユリ子・タックルは、デルザー軍団の一人である、ドクター・ケイトの持つ猛毒・ケイトガスに侵され、生命の危機に陥った。
自らの死期を悟ったユリ子は、最後の力を振り絞り、ドクター・ケイトを道連れにして逝く事を決意する。
体内の電気エネルギーを振動波に変換し、打ち込んだ相手の肉体を、超振動を用いて内部より破壊せしめる、タックル最強の技――ウルトラ・サイクロンの解禁である。
この技を用いる事で、ブラックサタンの奇械人にすら劣るタックルであったものの、大幹部クラスのドクター・ケイトの撃破を可能とした。
しかし、病に侵された上、改造が完全ではなかったタックルの肉体は、自らが引き起こした超振動の影響を受けて、同じだけのダメージを負う。
そうして、岬ユリ子・タックルは、その短い人生の幕を下ろした。
「――違いますよ」
茂は言った。
「え?」
敬介が問い返す。
茂が“違う”と言ったのは、敬介が、岬ユリ子・タックルの事を、
仮面ライダー第八号
と、称した事だ。
人類の自由と平和を脅かす組織と戦う者たちの、精神的な潮流を、
仮面ライダー
と、呼ぶ。
それは、ショッカーに改造された本郷猛と一文字隼人であり、そのダブルライダーに依って改造された風見志郎であり、彼らと同じシステムを発展させた肉体を持つ神敬介や城茂である。
更に、人類をないがしろにした力を求め、帝国を打ち立てようとしたゲドン・ガランダーから、人間を守る為に戦ったアマゾンも、仮面ライダーの名前で呼ばれている。
又、デストロンが敢行しようとした、プルトン・ロケットを用いた東京壊滅作戦を、命を懸けて阻止した結城丈二・ライダーマンも、仮面ライダー第四号の称号を、贈られている。
その事で言うのなら、ブラックサタンやデルザーとの戦いに殉じた岬ユリ子・タックルは、八人目の仮面ライダーの称号を与えられて、しかるべきであった。
「岬ユリ子は、仮面ライダーになる事はない」
茂は言った。
「もう、戦う必要はないんですよ、ユリ子は」
「――茂」
敬介が、小さく、彼の名を呼んだ。
「ユリ子は、只の女として、眠ったんだ」
「――」
敬介は、自分たちが背負った、“仮面ライダー”の名前の重さを、改めて思い出した。
始まりの男――本郷猛より数えて、七人の仮面ライダーがいる。
その肉体は、何れも、人間のものではない。
身体を機械に挿げ替えられ、他の生物の遺伝子を捩じ込まれている。
拡張された感覚が捉える、莫大な量の情報を、瞬時に捌き切れる脳を持っている。
普通の人間と、同じレヴェルで生活する事は出来ないのである。
進化した超人という意味では、仮面ライダーたちは、今まで人類に対して密かなる戦いを挑んで来た秘密結社たちと、何ら変わらない異形であった。
そんな自分たちが生きられる場所は、改造人間や獣人たちの跋扈する戦場でしかない。
異形のものたちから、人類を守る事でしか、人間に近い場所で生きてゆく事は出来なかった。
人間ではない身体で、人間を守り続ける。
人間ではない絶望を以て、かつて自分たちの身体が持っていた希望を守る――
それが、仮面ライダーという精神、仮面ライダーという生き方である。
異物の中で、息を潜めて、身体の内側の機械の軋みを聞きながら生きてゆくという事が、どれだけ厳しい事なのか、敬介にも、分かっている。
かつて、敬介は、GOD機関の策略で混乱した大人たちに襲われる少年を、守ろうとした事があった。
その時、突き出されたナイフを掌で受け止めたのだが、常人を凌駕する力を持つ敬介は、そのナイフを圧し折ってしまった。
その光景を見た少年から、
“人間じゃない”
“お前は、ロボットだ”
と、罵られたのである。
結果として、GOD機関の計画を阻止した敬介は、大人たちに折り曲げられてしまった、少年のフルートを、強化された腕力で元に戻してやったのだが、その際に呟いた、
“人間じゃないというのも、悪くはない”
という言葉が、敬介の中には残っていた。
人間ではないという事は――人間を超える能力を持つという事は、確かに、悪い事ではない。
人間が対応出来ない状況であっても、人間性を持って活動する事が出来る。
しかし、それは、人間の心を持ったまま、人間ではない何ものかへと至る事だ。
いっその事、人間ではなく、ロボットのように、或いは、今まで敬介たちが斃して来た改造人間たちのようになってしまえるのなら、その方が幸せであったかもしれない。
人間としての幸せも、超人としての祝福もなく、それでも人類の為に戦う。
仮面ライダーの名は、そのような精神に刻み込まれた、一種の束縛なのである。
本郷も、一文字も、敬介も、その名前を身体に宿している。
茂は、それが、より強い。
何故ならば、茂は――仮面ライダーストロンガーは、自ら、その言葉に依る束縛を施したのである。
ブラックサタンや、デルザーと戦う時、茂は、このように名乗りを上げていた。
“天が呼ぶ”
“地が呼ぶ”
“人が呼ぶ”
“悪を倒せと、俺を呼ぶ”
“俺は正義の戦士”
“仮面ライダーストロンガー”
人類社会を転覆させんと暗躍する秘密結社から、人間を守る為に戦う異形の戦士・仮面ライダーという都市伝説を、ブラックサタンに復讐する自分になぞらえての命名であった。
だが、岬ユリ子・タックルは、そうではない。
人の心。
機械の身体。
この二つの螺旋を背負って生きてゆける程、少女の精神は、強くはなかった。
そんな岬ユリ子に、
仮面ライダー
の名前を贈り、死せる後にも戦い続けさせる事が、茂には出来なかった。
その為、茂は、あのように言ったのである。
「――」
それを聞いて、敬介は、少しの間、沈黙した。
茂は、まだ、ユリ子の墓の傍にしゃがみ込んでいる。
「茂――」
敬介が、何らかの意を決したように、訊いた。
「何ですか?」
「若し、また、戦わねばならないとしたら――」
「――戦いますよ」
敬介が問いを終える前に、茂は答えた。
その場に座り込んだまま、敬介の方に顔を向けて、にぃ、と、笑った。
「戦いますよ」
「――」
そう言った茂の顔に浮かんだ笑みは、酷く、虚ろであった。
さくらがやって来たのは、そのタイミングであった。
明る過ぎても良くないし、ナイーブ過ぎても茂っぽくない……加減の難しい所です。
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第十二節 咆哮
八人の男女が、肉を喰っていた。
デッドライオンと、風見志郎・結城丈二を襲ったあの七人である。
打ちっ放しの、コンクリート製の壁に囲まれた部屋である。
天井は高くはないが、この当座の平均身長を考えれば、充分な高さである。
一五人も入れば上出来という位の広さであった。
その壁を背にして、八人は向かい合っていた。
部屋の真ん中には、乱雑に放られた肉がある。
女の死体であった。
頸。
肩。
腕。
太腿。
脹脛。
それらを切り落とされている。
又、腹部は大きく引き裂かれて、内臓がすっかり取り払われていた。
それを、喰っている。
デッドライオンは、その女の頭を喰っていた。
眼を鉤爪でほじり出して、口に運ぶ。
歯を一本一本引き抜いて、舌の上に載せる。
キスをするようにして、唇や頬の肉を千切った。
赤い筋繊維を舐め上げてゆく。
溢れる血で、顔を真っ赤に染めていた。
髪を全て引っこ抜いてしまうと、頭頂を割り、頭蓋の中から脳を啜った。
じゅるじゅると、フォアグラにも似た感触の、灰色の固形のものが、デッドライオンの口の中に吸い込まれてゆく。
革のジャンバーを着た男。
猪首で、背の低い男。
肩幅が異常に広い男。
顔色の悪い、痩せぎすの男。
小太りの男。
胸と尻が突き出し、腰が見事に括れた女。
ほっそりとした体型の、髪の長い女。
彼らも、思い思いの部位を以て、皮膚を捲り、肉を喰い千切り、骨をしゃぶっていた。
改造魔虫――
風見志郎に対して、そのように名乗った者たちであった。
革のジャンバーの男は、改造魔虫アリジゴクである。
小太りの男は、改造魔虫クラブマンであった。
猪首の男は、改造魔虫アルマジロン。
肩幅の広い男は、改造魔虫ゴリガン。
痩せぎすの男は、サメ改造魔虫。
腰の括れた女は、改造魔虫ハチ女。
ロウとも呼ばれていた髪の長い女は、改造魔虫オオカミンといった。
暗黒大将軍が、デッドライオンから得たサタン虫に関するデータを基に造り上げた、新しい兵士たちである。
彼らは、中央に転がされた女の身体を、全て食べ終えた。
ゴリガンが、一度、席を立って、その部屋に大きな樽を持って来た。
蓋を開けると、饐えたような、酸っぱいような、腐ったような、甘い匂いがむわりと香る。
精液と愛液、経血を混ぜ込んだ、あの液体であった。
八人は、既に髑髏の盃を持っており、柄杓で、それに液体を注いでゆく。
そうして、満腹の中に、ごくごくと流し込むのであった。
「――まぁ、あれだな」
アリジゴクが、口元の赤色を拭いながら、言った。
「仮面ライダーなんて言っても、大した事はないものだな」
「――そうだね」
アリジゴクに、クラブマンが同意した。
暗黒大将軍から宛がわれた戦闘員から情報を引き出し、デッドライオンの異形の曼陀羅のある場所に向かおうとした風見志郎と結城丈二を、この二人は迎撃していた。
「当たり前じゃない」
ハチ女が言う。
「私たち改造魔虫に、前時代の鉄屑が敵う訳がないわよ」
「その通りだ」
誰ともなく同意し、高笑いをしながら、盃を飲み干した。
「――しかしな」
と、デッドライオンが呟いた。
「確かに、連中は、一人や二人を相手にする位なら、お前たちの方が勝るだろう」
「――」
「しかし、奴らにあって、お前たちにはないものがある。その為に、お前たちは、奴らに敗けるかもしれん」
「ほぅ」
と、アリジゴクが眼を細めた。
「そ、それは、何ですか……?」
おどおどとした様子で、オオカミンが訊いた。
「経験だ」
「経験⁉」
「お前たちが、七人がかりで、漸く倒した仮面ライダー第三号と第四号……」
「――」
「その前には、第一号と第二号がいた。お前たちが生まれるよりも前から、戦い続けて来た男たちだ」
「――」
「旧型のボディでな、最新のスペックを持つ改造人間たちと渡り合って来たのだ」
「――」
「良いか、決して油断するなよ。奴らに関してはな、旧型だとか、スペックで勝っているだとか、そんな事は考えるな。連中は、俺たち以上に化け物なんだからな」
デッドライオンが、念を押すようにして、言った。
デッドライオン自身は、仮面ライダー第七号・ストロンガーとしか戦っていないのだが、その七人のライダーを窮地に追い込んだデルザー軍団の粛清から、何とか逃げ伸びている。
その経験が、彼の言葉に説得力を持たせているらしかった。
七体の改造魔虫たちは、沈黙の中で、デッドライオンの咽喉が鳴る音を聞いていた。
「所で」
話を再開させたのも、デッドライオンであった。
「頭数の手配はどうなっている?」
倉庫に作られている、異形の曼陀羅の事である。
「中々巧くは、いっていないな」
サメ改造魔虫が答えた。
「ライダーの連中が、四六時中、監視しているしな」
「下手な事やって、あれ自体を壊されるの、良くないね」
ゴリガン、クラブマンが、続けた。
「手っ取り早く済ませたいわねぇ」
「あ――あのぅ」
腕組みをするハチ女の隣で、控えめに、オオカミンが手を挙げた。
デッドライオンが視線をやり、意見を促す。
「手っ取り早く、と、言うのなら、やっぱり、人がいっぱいいる所を襲うのはどうでしょう」
オオカミンが、懐から、何やらチラシを取り出した。
見れば、美術館の広告である。
それなりに歴史のある美術館が、閉館すると言うので、そのセレモニーが行なわれる。
否が応でも、人が集まる筈だ。
「それは良いな」
「うむ」
「やろう」
と、改造魔虫たちは、次々に同意していた。
デッドライオンも、取り急ぎ、異形の曼陀羅を完成させる為の材料――人間の遺体を集めるには、それは、悪くない方法であると思った。
城ヶ島――
海から吹き付ける風が、茂、敬介、さくらの髪を撫でてゆく。
「君は」
と、同時に言った後、茂と敬介は、顔を見合わせた。
「この間の――」
さくらも、敬介の顔を見て、言った。
きっと敬介を睨んで、茂の方に歩み寄った。
「知り合いですか」
茂が訊くと、敬介は頬を掻きながら、
「ちょっとね」
と、言い、腹の辺りを押さえた。
さくらに、蹴りを打ち込まれた部分である。
以前、連続殺人犯を誘き出す為に、夜道を歩いていたさくらに声を掛けた敬介は、自分の策に引っ掛かった殺人犯と誤解されている。
又、“心配だから送ってゆく”といった類の発言を、下心が見え透いている男のものであると、別の勘違いを生んでしまっていた。
「この間は、ありがとう御座いました」
さくらが、茂に言った。
「別に、大した事じゃないさ」
と、茂。
その茂を、自分との扱いが違う敬介が、じっとりと見ていた。
茂は、言葉の通り、何でもない風に答えたのだが、彼からの返答を受け取ったさくらは、そこはかとなくぽぅっとした表情であった。
敬介に対して吐き捨てた、強気なものの裏側を見てしまった気分であった。
「お墓、ですか?」
さくらが、木の塔に視線を移した。
「――ああ」
茂が頷く。
さくらは、眼を、墓の根元に落とした。
そこから、腐敗が放射状に広がっている。
その奇妙な現象について、問おうとしたが、茂が、墓を眺める時に垣間見せた哀しい色の為、さくらは、質問を呑み込んだ。
「君は、どうしてここに?」
今度は、茂から訊いた。
さくらは、後輩に誘われて、美術館の閉館セレモニーにやって来た事を告げた。
「それだったら、そろそろじゃないか?」
敬介が、腕時計を見て、言った。
「あ、本当だ」
さくらは、もう一度、茂に頭を下げて、停めてあるオートバイまで駆けてゆく。
その後ろ姿を眺め、敬介が、ぽんと手を打った。
「茂、俺たちも行ってみよう」
「は――」
「偶には、そういうのも良いだろう」
と、歩き出す敬介。
茂は、
「俺、あんまりそういうのには興味ないんだけどなぁ」
と、ぼやきながらも、恐らくは自分を気遣っての発言を、断り切れなかった。
時間は少し遡る事になるが――早朝。
左右を森に囲まれた道路の中心が、大きく陥没していた。
コンクリートが円形に裂けて、擂り鉢上になっているのである。
その円周を、バリケードが無骨な円形に囲んでいた。
この一本道は、少し先から、通り抜けが出来ないようになっている。
地面の陥没が出来たのは、二日前の事である。
その原因も明確にされないまま、工事に掛かる予算や日程の整理などが、話し合われている所である。
しかし、現場には誰もいない。
いつもは、多くはないとは言え通る自動車がない事を不思議に思ってか、森に住んでいた動物が、ほろほろと顔を出して来る。
狸。
ハクビシン。
鳩が空から降りて来て、肉食の獣たちから慌てて逃げてゆく。
昆虫も、不意に道路に飛び出す事があった。
蟷螂が、草むらを掻き分けてやって来る。
蟻の群れが、黒いコンクリートに、黒い靄を作っていた。
まだ、季節には少し早いが、蝉が鳴いている。
蛾。
蝶。
蜂。
蠅。
蚊。
百足。
ミミズ。
森の中をつついてみれば、そのようなものたちが、すぐにでもやって来る筈だ。
バリケードと道路以外には、人の気配がない。
朝特有の、しっとりとした空気が、周囲を包んでいた。
森に踏み入れると、靴の底が草を磨り潰し、濡れた蒼い匂いが舞い上がる。
その森の木の陰に、一人の男が立っている。
蓬髪。
浅黒く日焼けした、逞しい身体。
赤と緑の縞模様の、ベストと腰巻を身に着けている。
コンドルを思わせるバックル。
左の腕輪。
山本大介――アマゾンであった。
アマゾンは、この地面の陥没が起こったその日、風見志郎と結城丈二からの信号が途絶えた事を、感じ取っている。それは、神敬介も同様であった。
他の仮面ライダーたちと異なり、機械を肉体に埋め込まれている訳ではないアマゾンであったが、こと精神感応に関して言えば、六人の中で最も優れている。
人里離れた南米のジャングルの中での生活で培われた、野生の勘のようなものが、改造手術を受けた事で倍増されている、と、言っても良かった。
風見と結城――二人の“トモダチ”の危機を知ったアマゾンであったが、駆け付けた時には、既に風見も結城も、そして、恐らくは二人が相対したであろう“敵”の姿も、そこにはなかった。
アマゾンは、二人の信号を途絶えさせた相手の手掛かりを得る為、この場で待ち伏せていたのである。
そうして二日が経った。
アマゾンは、その日、森から顔を出した鼠を、三頭ばかり食べた。
コンドラーには、火打石が装備されており、それで、小さな火を起こした。
捕まえたネズミの皮を剥ぎ、コンドラーから分離したピックで突き刺して、火で炙る。
ベストの内側に縫い付けられていたポケットから、塩を摘み出して、焼けた肉に振り掛けた。
充分に火が通った所で、手早く火を消した。
適度な塩加減の肉を齧りながら、道路を観察している。
葉っぱをしゃぶり、水分を補給した。
食事を終えて、再び道路の監視に戻った時、ふと、道路の向こうから気配を感じた。
見れば、五台のオートバイが、バリケード目掛けて走って来る所であった。
その内の一台は、サイドカーが付いている。
又、二人乗りをしているバイクが、一台。
アマゾンの見ている前で、五台のマシンは、何れもバリケードと、それに囲まれた道路の孔を、軽々と飛び越えてしまった。
アマゾンは、そのライド・テクだけではなく、彼らから漂って来る“匂い”で以て、彼らが普通の人間ではない事を看過した。
アマゾンが道路に飛び出すと、五台のマシンは、アマゾンに気付いて、その場でブレーキを踏んだ。
一人が、アマゾンを振り向いた。
「何だ、てめぇは?」
フル・フェイスのヘルメットのカバーを開けたのは、改造魔虫アリジゴクであった。
「あら、確か――アマゾンとか言ったわね」
バイクの後ろに乗っていた女は、ハンドルを握っている男の腰から手を離し、進行方向とは反対に向き直った。
ハチ女である。
運転をしていたのは、サメ改造魔虫だ。
大型のバイクには、改造魔虫ゴリガン。
その隣の中型バイクには、クラブマン。
サイドカー付きのバイクを運転していたのはアルマジロンで、サイドカーに乗っているのはオオカミンであった。
「アマゾン⁉」
オオカミンが言った。
「仮面ライダー、ね」
クラブマンである。
アマゾンは、七体の改造魔虫を前にして、牙を剥き出していた。
彼らの身体からは、剣呑な雰囲気が漂っている。
前傾姿勢になり、両手を前に出していた。
浮いた踵は、いつでも、どのようにでも動く事が出来る。
猫か何かであれば、全身の毛が逆立っている所だ。
「こいつァ良いや」
アリジゴクが、ヘルメットを投げ捨てながら、バイクから降りた。
「こ、ここで、戦ってしまうんですか――⁉」
オオカミンが訊いた。
「潰せる内に潰してしまうのが、良いだろうさ」
サメ改造魔虫が、アリジゴクに同意したように、バイクから降りる。
続いて、無言で、ゴリガンがヘルメットを脱いだ。
「今回は三人で充分だ」
アリジゴクが言い、サメ改造魔虫、ゴリガンと共に、アマゾンの方へ歩み寄る。
「美術館の方はどうするのよぅ」
ハチ女が、唇を尖らせた。
「それこそ、四人で充分だと思うぜ」
サメ改造魔虫が答える。
「ちぇ」
と、ハチ女は舌を打ちつつ、サメ改造魔虫が握っていたハンドルに、手を添えた。
「お前たち――」
アマゾンが、牙を剥いて、言った。
「志郎と、丈二、どうした――?」
「あん?」
アリジゴクは、唇を持ち上げた。
「あの二人の仮面ライダーか」
ゴリガンが答える。
「奴らなら、鉄屑に変えてやったぞ」
「――」
アマゾンが眼を見開いた。
「心配する事はねぇ」
サメ改造魔虫が、アマゾンの事を指差して、言う。
「何⁉」
「お前さんにも、すぐ、後を追わせてやるぜ」
四体の改造魔虫たちが、バイクで走り去る。
その後方でアマゾンと対峙した三名の全身に、蚯蚓のような筋が浮かび上がった。
それぞれが、それぞれの真の姿を現してゆく。
アマゾンの身体にも、又、彼らと同じように、肌の上に、血管が太く盛り上がって来た。
「あぎぃぃぁああ~~~~っ!」
アマゾンが、頤を反らして、咆哮を奏で上げた。
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第十三節 両部
三崎美術館は、崖の上にぽつんと建てられている。
二階建ての、アジアンテイストな建物であった。
閉館セレモニーには、それなりに人が集まっている。
後輩の、吉塚と相澤と合流したさくらは、二人に、茂と敬介を紹介した。
二人とも、茂が、先日に大学で呉割大学の学生たちとの揉め事を回避してくれた事を、さくらから聞いていた。
又、茂が大学の卒業生である事も、他の学生の話で知っていた。
アメリカン・フット・ボール部のキャプテンであった茂は、漢気に溢れながらも、何処となく理知的な面があり、又、身寄りがいない境遇の為にか垣間見える物憂げな様子などから、女子学生たちにも人気であったらしい。
敬介も、容姿としてはかなり優れていると事があるのだが、沖縄の水産大学に通っていた彼と、同じ大学の卒業生である茂とでは、どうしても、親近感に差が出てしまう。
「むぅ」
と、茂ばかりが持て囃されるので、少し拗ねたような顔をする敬介であったが、
「むぅ」
と、さくらも、何故か分からないが、少々機嫌を損ねたような顔である。
明朗快活にして、頭脳明晰、その上に母性をくすぐる孤独を備えた城茂という男が、ミーハーな所のある吉塚と相澤と楽しそうに話しているのを見て、さくらは前述のような表情を浮かべたのであろうか。
そのような事をしている内に、ホールが開放され、最後のセレモニーにやって来た人々が入館した。
館長が、美術館のあらましを説明したり、今までの感謝を伝えたりという事を簡潔に終わらせ、茂たちは展示品の見学にゆく。
展示品は、アジア系の国の美術品が多い。
インドの仏像。
タイのアクセサリー。
中国の陶器。
何百年も前のものとは思えない程、美しい光彩を放っている品ばかりが並べられていた。
その中でも、特に眼を惹いたのは、二回の大きなホールの壁一面を占拠していた、一つの絵である。
それは、どうとも表現のし難い作品であった。
いや、何が描いてあるのか、という事は、分かり易いのである。
中心に描かれているのは、金と黒の二色で主に描かれた人間であった。
黒い髪の毛に、金色の肌。
白眼に当たる部分が黒く、瞳は金色である。
細い眉と眉の間には、突起のような円が描かれており、良く見れば、それは螺旋を描いていた。
黒と金の衣は、僧侶の袈裟のようである。
腕は、八本四対であり、手には、宝玉や法輪、剣や矛、蛇の胴体などを持っている。
動物に跨っているのだが、その動物が、又、奇妙である。
頭部は、猛禽類のそれであった。
跨っている人物の身体を、下から包み込むように、翼を持ち上げている。
しかし、その胴体は、ライオンとか、牛のような形状をしている。
太い四肢が、身体を支えている。
前後の肢には、羽毛がほろほろと生えており、羽毛のない部分には鱗が生じている。
脚を辿ってゆくと、鋭い爪が、長い指から生えていた。
尻尾を持っているようであった。
その、まるで蛇の胴体のような尻尾が、翼と同じく、自分と、その上に跨る人物を包むように、とぐろを巻いている。
描かれた人物が、神仏の類である事は分かるものの、その獣に、すぐにはぴんと来ない。
しかし、様々な生物の特徴を備えた、キマイラのようなものであるらしい。
正面を向いている神仏と合成獣の左右に、図面は分割されていた。
こちらから見て右手、仏・合成獣の左手には、暗闇に、放射状の筋が描かれている。その筋の節々に、光の点が打たれていた。
仏・合成獣の右側、こちらから見れば左側になる空間には、金色の空間に、黒々と渦巻きが描かれている。近付いてみれば、その螺旋を描く曲線と曲線の間を繋ぐように、地の金色に紛れるようにして、細かく線が入れられていた。
これが、茂たちが興味を惹かれた絵であるのだが、表現し難いというのは、それが描かれた年代の事であった。
ここ一〇年とか二〇年で描かれたようにも見える。
しかし、数百年は経っているようにも見る事が出来た。
汚れや、筆致、絵柄、塗料、何の意図で描かれたものか――そのようなものから、この絵の創られた時期を想像する事が、困難であったのだ。
「この絵が、気になられますか」
暫く、茂、敬介、さくら、吉塚、相澤たちは、その絵に見惚れていたのだが、不意に声を掛けられて、我に返った。
先程、挨拶をした館長であった。
「ええ」
と、茂が頷いた。
余り興味はない――そう言っていた自分が、思わず見惚れていた事に、驚いているようだ。
「ハリ・ハラのようにみえますが……」
吉塚が訊いた。
「ハリ・ハラ?」
他の面々が、吉塚に問い返した。
「そのように見る向きもありますが……」
館長が、言葉を濁した。
「ハリ・ハラって?」
さくらが、吉塚に問う。
「ヒンドゥー教の思想の一つなんですけれど――」
吉塚が、簡単に、それについて説明を始めた。
ハリ・ハラとは、一言で言うのならば、
維持者
破壊者
この二つの神が、合一したものである。
ヒンドゥー教――インドの世界観とは、三つの要素から成り立っている。
それは、
創造
維持
破壊
である。
そして、これらの三要素を、永劫に繰り返しているというのが、インドでの考え方である。
先ず、創造者とは、ブラフマンである。ブラフマンとは、梵――この世界の根本法則、原理原則、真理を意味するブラフマーが、人格を与えられた名前である。
このブラフマンが、世界を創造する。
その創造された世界を維持するのが、ヴィシュヌ神である。
ヴィシュヌ神は、“正義”を司る神とも言われており、地上に災厄が訪れた際には、様々な姿に
その様々な
巨大魚マツヤ
霊薬を齎す亀クールマ
大地を持ち上げる猪ヴァラーハ
人獅子ヌラシンハ
天地を跨ぐ小人ヴァーマナ
斧神パラシュラーマ
インドの英雄ラーマ
救世主クリシュナ
覚者ブッダ
白馬の騎士カルキ
の、一〇のアヴァターラである。
しかし、ヴィシュヌ神の加護を受けながらも、創造された世界は衰退してゆく。
世界の衰退とは、ヴィシュヌの持つ法の力、“正義”の力が弱まってゆく事だ。
ヴィシュヌの力が弱まると、世界には、“悪”の心が蔓延する。人の心は乱れ、争いが起きてしまう。
そのような世界に現れるのが、破壊者シヴァ神である。
シヴァ神は、ルドラ神の別名を持ち、ルドラとは暴風雨を操る力を持つ。
シヴァ神はその災害を齎す力で、堕落・腐敗した世界を破壊し尽すのである。
シヴァ神に依り、世界に蔓延る“悪”が滅ぼされた後には、ヴィシュヌ神の一〇体目のアヴァターラであるカルキが降臨し、破壊された世界に、新しく宇宙の創造を始めるのである。
そして、話はハリ・ハラに戻る。
「維持者であるヴィシュヌ神と、破壊者であるシヴァ神は、対立する二つの神だとされています」
と、吉塚が言った。
「ハリ・ハラというのは、その二つの神を、同一だとする思想、という事かい?」
敬介が、確認する。
吉塚は頷いた。
「シヴァ神には、二面性がありますから」
「二面性?」
「ふむ」
さくらが首を傾げる横で、敬介が頷いた。
「暴風雨、という所だね」
「はい」
「つまり?」
相澤が、敬介と吉塚に訊いた。
「暴風や水害は、確かに人間に被害を与えるだろう。川は溢れ返り、田畑は水没する」
「ですが、同時に土地を肥やして、その後の作物の収穫を約束する事でもあります」
「それが、二面性?」
「ええ。シヴァ神の破壊は、そもそも、“悪”に対して行なわれますが、破壊という言葉からイメージされるのは、寧ろ、その“悪”の方ではありませんか? けれど、その破壊は、言うなれば、カルキやブラフマンが、新しい宇宙を想像する為の、地均しなんです」
「地均し?」
「植物でも、間引きをしますよね? シヴァ神の破壊は、その為なのです」
「――」
「そして、ヴィシュヌ神には、アヴァターラがあります」
アヴァターラは、ヴィシュヌの持っている“正義”の性質の一部を、分離したものだ。
火事が起きた時には、消防士を呼ぶ。
怪我人が出た時には、救急車を呼ぶ。
喩えるなら、ヴィシュヌ神は、元より消防士の役目も医者の役割も持っているが、火事の場には消防士として降り立ち、怪我人が出た時には医者の役目を以て訪れるという事だ。
その地に訪れた災厄に立ち向かうのに、適切な姿・力で降臨するのが、ヴィシュヌ神である。
ならば、その災厄の名を、“堕落・腐敗”とすれば、その解決に適した姿というのは、悪を破壊する者である。
「シヴァ神も、ヴィシュヌ神のアヴァターラの一つという事?」
「ヴィシュヌ神も、シヴァ神の持つ破壊者の側面という事です」
さくらと吉塚は、違う言葉で、同じ結論を述べた。
ヴィシュヌ神は、維持者であると共に破壊者である。
シヴァ神は、破壊者であると同時に維持者でもある。
そうした事から、維持者と破壊者を同一する、ハリ・ハラという思想が生まれたのだ。
「でも、何だって、この絵が、そのハリ・ハラなんだい?」
茂が訊ねた。
「この絵が、ヴィシュヌ神とシヴァ神の、どちらの特徴も持っているから、そう思ったんです」
吉塚が答えた。
絵に描かれる時、ヴィシュヌ神は、華美な装飾をされ、複数の腕に法輪などを持ち、そして、聖鳥ガルーダに跨っている。
シヴァ神は、蒼黒い肌をした、やはり多数の腕に武器や髑髏などを持った姿で描かれ、牛に跨っている。
この絵に描かれている仏は、金色の肌を、更に幾つもの装飾品で飾り、複数の手には法輪などと共に武器を持っている。そして、彼が跨っているのは、鳥獣どちらの特徴も兼ね備えたキマイラである。
「でも」
と、さくら。
「この動物は、牛って言うよりかは、蜥蜴、だよねぇ」
仏の足元のキマイラを見た。
写実的な仏画や、獣の頭部や翼などからすると、それは、鳥と牛を掛け合わせた姿とは見えなかった。
生じた鱗や爪、尻尾の長さなどから見て、確かに胴体の大きさは牛と言えないでもないが、明らかに蜥蜴の類である。
「あぅ」
と、吉塚が言葉に詰まる。
「実は……」
館長が、遠慮がちに口を挟んで来た。
「この絵は、インドの辺りで描かれたものではないのです」
「――」
インドの、ハリ・ハラだと思って、熱っぽく語っていた吉塚は、顔を真っ赤にしてしまった。
「では、何処で?」
相澤が訊いた。
「メキシコで発見されたものと聞いています」
「メキシコ?」
「はい」
「発見、と、言うのは?」
敬介が言った。
「ルチャ・リブレをご存知ですか?」
館長が、逆に訊き返して来た。
「るちゃ?」
「りぶれ?」
吉塚と相澤には、聞き慣れない言葉であったらしい。
「メキシカン・プロレス――」
さくらが呟いた。
「そうです」
ルチャ・リブレとは、中南米を中心に行なわれている格闘技の事である。
スペイン語で、“自由な戦い”を意味する。
アステカなどの文化的な影響から、仮面・覆面を被る事を神聖視しており、覆面の選手が多い事でも有名である。
そのスタイルは、名前からも分かるように、
打
投
極
あらゆる手段が用いられている。
又、ブラジルでは、ルタ・リブリ(ポルトガル語)と言われており、やはり、“何でもあり”の試合形式で行なわれる。
尚、これらの知識は、ブラジルに留学していたという、さくらの友人・星河深雪から得たものである。
深雪から聞かされ、さくらが興味を持った“バレツウズ”は、ブラジルの柔術と、このルタ・リブリとの戦いの歴史でもあった。
ブラジルの柔術家は、“バレツウズ”の試合であっても、柔術の技で勝とうとするが、ルタ・リブリの選手は、勝利の為に、打撃・投げ技・関節技のどれを選んでも構わないという気概があるらしい。
そのような事情から、ブラジルの柔術と、ルタ・リブリは、余り仲が良くないらしい。
「で、そのルチャ・リブレと、この絵が、どう関係しているんです?」
敬介が問う。
「そのルチャの会場から、見付かったものなのです」
「え?」
「ルチャ・リブレとは、直接は関係ないのでしょうが、その会場の創られた建物の倉庫に、厳重に保管されていたものらしく」
「――」
「どうやら、かなり歴史のあるものなのではないか、と、思って、先代が高額で買い取ったのですよ」
「古いのですか、これは」
「それが、鑑定でも、良く分からないそうなのです」
「むぅ」
一同は、その不思議な絵を、唸りながら眺めた。
「しかし――」
館長が、再び、言った。
「これが、何らかの神話を伝えているらしい事は、言われています」
「ふむ」
「先程の、ヴィシュヌ神とシヴァ神の、ハリ・ハラにも、近いものを感じますね」
「それは?」
「二面性――」
館長が説明を始めた。
暫くの間、絵解きにお付き合い下さい。思いの外長くなってしまったので。
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第十四節 不二
「先程、そちらのお嬢さんが説明して下さったように、この絵には、確かに二面性を感じさせられます」
金色と黒から成る人物。
人間が、金に価値を見出すのは、太陽信仰に端を発するという説がある。
太陽の消える事のない輝きを、金に求めたのである。
対して、人間は闇を恐れる。
闇という言葉から、マイナスなイメージを感じ取ってしまう。
それは、黒という色で表される。
プラスのイメージでの信仰の対象である金。
マイナスのイメージで語られる事が多い黒。
金を“正義”、黒を“悪”とするのは、些か短絡的かもしれないが、そのようなイメージで描かれているらしいのだ。
「善と悪――という事ですか?」
敬介が訊いた。
「それが、先ず、第一の二面性です」
「第一の?」
「次に、この獣です」
「――」
「この獣は、天空と大地を表していると言われています」
これは、分かり易い。
空を飛ぶ猛禽が、天空。
地を這う蜥蜴が、大地。
善悪に続いて、天地の二面性を表している。
「あ――」
と、声を上げたのは相澤である。
「どうしたの?」
「ケツァルコアトル――」
相澤が言った。
「ケツァルコアトル?」
さくらが訊き返す。
「翼ある蛇――」
そう呟いたのは、敬介だ。
「恐らくは」
館長が、相澤が考えたであろう事を肯定した。
「確か、マヤ文明の神さまだったっけ」
茂が言う。
「そうであるとも言えるし、そうでないとも言えます」
相澤が答えた。
「どういう事だい?」
「ケツァルコアトルというのは、テオティワカンで信仰されていた神の名前で、農耕や、文化の神さまでした」
テオティワカンとは、紀元前二世紀から六世紀まで繁栄した、当時のメソアメリカの中心的な都市の事である。
「また、トルテカの王族の氏名でもありました」
トルテカとは、メキシコ中央高原を、七世紀から一一、或いは一二世紀に掛けて支配していたとされている文明の名である。
「何れにしても、それは、“翼ある蛇”と訳される事が多いです」
ケツァルは翼を意味し、コアトルは蛇を意味する。
だから、“翼ある蛇”だ。
「マヤ文明は、メキシコの南東部――グアテマラとか、ベリーズとかの地域に栄えていた文明の事です」
「とすると、中央高原にあったテオティワカンやトルテカの神さまであるケツァルコアトルは、マヤの神さまって訳じゃないって事になるんじゃないか?」
「いえ、それが、ケツァルコアトルと同じ意味の名前を持つ神が、マヤ文明にはいるんです」
「同じ意味? “翼ある蛇”――?」
「はい」
「ククルカンだったね」
敬介が言うと、それに、相澤が頷いた。
「ククルカン?」
茂が訊いた。
「ケツァルコアトルは、ナワトル語です」
ナワトル語とは、ユト・アステカ語族に属する言語である。北米やメキシコの先住民たちが用いていた。又、アステカ帝国の公用語であった、古典ナワトル語を指す事もある。
ケツァルコアトルは、ナワトル語での“翼ある蛇”である。
ククルカンは、マヤ語である。
ククルは、羽毛の生えた、という事を意味する。
カンは、蛇の事である。
羽毛の生えた蛇――“翼ある蛇”だ。
名前だけではなく、文化・農耕を司る神であるという事なども、共通であった。
「何故、トルテカとマヤに、同じような神が存在するんだ?」
「ケツァルコアトルについて、こんな伝承があります」
相澤は、次のような事を語った。
「トルテカでの物語ですが――」
トルテカに、ケツァルコアトルという王がいた。
彼は、当時存在した人身御供の風習に異を唱え、国民が平和に暮らせる時代を築いた。
それを良く思わない呪術師がいた。その名は、テスカトリポカ。
テスカトリポカは、ケツァルコアトル王に酒を勧め、王を泥酔させる。
正気を失った王は、実の妹と肉体関係を結んでしまった。
その際に、
“一の葦の年に、私は必ず戻って来る”
と、宣言し、幾ばくかの臣下と共に東の海へと消えた。
「この伝承を基に、ジャガーの神・テスカトリポカが、主神であったケツァルコアトル神を追放したという伝説が創られました。テスカトリポカを信仰するアステカ族が、ケツァルコアトルを信仰していたトルテカ族を征服したという史実の抽象化とされています」
尚、テスカトリポカは、アステカの神話では、ケツァルコアトル神の兄弟神とされている。
ケツァルコアトル神が、文化神であったのに対し、テスカトリポカ神は闘争の神であった。
「東の海へ――」
茂が、唸りながら、小声を絞り出した。
「マヤの地へと至ったのではないか、と、いう事かい」
「はい」
「だから、マヤ文明にも、“翼ある蛇”の神がいるという事か」
「はい!」
相澤は、興奮した様子で首を縦に振った。
さくらは、先程の吉塚もそうであるが、こうした特定のジャンルに造詣の深い後輩たちの面を見て、少々、驚いているかのようであった。
「成程なぁ」
敬介が、顎に手を添えて、呻くように言う。
「確かに、これは、“羽毛ある蛇”とも見える……」
「え? でも、これは、蜥蜴じゃありませんか?」
さくらが訊いた。
「うむ。しかし――『旧約聖書』は知っているかい?」
「え――は、はい」
「『旧約聖書』の冒頭――神が七日で世界を創造した後の事だ」
「――」
「神は、土からアダムを創り、アダムからイヴを創った」
「そうですね」
「そのイヴに――ひいては、現在の我々に、知恵を齎したものがいる」
「蛇ですよね、それは」
そう言った所で、さくらは、
「あッ!」
と、声を上げた。
ケツァルコアトル・ククルカンは、何れも蛇の神であり、同時に文化の神である。
又、『旧約聖書』で、蛇がイヴに食べさせたのは知恵の実――黄金の林檎であるが、それは、光であるとか、火であるとか言われている。
火とは、即ち、人類の成長の基盤であり、文化でもあった。
「そして、蛇とは言うが、『旧約聖書』にある“楽園追放”のきっかけとなった蛇は、今、俺たちがイメージする姿ではない」
「アダムとイヴを唆した罪で、四肢を落とされたんでしたよね」
「それが善か悪かは兎も角として、文化の担い手たる蛇には肢があった」
「蜥蜴⁉」
さくらは、胴体で地面を這う蛇に、前後の肢が付いた姿を想像してみた。
それに、更に翼を生やしたスタイルは、この絵に描かれているキマイラの姿に重なる。
「ケツァルコアトル――」
「ククルカン――」
その名で呼ばれる神獣は、どうやら、館長の言う通りに天空と大地の二面を表しているようであった。
それが第二の二面性であるとすると――
「次は、こちらです」
館長が示したのは、背景である。
向かって左半分が、金色の地に、黒い渦巻。
向かって右半分が、黒い地に、金の放射状の線。
「これは、何を?」
誰ともなく、聞いていた。
「先ずは、この左側ですが、これは、拡散・拡大――増殖を表しています」
「増殖?」
「はい。この中心の人物から、放射状に広がっているでしょう」
「うむ」
「これは、何らかの神であるこの人物から、全てのものが広がってゆくという解釈が出来ると思います」
「へぇ……」
「この右側は、逆に、収縮・収斂を表しています」
「収縮?」
「外側から、中心に向って、渦が小さくなっているでしょう?」
「原初に還る――と、いう解釈でしょうか」
敬介が言う。
暗闇に広がった金色の線が、光の中に黒々とした螺旋として収束してゆく。
光の放射が万物の創造を意味しているのならば、闇への収束は根本への回帰である。
「それだけではありません。良くご覧になって下さい」
「――む!」
「おう……」
敬介と茂が、同時に声を上げた。
「どうしました?」
さくらが訊く。
敬介と茂は、金の放射の光の中に打たれた点と、闇の渦同士の間を繋ぐ細かい線を発見していた。
金の放射の点を繋いでゆくと、自然と、中央に向かう螺旋が見えて来る。
闇の渦を取り払ってみれば、それは、外側へと広がる無数の線であった。
違う絵で、同じ事を表現しているのだ。
拡散の中には、収縮が込められている。
収斂の中には、拡大が込められていた。
第三・四の二面性であった。
「まるで、曼陀羅ですね」
吉塚が、恍惚とさえした口調で、呟いた。
「曼陀羅?」
「密教の曼陀羅です」
曼陀羅とは、仏典に説かれる仏の世界――浄土を、図で表したものである。
密教で言うと、特に、胎蔵界曼陀羅や、金剛界曼荼羅が有名である。
胎蔵界曼陀羅は、『大日経』の世界観を表したものだ。
これは、全ての根本存在である大日如来を中心に、無数の仏菩薩が放射状に広がってゆく曼陀羅である。
金剛界曼荼羅は、『金剛頂経』を基に描かれている。
九会曼陀羅とも呼ばれるこれは、仏教の最大の目的である悟りへの段階を、三×三の九つの区画で表している。その進み方というのは、右下のブロックから始まり、逆時計回りに、中心に至るのである。
その違いを簡単に言うのなら、
胎蔵界曼陀羅―精神の原理
金剛界曼荼羅―物質の原理
と、いう事になる。
これら二つの曼陀羅は、依っている経典も、示している事も異なっているのだが、メインとなっているのは、どちらも大日如来である。
そして、それは、高次の視点に立てば、同じ真理を述べている事になる。
日本に密教を持ち込んだ一人であり、日本仏教界の天才にも数えられる弘法大師空海や、唐に於けるその師匠・青龍寺恵果などは、この事を、
と、述べている。
「しかし、そうすると――」
敬介は、額に皺さえ寄せていた。
この絵に対する興味が、ちょっとした息抜き程度では済まなくなっている自分を、感じている。
「こいつぁ、ヒンドゥーが元なのか? それともメソアメリカの神話が? 或いは、仏教が? ともすると、キリスト教までも――? そういう事っすね」
「ああ……」
茂の分析に、敬介が頷く。
善と悪。
天空と大地。
拡散と収縮。
精神と物質。
「それらを、纏めているものがあります」
「え?」
「この中心の人物の、腕をご覧下さい」
言葉の通り、仏の腕を見た。
左右に、四本ずつである。
一番下の左手は、手の甲をこちらに向け、揃えた指先を身体の中心にやっている。
一番下の右腕には、無骨な矛を持っている。
下から二番目の左腕には、牙のような剣を持っている。
下から二番目の右腕には、獅子の描かれた法輪を持っている。
下から三番目の左腕には、二匹の蛇を掴んでいる。
下から三番目の右腕には、斧が握られている。
下から四番目の左腕には、金色の剣があった。
下から四番目の右腕には、数珠繋ぎの宝玉が垂れている。
そして――
「あれ?」
と、さくらが気付いた。
仏の頭の上に、背景を左右に分割するようなものが描かれている。
それは、最初は単なる分割線かと思ったのだが、そうではない。
先端が、太陽の輝きを表しているようにも見える為、分かり難いが、それは、描かれている仏が、頭上に伸ばしている腕である。
しかし、左右のどちらの腕かという事は、出来なかった。
位置的に言えば、その腕は、仏の背中から、上に向かって真っすぐ生えている。
一本の腕が、背骨に沿って突き出しているのだ。
その先端には、手が描かれている。
一つの手首から、二つの手が生えていて、蓮華を形作るように描かれていた。
両手で作られた蓮華の真ん中には、眼球らしきものが、一つ浮かんでいる。
その瞳は、黒と金の螺旋であった。
「これは、“さかしまの樹”です」
「セフィロト……」
敬介が言うと、館長は顎を引いた。
さかしまの樹とは、“世界樹”信仰の思想である。
普通の植物は、下から上に向かって伸びてゆくが、世界樹は、最高点に不変に固定されており、幹を下に伸ばしてゆく。
「そして、同時に、進化でもあります」
「進化?」
「この手を……」
館長が言ったのは、一番下の左手である。
「これは、“魚”を表す手話に似ています」
「次に、この左手を」
「次に、この右手を」
と、館長は指差してゆく。
無骨な矛には、亀甲模様が刻まれていた。
牙を思わせる剣であった。
獅子の法輪を見るに至って、
「ははぁん」
と、納得したように息を漏らしたのは、茂であった。
「何ですか、茂さん」
さくらが、唇を吊り上げた彼に、声を掛けた。
「これは、さっきも言っていた、ヴィシュヌ神のアヴァターラだな」
「はい」
館長が肯定した。
最初の手が作っていた“魚”。
矛の亀甲模様。
牙のような剣。
獅子の法輪。
それらは、ヴィシュヌ神の一〇のアヴァターラの姿に、関係を求める事が出来る。
「この、蛇は?」
さくらが、下から三番目の右腕が掴んでいる蛇を指差した。
「ヴァーマナです」
吉塚が答える。
「双頭の蛇ですからね……」
相澤が言った。
「蛇は、天地の象徴なんです」
「天地の? でも、さっきは……」
「マヤ文化では、蛇は、空と大地を同時に表しているんです。双頭の蛇は、天空と大地を繋ぐ役割がありますから……」
相澤は吉塚を見て、
「ヴァーマナって、確か、天地を跨いだんだよね」
「うん」
ヴァーマナは、ヒンドゥーの
その方法というのが、先ずは乞食の姿でバリに近付き、
“自分が、三歩歩いた分の土地を、私にくれ”
と、要求した所から始まる。
その条件を呑んだバリであったが、直前までは小人であったヴァーマナは、巨大化して、一歩目で大地を、二歩目で天を踏み、三歩目でバリを地底世界に押し付けた。
「その事を、双頭の蛇で表しているんだと思います」
又、マヤ語で“カン”とは蛇の事ではあるが、同時に、マヤ神話の中心たる世界樹の事を意味してもいる。
「それじゃ――」
さくらの言葉を遮ったのは、吉塚であった。
「あの眼が、九番目の“仏陀”を表しているんです」
仏陀とは、何も、仏教の開祖であるシッダールタだけを言うのではない。
サンスクリット語で、“目覚めた者”という意味だ。
目覚めるとは、真理に目覚めるという事であり、悟りを得たという事だ。
その証は、眉間に生じた白毫である。
智慧、般若を意味する、第三の眼であった。
「そして、一〇番目のアヴァターラ・カルキは、この人物そのもので表されているんです」
破壊者シヴァ。
維持者ヴィシュヌ。
その合一と見えるこの仏であるから、カルキであってもおかしくはない。
「で、進化とは?」
茂の質問。
「一〇のアヴァターラが、生物の進化を表しているという説があるのです」
「ほぅ⁉」
魚から始まり、両生類、哺乳類、そして霊長へと、ランク・アップしてゆく様子である。
「上昇であり、下降か」
さかしまの樹は、上部からのアプローチである。
アヴァターラは、底辺からのアプローチである。
敬介の呟きは、その理解に対するものであった。
堪らない絵であった。
二重構造のように見えて、実は全く同じ事を描いているのだ。
次回まで絵解きは続きます。
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第十五節 両部不二
「更には――」
と、館長が説明した。
「この人物は、脚を組んでいますね」
「それが?」
「これは、男女を意味しています」
「男女?」
と、一同が声を上げた。
「この人物は、中性的な表情をしています」
男女の区別がつかない。
体形にも、それを示すものは見られなかった。
「
吉塚が言った。
「中国の創世神か」
敬介の言う通り、伏羲と女媧は、中国に於いて人類を創造した神である。
伏羲が、男性原理を、女媧が、女性原理を、それぞれ表している。
どちらも、人間の上半身をしており、下半身が蛇のそれとなっている。そして、男女の創造神は、その蛇の下半身を絡み付かせている。
この二つの神は、夫婦であるが、兄妹でもある。
多くの神話に於いて、人類の祖となった神が男女であると、兄妹である。
日本神話の、伊邪那岐命と伊邪那美命。
インド神話の、ヤマとヤミ。
その交わりを、脚を交差させる事で表現しているのであった。
それを聞き、吉塚が、又、声を上げた。
「扶桑ですか⁉」
「扶桑?」
さくらが、吉塚を見た。
吉塚は、
「一つの根から、二つの茎が生えている植物の事です」
と、言い、
「こんな風に……」
と、左右の手で、二つの茎が絡み合いながら成長してゆく様子を、再現してみせた。
「『山海経』にあります」
「せんがいきょう?」
「春秋時代の、中国の地理書です。尤も、内容は、神話みたいなものなんですけれど」
「その中に、扶桑っていうのがあるの?」
「はい」
『山海経』には、東海の彼方に立つ、伝説の巨木とされている。
湯谷の上に立つ扶桑には、一〇の太陽が存在し、九つの太陽は水中に沈んだ扶桑の大木の枝に、一つの太陽のみが上の枝に昇る。
その太陽には、烏が載せられているという。
「でも、何で、これが、その扶桑なの?」
「ふふん」
茂が、さくらの問いに、笑みを浮かべた。
「扶桑は、伝説の巨木――」
「世界樹だ」
敬介が、茂の言葉を引き継いだ。
世界樹とは、先程も、話に上った。
九本目の腕の先に浮かんだ眼球を最高点として、そこから下方に伸びる枝――
さかしまの樹。
「“一〇の太陽”という記述とも、矛盾はない」
ヴィシュヌのアヴァターラを意味している、八つの腕の持物。
九つ目の化身である第三の眼。
そして、ハリ・ハラとしてのこの人物。
それら一〇の姿を、扶桑が持つという太陽に相当させる事が出来る。
「そして、これは上昇と下降の二面性」
「つまり、上下を反転させた所で、意味合いは同じ」
敬介と茂が、同時に言った。
「こいつを引っ繰り返せば――」
「カラス――」
さくらは、脳内で、この絵の上下を反転させた。
絵自体は逆さまになるものの、上からであっても、下からであっても、一〇の太陽は変わらない。
反転させた場合には、一番上の太陽――原点にして究極のアヴァターラであるハリ・ハラの上に、翼を持った合成獣が乗る形になる。
「――」
善と悪。
天空と大地。
拡散と収縮。
精神と物質。
上昇と下降。
光と闇。
人と獣。
男と女。
それらの二面性を、世界樹で繋ぎ、全く同じ絵に封じ込めた、見事な作品であった。
この絵が近年になって描かれたものではないのならば、一体、どのような思想家に手掛けられたものなのであろうか。
それは、思想の統一という事に留まらない。
日本。
中国。
インド。
メソアメリカ。
ヨーロッパ。
国を越えて、人類の中に存在している共通のイマジネーションを、一つに纏めている。
「くぅ……」
誰ともなく歯噛みする程の絵解きであった。
暫く、一同はその絵を眺めていたのだが、館長が、先ず我に返った。
「いや、長々と説明をしてしまいましたな」
「それだけ、凄まじいものが、ありました」
敬介が言った。
「そちらのお嬢さん方も、若いのに、随分とものを知っておられるようで」
言われて、吉塚と相澤が、照れたように頬を掻いた。
吉塚は仏教系の、相澤はメソアメリカ系の物事について、詳しいようであった。
「では」
と、一礼して、館長は他の展示を見回りに行った。
茂たちは、この絵の濃厚な世界観を孕んだまま、一階に戻ろうとする。
何か土産物の一つや二つでも買って帰ろうか、と、さくらが言った。
エントランスの様子を、階段から見下ろしてみると、客足が増えている。
人の頭でいっぱいである。
ドアは解放されていた。
そこに――
ふと、一組の男女が立った。
「む――」
手摺りに手を載せていた敬介が、すぅと眼を細めた。
茂も、何やら、出入り口の方を見て、怪訝そうな顔をしていた。
二人の視界の中心には、
猪首の男
腰の括れた女
の、二人組が立っていた。
それだけならば、何でもない事である。
しかし、しきりに巡らされている彼らの視線が、普通ではなかった。
あれは、まるで、何かを値踏みするような眼だ。
何かの数を数えているかのような。
財布の中から、小銭が必要なだけ入っているかを確認するかのような――
「これだけいれば、充分だな」
猪首の男が言った。
「ええ」
女が頷いた。
何の話をしているのか。
敬介と茂は、客たちのざわめきの中、その二人の会話を聞き取ろうとした。
「茂さん?」
「神さん?」
と、さくらたちが声を掛けようとした所で、
ばたん、
と、いきなり、出入り口の扉が閉まった。
扉が閉まる大きな音に、客たちが振り返った。
猪首の男が、出入り口を封鎖していた。
「困ります――」
受付の男が、二人に近付いて行った。
勝手に扉を閉められては、客の流れが滞ってしまう――
だから、勝手に扉を閉めた男に、注意をしようとしたのだ。
「待てっ――」
敬介が、手摺からを身を乗り出して、吠えた。
しかし、遅かった。
受付の男の顔面が、猪首の男が繰り出したパンチの為に、陥没していた。
ぐじゃり、と、いう音と共に、受付の男の鼻が、頭の奥の方までめり込んでしまう。
鼻からとも、口からとも、眼からともつかない出血が溢れた。
「ひ――」
ボーリング玉でも叩き付けられたのではないか、という程の破壊を、顔面に施された男の身体が倒れ、近くで見ていた客の一人が悲鳴を上げた。
「聴きなさぁい、人間共――!」
上がり掛ける悲鳴を遮って、腰の括れた女――改造魔虫ハチ女が、鋭く声を上げた。
「貴方たちを、私たちの生け贄にして上げる」
そう言ったかと思うと、ハチ女と、アルマジロンは、中空に何かを放り投げた。
それは、小さなコンクリート片のようにも見えた。
しかし、それらは空中で一瞬にして肥大化し、人間にも似た姿を採った。
「あれは⁉」
と、叫んだのはさくらである。
空中で巨大化し、床に下り立ったのは、獅子の仮面を被り、黒い膜を纏った怪人たちであった。
デルザー軍団の戦闘員。
デッドライオンの部下である。
人混みの中に下り立った戦闘員たちは、突然の事態に困惑する人々に襲い掛かった。
一体の戦闘員が、腕から巨大な爪を突き出して、無造作に、客の一人の頸を切断した。
ごろり、と、床に転がる人間の頭。
びゅーっ!
びゅーっ!
と、噴水のように、赤い液体が空気を削ってゆく。
満ちる血臭。
「ギャーッ!」
人々は、悲鳴を上げて、その場から逃げ出そうとする。
出入り口は封じられているので、建物の奥へと。
しかし、向かったその先にも、獅子の仮面の戦闘員たちは待ち受けていた。
暗がりから、ぞろぞろと這い出る異形の者たち。
怪人たちは、人々に組み付くと、その爪を肉に潜り込ませ、牙で骨を砕こうとする。
悲鳴。
絶叫。
咆哮。
叫喚。
高い声。
低い声。
くぐもっている声。
伸び上がる声。
逃げようとした男が、襟首を掴まれて引っ張られ、倒れると共に胸を踏み抜かれた。胸骨が陥没し、吹き出された血が、獅子の仮面を染めた。
転んだ若い女性の尻に、爪が突き刺される。洋服ごと、臀部の筋肉がめりめりと引き剥がされて行った。
吉塚と相澤は、顔を真っ蒼にして、抱き合って、震えていた。
悲鳴を上げようとして、気付いた。
いない。
敬介と、茂と、さくらである。
見れば、三人とも一階に下りていた。
敬介は、倒れ込んだ女性の上に覆い被さっていた戦闘員の顔面を蹴り上げた。
続いて、横から襲い来た戦闘員の爪を躱し、裏拳で仮面を砕いてやった。
獅子の仮面の奥からは、直に筋繊維が剥き出している。仮面ではなく、皮膚と癒着した外骨格であった。
敬介から少し離れた地点では、茂が、やはり戦闘員を相手に立ち回っていた。
獅子の仮面を砕き、黒い膜の身体をくの字に折り、襲われていた人々を逃がす。
二人の行動は、迅速であったが、それでもキャパは越えている。
彼らの足元には、血を流している骸が、幾つも転がっていた。
それでも、鉄のように表情を固めて、茂と敬介は戦闘員たちと戦っていた。
又、彼らに遅れつつも、さくらも参戦している。
改造人間である二人には及ばないが、さくらも、常人以上の戦闘力がある。
獅子の仮面の戦闘員の攻撃を躱す。
膝を蹴って、バランスを崩してやる。
倒れた頭に手を添えて、床に叩き付けてやる。
股間を蹴り上げる。
腕の逆を獲って、躊躇う事なく圧し折った。
「何をしている⁉」
敬介が、戦闘員の肩を極め、戦闘員の集団に投げ飛ばしながら、言った。
「早く逃げろ!」
「逃げないわよ!」
さくらが、戦闘員のパンチをスウェーで躱し、その腕を取った。
身体を跳ね上げさせ、戦闘員の太腿を蹴って跳躍し、肘を抱え込みながら、投げ飛ばした。
戦闘員の身体が床に着いた時には、肘が折られており、立ち上がったさくらは、膝を顔面に落とした。
「こいつらが、深雪を殺したんだから――」
さくらが、鬼の貌で吠えた。
星河深雪という親友を、この連中が殺しているのである。
「――良いから逃げるんだッ」
敬介が、火を吐くように叫んだ。
「彼らを避難させてくれ!」
と、エントランスの隅で固まっている人たちに、眼をやった。
「――ぅ」
さくらは、敬介の気迫に押され、そちらへと走った。
スタッフと共に、裏口へと、誘導しようとする。
それを見届ける敬介。
その後ろに、戦闘員が迫っていた。
「むぅっ」
振り返ろうとしたが、その前に、茂のパンチが戦闘員の顔面を打ち抜いている。
「さっきのあれは、こういう事だったんすね」
茂が、敬介と背中を合わせながら、囁いた。
ユリ子の墓の前で、茂に訊ねた事だ。
“若し、また、戦わねばならないとしたら――”
その問いは、既に、新しい戦いが始まっていた事を意味していた。
「他の人たちも?」
肩越しに、茂が訊いた。
戦闘員たちに、二人は囲まれていた。
「ああ……」
「へぇ」
それを聞いて、茂が、にぃ、と、牙を剥いた。
「酷いじゃないっすか、仲間外れなんて」
「――茂……」
「言った筈ですよ、戦うって」
「茂……」
そう言い合っていた所で、
「いやぁっ!」
と、女の悲鳴を聞いた。
階段の傍に残して来てしまった、吉塚と相澤である。
二人に、三体の戦闘員たちが迫ろうとしていた。
茂が、床を踏み抜くようにして、跳躍した。
茂が包囲網を抜け出した事に、戦闘員たちが狼狽した隙に、敬介が、戦闘員をあっと言う間に一掃する。
茂は、階段の手摺りをワン・クッションに、横薙ぎの跳び蹴りで、戦闘員の頸をねじ折った。
他の二体が、同時に爪を走らせる。
一体の戦闘員の爪を右腕で弾き落とし、蹴り飛ばす。
しかし、もう一体の戦闘員の爪で、左腕を切り付けられてしまった。
「城さん!」
叫んだのは、吉塚か相澤か。
しかし、それよりも速く、茂の左手が動いていた。
黒いグローブが切り破られていた。
その奥から覗いた銀の腕が、戦闘員の首根っこを掴んでいた。
と――
ばぢぃ!
蒼白い光の奔流が、破裂音と共に起こった。
そうして、獅子の仮面の戦闘員は、頸元に、身体全体を覆う膜とは別に、黒い焦げ跡を焼き付けられながら、その場に崩れ落ちた。
「早く避難しな。危ないぜ」
茂が言った。
右手で、二人を立ち上がらせた。
茂の左手は、付け根から、指の一本に至るまで、針金を巻き付けているような形であった。
獅子の仮面の戦闘員は、その手に掴まれた事で、咽喉元を焼き付けられた。
その際に放たれたのは、高圧電流だ。
茂の左手――恐らくは、同じグローブをしている右手にも――に、恐れのようなものを抱きながら、二人は、さくらたちが避難した筈の裏の方へと走ってゆく。
「ふぅん」
「――!」
茂は、自分のすぐ傍から聞こえて来た声に、飛び退いた。
階段の手摺りの、一番上の所に、ハチ女が腰掛けていた。
「何やら腕自慢がいると思ったけど、貴方、改造人間だったのね」
「そうさ」
茂は、右手の絶縁材グローブを外して、左右のコイル・アームを見せ付けた。
片方の掌に拳を軽く叩き付けると、
ばぢぃ!
ばぢぃん!
と、電流の迸る音ともに、火花が散った。
「ストロンガーね」
「む⁉」
「仮面ライダー第七号・ストロンガー、でしょう?」
「ああ」
茂は、顔に笑みを張り付かせた。
「それをご存じって事は、あんたは、ブラックサタンか、デルザーの残党って所だろうな」
「まぁ、そんなものね」
「残念だな」
「残念⁉」
「普通の人間の頃に出会っていたら、すぐに口説いていたろうぜ」
「あら、嬉しい」
「――だが」
「今は、口説く気になれないって事?」
「うむ」
「そう……」
「今は、あんたを砕く気にしかなれねぇな」
「ふぅん――所で」
「何だ?」
「あっちの彼も、貴方と同じ、仮面ライダーって事よね」
と、ハチ女は、神敬介を見下ろした。
敬介に対しては、アルマジロンが歩み寄って来ていた。
「俺の先輩さ」
「じゃあ、あの子も、そうなのかしら」
「あの子?」
「さっき、うちの子たちをやっつけてくれちゃった女の子よ」
さくらの事である。
「あの子が、若しかして――仮面ライダー第八号だったりするの?」
「――ふん」
茂が、鼻を鳴らした。
同時に、入り口の方から、壁を砕く音がして、海風と共に光が射し込んだ。
敬介と対峙していたアルマジロンが、身を躱す。
敬介が、館内に突撃して来た白い弾丸に跨った。
敬介は、無人で走行していたクルーザーの上で、レッド・アイザーとパーフェクターをかざしている。
「外れだ、間抜け」
「間抜け?」
「仮面ライダーは俺で最後だ。八人目なんか、いやしねぇさ」
ましてや――
茂は、コイル・アームを、ハチ女に向けて突き出した。
右腕にプラス、左腕にマイナスの電気が流れている腕である。
近寄せれば、火花が散る。
「只の女に
ハチ女が、きゅぅっと笑った。
その顔に、蚯蚓のような筋が這う。
眼球が肥大して、白眼が分割され、複眼に変わって行った。
細い胴体が、より細く絞り上げられてゆく。
服の背面が破れて、高速で震動する翅が剥き出した。
右腕が膨れ、中指が鋭く伸びている。形成されたのは銀の刃である。
改造魔虫ハチ女の、真の姿であった。
「その通りよ」
ハチ女が言った。
口が、人間の構造ではなくなっている。
顎が左右に割れ、ストロー状の口が見えていた。そこから、声が絞り出される。
「貴方たちで、仮面ライダーは全滅するの――」
ハチ女が、茂に跳び掛かってゆく。
右手の中指から形成された、毒針のフルーレがしなう。
ぎらりと輝く剣先が、茂の心臓を狙っていた。
と、茂とハチ女の間にあった空間を、階段を下からぶち抜いて現れた何かが遮った。
粉塵の中から舞い上がったのは、巨大な、赤いカブト虫である。
鋼で造られていた。
胸の背面部分には、茂が来ているシャツと同じ、Sの形をしたパーツがあった。
「これは⁉」
ハチ女が、翅をはばたかせ、後退する。
超軽量級のハチ女は、その赤い甲鉄虫――ストロング・ゼクターの起こした風圧で、充分に吹き飛ばされてしまう。
茂は、両方のコイル・アームを擦り合わせた。
電流が奔る。
ストロング・ゼクターの、緑色の眼が輝いた。
茂が、両手に溜まった電流を、床に叩き付けた。
ストロング・ゼクターを頭上に戴いた茂の周囲に、稲妻の柱が立ち並んでゆく。
眼も眩むようなスパークの後――
「俺は――」
巨大な角と、緑の眼。
赤い甲冑――ストロング・ゼクターに依って運搬された、超強化服を纏う、強化改造人間突撃型――否。
「仮面ライダーストロンガー!」
人間を超えた城茂が、ハチ女に向かって躍り掛かった。
“超強化服”をどうするかを考えたら、こうなりました。
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第十六節 城茂
「おぅ、城ってのはお前さんかい」
秋口の、寺の境内である。
廃寺であった。
それなりの寺ではあるのだが、人も滅多に訪れない所に立っている。
廃棄されてから、随分と、立っているらしい。
本堂の正面の扉が、風化して、ぼろぼろになっている。
その奥に、金と黒の配色が五分五分になっている、阿弥陀如来の像が立っていた。
向かって右に立つ観音菩薩、左側の勢至菩薩は、腕がもげたりしている。
瓦も、殆ど落ちていた。
参道を挟むように、樹が並んでいる。
葉っぱは、見事なまでに赤く染まっていた。
涼しい風が吹いていた。
夕暮れの事である。
赤い空に、引き千切られた紅葉が舞い上がり、同じ色に溶けてゆく。
城茂は、ススキを口に咥えたまま、本堂の廊下から上体を起こした。
裾を詰めた学ランの下に、赤いシャツを着ており、胸の真ん中にはSの字が染め抜かれていた。
黒革のテカる学生帽を、頭の半分に引っ掛けるようにして、被っている。
鍔の下には、狼のような鋭い光を放つ眼があった。
本堂の中の仏像の、金箔の剥げていない部分を、真正面から夕陽が照らしている。
その沈まんとする太陽を遮るように立っている男が、茂の名を呼んだのだ。
背の高い男であった。
一八五から九〇位はあるのではないだろうか。
頸が太く、肩幅が広い。
裾が、脛まで届きそうな学ランを、素肌に直に羽織っている。
ゴムタイヤのように発達した大胸筋。
胴体には、サラシを巻いているが、ナイフ程度なら内臓まで届くまい。
学ランは特注である。にも拘らず、袖はぱんぱんに張り詰めていた。
ボンタンも、普通の学生が穿く学生ズボンと、何ら変わってないように見えた。
逆光で見え難いのだが、美男子とは言い難い顔である。
太い筆に、思い切り墨を浸けて引いたような、黒々とした眉。
鼻が潰れて、膨らんでいる。
耳が、餃子のようによじれ、カリフラワーのように膨らんでいた。
唇はぶ厚いが、かさついていた。
顎が、岩を削り出したように無骨である。
さらりとした黒髪と、鋭い眼光を持つ茂と並べてみれば、多くの異性は茂を選ぶ。
しかし、茂には存在する都会的なスマートさがないのに対して、その男には、茂にはない、人間の野生に訴えかけるようなものがあった。
その男が、夕暮れの廃寺で寝転がっていた茂に対して、呼び掛けたのだ。
「ええ、そうですよ」
茂は、慇懃な口調で言った。
しかし、インテリぶっていても、何処となく、人を莫迦にした色がある。
「姓は城、名は茂。尤も、何処のどなたさまが付けてくれたのかは知りませんがねぇ」
ふふん、
と、卑屈な笑いを浮かべて、茂は言った。
「で、おたくはどちらさんで?」
「沼田という者だ」
男は言った。
「沼田?」
「お前さんに、仲間を一人、ぶちのめされている」
「仲間⁉」
「最近、城北高校の学生と喧嘩をしただろう」
「――」
沼田と名乗った男に言われて、茂は思い出した。
茂は、城南高校で、不良グループのリーダーみたいなものをやっている。
正確には、リーダーよりも、用心棒の方が、それに近いかもしれない。
どこぞの高校と喧嘩をする事になった。助っ人をしてくれ――
そう言われれば、喜び勇んで喧嘩に加わってゆく。
そうした立ち位置であったのだが、いつの間にか、茂がリーダーのように慕われるようになっていったのである。
その件の一つが、沼田の言った事なのであろう。
「ふぅん」
と、茂が言った。
「で、おたくは、俺に何の用だい」
「分からないか?」
「おいおいおい」
茂は、薄ら笑いを浮かべて、言った。
「今日日、意趣返しなんて流行りませんぜ。良く言うじゃあありませんか、“復讐は何も生まない”なぁんて事をさ」
「――それもあるがな」
沼田が、静かに言った。
「ほぅ?」
「お前さんの話を聴いて、興味が沸いた」
「俺に?」
「ああ」
「へぇ。そいつぁ、どのような?」
「只の暴れん坊なら、もう、とっくに喧嘩を売っている所だぜ」
「俺が、只の暴れん坊じゃないって事かい」
「ああ。城南高校で、五本の指に入る秀才と聞いている」
「――」
「普段は、授業になんか顔も出さんくせに、毎日毎日、小学校からの日課で、遊びに出る前にお家に籠って勉強するような坊ちゃんなんかより、ずぅっと頭が良いってな」
「照れますねぇ」
「その上、腕っぷしまで強いっていうじゃねぇか」
沼田が、厚めの唇を、つぃと持ち上げた。
綺麗に並んだ白い歯が剥き出される。
「そんな、ツッパリとしちゃ半端な奴が、どんな面かと思ってね」
「――何?」
茂の眼が、更に、細められた。
「何と言った、貴様」
茂の口調が変わっている。
「半端だと⁉」
茂が吠えた。
「半端も半端さ。良いかい――」
沼田が、このように言う。
「俺たちはよ、勉強なんか、さらさら出来やしねぇんだ。親の言う事だって、一度も聞いた事がねぇ。だから、こいつで、どうにかしようとしてんのさ」
沼田は、拳を突き出した。
元より大きな手なのであろう。その太い指の付け根が、平らになっている。
拳胼胝――空手家のような、素手でものを叩く人間の手に顕著なものである。
喧嘩に慣れている男であった。
「勉強出来ない奴なんかな、今の大人たちは必要としてねぇんだよ。だからな、折角だ、世界で一番強くなって、そういう連中を、見返してやりたいのさ」
「――」
「だのに、お前さんと来たら、どうだ。勉強も出来る。その上、ツラも良い。だのに、こっちの世界に入って来ようとしやがって」
「――」
「いつでも向こうに帰る場所があるお前さんなんか、半端ものって事さ」
「――」
「半端もののくせして、一丁前に他人さまをぶん殴ってんじゃねぇよ、ええ?」
「――」
「そういう事を言いに来たのさ」
沼田が、鼻を鳴らして、言い終えた。
茂は立ち上がると、本堂の屋根の下から、参道に足を下ろした。
咥えていたススキを、ぺっ、と、吐き捨て、学生帽を放り投げる。
「上等じゃねぇかよぅ」
茂が、拳を掌で包んで、指の骨をばきばきと鳴らした。
「あんた、人の事を、半端半端と言う割にゃ、随分と頭が回るんだな」
「む⁉」
茂が、にぃ、と、牙を剥いた。
「要するに、この俺さまに嫉妬してるんだろう。おたくよりもずぅっと頭が冴えてる上に、喧嘩にも強い、この俺さまによぅ」
「何だと⁉」
「だから、ぐだぐだと御託並べて、俺に、やめて欲しいんだろう」
「むぅ」
「俺とタイマン張っちまったら、余計に不細工な面になっちまうなァ」
そう言いながら、茂は、沼田に向かって歩み寄った。
茂の歩みには、既に、充分な闘志が溜まっている。
間合いに踏み込んだ瞬間に、蹴りなり、パンチなりを打ち込める。
そのような気配が、茂には纏わり付いていた。
「へ――」
沼田は、前方から叩き付けられる、茂の気配を浴びながら、笑った。
猛獣が、獲物を前にした笑みである。
「話が早いじゃねぇの」
沼田も、近付いて来る茂に対して、真っ直ぐに歩を進め始めた。
参道の真ん中で、二人は向かい合った。
茂は、身長一七四センチ、体重六八キロ。
沼田は、身長一八五センチ、体重九九キロ。
「城茂だ」
「沼田五郎だ」
言うなり、二人の拳が、互いの顔に向かって打ち出された。
茂の右のパンチが、五郎の左の頬に駆け上がった。
沼田の右の拳は、茂の左の頬に打ち下ろされてゆく。
肉が肉を打ち、骨が骨を打つ、鈍い音がした。
パンチの威力で言えば、体重のある沼田の方が、ある。
しかし、茂は沼田のパンチを受けても、その場から引くような事はしなかった。
又、沼田の方も、茂の一撃でぐらついていた。
「けぇっ」
茂が、すぐさま体勢を立て直して、左の拳を打ち付けて来た。
沼田の、サラシを巻き付けた腹に、である。
腹筋を固めて、沼田が堪える。
それでも、内臓に響くような一発であった。
次の瞬間、茂の右のアッパー・カットが、沼田の顎に打ち上げられた。
歯と歯がぶつかり、火花が散るような音が走る。
「だ――!」
茂は、仰け反る形になった沼田の腹に蹴りを叩き込んだ。
じり、と、沼田の足が僅かに下がる。
「しゃっ!」
茂が、場を掴んでいた。
打つ。
打つ。
打つ。
茂は、滅茶苦茶に、沼田の身体を叩き捲った。
顔?
叩く。
腹?
殴る。
腕?
打つ。
脚?
胴体?
頭?
背中?
脛?
手?
足?
頸?
打つ。
打つ。打つ。
打つ。打つ。打つ。
打つ。打つ。打つ。打つ。
沼田五郎と名乗った男の、眼に見える部分を、全力で殴った。
素早い連打であった。
狙いは、粗い。
しかし、威力だけは、何発打ち込んでも、衰えなかった。
打撃系格闘技の定石――
それは、急所を狙う事だ。
武道・格闘技とは、極端な事を言うのなら、人を殺す為の技だ。
素手で人間を殺す手段が、武道・格闘技なのである。
しかし、打撃で人間一人の命を奪う事は、余程の体重差がなければ難しい。
だから、急所を狙うという発想になる。
頭部には、
天倒
鳥忠
人中
こめかみ
などがある。
胴体には、
村雨
秘中
檀中
水月
電光
釣鐘
などがある。
それらの部位に打撃を加える事で、頭蓋骨の縫合を外すだとか、内臓に直接ダメージを与えるだとか、そういう事が可能となる。
茂は、それをしない。
唯、殴る。
唯、叩く。
唯、打つ。
当たる場所が何処かなど、考えてはいなかった。
当てた箇所がどうなるかなど、考慮しなかった。
人体というものは、思っているよりも、ずっと丈夫だ。
その丈夫なものを、拳で叩くというのが、どういう事か。
樹の幹に、木刀を叩き付けるようなものだ。
その幹が、細く、脆いものであれば、打ち砕く事も出来るだろう。
しかし、その幹が、かなりの頑丈さを持っているのなら、木刀の方も只では済まない。
特に、茂が主に狙っているとも言える顔面は、皮膚のすぐ下に骨がある。
下手な殴り方をすれば、頭蓋骨を殴った方が、逆に拳を壊してしまう。
手の甲の骨や、指の付け根が、イカれてしまうのだ。
そのような事を、鑑みないやり方であった。
滅茶苦茶に叩く。
思いっ切り叩く。
茂は、沼田の身体に散々、拳を叩き付けて行った。
――どうだ⁉
汗を流しながら沼田を殴る茂の表情に、そんな感情が見えて来る。
腹の底に溜まった何ものかを、一斉に吐き出すような顔である。
黒々とした、鬱憤や不満を、拳に乗せて全て吐き出そうとしているようにも見える。
獣の咆哮のようなものだ。
暗雲を裂く稲妻のようなものだ。
空気をつんざく雷鳴のようなものだ。
一発のパンチと共に、城茂が叩き付けられて来る。
一発の拳と共に、城茂の存在が打ち込まれて来る。
執念――
怨念――
憤怒――
鈍器のように重く、刃のように鋭い感情であった。
その中に、僅かな哀切が込められている。
胸の中に抱いたもどかしい思い。
巧く言葉に出来ない何か。
それでも燻ぶっているもの。
人が人である限りは抱かずにはいられない――城茂が城茂たるべく為には保持せずにはいられず、同時に、城茂が城茂である為には切り捨てなければならないもの。
自らを維持するものであり、自らを破壊するもの。
大いなる矛盾。
その矛盾を持ち続けなければならないという不条理。
その不条理を抜け出したくても抜け出せぬという現実。
それらへの嘆き。
それらへの悦び。
城茂の叫びである。
人間・城茂が持つ慟哭である。
これらのものを、拳を繰り出すという行為の動力へと、変換していた。
だからこそ――
圧倒的な暴力の中に、一筋の哀しみがある。
莫大な哀しみの中に、仄かな暴力があった。
その、城茂を受け止めながら、沼田が動いた。
茂のパンチを受けるのみであった沼田が、一歩、前に出ようとした。
茂は止まらない。
しかし、茂の頭の中で、眼の前にあった沼田のイメージが、一変した。
今までは、眼に見えるままの沼田であった。
だが、足を僅かに前に出した刹那、茂が叩いていたものが、生ゴムを被せた巨岩へと変貌を遂げていた。
ぬぅ⁉
茂はパンチを止めなかった。
沼田が、拳を大きく引いた。
茂の身体に、どん、と、気配が浴びせ掛けられた。
まるで、眼の前でヒグマが立ち上がったような、肉の圧力。
茂の拳が叩く沼田の身体が、鉄のように硬くなった。
矢を射るように引いた右腕に、血管が浮かんでいる。
今にも切れそうな管は、込められた力の量を表していた。
――やば……
茂がそう思った時には、巨岩の矢が放たれていた。
一八五センチの高度から、九九キログラムの重量が、茂の顔面に向かって落下して来た。
鉄の砲弾が、水牛の突撃のような猛威を以て、襲い掛かって来た。
バーバリー・シープが、高所から頭突きを繰り出すように。
茂の鼻頭に、巨岩が触れた。
みり、と、鼻の皮膚が内側にめり込んでゆく。
骨が嫌な音を立てた。
血管が、一本一本、毟り取られてゆく。
その後に、衝撃が襲って来た。
茂は、自分の頭が、頸から吹っ飛んだような錯覚に陥った。
暗転した視界。
自分が、鳥か何かになったかのように感じた。
ぶっ飛ばされていた。
反り返った後頭部が、参道に触れ、すぐに離れた。
茂は、石畳の上で跳ね、賽銭箱に背中からぶつかっていた。
腐っていた賽銭箱が崩れ、茂は、本堂の階段の所で、何とか止まった。
「ふん」
と、沼田は、茂に折り曲げられた鼻頭を、指で元の向きに戻した。
片方の鼻の孔を押さえ、息を吐くと、空いた孔の方からゼリー状の赤いものがまろび出た。
鼻の粘膜が剥離されたのである。
張りのある肌の表面に、幾らか打撃の痕があるだけで、沼田は、ぴんぴんしていた。
「やっぱり、大した事ないなぁ」
沼田が言った。
「こんなんじゃ、俺の方が、よっぽど強ぇや」
「――っだらぁぁっ!」
茂が、叫びながら、賽銭箱から立ち上がって来た。
すぐさま、沼田に駆け出してゆく。
鼻血を吹いたままだ。
「――しゃあ、来い!」
沼田も、大きく、構え直した。
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第十七節 一番
月が出ていた。
星が出ている。
藍色の空を、冷たい風が駆けていた。
蟋蟀の声がする。
りん、
りん、
と、決して長くはない命を削り、番を探していた。
廃寺の境内である。
二人の男が倒れていた。
ぼろぼろになったシャツを着た城茂と、見事な上半身を晒している沼田五郎だ。
顔は、蒼かったり、赤かったりしている。
拳が擦り切れていた。
指が、青紫色に変色しているものもある。
参道の石畳に、血が散っていた。
「だからよぅ」
茂が、うわ言のように言った。
うつ伏せに倒れている。
肩で、石畳の上を這っていた。
尻が持ち上がり、膝を伸ばす事で、前に進んでいる。
眼が、瞼の中に隠れたり、出たり、している。
唇の間から、空気が漏れ出た。幾らか、歯が折れているのだ。
「俺の方が、強いって」
茂は、そう言いながら、頭の先にいる男に向かっていた。
「だったら」
沼田が、茂と同じようにして、這っていた。
ずり、ずり、と、膨らんだ大胸筋が、擦られる。
最早、石畳で擦られていても気付かない位、痣だらけである。
「俺は、もっと、強ぇ」
這いながら、二人は、顔を突き付けていた。
茂は、沼田の、野性味溢れる顔を眺めていた。
沼田は、茂の、スタイリッシュな表情を見る。
「へ」
「ふふん」
どちらともなく、小さく笑った。
潰れた鼻を突き合わせるような距離であった。
二人は、寝返りを打って、仰向けになった。
夜空が、二人の視界いっぱいに広がっていた。
ざぁ、
と、梢が鳴っている。
その中に、虫の声が響いていた。
遠くから、車の走る音が聞こえる。
飛行機が、何処かで飛んでいるのかもしれない。
電車も走っているだろう。
人気のない、寂れた場所だからこそ、華やかな営みが際立った。
風と、樹と、虫の声を、引き立てる為の音であった。
「茂よぅ」
沼田が言った。
「何だい」
「お前さん、何で、ちんぴらなんかやってるんだい」
「――」
茂は、深く息を吸ってから、答えた。
「あんたが、言ってたのと同じさ」
「同じ?」
「周りの大人たちを、見返してやりたくてね――」
「――」
茂は、自らの境遇を語った。
親の顔は知らない。
兄弟もいない。
その所為で、莫迦にされる事が多かった。
そんな奴らを見返す為には、二つの方法があると思った。
茂を、先ず莫迦にするのは、同年代の子供たちであった。
同年代の子供たちを見返す方法は、簡単だった。
喧嘩が強ければ良かった。
別に、喧嘩ではなくとも、駆けっこや、球技でも良かった。
しかし、喧嘩が一番手っ取り早かった。
だから、喧嘩で一番強くなって、莫迦にして来る奴らをぶん殴ってやる――
それが、一つ。
もう一種類、見返してやる必要があったのは、大人たちだ。
こいつらは、喧嘩で見返してやる事は出来ない。
勝負して、勝つとか、敗けるとかではない。
喧嘩を、そもそも受けないという選択肢がある。
それは、大人たちの土台ではなかったからだ。
では、土俵の外から莫迦にして来る奴らを見返すには、どうすれば良いのか。
奴らの土俵に上ってやれば良かった。
それが、勉強だと思った。
大人なんかよりも、ずぅっと、頭を良くしてやろう。
あいつが勉強出来ないのは、親がいないからだ。
そんな事は言わせなかった。
親がいないから、何だ。
父親がいなくたって、母親がいなくたって、俺はお前たちよりも頭が良いぞ。
自分の境遇を見下したりする者全てを、逆に嘲笑ってやる為だった。
その為に、茂は、一番でなければならなかった。
国語。
数学。
科学。
社会科。
音楽。
駆けっこ。
球技。
器械体操。
武道。
喧嘩。
どれだって一番になろうとした。
どれだって一番でなければならなかった。
「だがよ」
茂は、自嘲気味に笑った。
「幾ら喧嘩が強かろうと、勉強が出来ようと、巧くいかない事はあるもんだ」
「だから、ぐれちまったのかい」
「そんな所さ」
「へぇ……」
沼田が、少し、声を上げて笑った。
「どうしたい?」
「なぁ、茂よぅ」
「何だ?」
「俺と、一緒に、やらないか?」
「やる⁉」
茂が、声を高くした。
「お前さんが、やりたい事さ……」
「俺の⁉」
「ああ」
「何だ、それは」
「見返してやるのさ――」
「何⁉」
「お前さんが、今まで造り上げて来たものを、充分活かせる場でさ――」
「――」
「俺は、今、アメフトのキャプテンをやっている」
「アメフト?」
「勉強ではよぅ、中々、一番にはなれねぇよな」
「――」
「喧嘩で一番になったって、そんな勲章は、紙切れの価値もねぇよなぁ」
「――」
「だがよ、スポーツなら違うぜ」
「スポーツ?」
「スポーツなら、一番になれる。一番になればヒーローだ」
「――」
「なぁ、茂。茂よぅ」
「――」
「やろうぜ、俺と」
「スポーツか」
「ああ」
「アメフトか」
「おう」
「――それで、一番になるのか」
「そうさ」
「そうか……」
「どうだ⁉」
「――」
茂は、考えるように、眼を閉じた。
眼を開けた。
鋭い眼に、月が映っていた。
「なりてぇなぁ」
「――」
「一番によぅ、誰にも見下されないようになぁ」
「やるか?」
「――」
「やるか、茂?」
「おう……」
茂は、獣が呻きを漏らすように、沼田の問いに頷いていた。
「なろうぜ、一番に……」
「より、強く、だ――」
城茂と、沼田五郎の、出会いであった。
ストロンガーの、鋼鉄の腕部レガートが、空気を裂いた。
電流を纏ったパンチが、ハチ女の身体に打ち込まれようとする。
ハチ女は、階段の手摺りを蹴って後退し、又、パンチの風圧を利用して天井まで舞い上がった。
仮面ライダー第七号・ストロンガーが、パンチの勢いのまま、階段の上の方へと着地する。
三〇〇キロ超の重量に敗け、床が大きくへこんだ。
額に、カブト虫の角が、雄々しくそそり立っている。
緑色の大きな複眼が、天井に張り付いたハチ女の姿を捉えていた。
アメリカン・フット・ボールのプロテクターのような、巨大な外骨格である。
胸の部分には、大きく、Sの文字を象ったパーツが埋め込まれていた。
ベルトの左右に、それぞれプラスとマイナスの電気を発生させる装置があり、それらがぶつかり合うバックルの中心に、バッテリーが積み込まれている。
腕と脚のレガートには、赤いラインが走っている。電流の通り道だ。
強化改造人間突撃型――
通常の強化改造人間のように、肉体に機械を埋め込み、強化服を装着する。
その上に、更にもう一つ、三〇〇キロを超える“超強化服”を着込むのである。
腹部のエレクトラーで発生させた電力を、超強化服・カブテクターの中心であるSポイントで増幅し、全身に行き渡らせ、超重量の強化服を自在に操作する。その際の余剰電力を、攻撃として転用する事が出来た。
その為に、別名、改造電気人間とも呼ばれる。
このカブテクターそのものであり、超強化服を運搬する役目を持つのが、先程、飛来した巨大な機械のカブト虫、ストロング・ゼクターである。
ストロング・ゼクターの内部に強化服が備え付けられており、頭部はヘルメットに、胸部はカブテクターに、翅の部分は両肩をカバーし、六本の触脚の内、前と後ろの四本は四肢を覆うレガートとなり、真ん中の脚はカブテクターを強化服に固定するジョイントとなる。
ストロング・ゼクターには、小型の人工知能が搭載されており、城茂の脳波を感知して、彼の下に駆け付ける事が出来る。
それは、茂との距離がどれだけ離れていても、可能であった。
ストロング・ゼクターには、ジョウントという機能が設けられている。
或る地点から別の地点まで、瞬時に移動する現象である。
又、茂が強化改造人間突撃型として改造される以前――つまり、沼田五郎が改造された強化改造人間突撃型スパークの超強化服運搬システム、スパーク・ゼクターにも採用されていたが、仮に沼田五郎の改造が成功していたとしても、茂程のジョウントは期待出来なかったであろう。
何故ならば、茂は、改造される以前から、ちょっとした念動力を使う事が出来、それが、脳やその周辺の神経を改造された事で倍増された事が、影響している為である。
ジョウントは、精神力に依って引き起こされるとの説があり、茂の精神力が他の人間よりも優れている為に、空間の瞬間移動が可能となっているのだ。
ブラックサタンとの戦いの際、通常の手段では脱出出来ないような場所に監禁された城茂・ストロンガーが、それに安心した奇械人の前に突如として現れた事がある。
茂は、その理由を問う奇械人に対して、
“そんな事、俺が知るか”
と、投げやりに応えているが、これも、この危機をどうあっても脱出せねば、という茂の思念が引き起こした、ジョウント現象に因るものである。
七人の仮面ライダーの中で、最重量を誇り、最新のシステムを導入した第七号・ストロンガーは、天井に避難した改造魔虫ハチ女を見上げていた。
「随分と面白い事を言っていたようだが――」
ハチ女が、ライダーを全滅させると宣言した事である。
「それより先に、あんたの翅を引き千切ってやるぜ」
「そう巧くいくかしら」
ハチ女が笑った。
「だって、もう、二人のライダーは斃れているのよ」
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第十八節 焦燥
戦闘員たちを打ち倒した敬介は、視線を感じた。
その先を辿れば、受付の男を殴り倒した、猪首の男が立っている。
敬介の事を、じぃっと眺めていた。
改造魔虫アルマジロンであった。
「貴様は?」
敬介が問う。
「改造魔虫――」
猪首の男は、そう言うなり、敬介に襲い掛かって来た。
床を蹴って、一息に距離を詰めた。
右の拳を放って来た。
敬介は顔を横に傾けて躱し、カウンターのパンチを、アルマジロンの顔に打ち付けた。
しかし、その太い頸が、衝撃を全て吸収してしまう。
敬介は後方に跳んだ。
アルマジロンは、すぐには追って来なかった。
「改造魔虫だと?」
敬介が言った。
「ブラックサタンか? それとも、デルザーの残党か」
「ふふん」
アルマジロンは、そうやって笑うだけで、答えようとはしなかった。
「どうせ、お前たちは、死ぬ――」
「死ぬ⁉」
「だから、聞いても、意味はない……」
アルマジロンの顔に、変身の前兆が浮かんだ。
背骨が、ごつんごつん、と、音を立てて、曲がってゆく。
皮膚の表面に、黒い蟲のようなものが、ふつふつと湧き出して来た。
体毛である。
体毛は、あっと言う間にアルマジロンの全身を覆った。
その体毛が、硬化して、皮膚の上にもう一枚の皮膚を作り上げてゆく。
全身が二回りは太くなっていた。
頸と顎との境目がなくなっている。
辛うじて、体毛の硬化した鱗の間から覗いていた双眸の下から、顔が突き出して来た。
ぐにぃ、
ぐにぃぃ、
と、鼻から下顎に掛けてがせり出して来る。
鱗が割り開かれて、牙と舌が覗いた。
しゅ、と、牙の間から空気が漏れる。
唾液をたっぷりと纏った長い舌が、赤々としていた。
改造魔虫アルマジロンは、重そうな外見からは想像も出来ない速度で、敬介に迫った。
太く、硬い腕が、敬介に振り下ろされる。
敬介が躱すと、アルマジロンの腕はそのまま床を砕いてしまった。
「とぁっ!」
敬介が、アルマジロンに対して蹴りを敢行する。
衝撃は通らず、寧ろ、こちらの肉体に丸ごと返って来てしまう。
アルマジロンの肩口を蹴ったのと同時に、後方に飛びずさらなければ、人工筋肉と甲鉄の骨格で造られた脚であっても、破壊されていたかもしれない。
アルマジロンと距離を取る。
階段の上では、茂がハチ女と相対していた。
アルマジロンは、敬介に歩み寄りながら、
ぐ、
ぐ、
と、不気味な笑い声を上げている。
この姿のままでは不味い――
敬介は脳波を飛ばした。
すると、建物の扉を突き破り、白い弾丸が突入して来る。
アルマジロンが、入り込んで来た潮風と太陽と、白いオートバイの射線から飛び退いた。
二基のプロペラを回転させる、白いマシンは、クルーザーである。
敬介は、愛機に飛び乗りながら、両手で変身アイテムを引き抜いていた。
レッド・アイザー。
パーフェクター。
敬介の脳波を受けて無人走行するクルーザーを、アルマジロンの周囲を走らせる。
そうしている間に、茂とハチ女との間に、赤い甲鉄虫――ストロング・ゼクターが乱入していた。
茂が、コイル・アームを擦り合わせ、階段に押し当てた。
ばぢぢぢぢぢっ!
と、稲妻が床から生えて来る。
その中心で、茂はストロング・ゼクターを頭上に戴いた。
コイル・アーム同士を接触させる事で発生した電力が、ストロング・ゼクターを起動させる。
又、茂の体内に埋め込まれたマグネット・パワーを発動させ、カブテクターを自動的に装着させた。
稲妻の包囲網の中で、ストロンガーへと変身する茂。
敬介も亦、胸部に組み込まれたマーキュリー回路を作動させた。
クルーザーに積載された銀色の強化服と、赤と黒のプロテクターが、敬介の身体を包んでゆく。
最後に、レッド・アイザーがXマスクを形成し、パーフェクターを口元にぶち込んだ。
鋼鉄の強化服が、完全に肉体とリンクする。
脳髄に端子が挿し込まれ、全神経に激痛が走った。
その痛みが、生の証明だ。
その生が、痛みの代償だ。
神敬介――仮面ライダー第五号・Xは、腰のベルトからライドルを引き抜いた。
バックルの風車が回転する。
可変武器ライドルは、グリップのスイッチを操作する事で、
スティック
ホイップ
ロープ
ロング・ポール
などに姿を変える。
しゅるしゅると、赤いグリップから銀の棒が伸びてゆく。
ライドル・スティックを構えながら、Xライダーはクルーザーから跳び下りた。
天井高くまで舞い上がったXは、自分を見上げるアルマジロンの頭部に、ライドル・スティックを全力で叩き付けた。
ライドル脳天割り――電流を纏う一撃が、アルマジロンの頭頂を襲う。
だが、ライドルが帯びていた電気は、アルマジロンの体毛を伝い、床に逃れてしまった。
不意打ちに失敗したXライダーは、アルマジロンからの反撃を回避する。
着地するライダーX・神敬介に、アルマジロンが突撃を仕掛けた。
顔を狙って来た腕の薙ぎ払いを、身体を沈める事で躱す敬介。
擦れ違いざま、ライドル・スティックでその胴体を叩いた。
真剣であれば、相手が甲冑を身に着けていても切断するような一撃だ。
アルマジロンは、その打撃に呻いたものの、すぐにXが駆け抜けた後方を振り向いた。
やはり、電撃は通じていない。
茂が戦ったデルザー軍団の改造魔人たちには、ストロンガーの電気技の殆どが通用しなかった。
それと同じ肉体を、改造魔虫と名乗った彼らは持っているらしい。
仮面ライダーX・神敬介の持つライドルが放てる電気ショックは、ストロンガーのそれよりも微弱であるから、ライドルでの攻撃は打撃としてのみ有効である。
Xライダー・敬介は、ライドルを逆手に持ち、身体の陰に隠した。
左手を、牽制するように前に出して構える。
改造魔虫アルマジロンは、ライドルでの電流攻撃が無意味だと、Xライダーを嘲笑っているようであった。
Xライダーと向き合うアルマジロンの頭上で、ストロンガーとハチ女が言葉を交わしている。
「随分と面白い事を言っていたようだが――」
ハチ女が、ライダーを全滅させると宣言した事である。
「それより先に、あんたの翅を引き千切ってやるぜ」
「そう巧くいくかしら」
ハチ女が笑った。
「だって、もう、二人のライダーは斃れているのよ」
敬介は、ハチ女の言葉に反応した。
「何⁉」
それを見て、アルマジロンが笑った。
「仮面ライダー第三号と四号は、俺たちが、既に、斃した……」
「何だと⁉」
第三号とは、仮面ライダーV3・風見志郎である。
第四号とは、ライダーマン・結城丈二の事であった。
敬介に先んじて、戦闘員から異形の曼陀羅の情報を入手した風見と結城は、倉庫に向かう途中、七名の改造魔虫の待ち伏せに遭い、戦闘に突入。
その結果、辛勝ではあったが、改造魔虫たちに軍配が上がったらしい。
「だから、何だってんだ」
城茂・ストロンガーが、天井のハチ女に言っていた。
「先輩たちを斃したからって、俺を斃せると思うなよ」
ストロンガーはそう言うと、コイル・アームを触れ合わせた。
そうして、壁に向かって片手を突き出した。
壁を伝い、天井のハチ女に向かって、電撃が迸る。
咄嗟の所で天井を蹴ったハチ女が直前までいた場所は、ストロンガーが放った電撃の為に、崩れ落ちてしまった。
エレクトロ・ファイヤー――或いは、電ショックの名で呼ばれる技だ。
二階の床に下り立つハチ女。
ストロンガー・茂が、その細身に蹴りを打ち込んでゆく。
ハチ女は、軽く床を蹴るだけで、ミドルキックに身体の下を潜らせた。
「ちょこまかすんじゃねぇ!」
ストロンガーのパンチが、空中のハチ女に放たれた。
ハチ女の翅が振動する。
すると、その姿がストロンガーの視界から、忽然と掻き消えた。
「む⁉」
「こっちよぅ、坊や」
ストロンガーの耳元で、ハチ女の声がした。
ハチ女の中指の毒針フルーレがしなり、カブテクターに斬り付けた。
ダメージはない。
しかし、捉え切れない高速移動であった。
「ちぃっ」
至近距離のハチ女に、膝を蹴り上げてゆく。
ハチ女は、ストロンガーのその膝の上に両足を載せ、蹴りの威力で上昇した。
桜の花びらが舞うように、華麗に階段に着地する。
「のろまね」
ハチ女が侮蔑の言葉を述べた。
「只の、木偶の坊……」
「このアマ!」
口汚くハチ女を罵倒し、ストロンガーが躍り掛かってゆく。
ハチ女は、その特性である高速移動を用いて、ストロンガーを翻弄した。
強化服相手の攻撃力自体は、ほぼ皆無に等しいハチ女であったが、機動力では遥かに勝る。
城茂・ストロンガーは、自分の攻撃が尽く回避され、逆に、向こうの攻めを良いように喰らうままの状況に苛立ち、焦燥し、体力を削られて行った。
その挙句、階段のふちに立ったハチ女にパンチを躱され、背後を取られ、
ぽん、
と、軽く背中を押された。
それだけで、無様に階段から転げ落ちてしまった。
三〇〇キロ越えの超強化服が、美術館の床に、どすんとめり込んだのである。
アルマジロンの攻撃を、敬介は躱しながら、反撃の機会を伺っていた。
アルマジロンは、ストロンガーと同じく重量級である。
パンチ、蹴り、突撃――それらの一撃が、充分に重い。
胸部装甲・ガードランを、一発でぶち破る事が出来る。
その攻撃を、躱し、避け、いなし、時には受けながら、神敬介・Xライダーは、カウンターを狙っている。
だが、何度か身体にパンチや蹴りを打ち込む事が出来ても、ダメージは通らない。
硬質化した体毛――鱗が、鎧となっている。
そもそも戦闘用ではなく、深海開発用改造人間であったXライダーは、攻撃力で言うのなら、決して高い方ではない。
それを補う為の、ライドルや、マーキュリー回路であった。
ライドル・スティックの電気ショックだけではなく、ライドル・ホイップ(剣)に依る斬撃であっても、アルマジロンには通用しない。
マーキュリー回路の再改造で上昇したパワーも、通らなかった。
相手に組み付いてから発動するあの技であれば――と、思わぬではないが、重量級のアルマジロンを投げ飛ばすだけの出力を、マーキュリー回路から供給する間に、アルマジロンの怪力で振り払われてしまう。
ここは、茂と交代して――
と、敬介は考えた。
ストロンガーであれば、アルマジロンの破壊は、決して困難ではない。
膂力がXとは桁違いである。
又、改造魔虫には通じないライドルの電気技だが、ストロンガーの超電子技ならば通用する。
事実、先程の戦闘員たちにも採用されている、絶縁性の皮膚だったが、常に帯電している茂のコイル・アームで掴まれた際、破壊されている。
だが、そのストロンガー・茂は、ハチ女の高速移動に翻弄され、階段の下に落下していた。
一度見た映像を、スローモーションで再生する事の出来る、ビデオ・シグナル機能を持つストロンガーならば、決して捉え切れない速度ではない筈だ。
そうではなくとも、あのタイプの改造人間の攻略方法を、仮面ライダーたちは、本郷猛・仮面ライダー第一号から共有している。
攻撃力で、この場に於いては最強のストロンガーに、斃せない相手ではないのだ。
にも拘らず、茂は冷静さを欠いていた。
この状況で、敵対する相手を交代するなどと、提案を聞き入れる事は出来ない。
敬介にしても、それを出来るような戦況ではなかった。
「ぬぅ」
敬介はXマスクの内側で唸り、アルマジロンの左腕の薙ぎ払いを、身体を沈めて回避する。
振り抜いたその腕に取り付き、Xライダーはアルマジロンを投げ飛ばす。
倒れたアルマジロンを踏みにゆこうとするXライダーだが、アルマジロンは身体を丸めて移動してしまった。
そうして、Xライダーとの間に、助走が出来る距離を作り、襲い掛かって来た。
巨大な鉄球となったアルマジロンを、紙一重で避ける。
アルマジロンのゆく先に――
「茂!」
敬介が声を上げた。
そこには、立ち上がって来たばかりのストロンガーがいた。
カブテクターの中心に、アルマジロンの回転する身体が直撃した。
ウェイト自体はストロンガーの方が重い。
跳ね飛ばされたのはアルマジロンであったが、ぐらついたのはストロンガーであった。
Xライダー・敬介の方に戻って来るアルマジロン。
横に移動したXライダーだが、アルマジロンの陰に隠れていたハチ女の毒針フルーレで、ガードランを引っ掻かれた。
ライドル・ホイップでの反撃を試みるXライダー。
ハチ女は剣圧で舞い上がり、天井に張り付いた。
「どう、面白いでしょう?」
ハチ女が言った。
「貴方たちも、お友達二人の後を追わせて上げるわ……」
「さっきからやかましい女だな!」
アルマジロンの突撃のダメージから回復したストロンガーが、天井に叫ぶ。
「茂、落ち着け……」
敬介が言った。
「しかし……」
茂が、敬介の方を向いた。
その視界に、建物の中に、先程クルーザーが開けた大穴から、三つの影が入って来るのが、捉えられた。
革のジャンバーを着た男。
背の高い、肩幅の広い男。
顔の蒼い、痩せぎすの男。
身体も服も傷だらけであったが、殺気に溢れた顔立ちであった。
「――訂正するわ」
彼らを見て、ハチ女が言った。
「貴方たちが追うお友達は、これで、三人になったわね」
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第十九節 敗北
森の中を駆けている。
風見志郎と、結城丈二であった。
どちらも、強化服を身に着けている。
風見志郎は、蜻蛉をモチーフとした仮面を被っていた。
赤いヘルメットの中心を、白い蛇腹が走っている。
緑色の複眼の上には、触角が伸びていた。
銀色のコンバーター・ラングの中心に、仮面と同じように、しかし赤い蛇腹が並んでいる。
両肩には、滑走の為のマフラーが、翼のように垂れていた。
ツー・ピースのスーツの色は緑で、手足のレガートは白である。
ベルトには、二つの風車が設けられていた。ダブル・タイフーンだ。
そのスーツやプロテクターの表面を、幾つもの傷が走っている。
白いマスクには、内側から吐血した跡があった。
風見志郎・仮面ライダー第三号・V3は、満身創痍の体で、結城丈二に肩を貸されていた。
結城丈二も、風見と同じように強化服を身に纏っている。
シンプルな黒いスーツに、銀のレガート。
小振りな、赤いプロテクター。
ベルトには、小さな四つの風車が並んでいた。
黄色いマフラーを巻いている。
蒼いヘルメットをかぶっていた。
赤い複眼や触覚、眉間のランプなど、仮面ライダーを意識したデザインだ。
口部には、銀色のパーツが取り付けられている。神啓太郎に依る全身改造手術の際に与えられた、試作型パーフェクターである。
深海開発用改造人間――仮面ライダーXに備え付けられている、完成型パーフェクターのような、エネルギー・クロス装置――太陽光や風を、装着者のエネルギーに変換する装置――はないものの、有毒ガスや汚染大気などを浄化し、酸素を取り込む機能を持っていた。
「平気か?」
ライダーマン・結城丈二が、風見に声を掛ける。
「ああ……」
弱々しく、風見・V3が答えた。
異形曼陀羅の倉庫を目指していた二人の前に立ちはだかった、七名の改造魔虫。
彼らの前に、第三・四号のライダーは、劣勢に立たされていた。
「今は撤退する」
その判断を、結城が下し、風見は了承した。
ゴリガンやアルマジロンといった、パワー・タイプの改造魔虫を、V3一人で相手にするのは、困難を極めた。
ライダーマンは、カセット・アームを駆使して善戦するも、防御力の高いクラブマンや、素早いオオカミン・ハチ女などに、決定打を与える事が出来なかった。
ダメージの深い風見に、結城が手を貸して、森の中に逃げ込んだのだ。
「厄介な奴らだ……」
風見が、蚊の鳴くような声で言った。
「確かにな」
結城が頷く。
その音センサーは、追跡者たちの存在を感知していた。
「簡単には、逃がしてくれんか」
「そのようだ」
背後から、生え揃った樹の幹を削ぎ、地面を抉りながら、球状となったアルマジロンが迫って来る。
オオカミン、ゴリガン、サメ改造魔虫などは、枝を掴み、幹を蹴り、梢を鳴らして、追って来ていた。
ハチ女は、上空から、既に二人を見付けているだろう。
ハチ女のオペレーションで、恐らく改造魔虫たちは風見たちを追い詰めようとしている。
彼らの眼であるハチ女を斃す術が、ないではない。
V3のベルトの左側にセットされた、V3ホッパーは、本来は上空に浮かべて、遠方の映像をV3に送信する、小型の監視衛星である。しかし、ホッパーを射出する勢いを、攻撃に転化する事は可能だ。
とは言え、ホッパーの射出を回避されると、回収に時間が掛かる。
ライダーマンのカセット・アームにも、上空のハチ女を墜落させる手段はなかった。
「――結城、止まれ……」
風見が言った。
結城は、その言葉の意味を理解して、舌打ちしながらその場で踏み止まった。
地面から伝わる感触が、柔らかい。
見れば、周辺の樹の背が低くなっている。
改造魔虫アリジゴクの能力が、発動していた。
地面を、自分を中心とした餌場に変えてしまえるのである。
ライダーマンは、ロープ・アームのカセットを右腕にセットした。
カセットに内蔵された頑丈なロープが、腕の中で人差し指と接続される。
鉤爪のようになった人差し指が、ロープと共に飛び出して、樹の枝に引っ掛かった。
ジャンプをすると共に、ロープが巻き取られてゆく。
樹の上に跳び乗り、アリジゴクに巻き込まれる事を回避した。
だが、そのタイミングを狙って、アルマジロンが跳び掛かって来た。
回転する鋼鉄の弾丸――
「結城、離れろ!」
風見は、ライダーマンを押し飛ばした。
空中で、V3に激突するアルマジロン。
アルマジロンを弾いたV3は、ライダーマンが乗った樹の隣の枝に着地した。
アルマジロンがぶつかって来たのは、V3の肩である。
仮面ライダー第一号・第二号は、飛蝗をモチーフとした為に、脚力を強化するスプリングを埋め込まれている。
それに匹敵する強化スプリング筋肉が、V3の肩には内蔵されていた。
だが、空中での衝撃に、V3も跳ね飛ばされる事となった。
アリジゴクに沈みゆこうとする樹の上の、V3とライダーマン。
樹の根元には、アリジゴクと、彼と共に地中からやって来たクラブマンの姿がある。
少し離れた樹の枝に、オオカミンの眼が光っていた。
サメ改造魔虫は、オオカミンの対角線から、二人のライダーを眺める。
着地したアルマジロンを、砲丸のように持ち上げるゴリガンが見えた。
上空には、ハチ女が待機していた。
「万事休す、か」
結城が言った。
ゴリガンが、アルマジロンを投擲する。
V3とライダーマンは、同時に、その射線から逃れた。
地上に向かって跳ぶ二人の上後方で、太い樹がねじ折られる音がした。
アリジゴクの範囲外に着地する。
そこから駆け出そうとした二人であったが、足が、動かない。
「逃がさないよ……」
クラブマンが、二人の足に泡を吹き付けていた。
空気に触れると、即座に硬化する泡だった。
「手こずらせやがって」
アリジゴクが言った。
二人を追い詰めているようだが、その外骨格には、亀裂も入っている。
他の改造魔虫たちにしてもそうであった。
クラブマンは、片方の鋏がない。腕をもがれていた。
ゴリガン、サメ改造魔虫には、打撃痕。
オオカミンには切り傷。
アルマジロンは、鱗を幾らか剥がされている。
無傷に近いのは、高速移動での回避に成功し続けたハチ女のみだ。
身動きの取れないV3とライダーマンに、ゴリガンが歩み寄る。
二メートルを超える身長。
ストロンガーも、カブテクターの為に三〇〇キロを超えるが、ゴリガンの場合は、膨大な筋量の為に、四半トンを差していた。
ゴリガンは、鉄パイプを並べた上に、ゴムの膜を張り付けたような大胸筋に、巨大な拳を叩き付けた。
どぅん、
どぅん、どぅん、
どぅん、どぅん、どぅん、
と、ドラミングしている。
心臓が刺激されて、血液の巡りが加速する。
特に両腕に血液が走り、レスラーの胴体と言っても差支えない腕が、更に一回り以上も太くなった。
その腕を以て、ゴリガンは、二人のライダーを叩き潰してしまう心算だった。
「ごるるるるあぁぁっ!」
ゴリガンは、咆哮と共に、赤と蒼の仮面の改造人間に、巨腕を打ち下ろした。
かっ!
と、爆発が起こった。
眩いばかりの閃光が、押し潰されたV3とライダーマンを包み込んだ。
改造魔虫たちが、腕で身体を庇う。
森を、爆風と爆音が走り抜けてゆく。
樹から、葉が千切れ、枝が跳び、樹皮が削がれて行った。
根っこから吹っ飛んだものもある。
煮え滾る空気に当てられ、燃え尽きた木の葉もあった。
ごぅごぅと、人類の為に戦った戦士たちの魂が、音を立てて掻き消えてゆく。
その場に、焦土が出来ていた。
アリジゴクが作ったのとは比べ物にならない、巨大なクレーターが出来ている。
地面が掘り返されていた。
土が、闇よりも深く焦げ付いている。
その闇のような土と土の隙間から、熾火が覗いていた。
真っ赤な絨毯の上に、黒い小石を並べたかのようであった。
立ち上がる熱気。
ぱちぱちと、火が大地を弾く音。
その中に、七名の改造魔虫の姿があった。
改造人間の姿は、なかった。
その二日後――つまりは、この日の朝である。
仮面ライダーの姿となったアマゾンは、アリジゴク、ゴリガン、サメ改造魔虫の前に、危機に瀕していた。
アリジゴクは、最初に地面に潜った切り、顔を出さない。
サメ改造魔虫は、本来ならば水中の中でこそ真価を発揮するのだろうが、地上であっても、その獰猛さは些かも衰えなかった。
ゴリガンは、スピードでこそアマゾンに劣るが、パワーではアマゾンを圧倒する。
ゴリガンのパンチを躱したと思ったら、サメ改造魔虫が乱打を叩き付けて来る。
サメ改造魔虫の全身は、擦られれば、それで肉が削げる。
生身であれば、撫でられただけで、骨まで剥き出してしまうだろう。
そのような攻撃で、アマゾンは、全身に生え揃った鱗を削られてしまう。
アマゾンの得意技は、引っ掻きや、噛み付きなどである。
爪の長い手は、拳を作るには向かない。
足の爪も長いが、それで相手の肉を突き刺して引き裂く程の強度はない。
組み付いてのバイティングなどは、口の中がずたずたになってしまう。
サメ改造魔虫は、そのような意味で、アマゾンにとって分が悪い。
又、ゴリガンであっても、やはり、アマゾンには不利な相手であった。
空中から、全体重を掛けて跳び掛かるモンキー・アタックは、加速を利用して相手を押し倒し、寝転がった相手の胴体の上という、有利なポジションを得る為のものだ。
飛び掛かりに耐えてしまうゴリガンには、通じない。
下手にクリンチして、捕まえられれば、脱出は出来ない。
ゴリガンを斃すならば、一瞬の隙を突いて、頸動脈をヒレカッターで切り裂く事だ。
その一瞬を、サメ改造魔虫との連携が、突かせてくれなかった。
姿を隠しているアリジゴクも、不気味である。
サメ改造魔虫が、襲い掛かって来た。
蒼い皮膚が、目の粗いやすりのようになっている。
両手と背中に、刃のようなヒレが付いている。
鋭角な頭部が、突撃の際に空気抵抗を減らし、対象への進行を扶助していた。
アマゾンは、振るわれる右腕を躱し、逆に、切り付けてゆく。
ヒレカッターが唸り、サメ改造魔虫の胴体に喰い込んだ。
ぞり、と、肉を削る。
しかし、逆に、ヒレカッターの表面が、削られてしまった。
「けけぇぇんっ!」
アマゾンは甲高く咆哮し、サメ改造魔虫への組討ちを行なう。
自らの傷付く事を恐れていては、斃せる相手ではなかった。
右の爪を、左の肩口に突き立てた。
左腕を駆け上がらせ、頸元にヒレカッターを運ぶ。
だが、不意に足場が沈み、アマゾンは体勢を崩した。
コンクリートの地面が、アリジゴクと化そうとしていた。
サメ改造魔虫が、アマゾンの左腕を、右脇に抱え込んだ。
右掌で肘を押さえ、腰を捻る事で、関節を逆方向に折り曲げた。
「ぇげっ」
アマゾンの左腕が、
めじり、
と、嫌な音を立てて、変な方向を向いた。
サメ改造魔虫が、作り出されようとしているアリジゴクから飛び出した。
アマゾンも、流動する砂を蹴り、擂り鉢から逃げ出した。
しかし、そのアマゾンの眼の前に、ゴリガンが立ちはだかる。
巨大な拳が、中空のアマゾンを捉える。
アマゾンは、アリジゴクの中に落とされそうになった。
まだコンクリートが残っている所に、右腕のヒレカッターを引っ掛けて、堪えた。
そこにゴリガンがやって来て、アマゾンの右腕を掴み上げる。
ぐりり、と、枯れ木を握り潰すように、アマゾンの右腕に力を込めた。
「がぅっ!」
アマゾンが、ゴリガンに咬み付いてゆく。
顎を、ばっくりと開いて、ゴリガンの首筋に牙を突き立てた。
「ぐぅぅ」
「ぐふぅ」
と、頭を振って、牙を潜り込ませようとするものの、ゴリガンの動脈には届かない。
ゴリガンは、右手でアマゾンの頭を掴み、引き剥がした。
左手で、アマゾンの身体を振り回し始める。
濡れタオルを振るうように、アマゾンの身体が空気中を進む。
頭から、コンクリートに叩き付けられた。
牙が、自分の口の中をぐちゃぐちゃに切り裂いてしまう。
ゴリガンは、もう一度アマゾンを持ち上げて、又、道路に投げ落とした。
腕は、まだ、掴んだままである。
肘が捩じられた上、血流が止まっている。アマゾンの右腕は、鱗が剥がれて、人間のそれに戻り、蒼白く細り始めていた。
数度、ゴリガンは、アマゾンを地面に落とした。
野生ライダーの抵抗がなくなった所で、ゴリガンは、アマゾンを放り投げようとする。
と――
「けけーっ!」
アマゾンが、弛緩した肉体に、一瞬にしてパワーを漲らせた。
折られた筈の左腕が唸りを上げて、ヒレカッターがゴリガンに迫る。
大・切・断――!
ヒレカッターが肥大し、鋭角化し、ゴリガンの頸を掻き切りにゆく。
アマゾンの左腕には、ギギの腕輪が装着されている。
インカ帝国の秘宝――古代の超エネルギーが内蔵された腕輪は、アマゾンの生命とも密接に関わっており、奪われる事は即ちアマゾンの死を意味する程だ。
そのギギの腕輪の力の為、アマゾンの左半身は、右半身よりも強靭になっている。
神経の太さなどは、その最たるものである。
このパワーを、一時的に解放する事で、骨折を回復させたのである。
そうして、ゴリガンの咽喉笛を掻き切ったアマゾンであったが――
「ぐわわ⁉」
アマゾンが、驚愕の声を上げた。
確かに、頸骨まで抉り取った筈と思ったが、ゴリガンの両腕は、アマゾンの胴体を掴んだ。
ゴリガンは、アマゾンを、砂の擂り鉢に投げ付けた。
ギギの腕輪の力をも使い果たしたアマゾンは、ゆっくりと、砂の渦の中に呑み込まれて行った。
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第二十節 困惑
三崎美術館――
その崩壊したエントランスに、改造人間と改造魔虫が対峙している。
改造魔虫ハチ女は、天井に。
改造魔虫アルマジロンは、入り口の傍。
階段の下に、ストロンガー。
その隣に、Xライダー。
その場に、人間態のアリジゴク、サメ改造魔虫、ゴリガンが乱入して来る。
「何だと⁉」
神啓介・Xライダーが、ハチ女の言葉に対して、言った。
自分と茂が追うべき友達――つまり、仮面ライダーの仲間の中で、改造魔虫たちに斃されたのが、二名から、三名に変わったという言葉に対して、である。
「どういう事だ……」
「言葉のままさ」
改造魔虫アリジゴクが、異形の姿へ変身を遂げながら、言った。
「第三号と四号は爆死、第六号は砂の底に埋めてやったぜ……」
三号とはV3、四号とはライダーマン、六号とはアマゾンである。
「だから、残ってるのは、てめぇらだけさ」
サメ改造魔虫も、姿を変える。
「伝説だろうが、何だろうが、所詮残りは旧式よ……」
ゴリガンが言う。
先に斃されている三人と、この場のXとストロンガーを抜けば、仮面ライダーの名前を関する強化改造人間は、第一号・第二号の二人である。
始まりの男である第一号・本郷猛と、彼を斃す為に改造された第二号・一文字隼人。
ショッカー・ゲルショッカーを滅ぼした彼らが誕生してから、既に四年である。
その間に、どれだけ改造人間の製造技術が発達しているのか――それを考えると、最新型の改造魔虫と、旧型の強化改造人間では、勝負が見えている。
と、彼らは言いたいのであろう。
そうした改造魔虫たちに、敬介と茂は囲まれてしまっていた。
しかも、今は姿が見えないが、まだ、オオカミンとクラブマンも残っているのだ。
「茂――」
敬介は言った。
茂は、ストロンガーの銀色の顎を引いた。
少しは、冷静になったらしい。
「ゆくぞ」
「応――」
駆け出した。
Xライダーは、ライドル・スティックを構えて、サメ改造魔虫に向かう。
ストロンガーは、アルマジロンに走った。
「お話しする心算はないって事かい」
アリジゴクが、眼を細めて笑った。
サメ改造魔虫の前に、アルマジロンが出る。
ストロンガーを迎撃するように、ゴリガンが出て来た。
敬介は、防御力の高さの為に相性の悪いアルマジロンと、再び相対する。
「ちぃ――」
ライドル・スティックで滅多打ちにするも、肩からのタックルで吹き飛ばされてしまう。
「ご所望通り――」
アルマジロンの背を蹴って、サメ改造魔虫が、上空からXライダーに襲い掛かった。
頭上から落ちて来る蹴りを躱し、ライドル・スティックを袈裟掛けに振り落す。
身体を回転させて躱したサメ改造魔虫の、後ろ廻し蹴りが、敬介のボディを打った。
揺らいだそこに、アルマジロンが身体を丸めて突撃して来た。
ガードランが軋み、敬介がマスクの内側で呻く。
サメ改造魔虫は、そのモチーフ故にか、決してXライダーに有利ではない。
アルマジロンは、そのガードのぶ厚さゆえに、Xライダーに対して有利だ。
一方、茂・ストロンガーは、ゴリガンと真正面から組み合った。
コイル・アームの電流を、直に伝えるレガートと組み合っても、ゴリガンに通じた様子はない。
パワーは、互角であった。
「むぅ!」
ストロンガーはゴリガンの手を振り払って、前蹴りをぶち込んだ。
ゴリガンの腹筋が、ストロンガーの剛力を無効化する。
茂・ストロンガーは、ゴリガンの横に入り込み、脇腹に蹴りを入れた。
続けて、パンチを叩き付けてゆく。
「おぅ!」
ばりぃ、
と、左拳に電流が走り、ストロンガーの電パンチが炸裂した。
ゴリガンの、パンチをガードした腕に、焦げ跡が生じる。
肉の焼ける匂いが、ぷぅんと、その場に立ち上がった。
「くむ」
と、歯を噛む茂の足元が、崩れた。
アリジゴクの、戦闘空間形成だ。
陥没した床に、砂の擂り鉢が出現していた。
「お前も生き埋めにしてやるぜ……」
擂り鉢の中心で、アリジゴクが笑っていた。
「けっ」
ストロンガーはそう言うと、両腕を擦り合わせた。
「だったら、てめぇは砂の中で蒸し焼きにしてやるぜ」
エレクトロ・ファイヤーを、砂の中に叩き込んだ。
発生させた磁力で、砂鉄を浮かび上がらせ、導線として用い、電撃を叩き付けるのだ。
砂鉄の黒い筋が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、蒼白い稲妻が、アリジゴクに進む。
だが、電撃の直撃を受けても、アリジゴクは揺るがない。
外骨格の表面に、幾らかの火花が散るのだが、効果はなかった。しかも、下半身を砂に埋めている為、電気は地面に流れてしまうのだ。
それがなくとも、改造魔人と同じ程度の肉体を持つ彼らには、通常の電気技は通じない。
その間にも、ストロンガーのブーツが、流砂の擂り鉢に潜り込んでゆく。
「ぬんっ」
ストロンガーは、カブト虫のパワーを再現した出力で、アリジゴクから脱出する。
アリジゴクと、ゴリガンを、同時に見る事が出来る位置に移動する。
その向こうでは、Xライダーが、サメ改造魔虫とアルマジロンの連携に苦戦していた。
――さぁて……。
と、茂は思考する。
通常の電気技の通じない相手に対しては、超電子ダイナモを起動させる事が必須だ。
そうすれば、超電子の力で、敵を粉微塵にする事が出来るだろう。
だが――ストロンガーが超電子の技を使う事が出来るのは、一分が限界だ。
それを超えると、自爆してしまう。
その間に、一体、この場の改造魔虫を何体破壊する事が出来るか。
そして、自分が斃すべきなのは誰か。
パワーと防御力に優れた、ゴリガンとアルマジロンであろう。
その二人を、一分以内に斃す事が出来るか――。
考えを巡らせるストロンガーに、ゴリガンが拳を向けた。
回避からの、反撃。
拳を腹に打ち付ける。
距離を取った。
――このまま、巧く誘導して……。
茂は、ゴリガンの攻撃を避けつつ、Xライダーと戦っているアルマジロンの傍まで連れてゆこうと考えた。
この二体の距離が近ければ、
その意思を、敬介に伝えようとした時であった。
「え――⁉」
と、驚きという感情が、ざわりと波打って、茂たちの身体を叩いた。
茂・ストロンガーは、ゴリガンの攻撃を、跳んで避けながら、それを見た。
美術館の奥に避難した筈の、さくらを始めとする客たちが、エントランスに戻って来たのだ。
美術館の裏口から逃げ出そうとした客たちであったが、何故か、その扉は固く閉ざされていた。鍵を開けて、ドアノブを回しても、びくともしないのである。
緊急用の斧などを使って、ドアをぶち抜いてみた。
すると、白っぽい壁が、扉のすぐ向こうにはあった。その白い壁が、裏口を封じていた。
窓も同じであった。
それが、クラブマンの放つ、空気中で硬化する泡だとは、誰にも分からない。
突如として自分たちを襲った非日常に、人々は、すっかり怯えてしまっている。
スタッフも、混乱していた。
泣き出す子供たちもいた。それを叱る大人まで現れている。
普通ならば入る事のない、建物の裏側に、人が群れていた。
電気が止まっている。従って、空調も効かなかった。
夏の陽射しが、建物の外側を焼き、内側に熱を伝えている。
じっとりと、脂汗が吹き出していた。
そんな中で、さくらが、周りの人たちのフォローに入っている。
べそを掻く子供を励まし、声を張り上げる大人たちをなだめ、スタッフと逃げ道を探した。
時折、エントランスから聞こえて来る衝撃音に反応する人々を、安心させる為に行動した。
それらの事を、一通り行なった所で、さくらは、吉塚と相澤の下へ行った。
他の人たちに遅れる形で避難して来た二人は、がくがくと震えている。
「大丈夫?」
と、さくらが訊いた。
二人は、歯をかちかちと鳴らすだけであった。
「さ、さくら先輩は……」
吉塚が、震える声で言った。
「怖く、ないん、ですか」
「――」
確かに、今の自分は、些か冷静過ぎるかもしれない。
だが、あの獅子の仮面の戦闘員には、覚えがあった。初めて見た時には、その異様さに怯えもしたが、今は、それ程の怖さはない。
友人・星河深雪の仇である――
恐怖とは対極に位置する、激しい感情――怒りが、さくらにはあった。
そして、その激情に任せて戦おうとした自分を、鋭く一喝してくれた神敬介の言葉で、冷静さを取り戻す事が出来ていた。
「怖いは怖いけど、平気だよ」
さくらには、何の根拠もなかった。
しかし――
あの赤い薔薇を思い出すと、どうしてか、そんな気になって来るのだ。
と、不意に声が上がった。
「開くぞ!」
誰かが言った。
スタッフの一人だったか。
裏口を封じていた、白い壁が、もう少しで突き崩せそうなのだ。
ドアを引き剥がし、コンクリートの硬さの壁を、斧でずっと叩いていたのだ。
小さな亀裂が入り、それが大きくなり、太陽の光が細い筋となって射し込んだ。
がつっ、
と、斧の刃が、白壁にぶつかってゆく。
がつっ、
がつっ、
がつっ!
と、喰い込んだ。
ぽろぽろと、人の腕が通る位の隙間が出来ていた。
後は、その周辺を巧く突き崩してゆけば――
その前にと、斧を持っていたスタッフが、隙間から顔を覗かせた。
大して時間は経っていないのに、太陽光を浴びるのが久し振りな気がしている。
そのスタッフは、外を見た。
けれども、そこには、不思議なものがあった。
球形のものが、何か、管に支えられて浮かんでいる。
その球系の中心で、ぐりりと、黒いものが動いた。
途端、スタッフの顔に、何かが吹き掛けられていた。
壁の孔から吹き込んだのは、白い泡だ。
その泡が、鼻や口を塞いで硬化し、スタッフの息の根を止めてしまった。
顔に白いものを塗りたくって、倒れるスタッフ。
何事かと騒ぎ出す人々の前で、白い壁が、紙を裂くかのように破かれ始めた。
壁の向こう――外側からやって来たのは、改造魔虫クラブマンであった。
その異形に人々はパニックを起こして、逃げ出した。
エントランスの方に、である。
クラブマンは、両手の大きな鋏を振り被って、人々を追い掛け始めた。
蟻の大群のように逃げる。
その中から幾らかの者たちが逸れて、やはり塞がれている窓の方へと走った。
窓が、外側からぶち破られる。
オオカミンであった。
女の身体を、灰色の獣毛が覆っていた。
イヌ科動物の特徴を持った頭部が、びゅんと走り、誰かの首筋にかぶりついた。
動脈が引き千切られ、鮮血が迸る。
「おおおおぉぉぉ~~~んっ」
雌狼の咆哮が、館内に木霊した。
客たちは、改造魔虫に追い立てられて、エントランスへと戻ってしまったのだ。
怪人たちに追われるようにして、エントランスへと足を踏み入れた人々であったが、そこで見る事になった光景にも、彼らは驚き、怯える事となる。
異形の人影が、七つも並んでいたのであるからだ。
それで、パニックが増大する。
その事を楽しむように、サメ改造魔虫と、アリジゴクが、一旦、戦線を離れた。
「待て!」
客たちの方へ向かったサメ改造魔虫に、Xライダーが制止の声を掛ける。
アルマジロンが、Xライダーの道を塞いでしまった。
その妨害にかっとなった敬介は、マーキュリー回路をフル回転させた。
アルマジロンに組み付いてゆく。
アルマジロンの腰で両手をクラッチして、マーキュリー回路から供給されるエネルギーを全身に行き渡らせ、自身の体重を遥かに超えるアルマジロンを持ち上げた。
「むぅんっ!」
と、背中を反らして、アルマジロンの頭部を、後方に打ち付けた。
Xライダーの銀の鎧が、床に橋を作る事となった。
マーキュリー回路のエネルギーで、一時的に増大したパワーでアルマジロンを投げ飛ばしたXライダーは、サメ改造魔虫を追う。
ライドル・ホイップで、サメ改造魔虫を切り裂く事は可能であった。
その前に、ハチ女が天井から落下して来た。
毒針フルーレを、ホイップで受ける。
ライドルを振り抜いて、ハチ女をやり過ごすと、又、人々に迫るサメ改造魔虫を追う。
アリジゴクも、サメ改造魔虫と同じように、人間たちに狙いを定めていた。
間に合わない――!
と、敬介が悲壮な表情を浮かべた。
だが、二体の改造魔虫の道を、床から噴き上がった稲妻の壁が防いだ。
人々を守る、蒼白い、実態なき壁であった。
ストロンガーが、床に電撃を伝わらせて、客たちの前で上昇させたのだ。
エレクトロ・ウォーター・フォールだ。
その電撃の壁に、サメ改造魔虫とアリジゴクが呆気に取られている間に、ストロンガーが駆け出していた。
その姿に、変化が起こった。
カブテクターが展開し、Sポイントと呼ばれる、胸のSのパーツが前方にせり出した。
一回り大きくなったカブテクターの中心で、Sポイントが高速で回転を始める。
ヘルメットの大きな角――カブト・ショックが、伸長し、銀色に発光した。
超電子ダイナモを起動させた――チャージ・アップ形態である。
「らぁっ!」
チャージ・アップしたストロンガーは、電流の壁の前で立ち尽くす改造魔虫二体に対して跳躍し、空中で身体を大の字にして、横に回転させた。
赤い大車輪が、放電しながら、サメ改造魔虫とアリジゴクに迫る。
Sポイントの回転で、身体から放出される超電子が、三〇〇キロのボディを回転させていた。
その脚が、改造魔虫たちを薙ぎ払ってゆく。
サメ改造魔虫は頭を砕かれ、アリジゴクは心臓の位置まで胸を削ぎ飛ばされた。
エレクトロ・ウォーター・フォールがやむのと、ストロンガーの着地及びチャージ・アップ解除は同時であった。
人々は、眼の前に佇む、赤い鎧の戦士に、困惑している。
そんな中で、
「城さん……」
と、そういう声を聞いた。
改造人間にしか聞こえない、か細い声だ。
吉塚と相澤である。
「え?」
さくらが、それに反応した。
人波を描き分けて、ストロンガーの傍までやって来た。
「貴方……」
「――」
ストロンガーは、戦場に戻る為、踵を返した。
咄嗟の事とは言え、チャージ・アップを、巧くやれば使う必要のない敵に対して、使い果たしてしまった。
「茂さんなんですか⁉」
さくらが、ストロンガーの背に問うた。
ストロンガーは答えない。
城茂・ストロンガーは答えなかった。
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第二十一節 埋葬
「良かったわねぇ」
と、ハチ女が言った。
Xライダーの、ライドル・ホイップをやり過ごしたハチ女は、床に下り立っている。
「お前さんたちにとっちゃァな」
茂が言う。
ストロンガーは、客たちを守るように、改造魔虫七体の前に立っている。
Xライダー・敬介は、人々を裏口から追い立てて来たオオカミンとクラブマンに気付き、それらの前に立ちはだかっていた。
「これで暫く超電子の力は使えない。良かったなァ、寿命が延びたぜ」
茂・ストロンガーはそう言うと、両の手を擦り合わせて、帯電を始めている。
耐久力の低そうなハチ女ならば、純粋なパンチ力で貫通出来る。
「そうじゃあないわぁ」
ハチ女が、腕を組んで、鼻を鳴らした。
「良く御覧なさいな――」
くぃ、と、顎で、或る方向を示した。
先程、チャージ・アップしたストロンガーの、超電大車輪キックに頭を砕かれたサメ改造魔虫や、胸を抉られたアリジゴクが倒れている辺りである。
見れば、そこには、首のないサメ改造魔虫と、胸元をぼりぼりと掻き毟っているアリジゴクが、立ち上がって来ている所であった。
「これは⁉」
ストロンガーが、流石に声を上げる。
幾多もの改造魔人を屠って来た超電子の力が、改造魔虫たちには通用しないのか⁉
アリジゴクは、まだ、分からないではない。
だが、思考の中心たる頭部を砕かれたサメ改造魔虫が再起するなど、不可能と思われた。
その傷口を見ていると、肉体の内側から、ぞわぞわと這い出して来るものがあった。
「サタン虫――⁉ いや、ガンマー虫か?」
それは、かつて城茂・仮面ライダーストロンガーが戦った、ブラックサタンの奇械人に似ていた。
ブラックサタンの奇械人の本体は、サタン虫と呼ばれる謎の生命体であった。
蜘蛛に似た姿ではあるが、その頭部は、人間の頭蓋骨にも似ている。
このサタン虫が、機械人形、或いは、人間の肉体に入り込む事で、奇械人は誕生する。
機械人形の場合は兎も角、人間に取り付いた場合には、脳下垂体に触手を刺し込んで、特殊なホルモンを分泌させ、内部から生体改造を施す事が出来た。
そのサタン虫が強化されたものが、ガンマー虫だ。
ガンマー虫を培養しようとしたブラックサタンの計画は、ストロンガーに依って崩れ去ったが、完成していたならば、ブラックサタンとの戦いは、より苦しいものとなったであろう。
そのガンマー虫が、改造魔虫を構成しているのかと、茂は言った。
「似たようなものかしらねぇ」
ハチ女がそう言っている間に、サメ改造魔虫から湧き出したその蟲は、折り重なり合って、サメ改造魔虫の頭部を造り上げていた。
アリジゴクの胸も、同じであった。
「私たちは不死身よ」
「不死身⁉」
「この虫たちがいる限り、私たちは死なない……」
「――」
「そして、この虫たちは無限に湧き出して来る……」
ゴリガンが、先だってアマゾンと戦い、大切断で頸を掻き切られているが、無事であったのも、この特性があった為だ。
「お前たち人間は、俺たちが支配してやるぜ」
復活したアリジゴクが、言った。
「食い潰すしか能のないてめぇらよりも、俺たちの方が上位種な訳さ」
サメ改造魔虫が、誇るように、胸を反らした。
「ふんッ」
茂・ストロンガーが、鼻を鳴らした。
「だったら、その虫けら共が尽きるまで、戦ってやろうじゃねぇか……」
「へぇ、それは勇ましい事ねぇ」
ハチ女が笑った。
「要するに、てめぇらが生き返るより先に、全部叩き潰してやれば良いんだろう? 掛かって来やがれ、塵も残さず消し飛ばしてやるよ!」
ストロンガーが大きく啖呵を切った時、
――よせ、茂!
敬介が、通信を飛ばして来た。
――電気ストリームは使うな。
敬介が言った。
茂は、持ち上げかけた両腕を止めた。
電気ストリームは、ストロンガー最大の技の一つである。
その場に高圧電流を起こし、上昇気流を発生させる事で、
だが、それを使うには、美術館の屋根が邪魔である。
仮に、屋根を吹き飛ばし、積乱雲を成したとしても、七体の改造魔虫全てを消し炭にする程の威力を持つ電気ストリームをここに放てば、人間たちが巻き込まれる事になる。
それが分からぬ茂ではない筈であった。
――糞。
と、茂は毒づいた。
その様子を見て、ハチ女は、ストロンガーに存在した逆転策を察したらしい。
「そうね……」
そう呟くと、このように言った。
「オーケー、貴方たち、もう、抵抗しちゃあ駄目よ」
「何?」
「私の指示以外の事をしたら、人間を一人ずつ殺すわ」
「――」
「私たちは七人、貴方たちは二人……」
改造魔虫たちが、ライダー二人と人間たちを包囲する。
ストロンガーの前にハチ女が立っている。
その左手にゴリガン。
そこからぐるりを描いて、
アリジゴク
クラブマン
オオカミン
サメ改造魔虫
アルマジロン
と、なっている。
「分かったら、君は頷いて」
ストロンガーに言う。
「向こうの君は、武器を仕舞って」
Xライダーが、ライドルをベルトに戻した。風車の回転が止まる。
「クラブマン、やっちゃって」
ハチ女の言葉を聞いて、クラブマンが、Xライダーの前に出た。
そうして、白い泡を吹き付ける。
「む――」
咄嗟に、身体の前面を両腕で覆う。
Xの、黒いブーツから、銀のスーツ、赤いプロテクターと、泡が覆ってゆく。
それはすぐに固形して、Xは身動きが取れなくなってしまった。
顔だけが、外に出ている。
「今、動いたわね?」
ハチ女が囁いた。
「ロウ、殺しちゃいなさい」
「何だと⁉」
オオカミンが、Xライダーの傍にいた男性を手繰り寄せ、その咽喉笛に咬み付いた。
「よせ!」
敬介が叫んだ。
その眼の前で、男の頸骨が覗く程に肉が喰い千切られて、血が噴き出した。
男の噴血は、Xライダーを覆った白い泡を、赤く染め上げる。
凄惨な光景に、人々は声も出せないでいた。
「あ、あの」
ロウ――オオカミンが、人間の姿の時と同じように、遠慮がちに言った。
狼の顎が動き、しゃがれた声と共に、気弱な少女の口調が出るのは、不気味であった。
「今、そのぅ……喋られましたよね?」
そう言って、二人目の男に、手を伸ばそうとした。
「ロウ」
と、ハチ女が制止しなければ、二つ目の血の噴水が上がっていた所だ。
「駄目よぅ、ロウ。私がまだ何も言ってないじゃない」
「あぅ……」
オオカミンは、残念そうに、手を止めた。
敬介は、内心、安堵した。
「じゃあ、先ずは、君から死んじゃおっか」
ハチ女が、Xライダーに言う。
「はーい、それじゃあ、半分に分かれてー」
と、まるで学校の先生のように言った。
「あんたたちに言ってんのよぅ、下等生物共」
ハチの複眼に一睨みされて、人々が動き出す。
「その銀色の方、一応、持ち上げられるようになってるでしょ。だから、ここまで持って来なさい」
ハチ女が示したのは、アリジゴクの造り出した、流砂の擂り鉢であった。
そこに、人々の手で、Xライダーを落とさせようと言うのである。
「死にたくなかったら言う事聞いてねぇ」
そろりと、異形の口から発せられる言葉。
困惑する人間たちに、敬介は小さく頷いて見せた。
力の強そうな男たちが、固められたXライダーを、流砂の擂り鉢の傍に運んだ。
「そこでストップ」
ハチ女はそう言い、先程、二つに分けたグループから、女性を何人か選んだ。
その中には、相澤も混じっている。
彼女たちを擂り鉢の傍まで来させると、
「押しなさい」
と、言った。
「押す?」
「これを、ここに、落とすのよ」
と、アリジゴクの中心を指差した。
流砂は、落ちて来た瓦礫などを呑み込んでいる。
何処まで続いているのか分からない、まさに奈落であった。
「さ、早くなさい」
ハチ女の手が、相澤の背中を叩いた。
節くれだった改造人間の手が、服の上から、背中を軽く刺激した。
ぞわりとしたものが、相澤の背中を駆ける。
ハチ女の手も、構成しているのは無数の虫たちだ。足元から、数えるのも嫌になる程の蟻に這い上がられ、悶えている巨象の映像を、ふと思い出した。
相澤は、他の女性たちと同じように、白い泡越しに、Xライダーに手をやった。
「神さん……?」
相澤が囁いた。
仮面の奥の声から、先程、自分たちと一緒に館内を見て回った青年だと、気付いた。
敬介は、さくらに名を呼ばれた茂と同じように、何も言わなかった。
黙って、押された。
鉄の硬度になった泡に包まれ、Xライダーの身体は、逆さになって、流砂に落ちた。
仮面の半分が、砂に沈み込んでしまう。
遠距離からでも、この流砂は、改造魔虫アリジゴクに操作されるらしい。
流砂の勢いが増し、Xライダーは、擂り鉢の底に頭を突っ込まされた。
白い泡の部分だけが、何とか流砂の外に出ている。
それも、その内、砂に埋もれ、そして、奈落へと沈んで行った。
Xライダーが沈んでゆくのを見て、相澤は、口の中で歯を打ち鳴らしていた。
神敬介の顔を思い出している。
あれが、鉄仮面を纏った、人間ではない何かであるという事など、相澤には思いも寄らなかった。相澤には、あの鋼鉄の戦士が、人であるようにしか思えなかったのである。
「良く我慢しましたぁ」
ハチ女が、ストロンガーを振り返った。
茂は、微動だにしないで、敬介が、人の手で沈められるのを見ていた。
「それとも、自分の番が怖くて、何も出来なかったのかしらぁ?」
「――」
黙殺――
それが、言葉が見付からない為か、言葉を発する事でさえも“動く”の判断材料になる為であるのかは、誰にも分からない。
「んー、余り何も言ってくれないのも、つまらないわねぇ」
「――」
「じゃ、今から少しだけ動いても良いわ」
「――」
その瞬間、ストロンガーの拳が唸っていた。
ハチ女の顔面を殴り抜いた。
改造魔虫を構成している虫たちが床に飛び散り、ぐじゅりと溶けた。
「けっ」
茂が鋭く言った。
「どうせぶん殴ったって死にゃしないんだろう。だったら、最後に一発入れる位、構わないんだろうな」
ハチ女の頭が、見る見る再生されてゆく。
「そうよぅ。全然、構わないわぁ」
ハチ女は、ストロンガーを嘲笑った。
「それじゃあ、今度は、君の番……」
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第二十二節 死刑
城茂は、三崎美術館の外に連れ出され、人間の姿のハチ女の先導で、崖に向かって歩いている。
超強化服・カブテクター――ストロング・ゼクター一式を解除され、人間・城茂の姿のままで、後ろ手に縛られていた。
そのすぐ後ろに、ハチ女と同じく人間態に戻ったゴリガンとアルマジロンが付いている。茂が暴れ出しても、彼らならば押さえ付ける事が出来るからだ。
その背後には、Xライダーをアリジゴクに落としていない半分の人たちが付いて来ていた。
さくらと吉塚も、その中に入っている。
彼らは、一様に、手に何かを持っていた。
館内にあった、ポールや、鉄パイプ、改造魔虫たちが手摺りを切り落として作った棒などだ。
その彼らを、後ろから、サメ改造魔虫とオオカミンが監視している。
もう半分は館内に残り、アリジゴクとクラブマンに見張られていた。
「よぅし、そこで止まって」
ハチ女が、茂に言った。
「先輩は砂で、俺は海に落っことされる訳かい」
茂が、乾いた口調で言った。
ハチ女はそれに答えず、その場に座るように言った。
茂は海を背にして、その場で胡坐を掻いた。
「幾らか不遜だけど、嫌いじゃないわ」
ゴリガンが、ぶ厚い掌で、茂の頭を地面に擦り付けた。
ゴリガンが手を離すと、ハチ女が、ヒールの高い靴で茂の顔を踏んでゆく。
「俺がマゾなら良かったのになぁ」
茂は、まだ、軽口を叩いた。
「そうよねぇ、残念だわ。だって、貴方は“S”だものねぇ」
アルマジロンに髪を掴み上げさせ、大きくSと染め抜かれた胸元に、ハチ女が蹴りを入れる。
軽く茂をいたぶった後、ハチ女は、人間たちを振り返った。
「ざっと、三〇人はいるわね……」
そう言って、五人前後ずつ分けさせた。
出来上がったグループの一つ目を、茂の傍に呼ぶ。
「じゃ、始めなさい」
ハチ女が言った。
誰も、何も、しようとしない。
「始めなさいと言ったのよ……」
ハチ女が、冷たい声で言う。
すると、そのグループの人々は、手にしていた鈍器などを持ち上げた。
茂に、打ち下ろしてゆく。
頭。
肩。
胸。
腹。
背中。
腰。
脚。
茂の全身を、ポールや、鉄パイプや、角材で、ぼこぼこに殴り捲った。
「はーい、そこまで」
ハチ女が、適当な所で手を叩いて、止めた。
「次の子たちー」
と、二つ目のグループを呼んだ。
又、同じように、茂を殴らせる。
改造人間の強化皮膚とは言え、強化服程の耐久性はない。額などの、骨と近い部分に鈍器を当てられれば、血が溢れもする。
「次ー」
「ほら次ー」
「早く、次ー」
五つのグループに、茂は、たこ殴りにされる事になった。
ハチ女の言う事に従わなければ、殺されてしまうという事が、はっきりしていた。
だから、彼らは、言われるがままに、茂の事を殴っていた。
茂に怨みなぞある訳がない。怨むとすれば、この状況だ。
その場に対する怨みは、しかし、茂を殴っている内に、茂への怨みへと転化して、茂を怨みながら殴るようになっていた。
「辛いねぇ」
茂が呟いた。
「あら、もう、ギブ・アップ?」
「いやいや……」
茂は、切られた瞼からこぼれた血で、片方の眼を瞑りながら、小さく漏らした。
「普通の人間なら、それも出来たんだがねぇ」
「――」
「こんな身体じゃ、失神も出来ねぇんだ」
「そうね、確かに、可哀想」
しかし、ハチ女は、六つ目のグループを呼んだ。
さくらと吉塚がいるグループだ。
「さ、初めて」
さくらと吉塚以外のメンバーは、もう、容赦なく茂を打ち始めた。
「貴女もやるのよぅ」
ハチ女に囁かれて、涙を流しながら、吉塚も茂を殴った。
「貴女も」
ハチ女が、さくらに言う。
さくらは、茂に向かって背中を押された。
何の抵抗もせずに殴られる茂を見て、さくらは、つい先日の事を思い出した。
呉割大学の学生たちが、城南大学に来た時も、茂は、こうやっていた。
唯、殴られていた。
唯、殴らせていた。
それが、平気だったからだ。
ちっとも効かなかったからだ。
今とは、状況が違う。
今、茂は、殺されようとしている。
ハチ女は、茂を殺す為に、このような事をしている。
それが分かっている筈だ。
なのに、どうして、この男は変わらずに殴られ続けるのか。
人間とは違う力を持っているからか?
だから、耐えていられるのか。
けれど、彼の心には、人間の温かみがある。
それが分かる。
身体は、例え機械であるにしても、心は、誰かに造られたものではない。
壊れる事のない鋼鉄の肉体を持っているとしても――
その心は、冷たくも、硬くもない。
岬ユリ子の墓の前で、哀しい薔薇を背負っていた姿を覚えている。
何故、彼らは、この人を殴れるのだろう。
ヒトではない姿を見ているから?
ヒトではない力を見ているから?
だから、ヒトではないと、分かっているのか。
ヒトではないから、この人を殴れるのか。
ヒトではないものが死ぬ事で自分が助かるなら――
それで、助かれば、良いじゃないか。
さくらは、手にしていた鉄パイプを振り上げた。
そうして、それを――
ハチ女の顔面に向かって振り抜いた。
「げっ⁉」
ハチ女の、人間の顔が、真正面から拉げた。
眼球が跳び出し、鼻が潰れ、前歯が咽喉に滑り込んで行った。
改造魔虫とは言え、人間の姿でいる時の不意打ちに、動揺してしまう。
さくらは、ハチ女の顔を叩いた鉄パイプを放り投げ、左の拳を握った。
体勢を立て直せないハチ女の顔面を、殴り抜く。
「このおぉぉぁぁぁぁっ!」
右の拳で、もう一発。
左の拳で、もう一発。
右の拳で、もう一発!
さくらは、ハチ女を殴った。
殴った。
殴った。
殴った。
殴った。
「だららっぁぁぁっ!」
殴る。
殴る。
殴る。
殴る。
ハチ女に対して、前田さくらというパワーを叩き付けた。
「誰が死ぬか!」
さくらは叫んだ。
叫びながら、ハチ女を殴った。
「誰が死ねるか!」
さくらは吠えた。
吠えながら、ハチ女を殴った。
「死ぬぞ!」
さくらは咆哮した。
咆哮しながらハチ女を殴った。
「死んでやる! 死んでやる!」
ゴリガンが、さくらを押さえようとした。
その押さえようとしたゴリガンの顎に、頭突きをかました。
「殺してみろ! 死んでやる! 死んでやるぞ!」
見開いた眼球に、血が絡んでいた。
余りの昂揚に、鼻から血を吹いていた。
「死んでやるから死ぬもんか!」
無茶苦茶な事を言っていた。
無茶苦茶な事を言いながら殴っていた。
死ね――
と、叫んでいた。
ハチ女に対して、ではない。
自分だ。
少しでも、茂を殴って助かろうと思った自分だ。
そんな奴なら死んでしまえ。
そんな人間なら死んでしまえ。
そんな自分なら死んでしまえ。
そんな前田さくらなら死んでしまえ。
そう思っていた。
そう考えていた。
そう願っていた。
そう叫んでいた。
そう動いていた。
そう生きていた。
この慟哭の起源は――そうだ。
星河深雪の仇を討つ事だった筈だ。
星河深雪の仇はこの怪物たちであった。
ならば、どうして、今、この者たちに恐怖するのか。
絶対に仇を討つと決めたのではなかったのか⁉
それなのに、仇を前に、どうして怯えるのか。震えるのか。恐れるのか。
あまつさえ、人を蹴落としてまで生き延びようとするのか。
そんな事を考える自分ならば――
「死んじまえ!」
さくらの右の正拳突きが、内部構造をぐちゃぐちゃにされたハチ女の顔面を、遂に砕いた。
そのさくらを、アルマジロンが捉えた。
地面に、押し付けた。
「ああああああっ!」
さくらは、言葉にならない言葉を吐いた。
言葉ですらない感情を、口から迸らせた。
感情ですらない自分で、大気を震わせた。
その前に、頭部の再構成を行なったハチ女が立ち上がる。
「小娘がぁっ!」
中指を毒針フルーレに伸ばし、鬼の形相で、さくらに突き付ける。
そのハチ女に、茂が脇から突撃した。
ハチ女が、地面に倒れた。
さくらの方を振り向こうとした茂であったが、ゴリガンの腕が、目前に迫った。
茂は、胴体をゴリガンのラリアットで吹っ飛ばされ、崖から落下してゆく。
海だ。
波の、寄せては返す海が、十数メートル下にあった。
鋭い岩が、幾つも突き出している。
岸壁にぶつかって弾け、磯の香りが散乱している。
その中に、茂の身体は消えて行った。
「茂さぁん!」
さくらが叫んだ。
頸元を、アルマジロンに押さえられている。
アルマジロンが、ぐぅと力を込めた。
ふらつきながらも、ハチ女がさくらに歩み寄る。
「舐めた真似をしくさって、この下等生物が!」
毒針フルーレを持ち上げる。
「待ち給えよ――」
静かに、その場に響いた声があった。
誰もが、突如として聞こえて来たその声に、視線を彷徨わせた。
気付けば、崖っぷちに、その男が立っていた。
白い蓬髪と髭。
黒いマント。
暗黒大将軍――又の名を、一四人目の改造魔人・ジェットコンドル。
暗黒大将軍が姿を見せた事で、ハチ女は冷静さを取り戻し、その場に跪いた。
「中々、肝っ玉の据わったガールだ……」
暗黒大将軍が、さくらを見下ろして、言った。
「魔人の王の
「は⁉」
「これにて曼荼羅は完成よ……」
暗黒大将軍は、低く、笑った。
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第二十三節 蟲毒
さくらは、強烈な臭気で眼を覚ました。
全身が、軋むように痛い。
ゆっくりと戻って来る視界に、ぎょっとするような光景が浮かんだ。
男と女が、激しく交わっている所だ。
しかも、一組ではない。
さくらの視界に映るだけで、一〇つ以上はパートナーが出来ていた。
様々な体位で、獣のように、腰を突き動かしている。
男が上であったり、女が上であったり、異性二人を同時にしている場合もあった。
吉塚と相澤の姿もあった。
見憶えのある人が、幾らか、いた。
美術館にいた人たちである。
さくらは、その光景に驚き、後退ろうとしたが、身体が動かない。
爪先が床に届かない高さに、天井から吊り下げられているのであった。
首輪を付けられて、そこからの鎖が一本。
両腕を背中に回され、手首を拘束した枷から一本。
両足首の間に、自由に動ける程度のゆとりを持って鎖が繋がれている。その左右の足枷から、一本ずつ天井に伸びていた。
しかも、服は脱がされていた。
血色の良い肌に、交わり合う男女の熱気が、むんむんと張り付けられている。
鬱蒼と茂る、熱帯のジャングルのような空気が、さくらを包んでいた。
さくらは、交わる人々の向こうにある壁を見た。
魔法陣のようなものが、描かれている。
螺旋を描いて、中心に向って収束しているようであった。
その螺旋を作っているのは、杭で打ち付けられた心臓であった。
中心にゆく程、臓器がピンク色であった。
外側へゆく程、臓器が黒ずんでいるのだ。
生々しい赤い肉から、腐敗する黒への螺旋――若しくは、その逆なのか。
それは、四方を囲む壁にも、天井にも描かれていた。
床にも同じものが掛かれており、人々は、螺旋を作るように、SEXをしていた。
おぞましい光景であった。
余りにも異常過ぎて、反応する事も出来なかった。
「眼が覚めたか」
と、声がした。
声の方向を見ると、右腕の鉤爪を、がきんがきん、と、鳴らしながら、まぐわっている男女の傍を通って、マントの男がやって来た。
その後に続いて、ハチ女とオオカミンが歩いて来る。
「ほほぅ、悪くない女だ」
さくらを見るなり、鉤爪の男――デッドライオンは言った。
「何よ、あんたは」
「俺か? 俺は、ブラックサタンの大幹部、デッドライ――」
「これは何よ。私をどうする気よ」
さくらは、デッドライオンの言葉を遮って、言った。
デッドライオンは、むぅ、と、唸った。
「人の話は、最後まで聞け!」
「うっさい! 何なのよ、あんたは。ここは何な訳⁉」
「曼陀羅じゃよ、ミス」
デッドライオンの陰から、ぬぅ、と暗黒大将軍が顔を出した。
「まんだら?」
その名前位は、分かっている。
今日も、吉塚が、あの絵を見て、熱っぽく語るのを聞いていた。
「この、彼の為のな」
暗黒大将軍は、デッドライオンの肩を叩いた。
「ユーには、彼の妃となって欲しいのだよ」
「――はぁ⁉」
さくらは、素っ頓狂な声を上げた。
いきなり何を言っているのか、分からなかった。
「何よ、妃って」
「女性ながらに、その度胸と、鍛えられた肉体は、まさに、魔人の王妃に相応しい」
「魔人?」
「彼が、魔人となる為の……言うならば、贄よの」
「にえ⁉」
「では、後は、ユーの好きにし給え」
暗黒大将軍に言われると、デッドライオンは、倉庫の隅に手を振って指示を出した。
さくらを吊るしている鎖を通した滑車が動き、さくらの爪先が、床に着く。
螺旋の中心の心臓を踏まぬよう、さくらが、足をばたばたとさせた。
デッドライオンは、マントの内側から、髑髏の盃を取り出した。
盃には、既に、あの液体が入っている。精液と愛液と経血を混ぜた液体だ。
それを一口飲み、人間の姿のハチ女に盃を手渡した。
さくらの両脇に立ったハチ女とオオカミンは、代わる代わる髑髏の盃に手を入れて、赤黒い液体を掌に持ち上げた。
「さっきは、随分とやってくれたわねぇ」
ハチ女はそう言うと、良く膨らんださくらの胸を、液体を載せた掌で掴んだ。
赤黒い指が、柔らかい乳肉に沈み込んでゆく。
乳首を捩じられて、さくらが、顔を歪めた。
オオカミンも、さくらの尻の肉に、指を這わせた。
「柔らかい……」
蕩けるような声で、オオカミンが言った。
「ちょ、やめ……」
ハチ女とオオカミンは、髑髏の盃の中身が続く限り、さくらの身体にその液体を塗りたくった。
咽喉から、足の爪先まで、さくらの身体は、他者の精液と愛液と経血で塗れる事になる。
「ここにも塗って置かなくちゃねぇ」
さくらの後ろに回ったハチ女は、髑髏の盃から一口含み、尻の頬肉を左右に割り広げた。
その中心の菊の花に至る溝に、舌に載せた液体を塗り込んでゆく。
ハチ女の息が、肛門に触れていた。
さくらは、びくびくと身体を震わせながら、辱めに耐えていた。
塗り終えると、ハチ女とオオカミンは、その場から下がった。
「では、ごゆっくり」
暗黒大将軍は、ハチ女とオオカミンを連れて、倉庫から出てゆく。
残ったデッドライオンは、再び倉庫の隅に指示を飛ばし、さくらを動かした。
滑車が、鎖を巻き上げてゆく。
さくらの足が天井を向き、股を開かされる。
血の溜まった秘所が、大きく剥き出された。
頭に、髪と共に、血が昇ってゆく。
さくらの顔色が、見る見る蒼くなって行った。
「わ、私に、何をする気よ……」
さくらが、掠れた声で言った。
「お前は、俺の肉体を進化させる贄となるのだ」
「贄って、さっきから、何の事なわけ……⁉」
「この曼陀羅で、餓蟲のエネルギーを、俺の身体に注入するのさ」
「餓蟲⁉」
餓蟲とは、空気中を漂う、本来ならば無害な霊エネルギーの事である。
強い感情に依って、悪いものに変質し、人に害を為す事があるという。
「こいつらを見ろ」
デッドライオンが、倉庫で交尾する人々に視線を巡らせた。
誰もが一様に、獣のような表情で、相手を貪っている。
「こいつらの、何を犠牲にしてでも生きたいという感情がな、餓蟲にパワーを与えるのよ」
デッドライオンは笑った。
生命を助ける代わりに、こうして見ず知らずの相手とSEXをさせられているようだ。
「何とも醜い人間の性という奴だが、俺には丁度良い……」
「――」
「人間の、生への執着程、強い感情はないからな……」
「そ、それ、で……?」
「あ?」
「それと、あんたの、進化……? 何の関係があるのよ」
曼陀羅も、霊エネルギーも、餓蟲も、個別には理解出来たにしても、それと、デッドライオンの肉体との進化の関係が、呑み込めないでいた。
「それはな、俺も、亦、餓蟲であるからよ」
「え⁉」
「或いは、巫蟲――蟲毒とも、人間共は言っているな……」
そう嘯くと、デッドライオンは、マントを取り払った。
その人間の顔が、別ものへと変形してゆく。
ごりごりと顔がせり出して、頭髪が茫々に伸び始めた。
黄色い顔に、刃のようなたてがみ――ライオンの顔になっていた。
ブラックサタンの大幹部・デッドライオンの正体であった。
「俺の正体を見ろ!」
デッドライオンのたてがみが、ぞわぞわと盛り上がった。
風に揺れているかのような髪が、幾らかの束に纏まってゆく。
ぐるぐると螺旋を描いた束が、幾つも出来ていた。棘のように、小さく生えるものもある。
それは、まるで、昆虫の脚であった。
「あ、あ……」
蒼い顔で息を漏らすさくらの下で、デッドライオンの身体が、倒れた。
頸から上がなかった。
デッドライオンの頭部と思われていたものが、頭髪を触脚へと変化させて、胴体から飛び出したのである。
たてがみのないライオンの頭蓋骨から、一〇本の触脚が生えていた。
人体の半分位の大きさがある、巨大な虫であった。
からからと、獅子の顎骨が打ち鳴らされていた。
「これが俺の姿よ。何百年も前に、蟲毒に依って生み出されたのだ!」
巫蟲とは、呪法の一つである。
壺や瓶のような、一つの容器の中に、動物や虫を何匹も閉じ込める。
それを共喰いさせて、生き延びた、生命力の強い個体を、神として祀る。
そうする事で、幸福や、逆に不幸を引き起こす儀式である。
特に、悪い結果を齎す場合を、蟲毒というのである。
デッドライオンの正体は、その蟲毒で祀られたものであったらしい。
それが、どのようにしてか、ブラックサタン大首領と、ショッカー首領に見出され、デッドライオンという、組織の大幹部という待遇を与えられたのだ。
「お前の肉体を貰うぞ、女ァ……」
デッドライオンとなった蟲毒が、言った。
デッドライオンであった巫蟲が、言った。
「はぁ⁉」
と、さくらが驚く途中で、さくらは、背中に、ぶにゅりとした肉を感じた。
床から天井に伸びた鎖と、天井から床に伸びる鎖。
片方には、男の臓物一式が絡み付いている。
片方には、女の臓物一式が絡み付いている。
捩じれ、交差する鎖は、恰も遺伝子の如き環状二重螺旋を作っている。
その、二つの鎖、男女の臓物が交差する所で、さくらは逆さ吊りにされていた。
脚を、大きく開かされている。
「雌雄を備えてこそ、完全なる生体よ……」
デッドライオンであった蟲毒は、鎖に触脚を掛けた。
さくらの視界の中で、デッドライオンであった蟲毒が、自分に向かって近付いて来る。
獅子の頭蓋と、さくらは、真正面から向き合った。
虚ろな眼窩の奥には、実態があるとは思えない、闇のような靄が、犇めいている。
それが、餓蟲というものなのか。
それが、この蟲毒が誕生する時に喰らった生命なのか。
デッドライオンであった蟲毒の触脚が、さくらの皮膚に触れた。
一つの脚であると言うのに、一つではなかった。
毛虫のようなものが、皮膚の上を這っていた。
デッドライオンであった蟲毒は、さくらの身体を、一〇本の脚でがっちりと掴むと、開かれたさくらの股の間に、獅子の頭蓋を載せた。
獅子の顎骨が開き、じゅぶじゅぶと、蚯蚓のような舌が現れた。
一本、二本、三本……
艶のある、生々しい肉の先端が、さくらのそこへと入り込もうとする。
さくらが、顔を顰めた。
皺を寄せたその眉間に、電流のようなものが走った。
思わず眼を開けた。
倉庫の魔法陣に、薄らと、光が生じたように見えた。
まぐわい、くながい、交わり、貪る男女の身体が、じわりと、黒く輝いたように見えたのだ。
その光が、螺旋を描いてゆく。
倉庫の四方の壁に掛かれた魔法陣にも、同じように、光が渦を描いた。
黒々とした光であった。
邪悪さを感じさせる輝きであった。
螺旋が、中心へと走る。
螺旋が、外周へと走る。
絡み合う人の、生への激しい執着が、餓蟲を鼓動させていた。
餓蟲が螺旋の魔法陣を呼び起こす。
魔法陣に縫い付けられた心臓が、理不尽に生命を奪われた怒りに鳴動していた。
それらのエネルギーが、倉庫の中心へと集まってゆく。
さくらは、股間に、熱を感じた。
デッドライオンであった蟲毒が、その身体を溶けさせ始めている。
それが溶け切った時、デッドライオンであった蟲毒は、自分の肉と混じり合ってしまう事であろうと思われた。
さくらの身体に塗り込まれた液体が、じんわりと熱を孕んだ。
デッドライオンが、平生、飲み続けたものと、共鳴しているのだ。
ぐぷぐぷと、デッドライオンであった蟲毒が、肉に溶けゆくのが分かってしまう。
――ご免……。
さくらは、心の中で呟いた。
星河深雪の仇を、討てなかった事。
城茂に、何の恩も返せず、見殺しにした事。
「茂さん……」
それらを、押し寄せて来る、圧倒的なエネルギーに消えゆきそうな自我の中で、懺悔した。
口笛が聞こえて来たのは、その時だ。
哀切なる口笛が、異様な熱気を孕んだ倉庫に、涼やかに響いた。
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第二十四節 天地
「コーヒーが入ったわ」
ユリ子が言った。
癖のある髪を、活動的なポニー・テールに纏めている。
歳相応のあどけなさの中に、芯の強いものがあった。
それに加えて、何となく悲壮な決意が、少女の顔には浮かんでいる。
岬ユリ子は、石の上に腰掛けている城茂に、コーヒーのカップを渡した。
ステンレス製のものである。
茂は、絶縁体のグローブで、それを受け取った。
黒い液体から、しらしらと、湯気が立ち上っている。
茂は、すぐには口を付けようとしなかった。
「どうした、茂」
沼田が訊いた。
ユリ子が、湯を沸かした焚火の傍の石に、沼田五郎が座っているのだ。
彼も、ユリ子からコーヒーを受け取っている。
「どうしたの、茂。何か、変よ」
ユリ子が、茂の顔を覗き込んで来た。
「何かあったのか?」
沼田が、コーヒーを啜っていた。
「――夢をな」
茂が、ぽつりと、呟いた。
「夢?」
「夢を見ていたんだ……」
「どんな夢? 教えてくれる?」
ユリ子が、茂の隣にやって来た。
「五郎が、死ぬ夢さ……」
「俺が?」
沼田は自分の事を指差して、首を傾げた。
沼田は、茂が頷くと、大きな肩を揺らした。
「面白い冗談だな」
「――ああ」
「俺が、死ぬかよ。なぁ、それより、茂。次の試合の
沼田は立ち上がって、大きめの石を二つ拾い上げた。
「こっちがお前で、こっちが俺だ」
アメフトの、フォーメーションの事らしい。
自分の石を先ず置いて、その後ろに、茂の石を置いた。
「お前がフル・バックだ。俺がクォーター・バックをやる」
「――いつもと、違うな」
沼田は、QBの石の前に、五つの小石を並べた。オフェンス・ラインの五人を表しており、センターの両脇にオフェンス・ガード、その両脇にオフェンス・タックルがいる。
QBにボールを渡すのがセンターであり、QBはそのボールを前方にパスするか、後方の
そのQBは、いつもは、茂が任される事が多かった。
QBの理想の体格は、身長一七八センチメートル、体重八〇キログラムと言われる。茂は、これらの数値には届かないが、それを補って余りある頭脳・器用さ・屈強さ・精神力を備えている。
一方、今回、茂が任される事になった
今回のフォーメーションは、RBを茂一人に設定、つまり、バックスはQBの沼田と、RBの茂の二人としている。となると、陣形は、レシーバーを増やした、パスがメインのものになる。
さて、このRBの役割は、ラン・プレーである。QBからボールを受け取って、オフェンス・ラインが、ディフェンス側のプレーヤーをブロックして作った通路を一気に走り抜けるのである。又、パス・プレーの場合は、QBがレシーバーにボールを投げるのを、オフェンス・ラインの選手と共に守り抜く役割を持つ。これがパス・プロテクションである。こちらに参加しない場合は、前方に出て、レシーバーの役を果たす。
「良いか、茂。先ず、俺はセット・バックするだろう」
と、沼田は、別な小石を拾って、ボールに見立てた。
それを、センターから、QBに渡す。
「そうしたらだな、こう、ラインが道を抉じ開ける。それまで、お前は粘れ」
「ほぅ……」
オフェンス・ラインの前にディフェンスがいるものと仮定して、少し動かした後で、沼田は、オフェンス・ラインの間に、通路を作った。
「で、お前が、ここを走り抜ける――」
「俺が?」
「応さ。そうしたらな……」
RBを、オフェンス・ラインの開いた道の向こうへ、動かした。
「俺が、お前にパスを出す。エンド・ゾーン手前のお前にだ」
ディフェンス側のエンド・ゾーンに、攻撃側がボールを持ち込めば、タッチ・ダウン――六点が入る。
オフェンスには、自陣三五ヤードの位置からのキック・オフから始まる一度の攻撃で、四回の攻撃権が与えられている。ファースト・セカンド・サード・フォース、それぞれのダウンである。その四回の中で一〇ヤード前進する事を目指すのだ。
その一回のダウンの中で、セット・バック後に、ランかパスかを選ぶのだ。
ラン・プレーの場合は、ボール・キャリアーが、攻守のラインの間のニュートラル・ゾーンの境界であるスクリメージ・ラインより手前からボールを持って走り、エンド・ゾーンを目指す。これには二種類あり、オフェンス・ラインの間を走る守備陣形の中央を攻めるプレーか、オフェンス・タックルとサイド・ラインの間のスペースを走るプレーだ。
前者が、短い距離を、後者が、長い距離を稼ぐ為に行なわれる。
パス・プレーは、オフェンス・ラインに守られたQBが、前方を走るプレーヤーにボールを投げる事だ。レシーバーのキャッチ・ミスや、QBサック(QBがボールを持った状態でタックルされる事。尚、ボール・キャリアーが地面に膝や背中を着くとプレーは終了となる)されるなど、失敗の確率は高い。しかし、それだけに、成功すれば、距離を三から一〇ヤードは稼ぐ事が出来ると言われる。
「単にパスを出すんじゃないぞ。俺だってお前より長くやってるんだ、分析力じゃあ敗ける気がしないぜ。そんで、俺がどうにかディフェンスの隙間を狙うからよ……」
「むぅ」
「お前は、俺がその隙間に投げ込んだボールに、追い付くんだ」
沼田が考案したのは、自らの強肩と正確なボール・コントロールで、エンド・ゾーンに近い敵陣の隙間にボールを投げ込み、直後に走り出した茂の機動力でボールに追い付かせ、大きな距離を稼ぐ、或いは、そのままタッチ・ダウンを狙うというものであった。
パス・プレーで言うレシーバーの役目を、RBの茂がやる。
しかし、その茂は、ラン・プレーのメインを張らなければならなかった。
「作戦名は、そうだな……“ストロンガー”だな」
「ストロンガー⁉」
「ああ。“より強く”……俺たちには相応しいだろう?」
「ああ……」
茂が、コーヒーの表面を見ながら、言った。
自分の周りの連中を、全て見返す為に、茂は生きて来た。
勉強でも、運動でも、誰にも敗けないように、である。
誰よりも強くなれば、誰にも莫迦にされる事がない。
沼田も同じだ。
それを、誰の眼にも明らかな形で見せ付けれやれるのが、スポーツだった。
だから、沼田の誘いに乗って、アメフトを始めたのだ。
「なのによぅ」
茂が、沼田を、睨むようにして、見た。
「あんな所で、くたばっちまいやがって」
卒業を前にした、最後の試合で、敗北を喫した茂は、沼田の訃報を聞いた。
人体実験の痕跡を身体に宿し、死んだのだ。
火葬場に乗り込んでゆき、暴れ、警備員に取り押さえられた。
その時に、聞いたのだ。
ブラックサタン――そういう名前を、だ。
茂は、ブラックサタンの事を調べ上げ、その基地に入り込んだ。
自分を、この世で一番強い男にしろ――
そうして、改造手術への適性審査に合格し、改造された。
肉体の殆どを機械に挿げ替えられた。
超強化服・カブテクターを運搬する、ストロング・ゼクターを与えられ、茂は、ブラックサタン大首領に、忠誠を誓わされる所であった。
だが、茂の目的は、沼田五郎の肉体を弄び、殺した、ブラックサタンへの復讐であった。
茂は、強化改造人間突撃型・ストロンガーへと変身し、改造施設を破壊した。
基地から脱出する時に、茂は、ユリ子と出会ったのだ。
ブラックサタンに、兄と共に捕らえられ、改造人間にされてしまった。しかし、兄の守は、改造手術に耐え切れずに、死亡した。
ユリ子が施された手術は、茂と同じ、強化改造人間計画の一環であった。
しかし、改造が未完成であった為、彼女本来のポテンシャルを発揮出来ない姿のまま、ストロンガーと共に、ブラックサタンと戦う事を決意せざるを得なかった。
「ユリ子……」
茂は、哀しい声で、愛しい少女の名を呼んだ。
「茂……」
ストロンガーの相棒として戦ったタックル・岬ユリ子は、しかし、戦いの最中で倒れた。
デルザー軍団の、ドクター・ケイトの毒ガスを浴び、命の限りを知る。
茂・ストロンガーの足手纏いにはなるまいと、タックルは、ドクター・ケイトに最後の必殺技を叩き付けた。
ウルトラ・サイクロン――その衝撃で、ユリ子は、死んだ。
僅かに残ったユリ子の遺体を、茂は葬った。
だが、その身体には、ドクター・ケイトの毒素が残留していた。
彼女の墓の周辺が腐敗していたのは、その為である。
供えた花さえも、毒素に蝕まれて、咲く事が許されない。
「茂……」
ユリ子は、俯く茂の背中に、手を回した。
茂の頭を、胸元に抱き寄せた。
「ねぇ、茂……」
「何だい、ユリ子」
「もう、良いんじゃないかしら……」
「もう良いって、何が?」
「貴方の苦しみを、もう、終えてもよ」
「――」
「静かな、平和な場所に、ゆきましょう?」
「平和な場所……」
「そう、もう、貴方が、苦しまなくて良い場所よ……」
茂は、顔を上げた。
視線の先では、沼田も、茂を待つように微笑んでいる。
太い顎に、魅力的な表情が浮かんでいた。
ユリ子の温もりが、背中に伝わっている。
そのまま、眠ってしまいそうな程、心地良かった。
天が、呼んでいた。
地が、呼んでいた。
戦いは終わったのだ、と。
城茂の、修羅の道は終わったのだ、と。
だから、もう、ゆこう、と。
ユリ子と、かつて約束した、平和な場所へゆこう、と。
茂は、つぃと笑った。
にぃ、と、唇を吊り上げた。
「五郎……」
沼田五郎は、強化改造人間スパークとなる筈であった。
改造手術に失敗した彼の肉体は、ストロンガーの礎となり、大地へと眠った。
「ユリ子……」
岬ユリ子は、強化改造人間タックルとなる筈であった。
改造手術が未完であった彼女の魂は、ストロンガーの相棒として天に昇った。
「済まんな……」
茂は言った。
「済まんなぁ……」
ユリ子の手を払って、立ち上がる。
「茂」
「茂」
ユリ子が呼んだ。
沼田が呼んだ。
しかし、今、茂を呼んでいる者がいる。
“茂さん……”
その声を、確かに聞いていた。
「茂……」
「茂よぅ」
茂の背中に、ユリ子の声が届く。
茂の肩に、沼田の声が届いていた。
「ユリ子……」
「五郎……」
茂は、振り向かなかった。
振り向かないままに、その名を呼んだ。
肩越しに茂は言った。
「守ってくれ……」
唇を噛みながら、茂は言った。
瞼をきつく閉じながら、茂は言った。
「悪い奴らが、いなくなるまで――俺を、守ってくれ」
そうして――城茂は、口笛を吹く。
正義の使者の、別れのしるしを。
異形の倉庫に、清涼なる口笛が響いた。
それは、哀切な音色であった。
喩えるならば、それは、夕暮れだ。
太陽が沈みゆき、闇が蔓延るのを眺めるのにも似ていた。
しかし――
「だ、誰だ⁉」
「何処だ?」
同時に、それは、暁であった。
闇を晴らす太陽が、地平線の彼方から昇り来るのを見るにも似ている。
それは、風であった。
それは、水であった。
それは、火であった。
それは、稲妻であった。
音色が、駆け抜けてゆく。
調べが、走り抜けてゆく。
そこに、その実態を捉えられぬものとして。
そこに、間違いなく存在するものとして。
石のようでもあった
森のようでもあった。
何らかの証しであった。
何かの合図であった。
ひゅう、と、風が鳴る。
ひゅう、と、雷が鳴った。
そして、その調べに乗せて、ギターの音色が聞こえて来た。
弦を、勇ましく掻き鳴らす。
又、フルートが、更に重ねられた。
金属質な音色が、緩やかに上った。
草笛が、自然のままの旋律を奏でている。
優しく吹き抜ける、柔らかな風であった。
それが、倉庫中に拡大されていた。
デッドライオンであった蟲毒は、さくらの身体への侵入をやめた。
倉庫の角に立っていた戦闘員たちや、ハチ女とオオカミンを覗く五名の改造魔虫たちは、その合奏の元を探した。
「な、何だ、この口笛は!」
デッドライオンであった蟲毒が叫んだ。
その身体の下で、さくらは、下に向けられていた頭を持ち上げた。
さくらの真正面の壁が、外側から、砕かれる。
壁の破片から逃げる為、まぐわっていた者たちが、行為をやめて、逃げ出した。
西日が射し込んで来た。
その太陽を遮るように、一人の男が、宙に浮かんでいる。
彼を乗せているのは、大きな、赤い
太陽を感じ取って、デッドライオンであった蟲毒が、そちらに顔を向けた。
「貴様――」
それは、ストロング・ゼクターに乗った城茂であった。
又、倉庫の、二階部分の手摺りに腰掛け、ギターを弾いているのは、風見志郎だ。
その対角線上に立ち、フルートを吹き鳴らしているのは、神敬介だ。
アマゾンも、ギャラリーにしゃがみながら、草笛を鳴らしている。
結城丈二が、スピーカー・アームを使って、倉庫に音楽を満たしていた。
「何故だ⁉」
風見を見上げる、アリジゴクが、声を荒げた。
「何故、貴様らが、生きているのだ⁉」
風見志郎と結城丈二は、爆死した筈だ。
アマゾンも、神敬介も、アリジゴクに呑み込まれた筈である。
そして、城茂は、崖から荒海に落下した筈であった。
「ふふん」
と、風見は、誇らしげな笑みを浮かべた。
風見志郎・仮面ライダーV3には、二六の秘密と呼ばれる機能が存在する。
その内の一つ、逆ダブル・タイフーンを用いたのだ。
逆ダブル・タイフーンとは、V3のバックルに設けられた、力と技の二つの風車・ダブル・タイフーンを、通常とは逆方向に回転させる事で、周囲に強風を巻き起こす機能である。その衝撃を、改造魔虫たちは、V3とライダーマンのエネルギー機関の爆発だと、勘違いしたのである。
ゴリガンが、ライダーマンと共にV3を叩き潰そうとした瞬間に、V3は逆ダブル・タイフーンを発動させ、その場を逃れたのだ。
この技を用いた後には、三時間の変身不能に陥るが、既に二日も経っている。エネルギーの補給も、負傷の回復も、既に充分であった。
又、アマゾンライダーは、確かに地下に閉じ込められる形となった。しかし、宿主の生命の危機を感じ取ったギギの腕輪が、超エネルギーを発動し、アマゾンを閉じ込めていた周囲の地面を、大きく吹っ飛ばしたのである。
そのお蔭で、アマゾンはアリジゴクを脱出し、風見たちに合流出来た。
神敬介が、クラブマンに泡を吐き掛けられた時、ボディを咄嗟に庇っていたのを覚えているだろうか。あれは、ライドルを庇ったのである。
ライドルとは、可変武器だけを指すのではない。スクリューを内包するバックルを含めた、ベルトそのものを、ライドルと言う。
可変武器ライドルのグリップが引き抜かれると、スクリューがバックルの中で回転する。このスクリューが回転している間、Xライダーの身体能力は、スーパー・チャージ機能に因り、グリップを挿したままの状態よりも、強化されている。
Xライダーがライドルを庇ったのは、硬化する泡を吹き掛けられても、グリップを引き抜く為のゆとりを確保するという目的があったのである。そして、発動したパワーで、白い泡を砕き、アリジゴクから生還を果たしたのであった。
残る城茂は、強化服を纏わぬまま、荒海に落下した。
何故、助かったのであろうか。
ストロング・ゼクターが、寸での所で救助に来たのか?
それとも、突き出した岩肌に掴まって、難を逃れたのか?
或いは――
若しくは――
又は――
「へっ」
茂は、鼻を鳴らす。
「そんな事、俺が知るか」
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第二十五節 変身
風見志郎、結城丈二、神敬介、アマゾンたちが、倉庫の床に下り、戦闘員たちを蹴散らしながら、人々に避難を促した。
敬介は、相澤と吉塚の姿を見付け、泣きじゃくる彼女らに、倉庫から出るように告げた。
「させるかよ!」
と、改造魔虫たちも、ライダーたちに向かって駆けてゆく。
風見の元には、アルマジロンとアリジゴクが。
結城の元へは、クラブマンが。
敬介の元へは、サメ改造魔虫が。
アマゾンの所には、ゴリガンが、それぞれ走った。
風見は、手にしていたギターで、戦闘員たちを殴り、アリジゴクのパンチをいなして、アルマジロンを投げ飛ばした。
ギターのネックを逆手に持ち、肩に担ぐと、
「ひゅーっ」
と、甲高く口笛を鳴らし、空いた左の人差し指を、メトロノームのように左右に振った。
挑発に乗って、アリジゴクが殴りにゆくと、風見は近くに倒れていた戦闘員を盾にして蹴り飛ばし、アリジゴクの太腿に強かな蹴りを打ち込んだ。
クラブマンが、小太りな割には素早い動きで、結城に肉薄する。
結城はそれを躱しながら、クラブマンの腕を取って、投げ飛ばした。
立ち上がって来るクラブマンに、蹴りを入れ、距離を取る。
サメ改造魔虫が、敬介の顔に、貫手を打ち込んで来ようとした。
敬介は、左手でその右腕を払うと、同時に縦拳を相手の脇腹にめり込ませた。
ぐぇ、と、呻くサメ改造魔虫の腹に前蹴りを入れ、顔を何発か殴った。
力まかせのゴリガンのパンチは、アマゾンにとって、止まっているも同然だ。
アマゾンは、身を沈めて、ゴリガンの膝を、横から蹴り抜いた。
自重がある為、膝には特に負担が掛かる。アマゾンは膝の関節を掌底で押して、ゴリガンを地面に倒れさせると、馬乗りになって、顔を引っ掻き捲った。
茂は、ストロング・ゼクターの上から跳躍し、天井から伸びる鎖を掴んだ。
デッドライオンであった蟲毒が、突っ込んで来るストロング・ゼクターと揉み合っている。
茂は鎖を引き千切り、落下するさくらの身体を抱きかかえ、床に下りた。
「茂さん……」
さくらが、泣き出しそうな顔で言った。
茂はさくらの拘束を解き、上着を肩に掛けてやった。
ストロング・ゼクターの角で弾かれたデッドライオンが、茂の傍に下り立った。
デッドライオンであった蟲毒は、胴体から離れた時よりも、巨大化していた。
茂と、殆ど同じ体長の虫である。
かつて、ストロンガーが斃した、ブラックサタン大首領とそっくりである。
あれも、亦、ショッカーの創設者である何者かが組織に迎え入れた、蟲毒であった。
「やっちまえ!」
茂が、ストロング・ゼクターに指令を飛ばした。
仮面として装着される時には、邪魔にならない程度に縮むカブト・ショックが、こくんと頷き、倉庫の中を飛び回った。
壁に、甲鉄虫が体当たりをする。
魔法陣を描いた倉庫の壁が、ぼろぼろと崩れ落ちて行った。
「じょ、城茂――ッ‼」
デッドライオンであった蟲毒の、獅子の顎が咆哮した。
心なしか、眼の窪みが吊り上がっているようにも見える。
「貴様、もう、許さんぞ……!」
デッドライオンが、呪詛の言葉を述べた。
「俺が忠誠を誓った組織を裏切り、滅ぼし、そして、今、また俺の邪魔を――」
「――許さんだって?」
茂は、さくらをその場に下ろし、一歩、前に進み出た。
「許さんのはこっちだぜ、デッドライオン!」
茂の一喝と共に、その頭上に、ストロング・ゼクターがやって来た。
「糞……貴様は、一体、何なのだ!」
びくり、と、震えを走らせながら、デッドライオンが吼える。
充分に知り尽くしている筈の男の底が、見えなくなっていた。
茂は、デッドライオンを指差して、大きく見得を切った。
「――天が呼ぶ」
茂は、ユリ子の事を思い出した。
「――地が呼ぶ」
茂は、沼田の事を思い出した。
「――人が呼ぶ」
茂は、自分の背後のさくらを流し見た。
「悪を斃せと、俺を呼ぶ……」
ぎらりとした、稲妻の瞳が、デッドライオンを睨んでいる。
その声は、倉庫の中に轟いた。
改造魔虫たちも、ライダーたちも、手を止めて、その言葉を聞いている。
「聞け、悪人共!」
茂は、絶縁体のグローブを外して、放り投げた。
銀色の腕――コイル・アームを、頭上に抱えてゆく。
ばぢぃん!
と、コイル・アームの触れ合った所から、火花が散った。
ストロング・ゼクターの緑色の眼が、煌々と輝きを放つ。
茂はコイル・アームを擦り合わせ、電撃を迸らせた。
「俺は、正義の戦士――!」
電流を纏うその腕を、茂が、地面へと打ち付けた。
茂とさくらを中心とした円から、放射状に、稲妻の蛇が駆け抜けてゆく。
眩いばかりの白い光――
その中で、ストロング・ゼクターが、城茂の肉体を包んで行った。
その光の中から、赤い鎧を身に着けた、緑の瞳の戦士が現れる。
「仮面ライダーストロンガー!」
変身を遂げた城茂・ストロンガーに、デッドライオンが跳び掛かってゆく。
一〇本の触脚が唸りを上げて、ストロンガーに迫った。
ストロンガーは、その動きを全て見切り、背中に隠れるさくらを守った。
「茂さん……」
さくらは、その大きな背中に、声を掛けた。
「仮面ライダー!」
名を呼ばれ、ストロンガーが頷いた。
背中越しの頷きで、さくらには充分であった。
さくらは、その場をストロンガーに任せて、倉庫から立ち去ってゆく。
「待て、小娘!」
アリジゴクが、逃げようとするさくらを追った。
その前に風見が立ちはだかり、ギターの底で、アリジゴクの横っ面を叩く。
「そんな怖い顔をしちゃあ、いけないな」
風見は、切れるような笑みのまま、言った。
「何⁉」
「女の子には、もっと、優しくしてやらなくちゃな」
「黙れ⁉」
アリジゴクが、怪人の姿に変身する。
アルマジロンも、風見に向かって突撃していた。
「っと――」
風見は、大きくジャンプして、ギャラリーの手摺りに飛び乗った。
ギターを大きく振り回す彼の服装が、一変している。
緑色のスーツに、銀と赤のプロテクターと、白いレガート。
腰部には、二つの風車が回っている。
ギターの胴体を叩くと、底が開き、中から、仮面が出て来た。
中心に蛇腹を走らせた、赤い仮面。
それを被り、顔の下半分を保護するクラッシャーを装着した。
ぎゅおん、
ぎゅおんっ!
ダブル・タイフーンが回転した。
その中心にあるレッド・ランプが輝いた。
風見志郎は、強化改造人間第三号――仮面ライダーに依って改造された仮面ライダー、V3へと変身を遂げていた。
「ゆくぞ!」
V3は、アリジゴクとアルマジロンに戦いを挑む。
結城は、クラブマンを倉庫の隅まで誘導した。
変身したクラブマンの巨大な鋏が、結城を切り裂く心算が、壁を砕いてしまう。
砕かれた壁の向こう側には、一見すると、市販のオートバイにしか見えない、しかし、その実はライダーマンの為のマシンが、佇んでいた。
結城は、ライダーマンマシンのシートから、ヘルメットを取り出した。
蒼いヘルメットには、一対の触角が伸び、赤い複眼が備えられている。
ブレザーを脱ぎ捨てた結城は、強化改造人間のスーツを着込んでいた。
ヘルメットを被る。
そうして、神啓太郎の手術に依って与えられた、試作型パーフェクターをセットした。
こうして、結城丈二は、仮面ライダー第四号・ライダーマンとなるのである。
ライダーマンは、ベルトのホルダーから、カセットを取り出した。
それを右腕にセットする。
右手が、三日月型の、ぶ厚い刃に変形した。
パワー・アームである。
反り返った刃が、クラブマンの鋏を受け止めた。
サメ改造魔虫の背後から、クルーザーが迫っていた。
神敬介は、サメ改造魔虫を蹴り飛ばし、クルーザーに向かって走った。
ベルトの両脇から、レッド・アイザーとパーフェクターを取り出す。
胸の中でマーキュリー回路が目覚め、クルーザーに搭載されたスーツと共鳴した。
クルーザーと擦れ違いざまに、敬介の身体には、銀の強化服と、赤と黒のプロテクターが装着されている。
レッド・アイザーがXマスクを形成し、最後にセットされたパーフェクターが、走り抜けた風圧からエネルギーを取り込んで、神敬介の身体に送り込む。
変身完了したXライダーに、サメ改造魔虫が殴り掛かる。
だが、触れた相手を否が応にも傷付けるその肌も、Xライダーには通じなかった。
父・啓太郎が、息子・啓介を助ける為に、最後の力を振り絞って造り上げたその身体は、鉄よりも強い。
悪には敗けぬという、父の思いが、銀のボディには宿っているのだ。
Xライダーの黒い拳が、サメ改造魔虫の胴体を突き抜けていた。
馬乗りになったアマゾンの胴体を掴み、ゴリガンが立ち上がる。
アマゾンは、右手でゴリガンの左こめかみを、左手で顎を掴み、思い切り捻った。
ごぎり、と、嫌な音がして、ゴリガンの顎が、斜め上の方を向いた。
ゴリガンの力は緩まない。
改造魔虫たちは、例え頸の骨を折られても、死なないのである。
アマゾンは、剥き出しになったゴリガンの頸に、牙を突き立てた。
肉を引き千切り、床に吐き出す。
餓蟲で形成されたその肉と血は、本体を離れた途端、靄となって消滅する。
アマゾンはゴリガンから離れて、前傾姿勢を採った。
「がふぅ……」
と、獣のように唸る。
アマゾンの身体の表面に、ぞわぞわと、鱗が浮き出していた。
その下に、赤々とした血液の流れが、見て取れる。
「あぎぃぃ~~~~っ!」
アマゾンは胸を反らして、叫んだ。
大胸筋が、ごりごりと発達してゆく。
ボディ・ビルダーのような膨張を見せながら、その筋肉は、女の乳房の柔らかさを保っている。
ごつん、ごつん、と、背骨が歪に曲がり始めた。前傾が、ますます深まってゆく。
その前に傾いた背中の肉を、内側から、棘が突き破って来た。
棘の間に、膜が張られる。背びれだ。
両手を、地面に着いた。
四つん這いの姿勢が、似合っていた。
皮膚が、内側から色を濃くしてゆく。鱗が生じていた。
爪が伸びる。
腕刀からも、ぶつぶつと、刃のようなヒレが伸びて来た。
ぐりぐりと、鼻から顎に掛けてが、せり出している。
平らになった鼻の下から、唇が消失した。
ピンク色の歯茎の下で、ナイフのような牙たちが並ぶ。
瞼がなくなった赤い眼が、ぞろりと光る。
眉間に、小さな触覚が、盛り上がっていた。
「けぇぇぇぇ~~~~~~っ!」
アマゾンライダーは、叫び声を上げた。
野生の慟哭と共に、ゴリガンへと駆け出していた。
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第二十六節 死鳥
デッドライオンの触脚の一つが、ストロンガーに向けて繰り出される。
茂・ストロンガーは、それを掴み上げて、電流を流した。
デッドライオンは、悲鳴を上げて、交代する。
改造魔人や、改造魔虫と違い、デッドライオンには、通常のストロンガーの電気技も、通じるようであった。
「多少、見てくれは変わったようだが、中身は相変わらずらしいな」
今度は、茂から仕掛けて行った。
一足跳びに間合いに入り込むと、拳を連続で打ち付けた。
デッドライオンは、触手でガードするものの、打撃に加え、電流を帯びたその攻撃を受けて、じりじりと体力を削られている。
「畜生め!」
毒づいて、デッドライオンが跳び上がった。
天井まで、ふわりと舞い上がってゆく。
ストロンガーは、地面に落ちていた鎖を拾い上げて、デッドライオンの身体に投げ付けた。
鉄の縄で怪虫を縛り上げると、そこに、電流を流す。
デッドライオンは、全身から火花を上げて、悶えていた。
眼球があるべき位置と、顎の間から、スパークが奔出する。
聞くに堪えない悲鳴であった。
デッドライオンは、その場に、べたりと倒れ込んだ。
ぐぅ、と、牙を軋らせる。
「超電子の力を使うまでもねぇ」
茂はそうやって吐き捨てて、デッドライオンにとどめを刺すべく、歩み寄った。
デッドライオンは、ストロンガーが近付いて来た所で、くわっと眼を輝かせた。
黒い靄が、触手の形に変じ、ストロンガーの身体に巻き付いた。
「むぅ⁉」
「このまま貴様のエネルギーを喰らってやる!」
そう言うデッドライオンであったが、
「へぇ」
茂は、仮面の中で、愉快そうな表情をしていた。
「だったら、たっぷりと、召し上がれってんだ!」
刹那、デッドライオンが巻き付けた触手が、ごぼりと膨らみ、破裂した。
靄が蒸発して、びくびくと蠢いた。
デッドライオン本体も、苦しんでいる。
ストロンガーが、自身のエネルギー――電気を、大量にデッドライオンの身体に叩き込んでやったのだ。
風船が、空気の入れ過ぎで破裂するように、デッドライオンの触手が弾けたのである。
「往生際の悪い事すんなや」
ストロンガーが、白い拳を、デッドライオンにぶち込もうとする。
しかし、デッドライオンは、
「まだだ!」
と、触脚を動かして、ストロンガーから離れてゆく。
そこに、他のライダーたちに追い詰められた改造魔虫たちが、集まって来た。
「形勢逆転だな……」
数は、デッドライオン・改造魔虫連合の方が、一人分勝っている。
しかし、包囲しているのは、五人の仮面ライダーたちであった。
再生能力は、他のあらゆる改造人間を凌駕する改造魔虫たちであったが、如何せん、経験が少な過ぎた。
デストロン大幹部を斃し、三つの部族と渡り合ったV3。
デストロンの科学者として様々な改造人間のデータを知るライダーマン。
GODを壊滅させたXライダー。
ゲドン・ガランダーからインカの秘宝を守り抜いたアマゾン。
最初、改造魔虫たちが彼らを相手に善戦したのは、この特異な能力の為であり、その正体を知ったライダーたちの敵ではなかった。
「ぐぬぅ」
デッドライオンが、悔しげに歯を噛んだ。
と、その表情が、不意に変じた。
髑髏が、からからと、笑い始めた。
「どうしたい、デッドライオン」
茂が訊いた。
「ふん、仮面ライダー共め。完全進化は諦めざるを得ないが……」
デッドライオンは、そう言いながら、触脚を持ち上げ始めていた。
その先端が、五体の改造魔虫の身体に、深く潜り込んでいた。
「な、何をする、デッドライオン⁉」
アリジゴクが叫んだ。
強固な外骨格を持つアリジゴクやアルマジロン、クラブマン、皮膚が武器でもあるサメ改造魔虫、ぶ厚い筋肉の鎧を着たゴリガンらの肉体に、容易にめり込む触脚であった。
「貴様らを、俺の身体の代わりとしてくれるわ!」
デッドライオンの、獅子の眼が光った。
触脚を通じて、改造魔虫たちに、黒々としたエネルギーが注入されてゆく。
デッドライオンの触脚を、螺旋状にねじくれた黒い光が伝う。
それらは、あの曼荼羅から得たエネルギーだ。
サタン虫・蟲毒の状態のデッドライオンが、急成長を遂げたエネルギーである。
それを、改造魔虫たちに注入する事で、デッドライオンは、同じく巫蟲・蟲毒で生み出されたと思しき改造魔虫たちを、自分と同じものに作り変えようとしていた。
餓蟲――空気中を漂う霊性エネルギーに還元された改造魔虫たちは、デッドライオンの肉体を、殻のように覆った。
それは、蛹とも、卵とも見えた。
ライダーたちの見ている前で、むりむりと巨大化してゆく卵。
その大きさは、瞬時に、五メートルに達していた。
卵の殻の表面は、脚と脚を絡めた虫で構成されている。
それが、鼓動を始めていた。
五つの人格――感情が、餓蟲を変異させている。
その中核たるデッドライオンに、進化が齎されようとしていた。
「何だ、これは⁉」
歴戦の勇士である風見志郎・仮面ライダーV3でさえ、初めての現象であった。
「ぐぅ」
と、アマゾンが呻いた。
野生で育ったアマゾンには、餓蟲の事が分かった。
餓蟲という名前は知らなくとも、その概念は知っている。
日本で学んだ言葉で言うのなら、それは、自然たちであった。
自然――樹や、風や、水や、土や、石などである。
それらには、魂が宿っている。人間と共通の言語を持たないだけなのだ。
餓蟲とは、魂と呼び変えても良いものであった。
餓蟲、つまり、自然に宿る魂が、有害なものに変じるとは、例えるならば、樹を削り出して、先端を尖らせれば、人間を刺し殺せる武器になるという事だ。
石は、そこにあるだけならば石である。けれど、それで人を殴り殺す事も出来る。
この後者になった状態を、餓蟲が有害なものに変じたと言うのだ。
人間の精神が、餓蟲に影響するとは、そういう事なのである。
アマゾンは、まさしくそれを感じていた。
デッドライオンという一つの殺意が、ストロンガーを殺す為に、餓蟲――魂たちを、強大な悪意を宿した凶器へと、変貌させようとしているのだ。
ぴし――
と、餓蟲の卵の表面に、ひびが入った。
その亀裂から、血液を塗り込んだような、赤い瞳が覗いた。
「出るぞ⁉」
ライダーマンが叫んだ。
卵から、強力な波動が発せられる。
ライダーたちは、無意識に、その卵から距離を置いていた。
卵の全体に亀裂が走り、その殻を内側から突き破るものがあった。
爪だ。
獅子の爪ではない。
巨大な腕までが飛び出した時、その薬指と小指の骨が、異様に長かった。その長い二本の指の間には、膜が張られており、しかも、毛を纏っていたのである。
鳥類の翼であった。
両腕を左右に真っ直ぐ広げたなら、一〇メートルを超える事であろう。
殻が突き破られた。
餓蟲で構成された殻は、内部から打ち破られた直後、黒い靄となって、生まれ出でたものの身体に吸収されてゆく。
「これは――!」
敬介が、誕生した巨体に、声を上げた。
それは、余りにも大きな、猛禽であった。
黒い羽毛で包まれた全身は、地に這った状態で、五、六メートル。
それを支える脚は、巨木のように太い上、三本である。
頸が、胴体に埋もれていた。そこだけを見れば、ライオンのたてがみにも見える。
その黄色い頭部が、ごりごりと、胴体からせり出して来た。
額からは、デッドライオンの名残のように、一対の角が、皮膚を捲って生えている。
獅子の顎は、更に前方に突き出して、嘴を形成していた。
頭部に、体毛はなかった。
伸びた頸を持ち上げるさまは、キリンにも似ていた。
「ケツァルコアトルス……」
風見が呟いた。
「ケツァルコアトル⁉」
茂が反応する。
「いや、ケツァルコアトルスだ」
結城が、補足した。
「一九七一年に、テキサス州で発見された翼竜だ。昨年、新種として登録されている。白亜紀末の生物で、現在知られる限り、史上最大の飛翔動物さ」
「そう言えば、先輩たちが言っていた……」
風見が言う先輩とは、本郷猛と一文字隼人の事である。
「デルザーとの戦いで、俺たちに加勢する為に日本へ来る途中――」
或る改造魔人と、戦ったと言うのである。
日本にいた茂たちは知らない、一三人目の改造魔人である。
その名を、ジェットコンドルといった。
本郷と一文字のダブルライダーは、ジェットコンドルを斃し、帰国した。
改造魔人たちは、何れも、伝説上の怪物などの子孫である。
ジェットコンドルも例に漏れず、彼の場合は、ロック鳥の血を引いていた。
ルフとも呼ばれる巨鳥で、中東やインドの地域の伝説に登場する。
その中で有名なのは、『千夜一夜物語』の中の、シンドバッドの物語である。
マルコ=ポーロは、『東方見聞録』の、マダガスカルに関する記述の中で、現地人
が“ルク”と呼ぶ巨鳥の存在を語っている。マルコは、これを“グリフォン”であるとしていた。
又、このロック鳥は、アラブ人の言う“フェニックス”であり、ペルシャの伝説に登場する“シームルグ”の近縁であり、古代イランでは不死鳥“アムルゼス”であり、そして、インドでは鳥類の王にしてヴィシュヌ神の乗る聖鳥“ガルーダ”であるとされている。
「驚いたな……大出世じゃねぇか」
茂が、冗談めかして、言った。
何の為に行なわれた巫蟲か、その誕生の由来かは知らないが――
ちっぽけな、一匹の小動物が、他者を害する呪いとなり、秘密結社の大幹部となり、その上位集団の残党と手を組み、神の子孫と近い姿となり、そして、神の名前さえも関した生物と化すとは……。
「つまり、今のお前さんは、神さまってぇ訳かい、デッドライオンよ」
茂の声に、デッドライオンであったものが、鎌首をもたげた。
硬い嘴が、きゅぅと吊り上がったように見えた。
赤い瞳が、ストロンガーを見下ろしている。
「そうだ――」
嘴の空洞の奥から、反響を繰り返す、くぐもった声で告げた。
「俺の名はデッドコンドル――貴様ら裏切り者に、我が力を味わわせてくれる!」
デッドコンドルと名乗った巨鳥は、翼を広げ、羽ばたいた。
その一動作だけで、超重量級のストロンガーを除いた四人のライダーは、吹っ飛ばされてしまう。
デッドコンドルは、巨大な嘴で、ストロンガーを突き殺そうとした。
茂は身を躱したが、デッドコンドルの嘴は、コンクリートを陥没させた。
構えようとするストロンガーに、デッドコンドルが、左の翼を振るって来た。
縦横に五メートル以上の翼が、ストロンガーに、真横からぶつかって来る。
「ぬぅぅぅ!」
茂は両手でデッドコンドルの翼を押し返そうとするが、押し切られてしまった。
流石に宙に浮くような事はないが、地面に転がされる。
倒れたストロンガーの身体の上に、デッドコンドルの三本の足の内、一本の足の平が落とされて来た。
爪は、真っ直ぐに伸びている。
踏み付けられただけではどうともならないが、蹴り付けられたら大惨事である。
茂・ストロンガーは、両腕を胸の前にやり、踏み付けに耐えた。
実際の翼竜ケツァルコアトルスは、その巨体で空を飛ぶ為、体重は軽かった。
だが、このデッドコンドルは、その巨体そのものの体重を持っている。
ストロンガーの、三〇〇キロの装甲と言えど、軋みを上げざるを得ない。
「虫けらのように、押し潰してくれる……」
デッドコンドルの、怨み骨髄の声。
デッドコンドルは、一度、ストロンガーを踏み込んだ足を、じんわりと押し付けて来た。
何度もストンピングを繰り返すと言うのなら、それは、打撃と変わりない。
しかし、こうして圧力を掛けられたのでは――
「ぬおぉぉぉっ!」
ストロンガーは、自らの持てるパワーを発揮して、どうにか、抜け出す為の隙間を作ろうとする。しかし、デッドコンドルの掛けて来る重量は、ストロンガーの力さえも超えている。
と、Xライダーとアマゾンライダーが、デッドコンドルの背後から忍び寄った。
ライドル・ホイップと、ヒレカッターが、デッドコンドルの背中を斬り付ける。
そちらに意識が向いた隙に、茂・ストロンガーは、デッドコンドルの足の下から抜け出した。
「茂、これを――」
と、ライダーマンから、ロープを手渡された。
ロープ・アームから、先端のフックとロープを取り外したのだ。
ストロンガーは、フックをデッドコンドルの足に突き刺し、電流を放った。
しかし、エレクトロ・ファイヤーは通じない。
デッドコンドルは、電流を流し続けるストロンガーに向かって、這い寄って来る。
嘴が突き出された。
茂は、ロープを回収して、飛びずさった。
ストロンガーを、嘴で突き刺そうとするデッドコンドルの横っ面に、跳び付いたものがある。
V3であった。
風見・V3は、デッドコンドルの眼球に、白い拳をめり込ませてゆく。
だが、デッドコンドルに苦しんでいる様子はなかった。
V3が拳を引き抜くと、血と思われたものは黒く霧散してしまう。
デッドコンドルの左手が動き、V3の胴体を掴んだ。
「くっ――」
V3は、レッド・ボーンを発動させた。
レッド・ボーンとは、強化服の真ん中を走る、赤いプロテクターの事である。
エネルギーをここに集中する事で、一時的に強力なパワーを発揮する。
風見・V3は、その力でデッドコンドルの手から抜け出し、天井に両足を着いた。
天井を踏み抜き、V3は、デッドコンドルの頭部に蹴りを見舞う。
レッド・ボーンでパワー・アップした、反転キックは、デッドコンドルの頭蓋を砕いた。
「おぉ!」
と、敬介が声を上げる。
しかし、デッドコンドルは、何でもないかのように、自身の頭を蹴り抜いたV3を、叩き落そうとした。
アマゾンが素早くV3に抱き付いて、地面に連れて来ねば、蠅か蚊のようにはたき落されている所であった。
「虫けら共め、貴様らに勝ち目などあるものかよ」
デッドコンドルが言った。
「ちぇっ、元はと言えば、同じ虫けらじゃねぇかよ」
茂が、デッドコンドルを罵る。
すると、デッドコンドルは、大声で笑った。
「貴様らと一緒にするな、この、鉄屑めら!」
「何ィ⁉」
「俺は神として祀られた蟲よ。そして、俺は今、神の肉体を手に入れたのだ」
「――」
「貴様らなど、恐れるに足らぬわ――」
がぱぁ、と、デッドコンドルの嘴が開いた。
その奥に、黒い靄が渦を巻いているのが見えた。
ライダーたちは、一様に、ぞっとするものを感じ取った。
散開する。
刹那、デッドコンドルの嘴から放たれた黒い光線が、倉庫の地面をくり抜いていた。
隕石でも落ちたかのように、地面が陥没していたのである。
ぐはは――
ぐはは――!
デッドコンドルは哄笑し、翼を大きく広げた。
三本の脚で、陥没した地面を蹴り、倉庫の屋根をぶち破って上昇する。
羽を一度動かすだけで、竜巻が起こりそうな風圧であった。
体重故にか、すぐに、高所まで上昇するという事は出来ないらしい。
とは言え、今の光線を、上空から放たれては、堪ったものではなかった。
「神か……」
かつて、そう名乗っていた組織と戦った、Xライダー・敬介が呟いた。
倉庫の瓦礫の奥から、ライダーマンとV3が這い出した。
アマゾンも、黒い巨鳥を見上げ、言葉を失っている。
ライダーたちは何れも、デッドコンドルから姿を隠そうとしていた。
「へ――」
ストロンガーは、掌に拳を叩き付けた。
ばぢぃん!
と、火花が奔る。
「神なものかよ――」
「茂……」
「例え神にしたって、人間を殺すのなら悪魔だろうさ」
ストロンガーは、デッドコンドルを睨み付けた。
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第二十七節 生死
「さて、どうするか――」
風見が、腕を組んで、唸った。
先程、レッド・ボーンでパワーを底上げした反転キックで頭部を砕いたが、効果はなかった。
アマゾンのヒレカッターも、Xのライドル・ホイップも、通じない。
ストロンガーの電気技も、無効化されてしまう。
「どうだ、結城」
風見が問う。
結城・ライダーマンは、首を横に振った。
「俺の最大の火力は、マシンガン・アームだ……」
ライダーマンのカセット・アームには、様々な種類のものがある。
ロープ・アーム
鎌アーム
パワー・アーム
スイング・アーム
ドリル・アーム
オクトパス・アーム
オペレーション・アーム
更に開発は続けられており、スキャニング・アームなどは、最近になって造られたものだ。
アマゾンが、インカの末裔たちの長老・バゴーから、日本へゆき、会うように言われた高坂博士――彼は、ゲドンの獣人に殺害されてしまったのだが、彼は、日本語を喋れないアマゾンの記憶を探るのに、脳波を映像化する装置を用いていた。
その装置を転用したのが、スキャニング・アームである。
先程、用いたスピーカー・アームも、最近のものだ。本来であれば、広範囲にミリ波を放射して、暴動などを鎮圧する兵器である。非致死性掃射型兵器の名の通り、生体に致命的な損傷を与える事はないものの、かなりの激痛がある。
結城の言ったマシンガン・アームは、その名の通り、カセット・アームを機関銃に変形させるものである。
サイズの事もあり、弾数も、決して多くはない。
拡張ユニットを装着する事で、弾数や射程距離を大きくする事は出来るが、その火力であっても、デッドコンドルを粉砕するには至るまい。
「第一、幾らパワーを上げても、あれを斃せるものだろうか」
結城が漏らした。
効果はない――そのようには言っても、攻撃自体が通じないではない。
肉体を破壊する事が出来ても、それがダメージに直結しないのである。
デッドコンドルの肉体は、餓蟲で構成されている。
餓蟲とは、空気中を漂うエネルギー体であるから、ほぼ無限であると言える。
それを完全に消滅させる事は、不可能であった。
「だが、俺は、ブラックサタン大首領を斃している」
茂が、通信で、他の四名に伝えた。
ブラックサタン大首領も、蟲毒で作られたものだ。
その肉体は、やはり餓蟲の筈だが、それでもストロンガーは打倒している。
ならば、同じ蟲毒を核としたデッドコンドルの打倒が、無理な事はない。
「どうした、虫けら共――!」
デッドコンドルが、上空から声を投げた。
「臆したか⁉ 焼き払ってくれようぞ……」
「――好き勝手言いやがって」
茂が言った。
仮面がなければ、唾を吐いていた事であろう。
「勝つ方法、ある」
そう言ったのは、アマゾンであった。
「何?」
「それは、何だ?」
風見が訊いた。
「あいつの中、一つだけ、違うもの、ある」
「違うもの?」
「あいつの身体、肉、ある。でも、肉、違う」
「うむ」
「あいつの肉、肉じゃない思えば、肉じゃなくなる」
「おう」
「けど、あいつの中、変わらないもの、ある」
「それは?」
「あいつ自身――あいつの、本体」
「つまり、それは、デッドライオンという事か?」
茂が訊いた。
あの肉体はデッドコンドルである。
しかし、その中核となっているものは、デッドライオンであるのか?
そのような問いであった。
「うん」
と、アマゾンは頷いた。
「では、あれか?」
「あれ?」
風見が思い出すように言い、敬介が問うた。
先程、頭を蹴り砕いた時――
「奴の頭の中に、他の部分とは違うものを感じた……」
風見は、デッドコンドルに掴まれてもいる。
その感覚を、踏み付けられたストロンガーと同じ程度には、分かっていた。
無数の形なき虫が群れて、一つの生命を造り上げている――
その手と、頭とは違う感覚を、頭蓋の奥深くに感じていた。
茂も触れていない場所であった。
「茂――」
風見に言われ、茂が頷いた。
ビデオ・シグナル機能を使う。
V3が、デッドコンドルの頭部に蹴りを見舞った瞬間を、スローで再生した。
天井を蹴る勢いで反転して、デッドコンドルの頭に、右足を突き込むV3。
飛び散る餓蟲さえも、良く見えていた。
その時、蹴り抜けたV3の背後に、餓蟲とは違うものが見えた。
さっきまで戦っていた、デッドライオンの正体である、蟲毒だ。
頭蓋の中――いや、あの位置は、口の中である。
そう言えば、と、茂は、その後、デッドコンドルが光線を放った瞬間も、再生してみた。
開かれた嘴の中が、黒く発光する寸前、ちらりと、獅子の顎が見えていた。
その映像を、改造人間同士で共有する。
「狙うのは、あの一点か――」
敬介が、デッドコンドルを見上げた。
しかし、その嘴は、硬く閉ざされている。
言葉を降らせて来る時であっても、小さくしか開かない。
あの程度の隙間ならば、ライドル・ロング・ポールや、V3ホッパーを突き入れる事は出来る。しかし、先にそれを気取られてしまえば、やはり、嘴は閉ざされてしまう。
デッドコンドル自身、自分の弱点が何処にあるのか、分かっているだろう。
だからこそ、ああして、ライダーたちの頭上を取ったのではないか。
ライダーたちを俯瞰していれば、その動きが見て取れる。
ジャンプして、デッドコンドルの頭上にゆこうとするのを、迎撃する事が出来る。
「方法は一つだな」
風見が提案した。
「奴に、あの光線を使わせる」
「口が開いた一瞬に、か」
結城が、風見を見た。
嘴は、あの光線――仮に、デッド・ブレスとでもして置こう――を放つ時、最大に開かれる。
「素早くやらねばならない」
敬介が言う。
デッド・ブレスが放たれる直前、或いは、放たれた直後だ。
嘴を閉ざされてしまう前に、斃さねばなるまい。
「強い、攻撃……」
アマゾンが呟いた。
先程、例に出したような、ライドル・
アマゾンには遠距離武器がなく、小回りが利くと言っても、口の中に入り込むのには、少々不安があった。
デッドコンドルの攻略には、速度とパワーが必要である。
デッドコンドルの嘴が開いている隙に口の中に飛び込めて、しかも、一撃で本体である蟲毒を消滅させる事が出来るパワー……。
連携で、デッドコンドルに、嘴を開ける隙を作るにしても、これらを兼ね備えているのは――
「――俺だな……」
茂が言った。
「俺のジャンプ力は五〇メートルだ。奴は、幾らなんでもそこまでは上昇出来まい」
古代生物のケツァルコアトルスや、それ以前には最大と呼ばれていたプテラノドン。
彼らの体重は、体長に反して、非常に軽量であった。
そうでなければ、飛翔する事が出来ないからだ。
デッドコンドルは、しかし、一〇メートル越えの全長の上、体重はトンに差し掛かっている。
そうであるから飛べないという事はないが、それには、かなりの筋肉とスタミナが必要である筈だ。
肉体を構成しているのが餓蟲であるという事もあり、同じ身長体重の生物よりは、幾らか空を飛び回る事は出来るかもしれない。
だが、デッドコンドルには、確かに質量がある。踏み締められたストロンガーは、それが分かる。
ならば、ストロンガーのジャンプよりも高い場所に位置し続ける事は、難しい筈だ。
「つーか、俺しかいねぇだろ」
茂が、その理由を、指折り数えた。
「ブラックサタンの大幹部だろ」
ブラックサタンは、沼田五郎の仇だ。
「デルザー軍団の生き残りみたいなもんだろう」
デルザー軍団は、岬ユリ子の仇である。
「なら――俺がぶっ潰してやるっきゃねぇだろう」
それを除いても、デルザーの改造魔人を確実に粉砕出来るのは、超電子の技である。
スペックも、この五人の中では、ストロンガーがずば抜けている。
三〇〇キロのボディから繰り出されるパワー。
それだけの重量を動かす電力が発揮させるスピード。
「先輩、俺にやらせてくれ!」
茂・ストロンガーが、叫ぶように言った。
反対する理由はない。
「よぅし」
と、風見・V3が、瓦礫の陰から立ち上がった。
「俺たちが奴の隙を作る」
「嘴を開いたら――」
「茂……」
結城・ライダーマン、敬介・Xライダー、アマゾンも、すっくと立ち上がる。
「超電子ダイナモの稼働時間は、一分だ」
それを超えると、自爆する。
茂は、しかし、それについて別の事実も知っている。
「だが、そのタイム・リミットが近付くに連れ――」
ストロンガーが発揮出来る力は、増してゆく。
限界に近付くたびに、その力は出力を引き上げてゆくのだ。
生存と自爆との、一瞬の境界を見極める事で、ストロンガーは、より強い力を発揮する事が出来るのであった。
「つまり――こういう事か」
風見が確認した。
「俺たちは、お前が、チャージ・アップしていられる限界時間までに、奴の口を開けさせる」
「おう……」
「いや、正確には、お前がその最大の威力で攻撃する時間まで、奴の口を開けさせて置く事、か」
「そうなる……」
「ふん……」
「――」
「面白い……」
風見が、小さく笑い声を上げた。
単に、一分間を稼げば良いという話ではない。それでは、ストロンガーが自爆してしまう。
ストロンガーがチャージ・アップしてから、デッドコンドルの嘴を、ストロンガーが攻撃する事の出来る角度にまで開けさせて置き、しかも、ストロンガーが最大の威力を出し切るのに必要な助走やジャンプの為の距離が適度に取れる位置に、デッドコンドルを縫い止めて置かねばならない。
デッドコンドルの位置が、数メートル違えば、必要な助走も大きく変わる。
走り出すのが、タイム・リミットの一〇秒前か五秒前かで、茂の生死が決まってしまう。
その困難な作戦を、しかし、風見志郎は――
「面白い」
と、言ったのである。
「結城――」
「おう」
「敬介……」
「はい」
「アマゾン!」
「がぅ」
「茂を、全力で、サポートするぞ」
「――」
風見志郎・仮面ライダーV3の言葉に、ライダーたちは頷いた。
V3はストロンガーを見やった。
頷き合う。
「作戦コードは“STRONGER”だ。ゆくぞ!」
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第二十八節 螺旋
デッドコンドルは、倉庫の上空から、仮面ライダーたちの行動を監視していた。
その表情には、余裕が見て取れる。
夕陽を浴びる黒い身体の巨大さ、そこから感じ取れる圧倒的な力。
それに比べて、仮面ライダーたちの、何と矮小な事か。
いや、今の自分であれば、あのジェネラルシャドウでさえ、敵ではない。
今の自分――デッドコンドルは、最強の改造魔人である。
寧ろ、まだ、“人”を名乗る事に違和感さえ覚えた。
改造魔神――そのように名乗っている方が、それらしい。
改造魔神デッドコンドルだ。
この力を以てすれば、すぐにでも人類を支配する事が出来るであろう。
エネルギーは、無限大だ。
町一つを焼き滅ぼしてやれば、生き残った者たちの悲痛な叫びを聞く事が出来る。
それは、激しい感情の連鎖を生み、餓蟲を変質させる。
そうした、負の感情より生み出された餓蟲こそ、この肉体を構成するものだ。
悲鳴が途切れない世界は、即ち、デッドコンドルの餌場であった。
ブラックサタン大首領に忠誠を誓い、目指した世界征服の夢――
それを、今、デッドコンドルとして叶える事が出来る状態に、あるのだ。
堪らなかった。
歓喜の声を、天に昇らせてしまいそうであった。
沈みゆく太陽――
明日の朝、昇るのは、デッドコンドルという黒い太陽だ。
自分が天に戴かれ、人間共をひれ伏させる……
デッドコンドルの赤い瞳が、その夢想に酔った時、崩れた倉庫の隅で、白い光が瞬いた。
「む――⁉」
そこにいたのは、ストロンガーである。
しかし、その姿は、デッドコンドル――デッドライオンの知っているものとは異なっていた。
カブト・ショックは巨大化し、銀色に輝いている。
カブテクターが展開し、Sポイントが激しく回転していた。
一回りは大きくなったように見える。
その身体の周囲には、ばちばちと電光が弾けていた。
ストロンガーがチャージ・アップしたのだ。
Sポイントの回転は、超電子ダイナモの生成する電子を放出する意味がある。
一分間のタイム・リミットが迫るたび、超電子ダイナモは加速し、生成する電子の数を増してゆく。
Sポイントの回転に依る放出が追い付かなくなった時、ストロンガーは自爆する。
デッドコンドルはそれを知らない。
知らないが、ストロンガーの新しい力を、感じ取る事は出来た。
“多少、見てくれは変わったようだが”
ストロンガーのその言葉の意味が分かった。
デッドコンドルは、同じ台詞を、ストロンガーに言ってやりたかった。
今のデッドコンドルに、あの程度の力が通用するものか。
――あのてらてらした角を圧し折ってやる。
デッドコンドルは思った。
と、倉庫から跳び上がって来る者があった。
仮面ライダーV3である。
「よぅ――」
V3は、デッドコンドルの太い脚に、蹴り付けてゆく。
デッドコンドルには、その程度の攻撃は通じない。
V3が蹴り付けた脚で、逆に、V3を蹴り殺そうとする。
真っ直ぐ伸びた爪で、刺し殺す心算であった。
風見・V3は、その爪の表面に靴底をぶつけて、スプリングで跳んだ。
デッドコンドルの腹を蹴りながら、上昇する。
「ぬぅ!」
「――ふふん」
V3は、デッドコンドルの頭上に至る。
デッドコンドルは翼をはばたかせ、V3を吹き飛ばそうとした。
風が巻き起こる。
竜巻がV3を巻き込んだ。
「っと!」
体勢を崩したV3に、デッドコンドルが嘴を突き付けてゆく。
その嘴をV3は掴み、地上に引き摺ろうとした。
デッドコンドルは、長い頸を持ち上げた。
頸を振り下ろす勢いで、V3を払い落とした。
「ぬぅ⁉」
倉庫へと落下するV3を、横手から、ライダーマンのロープが絡め取った。
ライダーマンは、V3の身体を、ハンマー投げの要領で振り回し、デッドコンドルに向けて投擲した。
ロープで回転させられ、加速を得たV3の蹴りが、デッドコンドルの腹部を貫通する。
流石に、それはこたえたらしい。
デッドコンドルが、呻いた。
痛み自体はないが、衝撃が、本体まで突き抜けたのだ。
空中で体勢を立て直すV3だったが、怒りのデッドコンドルが、頭部をぶつけて来た。
硬い嘴が、風見の身体を、真横からぶっ叩いた。
落下するV3。
それを追って、デッドコンドルが動く。
三本の脚を、地面と平行にし、翼を振るった。
ぐぉ、
と、空気の唸りが、獣の咆哮に聞こえた。
デッドコンドルが、V3の身体を啄もうとする。
その嘴に、別方向からロープが絡んで来た。
ライド・ロープだ。
Xライダーのライドルが、ロープ状に変じたものである。
倉庫の屋根の上、ライダーマンとは反対の場所に、立っていた。
「むぅぅぅおっ!」
Xライダーが息んだ。
敬介・Xライダーは、身体を思い切り捻って、デッドコンドルを地面に引き摺り下ろすよう、ロープを引っ張った。
飛行の勢いを利用され、デッドコンドルが、地上に落下する。
とは言え、デッドコンドルも堪えようとするし、Xのパワーだけでは、その重量を引っ張り落とす事は難しい。
――マーキュリー!
敬介は、心の中で叫んだ。
叫びとも言えない叫びであった。
言葉にならない意思の力が、胸の回路を呼び覚ます。
マーキュリー回路が、Xライダーの全身に、パワーを漲らせた。
鉄のグローブが軋み、銀の強化服が裂けるかと思わせる程に、敬介の肉体に力が宿る。
Xライダーが、デッドコンドルとの綱引きを制した。
デッドコンドルの胴体が、倉庫の中に突き落とされ、地面に無数の亀裂が入った。
ぼぅ、と、亀裂から立ち上がった埃や砂が舞い上がり、黄土色のカーテンを作る。
大地の蜃気楼の向こうから、ライダーマンとアマゾンが、同時に跳び掛かった。
ライダーマンは、スイング・アームを付けている。
先端に棘付きの鉄球を取り付けたアームである。
本来であれば、チェーンで振り回すそれを固定して、頭部を砕きにゆく。
人の頭程もある鉄球が、デッドコンドルの頭頂にめり込んだ。
「ぐごぉ!」
デッドコンドルの悲鳴。
更に跳び掛かるアマゾンは、ガガの腕輪を持ち出していた。
ギギは、左を意味する。
ガガは、右を意味する。
ガガの腕輪は、アマゾンの右腕に装着されていた。
アマゾンは両腕を交差する事で、上腕に装着した二つの腕輪の牙を、噛み合わせた。
二つの腕輪が交わった地点から、黄金の輝きが迸る。
噛み合った牙のから、光は螺旋を描いてアマゾンの腕を伝わった。
身体の前で交差された両腕を伝わるエネルギーが、ヒレカッターを肥大させる。
より大きく、より鋭く――
アマゾンの、スーパー大切断が、デッドコンドルの片翼を落としていた。
「貴様ら~~~~っ!」
デッドコンドルが、血の混じった叫びを上げた。
残った右の翼の先端――三本の指で、頭の上のライダーマンを掴み上げ、上空に放り投げた。
スーパー大切断を放ち、着地しようとするアマゾンを、三本の脚の一つで蹴り上げる。
デッドコンドルは鎌首をもたげ、上空に位置する四人ライダーを睨んだ。
嘴の繋ぎ目から、黒い光が漏れる。
――来る!
そう思った時、しかし、デッドコンドルの身体が、変化を始めた。
右の翼の表面――その羽毛が立ち上がり、無数の触手へと変化した。
考えてみれば、餓蟲とは、精神のありようでどのようにも変化する。
デッドコンドルの本体、デッドライオンであった蟲毒が、デッドコンドル以外の姿をイメージすれば、どのような姿にも変身する事が出来るのだ。
羽毛が変化した触手がくねり、ライダーたちに迫る。
全力でデッドコンドルを投げ飛ばした疲労で動けない敬介が、捕まった。
空中で身動きの取れないでいた結城が、捕らえられた。
アマゾンも、ギギとガガのエネルギーを受け止めた肉体には、大きな負担が掛かっている。
風見は、繰り出される触手を足場に逃げ回っていたが、遂には捕らえられる。
「先ずは、貴様らだ……!」
デッドコンドルが、捕らえたライダーたち目掛けて、デッド・ブレスを放とうとする。
しかし――
「エンド・ゾーン前ががら空きだぜ、デッドコンドルよぅ」
ストロンガーが、駆け出していた。
Sポイントの回転速度が、チャージ・アップ直後よりも増している。
それだけ、電子の生成量が多くなっているのだ。
ストロンガーは、その巨体からは想像出来ない速度で走った。
脚を出すそのたびに、腰を捻るそのたびに、腕を振るうそのたびに、ストロンガーの全身から稲妻が迸り、雷光の残像を造り出す。
「ストロンガー!」
デッドコンドルが叫んだ。
しかし、茂は、それが聞こえなかった。
す
と
ろ
ん
が
ぁ
と、デッドライオンが言うのは聞こえた。
しかし、一つの言葉を発するたびに、茂の足は何歩も進んでいる。
ス、と、言った時には一歩であった。
ト、と、言った時には、三歩目を踏んでいた。
ロ、と、言った時には、八歩進んでいる。
ン、と、言った時には、跳躍していた。
ガ、と、言った時には、右脚を伸ばして回転している。
ァ、と、言った時には、回転が全ての音を掻き消していた。
周囲の超電子をスパークさせ、超重量を、右足を軸に回転させる。
ストロンガーは、一つの螺旋となっていた。
恰も、リリースされた、アメフトのボールだ。
超高速で回転する
しかし、デッド・ブレスの発射と、タイミングが同じであった。
ストロンガーの声を聞いたデッドコンドルは、声の方向に顔を向けた。
ストロンガーが突っ込んで来るのと、デッド・ブレスを放つのが、同時になる。
相討ちだ。
ストロンガーの、超電子ドリルキックは、デッドライオンを砕くだろう。
だが、デッドコンドルのデッド・ブレスも、ストロンガーを焼いてしまう。
その上、超電子ダイナモは限界である。
ストロンガーがデッド・ブレスを直撃されたとしたら、間違いなく爆発する。
確実に死ぬ――
確実に全身が吹っ飛ぶ――
茂は、それを悟った。
あの時と同じだった。
卒業前の最後の試合で、沼田が投げたボールを、キャッチ出来なかった。
オフェンス・ラインを抜け、相手のディフェンスの隙間を駆け抜け――それでも、指先を掠めるだけに留まってしまった。
あの時と同じだ。
ボールはそのまま地に落ちて、こちらの攻撃が終わり、後はそのまま……。
今回、違うのは、“次”がない事だ。
それを悟って、しかし、冷静であった。
天に昇った女がいた。
地に眠った男がいた。
ならば、次は俺だ。
人を護って去ってゆく――
俺の順番が、回って来たのである。
茂は、それを受け入れていた。
それを受け入れた時、全ての景色が止まった。
回転する自らが停止し、放たれるデッド・ブレスが停止した。
全ての時間が止まっていた。
その、凍て付いた時の中で――
“茂……”
そういう声がした。
ユリ子の声だった。
“茂!”
沼田が言っていた。
“ストロンガーだ!”
沼田が言った。
茂は、頷いた。
分かったよ……
分かっているよ、五郎……
俺は、ストロンガーだ。
仮面ライダーストロンガーだ。
そして、ユリ子。
お前は、もう、只の女だ。
仮面ライダーじゃない。
そして、お前は、俺の大切な相棒だった。
タックルよ。
俺を、天から、見守ってくれ。
だから、最後に、お前の技を貸してくれ。
ユリ子が頷いた。
茂が取る事の出来なかったボールを、しっかりと、受け止めていた。
茂の、停止した腕が、動いた。
回転する肉体を、更に回転させる為、両腕を、振るう。
その螺旋の名は――
“電波投げ!”
爆発が、起こった。
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第二十九節 将軍
さくらは、耳をつんざく爆音を聞いた。
倉庫から、幾らか離れた場所で、さくらは、茂たちを待っていた。
さくらと一緒に、吉塚と相澤もいる。
荒廃した畑の中であった。
風見たちが襲われた道路から更にゆくと、森の中に入り、その森を抜けるとこの畑があり、その先に更に森があって、森の向こうに倉庫があるのだ。
艶のある、背の高い草が、茫々と生い茂っている。
その草と草との間のけものみちに、さくらたちが立っていたのだ。
倉庫から逃げ出した人々は、倉庫の外で服を脱がされた。
茂たちの登場で逃げ出す時に、その服を思い思いに掴んで、倉庫を離れたのだ。
その時に拾った、誰のものとも分からない上着を、羽織っているだけであった。
さくらは、茂の上着を肩に掛けている。
全身が、あの液体で赤く染まっているが、乾燥してぽろぽろと剥がれて来ている。
夕暮れの風が吹いた。
それに混じって、巨大な生物の息吹が、叩き付けられて来る。
そうしている内に、倉庫の方角から、爆発音が聞こえた。
森の頭の上に、もうもうと、黒い煙が上がった。
その煙は、人の髑髏の形をしているようにも見えた。
不気味な筈の髑髏だが、何故か、それは泣いているように思えた。
さくらは、眼を瞑った。
ぎゅぅと閉じた瞼の奥で、強く、祈りを捧げているようであった。
と――
「せ、先輩!」
吉塚が声を上げた。
相澤も、立ち上がっている。
さくらが眼を開けた。
森の向こうから、五台のバイクが現れた。
赤い仮面のV3が、青いオートバイ・ハリケーンに乗っている。
黄色いマフラーの上に、微笑みを浮かべたライダーマンも、マシンを駆っていた。
白い弾丸と形容する事が相応しいバイクに、銀の騎士Xが跨っている。
機械は似合わぬ筈のアマゾンライダーに、獣をモチーフとしたバイクは似合っていた。
そして、その中心に――
火花の飾りをフロントに着けた、赤く、ド派手なオートバイ。
そのハンドルを握るのは、ぼろぼろではあるが、凱歌を上げる甲鉄の戦士だ。
「ライダー!」
さくらは、涙声で叫びながら、五人のライダーたちに駆け寄った。
何処とも知れぬ洞窟――
「デッドライオンは敗れたそうです」
人間の姿の、改造魔虫ハチ女が言った。
暗闇の中を先導するのは、オオカミンである。
ハチ女が殿を務めており、彼女たちの間には、暗黒大将軍がいた。
長い髭を、指で弄びながら、
「そうか」
と、頷いた。
デッドライオンと話していた時の、妙な外国人訛りは、なくなっていた。
「所詮は、虫けらという事か」
「――同じ虫けらでも、私たちは、貴方のお役に立つ事でしょう」
ハチ女が、自信ありげに笑う。
と、開けた所に出た。
一〇メートル四方はある。
そこには火が灯っていた。
空間の奥に、玉座が設けられている。
その明るさの中で、暗黒大将軍は、玉座に腰掛けた。
宮仕えのように、二人の改造魔虫が、その傍に控える。
と、ゆっくりと腰を下ろした所で、不意に、暗黒大将軍が口を開いた。
「どちらさまかな?」
ハチ女とオオカミンが、自分たちが歩いて来た道を睨み付けた。
尾行されていたらしい。
暗闇に、二対の、赤い楕円がぼんやりと浮かび上がった。
現れたのは、飛蝗とモチーフとした、髑髏にも似た仮面の男たちだ。
仮面の色が鮮やかで、銀のレガースの男が、仮面ライダー第一号・本郷猛。
黒っぽい仮面と、赤いレガースの男が、仮面ライダー第二号・一文字隼人。
この二人も亦、仲間たちから連絡を受けて、日本へ帰って来ていた。
「これはこれは」
暗黒大将軍が、愉快そうな声を上げた。
「光栄だな、伝説のダブルライダーの揃い踏みを見られるとは」
「――しぃっ!」
変身したハチ女が、本郷猛に突っ掛けていた。
毒針フルーレが、ライダー第一号の、スーツの隙間を狙う。
本郷が、ステップ・バックで避けた。
ほぼ同時に、オオカミンが一文字隼人に掴み掛る。
鋭い爪でライダー第二号の身体を掴み、牙を突き立てようとした。
しかし、一文字ライダーは、軽々とオオカミンを投げ飛ばしてしまう。
受け身を取るオオカミン。
その頭部を、一文字の、赤い拳が砕いた。
だが、オオカミンは、すぐに頭部を再生させてしまう。
「ほぅ、聞いちゃあいたが、凄い回復力だな」
一文字が、感心したように声を上げた。
一方、本郷対ハチ女である。
ハチ女は、自慢の高速移動で、本郷ライダーを翻弄しようとした。
毒針フルーレが潜り込めば、幾ら改造人間とても、死亡する。
自分の速度を持ってすれば、ライダーを斃す事は簡単だ――
そう思っていたハチ女だったが、一号ライダーは、ハチ女の速度に、平気な顔をして追い付いてしまう。
いや、その場から殆ど動く事なく、ハチ女の陽動に全く引っ掛からずに、カウンターを、しかもハチ女が動作を終える前に準備して、打ち出して来るのである。
「な、な……」
ハチ女は、大きく動揺している。
「何故、私のスピードが通じない⁉」
「――隼人」
本郷が、短く言った。
「オーケー、本郷。いっちょ、この二号ライダー先生が、説明してやろう」
一文字はそう言うと、向かって来るオオカミンを掴み上げ、一本背負いの要領で地面に叩き付けた。
床が砕け、埃が舞う。
その埃を眼晦ましに、ハチ女は本郷を仕留めようとした。
だが、一号ライダーの首筋を狙った一閃は、半歩振り返った本郷の指に抓まれていた。
「お前のようなタイプの改造人間には、出会った事がある」
「何⁉」
「お前の高速移動は、翅の強烈な震動と、その軽さに依るものだ。眼で追える速度ではない。お前本体はな……」
「――」
「しかし、お前の翅の動きや音を捉える事で、お前の移動する先を予測する事は出来る」
この情報は、他のライダーたちにも共有されていた。
敬介が、ハチ女を斃す事は難しくないと判断したのは、その為だ。
「見ろ――」
「……あッ」
「こうして埃を舞い上げていると、より、分かり易い」
翅の震動が埃に付いて回り、ハチ女の軌跡を、容易に予想させてしまう。
「だ、だが……私は、不死身……」
言葉の途中で、本郷の人差し指と中指が、ハチ女の腹に喰い込んでいた。
指を抜くと、二本の指の間には、小さな虫が抓まれていた。
それが、サタン虫か、ガンマー虫かは不明であるが、それを引っこ抜かれたハチ女は、砕かれてもいないのに、ほろほろと身体を崩壊させてゆく。
地面に落ちた黒い靄が、蒸発して行った。
餓蟲の中を移動する、餓蟲を集めて置く為の本体であった。
「な、何で⁉ 何で、その場所が……」
オオカミンが言った。
本郷は、ハチ女の本体の虫を握り潰す。
「簡単な話さ」
一文字が言った。
「本郷や俺は、それ位の眼を持っているって事だよ」
正確に言うのなら、強化改造人間として深化を続けて来た感覚器官が、餓蟲の中に混じっている改造魔虫の本体を捉える事が出来る程に、鋭敏になっているという事だ。
敬介や茂も、脳やその周辺の神経を更に進化させてゆけば、改造魔虫たちを斃す事も、簡単になるであろう。
「尤も、俺は、そういう細かい作業は苦手でね……」
「え?」
「一番楽な方法でやらして貰うぜ」
そう言うと、一文字は、オオカミンの胴体にパンチを見舞った。
腕が、背中まで突き抜ける。
続いて、胸元を、逆の拳で殴った。
それから、拳を何発も繰り出してゆく。
オオカミンの身体は、ハチの巣になっていた。
最後に残った頭部を、一文字は粉砕した。
身体が崩れ、黒い靄が昇ってゆく。
拳を見ると、オオカミンの本体の虫が、潰れていた。
攻撃される箇所から逃げ、別な場所に移動するなら、それを追ってゆき、隠れる為の肉体を破壊してゆけば良い。
一文字も、改造魔虫本体の居場所を、殆ど正確に見る事が出来るのだ。
「さて、残るはお前さんだな……」
ダブルライダーが、暗黒大将軍に向かい合った。
暗黒大将軍は、二人の姿を見て、肩を揺らしていた。
「何がおかしい?」
本郷は静かに訊いた。
「嬉しいのさ」
「嬉しい?」
「君にまた会えた事がね……」
「俺に?」
本郷が、自分を指差した。
「では、貴様は、やはり、ジェットコンドルなのか」
デルザーとの戦いを前に、帰国する自分たちを襲撃した改造魔人の名で、本郷は、暗黒大将軍を呼んだ。
「それ以前に、私は、君と会っているのだよ」
「何?」
「そして、君に会えた事も、実に嬉しい事だ」
今度は、一文字を見た。
「君は、或る意味で、私の仇でもある……」
「仇⁉」
「私の連隊長を殺したのは、君だろう?」
「連隊長だと? 何の話だ」
一文字が、怪訝そうに言う。
本郷には、暗黒大将軍、ジェットコンドルのどちらの名も、今と、過去に戦った一度にしか、聞いた事がなかった。
だが、暗黒大将軍は、それより前から、自分たちの事を知っていたらしい。
「貴様は、一体、誰だ?」
一文字が詰問した。
暗黒大将軍は、玉座から立ち上がり、マントを取り払った。
「おお⁉」
「むぅ……」
黒いマントで姿を隠し、再び二人の前に顔を見せた暗黒大将軍は、その様相を一変させていた。
白く、茫々と伸びた髪と髭は、黒く、適度に整えられている。
黒い軍服は、同じ将軍服ながら、カーキ色のものを身に着けていた。
そして、左の眼帯を着け、軍帽を被ったその姿は――
「ゾル大佐⁉」
かつて、一文字・仮面ライダー第二号が斃した、黄金狼の正体・ゾル大佐にそっくりであった。
「あの方は、我が、連隊長よ……」
暗黒大将軍は言った。
「ナチスの残党か?」
本郷が訊く。
ゾル大佐は、人間であった頃、ナチス・ドイツに参加していた。
そこで、人狼化現象を起こす生体改造を受け、生き延びた唯一の成功例として、大佐の位を授かり、第二次世界大戦終盤で、追い詰められたナチスのゲリラ部隊“人狼部隊”を率いて戦った。
後に、ショッカー首領のアプローチで引き抜かれ、ショッカーの大幹部の一人となったのである。
そのゾルを、連隊長と呼ぶという事は、この男は――
「左様、私は、“人狼部隊”の生き残りだ」
暗黒大将軍はそう言いながら、自分の手を、本郷たちに向けた。
その皮膚の奥から、むりむりと、銀色の体毛が生え出して来た。
唯一の成功例と思われていたゾル大佐であったが、実は、この暗黒大将軍と名乗っている男も、人狼化現象を発現して尚、生き延びたのである。
「だが、俺とは、いつ……」
本郷は、それでも、この男に覚えはない。
ゾルは、死神博士を追ってヨーロッパへ旅立った本郷と入れ違いになるのに近い形で、中東から日本へ派遣されて来たのだ。
「これさ」
暗黒大将軍は、狼の毛を引っ込めてみせると、
「むん」
と、その手に力を込めた。
すると、どうであろうか。
先程は狼の体毛が生え出して来たその手に、今度は、緑色の鱗が生じていた。
それに驚いている本郷と一文字の前で、暗黒大将軍は、いきなり自分が座っていた玉座を、蹴り付けた。
強力なキックに砕け散る玉座。
そのフォームを、本郷は知っている。
「トカゲロン……⁉」
かつて、仮面ライダーが本郷唯一人であった頃だ。
原子力研究所を襲撃した改造人間がいた。
研究所に張られたバーリアを破壊する爆弾を、バーリアに向かって蹴り飛ばす事の出来る脚力を持つ改造人間――
その名が、トカゲロンであった。
サッカー選手の、野本健が、その脚力を買われて、改造されたのだ。
思い返してみるに、本郷猛は、野本健と対面していない。
改造されてからの野本健に会ったのは、FBI捜査官・滝和也だけである。
その滝が言っていた野本健の容姿と、暗黒大将軍の顔は、確かに似ている所があるが、その野本健というのは、トカゲロンが変装していたものである。
しかし、それよりも何よりも、一度、本郷ライダーを破っている、トカゲロンの必殺シュートのフォームを、本郷は覚えていた。
「しかし、奴は、俺が――」
立花藤兵衛との特訓で知った、ライダー・パワーを使い、キック力を二倍に強化したライダーキック――電光ライダーキックで蹴り返したバーリア破壊ボールを受けて、爆死した筈である。
「勘が鈍ったか、本郷猛」
暗黒大将軍が、せせら笑う。
「何だと?」
「改造人間は死なぬ。その遺伝子情報があればな……」
「――では、お前も、再生改造人間なのか」
「クローンと言って良かろうな。しかし、以前の記憶は、きちんと、この脳内に収められているぞ」
自分のこめかみの辺りを、つついてみせる。
或る一つの人格を、コンピュータに移し替え、保存する技術は、神啓太郎の神ステーションが、既に実用化していた。ショッカーが、それを出来ない筈がない。
暗黒大将軍は、トカゲロンに改造される際に、自分の人格のバック・アップを取って置いたのであろう。
「では、ジェットコンドルも――」
「我が姿の一つに過ぎぬ……」
「ならば、お前の正体は、一体⁉」
本郷が問う。
「人であった頃の名は忘れた。今は、単なる一改造人間よ」
「――」
「仮面ライダーよ、今は、ここで退こう。しかし、何れまた会おう」
「――」
「戦いは、決して、終わらぬぞ……」
暗黒大将軍は、壁際まで下がった。
すると、彼が背にした壁が、ぐるりと反転し、暗黒大将軍を呑み込んだ。
隠し扉であった。
同時に、地震が襲って来た。
この地が、自壊か、自爆でもするらしい。
「脱出するぞ――」
「おう」
二人は、暗黒大将軍が逃げ込んだその闇の中から、急ぎ、脱出した。
二人が抜け出した洞窟から、爆炎が飛び出して来た。
本郷と一文字は、仮面を外し、もくもくと立ち上る煙を、赤い空に見送った。
赤と黒の混じり合う空に、星が浮かび始めていた。
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第三十節 重力
蒼い空に、雲が山のようにそびえていた。
じー、
じー、
と、セミが鳴いている。
ぎらぎらとした太陽が、城南大学のグラウンドに降り注いでいた。
アメフト部が、練習をしている。
ボールの取り合いをしている内に、加速の付いたボールに、伸ばされた指先が触れ、その僅かな接触で、くるくると飛んでゆく。
校門の方まで、だ。
そのボールを、黒い手袋がキャッチした。
城茂である。
茂は、上着を肩に引っ掛け、反対の方の手で、ボールを受け止めていた。
茂はボールを放り投げると、軽く、蹴り上げた。
学生たちがボールを受け取り、茂に礼を言った。
練習を再開する。
その姿を眺める茂の傍に、風見たちがいる。
風見志郎、結城丈二、神敬介、アマゾンである。
「お前も、やりたいか?」
風見が訊いた。
茂は、元アメフト部員である。
「ええ」
と、茂は頷いた。
「でも、これから人に会う約束があるんでね、汗臭くっちゃいけねぇや」
茂はそう言って笑う。
「この間は――」
敬介が言った。
「ひやっとしたぜ」
デッドコンドルとの、決着の事である。
あの時――
嘴を開いたデッドコンドルの口の中目掛けて、ストロンガーが突撃した時だ。
超電子ダイナモの活動時間の限界が迫る中、デッドコンドルに超電子ドリルキックを叩き込もうとした茂であったが、デッドコンドルも、デッド・ブレスの発射準備を終えていた。
良くて、相討ちだ。
仮にデッドコンドルを貫通しても、ダイナモのタイム・リミットが来て、自爆する。
そう思われたが、しかし、不思議な事が起こった。
デッドコンドルが放とうとしたデッド・ブレスが、僅かに逸れたのである。
ストロンガーは、その隙間を縫って、デッドコンドルに必殺キックを打ち込んだ。
そうして、デッドコンドルの本体を破壊したのである。
デッドコンドルを貫通したストロンガーは、タイム・リミットに何とか間に合い、通常形態に戻りながら、地面に叩き付けられた。
その背後で、デッドコンドルの肉体が爆発したのである。
「あの時、何をしたんだ?」
結城の、聡明な頭脳を持っても、理解出来ない現象が起こったのだ。
茂は、にぃ、と、笑ってみせるだけである。
だが、何があったのか、茂には分かっている。
タックルが、助けてくれたのだ。
岬ユリ子だ。
あの時、茂は、時間が停滞した感覚を覚えた。
その止まった時間の中で、ユリ子の幻を見た茂は、“電波投げ”を行なっていた。
電波投げ――
両手から特殊な電磁波を発生させ、対象に手を触れずに投げ飛ばす技だ。
岬ユリ子・タックルに備えられた機能であった。
それを、ストロンガーも使う事が出来たのだ。
何故ならば、タックルも、ストロンガーと同じく強化改造人間であり、改造が完成していたならば、ストロンガーと同等の力を持つ、真の意味でのパートナーとなる予定であったからだ。
であるから、タックルの使える技は、ストロンガーは使う事が出来るし、ストロンガーの使う技も、本来ならばタックルは使える筈だったのだ。
その事に、あの刹那、茂は気付いた。
そうして、言うなれば“超電子電波投げ”を敢行し、デッド・ブレスを反らしたのだ。
更に言うならば、茂は、あれは、ユリ子のお蔭であったと思っている。
ユリ子の魂――餓蟲、霊体が、同じく霊体であるデッドコンドルの技から、茂を守ってくれたのである。
そのように、思っていた。
この事は、茂の中に秘めて置きたかった。
尤も、アマゾンだけは、その事を感付いている気配があった。
風見や結城や敬介が、ちょくちょく茂に質問するのを、
「まぁ、まぁ」
と、それとなく遮ってくれているのが、アマゾンなのである。
茂は、今回も、結城に対してそう言っているアマゾンを腕で引き寄せて、ごわごわの髪を、グローブでくしゃりと撫で上げた。
「っと、それはそうと――」
ここから先は、他のライダーたちと共有すべき話題だ。
「実は、先輩、若しかしたら超電子ダイナモを起動させている時間が、伸びているかもしれません」
「ほぅ?」
興味深そうに、風見。
茂は、そのように感じていた。
「ともすると、かなりの時間、超電子ダイナモを使っていられるかも……」
「――」
「若しかしたら、チャージ・アップをしなくとも……」
「あり得る事だ」
と、結城が言う。
「俺たちは、進化している」
「進化?」
「主に、脳や神経の事だが、そういう事もあるかもしれないな……」
「進化、ですか」
茂は、神妙に呟いた。
「人間には……いや、生物全てには、そのような働きがあるんだ」
「働き?」
「より良い方向へと、進んでゆこうとする働き、パワーさ」
「――」
「それは、改造人間だって変わらないよ」
「変わりませんか」
「改造人間とは言え、脳は人間のそれだからな……」
「――」
「まだ、俺たちは進化を続けてゆく事だろう」
「その果てに、俺たちはどうなる?」
風見が訊いた。
この中では、最も、強化改造人間としての進化――深化が進んでいる。
本郷猛などは、その風見を遥かに凌駕しているのだ。
「分からない……」
結城は言う。
「けれども、人ではなくなったとしても、きっとそれは、生命のありようなのだろう」
「――変わらない、思う」
アマゾンが口を挟んだ。
「変わらない?」
「人も、獣も、変わらない……」
「――」
「虫も、魚も、花も、樹も、風も、水も……」
アマゾンが、空を見上げた。
風が吹いている。
蝉の声が聞こえていた。
「例え、俺たち、人でなくとも――神、なっても……」
「――」
「変わらない。皆、同じ……」
「――曼陀羅か」
しみじみと、敬介が頷いた。
茂も、あの絵の事を思い出していた。
黄金と漆黒を絡めた人物が、天地の獣に跨っている絵――
全ては創造の世界樹より拡散され、同じ場所へと還ってゆく……
「そろそろゆくか、結城」
風見が、ぽん、と、結城の肩を叩いた。
「お、そうだな」
「アマゾン、ゆこうか」
「うん」
敬介とアマゾンも、踵を返す。
茂が会う約束をしていた相手――さくらが、風道館から走ってやって来た。
空手衣を着ている。
拳サポーターも付けたままだ。
薄らと汗を掻き、頬がピンク色に上気していた。
「済みません、少し、抜けられなくて……」
校門の傍で、さくらが、頭を下げた。
「構わないさ」
茂が言う。
さくらは、茂の顔をまじまじと見上げた。
「この間から、助けられてばっかりですね……」
「正義の味方冥利に尽きるってぇものでぃ」
「――」
からからと、陽気に笑う茂を見て、さくらが微笑んでいる。
さくらの笑顔からは、険が取れている。
「あいつらが、深雪や、他の人たちの命を奪っていたんですね」
「だろうな」
「――ありがとう御座いました」
もう一度、さくらが、頭を下げた。
さくらが、右手を差し出して来た。
茂が、その手を握った。
茂は絶縁体のグローブを付けている。
「あっ――」
さくらは、拳サポーターを付けっ放しであった事に、今頃、気付いたらしい。
一旦、握った手を放して、サポーターを取ろうとした。
しかし、茂は、そのまま、さくらの手を握っていた。
「サポーター、外さなきゃ……」
しおらしい声で、さくらが言う。
「そいつぁ困る」
茂が明るく言った。
「え?」
「君の握手は、俺には、熱過ぎるのさ。火傷しちまうよ」
そうして、両手で、さくらの右手を包み込んだ。
グローブの内側の、コイルを巻き付けた指の感触が、サポーターのお蔭で分かり難い。
さくらは、左手を、茂の右手の甲に重ねた。
「それじゃあ」
「はい」
二人は手を離した。
茂が、さくらに背中を向ける。
赤い薔薇の刺繍が、さくらの方を見ていた。
「――茂さん……」
彼の背中に呼び掛けると、さくらは、咽喉から声を滑り出させた。
歌を、歌った。
一人の男の生きざまを、歌っていた。
その音色は、あの時、倉庫に響き渡ったものであった。
哀切な口笛に、ギター、フルート、草笛が、重なってゆく。
風のように清涼で、稲妻のように力強い調べだ。
口笛と共に現れ、雷電のように戦って、雲のように去ってゆく――
そんな男の物語を、さくらは、歌い上げた。
さくらの歌を背にしながら、茂は、停めてあったオートバイ――カブトローに跨り、母校を離れて行った。
彼の後ろ姿を見送って、さくらは、歌を終えた。
さくらは、校門に背を向けて、風道館に戻ろうとした。
その彼女に、
「素敵な歌ね」
と、鼻に掛かった声が掛けられた。
「え?」
驚いたような顔をして、さくらが、そちらを振り向いた。
茂が去ってゆき、その代わりに、そこに、一人の女性が立っていた。
「み……深雪?」
さくらは、眼を見開いて、言った。
そこに立っていたのは、さくらが、この一件に関わる事となった、星河深雪であった。
ブラジルに留学していた事があり、さくらとは、正反対な性格ながらも、意気投合し、親友となった。
彼女の訃報が、さくらに、夜の町をうろつかせていたのである。
「ええ、久し振りね、さくら」
深雪は、ぽってりとした唇の端を、小さく上げてみせた。
呆気に取られるさくらに歩み寄る。
「深雪なの? 本当に?」
「ええ」
「幽霊とか、そっくりさんとか、双子の姉妹とかじゃないよね?」
「もう、さくらってば、何を言っているのよぅ」
変なの――と、深雪は、さくらの額を指で小突いた。
さくらは、深雪に触れられた所を手で押さえて、じわりと涙を浮かべた。
「あ、ご免、痛かった?」
「違うよぅ……」
さくらは、鼻を啜った。
女性にしては逞しい腕で眼元を拭う。
「深雪ぃ」
主人を恋しがる犬のような声を、さくらが出した。
「さくらったら」
深雪はそう言うと、すぅ、と、手を伸ばした。
左手をさくらの頬にやり、右手を顎の下に差し込んだ。
そして、唇を押し当てた。
「――⁉」
突然の行動に、さくらは、面食らったようであった。
深雪は、さくらの口の中に舌を入れ、小さく動かした。
さくらの眼から、光が消えて、虚ろになる。
その間に深雪は唇を離し、さくらに背中を見せた。
ぽぅ、と、していたさくらに、後ろから、
「せんぱぁい」
「さくらさん」
と、吉塚と相澤が駆け寄って来た。
さくらは、びくっと身体を震わせて反応し、振り返った。
「んー、どうしたの?」
「休憩時間、終わりです」
「あ、そっか」
さくらは、頭をぽりぽりと掻いて、風道館へ戻ろうとする。
「先輩、城さんと、どんな感じでした?」
「え? 普通にお礼言って、握手したよー」
吉塚の質問に、きょとんとした様子で、さくらが答えた。
「そうじゃなくてぇ」
「ね、神さんはいましたか? 神さん!」
相澤が詰め寄って来る。
残念ながら、敬介は、さくらと茂の邪魔をせぬよう、風見たちと一緒に帰ってしまっていた。
「でも、良かったですね」
吉塚の言葉に、さくらが首を傾げる。
「星河さんでしたっけ。その方の、仇、討てて」
「――ん?」
さくらは、ますます、訳の分からないと言った顔になる。
「前田先輩?」
「さくらさん?」
「あのさ……星河さん――って、誰?」
カーキ色の――ナチス・ドイツの軍服を身に着けた暗黒大将軍は、椅子に深く腰掛け、正面の壁に飾られた絵を眺めていた。
デッドライオンに渡した戦闘員たちが、三崎美術館から押収して来たものだ。
中心に、金と黒で描かれた、多臂の人物。
その足元には、鳥と獣の交わった生物。
黒い空間に放射される金の光と、金の空間に描かれる黒い螺旋。
ハリ・ハラであり、世界樹であり、進化の系譜であり、曼陀羅であると言われていた、あの絵である。
それを、暗黒大将軍は、片方の瞳で、じぃと見つめていた。
そこに、足音が聞こえて来た。
暗黒大将軍が椅子から立ち上がると、顔を出したのは、マヤであった。
黒い髪を頭の上で結わえている。
涼しげな眼元、通った鼻梁、ぽってりとした唇――
豊満な身体を、鎧で包んでいた。
無骨さの少ない、肌の露出は多くはないのに、女性らしさを強調するような鎧であった。
左の帯から、剣をぶら下げている。
「どうだった、仮面ライダーたちの感想は」
マヤが訊いた。
「あれ程とは、思いませんでした」
暗黒大将軍が答える。
「しかし、デッドコンドルは未完成でありました。だから……」
「若し完成していれば、ね」
ふ、
ふ、
と、マヤは薄く笑う。
「あら、これは……」
そのマヤが、壁に掛けられた絵に注目した。
「懐かしいわね。メキシコにいた頃、描いた絵よ」
「そうなのですか」
「ええ」
「何やら、かなり古いものとか言われていましたが……」
「ふぅん……」
マヤは、いつ頃、それを描いたのかは言わなかった。
「しかし、見事な曼陀羅ですな」
暗黒大将軍が、マヤの隣に立ち、その絵を見上げた。
「曼陀羅?」
マヤが訊き返す。
「ええ」
暗黒大将軍は、美術館で、茂たちがしていた絵解きを、マヤに語った。
「――別に、そういう意図で描いたのではないのだけれど」
聴き終えて、少しむくれた様子の、マヤ。
「そうなのですか」
「ええ」
「では、これは、何を?」
「――愛しいものと、私の願いよ」
マヤは、手甲を填めた手で、前髪をそろりと撫で上げた。
「はぁ」
暗黒大将軍は、小さく顎を引いた。
「話を戻すけど――」
マヤが口を開いた。
「仮面ライダーの事よ。あれ、どうしたら良いと思う?」
「どのようにすれば、あれらを破壊出来るか、という事ですか?」
「ええ」
「そうですな、やはり、毒は、毒を持って制す他にはないかと」
「強化改造人間?」
「ええ」
「それは分かっているのよ」
「では――空を飛ぶ改造人間など如何でしょう」
暗黒大将軍が提案した。
「空を?」
「はい。デッドコンドルとの戦いで、彼らは、飛翔するデッドコンドルに対し、些か、手こずっていたように見えました」
過去のデータでも、仮面ライダーたちが、空飛ぶ改造人間たちに苦戦を強いられたという事はある。
しかし、その飛翔する改造人間たちを、ライダーは尽く破って来た。
マシンを用い、特訓を行ない、天空の敵を、大地から打ち落とし続けて来た。
又、ストロンガーなどは、ストロング・ゼクターの事もあり、イオン・クラフトなどを用いれば、飛行が出来ないという訳ではないだろう。
「そもそも、空を飛ぶ生物を真似る方が難しいのです」
暗黒大将軍が言った。
「重力ですよ。重力の枷は、我々が思うよりも、ずっと高い壁なのです」
「確かに――プテラノドンとかケツァルコアトルスのような、巨大な飛翔動物も、体躯と比べて、その体重は軽かったと言われているわね。逆に言えば、その体重を持ち上げるのに、それだけの大掛かりな装置が必要だったという事……」
マヤは、松本克己の事を思い出した。
技術的な潮流で言う、強化改造人間第四号である彼は、飛行服をモチーフとした強化服を纏っている。
それは、彼が、スカイサイクロンというプロペラ機を、S.M.R.――仮面ライダーとしての愛機に用いているからである。
陸上を制さんとした第一号・第二号のサイクロン号、第三号・黒井響一郎のトライサイクロンに続くマシンは、次元を一つ上げて、空での戦闘を可能とした。
しかし、体重で九〇キロもゆかない克己に空を飛ばすのに、スカイサイクロンなどという兵器が必要な事からも、暗黒大将軍の言いたい事は分かる。
「ですから、抗すべきは重力なのです」
「重力低減装置――か」
マヤが呟いた。
「良いわね、それ。よぅし、じゃあ、次の強化改造人間は、重力低減装置を組み込んだ、空を飛ぶ改造人間という事にしましょう」
「お気に召して頂いたようで」
暗黒大将軍は、慇懃に頭を下げた。
「貴方には、その任務を与えましょうか。八人目の強化改造人間を完成させ、世界征服の為に尽力する――それで、どう?」
「謹んで」
「首領も、新しい組織作りに奔走しているわ」
「おぉ、首領が……」
暗黒大将軍は感慨深そうに呟いた。
この男も、ショッカー首領とは浅からぬ関係がある。
元々は、ナチス・ドイツの将校であったが、“人狼化現象”の実験に参加した。
脳下垂体ホルモンを調整する事で、人体の組織を変化させる現象だ。
それを起こしたナチスの兵士たちの殆どが、拒絶反応で死んだ。
生き残ったのは、ゾルと、暗黒大将軍の二人である。
ゾルの率いた“人狼部隊”の一人として、彼は戦った。
戦争が終わる直前、敗色濃厚なゾルの許に、一本の通信が入った。
日本へ来い――
優秀な将校や兵士たちを引き抜き、ゾルたちは、日本へやって来た。
そこで、ショッカーという組織の創設に、立ちあったのである。
それから二〇年後、暗黒大将軍は、野本健の肉体を自らのものとして、改造人間第一〇号・トカゲロンとして戦い、仮面ライダー第一号・本郷猛に敗れた。
それでも、人格のバック・アップを取って生き延びていた彼は、人狼化現象に対する免疫と、トカゲロンの肉体に順応した特異体質を買われ、首領直属のデルザー軍団の末席に加えられる事となった。
ジェットコンドルとして第一号・第二号と戦い、敗れたものの、彼は、こうしてここに立っている。そして、仮面ライダーたちの討伐の任を、与えられている。
「名前が必要ね」
マヤが言った。
「名前?」
「貴方の、新しい名前よ」
「――」
「そうね、貴方、今まで色々と変身して来たじゃない? 様々な怪物に」
「ええ」
「だったら、怪物将軍なんてどうかしら」
「怪物将軍――」
「ゼネラルモンスターよ」
「――良い名です」
と、暗黒大将軍改め、ゼネラルモンスターは、頷いた。
「では、このゼネラルモンスターが忠誠を誓うべき組織の名は?」
その問いを受けて、マヤは、口角を持ち上げた。
ぞろりと、剣を引き抜いた。
切っ先を、自分が描いたという絵に向けて、縦に、勢い良く振り下ろした。
絵は、真っ二つに切り裂かれた。
その奥から、レリーフが現れた。
何かの文字を崩して、辺を整えたその中に、一つの眼が光っている。
「ネオショッカー――それが、組織の名よ」
第四章はここまでとなります。
あとがきは、活動報告まで。
第五章の開始まで、今暫くお待ち下さい。
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第五章 DraGOn MemoriAl
第一節 黒鳥
見事な月が、空に掛かっていた。
黄金の円である。
円やかなその内側に、黒い影が映り込んでいた。
星の民衆に戴かれた夜の女王が、煌々と、大地を照らしているのである。
夜の冷たい風が、森の中を吹き抜けてゆく。
その乱立する木々に囲まれるようにして、廃墟がぽつんと存在していた。
天井は崩れ、瓦礫の山となっていた。
ばら撒かれたり、割れて溶かされたりした硝子が、冷たい光を反射する。
その中に、四つの人影が浮かび上がっていた。
瓦礫の中から、何かを探し出そうとしているような動きをしていた。
黒井響一郎、松本克己、呪ガイスト、そして、マヤの三人である。
黒井は、シャツの袖を捲り、瓦礫を軽々と退かしていた。
克己は作業着のような服を着ている。
ガイストは、簡単なジャケットを羽織っていた。
マヤの格好と言えば、チャイナ・ドレスである。服の合せ目がぐぐっと盛り上がり、深いスリットの間から、肉付きが良いながらも、すらりとした足が伸びている。黒い長髪を、お団子に纏めていた。
瓦礫の撤去作業には向かない格好からも分かる通り、マヤは、三人の男たちの動きを見守っているばかりである。
「勿体ねぇなぁ」
と、ガイストが漏らした。
腕が回り切らない程の瓦礫を、片腕で持ち上げて、放り投げる。
克己が、自分の横に落ちて来そうになったその瓦礫を、蹴り砕いた。
「何が?」
克己が訊く。
「俺たちさ。まさか、強化改造人間を、こんな風に使うとはねぇ」
じっとりと、マヤの方を眺めた。
マヤは、剥き出しになった鉄骨の上に腰掛け、脚を組んでいる。
月光を背にする中華服の美女は、妙にさまになっているが、それだけに、ガイストも不満を漏らそうというものであった。
「仕方ないじゃない」
マヤが、ガイストの愚痴に、頭上から答えた。
「戦闘員だって、タダじゃないのよ。デルザーだって壊滅しているし、ネオショッカーの戦闘員を、こんな事で喰い潰す訳にはいかないでしょう?」
デルザーとは、ショッカーの創設者・大首領の直属の改造魔人部隊の事である。しかし、一三体の改造魔人から成るこの軍団は、既に、七人の仮面ライダーの為に全滅していた。
又、ネオショッカーとは、大首領が新たに立ち上げた組織の名前だ。デルザーの一角を担い、かつてはショッカーの母体となったナチス・ドイツの将校であった暗黒大将軍=ジェットコンドル=ゼネラルモンスターを大幹部としている。
しかし、ネオショッカーは、まだその組織を確立している訳ではなかった。
「だからってなぁ」
ガイストが、作業を止めて、マヤの方を見上げた。
彫りの深い顔に、不機嫌な色が浮かんでいる。
克己は、その傍で、黙々と作業を続けている。ざんばらの前髪の間から覗く眼は、ガイストがこのように不平不満を言っている事が、理解出来ないといったものであった。
ガイストと克己は、肉体としては、強化改造人間のものであるが、精神面では大きな異なりがある。ガイストは自由意志でマヤの傍にいるが、克己はショッカーの時代に脳改造手術を受けており、現在ではショッカーの代表格であるマヤには、絶対服従をしているのだ。
殆どショッカーのロボットである克己には、ガイストがマヤに反逆――ではないにしても、愚痴をこぼす事が、信じ難いのである。
「ま、良いか……」
と、ガイストが作業に戻る。
「所でよ」
しかし、作業を再開しながら、ガイストはマヤに語り掛ける。
「何かしら?」
「あの暗黒大将軍……ゼネラルモンスターと言ったか。彼は、何なのだ?」
ナチス出身であり、ショッカーの改造人間であった頃もあり、改造魔人としてもライダーと戦い、そして、今、新たな組織の幹部となった男……
ガイストとて、些か複雑な経歴を持っているが、何度となく生と死を乗り越えて姿を変えているゼネラルモンスターに比べると、少しばかり、見劣りする。
「特殊体質の持ち主よ」
「特殊体質?」
「“人狼化現象”の事は知っているでしょう?」
マヤが言った。
ナチス・ドイツで研究されていた、“超人兵士”を作り出す為の技術である。
脳下垂体に特殊なホルモンを分泌させる事で、肉体を強力なものに変化させる。
強靭な筋肉と、獣毛や爪が、その人間に宿った事から、“人狼化現象”と名付けられたのだ。
その“人狼化現象”を起こした兵士たちは、殆どが拒絶反応で死亡したが、たった二人だけ、生き延びた者がいた。
ショッカーの大幹部・ゾル大佐と、ゼネラルモンスターその人である。
ゾルが率いていた、第二次世界大戦終盤のナチスのゲリラ部隊の名を、“人狼部隊”というのは、その為である。そして、ゼネラルモンスターも、かつてはその部隊に在籍していた。
「彼は、ゾル大佐以上に、“人狼化現象”をコントロール出来た男なの」
「コントロール?」
「ゾル大佐は、確かに拒絶反応に耐えはしたけれど、彼の“人狼形態”……黄金狼のスタイルが確立したのは、ショッカーの改造技術を施されてからの事よ」
ショッカーの技術は、日本で密かに開発されていた不死身の兵士・ヨモツヘグリの開発と、ナチスに協力していたイワン=タワノビッチ――死神博士の延命治療技術などが融合して、完成されたものだ。
それまでは、ゾルも、薬などで拒絶反応を抑制していたのであり、改造人間たちのように戦闘を行なう事は、難しかった。
一方、ゼネラルモンスターは、そのゾル以上に拒絶反応が少なかったのである。
「と言っても、逆に、“人狼兵士”としての能力は、そこまで高いものではなかったけど」
「――」
「その為かは分からないけど、彼の身体は、あらゆる改造手術に耐える事が出来たの。普通は、同じ身体に何度も改造を重ねてゆけば、否が応にも、色々な部分が擦り減ってしまうのだけれどね」
マヤは、ちらりと、克己の方を眺めた。
克己も、死神博士の助手として、自らの肉体を改造手術の実験台として捧げて来た。
克己自身のオリジナル部分は、最早、脳やその周囲の神経しか存在しない。それでも、克己の脳と神経に刻み込まれた身体操作技術は、些かも衰える事はなかった。
五体を刻まれ、薬物漬けにされ、それでも保たれ続けて来た肉体である。
ゼネラルモンスターの身体は、克己のそれと似ているという事であった
「それは、随分と、重宝された事だろうな」
ガイストが、マヤと同時に、克己に対しても、言った。
「成程、だから、二度もやらかして置いて、生き延びていうという訳か……」
トカゲロンであった頃は、任務であった原子力研究所の襲撃に失敗。
ジェットコンドルであった時は、ダブルライダーの来日を許してしまった。
失敗の許されないショッカーや、その系統の組織にあって、ゼネラルモンスターが生き延びて来られたのは、その特異な体質に因るという事であった。
「そうね。でも、次は流石に不味いかもねぇ」
「次?」
「ええ。若し、次に重大な失敗をすれば、流石に首領も擁護出来ないと思うわ」
「――」
「例えば、組織を壊滅させるきっかけを造ってしまうとかね……」
マヤが、にぃ、と、唇を吊り上げた。
ぞっとする程の美貌に、蛇の笑みが浮かぶ。
ガイストは、彼女のこの笑みに、いつも、薄ら寒いものを感じていた。
彼女は、何を見ているのか――
自分を見透かされているような、決して良いとは言えない気分になるのだ。
と、ガイストがマヤの笑みに怖気を感じた時であった。
「マヤ――」
瓦礫の向こうから、黒井が声を掛けて来た。
「探していたのは、これか?」
マヤが鉄骨から下りる。
チャイナ・ドレスの裾が、ふわりと広がり、下着が見えそうになった。
瓦礫の上に功夫シューズで着地すると、黒井の方へと歩いてゆく。
ガイストと克己も続いた。
黒井がマヤに見せたのは、干からびた植物の根のようなものであった。
巨大な昆虫のミイラのようにさえ、見えた。
「ええ、これよ」
マヤは、黒井からそれを受け取ると、掌で、数度、撫でた。
表面が炭化していたらしい。
マヤが表面から炭を払い落とすと、それは、歪な形ながらも、美しい光沢を持つ、石のようなものであった。
その石の内側から、植物の根のような、昆虫の触脚のようなものが、生えているのだ。
「何だ、これは?」
ガイストが訊いた。
「改造魔人の素……」
「え?」
「ショッカーの種子とでも言おうかしら。ゼネラルモンスターが、デッドライオンに与えたものよ。これに、あの曼荼羅で餓蟲のエネルギーを注入して、デッドライオンと共鳴させて、あの進化を齎したの」
あの進化とは、デッドライオンが、改造魔虫たちを取り込み、外法の曼陀羅の儀式で得たエネルギーを動力に、デッドコンドルへと変身した事である。
デッドライオンが、コンドルをモチーフとした、つまりは、本来のモチーフである獅子とは別の姿に変身したのは、この“ショッカーの種子”と呼ばれた石に、鳥類の因子が込められていたからに他ならない。
「それが改造魔人の素という事は、デルザーの連中は、皆、それを持っていたという事か?」
「ま、そういう事ね」
黒井の問いに、マヤが頷いた。
「尤も、デルザーだけって訳じゃないわ」
ふふん、と、マヤが笑った。
「で、それを、どうするんだ?」
ガイストが言う。
「こうするの」
マヤは、その石を両手で包み込むと、ぼそぼそと何かを唱え始めた。
呪文のようなものだ。
黒井たちが聞き取れた言葉に、
「ワカフ・カン」
「ユム・キミル」
「シバルバ」
などが、あった。
マヤが呪文を唱えていると、不意に、石が光を帯び始めた。
黒井たちは、その石に、この周辺の生命らが共鳴しているのが分かった。
石は、自然のエネルギー……餓蟲を吸収しているらしかった。
そうしていると、マヤが呪文を止める。
マヤが、石をすっぽりと両掌の中に隠してしまっていた。
その手を開く。
恰も、蓮の花が開くかのように――
マヤの手の中から現れたのは、一羽の黒い鳥であった。
その黒い羽毛に包まれた身体の中で、眼だけが血のように赤かった。
「むぅ⁉」
黒井が声を上げた。
ガイストも驚いている。
マヤは、薄く微笑むと、掌から黒い鳥を飛び立たせた。
黒い鳥は、マヤの肩に留まり、マヤは、その頭を指で撫で上げた。
「さ、それじゃ、ゆこうかしら」
マヤが言った。
「それは、何だ?」
黒井が質問する。
「さぁて、何でしょう?」
マヤは、あの蛇の笑みを浮かべて、答えをはぐらかした。
黒井たちは、マヤの肩に留まった鳥が、マヤと同じ笑みを浮かべているのを見た。
「あんたは、いつもそうだな」
ガイストが、ぽつりと言った。
「え?」
「肝心な事は、いつも、ぼかしてしまう」
「――」
「あんたの目的は何だ?」
ガイストが訊いた。
「俺を蘇らせ、改造魔人を呼び出し、その欠片を回収する……」
「仮面ライダーを斃す事、じゃあ、駄目かしら」
マヤが言った。
「ショッカーの人類統治を邪魔する仮面ライダーを斃すのに、貴方たちのような強化改造人間を造り、改造魔人に新たな力を与える……」
「――」
「それでは、説明が不足していると?」
「その他に、何か、考えている事があるんじゃないのか? という事さ」
「――」
マヤが、軽く唇の端を持ち上げて、ガイストに歩み寄った。
彫りの深い顔を、黒い瞳で見上げた。
夜の空や、大地の底を想起させる黒さの眼であった。
それが、ふとした調子で、蒼く輝いたようにも見える。
つぃと、マヤが手を持ち上げた。
突き出した人差し指を、ガイストの唇に当てる。
「女は、ミステリアスなものよ……」
「――」
「その謎を愉しみなさいな……」
くすくすと笑って、マヤは、踵を返した。
ぐぁ、と、マヤの肩に留まった鳥が、一つ鳴き声を上げた。
ガイストは、黒井と克己に眼をやって、軽く肩を竦めた。
どうやら男というものは、女の掌の上で転がされるしかないようである。
今更ですが、私個人の解釈により設定を変更している点が御座います。
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第二節 狂咲
風が狂っていた。
冷たい冬の風と、温かい春の風が、蛇の如く絡み合っている。
山の中だ。
薄い桃色の花びらが、その狂った風の中を、鳥の羽根のように舞っていた。
乱立する木々から、風によって引き千切られ、舞い落ちてゆく桜花。
その中に、香しく立ち昇る梅の花が、幾つか見られた。
狂っていた。
冬と春との境目に、桜花と梅花が共に咲いている。
狂ったように風が吹き、狂ったように花が咲いていた。
その狂った風の中に、更に狂ったように動き回る男がいた。
大柄な男である。
男は、森の中で、樹の幹に向かって、拳や蹴りを繰り出している。
手の皮はずり向け、脚の甲や脛は、赤黒く爛れていた。
その拳で、その足で、地面を蹴り、樹の幹を叩いている。
男の周囲には、表面をごっそりと削られた樹が、幾つもあった。
男の足元には、その為に枝から落ちざるを得なかった花が、幾つも散らばっている。
男は、桜を踏み躙り、梅を踏み付けて、傷付いた拳と脚を繰り出してゆく。
黒い、ズボン状の下衣を穿き、白くささくれた黒帯を締めていた。
上半身は、裸である。
鍛え上げられた身体には汗が浮き、花びらや、樹の表皮、土の汚れなどがこびり付いている。
鬼気迫る顔付きであった。
髪と髭は茫々と伸び、頬がげっそりと落ちている。
しかし、その双眸ばかりは、決して光を失っていなかった。
男は、只管に身体を動かしているようであったが、しかし、その動きには一定の法則があった。
余りにも素早い為、知識のない者には判断が付かないやも知れないが、それは、套路である。
套路――
中国拳法で言う、型である。
型とは、一定の順序で、決められた動作を行なう事により、実戦の術理を身体に身に着けさせるものだ。
男はその套路を、無数の木々に対して、実際に使うように、行なっていた。
男の見せる套路は、拳も、掌も、蹴りも、肘や、膝も、使っていた。
動作の中には、関節を決めているような動きもある。
投げを打っている様子もあった。
その動作の一つにも、数多くの種類がある。
拳に限って言うのなら、拳を横にした打ち方、縦にした打ち方、拳の親指側、又は小指側を使うもの、裏拳、弧拳……それを、打ち出すにしても、更に分類されている。
一つの技の中に、何種類もの形があり、その何種類もの形の中に、複数の方法があった。
又、同じ打撃を繰り出すにしても、その威力が明らかに異なっている場合もある。
一つは、樹の表面を削ったり、幹を大きく抉ったりするだけの打撃。
もう一つは、表面にはこれと言ったダメージはなくとも、遠くの枝から葉が一斉に落ちたり、打撃された面の反対側が削れたりする打撃。
それらを、素早く、舞を躍るように、男は繰り出していた。
狂った風。
狂った花。
それらに包まれて、狂ったように、武が吹き荒れていた。
男の周囲の樹から、全ての葉が、花が、枝が落ちてしまった。
男は、周囲を吹く風に舞う花びらを振り払って、又、別の場所へ向かおうとする。
と――
「ふぅん」
梅の香りに混じるような、甘い声が届いて来た。
男が、血走った眼を向けると、枯れた樹の間から、その女が姿を現した。
美しい黒髪を、乱雑に散らしている。
細められた黒い眼。
通った鼻。
ぽってりとした唇。
日本人よりも、少し肌の色が濃い。
マヤである。
マヤは、蒼い道衣を着ていた。
生地のぶ厚さから、柔道や、柔術のそれに似ているものと分かる。
袷の上衣に、黒い帯を締めていた。
裸足で、桜と梅の花に彩られた地面を踏んでいた。
「それが、赤心少林拳……」
「――何だ、貴様は……」
マヤの言葉に、男が言った。
マヤは薄く微笑むと、
「立ち合いたいのだけれど」
と、言う。
「立ち合い⁉」
「ええ」
「俺と、か」
「貴方とよ」
「――」
男は、ふん、と、鼻を鳴らした。
「随分と、莫迦な女が増えたものだな……」
「へぇ?」
「見た所、多少は心得があるようだが、余り調子に乗らない方が良い」
「女だから、かしら?」
「そうだ」
「そんな事、言わないで欲しいわぁ……」
そう言うと、マヤは、
すぅ、
と、右足を前に滑らせた。
花びらが、風に流されるような、緩やかな動きであった。
「ぬ⁉」
男は、ぎょっとなって、地面を蹴った。
マヤが近付いた分だけ、男は後方に飛びずさっていた。
マヤが話し掛けた時には、自然体だった男が、既に構えている。
右腕を立てて、肘を左手の甲で支えている。
マヤは、くすり、と、微笑んだ。
「ね――?」
「――」
男が眉を寄せた。
男が後退した理由は、あのままでいれば、マヤが自分の懐に入ってしまうのを、許してしまうと思われたからだ。
若しも、その状態でこの女が刃物を握っていたら、自分は、その刃先が腹に潜り込む事さえ、自然と受け入れてしまったであろう。
そして、マヤに対して構えを採った今、分かった事がある。
“立ち合い”――つまり、戦いを所望している訳だが、このマヤという女からは、殆ど戦意と呼べるものが感じられなかった。
普通、自分からでも、相手から挑まれたでも、戦うという空気が作り上げられたならば、自然と、その場に対する意識が、全身に満ち溢れる筈である。
その意識が、顔や、身体の何処かに、現れて、他の相手に伝わるのだ。
だが、それがない。
まるで花のように、マヤは、そこに立っているだけだ。
自然とそこに生じ、自然とそこで死んでゆくだけの花――
彼女の接近を躱せたのは、あの一瞬、マヤの方から僅かに殺気を飛ばして来たからだ。
――ほぅら、御覧なさい。
このまま、何にもしないで良いのかしら?
じゃないと、食べられちゃうわよぅ?
巨大な蛇に、眼の前で牙を剥かれたような感覚であった。
それがあったからこそ、男は、マヤから遠退く事が出来たのである。
「……良いだろう……」
男が頷いた。
「立ち合ってやる」
「ありがと」
マヤはそう言うと、右足を出した。
両拳を持ち上げる。
上体は、軽く反らした。
一昔前の、ボクシングの構えにも似ているようであった。
「マヤ――取り敢えずはそう呼んで頂戴」
「む……」
「柔術よ」
「――赤心少林拳」
男は、マヤに向かって、言った。
「
狂った風と、狂った花の中、男と女が、狂い合おうとしていた。
同じ頃――
同じように、桜の舞いと、梅の香りに包まれた寺が、あった。
人も通わぬ山奥に、ひっそりと佇む寺である。
この頃、多くの寺には、墓地が設けられていた。
しかしながら、寺院と言うのはそもそも、僧侶が修行をする場所である。
死人が出れば、葬式を出すという制度は、江戸時代に、幕府が作ったものであった。
徳川家康が、寺院を取り立てて、僧侶たちに戸籍の管理を任せたのである。
子供が生まれた、人が亡くなったという事で、寺に届けを出させていた。
そうした意味では、人が寄り付かないこの寺は、江戸時代以降の寺院の体裁を為していない。
大きめの堂宇だけが、そこにある。
本堂の前の庭は、桜と梅の樹に囲まれており、花びらが風になぶられている。
一人の僧侶が、その庭に立っていた。
梅の樹の前である。
つん、と、突き出した枝の先に、白い花弁の重なった、梅の花が咲いていた。
その梅の花を、僧侶はじぃと見つめている。
綺麗に頭を剃り上げた、穏やかな顔の男であった。
まだ少年期のあどけなさを残しているようにも、歳を経る事で得られる落ち着きを宿しているようにも見えた。
流石に、五、六〇代ではないと分かるが、一〇代とも、四〇代とも言える、不思議な雰囲気を持った男であった。
僧形である。
黒衣に、袈裟を身に着けていた。
足袋を、草履に潜らせている。
右手と、数珠を掛けた左手を胸の前に持ち上げて、眼の前の梅の花を、掌の中に包もうとしている。
緩やかな呼吸を繰り返していた。
吸っているとも、吐いているとも分からない、しかし、確かな呼吸である。
微動だにしないその中に、しかし、強いパワーがあるように見えた。
僧侶の両手が、梅の花びらと同じ形を作っていた。
いつしか、僧侶の双手は、中心に戴いた梅の花と同化している。
僧侶の姿は、風に掻き消されてなくなり、そこには、梅の花があるだけであった。
梅花は、生命力を注がれたかのように生き生きと輝き、咲き誇っている。
その前を、風と、桜の花びらが通り過ぎて行った。
と――
「
声を掛けられて、僧侶は我に返った。
梅の花は同じように咲いていたし、その僧侶も変わらずにそこにいた。
治郎と呼ばれた僧侶は、後方を振り向いた。
本堂の方から、老僧が歩み寄って来る。
禿頭に、見事な真っ白い髭を伸ばした老人である。
「
治郎は、老僧――樹海に向き直ると、合掌をして、頭を下げた。
樹海は、
「見事じゃの」
と、小さく言った。
「は……」
「この花ぞ」
樹海が、空を見上げた。
治郎も、その視線を追う。
蒼い空が、眼いっぱいに広がっていた。
その蒼い風に、花が舞い上がってゆくのである。
「おぅ……」
治郎は、深く息を漏らした。
きらきらとした輝きが、その眼の中に見える。
陽光を照り返す、海のようである。
あらゆる生命の生まれた場所であり、あらゆる生命の死をも呑み込んでゆく大洋さながらのおおらかさ、その鷹揚さが、見たもの全てに感歎出来る純粋さとなっているのである。
「主もじゃ」
樹海が言った。
「私も?」
「応」
「――」
「あそこまで大気と一体化出来る者がいるなどと、思わなんだ」
梅の花を見ている治郎の姿が、不意に消失してしまった事だ。
確かにそこにいる筈の治郎は、しかし、空気に溶けてしまったのである。
「無念無想――」
「はい」
「儂がようやっと体得したものを、お主は、平然と越えてゆきよるわ」
からからと樹海が笑うと、その眼の前で、治郎が小さく俯いた。
照れているようであった。
樹海は、そんな治郎を眺め、又、空に眼をやった。
「桜か……」
「桜で御座います」
「思い出すの」
しみじみと、樹海が言う。
「弘前の桜じゃ……」
「老師の、故郷で御座いますね」
「おぅ、治郎、お前にも、話した事があったの」
「はい」
そう頷いた後、ふと思い出したように、治郎は、少し不満げな顔をした。
「それよりも、老師」
「む――」
「いつまで、私をそのように呼ぶのですが。そもそも、私に――」
治郎は、言葉を一旦そこで止めてから、言った。
「
俗名は作中には登場しなかったレギュラー予定だったキャラより拝借しました。
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第三節 樹海
「ほったしても、ゆぐのか――」
「ゆぐ――」
桜吹雪の中で、男たちは向かい合っていた。
どちらも、背が高く、見事な体格をしている。
“ゆく”と、答えた方の男は、荷物を幾つか持っていた。
最初に問い掛けた方の男は、ぎらぎらとした眼で、もう一人の男を睨んでいる。
「
「止まなぐらの」
津軽弁であった。
五月の弘前――桜の季節である。
「
先に問うた男が、言った。
もう一人の男、榮世は、相手の眼を真っ直ぐに見つめている。
「
「――」
「なが、いのぐなたきや、なの父ちゃや、
「――それだば、わは、ゆぐ……」
「ゆかせね」
男は、半身になって、構えた。
「腕か、
「――」
榮世は、荷物を置くと、男と同じように、構えた。
最早、両者共に、言葉ではどうにもならない事に、気付いていた。
二人の男は、互いに間合いを詰めると、襟を掴み、袖を取り、相手を投げよう、相手を極めようと、攻防を繰り返した。
そして、
「――じぇあっ!」
榮世の右手が、男の右手を掴み、榮世の身体が沈んだと共に、左手が男の脚の間に潜り込んでいたかと思うと、男は、榮世の右肩に乗せられる形で、投げ飛ばされていた。
男は、背中から、硬い土の地面に投げ落とされて、その場でぴくぴくと痙攣し、意識を失った。
榮世は、哀しみの籠った眼で、倒れた男を眺め、自分の荷物を持って、去って行った。
明治二九(一八九六)年の春――
松士が生まれたのは、青森県の船沢村である。
幼少期は、相撲で身体を作り上げた。
小学校を卒業すると、青森県尋常中学校に、受験を経て進学。
その間に、日清戦争が勃発し、高まる気運の中、青春時代を過ごした。
有り余るエネルギーをぶつけたのは、柔術である。
尚武奨励――そのような気風の中で、町に、様々な武術の道場が創設された。
松士少年は、仲の良かった榮世らと共に、その内、旧津軽藩の藩校であった、“稽古館”より、一人の柔術家を、中学校に顧問として迎え入れ、柔術部を設立した。
その柔術家の名を、斎藤茂兵衛といった。
彼が伝えていたのは、
本覚克己流は、津軽藩御家流の柔術であり、創始は添田儀左衛門貞俊である。
儀左衛門、幼名虎之助は、当時の津軽藩主に天稟を見出され、小姓として召し抱えられた後、武者修行の為に諸国を回る事を許され、帰藩した後に武術師範となり、修行で学んだ幾つかの柔術の流儀と、自らの工夫を体系化した。
即ち、総合武術本覚克己流の成立である。
儀左衛門は、添田弥兵衛貞和に二代目を譲り、以降、理兵衛貞嘉、定兵衛貞和、伝九郎貞栄、斎藤茂兵衛と伝わってゆく訳である。
この斎藤茂兵衛を師として、少年たちは、溢れ出る力を、柔術にぶつけて行った。
それから、一〇年程前になるであろうか。
東京に、一つの武道が誕生し、日本最強の名を授かったのは――
明治一八年の事である。
本郷向ケ丘に、弥生神社が建てられた。
警視庁の殉職者を祀ったものである。
それに際して、警視庁が、武術の奉納試合を主催した。
剣術や弓術、相撲――そして、柔術。
柔術に関してのみ、ここでは記す事となるが、この武術大会に於いては、四つの流派が出場し、四つの試合が行なわれている。
起倒流
良移心頭流
揚心流戸塚派
講道館
の、四流派である。
起倒流とは、数ある柔術の流派の中でも、特に投げ技に優れた流派である。
良移心頭流は、柔術王国と呼ばれた久留米藩の、柔術指南役であった。
揚心流戸塚派は、長崎で起こった楊心流の流れを汲んでいる。
講道館は、言わずと知れた、柔道の事だ。東京大学を卒業した学士でありながら、古流柔術を学んだ、
尚、現在では、柔術と柔道とを違うものとして思われる事があるが、そうではなく、柔術という大きな括りの中に、柔道はある。何故ならば、講道館を興した嘉納治五郎は、柔術を学んだ柔術家であり、講道館は、嘉納流柔術と呼ばれていたからである。又、嘉納が“柔道”と名付ける以前から、柔道と名乗っていた柔術流派も、存在している。
そして、起倒流と良移心頭流から一人ずつと、揚心流手塚派からの二人の、合わせて四人が、講道館から出場した四人と、対戦した。
その結果、講道館から出場した四名、即ち
らが、勝利した。
この結果から、講道館柔道は、警視庁の柔術世話係として、取り立てられる事となった。
警視庁の柔術世話係と言えば、日本で一番強いという事である。
この事は全国に伝播し、松士たちの過ごした東北にまで響いたのである。
好奇心旺盛であった榮世は、その柔道を学ぶ為、上京したのであった。
榮世の家は、江戸時代から続く名家であった。
子供は、榮世の他には、姉が一人いるだけだ。
跡取りを、みすみす東京へゆかせる事は、避けたかったであろう。
だから、幼い頃から交流のあり、又、柔術の腕でも榮世と互角であった松士に、彼の説得――それが出来ないようならば、負傷させてでも引き止めて欲しいと、依頼したのである。
だが、実力行使に出た松士を、榮世は瞬く間に倒してしまい、そのまま東京へ向かった。
松士は、榮世に敗れた事を悔い、狂ったように、稽古に明け暮れた。
そして、榮世が再び故郷に帰って来た八年後、松士は、榮世から、彼が渡米するとの報告の為に帰郷したと、聞かされる。
曰く、講道館で、目覚ましい速度で段位を取得した榮世は、嘉納治五郎の推薦で、柔道を、ひいては大和魂を世界に広める為に、海外へゆく事を決めたという。
それでは、と、松士も、その場での再戦を諦めるしかなかった。
だが、榮世と決着を付ける事を、諦めた訳ではなかった。
“わも、ゆぐ……”
松士も、海を渡る事を決意した。
だが、榮世を追って、ではない。
松士は、榮世がゆくのとは反対の、中国で修行する事を決意した。
その理由は、二つである。
一つは、榮世の背中を追って、彼の後を付いてゆく事では、彼に勝つ――榮世を超える事が出来ないと思ったからだ。
一つは、中国には、日本人の知らない武術が、まだまだ眠っていると考えたからである。。
柔術のベースにあるのは、中国――明から渡って来た、
後に帰化した陳元贇は、柳生門下の福野七郎衛門などに、“人を捕ふる術”を教え、これが、柔術の始まりだとされている(『本朝武芸小伝』)。
関口流の開祖である関口柔心も、やはり、柔術の祖であるとされているが、彼も、長崎に於いて“唐土の拳法を習った”と残している(『柔話』)。同様に、長崎で“拳法”を習ったとされているのが、小栗流の小栗正信であり、拳法とは柔術の異称であると同時に、中国拳法という意味も持っている。
先に出た揚心流の基になった、楊心流を開いた三浦楊心も、医術修行の為に渡った中国で、突きや蹴りなどを用いる拳法を学んで帰国したと言うし、その系譜の一つであり、嘉納流にも取り入れられた天神真楊流の磯又右衛門は、弟子と共に一二〇名の相手と戦い、尽くを当て身を用いた、中国拳法で言う点穴(ツボ)に対する攻撃で、勝利を収めている。
これらを伝えた中国には、まだ隠された拳法があるのではないか――そう思ったのである。
そうして、松士は中国へと渡った。
松士は、中国で、何人もの武術家に教えを乞い、様々な中国拳法を習い覚えた。
その中には、“神槍”“二の打ち要らず”と呼ばれた、八極拳の
松士は、中国拳法の奥深さに感歎した。
特に、日本の武術には伝わり切っていなかった、“気”の概念――発勁などの技術には、驚かされるばかりであった。
松士が中国に渡ったのが、榮世が渡米した殆ど直後であるから、中国での拳法修行が、一三年目に入った時であった。
民国六(一九一七)年の秋、三九歳の松士は、日本人の旅団と邂逅する事となる。
中国の寺院を巡礼する目的であった。
釈宗演らと合流した松士は、彼らと共に、嵩山へと赴いた。
少林寺――
中国禅宗の祖である達磨が修行した寺である。
だが、恒林と名乗る和尚に迎えられた宗演たちは、そこで驚くべき光景を見る。
その時の様子を、宗演は、自著『支那巡錫記』にて、このように記している。
“午後、寺衆の拳法を演ずるを観る。抑も少林は、我が祖の根本霊場たり。而して寺衆坐禅せず、読書せず、只拳法小技を周し、
※稼穡=農耕
日本で言えば、臨済宗や曹洞宗の有名な禅宗とは、他の多くの仏教の目的がそうであるように、悟りを得る事を目指す宗派である。
その方法は、天台宗・真言宗などが密教である所、禅道修行である。
これは、仏教の開祖であるガウタマ=シッダールタが、苦行の末に、中道を見出してブッダ――覚者(真理に目覚めた者)となった事に起因し、その人生をトレースする事で、同じく悟りを得られると考えた為である。
その発祥となったのが、この少林寺であり、
達磨は、洞窟の中で壁に向かって九年もの間、坐禅を続け、手も脚も失ってしまったが、悟りを開いたという。
これらの逸話が、日本に、禅宗の修行方法と共に伝わって来たのであるから、嵩山少林寺が、達磨ゆかりの、禅宗の聖地として認識されるのは、当然の事であった。
しかし、少林寺で行なわれていた易筋行――肉体を鍛える修行としての拳法については、日本では殆ど知られていなかった。
宗演らが見た武僧たちの演武は、殊更、珍しく映ったものであろう。
何故、このような事になっているのか――宗演たちは、無論、このように問うた事であろう。
それに対して語られた歴史は、次のようなものである。
少林寺――先ず、この寺は、四九五年、インドからの渡来僧・
その少林寺に、後に、インドから南海経由で梁に入り、武帝と問答した後、北魏の頃、少林寺にやって来たと言うのが、菩提達磨である。この達磨に、自らの腕を切り落としてまで、弟子入りを懇願したのが、中国禅宗で言う二祖の
その『正法眼蔵』と共に、達磨がインドから持ち込んだインドの拳法が、身体を鍛える為の修行として残り、少林拳となった――これが、少林拳発祥の伝説の一つである。
もう一つは、少林拳境内の、
この武神こそ、もう一人の少林拳の開祖とされる、
緊那羅王は、元は少林寺の炊事役だった僧侶が、寺の宝物などを狙う群賊から身を守る為に拳法を開発し、その活躍によって神格化されたものである。
が、何れにしても、これらの逸話は、神話の域を出ない。
しかしながら、六一七年、少林寺が群賊の為に堂宇を焼失し、以後、僧侶たちが武装をするようになったという事は、史実である。
少林寺の名前が、史上に初めて現れたのは、六二一年である。
王世充の乱に際し、後の太宗皇帝である李世民に、少林寺の僧兵ら一三名が、唐の建国に協力し、武功を上げたのだ。
それから暫く、武に関する記録は途切れるが、明代に入って、再びその名前が出て来る事となる。この頃の武というのは、棍法――即ち、棒術の事である。その事は、『武備志』中に、
“諸芸は棍を宗とし、棍は少林を宗とす”
と、記されている。
又、『日知録』や『寧波府志』などの史書には、倭寇の討伐に、少林寺の武僧が駆り出され、活躍したという記録もあった。
少林寺に関しては、
“天下の功夫、少林より出づ”
と、言われているが、『少林武僧志』には、方丈の福居によって、各地から様々な武術家たちが集められ、少林寺の地にて、それらが統合されたという事もある。
それらの歴史は、兎も角として――
禅宗の霊地であると同時に、武術の聖地でもある少林寺は、拳法修行を続ける松士にとって、何よりも魅力的な場所であった。
松士は、恒林に頼み込み、少林寺への入山を許可された。
津軽弁は、と或るサイトを利用して変換致しました。修正箇所が御座いましたら、お教え下さい。
又、この物語はフィクションであり、実際の人物・事件・団体等とは、一切関係御座いません。
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第四節 発勁
松士が、少林寺に入る以前まで、最も良く修していたのは、八極拳である。
八極拳は、河北省滄州南部に伝わる武術であり、孟村を発祥地とする。
質実な風格を持ち、表演を目的としたような動作はなく、実用本位に編まれたものだ。
その一撃は、
などと表現される。
その歴史を辿ると、孟村出身の回族の
呉鍾は、“
“神槍”李書文に師事した時に学んだものである。
李の許で、松士は八極拳の套路(型)の初めである、八極小架を特に学び、全ての拳の基本となるこの型を覚えた事で、少林寺での拳法修行でも、見る見る内にその術理を体得して行った。
この八極拳と少林拳は、良く、
内家拳
外家拳
と、いう風に分類される。
内家拳とは、八極拳の他、太極拳などに代表される、ゆったりとした動作と、身体の内面への働き掛けを旨とする拳法だ。
一方、激しい動きと、肉体の表面を破壊する事に特化した技術が外家拳と呼ばれ、翻子拳や通背拳、蟷螂拳などが、こちらに含まれる。
とは言うものの、八極拳のベースにもなっている弾腿・査拳などは、どちらかと言えば外家拳に位置するし、少林寺の中でも、“気”を扱う為の鍛錬――内功を行なう。
少林寺としても、伝統的に“剛”を重んじた外家拳系の技を修してはいるが、武術の総本山たる少林寺が、中国国内の武術を見落としている筈がないのである。
少林寺での修業は、三年四期一二年を一つの区切りとしており、
手足を鍛える三年間
筋骨を鍛える三年間
眼の配りと気合法を学ぶ三年間
拳法の技術を学ぶ三年間
と、なっている。
この一二年を経て、命懸けの試験が行なわれ、そこで認められて初めて下山が許され、この試験で不合格となれば、少林寺の名を汚す恐れがあるとして、まだ寺に留まらねばならない。
内功の鍛錬は、呼吸法を中心に行われている。
呼吸で取り入れた気と、自らの精神エネルギーを、下丹田に集中させ、それを全身に及ぶ神経の網へと張り巡らせてゆくのである。
外功、又は硬気功というものもあり、こちらでは、頭部を鉄のように硬くし、岩を切る程の掌を作り出し、刃さえ弾く皮膚を作り上げる事を目的とする。
どれをとっても、常人には想像を絶する程の過酷さを誇るものである。
そして、これら内外の功を合致させた“勁の力”と、それらを培う中で育まれた察知力や判断力といった“意の力”、この二つを自在に扱う“技術”の三位一体を達成する事が、中国武術で言う所の功夫なのである。
松士は、他の中国拳法を学んだ時、かつて自分の覚えた本格克己流の事は全て忘れて、師の教えに従った。その上で、中国拳法と柔術の和合を試みていた。
その、自身の工夫を加えた新たな拳法をも、ここではかなぐり捨てて、少林拳の修行に邁進したのであった。
自分を倒し、海外へと飛び立った榮世に勝る力を得る為、全ての武術を統合する事を目論んでいたのである。
所が――
松士が少林寺に入って、一一年後の事である。
少林寺は、軍閥の抗争に巻き込まれて、焼失する事となった。
軍閥とは、清朝末期から中華民国成立に掛けて、袁世凱の根拠とした軍事力を起源に、政権を争った中国の地方軍閥、即ち北洋軍閥の事である。
元々は、清朝末期に李鴻章が結成した地方軍・准軍が主体である。
一九〇一年に、北洋通商大臣に就任した袁世凱は、西洋式の軍隊(北洋軍)を設立し、その鎮守する範囲を拡大してゆく中、一九一一年から翌年に掛けて起った辛亥革命に際し、革命軍に協力。清朝は打倒され、袁世凱は、樹立された中華民国の臨時大統領となった。
一九一六年、松士青年が少林寺に入る一年前、袁世凱が死去。北洋軍閥は四派に分裂し、その分派間、又は同一派内でも有力者同士の権力を巡った抗争が、一九二四年に張作霖が政権の実権を握るまで、繰り広げられた。
一九二五年には、辛亥革命の発起人・孫文が没し、国民党を国民政府と改めて、広東に組織する。
翌年には蒋介石を中心とした国民革命軍が北伐、つまり、北京政府や各地軍閥に対して宣戦を布告する。所謂、第一次北伐である。
この軍閥に、
釈宗演らの一行を出迎え、松士の少林寺入山を認めた恒林は、一九二三年、急逝する。
恒林は、少林寺の麓の村が匪賊に荒らされた頃、武僧たちで治安隊を結成し、匪賊たちの頭目を追い詰め、壊滅させたとか、日本軍に対して少林保衛団の団長として果敢に抗戦したという。
その一方で、仏法修行も怠る事なく、法話も巧みな徳のある人物でもあった。かつての敵でもある日本人の松士を受け入れたのも、この点が大きかったのかもしれない。
しかしながら、軍務と寺務とを一手に引き受け続けた過労の為に、六〇歳で入寂した。
その後を継いだのが、妙興であった。
羅漢像の姿勢を取り入れた羅漢拳を得意とする武僧であり、その極意は、『羅漢拳訣』に、次のように記されている。
“頭は波浪の如く 手は流星に似たり
身は楊流の如く 脚は酔漢に似たり
心の霊より出でて 性の能に発す
剛に似て剛に非ず 実に似て而して虚たり
久練して自ずから化し 熟極まりて自ずから神たり“
武術と禅の調和を見るような、玄妙な文である。
その妙興を、軍閥の呉佩孚が配下として加えた。
北洋軍閥は、既に述べたように四派に分かれたが、その一つ、直隷派の有力指導者であったのが、呉佩孚である。
妙興は、一九二七年、河南を転戦中に不運にも戦死してしまい、その遺骸は少林寺に返され、恒林の墓の傍らに埋葬された。
そして翌年、少林寺は、軍閥の抗争に巻き込まれて火を放たれ、堂宇は灰塵と帰す事となったのである。
焼け崩れた堂宇を眺めて、壮年の松士は途方に暮れていた。
ぱちぱちと、堂宇を構成していた木材が、火を孕んで音を立てている。
凄惨たる光景であった。
建物の中から逃げ遅れた、炊事役の僧たちを、戦闘で怪我をした僧侶たちが運び出している。
生きているものばかりではない。
全身が黒く焦げ付いて、誰だか分からない者もある。
修行の際に生命を落とす――
それについては、覚悟している面々であった。
例えば、
全身を、刀を弾く程に硬くする鍛錬である。
先ずは布で全身を擦る事から始め、次いで木の板で身体を打ち据え、高所から跳び下りて砂場に身体を打ち付ける。その鍛錬の間には、秘伝の漢方薬を飲んで気功を兼行するというのが、定法である。
又、内功にも、鉄砂掌というものがある。
瓶に詰めた砂に、指先を突き入れるという鍛錬だ。
手を鉄の如く鍛える荒行であると同時に、指の先端から気を放つ稽古でもある。
どの練功でも、自らの肉体と精神を、ぎりぎりまで擦り減らし、下手をすれば死に至る。
それらを知っているから、修行の中で、死する事も、覚悟の上で立っている。
だが――
いや、そもそもが、武術とは戦争の技術であるのだから、こうして戦火に焼かれる事も、或いは覚悟して置かねばならないのかもしれない。
しかし――
そもそも俺は何の為にここにやって来たのか。
五〇を間近にした松士は、若い心のまま、自らに問うた。
榮世を、倒す為だ。
しかし、榮世を倒すというのは、榮世を殺す事ではない。
殺される覚悟と、殺してしまうかもしれない可能性は、頭に入れて置くべきだ。
しかし、目的は、殺す事ではない。
戦争ではないのだ。
そんな風に迷う松士に、ふと、声を掛けて来た者がある。
見れば、知らない顔の、しかし、恐らくは武術を学ぶ者であろう老人であった。
少林寺の武僧ではない。
と言って、寺に火を点けた一派でもあるまい。
「お主は、日本人じゃな」
と、老人は言った。
「そうだ」
と、答えると、
「儂の所に来ぬか」
老人は、そのように誘った。
「何故?」
松士が問うと、
「日本人のお主に、渡したいものがある」
「それは?」
「ここでは話せん。付いて来たならば、教えよう」
「――」
「二つ、ある」
「二つ?」
「おう」
「――」
「一つはな、拳法よ」
「拳法⁉」
「この少林寺が、まだ知らぬ……」
「何‼」
「――魅力的じゃろうて」
からからと、老人は笑った。
しかし、松士は、まだ老人を信じ切れない。
「来なさい……」
そう言って、老人は、松士を人気のない場所まで案内した。
そこで、
「立ち合おうぞ」
と、言ったのである。
何を――
この老人は、何を言うのか。
松士の、四九歳という年齢は、格闘家と言うのであればピークを過ぎている。
しかし、武術家として練功を続けた肉体は、働き盛りの若者にも敗けない。
寧ろ、寺の中での功夫を練り続ける生活が、本人から、年齢の概念を忘れさせていた。
気持ちとしては、まだ、榮世への再戦の志を持った、青年期のままである。
狂気を孕んで武の道を進み続けた自分に、この老人は、立ち合いを所望して来た。
何が目的なのか。
日本人の松士に、渡したいものがあると言った。
それは、立ち合ってでも、渡さねばならないものなのか。
そして、
“拳法よ”
“この少林寺が、まだ知らぬ……”
その言葉が、引っ掛かっている。
それは、何なのか。
既に、少林寺の中に伝わる拳法を学び尽しているという自負はある。
そこに加わっていない拳法……
ぞくりとした。
それは、老人に対する恐怖であると共に、その拳法を知りたいという好奇心であった。
気付けば、
「是非……」
と、答えていた。
老人は、皺だらけの顔で、にんまりと笑い、
「安心したぞい」
そう言って、松士の胸を、軽く叩いた。
――あッ⁉
松士は、咄嗟に飛び退いた。
何故なら、松士が立ち合いを了承した時、老人はまだ、間合いに入ってはいなかったからだ。
“是非……”
と、答えてから、
“安心したぞい”
と、老人が言うまで、僅かの間もあるまい。
だのに、老人は松士の心臓の位置を、軽く手で叩いていたのだ。
若し、刃物でも持っていたなら、既に胸を貫かれている。
いや、素手であったとしても、松士が八極拳を学んだ李書文であれば、既に死んでいる。
李書文の絶招――中国拳法で言う奥義――は、猛虎硬爬山である。
牽制の突きを出し、肘でとどめを刺す技だ。
しかし、李書文は、最初の牽制の突きのみで、あらゆる相手を斃している。
その為に付いた、
“李書文に二の打ち要らず”
という呼び名である。
この老人が、その心算で自分を打っていたなら、松士は、既に死んでいた。
「お、おぅ……」
感歎の息を漏らしながら、松士は、
「もう一手……」
と、告げた。
老人から、全く意識を外す事はしなかった。
その一挙手一投足を、全て見逃すまいとした。
「今度は、そちらから来なさい」
老人が言い終える前に、松士は動いていた。
蹴りを出してゆく。
腹をぶち破る威力の蹴りだ。
鍛えていない人間ならば、内臓が破裂する。
鍛えていても、腹筋は貫かれ、激痛に悶絶する。
すぅ、と、老人が横に逃げた。
「怖いのぅ」
老人が細めた眼を追って、松士が脚を動かす。
とん、と、振り上げた右足で踏み込んでゆきながら、縦にした拳を打ち下ろした。
起落把――
少林拳の心意把の一つである。
八極拳では、硬開門と呼ばれる技が、これに似ている。
心意把というのは、少林拳の内功の一つで、門外不出の秘伝である。
動作としては、腕と共に膝を振り上げ、震脚(猛烈に足を踏み下ろす)と同時に、腕も相手に打ち下ろすというものである。
動きは単純であるが、その震脚の威力は、石畳を砕く程であり、正しい方法によって学ばないと、膝や腰は勿論、肺や脳さえも痛めてしまう。
その威力の根拠となっているのは、気である。
気と言うと、どうにも神秘的なイメージが先行するが、武術的な事を言うのならば、そのパワーは、物理的なものである。
武術に於ける気は、勁――端的に言ってしまえば衝撃力――を加増するものであり、勁を生み出す動作の連携によって生じるものだ。
この時、松士が使った動作は、
螺旋
展開
沈墜
である。
螺旋と言うのは、老人が横に逃げるのを追って、軸足を捻った力だ。この力を、膝と腕を持ち上げるのに利用したのである。
又、展開と言うのは、打撃に使う腕を前方に伸ばすように使った事だ。
そして、沈墜は、身体を沈める事、地面に踏み込み、拳を打ち下ろす事だ。
捩じり、開き、沈める――これらの動作の連携が、気というパワーを発生させ、打突時にそれらを複合させるのである。
このような技術を、発勁と、呼ぶ。
その発勁を用いた心意把が、老人に直撃すれば、攻撃を受けた部位が完膚なきまでに粉砕され、その衝撃は老人の肉体を貫いて爆発する事であろう。
しかし、拳が老人を捉えると思った刹那、松士の視界から、老人が消えていた。
「ぬ――」
轟!
と、地面が大きく陥没し、松士の踏み下ろした足を中心に、蜘蛛の巣状のひびが入る。
空振った拳の唸りが大気を震わせ、辺りを揺るがした。
「ほ――」
老人の声は、松士の頭上から聞こえた。
見れば、老人は、松士の打ち下ろした腕に、ちょこんと爪先で立っている。
「ほーれ」
老人は、何処となく間の抜けた声で言うと、松士の頭を掌で撫でた。
瞬間、松士の心から闘志が萎えてゆき、そして、意識さえも闇の中に落ちて行った。
心意把は本当にちょっとかじっただけの素人がやって良い事じゃないです。
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第五節 赤心
「無念無想よ――」
暫くの後、意識を取り戻した松士は、少林寺から麓の村に下り、野宿をしていた。
老人が起こした火の前で、老人が持っていた干し肉を喰っている。
火で炙り、塩を振る。
シンプルな味付けが、美味かった。
筒に汲んである水を飲んだ。
それで、松士が、自分が敗北した原因を聞いたのである。
何が、自分を敗けさせたのか――
そうして、老人が答えたのである。
老人は、
「無念無想?」
「そうじゃ」
鉄玄は頷き、
「ま、赤心という事じゃな……」
と、補足した。
赤心とは、後漢の『光武紀』にある言葉だ。
“赤心を推して人の腹中に置く”
自分の真心を人に預ける、つまり、人を厚く信じる心だ。
人に対して隠し立てをしない、ありのままの心の事を言うのである。
その為、生まれたばかりの子供の事を、赤子という。
「それが、私が、知らないもの――?」
「そうじゃ」
鉄玄は頷いた。
ありのままの心をさらけ出し、自然と一体化する事により、自らの闘気を掻き消した。
老人が松士の攻撃を躱したと言うよりは、松士の方から老人を見失ったのである。
「しかし……」
と、松士は言った。
無念無想というその在り方は、日本でも、空とか表現される、武術の究極とされている。
だから、全く新しい技術という訳ではないのではないか。
「では、お主は、あそこにいて、それを学べたかの」
鉄玄は言った。
「いや、少林寺だけではないな。お主は、これから、この中国全土だけではなく、全世界の、ありとあらゆる武術を学び尽したとして、そこにゆけるかの……」
「――むむ」
松士は唸った。
確かに、この世に存在する技術を、この身体に叩き込む事は、可能であろう。
しかし、無念無想とは、心の中に存在するものだ。
いや、存在する事が出来ないものだ。
例え深い禅定の境地に至ったとしても、この現世にある限りは、決して届かない境地だ。
「儂にしても、あそこが限度……」
鉄玄は、火で干し肉を炙り、それを喰い千切った。
「ほれ、霞を喰ろうて生きる訳にはゆくまいよ」
「――」
「儂の知る限りでは、それが出来た者は、この世でたった独り……或いは二人かの」
「それは?」
「釈迦――」
「――」
「後は、お主の国の……」
「空海、ですか」
「そちらについては、実際にはどうか、分からんがの」
無念無想――
念じず思わず、しかし、その場にあり続ける。
それは、執着を離れた、悟りの境地の事だ。
これを成し遂げたのは、二五〇〇年前、インドに生まれ落ちたシッダールタその人だけだ。
真言宗の開祖・弘法大師空海も、インド仏教の最終形態である密教で、即身成仏を成し遂げたとされているが、その後の言葉を聞いた者はいない。
「後は、気じゃの――」
「気……」
こちらは、気功で言う方の、気だ。
武術で言う気は、動作の連携が生み出す爆発力の事である。
気功で言う気は、下丹田で練り上げた気を、掌に集め、相手が持っている気と同調させる事により、対象の心を鎮めたり、眠らせたりする事が出来る。
「老師――」
松士が言った。
「貴方の許へゆけば、少なくとも、貴方と同じ程度の境地には至れると――」
「それは、主次第じゃがの」
「――」
「何なら、儂の許でなくとも、出来る者には、出来ようて」
「――」
「しかし、儂のやった事を、教えてやる位は、出来るかの……」
「――その代わりに、と、いう事ですか」
日本人である松士に、渡したいものの事だ。
「おう」
「――では、ゆきましょう」
松士が立ち上がった。
「来るか」
「ゆきます」
そういう事になったのである。
ここで、少し、時を下ってみる事とする。
梅と桜の花が狂ったように舞う、山の奥である。
そこに、一組の男女が向かい合っている。
一方は、蒼い道衣を着た、マヤである。
色の濃い目の皮膚に、薄らと汗を浮かべて、黒髪を張り付けている。
頬が上気し、ぽってりとした唇から、時折、艶めかしい吐息が漏れる。
車のハンドルを握るような、一昔前のボクシングの構えにも似た姿勢である。
道衣の各所が、土で擦った汚れと、花びらの汁を吸っていた。
相手となっている男は、黒沼鉄鬼と名乗った、赤心少林拳の門人である。
蓬髪が逆立っている。
剥き出しの上半身に、土の汚れと花びらが絡み付いていた。
立てた左腕を、右手の甲で支える構えを採っている。
その顔が、大きく腫れ上がっていた。
何度も、拳を顔に入れられているのだ。
それも、この上なく、屈辱的なやり方で――
「さ、もう、休憩はお終いかしら……」
鼻に掛かった声で、マヤが言った。
鉄鬼は歯を噛むと、
「ちぇあ!」
の、一声と共に、掌を大地に押し付けた。
身体を捻りつつ、開き、落とす――そうして練り上げた気を、地面に叩き込んだのである。
ぼぅ、と、花びらと土煙が舞い上がり、マヤの視界を封じた。
マヤが、土煙を眼に入れまいと、薄く瞼を閉じる。
その土煙が蠢動し、鉄鬼が、マヤの横手に回っていた。
マヤが右側を振り向くと同時に、マヤの膝に向かって、鉄鬼の左足刀が走った。
マヤは右足を跳ねさせ、足の下に蹴りを潜らせる。
片足だけでバランスを採るマヤの眼前に、鉄鬼の左の掌底が迫っていた。
マヤは、スウェー・バックで掌底の下を潜ると、その手首に右手を絡めた。
鉄鬼の右腕が、しかし、マヤのボディを狙っている。
下から打ち上げる突きが、マヤの括れた胴体に突き刺さろうとする。
だが、マヤは、持ち上げた右足を鉄鬼の左太腿に乗せ、そこを足場に、左足で跳んだ。
更には、同じタイミングで、左手の掌で鉄鬼の拳を受けており、鉄鬼の下突きの勢いを、舞い上がるエネルギーに転換した。
マヤの両脚が、蛇のように、鉄鬼の左腕に絡み付いてゆき、頸を刈って、投げ飛ばそうとした。
鉄鬼は、投げ飛ばされそうになった時、タイミングを合わせて跳躍して、自分から回転してゆく。
マヤの予定よりも先に接地した鉄鬼は、マヤの脚の間から左腕を入れ込んでゆき、後ろ帯を掴んだ。
マヤの左脚を、自分の胴体で、横に開かせながら、身体を入れ込んでゆく。
このまま進めば、マヤを押し倒す形で、顔に拳を落としてやる事が出来た。
けれども、マヤは、蛇の笑みをやめなかった。
マヤは右脚を前に振り出して、そのまま、鉄鬼の左腕を巻き込んで、鉄鬼と共に体を回転させた。
鉄鬼が、右肩から、地面に打ち付けられる。
マヤは蛇がしなるような柔軟性で、すぐにポジションを奪い返した。
鉄鬼の胴体に股間を下ろし、両脇を膝でロックしている。
馬乗りの形だ。
「どぉかしら、女に見下される気分は……」
そう言って、マヤは、拳を落とし始めた。
フック気味の拳が、鉄鬼の顔面を腫れ上がらせてゆく。
鉄鬼は、両腕を顔の前にやって、拳が直撃するのを、出来るだけ防いだ。
女の力である。
しかし、勢いの付いた拳は、確かに鉄鬼の腕を通じて、その脳へと伝わってゆく。
その揺れる脳、歪む視界に、マヤは、容赦なく拳を落としてゆく。
生まれは、京都。
氷室一家という、やくざの家系である。
幼い頃から体格が大きく、力も強かった。
ガキ大将を張るばかりではなく、大人相手にさえ、喧嘩を売る程である。
初めて女を孕ませたのが、七歳頃であるという逸話さえ持っていた。
人を殴る事と、女を犯す事に、全く罪悪感を持たない男であった。
又、短気であり、道端で肩が触れたか触れないかの相手を、半身不随になるまで殴り続けたという話も残っていた。
太平洋戦争勃発当時、氷室は一三歳である。
この時、
“俺が一人いれば、異国人共は全員殺せる”
などと、啖呵を切った事もある。
流石に、これは冗談であろう。
しかし、氷室の巨躯は、その当座で欧米人にも見劣りしないものであった。
戦局を引っ繰り返す事など、出来よう筈もないが、レスラーやボクサーの二、三人相手ならば、平気な顔をして勝ってしまいそうな貫禄さえある。
そんな容貌を持つ割に、頭が良かった。
語学、歴史、医療……あらゆる分野の勉学に興味を持ち、喧嘩をする傍ら、本を読み漁っては、様々な知識を蓄えるなどしていた。
戦時中、憲兵が見回っている中で、舎弟の幾らかを連れて、氷室が歩いていた。
国家権力を気に入らない氷室、舎弟たちに、異国の言葉を喋ってみせた。
敵性言語である――そのように言う憲兵に対し、
“これは独逸語である。独逸は大日本帝国の同盟国ではないのか”
と、臆する事なく言い切ってみせた。
その話に関しては、イタリア語であるという説もある。そして、
“敵性言語とはこれを言っているのだ”
と、見事な発音で英語の会話さえもしてみせた。
暴力を旨とするくせに、弁が立つ――憲兵にしてみれば、これ以上やり難い相手もない。
氷室が普通の家の子供ならばまだしも、その背後にあるのは侠客であるというのだから、やり難さは倍以上である。
そのような氷室が一七歳の時、戦争は、日本の敗北で幕を下ろした。
氷室は愛国心の欠片も持たない男であったから、玉音放送を聞いて、その内容を理解しても、決して表情を変えなかった。
戦争が終わった事に対する悦びは、これから混乱してゆくであろう世相を楽しみに思う、歪な愉悦でもあっただろう。
戦後、混乱する町に乗じて、氷室は京都を抜け出した。
やくざの家を継ぐのも悪くなかったが、それ以上に、混沌としてゆくであろうこの国の世相を、見て回りたくなったのである。
それに、何よりも――
氷室の心は躍っていた。
家族を捨てた。
友を捨てた。
それらを捨てて尚、釣りが出る。
そのようなものの為に、氷室は旅へと繰り出したのであった。
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第六節 邂逅
終戦後――
大塚松士、六七歳。
戦争が終わって漸く、松士は再び日本の地を踏む事が出来た。
少林寺の堂宇が焼失した一九二八年、松士は、鉄玄と共に小さな寺へと赴いた。
寺の名は、赤心寺。
鉄玄が住する他には何もない、掘っ立て小屋のような寺である。
そこで、松士は、鉄玄が辿り着いた無念無想の境地を手に入れる為に修行を続け、そして、鉄玄が渡したかった或るものを受け取って、終戦を機に、帰国した。
その直前に、少林寺に戻り、樹海という僧名と、独立して自らの流派を立ち上げる事を、許可されている。
身体に少林拳、心は赤心――樹海は、赤心少林拳と、自らの流派に名付けた。
かつて日本を離れた東京の港から、荒れ果てた町を見た樹海は、故郷に思いを馳せた。
既に、家族も、友の多くも、その生に幕を下ろしているだろう。
樹海は、故郷に戻る前に、講道館に顔を出した。
戦後、ダグラス=マッカーサーを長とするGHQは、敗戦国たる日本から誇りを奪い取る為に、日本文化の様々な良い所を封じようとしていた。
柔道も、その一つである。
しかし、柔道は、自らを武術ではなく、心身を鍛える為のスポーツであるとする事で、後の世まで残ってゆく事になるのであった。
それはそうと、樹海は講道館へ赴き、同郷の友人・榮世の事をそれとなく聞こうと考えた。
若し、道場にいるようならば、何処かに呼び出して再戦をするも良い。
無念無想を得てから、樹海の胸に燻ぶり続けていた戦いの炎は弱まり、友人である榮世と、単に、再び会いたいという気持ちの方が強くなっていた。
心の中に、僅かばかり、余裕が出来ていたのだ。
そうして、いざ講道館の門を潜り、講道館の門人を呼び止めた。
「私は樹海という者です。榮世という者が、おらんでしょうか。弘前の松士――そう言って下されば、分かると思います」
そのように訊いた。
榮世と訊いても、若い門人は心当たりがないようであったが、樹海が、
「前田榮世といいます」
と、問うと、
「前田七段の、ご友人ですか」
と、驚いたように頷いた。
「いらっしゃるのですか」
「いえ、実は、四年前に亡くなっているのです」
「え⁉」
「ブラジルで……」
樹海は、その門人から、榮世――否、前田
榮世は、渡米の前に光世と改名して、アメリカを始めとした様々な地で、柔道を、大和魂を広める為に、多くの格闘技と対戦し続けた。
異種格闘技戦を繰り返し、そのたった一度たりとも敗北をしなかったという。
コンデ・コマというのは、前田光世の名前が、強者として余りにも広まり過ぎて、誰も対戦相手がいなくなった所で、名前を変えれば挑戦者が出て来るのではないか、という事から考えられた名前である。
対戦相手がいなくなって“こまって”いるから、“前田コマル”はどうであろうか、という事になったが、それでは格好が付かないので、縮めて、又、伯爵を意味する“コンデ”を付けて、コンデ・コマ――と、そういう事になった。
その前田光世は、辿り着いたブラジルの地で、アマゾンを開拓し、ベレンで息を引き取った。
一九四一年、六三歳で、ブラジルに帰化したコンデ・コマは、腎臓の病により、永眠。
最後の言葉は、
“柔道衣を持って来てくれ”
で、あったという程、柔道に自らの生命を懸けた男であった。
「そうですか……」
樹海は、榮世――前田光世の記憶を引っ張り出し、今は亡き友人の冥福を祈った。
樹海は、榮世がいないのであれば、講道館に特に用事があった訳ではないので、早速、弘前へ戻る為の手段を探しにゆこうとした。
「所で――」
と、踵を返しそうになった樹海に、門人が声を掛けた。
「樹海殿も、前田七段と同じく、本覚克己流を学ばれたのですね」
「そうです」
「その他、中国で、拳法を学んだと」
「はい」
「是非、教えて頂く事は出来ないでしょうか」
「教える――?」
「はい」
門人は、真っ直ぐに、樹海の眼を眺めた。
曇りのない、綺麗な、純真と言って良い程の眼であった。
「中国拳法を、ですか」
「はい。是非」
出来る事ならば、他の門弟たちにも――と、門人は言った。
「いや、しかし……」
言い淀む樹海に、門人は食い下がる。
「これからは、武術が必要になってゆく時代です」
と、言った。
「いえ、武道、と、言いましょう」
「武道?」
「はい。戦争が終わり、これから、日本は益々西洋に吸収されてゆくでしょう」
「――」
「それは、日本の精神の消滅だと、私は思っています」
「――」
「それを防ぐ為に、武道が必要なのです」
「ですが、私が学んだのは、中国拳法です」
樹海は言った。
「柔道も、元を辿れば、中国に行き付きます」
柔道――柔術の起源については、既に述べた通りである。
「私は、柔道に、中国拳法でも、西洋のレスリングでも、ボクシングでも、何でも取り入れて、武道という大きな括りの中で、日本人の心を守ってゆきたいのです」
門人は、樹海を見つめて、熱っぽく語った。
その思いは、かつて、嘉納治五郎が講道館を創設するに当たって抱いたものと、非常に似通ったものであった。
明治維新を経て、自らの手で西洋化してゆこうとしていた日本。
敗戦国となり、その誇りを奪われてゆきそうになっている日本。
それを憂えての事であった。
「――武道で、日本人の心が、守れますか」
樹海が質問した。
「守れます」
門人は頷いた。
怖くなる程、無垢な眼であった。
無念無想を体得した樹海であっても、この瞳に魅入られると、どうもしようがない。
「ふむ……」
樹海は小さく唸り、
「良いでしょう」
と、言った。
「但し、私は、これからゆかねばならない所があります。そして、恐らく、町に下りる事はないでしょう」
「――」
「私が今まで学んで来たものを、君に教えるとして、君は、世間から暫く姿を消さねばなりません。それでも、よろしいか」
矛盾を突き付ける問いであった。
門人の青年の目的は、樹海が学んだ中国拳法を柔道に取り入れ、広めてゆく事で、日本人の心を守る事である。
しかし、樹海は、俗世を捨てた生活をせねばならないと言う。
それに、門人は、
「分かりました」
と、首を縦に振った。
「元より、貴方から全てを学ばねば、人の前には立てません。何処へでもゆきます」
「――ほ」
樹海は、感心したように息を吐いた。
「では、私は、師範にその旨を告げてまいります」
門人は頭を下げて、早速道場に戻ろうとした。
その背に樹海は声を掛ける。
「まだ、名前を聞いておらんかったの」
「治郎――」
門人は、振り返りながら、言った。
「花房治郎と言います」
後の赤心少林拳伝承者の一人である玄海、その青年期の姿であった。
それと、ほぼ時を同じくして――
京都から出奔した氷室五郎も、東京にやって来ていた。
あちこちが焼け爛れた街並みに、流石の氷室も驚きを隠せない。
そして、それと同じ位、混乱した様相を楽しんでいる、歪んだ自分を見つめてもいた。
氷室は、腹が減ったので、混雑する人混みの中で出ていた屋台に寄った。
雑炊は、不味かった。
煙草の吸殻が入っていたのである。
かっとなった氷室は、店主を殴り倒した。
忽ち憲兵がやって来て、氷室を取り押さえようとするのだが、氷室はその見事な体格から繰り出される剛力で、本業たる彼らさえも簡単に片付けてしまった。
しかし、これは不味いと判断するだけの思考を、氷室が持たない訳ではない。
氷室はすぐさまその場を逃げ出して、人気のない場所へ向かった。
その途中、どうにも外国人らしい、やつれた男と擦れ違ったが、互いに気を払う事はなかった。
氷室は、空襲で焼け落ちた屋敷を発見し、その門を飛び越えて、敷地内に侵入した。
裏手には大きな蔵があった。
屋敷があのようなぼろ状態であるから、住民などはいるまい。
食糧が備蓄されている――と、考えないではなかったが、その可能性は低いだろうと思った。
若し、屋敷の住民たちが空襲から逃れているならば、蔵の中から食べ物などは持ち出している筈である。
死んでいれば、幾らかは残っているかもしれない。
仮にどっちであったとしても、軍に供出させられていて、すっからかんに近い状態であるという事も考えられた。
氷室は、蔵の扉を開けて、中に入り込んだ。
むっとするような匂いが、籠っていた。
空っぽの棚が並んでいる。
氷室は、蔵の中を一通り見て回った後、床に扉があるのを見付けた。
地下室だ。
内側から、施錠されている。
鍵を探すのも手まであったので、踏み抜く事にした。
ばり、と、大きな音を立てて、木の板が落下した。
かなり広い空間であった。
梯子が掛かっていたので、下りてみる。
扉の傍に、油燈があった。
火を点けて、明かりを確保する。
蔵の地下には、大きめの木箱や瓶が、ずらりと並んでいた。
片っ端から開けてみると、野菜や、米、調味料、魚の干物、干し肉などが保存されていた。
「こいつぁ良いや」
氷室は暗闇で一人ごちると、適当な所に腰掛けた。
横手に油燈を置く。
乱雑に干し肉を掴み上げ、喰った。
油燈の火で、芽を穿ったジャガイモを炙り、塩を振り掛けた。
奥の方には、焼酎の瓶もあった。
地面に置き、片手で頭を押さえると、手刀で瓶の頸をすっ飛ばした。
がぶがぶと、酒を飲んだ。
「暫くは、隠れられていそうだな」
腹がいっぱいになって、ひと眠りしたい気分であった。
思えば、京都からこちらまで歩いて来るのに、まともな睡眠を摂っていない。
埃臭さを我慢すれば、心地良く眠れそうであった。
ごろりと箱の上に横になる。
昏い天井を見上げ、氷室は、懐に手を入れた。
そこに入っているものを撫で上げて、にぃ、と、唇を曲げる。
暫くここで休息したら、すぐに、目的の場所へ向かう心算であった。
その場所で自分を待っているものに、大きな期待を抱いている。
と、眠るに当たり、油燈の火を消そうと、寝返りを打った時である。
赤く燃えている火の先に、妙にきらりと光るものが見えた。
何かに、火が反射しているのだ。
氷室は立ち上がり、油燈を持って、光が反射した傍まで歩いてゆく。
そこにあったのも木箱であったが、荒く組まれたその隙間に、光を反射させるものが見えた。
氷室は木箱を開け、藁に包まれたそれを、取り出した。
それは、仏像のようなものであった。
小刀程の大きさの、豪奢な王冠や宝珠を身に付けた像――
しかも、それは、金で造られている。
金箔ではない。
純金の仏像であった。
――これは⁉
大三郎がぎょっとする。
「何をしているの⁉」
背後から声を掛けられたのは、そのタイミングであった。
振り返ってみれば、地上からの梯子から下りて来る途中の、若い女であった。
国民服のズボンに、タンクトップ。
刃のような、切れる美貌を持っている。
「そこで何をしているの、貴方……」
女が、梯子から下りて、言った。
ポケットから短刀を取り出して、氷室に切っ先を突き付けた。
氷室は、黄金像を持ったまま、半身になって女と向き合った。
「何故、それを……」
女は、黄金像について、言っているらしい。
「この蔵は、あんたのものか?」
氷室が訊いた。
「答えなさい、貴方、ここで何をしているの?」
女は、氷室の質問に答える心算はないようであった。
しかし、氷室の方も、女の問いに答える様子はない。
「これは、あんたのか?」
と、黄金像を突き出してみせた。
女は黙った。
短刀を構え、氷室との距離を、測っている。
氷室は、ふん、と、鼻を鳴らすと、
「肝っ玉の据わった女のようだがな、喧嘩を挑む相手を間違えているぜ」
と、呟き、油燈の火を吹き消した。
一瞬にして、地下に暗闇が訪れる。
「え⁉」
驚きの声を上げる女に、氷室は襲い掛かった。
記憶に残っている、短刀を握る女の手を叩いた。
硬いものが舞い、壁にぶつかる音が聞こえた。
「きゃあ!」
女が悲鳴を上げる。
氷室は、女を地面に押し倒し、服を毟り取ってやった。
「莫迦な女だ」
ぽつりと呟く氷室。
と――
「そこまでだ!」
稲妻のような一喝が、地下に響いた。
強烈な光が射し込んで来る。懐中電灯の明かりだ。
氷室が顔を覆った。
光に眼が慣れて来ると、“そこまでだ”と叫んだ男が、光の中で拳銃を構えているのが見えた。
又、男の顔も、次第に見えて来た。
上等なスーツを着た男である。
やけに強い光が眼に灯っていた。
少し顔に墨を引くだけで、歌舞伎の壇上にでも上がれそうな迫力である。
「娘から離れなさい」
男は、氷室に言った。
氷室は、娘を人質に、銃撃から身を躱す事も考えたが、若しも娘が打たれて死んでしまったのならば、あの男は哀しみに暮れる前に次の弾を撃つであろうと思われた。
氷室は女の身体の上から退き、両手を持ち上げた。
「物分かりの良い賊だ」
ふふん、と、笑いながら、氷室に歩み寄る。
「陽子、無事かね」
「ええ、お父さま」
陽子と呼ばれた女は、立ち上がり、父が渡した上着を羽織った。
「こちらに背中を向け、両腕を出し給え」
「――」
氷室は、男の言葉に従った。
「下手な事はするなよ」
男は、陽子に言って、氷室の腕を縛らせ、地面に腰掛けさせた。
「さて、君は、何処の何者かね」
男が訊いた。
氷室が黙っていると、陽子が、氷室の顔を蹴り付けて来た。
「黙っていないで、答えなさい。この薄汚い木偶の棒が」
ぎらぎらとした眼で、氷室を見下ろして、陽子が吐き捨てる。
「氷室五郎――」
と、氷室は言った。
「で、その氷室五郎くんが、ここで何をしていたのかな」
男が訊く。
「そうさなぁ……」
氷室は、後ろ手に縛られ、銃口を突き付けられているにも拘らず、薄ら笑いを浮かべた。
そうして、彼が発した次の言葉に、陽子とその父は驚愕する事になる。
「これから、龍が誘う北の地に、黄金を探しにゆこうと思っていてね」
「な――」
運命の悪戯かのような奇跡的なこの出会いが、彼らの人生を狂わせてゆく事となる。
ジャガイモを炙って塩で食べたい。
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第七節 景郷
蔵の地下の闇の中で、油燈の火を揺らしながら、三人の男女が座している。
氷室五郎は、未だ、両腕を腰で縛られている。
しかし、その顔に浮かんでいるのは、不敵な表情である。
彼の前に、陽子と、その父が、木箱に腰掛けていた。
男は、黒沼大三郎と名乗った。
大きな呉服店を経営しており、明治維新の際に成功して、財を成した先祖からの商売を続けている。
軍への被服技術などの提供で、様々な面で便宜を図って貰え、衣食住に困るという事はなかったが、爆撃を受けて、屋敷が崩壊した。
この蔵だけは何とか残っており、地下室の存在は、彼らからの供出を免除していた群でさえも、知らない。
大三郎は三〇歳で、陽子は一五歳であった。
元服後に間もなく妻を娶り、娘を生んだ。
妻は、早くに流行り病で倒れてしまったらしい。
それから、男手一つで育てて来た娘は、かなりのお転婆に成長した。
忍ばせた短刀を、躊躇いなく人に向けられる程の、じゃじゃ馬であった。
その黒沼親子と、氷室五郎が、向かい合っている。
「話を聞こうか……」
大三郎が言った。
「君は、何故、その事を知っているのかね」
氷室が告げた、
“龍が誘う北の地”
という言葉を、大三郎も知っているらしいのである。
しかも、単に知っている、耳に挟んだ事があるという程度ではなく、氷室がその後に続けた黄金――それも、この地下の木箱に仕舞われていたものと、どうやら、無関係ではないようであった。
「おたくはどうなんだい」
氷室の方から、逆に問う。
「質問しているのは、こっちなのだがね」
「或る書物に、眼を通したとでも言おうか」
「書物?」
「さ、今度はこっちの質問に答えてくれ」
「その書物とは何だね」
「――ま、酒と飯の駄賃って所か」
氷室は諦めたように笑い、言った。
「『景郷玄帖』……」
「むぅ!」
がばりと、大三郎が立ち上がった。
「そ、それを、知っているのかね」
大三郎が、興奮した様子で訊いた。
「次は、今度こそ、あんたの番って事でどうだい」
「――むむ」
唸りながら、大三郎は腰掛け直し、渋々口を開いた。
「同じものだ……」
「但し、その半分って所だろう」
「むむ……」
全てを見透かしているような氷室の言葉に、又、大三郎は獣の声を出した。
氷室は、明らかに不利な自分の状況を、一息に覆そうとしている。
「安心しな、俺も、読んだ事があるのはその半分だ」
「――」
「もっとも、その顔では、肝心な場所の事が、俺の読んでいない半分には書かれていなかったようだがな……」
くっくっく、と、氷室は笑う。
大三郎は、観念したように溜め息を吐くと、
「陽子、彼の縄を解いてやりなさい」
と、言った。
「はい、お父さま」
お転婆、じゃじゃ馬と言われる割には、案外素直に、父の言う事に従う娘であった。
陽子に腕を縛る縄を解いて貰い、氷室は、近くの木箱に腰を下ろす。
そこに置かれていた金の像をむんずと掴み上げた。
「物分かりの良いとっつぁんで助かるぜ」
「――」
「こいつを何処で手に入れたんだい?」
「……次は、君の話を聞こうか」
大三郎が言う。
「君は、何処で、その書を読んだのかね」
「何処だと思うね」
氷室に訊き返され、大三郎は少し考えるような仕草を見せた後、
「東寺――などという答えは、どうかね」
と、言う。
東寺とは、京都にある真言宗の根本道場の事である。
一般的には、東寺、教王護国寺と呼ばれているが、正式には、
金光明四天王教王護国寺秘密伝法院
と、いい、その別称に、
弥勒八幡山総持普賢院
というものもある。
本尊を薬師如来とするその寺院は、平安京鎮護の為に建立が始められ、七九六年に創設される。その後、八二三年、嵯峨天皇より弘法大師空海に下賜され、伝法院の名前が示す通り、真言密教の道場として栄えた。
金堂、五重塔、御影堂、蓮花門、真言七祖像、不動明王坐像などが重要文化財とされている。
特に、金堂には、顕教としての本尊である薬師如来と、日光月光両菩薩、十二神将像が並び、講堂には、『仁王経』と金剛法界に基づいた、五智如来像、五大菩薩像、五大明王像、梵天、帝釈天、四天王像などが、密教彫像として、立体曼陀羅を構成している。
「何故、そう思うね」
氷室が訊く。
「君の言葉には、西の訛りがある」
大三郎は、荒い口調で隠している氷室の方言を、見抜いたらしい。
「そして、『景郷玄帖』は、空海の記したものだ」
空海は、真言宗の開祖である。
「どのような記録にも残っていない、空海の『景郷玄帖』が、京都にあるとすれば、東寺だろうからね……」
「惜しいな」
「惜しい⁉」
「叡山さ」
「叡山⁉」
大三郎が、驚いた顔を作る。
叡山とは比叡山延暦寺の事である。天台宗の総本山だ。
天台宗の開祖は伝教大師最澄であり、空海とほぼ同時期に、遣唐使船に載って、朝廷からの命を受けた還学生として、唐に渡っている。
氷室たちが言っている『景郷玄帖』は、真言宗の空海が記したものであるらしいから、それが、天台宗の総本山である比叡山延暦寺にあったという情報は、氷室にとっては、少々驚きであった。
というのも、最澄と空海、この高僧たちは不仲であったというのが、定説である。
既に述したように、最澄は、朝廷からの命令で唐に渡った。これは、最澄自身が、国家に認められた僧侶であったからである。
一方、空海が正式に出家得度したのは、暴風の為に出向に失敗した遣唐使船の欠員を補充する為の留学生として入唐が許可される、その直前であった。
ここでの最澄と空海の立場は、最澄の方が遥かに上である。
だが、この二人の僧が唐へ渡った目的というのが、大きく異なっていた。
後に最澄が開く事になる天台宗であるが、開宗に当たって参考にした法華三大部などの典籍を、唐に渡る以前に、彼は既に眼を通している。その為、最澄が開宗をする根拠となるものは、国内で済んでおり、唐へ渡ったのは自らに箔を付ける目的であったと言える。
それに対して空海は、正式な出家を得られなかった青年期、都を離れて山林修行をしつつ、道教・儒教・仏教を比較して、仏教が最も優れているとした『三教指帰』などを記し、インド仏教の究極の到達点である密教を求めて、唐へと渡った。
還学生は、通常、帰朝までは三年の月日を要するが、最澄は天台山にて中国天台の灌頂を受けて一年で帰朝した。
留学生には二〇年間、唐に留まる事が定められているが、長安の青龍寺にて密教を伝授された空海も、最澄の帰国の一年後に、再び日本の地を踏んでいる。
最澄も密教の伝授は受けており、彼が帰国した折には桓武天皇が病臥しているという状況であったから、密教の加持祈祷という事については、大きな期待を受けていた。その事を足掛かりとして、最澄は自らの存在を朝廷に認めさせ、天台宗の開宗を国家から認めさせた訳である。
だが、翌年、予定されていた期間を大きく削って帰朝した空海は、その為に入京を認められなかったが、彼が持ち帰った目録などは朝廷に献上され、それを見た最澄は、自分が学んだ密教が不完全なものであると知った。
それは、最澄が学んだ密教が、『大日経』を基とした胎蔵界のものだけであったのに対し、空海は胎蔵界と共に、『金剛頂経』の世界観を図示した金剛界曼荼羅の相伝を――即ち、金剛胎蔵両部の相伝を受けていたという点である。
最澄は、自らの宗派を完璧なものとする為、空海から金剛界の密教の受法を望むも、国家に認められたエリートとして、スタートでの立場が遥かに下であった野良の沙門に頭を下げる事など、出来よう筈もなかった。
その為、最澄は弟子の泰範などを空海の許に派遣し、金剛界の灌頂を受けさせようとする。
しかし、最澄が要請した『理趣経釈』の借覧を空海が拒否し、且つ、泰範が空海の許に留まってしまい、比叡山に帰ろうとしなかった事などが原因で、平安時代を代表する二人の僧侶は交友を断裂する事となる。
こうした経緯が、ある。
だから、空海の記したであろう書物が、最澄が天台宗を開いた比叡山にあるという事は、意外と言えたのである。
そうした事を分かったであろう大三郎に、氷室はふふん、と、笑ってみせた。
「何も、空海が日本でこれを書いたとは決まっておらぬさ」
「では――」
「おうよ、唐さ」
「むむ……」
天台宗の密教が、空海のそれと比べて不完全であった事は、最澄も自覚している。
その密を完全なものとする為に、円仁という僧侶が、唐へ渡っている。
後に、慈覚大師という諡号を贈られる僧侶である。
円仁は、短期留学生として遣唐使団に加わり、天台山を目指すも、在留期間の短さの為に、訪問の許可が下りなかった。そこで、不法滞在という形で遣唐使船に乗る事なく、中国に残り、優れた天台僧の多い五台山へ向かう事となった。五台山を後にすると、長安に入り、大興善寺で金剛界、玄法寺で胎蔵界を学び、空海も学んだ青龍寺では胎蔵界と蘇悉地の伝法を受けた。
空海の密教は、胎蔵界と金剛界の両部から成るが、蘇悉地はそれらを統合するものであり、東密という真言密教に対して、台密という天台密教の特徴となっている。
この頃の唐の様子を、仏教だけではなく、政治や語学、風俗などについて事細かに記した『入唐求法巡礼行記』は、唐代中国に関する第一級の資料として知られている。
「恐らくは、青龍寺で、発見したものだろう」
氷室が言う。
空海が唐で記した書物を、彼が伝法を受けた青龍寺で、円仁が発見し、密教と共に持ち帰って来た。
そのようなものを、氷室は、比叡山で発見したのであるという。
氷室は単なる悪童ではなく、知識に対しても貪欲であったから、回峰行さえも修そうと考えていた時期があるのだ。
しかし、空海が唐で記した『景郷玄帖』の半分しか、氷室は閲覧していないという。
その半分を、大三郎は読んだというのだ。
「で、お宅は?」
今度は、大三郎が、話す番である。
比叡山からなくなっていた、『景郷玄帖』の残り半分を、何処で見たのか――
「天海さ――」
「ほぅ……」
天海も、氷室が挙げた円仁と同じく、天台宗の僧侶である。
徳川家康のブレーンとして活躍した事から、“黒衣の宰相”の異名を持っていた。
家康、秀忠、家光と、徳川三代に渡って、権力をほしいままにし、一三〇歳まで生きた怪僧であった。
天台宗の総本山である比叡山が、織田信長に焼き討ちされたという事は有名である。
戦国大名たちが両国を経営してゆく中、寺社を保護し、且つ、統制してゆく事で、平安から鎌倉に掛けて大きな勢力を誇っていた大寺院は、その勢力を失う事となった。
しかし、東大寺や興福寺、比叡山、高野山などは、その勢力を保持したままに、僧兵の拠点とされ、他の教団や時の権力者らとの抗争に備えていた。
これらは、織田信長としては眼の上のたん瘤に他ならず、比叡山の領地を自らのものにしようとして、座主から朝廷に働き掛けられ、対立を深めてゆく。
そんな中で、一五七一年、信長軍は比叡山に総攻撃を加え、焼き払う事に成功した。
その比叡山を復興させたのが、この南光房天海である。
徳川家康に見出された天海は、宗教家としてのみならず、政治や軍事顧問としても活躍した。
この当時からGHQの為に公園となってゆく上野の一帯であった寛永寺は、この天海が、関東に於ける天台宗の拠点となった寺である。その為、東叡山と呼ばれている。
又、家康の死後、遺骸を久能山から日光東照宮へ移し、東照大権現として祀る事を主張したのも、この天海だ。
そして、天海という僧侶が、明智光秀であったという説も存在している。
本能寺の変で、信長を討った、あの明智光秀である。
信長の仇討として、豊臣秀吉に攻められ、天下を三日で手放す事となった光秀は、しかし逃げ延びる事に成功し、比叡山に落ち延びた。
比叡山を焼いた信長に対して怨みを抱いていた叡山の僧侶たちは、信長を討った光秀を、手厚く保護した事であろう。
そうして僧侶天海となった光秀は、豊臣から天下を奪い取った家康に近付き――本能寺の変が、家康と光秀との共謀であったとする説もある――、宰相として幕府に迎え入れられた。
そのような話もある天海が、江戸に持ち込んだ『景郷玄帖』の半分を、大三郎は見たというのである。
そして、この『景郷玄帖』には――
「莫大な黄金の場所が記されている……」
どちらともなく、言った。
景とは、光とか、仕切られた場所での光、転じて影の事を差す。
その郷であるから、景郷とは、“仕切られた光り輝く郷”――黄金郷の事であると分かった。
「この像は?」
「寛永寺に、厳重に保管されていたものだ」
数年前、寛永寺から、黒沼の家に、古い衣の修復の依頼があった。その際に寛永寺を訪れた大三郎が、それを発見した事が、同時に『景郷玄帖』の閲覧に繋がったのだ――と、言った。
天海が、『景郷玄帖』と共に東に持って来たものか、それとも、彼が、幕府に掛け合って探しにゆかせたものか、その記録はなかったが、『景郷玄帖』の記述と照らし合わせてみるに、隠された黄金の一部である事に間違いはないようである。
「君は、その場所を知っているようだね」
「あんたは、隠されている所を知っているのだな」
互いに言う。
同じ事を言っているようだが、二人が言葉に込めているニュアンスを、共に察していた。
氷室は『景郷玄帖』から、黄金が何処に隠されているかを知っている。
大三郎は、『景郷玄帖』の半分を読み、どのような形で隠されているか、知っている。
例えば――
アメリカの人間が、日本の文書から、莫大な財宝が隠されている事を知ったとする。
その場所が日本国内であると分かっても、富士山であるとか、夕張であるとか、那覇であるとかがせめて明確にならねば、探しにゆく事は出来ない。
又、その財宝が、洞窟に隠されているとか、湖の下に厳重な金庫があるとか、その場所に入る為の暗号が解読されているとかしても、それらが何処であるのか分からねば、解いた暗号にも意味がない。
大三郎は前者であり、氷室は後者であった。
「協力は出来ないかね」
大三郎が持ち掛けた。
「あんたも、黄金を探しているのかい」
「勿論だ」
「何の為に?」
「そうだな……」
大三郎は、呟くようにして、
「この国の為、とでも、言おうかね……」
と、言った。
「国の?」
「この日本国の現状は、分かっていよう――」
「――」
「これから、日本はアメリカに吸収されてしまうだろう。それは、日本が敗けたからさ。しかし、莫大な資源があるとなれば、敗戦国とても、少しばかりはその権威を守る事が出来よう」
照れたような顔をして、大三郎は言う。
その様子には余り興味がなさそうな氷室であったが、
「俺も、そこへゆきたいでな…」
と、言った。
「あんたと協力するのは、構わんよ」
「そうかね!」
「これの記述によるのなら、一生遊んで暮らせてなお余る。そこまでの金は、特に必要とは思わないんでね……」
氷室が笑う。
何ならば、どのような職業に就こうと、それで喰ってゆける自信があった。
「変わった男だ……」
感心したように大三郎。
氷室は、小さく鼻を鳴らし、
「ゆこうか」
「おう、ゆこう」
そう言って頷き合う二人の男を、陽子が、面白そうに眺めていた。
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第八節 神山
広島県庄原市にある葦嶽山が、酒井勝軍によって“人工ピラミッド”であると唱えられたのは、一九三二年の事である。
大学で神学を学び、クリスチャンとなった酒井は、留学した先のアメリカで牧師として活躍し、昭和二年にはユダヤ・シオニズム運動の調査の為に、パレスチナに派遣された。
彼はここで、ピラミッド研究に没頭し始め、世界中のピラミッドのルーツが日本にあるという説を提唱し始めた。
その根拠として酒井が挙げていたのが、『竹内文献』を伝える、天津教竹内家神宝の一つである、御神体石に、神代の文字で記された“日来神宮”である。
この“日来神宮”という言葉が、古代日本の、ピラミッドの存在を暗示するものであると述べたのである。
酒井は、ピラミッドの条件を、次のように定義している。
ピラミッドというと、エジプトや、マヤのような、人工的に石組みされたものを想像するであろうが、必ずしもそうである必要はない。
山や丘などの、自然の地形を利用しながら、その一部に石や土を積み上げ、形作ってゆくのであれば、それでもうピラミッドと呼べるものである、という。これを、本体、又は、本殿という風に呼んでいる。
葦嶽山には、その中腹から山頂に掛けて、人工的に積み上げたような巨岩が存在しており、その山容も、ピラミッド型をしている。
長い年月を経て草木が生い茂り、石組みが崩れ、自然の山との区別が付かなくなっているだけなのである、という事だ。
又、逆に、ピラミッドをピラミッドたらしめる存在も、必要である。
本殿を遥拝する、本殿よりも小さな山。
本殿の山頂付近に、球状の“太陽石”を中心とした、一重か二重の環状列石。
太陽光を反射する鏡石と、方角を示す方位石、供物を載せるドルメン。
これらである。
この内の“太陽石”は、一種のエネルギー集積装置であり、酒井の定義する所のピラミッドとは、この“太陽石”を中心とした、古代のテクノロジーによるエネルギー装置であるというのだ。
しかし、この葦嶽山の“太陽石”は、国家によって破壊され、谷底に投げ捨てられてしまったという――
眼の前で、焚き火が、ぱちぱちと音を立てている。
蛇の舌先のように、赤い火が揺れて、空気を歪めていた。
風が鳴り、樹が揺れる。
秋口の風を、山の中で、より冷たく感じながら、氷室五郎は火を眺めていた。
一九四五年――
太平洋戦争直後、故郷である京都を出奔し、東京へ向かった氷室は、焼け落ちた屋敷の蔵の地下に忍び込み、黄金で造られた像を発見した。
それは、黒沼大三郎という男が、寛永寺で発見したものであるという。
氷室が京都を出たのも、比叡山で閲覧した『景郷玄帖』に記されていた莫大な黄金を求めての事であり、大三郎が保管していた像は、空海が著したその書物にある記述と、照らし合わせる事が出来た。
氷室も、大三郎も、『景郷玄帖』の半分しか見ておらず、二つに分けられたその書の情報を合わせる事で、黄金が隠されている場所まで、やって来たのであった。
玄叉山――
そう呼ばれる山である。
秋田県にある。
標高は、二八〇メートル。
通称、クロマンタと呼ばれていた。
何故、クロマンタか――
クロマンタは、クルマンタという別名があり、それは、アイヌ語にルーツがあるらしい。
アイヌ語で、“クル”は、“神”の意である。
“野”という意味を持つ“マクタ”が訛り、“マンタ”と呼ばれるようになった。
更に“キシタ”という“山”を意味する言葉が繋がって、
“クルマクタキシタ”――即ち、“神野山”となる。
これも、『景郷玄帖』に記されていた事である。
空海は、最初の出家から、遣唐使船に乗る許可を得る以前まで、山林修行に出ていたが、その頃の足取りは良く分かっていない。讃岐出身であったから、吉野や四国を中心に修行を重ねたというのが定説であるが、だからと言って、東北に足を延ばしていないという証拠はない。『景郷玄帖』が世間に秘匿されていたように、知られていない歴史の中に、そのような動きがあったかもしれないのだ。
彼は唐でも、現地の言葉ばかりではなく、サンスクリット語――インドの言葉で、仏教の経典などは本来この言葉で書かれている――までも、すぐに修得してしまったという。
だから、この辺りに、アイヌの言葉が入って来ており、空海が、その言葉を学んでいたのならば、そのような説明書きをしていたとしても、何ら不思議ではない。
尚、氷室は、大三郎に対して、
“龍が誘う北の地”
と、言っている。
大三郎が見た分の『景郷玄帖』には、日本の何処に黄金が隠されているかは、書いていなかった。それでも、どの方角かという事は、書名にも記されている。
玄――即ち、北である。
唐で書かれたものではあるが、遣唐使船に乗る以前にここを訪れていた事、最終的には高野山に居を構えた事などから考えて、日本の都から北の方角であるという事が分かる。
又、玄叉山と、“玄”の字を使っている山である。
そうして考えてみれば、“景郷”を黄金郷と呼んだ時には、“北にある黄金郷についての書物”と、読み解く事が出来た。
そして、“龍が誘う”というのは、黄金の隠し場所について、“龍”がキー・ワードとなっている描写が、幾つも存在しているからである。
所で、冒頭で述べたピラミッドに関する説であるが、この玄叉山にも、明らかに人の手が入った痕跡がある。
山の斜面に、七から一〇段のテラスがあり、張り出し部分は一〇メートル、高さは二、三メートルに造られている。その表面には、小さな礫がびっしりと貼られていた。
その山の中で、氷室は、熾した火を見ている。
傍では、大三郎が寝息を立てていた。
「眠らないの?」
繁みの奥から、花を摘みに行っていた陽子が、焚き火の傍に戻って来た。
大三郎が一五歳の時の子供である。
氷室よりも二つ年下で、活発な印象を受けるが、黙っていれば、かなり大人びている。
「明日には、黄金を探しにゆくのよ。体力は温存して置かなくちゃ」
「――あんたはどうなんだ」
氷室が訊いた。
「私?」
「ああ」
氷室は、にっと歯を剥くと、
「あれが忘れられないで、眠れないのか」
と、少しいやらしい口調で言った。
陽子は、僅かに眼を大きくした後、薄く微笑んで、氷室の横手に腰掛けた。
風呂にも入れない為、汗の匂いが、すぅと氷室の鼻に入り込んで来る。
決して不愉快ではない、ねっとりとした質量を持ちながら、柔らかさを備えた体臭は、寧ろ、氷室を高めてしまいそうになる。
「そうだと言ったら、どうするの……?」
「――」
陽子は、するりと氷室の頸に手を回すと、顔を近付けて来た。
かさついた唇に、ぷるんとした弾力のある女の唇が、接触する。
陽子の方から舌を絡め、氷室の唾液を啜り上げてゆく。
「おい……」
「お父さまの事なら、気にしなくて良いわ」
「しかし――」
「一度寝付いたら、中々、起きないのよ……」
そう言って陽子は、氷室を地面に押し倒した。
初めて会った時、自分に短刀を向けた陽子を、氷室は犯そうとしたが、今度は逆であった。
氷室は、陽子の身体を抱きながら、夕刻、この山の奥深い所で目撃した光景を、思い出していた。
それは、異様な儀式であった。
氷室たちが玄叉山に到着したのは、昼頃の事であった。
麓の村で準備を整えて、山に登った。
そうして、奥深くまで歩いてゆくと、不意に、その音が聞こえて来た。
まるで、祝詞を称えるかのような調べである。
密かに近付いてみれば、開けた場所で、数名の男女が、踊り狂っている様子が見えた。
七つの、人の頭程の石が、円を作るように並べられていた。
その中に、男女が七名ずつおり、自らの性器を強調するような踊りを、踊っている。
踊りながら、呪文のようなものを唱えているのだ、
特に、男のペニスなどは、普通では考えられない程に怒張していた。
表情を見るに、男も女も、阿片か何かをやっているように感じられた。
その狂気の舞踏の中心には、石像がある。
とぐろを巻いた龍の石像である。
そのとぐろの中心に、女が、脚を広げて寝そべっていた。
一糸纏わない身体が、汗とは違う液体で、ぬらぬらと輝いている。
その女に、近付いてゆく男があった。
男の身体も、女の身体を濡らしているのと同じ液体で、照り返っていた。
それだけではなく、全身に、羽毛を思わせるペイントを、施している。
そそり立つものは、周りの七名の男たちのものよりも、角度がある。
男は龍の石像に跨り、つまり、女を貫いた。
そうすると、周りの男女の呪文が、更に大きくなり、龍の石像の上での行為が終わるまで、続いた。
“間違いない……”
大三郎の呟きに、氷室も同調した。
この儀式の事も、『景郷玄帖』にはあった。
そして、その儀式がある所の近くに、黄金が隠されているという事も、だ。
三人は、その儀式の場から引き返し、適当な所で野宿をする事を決めた。
陽が暮れて来たので、火を熾し、持って来ていた干し肉を炙り、塩を振って、喰った。
それから、夜が更けて、大三郎が眠りに就いその横で、氷室と陽子は、肌を重ねていた。
「とんだじゃじゃ馬だ」
氷室が、服を着直しながら、言った。
「ねぇ、氷室さん」
同じく身嗜みを整えた陽子が、声を潜めて、氷室に言う。
「黄金の事よ」
「何だ?」
「国を傾ける事も出来る、それだけの黄金……」
「――そうだ」
そのように、記されてある。
当時でそれだけ言われているのであるから、歴史的価値も加えるのならば、想像も出来ない額になる筈である。
「私たちだけのものに、しない?」
「何――?」
「私と、氷室さんだけの、という事よ」
「何だと⁉」
驚く氷室の唇に、陽子が人差し指を当てた。
ちらりと、大三郎の方に眼をやった。
大三郎は、小さく寝返りを打っただけで、眼を覚ました様子はない。
「どういう事だ?」
「氷室さん、貴方、父がどうして黄金を探しているか、聞いていたわよね」
「信じてはいないが……」
氷室は、大三郎が語った、黄金を求める理由を思い出した。
「それで、正解よ」
「正解?」
「信じていないという事よ」
「ほぅ?」
「あの人は、唯、増やしたいだけよ」
「増やしたい?」
「お金を、よ」
「――」
「父が語った事の、“日本”という所を、“黒沼大三郎”に置き換えてみて」
「ふふん」
「そういう事よ」
「で――?」
「で?」
陽子が訊き返した。
「それを、俺に教えて、どうする気だい」
「貴方は、どうなの?」
「どう?」
「黄金を手に入れて、どうする心算なのかしら」
「――難しい問いだな」
「あの時も、お金自体を欲しているとは、言わなかったわね」
氷室は、唸りながら、答えを考え、口に出した。
「俺は、こいつさえあれば、何でもなった……」
言いながら、氷室は、両方の拳を突き出してみせた。
人を殴る事に慣れた、太い指、大きな掌である。
「確かに、家はやくざだったがね、金の力を、人と関わるに当たって利用した事はない。人間なんてのは、二、三発ぶん殴ってやれば、すぐに言う事を聞いたからな」
「恐ろしい事を言うわね」
「金なんざ、所詮、尻を拭く為の紙さ」
「では、どうして、黄金を?」
「黄金が欲しいんじゃない。人より優れていたいだけさ」
「人より……?」
「箔だな。隠されていた黄金を見付けたという箔みたいなものだ」
「ふ――」
陽子が笑った。
「父には、きっと、理解出来ないでしょうね」
「誰に理解される必要もないさ」
「独善的ね」
「否定はせんよ」
「――殺されるわよ」
「何だと」
「父は、最初から、貴方を殺す心算よ」
「――黄金を、独り占めでもするか」
「ええ。だから……」
陽子は、氷室の耳元に口を近付けて、蚊の鳴くような声で、囁いた。
「その前に、父を、殺してしまいましょう」
花房治郎が眼を覚ました時、空には、満天の星空が広がっていた。
ぼぅっとした顔で、治郎は、空を見上げている。
全身が熱を孕んでいた。
散々、身体を打ち据えられ、投げ飛ばされた結果であった。
講道館に入門して、それなりに経っていたが、手も足も出なかった。
樹海に対して、である。
治郎は、目的の場所が近付いた頃、樹海に稽古を付けて欲しいと頼んだ。
講道館から樹海に同行するようになった治郎は、先ずは樹海の故郷である弘前にゆき、その後すぐに、この地へとやって来た。
それまで、樹海が学んだ赤心少林拳を教わる機会がなかったのだが、ここで、漸く時間に余裕が出来た。
それで稽古を申し込んだのであるが、見事、打ち倒されてしまったのである。
途中で気を失ってしまい、外で、眠る事になってしまったのだ。
「起きたか」
樹海が、治郎を見下ろした。
「起きました」
治郎は上体を起こし、
「素晴らしい……」
と、漏らした。
「老師、赤心少林拳は、素晴らしいものです」
「それは良かった」
「無念無想――」
治郎は、その言葉を思い出し、次いで、樹海が見せたその境地を思い出した。
樹海が、無念無想に入った時から、治郎は、攻撃を当てる事が出来なくなった。
拳や蹴足は勿論、道衣を掴んで組む事さえも、全く通じないのである。
「凄いなぁ、凄いなぁ」
治郎は、何度も、そのように呟いていた。
晴天の下の海のように、澄み切った、綺麗な眼をしている。
その治郎を、樹海は、愛しいものを見るような眼で眺めた。
「治郎、宿へ戻ろう」
「はい」
「明日の朝、出発する事にしようかの」
「はい」
樹海と治郎は、共に、闇の中に佇む山を見上げた。
玄叉山――
二人がいる傍に、柱状の石と、それを取り囲む長い川原石が、放射状に並んでいた。
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第九節 黄金
太陽が、頂点に達している。
その白い光を、木の葉が遮り、防ぎ切れなかった光が、地面の影を貫いている。
風が鳴き、時折、枝から木の葉が千切れ落ちて行った。
氷室、大三郎、陽子の三人は、昨日、あの儀式が行なわれていた場所に立っていた。
今は、この三人以外には、誰もいない。
龍の石像と、それを囲む七つの石が並べられているだけである。
とぐろを巻いた龍を、大三郎がじっくりと観察した。
その傍で、氷室が、『景郷玄帖』を開いている。
「表記と差異はないな」
「うむ」
氷室が言い、大三郎が頷いた。
書には、
“地の龍が頭を上げ、七つの法輪が輝く”
と、ある。
“地の龍”というのは、この石像である。
大地を螺旋状に見る思想から、とぐろを巻く龍を、大地とみなしているのである。
又、七つの法輪というのは、ヨーガでいうチャクラに当たる。
人体の背骨に沿って存在する、七つのエネルギー・ポイントであり、下から
ムーラダーラ(会陰)
スワーディシュターナ(陰部)
マニプーラ(臍下丹田)
アナーハタ(心臓)
ヴィシュッダ(咽喉)
アージュナー(眉間)
サハスラーラ(頭頂)
である。
チャクラとは、サンスクリット語で“車輪”の意であり、このチャクラに沿ってクンダリニーというエネルギーを上らせ、チャクラを回転させてゆく事で、心身共に能力を強化する事が出来るという。
七つの石には、それぞれ、蓮華の絵が刻み込まれていた。
とぐろを巻く龍に、若しチャクラが存在するのであれば、螺旋を描く龍の身体のチャクラの位置は、このように円形になる筈である。
狩猟民族であるというこの山に棲む者たちは、この羅龍と、その法輪の中に於いて、神々と一体化する儀式を行なうという。
それが、氷室たちの見た光景である。
そして、この羅龍の像の下に、黄金の隠された場所への道があるとの表記が、あった。
氷室が、龍の石像と地面との間の僅かな空間に太い指を差し込み、ぐっと持ち上げた。
ずりずりと、横に引っ張ってゆくと、地下へと続く孔が開いている。
石の階段が作られていた。
「ゆくか」
「うむ」
懐中電灯を持った氷室を先頭に、陽子、大三郎の順で、地下へと降りてゆく。
通路は、入り口の方こそ、大柄な氷室では通るのに苦労する程であったが、下ってゆくに連れて、広くスペースが確保されているようになっていた。
そうなって来ると、もう、外の明かりは入って来ない。
三人は、黙々と、地下へ進んだ。
進みながら、氷室は、昨晩の陽子との会話を思い出していた。
大三郎が、氷室を殺そうという企みの事である。
その大三郎を逆に殺して、黄金を、陽子と氷室の二人だけで独占するという計画の事であった。
陽子が言うには、只単に私腹を肥やしたいだけの父に嫌気が差し、それならば、黄金自体には大した興味がない氷室と共に、黄金を、実質的に占有したいという事であった。
それ自体は、構わぬ事である。
構わぬ事であるが、陽子を信じても良いものか、と、思う。
父を殺す――そのような事を、本当に、この陽子が考えているのか。
今まで抑え付けられて育って来たから、その反動でじゃじゃ馬娘になったと言うが、その反動というのは、殺意にまで昇華するものなのであろうか。
氷室も、かっとなり易い性質であるから、人に対して殺意を抱く事は少なくない。
やくざの親分であった父に対しても、それは例外ではない。
だが、年頃の娘が――とも、思う。
若しかしたら、それは、自分を騙す為の嘘かもしれない。
陽子は、大三郎が氷室を殺そうとしている事を、知っている。
それは何故かと言えば、陽子も亦、氷室を殺そうとしていたからだ。
この事を明かす事で、逆に、氷室の信頼を勝ち取り、その信頼を利用して、氷室を陥れる心算ではないのか。
又は、大三郎は本当はそんな事など考えておらず、陽子が一方的に父を悪役に仕立て上げようとしているだけなのではないか。
考えようは幾らでもある。
幾らでもあるが、どれが真実であるかは、その時になるまで分かる筈もなかった。
となれば、結局、その真実が実行される瞬間まで、判断を見送らざるを得ない。
見送ったとしても、氷室の腕ならば、男と少女を撃退する事など、難しくはない。
蔵の地下の時だって、大三郎が拳銃を持っていなければ、簡単に切り抜けられた。
そうしている内に、階段が終わった。
眼の前に、大きな土の孔が、口を開いている。
ここからは、真っ直ぐな道である。
道を進んでゆくと、懐中電灯の明かりなしでは進めない程の暗さが、暗順応ではなく、薄れて来た。
ここから先は、明かりがなくても進める程である。
やがて、金色に縁どられた洞窟の入り口が、見えて来た。
氷室がそこを潜ると、手にした懐中電灯の光が、周囲のものに向かっては跳ね返って来て、眼を晦ませる。
黄金――
そこは、三方を一〇メートル程の壁で囲われた空間であった。
そこに、黄金が敷き詰められていた。
形状は様々である。
仏像のようなものや、武器、器などの形をしている。
獣の顔が刻まれた柱。
刀や槍、矛を構えた多臂の武人。
チャリオット。
棺。
そのような形をした黄金が、曼陀羅の如く、広がっていたのである。
「おぉ!」
大三郎が声を上げた。
その声が、黄金から跳ね返って来るようであった。
洞窟の中に、大三郎の声が反響している。
「凄いわ!」
陽子も、興奮を隠し切れないようであった。
大三郎が、地面に寝かされていた、手頃な大きさの像を手に取った。
「素晴らしい……」
大三郎は、高笑いを上げながら、子供のように、黄金の立体曼陀羅の中を駆け回った。
その大三郎を冷ややかに見つめる氷室。
氷室に、頬を黄金の照り返しで染めた陽子が擦り寄った。
「分かっているわね」
と、囁く。
氷室は、まだ、陽子を信用した訳ではない。
しかし、これから氷室が大三郎に問う事への返答如何では、陽子を信用する事になる。
「黒沼さん」
氷室は、黄金獣のトーテムを見上げる氷室に、言った。
殺すとすれば、先ずは懐中電灯で頭を強打し、怯んだ所に組み付き、迷いなく頸を折る。
それが出来る距離にまで、近付いた。
「おお、見給え、氷室くん」
興奮を抑え切れないと言った様子で、大三郎が言う。
「これは、単に黄金というだけの価値ではないぞ。歴史的にも、素晴らしいものがある」
「そのようだな」
「これを」
手にした金塊を、氷室に見せた。
それは、何らかのレリーフのようにも見えた。
身体をくねらせる蛇。
その開いた顎の先に、林檎らしきものが浮かんでいる。
「智慧の実だよ」
「『旧約聖書』か」
ユダヤ教の聖典にある、『創世記』の事である。
全知全能なる創造神は、七日で世界を創り上げた後、人間の創造に取り掛かった。
土から生まれたもの、アダム。
そのアダムから生まれた、イヴ。
最初の男性原理と、最初の女性原理である。
神は、アダムとイヴに、エデンの園で暮らすよう命じた。
但し、エデンの園の樹に生る、黄金の果実だけは食べてはならない。
そう警告されていたイヴであったが、蛇が彼女を唆し、黄金の林檎を食べさせてしまう。
アダムにも同じく、である。
智慧の実を得た事により、自分たちが裸である事に気付き、恥じらいを覚えた二人を、無垢なものを好む神はエデンから追放した。
神の警告を破った罰として、アダム、つまり男性は労働を、イヴ、つまり女性は出産の際の痛みを、与えられる事となった。
そして、イヴに林檎を与えた蛇は、神により、四肢を切り落とされる事となった。蛇の身体に前後の肢がないのは、その為であるとしている。
その蛇と智慧の実だ。
この事から考えるに、少なくともこの蛇の金塊については、ユダヤ教、ないしはキリスト教の文化圏で形成された事になる。
「氷室くん、これを」
更に大三郎が見せたのは、仮面である。
黄金の仮面は、二つの頭を持った蛇である。
同じ蛇をモチーフとしたものであっても、これは、ユダヤ・キリスト教文化圏のものではない。
マヤとか、アステカ文明のものだ。
蛇は大地を意味すると共に、天空への梯子である。
双頭の蛇は、天空と大地を繋ぐ、即ち神と人間とを繋ぐ神官王を意味する。
ユダヤ・キリスト教では原罪の要因である邪悪な蛇は、しかし、マヤ・アステカ文明でいうのならば、王を象徴する聖なる生き物である。
他にも、獣の形をした金の像は、幾つもある。
獅子。
鷲。
水牛。
それらが融合した、奇怪な生物のものもある。
ライオンの顔と胴体に、ハヤブサやイルカ、牛、カメレオンの頭が、各所に突き出している。
人の形をしてはいるが、犀の仮面に、ゴリラのような巨大な腕、象のような脚をしたもの。
そして、龍。
龍は、恐らく世界で知られる、最も有名な合成獣であろう。
その龍にしても、洋の東西を分ける形状で、共に造られている。
西洋の龍は、蜥蜴の身体に、蝙蝠の翼が生えたものだ。これは、『創世記』の蛇の逸話からも分かるように、悪の象徴である。
対して、東洋の龍は、四神(四方を守る聖獣。東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武)に見るように、聖獣である。蛇の胴体に、鹿の角、虎の脚、鯉の髭、といった姿のものが、確認出来た。
それら黄金曼陀羅の中心となっているものは、特に巨大であった。
それは、樹だ。
黄金で造られた、大樹の像。
根と根が絡み合い、天へと伸びてゆく様子が、金色に輝いている。
世界樹――
「素晴らしい発見だぞ、これは」
「――その素晴らしい発見を」
氷室が、些か覚めた様子で、問う。
「黒沼さん、あんたは、どうする気だ?」
「どうする、とは?」
「これだけの黄金を得て、あんたは、何をするのかって事さ」
「――前にも言ったと思うが」
大三郎は、少し冷静さを取り戻したようであった。
「これから、日本は、アメリカから支配されてゆく事になるだろう。文化は奪われ、生活が変わる。それを、この黄金で、どうにかしたいのさ。これだけの財力があれば、大国とて、そう好き勝手は出来ない筈だ」
「それは、あんたの、真意なのか?」
「――それは、どういう事かな」
「あんたの本心が聞きたいと言ったのさ。あんたがこの黄金を欲する、本当の理由」
「――」
大三郎は、一つ溜め息を吐いた。
「氷室くん、君が、一体どうしてそんな事を言い始めたのかは分からないが……」
大三郎が、氷室に対して、半身になった。
氷室の眉が、ぴくりと動く。
「私の真意が、そこにないとしても、逆に、あるとしても」
「――」
「君は、もう、要らないな……」
「――しぇっ!」
大三郎の言葉が終わる直前に、氷室は、手にした懐中電灯で、殴り掛かって行った。
大三郎は、恐らく反応し切れまい。
回避したにしても、それを追って打撃を叩き込む事は、出来る。
だが――
ぱぁん、
と、乾いた音が黄金に響き、氷室の手から、懐中電灯が吹っ飛んで行った。
「な――」
氷室の顔の右側を、赤い色が、尾を引いて飛んでゆく。
熱。
痛み。
硝煙の匂い。
右肩を、銃撃されていたのである。
振り返ってみれば、陽子が拳銃を構えており、その銃口からは白い煙が上がっていた。
陽子は、氷室の胸に、もう一発、銃弾を撃ち込んだ。
氷室はその場で大の字に倒れた。
「……ひやっとさせるな、陽子」
大三郎が言った。
陽子は、父に対して片眼を瞑ってみせ、銃口から上がる煙を、ふぅと吹いた。
「そっちの方が、楽しいじゃない」
「……とんだ、お転婆娘だ」
大三郎が笑った。
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第十節 五色
「ここは?」
花房治郎が訊いた。
近くの宿で一晩を過ごし、翌朝早くから、玄叉山に上ったのである。
樹海と共に、黙々と、道なき道を上る事、数時間。
次第に、人や獣が通ったらしき跡を確認出来るようになり、やがて、その場所へと辿り着いた。
山頂――
小さな、寺社の本殿の類であろうものが、木々に囲まれて、ぽつんと鎮座していた。
治郎の質問に、樹海が答えるより先に、本殿の正面の扉が、静かに開き、内側から、のっそりと、一人の男が顔を出した。
「何者か」
東北――と、言うよりは、アイヌの言葉に近い訛り方であった。
それも正確ではない。
アイヌ語と、東北の訛りがミックスされた独特の言語を、無理矢理標準語に直しているように聞こえた。
だから、ここに記すのは、治郎が聞き取る事が出来た内容であり、実際に交わされた会話ではない。
「樹海と申す者です」
樹海は続けて、
「大陸の、鉄玄赤脚より、“ひつぎ”の守護を賜り申した」
と、言いながら、荷物の中から、小振りな巾着袋を取り出し、その中身を見せた。
それは、五つの宝玉であった。
赤
蒼
白
黒
黄
と、それぞれの輝きを放つ、星のような丸い石である。
「おぅ……」
本殿から出て来た男は、つぅと涙を流し、両手を胸の前で組み、その場に跪いた。
そうして、開いた両手と額をも、地面に押し付けた。
五体投地――
仏教に於ける最上級の礼である。
両肘と両膝、そして額の五点を地に着け、自分の全てを投げ出す事から、そのように呼ばれる。
五体投地をする直前、彼がしてみせた合掌は、キリスト教のものに近い。
仏教で言えば、外縛拳という形があるが、五体投地という礼拝をしたという事から考えるに、意味合いとしては、やはり“帰依”を意味する合掌なのであろう。
建物から出て来た男は、存分に礼拝を終えると、すっくと立ち上がり、樹海の手から、恭しく宝玉を受け取った。
「では、我らは、この地を去る事に致します」
「後の事は、私にお任せ下さい」
「我ら“火の一族”の秘宝を、よろしくお願い申し上げます」
「畏まりました」
男は、建物の中に戻った。
樹海は、近くの石に腰を下ろすと、一つ息を吐いた。
「治郎よ」
「はい」
「儂は、これから先、死ぬるまで、この地を離れる事は出来ぬ」
「――」
「だからの、治郎。若しかしたら、お主は、お主が求めるものを成し遂げられぬかもしれぬ」
「――」
治郎が樹海に付いて来たのは、赤心少林拳を学ぶ為である。
赤心少林拳を学ぶ理由は、武道を日本の文化として残す為、少林拳から優れたものを取り入れようという事である。
治郎が、赤心少林拳を学ぶのであれば、それは、世間に対して公表してゆくものでなければならなかった。
樹海が、ここで一生を終える決意をしているのならば、それは、治郎の考えの真逆に位置するものである。
「では、老師が亡くなってから、私は、私の夢を追う事と致します」
治郎が言った。
「ほ――」
「人はいつか死んでしまいます。ですが、夢は、どれだけ歳を取ってからでも追う事が出来ます。ましてや、私は、拳法を学んで誰よりも強くなろうというのではありません。私は、今まで受け継いで来た日本人の心を、後の世代に伝えてゆきたいのです。その為には、例え老いさらばえようと、何ら問題はありません」
とん、と、治郎は、自分の胸を叩いた。
「我が生命が尽きる前に、我が心を誰かに伝えられるのならば、この身体が動かなくなろうと、構う事はないのです」
そういう治郎を見て、樹海が眼を細めた。
と――
玄叉山の山頂に立つ本殿の周囲には、適度に木々が生えている。
その隙間から、標高二八〇メートルの、蒼い空が覗いていた。
ふと、その木々の間に立っていた治郎の姿が透けて、その奥の、何処までも続いてゆく空が、樹海の視界に飛び込んで来た。
緑の平野までも、ぐんぐんと迫って来るようであった。
樹海の中で、赤い血がぐつぐつと燃えたぎった。
黄金の太陽の光が、スポット・ライトのように、樹海を照らしている。
ふと樹海が我に返ると、そこには、治郎が、月光のように澄んだ、銀色の光を湛えた眼で、樹海を見つめている所であった。
純粋にして自然体の、花房治郎という青年は、既に、無念無想の境地へと達しているのかもしれなかった。
「――遅いですね」
自分が樹海を見つめ、樹海も自分を見つめている事に気付いた治郎は、何となく照れ臭くなって、本殿の方に眼を向けた。
ここから去る――そう言っていた男が、いつまでも、出て来ない。
それに、“我ら”と言っていたから、彼の他にも何名かいるのであろうが、その様子もなかった。
「既に、裏から出て行ってしまったのであろうさ」
樹海が言った。
「所で、老師が渡したあの宝玉や、“火の一族”の秘宝とは、何の事なのです?」
「その内、話して差し上げよう」
樹海は石から立ち上がり、本殿に向かって近付いてゆく。
「これからの事も、しっかりと話し合って置かねばな」
「はい」
治郎が頷いた。
「さて――と」
黒沼陽子は、拳銃を仕舞うと、腕を組んで、眼の前に広がる黄金の洞窟を眺めた。
その足元には、腹を撃ち抜かれた氷室五郎の巨躯が、転がっている。
陽子は、氷室を騙して、父親の黒沼大三郎を襲わせ、その父を救う形で、氷室を射殺した。
元から、大三郎たちは、氷室を殺す心算であった。
これだけの黄金を、大三郎たちだけで独占する為である。
「これから、どうするか、ね」
「取り敢えずは、幾らか持ち出して潰して、運搬する為の銭を作らねばなるまい」
言ってから、大三郎は、むむ、と、唸った。
手には、鳥人と思しき金の像がある。
人のプロポーションながらも、頭部は鳥、背には孔雀のような羽、そして脚は逆関節の、鋭く大きな爪を持ったものだ。
「勿体ないわ、そんなの……」
陽子が呟いた。
黄金を眺めるその眼は、欲情したように蕩けている。
仰向けに倒れた氷室の横を通り、黄金の林を、眺める。
「ここにある黄金は、全て、私たちのものなのよ。それなのに、その黄金を私たちのものにする為に、誰かにくれてやらなければならないなんて……」
親指の爪を噛む陽子。
その娘の背中を、大三郎が、呆れたように眺めていた。
黒沼陽子は、単なるお転婆娘ではない。
お転婆な上に、凶暴で、欲の皮の突っ張った女である。
昔からそうであった。
氷室には、自分がじゃじゃ馬になったのは、父の厳しい教育の所為だと言っていたが、それは、嘘である。
実際には、大三郎は娘を散々甘やかし、かなり我が儘に育ってしまった。
自分を華美に飾り立て、自分のみを愛ずる。
金品にはがめつく、どうしても欲しいとなれば人から奪う事も厭わない。
若さ故の奔放さというのではなく、老獪な生き汚さを、二〇歳を過ぎる前に持ってしまったのである。
しかし、単に甘やかされ続けたというだけで、こうなる事も珍しい。
元よりその性質が備わっていたとしか思えない程の、屈折っぷりであった。
それについて、大三郎は、娘は自分に似たのであると思っている。
大三郎も、子供の頃から、暴れん坊で、自分勝手な方であった。
人を傷付ける事に、特別に罪悪感を抱く事がないのである。
「しかしな、陽子、何をするにも、銭が掛かる――」
と、大三郎が言い掛けた時であった。
振り向いた陽子が、くわっと眼を見開いていた。
「父さん!」
陽子が鋭く叫んだ。
刹那、大三郎の後頭部を、風が叩いた。
その風に気付くのが、一瞬でも遅れたならば、恐らく氷室の頭蓋骨は陥没していたであろう。
横に飛びずさった氷室は、右の耳を、背後から繰り出されたパンチで、削ぎ飛ばされていた。
「ぐぉ」
と、地面に転がる大三郎。
拳を放ったのは、氷室であった。
「な、何故……」
陽子が、右手の指に、肩からの出血を伝わらせる氷室を見て、おののく。
鬼気迫る表情をしていた。
大三郎の右耳を削ぎ飛ばした左の拳を持ち上げ、国民服の前を開く。
陽子に撃たれ、生地に穴の開いた部分だ。
懐から出て来たのは、蔵の木箱から取り出して以来、持っていた金の仏像である。
その中心に、鉛玉がめり込んでいた。
お蔭で、貫通を免れたのであった。
氷室は、耳を千切られた痛みに悶えている大三郎の身体を蹴り飛ばすと、近くの地面に転がっていた、黄金で造られた一振りの剣を、拾い上げた。
刃が潰れているので、最初からその目的で造られたものではない。
だが、氷室の巨躯から繰り出される膂力を持ってすれば――
「ひぃ」
陽子は、その場に尻餅を付き、迫って来る大男を見上げながら、後退った。
「や、やめて、氷室さん……」
陽子が、震える声で言った。
氷室は答える事なく、左手で握り、右手を柄に添えた剣を、振り被った。
ぎらりと、黄金の輝きを放つ刃。
「ぬ――」
氷室が呼気を吐くと共に、黄金が唸った。
切断能力のない刃は、陽子の白い頸の半分まで、一息に潜り込んだ。
「ぐぎぇえええっ!」
陽子の口から、血液と共に、女とは思えない絶叫が迸った。
氷室は、そのまま陽子に体重を掛け、押し倒しながら、柄を捻った。
陽子の咽喉の中を、黄金剣がこじり、頭骨と脛骨の隙間に、刃を喰い込ませた。
陽子の身体が倒れ、突き抜けた剣の切っ先が地面に付くと、角度を更に変えられ、剣が陽子の肩と平行になる。
氷室が陽子に馬乗りになる形で彼女を倒した時には、氷室の全体重が剣に、ひいては陽子の頸骨に掛けられ、頭部と頸部を分断していた。
ごろりと、陽子の頭部が地面に落ちる。
限界まで見開かれた瞼から、ぐりりと蛙のように飛び出した眼球。
鼻孔は開き、喰い縛った歯の間から漏れたのと同じよう、血を噴いていた。
長い髪が放射状に散らばり、顔を中心とした、赤と黒の花となっていた。
「氷室ォ……」
大三郎が、立ち上がりつつ、地面から器の形をした黄金を持ち上げた。
それを、氷室の背後から、後頭部に振り下ろした。
金の展性故にか、氷室の頭蓋を破壊するというような事は出来なかった。
「ぬがぁっ!」
それでも、脳をたっぷりと揺さぶられてしまった氷室は、倒れる以外にはなくなっている。
最後の抵抗とばかりに、振り向きざまに、剣を振り上げる氷室。
黄金の放物線が駆け上がり、大三郎のもう一方の耳まで、落としてしまった。
大三郎は、頭を抱えて、その場から逃げ出した。
氷室は追おうとするが、立ち上がれない。
その場で、ばったりと、倒れ込んでしまった。
黄金郷に、狂気を運命付けられた男と、狂気を遺伝された少女の身体のみが、転がっていた。
いや――
すぅと、黄金のトーテムの陰から、姿を現した者があった。
カーキ色の軍服の胸元を、ぱんぱんに膨らませている、女であった。
生地は同じものだが、どうにも似つかわしくない、ミニ・スカートと、太腿の中頃まである靴下との間の素肌を、露出している。
垂らした黒い長髪の上に、
日本人よりも僅かに皮膚の色が濃い。
通った鼻梁、ぼってりとした唇が、ぞっとする程の美貌を創り上げている。
前後に膨らんだ胸と尻に挟まれた胴体は、程良い肉付きながら、括れを殺していない。
マヤ――
時期的には、ドイツから来日したイワン=タワノビッチ――後の死神博士が、バカラシン=イイノデビッチ=ゾル大佐の依頼で、松本克己によって、富士山麓の浜名湖下にある、日本軍の基地へ案内されたのと、前後する位である。
その為、この時のマヤは、まだ、ショッカーの大幹部という訳ではなかった。
ショッカーすら、まだ誕生していなかった。
しかし、このマヤは、強化改造人間第一号・本郷猛の脱走の数日前、まだ強化改造人間第零号であった松本克己に対して、強化改造人間計画によって誕生する戦士の名を
仮面ライダー
と、呼んだ、あの頃の妖艶な姿であった。
仮に、一九七一年四月時点での彼女の年齢を、容姿から二、三〇代と推測するならば、終戦直後のこの頃、まだ少女であらなければならない。
そのマヤは、どうやら、黒沼親子と氷室との一件を見ていたものらしく、濡れた瞳を細めて、楽しげに微笑んでいた。
「面白い事になってるわね」
鼻に掛かった甘い声――五〇年もすれば、アニメ声などと称されるであろう声で呟いて、マヤは、横たわった氷室の鞄から、二冊で一冊の『景郷玄帖』を取り出すと、懐に仕舞い込んだ。
そうして、転がった陽子の頭部を抱え上げながら、氷室を一瞥し、
「それじゃあ、また、その内に、ね」
と、唇の端を持ち上げる。
陽子の生首を左手で持ち、マヤは、右手に握った鞭を、ひゅぉん、と、鳴らした。
すると、頭部を失くした陽子の身体が、強力な酸でも掛けられたかのように、皮膚を、筋肉を、臓器を、そして骨までも、どろどろに溶かされ、跡形もなくなってしまった。
マヤは、陽子の生首と共に、トーテムの奥に掻き消え、そのまま現れる事はなかった。
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第十一節 交錯
治郎は、山頂から、中腹の辺りまで下り、上って来た道を逸れて、樹海に教えられた場所へと向かった。
そこは、山の中の開けた場所であり、七つの石に囲まれた、とぐろを巻く龍の石像が設置されていた。
龍の石像は、“火の一族”たちの儀式の場であり、又、石像の下には黄金が隠された洞窟が掘られているという。
樹海は、そこの様子を見て来るように、治郎に言った。
樹海の言う通り、治郎は、龍の石像を確認した。
だが、その龍の石像の位置がずらされており、地下への階段が見えていた。
しかも、階段から山を下りる道へと向かうように、ぽつぽつと血の雫が垂れていた。
何があったのか。
治郎は、不気味なものを感じながらも、樹海から確認するように言われた地下洞窟の黄金宮への階段に、足を踏み入れて行った。
明かりは必要ではなかった。
松明を持ってきてはいたが、治郎は、火を点けなかった。
東京から玄叉山までの道すがら、折にあっては赤心少林拳の技術を教えて貰っていた治郎であるが、彼は、まるでスポンジのように、赤心少林拳を吸収して行った。
赤心少林拳の特徴を上げるとすれば、それは、大気との一体化である。
自らの存在を空っぽにし、大気と融合する。
すると、自分自身の中に、自分が立っている世界が作り出され、その中に又、自分が立っている。その立っている自分の中に、更に世界が生み出されて、その世界の中に――と、自身の内側に、無限の世界と自分自身を見出す事が出来るようになる。
それは、仏教で言う蓮華蔵世界に近しいものである。
蓮華蔵世界とは、『華厳経』に説かれる、毘盧遮那仏の国土である。
それによれば、太陽の仏、光明遍照とも言われる毘盧遮那仏が座す蓮台に、一〇〇〇枚の花びらがあり、その一枚一枚に大釈迦がおり、教えを説いている。その第釈迦の座す蓮台にも、同じように一〇〇〇枚の花びらがあり、この花びらには、中釈迦が一人ずつ座して、説法している。中釈迦の一〇〇〇枚の花びらを持つ蓮台でも、小釈迦が座しているという。
釈迦の存在は、一つの世界の存在であり、世界が一〇〇〇存在する事で小千世界、小千世界が一〇〇〇存在する事で中千世界、中千世界が一〇〇〇存在する事で大千世界が形成され、毘盧遮那仏が蓮華蔵世界に内包する三千大千世界が創られている。
図で表される場合には、須弥山という古代インドの世界観の地球が七つ(『梵網経』)、又は一〇つ(『華厳経』)が、水中の蓮華の中に描かれ、三千大千世界に相当させている。
尚、七というインドでの聖数や、一〇、一〇〇〇、三〇〇〇という表記が用いられるが、これらは何れも無限を意味する数字であり、表しているのは一つの銀河系宇宙である。
そのようなものを、自らの内側に創り出すというのが、無念無想に近い。
この境地に完璧に至れたとするのならば、それは悟りに近しいものである。
流石にそこまではゆかないにしても、自らが存在する空間を、自分の肉体を含めて把握する能力は、格段に跳ね上がる筈である。
人間が周囲の情報を得るのに、最も割合を裂いている器官は眼であるが、無念無想を得て大気と一体化したのならば、機能を抑えている他の感覚器官を鋭敏とする事で、身体に周囲の状況をフィード・バックする事が出来るようになる。
治郎は、ほぼ無意識化で、そのような事をやってしまえた。
気付かぬままに、明かりを持たず暗闇を進む治郎は、無念無想に至る為の、純粋さという才能を持っていたという事であろう。
と、治郎以外の人間であっても、明かりが要らない程度の光量が、確保される場所に出た。
樹海の言っていた黄金の洞窟だ。
「――凄い……」
思わず、治郎は声を漏らしていた。
黄金で造られた様々な像は、多種多様な文化圏を感じさせた。
黄金色の洞窟を、見て回る治郎。
と、治郎は、黄金の傍で倒れている男を発見した。
「大丈夫ですか⁉」
治郎は、血溜まりの中で倒れているその男に駆け寄り、抱き起こした。
かなり、大柄である。西洋人もかくやという程であった。
肩から流れ出た血が、腕の表面で凝固している。
後頭部に大きな瘤が出来ていた。
近くには、血塗れの黄金の剣と、銃弾がめり込んだ人型の黄金像。
「ぅ……」
男が、小さく呻いた。
「無事ですか⁉」
治郎が訊いた。
「何故、こんな所に……」
そのように問う治郎。
だが、その大柄な男は、そのまま意識を沈めてしまった。
薄らと眼を開け、眼球をきょろきょろと動かした。
その眼に移るのは、四方を木の板で囲まれた、小さな部屋であった。
決して上等とは言えない布団の上に、身体が載っている。
敷布団も、掛け布団も、二枚分使っていた。
身体を起そうとすると、頭と右腕が、鈍く痛んだ。
頭を置いていたのは、濡らした布巾を重ねたものであるらしかった。
右肩の傷に
暫くそのままでぼぅっとしていたが、意識が覚醒し、五感が戻って来るに連れて、外から聞こえて来る、風とは違う音に気付いた。
布団から立ち上がると、どうやら小屋らしいそこの扉を開けて、外に出た。
すぅと、冷たい風が身体を撫でた。
その小屋の前に、一人の男がいた。
ゆるりとした動作を、留まる事なく続けている。
空に浮かぶ雲のように動いたかと思えば、草原の草のように揺れる。
砂塵のようにぱっと飛んだかと見ると、刃のように鋭く手足を走らせた。
それらは、金の光芒を纏っているかのように映った。
どうやら、武道の動きらしい。
上半身は、裸である。
膝の辺りまである下衣を吐き、帯を締めているだけだ。
その男が、ゆらり、ゆるりと動くたび、決して大柄ではないが、良く作り込まれた筋肉が、波のように盛り上がり、引いてゆく。
舞を踊るかのようであった。
どれだけ高額な舞妓を呼んでも、このような美しさを醸す事は出来まいと思われた。
それでいながら、その繰り出される拳、掌、肘、膝、足……どれを取っても、人を殺してしまえるような、おどろの気配を感じさせた。
それも含めて、美しいと感じていた。
何が、その武を美しく感じさせるのか。
その型を演じている男の心が、この上なく澄んでいるからだと思った。
その男は、足を出し、腰を捻り、肩を持ち上げ、拳を打ち出し、指を曲げ、膝を折り、掌で押し、踵で踏む――それらのあらゆる動作を、その動作のあるがままの意味を、実行している。
例えば、今のように、膝を持ち上げ、踵を踏み下ろすというこの動作に、男はそれ以上の意味を込めていない。
込めてはいないが、そこから流れるように振り出された腕の動きに、繋がってゆく。
意味があるとすれば、動作それ自体ではなく、動作と動作の連携だ。
これが武であるとすれば、動作の連続性に、向かい合った相手を攻撃するというものが込められている。
一つの動作を連続する事で、何か意味が生まれ、次なる動作への連携に、又、新しい意義が生じて来る。
二つの波が交差した時、その交差点での力が大きくなるように――
動作と動作の交錯が、二つの力を和合させ、更にそれが別の動作と絡み合ってゆく事で、パワー・アップしてゆく。
仮に、一つの動きのエネルギーを一〇として、そこに次の同等のエネルギーの動きが交錯すれば、それは二倍ではなく、二乗倍だ。
それが更に連鎖してゆくから、三乗倍、四乗倍、五乗倍……と、次から次へとエネルギーを増してゆく。
その男の表演は、無限に等しいエネルギーを孕んでいた。
動作の中で蓄えられた男のエネルギーが、男の身体から溢れ返り、その力が、太陽のように煌々と輝いて、人の第六感へと訴え掛けて来るのであった。
と――
「あ」
不意に、その光が消えた。
蝋燭の火が、消える直前にぽっと大きく煌めき、そして、闇が訪れるように。
男――花房治郎が、表演をやめたからだ。
しかし、それにしても、さっきまではぐんぐんと成長していた膨大なエネルギーが、瞬間移動でもしたかのように、全く感じられなくなってしまった。
風が、洞窟を駆け抜けてしまったかのようである。
道を塞いでいる大岩を、必死に退かそうとしたのに、向こう側からひょいと持ち上げられて、こっちが肩透かしを喰らってしまった感覚だ。
「お目覚めになられましたか」
治郎が、にこやかに笑った。
年齢の掴み難い男だった。
一〇代とも、二〇代とも、三〇代とも、これは流石に雰囲気だけの話ではあるが、七、八〇程の、老成した空気さえ、纏っているように見えた。
「あ、ああ……」
治郎が持っていたエネルギーの行方と、彼が持つ不思議な落ち着きに困惑しながらも、問いに頷いた。
「ここは?」
訊く。
小屋は、山の中に、ぽつんと建てられたものであった。
生活感はなく、少し腰を落ち着けたり、雨を凌ぐ為だけの場所のように見えた。
「玄叉山です」
「くろ、また……?」
眉を寄せた。
「秋田?」
「はい。秋田県の玄叉山です」
「俺は……」
ずきずきと痛む後頭部を押さえながら、治郎に訊いた。
「どうして、そんな所に……?」
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第十二節 弟子
小屋の中で、治郎が組んで来た水を飲んだ。
美味かった。
乾燥していた咽喉が潤い、刺々しく粘る粘液が、ゆるやかに流れてゆく。
腹が、空っぽである事を訴えた。
治郎は、
「少し待っていて下さい」
と、そう言って、小屋から出てゆくと、食べられる野草を幾らか積んで来た。
それを食み、又、水を飲んだ。
「ありがとう」
治郎に礼を言った。
治郎はにこりと微笑んで、頷いた。
それから暫く、二人は沈黙を続ける。
口火を切ったのは、
「訊かないのか?」
治郎が、きょとんとした顔をしていると、
「俺の事さ」
「貴方の?」
「ああ」
「――記憶が、ないのでしょう?」
「そうらしい。……黒沼大三郎、という名前しか、憶えていない」
「――失礼とは思いましたが、お荷物を拝見させて頂きました」
治郎が視線を向ける。
そこには、鞄があった。
「けれど、身元が分かるものは入っていませんでした」
「――開けてみてくれ」
言われて、治郎が、鞄の中身を床に出した。
空っぽの竹筒。
干し肉。
干し飯。
塩。
小刀。
小さな薬箱。
その程度のものであった。
――足りない。
と、思うものの、何が足りないのか、分からなかった。
記憶のない自分が、このような所に放り出されている理由に、思い当たる事がない。
名前を思い出せたのが、奇跡のように感じられた。
いや、その名前が、自分のものであるとは限らない。
「この傷は?」
治郎に訊いた。
右肩と、頭の事だ。
「右肩は、どうやら、銃で撃たれたもののようです。傷口が焼けていました。頭は、恐らく鈍器で殴られたものでしょう」
治郎は言った。
肩の傷は兎も角、頭の事については、その凶器を発見してもいる。
だが、樹海に黄金の様子を見にゆくように言われた時、あの黄金についてはなるべく人に話さないようにと、念を押されていた。
樹海がやって来て、彼の事を相談するまで、治郎は黙っている積もりであった。
「銃か」
ぽつりと呟いた。
「何か、物騒な事に、巻き込まれてしまったようだな」
ふけだらけの、ごわごわに固まった髪の中に指を突っ込んで、ぼりぼりと掻いた。
頭の傷に触れて、
「痛てて」
と、小さく呻く。
そうしてふと、思い出したように言う。
「なぁ、あんた……治郎さんって言ったか」
「はい。花房治郎です」
「あんたがやっていた、あれは、何だ?」
「あれ?」
「武道の、型のようなものだ」
「あれは、套路です」
「とうろ?」
「中国拳法で言う、型ですよ」
「中国拳法?」
「ええ。赤心少林拳といいます」
少林拳という事について、少しはその存在を知っていた。
記憶と一口に言うが、記憶は、エピソード記憶と知識に分けられ、前者は自分が体験した事、後者は学習した事である。
例えば、仏教という事に関して言えば、開祖がガウタマ=シッダールタで、仏陀と呼ばれ、悟りを得る為の教えであるという事は、知識である。
その仏教に対して、素晴らしいと思っていた、逆に、まやかしだと思っていた、他の宗教と似ている・全く違うと思った、回峰行をしたり、坐禅を組んだり、一晩中経典を読誦し続けたりした事がある、というのは、エピソード記憶である。
少林拳の情報については、知識に当たる。
中国禅宗発祥の寺、少林寺で、達磨が創始したという武道だ。
本来は、僧侶たちの身体を鍛える為のものであったが、やがて僧侶たちは、拳法家として、様々な場所に駆り出されるようになったという。
臨済宗の僧侶、釈宗演が、それについて記している書を、ちらりと眼にした事がある。
しかし、赤心と名の付くものは、初めて耳にした。
「あんた、拳法家って奴なのか」
「始めたばかりです。元は、柔道をやっていました」
「柔道を? では、何故、中国拳法を?」
「役に立つと思ったからです」
「役に立つとは?」
「中国拳法から、日本の武道に足りない所を、補う事です」
「それで、どうするんだ?」
「日本人の誇りを、守ってゆきたいのです」
治郎は、樹海に対しても語ったような事を熱く論じた。
きらきらと輝く治郎の瞳は、ブラック・アウトした記憶の中にあるのと同じような、眩いばかりの金色を放っていた。
「あれは……」
と、言い掛けた時、小屋の扉が叩かれた。
「はい」
治郎が返事をすると、
「儂じゃ」
樹海の声がした。
治郎は樹海を招き入れ、樹海は治郎が敷いた座布団の上に、腰を下ろした。
「樹海という者じゃ」
「黒沼、大三郎――と、取り敢えずは、そう呼んで下さい」
その名前だけを憶えていたらしいが、自信なさげである。
「赤心少林拳の老師です」
と、黒沼――と、仮に呼んで置く事とする――に、
「記憶を失くされているそうです」
と、樹海に、それぞれ治郎が伝えた。
樹海は、むむと唸りながら、何事かを思案しているようである。
治郎は師が何らかの決断を下すまで、黙っている。
「その……先生」
黒沼が、樹海に対して言う。
「先生?」
「彼……治郎さんから、赤心少林拳というものについて、聞きました」
「――」
「で、その、套路というのですか。あれを、見ました」
頭の中で、言葉を整理し切れていないままに声にしているかのように、黒沼は、途切れ途切れになりながらも、思いを紡いだ。
「それで、とても……美しいな、と」
照れたように、歯切れ悪く、黒沼。
「そんな。勿体ないお言葉です」
治郎が言った。
「それで、先生、俺……あ、いや、私にも、ご教授願えませんか」
「赤心少林拳を?」
「はい」
黒沼が、胡坐を掻いていた足を正座に直し、両手を床に着いた。
「それは、構わぬが――」
樹海は、自分が、この山の中で一生を過ごす心算であると、治郎にも説明した事を、黒沼に言った。
治郎は、それを分かって尚、来ている。
「記憶がないのでしょう? ならば、山を下りて、身内の方を探した方が」
樹海がそう勧めると、黒沼は眉を寄せて、
「確かに、自分の事が分かりません」
「――」
「ですが、どうにも、私という人間は、余り良い人間ではなかったかもしれないのです」
黒沼は、治郎の表演を見ている時の事を思い出した。
治郎の表演を見、美しいと思うと同時に、黒沼の心の中に、黒々としたものが浮かび上がって来たのである。
それは、彼自身を責め立てる、声なき声であった。
治郎の演武は、太陽であった。
或るものが太陽に照らされると、その足元には影が出現する。
その影が、黒沼の事を、ちくちくと突いて来たのであった。
何かに追い立てられているような気分になり、唇を噛み締めた。
必至に動悸を抑え込んで、笑い始めた膝を固めて置くのが、精一杯であった。
自分は、何か大きな罪を犯した人間なのではないか――治郎の真っ直ぐな眼を見ていても、同じように思い、自然と眼を反らしてしまっていた。
「私には、それらと向き合う事が出来ません。ですので、ここで、あの拳法を……治郎さんが言ったように、私の、心を育てる為のものとして、きちんとした人間に成りたいのです」
と、いう事であった。
「老師――」
治郎が、樹海を見た。
「分かりました」
樹海は頷き、
「今から、ここにいる治郎と、幾らか話して来ます。それで、黒沼くん、君の処遇を決めましょう」
と言って、治郎と共に立ち上がり、小屋の外で話し合う。
弟子入りの事と言うよりは、主に、地下空間の黄金の事についてであった。
「彼は、その事を、憶えていたのかね」
「いいえ。教えた方がよろしいでしょうか」
「言わずとも良いじゃろう」
「分かりました。老師がそう仰られるなら」
そういう事になった。
二人は小屋の中に戻り、黒沼に、弟子入りを認める事について話した。
「記憶が戻ったら、又、話しましょう」
その時点で山を下りるか、それとも、樹海の弟子を続けるか、である。
こうして、黒沼大三郎は、樹海の下で赤心少林拳を学ぶ運びとなった。
しかし、樹海が黒沼に隠していた黄金と、それ以上の、樹海が守り続ける事を決意していた或るものが、未来、大量の血を流させる事について、誰もまだ知り得なかった。
次回から、漸く本編の時間に戻れそうです。
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第十三節 闇夜/比武
闇に紛れて、蠢く影がある。
全身を赤いタイツで覆い、ゴーグルを装着している。
腰には、金色のカラスの横顔がデザインされたベルトを、巻いていた。
月のない夜である。
寒い風が吹き下ろしていた。
山の麓の小さな村は静まり返っている。
赤い群衆は、ぽつぽつと建ち並ぶ、瓦屋根の家々を通り過ぎ、村の外れにある寺社に辿り着いた。
和式の造りではあったが、本殿の扉の上には、十字架が彫り込まれている。
赤い人影は、本殿の扉を壊して堂内に侵入し、神棚の前に並んだ。
祀られているのは、一枚の大きな布である。
円の中に、五芒星が描かれており、それぞれの頂点は、てっぺんから時計回りに、
蒼
赤
黄
白
黒
で、染め抜かれていた。
彼らは、その布を壁から外すと、その裏にあった観音開きをこじ開け、奥の空間に奉納されていたものを、取り出した。
五振りの剣であった。
五人が代表して、一振りずつ抱えて、外へ出た。
外には、合わせて一〇名ばかり、同じ姿をした者たちが待っている。
と、
「何をしている⁉」
しゃがれた声が、闇を裂いた。
見れば、そこには、老齢の男が立っている。
しかし、歳は喰っているようだが、その眼光はぎらりと鈍く光っていた。
頭巾を被り、獣の皮で作った上着を羽織っていた。
「その剣をどうする心算だ」
男が詰問すると、赤い影がひゅんと走り、男に襲い掛かった。
男は、突きや蹴りを向けて来る彼らを巧くいなし、逆に、拳を叩き込み、足を打ち付けて、撃退してしまう。
赤い人影は、殴られ、蹴られるたび、金属質な音を身体から鳴らしていた。
武道の心得があるらしい男は、見事な殺気を放ちながら、怪しげなゴーグルの者たちを威圧した。
仮面の曲者たちは、あっと言う間に倒されてしまい、残ったのは剣を持った五人のみとなってしまった。
その内の一人が、我慢ならなくなって、剣を鞘から抜き放ち、男に斬り掛かる。
両刃の直刀であった。
ぶぉん、と、金属の塊が唸る。
男はそれを躱すと、タイツ越しに手首を捩じり上げ、剣を手放させた。
そうして、奪い取った剣の柄で、相手の咽喉を強く突き、肘を背中に落として、地面に叩き付けてやった。
男は剣を構え、鼻を鳴らす。
「莫迦めら」
と、暗闇から、男とは別の声が聞こえて来た。
赤いタイツの彼らは、ゴーグルの裏側に、明らかな萎縮を見せ付けた。
男が顔を向けると、夜の闇の中から、銀色の甲冑を纏った男が現れた。
赤いマントを羽織っており、兜の内側の顔は、勇ましいが、蒼白い。
死霊が甲冑を纏い、現れ出たかのようであった。
「賊共の、頭か⁉」
男が、剣を構えながら、言った。
「俺の名は、ドグマ王国の将軍メガール。部下たちが、失礼した」
メガールと名乗った甲冑の武人は、小さく頭を下げた。
赤いタイツのゴーグル――ドグマファイターたちは、見ていて憐れになる程、メガールが出現した事に対して、怯えているようであった。
「この山彦村に眠る、或るものを、譲って頂きたい」
「――それで、これか」
男は、自分が握った剣と、ドグマファイターたちが抱えている残りの四振りに眼をやった。
「そうだ」
メガールは頷いた。
「それは出来ない。仏像を手放す僧侶はいないし、教会には磔刑にされたキリストの像がなければならない」
「何も、それを頂こうというのではない」
メガールに剣を指差されて、男がむっと唸る。
「その影打ちは、そのまま影打ちとして祀って置けば良いのだ」
「貴様……」
「我々が欲しいのは、真打ちの五振りの剣のみよ」
一本の刀を造るに当たり、刀鍛冶は、二振りの刀を打つ。
依頼を受けて打った二振りの内、出来の良いものは神社などに奉納する。
この、相手に渡した方を影打ちといい、奉納されたものを真打ちという。
しかし、今の場合、本殿に祀られていたのは影打ちの方であり、真打ちは別にあるらしいのであった。
「渡せぬ!」
男はそう言って、メガールをぎろりと睨んだ。
気の弱い者なら、それだけで小便をちびってしまいそうな程、強い眼光である。
だが、メガールも敗けてはいない。
男をぎっと睨み返し、剣を引き抜いた。
「従わぬと言うのならば、仕方がない」
メガールがそう言った時であった。
「村長!」
と、村の方から、男が駆けて来た。
どうした――と、村長と呼ばれた男が顔を向けた時、夜の村が、赤々と燃え上がっているのが見えた。
「ふふん」
メガールが、にやりと笑う。
駆けて来た村人は、村長に近付くと、
「村が、変な奴らに……」
そう言い掛けて、ドグマファイターたちの姿を見、悲鳴を上げた。
「こ、こいつらだ! こいつらと同じ格好の……」
村人の言葉は、途中で途切れた。
その胸から、剣の切っ先が生えている。
メガールが、背中から心臓を貫いたのである。
村人は、血霧を村長に吹き掛けながら、その場に仰向けに倒れ込んだ。
メガールの剣が、赤黒い液体に濡れている。
「村人共を皆殺しにして、その後で、ゆっくりと頂くとしよう」
「――己!」
村長はメガールに斬り掛かった。
メガールが剣を振るい、甲高い悲鳴を、二つの剣が発した。
それが断末魔となったのは、村長の剣の方であった。
メガールの剣は、村長の剣を中頃から切断してしまったのである。
村長が振るった剣の先端は、くるくると宙を舞い、地面に突き刺さった。
「お前もこうなりたくなければ、真打ちの在処を教えるのだ」
メガールが剣の切っ先を突き付けるが、村長は、間髪入れず、手の中に残った剣を放り投げた。
メガールが、一瞬とは言え怯んだ隙に、村長は風の如く走り、四振りの剣を持ったドグマファイターたちを、瞬時に蹴散らしてしまう。
そうして、素早く本殿の中に飛び込んだ。
メガールが追うが、既に男の姿はなかった。隠し扉のようなものが用意されており、そこから逃げたものらしい。
一九八一年――
山彦村は、紅蓮の炎と共に消失する事となる。
その様子を、中央がへこんだ、歪な形の山が、静かに見下ろしていた。
一九五五年、玄叉山――
その奥まった所に、小さな堂宇が建てられている。
小さいとは言っても、中心とすべき本尊が慎ましいだけで、屋根のある面積は、何人かで暴れ回るには充分であった。
人も通わぬ山奥に、ぽつりと佇む堂宇の扉の上には、
赤心寺
と、あった。
扉を潜ると、一五メートル四方の屋内の奥に、段が出来ている。
本尊としているのは、釈迦と、達磨と、緊那羅である。
中心で、結跏趺坐をし、法界定印を組んでいるのが、釈迦である。
結跏趺坐とは、両足を、反対の太腿に乗せた座り方である。法界定印は、臍の前辺りで、左の掌の上に右手の甲を乗せ、量の親指と掌で、円を作るようにして組む印だ。
向かって右手に、禅宗の開祖、達磨の像がある。
左側には、鬼のような顔をした武人が、片手に矛を担いで、座っている。少林寺の伝承にある、緊那羅王である。
これらの特殊な三尊像が、仏壇に載っているのが、内々陣である。
内々陣と、違う板で仕切られている所が内陣であり、勤行の為の経机などが並んでいた。
内陣と外陣が、段で仕切られている。
その外陣が最も広く、石を削り出して造っているので最も頑丈であった。
何故ならば、外陣は同時に道場であるからだ。
それでも、石畳の外陣には、幾つもの陥没が見て取れる。
練功の激しさを物語っているようであった。
その堂宇に、三人の男がいる。
頭の髪はすっかりなくなり、胸の辺りまで伸びた髭は真っ白である。
樹海、七七歳の姿である。
全盛期よりは細くなっているが、決して弱々しい老人というイメージはない。
樹海は、本尊に背を向けて、内陣の座布団に端坐している。
外陣では、二人の男が向かい合っていた。
時間を重ねても、その澄んだ眼には、一切の翳りが見られない。
継ぎ接ぎだらけの道衣を来た、花房治郎である。
もう一人は、記憶を失くし、唯一憶えていたその名を使う、黒沼大三郎だ。
樹海や治郎と違って、剃髪はしていない。蓬髪である。
体格は相変わらず大きく、筋肉も更に膨らんでいた。
この日、樹海が、二人に立ち合うようにと言ったのだ。
日頃の鍛錬の稽古を見せよ、と。
一〇年――
樹海と治郎がこの山に来て、記憶を失った黒沼が赤心少林拳の門下に入ってから、である。
その間、治郎と大三郎は、樹海の指導の下で赤心少林拳の鍛錬に、切磋琢磨して来た。
少林拳の修行というのは、何も、拳法だけをやるのではない。
元を辿れば、禅宗の、易筋行の一つである。
中国禅に於いては、インドでは禁じられている農耕作業なども、修行の一つに数えられる。
時には山を下りて、近くの村や町で、生活に必要なものを受け取る、托鉢もした。
農家の畑仕事などを手伝い、中腹に堂宇を建てるのも、彼ら自身で行なった。
境内を造ったのは、黄金の敷き詰められた地下空間の上である。
黒沼には、黄金の事を隠して置く――樹海の判断と、生活の拠点となるのが山頂にあっては、高齢の樹海には厳しいであろうと、治郎が提案したものである。
とぐろを巻いた龍の石像と、法輪を表す七つの石を、本尊とは別に安置し、その上に堂宇を建てた。
黄金郷への階段は、釈迦如来坐像の真下という事になる。
本堂にして道場であるその場所で、治郎と黒沼は、樹海の見ている中、比武を行なおうとしていた。
“
の声が掛かってから、数十秒間、二人は、構えを採ったまま、すぐには動こうとしない。
片腕を立て、その肘を、地面と平行にしたもう片方の手の甲に、載せている。
赤心少林拳の、基本の構えであった。
一分近く、相手の動向を探り合っていた両者であったが、六〇秒を刻む直前、同時に動き出していた。
黒沼が踏み込んでゆき、立てていた左手の、崩拳を放つ。
縦にした拳が風を巻き込んで唸り、治郎の頭部を狙った。
治郎は左手で拳を払い、自分の腕の下に、右拳を潜らせた。
顔をガードしつつ、黒沼のボディを狙う治郎の突き。
黒沼は、治郎の突きを右手で押さえながら、前に出していた左足で更に踏み込んで、左の肘を跳ね上げてゆく。
治郎の頭が沈み、ゆるりと、黒沼の左側に回る。
背中を取っている形だ。
黒沼は、折り曲げていた左腕を伸ばして、裏拳を治郎に対して振り抜いた。
治郎の左腕が、黒沼の腋の下を通って胸の前を擦り上がり、黒沼の裏拳が治郎の頭の上を駆け抜けてゆくと同時に、治郎は掌底で顎を打ち抜いていた。
が、黒沼は、その直前に床を蹴っており、その大きな身体が、ふわりと宙を舞った。
中空に位置した黒沼が、踵を踏み下ろして来る。
治郎の両手が、花のような形になって、黒沼の蹴りを柔らかく包み込んだ。
刹那、
「吩!」
治郎が呼気を繰り出し、両足を同じ方向に捻った。
その捻りが、踵から膝、股関節、腰……と、上昇してゆき、両掌に達するに当たって、ぱっと光を放ったように見えた。
発勁――
黒沼の身体が更に浮き上がり、黒沼は空中で錐揉み回転しながら、石畳の上に落下した。
「見事……」
樹海が小さく漏らした。
黒沼の眼が、ぎらぎらと光り、治郎に向かって駆けてゆく。
嵐の如く、突き蹴りを繰り出した。
頭部。
胴体。
手足。
何処にどのように当たっても、ダメージを与えられる攻撃であった。
それらを、治郎は巧みに捌いてゆく。
掌で弾き、腰を沈め、顔を傾け、身体を捻る――
どのような暴風が吹き荒れ、木々が倒れ、岩が跳び、地面が抉れたとしても、枝から引き千切られた木の葉を壊す事は出来ない。
治郎の動きは、その木の葉――いやさ、美麗に舞い踊る花びらのそれにも似ていた。
黒沼の打撃という強風を、ものともしない桜の花びら。
それでいて、香しく匂い立ち、しらしらと咲いた梅の花。
荒れ狂う風は、それらを舞い上げ、世界を彩るだけである。
黒沼の打撃は、治郎には当たらない。
治郎は躱しているだけでなく、時には掌を繰り出すも、黒沼には効いていない。
幾ら動きが花びらだろうと、身体が草木に変わろう筈もない。その為、治郎は黒沼の打撃を受ければ、すぐにでも吹っ飛んでしまうだろう。
その打撃の雨を避けつつ、攻めを加えているが、黒沼の常に流動し続ける、質量を持った暴風は、花びらが触れるだけでは収まらなかった。
剛と柔――
同じ師から学んだとは言え、二人が得意としたジャンルは異なっていた。
生まれ付いてのパワーを存分に利用した、黒沼の赤心少林拳。
天性の無念無想を生かして、柔を極めた、治郎の赤心少林拳。
真逆の才能を昇華させ続けた二人の実力は、拮抗していた。
「吩!」
「把!」
二人が、同時に、絶招を放った。
黒沼は、全身の捻りを威力に変換する、纏絲勁。
治郎は、身体を開く事により気を放つ、十字勁。
黒沼の突きと、治郎の掌底が真っ向からぶつかり、二人の身体の中で練り上げられた気が、スパークを発生させた。
ばちばちと迸る、気のエネルギーの奔流は、激しく衝突し合い、その反動で、両者の全身の神経に逆流した。
勢い良く弾かれる二人。
互いの間合いの外である。
構え直す二人に対して、
「そこまで」
と、樹海が言った。
二人は、少しの間、互いを観察し、構えを解いた。
左掌に、右手の拳を当てる。
拱手――日本武道で言えば、礼に当たる行為だ。
「二人とも、見事じゃ」
治郎と黒沼は、樹海に向き直った。
「どちらを赤心少林拳の後継者とするのか、儂には決められぬ」
樹海は、歎息しながら言う。
「主ら、それぞれ己が流派を名乗ると良い」
過去と現在の二重構造という事で。
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第十四節 山彦/分派
一九八一年――
男の名は、香坂健太郎と言った。
山彦村の村長である。
山彦村は、三、四〇年程前、自然とこの辺りに興って来た村だ。
村人は、合わせて二〇〇名といった所か。皆が皆、顔見知り以上の付き合いがあった。
生業としているのは、農耕と、狩猟である。
小さな村の中に、畑を作って、野菜を育てている。
山の中に入って、動物を狩り立てて、食卓に並べる。
村の中には、通貨がなかった。
金銭で何かをやり取りするという商売が、存在しない。
自分が持っていないものを、相手が持っている時は、言えば、くれる。
貰った側は、特に何かを代償として要求されずとも、後で何かを手渡す。
貨幣と呼べるものがあるのならば、それは品物である。
物々交換が、基本的な流通の手段として、成り立っていた。
彼らには、戸籍がない。
色々と、好き勝手に苗字を名乗っているが、それは国から許されたものではない。
仮に、香坂が、自分は今日から“佐藤”“田中”又は“高橋”である、と言うのならば、佐藤、田中、又は高橋健太郎という名前になる。それが許されている。
国の管理の外にあるので、税金も納めていないし、就労の義務もない。
その代わりに、何か問題が起こった時、政府が彼らを助けてくれるという事もない。
問題があれば、自分たちで解決する。
自力救済の観念が、彼らの内には備わっていた。
若し、村の中だけで賄えないもの――例えば、狩りに使う銃などが手に入らない場合は、幾つかのグループで、町に出る。
町に出て、踊りや唄を披露して、金を貰う。その貰った金で、必要なものを買う。
そのような生活をしていた。
彼らには独特の宗教があり、現代から見れば、邪教とも思える教義を、密かに伝えている。
狩猟の前などには、数人の男女が集まり、狩りを行なうリーダー格の男と、その妻が、性行為を行なう。
身体に、興奮作用を持つ薬を塗って、楽器を掻き鳴らし、そのリズムに合わせて踊り、代表者たちは彼らに囲まれながら、くながい合う。
自然の中で交尾をする事で、自然と一体化し、神の与えた生命を頂く事への、赦しを得る。
彼らの神は、この世界そのものであり、行為の最果てのエクスタシー、それに伴う意識の空白を、神との合一の瞬間と考える。
祀っているのは、龍だ。
羅龍――とぐろを巻いた龍である。
龍の像は、人が座れるように作られており、そこに、女が腰掛ける。
男の方は、身体に、羽毛を思わせるペイントを施して、女に覆い被さる。
その龍の像の周囲には、七つ、或いは五つの法具を飾る。
七つの場合は、龍のぐるりに等間隔で設置して、地面に線を引き、円を描く。
五つの場合は、円は作らずに、石の内側に五芒星を描く。五芒星の中心に、龍の石像が来る形である。
何故、そのような儀式が行なわれるのか――
この説明は後に回すとして、今は、物語を進めたい。
ドグマにより、夜襲を受けた山彦村の長である香坂健太郎は、本殿の隠し扉を通って、庫裡の方へ走った。
不穏な空気に気付いたのか、息子のシンタと、娘のチエが、布団から起き出して、重い瞼を擦っている所であった。
「どうしたの、父ちゃん」
歳の頃で言えば、どちらも、一〇つ程度である。
遅く出来た子供たちであった。
「シンタ、チエ、これを持って、村から逃げるんだ」
香坂は、戸棚から、厳重に封印された巾着袋を取り出して、子供たちに渡した。
「良いか、お前たちはここへゆき、そこにいる人に、それを渡すんだ」
香坂は袋と共に取り出した地図を開き、或る場所を指差した。
「子供の足では辛かろうが、すばしっこいお前たちの事だ、逃げ仰せられる」
シンタもチエも、今、何が起きているかは兎も角、このような事態にあって何をすべきかは、既に心得ているらしい。
力強く頷いて、庫裡の裏手から出てゆこうとする。
と――
庫裡の窓を壊して、室内に入り込んで来た者たちがあった。
「ぬ⁉」
忍び装束のようなものを纏った、五人であった。
「貴様らは⁉」
香坂が問うと、その内の一人が前に出た。
女であった。
「地獄谷五人衆、鷹爪火見子」
次いで、
「同じく、蛇塚蛭男」
「同じく、大虎竜太郎」
「同じく、熊嵐大五郎」
「同じく、象丸一心斎」
と、名乗りを上げた。
「地獄谷五人衆⁉」
驚いた表情を見せる香坂に、恐らくはその集団の頭領の役割を持つのであろう、鷹爪火見子が、
「この村に伝わるという、空飛ぶ火の車を頂きに参上した」
と、告げる。
「三〇〇〇年前の古代中国の兵器――」
「お前たちの一族が、その守護の任を任されている事は分かっているのだ」
蛇塚と、大虎が、香坂に詰め寄った。
「大人しく渡せば良し、さもなくば――」
熊嵐は咽喉を鳴らして笑い、香坂に、その先を言わせようとした。
「どうなるというのだ」
「この村は全滅する事となる。我らが支配下に入れば、貴様らをドグマ王国の住人として、我らが王テラーマクロに推薦してやろう」
象丸が言った。
「誰か貴様らなどに、渡すものか。あれは、永遠に封印されるべき兵器だ」
「ならば仕方がない。やってしまえ!」
火見子の命令の下、四人の男たちが香坂に襲い掛かった。
「ひゅーっ」
鋭く息を吐きながら、蛇塚が拳を走らせた。
ぐっと腰を落として、構える香坂。
しかし、蛇塚の突きは、急角度に折れ曲がり、香坂のガードを突き抜けて、胸の中心を狙って来た。
咄嗟に両腕を交差したから助かったものの、判断が僅かに遅れれば、胸骨を陥没させられていたであろう。
蛇塚が、乱打を繰り出す。
眼にも止まらぬ速度で打ち出される拳は、何れも奇妙な軌道を描く。
まるで、関節が手首・肘・肩だけには留まらないかのような、不規則な軌道であった。
恰も蛇の如く――
香坂はあっと言う間に全身を叩きのめされ、壁際に追い詰められてしまう。
「じゃっ!」
蛇塚が後退すると、代わりに象丸が出て来た。
象丸は、畳を踏み抜きながら、腕をぶぉんと振るった。
拳の小指側――空手で言う鉄槌を、踏み込みと共に横薙ぎに振るう。
ガードした香坂の両腕の、尺骨と橈骨が、ぐちゃりと拉げた。
「お、ぉぉ⁉」
前腕の内側の中頃から、肉を突き破って、白っぽいものが見えていた。
手の甲が、肘についてしまいそうである。
「お父ちゃぁん!」
チエが、甲高く悲鳴を上げる。
妹の手を引いて、シンタが、父を見捨てる痛みを堪えながら、家を出ようとした。
「女子供とても、逃がさぬぞ!」
大虎が、猫のような俊敏さで、狭い室内を駆け、兄弟の前に立ちはだかる。
それを追って、両腕が使えぬながらも、我が子たちを守ろうとする香坂。
「ちぃ」
大虎の左の掌底が、香坂の顎を狙う。
香坂が顔を反らして躱すと、ぐんと大虎の頭が沈み、香坂の膝を、真横から掌底で叩いていた。
脚の中で、鳥の手羽を千切るかのような音がして、香坂がバランスを崩す。
刹那、香坂の腋の下から、大虎の脚が回り込み、頸に絡み付いた。
「ひゅらっ」
大虎が、肘に付きそうになっていた香坂の手首を握りつつ、もう片方の足で跳ぶ。
香坂の身体に大虎の全体重が掛かり、床に叩き付けられると共に、くたりと折れ曲がった香坂の前腕が、ねじ切られてしまった。
「――っ」
悲鳴をどうにか押し殺すものの、香坂は、もう立てない。
眼の前に、自分の身体を離れた腕が、ぼとりと落とされる。
「俺の役割を取りやがって」
熊嵐が、不満そうに言いながら、香坂の、無事な方の足首を握った。
そうして、ぐっと腕に力を籠めると、骨を掌の中で潰してしまう。
「どうします、頭領」
熊嵐が訊く。
「あの餓鬼と娘、喰ってやりましょうか」
「あんなチビ共に何が出来る」
火見子は、冷徹に言った。
「ファイター共に追わせれば良い」
「は」
「それよりも、剣を探せ」
五人は、部屋の中を荒らし回り、奥の方にあった物置の、更に奥の壁に、五振りの剣が掛けられているのを発見した。
本殿に祀られていたのものと、見た目は同じである。
真打ちだ。
火見子は、その内の一振りを手に取り、鞘から抜いた。
窓から射し込む月光に照らしてみれば、直刀の刃には、めらめらと燃えるような刃紋が揺れている。
「ゆくぞ」
「は」
地獄谷五人衆らは、五振りの剣を携え、庫裡を後にした。
村が、赤々と、燃えている様子が見えた。
樹海の死後――
治郎は野に下り、赤心少林拳で日本人の心を伝えてゆく事を、考えていた。
黒沼は、記憶が戻ったのならば山を下り、そうでないのならば、治郎に付き合ってゆこうと考えていた。
しかし、ここに来て、分派という案が出て来た。
麓の村や町で、赤心少林拳を学びたいという人たちが、増えて来たからである。
治郎たちは、山籠もりばかりをしているのではなく、時には、村に下りて、山の中だけでは得る事の出来ない食糧を、調達しにゆく。
托鉢行でもある。
仏教の興ったインドでは、出家修行者は、農作業などを行なってはいけない。畑を作るという事は、子孫の為にする行ないであるから、出家者はSEXをしてはならないという不淫戒に、農作業の為に畑に住む害虫などを殺す事は、不殺生という戒律に違反するからである。
又、沙門(修行者。サンスクリット語のシュラマナの音写)が剃髪をするのは、生産活動が許されない層に位置する人間であると、明かしている為だ。
自分で食糧を生産する事が出来ないから、一般の人々から、施しを受ける。
インドに於けるカースト制度では、バラモン(宗教者)が最も上位にあり、敬われていたから、そのような事が可能であり、施しを受けた沙門らは、食べ物などの代わりに祈祷などをする。
この、修行者たちを敬う風習は、上座部仏教の伝わっているタイやスリランカなどに顕著であり、沙門らは厳しい戒律を守ると共に、それ以外の人々から多大な尊敬を受けている。
中国や日本では、農作業なども含めて修行の一環であるとしており、そこまで言われてはいないが、山林に籠るばかりでは現代社会に追い付けなくなってしまうという事で、托鉢をして、俗世の様子を見る目的がある。
そのような事をしている内に、自然と、治郎や黒沼の修している赤心少林拳の事が知られてゆき、又、戦後暫くして宗道臣が興した少林寺拳法(少林拳とは異なる)が広まって来た事もあり、弟子入りを願う人々が増えたのである。
更には、同じ師を持った治郎と黒沼が、その修行の中で見出して行った拳の種類が、全く逆のものである事が、分かって来た。
治郎は、柔拳。掌をメインに使い、流れるような動きを得意とする。
黒沼は、剛拳。拳や蹴りなどの直接的な打撃を、鋭く放ってゆく。
これらを統合するには、二人の性格は正反対であった。
柔和で、あらゆるものを受容してゆく治郎と、激情家で、自らの意志を押し通してゆく黒沼……一〇年間も、同じ場所で修行を続けられた事が、奇跡のようであった。
仮に、彼らが総帥として弟子に教えるとして、それは樹海から教わった赤心少林拳ではなく、花房治郎流、黒沼大三郎流の、赤心少林拳でしかない。
それらを同時に学ぼうとする事は、拳法家としては正しい事ではあろうが、そこまでの正しさを、今まで一般の社会で生活して来た者たちに強いる事は、難しい。
それならばいっその事、このまま流派を分けてしまおうという事になった。
人々の教化を願う、治郎の赤心少林拳。
失くした自分を求めた、黒沼の赤心少林拳。
樹海が、二人に立ち合いを命じたのは、二人の実力が拮抗しており、ベクトルの異なった二人の拳法に、勝劣が見られない事を確認する為であった。
結論は、樹海の思った通り、二人の拳は互角であった。
「では――」
と、立ち合いを終えた治郎と黒沼を前に、樹海が言った。
「治郎、お主はこれから“玄海”と名乗るが良い」
「玄海……」
治郎は、合掌して頭を下げた。
「大三郎、お主には、“鉄鬼”という名を授けよう」
「――鉄鬼」
黒沼も、同じく合掌して礼をする。
「これより、治郎は赤心少林拳“玄海流”の師範として、大三郎は赤心少林拳“鉄鬼流”の師範として、弟子たちに、流派を伝えてゆく事とせよ」
と、そういう事になったのである。
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第十五節 畜生/嫉妬
「畜生、ちくしょう……!」
口の中で毒づきながら、妹の手を引き、シンタは森の中を走っていた。
山彦村の、村長とその家族が住む本殿の庫裡を飛び出し、町へ向かって逃げている。
村を出ると、すぐに森である。森を抜けて暫くゆけば、町にぶつかる。
町に出てしまえば、自分たちのような子供をすぐに見付ける事は出来ない。
自分たちを探している間に、指定された場所へゆき、父から託されたものを渡す。
それが出来れば、村を救う事が出来る――
とは、思っていない。
恐らく、山彦村の住人たちは、皆殺しにされてしまうであろう。
そうでなくとも、何処かへ連れてゆかれ、村は結局消し去られる。
それ位のリアリズムは、少年にも分かった。
自分は、救世主の役割を与えられたのではないし、ましてや、これからゆく所で会う者が、自分の村を救ってくれる訳でもない。
目的は、飽くまでも、この巾着袋の中身を守る事だ。
その為ならば、たとえ何人死んだって構わない。
そう教えられて来た。
この、山彦村に伝わるものと、山彦村を作った人間の血統が僅かにでも残っているのならば、それで充分である。
頭では理解している。
しかし、心の方で、理解し切れない。
父が、自分の眼の前で腕を折られ、自分たちを逃がす為に生命を張った事。
焼き払われる故郷。
その炎の中で死んでゆく、大人、友達、仲間――
簡単に割り切れるものではない。
大人であっても、そうだ。
閉鎖された空間で育った子供であるから、実際にその時が来た今、実行に移す事は出来る。
けれども、人間の本能が、親しい人々の死を割り切れる筈がないのである。
その割り切れない思いが、
“畜生”
“ちくしょう”
という、呪詛となって、噛み締めた歯の奥から漏れ出すのである。
「あッ」
と、チエが、突き出した木の根っこに足を引っ掛けて、躓いた。
繋いだ手に引かれ、シンタも、片膝を着く。
「チエ、大丈夫か」
チエに駆け寄った時、懐から、巾着袋が落ちた。
その拍子に、袋の口が空き、ころころと、中に入っていた宝珠が転がり出てしまう。
「あ、あっ」
急いで宝珠を集めるシンタ。
そこに、村の方から、追い付いて来る赤い影があった。
ドグマファイターたちだ。
「チエ、立て!」
シンタが伸ばした手は、しかし、掠め取られた。
ドグマファイターの一人が、チエの腰に手を回して、引っ張り上げたのだ。
「お兄ちゃぁん!」
チエが、涙の混じった声で叫ぶ。
シンタは、一瞬、逡巡するが、くるりと背を向けた。
必要なのは、この宝珠を届ける事――何を捨てても、である。
それだけのリアリズムを、少年は既に実行に移せる身体であった。
だが、その心は……
「げっ」
滂沱の涙を流すシンタの前に、ぬぅと立ち上がった者がある。
長身の男であった。
服装こそ、ドグマファイターや地獄谷五人衆とは異なっているが、刃のような光を湛えた双眸は、ドグマの者たちと変わる事はないように思えた。
その男が立ち塞がったもので、シンタは、それ以上の行進を妨げられてしまった。
更には、ドグマファイターたちを追って、メガールまで追い付いて来た。
「見ない顔だな、貴様……」
と、シンタの前に立った男を、じろりと睨んだ。
「まぁ、良い。貴様、その小僧を渡せ」
「――」
メガールの催促を、男は無視した。
代わりに、囁くように、
「ドグマか……」
と、訊ねた。
「我々を知っているのか⁉」
「貴様らの理念を、我々は看過する事が出来ない」
「何?」
「美しく、優れた者のみが許されるユートピア……」
「――」
「不要だ」
「何だと⁉」
「生まれ付いての美醜や優劣ではない。我々の手によって、醜きものは美しく、劣れる者は優れる力を手にするのだ」
男は言った。
「貴様、何処の手の者だ」
メガールが、するりと剣を引き抜いた。
男は、ざんばら髪の奥から、鋭く視線を光らせる。
「仮面ライダー、とでも言って置こうか」
松本克己であった。
季節は、春。
しかし、その年の花は、狂っていた。
東北の風の中に、梅と桜が、同時に舞っている。
桜が、薄桃色の舞いを見せれば、梅が、白く漂う香りを放つ。
風を受けて踊り、風の中を狂う。
黒沼大三郎改め、黒沼鉄鬼は、その風の中にあった。
八甲田山――
鉄鬼が、修行の地として選んだのは、その奥まった所であった。
黒又山を離れ、先の進退を見極める為に、独り、師と兄弟子の下を離れた。
その胸には、堪らぬ暴風が駆け抜けていた。
劣等感という名前の、嵐である。
鉄鬼は、樹海が分派を言い渡した時、嬉しく思った。それは事実である。
この一〇年の間、鉄鬼は、ずっと治郎の事を妬ましく思っていたからだ。
最初こそ、治郎の純真さと、胸に抱いた大きな夢を、尊敬していた所はある。
だが、共に拳法の修行を積むに連れて、次第に、鉄鬼の中に黒い感情が育って来た。
鉄鬼は、どうあっても、治郎に追い付けなかったのである。
樹海の指導を受けて、その技術を修得し、自分なりの工夫を加える事は、出来る。
大きな身体と、その中に眠っていた、こと運動に関する才能は、治郎にも劣らない。
けれども、治郎は、鉄鬼と互角所ではなく、遥か高い場所へと到達してしまっていた。
一つは、互角であるという事だ。
拳法について、樹海は、易筋行としてではなく、自分以外の何ものかと相対する時、その基本にあるのは護身術であると語った。
理不尽な暴力から、自分や、自分の身近なものを守る為の術だ。
理不尽というのは、天性のものと言い換える事が出来るのではないか、と、鉄鬼は思う。
例えば、自分と治郎である。
鉄鬼は、身体が大きい。治郎は、平均的な体格である。
少林拳も、柔道も何もない、真っ新な状態の二人が、真っ向からぶつかったとすれば、勝つのは鉄鬼の方である。
打撃の威力と言うのは、質量×速度で表されるので、身体が大きい、つまり質量の大きい鉄鬼のパンチの方が、治郎よりも威力が高い。
これは、天性のものである。
治郎がもっとものを食べていたらとか、筋肉を増やす為のトレーニングをしていたら、というのではない。“たられば”は語る事に意味がなく、現状がそうなのであるからだ。
鉄鬼が、顔が気に喰わない、性格が気に喰わない、生まれが気に喰わない、良く分からないけど苛々する――そのような理由で、治郎に襲い掛かり、治郎が大怪我を負ったとすれば、それは、鉄鬼の巨躯に原因を求められないではないから、理不尽な暴力となる。
しかし、治郎が、護身の術を持っていたのならば、話は別だ。
柔よく剛を制す――身体の大きさだけを頼みに、人を害しようとした相手を、柔の技で以て、制する事が出来る。
治郎に剛の拳が使えない筈もないから、そればかりではあるまいが、兎も角、体格差というものを覆せるポテンシャルを、治郎は持っている事になる。
それと同じものを、鉄鬼は学んでいるのである。
巨躯という天稟に、技術を加えたのならば、単純計算をして、治郎よりも勝っていなければならない。
それなのに、互角である。
もう一つは、無念無想についてである。
赤心少林拳の極意は、心を無にして、大気と一体化する事だ。
それを為した時、気は自らの力と化し、光芒を放つ。
鉄鬼も、この一〇年の間で、無念無想を体感している。
一瞬、奇跡のようにその境地が訪れ、その後には意識しても現れない。
樹海が無念無想を得たのは、少林寺を離れ、鉄玄の下で学び(一九二七年)、日本に帰国する直前(一九四五年)であったと聞く。
樹海はそれ以前に本覚克己流柔術や、八極拳などのその他多くの拳法を学んだ上で、まだ、完璧な無念無想には達していないらしい。
けれども、治郎は、樹海と会った時点で、既にその入り口に立っており、樹海が赤心少林拳を教え始めた段階で、無意識の内に、その境地へと到達していた。
鉄鬼が、記憶を失くしたあの日に見た表演が、それである。
基盤となる技術の違いは、ある。
黒沼大三郎の身体には、格闘についての記憶が刻まれていたが、恐らく、本格的に武術の稽古をして来たという事はない。
だからこそ、赤心少林拳のみを、見事に吸収してゆく事が出来た。
柔道をやっていた治郎は、柔道の理論に引かれる所もあった。それに対して、鉄鬼は赤心少林拳のみなのである。
だから、ベースにある技術については、プラスマイナスはない筈だ。
それでも、だ。
治郎には、確かに、無念無想へ至る為の、純な心があった。それが、鉄鬼よりも、一歩先んじる理由であったとするのなら、それも良い。
しかし、鉄鬼だって、心には大きな空白がある。
記憶の欠落による空虚な心。
念じる事なく念じ、想う事なく想う――自分自身についての先入観がないから、その虚空を赤心少林拳で埋めてゆき、無念無想の境地を生じさせる事は、出来ない事はないだろう。
それなのに、出来ない。
三つ目は、樹海からの扱いだ。
樹海は、二人の前では、治郎と鉄鬼を平等に扱った。
一方で、樹海と治郎は、鉄鬼が知らない事についての情報を共有している。それを、開示しようという意思がない。
その事が、赤心少林拳の奥義に関する事ではないから、鉄鬼も、何処となくもやもやとしたものを抱えながらも、納得して来た。
だが、こと分派に至って、樹海が、自分と治郎とを差別しているのではないか、という思いが湧いて来た。
それは、名前の事だ。
柔術でも、剣術でもそうだが、流派には基本的に、本名は記さない。
新陰流は、上泉信綱の流派だが、信綱流とは言わず、その名をそのまま受け継いだ柳生宗厳(石舟斎)も、宗厳流とは言っていない。
小野一刀流も、小野忠明から取って、忠明流と呼ぶ事はない。
佐々木小次郎は、後に、佐々木巌流と名を変えている。そして、自身の流派を巌流としているが、本名は小次郎である。
名前を変えるには、二つの意味がある。
一つは、今までの自分とは違うと、それを明かす為だ。
僧名などが、その良い例だ。
花房治郎や、黒沼大三郎といった名前は、俗名である。俗世間での名前だ。
仏教で、死後、極楽浄土などへゆくとして、それを、化生と呼ぶ。
浄土などに相応しい存在として、生まれ変わるという意味だ。
その生まれ変わった先での名前を、生きている内に付けて置くのである。
もう一つは、呪術に関する事だ。
宗教が流行するのは、眼に見えない不思議な力――仏や霊の力が、深く信じられていた為である。
人々を守ってくれる神仏の力がある一方で、自分に都合の悪い人間を排除するとか、怨みを持った人間が祟るとか、そのようなパワーも、同時に信仰されていた。
呪いなどがそうである。
呪いを掛けるには、様々な手法があるが、特定の人物に呪いを掛ける時、必要になって来る最も簡単なものは、名前だ。
名前は、その人物を表す、最小単位であるからだ。
鉄鬼が道を歩いていたとして、
“背の高い男”
という声が聞こえても、特別に気にする必要はない。
しかし、
“黒沼さん”
“鉄鬼さん”
と、呼ばれては、反応せざるを得ない。
これだけでも、呪いが成立する場合はある。
いや、“自分の方を振り向かせる”という呪い――まじないであれば、これは既に成就していると言っても良い。
それだけなら兎も角、或る相手に怪我して欲しい、病気になって欲しい、死んで欲しいという思いが、呪術へと走ったならば、名前を知られている事は、大きなネックになる。
この事から、本来の名前(真名)は、人に呼ばれると忌まわしい結果を齎すとして、忌み名(諱)と呼ばれるようになった。
それを防ぐ為に、古い人々は、自分の本来の名前とは別に、普段から人に呼ばれる為の名前――
これは、東洋の宗教的な思想を基盤に持つ、日中の武道・拳法でも、採用されている論だ。
それに伴って、治郎と大三郎の両名には、赤心少林拳の伝承者として、
玄海
鉄鬼
の、字名が与えられた訳である。
この字名が、問題であった。
玄海という名前には、樹海と、その師匠である鉄玄の字が入っている。
その事から、樹海が、治郎を赤心少林拳の後継者として最初から決めていたと分かる。
これは仕方ない事であるが、鉄鬼が樹海に弟子入りをしたのは、道場もまだ建てられていない頃である。治郎にしてみれば、自分が兄弟子であるなどとは思わず、同期に入門した、ライバルでありながらも友人である、との認識があっただろう。
鉄鬼という名も、鉄玄の“鉄”の字が入っている。
それに付いた“鬼”という字に関して、鉄鬼は嫌ってはいない。
剛直な鉄鬼の拳を、鬼人の如しと表現する事は、何ら問題ではないからだ。
しかし、樹海の字が入れられていない事で、赤心少林拳門下ではあるが、樹海自身は、弟子としてのランクを低く見ているのではないか、と、勘繰ってしまうのである。
この事が、樹海と治郎だけが共有する謎の情報、治郎に対する劣等感などと相まって、鉄鬼に、疑心を起させているのであった。
これら、師と同輩に対する不信感は、しかし、鉄鬼自身をも悩ませており、益々、無念無想を遠いものとしていた。
その解消の為に、鉄鬼は独り、山に籠り、狂い咲く桜と梅の吹雪の中で、自身の身体を虐め抜いているのであった。
「ふぅん」
と、鉄鬼の、裸の背中に声が掛けられたのは、その時である。
「それが、赤心少林拳……」
美貌と恵体を、蒼い道衣で飾った女が、鼻に掛かった声で言う。
マヤであった。
その姿は、一〇年前とも、十数年後とも、全く異なりを見せなかった。
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第十六節 火車
火見子、大虎、熊嵐、象丸――蛇塚を除いた地獄谷五人衆は、山彦村の傍にそびえる山を登っていた。
村の始末を、蛇塚とファイターたちに任せて、この村に襲撃を掛けた目的を、果たそうというのであった。
鬱蒼と、木々の茂る森である。
夜の風が山頂から吹き下ろし、村を焼く炎が熱風となって吹き上がって来た。
ぶつかり合う、夜気と熱気を身に受けながら、五つの影が駆けてゆく。
整備され始めた登山道を登り、中腹に至った。
そこで、彼らは、古墳のような石室を見る事になる。
「ここだ」
と、火見子が言う。
五人は石室の中に進んでゆく。
その五人は、しかし、奥まで進む前に、足を止めた。
煙草の匂いを嗅いだからであった。
夜、岩が陰になって、夜目が利く者でも中を見通す事が難しい闇だ。
その中に、ぽぅ、と、小さく、赤い光が灯った。
暗闇の底から、白い人影が歩み寄って来る。
真っ白い、高級そうなスリー・ピースを身に付けた、精悍な顔立ちの男だった。
髪は短く刈り込まれ、ギリシャ彫刻のように彫の深い顔をしている。
すらりと背が高く、外国のモデル雑誌で表紙を飾っていても、おかしくはなかった。
「怪しい奴だ」
と、大虎が言った。
「お前さんたちにゃ、言われたくないね」
白いスーツの男――呪ガイストは、煙草を咥えたまま、厚めの唇を吊り上げた。
「今時、そんな格好をして、夜道を出歩く奴らがいるかよ」
くっく、と、笑うガイスト。
「村の者か?」
熊嵐が訊いた。
ガイストは首を横に振る。
「お前さんたちと、根っこは同じって所だがな」
「何?」
象丸が、眼を細め、ガイストを睨んだ。
「ドグマ――」
「む⁉」
「その改造人間技術の起源は、ショッカーにあるんだぜ」
ドグマとは――
正式名称を、ドグマ王国といい、テラーマクロを頂点とした、小国家的性格を持つ組織である。
その目的は、この地球上に、テラーマクロが帝王となって、ユートピアを築く事にある。
美しいもの、優れたもののみを集めた理想郷を建設する為に、改造人間と尖兵として、現代社会に対して戦いを挑んで来ているのだ。
この組織も、ガイストが言うように、かつてのショッカー、ゲルショッカー、デストロン、GOD機関……などと同様に、ショッカー首領、又は大首領と呼ばれる謎の人物の息が掛かったものであった。
組織の構造としては、ショッカーやゲルショッカーのような、
首領
大幹部
幹部・改造人間
科学者・科学者戦闘員
戦闘員
といった、ピラミッド構造ではなく、テラーマクロが、科学技術や医療技術、改造人間養成機関を直接的に管理する、同じく国家を名乗るガランダー帝国と似た構造、即ちテラーマクロをトップに据えた封建的、自己中心的な性格を備えていた。
この中で改造人間を養成する為の機関は、“地獄谷道場”と呼ばれ、鷹爪火見子を頭領とする地獄谷五人衆は、その中でも優れた五人の改造人間たちを選りすぐったものである。
又、メガール将軍は、かつての組織に照らし合わせれば、ショッカーの地獄大使、デストロンのドクトルG、GODにあっては、総帥でありながらも大首領の命令を部下たちに伝えていた呪博士のポジション――大幹部というものに当たるが、テラーマクロの身辺を警護する親衛隊よりは、地位が低く設定されていた。
「貴様は、そのショッカーの者か」
「ま、そうなるな」
大虎の問いに、ガイストは頷いた。
ガイストは、元はGOD機関の秘密警察第一室長アポロガイストであったが、二度に渡って仮面ライダーXに敗れ、特攻を仕掛けるも作戦を失敗に終わり、死んだと思っていた所をマヤに拾われて、
ブラック・マルスとは、Xライダーの強化回路・マーキュリーと同型のものであり、これが可能であったのは、彼の身体の構造が、ライバルであった仮面ライダーX・神敬介のものと同じく、強化改造人間のボディであった為である。
ブラック・マルスを内蔵した彼は、GODの大幹部であった頃のアポロガイストから名を改め、本来の姓である呪と、マヤによる命名から、呪ガイストと名乗っている。
マヤは、既に瓦解したショッカーの幹部――後に大幹部の座に就いたらしい――であり、表立って活動しているゲルショッカー以下の組織とは別に、ショッカーを名乗って暗躍していた。
その為、今のガイストの所属は、ショッカーという事になる。
「では、そのショッカーの者が、我々に何の用だ」
火見子が言った。
「お灸を据えに、とでも、言った所かな」
「何――?」
「お前さんたち、少しばかり、調子に乗り過ぎたのさ」
「どういう事だ?」
「つまりよ、ショッカーってぇ連中から、些か離れちまっているのさ、おたくら」
ガイストは、機械の肺にたっぷりと煙を吸い込み、暗闇に紫煙を吐き出した。
「別にショッカーの理念なんざ、知った事ではないがよ」
「――」
「目的を歪め、その歪めた目的さえも忘れちまったんではな」
ガイストは煙草を唇から外し、グローブに押し付けて火を消した。
そうして、煙草の吸殻を載せた掌を持ち上げると、ぼぅと火が灯り、吸い殻は真っ白な灰と化してしまった。
ふぅ――
ガイストが、掌に残った灰を息で吹き飛ばす。
「仮面ライダーの抹殺よりも、優先すべきものが、ある筈との事だ」
ふふん、と、ガイストが、太い唇に笑みを浮かべた。
村では、蛇塚が陣頭指揮を執り、村人たちの拷問と処刑が行なわれていた。
村の人々は女子供の別なく捕らえられ、燃え盛る家に囲まれた広場に集められた。
蛇塚は、ファイターたちに命じて、一人ずつ、彼らを処刑してゆく。
或る者は、木材に身体を括られ、石を投げ付けられた。最後には、その妻であった女に、漬物石を、夫の頭に落とさせた。
これが何度か繰り返され、妻の役割を子供がやる事もあった。
最後まで拒んだ場合は、伴侶以外の男を、年齢も含めてランダムに選び、身動きの出来ない男の前で犯させた。
それは、元から好意を寄せていた別の男である場合もあったし、精通もまだ来ていない子供にやらせる場合もあった。
若い女の服を毟り、地面に大の字に寝そべらせて、地面に打ち込んだ杭に紐で四肢を固定して、何人かの男に回させるという辱めも行なわれた。
散々嬲られた女は、それらが終わった後、ファイターたちにによって、手足を繋げられた杭を四方に引っ張られ、身体を引き裂かれるという最期を迎えた。
刃物を持たされた父親が、子供の腹を掻っ捌き、内臓を喰わされる。その夫の腹にナイフを差し込みながら、性器を喰い千切らせられた妻がいた。
猟犬や、これから解体されるのを待つだけであった動物などを連れて来て、男も女も関係なく交尾させ、喰わせるという刑も行なわれた。
燃え盛る家の中に投げ込み、皮膚が焼け、肉が落ち、骨が溶け、声が尽きても脱出を許さず、逃げ出そうとするたびに火宅に何度も押し込め続けたという事もあった。
その中でも、若干名が、生き延びる事を約束された。
ドグマの思想に則り、容姿が美しく、能力が優れていると判断された者だ。
今、行なわれている処刑は、それ以外の人間たちに対するものであった。
「お前たちは、ドグマの民として選ばれたのだ。光栄に思え」
蛇塚はそう言ったが、当然、反論する者がある。そうした者は、選定から外されて、やはり処刑を受ける事になる。
蛇塚は、実に楽しそうに、それらの様子を眺めていた。
さて、次は誰にしようか――三白眼が、きょろきょろと動く。
その眼に留まったのは、或る親子であった。
母親が、まだ幼い我が子を強く抱き締めている。
「貴様、その子供を渡せ」
蛇塚が、その母子に言い寄った。
母親は、
「それはどうか勘弁して下さい」
と、懇願した。
「私はどうなっても良いですから」
そう言うと、蛇塚はいやらしく笑って、
「では、お前がその餓鬼の前で自ら命を絶つのなら、その子供は助けてやろう」
と、ファイターから受け取ったナイフを、母親の前に投げ出した。
それで息子が助かるならば――と、母親はナイフを手に取り、切っ先を咽喉に当てるも、中々押し込む事が出来ないでいる。
「嘘吐きめ。妄言を吐くような女の子供は、ドグマには要らぬ」
蛇塚は、ドグマファイターに、母親と子供を掴み上げさせると、別々に炎の中に投げ入れようとした。
母親は、自分が火に焼かれるのは構わないからと、息子だけは助けて欲しいと何度も叫び、それでも届かないと知ると、子供の名を呼んで、我が子に手を伸ばそうとしていた。
「そんなに一緒にいたいのならば、一緒に火の中にくべてやる」
蛇塚は懐から縄を取り出し、母子の身体をぐるぐる巻きにすると、自分で告げた通り、二人を同時に炎の中に投げ入れてしまった。
にやにやと、蛇の笑みを浮かべる蛇塚。
親子が呑み込まれて行った紅蓮が、内側から爆ぜたのは、次の瞬間であった。
「な――」
絶句する蛇塚の前に、炎を纏った巨獣が出現した。
家の向こう側から突撃して来た鉄の塊が、炎をぶち抜き、蛇塚やドグマファイターらに跳び掛かる。
蛇塚は横に大きく跳んで躱すものの、幾らかのファイターたちは、その炎の車に突進され、轢き潰されてしまった。
その車は、炎を掻き消しながらドリフトし、蛇塚たちを村人から遠ざけるように、停まった。
赤い炎に照らされるのは、クリーム色のスポーツ・カーであった。
獣の眼光を放つライトの上に、黒光りするマシンガンが一対。
後部には、ロケットの如く、六本のマフラーが生えていた。
正面には、マシンに跨るRのマークが、貼り付けられている。
そのマシンから、男が、炎の中に投げ入れられた親子を抱えながら、下りて来た。
黒いコートの男である。
年齢の読めない、甘いマスクの青年であった。
黒いコートの男――黒井響一郎は、親子を縛っていた紐を引き千切ると、彼らを解放する。
「良くも、邪魔をしおったな」
蛇塚が凄んだ。
黒井は蛇塚と、自分を囲んで来たドグマファイターらに眼をくれて、薄く笑う。
片方の肩を竦めながら、同じ方の唇を軽く持ち上げるのが、彼の微笑だ。
「名を名乗れ!」
蛇塚が言う。
「あんたたちの、敵さ」
「ぬぅ?」
「それでは不満かな、ドグマの諸君?」
芝居がかった調子で言うと、背後から殴り掛かって来たファイターの腕の逆を取り、背中で絞め上げる。
機械の関節をぎりぎりと鳴らすファイターを、別のファイターに向かって放り投げ、その陰から飛び出して、蹴りを見舞った。
鉄の顔面を、掌底で弾く。
又は、ゴーグルのレンズの中に指を突っ込んで、頭の回線を叩き切った。
「じゃっ!」
蛇の声を放ちながら、蛇塚が挑み掛かって来た。
その腕が、関節がないものであるかのようにしなり、黒井の顔を狙う。
黒井は、その不規則な動きを見切り、片手で弾いた。
しゅるっ、
しゅるるっ!
と、蛇塚の腕と足が、鞭の如く唸りを上げて、黒井の全身を打ち据えようとする。
黒井は、それら全てに反応し、対応した。
手で、肘で、腕で、脛で弾き、頸と胴体を捻ってスカす。
胸を狙って来た腕を掴み、捩じり上げようとした。
蛇塚がぱっと腕を引く。
それに、風のような自然さで追いすがって、タックルを仕掛けた。
蛇塚の片足が浮かび上がる。
黒井は、蛇塚の軸足に両足を絡め、重心を落とした。
蛇塚の背中が、地面に着く。
黒井が、蛇塚の腹の上に載り、両膝で、胴体を挟み込んでいた。
「く……」
蛇塚が歯を噛む。
黒井は、しかし、馬乗りの状態を、あっさりと解除した。
立ち上がろうとする蛇塚に、ファイターが駆け寄る。
黒井は、馬乗りになって蛇塚を殴る事も出来たが、ファイターたちに背中を向ける事を嫌って、折角手に入れた優位を手放したのである。
「ば、莫迦にしおって……」
「褒められた人生じゃ、ないんじゃないか?」
黒井はそう言って、片手を持ち上げ、手前に引いた。
掛かって来い――そういうハンド・サインである。
「――最早、許さぬ……」
蛇塚が、ぎょろりと眼を剥いた。
瞳孔が縦に長くなり、全身の皮膚に鱗が浮かび上がって来た。
忍び装束を取り払うと、その身体の至る所から、鱗が瘤のように盛り上がって、別の生き物のように動いた。
異形へと変じてゆく蛇塚を見て、村人たちが、声を失っていた。
蛇塚の身体の瘤は、もこもこと蠢いて、膨らみ、伸びて来た。
鱗に包まれた蚯蚓――そのような形状であったが、先端に、大小の切れ込みが入る。
大きな切れ込みが開くと、小さな牙が覗き、小さな一対の切れ込みが開くと、血を練り込んだかのような眼球は出現した。
蛇塚の身体に、無数の蛇が生じ、巻き付いてゆく。
鈎手にしていた左手の指を開くと、人差し指と中指、親指の腹から、上下の牙が生え揃った。
指の付け根に眼球が出現して、掌であった筈の場所から、ぞろりと赤々しい舌が飛び出す。
顔も亦、同じように蛇のそれへと変形していた。
地獄谷五人衆が一人、蛇拳法の蛇塚蛭男――その正体は、ドグマの改造人間・ヘビンダーである。
赤い舌をちらつかせて、黒井を睨んだ。
蛙でなくとも、その眼に睨まれれば、動きが取れなくなる。
だが、黒井は、怯えの表情など全く見せず、寧ろ、楽しげな色さえ浮かべて見せた。
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第十七節 称号
「ドグマ――?」
そう訊き返したのは、ガイストであった。
メガール将軍と、地獄谷五人衆による、山彦村襲撃の数日前の事である。
ガイストがいるのは、彼が蘇生し、黒井響一郎と戦って深化を得た、あの闘技場のある何処か――ショッカーの基地の内、破壊を免れ、以来、マヤが率いる強化改造人間三名が拠点としている場所だ。
その一角に、トレーニング・ルームがある。
四方を囲む壁に、素振り用の木刀やコシティー、ダンベルなどが掛けられている。
天井から、鉄橋用のワイヤーで吊るされた、千年杉の幹の如くサンドバッグがある。
部屋の中心には、リングが設けられており、四本のロープで四方を囲まれている。
ボクシングのリングである。
キャンバスの下は、鉄骨が走っており、それに関する訓練を積んでいない人間が投げ落とされた場合、一発でお終いである。
そのリングに、白い柔道衣を来た、黒井響一郎が寝転がっていた。
端正な顔に汗の珠を浮かべ、痣を作り、歪めている。
「そ、ドグマよ」
ガイストに返したのは、マヤであった。
マヤは、蒼い柔道衣を着て、黒い帯を締めている。
コーナー・ポストに寄り掛かり、リングの下のガイストに答えていた。
ガイストは、トレーニング用のトランクス一枚で、サンドバッグの前に立っている。
ダビデ像を連想させる身体には、やはり、汗が浮いており、拳や足の赤い痕は、打撃練習をしていた事を意味する。
黒地に、赤い日輪を刺繍したタオルで汗を拭き、翼を広げた鷲――ショッカーのマークがプリントされた水筒から、ストローで水を吸っていた。
同じ空間には、松本克己もおり、彼は、黙々とベンチ・プレスをしている。
三〇〇キロを、軽々と上げ下げしていた。
ドグマについては、既に説明している通りである。
「そのドグマが、どうしたって?」
「密偵から、情報が送られて来たわ」
「ほう?」
「裏切り――」
「裏切り?」
「ショッカーへの背反行為が発覚したの」
「それは、どういう事だ?」
ガイストに問われると、マヤは、指を一本立てた。
「一つは、人類統治の為の作戦の異様なまでの遅れ」
「……耳が痛いな」
ガイストは言った。
かつてのGOD機関で、アポロガイストはその遅れを解消する為に派遣され、しかし、彼の就任後も、日本転覆計画の進行は、ぱっとしなかった。
「もう一つは、計画そのものを歪めてしまっている事」
「それは?」
「そもそもショッカーの目的は、人類を一つの思想の下に統一する事――」
かつて、ショッカー首領は、強化改造人間への手術を済ませた本郷猛に対して、次のように述べている。
“サイボーグが世界を動かし、そのサイボーグをこの私が支配する”
又、その本郷を抹殺すべく改造された、強化改造人間計画第二期の者は、
“ショッカーは、醜い争いに明け暮れている世界中の人々に、心の平和を与え、仲良く新世界の建設に協力させようとしているのだ”
と、本郷に対して語っている。
更に、ショッカー壊滅より数年を経て新生した、ネオショッカーは、地球に存在する資源の枯渇を憂えて、人類の総数を三分の一まで減少させる事を計画していた。
事の善悪は兎も角として、ショッカーは、常に地球の事を考慮して作戦を決行して来た。
人間よりも燃費の良い改造人間が跋扈する世界ならば、資源が尽きるまでの時間を引き延ばす事が出来るし、人類の総数が現在よりも減るのであれば、そのタイム・リミットはより先に延びる事になる。
時には、環境破壊を促進するかの如き計画も立案されるが、これは、人間の数を減らす事を目的としているのであり、それが成った後には環境の再生計画も同時に考えられていた。
「彼らは、それをはき違えているらしいわね」
「と、言うと?」
「人類を統治するのが、大首領ではなく、自分だと思っているのよ」
「自分?」
「テラーマクロよ」
テラーマクロは、ドグマの総帥である。
「勘違いも甚だしいわ。所詮は、大首領の傀儡に過ぎないくせにね」
ドグマの目的は、帝王テラーマクロを頂点とした、ユートピアの建設だ。
頂点となるのは、大首領でなければならない所、テラーマクロは、人類の支配者を自分に設定しているのだ。
そのユートピアに住む人々の選定基準も、異なっている。
彼らは、人間に元から備わった能力を基準に、王国民たるべき者を選んでいる。
容姿の美しいもの、能力の優れたもの――
ショッカーにあっては、そうではない。
作戦を決行する改造人間の素体には、確かに、知能や身体能力で優れた者を採用する。
しかし、やがて来るべき新世界に於いては、ショッカーに忠誠を誓う者全てを改造人間として、容姿や能力、人種、性別などの分け隔てなく、擁する事としていた。
元から能力に優れたものがあるのなら、それを存分に生かせるし、そうでないのならば、改造手術によって能力を引き上げる事が出来る。
それに対してドグマは、元来の能力を重視し、テラーマクロが認めた以外の者は、王国から排除される事となる。
ショッカーという組織の系譜にありながらも、大首領の意思に逆らう事であった。
「で、三つ目――」
「――」
「その遅れを取り戻す為に、私たちの財産を勝手に使っているという事よ」
「財産?」
マヤが頷いた。
「改造人間を造るのだって只じゃないし、基地の維持にだってお金は掛かる。ドグマに必要な資金は私ているけれど、それ以上のものを、使い込もうとしているのよ、彼ら」
「それ以上、というのは?」
「黄金よ」
「黄金⁉」
「三〇と、何年か前かしらね。大量の金塊を発見したのよ」
「それは、凄いな」
「普通の人間なら、一生掛かっても使い切れない程の額に、換算出来るでしょうね」
「――」
「国内でのショッカーの運営は、この黄金で賄っていた所が多いわ」
「――」
「それらを回収して、潰したり、溶かしたりして、日本各地に改めて隠したりしていた訳だけど――」
「ドグマの連中が、それを掘り起こし始めたって事かい」
「ええ」
「つまり、人類統治――まぁ、ドグマからすれば、テラーマクロとやらによる理想郷建設の遅延の解消に、大量の資金が必要という事か。何の為にそんな金が要るかというと――」
ガイストが、ちらりと、リング上のマヤを見上げた。
マヤの笑みを見るに、ガイストの考えは当たっていたらしい。
「より強力な改造人間を作製する必要がある――」
「そういう事ね」
「という事は、要するに、今までの改造人間じゃあ、どうにもならない相手がいるって事だ」
「その通りよ」
「ドグマとかいう奇妙な集団に、喧嘩を吹っ掛けてゆくような変わり者は――」
「ご名答」
「仮面ライダー……」
「しかも、最新型の、ね」
マヤが言った。
仮面ライダーとは、ショッカーから見れば、強化改造人間計画によって誕生した、それまでの改造人間とは一線を画す存在である。
それまでの改造人間は、人間の脳下垂体を、薬物や細菌などで刺激して、身体に埋め込んだ他の動植物の遺伝子と融合させるホルモンを分泌させる事で、人間を超えた能力を備えさせて来た。
中には、特殊な金属の骨格や兵装を用いたりもする。
ショッカー最初期の改造人間の中で、蠍男などはそのタイプである。
毒蠍の遺伝子を内蔵する事で、体内に毒腺を生じさせ、皮膚をセラミックやカーボンなどを混入した高硬度のものに特殊加工して、その上にプロテクターを装着する。
左手の電磁ハサミには、医療用メスなどに使われるモリブデン鋼製のブレードを使用し、それを高速振動させるパーツを設置して、完成だ。
後のデストロンの、機械合成改造人間の走りと言っても構わないであろう。
一方、強化改造人間計画では、それとは別のプロットが採用された。
脳や、その周囲の神経のみを残して、殆どの部分を人工のものに置き換えるのである。
強化セラミックやチタンの骨格、人工培養した筋肉、高い酸素供給機能を持った循環器、エネルギー変換率の高い臓器などに、生身の部分を取り換えてしまう。
改造人間として作戦を決行する際には、強化服とヘルメットを装着し、強靭なボディが生み出すパワーで、自壊する事を防ぐ。
この強化服と仮面という手法は、生体改造によって誕生する改造人間らが、何らかの能力に特化した目的で製造され、一度改造されればノーマルの人間の姿には戻れないという点を、解消する意味であった。
この強化改造人間の製造には、通常の改造人間よりも時間もコストも掛かり、素体となる人間を選ぶ必要もある。
その為、本来ならば強化改造人間には、組織の戦闘に立って、人類統制の指揮を執る大幹部クラスの人物が改造される筈であった。
そうならなかったのは、強化改造人間計画第一期の改造素体として選出された人物が、ショッカーを裏切り、脱走してしまったからである。
本郷猛――
知能指数六〇〇、運動神経抜群という、稀に見る秀才であった彼は、やがて地球を統制するショッカーの筆頭格として、この上なく相応しかった。
だが、ショッカーの行為を、人類に対する侵略と解釈した科学者、緑川弘や、その友人であった神啓太郎らが、強化改造人間を用いたショッカーに対する反逆を計画し、本郷猛は、ショッカーに忠誠を誓う事なく脱走し、組織に牙を剥いた。
最新型の改造人間である仮面ライダーを斃すべく、何体もの改造人間が送り込まれたが、尽く破られ、ショッカーは、強化改造人間計画第二期を発動する。
それによって、六体の強化改造人間――仮面ライダー第二号が誕生したが、その内の一体であった一文字隼人は、脳改造前に本郷によって拉致(飽くまでもショッカー側の目線である)され、他の五体を破壊する。
そうして、脱走した二人の仮面ライダーは、ショッカーの人類統治の敵となったのである。
この時点で、“仮面ライダー”というコード・ネームは、ショッカーにとっては忌まわしきものと化した。
ショッカーは、大幹部であった地獄大使の死と共に滅び、大首領はアフリカ奥地の呪術集団ゲルダムと結託し、ゲルショッカーを組織する。
ここに於いて、ダブルライダーのデータを解析した、六体の強化改造人間、通称ショッカーライダーが、ナンバー1から6まで造り出される。
彼らの敗北と、浜名湖地下の日本支部に侵入された事を以て、大首領は基地の自爆を敢行し、ゲルショッカーは滅びる事となる。
それから後、デストロン、GOD機関を設立し、又、インカの秘宝を手に入れる為に科学者ゴルゴスを唆してゲドンを、バルチア王朝の末裔であったゼロ大帝と結託してガランダー帝国を、更には蟲毒によって生まれた奇怪な生物たちに交渉を試みてブラックサタンを組織した。
それらの組織は、しかし、ダブルライダーから強化改造手術を受けて誕生したV3、デストロンと協力していたヨロイ一族のヨロイ元帥に復讐を誓ったライダーマン、神啓太郎が瀕死の息子を助ける為に術式を施したXライダー、インカの超技術で改造されたアマゾン、親友の仇を討つ為に自ら改造されたストロンガーなどにより、崩壊する。
彼らを討つ為に、大首領は、自らの直属の軍団、デルザーを召喚した。
世界各国に残る、異形の者たちの伝説の起源となった怪人たちに、人間に対する精神的支配を行なう為に“大元帥”“参謀”“師団長”などの称号を名乗らせた。
来日以前にダブルライダーに葬られた――実は生き延びていた――ジェットコンドルを含めた一三体の改造魔人らと、大首領のボディでもあった岩石大首領も、七人の仮面ライダーたちの前に敗れ、組織は暫く活動を停止する。
所で、デルザーの魔人たちが、称号を用いて精神的支配を促したと述べたが、これは仮面ライダーたちにも当てはまる事である。
そもそも、仮面ライダーというのは、強化改造人間の別名であった、
System Masked Riders(S.M.R)
を、マヤや、本郷猛か緑川弘が、彼らなりに解釈した名前である。
強化改造人間が真の機能を発揮するには、“仮面”を被る事による改造部分の起動と、戦闘マシンとの連携が必須であったから、S.M.Rと名付けられ、その戦闘マシンがオートバイであり、本郷自身も優れたモトクロスの選手(ライダー)であったから、
仮面ライダー
と、理解したとしても、不思議ではない。
それに対抗する為に造られた第二期の強化改造人間が、本郷を皮肉るように、敢えて“仮面ライダー”とネーミングする事も、おかしくはなかった。
又、デストロンに家族を殺され、そのデストロンに対抗し得る力を持つ仮面ライダーたちと同じ能力を、自分に授けてくれと懇願した風見志郎が、仮面ライダーを名乗る事も、自然である。
同じく復讐という目的を持つ結城丈二が、仮面ライダーをモチーフとした強化服を纏った姿を、ライダーマンと呼ぶのも、考えられる事だ。
神啓太郎は、息子・敬介(啓介)が蘇生した時、“Xライダー”と命名しているが、これは、緑川からショッカーの強化改造人間計画について聞かされており、そもそも深海開発用改造人間
一人飛ばして、七号ライダーとも呼ばれるストロンガーは、ブラックサタンという秘密結社に親友を殺され、その仇討ちの為に自ら手術を受けた城茂が、強化改造人間突撃型となった自身を、都市伝説として知っていた仮面ライダーに見立てて、名乗ったものである。
さて、ここで問題となるのが、アマゾンである。
赤ん坊の頃に飛行機の事故で南米のジャングルに墜落し、生き延びた山本大介は、“アマゾン化石人”と呼ばれる者たちに育てられた。
野生の中で育った彼の身体能力を見込んだ、古代インカ帝国の長老バゴーは、弟子であったゴルゴスの、インカの超パワーを手に入れようとする野望を防ぐ為に、大介にギギの腕輪を与え、その肉体に変身能力を授けた。これが、仮面ライダーアマゾンと呼ばれる事になる存在の、誕生である。
強化改造人間を仮面ライダーと呼ぶショッカーからすれば、彼は、仮面ライダーの定義には当てはまらない。
だが、山本大介は、他のライダーたちから仮面ライダーと呼ばれているし、六人目に数えられてもいる。
何故か。
それは、立花藤兵衛という男の存在による。
本郷猛のオートバイの師匠であった藤兵衛は、改造され、人ではなくなった事に苦悩する本郷を傍で支え続けた人物だ。
ショッカーとの戦いを、あらゆる面でサポートしていた。
ショッカー・ゲルショッカーが滅び、デストロンが現れ、組織と戦う風見志郎や結城丈二とも、一緒に戦い抜いた。
又、単に“Xライダー”としか名乗っていたなかった神敬介に、正式に“仮面ライダー”の名前を与えたのも、彼の姿にかつての本郷たちと同じものを感じた藤兵衛である。
ギギの腕輪を守る為、独り、言葉も通じぬ故郷に帰った山本大介が、その身を獣人に変えて、同じく異形の獣人から藤兵衛を守ってくれた。
大介はバゴーの暗示によって日本へ渡り、高坂という男の許へ向かう。学者であった高坂は、“アマゾン化石人”についての調査で南米へ渡り、バゴーと知り合っていたのである。
その折に高坂は、バゴーからインカの秘宝の一つである“太陽の石”と、それを動力源とした古代の戦車の設計図を託された。この設計図を基に、古代戦車の再現する事を、藤兵衛に依頼していたのだ。
古代戦車は、現代で言うオートバイに当たるものである。それは、バゴーが、やがてアマゾンが日本へ帰り、ギギの腕輪を狙うゴルゴスらとの戦いの、手助けとする為のものであった。
藤兵衛は、肉体に超常の力を秘め、マシンを駆るその姿に、仮面ライダーを重ねずにはいられなかった。
こうして、ライダー自身と言うよりは、立花藤兵衛という男により、“仮面ライダー”の名前は、戦士たちの称号として、受け継がれて来るようになったのである。
デルザー軍団が、人類に対するアンチ・テーゼとして、敢えて人間側の称号を名乗ったのならば、仮面ライダーたちは、人類の自由を侵害する者らの敵としての仲間意識、団結力を高める為に、“仮面ライダー”という名を背負ったのである。
デルザーとの戦いの後、彼ら七人の仮面ライダーは、世界各地に散り、敵対していた組織の残党の討伐や、紛争・災害などが興っている地域に赴いて活動していた。
改造される以前に就職していた者もおり、一文字はカメラマン、大介は日本で言葉を覚えた事とジャングルで得た知識で、ガイドなどをやっていた。
その後、デッドライオンと暗黒大将軍の共謀を砕いた事は、前章にて述べているが、同時に、暗黒大将軍がゼネラルモンスターとしてネオショッカー日本支部の創設に着手した事も記して置いた。
ネオショッカーは、ショッカーの頃よりも、人類の総数を減らすという目的を明確に打ち出しており、デルザー壊滅から時間を掛けて立ち上げられて来た組織という事もあって、ショッカーと同様に世界中に支部を創り上げた、大規模の組織となった。
そのネオショッカーから現状を守ろうと、七人ライダーも戦うが、地球全土を彼らだけで防衛し切れる筈もなく、彼らの故郷である日本には、守護者たちがいない状況が出来てしまった。
しかしながら、ゼネラルモンスターが、ジェットコンドルとデッドライオンを融合させた改造魔神デッドコンドル計画の経過を見て考案した、
重力低減装置搭載型強化改造人間空挺計画
によって誕生した改造人間が、ネオショッカーを脱走し、日本支部の作戦計画を、尽く阻害するようになったのである。
重力に抗する装置を持って、自由に空を飛ぶ強化改造人間は、それだけに留まらず、
仮面ライダー
という、ショッカーにとっての天敵を名乗ったが、これには、その強化改造人間の手術を執り行なった人物の経歴による。
志度敬太郎という人物であった。
専攻は、人間改造工学。
ネオショッカーは、彼の持つ技術に眼を付け、改造技術陣に加え入れようとしたのである。
志度は、しかし、この要求を拒否する。
ネオショッカーの計画を知った志度は、組織の事を告発しようと逃げ出すが、そうはさせじと追跡する。
この時、ネオショッカーの邪魔をしたのが、筑波洋という青年であった。
彼は、志度を何処かに匿ったが、ネオショッカーが遣わした改造人間ガメレオジンが、彼の大学の、ハングライダー部の友人を殺害し、洋自身にも重傷を負わせる。
志度は、自分を守る為に生命を懸けた洋を死なせたくないと、ネオショッカーに戻る事の条件に、洋への改造手術による蘇生治療を懇請した。
洋は、簡単な手術であるとは言え改造を施しているアリコマンドを倒せるだけの身体能力を持っており、ゼネラルモンスターは――前件の前田さくらの事もあり、人間が鍛錬によってかなりの強さを手に入れる事を知っている――、洋の身体を強化改造人間へと造り替える事を許可した。
そうして、重力低減装置搭載型強化改造人間――別名、空挺強化改造人間が誕生したのである。
所が、志度の要請により、脳改造手術を施す前に洋への事情説明を許した事と、洋がネオショッカーの計画を受容出来なかった事が重なり合い、最新型の強化改造人間は、ネオショッカーに反旗を翻す事となる。
強化改造人間――筑波洋が、仮面ライダーを名乗った事は、偶然ではない。
志度敬太郎は、城北大学で、緑川弘や神啓太郎と交流があり、その詳細は知らなかったにしても、人類の支配を目論む組織がある事についての話を、密かに聞いていたのである。
当然、それらに対抗する為に、仮面ライダーという象徴を創り上げようという事も、だ。
だからこそ、同じく強化改造人間の系列の身体を与えた筑波洋に、仮面ライダーの名前を授けたのである。
しかし、マヤが言う所の“最新型”は、この重力低減装置搭載型強化改造人間――所謂、
スカイライダー
では、ない。
ここから本当に長い回想が始まってしまいます……(鉄鬼側もあるし)。
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第十八節 超一/白毫
場所を、トレーニング・ルームから移して、四人が同じ部屋にいた。
和室である。
それぞれ、トレーニングで汗を掻いた汗を、シャワーで流し、さっぱりとした面持ちで、畳の上に座していた。
マヤの話が、最新型の仮面ライダーとドグマが競り合っているという所に及び、克己が、ベンチ・プレスのノルマを終えたので、本日のトレーニングは終了という事になった。
戦前から戦時中に掛けての武道家であった克己や、刑事として一通り武道を修めていたガイストなどは、自分なりの稽古を出来ている。
身体自体は、改造人間のそれであり、改造以前でも格闘家に匹敵するものであったとは言え、黒井はレーサーである。戦う事は、本業ではない。
以前、アポロガイストと戦い、勝利を収めたが、あれとても辛勝であった。言ってしまえば、強化改造人間としての深化を経験しているか、否かの違いである。その証拠に、ブラック・マルスを搭載して、真に強化改造人間となったガイストには、強化服を纏う前の状態で翻弄されている。
その黒井には、マヤが、手ずから格闘指導をしていた。
ブラジルで行なわれている“バリツウズ”というルールの“ジュージュツ”であるらしい。
マヤが言うには、“バリツウズ”は、“何でもあり”というポルトガル語で、その名前の通り、一部の反則を除いては、打・投・極といった、あらゆる素手での格闘手段が許可されている。
その最たるものを呼べるのが、馬乗りになって、相手を殴っても良いという事だ。
現行の格闘技の多くの試合では、それは、認められていない。
レスリングでは両肩が、相撲では足以外の部分が試合場に着いたなら、そこで敗北だ。
柔道であっても、寝技には時間制限が設けられているし、当て身は反則である。
その事から考えるに、“バリツウズ”というものは、実際に、人と人とが戦う事になったなら、どのような行動に出るかを想定しているルールであると思われる。
この他にも、羽交い絞めにされたら、相手が凶器を持っていたならば、というシチュエーションを想定したとしか思えないような技が、幾つもある。
マヤは、黒井響一郎に、その“バリツウズ”の戦闘スタイルを教え込もうとしているのであった。
その稽古衣から着替えて、一同は再び集まっている。
決して広いとは言えない和室である。
上座には、マヤ。
背にしているのは、大きな絵である。
金と黒の衣を纏い、翼のある蛇の上で脚を組む、多臂の王――
手には、剣や矛などを持ち、背景の、金の星を輝かせる黒い虚空と、黒く渦巻く螺旋を内包した金の空を、真っ直ぐに貫いている光が、左右の手が融合した掌の上に戴かれる瞳から放たれていた。
三崎美術館に展示されていた、神話世界曼陀羅である。
自分の作品であり、自分の願望であるとマヤは言っていた。
以前、マヤ自身の手で切り裂かれているが、再び描き直されたもののようだ。
その絵の前に、鴉が翼を折り畳んで、正面を向いている像が飾られている。
只の鴉ではない。
頭の横から、にゅぅと角の突き出した鴉である。
両方の眼は、ルビーで造られているようで、きらきらと輝いていた。
それらの絵と像の前に座すマヤは、僧形である。
髪こそ、肩の辺りまで伸ばしているが、その所作は見事に尼僧のそれであった。
茶を立てている。
四つの湯呑みと、四つの和菓子が用意されていた。
マヤの正面に、向かって右から、黒井、ガイスト、克己の順で座っている。
黒井は、染み一つないワイシャツに、ベージュ色のスラックスを穿いていた。
ぴんと背筋を伸ばして、正座している。
茶を飲む動作も、型通りに整った、美しいものであった。
中央のガイストは、紋付き袴であった。
彫の深い顔もあって、やくざの親分か何かと間違えてしまいそうである。
片手で湯呑みをぐぃと持ち上げて、水でも煽るかのように、飲む。
克己は着物である。
黒地に、赤い花が染め抜かれていた。
克己は初め、眼の前に出されていた茶にも菓子にも反応しなかったが、マヤがそれらを勧めると、静かに飲み、食べた。
黒井のようにマニュアルに則っても、ガイストのように粗暴でもない。
ものを飲む、食べるという時、別段、何かを意識する訳でもないような、自然な感じで、飲み、食べた。
「何処まで話したかしら」
マヤが、自分の湯呑みを空にして、言った。
「あんたに背反しているドグマが、最新型の仮面ライダーと戦っている、って所までさ」
ガイストが答えた。
「ああ、そうだったわね」
「名前は確か――」
「スーパー1」
マヤが言う。
「仮面ライダースーパー1というのが、九人目の名前よ」
「スーパー1ねぇ」
ガイストが、和菓子を楊枝で刺し、口に運んだ。
「随分と大層な名前だな。第一号を超える、ってか」
「――」
ぴくりと、黒井が反応した。
第一号――仮面ライダー・本郷猛は、黒井響一郎の妻子の仇である。
正確には、そうであると、思い込まされている。
「間違いではないけどね」
マヤが微笑した。
「あん?」
「惑星開発用改造人間S-1」
「――」
「仮面ライダースーパー1の、正式な名前よ」
「惑星開発?」
「私たちショッカーが、地球資源の枯渇を解消する為に、人類の総数を減らしてゆこうという活動をしているのは、知っているわね」
「そりゃ、自分がいた組織の根っこだからな」
「人間の方も、それとは別のアプローチで、資源に関する問題を解決しようとしている訳」
「それで、宇宙か」
「そ。火星には、生物が住んでいた痕跡があるから、巧く開発すれば、火星を移住先にする事が出来る、と、考えているのよ」
「――傲慢だな」
黒井が言った。
「環境を壊すだけ壊して、次が見付かったら、ぽい、か」
「あら、随分と染まって来たわね、響一郎」
マヤが言った。
「誰かさんがいつまでも焦らすから、朱に交わる時間も増えたのさ」
「――という事は」
ガイストが話題を戻す。
「今、仮面ライダーを名乗っているスーパー1とやらは、俺たちと同じような、強化改造人間の身体ではないという事か」
「そういう事ね。技術が漏れている可能性はあるけど、基本的には、国際宇宙開発研究所の技術よ」
「技術の漏洩?」
「FBIやインターポールからも、ちょっかいを掛けられていてね」
ショッカー・ゲルショッカーと、本郷たちと共に戦った滝和也は、FBIの捜査官である。
又、デストロンに対しても、デストロン・ハンターが佐久間ケンを筆頭に組織され、神敬介の恋人・水城涼子はGOD機関に工作員として潜入し、その妹・霧子はGODの計画について敬介に助言を与えていた。彼らは何れも、インターポールの指令で動いていた。
水城姉妹は、GOD機関へのスパイ行為の報いとして殺害されたが、壊滅した組織の情報は、FBIやインターポールの手に渡る事になった。
ネオショッカーが台頭して来ると、ネオショッカー対策委員会が設立したが、これも、過去の組織についての情報があったからこそ、短期間で纏め上げられたものであろう。
そこから、宇宙空間での活動を可能とする改造人間の着想を得て、惑星開発用改造人間の製造が、計画されたのではないかと、推測される。
人間が宇宙空間に進出するに当たって、肉体とは別に宇宙服を着るのではなく、惑星間で無理なく活動出来る肉体を持った改造人間――
「で、そいつが何だって仮面ライダーを名乗る――と、言うよりは、ドグマと敵対しているんだ?」
惑星開発用改造人間S-1には、宇宙での作業に用いる為の、様々な機能がある。
その最たるものが、ファイブ・ハンドと呼ばれるシステムだ。
これは、
パワー・ハンド:六〇トンの物体を持ち上げる
エレキ・ハンド:三億ボルトの電撃を放つ
冷熱ハンド:右手から超高火炎、左手から冷凍ガスを放つ
レーダー・ハンド:一〇キロ四方の偵察能力を持つ端末
という四つの能力を持つ換装パーツに、
スーパー・ハンド
という、三〇トンの衝撃力を放つ事の出来る、基本のアームを加えた五つの交換式のアタッチメントである。
これらを、戦闘に転用する事は可能であろう。
であるから、ドグマの改造人間と敵対――戦う事は、出来る。
しかし、ガイストが問うているのは、サイボーグS-1が、ドグマと戦う理由だ。
「それは簡単よ。ドグマの方から、突っ掛けて行ったの」
「ほぅ?」
「S-1については、全ての情報が、研究員以外には伏せられていたのだけれど、その研究局に、ドグマはスパイを潜り込ませていたわ」
テラーマクロは、自分たちの邪魔になるであろう組織に対しては、内部からの壊滅を狙っている。スパイを送り込み、内部分裂を引き起こさせて、自然と消滅するように、である。
「国際宇宙開発局を、潰す必要が?」
「潰す事が目的じゃなかったわ。S-1が欲しかったのよ」
「S-1が?」
「宇宙空間で活動出来る改造人間を、まだ、私たちは開発し切れていなかったからね。だから、最初は、ドグマに協力するよう要請した」
当然、ドグマにもその技術はない。
ショッカーやドグマに先んじて、宇宙へと進出しようとしたS-1を、テラーマクロが狙ったのは、さもありなんと思えた。
「でも、S-1開発に関するトップのヘンリー博士が、それを断った」
「だから、潰したってのか。短気な話だな」
呆れたようにガイスト。
「それについては、若しかしたら、将軍の事もあるかもね」
「将軍?」
「メガール将軍よ」
「――」
「さっき、S-1――スーパー1は、第一号を超えるもの、と、言ったわね」
「ああ」
「その第一号というのは、仮面ライダー第一号ではなく、惑星開発用改造人間第一号の事よ」
「スーパー1以前に、いたのか」
「奥沢正人――」
「それは?」
「メガール将軍の、人間だった頃の名前よ。彼も、S-1・沖一也と同様に惑星開発用改造人間の手術に志願したけれど、手術の失敗で、酷く醜い姿に変わってしまったらしいわ」
「むぅ」
「それで、開発局からは、その存在が抹消され、奥沢本人も廃棄された」
「――」
「そこを、テラーマクロが拾ったわ。それで、自分の組織に将軍として迎え入れた」
「その、失敗した第一号を超えるという意味での、スーパー1か」
「ええ」
そこまで言い終えて、一旦、沈黙した。
ガイストは、まだまみえた事のないメガール将軍の出生に、思いを馳せているらしかった。
会話の再開は、黒井からであった。
「そのS-1が、どうして、仮面ライダーを名乗るんだ?」
「スカイライダーの協力者と、知り合いだったからよ」
マヤは、簡単に述べた。
その男は、谷源次郎と言って、筑波洋とネオショッカーとの戦いをサポートした、先の七人にとっての立花藤兵衛に相当する人物である。
ネオショッカーを脱走後、暫くは洋と共に行動していた志度敬太郎であったが、活発化するネオショッカーの活動に対し、ネオショッカー対策委員会が設立され、志度は、委員会に客員として招聘された。
その志度が、独り日本で戦う洋を、自分の代わりに支えてやって欲しいと頼んだのが、自身の知人でもあり、洋の先輩筋に当たる、谷源次郎であった。
この事は、マヤは伏せたが――
谷は、家族をネオショッカーに殺されており、その仇を討つ事を決意して、スカイライダーに協力した。
この谷源次郎は、幼い頃に両親を喪い、人類の宇宙進出という父の夢を継いでアメリカに渡り、ヘンリーの許でS-1への改造手術を受ける事となる沖一也と暮らしていた事があった。
ドグマの策略で研究所を破壊されたS-1は、唯一人生き延びて故郷・日本へ帰り、そこでドグマとの戦いに挑む事となる。
鋼の身体に強化服を纏い、マシンを乗りこなすS-1の姿を見て、谷源次郎は、彼を仮面ライダーと呼んだのである。
惑星開発用改造人間S-1は、そうして、仮面ライダースーパー1となった。
と、話が一段落した所で、四人が座している部屋の障子に、影が映った。
「帰って来たわね」
マヤは、立ち上がって、戸を横に引いた。
部屋の中に、黒い鳥が入って来て、マヤの右肩に留まった。
デッドコンドルが斃れた後、その身体に宿っていたという“ショッカーの種子”から、マヤが誕生させた黒鳥であった。
姿が、以前は、単に黒い鳥としか呼べなかったが、良く見ると、鴉のように変わっている。
「そいつは?」
黒井が訊いた。
「ドグマに潜り込ませていた、スパイよ」
「そいつが、か」
「ええ。可愛いでしょ」
マヤが、咽喉の辺りを指で掻いてやると、嬉しそうに頭を振った。
「これでも、神さまだしね」
「神?」
「暗黒の大陸を覆い尽くす黒き翼――」
「――」
「カイザーグロウとでも呼びましょうか」
鳥類を、神と崇める風習は、各国に存在する。
フェニックス、ガルーダ、ルフ、朱雀、鳳凰――
又、ゴミを漁る姿から、鴉は不吉で不気味なものと思われているが、幸運の象徴でもあった。三本の脚を持つものは、八咫烏と呼ばれ、神の使いである。
ショッカーのレリーフも、翼を広げた鷲の姿だ。
しかし、カイザーグロウという名の神を、ガイストは知らない。
「それは当然よ」
マヤが言った。
「知らなくて、か」
「ええ」
「何故?」
「何なら、見せましょうか――」
マヤは、にぃ、と、唇を吊り上げる。
「見せる?」
と、首を傾げ、顔を見合わせる黒井とガイスト。
その前で、マヤの額に、ぷつりと切れ込みが入った。
手も触れていないのに、である。
剃刀を当てたかのような筋が、じわりと横に開いてゆく。
内側から、何かが盛り上がって来た。
現れたのは、眼球を思わせる水晶体であった。
「むぅ⁉」
驚く黒井とガイスト。
「龍の記憶……」
マヤがぽつりと言うと、その第三の眼が、煌々と緑色の光を放った。
桜の花びらと梅の香りの風の中――
蒼い道衣を、肩まではだけさせたマヤが、浅く息を吐いていた。
濃い目の肌に、汗がぷつぷつと浮き、上気して、酷く色っぽい。
顔に張り付いて、黒く筋を走らせる髪を掻き上げると、股の下にいる男を見下ろした。
黒沼鉄鬼――
黒又山の赤心寺を離れ、独り、八甲田山中に於いて修行に明け暮れていた拳法家は、その顔を赤く、蒼く、黒く腫れ上がらせていた。
マヤは、彼に馬乗りになって、何度も顔面にパンチや掌底を叩き付けた。
鉄鬼が暴れ、馬乗りから振り落とされても、蛇のように身体を絡めてゆき、腕や脚の関節を絞り上げ、結局は馬乗りになってしまう。
まるで、そのポジションに入る事が、目的であるかのようだった。
そのポジションを獲れば、自分の勝利に疑いはないとでも、言うかのようである。
マヤに馬乗りになられている鉄鬼は、辛うじて意識を保っている筈だが、ぶ厚く腫れ上がった瞼の為、眼球が確認出来ないありさまだ。
その鉄鬼の上で、マヤはにぃと微笑んだ。
「思い出させて上げる……」
疲労の為に掠れた、それでもまだ甘い声で、マヤが囁いた。
「遥かなる、龍の記憶……」
その眉間に、剃刀を当てたような傷が生じ、頭蓋骨の奥から、緑色の水晶体がめりめりと盛り上がって来た。
第三の眼を開いたかのようなマヤは、倍近くまで膨らんだ鉄鬼の顔を、両側から押さえると、鼻先が触れ合う距離にまで顔を近付ける。
第三の眼が光を放つ。
どうにか踏み止まっていた鉄鬼の意識は、マヤの第三の眼が放つ光に、呑み込まれて行った。
スーパーハンドのパンチ力が300トンという話がありますが、平山P監修の『仮面ライダーが面白いほどわかる本』には、30トンとありましたので、そちらで。
ヘンリー博士の苗字が“ヘンドリクソン”説(また中の人ネタ……)。
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第十九節 桜花/梅花
闇であった。
漆黒の世界のみが、無限に広がっている。
いや、漆黒という表現は正しくない。
色というものは、対象となるものが存在して、初めて生じるからだ。
黒というものに対し、黒以外の、白や、赤や、黄色や、蒼があって初めて、それが黒であるという事が分かる。
黒以外の色についても同じである。
白は白以外の色があるから白なのである。
赤も、黄色も、蒼も、赤や黄色や蒼以外の色があって初めて、赤や黄色や蒼であると言えるのだ。
だから、何もない空間に、黒い色だけがぽつんと存在していても、それは黒ではない。
黒を黒だと判断する基準――即ち、黒以外の何かの存在と、それを観測するものがあって、漸く、黒は存在する事が出来る。
唯、ここでは闇というものを、黒という色で表現しているから、
“漆黒の世界”
という風に、表現したのみである。
又、“闇”についても同じ事である。
黒が、黒以外の存在があって、黒であると認識されるように、闇も亦、闇以外のものがあって初めて認められるものである。
だが、しかし、ここで先に闇と述べているが、闇を、漆黒の世界と表現し、それが無限に広がっているのならば、そこには闇しか存在しない。
故に、そこに闇以外のものがないという状況では、闇という判断さえ出来ない筈だ。
では、そこには何があるのか。
ない。
無である。
無と言っても、それは、机の上に、鉛筆が在るか、無いか、という話ではない。
机の上に鉛筆がないのであれば、それは、“鉛筆がない”という状況が在るだけである。
そうではなく、鉛筆という存在自体が、ないのだ。
何もないという事も、やはり、黒や闇と同じで、何かが在るという事に対しての現象でしかなく、この場合の無というものは、文字通りの無であった。
或いは、
虚空である。
“何も存在しない”という状況すら存在しない、無や虚空としか表現し切れないものであった。
その表現し切れないものを、黒や闇といった言葉で、比喩する。
仮に、“無”や“虚空”に対して、白であると認識している者は、それは白く映るであろう。
その場合は、白い世界が延々と伸びているだけである。
理解をしようとしても、想像にしかなり得ない概念――
それを、観測している。
この虚空の中に、不意に、光が生じて来た。
光が生じる事により、そこには闇が生まれて来る事となる。
その闇の中に浮かび上がったものに、光が伸びてゆく。
光の登場によって、闇の中に浮上して来た土塊は、光を受け入れてゆく。
光は螺旋を描き、土塊をあっと言う間に包み込んでゆく。
このあっと言う間という表現でさえ、当たっているかは怪しかった。
若しかすると、それは“あ”という間さえなかったかもしれないし、逆に、何度“あ”と言い続けても埋められない程の長い時間が掛けられていたのかもしれない。
光は、単なる土塊であったそれに、生命を与えた。
生命とは、生きる力の事である。
生み、増え、地に満ちようとする力の事である。
光は観測者であった。
観測者の存在は、無や虚空を否定する。
現状を否定する力の名は、進化力である。
進化力とは即ち、生命力の事である。
生めよ、増やせよ、地に満ちよという命令に従って、生命力が増大してゆく。
光とは、火であった。
生命力と、炎であった。
炎は土塊を溶かし、固め、輝きを放つ。
輝きとは、金である。
燃え盛る炎が、大地の中に金を生じ、熱された金は大地を燃え上がらせてゆく。
生命力とは、否定力であるから、その光により、大地の熱は収まってゆく。
凍える大地に残った金の地表に、水滴が凝固し、やがて生命力の形に流れてゆく。
生命力の形とは、光の形であり、光の形とは波である。
波と波はぶつかり合い、威力を増してゆく。
螺旋に絡み合う波と波は、やがて大地を覆い尽くしてゆくのである。
大地を覆い尽くした螺旋の名は、海であった。
海は、大地を削り、その内側の金を削り、光を浮上させる。
光とは進化力である。
進化力は水を吸い上げ、生命の形に上昇してゆく。
波である。
波はぶつかり合い、大きくなってゆく。
ぶつかり合うというのは、混じり合う事である。
二つのものが混じり合い、その交差点が膨らんでゆく。
この膨張現象が連鎖すると、やがて二重螺旋の姿が見えて来る筈だ。
膨らんだ波の力が、又、別の膨らんだ波の力と交わって、途切れる事のない二重の螺旋を描き上げてゆく。
環状二重螺旋である。
その螺旋の中から、光が上昇してゆく。
光は螺旋である。
天へと伸びてゆく生命力であった。
炎と、大地と、鋼と、海とを潜り抜けて、質量を持った生命力であった。
天空へと伸び上がってゆく巨大な樹木である。
樹木は生命力の象徴であった。
樹木には生命力が宿っており、その身には火が灯っていた。
火の為に生命の樹は焼け落ち、焼け落ちたその灰は海を覆い尽くす。
水は全て吸い上げられ、枯渇した。
しかし、その大地の内側では、再び完全たろうとする働きが動き出していた。
鋼が生じ、孕んだ光に溶かされて流動する。
流動する鋼が動きを止めると、又も冷気が襲い掛かり、水が生じる。
水は波を生じ、波は螺旋を生じる。
その螺旋の中から、大樹が蘇るのである。
大樹の内側には、否定力、進化力、即ち生命力が宿っていた。
火である。
火と、土と、金と、水と、木と、これらは永遠に循環し、決して留まる事はない。
環状二重螺旋――
生命の象徴。
進化の証明。
否定の肯定。
決して絡み合う事のないものが絡み合い、同じような進化を繰り返しながら、全く別の様々な生態系を編み上げてゆく。
生み、増やし、地に満ちる――
生命力とは、このような意志である。
その意思に理由はなく、その意思があり続ける限り、この輪廻は終わらない。
終わらないからこそ、世界樹は、螺旋に伸び上がってゆく。
積み重ねられた循環を、その身に刻んでゆく大樹は、天に向かって顎を開く龍であった。
天に挑み掛かる羅龍は、しかし、天から見れば地へと降り注ぐ光であった。
双頭の龍である。
決して絡み合う事のない、二つの龍の身体が絡み合いながら、天へと昇り、地へと降りてゆく。
龍は、光であった。
光は、生命力である。
生命力とは、龍であった。
遥かなる、龍の記憶……
鉄鬼が眼を開いた時には、辺りはすっかり暗くなっていた。
身体を起そうとするが、全身にはねっとりとした疲労が溜まっている。
関節や、筋繊維の隙間に、タールを流し込まれたかのようであった。
「ぐ、むぅ」
呻きながら、鉄鬼は、腫れ上がった瞼を剥き、ひび割れた歯を喰い縛って、どうにか上体を持ち上げた。
「気分は如何、黒沼鉄鬼さん。それとも、氷室五郎さんと呼んだ方が良いかしら」
声を掛けたのは、マヤであった。
夜風の中、蒼い柔道衣の上に、コートを羽織ったマヤの周囲を、桜の花びらが舞う。
鉄鬼は、マヤを睨み付けると、近くの樹の幹に爪を立てながら、ずりずりと立ち上がる。
幹に背を預けていなければ、立っていられない。
「な、何をした……」
鉄鬼が、掠れ、震えた声で言った。
「思い出したかしら」
マヤが問う。
「思い出した?」
「この山の地下に埋もれた、金塊の事よ」
「――!」
鉄鬼の頭が、ずきりと痛んだ。
一〇年前、本物の黒沼大三郎に、黄金の器で殴られた箇所だ。
その部分が、心臓になったかのように、どくどくと脈打っている。
鼓動を一つ鳴らす都度、鉄鬼の瞼の内側に、あの黄金の輝きが蘇って来た。
「ぐぉーっ!」
鉄鬼は、身体を縛り付ける、疲労という名の鎖を引き千切り、解き放たれた獣のように吠えながら、マヤに襲い掛かってゆく。
マヤは、ぽってりとした唇の左右を持ち上げ、眼を細める。
鉄鬼の、力にだけ任せたパンチが、マヤの顔面を襲った。
マヤは肺に空気を溜め込みつつ、鉄鬼のパンチを、軽くスウェーしてやり過ごす。
だが、ストレートのパンチには、スウェー・バックの意味がない事を分からないマヤではない。
空手でいう鉤突き、フックや、アッパー・カットなどは、弧を描く為、その弧の外に出ようとするスウェー・バックで回避するには、良い。
けれども、スウェー・バックは直線回避であり、その軌道をなぞるように走るストレートのパンチに対しては、間違った判断であった。
だが、マヤは、鉄鬼の拳が最大限の威力を放つまで、腕を伸び切らせると同時に、
「――ひゅっ!」
と、溜め込んだ空気を鋭く吐き出し、右手を走らせた。
指先は揃えて、貫手を作っている。
マヤの右腕が、鉄鬼の右腕の横を駆け上がった。
マヤはこの右腕を繰り出す際、後ろにした右足で地面に踏み込み、その反動を、足を捻る事で全身に伝えていた。
胴体、頸、顔が横に動いた事で、鉄鬼の突きは空を切る。
マヤの、回転力によって放たれた右の貫手が、鉄鬼の腕を躱しながら、鉄鬼の右肩に残る、蚯蚓が膨らんだかのような傷を、正確になぞっていた。
貫手の周囲の空気が歪み、一瞬、閃光を放つ。
発勁だ。
纏絲勁である。
呼吸と、足を捻るという動作によって生じる気を、指先に集め、しかも、相手の打撃の威力さえ利用して、敵の肉体を破壊する。
強く、鋭く、一点に――
槍の如く一突きが、鉄鬼の腕の肉を削ぎ飛ばしていた。
マヤの貫手に沿って、血の霧が、夜の森の中に尾を引いた。
肩を押さえてふらつく鉄鬼を、マヤは振り向くと、左腕を緩く持ち上げる。
人差し指を残して、指を握り、まだマヤから反らしていなかった鉄鬼の右眼に向かって、突き出していた。
これも、機械のような正確さで、マヤの左の人差し指は、死体の眼を啄むハゲタカの嘴のように、鉄鬼の右眼に潜り込んでいた。
眼球がむにゅりと拉げ、指の付け根までが、眼窩に入り込んでゆく。
鉄鬼は、声にならない悲鳴を上げた。
マヤは、うっとりとした表情を浮かべながら、中指までも鉄鬼の眼の中に突き入れ、指の股の間に視神経を挟み込んだ。
先端に鉄鬼の血を滴らせる右手で、鉄鬼の顔を押さえ、左腕を思い切り引く。
繊維の引き千切られる音と共に、鉄鬼の眼球が抉り出されていた。
「ぐぇぉぉぉぉぁああああっ!」
人が、一生に一度聞けば、或いは一生に一度だけ上げれば、二度と聞く事も出す事もないであろう、おぞましい絶叫と共に、鉄鬼の眼から、赤い液体がこぼれた。
顔面を、頭の内側を襲った、想像を絶する痛みに、鉄鬼が、顔を覆いながら地面を転がる。
それを冷静に見下ろしながら、マヤは、左手の指先に抓んだ視神経を、水風船を吊り上げる糸のように引き、先端にぶら下がった眼球を、普通よりも長めの舌の上に載せた。
鉄鬼の眼球を、上下の歯で潰し、中に詰まった液ごと咀嚼してゆく。
唇の両側から、染み出した眼球内の血液が溢れ出した。
マヤは、その血液を唇に引き、赤々しい舌をぺろりと見せた。
桜が躍っている。
その花びらを、鉄鬼の血で赤く染まった舌に置いた。
指で花びらをこそぎ、赤く艶めく桜の花を眺め、マヤは言う。
「桜花……」
鉄鬼の叫びが、山の中に、静々と木霊していた。
同じ頃――
赤心寺の堂宇に於いて、独り、花房治郎――玄海が、座禅を組んでいた。
結跏趺坐。
法界定印。
結跏趺坐とは、左右の太腿に、それぞれ逆の足を載せる脚の組み方だ。
法界定印は、左掌の上に右手の甲を載せ、左右の指と掌で、円を作る。この時、親指の先端同士は、付かず離れずの距離を保って置く。
坐禅の形である。
玄海は、眼を瞑っているとも、開いているともとれる表情のまま、静かに座していた。
静かな呼吸は、玄海がそこにいる事を忘れてしまいそうになる程、自然な風であった。
玄海は、座禅を組む己の内側に、世界を観ていた。
坐禅を組む自分がいる。
その自分は、世界の一部である。
その自分を含んだ世界を、玄海は観ている。
自分と世界を観る自分を、包む世界がある。
この世界を更に観る玄海がおり、その玄海がいる世界がある。
自身の内側に、無限に続く自分と世界を観ている。
だが、それらは、玄海が意識を離してしまえば、すぐに掻き消えてしまうものだ。
玄海という観測者があって初めて、それは生じて来るのである。
色即是空――
色とは、この世界にある全ての物質や現象の事である。
眼、耳、鼻、舌、身、意で感じる事の出来るものの総称を、
その色は、眼、耳、鼻、舌、身、意がなければ、感じる事が出来ない。
けれども、その眼、耳、鼻、舌、身、意も物質であり、色である。
色を観測する色は、互いに依存し合っている。
依存しなければ存在出来ないという事は、依存出来ない場合は、そこに存在がなくなってしまうという事になる。
無とか、虚空とか、呼ばれる概念だ。
色は、即ち、是れ空なり
だが、空という概念は、色である我々が作っているものだ。
だからこそ、空は、即ち、是れ色なり――
空即是色と、言われるのである。
玄海は、自らの内側に生じたものを、そうして理解している。
無念無想とは、無――つまり、空を念じたり、思ったりしながら、しかし、念じ、思う事も空から発した、観測者のない状態では起こり得ないものであるから、その本質は無であり、虚空である事を解し、それを受け入れる事なのである。
「――むぅ」
と、玄海は、小さく唸りながら、眼を開けた。
結跏趺坐を解き、脚を揉みほぐして、立ち上がる。
――まだまだだ。
玄海は思う。
無念無想の事は、何となく分かって来ていた。
理解していた。
それに伴い、自分の空間認識能力が、常人を超えている事も、分かっている。
だが、
色即是空
空即是色
を、受け入れる事が出来ない。
そうだとするのなら、自分は何の為に、拳法をやっているのか。
こう考えてしまう。
本質が、虚無であるのなら、精神というものも、やはり実体がないのではないか。
自分が遺してゆこうと志した、武道の精神性になど、何の意味があるのか。
いや、空を受け入れ、悟る事が出来たとしたら、それは、自分の目標としていた事に、何の意味がないと割り切ってしまう事なのであろうか。
樹海も、鉄鬼も、麓の人たちも、玄海の事を、優れた人物だと思っている。
拳法家としても、仏教者としても、人間としても、聖人のような男だと。
――違う。
玄海は……花房治郎という男は、自分がそのような器ではないと思う。
どれだけ拳法を深く身体に刻み込もうと、どれだけ自らの内側に生じた世界を理解していようと、そして、恐らくはこの先、自分が目標としていた事を達成出来ようと……
何かが足りない。
その足りない何かが、分からない。
玄海は、本堂を出た。
裸足を、冷たい地面に下ろす。
夜、月光を浴びて、夜露を煌めかす梅の花の前に、立った。
その花を見ながら、玄海は、両の手を胸の前にやった。
寒さに耐えて、柔らかく、一つ開いた梅の花……
脱力と緊張の、その中間を見事に捉えた玄海の両手に、眼の前にある梅の花が、幻視されていた。
両手が創り出した虚空の中に、梅の花が生じていたのである。
玄海は、自分の内側に留まらず、自分の外側に、新しい世界を創り出す境地に到達した。
しかし、玄海の胸の中の迷いは、決して消える事がない。
それは、彼の心の中に生じた世界が、決して尽きないのと似ていた。
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第二十節 螺旋
「――何だ……?」
黒井は、全身に汗を掻いていた。
座布団の上に座った状態で、微動だにしないまま、全身をぐっしょりと濡らしていたのである。
「ガイスト、あんたも……」
黒井が言い終える前に、ガイストが頷いた。
ガイストもやはり、動きは一つもない筈なのに、顔に疲労を貼り付けている。
克己は、しかし、平気そうな顔をしていた。
汗も掻いていない。
恐らく、黒井とガイストが見たものを、克己は見ていないのであろう。
マヤが、彼に見せなかった、という事なのかもしれない。
ショッカー基地の中にある和室。
壁には、神話世界曼荼羅があり、その傍に異形の鴉の像が立っている。
上座に座す僧形のマヤは、既に、眉間に浮かんだ第三の眼を閉じていた。
傷痕さえない。
その右肩には、赤い眼の鴉が留まっている。
「どうだった?」
マヤが訊いた。
二人に見せたもの――
それは、かつて、黒沼鉄鬼に見せたのと同じ、
遥かなる龍の記憶
というものであった。
虚空に光が生じ、光が惑星を形作り、惑星から龍が飛び立ってゆく――
それは、虚空の側から見た視点で、光の側から見たのならば、光が闇の中に生命を生み出して、自らが生み出した龍がこちらに迫って来るという映像であった。
「酷く、疲れたよ……」
ガイストが言った。
黒井も同意見である。
「頭がパンクしそうだ」
黒井が、素直に述べた。
光の出現から、惑星の誕生と、龍の登場まで、そこまで長い映像だとは思わなかったが、龍が海中から天空に飛び立ってゆこうとするまでには、黒井とガイストが見た以上の循環が行なわれているのだろうと、分かる。
見たのはその一部、或いはダイジェスト、又は早送りだとしても、その情報分を閲覧するだけの時間が、自分たちの脳内では消費されていたのである。
例え、画面に表示されたのが、一枚のイラスト、一つの文字であっても、それを構成しているのは、無数の0と1であり、その0と1を、脳内で数え直す作業をしたかのようであった。
「で、これが、カイザーグロウとやらと、どう関係があるんだ?」
「分からないって事はないでしょう?」
マヤが、ガイストの質問に対し、自分で考えさせた。
それに、黒井が答える。
「龍……」
「ぴんぽーん」
マヤが言った。
「あの龍か」
ガイストも分かったようである。
あの映像の中にあった、天に昇る、地に降る龍は、カイザーグロウの像と似ていた。
赤い眼と、にゅぅと伸びた角。
だが、あれは龍であり、鴉ではなかった。
その事について、ガイストは問おうとしたが、黒井が先んじた。
「龍というのは、そもそも、想像上の動物だ……」
「それがどうした?」
「けれど、実際に、“龍”と名の付く生物はいる」
「恐竜か?」
「ああ」
「――成程」
ガイストが頷く。
太古の昔、地上を跋扈していた生物、恐竜。
現在では考えられない巨体を持った種類も、存在していた。
彼らが絶滅した理由は、幾つか考えられている。
その最たるものが、巨大隕石の落下である。
これは、隕石そのものと言うよりは、隕石が落下した事で、気候が大きく変動し、大氷河期が訪れた為である。
この他に、次のような説もある。
巨大な身体を持つ恐竜たちは、地球の重力の中では、自らの体重に耐える事が出来ず、小型化を選択したというものである。
キリンも、象も、その原点から、頸や鼻が長かった訳ではない。
人も、両足で立つ以前には、四肢で這っていた事であろう。
前後の肢を持つ前には、身体をくねらせるだけで海中を泳いでいた頃もあった筈だ。
恐竜たちは、小型化という進化を選択する事で、自分たちの種族を守ったのである。
尚、進化とは、あらゆる方向への変化の事を言うのであり、大きなものが小さくなる、長いものが短くなるという事も、進化である。退化とは、その機能を縮小する事であり、進化との対概念ではない。
その、恐竜が小型化を選んだ結果の一つが、鳥類であるというのだ。
「現代の言語が、どれだけあのヴィジョンと照らし合わせられるかは分からないが――」
「カイザーグロウとかいう鴉の神さまと、あの龍は、起源が同じって事かい」
二人の確認を、肯定するマヤ。
「それが分かった所で、ありゃ、何の映像なんだ?」
ガイストが更に訊いた。
「遥かなる龍の記憶、と、言っていたが……」
「そのままの意味よ」
マヤが言う。
「そのままの?」
「遥かなる過去、龍が見た記憶……」
「――」
「ショッカーの故郷とでも、言って置きましょうか」
「ふるさと⁉」
「ええ。そうね、人間の言葉で言うのなら――」
マヤは、少し考えた後で、
「B26暗黒星雲……そういう場所にある星かしら」
と、告げた。
「B26暗黒星雲⁉」
「それが、ショッカーの故郷という事は、つまり――」
――ショッカー首領と名乗る人物は、外宇宙の生命体であるのか。
黒井とガイストは、そのように問う。
マヤは、顎を小さく引いた。
「それ自体は、別に驚く事ではないでしょう」
デルザーの首魁として、奇厳山から現れた岩石大首領は、七人の仮面ライダーたちに体内に潜入され、それまで複数の組織を操っていたものの実態を、遂に目撃される。
ゲルショッカーでは、一つ目の怪人。
デストロンでは、心臓があるだけの白骨。
GODでは音声テープのみを、改造人間や幹部たちに贈り付けていた。
ゲドンに対しては、“影の支配者”として、ゼロ大帝の姿を模していたと考えるべきか。
岩石大首領の中で、仮面ライダーたちが見た、今まで正体を掴めないでいた組織の首領は、一つの眼を持った巨大な脳みその姿であった。
そして、この脳自身が、ライダーたちに対し、自らの敗北を悟り、
“宇宙へ還る”
と、宣言している。
他にも、ネオショッカーは、外宇宙の銀王軍と提携を結ぼうとしたり、巨大怪獣型の宇宙生物が、大首領を名乗ったりしている。
因みに、ネオショッカーの進退についてであるが、初代日本支部長に就任したゼネラルモンスターは、スカイライダーの妨害による、作戦の度重なる失敗の責任を取らされ、彼の後を継いだ魔神提督よって、遂に処刑されている。その魔神提督も、月の光を浴びて身体を再生させるという、脅威の能力を持ちながらも、大首領に握り潰され、その生に幕を下ろした。
「――それだと、分からない事がある」
黒井が言った。
「地球外生物であるショッカー首領が、何故、地球を気に掛けるのか、だ」
黒井の中で、ショッカーは、人類を一つの思想の下に纏め上げ、この地球を正しく管理するという組織である。
「それは、当然の事よ」
「当然?」
「子供を気に掛けない親はいないわ」
「何⁉」
「人間は、ショッカーの子供なのよ……」
「どういう事だ⁉」
「ジャイアント・インパクト――」
「確か……」
約四六億年前、地球に落下した、火星クラスの大きさの小惑星である。
この衝突を機に、地球から剥がされた岩盤が、分裂して月になったという。
「ショッカー首領は、その小惑星に乗ってやって来た……」
「では、人類はショッカー首領に生み出されたという事か?」
「……三分の一って所かな」
「三分の一?」
「正確に言うのなら、B26暗黒星雲の生物の遺伝子が、小惑星には組み込まれていて、それが地球の環境と適応して、更に永い時間を掛けて、人類という種の祖になったという所かしらね」
「な――」
「それが、龍の記憶」
「何?」
「貴方たちが見たあのヴィジョンは、地球にとっては、あくまでもイメージよ」
「イメージ?」
「そ。ジャイアント・インパクトの、ね」
「小惑星の?」
「さっきも響一郎が言ったように、龍とは架空の生物よ」
「――」
黒井が頷いた。
「でも、架空の、想像されたものであるという事は、そこに、何らかのベースとなるものがある筈」
無から有は生み出せない――
又は、想像し得るものは全て実現可能であると言うように――
「つまり、あの龍のイメージは、小惑星落下を、偶像化とでも言おうか、そうしたものだと?」
黒井が訊く。
「日蝕を、天岩戸と記したように、か」
ガイストが言った。
天岩戸については、『古事記』にあるものだ。
黄泉に堕ちた母・伊邪那美に合いたいと願い、自分の守るべき場所を離れる事の許可を願いに、姉である天照大神の神殿へ赴いた須佐之男命であったが、天照は、気性の荒い弟が戦争を仕掛けて来たものであると勘違いした。
それに怒った須佐之男は、天照の神殿に糞を落として去り、これを嘆いた天照は洞窟に引き籠り、大きな岩で入り口を塞いでしまう。。
『古事記』に限らず、神話とは、歴史に神性を加えたものであるという説がある。歴史を紐解くには、その神性を除けば良いと提唱されてもいた。
天照大神は、太陽の神であり、昼間であってもその光が見えなくなったとなれば、それは、恐らくは皆既日食の事なのであろう。
龍のイメージも、そのような事であろうと、ガイストは言ったのだ。
「で、龍のイメージが小惑星、人類の祖は地球外生命体の遺伝子……と、そういう事は分かったが」
ガイストが言い、
「ショッカー首領とは、何者なのだ?」
黒井が問う。
「意思よ」
マヤは、簡潔に答えた。
「意思?」
「或いは、贖罪……」
「贖罪⁉」
「ええ」
マヤは、神妙な顔をして、言った。
「B26暗黒星雲から原始の地球に来訪した遺伝子は、この地球に、驚くべき進化を与えたわ」
人類の創造について、である。
「でも、それは、地球の生命に、一つの欠陥を創り上げてしまってもいた」
「欠陥?」
「ショッカー首領とは、意思よ」
「――」
「理性と言っても良いかもしれないわね」
「理性?」
「人間と、他の動植物との違い……」
「知性、と言うべきものか?」
「ショッカー首領は、人間にそれを与える事となった……」
「――」
「これが、失敗と言えば、失敗だったわ」
「失敗と、言うと」
「智慧の実……」
『創世記』の事である。
神が、土塊から生み出したアダムと、そのアダムから生まれたイヴ。
無垢な彼らは、蛇より黄金の果実を与えられ、羞恥心を知った。
この事を、神は怒り、人類最初の夫婦をエデンの園から追放した。
「ショッカー首領は、蛇……?」
黒井が、唸るように、呟いた。
B26暗黒星雲からの小惑星は、人類を誕生させるきっかけを作った。
マヤは、人類と、その他の動植物との違いは、理性・知性であると言う。
「龍の記憶……」
ガイストも、呻くように、独りごちる。
龍は、洋の東西を問わずに語られる伝説の合成生物だ。
東洋では聖獣として、西洋では魔獣として、畏怖されている。
東洋の龍は、牛の角や虎の爪を持ち、その身体は蛇である。
西洋のドラゴンは、蝙蝠の翼を持った蜥蜴である事が多く、蜥蜴に悪のイメージがあるのは、『創世記』に於いて、蛇が四肢を切り落とされる前の姿であるからだ。
ジャイアント・インパクトの龍のイメージと、これらは符合する。
「本能と理性は対極的なもの……」
マヤが言う。
「この地球に、二重に絡み合う螺旋を与えたのは、ショッカー首領なのよ」
「――」
「その二重螺旋こそ、ヒトが、他の動植物を凌駕し、万物の霊長たると驕る要因……」
「――」
「ショッカーが、人類を統治しようという働きは、その贖罪と呼べるわね」
そう言いながら、マヤが、一息吐いた。
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第二十一節 種子/氷室
「ショッカーの種子……」
ガイストが、マヤの右肩に留まった、赤い眼の鴉に視線をやった。
じろりと見つめられて、何を感じたか、照れたように、顔を反らす鴉。
「あんたは、そう言ったな」
「言ったわ」
この鴉が、単に“黒い鳥”としか呼べなかった形態に生まれた時である。
デッドコンドルが死んだ現場から発見された、根っこのようなものが付いた石から、マヤが変化させたものであった。
「それは、何なのか、という話さ」
「この子の中核にある、あの宝玉の事ね」
「ああ」
「あれも亦、暗黒星雲からの小惑星に乗って来たものよ。いえ、その一部かしらね」
「隕石の欠片と、いう事か?」
「ショッカーの故郷の物質、ね」
「――」
「
「――」
「
「え?」
「仏教の言葉よ」
マヤが、それについて説明した。
仏教の目的は、悟りを得る事である。
悟りを得て、仏陀となる訳であるが、悟る事が出来る可能性の事を、
仏性
と、呼んでいる。
他にも、“
仏教での悟りとは、あらゆる煩悩を消し去った所にある。
修行によって煩悩を断じれば、仏に成れるというのが仏教の基本ではあるが、修行でその煩悩を断つ事が出来る者が、釈迦以来、現れなかった。
そこで、この如来蔵思想や、本覚思想と言われるものが、提唱されるようになった。
人間に留まらず、他の動物や、草木、川や山などに至るまで、“衆生”と呼ばれるものらには、尽く仏の因子が存在し、その為に、本来的に悟(覚)っているという思想である。
「それが、どうした?」
黒井が訊ねた。
「ショッカーの種子というものは、それに似ているわ」
「む⁉」
「さっきから言っているように、暗黒星雲からの小惑星が地球に与えたものは、今の人類を、他の生物とは別格のものとしている理性や知性……」
「それが、あの種子によるものだというのか?」
「ええ。でも――」
マヤは、右肩の鴉を流し見ながら、更に語る。
「誰もが、あれを開花――いえ、発芽させる事すら、出来ない」
そういう意味では、これは“種”ではなく“芽”なのかも――と、マヤは言う。
「では、どういう人間が、それを発芽させるんだ?」
黒井が訊く。
「卵と鶏ね」
「あん?」
「どちらが先かは分からないけれど、或る特徴があるわ」
「それは?」
「他の人間と比べて、何処か、異質な点がある人よ」
「異質?」
「普通よりも能力が高かったり、感情のコントロールが極端だったり……」
「――」
「天才とか、狂人とか、英雄とか、悪人とか、偉人とか……そう呼ばれる人たちに多いわね」
「――む」
ガイストが、心当たりがあるとでも言うように、声を上げた。
アポロガイスト亡き後、呪博士は、巨大ロボット・キングダークの内部から、GOD総司令として指示を出していた。
その際に、先兵となった者らは、
悪人怪人
と、呼ばれる者たちであった。
歴史に名を残す、犯罪者や独裁者の魂を召喚し、改造人間のボディに宿らせていた。
ジンギスカンコンドルは、チンギス=ハン。
カブト虫ルパンは、怪盗アルセーヌ=ルパン。
サソリジェロニモは、インディアンのジェロニモ。
ヒトデヒットラーは、アドルフ=ヒトラー。
他にも、石川五右衛門、楊貴妃、怪盗ファントマ、ギャング王・アル=カポネ、暴君ネロなどの、高い能力を持ち、しかも、後世には暴虐な人物として伝えられる者たちをモチーフとした改造人間らを、Xライダー・神敬介に差し向けていた。
「他の……宮本武蔵でも、織田信長でも、エジソンだろうと、ロビン=フットだろうと、ニュートンだろうと構わないけど、兎に角、そうした突出的な才能を持った人たちは、“ショッカーの種子”があったかもしれないわ」
「――」
「彼らの天才が、“一パーセントの閃きの為の、九九パーセントの努力”だとしても、その努力を続ける事の出来た、ゼロの時点での才能に、“ショッカーの種子”の存在を認める事は、やぶさかではないわね」
「卵と鶏……」
黒井が、マヤの言葉を反芻した。
卵があって鶏が生じたのか、鶏が卵を産んだ事が始まりであるのか、それは分からない。
それと同じように、偉人や英雄、又は悪人と呼ばれる者たちが、ショッカーの種子由来の特殊な能力であったのか、逆に、その特殊な能力がショッカーの種子を発芽させたのかは、マヤにも分からないのである。
「それを、自分の力で――才能にせよ、努力にせよ――発現させたのが彼らであるとして、それを再現しようとした動きが、あったわ」
「再現?」
「デルザー魔人の幾らかは、そうした経緯で生まれたのでしょうね」
「……改造人間!」
黒井とガイストが、共に眼を剥いて、言った。
通常の改造人間とは、一線を画すと言われていた改造魔人たちは、皆、何らかの伝説に残る怪物たちの子孫であった。
ジェットコンドルの因子を得たデッドライオン――デッドコンドルの死の現場から、ショッカーの種子が回収されたという事は、他の魔人たちも、同様のものを持っていたという事になる。
マシーン大元帥、磁石団長、ヨロイ騎士、ジェネラルシャドウ、蛇女、鋼鉄参謀、アラワシ師団長、ドクターケイト、狼長官、岩石男爵、隊長ブランク……
特に、隊長ブランクなどは分かり易い例だろう。
隊長ブランクの祖先は、フランケンシュタインの怪物である。
フランケンシュタインが、墓場から掘り起こした死体を集め、それらを繋ぎ合わせて誕生させた怪物の系列にある。
これは、ショッカーに、イワン=タワノビッチが求めた、延命・蘇生治療の原点と言っても良い手術ではないだろうか。
元々は人間であった、ジェネラルシャドウや、後にゼネラルモンスターとなるジェットコンドルも、同様である。
それによって誕生したフランケンシュタインの怪物の血を引く、隊長ブランクに、ショッカーの種子が宿っていたのならば、
「改造人間計画とは、種子の発芽に至る為のものだったのか」
ガイストが言うと、マヤが満足げに頷いた。
「もう一つの例があるわ」
「感情云々と言っていたな」
黒井が、マヤの言った事を思い出す。
「これは、首領が、人類の統治を決めた理由でもあるわ」
「感情のコントロールって奴が?」
「これも、ガイストは知っていると思うけど……」
「ほぅ? と、言うと?」
「パニック――」
GOD神話改造人間の一人である。
牧歌神パンを基に改造されたパニックは、特殊な音波で、人間の感情を負の方向に増幅させる能力を持っていた。
それを用いて、一つの町を、人間同士の手で壊滅させようというのが、GODの作戦であった。
「あの例を見ても分かるように、人間全てが、感情に身を任せるようになってしまったら、この星の生命体は、あっと言う間に滅びてしまうでしょうね。ぷっつんした軍人が、核ミサイルのスイッチを押したら大変だわ」
「だが――」
黒井が口を挟んだ。
「仮に、そのショッカーの種子が発芽した人間が、感情のコントロールを出来なくなったとして、それは、何故なんだ? ショッカーの種子は、人間に理性を与えたのだろう?」
それならば、感情・本能を抑えている筈の知性・理性を齎したショッカーの種子が、逆にその制御を不安定にするというのは、変な話であった。
「抑制だからこそ、よ」
「抑制?」
「綱引きで考えて御覧なさいな」
こっちが本能、こっちが感情、と、マヤは、それぞれ左手と右手を持ち上げた。
いつの間にやら、両手の間には紐が握られている。
「普通の状態は、こう」
紐は、張り詰めても、緩められても、いない。
軽く撓み、軽く張っている。
「本能を優先しようとすると――」
右手を外側に引っ張る。
すると、紐が緊張して、左手が紐を放すまいと力を籠める。
「理性を優先しようとすると――」
今度は、左右を逆にして、同じ事をやった。
「片方の力が強ければ強い程、もう片方の力も強くなる。ンで、基本的に強いのは、ショッカーの種子……理性の方ね」
理性というリミッターが、多くの人間には設けられている。
そのリミッターは、本能が膨らめば膨らむ程、締め付けを強くしてゆく。
「でも、その拘束がちょっとした弾みで――」
マヤは、理性の左手で紐を強く引っ張り、それとせめぎ合う本能の右手でも、同じく強く紐を引っ張っていた。
紐が今にも切れそうになっている。切れそうになっているが、左手を強く引っ張った。
ついに、紐がぷつんと切れてしまう。
そうなると、右手も左手も、左右に大きく広がって、分かれてしまう事になった。
「力、強いな、あんた」
苦笑いを浮かべて、ガイストが言う。
マヤは、紐を袂に仕舞い込んで、髪を軽く掻き上げた。
「これが、ショッカーの種子を発芽した人間の、精神分析って所」
「自分を律し過ぎる故に、それが振り切られた時には……と、いう事か」
黒井が唸った。
「律するのは、理性が無意識に、である場合もあるけどね。そういう人間が全てじゃないにせよ、狂人と、天才とは紙一重……」
マヤが続けた。
「その理性による本能の拘束が、或いは、才能を目覚めさせる為の努力に結び付く場合もある。これは、“昇華”と呼ばれる精神の動きよ」
心理学でいう昇華は、社会的な不満や、目標を達成出来ないストレス、葛藤などを、社会に認められる行動への原動力へ変換する事である。
人に対して暴力を振るいたいとか、あらゆるものを壊してしまいたいとかいう衝動を、芸術やスポーツに向ける事など、そうである。
黒井には、これが分かる筈だ。
戦後、それまで鬼畜と罵って来た相手に対し、へこへことする醜い人々への、どうしようもない憤りを、フォーミュラ・カー・レーサーとしての実力の源として来たのであるからだ。
「それをやり切れない人間が、後者という事だな……」
ガイストが、顎に手を添えて、首を捻った。
強化改造人間第三号となる以前の黒井が前者であるならば、ガイスト――呪青年は、本能が理性のタガを破壊してしまった事になる。
母に暴力を振るう父の顔面を、ぼこぼこになるまで殴り続けた事がそうだ。
我が子の代わりを求めて、他人の赤ん坊を奪って殺していたあの事件の後、GODに与する事となったのも、この働きがあったからであろう。
「――さて」
マヤが、そう言いながら、立ち上がった。
障子を開け、廊下に出る。
「話が、かなりずれ込んで来てしまったわね」
「そうだったな」
元はと言えば、ドグマの話であった筈だ。
ドグマ王国のテラーマクロが、ショッカーに背反しているという事である。
「続きは……そうね」
マヤが、自分に続いて廊下に出て来た黒井たちを振り返る。
「ゆっくりと、観光でもしながら話しましょうか」
「観光?」
「ええ。冬の京都で、雪景色でも楽しみながら、ね」
マヤが、薄く笑った。
「それで、あんたは、俺に何をしろと言うのだ?」
鉄鬼が、上衣を羽織り、桜の樹の幹に背を預けていた。
顔を逆袈裟に、包帯で覆っている。又、右肩の辺りも同じくである。
その前に、柔道衣とコートを着たマヤが立っている。
鉄鬼の右眼をほじり出し、右肩をカウンターの手刀で抉ったとは思えない、落ち着いた美貌を湛えている。
八甲田山――
木の葉や枝の間から、空が白み始めているのが見える。
雪のような冷たい気温の中、二人は、平気そうな顔である。
マヤは、三〇年後、黒井たちに語る同様の事を、鉄鬼に対しても話していた所だ。
但し、この当時、まだショッカーは存在していないので、単に“種子”と呼んでいた。
「俺が、ガキの頃から気の荒い性質だったのは、そういう事か」
「後は、大男の総身に回り切った知恵かしらね」
ふふん、と、マヤが鼻を鳴らした。
身体が大きく、喧嘩っ早いくせに、下手な学生よりも頭が良い――それが、黒沼鉄鬼の幼少期……氷室五郎という男であった。
その事を教えて、自分に何をさせようと言うのか――
鉄鬼はそう訊いていた。
「欲しいものがあるわ」
「欲しいもの?」
「ええ」
マヤは頷いて、言った。
「空飛ぶ火の車よ」
悪人怪人は盗掘した遺体に改造手術を施していたのか……以前にも紹介しました『仮面ライダーが面白いほどわかる本』では、“霊体融合”とか書かれているので、上のような解釈で。
所で、色々と途中な物語ですが、私のプライベートとすり合わせて見るに、来月いっぱいは更新が出来ませんので、今回が切りの良い所での最後の更新となります。一応、言い訳は活動報告の方に出して置くので、お暇であればそちらもどうぞ。
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第二十二節 変身
兄妹が本当は姉弟だった事からは眼を反らして頂きたいと思います。
「――ひゅっ」
克己の唇から、鋭く呼気が吐き出されると同時に、その四肢が素早く躍動する。
緩く開いた手が、腕が空気を切ると共に反り返り、その掌底がドグマファイターの側頭部を叩いた。
土を蹴り上げながら振り出されたブーツが、ファイターの胴体を薙ぎ払い、赤いタイツの奥から、金属質な破砕音を響かせる。
山彦村から、外へ出ようとする道である。
木々に囲まれた、その道なき道の真ん中に立つ松本克己は、背にシンタとチエを庇いながら、ドグマファイターと、彼らを率いるメガール将軍と対峙していた。
その内、シンタたちを追ってやって来たファイターたちの半数は、既に、克己によって使いものにならなくなっている。
「おのれ……!」
メガールは、蒼い唇を開き、赤々とした歯茎を剥きながら、憎しみを込めて克己を睨んだ。
克己は、しかし、何の感情もその顔には表さず、向かって来るファイターを斃す事のみに集中し、敵が自分を警戒して距離を取り始めていると、敢えて向かおうとはしなかった。
「す、すげぇや」
シンタが、眼をきらきらさせて、克己の背中を見上げていた。
シンタ自身、それなりに武術の覚えはある。しかし、克己の実力とは比べ物にならない。
そのシンタの袖口を、チエが、不安そうに掴んでいた。逆の手には、父・香坂健太郎から預かった巾着袋が、同じ位の強さで握られている。
「貴様も仮面ライダーなのか」
メガールが言った。
「そうだ」
と、克己が答える。
「ぬぅ」
メガールは、低く唸った。
その眼に灯ったのは、憎しみ以上に、羨望や嫉妬の光であった。
「どけぃ」
そう言って、克己に慄いているファイターたちを掻き分けて、メガールが前に出る。
「この俺が、直々に相手をしてくれるわ……」
ずるりと引き抜いた剣で、メガールが克己に斬り掛かる。
唐竹の一閃を、克己は、半身になって通り過ぎさせ、同時に左の順突きを放った。
メガールが右腕を持ち上げて、克己の左腕を跳ね上げる。
「じゃっ!」
「ふんっ」
メガールの剣を握った左手と、克己の右手が動いた。
克己の脇腹を狙った刀身は、克己の右手に掴まれ、そして、
がきんっ
と、甲高い音を鳴らして、圧し折られた。
くむぅ――と、唸りながら、後退するメガール。
克己は鎧の武人に追い縋り、幾つもの打撃を繰り出した。
パンチ。
蹴り。
膝。
貫手。
メガールの全身に、同時多発的に叩き込まれた打撃は、その銀の鎧の繋ぎ目を、尽く破壊してしまった。
「き、貴様……」
よろよろと後退り、樹の幹を背中にするメガール。
その、ひび割れた鎧の内側から、めりめりと、突き出して来るものがあった。
見るからに、メガールの肉体が、膨れ上がっていた。
ばきん、と、克己の打撃以外の要因で、鎧がメガールの身体から引き剥がされてゆく。
「み、見たな……」
メガールが、真っ赤に染まった眼で、克己を睨んだ。
地面に、鎧が落ちる。
メガールの身体は、太いパイプが無茶苦茶に突き出し、おぞましい鉄の塊と化していた。
兜の奥からも、バッファローのように、太い角がせり出して来る所であった。
「この俺の、醜い姿を、見たな⁉」
哭くように、メガールが言った。
既に、鎧の武人はいなかった。
そこには、不気味な鉄の肉体を持った、おぞましい闘牛の姿があった。
かつて、惑星開発用改造人間第一号の被験体として選ばれながら、改造技術の未成熟さ故に失敗し、破棄された醜い姿――メガール・奥沢雅人の、憐れな成れの果てであった。
「ぼぉぉぉぉぉっ~~~~!」
メガール――死神バッファローの姿となったドグマの将軍は、鬼哭を上げながら、克己に向かって突撃する。
克己は、背後に隠れていたシンタとチエを脇に抱えて跳び、頭上の木々の、太い枝の部分に立った。
「ここにいろ。動くな」
克己は、シンタとチエに言った。
そうして、怯えるチエに、何処から取り出したものか、西洋人形を手渡して、ジャケットを脱ぐ。
その下には、銅色のプロテクターを纏っている。
腰には、風車を内包した、大きな銀のバックルを持つベルトを巻いていた。
「ゆくぞ」
枝を蹴って、地上へ舞い戻る克己。
落下しざまに、ヘルメットを被った。
ヘッド・セットが、耳の部分を起点に回転し、顎を固定すると共に、口部を覆うシャッターが下りる。
ベルトの両脇のバーニアから吐き出された空気で、空中で旋回し、死神バッファローの前に着地した。
森の暗闇に、赤い楕円の光が灯る。
「ぐぉっ!」
死神バッファローが、鼻息荒く、克己の姿を眺めた。
左の拳を前に出し、右の開手を引いた、半身の構えを採っているのは、強化改造人間第四号――仮面ライダー第四号であった。
死神の
「天岩戸……か」
ふふん、と、煙草の煙を吐き出して、ガイストが言った。
呪ガイストは、昏い洞窟の中に、白いスーツを鮮烈に浮かび上がらせている。
彼の前には、蛇塚蛭男を除く地獄谷五人衆――つまり、
鷹爪火見子
大虎竜太郎
象丸一心斎
熊嵐大五郎
が、立ち並び、大虎竜太郎のみが二振り、他の三名は一振りずつ、鞘に収まった剣を持っている。
山彦村にあった社殿の庫裡から奪い取った、五振りの剣である。
「ここから先へ、ゆかせる訳にはいかねぇな」
「何だと?」
ずぃ、と、大虎が前に出る。
その名の通り、虎のような眼光が、真っ直ぐにガイストを睨んだ。
しかし、ガイストの瞳も、黒い太陽のように強く光を放っている。
ぐにゃりと、その暗闇が歪み出してしまいそうな気配さえあった。
「この先にある御影石が、お前さんたちの目的だろう」
「その事まで知っているのか⁉」
象丸が、驚いたように声を上げた。
「ついでに言うのなら、それが、“空飛ぶ火の車”を起動させる鍵という事もね」
「――」
「そして、“火の車”の動力を停止させる“光る石”を持って逃げた小僧共を、お前さんたちの仲間が追っている事も、知っている」
「ええい、何なのだ、貴様は?」
熊嵐が、かっとなって、ガイストに言った。
「おたくらの、親戚と言った所かな」
「親戚⁉」
「改造人間……」
「――」
「ここまで言えば、分かるだろう?」
ガイストが、ぶ厚い唇を吊り上げた。
そのガイストを睨み付けて、
「――仮面ライダーか」
と、火見子が、鋭く言った。
同じ改造人間でありながら、自分たちに敵対する者――
地獄谷五人衆が所属するドグマでは、そういった者を、仮面ライダーと判断している。
「邪魔をするのならば、殺してしまえ」
冷徹に火見子は言い放った。
応――! と、他の三人が、ガイストに向かって突撃してゆく。
何れも、手にした剣を鞘から引き抜き、ガイストに斬り掛かって来た。
大虎は、二刀流だ。
「――っと」
象丸が振り下ろして来た剣を、身体を開いて躱す。
足元を掬い上げようとした熊嵐の斬撃を、跳躍して避けた。
空中のガイストを、大虎の二刀による刺突が狙う。
ガイストは、天井に右手を伸ばし、指先を喰い込ませて身体を持ち上げ、突きを躱すと、岩の天井にめり込ませた指を支点に、その場で逆さ吊りのような形になった。
「槍を持て、大虎!」
火見子が指示を飛ばす。
大虎は、両刀をそれぞれ象丸と熊嵐に手渡すと、ガイストを見上げた。
その眼が、ぎろりと赤く染まり、顔の皮膚の内側から、黒い蟲のように湧き上って来るものがあった。
体毛だ。
大虎の顔に、縞模様が生じ、髪がぞわぞわと逆立ち始めた。
又、その身体が大きく膨らみ、装束の繊維が引き千切られてゆく。
顔と同じく、黒い体毛が、縞模様を作り出していた。
しかも、その肩口から背中に掛けて走る体毛は、極寒の地で地面に垂らした水が瞬時に凍て付いて氷柱と化すように、びきびきと音を立てて膨張・硬質化して行ったのだ。
その、肩から突き出した体毛を両手で握り、毟り取った。
びゅぅん、と、しなりながら、暗闇に伸びたのは、槍であった。
「ほぅ、それが、お前さんの力か」
ガイストが、感心したように言った。
自分の体毛を武器として扱う――それが、大虎竜太郎の、改造人間としての能力であった。
「えぃやっ!」
右足で踏み込みながら、鋭利な槍の穂先を、天井のガイストに向ける。
ガイストは、左手で別の出っ張りを掴み、身体を移動させた。
直前までガイストのいた場所を、大虎の槍が突き、岩を砕く。
「ひゃあっ!」
決して広くはない空間で、大虎の槍が引き戻され、振り回され、今度はガイストを横から叩こうとして来た。
ガイストは左手を離し、落下する事で、槍を避ける。
だが、その落下するガイストを、二刀となった象丸と熊嵐が狙っている。
「ふん」
ガイストは鼻を鳴らすと、空中で猫のように体を捻り、同時に繰り出された四つの斬撃を無傷で回避してしまった。
ジャケットの裾を翻しながら着地するガイスト。
余裕の表情を浮かべるガイストに対し、象丸が、むっと顔を歪める。
そうして、片方の剣を鞘に納めると、もう一振りの刀の腹に指を当て、口の中で呪文のようなものを唱え始めた。
ガイストが訝るような表情をしていると、象丸が握った刀が、不意に燐光を帯びる。
「む⁉」
と、思った時には、象丸が刃を繰り出して来る。
バック・ステップで距離を取るガイストであったが、剣先から迸った電撃がガイストに追い縋り、逃げ切れなかった上衣の裾を焼き切ってしまった。
ジャケットを脱ぎ捨てるガイスト。
熊嵐が、象丸と同じく、一刀のみに意識を集中し、呪文を唱えた。
その剣を地面に突き立てると、地面が一息に凍て付き始め、ガイストの足までも凍らせてしまう。
「これは……」
「――死ね、仮面ライダー!」
半分ばかり人間の姿を捨てた大虎が、体毛の硬質化した槍でガイストを刺突する。
が、その穂先がガイストに届く直前、凍て付いた地面にひびが入り、巨大な鉄の塊が狭い洞窟の中に飛び出して来た。
ガイストの乗る三輪バギー・アポロクルーザーであった。
アポロクルーザーは、後輪の位置を変更してスクリューとなり、潜水行動が可能であるが、フロントに保持されたガイスト・カッターで地面を掘り進み、潜陸行動を取る事も出来た。
アポロクルーザーは硬い岩盤を砕き、ガイストの前に停止する。
「く、糞ぅ」
大虎が唸り、更に変身する。
頭蓋骨がめりめりと前方にせり出し、獣の貌と化した。
大虎竜太郎――ドグマの改造人間・クレイジータイガーは、槍を構えて、ガイストに跳び掛かろうとする。
ガイストは、受けて立つとでも言うかのように笑みを浮かべ、腰に巻いたベルトの両脇からグリーン・アイザーとパーフェクターを取り出した。
その胸の奥で、強化回路ブラック・マルスが起動し、アポロクルーザーに搭載された強化服が、自動的にガイストの身体に装着される。
この変身を邪魔させぬ為、アポロクルーザーは、搭載したアポロ・マグナムをクレイジータイガーらに向かって掃射する。
洞窟内にフラッシュが連続し、破裂音と共に壁面が削れてゆく。
「ちぃ――」
舌を鳴らしながら、熊嵐が、クレイジータイガーと象丸の前に出た。
その身体を、アポロ・マグナムの弾丸が強かに打ち付ける。
マグナムの掃射がやみ、発射音の残響と、硝煙が洞窟を覆い尽くしていた。
その煙を振り払ったのは、甲鉄の肌にめり込んだ弾頭を、筋肉の張力で弾き飛ばした熊嵐大五郎であった。
その額には、前立てのようなに三日月が戴かれ、肥大化した左腕の先には、凶暴な棘付きの鉄球が装備されていた。
ドグマの改造人間・ストロングベアーだ。
「――そう来なくては、面白みがない」
硝煙の向こうに、緑色の楕円が輝いた。
アポロクルーザーの内部に収納されていた帆を、マタドールの如く振るい、硝煙を払いながら自らの身体に巻き付ける。
日輪のマークを刺繍した白いマントを纏うのは、黒い強化服と、緑色の装甲を装着した、幽鬼を思わせる改造人間――
アポロクルーザーから引き抜いたアポロ・フルーレを構え、ガイストライダーはストロングベアー、クレイジータイガーらと対峙した。
家々が、燃え盛っている。
蛇塚蛭男の指揮で、ドグマファイターたちが放った火だ。
村の広場には、住民たちが集められている。
既に彼らの人数は、半数以下になっていた。
蛇塚がファイターらに命じて、残虐な方法で、殺害させたのである。
その人々を守るように、白い巨獣――トライサイクロンが、睨みを利かせている。
スーパー・マシンの持ち主は、黒井響一郎だ。
黒井は、異形の怪物と対峙している。
地獄谷五人衆の内、最も陰湿で冷酷な男、蛇塚の変身したヘビンダーと、だ。
ヘビンダーは、赤い舌をちろちろとさせながら、黒井と向かい合っている。
人間の身体に、蛇の頭が乗り、しかもその全身には、何匹もの蛇が絡み付いている。
右腕も、蛇そのものであった。
右腕の先の蛇の牙から、毒液が滴っている。
地面を、溶かしていた。
人体に触れれば、それは、忽ちに骨まで溶解させてしまうであろう。
「しゃーっ!」
ヘビンダーは、黒井に向かって叫び、右腕の蛇を伸ばして来た。
鞭の如くヘビンダーの右腕はしなり、黒井の身体を打ち付けようとする。
黒井は、その蛇の頭に触れないよう、手首に当たるであろう位置を、左腕で弾いた。
黒井の右側に逸れる蛇の頭であったが、ヘビンダーが右腕を小さくスナップさせると、それだけで、再び蛇の牙が黒井を襲う。
斜め上から襲い来る蛇の頭を、黒井が、横に飛んで躱す。
地面に激突する、蛇の頭。
黒井は、一度は折り畳んだ左足で、ヘビンダーの右腕の蛇の頭を踏み付けると、伸ばされたヘビンダーの腕に、右足を乗せた。
崖の上に掛かった、四、五寸程の道をゆくように正確に、しかし、絶壁から跳び下りる事を覚悟したように躊躇わず、黒井は細いトランポリンを蹴った。
黒いコートが、鴉の羽のようにはためいて、黒井の身体が宙を舞う。
「――とぉっ!」
黒井の左の飛び廻し蹴りが、ヘビンダーの側頭部を直撃した。
横に倒れてゆくヘビンダー。
しかし、まだ空中にいる黒井に、ヘビンダーの右腕が復活し、躍り掛かる。
右腕を絡め取られ、顔の近くまで、蛇の頭の接近を許してしまった。
咄嗟に腰を捻り、左の掌底を打ち出す事で、どうにか顔面を毒液で爛れさせられる事は、回避する。
ヘビンダー共々、地面に倒れ込む黒井。
すぐさま立ち上がり、再び対峙する両者であったが、ふと、ヘビンダーがにぃと嗤う。
「分身の術を見せてやる」
長い牙の間を空気が取り抜け、太い舌の為に言葉がもつれている。
だが、確かにヘビンダーは、“分身の術”と発音した。
かと思うと、ヘビンダーは、黒井の前から逃亡し、燃え盛る家の中に飛び込んだ。
「何を……?」
黒井が、ヘビンダーの奇妙な行ないを、不審に思う。
と、その背後から、
「ぎゃーっ」
トライサイクロンの後ろに隠れていた住民たちの中から、幾つかの悲鳴が聞こえた。
黒井が、白いマシンを飛び越えて、そちらへ向かう。
すると、広場に集められ、無事であった人々の内の三名――若い男二人と、若い女の身体に、何処からやって来たものか、蒼い蛇が無数に絡み付き、耳や鼻、口、肛門などから、彼らの体内に入り込んで行った。
その光景を不気味がって、他の人たちは、蜘蛛の子を散らすように離れてゆく。
「ヘビンダー……!」
黒井が、掠れた声で言った。
ヘビンダーは、火の家に飛び込むように見せて、トライサイクロンの背後に回り、蛇と身体を融合させられている人々を見下ろして、嗤っていた。
「これが、俺の分身の術よ」
ヘビンダーが言ったかと思うと、蛇を絡み付けられた者たちは、ゆったりと立ち上がる。
その身体には、無数の蛇が同化して、全身に鱗を生じ、頭蓋骨が蛇の形へと変形しようとしていた。
「ゆけ!」
ヘビンダーが命じると、ヘビンダーの分身となった人たちが、黒井に迫り来る。
「兄ちゃん!」
「わ、私の娘が⁉」
迎え撃とうとする黒井の後方で、引き攣れたような声が走った。
ヘビンダーの分身とされた彼らの家族だ。
黒井は、誰かの兄である彼らを、誰かの娘である彼女を、攻撃する事が出来ない。
ヘビンダーの分身となった彼らのパンチやキックが、黒井を打ち据える。
二人の男に、両脇から腕を押さえられ、女に顔を踏み締められた。
甘いマスクが土で汚れ、歪む。
その黒井を、サディスティックに見下ろしているのが、ヘビンダーであった。
「正義の味方気取りも、ここまでだ」
ヘビンダーが、静かに言う。
しかし、彼を見上げる黒井は、極められた肩と共に、唇を軽く持ち上げた。
「何を、嗤うか⁉」
ヘビンダーが右腕の蛇の顎を開き、黒井に毒液を吐き掛けようとする。
と、その刹那、暗闇から飛来するものがあった。
夜空が歪み、こごった闇が動き出したかのように、それは、ヘビンダーの顔に取り付いた。
ルビーのように赤い眼の鴉――デッドコンドルが宿していた“種子”から、マヤが誕生させた、カイザーグロウであった。
「こ、こいつめ……!」
ヘビンダーが、左手で、鴉を引き剥がす。
鴉は、ヘビンダーの顔の前で大きく羽ばたき、羽根を盛大に撒き散らした。
視界を羽根で覆われるヘビンダー。
鴉は、直後、黒井を捕らえている三人の方へ飛んでゆくと、彼らに突撃し、黒井を解放させ、羽根をばら撒きながら、宙へ舞い上がって行った。
その黒い身体を、ヘビンダーの右腕が捉える。
毒の牙が鴉の胴体に突き刺さり、蛇の身体が鴉を拘束した。
「こうしてくれるわ!」
ヘビンダーが右腕を振るい、鴉を、炎の中に叩き込んだ。
腕を引き戻す。
全身を炎で焼かれながらも、鴉は火宅から飛び出すと、宙を舞い、火の点いた黒い羽根をばらばらと落としてゆく。
「おっ⁉」
と、我に返ったヘビンダーが、黒井の姿が消えている事に気付いた。
いつの間にか逃げ出したようだ。
「ど、何処に行きおった⁉」
分身たちと共に、きょろきょろと辺りを見回すヘビンダー。
その耳が、
ぎゅぉん、
という、風の鳴く音を聞いた。
ぎゅぉん……!
ぎゅぉん……!
ぎゅぉん……!
悲鳴――否、それは、咆哮であった。
風が、吼えている。
まるで、何者かの意思を代替するかのように、風が唸っていた。
風の唸りが、燃えながら舞い落ちる黒い羽根を吹き飛ばした。
それでも尚、黒い
その羽根の雨の向こうに、黄色く灯る光があった。
鴉の羽根の中を、その男が歩いて来る。
蒼いプロテクター、レガート、ブーツ……。
黒い強化服の側面には、三本のラインが走っている。
黄色いマフラーが、彼自身の風の叫びにより、舞っていた。
その腹部の風車から、風が、戦う嵐が、生じていたのだ。
「お前は、か、仮面ライダー……⁉」
ヘビンダーが、驚いた様子で、言った。
「俺は――」
骸骨を思わせる蒼いマスクの男は、鋭利な牙の奥から、静かに言った。
「仮面ライダー三号」
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第二十三節 燔祭/雷雨
金網の上で、赤々としていた肉が、汗を吹きながら、良い具合に焼けてゆく。
脂がとろりと溶け出して、平たい肉をてらてらと輝かせていた。
マヤが持った箸が、その肉を引っ繰り返す。
焼けている。
マヤはその肉を抓み上げ、タレを注いだ小皿にやり、そのワン・クッションの後で、どんぶりの上に移動させ、湯気を立てる白いご飯に被せて、肉で俵型のお握りを作った。
ぽってりとした唇が開き、長い舌の上に、肉とご飯が載る。
肉が歯に押し潰されて、内包した油とタレの、甘みや辛みが広がり、更に咀嚼してゆくと、味蕾にはご飯本来の甘さが加わった。
舌の上の脂と同じく、恍惚に蕩けた表情を浮かべるマヤ。
一旦、箸と茶碗を置いて、空いた右手でジョッキを持ち上げる。
透明のグラスに唇を当て、金色に輝く麦汁を咽喉に流し込んだ。
肌の色が濃いと言っても、それは日本人と比べればという事であり、大多数のメキシコ人の中に混じれば、十二分に白いと言えるマヤである。
その咽喉が、蛇のようにうねり、ビールが彼女の腹の中に落とし込まれてゆく。
三〇から四〇人は入りそうな座敷に、六基のテーブルが並んでいる。
テーブルの中心には、何れもコンロが組み込まれており、そこで、肉や野菜を焼く。
マヤは、黒井、克己、ガイストらと共に、そのテーブルに着いていた。
タートル・ネックの、リブ・セーターを着ている。色は橙色で、裾の長さは足の付け根の辺りまであった。伸縮性のある生地がぴったりと身体に張り付き、編まれた縦線が大きく歪んでいる。
下には、デニム生地のホット・パンツ。防寒という事を考えて、黒いストッキングを穿いていた。
マヤと対面しているのが、黒井。
黒いカッター・シャツに、ベージュのスラックスを合わせていた。シャツの袖は捲られ、第二ボタンまで開いており、筋肉質ながらも細く白いうなじに、汗の珠が浮いていた。いつもの黒いコートが、壁際に掛かっている。
黒井の隣に、ガイスト。
胸の真ん中に、眼のようなマークが刺繍された、トレーナーであった。下は革のパンツ。黒井のコートの隣に掛かっている、黒地にオレンジのラインのダウンは、彼のものである。
克己はマヤの右手に座っていた。
良く鍛えられた筋肉を見せ付けるかのように、Tシャツ一枚に、赤い革のパンツという出で立ちであった。パンツは、黒井とガイストの隣に掛けられた、派手な赤い革のジャケットと合わせる為のものであろう。
テーブルには、所狭しと、料理が並べられている。
焼肉では――
タン塩
中落カルビ
ロース
ホルモンなら――
上ミノ
テッチャン
レバー
サイド・メニューは――
ニンニクの、ホイル焼き
じゃがバター
タンの、湯引き
ピリ辛胡瓜
四色ナムル
キムチの、盛り合わせ
ドリンクはと言うと――
マヤが、ビール
黒井が、カンタルビ・サレント・ビアンコ
克己が、ウーロン茶
ガイストが、二階堂
そして、それぞれ、丼で、大盛りのご飯を、既に何度かお代わりしていた。
「定食も良いな」
ふと、ガイストが言ったので、
「済みません、日替わりプレート・ディナーを、四人前」
と、黒井が注文した。
今夜のプレートは、牛筋カレーだ。
漬物と、味噌汁が付く。
「克己、ビビンバ、食べるわよね」
マヤが、丼を空にして、隣の克己に問い掛けた。
克己は、胡瓜を口の中でぽりぽりと鳴らしながら、頷く。
「石焼ビビンバ、二つお願いしまぁす」
鼻に掛かった甘い声が、言った。
「ん、克己、ご飯がもうないな」
頼んでやろう、と、ガイストが店員を呼び止めた。
「そうだ、良い事を思い付いたぞ。……済みません、ユッケをお願いします」
黒井はそう言って、又、別の店員を呼び止め、
「それと、生卵、ありますか」
と、訊いた。
「あら、お肉が焼けていないわ」
マヤが、皿の上に載っていた、まだ焼いていなかった肉を、金網に移した。
それで、皿が空になった。
「ロース追加しましょ。後、豚トロが欲しいわね」
マヤに言われて、克己が指示されたものを頼んだ。
店員がやって来て、網を変える。
プレート四枚と、克己のご飯と、マヤと克己のビビンバが、同時にやって来た。
「むむ」
ガイストが、味噌汁を啜り、立ち並んだ白い山を、或いは白い谷底を見た。
「ご飯は、幾らあっても良いものだなぁ」
「え」
黒井が、困ったような顔をした。
視線は、マヤと克己の手元を見ている。
石を削り出した器に、ご飯が盛られ、その上にユッケとナムルが載っている。
「あったのか、ビビンバ……」
そういう黒井が持った丼の中では、先に頼んでいたキムチとナムルと、プレートなどに僅かに遅れて運ばれて来たユッケと生卵が、匙で掻き回されていた。
「良いじゃない、こっちは石焼よ」
「普通のもあるぞ。……あ、二階堂お代わり……いや、ボトルで頼む」
ガイストはメニューを見ながら言った。
黒井は、しまった、というような顔をしながら、しかし、美味そうに手製のビビンバを食べた。……これも、悪くない。
肉を、焼く。
酒を、飲む。
カレーを、食べる。
漬物を、食べる。
ニンニクを食べ、ジャガイモを食べ、野菜を食べた。
京都――
マヤに言われて、ショッカー基地から、彼らはやって来た。
そうして、ここから何日か使って、京都を観光する予定であった。
この日は、太秦の辺りに足を運んだ。
広隆寺や、元はその境内にあった大酒神社、その程近い所にある木嶋神社などを見て回った。
京都御苑に向かい、そろそろ日が暮れたので夕食にしようと、御所から少し離れたこの焼き肉店に入った。
食事の後は、ホテル・プラトンに泊まる。
「それで――?」
注文したものを殆ど食べ終えた所で、ガイストが、マヤに言った。
マヤは、チェイサーとして頼んだ水を飲みながら、
「それで、と、言うと?」
と、聞き返した。
「とぼけなさんな。ドグマの話だったろうよ」
「ああ、そうだったわね」
すっかり忘れていたわ、と、マヤは薄く笑った。
アルコールの為か、潤んだ瞳が酷く色っぽい。
ドグマ王国――
改造人間を先兵として、帝王テラーマクロを頂点とした、強き者・美しきものだけのユートピアを創建しようとしている組織である。
王国とあるように、ドグマは、テラーマクロの下に思想統一された、小国家的な結社でもあった。
そのドグマは、ショッカーなどと同じように、人類から争いを失くす為に創り出された組織であると言うのだが、ショッカーの思想に背反し、その討伐の為に、黒井たちが駆り出されようとしているのである。
そのドグマの事を説明する為に、何故か、マヤは京都観光を提案したのだった。
「ドグマを造らせた目的はね、“空飛ぶ火の車”を手に入れる事よ」
マヤは言った。
「“空飛ぶ火の車”?」
黒井が訊き返すのに、マヤは頷いた。
「古代中国の戦車――とでも言えば良いかしらね」
マヤは、“空飛ぶ火の車”に関する伝承を、黒井たちに語った。
曰く――
かつて東北地方に、蛮族によって支配されている村があった。
或る時、中国から“空飛ぶ火の車”に乗った王がやって来て、蛮族たちの支配から、現地の人々を解放した。
村人たちは、王を自分たちの君主として迎え入れ、蛮族たちを打ち倒した“火の車”を守り神として祀った。
“空飛ぶ火の車”とは、まさにその名の通り、空を飛び、火を噴く戦車であり、三〇〇〇年前の古代中国で製造されたものであるという。
「尤も、正確に言うのなら、その内部に秘められた超古代の叡智――オーヴァー・テクノロジーが欲しい訳だけれど」
「超古代の叡智?」
「ええ。“空飛ぶ火の車”を、そうたらしめている超技術。それを、ショッカーによる人類統治の役に立てようとしているのよ」
「ほぅ……」
ガイストは、一旦首を縦に振ってから、
「で、それと、京都と、どう関係があるのだ?」
と、訊いた。
「“火の車”と、この京都――と、言うよりは、この龍の国そのものに、深い関わりがあるからよ」
「龍の国?」
「日本の事よ。ほら、日本列島の形って、龍に似ているでしょう」
「――」
「それはそうと、さっき言った“火の車”の伝説だけれど、あれは、殆ど後の時代になって創られたものよ」
と、マヤ。
「中国の王が蛮族の村を、という奴か」
黒井が言い、首肯する。
「伝説には大なり小なり尾ひれが付くもの――その神性を削いだ所に、史実があるというのが、神話や伝承に関する研究をするに当たっての前提だけれど、“火の車”の場合にも、当て嵌まるという事よ」
「そうなのか」
「符合する所と言えば、古代の兵器が、東の国に持ち込まれたという点かしらね」
「東の国と言うと、日本に、という事だな」
「そうね、ガイスト」
「では、中国の王というのは? 三〇〇〇年前の中国と言うと、殷か、夏か?」
「そこが創作よ、響一郎。中国を経由はしたけれど――したからこそ、今の“火の車”は、ああした形態だけれども、出発点はそこではないわ」
これについては、後で話すわね――と、マヤは言った。
「“火の一族”と呼ばれる者たちによって、“火の車”は日本へやって来たわ」
「火の一族?」
「そう」
「その、火の一族とやらが、日本と深い関わりがあるというのは、単に“火の車”を持ち込んだからというのではないのだろう?」
ガイストが訊いた。
「それは、勿論。と、言うよりは――」
マヤは、次のように言った。
「彼らこそ、この日本を支配した者たちであると、そう言って良いわ」
一九五五年――
玄叉山、赤心寺。
その麓の村に、花房治郎――玄海は、下りて来ていた。
山の上だけでは採れない食糧を、村人たちから貰うその代わりに、畑仕事や炊事洗濯、勉強を見てやったり、仏教についての話をしたり、拳法を教えるのが、玄海の日課であった。
鉄鬼は、この手の事が余り巧くないので、専ら、山を下りるのは玄海である事が多い。
その鉄鬼は、今、赤心寺を離れて、何処かの山中に籠っていた。
そのような鉄鬼のストイックな所は、玄海の憧れでもあった。
自分は、樹海の許で拳法を学び、この村で人々と交流する事を、手放せないでいる。
鉄鬼は、しかし、自らの求道に、とことんまで邁進する男であった。
玄海からすると、鉄鬼は、自分よりもずっと精神的に強い人間である。
まだ帰らない兄弟弟子を思いながら、いつものように、畑の世話をする。
「玄海先生が来ると、本当に助かります」
畑の持ち主の妻が、汗を流していた玄海に声を掛けた。
「いえ」
と、謙虚に言う玄海の眼が、女性の下腹部に留まった。
かなり大きく膨らんでいる。
「もうじきですね」
「はい」
女性は、膨らんだお腹を、愛おしげに撫でた。
「娘も、楽しみにしています」
彼女と、夫の間には、既に女の子が一人おり、やんちゃな性質であった。
男の子たちに混じって、泥だらけになり、時には喧嘩にまで発展する。
何人かの子供たちを集めて、玄海が赤心少林拳を教えるようになると、そのような事は少なくなったが、生来の気質からか、子供たちの中でもめきめきと実力を伸ばして行った。
その娘が、きょうだいの誕生を、今か今かと楽しみにしているのである。
玄海は、村を一通り回って、肉や野菜、調味料を受け取ると、籠や風呂敷に包んで、寺に戻ろうとした。
赤かった空に、俄かに黒雲が立ち込め、ぽつぽつと雫が落ちると共に、稲妻が白く光を放ったのは、そんな時である。
ぱあぁーっ、と、勢い良く、雨が降り始めた。
ごろごろ、と、雷鳴が響く。
「先生、こちらへ」
と、身重の彼女が、夫と共に、玄海を家に招き入れた。
それに少し遅れる形で、例のやんちゃな娘が、家の中に駆け込んで来る。
長く伸ばした髪が、水をたっぷりと吸い込んで、重くなっていた。
「あッ、老師!」
少女は、玄海が自宅にいるのを見て、顔を綻ばせた。
少林拳を学ぶのが楽しく、それを教えてくれる玄海が、大好きなのだ。
尚、老師とは、先生の意であり、相手が若くとも使われる言葉である。
「凄い雨ですね……」
家主が言った。
俄雨と思われたものの、雷雨となり、風と水滴が轟々と唸って、屋根や畑を打ち据えている。
「先生、今日は、止まって行って下さい」
家主が言う。
「しかし」
「先生のお蔭で、毎年、豊作なんでさ。それに、娘も喜びます」
玄海が、ちらりと少女の方を向くと、雨天とは正反対な、太陽のような笑顔を浮かべている。
鉄鬼がおらず、自分も山を下りている今、寺に一人残っている老齢の樹海が心配ではあったが、少女の期待を裏切るのも心苦しく、玄海は、その提案をありがたく受け取る事にした。
かっ!
と、白い瞬きが、家の中を支配した。
次いで、獣が咽喉を鳴らすが如き音が、鈍く響いて来る。
玄海は、荒れ狂う空を頂く玄叉山を、静かに見上げた。
同刻、赤心寺堂内――
樹海が、内々陣に座していた。
結跏趺坐と法界定印を結び、本尊である釈迦・達磨・緊那羅を、見ざると眺めている。
雷雨となった事も、分かっていた。
恐らく、玄海は、麓の村に泊まるであろう事も、想像が出来ている。
久方振りに、独りであった。
独りになると、過去に思いを馳せる事が多くなっていた。
思い出すのは、故郷での青春――
尋常中学校の受験の為に、榮世と共に、必死になって勉強をした。
彼と共に、斎藤茂兵衛に、本覚克己流の指南を頼み込んだ事。
柔術に明け暮れた日々、
榮世との決別。
狂ったように身体を鍛えた日々。
中国での修業。
少林寺。
鉄玄より譲り受けた――遥かなる龍の物語。
と、胸に過去を去来させていた樹海であったが、背後――本堂の扉の向こうから叩き付けられて来る、強烈な意思を感じ取って、眼を開けた。
刹那、扉が音を立てる。
「何者か――」
問うが、答えは分かっていた。
「俺です……」
低く、掠れた声で言うのは、鉄鬼であった。
「何か見付かったか」
山籠もりで、という事だ。
「失くしものを見付けましたよ」
「失くしもの――?」
「俺の記憶さ……」
「ほぅ……」
振り返らないまま、樹海は、自分の中で気を高めてゆく。
鉄鬼は、確かに自分の弟子であるが、今、びしょ濡れで堂宇に足を踏み入れた鉄鬼は、樹海の知っている彼ではないような気がしていた。
「思い出しましたよ、全部ね……」
「それは、良かった……と、言って良いのかな」
「どうでしょうねぇ」
「――」
「この地下に隠した黄金の事、果たして、思い出されて不都合があるかどうか……」
「――ぬぅ」
「ご心配なく、老師。今の所、黄金には大した興味はありません。いや、昔から、そこまでして欲しいと思っていた訳ではない……」
氷室五郎が黄金を求めたのは、黄金の価値そのものではなく、黄金を見付けたという精神的な栄誉を欲したからであった。
「但し、今の俺には、もっと欲しいものがあるのです……」
「それは?」
樹海が問うと、鉄鬼が、更に数歩、本堂の中に歩みを進めて来た。
「“空飛ぶ火の車”――」
「何⁉」
ここで、流石に樹海は振り向いた。
雷光が瞬く。
光の中に浮かび上がった鉄鬼は、凄まじい形相であった。
顔の半分―マヤの指に抉られた右眼を、包帯で覆っている。
残ったもう一つの眼が、爛々と、不気味な光芒を放っていた。
吊り上がった唇から、牙のような歯が覗く。
身体を濡らしている雨粒が、今にも蒸発してしまいそうな熱を、その空気は孕んでいた。
その余りの闘志の為に、空間が、飴細工のように拉げてしまいそうだ。
「やはり、知っていたようですね……」
「――」
「玄海の奴も、ですか」
「――」
樹海は沈黙した。
沈黙こそが、鉄鬼にとっての答えであった。
「もう一つ……」
欲しいものがあると、鉄鬼は言っている。
「何じゃ」
「――それは」
耳まで裂けんばかりに、唇を更に吊り上げて、鉄鬼が駆け出した。
「あんたの、命だ!」
稲妻が響いた。
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第二十四節 聖櫃/死地
尚、この物語はフィクションであり、実際の人物・団体・事件などとは一切関係なく、類似する所があったとしてもそれは偶然の一致である事をご了承下さい。
雨が降っている。
雷も、黒い雲の間から、時折その姿を見せていた。
天の響きが、地に降り注ぎ、大地そのものが振動しているかのようであった。
その音を、玄海は、布団の中で聞いている。
今夜は泊まるように言われて、布団を用意して貰ったのである。
すぐ横では、両親に挟まれた少女が、外の雨など気にしていないように寝息を立てている。
玄海は、うとうとしながらも、つい先日、樹海から聞かされた話を、頭の中で反芻していた。
それは、この一〇年間、樹海が隠し続けた、彼が守ろうとしていたものの事である。
かつて、樹海が大陸に渡った折、師である鉄玄から、無念無想と共に譲り受けたもの。
遥かなる龍の記憶――
それにまつわる秘事を、玄海は明かされたのである。
樹海に、玄海にその事を明かすと決意させたのは、玄海が赤心少林拳の奥義を自ら会得したからである。
樹海は、玄海と鉄鬼に、自らが完成させた赤心少林拳の殆どを教え尽した。
只二つの技を除いて、である。
それが、赤心少林拳の絶招であった。
何故、樹海はこの秘奥の伝授を躊躇ったか。
それは、玄海と鉄鬼の両名が、自らの中で編み上げた赤心少林拳が、全く異なるものであったからだ。それについては、既に述べている。
その秘奥は、全く異なる性質を持つ。
同じ所を基本としながら、全く異なる変化を遂げて来た弟子たちに、それらを完全に伝えてしまうという事を、樹海は躊躇したのであった。
それぞれが、それぞれの奥義を、受け入れる事が出来るのか――
そう思っていた樹海であったが、玄海は、その内の一つを、自ら体得してしまった。
“梅花”という技だ。
寒さに耐えて柔らかく――
玄海は、境内に咲いた梅の花を眺める内に、その奥義を会得していたのである。
それを見た樹海は、実際に玄海と立ち合ってみて、その完成度の高さに驚愕した。
その驚愕が、玄海に、鉄玄から受け継いだ“龍の記憶”を明かす後押しをしたのであった。
玄海は、雷鳴を聞きながら、樹海から伝えられた、その事に思いを馳せた。
この日本、中国だけではない。
遥かなる時の流れの中で、脈々と受け継がれて来た、大いなる一族――
歴史の闇に呑まれた、遥かなる龍の記憶――
雪が降っている。
煌びやかな夜を、尚、白く彩ろうとする結晶の群体を、黒井は眺めていた。
ホテル・プラトンのスウィート・ルームだ。
マヤが予約したものである。
克己がトライサイクロンを運転し、アポロクルーザーを牽引して、駐車場に止めた。
その最上階の、ツー・ベッドルーム・スウィート。
中心にリビングがあり、その両脇に一つずつベッドルームがある。
黒井は、窓を右に見る形で配置された、二人掛けのソファに腰を下ろし、ルーム・サービスで頼んだ赤ワインを口に含んでいる。
クラッカーとチーズが、肴として出ている。
それを、黒井の隣に座ったガイストが、ぽりぽりと抓んでいた。
ワインのボトルとグラス、平皿の載ったテーブルを挟んで、同じように二人掛けのソファがある。その向かって右側に、克己が座っていた。
三人とも、大浴場で風呂に入り、着替えている。
黒井は、バス・ローブ。
ガイストは、トレーナー。
克己は、着流しであった。
「お待たせ」
と、シャワーを浴びたマヤが、リビングに戻って来る。
薄桃色の、何処となく子供っぽさを感じさせるネグリジェに着替えていた。
昼間、町を巡っている時に、何を思ったか、マヤは西洋人形を一つ買った。
それのようなネグリジェであった。
とは言え、そこは豊満な身体を持つマヤの事であるから、成熟した肉体と、子供っぽい衣装の間にある差が、見る者を惑わせてしまいそうだった。
マヤは克己の左手に腰掛ける。
「飲むかい」
ガイストがグラスとボトルを取って、マヤが小さく顎を引いたのを見て、赤い液体を注いだ。
グラスの底を、指でつぅと押して、テーブルの上を滑らせる。
マヤはグラスを持ち上げると、少量口に含んだ。
「良い葡萄ね。流石、プラトンだわ」
そう言ってから、焼肉屋で途中になった話を再開させた。
「先ずは、“火の車”について、説明してしまいましょう」
と、マヤは言った。
「その正体は、アークよ」
「アーク? 方舟?」
黒井が訊き返す。
マヤは頷いて、
「貴方たちも、失われたアークの事は知っているでしょう」
「確か、ユダヤ教の秘宝を収めた、聖櫃だったか」
ガイストが言う。
「そう。ユダヤの秘宝である、アロンの杖・十戒石板・マナの壺を保管する為の櫃で、エルサレム教団と共に、イスラエルから姿を消したわ」
ユダヤ教――今から三〇〇〇年程前、エジプトから奴隷となっていたイスラエル人たちを脱出させたモーセが、神からの啓示によって開いた宗教である。
アロンの杖とは、エジプトの神官と繰り広げた魔術合戦を勝利に導いた杖の事だ。
十戒石板とは、モーセがシナイ山で神より授かった律法を刻んだ石版である。
そしてマナの壺とは、荒野で飢えたイスラエル人たちに、神が与えた甘露であるマナを保存する為の壺であった。
聖櫃にはこれらが収められており、エジプトを脱出してヨルダン川を越え、神によって約束された地カナンに至ったイスラエル人たちが、イスラエル王国の王の一人、ソロモンによって建造された神殿に祀ったものである。
彼らイスラエル人は、民族内での分裂や、周辺諸国からの侵略に晒されて来た。
二世紀頃のユダヤ戦争の最中、エルサレムのソロモン神殿から、忽然と姿を消してしまった為に、それは、“
これをパレスチナから持ち出したのは、エルサレム教団と言うべき、原始キリスト教徒たちである。
本来のユダヤ教とは、カバラを中心とした教えであった。
カバラ――万物は、神の属性の流出であるとし、頂点に戴かれた神の力から、全てのものは下界に降って来るというものだ。
カバラは、一〇のセフィラから成り、世界樹として表現される。
さかしまの樹である。
しかし、南北朝に分裂し、他国からの侵略を受ける、一〇〇〇年にも及ぶ過酷な歴史の中で、モーセの教えは、律法を守る事にのみ執着し、人間を蔑ろにするものに変わってしまった。
ここに、原始ユダヤ教、即ちカバラを蘇らせたのが、救世主ヨシュア――イエス=キリストである。
イエスは、カバラを知らない、保守派のユダヤ教徒たちによって邪教の謗りを受け、ゴルゴダの丘で磔刑に処される。
その三日後に復活したイエスは、カバラの正当性を証明し、十二使徒らに自らが伝えたカバラの教えを、エルサレム神殿にて、彼らイスラエル人だけで守るように言い残して昇天した。
このエルサレム神殿での信仰を守った人々が、原始キリスト教徒である。
尚、イスラエル人は何れも有色人種である。
昨今、キリスト教は白人の宗教であると思われているが、これは、イエスを殺させたのがユダヤ教徒であるという事から発展した誤解であり、イエスを殺したユダヤ人そのものが、呪われた民族であると解釈された事による。
イエスはイスラエル人だけでカバラを守るように望んだが、ローマ帝国などの異邦人にもカバラを広めるべきだと言う布教使たちによって、キリストの教えはラテン人たちにも伝えられ、上記の誤解から、ユダヤ教徒のみならず、同じくイスラエル人であった原始キリスト教徒らにまで迫害の手が伸びたのであった。
これが、現代まで続く、ユダヤ人迫害の歴史である。
「で、“火の車”がアークだとして、それが何故、日本にあるのだ?」
ガイストが訊ねた。
「勿論、ソロモン神殿から姿を消したエルサレム教団が、日本にやって来たからよ」
「何⁉」
「エルサレムを去った原始キリスト教徒たちは東へ進み、アークを携えて、ペラという町に入った。このペラというのは、シリアまで解釈を広げる事が出来るわ。そして、シリアはシルク・ロードの要衝だったのよ」
「シルク・ロード?」
「ええ。エルサレム教団は、二世紀頃、シルク・ロードを経て中国に入り、朝鮮半島を経由して、日本にやって来たわ」
「――」
「その証拠が、この京都という町よ」
「京都?」
「
秦氏とは、四世紀から五世紀に掛けて、大陸からやって来たと言われる渡来人たちの事であり、彼らが齎した農耕や土木の技術を得る事で、日本は大きく発展した。
「彼らが、そのエルサレム教団なのよ」
「え?」
「渡来は、四、五世紀と言われているけれど、最初の秦氏がやって来たのは西暦で二〇〇年代、弓月君、或いは、
「融通王というと……」
黒井が言った。
「大酒神社に祀られていた人物だな」
大酒神社とは、太秦にある神社である。
元は、近くにある広隆寺の境内にあったものだが、神仏分離令によって、今の場所に移された。
そこで、中国を初めて統一した秦始皇帝や、聖徳太子のブレーンであった秦河勝と共に、融通王は祀られている。
「そうよ。そして彼は、太秦の第一号だったわ」
「うずまさ?」
「ええ。秦氏の族長の事を、太秦と呼ぶのよ。あの地名は、その太秦が由来なの」
秦氏は、山背国――今の京都を中心に暮らしていた。
桓武天皇が遷都の勅令を発した際、長岡や葛野に手引きをしたのは、彼らであった。
その事を示すように、京都御所の建っているのは、かつて秦河勝の邸宅であった場所だ。
「それで、この“はた”とか、“うずまさ”とか、どう考えてもそうは読めない漢字だけれど、これはヘブライ語で解釈すると、すぐに分かるわ」
「ヘブライ語……」
「旧約聖書――ユダヤ教の経典が書かれた言葉よ」
“はた”とは言うが、本来、彼らはこの日本で“
“秦”の字は、彼らが新羅の前身であった“秦韓”を作った流離いの異民族“秦人”であった事、又、彼らを支配していたローマの地域を、中国からは“大秦”と呼んでいた事による。
“はだ”の読みは、“
八幡と言えば、九州の八幡神社が最初であるが、この八幡とは“弥幡”の事であり、“いやはた”とは“イエフダー”、即ちヤハウェの事である。
大秦の出身故にその文字を、ヤハウェを信仰していた故にその読みを、原始キリスト教徒たちは日本に於いて名乗ったのである。
太秦についても、そうだ。
“うずまさ”に近い言葉をヘブライ語から探すと、“イシュ=メシャ”という言葉に突き当たる。これを、ローマの言葉、ギリシア語に直すと、“イエス=キリスト”である。
自らの族長に、自分たちを教え導いてくれた救世主の名を冠させたのであった。
「それに、木嶋神社の鳥居があるわ」
京都三大鳥居の一つに数えられるものだ。
三本の柱の間に梁が渡された形状で、上から見ると三角形を作っている。
これは、キリスト教でいう三位一体説を表しているという。
「まさか、古代日本に、キリスト教が伝わっていたとはな……」
むぅ、と、黒井が唸った。
しかし、マヤは、
「それは、少し違うわね」
と、言う。
「違う?」
「ええ。何故なら、この国は、カバラの思想の下に生まれたからよ」
「カバラ――という事は、原始ユダヤ教の⁉」
「そうよ」
「どういう事だ?」
「失われた十支族――」
イスラエル人のルーツは、旧約聖書によれば、預言者アブラハムにある。
彼の息子の一人、イサクが、父に次いで預言者となった。
このイサクから預言者の系譜を受け継いだヤコブには一二人の息子がおり、彼らはそれぞれ一族を形成する。
ヤコブは、神の使いと格闘して勝利した事で、イスラエルと名乗るように告げられ、その一二人の息子から生まれた支族であるから、イスラエル十二支族という。
モーセが啓示を受けるまで、エジプトに隷属していた彼らは、イスラエル王国で南北朝に分裂する。
その内、南朝ユダ王国を形成したユダ族とベニヤミン族が、後のユダヤ人である。ヨシュアもこの王国の出身である。
一方、北朝イスラエルの十支族は、アッシリア帝国に滅ぼされ、捕囚となる。アッシリアは後に倒れる事になるが、解放されたこの十支族は、未来に於いてエルサレム教団がそうするように、自分たちの故郷から姿を消してしまっている。
その足取りは、歴史には残っていないが、やはり、シルク・ロードを越えたのであろうと言われている。
そして、朝鮮海峡を渡り、日本列島にやって来た。
「そうして彼ら失われた十支族は、自らを“神の民”と称した」
「神の民?」
「ええ、“ヤ・マト”とね」
「ヤマト⁉」
「正確な発音は、“ヤ・ウマト”――ヘブライ語で、“神の民”という意味よ」
「では……」
「古代イスラエルの失われた十支族は、先住民族であった弥生人と合流して、この日本列島に、ヤマト国を創り上げる事になる訳よ」
ヤマト国――
或いは、邪馬台国。
日本列島に初めて成立した国家である。
「日本人の祖は、イスラエル人であるという事か?」
黒井が、前屈みになりながら、マヤに確認した。
マヤは、静かに顎を引く。
「神道のベースも、勿論、彼らにあるわ」
「イスラエル人に? だが……」
ガイストの言いたい事は、黒井にも分かる。
どのような変質を遂げようとも、モーセから続く系譜は、常に一神教だ。
神道では八百万の神々がいる。
神を、造物主唯一柱しか認めないイスラエル教とは、対立する存在であるように思われた。
「思想としては、受け入れられる筈だけどなぁ」
「――」
「根源神という事よ」
「根源神?」
「ええ。全ての神々は、唯一人の神から生まれた――その原初の神、根源の神の事よ」
『古事記』『日本書紀』に記されている無数の神々――
例えば、国常立尊、天照大御神、大国主命、倭建命。
これらは、何れもその本体は別にあり、その本体の別の姿が彼らであるという事だ。
「本地垂迹に似ているな」
黒井が言った。
これは、神道に変わって仏教が国教として広められた際、仏教の優位性を示すのに使われた説だ。
それまで崇められていた日本神話の神々は、仏教の神々が化身したものであるという説である。
「真言にも、そういう仏がいたな」
「ああ。確か――」
「大日如来だ」
ガイストが思い出し、黒井が継ぎ、克己が答えた。
大日如来とは、その名の通り、太陽の仏である。
全ての仏、全ての菩薩、全ての明王 全ての天部、そして全ての衆生は、突き詰めればこの大日如来に行き付くとしている。
太陽の顕現であり、全ての源を太陽に求めようとする意志が感じられる。
「それと、あの曼陀羅……」
ガイストが、マヤが描いたという黄金と漆黒の螺旋を戴く、進化の系譜図を脳裏に浮かべた。
「アヴァターラ……」
ヒンドゥー教でいう正義の神ヴィシュヌが、世界を災いから救う為に、自らの属性を何らかの形で地上に降臨させるものである。
日本神話の神が、全てイスラエルの神ヤハウェに行き付くのは、
本地垂迹説に於ける、八百万の神=仏教の仏菩薩、
真言密教に於ける、全ての仏菩薩=大日如来、
ヒンドゥー教に於ける、ヴィシュヌ神のアヴァターラ、
これらと同じである。
「それ自体は、不思議な事ではないでしょう」
「と、言うと?」
「仮面ライダースーパー1は、仮面ライダー第一号がいなければ生まれていなかったという事よ」
「――」
この例えには、黙らざるを得ない。
惑星開発用改造人間S―1を造り出す技術だけならば兎も角、“仮面ライダー”という称号は、本郷猛が“仮面ライダー”の名前を得なければ、受け継がれなかった筈である。
極論すれば、全ての“仮面ライダー”は、仮面ライダー第一号・本郷猛のアヴァターラであると言う事が出来よう。
八百万の神とは言え、その多くは自然現象を神格化したものであり、自然現象とてこの地球が存在しなければ、そこに人間がいなければ知覚されなかったものであり、その地球を含めた全生命を創造したサムシング・グレートがいなければ、この世界は虚空のみであった。
そのサムシング・グレートを、根源神と呼ぶ事には、何の違和感もない。
「まぁ、こうした、日本人のルーツをイスラエルに求める論を、“日ユ同祖論”なんて言うわ」
「日ユ――日本と、ユダヤか」
「ヤ・ウマトとヤマト(大和/倭/日本)の他にも、ヘブライ語と日本語には、発音や意味の上で重なるものが多いの。それ以外にも、禊に水と塩を用いたり、成人の儀式を一三歳で行なったり、六芒星を家紋にしていたり、そういう共通点があるの」
禊とは、身体を清める事であり、“糺”ともいう。
木嶋神社に、三柱鳥居がある事は先に記しているが、この鳥居は“元糺の池”に建っている。かつて禊が行なわれていた場所である(現在は、下鴨神社に“糺の池”がある)。
この“糺の池”の形態が、イスラエルにある
又、下鴨神社で行なわれている“御手洗祭り”は、イエスが弟子たちの足を洗った事に由来するという説もあった。
六芒星については、京都の町を意味する紋章でもある。そして、イスラエルでは、ダビデの星である。
「アークも、この論の一つの根拠となっているわ」
「アークも?」
「御神輿よ」
マヤは、メモ用紙に、言い伝えられているアークの絵を描いてみせた。
箱の屋根にケルビムと呼ばれる天使が乗り、櫃の下には二本の棒が通されている。
その二本の棒の前後を、肩に担いで運ぶのである。
ケルビムとは、天使の九階級に於ける第二番目のクラスであり、四つの動物の顔と、翼を持つ奇怪な姿で現される。
このケルビムを、誰もが想像するであろう“天使”――翼の生えた人間の姿に置き換えて、その天使の象徴である翼だけを残し、翼を持つに相応しい生物であり、そして、聖なる箱の屋根に乗るのに礼を失しない姿に描き直してみる。
「鳳凰……」
黒井が呟いた。
「神輿の屋根には、鳳凰が乗っている。あれは、ユダヤで言えば天使という事か?」
「ぴんぽーん」
と、マヤは、自分で描いたアークの絵のケルビムの翼を、丸で囲んだ。
「それに、ケルビムの上には火焔そのものであるセラフィムが、下には、無数の眼と翼を持つ車輪型のスローンズという階級の天使たちがいるわ」
『エノク書』でいう、天使の九階級の内、上位の三階級である。
“火の車”のイメージと、充分に重なる所である。
「そして、“火の車”は龍の姿をしていると、伝承にはある」
現実で言う“龍”の名を関する生物は、恐竜だ。
鳥類は、その巨体に耐えられなくなった恐竜たちが、小型化を選択した結果であるという。
天使の翼は、猛禽類の翼である。
“空飛ぶ火の車”――これがアークであるかは兎も角、ユダヤの秘宝と、共通のイメージで造られたものである事は、納得出来る。
雨が降っている。
風が吹いていた。
雷が鳴っている。
光が落ちていた。
闇が凝っている。
一九五五年、秋田県玄叉山、赤心寺――
その堂内に於いて、黒沼鉄鬼と、樹海が向かい合っていた。
鉄鬼は、道衣を脱ぎ捨てて、上半身を晒している。
当時の日本人としては、かなり背が高く、筋肉も見事に発達していた。
その皮膚に、汗が浮かんでいた。
冷や汗、脂汗……
太い頸に、顔の横から、赤い蛇が這い落ちる。
鉄鬼の顔には、逆袈裟に包帯が巻かれており、右眼が隠れていた。
その右眼は、マヤの
眼球を視神経ごと引き摺り出されたその傷口が、激しい動きの為に開き、恰も血涙の如く吹き出しているのであった。
又、右腕にも、蚯蚓腫れのように走り抜ける傷があった。
その肉の裂け目から、マグマのように、鮮血が滴り落ちている。
眼の前には、樹海が立っている。
若い頃、世界に羽ばたいた柔道家である前田光世に敗れ、再び巡り合う時を信じて自らを鍛え、中国に渡り、様々な拳法を学び、最後の師・鉄玄禅師より赤心少林拳として独立する事を許された、大塚松士である。
全盛期は、とうに過ぎている。
少林拳と言われて誰もが思い描く、アクロバティックな動きは、もう、出来ない。
恰幅は、この歳にしては良い方だが、それでも修行時代よりは細くなっていた。
だと言うのに、二〇代後半――まさに脂の乗った最盛期である鉄鬼を相手にして、衣さえも全く乱していない。
袈裟も付けたままである。
当然、汗も掻かず、息も乱していない。
「ぬぅぁっ!」
鉄鬼が吠え、樹海に躍り掛かった。
左足で踏み込んでゆき、左の直突きを繰り出す。
巨体が風のように動き、モーションの少ないパンチは、樹海の頭を打ち砕いた。
と、見えた。
しかし、鉄鬼の拳は、樹海の耳の脇を通り抜けただけだ。
蓄えられた樹海の白い髭が、ふわりを浮かび、汗で湿った鉄鬼の腕に張り付く。
「ぬむっ」
身体を引き戻そうとする鉄鬼の腹に、樹海の掌が当てられた。
刹那、鉄鬼の巨体は、嘘のように後方に吹っ飛んでしまう。
樹海の掌に、強力なばねでも仕込まれているかのようであった。
堂内の床を、ごろごろと転がる鉄鬼。
すぐに立ち上がるも、片膝を着いてしまう。
発勁――
鉄鬼の肉体には、表面的にはどのような傷もないが、樹海による度重なる発勁が、鉄鬼の身体を蝕んでいた。
「鉄鬼……」
樹海が、小さく呼び掛けた。
「誰に唆された」
ゆったりとした動きで、近付いてゆく。
「――しっ」
鉄鬼は、樹海が間合いに入った所で、身体を低い位置から回転させ、足刀で蹴り付けた。
イルカの如く跳ね上がる鉄鬼の蹴りは、常人相手ならば充分に絶命し得る。
所が、その蹴りが樹海を貫くと見えた瞬間、鉄鬼の身体は、今度は天井に向かって跳ね上げられていた。
足を外に振り出して、身体がぐるぐると縦に回りながら、舞い上がる。
鉄鬼の全力の蹴りに、樹海がタイミングを合わせて、手で跳ね上げた。
鉄鬼のパワーに加えて、樹海が僅かに加えた力、そして両者の気が合一して、全てのエネルギーが鉄鬼に注がれ、彼の巨体を宙に浮かせたのだ。
赤心少林拳の極意、鉄玄の許で学んだ無念無想は、自らと大気の一体化にある。
それは即ち、敵対する者であっても、自らの一部とするという事に他ならない。
拳法という、自身の身体を思う通りに動かす術。
禅道という、自身の精神を意のままに動かす理。
即ち、拳禅一如の境地であった。
「鉄鬼よ……」
床にしたたかに打ち付けられ、それでも自身を睨み付ける背反の弟子に、樹海は問う。
「何故、主が、“空飛ぶ火の車”の事を知っておる」
「さてな……」
鉄鬼は、道場に唾して、立ち上がった。
唾には、血も混じっている。歯が折れ、口の中も切れていた。
「だがよ、誰だって欲しいもんじゃねぇか」
「何⁉」
「世界を支配し得る、超古代のパワー……」
「お主……」
「大量の黄金なんざ、眼じゃねぇ。俺がずっと欲しかったのは、それだ」
「それを得て、どうする⁉」
「分からぬか、じじい」
「何だと⁉」
「誇りの為よ。満足が為よ! 俺の心を満たす為よ!」
「――」
「樹海、あんたは、それで良いのか」
「む」
「分かるだろう、樹海。あんたの身体が、どれだけ弱っているのか」
「――」
「どれだけ身体を鍛えた所で、時の流れには勝てぬ……」
「――」
「無念無想? 悟りの境地? ……莫迦な、肉体は滅びるものだぜ」
「――」
「このまま、山の奥で、俺や、玄海に、たかだか一人の人生如きで学んだ拳法だけを残して、死んじまう気か……」
「――」
「くだらねぇ人生だなぁ」
「鉄鬼……」
「俺があんただったら、こんな所を死に場所に選ぶのは、ご免だぜ」
「……鉄鬼」
「ならば、その強大な力とやらで、この世界に君臨するのが良いさ……」
「……では、鉄鬼、お主に一つ、訊こう」
樹海が言った。
「主は、死して眠るなら、何処で眠りたい」
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第二十五節 神器/桜花
「しかし、不思議な事だ」
ガイストが腕を組んだ。
「不思議って?」
「龍への信仰さ。『創世記』では、人間が原罪を背負う事になったのは、蛇の所為だというじゃないか」
エデンの園で暮らしていたアダムとイヴに、智慧の実を与えたのは、蛇である。
蛇と言っても、その時点では、前後の肢があった。
現代で言えば、蜥蜴のような姿であったのだろう。
西洋でのドラゴンのイメージは、蜥蜴の身体に蝙蝠の翼を持ったものだ。
そして、アジアでは聖獣、霊獣と思われているのに対して、キリスト教圏では恐怖や嫌悪の対象となっている。
「蛇は、女ね、きっと……」
マヤが薄く笑った。
「え?」
「それは置いておくとして――と、蛇の話ね。別に、蛇を信仰する事は変ではないわよ。それが、カトリックやプロテスタントなら兎も角、少なくともエルサレム教団は、蛇を信仰していてもおかしくないわ」
「そうなのか」
「メシアの象徴だからね、蛇は」
そう言ってマヤは、モーセがエジプトの神官に対して挑んだ魔術合戦について述べた。
「アロンの杖――」
「ユダヤの秘宝の、一つだな」
「ええ。モーセはこの杖で、蛇に変身した古代エジプトの神官を呑み込んでいるわ」
「え?」
「アロンの杖は、蛇に変身して、魔術で変身した神官を呑み込んだのよ」
「――」
「それに、モーセは神の命令で、青銅の蛇を旗竿に掛けたのよ。蛇に咬まれた者でも、その青銅の蛇を見上げれば、蛇の毒は消えたと言うわ」
「――」
「御霊信仰のようなものね」
「御霊信仰というと、菅原道真や、早良親王、平将門のような……」
黒井が言った。
菅原道真は、大宰府に祀られる天神である。
早良親王は、クーデターの失敗によって追放され、憤死した。
平将門は、京の都から独立しようとした行ないが謀反と見なされ、処刑された。
何れも、この世に怨みを残して死んだ者たちであり、彼らは悪霊と成って、現世に災いを齎す。
その祟りを防ぐ為に、怨霊を神として祀り、怒りを鎮めるというのが、御霊(怨霊)信仰である。
呪われた動物を、却って神として祀る――そのような事であろう。
「それに、智慧の実を与えた蛇を、人類の味方とする意見もあるわ」
「ほぅ?」
「蛇が、サタンという事は知っているでしょう?」
サタン――
悪魔の中で最も有名な存在である。
ダンテの『神曲』では、地獄の最下層で、神への裏切りの罪で凍て付かされている。
このサタンが、元々は天使であったと言われているのだ。
大天使の長にして、全ての天使を率いるミカエルの双子の兄弟、最も美しい天使、明けの明星ルシフェルが堕天したルシファーが、サタンであるという説だ。
その堕天の原因は、神の意向に逆らい、人間に智慧の火を与えた事であるという。
原罪の基本的なスタンスは、人間が智慧を得た事をなじるものであるが、人間が智慧を得た事を罪過ではなく進化であると主張する者たちが、蛇は悪魔ではなく飽くまでも堕天使、元は善なる存在であり、無垢ならぬ無知な人間に同情したメシアであると言っているのだ。
「この話を出来て良かったわ」
マヤが、メモ用紙のアークの隣に、三つの絵を描き加えた。
一つは、一本の軸から、六つの枝が突き出た形の、杖。
一つは、二つのプレートが一つになった、石版。
一つは、上部が角張り、下部が丸い、壺。壺の中に、幾つかの丸を描いた。
「アークは、これら三種の神器を収めるものよ」
「三種の神器……?」
黒井が眉を顰めた。
「ええ、三種の神器よ」
マヤは、アークに収められていたそれらを、一つ一つ指差して行きながら、名を告げた。
「草薙剣、八咫鏡、八尺瓊勾玉――」
「――それは、日本の……」
と、言い掛けて、ガイストはやめた。
代わりに、次のように言い直した。
「日本神話は、イスラエル教がベースであるという事だったな。つまり、日本で言う所の三種の神器は、ユダヤの秘宝という事か⁉」
「そういう事よ」
マヤは、草薙剣と言って指差した絵に、又、手を加えてゆく。
「草薙剣が、どうやって手に入れられたか。はい、響一郎」
「須佐之男命が、八岐大蛇の尾から取り出したのだろう」
「その通り。じゃあ、八岐大蛇とは何かしら。はい、ガイスト」
「大蛇――ヲロチってのは、“奇怪な生き物”だったな。で、ヤマタは大きな……つまり、巨大な怪生物、怪獣って奴だな。神性云々で言えば、草薙剣という鉄器を持った異民族、という事だったか」
「八〇点って所ね。正確には、世界樹――生命の樹よ」
マヤが、絵を描き終えた。
草薙剣に、三回り半に蛇が巻き付いている。
中心軸に四つ、左右に突き出した計六本の枝にそれぞれ、セフィラが描かれていた。
カバラで言うセフィロトである。
「それと、北斗七星」
「北斗七星?」
「七支刀よ」
マヤが、左右のセフィラと、軸のてっぺんのセフィラを、ペンでつついた。
七支刀とは、七つの切っ先を持つ剣で、実戦ではなく祭祀用のものだ。
魔を封じる北斗七星の力を持っているとされている。
「序でに言えば、チャクラね」
チャクラとは、ヨーガで言うエネルギーの中継ポイントだ。
人体の正中線に位置する七つの法輪で、尾骶骨の位置にあるムーラダーラから、シャクティを利用してクンダリニーの力で法輪を回してゆく。
七つの法輪を、螺旋状に駆け上がってゆく力が、クンダリニーだ。
釈迦の説法を、転法輪というが、これは、七つのチャクラを回転させる事は、悟りを意味している為である。
「更に、八岐大蛇が八つの頭を持っているのなら、“股”は七つの筈――」
「七支刀の七つの剣先という事か」
ガイストが言った。
「そう。そしてこの剣、又は杖――霊剣は、“火の車”に於いては、イグニッション・キーの役割を果たすわ」
「鍵?」
「“火の車”の封印を解く鍵よ。それによって、封印されていた聖櫃の力が蘇るの」
「ほぅ……」
「それと、鍵には、鍵穴が必要よね」
マヤのペン先が叩いたのは、八咫鏡だ。
二枚一対の石板は、ユダヤの秘宝に対応させれば、十戒石板である。
「これが、その鍵穴。言わば、エネルギーの中継を行なうわ」
「中継?」
「さっき、霊剣を鍵と言ったけれど、剣は同時にアンテナでもあるの」
「アンテナ?」
「エネルギーを集めるアンテナよ。大気のエネルギーをね」
「――」
「“火の車”は、キリスト教の教義で言えば、聖霊によって動き出す。聖霊というのはこの世界に遍満するエネルギーの事よ、それは、貴方たちにも教えているでしょう」
「うむ……」
「そのエネルギーを、“火の車”に注ぎ込む為の石版よ。エネルギーは、それ単体では無害なもので、どのような力も持たない。それを、“火の車”を動かす為のエネルギーに変換する役目を、石板は持っているの」
「では、勾玉は?」
ユダヤの秘宝では、これはマナの壺に当たる。
が、勾玉と壺では、杖と剣、石版と鏡のようには対応しないので、壺ではなく、その中身――マナが対応する存在であろう。
卵にとって重要なのが、殻ではなく中身であるように、マナの壺が秘宝とされるのは、その内にマナを収めているからに他ならない。
マナとは、天が流離い人たちに授けた甘露である。
甘露という言葉は、アムリタの訳語としても使われる。
アムリタとは、サンスクリット語で“不死”の事であり、転じて、ヒンドゥー神話でいう不死の妙薬の事だ。
神々は、悪神と協力して乳海を攪拌して造り出したアムリタを呑み、不死を得た。
一方、悪神たちはそれを口にする事が出来なかった為に、神に倒される宿命を背負う。
尚、アムリタを管理するのは、月神ソーマである。
ソーマは、神の名であると同時に、アムリタの別名でもあり、更にはヒンドゥー教の司祭が神との交信をする際に、トリップする為に飲む、酒のようなものもであった。
又、アムリタを造り出す乳海は、丹生でもあり、これは水銀の事である。
水銀は、道教の錬丹術に於いては丹砂と言われ、金丹、即ち黄金を造り出す材料であると言われていた。
中国であれ、イスラエルであれ、エジプトであれ、ヨーロッパであれ、常に黄金に対する信仰が世界にはあり、それは、この地球に降り注ぐ永遠の輝きである太陽信仰に通じる。
永遠の太陽を模した黄金が、不老不死の霊薬であるとされたのだ。
しかし、水銀の服用によって、身体に影響が出る事は、現代では当然の事である。
ともあれ、甘露であるマナが、インドで言うアムリタにして、丹生であるとすれば、八尺瓊勾玉である事に、おかしな点はない。
勾玉と言えば、水晶で造られているというイメージがあるかもしれないが、少ないながらも金属製のものが発見されている。
更に推測してしまえば、八咫鏡が日・陽を表すのに対し、八尺瓊勾玉は月・陰を表しているという説があり、勾玉がマナであり、アムリタであるとすれば、月神ソーマが守っているという事で、奇妙な符合を見る。
日本神話で言えば、太陽は天照大御神であり、月は月詠命であり、そして三種の神器のもう一つ、草薙剣を手にしたのが須佐之男命である事を考えると、この三柱が、ユダヤの秘宝に相応していると考える事も出来るかもしれない。
「勾玉は、“火の車”の安全装置と言われているわ」
「安全装置?」
「ええ。“火の車”――アークは、オーヴァー・テクノロジーによって造られた超兵器よ。それが、悪人の手に渡ってしまえば、大変な事になるでしょう。そんな時の為に、マナ・勾玉――霊玉によって、“火の車”に注がれるエネルギーをロックする事が出来るのよ」
「悪人、ねぇ」
ガイストが小さく笑った。
それを無視して、マヤは、
「ドグマは、これらを手にして、この地球に彼らだけの帝国を築こうとしているわ」
と、言った。
「それは、ショッカーの理想に反するものよ。だから、彼らを叩かねばならない」
「……聞いても良いか?」
黒井が口を開いた。
「その“火の車”を、ドグマのテラーマクロに探させていたのは、ショッカーなんだろう」
「ええ、そうよ」
「それは一体何故なんだ?」
「それには、先ず、“火の車”の事を首領が知った、その時の事を話さなくてはいけないわ」
「そこから、頼む」
「――ドグマという組織を作らせたのは、二五、六年程前の事ね。表立った行動は、ここ一年の事だけれど、“火の車”――アークの捜索については、戦前から行なっていたわ」
失われた聖櫃を求めた人物と言えば、ヒトラーが有名である。
ナチスはショッカーの前身でもあり、ショッカー首領はヒトラーと繋がりを持っていた。
或いはナチスというのは、首領がアークを探す為に組織したのではないだろうか。
「そう考えて間違いはないわ」
「む――」
「“火の車”について、首領は、或る人物と出会った事で、初めて知ったと言っていた」
「或る人物?」
「ええ。その男の名は――」
マヤはそうして、首領が、ロスト・アークの行方を探るようになった経緯について、語り始めた。
窓から入り込んだ稲光が、釈迦像の顔を照らし上げる。
仏頂面――仏像の表情が変わらぬ為に、不愛想な人間を形容する際に使われる言葉だ。
しかし、実際に仏像に対面すると、動かない筈のその表情に、微妙な変化を感じる時がある。
優しく微笑んでいるようにも、哀しく嘆いているようにも、怒りに震えているようにも――
東北赤心寺の仏像は、地元の村人たちが寄贈してくれたものである。
無名ではあるが、腕の良い仏師が、わざわざ伐採した木から彫り出してくれた。
ミノによって、写実的に彫り込まれた顔の影と、白い稲光のコントラストが、その場の人間の怒りと悲しみを体現しているようであった。
石畳の上に、巨躯が転がっている。
黒沼鉄鬼だ。
鉄鬼は、幾度も樹海に挑み掛かっては、気を合わせられ、弾かれている。
その都度、鉄鬼の肉体には、樹海が放つ気が蓄積され、じわじわとダメージを与えている。
呼吸に合わせて、真綿で全身を絞め上げるかのように、じっとりと浸透して来る痛みである。
その積み重ねられたダメージが、今、鉄鬼を地面に転がしていた。
樹海は、倒れ伏した鉄鬼に歩み寄り、仰向けになった弟子を見下ろした。
鉄鬼が、残った左眼で、樹海を睨み上げる。
刹那、樹海の足刀が、鉄鬼の太い咽喉首に叩き付けられた。
「げほぁっ」
鉄鬼が血の混じった唾を跳ね上げた。
樹海は、もう一度、同じ部位に蹴りを打ち込んだ。
三度。
四度。
五度。
足刀を用いた、咽喉への踏み下ろしが、六度目を数えようとした時、鉄鬼の右手が、ゆるゆると持ち上がった。
「や、やめ……」
樹海が、足を止めた。
「もう、やめ……許し……老師……」
掠れた声で、鉄鬼が命を乞っていた。
顔の包帯が緩み、窪んだ眼窩に溜まった血液が、涙のようにこぼれる。
「黄金も……“火の車”も……要らない……」
そのように言っていた。
樹海は、訝りながらも踏み付けをやめ、後方に下がった。
鉄鬼が、寝返りを打ち、樹海の方に頭を向ける。
「す、済まなかった……老師」
「――」
「あ、あの女に唆されたんだ。俺は、俺は……」
鉄鬼が、言葉に詰まったように嗚咽した。
樹海は、哀れみの籠った眼で鉄鬼を眺める。
「何者じゃ、その女とは」
と、訊いた。
「分からない。唯、外国人だった」
「――むぅ……」
鉄鬼が唸った。
“空飛ぶ火の車”の事を知る外国人――
その個人を特定する事は出来ないが、心当たりがあるともないとも、言い難かった。
「老師……」
思案する樹海に、鉄鬼が声を掛けた。
「俺は、死にたくない……」
「――」
“主は、死して眠るなら、何処で眠りたい”
その問いに対する答えであった。
それは、事実上の死刑宣告であったと言えるだろう。
これに対して、鉄鬼は、死にたくないと言ったのだ。
「だから……」
鉄鬼は、震える膝に力を込めて、両手を床に突いて立ち上がり、樹海に向かい合った。
血塗れの顔で、にたりと笑い、
「死ねッ⁉」
と、叫んで駆け出して行った。
丹田から絞り出した最後のエネルギーで、樹海に向かって突撃してゆく。
樹海は、ゆっくりと振り向くと、最早処置なしと判断して、鉄鬼からカウンターを取る為に、気を右手の指先に集中し始めた。
突っ込んで来る鉄鬼の勢いと気を利用して、鉄鬼の肉体を貫く発勁を放つ心算であった。
鉄鬼が、樹海の間合いに入り込んで来た。
このまま腕を突き出せば、樹海の貫手が、鉄鬼の心臓を抉る。
吼!
稲妻が迸った。
鉄鬼の肉体を破壊する気のスパークの奔流のようであった。
だが、鉄鬼は寸前でブレーキを掛け、上体を後方に反らした。
ぬ⁉
樹海が、顔を引き攣らせる。
カウンターを見抜かれた。
鉄鬼は、しかし、それだけに留まらなかった。
樹海の貫手は、鉄鬼の胸の寸前で止まり、そのタイミングで鉄鬼は、一度は掛けた急制動を、前方への加速に転換させた。
反らした上体が、倍以上の勢いで、引き戻され、突っ込んでゆく。
血の絡まった鉄鬼の右腕が、気を蓄えた技を外され、一瞬とは言え放心していた樹海の心臓に向かって駆け抜けてゆく。
鳥が海面を薙いでゆくように、虚空が唸りを上げ、気の波が螺旋を描く。
鉄鬼の貫手の先端に集中したエネルギーが、強く鋭く一点に、樹海の胸のど真ん中に激突して行った。
鉄鬼⁉
樹海の眼が、かっと見開かれた。
鉄鬼の腕が、肘の辺りまで、樹海の身体の中に潜り込み、貫通していた。
樹海の背中まで突き抜けた貫手の先に、腐った果実のような臓器が弱々しく脈動していた。
「――桜花‼」
鉄鬼は、自らを貫く歓喜に絶叫した。
雷が、降る。
雨が、落ちる。
風が、吹いていた。
嵐が、ゆっくりと収まり始めていた。
色々と考察厨。
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第二十六節 英雄/朝陽
鬱蒼とした、森の中であった。
昼間であっても、太陽の射し込まない、昏い場所だ。
夕刻、冷たい風が、梢を鳴らしている。
木の葉が舞い落ちる景色の中に、けだものの匂いが充満していた。
ツキノワグマ――
森の中に、巨大なその影が、後ろ足で立ち上がっていた。
二メートルはある。
その眼は炯々と輝き、黒い体毛は逆立ち、咽喉元の三日月が、第三の眼のようにこわい光を湛えていた。
その右前肢の爪が、既に赤々と染まっている。
人の、血だ。
その巨大なツキノワグマの眼の前に、僧衣に似た服を着た、壮年の男が立っている。
大塚松士であった。
その頭の左側が大きく抉れ、血を滴らせると共に、その赤色の中から、白っぽい表面を覗かせていた。
顔の半分は赤く染まり、その血は乾燥し始め、鱗のように固まっている。
焼き払われた少林寺を、鉄玄と名乗る謎の拳法家と共に出て、暫く経った頃の事だ。
松士は、鉄玄と共に、と或る山中に身を寄せていた。
赤心寺という看板の掲げられた、掘っ立て小屋のような寺である。
本尊は、釈迦と、緊那羅と、達磨。
それぞれ、四寸程の大きさの座像である。
釈迦は、仏祖釈迦牟尼の事だ。
緊那羅は、八部衆の一人で、半人半獣の神である。
達磨は、中国禅宗の開祖にして、少林拳の祖として伝えられている。
その周囲の森の中で、拳法の修行に明け暮れていた。
食糧は、木の実や野草、猪などの獣、近くの川から採って来た魚など。
肉や魚は、乾燥させて、長期保存出来るようにした。
時には町に下りて、世間の情報を集めつつ、托鉢を行なった。
そうして得た米や調味料を、干し肉などと共に、食糧庫に蓄えている。
或る日、鉄玄も松士も、寺を離れていた時の事だ。
町で、クマ牧場から、ツキノワグマが一頭逃げ出したという話を聞いた。
二日酔いなどに効く熊胆は、文字通り、クマの胆汁から作られる。
この熊胆の材料を採取する為の牧場であった。
熊を檻に閉じ込め、腹に金属製のチューブを埋め込み、胆汁を採取する。
餌は、日に二度。
胆汁を採取される痛みに耐えかねたクマが、自分の腹を掻き毟ろうとするのを防ぐ為、金属製の拘束具を装着させられる。
自由に身体を伸ばす事も出来ない檻の中で、何万頭ものクマが、そうした状態にされていた。
そうしたクマの中で、栄養失調にも拘らず大きく成長したツキノワグマが、いた。
拘束具が小さ過ぎる為、大きめのものに交換しようとした所、ツキノワグマは暴れ出して、飼育員を殺害・捕食し、逃げ出した。
牧場の人間が射殺しようとしたが、返り討ちに遭い、山の中に姿を晦ましてしまった。
クマが逃げ出した方向から、嫌な予感がしたのだが、その予感が見事に当たり、脱走したツキノワグマは、山奥の赤心寺の食糧庫に、やって来ていた。
松士らは、最初は、好きなだけ喰らわせてやろうとした。
例えばキャンプなどに行った時、テントから眼を離した隙に食糧を喰い尽されていたとしても、その食糧を奪い返そうなどとしてはいけない。
クマにとっては、自分で見付けた自分の食糧であるから、それを奪おうとする人間に対しては、牙を剥く。
それが嫌なら、食糧は諦めるしかない。
そういう事もあったが、そのツキノワグマは、先が、決して長くはないと分かったからだ。
しかし、姿を見られてしまった。
人間の為に捕らえられ、自分のはらわたを抉られ続けたツキノワグマは、人間を酷く怨んでいた。
松士と鉄玄に、襲い掛かった。
「引導を渡してやれ」
鉄玄が言った。
松士は、暴走するツキノワグマと対峙し、爪の一撃で、頭をかち割られた。
それでも、松士の戦意が途切れる事はなかった。
人間への怒りがある上に、血を見、その匂いを嗅いで興奮したツキノワグマは、未だに睨み返して来る松士に対して、襲い掛かった。
体重は、倍などというものではない。
単なる突進でも、骨が拉げ、内臓が破裂する。
四つん這いになって向かって来るツキノワグマを、松士は避けなかった。
臍下丹田に気を溜め、軸足をひねり、そのひねりを、膝・股関節・腰・背骨・肩・肘――と、伝えてゆき、諸手を繰り出した。
二つの拳が、ツキノワグマの身体を叩き、蓄えられた気がスパークした。
螺旋の力によって肉体を駆け上がった気が、松士の両拳の先から迸り、ツキノワグマの全身に行き渡り、体内の水分に波紋を起こすと、それらが背骨に反射して内臓を波打たせ、ツキノワグマの心臓を停止させた。
地に伏したツキノワグマの骸を眺め、鉄玄は、
「まずますじゃの」
と、ぽつりと呟いた。
そのツキノワグマを、鉈で解体して、火で炙り、喰っている。
堂宇の前に焚き火を熾し、食べる分の肉を串に刺して、揺れる赤い蛇に晒している。
食べない分は、燻製にする。
骨は、ぶつ切りにしてスープの出汁にするか、削って串や食器を作る。
「松士よ」
クマの頭部を抱え、手刀で切り開いた頭蓋骨から、脳を喰らっている鉄玄が、不意に言った。
「主には、そろそろ、あれを渡さねばならぬの」
鉄玄が松士を誘ったのは、元は、日本に持って行って欲しいものがあったからだ。
松士が鉄玄について来たのは、それ以上に、彼が修した拳法を学びたかったからである。
これまで、なかなか鉄玄は、その事について触れなかった。
それが、遂に、彼の口から語られようとしている。
「こっちじゃ」
食事を終えて、席を立った鉄玄が、松士を堂宇に呼んだ。
本尊――釈迦像を持ち上げると、その蓮台の底に、突起があった。
突起を押し込むと、本尊が祀られていた仏壇が左右に開き、床下に続く階段が現れた。
「地下ですか」
「うむ……」
鉄玄が、仏壇から燭台を取り、火を点けて、階段を下り始めた。
松士が、それに続いた。
地下の目的の場所に行きすがら、鉄玄は語った。
「儂らは、“火之一族”と名乗っておる」
「火の一族?」
「又は、
「――」
「儂らは、或るものを、永い間、守り続けておるのじゃ」
「それは……」
「それが、主に持って行って貰いたいものさ」
「一体、何なのですか、それは」
「強大な力よ」
「力⁉」
「世界を破滅に導く程の、な……」
「――」
「かつて、日出づる国へと去りし、龍の力――」
「日本へ?」
「我が一族にとっては、二つの意味を持つ秘宝という事になるのう」
そうしている内に、階段は終わり、一つの空間に出た。
玄室のように、四方を石で囲まれた部屋であった。
その部屋の中心に、奇妙なオブジェがあった。
三本の柱が等間隔に並び、その上の方に梁が渡されている。
柱には装飾が施されており、何れも蛇が絡み付いたような造形であった。
その柱が作り出す三角形の間に、棺が置かれている。
棺は、上になっている方が角張っており、下方が丸くなっている。
平面に書き出した壺の絵を、そのまま三次元に浮かび上がらせた形だ。
棺には六芒星が彫り込まれており、その内の五辺には宝玉が埋め込まれていた。
蒼
赤
黄
白
黒
これら五色の、燭台の火の光を受けて輝く宝玉であった。
「ここは……」
松士が呟いた。
外よりも尚寒い玄室に、声が響いた。
「我らが祖の墓さ」
「祖?」
「大帝国を高原に築きし、偉大なる君主……」
鉄玄が、長き歴史を語り始めた。
「チンギス=ハン……」
鉄玄が言った。
「この墓に眠る男の名よ」
「チンギス=ハン⁉」
松士が、ぎょっとなって、訊き返した。
チンギス=ハン――或いは、ジンギスカン、チンギスカンなどと呼ばれる人物だ。
一一九〇年代に突如としてモンゴル中央高原に出現し、長弓を携えて騎馬を駆り、遂にはモンゴル帝国を建国した英雄である。
或いは、その暴虐な主張から、悪人のように語られる場合もある。
その遺体は、モンゴル本土に運ばれ、ブルカン山の麓に葬られたとされているが、墓所自体は何処にあるか分かっていなかった。
しかし、まさか、こんな所にあったとは思わなかった。
しかし、何故、こんな場所に埋葬されているのか。
又、この奇妙な墓の造形は、一体、何であるのか。
「彼の素性を隠す為じゃ」
「素性を?」
「うむ。主の国からの」
「日本に?」
それは、何故――と、松士が訊く前に、鉄玄は答えた。
「主の国で、死したとされている男だからさ」
「え?」
「そして、主の国から、或る秘宝を持ち出した為に、さ」
「秘宝?」
「あれよ」
鉄玄が指差したのは、棺の六芒星の内、五つの辺に埋め込まれた宝珠だ。
「あれを、我らは、禍玉と呼んでおった」
「かぎょく?」
「或いは、麻那――」
「まな……」
「そして、勾玉とも呼んでおった」
「勾玉⁉」
「主の国より伝わった言葉さ」
そう言うと、鉄玄は、
五つの宝珠は 是れ即ち禍なり
故に以て是れを 禍玉と名づく
玉とは是れ即ち霊なり 霊とは是れ即ち魂なり
是の故を以て 禍玉に別に名づく
是れ即ち禍霊なり 是れ即ち禍魂なり
と、詠い始めた。
禍玉と呼ばれている宝珠を、禍魂と呼び、この禍魂を訓で読んで“まがたま”とする旨が述べられていた。
禍魂は、“マガツヒ”である。
災いを齎す悪神、或いは、悪を許さぬ荒魂だ。
マガとは、災いの意である。
ツは接続詞で、ヒは霊魂の事を差している。
故に、禍玉は、禍霊や禍魂と読み替える事が出来るのである。
「チンギス=ハンは、つまり……」
松士が言い淀んだ。
モンゴル帝国を築いたチンギス=ハンの名は、松士も知っている。
その稀代の大英雄、或いは残虐な征服者が、勾玉という言葉で呼ばれるものを、日本から持ち出したという事は――
「日本人さ、チンギス=ハンは」
と、鉄玄。
彼は更に続けて、
「主も知っておる男さ」
「私も?」
「遮那王よ……」
「遮那王⁉」
「源義経さ」
源義経――
彼も亦、知らぬ者のいない英雄であった。
幼名は、牛若丸。
遮那王というのは、鞍馬寺での、僧侶としての名前である。
しかし、九郎義経の名を得て、武将として名を挙げた。
戦場にて大きな成果を上げながらも、その突出した才覚故に兄の頼朝に疎まれ、都から東北へと追いやられた。
忠臣・武蔵坊弁慶は彼を守る為に盾となり、矢を受けて、仁王立ちのまま死んだ。
一一八九年、平泉の地に追い詰められ、妻子と共に自らの生命を断ったとされている。
その義経が、実は生きており、しかも大陸に渡って、チンギス=ハンとなったというのだ。
彼の生存説自体は、幾度となく語られて来た。
『吾妻鏡』。
水戸光圀の、『日本史』。
林羅山や、新井白石も、その著書で義経が大陸へ渡ったルートを記している。
更には、幕末に日本を訪れたシーボルトも、彼らに関わる年代から、義経とチンギス=ハンが同一人物である事を指摘しており、一四世紀にマルコ=ポーロが著した『東方見聞録』ではチンギス=ハンの生涯と、黄金の国ジパングの、黄金の都である平泉の記述が――偶然の可能性は高いが――並列に書かれている。
「禍玉は、三種の神器よ」
「三種の神器というと……」
「主らは、単に神話に登場する宝物という程度にしか思っておらぬであろうが、あれらには、凄まじい力が秘められておる」
「力?」
「超古代の叡智――ハイカラな言い方をするのなら」
鉄玄は照れ臭そうに笑って、
「オーヴァー・テクノロジーという奴じゃの」
と、言った。
「全てが揃ったのならば、世界を支配し得る力よ。故にこそ、その真実は主の国の者たち所か……恐らくは、神器の持ち主にさえ、隠され続けていた事であろうよ」
この事については、未来、マヤによって黒井たちに語られる事と、同じ内容である。
三種の神器は、聖櫃の超パワーを起動させる為のアイテムである。
聖櫃は、現在の日本では“空飛ぶ火の車”として伝えられている。
“火の車”は、火の一族によって日本に持ち込まれた。
火の一族とは、イエス=キリストの教えを相承したエルサレム教団の一部である。
このような事であった。
では、その“火の車”起動に必要なものを、どうして義経が中国に持ち出したのか。
「壇ノ浦の戦いの事は知っていよう」
「はい」
「その際、一度、危うい所で草薙剣と八尺瓊勾玉は失われる所であった」
海に落ち、近くの海岸に漂着せねば、そうなっていたであろう。
それを、合戦に勝利した源氏が回収したのである。
頼朝の命によって、漁師が回収したとも言うが、鉄玄は、
「義経が回収したのじゃ」
と、伝えられていると告げた。
「何せ、禍玉は、義経の戦果を支えておった」
「え――」
「源義経が、その溢れる才能で、幾つもの戦場を駆けて来た事は知っていよう。それは、禍玉――勾玉の力による所が大きかったのじゃ」
無念無想――
樹海が、中国で鉄玄禅師より教わった極意である。
念じる事なく念じ、思う事なく思う。
仏教で言えば、空を悟る事だ。
空とは、この世界の本質が、実体のないものであるという事だ。
そうでありながら、この世界というものが存在している事を理解する事だ。
無より有が生じ、有は無である事を知るという、矛盾。
二重に絡み合った、存在と虚空の環状螺旋。
全ての存在を肯定する盾と、全ての存在を否定する矛をぶつけ合わせる必要など、ない。
そのどちらをも兼ね備えた鎧を纏えば、何も問題はなくなるのだ。
無念無想の果てには、鎧という概念すら存在しない。
ありのまま――
赤子のように、純な心――即ち、赤心である。
赤心少林拳の秘奥たる無念無想は、果たして、誰もが到達し得ぬものであるのか。
否である。
誰しもが、そこへ至る可能性――種子を持っている。
持っているが、種子はあれど、誰もが花を開かせられる訳ではない。
無念無想に至らんとするその強い思いや、それと共に沸き上がる煩悩や妄念の為に、結局、至る事が出来ない。至る事が出来ないと、諦めてしまう。
ならば、その無念無想の花を開かせるには、どのような方法を用いるべきか。
あるがままの自分になれば、良いのである。
それは何も、何も考えずに裸の自分を晒しだせば良いという訳ではない。
今、ここにある我が身のままに在ろうとする――それだけだ。
その心に浮かんで来た、喜怒哀楽などのあらゆる感情を、無念無想の邪魔であるからと、切り捨てる必要はない。
喜びが浮かんだならば喜びを、怒りが浮かんだならば怒りを、哀しみが浮かんだならば哀しみを、楽しさが浮かんだならば楽しさを、肯定し、受容し、そして解き放てば良い。
煩悩即菩提――
心に浮かんでくるあらゆる事は、即ち、ありのままの自分である。
故に、黒沼鉄鬼・氷室五郎は――
怒りと、憎しみと、妬みと、悔しさで、無念無想へと至った。
「て、てっき……!」
血を吐きながら、樹海が言った。
もう、殆ど言葉になっていない。
背中に突き抜けた心臓から逆流した血液が、気管に詰まっている。
「お、おうか……を、み、みご……と」
自分の胸を貫いた鉄鬼の顔に、ありったけの血の雨を叩き付け、樹海は息絶えた。
鉄鬼は、左手で樹海の右肩を掴み、樹海の胸に潜り込んだ右腕を手前に引く。
もう、血が吹き出す事はなかった。
萎んだ心臓から、どろどろと、タールのように重い赤黒の液体がこぼれ出してゆく。
鉄鬼は、本堂の入り口を振り返った。
一晩中、自分たちは戦っていたらしい。
嵐はやんでおり、もう、空は白み始めている。
麓に下りていて、そのまま帰って来ていない玄海が、そろそろ戻って来る頃だろう。
それまでに、堂宇や母屋を荒らして、“空飛ぶ火の車”について記した粘土板を発見する事は、難しいであろう。
玄海は、恐らく樹海から話を聞いている筈だ。
隙を見て、彼から、“空飛ぶ火の車”について聞き出してやろう……
鉄鬼はそのように思った。
「――ちっ」
視線を、倒れ伏した樹海に落として、鉄鬼は舌を鳴らした。
「俺は、嫌だね……」
樹海の言葉を、思い出していた。
“主は、死して眠るなら、何処で眠りたい”
俺は、嫌だ。
少なくとも、こんな風に野垂れ死ぬのは、ご免である。
こんな、自分の内臓を引き摺り出され、血塗れで、石の上にぶっ倒れて、醜く死ぬのは、だ。
醜い死にざまと言えば――そう、あの女だ。
黒沼陽子……
本物の黒沼大三郎の娘。
あの女のように、男をおちょくって、騙して、弄んで、いざ自分が殺されそうになったのなら、叶わぬ命乞いをして……
その最後は、鉄鬼・氷室五郎が、じわじわと頸を斬り落としてやったのだ。
あんなふうに死ぬのも、絶対に、嫌だった。
あんな醜い生き方をして、醜い生きざまを晒すのは、だ。
若しも、俺が死ぬのなら――
強く生き、美しく死にたい……
鉄鬼は、心の中に、一人の男の姿を思い浮かべていた。
堂宇を出る。
朝陽が昇っていた。
黄金に輝きながら、稜線よりまろび出る太陽の中に、鉄鬼は、あの日の玄海――花房治郎の套路を思い描いていたのである。
義経=チンギス説は否定されているらしいですが、物語的に面白いのでこちらではこのように。
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第二十七節 天狗/別離
尚、この物語はフィクションです。
その証拠もある、と、鉄玄。
義経が、鴉天狗の弟子であると伝えられている事が、その証明である、と。
牛若丸は鞍馬寺に預けられ、そこで、僧正坊に剣術を授けられた。
この僧正坊というのが、鞍馬寺の尊天である護法魔王尊、大天狗の配下であるという。
「鴉天狗と言えば、誰かの」
鞍馬山僧正坊もそうであるが、
「役行者……」
「左様。では、役行者とは何者じゃ」
役行者とは、修験道の祖である。
修験道は、仏教、神道、道教をミックスした、日本密教に先立つものである。
役行者は、激しい山岳修行の果てに、龍樹菩薩のヴィジョンを見て密教の灌頂を受け、金峰山上にて蔵王権現を感得し、神通力を得たという。
この役行者、又の名を賀茂役君小角といい、即ち、高名な陰陽師である安倍晴明の師となる賀茂保憲を輩出する、賀茂氏に属していた。
そして賀茂氏は、八咫烏を紋章としている。
八咫烏とは太陽に住む三本足の霊鳥であり、賀茂氏は、秦氏――日本へ渡って来たエルサレム教団の子孫と、婚姻関係にある一族であった。
賀茂氏である鴉天狗が義経の師であり、彼の美少年が溺愛されたとするのなら、或いはその秘宝の力の一端を、義経に与えていたかもしれない。
その義経が、兄に疎まれ、追放の憂き目に遭わんとする時、義経は自らの正当性を示す為に禍玉・勾玉を持って東北へ逃げ、そして北海道を経由して海を渡り、モンゴル平原へと至った。
チンギス=ハンとなった義経は、やがて自分を追放し、妻子を殺めざるを得ない状況にまで追い込んだ兄に、朝廷に復讐する為、大モンゴル帝国を築き、時を越えて元寇を行なった。
そのような歴史を、鉄玄は語った。
「その朝廷への復讐が、失敗に終わった事は、知っての通りじゃ」
元寇は、神風によって船団がダメージを受けた事により、大陸へと引き返す事となった。
「これは、日本への攻撃を、火の一族たちが止めようとした結果じゃ」
「火の一族が?」
「うむ。日本は、彼らにとっては新たな約束の地じゃからのぅ」
「神の民の国……」
大和・邪馬台をヘブライ語に直すと、ヤ・ウマト。
それが、神の民という意味なのである。
そこではたと、松士が気付いた。
「チンギス=ハンに、義経に、火の一族たちは、付いて来たのですか?」
「うむ」
「ですが……」
義経が、鴉天狗に愛されていた事は分かった。
しかし、幾ら兄に追われたからと言って、ユダヤの秘宝でもある勾玉を持ち逃げした義経に、火の一族たちが付いてゆこうとするであろうか。
日本が神の民の国であり、エルサレム教団中の火の一族らが求めた場所であるとするならば、秘宝を国外に持ち出される事を、良くは思わない筈だ。
「鬼の為さ」
「鬼⁉」
「鬼を御する術として、聖櫃を用いようとしたのさ」
「――」
「朝廷が、さ」
火の一族が、“火の車”を守ろうとしたのは、そのような事態を防ぐ為だ。
自分たちの土地を都とする事で、“火の車”を朝廷に守らせようとしたのだが、それが却って裏目に出てしまった。
「鬼の討伐を渋る一族に、朝廷からの弾圧が始まったのじゃ」
「鬼というのは……」
「悪路王――阿弖流為よ」
「アテルイ……」
蝦夷の軍事的指導者である。
遷都前後から、東北を中心に、朝廷と戦いを繰り広げていた。
八〇二年、坂上田村麻呂に降伏し、平安京に入る。
田村麻呂は、少数で朝廷軍と戦った阿弖流為に敬意を表したが、朝廷側は彼の処刑を命ずる。
彼の怨霊を封じる為に、田村麻呂は北斗七星の剣、七支刀の力を用いて、津軽に結界を作り上げた。
「この阿弖流為との戦いの最中に、火の一族への弾圧が始まった。そして、彼らは都を離れて、東北へと落ち延び、阿弖流為と合流した」
「何故、東北へ?」
松士が訊いた。
彼の出身も、青森である。
坂上田村麻呂によって創建された神社が多くある事を、知っていた。
「イシュ=メシャの墓があるからよ」
「イシュ=メシャ⁉」
イシュ=メシャとは、イエス=キリストの事だ。
転訛して、太秦の語源となった。
「イエスは、主の国を訪れていたのさ」
「日本をですか⁉」
「うむ――」
鉄玄は、巻物を一つ、取り出した。
それを松士に手渡し、開かせた。
一行目には、
景郷玄書
と、ある。
著者は、
真魚
で、あった。
真魚とは、空海の幼名だ。
「写本じゃがの。青龍寺に残っておったものじゃ」
青龍寺は、唐へやって来た空海が、密教の灌頂を受けた寺だ。
そこで記された『景郷玄書』は、後に密教を求めて入唐した天台沙門円仁によって、胎蔵界と蘇悉地の大法と共に、日本に持ち込まれた。
その『景郷玄書』の写本が、青龍寺には残っていたようで、鉄玄はその写本を手に入れていた。
「空海は、四国やその周辺を修行していたというじゃろう」
「ええ」
だが、その間の記録は、不明とされている。
「実は、彼の僧は、東北にてまつろわぬ民と交流しておったのじゃ」
まつろわぬ民とは、朝廷によって鬼や悪霊の類とされた者たちである。
阿弖流為たちも、これに当たる。
そして、朝廷から追放された火の一族も、その中には含まれていた。
「そこに、火の一族との交流が記されておる」
空海が遣唐使船に乗ったのは、八〇四年。
阿弖流為が処刑されたのが、八〇二年。
火の一族らが追放されたのが、平安遷都から阿弖流為の処刑までの間である。
空海が、どのような経緯で東北に足を延ばしたのかは不明だが、年代的には成立する。
そこで空海は、火の一族の事を知ったのだ。
今で言う青森県に、イエス=キリストの墓があるという事も、だ。
『景郷玄書』によれば、イエスは二〇歳の時に一度日本を訪れて帝と謁見し、日本で得た知識をユダヤで広めた。二度目は、ゴルゴダで処刑され、生き返った後の事で、青森県戸来村を訪れ、そこで一一八歳まで生きた。
ヤマト国の基礎が、失われた十支族にあるとすれば、日本の帝――天皇はイスラエル人であり、カバラについても当然知っていた筈で、ここでの一二年間の生活が、ヨシュアをカバラの継承者たらしめたのではなかろうか。
そのような事も、書いてあった。
「都で弾圧を逃れた火の一族らは、この事を知っておった。故に、義経が勾玉を持って都を追われた時、共に東北を目指したのさ」
又、『景郷玄書』には、大量の黄金が眠る地についても記されており、火の一族たちは義経を生き延びさせ、勾玉を朝廷から遠ざける為の軍資金として、莫大な黄金を求めたのではないだろうか。
「そうして義経は、中国大陸まで落ち延びた……」
「それが、この墓なのですね」
松士が、チンギス=ハンが眠るという玄室を眺めた。
蛇が絡み付いた三本の柱――世界樹の中心に、マナの壺の形をした棺がある。
前方後円棺とでも言うべきその表面には、ユダヤの星である六芒星が刻まれ、この形状がマナの壺である事を示すように、禍玉が埋め込まれている。
「しかし、あの禍玉ですが……」
と、松士。
「私の知る勾玉とは、違うように思います」
「模造品じゃからの」
「模造品?」
「あの、三日月というか、耳というか、あの形がさ」
「――」
「あれは、弓月王を意味しているのさ」
弓月王は、初めて日本を訪れた太秦である。
融通王とも表記されるが、勾玉については、この弓月王の表記が分かり易い。
弓月とは、その字を見ても分かるように、弓の形をした月だ。
勾玉が、弓月王の名から連想される形状になっているのは、模造品ながらも紛れもなく彼によって伝来したものであるという、証明だ。
「それに、元の形とは違うでな」
「元の形?」
「マナさ。甘露――或いは、丹生よ」
「――」
「マナは……いや、マナだけではないな。アロンの杖も、十戒石板もそうじゃが、何れもこの中国で、中国式に改造を施されておる」
「改造ですか」
「うむ。五行思想に則って、な」
五行とは、道教の思想の一つで、万物は陰陽と五つの元素で成り立っているというものだ。
即ち、
木
火
土
金
水
である。
それらは、水を得て育った木が火を生じるというように、世界を成立させてゆく一方で、得手不得手があり、例えば、木は土の中から養分を吸い取るが金属製の刃物で斬り付けられては傷付けられる。
パレスチナから、シルク・ロードを通って中国に入ったエルサレム教団は、そこで道教の思想に触れ、マナを現在のような形に改造した。
「それが、あの……」
「左様、五行の力を封じた宝玉よ」
鉄玄が、棺の近くに歩み寄る。
松士も続いた。
鉄玄が禍玉の一つを取り、松士に見せる。
よくよく観察すれば、それが、水晶ではなく、透き通っていると勘違いする程までに磨き抜かれた金属であると分かった。
「これらに気を込めれば、属性に応じた力が発揮される」
このように、と、鉄玄は、最初に手に取った蒼い玉――“木”の玉に気を込めた。
すると、禍玉はぼんやりと蒼い光を放ちながら、ぱちぱちと電気を発した。
木気は、震(雷)に通じる。
稲妻というように、稲――植物のパートナーは雷であるから、“木”の玉からは電気が発生するのである。
「しかし、それは、背教に当たるのではないのですか?」
古代イスラエル王国の信仰の中心は、ソロモン神殿であった。
エルサレムにある神殿は、南北朝に分かれたイスラエル十二支族の内、南朝ユダ王国の領地にあった。
その為、北朝イスラエル王国は、別に神殿を設け、他教の神まで祀り始めた。
神に背いた事で、アッシリアに滅ぼされたというのが、聖書に於ける記述である。
このように考えたユダ王国では、頑ななまでに律法を遵守する事を重要視する、保守派の信者たちが増えてゆき、原始ユダヤ教の教義から乖離して行ったのである。
とは言え、一神教である事に変わりはない筈のエルサレム教団が、中国の思想に触れたからと、自分たちの秘宝を改造するであろうか。
「魔法が解けたのさ」
鉄玄は言った。
「魔法?」
「神の力とでも言おうかの……」
「――」
「この世のものは永遠ではない。それは、主がいたあの場所でも言われておったろう」
松士がいた場所――少林寺の事である。
諸行無常、諸法無我。
全てのものは移ろい、いつまでも同じものではいられない。
仏教の基本概念である。
「ニーチェではないが、神は死ぬのさ。そして、新しい神を輩出してゆく」
「新しい、神を?」
「細胞と同じよ。いつまでも古きものに縋っておっては、そこから腐ってゆくものさ。空海が唐を訪れたも、その為じゃろうて」
「変わらないままのものは、腐敗してゆく、と?」
鉄玄が頷いた。
松士は、戦国の世の仏教について、思い出していた。
聖徳太子によって推奨された仏教は、学問であった。
かつて、学問は選ばれたエリートだけのものであり、その道に入れる者はどうしても限られていた。
一種の選民的な思想が、そこにはあった。
そうした選ばれた者たちも、彼らの中で更なる立身出世を求め、権力を欲して、本来のあるべき仏教の姿を腐らせて行った。
その結果が、織田信長による比叡山の焼き討ちや、明治政府による廃仏毀釈である。
一方、そうした腐敗の進んだ仏教界の中からは、その事を嘆く新しい思想が登場する。
南都仏教に対する空海の真言密教、権力主義の比叡山に対する法然の浄土宗などの鎌倉新仏教が、そうである。
古い神を奉るばかりの骸となった者たちを剪定し、新しい神を迎え入れる事も、必要な事なのである。
「それも受け入れたのさ、火の一族は、の」
「――」
「何せ、万物は神の力の流出じゃ。この世のありとあらゆる全てを、神の思し召しとして受け入れて、取り入れてゆこうというのが、火の一族の考え方だったのじゃろうなぁ」
からからと、鉄玄は笑った。
そうであるとすれば、日本神話の神々が、様々な名前や姿を持っていても、結局は根源神に還元されるという考え方も、分からないではない。
「儂ら、凱族は、そうした歴史と共に、この禍玉を守り続けておった」
「――では、それを今、私に託そうとしているのは、何故なのです?」
「――」
鉄玄は、僅かに沈黙を挟んで、言った。
「禍玉を……聖櫃の力を、狙う者がいる」
「狙う?」
「狙った、と、言うべきかの。そやつは、儂の他にも幾つかあった、チンギス=ハンの支族を裏切り、聖櫃の力を使って、恐るべき野望を成し遂げようとした」
「野望⁉」
「世界征服じゃよ――」
鉄玄は言った。
「早い話が、儂ら年寄りが、古臭い伝統を守っているのが、面白くなかったのじゃろう。そやつは、仲間と共に反乱を企てた」
「――」
「そのクーデターを、どうにか儂や他の支族たちで止めようとしたのじゃがの。どちらにも数多くの死人を出し、儂だけが、禍玉を持って追ってから逃れる事が出来た」
「その反乱分子が、まだ、禍玉を狙っている……老師を探しているという事ですか?」
「そうじゃ。連中の筆頭だけは、あの男だけは、倒し切れんかった」
「その男から、禍玉を隠す為に……」
「うむ。この『景郷玄書』にある、東北のまつろわぬ火の一族たちに、これを返して、聖櫃を守って欲しいのじゃ」
「何者なのです、それは」
「儂の孫じゃ」
「え⁉」
「凱
鉄玄は、掌に禍玉を握り込み、その手を小さく震わせていた。
嵐はすっかり過ぎ去っていた。
外に出て見れば、冷たい風が吹き付けて来る。
一方で、空は蒼く澄み、家のひさしや、そこかしこに植えられた樹の梢から落ちる水滴を、一々煌めかせていた。
その澄み切った空気の中に、玄海はいる。
山を下りて、畑仕事などを手伝っていた所、嵐に遭い、山道をゆくのは危険だという事で、或る一家の家に泊めて貰ったのだ。
娘が一人おり、もうじき、弟が生まれる。
その、単なる長女から、姉になる少女と一緒に、外で立禅をしていた。
禅というと、坐禅ばかりが取り沙汰されるが、他にもやり方はある。
そもそも、禅とは、禅定の事であり、心が落ち着いたさまを言う。
例え座っていても、立っていても、歩いていても、臥せていても、自らの心の内に精神を集中していれば、それは、禅なのだ。
玄海が、この時修していたのは、立禅――立ったまま、心を安定させる禅だ。
自然に立ち、自然に全身を緩め、自然に呼吸をする。
薄く眼を閉じ、深くも浅くもない呼吸を数えてゆく。
吸って、吐いてを一として、それが一〇度繰り返されたら、もう一度最初に戻る。
遂にはそれさえもしなくなり、玄海の意識は空に溶け、肉の重みさえ消えてゆく。
その自然な姿勢というのが、逆に辛いのか、少女はもぞもぞと動いたりしている。
形としては、站椿――中国拳法に於いて、足腰を鍛える為に行なう修行の姿に似ていた。
意識すまいとすれば、却って意識を捉えられ、呼吸が不自然になってしまう。
その呼吸を、無意識の内に、丹田から全身の神経に巡らせるように言われているのだが、少女にはまだ難しいようであった。
暫くそうしていると――
「よし、お早う!」
と、声を掛けられた。
“よし”というのは、少女のあだ名である。
“よし”は、声の方を振り向いた。同じ年頃の少女が立っている。
「お早う、ひー」
“よし”は、“ひー”に微笑み掛けた。
玄海が、眼を開けて、二人の方に顔をやる。
「お早う」
と、言うと、
「お早う御座います、老師!」
“ひー”が、元気良く頭を下げた。
彼女も、“よし”や、他の村の子供たちの幾らかと同じように、玄海から拳法を習っている。
“よし”と“ひー”は、二人で並んで、遊びにゆく。
二人の少女が仲良くする、ほのぼのとした光景に、元より柔和な玄海の顔も、更に優しく緩んでしまう。
玄海は、朝の内に畑の世話を手伝い、昼前には赤心寺に戻った。
そこで玄海は、驚くべき光景に出くわす事となる。
予兆は、赤心寺の堂宇の前に立った時に現れた。
庭に咲いた梅の花が、余す所なく落ちている。
その、地面に落ち、雨に嬲られ、泥を被った白い花の上に、べっとりと濡れた桜が覆い被さっていた。
嫌な予感がした。
予感は予感だと思い、本堂の扉を開けると、そこには、樹海が斃れていた。
黒い僧衣の上に、黄土色っぽい五条袈裟。
その胸の辺りが、赤黒く変色している。
「老師!」
玄海は、堂宇の外陣――拳法道場として使っている石畳の床に駆け上がり、樹海の傍に走り寄った。
樹海はうつ伏せに倒れており、胸の裏側から、腐った肉の果実がぶら下がっていた。
心臓だ。
心臓が、背骨をぶち抜いて、飛び出していた。
その周辺の衣が、肉の脂を吸って、嫌な匂いを立てている。
早速、その肉の内側に、白っぽい、亀頭のようなものが蠢いていた。
蛆だ。
「老師、老師!」
玄海が、師に向かって呼び掛ける。
返事がない事は分かっていても、呼び掛けざるを得なかった。
そこに、
「げ、玄海……」
と、右肩を押さえ、よろよろと歩み寄って来る鉄鬼の姿があった。
「鉄鬼! 帰っていたのか」
そう言い掛けて、鉄鬼の姿を見た玄海が、ぎょっとする。
「眼が……」
「賊だ……」
鉄鬼が、掠れた声で言った。
「老師を、殺して行きやがった……そして、俺も」
その右眼からは、眼球が取り除かれている。
闇のような窪みがあるだけであった。
「糞……済まぬ、玄海」
「何故、謝る⁉」
「俺が、ここを離れたばかりに」
「それならば、私の所為だ。私が、老師を一人で残していたから」
やって来た鉄鬼が、樹海の遺体の傍に膝を着いた。
その、一人山に籠る前と比べて、凄惨な色を浮かべた表情は、肉体の痛みか、それとも精神の痛みによるものか。
「鉄鬼、賊に、心当たりは?」
玄海が訊くと、鉄鬼は首を横に振った。
「しかし……黄金がどうとか、“火の車”がどうとか、言っていた」
「“火の車”⁉」
玄海が息を呑んだ。
樹海が、自分にだけ伝えた、“空飛ぶ火の車”の事を知る者が、樹海を襲撃したのか⁉
「玄海、何か、知っているのか?」
「……いや」
玄海は、頭を振る。
樹海から受け継いだこの秘事は、まだ明かす時ではないと思っていた。
師の絶命を知り、玄海には大きな動揺があった。
その為、鉄鬼が向けた、ぞろりとした視線に、玄海は気付かなかった。
「玄海、しかし、いつまでも老師の死を哀しんではいられないぞ」
鉄鬼が言った。
「ああ……」
「俺たちのこれからについて、どうするか、話し合おう」
「うむ――」
樹海からは、分派と、そういう事になっていた。
その詳細について話す前に、鉄鬼は山に籠ってしまったので、まだ、どうという事も決まっていない。
玄海は、眼を閉じ、樹海の冥福を祈った。
そして、自らが受け継いだ、遥かなる龍の記憶――それを守ってゆく事を、心に誓ったのである。
一方、鉄鬼は、玄海が、樹海から“火の車”について聞かされている事を確信していた。
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第二十八節 仇名
前回までの四回分を何回も書き直していたので時間が掛かりました。
洞窟の中で、五人の改造人間が対峙していた。
その内、臨戦態勢に入っているのは、三体である。
黒いボディと、緑の眼――ガイストライダー。
黄色い身体に、黒鉄の縞模様――クレイジータイガー。
鉄の肌と、額に戴いた三日月――ストロングベアー。
未だにその正体を見せていない鷹爪火見子と、象丸一心斎が、高坂健太郎の家から強奪した五振りの剣を持っている。
「その剣――」
ガイストが、Gマスクを完成させるパーツであり、ブラック・マルスを始めとした、ガイストライダーの全機能を稼働させるエネルギーを取り込む為のパーフェクターの内側から、声を発した。
「いや、草薙剣と呼ぼうか、或いは、アロンの杖、と――」
「貴様……」
火見子が、ガイストライダーを睨んだ。
眼の前に立つ幽鬼の改造人間が、どうして、その事を知っているのか。
それは、テラーマクロと、彼女を筆頭とした地獄谷五人衆しか知り得ない秘事の筈だ。
「それを、この奥にある御影石……十戒石板に差し込む事で、“火の車”は起動する」
「――」
「ンで、勾玉……マナは、その五つの剣に対応した属性を持っており、御影石にはめ込めば、草薙剣が供給するエネルギーを相殺する……要するにエネルギー制御装置になる訳だ。だから、戦闘員連中に、勾玉を持って逃げた子供たちを追わせた……」
「――」
「そうだろう、
「……貴様、何処まで、知っているのだ⁉」
火見子のこめかみの辺りに、ふつりと汗の珠が浮かんで来ていた。
ガイストがどれだけ事情に精通しているのか、分からない。
「別に俺が知ってる訳じゃない。事情通がこっちに一人、いるだけさ」
そう言うガイストライダーに、クレイジータイガーが襲い掛かった。
浮かび上がった縞模様を、槍や手裏剣のように変化させる事が出来る。
その槍を、ガイストライダーの頭上から打ち下ろしたのだ。
ガイストは、アポロ・フルーレのナックル・ガード部分で、槍の柄を受け、横に払った。
開いた胴体に、返す刀でクレイジータイガーの槍の穂先が突き進んで来る。
身体を半回転させ、背中を通り過ぎさせると、回転するその勢いで、フルーレの切っ先を伸ばした。
鉄の蛇がしなり、クレイジータイガーの赤い眼を狙う。
ガイストライダーとクレイジータイガーとの間に、ストロングベアーが割り込んで来た。
アポロ・フルーレの剣先が、ぴんっ、と、弾かれてしまう。
ストロングベアーの皮膚と、フルーレが奏でた、ヴァイオリンの高音は、あの黒い表皮が頑強な金属である事を意味している。
「――ふんっ!」
ガイストは、ストロングベアーのボディに、前蹴りを叩き込んだ。
鉄のレガートが、黒鉄の皮膚にぶち当たり、じぃんと振動する。
自分の蹴りの威力が、そのまま、足に返って来たような感覚であった。
今度は、ストロングベアーの反撃であった。
ストロングベアーは、左腕の棘付き鉄球を、ガイストに振り下ろす。
ガイストが躱すたびに、その歪な鉄球が、空気をぐちゃぐちゃに掻き回した。
洞窟の壁にぶつかると、大きく壁面を抉り、打ち下ろされれば、地面を陥没させた。
「莫迦力が……」
ガイストは呟くと、停止しているアポロクルーザーの傍まで下がり、アポロ・フルーレの先端をマシンの方に向けた。
すると、その先端に持ち上がっていたアポロ・マグナムが、ガイストの右腕を包み込むように飛来し、合体する。
小径ながら、戦車をぶち抜く弾頭を、ガイストはストロングベアーに向けて放った。
破裂音と、金属音が、洞窟の中に響き渡る。
しかし、ストロングベアーは無傷であった。
弾頭のめり込んだ胸を反らして、ぐっと大胸筋に力を入れると、アポロ・マグナムの撃ち出した弾丸が、ぽろりと地面にこぼれる。
「硬いな……」
ぽつりとガイスト。
抜群の切断力を持つガイスト・カッターでも、通じるかどうか、分からない。
対応に戸惑うガイストを、部下の改造人間たちの陰から眺めていた火見子は、
「ここは、お前たちに任せた」
と、象丸に言い、自分は五振りの剣を持って、洞窟の奥へと駆け込んで行った。
「ゆかせぬ!」
ガイストがアポロ・フルーレを振るう。
しなるその剣に、クレイジータイガーの槍が追い付いて来た。
意識を反らしたガイストに、ストロングベアーが躍り掛かる。
振り下ろされる鉄球を躱し、ハイキックを見舞った。
ダメージは通らない。
そうこうしている内に、鷹爪火見子は、ガイストが“天岩戸”と呼んだ洞窟の先にある御影石・十戒石板の許へ、辿り着いている。
又、その場に残った象丸一心斎も、他二人と同じく、改造人間の姿を表していた。
眉間の肉が盛り上がり、別の生物のように蠢く。
鬼のように、角がめりめりと剥き出して来た。
後頭部の皮膚が、外側から引っ張られたかのように、膨らんでゆく。
頸を覆う程に広がった頭の肉の中で、血管が脈打っていた。
全身が鈍い色に染まる。
その中で、双眸だけが血のように赤く艶めいていた。
肩口が、瘤のように盛り上がったかと思うと、その部分の肉が、内側で弾けたかのように飛び出して、一本の筒を造り上げる。
ゾゾンガーであった。
ゾゾンガーは、クレイジータイガーとストロングベアーらに翻弄されるガイストに、肩の筒の先端を向けた。
これを察して、クレイジータイガーとストロングベアーは、ガイストから距離を置く。
ガイストがゾゾンガーに顔を向けると、ゾゾンガーは、自らの体内で合成した火薬を爆発させる事で、代謝によって排出される細胞を再利用した弾丸を撃ち出していた。
爆炎が、洞窟の中を真っ白に染め上げる。
その白い光の中に、ガイストライダーの黒いボディが、くっきりと浮かび上がっていた。
歪な形の山の中腹から、轟音と共に、煙が上がった。
山彦村から、外へ出てゆく森の中――
克己は、樹の上に避難させていたシンタとチエを地面に下ろしてやり、一旦、仮面を外した。
息を吐く克己の顔には、メガール将軍の真の姿である死神バッファローから受けたダメージが、そのまま残っていた。
どうにか追い返したものの、あのパワーは、強化改造人間第四号を遥かに凌駕する。
仮面やプロテクターは、至る所に窪みが出来ていた。
勢い任せのパンチが、仮面を叩き、その衝撃で頭が仮面の内側にぶつかって、こめかみや瞼が切れたりしたのだ。
「お兄ちゃん、ありがとう!」
シンタが言った。
「ほら、チエも……」
と、克己が手渡した人形を、ギュッと抱き締めたままのチエが、頬を薄く染めて、
「ありがとう……」
囁くような声で言った。
「こいつぅ、ませガキめ」
シンタが、チエの頬の紅潮の理由を察して、笑った。
克己は、二人の視線に合わせるように膝を着き、
「光る玉を、渡してくれないか」
と、言った。
シンタとチエは、父・健太郎から、村に伝わる宝物である“光る玉”を、或る場所まで持ってゆくように言われていた。
しかし、それは、ドグマに襲われた村を、地獄谷五人衆によって嬲られた父を救う為の行動ではない。
飽くまでも重要なのは、“光る玉”の方なのだ。
“光る玉”を守るのが、シンタたちの村の一族の使命であった。
それを簡単に渡す事は、出来ない。
「心配するな」
克己が、淡々と、しかし、優しい声で言った。
「俺は、お前たちを守る為にやって来たのだ」
「え?」
「俺たちが、村を救ってやる」
「本当に⁉」
「ああ」
克己は頷いた。
シンタの、村を救う事などとうに諦めていた心に、克己のはっきりとした物言いは、刃のように鋭く、春の陽射しのように温かく入り込んだ。
現に、この男は、不気味な怪人たちから自分たちを守ってくれた。
「わ、分かった!」
シンタは、“光る玉”の入った巾着袋を、克己に渡した。
克己は、強化服のポケットに巾着袋を仕舞い、仮面を抱えて、村の方へ歩いてゆく。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん以外にも、仲間がいるの?」
シンタが訊いた。
「いる」
「凄いや……」
シンタの眼が、きらきらと、輝きを取り戻していた。
克己に付いてゆくシンタの後ろに、チエが更に付いてゆく。
「お兄ちゃん、名前は?」
「俺の名前は――」
克己は、自分の背中を見上げるシンタに、言った。
「仮面ライダー」
ぱちぱちと、家を造っていた木材が音を立てて燃え、火の粉を舞い上げている。
ネイビー・ブルーの空を、紅蓮の村が照らし上げているようであった。
山彦村――
マヤに言われて、黒井・克己・ガイストたちは、“空飛ぶ火の車”をドグマの手に渡すまいと、それぞれ村に潜入していた。
克己は、村から脱出する為の森に入り、そこで、メガール将軍とファイターたちに追われていた香坂シンタ・チエの兄妹を救出した。これにより、光る石――“火の車”の安全装置でもあるマナ・霊玉・勾玉を回収する事も出来た。
ガイストは、香坂の屋敷から五振りの剣――アロンの杖・草薙剣・七支刀を強奪した地獄谷五人衆に先んじて、御影石――十戒石板・八咫鏡の置かれた洞窟で待ち伏せし、五人衆の内、ゾゾンガー、クレイジータイガー、ストロングベアーと戦闘に入っている。
そして黒井は、山彦村の中心地で、蛇塚蛭男・ヘビンダーに蹂躙されていた村人たちを助け出そうとしている所であった。
「俺は――仮面ライダー三号」
蒼いヘルトメットとプロテクター、黒い強化服を纏い、炎が起こす熱風に黄色いマフラーをなびかせた黒井響一郎は、何よりも憎むべき敵の名を、自らの名として告げた。
それは、ヘビンダーにとっても、許すべからず敵が名乗っている称号であった。
「ライダーめ!」
擦過音交じりの声で吼えたかと思うと、ヘビンダーは、自らの分身たちに命じた。
分身――と、言っても、黒井ライダーに襲い掛かった三体は、ヘビンダーのように、完全に怪人の姿に変わっている訳ではない。
そもそも、ドグマの改造人間ではなかった。
若い男二人と、同じ年頃の女が一人。
彼らの顔は、半分だけ、蛇のように変形してしまっている。
その全身に、ヘビンダーと同じように、蒼い鱗の蛇を絡み付けているが、これは、ついさっき、ヘビンダーの卑劣な策によって埋め込まれたものである。
ヘビンダーは、自分の身体から分裂した小さな蛇たちを、村人の身体に潜り込ませ、細胞を侵食し、ヘビンダーの意思を受けて操られる人形に変えてしまったのだ。
それが、ヘビンダーの言う“分身の術”である。
この分身たちを、黒井は倒す事が出来ない。
男たちが、黒井の両脇から襲い掛かる。
黒井ライダーは、身体を沈めて、横薙ぎに振るわれた二つの腕を躱した。
ガラ空きのボディに、パンチでもキックでも叩き込めば、彼らの肋骨は粉砕され、内臓は破裂して反対側から飛び出すだろう。
しかし、黒井は二人の間を駆け抜ける事を選んだ。
飛蝗の跳躍力を再現する脚力で、一気にヘビンダーとの距離を詰める。
その黒井ライダーの前に、ヘビンダーの細胞に侵された女が立ちはだかった。
「くっ……」
黒井は、繰り出したパンチを、寸前で止めた。
もう少しタイミングが遅れれば、その女の、細胞を侵食される痛みに悶える顔面を、果物のように破裂させていた事であろう。
「どうした、仮面ライダー」
ヘビンダーが、只でさえ大きく裂けている口――唇は消失している――を、更に吊り上げてみせた。
そのヘビンダーの右腕の蛇の頭が鎌首をもたげ、黒井ではなく、自分の盾になった女の咽喉笛に咬み付こうとした。
「よせっ⁉」
黒井が、咄嗟に女の身体を抱き寄せて、横手に倒れ込んだ。
ライダーに地面に押し付けられる事になり、ヘビンダーの毒牙を受けずに済んだ女であったが、その鱗の浮かんだ両手が、黒井ライダーの咽喉元に駆け上がって来た。
強化服と、マフラーを固定している金属製のリングの為、黒井ライダーに頸動脈絞めの類の技は効かない。
だが、今まさに助けた女が、自分の身体の下から頸を絞めようとしている――その事は、黒井の心を深く傷付けた。
ヘビンダーに操られている事は分かっていても、だ。
黒井は、女の腕を握り潰さないように手を外し、横に転がった。
膝立ちになってヘビンダーを睨む黒井の背後から、分身にされた男たちが蹴り付けて来る。
ガードしただけの心算だったが、鉄のレガートは、蹴り掛かって来た男の脚を逆に折り曲げてしまった。
「きゃーっ!」
黒井が乗って来たトライサイクロンの傍に避難していた村人の中から、女の甲高い悲鳴が上がった。
ヘビンダーの分身が、黒井に蹴り掛かって脚を折られた男に入り込んだ時、
“兄ちゃん⁉”
と、叫んだ女だ。
彼らは、ヘビンダーの分身として、黒井に襲い掛かっているが、本当は、この山彦村の住人たちなのだ。
彼らは、誰かの兄であり、娘であり、やがては父や母となるであろう未来が待っていた。
それを、黒井は奪う事が出来ない。
黒井も亦、かつて、最愛の妻と娘を理不尽に奪われているからだ。
ヘビンダーを、黄色い複眼越しに睨み付ける。
ヘビンダーの前には、分身にされた女が、血の涙を流しながら両手を広げている。
片方の唇がなくなり、鋭利な牙が覗いていた。
もう片方の、紫色に変色した唇が、小刻みに動いていた。
“ご免なさい”
“ごめんなさい”
“ゴメンナサイ……”
そう言っている。
それなのに、長く延び、太く膨らんだ舌と、鋭い牙の所為で、まともな声にならない。
黒井が、ヘビンダーを睨みながら立ち上がると、背後で、分身の男が、脚を折られた男と共に立ち上がって来ていた。
見れば、男の折れた足には、骨がなくなっている。
いや、なくなっているのではなく、再生された骨が、蛇の胴体のように変えられてしまっているのだ。
そこまで、ヘビンダーの分身による肉体の浸食が、進行してしまっている。
「ヘビンダー……貴様、許さんっ」
黒井が、鎖をも噛み千切る
しかし、許さんから、どうだと言うのか。
「やめてぇ!」
「娘を殺さないでくれ⁉」
「兄ちゃん!」
村人たちが、ライダーに言う。
仮面ライダー・黒井響一郎が、自分たちを助ける為に戦おうとしているのは分かる。
だが、同じ村の住民たちを殺さないで欲しいと願う事も、仕方のない事であった。
彼ら三人を犠牲にして生き延びる――理屈では許容出来ても、納得など出来ない。
黒井は、胸の前に持ち上げた右手首を、左手で握った。
「さぁ、どうする、仮面ライダー」
ヘビンダーが、黒井を煽る。
黒井は、鉄の装甲越しに自らの昂る脈動を感じ、その熱を孕んだ手を鉤爪にして、ヘビンダーに向けた。
蒼い装甲に、炎の赤が反射している。
その胸の内にも、火が燃えていた。
仮面ライダー――
仇敵と言うべきその名を、自ら告げるその決意を、黒井は思い出していた。
けれどもすぐに回想に戻ります。
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第二十九節 鬼士
「凱鬼士と言ったわ」
マヤが黒井たちに告げたのは、ショッカー首領に、聖櫃――“空飛ぶ火の車”についての情報を与えたという男の名であった。
マヤは、その人物の血統、即ち、凱族の歴史について語った。
チンギス=ハンの子孫、その一派。
そして、一大騎馬民族の君主が、兄によって都を追われた悲劇の英雄である事。
エルサレム教団によってパレスチナから消えたユダヤの秘宝・聖櫃を起動させる、三種の神器の内、霊玉を再び中国に持ち込んだのが源義経であるという事だ。
「まぁた、トンデモ話か」
と、ガイストが言った。
マヤが話を続ける。
「半世紀ばかり前の事よ」
「五〇年前?」
「首領が、チベットにいた事は知っているわね?」
マヤが克己を見た。
克己は、太平洋戦争直後、首領から連絡を受けてドイツより来日したイワン=タワノビッチを、ショッカーの日本に於ける拠点となる浜名湖の地下へと案内している。
その際、克己は、日本軍が秘密裏に開発していた生物兵器ヨモツヘグリと戦い、栄光あるショッカーの一員となる証を立てている。
その後、イワンと、彼に先んじて日本に来ていたバカラシン=イイノデビッチ=ゾルらと共に、チベット僧の姿をして現れたヘールカという男と出会った。
彼が、イワンやゾルを、ナチスから引き抜き、ショッカーを組織する事となる男である。
首領については、多くが謎に包まれているが、チベットではチェン=マオと名乗っていた。
そこでは、主に交霊術を生業としており、死者を霊界から呼び戻す様子を見せて、密教集団を形成していたという。
「首領は、人類をあるべき形に統治する組織を求めて、各国を旅していたわ。そこで、中国に足を踏み入れて、凱鬼士と出会ったのよ。尤も、出会ったと言うよりは、拾ったと言うのがそれらしいわね」
「拾った?」
「凱鬼士は、瀕死の重傷を負っていたのよ。自らの一族に反旗を翻して、ね」
凱族を始めとした、チンギス=ハンの子孫たちであり、源義経が中国へ持ち出した勾玉を守る火の一族たちに対して起こした、クーデターの事である。
鬼士は、気性の荒い男で、一日に一度は血を見ねば済まなかった。
そんな鬼士は、自分の一族の使命に疑問を抱いた。
そして、一族が守る力の存在を知り、自分の祖先が抱いた大いなる野望と復讐心を受け継いだとうそぶき、聖櫃を手に入れる事を目論んだ。
鬼士によって、他の一族からも幾らかの賛同者が集められ、一族に対して反乱が起こされた。
同じ血を分けた一族同士の、血で血を洗う、無残な殺し合いが、軍閥の闊歩する中国の歴史の陰で行なわれていた。
敵味方問わず、多くの者たちが傷付き、死んでゆく。
この戦いの中で、鬼士も重傷を負い、勾玉は凱族の長老――鬼士の祖父である鉄玄によって、何処かへと持ち去られてしまった。
その、危うく死に掛けていた鬼士と、チェン=マオが巡り合った。
チェン=マオは、鬼士の生命を助け、鬼士から“火の車”についての情報を得た。
しかし、鬼士は、聖櫃についての全てを相承した訳ではなかったから、僅かな手掛かりから世界各国を巡る他にはなかったのであった。
「で、その凱鬼士は、どうなったんだ?」
「イワンが手術を施した……」
と、克己が言った。
「え?」
「俺や、あの男とは違い、手術に適合する特異体質ではなかったが、危うく死に掛けていたというのが良かったのかもしれんな。オリジナル部分を殆ど持たない為に、幾度となく改造を繰り返し、精神にまで異常をきたして、残虐性を増してゆく事になった」
あの男と言うのは、克己と時を同じくしてショッカーの改造人間製造実験に、自らの肉体を献上していた、後のゼネラルモンスターである。
ナチスでの“人狼化現象”に適合した彼は、ゾル大佐の指揮する“人狼部隊”の一人として戦った。
ショッカーでは、トカゲロンとして野本健の脚力を奪って本郷猛に敗れた。
後に人間ながらもデルザー軍団の末席にジェットコンドルとして加わり、日本でのライダー対デルザーの決戦に加わる事なく、ダブルライダーに倒される。
暗黒大将軍としてデッドライオンと手を組み、ストロンガーたちに挑んで野望を砕かれた。
そして、ゼネラルモンスターとしてネオショッカーを率いつつもスカイライダーによる度重なる作戦の妨害を受けて、ヤモリジンと成ってライダーを斃そうとして失敗し、その最期は、魔神提督に処刑されるというものであった。
一方、凱鬼士は、
「最後には、不死を求めて、脱皮を繰り返して何度も生まれ変わる事が出来る、ザリガニの改造人間となったよ」
「ザリガニ?」
ガイストが怪訝そうな顔をした。
マヤを見る。
「デストロン最後の大幹部、ヨロイ元帥よ」
と、マヤは言った。
奇しくも、源義経が、モンゴル平原にてチンギス=ハンとなったように、凱鬼士は、ヨロイ元帥となって日本へ帰って来たのである。
ヨロイ元帥――
ショッカー首領は、日本支部に着任した大幹部・地獄大使の死と共に、ショッカーの幹部や科学者たちを粛清し、残された一部の者たちはアフリカ奥地の秘教集団ゲルダムと結託した。
そうして設立されたゲルショッカーも、本郷猛と一文字隼人、所謂“伝説のダブルライダー”によって壊滅する。
このゲルショッカーの後を継いだのが、デストロンであった。
デストロンは、当初、ショッカー期の改造人間――薬物により特殊なホルモンを分泌させ、改造した細胞に反応させて肉体を変形させる――を武装させる、機械合成改造人間を主力として用いていた。
その技術の基礎が、ショッカー草創期の改造人間である“蠍男”にあり、改造人間を武装させるという発想が、強化改造人間のヘルメットやマシンといった“外部ユニット”という結果に繋がった事は、既に述べている。
それら機械合成改造人間たちは、しかし、ダブルライダーの手で強化改造人間第三号――否、仮面ライダーによって仮面ライダーとされた、唯一の正統な仮面ライダー、風見志郎・仮面ライダーV3の前に、尽く斃される事となる。
遂には、大幹部・ドクトルGも打ち倒され、デストロンは危機に陥った。
改造人間を製造・維持するにもコストが掛かり、その上に銃火器などで武装させるとなると倍以上の資金が必要になる。
デストロンの主力部隊であった機械合成改造人間らが、ショッカーよりも早い期間で壊滅させられたのは、その為である。
資金繰りに困ったデストロン大首領は、ドーブー教を信奉するキバ一族や、まんじ教教祖・ツバサ大僧正率いるツバサ一族らと結託した。
ヨロイ元帥配下のヨロイ一族兵団も、その一つである。
彼らも亦、ダブルライダーにV3を加えた三人の仮面ライダー、そしてデストロンを裏切った科学者・結城丈二ことライダーマンらにより斃され、デストロンはとうとう崩壊する事になる。
ヨロイ元帥はデストロン壊滅に立ち合った、デストロン結託部族最後の大幹部であった。
凄まじく残酷な性格をしており、一日に一人は殺害せねば気が治まらない。
その上、非常に嫉妬深く、科学者集団のリーダーであった結城丈二が、自らを追い抜いて大幹部の座に着く事を懸念し、彼に裏切り者の汚名を着せて抹殺しようと目論んだ。
それに関して、このような話がある。
或る時、ヨロイ元帥の許に、一人の部下がやって来て、結城丈二に関する評価を聞きに来た。
彼は、結城をデストロンに引き入れた、言わばスカウト・マンであった。
これは、その時の会話である。
スカウト・マン 如何でしょう、結城丈二は?
ヨロイ元帥 ううむ、中々の奴だ。隊員たちの信望も厚い
スカウト・マン 左様で。
噂ではこのデストロンを実際に動かしているのは結城ではないか
と。
勿論、これは冗談――それ程にまで成長してくれるとは、わたくし
も鼻が高いですよ
ヨロイ元帥 (憤怒の表情で振り向いて)
たわけ者‼
(斧を取り出して、スカウト・マンを斬殺する)
スカウト・マン (悲鳴を上げて倒れる)
ヨロイ元帥 このデストロン基地のボスはこの私だ!
私以外の誰がデストロンを動かせる。冗談にも程があるぞ!
又、次のような話もある。
やはり、結城が何らかの成果を出し、部下――と、言っても、彼よりも年上の人間の方が多かった――たちと結城が談笑している時だ。
通り掛かったデストロンの戦闘員たちが、結城に頭を下げた。
結城はフレンドリーに軽く手を持ち上げて挨拶し、部下たちと歩いて行った。
戦闘員1 今のが誰か知ってるか?
戦闘員2 勿論さ。デストロン一の天才科学者、結城丈二さまだ。
戦闘員1 あの人の造った武器もさる事ながら、人柄の良さも大したものだ。
ヨロイ元帥 (戦闘員1・2の背後に立つ)
戦闘員1・2 (談笑しながら歩いてゆく)
ヨロイ元帥 おい、そこの二人、待てっ。
戦闘員1 はっ、ヨロイ元帥さま!
ヨロイ元帥 貴様ら、どうして敬礼せぬ。
それとも、結城丈二には出来ても、大幹部のこの私には出来んと言うの
か。
戦闘員1 い、いえ、決してそのような……。
戦闘員2 失礼を致しました!
ヨロイ元帥 たわけ!
(戦闘員1・2を鉄球で撲殺する)
全く、不愉快な奴らだ。
これらの話からも分かるように、ヨロイ元帥は自分が他人の上に立ち、常に敬われていないと満足のいかない性格でもあった。
そんなヨロイ元帥により、結城丈二は裏切り者として処刑されそうになった。
硫酸のプールの上で逆さ吊りにされ、ヨロイ元帥の見ている前で、じっくりと身体を硫酸に浸けさせられてゆく――
結城を特に慕っていた、阿部、平、片桐らによって助け出されなければ、全身が溶かされ、焼け爛れる苦しみに、結城は晒される事となったであろう。
この時に失った右腕を、開発していたカセット・アームで補い、V3を模して造り出されようとしていたデストロンライダーのパーツから流用した強化服を装着し、結城丈二はライダーマンを名乗って、ヨロイ元帥に対する復讐の鬼となったのである。
「だが、首領はどうして、そんな奴に幹部の座を与えたのだ?」
黒井が問う。
首領の目的としては、寧ろ、そうした者を失くしてしまうというのが、本当である筈だ。
「毒を以て毒を制す……」
「何?」
「ショッカーの理想とする世界の為の口減らし……言わば地均しよ」
「地均しだと」
「ええ。この地球を管理するに当たって、余りに人が多過ぎては、結局同じ事になってしまうわ。そうならない為にも、人間を減らしてゆく事が必要だったの」
組織が、幾度となく大量虐殺を行なって来たのは、その為である。
「人類の数を減らすという意味では、凱鬼士の性格が役に立つと、断腸の思いで判断した事でしょうね……」
マヤがしんみりとした調子で言った。
断腸の思い――その言葉に、黒井には、何か思う所があるようであった。
山田ゴロ版のヨロイ元帥、結構好き。
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第三十節 決意
予定していた半分も終わってない……。
そして3号映画がもう一年前という、ね。
雪が、庭園に積もっている。
プラトンの庭は、ホテルの庭園としては気取った感じがなく、自然そのものが、そこに生き生きと、或いは静々と存在していた。
その庭園を、黒井は、一人眺めていた。
夜――
マヤから、ドグマが欲しているという“空飛ぶ火の車”にまつわる、長く果てしのない歴史を聞き終え、解散となった、その後だ。
マヤと克己、黒井とガイストという部屋割りで、リビングの左右に分かれた。
酒が入っていた事もあり、すぐに眠りに就いた――改造人間は即座にアルコールを分解出来るが――ガイストと違い、黒井は、なかなか寝付く事が出来なかった。
そこで、部屋を抜け出して、この庭園へとやって来たのである。
風が、閨から降って来る雪の粒を流していた。
六花の結晶が更に集まった白い粒子は、風になぶられながらも地面や、生け垣に落ちて積もり、池や石の上に溶けてゆく。
その静けさの中で、黒井は、独り、物思いに耽っていた。
九年前――
黒井は、妻子を奪われた。
妻は頸を裂かれ、息子は背中を貫かれた。
その下手人である本郷猛・仮面ライダー第一号への復讐を胸に、今日まで生きて来た。
本郷の足取りを掴めない日々に、苛立ちが募り、焦燥が起こる。
そんな中で、ふと、思ってしまう事がある。
――俺は、正しいのか?
いや、これは正確ではない。
自分の所属している組織は、果たして正しいのか?
このような疑問である。
ショッカーの目的は、増え過ぎて資源を喰い潰すだけの人類の数を減らし、醜い争いに明け暮れる人間たちを管理する事で、平和な世界の実現を目指すというものだ。
それは、分かる。
言いたい事は、分かる。
言うなれば、盆栽の剪定のようなものだ。
地球という盆栽の景観を汚す、余計な人間という小枝などを、ショッカーという鋏で断つ。
それが、悪い事とは思えない。
思えないが、しかし――
この、ありのままの庭の姿を見ていると、それはどうなのであろうか、と、思う。
人の身体に機械を埋め込み、脳波を操って、誰もが笑顔のペルソナを被って生きる――
そのようなユートピアが、本当に正しいものか、黒井にはどうにも分からない。
確かに、マヤの言っている事に、感銘を受けはする。
ショッカー首領の思想が、眼の前だけではない、何年も、何十年も、何百年も先を見通したものであるという事も、分かる。
だが、ふと冷静に考えてみると、マヤが自分たちに背反しているドグマと何が違うのか、と、思う事もある。
ドグマ王国は、美しく、優れたものだけで構成される国家となる。元から美しい者、優れた者を選び取り、迎え入れる為の王国を造り上げようとしている。
それは違うと、ショッカーは言う。
ショッカーは、地球の資源を守る為に人間を減らしはするが、その為の尖兵としての人間に優れた者が選ばれるのは当然として、口減らしされる人間の美醜や優劣は問わない。又、やがて創り上げられる理想国家では、容姿や能力で差別される事はなく、争いも起こらない。
何が違うのか。
結局、人間を理想国家に導く一方で、多くの人間の生命を奪っている。
社会の様子を見てみると、ろくでもない者たちも多い。
人間社会なんて滅びてしまえと、思わないではない。
公害。
汚職。
隠蔽工作
エログロ。
ナンセンス。
何よりも――戦争。
しかし、ドグマもショッカーも、やっている事は同じではないか?
これらを失くす為に、これらと同じ事をやっている。
ドグマもショッカーも、今の社会と目指しているものは同じではないか⁉
本郷への復讐とは切り離した問題として、そのように思うのであった。
それでも、最愛の妻子のいない世界がどうなろうとも、関係ないと思う黒井もいた。
迷っていた。
その迷いを、ヨロイ元帥の話が、更に加速させた。
結城丈二を、人間染みた嫉妬から殺そうとしたヨロイ元帥。
ヨロイ元帥の悪意の中から生まれた、ライダーマンという復讐の鬼。
結城は、自分自身と、そして、自分を助けてくれた科学者の仲間たちの怨みを込めて、ヨロイ元帥に戦いを挑んだ。
大切な人を奪われ、その怨みを晴らす為に、巨大な敵との戦いに臨む。
それは、俺と同じではないか⁉
たった一人や二人で、ショッカーを破滅させたダブルライダー。
黒井響一郎に、彼らと同等の能力が宿っているにしても、その戦闘経験の差は歴然である。
その片割れである本郷猛の影の、何と巨大な事か。
結城だけではない。
黒井と同じく、三番目の男である風見志郎も、やはり愛する者を喪っている。
首領が、ショッカー以前より遂行して来た人減らし。
デストロンの暗躍を知った風見の暗殺を目論む中で、彼の両親と妹を、その礎とするかのように殺害している。
風見もこの事から、人間である事をやめ、改造人間として生きる事を選んだ。
それだけに留まらない。
神敬介・仮面ライダーXは、父と恋人をGOD機関の為に亡くしている。
山本大介・仮面ライダーアマゾンも、ゴルゴスの野望の為に住処を失った。
城茂・仮面ライダーストロンガーが改造されたのは、親友の仇を討つ為だ。
彼らも、黒井と同じく、哀しみと、怒りを背負って、強大な敵に立ち向かった。
若しかしたら、本郷や一文字も――?
そんな気がする。
そんな風に、迷いが生じる。
庭園を見つめる黒井の胸に、大きなしこりが出来ていた。
掻き毟りたい程に大きくなっているのに、決して触れる事の出来ない、しこり。
肋骨の下から腕を突っ込んで、心臓を握り潰した所で、消えない何か。
叫び出したい程の情動と、例え叫びと共に吐き出してもなくならないわだかまり。
これを感じた事は、一度や二度ではない。
戦争が終わって、自分の価値観全てががらりと変わったあの瞬間。
自分の正しさを証明する為に、強くあろうとあらゆる事に打ち込んだ。
フォーミュラ・カー・レースで勝つ為に、多くの絆を切り捨てて来た。
愛した人の顔を思い浮かべて、真夜中一人の部屋でこぼした涙。
九年前、黒井の時は止まった。
流れた血の涙を浴びて、時計の針は錆び付いていた。
その、赤黒い殻に凝り固まった時計が、じっくりと動き出そうとしていた。
「黒井――」
と、背後から声を掛けられた。
ガイストが立っている。
「いつまでもそうやっていると、風邪を引くぜ」
ガイストは太い笑みを浮かべて、言った。
「なかなか帰って来ないもんでね。心配したぜ」
「気付いていたのか」
ベッドから抜け出した事を、である。
「応よ」
「――」
「何か、考え事か?」
「……ああ」
黒井は頷いた。
そうして、今まで誰にも明かさなかった胸の内を、ガイストにのみ吐き出した。
「お前の迷いは、間違ってはいないよ」
と、ガイスト。
「マヤは、仮面ライダーたちが、ショッカーのような巨大な組織に戦いを挑み続けられるのは、その迷いがあるからだと、言っていたらしい」
「迷い?」
「ここが人間のままだからな」
と、ガイストは自分の頭を叩いた。
脳改造を受けていない事が、他の改造人間と、仮面ライダーたちとの違いであると、マヤは語った事がある。
皮肉なのは、それを知っている筈の克己が、脳改造を受けてしまっている事だ。
「ショッカーって奴は、迷いも苦しみもない理想の世界だ。だから、逆に進化しようとしない――と言うよりは、出来ない。これで完全、ここで充分と思える訳だからな。だから、お前さんのように、人間らしく迷い続ける奴は、却って強い。頭の中を弄くられた改造人間連中が、死を恐れないのと反対に、自分の為以外に死ぬのは恐ろしいからね」
「――」
「……こいつは、俺の考えだが、人間って奴は自分本位な生き物さ。だから、自分の為に何かをやれれば、そいつは人間さ」
「自分の為?」
「機械なら、そういう機能があって、そうプログラミングしてあれば、泣く事が出来る。哀しい話を聞いた時に、涙を流す事が、ね」
「機械には、自分の為に泣く事が、出来ないと?」
「自分の為以前に、自分って奴がねぇさ、機械には」
「――」
「だが、俺たちは人間以上の――機械が持つべき力が宿っている」
「機械が持つべき力?」
「機械は人間の役に立つ為に造られたんだぜ。なら、人間より優れているのが当然さ。俺たちの身体は、戦う機械よ。人間が出来ない戦いをする為の機械さ」
「――」
「そんな機械が、人間になんか成ってみろよ。それが哀しみであれ、憎しみであれ、人間よりも、機械よりも強い」
だから、と、ガイストは黒井の肩に手を置いた。
「お前さんは、最強の改造人間さ」
「――」
黒井は、驚いたような顔をした後、片方の肩と共に、同じ方の唇を持ち上げた。
「ありがとう、ガイスト。少し、心が軽くなった……」
「そいつぁ良かった」
「唯、その……」
「ん?」
「“改造人間”とか、“強化改造人間”とか……そういう名前は、やはり、味気ないと思う」
「そうだな」
「だから、ガイスト、君の……その」
黒井は、照れたように頬を掻き、眼を反らしながら、言った。
「“ガイストライダー”という名前が、少し、羨ましい」
「――」
ガイストは眼を丸くした後、黒井の背中を強めに叩いた。
「だったら、お前さんも、名乗ってみるかい」
「――」
「“仮面ライダー”を、さ」
「……しかし」
「お前さん、言ってたじゃないか。風見志郎も、結城丈二も、神敬介も、アマゾンも、城茂も、自分と同じなんじゃないか、って」
「――」
「お前さんが憎んでいるのは、誰だよ」
「……一号ライダーだ」
黒井は、妻の奈央と、息子の光弘が、仮面ライダー第一号に殺害されたと思い込んでいる。
「で、その一号は、誰だい?」
「本郷猛だ」
「“仮面ライダー”ってのは、何も本郷だけの名前じゃない。そもそも、ショッカー最強の改造人間に与えられる、そういう称号だろう」
「ああ」
「だったら、お前さん、そう名乗れよ」
「――俺が」
「第一号と第二号のデータを基に造られたのなら、お前は、三号だ」
「三号?」
「仮面ライダー第三号――どうだい、それで」
「――」
黒井は、眼を瞑り、深く頷いた。
「悪くない」
かつて、この京都を――山背国に移された都を、怨霊たちの祟りから守る為、その怨霊を神として祭り上げる事で、祟りを防ぐという方法が取られた。
敵対するものを、敢えて讃える事で、災いを避ける結界と為す。
ならば、この黒井響一郎が、仮面ライダーという仇敵を討つ為に、敢えて仮面ライダーの称号を名乗る事は、不自然な事ではあるまい。
「ガイスト……」
黒井が、空を見上げて、小さな声を上げた。
「雪が降っているな」
「ああ、降っている」
「けど、そろそろ雨になるぞ」
「雨になるか」
「ああ――そして、雨が上がったら、きっと晴れる」
「晴れるか、明日は」
「晴れるよ、明日は」
黒井はそう言った。
「だから、今は、もう少しこの雪を楽しもう……」
そして――
歪な山から吹き下ろす風に、家を焼く火の粉が舞い上がっている。
山彦村の真ん中で、火宅に囲まれながら、黒井響一郎――仮面ライダー第三号は、ヘビンダーと、彼の操る分身たちと対峙していた。
鉤爪をヘビンダーに向け、闘気を叩き付ける。
黒井ライダーの周りを、四人の敵が囲んでいた。
眼の前にヘビンダー。
その左手に女。
背後に二人の男である。
ヘビンダーの細胞を埋め込まれ、その脳波で操られているのは、この村の人々だ。
誰かの娘で、誰かの兄である。
殺す訳にはいかない。
ここで彼らを殺してしまっては、それは唯の戦闘マシンと同じである。
ヘビンダーを斃し、山彦村の人々を救う為に、彼らの同胞である若い男女を殺す――感情を全く差し挟まない、非常に合理的な、非情な機械的選択である。
黒井は、それを良しとしなかった。
その一線を踏み越えてしまえば、黒井響一郎は、単なる強化改造人間第三号だ。
戦う為の機械。
申し訳程度に人間の部分が埋め込まれた、鉄の人形。
この非合理的な迷いが、この不条理な悩みが、黒井響一郎に仮面ライダーを名乗る事を許している。
その黒井響一郎・仮面ライダー第三号は、黄色い瞳をぎらりと輝かせ、炎に照らされるヘビンダーの蒼い鱗を、じろりと睨んだ。
「ゆけ!」
ヘビンダーに命じられて、三人の男女が黒井ライダーに襲い掛かる。
素人同然のパンチや蹴りである。
しかし、ヘビンダーの細胞で強化された彼らは、生身の人間に対しては、恐ろしい兵器となる。
一方、仮面ライダー第三号のプロテクターやレガースを破壊する事は、出来ない。寧ろ、ガードされれば、攻撃した部分が破壊される。
これは、黒井の望む所ではない。
黒井は、繰り出される分身たちの攻撃を、防御ではなく回避し続ける事を選んだ。
脳に埋め込まれた人工頭脳が、鋭敏に改造された感覚から得られる膨大な情報を処理してゆく内に、脳の情報処理能力が上昇している。
脳の性能が上昇すると、人工頭脳が処理する情報の数も、更に多くなってゆく。
これらが際限なく繰り返される事で、肉体よりも、その神経伝達物質という面に於いて、他の改造人間を遥かに凌駕する反応速度が与えられる。
生身の人間に毛が生えた程度の者たちの攻撃を躱す事は、容易かった。
が、問題は、攻撃を躱してばかりでは、どうにもならないという事である。
彼らの攻撃をいなし、ヘビンダーを倒したとて、彼らの身体に埋め込まれたヘビンダーの細胞は消失するのか。
恐らく、答えはノーだ。
ヘビンダー本体が死んでも、残った細胞が、他者の栄養を喰らいながら、やがて脳を構成し、ヘビンダー・蛇塚蛭男は復活する事であろう。
彼を完全に斃すには、分身に使われた細胞まで破壊しなくてはならない。
その為には、操られている彼らに対し、非情にならなくてはならない。
「ちぃっ」
黒井は、仮面の奥で舌を鳴らし、大きく後方に跳ぶ。
距離を取った黒井ライダーを追って、分身たちが迫った。
何れも、異形に変えられた顔には苦悶が浮かんでいる。
自分たちの肉体の限界以上のパワーを、無理矢理引き出されているのだ。
早く彼らを解放してやらねば、細胞の浸食という事だけではなく、強制的に酷使された肉体に蓄積した疲労が、激痛となって彼らを襲う。
その前に――とは思うが。
「どうしようもあるまい、仮面ライダー!」
ヘビンダーが、赤い舌を見せて、笑った。
そうだ。
確かに、どうしようもない。
黒井は、そう思った。
――但し、それが、お前ならば、だ。
自分になら、出来る。
この俺にならば、彼らを救う事が可能だ。
黒井は、後退する足を止め、向かって来る分身たちの前で構えを採った。
その全身から、殺気が漲る。
ヘビンダーが、ぎょっと眼を剥いた。
やる気か⁉
彼らを救う事を諦めた――ヘビンダーは、黒井が自分の生命と彼らの生命を両天秤に掛け、自身を優先する事を決めた、と、考えた。
ライダー三号が、蒼いブーツで地面を蹴った。
大きな跳躍ではない。
鋭く、前方に向かって跳んだ。
その鉄のブーツが、彼らの頭を砕く所を、誰もが想像した。
「いやああぁぁっ!」
女が、絹を裂くように叫んだ。
その間に、三号ライダーの手刀と蹴りが唸りを上げ、三人の村人たちの肉体を打ち据えた。
倒れる分身たち。
さっきまでの劣勢は何処へやら、迷いを振り切った黒井ライダーに、ヘビンダーが戸惑っている。
そのヘビンダーの胴体を、黒井のミドルキックが薙いだ。
鈍い音がして、ヘビンダーの身体が、横に“く”の字に折れ曲がる。
手応えは弱かった。
骨が恐ろしく柔らかい為、普通の骨格ならば背骨が破壊されているような蹴りでも、受け流してしまえるのだ。
ならば!
黒井は、右の手刀を振り上げた。
「ふんっ!」
肉厚な蒼い刃が空気を切り裂き、ヘビンダーの首筋に叩き込まれた。
重量と速度を持った手は、まさにその名の通りの刀と化した。
ぞっぷりと、ヘビンダーの左肩から右の脇腹に掛けて、黒井・ライダー三号の右腕が喰い込んでいた。
「しゃあああああ~~~~っ!」
ヘビンダーの鎖骨が割れ、肋骨が裂け、その奥で脈打っていた心臓が押し潰された。
黒井は、右腕をヘビンダーの胸の中から取り出すと、左腕を振り被り、反転した軌道で、やはり頸動脈を狙った手刀を一閃する。
ヘビンダーの頸が胴体から切り離され、破裂した心臓が血液を吹き上げる。
その大量の返り血を全身に浴びる仮面ライダー第三号。
ヘビンダーが斃れた事で安心した村人たちであったが、黒井の手でとどめを刺された同胞たちに駆け寄った。
そして、声を上げた事には――
「い、生きてる!」
「心臓が動いているわ!」
「見ろ、あの化け物みたいになった顔も、元に戻ってる」
戦闘のダメージは残っていたが、若い男二人と、女、彼らは何れも生命に支障はなかった。
黒井は、その鋭敏な感覚で、ヘビンダーの分身細胞が特に強い部分を探り出し、そのピン・ポイントを狙って、チョップやキックを繰り出したのだ。
正確無比な打撃が、ヘビンダーの分身細胞だけを殺し、人々を助けたのである。
良かった、良かった――と、口々に言う村人たちに、黒井は背中を向けた。
まだ、やる事は残っている。
トライサイクロンの運転席に乗り込み、ギアをローに入れた。
巨獣の眼が光り、エンジンが唸る。
地面を、特殊素材で造られた四つのタイヤが削ってゆく。
黒井響一郎――仮面ライダー第三号は、ガイストと合流し、“空飛ぶ火の車”を狙う地獄谷五人衆を斃すべく、山の方に向かった。
皆守山――それが、“空飛ぶ火の車”の眠る山の名前であった。
独自解釈による改変と思われる設定の為、山彦村は東北ではなくなっています。
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第三十一節 宝闥
空は、蒼く澄み、大地は、銀の煌きを放っていた。
その白い河原に挟まれて、透き通った川がゆるゆると流れている。
川の両岸を繋ぐように、くねりながら、点々と、大きな石が並んでいた。
石の表面には、流れる水が浮かび上がって張り付き、その気温の為に凍て付いている。
だのに、その滑り易い、ぶつ切りにされた石の蛇の上を軽やかなステップで渡る者があった。
「よっ、ほっ……っとと」
と、甘い掛け声を発しながら、右足、左足、両足、と、凍て付いた石の上に乗せては跳ね、乗せて跳ねを繰り返す。
岸を渡り終えたら、もう一度、同じようにして反対側まで渡ってゆく。
つるりと靴が滑りそうになるそのたびに、コートの裾が翻り、するりとした長い脚が、ストッキングに包まれているのが除く。
マヤであった。
黒い髪が、冷たい空気の中を、すぅっと駆け抜けてゆく。
樹から樹に飛び移る蛇のように尾を引いて、マヤに追い付いていった。
「危ないぞ、マヤ」
と、美貌を僅かに歪めるのは、黒井であった。
積もった雪が照り返す陽光に眉を潜めながら川岸に立つ黒尽くめの美男子は、写真に収めたくなる程の色気を纏っていた。
泥のような炎を孕んだ眼の奥に、けれども、青白く光る日本刀のような、鋭利な香りが漂っている。
雪の夜が明けて、青空が覗いた、まさにこの場所と同じような雰囲気が、衣装の為に引き締まった長身からまろび出ている。
「平気よ、っと」
とん、
とん、
とんっ、
と、マヤが素早く飛び石を渡って来た。
黒井の前に立って、子供のように、にっこりと微笑んでみせる。
二〇センチは下にある異国の女の、いつもの蛇の笑みとは違う表情に、黒井は少し戸惑った。
「あら、楽しそうじゃない」
マヤが、黒井の肩の向こうを覗き込んで、言った。
振り返ってみれば、ガイストと克己が、雪を掻き集めて、積み上げている。
雪だるまを作っていた。
「子供じゃないんだから……」
呆れて白い息を吐く黒井に、ガイストが、
「遊び心は、忘れちゃいけねぇぜ」
と、言った。
大雑把に積み上げた雪を、手や、拾って来た大き目の石などで削り、形を作ってゆく。
出来上がろうとしているのは、どうやら、アポロガイストの仮面らしい。
両脇に太陽のフレアを思わせる飾りのある兜だ。
Xライダーの前に敗れた彼が、ショッカー基地にて蘇生された時、黒井ライダーは彼と戦っている。
「どうよ」
と、胸を張るガイスト。
父である呪博士の事は忌み嫌っていても、脳改造が為されていたとは言え忠誠を誓っていたGOD機関や、自分が改造された姿であるアポロガイストには、愛着があるらしい。
大文字山を背に、太陽神の化身の兜が、悠然と存在していた。
「さて、残りの話を聞かせて貰おうか」
満足げに、かつての自分を眺めた後、ガイストがマヤに言った。
「“空飛ぶ火の車”を、ドグマの手から守り、手に入れろってんなら、そいつが何処にあるのか、教えて頂きたいのでね」
「ええ、勿論」
マヤが頷いた。
これまで――
“空飛ぶ火の車”は、イスラエルの秘宝ロスト・アークである、
“火の車”を日本に持ち込んだのは、火の一族である、
火の一族とはイエスの直弟子エルサレム教団の一部である、
火の一族はシルク・ロードを経由して、やがて日本へやって来た秦氏である、
“火の車”を目覚めさせるには、三種の神器が必要である、
三種の神器とは、日ユ同祖論に基づく、
アロンの杖=草薙剣
マナ=八尺瓊勾玉
十戒石板=八咫鏡
である、
この内の勾玉は、源義経によって中国大陸に運び去られた、
という事が、明かされている。
この、遥かなる龍の記憶を手に入れる事を、ドグマのテラーマクロに命じはしたものの、彼には渡さないというのが、マヤ、ひいてはショッカー首領の判断であった。
しかし、“火の車”が何処にあるのか分からねば、守りようがない。
昨夜は出来なかったその話を、しようとしている。
「皆守山よ」
マヤが告げた。
「皆守山というと……」
「確か、長野県にある山だったな」
黒井が言った。
「松代群発地震の震源地だ」
松代群発地震とは、一九六五年から一九七一年に掛けて起こった、長期に渡る地震の事である。この時の地震は、その皆守山直下で起こったという。
皆守山は、標高六七九メートルと六四二メートルの二つの峰から成っており、その間の部分がへこんだようになっている山だ。
その地下には、縦三キロ、横に一・六キロ、深さにして四〇〇メートルの空間が存在したとされ、山の形が拉げているのは、この空間が潰れてしまった為であると言われている。
中腹には、天岩戸と言われる、古墳のような石室がある。
又、山頂には広い台地の中程に熊野神社があり、その近くには底なし沼と言われる沼があった。
先の松代群発地震以降、一般に知られるようになった山であるが、太平洋戦争中には、日本帝国軍により、山中に大本営の施設が掘られている。総帥部や、皇族を疎開させる為に計画したものである。
「そこに、“空飛ぶ火の車”が封印されているのか?」
「そうよ」
「だが、何故?」
「“火の車”を守る一族が、その麓に住んでいるわ」
「ほぅ?」
「正確には、東北にいた火の一族たちが、移り住んで来たのよ」
パレスチナからシルク・ロードを経て中国に入り、朝鮮海峡を渡って日本へとやって来た火の一族たちは、現地を支配していた、古代イスラエルの系譜を同じくする者たちと合併し、大和政権を樹立した。
その後、ひとたびは抹殺され掛かったその血筋を、平安京遷都によって取り戻したが、東北の鬼・悪路王、即ち阿弖流為討伐の為に、イスラエルの秘宝・アークの力を利用される事を嫌い、迫害を受ける事になる。
この時、火の一族たちは、朝廷に追いやられて東北へと逃げ、蝦夷と合流する。
征夷大将軍となった坂上田村麻呂は、阿弖流為の怨念と共に、彼らを東北に封印した。
この時点で、先ず、封印に使われた北斗七星の刀である七支刀・草薙剣・アロンの杖は、東北に遷された事になる。
それから更に時は巡り、源氏と平家の争いが開幕する。
源平合戦を勝利に導いたのは、鴉天狗の弟子であり、東北とも縁が深い武将、牛若丸・遮那王・源九郎義経であった。
義経は、鴉天狗、つまり賀茂氏と交流を持っており、賀茂氏は、火の一族こと秦氏と婚姻関係にあった故にユダヤの秘宝を預かっていた。
この鞍馬天狗より授けられた勾玉の力で以て、義経は、平家を討ち滅ぼしたが、自らの命令を無視した弟を許せぬ源頼朝によって、朝廷の敵として追放される。
鞍馬天狗の裏には秦氏がおり、彼らは、義経に預けた勾玉を守る為に、義経を平泉まで逃げ延びさせ、大量の黄金と共に、再度、海を渡って中国大陸に足を踏み入れる。
ここに、勾玉・マナが、中国にある旨の説明が為されている。
では、アークを起動させる為の、エネルギーの中継地点であるという十戒石板・八咫鏡は、何処にあるのか。
「もう一つの京都……」
マヤは言った。
「もう一つの⁉」
「いえ、小京都と言うべきかしらね」
「金沢⁉」
「まぁ、金沢ではないけれどね」
「しかし、石川県という事か」
「ええ。石川県に、宝闥山という山があるわ」
「ほうだつさん?」
「ここも、古代ユダヤ教と、深い関わりのある場所よ」
「と、言うと?」
「青森に、キリストの墓があるという話は、したわね」
この事は、かつて、鉄玄が樹海に語っている。
マヤも亦、同様の事を、黒井たちにも教えていた。
「この石川県にも、イスラエル教に関わる人物の墓があるのよ」
「それは?」
「すぐに教えちゃ、つまんないわ」
マヤはぱちりとウィンクをすると、
「ヒントをあげる。皆守山の十戒石板は、元は、そこにあったものよ」
と、言ってから、
「ああ、そうじゃないな。十戒石板そのものが、かつては、そこにあったのよ」
「すると、石板に関わりを持つ人間の、墓が?」
「ええ」
「いや、しかし……」
黒井が、その人物に思い当たったようで、だが、首をひねる。
「……まさかとは思うが」
「言って御覧なさいな」
「モーセか?」
まさか、という顔をガイストがすると、マヤは満面の笑みで、
「ぴんぽーん」
と、黒井の前に指で作った丸を見せた。
「どういう事だ?」
ガイストが訊く。
「その宝闥山とやらには、モーセの墓があるというのは、何故だ。モーセは、ヨルダン川を渡る前に死んだのではなかったのか」
「イエスの例があるわ。カバラの正しさを証明したイエスは、磔刑の後に復活し、東へと旅立った。つまり、この日本に、よ。そうして、青森県で遂に命を終えた」
「モーセも、それと同じである、と?」
「『竹内文書』には、そう記されているわ」
『竹内文書』は、朝廷の命令で記述された『古事記』と異なった歴史、即ち“超古代史”、“古史古伝”を記した古文書である。
『古事記』や『日本書紀』を勝者の歴史であるとすれば、これらは歴史から抹消された闇の日本史という事になる。
偽書であり、資料的価値はないと学界では判断しているが、それらは他の資料とのすり合わせから下された判断であり、事実がどうであるかを証明する事は、出来ない。
『竹内文書』では、シナイ山に登ったモーセは天浮舟で能登にやって来て、天皇に謁見し、十戒を授かったとされる。
ユダヤの民を導いた後には、ナイル川産のメノウ石を持って再来日し、その後はイタリアでローマを建国して、三度日本へ訪れ、宝闥山で妻と共に永眠したという。
『竹内文書』の内容を信じるのであれば、モーセが十戒を刻んだ石板を授かったのは、シナイ山ではなく、能登の宝闥山であるという事になる。
「むむ……」
ガイストが首をひねった。
「おかしいな、それは」
「どの辺りが?」
「火の一族は、アークを“火の車”として改造し、日本に持ち込んだのだよな。つまり、日本に持ち込まれた時には、三種の神器の全てが揃っていた訳だ。それが、坂上田村麻呂の蝦夷討伐と、義経の追放の際に、それぞれ都から離れたのだろう。だが、宝闥山に石板があるのなら、義経が都を追われた時には、もう、石板はなくなっていたという事か?」
「十戒石板・八咫鏡は、都にあったわ。それを、義経と一緒に逃げた火の一族が、やはり勾玉と同じように持ち出してしまったのよ」
「では、その持ち出した石板を、モーセの墓であるという宝闥山に運び込んだと?」
「それも、些か異なるわ」
こういう事情があったの――と、マヤ。
「義経と共に東北に向かった火の一族……言うなれば、蝦夷と合流した者たちに次ぐ第二陣。彼らは、都から八咫鏡を持ち出した。それから彼らは、一度、能登に向かい、その後で信州に進んだのよ。東北へは、その後」
「では、何故、能登へ?」
「石板は、エネルギーを注ぐ事が出来れば、それ単体で、オーヴァー・テクノロジーの一端を使う事が出来るからよ」
「む……?」
「陰陽師たちも、ベースは道教。石板さえあれば、“火の車”の力を再現出来る……それを使わせてしまっては、義経と共に勾玉を国外に逃がそうと、意味がないわ」
「ま、待て……」
「言いたい事は分かるわ。でも、これを聞けば、納得するのではないかしら」
「――」
「十戒石板は、二枚あるのよ」
「二枚⁉」
十戒石板は、二枚で一対である。
「ええ。都にあったもの……所謂、八咫鏡と呼ばれる事になるものは、義経の逃亡と時を同じくして、運び出された」
「では、それとは別の、もう一枚の石板が、宝闥山にはあった、と」
「そうよ」
「それは、いつ、日本へ?」
「十戒石板が、八咫鏡となったそれよりも後……」
「――」
「八咫鏡とは、全く逆のルートを通って、二枚目の十戒石板はやって来たわ」
マヤは言う。
「逆だと」
「そして、その宝闥山の十戒石板は、八咫鏡よりも先に、イスラエルから消えたわ」
「……ト」
「……スト」
「……イスト」
「……ガイスト!」
脳内に響く黒井の声で、ガイストは眼を覚ました。
「聞こえているか、ガイスト」
「うむ……」
と、身体を起そうとしたが、何かに圧し掛かられているように、動かない。
どうやら、落盤に巻き込まれたらしい。
皆守山中腹の、天岩戸――御影石こと十戒石板が隠されていた石室で、地獄谷五人衆の一人・ゾゾンガーが大砲をぶっ放した。
それで洞窟が崩れ落ち、降って来る岩に、危うく生き埋めにされる所であった。
深海の水圧にも耐え得るボディとは言え、それらを弾き返すには、パワーが足りない。
「俺の位置が分かるか、黒井」
ガイストは、通信で呼び掛けた。
「分かる。今、掘り起こしてやるぞ」
黒井が返信し、それから間もなく、ガイストの身体の上から岩が退かされた。
月のない空を背にして、仮面ライダー第三号の黄色い眼が、ガイストを見下ろしていた。
「平気か?」
「問題ない」
黒井が差し伸べて来た右手を、同じく右手で掴み、身体を起こす。
瓦礫から抜け出すと、黒井が山を切り開いて登って来たトライサイクロンの脇に、ちゃっかりとアポロクルーザーが停まっている。
「こいつめ、主人を置いて行きやがって」
潜水潜陸機能を持つアポロクルーザーならば、ガイストを掘り出す事も出来たであろうが、それをしなかった事について、ガイストは言っていた。
「それより、済まん、黒井。御影石――石板は奪われた」
「構わない。奴らが“火の車”を発動させる前に、止めれば良いだけの話だ」
そう言って、自分のマシンに乗り込む二人。
すると、克己からの通信が入った。
――“火の車”が起動した場合に備え、俺はスカイサイクロンで待機して置く。
との事であった。
「ゆくぞ」
「応」
三号ライダーとガイストライダーは、黄色と緑の視線を交わし合い、愛機を発進させた。
アポロクルーザーの前方に取り付けられたガイスト・カッターが、アームによって持ち上がり、電動のこぎりのように回転して、往く手を阻む木々を伐採してゆく。
その後を、トライサイクロンの巨体が進んで行った。
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第三十二節 九郎
鴨川の畔で、マヤが、“火の車”の眠る場所について、説明をしている。
それによれば、“火の車”は長野県の皆守山に封じられているという。
だが、“火の車”を起動させるのに必要な神器の一つ、十戒石板・八咫鏡は、火の一族によって都から持ち出されたものと、それと対になるもう一枚があり、それは石川県の宝闥山にあるとの事であった。
そして、モーセの墓があるという宝闥山の石板は、八咫鏡と名付けられた石板より先にイスラエルを離れ、全く逆のルートで日本に運び込まれたという。
「ロスト・アーク……失われた聖櫃というけれど、では、それはいつ失われたのかしら」
マヤの問いに、
「それは、第一次ユダヤ戦争の折ではないのか」
黒井が答える。
この時、アークを運び出したのは、火の一族である。
つまり、原始キリスト教徒、エルサレム教団の一部だ。
「もう一つの説があるわ」
「もう一つ?」
「バビロン捕囚の際よ」
バビロニア王国により、ユダ王国が滅ぼされた時、人々はバビロニアに連行された。
これがバビロン捕囚である。
「この時、ソロモン神殿から、アークは失われた」
ソロモン神殿は、古代イスラエルの三代目の王ソロモンが建てた神殿である。
アークは、このソロモン神殿に安置されていた。
しかし、聖櫃が失われたのがこの時であるとすると、“火の車”を持ち込んだのがエルサレム教団の一部であるという話が、成り立たない。
「けれど、若し、この時に失われたアークが、全ての神器を揃えていなかったとしたらどうかしら」
「つまり、バビロン捕囚の折に十戒石板の片割れを収めたアークが、ユダヤ戦争の時に石板の半分と他二つの神器を収めたアークが、失われたという事だな?」
ガイストが確認した。
マヤが頷く。
「実際、アークは三種の神器ではなく、十戒石板のみを収めたものであるという説もあるの」
「二つの説があり、どちらかが正しいのではなく、どちらも実際にあった事が、混同されて一つの事になってしまっている、という事か」
黒井が唸った。
「そうよ」
「では、そのもう一枚の石板が宝闥山の石板だとして、真逆のルートというのは?」
「“火の車”と呼ばれる事になるアークは、火の一族が持ち出した……つまり、これは彼らが自発的にパレスチナを離れたという事だわ」
「うむ」
「でも、バビロン捕囚の時には、石板は奪われたのよ」
お前立のようなものね――と、マヤ。
お前立とは、眼に見える形で存在する本尊の事だ。
本来の本尊は人に眼には触れさせず、その化身としての本尊を信者たちに公開する。
或いは、本地垂迹説に於ける仏と神、アヴァターラに於けるビシュヌ神と一〇の化身、大日如来と諸仏諸菩薩との関係に似ている。
三種の神器が全て揃ったアークは秘宝故に隠し通し、その片割れである十戒石板は信仰の対象として表に立たせて置いた。
その、表に立っていたものが奪われた、と、マヤは言うのだ。
それに、
「イエスは、古代ユダヤ教の教義であるカバラを、水を器に移し変えるように、紛れもなく相承した。それはつまり、古代イスラエルの秘宝である三種の神器を、全てが揃った状態で受け取ったという事でもあるわ」
バビロン捕囚はイエスよりも以前の事であるから、イエスがアークを受け継いでいるのなら、バビロン捕囚の時点で全ての神器が失われているという事はない。
「で、その石板は?」
「ナイル川を遡って、エジプトに運ばれたわ」
「エジプト?」
「そして、エジプトから更に、エチオピアへと移った」
「エチオピア⁉」
「アクスムという町があるわ。エチオピア北部の町よ。そこに、アークが眠っているという話があるわ」
「ほぅ……」
「アクスムの聖マリア教会の前に、オベリスクが何本も建てられているの」
オベリスクとは、エジプト由来の、象形文字を刻んだ巨大な柱である。
神殿や宮殿の前に、左右対称に一本ずつ建て、門の役割を果たす。
尚、ルクソール神殿という場所があるが、ここのオベリスクは一本しかない。これは、もう片方の一本が、ナポレオン三世によってパリに運ばれ、コンコルド広場に建てられている為だ。
「このオベリスクは、アークの力によって建てられた、と、されているわ」
「しかし、そのアクスムから、更に移動したのだろう、アークは」
「更に西へと、進んだわ」
「西へ?」
「エジプトには、太陽信仰があるからね」
太陽は、東から昇り、西に沈む。
その太陽を崇めようとするのならば、陽が昇り来る東ではなく、陽に導かれて進む事が出来る西を向くのが自然である。
エジプトの太陽信仰に基づいて、アークは、アクスムにオベリスクを建てると、更に西へと進み、やがて――
「大西洋を横断する事になるわ」
「大西洋を⁉」
「アークは箱舟だからね。海を渡るのは、当然でしょう?」
「う、うむ……」
そして、アフリカから大西洋を渡った先にあるのは、アメリカ大陸である。
「ここにも、アークの痕跡があるわ」
「痕跡?」
「エジプトやアフリカと同じ文化が、あるのよ」
「同じ文化……」
「太陽を臨むピラミッドよ。それに、大地を蛇に見立てるという事も共通しているわ」
「大地、蛇……」
黒井が口の中で言葉を転がした。
そうして、あっと声を上げる。
「マヤか!」
すると、
「マヤは私よ?」
などと、とぼけたような顔をするマヤ。
「あ、いや……マヤ・アステカ文明の事だ……」
照れたように、腕を組み、肩を竦める黒井。
マヤは、分かってるわよ、と、笑った。
メソアメリカの文明――アステカや、トルテカ、マヤにも、太陽信仰の為のピラミッドが至る所に存在している。
彼らにとっても、大地を形成するのは大蛇であった。
アフリカには、大地を形成する“ダ”という蛇神の伝承がある。
マヤ文明の世界観でも、大地は螺旋を描く
エジプトの神々は、主に獣と人を合わせたような姿をしている。
アステカには、翼ある蛇の王、ケツァルコアトルの伝説もあった。
古代のキマイラである。
「それに、私の故郷に、こんな神話があるわ」
人類を創り上げた王には、四人の子供がいた。
獣の姿をしたものが、二人。
人の姿をしたものが、一人。
獣でもあり、人でもあるものが、一人。
王の後を継いだのは、半人半獣の息子であった。
人の姿は、神性を。
獣の姿は、戦力を表している為だ。
人の優しさと、獣の強さを持つ故に、半人半獣の息子が王となった。
彼は、王としての役目を終えた後に、人の姿をした兄弟――神官の役目を持つ者に王の座を譲り渡し、船で、西の彼方へと去った。
「この話を解釈すると、父の後を継いだ王の獣の姿というのは、力――十戒石板の事ね。半人半獣の王が去った後、人の姿しか持たない兄弟が王になったのは、十戒石板が先代王によって持ち出されたからよ」
そして、これらの時系列を整理してゆくと――
アクスムがエチオピアに運ばれたのは、四世紀頃。
メキシコの文明には連続性があり、いついつがピークであるというような事は言えないが、マヤ文明の遺跡の中で最多の遺跡発見数を誇るカラクムルは、先古典期後期から古典期、つまり五世紀から七世紀に掛けて繁栄した。
カーン王朝が起こったのが五世紀で、カラクムルが首都と定められたのが六世紀であるから、この間に十戒石板のみを収めたアークが活躍し、ピラミッドなどを建造したのであろう。
そして、十戒石板を受けた王は、西へ――再び海の彼方へと去った。
環太平洋造山帯に沿って流れる海流に乗り、日本へと。
「そうして、宝闥山に、石板がやって来た……いや、帰って来た訳か」
ガイストが言った。
「成程、確かに真逆だな……」
第一の十戒石板は、バビロニアに奪われ、川を遡り、海を越えて、日本へ。
第二の十戒石板は、火の一族が自ら、シルク・ロードを通って、列島にやって来た。
目指したのは、西と東。
全くの逆方向に、全くの逆の理由で、全くの逆の方法を採って、しかし、それらはこの日本列島で再び巡り合ったのだ。
「俺にとって、日本は地図の中でも世界の中心だが、本当にそのような気もして来たよ」
冗談めかして、黒井が言った。
「超古代史によれば、全ての人種は、日本から発生したと言うけどね」
ふふん、と、マヤが黒井の言葉に乗っかる。
しかし、まだ話は終わっていない。
「それで、その能登の石板が長野に移ったという事だが……」
義経を東北に逃がすのに力を貸した火の一族が、一度、能登に寄り、二枚の石板を長野に移動させたという話である。
「最初は、皆守山ではなかったけどね」
「すると、何処に?」
「九郎ヶ岳という場所よ」
「九郎ヶ岳?」
黒井とガイストは、顔を見合わせて、首を傾げた。
聞き慣れない名前であった。
「名前が証拠よ」
義経の名前の変遷を見ると、
牛若丸
遮那王
源九郎義経
と、なる。
この内の“九郎”という部分が、二枚の十戒石板を隠したという九郎ヶ岳の名前の由来となった。
「義経の生存説を見るに、彼は、東北の先で、自分は源義経であると公言していたようね」
義経を祀った神社が多いのは、その為だ。
更に北海道には、“ホンガンさま”という信仰の対象があるが、これは、義経が“判官”と呼ばれていたからであろうと推測されている。
“判官贔屓”というように、義経は、逃亡しながらも自らの名を高らかに告げる事で、民衆たちの同情を引き、後世にまでその名を残したのである。
時代から考えて、空海の『景郷玄書』に記されている事ではないが、三〇〇〇年にも及ぶ自分たちの系譜を記憶し続けた火の一族ならば、こうした事も記録していてもおかしくはない。
山頂を目指して、アポロクルーザーとトライサイクロンが走る。
「む!」
その途中で、ガイストが言った。
「黒井、衝撃に備えろ⁉」
刹那、夜の風を切り裂く轟音と共に、眼の前の木々が、山頂からの砲撃によって薙ぎ倒されて行った。
アポロクルーザーとトライサイクロンが、それぞれ切られたハンドルに従って、左右に展開する。
もう一度、花火のような音が迸る。
弧を描き、それは、森の中に落下して、破裂した。
真っ白い光と、茶色の土煙、爆熱によって発火した木々の隙間を、三輪バギーとスポーツ・カー・タイプのスーパー・マシンが駆け抜ける。
「何だ⁉」
「象の改造人間だ」
ガイストが、交戦した五人衆の内の三人のデータを、黒井に送った。
生体火薬を大砲から打ち出す、ゾゾンガー。
身体の縞模様を硬化して武器にする、クレイジータイガー。
鋼鉄の皮膚と怪力を備えた、ストロングベアー。
黒井が倒したヘビンダーと、頭領の鷹爪火見子を除いた三体の改造人間である。
そうしている内に、黒井とガイストの周囲を、ゾゾンガーが降らせて来る爆撃が襲う。
小回りが利くとは言えない二つのマシンが、良くそれらを躱せるものであった。
「なかなか、正確な砲撃だ」
黒井が、仮面の内側で呟いた。
「とすれば――」
ふふん、と、ガイストが浮かべている笑みが、Gマスクとパーフェクターの奥から覗けるようであった。
「やるぞ、三号」
「おう、ガイスト」
仮面ライダー第三号と、ガイストライダーの反撃が、始まる。
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第三十三節 皆守
「そうして、三六年前――」
マヤがそのように言うのを、克己は、雪を削りながら聞いていた。
しかし、それを音として捉え、その言葉を理解していても、それ以上の事は克己には分からない。
一〇年前、松本克己は、ショッカー最高幹部の一人・地獄大使によって頭蓋を穿孔され、記憶や余計な感情を消去され、ショッカーへの忠誠心を埋め込まれている。
だから、言葉を額面通りにしか捉える事が出来ない。
それはそうと、“火の車”が眠る場所についての説明は、とうとう最後のパートに入ろうとしていた。
「終戦……」
黒井が、マヤの言った年代を思い出した。
一九四五年――
国民皆兵、一億総火の玉を謳った日本は、二度の原子爆弾の投下によって、それ以上の犠牲を出す事を厭い、ポツダム宣言を受諾して、戦争を終えた。
黒井の価値観を一転させた、敗戦の年であった。
「その年、中国から、勾玉――光る石が、日本に戻って来たわ」
「凱鉄玄……ヨロイ元帥の祖父さんが、持っていたものだな」
「そうよ。それが、樹海という拳法家に渡された」
「樹海?」
「赤心少林拳の開祖よ」
「と言うと、スーパー1の……」
仮面ライダースーパー1・沖一也は、赤心少林拳の門弟である。
その師は、玄海だ。
玄海に赤心少林拳を教えたのが、この樹海である。
そして、玄海と共に樹海から少林拳を学んでいたのが、黒沼鉄鬼だ。今のテラーマクロである。
「鉄玄は孫……凱鬼士から“火の車”を守る為に、樹海に光る石を渡した。それは、彼に、日本にいる火の一族に、“火の車”を守らせる為よ」
「それで、樹海とやらは、長野へ?」
「ではなく、秋田よ。玄又山の近辺に住んでいた火の一族に、光る石を渡したわ」
「東北か。しかし、“火の車”を守る為と言うのなら、十戒石板のある九郎ヶ岳に直接向かわせれば良かったのではないか」
「凱族は、日本での火の一族程、かつての歴史の情報を持っていなかったのよ」
「何故だ」
「中国という国の特性かしらねぇ」
「中国?」
「焚書よ」
「焼失して……させられてしまったという事か?」
皇帝が全ての中心であった、中国の歴史の中では、幾たびもの価値観の変遷と、それに伴う焚書が執り行われている。
例えば、皇帝が仏教を信仰していれば、儒教や道教の書物は焼かれ、宗教家たちは殺されて埋められる。逆もまた然りだ。
焚書坑儒、などという。
「火の一族だって例外じゃないわ。元は、原始キリスト教だからね」
「邪教も邪教という訳だ」
ガイストが言うと、マヤは、首を横に振った。
「そういう事はないわ」
「え?」
「中国にも、キリスト教は伝わっていたわ。これは、今で言う白人のキリスト教ね」
「――」
「景教……ネストリウス派っていうのだけれど、まぁ、これは良いわ」
と、簡単に話を切り上げて、
「恐らく、火の一族の手元には、殆ど史料が残っていなかったのではないかしら。アークや、神器については兎も角……」
「しかし、日本の東北地方に、火の一族らがいるという事は、分かっていたのだろう」
「それについても、『景郷玄書』に依ったという所でしょう」
平安京遷都の時期前後に、朝廷と火の一族との確執が起こった。
そして、少なくとも阿弖流為が処刑される八〇二年までの間に、火の一族は日本列島の東側に移動していた。
これについては、空海の『景郷玄書』にある。
『景郷玄書』は、空海が、唐で記し、長安の青龍寺に残して来たものだ。
それを、鉄玄は閲覧した。
火の一族の歴史については、この書をソースとしたという事である。
そうして、火の一族の歴史を知った鉄玄は、光る石を樹海に託し、樹海は玄又山で火の一族に霊玉を渡した。
樹海から霊玉を受け取った火の一族は、自分たちを東北に封じていた七支刀を回収して、九郎ヶ岳へ向かい、鉄玄が樹海に霊玉を渡した意図を察して、十戒石板を皆守山に移動させた。
こうして、火の一族たちは、三種の神器と共に皆守山の麓に集結し、山彦村を作り上げた。
これが、約三〇年前の事である。
「そして、一〇年前」
と、マヤ。
「松代地震の頃だな」
「あの群発地震は、“火の車”が建造されたその余波とでも言おうかしらね」
「どういう事だ⁉」
「さっきから、“火の車”が眠っているとか、封印されているとか言っていたけど、“火の車”という兵器自体は、戦後数年して山彦村が誕生し、それから三〇年近くを掛けて建造したものよ」
「戦後数年?」
「建造を始めたきっかけは、一九四八年」
その年に、何があったのか。
火の一族と関係のある事件と言えば……
「イスラエルの独立⁉」
黒井とガイストが声を揃えて言うと、マヤは顎を引いた。
一九四八年、イスラエルは独立を宣言するものの、幾度となく戦火に晒されて来た。
日本に残る光の一族らは、そのルーツを辿れば、エルサレム教団に至る。
自分たちのルーツであるイスラエルの事は、遠く海を、絹の道を隔てていても、無関係という訳にはいかなかった。
このイスラエルの戦争に感化された、一部の過激派たちが、“空飛ぶ火の車”を完全に再現する――兵器として完成させようという動きを起こした。
太平洋戦争末期に帝国軍が置いた大本営、そこに残された重火器や建築材、そして東北から運搬した黄金などで、“空飛ぶ火の車”をでっち上げたのである。
「と、まぁ、そういう事よ……」
そう言って、ふと視線を巡らせたマヤが、
「あら」
という顔を作った。
その視線の先を追ってみると、克己が、ガイストと二人で作っていたアポロガイストの雪だるまに手を加えて、ショッカーのエンブレムに作り替えていた。
「あッ、か、克己!」
ガイストが、側頭部のフレアを翼に、顔を大きく削って鷲の胴体に挿げ替えてしまっていた克己の傍に、駆け出して行った。
「こいつ、人の力作を!」
そう言って、克己にヘッド・ロックを掛けた。
しかし、克己はつるりとガイストの腕を擦り抜けてしまい、スリップして顔から雪に突っ込んだガイストに手を差し伸べた。
「おいおい、お前たち……」
呆れている黒井であったが、唇が、優しく持ち上がっている。
「良い出来ね」
マヤが、じゃれている克己とガイストの傍の、ショッカー・エンブレムの雪だるまを見て、感想を述べた。
「写真でも撮りましょうか」
「ん?」
マヤは、克己に言ってカメラと三脚を撮りに行かせると、タイマーをセットして、雪だるまの前に四人で並んだ。
マヤが、雪だるまの左側。
その外側に、克己。
雪だるまの右には、ガイスト。
彼と黒井が、肩を組んでいる。
ぱしゃりと、シャッターが切られた。
皆守山山頂――
ゾゾンガーは、ひっきりなしに、右肩から生えた大砲を、空に向かって撃ち出していた。
伸び上がった生体砲弾が、弧を描いて山中に落下する。
落下地点には、トライサイクロンとアポロクルーザーがある。
黒井とガイストは、その砲弾の雨から逃げ回っていた。
鷹爪火見子が、“火の車”を起動させるまで、彼らに邪魔をさせる訳にはいかなかった。
火見子の姿は既にそこにはない。
山頂にある沼に飛び込んで、それなりの時間が過ぎている。
その沼は、皆守山の地下まで続く入口であった。
沼の底へ底へと沈んでゆくと、やがて、通路に出る。
通路を更に下ってゆくと、重力が弱まっている空間がある。
山の形が拉げている原因と言われている空洞だ。
この時点で、登って来た以上の距離を下っている事になる。
その空洞に、集結した火の一族たちによって建造された“火の車”が隠されている。
“火の車”を起動させるのに、石室から持ち出した御影石――十戒石板の片方と、五振りの霊剣が必要だ。
この起動に、時間が掛かる。
幸いな事に、“火の車”が隠されている空間は周囲を頑丈な岩の層で覆っている為、スカイサイクロンで空中から爆撃したり、アポロクルーザーで潜行したりするなら、かなりの時間が掛かってしまう。
“火の車”の許へ向かうには、山頂の沼から飛び込むしかない。
こうして、ゾゾンガーが砲撃を続けている限り、黒井とガイストは、“火の車”が動き出すより早く山頂に着く事は出来ない。
“火の車”さえ起動してしまえば、愚かにも自分たちドグマに歯向かう仮面ライダーたちを木っ端微塵に粉砕する事は、造作もない……
ゾゾンガーは、地獄谷道場で共に改造人間となる為の訓練を重ね、しかし、ライダーに挑んで敗れた同胞たちの仇を討てる事を、愉しみにしているようであった。
と、その脳内に、同じく五人衆の一人、大虎竜太郎――クレイジータイガーの声が響いた。
――象丸、砲撃をやめろ⁉
何か⁉
そう思って、爆撃をやめた。
顔を山の斜面に向けた。
暫くして、トライサイクロンが、ゾゾンガーの横手の茂みから飛び出して来た。
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第三十四節 双蹴
クレイジータイガーとストロングベアーは、山中に潜み、駆け上がって来るトライサイクロンとアポロクルーザーの動向を観察していた。
ゾゾンガーに、脳波通信で黒井たちの位置を報せ、そこに砲弾を撃ち込ませる為だ。
幾らゾゾンガーと雖も、山の上から、正確に黒井とガイストを狙う事は出来ない。
クレイジータイガーとストロングベアーが、自分たちが巻き込まれない位置を確保しつつ、彼らの居場所を、狙撃手たるゾゾンガーに教えていたのである。
所が、右往左往していた二つのマシンの動きが変わった事を、クレイジータイガーが見抜いた。
「何か、変だぞ」
少し離れた場所にいるストロングベアーに、通信で呼び掛けた。
それに同意する声が、返って来た。
あの二台のマシンの動きが、些か単調になっている。
さっきまでは、着弾位置を予想して、様々な走行パターンで逃げ回っていたのが、今は、同じように着弾位置を予測してはいるものの、“ここに来たら、こう避ける”、“あそこに来るから、こう動く”と、何処となく機械的な回避に変わっていた。
機械的……?
クレイジータイガーが、首を傾げる。
この時、この虎の頸が、本当に傾げられたのが、彼の生命を救った。
びゅぉん、と、顔の横を、疾風が通り抜けてゆく。
毛皮の奥の肉が、ぶっつりと裂け、血がこぼれて来た。
「ぐぉっ⁉」
振り返ると、樹から伸びる太い枝に上っていたクレイジータイガーのすぐ後ろに、蒼いプロテクターが佇んでいた。
「ちぃっ」
黒井響一郎――仮面ライダー第三号は、樹の幹を蹴る。
ばりばりと音を立てて、クレイジータイガーが上っていた樹が、中頃から折れていった。
クレイジータイガーは咄嗟に飛び退いて、地面に降り立つ。
黒井ライダーも、同じであった。
――熊嵐!
脳内で呼び掛ける。
すると、クレイジータイガー・大虎の脳を、強い殺気が叩いた。
ストロングベアー・熊嵐大五郎が、対峙した相手に向けた闘志、殺意が、その脳に入り込もうとした大虎の意識に叩き付けられたのである。
ストロングベアーも、ガイストライダーと向かい合っていた。
黒井とガイストは、砲撃の煙に紛れてマシンから飛び降り、恐らくはゾゾンガーに自分たちの位置を教えているであろう二体の改造人間の居場所を探り当てたのだ。
「少々、爪が甘かったようだな」
黒井ライダーが、手首を握り、言った。
「ごぁぁっ!」
クレイジータイガーが咆哮し、自ら三号ライダーに躍り掛かってゆく。
鋭利な爪が煌めき、虚空を裂いた。
黒井は、ステップ・バックで爪を躱し、身体を沈めつつ回転して、後ろ蹴りでクレイジータイガーのボディを打ち抜いた。
牙の間から、胃液を漏らしつつ後退するクレイジータイガー。
「来い!」
黒井が、左の鉤爪を前にして、言った。
ストロングベアーの、左腕の鉄球が唸り、ガイストの背後にあった樹の表面を抉った。
ぱらぱらと、木っ端が舞い、地面に落ちる。
アポロ・フルーレを構えたガイストは、踏み込みざまに、ストロングベアーの咽喉元に、切っ先を突き入れて行った。
針のように細い剣先が、ストロングベアーの咽喉を貫き、頸を覆う鋼鉄の皮膚の裏側に、かつんと当たる。
「ごげぇっ」
ストロングベアーが吼えた。
咽喉を貫かれ、しかも、咽喉の中でしなって釣り針のように歪んだ剣先に、肉を引っ掻かれたのである。
ガイストライダーはフルーレを引き抜き、更に二度、三度と振るった。
狙ったのは、両腕の関節である。
ぞっぷりと肘の筋が立たれ、ストロングベアーの両腕は、もう持ち上がらない。
「考えてみれば、難い相手ではない……」
ガイストが、静かに言った。
ストロングベアーの皮膚は、鎧である。
他の改造人間の打撃程度では、とても徹らない。
しかし、その鎧を着たまま戦闘を行なうには、関節の隙間が必要だ。
そこは、どうしても、鎧よりも強度を落とさざるを得ない。
この間隙を狙うのに、アポロ・フルーレは最適な武器であった。
良くしなり、切断能力に優れた刺突剣。
アポロ・フルーレを、ガイストはストロングベアーに突き付けて行った。
ストロングベアーが、回復するまでは持ち上げられない両腕を垂らしたまま、ガイストに背を向ける。
木々の間に逃げ込んで行った。
「逃がさぬ」
そう思ったガイストのすぐ眼の前を、ゾゾンガーの砲撃が襲った。
地面が破裂し、土が舞い上げられ、煙幕が視界を覆う。
その煙の中から脱出するよりも早く、ストロングベアーの巨体が、頭上から覆い被さって来た。
ガイストの前から逃げ出し、ゾゾンガーに砲撃地点を教えると共に手頃な樹に登って、ガイストの視界が封じられている内にボディ・プレスで押し潰そうとしたのだ。
所が、ガイストは、両脚を胴体の方に抱え、自ら倒れ込みながら、ストロングベアーの身体を受け止めた。
流石に、鋼鉄の鎧を纏った重量に、ガイストの強化服が軋む。
しかし、ガイストは、ストロングベアーの両脚に自分の脚を絡ませ、頭部を相手の胸の方にやりつつ、両手をストロングベアーの腰の部分でクラッチした。
ストロングベアーが、その行動の意味を理解する前に、ガイストは動いた。
胸の奥のブラック・マルスを起動させ、全身に漲るパワーで、腰を跳ね上げる。
ガイストに抱えられたストロングベアーは、後転するガイストに巻き込まれて、顔から地面に突っ込んだ。
ぐるり、と、一回転して、ガイストが上になる。
「まだまだ、ゆくぜ」
そう呟いたかと思うと、ガイストは又も後転して、ストロングベアーの頭部を地面に打ち付けた。
起き上がり、後転する。
後転して、起き上がる。
向かい合った二つの身体は、地面を転がる車輪と化していた。
しかも、その勢いは後転を繰り返すたびに増しており、地面に叩き付けられるよりも、回転に巻き込まれて、脳が揺さぶられるダメージが蓄積されて行った。
山の中を駆け巡る地獄車。
その行く先は、振り続ける砲弾をオートで避けるトライサイクロンとアポロクルーザーのすぐ傍を駆け抜けて、同じく格闘している黒井とクレイジータイガーの許へと向かっていた。
「来たか」
黒井は、クレイジータイガーが振り下ろした槍を躱し、バック・ブローで敵の顔面を叩きながら、呟いた。
体勢を崩したクレイジータイガーだったが、ライダー三号は、背中を向けている。
その、飛蝗の翅を模したようなデザインの背に、槍を突き付けて行った。
すると、黒井は、それが見えていたかのように跳躍する。
黒井ライダーの消えた空間に、土煙が見えた。
その奥から、回転する黒い車輪が接近している。
回避する間もなく、クレイジータイガーは、そのガイストライダーとストロングベアーの作り出す地獄車を、身体の正面にぶち当てられ、吹っ飛んだ。
ガイストはそのタイミングでストロングベアーを解放し、黒井の横に立ち上がる。
クレイジータイガーは、ストロングベアーに押し倒されながら、幾らかの樹を薙ぎ倒してゆく事となった。
「ど、退け、俺の上から早く退け⁉」
眼を回している為、すぐには立てないストロングベアーに、クレイジータイガーが言う。
「手を貸してやるよ」
黒井がそう言って、ストロングベアーの腕を掴んで、引き起こした。
ストロングベアーの顔を覗いてみると、眼がまさに白黒している。
しかし、アポロ・フルーレで付けられた傷以外は、殆どダメージがない。
「頑丈だな、君は」
黒井が言う。
と、彼らの背後に、ガイストがアポロクルーザーを呼んでいた。
その瞬間、山頂から、火薬の炸裂する音が聞こえた。
ゾゾンガーが発砲した。
その狙いは、恐らくアポロクルーザーだ。
「象丸、砲撃をやめろ⁉」
クレイジータイガーが叫んだ。
しかし、もう遅い。
黒井が、ストロングベアーを抱きかかえ、身体の前にやった。
ストロングベアーの黒光りする皮膚に、尾を引いて落下して来るゾゾンガーの砲弾が、ぶつかってゆく。
地面よりも硬いストロングベアーの肉体に着弾した砲弾は、内包した火薬を着弾の衝撃で爆発させ、周囲の木々を圧し折り、地面を削ぎ飛ばして行った。
その衝撃波の中心に、ストロングベアーを盾にした黒井ライダーと、ガイスト・カッターで身を守ったガイスト、咄嗟に全身の縞模様を硬化させて鎧にしたクレイジータイガーがいた。
ストロングベアーの鋼鉄の皮膚が、ぼろぼろと崩れ落ちてゆく。
その奥から、赤々とした筋肉と、機械の臓器が覗いていた。
黒井は、ストロングベアーの身体を放り、ガイストの横に並ぶ。
「き、き、貴様ら、それでも、正義の味方か⁉」
クレイジータイガーが、間抜けな事を言う。
世界征服を企むドグマは、悪。
それと戦う仮面ライダーは、正義。
まことしやかに囁かれる都市伝説では、そのように言われている。
「勝てば正義、敗ければ悪……」
黒井が、冷たい声で言った。
言いながら、右足を引いた。
腰を、ぐっと落とす。
その隣で、ガイストも、同じように姿勢を低くしていた。
ライダー三号の脚部の機械が、強烈にピストンを始める。
ブーツの底に仕込まれたスプリングを、限界まで縮めているのだ。
「とぉっ――」
地面を陥没させながら、三号、ガイストが跳ぶ。
深い闇の空を背に、二人の改造人間の姿が浮かび上がる。
風が、タイフーンの風車ダイナモを回転させる。
撓んだスプリングを再び収縮させる回転であった。
ガイストは、ブラック・マルスからのエネルギー供給により、左足の先にパワーをチャージしていた。
瀕死のストロングベアーが、クレイジータイガーの身体を押し飛ばした。
上空から迫り来るライダーたちに対し、腕を広げる。
黒鉄の鎧を引き剥がされたストロングベアーの胸を、ダブル・キックが打ち抜き、その衝撃は生命活動を維持する機能を停止させ、それと同時に改造体の情報を隠滅する為の小型爆弾を作動させた。
小型とは言え、人体を粉々に吹き飛ばす威力を持った爆発が巻き起こした風に、生き延びたクレイジータイガーの表皮も爛れ、吹き飛ばされ、太い樹の幹に強く頭を打ち付けたのであった。
爆炎に背を向け、黒井とガイストは、それぞれ自分のマシンに乗り込んだ。
そうして――計らずも味方が倒されるのに助力をしてしまったゾゾンガーの所に、トライサイクロンに乗った黒井響一郎・仮面ライダー第三号と、アポロクルーザーを駆るガイストライダーが到着したのである。
すぐさま思考を切り替え、大砲をライダーたちに向けるゾゾンガーであったが、それよりも早くガイストのアポロ・ショットが火を噴き、銃弾が、ゾゾンガーの大砲の銃口に吸い込まれて行った。
ゾゾンガーの生体火薬が、発射される前に、筒の中で爆発し、ゾゾンガーの右腕は粉微塵に吹っ飛ぶ事になった。
「“空飛ぶ火の車”は、貴様らには渡さん」
黒井が言った。
生体火薬の爆発が、傷を焼いた為、ゾゾンガーの腕からは出血がない。変わりに、改造人間であるにしても重度の火傷が、ゾゾンガーの身体を蝕んでいた。
主力武器を失い、二人の強化改造人間を前にしたゾゾンガーに、勝利のヴィジョンはない。
潔く散るならば、せめてこの二人を巻き込み、ドグマの礎となろう。
そのようにゾゾンガーが考えた時であった。
皆守山を、強烈な揺れが襲った。
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第三十五節 羅龍
東京――
蒼く澄んだ空に、組み合わせられた赤い鉄骨の塔が伸びている。
東京タワーを見上げる大きな寺の本堂の参道には、出店が並び、多くの人で賑わっていた。
桜の樹の下で、猿が、傘を差して、玉乗りをしている。集まった人たちは、それに感歎して、拍手をしたり、金を投げたりする。
御彼岸――
春と秋に一度ずつある、昼と夜の時間が等しくなる節分を中心とした、前後三日間、計七日間の期間の事である。
その期間の間、亡者は三途の川の向こう岸、つまり彼岸から、此岸を臨む。此岸の正者たちは、彼岸と此岸の境目までやって来ている祖先たちの為に、生死の世界の境界である太陽の沈む方向に、思いを馳せる。
その彼岸の或る日の増上寺に、一人の男がいた。
参拝や観光に訪れている人々でごった返す参道を、僧衣の男が歩いている。
綺麗に剃り上げた頭や、オレンジ色の袈裟が眩しい。
日本の仏教者ではないようであった。
チェン=マオ――
かつて、浜名湖地下のショッカー基地で、イワン、ゾル、克己らに対してヘールカと名乗った、ショッカー首領、大首領と言われる男であった。
不思議な雰囲気を纏っている。
異国の様相であるからではない。
近寄り難い、厳かなオーラに、包まれているかのようであった。
その周囲を、一匹の蝶と、一匹の蛾が舞っている。
どちらも、金の鱗粉を纏ったそれらは、チェン=マオの歩く先に付いて行っているようであった。
チェン=マオが手を持ち上げると、その手の甲に、ふわりと留まった。
すると、さっきまでは二匹であったそれらが重なり合い、一匹に纏まった。
折り畳まれた翅が、花のようにも見える。
その不思議な花蝶を、チェン=マオが眺めていると、
「首領……」
と、背後から声を掛けられた。
スーツ姿のマヤであった。
黒いジャケットに、スリットの入った黒いミニ・スカート。
黒いストッキングが、むっちりとした太腿に張り付いている。
スーツの下のブラウスは、第二ボタンまで開けており、日本人よりも濃く、メキシコ人よりは白い鎖骨を覆う皮膚を覗かせていた。
「首尾は?」
「今晩にも、山彦村に着きます」
マヤが空を見上げた。
鴉が、青空に円を描いていた。
赤い眼の、角のある鴉だ。
「村の位置は、既にドグマが調べていました。“火の車”が隠されている場所も、あの子が報せてくれましたわ」
ドグマのエンブレムは、鴉だ。
ドグマでは鴉を聖なるものとしており、マヤがジェットコンドルの“種子”から誕生させたこの鴉は、ドグマの動向を怪しまれる事なく探る事が出来る。
「必ずや、“火の車”を……超古代の叡智を、手に入れるわ」
「頼りになるな」
チェン=マオが呟いた。
「“火の車”を起動させるには、三種の神器だけでは足りぬ」
「はい」
「三種の神器は、飽くまでもエンジン部品よ。“火の車”本体と、神器と、そしてそれを動かすガソリンの三本柱が揃ってこそ、“火の車”はその永き眠りから目覚める」
「はい」
「ドグマの奴らに、油田の場所を教えたのは、お前だな」
油田の場所――“火の車”を起動させるのに必要な、ガソリンの事だ。
「失策でした」
「聖体拝領……」
チェン=マオが言った。
聖体拝領とは、キリスト教に於いて、パンをキリストの肉、ワインをキリストの血と見立てて摂取する事で、聖体であるイエスと同体化する思想である。
上位存在を喰らう事によって、その聖性を身体の内に取り込もうとするものであり、食人儀礼にも通じる考え方であった。
「しかし、多くの宗教に於いて、人が人を殺してはならないという趣旨の言葉があります」
「左様。故に、ヨシュアの肉はパンであり、ヨシュアの血は葡萄酒なのさ」
「自然宗教の場合は、更に自由ですね」
宗教には、大別して二種類ある。
一つが自然宗教であり、もう一つは集団宗教だ。
自然宗教は、儀礼や団体を形成する訳ではなく、本能に根差した自然の中の神を崇拝するものだ。後者は、今で言う多くの宗教団体に相当する。
ユダヤ・キリスト・イスラム教などは後者であり、バラモン教や現在の形を形作り始めた原始神道は自然宗教である。
「煩悩即菩提か」
煩悩とは、人の心に迷いを生ずる原因である。
菩提とは、その無明を離れた所にある悟りの境地だ。
悟りを得た者の立場から見れば、無明も悟りも、同じものであるという意味だ。
全ての本質は空であり、虚空から、煩悩も菩提も生ずるというのである。
「なれば、人の生は、遍く聖かと思います」
「では、死は?」
「無論、聖です」
「生は即ち死か」
「死は即ち生です。しかし、殺人は紛れもない悪である故……」
「人が人を殺して喰らう事は、禁じられてるという訳だな」
「はい」
「では、如何に聖体を拝領するか?」
「生まれ出でようとして死する丹生と、生かす為に死する月水を」
「不思議な話よのぅ」
「は……」
「蛇はガイアであり、鷲はウラヌスであるというのに、丹生は尾を持つ蛇であり、月水は天宮より絞り出されるという事が、さ」
「――万物には」
と、マヤが言った。
「完璧になろうとする働きがあると聞きます」
例えば、それは土中で起こる。
金になるべく、あらゆる鉱物は土の中で自らの肉体を変えてゆく。
その際に、様々な不純物を取り込む内に、金とは程遠い存在になってしまう。
逆を返せば、そうした不純物さえなければ、あらゆる鉱物は全て、金たるべく活動しているという事になる。
「雌雄合一してこそ完全なる存在……」
「私がお前に教え、お前がゼネラルモンスターに教え、ゼネラルモンスターがデッドライオンに教えた、あれだな」
「完璧たろうとする因が、そうした矛盾の果を実らせるのでしょう。その矛盾の二重螺旋こそ、生物が生物たる所以ではありませんか」
「永久に巻き付きながら、永遠に絡み合わぬ、環状二重螺旋か」
「はい」
「倶利伽羅よの……」
倶利伽羅剣の事だ。
不動明王が持つ剣であり、三毒(
刀身に、燃え盛る炎となった倶利伽羅龍が巻き付いている。
「はい」
マヤが首を縦に振った。
「では、聖体を喰らうた後に、如何にして石油を掘り起こすのだ」
「聖体とは神、それを喰らうのは子でありますから、それら三つが合わさる所に生まれるガソリンを得るには、ルフとの融合が必要です」
ルフとは、精霊の事である。
精霊とは、この世界に遍満する、形なきエネルギーの事だ。
「融合とは?」
「境界を失くす事です。聖体拝領と同じく、精霊との同一化ですよ」
「それは、どのように?」
「境界とは、肉の重みの事です。自分とその他を区切るものの存在を掻き消す事によって、肉体の重力からは解放されます」
「可能なのか?」
「不可能ではありませんが、難しいでしょう。それには、極度のエクスタシーが肝要です」
「エクスタシー」
「この世界の本質は、虚空です。つまり、この肉の重みは、心の働きによって、虚空中に固定されているに過ぎません」
「心の働き如何では、その境界は消えるという事だな」
「ですから、その心の働きと言うのが、他に何も考える事が出来なくなる程の恍惚なのです」
「ふむ……」
「人がエクスタシーを感じるものは――」
と、マヤは、指折り数え始めた。
「music、drag、sex、religion……この中で最も簡単なのが、SEXですから」
「相手がいなければ、成立せぬぞ?」
「その筈ですけれども、ねぇ」
マヤは、意味深に微笑んだ。
「ドグマがどのようにして精霊を味方に付けるか、気になる所ですね」
そう言いながら、マヤはチェン=マオの手に止まっている蝶に、指を差し出した。
蝶と蛾の姿を重ねながら、その不思議な花蝶は、マヤの指に飛び移った。
「神を喰らい、精霊と混じり合い、生まれるエネルギーが、“火の車”を呼び起こす」
チェン=マオは言う。
「八咫烏、か」
マヤが呟いた。
蓬莱山にある神の樹に棲まう、三本の足を持った聖鳥である。
三本の足とは、即ち、三種の神器であり、神と精霊と子との三位一体であり、天照大御神と月読命と須佐之男命の三柱である。
そして更には、
「
サンスクリット語で、“智慧”を意味する言葉だ。
それは、仏の眉間にある白毫――第三の眼であると共に、菩提へ至る助けとなる三本目の足とも言われる。
「遥かなる龍の昔、人が神によって落とされた、智慧の足か」
チェン=マオが笑った。
「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足」
と、チェン=マオ。
スフィンクスが旅人に出した問いである。
答えは、“人間”であるというのが常だが、マヤは、
「“始まりの女”……」
と、言った。
「リリスさ」
「蛇はサタンであると、彼らには言いましたが……」
黒井たちの事である。
「リリスがそうであるという説もあります」
リリスとは、イヴ以前にアダムの妻であった女の事である。
しかし、アダムと意見が食い違った為に自らエデンの園を捨て、そして、悪魔である蛇となってイヴを誘惑した――そのような説がある。
「リリスが蛇であるとするのなら、蛇は人間であるという事になるな」
「神と人とが、本来、一つのものより生じたのであれば、蛇も亦、同じでしょう。無論、蛇が悪魔たる以前に所属していた天使たちも、同じく」
「エデンを捨てた人間は獣と化し、智慧を得て二の足で立つようになり――」
「やがて、般若の足を得て完璧存在となる」
チェン=マオの言葉を、マヤが引き継いだ。
「大首領、貴方は、かつて神が奪ったその足を、再び人に与えようという訳ですね」
「そのように見るのも、面白かろう」
チェン=マオは、つぃと空を見上げた。
冷たい蒼の空に、白い雲が早く流れている。
「私の因が、この星へと降り注いだ時……」
ショッカーの因子は、B26暗黒星雲よりやって来た、地球外生物の遺伝子である。
それは同時に、ヒトという獣を、人間へと進化させてしまった。
「私が奪ったものだ」
獣であったヒトから、智慧を与える代わりに、足を奪ったのはショッカーの種子である。
そうして誕生した人間を、あるべき形に戻す――ショッカーが奪った般若を、再び人間に与えるというのが、チェン=マオらの理想とする世界の統治であった。
「やはり、同じですね」
「同じ?」
「智慧を与える代わりに、般若を奪った――でも、般若は、即ち智慧……」
「私も亦、矛盾の螺旋の中にいると?」
「はい」
「ふふん……」
チェン=マオが、眼を細めた。
その瞳から、十文字の輝きが、マヤに向かって突き進んで来たように思えた。
「俺が、今までどれだけの人間を操って来たと思っている」
「……そうでした」
マヤが溜息を吐いた。
チェン=マオの放った思念に、背筋が濡れていた。
「朱に交わればと言うが、私もその一人さ」
「大首領とても、人間という事ですか」
「左様」
「――」
「お前は、どうなのだ、マヤ」
「私ですか」
「“始まりの女”よ」
「――」
「リリスであり、イヴである女よ。ガイアであり、蛇である女よ」
「――」
「お前は、ヒトか、人間か、それとも、他の何かか?」
「その問いに、答える必要があるとは、思わないわ」
マヤの口調が変わった。
それまでは、大幹部として大首領に接していたのが、マヤとしてチェン=マオと接する言葉遣いになっている。
「神も人も同じものならば、私も亦、神であり、ヒトであり、蛇であり、悪魔であり、天使であり――若し、私に当て嵌まらないものがあるとすれば、それは、只一つ」
「――」
「“始まりの男”……」
マヤが言った。
皆守山の地下の大空洞に、“空飛ぶ火の車”は眠っていた。
それは、辿り着いた火見子が、思わず息を呑む程であった。
羅龍――
鎌首をもたげた龍を中心に、鉄の輪が囲み、その四方に龍の肢が突き出している。
全く明かりの射し込まない空洞の筈が、その羅龍の身体に塗りたくられた黄金の為に、煌々と輝いていた。
恐らく、玄叉山から持ち出した黄金の一部であろう。
玄叉山の地下に眠っていた黄金が、如何に膨大であったとは言え、二〇メートル近いこの方舟に、余す所なく金を貼り付けているのは、凄まじいの一言だ。
荘厳なる聖櫃であり、まさに地上の覇者に相応しい兵器であった。
火見子は、空洞を臨む通路から下り、両腕を翼に変えた。
鷹の改造人間・サタンホークというのが、鷹爪火見子の正体だ。
火見子は、背負った五振りの剣と、石室から運び出した御影石を持って、“火の車”の中心部――コックピットに下り立った。
神輿の屋根が取り外されている形だ。
操縦席は、五、六人まで乗り込む事が出来る。
龍の頭のすぐ手前に、石版をはめ込む部分があった。
二枚一対の十戒石板は、天岩戸の奥に封じられた大きな御影石の中に隠されていた。
その御影石を割り、中身を取り出した。
石板は、火見子の上半身程の大きさで、生命の樹が刻まれている。
片方の世界樹は、さかしまの樹である。
もう一方の世界樹は、下界からのアプローチを採っていた。
さかしまの樹は、三つの柱に、一〇つのセフィラが埋め込まれ、蛇が三周り半で巻き付いている。
左右の三つのセフィラと、四つのセフィラを持った中心軸で表しているのは、七つのチャクラである。
二枚の石板をはめ込むと、その上に一つ、左右に二つずつ、剣を挿し込む口が開いた。
上から、時計回りに、
木の剣
火の剣
土の剣
金の剣
水の剣
と、挿し込んでゆく。
鍔元までしっかりと挿し込み、五本目を挿し終わった時、かちりと、何かが動く感覚があった。
後は、“火の車”にエネルギーを注入する、その儀式を行なうだけである。
火見子は服を脱ぎ捨てて、裸になった。
なだらかな形の乳房。
美しい括れの中心に、良く鍛えられた腹筋が浮かんでいる。
丸く育った尻。
その陰部に、ある筈のないものが剥き出していた。
火見子は両腕を広げ、眼を瞑った。
禅定に入るが如く、自然に呼吸をする。
尾骶骨に全ての意識が集中し、かつて、人が獣であった証拠たるその部分に眠る力が、呼び起されようとしていた。
呼吸力によって、眠りに就いていた力の龍――クンダリニーが動き出す。
尾骶骨のチャクラから顔を出したクンダリニーは、背骨を中心に螺旋を描きながら、真っ直ぐに上昇してゆく。
王冠のチャクラに至った力は、頭頂より抜け、全世界に拡散して遍満するエネルギーを取り込み、再び火見子の身体の中に潜り込んで来る。
不思議な事が起こっていた。
火見子の陰部のそれが、めりめりと、肉の内側に潜り込んでゆく。
ぴたりと合わさった貝の奥に引っ込むと、火見子が恍惚の表情を浮かべた。
腹の内側で、火見子本来の器官と、サタンホークへの改造を受けた際に付け足された部分が触れ合い、火見子の中に感情の激流を引き起こしているのである。
シャクティとクンダリニーが融合し、法輪が転じて、激しい感情の動きと共に散らばってゆくパワーが、“火の車”を囲む空間、それを内包する山そのもの、その山が存在する土地、土地がある世界、世界に満ちた空気からエネルギーを回収してゆく。
正しい呼吸は既になく、姿勢も崩れ、火見子の手は自らをまさぐり始める。
自らの内に存在する丹生と月水が混じり合い、雌雄同一たる完璧存在となった火見子は、脳髄より駆け巡る激しい痺れの為に、自他の境界を見失い掛けていた。
法悦に至ろうとする火見子の身体を、鼓動する餓蟲が包み、蒼く、赤く、黄色く、白く、黒く、光を放ち始めていた。
その光が、ゆらゆらと、五振りの霊剣の柄に絡み付いてゆき、石版に集中する。
大気のエネルギーを注ぎ込まれた“火の車”が光を纏い、黄金に輝いた。
龍の眼がぞろりと光り、“空飛ぶ火の車”が起動した。
周囲の岩壁が、ぽろぽろとこぼれ落ちる。
内側から、巨大な力に押し出されているようであった。
“火の車”の全体を、強力な重力波で包み込んでいるのだ。
アークの正体とは、古代の重力制御装置であった。
古代エジプトやアステカ・マヤ文明に於いては、ピラミッドやオベリスクを建造し、中国に於いては秦始皇帝陵、日本では巨大古墳を創り上げたものである。
その力が膨らみ、球状になって、地下の大空洞を押し広げようとしている。
ふわりと、羅龍が浮かび上がった。
岸壁を削る力が、更に外に出てゆく。
山が揺れていた。
“火の車”が、少しずつ上昇してゆく。
岩壁が崩れ、“火の車”が自らを浮かせる力に巻き込まれた破片が舞い上がる。
ごりごりと、龍の姿をした戦車が、山頂目掛けて駆け上がってゆく。
火見子が通って来た通路も、沼の底もぶち抜いて、皆守山そのものを振動させながら、黄金の方舟は、飛翔して行った。
地震――
それも、只の地震でない事を、黒井とガイストは理解していた。
地下から、圧倒的なエネルギーの奔流を感じる。
感覚的なものではなく、実際問題として、足の下から巨大な物質がせり上がって来る事が分かった。
そう思っていると、黒井、ガイスト、ゾゾンガーの身体が、僅かに浮かび上がった。 それに遅れて、トライサイクロンとアポロクルーザーも、車輪を持ち上げてゆく。
重力が弱まっているのだ。
「来るぞ⁉」
ガイストが叫んだ。
ぞわり、と、背中にこわいものが走る。
黒井は、ガイストの腕を掴むと、ベルトの横のバーニアを吹かして、無重力圏を脱出した。
トライサイクロンとアポロクルーザーも、それぞれ自らのブースターから火を噴いて、持ち主たちに続く。
「火見子さまーっ!」
ゾゾンガーのみが、浮遊しながら、勝利を確信したように叫んだ。
山頂の大地が、ぼこぼこと盛り上がり、巨大な球のように変形したかと思うと、その下から、金色の龍の頭が顔を出した。
黒井とガイストはそれぞれのマシンに乗って山を駆け下りながら、自分たちが背を向けた山頂に出現したそれを振り返った。
皆守山の歪みが、更に大きくなり、二つの峰の間がより深くなっていた。
二つの峰――二本のオベリスクに挟まれるようにして、金色の龍“空飛ぶ火の車”は顕現したのである。
月のない夜を、自らが月となって照らそうとするかのような輝きであった。
「何と……」
黒井が、感歎の息を漏らした。
何と荘厳なる事か。
巨大であるという事。
金色であるという事。
聖獣であるという事。
どれ一つをとっても、人は、その強大で、厳かな姿に引き寄せられる。
それらが絡み合った“空飛ぶ火の車”に、見入り、魅入られない訳がないのだ。
「ぼーっとするな、黒井!」
ガイストが、通信回線で呼び掛けた。
はっとなる黒井、彼の駆るトライサイクロンのすぐ後ろを、ゾゾンガーのそれよりも巨大な砲弾が――ミサイルが直撃した。
トライサイクロンの後輪が浮かび上がり、危うく前方に一回転しそうになる。
黒井はハンドルを切って方向転換し、ギアをバックに入れて、後輪が着地すると共にバックで山を下り始めた。
それは、逃げながらでも“火の車”を眺めていたいと、無意識の内に黒井が思ったからであろうか。
“空飛ぶ火の車”は、その龍の頭の横から、今のミサイルを撃ち出したようであった。
再び、黒井に照準が合わせられる。
迫るミサイル。
それを、上空からの機銃が撃ち、トライサイクロンに届く前に爆発させた。
爆風で後退するトライサイクロンの運転席から、黒井は、山の方へ飛んでゆくプロペラ機――スカイサイクロンの姿を見ていた。
「克己!」
皆守山の上空に浮上した“空飛ぶ火の車”に、松本克己・強化改造人間第四号のマシンであるスカイサイクロンが向かっている。
旧型のプロペラ機を模した姿ではあるが、音速飛行が可能で、ステルス機能を持ち、各種ミサイル・機関砲などの重火器を搭載している。
克己は、黄金に輝く龍に向かって、機関砲を向けた。
ばらばらばらばら……!
無数の徹甲弾が放たれ、夜空に星の海を作り出す。
しかし、“火の車”を直撃すると思われた機関銃の弾丸は、全て、その直前で停止し、地面に落ちて行ってしまう。
“火の車”を浮かべている重力制御装置の力が、“火の車”の周囲にバーリアを張っていた。
こちらからの攻撃は、バーリアの中には通らない。
逆に、“火の車”から放たれるミサイルは、スカイサイクロンを墜落せんと狙って来る。
スカイサイクロンを旋回させ、回避行動を採るも、“火の車”のミサイルにはホーミング機能があり、何処までもスカイサイクロンを追って来る。
ならば、と、克己は、ミサイルが発射される瞬間を狙って、こちらからも小型ミサイルを発射した。
“火の車”をバーリアが包んでいると言うのなら、ミサイルを打ち出す瞬間にバーリアを解除せねばならないと判断したからである。
だが、“火の車”は、ミサイルそのものを重力波で包み、バーリアに穴を開ける事なく射出する。
巧みな重力操作によって、“火の車”のミサイルは、スカイサイクロンをホーミングするのであった。
克己は、逃げざまに機関砲で弾幕を張り、ミサイルを撃ち落とした。
夜の空に、無数の花火が散り、その煙の中をプロペラ機が駆ける。
逃げ惑うスカイサイクロンを、続けざまにミサイルの攻撃が襲っていた。
どれだけ、弾数があるのか。
“空飛ぶ火の車”は、東北地方の各所から、玄叉山で樹海から霊玉を受け取った火の一族らが集結し、この皆守山で三〇年以上掛けて建造したものだ。
その為には、当然、資材が必要になって来る。
それは、太平洋戦争末期、帝国軍が大本営を置いた際に残されていた様々な軍用品だ。
元々、火の一族に“火の車”を用いて戦争をしようなどという心算はない。
彼らの伝統に基づいた本尊としての意味合いが、強かった。
だから、急造した“火の車”に、玄叉山から運び出した黄金を塗りたくって、今のような姿にしたのである。
しかし、遠く海を隔てた彼らの故郷、イスラエルが独立宣言を機に戦渦に巻き込まれてゆき、これに感化された一部の過激派によって、兵器として造られた“火の車”には、日本軍が置いて行った焼夷弾などが組み込まれている。
スカイサイクロンの克己を狙っているのは、それらである。
しかし、それでも数は限られている。
にも拘らず、弾数は無限である。
五行の力を封じた剣がある為だ。
五行――万物を為す五つの属性の事だ。
これにより、“火の車”の内部に組み込まれたミサイルを生産し続けているのだ。
“金”の力でミサイル本体を作り、“土”の力で火薬を作り、“火”の力で発射する。又、“水”の力は熱された砲台を冷却し、“木”の力は雷に通じる為に電気を起こす。
素材となるものがあれば、そこから、ほぼ無尽蔵に物質を生産する事が、完成した“空飛ぶ火の車”には可能なのであった。
重力制御装置によって空を飛び、空中の分子・原子を自在に組み替える能力というのが、“空飛ぶ火の車”に宿った超古代の叡智である。
克己は、“火の車”が放ったミサイルに追われながら、“火の車”に突撃してゆく。
ぎりぎりまで接近した所で上昇し、“火の車”にミサイルを当ててやる心算であった。
が、“火の車”の重力バーリアは、自分の放ったミサイルを防いでしまう。
様々な軌道で迫るミサイルに、スカイサイクロンは翻弄されていた。
スカイサイクロンのコックピットに、アラートが鳴り響き続けている。
接近するミサイルの為だ。
そのアラートに混じって、黒井とガイストの声が聞こえて来た。
――克己、平気か⁉
――ここは一旦退くか?
それを聞き、克己は、しかし、
「問題は、ない」
と、答えた。
「少々エネルギーは喰うが、仕方がない」
――何?
克己は、縦横無尽に空を駆けるミサイルを躱しながら、コンソールを引き出した。
速度計や高度計の横手のシャッターが開き、液晶画面が現れる。
「
克己が言った。
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第三十六節 交差
“空飛ぶ火の車”のコックピットに、鷹爪火見子が立ち、その後ろに、右腕を再生させている途中の象丸一心斎がいる。
山を突き破ると同時に、彼を回収していたのだ。
「申し訳ありません、火見子さま……」
象丸は蒼い顔で謝罪した。
火見子が“火の車”を起動する前に、ライダーたちを始末出来なかった事だ。
「気にするな。こうして、“火の車”は手に入ったのだ」
火見子は、石版に手をかざし、ミサイルを発射させる。
藍色の空を切り裂く鉄の弾頭が、スカイサイクロンに迫っていた。
スカイサイクロンは、機関砲の筒先を回転させて張った弾幕で、ミサイルを撃ち落とす。
「それに……」
象丸は、申し訳なさそうに眼を伏せる。
「蛇塚と、熊嵐は……」
「それも気にするな。奴らの生命で、贖わせてやる」
火見子の眼が輝き、その全身に羽毛が生じ、眉間が裂け、鉄の爪が剥き出して来た。
耳の脇の肉が盛り上がり、顔の横にせり出しす。その先端の肉がぷつりと裂けると、やはり、爪が顔を出した。
口を開くと、唇が捲れてなくなり、剥き出しになった歯茎が硬化しながら突き出した。嘴を形成しているのである。
全身が、返り血を浴びたように赤く染まった。
サタンホークとなった火見子は、両手を石板にやり、皆守山の上から移動を始めさせた。
龍の頸が角度を変え、麓の山彦村を睨む。
その顎が開き、蛇塚やファイターたちの為に焼き払われていた村を、更に炎で包もうとした。
「トライ――」
「――クロス⁉」
克己からの通信で告げられた言葉を、黒井とガイストが問い返す。
克己の頷きが伝わって来た。
すると、黒井とガイストのマシンが、彼らの操作を離れて、勝手に自走し始めた。
「克己⁉」
戸惑う二人に、克己が、
――コントロールは俺がする。
と、告げた。
山の斜面を下り始めるアポロクルーザーと、トライサイクロン。
先行するアポロクルーザーの後ろに、トライサイクロンがぴったりと付いていた。
更にその上空を、スカイサイクロンが飛んでいる。
アポロクルーザー、トライサイクロン、スカイサイクロンの順で、一直線に並んでいた。
すると、地上を走るアポロクルーザーとトライサイクロンのコンソールにも、液晶画面が現れ、そこに、人型の映像が浮かび上がった。
その人型は、三機それぞれのモニターに映っていたが、スカイサイクロンでは頭と両腕、トライサイクロンでは胴体、アポロクルーザーでは両足が、それぞれ点滅している。
変化が訪れたのは、黒井のトライサイクロンからであった。
トライサイクロンは、前輪にのみブレーキを掛けると、モトクロスで言うジャック・ナイフのように、車両後部を持ち上げた。
その持ち上がった後輪のホイールに、スカイサイクロンから射出されたワイヤーが合体すると、トライサイクロンの後部がぐるりと半回転した。
そうして、スカイサイクロンのワイヤーに引かれて、上昇してゆく車両。
スカイサイクロンの機体底部の装甲が横に展開し、ジョイントが出現すると、持ち上がったトライサイクロンの後輪を収納し、ドッキングする。
又、スカイサイクロンの両翼が左右に広がり、関節が出現した。そこを軸に下に畳まれ、翼の先端が開いたかと思うと、そこからマニピュレータが飛び出して来る。
更に、スカイサイクロンの後ろ半分が、ドッキングしたトライサイクロンの底部に移動し、二股に分かれる。
その下で、アポロクルーザーが、やはりジャック・ナイフをしながら、真っ二つに割れた。持ち上がった後部がスカイサイクロンの後部と合体し、フロントは手前に折り畳まれて、接地する。
この際にマシンから振り落とされたガイストライダーは、スカイサイクロン・トライサイクロン・アポロクルーザーの合体したそれが屈んだ事で傍にやって来たトライサイクロンの助手席に、ぴったりと収まる事が出来た。
最後に、スカイサイクロンのコックピットの少し後ろ辺りの装甲が開き、飛蝗のような、人の頭蓋骨のような形をした頭部が突き出す。
「これは⁉」
トライ・クロス――三位一体変形、ライダーロボ。
空を駆けるスカイサイクロンと、大地を進むトライサイクロン、海に潜れるアポロクルーザーが合体した姿であった。
それは、恰も、巨大な仮面ライダーの姿であった。
「ドグマよ――」
克己が言った。
「ショッカーの力を思い知らせてやる!」
アポロクルーザーが変形した両足が、山の斜面を駆け上がったゆく。
向かう先には、“火の車”が、村に向かって火炎放射を行なおうとしている所であった。
サタンホークが、接近するライダーロボに気付いた。
蒼い眼が、ぎょっと見開かれる。
だが、すぐに切り替えて、ライダーロボに向かってミサイルを放った。
ライダーロボは、右腕を持ち上げて、その翼の下の、スカイサイクロンの機関砲で、ミサイルを撃墜した。
そうして、一気に“火の車”との間合いを詰めると、開いた左手で、“火の車”に掴み掛ってゆく。
「莫迦め⁉」
サタンホークが、そのような顔をした。
“火の車”を包む重力バーリアがある限り、それがミサイルであれ、機関砲であれ、攻撃を届かせる事は出来ない――
筈であった。
所が、どうした事か、ライダーロボの左のマニピュレータは、重力バーリアを突き破って、“火の車”の龍の肢の一本を掴んでしまったのであった。
サタンホークが反撃の手を考える前に、ライダーロボは右手で拳を作り、“火の車”の底にアッパー・カットを見舞った。
“火の車”がよろめく。
「高々、“火の車”一機……」
克己が言った。
「陸海空の三位一体を為したライダーロボとは、マシンの数が違う!」
克己は吼え、ほぼゼロ距離に近い場所で、右翼の機関砲を放った。
ごりごりと、“火の車”の表面に塗られた金塊が溶かされ、剥がれ落ちてゆく。
サタンホークは石板に手をやって、“火の車”の龍の肢を動かした。
ライダーロボに掴まれていない方の肢が、ぐんと伸びて、ライダーロボに爪を立てる。
ライダーロボのマニピュレータから解放された“火の車”が、ゆるゆると後退してゆく。
後退しながら、火炎を放射した。
その火をものともせず、ライダーロボは、トライサイクロンの武装である機関銃をばら撒いた。
「どういう事だ⁉」
サタンホークと、象丸が、訳が分からないという顔をする。
起動した“火の車”の重力バーリアを破る手段は、存在しない筈であった。
所が、克己は、既にその手段を得ていたのである。
光る石だ。
シンタとチエが、或る所に持ってゆこうとした光る石を、克己は預かっており、ライダーロボの動力源に利用している。
この光る石の力により、“火の車”の能力をセーブさせているのだ。
ライダーロボは、両手で“火の車”を掴むと、全身の火器――トライサイクロンのマシンガン、スカイサイクロンの機関砲、アポロクルーザーのアポロ・マグナムなどを解放し、“火の車”を爆撃した。
金のボディのあちこちから火の手が上がり、重力制御さえままならなくなって、“火の車”は墜落して行った。
村はどうにか落ちずに済んだものの、近くの森を紅蓮の炎で包んでしまった。
「黒井、ガイスト――」
克己が、ハッチを開けて、コックピットから飛び出して行った。
黒井とガイストも、トライサイクロンの操縦席から飛び出してゆく。
落下し、炎上する“空飛ぶ火の車”から、サタンホークと象丸は投げ出された。
“火の車”は、燃え盛る炎に金を溶かされて、鉄の骨組みが覗いている。
サタンホークは、どろどろと溶融していゆく“火の車”を、唖然とした顔で眺めた。
自らの――テラーマクロの悲願であったそれが、起動後間もなく、破壊されてしまったのだ。
「火見子さま……!」
と、森の奥から、傷付いた身体を引き摺って、クレイジータイガーがやって来た。
サタンホークらと合流したクレイジータイガーであったが、とても生命を長らえる事は出来そうもなかった。
その上に、ライダー第三号、ライダー第四号、ガイストライダーが迫っていた。
「おのれ……」
サタンホークは憎々しげに呟くと、“火の車”の操縦席から五振りの剣の内、四本までを抜き取って来た。
すると、どうにか変身したゾゾンガーに火の剣を、人間態への変身機能を破壊されているクレイジータイガーに金の剣を、それぞれ脊髄に刺し込み、自らには交差させるように、水と土の剣を突き込んだ。
自害⁉
黒井たちは、当然、そう思った事であろう。
しかし、彼らの見ている前で、地獄谷五人衆の生き残りの三人は、身体に突き刺した剣の影響で、その姿を更に凶暴なものへと変形させて行った。
サタンホークは、下腹部から巨大な蛇の頭を生やし、体色を黒と黄色の二色に変える。
クレイジータイガーは、体毛を白く塗り替え、縞模様が金属の鱗となって浮かび上がる。
ゾゾンガーの身体が真っ赤に染まり、その全身に大砲の銃身が幾つも突き出して来る。
その三体の改造人間らに、三人の強化改造人間たちが挑んでゆく。
克己が、サタンホークに。
黒井が、クレイジータイガーに。
ガイストが、ゾゾンガーに。
燃え落ちる“火の車”の傍で、ショッカー対ドグマの代理戦争に、決着が付こうとしていた。
ベルトの横のバーニアを吹かし、克己はサタンホークに躍り掛かった。
ジェット噴射による加速で距離を詰め、鉄のブーツを斧の如く振り下ろした。
サタンホーク・スネーキングは、黄色と黒の二色に変わった翼を羽ばたかせ、飛翔する。
飛び上がりながら、サタンホークは下腹部の蛇の胴体を、克己の頸に絡み付かせた。
克己の手刀が唸るが、サタンホークの下腹部の蛇は、その柔軟性で以てチョップの威力を散らしてしまう。
そうして、胴体にめり込んで来た克己の腕を、逆に絡め取ってしまうのであった。
サタンホークは、克己を拘束したまま上昇し、夜空に銅色のプロテクターを纏った改造人間を振り回す。
空中戦を想定して造られただけあって、強化改造人間第四号は、そんなものでは参らないが、克己は、身体に異様な疲れを感じていた。
エナジー・ドレイン――
“水”の気より生じた“木”の力が、“土”の中に和合する事によって、対象のエネルギーを吸収しているのである。
つまり、サタンホークの下腹部に生じた蛇は、そのまま“木”の、養分を吸い上げる力を持っているという事であった。
「くむ」
克己は、鉄仮面の内側で歯を噛んだ。
バーニアを起動させて、サタンホークが進むのとは逆方向に、逃れようとする。
すると、サタンホークの蛇はぴんと伸び切る事になるが、サタンホークは自ら脱力し、引き伸ばされた蛇が緩む反動で、克己の背に肘打ちを叩き込んで来た。
蛇の拘束から説かれた克己は、サタンホークの猿臂の一撃で、地上に向かって落下する。
プロテクターの各所に設けられた小型の噴射口から、空気を小刻みに放って空中で動体制御を行ない、森の中の、太い樹の枝に着地する克己。
その呼吸が、酷く乱れていた。
サタンホークによるエナジー・ドレインに加え、大量のスタミナを消費する空中動体制御を敢行した為である。
その克己の疲れを見抜き、サタンホークが襲い掛かる。
強い羽ばたきと共に、両手の爪を向けて、突っ込んで来た。
克己は、そのカウンターを取るべく、構えを採る。
しかし、サタンホークは克己の間合いの寸前で旋回し、克己のパンチは空振りに終わる。
先程、スカイサイクロンで“火の車”のホーミング・ミサイルを、“火の車”にぶち当ててやろうとした時と、同じ事をサタンホークはやった。
伸び切った克己の腕を、サタンホークの蛇が捉え、サタンホークの上昇に伴って、克己を引っ張り上げた。
ごきん、と、金属の鉄球同士が擦れる音がした。
ライダー四号のプロテクターの内側、強化皮膚の奥で、特殊合金の人工骨格の肩関節が、外されてしまったのだ。
夜空に向かって伸び上がる、サタンホークと強化改造人間第四号。
天地を結ぶ蛇により、鷲と飛蝗の改造人間が繋がっていた。
その繋がりを断つべく、サタンホークは、蛇でぶら下げた克己を散々に振り回して、炎上する“火の車”の中に投げ込んだ。
体内の圧縮空気は、殆ど空に近い。克己はそのまま、張り付けられた金塊をどろどろに溶かす炎の中に叩き込まれて行った。
長々と説明をした“火の車”ががが……。
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第三十七節 英雄
クレイジータイガー・メタリックは、全身から生えた刃で、黒井を追い込んでいる。
頭、頸、肩、腕、胸、腰、脚――クレイジータイガーの全身には、余す所なく金属の刃・棘・針・鋸・槍・鋏が剥き出しており、一つの鎧を形成していた。
レガースを装着しているからまだ良いものの、生身で戦う改造人間であれば、攻めに回ったとしても、直ちに切り刻まれてしまうであろう。
黒井にとっては、不利な相手であった。
黒井は、マヤから、ブラジルにあるという“バリツウズ”柔術を教えられている。
打撃、関節技、投げ技など、あらゆる攻撃手段を認め、あまつさえ、相手に馬乗りになって殴る事も戦略として許されている格闘技だ。
一対一で、生きるか死ぬかの実戦に臨む事を想定したものである。
所が、その一対一で、生きるか死ぬかであると言うのに、“バリツウズ”の最大の利点である馬乗り――マウント・ポジションを獲る為の組打ちが出来ないでいた。
斬り付けられれば、強化服は裂かれ、その斬撃は人工皮膚までも切断する。
組みに行ったとして、タックルで押し倒す際に膝を腹部に宛がわれ、その部分に錐とかドリル状の金属を生成されていれば、こちらのボディを貫通される。
マウントを獲ったにしても、こちらから振り下ろすパウンドは金属の兜に防がれ、通常ならば腰の乗らない打撃であっても拳の先端にスパイクがあれば、それで脇腹を抉られる。
――不味い
と、黒井は思う。
しかし、自分の不利を実感しながらも、ここで敗ける訳にはいかないと、黒井はやはり思っている。
――本郷よ。
クレイジータイガーの攻撃を躱しながら、黒井響一郎は、仇敵に呼び掛けていた。
――お前も亦、このような敵と戦っていたのか?
本郷猛だけではない。
一文字隼人。
風見志郎。
結城丈二。
神敬介。
アマゾン。
城茂。
筑波洋。
沖一也。
お前たち仮面ライダーは、常に、こうした不利な状況にあっても、戦って来られたのか。
ショッカーと戦い続け、遂には滅ぼした仮面ライダー第一号・本郷猛。
如何に強化改造人間と雖も、自らが生み出した最強の兵士を破壊すると決めた強大な組織を前に、その生命が危うくなった事はあるであろう。
それでも、本郷はショッカーと戦い続け、勝利した。
自らの不利を嘆く事なく、人類の自由と平和を守る為に、拳を握り続けた。
黒井は、本郷猛を憎んでいる。
しかし、ショッカーが、誰かに憎まれている事も、分かっていた。
若し、本郷に何らかの目的があって黒井の妻と子供を殺したのなら、ショッカーだって何らかの目的の為に何処かで誰かを殺しているのだ。
ショッカーの目的は、人類を管理する事によって、安穏の世界を創設する事だ。
仮面ライダーたちは、ショッカーによる人類管理を受け入れられない、幼稚な人間たちの――子供たちの味方だ。
それぞれにそれぞれの思惑があり、それぞれにそれぞれの正義がある。
その上で、黒井響一郎は、本郷猛を妻子の仇として怨んでいる。
怨んではいるが、彼にも正義があり、彼にも葛藤があり、彼が瀕し続けた危機についても、理解はしている。
仮面ライダー・本郷猛を悪人として怨みながら、戦士として憧れている――
こうした矛盾が、黒井の中にはあった。
そして、矛盾が自分にとって弱さであるとは、もう、思っていない。
何故なら、矛盾とは――鎧だから。
黒井は、足を止めた。
背中に、樹の幹がぶつかって来たからだ。
動きを止めたライダー三号に、クレイジータイガーの眼が光る。
これ好機と、右腕を返しの付いた巨大な突撃槍に変形させ、突きを放った。
樹の幹に押さえられたライダー三号の身体を、突撃槍は貫通するであろうし、引き抜けばその返しが内臓をずたずたに引き裂く。
その槍の先端が、タイフーンに迫った。
ベルトの風車は、仮面ライダー第三号の弱点だ。
そこを貫かれれば、エネルギーの補給が出来なくなり、ライダーは活動停止に陥る。
所が――
その黒井のボディを貫こうと、最高の加速を持って繰り出されたクレイジータイガーの一突きが、却って風を生み、タイフーンの風車ダイナモを回転させる事になる。
ダイナモが唸る。
かっと、仮面ライダー第三号の、黄色いCアイが輝いた。
黒井の意識が拡大され、クレイジータイガーの動きを、酷くスローなものとして捉える。
黒井は、停滞した時間の中で、クレイジータイガーの槍を掴むと、タックルにゆくように身体を沈め、右の肩を下から槍の根元に押し付け、相手が突撃する勢いに、自分が身体を跳ね上げる力を加え、投げ飛ばした。
ライダー返しだ。
肩のプロテクターを、クレイジータイガーの槍の返しが抉る。
が、ライダー三号はそれをものともせずに、クレイジータイガーを一本背負いの要領で投げ飛ばした。
自分の速度プラス黒井のパワーで、クレイジータイガーは地面に激突した。
ダメージ自体は、さしたるものではない。
すぐに、立ち上がる事が出来た。
所が、その立ち上がって、最初に見た仮面ライダー第三号の姿に、恐怖した。
素手である。
全てを貫く剣もなく、全てを防ぐ盾もない。
だが、その身体には、全てを超える最強の鎧を纏っていた。
クレイジータイガーは、恐怖の余り咆哮し、金属の鎧の隙間に糞尿を垂れて、黒井の前から逃げ出した。
逃げ出した方向には、炎上する“火の車”があった。
左手にガイスト・カッターを、右腕にアポロ・マグナムを装備したガイストライダーは、ゾゾンガー・マグナの猛攻に、防戦一方となっていた。
“火”の剣で肉体を改造したゾゾンガーは、全身から砲身を突き出して、ガイストライダーに狙いを付けている。
ロケット・ランチャーや連装機銃、ショット・ガン、散弾――何れも重火器で武装したゾゾンガーは、最早、一つの移動式要塞と言っても過言ではなかった。
山頂から砲撃を加えていた時よりも多い手数と、少ないターゲットに、ゾゾンガーは自分の勝利を確信しているようなものであった。
ガイストは、しかし、雨あられと降り注ぐ弾薬の中を掻い潜りながら、冷静に反撃のチャンスを伺っていた。
戦闘開始から数十秒が経っている。
その間、ゾゾンガーはひっきりなしに砲撃と爆撃を繰り返している。
強化再生した右肩の大砲、全身に顔を出した機関銃からは、常に硝煙が絶えない。
“火”の剣を得るまでは、ゾゾンガー砲にはゾゾンガー自身の細胞が消費されていた。その為、撃つ事の出来る弾数には限りがある。
しかし、今は、“火”の剣の力によって、撃ち出す火薬の量を心配する事がない。筒の中で爆発を起こして、弾丸を飛ばせば良いのである。
弾丸は、やはりゾゾンガーの身体から出る老廃物から作られる為、決して無限ではない。だが、最後には“火”の剣自体の炎の力で攻撃する事が可能となっている。
ガイストを炎で包んでしまうには、何も心配する事はない。
ガイストは、ゾゾンガーを森の中に誘い込み、木々の間を擦り抜けて、狙いを付けさせないようにしている。
ゾゾンガーは森を焼き尽くさんと火器を解放し、既に、ガイストらの周辺は炎で包まれている。
焼かれた森から熱風が吹き上がり、膨らんだ煙が風に流れ、根っこから吹き飛ばされた樹が宙を舞って虚空に消失する。
その炎の中に進み出て来たゾゾンガーに、異変が起こった。
ガイストの見ている前で、突如として、ゾゾンガーが苦しみ始めた。
ガイストの読み通りであった。
苦悶するゾゾンガーの身体に、風に嬲られて枝から引き千切られた木の葉が触れると、一瞬で燃え上がった。
元から、下方からの熱風に煽られていたという事もあっただろうが、それに加えて、ゾゾンガーの身体が放つ高熱にやられ、発火したのだ。
ゾゾンガーの体温は、今、木や紙を発火させる程に上昇している。
確かに、“火”の剣の力を手にしたゾゾンガーは、弾さえあれば無限に銃弾を撃ち込む事も可能であろう。
が、それとは別に、ゾゾンガーは生体である。
生物の細胞は、気温が高過ぎても低過ぎても生きてゆく事が出来ない。
自らが孕んだ熱の為に、ゾゾンガーは自身の細胞を殺しているのだ。
ゾゾンガーの改造体には、冷却機能だって設けられていようが、そのキャパを遥かに超える熱量が、ゾゾンガーを襲っているに違いない。
炎の中で悶え苦しむゾゾンガーに対し、ガイストはアポロ・マグナムの銃口を向けた。
二二ミリの弾丸が、同時に三つ放たれて、ゾゾンガーの肉体にめり込んだ。
刹那、ここまで体温が上昇して、良くも起動しなかったと思わせる自爆用の小型爆弾が、ゾゾンガーの身体を木っ端微塵に吹き飛ばした。
当然、彼の身体に刺し込まれた“火”の剣も同じ事であった。
「ふふん」
ガイストは、黒井たちに合流しようとする。
が、自分を包む炎が、嫌な質量を持った事を感じ取った。
熱い筈なのに、背筋が、ぞくぞくと寒気を覚えるのである。
何だ?
思わず、周囲を伺った。
何処かから、何かに監視されているような気分であった。
何も見当たらない――その瞬間、ガイストは、自分の身体が動かない事に気付いた。
これは⁉
見えない蛇に絡み付かれたかのように、身動きが取れない。
そのガイストに、炎がゆらゆらと動いて、迫る。
ガイストの鉄のプロテクターを、炎がじんわりと炙り始めた。
黒と緑の装甲が熱を帯び、赤く変色する。
視覚的に、自分が蒸し焼きにされているようであった。
何故、動かぬのか⁉
焦燥するガイストは、自分の動きを拘束している気配に、ゾゾンガーの意識を感じた。
今さっきまで、互いに殺し合っていた相手である。その殺意は、間違えようがない。
だが、ゾゾンガーは爆死した筈だ。
何故――そう思った所で、ゾゾンガーの身体に“火”の剣が挿入されていた事に気付いた。
火……“ヒ”とは、大和言葉で言えば、“魂”とか“霊”とかいう意味だ。
生命を、肉体と霊魂の二つに分けた時の後者がこれである。
餓蟲でもあった。
それらが、肉を帯びてその場に留まる所に、“ヒ”が“ト”まる――ヒトがある。
又、古代日本、邪馬台国の女王・卑弥呼がいる。
卑弥呼という字は、中国から見たものであり、本来の意味合いから漢字を選ぶのならば、霊を見る神子――火見子という漢字を当てるのが相応しい。
火炎や熱を司る一方で、霊性を操る“火”の剣を得たゾゾンガーは、霊体と成り、自分を殺した相手を呪い殺そうとする怨霊となったのである。
ゾゾンガー・スペクターに身体の動きを止められ、鎧の外から熱されるガイストは、危うく、ゾゾンガーの死因の一つでもある冷却不可能の状態に陥っていた。
ガイストは、そこから脱する為に、アポロクルーザーに呼び掛けた。
“火の車”を墜落させたライダーロボの脚部を担っていたアポロクルーザーに呼び掛けた事で、待機していたライダーロボのコントロールが、ガイストに移る。
ガイストは、ライダーロボを操って、その巨体で地面を揺らし、自分が捕らわれている火炎地獄を踏み潰させた。
地面へのストンピングの衝撃で、ガイストの身体が物質的に浮かび上がり、森の中に突っ込まされる。
霊体による干渉は、ガイストの意思による動作を停止させるが、ガイストの意識外からの動きには干渉する事が出来ない。
ガイストは、胸部装甲ガードランを拳で打ち破り、身体に籠った熱を放出した。
一旦、危機を脱したとは言え、相手が霊体では、どうしようもない。
そう思った時、破砕されたガードランの隙間に眠る、ブラック・マルスの存在を思い出した。
火星回路ブラック・マルス――Xライダーに埋め込まれたマーキュリー回路と同型のものであり、パーフェクターのエネルギー・クロス機能を向上させるものだ。
それだけでは、ない。
ガイストが、ガイストライダーとなる前、GOD機関の秘密警察第一室長アポロガイストであった頃の、彼の能力を再現する為のパーツでもあった。
アポロガイストは、神敬介・Xライダーに最後の決戦を挑む際、彼に倒されたGODの神話改造人間たちを自らの手で復活させている。
神話改造人間たちは、呪博士の設計の許で造られたボディに、GOD総司令――大首領の授けた霊媒能力で召喚した神話の神々の魂を定着させて、誕生していた。
アポロガイストは、その能力の片鱗を、“命の炎”として組み込まれていた。
ブラック・マルスは、神啓太郎の設計した深海開発用改造人間とほぼ同じボディを持つガイストライダーに、アポロガイストの固有能力である“命の炎”を授ける回路でもあった。
ガイストは、仮面の下で舌を鳴らしながら、その機能を作動させた。
ブラック・マルスが胸の中で唸り、割れたガードランの隙間から、光が漏れる。
その光が、ガイストの正面を照らした。
すると、虚空に、赤く色づいたもやのようなものが浮かび上がった。
見ると、それはゾゾンガーの姿をしている。
今まさに、ガイストに襲い掛かろうとしている、ゾゾンガー・スペクターだ。
ガイストは、今のゾゾンガーに触れる事は出来ないが、ゾゾンガーに憑りつかれるのを避ける事は出来た。
身を躱されると、ゾゾンガーが驚いたような顔で、ガイストを振り向いた。
振り向いたと言っても、ガイストが見ていたゾゾンガーの背中に、ゾゾンガーの顔がぬるりと浮かび、気が付いたらその霊体がゾゾンガーの正面になっていた、という形だ。
実体を持たないゾゾンガーは、物質界の常識には囚われない。
ガイストは、ブラック・マルスの力でゾゾンガーを目視する事が出来るようになったが、やはり、攻撃する事は出来ない。
ガイストは、である。
――糞親父め。
ガイストは、父親でもある呪博士に、呪詛の言葉を吐きながら、ブラック・マルスに備わった、霊体の召喚能力を発動した。
ガードランの間隙から光が漏れ、するり、するりと、ゾゾンガーと同じ霊体が這い出して来る。
ネプチューン。
パニック。
イカロス。
メデューサ。
プロメテウス。
アトラス。
ミノタウロス。
アキレス。
キャッティウス。
ユリシーズ。
ショッカー基地の電子頭脳からインストールした、過去の組織の改造人間の内、同じくGOD機関所属の神話改造人間たちのデータを、ブラック・マルスを介して霊体として出現させたのであった。
神話改造人間らの霊体が、ゾゾンガー・スペクターを拘束する。
ゾゾンガーは、肉の重みを捨てられていないガイストに攻撃を加えられないばかりか、逆に動きを抑え込まれてしまった事に戸惑っている。
その戸惑っているゾゾンガーに、ガイストはアポロ・マグナムを向けた。
勿論、通常の弾丸では通じない。
その為、放つのは通常の弾丸ではない。
ガイストライダーの横に、光のもやが現れた。
アポロンの霊体であった。
呪青年は、人間を憎む自我が強過ぎる余り、単なる神話改造人間アポロンとなる事が出来なかった――その霊体が、ガイストによって召喚されたのだ。
ガイストライダーはアポロ・マグナムにアポロンの霊体を宿し、ゾゾンガーに向かって発射した。
実弾はゾゾンガーを突き抜けて、背にしていた木々を薙ぎ倒してゆく。
同時に発射されたアポロン・ゴーストは、他の神話改造人間たちのゴーストと共に、ゾゾンガーの霊体を巻き込んで消滅した。
ガイストのゴーストチェンジ待ったなし(やりません)。
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第三十八節 地獄
サタンホークに、“火の車”に向かって落とされた克己であったが、この際の風圧によって僅かばかりとは言え体力を回復し、空中で身体を捻って、“火の車”の操縦席に着地する事に成功した。
サタンホークを見上げた克己であるが、すぐに視線を動かした。
黒井を恐れて逃げ出した、クレイジータイガーの姿を確認したのである。
克己は、操縦席に残っていた“木”の剣を引き抜くと、操縦席から身を躍らせて、クレイジータイガーの傍に下り立った。
驚いて、その場でスリップしたクレイジータイガーの胴体を踏み付けると、開いた口に剣を突き刺して、その部分を軸に頸を捻らせ、頸椎に一体化していた“金”の剣を引っ張り出した。
その途端、クレイジータイガー・メタリックの全身を覆っていた刃物は、直ちに錆び付いてこぼれ落ち、元の黄色い体毛が剥き出し、絶命した。
生命活動の停止、そして、爆発――
克己は、爆風を利用してタイフーンを回してエネルギーをチャージし、更に、サタンホークのいる上空まで飛び上がって行った。
飛び上がりながら、左手に持った“金”の剣を投擲する。
サタンホークの脇腹に、“金”の剣が突き刺さった。
克己は、それを確認すると、“木”の剣の力を解放した。
“木”は、震に繋がる。
震とは、雷の事である。
つまり、“木”の剣は、雷撃を放つ事が出来るのだ。
“木”の剣から飛び出した稲妻は、サタンホークの脇腹に刺さった“金”の剣に被雷すると、その肉体を内側から攻撃し、内臓を破壊した。
サタンホークは、血を吐き、全身から煙を立てながら、“火の車”の傍に落下した。
克己は“木”の剣を地面に突き立てると、地を這うサタンホークに歩み寄る。
両腕を杖に起き上がろうとするサタンホークの頸を掴んで持ち上げ、脇腹の剣、続けて背中に刺さった“土”と“水”の剣を引き抜いた。
サタンホークの姿が、見る見る元の姿に戻ってゆき、鷹爪火見子の姿に戻る。
「裏切り者、鷹爪火見子……」
鉄のマスクの奥から、克己が言った。
「ドグマ背反の原因は、貴様にある。決して許す訳にはいかない」
「何……?」
焼けて爛れた口の中から、煙を吐き、火見子は言った。
「火の一族の巫女でありながら、己が使命を忘れ、一族の抹殺を図った貴様をな……」
秋田赤心寺に於いて、最初で最後の葬儀が執り行われた。
樹海の為のものである。
玄海が導師を務め、喪主は鉄鬼という事になった。
玄叉山の麓の村の人々らの多くが出席し、その突然の死を悼んだ。
その後、“よし”の母親の出産が近いという事で、彼女は実家のある埼玉に帰り、その際に、秩父の山奥に後継者のいない寺があるからどうであるか、と、玄海は聞かされた。
“空飛ぶ火の車”――火の一族の秘宝を求め、樹海を殺害した何者かの存在を、それが鉄鬼であるとは露程も疑わなかったが、知らされた玄海は、“火の車”の秘密を記した粘土板を、玄叉山から持ち出す事を考えていた。
赤心少林拳の分派の案が出ていた事もあり、玄海は、秩父の山に住居を移す事にした。
その玄海に、付いてゆこうとする者が幾人かおり、その中には“よし”もいた。
一方、“よし”の親友であった“ひー”――火見子は、それが出来なかった。
火見子は、樹海から霊玉を受け取って玄叉山を去った火の一族の血筋であり、彼らから玄叉山と、そこに眠る黄金を見守る使命を受けていた。
その為、玄叉山を離れる事は出来なかったのである。
火見子も、“よし”と同じように、鉄鬼よりも玄海に懐いていたが、一族という縛りのない親友とは違って、東北に残る鉄鬼を監視せざるを得なかった。
それも仕方なしとは、思っていた。
又、幾ら遠く離れてしまうとは言っても、永遠の別れという事はなく、流派を超えた交流というものがあっても良いと、安心していた。
“よし”は弟と共に玄海の道場で、火見子は黒沼流の、それぞれ赤心少林拳を学び、共に高弟として、自分たちに続く弟子たちを育てる事となっていた。
拳法と仏道の両立による、青少年らの育成を掲げていた玄海流と、自らの身体を鍛え、最強の拳士たろうと修行に励む黒沼流は、その方向性こそ全く異なっているが、その内に志を同じくする者がそれぞれいる事で、流派同士の関係を維持していた。
その転機となった出来事が、起こった。
分派から暫くして、火見子が、黒沼流の師範代にまで上り詰めた頃の事だ。
火見子は、自分が黒沼流の印可を受ける時期が近付いている事を感じ取っていた。
即ち、鉄鬼が開眼したという、桜花の型だ。
所が、その直前になって、急に、玄海流の“よし”――義経が、黒沼流を継ぐと言い出した。
黒沼流は、義経の弟である弁慶が相承する予定となっていた。その弁慶と共に、火見子は、桜花を相伝される手筈になっていたのだ。
しかし、黒沼流を継ぐ筈であった弁慶は、何故か玄海流を、そして、玄海流の高弟であった筈の義経は、何を思ったか黒沼流の後継者として名乗り出たのである。
鉄鬼は、それを了解し、黒沼流を義経に授けてしまった。
火見子は、それが面白くない。
幾ら親友であったとは言え――寧ろ、親友であったからこそ、許せなかった。
その不満を、火見子は、鉄鬼を暗殺する事で晴らそうとした。
鉄鬼は、流派を師範代に任せ、山に籠る為に旅立とうとしていた。
その鉄鬼が旅立った後に殺害してしまえば、長い間、帰って来なかったとしても、修行中に死亡したと、そういう事になる。
そうして寝込みを襲おうとした火見子であったが、その時、火見子は鉄鬼の部屋に、“火の車”について記した粘土板があるのを発見した。
粘土板は、玄海が秩父に運び出していた。
それが、どうして鉄鬼の許にあるのか。
寝床に侵入した火見子を発見した鉄鬼は、彼女を問い質すが、火見子は逆に、鉄鬼が“火の車”の粘土板を持っている理由を問うた。又、それで何をする心算であるか、とも。
鉄鬼が答えられないでいると、火見子は、“火の車”を使って、世界を支配するのはどうであろうか、と、提案した。
幼い頃から、理由も分からないままに使命に従順し、自分の長年の目標をよりにもよって親友に掻っ攫われた――それら数々の不満が、“火の車”という強大な力を目前にして、爆発したのである。
鉄鬼は、火見子の提案に乗り、彼女と共に粘土板の分析を進めつつ、やがて来るべき世界の為のユートピア――ドグマ王国の構想を練った。
その後、かつて“火の車”の事を鉄鬼に教えたマヤとコンタクトを取り、ショッカーの改造人間製造ノウハウを入手して、黒沼鉄鬼はドグマの帝王テラーマクロとなった。
黒沼流から引き抜いた者や、世界各国のアスリート、格闘家などを集めた道場を地獄谷に建設し、火見子は、その道場のトップ――鷹爪火見子となったのである。
「何故、その事を知っている……?」
克己が語り終えると、火見子は力なく言った。
克己は答えなかった。
銅色のブーツで地面を踏み締め、火見子の傍に近付いてゆくと、首根っこを掴み上げた。
火見子の手が、克己のレガースを掴む。
そうしなくては、自分の体重を頸椎のみで支える事になり、頭蓋骨が頸骨から外れ、その周辺の靭帯が断ち切られてしまう。
「火見子――その名の通り、火を見る巫女、だったな」
克己はそう言うと、火見子の身体を、“火の車”を焼き尽くそうとする炎の中に放り込んだ。
肉の焦げる匂いと、怪鳥のような悲鳴が、炎の中から伸び上がる。
克己は“火の車”に背を向け、横に突き出した左腕の、親指を立てた左手を、手首を返して下に向けた。
「さぁ、地獄を楽しみな」
火見子――サタンホークの身体に仕込まれた小型爆弾が作動した。
爆発を背に、克己は、黒井とガイストと合流する為、歩き出す。
拉げた山の向こうに、太陽が昇り始めていた。
その太陽の光を浴びて、蝶でもあり、蛾でもある不思議な花が、鱗粉を舞い落しながら、克己の周囲を踊っていた。
明るく白み始めた空の下、仮面ライダーたちが、村人の安否を確認している。
ドグマによって、何人もの人々が死んだ。
生き残った人たちを集め、誰が生きているか、誰が死んだのかを、確かめている。
無事を喜ぶ親子もいれば、きょうだいの死を悲しむ者もあった。
家に火を付けられた際、瓦礫の下敷きになっている者もあった。それで運良く生き延びた少女の隣には、彼女を庇った男の遺体があった。
何人も死んだが、生き延びた者たちは、危うくドグマによって皆殺しにされてもおかしくはなかったのだ。彼らを助けてくれた黒井たちに、感謝の意を示した。
その中には、当然、シンタたちもいた。
克己は、シンタと交渉して、三種の神器を自分たちが責任を持って保護すると言った。
村人の中には、“火の車”の再現を良く思わない者もおり、ドグマの目的が“火の車”を手にする事による世界征服と聞いては、それを悪用はすまいと判断出来る黒井たちに預けるのが最良であると、思ったのだ。
「ありがとう、ライダー」
チエが、克己に言った。
克己は、戸惑っている様子だったが、横手から、
「頭でも撫でてやれ。優しく、な」
と、黒井に囁かれて、力を込めずに、チエの頭を撫でた。
「それじゃあ、俺たちはこれで」
黒井とガイストが、踵を返す。
分離したライダーロボの、トライサイクロンとアポロクルーザーにそれぞれ乗り込んだ。
克己は、
「俺は、“火の車”を回収してからゆく」
と、言う。
三種の神器だけならば良いが、“火の車”の残骸を、そのままにして置く訳にはいかない。あれだけの巨大なものを運べるのは、スカイサイクロンだけである。
「遅くなるなよ」
ガイストがそう言って、マシンを発進させた。
去ってゆくトライサイクロンとアポロクルーザーを見送り終えた時、シンタが不意に鼻を啜り始めた。
「どうした」
克己が問うと、シンタは首を横に振った。
しかし、
「父ちゃん……」
と、ぽつりと呟いた。
シンタとチエの父――香坂健太郎は、地獄谷五人衆によって重傷を負わされている。
命の危機に瀕しながらも、霊玉を守り、シンタとチエを村から脱出させようとした。
それを見て、克己が、
「お前の父ならば、生きている」
と、言った。
「え⁉」
「お前たちから光る石を預かり、山へ向かう途中に、お前たちの家で確認した」
「本当?」
「応急処置もして置いた」
連れて来よう――と、踵を返すのを、村人の一人が止めた。
「俺が連れて来るよ。待ってろ、シンタ」
そう言って、その男は香坂の家の方へと駆けて行った。
シンタとチエは、すっかり無事では済まないと思っていた父の無事を知らされて、わんわんと泣き始めた。
諦めていた命であった。
割り切ろうとしていた生命であった。
しかし、諦め切れず、割り切れもしないのが、人間の心根だ。
山彦村の人々は、いざという時は自分のみを犠牲にしてでも、秘宝を守る事を教えられている。
けれども、そう簡単に割り切れるものではないという事も、分かっていた。
「へへっ……」
若い男が、鼻の下を指で擦りながら、克己の傍にやって来た。
「ありがとうな、兄ちゃんよ。お蔭で助かったぜ」
そう言った。
克己は、飛蝗のマスクでそちらを振り向くと、
「構わない」
男の肩に手を置きながら、言った。
次の瞬間、眼にも止まらぬ速さで、もう片方の手に握られていたナイフが、その男の咽喉笛をぱっくりと切り裂いていた。
「な――」
何が起こったのか分からない。
そういう顔を、村人たちが、咽喉を切り付けられた男も含めて、した。
獣の口のように開いた傷から、血が噴水のように迸る。
克己は、銅色のプロテクターを赤く染め上げて、朝日を反射するナイフを手の中でくるりと回した。
「うわーっ!」
誰かが悲鳴を上げて、逃げ出した。
その逃げ出す背中に、克己はナイフを放り投げた。
強化改造人間のパワーで投擲されたナイフは、その人物の腹を突き破り、数珠繋ぎの大小腸を引き摺り出しながら、貫通した。
臓物の釣り糸を、ナイフで地面に縫い付けられ、死体が倒れ込む。
唖然としている村人たちに、克己が襲い掛かった。
鉄のパンチや蹴りが、村の人々を襲撃する。
頭を砕かれ、胸を貫かれ、腕を千切られ、脚を切り飛ばされた。
極め付けのように、スカイサイクロンが村の頭上から、焼夷弾の雨を降らせる。
朝陽が、夕焼けの如く塗り替えられていた。
落下して来た焼夷弾の炎が、人々の身体に纏わり付き、その生命を焼き尽くす。
克己は、降り注ぐ火の雨の中で両腕を広げ、破裂し、爆発する屍を眺めながら、かつて自分の頭蓋に潜り込んだ螺旋の金属と共に刻まれた言葉を、告げた。
「さぁ、地獄を楽しみな」
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第三十九節 再誕
克己の言った通り、香坂健太郎は、地獄谷五人衆によって四肢を破壊され尽されるという重傷を負いながらも、彼の応急処置によって一命を取り留めていた。
その香坂を迎えに行った村人の男は、香坂と共に、村の惨状に言葉を失った。
村を、炎が焼き尽くしている。
ドグマが家を焼いた――それよりも、更に酷い。
空中に留まったスカイサイクロンから、次々と焼夷弾が降り注いでいる。
油を絡めた炎は、人体に蛇の如く巻き付き、その細胞が消し炭となるまで燃え続ける。
地獄の光景であった。
炎の雪崩であった。
登頂を拒否する白い頂から、一つの石が落ちて来る。
その一石が呼び水となって、次の石、次の石と、落石が連鎖する。
雪を巻き込んで斜面を下る無数の石が、積もった六花の結晶を大量に振動させ、一つの巨大なうねりとなる。
神の座へ至ろうとする者を蹴落とす山の怒りのようであった。
生きとし生ける者全てを否定する、裁きの炎だ。
何の為に、我々に裁きが下されたのか⁉
そう考えさせられてしまう程だ。
その地獄の業火を前に、香坂は、
「シンタ……チエ!」
と、子供たちの名を呼んだ。
手頃な枝で固定されただけの、殆ど動かない筈の脚を踏み出し、村人の男を振り払って、火の方へと、よろよろと歩いて行った。
「村長!」
村人の男が声を掛ける。
「シンタぁ……」
「チぃエぇぇ……」
虚ろな瞳に炎を写して、香坂がゆく。
燃え上がる炎の熱に当てられたか、被っていた頭巾が燃え落ちた。
香坂の頭が現れる。
白髪の多い髪。
その頭の横側には、両の耳朶がなかった。
シンタぁぁぁぁ~~~~……
チぃエぇぇぇぇ~~~~……
自身の声が、洞窟を抜けてゆく風のように、香坂の頭蓋に響いていた。
その、息子と娘を呼ぶ声の中に、
ようこぉぉぉぉ~~~~……
ようこぉぉぉぉ~~~~……
そのような声が混じっていた。
村が焼かれた精神的なショックが、息子と娘の安否を気にする事でぐらついた香坂の心が、かつて、頭部を強打された事で忘れていた娘の事を――黒沼陽子の事を、思い出していた。
黒沼大三郎――
『景郷玄書』を閲覧し、偶然にも巡り合った氷室五郎と共に玄叉山へ赴き、彼を裏切った所を逆襲され、娘を失い、記憶までも奪われた男であった。
黒沼は、黄金の洞窟から逃げ出すと、玄叉山を去ろうとした火の一族たちに出くわし、頭や耳の傷を治療して貰い、記憶を失くしていた事もあって、彼らと行動を共にする事になった。
そうして、香坂健太郎という名を貰い、妻を娶り、シンタとチエを得た。
三六年振りに、彼は、自分が黒沼大三郎である事を思い出したのであった。
しかし、欠落した記憶の回復と共に、黒沼・香坂は、この炎の地獄を彷徨っている。
シンタぁぁぁぁ~~~~……
チぃエぇぇぇぇ~~~~……
ようこぉぉぉぉ~~~~……
子供たちの名を呼びながら、地獄を放浪する黒沼・香坂。
その視線の先に、立ち昇る炎の峰と陽炎の先に、一つの影があった。
克己であった。
強化改造人間第四号――
又は、仮面ライダー第四号。
赤々と照らされる銅色のマスクが、黒沼・香坂を振り返り、赤い眼が、紅蓮の景色の中でなお赤く光った。
その足元に、二つの、小さな首が転がっている。
表情を失った、シンタとチエの頭部である。
二つの頭の横には、二つの身体が倒れていた。
一つはシンタのものだ。人形を抱いているのは、チエのものである。
「ああああ~~~~っ⁉」
黒沼・香坂の脳裏に、かつて、氷室五郎によって斬り落とされた陽子の生首がフラッシュ・バックした。
黒沼・香坂は、克己に向かって駆け寄った。
駆け寄ろうとするその途中で、四肢を固定していた枝が折れ、黒沼・香坂の肘から下、膝から下が、ぶつりと切断されてしまった。
手足を失った黒沼・香坂が、それにも気付かぬ様子で、その場でもがく。
ない足で足掻き、ない手で地を這おうとした。
克己ライダーは、その香坂の傍に膝を着くと、
「俺の名は、仮面ライダー。憶えて置くが良い」
そう言って立ち上がり、上空のスカイサイクロンに向かって跳躍した。
スカイサイクロンから下りて来たタラップに掴まり、機内に収納される。
スカイサイクロンは、村の頭上を去り、打ち捨てられた“火の車”をワイヤーで吊り上げて、皆守山を後にした。
残された香坂は、身動きも出来ないまま、咆哮した。
肘から先のない腕を、滅茶苦茶に地面に叩き付ける。
膝から下のない足で、身体を動かそうとする。
胴体を蛇の如くくねらせ、牙を剥き、血の涙を流していた。
と――
彼が面した炎の壁の向こうから、ゆっくりと歩み寄って来る女がいた。
赤いハイレグのレオタード。
黒いタイツ。
この地面には似合わないヒールの靴。
シースルーのマントを羽織っていた。
鼻から下を、黒いヴェールで覆っている。
左手には、“木”の剣を握っている。
振り掛かる火の粉を防ぐように、女の周りには、蝶と蛾が舞い踊っていた。この世のものとは思えない、美しい燐光を纏った、蝶であり、蛾であり、花であるものだ。
「お父さま……」
女が言った。
黒沼・香坂が顔を上げると、その唇が、
「陽子⁉」
と、動いた。
「ええ、陽子です……」
女は言った。
陽子は、蒼い顔を炎の照り返しで赤く染める黒沼・香坂の傍で跪き、父の身体を抱き締めた。
「会いたかったわ、お父さま」
「お前は、死んだ筈ではなかったのか⁉」
「ええ。だから、蘇ったのよ」
「蘇った⁉」
「そう――あの男に、復讐する為にね」
「あの男?」
「氷室五郎……今は、テラーマクロと名乗っているわ」
「テラーマクロ?」
「ドグマの総帥よ」
「ドグマだと⁉」
「そう。“火の車”を狙って、あの化け物たちを派遣したのは、あの氷室なのよ!」
陽子は、胸の中に抱き締めた父の前で、ヴェールを捲りながら、顎を反らした。
その、細くて白い頸に、蚯蚓腫れのような傷痕が走っていた。
咽喉のぐるりを囲んでいる傷は、刃物を突っ込んで、ぐちぐちと掘り返したものだ。
「あの、私の頸を落とした氷室が……」
「ひ、氷室め……」
黒沼・香坂は、憎々しげに言った。
引き絞るような声は、既に、人間のものとは思えない。
「許さぬ。決して許さぬぞ。陽子ばかりか、シンタとチエまでも……」
「お父さま、これを……」
そう言いながら、陽子が取り出したものがある。
掌に乗っていたのは、あの光る石の一つだ。
黒い――“水”の霊玉だ。
陽子は、“水”の霊玉を黒沼・香坂の口に含ませると、自分の唇を当てて、喉の奥に押し込ませた。
黒沼・香坂の体内で、霊玉が光を放ち始める。
すると、その光に引き寄せられるかのように、炎の奥から、ずりずりと這い寄って来たものがあった。
見れば、それは、地獄谷五人衆が一人、蛇塚蛭男・ヘビンダーの首であった。
ヘビンダーは、まだ、死んではいなかったのだ。
黒井のライダーチョップで、頭と胴体を切り離された事が、却って彼を自爆の為の小型爆弾から救ったのである。
陽子は、ヘビンダーの首を掴むと、黒沼・香坂の身体に押し当てた。
と、黒沼・香坂の体内の霊玉が、黒沼・香坂の生命を維持する為、他の生物から栄養を取り込もうとする。つまり、ヘビンダーの身体を、吸収して合体しようというのである。
ヘビンダーの残骸は、見る見る黒沼・香坂の細胞と一体化してゆく。
今度、ヘビンダーを支配するのは、黒沼・香坂であった。
黒沼・香坂の、失われた両腕、両脚の傷口の細胞が、ぐりぐりと盛り上がって来る。
肉の山が、こんもりとせり出して来ると、その先端に三つの切れ込みが入った。
小さな二つの切れ込みの奥から、水晶のような眼が現れる。
大きな一つの切れ込みからは、鋭い牙と舌が出現した。
右腕、左腕、右脚、左脚が、それぞれ、巨大な蛇となって再生した。
陽子は、更に、転がっていたシンタとチエの首を、黒沼・香坂の前に差し出した。
黒沼・香坂の身体から生えた蛇が、鎌首をもたげ、子供たちの生首にかぶりついてゆく。
眼も鼻も耳も唇も、頭蓋骨も脳みそまで、我先にと喰らい始める四つの顎。
二つの首が喰らい終わられると、黒沼・香坂の胸と腹の肉が、山のようにせり出した。
そこに、又、三つの切れ込みが生じて、蛇の頭に変わる。
四肢と、心臓と鳩尾から、合計で六つの蛇頭が生えている。
陽子は、黒沼・香坂の顔に鱗が生じ、頸の筋がぷつんぷつんと音を立てながら伸びてゆこうとするのを確認すると、父の下半身に頭を持ってゆく。
そこのものを口に含み、手で扱き上げていると、口の中でむくむくと膨張した肉が、他の部分と同じく頭を持ち上げて来た。
陽子が口を離すと、その部分も他の場所と同じく、巨大な蛇の頭となって立ち上がって来る所であった。
同時に、黒沼・香坂の顔も、完全に大蛇のものとなり、頸からするすると長さを増してゆく。
頭部と陰部が蛇と化し、心臓と鳩尾と四肢から蛇が生えている。
八つの頭を持った蛇の怪物が、そこには誕生していた。
人間大の蛇の頭部がくねり、やがて、人の身体から、人とも獣とも言えぬ姿に変わってゆく。
それを、うっとりとした様子で眺めていた陽子であったが、
「ば、化け物⁉」
香坂を迎えに行っていた為に、克己の殺戮から逃れた男がやって来て、叫んだ。
その無粋な悲鳴を聞いて、陽子が、しかし、笑う。
「悪魔め、魔女め⁉」
異形に変じた黒沼・香坂と、その変化を促した陽子に向かって、言っていた。
それを聞いて、陽子は益々高らかに笑い、
「それは良いわ」
と、言った。
「ならば、お父さま、貴方はこれから、悪魔元帥と名乗りなさいな……」
そして、自分をして、
「私は、その傍で貴方を支える魔女……魔女参謀となりましょう」
陽子――魔女参謀は、その宣言と共に、隠し持っていた他の四つの霊玉の内、三つを天に放り投げた。
大地の紅蓮に照らされる空に、赤と白と蒼の霊玉が吸い込まれてゆく。
それを見上げ、魔女参謀は、呪文のようなものを唱え始めた。
村人に聞き取れたのは、
「シバルバ」
「ククルカン」
「ユム・キミル」
精々、それ位のものであった。
そうして、魔女参謀・陽子は、手元に残った黄色の霊玉を呑み込んだ。
魔女参謀の身体の内側で、“土”の霊玉が力を放ち、黒沼・香坂の身体を蛇のそれに変えた“水”の霊玉の影響を受けて、“木”の気を発した。
ぞわぞわと持ち上がった魔女参謀の長い髪が、彼女の周囲を舞っていた蛾・花に触手のように絡み付き、融合させてゆく。
陽子の美貌が波打ち、鬼のような顔に変わった。
蛾を喰らった髪は、一つに束なり、薄く広がって、まるで虫の翅のようであった。
身体はそのままに、陽子の顔は、花とも蛾とも見えるものに変わっていた。
そして、彼女が宙に放った残る三つの霊玉にも、奇瑞が現れていた。
陽子の詠唱を受けて、この場で虐殺された人々の怨霊が、空中に留まった三つの霊玉に集まってゆく。
白い光を放つ“金”の霊玉に集まったそれは、直ちに人の形を取った。
ぼんやりと空中に浮かぶのは、髑髏の姿である。
窪んだ眼窩の底に、下世話な黄金色の光が灯っていた。
赤い光を放つ“火”の霊玉は、“火”の剣に導かれるように移動する。
霊玉に纏わり付いた怨霊は、“火”の剣の残骸の中に転がっていたゾゾンガーの大砲に入り込むと、ゾゾンガーの細胞を活性化させて、全く別のシルエットを作り上げた。
蒼
い光を放つ“木”の霊玉は、充分な怨霊を孕むと、真下に向かって落ちてゆく。
そこには、人形を抱いた、首のない少女の骸があった。
霊玉が、その人形と共に少女の身体に入り込む。
すると、斬り落とされた少女の頭の代わりに、人形の顔が傷口から盛り上がって来た。
腕や足の骨が、樹が根を伸ばすように長くなり、すらりとした人影をそこに立ち上がらせる。
その周辺を、陽子の髪に囚われなかった蝶が舞った。
皆守山の麓に、五つの怪物たちが、集合していた。
八つの頭を持つ大蛇。
蛾の顔をした女。
大砲を背負った悪霊。
金を纏った髑髏。
人のように動く人形。
「ゆきましょう、悪魔元帥――」
魔女参謀・陽子が言った。
五振りの剣の内、唯一残った“木”の剣――稲妻を起こし、電光を発する剣を掲げる。
悪魔元帥――サタンスネークは、八つの顎から毒の混じった吐息を放った。
「ドグマに……裏切り者に、死を」
魔女参謀が言うと、何処からともなく、あの鴉が飛来した。
ジェットコンドル・暗黒大将軍の“種子”から生み出された、あの鴉だ。
「テラーマクロ……仮面ライダー……」
サタンスネークが、大量の空気と共に、怨みを込めて呟いた。
陽子を殺し、自分の記憶を奪った氷室五郎。
シンタとチエを殺し、村を焼いた仮面ライダー。
それらに復讐する為、五つの怪物たちが、闇の中で動き始めた。
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第四十節 般若
静謐な空気の中で、玄海は、座禅を組んでいる。
頭を綺麗に剃り上げているが、灰色の髭を蓄えていた。
玄又山にいた頃よりも、随分と細くなってしまっている。
しかし、弱くなったという風には、微塵も感じられなかった。
年齢を重ねた事で、元からあった穏やかなものが、より自然と一体化して、見る者に訴え掛けて来る。
秩父、赤心寺――
玄海が、義経と弁慶の母に勧められた廃寺に構えた寺だ。
玄又山の麓の村から、玄海を慕って、何人かの村人たちが一緒に移り住んだ。
今では、門弟の数は一〇〇人を超える。
早朝、玄海は本尊の前に座している。
眼を閉ざす事なく閉じ、呼吸をするでなく息を吸って吐き、静かな禅定の境地に入っている。
暫くそうしていると、本堂の扉が開き、弁慶が顔を出した。
赤心少林拳玄海流師範代――
見事な体躯の男であった。
頸が太く、胸が分厚く、肩幅が広い。
腕や脚には、粘土を盛り付けたような筋肉が膨らんでいる。
「老師、
小食とは、朝食の事である。
「うむ」
と、玄海は立ち上がった。
結跏趺坐――それぞれ、逆の方の太腿に足を載せる座り方だ。
それを解いて、すぐに立ち上がる事が出来た。
弁慶に連れられて、玄海は、食堂に向かう。
托鉢で食料を貰って来る班、調理をする班が決められており、食事は皆で一堂に会して行なわれる。
その途中、弁慶が、このように話し始めた。
「今朝の事なのですが、実は……」
「何かな」
「ええ、明け方、用を足しに立ったのですが、その時、西の空に黄金の光を見ました」
「ほぅ……」
「あれは、若しや、見仏というものでしょうか」
見仏――言葉の通り、仏を見るという事である。
長時間の禅定に入ったり、密教の手法を行なったり、念仏を唱えたりする事で、様々な仏を観たという例は、有名な高僧の伝記にはほぼ記されている。
「あれは、阿弥陀如来でありましょうか」
阿弥陀如来とは、西方極楽浄土に存在する仏である。
自身の名を唱える者を、苦しみの世界である穢土(現世)から救済する事を使命としていた。
「さてなぁ」
玄海は言った。
「何せ、儂は、まだ仏にまみえた事がない」
「え? 老師がですか?」
「ああ」
「まさか……」
弁慶は、心の底から、驚いているようであった。
玄海は拳法家としてだけではなく、仏教者としても優れた人物だ。
世が世であれば、一宗派を興せるだけの宗教体験をしている筈だ。
その筈の玄海が、自分にも見る事が出来た仏の世界を、感得した事がない……
「うむむ、では、あれは、幻だったのでしょうか」
弁慶は太い首をひねった。
玄海は、愛弟子のその様子に微笑みながら、しかし、ふと気になったようであった。
「西か……」
九郎ヶ岳に封じられているという、イスラエルの秘宝の事が、一瞬、玄海の頭を過った。
そして、まさか、という思いが去来した。
嫌な予感が働いた時には、しかし、既に遅かったのである。
時は遡り、同じく秩父の赤心寺であるが、ドグマが活動を始める前の事だ。
空は蒼く澄み、雲は白くたなびいていた。
山奥の寺は、夏でも涼しい。
堂宇を囲む木々が、清らかな風に揺られ、心休まる音楽を奏でていた。
それとは別に設けられた道場では、一〇〇名近くまで数を増した門弟たちが、日々、赤心少林拳の修行に打ち込んでいる。
夏の山奥に生じる静寂と、拳法家たちの喧騒が和合し、一つの曼陀羅を創っていた。
玄海は、本堂の前の庭に立っている。
立禅――
しかし、その姿も、修行という風ではない。
唯、立っている。
何かを目指すでもなく、立っているだけだ。
その立っているだけというのが、やけに絵になる。
不思議な美しさを放っていた。
和敬清寂――
その玄海であったが、ふと、顔を境内への入り口に向けた。
本堂まで石造りの参道が続き、山門から石段になっている。
その石段を上がって、山門を潜って来る人物が、いたのである。
見ていると、顔を出したのは、黒沼鉄鬼であった。
傍には、高弟の火見子も付いて来ている。
「鉄鬼……」
久し振りの友との再会に、玄海の頬が緩んだ。
若い頃から魅力的な笑みであったが、歳を重ねる事で、更に柔らかさを増していた。
「久しいな、玄海」
鉄鬼は、相変わらず蓬髪で、玄海とは違い、髭も黒々としていた。
失った右眼の代わりに、左眼の炯々とした光は、より強く輝いている。
身体も、若い頃の逞しさを保っていた。
「ご無沙汰しております、玄海老師」
火見子が頭を下げた。
美貌の中に、何処となく鋭利な色が見えている。
この頃、既に黒沼流の継承者に義経が選ばれており、火見子の中にはフラストレーションが溜まっていた。
玄海は、鉄鬼と火見子を客間に通した。
若い修行僧が、三人に茶を出そうとするが、鉄鬼が、
「玄海、偶には、酒でも飲まぬか」
と、持参した焼酎を取り出した。
「……山門に、あれを書くのを忘れておったわ」
玄海が、困ったように呟いた。
「あれ?」
「“葷酒山門に入るを禁ず”という、あれよ」
葷酒とは、匂いのある食べ物と、酒の事だ。
五辛と言って、
ニラ
ネギ
ニンニク
ショウガ
ラッキョウ
などは、肉や魚と共に、食べる事を禁じられている。
肉と魚に関しては、殺戒――生命を殺してはならないという戒律に反する為だ。
これら五辛は、生命力を削ぎ落す事にその目的がある仏道修行に於いて、精を付けてしまう食べ物であるから、禁じられている。
「気にするな。般若湯だ」
鉄鬼は、そう言って笑った。
般若湯――般若波羅密とは、サンスクリット語で智慧を意味する“パニャーパーラミター”の音写である。
その湯であるという事は、智慧の水という事だ。
古代インドでは、バラモンたちは祭祀の際にソーマと呼ばれる飲料を口にし、トランス状態になる事で、神々の言葉を受け取る。
このような話を基に、本来ならば戒で禁じられている飲酒に正統性を持たせる言い方が、般若湯である。
「それにな、これは、山の麓の町で、弟子が貰ったものでよ。弟子が手伝いに行っている、新潟の米農家で、今年は豊作だと言うので、出来た焼酎を分けて貰ったのさ。修行中の弟子たちに飲ませるのも良くないが、貰ったものを捨てちまうのは、忍びないでな。そこで、お前さんと、一杯やりたいと思ってよ」
そこまで言われては、玄海も、断るに断れない。
それに、托鉢で頂いたものは、無駄にしてはならないという決まりもある。
基本的に、肉や魚介、先に挙げた五辛を食べる事は禁じられているが、托鉢をしに山を下りて、町の人から貰ったものならば、食べても良い。
「私は、飲み慣れていないから、余り楽しくはならんぞ」
玄海はそう言って、一升瓶を持った鉄鬼と、向かい合って座った。
二人が、客間で会っている間、
「火見子、お前、玄海の弟子たちを少し揉んでやれ」
と、鉄鬼に言われた火見子は、弁慶が指導している道場の方へと足を向けた。
義経は、もう黒沼流道場のある八甲田山の赤心寺に住していた。
赤心少林拳の二派それぞれの師範が、酒を飲んでいる。
玄海は、座布団の上に正座をしていた。
鉄鬼は、胡坐を掻いている。
鉄鬼がお猪口とは言えぐぃぐぃと飲んでいくのに対し、玄海は茶を嗜むように少しずつ口に含んでいる。
「……最近、良からぬ事に手を出しているそうだな」
玄海が、静かに話を切り出した。
「ゴミ掃除さ」
「ゴミ掃除?」
「世の中には、莫迦たれが多過ぎる。自分の利益だけを求めて、人を騙し、裏切り、傷付けるようなゴミがな。……俺はそういう連中を、この世からなくそうとしているだけさ」
「……赤心少林拳は、暗殺拳ではないぞ」
「それは、お前さんの赤心少林拳だ。俺は――黒沼流は、違う」
「――鉄鬼……」
「この世にはな、玄海――強くて美しいものだけが残れば良いと、俺は思っているよ」
「何?」
「お前のような、な」
「私の?」
「そうだ」
玄海は、鉄鬼からの言葉に驚いた。
「まさか。私は、そんな器ではないよ、鉄鬼」
まだまだ、修行中の身だ――と、玄海は言った。
如何に無念無想に至っても、どれだけ歳を重ねても、肉の重みから逃れられていない。
美味いものを食べたい時はあるし、こうして酒に誘われて、初めての体験にどきどきしている自分がいる――
「未だに女性を抱いた事がないというそれを、恥ずかしいとも思っているよ」
玄海が言うと、鉄鬼はくすくすと笑った。
「そういう事じゃないさ……」
「――」
「今でも憶えているよ、お前の、套路……」
三五年前、玄叉山の中腹で、記憶を失った鉄鬼が初めて見た、花房治郎の套路の事だ。
黄金の燐光を纏って、その四肢が躍動する光景が、鉄鬼の頭からは離れなかった。
「お前のような、あの、金の心を誰もが持っていれば……」
鉄鬼は、深く溜め息を吐いた。
「誰も、あんな、まやかしの黄金郷には騙されぬものの……」
「――黄金郷?」
玄海が、ふと、眉を動かした。
そう言えば、この黒沼鉄鬼――黒沼大三郎という名前を除いた記憶を喪失していた彼を発見したのは、玄叉山の下の黄金窟であった。
「なぁ、鉄鬼……」
ふと、玄海は、訊いた。
「若しかして、記憶が戻っているんじゃないのか?」
「――」
鉄鬼は、無言で、お猪口を傾けた。
玄海は、嫌な想像が脳の中で膨らんでゆくのを感じた。
眼の前で酒を飲んでいる盟友が、全く別のものに変形してしまったような気がした。
「鉄鬼……」
そう呼び掛けた所で、
がーっ!
がーっ!
と、建物の外から、不快な声が聞こえて来た。
玄海が、びくりと反応する。
「鴉か……」
鉄鬼が呟いた。
「――」
鴉の鳴き声に、タイミングを外された玄海であったが、再び鉄鬼に呼び掛けると、
「君は、樹海老師の命を奪った賊の事を……」
そう言う途中で、玄海は、爪先を立て始めている。
形は正座のままであるが、踵で尻を持ち上げ、指の付け根で支える形に変わっていた。
すぐに、立ち上がれる。
「玄海よ……」
鉄鬼が、低く言った。
「お前は、死して眠るならば、何処に眠りたい?」
「鉄鬼……⁉」
「俺はな――」
鉄鬼が、お猪口を口元から下げる。
くゆらされた黒い髭の中で、唇が、つぃと吊り上がった。
次の瞬間、鉄鬼の右手が走り、玄海に向かって、お猪口に残った焼酎を振り掛けていた。
玄海はその場で回転しながら、鉄鬼が同時に繰り出して来た突きを受ける為に、右の回転蹴りを繰り出していた。
ばぢぃ!
咄嗟に繰り出された二つの気がスパークし、玄海と鉄鬼、両者の身体はふわりと浮き上がって、壁に背中から叩き付けられた。
「ぬ!」
「むぅ」
二人は、決して広くはない客間の中で体勢を立て直し、互いに構えながら向かい合う。
立てた腕の肘を、もう片方の手の甲で支えている。
「玄海よ……」
鉄鬼が言う。
「お前の想像通りさ」
「何……」
「俺は、記憶を取り戻した」
「――」
「そして、樹海を殺したのも、俺さ」
「何故だ⁉」
「――」
「お前に、あの場所を、黄金の洞窟の事を、黙っていたからか?」
そう言うと、鉄鬼は、小さく鼻を鳴らした。
「そんな事を言うな、玄海」
「え?」
「……表に出よう。ここでは、俺たちがやり合うには狭過ぎる」
鉄鬼は、寝床から起き出すような自然さで立ち上がると、玄海に背中を向けて、来た道を引き返して建物の外に出た。
その後を、玄海が付いてゆく。
本堂の横手の庫裡の玄関から上がり、廊下を通って、客間までやって来た。
その全く逆の道筋を、鉄鬼が先導して、歩いてゆく。
玄関で、草鞋を履いた。
さっきまで、殺意を漲らせていた二人が、横に並んで、草鞋の紐を結んでいる。
そうして立ち上がって、境内に出た。
本堂を、玄海は右手に、鉄鬼は左手に見る形で、対峙する。
離れた場所に設けられた道場の修行僧たちは、二人がこうして向かい合っている事に、気付かない。
「どういう意味だ?」
玄海が問うた。
「何が?」
「“そんな事を言うな”とは、どういう事なのだ?」
「言葉通りの意味さ」
「言葉通り?」
「お前は、そこまで下って来なくて良いという事だよ」
「下る?」
「俺や、樹海のような、世俗の価値観に下りて来なくて良い」
「何を言っている?」
「玄海――若し、お前が俺の立場だったら、お前はあんな風に思うのか?」
鉄鬼が樹海を暗殺した理由が、黄金の洞窟の事を知りながら、敢えて隠していたというものであった場合、玄海は鉄鬼と同じ行動に出るのか、と、訊いている。
「分からぬが、そうするやもしれぬ」
「あり得ないね」
玄海の言葉を、鉄鬼はすぐに否定した。
「若しもお前が俺ならば、そんな事はしない。考えないさ」
「――」
「お前は、良い男だ。俺が今まで出会った人間の中で、一番、悟りに近い男だよ」
「何を……何を、言う」
玄海は苦い顔で吐き捨てた。
「私は、まだ、修行中の身だ。悟りなど、程遠い。どれだけ瞑想を重ねても、何度禅定に入ろうと、私は、私がどのように生きてゆけば良いのか、その道が見えんのだぞ」
「欲深い男よ……」
言ってから、鉄鬼は、首を横に振った。
「いや、或る意味、誰よりも欲がないのか……」
「鉄鬼?」
「玄海よ、お前……本当に悟りなどというものがあると、信じているのか?」
「え……」
「修行を積めば、お前は、真理というものに至れると、本気で思っているのか?」
「む……」
玄海は、痛い所を突かれた、という顔をする。
無念無想を得ても、玄海は、自分の内の迷いを捨て切る事が出来ない。
この世界の本質が、空であると知っても、それを割り切る事が出来ないでいた。
又、空である事を理解し、それならば自分の生にはどのような意味があるのか、若しくは、意味など全くないのか――そういう考えを、巧く自分に納得させる事が出来ない。
理論的には、玄海は、既にこの世界の事を理解し尽している。
樹海が鉄玄から継いだ無念無想という技術は、玄海に受け継がれてこの世界の真実へと昇華されている。
だが、玄海は未だに肉の重みを捨て切れない。
自ら目指したものに、何の意味があるのか――
その迷妄が、玄海の心を常に包んでいた。
玄海の眼が伏せられ、鉄鬼から意識が逸れた。
鉄鬼は、そのタイミングで、玄海に対して踏み込んでいた。
飛び込みながら、右の縦拳を繰り出して来る。
玄海は咄嗟に左腕の内回し受けで、鉄鬼の右腕を払い、右の直突きで鉄鬼のボディを狙った。
鉄鬼は、この玄海の右の突きに、カウンターを合わせて来た。
鉄鬼の気が瞬時に高まり、左手の指先に集中する。
ゼロ距離から叩き付けられる殺意と闘気に、さしもの玄海も怖気を感じた。
――桜花!
鉄鬼の左の貫手が、玄海の右腕の下を通って、脇腹に突き刺さろうとする。
玄海は、突きを繰り出した右腕を外回りに振るって、鉄鬼の左手首を右脇に挟み込んだ。
「ちぃぃっ」
鉄鬼が歯を軋らせる。
もう少しで、玄海の脇腹を貫ける所であった。
「鉄鬼ッ!」
玄海は叫ぶと、左の掌底で鉄鬼の顔を叩いた。
鉄鬼の鼻が拉げ、血が鼻孔からこぼれ落ちる。
しかし、鉄鬼は唇を捲り上げると、玄海の左手首を、右手で捉えた。
握り潰さんばかりに、力を籠める。
互いに、互いの左の手首を捉えられていた。
鉄鬼が、玄海の左腕を、思い切り手前に引っ張る。
玄海の身体が崩れ、傾いたその頭に、鉄鬼は玄海の左手首を掴んだまま、右肘を喰らわそうとした。
玄海は引かれるままに身体を沈めると、鉄鬼の懐で身体を半回転させ、右腕を担いで、鉄鬼の身体を腰に載せた。
鉄鬼の巨体が宙を舞い、地面に投げ落とされる。
この際、玄海は鉄鬼の胸の辺りに右肘を当てていた。地面と肘とで挟まれた鉄鬼の肋骨が、みしみしと悲鳴を上げる。
「良い面になったな……」
押し潰された肺の空気を吐き出しながら、鉄鬼が囁いた。
上下反転して向かい合う玄海の額の皮膚が捲れ、血が流れ出していた。
投げ飛ばされる瞬間、その勢いを利用して、解放された左の拳で、鉄鬼はその部位を擦り付けていたのである。
倒れながらも、玄海の額から出血させる事に、鉄鬼は成功していた。
「鉄鬼ッ!」
玄海が、ひしり上げる哀切さで、友と思っていた男の名を呼んだ。
玄海が下になった鉄鬼の顔に左拳を打ち込もうとするのと、鉄鬼が上になっている玄海の身体を寝技に引き込もうとするのは、同時であった。
黒い鴉の赤い瞳が、本堂の屋根から、その光景を喰い入るように見つめていた。
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第四十一節 独善/滅尽
一人の、少年がいた。
少年には、夢があった。
かつて、父が語った夢だ。
地球の人口は増加の一途を辿り、それに比例して、資源は枯渇してゆく。
数少ない食糧を巡って、人々は争い合う事であろう。
それを阻止する為に、人間は、やがて宇宙へ繰り出す事となる――
そのような夢を聞いて、少年は育った。
自分には時間がないと、父は言った。
だから代わりに、その夢を継いで欲しいと。
あの広い空の向こう側、未知の大宇宙へとその手を伸ばす事を、少年は誓った。
一人の、男がいた。
男には、夢があった。
かつて、父から受け継いだ夢だ。
玄海は、その男の事を思い出していた。
玄海の顔に、鉄鬼の肘打ちが降って来る。
幼くして両親を失くした少年は、養父の勧めで、赤心少林拳の門を叩いた。
玄海の潰れた鼻から、血が噴き出す。
しかし、夢の指標を失った少年の心は荒れ、喧嘩を繰り返すようになった。
玄海は鉄鬼の脇腹に貫手を刺し込み、上になった鉄鬼を押し飛ばす。
どうすれば良いのか分からない――父から継いだ夢を、少年は持て余していた。
転がった鉄鬼の胸に、足刀を落としてゆく。
玄海は、宇宙科学者のヘンリー博士とのコンタクトを取った。ヘンリー博士は、少年の父親の親友であった。
鉄鬼は玄海の蹴り足を脇に挟み込むと、両脚を玄海の脚に絡めてゆき、投げ飛ばしながら、膝を極めようとする。
ヘンリー博士は、少年がそれに相応しい年齢になり、それに見合った学力を身に着けたその時に、アメリカの研究所に迎え入れる事を約束した。
玄海は身体を捻って鉄鬼の手を逃れ、落下しざまに、膝を鉄鬼の胸に押し付けてゆく。
それから、少年は勉強や運動に気真面目に取り組み、若くして赤心少林拳の継承者として目される程にまでなった。玄海流は、拳禅一如、拳法と仏道の両部不二であった。
胸を圧迫された鉄鬼が、血を吐き、その血が玄海の顔に絡まった。玄海の片脚に鉄鬼は両脚を巻き付け、ポジションの上下はあれど、優劣はない形態に入る。
約束の日が来た。しかし、少年は玄海の後を継ぐ事を、誰からも期待されていた。彼の幼い頃からの親友たちも、それは同じ事であった。
玄海が掌底で鉄鬼の顔面を殴ると、鉄鬼は拳で玄海の脇腹を叩く。玄海はその腕を取って、逆十字に入ろうとしたが、鉄鬼は身体を跳ね上げて拳に縦の弧を描かせた。
継ぐと誓った夢があった。少年は――男は、幼い頃からの約束を守る為、玄海や親友たちに背中を向けて、海の向こうへと去って行った。
玄海の脛に、鉄鬼の拳がぶち当たる。脛骨に亀裂が入ったのが分かった。玄海は鉄鬼の腕を巻き込んで回転し、その肘関節を引き千切る。
男の夢を、知らない親友たちではなかった。しかし、彼を傍で支えると、そのように思っていた彼女は、男が自分の夢を優先した事を裏切りと断じた。
玄海と鉄鬼は、唸りながら、互いに離れ、立ち上がる。玄海の左脚は次の蹴りで自壊し、鉄鬼は右腕を力なく垂らしている。
その時から、支えるべき者に眼の前から去られた時から、彼女は、玄海流を弟に任せ、自分は外道拳たる黒沼流を選んだ。自らの迷いを断つ為に――
「……強いなぁ」
玄海は、小さく唇を動かした。
「何?」
鉄鬼が首を傾げる。
「羨ましいよ、鉄鬼」
「何だと?」
「どうして、黒沼流は、そんなに強いんだ?」
「玄海⁉」
「私も、一也も、弁慶も……迷って、悩んで、今がある」
「――」
「この悩みを振り切る法を知っても、振り切る果を得られないでいる……」
「――」
「鉄鬼、君にはそれが出来るのだろう? だから、樹海老師を殺せたのか?」
「玄海……」
「義経も……」
「よせ、玄海!」
鉄鬼は鋭く吼え、玄海の顔に拳を打ち込んでゆく。
玄海は、顔を傾けて拳を躱し、突っ込んで来た鉄鬼の鳩尾に、掌底を当てた。
吩――
把!
玄海が飛ばした気を、鉄鬼は後方に跳ぶ事で受け流した。そうしなければ、身体の中に起こった波紋が、内臓を尽く傷付けていた。
鉄鬼が顔を上げる。
使えない右腕を垂らしたまま、左の拳を突き出して来た。
玄海は、半身ではなくなっている。
真正面を、鉄鬼に向けていた。
両腕を軽く持ち上げている以外は、正中線の急所に、何処へでも攻撃が入りそうだ。
「教えてくれ、鉄鬼」
「やめよ、玄海」
玄海が、じわりと前に出た。
鉄鬼が、そろそろと後退る。
「どうすれば、この迷いを捨てられるのだ」
「やめよと言っているのだ、玄海……」
玄海の眼が、真っ直ぐに鉄鬼を見つめていた。
蒼い空のような色だ。
緑の大地のような声だ。
赤い砂塵のような香りだ。
銀の機械のような言葉だ。
金の心が現れているようであった。
「鉄鬼、どうすれば私は、“死にたくない”と答える私を、割り切れるのだ⁉」
「――っ」
「教えてくれ、鉄鬼。この世界の虚ろさを割り切れる術を、教えてくれ!」
「それ以上、言うな、玄海!」
鉄鬼が、獣のように咆哮して、玄海に躍り掛かった。
拳を撃ち出す左腕に、瘤がこんもりと膨れ上がり、血管が千切れんばかりに浮かび上がった。
玄海の両手が、緩やかに、艶やか、自身の心臓を守るように胸の前に持ち上がった。
梅花――
一瞬、白い花びらが開き、鉄鬼の拳を受け流した。
そのがら空きになった胸に、玄海の蹴りが炸裂した。
今度は、気を受け流す事は出来なかった。
鉄鬼は、その身体にもろに発勁を浴び、数メートルは後方に吹き飛ばされた。
地面を、毬のようにぽんと跳ねる巨体。
鉄鬼は、全身に行き渡った気の破壊力に、血みどろになり、その場に伏せた。
彼が、暫くの時間を置いてとは言え立ち上がれたのは、玄海の脚が、自分自身の蹴りの威力に耐えられずに折れ、気が僅かに弱まった為だ。
鉄鬼の拳にひびを入れられていた脛が折れた事で、脚部に集中していた気が分散し、玄海の身体に逆流していた。
その為、玄海は、脚が折れた以上に、立ち上がる事が出来なかったのだ。
この様子を見守っていた鴉が、不気味に鳴いた。
闇を連れて来るかのような、おぞましい声であった。
何かを祝福するかのように翼を広げ、羽根を落としながら、鴉は飛び去ってゆく。
鉄鬼は、黒い羽根を掴みながら立ち上がると、血涙と鼻血と喀血痕と内出血の証を刻み込んだ身体で、倒れた玄海に歩み寄った。
玄海も、顔に痣や血の痕を浮かび上がらせている。
「俺の勝ちだ……玄海」
「そのようだなぁ」
「“火の車”について記した粘土板は、貰うぞ」
「――」
「何処にあるかは、察しが付く……」
鉄鬼はそう言って、踵を返した。
「玄海」
肩越しに、そのように声を掛けて来る。
「俺も同じだ……」
「同じ?」
「俺は、まだ、死にたくない……」
「――」
「お前のように、強く、美しくなるまでは、死んでも死に切れぬ……」
「やめてくれ、鉄鬼。私は、そんな器ではない」
「お前がそう思うのなら……」
鉄鬼は、玄海を振り返り、言った。
「俺を殺しに来い」
「君を?」
「そうだ。お前が迷っているのなら、俺が道しるべになってやる。お前がどうすれば良いのか分からぬなら、この俺を殺しに来い。俺とお前は同じだ。同じ答えを得たのだ。だから俺は正しい。しかし、お前は自分を正しくないと言う。ならばどちらが正しいのか、殺し合いだ」
「――鉄鬼……」
「もう、鉄鬼ではない。師を殺した俺は、外道よ。黒沼鉄鬼はあの日、赤心少林拳に背いた日に死んだ。俺は外道の鬼――黒沼外鬼だ」
鉄鬼は――否、外鬼は、そうして、母屋へと向かった。
玄海は、素直な男だ。少し探せば、何処に“火の車”の粘土板があるかは、すぐに分かる。
「俺はお前から答えを得た。その答えの故に、俺は、“火の車”を欲するのだ。お前に、お前自身を否定する意志があるのならば、俺の
鴉の羽根を舞い散らして、黒沼外鬼は、玄海の前から去ってゆく。
玄海。
外鬼。
やがて二人は、一人の男を挟み、再び対峙する事となる。
その男の名は、沖一也。
父の夢を継ぎ、宇宙へと飛び出そうとする男――
仮面ライダースーパー1の、味方と、敵として……。
大きなシリンダーの中に、一人の男が浮かんでいた。
両耳と、四肢のない男である。
緑の液体に満たされたシリンダーの中で眠る男は、全身の体毛を剃られており、その肉体は若々しくリフレッシュされていた。
又、耳を失くした頭の横と、肩、股の両脇には、機械のジョイントが設けられている。
眠っているようだが、その眉間には深い皺が刻まれていた。
悪夢が、その閉じた瞼の裏側で、繰り返されているのであろうか。
この男の入れられたシリンダーを管理する施設を、赤いスーツの機械人形たちが、忙しなく駆け回っている。
首から下は、ドグマファイターと同じであったが、鉄仮面を被っている。
彼らが、シリンダーの内部の液体の成分や水圧などを、男の覚醒に相応しい状態に保ち、その為の準備をしているのであった。
全身から、歯車が回り、金属が擦れ合う音を響かせながら作業をする鉄仮面のファイターたちの奥に、玉座が設けられていた。
豪奢な椅子に、一つの人型が、座っていた。
銀色の鎧である。
しかし、その鎧には、兜はあっても面当てはなく、あったとすればそこにはめ込むべき面当てが覆う顔がなかった。
虚ろな鎧であった。
この虚ろな鎧を、四人の男女が囲んでいる。
一人は、黒いマントを羽織った、レオタード姿の、黒沼陽子だ。
もう一人は、顔に蝶のマスクを被った、ピンク色のタイツの女。
骸骨のようなもので頭を覆った、大柄な男。
ぼさぼさの髪から髭までが真っ白い、小柄な老人。
彼らは、あのシリンダーの中の男が、この鎧を纏って眼を覚ます時を、待っているのだ。
と、その作業中のファイターたちの間を通って、一人の女がやって来た。
僧衣の女である。
黒く艶めく髪を垂らし、ぽってりとした唇で微笑む、尼としては余りにも艶めかし過ぎる女――マヤであった。
その右肩には、赤い眼をした黒い鴉が、静かに留まっていた。
「調子は良さそうね、陽子さん」
マヤが、鼻に掛かった声で言った。
「ええ、お蔭さまで」
陽子はそう言って、
「それと、今は、魔女参謀と名乗っているわ」
と、訂正した。
「それは失礼、魔女参謀」
マヤが、小さく頭を下げる。
「こちらは?」
マヤが、他の三名について、訊いた。
魔女参謀は、一人ずつ示してゆきながら、名を告げさせた。
蝶のマスクの女が、妖怪王女。
骸骨の被り物の男が、鬼火指令。
総白髪の老人が、幽霊博士。
それぞれ、木、火、金の霊玉に集った怨霊たちが実体化した怪物らの擬態である。
「貴女には、感謝しているわ」
魔女参謀が言った。
「あの玄叉山で、氷室五郎に殺された私を、生き返らせてくれた事……」
「生き返らせた訳じゃないわ。身体を与えただけ」
ふふん、と、マヤは笑った。
戦後間もなく、父・大三郎と共に、陽子は『景郷玄書』の記述から玄叉山に眠る黄金を探して、偶然出会った氷室五郎と共に東北へ向かった。
そこで、陽子は氷室を誑かし、黄金を親子で独り占めしようとしたのだが、この事が氷室の怨みを買って彼に首を斬り落とされてしまう。
その首級を回収したのが、マヤであった。
マヤは、ショッカー設立以前に回収していた陽子の首に、長い時間を掛けて巫蟲法を施していた。
陽子の首を、様々な虫を詰めた瓶に保存し、何と驚いた頃に生き延びた蛾の幼虫を蟲毒として祀り、三〇年の時を超えて、改造人間として転生させた。
それが、魔女参謀――マジョリンガである。
マジョリンガの本体は、陽子の頭のみで、その身体は別人のものだ。
「父についても、お礼をさせて貰うわ」
魔女参謀は、玉座に腰掛けた鎧を見て、言った。
この鎧――正確に言うのならば、高性能な義肢である。
ショッカーの本部に残された様々なデータから造り出したもので、シリンダーの男――黒沼大三郎・香坂健太郎の、失った手足を補う為のものである。
普段から、あの多頭の蛇の姿でいる事は、大きな負担になる。それは魔女参謀らも同じ事であり、その為に、擬態を作らせたのだ。
「気に入って頂けたなら、良かったわ」
マヤが言った。
と、その黒い瞳が、妖怪王女の足が、小さくステップを踏んでいるのを見付けた。
すると、妖怪王女はいきなり、
「あーあ」
と言って、伸びをし始めた。
「ねぇ、まだ調整は終わらないのぉ? いつまでもこうして待ってるの、飽きちゃったわ」
そんな事を言い始めた。
マヤが、子供っぽい妖怪王女の言動に、流石に眼を丸くしていると、
「ふん、これだから女という奴は!」
鬼火指令と紹介された男が、怒ったように吐き捨てた。
「全くじゃ、今日日の若い者は、我慢というものを知らぬわい」
鬼火指令に便乗するように、幽霊博士が呟く。
「何ですって⁉ あんたたちこそ……」
妖怪王女は、ヒステリーを起こしたように、男性陣二人に向かって声を荒げる。
鬼火と幽霊も、王女の言葉に益々苛立ったのか、大声で論争を始めた。
「えぇい、やめんか、お前たち!」
マヤの前で感謝を述べていた魔女参謀であったが、口喧嘩をおっ始めた同胞たちを諌めようと声を上げ、しかし、彼らからの罵倒の飛び火を受けて、彼女まで口喧嘩に巻き込まれる事となった。
マヤは、暫くその光景を眺めていたが、やがて、楽しそうに笑い声を上げた。
「面白いのね、貴方たち……」
マヤがそう言うと、四人は我に返って、
「も、申し訳ありません!」
と、魔女参謀が頭を下げた。
「ほら、あんたたちもだよ!」
他の三人に言うと、妖怪王女は拗ねた様子で、鬼火指令は腹立たしい様子でそれぞれ謝罪の言葉を口にせず、幽霊博士のみが卑屈ながら、
「済まんかったのぅ」
と、言う。
が、その視線がマヤの、僧衣越しでもわかる恵体を舐めるようになぞっていた事から、反省の色がない事は、すぐに分かった。
マヤが、その視線さえも、楽しそうに受け止めていると、施設内にファンファーレが鳴り響いた。
ファイターがやって来て、魔女参謀に、黒沼・香坂の覚醒の準備が済んだ事を、知らせた。
シリンダーから水が抜かれる。
その手前に用意されたベッドに、黒沼・香坂の身体が運ばれ、ファイターたちが水を拭く。特に、ジョイント部分は念入りであった。
まだ眠っている黒沼・香坂の身体を、神輿に乗せ、玉座に向けて運んでゆく。
自然と神輿を担ぐファイターらに、道が開けられた。
神輿には、黒沼・香坂の他、唯一残った“木”の剣が添えられていた。
玉座の鎧の胴体部分を、魔女参謀が展開する。
玉座に到達した神輿から、ファイターたちが恭しく黒沼・香坂の身体を持ち上げ、鎧の空洞部分にはめ込んだ。
鎧の前を閉じ、両肩と両脚のジョイントを接続する。
兜を被らせると、耳のジョイントが、鎧と繋がった。
「マヤさま」
魔女参謀が、神輿から受け取った“木”の剣を、マヤに手渡した。
「この“稲妻電光剣”で、父を――元帥閣下のお目覚めを、お手伝い下さい」
「稲妻電光剣?」
「はい。我らの守り刀です」
マヤが“木”の剣――稲妻電光剣を受け取ると、魔女参謀ら四人は、玉座の左右に広がり、跪いた。
マヤは僧衣を脱ぎ捨て、露出の高い、金のドレス姿になった。肩に留まっていた鴉も、一旦、その場を離れた。
そうして、剣を胸の前に構え、口の中で何事かを呟く。
呪文のような呟きに呼応して、剣が光を帯び始めた。
マヤの額に第三の眼が開き、剣の輝きと同時に、ひときわ強い光を放つ。
すると、稲妻電光剣から雷光が迸り、銀の鎧に吸い込まれて行った。
電撃を全身に浴び、眼を瞑った黒沼・香坂の顔が苦痛に歪められる。
顔の皮膚から、色素が抜けてゆき、その代わりに、歌舞伎の隈取にも似たラインが浮かび上がって来た。
マヤが、剣からの放電をやめる。
暫く、鎧から白い煙を上げているばかりであった黒沼・香坂だったが、やがて、その機械の指が動き始める。
ぎろりと、凄まじい怨みの籠った眼が見開かれた。
その覚醒を讃嘆するファンファーレを、ファイターたちが奏で上げる。
「我は、悪魔元帥……」
黒沼・香坂は、最後の記憶を頼りに、呟いた。
「我が娘・陽子の仇、ドグマ王国のテラーマクロ……そして、我が一族と、息子・シンタ、娘・チエの仇、仮面ライダーを抹殺する為に、ここに生まれ変わった」
その宣言に、魔女参謀が眼を潤ませる。
しかし、すぐに表情を引き締めた。
「元帥閣下……」
「陽子か……」
「黒沼陽子は、死にました。これよりは、魔女参謀とお呼び下さい。そして、これに連なりますは――」
「妖怪王女」
その正体は、サタンドール。
殺されたチエの頭部と融合した人形である。
「鬼火指令」
その正体は、オニビビンバ。
村人たちの怨霊と、ゾゾンガーの大砲が合体した。
「幽霊博士に御座います」
その正体は、ゴールドゴースト。
“金”の霊玉を中心とした、怨念の集合体である。
「そして……」
マヤが、稲妻電光剣の柄を、悪魔元帥に向けた。
まだ身体に不慣れなのか、ゆっくりと腕を持ち上げ、悪魔元帥はその柄を握った。
「私は、貴方たちに名を与える者……」
「名を?」
「ええ。貴方たちは――そうね、ドグマを
マヤは、言った。
稲妻電光剣を受け取ると共に、マヤが連れて来た鴉が、悪魔元帥の肩に留まった。
これにて、第五章(やたらと長かった)は終了となります。
次回からの第六章が、昭和ライダー篇の最終章となります(その後に転章がありますが)。
本章と同じく、又、暫く時間が掛かる事になるかもしれませんが、気長にお待ち下されば幸いです。
感想や評価、ご意見、ご指摘等々御座いましたらお寄せ下さい。以後の参考、作者の励みになります。
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第六章 Destination Time
第一節 遺跡
じめじめとした風が、森の中をぬるりと走っていた。
湿度を孕んだ空気が、そこに入る者の身体を、ゼリーのように包み込む。
獣たちが、草むらや木の陰に隠れていた。
下手に姿を現したものは、素早く駆け寄る捕食者の爪と牙で生命を奪われる。
ぴりぴりとした、獣同士の、生きるか死ぬかの雰囲気が、重く被さった木の葉の影の下には、満ち満ちていた。
その中で、一人の男が、そんな事など知るものかとばかりに、寝息を立てている。
樹の上の方、横に突き出た太い枝の上に寝そべっていた。
野生の中で、弱者が決して立ててはならない寝息を、轟々と鳴らしている。
しなやかな肉体を持った、薄汚れた衣装の青年であった。
赤と緑のまだら模様のベスト。
腰にはベルトが巻かれており、コンドルを思わせるバックルが臍の前に来ていた。
左腕に、獣の顔を模した、大きな銀の腕輪を付けている。
ぼさぼさの髪。
朴訥そうな顔をした青年であった。
ぐぉ、
がぉ、
と、鼾を掻いている。
はらわたを、猛禽類に啄まれても、そのまま眠り続けるのではないかと思われた。
山本大介――
六番目の仮面ライダーとして、ゲドン、ガランダー帝国との戦いを終えたアマゾンは、故郷のジャングルに戻り、自然を守り、ジャングルに踏み入って来た人間たちのガイドをするというような事を、生業としていた。
勿論、彼が文明のヒエラルキーに束縛される筈もない。
自然保護は名誉や金の為ではなく、純粋に動物たち――トモダチの為に行なわれる。
時には、自然保護を名目に、自分勝手に森の中に踏み込んで来る人々に、牙を剥く事さえないではなかった。
アマゾンは、日本にやって来て、岡村マサヒコや立花藤兵衛らと友達になり、日本での生活をそれなりに理解している。
バイクにも乗れるし、ラジオだって聞ける。
スーツを着て、正式な手順で船に乗り、海外へ旅行する事も出来る。
しかし、やはり、まだ近代の“文明”を、好きになる事が出来ない。
鉄を重ね合わせて積み上げた、あの高い建物の町を、それを造り上げるに至った様々な機械のシステムを、アマゾンはまだ、自分とは全く別の世界のものであると感じていた。
そうではない事は、分かっている。
自分が、日本語を覚え始めたのをきっかけとして、マサヒコや藤兵衛から与えられた諸々の近代文明に慣れて行った事からも、それが分かる。
以前、ジャングルを案内した外国の旅行者が、言っていた。
“空港に着いた時は、がっかりしたよ”
南米と言えば、マヤやアステカなどの古代文明の香りが残り、森林が生き生きと輝く、自然のままの生命が溢れる世界であると思っていたらしい。
しかし、飛行機が到着したのは、東京とか、ニューヨークとかの都会と何も変わらない。
もう一人のガイドは、それはそうだよと笑っていた。
いつまでも、“発展途上国”でいる事は、許されない。
人々は、文化や伝統を守る事もそうだが、生活が便利になる事を望んでいる。
その為に、古いもの、合理的でないものを切り捨ててゆかねばならない事は、仕方ない事である、と、言っていた。
アマゾンには、まだその事が分からない。
少なくとも、自分自身の実感としては、だ。
アマゾン自身は、今の自分の生活――金もなければ、家もなく、テレビでニュースを見る事も、コンピュータ・ゲームで遊ぶ事もない――に、何の不満もない。
洞窟の中で寝起きし、木の実や食べられる草を採り、時には野生動物を捉えて火で炙って喰い、こうして樹の上に横になる。
それだけで、良いと思っていた。
遠い国にいるトモダチに、会いたいとは思うが、決して孤独であるとは思わない。
この場所は、自然の生命溢れるこの森は、寧ろやかましい程だ。
樹も、草も、川も、動物たちも、コミュニケーションを採りに来る。
今日の天気はきっと晴れると、視界で揺れる葉っぱが教えてくれた。
後ろからオセロットが迫っているから気を付けろと、脛をくすぐる草が言う。
東京の町では、聞く事の出来なかった声たちだ。
あそこで、アマゾンは何も聞く事が出来なかった。
音が行き交うばかりで、そこには、どのような心も宿っていなかったのだ。
森には生命がある。
生命の会話である。
命の鼓動を、その声から感じさせてくれる。
しかし、あの、大量の人間が虫のように行き交う場所では――
と、ぱちりと、アマゾンが眼を開けた。
枝の上で身体を起こし、視線を彷徨わせる。
アマゾンは、森の声を聞いていた。
“危ない!”
“怖いものがいるよ!”
“何かが目覚める……”
“「助けて!」”
森たちが一斉にざわめいた。
その中に、助けを求める声を伝えるものがあった。
アマゾンが、その声が何処から来るのかと枝の上に立ち上がり、森を見渡そうとした時、地面が大きく揺れた。
何だ――?
ご、
ご、
ご、
と、鈍い地響きが、アマゾンを枝から振り落とした。
猫か蛇のようにしなやかに地面に下り立ったアマゾンは、振動の起点を目指して、森の中を駆けた。
森が、その場所を教えてくれる。
“こっちだよ!”
“探検隊の連中が、地震に巻き込まれた”
“只の地震じゃないよ”
“悪い気を感じる”
普通ならば、物陰に隠れている、蛇や蠍、蜘蛛などを警戒して、ゆっくりと枝を払いながら進まねばならないが、アマゾンにとっては、庭と言うのですら余所余所しい。
アマゾンは、垂れ下がる枝や羊歯を容易く払いつつ、震源までやって来た。
そして、そこにあったものに、驚愕する。
これは⁉
それは、地面を引き裂いて盛り上がった、巨大なピラミッドであった。
階段式のピラミッドである。
一五メートル程の高さで、全体的に土を被っていた。
又、階段部分には、圧し折られた枝や、引き千切られた葉っぱが載っている。
ピラミッドの根元を見てみると、地面との間に空間が出来ている。
今まさに、地中からせり上がって来たという体である。
そのピラミッドの傍には、頭から血を流して倒れている、サファリ・ルックの男たちが、何人かいた。
アマゾンが駆け寄ってみると、高所から叩き落とされたらしく、帽子の内側の頭蓋骨が陥没して、死んでいた。
他にも、ピラミッドと地面との隙間に挟まれ、圧死している者もあった。
アマゾンが聞いた“助けてくれ”の言葉は、彼らの断末魔であった。
しかし、それにしてもこのピラミッドは、一体何であろうか。
アマゾンにとって、この森は自宅のリビングと変わりがない。
それでも、彼の知らない闇を幾つも秘めている、広大なジャングルだ。
まだ発見されていない遺跡が、他にも何ヶ所かに分かれて存在している。
アマゾンが知らないだけで、その遺跡の周辺に住まう者たち――ピラミッドを建造した者の子孫たちは、平気で遺跡に出入りしているかもしれない。
だが、こうも突如として地面が隆起し、埋もれていたピラミッドが姿を現す事が、果たしてあるだろうか。
地震の為というのではない。それであれば、アマゾンには、地震が起こった事が分かる。
さっきの揺れは、このピラミッドが隆起するその際に起こったものだ。
地震が原因で、ピラミッドが浮かび上がって来たのではないのだ。
この地球上の物体には、何れも命がある。
動物は勿論、植物や、鉱物に至るまで、だ。
人間がそれを認識出来ないだけで、道端の石だって何かを思案している。
とは言え、有機物と無機物の区別はあり、自ら動く事は、このピラミッドを形成している物質には不可能である。
故に、このピラミッドが、自分の意思で地面から顔を出す事は、あり得ない事だった。
何者かの手によって、ピラミッドは地表に姿を現したのだ。
アマゾンは、この密林の守り手として、その正体を探らねばならなかった。
ピラミッドのぐるりを回り、正面に当たる場所を見付け、階段を駆け上がった。
頂上の手前に、土で埋もれた入り口らしき作りがあった。
そこを、コンドラーのピックで掘り返すと、手を差し込んで外す事が出来る、蓋のような扉になっていた。
ピラミッドの蓋を開け、アマゾンは、その奥の階段に滑り込んで行った。
ひんやりとした空気が、石造りの階段を包んでいる。
アマゾンは、改造人間としての感覚を頼りに、階段を下りてゆく。
その最中に、このピラミッドが“遺跡”である事に疑いを持っていた。
古めかしい、今まさに掘り出されたばかりといった外見とは異なり、内部は清潔に保たれていた。
外部から完全に密封されていた為と言うよりは、日常的にここを使う人間がいるかのようであったのだ。
ピラミッドとは、そもそも何であろうか。
恐らくは、墳墓と祭壇の二つの用途に分かれる筈だ。
例えば、エジプト王のピラミッドなどは、前者である。
王の骸を、無数の財宝や奴隷たちと共に埋葬する。
こちらの場合、誰も立ち入る事は許されない、死者の為の聖域が作られる事になる。
アステカ・マヤ文明のピラミッドは、祭壇と見る事が出来る。
王が神と交信する場である。
そうなると、使用感が残る。
かと言って、墳墓ピラミッドが、本当に誰の立ち入りも許さないという場合は、全くないという事はないであろう。
例えば、空海という男がいる。
日本で真言宗を開いた沙門である。
彼は、唐から持ち帰った密教を広め、その法を修める事で、入定した。
悟りの世界に入り、不老不死を体得したのである。
即身仏――生きたまま仏と成った空海は、高野山にて、数百年の時を生きている。
生きてはいるが、自由に肉体を行動させる事が出来ない為、修行僧によって毎日食事が届けられ、袈裟を交換させている。
そのような事が行なわれたピラミッドが、あるかもしれない。
そうなると、やはり、そこに誰かが足を踏み入れた形跡が残る。
アマゾンは、このピラミッドに、つい最近まで頻繁に出入りしていた者の存在を、回廊の空気から確信していた。
が、そうだとすれば、このピラミッドが今の今まで埋もれていた理由が、分からない。
そうこうしている内に、アマゾンは、地上部分を降り切り、地下階層へ入ろうとしていた。
ここで、通路が折れている。
右に曲がり、暫く階段を下りる。
突き当たりになると、又、右に曲がる。
突き当たり、右折し、階段を下りる。
階段は真っ直ぐに下に向かっているし、突き当たりも直角の壁である。
しかし、このピラミッドの地下へと誘う階段は、螺旋を描いていた。
どれだけ地下へ降りたのか、漸く、出入り口が見えて来た。
蒼い燐光を纏った空間が、階段の下に開いている。
そこを潜ると、アマゾンはぎょっとした。
ヒカリゴケのようなものかと、最初は思ったが、その燐光は生物由来のものではない。
電灯であった。
石造りではなく、近代技術で以て整備された空間だ。
古代の、大地に埋もれたピラミッドの底に、近代の、天に挑む建造物の内部のようなスペースが設けられているのだ。
黒い壁に、等間隔で蒼いライトが埋め込まれている。
広い空間だ。
一〇〇メートル四方はある。
その中央に、柵が立てられていた。
床に、四角く孔が開いているようで、その孔に落ちない為に、四方を柵で囲んでいるのだ。
アマゾンは、このスペースを一度見渡して、中央の空洞に歩み寄った。
柵の向こうを覗き込んだアマゾンは、更に唖然とするものを、そこに発見した。
それは――
「招かれざる客、か……」
アマゾンが、横手から掛けられた声に、顔を向けた。
アマゾンが下りて来たのとは違う場所にも、出入り口があり、そこから入って来たのであろう。
見れば、蒼い光で照らされる黒い空間に、白い服装の男が浮かび上がっていた。
ジャケット。
ベスト。
シャツ。
ズボン。
ベルト、
靴下。
革靴。
全てを純白で統一する中で、ネクタイとグローブが黒い。
背が高く、がっちりとした体格の、精悍な顔立ちの男であった。
男は、両手をズボンのポケットに突っ込んで、アマゾンの事を眺めていた。
「いや、単に無礼な客と言うべきかな。まだ、パーティの招待状は出していない」
そう言って太い唇を吊り上げたのは、呪ガイストであった。
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第二節 本部
イワン=タワノビッチは、モニターに映る光景に、歯を軋らせていた。
管制室では、戦闘員たちが忙しなく駆け回り、侵入者の対応に追われている。
しかし、恐らくその侵入者は、もう数分も経てば、この場所を襲撃するであろう。
モニターに映っているのは、イワン――ショッカー最高幹部の死神博士が造り出した改造人間たちを次から次へと破壊する、仮面の男である。
頭蓋骨を思わせる飛蝗のマスク。
黒いスーツの側面に、太い銀色のライン。
緑色のプロテクター。
返り血で染まった、装甲と同色のレガース。
腰に巻かれたベルトには、風車を内包した巨大なバックル。
死神博士は、モニター越しに、憎き男の名を呼んだ。
「一文字隼人……仮面ライダー!」
一文字隼人は、再生改造人間たちを相手に、大立ち回りを演じていた。
再生改造人間とは、既に一文字や本郷によって斃された改造人間たちから得られたデータから、新しく同じボディの改造人間を造り出すものである。
それによって、最初の一体を造り上げるよりは簡単に改造が出来るが、改造素体となる人間との適合率が低い場合も多く、オリジナルよりも弱体化してしまう事が、ままあった。
仮面ライダーが本郷猛のみであった頃の、第一期改造人間たちばかりではなく、一文字が脱走してからこちらの、
サボテグロン
ピラザウルス
ヒトデンジャー
ムササビ―ドル
などの第二期改造人間たちも、多く参戦していた。
一文字ライダーは、両腕を広げて襲い掛かって来たスノーマンを受け止め、背後から浴びせられようとしたエイキングの電撃を受ける盾にすると、二体の再生改造人間を纏めてパンチで貫いた。
「ちっ、流石はショッカーの本部基地だな……」
鎖を噛み千切る牙の奥で、一文字は舌を鳴らした。
一文字に日本の守りを任せ、ヨーロッパへ向かった死神博士を追って、本郷猛は日本を離れた。
ゾル大佐が斃れた事によって、日本侵略を任命された死神博士が、スノーマンやゴースターといった改造人間と共に日本へ再来日した時、本郷も亦、故郷へと帰って来た。
それから暫くは、本郷と一文字とのダブルライダーでショッカーと戦っていたが、死神博士は任務の失敗を繰り返した為にか、ショッカー本部のある南米へと送り返される。
本郷は、自分が死神博士との決着を付けると意気込んだが、一文字は、故郷を離れて孤独な戦いを強いられていた本郷には、立花藤兵衛や滝和也といった仲間たちがいる事を改めて確認させる為、日本に残り、自分が死神博士を追うと提案した。
以降、死神博士と入れ替わるように日本支部に就任した地獄大使と、本郷猛・仮面ライダー第一号との死闘が、日本で繰り広げられる事となる。
これは、その間の事であった。
一文字は、南米アマゾンの奥地にあるショッカー本部の場所を突き止め、襲撃を掛けた。
改造人間製造の拠点であるこの場所を叩けば、ショッカーの戦力を大きく削る事が出来る。
流石に本部だけあって、防備は堅固であったが、出て来るのは再生改造人間である。
数は多いものの、今まで、両手でも足りぬ程の改造人間たちを屠って来た一文字ライダーには、苦戦を強いられこそすれど、敗北の文字はあり得なかった。
――ちっ。
紙を千切るように、豆腐を握り潰すように改造人間たちを斃す一文字は、自分の脳裏を過ぎったその思考に、吐き気を催した。
――人間だぞ。
今、自分の拳が打ち砕き、蹴りが炸裂した改造人間たちが、である。
どのような経緯があったにせよ、身体を薬漬けにされ、機械を埋め込まれ、怪物然とした姿にされたにしても、今、戦っているのは、元々は人間として生まれた者たちなのだ。
それを、平然と斃し、その血を浴びている俺は、一体、何なのか⁉
「ゆ、
そのように悲鳴を上げて、逃げ出す改造人間があった。
ユム・キミルとは、マヤ文明の世界観での死神の事だ。
冥界の王。
改造人間たちの心臓をぶち抜き、手足を赤く染めた仮面ライダー第二号・一文字隼人は、敵対する者にとっては、生贄の心臓を求める冥王のそれと、変わりはないであろう。
ショッカー本部の、広いトレーニング・ルーム。
遮蔽物のない、打ちっ放しの壁と天井に囲まれた空間だ。
無数の改造人間たちの屍が、川原の石のように敷き詰められていた。
死の山……。
血の河……。
そこで背中を向けるドクガンダーを追撃する事は、一文字には出来なかった。
だが、ライダーから逃げ出したドクガンダーの頭部が、突然、果物のように破裂した。
「む⁉」
炸裂弾を、頭部にぶち込まれたのだ。
身構える一文字ライダー。
その前に姿を現したのは、何と、彼と同じ仮面ライダーの姿であった。
緑色のマフラーを頸から垂らし、それと同じ色のレガースを身に着け、身体の側面を走るラインも、一文字ライダーとは違って色付いていた。
「何だ、あれは……⁉」
死神博士が声を上げた。
全ての再生改造人間が斃され、一文字ライダーの強さに怯えて逃走を図ったドクガンダーを狙撃した仮面ライダーの事である。
全ての改造人間のデータは、死神博士の手元にある。
強化改造人間第零号実験体・松本克己。
強化改造人間計画第一期被験体・本郷猛。
強化改造人間計画第二期被験体・一文字隼人他五名。
それ以外のデータは、死神博士には回って来ていない。
やがて、一号・二号を斃すべく誕生する予定の第三号に必要なデータは、まだ揃っていない筈だ。
何者が、自分に報告もせずに、仮面ライダーを造り上げたのか――
しかも、画面を見ていると、やって来たのはそれだけではない。
緑色のレガースの者の他に、赤、蒼、黄色、マゼンタ、銀、紫、水色、銅色、黄緑、白、金色の、マフラーとレガース、体側のラインの色で見分けが付く仮面ライダーたちが、一文字ライダーを包囲している所であった。
一文字を加えて、一三人の仮面ライダーがいる。
更に、その一二体は、それぞれ武器を持っていた。
緑は、ライフル。
赤は、反りのある剣。
蒼は、突撃槍。
黄色は、巨大な鋏。
マゼンタは、鞭。
銀は、メリケン・サック。
紫は、スティック。
水色は、斧。
銅色は、ドリル。
黄緑は、モーニング・スター。
白は、薙刀。
金色は、大きな盾。
マシンによる迅速な潜入と、余計な武器を必要としない戦闘力という強化改造人間のコンセプトから外れた、死神博士の知らない改造人間たちであった。
画面の中で、一三人の仮面ライダーたちが戦闘を開始した。
それに見入りそうになっていた死神博士であったが、
「脱出の準備をなさい、イワン博士」
と、鼻に掛かった甘い声で、言われた。
見れば、そこにはマヤが立っている。
くたびれたトレンチ・コートを着ていた。
「何故、お前がここにいる?」
死神博士が訊いた。
「貴方を日本に連れ帰る為、よ」
「何?」
「貴方がここにいては、ショッカー本部が壊滅させられてしまうわ」
「――」
「一文字隼人の目的は、貴方の暗殺。最高幹部の貴方を斃す事で、ショッカーの戦力を大きく削ぐ事が目的よ。そして、この本部を捨てて貴方が逃げ出せば、一文字隼人は貴方を追って来る……」
「本部を囮に、私を逃がすと言うのか?」
「逆よ。貴方を囮に、本部を守るの」
「――」
「幸い、この管制室から下は、ぶ厚いシェルターで保護されているわ。だから、上層を爆破しても、地下に影響はない……」
「私がここを離れ、それと共に爆破する事で、本部を守ろうという事か」
「ぴんぽーん」
マヤが指を鳴らした。
死神博士が、眉を寄せる。
「幹部如きが、随分と舐めた口を利くようになったな……」
「あら? 聞いていなかったかしら」
「む?」
「私、もう一幹部じゃないわ」
「何だと⁉」
「首領からは、最高幹部への昇進を言い渡されたのだけれど……」
マヤがそう言った時、壁に掛けられたショッカーのレリーフの中心が光を放った。
「その通りだ、死神博士」
首領の声だ。
「マヤには君と同じ、ショッカー最高幹部の地位を与えた」
「な……」
死神博士が唖然とした。
「何故です、首領。何故、この女に……」
「あら? 貴方がそれを言うのかしら」
マヤが、にぃと唇を吊り上げた。
「改造技術を持っているというだけで、何度もしている失敗を見逃して貰っている貴方と、首領の意に沿ってあの男を引き入れた私と、同じ最高幹部になったら、どっちの方がショッカーに貢献していると言えるのかしらねぇ……」
ねっとりとした口調で、マヤが言った。
砂糖を入れ過ぎたコーヒーのように、咽喉が痛くなる甘さだ。
これには、死神博士も黙らざるを得ない。
造った改造人間と、死神博士の指揮の下で死んだ改造人間の数は、流石に逆転はしないものの、かなり近い数になろうとしている。
「分かった……」
と、死神博士は頷いた。
脱出を了解したのである。
「それで、奴らは何者だ? あの、一二人のライダーの事だ」
「模造品よ」
「模造品?」
「ええ。中身は普通の改造人間だけど、無理矢理、あの仮面と強化服で能力をプラスしているだけ……まぁ、強化服の方に、それなりに改造はしてあるけどね」
「ほぅ?」
「例えば、あの赤いグローブの子がいるでしょう? あれは、グローブの方にパワーを強化するように造ってあるの。装甲を交換する事で、色々な能力を使えるようにしてあるわ」
「ふむ……」
「将来的には、あのシステムを一体の改造人間に組み込みたい所ね」
「状況に応じて、扱う能力を変化させる強化改造人間か……」
「あれは試作品だから、一文字隼人相手には、時間稼ぎが出来れば上出来でしょうね」
「ふん……」
鼻を鳴らして、死神博士は、脱出の為に管制室の出口に向かった。
そうして、吐き捨てるように、
「仮面ライダーは、私の芸術品だ。それを、好き勝手に弄りおって……」
その背に、マヤが声を掛ける。
「首領は、新しい組織の設立に奔走しているわ」
「新しい組織?」
「貴方たちの失敗のお蔭で、ショッカーという組織が弱まりつつあるのよ」
「――」
「されちゃうかもね……」
「何をだ?」
「処刑よ、しょ・け・い…」
ショッカーに不利益を齎す存在は、例え幹部であろうと処刑される。
死神博士も、その事は分かっていた。
「でも、貴方にはショッカー樹立に深く関わった功績があるから、次の組織に迎え入れられる事も、吝かではないでしょうね」
「ほぅ?」
「その時まで、生き延びていると良いわね、イワン博士」
「――」
「その為にも、地獄大使と仲良くやりなさいよ?」
「地獄大使と?」
「彼にも、その話は行っているという事よ」
「新たな組織、かね」
「ええ」
マヤが笑みを浮かべた。
その蛇の笑みを、肩越しに流し見て、死神博士が去ってゆく。
「その前に、仮面ライダーを斃せば良いのだろう」
「それは、勿論。期待しているわよ」
マヤは、撤退の支度を整える現場に背を向け、モニターに眼をやった。
画面の中では、一三人の仮面ライダーが、死に物狂いでぶつかり合っている。
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第三節 進化
時間稼ぎが出来れば上出来――
ショッカー本部に於いて急造された一二体の仮面ライダーを、マヤはそのように評した。
実際、第二期強化改造人間、即ち、死神博士が日本を去る前に本郷猛に差し向けた、一文字隼人を含む六人の仮面ライダーたちよりも、遥かに性能で劣っている。
その劣っている能力を補う為に、剣や槍や銃で武装している。
これが、一対一であれば、一文字ライダーは瞬く間に相手を破壊していた事であろう。
しかし、性能で劣るにせよ、強化改造人間は強化改造人間である。
再生改造人間軍団との戦いで疲弊していた一文字ライダーは、数の暴力の前に危機に陥ろうとしていた。
白ライダーの薙刀で足元を掬われ、横手から突撃槍を受けた。
地面に転がった所、鞭で腕を捕らえられ、引っ張り上げられた。
立ち上がらせられた胸に、スティックを打ち込まれ、メリケン・サックを装着した銀ライダーと接近戦になった。
ラフ・スタイルで拳を打ち込んで来る銀ライダーを、アッパー・カットの一発で仕留めるも、金ライダーの盾で突撃され、吹っ飛ばされる。
吹っ飛ばされた先には、水色ライダーの斧の一閃が待っていた。
「ぐむぅ」
頸を狙った一撃を、右腕で庇った。
レガースに喰い込んだ斧が、そのまま腕を吹っ飛ばす前に、一文字は自らの意思でグローブを切り離し、剥き出しの腕を鎧の中から引っこ抜いた。
ローキックで水色ライダーのバランスを崩し、左の貫手でタイフーンを刺し貫く。
びくん、と、跳ねて倒れる仮面ライダーの腰を蹴り飛ばした。
上から、剣を持った赤ライダーが襲い掛かる。
剣を躱して、左のエルボーで頭部を横から叩いた。
よろめく赤ライダーの頸を抱えて、仮面に膝蹴りを叩き込む。
機械の潰れる高い音と、肉の砕ける鈍い音が重なって、不気味な旋律を奏でた。
しかし、赤ライダーは、一文字ライダーの腰にしがみ付いて、離そうとしなかった。
腰で両手をクラッチして、背骨を圧し折ろうとして来る。
凄まじいパワーであった。
「このっ……」
一文字は、左の拳を相手の頭部に落として、無理にでも敵を引き剥がそうとする。
が、肉体への指令を放つ脳が既に破壊されている為か、却って力が弱まる事はなかった。
身動きを封じられた一文字を、緑ライダーの銃口が狙っている。
たんっ、
と、銃口が白くまたたき、一文字ライダーの仮面を掠めた。
着弾したそこで、弾丸が破裂し、一文字のマスクの半分を剥ぎ取って行った。
弾丸をリロードして、次の狙撃。
一文字は、腰にしがみ付いた赤ライダーの身体を持ち上げ、肩から引き千切って、身体の前にやった。
緑ライダーの銃弾が、赤ライダーのタイフーンを貫通した。
「ぅおらあぁっ!」
一文字は、赤ライダーの身体を振り回して、包囲網を縮めようとするショッカーライダーたちを牽制した。
金ライダーの盾に止められるが、その上から、一文字はライダーキックをぶち込み、金ライダーを盾と赤ライダーもろともに粉砕した。
モーニング・スターを使う黄緑ライダーと、巨大鋏を装着した黄色ライダーは、既に倒れている。
残る六体を斃さんと振り向いた一文字の眼の前に、銅色ライダーのドリルが迫っていた。
剥き出しの目玉を抉ろうと、鉄の螺旋が肉薄する。
一文字はクラッシャーを外して身体を沈め、空洞になったヘルメットを突き刺させる事で、ドリルによる穿孔を免れた。
ドリルを繰り出した銅色の腕を掴んで、地面に投げ落とし、その身体を持ち上げて、二段返しでとどめを刺す。
この際に、クラッシャーの接続が外れて、仮面が転げ落ち、羚羊の改造人間の頭部が現れた。
一文字は、改造手術の痕が浮かんだ顔を、きっと、五体のライダーに向けた。
――不味い。
仮面を失った事で、仮面ライダーとしての機能を発揮出来ない。
強化改造人間は、仮面を被る事によって身体に組み込まれた機械を作動させるからだ。
更に、右腕は生身である。
ショッカーライダーたちのプロテクターを叩けば、こちらの腕が破壊される。
頸を緩く振りながら歩み寄って来る、紫ライダー。
スティックがどのように動くか、予想が出来ない。
頭に向かって振り下ろされれば、脳みそが弾け飛ぼう。
それを躱す事は、一生分の幸運でも使わねば、出来ない。
改造人間の感覚は、常人を凌駕し、仮面を被らない状態でも優れているとは言え、変身した状態を超える事はない。
どうするか……。
「覚悟は良いな、裏切り者……」
仮面の奥で、紫ライダーが言った。
そのスティックを振るう刹那、一文字は大きく後方に跳んだ。
跳びながら、転がった銅色ライダーのヘルメットと、自分の腰から振り落とされた赤ライダーの右のレガースを拾い上げ、装着した。
傷だらけの鮮やかな緑の仮面と、真っ赤な右腕の、歪なライダーが誕生した。
次世代型の仮面が一文字の肉体を強制的に起動させ、本来ならば自分のものではない、赤い、力の右腕と神経を接続した。
エナジー・コンバーターのダイヤルを捻って、全身に力を満たす。
ライダー・パワーだ。
それでも振り回されてしまいそうな……一年前に改造されたばかりの頃、身体の感覚さえ覚束なかった時のように、嵐のようなパワーが一文字の中を吹き荒れた。
「ちぃっ」
紫ライダーのスティックが迫る。
一文字は右腕を振るい、スティックを薙ぎ払った。
達人が、日本刀で巻き藁をすっ飛ばすように、スティックの先端が掻き消えた。
驚愕する紫ライダーの顔面に、ライダーパンチを叩き込んだ。
仮面の奥の、再生コブラ男の頭が砕け、首から下が飛んでゆく。
「くっ……」
装甲を破壊し、追い込んだと思っていた一文字が、まさか自分たちの仲間のパーツを使用して復活した事に驚愕しながらも、残ったライダーたちが、陣形を作り直す。
しかし、眼の前に立ったのは、今までの二号ライダーではない。
赤い拳を握り締めた、力の二号だ。
死神博士は、小型の潜水艇に乗り、地下水路から、アマゾン河を下って大海に出て、そこで、日本へ向かう潜水艦に収容された。
一二体のショッカーライダーが殲滅され、本部が壊滅したという情報が送られて来たのは、それから間もなくの事であった。
その際にあった、一文字ライダーが、赤いレガースのショッカーライダーの装甲を奪い、それまで以上のスペックを発揮した様子は、特に死神博士の興味を引いた。
「面白かったな、あれは……」
突然、横から声を掛けられた。
いつのまにか、潜水艦のVIPルーム――死神博士と数名の護衛しか乗らない筈のそこに、薄汚い袈裟を纏った、僧侶の姿があった。
チェン=マオ――
浜名湖地下で、ヘールカと名乗り、ゾル、イワン、そして松本克己の前に姿を現した、ショッカー首領である。
イワンは、亡き妹を再びこの世に蘇らせる為、ショッカーに与している。
チェン=マオの降霊術によってナターシャの魂と出会ったイワンは、その器、永遠の肉体の研究を造り上げる設備を提供される代わりに、ショッカーに改造人間の製造技術を提供していた。
「面白い、とは?」
「一文字隼人の事さ。本郷猛とはまた違う道筋で、パワー・アップを果たしおった」
日本で、地獄大使と戦う本郷猛は、強化服を二度に渡って新調している。
一度目は、死神博士を追ってヨーロッパへやって来た折に。
二度目は、再び日本の守りに就いた時に。
進化してゆく脳や、その周辺の神経が要求する動きに応える為に、身体を守る外骨格を強化してゆく必要があるのだ。
強化服の目的は、身体を外側だけではなく、内側からも保護する為にある。
敵の攻撃から脳を守ると共に、自身の限界を超越した動きから肉体を守り、自壊を防ぐのだ。
特に本郷は、二度目の強化服新調の直前、死神博士による再改造手術を受けており、この際に採られたデータが、今回の一二体のショッカーライダーの製造に使われている。
本郷が、新しい機能を得た身体に合わせて強化服を作り直したのとは違い、一文字は、新しい強化服の性能に合わせて肉体を自ら進化させたのであった。
「予期せぬ事が起こる――これが、人間の進化の螺旋よ」
チェン=マオは言った。
「それを防ぐ為の、ショッカーによる人類の統治、ですな」
「そうだ」
「――」
「何か?」
「……いえ」
神は無垢なるものを好む――
『創世記』で、アダムとイヴがエデンを追われたのは、彼らが智慧を得て、無垢な存在ではなくなったからだ。
チェン=マオによれば、これは、ジャイアント・インパクトの際に、外宇宙から飛来した生命の種子が、人間という、六五億年の時を超えて地球を支配する万物の霊長を生み出した事に比例する物語であるらしい。
チェン=マオは、その神――B26暗黒星雲からの種子を運んで来た責任を取る、人類を無垢なままにする為に、ショッカーを組織したのであるという。
だが、その目的を達成するのに、改造人間という手段を用いている。
改造人間は、“種子”を開花させる為の手段だ。
“種子”は人間に進化を齎した。つまり、その人間を更に開花させるという事は、無垢なるものを好む神にとっては、大きく矛盾した行ないに映るのではないだろうか。
又、自分自身の事としても、考える。
最愛の妹ナターシャ一人を生き返らせる為に、彼女の笑顔をもう一度見る為に、イワンは名も知らない人間たちの身体を刻み、機械を埋め込み、薬物漬けにする。
只の偶然からそのように言われていた学生時代と違って、今は、本当の死神に成ってしまったかのようであった。
そんな兄に対して、心優しいナターシャは、笑顔を向けてくれるだろうか。
“母と子の絆を引き千切ってまで得る平和に、俺は価値を見出せないのだ”
そう言った男がいた。
その男に対し、イワンは、
“ナターシャが再び私に笑い掛けてくれれば、それで良いのだよ”
しかし――
誰かと誰かの繋がりを断つような世界で、ナターシャは私に微笑み掛けてくれるのか。
自らの行為を、善悪に照らし合わせれば決して善ではないと自覚した上で、ナターシャの笑顔を見る為にし続けるという、大いなる矛盾。
ナターシャを蘇生させる研究が、ショッカーの世界統治の手段として成り代わり、仮面ライダーを斃す為のものに挿げ替えられつつある……
「死神博士よ」
と、チェン=マオが、イワン・死神博士の思考の隙間を縫うようにして、重く心に染み入る声で呼び掛けた。
「はい」
「これを……」
チェン=マオが手渡したのは、ぶ厚い冊子であった。
表紙には、ショッカーの紋章と共に、
Ⅲ号計画
の文字が、大きく踊っていた。
「強化改造人間……第三号……」
死神博士は、その資料の意味する所の名を、呟いた。
ショッカー第一期改造人間の一人である、蠍男を発想の原点とした、外部ユニットを装着する事によって拡張性を持たせ、進化の可能性を秘めた兵士を造り出す強化改造人間計画。
冊子を開いてみれば、第一期本郷猛、第二期一文字隼人他五名に続く、第三の男の設計図が完成していた。
System Masked Ridersの名の由来となるマシンは、第一・二期のオートバイから、更にパワーとスピードのある、小型要塞とも呼べる四輪自動車トライサイクロンへと変更されていた。
「改造素体は、黒井響一郎……ですか」
「左様」
黒井響一郎――
マヤが、謀略によってショッカーに引き入れた男である。
元フォーミュラ・カー・レーサー。
本郷猛によって妻子を殺されたと思い込まされており、脳改造を施さないままに、強化改造人間第三号となる事が決定付けられている。
人間性を残したままに、肉体を改造するという事は、来るべきショッカーの新世界の礎となるべく為にのみ造り出される、最強最速の改造人間という事になる。
並みのアスリート以上に、屈強な、計算され尽した肉体を持った黒井響一郎を、Ⅲ号計画の素材として引き入れた功績から、マヤは、大幹部の座を手に入れた。
「黒井響一郎は、第三の男たるべく、トレーニングを積んでおる」
「はぁ……」
「不満かね、死神博士」
「いえ、そのような事は……」
そう言いながら、冊子を捲る死神博士。
すると、手渡された冊子が、二冊であった事に気付いた。
二冊目の表紙には、
Ⅳ号計画 System Masked Riders SHOCKER AIR FORCE
と、あった。
見てみれば、それは、トライサイクロン以上に、敵地を殲滅する目的で製造されるプロペラ機スカイサイクロンの搭乗者としての、そして、やがて誕生するショッカー空軍の指揮官となる、第四の男の設計図であった。
「――カツミ」
死神博士が言った。
第四号の改造素体として選ばれたのは、松本克己である。
ジャングルの地下に建造されていたショッカー本部が、周辺の森を焼き払いながら、爆発炎上した。
その炎の中から、クリーム色のマシンが飛び出して来る。
仮面ライダー第二号・一文字隼人を乗せたサイクロン号であった。
荒地でも使えるよう、デュアル・パーパスに改造されている。
初期のサイクロン号と違い、装甲が少なくなり、小回りが利くマシンであった。
それに跨って、爆炎を突っ切って、空へと舞い上がる。
森の中に着地した一文字ライダーの姿は、突入前とは異なっていた。
一二人の仮面ライダーを斃した一文字は、戦いの中で装着した新しい右腕に合わせて、あの赤い装甲のライダーから、残る左腕と両脚のレガースを回収し、身に着けている。
本郷が自分から囚われ、再改造を受けた折に新調したのと同じ、鮮やかな緑色の仮面と、その際のデータを基に急増された一二人のショッカーライダーの内の、特にパワーが強いライダーの装甲を手に入れて、“新二号”としての姿に変わっているのだ。
新たな鎧による神経への負荷は、確かにあるが、やがてそれに合わせて、オリジナルの部分も進化してゆく事であろう。
益々人間離れしてゆく身体に、怯えを感じないではないが、ショッカーという巨悪を斃すには、そうまでしなくてはならないとも思った。
「――むぅ」
一文字は、基地を破壊しながら情報を収集し、死神博士が日本へ向かった旨を知った。
南米の本部に打撃を与えた今、ショッカーの世界征服計画の拠点は、日本に移る事になる。
一文字は脳波通信で本郷にこの事を伝え、ジャングルを去る為にサイクロン号を走らせた。
新しい肉体が馴染むまで、まだ、少し時間が掛かりそうであった。
男が、森の中を歩いていた。
大きな爆発と、それに伴う揺れが、彼らの住処を襲った。
その爆発の原因を探る為に、戦士である彼は、長老である父の命で、密林を歩いている。
彼らは森の住民である。
しかし、森の全てを知っている訳ではない。
森を構成する木々、大地、動物、昆虫……それらと会話をする事は、出来る。
けれども、森はそれでもなお、人の理解の範疇を易々と凌駕する。
深淵――
ジャングルに心があるとすれば、それは、宵闇よりもなお昏いクレヴァスである。
その深淵は、決して覗いてはならない。
深みにはまれば、抜け出す事能わぬ故に。
男は、震源地――つまり、爆発の場所に向かうに連れて、大気の質が変質している事に気付いた。
熱帯のジャングルは、常に、皮膚をじりじりと蒸している。
それとは違う、炎の色が、空気の中に蔓延っているのだ。
爆心地が近い事を、男に告げていた。
男は、赤い生地で作られた、袖のない貫頭衣を着ている。
その逞しい二の腕に、汗の珠が浮いていた。
一度、道を逸れて、身体を冷やす為に川に近付いていった。
しかし、その川を見てみると、何処からか森の中にはある筈のないものが流れて来ている。
コンクリートの破片や、鉄の塊……
中には、人間の死骸もあった。
人間とは、すぐに分からないものの、死骸も流れて来た。
ジャングルの自浄作用を知らなければ、環境汚染だ公害だ何だと、騒ぎ立ててしまいそうだ。
奴らは自然を舐めている。
川の中に糞をし、その川の中で身体を洗う事を、汚いと思っている。
そうした汚物を流し切り、浄めてしまう作用が自然にある事を、知らないのだ。
そして、その自浄作用を殺しているものがあるとすれば、それは自分たちである事を、理解しようとしない。
森林を伐採し、川を埋め立て、地面を掘り返し、やたらに高い建物を打ち建てる。
その所為で自然のパワーが失われている事を棚に上げて、自然を汚すなとか何とかほざくのだ。
とは言え、流石に、これだけの瓦礫や、機械油が流れ込まれては、幾らこのジャングルの力でも、浄め切れないものである。
後で、父や妻に報告し、一族総出で、どうにかせねばなるまい。
父――と言っても、義父だ。
長老の娘を、妻として娶ったのである。
男が、一族の戦士であったからだ。
遥かなる過去から紡がれて来た、古代叡智の末裔……その中で一番強いのが、この男だ。
だから、この男は、長老の息子になったのである。
と――
汚れた川を覗き込んでいた男は、その黒い水面に浮かんだ自分の顔が変化したのを見た。
浅黒く日焼けした、四角い顔が、顎の尖った、シャープな女のものになったのだ。
ぎょっとして身体を反らすと、それに付いて来るように、女の顔が水面から浮き出して来た。
「おっ、ぉ⁉」
男は、そのまま、尻餅を付いてしまう。
女は、川の畔に手を突いて、水の中から身体を持ち上げた。
「あら、御機嫌よう」
鼻に掛かった甘い声で、女――マヤは言った。
マヤは、服を着ていなかった。
小柄な割に、良く成熟した恵体に、水が滴っている。
濡れた黒い髪が垂れ下がり、乳房のラインに沿って盛り上がっている。
「ここら辺の人? ご免なさいね、迷惑を掛けてしまって」
ジャングルの住民ではない事は、その肌の白さが証していた。
その白い肌と、柔らかそうな肉体に、男は高まる自分を感じていた。
それを知ってか知らずか、マヤは妖艶に微笑むと、近くの樹から、大きめの葉っぱを複数枚引き千切って、腰や胸を隠す衣服にした。
隠す場所が少なく、露出が多い為、寧ろ、裸体よりも扇情的であった。
「迷惑を掛けた、と、言ったが……」
男は訊いた。
「あの爆発の事……」
「爆発⁉」
「私の身内のごたごたでね」
「――」
「所で、貴方」
「む」
「若しかして、インカの末裔の人?」
と、マヤが訊いた。
男が黙っていると、マヤは唇を持ち上げて、
「やっぱりね。会いたかったわ」
「何?」
「ねぇ、貴方の一族の事、色々と、教えてくれないかしら……」
「――」
男は、口を噤んだ。
一族の事は、それ以外の者には、余程の事でもなければ口外してはならない掟である。
だが、マヤの黒い瞳に見入られると、何故か、頭がとろけてしまいそうな心地良さを感じて、そのまま口を開いてしまいそうになる。
それを堪えて、
「長老に訊いてみなければ、分からぬ」
と、言った。
「それじゃあ、その長老の所に連れて行ってくれるかしら」
「――」
「私は、マヤ。貴方は?」
「俺は……」
男は、言った。
「ゴルゴス。長老バゴーの息子にして、戦士の長だ」
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第四節 預言
マヤは、それを、眺めている。
巨大な、岩だ。
マヤが小柄な方であるとしても、そのずっと上の方に、岩の頭がある。
大の男が何人かで手を繋いで腕を回して、漸くその岩を抱えられる幅ががあった。
顔が、彫刻されているようであった。
オルメカ文明の、人頭岩に似ている。
頭部に、人の手で加えられた切れ込みがあるのも、そっくりであった。
「これは?」
マヤは、ゴルゴスに訊いた。
あの後――
ショッカー本部の表層を爆破し、地下水路に飛び込んで事なきを得たマヤは、ゴルゴスに案内されて、この祭壇へと赴いた。
古代インカ帝国の末裔たちの暮らす場所だ。
インカ帝国は、ケチュア人により、クスコを首都として発展した国家である。
巨岩を加工して築かれた建築物が構成するその領土は、現在のペルー、ボリビアを中心に、北はコロンビアから南はチリまでに及ぶ。
白人たちによって滅ぼされた彼らの末裔が、このジャングルの中で、秘かに生活していた。
その祭壇である。
その祭壇の主神と思われる人面岩の事を、マヤはゴルゴスに尋ねたのである。
「二〇年前、空から降って来たものだ」
「空から?」
「うむ」
「それは、隕石という事?」
「そうだ」
「へぇ……」
マヤは興味深そうに頷くと、祭壇に歩み寄って、人面岩に更に近付いた。
「所で、貴方たちは、これをどのように解釈しているのかしら」
「解釈?」
「ええ。何の目的で、こんな風に、この隕石に人の顔を彫り、主神として祀っているのか……それが気になっているわ」
「――」
ゴルゴスは、彼女をここまで案内する直前と同じように、彼女の背中を見て、黙った。
しかし、マヤが肩越しに振り向き、その黒い瞳で見つめられてしまうと、つい口を開いてしまう。
「伝承の為だ……」
マヤの瞳の持つ不思議な魔力……彼女が孕んだ妖艶なオーラに惑わされるように、ゴルゴスは語り始めた。
「伝承?」
「古代インカ、三つの秘宝……」
「それは?」
「一対の腕輪と、太陽の石だ」
「――」
「こちらへ……」
ゴルゴスはマヤを誘った。
祭壇から少し歩いた所に、洞窟があり、こちらにも別の儀礼の場が設けられている。
その壁面に、絵が刻まれていた。
余白を極端に嫌うかのように描き込まれている。
世界樹の頂点に戴かれた太陽を、人間や、獣や、鳥や、魚が崇めている。
しかし、この南米には生息しない筈の動物まで描かれているのに対して、昆虫の姿は一つとして存在しない。
いや――
太陽神は、世界樹のてっぺんに戴かれている。
世界樹は三本の柱から成り、その真ん中の一本の頂点に太陽が描かれていた。
その三本の柱に、二匹の龍が絡み付いている。
翼ある蛇の王……。
その頂点の太陽神は、円形から放射状に光を放っているが、大円の中心に刻まれている顔は、一対の中円と、その間にある小円――人の顔に当て嵌めれば額の所にある、第三の眼を持っていた。
その第三の眼から、特に一対の、斜め上に向かって走る線があるが、見ようによっては、昆虫の触角のようにも思える。
進化論には、昆虫が存在せず、人によっては、昆虫は外宇宙からの生命体だとも言うが、この壁画は、それを表しているかのようであった。
「インティだ」
ゴルゴスは言った。
インティとは、インカの太陽神である。
「あの岩は、インティなのだ」
「ふぅん」
マヤは、得心がいったという風であった。
つまり、ゴルゴスの一族は、インティが宇宙からの来訪者であると考えており、それを、あの巨大隕石に見立てている故に、あの岩を祀っているという事らしい。
と――
「何をしておる……」
しゃがれた声が、聞こえて来た。
振り返ってみれば、白髪を長く伸ばした老人が、そこに立っている。
ゴルゴスと同じ、赤い貫頭衣を着ていたが、その白髪と相まって、厳かな雰囲気を醸し出していた。
「バゴー……」
インカの末裔たちの長老――ゴルゴスの義父であるバゴーであった。
一族のトップは、ゴルゴスという事になっている。
しかし、それ以上の命令権を持つのが、この長老バゴーであった。
「息子よ、何故、余所者をここに……よりにもよって、一族の秘儀の場に入れたのだ」
「――」
バゴーは老齢であったが、その眼はぎらぎらと輝いている。
「事によっては、お前とても、許さぬぞ」
「――バゴー……」
「申し訳ありません、長老」
マヤが言った。
「私が、どうしてもと、頼んだのです」
「――早う、ここから出てゆく事じゃ」
「私はこのような古代文明に興味があるのです。ですので、彼に無理を言って」
「忘れよ。ここで見たものは、全て。それが嫌ならば、我が一族の者と契り、外界との繋がりを断つ事じゃ」
バゴーは毅然とした態度であった。
殊更、マヤを威圧するような口調である。
老齢の彼も亦、ゴルゴスと同じく、マヤの魅力に惑わされそうになっていたのだ。
それに抗うべく、こうした口調になっている。
マヤは、
「分かりました」
と、物分かり良く頷いた。
「では、仲間に連絡したいので、人がいる場所まで送って行ってくれませんか」
「――キティ」
マヤを送って行こうとしたゴルゴスを制して、バゴーが言った。
洞窟に、中年の女性が入って来た。
バゴーの娘、ゴルゴスの妻であるキティだ。
キティは、マヤを手招きした。
キティに伴われて洞窟を出て、人面岩の祭壇や、壁画の洞窟からかなり離れたキャンプにやって来た。
そこには、一族の者らしき男たちがたむろしている。
バゴーたちと同じような貫頭衣の者もあれば、腰に動物の毛皮を巻いているだけの者、逆にサファリ・ルックでライフルを携行している者もあった。
キティは、彼らに言って、無線を取り出させた。
自然の中で暮らす彼らとて、こうした文明の利器を忌避している訳ではない。
マヤの言う周波数に発信し、連絡を取った。
すると、そこのキャンプは畳まれて、移動の準備が始まる。
「ここでお待ち下さい」
キティは言った。
彼らは定住しない。
ジャングルの中を、移動しながら生活する。
無線の電波を発したポイントに迎えがやって来るのを待つ間に、彼らは痕跡を消して、密林の中に姿を消してしまうのだ。
「ねぇ、少しお話ししましょうか」
と、マヤは、キティに言った。
キティは、口を利かなかった。
「ねぇったら……」
マヤがキティの肩に手を伸ばそうとした。
刹那、キティは隠し持っていたナイフを、マヤの顔に投げ付けた。
顔を傾けて躱さなければ、ナイフは、マヤの眼に潜り込んでいただろう。
代わりに、マヤの背後の樹の幹を這っていた蛇を縫い止めていた。
キティは、蛇ごとナイフを引き抜き、まだ残っていた焚き火で炙って、喰った。
マヤは、口笛を一つ吹いて、
「ワイルドぉ」
と、愉快そうに言った。
キティは、マヤを睨み付けるように見ている。
マヤが持つ魅力――バゴーやゴルゴスを惑わす妖艶な魔力に抗おうとするのではなく、嫉妬し、憎悪するかのような眼であった。
そうしていると、不意に、二人の頭上で梢が鳴った。
見上げてみると、そこから、一人の青年が降って来た。
「彼は?」
マヤが訊く。
しかし、キティも、その顔に覚えはないという表情であった。
縮れた髪を、ぼうぼうと伸ばした、半裸の青年である。
その腰に巻かれている動物の毛皮に、日本のお守り袋が引っ掛かっている。
この謎の青年に、二人が戸惑っていると、更なる来訪者が出現した。
それは、すぐに人と判断する事は難しかった。
猿人――
二本足で直立してはいるが、全身を獣毛が覆い、顔はそれと分かる程前方にせり出している。
アマゾン化石人であった。
アマゾン化石人は、マヤたちの眼の前に出た青年を諫めるように、唸り声を上げた。
しかし、青年は二人を――マヤを見据えている。
マヤも、彼を見返した。
だが、青年は、ゴルゴスのようにマヤに魅入られるでも、キティのようにマヤに嫉妬するでもなく、マヤと眼を合わせていた。
もう一度、アマゾン化石人が、青年に対して唸った。
青年は、アマゾン化石人を振り返り、そのまま、アマゾン化石人と共に森の奥へと去ってゆく。
「また会うわ……」
マヤが、小さく呟いた。
それから、数日が経った。
ゴルゴスは、少しの間、バゴーによって幽閉された。
余所者を、一族の秘儀の場に立ち入らせた為である。
その間に、先日の爆発で汚染された自然を、彼らなりに修復する事となった。
ゴルゴスの事は伏せられ、バゴーとキティが指揮を執った。
ゴルゴスは幽閉期間を終えると、秘かに、爆心地へと向かった。
マヤの事を忘れられなかった。
あの爆発とマヤに関係があるのなら、何か、爆心地に残っていると思ったのだ。
しかし、あの日、結局辿り着けなかった爆心地を訪れたゴルゴスは、そこで、一人の男と出会う事になった。
焼け爛れた森の真ん中に、深い孔が開いている。
その焼けた地面に、早くも新緑が芽吹こうとしていた。
地面の孔を挟んで、ゴルゴスは、その男を見たのである。
白い衣を纏った男であった。
白い頭巾を被っている。
頭巾の正面には、二つの孔が開いており、そこから双眸が覗いていた。
その衣が汚れるのも気にせず、男は地面に座し、何事かを唱えている。
すると、頭巾の覗き孔から見える眼が、赤や、緑、蒼、黄色などの光を放つ。
その光に導かれるようにして、森林が再生しているのであった。
「お……おう……」
ゴルゴスは、知らぬ間に、そこに跪いていた。
あの人面岩に対してする祈りの儀式のように、深く頭を下げた。
どれだけの時間、そうしていたのか。
気付けば、頭巾の男による詠唱は終わっていた。
「顔を上げよ、ゴルゴス」
男が言った。
ゴルゴスは、自分の名を知られている事に驚き、同時に、この男であればそれも不思議ではないと思いながら、頭を上げた。
「我はインティの化身なり」
男は言った。
「我は、預言者なり」
「我は、蛇なり」
「我は、鷲なり」
「我は、龍なり」
ゴルゴスの心に染み入る声であった。
「我を見よ。我の姿を、その眼でしかと見よ」
「我を聴け。我の声を、その耳でしかと聴け」
ゴルゴスは頭巾の男を見つめ、意識を耳に集中した。
「世は末世なり」
「受け難き人の身を得ても、深淵へと至る道、既になし」
「故に告げる」
「汝、両翼を具えし巨人となりて、太陽の力を以て末世の人類を滅ぼすべし」
「巨人とは無欠の存在なり。無欠の存在とは未完の存在なり」
「永遠に交わらぬ羅龍なり」
言い終えると、頭巾の男の身体が白く発光し、ゴルゴスがその眩さに思わず顔を覆っている間に、彼の姿はその場から掻き消えてしまっていた。
ゴルゴスが白い闇から解放されると、その脳裏には、天より降る龍のヴィジョンが、ありありと思い浮かべられていた。
その龍の許で、あらゆる生物が自由闊達に生きてゆく光景を見たのである。
しかし、直立した人類が、智慧の光を得て万物の霊長として奢り、他の生物たちを一方的に喰らう様子をも、ゴルゴスは見た。
太陽が昇る頃は地を這っていたヒトは、智慧の光を得て直立するようになり、月の光が降り注ぐ頃には第三の眼を開き、世界へと溶けてゆく。
だが、開眼する者の数が減ってゆくと、人々は夜の闇を恐れて、智慧の光を増大させる事を考えるようになった。
その為に、真理の三本目の足を得る事が出来なくなってしまうのであった。
こうして、優しく注がれる月の光を失った人類は、肥大した太陽の苛烈なエネルギーによって滅ぼされる事となる。
ゴルゴスは、白い頭巾の男が語った内容を、改めて本能で理解した。
肥大した太陽の光、増大した智慧の光は、近代文明の利器である。
これを得る事で、人類は他の生物よりも自分たちが優れていると思い込んでしまった。
まさに、ジャングルを開拓しようとする人間たちの愚行であった。
彼らはやがて太陽によって滅ぼされる事となるが――インティの化身を名乗った白い頭巾の男は、このゴルゴスに、その役目を担えと告げたのだ。
両翼とは、左右の腕輪の事だ。
太陽の力というのは、太陽の石の事であろう。
三つのインカの秘宝と、それらを揃える事によって発動する無限のエネルギーの事だ。
しかし、他の言葉の意味が、まだ、ゴルゴスにはどう分からない。
ゴルゴスはバゴーたちの許へ戻りながら、考えあぐねていた。
「何処へ行っておった」
と、バゴーに問われたゴルゴスは、散歩だと言って、白い頭巾の男の事は言わなかった。
バゴーは、インカの末裔と、現代人類が関わる事を好まない。
しかし、それはインカの伝統と文化を守る為であり、敢えて現代人類と争おうと考えている訳ではない。
かつて、インカの文明は、マヤ・アステカ文明などと同じく、スペイン人によって滅ぼされている。
産出された黄金を根こそぎ奪い取られ、蛮人として奴隷として捕らえられたり、殺されたりした。
その歴史を繰り返してはならないという思いが、あるからだ。
外からの侵略も、こちらからの復讐もしない。
攻められれば守るが、打って出て滅ぼす心算はない。
そんなバゴーに、自分は人間を滅ぼすようインティから言葉を預かったと言っても、否定されるのが落ちである。
若し、バゴーに預言の解釈を頼めば、全てはやがて滅びるが、それに自分たちが手を貸す事はないと、そのような答えが返って来るであろう。
恐らく、自分でも、人づてに聞けばそのように思う。
あの男に――あの白い頭巾の男に、直接会っているからこそ、自分は、自らの手にインカの秘宝を揃える事を、思い付いたのである。
理屈ではない。
あの男の言葉は正しいのだと、本能が言っていたのだ。
神経に刷り込まれた記憶であった。
兎も角、その日は、いつものように食事を摂った。
大きめのネズミの皮を剥き、火で炙ったものだ。
野草や、木の実もあった。
別の集落から、酒の差し入れがあったので、飲んだ。
そうして、洞窟の中で眠る。
しかし、瞼を閉じていると、どうしても、あの光景が思い浮かんでしまう。
遥かなる龍の記憶だ。
あの白い頭巾の男の言葉を、思い出してしまうのだ。
インカの秘宝を手に入れた後、どのようにすれば良いのか。
ゴルゴスは、夜半、寝床を抜け出して、人面岩の祭壇に向かった。
巨岩を、インティに見立てて祀っている。
暫く、その前に座していたのだが、ふと、ゴルゴスは思い立った事があった。
巨岩の傍らに供えられた、キープを見たのだ。
キープとは、結び目を付けた紐で、数字を記す方法だ。
紐の色や、太さ、形などで、様々な情報を表している。
そのキープには、十進法が用いられていた。
一〇個目の数字で、位が変わる。
一つの位が満ちたから、位が変わるのである。
満ちるという事は、無欠という事だ。
では、未完であるという事が無欠であるという事は、あの白い頭巾の男が言う無欠とは、九つであるという事だ。
そして、最後のピースとしての秘宝を揃え、無欠となるのである。
又、永遠に交わらぬ羅龍とは、螺旋の事だ。
螺旋とは、円である。
三つのインカの秘宝と、九つのピースで紡ぎ出す円……
これが、両翼を具えた巨人の絵解きである。
ゴルゴスはそのように判じた。
では、九つのピースには、何を用いれば良いのか。
これも、簡単な事だ。
白い頭巾の男は、太陽の力を用いよと言った。
大自然の力だ。
大いなる自然の力を借りる時は、いつだって、それに相応する儀礼が必要だ。
それ相応のものを、自然に示さねばならない。
世界を滅ぼす程の力を借りるには、いつものような、肉や、果物では足りない筈だ。
ならば、やるか⁉
自分たちが持つ中で、最も強く自然を揺さ振りえるエネルギー……
人の命だ。
生きている人間を、神への供物として捧げる、あの儀式を……
彼らの生き血や体液を、命と共に人面岩に捧げるのだ。
生贄の数は、九つ。
それらを統括する存在として、一〇番目の自分がいるのだ。
インカの秘宝を揃えた自分だ。
インカの秘宝を揃えるという事は、即ち、インティの意思を代行するという事だ。
インティの意思が人間の滅亡にあり、その啓示を受けたならば、長老のバゴーではなく、この自分ゴルゴスこそが、正しいのである。
ゴルゴスは、秘かに計画を立て始めた。
萬画と『HERO SAGA』のどちらも取ろうと思ったので、改変とも取られる解釈をしました。
まぁ、キティというと、どうしても『原始少年リュウ』のイメージがあるので……
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第五節 奇縁
ゴルゴスの計画は、順調に進んだ。
ゴルゴスは、信頼出来る部族の者たちや、開拓者たちの行動に不満を持つ者たちに掛け合って配下とし、同時に、彼らと共にあらぬ噂を流して部内でのバゴーの信頼を地に落とした。
そうする事によって、バゴーを集落から追放し、長老を兼ねる族長としての地位を確立したゴルゴスは、バゴーがそれまで秘していた、インカの秘宝や、秘術についての情報を入手する事となった。
人体改造技術――
人間の身体に、他の動植物の特性を埋め込んだ獣人を造り出す方法である。
ゴルゴスは、この秘術を使って、複数名の獣人を造り上げた。
クモ獣人。
カマキリ獣人。
獣人コウモリ。
ヘビ獣人。
彼らは、強靭な肉体と、モチーフとされた動物や昆虫の能力を手にしたが、代わりに、知能が大きく低下してしまう。
その事を、数多の実験で理解したゴルゴスは、獣人たちを指揮する者として
人体改造の秘術は、男性よりも、女性の方が適合率が高かった。
男を素体にすると、二人に一人が改造に失敗するが、女性であれば、五人の内で失敗するのは一人いるかいないか、という所である。
そこで、女たちには、獣人程の戦闘力を与えない代わりに、知能を失った獣人たちを率いる役目を与えたのであった。
又、それと並行して、生贄にする人間の選定も行なった。
外部からの侵略を防ぐ為に、外の情報を探っていた配下から、日本からの学術調査団が、集落の調査を希望しているという情報を得た。
ゴルゴスは、その人数が、ポーターを合わせて一〇人である事から、彼らを生贄とする事を決定した。
更に、獣人への改造が成功する者は、性格が荒々しい人間である場合が多いという事にも、この頃になって気付き、各国から様々な犯罪者を呼び寄せ、九人もの極悪人が、ジャングルに集結する事となったのである。
そして時が過ぎた。
ジャングルに、日本からの高坂博士を始めとする学術調査団がやって来た。
ゴルゴスは、彼らに睡眠薬入りのアルコールを飲ませ、儀式の為に人面岩の祭壇に運び込んだ。
調査団の人数は九人。
彼らを案内させたポーターは、ゴルゴスの手の者であった。
しかし、高坂を最後の生贄として捧げようとした所で、一人の青年が現れた。
高坂と同じアジア人の顔立ちであった。
ゴルゴスは、高坂が、“山本教授”について質問して来た事を思い出した。
二三年前、人面岩の落下に巻き込まれ、飛行機が墜落するという事故があった。
乗客は、一人を覗いて死亡。
山本教授と、その妻も、その中にいた。
しかし、山本夫妻の息子、大介のみ、生き永らえていた。
その大介が、この青年であるらしかった。
大介は、高坂を連れて、その場から離脱してゆく。
ゴルゴスは、その背に手斧を投げ付け、瀕死の重傷を負わせた。
だが、高坂諸共、大介は行方を晦ませてしまう。
そこで、ポーターを九人目の生贄とする事となったのである。
部族の殆どを掌握したゴルゴスは、一対の腕輪を合わせる事で生じるエネルギーと、人面岩に捧げた九つの生贄のエネルギーを融合させた。
又、ゴルゴスは自らの身体にもインカの秘術による改造を施している。
それは、声――或る特定の周波数で、肉体を変化させる術であった。
お~~~~ん
ご~~~~
る~~~ど~~~~
ギギ・ガガの腕輪の持つエネルギーが、変身の表示意思、及び、特定の呪文と共鳴する事で、改造された肉体の細胞を振動させ、変身させるのである。
ゴルゴスは、深紅の身体の鬼となり、巨岩の頭頂の切れ目に、自分の身体をねじ込んだ。
九人の生贄と、ゴルゴスを含めて、一〇個の顔を持つ鬼――十面鬼が誕生したのである。
腕輪のエネルギーによって、人面岩の頸から下が形成されてゆき、その巨体が立ち上がった。
広大なジャングルを見下ろす、巨大な鬼であった。
後は、バゴーが持ち出した太陽の石さえ手に入れれば、インティの化身、あの白い頭巾の男の言葉通り、太陽の力を以て世界を滅ぼす事が出来るようになる。
年老いたバゴーと、彼と共に逃げ出したキティを処分する事は、決して難しくはない筈であった。
だが――
そのゴルゴスから、ギギの腕輪を奪ったものがあった。
それは、ゴルゴスの知らない獣人であった。
赤いまだら模様の、トカゲの獣人だ。
赤いトカゲ獣人は、二つの車輪と翼を持つ乗り物で、十面鬼の頭頂に位置するゴルゴスを襲撃し、彼の左腕からギギの腕輪を奪い取った。
赤いトカゲ獣人が、ギギの腕輪を手にすると、その身体は大自然を象徴する緑色へと変わっていった。
トカゲ獣人の正体は、あの、大介であった。
二三年前、人面岩が落下した際、破壊した飛行機に乗っていた赤ん坊だ。
彼は、アマゾン化石人の許で獣のように育った。
文字も、言葉も知らない。
しかし、自然の事は知っている。
野生の中で生き延びる、戦う方法を知っている。
バゴーは、自らを追い出し、世界の破滅を目論むゴルゴスに対する刺客として、その強靭な肉体を持つ青年を送り込んだのである。
インカの秘術を用いて、彼にトカゲの遺伝子を埋め込み、更に太陽の石を組み込んだ乗り物を与え、ゴルゴスからギギの腕輪を奪わせた。
太陽の石はおろか、ギギの腕輪さえも、ゴルゴスの手を離れてしまった。
太陽の石は、バゴーに助けられた高坂によって日本へ運ばれ、ギギの腕輪も、トカゲ獣人となった山本大介によって南米から持ち出されてしまったのである。
ゴルゴスは、インティの予言を実行する為に、インカの秘宝を揃える必要があった。
彼は、トカゲ獣人からギギの腕輪と太陽の石を奪うべく、偉大なる闇の帝国――ゲドンを組織し、日本へと向かったのであった。
山本大介――
ゴルゴスからギギの腕輪を奪ったトカゲ獣人が、本来名乗るべき名であった。
奇跡的に事故から生き延びた大介を保護したのは、アマゾン化石人と呼ばれるものたちであった。
彼らは、獣のまま進化したものたちであり、未確認生物の一種であると言えるだろう。
獣から人への進化に、取り残されたものたちだ。
取り残されたまま、しかし、その知能を発達させて来たものたちである。
大介は彼らによって、自然の中で育てられた。
赤子の内に、人間社会から離れてしまい、野生動物に育てられた子供の逸話は、幾らもある。
彼も、その一例であった。
この大介が、何故、その強靭な肉体を改造される事となったのか。
それは、ゴルゴスの野望が胎動を始めた時から、定められていた事のように思える。
ゴルゴスの計略で集落を追われたバゴーとキティは、アマゾン化石人に保護された。
そこで、彼らに育てられた大介と出会ったのである。
更に、アマゾン化石人らと共に隠れて暮らしていたバゴーの許に、大介によってゴルゴスから逃げ延びた高坂が訪れた。
この高坂と、大介の両親が旧知の仲であったという事は、奇妙な縁であった。
高坂が、大介の壮絶な人生と、バゴーたちインカの末裔、ゴルゴスによる反乱についての事情を知った時、ゴルゴスは人面岩の力を手に入れて、十面鬼となった。
巨大十面鬼は、ジャングルを蹂躙した。
アマゾン化石人らが多く犠牲になった。
バゴーは、高坂を救出する代わりに、命に関わる重傷を負った大介を助けるべく、インカの改造秘術を用いた。
高い生命力を持つトカゲの遺伝子を埋め込み、大介の生命を永らえようとしたのである。
だが、手術は失敗した。
僅かに死の時間が遠くなったに過ぎなかった。
落胆するバゴー、キティ、そして高坂に、とどめを刺そうと迫る十面鬼。
キティが、元夫であったゴルゴスの説得を試みたが、彼女は哀れ、十面鬼の巨大な顎によって身体を噛み砕かれてしまう。
大介が覚醒したのは、その時であった。
トカゲ獣人となった大介は、バゴーが太陽の石を組み込んで造り上げた、翼と車輪を持つ乗り物――ジャングラーを駆って、ゴルゴスからギギの腕輪を取り返した。
この腕輪を装着する事で、大介・トカゲ獣人は、全身を緑色の鱗で覆い、赤い血潮をその隙間から覗かせる大自然の戦士・アマゾンとなったのである。
二つの腕輪の内、一つを奪われた十面鬼は、巨体を維持する事が出来ず、不思議な力を持つ人面岩とゴルゴスのみとなった。
バゴーは、高坂に太陽の石を託し、追って、大介を日本へ向かわせた。
インカの秘宝を巡る、ゲドンと、アマゾンとの戦いが、始まったのであった。
その山本大介・アマゾンは、故郷のジャングルに突如として出現した謎のピラミッドの内部に潜入し、一人の男と対峙していた。
黒い壁を照らす蒼いライト。
その中で、真っ白く輝くようなスーツを着こなした、日本人離れした彫りの深い顔立ちの男。
呪ガイストである。
かつて、GOD機関の秘密警察第一室長アポロガイストとして、仮面ライダーX・神敬介と戦い、敗れ、そして復活した男であった。
アマゾンは、ガイストに対して警戒心を剥き出した。
獣のように前傾し、両手を前に出し、牙を剥いている。
ガイストは、そんなアマゾンの姿を眺め、唇を曲げると、左の人差し指に火を灯し、右手に抓んだ煙草に火を吐けた。
煙を肺いっぱいに吸い込み、唇の隙間から紫煙を吐き出してゆく。
アマゾンが、眼の前を通り過ぎる香ばしい煙に、眼をぱちぱちと瞬いた。
「余計な事をした連中がいたようだな」
ガイストが言った。
「あの、探検隊の連中さ」
「――」
アマゾンは、親しみさえも感じさせる口調で言うガイストを、じぃと観察した。
一見、自然体に見えるが、アマゾンの動きに素早く反応し、若し攻撃を加えられれば即座に迎撃態勢に移るであろう。
「世の中には、知らなくて良い事もある……」
「ここの、事か?」
アマゾンが訊いた。
「そうさ」
「知らないで、良い事を、知ったから、殺したのか⁉」
「結果的には、な」
ガイストは淡々としている。
あの探検隊のメンバーが、このピラミッドの存在に気付いたのであろう。
そうして、掘り起こそうとでもしたのか。
しかし、ピラミッドはその為に地上に浮上し、彼らの生命を奪う結果となった。
ガイストがピラミッドを地下から出現させたのならば、探検隊たちに迫る危険の事は、分かる筈であった。
「それは、お前さんもだぜ」
アマゾンの事を見据えて、ガイスト。
「その柵の向こうを、見てしまったんではな……」
「――お前たち、何だ?」
「お前さんの……お前さんたちの、敵という事になる」
「敵⁉」
「予定よりかちぃとばかり早いが、ま、文句は言うまいよ」
ガイストは、ジャケットの裾を翻した。
腰に、黒いベルトが巻かれている。
緑色の風車を内包したバックルが、身体の正面に位置していた。
ガイストはベルトの両脇から、グリーン・アイザーとパーフェクターを取り出した。
すると、広大なスペースの何処かから、アポロクルーザーがやって来る。
アマゾンは、横手から迫ったアポロクルーザーを回避し、ガイストの姿を眼で追った。
ガイストはアポロクルーザーに飛び乗ると、変身アイテムをセットしざまに、黒と緑の強化服を装着していた。
色こそ全く反転してしまっているが、その姿は、
「――敬介⁉」
Xライダーと、そっくりであった。
セット・アップを完了したガイストライダーは、アポロクルーザーのハンドルを握ると、アマゾンに向かって突撃した。
アマゾンが横に転がって躱すと、壁際でターンして、フロントにセットされたアポロ・マグナムを乱射した。
アマゾンが駆ける。
その足跡を追うように、アポロ・マグナムの弾痕が作り上げられて行った。
アマゾンは高く跳躍し、天井に張り付く。
ガイストライダーはアポロ・ショットを引き抜くと、天井のアマゾンに狙いを付けた。
「がぁーっ!」
アマゾンは
空中で回転しながら、アポロクルーザーの後方に着地する。
ガイストがマシンをターンさせる隙に、既にアマゾンは車体の側面に回り込んでいる。
ガイストはアポロ・フルーレを右手に持つと、左側から跳び付いて来るアマゾンの胸に向かって突き出した。
細いが鋭い剣先が、アマゾンの胸に突き立つ。
だが、アマゾンは、発達した大胸筋で剣先を止めると、右腕をフックの軌道で繰り出した。
ガイストが、車上から飛び退いた。
直前までガイストがいた空間を、鋭利なヒレが通り過ぎる。
アマゾンの両腕から生えたヒレだ。
あのヒレが持つ切断能力は、今までに何体もの改造人間の血を啜っている。
「あがぁぁぁ~~~っ……」
アマゾンが、身体を反らして吼えた。
その叫びが、ギギの腕輪と同調し、アマゾンの細胞を振動させる。
Aaaaaaaarrrr……
Mooooooorrrr~~~~
Zooooooooooooone!
全身に、太い血管が浮かび上がり、その上を緑色の鱗が覆う。
火山の大地が裂けて、内側に眠るマグマが亀裂から漏れ出すように、赤々とした血の色が、鱗の隙間から覗いていた。
正面に向き直ったアマゾンの顔は、前方にせり出して、身体と同じく鱗に覆われていた。
両眼は赤く染まり、眉間からは角が生えている。
肥大化した脳神経の一部が、額を突き破って体外に露出し、最も多くの情報を集める器官となっているのである。
生命の危機を脱する為の緊急手術によって、山本大介はトカゲの改造人間、戦う獣神となった。
そして、ギギの腕輪を守る為、日本でゲドン・ガランダー帝国と戦ったアマゾンは、仮面ライダー第六号となったのである。
アマゾンライダーは、怪鳥の如く哭き、ガイストライダーに襲い掛かった。
「飲みに行かないか」
黒井響一郎は、克己を誘った所をマヤに見られていなくて良かったと、心の底から思った。
何故、仲間の、しかも男を、一緒に飯を喰おうと誘うだけの事に、あんなにも緊張するのか。
自分でも分かる程に、声が上ずっていた。
克己が、一瞬、言葉を失ったのを見て、その沈黙の際に、心臓が変に大きく鼓動した。
黒井が知っている克己は、滅多に感情を露わにしない男なので――地獄谷五人衆との戦いの際に、“決め台詞”を言っていたというのにも驚いた――良かったが、あのような態度をガイストに取られてしまったのでは、もう嫌になってしまう。
克己は無表情に黒井の言葉を飲み下して、
「ゆく」
と、言った。
無駄のない肯定の所作に、ほっと胸を撫で下ろして、“ヒーロー”であった頃の癖か、
「それじゃあ、行こうか」
などと、やたらに格好を付けながら言ってしまった。
相手が女の子だったら、それだけであそこを濡らしてしまいそうな微笑みだったろう。
若し、女性からそのように誘われて、そんな風な笑みを見せられたら、年甲斐もなく元気になってしまったかもしれない。
人が、一生に一度、出来るか出来ないか。
そういう事が、存在する。
ぎりぎりの所で競い合うレースで、自分が進むべきルートがはっきりと見え、どれだけの力でアクセルを踏めば良いのかが明確に分かり、ハンドルをどの程度切るのが最良であるか確信し、そして、その予想通りに事が進む。
動物園の檻から、腹ペコのライオンが逃げ出した所に、偶然にも出くわしてしまい、しかもそのライオンが眼の前にやって来て、間合いをあっと言う間に越え、逃げ場もなく、あまつさえ自分を捕食対象として見ている事に気付き、その爪と牙が喰い込む瞬間を刹那早く予想して、訳も分からずに悲鳴を上げる。
気持ちの良い程に、身体に永遠に刻まれる、一瞬の記憶。
二度とその快感を味わう事は出来ないし、二度とその恐怖から逃れる事は出来ない。
黒井が克己を誘った瞬間、黒井響一郎の人生の中で、誰かを食事に誘うという事柄に関する全てを、黒井は使い果たしてしまったのだ。
そうした一生に一度のものを、この仲間の為に使ってしまった黒井は、町の食事処で克己と向かい合っていた。
ブラジル――
ベレンにある、“Minami”という店だ。
ポル・キロ式で、メニューや料金は日によって変わる。
営業時間は、午前一一時から午後三時までであるが、手頃に和食を食べる事が出来る。
店主は、日系ブラジル人。
ブラジルは日本からの移民が多い。
この店の経営者は、両親や祖父母に、日本人がいるのであろう。
不思議な縁である。
黒井は、マヤから“バリツゥズ”を習っている。
カタカナ語で分かり易く発音すると、“バーリ・トゥード”。
ポルトガル語で“何でもあり”という意味であり、格闘技のルールであった。
例えば、空手であれば、投げ技や関節技が、基本的には禁じられている。
レスリングなら、相手を殴ってはいけない。
そうしたルールが、ない。
必要最低限の――噛み付いたり、眼を狙ったりする以外の攻撃を、相手に加えても良い。
それが“バーリ・トゥード”というルールであり、マヤは特に、“ジュージュツ”を黒井に教えた。
ジュージュツ――つまり、柔術の事である。
戦国時代に編み出された、合戦の場に於ける組討ちの技術を、理論化したものだ。
戦場では、こちらが素手であるからと言って、相手が武器を捨ててくれるという事は、先ずない。
そうであっても、素手で武器を制する事が出来る技術が、柔術であった。
武具に勝る徒手という思想は、安穏の時代に、セルフ・ディフェンスへと昇華する。
日常生活の中で、道を歩いている時、食事をしている時、酒を飲んでいる時、博打を打っている時、女と睦言を交わしている時、いきなり刃物を持った狂人が襲い掛かって来ても、自分や、その傍にいる、愛する者たちを守る事が出来る護身術だ。
それが、このブラジルの地で、バーリ・トゥードと迎合し、一流派を創り上げている。
ブラジリアン柔術と総称される、バーリ・トゥードの為の格闘技だ。
徒手対武器。
個人対複数。
力のない女子供対屈強な男。
そのような、飽くまでも身を守る事に徹しつつも、
打撃
投げ技
関節技
これらトータル・ファイティングの技術を網羅し、その上で、馬乗りになって相手を殴る事も理論付けられている。
元は、日本の技術だ。
神道が、元を辿ればイスラエルにあるように、ブラジリアン柔術は、元々は日本の武術なのだ。
明治の頃、前田光世という男がいた。
ブラジルでは、コンデ=コマとして知られている。
講道館出身の柔道家だ。
彼は、日本の武道と、大和魂と世界に広める為、日本を立ち、海の向こうへと羽ばたいた。
そうして、戦った。
自分が学んだ技術こそ、日本に伝わる武道こそが、最強の格闘技である事を証明する為に。
大柄な外国人たちの前に、決して大きいとは言えない身体一つで対峙して、生涯無敗。
当時、未開拓であったこのブラジルに渡って来た前田光世は、アマゾンを開拓し、一つの町として成立させた。
その最中に、彼が広めた柔道が、ジュージュツとして人々に伝えられたのである。
一度は日本を離れ、外国人の手に渡ったジュージュツが、マヤによって黒井響一郎に届けられた。
又、同じく前田光世に関わる人間に、大塚松士がいる。
赤心少林拳の祖師である、樹海だ。
前田光世に敗れた彼は、中国に武者修行に出た。
そこで、師である鉄玄から、ソロモンの秘宝にして、三種の神器の一つである霊玉=マナ=八尺瓊勾玉を授けられている。
黒井は、そして、この古代イスラエルと古代ヤマトにまつわる“火の車”を巡って、ドグマの地獄谷五人衆たちと戦っているのだ。
奇縁という他にはない事であった。
何か、大きな力が、この現象の背後に動いているような気さえする。
何者かが、こうして巡り合う自分たちを観測し、操っているようにも思ってしまう。
その何者かを、或いは、“神”などと称するのであろうか。
兎も角、その奇縁に囲まれ、自分自身も奇妙な因縁の環の中に組み込まれている黒井は、そわそわした様子で、克己を待っている。
一通り料理を取り終えた所で、克己がトイレに立った。
黒井は、今日はビールであった。
克己は、ガラナ。
ポレンタやパステウ、ポン・ジ・ケージョ。
ピラニアのフライ。
ガレット。
寿司もあった。
黒井は、それらをぽつぽつと摘みながら、どうにも落ち着かない様子である。
――生娘ではないのだから。
と、自分に言い聞かせて、黒井はおかしくなってしまった。
案外と、こういう時、女性の方が落ち着いている。
こうして、相手のいない時間にどぎまぎする少女などというのは、男の身勝手な妄想だ。
女性に対し、清楚だとか、純情だとか、そういう幻想を抱いている憐れな男たちの、だ。
女性というのは、男が思う程、初心でも、清純でもない。
だから、却って男の方が、そうなってしまう。
――ああ、そうだ。
どうにも、この感覚に覚えがあると思ったら。
もう、ずっと昔の事のようにも感じるが、経験がある。
餓狼のようなレーサーであった自分が、唯一、心を許したあの……。
「待たせたな、黒井」
克己が、トイレから戻って来た。
二人で、食事を始めた。
アマゾン釈の変身忍者感←
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第六節 仮定
黒い、広大な空間を、蒼いライトが照らしている。
その闇の閨に、二つの影が踊っていた。
黒い強化服と、緑の装甲が、グリーンの尾を引きながら駆け抜けてゆく。
それに対し、赤と緑の斑模様が、上下左右に変則的な動きを繰り返した。
銀の蛇がしなり、アマゾンライダーの咽喉元を狙う。
アマゾンは、ガイストが繰り出した右手のアポロ・フルーレの刺突を、身体を反らして躱し、そのまま脹脛から突き出したヒレカッターが、ガイストに向かって駆け上がってゆく。
緑色のガードランの正中線に沿って、ヒレカッターが縦の擦り傷を付けた。
「くっ」
ガイストライダーは呻きながら、左手に持ったアポロ・ショットを、一瞬、背中を向けたアマゾンに突き付けた。
アマゾンは、空中で逆立ちしたまま身体を横に回転させ、銃弾をやり過ごす。
着地したアマゾンは再び回転しながら跳躍し、ガイストの頭部に蹴りを打ち込んで来た。
ガイストは、身体を深く沈めて、蹴りを避ける。
身体を持ち上げてゆくと共に、アマゾンの脚の付け根に向けて、フルーレの切っ先を走らせた。
その切っ先と同じ軌道で、アマゾンが天井に逃げてゆく。
アマゾンは、ベルト・コンドラーから取り外したロープを天井に投げて突き刺し、それを伝って、ガイストの頭上へと逃げてゆくのである。
アポロ・ショットを向けるガイストであったが、アマゾンはロープから跳び、ガイストに跳び掛かって来た。
空中では身動きが取れない――そのようなガイストの意に反して、アマゾンは背びれを激しく動かして、空中で動体制御を行なう。
そうしてそのまま、ガイストの上半身に組み付いた。
アマゾンの両脚が、ガイストの両脇に差し込まれ、うなじでクラッチされる。
鉄の強化服を纏っていなければ、脚のヒレカッターで咽喉を貫通されていた。
しかし、アマゾンの脚の鱗が、ガイストの強化服にぎっちりと喰い込んで来る。
しかも、ガイストは両腕の動きを制限されているのだ。
「けけーっ!」
アマゾンは怪鳥の叫びを迸らせ、Gマスクの後頭部に爪を叩き付け始めた。
鋭利な生体刃が仮面を削り、打ち込まれる衝撃が脳を揺らす。
ガイストは、振動に晒されながらも、どうにかアマゾンの腰で両手を結び、後方に向かって反り返りながら、跳んだ。
そのままであれば、アマゾンは、顔面から床に落ちる事になる。
アマゾンはガイストの腕の中で身体を捻り、クラッチを解かせた。
回転しながら跳んでゆく。
ガイストだけが、受け身を取りながら、その場に仰向けになった。
着地したその次の一歩で、アマゾンは仰臥位のガイストに迫る。
ガイストは両脚を腹の方に畳み、アマゾンのボディを蹴り上げた。
アマゾンの身体がふわりと舞うが、ストライクの瞬間に腹筋を締め上げた為、衝撃が皮膚と脂肪の部分で分散した。
立ち上がったガイストライダーは、剣と銃を放り投げた。
徒手で、アマゾンに立ち向かってゆく。
ローキック。
跳んで、躱した。
左の拳で、空中のアマゾンを狙う。
アマゾンは右足でガイストのパンチを蹴り上げ、左で蹴り込んで来た。
その左脚を右肩に担ぎ、ガイストはアマゾンを投げ飛ばす。
アマゾンは身体を丸めた。
頭を腹の方に丸め、僧帽筋から落下してゆく。
この際に、獲られた左脚を、折り畳んでいた。
ガイストの右肩の付け根に、アマゾンの膝が押し当てられており、落下の衝撃が、アマゾンの身体を通して、ガイストに伝わった。
肩の装甲にひびが入り、内側でも、肩の関節が悲鳴を上げた。
鉄の骨格が歪んで、痛覚の通った人工筋肉に、鋭い熱が走るのだ。
じくじくと、まるで獣の牙を喰い込まされているような痛みが、ガイストの肩にはある。
肩を手で押さえて膝を着くガイストと、地面をごろりと転がって敵に向き直るアマゾン。
「怖いな、野生ってのは……」
ガイストが呟いた。
そういう裏技が、ないではない。
タックルで押し倒される時、どうしても自分の身体に密着している相手の頭に、拳を当てて、肘から落下してその衝撃を相手の頭に伝える。
試合では使う事の出来ない、危険な技である。
これは、命を懸けた殺し合いだ。
だから、ガイストは、そのチャンスが来れば、使う事が出来る。
アマゾンを“怖い”と評したのは、恐らくはそうした武術を専門的に学んではいない筈の彼が、戦う中で本能的に技術を行使した事である。
アマゾン本来のファイト・スタイルは、獣のように、相手の肉体を破壊するものだ。
コンドルのように跳躍し、猿のように跳び掛かって爪で切り裂き、ジャガーのように牙で咬み付き、ヒレカッターで敵を切断する。
人間の枠に囚われない、ワイルドな戦い方をする。
そうした相手は、ガイストのように武道を――戦いの理論を学んだ者にとっては、非常にやり難い。
武術とは、人を殺す理論である。
素手であっても、刀を持っても、銃を担いでも、それは変わらない。
相手が“このように”攻めて来たら、“こうして”反撃する。
自分が“こうやって”動けば、相手は“こうする”ので、“こう”返す。
そうしたロジカルなものが、武術だ。
所が――
このアマゾンには、そのようなロジックが通用しない。
アマゾンは、人間社会からは大きく外れた環境の中で生きて来た。
そうであるから、武術家であれば絶対にやるような事をアマゾンはやらないし、決してやらないような事をアマゾンはやれる。
本能に根差した戦い方である。
埋め込まれたトカゲの遺伝子の影響か、アマゾンは獣の戦い方をする。
ヒトとは違うロジックを持っている。
それと同時に、人間としての側面も、アマゾンは保持していた。
だから、獣のように本能的に、人間に対して有効な攻撃を繰り出せる。
獣として獣を喰らい、ヒトとしてヒトを殺し、獣のようにヒトを殺し、ヒトのように獣を喰らう事も出来る。
それは、アマゾンという男が、獣でもあり、人間でもあるからだ。
戦う獣神――
仮面ライダーアマゾンは、最も神に近い人間であると言える。
だが、ガイストは、人間である。
獣を殺すにも、ヒトを殺すにも、人間としてしか殺し得ない。
人間と獣を自在に使いこなすアマゾンとは、戦い方の幅が、大きく違っていた。
「良かろう……」
ガイストは、肩の動きを確かめた。
痛みはあるが、動かせないという事はない。
「本番は、ここからなのだ……」
ビールから、始まった。
克己と向かい合った黒井は、滅多に頼まない生ビールで、ガラナと乾杯した。
最初の一口で、ジョッキの半分程まで、呑み込んだ。
ちびちびと、克己がグラスからガラナを啜る。
克己は酒を飲まない。
強化改造人間である彼らには、アルコールを直ちに分解する機能がある為、人間のように酔っ払うという事は、気分の上でしか出来ない。
黒井や、飲兵衛のガイストは兎も角、泥酔した振りをする事に、克己は意味を見出せないらしい。
酒を飲む合理的な理由がないと、克己は言うのである。
ガイストは、黒井たちをちょくちょく飲みに誘った。
彼が言うには、
“酒は良いぞ”
“酒は人を明るくする”
“円滑な関係を築く為には、酒が不可欠だ”
“良いか、お前ら。お前らが人を世話する立場になったら、必ず誘え”
“いや、世話される立場でもそうだ”
“別に酒である必要はないがな、酒が入って若干でも明るくなれば、そう関係は崩れん”
と、いう事であった。
彼自身、酒に拘る必要はないと言っているが、酒は、独りで飲むよりかは、何人かでやった方が良いという事は、譲らなかった。
黒井も、酒を飲むには飲む。
洒落たワインなどを好んだ。
殊更にワインが好きと言うのではなく、カー・レーサーという“ヒーロー”の自分を演出するのに、ワインを飲む事が必要であると思ったので、人前で入れるアルコールは、いつもワインだった。
葡萄酒が好きだとか、人間関係を円滑にする為のアルコールであるとかいう理由よりは、自分の中にある黒々とした狂気を隠す、ペルソナとしての意味合いが大きかった。
それが、癖になっている。
その癖が、ガイストに誘われ、マヤや克己と一緒に飲むようになっても、抜けない。
だが、今、黒井はビールを飲んでいる。
咽喉を、苦みを孕みながらも爽やかに駆け降りる黄金を、腹の中に落としている。
ヒーロー・黒井響一郎ではなく、黒井響一郎という個人として酒を飲み、克己と向き合っているのであった。
克己は、そんな黒井に対して、やはり酒は飲まない。
ガイストは時々そんな克己に不満を漏らすが、黒井は好意的に解釈している。
ガイストは、“円滑な関係”の為に、酒は必要であると言った。
若し、克己が敢えて自分たちの前で酒を飲まないのならば、それは、自分たちの間には、アルコールという潤滑剤を差さねばならないような摩擦はない……気の置けない仲間であるという風に認識してくれているという事ではないか、と、黒井は思っているのだ。
「……こうして」
黒井が、口火を切った。
「二人で話すのは、初めてだな」
「ああ」
克己が、無表情に頷いた。
黒井は、次の言葉を失ってしまう。
克己のレスポンスを期待していた訳ではないが、色々と話したい事が多く、纏まりが付いていない。
皿の上の料理が、少しずつなくなってゆく程度の沈黙を挟んで、黒井が再び口を開く。
「以前は、ありがとう」
「以前……?」
克己が怪訝そうな顔をした。
黒井は、話題を間違えたかと思いながら、そのまま、話を続ける。
「あの時、俺を止めてくれた」
「あの時?」
「ゲルショッカーが壊滅した時さ」
ゲルショッカーは、ショッカーに次ぐ第二の組織である。
二種類の動物を掛け合わせた、合成改造人間を尖兵に、仮面ライダーと戦った。
一九七三年三月、ロシア革命にも参加した将校であり、最高幹部であったブラック将軍が斃され、浜名湖地下のゲルショッカー本部に、ダブルライダーが潜入した。
そこで、大首領は本郷と一文字を巻き込んで、基地ごと自爆しようとしたのである。
基地は吹っ飛んだが、仮面ライダーたちは無事に脱出した。
その約一年前にマヤに見出されていた黒井は、死神博士による強化改造人間手術を受け、更にゲルショッカーが造り出した六体のショッカーライダーのデータを得て、強化改造人間第三号として、ゲルショッカー本部に眠っていた。
基地の壊滅直前に覚醒した黒井は、用意されていたトライサイクロンで脱出し、本郷と一文字のダブルライダーと戦うべく、待ち構えていた。
爆炎の中から飛び出して来るライダーたちを追撃せんとしたトライサイクロンを、しかし、別の強化改造人間が止めた。
強化改造人間第四号――同じく死神博士の改造手術で生まれ変わった、松本克己であった。
「あの時、君が止めてくれなければ、俺は敗けていたかもしれないな……」
黒井が言った。
黒井が、改造手術を受けながらも眠り続けていたのは、彼の覚醒よりも先に死神博士が死に、遂にはショッカーまでも潰えてしまったからだ。
ショッカーの改造手術の多くを担っていた死神博士を失った事で、強化改造人間を万全な状態で覚醒させる事は難しくなってしまった。
そうして、黒井の身柄はゲルショッカーに移され、新たな改造人間さえも相手取る本郷と一文字にぶつける事が、躊躇われた。
そこでショッカーライダーを使ってダブルライダーのデータを収集し、それに基づいて第三号に強化手術を施したのだ。
だが、ぎりぎりまで眠り続けていた黒井が、再生改造人間やヒルカメレオン――ブラック将軍の改造人間態――と戦って疲弊しているとは言え、唯二人で無数の改造人間たちに勝利して来た経験を持つダブルライダーと、どの程度戦えるだろうか。
最新型が必ずしも勝つ訳ではない事は、本郷が独りであった頃、五人の第二期強化改造人間たちを制圧し掛けた事で、判明している。
本郷と一文字が蓄えて来た経験値を、果たしてスペック差だけで覆し得るのか。
或いは、第三号・黒井が勝つという場合もあるかもしれなかった。
だが、同じ確率で、第一・二号が三号を倒してしまう可能性も、あったのだ。
「だから、ありがとう」
その危ういギャンブルに挑もうとした黒井を、寸での所で止めた克己に、黒井は言った。
「命令だったからな」
克己の答えは素っ気ない。
「命令?」
「マヤの、だ」
「――」
「来るべき時まで、お前を死なせてはならないからな」
「来るべき時というのは……」
「裏切り者の
仮面ライダーの事である。
緑川博士の背反から、ショッカーの敵に回った本郷猛。
彼独りであったのが、本来はライダー・キラーであった一文字隼人が二号になった。
更にV3。
ライダーマン。
Xライダー。
アマゾン。
ストロンガー。
スカイライダー。
スーパー1。
気付けば、たった一人の反逆者は、九人の軍団となっていた。
「マヤ、か……」
黒井が呟く。
「妙な女だな、彼女は」
仮面ライダーに対して浅からぬ理解を持ちつつ、仮面ライダーが生まれ出る条件をそのままに、何度も同じ過ちを繰り返させた。
脳改造――
ショッカーに従う機械ではなく、人間と機械の間に立つ事で生まれる、希望と絶望の二重螺旋こそが、改造人間が仮面ライダーとなり得るものである。
一文字は、脳改造手術前に脱走させられたので置いておくにしても、自ら望んで手術を受けようとした城茂や、志度博士の懇願からであるとは言え生命を助ける為に改造した筑波洋などは、先に脳改造を済ませてしまえば良かったのだ。
それに……
「俺も、向こうに付いていたかもしれないからな」
「――何?」
克己が眉を顰めた。
「俺だって、何かの間違いで、彼らと同じように仮面ライダーを名乗っていたかもしれないって事さ。それこそ、V3を差し置いて、称号のナンバリングとして、三号になっていたかもな」
「――」
「それは、お前だって同じ筈だ」
「俺も?」
「若し、奈央と光弘を奪ったのが、ショッカーだったのなら、さ」
「――」
「あ……済まない、克己。別にショッカーを悪く言う心算はないんだ。唯、色々と考えてしまってね」
「へぇ……」
「歴史に“若しも”があり得ない事は分かっている。けれど、くどいかもしれないが、若しもが“若しも”あったのならと、最近、思うようになったんだ」
あの時、ああしていなければ。
あの時、あれをやれていれば。
黒井の価値観を変えたのは、敗戦だ。
若しも、日本が勝っていれば。
若しも、敗戦を他の者たちと同様に受け入れてしまっていれば。
若しも、レーサーになっていなければ。
若しも、勝利に拘らない人間であれば。
若しも、奈央と出会っていなければ。
そうした無数の仮定の中で、それでも黒井響一郎が強化改造人間になっていたのなら――
若しかしたら、黒井の隣には、本郷や一文字がいたのかもしれない。
「……後悔しているのか」
克己が訊いた。
「後悔?」
「ショッカーに与した事……」
「まさか。俺は、俺の選択に後悔など感じていないよ。少なくとも、克己、君のような仲間が出来た事を、俺は、間違いだったなんて思わないさ」
唇の片端と一緒に、同じ方の肩を持ち上げた。
「そうか」
と、呟く克己は、いつもと同じく表情がない。
それでも、少しだけ首肯の身振りが大き目だった事で、安堵している様子が分かった。
「そうだ、克己。君の話を聞きたいな」
「俺?」
「考えてみれば、君の事を、俺は余り知らないからな」
「――」
黒井に言われて、克己は少し黙った。
自分こそが最も強い人間であろうとしていた黒井が、他者にこうして興味を持ち、問い掛ける事など、今までなかった。
振り絞った勇気の量を感じたか、或いは他の何かが原因であったのか。
「分かった」
と、克己は言った。
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第七節 虚空
ガイストは、スタンダードに構え、アマゾンに立ち向かってゆく。
ローキックで牽制し、ジャブで距離を測り、ストレートを打ち込む。
綺麗な蹴りだった。
素早い拳だった。
見事な突きであった。
恐らく、これが、空手の試合場や、キック・ボクシングのリングの上であれば、その余りの呆気なさに、しじまかブーイングの嵐さえ起こりかねない。
鉄の脛で太腿を蹴り込まれれば大腿骨が折れ、鉄拳はジャブでさえも骨を砕き、ストレートは頭蓋骨の反対側から脳しょうをぶち撒けるであろう。
そのような事態になっても、恐らく、ガイストの動きは、感歎すべき美麗さを誇る。
円だ。
蹴り、ジャブ、ストレートという、たった三つの動作が、円のように連続しているのだ。
円と言うよりは、螺旋である。
終わる事なく続く渦巻きの軌道をなぞって、ガイストは、攻撃を繰り出しているのであった。
完璧なコンビネーションだ。
螺旋――円であるからだ。
完璧な螺旋は美しい。
ガイストの戦いは、美しかった。
但し、相手がこのアマゾンライダーでなければの話だ。
武道には、型がある。
或る一定の動作に対し、定められた動作で反撃する事もそうだ。
ローキックならば、膝を曲げて、脛で受ける。
ストレート・パンチは、ウィービングやダッキングで躱す。
無条件で定められているのではない。
飽くまでも型であって、形ではない。
実用性という土台があって初めて、形は、型となる。
アマゾンは、それがない。
かと言って、型無しという訳では、なかった。
アマゾンは、戦いに於ける実用性を、十二分に備えている。
その上で、人間たちが勝手に定めて来た型を――知らないという事はあっても――、アマゾンは破ってしまう。
型があるからこそ、型破りなのだ。
アマゾンは、定石ではない、自らの本能の赴くままに、繰り出される攻撃を躱していた。
下段への蹴りに対して、大袈裟に飛んで回避する。
脱力して繰り出されるフラッシュのようなパンチを、敢えて躱そうとする。
真っ直ぐな突きをスウェーで避けようとして、躱し切れないとなるとバック転で距離を取る。
少しでも武術を学んだ人間ならば、不合理と切り捨ててしまうような事を、アマゾンはやれたし、その不合理を覆す程の反撃を、アマゾンはする。
その動きが、これ亦、美しい。
躍動する筋肉。
しなやかな関節。
鳥が青空を旋回するように、アマゾンの動きも、円であった。
一見すると無駄に見える動作の中には、その実、無駄なものなど何一つない。
本能の美しさだ。
ガイストの格闘を、ミケランジェロやダ・ヴィンチ、ラファエロなどの美術品と例えるならば、アマゾンの戦闘は、空と海と大地が育んだ大自然そのものであった。
理性の美しさと、本能の美しさ――二つの完璧なる円が真っ向からぶつかり合い、絡み合い、途切れる事のない、無限の二重螺旋を描き出しているのである。
ガイストのパンチを、アマゾンが上空に跳んで躱した。
振り抜いた拳を引き戻す僅かな間隙、頭上という死角から、野生の爪が襲い掛かる。
ガイストは、身体を倒し、アマゾンを地上に引きずり込もうとした。
アマゾンの爪が空を切った時、ガイストはアマゾンの右腕を左手で掴んで引き寄せ、アマゾンの頸の外側から右腕を回し、相手を腰に乗せた。
「――せぃっ」
ガイストの腰が跳ね、アマゾンを投げ飛ばす。
落ちる直前、アマゾンは蹴りを放ち、落下のダメージを軽減した。
ガイストがアマゾンから距離を取り、又、ローキックで攻めて来た。
その次は、ジャブだ。
アマゾンがどんな避け方をしても、ガイストは下段蹴りの次はジャブで間合いを測る。
アマゾンの眼は、すっかり、ガイストのジャブの速度に慣れていた。
ガイストが繰り出すジャブの軌跡が、アマゾンの赤い瞳の奥に予想された。
四度、ガイストは拳で連打した。
その四発の拳の、微妙に異なる打撃点を見切り、四回の引手に合わせて、アマゾンはガイストとの距離を殺した。
膝の間合いまで、入り込まれていた。
アマゾンは、ガイストの右ストレートが伸びる前に、引手である左手の死角に右腕を隠し、至近距離からの大切断でガイストに重傷を負わせようとした。
全神経を集中したヒレカッターによる一閃は、ガイストの左腕か、又は、その左脇から右肩までを切り落とすであろう。
だが、ガイストの左肘が、アマゾンの右腕を抑え、その動作の為に切られた腰が、右のストレートをアマゾンの左頬にぶち当てていた。
「がぅっ……⁉」
顔の鱗が剥がれ、牙が何本か折れた。
アマゾンは眼を細めながら、パンチのダメージから後退する。
腰の入った見事なパンチが、アマゾンを打撃した。
アマゾンの意識の外から、いきなりパンチが現れたのであった。
ガイストが、一瞬だけ唖然としたアマゾンに、殺気を叩き付ける。
バック・ステップで逃げようとしたアマゾンの右腕を、ガイストの左腕が掴んだ。
右腕がアマゾンの頸に伸びて来る。
アマゾンは、身体を縮め、落とされると同時に蹴りを放とうと
だが、ガイストはアマゾンの
アマゾンの頭を脇に挟み、右手首を左手で握る。
鉄の装甲に、アマゾンの頭蓋骨が圧迫される。
「がぅっ、がああぅっ!」
アマゾンが、めりめりと音を立てる頭蓋骨の痛みに悶えた。
獣人となり、瞼を失くしたアマゾンは、眼球を冷たい金属で直に押し込まれている事になる。
「知ってるかい、ターザン」
ガイストが囁いた。
「神さまって奴は、人間がお勉強をする事が嫌いらしいぜ」
アマゾンの爪が、強化服や装甲を掻く。
が、傷が付きこそすれ、内部にまでは届かない。
ガイストは腰を振り、アマゾンを解放しながら、投げた。
床に落下するアマゾンは、体勢を立て直すが、頭部の鱗がぽろぽろと剥げ、金属に擦られて出血を起こしていた。
そのアマゾンに、ガイストが蹴りにゆく。
ローキック。
ジャブ。
ストレート。
距離を置くアマゾンに、ガイストは、再び蹴り付ける。
ロー。
ジャブ。
ストレート。
アマゾンはガイストを飛び越えて、背後から切り付けて来た。
その右腕を取り、腰に乗せて、投げる。
ガイストも蹴られたが、アマゾンは、余りにも簡単に投げられた事に、驚いている。
ガイストが、アマゾンを蹴った。
ローキック。
太腿に、ぺちんと、鉄の脛当てが触れた。
アマゾンが、全く痛みを感じない蹴りに、ぽかんとなる。
「ぼーっとすんな」
ぽん、と、ガイストの左の拳が、アマゾンの顔の真ん中を叩いた。
やはり、痛みなどない。
「ほら、後三発」
ジャブと言うには余りに遅く、普通のパンチにしては威力がない。
それを、アマゾンは、躱した。
二発目。
三発目。
次で、ジャブは終わりだ。
ストレートが来る。
引手に合わせて前進し、右のヒレカッターでがら空きの左脇腹を……
アマゾンの左頬を、横殴りに、ガイストの掌底が襲った。
アマゾンが横に吹っ飛んでゆく。
ガイストはそれを追い、右腕を掴んだ。
投げ⁉
アマゾンの予想に反して、ガイストはヘッド・ロックを仕掛けて来た。
又、みきみきと、骨がひしゃげ掛ける。
ガイストが腰を動かそうとした。
今度こそ、投げる気だ。
その力に逆らわず、しかし、逆にガイストを投げようと、アマゾンはプランニングした。
成功すれば、バック・ドロップのような形になる。
ガイストがアマゾンの身体を右側に振り出す。
その腰の回転に合わせて、アマゾンは抱いたガイストの腰を持ち上げ、後方に――
と、その前にガイストはアマゾンの脚を、自分の脚で引っ掻けて、バランスを崩させた。
川津掛け――
倒れ込もうとする二人。
ガイストは更に、アマゾンの頸を固定したまま、掌底を彼の顔面に当てた。
アマゾンは、硬い床と、ガイストの装甲の重みに、サンドウィッチされた。
「かふっ……」
掠れた声が、牙の間から漏れる。
「ここまで、台本通り……」
ガイストが言った。
アマゾンから離れて、立ち上がるよう促した。
「大罪人だな、俺は」
ガイストが、腕を組んだ。
アマゾンが立ち上がり、ガイストの周囲を飛び跳ねて、隙を伺い始める。
残像が生じる程の速度で、アマゾンは、ガイストの周りだけではなく、頭上までも飛び交い始め、無形の檻に、ガイストライダーを閉じ込めた。
しかしガイストは、
「捕まったのは、お前さんの方だぜ」
と、言った。
アマゾンが、後方から飛び掛かる。
ガイストの裏拳が、アマゾンの顔を叩いた。
弾き落される。
床に倒れ、起き上がろうとしたアマゾンの顔を、ガイストがローキックの軌道で蹴った。
サッカー・ボール・キック。
アマゾンの頸の靭帯が、ぶちぶちと音を立てた。
当たった場所は違ったが、今のは、ローキックだ。
ならば次は、ジャブが来る……
ガイストは、しかし、左手でアマゾンの右腕を握った。
ああ、今度はこっちか。
彼が右腕を掴んで来たら、次は頸に手を伸ばして、投げるか、絞めるか……
ガイストはアマゾンの右腕に脚を絡め、ベルトを起点に肘を極めて、腕を折った。
鱗の隙間から、肉の絡んだ骨が覗いた。
腕拉ぎだ。
これは、今までになかったパターンだ。
パターン化されていない事なら、アマゾンも、対応出来る。
いや、対応出来ないから、対応出来ないなりに、対抗する。
アマゾンの顔の前には、ガイストの脚が伸びていた。
膝の裏が、顎のすぐ前にある。
関節は、他の部分と比べて動きが多い為、狙われれば壊れ易い。
咬み付きにゆく。
所が、ガイストの膝はアマゾンから離れ、靴底を、アマゾンに向けた。
横手から、蹴り込まれた。
顔が反対側を向く。
顔を戻すと、又、蹴られた。
顔を戻すと、又、蹴られた。
顔を戻そうとしたが、蹴られる事が分かったので、蹴って来る足をどうにかしなくてはならない。
ならば、戻された顔を蹴ろうとするガイストの脚を、逆に攻撃してやれば良い。
アマゾンは左腕を胸の前にやり、顔を蹴りに来る足をガードしながら、顔を戻した。
ガイストの左足を、アマゾンの左腕が受ける。
アマゾンは、左半身を持ち上げ、ガイストの左脚を制しながら、右腕を引き抜こうとした。
だが、ガイストは払われた左脚をアマゾンの頸に掛け、アマゾンの右腕と一緒に、彼の頭部を中心とした三角形を作らせた。
変形の三角絞めが、アマゾンの頸動脈を圧し、呼吸を妨げた。
体内に酸素ボンベの類を持たないアマゾンは、脳に充分な酸素を送れず、意識を闇の中に放り投げてしまった。
変身の一因でもあるアドレナリンが、ブラック・アウトと共に霧散し、鱗が落ち、アマゾンの素顔が剥き出した。
戦闘形態は解いても、変形した骨格はすぐには戻らず、自らの鱗の為に流れた血を纏った半獣半人――ギギの腕輪を付けているにも拘らず、プレ・アマゾンの姿になってしまった。
ガイストは、アマゾンが動かなくなったのを確認し、技を解いた。
パーフェクターとグリーン・アイザーも外し、素面になる。
仮面の内側で擦れた皮膚が出血し、痣を作っていた。
舌を口の中で転がすと、折れた歯が音を鳴らす。
手に、歯と、唾と、血を吐き出すと、煙草を取り出した。
指先に灯した炎で火を点けて、一服した。
松本克己――
父親は、不明。
母親は、その男に犯されて、克己を孕んだ。
自分を強姦した男を殺害し、人殺しとして見られるようになった母は、遠縁を頼った。
そこで、馬車馬のように働かされた。
馬小屋の世話をさせられ、母は、克己を馬小屋で生んだ。
克己は、母が殺して喰らった仔馬の血を啜り、生き延びた。
暫くはその家で、やはり母と同じように雑用を命じられたが、物心付いて少し経つと、その家から金品を奪って、逃げ出した。
町では、悪がきたちを集めて、散々、悪い事をした。
強盗。
火付け。
克己少年の悪行は、仲間による密告で捕縛されるまで続いた。
克己の身柄を引き取ったのは、松本
琉球出身の男である。
講道館が台頭して来た頃、琉球武術である唐手の強さを示す為、何人もの柔道家に野試合を挑み、その悉くに、勝利した。
唯一人、慶朝には勝てなかった男がいた。
前田光世――
彼に敗れた慶朝は、最早、自分には最強の座を目指す資格はないと判断し、自分の武道をどのように活用するかを思案した。
その案の一つに、青少年の育成というものがあった。
時代が大正に変わり、琉球から、船越義珍が本土にやって来て、唐手を披露した事がきっかけである。
琉球武術であった
それが、少年少女の精神修養の為の科目となったのが、空手道であった。
慶朝は、自分が修めた唐手や、自分を倒した柔道など、様々な武道・格闘技を研究し、それらによるメソッドが完成した頃、克己と出会ったのだ。
当初は慶朝を毛嫌いしていた克己であったが、次第に、彼に対する親愛の情と、他の人間たちが見放した自分を、武道で以て救ってくれた彼に、強くなる事で恩を返したいという思いを抱くようになった。
克己は、他の様々な武道・格闘技を学ぶようになった。
そうして時代は、戦争へと突き進んでゆく。
慶朝は、その頃、結核を発症し、真珠湾攻撃の年、病床に臥せる事となった。
今わの際、克己は慶朝から、前田光世との因縁を語られたのであった。
師父を失った克己は、軍に於いて、若くして武術指導役を務める事になった。
黒井やガイストと比べると、頭の位置が低い克己であるが、当時からすれば高身長であった為、上官や年下の兵士たちからは妬まれる事もあった。
それから、東京大空襲。
克己は、隅田川に溢れ返った遺体の片付けに、臨時で駆り出された。
特攻隊に志願したのは、その直後の事だ。
日本を離れ、異国の特攻基地に赴いた。
そこで、克己は敗戦の報を受ける事になる。
日本が、敗けた。
克己は不思議と、どのような感慨も受けなかった。
子供の頃の悪行も、少年時代の修行も、軍人となってからの全ても、克己の心の虚ろを満たすには至らなかったのだ。
敗北による終戦を知った兵士たちは、故郷へ帰れる喜びと、故国に塗られた泥への哀しみを入り混じらせていた。
そんな折、一機の飛行機が、突如として飛び立っていった。
部隊長であった。
日本の勝利を信じて疑わず、自身の生命を擲ってでも敵国を討たんと、宣言していた。
その隊長が、唯一人、帰投燃料を積まずに、米軍の戦艦に突っ込んでゆく。
隊長の飛行機は、敵艦に届く前に撃ち落され、海へと沈んだ。
何故――
何故、あんな、自殺のような事をしたのか。
特攻ですらない、単なる、生命の無駄打ち……
克己には分からなかった。
分からない克己は、分からないままに日本に戻り、そこで、ショッカーからの接触を受けた。
ドイツから、首領が招聘したイワン=タワノビッチを迎えに行った。
そして浜名湖地下のショッカー基地にゆき、空虚な自分を満たすべく、ショッカーの一員となったのである。
淡々と、克己は、自らの来歴を語った。
その間に、何枚も皿が入れ替わっている。
黒井は、
「そうか……」
と、今まで知らなかった克己の過去を聴き、その壮絶な人生に、言葉を失っていた。
それで良い……
克己はそういう顔をした。
脳改造手術を受けているとは言え、克己の記憶が全て失われている訳ではない。
克己の記憶は、脳の奥に封印されているだけである。
その記憶と絡み付いた“克己”の感情を俯瞰してみると、恐らく“克己”は、そのように思うであろうと、克己は感じた。
他者の過去に、大きく踏み込む必要などない。
語られた者は、それを、心の中で静かに転がし、嚥下した事を言葉少なに告げれば良い。
「俺のような人間を……」
克己は言った。
言いながら、克己は、妙な違和感を覚えていた。
「これ以上、生み出さない為に、ショッカーはある」
どうして、いきなり、こんな事を話し始めたのか。
分かり切っている事を、どうして、今、黒井に告げようとしているのか。
「君のような人間を?」
黒井が訊いた。
「空っぽという事さ」
「空っぽ⁉」
「俺には何もない。唯苦しんで、唯傷付くだけの……」
「――」
「そんな人間を救う事が出来るのは、ショッカーだからな」
「克己……」
「俺には、何も、ない……」
何もない?
克己は、自分の言葉に首を傾げた。
何もない人間が、どうして、過去などを語ったのだ。
どうして、語った自分の過去への反応を、分かる事が出来たのだ。
「そんな事を言うな」
克己は、顔を上げた。
いつの間にか、視線が下に行っていた。
眼の前に、真剣に自分を見つめる黒井の顔があった。
「お前には、俺たちがいる」
「お前たち?」
克己はそう言った。
黒井が言った“俺たち”を、黒井たちの事であると訳して、訊き返した。
「そうだ。お前には、その……」
「――」
「俺たちが……仲間がいるじゃないか」
「なかま」
「だから、お前は、空っぽなんかじゃないさ」
「――」
その言葉を、じっくりと呑み込もうとした克己であったが、彼の思いを遮るように、脳波通信が入った。
黒井も、同じ電波を受信している筈だ。
ガイストを介して、マヤから届いて来るものであった。
――二人とも、すぐに基地に戻りなさい。
それぞれ了承して、席を立った。
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第八節 始動
基地に戻った黒井と克己を待っていたのは、顔に痣を作ったガイストと、彼らを呼び戻したマヤ、そして、鎖で拘束された山本大介であった。
直接会った事はないが、資料で見る、アマゾンライダーの顔であった。
「これは、どういう事だ?」
黒井が訊いた。
ピラミッド――マヤから聞かされていた、基地の一部が地表に出ていた事もそうだが、アマゾンを基地内で捕らえているという事も、黒井を困惑させた。
「この近くに、調査隊が来ていたらしくてね、彼らが、偶然、ピラミッドを露出させてしまったのよ」
マヤが言った。
侵入者を自動で排除する装置が、このピラミッド部分には組み込まれているが、調査隊たちが基地の頭上を通った事で何らかの誤作動を起こし、表出してしまったらしい。
しかも、肝心の侵入者であるアマゾンに対しては、装置が働かなかった。
その為、この基地の中核を見てしまったアマゾンと、ガイストは戦闘に入り、どうにか勝利して彼を拘束したという事であった。
「彼が初めで良かったわ」
と、マヤ。
現在、黒井たちライダー・キラーを除き、仮面ライダーは、九人だ。
しかし、その中で強化改造人間なのは、八名である。
第一号・本郷猛、彼を倒す為に造られた一文字隼人。
その二人に改造された風見志郎。
神啓太郎によって執刀された結城丈二と、神敬介。
ブラックサタンに自ら乗り込んで来た、城茂。
志度敬太郎が命を救う為に手術をした、筑波洋。
アメリカ宇宙開発局の惑星開発用改造人間、沖一也。
何れも、脳やその周辺の神経をオリジナルに留める事を重視し、他の部分は、人工の筋肉や臓器、特殊素材の骨格などに作り替えられている。
が、アマゾンだけは、違う。
アマゾンだけは、インカの末裔たちの長老バゴーが伝えられた、古代インカの生体改造技術で以て、身体を戦う獣神に作り替えられている。
彼の身体には、他の八名たちのような機械的な改造は、施されていないのである。
強化改造人間には、脳波を用いた通信機能が、使われている技術こそ違えど基本設定として組み込まれているが、アマゾンにはそれがない。
では、どうやってアマゾンが他の仮面ライダーたちと連絡を取り合っているかと言えば、原理自体は同じで、額の触覚で、彼らが発信する脳波を受けているのである。
脳波とは、電気信号である。
人体内部では、脳から発生した電流が、神経を伝う事で、あらゆる動作が為される。
改造人間同士では、その脳波を電波に変換し、互いに送受信を行なっていた。
が、アマゾンだけは、受信は出来ても、送信は出来ない。
アマゾンの触覚は、脳神経の一部が感覚器官として変形したものであり、空中の電波を受信する事が出来るだけだ。
実際、ネオショッカーの改造人間であるオオバクロンについての資料データを、筑波洋に対して通信ではなくファックスで送っている。
「そろそろ、良い頃合いだものね」
「頃合い?」
マヤに対して、黒井が訊き返す。
「貴方の復讐を、始めるのに、よ」
「――では」
マヤが頷いた。
「何れは、他のライダーたちも、彼が捕まった事に気付くわ。だったら、今が良い機会よ。彼らに、戦いを仕掛けましょう」
「おぅ……」
黒井が唸った。
今まで、長い間――妻子を失い、強化改造人間となってから、長らく制されていた復讐の時が、やって来ようとしているのだ。
胸の奥で、人工の心臓が脈打った。
全身を血液が巡り、皮膚がかっと熱くなる。
「ライダー狩りよ」
マヤが告げた。
「響一郎、克己、ガイスト――今、この地球上にいる仮面ライダーたちを捕らえ、ここに連れて来なさい」
一九七五年一二月、奇岩山。
そこに、八人の男たちが、集結していた。
仮面ライダー第一号。
同じく第二号。
同じくV3。
四号・ライダーマン。
Xライダー。
アマゾン。
仮面ライダー第七号・ストロンガー。
そして、立花藤兵衛。
ブラックサタン亡き後、ストロンガーを斃すべく、ジェネラルシャドウによって召喚されたデルザー軍団の改造魔人たちと戦う為に、世界各国から日本に舞い戻った戦士たちであった。
アラワシ師団長・鋼鉄参謀・ドクロ少佐・隊長ブランク・オオカミ長官・岩石男爵・ヘビ女らは、ストロンガーの機転で、或いは、超電子改造人間へとパワー・アップした彼の力で、倒されている。
ドクターケイトは、電波人間タックル・岬ユリ子の尊い犠牲により、その生命を終えた。
ジェネラルシャドウは、ストロンガーとの一騎打ちに敗れ、気高い死を迎えた。
シャドウからデルザーの指揮権を奪い、V3などの歴代ライダーたちを捕らえたマシーン大元帥と、彼が率いるヨロイ騎士、磁石団長も、ジェットコンドルを倒して帰国した第一・二号という伝説のダブルライダーの参戦で、敗退する。
デルザー軍団は、今までライダーたちが戦って来た組織とは違い、改造魔人一人一人が、最高幹部クラスの戦闘力を誇っていた。
その為、ショッカー・ゲルショッカー・デストロンに於ける大首領や、GOD機関の総司令である呪博士、ゲドンの十面鬼ゴルゴス、ガランダーのゼロ大帝などに相応する存在はない。
事実上、彼らを統率していたマシーン大元帥も斃れ、全ての戦いは終わったかに見えた。
しかし、彼らを長年サポートして来た藤兵衛が、奇岩山を指差して、言った。
「さっき、あの岩に、顔が……」
そう言われて、戦いを終えたばかりの七人ライダーたちが、この場所がそう呼ばれる所以である人面岩を見上げた。
すると、物言わぬ筈の巨岩がぎろりと赤い眼を剥き、口のように動いた。
「良くぞ、デルザー軍団を斃してくれたな、ライダー共」
雷鳴のように轟く声に、仮面ライダーたちは何れも覚えがあった。
それは、かつての組織を操って来た大首領の声であった。
デストロンまでは言うに及ばず、呪博士やゼロ大帝を御前立に、影から操って来たGOD総司令であり真の支配者のそれである。
「この私が直々に相手をしてやろう……」
そう言うと、巨大な岩山から、人面岩の部分がぐりぐりとせり出して来て、山そのものが形を変え始めた。
大きな地鳴りを引き起こしながら、山が崩れ、転がり落ちる岩々の中からは、大地そのものを具現化したかのような巨人が姿を現した。
岩石大首領――
ライダーたちは、藤兵衛を避難させると、岩石大首領が振り下ろす巨岩の腕を、それぞれ展開して回避した。
だが、岩石大首領が一歩踏み込むたびに、地面が大きく沈み、大量の粉塵を巻き上げる。
しかも、その岩の瞳からは光線を、巌の顎からは炎を吐き出し、仮面ライダーたちを虫けらの如く焼き払おうとするのである。
攻撃を放つが、どれも、岩の表面を削るだけであり、岩石大首領の動きを止めるには至らなかった。
三〇〇キロの超強化服を纏うストロンガーの打撃でさえ、通用しない。
例え超電子の技を用いても、どれだけの効果があろうか。
その巨体故に、岩石大首領の動きは決してスピーディなものではないが、大質量で振るわれるパンチや踏み付けは、掠めただけでも改造体を容易く引き千切ってしまう。
蒼空に伸び上がり、太陽を遮る巨神が落とす黒い影は、そのまま、戦士たちの心にも覆い被さって来るのであった。
「慌てるな、皆!」
Xライダー・神敬介が言った。
「俺は以前、キングダークという敵と戦った」
キングダークとは、アポロガイストが指揮していた神話改造人間軍団が滅びた後に出現した、悪人改造人間軍団を率いていた大幹部である。
その実態は、呪博士を搭載した巨大なロボットであった。
普段は基地の奥深くで横たわっているが、配下の改造人間たちが全て斃れた時、遂にその巨体を動かして、直接、Xライダーに戦いを挑んだ。
無限のエネルギーを供給するRS装置を持たない為、長時間、自ら戦う事が出来ないキングダークであったが、移動式の大要塞は、Xライダー唯一人を追い詰めるには充分であった。
Xライダーは、外側に対する攻撃が通用しないと知った時、その内部に突入し、内側から破壊する事を決意する。
そしてそこで、父・啓太郎の友人であったという呪博士と対面した。
敬介は呪博士をライドル・ホイップで刺し殺し、呪博士と直結していたキングダークを爆発させる事に成功したのである――
「つまり、奴の腹の中に飛び込もうって訳だ」
一文字ライダーが言った。
「だが、どうやって?」
ライダーマン・結城丈二が訊く。
火炎を吐く為に口が開く僅か一瞬の隙に、あの顎の中に身を投じようとでも言うのか。
無謀であった。
そこまでの跳躍を、岩石大首領が許す筈がないのだ。
そして恐らくは、岩石大首領も、Xライダーがキングダークを斃した方法を、知っている。
「そうだ、茂――」
V3・風見志郎が、ストロンガーを見やった。
「何です、先輩」
「お前のストロング・ゼクターには、確か、ジョウントという機能があったな」
ジョウントとは、一種のテレポートのようなものである。
次元の壁を飛び越えて、或る地点から別のポイントまで、瞬時に移動出来る。
ストロンガーの超強化服を運搬する役割を持ち、それそのものであるストロング・ゼクターは、茂の脳波を受けてジョウントを行ない、城茂の、電気人間ストロンガーへの変身の意思に応えるのである。
「だが、ジョウントは、俺の知っている場所にしか飛ぶ事が出来ない」
茂は言った。
茂が元から備えていた――ブラックサタンの改造人間手術を受けるに当たってのテストをクリアした――、ちょっとした超能力によって、ストロング・ゼクターのジョウント機能は発揮される。
が、茂の脳波と同調する事で、瞬く間に彼の許へ飛来する事が出来るのであり、茂が知らない場所へ、彼と共に移動する事は、出来なかった。
つまり、茂が訪れた事のない、岩石大首領の内部には、飛ぶ事が出来ない。
「では……」
結城が、歯を噛みながら、言った。
「誰かが囮になって口を開けさせ、その隙に侵入するか⁉」
「――」
「だったら、一度は死んだこの命を使わせて貰おう」
「結城⁉」
結城丈二は、元デストロンの科学者である。
ヨロイ元帥によって裏切り者の汚名を着せられ、処刑されそうになった所、辛くも右腕を奪われただけで済み、彼への復讐の鬼となった。
その結城が憎んでいたのは、飽くまでヨロイ元帥個人であって、デストロン大首領は、貧民層出身の結城に学問の道を開いてくれた恩人であった。
その事から、デストロンと戦う風見を妨害した事も、ある。
しかし、デストロンそのものが、人類を支配するという目的で動いていた事を知って、東京を壊滅させようとしたプルトン・ロケットの発射を阻止せんと、命を懸けた。
自らそのロケットに乗り込み、爆発の被害の及ばない太平洋の遥か上空で、起爆させた。
ミサイルの破片と共に海に落下し、神啓太郎の意識を移していた神ステーションに回収され、カイゾーグのプロト・タイプとして延命治療を受けなければ、彼は死んでいたのである。
「それならば、俺が!」
敬介が声を上げた。
自分が提案した作戦であるという事に、責任を感じてしまったのか。
しかし、この世にたった七人の仲間を、誰が失いたいものか。
今まで、何度も身内を喪って来た男たちである。
皆を守る為に自分が死ぬのは良いが、他の仲間に命を懸けて欲しくはない。
彼らがそうして逡巡する間にも、岩石大首領の攻撃は続く。
地面はひび割れ、舞い上がった砂塵が空を曇らせた。
ここが人気のない山奥であるから良いものの、余りにも続けば、やがて岩石大首領は町にまで進行してしまうであろう。
そこで声を上げたのは、本郷猛であった。
「皆、聞け!」
岩石大首領の攻撃を回避しながら、六人は、第一号からの通信に耳を傾けた。
「俺には、奴の内部を隅々までスキャンする事が出来る」
「何ですって?」
驚いたのは、風見である。
他のメンバーも、本郷の発言には、驚愕した。
一文字を除いては、である。
本郷猛――最も長い間、強化改造人間として戦って来た彼である。
その感覚の強化は、意識の拡大でもあった。
ゲルショッカーと戦っていた頃でさえ、改造人間の身体を流れる電流の音を聞き取る事が、出来るようになってしまっていた。
抜群の視力で概要を捉え、音の反響で形状を、本物とほぼ同じように脳内に描き出す――つまり、実際にそこに行った記憶があると自らの脳に錯覚させる事が、この時の仮面ライダー第一号には、既に可能になっていたのだ。
その意識が拡大を続ければ、やがて、身の回りの事象から全ての未来を予測する事や、静止した時の中で、唯独り高速の思考をする事も可能になるであろう。
この事が、本郷より僅かに遅れて改造された一文字には、分かっていた。
それが、常人であれば、自他の境界線を失い掛ける事である事も。
「茂、超強化服を、俺に貸してくれ」
本郷が言った。
本郷自身がリアルに描き出した脳内の風景に、自分のみを次元跳躍させる心算であった。
強化改造人間の基本構造は共通しており、そうした事が不可能ではない。
「おい、本郷……」
一文字が呼び掛けた。
「何でも独りでやろうとするんじゃねぇや」
「隼人⁉」
「ゲルショッカー基地に飛び込んだ時の事を、忘れたのかい」
ブラック将軍の最後の作戦に際し、本郷は単身、ゲルショッカー基地に乗り込んだ。
この時、D博士の開発したマシンによって、本郷はタイフーンによるエネルギーの供給をストップさせられ、仮面ライダーとしての力を使う事の出来ないまま、動きを止められるという、絶体絶命のピンチに陥った。
人質に取られた仲間たちが、眼の前で敵の毒牙に掛かろうとした時、
“ライダー二号を忘れていたな⁉”
一文字がやって来なければ、どうなっていたか。
「それに、デストロンの時だって……」
一文字は、風見を見やる。
活動を始めたばかりのデストロン基地に、ダブルライダーは突入したが、そこには大首領の罠が仕掛けられていた。
改造人間を分解する毒ガスが噴出され、危うく機能停止に陥りそうになった本郷と一文字を救ったのは、父と、母と、妹を殺され、復讐の意志を燃やす風見志郎であった。
“俺を改造人間にしてくれ!”
本郷と一文字は、風見を人間ではない身体にしたくはなかった。
それならばと、風見は、生身であってもデストロンと戦わんと、ダブルライダーの後を付けた。
そして、愛する家族の仇をダブルライダーに託して、自らの生命も顧みずに彼らを救出したのである。
相手は、今までの組織を束ねて来た大首領だ。
あの巨大な岩の身体の中に、どのような罠が待っているか、分からない。
唯独りで乗り込めば、そこで、巨体とぶつかり合う以上の危機に瀕するかもしれなかった。
「本郷、俺たちは独りで戦っているのではない」
岩石大首領による攻撃は、相変わらず、大地を揺るがしている。
その中で、一文字は、本郷に語り掛ける。
「仲間に頼るのは、そんなにいけない事か」
「――隼人……」
本郷は、ゆっくりと頷いた。
一文字は本郷の肩を叩き、通信で皆に呼び掛けた。
「皆、一ヶ所に集まるんだ」
そうして、岩石大首領の攻撃を掻い潜りながら、一つ所に集結した七人は、本郷から、巨神を斃す為の作戦を授けられる。
「今から、俺がスキャンした奴の体内データを、皆と共有する」
「え――⁉」
それは、不可能ではない。
組織は、今までライダーたちに斃された改造人間たちのデータを再利用して、再生改造人間軍団を送り込んで来た事がある。
その時、初めて戦った時よりも容易く相手をする事が出来たのは、ライダーたちも、一度戦った彼らの戦闘データを記録していたからである。
それのデータを、七人ライダーたちはそれぞれ共有して――アマゾンが戦ったゲドン・ガランダーは、彼の性質上難しいが――、再生改造人間への対策としていた。
そのデータというのは、彼ら自身の脳や、その機能をサポートする小型コンピュータに記録されており、脳波を同調させる事によって、共有する事が出来る。
ジョウントが可能な程の再現率を誇る本郷のデータが、皆に送られれば、七人が揃って次元を飛び越える事が可能であろう。
又、ジョウントに精神力が必要である事を考えれば、全く同じデータを共有する七人で行なった方が、その効果は大きくなる筈だ。
「皆の力を、合わせるんだ!」
アマゾンが言った。
七人の意思はそれで固まり、本郷の脳から、順次、仲間たちにデータが送られた。
と言っても、本郷の脳と、茂の脳では、深化の度合いが異なる。いきなり膨大なデータを送り込まれれば、茂の脳はパンクしまう。
その為、先ずは本郷に次いで深化をしている一文字にデータを送り、それから風見、結城、敬介、と、五つの脳を経由して、茂への負担を減らす必要があった。
アマゾンについては、元より、肥大化した神経が触角となって表れる程に深化が行なわれている。本郷から直接、岩石大首領の内部映像を受け取る事の危険も、少なかった。
そうして、七つの脳は同じ風景を共有した。
カブテクターが、ストロング・ゼクターのように展開し、七人の改造人間が共に思い描いた場所へと転移させる。
岩石大首領が、眼から怪光線を放ったが、七人ライダーの姿は、既にそこにはない。
彼らは、岩石大首領の内部へと、次元を飛び越えてしまっていた。
潮風が、城茂の肌を嬲っている。
城ヶ島――
海を臨む岸壁の上に、岬ユリ子の墓はあった。
彼女の名前が刻まれた木の塔のぐるりには、草が生えない。
どろりとした土のみが、ユリ子の遺体が眠るそこを、囲っていた。
ドクターケイトの猛毒が、六年が経過した今も、その遺体には残留しているのだ。
茂が供えた花も、半日と経たずに、腐り落ちてしまう。
それでも茂は、花を供えるのだ。
共に戦った戦士タックル――
けれども、その青春を奪われた少女に、死してなお戦い続けねばならないという使命で呪縛し続ける事は、茂には出来なかった。
だから、そこにいるのは、戦士ではなく、只の女、岬ユリ子だ。
腐敗した花を掘り起こし、買って来たばかりの真っ白い花を供える茂は、ユリ子の顔を思い出しながら、ふと、このような思いに囚われた。
瞼の裏に浮かぶユリ子の顔は、共に戦ったあの頃のままである。
あれから何年も経過しているというのに、彼女の姿は全く変わらない。
改造人間は歳を取らない――精神面の成長が表情や立ち居振る舞いに現れる事や、髪形やファッションを変えて様相を違えてみても、特殊合金の骨格は伸縮をせず、人工の皮膚も必要以上の代謝は行なわないので、そう見える。
けれども、それを差し引いても、岬ユリ子の姿は、茂の中で、全く変わらないのである。
それは、誰かの死を背負った人間が、共に抱かなければならない、もどかしさだ。
死んだ人間は、死んだ時点から、それ以上、変わらない。
少女なら、永遠に少女のままだ。
生まれたばかりの赤ん坊ならば、ランドセルを背負った姿も、詰襟に身を包んだ様子も、誰の記憶にも存在しない。
確かにあった筈の未来は掻き消え、この世の因果――諸行無常から外れた、全く別次元の存在に成り果ててしまうのだ。
茂は、あの頃から変わらないユリ子の姿を描きながら、花を供え終え、立ち上がった。
「ユリ子……」
そう呟き、彼女の鎮魂の為に口笛を吹いた。
哀切な音色。
風のように緩やかなメロディの奥には、稲妻のような哀しみが渦巻いている。
墓に背を向け、路肩に止めていたカブトローに跨った。
ハンドルを握り、走り出してゆく。
と――
その後を付けて来る、妙な車の存在が、感じ取られた。
流線形をした、クリーム色の、オープン・カー……
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第九節 対峙
崖に面した道路を、城茂のカブトローが走っている。
その茂から幾らか距離を置きつつも、クリーム色のオープン・カーは、間違いなく彼の事を追跡しているようであった。
茂は、背後から迫って来る、獣のような圧力を感じながらも、こちらから仕掛けようとはしなかった。
動くとすれば、後ろにぴったりと付いて来るマシンが、何らかの行動を示した時だ。
煽られるのは決して気分の良いものではないが、車間距離を詰めて来ないのであるから、少し離れろとわざわざ言うのも変であった。
カーブに、差し掛かった。
急なカーブであり、ガードレールの向こうには、空と海との境目が見える。
下手にスピードを出し過ぎて、曲がり切れないという事も、ありそうである。
茂は速度を緩め、車体を傾斜させて、カーブを曲がり切ろうとした。
と――
背後を付けて来ていたオープン・カーが、速度を上げたのは、その時であった。
カーブで曲がり切れない速度ではない。
だが、前方で減速した車があるのに、出すような速さではなかった。
茂がここで加速しなければ、玉突き事故を起こして、ガードレールを飛び越える。
かと言って減速をしないのであれば、曲がり切れずに転倒してしまう。
――ぬぅっ。
サバンナで、ライオンに狙われたかのようであった。
草むらに隠れて、こちらを観察していたライオンが、機を見計らって、一息に獲物に飛び付いて来たようなものだ。
茂は、自分のうなじに牙を突き立てる獅子の姿を幻視した。
脳への信号を遮断した百獣の王は、茂の身体を仰向けにして、腹部を喰い破って内臓を啜り出し、尻の頬肉、太腿、腕、最後に顔面――そのように順序立てて、一瞬で殺害した生命を喰らい尽す。
茂の人工皮膚に、ばっと冷汗が浮かんだ。
どうするか⁉
加速――
自らの、改造人間としての感覚をフル稼働させて、どうにか曲がり切るしかない。
タイミングをミスれば、一発でお釈迦だ。
身体を限界まで傾けて、転倒しないまま、カーブに沿って走る。
そうすれば、少なくとも、後方の車に突き飛ばされる事はない。
ごぉぉっ!
背後で巨獣が吼えた。
明確な悪意を以て、前の車体を吹っ飛ばそうと、そういう意思が感じられる。
茂は、景色がスローになるのを見た。
大量のアドレナリンが、茂の意識を加速させているのだ。
普通の人間ならば、その停滞した世界を持て余してしまう。
改造人間・城茂であるから、そのゆっくりと進む時の中で、身体を反応させる事が出来た。
全身の神経を、ノーマルを遥かに超える速度で、生体電流が駆け抜ける。
加速する意識に合わせて、身体を加速させた。
その加速に応じるカブトロー。
ゆったりと、身体が傾いてゆく。
カーブの直前で、茂とカブトローは、地面と平行に近くなった。
そこで、体勢をキープする。
猛烈に吹き付けて来る筈の風が、速度を失い、塊のように、茂にぶつかって来た。
地面に散らばった、細かい砂粒が舞い上がる。
それが頬にぶつかって来るのを、茂は感じた。
ヘルメットの表面で、ぱちぱちと音を立てる。
永遠にも続くかと思われたカーブが、そろそろ、終わりを告げそうだ。
道は、ストレートに戻っている。
体勢を整えねば、このまま左手に曲がり続け、転倒する。
その前に身体を起こさねばならない。
尋常であれば、そのままタイヤがスリップして車体に潰されるか、姿勢を保ち続けたまま弧を描いて横手に激突するかであったが、茂は、何とか身体を起き上がらせる事に成功した。
地面と身体との角度が、大体、四五度まで戻って来た。
如何に茂とは言え、危うい所から助かったという、安堵があった。
一旦、路肩に停めて、後ろの車に注意をくれてやろう――
その時、カブトローのタイヤが噛んでいた路面に、銃弾がばら撒かれた。
――何⁉
振り向いてみれば、後方のマシンはカーブの手前で停止し、そのフロントから機関砲を剥き出しており、その銃口から吐き出されたものが、地面を抉ったのであった。
更にはミサイルまで発射して来た。
茂のすぐ後ろに着弾したミサイルは、爆炎で、茂とカブトローを呑み込んでしまった。
その紅蓮の炎と鈍色の煙の中から、巨獣――トライサイクロンが飛び出し、停まった。
ドライバーであった黒井響一郎は、自分のミサイルが陥没させた路面と、そこからもうもうと立ち上る火炎と煙の奥に、城茂とカブトローの残骸があるかを確かめる為、マシンから降りる。
めらめらと、赤い舌がアスファルトを舐めていた。
サングラスを外した黒井は眼を細め、しかし、その炎の中に、タイヤのゴムが燃えるような匂いが混じっていないのを、しっかりと嗅ぎ取っている。
すると、何処からか、口笛が聞こえて来た。
空気を裂く音色。
哀しみの調べ。
切ない風の音が、ひゅるりと潮風と混じり合ってゆく。
頭上であった。
道路の上の崖っぷち、やはり設けられた白いガードレールの外側に、蒼いデニムで統一した男が、佇んでいる。
開けた上着の前には、大きなSの文字が染め抜かれた、黄色いシャツが見えていた。
「あれで、無傷か」
黒井が言った。
「流石は、城茂……」
「へっ」
と、茂が鼻を鳴らした。
「この俺を城茂と知って、あの程度の事しか仕掛けられないとはね」
「――」
「何者だい、お前さん。ネオショッカーの残党か? それとも、ドグマだか、ジンドグマだとかいう連中の……?」
ネオショッカーとは、デルザー軍団壊滅後に現れた新たな組織である。
仮面ライダーの一人として、茂も、彼らと戦った。
苦戦するスカイライダー・筑波洋に、特訓をした事もあった。
ドグマやジンドグマについての情報は、谷源次郎から聞かされているのである。
「それに、何やら見覚えのある色味の車だな……」
茂は、ちらりと、トライサイクロンを見やった。
後方には巨大なブースター、フロントには機関砲の他、剥き出しのスーパー・チャージャーがある。
しかし、そのカラーリングが、仮面ライダー第一号・二号の愛機である、サイクロン号のそれとそっくりであった。
又、車体には、バイクに跨ったRの文字――立花レーシングの紋章が刻まれている。
いや、元を辿れば、そのマークは、仮面ライダー・強化改造人間・S.M.R.のマークであった筈だ。
「俺の名は、黒井響一郎」
「黒井? ……そうだ、あんたも、何処かで見た顔だと思ったら、F1レーサーの、黒井響一郎か!」
茂が言った。
一〇年近く前の事だが、日本最速のレーサーとして、メディアに引っ張りだこになっていた男であった。
日本一の称号を得た頃、突如として行方不明になったと聞いたが……
「そうだ。俺が、その黒井だ」
「……何故、その黒井が、こんな所で、性質の悪い暴走族紛いの事をしてるんでぇ」
「誰にでもやっている訳じゃない。相手があんただから、やったんだ」
「何ぃ」
「あんたが、城茂……仮面ライダーストロンガーだからさ」
「――」
「そして俺が、黒井響一郎だからだ」
「何だと⁉」
「ドグマでも、ジンドグマでもない。この俺は、ショッカーの改造人間だ」
「ショッカー⁉」
茂が驚く間に、黒井は、コートを脱ぎ捨てていた。
コートの下には、既に、強化服を着込んでいる。
蒼いコンバーター・ラングと、強力なショック・アブゾーバーを備えたレガース。
黒いスーツの側面には、金のラインが血管のように奔っている。
頸には、金属製のリングで固定された黄色いマフラーが、風になびいていた。
腰には、大きなバックルのあるベルトが巻かれている。
バックルの中心には、翼を広げた鷲のレリーフがあり、それが左右に展開すると、赤い風車が現れた。
ベルトの両脇のバーニア上部にあるスイッチを押す。
タイフーンの風車ダイナモが回転し、引き起こした風をコンバーター・ラングが吸収し、その風力をエナジー・コンバーターが動力として変換する。
黒井は、トライサイクロンの運転席から、蒼い仮面を取り出した。
飛蝗を模した、人間の頭蓋骨のようなマスクである。
それを頭からすっぽりと被り、せり出していたクラッシャーを顔の方へ押し込んだ。
ヘルメットの中でクッションが開き、黒井の頭部を固定する。
仮面のメカニックが、黒井の脳と直結し、風を動力源として、強化改造人間の肉体を起動させた。
黄色いCアイが、太陽のように輝いた。
「とぉっ――」
その躯体が跳躍する。
茂が見下ろしていた道路から、黒井が、茂のいる所までジャンプしてやって来た。
ガードレールと、茂を飛び越えて、海に臨む形で、黒井が振り返る。
「俺は、仮面ライダーを斃す為に生まれた――仮面ライダー三号」
茂と向かい合い、黒井響一郎は名乗りを上げた。
天空を、一人の男が歩いている。
気を失いそうな程に真っ蒼な空に向かって、雲の柱が立ち上っていた。
そのすぐ下には、地上に向かって伸びてゆく雲もある。
いや――
良く見れば、その光景が、上下対称であるという事が分かった。
空の光景が、地上に映っているのであった。
一〇〇キロメートル四方の中での高低差は、たったの五〇センチ。
その広大な塩の受け皿に、降り注いだ雨が水鏡を作り、蒼穹を映し出している。
遮蔽物の凹凸が全くないその大地の天空に、男が独り、歩いていた。
整った容貌に、薄っすらと影を差した、長身の男である。
髪に癖があり、耳の辺りで、横に跳ねている。
雨期の事であるから、決して暖かくはないのだが、上着の袖を捲っていた。
その男が、独り、天空の鏡を歩いているのである。
平坦な大地をゆく男の周囲には、他の人間は誰もいなかった。
観光に来る時期ではない。
塩で満ちた足場は悪く、車であっても進むのが難しい。
乾期には、そこで採れる塩が延々と広がる、白銀の大地が剥き出しになるので、雨期の神秘的な美しさよりも、そちらの方を目当てに来る者の方が、多かった。
暫く、一人で歩き続けていた男だったが、やがて、同じように天空に立つ人物を、発見した。
永遠に途切れる事がないのではないかとさえ思わせる蒼い景色の中に、黒い染みとして、その男は立っているようにも見える。
赤いラインの入った、黒い革のジャケットを着ている。
ざんばら髪の下に、刃物のような鋭い双眸が光っていた。
松本克己である。
男は、克己の数メートル手前で足を止めた。
「君が、俺を、呼んだのか」
男は克己に声を掛けた。
静寂に包まれた鏡の上で、その声が良く響く。
「そうだ」
克己が答えた。
「何故⁉」
「お前を、斃す為だ」
「斃す⁉」
「そうだ。人類の未来の為に、俺たちは、貴様ら仮面ライダーを斃さねばならぬ」
「人類の未来だと……」
男が眉を潜めた。
克己は頷いて、このように語った。
「この世界は、箱庭さ……」
「箱庭?」
「人間たちが、自ら住み易くするために造ったものだ。しかし、その箱庭を維持する為に、人間以外の者を、人間は蔑ろにし過ぎた。挙句、自分たちが蔑ろにしたものの為に、箱庭の秩序を乱し、その平穏を取り戻す為に、新しい犠牲を生み出そうとする。自らの分を弁えぬ哀れな箱庭の住人たちを、自由と平和などという題目で誑かす仮面ライダー共が……彼らに純粋なる解放を授けるには、邪魔なのだよ」
長い台詞を、すらすらと吐き出す克己。
この類の文章が、彼の頭の中には深く刻み込まれているのだ。
男は、克己を見据え、
「純粋な開放とは、何の事だ」
「大いなるものに抱かれる安心感……」
「――」
「家畜として
「何⁉」
「その為に、家畜共を選定する必要があるのさ。お前たちは、言うなれば、豚が草を喰い尽してしまうのを眺めているだけ……寧ろ、豚共の権利などとと言うものを主張して、暴食を促進するだけの行為だ」
遊牧民が家畜を育てる際、留意せねばならないのは、その数の調整である。
草を喰って生きる動物であれば、その数が増え過ぎれば、食糧難に陥る。
次の年、植物が生えなくなるからだ。
そうなると、結果的に家畜も育たない事になる。
だから、管理者たちは、草を食べ尽させないよう、その数を調整する必要があった。
「そうして管理される中にこそ、生命としての幸福がある」
「――貴様は、ネオショッカーの者か」
男は、そう訊いた。
ネオショッカーの目論見は、地球の資源を枯渇させない為に、人類の総数を減少させる事であった。
克己が語った事は、それに近しいと、男は思ったのであった。
だが、克己は首を横に振った。
「ネオショッカーは我々の一部に過ぎん」
「一部?」
「我らはショッカー。この世界を改造人間が支配し、その改造人間を大首領が管理する事で、人間共は人類という家畜として、安穏を得る事となる」
「む、ぅ……」
男は唸った。
克己は、迷う事なく、そう言い切った。
男にとっては、理解し難い事であった。
確かに、地球の資源の枯渇は問題であったが、かと言って、それを糧として生きる人々を切り捨てる事で解決しようという方法は、短絡的に映る。
生命とは、他に代え難い尊きものであるからだ。
その上、人間を家畜にする事が、幸福であるという意見には、賛同し得ない。
餌を与えられ、飼われるばかりの家畜となれば、確かに苦しみはなく、傷付けられる事もないであろう。
しかし、それは同時に、喜びや楽しみもなくなるという事だ。
人間の心の自由を奪う――男は、克己が語ったショッカーの野望を、そう判断した。
それが、人類の為であると、克己は言ったのである。
「成程、つまり、君は……」
男は、克己の言葉を吟味して、言った。
「人類の幸福を見ている訳だ。言うなれば、人類の味方だな」
「そうだ」
「ならば、お前は、人間の敵という訳だ――」
「無論だ」
克己は、人類と人間という言葉を区別して使っている。
人類とは、種としての呼び名だ。
ヒトという獣、そう言い換えても良い。
生まれたままの、ありのままの、純粋な生命としての名前が、ヒトである。
優劣で語るべき事ではないのだろうが、その一段階上にいるのが、人間という概念だ。
他の動物が、自らの生命を守る為に強く進化したのに対し、自ら爪と牙を捨てる事で、理性によって尊厳を確立した人間。
克己は、ショッカーは、人間の敵ではあっても、人類の敵ではない。
そのような立場を、明らかにしたのである。
ならば、それまで、人間として生き、人間として戦い、人間を守って来た男にとっては、彼とは相容れない存在であった。
「来い。貴様らと、我ら、どちらが正しいのか、決めようじゃないか」
「ゆくぞ、ネオショッカー……いや、ショッカーの改造人間」
男が言った。
克己は、唇に切れるような笑みを浮かべると、
「違うな……俺は、貴様らと同じ、強化改造人間――」
と、言いながら、ジャケットを脱ぎ捨てる。
その下には、銅色のプロテクターに覆われた、飛行機のパイロットを思わせる強化服を着込んでおり、バック・パックからは、飛蝗をモチーフにした仮面がせり上がって来た。
ヘルメットが頭部に被さり、ヘッド・セットを起点にチン・ガードが回転する。
顎を固定したチン・ガードとヘルメットの隙間に、鉄のマスクが被さり、剥き出しであった顔の下半分を覆った。
ふと、水鏡に波が立った。
見れば、蒼い空の彼方から、一機のプロペラ機がやって来る所であった。
機関砲を、男に向かってばら撒くスカイサイクロンだ。
スカイサイクロンは、その後、空中で旋回すると、地面ぎりぎりまで降りて来て、克己と男との間を横切った。
巨大な鉄の塊が、突風を巻き起こして、水の鏡を波立たせる。
この風圧で、克己の腹部の風車ダイナモが回転した。
「仮面ライダー第四号……!」
ねっとりと、しかし、力強い口調で、克己は、上空に向かって名を告げた。
スカイサイクロンの飛び去った天空に、一人の男が
鮮やかな緑色の強化服と、オレンジ色の装甲。
黒光りする、鋼鉄のレガース。
頸からは赤いマフラーが、イナゴの羽のように伸びている。
牙を剥き出した、髑髏の仮面に、赤い光が灯っていた。
男の名は、仮面ライダー。
スカイライダー・筑波洋であった。
次回から、3号・4号による俺tueeee予定。
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第十節 開戦
筑波洋が眼を開けると、視界いっぱいに、永遠の暗闇が広がっていた。
どうやら、自分は、その暗闇の中に浮かんでいるらしい。
洋の身体には、重力低減装置が組み込まれている。
洋は、大学のハングライダー部の活動中に、ネオショッカーに追われている志度敬太郎博士を助け出した。
優秀な科学者であった志度は、ネオショッカーに技術提供をしていたが、組織の目的が人類の大量虐殺である事を知り、脱走。その志度を、ネオショッカーの戦闘員、アリコマンドたちが追跡していたのである。
この光景を、洋は上空から発見し、志度を助けるべく降り立った。
志度を匿う洋であったが、部活の仲間たちはこの報復に殺され、洋も亦、ネオショッカーの改造人間ガメレオジンによって殺害される。
志度は、自分を助けようとした勇敢な青年の生命を救うべく、彼に改造手術を施して延命させる事を、日本支部に就任したゼネラルモンスターに懇願した。
ゼネラルモンスターの指示により、筑波洋は、重力低減装置を組み込んだ、空挺強化改造人間兵士――空飛ぶ改造人間として、蘇ったのである。
イナゴの特性を機械で再現した肉体となって復活した洋は、ネオショッカーの目的を知り、人間の自由と平和の為に、彼らと戦う事を決意する。
志度敬太郎は、城北大学に籍を置いていた頃、緑川博や神啓太郎から聞かされていた、人類統制を目論む秘密結社と、その企みと戦う戦士になぞらえて、筑波洋に仮面ライダーの名前を贈ったのである。
そうして筑波洋は、空を飛ぶ仮面ライダー――スカイライダーとなったのであった。
その日から、洋は、ネオショッカーと長きに渡る戦いを続けて来た。
遥かなる戦いの道を踏み越えて、洋は、それらの決着を付けるべく命を懸けた。
ネオショッカーの大幹部であったゼネラルモンスター、続いて現れた魔人提督らの度重なる作戦失敗に業を煮やし、とうとうネオショッカー大首領が自ら動き出した。
ネオショッカー大首領は、巨大な、翼を持った蜥蜴のような姿をしている。
その大首領が、酸素破壊爆弾を用いて、地球上の酸素を全て消し去り、あらゆる生物を死滅させる、最後の作戦を発動しようとしたのである。
ネオショッカー最後の作戦を阻止すべく、世界中に散らばっていた仮面ライダーたちが日本に集結した。
そんな中、筑波洋は、幼い頃に死んだと思っていた、ネオショッカーに囚われていた母を救出したが、大首領直轄のドクロ暗殺隊により、再会を果たした母を殺される。
母は、大首領のお側役を任されており、彼女の口から大首領の弱点が右足の裏にあると聞かされた洋は、その巨獣に苦戦する七人の仮面ライダーの許に急ぎ、敵の首魁に重傷を負わせる。
最後の力を振り絞り、大首領は、空中に浮かべた酸素破壊爆弾を、自らの手で起動させようとした。
その時、スカイライダーは、重力低減装置を使って、ネオショッカー大首領と酸素破壊爆弾を、自ら諸共宇宙空間に放り出して地球を守ろうと考えた。
だが、その為には、スカイライダー一人の力では足りなかった。
そこで、八人の仮面ライダーは協力し、自分たちのエネルギーを共鳴させる事によって、セイリング・ジャンプの能力を底上げしたのである。
空高く舞い上がった巨竜を、極限まで重力を減少させた空間で包み込んだ八人ライダーは、そのまま大気圏を超えて、大首領を地球から追放。
自分たちの生命を犠牲にし、地球を守ったのである。
改造人間とは言っても、宇宙空間での活動が出来るようには、設計されていない。
最新型のスカイライダーでさえそうなのだから、一九七一年という過去に造られた第一号や第二号、生体改造を加えたのみのアマゾンライダーには、耐えられる筈もなかった。
可能性があるとすれば、深海開発用改造人間として造られたXライダーだが、パーフェクターは酸素供給器であり、太陽光や風、電磁波から動力源を造り出すエネルギー・クロス装置を用いても、体内ボンベの酸素のみでは、地球に帰還する事は出来ないであろう。
それが分かっていても、ライダーたちは、セイリング・ジャンプを敢行した。
そして、今、八人の改造人間たちは、宇宙空間を漂っているのである。
生命の灯火が消えようとする、そのほんの一瞬だけ、自分は意識を取り戻した――
洋は、大気圏を越える際の摩擦でぼろぼろになった強化服の内側で、そう思った。
だが、そうではないようであった。
意識を取り戻して数分が経ったが、洋の意識は、まだはっきりとしていた。
これは⁉
洋は、天然の無重力空間の中で、顔を横に動かした。
セイリング・ジャンプの時とは違い、自分のいる空間の全ての重力が、弱い。
ちょっとした動きで、ふわふわと、別方向へ進んでしまう。
無重力を持て余す洋は、自分の周りに、同じようにぐったりとした様子で浮かんでいる、七人のライダーたちを発見した。
宇宙空間に投げ出されても、自分たちは、ばらばらにはならなかったのだ。
どうした事か――
すると、その内の一人が、洋・スカイライダーに手を伸ばして来た。
緑色の鱗の隙間から覗く、赤い血の流れと、鋭い爪とヒレ。
この宇宙空間での生存が、最も不可能と思われた、アマゾンであった。
――洋。
アマゾンが、洋の手を掴み、その身体を引き寄せた。
獣の顔を、イナゴの仮面の横に付ける。
――俺、守った。
アマゾンの声が、触れ合った仮面を震わせて、伝わって来た。
アマゾンが言うには、セイリング・ジャンプで宇宙に飛び立つ寸前、アマゾンは、ギギとガガの二つの腕輪の力で、自分たちの周辺に酸素を集結させ、地球を脱して大首領を滅ぼすと共に、エネルギー・フィールドを展開して、その中を酸素で満たした、との事だ。
インカの秘宝が持つ、神秘の超パワーの為せる業であった。
しかし、八人の心を一つにして行なうセイリング・ジャンプに際して、それ以外の事に集中力を裂く事は難しく、八人を狭い空間に閉じ込める事しか出来なかった。
僅かに寿命が延びたに過ぎない――
しかし、順次、何れも損傷は酷かったものの、ライダーたちが眼を覚ましてゆくと、本郷と結城が、或る提案をした。
本郷が、ギギ・ガガの腕輪が造り出した空間の外を指差した。
自分たちは、どうやらまだ衛星軌道上におり、そこを幸運にも、人工衛星が通り掛かったのだ。
本郷と結城の提案は、その人工衛星の部品を使って自分たちの壊れた部分を修理し、その衛星が落下する時まで機能を停止させて置いて、地球に帰還する時を待とうというものであった。
強化改造人間には、生命活動が一時的に停止しても、エネルギー補給を受ける事で、全ての機能を再起動させるシステムが組み込まれていた。
本郷猛・仮面ライダー第一号の場合は、人工心臓が止まり、脳に血液を送れなくなっても、タイフーンが回転しさえすれば、再び覚醒する事が出来る。
彼らの身体を流れる血液は、やはり人工のものであるが、改造人間としての機能が正常に働けば浄化され、例えば、体内に取り込んだ毒素を分解する事が出来ると、風見志郎・V3が証言した事もあった。
そしてアマゾンも、古代インカの二つの腕輪に蓄えられたエネルギーで、自分の肉体を保護する事が出来るのだ。
こうして、その人工衛星に取り付き、壊れた身体を補修した仮面ライダーたちは、やがて来る帰還の日に、自分たち戦士の存在が必要ではなくなる平和な世界があると信じて、眠りに就いた。
洋は、遠退く意識の中で、誰にともなく訊いた。
――君たちは、何処に落ちたい……?
しかし、彼らが再び地球の大地を踏むその時になっても、人類は争いをやめず、飢餓を除かず、地獄の使者たちも変わらずに跋扈していたのであった。
海から、崖を遡って来る潮風に髪を揺らしながら、茂は、蒼い鎧の改造人間を見つめていた。
「仮面ライダーだと⁉」
その問いに、黒井響一郎・仮面ライダー第三号は、蒼いクラッシャーを引いた。
「だが、勘違いするな。俺は、ショッカーの改造人間……」
黒井ライダーが、茂に歩み寄る
「貴様らを斃し、仮面ライダー第一号を、俺の前に引き摺り出してやる」
第三号はそう言い、ガードレールの向こうに立っている茂に殴り掛かった。
茂は、ガードレールを左手で掴みながら、右半身を反らした。
片手と、片足だけで、崖っぷちに自分を固定するその胸の前を、黒井のパンチが通り過ぎてゆく。
茂は身体を引き戻し、右の拳で、第三号のコンバーター・ラングを打ち付けた。
重厚な金属音は、茂のグローブの内側の手が、人工骨格の上に更に金属のパーツを被せている事の証明だ。茂の両手は、コイル・アームと呼ばれるもので、擦り合わせる事で電気を発生させる。
黒井はそのパンチを受けて僅かに後退するが、茂と同じように片手でガードレールを掴み、空いた左手で拳を打ち込んでゆく。
ガードレールを挟んで、茂と黒井の戦いが始まった。
黒井のパンチを、茂が右腕で弾く。
ガードレールを飛び越えて、安全な足場を確保しようとするも、黒井は左腕を広げて、茂を通せんぼしてしまった。
ガードレールのふちに掛けかけた脚を引っ込め、今度は下を潜ろうとする。
すると黒井は、茂が脚を潜らせようとした地点に、ブーツを踏み下ろした。
素早く引き戻さなければ、脛の中頃から折られていただろう。
「ちぃっ」
茂は舌を鳴らしながら身体を起こし、両手でガードレールを掴んだ。
そうして身体を縮め、両足でガードレールの表面を踏み、後方に跳ぶ。
トライサイクロンが打ち込んだミサイルが、未だ道路を燃やしている、崖の下に身を投げた。
黒井はガードレールを越えて、重力に任せて落下するままの茂に、空中でマウントを獲ろうとした。
だが、掴み掛かろうとした茂の身体が、ふっと消失した。
「何⁉」
すると、黒井の視界がかげった。
振り返れば、ストロング・ゼクターに背中を掴まれた茂が、第三号ライダーのバックを獲っている。
絶縁材のグローブは既に外され、その左手が、空中で身体を半回転させた黒井のマフラーを掴んでいた。
こうした場合に備え、マフラーはアースになって、電流を散らす素材で出来ている。
だが、茂はそんな事知るものかと、右の拳を打ち下ろして来た。
黒井が頭を傾ける。
パンチ自体は外れたが、茂の両手は、パンチの勢いで擦り合わされていた。
顔のすぐ傍、Cアイの眼の前で、蒼い稲妻がスパークする。
咄嗟に視界を封じていなければ、素面のままで瞼を閉じた程度の対策では、その電光によって、黒井の優れた視力は失われていただろう。
勿論、黒井を失明させる事も、茂の狙いでなかった。
両手に流れるプラスとマイナスの電流が重なり合い、ベルト・エレクトラーが起動する。
それを受けて、ストロング・ゼクターが展開し、茂の身体に被さった。
三〇〇キロの超強化服が、黒井の身体に圧し掛かる。
弾かれるようにして、二人は離れた。
燃える道路に着地する仮面ライダー第三号を、城茂は、再びさっきの崖の上から、見下ろしていた。
稲妻を纏った、深紅の胸をそびやかす、カブト虫の戦士――
仮面ライダーストロンガーの緑の眼が、ぎらりと輝いた。
「へぇ……」
仮面ライダー・筑波洋は、地上の空に浮かぶスカイサイクロンの姿を見下ろして、息を漏らした。
ショッカーの紋章が刻まれたプロペラ機は、仮面ライダー第四号・松本克己の傍に着陸し、静かにエンジンを唸らせている。
「君も、空を飛ぶ仮面ライダーか」
「そうだ」
克己はそう言って、スカイサイクロンの翼に飛び乗り、スカイライダーを見上げた。
第四号が、九〇キロにも満たない体重に飛行をさせる為に、数トンのマシンを用いなければならない所、スカイライダーは自分の周囲の重力を減少させる事で浮遊する。
余計なものを削ぎ落として宙を舞う筑波洋と、自分の身体に別のものを継ぎ足して空を飛ぶ松本克己のその在り方は、合理性や効率を求める人間と、足りないものを自ら生み出してゆくヒトとのそれに相応するように思われた。
「言葉は要らない。お前を斃し、捕らえる事が、この俺の使命だ」
克己は、スカイサイクロンに脳波を送り、コックピットを開かせ、乗り込んだ。
シートベルトを着用し、操縦桿を握った。
プロペラが回り、バーニアが火を噴く。
スカイサイクロンは、普通の自動車ではタイヤを取られて、まともに進む事も出来ない塩の地面を走り始め、その加速で先端を持ち上げると、一気に空へと舞い上がった。
外見は旧式ながらも、その技術は、最新の軍用機のそれにも劣らない。
巨大な鉄の塊が、蒼い地上から、蒼い天空へと伸び上がってゆく。
見えない坂を駆け上がってゆくように上昇したスカイサイクロンは、天地に掛かった楕円を描くように身を翻し、空中に留まっていた筑波洋・スカイライダーに襲い掛かった。
仮面ライダー・筑波洋は、頭上から迫り来るスカイサイクロンの更に上に跳び、天上に向けている腹を眺めた。
スカイサイクロンの機銃が太陽を睨み、スカイライダーに向けて発砲した。
戦闘機の腹を蹴破ろうとしていたスカイライダーは、スカイサイクロンの銃弾から逃れる。
機関砲は、しかし、スカイライダーを追って回転し、スカイサイクロンはその間に体勢を整えてしまう。
地面と平行に滑空するスカイライダーを、スカイサイクロンが追う。
地上の蒼穹が、大きく波打ち、水飛沫と塩の粉末を舞い上げた。
白く透き通った霧が、スカイライダーとスカイサイクロンを包み込む。
その霧の中で、ライダーとマシンは縦横無尽に飛び回り、頭上を、腹の下を、バックを獲ろうと、互いに牽制し合った。
しかし、洋がスカイサイクロンの底部を獲れば、克己は翼でスカイライダーを払い落とそうとする。
第四号がスカイライダーに近距離で機銃を放てば、洋は身を翻して操縦席を狙う。
赤いマフラーが尾を引き、鈍い色の翼が風を切る。
真っ蒼な世界に映り込む、改造人間と戦闘機が描き出す軌跡は、恰も蛇と鷲との交わりであった。
天地の双龍のまぐわいは、果てる事なく続くかのように思われた。
ギギ・ガガの腕輪がキングストーン並みとか言う話を何処かで聞いた。
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第十一節 落下
崖の上から、ストロンガーは飛び降りた。
天に背中を押され、地に誘われるかのように、城茂・仮面ライダーストロンガーが、黒井響一郎・仮面ライダー第三号の前に着地する。
仮面ライダー・黒井響一郎は、自らの手首をぎゅぅと握り締め、開いた両手をストロンガーに向けた。
二人の傍で、アスファルトを焦がす炎が、火の粉を舞わせていた。
その炎を、黒井は左手に、茂は右手に見ている形で、向かい合っている。
共に構えを採り、いつでも飛び出せる体勢を整えていながら、二人はすぐには動かなかった。
重量では、ストロンガーが遥かに勝っている。
だのに、ストロンガーはそのウェイトを、他の改造人間らと何ら変わらない速度で動かす事が出来た。
破壊力は、質量と速度を掛ける事で導き出される為、全体としてのパワーであれば、ライダー第三号が、ストロンガーに敵う道理はない。
しかし、黒井に、強敵と相対する悲壮感はなかった。
戦うのならば、勝つ。
徹底的に相手を叩きのめし、自分の手に勝利を握り締める。
その絶対的な自信が、黒井の身体から立ち上っているのが、茂にも感じられる。
又、黒井が自分たちと同じ強化改造人間・仮面ライダー……しかも、第三号を名乗った事で、その実力の高さを窺わせる。
科学技術は、日々、進歩している。
そうなると、自然と新しいもの、後に出来たものが、優れているという事になる。
だが、彼ら強化改造人間の間で、その理論は通じない。
彼らは自ら進化し、深化する存在であるから、造られた当時以上の性能を、自分自身の手で取り込んでゆく事が出来るのだ。
そうした意味では、その進化を深めた時間が長い個体の方が、優れている所がある。
例え破壊力では劣っていても、そのパワーを躱して、探り出した弱点に適切な一撃を入れてやれば、それで、旧式の改造人間が勝利する可能性は、充分にあった。
今までの仮面ライダーたちは――茂もその中には含まれている――、そうして来た。
そうし続けて来た。
故に、第三号――現在、九人いる仮面ライダーの中で、敢えて三番目を名乗った黒井響一郎が進めている深化の度合いを、第七号・ストロンガーは警戒しているのであった。
が、勿論、恐れている訳ではない。
恐れてはいないが、未知の相手に対して慎重になる事は、間違ってはいない。
互いに互いを警戒しながら、二人は、暫く沈黙していた。
弱点を探り、隙を探す。
速度は、互角。
パワーはストロンガーが上だが、巧みにカウンターを取れれば、第三号にも勝機はある。寧ろ、ストロンガーのパワーを利用して、全て返してやる事が出来れば、最良であった。
茂もそれを分かっているので、下手には動けない。
エレクトロ・ファイヤーなどを使うにしても、その動作の隙に間合いを詰められるかもしれなかった。
炎が燃える。
黒井の背後から、波と風の音が這い上がって来る。
自然の音の中に、赤と蒼のボディが溶け合っていた。
と、その沈黙を裂くように、地面を削るタイヤの音が聞こえて来た。
トラックが、近付いて来ているのだ。
茂たちがやって来た方向だ。
運転手は、先ず、道路の真ん中で燃えている炎に驚き、その向こうに立っている二人に戸惑った。
ブレーキを踏み締め、分厚いゴムと道路を摩擦させる。
しかし、炎の手前では止まり切れず、致し方なく、駆け抜ける事にした。
運転手は、二つの人影を吹っ飛ばしてしまったかもしれないという恐れに駆られ、思わず眼を閉じていた。
しかし、紅蓮の中を通り過ぎる際に、それらしい衝撃はなかった。
運転手は、窓から顔を出して後方を確認し、何事も起こらなかった事を知ると、安堵の息を吐いて、再びアクセルを踏んだ。
大きく燃え上がっている炎の中を通り過ぎるなどという、カー・スタント紛いの事をやったからか、どうにも、スピードが乗らなかった。
トラックの運転手は、荷台に飛び乗った二人の改造人間に気付かないまま、車を走らせた。
その走り出したトラックの上で、ストロンガーと第三号が動き始める。
黒井が、トラックの後方。
茂が、運転席の手前に、背を向けている。
黒井から仕掛けていった。
間合いを一息に詰め、ローキックで様子を見る。
茂が、黒井との距離を近付ける事で、蹴りの威力を殺す。
唯でさえウェイトがあるストロンガーが、バランスの悪い車上で、定石通りのガードをしては、軸足を掬われる危険が高まってしまう。
それならば、高い防御力を生かして、相手の攻撃の威力が最大になる地点を防ぐ事の方が、この場合では適していた。
そして距離が近ければ近い程、電気技を打ち込むにも、周囲への被害を気にしないで済む。
茂・ストロンガーは、蹴りを受けられてバランスを崩した黒井に、右の掌で掴み掛かった。
触れれば、そこから電流が走る。
黒井は、左の手甲でストロンガーの肘を払い、右肘を脇腹に入れつつ、立ち位置を入れ替えた。
すぐに距離を取る。
下手な攻撃では、超強化服カブテクターを突破出来ない。
ラッシュで攻め込めば、その限りではないが、ストロンガーは乱打に耐え、敵にゼロ距離から電撃をぶちかます事も可能だ。
ピン・ポイントへのヒット・アンド・アウェイのみが、黒井に勝利をもたらす。
それ以外は、殆ど効果を持たないと言っても良いだろう。
「どうした? 怖気付いたのかい」
茂が、黒井を煽った。
「もう少し、ドライブを楽しみたいだけさ」
黒井が、余裕たっぷりを装った。
「へっ、ライダーは、ツーリングって言うんだぜ」
茂がそう言って、黒井に殴り掛かって来た。
強く踏み込めば、荷台を蹴破ってしまう。
だから、全力のパンチは放てない筈だ。
左の拳が、上からフックの軌道で、落ちて来る。
黒井は、身体を横に開いて、躱した。
電撃を纏った拳が、蒼白く光りながら、空気を巻き込んで咆哮した。
鎧の重みだけで繰り出すパンチだが、その重みが拳を加速させ、結果、威力を増す。
第三号の黄色いマフラーが、その拳を恐れたように、ストロンガーから離れてなびく。
黒井はストロンガーのパンチに合わせて、左の拳を放っていた。
鉤突きが、茂のヘルメットを横から叩こうとする。
が、茂は、右のローキックで、黒井の尻を蹴っ飛ばそうとした。
黒井ライダーは、身体を捻りながら跳躍した。
錐揉み回転する第三号の足の下を、ストロンガーの白いブーツが薙いだ。
「たっ!」
黒井はストロンガーの顔の前に、右膝を用意した。
後は、トラックの進行に合わせて、カブト・キャッチャーが向かって来る。
「……っと」
茂はひょいと頸を傾げ、黒井のニー・ドロップを回避した。
黒井は危うくトラックの荷台に留まり、振り向きざまに、足刀を斜め上に蹴り上げる。
その蹴りが、ストロンガーの両手に受けられた。
黒井はすぐ、脚を引く。あのままでは、握られ、潰されるか、投げられるか、電流を流されるか、していた。
が、その急な動きの所為で、黒井の腰から上が、トラックの荷台からはみ出してしまう。
「くぅっ……」
仮面の奥で歯を噛み、黒井は、右手で荷台後方の手すりを掴んだ。
「おらぁっ!」
茂が、上から拳を落として来る。
片膝を、黒井の脚の間に着き、左足を黒井の脇腹の横手に置いている事が、自分との違いであると、黒井には分かる。
俺ならば、迷いなく、マウントを獲る。
黒井は身体を反らしてパンチを避け、茂の右脚に両足を絡めた。
ハーフ・ガードの姿勢になった。
これで、手すりから手を放しても、落ちない。
ストロンガーの身体が、楔になっている。
茂がトラックから落ちる事を考えなければ、それだけで黒井は落ちない。
が、彼と密着している事は、危険であった。
寝技に入り、押し潰されないようにすれば、体重差による不利が、少しは緩和される。
しかし、アーム・ロックやアンクル・ホールドなど、ストロンガーが電気を流す部分を掴まねばならない技は、使えない。
手打ちながら、右のパンチを、腰に入れる。
ストロンガーが、僅かに右に崩れた。
手打ちとは言え、ハーフ・ガードに入っての事であるから、その動きが茂の身体に伝わってしまうのだ。
上になった茂が、黒井の右手を制しながら、右のパンチを向ける。
黒井は、身体を右に捻った。
茂の突きの勢いが、二人の身体を道路側に振り出そうとする。
茂は、左手を荷台に突き、引っ繰り返されないようにした。
黒井の右手が解放され、両手が自由になった。
第三号の蒼いグローブが、ストロンガーの頭部を掴む。
手前に引き寄せながら、身体を持ち上げた。
鉄の仮面同士が激しくぶつかり合い、二人の間に、火花が走る。
黒井は、茂が上半身に気を取られている間に、左脚を茂の股から抜いた。
両脚を茂の腰に絡め、クローズド・ガードに入る。
「てめっ……」
黒井は、ストロンガーのうなじで両手をクラッチし、手前に引き込んだ。
頸骨を押さえられると、頸を上げる事が出来なくなる。その反射を利用した。
そうして、自分の胸をストロンガーの顔に当て、両脚は腋の下まで引き上げた。
茂の両手が、黒井を掴む事も出来ず、トラックの荷台からはみ出して、宙を掻く。
黒井は、左腕で茂の頭を抱え、右の肘を落とそうとした。
が、そこで、トラックがカーブに差し掛かった。
車体が少し傾斜し、二つの身体が揺れ動く。
この時、ストロンガーの両手が、トラックの手すりを掴んでいた。
その手すりを手前に引く事で、茂が、黒井諸共、荷台から重心をはみ出させてゆく。
黒井は、自分たちが落下するのが、どうにかガードレールの手前である事を確認した。
それを越えれば、岩の海岸まで続く、数十メートルの崖だ。
ストロンガーの体重を抱えたまま、そこに落ちれば、強化服を纏っていても唯では済まない。
だが――
茂は、自分の身体の半分以上が、荷台から放り出された時、自ら脚を腹の方に畳んで、荷台の背面を両足で蹴った。
膝のばねで打ち込まれた蹴りが、第三号とストロンガー両名を、斜めからガードレールまで吹っ飛ばした。
二人の重みで、白い柵が歪む。
赤と蒼の鎧が絡み合いながら、白い金属の壁を、牙を剥いた獣の顎が如く変形させた。
二人はそのまま崖に身体を打ち付けられて別れ、崖を勢い良く転がり落ちていった。
このままでは、埒が明かない――
筑波洋も、松本克己も、そのように思っていたであろう。
スカイライダーの突撃は、スカイサイクロンに避けられてしまうし、スカイサイクロンの射撃は、的の小さく素早いスカイライダーには当たらない。
スカイライダーの、一日に必要なカロリーは一〇万キロカロリー。
空中戦で疲弊している上に、必殺のスカイキックを放てば、その内の二万カロリーを消費してしまう。
仮に、これでスカイサイクロンを破壊出来たとしても、克己・四号本人が残っていれば、洋の勝利は危うい。
同じく風を力とする第四号の事であるから、スカイライダーのベルト・トルネードに風圧を与えるような事は、しない。
先にスカイライダーが地に落ちてしまったなら、そこで決着が付く。
克己は、彼に逆転のチャンスを与えないからだ。
だが、洋が、決死の覚悟で必殺技を放ち、それが若しもスカイサイクロンの動力部を射抜けば、克己は、核爆発に巻き込まれる。
スカイサイクロンには原子炉が組み込まれており、その部分に一撃を貰えば、大爆発を起こして、搭乗した克己の肉体は、強化服ごとどろどろに溶融する。
それは、スカイライダーも同じだ。
同じだが、たった一人の人間の為に自らを犠牲に出来る青年は、それよりも更に多くの人間の未来を守る為ならば、何度死んでも構わないとするだろう。
それで相手を斃せるならば、克己だって、それをやる。
しかし、克己は、死を恐れずとも、自分から死ぬような事は、しない。
仮面ライダー第四号・松本克己に与えられた使命は、第三号やガイストと協力して仮面ライダーたちを倒し、捕らえる事だ。
それは、自分たち三人にしか出来ない事である。
だから、仮面ライダー・筑波洋一人の為に、自ら死んでやる事は、出来なかった。
死を恐れながらも厭わない筑波洋と、生への執着はないが死を選べない松本克己――
二人の判断は、ほぼ同時であった。
スカイライダーが、遥か上空へと駆け上がり始めた。
それを追って、垂直に、スカイサイクロンが飛び上がる。
克己の視界の中で、緑の鎧と赤い翼が、点のように小さくなってゆく。
雲海を、抜けた。
白い海から抜け出した途端、蒼い世界が、克己の眼の前に広がった。
その蒼さの中心に、白と表現する事さえ躊躇われる、眩さが出現した。
太陽――
克己は、視界を封じた。
スカイサイクロンのガラスさえ突き抜ける太陽の光は、Cアイを閉ざさなければ、克己の脳を焼く。
明順応を行なう刹那、克己は白い闇に閉じ込められた。
その僅かな間隙を縫って、筑波洋が攻撃に転じる。
折角、明かりに慣れた克己の視界を、黒い影が覆った。
鳴り響くアラートと共に、防弾ガラスが、外側から破壊された。
ガラス片が、螺旋の軌道で、克己の身体に襲い掛かる。
スカイライダーは、身体を螺旋状に回転させながら、重力低減装置を切り、更に伸ばした右腕の先を回転させて、スカイサイクロンのコックピットに突っ込んで来た。
回転する七〇キロの肉体が、もう少しで、克己のボディを貫きそうになった。
克己は、寸での所で緊急脱出を行ない、座席ごと、コックピットから射出された。
この際に、スカイライダーに組み付いて、姿勢を垂直にしていたスカイサイクロンから、地面と平行に飛び出した。
洋の胴体に抱き着いた克己は、右の鉄槌を、スカイライダーの腰に打ち付けた。
重力低減装置のレバーを、破壊したのであった。
「な――」
二人は、真っ逆さまに、落ちてゆく。
蒼い空から、再び雲の海へと飛び込み、そして、地上に映った空へと落ちてゆく。
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第十二節 破壊
崖を転がり落ちた所から、黒井はすぐに立ち上がり、同じく起き上がって来たストロンガーに挑み掛かった。
持ち上がり掛けた頭部に、横から、サッカー・ボールを蹴り飛ばすように、右足を振り出した。
茂はそれを左腕でガードし、第三号の軸足を狙って、右の蹴りを放った。
黒井は、軸足で跳躍し、空中から、左の蹴りを打ち込んだ。
カブテクターの肩口にぶち当たった蹴りが、ストロンガーの姿勢を崩させる。
足に仕込まれたスプリングがたわみ、ライダー三号の身体が舞い上がる。
バック宙をして岩場に着地した黒井は、鉤爪を茂に向けた。
ストロンガーは、立ち上がりざま、両手を擦り付けて、地面に叩き付けた。
ぎざぎざの岩場の間には、水が流れている。
エレクトロ・ファイヤーが、岩の隙間を流れていった。
黒井の立った岩の周辺から、稲妻が迸り、黒井を檻に閉じ込める。
一瞬閃いた電撃のケージが消えると、茂は跳んでいた。
黒井の頭上に位置し、電パンチを叩き付けてゆく。
飛び退いて距離を取ると、ストロンガーのパンチはそのまま地面に激突し、岩を吹っ飛ばし、水を噴き上がらせた。
黒井ライダーは、粉塵と噴水の向こうのストロンガーの体勢を、Cアイや超触覚アンテナで割り出し、素早く死角に入り込んで、蹴りを放つ。
背後から、脚に向けて。
「おっ」
茂がそれに反応し、狙われた左脚を持ち上げる。
蹴りを躱された黒井の右脚が、着地する前に膝から翻り、ストロンガーの胴体を打った。
茂は、第三号の蒼いブーツを左腋に挟み込んだ。
そのままひねれば、黒井の右脚を、膝からねじり折る事が出来る。
茂が力を籠める方向を黒井は見切り、そちらに身体を回転させた。
「――とぁっ!」
茂は、黒井の右膝を、外側にねじろうとしたが、黒井はそれに合わせて右側に跳び、ストロンガーの前で回転すると、着地した左足をすぐに跳ね上げて、頸に引っ掛けた。
第三号の両脚が、ストロンガーの左肩を挟んでいる。
黒井は茂の左腕を掴むと、頸に引っ掛けた左脚に体重を掛け、又、腰を切る事で、ストロンガーを投げ飛ばした。
「ちぃっ」
茂は自ら跳んで黒井のタイミングを狂わせた。
このお陰で、黒井の計算よりも早いタイミングで茂の身体は回転し、黒井の脚から左腕を引き抜く事に成功した。
尻餅をつく形になったストロンガーは、両手を地に突いて上体を起こそうとする第三号の顔面に向けて、右のアッパーを打ち上げた。
黒井は、咄嗟に地面を掻いて、岩の破片を飛ばし、茂の拳は、その破片を更に粉微塵にまで砕く事で、飛蝗の仮面を逸れた。
がら空きになったストロンガーの右腰に、黒井がしがみ付いてゆく。
頭を下げて、右肩を茂の腹に当て、そのまま押し倒そうとした。
が、ストロンガーは、右足を後方に伸ばす事で第三号のタックルを堪え、相手にがぶってゆく。
黒井は、茂が前に出していた左脚に両脚を絡め、腰を落とした。
普通ならば、これで膝が崩れ、相手はバランスを崩す。
だが、相手は超重量級のストロンガーであった。
しかも、茂はアメフトの経験者だ。
身長はあるが、体重は軽い方の彼は、自分よりも体重のある選手のタックルを何度もぶちかまされた事があり、それに比べれば、この超強化服を纏った状態での突撃など、大した事はない。
茂は両手を第三号のヘルメットにやると、そこに、思い切り体重を乗せた。
蒼い仮面が、地面に、激突させられる。
仮面の内側のクッションがなければ、兜から伝わった振動が、脳震盪を引き起こしていた。
離れなければ!
仮面全体が、熱を孕み始めた。
コイル・アームが、常時放っている電気が、黒井の頭を炙り始める。
地面とストロンガーの手の間から、頭を抜こうとした黒井の顔に、硬いものがぶち当たって来た。
ストロンガーの、膝だ。
仮面の左側半分が、吹っ飛んだ。
Cアイに使われていた特殊ガラスや、機械の部品、表面の装甲が、黒井の左眼の周辺に突き刺さった。
這うような体で逃げ出した黒井を、茂が追う。
ストロンガーを振り返った黒井の、外気に晒されている左眼が、真っ赤に充血していた。
仮面の破片が、突き刺さったのだ。
「先輩方と、お揃いだな」
茂が軽口を叩いた。
かっとなって、黒井はストロンガーに仕掛けてゆく。
左のハイキック。
と、見せ掛けての、右での後ろ回し蹴り。
カウンターを合わせに来たストロンガーの右ストレートに、更にカウンターを取り、第三号の右足の踵が、茂のヘルメットの右側頭を叩いた。
揺らぐストロンガーの頭部に、黒井が、肘を落とす。
密着して来た三号を捕らえようとするストロンガーの手を払った。
その手を払った腕で、ストロンガーの顔を殴り上げる。
左手で、大きく主張するカブト・キャッチャーを掴むと、右の手刀を作り、振り下ろした。
がきんっ、と、鈍い音を響かせて、鋼虫の角が、斬り飛ばされた。
下がった頭に、左のライダーパンチを打ち付けようとする。
だが、その三号のコンバーター・ラングに、ストロンガーの拳が当てられている。
低い姿勢から、しかし、強く踏み込んで、右拳を突き出した。
ゼロ距離からの一発は、鉄の装甲を歪ませ、黒井を大きく弾き飛ばした。
足場の悪い岩の地面を転がる第三号。
ストロンガーは立ち上がると、地面を蹴り上げた。
ぶわりと、空気を唸らせながら、超重量が飛び上がる。
回転と、落下と、そして稲妻を加えた跳び蹴りが、黒井を襲った。
電キックだ。
仮面ライダー第三号も、必殺のキックで反撃する。
ベルトの両脇のスイッチを押し込み、タイフーンを回転させた。
そこに自らの動きを加えて、二倍の風力を取り込む事が出来る。
威力を倍にまで引き上げたライダーキックと、ストロンガーの電キックが、空中で交差した。
高度数千メートルの上空から墜落した衝撃は、流石に、強化改造人間とても堪える。
強化外骨格や衝撃緩衝材などの、飛蝗のジャンプ力を人間のサイズで再現する為の措置が取られていない、生身に近しい改造人間であれば、それこそ虫けらのように潰れていた事であろう。
ましてや、スカイライダーの最大の特徴でもある重力低減装置は、落下の最中に破壊されてしまっていた。
重力制御をし切れなかった筑波洋は、ライダー・スーツの中で、そのダメージに悶えている。
一方、それよりも旧式の強化服を纏う克己は、洋よりも少し早く、頭を上げていた。
洋に、重力低減装置を破壊されたという精神的なダメージが加わっていたのに対して、克己には、スカイサイクロンへの突撃を防いだという心の余裕がある。
又、脳改造手術が施されている克己は、痛覚を自在に遮断出来る。
いや、遮断と言うのは、少し違うかもしれない。
例えば、脳改造を施されていない強化改造人間は、改造間もなくは、神経と肉体とが巧く接続されておらず、脳からの信号も、感覚器からの刺激も、伝わり辛い。
その為、殴られたり、銃で撃たれたりしても、防衛本能である痛みを正確に伝えられず、ものを掴もうとすれば、力の調整が出来ずに強化された握力をそのままぶつけてしまう。
脳改造を受ければ、与えられる痛みを把握し、加えるべき力を調節する事も可能だ。
しかし、これはその肉体に慣れてゆけば、自然と出来る事である。
本郷猛は、改造された当初、持ち上げたガラスのコップを握り壊し、励まそうとして子供に添えた手で、少年の手を潰しそうになってしまった。
それを、身体に順応してゆく内に、コントロール出来るようになった。
同様の経験が、神敬介にもある。
又、風見志郎は、脳に撃ち込まれた弾丸が原因で、パワーを制御出来なくなった経験を持つ。
痛覚に関しても、神経が肉体に馴染んでゆくのなら、同じだ。
だが、脳改造を受けていなければ、出来ない事も、ある。
それは、痛みを無視する事である。
痛みを感じる事は、ある。
事実、克己は今、全身に痛みを覚えている。
だが、その痛みが、自分にどういう結果を齎すかを、克己は無視している。
痛みが肉体を破壊し、最後には自らの死を呼び込む。
その事を忘れている。
その事を忘れる事が出来れば、痛みなどないも同然だ。
痛いという感情そのものが、克己の前頭葉からは、掻き消えていた。
だのに、自分が死ぬような事はあり得ないと思っている。
克己は、自分の足取りが覚束ない理由に気付かないまま、スカイライダーの傍まで歩み寄ると、起き上がり始めた緑の仮面に向かって、拳を叩き付けた。
金属同士が衝突し、火花が散る。
洋が、塩の地面を蹴って、その勢いで、パンチを克己の腹に打ち込んだ。
衝撃で後退はするが、克己はすぐに蹴り返して来る。
鉄の脛が、スカイライダーの肩に直撃した。
洋が膝を着く。
第四号は、スカイライダーのマフラーを掴み上げると、手前に引き寄せた。
接近させられたスカイライダーの胸に、四号ライダーの正拳が突き刺さる。
崩れそうになるも、克己はマフラーを引っ張って、チェーン・デス・マッチの如く、洋を放そうとしない。
左手でマフラーを握り、右のパンチを叩き付け捲る。
洋は、克己の左手を握った。
克己が、右ストレートをぶち込もうとする。
その瞬間に、仮面ライダー・筑波洋の身体が、仮面ライダー第四号の左側に、するりと回り込んでいた。
第四号のパンチが、虚空を薙ぐ。
スカイライダーは克己のバックを獲っており、克己は自分のパンチの威力でその場で半回転した。
そうして、洋は克己を抱えて、後ろに跳んだ。
バック・ドロップで、四号の後頭部を、塩の鏡の中に叩き込んだのであった。
ここから、寝技の攻防に移行する。
克己が、自ら脱出したとは言え、スカイサイクロンは活動が可能だ。
しかし、洋はセイリング・ジャンプが出来なくされている。
同じ程の跳躍力を持つ第四号と、遠・近距離での打撃は、スカイライダーに有利とは言えなかった。
それならば、七人ライダーとの特訓の際、彼らと脳波を共有する事で体得した、九九にも及ぶ技の内の、サブ・ミッション技で、この相手を下すべきであった。
バック・ドロップの体勢から、両脚を、克己の左脚に絡め、そこを起点に身体を持ち上げる。
第四号が寝そべり、その頭に足を向ける形で、スカイライダーが上半身を起こしている。
左足首を右腋に挟んで、左手でロック。
身体をねじりながら倒れる事で、足首を極めようとした。
しかし、克己が、横向きになりながら、身体を丸めつつ、脚を引き抜こうとする。
海老だ。
水分で装甲が滑り、がちがちと音を鳴らしながら、四号のブーツが、抜け出した。
洋は、上半身を立たせた克己の胴体に、蟹バサミを仕掛ける。
プロテクターとバックルがなければ、鉄の両脚に胴体を両断されていた所だ。
克己は、地面に引き倒される事を堪えると、洋の右腕を掴んだ。
手前に引き、アーム・ロックに移ろうとする。
スカイライダーの左肘が、しかし、四号の顔を斜め下から打った。
逆に左腕を捕らえる。
洋は、克己の身体の外に振り出した右足で、強く踏み込むと、上下を入れ替えた。
両手で四号の左腕を捕らえつつ、左腰を跳ね上げ、顎に押し当てた左肘を軸にして反転する。
克己・四号が、落下する衝撃で大量の飛沫を跳ねさせた。
この時、チン・ガードが歪み、鉄板の隙間から、肌色が覗いていた。
スカイライダーの肘によるものである。
仮面ライダー・筑波洋は、仮面ライダー・松本克己の左腕を引き上げ、背中に回しながら、肩から肘に掛けての関節を絞り上げた。
チキン・ウィング・アーム・ロックだ。
ねじり上げられた肩甲骨から腕のラインが、鳥の手羽に見える事から、こう呼ばれている。
克己の右半身は水に浸かり、洋は彼の背後で膝立ちになって、腕を決めていた。
容赦はしなかった。
手首をロックしたまま、克己の上腕を押し上げて、強化服の上から彼の肘を破壊した。
文字通りの鉄骨が歪み、強化服の肘の部分に、不自然な出っ張りが生じていた。
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第十三節 呪縛
岩場が、燃えていた。
ストロンガーが放った電キックによって、空気が激しく摩擦されたのである。
その炎が、周辺に燃え移っているのだ。
海水を浴びても、火は消えなかった。
風が吹き続けているからである。
酸素を喰らいながら、海辺で、炎は赤々と燃え上がっていた。
その中で、黒井響一郎・仮面ライダー第三号と、城茂・仮面ライダーストロンガーは対峙している。
第三号の蒼い装甲が、炎の照り返しを受けていた。
その仮面の左側は砕け、黒井の素顔が覗いている。
仮面の破片に傷付けられた眼球は、赤く染まっている。
その眼の下に、傷跡が伸びていた。
改造手術を受ける時、皮膚を新たに張り付けられたその縫い目が、浮き上がっている。
一方のストロンガーも、無傷ではない。
電キックをライダーキックで跳ね返され、そのダメージが残っている。
そうであっても、黒井ライダーが襲い掛かって来るので、どうにか対抗していた。
チョップでカブト・キャッチャーを折られた以外にも、狂ったように繰り出されたパンチで、カブテクターが歪んでいた。
不味かったのは、胸のど真ん中に直撃した一発だ。
普段ならば、充分に耐久し得る一撃であった。
だが、決着を焦ったのが、悪かった。
茂は、電気マグネットを用いて、黒井を引き寄せた。
コイル・アームから強力な磁力を発して、金属を引き寄せる事が出来るのだ。
そうして、戦う意思は見せながらも、身体が追い付かないでいた黒井を吸い寄せて、電パンチの一撃で決着する心算であった。
だが、黒井は、引き寄せられるその力に逆らわず、却ってストロンガーに肉薄する手段だと判断して、パンチを放った。
それが、計算が、或いは偶然か、ストロンガーの胸の中心――Sポイントを叩き、歪めた。
これで、チャージ・アップ――超電子の力が封じられてしまった。
再改造で埋め込まれた超電子ダイナモが生み出す電子を、回転する事で体外に排出する役目を、Sポイントは担っている。
歪な形状になったSポイントは、回転する事が出来ない。
出来ても、充分に電子を排出し切る事が出来ない。
チャージ・アップ状態は一分間しか使う事が出来ず、タイム・リミットが近付くに連れて、生成される超電子は量を増してゆく。
それが、排出し切れずに体内に蓄積を続ければ、リミットよりも早く、ストロンガーの身体は爆発四散する。
Sポイントに生じたのが、どの程度の歪みか、それがどれ位、電子を吐き出す弊害となるか、それを割り出す事が、黒井の執拗な攻めの為に邪魔されている。
黒井響一郎――
茂は、彼の戦いに、言いしれない狂気を感じた。
何かに憑りつかれたように、黒井は攻撃を仕掛けて来る。
どれだけ殴り飛ばされようが、どれだけ蹴り転がされようが、だ。
それでも立ち上がって、ストロンガーに咬み付いて来る。
痛みを感じていない?
そうではない。
痛がっている素振りは、ある。
それを無理くりに押し殺して、ストロンガーを倒そうとするのだ。
ともすると、何かを恐れているようにも感じる。
その恐怖を振り払う為に、死に物狂いになっているようであった。
そうしている内に、二人の戦いは長引き、いつの間にか、岩の海岸は炎の闘技場と化しているのであった。
黒井が、駆けて来る。
パンチ。
茂が、その腕を払って、前蹴りを叩き込んだ。
黒井の身体が宙に浮く。
ストロンガーの、フック気味の拳が、第三号のヘルメットの右側を殴った。
顔を引き戻す勢いで、黒井がアッパーを放つ。
その拳を、ストロンガーの白い手甲が握り込んだ。
黒井の血眼が、緑色の複眼を睨み付けた。
「もうよせ!」
茂が言った。
黒井は、右の脚を、茂の脚の間に滑り込ませようとした。
ばぢぃ、と、ストロンガーの手から蒼白く電光が迸る。
雷の蛇が、三号ライダーの身体を焼いた。
黒井の身体が、その場に崩れ掛ける。
しかし、膝を着いただけであった。
「か、かて……ば」
蚊の鳴くような声で、黒井が、牙の奥で言っていた。
「正義……」
ゆるりと、黒井は立ち上がった。
「まければ……」
狂っていた。
狂いながら、黒井響一郎は、拳を叩き付けて来た。
「悪!」
そのボディを、ストロンガーの下突きが射抜いた。
腰を山なりにしながら、黒井ライダーが浮き上がる。
黒井は、岩肌に、背中から落下した。
それでも、まだ、黒井響一郎は立ち上がろうとした。
炎の中で、幽鬼の如く、蒼い影が立ち上る。
黒井は、ベルトの両脇のスイッチを押した。
唯でさえ、赤い円としか見えなくなる程に回転していた風車が、速度を速める。
大量の空気を、呑み込んでいた。
コンバーター・ラングからは、黒井の身体に溜まった熱を、絶え間なく吐き出している。
この火照った身体を冷却するのに、風車ダイナモの回転が必要であった。
そうして掻き回された空気の中で、揺らめく炎が、蒼く変わり始めた。
タイフーンの回転に引き寄せられた酸素を、赤い蛇が喰らい始めているのだ。
赤い炎は、高温になるに連れ、蒼く変色してゆく。
蒼い炎と、赤い炎が、仮面ライダー第三号とストロンガーとの間で、ぶつかり合っているようであった。
と――
ぽつり、と、ストロンガーのヘルメットを、雨粒が打った。
見れば、空に暗雲が立ち込めている。
炎が生み出す上昇気流が、積乱雲を作っていた。
黒い雲の中で、龍の唸りが聞こえている。
茂は空を見上げ、黒井に視線を移した。
黒井ライダーは、まだ、ストロンガーとの戦いをやめようとはしていない。
きっと、殺しても、立ち上がる。
勝てば正義、敗ければ悪――
その思想が、黒井響一郎の屍さえも、戦わせる。
それは、呪いだった。
黒井が、黒井自身に掛けた呪縛であった。
永遠に彼を蝕むものだ。
敗北の果てにある醜い悪を厭う黒井は、勝ち続けて、自らの正義を証明し続けなければならないという呪いを、自らに掛けている。
決して成就する事のない、呪い。
勝って、勝って、勝ち続けなければ、自らを保っていられない程の。
「決着だ……」
茂が、静かに言った。
ストロンガーが手を持ち上げる。
ハンズ・アップ――敗北の印では、ない。
黒井も、これが最後の攻防になると、分かっていた。
赤と蒼の炎と、黒い雲に包まれた静寂が、場を支配する。
黒井が、動いた。
地面を蹴って、跳び上がる。
その跳び上がった黒井に向かって、天空から、雷光が降り注いだ。
上昇気流が呼んだ積乱雲から、ストロンガーが落雷を促したのだ。
視界の全てが真っ白く染まり、次いで、轟音が鳴り響く。
世界の終わりを告げるような雷鳴だ。
ストロンガー・サンダーが、跳躍したライダー三号を貫いた。
だが、その白い光の中から、黒井響一郎はストロンガーに向かって飛び掛かって来た。
稲妻を吸収した黒井ライダーが、ストロンガーに組み付く。
黒井の身体に落ちた雷は、そのまま三号ライダーのエネルギーとなり、それを、密着したストロンガーに向けて流し込んだ。
大きな爆発が、起こった。
克己は、左腕を折られながらも、身体を滅茶苦茶に振るって、洋を振りほどこうとする。
それを抑え込もうとするスカイライダーの頭上に、四号ライダーの左脚が持ち上げられた。
はっとなった時には遅く、緑の仮面に、銅色のブーツの爪先が打ち込まれていた。
克己は、左脚を背中に回していた。
直立した状態から繰り出されれば、克己の左脚は、蠍の尻尾のように見えていただろう。
洋は蹴りの衝撃で、僅かに技を緩めてしまった。
その隙に、克己は洋の手から逃れ、しかも、破壊された左腕で殴り掛かって来た。
腰のひねりで繰り出される、肩・肘・手首の三節の鞭。
装甲の重みも加わって、鞭の先端に鉈を取り付けたかのような凶器が、スカイライダーの仮面を横から薙いだ。
「俺は、不死身だ……」
克己が言った。
自分は痛みを無視出来る。
痛みが喚起する死への恐怖を、無視出来る。
そして自分はショッカーの為に、死んではならない。
それに、過去、克己は黄泉戸喫を行なっている。
黄泉の国の怪物を殺した克己は、既に死人だ。
死人は、殺す事が出来ない。
だから、松本克己・仮面ライダー第四号は、不死身なのであった。
立ち上がった克己に対し、洋はグラウンドから足を蹴り出した。
離陸する飛行機のように滑る黒いブーツが、銅色のプロテクターを押し込んだ。
克己は、蹴りの衝撃で跳びながら、揃えた両脚を、洋の蹴り足の膝にあてがった。
そのまま体重を掛け、スカイライダーの右足の膝関節を、踏み潰す。
膝が、あり得ない方向に曲がり、爪先が天を睨んだ。
右足で、洋の右膝を地面に縫い付け、克己は右手に、二本貫手を作らせた。
拳から、人差し指と中指を突き出し、揃える形だ。
それを、ゆっくりと、トルネードに近付けてゆく。
ベルトを破壊して、エネルギー供給を断つ心算だ。
急ぎ打ち付けては、その風圧で風車が回ってしまう。
だが、そんなゆっくりとやっていては、洋の反撃も当然であった。
洋は、克己の右腕を掴み、引き寄せながら、左脚を克己の頸に、外側から引っ掛けた。
腰のひねりを足に伝わらせ、克己の肩を回転させる。
スカイライダーの体重に引かれて、四号ライダーの頭が地面に向かって落ちて来た。
極まり切れば、うなじに左の脛を宛がう形での、脇固めが完成する。
克己は、咄嗟に左手を突いて落下を防ごうとしたが、既に破壊されていた肘が、あらぬ方向を向きながら折れ、身体を支え切れなかった。
その脇固めの姿勢から、洋は克己の右腕をねじり、自身も回転し、克己を引き上げた。
スカイライダーが背中を地面に着け、四号がその上で仰向けになる。
克己・四号の腰に、畳み込まれた洋の左膝が当てられていた。
又、左手は克己の右腕を頸から肩甲骨に掛けての位置に押し当てており、右手はブーツの片足首を握っていた。
プロレスで言う、ボー・アンド・アローに近い。
弓なりになった相手の背に押し当てる脚を、引き絞る矢に見立てている。
ここから更に、洋は左足の踏み込みを用いて、寝返りを打った。
踏み込みの衝撃が、スカイライダーの膝から、克己の背骨に伝わる。
次いで翻った頭部が、地面に打ち付けられた。
三つ目の衝撃は、地面と膝で、胴体をサンドウィッチされる痛みだ。
頭部と脚部、そして胴体の三点を抑え込んで、敵を地面に激突させる――本来は、地上で捕らえた相手を上空から投げ落とす技だが、重力低減装置と右脚を破壊されている今では、グラウンドから仕掛ける、変形三点ドロップが精一杯であった。
それでも、改造人間の踏み込みが背骨に与える衝撃は、相手の肉体が如何に強靭で、強化服の上からのものであろうと、大ダメージである。
「ぐぅお」
無理に反らされた頭部、歪んだ鉄板の間から、克己の鈍い声が漏れた。
暫く、洋は、三点ドロップを極めた姿勢のままでいたが、やがて克己が動かなくなったのを見て、技を解いた。
ぽちゃりと、銅色の仮面とブーツが、塩湖に落ちる。
その水面は、もう、蒼空を映してはいなかった。
広がる波紋が、まるで血が流れ出したかのように、朱く染まっている。
スカイライダー・洋は、壊れた右脚に苦労しながら、倒れた克己ライダーから去ろうとした。
だが、その眉間のランプが、ぱっと輝きを放った。
改造人間が、ごく近くで活動している事を知らせていた。
振り向けば、克己が立ち上がって、殴り掛かって来る所であった。
四号の右のパンチが、スカイライダーの左頬を打ち付けた。
身体の右側に掛かった体重を支え切れず、洋が、右膝を水に沈める。
克己は、右と、肘から先が変な方向を向いた左で、交互に殴り付けて来た。
両腕で頭をブロックするが、その上から、滅茶苦茶に拳を落として来る。
金属の鈍器が振り下ろされる衝撃が、仮面の内側に広がってゆく。
本当に、この相手は、不死身なのか⁉
洋は戦慄した。
腕を壊され、頭を打ち付けられ、背骨に衝撃を与えても、克己は立って来る。
まるで、ゾンビだ。
脳みそを撃ち抜くか、五体をばらばらにして焼却するかでもしなければ、死なないような気さえした。
「くぅぅっ!」
洋は、クラッシャーを悲鳴のような歯軋りで震わせながら、右腕を突き上げた。
黒いレガートが、高速で回転を始めている。
スカイ・ドリルだ。
黒い螺旋の金属が、克己のパンチの隙間を縫って、正中線を這い上がった。
タイフーンの表面を、スカイ・ドリルが駆け上がる。
風車ダイナモの前に、シャッターが設置されていなければ、危うく破壊される所だ。
しかし、スカイ・ドリルの勢いは止まらず、プロテクターの前面を抉り、チン・ガードを弾き飛ばした。
克己の、鼻から顎に掛けてが露出する。
洋は、四号の胸倉を掴むと、右腕のスカイ・ドリルを、眉間に叩き付けていった。
ぎゅろろろろっ!
ぎりりりっ!
ばぎゃぎゃぎゃぎゃ!
金属が金属を掘削する。
聴覚という存在を、ぐちゃぐちゃにしようとするかのような雑音が、克己の脳に響いた。
脳のしわを、電流が駆け巡る。
眼の前に、イワンの顔が浮かび上がった。
続けて、地獄大使の事を思い出した。
“私はね、カツミ……”
どうした、イワン。
と、問い掛けそうになった。
“俺は……”
と、誰かが言った。
聞き慣れた声だった。
俺の声だ。
俺とは誰かと言えば、それは、松本克己だ。
“俺は に、 を見出せ のだ”
克己が、何かを言っている。
俺が、何かを言っていた。
そうして、
“地獄を愉しみ給えよ”
地獄大使が言った。
そうして奴は、俺の頭を掘削して……
克己の膝が、かくん、と、折れた。
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第十四節 齟齬
仮面ライダー第三号の設計は、基本的に強化改造人間第一号・二号のそれをベースにしている。
CアイやOシグナル、超触覚アンテナ、クラッシャーなどの機能を持ったヘルメットを被る事により、頭部を保護するばかりではなく、改造された身体の機能を起動する。
風車ダイナモが回転して風力を取り込み――この際のプロセスは、
第一期:バイクや、自然落下を用いた加速による風圧
第二期:両肩の内臓スイッチによる回転
第三期:ベルト両側のスイッチによる起動
と、簡略化が為されている――、体内の小型原子炉から生み出されるエネルギーを動力源にする。
作戦行動によって体内に蓄積された熱は、コンバーター・ラングから排出され、この熱を噴射して一時的に滑空する事が出来た。
改造体の脚部には強力なスプリングが仕込まれており、ブーツにはその超人的な跳躍力から身体を守る、ショック・アブゾーバーの役割を果たす他、衝撃を外部に向かって放出、つまり、キック力として転換する。
そして、第二期から組み込まれるようになった機能に、蓄電・放電機能がある。
電気を体内に取り込んで、風力エネルギーの代わりとしたり、それを外に放出したりする機能だ。
これは、第一期・本郷猛が、ベルトに風を受けられない場合と、第二期のアーキテクチャーである内臓スイッチを起動させる動きが取れない場合の、第三の風車ダイナモを回転させる方法である。
常に一定の電力を蓄えて置けば、これのみで、改造人間としての力を発揮する事が可能だ。
後にストロンガーに流用される技術であるが、第一期・二期の頃には、攻撃に転用する程の電力を自ら発生させ、それを蓄えて置く事が困難であった。
しかし、瞬間的に、攻撃に転化出来るだけの電力を得られたのならば、その限りではない。
生体電流を放出するエイキングという改造人間がいたが、仮面ライダー第二号・一文字隼人は、この機能で、エイキングの電撃を吸収し、放電する事で相手に逆流させ、彼の改造人間を打ち倒している。
黒井がストロンガーに対して仕掛けたのも、この攻撃であった。
ストロンガー最大の電気技である、ストロンガー・サンダーの威力を、そのまま返してやったのだ。
さしもの城茂・仮面ライダーストロンガーとても、この反撃は予想していなかったようで、遂には、黒井響一郎の前に膝を屈する事となったのである。
雨が、降っている。
雷が鳴っていた。
この日の晴天を期待していた人々は、多大なる迷惑を被った事であろう。
ストロンガーと三号ライダーが戦った時に引き起こされた爆発と、それによる炎が生んだ上昇気流が、積乱雲を作り上げた。
急速に熱せられた大気が、上空で冷やされ、雨粒となって降り注いでいるのである。
どうにか、本当にぎりぎりの所で茂に勝利した黒井響一郎は、壊れた仮面から、赤い眼を覗かせながら、曇天の下、雨の中で三〇〇キロの鎧を纏う戦士を担ぎ、岩場の向こうの道路に呼び寄せて置いたトライサイクロンまで運ぼうとしている。
マヤからは、仮面ライダーたちを捕獲するよう、言われていた。
黒井にとっては、妻子を殺した仮面ライダー第一号のみが復讐の対象であり、他のライダーたちに対する憎悪はない。
他のメンバーを殺さずに捕らえる事は、組織の情報網を以てしても居場所を特定出来ない第一号・二号を誘き出す為の作戦であると、思っている。
「酷い格好ね」
超重量級のストロンガーを、必死の思いで、体力を極限まで削ぎ落とした黒井がトライサイクロンまで連れてゆくと、いつの間にかやって来ていたマヤが、そう言った。
マヤは、黒い、男物のスリー・ピースを着ている。
かなりタイトなようで、胸がベストの内側からせり出し、大きな尻にズボンがぴったりと張り付いていた。
その上、予期していなかった雨の為に、生地が濡れて身体に密着し、ボディ・ラインを浮かび上がらせていた。
トライサイクロンの傍には、彼女が乗って来たらしいオートバイが停まっている。
スズキGSX1100Sだ。
「ライダー・スーツにすれば良かったわ」
と、ぼやくマヤの横で、黒井が、ストロンガーをトライサイクロンに載せ、仮面を外す。
左半分が砕けた仮面を受け取ったマヤは、それ以外にも、装甲が剥げ、内部が剥き出しになった個所のあるそれを撫でて、呆れたような顔をした。
「もっと、身体を大事になさい」
「……君にそう言われると、何か、勘違いをしてしまいそうだよ」
「……そう分かっているだけ、良い傾向よ。……仮面や強化服は、多少なりとも替えが利くわ。けれど、貴方の身体はそうではないのよ」
一体、どれだけの時間を掛けて、強化改造人間第三号・黒井響一郎を育て上げて来たのか。
今までの、改造人間を造り上げては仮面ライダーに対してぶつけ、未熟な最新型を呆気なく破壊されてしまう。
この在り方を厭い、マヤは、ライダー・キラーとしての仮面ライダーを、どうにかコストを維持出来る唯三人のみ、残して来たのだ。
それなのに、戦うたびにこうもぼろぼろになってしまわれては、堪らない。
「分かった。次からは、気を付けよう」
黒井が頷いた。
「それじゃ、港で待っているわ。彼を基地まで運ぶ為の輸送船が、夜には着く筈よ」
マヤはバイクに跨り、各所に眼のプリントされた――黒井に言わせれば悪趣味な――ヘルメットを被って、マシンを走り出させた。
黒井は強化服を脱いで、コートに着替えた。
そうして、トライサイクロンの、剥き出しのマシンガン・ユニットやスーパー・チャージャー、後方のロケット・ブースターなどを車体に収納し、屋根を張ると、最後にエンブレムを反転させて隠した。
トライサイクロンの擬態である。
こうすれば、一見、普通の四輪自動車だ。
黒井は、隣に気を失ったストロンガーを乗せて、トライサイクロンを走らせた。
それから一週間と間を置かず、黒井はヨーロッパに向かう事となった。
ストロンガーを捕らえた黒井は、マヤからの連絡を待って、日本で体力を回復させていた。
マヤが借りたホテルに独りでいる時、その連絡が来たのだ。
ストロンガーを輸送船に任せてから、二日後の事であった。
最初に、克己がスカイライダー・筑波洋を捕獲した事を知らされた。
次に、その克己が、スカイライダーとの交戦で左腕を破壊されたと聞いた。
「
と、訊いた所、マヤはヒステリックな調子で、
「
と、彼女には珍しく、黄色い声を上げた。
何でも、強化改造人間はイワン=タワノビッチや緑川弘、呪博士、志度敬太郎など、ごく一部の天才科学者のみの“芸術作品”であり、今、基地にいる科学者陣では、精々、メンテナンスが出来る程度であった。
それが、関節が外れただとか、一部の人工筋肉が断裂しただとかであれば兎も角、改造体起動の内臓スイッチを破壊されたのを修理する事は、非常に難しい。
長い時間が掛かる上に、完全な再現という訳にはいかない。
それまでの間に、アマゾン、ストロンガーとスカイライダーが敗れたという報は、地球に残る五人のライダーたちの許へ舞い込む事であろう。
ライダーたちを捕らえた基地には、電波を妨害する装置が設置されているので、敗れたライダーたちが何処に拘束されているかがすぐに判明するという事はない。
しかし、アマゾンに連絡が取れない事を知れば、直接のコンタクトの為に、南米を訪れるかもしれない。
そこで、最近、調査隊が行方不明になったニュースを知れば――例えそれが、ショッカーが現地のマスコミに圧力を掛けて情報を隠していたとしても――、現場に足を運ぶだろう。
そうしてピラミッドを発見され、アマゾンがしたように基地に潜入されてしまえば、ストロンガー・スカイライダー両名に仕掛けたような、奇襲や、召喚しての挑戦など、こちらの精神的アドバンテージが、奪われてしまう。
「分かった」
黒井は、マヤにそう返した。
「俺が、残る五人を、全て相手しよう」
「無理よ」
マヤは即答した。
「貴方、本当に五人を一度に相手する心算でしょう」
「――」
「成程、良い考えだわ。それなら、一度の戦闘だけで済む。幾らかは壊れるでしょうけど、スーツや身体の修理も、その一回だけ……」
「なら……」
「――で、勝てるの?」
「勝つさ」
「それが無理だって言ってるのよ。相手は、貴方と同じか、それ以上の、本郷猛と一文字隼人がいるのよ。一対一……頑張っても、二人を相手にするのが関の山でしょうね」
「むぐ……」
「心配しないで。あてはあるのよ」
「あて?」
「克己の身体を、
「本当か?」
「ええ」
それから少しして、ホテルのフロントに、ヨーロッパの或る町の新聞の記事が、ファックスで送られて来た。
ロボット工学の世界で、最近になって頭角を現して来た、アメリカ人のアシモフという人物についてのものであった。
記事には、アシモフ博士が開発した、医療用パワード・スーツの試作品が、その町の病院に寄附されるという内容が記されていた。
身体の一部を失っていたり、生まれた時から何らかの障害を持っている人に、その機能を与えるユニットであった。
試作品という事で、実験的な意味は勿論あるのだろうが、新聞には、幼い頃から外で自由に遊べなかった子供たちへの無償のプレゼントであると、美談として纏め上げられていた。
「技術提供を見て」
マヤが言うので、記事に眼をやると、アシモフ博士の後援に、アメリカ国際宇宙開発局の名前が載っていた。
現在、富士山の麓からロケット・スーパー1を打ち上げ、月面に基地を着陸させる事に成功した彼らが加わった事で、アシモフ博士の研究はかなりのペースで進んだという。
世間的には秘されているものの、彼らは、惑星開発用改造人間S-1を開発し、月面でのベース設立に使用している。
そのS-1の開発には、FBIやICPOの捜査官が各地から収集して来た、ショッカーやゲルショッカーなどの技術が提供されている。
つまり、このアシモフ博士は、ショッカーの改造人間製造ノウ・ハウを、正式に受け継いでいる事になる。
「このアシモフ博士に、克己の身体を
「その心算よ」
「それで、
「多分、彼なら
「そうか……」
黒井は、胸を撫で下ろした。
マヤがヒステリーを起こす程の負傷を、克己が負ってしまった。
その、大切な仲間の怪我が治ると聞いて、安堵したのである。
「貴方には、その町で、克己に合流して貰うわ。彼の護衛としてもね」
「了解した」
頷いてから、黒井は、
「そう言えば、ガイストはどうしたんだ?」
「彼は、今、忙しいの」
「忙しい?」
「大事なお仕事の、真っ最中でね。それが一段落するまで、彼は動けない」
「そうか。それじゃあ、ガイストに頑張ってくれと、伝えてくれ」
「はぁい。それじゃあ、貴方の替えの強化服と仮面は、克己に持たせるわね」
「頼む」
そうして、黒井はマヤが手配した船のチケットを受け取り、ヨーロッパへ向かったのである。
克己は、夢を見ていた。
スカイライダー・筑波洋を捕らえた時の記憶を、眠っている脳内で再生しているのだ。
あの時――
胸倉を掴まれ、仮面をスカイ・ドリルで掘削された克己は、スカイライダーの手が生身の顔に届く直前、膝を抜いた。
膝を抜くというのは、膝の関節を緩めて脱力する事である。
こうして、克己の重心が下がり、彼と繋がっていた洋の重心も、自らの意に反して下ってゆく事になる。
投げを打つ時の基本は、このように、相手の重心を崩す事だ。
重心が安定しているから、人間は投げられない。
ならば、その安定している重心を崩せば、人間を投げる事が出来る。
嘉納治五郎が、嘉納流柔術・講道館柔道で成功したのは、この事を理論的に説いたからだ。
誰にでも出来る武術。
誰にでも分かる武道。
しかし、それを公開したのが、嘉納治五郎が初めてというだけで、その理論自体は、それよりもずっと以前から、様々な言葉で、或いは行動で、相伝されて来たものである。
克己は、育ての親の松本慶朝から、これを教わった。
琉球唐手の秘伝である。
膝を抜いて脱力し、落下した身体を支える踏み込みを、攻撃力に転化する。
固めた拳を、自然な位置に持ち上げて置けば、踏み込みの勢いが、拳を進ませる。
進んだ拳は、大地の威力をそのまま相手の肉体に刻み込む。
ライダー四号・克己は、襟を取っている仮面ライダー・筑波洋の重心を、そうやって崩し、踏み込みを用いたパンチで、落下し掛ける顎を射抜いたのである。
クラッシャーをチップしたパンチは、顎を掠めた打撃が頭蓋骨の中身を揺らすように、仮面の奥の頭部を揺さ振った。
そうして、洋は脳震盪を起こし、夕日の塩湖に倒れ込んだのであった。
そのスカイライダーを回収しようと、装甲の内側を、まるで筋繊維を剥き出すようにして晒していた第四号であったが、無人の筈のそこに、人の気配を感じた。
辺りを見回したが、自分たちの他には、誰もいない。
しかし、確かに他人の気配を感じた。
視界の隅に、ちらりと、人影が映ったような気がしたのだ。
拡張された感覚でも捉えられないという事は、只の気の所為なのだろう。
そう思おうとすればする程、何者かが自分の傍にいるという感覚に陥った。
背後を振り返れば気配は頭の後ろに移動し、顔を戻せばやはり背中に焦げ付くような視線が感じられる。
妙な不安が、克己を支配していた。
自分の身に、何か、異変が起こっている。
その異変の正体を、誰にも言わないまま、克己は、ヨーロッパの田舎町、アシモフ博士が訪問する予定のそこへ、南米からやって来ていた。
そうして、黒井と合流したのであった。
アシモフ博士の元ネタは山田ゴロ版『仮面ライダー』から。
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第十五節 画竜
三人の男女が、その場に、座している。二人が男、一人が女である。
昏い空間に、広い絨毯が敷かれていた。
絨毯は正方形であり、その中に三角形が描かれている。
三角形の頂点に、円が設けられ、三人はその円の中に座している。
その円と円との間に、高い燭台が置かれ、火を灯されている。
一人は、マヤであった。
マヤは、袖のない、白い貫頭衣を着用している。
手を胸の前で組んでいる。指と指を交差させ外側に出す形だ。
正座であった。
一人は、ガイストであった。
上半身は裸で、ズボンを穿いているだけであった。
その裸の胸の皮膚が捲れ、ブラック・マルスが剥き出しになっている。
作動したブラック・マルスが、熱を排出している為、唸りを上げていた。
胡坐を掻き、臍の下で、左手に右手を重ねている。
一人は、チェン=マオであった。
オレンジ色の僧衣を身に着けている。
結跏趺坐。
手は、胸の前で動き、目まぐるしく結ぶ印を変更していた。
マヤの左手側の円に、チェン=マオ。
チェン=マオの左手の円に、ガイストが座している。
三人は、何れも、口の中でぼそぼそと何事かを唱えていた。
マヤは、古ナワトル語。
以前、カイザーグロウを誕生させ、黒沼陽子に伝えて、山彦村の人々の怨霊をジンドグマの幹部たちとして転生させた呪文であった。
ククルカンは、“翼ある蛇”の意である。
シバルバは、マヤ文明の世界観で言う冥界の事だ。
ユム・キミルというのは、その冥界を支配する、死者の王である。
チェン=マオは、チベット語である。
『理趣経』の内容について、チベットの言葉で語っている。
『理趣経』は、五世紀頃に成立した、仏教の一つの完成形である、密教の根本経典だ。
『|般若波羅密多理趣百五十頌《プラジュニャーパーラミター・ナヤ・シャタパチャシャティカー》』――
これには、人間のあらゆる行為は、清浄なるものであると説かれている。
特に、生体の原理である男女の和合――SEXに関する事も、清らかなものであるという。
普通の者たちは、この真意を理解出来ず、世間的に悪とされている行動に走ってしまう心配がある為、『理趣経』を中国から日本に持ち帰った空海は、閲覧を制限した。
その『理趣経』の、原本である。
ガイストは、『般若心経』を唱えていた。
釈迦が、舎利弗に、この世界の実体は空であると説いている。
苦しみも喜びも空であり、見えるものや聞こえるものも空だ。
空とは、全ての源である。
あらゆるものは空から生じ、あらゆるものは空へと還ってゆく。
その為、空は清らかでもなく、穢れてもいない。
こうした内容が説かれている。
三人の、それぞれの言葉が交わり、奇妙な旋律を奏でていた。
それらを、ブラック・マルスの排熱音が繋いでいる。
読経の声と、風の音が混じり合い、空気を揺さ振っていた。
燭台の上で、蝋燭に灯された炎が揺れる。
決して大きな炎ではない。
しかし、それぞれの言葉を唱え続ける三人は、その皮膚に汗を浮かべていた。
声も、次第に枯れ始めている。
長い時間、集中して、延々と、それらを唱えているのである。
それぞれの呪文を、各々唱える三人の中心――つまり、三角形の中心には、一本の樹が置かれていた。
樹と言っても、一メートルから一メートル半という位のものである。
アーモンド――桜の樹であった。
女性のウェスト程の太さの幹から、七つの枝が左右に突き出している。
その七つの枝と、幹のてっぺんに、金属の玉が取り付けられていた。
又、その木の後ろには、二枚の石板が縦に重ねられている。
石板には、二枚とも文様が刻まれており、下の石板には、一本の幹に沿って並ぶ七つの法輪、上の石板には、三本の幹に、一〇個のセフィラが並んでいる。
十戒石板・八咫鏡――山彦村から回収された、“空飛ぶ火の車”を起動させる三種の神器の一つである、御影石であった。
桜の樹は、アロンの杖・草薙剣だ。
アロンの杖は、中国での五行思想に影響を受けて、五つの刀として改造された。
その内の四本は、黒井・克己・ガイストらのイレギュラーナンバー・ショッカーライダーたちと、ドグマの地獄谷五人衆との戦いの中で破壊されてしまったが、残った一振りはマヤから悪魔元帥の手に渡され、ジンドグマの守り刀“稲妻電光剣”となった。
この五本の剣の本体は、刃ではない。柄などに使われていたアーモンドの枝……アロンの杖である。
唯一回収された“木”の剣から、アロンの杖・草薙剣の樹皮を採取して、ショッカーの基地で培養し、ここまで成長させたものであった。
尚、“稲妻電光剣”は仮面ライダースーパー1・沖一也によって、悪魔元帥・サタンスネークへのとどめに使われた後、再びショッカーの手に戻っている。
そして、この桜の樹の枝に取り付けられた金属の玉は、マナ・八尺瓊勾玉である。
マナとは、モーセ一行が砂漠を彷徨っていた頃、彼らの生命を長らえさせた甘露だ。
甘露は、サンスクリット語にすれば、アムリタ――不死の妙薬である。
中国に於いては、水銀を摂取する事で、不老長生を得る事が出来るとされていた。
真言密教を日本に於いて大成させた沙門空海も、高野山に眠る水銀を手に入れて、即身仏となる事が出来た。
日ユ同祖論に基づけば、古代ユダヤ教の三種の神器は、日本の三種の神器と結ぶ事が出来、アロンの杖が草薙剣、十戒石板は八咫鏡となれば、マナ(の壺)は勾玉とイコールである。
勾玉は、多くは
八尺瓊勾玉がマナであれば、それは金属製のものである。
かつて、賀茂氏が守っていたものを、源九郎義経が受け継ぎ、中国へ亡命する際に、大陸に持ち込んだ。そうしてチンギス=ハンとなった彼の子孫が守って来たものを、中国を訪れた大塚正志、後の赤心少林拳創始者・樹海が、原始キリスト教徒の末裔である火の一族に返却したものだ。
“火の車”の安全装置ともなっていた五つの石を溶かし、新たに八つの金属の玉として鋳造したものである。
それら三種の神器が、この場に揃っている。
チェン=マオは、その桜の樹の正面に座し、マヤとガイストは、両脇から神器を挟む形で、詠唱を続けていた。
そうしていると、三人の身体が、薄っすらと燐光を帯び始める。
その光が、ゆらゆらと空間を漂いながら、中央の世界樹に向かってゆくのであった。
世界樹――
多くの地域に伝承される、世界を貫く一本の巨大な樹木の事だ。
チェン=マオたちの詠唱によって、巫蟲が振動している。
世界に遍満するエネルギーの事だ。
それらを可視化した場合、彼らの身体に纏わり付く燐光となるのだ。
そのエネルギーは、世界樹の根元に延びてゆくと、幹を、螺旋を描いて昇り始める。
枝の先の金属の玉を経由して、頂点へと昇り詰める。
そうして頂点に達したエネルギーは、その螺旋軌道のまま下降する。
上昇と下降を延々と繰り返すエネルギーであった。
やがて、チェン=マオが、『理趣経』を唱え終える。
それに合わせて、マヤとガイストも読経を終えた。
『理趣経』の終了と共に、チェン=マオたちが纏っていた光が、すぅっと消えた。
ブラック・マルスが、冷却を始める音だけが、三本の蝋燭にのみ照らされる空間に、響いている。
チェン=マオが、おもむろに立ち上がった。
チェン=マオは世界樹に向かって歩み寄ってゆき、その先端に手を添えた。
そこで、
「ぬぅっ」
と、手に力を籠める。
すると、世界樹の枝に取り付けられた金属の玉が、熱されてもいないのにぐにぐにと変形を始めた。
金属の玉は、広がって、世界樹に絡み付き、世界樹を圧迫する。
金属で包まれた桜の樹は、更に変形してゆき、絨毯の上に、人の頭程の大きさの球体となった。
その球体を、チェン=マオは両手で持ち上げた。
「ガイスト」
と、マヤが呼び掛ける。
「はいよ」
ガイストも腰を上げ、そこに置かれた二枚の石板を持ち上げた。
チェン=マオを先頭に、マヤ、石板を持ったガイストの順で、その場を後にする。
三人は、暫く、昏いだけの通路を歩いていたが、やがて、開けた場所に出る。
正方形の、広い部屋であった。
その中央に、九つの櫃が並んでいる。
人が入る程の櫃だ。
八つが放射状に寝かされており、その真ん中に、一つだけ立っている。
これらの九つの櫃を跨ぐように、八本の柱から梁が渡されている。
上から見れば、柱の配置は、正方形を作るようになっている。
その屋根に、四角い窪みが二つと、放射状の溝が走っている。
ガイストと、チェン=マオが、その広い空間の、透明の床に足を踏み下ろした。
真ん中の、九つの櫃を区切る柱の上に、ガイストが飛び乗った。
石板を、窪みにはめ込む。
そうして、チェン=マオから金属の球体を受け取り、石板の間に置いた。
すると、金属の球体は形を崩し、溝に沿って走ってゆく。
溝は、中心から放射状になっているが、ふちに届くと、円になっている。
四角形の中に、円があり、その中に放射状の溝があるのだ。
金属の球体が、溝に行き渡ったのを確認して、ガイストはそこから降りた。
「これで、一段落って訳ですかい」
ガイストは、柱の隙間から、櫃を見下ろした。
櫃は半透明で、九つの櫃の内、三つに中身が入っている。
仮面ライダーアマゾン、仮面ライダーストロンガー、スカイライダーであった。
ストロンガーとスカイライダーは、第三号と第四号との戦闘で傷付いた強化服を修繕され、アマゾンは戦闘形態に変身させられている。
三人とも、全身にコードを繋げられていた。
「後は、残る六名の仮面ライダーを捉えれば、この曼荼羅は完成する」
チェン=マオが言った。
月面で作業に入っている仮面ライダースーパー1を加えた六名である。
「後は、龍の眼を入れれば良いって事ですな」
「うむ」
「下準備は完了……それじゃあ、俺もそろそろ、奴さんとやりたい所だがねぇ」
ガイストは、マヤに言った。
奴――Xライダー・神敬介の事だ。
三種の神器を、新しい姿に作り替える作業の為、ガイストは基地から離れられなかった。
それが終わり、漸く、ガイストは宿敵との戦いに赴けるのだ。
「そうね。響一郎と克己から連絡があり次第、貴方にも動いて貰うわ……」
そう言った所で、
「報告が御座います」
と、声を掛けられた。
マヤたちが、天上を見上げる。
この曼荼羅の空間の天井は高く、上階の床に孔が開けられている構造だ。
上階からの落下を防止する為の柵越しに、女の顔が見えた。
整っているが、冷たい顔立ち。
黒い髪は、雑に乱されている。
すらりとした長身を、白衣で包んでいた。
「イーグラ? どうしたの」
マヤが訊いた。
イーグラと呼ばれた女は、
「ウルガとバッファㇽの姿が見えません」
どちらも、改造人間である。
ウルガはハイエナの、バッファㇽはコンドルの能力を再現している。
「あの二人は、確か……」
「トレーニング・ルームで、身体を慣らしていた所です」
「それなのに、いないの?」
「はい」
「勝手に抜け出したって事?」
「そのようです」
「困るわね……。何処に行ったか、分かる?」
「アシモフ博士……」
ぽつりと、イーグラが言った。
「アシモフ?」
「トレーニング・ルームに、彼の論文がありました」
「アシモフ博士の所に向かったって事?」
「その可能性があります」
イーグラからの報告に、怪訝そうな顔をするマヤに、
「黒井たちの応援って所じゃないのか」
と、ガイストが言った。
「それにしたって、一言欲しかったわね」
「――彼ら……ああ、恐らくウルガでしょうが、彼が読んでいたのは、アシモフ博士の新エネルギー理論についての論文です」
「新エネルギー理論?」
「はい」
パワード・スーツとは別件の研究である。
しかし、今は油圧式という事で、かなりの重さを必要とするパワード・スーツに、その新エネルギーを組み込めれば、服を着るようにパワード・スーツを動かす事が出来るようになるかもしれない。
「ウルガという男……」
ふと、チェン=マオが口を挟んだ。
イーグラは、今まさにチェン=マオがそこにいた事に気付いたように、慌ててその場に跪いた。忠誠を誓った大首領を見下ろす事は出来なかった。
「お前のやり口には、否定的だったな」
チェン=マオの視線が、マヤに向けられた。
「巫蟲の事さ」
「巫蟲の?」
「我々は普通とは違う。巫蟲を見る事が出来る」
「――」
「ガイストは、お前から話を聞き、ブラック・マルスを備える事で、巫蟲を感じられるようになった……」
世界に遍満するエネルギーであり、この世界のあらゆる物質の最小単位が、巫蟲である。
分かり易い言い方をすれば、霊という事になる。
霊魂、気、オーラ、怨霊、幽霊、悪霊など、全て巫蟲と同一である。
それらは、感情の動きによって、良質のものにも、悪性のものにも変化する。
本来ならば、それを知覚する事は出来ない。
マヤとチェン=マオは、これを捉えられる性質であった。
ガイストは、本来ならば、巫蟲を見る事は出来ない。
だが、マヤから説明を受けたので、今は、見る事が出来ている。
地獄谷五人衆の一人、象丸一心斎・ゾゾンガーが、“火”の剣を自らに突き刺して進化したゾゾンガー・ブラストが、ゾゾンガー・スペクターへと変貌し、霊的攻撃を仕掛けたのに、対応してもいる。
「ウルガには、それが分からぬのさ」
「分からない?」
「あやつは、唯物的だからな」
「目視出来ない霊的エネルギーは、存在しないと……」
「うむ」
「ふふん……」
マヤが、ぽってりとした唇を、小さく吊り上げた。
「頭でっかちなんだから……」
「如何致しますか」
イーグラが訊いた。
「どうします」
マヤは、チェン=マオに眼を向けた。
「お前の好きなようにせよ」
マヤはそう言われて頷くと、
「イーグラ、貴女に、監視をお願いするわ」
「ウルガとバッファルと、合流せよと?」
「そう」
「監視と言うと……」
「彼らが何をしようとも、特別、手を出す事はないわ。但し、彼らの動向は報告して」
「は……」
「後は、貴女の好きなように行動なさい」
「それで、よろしいのですか」
「よろしいわ」
マヤに、投げやりともとれる命令をされ、イーグラは困惑した表情であった。
が、チェン=マオとマヤに一礼をして、イーグラは去ってゆく。
アシモフ博士の許を訪れる心算であろうウルガたちと、合流する為だ。
アシモフ博士の乗った飛行機が墜落したと、そのようなニュースが流れたのは、間もなくの事であった。
新エネルギー理論……何だか雑だなっ←
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第十六節 呉越
「――分かった……」
黒井は、ガイストからの通信に頷いた。
既にヨーロッパに入り、克己と合流していた黒井であったが、現地でアシモフの搭乗した飛行機が墜落したという報を受け、それからガイストから連絡を貰ったのである。
恐らく、ウルガとバッファルの仕業だ。
彼らの居場所を、イーグラがじきに特定するであろう。
次の連絡を待てという事であった。
「と、いう訳だ、克己……」
黒井は、克己に言った。
克己は、左腕を根元から取り外している。
右肩に、長方形のケースを、ベルトで引っ掛けていた。
予備の左腕であった。
黒井は、その克己に視線を巡らせた後、
「風見志郎、結城丈二……」
と、傍に佇んでいた二人に言った。
「戦うのは、後だ」
「分かった」
風見志郎が頷いた。
風見は、黒い革の上下を着て、白いスカーフを風にたなびかせていた。
長い前髪の隙間から、豹のような鋭い視線が、絶えず黒井と克己に向けられている。
「今は、アシモフ博士を助け出す事が優先だな」
結城丈二も言った。
蒼いブレザーと、灰色のパンタロンを身に着けた、線の細い男である。
しかし、その落ち着きの中に、鋭利な色が潜められている事を、黒井と克己は感じていた。
「あの……」
と、風見と結城の傍らに立っていた女が、遠慮がちに声を掛けた。
女の横手には、一〇歳位の男の子と、彼よりも年下であろう車椅子の少女がいた。
「心配はありませんよ」
結城が女性に言う。
「アシモフ博士は、無事です」
「でも、発表では」
乗客全ての死亡が確認された――そのように報道された。
「いえ、博士は生きています」
黒井が言った。
飛行機事故が、ウルガとバッファルの仕業であれば、彼らの目的であるアシモフが死んでいるという事は、先ずないと言って良いだろう。
「我々が、彼を助け出します。それまで、少し待っていて下さい」
風見の言葉は、力強かった。
有無を言わせぬ信頼を、抱いてしまう。
女――母親は、風見たち四人に頭を下げ、
「――よろしくお願いします……」
と、掠れた声で言った。
結城が、彼女に対して、胸を叩いて、
「お任せ下さい」
と、言った。
風見は、彼女の傍で不安げに俯いている少女の頭を、安心させるように撫でた。
そして黒井は、少年の手を握りながら、ヒーローとして微笑んで見せた。
「ゆくぞ」
立ち上がった風見が、黒井に言う。
「ああ……」
黒井が頷いた。
本来は相容れぬ、二人の三号と四号――
ウルガとバッファㇽは、彼らにとって、共通の敵となっていた。
少しばかり、時間を遡ってみる。
このような事があったのである。
風見志郎と結城丈二が、ヨーロッパの片田舎、アシモフが訪れる予定になっていた町にやって来たのは、彼を守る為である。
ネオショッカー大首領を宇宙に葬り、仲間たちと共に地球に帰還した後も、彼らは人間の自由と平和の為に戦い続けていた。
世界各地に散らばったネオショッカーの残党や、沖一也・仮面ライダースーパー1が戦ったドグマ・ジンドグマの改造人間たち。
スーパー1によって悪魔元帥・サタンスネークが斃され、ショッカー系列の組織が活動を控えるようになったものの、世界から争いが消える事はなかった。
各国での内乱や独立戦争、環境破壊、人種や出身地などを理由とした差別、人の力では及ばない災害、新種のヴィールスなどによる伝染病……
そうしたものから、人間たちを守るべく、世界を奔走していたのである。
そんな中、風見と結城は、或る企業がきな臭い活動をしているのを発見した。
単に“財団”と呼ばれるその組織は、世界各国の軍需産業と手を結び、着々と戦争の準備を整えようとしているのであった。
その“財団”が研究開発している兵器というのに、彼らは着目した。
改造兵士と呼ばれるものである。
例えば、ジャングルや、砂漠、倒壊した都市部などの局地での戦闘を考慮した兵器だ。
ロケット・ランチャーやミサイル砲、戦闘機、戦車などの大型の大量殺戮兵器ではなく、敵の組織や国の要人や施設をピン・ポイントで攻略出来る、超人兵士を造り出そうとしていたのである。
又、こうした改造兵士であれば、武器の輸出に関する条約に引っ掛かる事がない。
海や空のルートで、リーズナブルに、堂々と他国に“輸出”出来る。
この技術は、しかも、医療などにも流用出来る訳である。
良いビジネスであった。
「嫌になるな」
結城は、“財団”について調べている時、風見にそのように漏らしていた。
「大首領は、宇宙からの来訪者だという……」
結城が“大首領”と言う時、その言葉には“デストロン大首領”という意味合いが強い。
幼い頃に家族を喪った彼に、勉強の機会を与えてくれたのは、デストロンであった。
風見・仮面ライダーV3を苦しめた、機械合成改造人間たちが装備していた武器の中で、この結城が開発したものが、どれだけあった事か。
「それならば、災害と同じだ。我々と全く異なる価値観を相手にしているようなものだ」
例えば、地震が起こったとして、それを怨む事は出来ない。
人間の意思の、全く介在しない現象であるからだ。
地震によって、どれだけの建物が倒壊し、人間が死に、連鎖的に津波や火山の噴火が起こったとして、何を怨めば良いのか。
それを、自然の怒りだと言う場合も、ある。
人間による、河川や山林の開発という名の破壊に対し、文明の破壊という形で、大地が復讐をしたのである、と。
だが、その因果関係を明確にする事など、出来はしない。
だから、因果で結ばれていない大自然を怨む事は、お門違いなのである。
しかし、
「“財団”は、人間の造った組織だ……」
人間の価値観で、人間が造り上げたグループである。
人間を殺し、財産を奪い、尊厳を蹂躙する事が、悪であると分かっている。
分かっていても、利潤の為に、それをやる。
結城たち仮面ライダーが戦って来たのは、宇宙からの災厄であった。
その宇宙からの侵略者に対し、仮面ライダーは、人間として戦った。
どれだけ身体を切り刻まれ、鉄を埋め込まれても、彼らは人間である。
人間の価値観でしか、ものを見る事が出来ない。
だから、ショッカーと戦う事が出来た。
しかし、“財団”が人間の手で編み出された組織であり、彼らの活動を仮面ライダーとして阻止するという事は、それは、人間と戦うという事に他ならない。
その事が、
“嫌になるな”
と、結城は言ったのである。
だが、例えそうであるとしても、人間の自由と平和を奪いかねない脅威とは、戦うべきであった。
これが、風見志郎と結城丈二の結論であった。
その“財団”が、アシモフを狙っているという情報を、二人は手に入れた。
アシモフは、身体動作補助用のパワード・スーツの他、既存のエネルギーに変わる新エネルギーの研究も進めていた。
世界的に最も利用されているエネルギーは、電気である。
その電気を発生させる為に、火力、風力、水力、地熱、太陽光、そして原子力が用いられている。
しかし、何れも、何らかのデメリットが存在する。
風力や水力では、発電量がどうしても少ない。
地熱発電は場所が限られ、太陽光発電は変換ロスが大きい。
火力では、大量の二酸化炭素を発生させてしまう。
原子力では、放射能の影響で周囲の環境に影響が出る。
こうしたデメリットの、全く存在しないエネルギー理論を、アシモフは導き出しているというのである。
パワード・スーツにも、この理論の一部が使用されているという話だ。
“財団”は、この技術を狙って、アシモフに接触しようとしているらしい。
風見と結城が、アシモフが訪れる町に先回りしたのは、その為だ。
風見は、アシモフのパワード・スーツが寄贈されるという病院に足を運び、そこで、パワード・スーツを贈与される予定の少女と出会った。
彼女は、下半身の機能が麻痺していた。
一年前、ナイフで脊髄をこじられたのだ。
何故、そんな事になったのか。
彼女の兄が、同年代の友人たちと、酷く剣呑な事になったからだ。
その喧嘩に巻き込まれて、友人の一人が使ったナイフで、半身不随になった。
喧嘩の原因というのは、少年の父親が死んだ事にある。
父親は、漁師であった。
代々、海に出ている家系で、町の漁師たちを仕切っていた。
町の殆どの人間は、彼の事を尊敬し、息子は将来、父と同じように、誰からも認められる立派な漁師になろうと思っていた。
或る夜、漁に出た。
その時、穏やかであった海が、突如として荒れ、漁船が転覆した。
リーダーであった父親を含めた漁師たちは、全て死んでしまった。
この責任を、他の漁師たちの遺族は、彼に求めた。
その日は、海が荒れるという予報はなかったのである。
自然の事であった。
だが、何かを怨まねば、やっていられなかったのだ。
それが、その家族であったのだ。
その家族に対して、迫害が行なわれた。
夫が悪く言われるのを、妻は、どうにか堪えていた。
しかし、息子はそうもいかなかった。
“お前の父親は人殺しだ”
同級生たちの心ない一言に激高し、揉み合いになった。
そこで、妹が巻き込まれてしまった。
その妹に、アシモフの開発した、パワード・スーツの話が、舞い込んだのである。
風見は、妹を守り切れなかった少年に、自分を重ねて見てしまった。
彼も、デストロンの計画を知ってしまった為、両親と妹を殺されている。
違うのは、母親と、妹が、生きているという事だ。
この事情を知り、結城も、自分の過去を思い出していた。
貧乏であった。
父親がいなかった。
母親は病に臥せっていた。
満足に勉強する事も出来なかった。
“母さん、お粥が出来たよ”
“丈二、いつも済まないねぇ”
母は、頭が良い息子を、まともに学校に通わせてやれない事が、心苦しいと言っていた。
或る日、母が死んだ。
そこにやって来たデストロンのスカウト・マンに、結城は付いて行ったのである。
勉強する機会は、与えられた。
しかし、その裏で、自分は大量殺戮兵器を開発していたのである。
組織は、狡猾だ。
弱い人間に対し、甘い酒を勧めて来る。
弱く、社会に不満を抱いている者たち――
彼らが求める、都合の良い環境を与え、利用する。
それと同様の事をやろうとする“財団”を許せなかったし、自分たちと同じような経験をあの家族にさせない為にも、アシモフは守らねばならなかった。
風見と結城は、アシモフよりも先に目的地に到着し、“財団”に対する警戒を強めていた。
アシモフを待ち構えていた“財団”のエージェントたちを捕らえ、目的の一つを達した。
そこで、同じくアシモフを訪ねた黒井と克己に、出くわしてしまったのである。
仮面ライダーV3・風見志郎は改造人間である。
ライダーマン・結城丈二も、神啓太郎による深海開発用改造人間のプロト・タイプとして、全身を改造されている。
仮面ライダー第三号・黒井響一郎と、仮面ライダー第四号・松本克己も、V3と同じく強化改造人間の設計である。
彼らのアーキテクチャーに、Oシグナルがある。
仮面の中心――丁度、眉間の辺りにあるランプだ。
これは、他の改造人間が近くにいる時、明滅して、その存在を知らしめる。
飛蝗は、自分たちを捕食対象とする動物が出現すると、本能的に逃走行動を採ると言うが、それと同じようなシステムだ。
この機能を持つ為、風見と黒井は、出会ったその瞬間、互いに改造人間である事を分かり合う。
風見の顔を知っている黒井は勿論だが、風見も、黒井の身体の殆どが機械である事に気付いたのであった。
未だに出会った事のない沖一也・仮面ライダースーパー1を含めた八人の仲間たち以外の、強化改造人間の肉体を持つ黒井と克己。
風見と結城が、敵だと警戒したのも、尤もであった。
しかし、出会った場所と、その情景の為、風見も、黒井も、互いに仕掛ける事が出来なかった。
アシモフが訪れる予定になっていた、病院のロビーであった。
そこで、黒井は、あの家族と話していたのだ。
先に風見と結城と面識のあった彼らは、二人に声を掛ける。
すると、
「風見志郎だな」
黒井は言った。
「そうだ」
「そちらは、結城丈二……」
克己が眼を向ける。
「うむ」
克己が、早速、二人に歩み寄ろうとする。
それを黒井が制した。
黒井は、少年の傍に膝を着いて目線を合わせ、
「あの人たちと、知り合いかい」
と、訊き、肯定されると、
「実は、俺たちもそうなんだ。少し、彼らと話して来るよ」
と、克己と、風見と結城を伴って、外に出た。
病院の外で、
「貴様ら、改造人間だな⁉」
という風見の問いを、黒井は肯定した。
「敵か、それとも……」
結城が訊くと、
「お前たちの、敵だ」
克己が答えた。
克己の左腕は、今は、ない。
アシモフが、動力開放スイッチの修理をし易いよう、肩から先を外していた。
「あんたと同じ、三号だよ……」
「何⁉」
「仮面ライダー第三号……」
黒井がそのように言った。
「あんたと同じ、頭のてっぺんから足の爪先まで、仮面ライダーだ」
「どういう意味だ」
「――」
黒井が、その言葉の意味を明かそうとする。
二人と二人――三号と四号のタッグ同士の間に、ぴりぴりとしたものが流れ始めていた。
アシモフの乗った飛行機が墜落したと知らせがあったのは、その時であった。
そして黒井と克己は、同時にガイストからその連絡を受けた。
こうして一時的に、風見と結城、黒井と克己は、共通の目的の為に戦いを先延ばしにしたのである。
兄妹ネタが不思議と多いな……。SOZORYOKUNO HINKONという奴かしら。
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第十七節 披露
「空が、蒼いですねぇ……」
その男は、手で顔の前にサン・バイザーを作り、頭上を見上げて、しみじみと呟いた。
見上げる空は蒼く澄み、しかし、その足元に緑はなかった。
降り注ぐ太陽の光を受け止めるのは、見渡すばかりの砂色である。
時折、風が吹く。
熱風だ。
熱い風が、砂の粒子を舞い上げ、黄色いカーテンを作り出していた。
砂漠の中にあって、男の姿は異質であった。
黒いジャケットと、パンツ。
セーター素材の、白いタートル・ネックを着ている。
高級そうな革靴が、砂の中に潜り込んでいた。
顔立ちが、すぅっと整っている。
髪には綺麗に櫛が入れられていた。
砂漠のど真ん中に、ぽつんと立っているより、高層ビルの最上階で都会を見下ろしながら、脚を組んでソファに深く腰掛けている方が、余程似合いそうである。
「貴方もそう思いませんか、バッファル」
「ウス……」
理知的な男――ウルガに言われて、バッファルは静かに頷いた。
禿頭の男である。
背が高く、肩幅が広かった。
肌は浅黒く焼けている。
耳がよじれ、鼻が潰れているのは、打撃系格闘技を専攻する者の特徴だ。
その見事な体躯を、鰐皮のジャケットとパンツで包んでいる。
「しかし、あの太陽は頂けません……」
ウルガは、額に浮いた汗を、ジャケットの胸ポケットから取り出したハンケチーフで拭った。
「ウス」
バッファルは、寡黙だ。
必要以上の事は、喋らない。
多少は気の利いた事を言える者なら、ウルガの話を広げる事が出来る。
それを、バッファルはしない。
しないが、ウルガの言葉には、
「ウス」
と言って、肯定する。
「貴方は、どうです」
ウルガが、視線を下げた。
そこに、中年の男の頭があった。
「アシモフ博士……」
黄色い地面に、男の頭が、転がっている。
転がっていると言っても、顔の何処かの面を、砂に埋もれさせている訳ではない。
頸から下が、砂の中に、潜り込まされていた。
「……」
アシモフは、喋らなかった。
ウルガが、バッファルからアルミの水筒を受け取って、アシモフの頭の上から水を掛けた。
「う、うむ……」
アシモフが苦しげに呻く。
「博士、どうあっても、新エネルギー理論を、我々に提供して頂く訳にはいきませんか」
ウルガが、丁寧な口調で訊いた。
アシモフが答えないでいると、
「あのね、博士。何も、私はテロに貴方の新エネルギーを利用しようというのではありません。ビジネスに、有効活用したいという、それだけなのですよ」
「び、ビジネスだと」
掠れた声で、アシモフ。
「はい、ビジネスです」
ウルガは、指をぱちんと鳴らした。
バッファルが、上着の懐から冊子を取り出した。
表紙には、
Nova Project(仮)
と、ある。
「こちらをご覧下さい」
バッファルがその場に跪き、アシモフの前で冊子を開く。
ウルガが、Nova Project(仮)について説明し、それに合わせて、バッファルはページを捲った。
ウルガは、やたらに大きい身振り手振りや、やけに抑揚を付けた喋り方で、自らの計画と、自分自身に酔っているかのように、プレゼンテーションを進めた。
その内容を掻い摘んでみれば、全世界のエネルギーを、アシモフが考案した理論によって生み出される新エネルギーを使って掌握し、経済的な面から世界を征服するというものであった。
但し、ウルガは“世界征服”であるとか、“人類支配”であるとかの単語は用いず、飽くまでも自分たちを“世界的な企業”として話した。
「先ずは、貴方の開発した新エネルギーを、全世界に供給するシステムを造り上げます。博士の論文については既に眼を通させて頂いております。いや、あれは実に素晴らしい発明です。風力や太陽光発電よりも効率的に、原子力よりも多くのエネルギーを安全に使用する事が出来る。このエネルギーですが、しかし、まだ世界の何処にもこの規格にアダプトした設計はありません。そこで、貴方にはこの為のスタンダードなシステムをクリエイトして頂き……」
ぺらぺらと語るウルガを、アシモフは憔悴した眼で見上げ、
「協力、すると、思うのかね……」
と、言った。
「して、頂けないのですか」
「あ、あの事故で……」
アシモフが乗った飛行機は、ウルガとバッファルに襲撃され、墜落した。
アシモフと、彼の研究のみが、ウルガとバッファルによって助け出された。
「どれだけの人間が、死んだと、思っているのかね……」
「――それについても、お話し致しましょう」
バッファルが、ページを捲った。
そこには、高度経済成長期以降の、世界人口の推移がグラフ化されていた。
「世界の人口は、現在(一九八〇年代)で約四五億人……このまま進めば、二一世紀初頭には、七〇億人を超える事になるでしょう。人口増加が何を齎すのか、分からぬ科学者ではありますまい」
「――」
「人口の増加は、物価の高騰を招き、物価の高騰は節約という名前の許に経済の収縮を意味します。即ち、適切な人口調整は、快適な経済循環の為に必要な事なのですよ。言うなれば、ああした事は、世界の地均しなのです」
「地均し⁉」
「はい。余計なものを切り捨て、ニーズだけを取り上げ、ブラッシュ・アップしてゆく……サイエンスとはそういうものでしょう?」
ウルガは、さも当然であるかのように言った。
すると、不意に、
「ウルガ……」
バッファルが、声を掛けて来た。
見れば、砂漠の向こうから、砂煙と共に一台のバギーがやって来る。
「あれは……」
「イーグラ……」
バッファルが、まだウルガには視認出来ない距離から、ドライバーの正体を目視した。
間もなくバギーが到着した。
「どうしました、イーグラ」
「勝手な行動をしたわね」
イーグラが、バギーから降りて、言った。
「ショッカーに……大首領に、逆らう心算?」
「はい」
臆面もなく、ウルガが頷いた。
「何ですって⁉」
「古いのですよ、大首領の……ショッカーのやり方は」
「古い?」
「世界征服? 人類統治? 挙句の果てには、ジャイアント・インパクトだの、智慧の果実などといったオカルトだ……」
「――」
「今はね、イーグラ、サイエンスの時代ですよ。怪しげなオカルトだ、スピリチュアルだのが流行る時代じゃありません。ノストラダムスってのがいるでしょう? あれだって、騒ぎ立てている連中は、私からすれば愚かとしか言いようがない……」
ノストラダムスの予言が、世紀末へのカウント・ダウンを間近にしたこの頃、流行していた。
曰く、
一九九九年、七の月、アンゴルモアの大王が降臨する
というもので、それが、世界の滅亡を意味するというものだ。
しかしこれは、ノストラダムスの詩篇を解釈したものであって、ノストラダムス本人は、予言として残したものではない。
にも拘らず、ノストラダムスの詩篇にある様々な出来事が、それまで現実で起こった事と符合している為、世界の滅亡という解釈が、予言であるかのように語られている。
「つまりね、イーグラ。私はより現実的な手段で、世界のトップに立つのですよ」
「……その為に、彼を?」
イーグラが、アシモフの方に眼をやった。
「はい」
「彼を必要とする者がいる事を、知っての事かしら」
「あの病人たちの事ですか」
「いいえ」
「四号の事ですか」
「そうよ」
ウルガの言う四号は、克己の事である。
スカイライダーとの戦いの中で破壊された、左腕の動力開放スイッチの修理に、アシモフが必要なのである。
「それも含めての事ですよ……」
ウルガが、ぞろりと言った。
「どういう事?」
「ウルガ……」
再び、バッファルが声を掛けた。
ウルガの眼が、刃のように光った。
「来たか……」
「来た?」
「貴女かな、イーグラ……」
「何の事かしら」
「ふふん、まぁ、良いでしょう」
「――」
「イーグラ、貴女の目的は分かっていますよ。我々を裏切り者として始末しに来たのでしょう? しかし、それなら見てゆくと良い」
「何を?」
「私の計画が、旧ショッカーを凌駕し得るという事ですよ」
「――」
「それを、証明してみましょう」
ウルガが、バッファルが眺めている方向を、振り向いた。
イーグラが乗って来たバギーとは反対方向から、やはり、砂煙がやって来る。
眼を凝らしてみれば、それは、二台のオートバイと、一台のスポーツ・カーであった。
「厄介だな……」
風見は、マシンのハンドルを握りながら、呟いた。
その呟きは、エンジンの唸りと、タイヤが巻き上げる砂嵐に掻き消されてしまう。
「どうした」
黒井が、トライサイクロンの運転席から問い掛けた。
「何でもない」
風見は言った。
「それより、そろそろだぞ」
「うむ」
風見と結城は、それぞれ自分のバイクに乗っている。
トライサイクロンを黒井が運転し、助手席に、隻腕の克己が座っていた。
町から砂漠に入った四人は、ウルガたちと合流したイーグラから座標を送られ、V3ホッパーで正確な地点を観測しながら、アシモフ救出の為にマシンを走らせている。
V3ホッパーは、V3に与えられた二六の能力の一つであり、小型の人工衛星を打ち上げ、その情報を受信するものである。
ホッパーから送られて来る映像では、ウルガもバッファルも、その場から逃げようとしない。
戦う心算が、あるらしかった。
「黒井響一郎……」
風見が、小さく呼び掛けた。
「さっき、あんた、何を言おうとしたんだ」
「さっき?」
「俺と、あんたが同じ、頭てっぺんから足の爪先まで、仮面ライダーというのは……」
「そのままの意味だ」
「――」
「あんたは、仮面ライダーの手で、仮面ライダーたるべく生まれた仮面ライダー」
「――」
「俺は、仮面ライダーを斃す為、仮面ライダーとして生まれた仮面ライダーだ」
「――」
「だから、同じと言ったのだ」
そうした所で、ウルガとバッファルを、人間でも肉眼で捉え切れる――言葉を交わせる距離にまで、接近した。
風見志郎。
結城丈二。
黒井響一郎。
松本克己。
それぞれマシンから降りて、ウルガとバッファルの前に、立ち並んだ。
ウルガの足元には、アシモフが埋まっている。
又、二人の背には、バギーの傍にイーグラが立っていた。
黒井が、イーグラを見た。
イーグラは、マヤに命じられて、ウルガとバッファルの監視の役目を持っている。
しかし、ウルガとバッファル、反逆の疑いのある彼らを、粛正する事は命令にはない。
それ所か、マヤからは“自由にせよ”とも言われている。
彼女が、ウルガの計画に賛同したのなら、風見たちとは勿論、黒井にとっても敵となる。
どうする心算か――
それを問う為の、アイ・コンタクトであった。
イーグラは、黒井を真っ直ぐに見返し、薄く微笑んだ。
この状況を、楽しんでいる風があった。
ウルガの行動如何で、これから先の身の振り方を判断する気であるらしい。
「これは、どうも、仮面ライダーの皆さん」
ウルガが言った。
「どういう心算だ、ウルガ」
克己が、すっと前に出た。
「ショッカーを裏切るのか」
「裏切る……? そうされても仕方のない結果しか、出せていない組織が何を偉そうに」
「何……」
「世界征服だなんだと謳いながら、約一〇年……これまで、結果にコミットメントした事が、どれだけありましたか? ダムを壊し、毒ガスを作り、新型爆弾を開発し……その結果、FBIやインターポールなどから眼を付けられ、人間たちの反感を買っているだけではありませんか」
「――」
「私は、違う」
「違う?」
「私の考える世界征服は、ですよ」
ウルガは、先程、イーグラに言ったのと同じような事を、克己に言った。
ショッカーのやり方は、古臭い。
いや、そもそも世界征服という考え自体が、遅れている。
「今が戦国時代なら、それも良いでしょう」
「それ?」
「こいつですよ」
そう言うとウルガは、上着と、セーターを脱いだ。
燦々と照り付ける砂漠の太陽の下に、日焼けとは縁のない白い裸体が晒された。
「むんっ」
ウルガが全身に力を籠めると、その至る所に、灰色の点が湧き出して来た。
毛穴から、虫のように、獣毛が押し出されてきているのだ。
その獣毛が生えるのと同時に、肉体が膨らんでいた。
ごりごりと、ウルガの頭蓋骨が変形してゆく。
額から上と、鼻から顎に掛けてが、前方にせり出し、双眸が窪んでしまう。
狼――いや、ハイエナだ。
ハイエナと人間を組み合わせたような怪物。
ハイエナ男だ。
ウルガ・ハイエナ男が、
「くむぅっ」
と、更に力を籠めると、彼の背中から、めりめりという音がした。
すぐ後ろにいるイーグラは、ウルガの背中に起こった異相を、目の当たりにしている。
肩甲骨のある位置の皮膚が裂け、数本の鉄骨が伸びて来た。
鉄骨は、魚の骨のように枝を伸ばす。
電波塔のような形状であった。
ウルガ・ハイエナ男は、両肩の柱の先端を、風見たちに向けた。
すると、その柱から、衝撃波が発生し、風見、結城、黒井、克己らを襲った。
砂が舞い上がり、不可視の鉄槌が、四人の改造人間を叩いた。
指向性衝撃波発生装置だ。
風見たちは、それぞれ身を守りながら、ウルガから距離を取って展開する。
「この、力……」
ウルガが、擦過音の混じった声で言った。
「力⁉」
黒井が問い返した。
「そうです、力です」
「それが、何だと言うんだ」
「こいつで、逆らう連中を皆殺しにして、愚民共を屈服させる事ですよ」
「それが、古臭いと言うのか」
「ええ。今日日、そんなやり方は流行らない……いや、誰も認めはしませんよ」
「――」
「いや、そんな事はありませんね。認める者も、幾らかはいるでしょう……」
ウルガが、腕を組んで、言った。
「分かりますか、皆さん、それが、どんな層か」
と、問い掛ける。
まるで、プレゼンテーションをするかのようだ。
「弱者ですよ」
「弱者⁉」
「敗者と言い換えても良いかもしれません」
「どういう事だ?」
「世の中に不満を持っている人間という事です」
それは、例えば貧乏である事かもしれない。
生まれ付き、身体が弱い、運動が出来ない人間であるかもしれない。
事業に失敗した者。
思う通りに人間関係を進められない者。
誰かに裏切られ続けた者。
そうした者たちは、遍く、世の中に不平不満を抱いている。
中には、そのような逆境から、成功する者も現れよう。
しかし、成功した時点で、彼らは敗者でも弱者でもない。
勝者であり、強者だ。
そうなれない者。
勝てない者。
弱い者。
このような者たちこそ、力による支配を望む。
頭が良くないから、力で他人を圧倒する。
人より体躯で劣るから、力のある人間に縋る。
金がなくて莫迦にされるから。
顔の造詣が悪くて異性と出会えないから。
人の心の機微が分からずに常に利用されるだけだから。
それで敗けるから――シンプルな強さに憧れる。
強さとは、力だ。
力とは、暴力であり、武力である。
ショッカーは、結局、そうした武力で以て、世界征服を目論んでいた。
改造人間は兵器である。
不気味な怪物や、超常の兵士を使って、世界を掌握しようとした。
だが、今の時代、それは通じない。
「今は
「――」
「パーフェクトなデモクラシーなど、ありません。……分かるでしょう? 一〇人や、二〇人ばかりなら、それらが全て納得する結論を出す事が出来ましょう。しかし、日本の人口は一億数千万……ありますか、彼ら全てが満足する事の出来る、世の中が」
「――」
「ない! どうしても、納得出来ない者がいる。そうした者は、弱者です。敗北者たちです。何故なら、結論を出すのは勝者だからです。金があり、頭が良く、人脈を持っている――そうした勝者たちが、最後に捺印するのです」
「――」
「おっと、これはいけない。私はね、それを否定したいのではないのですよ。寧ろ、肯定したい。そう、勝者が弱者を蹂躙し、自らの好きなようにクリエイトしてゆける世界をね」
「――」
「つまり、今は強者が微笑む時代なのです。強者とは、リッチで、クレヴァーで、グローバルな者の事です。プアーで、フーリッシュで、ロンリーな者たちは、ヴァイオレンスというファンタジーを抱いたまま、踏み潰されてしまえば良いのですよ……」
「――」
「三号……」
ウルガは黒井を見た。
「“勝てば正義、敗ければ悪”……貴方は常々、そう仰っている」
「そうだ」
「では、勝利とは何ですか」
「――」
「人と人との喧嘩の事ではありません。誰が一番速くマシンを走らせる事が出来るかでもありません。王手を獲る事でもない。では、勝利と何ですか⁉」
「――」
「この世で一番になる事ですよ……」
「――」
「弱い者を排除し、生き残った強い者たちでのみ、皆が手と手を取り合う事の出来る世界――その世界を創り上げる事が出来た者こそが、勝者であり、正義なのです」
「――」
「その為には、ショッカーのようなやり方ではいけない。仮面ライダー、貴方たちのように、武力でねじ伏せようとして来る者たちから弱者を守るだけでもいけない」
「――」
「
ウルガは、語り終えた。
満足げな怪人の横で、バッファルが、静かに拍手をしている。
イーグラは、ほんの少しばかり、興味深そうな顔をしていた。
「言いたい事は分かった……」
克己が、静かに口を開いた。
「続きは地獄でやれ」
ウルガは意識高い(系)な気がする。
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第十八節 共闘
「何ぃ⁉」
ウルガが、獣の口の端を捲り、牙を見せた。
克己は、ウルガに対して鋭い視線を向けると、
「貴様はショッカーの理念に反する者だ。だから、殺すと言ったのだ」
「――」
「それに……」
克己の視線が動いた。
地面に、咽喉まで埋められているアシモフを、その眼に捉えている。
疲弊したアシモフを見る克己は、その脳裏に、あの家族の事を思い浮かべた。
アシモフがあの家族に送る予定であったパワード・スーツ。
ウルガたちの目的は、アシモフの新エネルギー理論だが、結果として、あの家族へのパワード・スーツの贈与が、横から掻っ攫われてしまった事になっている。
若し、アシモフがウルガたちに従って行方を晦ませれば、再び歩き出せるという希望を見出した少女が、次に立ち上がれるのはいつになるであろう。
「
克己は言った。
それを聞いてウルガは、小さく溜め息を吐いた。
「貴方が言いますか、それを……」
それからウルガはバッファルに眼をやった。
「それがショッカーの総意であるのならば、仕方がない」
バッファㇽが、上着を脱ぎながら、前に出て来る。
見事な身体であった。
更に、風見たちの周囲で、砂の地面がもぞもぞと盛り上がり、黒いコスチュームの者たちがわらわらと這い出して来た。
「戦闘員たちも連れ出していたのね」
イーグラが呟いた。
基地に保存されていた戦闘員を数十名、ウルガとバッファルは引き抜いていた。
風見と結城、黒井と克己が、それぞれ背中合わせになり、円の形で囲って来る戦闘員たちに対して、構えた。
「貴方たちを葬り、首領に、私たちの意思を示しましょう」
ウルガの号令で、戦闘員たちが、風見たち四人に襲い掛かる。
分厚い刃が、緩くカーブを描く、大きめのナイフを持っていた。
銀の刃物が一斉に砂漠の陽光を煌かせ、踊る。
更にウルガも、その混戦に身を躍らせた。
風見たちはそれぞれ刃物を受け流し、戦闘員に対処した。
「結城、アシモフ博士を!」
風見が、突き掛かって来る刃を躱し、肩を極めながら言った。
「克己!」
頭の上を通り過ぎるナイフに合わせて、黒井の掌底が跳ね上がる。
戦闘員の横っ面を叩いた黒井が、鋭く叫んだ。
「分かった」
「うむ」
結城と克己が、ウルガと戦闘員の攻撃を潜り抜け、アシモフの許へ走る。
「させん!」
ウルガが砂を蹴り、結城たちに迫ろうと跳ぶ。
風見が、戦闘員から奪い取ったナイフを、ウルガ目掛けて投擲した。
ウルガがそれを手で払い落す。
その進行方向を、黒いコートが隠した。
視界を封じられながら着地し、コートを剥ぎ取るウルガ。
そのウルガに、黒井が、風見と同じようにナイフを放り投げた。
ウルガの背中の柱が、ナイフを衝撃波で弾き飛ばした。
それは同時に、周囲の戦闘員たちにも影響を及ぼしている。
ウルガを中心として地面が窪み、近くにいた戦闘員たちが大きく吹っ飛ばされた。
舞い上がる砂塵、その中で、緑と黄色の複眼が輝いた。
「むっ」
赤い仮面の仮面ライダーV3と、蒼いボディの仮面ライダー第三号が、立っていた。
アシモフの許へ向かう結城と克己。
その前に、バッファルが立った。
バッファルは両手を持ち上げて構えると、鋭く蹴りを繰り出した。
鞭のようにしなる大鉈――
結城は大きくステップ・バックして、蹴りを避ける。
克己は、頭を深く沈め、跳ね上がる勢いで右足を蹴り出した。
膝を抜く事で敢えて重心を崩し、そこから立ち上がる反動を利用して眼にも止まらぬ蹴りを繰り出す、琉球空手のキックであった。
が、バッファルはスウェー・バックで容易に躱すと、懐まで入り込んでいた克己の左側頭部に、右肘を打ち下ろして来る。
結城が克己の襟を後ろに引き、バッファルの肘が克己の鼻先を裂いた。
克己は、自分の蹴りが外れたのが、信じられない顔だ。
「重心が違うんだ」
結城が囁いた。
克己は今、左腕を失っている。
人体に限らず、この世にあるものは、奇跡的なバランスの上に成り立っている。
一ヶ所をいじると、それに伴われて、何処かに不都合が生じる。
その不都合を、時間を掛けてゆく事で解消する事は出来るが、克己は、左腕を失っている現状に慣れていなかった。
その為に、五体満足の重心で繰り出す蹴り方では、フォームが崩れ、バッファルに回避されるような技しか出せなかったのだ。
バッファルはそれを見抜き、軽く唇を持ち上げた。
鉄のような表情が、僅かな優越感に歪む。
バッファルは膝でリズムを取り出した。
ムエタイ――
「しっ」
バッファルが鋭く息を吐き、次々に左右のキックを打ち込んで来る。
隻腕の克己は、どうしても、ガード出来る場所が限られてしまう。
結城は元より、肉弾戦を得意とする所ではない。
遠く離れれば蹴りの餌食だ。
かと言って接近すれば、肘や、最悪の場合、首相撲を仕掛けられる。
片方が囮になろうとすると、バッファルは攻めにゆかない。
攻撃しない事で、抜け出す機会を殺している。
結城が、太陽の熱以外の汗を吹き出し始めた時、その横手を、バイクが駆け抜けてゆく。
V3のマシン・ハリケーンだ。
ハリケーンが、バッファルに突っ込んでゆく。
そのカウルに手を添えて、バッファㇽが突進を止めた。
ハリケーンのタイヤが、砂の上で空回りして、砂塵を撒く。
ふふん、と、バッファㇽが勝ち誇った表情を浮かべた。
刹那、ハリケーンが横を通り過ぎざまにマシンの側面に取り付いていた克己が、身体を起こしてシートに乗り、ローキックでバッファルの頭部を蹴り付けた。
浅黒い肌を、ごついブーツで擦り上げられ、皮膚がでろりと捲れる。
克己はハリケーンのシートから跳び降り、アシモフの傍へ駆け寄った。
克己はすぐにアシモフを掘り返そうとした。
彼に遅れてやって来た結城は、しかし、アシモフの近くにバギーを停めているイーグラを警戒している。
「君は……」
「今の所は、中立と言った所かしら」
イーグラが言った。
イーグラは、マヤの命令で、ウルガたちと合流している。
監視、或いは粛正が、その使命となる筈であった。
だが、マヤからは、好きにするようにと言われている。
ショッカーの改造人間としてウルガたちを処断するも、逆に彼女も亦、離反者となるのも、イーグラの意思に委ねられていた。
この場では手を出さない――それが分かっているから、克己は、アシモフの救出作業に取り掛かる事が出来た。
結城も、アシモフを掘り出し始める。
「無事か!」
克己が、地面から生還したアシモフに問う。
脱水症状と、地面の中にこもった熱でかなり衰弱していたが、命に別状はないようだ。
結城は、砂漠に持ち込んだ水をアシモフに与えた。
「この様子じゃ、手術は出来ないわね」
イーグラが言った。
「手術?」
結城が問うと、イーグラは、顎をしゃくって克己の左腕を示した。
ウルガたちから救出しても、肝心のアシモフがこれでは、ここに来た意味がない……。
「結城の援護にやらせたのだが、結果的には巧くいったか」
風見は仮面の内側で呟いた。
赤い仮面の中心が、白い蛇腹状になっている。
その白を挟むように、緑の複眼があった。
眉の位置からは超触覚アンテナがぴんと伸びている。
額のランプは、改造人間に反応して明滅するシグナルだ。
緑の強化服に、銀の腕と赤いブーツ。これは、ダブルライダーから受け継いだものである。
身体の中心を、レッド・ボーンが走っている。
その両側に並んだプロテクターは、内側のスプリングで衝撃を押し返す。
両肩にも、同様の仕組みが内蔵されていた。
仮面とスーツの僅かな間隙が、うなじにはあり、それを隠すように白い襟が立っていた。
グライディング・マフラーと呼ばれる滑空翼の余剰部分である。
腰にはダブルタイフーン。
二つの風車は、力と技と命のベルトだ。
仮面ライダーV3――本郷猛、一文字隼人から受け継いだ、仮面ライダーの精神に於ける、三人目である。
「それにしても、思いの外、似ている……」
風見・V3のCアイが、黒井響一郎の姿を捉えた。
黒井は、蒼い仮面を被っている。
飛蝗を模した、人の頭蓋骨にも似たマスクだ。
一対の黄色い複眼が、きらきらと光を反射している。
黒い強化服の側面に、金色のラインが血管のように走っていた。
プロテクターと、レガートは、蒼い。
両手首と両足首の、ショッカーの刻印が入った鉄輪で、固定している。
襟元を飾るのは、金色のリングから伸びる黄色いマフラー。
咽喉の露出を防ぐものであり、攻撃されれば電気ショックを放つ。
マフラーは、自身にその影響が出ないようにする為のアースだ。
黒井響一郎は、強化改造人間第一号、第二期の五名、そして六体のショッカーライダーのデータから造られた、強化改造人間の肉体のコード・ネームとして、第三号であった。
その姿が、風見自身は見た事がないけれども、本郷猛が唯一人でショッカーと戦っていた時のものと、似ているのである。
「中身は、桁外れだがね」
黒井ライダーが、V3を見やり、軽く肩を竦めた。
そうして、二人の三号が、ウルガに向かい合った。
ウルガは、ふんと鼻を鳴らした。
「バッファル!」
と、寡黙な同志を呼び寄せる。
克己の腕の修理を、今のアシモフでは出来ないという判断に基づいて、V3と第三号を一人で相手にする事を厭ったのである。
克己に頭を蹴り飛ばされ、頭皮を捲れさせているバッファルが、風見と黒井を、ウルガと挟撃出来るポジションにまで、歩いて来る。
その捲れ上がった頭部の、剥き出した赤い肉が、もこもこと蠢いた。
ごり、
ごり、
と、頭蓋骨が変形してゆく。
硬化した唇――嘴から、ひゅぅぅ、と、息を吸い込むと、その腹部の肉が、吸い上げられるようにして大胸筋を膨らませていった。
上半身が風船のように膨張し、異常な逆三角形の肉体が出来上がる。
すると、その皮膚が、タイトに過ぎるシャツを着て力を込めた時のように、バッファルの身体から剥離し始めた。
尋常な速度ではない細胞分裂が、バッファルの身体を巨大化させているのだ。
その剥離した皮膚の内側からは、鉄色の鱗が覗いている。
又、バッファルの背中で、肉が引き千切られた。
上半身の膨張は、肺胞の数が増え、肺が巨大化した事による。
この肺に対する締め付けを緩める為、肋骨の一部が胸骨から外れた。
そうして、肩甲骨の下から背後に跳ね上がり、肉と皮を突き破るのだ。
ずるり、と、肋骨が伸びながら、背中に這い出して来る。
その肋を、薄く皮膜が覆うのである。
翼であった。
「ぎゃおっ」
バッファㇽが、嘴から、奇怪な叫びを迸らせた。
先程までの、屈強なボディを捨てて、飛行能力に特化したコンドルの改造人間が、バッファㇽの正体であった。
「ふ……」
黒井が薄く笑い、風見・V3と背中合わせになった。
「ゆくぞ」
「うむ」
風見と黒井が、それぞれ、言った。
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第十九節 弱点
風が吹いている。
熱い風だ。
黄土色の砂吹雪が、太陽の光を浴びて、その粒子の一つ一つに熱を孕んでいる。
砂粒がカーテンのように折り重なり、その中心から広がる熱がシナプスのように繋がって、熱い風を吹かせている。
その砂の暗幕の中で、風見志郎・仮面ライダーV3とウルガ、黒井響一郎・仮面ライダー第三号が、それぞれ向かい合っていた。
風見と黒井が背中合わせになり、ウルガとバッファルが彼らを向き合っている。
「気を付けろ」
風見が言った。
「奴らの事は、あんたよりも知っている」
黒井が返した。
言いながら、第三号がバッファルに向かって駆け出してゆく。
バッファㇽが迎撃の姿勢を取った。
黒井ライダーは、バッファルに跳び掛かった。
ジャンプで勢いを付けて、頭部にパンチを落としてゆく。
バッファㇽが横に跳んだ。
それを追って、三号ライダー・黒井が、蹴りを放った。
バッファルの左腕が、黒井の右のキックをガードする。
そのガードの下から、左の蹴りを跳ね上げて来た。
黒井はその場で軽く跳んで、バッファルの蹴りを身体の下に通り過ぎさせる。
着地した黒井は、身体を跳ね上げ、バッファルの胴体に組み付いていった。
が、バッファルは強く羽ばたいて後退し、黒井の手から逃れる。
しかも、バッファルを後退させる羽ばたきは、第三号に風を向ける事になる。
バッファㇽが後退するのと、その羽ばたきの風で、黒井は彼を取り逃した。
ライダー第三号の間合いから離れた所で、バッファルは砂地を蹴り、羽ばたいた。
黒井の頭上に位置する。
砂漠の空に舞い上がるコンドルの改造人間が、逆光の中から、蹴りを落として来た。
狂暴な爪を持った蹴りだ。
黒井が迎撃のパンチを打ち上げる。
バッファルは咄嗟に足首を返し、足の裏でパンチを受け、同時に膝をたわめた。
黒井ライダーの突きの威力が、膝の所で逃れ、足を伸ばす勢いでジャンプ。
バッファルは宙でくるりと一回転して、三号のコンバーター・ラングを蹴り上げた。
左腕でブロックしたが、黒井は、何か妙なものを感じていた。
――力が出ない……?
本気の蹴り。
本気のタックル。
本気のパンチ。
その筈が、どうしてか、悉く躱されてしまう。
何だ、これは⁉
戸惑う黒井ライダーに、バッファルが仕掛けた。
「どうしました⁉」
ウルガが、V3に対し、猛攻を仕掛けている。
太い腕と、鋭い爪が繰り出す攻撃は、強化服や装甲さえも傷付ける。
先程まで、自分の知識を得意げにひけらかしていた男とは思えない凶暴さであった。
連続で打ち出される爪による切り付けを、風見・V3は、受け、躱し、防ぎ、カウンターを狙った。
しかし、そのカウンターのタイミングで、ウルガは指向性衝撃波を放ち、V3を間合いの外に吹っ飛ばしてしまう。
この直撃が、装甲を貫いて肉体を害する事を理解している風見は、どうにか受けまいと回避行動に出る。
すると、ウルガが一っ跳びに距離を詰めて来て、近間から攻撃を繰り返すのだ。
獰猛ながらも、狡猾な手口であった。
自分は、その爪で敵を引き裂こうと近付いて来ながら、いざ反撃をされるとなると、衝撃波で相手を吹き飛ばしてしまうのだ。
「防戦一方ですね……」
ウルガが、距離を保ったまま、積極的に攻めてゆかないV3に言う。
熱風でマフラーをはためかせるV3は、ウルガを警戒しながら、どうにか反撃のチャンスを窺っていた。
「虫けららしく、ぴょんぴょんと跳んでみたらどうですか……」
「――ちっ」
風見が舌を鳴らした。
それが出来ないから、このような事になっているのだ。
強化改造人間第一号・本郷猛。
彼の身体は、飛蝗の能力を再現するように造られている。
彼のデータを基に新たに造られたのが、一文字隼人を筆頭とする強化改造人間第二号である。
更に、第一号が自らの肉体に合わせて、二度に及ぶ強化服の新調をした。
第二号は、ショッカー本部に於いて急造ショッカーライダーから強奪した強化服を装着するようになった。
こうした二人の強化改造人間から改造手術を受けたのが、V3だ。
二六の秘密を持っているものの、ベースとなっているのは同じボディである。
さて、強化改造人間第一号に、身体の二〇倍もの距離を跳躍出来る飛蝗の能力が与えられたのは、戦闘下に於けるヒット・アンド・アウェイ戦術に利用可能であると考えられたからだ。
又、脚部のスプリング及びアブゾーバーの機能を持ったブーツは、空挺に際して着地の衝撃を和らげる目的もある。
だが、それは、足場が確保されている上での事だ。
硬いコンクリート。
ビルの壁面。
土の地面。
岩の表面。
しかし、その足場が、ライダー・ジャンプに耐えられない脆さ、柔らかさであった場合、ライダーの最たる武器である跳躍力を、充分に発揮出来ない事になる。
V3が、砂地での戦いを苦手とするのは、その為だ。
それは、第一号、第二号、そして、第三号とても同じ事である。
ウルガはそれを分かっていて、あのように言ったのであった。
結城丈二と、松本克己は、V3とウルガ、第三号とバッファルの戦いを見ている。
どちらも、フィールドの相性の悪さに、苦戦を強いられていた。
ウルガは、その指向性衝撃波を移動に転用する事で、バッファルはその翼による飛行能力で、ライダーたちを翻弄している。
跳躍力ではなく、カセット・アームによる戦闘がメインの結城丈二・ライダーマンであれば、話はまた違って来るのであろうが、そもそもウルガとバッファルの戦闘力はかなりのものだ。
ここで参戦したとて、何かが変わる訳でもない。
一方の克己は、左腕の修理を頼もうとしていたアシモフが疲弊している為、その手術を出来ないでいる。
片腕を失い、その状況に慣れていない自分が、強化改造人間第四号として黒井の援護に向かったとして、寧ろ足手纏いになりかねない。
どうするか――
そう思った所で、不意に結城が立ち上がった。
上着を脱ぐと、下には、ライダーマンの強化服を既に着込んでいる。
自分のバイクを呼び寄せ、シートから、ヘルメットを取り出した。
それを被ると、結城丈二の肉体は、ライダーマンのそれとなる。
当初は、カセット・アームの右腕のみが機械であったが、プルトン・ロケットの爆発に巻き込まれ、瀕死の所を神啓太郎に改造されて、カイゾーグのプロト・ボディとなっている。
その後、ネオショッカー大首領を宇宙空間で爆発させた際、改めて改造を施していた。
克己が、傍に立ったライダーマンを警戒する。
結城・ライダーマンは、ベルトのスロットから、カセットを取り出した。
それを右肘に挿入し、アタッチメントを起動させる。
カセットに封入されたアタッチメントが、カセット・アームと合体し、右腕を変形させる。
「オペレーション・アームだ」
結城が、克己に言った。
オペレーション・アームは、その名の通り、機械の修理などに用いられる。
「君の腕を直そう」
「へぇ⁉」
イーグラが、驚いたような声を上げた。
「良いのかしら、ライダーマン」
「背に腹は代えられぬ……」
結城は克己を立たせて、服を脱がせた。
張りのある人工皮膚で覆われた上半身の中で、左の肩のみが、機械の面を覗かせていた。
動力開放スイッチの備わった左腕を接続する事で、克己は、強化改造人間・仮面ライダー第四号の力を発揮する。
「敵だぞ、俺は」
克己が言った。
自分の腕が直る事は、望むべくもない事だが、それを結城が言い出した事に、克己も僅かに驚きを覚えていた。
「それでも構わない」
ライダーマンは言う。
「君とは、正々堂々と、戦わねばならないと思う」
「む……」
「左腕を貸してくれ」
克己が、スカイライダー・筑波洋に破壊され、形ばかりは修理してある左腕を、ケースから出して、結城に手渡した。
「君のような男が、ショッカーに与しているのが、分からん」
ライダーマンはそう言いながら、オペレーション・アームでの手術を開始した。
バッファㇽが、空から黒井ライダーに攻撃を仕掛ける。
打ち込まれる足の爪を、横に逃げて躱した黒井は、その動きのまま、空にパンチを駆け上がらせた。
バッファルは大きく羽ばたいて上昇し、パンチを避けてしまう。
ライダー三号は、ジャンプしてそれを追おうとするも、足場が悪い。
バーニアでより高く跳ぶ事は出来るが、それでも、バッファルが翼を使う方が速い。
空中で攻撃されては、避け切れない。
空挺兵である第四号でさえ、空中での動体制御は激しくスタミナを消耗する。
バッファルは旋回して三号ライダーに襲い掛かった。
鋼のように固い脛を、縦に打ち下ろして来る。
両腕を交差させて、頭の上で受けた黒井は、バッファルの右脚を掴んだ。
右手で、爪先。
左手で、踵。
そのまま、足首をひねり、膝ごとねじり折ってやろうとする。
その力の方向に、バッファルが回転した。
巨大な翼が生み出すパワーは、黒井のバランスを崩した。
しかも、そのバランスを崩したライダー三号・黒井に、バッファルの左脚が襲い掛かる。
咄嗟に顔の横にやった腕が、仮面に激しくぶつかった。
着地したバッファルが、体勢を整え切れない黒井の太腿に、蹴りを見舞った。
強化服越しに肉体を斬る、大鉈のような蹴りだった。
次のローを、今度は、脛で受けた。
ライダーの脛は、鉄のブーツで保護されているが、バッファルの蹴りと黒井のガードの瞬間、分厚い鉄の塊をぶつけあうような音がした。
バッファルの体重を、滑空・飛行へと至る為の跳躍力を生み出す、ライダー以上の脚部の筋力が生み出すパワーと、それに耐え得る筋肉の硬度が、鋼鉄と同等なのだ。
その脚力で、バッファルは同じ脚を使って、繰り返し蹴り付けて来た。
それは、黒井がガードをして、ガードを解く、その間隙よりも早い。
一発目は、ガード出来る。
次の蹴りを、太腿で受ける。
三発目に、脛が間に合う。
この次、ミドルへとバッファルのキックが走る。
バッファルの足が着地。
刹那、五発目のキック。
ボディへのこれを、脛で受けた。
二発に一度、黒井はバッファルの蹴りをガードし、二発に一度、喰らった。
太腿と、ミドル。
二択でありながらも、それらをランダムに繰り出す、バッファルの素早いキックに、ライダー三号は防戦一方である。
バッファルは、ほぼ軸足のみで、何分間も立っている事が出来そうであった。
しかもその間、何発でも蹴りを叩き込める。
脚だけではなく、体幹やバランス感覚が、著しく発達しているのだ。
片足立ちというアン・バランスな状態は、組み技メイン黒井にとって、タックルにいき易いし、蹴り足を取って脚関節を極める事も用意の筈だ。
それを、バッファルは速度で補っている。
強化改造人間の感覚さえ凌駕する速度は、単に、改造手術を受けただけでは得難いものだ。
元々、格闘技を良くしたのであろう。
ムエタイか、キック・ボクシングか。
ショッカーの改造人間に選ばれるのは、極めて優秀な人間だ。
例えば本郷猛は、知能指数六〇〇、ボクシングをやり、オートバイの技術は超一流だ。
黒井は、どうか。
頭は良かった。
人よりも、物覚えは良かったし、算盤だって誰よりも早かった。
何でも出来た。
周りから妬まれ、除け者にされる程度には、優秀だった。
黒井響一郎が餓狼となったのは、何も、終戦後に他の者たちと和合出来なかった為ばかりではない。
優れていたからだ。
顔も、良い。
背も、高い。
勉強も、出来る。
身体を動かす事だって、得意だ。
絵で入選なんて簡単だし、唄だってすぐにでもレコードを出せる。
周りの人間よりも、頭一つか二つ分、黒井は飛び抜けていた。
出る杭は、打たれるのだ。
杭の方に、他の人間全てを黙らせる要素があるなら、良い。
人当たりが良いとか、誰も追い抜けない程のものであるとか。
それこそ、仏陀やキリストのクラスだ。
いや、彼らにしても、“悟った”という自覚を狂人と見なされ、石を投げられ槍で貫かれている。
余りに優れた人間を、他の人間は許さない。
どうにかして、排除しようとする。
黒井が、フォーミュラ・カーで一番になれたのは、この怨みがあったからだ。
戦争に敗けた者たちが、勝者たちに媚び諂う姿への嫌悪。
誰より優れ、誰より称賛されるべきである自分が排斥される事への怨恨。
そうした黒々とした炎を胸に、黒井響一郎は駆け上がって来た。
お前も、そうなのだろう。
バッファル――
お前がウルガに心酔しているのは、ウルガが頭の良い奴だからだ。
所詮はちんぴらであるにしても、言葉巧みに人心を動かすウルガに、憧れたからだ。
お前には、そういう事が出来ないのだな。
出来ないという一点に於いて、お前は、出る杭だったのだ。
人よりも劣る。
人よりも弱い。
それで莫迦にされて来たのか。
俺には、分かるぞ。
お前のキック……
お前の戦い方……
俺を翻弄しているようだが、お前が決して器用ではないタイプという事は分かる。
少なくとも、こうやってキックやパンチを繰り出している時、お前は真っ直ぐだ。
莫迦正直だ。
純粋と言っても良い。
眼を背けたくなる程、一途だ。
哀しい程に、実直だ。
お前に何があったかは、知らない。
けれども、お前が、不器用なりに生きて来た事は、分かる。
不器用なお前の事だ、ウルガの言葉に簡単に乗っかってしまう。
でも、それも、お前の心が真っ直ぐだからだ。
このキックに、全てが載っている。
お前の全てが、このキックから伝わって来る。
お前の中にある、コンプレックスのようなものを、全てぶつけられるのが、格闘技だったのだ。
人よりも劣る事を、それに対する悔しさをばねに、やって来たのだ。
例え、脳改造を受けていても、身体に刻まれた記憶は、決して消えない。
お前が、ショッカーの兵器として、人間たちの総数を減らすべく造り替えられたとしても、奪われなかったもの。
冷たい鉄のメスやドリルにも、屈しなかったもの。
それが、この格闘技なのだな。
「――っ」
黒井は、身体が大きく傾いた事で、はっと我に返った。
蹴りを受け続けた左脚が、がくんと、折れた。
もう少しで、膝を地に着く所であった。
僅かに下がった三号ライダーの頭に、バッファルの右ストレートが迫る。
拳が、ヘルメットとクラッシャーとの接合部に、ぶつかって来た。
重ねられた鉄の牙に、ぴしりと、亀裂が走る。
――今だ。
黒井は、バッファルの手首を掴み、跳んだ。
両脚を、バッファルの右腕に絡めてゆく。
このまま、パンチの勢いを利用して投げ、肘を極める心算だった。
堪えた。
バッファㇽが、ライダー三号を右腕に取り付かせたまま、倒れるのを堪えた。
黒井は瞬時に、脚を組み替える。
右足を伸ばし、バッファルの左の頸に巻き付ける。
左足は、バッファルの腕に沿って、うなじに回した。
バッファルと更に密着して、体重を掛ける。
流石に、膝から崩れた。
まだ片膝を着いただけであるが、仮面ライダー第三号・黒井の両脚と、バッファル自身の右腕が、彼の頸動脈を絞めている。
三角絞めだ。
これが極まったら、もう、抜け出せない。
しかし、何とバッファルは、黒井の身体に左手を添え、持ち上げてしまった。
――莫迦な⁉
鉄のブーツに挟まれた上、酸素供給を遮断している。
だのに、まだ、こんなパワーが残っているとは⁉
太陽への供物のように、三号・黒井を掲げたバッファルは、そのまま、黒井を地面に振り下ろした。
砂地とは言え、落下の衝撃はある筈だ。
その衝撃が、ほぼ強化服とヘルメットによって軽減されるにしても、微かにでも影響はある。
この微かな影響が、改造人間同士の戦いでは、有利にも不利にもなる。
黒井が、バッファルから離れようとするが、バッファルは離さない。
例え地面がマグマであっても、自分諸共相手を滅ぼそうと身を投げる――そういう気概が、感じられた。
だが、その直前、バッファルは転倒し、叩き付けに使う力を緩めた。
落下が早まった黒井の背に、鉄の掌が押し当てられ、速度が緩められる。
バッファルのみが、顔面から、砂にぶち当たってゆく事となった。
「間に合ったな……」
鉄板の為にくぐもった声が、黒井の肩越しに掛けられる。
「克己!」
背中に感じる手は二つ。
見れば、強化改造人間第四号・松本克己が、飛蝗の仮面を被って、そこにいた。
バッファㇽの足首には、ロープが巻き付けられており、その先にはライダーマンの右腕があった。
ロープ・アームだ。
「踊るぞ、黒井……」
克己・ライダー四号が、克己に背中を向け、つまり、V3と戦っているウルガに眼を向けて、呟くように言った。
「死神のパーティ・タイムだ」
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第二十節 双風
ウルガが、V3から距離を取った。
怪訝そうな顔をする風見の眉間で、Oシグナルが激しく点滅する。
身体を半回転させながら体勢を深く沈めたV3の頭上を、仮面ライダー第四号・松本克己が駆け抜けていった。
更に続けて、ライダーマン・結城丈二が、風見の横手をすり抜けてゆく。
克己・四号を、まだ信頼し切る事が出来ない風見であったが、恐らく結城が手術したのであろう彼の左腕と、ライダーマンが四号ライダーと共にウルガの許へ向かった事から、共闘の続行を認めている。
そして自分は、バッファルと対峙している、黒井ライダーの許へと走った。
ライダーマンのロープ・アームで、無様に転がされたバッファルは、すぐに立ち上がって、黒井ライダーに襲い掛かっていた。
そこに風見・V3が乱入する。
二人の三号とバッファル。
二人の四号とウルガが、それぞれ対峙する事となった。
「見る眼がない……」
くっくっ、と、ウルガが牙の間から笑いを漏らした。
ライダーマン・結城丈二に対するものであった。
彼が、克己の左腕を修理した事へのものである。
克己の経歴は、ウルガも分かっている。
強化改造人間として、マヤが最も重要視していた自由意思を奪われている事も、だ。
そして、それ以前に、黒井響一郎の妻と息子を殺している事も、知っている。
如何に強力な改造人間を相手取る為とは言え、その克己の破損部位を直してしまった結城丈二は、何ともお人好しで、人を見る眼がない。
そのような嘲弄などものともせず、結城と克己は、ウルガに対して一時的なタッグを組む。
ウルガとバッファルの事は、風見と結城よりも、黒井と克己の方が知っている。
だからこその、仮面ライダーとショッカーの共闘だ。
風見と結城が、ウルガかバッファルのどちらかを倒したとして、残った一方と、ショッカー側のダブルライダーに協力されては、疲弊したV3とライダーマンで、二対三の戦いになる。
監視の意味合いも、この急造タッグには込められていた。
「があっ!」
ウルガが、衝撃波を放った。
ライダーマンと四号ライダーが、それぞれ左右に展開し、その中心を見えないパワーが削ってゆく。
ライダーマンは、ウルガの左側から、四号ライダーは、ウルガの右側から攻めた。
結城は、アタッチメントをパワー・アームに付け替え、打ち上げるフックの軌道で、ウルガのボディを狙う。
克己は跳躍すると、空中でバーニアや各部の排風口から風を噴射して加速し、拳を打ち下ろしていった。
パワー・アームを受ければ、克己に背中を向ける。
四号のパンチをガードすれば、結城に背中を見せる事になる。
ウルガは動かなかった。
その背中で、ぐりぐりと柱が動き、迫り来る二人のライダーに向けて衝撃波が打ち込まれた。
地面に打ち付けられるライダーマンと、更に上昇させられる四号。
ウルガは、結城・ライダーマンに飛び掛かった。
前後の肢の爪を振り下ろして来るウルガを、ライダーマンは横に転がって躱した。
砂が舞い上がる。
その砂塵の奥から、ウルガが右腕を叩き付けて来た。
結城は身体を屈めて、ラリアットをやり過ごす。
パワー・アームで、振り抜いた腕の付け根を狙った。
ウルガは、右側に衝撃波を放って、くるりと左側に半回転する。
左のバック・ブローがライダーマンを襲い、接近して来た克己・四号の右のパンチを、右手で受け止めた。
「ふんっ」
四号ライダーに、真正面から、衝撃波を打ち込んだ。
銅色のコンバーター・ラングが、眼に見えて陥没した。
後ろに下がろうとする克己の拳に、ウルガの爪が喰い込んで離さない。
更に数度に渡って、四号のボディに、衝撃波が叩き込まれた。
よろめく克己の懐に入り、ウルガは克己を投げ飛ばした。
ライダーマンに向かって、である。
克己ライダーを受け止めたライダーマン諸共、衝撃波で吹っ飛ばす。
砂の上を転がる、二人の四号。
駄目押しの指向性衝撃波が、ライダーマンと四号ライダーを襲う。
吹き飛ばされる二人――しかし、ウルガも、転倒した。
「何⁉」
尻餅を付くウルガ。
その足首に、ライダーマンの右腕から伸びたロープが絡み付いていた。
すぐにほどこうとするウルガであったが、その前に、ライダーマンがロープ・アームを手前に引っ張った。
堪えるウルガ。
右腕の先から伸びるロープを、右肩と左手で引っ張り上げる結城。
そのロープに、克己が両手を添えて、思い切り、手前に引いた。
「うぉっ!」
ウルガの身体が浮かび上がった。
空中のウルガに、克己が躍り掛かってゆく。
浮かび上がるウルガの上にまで飛び上がり、縦のフックを鳩尾に入れた。
そのまま地面に落下させ、膝を押し当てる。
「ぅおらぁっ!」
雨のように、拳を叩き込んでゆく。
銅色の拳が、何度も、何発も、ウルガの顔と言わず、胸と言わず、叩き込まれていった。
ガードをしても、そのガードの上から、鉄のパンチを入れて来る。
「しぃえぁっ!」
最後のパンチを入れようとする。
だが、克己の身体は揺らぎ、その拳はウルガの顔の横に落ちた。
ウルガが、逆関節の両脚を使って、マウントを獲られた状態でありながら、克己の腰を捕らえていたのだ。
異形のクローズド・ガードであった。
腰をひねって克己の体勢を崩し、更に、ライダーマンがウルガの足首に巻き付けていたロープを使って、克己ライダーを緊縛しようとする。
「いかん!」
結城が、ロープを引き戻した。
自由になったウルガが、克己に組み付いた。
両肩を、両手で押さえ、地面に押し付ける。
克己ライダーが、ウルガの胴体に膝を当て、空間を作った。
「無駄だ!」
柱の先端が、身体の下の四号を睨む。
その前に、克己はウルガのせり出した顔面を右手で掴み、左手は腰に回して、ベルトを掴んでいた。
「ぬっ」
克己は足の踏み込みと腰を跳ね上げる力を使って、その場でウルガと共に裏返った。
ウルガの顔と腰に両手、ボディに膝がある。
その状態から、裂帛の気合と共に、跳躍した。
月面宙返りだ。
三点ドロップ――
しかし、ウルガは落下直前に衝撃波を地面に放ち、一瞬、浮遊した。
その一瞬を使って、両手で克己を弾き、難を逃れる。
だが、宙へ浮かんだ克己の手に、ロープが絡み付いた。
ライダーマンは、四号ライダーを空中で旋回させると、ぱっとロープを手放させた。
克己・仮面ライダー四号が、空中で激しく回転しながら、ウルガに蹴り込んでゆく。
その両脚を胸まで引き上げ、旋回と回転によって加速した勢いで、三度、同時にキックが放たれていた。
右足、左足、そして、右足。
ライダー大回転三段キックだ。
ブーツに仕込まれたスプリングが、何倍にも増幅された衝撃をウルガに与え、そのダメージはベルトに組み込まれた爆弾を作動させる。
「くぅぅぅあああああっ!」
ウルガは、激痛に呻きながらも、柱を体内に戻し、自分の胴体に向かって、衝撃波を放つ。
ウルガの腹が突き破れ、ショッカーの紋章が刻まれたベルトが、機械の内臓と共に弾き飛ばされた。
改造人間の技術を抹消する為の爆弾が、虚空で爆発する。
内臓をぼろぼろとこぼれさせ、体重を大きく減らしたウルガが、爆風によって砂塵と共に舞い上がった。
改造人間の状態を維持する事も出来ず、かと言って、人間の姿への擬態も出来ず、獣と人との間の、中途半端な姿で、ウルガは惨めに転がった。
バッファルのパンチが、V3の顔を狙った。
右。
左。
右。
それを、ダッキングで躱して、今度は風見の方からパンチを繰り出してゆく。
左。
右。
左。
横手から、黒井ライダーが飛び掛かる。
黒井ライダーと組んだバッファルは、その自慢のパワーで、黒井・三号を投げ飛ばす。
投げられながら、寝技に持ち込もうとするのを、翼を使って逃れた。
空中へ逃げるバッファルに、風見・V3が追いすがる。
それを、旋回して躱してしまうバッファル。
「ちぃ」
着地するV3と、彼に立ち並ぶ三号を、バッファルが空中から見下ろしている。
コンドルの改造人間であるバッファルにとって、飛蝗や蜻蛉をイメージした改造人間は、所詮、虫けらでしかない。
猛禽の翼と爪の前に、昆虫は翻弄され、捕らえられるしかないのである。
それでも、足場が砂地でさえなければ、風見や黒井の方が有利な筈であった。
バッファルが、空中から襲い掛かる。
斜めに落下して来るのを、横に飛び退いて回避する。
身体をひねったバッファルは、黒井に狙いを付けた。
指揮棒が、伸び上がる音色を率いて空を切るような流麗させ、バッファルの武骨な身体が黒井ライダーに急接近する。
胴体に、がっちりと組み付いた。
そのまま、黒井・三号を捕らえて、上昇する。
三号ライダーは、バッファルに肘を打ち入れるが、間合いがなくては威力もない。
高く上り詰めたバッファルは、頭を地面に向け、急降下を始めた。
そうして、自分に影響が及ばず、且つ、相手が受け身を取れない高度で、黒井ライダーを地面に放り投げた。
三号の蒼いボディが、流星のように光って、砂の地面に勢い良く潜り込んでいた。
咄嗟に頭部を庇ったから良いものの、黒井ライダーは、頭から地面に突っ込んだ。
黒い強化服と、蒼いブーツが、黄土色の地面から生えている、奇妙な光景が出来上がる。
黒井を放り投げたバッファルは、今度はV3に視線を向けた。
その視界の隅で、ハリケーンが、V3に向かって来ている。
バッファルの判断は素早く、風見・V3ではなく、無人で迫るマシンに向かった。
風見が気付いた時には遅く、バッファルは、V3を援護する為に駆け付けて来たハリケーンに跨り、アクセルを吹かしていた。
前輪を持ち上げて、V3を轢き飛ばそうとする。
風見が回避すると、ターンしてV3に向き直り、その眼の前で、ハリケーンの計器類に鉄槌を打ち下ろしていった。
ハンドルを引き抜き、フォークを切り飛ばし、カウルをめちゃくちゃに破壊した。
「貴様⁉」
風見が、動揺して、声を上げる。
サスペンションを引き抜いたバッファルは、スクラップ同然のハリケーンを、自らの腕力を誇示するように頭上に持ち上げ、V3目掛けて放り投げた。
風見の眼の前に、ダブルライダーから譲り受けた愛車が、ぼろぼろの姿で打ち棄てられた。
風見の動揺は、二つ、あった。
一つは、不利な足場を覆すべく、ハリケーンを使ったジャンプが出来なくなった事。
一つは、自分が改造人間となって蘇ってから、長年に渡って共に戦って来た愛馬が、見るも無残な姿にされてしまった事。
その動揺の隙を狙って、バッファルが襲い掛かった。
跳び蹴りで、斜め上から襲撃する。
それを、十字受けでブロックした。
バッファルはV3のガードを足場に跳び、空中で体勢を変えると、再び飛び付いて来る。
そのバッファルに、砂地から帰還した黒井・三号が、跳び突きを放ってゆく。
バッファルは躱し、黒井の背中を蹴り付けた。
風見の傍に着地しつつ、バッファルに眼を向ける黒井。
「おい……」
と、風見が黒井に呼び掛けた
Oシグナルの点滅は、二人の間にメッセージの交換があった事を意味する。
三号ライダーが、蒼いクラッシャーを手前に引いた。
赤と青、二つの仮面が、バッファルを睨んだ。
同時に駆け出してゆく。
真正面から、だ。
小細工をされれば、バッファルも、小細工をする。
けれど、真っ直ぐ挑んで来る相手には、真っ直ぐ戦わねばならない。
V3のパンチを躱して、ローキック。
三号の蹴りをガードし、裏拳。
バッファルの腕を、黒井が獲った。
腕に腕を絡めてゆくのを、力で振りほどく。
V3は、投げられる三号の背に手をやって、跳び箱に対してするように跳び越え、バッファルに向けて足を薙いだ。
肘でブロック。
すぐにパンチで反撃する。
黒井が、タックルにゆく。
がぶって、堪えた。
黒井ライダーはバッファルの股間に腕を差し込み、もう片方の手で相手の左手を引っ張って、斜めに投げた。
翼を動かす事で、加速。
投げ落とされるタイミングを狂わせたバッファルは、無事に着地し、三号ライダーの仮面を掌底で叩いた。
後ろのV3に、踵を跳ね上げてゆく。
風見は身体を沈め、肩で、蹴りを受けた。
鉄と鉄が弾ける音。
強化スプリング筋肉が、バッファルの足を弾いた。
バッファㇽが、軸足で、V3を蹴り上げる。
そのまま、後方に、飛翔しようとする。
ふわりと、バッファルが舞い上がった。
舞い上がるバッファルの足を、風見・V3が掴もうとする。
間に合わない。
ここで下手にジャンプすれば、それは、風見の体勢を崩し、バッファルに隙を見せる事になる。
高く舞うバッファル。
しかし風見の狙いは、バッファルの飛翔を妨げる事ではない。
腕を、折り畳んだ。
肩を向けている。
V3の、その肩に向かって、黒井ライダーが跳んでいた。
折り畳んだ両足を、V3の肩に乗せ、身体を跳ね上げた。
下から、V3・三号・バッファルの順で、斜めに一直線になっている。
ライダー三号が、V3の肩を、強く蹴り出した。
三号のスプリング・シューズと、V3の強化スプリング筋肉が作用し合って、黒井響一郎・仮面ライダー第三号の身体が、バッファルよりも更に高い位置へと上昇した。
三号を見上げるバッファルは、太陽の光に眼をやられた。
黄金色の惑星を背に受けて、反転したライダー三号が、強烈なキックを放つ。
バッファルの翼が、根元から、叩き折られた。
バッファㇽが落下し、黒井ライダーが着地した。
――進化による淘汰を、この地球上のあらゆる生命体は遂げて来た。
その原型は、幾許も残っていない。
哺乳類。
魚類。
鳥類。
しかし、昆虫類のみは、生まれたその時より、淘汰の必要がない姿であるものも、いた。
こと、生存という事に掛けて、小さき虫は、大空の覇者に勝るのである。
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第二十一節 激痛
お気に入りして下さる方々も増えて嬉しい限りで御座います。
結城・ライダーマンと、克己・第四号の前に、はらわたを飛び出させたウルガが倒れ込んでいる。
ハイエナの顔でも、人間の顔でもない、不気味な姿をしており、戦闘力は皆無であった。
「終わりだ……」
裏切り者に引導を渡すべく、克己が動く。
ひぃっ、と、ウルガは血と共に短い悲鳴を吐き出し、処刑人から逃げ出そうとした。
すると、そのウルガと克己ライダーとの間に、イーグラの運転するバギーが滑り込んで来た。
イーグラは、既に、V3と三号ライダーの連携で翼をもがれたバッファルを回収しており、バッファルに命じて、ウルガをバギーに引っ張り上げさせた。
「イーグラ⁉」
克己が訊く。
イーグラは、にっと赤い唇を吊り上げて、克己に後輪を向け、思い切りアクセルを吹かす事で、克己ライダーに向かって砂を掛けた。
「ぬぅっ」
イーグラが、その場から離脱してゆく。
克己はバギーに飛び付いて、運転席のイーグラに掴み掛ろうとした。
イーグラは、シートの横から、一振りのレイピアを取り出すと、克己に向けて突き出す。
咄嗟に片手を前に出す克己であるが、イーグラのレイピアは、鉄のグローブの間隙を縫い、強化服を貫通し、そのまま、咽喉元に潜り込んで来ようとした。
仮面や、プロテクターを狙われたなら兎も角、装甲とスーツ、スーツと身体の隙間を狙われては、強化改造人間と言っても形無しである。
生物を殺す毒と、機械を狂わせる磁気を帯びたイーグラのレイピアを受ける事は、仮面ライダーであっても致命傷であった。
克己が、ガードを失敗して動揺した時、イーグラはハンドルを左右に振り回してバギーを暴走させ、克己ライダーを振り落とした。
地面に転がる克己・四号を轢き殺そうとする。
そこを救ったのは、ライダーマンであった。
轢かれそうになった克己に、横からタックルを仕掛けて吹っ飛ばし、共に車線上から離脱したのである。
「ウルガ!」
イーグラが命じた。
ウルガは、ぼろぼろになりながらも、背中の柱を再び出現させ、後方に衝撃波を放った。
地面が波打ち、砂塵がバギーの姿を隠してしまった。
「な、何故、私たちを……」
ウルガが、イーグラに訊いた。
「首領の意思よ」
「何⁉」
「ああっと、勘違いしないで、ウルガ。貴方を首領が認めた訳じゃないわ」
「――」
「進化の螺旋に至るには、敵が必要なのよ」
「敵だと?」
「そ、貴方のような、ね」
「ショッカーの敵という事か?」
「ええ」
「進化だと……舐めた事を。我々を泳がせて、どう言う心算なのだ……」
「良かったじゃない、ウルガ」
「良かった⁉」
「貴方たちは、ショッカーの敵と……仮面ライダーと同格だと認められたのよ」
「な、な……」
ウルガは声を震わせた。
「ふざけるな⁉ だから、古臭い連中は嫌なんだ……やたらと裏切り者共を持ち上げて、毒を以て毒を制すなどという神話に憑りつかれていやがる。だから、俺たちのような者が、いつまで経ってもちまちまとした活動しか、させられなかったのだ!」
捲し立てたウルガは、大きく咳き込んで、空気の混じった血を吐き出した。
機械油と混じり合った赤い液体は、ぶくぶくと泡立ち、ウルガの身体を濡らした。
「格好良いわ、ウルガ」
イーグラはそう言いながらも、鼻で笑った。
「イーグラ、お前は、私に協力するのか?」
「そういう事になるわね……」
「ふん……見ていろよ、ショッカーめ……」
ウルガが、昏い声で呟いた。
「やがて、この私が、私のやり方で、世界を征服してくれる……人間共を、奴ら自身の意思で、私の前に平伏させてやるッ」
血みどろながらも、高らかに宣言したウルガと、その傍に無言でかしずくバッファルを載せ、イーグラの運転するバギーは進む。
首領の意図に困惑し、その意思に反逆しようとするウルガだが、しかし、若しかするとそれさえも、ショッカーの意思であるかもしれなかった。
イーグラの唐突な裏切りと、ウルガとバッファルの逃亡を許した事を、克己は不満に思っていたが、ここで、克己にだけ、マヤからの連絡が届いた。
イーグラにウルガたちを救うように言ったのは、マヤであるという旨だ。
克己は、その理由を問わない。
マヤの意思が、首領の意思であるならば、それに従うまでの事だ。
首領が、何故、ウルガたちを自由にしたのか。
イーグラがウルガに言ったように、ショッカーの礎とする為か。
又は、次々に宿敵である仮面ライダーを研究し、新しい可能性を模索するのと、同じ意味合いを込めているのか。
首領の真意は、分からない。
それでも、首領の意思ならばそれに従うというのが、脳改造を受けている松本克己・強化改造人間第四号であった。
そして、ウルガとバッファルがいなくなったのであれば、一時的な共闘は解消だ。
克己ライダーは、すぐさま、自分をイーグラのランクルから救ったライダーマンに、殴り掛かった。
態度を瞬く間に翻した克己・四号に、結城は戸惑うも、すぐに切り替えて応戦する。
克己が脳改造を受けているのは、結城にも明らかであったが、四号の奇襲に対応するライダーマンは、彼の姿にかつての自分を見ていた。
ヨロイ元帥を敵とみなしながら、デストロンには忠誠を誓い、風見志郎との関係は一時的なものとしか見ていなかった自分と――
何処なく、この松本克己という男に、結城丈二はそうしたズレを感じ取っていたのだ。
倒れたバッファルがイーグラに助け出され、ウルガと共に逃走した。
イーグラの心変わりの真の理由を、黒井は知らない。
イーグラは、マヤから自由にするように言われ、彼女の意思で、ウルガたちを裏切り者とするも、彼らに与するも、好きにする権利が与えられた。
その権利を行使して、ショッカーではなく、ウルガたちの仲間となる事を選んだのだ。
そこに、ショッカー首領の意思が介在している事など、黒井響一郎は知る由もなかった。
共通の敵を失った黒井は、風見に向き直った。
仮面ライダーV3だ。
怨みはない。
黒井が憎んでいるのは、妻と息子を奪った仮面ライダー第一号・本郷猛のみだ。
風見志郎には、寧ろ、シンパシーさえ感じている。
父と、母と、妹を、デストロンに殺されている。
その復讐の為に、風見志郎は、改造人間となる事を決意した。
そうして、今の人間たちの社会を守るべく戦っている。
黒井とは、立場が少しだけ違うだけだ。
黒井響一郎はショッカーの戦士だ。
ショッカーの理念や行動に、疑念がないという事は、ない。
けれども、一〇年だ。
一〇年、黒井はショッカーにいた。
その思想に触れて来た。
そこで仲間たちを得た。
今更、ショッカーが間違っているから、仮面ライダーの仲間に入れてくれ、とは言わない。
それは、自分の一〇年間を否定する事になるからだ。
自分が練り上げて来た、本郷猛への憎しみを――裏を返せば、自分の胸の中の、妻と息子に対する愛情を、それらを奪われた事に対する哀しみを、偽りであったと切り捨てる事になる。
黒井は、知らない。
妻と息子を奪ったのが、松本克己であるという事を。
例えショッカーが、その後続の組織が、どれだけ多くの人間を殺し、口から出まかせの世界平和などを説く偽物であったとしても、黒井の妻子への愛だけは、本物であるからだ。
自分自身という本物だけは裏切れない。
自分が
ストロンガーに勝った。
このV3にも、勝つ。
そして本郷にも。
勝って。
勝って。
勝ち続けなければ、ならなかった。
「ゆくぞ……」
黒井が、鉤爪にした手を、前に持ち上げた。
「“三号”の……」
第一号と第二号を受け継ぐ者としての第三号。
第一号と第二号を超越する者としての第三号。
「仮面ライダー三号の名を懸けて、勝負だ……」
V3も、構えた。
風が吹いた。
熱風だ。
心に燃える炎が起こす、熱い風であった。
蒼い炎と、赤い風が、激突した。
克己ライダーは、結城・ライダーマンに対して、鋭くパンチを打ち込んでゆく。
銅色の手甲が唸り、ライダーマンの蒼いヘルメットを掠めた。
表面の塗料が剥ぎ取られ、マスクにまだらの模様が出来上がる。
結城は、拳を振り抜いた四号のボディに、右の下突きを放った。
それを、克己は右脚を持ち上げて脛でブロックし、引き戻した右のバック・ハンドを見舞う。
克己・四号の懐に入り込んだライダーマンは、克己の右腕を取って、背負い投げの要領で投げ飛ばした。
しかし四号ライダーは、空中で身体をひねると、ライダーマンと向き合うようにして着地し、自分の右腕を介して、ライダーマンの重心を崩した。
合気投げであった。
バランスを崩した結城の鳩尾に、第四号の前蹴りが滑り込んでゆく。
砂の上に倒されたライダーマンに、克己が跳び掛かる。
ストンピングを、横に転がって躱したライダーマンは、右腕にカセットを挿入した。
パワー・アーム。
三日月型の分厚い刃が、ライダーマンの右手に出現し、それで打ち掛かってゆく。
湾曲した鉈の一撃を、克己・四号の左の前腕が受けた。
同時に克己はライダーマンの右腕を左腕で捉え、右拳を相手の胸に当てた。
「吩ッ!」
気合と共に、四号ライダーの身体が一瞬ぶれて、衝撃が叩き込まれた。
ワン・インチ・パンチだ。
右腕を解放されたライダーマンが、ふわりと吹っ飛ばされる。
赤いプロテクターに、亀裂が入っていた。
左腕のダメージを気にしている素振りを見せる克己・四号の前で、結城がマシンガン・アームをセットする。
カセットに装填された銃弾を、指先から発射するのだ。
その指先が煌く直前、四号ライダーは地面に拳を打ち込み、砂の壁を作った。
一瞬、視界が封じられる。
克己は、ジャンプ力を生かせない場所ではあるが跳躍し、ライダーマンに上空から襲い掛かった。
鉄のブーツが、ギロチンの刃のように、ライダーマンに迫る。
横に飛び退きざま、結城は弾丸を使い果たしたカセットを排出し、次のカセットへ入れ替えようとした。
着地した克己は、刹那、結城目掛けてナイフを投擲した。
そのナイフが、陽光を反射しながら、カセットを弾き飛ばした。
ライダーマンがアタッチメントを交換する隙――カセットの挿入と、アームによる読み込み、そして変形――を、それまでの戦いの中で見抜いていたのだ。
そして、ナイフがカセットを弾くと同時に、克己ライダーが駆けている。
ライダーマンが、向かって来る飛蝗の仮面に、右腕を横薙ぎに振るった。
これをダッキングで躱して、右ストレートで、ライダーマンの顔を打ち抜いた。
仮面の半分が吹っ飛んで、結城丈二の顔が剥き出しになる。
どぅ、と倒れた結城丈二・ライダーマンに、克己がとどめとばかりに迫った。
振り上げた右拳を、叩き込む心算だ。
その前に、結城は地面から右手で拾い上げた克己のナイフを、四号ライダーに放り投げた。
克己が動きを止め、右手で弾く。
この時、結城が使ったのが右手であった事が、克己の油断を誘った。
ライダーマンは、ナイフを投げた勢いで腰を回し、左手を突き出して来た。
神啓太郎による改造手術で、結城丈二は全身サイボーグ――他の強化改造人間らと同じ構造を持っている。
カセット・アームも、仮面ライダー第一号・二号のデータが一部利用されている。
つまり、全身改造を受けているライダーマンは、左腕でもカセットを使う事が出来るのだ。
スイング・アームの、棘突き鉄球が、ライダー四号の顔面に向かって射出された。
鉄の仮面に、鉄球が打ち込まれ、金属同士の激突が強い振動を起こした。
きぃん、と、克己の脳を刺すヴァイブレーションであった。
「ぐぁああっ!」
克己・ライダー四号が、身体を大きく仰け反らせて、叫んだ。
しかし、これはおかしい事である。
脳改造を受けている克己は、痛みを認識する事は出来ても、それに反応は出来ない。
皮膚を叩かれても、刃物を突き入れられても、克己自身は痛みに対する反応を示さない。
眼の前で強烈なフラッシュを焚かれても、視界が利かなくなるだけだ。
身体を折り畳んだり、眼を覆ったりはしない。
その筈の強化改造人間第四号が、苦悶の声を上げていた。
金属同士の接触による振動が、皮膚を伝わり、骨格を伝わり、克己に残ったほぼ唯一のオリジナルの部分――脳へと、影響を及ぼしているのだ。
脳に埋め込まれた、小型の人工知能だ。
強化改造人間の鋭敏な五感が感じ取る、膨大な情報を処理する為の機械。
改造部分の中で、仮面と同等の硬度を持つ頭蓋骨に守られているそれが、外側から加えられた衝撃を波紋のように広げられて、誤作動を起こしているのだ。
本来ならば拾わなくて良い筈の痛みを、神経に巡らせていた。
「ぐわわわわっ!」
「ぎひぃぃぃ」
「あ~~~っ!」
発狂したようにのたうち回る克己。
スイング・アームがもたらした、想像以上の威力に、結城は寧ろ戸惑っていた。
やがて、痛みが脳の許容量を超えた為か、克己ライダーは、その場に倒れ込んだ。
仰向けになり、後頭部から、砂の上に落ちた。
受け身を取る事も、出来なかったようであった。
大の字に腕を広げて横たわる四号ライダーに、結城が、自身もダメージを負いながらも歩み寄る。
仮面の半分がなく、弾け飛んだり、歪められたりして顔を傷付けられ、血を流していた。
胸部プロテクターも、亀裂が入っている。
スイング・アームのカセットを左腕から抜き、克己の傍にやって来る。
身じろぎ一つしない克己を、結城は見下ろした。
そうして、彼の戦闘力を起動させている仮面を外すべく、腰を屈める。
その時、ライダー四号の瞳がぎらりと輝き、唐突に、蹴りが跳ね上がって来た。
鉄の爪先が、ライダーマンの腹部を強打した。
「ぐ……」
衝撃の為、崩れ落ちる結城。
膝を突くのを堪えたライダーマンの眼前に、立ち上がった四号の姿があった。
幽鬼のように、おぼろげな佇まいだ。
恐らく、意識を失っているのだ。
意識はないが、敵対する改造人間の存在を倒すべく、その身体が立ち上がったのだ。
結城・ライダーマンが、克己にパンチを打ち込んでゆく。
ライダーマンの銀の拳が、四号ライダーの銅色の仮面の上を走り抜けた。
結城の視界から消えるようにして下降したライダー四号は、自然落下力と反発力を利用して、右足を跳ねさせる。
バッファルに対しては不発であった蹴りが、ライダーマンの頭部を蹴り上げた。
蹴りを受けて仰け反ったライダーマン・結城丈二と、蹴りを放って仰け反った仮面ライダー四号・松本克己は、同時に、仰向けに倒れたのであった。
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第二十二節 意地
……いつぞやでブックマークして下さっている方がぼんと増えたので、その方が初期からの読者に追い付く為の時間……という言い訳←
「とぉっ!」
風見志郎・仮面ライダーV3のパンチが、黒井響一郎・仮面ライダー第三号のコンバーター・ラングを叩いた。
銀色の手甲が、蒼い仮面やプロテクターを打ち据えてゆく。
バッファルにしたのと同じ、左右のパンチを、素早く打ち込んでいった。
パンチを喰らい、蒼い飛蝗の仮面が左右に揺れる。
体内で生じた熱を吐き出すプレートが、ごつんごつん、と、音を立てた。
V3はパンチを繰り出す。
自身の感情を、一撃ごと、一発ごと、噛み締めるようにして打ち込んでゆく。
父。
母。
妹。
彼らを守れなかった、後悔、憤怒、哀切、憎悪、怨恨。
それらを越えて、人類を守る使命を受け継ぎ、戦って来た。
赤いブーツで、力強く地面を踏み締める。
銀のグローブで、鋭く技を叩き込んでゆく。
大自然の色を帯びたスーツが、力と技を伴って、躍動していた。
V3のパンチを受けて、黒井ライダーが体勢を崩した。
その隙を逃さず、風見は必殺キックを叩き付けてゆく。
自慢の跳躍力を揮えない砂地で、けれども跳び、三号ライダーを蹴る。
その蒼いコンバーター・ラングを足場に後方に跳んで、反転し、二度目の蹴りを打つ。
これを、両腕を交差して、黒井・第三号はガードした。
衝撃を殺し切れず、後方に吹っ飛んでしまう。
「――何の心算だ?」
風見が訊いた。
黒井が、反撃しない為である。
「お前は、先程の俺のキックで、ダメージを負っている……」
立ち上がりつつ、黒井が言った。
バッファルの翼を、ライダー三号が蹴り砕いた時の事だ。
あの時、三号ライダーは、V3の肩の強化スプリング筋肉を足場に、飛翔するバッファルを追って上昇した。
鉄球を弾き返す程の強力なスプリングだが、第三号のスプリング・シューズも、それに勝るとも劣らないバネが組み込まれている。
蹴った方の黒井は、それを足場として見て、上昇に反動を利用したのだから良いとして、蹴られた風見は、ライダーキックを肩にピン・ポイントで受けた事になる。
幾ら、様々な衝撃を和らげるV3の強化スプリング筋肉とは言え、仮面ライダーの最大の武器であるキックを受けては、只で済む訳もない。
「言った筈だ、V3。三号の名を懸けて勝負だ、と」
「――」
「お前とは、正々堂々と戦い、決着を付けねばならないんだ」
それを聞いて、風見は、
「ふん」
と、鼻を鳴らした。
「仮面ライダーV3を甘く見るな……」
「何⁉」
「例えこの身が砕けようと、俺は、人間の為に戦う。情けは無用だ」
風見・V3は、黒井に蹴り込まれた右腕で、三号ライダーに打ち掛かってゆく。
仮面を真横から叩いたパンチは、威力こそ劣るものの、気力は充実していた。
身体の機能が低下しているから、戦わない。
そのような弱音を、風見は吐かなかった。
直せる機会があるのならば、そのチャンスを、しっかりと利用する。
しかし、真剣勝負を挑んで来た相手が、こちらの不利を慮った為にその機会を与えられる事を、風見は嫌ったのであった。
黒井響一郎という男が、恐らく、今まで風見志郎たちが戦って来た組織の者とは異なる精神的な潮流を持っている事に、風見は気付いている。
それは、風見が受け継いで来た、仮面ライダーという名前に近いものかもしれない。
しかし、黒井は自らをショッカーのライダーと称し、ショッカーの一員として、仮面ライダーV3に挑戦して来ている。
それならば、彼の言う通り、真に仮面ライダー三号の名前を懸けて、戦うべきであった。
今ある肉体。
今ある精神。
若し、黒井が負傷していても、風見は手心を加えたりしない。
風見がそう思っているからだ。
黒井も、恐らくそう思っている。
だから、風見のダメージの分、自分から攻撃を仕掛けないというのは、黒井の意地だ。
飽くまでも対等な立場で、ショッカーでも、ライダーでもなく、単なる黒井響一郎として。
シンパシーを感じる同士、一人の敵として。
そうした戦いの中で、少しでも手を抜く事は、相手がダメージを負っていても、礼を失する。
対等ではないからだ。
相手が傷付いているから、自分も同じだけ傷付いていなければならない。
これは、情けでも何でもない。
相手を見下している事だ。
見下し、蔑ろにし、侮る事である。
それだけのダメージがあるなら、お前は、俺に勝つ事が出来ない。
そんな明らかに俺より劣っているお前に勝っても、それは真の勝利ではない。
例え相手のコンディションがどれだけ整っていないにしても、そうやって戦いに臨んでいるのだから、こちらから勝手に侮る事は、許されない。
風見の方から、
“待て”
と言うのなら、黒井は待つ。
彼がダメージから回復するまで、どれだけでも待つ。
それを言わないのならば、戦う。
どのような時であっても、全力だ。
悪いコンディションで戦って、叩きのめされ、コンディションを言い訳に使う事は、出来ない。
一度、戦場に立ったなら、そんな言い訳は聞かないからだ。
兵士は優秀だった。
兵器は最新鋭であった。
敗けたのは、司令官が無能だからだ。
無意味だ。
あるのは、敗北という結果だけだ。
出てしまった結果に、若しもはない。
今の現実のままに戦い、結果を出すしかないのだ。
「……分かった」
黒井・三号は言った。
「済まなかった……あんたを侮っていたようだ。もう、加減はしない……」
「それで良い」
「完膚なきまでに、叩き潰す」
第三号の黄色い瞳が、ぎらりと光った。
タイフーンが、風を取り込み始める。
駆け出した黒井が、容赦なく、V3の肩を蹴りにゆく。
風見は、右肩を狙って来たキックを、左掌で受けると、蹴りの威力で回転し、第三号の胴体に左の踵をめり込ませた。
赤いブーツの後ろ蹴りで、蒼いプロテクターが陥没する。
僅かに下がる黒井ライダーに、風見・V3が追い縋る。
左のパンチで仮面を叩いた。
次は、右のローだ。
金属の脛同士がぶつかり、高く音が鳴る。
黒井は、ローをブロックした左足を、着地と同時に跳ね上げ、身体の内側に向かって回した。
風見の視界を遮るように、地面から半回転した三号ライダーの左脚が、半円を仕切るようにして縦に振り下ろされた。
踵落としを、左の腕刀で受けようと、右足を下げる風見。
だが、黒井の左脚は、踵が銀のグローブにガードされるより先に、膝から翻り、飛燕のようにV3の仮面の右側に直撃した。
マッハ蹴り――或いは、ブラジリアン・キックと呼ばれるものだ。
日本では、頸蹴りという名前もある。
その名の通り、頸部への急襲に効果的な技だ。
踵落としや廻し蹴りから派生する事で、相手の予想を裏切って、打撃する。
頭部を鉄の脛で蹴り込まれ、V3も流石によろめく。
追撃。
黒井の、右のローリング・ソバットが、V3の脇腹を打ち抜いた。
サウスポーに構えた黒井が、ロー、ミドル、ハイの順で右足を叩き込んでゆく。
どれも、膝、肘、側頭を、正確に射抜いた。
膝を蹴られた事でバランスが崩れ、肘を蹴られて更に身体が傾き、通常の上段よりも低くなった頭部に足の甲がぶつかって来た。
黒井・三号が、スイッチをしつつ、V3に向かって飛び込んでゆく。
左の跳び突きが、風見を押し飛ばした。
追う。
今度は右のパンチで、V3を正面から殴り付けようとする。
風見が、ノー・ガードになった。
入る!
しかし、殴り付けなかった。
V3の胸には、やはり、強化スプリング筋肉が仕込まれている。
特に、胸の中心を走る赤い蛇腹は、レッド・ボーンと呼ばれるものだ。
反動で、こちらにダメージが返って来る。
それを厭い、黒井は、パンチの勢いのまま斜め前方に、柔道で言う受け身を取るようにして回転し、振り上げた踵をV3の顔面に叩き込んだ。
べぎぃっ!
と、V3の仮面の、白い蛇腹部分に、ひびが走る。
V3のすぐ足元に着地した黒井・三号は、風見の右腕を取りながら、その場に寝そべってゆく。
腕に両足を絡め、自分の体重で、V3を引き倒した。
V3が、顔から砂地に倒れ、その右肩から背中に掛けて、三号ライダーの両脚が載っている。
腕はひねり上げられていた。
黒井は、折った。
V3の右腕の肘関節を、へし折ったのであった。
金属の骨格がゆがみ、人工筋肉を裂く。
如何に合金製の骨格と雖も、原理には敵わない。
風見は、声を上げなかった。
しかし、その右腕は、強化服越しにも、いびつな形に変えられている。
黒井が、技を解いた。
すぐさま、V3は反撃に出た。
しかも、右腕で掴み掛って来た。
頭を反らす黒井だったが、仮面の僅かな凹凸に、V3の指が引っ掛かった。
関節が壊れている為、微妙に腕の長さが変わり、その分の見切りを誤ったのだ。
爪で、こりっと引っ掛かれるようにして、黒井の視線が僅かに逸れた。
その一瞬の内に立ち上がって来た風見が、黒井の顔面に、真っ直ぐ左のパンチを入れた。
腰の乗らない一撃ではあったが、鉄の拳は重たかった。
凄い、男だ……。
風見志郎が、である。
改造人間と言っても、痛覚はある。
脳改造を受けていないのならば、尚更だ。
身体は機械のくせして、心は人間のままだから、痛みは、実際のものよりも今までの経験や、想像から感じ取られる。
幻肢痛のようなものだろうか。
その心算になれば、激痛を無視する事など、容易い。
痛くないと思えば、痛くない。
だが、痛くないと思う事は、痛いと感じている事だ。
風見志郎のパンチが、重いとは言え僅かに威力を弱めたのは、痛みを感じようとしているからだ。
痛みを無視しない。
コンマ何秒の隙が、生死に繋がりかねない改造人間同士の戦いの中で、わざわざ、切り捨ててしまった方が良いに決まっている痛みを、掬い取ろうとしている。
掬い取って、その上で、耐えようとしている。
その痛みが、自分を繋ぎ止めるものであるかのように。
痛みを、無視しない。
痛みさえ、切り捨てない。
痛みを感じない事も出来る身体でも、その心は痛みを感じ続けている。
凄い、男たちだ。
でも、それは、黒井響一郎だって、同じなのだ。
妻と子を、自分の生き甲斐を奪われた。
その痛みを、忘れないように、生きて来たのだ。
だから、黒井響一郎は、胸を張って言う。
例え、ショッカーに与していても。
例え、人間社会の崩壊を促していても。
例え、人間の心の自由と平和を侵略していても。
――俺が、仮面ライダー三号だ。
黒井が、跳んだ。
風見が、跳んだ。
互いに、その瞬間を、機と捉えたのだ。
決して万全ではない。
体調。
足場。
それでも、黒井響一郎・仮面ライダー第三号はライダーキックを、風見志郎・仮面ライダーV3はV3キックを放ち、互いにぶつけ合わせた。
衝撃が迸り、二つの肉体は弾かれた。
どちらも、砂の上に、落下する。
先に立ち上がったのは、黒井であった。
風見の腕を圧し折っていた……それが黒井が先に立てた理由かもしれない。
けれども、黒井だってV3の攻撃を浴びて、自身に同じ分だけダメージを負わせようとしていた。
V3が先に立つ事だって、あり得た。
今回は、そうでなかったという事だ。
それを、幸運や偶然と呼ぶ事だって構いやしない。
唯、黒井ライダーが、V3よりもほんの僅かに先に立ち上がっただけに過ぎない。
黒井は、今、起き上がろうとするV3に向かって、ふらふらと、歩いてゆく。
起き上がり掛けたその頭部に、横から蹴りを入れた。
がくんと、V3の蜻蛉の仮面が、地面に激突した。
指が砂を掻く。
黒井は、ブーツをV3の頭部に打ち付けた。
まだ、風見は動いていた。
踏み付けた。
踏み付けた。
踏み付けた。
踏み付けた。踏み付けた。
踏み付けた。踏み付けた。踏み付けた。
踏み付けた。踏み付けた。踏み付けた。
踏み付けた。踏み付けた。踏み付けた。
踏み付けた。踏み付けた。踏み付けた。
踏み付けた。踏み付けた。踏み付けた。
踏み付けた。踏み付けた。踏み付けた。
踏み付けた。踏み付けた。踏み付けた。踏み付けた。
踏み付けた。踏み付けた。踏み付けた。踏み付けた。
踏み付けた。踏み付けた。踏み付けた。踏み付けた。
踏み付けた。踏み付けた。踏み付けた。踏み付けた。
踏み付けた。踏み付けた。踏み付けた。踏み付けた。
踏み付けた。踏み付けた。踏み付けた。
踏み付けた。踏み付けた。踏み付けた。
踏み付けた。踏み付けた。踏み付けた。
踏み付けた。踏み付けた。
踏み付けた。
踏み付けた。
遂に、V3は動かなくなった。
蹂躙ではない。
必要以上の事でもなかった。
ここまでやらねば、風見志郎は、立ち上がって来る。
完膚なきまでに叩き潰さねば、風見志郎は何度でも蘇って来る。
それが分かる。
それが分かったから、黒井は、V3を踏み付けた。
彼が憎かったからではない。
彼が強かったからだ。
誇り高い相手を、シンパシーすら感じた相手を、ここまでせねばならなかった。
ここまでしなければ、仮面ライダー三号は、仮面ライダーV3には勝てないと思った。
黒井は、小さく嗚咽を漏らした。
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第二十三節 決斗/再会
ごつごつとした岩肌に、白い波がぶつかって来る。
すっきりと晴れた空の下、駆け抜ける爽やかな風に、女は、髪を揺らしていた。
紺色の道衣と、黒い袴を身に着けた、若い女であった。
腰には、刀を帯びている。
二尺三寸の日本刀である。
女は、水平線に向かい、眼を閉じて、その場に佇んでいる。
海から吹き付けて来る風が、彼女の纏った空気に当てられ、真っ二つに裂けてゆくようであった。
そうしている内に、女の後方から、軽やかな足取りで近付いて来る者があった。
こちらも女である。
剣道衣よりも薄手の上衣と、ズボン状の下衣。
上衣は袷て、ささくれだった黒い帯を結んでいる。
足元は、剣道衣の女が草鞋であるのに対し、履き潰されたスニーカーだ。
「遅いぞ、前田……」
剣道衣の女が、振り向きながら、言った。
前田と呼ばれた女――前田さくらは、ぽりぽりとこめかみの辺りを指で掻きながら、
「いや、どうもね、緊張しちゃってさ」
と、全く緊張を感じさせない口調で、言った。
向かい風が、海から吹き付けて来る。
その風が、自然と、さくらの身体を通り抜けてゆく。
さくらの髪も、道衣も、帯も、彼女の皮膚も、風を確かに感じている筈なのだが、風の方は、そこには何もないかのように通り過ぎてゆくのだった。
「今日日、海岸で決闘なんて、想定してなかったもので……」
「ふふん」
剣道衣の女が、鼻を鳴らす。
「実戦空手がどうのと言う割には、所詮、女という訳だ」
「貴女だって、女のくせにぃ」
ぷく、と、さくらが頬を膨らませる。
それに対して、剣道衣の女は、ぴりぴりとした空気を途切れさせない。
「で、その腰の物騒なもの、使う訳? 私に……」
言いながら、さくらと、剣道衣の女との距離が、近付いて来ている。
五メートル程だ。
そこから少し先に進み、さくらは立ち止まった。
「無論だ。お前も、その心算で来たのだろうに」
「そりゃ、天下の女剣士、
「ならば、それが答えだ……」
剣道衣の女――山口真美が、左手を腰の刀に掛けた。
親指が、鯉口を切り掛けている。
既に、真美の中では、さくらとの戦闘が始まっている。
間合いを計算し、自分の剣技の程を確認し、さくらの動作を予測し、心の中で、前田さくらを斬殺する――そのプランを立てている。
ここから、さくらがどのような空手の技術を行使しようが、彼女の頸、或いは胴体、又は四肢を切断し、脳か心臓を刺突するという、それだけを、考えている。
一方、肝心のさくらはと言うと、
「厄介な事になっちゃったなぁ……」
と、溜め息を漏らしていた。
「その心算で、魔蛇団に喧嘩を売ったのだろう」
真美が言う。
右手も、刀の柄に掛かっている。
「なぁんで実家に戻って来ていきなり、やくざとズベ公共と一悶着しなくちゃいけないのやら……」
「私立探偵などと言う職業を選んだ事を、後悔するが良いさ」
「だわな」
けらけらと、さくら。
片足を持ち上げて、爪先でとんとんと地面を叩いている。
「……所で、私が勝ったら、魔蛇団と鬼花組が売り払おうとしている、あの女の子たちを、解放してくれる訳ね」
「そういう約束だ」
「それを聞いて安心したよ。それじゃ、あんまり長引かせる事でもなし、さっさと――」
そう言ってさくらは、顔を上げ、それと同時に、地面を叩いていた方の脚を、素早く、鋭く持ち上げた。
踵から滑り落ち、爪先に引っ掛かっているだけとなっていたさくらのスニーカーが、びゅんと、音を立てて真美の顔に向かって飛来する。
「ぬ⁉」
咄嗟に剣を抜き、柔らかくなったスニーカーを切断した真美であったが、その顔面に、さくらの左足によるハイキックがめり込んでいた。
「終わらせますか」
さくらが、途中であった言葉を言い終えた。
「最近、ここらで大きな雷があったんだって」
「あー、知ってる。お天気だったのに、いきなり、って奴でしょ?」
そのような事を話しながら、二人の女性が、オートバイを手押ししている。
これも、海の傍の事であった。
神奈川県三浦半島――
海の傍をツーリングしていたが、片方のバイクに故障があり、そちらに付き合って、もう一人の方もバイクから降りている。
途中で、外見こそやんちゃではあったが、根は悪くないであろうバイク乗りと出会い、彼らから近くにモーター・ショップがあると聞いて、そこへ向かっている所であった。
「ってか、夏で、ここら辺で、雷っていうと、どうしても思い出しちゃうね」
「そうね。決して良い思い出じゃないけど、今の私にとって、大切な事……」
落ち込んだ顔で、バイクを押しているのが、相澤だ。
その隣で、仕方がないという顔をしているのが、吉塚であった。
元城南大学空手部に所属していた二人であり、数年前の夏、デッドライオンと暗黒大将軍の計画に巻き込まれた所を、五人の仮面ライダーたちによって救出されている。
「大切な事?」
相澤が訊いた。
「生き方って奴よ。何て言うか、あの日から、悪い事をする意欲が失せたわ」
「悪い事って……よっちゃん、悪い事する心算で生きて来たの?」
「そういう訳じゃないけど、よりそう思うようになった、って事……」
「より?」
「ほら、あんたがさ……その、神さんを」
そこまで言って、吉塚が言葉を切った。
デッドライオンと暗黒大将軍配下の、改造魔虫たちは、三崎美術館を訪れていた、相澤と吉塚を含む多くの人々を人質に、その場にいた神敬介と城茂を追い詰めている。
その時、改造魔虫アリジゴクが作った蟻地獄に、身動きの取れない神敬介・仮面ライダーXを、人間たちの手で突き落とさせるという、いやらしい作戦を行なった。
その、魔虫たちに脅され、Xライダーを突き落とした中に、相澤がいたのである。
「私だって、城さんを……」
と、吉塚が言うのは、彼女も亦、魔虫たちによるライダーへの私刑に、加えられたからだ。
鎖で縛られた城茂を、岸壁に追い込み、鉄パイプや、角材などで叩かせた。
そうしなければ殺すと脅迫されていたとは言え、最後に茂を叩いて生き延びようと決断したのは、自分である。
特に、身動きの取れない茂を叩かず、魔虫たちのリーダーであったハチ女に、身を捨てるようにして殴り掛かった前田さくらがいるからこそ、より、自分の判断を悔やんでしまう。
「大学生にもなって、あれだったけど、ああいう集団心理って奴かな。あれが、怖くなった」
「――」
「他の人がやっているから正しいんだって、そうやって、間違っている事が分かっている筈なのに、流されてしまうっていうのがね」
「成程ね……」
「うん?」
「だから、よっちゃん、会社でいつも独りぼっちなんだ」
「はぁ⁉」
「だって、そーでしょう?」
「ぐむ……」
吉塚が唸った。
悪意なく痛い所を突いて来る相澤であったが、しかし、
「でも、独りぼっちって、独り法師……修行するお坊さんっていうのが語源になってるって聞いたよ。つまり、よっちゃんは沙門なんだね。格好良いや」
「嬉しくない……」
どよん、と、今度はこちらが落ち込んでしまう吉塚。
「修行と言えば」
と、相澤が話を再開した。
「さくらさん、どうしてるかな」
「前田先輩? えーと、確か、ご実家に戻られて、探偵やってるとか」
「実家って、青森だっけ。そこで、探偵?」
「うん。私立探偵……今、鬼花組とかいうやくざと、魔蛇団とかいうズベ公グループがやってる人身売買とばちばちやってるとか……」
「遠い所に行っちゃったなぁ」
「女だてらに探偵なんて、危ない事も色々とあるだろうけど……ま、何てたって前田先輩だもの。大丈夫でしょ」
そうこう話している内に、二人は、目的の店の前までやって来ていた。
街道沿いに、ぽつんと立っている小さな店である。
立花レーシング――
お世辞にも、立派とか、綺麗とかは言い難い店であった。
店の前に、幾らかバイクが並んでおり、その内の一台に、店主らしき男性が張り付いている。
「済みません、ちょっと良いですか」
と、相澤が声を掛けた。
灰色の作業着を着た店主が、すすだらけの顔で、二人を振り向いた。
肌は浅く焼け、髪には白いものが混じっている。
背が高いという訳ではないが、体格は良く、何よりも柔和な雰囲気の中に、ぎらりと光る牙と、妙な哀しさを湛えていた。
「いらっしゃい。バイク、どうかしたのかい」
店主――立花藤兵衛が、言った。
藤兵衛にバイクを任せ、相澤と吉塚は、店の中でコーヒーを飲んでいる。
コッフェルで湯を沸かし、ミルで豆を挽いて淹れ、アルミのカップに氷を入れて、アイス・コーヒーにして飲んだ。
相澤は、砂糖を二杯。
吉塚はブラックのままで飲んでいる。
藤兵衛が相澤のバイクを相手取っている間、二人は、店の中を見回していた。
男一人でやっているだけに掃除の粗などは目立つが、少なくともバイク関連の整備は抜かりがない。
棚に眼をやると、トロフィーや、入賞した時の写真などが飾られている。
しかし、そのトロフィーを貰ったのは、藤兵衛ではない事が殆どであった。
藤兵衛自身がレーサーというのではなく、レーサーを育てるトレーナーというのが、藤兵衛の在り方であるらしかった。
それらの写真の中で、一際眼を引くものがあった。
一〇年位は前の写真であろうか。
バイクに跨った青年と、藤兵衛の、ツー・ショット写真だ。
今よりも少し若い藤兵衛と、髪に癖のある青年が、爽やかな笑顔をこちらに向けている。
「良い写真ですね……」
ぽつりと、吉塚が漏らした。
一旦、工具を取りに立った藤兵衛が、その吉塚の呟きを捉え、
「そうだろう。そいつは、儂の、一番の弟子だ」
と、誇らしげに胸を張った。
しかし、その後で、何となく寂しそうな顔を、藤兵衛は浮かべた。
単に、過去を懐かしんでいるというのではない。
その思い出す過去に、何らかの遺憾でもあるかのような、どうとも言い難い表情であった。
愛しさがある。
けれども同じだけの哀しみがある。
「お弟子さんですか。今は、何処に?」
相澤が訊いた。
「うん? ああ、今は、少し、な」
藤兵衛は言葉を濁した。
こら、と、吉塚が相澤の脇腹を小突く。
藤兵衛が、目当ての工具を持って、バイクの方へと戻って行った。
藤兵衛の背中を眺める吉塚であったが、その視界に、黒い自動車が滑り込んで来た。
店の外の道に、高級そうな外車が一台、停まったのである。
見ていると、白いスーツを着た男たちが、店にやって来た。
「立花藤兵衛さんは、貴方ですか?」
男の一人が、言った。
五人。
国籍は、様々であった。
最初に言ったのは、白人の男だ。
「そうですが、何か……」
藤兵衛が言い終える前に、その白人の男が、藤兵衛の作業着の襟を掴み、店から引っ張り出した。
「マスター!」
相澤が駆け出してゆく。
その後を追った吉塚諸共、アジア人の男と、黒人の男が、店から出るのを妨げた。
「何をする⁉」
藤兵衛が吼えた。
白人の男が顎をしゃくった。
二人の日本人が、藤兵衛に掴み掛ってゆく。
「こいつ!」
藤兵衛は、袖を掴んで来た眼鏡の男を、えいとばかりに投げ飛ばすと、もう一人の短髪の男の襟を掴み、更に地面に叩き付けた。
「貴様!」
白人の男が、懐に手を突っ込んだ。
藤兵衛は、まだ、背中を向けている。
「危ないっ」
相澤が叫んだ。
藤兵衛が白人の男を振り向いた時には、既に、男は銃を取り出していた。
一見すると、玩具のような、小さな拳銃だった。
しかし、脅しであんなものを見せる訳がない。
吉塚が、眼の前のアジア人の男の顔目掛けて右手を繰り出した。
人差し指と中指を突き出している。
その指の先端が、男の両眼に潜り込んでいた。
げぇ、と、顔を両手で覆って仰け反る男。
そのアジア人の男の身体を、黒人の男の身体にぶつけて隙を作り、相澤と共に駆け出した。
だが、その前に、黒人の男が長い腕を伸ばして、二人の後ろ襟を掴んで来た。
スリップして、空中で足をばたばたとさせる。
襟を掴まれたまま、持ち上げられてしまった。
藤兵衛と対峙した男が、拳銃を突き付けている。
「無駄な抵抗はやめて頂きたい」
「お、お前さん、何が目的だ?」
藤兵衛が訊いた。
「我々と来て貰おうか」
「我々だと? 貴様ら、さてはショッカーか!」
「言う事を聞かないのなら、その手足に風穴を開けてやるぞ」
「やってみろぃ! そんな事で屈する立花藤兵衛じゃない!」
「上等だ!」
白人の男が、引き金に掛けた指に、力を込めた。
刹那、その手の甲に、何処からか飛来した太い針が突き刺さった。
照準を付けられなかった拳銃は、弾丸を放ったものの、狙いは大きく逸れてしまった。
「だ、誰だ⁉」
男が、手から拳銃を取りこぼしながら、針の飛んで来た方向を睨んだ。
藤兵衛も、そちらを振り向いた。
黒人の男に吊り上げられていた相澤と吉塚も、その姿を見て、
「あッ」
と、声を上げる。
「神さん!」
神敬介が、手にした吹き矢の筒を弄びながら、こちらへと歩み寄って来る所であった。
山口真美はすがやみつる先生の『ストロンガー』から。
“魔蛇”の名前は本来の出典とは特に関係もなく……←
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第二十四節 実戦/兵士
さくらのハイキックを、顔の中心にもろに受けて、真美の上体が後方に反り返る。
足を引き戻すさくらであったが、その速度を速め、軸足であった右足で強く地面を蹴って、後方に跳んだ。
直前までさくらの身体があった空間を、翻った真美の刃が斜めに切り下ろした。
逃げ遅れたさくらの髪が、その蒼白い光に当てられて裂かれ、虚空を舞う。
距離を取って、さくらが構えた。
その額に浮いている汗は、夏の気温の所為ばかりではない。
「貴様……」
真美が、低く言った。
鼻の先端が明後日の方向を向き、広がった方の鼻孔から、血が滑り出していた。
「この、卑怯者め!」
そう叫ぶと真美は、血を絡ませた眼でさくらを睨み付け、剣を正眼に構えて、つつぅと間合いを詰めて来ようとした。
さくらが下がってゆく。
さくらが下がった分、真美が進む。
「堂々と勝負したらどうだ。前田!」
「莫迦だな、誰が、刀の正面から駆け込んでいって、斬られるもんか」
さくらが薄く笑みを浮かべた。
それで、真美の顔がぱっと赤くなる。
「奇襲などと、武道家の風上にも置けぬ」
「いーんだよぅ。武道家はそうかもしれないけど、これは、実戦なんだから」
言いながら、二人は少しずつ動いている。
真美が距離を詰めようとし、さくらがそれを外そうとする。
「死んだら、終いなんだよ……実戦はね」
「ぬぅっ」
真美が、殺気を迸らせ、さくらに向かって踏み込んだ。
両手を前に突き出しながら、ひねる。
刃が空気を巻き込んで唸り、真っ直ぐさくらの咽喉元を狙った。
さくらが、左に飛んで、突きを避ける。
そのさくらを追って、真美の剣が薙ぎ払われた。
さくらが、胴体を狙って来る剣に対し、身体を沈める事で回避する。
回避したそのまま、右手に飛び込んだ。
駆け抜けてゆく刃の下で、でんぐり返しをする形だ。
これで、距離が詰まっている。
刀の間合いではない。
蹴りでもない。
拳の間合いだ。
そして、地面から起き上がる反動で更に進み、これで肘の間合いである。
剣を引き戻そうとする真美の腕を、持ち上げた左脛で受け、その足を踏み下ろすと同時に、右肘を跳ね上げた。
「吩ッ」
震脚を用いた猿臂の一撃が、真美の顎にぶつかって来た。
このまま擦り上げれば、打撃の衝撃が脳へ向かい、脳震盪が起こる。
しかし、さくらは、肘で打ち抜く事が出来なかった。
真美の左腋の下から、刃が生えて来て、さくらを狙ったからである。
さくらは、急遽右半身を引き戻し、胴体を貫こうとする剣から身を引いた。
真美が、弾かれた右腕をすぐに背中にやり、そこで左手に持ち替えて、さくらが自身の右腕で隠してしまう空間に、刃を突き出して来たのだ。
左手のみで剣を握った真美が、さくらを追い掛けて来る。
左片手の脇構えになった真美は、刀身を身体で隠しつつ、さくらに接近する。
左肩を前にして、体勢を低く沈めていた。
さくらが攻撃を放っても、左肩が盾になる。
左肩を犠牲にして、右腕で斬り付けて来るという事もあった。
さくらは、右に跳んだ。
真美が素早く反応し、左肩を突き付けて来る。
今度は、さくらが左に跳んだ。
真美の右足が半円を描き、さくらから離れてゆく。
さくらは、右に逃げると見せ掛けて、左に思い切って跳んだ。
真美は、刀を右手に持ち替えている。
腰を切る勢いで、反り返った刃を、地面と平行に走らせた。
刀で人を殺す時、何も、頸や胴体を両断する必要はない。
頭や頸に、三寸も喰い込めば、それで充分だ。
脳を切り、頸動脈を切断する。
胴体ならば、内臓を少しでも斬り付ければ、あっと言う間に傷口に雑菌が繁殖する。
それを目論んでの事だ。
さくらは、眼の前に迫った刃に対し、背中から倒れ込んでゆく。
その鼻先の薄皮を、逃げ切れなかった前髪の幾らかを、刃がもぎ取っていった。
地面に、完全に寝転がってしまう。
「莫迦め⁉」
寝転がったさくらの胴体に、薙ぎ払った剣を両手で握り直した真美が、斬り付けてゆく。
刃が唸り、さくらの胴体を真っ二つにしようと落下した。
「敬介……」
藤兵衛が、感極まった声を上げた。
神敬介は、藤兵衛に優しく微笑み掛けると、自分を睨み上げて来る白人の男に、鋭い視線を返した。
「話は聞いているぜ。“財団”とかいう奴らだな」
敬介が言った。
白人の男が、悔しげに歯を噛んだ。
「俺たちが邪魔なら、直接、俺たちを狙えば良いだろう」
「くぅっ」
そう言う敬介に、すぐ傍で倒れていた短髪の男が掴み掛った。
敬介は眼もくれずに男を蹴り飛ばすと、白人の男に駆け寄り、鳩尾に拳をめり込ませた。
白人の男を押し飛ばした敬介が、今度は、相澤と吉塚を捉えている黒人の男に目線を移す。
「二人を離すんだ」
「――」
「離せッ」
敬介が鋭く言うと、男は、片手のみで、相澤を放り投げた。
敬介が相澤を受け止めている間に、吉塚を抱えたまま、自分たちが乗って来た車に向かって走り出した。
それとほぼ同時に、藤兵衛に投げ飛ばされた眼鏡の男も蘇生している。
「待てっ」
敬介が相澤を下ろし、二人を追う。
黒人の男が、吉塚を車の後部座席に押し込み、敬介に向かって発砲した。
敬介が、銃弾を吹き矢の筒で受ける。
眼鏡の男が、車のエンジンを掛けた。
走り出してゆく。
「ちぃっ」
舌を鳴らし、車を追う敬介。
だが、少し行った所で、車は停止していた。
いや、その車輪ばかりが、きゅるきゅると地面を噛んでいる。
そのバンパーに、二人の男が手を当てている。
一人は、ベージュのサファリ・シャツを着た男だ。
もう一人は、紺色のTシャツを着た逞しい男であった。
「いけねぇな、兄さんがた。女の子は、もっと優しく扱うもんだぜ」
Tシャツの男が言った。
運転席に座った眼鏡の男が、
「い、一文字隼人……」
と、声を上げた。
「本郷猛!」
「すっかり俺たちも有名人だ、なぁ、本郷」
一文字が、隣の本郷に笑い掛けた。
二人は、進もうとする自動車のバンパーに手を当てて、その進行を妨げている。
凄まじいパワーであった。
若し、スピードが乗った状態で同じようにやれば、バンパーがへこんでいただけでは済まなかっただろう。
「神薙! 何をしている!」
後部座席から、黒人の男が叫んだ。
その顔に、放り込まれた吉塚が蹴りを見舞っている。
暴れる吉塚に、手を焼いているようだった。
神薙と呼ばれた眼鏡の男は、強くアクセルを踏み込んだ。
しかし、タイヤは空回りするばかりである。
その車の横手に、敬介がやって来た。
敬介は、後部座席のドアに手を掛けると、蝶番の部分に蹴りを入れて破壊し、ドアを毟り取ってしまった。
「たまには、おやっさんに仕事を回してやらなくちゃな」
敬介は黒人の男の襟首を掴むと、車の外に引っ張り出した。
「大丈夫か」
と、吉塚を抱き寄せながら、車から出してやる。
「ほら、お前も出るんだよ」
一文字が、運転席のドアを、敬介よりもパワフルに毟り取り、神薙を道路に放り出してやった。
神薙が早速逃げ出そうとするのに対して、黒人の男は、懐から拳銃を取り出して、本郷たちに向かって発砲した。
一文字が、本郷の前に、毟り取ったドアを盾のようにかざして、銃弾を受け止める。
そうして、そらよ、と、黒人の男の身体の上に放り投げた。
一文字は逃げた神薙の事も追おうとする。
すると、眼の前で男を踏み潰していた筈の車のドアが、ばん、と跳ね上がって来た。
黒人の男が、両足で一息に蹴り上げたのである。
扉だけであるとは言え、金属の塊だ。
それが、一文字たちの身長程の高さまで、飛び上がったのであった。
常人の為せる業ではなかった。
黒人の男は、車のドアを蹴り上げた両足を、そのまま頭の上にやり、気味の悪い動きで立ち上がった。
男の両手が、本郷たちを睨んだ。
その指の先端から、銃弾が飛来した。
一文字と本郷が、横に逃げる。
弾丸は車を貫通し、爆発炎上させた。
その爆風を、黒人の男は、真正面からもろに受ける事になる。
「死んだな……」
敬介が小さく呟いた。
「いや……」
本郷が首を左右に振る。
炎上する車を背にして、黒人の男が、歩み寄って来る所であった。
その服は勿論、皮膚も焼け爛れ、引き攣れている。
その、高温を浴びて縮んだ皮膚の内側から、金属が覗いていた。
「サイボーグ⁉」
一文字が声を上げる。
しかし、赤熱化した金属が覗いているのは、顔と胸、そして右腕のみであった。
他の部分は、ほぼ生体と同じである。
「これが、噂の
本郷が言った。
“財団”を調べていたのは、風見と結城だけではない。
その情報を共有し、本郷たちも同じく、謎の組織について探っていた。
これらの情報の中に、ショッカーの改造人間計画と類似の案件を発見した。
熱帯のジャングルや、寒冷地、砂漠などの、劣悪な環境の中、単独で目的を遂行する為の兵士を製造しようという目論見だ。
人体に機械を埋め込む、或いは、遺伝子の段階から操作して別のものに作り替える――
ショッカーや、その系統の組織が改造人間と呼ぶものを、“財団”は改造兵士と呼んでいた。
異常に進んだショッカーの技術よりも、一枚落ちる“財団”の技術では、まだ、全身を機械で賄う事は出来ないでいた。
アメリカ国際宇宙局と違い、FBIやICPOの協力を受けられない、非合法組織であるからだ。
それでも、身体の一部に、兵器を仕込んだ機械を埋め込む事で誕生したのが、この改造兵士とである。
今、本郷たちの眼の前に立ったのは、改造兵士の試作品――或いは、Lv1であろう。
“財団”の計画では、Lv2は全身を機械に造り替え、Lv3以降は遺伝子工学を用いた怪物兵士の作成に取り掛かる予定であるらしかった。
「とすると、おやっさんと、あの女の子が危険だ」
「あ、相澤!」
敬介の腕の中で、吉塚が声を上げた。
「敬介」
本郷に言われ、敬介が頷いた。
店に戻ってゆく。
「本郷、ここは、俺が」
一文字が、右腕に内蔵された機関銃を構える改造兵士と向き合い、言った。
「うむ」
本郷は、逃げ出した神薙を追った。
改造兵士が、本郷に右手の先を向ける。
その前に一文字が立ち、改造兵士の腕を蹴り上げた。
空に向かって、銃弾がばら撒かれる。
改造兵士は、一文字の胴体に、左脚で蹴り付けて行った。
蹴りを右足で受けて、その右足で改造兵士の鳩尾を蹴り込んだ。
改造兵士はそのまま後方に下がってゆき、自分で蹴り上げたドアに躓いて、炎上する車の中に突っ込んでゆく。
肉の焦げる匂いが、空気に混じった。
しかし、改造兵士となった男は、悲鳴を上げなかった。
金属の部分を、真っ赤に染めながら、立ち上がって来る。
顔の皮膚が全て燃え落ちて、金属の頭蓋骨が剥き出した。
その中で、赤い瞳がぎらりと輝く。
一文字が、左手を前に突き出し、右手を顔の前にやって、構えた。
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第二十五節 決着/乱入
「な⁉」
真美が、驚愕の声を上げた。
さくらの寸前で、刀が止まったからだ。
俎板の鯉の如く、地面に寝そべったさくらに、包丁を振り下ろすように、刀で斬り付けていった真美であった。
しかし、その胴体に喰い込むと思われた刀身は、さくらの左の指によって止められていたのだ。
しかも、驚くべきなのは、さくらの身体には、しかと刀身が触れている事だ。
刀身の中頃よりも少し先が、さくらの胴体に、道衣を押し付けているのだ。
その、さくらの胴体から少しはみ出した剣先を、さくらの左手の親指と人差し指が、挟んでいる。
それで、固定されているのだ。
日本刀と、それを操る剣技の性質上――
刀は、剣先を斬り下ろしてゆくに連れて、威力を失ってゆく。
振り下ろす加速度が充実するその一瞬にこそ切断力を発揮するのであり、上から地面ぎりぎりまで斬り下ろしてしまっては、威力が減少するばかりだ。
又、日本刀は、西洋剣と比べると、切断に適した形状だ。
反りがある為だ。
しかし、西洋剣が押し潰したり、打撃したりする事を目的とした幅の厚い直刀であるのに対し、幅を薄め、反りを大きくした日本刀は、対象に当てて、引かなければならない。
膂力がものを言う西洋剣とは逆に、押し当てて引く事さえ出来れば力の弱い者でも対象を斬殺せしめる代わりに、それが出来ねば只の鉄の塊である。
さくらは、地面に寝そべった自分に対して振り下ろされる剣の、威力が減少する瞬間――即ち、運動を停止する身体に触れる瞬間と、真美が刀を引いてさくらを切断しようとする刹那を見切り、その間隙に剣先を掴んで、斬殺される事を防いだのだ。
刀の威力を見切る動体視力と、真美の引く力を留める
さくらは、真美が動揺した隙を狙って、地面から拾い上げた石を、真美の顔に向けて放った。
真美が眼をつぶる。
さくらは、右手で帯をほどいて、刀に巻き付け、真美の腕を右足で蹴りながら、刀を奪い取った。
そうして、立ち上がりざまに真美の頭から、両腕を抜いた上衣をおっ被せてやり、視界を封じた上で、道衣の上から打撃した。
たたらを踏んで、背中からばたりと倒れる真美。
さくらは、上半身にさらしを巻いただけの姿になり、真美から奪い取った刀を持ち上げ、帯をほどいた。
真美が、さくらの上衣を放り投げて、立ち上がって来る。
「返せッ」
と、真美が叫んだ。
「わ、私の、刀……」
「あんたの敗けさ」
さくらが、冷たく言い放った。
「私の……私の、刀……返せ……返して……!」
夢遊病者のように、刀の身を視界に入れて歩み寄る真美。
既に戦闘の意思はない――
そう理解したさくらは、刀を地面に突き立て、自分の上衣を回収しにゆく。
と、一瞬、真美から眼を放したさくらは、ふと気配を感じて、振り向いた。
すると、自分の刀を手に取ろうとした真美の前に、一人の女が立っている。
蒼い道衣――柔道衣の女だ。
黒い髪が、海からの風になびいている。
日本人よりも、少し、肌の色が濃いようであった。
分厚い生地の道衣を着ても、胸と尻を前後に突き出したそのスタイルが映えている。
黒い瞳が真美を捉えると、ぽってりとした唇が、にぃと吊り上がった。
「山口真美っ……!」
さくらが、声を上げた。
それまでの真美であれば、間違いなく気付いたであろう殺気が、柔道衣の女から溢れていた。
真美は、さくらの言葉に反応した。
しかし、さくらが彼女の名を呼んだ意味に気付く事はなかった。
柔道衣の女の手が、真美の頭に触れる。
真美の世界が、ぐるりと半回転した。
横に、ではない。
縦に、だ。
真美の瞳には、逆さまになった天地と、その中心にいるさくらが映っている。
だが、その映像が、脳にまで届いたとは思えない。
女の手が、真美の頭を、大きく反り返らせていた。
左足で真美の右足を踏み、入れ込んだ左肩に真美の腰を載せ、そのまま頭を後方に引っ張ったのである。
それで、腰から、折れた。
真美の身体が、腰から、女の肩を支点にして、背後に二つ折りにされていたのである。
頸骨から頭蓋骨が外れ、背骨がべきべきと折り曲げられた。
女が真美から身体を離すと、真美は、両足の踵と後頭部をぴったりと張り合わせて、恥骨を天に掲げる形で、死んでいた。
「あんた……ッ」
さくらが、怒りに歯を軋らせた。
魔蛇団と鬼花組が共謀して行なった人身売買――
その計画を巡り、用心棒であった女剣士・山口真美と戦ったさくらであったが、その戦いの中で、真美に対する憎しみはなかった。
生きるか死ぬかを懸けて、卑怯とも取られかねない手は使ったが、悪意を持って相対した訳ではないのだ。
そういう立場にあったから、相応のやり方で戦ったというだけだ。
その相手を、いきなり現れて、無残に殺した女に、怒りを隠し切れなかった。
この怒りを、女は、シャワーでも浴びるかのような心地良さそうな顔で受け止めて、長い舌で唇を舐め上げながら言った。
「久し振りね、さくら……」
マヤであった。
「マスター、神さんと、お知り合いなんですか?」
相澤が訊いた。
藤兵衛は、短髪の男と、アジア人の男、白人の男を縛り上げながら、
「何だ、君、敬介の知り合いか」
と、逆に訊き返した。
「はい。何年か前、神さんに……仮面ライダーに、お世話になったんです」
「ライダーに⁉」
「はい」
「そうか……」
藤兵衛は、感慨深く頷くと、
「敬介は、儂の……息子の、一人のようなものだ」
と、しみじみと言った。
“財団”の使者である三人を、背中合わせに縛り付けながら、そんな事を言うものであるから、何処となくシュールな光景であった。
「照れるぜ、おやっさん」
すると、敬介が戻って来る。
吉塚を、両腕で抱きかかえていた。
物語の中で、ヒーローが、お姫さまに対してするような格好だった。
「あー、よっちゃん、ずるい!」
相澤が言った。
吉塚は、顔をぱっと紅潮させて、
「莫迦っ」
と、言った。
敬介が、藤兵衛が縛り上げた三人を見て、
「流石です、おやっさん」
「放って置くと、何をするか分からんからな」
藤兵衛は、どん、と、胸を叩いた。
アジア人の男は吉塚に眼を突かれ、白人の男と短髪の男は敬介にノック・アウトされている。
それでも警戒を緩めず、すぐに拘束した藤兵衛は、流石は、戦争や、ショッカーとの戦いを潜り抜けて来た男であった。
だが、相手は、単に武器を持って、藤兵衛を脅しに来た程度のちんぴらやくざではない。
「く……」
と、蘇生した白人の男が、低く笑った。
縛り上げた三人に眼をやった敬介が、藤兵衛たちを非難させる。
彼らを縛った縄が、切断された。
三人が立ち上がる。
その内、アジア人の男の両腕の、小指側から、長い刃物が生えていた。
両手を持ち上げれば、丁度、蟷螂のようになる。
「甘く見たな、立花藤兵衛!」
白人の男が言い、スーツの前を開いた。
胸から、カノン砲の砲身が突き出して来た。
その背を、短髪の男が支える。
「ひぃっ」
と、相澤が悲鳴を上げ、藤兵衛が顔をさっと蒼くした。
敬介が前に出る。
「ファイア!」
白人の男が、カノン砲を発射した。
至近距離で、大きく爆発が起こった。
店の窓ガラスが、遍く割れ、吹っ飛び、或いは溶融した。
バイクは軒並み倒れ、ハンドルやフォークが曲がり、ぶつかり合ってタンクがへこんだ。
爆風が、“財団”の男たち――改造兵士らの髪や衣服を撫で上げた。
白人の男が笑みを浮かべている。
すると、爆炎の中から、銀色の筋がびゅんと伸びて来て、白人の男の胸に突き刺さった。
銀色の棒は、白人の男の胸と、その背中を支えていた男の胸を纏めて貫き、道路まで追いやってしまう。
道路と海を仕切る塀に、二つの身体が折り重なってぶつかった。
両腕が刃になっている改造兵士が、おろおろとしていると、二人の胸を貫いたスティックが、煙の中に引き戻されてゆく。
煙の中に消えたスティックが、風車のように回転し、煙を振り払った。
煙が晴れると、そこには、銀の仮面と赤い胸、黒い手袋とマフラーを身に着けた男が立っていた。
神敬介は、カノン砲の爆発の直前、マーキュリー回路から、セット・アップの隙を防ぐ為のマイクロ波を発して藤兵衛たちを守り、その間にクルーザーを呼び寄せて強化服を装着したのだ。
「ぎっ」
刃の改造兵士が、神敬介・仮面ライダーXに斬り掛かってゆく。
Xライダーは、ライドルをホイップ形態に変形させると刃の改造兵士の両腕を、瞬く間に切断した。
その断面から、噴水のようにオイルが迸る。
敬介がそれ以上の攻撃をしなかったのは、アジア人の男の改造されている部位が、両腕に仕込まれた刃物だけだったからである。
塀に押し付けた二人も、そうであった。
白人の男は、カノン砲を搭載した胸部。
短髪の男は、カノン砲の改造兵士を支える為の両足が、改造部分だ。
「敬介……」
「Xライダー!」
藤兵衛と、相澤が、声を上げた。
機関銃の改造兵士と、一文字が対峙している。
改造部分は、他の三人よりも多く、頭と胸と右腕――上半身の殆どだ。
機関銃の改造兵士は、炎上する車の中から立ち上がると、一文字に向けて発砲した。
剥ぎ取った車のドアを盾にする一文字。
それが蜂の巣にされてしまうと、放り投げて、横に跳んだ。
一文字を追って、改造兵士が奔る。
改造される以前から、見事な身体能力を持っていたのだ。
酷い火傷で引き攣れた左腕で、一文字を掴もうとする。
その腕を払い、右の膝に、蹴りを入れた。
関節が破壊され、がくんと崩れ落ちる。
一文字は、熱を孕んだ右腕を担ぎ、一本背負いで改造兵士を投げ飛ばした。
機関銃の砲身の熱が、一文字のシャツと、人工皮膚を焦がした。
その熱に顔を顰めつつも、一文字は、右足で改造兵士の右肩を踏み、腕をねじって、もぎ取った。
これで、戦力は無効化した。
その砲身を放り投げて、一文字がその場にしゃがんだ。
「色々と、話して貰うぜ」
機械の顔は何も言わない。
かつてのショッカー戦闘員は、敵に捕らわれても情報を漏らさぬよう、口が利けないようにされていた場合もあった。
しかし、それでも、何処とない人間味が残っていたように感じる。
改造兵士には、それがない。
理科室の標本と同じ、只の頭蓋骨を、金属で再現しただけのものだ。
それが却って、哀しい。
やったのは、ショッカーではない。
人間だ。
人間ではない支配者が、人間を改造したものには人間味が残り、人間が改造した人間には、人の温かみがない。
一文字が、苦虫を噛み潰したような顔になった時であった。
ぱかっ、と、改造兵士の頭蓋骨が、展開した。
脳。
その傍に、点滅するランプを持った、四角い箱がセットされている。
火薬の匂い。
――しまった。
そう思った時には遅く、改造兵士の頭蓋骨は、自爆を選んだ。
本郷は、神薙を追った。
本郷の見た所、神薙は、他のメンバーと比べると殆ど無改造に近かった。
“財団”内での地位が、まだ、低いという事なのか。
何にしても、わざわざ身体に機械を埋め込んでまで、人殺しをする必要はない。
例え、それが自ら望んだ事であったとしても、望まないままに身体に冷たい金属を埋め込まれた本郷としては、他人に薦めたくはない事であった。
「待つんだ!」
本郷が、逃げる神薙の背中に声を掛けた。
神薙は、ガードレールの所まで追い詰められてしまう。
ガードレールを飛び越えれば、すぐに、海であった。
崖だ。
下を見れば、白い波が、寄せては返している。
高所から落下すれば、例え水と言っても、コンクリートと同じ硬さである。
運良く助かるかもしれないが、その衝撃で死ぬ事もあり得た。
「神薙くん、落ち着き給え」
本郷は、冷静に言った。
「君が所属している“財団”という組織は、自らの利益の為に、大勢の人々の命を脅かそうとしている。君は、金の為に、他人の生命を無差別に奪って良いと、本気で思っているのか?」
「い、いぃぃ……」
神薙は、歯を剥いて、その場でがくがくと震えていた。
本郷の説得が、果たして届いているだろうか。
「今ならまだ後戻り出来る。さぁ、冷静になって、こちらに来るんだ……」
本郷は手を差し伸べた。
少し力を込めれば、水道の蛇口も、人の手も、簡単に壊してしまえる手だ。
その事を理解するからこそ、本郷猛は、誰よりも優しくあろうと思う。
本郷と神薙の距離が、段々と近付いてゆく。
「神薙くん……」
本郷の声は優しかった。
神薙の手が、本郷に向かって伸びようとする。
と、その肩口に、何処からか金属の塊が飛翔し、突き刺さった。
「げっ」
神薙が悲鳴を上げる。
ガードレールにもたれ掛かり、そのまま、海に落下してしまった。
「神薙ッ」
本郷がガードレールから身を乗り出した時には遅く、神薙は、崖に何度か体をぶつけながら、波の中に消えていった。
本郷は、神薙が落下の寸前に自分の肩から引き抜いていたそれを、拾い上げた。
菱形の頂点の一つを長く伸ばした剣の、反対側から柄が伸び、下端はリングになっている。
苦無――手裏剣の一種だ。
しかも、何処となくメカニカルな印象を受けた。
「これは……」
本郷が呟く。
気配を感じた。
見れば、本郷を見下ろす崖の上に、一つの黒い影が立っていた。
黒い、特殊部隊のそれに似たプロテクターを纏っている。
背中に刀を背負っており、頸には緑色のマフラーを巻いていた。
素顔を隠すヘルメットには、昆虫のような意匠がある。
緑色の複眼。
一対の触覚。
銀色の、折り重なった牙。
昆虫の顔をした、強化服の忍者。
そのような印象であった。
山口真美は元ネタではサソリ奇械人に改造されてしまったので……。
『平成対昭和』でXの変身空間が実際に出て来たのは(こちらではマーキュリー回路後ですが)、そういう事なのではないかしら、と思いました。
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第二十六説 旋風/黒忍
どのタイミングで閲覧数が増えるのか全く分からないのが怖いなぁ。
「久し振りね、さくら……」
マヤは言った。
さくらが、首を傾げる。
マヤ――星河深雪の事を、さくらは、彼女の手によって忘れさせられている。
デッドライオンと暗黒大将軍は、曼陀羅を創り上げるのに、人間たちを殺して攫っていた。
その中に、親友の星河深雪がいた事から、当時から空手使いの鉄火娘として名高かったさくらが、事件解決の為に動き出したのである。
こうした時に、城茂ら仮面ライダーと出会い、デッドライオンと暗黒大将軍の陰謀に巻き込まれてゆく事になった。
七人ライダーと暗黒大将軍との決着が付いた後、さくらは、深雪の生存を知る。
しかし、その深雪自身、つまりマヤが、さくらの記憶を消したのであった。
それを、さくらは憶えていない。
それでも敢えて、マヤは、
“久し振りね”
と、言ったのである。
兎も角、そのマヤが美しく微笑む傍らには、歪な死体が立てられている。
魔蛇団の用心棒の女剣士、山口真美だ。
魔蛇団は、地元の暴力団の鬼花組と組んで、主に女性の人身売買を行なっていた。
麻薬の顧客としたり、違法ポルノに出演を強制したり、秘密ショーでのスターとして調教したり……
卒業後、地元に戻り、空手の腕を生かして私立探偵を始めたさくらは、ズベ公グループ・魔蛇団に捕らわれた女性の身内を助け出すように依頼され、単身、魔蛇団と鬼花組に乗り込んで行った。
そこで、数人のやくざとズベ公たちをぶちのめし、用心棒であった真美と対戦する事となったのだ。
自分と戦い、勝ったなら、魔蛇団はこの一件から手を引く――
山口真美は、地元の剣道場の娘であった。
古くから鬼花組と付き合いのある道場で、その腕を見込まれて用心棒として雇われた。
しかし、年月を経るごとに腐敗してゆく鬼花組に嫌気が差し、滅多な事では刀を抜かなくなった所に、この話が舞い込んだ。
真美は、さくらと、自分を、両天秤に掛けた。
さくらが勝てば、鬼花組の悪事を全て暴露する心算であったのだ。
ここで敗けるようならば、自分の剣の腕も、鬼花組と共に腐敗していたという事になるからだ。
少なくとも、この山口真美という女は、真っ直ぐな性質であった。
その相手を、横からしゃしゃり出て来て惨殺したマヤを、さくらは許せなかった。
「あんた、覚悟は出来てるんでしょうね……」
「その心算で、来たのよ」
マヤは、自分の姿を見せ付けるよう、両腕を広げた。
蒼い柔道衣――戦う心算があるから、道衣を身に着けているのだ、と。
「では、早速……」
マヤが、両腕を持ち上げて、構えた。
車のハンドルを握るような形だ。
若干、身体を後ろに反らしている。
さくらは、左肩を前にして、膝でリズムを刻みながら、マヤに接近してゆく。
左右に身体をぶらし、マヤの視線を翻弄しようとする。
マヤは動かない。
目線を含めて、動かさなかった。
虚空を眺めているような表情でさえある。
さくらは、蹴りの間合いに入った所で、動きを止めた。
マヤの右斜め前方。
そこで、右に一回転する。
後ろ蹴り。
狙ったのは、下段であった。
膝を、真正面から壊す、踵での蹴りだ。
マヤは、右足を後方に下げて、蹴りを躱す。
膝を抜き、真正面への突進に、その反動を利用しようとした。
片足立ちになったさくらは、タックルで容易に転倒せしめる事が出来る。
しかし、それより早く、さくらの右足が動いた。
関節を蹴り抜いたと思われたさくらの右足は、地面に着く前にもう一度跳ね、マヤの顔を狙って来たのである。
スウェーで、躱そうとする。
スウェー・バックで回避してしまえば、下衣の裾を取って投げる事も、足に取り付いて膝や足首やアキレス腱を破壊してやる事も、可能であった。
だが、マヤの顔に向けて、さくらの右のスニーカーが飛んで来た。
リズムを取りながら、左右に動いていたのは、靴を緩める為だ。
後ろ蹴りと、横蹴りの二段蹴りは、踵をスニーカーから外す勢いを付ける為だった。
マヤが、後方にたたらを踏む。
タックルに行こうと重心を変えたのを、更にスウェーに切り替えなくてはならなかったので、バランスが崩れたのだ。
どん、と、歪な真美の死体に、マヤの身体がぶつかった。
これで、意識が真美の方に向く。
さくらの左の正拳突きが、マヤの胴体に突き刺さった。
「おえっ……」
マヤが、身体をくの字に折って、後退する。
左手を伸ばし、地面に突き刺さった真美の剣を、取ろうとした。
左手が柄を握った時、その指を、さくらの右足が押さえた。
左手を刀に縫い付けられたマヤは、その部分を足場にして跳躍したさくらの、左の飛び廻し蹴りを、顔面に喰らう事になる。
鼻から血を、口から歯の欠片を飛ばしながら、マヤが逃げてゆく。
さくらが、倒れ込みそうになったマヤに、追い討ちを掛けた。
と――
バランスを崩した筈のマヤが、蛇の笑みを浮かべた。
倒れるのを堪えながら、さくらの渾身の右ストレートを、左の腕刀で弾く。
この時、両腕を、内側から円を描いて持ち上げるようにする事で、さくらの視界をも封じた。
続けて、その遠心力を利用するように、右腕が、肘の所からもう一回転した。
掌を上に下右手の、虎口――親指と人差し指の股が、さくらの顎を横から打つ。
さくらの頭部が、横に傾く。
脳が、頭蓋骨の中で激しく揺さぶられた筈だ。
そして、更に両腕を回しながら、さくらの左脚を左足で払いつつ、遠心力を加えた左の掌底で、さくらの左側に傾いた顎を押し込んだ。
この時、右腕を後方に引く事で、左腕を開く力に加えている。
さくらの頭蓋骨が、頸骨から外れ、そして、重心から遠い両端を別方向に押された事で、さくらの身体は容易く宙で一回転した。
さくらの身体が、地面に落下する前に、マヤは右の片足立ちから跳躍し、旋風脚を放った。
宙で回転するさくらの中心に、マヤのキックが炸裂し、さくらの身体が大きく飛んでゆく。
地面に落ちて、一度バウンドし、さくらは、後頭部と胸をくっつけ、顎を脊髄のてっぺんに載せた形で、動かなくなった。
本郷猛は、黒い強化服の人影と対峙している。
仮面ライダーと似た雰囲気を持つ、忍者のような装甲服であった。
その緑の複眼が、崖の上から本郷猛を見下ろしている。
強化服の忍者が、右手を持ち上げた。
その手に、いつの間にか苦無を持っている。
神薙の肩を刺したのと同じものだ。
腕の装甲に隠していたものらしい。
それを、本郷に向けて、投擲した。
本郷が横に逃げる。
アスファルトに苦無が突き立った。
強化服の忍者は、更に続けて、苦無を放り投げる。
それらを、時には躱し、時には手刀で打ち落として、本郷はやり過ごした。
苦無では埒が明かないと、強化服の忍者が崖から本郷の所へ降りて来る。
近くで見ると、ますます強化改造人間のそれと似た出で立ちであった。
「何故、神薙を殺した」
本郷が訊いた。
強化服の忍者は答えず、背中の剣に右手をやった。
忍者刀ではない。
反りのある、二尺三寸の日本刀だ。
少なくとも、敵を前にして背負うものではない。
抜刀している間に、やられてしまう。
強化服の忍者は、腰を低くし、左肩を前にして構えていた。
右半身を後ろにする事で、抜刀の邪魔をされないようにする為らしい。
「お前も、“財団”の者か? それとも……」
本郷が、剣を握った右手に注目しながら、訊いた。
強化服の忍者が、動いた。
右手――ではない。
前に出し、自然に垂らしていたと見えた左手が、実は膝に添えられており、その膝のプロテクターに偽装されたものを取り外していたのだ。
左の掌底で、膝のプロテクターを押すようにして、取り外す。
脛を滑ったそれを、足首のスナップで蹴り上げて、本郷の方へ飛ばした。
本郷の手前で、それが爆発した。
両腕を身体の前にやり、爆風から逃れる本郷。
抜刀した強化服の忍者が、本郷に斬り掛かっていた。
袈裟懸けに振り下ろされる一閃を、本郷は左側に身を翻して回避。
強化服の忍者はすぐに剣を跳ね上げ、右側に位置した本郷の胴体を、下から斬り上げた。
刀を、走高跳の選手のように、飛び越えて躱す。
本郷は、刀を振り切った為に胸を開いている忍者の、正面に位置した。
「だぁっ!」
素早く、右のパンチを打ち込んでゆく。
それを、左の掌で受け止めた。
ぐぃと、右側に引っ張った。
バランスを崩す本郷の顔面に、刀を握った拳が迫る。
強化服の忍者の右手首を、本郷が握り、右肘を相手の顎に当てて、腰を相手の胴体に打ち付けながら、ひねった。
顎を肘で押されるようにして、強化服の忍者の身体が、浮かび上がり、投げ飛ばされた。
この際に手首をひねり上げ、日本刀を奪い取ろうとする本郷。
しかし、強化服の忍者は、自ら手首を切り離して、刀を奪われるのを防いだ。
「ぬ!」
強化服の忍者の右手は、手首から外れるものの、腕とはチェーンで繋がっていた。
腕が完全に機械になっており、手首を射出する事が出来るのだ。
刀を持った右手が転がる。
その鎖を、本郷の左腕に巻き付け、咄嗟に刀を左手に投げ渡す。
チェーン・デス・マッチの様相だ。
本郷を右腕の鎖で引き寄せながら、左手の刀で、強化服の忍者が斬り付けてゆく。
本郷は、逆に、自分の左腕に巻き付いた鎖を引き、刀を受ける。
刀身に鎖を絡げ、へし折ろうとした。
鎖が延長し、刀の拘束が緩む。
強化服の忍者は、刀の柄で本郷の咽喉を狙った。
と、横手から、強化服の忍者に向かって白い塊がぶち当たって来た。
本郷が呼び寄せた、自身の新サイクロン号だ。
この衝撃で強化服の忍者が吹っ飛び、本郷との繋がりが途切れ、地面に転がる。
本郷は、新サイクロン号から強化服とヘルメットを取り出して、纏った。
緑のコンバーター・ラング。
銀色のレガース。
深紅のマフラー。
飛蝗を思わせる、人間の頭蓋骨に似た仮面。
ベルトの横の、エナジー・コンバーターのスイッチを入れる事で、タイフーンの風車ダイナモが回転を始める。
風が巻き起こり、風車の回転が、改造人間の機能を発揮させる状態に持ってゆく。
仮面ライダー第一号だ。
右腕の鎖を引き戻した強化服の忍者と、始まりの仮面ライダーが対峙した。
本郷は、動かない。
動かないが、自然と、強化服の忍者は後退っていた。
その脳内には幾つもの攻撃パターンが浮かんでいる筈だが、どのように攻めても、瞬く間に逆転される未来しか予想出来ない。
本郷の脳裏にも亦、その予想が立っている筈であった。
しかも、本郷の場合は、相手が動いてからでも充分に間に合う。
他の改造人間が、想像しか出来ないのに対して、本郷の場合は、その場に動きがあってから、実際に僅か先の未来に起こるであろう事を予知して対処出来る。
強化服の忍者が、刀を、八双に構えた。
だっと地面を蹴り、本郷を斬り付ける。
フェイントで横に飛び、斜めから剣を打ち下ろした。
本郷ライダーが、僅かに、横に移動した。
剣が、本郷のいた場所を通り抜けてゆく。
又、本郷の左手に、強化服の忍者が投擲した苦無が握られていた。
剣を両手で振り下ろすとみせながら、右腕に隠されていた苦無を射出した。
本郷はそれを見切っていたのだ。
動揺が、強化服の忍者に走った。
恐怖に似たものだ。
強化服の忍者は、素早く後退した。
本郷ライダーが、それにぴったりと追い付いて来た。
パンチを鋭く打ち込んでゆく。
強化服の忍者のバックルが、かっと光った。
強化服の忍者の姿が、陽炎のように歪み、本郷のパンチが擦り抜ける。
ホログラムだ。
バックルを発光させた一瞬、本郷の動きが止まった。
その一瞬の間に、離脱したのだ。
ライダーパンチを躱した強化服の忍者は、本郷が新サイクロン号を呼んだのと同じく、自分のマシンを召喚した。
黒い、SUZUKI GSX1000であった。
それに飛び乗ると、立花オート・ショップに向かって、駆け出していった。
「待てっ」
本郷ライダーが、新サイクロン号に搭乗し、強化服の忍者を追った。
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第二十七節 仮面
「驚きました……」
相澤が、Xライダーと、立花藤兵衛を交互に見つめて、言った。
「まさか、神さんと、立花さんがお知り合いだったなんて」
「まぁな」
照れたように、藤兵衛が頭を掻いた。
「しかし、妙な偶然もあるもんだなぁ、敬介」
「そうですね」
かつて、Xライダーを含む仮面ライダーたちに助け出された二人が、ライダーたちと関係の深かった藤兵衛と出会いを果たす――
それだけではなく、この日、共にその仮面ライダーと再会したのである。
何もかも仕組まれているかのような、偶然であった。
「所で、敬介、あの連中は……」
「“財団”と呼ばれる組織です」
Xライダー・敬介が、簡単に説明した。
藤兵衛は、眉を顰めながら、
「また、戦いが始まるのか……」
と、絞り出すような声で言った。
「――おやっさん?」
敬介が、怪訝そうに首を傾げる。
今までの藤兵衛であれば、
“よぉしっ! この立花藤兵衛、もう一度世界の平和の為に立ち上がろうじゃないか!”
などと、腕捲りでもしながら、血気を漲らせた事であろう。
しかし、それがない。
加齢……それだけではない何かが、藤兵衛には起こったらしい。
岬ユリ子の事だ。
デルザー軍団との戦いで命を落とした、タックル・岬ユリ子の事は、敬介も知っている。
城茂が、彼女を、仮面ライダーという戦士の名前で呪縛したがらなかった事も、知っている。
だが、藤兵衛が、ユリ子がドクターケイトの毒ガスを浴び、茂に心配させまいと気丈に振る舞い、そして、助からぬと知ってケイトを巻き添えに死を選んだ事に、ショックを受け、かつての戦士の気力を萎えさせていた事までは、分からなかった。
敬介は、他のライダーたちともそうであるが、この藤兵衛にも、必要以上に、接触はしたがらなかった。
多くの組織との戦いの中で、辛い事や苦しい事が幾つもあり、例えばそれが肉体の苦痛であれば我慢が利くが、人の生命が失われてしまったとなると、そうもいかない。
誰もが誰かを失って、その人の時を止めている。
これを思い出してしまうからだ。
戦場を共にした仲間たちとの再会は、彼らへの友情と共に、戦いの嫌な記憶を呼び起こす。
だから、戦士として立たねばならない時以外、仲間たちと触れ合う事は、極力、しないようにしていたのである。
それが、本郷や一文字と共に、藤兵衛の所を訪れたという事は、やはり、次なる戦いが始まろうとしているという事なのだが――
「おやっさん、実は……」
敬介がそう言い掛けた所で、近くで、大きな爆発が起こった。
一文字を巻き込んで、改造兵士が自爆したのである。
その爆炎が、店の前の道路まで駆け抜けて来た。
炎の中から、白い車体が躍り出る。
「ひゅーっ、危ない所だったぜ」
そう言うのは、強化服を纏った一文字隼人であった。
緑のプロテクターと、赤い手足。
相澤と吉塚は、初めて見る仮面ライダーである。
「平気ですか、一文字先輩」
新サイクロン号で、咄嗟に脱出した一文字ライダーが、バイクを押して、店の前までやって来る。
「平気じゃねぇよ、ったく……見ろ、これ」
こつんと、赤いグローブで、仮面を叩いてみせた。
「綺麗な緑色だったのが、真っ黒に焦げちまったぜ」
一文字の言う通り、飛蝗をモチーフにしたらしい仮面が、黒く煤けている。
仮面ライダーのヘルメットを焦がす程の強烈な熱が、放射されたのだ。
「自爆しやがったぜ」
一文字が、低く言った。
「こちらもです」
敬介たちに向かって、カノン砲を発射しようとした改造兵士たちの攻撃を、Xライダーは防ぎ、戦力を奪い取った。
しかし、拘束しようとしたその時、彼らは海に身を投げて自爆したのである。
「あの、神薙とかいう男は、改造部分が少なかったから、本郷に期待だな」
「ええ」
一文字がそう言うと、まだ燃え盛っている炎の奥から、バイクの唸りが聞こえて来た。
揺らめく紅蓮の中に、マシンに跨る人影が見える。
最初、一文字も敬介も、それを本郷猛・仮面ライダー第一号と思ったのだが、炎の中から飛び出して来たのは、全く異なる姿であった。
黒いGSX1000を炎の中からジャンプさせ、着地したのは、黒い強化服のサイボーグ忍者である。
「こいつは⁉」
その姿を見て、強化改造人間――仮面ライダーを連想した。
続けて、本郷ライダーの新サイクロン号が現れた。
「本郷、神薙は?」
「済まん……」
「奴は⁉」
「分からない。しかし、神薙を攻撃したのは、あいつだ」
言葉少なく、ダブルライダーが情報を交換した。
敬介が、藤兵衛たちの守りに入っている。
サイボーグ忍者が、マシンから降りた。
背負った日本刀を引き抜き、ダブルライダーに向かって構えている。
切っ先の向こうにある黒いヘルメットは、昆虫のようである。
一対の緑色の複眼。
眉間には、白毫の如きランプ。
それらの上から、左右に触角が伸びている。
口元を覆うマスクの形状は、数枚のプレートを重ね、牙に見立てている。
又、その円形のマスクを歪に歪めている溝は、花びらのようにも見えた。
「気を付けろ、隼人」
「うん?」
「奴は、身体の至る所に武器を隠し持っている……」
本郷が見ただけで、
苦無
爆弾
鎖
これら三つである。
更に、ホログラム――自分の幻影を造り出す装置まで組み込んでいた。
「それに、奴の身体がスキャン出来ん……」
「お前でもか!」
本郷の感覚は、あらゆる物体を、リアルに脳内に描き出せるまでに強化されている。
箱の中に入っているものを当てるだけに留まらず、外見は何処も壊れていない機械の故障部分を、触れる事なくして探り当てる事も可能だろう。
その本郷の感覚が、通じない。
そのような装甲で、身体の表面を覆っているのだ。
透視、不可。
無臭。
音を吸収してしまう。
暗闇に紛れれば勿論、例え真昼であろうと、ホログラムの投射で身体の表面を覆ってしまえば、全く姿を消してしまう事も出来るだろう。
極めて高度なステルス能力――サイボーグ忍者というのは、言い得て妙であった。
「“財団”製じゃなさそうだな……」
「ああ。まるで、俺たちの事を、最初から想定して造られたような」
「つまり……」
サイボーグ忍者が地面を蹴った。
真っ直ぐに、ダブルライダーに向かって飛び込んで来る。
第一号と第二号は、左右に展開した。
これで、どちらを追おうと、片方に対して隙を見せる事になる。
唐竹割りに振り下ろされた刃に対し、本郷が右、一文字が左だ。
どちらにゆくか⁉
その迷いを、寸毫にも見せず、サイボーグ忍者はホログラムを発動した。
背中から分裂するようにして、二人のサイボーグ忍者が、左右の本郷ライダーと一文字ライダーに向かって斬り掛かる。
「むっ」
「ちっ」
本郷ライダーの廻し蹴りが、サイボーグ忍者の頭部を突き抜けた。
幻影だ。
しかし、刀を躱すと同時に顔面を殴り抜いていた一文字ライダーの拳も、サイボーグ忍者の頭部を砕くには至らなかった。
どちらも、ホログラムだ。
本物は、立花オート・ショップに向けて、走っていた。
その剣を、Xライダーがライドル・スティックで受ける。
「神さん!」
相澤が叫んだ。
「おやっさん、二人を店の中に⁉」
敬介が、サイボーグ忍者の剣を弾き、胴体を薙ぎ払う。
ライドルの腹を刀の柄で受けて、サイボーグ忍者は右腕を振るった。
腰を屈めて躱したXライダーの頭上を、サイボーグ忍者の右拳が駆け抜ける。
と、その手首が射出され、モーニング・スターのように、店の中に避難した藤兵衛たちに迫った。
それを、一文字ライダーが身を挺して受けた。
一文字は、店の看板に身体を打ち付けられてしまう。
「は、隼人!」
藤兵衛がうろたえた。
「心配するねぇ!」
一文字が言う。
Xライダーは、サイボーグ忍者の胴体を蹴り飛ばし、ライドルで殴り掛かった。
引き戻された右手首のチェーンが、ライドルに絡み付く。
サイボーグ忍者は、Xライダーのマフラーを掴んで引き寄せると、胸に膝を押し当てた。
爆発する。
閃光の中から、ライドルをロング・ポールに変形させ、上昇する事で脱出したXライダーが現れた。
サイボーグ忍者の爆弾は、衝撃を一ヶ所に集中させる。
密着状態で爆発する瞬間に離脱してしまえば、周囲への被害は少なくなるのだ。
Xライダーは、上空から、ライドル・スティックで脳天を狙った。
サイボーグ忍者が、剣を下から打ち上げる。
ぶつかり合った鉄と鉄は、火花を散らし、互いに破損した。
ライドルを切断したはいいものの、衝撃でひびを入れられた刀は、呆気なく折れてしまう。
着地したXが、肉弾戦を挑んでゆく。
鋭いパンチを打ち込んだ。
ラッシュで攻めてゆく。
それらを、サイボーグ忍者は見事にブロックした。
今度は、サイボーグ忍者から攻撃に出る。
ロー。
左のストレート。
顔を傾けて躱したXの頭部に向けて、右足が跳ね上がる。
ハイキックが、Xマスクを直撃した。
「えッ……」
吉塚が声を上げた。
「よっちゃん、今の……」
相澤も言っている。
Xライダーの身体が傾いた。
これに対して、下段に構えようとするサイボーグ忍者であったが、背後から迫る圧力に振り向いた。
仮面ライダー第一号である。
振り向きざまの右のバック・ハンド。
これを、飛び込み前転で躱した本郷ライダーが、畳んだ両脚を解き放ち、サイボーグ忍者の胴体を挟み込んだ。
蟹挟みで、相手を転がし、頭を地面に打ち付けさせる。
引き倒したサイボーグ忍者の両足を掴んで、振り回した。
その際に、持ち上がり切らなかった頭部が、ごす、ごす、と、地面を掠める。
ジャイアント・スイングで平衡感覚を失わせ、上空に放り投げた。ここで、相手の両脚を掴んだ手をひねる事によって、空中に向かうサイボーグ忍者は錐揉み回転させられる事となる。
そこで跳躍し、両膝でサイボーグ忍者の頭部を挟み込んだ。
相手の体重も加えて更に回転しながら、海と道路を仕切っている塀目掛けて、サイボーグ忍者の頭部を叩き付けてゆくのであった。
ライダーハンマー、錐揉みシュート、ヘッドクラッシャーの連撃が、サイボーグ忍者の上半身を、塀に埋め込んでいた。
「やったか?」
一文字が駆け寄って来る。
「いや……」
本郷が首を横に振ると、その言葉の通り、サイボーグ忍者は立ち上がって来た。
だが、流石にノー・ダメージという訳にはいかなかった。
その仮面が、破損している。
砕けた仮面から、サイボーグ忍者の素顔が覗いていた。
やはり、改造した素体に、強化服を装着させる、仮面ライダーと同じ強化改造人間であった。
素体の改造部分が多い事に加え、強化服に武装を積み込んでいるのだ。
「女……⁉」
一文字が言った。
黒い仮面の奥の素顔は、女性のそれであった。
店から駆け出して来た吉塚と相澤が、その顔を見て、驚き叫んだ。
「さくらさん!」
「前田先輩⁉」
サイボーグ忍者の仮面の奥にあったのは、前田さくらの顔であった。
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第二十八節 是十
眼を覚ました時、さくらはぎょっとした。
自分の身体の感覚が、全く存在しなかったからである。
眠っている間、変な姿勢でいた為に、或る部分の血流が滞っていた、というような話ではない。
若し、肉体から魂が抜け出し、天を浮遊するようになったら、このように感じるかもしれなかった。
眼の前には、暗がりが広がっていた。
しかし、その暗がりの中で、さくらの眼は良く見えた。
ガラスのように磨き抜かれた壁に囲まれた、決して広くはない部屋だ。
眼の前に扉があり、その細かいモールドまで、良く観察出来た。
眼を、閉じたり開けたり、してみる。
意思よりも動作は遅れたが、出来た。
これで、瞼の感覚が戻って来た。
それから、白い紙に垂らしたインクが、じわじわと広がってゆくように、顔、頸、胸、腕、胴、脚……と、感覚が取り戻されてゆく。
それにしても、身体が妙に重い事に変わりはなかったが、自分が、両腕を左右に広げられ、足をぴったりとくっ付けられて、磔に近いような姿勢である事が分かって来た。
眼球を動かしてみる。
自分の鼻の頭が少し見え、突き出している筈の胸が、黒いプレートで押さえ付けられているのが見えた。
どうやら、拘束具のようなものを、二重に取り付けられているらしかった。
両側に眼を動かしてみれば、横に伸ばされた腕にも、同じく二重の拘束が施されている。
身体にぴたりとフィットする黒い拘束具の上に、壁に身体を固定する器具が設置されているのだ。
その、自分を磔にしている壁は、他の壁とは別に造られているらしく、背中から、ごぅん、ごぅん、という、機械の振動が聞こえて来る。
磔と言えば、どうしても思い出してしまうのが、デッドライオンの曼陀羅だ。
生死の交差する悪魔の曼陀羅の中心の片割れとして、自分は選ばれた。
中尊を為すもう一つは、デッドライオンという名の、蠱毒であった。
蠱毒とは、巫蟲法の一種であり、壺や亀などに詰めた小動物に共食いをさせ、生き残った一匹を神として祀る事で、息災や不幸を齎す呪術の一種である。
この方法によって創られたものに、肉体と、組織の幹部という地位を与えたのが、デッドライオンであった。
組織の名は、ブラックサタン。
やはり巨大な蠱毒に、ショッカー首領がコンタクトを取って、彼らをサタン虫と称し、世界征服の礎としようとしたのである。
このブラックサタンは仮面ライダーストロンガーによって滅ぼされたのだが、生き延びたデッドライオンは、デルザー軍団の生き残りである暗黒大将軍と組んで再起を図った。
その際に、理不尽に殺された人間の怨霊が籠った内臓や、生命の象徴である和合液、男女の混合によって振動する感情エネルギーを、強い身体を持つさくらを媒介に、デッドライオンの本体に注ぎ込もうとしたのである。
結果としてその企みは、ストロンガーを始めとする仮面ライダーたちによって滅ぼされた。
だが、さくらにはさくらで、あの時の後遺症が残っている。
と言うのも、デッドライオンは曼陀羅の儀式が失敗した後、配下の改造魔虫らを取り込んで改造魔神デッドコンドルに進化したが、本来、あの姿は曼陀羅の儀式によって変身するものであった。
この儀式の中心に、途中まで加えられてしまっていたさくらの身体には、曼陀羅が呼び起こした餓蟲――世界に遍満するエネルギーが注がれており、それが残留しているのだ。
人の感情で、善にも悪にも変化するエネルギーであるが、恐怖や悪意で以て変質したこの力は、さくらに暴力的なパワーを与えてしまっていた。
滾々と湧き上がる、力への欲求にも似たものだ。
単に、武道や格闘技の本質を極めたいという、知的に偏った欲求ではない。
他人を、自らの力でねじ伏せたいという、恐るべき暴力欲だ。
これを、どうにか、他人を理不尽に傷付ける事なく生かすべく、剣呑な案件を扱う私立探偵として身を立てた。
だから、今回のような、魔蛇団と鬼花組のように武力で以て事を解決したいと考える団体は、さくらにとっては清涼剤のようなものであったのだ。
そして、山口真美との決着を付けた直後に現れた、あの柔術使いの女……
と、眼の前の扉が、左右にスライドして開いた。
現れたのは、マヤであった。
露出度の高い、金色のドレスを纏っている。
「元気してた? さくら……」
「――深雪」
さくらが言った。
マヤは、にぃと唇を吊り上げる。
「記憶は消した筈だけどね……」
「どうして忘れていたのか、分からないよ」
星河深雪――
さくらが、マヤの姿を思い出す時、それはこの名前であった。
城南大学に在籍していたさくらは、或る時、ブラジルからの帰国子女であるという星河深雪と友人になった。
形骸化した武道に疑問を抱いていたさくらは、深雪から、ブラジルにある“バリツゥズ”というジュージュツに興味を持ち、空手の総合化、即ち、
打
投
極
を遍く修める事の出来る武術に、傾倒していったのである。
後に、“バリツゥズ”はバーリ・トゥード(ポルトガル語で“何でもあり”)というルールの格闘技である事を知り、ジュージュツとは明治時代に
格闘技を通じて友人となったさくらと深雪であったが、深雪は、デッドライオンの曼陀羅を造り上げる為の猟奇殺人に巻き込まれて死んでしまった――と、思っていた。
だが、蓋を開けてみれば、深雪は生きており、さくらの記憶を奪い取って姿を消した。
その深雪・マヤが、今度は敵として、さくらの前に立ちはだかったのだ。
「あの技……」
「え?」
「私を殺した、あれは……」
さくらは、自分がマヤによって殺された瞬間を覚えていた。
打ち込んだ拳を払われ、頚椎を掌底の一撃でねじられ、投げ飛ばされて、蹴り込まれた。
それで、ねじられた頸から、地面に落下し、恐らくは死んだのである。
くすり、
と、マヤは笑った。
「相変わらずの、空手バカ……」
「――」
「あれは、赤心少林拳の応用よ」
「少林拳?」
「ええ。所謂、少林寺拳法が出来上がる前に、中国に渡った或る男が体系化させた技術……」
少林拳と、少林寺拳法は、異なるものだ。
少林拳は、中国は嵩山、少林寺で、僧侶たちの易筋行として学ばれたものである。
少林寺拳法は、中国禅宗を参拝する為に少林寺を訪れた際の記録を見た日本の武道家が、戦後日本復興のきっかけとすべく武道を知る為、中国に渡って修行し、日本で道場を開いたものである。
武道家の一人として、それ位の事は知っている。
特に少林寺拳法は、フル・コンタクト空手と同時期に出て来たようなものである。
だが、赤心少林拳の名前は、憶えがなかった。
マヤは、その場で、一つ、套路の表演をやった。
套路とは、中国拳法の型である。
先ずは、持ち上げた右腕を、腹の前に倒した左腕の手の甲に載せる。
これが基本の構えだ。
そこから、前に出ながら、両腕を内回しに持ち上げた。
これで、左右からの攻撃を弾く事が出来る。
次に、もう一度両腕で円を描きながら、最初の構えに戻った。
戻ったと言っても、右腕の角度は真っ直ぐにする。その時に、インパクトの為の加速をした。
これは、前腕で横からの攻撃と受けると共に、相手の顎を虎口で打つ事が出来る。
又、この際には右足を持ち上げており、重心を右側に傾けている。
傾いた重心に逆らわず、右側に倒れてゆき、右足で震脚を用いた。
ゆるり、と、落ちたにも拘らず、踏み込みの際には、床が大きく踏み鳴らされた。
ここで、沈墜勁が用いられた。
落下のパワーが、右側に突き出した掌に乗って、打ち出されている。
と共に、肘を曲げた左腕は肩のラインに浮き上がっていた。
右側に打ち出したパワーに対する、バランサーの役割を果たしているのだ。
そして、この勢いを殺さないまま、身体をたわめる勢いで回転し、旋風脚――跳び後ろ廻し蹴りを、繰り出した。
着地した時には、左右を逆に変えて、最初と同じ基本の構えに戻っている。
さくらを打倒した、一連の流れであった。
ひと時たりとも留まる事なく、螺旋を描いて、マヤの身体が躍動した。
それは、最初の動きを、次の動作が後から押し出す事で、威力を段々と増してゆく、対数螺旋のようなものであった。
音が、交差する瞬間に倍増し、その倍増した音が更に交差して膨張するように。
「子供みたいに、眼をきらきらさせちゃって……」
さくらの顔に、マヤが見せた赤心少林拳の套路に、喜悦が浮かんでいた。
「そ、それより……」
さくらは咳払いをして、マヤに顔を向けた。
「これは、どういう事なの⁉」
「漸く緊張感が出て来たわね」
「深雪!」
「残念ながら、私は星河深雪じゃないわ」
「え?」
「あれは、言うなれば世を忍ぶ仮の姿……私の趣味よ」
「しゅ、趣味?」
「ええ。或る時はカー・レーサーのファン、或る時は旧組織の残党、或る時はブラジルからの帰国子女、或る時は有髪の尼僧、かくしてその実態は……」
「――」
「世界征服を目論む秘密結社・ショッカーの最高幹部……」
「――」
「尤も、マヤと言う名前でさえ、借り物だけどね」
「マヤ……?」
「でも、“始まりの女”だなんて呼び難いでしょう? イヴ……は、兎も角、ガイアなんて、何となくいかつ過ぎ……」
「――」
「だから、元からいたマヤって女の子の名前を借りているのよ」
可愛くて良いでしょう――と、マヤは微笑んだ。
「それで、ショッカーとやらの最高幹部さまが、この私に、何の用?」
「――貴女が、欲しい」
マヤは、さくらの前に立つと、鼻の頭同士が触れ合うような距離で、囁いた。
長い舌が生み出す甘い声が、とろりと、さくらの中に入り込んだ。
「はぁ⁉」
「貴女の素晴らしい肉体が、欲しいのよ」
マヤの蛇のような指が、さくらの頬を撫でる。
「何言って……」
「初めて会った時から、ずぅっと思っていたわ。戯れとは言え、貴女のような強い肉体に出会えた事は、私にとって、この上のない幸運……」
そう言うと、マヤは、やおらドレスを脱ぎ始めた。
決して背は高くないのに、前に大きく張り出した胸、括れた腰、膨らんだ尻……と、奇跡のようなバランスの上に成り立つ身体を眼の前に寄越されて、さくらは思わず眼を反らしそうになる。
しかし、その胴体を見て、ぎょっとなった。
マヤの腹部の肉が、黒ずんでいた。
単に、色素の問題ではない。
腐敗しているのだ。
その腐敗した腹部から、植物の蔓のようなものが生えていた。
毒々しい紫色の蕾が、蔓のあちこちに生み出されている。
「マヤの儀式は知っているかしら」
「マヤ?」
「マヤ文明……ユカタン半島に繁栄したメソ・アメリカの古代文明よ」
「知らない」
「その基本となるのは、聖体拝領」
「聖体拝領?」
「言葉自体はキリスト教辺りのものだけどね。優れた者……例えばその一族を束ねる長や、優秀な戦士が死んだ時、その血肉を喰らう事で、彼らの地位を継承するの」
「人を、喰らう⁉」
「そう……そして私は、そうやって生き延びて来た」
「え⁉」
「気の遠くなるような時をね」
「――」
「若い肉体を捧げさせる事で、この美しさと生命を保って生きて来たのよ」
「――」
「貴女は驚くでしょうね、四〇年位前、この姿の私が、日本にいた事を知れば」
玄又山の事だ。
中国から帰国した樹海と、彼に弟子入りを志願した花房次郎、そして、時同じくして秋田を訪れた氷室五郎と黒沼親子。
この際に、空海が唐で記し、円仁が日本に持ち込んだ『景郷玄書』と、氷室――後の黒沼鉄鬼(外鬼)・テラーマクロに殺された黒沼陽子の頭部を持ち帰っている。
「けれど、一〇年近く前……」
「――」
「彼らが、私の許から、あれを奪い取った事から、この現象は始まったわ……」
「彼ら? あれって?」
「ショッカーは、ククルカンを奪ったのよ」
「ククルカン?」
その名には、憶えがあった。
翼ある蛇――マヤ文明でいう最高神だ。
アステカ文明に、ケツァルコアトルという同義の名を持った王もいる。
「尤もショッカーは、あの子の事をピラザウルスだなんて呼んでいたけどね」
「――」
さくらには、それが何の事か、分からない。
しかし、最高神の名を持つ何かが奪われたとなれば、儀式によって生命を永らえて来た彼女の事、篤い信仰心が、ショッカーを許せぬ筈だ。
「私はショッカーに潜入し、彼らに従いながらククルカンを探した……と、まぁ、この辺りの話はどうでも良いわ」
何れ、この事については何処かで記す事になるだろう。
しかし今は、単なる昔話でしかない。
「私の生命は、ククルカンの加護と、
「それで、その……」
さくらは、マヤの腹部に眼をやり、反らした。
ずくずくに腐敗した女の肉から、植物が蔓を生やしているというのは、見るに堪え難い光景だ。
「だから、ずっと欲しかった」
「――」
「強い肉体が――決して朽ちる事のない女の身体が」
「――」
「けれど、強いと言うだけならいざ知らず、不壊の肉体など存在しないわ」
「――」
「だから、私が欲しいのは、貴女だったのよ、さくら」
「何故⁉」
「強化改造人間の手術に耐える事が出来る強い肉体――貴女はそれを持っていた」
「強化改造人間?」
「仮面ライダーよ」
「――!」
「貴女はもう覚えていないだろうけれど、その身体は死した後、機械を埋め込まれ、脳を除く九九パーセントの改造手術を受けたパーフェクト・サイボーグとなっているわ」
「な……」
「私の肉体として相応しい器に、造り変えられているのよ……」
マヤはさくらの顔を両手で包み込み、唇を寄せた。
さくらは顔を背けようとするが、脳と神経の接続が切られたかのように、動けない。
マヤが、さくらの唇に、自分の唇を押し込んでゆく。
そして、その長い舌を、さくらの口の中に挿し込んでいった。
抵抗しようとするさくらの舌に、マヤの舌が絡み付き、ねじ込んでしまう。
と、不意にマヤの黒い瞳が、瞼の上に消えた。
マヤの身体が、びくびくと、痙攣する。
頬が膨らみ、さくらの唇との間から、血がこぼれた。
膨らんだマヤの頬が、内側からぐりぐりと陥没と隆起を繰り返す。
そうして、マヤの口の中から、さくらの口の中に、何ものかが入り込んでいった。
マヤが、長い接吻を終える。
と、脱力して、その場に崩れ落ちてしまった。
直後、腹部の腐敗が急速に進行し、全身を黒く染め上げてしまう。
残ったのは、毒々しい果実だけであった。
一方、さくらの唇から、ちろちろと動く尻尾が覗いていた。
蛇のそれに似ている。
蛇は、さくらの抵抗をものともせずに彼女の中に潜り込むと、そのまま口蓋から脳幹に向けて駆け上がってゆく。
そして、
表情を失ったさくらは、暫く、そのままであったが、やがて眼に光を灯した。
片方の眼が、赤く染まっている。
顔を上げたさくらは、蛇の笑みを浮かべると、拘束具を一気に引き千切った。
黒い強化服を装着し、その脳を“始まりの女”に乗っ取られたさくらが、そこに立っていた。
「最後の者、か」
いきなり、そのように声を掛けられた。
いつの間にか、チェン=マオ――ショッカー首領がそこにいた。
チェン=マオは、かつてマヤであったものが残した、毒々しい果実を拾い上げ、躊躇う事なく、口に運んだ。
もにゅり、
むにゅり、
と、咀嚼する。
紫色の皮から、薄い桜色の果肉が剥き出していた。
それを嚥下すると、袈裟の裾で、口元を拭った。
「ええ……」
さくらの身体をしたそれが、チェン=マオの言葉に頷いた。
マヤの口調であった。
「九つの戦士は、この身体の基礎たるべく生まれた、言わばプロト・タイプ……」
「思えば、生体改造人間も、強化改造人間も、主が提案したものであったか」
「そうだったわね」
「マヤ・インカに伝わる改造技術を、イワン=タワノビッチに再現させたも……」
「私よ」
「緑川博を唆し、強化改造人間という流れを作らせたも」
「そういう事」
「全ては、この為であったかよ」
「それはちょっと、違うわ」
「違う?」
「この朽ちぬ身体も、所詮は手段の一つ……」
「そうであったな」
「私の目的は、一つだけ」
「聞き及んでおる」
「――ねぇ、大首領……」
さくら・マヤは、ふと思い立ったように訊いた。
「私が、この計画を思い付いたのは、貴方に触れてからの事なのだけれど……」
「そうだったか」
「――若しかして、ククルカンを奪ったのは……」
「さてな」
「――」
「それより、“財団”なる組織が動いておる。マヤ、奴らにちょっかいを出される前に、仮面ライダー共を集めねばならなのではないか」
「……そうね」
さくら・マヤは、顎を引き、その部屋から出てゆこうとする。
と、不意に立ち止まって、
「出来ればこの姿にも、名前が欲しいわね」
「そうだな」
「最後の者、と、貴方はさっき言ったわね」
「うむ」
最後を表す文字は、Zである。
そして、完全な女性原理である、イヴ・ガイア・始まりの女であるマヤを表すのならば、雌性染色体にあるXが相応しい。
「そうであるなら、きっとこれは……」
立花オート・ショップ前――
店の前には、仮面ライダー第一号、第二号、Xライダーが立ち、その後ろに、立花藤兵衛、吉塚、相澤が並んでいる。
彼らと向き合っているのは、黒い強化服に身を包んだサイボーグ忍者であるが、本郷ライダーの技を受けて破壊された仮面の奥には、前田さくらの顔があった。
「ど、どうしてさくらさんが……」
吉塚が、黒い仮面の奥から現れた、尊敬する先輩の顔に驚いている。
「君は――」
彼女と面識のある敬介・Xライダーも、それは同じであった。
と、さくらの顔が、蛇の笑みを浮かべた。
「仮面ライダーの皆さま方……」
「む」
「貴方たちのお仲間が、南米でお待ちよ」
「何⁉」
「一文字隼人、貴方がかつて破壊したショッカー基地の、更に奥深くで、亡霊たちが待っているわ」
そう言ったかと思うと、サイボーグ忍者は、バックルのホログラム投影装置を起動させた。
黒い強化服の輪郭が、陽炎のように歪み、姿を消す。
これでは、本郷でも探知し切れない。
「ちぃ……」
一文字ライダーが、赤い拳を、掌に打ち付けた。
本郷たちが、仮面を外してゆく。
「お、おいおい、どういう事なんだ、一体……」
藤兵衛が、泣き出しそうな顔で、本郷たちの許へと駆け寄って来た。
本郷は、改造手術の痕が残る顔で、恩師を見つめ、一文字と敬介を見やった。
「おやっさん、実は――」
ピラザウルスは架空の生物←これは面白くいじれる設定。
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第二十九節 仲間
店の中の整理を終えて、コーヒーを飲みながら、一同は情報を整理している。
筑波洋、城茂、山本大介、結城丈二、風見志郎――
彼ら五名のライダーと、連絡が取れなくなった。
茂と、大介――アマゾンは兎も角、他の者たちは“財団”の事を調べていた。
彼らの行方不明が、“財団”と関わっているのであれば、殲滅を目的として動き出さねばならないと本郷たちは考えていた。
そんな中で、“財団”の一部に、立花藤兵衛を捕らえようという動きがある事を、本郷たちは知る。
仮面ライダーの身内である藤兵衛を捕らえる事で、本郷たちに対する人質にしようとしたのだ。
「だが、事実はどうやら別の所にあるらしいんです……」
と、敬介が言う。
カノン砲の改造兵士たちに、自決する前に吐かせた事だ。
曰く、彼らは仮面ライダーに対する報復の為、藤兵衛を捕獲しようとしたのである、と。
「どういう事だ?」
「分かりませんが、アシモフ博士の行方不明とも関わっているようです」
アシモフはアメリカの科学者で、パワード・スーツや新エネルギー理論の研究者である。
そのアシモフが乗っていた飛行機が墜落したというニュースが、世間を騒がせていた。
「“財団”は、アシモフ博士に接触を図ろうとしていたらしいんですが……」
「しかし、それでお前たちへの報復をというのは、おかしくはないか?」
一文字の言葉に、藤兵衛が首を傾げた。
「志郎と結城は、“財団”の事を追っていました。アシモフ博士の守りを買って出たのもあいつらです」
と、本郷。
「じゃあ、志郎と結城が飛行機を? 莫迦な!」
「それは勿論さ、おやっさん」
「だが、若しかすると……」
敬介が小さく唸った。
「あの、黒い仮面ライダー……」
前田さくらの顔をした、サイボーグ忍者の事である。
仮面ライダーの情報を持っている者が見れば、あれは、仮面ライダーの一味であるように思われても、仕方のない事である。
敬介の予想は、つまり、あのサイボーグ忍者が仮面ライダーを装ってアシモフの乗った飛行機を墜落させ、この事を知った“財団”が本郷たちへの報復に出た、という事だ。
実際には、飛行機を墜落させたのはウルガとバッファㇽのショッカーの裏切り者たちであるが、その後に彼らと、風見と結城、そしてもう一組の三号と四号のダブルライダーが関わっていた。
「前田先輩、どうして……」
コーヒーを啜りながら、店の隅の椅子に腰掛けていた相澤が、言った。
マヤが、さくらを捕らえてパーフェクト・サイボーグに改造し、その身体を乗っ取ってしまった事を知らなければ、さくら本人が強化改造人間にされたと他の者には映る。
「兎に角――」
と、一文字が立ち上がった。
「ショッカー連中と、あいつらだけデートってのは、頂けねぇな。俺たちも混ぜて貰おうぜ」
冗談めかして、一文字。
この場の暗い空気を、変える為であった。
「なぁ、本郷」
「ああ」
「敬介も、仲間外れは嫌だろう」
「そうですとも」
と、一文字は軽口を叩き、本郷と敬介が頷いた。
それでも心配そうな顔をする藤兵衛に、
「土産は、息子たち七人と、俺たちの新しい兄弟だぜ、
そう言って、微笑み掛けた。
「お、おう……」
藤兵衛は思わず涙ぐんだ。
そして、一文字にその涙を見せぬよう立ち上がると、店の一角に置かれていた、カバーを掛けられたバイクに歩み寄った。
「猛、こいつはな、滝からのプレゼントでな」
「滝から?」
滝和也――本郷のレースでのライバルであり、FBIの捜査官として、ショッカー・ゲルショッカーと共に戦った男だ。
藤兵衛は、その男から送られたというマシンを、カバーを取って、本郷に見せた。
HONDA GL1000――
最新の大型二輪車に、藤兵衛の手でチューン・アップが施されていた。
「お前用に、準備してやってくれって言われたもんでな。いつか、また、マシンの腕を競いたいってな……」
「――」
「だから、帰って来い、約束だぞ、猛……」
「――分かったよ、おやっさん」
本郷と、藤兵衛は、固く手を握り合った。
それを見て、敬介が、吉塚と相澤に言う。
「彼女の事は、俺に任せてくれ」
「神さん……」
敬介は、何となくだが、察していた。
サイボーグ忍者となったさくらは、もう、戻れない場所にいるのだ。
ならば、せめてその真実だけでも、解き明かさねばならないだろう。
それを、約束したのであった。
「良し――」
一文字が呼び掛けた。
「行こうか」
黒井響一郎は、思い出していた。
今までの事――この一〇年間の事を。
始まりは、一文字隼人による、爆破事件であった。
レースで優勝した自分と家族を、一文字隼人のカメラが暴発して、
その後、マヤの来訪を受けて、ハリケーン・ジョーによって
保護された先の倉庫で、一文字隼人と出会ったのには驚いたが、その後、チーター男によって
家に戻った黒井を待っていたのは、頸から血を流して倒れた妻・奈央と、背中を貫かれて死んだ息子・光弘であった。
そして、その傍には、血濡れたナイフを握った仮面ライダー第一号がいた。
黒井は、妻子を殺した彼への憎しみを、何処にぶつけて良いのか分からず、逃げ出した。
走った。
東京から、浜名湖の傍の遊園地まで、だ。
家族で遊びに行った、思い出の場所だった。
そこでマヤから、自分が仮面ライダー第三号となる事を、誘われたのだ。
そして一年。
ショッカーは滅び、死神博士による改造手術を受けていた黒井はゲルショッカーの基地に保存され、仮面ライダーと戦う事が出来なかった。
浜名湖地下のゲルショッカー日本支部の爆発で目覚めた黒井は、自爆する基地から脱出するダブルライダーに襲撃を掛けようとする。
それを、仮面ライダー第四号・松本克己が止めた。
それから暫くは、対仮面ライダーの為の訓練に明け暮れていた。
マヤからは、ブラジリアン柔術を教わった。
克己からも、古流や琉球の唐手を習った。
時は過ぎて、Xライダーに二度の敗北を喫したアポロガイストと立ち合った。
アポロガイストはGOD機関の呪博士による脳改造の呪縛から解き放たれ、呪ガイスト・ガイストライダーとして復活する。
まだ、本郷猛に対する復讐を、黒井は許されなかった。
本格的な戦闘は、ドグマの地獄谷五人衆とのものが初めてであった。
ショッカーに背反したドグマが、“空飛ぶ火の車”=ロスト・アークを手に入れるべく、古代エルサレム教団の末裔である火の一族の村を襲撃したのだ。
村人たちを残虐な方法でいたぶり、自らの細胞を埋め込んだ人間に黒井を襲わせたヘビンダー・蛇塚蛭男を、ライダーチョップで斬り裂いた。
“金”の霊玉――勾玉・マナで進化した、クレイジータイガー・メタリックにライダー返しを喰らわせて、戦意を喪失させた。
火の一族たちの村を克己とガイストと協力して守ったのだという、満足感があった。
そして、遂に――
アマゾンライダーの基地への潜入を契機として、仮面ライダーたちへの挑戦が始まった。
先ずは、城茂。
“正義の戦士”を名乗った仮面ライダーストロンガーと、命を削り合う戦いの末、辛くも勝利した。
又、スカイライダー・筑波洋との戦いで破壊された克己の動力開放スイッチを修理すべく、アシモフを訪ねた先で、風見志郎・結城丈二と共闘する事になった。
敵は、ショッカーの裏切り者・ウルガとバッファㇽ。
風見・仮面ライダーV3と協力して、バッファルの翼をもぎ取った。
ウルガとバッファㇽがイーグラの更なる裏切りで逃亡した後、風見と決着を付けた。
誇り高き戦士を叩きのめし、完膚なきまでに打ちのめした。
そうせねば、V3は、いつまでも立ち上がって来るからだ。
自分と似た境遇にある風見志郎を、彼が立てなくなるまで踏み付けねばならなかった。
まるで、自分自身を踏み砕くかのような哀しみが、黒井の中にはあった。
それから、ほんの少し、時間が過ぎた。
黒井は、ショッカー本部の、自分に与えられた部屋で、眼を覚ました。
ベッド以外には、もののない部屋だ。
娯楽のない部屋だ。
あるのは、黒井響一郎の肉体と、その心に宿る憎しみと、哀しみだけだ。
「黒井――」
と、部屋の扉が、外からノックされた。
克己だ。
「入ってくれ」
そう言うと、扉が自動でスライドし、克己が入って来た。
ライダーマン・結城丈二とは、相討ちのような形であった。
倒した二人のライダーと、倒れた克己を、黒井が連れ帰った形である。
アシモフも同じく基地に連れて帰り、治療をして国に戻らせたと、マヤが言っていた。
あの親子も、アシモフのパワード・スーツを寄贈されて喜んでいたという事らしかった。
黒井は、ベッドから身を起こし、腰掛ける。
「調子はどうだ」
「問題ない」
黒井の問いに、克己は答えた。
「そろそろだ」
「え?」
「奴らが来る……」
「――」
「仮面ライダーだ」
「おう……」
黒井は、深く息を吐いた。
漸く――だ。
漸く、あの時に、決着を付ける事が出来る。
あの時、奈央と光弘が殺されてから、止まっていた自分の時を、動かす事が出来るのだ。
ショッカーに対する疑いがない訳では、ない。
寧ろ、こちらにいなければ、ショッカーの事を否定する立場であっただろう。
しかし、一〇年だ。
この一〇年間、本郷猛を憎む気持ちは、忘れなかった。
彼が奪った、妻と息子を愛していたからだ。
奪われた愛の分だけ、黒井の心には憎しみが棲み付いた。
本郷を憎むのをやめ、ショッカーを否定する事は、家族への愛を否定する事だった。
だから、本郷への憎悪という形で止めていた時計の針を、彼との決着の後に、再び動かす事が出来るのだ。
その時に、自分がどういう選択をするのかは、まだ分からない。
だが、今はそれで良い。
今は、まだ。
「黒井……」
「うん?」
「恐れているのか」
「え……」
見れば、自分の手が、小刻みに震えていた。
その手首を、もう一方の手で握るも、震えは止まらない。
「おかしいな……」
小さく呟く。
しかし、それでも、震えは止まらない。
仮面ライダーという巨大な影が、背後から忍び寄っている。
その重圧に、押し潰されてしまいそうであった。
「ずっと、待っていたんだ」
「――」
「待ちわびていたんだぜ、ずっと……」
「――」
「それなのに、こんな……!」
「問題はない」
克己が言った。
「仲間がいる。だから、大丈夫だ」
「――克己」
「……奴らが到着し次第、また、連絡する」
克己はそう言って、踵を返した。
自動ドアが開き、克己のブーツが、黒井の部屋から出てゆく。
「ありがとう」
黒井は、克己の背中に言った。
黒井の部屋から出た克己は、自室に戻ろうとしたが、自動ドアのすぐ横、部屋の中からは死角になる場所に、マヤがいるのに、すぐには気付けなかった。
「変なの……」
マヤの身体は、改造された前田さくらのものである。
その後、顔をマヤのそれに整形したのだ。
「変?」
「貴方の事よ、克己ちゃん」
「何がだ。身体に、問題はない」
「こっちのは・な・し」
と、マヤは、克己の頭部を指で小突いた。
「頭の中をすっかりいじくられちゃった機械人形が、良く、あんな台詞を吐くわねぇ」
「――黒井が」
克己が言った。
「仲間だと、言うからだ」
「ん?」
「俺や、ガイストの事を、仲間と言うからだ。あいつはそれで安心しているようだった。不安は戦いに於いて邪魔になる」
「その不安を取り除いてやる為に、仲間という言葉を使ったという事ね」
「マヤ――仲間とは何だ」
「――」
「何故、黒井は、その言葉で安心する?」
「――ん……」
マヤは、腕を組んで、小さく唸った。
「言葉には、人の分だけ解釈があるわ」
「――」
「その認識が、似てはいても、僅かなずれを持つ事がある」
「――」
「仲間という言葉……例えば、それを友達と同義とする場合もあるわ」
「ともだち」
「又は、同志とも」
「――」
「若しかしたら、上司や部下を指して、そういう事もあるかもしれないわね」
「――」
「唯、この私に言わせれば……自分を維持する為の、踏み台、かしらねぇ」
「踏み台?」
「ええ。例えば、場の空気とか、雰囲気とか、気持ちとか、そういう事を言うでしょう?」
「うむ」
「これらの気が乱れると、それに釣られて、身体の方も乱れて来る……」
「――」
「そして気とは、周りのものによって左右される事が多いわ」
「餓蟲のようなものか」
「餓蟲も、また、気であるからね」
「――」
「だから、その気……自分の気持ちを保つ為に、人の気を乱れさせない事が肝要なの」
「――ほぅ……」
「自分の為に他人を立てる――その立てた他人を自分の踏み台にする」
「それが」
「仲間、よ」
「――成程……」
克己が頷いた。
「OK?」
「分かった」
そうして、克己が去ってゆく。
マヤは、その背を見送りながら、溜め息を吐いた。
「随分と、ガタが来ているみたいね……」
そう言ってから、ふと、思い出した。
「地獄大使、ずさんな事をしたわねぇ」
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