緋弾のアリア ~飛天の継承者~ (ファルクラム)
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人物設定

《武偵校生徒》

 

緋村友哉(ひむら ゆうや)

16歳 男

所属:東京武偵校強襲学部強襲科2年

武器:日本刀(逆刃刀)×1 

 

備考

幕末の維新志士の中で最強と呼ばれた「人斬り抜刀斎」の子孫。性格は穏やかで人当たりが良い。外見は中性的で少女のような顔立ちをしている。剣術の腕は相当な物だが、基本的に銃は使わない。飛天御剣流の技は伝承にある物を再現しただけなので全てを使う事はできない。

 

 

 

 

 

四乃森瑠香(しのもり るか)

15歳 女

所属:東京武偵校諜報学部諜報科1年

武器:イングラムM10×1 サバイバルナイフ×1

 

備考

友哉の幼馴染であり戦妹の少女。明るい性格で、面倒見が良い。江戸時代、将軍家に仕えた御庭番衆の末裔であり、高い身体能力と情報収集能力を持つ。

 

 

 

 

 

 

相良陣(さがら じん)

16歳   男

所属:無所属→ 東京武偵校強襲学部強襲科2年

武器:素手

 

備考

お台場を中心に活動する不良グループの顔役的存在。細かい事は気にしない豪放な性格で人情にも厚く、不良グループの中では彼を慕う者も多い。喧嘩代行業で生計を立てており、その縁で友哉と戦い破れた後、司法取引と言う形で東京武偵校に転校する。

 

 

 

 

 

瀬田茉莉(せた まつり)

16歳 女

所属:イ・ウー→東京武偵校探偵学部探偵科2年

武器:日本刀(菊一文字則宗)×1 ブローニング・ハイパワーDA×1

 

備考

転校生として、東京武偵校にやって来た少女。性格は控えめで、やや引っ込み思案だが、芯は強く、認められない事があれば静かに、しかし断固として拒否する。

 

 

 

 

 

高荷紗枝(たかに さえ)

18歳 女

所属:東京武偵校衛生学部救護科3年

武器:H&K P9S×1   医療用メス(複数)

 

友哉達の一つ上の先輩で、友哉は1年生の頃、何度か任務で怪我を負った際に世話になっている。人をからかうのが好きで、よく友哉達をからかって楽しんでいる。3年の中でも成績はトップクラス。怒らせると非常に怖い。

 

 

 

 

《公安0課》

 

斎藤一馬(さいとう かずま)

26歳  男

所属:警視庁公安部第0課特殊班

武器:日本刀×1(鬼童丸国重)   シグ・サウエルP239×1

 

警察官ながら「殺しのライセンス」を持ち、潜入、暗殺を得意とする。クールな性格の一匹狼であり、仲間内でも殆ど打ち解ける事は無い。独自の正義観を持ち、凶悪犯に対し苛烈な取り締まりを行う。元々は藤田性を名乗っていたが、ある事情から祖父の代で斎藤性になる。

 



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武偵殺し編
第1話「かくて黎明に幕は上がり」


 

 

 

1

 

 

 

 

 

 まだ車も人も少ない朝の街を、1台のバイクが爆音を響かせて駆け抜ける。

 

 型は通常のレーサータイプの物だが、貸してくれた車輛科の友人がエンジン回りを入念に改造してくれた為、最高時速は200キロ近く出せる。最早、羽を付ければ空を飛べるレベルだ。並みの複葉機よりも速い。

 

 もっとも、日本の公道でそんな化け物じみたスピードを出せば、事故る以前に警察がすっ飛んで来る事になる。いかに大義名分があるとはいえ、そこまで冒険する気にはなれない。

 

 とは言え、急ぐ必要がある事に変わりはない。

 

 緋村友哉はフルフェイスヘルメットの中で目を細め、ハンドルを握る手に力を込める

 

 通報を受けたのは10分前。ここ数日追い掛けていた案件が、ようやく、こちらの放った網に掛かってくれた。

 

《急いで友哉君、もう取引が始まっちゃう》

 

 フルフェイスヘルメットの内側に仕込んだ通信機から聞こえて来たのは、後輩であり戦妹でもある少女の声。諜報能力に長けた彼女が先行して情報を集め、自分は寮で待機。即応状態を作っておく。と言うのが作戦の骨子だが、やや出遅れた感は否めない。

 

 連中の動きをなかなか掴む事ができず、結局昨夜は一睡もできなかった。

 

 だが、それで疲れているかと言われれば、そんな事はない。むしろ、一晩中気を張り詰めていたおかげで、精神が研いだ剃刀のように鋭利になっているのが自分でも判る。

 

「判ってる。こっちはあと3分で現着予定。その間に大きな動きがあったら教えて」

《了解だよ!!》

 

 叩きつけるような声が耳に響く。

 

 あんな大きな声を出して、敵に見つかったりしないだろうか。と、少し心配になる。まあ、彼女は身軽だし、仮に見つかったとしても捕まる可能性は低いだろう。

 

 そう心の中で呟きながら、速度を僅かに上げる。

 

 スッと、心の中が落ち着く気がした。

 

 気が付けば、周囲に流れる光景も、バイクの音も気にならなくなる。

 

 戦場に赴く時はいつもこうだ。普通なら緊張するか、気持ちが高ぶるかのどちらかだと思うのだが、自分の場合、なぜか気持ちが落ち着いてしまう。

 

 良い事か悪い事かと言われれば、間違いなく良い事であるのだろうが。それでも、我ながら不思議な感覚である。もしかしたら、これもまた自分の持つ「血」のなせる技なのかもしれない。

 

 そうしている内に、目的の場所が見えて来た。

 

 場所は東京港大井コンテナ埠頭。この場所で取引が行われる事を調べるのには随分と労力を払った。

 

 立ち並ぶコンテナを縫うようにバイクを走らせ、一気に目標となる場所まで走り抜けた。

 

 そして、

 

「あれかっ!!」

 

 7~8人の男達が岸壁に立って、手に持ったケースの中身を確認している。遠目にも、それが何か白い物を入れたビニールの袋である事が判る。

 

 と、そこで向こうも走って来るバイクの存在に気付いたのだろう。ぎょっとした様子で振り向くのが見えた。

 

 ブレーキを掛け、後輪を横に傾けながらバイクを停止すると同時に、ヘルメットを取る。

 

 一本にまとめた長い赤茶髪の下から、思わず見とれそうになるほど端正で中性的な顔立ちをした少年が姿を現した。体付きも細く、外見だけ見れば少女と言っても通りそうである。

 

 友哉は左手で制服の内ポケットに入っている手帳を抜き取って開く。

 

「武偵です。麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で全員逮捕します!!」

 

 全員が慌てたように銃を引き抜く。予想はした事だ。これで罪状は追加。銃砲刀剣類所持等取締法違反だ。

 

 日本の銃規制も一時代前に比べてだいぶ緩くなった。こうして事件現場に出るたびに銃装備した連中に出会ってしまう。

 

 友哉はバイクから飛び降り、同時に膝を撓めて跳躍の姿勢に入る。

 

 真横に飛び退くのと、敵が引き金を引くのはほぼ同時だった。

 

 しかし、弾丸は全て、残像を掠めるかのごとく命中しない。

 

 全員の目が、驚愕に見開かれるのが見えた。

 

 着地。同時に、友哉の右手は背中にまわされ、そこに背負っている物を掴んで一気に抜き放つ。

 

 昇りかけの朝日に、銀の刃が鋭く反射して輝く。

 

 浅く反った細身の刃に、鉄拵えの柄。その優美な外観は、それが殺傷を目的に作られた代物である事を一瞬忘れさせるほどに心をひきつける。

 

 手にしたのは一振りの日本刀。ただし、通常の物と比べると、峰と刃が逆になっている。

 

 逆刃刀と呼ばれるこの刀は、通常通りに振っても相手を殺す事はない。まあ、当たれば骨の2~3本は折れるだろうが。

 

 次の瞬間、友哉は地を蹴って距離を詰める。

 

 機先を制するのは、この流派の剣術にとって必須である。故に求めるは、究極の先の先。常に相手より速く、相手より先に動くのだ。

 

 銃口が慌てたように友哉を向く、が、遅い。

 

 その時には既に、友哉は間合いの内側に踏み込んでいた。

 

 着地すると同時に、剣閃を下から斬り上げる。

 

 ゴッ

 

 鈍い音と共に、相手の顎を切っ先が捉えた。

 

 強烈なアッパーカットを食らったに等しいその男は、手にした銃を取り落としてあおむけに倒れた。

 

 まずは1人。

 

 倒れる敵を確認しながら、次の目標に視線を向ける。

 

 トランクケースを持っている男が背中を向けて逃走するのが見えた。

 

 その様子に、友哉は口の中で舌打ちした。

 

 追おうにも、残りの敵が友哉の動きに気付き一斉に銃口を向けて来る。そちらに背を向けて追う事はできない。

 

 友哉は視線も鋭く、敵を睨み据える。

 

 元が一対多数戦闘を目的とした流派の剣術だ。この程度の敵の数など問題にならない。

 

 踏み込むと同時に、刃を水平に倒して一閃する。

 

 振るった刀が、2人の男の胴を一撃で薙ぎ払った。

 

「グアッ!?」

「ギャッ」

 

 一閃で2人同時に薙ぎ払う。しかも、1人目と2人目でぶつけた威力は殆ど変わらない。

 

 倒れる男達。

 

「よし、次っ」

 

 更に斬り込むべく、刀を構え直す友哉。

 

 対して残った男達も、銃を放ってくるが、こちらのあまりのスピードに殆ど照準を付けられない様子だ。放たれた弾丸は全て明後日の方向に飛んでいく。

 

 その間に、悠然と距離を詰めて刀を振りかぶった。

 

「このっ、相手は1人だぞ。もっと落ち着いて狙え!!」

 

 リーダー格と思われる男がはっぱを掛けながら銃で応戦して来る。

 

 敵は既に、当初の半分近くにまで減っている。このまま押し切る事は充分に可能だろう。

 

 残った敵が盛んに銃を撃ってくるが、それが命中する事はない。全ての弾丸は友哉が駆け抜けた後を空しく通り抜けるだけだ。

 

 反対に、友哉の剣は確実に敵を無力化していく。

 

「くっ、クソッ!!」

 

 残りはリーダー格と思しき、ケースを持った男1人だけ。その男も、もはや破れかぶれとばかりに銃を向けて来るだけだ。

 

 

 

 

 

 トランクを持った男がコンテナの間を縫うようにして走って行く。

 

 大事に抱えたトランクの中には、末端価格で数億円にもなる量のコカインが入っている。今回の取引が成立すれば大金が入る事は間違いなかったのだ。

 

 それなのに、

 

「何で武偵がかぎつけやがるんだよ!?」

 

 とにかく走る。このトランクさえ無事なら再取り引きは充分に可能だ。何しろこれだけの量だ。裏でほしいと言う連中はいくらでもいる。

 

 そう思った時だった。

 

「逃がさないよ!!」

 

 鋭い声と共に、上空から飛びかかって来る影が目に入った。

 

 髪を短く切り揃えた小柄な少女は、短いスカートをはためかせて急降下して来る。

 

 男が一瞬振り仰ぐ。

 

 しかし、遅い。

 

 コンテナの上から跳躍した少女が、手にしたマシンガンを一連射。

 

 放たれた弾丸は、男の膝に命中する。

 

「グアッ!?」

 

 足を押さえて倒れる男。同時にその手からトランクケースが放り出され、中に入っていたビニールに包まれた白い粉が地面に散乱した。

 

「クッ、くそっ!!」

 

 痛む膝を押さえ、それでも散らばったコカインの袋を集めようと手を伸ばす。

 

 しかし、その腕を踏みつけられ、同時に鼻先に銃口を突きつけられた。

 

「無駄だよ。いい加減諦めなって」

 

 東京武偵校の臙脂色の制服を着た少女は、そう言って不敵に笑った。

 

 

 

 

 

 うなる銃撃音が少なくなっている。

 

 敵は既にリーダー格と思しき男が一人だけという状態になっていた。他の者は全員、友哉の剣によって叩き伏せられ、地面に転がっている。

 

 その残る1人を仕留めるべく、友哉は更に刀を構えて斬り込む。

 

 だが、流石はリーダーと言うべきか、盛んに拳銃を撃ち、接近の隙を与えてくれない。

 

 今日日、防弾服の軽量、高性能化に伴い、拳銃は一撃必殺の遠隔武器ではなくなった。それ故に、その高初速、大威力を利用した打撃武器としての使用、近接拳銃戦、通称「アル=カタ」が発展を遂げている。

 

 友哉が着ている武偵校制服もまた防弾線維で編まれた物である。が、銃弾の打撃力は拳などとは当然比べるべくも無く、一撃食らえば昏倒してしまう事もあり得る。

 

 友哉と対峙している男もまた、そのアル=カタの使い手であるらしい。ある程度型にはまった動きと洗練された動作は、軍か警察の経験者、あるいは元武偵である事が窺える。

 

 その銃口が、真っ直ぐに友哉に向けられた。使っている銃は旧ソビエト製軍用自動拳銃トカレフTT33。安全装置が無く、そのハイパワー振りから暴発事故が多い事で有名な銃だが、低コストが相まって、今でも多くの組織の末端構成員に愛用されている。

 

「死ねェ!!」

 

 対して友哉は、その銃口を冷静に見据えて駆ける。

 

 距離にして約8~9メートル。今から距離を詰めて斬りかかるには、僅かに時間が足りない。

 

 だが、慌てる必要はない。

 

 銃口と目線の向き、反動で腕が跳ね上がる瞬間のタイミング。それさえ見逃さなければ、弾丸の軌道を読む事はそう難しくない。

 

 そして、

 

 轟音と共に発射される弾丸。

 

 次の瞬間、

 

 残像すら残る勢いで、友哉の体は更に加速した。

 

 神速とも言える身ごなしが可能であるならば、銃は決して恐るべき兵器とは言えない。

 

「なっ!?」

 

 一瞬目を剥くリーダー。対峙している彼には、正に友哉の体は消えたようにも見えた事だろう。

 

 次の瞬間、友哉の姿がリーダーのすぐ真横に現われた。

 

 リーダーはまだ、友哉の動きに気付いていない。

 

 友哉の体が半回転する。その勢いのまま、逆刃刀を一閃。回転の威力を刃に乗せて叩きつけた。

 

「グアァァァッ!?」

 

 背中に剣撃を受け、リーダーは一瞬背をのけぞらせるように硬直した後、前のめりに倒れ込んだ。

 

 これで終了。

 

 友哉は背中の鞘を取り外すと、逆刃刀を収めた。

 

「お疲れ様、友哉君」

 

 振り返れば、トランクケースを片手に持った少女が歩いて来るのが見えた。

 

 短く切ったベリーショートの髪に、俊敏さを思わせる小柄な体。少女と言うより腕白盛りの少年と言った風情がある。

 

 四乃森瑠香は友哉の傍らに立つと、ニコッと人懐っこい笑みを見せた。

 

「はい、これ。中身は全部確認しといたから」

 

 そう言ってコカイン入りのトランクケースを差し出す。

 

「逃げた1人は?」

「縛ってあっちに転がしといた。車輛科の車が来てくれたら回収に行かないとね」

 

 諜報科に所属する瑠香は、直接的な戦闘よりも情報収集、先行偵察に向いている。その為友哉は、今回の作戦に際して、瑠香に取引情報を探ってもらったのだ。

 

 その時だった。

 

「いやぁ~、実に素晴らしい。これほどの剣の使い手が武偵にいるとは驚きですよ」

 

 突然の声に、友哉は刀の柄に手を掛け、瑠香はマシンガンを抜いて銃口を向けた。

 

 振り返った先。

 

 そこには、スーツ姿に無機質な仮面を付けた痩身の男が立っていた。背格好からして20代から30代と言ったところではないだろうか。あまりにも自然と現われた為、気配を感じる暇すら無かった。

 

 友哉は刀をいつでも抜けるように、腰を落として抜刀の構えを取る。

 

『この男・・・・・・』

 

 友哉は先程まで感じなかった緊張感を感じる。

 

 男はあまりにも自然に現われた。否、あまりにも自然すぎた。つい最前まで剣撃と銃撃が飛び交う戦場であったこの場所に、である。

 

 瑠香も男の異様な雰囲気を感じているのか、銃口を一瞬も逸らす事ができず硬直している。

 

 だが男は、刀や銃が見えていないかのように悠然と振舞っている。

 

 そこで、先程友哉が倒したリーダー格の男が、痛む体を引きずるようにして顔を上げた。

 

「テメェ、『仕立屋』ッ!! よくも裏切りやがったな!!」

 

 激昂するリーダーに対し、仕立屋と呼ばれた男は差も心外だといわんばかりに振り返ってみせた。

 

「おや、『裏切った』とは?」

「とぼけるなッ 何で助けてくれなかったんだよッ!?」

「ですから、私は何度も御忠告を申し上げた筈ですよ。計画があまりにもずさんすぎるから、見直した方がいいと。それを強行したのはあなた達の方じゃないですか」

 

 その言葉に、リーダーは黙りこんだ。

 

 そんな2人のやり取りを、友哉と瑠香は黙って聞いている。

 

 仕立屋。聞いた事のない名前である。しかし、こうして容疑者と話している以上、今回の件に何らかの形で携わっているのは間違いないだろう。

 

 それに・・・・・・

 

 刀を握りながら、友哉は男を注意深く観察する。

 

 一見すると、武術の心得の無い、ただ怪しい仮面を付けただけの男に見える。しかし、そのあまりにも無防備な立ち居振る舞いが、逆に友哉に警戒を解く事を留まらせていた。

 

 そうしている内に、男はリーダーから興味を失ったかのように友哉の方を見た。

 

「まったく、仕立て甲斐の無い人達ばかりで困ったものですね~。それに比べて、」

 

 仮面越しの視線が、真っ直ぐに友哉に向けられた。

 

「あなたは、実に素晴らしい。そして可憐だ。武偵のお嬢さん」

 

 その言葉に、友哉は状況も忘れて思わずため息をついた。

 

 まあ、いつもの事と言えばいつもの事なので、今更嘆きもしないが。

 

「あの、僕、男なんですけど」

 

 その言葉に、男も驚いたように肩をすくめた。

 

「これは失礼しました。あまりにもお美しいので、つい」

「まあ、良いですけどね。馴れてるから」

 

 敵味方、場所と状況を忘れて随分とのんきな会話を交わしてしまう。

 

「では、改めて。私は由比彰彦と申します。知人からは『仕立屋』などと呼ばれております。以後お見知りおきを。それで、君の名前は?」

「・・・・・・緋村友哉です」

「なるほど、緋村君ですか。憶えておきましょう。機会があれば、ぜひ、私の仕立てにお付き合い願いたい物です」

 

 そう言うと、身を翻す彰彦。

 

「ま、待て!!」

 

 追い掛けようとする瑠香。

 

 だが、駆けだそうとする少女を、友哉は片手を上げて制した。

 

 背中を向けた彰彦を、友哉は追う気にはとてもなれなかった。

 

 倒した犯人達を放置する訳に行かない。と言うのは勿論あるが、それよりも、追い掛けて確実に勝てるという確証が持てなかったのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 刀から手を放す。とにかく今は、取引を未然に防げただけで良しとしておく事にした。

 

 傍らでは瑠香が、いかにも不満だとばかりに頬を膨らませている。

 

 そんな彼女に笑い掛けながら、頭をなでてやる。

 

 ちょうどその時、埠頭の反対側から1台の護送車が見えた。どうやら、容疑者護送用の車輛科が来てくれたようだ。

 

 これにて事件解決。しかし、どうにも後味の悪い終わり方になってしまった。

 

「由比彰彦・・・・・・仕立屋、か」

 

 あの男はいったい、何者なのか。結局判らず仕舞いであった。

 

 何とも、喉の奥に棘が刺さるような感覚が抜けない。仕事は終わったと言うのに、緊張が解けない。まるで、これから更に大きな事が起こる前兆であるかのように、友哉は漠然と、しかし大きな不安を拭えずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

第1話「かくて黎明に幕は上がり」     終わり

 



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第2話「何やら騒がしくなってしまった日常」

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 武偵。

 

 その本来の語源は、読んで字の如く「武装した探偵」に由来する。

 

 日々、凶悪化の一途をたどる犯罪者の群れに対抗する為、各国政府は司法、軍、双方に属さない独自の行動性と機動力、戦闘力を兼ね備えたライセンスを新設した。それが武偵である。

 

 武偵は刀剣、銃火器による武装を公式に許可されていると同時に、凶悪犯罪者に対する捜査、逮捕権を有すると言う、警察に準じた権限が与えられている。警察との違いは、ある程度組織に捕らわれず独自の行動が推奨されている事、上からの指示や命令に従う必要はなく、依頼によって行動する「便利屋」の側面がある事である。

 

 そして武偵を育成する為、世界には数多くの武偵養成校が存在している。

 

 レインボーブリッジの南に浮かぶ南北2キロ、東西500メートルに及ぶ巨大な人工島。通称「学園島」。この人工島にある東京武偵校もまた、そうした武偵育成機関の一つである。

 

 存在する専門学科は、強襲科、狙撃科、探偵科、鑑識科、諜報科、尋問科、車輛科、装備科、通信科、情報科、救護科、衛生科、超能力捜査研究科、特殊捜査研究科の14。それぞれに在籍する学生は一般科目の他に、これらの専門科目の受講も行う事になる。また、学生によっては既に犯罪捜査の一線に立って戦っている者も多い。

 

 それら、特殊技能の習得を目指す半面、武偵校の偏差値は一般校に比べて低い事で有名である。勿論、中には例外的に全国でもトップクラスの成績を誇っている学生も存在するが、それは例外中の例外であると言える。彼等武偵に必要なのは、あくまで戦闘力や捜査能力、それらを補助する能力であって、一般教養など社会に出て恥ずかしくない程度に身に着けていれば良い、と言う訳である。

 

 その武偵校も今日が四月の始業式となる。臙脂色の防弾制服に身を包んだ学生達。1年生は新しい学び舎に期待と緊張感を募らせ、2、3年生は新たな気持ち、新たな学友と共にこれからの一年に思いを馳せる。そんな光景は武偵校も一般校も変わりがない。

 

 緋村友哉は強襲学部強襲科2年に所属している。

 

 強襲科は武器を使用した戦闘術を主に学ぶ学科であり、将来的にもそうした荒事を本職とする職業につく事になる。斬った撃ったは日常茶飯事であり、その為、卒業までの生存率が100パーセントに満たない。「明日無き学科」とはよく言ったものである。気の合う友哉の友人などは昔のアニメに倣ってか「死ね死ね団」等と言っている。

 

 始業式を終えた友哉は、流石に眠気に勝てなくなり、机に突っ伏した。

 

 昨夜は一睡もせず、更に今朝の大立ち回りである。緊張を保っている内は良かったが、緊張の糸が途切れた瞬間、眠気はどっと襲って来た。

 

 あの後、車輛科に容疑者達を引き渡して護送を依頼してから、瑠香をバイクに乗せて学園島まで戻ってきた。

 

 寮に戻るとシャワーを浴びて着替えを終え、寝不足で悲鳴を上げる胃袋に、何とか軽めの食事を入れてから登校した。その時点で学校へは行かず、そのままベッドに倒れ込みたい衝動にかられたが、始業式の日からそんな事をする訳にもいかず、眠気を訴える体を引きずって何とか登校したのだ。

 

 辛うじて始業式の間は眠る事無く過ごせたが、ここらが限界だった。

 

 ホームルームが始まるまで少し眠ろう。そう思って意識を手放しかけた時、

 

 ドゴォッ

 

「起っきろォ、ユッチー!!」

「おろォッ!?」

 

 突然、背中に激烈な衝撃を受け、眠りの園の扉は一瞬にして閉じてしまった。

 

 顔を上げると、前席の女子がにこにこと笑いながら友哉の背中に全体重を掛けた肘鉄を入れている所だった。

 

 長い金髪をツーサイドアップにした、小柄な少女である。着ている制服は彼女独自の改造が施され、ロリータ風のフリルがふんだんにあしらわれ、原形を見失っている。

 

 友哉が恨みがましい目でにらでも、相手はどこ吹く風とばかりに顔に笑顔を張り付けている。

 

「・・・・・・理子」

「クフフ、おはようユッチー。始業式の朝から居眠りなんて随分と大胆だねェ」

 

 そう言って峰理子は、楽しそうに笑う。探偵科に所属している女子で、友哉とは1年生の時から同じクラスであった。

 

 底抜けに明るい性格からクラスのムードメーカー的な立ち位置にある理子だが、時々、こうして少し過激ないたずらを仕掛けて来る。

 

「あのね、少しは眠らせてよ。こっちは朝から大変だったんだから」

「聞いてるよ、大活躍だったんだってね。理子、ユッチーの武勇伝、詳しく聞かせてほしいなあ」

「いや、だから、僕、眠いんだけど・・・・・・」

「いやー、拳銃振り回す奴ら相手に、ポン刀一本で立ち向かうユッチー。かっこいねー!!」

 

 ダメだ。会話が成立しない。理子の、この底抜けに明るい性格は嫌いではないが、こうした時かなり困る。

 

 ちなみにユッチーと言うのは、理子が友哉に付けたあだ名である。

 

 溜息をつきながら教室内を見回す。

 

 今日から新しいクラスメイト達であるが、中には見知っている人間も何人かいる。

 

 だが、クラス表が発表になった時、名前があったはずの人物がいない事に気付いた。

 

「あれ、そう言えばキンジは?」

 

 何度探しても、顔なじみの男子生徒の姿は無い。

 

 遠山キンジは昨年まで友哉と同じ強襲科の学生だったのだが、今は探偵科に転科してる男子である。発表では同じA組であるとの事だったのだが。

 

「キーくん? そう言えば来てないね」

 

 理子も今日はまだ会っていないらしい。始業式からボイコットとは、なかなか度胸がある。こっちはわざわざ間にあわせる為に急いで依頼を片づけたと言うのに。

 

 などとこの場にいない友人に、心の中で恨み事を呟いていると、急速に意識が沈降していく。

 

 もうダメだ。

 

 目が回るような眠気と共に、頭が枕を求めて机に落下する。

 

 理子が何度か呼びかけて来たのは意識できたが、最早起き上がるだけの力は残されていなかった。

 

 そして、意識は実に呆気なく、友哉の手元から離れた。

 

 ・・・・・・・・・・・・

 

 ・・・・・・・・・

 

 ・・・・・・

 

 ・・・

 

 ズキューン!! ズキューン!!

 

「お、おろッ!?」

 

 突然の轟音に、眠りの深海にいた意識が一気に覚醒した。

 

 あれだけ苛んでいた眠気は綺麗サッパリ消えうせている。

 

 周りを見回せば、クラスの全員が着席し、壇上には担任の高天原ゆとりが立っている。どうやらホームルーム中だったらしい。と言う事は、眠っていた時間はせいぜい15分くらいだろうか。

 

 だが、どうした事か、先生もクラスメイト達も、一言もしゃべらずに硬直している。

 

 そう言えば、覚醒直前に聞いた音、あれは銃声だったような気がする。

 

 と、前の席の理子が、両手を上に掲げた「ホールドアップ」状態を保ったまま、ずるずると自分の椅子に腰を下ろした。

 

 と、

 

「恋愛なんて、くっだらない!!」

 

 突然、甲高い叫びが聞こえ振り返ると、教室の真ん中にピンク色の長い髪をツインテールに縛った少女が、両手に2丁のコルト・ガバメントを握って立っていた。

 

 かなり小柄な少女だ。目の前で震えている理子も小柄だが、少女はその理子と比較しても小さい。黒板には「神崎・H・アリア」と書かれている。これが名前なのだろう。と、言う事は転校生なのだろう。

 

 どうやら発砲したのは彼女らしい。常時帯銃帯剣を義務付けられている武偵校の生徒にとって、校内での発砲は「できれば禁止」されているだけで、別に発砲したからと言って処罰の対象となる訳ではない。

 

 一方、

 

 友哉は少女と対峙している男子生徒に目を向けた。

 

 何処か影のある少年。背は友哉よりも高く、目つきもやや鋭い感じがする。

 

 こちらは、先程、理子との会話に出て来た遠山キンジだ。去年まで同じ強襲科にいて、友哉は結構気が合う仲だった。昨年2学期のテストをボイコットしたため、現在でこそ探偵科のEランクであるキンジだが、強襲科を受験した際には実技で教官を倒した事で、半ば伝説化していた。

 

 で、

 

 一体何がどうなって、少女とキンジが対峙し、朝っぱらから発砲事件にまで発展したのか、今の今まで居眠りしていた友哉には事態が全く掴めなかった。

 

「全員憶えておきなさい。そんな馬鹿な事言う奴は・・・・・・」

 

 そしてアリアは、顔を真っ赤に染めて宣言した。

 

「風穴開けるわよ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一通りのカリキュラムを終えると学生達はそれぞれ帰宅の途につく。

 

 武偵校には自宅が都内にあり、そこから通っている者もいるが、遠方から通っている者も多くいる為、そう言った者達が寝起きする為にいくつかの寮が設けられている。

 

 友哉が暮らす第3男子寮も、そうした寮の一つだ。

 

「はあ、そんな事があった訳」

「まったく、初日からヒデェ目にあったよ」

 

 友哉の隣を並んで歩きながら、キンジはガリガリと頭を掻く。

 

 寮の部屋の隣同志である友哉とキンジは、こうして登下校が一緒になる事がある。

 

「その、セグウェイとUZIを使った犯行の手口は、確か『武偵殺し』だっけ?」

「模倣犯だろうな。おかげであんな事に・・・・・・」

 

 キンジは苦々しそうに呟いた。

 

 今朝、キンジが始業式に出席しなかったのは、ある事件に巻き込まれていた為だった。

 

 キンジが登校しようと自転車を走らせていたところ、イスラエル製サブマシンガンUZIを搭載したセグウェイに襲われた。しかもサドルの下には爆弾が仕掛けてあり、速度を落とすと爆発すると言う。

 

 絶体絶命かと思われたキンジ。そのキンジを救ったのがアリアであったらしい。

 

 その後で何があったのかはキンジは頑として話してくれないが、どうやら彼の活躍により残る敵も倒す事ができたらしい。

 

 それで今朝の騒ぎである。

 

 話を省略されすぎたため、何がどうなってああなったのか、イマイチ理解が追いつかないが、傍から見ればアリアがキンジの事を気に入ったという風に取れなくもない。

 

「武偵殺し、か。確かあれって、捕まったんだよね」

「ああ。全く、誰があんな事を」

 

 今回のように、乗り物に爆弾を仕掛けてラジコン無線操縦のマシンガンで追いまわし、最終的には海に突き落とす連続殺人犯。それが一時期、武偵の間で恐怖の代名詞ともなった「武偵殺し」である。しかし、その武偵殺しも今は逮捕、収監されている。つまり、今朝のキンジの事件は誰かがその手口を真似した模倣犯と言う訳である。

 

 だが模倣犯とはいえ、キンジはこうして無傷で生き残っているあたり、流石と言うべきだった。

 

「ねえ、キンジ。強襲科に戻る気は本当に無いの?」

「無いって言ってるだろ。何度も言わせるな。それに俺は、来年には一般校に転校するんだから」

 

 そう言って、キンジは不機嫌そうに視線を逸らした。

 

 勿体ない。と、友哉は素直に思う。

 

 キンジは本当に強い。入試時の実技試験で教官を倒したと言う事が伝説化しているのは先述したとおりである。その試験と言うのは14階建ての廃ビルに教官5人と多数の受験生を配し、互いを無力化し合うという内容だが。キンジはその教官も含めて全員を倒してしまっている。

 

 まだ中学生の少年が、武偵校の教官、すなわちプロの武偵を倒すなど考えにくい事である。

 

 因みに友哉は、別時間帯の試験に参加し、教官こそ倒さなかったが、他の全員を無力化して合格している。

 

 向き不向きで考えるなら、キンジは間違いなく武偵向きの性格である。その彼が去った今でも、強襲科にはキンジを慕う者が大勢いる。

 

 とは言え、キンジはそう言った空気も苦手らしく、それが彼を孤立させる原因にもなっている。

 

 そんなキンジが武偵校をやめて、一般校に転校する。その理由に関して、彼は一切話してはくれなかった。

 

 

 

 

 

 キンジと別れ、寮の自室に戻ると、友哉は鞄を机の上に置いて制服のジャケットを脱いだ。

 

 キンジではないが、今日一日で、随分と色々な事があったと思う。

 

 それにしても気になるのは、

 

「由比彰彦・・・・・・仕立屋、か」

 

 今朝の現場に現われた、仮面を付けた男。

 

 表情の無い仮面の顔を思い出すだけで、不気味な感じがしてしまう。

 

 友哉は竹刀袋に収めている愛刀を取りだすと、鯉口を切って抜き放った。

 

 逆刃刀。

 

 峰と刃が通常とは逆になり、普通に振るっても相手を殺す事無く戦う事ができる。代々、緋村の家に伝わってきた刀である。

 

 友哉は刀を正眼に構えると、目を閉じる。

 

 あの時、対峙した由比に戦いを挑んでいたら、勝つ事はできただろうか?

 

 確証はできない。

 

 あまりにも無防備な動作。まるで殺気と言う物を捨て去ったかのようにふるまっていた彰彦。しかし、そこにこそ、友哉は恐怖心を覚えずにはいられなかった。

 

 一流の狩人ほど、自らの発する殺気を消す事に長けている。彰彦は恐らくそうしたタイプの人間だ。

 

 強敵。

 

 一度対峙しただけで、まだ剣すら交えていないと言うのに、友哉はそう感じずにはいられなかった。

 

 その時、玄関のチャイムが鳴った。

 

「おろ?」

 

 友哉は刀を鞘に収めると、ソファーの上に置いて玄関の方に向かった。

 

 扉を開くと、そこには幼馴染の短髪少女が立っていた。

 

「こんにちは、友哉君」

 

 四乃森瑠香は、元気に手を上げて挨拶してくる。

 

 一つ年下の瑠香は昔からの癖で、先輩後輩の間柄になった今でも友哉の事を君付けで呼ぶが、友哉の方もそれを別に咎める気はない。

 

 今年から友哉と同じ東京武偵校に通い始めた瑠香だが、中学3年の時から友哉と戦徒契約を結んでいた。戦徒である戦姉妹、もしくは戦兄妹とは、武偵校の先輩後輩で結ぶ契約の事で、上級生が下級生をマンツーマンで指導する契約であると同時に、何らかの事件の際には共に出動して事件解決に当たる事もある。

 

 元は将軍家に仕えた隠密お庭番衆の末裔である瑠香は、特に諜報活動に長けており、武偵校でも諜報科に所属している。その高い諜報能力を活かし、今朝のように戦場では友哉の目や耳になってくれる事が多い。

 

「ご飯作りに来たよ。一緒に食べよ」

「いや、あのね、瑠香」

 

 そう言ってビニール袋を掲げる瑠香。中身はどうやら食材のようだ。

 

 ここは男子寮なんだから、ホイホイと来ちゃダメだよ。と、言おうとしたのだが、瑠香はそんな友哉を置いて、さっさと上がり込んでしまった。

 

「友哉君、あたしが来なかったら、どうせコンビニお弁当とか、そんなのばっかり食べるんでしょ。ダメだよ、それじゃあ」

「い、いや、そんな事はないよ」

 

 と、言いつつ視線を逸らす。

 

 一応、友哉も料理くらいできる。しかし、作るもの全て、栄養が偏ってしまう傾向にある為、瑠香の言っている事はあながち間違いではないのだ。

 

 いそいそとエプロンを着け、食事の準備を始める瑠香。第三男子寮は基本的に4人部屋であるが、この部屋の住人は友哉1人である為、他にキッチンを使う者もいない。ちなみに隣のキンジの部屋も彼1人が使っている。ならばいっそ一緒の部屋にすればいいとも言われたが、キンジも友哉も1人部屋が良いと申請した為、どうせ部屋が余っているなら、と言う事で学校側から受理された。

 

「今日は少し和風にしてみようと思うの。友哉君、大丈夫だよね」

「うん、お願い」

 

 偏食する傾向がある友哉だが、基本的に好き嫌いはない。加えて、実家が京都にある旅館である為、瑠香の料理の腕は良い。彼女が作ってくれた料理を不味いと感じた事はなかった。

 

 座って待ってて。と言って料理の支度に入る瑠香。

 

 言われるままにソファに腰掛けようとした。

 

 その時、

 

 何やら隣の部屋から、壁越しにギャーギャーと騒ぐ音が聞こえて来た。

 

「おろ?」

「何?」

 

 互いに顔を見合わせる友哉と瑠香。

 

 壁越しに音が聞こえるくらい、どうと言う事も無いが、何しろ隣はキンジの部屋だ。彼が1人で騒いでいるとは考えにくい。

 

 2人は恐る恐る廊下に出ると、そっと隣の部屋を覗いてみた。

 

 次の瞬間、

 

「キンジ、あんた、あたしの奴隷になりなさい!!」

 

 今日転校してきたピンク髪ツインテールの少女が、友人に対してとんでもない事を言い放っていた。

 

「はい?」

「おろ?」

 

 2人そろって目が点になる。

 

 角度的に見えないが、多分キンジも同じ状態なのではなかろうか。

 

 ただ1人、神崎・H・アリアだけが、夕日に染まる部屋の中で勝ち誇ったように仁王立ちしていた。

 

「き、キンジ、何してんの?」

「お、おう、緋村、それに四乃森も」

 

 ぎこちなく振り返るキンジ。

 

 状況がまるで飲み込めない中、遠くでカラスの無く音が空しく聞こえていた。

 

「何があったの? ッて言うか、あの子、可愛い」

 

 アリアを見て目をキラキラさせる瑠香。彼女の眼には、アリアが年下の女の子に見えているのだろう。

 

「ねえねえ、あなた、お名前は? どこから来たの? 歳はいくつ?」

「え、な、何よ、アンタ?」

 

 矢継ぎ早に尋ねる瑠香に、アリアは少し顔を赤くして引き気味になっている。

 

『い、命知らずな・・・・・・』

 

 友哉とキンジはほぼ同時にそう思った。今朝の教室での発砲騒ぎを体験しているから尚更である。

 

「それでね、それでね、むぐぅ!?」

「よし、瑠香、君はちょっと黙ろう」

 

 瑠香の口を押さえて友哉は下がらせる。

 

「そ、それで、一体、何がどうなって奴隷な訳?」

 

 とにかく、現状をこれ以上混乱させないためにも、速やかな収集が必要だった。

 

 

 

 

 

 話を総合するに、アリアはキンジに強襲科に戻って、一緒に武偵活動をする事が望みらしい。

 

 ソファに座って漫画を読みながら、友哉はキンジの部屋でのやり取りを思い出していた。

 

 あの後、アリアとキンジが買い物に出かけたので、友哉達も部屋に戻った。

 

 瑠香はキッチンで夕食の支度を再開している。

 

 それにしてもアリア。目の付けどころが良いのか悪いのか。

 

 物件としてのキンジは、確かに優良と言える。それは去年、何度か一緒に仕事をした事がある友哉には判っている。

 

 圧倒的な戦闘力と状況判断力、それらに裏打ちされたカリスマ性と言うべき存在感は、高校生離れした物を感じずにはいられなかった。

 

 だが、

 

 言いたくはない事だが、今のキンジは去年ほどには武偵に関する情熱を失っているように思われる。

 

 何があったかはキンジは言わないし、友哉の方も聞こうとは思っていない。だが、そこにこそ、キンジが一般校への転校を決めている原因がある事は間違いなかった。

 

 そうしている内に、キッチンの方から良い匂いが漂って来た。

 

 出汁が効いているこの匂いは、煮物か何かを作っているようだった。

 

「あ、そう言えば、すっかり忘れてたんだけどさ」

「おろ?」

 

 瑠香が手を止めて、友哉の方に向き直った。

 

 その顔が、どこか困惑めいた色に染まっているのが判る。と言うより、少しおびえている様な気がした。

 

「ど、どうしたの?」

「アリア先輩と、遠山先輩の事、もし『あの人』が知ったら、やばいんじゃないかな」

「ッ!?」

 

 その一言で、友哉も思い出した。

 

 ある人物の事を。

 

 その人はキンジの古くからの友人、所謂幼馴染と言う奴で、東京武偵校の生徒会長も務めている。偏差値低めの武偵校にあって、偏差値75オーバーの才女であり、茶道部、手芸部、バレー部を掛け持ちし、その全ての部長も務めている。そして、傍から見て判るほど一途にキンジに好意を寄せている。

 

 好意を寄せている。と言えば聞こえは良いかもしれない。だが、彼女のそれは、そんな生易しい物ではない。ハッキリ、自分の全てを捧げていると言っても良いだろう。もし万が一、キンジが彼女に「俺の為に死んでくれ」と言えば、その場で頸動脈に刃を押しあてかねない。そんな存在だ。

 

 思い込みもまた激しい。いつだったか、友哉、キンジ、瑠香の3人でキンジの部屋で食事をしようとした事があったのだが、その際、友哉が所用で席を外した。つまり、瑠香とキンジが2人っきりになった時に、「彼女」が来てしまった。

 

 その時の光景は、ハッキリ言って思い出したくない。

 

 用事を済ませて戻った友哉が見たのは、破壊し尽くされた部屋の隅っこで膝を抱えておびえている瑠香と、何とか必死に説得を試みているキンジ。そして、般若が一匹だった。

 

 その時の事は瑠香にとってもトラウマになっているらしく、思い出すと今でもガタガタと震えている。

 

 その時だった。

 

 ピンポーン

 

 インターホンが慎ましく鳴る。

 

 このタイミングでこの音。

 

 まさかっ

 

 顔面を蒼白にしながら、友哉と瑠香は顔を見合わせた。

 

 そっと、ドアを開ける。

 

 そこには、予想通りの人物が立っていた。

 

「あ、緋村君、こんばんは」

 

 清楚な黒髪、精巧な日本人形を思わせる端正な顔立ち。その細い体は今、白い上衣と緋袴と言う巫女装束に包まれていた。

 

 彼女が、先程の話題に上っていた渦中の人物。東京武偵校生徒会長にして、超能力捜査研究科の切り札。そしてキンジの幼馴染、星伽白雪である。

 

「ほ、星伽さん、どうしたの?」

「あ、キンちゃ、遠山君に筍ご飯作ったんだけど、少し作りすぎちゃって、あんまり量は無いんだけど、緋村君にもおすそ分けしようと思って」

 

 そう言うと、手ごろサイズの弁当箱を差し出して来る。もう片方の手には風呂敷包みに包まれた、恐らくはそちらはキンジにだろう。

 

「あ、そ、そう。ありがとう・・・・・・」

 

 そう言いつつ、弁当箱を受け取る友哉。その後ろでは引きつった表情の瑠香がお玉片手に立ち尽くしている。

 

「その、これからキンジの所に?」

「うん。私、明日から恐山で強化合宿だから。今日の内にキンちゃんのお世話、しておこうと思って」

 

 キンちゃん、と言うのは白雪がキンジを呼ぶ時の綽名、と言うよりは癖みたいなもので、キンジからは何度かやめろと言われていたが、白雪としては改めるつもりはないらしい。

 

「あ、あの、星伽先輩」

「え、何?」

 

 勇気を出して声をかけた瑠香だが、悪意の無い白雪の顔に、言葉が詰まる。

 

 そう、白雪に悪意はないのだ。ただ、キンジに対する思いが少々過剰であるだけで。それは、彼女が生徒会長として多くの武偵校生徒から信頼されている事からもうかがえる。

 

 ただそれだけに、キンジ絡みの事になった時の白雪の暴走を止める事は難しかった。

 

「い、いえ、何でも、無いです」

「そう。じゃあ、私、行くね」

「あ、ああ、気を付けて、ね」

 

 閉じる扉の向こうに消える白雪を見送りながら、友哉と瑠香はこう思った。

 

 何事も起こりませんように。せめて、こっちに飛び火しませんように、と。

 

 

 

 

 

 対岸に学園島を臨みながら、由比彰彦は無表情の仮面を闇世の中に浮かび上がらせる。

 

 あの場所は武偵を育成する場所であると同時に、凶悪犯に対する人類最後の希望であると言っても過言ではない。

 

 実際、組織や慣例と言った柵に捕らわれることの多い公的機関に比べて、民間依頼と言う形で行動できる武偵の方が、機動力と言う点で遥かに勝っている。

 

 そんな学園島を眺める彰彦。

 

 その傍らには、小柄な少女が刀を片手に佇んでいた。

 

「クライアントから連絡がありました。計画を次の段階に移す、と」

 

 彰彦の言葉に、少女は言葉を返さず、ただじっと、手にした刀を抱きかかえている。

 

 その様子に、彰彦は肩をすくめた。

 

 今回の仕事に必要と思って連れて来たが、どうにもよくわからない娘である。

 

 とは言え、彼女の実力の高さは彰彦自身、何度か訓練で手合わせした為知っている。今回は依頼主の支援をするうえで有益である事は間違いないだろう。

 

 彰彦は、更にもう一方に目を向けた。

 

 こちらに立っているのは長身の男だ。短めの髪をボサボサにし、その下にある瞳は、まるでトラを彷彿とさせるようなギラギラとした輝きを見せている。痩せ形の体型をしているが、それが逆に引き締まった印象を与える少年だ。

 

「あなたも、宜しくお願いしますよ」

「おうよ。大船に乗ったつもりでいろよ」

 

 そう言って少年は不敵に笑う。その荒々しさが、獰猛さを持って存在している。

 

「さて、こちらの布陣は整いました。頑張ってくださいよ。遠山キンジ君。そして、緋村友哉君」

 

 そう言うと、仮面の奥で不気味な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

第2話「何やら騒がしくなってしまった日常」   終わり



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第3話「お台場にて」

 

 

 

 

 

 

 

 基本的に友哉の朝は早い。子供の頃から実家の道場で朝稽古をしていたせいか、毎朝5時には目を覚ましてしまう。

 

 おかげで今のところ、任務以外で遅刻した事は皆無である。何もなければ8時前にはもう学校に来ている。

 

 逆刃刀を収めた竹刀袋を手に教室へと向かっていると、意外な事に自分よりも早く来ていた人物を見付けた。

 

 緑掛かったショートヘアの頭に大きなヘッドホンを付けた少女。体付きは細く、背もアリアとそう変わらない程度だ。その肩には旧ソビエト製セミオート狙撃銃ドラグノフがかけられている。

 

「おろ、おはようレキ」

 

 片手を上げて挨拶する友哉に、レキはコクリと頷きを返した。

 

「珍しいね、今日は早いんだ」

「私はいつも、これくらいに来ます」

 

 無表情に淡々と答えるレキに、「そうなんだ」と返す。

 

 レキとは、これまで何度か一緒の任務に就いた事がある。この儚げな雰囲気のある少女は、その外見とは裏腹に校内随一の実力を持つスナイパーである。

 

 通常、狙撃とはプロであってもせいぜい必中距離は1キロ前後とされている。更に腕の立つ人間でも、せいぜい1.2キロが関の山。更に1.5キロ級ともなればもはや怪物と呼んでも差支えない。

 

 その狙撃を、このレキは2キロ以上可能であると言う。まさに神域にいる狙撃兵だ。それ故に「狙撃科の麒麟児」などと呼ばれている。

 

「前から気になっているんだけど、」

 

 レキと並んで歩きながら、友哉は思い出したように尋ねる。

 

「いつもどんな音楽聴いてるの?」

 

 レキはいつもヘッドホンを手放さず、何かを聞いている事が多い。耳に音楽を入れる事で、逆に外界の音をシャットアウトし狙撃に必要な集中力を養っているのだろう。と、友哉は解釈している。

 

 だが、

 

「これは音楽じゃありません」

「じゃあ、何?」

「風です」

 

 レキの返答に、友哉は怪訝な表情で彼女を見る。

 

 対してレキは振り返らずに口を開く。

 

「気を付けてください友哉さん。良くない風が吹き始めています」

「良くない風?」

 

 一体どういう事なのか。抽象的過ぎてイマイチ要領を得ない。

 

 だが、レキはそれ以上何も語らず、友哉を置いて歩き去ってしまった。

 

 

 

 

 

 少女はポケットから携帯電話を取り出すと、ボタンをプッシュする。

 

 セミロングの黒髪をショートポニーに結った小柄な少女だ。だが、その少女の手には、彼女の体には不釣り合いな、一振りの日本刀が握られている。

 

 電話を耳に当てると、すぐに相手が出た。

 

《どうしました?》

「こちらの準備は完了。いつでも行ける」

 

 淡々とした口調で、用件だけを伝える。それだけで相手も了解したのだろう。多くの事は聞いて来ない。

 

《上出来です。クライアントの方からも準備完了のメールが届きました。彼女の行動開始に従い、私達も動きますよ》

 

 そこで相手は、ふと思い出したように話を切り替えた。

 

《そう言えば、彼はどうしました?》

 

 彼、という単語が差す2人の共通の人物は1人しかいない。

 

「出てった。退屈だ、とか言って」

《おや》

 

 多少は予想していたらしく、大して驚いた様子もなく返事が返ってきた。

 

《ま、良いでしょう。大事の前です。彼にはやりすぎるな、とだけ伝えておいてください》

「ん」

 

 それだけ言うと、電話は切れる。

 

 少女はポケットに携帯電話を戻して歩きだす。

 

 そのまま、人込みの中に紛れるようにして、その小さな体はすぐに見えなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 妙な事もある物である。

 

 午後の訓練を終えた友哉は、体育館脇に腰をおろして手にしたスポーツドリンクを煽る。

 

 友哉は深く息を吐きながら、先程見た出来事を思い出していた。

 

 何と、キンジが強襲科に戻ってきたのだ。

 

 あれだけ頑なに強襲科復帰を拒んでいたキンジが戻ってきた事は、喜び以上に戸惑いの方が大きい。

 

 どういう心境の変化なのかじっくりと問いただしたい所だったが、久しぶりに戻ってきたキンジに、彼の潜在的なシンパが群がりもみくちゃにしてしまった為、完全にそれどころではなかった。

 

 その後キンジは、必要な事務手続きを終えて帰ってしまった為、話を聞く事ができなかったのだが、帰り際にピンクのツインテールをした少女と並んで歩いているのが見えた。

 

 そのような特異な髪形をしている人間は、少なくとも東京武偵校には1人しかいない。そこで、大筋の流れは読めた。

 

「神崎さんもやるなぁ。どんな手を使ったんだろう」

 

 つまり、単純に考えてアリアがキンジの説得に成功したと考えるのが妥当だろう。あれだけ強襲科へ戻る事を頑なに拒んでいたキンジの説得に成功したのだから大した物である。

 

 友哉はスポーツドリンクの入った容器を傍らに置くと、肩の筋肉を回しながらほぐす。

 

 武偵校では午前中は共通の一般教養を学び、午後は自由の時間、つまり、それぞれに依頼を受けて行動したり、戦闘訓練等の専門科目をこなす時間となる。

 

 友哉の武器は傍らに鞘に収めた状態で立て懸けてある逆刃刀一本のみである。

 

 飛び道具全盛の時代に武器が日本刀一本と言うのは、あまりにも無防備すぎる。とは周りから良く言われている事である。事実、武偵校に入学してからも教員から何度も銃火器装備を勧められていた。

 

 だが、今まで剣術一筋で戦って来た友哉は、今更銃を持つ気にはなれない。加えて言えば、身のこなしに自身のある友哉にとって、拳銃は恐るべき武器とは言えない。

 

 先日の大井での戦闘を見た通り、友哉は飛んで来る銃弾の軌道を読む事ができる。

 

 読みの鋭さ、速さは友哉の使う剣術の骨子の一つであり、先の剣を実現する上で重要な要素と言える。

 

 その先読みの早さがある限り、例えマシンガンやアサルトライフルが相手であったとしても切り抜けられる自信が友哉にはあった。

 

 と、その時、体育館の影から走って来る人物に気付いた。

 

「あ、いたいた、友哉君!!」

 

 四乃森瑠香は、走りながら友哉に手を振って来た。

 

「ここにいたんだ。探したよ」

「どうしたの?」

 

 荒い息をしながら汗を拭う瑠香に友哉が尋ねると、少し怒ったような視線を返される。

 

「もうっ、『どうしたの?』じゃないでしょ。昨夜あたしが言った事忘れたの?」

「おろ?」

「今日はお買い物に付き合ってくれるって約束したじゃない!!」

 

 言われて思い出す。

 

 確かに昨夜、夕食を食べている時にそんな約束をした気がする。

 

「ごめんごめん、すっかり忘れていたよ」

「まったく・・・・・・」

「すぐ着替えて来るから、待ってて」

 

 そう告げると、友哉は刀を取り、急いで更衣室へと向かった。

 

 

 

 

 

 学園島はお台場からほど近い場所に浮いている。バスに乗れば20分と掛からず街に出られる為、武偵校の生徒は特に娯楽に関しては困っていない。

 

 お台場まで出れば、遊ぶ場所も買い物をする場所も、そして食事をする場所にも事欠かない。

 

 買い物に来た友哉と瑠香もまた、一通りの買い物を終えると通りに面したカフェに入り一息ついた。

 

「はあ、これで終わりだよね」

 

 椅子の背を預け、友哉はぐったりした調子で尋ねた。

 

 学園島を出てから3時間近く、友哉は瑠香の買い物に付き合ってしまった。

 

「うーん、できればもう少し回りたかったんだけど、もう時間も時間だしなあ」

 

 時計を確認しながらそう告げる瑠香に、友哉は溜息を返す。

 

 これだけの時間を回ったと言うのに、成果はと言えば殆ど無かった。

 

 服一つ買うにしても、何十分もかけて何着もの服をとっかえひっかえした上げく、結局何も買わずに店を出ると言う事が多々あった。

 

「まあ、また今度来る事にするよ」

 

 不吉な未来予想図をしながら、瑠香は出されたキャラメルフラペチーノに口を付ける。

 

 そんな瑠香を横目に見ながら、友哉も運ばれてきたコーヒーに口を付ける。

 

 もうすぐ夕食なので、2人とも飲み物以外は頼んでいない。今日も、寮に帰ったら瑠香が何か作ってくれるだろう。

 

 不思議な娘だ、と友哉は思う。

 

緋村の家と四乃森の家は親戚同士であり古くから交流がある。友哉も幼い頃から瑠香と共に過ごし、彼女を妹のように可愛がってきた

 

 友哉の実家は東京にある。それ故に武偵を志した段階から、両親からは東京武偵校付属中学への入学を勧められ、自分もそれが妥当だと思った。だが、その一年後、瑠香が同じ中学校に入学して来たのには驚いた。

 

 彼女の実家は京都。関西方面にも武偵校はある為、そちらの学校に入るとばかり思っていたのだが、わざわざ寮に入ってまで東京の学校に入って来た理由が、友哉にはイマイチ良く判らなかった。

 

 とは言え、瑠香の存在には大いに助かっている。料理は上手だし、何より昔馴染みで気兼ねなく付き合える異性と言うのはそれだけで貴重だった。

 

 友哉はチラッと腕時計を確認する。

 

 そろそろ帰るバスの時間だ。そう瑠香に告げようとした時だった。

 

「だから、ちょっと付き合ってくれるだけで良いって言ってんだろうが!!」

 

 突然、店内から大きな声が上がり、友哉と瑠香は恐る恐ると言った感じにそちらへと振り返った。

 

 見れば大柄な男が3人、2人の女の子を取り囲むようにして立っている。

 

 一般高校の制服を着た女の子たちは、男達の迫力に呑まれて震えている事しかできない。その周囲にいる客達も、巻き込まれまいとして視線を合わせない様子だ。

 

「なに?」

「さあ」

 

 首をかしげる2人の前で、尚も男達が激こうするのが見える。

 

「おい、テメェ、聞いてんのかよ!!」

「こっち向け。シカト扱いてんじゃねえよ!!」

 

 口々にののしるような事を言う男達に、瑠香は露骨に嫌な顔を浮かべた。

 

「うわぁ、連中、あれでナンパのつもりなのかな。ダサいにもほどがあるよ」

「こらこら」

 

 苦笑しつつたしなめる友哉。とは言え、彼も同意見なので、強くは言わない。

 

 だが、その一言を男達の内の1人が聞き咎めて振り返った。

 

「んだと、こらっ、今言った奴出て来やがれ!!」

 

 怒りの矛先が変えられ、他の客達は巻き込まれまいとして黙りこむ。

 

 友哉はフッと一度目をつぶると、腰を浮かしに掛る。あの程度の相手なら刀を使わなくてもノしてしまう事は難しくない。

 

 そう思った時、騒ぎが大きくなると判断したのだろう。店のウェイトレスが立ちはだかろうとした。

 

「あの、お客様。他のお客様の御迷惑にもなりますので、騒ぎの方はご遠慮ください」

 

 勇敢な行動と言える。今日日、騒ぐ相手にこうまで敢然と立ち向かえる一般人などそうはいないだろう。

 

 だが、同時に無謀でもある。彼女の行動は言うならば野犬に聖書を言い聞かせるような物だった。

 

「うっせい、邪魔すんな!!」

「キャァッ!?」

 

 殴られよろけるウェイトレスの少女。

 

 あまりの事態に、流石に客達がざわめいた。

 

 友哉と瑠香も、腰を浮かせる。

 

 だが、それよりも早く、倒れるウェイトレスを支える影が合った。

 

「おいおい、こんなトコで暴れる前に周りをよく見ろって。あんたら、自分が随分格好悪いって気付いてないのかい?」

 

 低いが張りのある声が発せられる。

 

 支えられたウェイトレスが見上げるくらいの背丈のある少年が立っている。ボサボサの髪に、ギラギラした雰囲気の瞳を持った少年だ。まるで肉食系の猛獣を思わせる。

 

「んだと、この木偶の坊が!!」

「粋がってんじゃねえぞコラッ」

 

 口々にののしる男達を余所に、少年はウェイトレスを気遣うとうっとうしげに向き直った。

 

「やれやれ、騒ぐ事くらいしかできねえのかよ、あんた等は」

「んだと!?」

 

 尚も激昂しようとする男達を冷ややかに見据え、少年は顎をしゃくった。

 

「ここじゃ何だ。表に出な。そこで相手してやるよ」

 

 どうやら少年は、1人で3人叩きのめすつもりでいるらしい。見たところ武偵ではないようだが。

 

 だが、少年が店の外に出ようと踵を返した瞬間、

 

 男の内の1人が、ニヤリと笑みを浮かべたのが見えた。

 

 その光景を、友哉は見逃さない。

 

 腰だめに拳を構えている。その手に一瞬、銀色の光が奔った。間違いなく刃物の類である。

 

 次の瞬間、

 

 友哉は袋に入ったままの刀を鋭く下から上に振るった。

 

「なっ!?」

 

 手元を駆け抜けた衝撃に、男は思わず動きを止める。

 

 一拍置いて、天井付近までは跳ね上げられたナイフが回転しながら床に転がる。

 

 動きを止めた男を、友哉は刀を下ろしながら鋭く睨みつけた。

 

「それはいただけないな。それ以上やるって言うなら、僕達も黙っている訳にはいかないよ」

「テメェ、このやろ・・・・・・ゲッ」

 

 友哉の、そして瑠香の着ている制服を見て相手が誰なのか判ったのだろう。男は言い掛けた言葉を引っ込めて震えだす。

 

 武偵の戦闘能力は、世間一般にも知られている。今だ学生の身分であるとは言え、強襲科の武偵1人で街のごろつきぐらいなら最低でも10人くらいなら普通に相手取れるほどだ。

 

「で、どうするの?」

「クソッ、おい、行くぞ」

 

 武偵相手に喧嘩をする事の不利を感じたらしく、男達はすごすごと店から出ていった。

 

 それを見て、少年は友哉達に向き直る。

 

「やるねえ、あんた。流石武偵だよ」

「余計な手出しだったかな?」

 

 そう言って互いに苦笑する。

 

 友哉の見立てでは、目の前の少年ならあの程度の相手は物の数ではなかっただろう。多分、3人同時に相手にしても負ける事は無かったのではないだろうか。そう言う雰囲気を持つ少年だった。

 

「ま、売られたケンカは買うクチだが、余計な手間が省けるなら、それに越した事はねえさ」

 

 そう言うと、先程殴られたウェイトレスに向き直った。

 

「大丈夫かい?」

「あ、はい。ありがとうございました」

 

 そう言って頭を下げるウェイトレスに笑い掛けると、少年は無遠慮に友哉達の座っているテーブルに相席してきた。

 

「全く、ああ言う奴等が最近増えて来て困るな。なあ、あんたら武偵なんだろ。ああ言う奴等、取り締まらねえのか?」

「武偵は警察じゃないからね」

 

 そう言って友哉は苦笑する。

 

 そもそも武偵が活動するにあたっては、普通の探偵と同じく依頼を受ける必要がある。つまり、依頼が無い介入は武偵の意に反すると言う事である。勿論、今回のように目の前で起こっている事を座視するのは単なる阿呆の所業であるが。

 

 警察よりもフットワークが軽い半面、このようにストイックな掟に縛られているのもまた武偵である。

 

「武偵ってのも厄介な存在なんだな。もっと気楽にできねえもんかね」

「そんな事言ったって仕方ないじゃん。それが決まりなんだし」

 

 瑠香が少し口を尖らせて言う。何やら、断りも無く座って来た少年が面白くない様子だった。「折角2人っきりだったのに、デートだったのに」などとぶつぶつ言っているようだが、友哉達には聞こえていない。

 

 だが、そんな事には構わず、少年は口を開く。

 

「おっと、そう言や、自己紹介がまだだったな。俺は相良陣。また顔合わせる機会があったらよろしくな」

「僕は緋村友哉。こっちは四乃森瑠香」

「・・・・・・よろしく」

 

 瑠香は相変わらずそっぽを向いたまま挨拶する。

 

「緋村に、四乃森ね。よっしゃ憶えたぜ。何か困った事があったら、この界隈で相良って言えば誰でも判るから。いつでも尋ねて来てくれや」

 

 そう言うと陣は席を立って店を出ていった。

 

「何だか面白い人だね」

「そうかな、ただ単にむさくるしいだけのような気もするけど」

 

 ブウ垂れたまま答える瑠香に、友哉は苦笑しながら頬をツンツンと指でつつく。

 

「やめてよ」

 

 そう言いながらも手を払おうとしない瑠香を、友哉はニコニコしながら頬をつつく手を止めない。

 

 その時、先程のウェイトレスが歩いて来た。

 

「あの・・・・・・」

「ああ、そろそろ、僕達もお暇するから会計の方をお願いします」

「その、会計の事なんですけど、先程の方と含めて7400円になります」

「おろ?」「はい?」

 

 2人の目が点になる。

 

「ちょ、ちょっと待って。何であいつの分まであたし達が払わなきゃいけないの!?」

「はい、あのう、お知り合い、なのでは?」

「完全無欠で初対面よ!!」

 

 とは言え、払わないと店の方でも困る訳で、

 

 友哉はそっと溜息をつく。

 

 どうやら、帰りは徒歩になりそうだった。

 

 

 

 

 

 陣は裏路地を歩きながら、笑みを浮かべていた。

 

 なかなかどうして、武偵にも面白い奴等がいるようだ。しかも、年齢的には陣とそう大差ないように見えた。

 

 実際に戦ってみたらどちらが強いだろうか。そう考えると、陣の心は躍った。

 

 勿論、陣に負けるつもりはない。だが、とても楽しい喧嘩になりそうだった。

 

 と、その時、上着の内ポケットに入れていた携帯電話が振動する感触があった。

 

「・・・・・・おう、俺だ」

《私です。今、どちらに?》

 

 相手は、今回の仕事の雇い主だった。何でも何処かの組織の構成員で、他の人間の計画を援助するのが役割であると言う。

 

 胡散臭い男だが、楽しい戦いができそうだと思ったので乗って見る事にした。

 

《明日です》

 

 その一言が、全てを物語っていた。ついに、動く時が来たのだ。

 

「やっとか。随分待たせてくれたな」

 

 

 

 

 

 携帯電話を片手にしゃべる陣を、背後から見据える3対の目があった。

 

「おい、本当にやるのかよ?」

「ったりめーだろ。このまま舐められたままで良いのかよ」

「大丈夫だって。相手は1人だ。3人で背後から掛かればちょろいって。それに、これだってるだろうがよ」

 

 そう言ってちらつかせたのは、先程友哉に弾かれたのとは別のナイフだ。刃渡りは10センチ長。刺されば確実に内臓を傷付け、相手を死に至らしめる武器である。武偵のように防弾服を常時着用しているならともかく、相手はただの一般人。これで先程の憂さを晴らすのだ。

 

「行くぞっ」

 

 声をかけると同時に、3人は物陰から飛び出し、陣の背後から襲いかかった。

 

 

 

 

 

《どうしました?》

 

 陣の声が途切れた事に不審に思ったのか、相手が気遣うように尋ねた。

 

 ややあって、陣も答える。

 

「・・・・・・・・・・・・いや、何でもねえよ。それより、俺は予定通りの行動で良いんだな?」

《はい。実際に戦うのは「彼女」ですから。私達が依頼されているのは「余計な連中の排除」だけです》

「判った。じゃあな」

 

 そう言うと、陣は携帯電話切って路地裏を後にする。

 

 後には、襤褸切れのように成り下がった男達が、冷たい地面に転がっているだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、友哉は瑠香と並んで歩きながら、昨日の事を思い出していた。

 

 結局、あの後、3人分の食事代を払った友哉と瑠香の財布には、殆ど金は残らなかった。

 

 それでもどうにか、瑠香だけはバスで帰らせる事ができた。瑠香は一緒に歩いて帰ると言ったが、武偵とは言え女の子をお台場から学園島まで歩かせる訳にはいかなかった。

 

 そして友哉はと言うと、実に男らしく歩いて学園島まで戻った。

 

 断わっておくが、友哉は運動神経には優れている方だが、決して体格的には恵まれている訳ではなく、ハッキリ言って線の細い体型だ。お台場から歩いて帰って来るのは骨であった。

 

「そう言えば、友哉君。今日の午後暇? 久しぶりに稽古付けてほしいんだけど」

「ああ、そうだね」

 

 戦徒として契約した学生は下級生に対し、上級生が指導すると言う義務がある。戦兄である友哉は、当然、戦妹の瑠香を指導しなければならない。諜報科の瑠香だが、戦闘力の強化維持も行いたいと言う理由で、中学の頃からよく友哉に稽古を付けて貰っていたのだ。

 

 そうしている内に、2人は捜査に使う乗り物が格納されている車輛科倉庫の前に通りかかった。

 

 その時、友哉の携帯電話が鳴った。

 

「もしもし?」

《あ、友哉、アンタ今どこ!?》

「おろ、アリア?」

 

 意外な相手だった。確かに、アリアとは先日携帯番号を交換したが、まさか掛けてくるとは思っていなかった。

 

「今は・・・車輛科の倉庫前だけど」

《なら、ちょうどよかった。そこで何か乗り物見繕って、今すぐ強襲科まで来てくれる。アンタの特性なら、そうね・・・バイクとかが良いわ》

「ど、どういう事?」

 

 いきなりまくしたてられて、友哉も困惑したまま聞き返す。

 

 そんな友哉に、アリアは一方的に告げた。

 

《手伝って。事件よ》

 

 

 

 

 

第3話「お台場にて」   終わり



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第4話「立ちはだかる者」

 

 

1

 

 

 

 

 

 車輛科でいつも借りているバイクを持ちだし、後部に瑠香を乗せて、指定された強襲科の屋上に行くと、そこには既に2人の人間がいた。

 

 しかも、どちらにも見覚えがある。

 

「キンジ・・・レキ・・・」

 

 膝を抱えて体育座りをしているレキは、入って来た友哉と瑠香にチラッと視線を向けるだけで、そのまま視線を前方に戻してしまう。相変わらず、感情の読めない少女である。

 

 一方、キンジの方は入って来た友哉達を見付けると、片手を上げて挨拶して来た。

 

「よう、お前等もアリアに引っ張り出されたクチか」

「2人も?」

「まあな」

 

 キンジはため息交じりに肯定し、レキはこちらを見ないまま、相変わらず無表情でコクリと頷いた。

 

「何があったんですか?」

「さあな。俺達もいきなりアリアに呼び出されたから、事情も何も聞いてないんだよ」

 

 そう言って、キンジは苛立たしげに頭をガリガリと掻く。

 

 その呼び出したアリアは、まだ姿を見せていない。この場にいる誰にも事情を説明していないのは余程のは、余程の緊急事態なのか、それとも説明しづらい複雑な事情があるのか。

 

 そんな事を考えていると、友哉達の背後で扉が開く音がして、ピンクの長い髪をツインテールに縛ったアリアが入ってきた。

 

「みんな揃ってるわね。これ以上は時間切れ。まあ、急造のメンバーとしては良い感じね」

 

 キンジ、友哉、レキ、瑠香の順で見回してから言った。

 

「この5人で追跡するわよ。良いわね」

 

 何の説明も無しにいきなりそう言われ、4人は顔を見合わせる。

 

「さ、行くわよ」

「待て待てアリア。ブリーフィングくらいしっかりとやれ!!」

 

 1人でズンズン行こうとするアリアを、キンジが慌てて引き戻す。これには友哉も全く同意見だった。少なくとも何が起きていて、現状はどうで、どのような作戦をどういう編成で行うのか。チーム戦であるなら、最低限これくらいは決めなくてはならない。

 

「バスジャックよ」

 

 振り返りながらアリアが答えた。

 

 武偵校行きのバスが何者かに爆弾を仕掛けられて乗っ取られたと言う。内部には運転手1名の他に武偵校生徒数10名が乗り合わせており、閉じ込められている状態だ。

 

「キンジ、これはアンタの自転車の時と同じ。犯人は《武偵殺し》よ」

「武偵殺しって、あれって、逮捕された筈じゃ・・・・・・」

 

 瑠香が疑うような眼でアリアを見る。

 

 武偵を狙った連続殺人犯《武偵殺し》の逮捕は有名な話である。確かに手口は似通っているが、キンジのチャリジャックも、今回のバスジャックも模倣犯の仕業と考えるのが妥当なのではないか。

 

 だが、アリアは断言するように言った。

 

「それは真犯人じゃないわ」

「何だって?」

「根拠でもあるの?」

 

 尋ねる友哉とキンジを無視するように、アリアは再び歩き出す。

 

「その件に関しては説明している時間は無いし、アンタ達は知る必要も無い。このパーティのリーダーはあたしよ」

 

 指示に従え。アリアはそう言っているのだ。

 

「リーダーだって言うなら、きちんとみんなに説明しろッ 武偵はどんな事件にも命がけで臨むんだぞ!!」

 

 苛立って食ってかかるキンジにアリアは鋭く振り返って言い放った。

 

「武偵憲章1条、『仲間を信じ、仲間を助けよ』。その仲間が危機に瀕している。説明はそれだけで充分よッ」

 

 その言葉に、キンジも、友哉も、瑠香もそれ以上何も言おうとはしなかった。

 

 ただ1人、黙ってやり取りを見守っていたレキだけは、静かに準備を進めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目標となるバスは学園島を一周した後、お台場へと入ったと言う。

 

 無線傍受していた事で、通報前に行動を開始したアリアチームは、それぞれ役割分担を決めて対処に当たっている。

 

 まず、最も重要な突入班。ジャックされたバスにヘリを使って屋根から乗り込み、事態の収拾と爆弾の解除を行う危険な役割は、キンジとアリアが担当。

 

 友哉は遊撃任務。バイクに乗って地上からバスを追撃。作業中のアリア達を外から援護する。相手が武偵殺しであるなら、キンジを襲った時のようにUZIサブマシンガンの妨害がある可能性は高い。それの排除を行うのが友哉の役割だ。

 

 レキはキンジ達を下ろした後、ヘリで待機。後方支援と狙撃による火力支援を行う。

 

 そして瑠香は4人とは別行動する。諜報科としての行動力と機動力を活かし、アリアが傍受、逆探知した電波の発信場所へ急行、犯人を取り押さえるのだ。

 

 4人と別れ、友哉は1人バイクを走らせる。

 

 走行する車の間を駆け抜けながら、フルフェイスヘルメットの奥でアリアが言っていた事を思い出す。

 

 武偵殺しはまだ捕まっていない。真犯人は別にいる。

 

 それが真実であるならば、大変な事だ。噂では捕まっている武偵殺しは100年以上の懲役が一審によって可決されたとか。それが冤罪だとするならばただ事ではない。下手をすれば刑をかした日本の司法業界は世界中から袋叩きに逢いかねない。

 

 それに、謎がもう一つ。なぜ、アリアがその事を知っていたか、である。特別に武偵殺しを追っていたのか、あるいは、

 

『武偵殺し、本物か、偽物、どちらかと縁があるのか・・・・・・』

 

 そこまで考えると、友哉は僅かに首を振って邪魔な思考を追いだした。

 

 考えても仕方が無い。現実にバスジャックは起きている。今はそちらに集中すべきだ。

 

 更にアクセルを掛け、バイクを加速させる。

 

 計算ではあと1分でバスに追いつく。まず友哉がUZIの排除を行い、安全確保の後、上空のヘリで待機中のキンジとアリアがバスに突入する手はずだ。

 

 その時だった。

 

 前方の歩道橋の上。そこに、こちらを見下ろす男の姿がある事に気付いた

 

 その男が、

 

 走行する友哉に向けてアサルトライフルの銃口を向けている。

 

「ッ!?」

 

 とっさにバイクのアクセルを叩きつけるように全開まで吹かす。

 

 男の銃口が火を噴くのは、ほぼ同時だった。

 

 斜め上から降り注ぐ火線。

 

 間一髪、加速が早かったおかげで銃弾はかすらずに済んだ。

 

 しかし、

 

 横滑りしたバイクが、道路にスリップ痕を描きながら停止する。

 

 まさかの妨害者の出現。いや、妨害自体を予測していなかった訳ではない。だが、それはてっきりバスを視認してからの話だと思っていた。こんな手前で現われるのは予想の範囲外だ。

 

「アリア、ごめん。妨害者だ。そっちには行けない。プランの変更を」

《え、ちょっと、友哉ッ・・・・・・・・・・・・》

 

 耳に装着したインカムでアリアに通信を入れ、向こうの返事を待たずにスイッチを切る。こうなった場合の代替プランもある。地上からの援護は無いが、アリアとキンジなら何とかするだろう。

 

 それより、問題はこっちだ。

 

 振り返り、フルフェイスヘルメットを外す友哉。

 

「へえ、まさかアンタが来るとはね。こりゃ期待以上だ」

 

 聞き憶えのある声が、頭上から聞こえて来る。と、同時に相手が歩道橋の上から飛び降りて来るのを感じた。

 

 振り仰ぐまでも無く、相手の姿は視界に入った。

 

 ボサボサの髪に見上げるような長身痩躯。その髪の下から覗く、ギラつく野獣のような瞳。

 

「相良陣・・・・・・」

 

 それは間違いなく、先日お台場で出会った少年だった。その手に、今は物騒なアサルトライフル、AK74カラシニコフが握られている。

 

 友哉はバイクから降りて、陣と対峙する。

 

「何で、君が?」

「こいつも仕事でね。ま、悪く思うなよ」

 

 そう言うと、手にしたAKを投げ捨てる。

 

 その行動に、友哉は眼を見開く。飛び道具の優位を、なぜあっさりと捨てたのか。

 

「別に驚く事じゃねえだろ」

 

 そんな友哉の様子に、陣は苦笑しながら両の拳を掲げて構える。どうやら、素手で戦うつもりらしい。相手の武器を見て対アサルトライフル用の戦闘を想定していた友哉は、頭の中で戦闘計画を切り替える。

 

「ケンカってのは、面白くやるもんだ。飛び道具なんか無粋なだけさ」

 

 そう言って、僅かに体重移動しながら距離を詰める陣。

 

 対して友哉も、警戒するように腰を落とし、腰の刀に手を掛けた。

 

「そいつがあんたの武器か。良いぜ、抜きなよ。そん代わり、俺も全力で行くからな」

 

 むき出しの闘争心を隠そうともせずに、陣は更に距離を詰める。

 

 次の瞬間、両者は同時に動いた。

 

「オォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 引き絞るように右の拳を掲げる陣。

 

 対するように、友哉も高速で刀を鞘走らせた。

 

 

 

 

 

 本隊から離れ、1人潜行する瑠香は、愛用スマートフォンのGPSを頼りに、目的の場所へと急ぐ。

 

 アリアが逆探知したと言う電波の発信場所は、学園島のある一点を差している。

 

 そこに本当に武偵殺しがいるのかは判らない。だが、アリアは必ずしも交戦しろとは言っていない。アジトと思われる場所を襲撃し、犯人特定に至る物証が見つかればそれで上出来だった。

 

 元が忍びの家系であるせいか、瑠香は身が軽い。子供の頃から足の速さだけは並みの大人にも負けた事が無かった。数少ない例外が、友哉と、今はプロの武偵として活躍している5つ年上の兄だけだが、あのレベルになると、もう化け物だろうと瑠香は思っていた。

 

 おまけに戦闘においても2人は卓越しており、瑠香は子供の頃から一度も2人に勝てた事が無かった。昔はよく、2人に稽古を挑んではボコボコにやられ、泣いていたのを覚えている。

 

 そんな時、厳しい性格の兄は瑠香には何も声を掛けずにいたが、友哉は違った。優しく気遣い、グズる瑠香が泣きやむまであやし続けてくれた。

 

 そんな事があったのだ。少女が年上の少年に恋をするのは、何の不思議も無い事であった。

 

 自分が関西の武偵校ではなく、わざわざ東京武偵校に転校した理由に、恐らく友哉は気付いていないだろう。鈍感だから。だが、幼い恋心を、今も育み続けている少女にとって、その選択肢は必然以外の何物でもなかった。

 

 瑠香は足を止める。

 

「ここ、か」

 

 そこは普段は使われていない倉庫群。主に機材等の保管庫として使われている。GPSの反応はここから来ていた。

 

 愛用のサブマシンガンであるイングラムM10を抜いて構える。

 

 その時だった。

 

 突然、横合いから飛んで来た物が、瑠香を薙ぎ払った。

 

「ッ!?」

 

 それが刃である事には、すぐに気付いた。掠めたのは二の腕だが、防弾制服を着ていなかったら、腕が肩から数センチ残して斬り飛ばされていた所である。

 

 瑠香は顔を上げて相手を見る。

 

 小柄な人物。恐らくは、女の子だろう。長袖フードのトレーナーに、短パン姿。顔は深くキャップを被っているせいで判らなかった。その手には抜き身の日本刀が握られている。

 

「あんた、一体誰!?」

 

 とっさにイングラムを向けようとする瑠香。

 

 その銃口が相手の少女に向き、引き金が引かれた。

 

 次の瞬間、

 

「え!?」

 

 少女の姿は一瞬にして書き消える。

 

 速い。まるで本気を出した時の友哉や兄のようだ。

 

 次の瞬間、少女は瑠香の目の前、僅かに宙に浮いたような形で出現する。

 

 振るわれる刃。

 

 その一閃が、イングラム本体を切り裂いた。

 

 着地する少女。

 

 そのまま返す一撃が、瑠香の胸を直撃する。

 

 鋭い刃によって、胸の縫製が解れ、ネクタイが斬り飛ばされた。

 

「クッ!?」

 

 どうにか後方宙返りしながら距離を取り、予備武装のサバイバルナイフを抜いて構える。

 

 だが、相手は友哉にすら匹敵するかもしれない敵。こんなナイフ一本で勝てるかどうか。

 

「あんた、何者ッ、あんたが武偵殺しなの!?」

 

 声も高く尋ねる瑠香に対し、相手は答えない。ただ黙って、手にした刀を右八双に構え直す。

 

 瑠香もまた、覚悟を決めて腰を落とし、戦う構えを見せる。どうやら退くにしても進むにしても、目の前の状況を打破する必要があるらしかった。

 

 

 

 

 

 踏み込むと同時に抜刀、友哉の剣は陣へと迫る。

 

 対する陣も、友哉に向け手拳を繰り出す。

 

 体重の乗った一撃だ。かなり場馴れしている事が、その拳撃を見ただけでも判る。

 

 だが、

 

 友哉は突撃状態から更に加速、白銀の剣閃が陣の胴を薙いだ。

 

 スピードにおいて、友哉は誰にも負けない自信がある。陣の攻撃は食らえば確かに痛手にはなるだろう。だが、当たらなければ蟷螂の斧と言う物だ。

 

 打撃を食らって後退する陣。

 

 今の一撃で内臓器官に相当なダメージが入った筈。これで決着が着くか。

 

 そう思った時、

 

 陣は何でもないと言う風に顔を上げた。

 

「やるじゃねえか。だが、まだまだだぜ!!」

 

 まるで何事も無かったかのように、陣は再び向かって来る。

 

 距離はすでに至近。拳の届く範囲だ。

 

 陣の腕が唸りを帯びて迫る。

 

 対して友哉は、上空に舞い踊るように駆けながら陣の攻撃を回避。その背後に着地する。

 

「相良、君はなぜ、こんな事に加担する?」

 

 陣の背後に立ちながら、友哉は鋭い口調で多ずなる。

 

「今こうしている間にも、多くの学生が命の危機に晒されている。みんな武偵を目指しているとはいえ、僕達と年齢は変わらないか、あるいはもっと下の子ばっかりだ。それを、」

「言ったろ、仕事だってよ」

 

 友哉の言葉を遮るように陣は振り返りながら言う。

 

「あんたが誰かの依頼でここに立ってるように、俺も俺で、依頼を受けてここにいる。それ以上でも以下でもねえよ」

「相良・・・・・・」

「ウダウダ言ってねえで掛かって来いよ。その大事なお仲間さんとやらが大変なんだろ。アンタも武偵らしく、言葉じゃなく剣で語りな」

 

 最早問答の余地なしとばかりに、再び構えを取る陣。

 

 再び長身の男が友哉へと迫る。

 

 対して友哉は、今度は自分から仕掛けずに回避に専念する。

 

 刃と峰を逆にしているとは言え、鋼の刀を胴に受けて、倒れるどころかダメージが殆ど入らないとは思わなかった。初めは防弾服の類を着ているのかとも思ったが、それも違う。防弾服は斬撃や銃撃の貫通を防ぐだけの物であり、衝撃を殺す事はできない。つまり、打撃は普通に伝わるのだ。勿論、衝撃吸収材入りの衣服を着用すれば打撃も防げるが、先程の一撃を命中させた時そのような手応えは無かった。

 

 考えられる答えは一つ。この男は、打撃に対して撃たれ強いのだ。

 

『それも、異様に』

 

 恐らく徒手格闘だけでなく。アル=カタをやっても、その防御力だけで押し切れるのではないだろうか。

 

 攻め手を変える必要がある。一撃で倒せないのなら、どう攻めるべきか。

 

「どうした、逃げてばっかじゃ何も変わらないぜ!!」

 

 思案する友哉に対し、吹き上げるような蹴りを放つ陣。

 

 一撃で巨木をも倒しそうな蹴りだが、やはり当たりはしない。

 

 友哉はのけぞるようにして大きく距離を置きながら刀を正眼に構え直す。

 

 先程、陣は本気で戦えと言った。

 

 成程、確かに出し惜しみをして勝てる相手じゃなさそうだ。

 

 本気を見せる必要がある。

 

 そう思った時だった。

 

 突然、彼方で地鳴りのような大音響が鳴り響いた。

 

 思わず交戦をやめ、振り返る友哉と陣。

 

 その視界の彼方では、天を突くかと思われる程、巨大な水柱がそそり立っていた。

 

 あれは確かレインボーブリッジの方角だった筈。

 

「・・・・・・チッ」

 

 その様子を見て、陣は軽く舌打ちした。

 

 同時に友哉も悟った。あれは恐らく、バスに仕掛けられていた爆弾だ。それが爆発して爆炎ではなく水柱が上がったと言う事は、間違いない。キンジ達がやってくれたのだ。

 

「・・・・・折角面白くなる所だったってのによ」

 

 そう言うと拳を下ろす。どうやら、これ以上交戦の意思はないようだ。

 

「残念だが、アンタとの決着はまた今度だ。次は、余計な瑣事は抜きでやり合おうぜ」

「随分勝手な言い分だけど、僕がそれを見逃すと思う?」

 

 言い放つと同時に、友哉は地面を蹴る。

 

 この男は武偵殺しと何らかの繋がりがある。捕えて情報を引き出せれば何かが掴める。

 

 だが陣は、何を思ったのか、その場にしゃがみ込む。

 

 次の瞬間、アスファルトの地面が、まるで爆弾でも炸裂したかのように砕け散った。

 

「クッ!?」

 

 とっさに後退する事で衝撃の半径から逃れる友哉。

 

 粉塵が舞い、視界も効かなくなっている。

 

 やがて、それも晴れた時、その場に陣の姿は無かった。友哉が一瞬ひるんだすきに退却したのだ。

 

「侮れないな」

 

 逆刃刀を鞘に収めながら友哉は呟いた。

 

 一見すると粗野な喧嘩屋に見えるが、その実、引き際を心得た冷静な判断力もある。

 

 一介のチンピラとは訳が違う、もっと戦いなれた存在に思えた。

 

「とは言え」

 

 友哉は、先程水柱が上がった方角を見た。既に水は退いているようだが、作戦は間違いなく成功したと見て良いだろう。

 

 友哉は落ちていたヘルメットをかぶり直すと、再びバイクにまたがる。

 

 アリア達と合流し、状況を確認する必要がある。負傷者がいるなら救護の手も必要だろう。

 

 友哉は遅ればせながらバスに追いつくべく、バイクをスタートさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕日が落ちる寮の自室で、友哉はデータベースにつないだデスクトップ型パソコンに向かいあい、検索を掛けていた。

 

 検索内容は「武偵殺し」について。

 

 アリアがなぜ、あれほどまでに武偵殺しにこだわったのか。否、武偵殺しの真相を断言できたのか。それが知りたかった。

 

 戦いは、結果的に言えばアリアチームの勝利と言えた。バスの乗客は負傷者はいるものの、全員が軽傷で済んだ。唯一の重症者は防弾装備をしていなかった運転士だが、こちらも命に別条はない。バス自体は、乗り合わせていた車輛科の男子で、友哉やキンジの友人でもある武藤剛気が運転して事なきを得た。

 

 だが、その勝利は苦い物であった。

 

 結局、友哉は陣の妨害により援護任務を全うできず、事件には関わる事ができなかった。任務を全うできなかったと言えば瑠香も同じで、彼女もまた敵の妨害に逢い、武偵殺しのアジト潜入は叶わなかった。瑠香を襲った敵はある程度の時間稼ぎをした後、唐突に後退したそうだが、その後でGPS表示のある場所に行ってみても何もなかったそうだ。

 

 そして、アリアはリモコン操作されたUZIの銃撃を受け、額に軽傷を負った。不用意に屋根の上に出たキンジを護った時、弾丸が掠めたのだ。傷はそれほど深くないとはいえ、女の子の、それも額に受けた傷だ。痛み以上に心理的にきついものがあるだろう。

 

 これに関してはキンジを責める事はできない。何しろUZIの処理は本来、友哉の仕事だったのだから。

 

 結局、爆弾を処理したのはヘリで予備戦力として待機していたレキだった。

 

 バスがレインボーブリッジに出た所で、ヘリで並走しつつ狙撃を敢行。正に神技と言うべき狙撃技術により爆弾を海に吹き飛ばしたのだ。

 

 急造チーム内で自分の義務を果たせたのは、レキだけだったと言える。

 

 一通りの事後処理を終えるのに、結局一日を費やしてしまったが、事件の大きさを考えれば仕方のない事である。

 

 陣との決着は、着かないままに終わったが、あの男の事だ、近いうちに必ず再び友哉の前に現われるだろう。

 

 気になる事は、陣が最後に使ったコンクリートの地面を粉砕した技だ。戦闘現場の事後処理に当たった鑑識科の生徒によれば「どうすればこんな事になるのか判らない」そうだ。

 

 友哉も現場に立ち合ったが、砕かれたコンクリートが殆ど粉々の欠片になり、大きな物でも指先程度にまで砕かれていた。

 

 地面を粉砕する技なら友哉も一つだけ使えるが、それとも違うようだ。何より、友哉の技はあそこまで粉々にならない。せいぜい大きな塊がいくつかできる程度である上、コンクリート等の硬い地面では効果も薄い為、滅多に使わない。

 

 いずれ戦う時には、警戒する必要があるだろう。

 

 そう思った時、ちょうど検索が完了した。

 

 検索を掛けたのは司法関係の裏情報を扱うサイト。通常のサイトでは個人情報保護の為、犯罪者の実名などは伏せられている。だが、こうした裏サイトなら実名も扱っている可能性が高い。

 

 果たして友哉の思惑通り、狙った情報が画面に現われた。

 

『《武偵殺し:神崎かなえ》、一審判決にて懲役122年(他742年)。担当弁護士は即日控訴を表明』

 

「これ、か」

 

 それにしても、懲役864年とは。事実上の終身刑である。

 

 それに、

 

「神崎・・・・・・」

 

 言うまでも無く、アリアと同じ名字。

 

「親戚・・・・・・いや、まさか母親、なのか?」

 

 記載されている年齢を見ると、ちょうど辻褄も合う。そう考えるのが妥当だった。

 

 これで大まかな事が見えて来た。

 

 アリアが武偵殺しの真相を頑なに主張した理由も、こだわった理由もハッキリした。

 

「アリアは、今も戦っているんだ。たった1人で・・・お母さんの冤罪を晴らす為に」

 

 そう考えると、あの小さな武偵が、本当に見た目通り、幼い女の子のように思えて来るのだった。

 

 

 

 

 

第4話「立ちはだかる者」     終わり

 



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第5話「剣閃拳撃」

 

 

 

 

 

 

 

 

 学園島を大騒ぎさせたバスジャックから数日が経過し、武偵校にも「ただの喧騒」と言う名の平穏が戻ろうとしていた。

 

 巻き込まれた生徒達も、軽傷だった者も含めて数日後には全員が学校に復帰を終え、唯一重症だった運転士にも、学校側から見舞金が贈られたとの事だった。

 

 ここ数日、友哉は授業に出たり、瑠香に稽古を付けたりしながら、アリアの事を考えていた。

 

 アリアは、当然の事だが、母親の無実を信じて戦い続けている。武偵殺しに異様にこだわっているのもその為だろう。

 

 だが、難しいだろう。と友哉は考える。

 

 下級裁隔意制度の施行によって、裁判の迅速化が進んでいる。アリアは最高裁までに全ての真犯人を揃え有罪判決をひっくり返そうとしているようだが、それが間にあうとは到底思えなかった。

 

 まるで、荒野の迷子だ。

 

 寄る辺も無く。差し伸べる手も無く。先の見えない野を1人彷徨う。それが今のアリアに思えた。

 

「友哉君、どうしたの?」

 

 横に並んで弁当を食べている瑠香が尋ねて来た。

 

 今は昼休み時間。自由履修までの合間を縫って尋ねて来た彼女を伴い、一般科棟の屋上で瑠香が作ってくれた弁当を食べていた。

 

 瑠香は先日の戦いで主武装のイングラムを破壊されてしまった為、新しい銃を発注している最中だった。その銃が来るまでの間は諜報科の履修と同時に友哉との稽古で時間を潰していた。

 

 気になると言えば、瑠香が武偵殺しのアジトと思われる倉庫に潜入するのを阻んだと言う少女の事も懸念材料だった。瑠香の話では、相当な剣の腕であったとか。

 

 陣と同時に現われた妨害者の存在。それが、どうにも引っ掛かっていた。

 

「妨害者・・・・・・直接的に事件に関わるんじゃなく、まるで外堀を固めるようにして、こちらの分断を図ってきた・・・・・・」

「友哉君?」

 

 ミートボールを口に頬張りながら、瑠香は怪訝そうに見詰めて来る。

 

 だが、友哉はそれに構わずに考え事を続ける。

 

 何かが引っ掛かる。情報量が少なすぎるから何がと特定する事は難しいが、自分は何か大きな物を見落としている気がしてならなかった。

 

 その時、こちらに向かって歩み寄って来る人影に気づき、友哉は顔を上げた。

 

「やっほー、ユッチー!!」

 

 金色の髪を靡かせて手を振っているのは理子だった。予め昼はここにいるとメールしておいたので、探して来てくれたのだろう。

 

「悪いね理子、わざわざ来てもらったりして」

「なんのなんの、あ、美味しそう。いただきまーす」

 

 駆けつけ三杯とばかりに、友哉の弁当箱から卵焼きを一切れ摘んで口に入れる。

 

「ん~、うっま~いッ ルカルカ、まだ腕上げたんじゃない?」

「そ、そうですか?」

 

 素直に褒められて、瑠香は嬉しそうに頬を染めた。

 

「もうね、これならいつでもお嫁に行けるよ。って言うか、理子がお嫁にもらっちゃおうかな。ねえ、ユッチー、この娘、理子に頂戴」

「いや、頂戴って、ペットじゃないんだからさ」

「その、困ります、理子先輩」

 

 苦笑する友哉と、困ったように恐縮する瑠香を面白がるように、理子は友哉の隣に腰掛けた。

 

 友哉も真顔に戻り、理子に向き直る。

 

「それで理子、頼んでおいた物は?」

「うん、バッチリだよ」

 

 そう言うと理子は、制服の胸に手を突っ込む。

 

 僅かに見えた理子の下着に少し顔を赤くする友哉に構わず、理子は胸元から書類の束を出して友哉に差し出してきた。

 

「はい、ユッチー、どうぞ」

「う、うん、ありがとう」

 

 少しどもる友哉。半眼で睨んで来る瑠香を見ないようにしながら書類を開く。

 

 理子は探偵科に所属しており、普段の馬鹿騒ぎ振りからは想像できない程、高い調査能力を持っている。追跡調査が必要な局面では、こうして重宝される場合が多い。

 

「何調べて貰ったの?」

 

 横から瑠香が覗き込む。

 

 そこにはある人物の写真と共に、その身辺を調査した報告書だった。

 

「あ、これ」

 

 その写真には瑠香も見覚えがあった。

 

「相良陣、16歳。お台場を中心に活動する不良グループの顔役的存在。ただし本人は一匹狼である事を望んでおり、取り巻きが勝手にそう呼んでいるだけ。《喧嘩屋》を自称し、お台場周辺で起こる揉め事の解決や、依頼を受けての喧嘩代行業を行っている。喧嘩代行業においては敗れた事は無く、百戦百勝を誇っている。素手で鉄をも砕く拳を持ち、その撃たれ強さと合わせてヤクザの事務所を壊滅に追いやった事もある。その戦闘力は武偵ランク換算ではBからAに相当すると思われる」

 

 その後、陣が関わったとされる事件、揉め事が羅列して記載されている。

 

 乗りかかった船、と言う訳ではない。ただ、友哉は先日のバスジャックに関わり、尚且つアリアの事情を知った事から、自分なりの方法で武偵殺しに迫ってみようと考えたのだ。

 

 武偵が護るべき規範として10条からなる「武偵憲章」と言う条文がある。その8条にこうある。「依頼は、その裏の裏まで完遂せよ」。アリアから武偵殺し関係の依頼を受けた以上、それを最後まで支援するのは友哉の義務であり、そして望みでもあった。

 

 陣がどの程度、武偵殺しについて知っているのか、それは判らない。しかし例え細い糸であったとしても、手繰れば必ず何かが出て来る筈だ。

 

「相良陣・・・・・・」

 

 あのコンクリートを粉砕した技の正体は判らないが、しかし攻略法はある。次に戦った時には仕留める自信があった。

 

「あ、そう言えばユッチー知ってる?」

「何が?」

 

 話題を変える理子に、友哉は資料を読む手を止めて理子に向き直った。

 

「実はね、アリア、イギリスに帰る事になったんだよ。確か、今夜の便じゃなかったかな」

「アリア先輩が!?」

 

 話を聞いていた瑠香が素っ頓狂な声を上げた。

 

「な、何でですかッ!?」

「さあ、そこまではちょっと。ただ、アリア、ここのところずっと塞いでる感じだったからねえ」

 

 それは友哉も感じていた事だ。バスジャックの後、アリアは目に見えて気落ちしていた。殆ど無気力に見えるほどに。

 

 だが、神崎かなえ。アリアの母親と思われる女性は日本に収監されている。武偵殺しも、恐らく現在は日本に潜伏している。アリアにとって、今、日本を離れる事にメリットはない筈だ。

 

『方針を、変更したのか・・・・・・』

 

 かなえが着ている罪は武偵殺しの物だけではない。恐らく、他の容疑者を追う方向に切り替えるのかもしれない。もう時間も無いと言うのに。

 

「残念だな、折角仲良くなれたのに」

 

 そう言って瑠香は俯く。確かに、瑠香は最近アリアと仲良く話したりする場面が見られた。そのアリアが遠くに行ってしまう事が寂しいのだろう。

 

「理子、アリアが乗る便はいつ出るの?」

「んっと、確か、羽田発ヒースロー行き、19時発のチャーター機でANA600便だったかな」

 

 それを聞いて、友哉は立ち上がる。

 

「瑠香、行くよ」

「え、う、うん。それじゃあ、理子先輩。また今度」

「おー、行ってらっしゃーい!!」

 

 能天気に手を振る理子に背を向ける友哉を、瑠香は慌てて追いかける。

 

 友哉は手にした逆刃刀を強く握る。

 

 これまでは武偵殺しに対し完全に防戦一方だったが、ここからは攻勢に出る番だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お台場ライナー埠頭。

 

 総延長1800メートルの岸壁を有し、船荷の積み下ろしを行う場所に友哉は立っていた。

 

 夕日が照らす岸壁の南側に立ち、友哉は静かに目を閉じている。

 

 戦いの前の、あの奇妙な落ち着きが今来ている。これから戦う相手は決して侮れる物ではない。油断は即、死にも繋がるだろう。

 

 だが、今の友哉に気負いはない。自分でも異様に思うくらい冷静に、これからの戦いに集中している。

 

 瑠香も雰囲気で察しているのだろう。友哉の後ろに控えたまま、声を掛けようとはしなかった。

 

 その時、ザッとアスファルトを踏む音が聞こえ、誰かが立ち止まる気配があった。

 

「よう、アンタの方からお呼びがかかるとは思わなかったぜ」

 

 目を開くと、ポケットに手を入れたまま不敵な笑みを見せている相良陣が立っていた。

 

 陣との決着を付ける戦場として友哉が選んだのが、ここ、ライナー埠頭だった。

 

「まさか、こんなに早くアンタと決着を付ける事になるなんてな」

「そうかな、少し遅いくらいだと思うけど」

 

 そう言って苦笑を返す。

 

 武偵殺しの件で情報をまとめるのに手間取った上、大した成果が上がらなかった事が原因ではある。そして、友哉はこれ以上後には引けないと言う状況で、今、ここに立っていた。

 

「相良、単刀直入に聞くけど、君は武偵殺しと直接関係があるの?」

「ああん? 何だそりゃ。そんなもん、聞いた事もねえよ」

 

 友哉の問いに間髪入れずに答える。

 

 友哉は真っ直ぐに陣を見据える。理子が調べてくれた陣の調査書類には、性格は「直情馬鹿」とあった。理子なりの表現方法に苦笑したが、同時に真っ直ぐで嘘をつかない性格である事が推測できた。ならば、今の答えもはぐらかす事が目的とは考えにくい。

 

「じゃあ、質問を変える。君に今回の件を依頼してきたのは誰?」

「・・・・・・成程。そいつを聞きたかった訳か」

 

 陣は不敵な笑みのまま、両手をポケットから出して拳を作る。

 

「良いぜ、教えてやるよ。ただし、アンタが俺に勝ったらな」

 

 相手が構えるのを見て、友哉も刀の柄に手を掛けた。元より、ここに来た時点で対決は不可避な物と考えていた。

 

「友哉君・・・・・・」

 

 心配そうにつぶやく瑠香に片手を上げて答え、友哉の瞳は真っ直ぐに陣を見据えた。

 

 次の瞬間、

 

「行くぜ!!」

 

 陣は拳を掲げ、友哉めがけて突っ込んで来る。

 

 陣は痩身とは言え190センチ以上の長身。154センチの身長しかない友哉からすれば見上げるような大男だ。しかも体は筋肉質であり、非常にしなやかな動きができる。

 

「喰らえ!!」

 

 その全身のバネを遺憾なく発揮した一撃が、大気を砕いて友哉に迫る。

 

 だが、友哉は冷静に拳の軌道を見据えながら、半身引く事で陣の攻撃を紙一重で回避する。

 

「甘ェ!!」

 

 回避されるのは陣にも判っていたのだろう。

 

 叫びながら、今度は左の拳を繰り出して来る。

 

 切り返しの速い拳撃は、友哉の鼻先を掠めていく。

 

 風圧が鼻を抉るようにしていき、直撃してもいないのに友哉は顔面に痛みを感じているようだった。

 

 陣は尚も攻撃の手を緩めない。

 

 素早い切り返しと連続攻撃。それはまるで、拳の散弾だ。紙一重で避け続けるにしても限界がある。

 

 だが、

 

 友哉はその一撃一撃全てを見極め、常に陣の腕が描く軌道の範囲外に逃れる。

 

「どうした、逃げるだけじゃ、この間と変わらないぜ!!」

 

 勿論、逃げるだけで終わるつもりはない。

 

 陣が大きく右腕を振り上げる。

 

 その瞬間を、友哉は見逃さない。

 

 鋭い眼光が、容赦無く陣を射抜く。

 

 次の瞬間、友哉は逆刃刀を鞘走らせた。

 

 抜刀術による一閃。その一撃は陣の繰り出す拳をはるかに上回る速度でもって、カウンターを叩きつける。

 

 横薙ぎに刃が払われる。

 

 一閃は陣の脇腹を直撃した。

 

 手応えはあった。普通の人間なら骨折すら免れない一撃である。

 

 だが、

 

「効くかよ、そんなもん!!」

 

 陣は何事も無かったかのように、友哉に対して鋭い回し蹴りを繰り出す。

 

 蹴り技は拳よりも遅い分、遠心力が入るので威力が高く、更に間合いも拳より長い。

 

 友哉は大きく後退する事を余儀なくされた。

 

 陣の爪先が、容赦無く後退する友哉を掠めるが直撃には至らない。

 

「チッ!?」

 

 陣は舌打ちしつつ、後退しながら着地する友哉を見送る。

 

 速度ではかなわないと踏んだのだろう。無理に追撃は掛けず、懐に入って来た時をねらってカウンターを仕掛けるつもりのようだ。

 

 一方の友哉はと言うと、並みの一撃では陣を倒せない事くらいは先の戦闘で予想済みだったので、別段驚きはしない。

 

 並みの一撃が効かないのなら、並みで無い攻撃を繰り出せばいいのだ。

 

 逆刃刀を片手で持ち上げるようにして構える。切っ先は真っ直ぐに陣へと向けたまま。

 

 それが決着への合図と受け取ったのだろう。陣もまた、ニヤリと笑いながら、右の拳に力を入れて全指の関節をゴキリと鳴らす。

 

 どちらも決め技の構えだ。

 

 固唾を飲んで見守る瑠香の喉が、緊張で僅かに鳴った。

 

 次の瞬間、

 

 動いたのは陣だった。

 

 速度で敵わないのでカウンター狙いであると踏んでいた陣の方から攻め込む。この一見焦れて仕掛けただけにも見える状況だが、陣には勝算があっての事だった。

 

 如何に速度に優れようと、それは視界が効いた状態での話だ。ならば、それを封じてしまえば良い。相手の情報を遮断するのは、どのような戦闘に置いても必勝のパターンである事に変わりはない。

 

 間合いまであと一足と言う段階に入った瞬間、陣は上半身を撓め、拳をアスファルトの地面に叩きつけた。

 

 「二重の極み」。それが、陣が先日の戦いで使った技の名前である。

 

 本来、物質にはすべからく抵抗力が存在する。その為、いかに強力な打撃であっても、その威力を完全に物質に伝える事はできない。ならば、まず第一撃を物質に加え、その刹那の後、第二撃を加えれば、威力は完全に物質に伝える事ができる。

 

 そうして振るわれた拳は、いかな巨岩すら砕く事ができる最強の一撃となる。

 

 この技は陣の先祖が、修行中に降臨した不動明王から教わったとされている。まあ、それは眉唾だろうと陣本人は思っているが。この二重の極みを、陣は左右両方の拳で放つ事ができる。もっとも、あまりに危なすぎて人間に直接放った事はないが、それ以外の如何なる物をも、これまで破壊し尽くしてきた。

 

 陣の拳が友哉のすぐ足もとにある地面に叩きつけられ、アスファルトを粉々に粉砕した。

 

 巻き起こった粉塵が、友哉の小柄な体を包み込み視界を遮る。

 

 これが陣の狙いであった。

 

「友哉君!!」

 

 瑠香の悲鳴じみた声。粉塵の中に姿が見えなくなった事で、彼女の眼には友哉が倒されたと映ったのかもしれない。

 

「貰ったぜ!!」

 

 勝利を確信し、再び拳を振り翳す陣。

 

 彼の脳裏には、粉塵の中に立ちつくし、なす術も無く殴り飛ばされる友哉の姿が確かに映っていた。

 

 だが、次の瞬間、

 

「こっちだッ」

 

 上空から降り注ぐ、鋭い声。

 

 振り仰いだ陣の双眸に、

 

 赤茶色の髪を靡かせ、殆ど直角に近い形で急降下して来る友哉の姿が映った。

 

 

 

 

 

 幕末の京都

 

 剣戟と血風が吹き荒ぶ動乱の時代に、「最強の維新志士」と呼ばれた一人の剣客がいた。

 

 彼の名は、緋村抜刀斎。

 

 あまりに多くの人を斬り、あまりに多くの人を殺めた事から「人斬り抜刀斎」と呼ばれ、敵味方を問わず多くの人間から恐れられた。

 

 やがて、時代は明治に移り、抜刀斎の消息は誰も知る事無く、時代のうねりの中へとその姿は消えていった。

 

 その抜刀斎が、最も得意としたとされる技。

 

 天空を飛翔する龍が打ち降ろす雷霆の如く、上空から一気に急降下、その勢いでもって刃を斬り下げる。受けた相手は例外なく脳天から真っ二つにされると言う恐るべき必殺技。

 

 その名も、

 

 

 

 

 

「飛天御剣流・・・・・・龍槌閃!!」

 

 

 

 

 

 急降下と同時に、真一文字に一閃。

 

 友哉の放った一撃が、陣の頭頂部を直撃した。

 

 やがて、粉塵が晴れた瞬間、

 

 友哉は刀を振り下ろした状態で地面に着地し、

 

 陣はその友哉の目の前で、両腕をだらりと下げたまま立ち尽くしている。

 

 まだ戦うのか。

 

 傍で見ていた瑠香が、そう思った瞬間、

 

 グラリと陣の体は揺れ、そのまま仰向けに倒れ込んだ。

 

 いかに撃たれ強かろうと、人間である以上頭部だけは例外である。友哉の龍槌閃を脳天にまともに受け、強烈な脳震盪を引き起こしたのだ。恐らく、暫くは立つ事も出来ないだろう。

 

 だが、

 

「ク・・・ククク・・・・・・ダ~ハッハッハッハッハッハッ!!」

 

 その状態で、陣は思いっきり高らかに笑って見せた。

 

「負けだ負け。大した奴だよ、アンタ」

 

 力を振り絞るようにして首だけ持ち上げる陣だが、すぐに力尽きて後頭部を地面に打ち付けていた。

 

「いや、君もすごかったよ」

 

 言いながら、友哉は自分の傍らに空いた大穴を見やる。これもまた、陣の二重の極みによるものだが、もしこれが友哉の体を直撃していたなら、多分きゃしゃな体つきの友哉等、ひとたまりも無く粉砕されていた事だろう。

 

 だが、それをあえて直撃ではなく、地面に叩きつけて目晦ましに使ったあたりに、陣のある種のけじめのような物が見て取れた。

 

「それで、何が聞きてえんだ? つっても、俺が知ってる事なんて大したことじゃねえがよ」

 

 その言葉を受け、友哉は刀を鞘に収めると陣の傍らに膝を突いた。

 

「まず、君に今回の件を依頼した人物は誰なの?」

「名前は知らねえよ」

 

 間髪いれずに答える陣に、友哉も瑠香も呆れ顔になった。名前も知らない相手の依頼を受けたと言うのか。

 

 そんな空気を察したのか、陣は何でもないと言う風に言葉を続ける。

 

「別に、俺の中じゃ珍しい事じゃないぜ。払いも良かったしな」

「他には、何か特徴とかないの?」

「ああ、喋り方は丁寧なんだがよ、何か薄気味悪ぃ仮面を四六時中付けてる奴でな。自分の事は『仕立屋』って名乗ってたぜ」

 

 やはり。

 

 友哉の中で、かみ合わなかったパズルがようやく一枚の絵になりだした。

 

 《仕立屋》由比彰彦。あの男が今回の事件に絡んでいたのだ。

 

「ああ、そうだ、あとそのオッサンが電話で話してるのを偶然聞いたんだが、奴等、ハイジャックがどう、とか言ってたぜ」

「ハイジャック?」

 

 物騒な単語に、友哉は息を呑む。

 

 ついこの間、同じような事件「バスジャック」が起きたばかりである。もし本当に依頼主が武偵殺しであるなら、今度の標的は飛行機と言う事になる。

 

『待てよ・・・・・・』

 

 悪い予感は連鎖する。

 

 細い糸に過ぎなかった一連の事件が、強固な鎖となって繋がる。

 

 武偵殺しは武偵を狙った連続殺人犯。そして、今夜飛行機を使用する武偵に、友哉は心当たりがある。

 

 腕時計に目をやる。時間は間もなく18時になろうとしている。

 

 理子の話では、アリアは19時羽田発のチャーター機でイギリスに帰ると言う話だ。

 

 もし友哉の予想が正しければ、次に武偵殺しの標的になるのはアリアと言う事になる。それでなくても、アリアは武偵殺しを追う立場の人間である事を考えれば、武偵殺し本人からすると目障り以外の何物でもないだろう。

 

「クッ」

 

 友哉は踵を返すと、駐車しておいたバイクへと走る。

 

 事は一刻を争う。最悪の事態だけは何としても避けなければ。

 

「瑠香、君は車輛科と救護科に連絡して相良の護送を依頼して!!」

「良いけど、友哉君、どうしたの急に?」

 

 瑠香が戸惑った声で尋ねて来るが、今は説明している時間も惜しい。

 

「頼んだよ」

 

 静かに一言だけ言うと、友哉はバイクをスタートさせる。

 

 爆音を轟かせて走るバイク。

 

 それを操る友哉は、焦りに突き動かされるように羽田への道を急いだ。

 

 

 

 

 

第5話「剣閃拳撃」   終わり

 



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第6話「武偵殺し、その仮面の下」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キンジがANA600便に飛び乗るように駆けこんだのは、離陸直前だった。

 

「武偵だ。離陸を中止しろ!!」

「あ、あの、あなたは一体!?」

 

 叩きつけるように言ったキンジに、ハッチをロックしたキャビン・アテンダントがうろたえながら尋ねる。が、今のキンジに説明している暇はない。

 

「良いから、すぐに離陸を中止するように言うんだッ」

「無駄だよ、キンジ」

 

 CAの背後から声を掛けられ、キンジが視線をそちらに向けると、逆刃刀を手に苦い顔をして立っている友哉がそこにいた。

 

「緋村、お前、どうして・・・・・・」

「どうやら、目的は同じみたいだね」

 

 そう言って、友哉はにっこり笑った。

 

 ライナー埠頭からバイクを飛ばして羽田を目指した友哉だったが、途中で渋滞に掴まってしまい、予定よりも遅れてしまった。ANA600便に飛び乗ったのはキンジが来るほんの1分前。キンジと同じように離陸中止を訴えたが聞き入れてはもらえなかった。

 

 やがて、飛行機はゆっくりと動き出す。タクシングで誘導路から滑走路へと移動しているのだ。

 

 こうなると、もう止めるのは難しいだろう。

 

 流れは完全に武偵殺しの側にある。だが、キンジが来てくれた事で、ある程度アドバンテージは取り戻せたと思う。

 

「行こう、キンジ」

 

 こうなった以上、次の手を打たなければならない。相手の思考を読み、相手の行動に先んじ、常に先手を打ち続ける事こそが飛天御剣流の神髄だ。だが、武偵殺しとの戦いではあまりにも後手後手に回りすぎている。

 

 何とか主導権を取り戻さねば、このままズルズルと押し切られる可能性があった。

 

 

 

 

 

 CAに案内され2人が向かったのはアリアのいる部屋だった。

 

 飛行機と言っても、内装はまるで一流ホテルのように整備されており。アリアもまた個室を1人で使っているとの事だった。

 

 友哉自身、これまで何度か飛行機に乗った経験があるが、このような豪華な飛行機など、無論、見た事すら無い。

 

 武偵殺しの事件を追う上でついでに調べた事だが、アリアはイギリス王室から認められた、ある貴族の家柄であるとの事だった。成程、そう考えれば妥当な事とも思える。

 

 そんな中に武偵校の制服を着た男子2人が歩いているのは、何だか場違いなような気もしたが、そんな事を言っていられない。

 

 案内された部屋に入ると、既に見慣れたピンク色のツインテールが驚いた顔で振り返った。

 

「キンジ、友哉、アンタ達、何でここに!?」

 

 驚くのも無理はない。この飛行機はロンドンのヒースロー空港までノンストップで飛び続ける事になる。そんな所に知り合い2人がのこのこやって来るなど予想外も良いところだろう。

 

「断りも無く部屋に押し掛けるなんて失礼よ!!」

「お前にそれを言う権利はないだろ」

 

 噛みつくように叫ぶアリアに、キンジは冷静にそう返す。

 

 これにはアリアも言い返せない。何しろ、キンジが彼女とのパートナー編成を承諾するまで彼の部屋に居座り続けたのだから。

 

「何でついて来たのよ?」

「太陽は何で昇る? 月はなぜ輝く?」

「うるさい!!」

 

 意味不明なやり取りをしている2人を見ていると、友哉は状況も忘れてほほえましい気持ちになった。

 

「あの、ちょっとお2人さん。取り敢えず、そろそろ離陸するみたいだから、シートベルトしない?」

 

 友哉の指摘通り、飛行機は直線で加速を始めている。離陸態勢に入っているのだ。

 

 2人は取り敢えず言い争いを収めると、ソファーのようになっている席についてシートベルトを締めた。

 

 友哉もまた、席に座ってベルトを引っ張る。

 

 さて、これで賽は投げられた。後戻りはできない。次の地上に降りる時は、事件を解決した後か、さもなくば、

 

 この機体が墜落する時だった。

 

 やがて徐々にスピードを上げたANA600便は、独特の浮遊感と共に大空へと舞い上がる。

 

 機体が水平になり、安定軌道に入っても、アリアは不機嫌な表情を崩す事無く、一言も口をきこうとしない。

 

 一方で友哉とキンジも黙って椅子に座っている。2人ともアプローチの方法は別だが、それぞれここに武偵殺しが現れる事を確信して乗り込んだのだ。ならば、後は待ちの一手である。

 

 気まずい沈黙が狭い個室の中に流れ始めた時、

 

 突然、窓の外が強烈に発光し、次いで轟音が鳴り響いた。

 

「キャッ!?」

 

 アリアは首を竦め、悲鳴を上げる。

 

 その想像していなかった様子を見て、キンジと友哉は思わず顔を見合わせた。

 

「アリア、もしかして、雷怖いの?」

「な、何言ってるのッ、馬鹿じゃないのッ、こ、怖い訳ないじゃない!!」

 

 そう言う割には、明らかに声が震えているし、視線も定まっていない。

 

 次の瞬間、再び閃光と轟音が走った。光ってからのタイムラグがそうない事から考えて、今度は先程よりも近い。

 

「ひゃぁッ!?」

 

 またも悲鳴を上げるアリア。これはもう、完全に確定的だった。その様子が面白いのか、これまでの意趣返しでもするようにキンジがからかうように口を開く。

 

「怖いんならベッドに潜って震えていろよ」

「う、煩い!!」

「チビったりしたら一大事だぞ」

「ば、ば、バカー!!」

 

 その時、三度、雷が鳴り響いた。

 

 アリアは最早、恥も外聞も無く飛びあがると、本当にベッドに飛び込んで震えだした。

 

「アリアー、替えのパンツ持ってるか?」

「ば、バカキンジ、後で風穴あけてやるから!!」

 

 威勢良く言っているが、毛布を頭からかぶって震えながら言われても、怖くもなんともなかった。

 

「こらこら、苛めない苛めない」

 

 友哉が苦笑しながらたしなめる。アリアに関わったせいでキンジが被った苦労を知っている友哉としては彼の気持ちも判るのだが、これ以上は流石にかわいそうだった。

 

 キンジもそれ以上やる気はないのか、肩をすくめてベッドの縁に腰掛けた。

 

「き、キンジ~~~」

 

 涙声で震えるアリアの姿には、いつもの勢いが全く感じられない。本当に、どこにでもいる普通の女の子にしか見えない。

 

「ほら、怯えんなって」

 

 そう言ってアリアの手を握ってやるキンジ。何だかんだで優しい所があるのも、この少年の魅力なのだろうと友哉は考えていた。

 

 その時だった。

 

 ダンッ ダンッ

 

 突然、弾けるような音が機内に鳴り響いた。

 

 同時にアリアとキンジは顔を上げ、友哉は逆刃刀の柄に手を掛けた。

 

 聞こえたのは2発だけだったが、それは間違いなく銃声だった。

 

 3人の間に緊張が走ると同時に、機内放送が流れた。

 

「アテンションプリーズ、で、やがります。当機は、ただ今、ハイジャック、され、やがりました・・・・・・」

 

 このボーカロイドを使用した音声を友哉が聞くのは初めての事だが、それは間違いなく聞いていた武偵殺しの手口と同じだった。

 

「意外と、早く動いたね」

 

 もう少し時間を置き、こちらの緊張が緩和されてから動くかと思っていたのだが、どうやら当てが外れたようだ。だが、これは好機だ。こちらも万全の状態で挑む事ができる。

 

「行こう、キンジ、アリア」

 

 3人は互いの武器を構えて頷き合う。

 

 今こそ、武偵殺しとの決着を付ける時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 移動の道すがら、キンジは自分の推理を語ってくれた。

 

 武偵殺しは以前活動していた時、バイクジャックとカージャックを起こしている。だが、ここにもう一つ、世間では認知されていない事件が加わる。シージャックである。

 

 そのシージャックが関連事件として認知されなかったのは、武偵殺しが爆弾を遠隔操作する際の固有の電波が感知されなかったからである。つまり、そのシージャックの際に、武偵殺しはジャックされた船に乗り合わせていたと言う事になる。

 

 ここで、一度リセットが入る。乗り物が小さくなったのだ。言うまでも無くキンジのチャリジャックである。そして先日のバスジャックと来て、今回のハイジャックである。

 

 シージャックの時、武偵殺しは直接対決によって武偵1人を仕留めているらしい。そして今回、武偵殺しはアリアを標的に定めたのだ。

 

 そうしている内に、3人は指定された1階のバーに辿り着く。

 

 入口から僅かに顔を出して覗き込むと、カウンター席に誰か座っているのが見えた。他に人影が見えない所を見ると、その人物が武偵殺しである可能性が高かった。

 

 友哉は逆刃刀を抜き、アリアは2丁のガバメントを構え、キンジはベレッタを両手で保持する。

 

 頷き合うと同時に、3人はバーへと突入。件の人物へそれぞれ武器を突きつけた。

 

「動くな!!」

 

 キンジの鋭い声。

 

 だが、相手はカウンターに頬杖を突いたまま、優雅な仕草で振り返った。

 

 その顔を見て、友哉とキンジは目を向いた。

 

「あなたは・・・・・・」

 

 それは、友哉達が乗り込んだ際に対応したCAだった。

 

 CAはニヤリと笑みを浮かべて口を開いた。

 

「今回も、綺麗に引っ掛かってくれやがりましたねえ」

 

 そう言うと同時に、自らの顎に手を掛け、ベリベリと顔面をはがす。同時に反対の手で着ているCA服を脱ぎ払った。

 

 その瞬間、アリア、キンジ、友哉は同時に呻いた。

 

 目の前に現われたのは、3人の知る人物だったのだ。

 

 ゆったりとした金色のツーサイドアップヘアに、ヒラヒラの多い武偵校防弾制服。小柄な肢体と愛らしい笑顔。

 

 クラスメイトの峰理子が、目の前に立っていた。

 

「ボン・ソア、キンジ、アリア、友哉」

 

 余裕のある口調で理子が言う。

 

 衝撃は計り知れない。まさか、理子が? 彼女が武偵殺しだとでも言うのか?

 

 だが、そんな3人をあざ笑うかのように、理子は言う。

 

「才能って、結構遺伝するんだよね。武偵校にもお前達みたいに遺伝型の天才が数多く存在する。その中でもお前は特別なんだよ、オルメス」

 

 理子は真っ直ぐにアリアを見て言った。

 

「あんた、いったい何者なのよ!?」

 

 アリアの問いに、理子はニヤリと笑って答える。

 

 自らが持つ、本当の名前を。

 

「理子・峰・リュパン4世。それが理子の本当の名前だよ。フランスの大怪盗アルセーヌ・リュパンは理子の曾お爺様って訳」

「なっ!?」

 

 友哉は思わず絶句した。

 

 アルセーヌ・リュパンと言えば探偵科の教科書にも載っている大怪盗。そんな大物が出てくるとは。

 

「でも、家のみんなは誰もその名前で呼んでくれない。お母様が付けてくれた『理子』ッて言うかっわいい名前をね。呼び方がおかしいんだよ」

 

 理子の口調が、徐々に変わって行くのが判った。それまでは笑みの浮かべた余裕のある口調であったのに、徐々に荒く、叩きつけるような物へ。

 

「4世、4世、4世様~、どいつもこいつも、使用人まで。ひっどいよね~」

「それが何よ、『4世』の何が悪いってのよ!?」

 

 声を荒げるように尋ねるアリアに、理子もまた叩きつけるように返した。

 

「悪いに決まってんだろ。あたしは数字か!? 遺伝子か!? あたしは理子だ。数字じゃない。どいつもこいつもよォ!!」

 

 口調が完全に変わっている。

 

 そこにいるのは最早、クラスメイトでムードメーカーの峰理子ではなかった。

 

「まて、理子、武偵殺しは、本当にお前なのかッ!?」

「武偵殺し? あんな物はプロローグを兼ねたただのお遊びだよ。本命はオルメス4世、お前だ。100年前、曾お爺様同士の対決は引き分けに終わった。お前を倒せばあたしは曾お爺様を超えられる。あたしはあたしになれるんだ!!」

 

 喚くように言う理子に、友哉達は圧倒される思いだった。

 

 彼女が何を言いたいのかは判らない。だが、その想いが狂気にも似た執着を孕んでいるのは判った。

 

「キンジ、お前もちゃんと役割を果たせよ。オルメスの一族にはパートナーが必要なんだ。わざわざ条件を合わせる為にお前とアリアをくっつけたんだからな」

「俺と、アリアを?」

「そっ」

 

 驚くキンジの顔が面白いように、理子は再びいつもの軽い調子に戻って話す。

 

「キンジのチャリに爆弾しかけて、判りやすーい電波出して、気付かせてあげたってわけ。でも~、キンジがなかなか乗り気にならないから~、バスジャックでくっつけてあげました」

「全部、お前の手の内だったってわけかよ」

「ん~、そうでもないよ。バスジャックの後も二人がくっつききらなかったのは予想外だったし、それに、」

 

 理子の視線が友哉へと向けられた。

 

「友哉、お前がここにいる事は完全に予想外だった。まったく、こんな事にならないように、足止めを頼んだってのに」

「そうか、それで相良の情報を僕に流したのか」

 

 理子としては友哉が相良とぶつかり、負けるか、あるいは手傷を負って動けなるように仕向けたかったのだろう。最悪でも戦闘にかまけて時間を費やし、離陸に間に合わなければ、その時点で友哉を封じる事はできたのだ。

 

 しかし彼女にとって予想外な事に、友哉は間に合ってしまった。

 

「投降して、理子。君だって、1対3でこのメンツに勝てるとは思ってないでしょ」

 

 友哉は最後通牒を突きつけるように言った。

 

 武偵殺しとして今まで策謀を連ねて来た理子だが、その戦闘能力は未知数である。しかし武偵3人を相手に勝てるとは思っていないだろう。

 

 だが、理子は余裕の顔を崩そうとしない。

 

「さあ、それはどうだろうね」

 

 そう言って理子は再びキンジを見る。

 

「ねえ、キンジ。勿論判ってると思うけど、シージャックの時、キンジのお兄さんをやったのも、理子だよ」

「な、に、兄さんをッ」

 

 キンジの感情が高ぶるのが、見ていても判る。

 

 挑発。この状況をひっくり返す為に、理子は明らかに心理戦を仕掛けて来た。

 

「ついでに言うとぉ、キンジのお兄さんは、今、理子の恋人なのぉ」

「いい加減にしろ!!」

 

 ベレッタを持つ手に力を込めるキンジ。

 

「キンジ、ダメ!!」

「挑発よ、落ち着きなさい!!」

 

 友哉とアリアが制止に入るが、激昂したキンジはそれすら跳ねのけて銃口を理子に向けた。

 

「これが、落ち着いていられるかよ!!」

 

 だが、ベレッタの銃口が火を噴く事は無かった。

 

 キンジが人差し指に力を込めようとした瞬間、ANA600便が急激にグラリと傾いた。

 

 乱流にでも巻き込まれたのか、突然の事で対処が追いつかない。

 

「なっ!?」

「うわぁ!?」

 

 バランスを崩したキンジは、そのままよろけ、横に立っていた友哉とぶつかってしまった。

 

 キンジの手からベレッタが離れ、床に転がってしまう。

 

 もつれ合いながら、床に転がる友哉とキンジ。

 

 その中で、驚異的なバランスを保ちながら、疾走する影がある。

 

 アリアだ。

 

 味方2人が動けないでいる中、アリアは1人、隙を突いて理子へと接近。2丁のガバメントでアル=カタを仕掛けた。

 

 対抗するように、理子もワルサーP99を取りだす。こちらも2丁拳銃の構えだ。

 

 アル=カタの場合、打撃力は銃の口径に依存し、手数は装弾数に依存する。

 

 アリアのガバメントは8発装填。2丁で16発。対して理子のワルサーは1丁だけで16発。2丁で32発装填可能。この勝負、明らかにアリアが不利である。

 

 しかも、2人は互いに撃ち、駆け、蹴り、ほぼ互角の戦いを演じている。

 

 防弾制服の上から何発か命中しているが、互いに退く事はない。撃たれた次の瞬間には撃ち返し、相手に容赦なく打撃を与えている。

 

「すごい・・・・・・」

 

 友哉は思わず感嘆の声を漏らした。

 

 友哉がアリアの戦いを見るのはこれが初めてであるが、2丁拳銃と2本の小太刀を主武装としたアリアは双剣双銃の異名を轟かせ、武偵ランクはSに格付けされている。

 

 そのアリアと互角に渡り合う理子もまた、尋常な実力ではなかった。

 

 だが、それも長くは続かない。先に話した通り、徒手での格闘戦と違って、拳銃戦には弾切れがある。そして、アリアの銃は理子の半分しか撃てない。当然、弾切れはアリアの方が早い。

 

 アリアのガバメントのスライドが下がったまま固定される。マガジンの再装填を許す程、理子は甘くないだろう。

 

 だが、そこにアリアの、否、アリア達の勝機があった。

 

 自分の銃の弾丸が尽きるのを見計らい、アリアは一気に距離を詰め、理子の両腕を自分の脇に挟み込んで動きを封じた。

 

「キンジ!! 友哉!!」

 

 アリアの合図と共に、2人は左右から駆ける。

 

 キンジはバタフライナイフを開き、友哉は逆刃刀を返すと、それぞれの刃を理子の首筋に押し当てた。

 

「動くなッ」

「そこまでだよ、理子」

 

 2本の刃を突きつけられ、理子は動きを止める。

 

 その間にマガジンを交換したアリアも、再びガバメントを構えた。

 

 これで、チェックメイトだ。

 

 だが、それでも尚、理子は余裕の表情を崩さない。

 

 友哉は逆刃刀を突きつけながら、訝るように眼を細める。

 

 何か、まだ何か、理子は切り札を隠し持っている。直感がそう告げていた。

 

「ねえ、アリア、理子とアリアは色んな物が似ている。家系、キュートな姿。それに、二つ名。双剣双銃は、アリアだけじゃないんだよ」

 

 そう呟くと同時に、理子の気配が変わった気がした。

 

「でも、アリアの双剣双銃は完璧じゃない。アリアは、まだこの力の事を知らない!!」

 

 そう言った瞬間、驚くべき事が起こった。

 

 突如、理子の長い髪がひとりでに動き出した。

 

 ツーサイドテールが自ら意思を持ったように動く。その先端には、それぞれ一本ずつナイフが括られている。

 

 アリアもそれに気付き、とっさに回避しようとする。が、よけきれずに右のこめかみを斬られた。

 

「アリア!!」

 

 鮮血の舞うアリアを見て、叫ぶキンジ。しかし、あまりの光景に、キンジも友哉も対応が一瞬遅れる。

 

 次の瞬間、

 

 逆に距離を詰めた理子が、アリアの胸にワルサーを押し当てた。

 

 時が止まる一瞬。

 

 ただ一人、理子だけが勝ち誇った笑みを浮かべ、引き金を引いた。

 

「アリアァァァァァァ!!」

 

 友哉とキンジが見ている前で、密着状態から銃撃を食らったアリアがあおむけに倒れる。いかに防弾制服の上からとは言え、これは致命傷になりかねない。

 

 超偵という存在がいる。それは超能力を駆使して捜査や戦闘を行う武偵の事だが、どうやら理子はその超偵であったらしい。

 

 倒れ込むアリアを、駆け寄ったキンジが抱き起こすが、アリアはぐったりとしたまま起き上がろうとしない。辛うじて銃だけは握っているが、その状態で意識を失っている。至近距離から銃撃を食らったのだ。骨が折れているかもしれない。内臓にダメージを負っている可能性もある。

 

 後には、高笑いする理子の声だけがバーに響き渡る。

 

「アハ、アハハハハハハ、曾お爺様、108年の歳月は子孫にこうも差を作っちゃうもんなんだね。こいつ、自分の力どころか、パートナーや仲間も碌に使えてないよ。勝てる、勝てるよ、理子は今日、理子になる!! アハハハハハハ!!」

 

 状況はまたも逆転。ペースは完全に理子の物だった。考えてみれば、この飛行機、いや、ハイジャックと言う状況その物が理子の作ったフィールドと言えなくもない。その中で戦っているのだから、僅かなアドバンテージなど無きに等しい。

 

「キンジ、ここは僕が押さえる。君はアリアをッ」

 

 この中で唯一、戦闘力が低下していないのは友哉だけだ。ならば、友哉が理子を押さえている隙にキンジにはアリアを護って一時戦線離脱してもらうしかない。どちらにせよ、けが人を抱えたままでは戦えない。アリアに応急措置を施す時間を稼がないとならない。

 

「すまん緋村、無理はするなよ!!」

 

 アリアを抱えて背を向けるキンジ。

 

「逃がさないよ!!」

 

 その背中に銃口を向ける理子。

 

 だが、

 

「やらせないよ」

 

 静かな声と共に、友哉は理子の前に立ちはだかった。

 

「クフ、今度は友哉があたしと遊んでくれるの? 良いよ。ただしそんな半端なNTR狙い、理子の好みじゃないの。だから・・・・・・」

 

 理子の髪が逆立ち、同時に両腕のワルサーが持ち上げられる。

 

「邪魔するってんなら、容赦しないよ!!」

 

 2つの銃口、2つの刃が同時に襲い掛かって来る。

 

 その姿に、友哉は僅かに目を細めた。

 

 なぜ、こんな事になったのか。

 

 なぜ、普通のクラスメイトのままでいてくれなかったのか。

 

 なぜ、あの教室で笑って待っていてくれなかったのか。

 

 あらゆる思いを胸に、友哉もまた駆けた。

 

「ハァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 横薙ぎに逆刃刀を振るう。

 

 対して理子は右のナイフで友哉の剣を弾くと、左のナイフで逆に斬りつける。

 

「クッ!?」

 

 とっさに後退して、横薙ぎを回避する友哉。

 

 だが、距離を取った瞬間、理子がワルサーを放って来た。

 

「ッ!?」

 

 横に跳びながら回避する。

 

 アリアとの拳銃戦で大分消耗している筈だが、仮に同数撃っていたとしても、まだ理子の銃は左右合わせて16発は撃てる計算になる。

 

「ほらほら、どうしたの~友哉。あんよがふら付いてるよ!!」

 

 言いながら、2本のナイフを翳して斬り込んで来る。

 

 これが意外に厄介だ。通常、人間の体の動きは関節可動域によって、動きと範囲が決められている。すなわち、曲げる、伸ばす、捻る、回すなどの決められた動きを決められた範囲しかできないのだ。それさえ把握していれば、相手の予備動作から次の動きが予測できる。

 

 だが理子の攻撃手段は髪である。動きにも可動範囲にも制限が無い為先読みが難しい。まるで二匹の毒蛇を相手にしているかのようだった。

 

 逆刃刀を振るって理子の攻撃をいなす友哉。

 

 接近するとナイフが左右から迫り、距離を置けばワルサーが火を噴く。

 

 刀1本しかない友哉にとっては、いささか不利である。

 

 着地しながら、状況を素早く整理する。

 

 手数では武器4つを操る理子の方が圧倒的に有利だ。迂闊に飛び込むのは危険である。

 

 ならば、どうするか。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉はゆっくりと、刀を鞘に戻すと、腰を落として右手を柄に置いた。

 

 相手が手数に置いて圧倒的に勝ると言うなら、こちらは理子の動き全てを凌駕する神速の抜刀術でもって、先の剣を取るしかない。

 

「クフフ、そう来たかユッチー」

 

 そう言うと、理子も威嚇するように銃とナイフを構える。完全に迎え撃つ態勢だ。

 

 戦力差は1対4。友哉が理子を倒すには、彼女より先に動き、先に攻撃を仕掛ける必要がある。

 

「ねえ、理子。さっき、アリアと話してた事、アリアを倒せば、本当の理子になれるって話だけど・・・・・・」

 

 友哉の問いかけに、理子はニヤリと笑みを見せて口を開く。

 

「友哉、お前はあたしやアリアの事を調べていた。だから判っているだろう。あたしとアリアの血にまつわる因縁を」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 確かに、友哉は理子の正体を知った時点で、彼女がアリアに固執する理由に見当が着いていた。

 

 今から約100年前、怪盗アルセーヌ・リュパンの犯行に手を焼いていた当時のフランス政府は、ドーバー海峡を越え、1人の名探偵をイギリスから招聘した。

 

 彼こそが当時、そして現在においても「史上最高最強の名探偵」と名実ともに称される男、シャーロック・ホームズであった。

 

 ホームズとリュパンは頭脳の限りを掛けて戦い、一度はホームズがリュパンを捕縛する事に成功するも、その後リュパンは隙を見て脱走。勝負は事実上引き分けに終わる。その後も幾度か両者は激突したが、ついに決着はつかないまま終わってしまった。

 

 アリアの母である神崎かなえは、さるイギリス人貴族の男性と結婚しアリアを産んでいる。その男性こそが名探偵シャーロック・ホームズの孫に当たる人物である。つまりアリアの名前にあるHとはホームズを意味し、彼女こそがシャーロック・ホームズ4世と言う事になる。

 

「何で、アリアを倒す事が理子自身になれるのか、それは僕にも判らない。けど、これだけは言える」

 

 友哉は真っ直ぐに理子を見据え、ハッキリとした口調で言い放つ。

 

「人は、誰かに認められて、初めて人になる。少なくとも、君の周りにいる人間は、みんな君を理子だと思い、理子と呼んでいる。キンジも、アリアも、瑠香も、僕も。それだけじゃいけないって言うの?」

「ッ」

 

 問い掛けるような友哉の言葉に、理子は一瞬目を見開く。しかし、すぐに達観したようにフッと皮肉げな笑みを見せた。

 

「やっさしーなー、友哉は・・・・・・」

 

 そう言いながら、理子は俯く。金色の前髪がパサリと落ち、彼女の表情を読み取る事ができない。

 

「・・・・・・けどね、優しさなんてあったところで何にもならない・・・・・・優しさはあたしを救ってはくれなかったんだ!!」

 

 次の瞬間、理子は一気に距離を詰めに掛かる。髪の届く距離にまで切り込み、手数の多さを最大限利用する事で四点同時攻撃を仕掛けるつもりなのだ。

 

 同時に、友哉も床を蹴って疾走する。

 

 互いの距離は殆ど無い。

 

 コンマの間を待たずに、間合いはゼロを差す。

 

「ハァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 鞘走る逆刃刀。

 

 同時に理子のワルサーが咆哮する。

 

 銃口から飛び出した銃弾が、友哉の両耳を掠めるように飛んだ。

 

 僅かに刀の軌道が鈍る。

 

 だが、友哉の勢いは衰えない。

 

 一閃が真一文字に理子へと迫る。

 

「クッ!?」

 

 銃撃の僅かな隙に体勢を立て直した理子が、ナイフで友哉の剣を受け止めようとする。

 

 逆刃刀と2本のナイフ。

 

 金属同士がぶつかり合う。

 

 次の瞬間、

 

 友哉の剣は理子のナイフを二本同時に弾き飛ばした。

 

「あっ!?」

 

 神速の抜刀術によって得られたエネルギーに耐えるには、理子の能力では足りなかったのだ。

 

 刀を返す友哉。

 

 直撃こそしなかったが、今の一撃で理子は体勢を崩している。

 

 このまま理子を捕縛する。

 

 そう思った瞬間、

 

 ダァン

 

 突然銃声が鳴り響き、友哉の足元に着弾した。

 

「そこまでに、してもらいましょうか、緋村君」

 

 聞き憶えのある、落ち着き払った声が聞こえて来た。

 

 振り返ると、そこには無表情の仮面を被った男が銃を片手に入口から入って来るところだった。

 

「・・・・・・由比、彰彦」

 

 それは見間違いようも無く、大井コンテナ埠頭で出会った《仕立屋》と名乗る男だった。

 

 その姿を見て、理子は不満げに口を開く。

 

「おっそい」

「申し訳ありませんね。こちらも、それなりの準備があったもので」

「フンッ、どうだか。言っとくけど、アンタ達のせいで、あたしの計画は狂わされたんだ。その責任は取ってもらうよ」

「ええ、勿論。そのつもりでここに来ましたから」

 

 そう言うと、彰彦は左手で刀を抜いて構えた。

 

「そんじゃ、あと宜しくね~」

「待てッ」

 

 予備のナイフを髪で抜きながらバーから出て行く理子を、友哉は追おうとする。

 

 しかし、その前に刀と銃を構えた彰彦が立ちはだかった。

 

「理子さんの邪魔はさせません。君には私の相手をしていただきましょう、緋村君」

「クッ・・・・・・・・・・・・」

 

 一刻も早く理子を追わねばならないと言うのに。

 

 しかし、目の前の男もまた、侮って良い相手ではない。

 

 焦燥と緊張が否応なく募る中、友哉は再び逆刃刀を構え直した。

 

 

 

 

 

第6話「武偵殺し、その仮面の下」

 



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第7話「最強の脇役」

 

 

 

 

 

 

 

 友哉は刀を正眼に構え、対峙する彰彦と向かい合う。

 

 無表情の仮面はバーの明かりに照らされて無機質に光を放ち、より一層不気味な雰囲気を作り出していた。。

 

 対峙したのは大井埠頭での一度のみ。しかし、その一度だけで、彰彦は得体の知れない存在感を友哉に刻みつけていた。

 

 理子によってハイジャックされたANA600便の中で、こうして再び対峙しても、その不気味さは変わらない。

 

 一方の彰彦は、右手にオーストリア製自動拳銃グロック19を構え、左手には日本刀を持って、友哉との間合いを図っている。

 

 《仕立屋》を名乗る謎の敵。その実力は未だに分からない。だが、それだけに迂闊に踏む込む事が躊躇われた。

 

「どうしました?」

 

 友哉が攻め手に迷っていると、彰彦の方から声をかけてきた。

 

「迷いがあるようですね。迷いは剣を鈍らせる要因にもなりますよ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 どこか諭すような口調で話す彰彦の言葉に、友哉は答えない。一種の心理戦である。彰彦は挑発めいた言葉を交える事によって、友哉のモチベーションを崩そうとしているのだ。

 

 友哉は取り合わず、彰彦の武器に視線を集中させる。

 

 彰彦の実力が未知数である以上、迂闊に先の剣を狙うのは却って自殺行為である。また、仮面によって表情を読み取れない為、視線から相手の狙いを推察する事も難しい。ならばアクションを起こす瞬間を見逃さず、相手の動きに自身を合わせる後の先を狙うしかない。

 

 右手のグロックか、左手の刀か。

 

 先に動くのはどちらだ。

 

 緊張感を張り詰め、友哉は即応できるように両足に均等に力を込めた。

 

「私を、失望させないで下さいよッ」

 

 次の瞬間、彰彦が動いた。

 

 その右手が跳ね上がる。

 

 グロックの照準が、友哉の頭部に合わさった。

 

「ッ!!」

 

 次の瞬間、友哉は体を低くして床を蹴る。

 

 放たれる弾丸。

 

 しかし、一瞬早く友哉が頭を下げた為、致死の弾丸は頭部を掠めて背後の壁に命中する。

 

 床面を低空で疾走するように、友哉は彰彦へ接近した。

 

「ハァッ!!」

 

 切り上げるように、下から刀を振るう友哉。

 

 その一撃を、刀を下に返して防ぐ彰彦。

 

 突進速度をそのまま斬り上げに変換した友哉の一撃を、彰彦は片腕で防いで見せたのだ。

 

「チッ!?」

 

 舌打ちする友哉。

 

 ほぼ同時に、彰彦はグロックの銃口を、動きを止めた友哉へと向ける。

 

 が、

 

「なっ!?」

 

 銃口の先に、友哉の姿はない。

 

 友哉は殆ど天井に近い高さまで飛び上がり、右手で逆刃刀を振り上げていた。

 

「飛天御剣流、龍槌閃!!」

 

 急降下と同時に、勢いに任せて振りかぶった刀を振り下ろす友哉。

 

 防御力の高い陣を、一撃の下に沈めた技を放つ。

 

 流石にこれには敵わないと踏んだのか、彰彦は大きく後退。友哉の攻撃を回避した。

 

 着地と同時に、友哉は顔を上げて視線を彰彦に向けた。

 

 天井が低すぎる為、十分な高度が取れなかった。その為、龍槌閃は威力、速度共に不十分な物になってしまったのだ。

 

 彰彦もただでは下がらない。バックステップで後退しつつ、立て続けに3発、グロックの引き金を引いた。

 

「クッ!?」

 

 飛んでくる銃弾。

 

 全てをよけきる事は不可能。

 

 1発目は友哉の右耳を掠める。

 

 2発目、友哉は体を傾けて大きく回避。

 

 そして3発目。これは体勢を崩した友哉に命中するコースにある。

 

 だが、友哉は慌てなかった。

 

 飛んでくる銃弾の射線に対し、自らの刃を誘導する。

 

 ギィンッ

 

 甲高い音とともに、彰彦の放った弾丸は逆刃刀の刃に弾かれて明後日の方向に弾き返された。

 

 飛んできた3発の弾丸の内、2発を回避、残り1発を刃で返すという離れ業をやってのけた友哉。

 

 だが、その驚異の反応速度を見ても、彰彦は怯まずに距離を詰めてきた。

 

「体勢が崩れましたよ、緋村君!!」

「ッ!?」

 

 とっさに体に力を入れ、回避行動に入ろうとする友哉。

 

 しかし、遅い。

 

 体重の乗った彰彦の蹴りが、友哉の小柄な体に突き刺さった。

 

「グッ!?」

 

 大きく吹き飛ばされ、廊下まで転がる友哉。

 

 すぐに膝をついて立ち上がろうとするが、そこへ彰彦が斬り込んできた。

 

「クッ!?」

 

 突きに近い一撃を、友哉は逆刃刀を傾けながら受け、そのまま勢いを斜めに逸らす。

 

 友哉と彰彦、その視線が一瞬間近で交錯する。

 

 仮面越しに互いを射抜く視線。

 

 自分よりも体重の大きな彰彦の突進をいなしたことで、友哉の体勢は大きく崩れて壁に背中を付ける。

 

 その間に彰彦は、距離を置いて構え直した。

 

 戦場はバーから狭い通路へと移っている。

 

 友哉も立ち上がりながら、刀を持ち上げる。

 

 この地形は、友哉にとって不利である。

 

 彰彦は銃を持ち、遠距離から攻撃できるのに対し、友哉の武器は刀一本のみ。おまけに通路が狭い為、機動力を活かして銃弾を回避する事も難しい。先程のように刀で銃弾を弾く手もあるが、あの防御は連射されると難しい。

 

 その事は彰彦にも分かっている。故に、余裕の持った口調で言った。

 

「これで終わりですよ、緋村君」

 

 その仮面の下では、既に彰彦は勝利を確信していた。

 

「いかに君でも、この距離で私の銃よりも速く斬りかかることなど不可能です」

 

 両者の距離は6メートル。確かに、彰彦の銃撃を掻い潜って斬りかかるにはいささか距離がありすぎる。

 

 だが、

 

「それは、どうでしょう」

 

 友哉もまた、諦めていない口調で返す。その構えは、先ほどまでと違っている。右手一本で持った逆刃刀を、弓を引くように構え、左手は水平に倒した刃の腹に当てて支えている。

 

「やってみないと判りませんよ」

 

 そう告げる友哉を、彰彦は仮面の奥の瞳で見据える。

 

 これまで彰彦は、多くの人間と戦ってきた。その中には、今の友哉と同じ目をした人物は何人もいた。

 

 どんな状況に陥っても、決してあきらめない、不屈の闘志を持った人間の目だ。

 

「・・・・・・いいでしょう」

 

 こうした目を持つ人間を、彰彦は決して嫌いではない。

 

 だが、彰彦とて《仕立屋》として闇の世界にその名を知られている人物。ここで引く事は許されない。

 

「勝負ですッ」

 

 叫ぶと同時に、彰彦の右腕が跳ね上がり、グロックの銃口が向けられた。

 

 ここは狭い通路。いかに友哉が素早く動けようと、左右への回避は絶対にできない。ならば、友哉が狙うのは高速接近で彰彦の照準を狂わせ、一気に懐に入り込んで一撃を加える以外にない。

 

 それが分かっているなら、彰彦の勝利は動かない。彰彦の銃の腕なら、友哉が接近しきる前に仕留める自信があった。また、仮に接近を許したとしても、今度は日本刀による迎撃が友哉を待っている。それを逃れる事はまず不可能。まさに、彰彦にとって必勝の布陣であった。

 

 放たれる弾丸。殆ど間を置かない速射により、一気に3発放たれる。

 

 次の瞬間、友哉の姿が消えた。

 

 否、超高速で動いたため、消えたように見えただけだ。

 

 彰彦の視線は、友哉の動きを正確に見切っていた。

 

「下です!!」

 

 3発の銃弾を潜りぬけて、彰彦に接近する友哉。

 

 そこへ、彰彦が刀を振り下ろす。

 

 刃は友哉の頭頂部を目指す。

 

 これで終わり。

 

 そう思った瞬間、

 

 友哉の動きが一瞬にして更に加速、振るった腕が霞む程の速さで斬り上げられた。

 

「飛天御剣流、龍翔閃!!」

 

 とっさに、彰彦は友哉の攻撃を防ごうとして刀を構える。

 

 攻撃のモーションから、すぐさま防御に切り替えるあたり、彰彦の技量の高さが伺える。

 

 しかし、それが限界だった。

 

 友哉の龍翔閃は、彰彦の刀をへし折って更に威力を失わない。

 

 低空接近から切り替えられた、超高速の斬り上げ。それは、接近速度をそのまま打撃に変換され、振り上げた刃の腹は無防備に立ち尽くす彰彦の顎を強烈に打ち抜いた。

 

 仰向けに宙を舞う彰彦。その仮面の奥で、信じられないという目をしていた。

 

 状況は彰彦にとって有利に動いていたはずだ。それが、こうもあっさりと覆されるとは。

 

「・・・・・・や、やはり・・・・・・・私の見立てに、間違いはなかった」

 

 不思議な事に、彰彦は仮面の奥で満足げな笑みを浮かべていた。

 

「緋村君・・・・・・君は、実に興味深い存在です」

 

 背中から床に倒れる彰彦。

 

 勝敗は決した。

 

 友哉は手錠を取り出すと、倒れている彰彦へと歩み寄る。

 

「由比彰彦、殺人未遂の現行犯で逮捕します」

 

 その手を取ろうとした。

 

 その時、

 

 突然、ANA600便の機体が急激に傾いた。

 

「なっ!?」

 

 思わずよろける友哉。

 

 その一瞬の隙に、彰彦は動いた。

 

 スーツの内側に入れておいた閃光手榴弾を取り出すと、友哉の足元へと転がす。

 

 一瞬にして、廊下が閃光に満たされる。

 

「うッ!?」

 

 思わず目をガードするが、白色の閃光は瞼の裏を焼き付けて友哉の視界を奪う。

 

 ややあって、視界が元に戻ると、そこには既に彰彦の姿はなかった。

 

「・・・・・・逃がしたか」

 

 友哉は苦い想いとともに、刀を鞘に納める。

 

 やはり一筋縄ではいかない。勝ったと思った瞬間にこれである。

 

 だが、悔しがっても仕方がない。今はキンジ達の状況を確認するのが先決だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 客室へと向かう途中、再び振動が機体を襲った。

 

 先程よりも強い衝撃に、友哉は思わず肩を壁に叩きつけられたほどだった。

 

「・・・・・・何なんだ?」

 

 しかも、今回は前に揺れた時とは違う。微かにだが、明らかに何かが壊れる音が聞こえた。

 

 雷か何かが直撃して、機体が破損したのだろうか? だとしたら拙いかもしれない。航空機というのは落雷対策をしっかりとしているものだが、万が一計器などに損傷があった場合、航法に支障が出る可能性もある。

 

 その時、

 

「緋村!!」

 

 呼ばれて振り返ると、キンジが友哉を追いかけるように走ってくるのが見えた。

 

「キンジ、状況はどうなってるの?」

「理子には逃げられた。それにミサイル喰らって、エンジンを2基やられた」

 

 キンジの言葉に、友哉は顔面が蒼白になった。先程の振動はそれだったのだ。

 

 4基あるエンジンの内半分を失っても、こうして安定した飛行が可能な辺りは流石VIP専用のチャーター機と言うべきだが、状況は予断を許す物ではない。

 

「とにかく、コックピットへ行くぞ。今、アリアが操縦を担当しているはずだ。状況を確認し、機体を最寄りの空港に下ろすぞ」

「そうだね」

 

 頷きながら、友哉はキンジが先程までと雰囲気が違う事に気付いていた。

 

 危機的状況であるにもかかわらず、発揮する冷静な判断力と行動を整理する力。

 

 キンジが時々見せるこの雰囲気こそ、彼が去年、強襲科でSランクを誇った証だ。正体は分からないが、こうなった時のキンジはあらゆる意味で頼りになる存在である。

 

 2人がコックピットに入ると、アリアはその小さい体をパイロット席に乗せ、操縦桿にしがみついていた。

 

 先程、理子にやられた時のぐったりした様子はない。どうやら応急手当は成功したようだ。

 

「遅い!!」

 

 2人が入ってくる気配を察してアリアが叫ぶ。

 

「すまないね、アリア」

 

 コパイロット席に座りながら、キンジは手早く状況をアリアに説明する。

 

 理子は逃亡。更にミサイルの直撃により、エンジン2基が破損した事。

 

「さっきの衝撃はそれだったわけね」

 

 アリアが舌打ちしながら呻く。今のところ、目に見える変化は訪れていないが、着弾のショックで機体がどこかいかれている可能性もある。どうにかして羽田空港まで戻る必要があった。幸いにして、ここはまだ東京上空。戻るのにそう時間はかからない。

 

「アリア、飛行機を操縦した経験は?」

「小型機を何度かあるだけ。流石にこれだけ大きいと勝手が分からないわ。着陸させるのも無理ね」

 

 必死に操縦桿を操るアリア。パイロットとサブパイロットは既に理子によって無力化されている。つまり、今はアリアだけが頼りという事だ。

 

 普段よりも、アリアの声が上ずっている。Sランク武偵として数々の凶悪犯を捕まえてきたアリアでも、この状況には恐怖を覚えずにはいられなかったのだろう。

 

 そんなアリアの頭を、キンジは優しく撫でる。

 

「それで充分だよ、アリア」

「んなッ!?」

 

 ウィンクまでして見せるキンジの態度に、アリアの顔は急激に赤く染まる。

 

 不思議だ。

 

 いつも友哉は思う。

 

 普段は女嫌いを自称し、露骨に女子と接触する事を避ける傾向にあるキンジが、こうなった時はなぜか必要以上に女性に対して優しくなる。

 

 一体、どっちのキンジが本当なのか。

 

 そんな事を考えていると、アリアが焦ったように話題を変えてきた。

 

「そ、そんなことより友哉。あんた今まで何処行ってたのよ?」

「おろ、僕?」

 

 話題を振られ、友哉は2人に説明する。理子以外の敵、《仕立屋》由比彰彦の事を。

 

 その話を聞いて、アリアは少し難しい顔をして考え込んだ。

 

「・・・・・・そう言えば聞いたことあるわ。イ・ウーには自ら計画を立てて犯行に及ぶんじゃなくて、他のメンバーを支援する事を目的に行動する人間がいるって。そいつのコードネームが、確か《仕立屋》だったはず」

「アリア、聞きたいんだが、そのイ・ウーって言うのはなんなんだい? 確か、理子も同じ事を言っていたが」

 

 計器を操作しながら尋ねるキンジ。

 

 だが、アリアは首を横に振って答える意思がない事を示した。

 

「世の中には、知らない方が良い事だってある。知れば、あんた達は後戻りできなくなるわ。だから、少なくとも今はまだ言えない」

「アリア・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は少し非難するような目を向ける。既にここまで巻き込まれている状態である。それで情報を隠されるのは、正直今更という感が無くはなかった。

 

 対してキンジは、落ち着いた口調で言った。

 

「分かった。けど、いつかは話してくれるんだろう。俺はその時を待つよ」

 

 キンジのそのセリフに、またもアリアの顔が赤くなる。

 

 そんなアリアをよそに、計器の操作を終えたキンジがインカムに向かって口を開いた。

 

「応答せよ、羽田コントロール。こちら羽田発ヒースロー行き、ANA600便」

 

 現在、600便に搭乗している人間で、このエアバスを完璧に操縦できる人間はいない。そこで、地上から指示を受け、着陸シークエンスを行うのだ。その方がリスクは少ない。

 

 ややあって、応答があった。

 

《こちら、羽田コントロール。聞こえている。状況を説明せよ》

「ハイジャック犯は逃走。パイロット負傷の為、現在、乗り合わせた武偵2名が操縦している。俺は遠山キンジ。もう1人は神崎・H・アリア」

《よくやった、遠山武偵。次の指示を待て》

 

 そこで通信はいったん途切れた。

 

 キンジは内ポケットから、端末を取り出し、片手でボタンをプッシュする。それは航空でも通話可能な衛星電話。乗客から借りてきた物である。

 

 記憶にある番号を入力し通話ボタンを押した。

 

 コール1回で、相手が出る。

 

《もしもしッ?》

「武藤、俺だ。キンジだ。変な番号からですまない。実は訳あって、今、東京の上空から掛けている」

 

 相手は車輛科の武藤剛気だ。キンジ達とはクラスメイトであり、先日のバスジャック事件では負傷した運転士に変わって見事な運転技術を披露し危機的状況を切り抜けた。普段はお調子者で、理子と並ぶ男子のムードメーカーだが、今はその声も緊張に満ちている。

 

《キンジ、やっぱお前だったか》

「武藤、時間が無いから状況を説明するぞ」

 

 キンジは武藤のアドバイスを受けつつ、状況を整理していく。

 

 すると、驚くべき事が分かった。

 

 燃料が漏れている。ミサイルが命中した際に燃料弁も破損してしまったのだ。しかも、破壊されたエンジンは内側の2基である為、閉鎖する事も出来ない。

 

 時間は持って15分。その間にこの機体をどこかに降ろさないと、乗客もろとも墜落する事になる。

 

「どうすれば良い?」

《そうだな、まずは・・・・・・》

 

 そこで、なぜかノイズが入り、通信が不自然な切り替わり方をした。

 

《こちらは、防衛省航空管理局だ》

 

 その声に、キンジと友哉は不審な想いになる。衛星電話に割り込みをかけての通信。まるでこちらを分断するかのような行動だ。

 

《羽田空港は現在、事故により閉鎖中で使用できない。誘導機が海上へ誘導、安全確実に君達を不時着させる》

 

 通信相手がそう告げると同時に、コックピットの窓の外に1機の戦闘機が並走するのが見えた。

 

 航空自衛隊の主力戦闘機F15Jイーグルだ。アメリカの旧マグダネルダグラス社が開発した機体を、日本の自衛隊が採用した物である。20ミリバルカン砲1門を固定装備し、マッハ2.5で飛行が可能。正式採用されて半世紀近くになるというのに、未だに被撃墜機が無いという伝説めいた事実を持っている。新鋭機が続々と登場している現状にあってなお、世界最強の戦闘機と言って過言でない機体である。

 

 あれが誘導機なのだろう。

 

 アリアが指示に従い、操縦桿を倒そうとした。

 

 だが、その手をキンジが掴んだ。

 

「キンジ?」

「指示に従っちゃだめだ、アリア。海の上に安全に降りれる場所なんてない。海上に出たら俺達は撃墜されるぞ」

 

 政府はリスクと乗客の命を天秤にかけてリスクを取った。素人が600便を操縦して墜落する事を恐れたのだ。そこで海上に誘導して撃墜するつもりなのだ。並走するイーグルはその為の刺客と考えるべきだった。

 

 その時、

 

《その通りだ、キンジ!!》

 

 通信機から、再び武藤の声が響いた。おそらく通信科が回線を確保したのだ。

 

《よく聞け、お上の奴等。俺達は絶対に仲間を見捨てねえ。絶対にだ!!》

 

 啖呵を切る武藤の声が、この上なく頼もしく感じる。

 

 ANA600便が首都上空から出ないと悟ったのか、並走していたイーグルが遠ざかっていく。彼らも人口密集地で撃墜する気はないのだろう。

 

 とは言え、それでも稼いだ時間は僅か10分強だ。いずれにしても10分後には墜落か不時着の二者択一を選ばなくてはならない。

 

 キンジは少し考えてから口を開いた。

 

「武藤、この機体を着陸させるとすれば、どれくらいの距離が必要だ?」

《そうだな、状況にもよるだろうが、だいたい2050メートルってところだ》

「・・・・・・ギリギリだな」

 

 キンジは考え込むように呟いた。

 

「キンジ、どうするつもり?」

「学園島は南北2000メートル、東西に500メートル。対角線に取れば2061メートルまで取れる」

 

 アリアの問いかけに、キンジは答える。だが、その言葉には友哉も、アリアも驚愕した。

 

 キンジは学園島の敷地を使って、この機体を不時着させると言っているのだ。

 

 だが学園島の上には当然、武偵校関連施設が存在している。そこに突っ込む事は、もはや墜落と何ら変わらない。

 

 だがキンジは何でもないと言いたげに続ける。

 

「安心しろ、降りるのは空き地島の方だ」

 

 空き地島とは学園島の北に浮かぶ、だだっ広い更地の事だ。確かにあそこなら施設は何もない平面なので着陸自体は可能だろう。しかも、そこには当然、着陸用の設備は何もない。舗装された滑走路はおろか、誘導灯や制動索すら無い。夜間に、しかもこの嵐の中で降りられる光源はないのだ。

 

「何とかするさ」

 

 落ち着き払ったキンジの声。そこには気負いも不安も感じられない。

 

 友哉は思わず震えるのを感じた。

 

 残り10分。状況は最悪。

 

 その状況下で、これだけ落ち着いていられること自体が既に異常であると言えなくもない。

 

 だが、そこから来る圧倒的な信頼感とカリスマ性。

 

 これこそが遠山キンジなのだ。

 

 叩きつけるように、武藤が叫ぶ声が聞こえた。車輛科であるからこそ、彼もキンジの案がいかに無茶であるか認識しているのだ。

 

「緋村、頼みがある」

 

 キンジが操縦桿を握りながら言う。

 

「不時着を成功させるのは、できるだけ機体を軽くする必要がある。このままでは仮に接地に成功してもオーバーランする恐れがある。だから、少しでも機体を軽くするんだ」

「軽くって言うと、もしかして・・・・・・」

 

 友哉はキンジが言わんとする事を察し、同時に渋い顔を作った。

 

「ああ、これから着陸に当たって、一度だけ東京湾上空をフライパスする。その時に貨物室にある荷物を、全部投棄してくれ」

 

 航空機は大きな荷物は、カウンターで預けられる。その荷物は全て纏めて、最下層の貨物室に格納されているはずだ。

 

 確かに、捨てるならそれしかない。貨物室の荷物を投棄出来れば、かなりの重量軽減になるだろう。

 

 だが、

 

「後から苦情が殺到しそうだね」

「命とどっちが大事か考えてもらうさ。頼めるか?」

「分かった」

 

 友哉は頷くと、駆け足でコックピットを出て行く。

 

 生存に向けて、最後の戦いが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 強襲科2年の不知火亮は、自身の無力さを感じずにはいられなかった。

 

 彼は武藤と同じくキンジ達のクラスメイトであり友人だ。友達を助けたいという思いは誰よりも強い。

 

 現在、武偵校の教室を臨時の司令部とし、情報科、通信科の生徒が集まりバックアップ体制を築き上げている。

 

 しかし、状況は必ずしも芳しくはない。

 

 通信とネット回線は防衛省によって妨害され、直通通信が可能なのは、通信科2年の中空知美咲が開通した物のみ。ましてか現場は上空を飛行するエアバスの中。実質、状況分析以外に殆ど手出しできない状態だ。

 

 武藤は先ほど、キンジとの通信を叩きつけるように打ちきり、教室から駆けだしていった。おそらく、彼なりの形でキンジ達の手助けをするつもりなのだろう。

 

 事ここに至って、不知火にできるのは彼らの無事を祈る事のみである。

 

「・・・・・・少し、休んだ方が良いんじゃない?」

 

 不知火は、彼の背後に立つ1年女子にそう声をかけた。

 

 四乃森瑠香は、疲れたような表情でそこに立っていた。

 

 ライナー埠頭での戦いの後、友哉の指示通り車輛科と救護科を呼んで陣を護送した直後、武偵病院でハイジャックの話を聞き急いで駆け付けたのだ。

 

 あの飛行機には、キンジが、アリアが、そして友哉が乗っている。

 

 無力を感じているのは、瑠香も不知火と同じである。この場にあっては、彼女にできる事は何もない。

 

「・・・・・・ここに、いさせてください」

「四乃森さん」

「邪魔はしません。お願いします」

 

 瑠香の心情を察してくれたのだろう。不知火はそれ以上何も云わずに瑠香から離れる。

 

「・・・・・・・・・・・・友哉君」

 

 ぽつりと、大切な幼馴染の名前を呼ぶ。

 

『お願い、どうか、無事で・・・・・・・・・・・・』

 

 

 

 

 

 友哉が貨物室に飛び込むと、一瞬にして冷気が全身を襲い、凍結するような感覚に襲われた。内部の温度は氷点下を下回っている。

 

 比較的低空を飛んでいるとはいえ、今はまだ4月。しかも夜間である。上空は文字通り凍りつく寒さである。

 

 友哉は指先が凍りつくような感触に襲われながらも、必死に作業盤に取り付く。急がないといけない。今や乗客全ての命は3人の武偵の肩にかかっていると言っても過言ではなかった。

 

 コンテナはレール上に乗せられて固定しており、荷揚げや荷下ろしの際にはこのレールを稼働させて作業を行うのだ。

 

 機材を操作しロックを解除、更にレールを稼働待機状態にする。これで後は、後部ハッチを開放すればいつでも投棄できる。

 

 友哉はハッチ開閉パネルのある後部へと足を向けた。

 

 そこで、足を止める。

 

 目指すパネルの前に、1人の男が立っていた。

 

「由比、彰彦・・・・・・」

「随分とやってくれましたね、緋村君」

 

 気を抜けば気を失ってしまいそうな気温の中、武偵と仕立屋は再び対峙する。

 

 だが、彰彦にはそれ以上交戦の意思はないのか、肩を落としたまま銃を抜く気配も無い。龍翔閃をまともに食らったにも関わらず、そのダメージを感じさせないほど落ち着き払っている。

 

 仮面の奥にあって表情を読む事は出来ないが、その口調には非難よりも賞賛があるように見て取れた。

 

「計画は失敗。主犯である理子さんも逃亡。この稼業は長いですが、ここまでひどい負け戦は初めてですよ」

「・・・なら、投降してください。これ以上の戦いは無意味です」

「さあ、それはどうでしょう?」

「ここは空の上ですよ。現在、不時着の準備中ですが、当然、不時着地点は武偵校の学生が包囲しています。逃げ道はありません」

 

 言いながら、刀の柄に手をかける友哉。この距離なら彰彦が銃を撃つ前に斬り掛る自信がある。

 

 だが、その様子にも彰彦は動く気配がない。

 

「武偵憲章七条『悲観論で備え、楽観論で行動せよ』でしたか。武偵でなくても、それは当てはまるのですよ」

 

 そう言い放つと、ハッチ解放レバーを下ろした。

 

「クッ!?」

 

 気圧低下に伴う強風が、友哉の体を叩く。

 

 その一瞬の隙を突き、彰彦は虚空に身を躍らせた。

 

 とっさに追いかけて捕まえようとするが、既に彰彦の体は東京湾上空に投げ出されている。

 

 友哉はハッチの端に掴まりながら、強風に耐えてその姿を追う。

 

 しかし、夜間の上に嵐である為、視界が全く効かない。

 

 彰彦の体は、すぐに闇にまぎれて見えなくなってしまった。

 

 自殺、をするような人間には見えない。という事は、何らかの脱出手段を持っていたと考えるべきだ。

 

 それにしても、

 

「《仕立屋》由比彰彦、か」

 

 自身で計画を考え実行するのではなく、他者という主演者の為に、作戦という名の衣装で着飾らせ、支援者という脇役を用意し、戦場という舞台を仕立てる。

 

 まさに仕立屋。

 

 これらを一人でやったとすれば、最強の脇役と言っても過言ではない存在だった。

 

「恐ろしい敵だ・・・・・・」

 

 ここで取り逃がした事は大きい。この事が、いずれ自分達にとって大きな災禍となって返ってくるかもしれない。

 

 パネルを操作し、荷物の投棄を始める。

 

 やがて、コンテナは暗い東京湾へ吸い込まれるように落下していった。

 

 

 

 

 

第7話「最強の脇役」    終わり

 



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第8話「剣を振るう理由」

 

 

 強襲科の自由履修を終えると、友哉は着替えて校舎の外へ出た。

 

 包帯を巻いた右腕を、軽く振るって調子を確かめる。

 

 不時着した時にぶつけた右腕は、まだ違和感が残るものの骨折などはなく、あと数日もすれば動かすのに支障がなくなるだろう。

 

 世間を騒がせたハイジャック事件は、時を追うごとに収束の兆しを見せ始めていた。

 

 友哉が貨物の投棄をした後、キンジはANA600便を空き地島へと不時着させる事に成功した。

 

 勿論、彼1人の功績ではない。

 

 いかにキンジが見事な操縦を披露し、友哉とアリアがそれを支援しようと、それだけでは夜間、嵐の中、飛行機を着陸させる事は出来なかった。

 

 しかしその問題は、何よりも頼りになる仲間達の手によって解決した。

 

 キンジとの通信を打ち切った後、武藤は車輛科と装備科の仲間達を招集し、大型車両と大型ライト多数を無断で持ち出し、空き地島を対角線に結ぶようにして2列並べ、即席の滑走路を作り上げた。着陸に成功したのは、彼等に依るところが大きい。

 

 武偵憲章、その一条は「仲間を信じ、仲間を助けよ」とある。

 

 それがいかに危険な状況にあったとしても、武偵は決して仲間を見捨てない。

 

 その仲間達の助けにより、乗員乗客はけが人を多数出しながらも、奇跡的に死者を出さず、ハイジャック事件を解決に導く事に成功したのだ。

 

 友哉はふと立ち止まって、北の方向に向いた。

 

 ここからは見えないが、レインボーブリッジを挟んだその方角には空き地島が浮いており、その上には解体を待っているANA600便の残骸が風力発電用の風車にぶつかった状態で放置されていた。

 

 逃走した理子と彰彦に関しては、警視庁や武偵庁、海上保安庁が総力を上げて探索しているが、その死体はおろか手掛かりすら未だに見つかっていない。東京武偵校も諜報科、情報科、通信科を駆使して足取りを追っているが、その行方は杳として知れなかった。

 

 だが、事件にかかわった関係者は、ある種の予感にも似た確信を抱いていた。

 

 彼等は死んでいない。そして、いつか必ず再び、自分達の前に立ちはだかる日が来るだろう、と。

 

 ちなみに、予想していた事だが、やはりと言うべきか、貨物を勝手に投棄した事に関しては、後から苦情を言ってくる乗客も存在した。

 

 曰く、なぜ勝手にそのような事をしたのか。実行する前に、持ち主の了解を得るべきだっただろうと。

 

 勝手な話である。あの状況で他に手は無かったと友哉は確信している。まかり間違えば、キンジが言っていた通りオーバーランして海に落ちていた可能性もあるのだ。更に言えば、持ち主全員の了承を取っている時間も無かった。

 

 とはいえ、欲深な人間とは命の危機にあるときには全財産を投げ出してでも助かろうとするくせに、いざ命が助かると自分の財産の方が大事になるのだから始末に負えない。

 

 VIP専用機だっただけあり、投棄した乗客の持ち物の中には相当な値打ち品も含まれていたそうな。サルベージ業者が連日東京港に潜って貨物回収を行っているが、まだ全ての貨物を回収するには至っていないらしい。

 

 中には武偵校と友哉達を訴えるとまで騒ぎ立てている者もいるとか。

 

 と、言っても、そのような恥知らずな乗客はほんの一部だけであり、大半の乗客は命が助かった事に関して感謝の意を表してくれた。また、世論も死者を1人も出さなかった事で友哉達の行動を是とする空気が大半を占めている。情報科や通信科の分析では、程なく彼らの熱は終息せざるを得ないだろうと言っていた。

 

「友哉君ッ」

 

 名前を呼ばれて前を見ると、瑠香が手を振って走ってくるところだった。

 

 瑠香は友哉に走り寄ると、その横に並んで歩きだした。

 

「今日はもう終わり?」

「うん。後はもう帰ろうと思っているよ」

「そっか。じゃあさ、帰る前に、何か食べて行かない?」

 

 そう言って、瑠香はニコニコと笑顔を向けてくる。

 

 友哉が病院での治療と関係各省からの事情聴取を終えて寮に戻ると、部屋では瑠香が待っており、笑顔で出迎えてくれた。まるでそこに友哉が帰ってくるのが当然であると言わんばかりの行動である。

 

 その時は彼女の気丈さに感心させられたものだったが、後になってクラスメイトの不知火に話を聞き、友哉は認識を改めた。

 

 武偵校でANA600便の不時着成功と、乗員乗客全員の無事が確認されると、瑠香はその場に泣き崩れたという。

 

 普段は元気に振る舞っているが、瑠香は決して強い娘ではない。自分の無事を知って緊張の糸が切れたのも無理からぬことであった。

 

 その時の礼を、まだしていなかった事を今更ながら思いだした。

 

「そうだね、行こうか」

「お台場に新しいお店ができたんだ。そこ行こうよ」

 

 そう言うと、瑠香は友哉の手を取って引っ張る。

 

 その様子が何とも微笑ましく、友哉は口元に微笑を浮かべた。

 

 その時だった。

 

 ドゴッ、バキッ、等、何やら尋常ならざる音とともに、何人かの男子生徒が地面に転がった。

 

「おろ?」

「な、なに?」

 

 見れば、友哉は地面に転がってる男子全員に見覚えがある。確か、強襲科の生徒だったはずだ。

 

 殴り合いなど日常茶飯事、というよりも推奨されていると言っても過言ではない武偵校である。こういった光景も見慣れた物であるのだが、

 

「ったくよ、ケンカ売んのは良いが、もうちっと腕上げてから来る事は出来ねえのかよ?」

 

 いかにも面倒くさいと言いたげに、長身の男子生徒が頭を掻きながらノッソリと出てきた。

 

 その姿に、友哉と瑠香は思わず目を見張った。

 

「あ、あんたッ」

「おろ、相良?」

 

 名前を呼ばれ、男子生徒は振り返る。

 

 長身痩躯の体付きに、ボサボサの頭髪。その下にある目は以前よりも獣じみた光を放ってはいないが、それでも喧嘩好きで好戦的な色は隠そうともしていない。

 

 間違いなく相良陣だ。

 

 ただ一つ、今までと違うのは、彼が臙脂色の武偵校制服を着ている事だった。

 

「な、何やってるの?」

「ああ、こいつらがいきなり喧嘩売ってきやがったからよ。ちょいと返り討ちにしてやってたとこだ」

「いや、そうじゃなくて、その格好」

 

 言われて、ようやく思いだしたとばかりに「おお」と手を打ち、次いでニヤリと笑った。

 

「どうだ、似合ってるか?」

「ううん。全ッ然」

「んだと、こらッ!?」

「まあまあ、それで?」

 

 瑠香の言葉にキレそうになる陣をどうどうと押さえ、友哉が先を促す。

 

「ま、一言で言や、司法取引って奴だ。今回の件を不問にする代わりに、武偵校に編入しろってさ。で、強襲科ってところに入ったは良いが、いきなりこれだよ」

 

 陣はうんざりしたように言う。

 

 なるほど、突然の編入生。血の気の多い強襲科の学生なら腕試しをせずにはいられないところだろう。陣としてもそんな歓迎の仕方は迷惑でしかないだろう。

 

「ったく、なんでこんな弱っちい奴等が武偵なんだ? もうちょっと骨のある奴はいないのかね?」

「いや、そっちかいっ!?」

 

 瑠香の突っ込みを軽く受け流しながら、陣は踵を返す。

 

「まあ、そう言う訳だ。これからよろしく頼むぜ」

「こちらこそよろしく、相良」

 

 そう告げた友哉に対し、陣はピタッと足を止めた。

 

「そうそう、俺の事は陣で良いぜ。ダチはみんなそう呼んでるしよ」

 

 その言葉に、友哉は一瞬キョトンとした顔を作るが、すぐに笑顔になる。

 

「ああ、分かった。よろしく、陣」

「そんじゃな、今度またゆっくり飯でも食いながら話そうぜ、友哉、あとついでに瑠香もな」

「何であたしまでッ って言うか、ついでって何よついでって!?」

 

 両腕をぶんぶんと振り回す瑠香の横で、友哉はニコリと笑った。

 

 事件は解決した物の、何やら後味の悪い結果になった感が否めない。今回の騒動が、時間を経て再燃するか否かはさておいて、一つだけ確実に言える事がある。

 

 この騒がしくも愉快な日常は、まだまだ続くであろうと言う事だ。

 

「友哉君?」

 

 怪訝そうな顔で自分を見つめる瑠香の頭を、友哉は優しく撫でる。

 

「何でもないよ。さ、行こうか」

 

 時代時代の苦難から人々を救うのが飛天御剣流の理念だ。

 

 その理念を体現する為にどうするべきなのか、友哉はまだ見付ける事ができていない。

 

 だが、

 

 大切な仲間と新しい友人、そして妹同然の戦妹。

 

 この大切な日常を護る為なら、自分は剣を振っても良いと思う。

 

 今は差し当たり、それで充分だと思った。

 

 

 

 

 

第8話「剣を振るう理由」   終わり

 

 

 

 

武偵殺し編     了

 



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魔剣編
第1話「帰って来てしまった武装巫女」


 

 

 

 

 

 

 武偵校には三大危険地帯と呼ばれる場所がある。

 

 爆発物を満載した地下倉庫。常に弾丸が飛び交うリアル交戦域と化している強襲科。そして、最後の一つが教務課である。

 

 一般的に教務課と言えば、教員達が詰めている場所であり職員室の事を差す。確かにある意味、学生にとって「危険地帯」である事は間違いないが、武偵校における教務課の意味は多少異なる。

 

 何しろ教員は、ほぼ全員が現役の武偵であり、今でも前線に立つ事の出来る連中ばかりである。

 

 例えば強襲科担当の蘭豹。彼女はかつて香港で無敵の武偵と恐れられ、その凶暴さゆえに各地の武偵校をクビになり転職を続けていたと言う過去がある。着いたあだ名が「人間バンカーバスター」であるから、その脅威振りは推して知るべしと言う物だ。

 

 尋問科の綴梅子は、その尋問技術に置いて国内でも五指に入ると言われる存在だが、そのドS振りは内外に知れ渡っている。彼女は尋問中にとんでもない事をするという噂があるが、その内容に関しては誰も知らない。受けた事のある人間も、思い出したくないと言わんばかりに頑として口にしなかった。

 

 一見すると無害そうに見える、探偵科の高天原ゆとりも、現役時代は凄腕の傭兵であったと言うから侮れない。

 

 その一種魔窟とも言うべき武偵校教務課に、

 

 緋村友哉は来ていた。

 

 椅子に座らされたまま、緊張の為に全身が強張っているのが判る。

 

 何やら、全方位から突き刺さるような殺気が溢れているのは、できれば気のせいだと断じてしまいたいが、残念な事に気のせいではない。

 

 常在戦場をモットーにする武偵にとって、たとえ如何なる場にあっても気を抜く事は許されない。それがたとえ、味方のテリトリーの中であっても、だ。

 

 とは言え、学生の身分でこれを完璧に実践できる人間は少ない。友哉ですら、未だに至っていない領域である。知り合いでできるとすれば、先頃転校してきたSランク武偵、神崎・H・アリアか、狙撃科の麒麟児レキくらいのものだろう。

 

 そんな緊張の極致にある友哉を前にして、担任の高天原ゆとりはニコニコと微笑んで書類の入った封筒を差し出して来た。

 

「はい、じゃあ、緋村君、これをお願いしますね」

「あの、これは?」

 

 なんの説明も無しに、書類だけ渡されても困る。

 

 そもそも、午前中の一般教養科目を終えて昼に入ろうとしたところ、友哉はゆとりに呼びとめられて教務課まで連れて来られたのだ。

 

 正直、ここに来るまでは何やら連行されているような気分になり、周囲からの視線も痛々しかったのだ。

 

 それで、渡されたのが、今手元にある書類である。いきなり呼び付けられて、渡されたこの書類は一体何なのか?

 

「それは教務課直令の任務に関わる書類です。学校では見ないで、寮に帰ってから見てくださいね」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ニッコリと微笑むゆとりを、友哉はため息交じりに眺める。

 

 どうやら、この封筒の中身が碌な内容でない事だけは充分に理解できた。

 

 

 

 

 

 見渡せば、殺風景な部屋の外観が広がっている。第四女子寮は学園島の中でも特に外れに位置する場所にあり、入居者も少ないが、それは却って好都合だった。

 

 ショートポニーに結ったセミロングの髪を靡かせて、武偵校の女子制服を着た少女は部屋の中に佇んでいる。

 

 家具も何もない、無機質な空気放つ空間。

 

 一応、ベッドは隣の部屋に完備されているが、布団が無い為、寝るには甚だ不便と言わざるを得ない。

 

 だが、別に気にするような事ではない。元々、そう長居する訳でもないのだから。

 

 今回は潜入と言う任務上、ある程度体裁を整える必要がある為、入寮と言う措置を取ったが、本来なら部屋など、取り敢えず雨風を凌げるだけでも充分である。

 

 不備は無い。既に転校の手続きは済ませた。登校は明日からになる。

 

 ポケットを探り、手帳を取り出す。

 

 内側に張られている写真の顔は相変わらずの無表情。「笑った方が可愛いよ~」とは、よく知り合いの女子に言われている事だが、そもそも笑顔と言う物がどうすればできるのか判らないのだから、作りようが無かった。

 

 と、その時、投げ出しておいた携帯電話のヴァイブレーションが、床と擦れあって耳障りな音を奏でた。

 

 手に取って液晶を眺める。相手は依頼人からだった。

 

「・・・・・・もしもし」

《私だ。どうやら、無事に潜り込めたようだな》

 

 いつもの硬い口調は、間違いなく依頼人の少女からだった。

 

「問題ありません。準備は滞りなく完了しました」

《こちらも順調だ。つい先程、ターゲットの帰京も確認したところだ。明日、お前の転校を待って、行動を開始する》

 

 今回の任務は、彼女の作戦を支援し、余計な存在を排除する事にある。

 

《連中も、私達の存在には気付いていないだろう。常に先手を打っていけば、状況を優位に進められる筈だ》

 

 頼んだぞ。

 

 そう言うと、相手は電話を切った。

 

 携帯電話を再び床の上に投げ出すと、何をするでもなく床に座ってぼーっと壁を眺める。

 

 遠くの東京港から聞こえる汽笛の音。それだけが、静寂を取り戻した部屋で唯一のBGMだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第三男子寮の自室に戻ると、友哉は鞄を床に下ろし、体をソファーに投げ出した。

 

 中性的と他人からは呼ばれ、人によっては少女と間違われる事も多い顔は、今、疲れ切った表情を見せていた。

 

 原因は言うまでも無く、魔窟で強いられた精神的苦痛にあった。

 

 魔窟=教務課。全く持って言い得て妙と言わざるを得ない。好んで近付きたいと思う人間がいない事からも、同義語と呼んで差支えは無いだろう。

 

 いっそこのまま、ソファーに身を委ねて眠ってしまいたい。一瞬そう考えた友哉の脳裏には、それが何とも魅力的な提案に思えた。

 

 とは言え、だらけている訳にもいかない。

 

 後ろの一房に纏め、紐で縛った赤茶色の髪を掻き上げると、友哉はだらけさせていた上半身を起こし、鞄の中に突っ込んでおいた封筒を手に取った。

 

 一般の学校に宿題が出るように、武偵校でも教務課から任務と言う形で宿題が出される事がある。今回もその類だった。

 

 封筒の中から書類を取り出し、一読する。

 

 そこに書かれていた内容に、友哉は僅かに目を細めた。

 

 内容は、とある手配犯に関する物だった。

 

 《デュランダル》

 

 その名前は、ある種の蜃気楼にも似た不明確さを持って存在していた。

 

 正体は不明。存在は不確か。

 

 その犯行目的とは、超能力を有する武偵、すなわち超偵の誘拐にあるとされている。実際、デュランダルが関わったとされる事件において、多くの武偵が失踪しているのは事実だった。

 

 だが、上記から判るように、デュランダルは非常に不確かな存在である。

 

 デュランダルの正体は誰も知らない。姿を見た者もいない。それゆえ、一種の都市伝説の類として捉えられており、その存在を疑問視する声も大きい。

 

 友哉は書類をめくりながら、読み進めていく。

 

 書類は二部あり、片方は諜報科から提出されたレポートと、もう片方は超能力捜査研究所が提出した予言に関する資料だった。

 

 諜報科の報告書にはガセが多い事で有名である。諜報科が行う諜報活動とはそもそも、自身の五感で見聞きした物を持ち帰り報告する事にある。媒体を相手にする情報科や通信科と異なり、その報告書には多分に主観が交じり不確かとなってしまう事も多いのだ。また、彼等の特性ゆえか、巧緻よりも拙速を重んじる傾向にある。せっかく掴んだ情報が既に時期遅れだった、では何の意味も無い。ならば、多少不確かであっても、情報の鮮度を優先してしまうのは否めなかった。

 

 一方で超能力捜査研究科の方はと言えば、こちらは諜報科とは別の意味で不確かである事が多い。何しろ超能力。一般人には殆ど認知できない分野である。勿論、先日のハイジャック時に相対した峰・理子・リュパン4世の例を見る通り、超能力者と言う物は確かに存在している。しかし、だからと言って、それを一般人に信じろ言うのは、少々無理があると言わざるを得ない。特に今回の予言とやらが仮にそれが真実であったとしても、それを確かめる術は、少なくとも友哉には無い訳である。

 

 つまり、この依頼自体が不確かかつ、現実味の薄い代物であると言う事である。

 

 だが、これが教務課から回された任務である以上、動かない訳にはいかないのも事実である。

 

 この報告書によれば、デュランダルは既に武偵校近辺に潜伏している可能性は高く、その行動開始が近いとの事。そして今回、デュランダルが狙うターゲットは、

 

「・・・・・・星伽白雪」

 

 報告書にある名前を、友哉は声に出して読んだ。

 

 星伽白雪。友哉の友人である遠山キンジの幼馴染であり、友哉とも多少縁がある少女である。

 

 偏差値75オーバーの才媛であり、現武偵校生徒会長を務め、バレー部、茶道部、華道部の部長を務めている。

 

 そして超能力捜査研究科のエース。

 

 正に、デュランダルが狙うとしたら、これほどの逸材はあるまい。

 

「星伽さんは確か、そろそろ強化合宿から帰って来る筈だったね・・・・・・」

 

 つまり、時期は一致している。そう考えれば、デュランダルの存在は決して眉唾ではなくなる可能性が出て来る。

 

 友哉は読み終えた資料をテーブルに投げ出し、ソファーに身を預けた。

 

 姿無き超偵誘拐犯《デュランダル》。

 

 それが次の敵となる。

 

 鋼鉄をも切り裂く剣を持つと言われるデュランダル。しかし、奴と戦うためには、まずはデュランダル本人を戦場と言う名の舞台に引きずり出す必要がある。

 

 ちょうどその時、扉が開く音がして、パタパタという足音が聞こえて来た。

 

「や~、ごめんね、友哉君。諜報科の課題が長引いちゃった。すぐ夕飯作るから」

「そう慌てなくても良いよ。時間はまだあるしね」

 

 入って来た四乃森瑠香に、友哉はそう言って笑い掛ける。

 

 友哉の戦妹であり、幼馴染でもある瑠香は、こうして夕方になると友哉の部屋にやってきて食事を作る毎日を送っていた。

 

 彼女には感謝の言葉も無い。本来なら学校が終われば、後は自分の時間として有意義に使うべき所を、こうしてわざわざ男子寮まで来てくれるのだから。

 

 この年下の幼馴染が友哉に好意を抱いており、こうして毎日のように足繁く通っているのもその証左なのである。もっとも、肝心の友哉は鈍感過ぎて、その事実に全く気付いていない事が、少女にとってもどかしい限りなのであるが。

 

 ちなみに、この状況を見た周囲の人間からは「通い幼妻」等と呼ばれている事を、当の2人は全く気付いていなかった。

 

 夕飯は瑠香に任せておけば問題無い。そう思い、もう一度資料に手を伸ばしかけた時だった。

 

「あっ」

 

 キッチンの方で、瑠香が声を上げた。見れば、冷蔵庫のふたを開けて、苦い顔をしているのが見えた。

 

「どうしたの?」

「料理の材料、買っとくの忘れちゃった」

 

 そうだったのか。と、友哉は頭を掻きながら考えた。

 

 最近では食事に関しては、殆ど瑠香に任せ気味であった為、買い置きの食材に関して、友哉は全く気を払っていなかった。

 

「しまったな・・・・・・」

 

 瑠香の後ろから覗き込みながら、友哉は頭を掻いた。これは完全に友哉の落ち度だ。いくら瑠香の料理がおいしいからと言って、彼女一人にまかせっきりになっていた感は否めない。

 

 今から食材を買いに行くという手もあるが、流石に買って帰ってきて、それから料理するとなると手間もかかってしまう。

 

「しょうがない。今日はコンビニで弁当でも買って来て食べよう」

「うぅ、しょうが無いか」

 

 友哉の食事を作れなかった事がよほど悔しいのだろう。不承不承と言った感じに頷きながら、瑠香はエプロンを外す。

 

「ま、たまには良いと思うよ」

 

 そう言って友哉が励ました時だった。

 

 ドゴォォォォォォンッ

 

「おろっ!?」

「キャァッ!?」

 

 突然の轟音と震動に、思わず2人は声を上げた。

 

 敵襲かっ!?

 

 思わず二人がそう思ったのも無理からぬことである。その衝撃は第三男子寮全体を震わせるほどだったのだ。

 

 だが、やがて壁越しに隣の部屋から尋常ならざる物音が聞こえてきた。

 

 隣は友哉の友人である遠山キンジの部屋である。どうやら現場は、キンジの部屋からであるらしい。

 

 2人は顔を見合わせると、恐る恐ると言った感じに隣の部屋を覗いてみた。

 

 そこには、

 

 修羅の巷が広がっていた。

 

「天誅ゥゥゥゥゥゥ!!」

 

 日本刀を振り翳した1人の巫女さんが、大上段から斬りおろしている所だった。

 

 そしてその刃の向かう先には、

 

 ピンク色のツインテールをした少女、神崎・H・アリアがいた。

 

「な、何なのよ、アンタは!?」

 

 巫女さんの一撃を回避しながら、アリアが焦ったように叫ぶ。

 

 そこで、振り向いた巫女さんの顔が友哉達の視界に入った。

 

「ほ、星伽、さん?」

「あわわわ」

 

 友哉は額に手をやり、瑠香はその友哉の背に隠れるようにして震えている。

 

 流れるような黒い髪に、純正の日本人形を思わせる整った顔立ち。

 

 武偵校現職生徒会長にしてキンジの幼馴染、星伽白雪が鬼の形相で刀を振り回していた。

 

 一方で標的になっているアリアも、その素早い身のこなしを利用して白雪の攻撃から逃げ回っている。

 

 この状況から、二人は大体の事を察した。

 

 白雪はキンジに対し、並々ならぬ好意を抱いている。二人は幼馴染であるから、過去に様々な事があったのであろう。だが、問題なのは白雪のキンジに対するそれは、ある種常軌を逸したレベルであると言う事。

 

 過去、好意の有無にかかわらずキンジに近づこうとした女子は、ほぼ例外なくこの白雪にボコボコにされてきたというのだから恐ろしい限りである。

 

 そんな白雪が、恐山からの強化合宿にから戻った。そこでキンジの部屋にいるアリアを発見した。と、くれば後は想像に難くない。

 

 (アリア+白雪+キンジ)×inキンジの部屋

 

 という計算式がいかなる惨状を現出するか、その答えが、今目の前で繰り広げられていた。

 

 既に家具と言う家具は叩き壊され、壁は全て切り裂かれている。家主であるキンジの安否も判らない状態だ。

 

「このっ、いい加減にしなさい!!」

 

 アリアもついに武器を抜いた。

 

 2丁のガバメントを白雪に向けて発砲する。

 

 放たれた弾丸が、白雪に命中するか。そう思われた瞬間、

 

 白雪は飛んで来た2発の弾丸を刀で弾き飛ばした。

 

 これには友哉も唖然とする。

 

 アリアの弾丸は2発ほぼ同時に放たれた。それを白雪は一瞬にしてはじいて見せたのだ。仮にこの2発が多少のタイムラグを付けて放たれたのなら、友哉にも同じ芸当ができるが、流石に同時に2発の弾丸を叩き落とすのは難しい。

 

「あんた、それ、超偵・・・・・・」

 

 弾かれたアリアも、目を丸くしている。

 

 これこそが星伽白雪の力、その片鱗である。普段の白雪はかなりの運動音痴として知られているが、こうなった時の彼女は強襲科の学生をも上回る戦闘力を発揮する。

 

「緋村君、瑠香ちゃん、この女を後から刺して!!」

「友哉、瑠香、あたしを援護しなさい!!」

 

 2人からの援護要請に、友哉と瑠香は互いに顔を合わせたまま立ち尽くすしかない。

 

「どうする?」

「どうしよっか?」

 

 正直、今すぐ何も見なかった事にして回れ右をしたい気持ちでいっぱいだったが、流石にお隣さんでこんな騒ぎが起きている中でそれはできなかった。

 

 そうしている内に、局面は動く。

 

 アリアのガバメントはついに弾切れを起こし、スライドが後退したまま固定された。

 

 その瞬間を逃さず、白雪が斬り込んで来る。

 

「覚悟ォォォォォォ!!」

「クッ、させるかァ!!」

 

 叫んだ瞬間、アリアは振り下ろされた刃を両手掌で挟み込んで受け止めた。

 

 真剣白刃取り。

 

「す、すごい・・・・・・」

 

 瑠香が思わず感嘆の声を漏らした。

 

 友哉の実家の道場では、白刃取りを応用した技を教えているので、別段珍しくはないのだが、それでもその技術が常人離れしたものでるのは間違いない。

 

「く、く~~~~~~」

「こ、この、バカ女~~~」

 

 白雪の方がアリアより頭身が高い為、上からのしかかるような形で刃を押しつけて来る。

 

 対してアリアも必死に抵抗しているが、徐々に体が沈み始めた。

 

 次の瞬間、アリアは白雪に足払いを掛け、同時に握力が緩んだ所で刀をもぎ取り弾き飛ばした。

 

 だが、まだ終わっていない。

 

 武器を失った白雪だが、すぐに袖下から鎖鎌を取り出して分銅を投げつけた。

 

 対してアリアも背中から二本の小太刀を抜いて防ぐ。

 

 アリアの小太刀に鎖を巻き付けたまま、白雪はジリジリと彼女の体を引きつけて来る。

 

「この、泥棒猫、キンちゃんの前からいなくなれェェェ!!」

「いい加減にしなさい。そんなんじゃないって言ってるでしょ!!」

 

 互いの距離が詰まり、再び斬り結ぶ二人。

 

 両者一歩も譲らないまま、混戦模様はその後10分近くに渡って繰り広げられた。

 

 

 

 

 

「な・・・何て・・・しぶとい・・・泥棒・・・猫」

「あ、あんたこそ・・・・・・とっとと・・・くたばり・・・なさい・・・」

 

 アリアと白雪は、互いの背中に寄りかかりながら、荒い息をついている。

 

 結局勝負は、両者決定打を奪えないまま、互いの体力が尽きるまで行われた。

 

 その結果がこれである。

 

「何とまあ・・・・・・」

 

 部屋の惨状を目の当たりにして、友哉は言葉が出なかった。

 

 家具と言う家具は破壊し尽くされ瓦礫の山と化している。ここがつい先ほどまで人の暮らす部屋であったと言うのは想像する事すらできなくなっていた。

 

 その時、部屋の窓がガラッと開かれた。

 

「お前等、気は済んだか?」

 

 入って来たのは部屋の主である遠山キンジだった。どうやら、二人が戦っている間、外に避難していたようだ。賢明な判断である。誰だって好き好んで戦場にいたいとは思わないだろう。

 

「キンちゃん様!!」

 

 白雪が妙な言い回しと共に飛び上がると、ガバッとキンジの前で正座し、深々と頭を下げた。

 

「申し訳ありません、キンちゃん様。私に勇気が無かったばかりに、アリアなんかとっ」

「それ以上勇敢になられても困るわよ!!」

 

 立ち上がって横合いかから抗議するアリア。

 

 対して白雪も、負けじと振り返って言い返す。

 

「キンちゃん様と恋仲になったからって、良い気にならないで、この毒婦!!」

 

 毒婦とはまた、古い言い回しである。今時こんな言葉を使う人間など白雪くらいのものじゃないだろうか。

 

 だが、言われてアリアは顔を真っ赤にする

 

「ば、馬鹿言うんじゃないわよ。恋愛なんか下らないッ あたしは恋愛なんかに興味ないし、する気も無い!!」

「じゃあ、キンちゃんとはどういう関係なの!?」

 

 尚も追及の手を緩めない白雪。ここでアリアが、ただの仕事仲間だ、とでも答えれば事は全て丸く収まるのだが、

 

「ど、奴隷、そう、キンジはあたしの奴隷なんだから!!」

「おろ・・・・・・」

「あちゃー」

 

 友哉と瑠香は、揃って額に手をやった。よりによって、選んだ言葉がそれかい。

 

 一方の白雪はと言えば、何を想像したのか、こちらも顔を真っ赤にしている。

 

「そ、そんな、奴隷だなんて。そんなイケナイ遊びまでキンちゃんと一緒にするなんてッ」

「な、ななな、何バカな事言ってんのよ。違うわよ!!」

「違わない!! そりゃ、私だって、その逆なら想像した事もあるけど」

 

 きっと、今の白雪の頭の中では、キンジの手によって裸に剥かれ、言葉では言い表せないような縛られ方をした自分が想像されている事だろう。

 

 見かねたキンジが、白雪の横に立った。

 

「白雪、俺とアリアは武偵同士、一時的にパートナーを組んでいるだけだ」

「ほ、本当?」

「本当だ。俺の言う事が信じられないのか?」

 

 キンジの真剣な眼差しが白雪を見据える。たちまち白雪の雰囲気から険が取れるのが判る。キンジに好意を持つ白雪を黙らせるのに、これほど効果のある物は無かった。

 

「そんな事無い。信じるよ。信じてます」

 

 白雪は頬を赤く染めながら、恥ずかしそうにキンジからそむけた。

 

 良かった。これでようやく騒ぎも収まるだろう。

 

 一同が胸をなでおろす。

 

 だが、白雪の問いかけは、まだ続いていた。

 

「じゃ、じゃあ、キンちゃんとアリアは、そ、そう言う事は、していないのね?」

「そう言う事?」

「そ、その、キス・・・・・・とか」

 

 

 

 

 パ~~~プ~~~

 

 

 

 

 どこかで、豆腐屋のラッパが鳴り響いた。

 

 って言うか、いたのか豆腐屋、学園島に。

 

 と言う突っ込みを入れる事も無く、キンジとアリアは顔を赤くして視線を逸らしている。

 

 その反応が如実に真実を語っている。

 

『したのかっ』

『いつの間に?』

 

 心の中で友哉と瑠香が同時に突っ込みを入れた。

 

「・・・・・・し・・・た・・・の・・・ね」

 

 地獄から這い上がって来るような声ととともに、白雪が座った目をする。

 

 振り出しに戻る。戦火が再び繰り返されるのか。

 

 そう思った時、運命の女神が立ち上がった。

 

「た、確かに、そう言う事はしたけど、だ、大丈夫だったの!!」

 

 アリアが赤い顔のまま言う。

 

「後で判った事なんだけど、こ・・・・・・」

「こ?」←キンジ

「こ?」←友哉

「こ?」←瑠香

 

 アリアは(貧しい)胸を張り、自信満々に言い放った。

 

「子供は、できてなかったから!!」

 

 

 

 

 

 パ~~~プ~~~

 

 

 

 

 

 また、豆腐屋のラッパが聞こえて来た。

 

「はうっ!?」

 

 白雪が卒倒して、その場に崩れ落ちる。

 

「し、白雪!? って言うかアリア、何で子供なんだよ!?」

 

 白雪を抱き起こしながら抗議するキンジに、アリアはガオーッとばかりに食ってかかる。

 

「こ、この無責任男。あたしは、あれからけっこう悩んだんだからね!!」

「何に悩んだんだよ!?」

「だ、だって、キスしたら子供ができるって、昔お父様が言ってたんだもん!!」

 

 どうやらホームズ家では、相当いい加減な性教育を娘に施していたらしい。

 

「き、キスくらいで子供ができる訳ねえだろ!!」

「じゃあ、どうやったらできるのか教えなさいよ!!」

「お、教えらえっか、バカ!!」

「どうせ知らないんでしょ!!」

「知ってるけど、教えられっか!!」

 

 言い争う二人を背に、友哉と瑠香はキンジの部屋を後にした。これ以上は巻き込まれるのも馬鹿馬鹿しいと思ったからだ。

 

「・・・・・・・・・・・・瑠香」

「何?」

「今日の晩御飯は、湯豆腐とかが良いんじゃないかな」

「そだね、お手軽だし、美味しいし」

 

 よし、これで晩御飯は決まった。これはとても素晴らしい事だと思う。

 

 尚も続く喧騒を背中に、二人は友哉の部屋へと戻って行った。

 

 

 

 

 

第1話「帰って来てしまった武装巫女」   終わり

 



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第2話「時期外れの転校生」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第一次お隣大戦(命名:瑠香)から一夜明け、友哉とキンジは揃って登校していた。

 

 当事者であるキンジは体のあちこちに軽傷を負っていたが、取り敢えず動けない程ではなかったらしい。

 

 友哉はと言えば、取り敢えずこれからの事を考えなくてはいけないので、キンジ達の事ばかりに気を向けている訳にもいかなかった。

 

 デュランダルがもし本当に実在すると言うならば、多くの犯行を行って、未だに誰の目にも止まっていないと言うのはおかしな話である。

 

 本当に存在しない幻なのか。それとも、常識はずれなほど巧妙に行動しているのか。

 

 デュランダルを戦場に引きずり出すとしたら、友哉1人の手には余るかもしれない。諜報科と、できれば探偵科、それに情報科の人間に協力してもらいたいところだ。

 

 諜報科は戦妹である瑠香がいるから何とかなるとして、問題は探偵科と情報科の方だ。何人か知り合いはいるが、調査依頼を頼めるほど親しい友人となると、キンジか、あるいは先頃武偵殺しとして剣を交えた峰理子くらいのものだった。その理子は学園を去り、キンジはあまり武偵活動に積極的ではないときては、頼める友人は他に思いつかなかった。情報科に至っては、友人と呼べる人間はほとんどいない状態である。

 

『仕方が無い。この件は後でまた考えるとしようかな』

 

 そう心の中で呟くと同時に、チャイムが鳴り担任のゆとりが入って来た。

 

「おはようございます、皆さん。今日は皆さんに、新しいお友達を紹介しますね」

 

 そう言ってゆとりは、廊下の方に視線をやる。

 

 次の瞬間、教室の中は感嘆の声に包まれた。

 

 小柄な少女である。

 

 背はレキ程度。かなりほっそりした印象がある。セミロング程度の長さの黒髪を、頭の後ろでショートポニーに結い上げている。前髪の下から見える大きな瞳は、まるで何の感情も映していないかのように冷たい光を宿していた。

 

 全体的に小ささを感じる少女である。

 

 ゆとりに自己紹介を促され、コクリと頷くと前へ出た。

 

瀬田茉莉(せた まつり)、です」

 

 少女特有の高さが混じっているが、それを無理やり低く抑えたような声。ふとすれば聞きそびれてしまうと思うほど小さな声である。

 

 茉莉はそれ以上しゃべろうとせず、真っ直ぐに前を向いたまま黙っている。

 

「あの、それだけ、ですか、瀬田さん?」

 

 困ったように促すゆとりの言葉を受けて、更に口を開く茉莉。

 

「よろしく、お願いします」

 

 更に一言だけ。

 

 曰く言い難い空気が流れ込む。

 

「そ、それじゃあみんな、仲良くしてあげてね」

 

 間が持たないと思ったのか、ゆとりは早々に自己紹介を打ち切りに掛った。

 

「じゃあ、席は・・・・・・緋村君の隣に」

「はい」

 

 友哉の隣の席は空いた状態になっている。

 

 茉莉は無言のまま頷くと、トコトコと友哉の隣に歩いて来て腰を下ろした。

 

「よろしく」

「こちらこそ、よろしくね」

 

 茉莉の着席を確認してから、ゆとりがHRの連絡事項を始めた。

 

「皆さん、もうすぐアドシアードが始まります。アドシアードは各国から様々な人達がこの学校に集まりますので、皆さんも武偵校の生徒として恥ずかしくないように行動してくださいね」

 

 アドシアードとは武偵の国際競技会だ。射撃や格闘など様々な分野の代表が、その技術を競い合う事になる。言ってみれば武偵オリンピックとも言うべき物である。

 

 各国から様々な人物がこの学園島に集まり、見物客も相当な物となる。気を隠すには森の中とはよく言った物で、仮にデュランダルが活動するなら、最適な空間となる。

 

 その時、

 

「おい、緋村、お前、アドシアードで何か競技出るのか?」

 

 車輛科の武藤剛気が話しかけて来た。ガッシリした体つきをしており、ふとすれば体育会系の爽やか男子に見えなくもない。ちなみに決して悪い奴ではないのだが、性格がガサツである為女子にもてないという悲しい一面があったりする。

 

「出ないけど、どうしたの?」

 

 幸か不幸か、友哉はどの競技からもお呼びが掛っていない。よってアドシアード当日は暇を持て余す事になりそうだったのだが、

 

「ならよ、俺達と一緒にバンドやらないか?」

 

 バンドとは恐らく、閉会式でチアと一緒に行うバンドの事だろう。それを武藤はやると言っているのだ。そう言えば、瑠香がチアガールをやると言っていた気がする。ついこの間、本番で着る衣装を、友哉の部屋で着て見せてくれたのだが、なかなか似合っていた。

 

「俺『達』って?」

「俺と、キンジと不知火。お前を合わせると4人だよ」

 

 既に友哉が頭数に入って話が進んでいるらしい。

 

「僕も、競技には補欠で登録されているけど、多分出番はないだろうからね」

 

 そう言って来たのは、強襲科の不知火亮である。こちらは端正な顔立ちと優しい性格から女子からの人気も高い。実力も射撃、ナイフ、格闘全てにおいて総合力が高く、信頼性の高いオールラウンダーと言える。

 

「まあ、どうせ当日はやる事無いと思ってたところだし。良いよ」

「よっしゃ、これで頭数は揃ったぜ。あとでやっぱやめるなんて言ったら轢いてやるからな」

「いや、言わないよ」

 

 苦笑しながら手を振る友哉。

 

 やがてHRも終わり、一時限目の授業が始まる。武偵校では午前中に一般教養の授業を行う。今日は英語の授業からだ。

 

「それじゃあ、授業を始めます。あ、緋村君、瀬田さんは教科書がまだ来ていないので、緋村君、見せてあげてね」

「あ、はい」

 

 そう言うと、友哉は茉莉と机をくっつけた。

 

「すみません」

「いいよ、気にしないで。お隣同士、仲良くしないとね」

 

 そう言うと、授業のページを開いた。

 

 そんな友哉の顔を、茉莉はジッと眺めて来る。

 

「ん、どうかした?」

「・・・・・・いえ、別に」

 

 そう言うと、茉莉は前を向いて自分のノートを開いた。

 

 そんな茉莉の様子を眺め、不思議な娘だな、と思いながらも、友哉も自分のノートを開いて授業に集中した。

 

 

 

 

 

相良陣(さがら じん)は2年A組の教室に入ると、その異様な空間と化した場所に、思わず二の足を踏んだ。

 

「うおっ、何だこりゃ?」

 

 友人である緋村友哉に呼び出されてやってきたのだが、その友人の机周辺は黒山の人だかりができていた。

 

 一体何が起きたのか、恐る恐ると言った感じに近づこうとすると、横から声を掛けられた。

 

「よう、相良、お前何やってんだ?」

 

 別のクラスの人間がいるのだから、嫌でも目立ってしまう。知り合いの怪訝そうな声に振り返る。

 

「おいおい遠山、何なんだこれ?」

「転校生だよ。で、さっきからそいつを囲んで質問攻めってわけだ。まったく、騒がしい限りだよ」

 

 うんざりした調子で言うキンジ。陣とキンジは友哉を介して知り合いとなったが、妙にウマの合う所があったので、こうして会話する程度の仲にはなっていた。

 

「ふうん、そんで、友哉はどうした? 俺はあいつに呼ばれたんだが、」

「緋村なら、あの中だよ」

 

 キンジは黒だかりの方を指差す。

 

 考えてみれば、友哉の席もあのあたりだった気がする。どうやら、黒だかりに巻き込まれてしまったらしい。

 

「こりゃ、今は無理かね」

「ああ、やめといた方が良い」

 

 仕方が無い。友哉の用事もすぐに聞かなければいけないと言う訳でもないだろうし。

 

 何より、あの押しくら饅頭状態の場所に好んで入って行きたくなかった。

 

「そんじゃな、遠山。友哉にはよろしく言っといてくれ」

「ああ、判った」

 

 そう言うと、陣は自分の教室へと帰って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午前中は大変な騒ぎであった。

 

 転校生と言う存在に並々ならぬ興味を持つのは武偵校も一般校も変わりはない。

 

 一時限目の授業を終えると、早速A組の生徒は茉莉の机を完全包囲し、質問の集中砲火を浴びせた。

 

 問題なのは机をくっつけていた関係で、友哉の席もその包囲網の中に組み込まれてしまった事だ。

 

 それが二、三時限目にも続いたのだから溜まったものではない。

 

 そして質問と言うのが、また武偵高らしさが爆発していた。

 

「どこの科に所属しているの?」

「武器はなに使ってんの?」

「今までどんな仕事した事ある?」

「死んだ事ある?」

 

 等々、物騒な質問のオンパレード。て言うか、最後のは明らかにおかしいだろ。

 

 そんな訳で昼休み。

 

 飛天御剣流の極意に従い先手を打った友哉は、包囲網が形成されるよりも早く教室を脱出し食堂に来ていた。

 

「まったく、疲れる事この上ないね」

 

 ぼやくように言いながら券売機の方へと向かう。

 

 今日は瑠香の弁当も無い為、食堂で何か食べようと思った。

 

 その時だった。

 

「こちらが食堂ですか」

 

 聞き憶えのある、それでいて新鮮さを感じる声が背後から聞こえ、思わず振り返る。

 

 そこには件の転校生、瀬田茉莉が立っていた。

 

「えっと、どうしたの?」

「昼休みに入って緋村君が出て行くのが見えましたので、恐らく食堂に行くものと思いついてきました」

 

 淡々と言う茉莉。どうやら、教室から後を付けて来たらしい。

 

「よく、みんなに捕まらなかったね」

「造作もありません」

 

 事も無げに茉莉は言う。

 

 とは言え、ここで突っ立っているのは非常に迷惑である。現に2人の背後に立つ男子生徒が苛立たしげに舌を打つ音が聞こえた。

 

「じゃ、取り敢えず、何か買って食べよう」

「はい」

 

 友哉は照り焼きチキン定食を頼み、茉莉はきつねうどんの食券を買うと、カウンターで料理を受け取り席に着いた。

 

 向かい合って席に座ると、茉莉は無言のまま割り箸を持って食べ始める。しっかりと箸を持って食べる茉莉だが、華奢な外見のせいか、小動物が食事をしているように見えて何ともほほえましい。

 

「・・・何ですか?」

 

 そんな友哉の様子を不審に思ったのだろう。茉莉が顔を上げて見詰めて来る。

 

「いや、何でもないよ」

 

 そう言って友哉も食事に箸を付けようとした。

 

 すると、

 

「あれ、友哉君」

 

 背後から声を掛けられて、振り返ると、瑠香が何人かの友人を連れて立っていた。どうやら、彼女も食堂に食事しに来たらしい。手にはチャーシュー麺を乗せたお盆を持っている。

 

「友哉君も来てたんだ。って言うか、あれ、その娘・・・・・・」

「ああ、彼女は転校生で、」

「やっぱり、昨日引っ越してきた人!!」

 

 瑠香の意外な反応に、友哉は驚いて2人の顔を見た。

 

「あれ、2人、知り合い?」

「私が入寮した部屋の隣は、四乃森さんの部屋です」

 

 うどんを啜りながら答える瑠香の顔を、友哉は意外そうに見つめる。妙なところで縁は繋がる物である。

 

「そっか、友哉君のクラスに転校したんだね。これからよろしくね」

「宜しくお願いします」

 

 友達に断って、瑠香は茉莉の隣に座る。

 

『あれ・・・・・・』

 

 そこで友哉はある事に気が付き、意外そうな面持ちで瑠香を見た。

 

 瑠香は先輩である茉莉に対してタメ口を聞いている。意外に思うかもしれないが、瑠香は礼儀には気を使う方だ。これは実家が旅館を経営している関係からなのだが、初めは年下だと思っていたアリアにも今は敬語で接しているくらいだ。上級生で瑠香がタメ口を聞くのはせいぜい友哉くらいの物だ。

 

 その瑠香が茉莉にはタメ口で接している。それが友哉には意外だった。

 

「茉莉ちゃん、学科は何?」

探偵科(インケスタ)です。四乃森さんは諜報科(レザド)ですか?」

「うん、そうだよ」

 

 女の子同士、会話は弾んでいる様子だ。

 

 そこでふと、友哉はある事を思いついて口を開いた。

 

「二人とも、ちょっと僕に協力してくれないかな」

 

 そう言った友哉に、2人はキョトンとした表情を作った。

 

 

 

 

 

 丸橋譲治(まるばし じょうじ)は街を歩いていれば非常に目立つ男である。

 

 何しろがたいが大きい。180センチ以上ある身長に、ガッシリした体付き。その筋肉質の体はまるで戦車のような印象を受ける。

 

 顔つきもいかつく、まるでお伽噺に出て来る鬼のような風貌をしていた。

 

 指定されたホテルの部屋に入ると、相手も気配を察したのか、奥の方から声が聞こえて来た。

 

「やあ丸橋君、待っていましたよ。さあ、入ってください」

 

 誘われるままに奥に行くと、ベッドに横たわって上半身だけ起こした、仮面の男が譲治に手を振っていた。

 

 男の名は由比彰彦。裏の世界では仕立屋というコードネームで知られ、他者の作戦を支援して報酬を得る事を生業としている人間である。

 

 先頃、武偵殺し事件に介入して世間を騒がせた事は記憶に新しい。

 

「具合はどうだ?」

「まあ、ぼちぼちと言ったところです」

 

 そう答える彰彦の声には、まだ張りが戻っていない。どうやらまだ本調子ではないようだ。

 

「お前らしくも無いな」

「まあ、風邪は拗らせると厄介ですからね。治るには、もう少しかかりそうですよ」

 

 彰彦はハイジャックしたANA600便から逃走するのに、スーツの下に格納できるパラシュートを用いた。

 

 ハイジャック機の中で友哉に語った通り、彰彦はどんな作戦であっても常に万端の準備を整えて行動するようにしている。万が一の時の逃走手段も例外ではない。これは彼が臆病ゆえではない。そう言った備えをする事は彼にとってある種の信念であり、それを怠った者は必ず失敗すると信じていた。

 

 とは言え、パラシュートで降下したのは4月の東京湾。それも折からの嵐である。連絡を入れた譲治が救出に来るまで4時間近くも海面を漂っていたせいで、すっかり風邪をひいてしまった。

 

「いや、みっともない姿をお見せして申し訳ありませんね」

「構わん、それより、仕事の話だ」

 

 譲治が彰彦の仲間として行動し始めてから大分経つが、出会った頃からこのように素っ気ない性格であった。こればかりは変える気が無いらしい。

 

「デュランダル女史から連絡がありました。本日より行動を開始するとの事です。彼女の今回の目的は、この娘」

 

 そう言って彰彦は一枚の写真を差し出す。そこには、日本人形のような清楚さを漂わせる一人の少女が立っていた。

 

「巫女か」

「はい。名前は星伽白雪。武偵校では期待のステルス、すなわち超能力者だそうです」

 

 譲治はもう一度、写真の中の白雪に目をやる。見るからに華奢な体付き。とても荒事に向いているようには見えないが、相手が超能力者であるなら、外見で判断する事はできない。

 

「判った。それで、おれはどうすれば良い?」

「デュランダル女史への支援役として、既にあの娘を潜り込ませていますが、それとは別にもう一手打ちます。間もなくアドシアードが始まり学園島は結構な賑わいを見せる事になるでしょう。あなたはそれに乗じて学園島に潜り込み、彼女の行動開始に合わせて、陽動作戦をお願いします」

「俺に潜入任務か、向かんと思うが?」

 

 何しろこの容貌である。どこにいても目立ってしまう。武偵校なら絶対に諜報科と探偵科には入れない人物である。

 

 その言葉に、彰彦は仮面の奥で笑みを見せた。

 

「なに、心配はいりません。時間はそう長くありませんし、それにアドシアードの見物に来た客だと言えば誰も疑ったりしませんよ」

 

 それに、と彰彦は続ける。

 

「あの娘は、あくまで私達にとって協力者に過ぎません。私がこの状態である以上、誰か1人、確実性の高い手駒を送り込んでおきたいのですよ」

「それが俺か」

「ええ、お願いしますよ」

 

 そう言って彰彦は再びベッドに横になった。

 

 譲治は写真を胸ポケットに仕舞い込んで立ち上がろうとした。

 

「ああ、そうだ」

 

 そこで彰彦が呼びとめる。

 

「作戦に当たって、彼には充分注意してください」

「彼?」

 

 彰彦は横になったまま言った。

 

「緋村友哉君です」

 

 その名前は譲治も聞いていた。彰彦がその少年に敗北した事も。

 

「それ程か?」

「剣先にはまだ迷いが見られました。それに、まだまだ発展途上な面も見られます。しかしそれでも尚、私と互角以上に戦った相手です。油断はできません」

 

 そう告げる彰彦の瞳は、仮面の奥で鋭く光っているのが判る。

 

 この男がそう言うのだから、誇張や偽りはない。長い付き合いで、譲治にはそれが判っていた。

 

「判った。憶えておこう」

「お願いします」

 

 そう言うと、彰彦は布団をかぶり直す。

 

 それを見て、譲治は部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イテテテ」

 

 キンジは自分の頭を押さえながら、しかめっ面をしている。

 

 話を聞くところによると、どうやらアリアがまた何かを始めたらしく、その巻き添えと言う形で付き合わされてしまったらしい。

 

「大丈夫?」

 

 友哉が心配そうに尋ねると、何でもないと言う風に手を振って来る。

 

 既に時刻は下校時間。二人の周りにも同じように鞄を下げて歩いている武偵校生徒が何人かいる。

 

 結局、今日は陣に会う事ができなかった。デュランダルを焙りだすには、まず情報の面から当たらなくてはならない。

 

 情報科に知り合いがいない友哉だが、人海戦術を駆使すれば情報科と同じ行動ができる筈。その点で行けば陣は元不良グループのリーダーと言うだけあり、お台場周辺に顔が効くのだ。

 

 デュランダルがどのような手段で超偵をさらうにせよ、実行の段階では必ず直接姿を現す筈だ。それには学園島に侵入する必要がある。

 

 学園島は東京湾に浮かぶ人工島だ。侵入経路は2つ。レインボーブリッジを通るか、海から密かに上陸するか、である。

 

 陣に情報収集してもらえれば、陸路は潰す事ができ、友哉は残る海路に意識を集中すれば良い事になる。

 

 相手の選択肢を潰す。こうした情報戦では、それが基本的な戦術の一つとなる。

 

 その時、二本のピンク色の線が視界の中によぎった。

 

 と、思った瞬間、目の前に躍り出た人物がキンジめがけて木刀を振り下ろした。

 

 ガンッ

 

 小気味良い音と共に、木刀はキンジの脳天を直撃した。

 

「イッテェ!?」

「おろッ?」

 

 頭を抱えるキンジに、驚く友哉。

 

 その目の前で通り魔、神崎・H・アリアが木刀を振り下ろした状態で立っていた。

 

「もう、一度くらい成功させなさいよね、真剣白刃取り」

 

 困ったように言うアリア。一体、これがどんな練習なのか、友哉にはさっぱり判らなかった。

 

「お、お前なぁ~~~」

 

 恨みがましい目でアリアを見るキンジ。

 

 その時だった。

 

《あ~・・・・・・2年B組の・・・星伽白雪、この放送聞いてたら・・・て言うか、聞いてんでしょ。すぐ教務課まで来なさい。以上・・・・・・》

 

 ものすごく気だるげな声が校内放送から聞こえて来た。

 

「今のは、綴先生?」

 

 尋問科の綴梅子は白雪の担任でもある。

 

 しかし(キンジ関連以外では)品行方正かつ成績抜群の白雪が教務課に呼び出しとは穏やかではない。

 

 一体何があったのか。

 

 そう思った時、アリアがまるで勝機を掴んだと言わんばかりに、身を乗り出して来た。

 

「これはチャンスだわ」

「あ?」

「おろ?」

 

 突然何を言い出すのか。意味の判らない友哉とキンジは互いに顔を見合わせる。

 

「これは、あの凶暴女を遠ざける良い機会よ」

 

 そう言うと、元祖凶暴女たる神崎・H・アリア嬢は二人に向き直り、

 

「キンジ、友哉、今から一緒に教務課に潜入するわよ」

 

 それはそれは、素敵に遠慮したい提案をなさったのだった。

 

 

 

 

 

 通風口のダクトの中を匍匐前進しながら、アリアはこうなった経緯を語った。

 

 それによると、アリアは白雪の手によると思われる嫌がらせを受けていたらしい。

 

 アリア曰く、廊下を歩いていると視線を感じたり、渡り廊下から水をぶっかけられたり、下駄箱に「泥棒猫」と書かれた手紙(猫のイラスト付き)が入っていたり、と。

 

 確かに。キンジはもとより、白雪の性格の片鱗を知っている友哉にも、彼女ならそれくらいやりそうだと言う思いはあった。

 

 だが、最後の一つは洒落にならなかった。

 

 何でも、アリアの使っている更衣室のロッカーにピアノ線が張られていたとか。背の低いアリアはロッカーに潜り込まないと物を取れない。それを見越してのトラップだったのだろうが、下手をすればアリアの首が切断されていた可能性もある。

 

 そうこうしている内に、綴の部屋の通風口まで辿り着いた。中から話し声が聞こえて来る所を見ると、既に白雪は来ているらしかった。

 

 三人はそれぞれ、覗き込むようにして通風口から顔を出してみた。

 

「星伽、あんた最近急に成績落としてるわよね。何かあったの?」

 

 髪をベリーショートにした細身の女性、2年B組担任の綴梅子が、煙草を吹かしながら、目の前に座った白雪と話している。

 

「単刀直入に聞くけど、あんた、あいつにコンタクトされてんじゃないの?」

「デュランダル、ですか?」

 

 その話が出た瞬間、友哉と、そしてアリアはピクリと反応した。

 

 友哉としては、ここで白雪自身から何らかの情報をえられれば、事件捜査に少し前進が見られる所である。

 

 だが、現実はそううまくいかなかった。

 

「いえ、そんな事はありません。それに、デュランダルが実在するなら、私なんかよりももっと大物を狙うでしょうし」

「星伽、もっと自分に自信持とうよ。あんたはうちの秘蔵っ子なんだよ」

「そんな・・・・・・」

「何度も言ってるけど、いい加減ボディガードくらい付けなって。諜報科のレポートじゃデュランダルがアンタを狙っている可能性が高いってレポートが出てるし、超能力捜査研究科でも似たような予言出てるんでしょ?」

 

 それは友哉も呼んだレポートの内容だった。当然、同じ物を教師陣も目にしている筈である。

 

 どうやら今回、綴が白雪を呼び出した本当の理由は、成績云々よりもデュランダル絡みの事が大きいらしい。

 

 しかし綴の再三の説得にも、白雪はなかなか首を縦に振ろうとしない。

 

「でも、私はキンちゃ、幼馴染の子のお世話をしたくて、ボディガードを付けると、その子のお世話ができなくなっちゃう・・・・・・」

「アドシアードの期間中だけでも良いからさ。どう?」

 

 綴がそう言った時、それまで黙って聞いていたアリアが、何を思ったのか通風口のカバーをパンチ一発でこじ開けた。

 

「そのボディガード、あたしがやるわ!!」

 

 そう言い放つと、スカートが盛大に捲れ上がるのも構わず通風口から飛び降りて見事着地を決める。

 

 と、それを見ていたキンジがバランスを崩し、着地を決めたアリアの上に頭から落下した。

 

「ギャッ!?」

「ムギュ!?」

 

 二人折り重なって煎餅みたいになるキンジとアリア。

 

「ちょ、ちょっとキンジ、どこに頭押し付けてんのよ!?」

 

 顔を真っ赤にして騒ぐ二人。

 

 こうなったら一人隠れている訳にもいかないので、友哉も通風口から飛び降りた。

 

「ん~、これ、どういう事?」

 

 綴は突然現れた三人組を睨み、ツカツカと歩み寄って来ると、アリアのツインテールを片方掴み上げた。

 

「何だ、誰かと思ったら、この間のハイジャックトリオじゃん」

「イッタ、痛いわよ、離して!!」

「この娘が神崎・H・アリアちゃん。武器はガバメントの二丁と小太刀の二刀流。付いた渾名が『双剣双銃(カドラ)』。欧州で活躍したSランク武偵ね。で、弱点は確か、およ、」

「わーわーわー!!」

 

 何かを言い掛けた綴の言葉を、アリアは強引に遮った。

 

「そ、それは弱点じゃないわ。浮き輪があれば大丈夫だもん!!」

 

 アリア、自爆。

 

 どうやらアリアはカナヅチであるらしい。まあ、雷の事も含めて、人間何かしら弱点があった方が可愛げも出ると言う物である。

 

 綴は次にキンジに目を向けた。

 

「で、こっちは遠山キンジ君」

「あー、俺は来たくなかったんですが、こいつが勝手に・・・・・・」

 

 そう言ってアリアを差しつつ、無駄な抵抗をするキンジ。

 

 しかし綴は構わず続ける。

 

「性格は根暗で非社交的。しかしある種のカリスマ性を備えている。武器はベレッタM92の違法改造型。三点バーストとフルオートが可能な、通称キンジモデルだっけ?」

 

 その言葉が出た瞬間、キンジはあからさまに顔を青くして目線を逸らした。

 

「い、いや、それはハイジャックの時に無くしました。今はれっきとした合法の物を、」

装備科(アムド)に改造の予約入れてるだろ?」

 

 ギクッと言うキンジの心臓の音が聞こえたような気がした。

 

 綴は続いて、友哉に視線を向けた。

 

「そんでもって、そっちが緋村友哉君。飛天御剣流とか言う剣術流派の使い手で、武器は峰と刃が逆になった日本刀、通称『逆刃刀』だっけ? アンタ、銃くらい持ちなさいって教務課から何度も言われてんでしょ」

「いや、まあ、前向きに検討してます」

「不正隠しの言い訳する政治家か、アンタは」

 

 呆れたように言いながら、綴は椅子に座りなおした。

 

「で、ボディガードするってのはどういう事?」

「言った通りよ」

 

 アリアが立ちあがって言う。

 

「あたしが白雪の護衛をやるわ。二十四時間体制で、もちろん無償で良いわ」

「へえ」

 

 綴は面白い物でも見たと言うふうに感心しながら、白雪に視線を向けた。

 

「星伽、何か知らないけど、Sランク武偵がロハで護衛してくれるらしいよ。どうする?」

「嫌です」

 

 一も二も無く、拒否する白雪。

 

「アリアと二十四時間一緒だなんて、けがらわしい!!」

 

 いや、けがらわしいって。

 

 呆れる一同を余所に、スカートの下からガバメントを抜いたアリアが、その銃口をキンジの側頭部に突きつけた。

 

「あたしに護衛させないと、こいつを撃つわよ」

「おいおいっ」

「おろ・・・・・・」

 

 なぜにそうなるのっ!?

 

 心の中で激しく突っ込みを入れる友哉とキンジ。

 

 だが、白雪には効果があったようだ。

 

「ど、どうしてもって言うなら、条件がありますッ」

 

 そう言うとギュッと目をつぶり、右手を真っ直ぐ伸ばしてキンジを差した。

 

「き、キンちゃんも、私の護衛して。24時間体制で。私も、キンちゃんと一緒に暮らすぅ!!」

 

 その瞬間、教務課が凍りついたのは言うまでも無い事だった。

 

 

 

 

 

第2話「時期外れの転校生」     終わり

 



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第3話「迫撃の槍兵」

 

 

 

 

 

 

 

 

 午前中にキンジの部屋での作業を終えた友哉は、私服に着替え、手には竹刀袋に入れた逆刃刀だけを持ってお台場へと繰り出していた。

 

 白雪の護衛をキンジとアリアが行う事に決まり、白雪は当面、キンジの部屋に住む事になった。その引越しの手伝いをしていたのだ。

 

 友哉としては、これは非常にありがたい事だ。

 

 デュランダルに狙われている可能性が最も高い人間が白雪であるなら、こちらもその護衛に人員を割かねばならない。となると必然的に、本命であるデュランダル捜査の方の人員を減らさざるを得なくなる。

 

 その白雪の護衛をキンジとアリアが担当してくれる。しかも護衛期間中、白雪はキンジの部屋で寝泊まりすると言う。そしてキンジの部屋が友哉の部屋と隣である事を考えると、友哉も間接的に護衛に参加する事ができると言う訳である。

 

 これで心おきなく、友哉は魔剣狩りに傾注できる。

 

 その一環である策を実行すべく、友哉はお台場に来ていた。

 

 指定されたうどん屋に入ると、友哉はカウンター席に腰を下ろした。

 

 注文をして暫くすると、すぐ隣に座る人間があった。

 

「よう、悪いな、呼びだしちまって」

「いや、良いよ、元々は僕が受けた依頼に付き合ってもらってるんだからね」

 

 隣に座った陣に、そう言って笑い掛ける。

 

 お台場に実家がある陣は、寮には入らず毎日バス通学をしている。その為、学外で会うならこうしてお台場の店で会うのが最適なのである。

 

「親父、俺は月見な。あと、天麩羅も付けてくれよ」

 

 陣も注文して、友哉は向き直る。

 

「それで、話ってのは?」

「うん、これは教務課から回って来た依頼なんだけど」

 

 友哉はそう言うと、依頼内容について説明する。

 

 話を聞くにつれ、陣もその顔を険しくする。

 

「ふうん、そいつは何でまた、超能力者ばっかり狙ってるんだ?」

「それは、僕に聞かれても・・・・・・」

 

 そう言って友哉は苦笑する。

 

 実際、デュランダルは存在自体が不確かな存在だ。そこに動機を探れと言うのは更に困難な話である。

 

「だがな、俺ァ、どうにもあのステルスって奴がイマイチ理解できねえんだよな」

「陣は確か、星伽さんと同じクラスだったよね」

「まあな、もっとも、まだあんま話した事ねえがよ」

 

 無理もない。陣はまだ転校してきたばかり。一方の白雪も恐山から帰って来たばかり。そんな二人に接点があったとは思えない。

 

 やがて、二人の注文した品が運ばれて来た為、揃って割り箸を取って食べ始める。

 

 その食事も半分ほど進んだ所で、陣の方から口を開いた。

 

「で、俺は何をすればいいんだ?」

「うん、君はこの近辺に顔が効くんだよね。その情報網を駆使してできるだけ情報を集めて。特に人の出入りについて重点的にやってほしいんだ。いつもとは違う人間、あるいは違う物の出入り、そう言う事があったら僕の方に報告してほしい。できる?」

「任せろ。それくらい召集を掛ければ一発だ」

 

 そう言って頼もしく請け負う。

 

 陣は食べるのも早いのか、彼の前には既に空のお碗があるだけだった。

 

「宜しく頼むよ」

「あいよ、任せとけ。そんじゃな」

 

 そう言うと、陣は背中越しに手を振りながら店から出て行った。

 

 これでこちらの策は、また一つ形を成した。デュランダルが如何に不確定な存在とは言え、まさか人知を越えた生命体と言う訳ではないだろう。ならば人間である以上、必ずそこに動いた形跡が残る筈。それを追い掛け、そして追い詰める。

 

 いわば、デュランダル包囲網。それが、友哉の立てた作戦だった。

 

 姿無き相手を追い詰めるなら、こちらも相応の備えが必要だった。

 

「おっと、もうこんな時間か」

 

 友哉は腕時計を見て呟いた。この後、瑠香と茉莉と一緒に買い物に行く約束をしているのだ。

 

「御馳走様、美味しかったです」

 

 財布を取り出して立ち上がる。

 

 すると、

 

「あいよ、さっきの兄ちゃんの分と含めて、2550円な」

「・・・・・・おろ?」

 

 思わず絶句した。

 

 陣はどうやら、金を払わずに店を出たらしい。そう言えば、前にもこんな事があった気がする。

 

 もしかして陣は喰い逃げの常習犯だったりするのだろうか?

 

 因みに、武偵のルールの一つとして、「武偵三倍刑」と言う物がある。武偵が罪を犯したら、通常の三倍に相当する刑罰が科せられると言う物である。当然、喰い逃げの罪も三倍になる。

 

 できたばかりの友人をそんな事にはしたくない。

 

 と言う訳で、友哉は泣く泣く陣の分も勘定を払うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 予想外の出費によってかなり軽くなった財布を片手に、待ち合わせの場所まで行くと、既に二人の少女は来ていた。

 

「友哉君、おっそぉぉぉい!!」

 

 瑠香が両手を振り回しながら叫んでいる。

 

 今日は彼女も私服だ。紺色の長袖Tシャツの上からベストを羽織り、舌は短パン、素足は大胆に出している。彼女のショートヘアと相まって活動的な格好だ。

 

 一方の茉莉は、こちらは見慣れた制服姿だ。臙脂色の防弾制服を着こみ、普段通りのショートポニーが頭の後ろで結ばれている。

 

 今日、この二人と買い物に出たのには訳があった。

 

 友哉は今回の作戦において、二人の協力を得ようと考えたのだ。茉莉は探偵科、瑠香は諜報科、索敵、調査には最適である。

 

 陣が陸路を封鎖し、友哉、茉莉、瑠香の3人で海路、及び学園島内部のカバーを行う。これでデュランダル包囲網の完成となる。

 

 しかし、それに対する報酬と言うのが、『茉莉の私服を買いに行く』事になるとは思わなかった。

 

 寮で彼女の隣に住んでいる瑠香の話によれば、茉莉は私服と呼べるものは全く持っていないとか。それを察した瑠香が買い物に誘ったのだ。

 

 もっとも、それ以外にも成功報酬はきっちり払わないといけないだろうと友哉は思っているが。

 

 とは言え、本当に私服を持っていないとは。茉莉は一体今までどんな場所で暮らしていたのか。

 

「それで、どこに行くの?」

「うん、まずは、」

 

 そう言いながら、瑠香は携帯のGPSを確認している。

 

 そんな中で、茉莉は一人、何をするでもなくボーッと立ち尽くしている

 

「瀬田さんは、何か欲しい服とかあるの?」

「何でも良いです」

 

 何ともやる気に欠ける返事を返され、友哉は苦笑するしかなかった。

 

「まずはこっちからだよ、行こう」

 

 二人を先導するように、瑠香は歩きだす。それに従うように、友哉と茉莉も歩きだした。

 

 

 

 

 

 路地の壁に背を預けたその人物は、楽しげに会話しながら歩いていく三人の男女を見詰めている。

 

 向こうはこちらの存在には気付いていない。そのまますぐ目の前を通り過ぎて行く。

 

「あれが・・・・・・そうか」

 

 低い声は、喧騒の中へと消えて行く。

 

 男の鋭い眼光は尚も少年達の背中を見据えている。

 

「さて、本当に言うほどの実力があるのかどうか」

 

 己の内から高ぶる物があるのが判る。

 

 先祖から受け継いだ武人としての血が疼いてくるようだった。

 

 

 

 

 

 瑠香が連れて行った店は、10代女子に人気のあるファッションモールで、瑠香の友人等もよく利用しているそうだった。

 

 冬が終わり春になった事で、それまで厚着中心だった服も、大分生地が薄くなっているのが見ていて判った。

 

 しかし、ここは女性用のモールな訳で、

 

 見た目はともかく、生物学的に男である友哉が来るには少々難儀な場所である事は間違いない。

 

 が、

 

「やだ、あの娘可愛い」

「誰か待ってるのかな?」

「どこの娘だろう?」

 

 何やら勘違いした視線を感じるのは気のせいだと思いたいところだ。

 

「やれやれ、困ったね」

 

 友哉は溜息をつきながら、1人ベンチに座っている。

 

 ここはモールの中にあるランジェリーショップ。どうせなら下着から買いたいと言う事で、瑠香はノリノリで茉莉の背中を押して店の中へと入って行った。

 

 当然、友哉はそこで締め出される。勿論、友哉とて、好んでこんな場所へ突撃したがる勇者ではない。

 

 と言う訳で、友哉はランジェリーショップの前のベンチで待たされているのだが、

 

 これが居心地悪い事悪い事。

 

 ただでさえ女の子の買い物に付き合うのは面倒だと言うのに、それが下着売り場とあっては尚更である。

 

 二人が入って、かれこれ三十分以上になる。いい加減、周囲の人間の目も痛くなって来たところだ。

 

 いっそのこと、どこか別の場所で暇でも潰そうかと思いたいところだが、今日の会計は自分が持つと言ってしまった為、それも出来なかった。

 

 その時、

 

「お待たせしました」

 

 感情の起伏が薄い声ととともに、目の前に人影が立つのが判った。

 

 見れば、変わらず武偵校制服を着た茉莉がそこに立っていた。

 

「や~、お待たせ、友哉君。なかなか決まらなくてさ」

 

 遅れて出て来た瑠香が、鞄に財布を仕舞っている。

 

「それで、料金は?」

「あ、それはあたしが払って、後で纏めて友哉君に請求するから」

 

 何やらそれはそれで、後が怖いような気がしてならないのだが、それで良いと言ってしまった手前、今更後には引けなかった。

 

「フフフ~、それにしても、なかなか良い物が買えたよ。ね~、茉莉ちゃん」

 

 最早、瑠香の中では茉莉の呼び方は固定されてしまっているらしい。まあ、仲がいいのは悪い事じゃないが。

 

「ん~、でもやっぱり、あっちの方でも良かったような気がするんだけどな」

 

 などと言いつつ、瑠香の手はあろうことか茉莉のスカートを後から捲り上げていた。

 

「お、おろっ!?」

 

 角度的に友哉からは見えないが、完全にアウトなめくれ方であった。

 

「し、四乃森さん!?」

 

 慌てた調子で茉莉は、自分のスカートを押さえる。

 

 その顔が、ほんのり赤く染まっている。

 

『へえ、こんな顔もするんだ』

 

 意外な一面を見たような気がして、友哉は少し驚いた。転校してからこっち、どうにも感情の薄い娘のような印象しか無かったが、こうして見ると、転校したばかりで緊張していたせいもあるのかもしれなかった。

 

 そんな茉莉の目が友哉に向けられる。

 

「・・・・・・見ましたか、緋村君?」

「い、いや、見てない」

 

 慌てて眼を逸らす友哉。

 

「だめだよ、茉莉ちゃん。友哉君がこの手の顔をしてる時は、大抵嘘ついてる時だから」

「いや、何いきなり人の癖をでっち上げてるのッ?」

「大丈夫、あたし尋問科(ダギュラ)に友達いるから、今から呼んで吊るし上げ、じゃなくて問い詰めよう」

「いや、今本音が出たよね。ッて言うか、スカートめくったの瑠香でしょ。何で僕が責められてるわけ?」

 

 その友哉の言葉に、瑠香が「しまった、ばれたか」という顔をした。

 

「瑠香・・・・・・」

「あはは、じゃあ、あたしちょっと、飲み物でも買ってくるね」

 

 そう言うと瑠香は、諜報科としての逃げ足の速さを遺憾なく発揮して足早に去って行った。

 

「まったく・・・・・・」

「楽しい娘ですね」

 

 茉莉が元の無表情に戻って言った。

 

「ああ言う娘が近くにいるなら、きっと毎日楽しいのでしょうね」

「ああ、おかげさまで、退屈しない毎日を送っているよ」

 

 そう言うと友哉は茉莉を促して、ベンチの傍らへと座らせる。

 

 茉莉が腰を下ろした瞬間、ふわっとした良い匂いが友哉の鼻腔に舞い込んで来た。

 

 瑠香やアリアとも違う、どこか自然に吹く風を感じさせる、そんな匂いだった。

 

「瑠香はどうやら、君の事を気に入っているみたいだ。できれば、これからも仲良くしてくれるとありがたいんだけど」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉の言葉に対し、茉莉は返事を返そうとしない。ただ、自分の足元を見詰めたままジッとしている。

 

「瀬田さん?」

「・・・・・・すみません」

 

 やがて、彼女の口から出たのは謝罪の言葉だった。

 

「おろ?」

「私には、どうしてもやらなくてはならない事があるんです。それを成すまでは、自分自身の事を考える訳には行きません」

 

 そう告げる茉莉の瞳は、何か硬い決意を宿しているようで、一種の拒絶にも似た雰囲気を醸し出していた。

 

 この華奢な少女が、何かその身に余る重荷を背負っているのではないか。友哉にはそう思えてならなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・判った」

 

 ややあって、友哉は言った。

 

「君がそう言うんだったら、無理強いはできないね」

「すみません」

「でもさ、」

 

 謝る茉莉に、友哉は更に続ける。

 

「困った時は、いつでも言って。僕や瑠香はいつでも君の助けになるよ」

 

 その言葉に、茉莉は意外そうな面持ちになる。まるで、友哉の言葉の意味が判らないと言った感じである。

 

「なぜ、そのような事を言うんですか?」

「おろ?」

「私とあなたは、ついこの間知り合ったばかりです。それなのに、なぜ・・・・・・」

 

 知り合ったばかりの自分に、ここまでしてくれる友哉や瑠香の存在が、茉莉には不思議でならない様子だった。

 

 対して、友哉はニッコリと笑って見せる。

 

「武偵憲章一条『仲間を信じ、仲間を助けよ』だよ。仲間が困っているなら、僕達はたとえどんな状態であっても助けに行く。それに、」

「それに?」

「実際、そんな物が無くても、友達が困っているなら、助けたいって思うのが普通でしょ」

「友達・・・・・・・・・・・・」

 

 まるで新しい外国語でも聞いたかのように、茉莉は友哉の言葉を反芻する。

 

「僕達は、もう友達、でしょ?」

 

 そう告げる友哉に、茉莉は少し視線を逸らす。

 

 友哉の位置から、その表情を覗う事はできなかったが、どうにも照れているのを隠している仕草に見えない事も無かった。

 

 ちょうどその時、向こうから瑠香が走って来るのが見えた。手に抱えているのは買って来た飲み物だろう。

 

「あの娘も、きっと君の事をそう言う風に思っているんじゃないかな」

 

 そう言うと、走って来た瑠香からペットボトル入りのお茶を受け取る。

 

「友達・・・か・・・」

 

 そんな彼等に気付かれないように、茉莉はそっと口に出して呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局その後、瑠香のエスコートに従い、数件のファッションショップを梯子し、茉莉に合った服を何点か見繕う事ができた。

 

 最後の店を出た時には日は完全に傾き、夜の帳が下りようとしている所だった。

 

 友哉は両手に紙袋を持ち、少し疲れた調子で歩いている。

 

 瑠香の買い物好きは今に始まった事じゃないが、今日は何やらいつも以上に気合が入っていた気がする。

 

 疲れていると言えば、茉莉もまた同様だった。

 

 何しろ、今までファッションと言う物に殊更無頓着だった少女である。それが今日一日瑠香に振り回され、散々着せ替え人形にされたのだ。これで疲れない訳が無い。

 

「いや~、でも良かったよ、茉莉ちゃんの可愛い服いっぱい買えて。これで、当分は私服に困らないね」

 

 一人、全く疲れていない瑠香が、満足げにそう言う。彼女としては目いっぱい茉莉(おもちゃ)で堪能して、さぞご満悦な事なのだろう。

 

「そだ、茉莉ちゃん。お部屋に帰ったら、今日買った服、全部着てみようよ」

「ま、まだやるんですか・・・・・・」

 

 流石の茉莉も、げんなりした様子でそう言った。

 

 そんな少女達の様子に、友哉は苦笑した。

 

 その時、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は足を止める。

 

 その鋭い視線が、自分達の進む先、薄暗くなりかけた路地の向こうに佇む人影に気づいたのだ。

 

「友哉君?」

 

 友哉の変化に気付いた瑠香と茉莉も、揃って足を止める。

 

 そんな3人の耳に、ゆっくりと近づいて来る足音が聞こえて来た。

 

 闇の中からにじみ出るようにして現われたのは、まるで巌のようなお男であった。

 

 ガッシリした肉付きの巨体は、まるで立ちふさがる壁のようだ。顔は覆面をしている為見る事ができない。そして、その手には巨大な槍を携えていた。

 

 次の瞬間、覆面男は槍を掲げ、何の警告も無しに斬り込んで来た。

 

「ッ!?」

 

 とっさに紙袋を投げ捨てると、友哉は茉莉と瑠香を両手に抱えて横に跳び退いた。

 

 吹き抜ける槍は、間一髪のところで友哉達を掠め去っていく。

 

 着地しながら、竹刀袋を縛っている紐に手をやる友哉。

 

 その視線は、謎の襲撃者に油断なく注がれる。

 

「あなたは誰ですか? なぜ僕達を襲うんです?」

 

 問いかけに対し、覆面男はゆっくりと振り返りながら、腕を伸ばす。

 

 指示された指の先には、地面に座り込んでいる茉莉の姿があった。

 

「そこの娘、こちらに渡してもらおうか?」

「え?」

 

 突然名指しされ、茉莉は戸惑った様子で男を見上げる。

 

 なぜ、自分を欲するのか判っていない様子だ。

 

 そんな二人の間に、友哉が割って入った。

 

「事情は判りませんが、こんな暴力で友達を連れて行くのは許しません」

 

 そう言うと袋を解き、逆刃刀の柄に手をやった。

 

 対して覆面男は無言のまま、槍の穂先を友哉に向けた。

 

 次の瞬間、男が猛然と槍を繰り出して来た。

 

 対して友哉も、穂先を払うべく刀を繰り出す。

 

 しかし、

 

「ッ!?」

 

 覆面男の槍は所謂十文字槍であり、穂先の両脇に更に二本の刃が枝のように飛び出ているタイプだった。

 

 その枝に、逆刃刀を引っ掛けて来た。

 

「クッ!?」

 

 とっさに後退する事で拘束から逃れようとする。

 

 だが、間合いの広い槍使い相手に、後退するのは自殺行為に近い。

 

「ぬんッ!!」

 

 そのまま地面を踏み込むような勢いで、更に突きを繰り出す覆面男。

 

 だが、次の瞬間、友哉は高速で覆面男の横に回り込み、フルスイングの要領で逆刃刀を覆面男の胴めがけて振るう。

 

 その一撃が入るかと思われた瞬間、

 

「甘いッ」

 

 地を割るような声と共に、覆面男は槍を旋回させ柄で薙ぎ払いを掛けた。

 

 一般に槍とは刺突武器だと思われがちだが、その長柄の遠心力を利用した大威力による打撃、斬撃もまた槍の重要な攻撃要素と言える。

 

「クッ!?」

 

 とっさに攻撃を諦め、刀で受ける友哉。

 

 だが、覆面男の膂力は凄まじく、友哉はそのまま持ち上げるように大きく吹き飛ばされた。

 

「友哉君!!」

 

 吹き飛ばされる友哉を見て悲鳴を上げる瑠香。その視線の先で、友哉は空中で宙返りし、辛うじて地面に着地する事に成功していた。

 

「四乃森さん、援護をッ」

「う、うん」

 

 そう言うと、二人は銃を取り出して構えた。

 

 瑠香は先日のハイジャック事件の後、買い直したイングラムM10サブマシンガンを構える。

 

 一方の茉莉の手にはベルギー製自動拳銃ブローニング・ハイパワーDAが構えられた。高い信頼性と実用性から、50カ国以上の軍や警察で正式採用されているベストセラー銃である。

 

 少女達が引き金を引き、放たれる弾丸。

 

 対して男は身じろぎすらせずに、全身で弾丸を受け止める。

 

「グッ」

 

 命中弾は多数。

 

 男の口からは僅かに声が漏れる。が、それだけだ。

 

 だが、覆面男は身じろぎすらしていない。恐らく、防弾服を着こんでいるのだろうが、弾丸の着弾を受けてダメージを受けていないあたり、かなり体を鍛えている事が窺えた。

 

「そんな・・・・・・」

 

 銃が効かないとなると、少女達にできる事は無くなってしまう。

 

 一方、友哉は腕を振って痺れを解消しながら立ち上がる。

 

 覆面男は見かけによらず、槍の扱いにはかなり習熟していると見た。

 

 流派は恐らく、宝蔵院流槍術。

 

 奈良興福寺の僧、宝蔵院覚禅房胤栄が創設した十文字槍を使用した流派であり、彼の剣豪、宮本武蔵が決闘を挑んだ事でも有名な流派である。

 

 槍と相対する時は、その内懐に飛び込めば有利とされるのがセオリーであるが、この宝蔵院流にはそのセオリーが効かない。「突けば槍 薙げば薙刀 引けば鎌 何につけても逃れざらまし」と詩で詠まれている通り、極めれば死角が一切存在しないのだ。

 

 感覚の戻った右手で刀を持ち、友哉は刀を片手平正眼に近い形で構える。

 

 対して覆面男も、槍を友哉に向け直した。

 

 対峙する一瞬。

 

 仕掛けたのは覆面男の方だった。

 

「ウォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 雄叫びと共に、鋭い刺突が友哉に襲い掛かる。

 

 対して友哉は向かって来る槍の穂先を真っ直ぐに見据え、

 

 命中の直前、大きく体を右に逸らした。

 

 だが、まだだ。

 

 覆面男は膂力を使って槍を引き戻し、枝で友哉を切り裂こうとする。

 

 しかし、

 

 次の瞬間、友哉は回避の勢いを殺さずに体を一回転させると、回転の勢いを刃に乗せてそのまま覆面男に繰り出した。

 

「飛天御剣流、龍巻閃!!」

 

 とぐろを巻いた龍が、その牙で獲物に食らいつくが如く、友哉の剣は無防備に晒された男の背中を強打した。

 

「グオッ!?」

 

 神速の一撃に、男は思わず背中をのけぞらせる。

 

 いかに隙が無い攻撃ができるとしても、槍のような重量武器はどうしても攻撃に移るまでにタイムラグが生じる。その一瞬の隙を友哉は突いたのだ。

 

 友哉の一撃を受けて、男はよろめくように膝をつく。

 

 対して友哉は距離を取りながら慎重に刀を構えた。

 

 今の一撃でダメージは入ったようだが、それでも油断できる状況ではなかった。

 

 そんな友哉を前にして、覆面男はゆっくりと立ち上がるとそのまま踵を返す。

 

「何を」

「今日の所は退こう」

 

 突然の行動に戸惑う友哉に、覆面男は低い声で告げた。

 

「だが、近いうちにまた再戦する機会が来よう。その時まで息災でな」

 

 そう言うと、男は来た時と同様に闇の中へ滲み込むように去って行った。

 

 友哉もまた、戦闘は終わったと判断して刀を鞘に収める。

 

 そこへ、瑠香と茉莉が駆け寄って来た。

 

「友哉君、大丈夫?」

「怪我はありませんか?」

「うん、大丈夫だよ。それより、」

 

 友哉は茉莉に向き直った。

 

「あの男は、瀬田さんを連れて行こうとしていたみたいだけど、何か心当たりはある?」

「いえ、それが、全く・・・・・・」

 

 そう言うと、茉莉は顔を伏せる。彼女も、なぜ自分が狙われたのか判らない様子だった。

 

「そっか・・・・・・」

 

 友哉もそれ以上は追及せずにいる。

 

 デュランダルへの対応だけでも充分忙しいと言うのに、ここにきて更に別の案件が浮上してきた事になる。

 

 だが、武偵憲章一条「仲間を信じ、仲間を助けよ」

 

 友哉は先程茉莉に語った通り、自分の力の及ぶ限り、皆を助けるという決意に揺らぎはなかった。

 

 

 

 

 

 覆面の取ると、丸橋譲治は大きく息をついた。

 

 最後に友哉が放った一撃は会心と言って良く、背骨が折れると思えるほどの衝撃に襲われた。

 

 一応、衝撃を吸収する特殊素材を使った防弾服を着てはいたが、その服を貫く程の衝撃であった。

 

「噂に違わぬ、と言ったところか」

 

 そう言うと、壁に手をついて痛みに耐える。

 

 ちょうどその時、ポケットに入れておいた携帯電話が着信を告げる。

 

 相手は彰彦だった。

 

《私です。首尾はいかがですか?》

「問題無い。お前に言われた通りにやったぞ」

 

 今日の戦闘は彰彦の指示による物だった。買い物に出る友哉達を帰りに待ち伏せて襲撃すると言うのが内容であった。

 

《上出来です。これで緋村君は、彼女の事を疑いもしないでしょう》

 

 そう言うと、電話の奥で彰彦が笑みを浮かべているのが判った。

 

 デュランダルとそれを支援する者達は、着実に距離を狭めて来ている。

 

 その事に、まだ友哉達は気付いていなかった。

 

 

 

 

 

第3話「迫撃の槍兵」   終わり

 



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第4話「宵闇に咲く謀略の花」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アドシアードが近付くにつれて、学園島は徐々に賑わいを見せ始めていた。

 

 何しろ世界各国から人が集まる一大イベントである。国籍、人種に関わらず、総面積100万㎡の学園島は人に埋め尽くされる事になる。

 

 まさにデュランダルが活動するなら、最適な環境と言う事になる。

 

 友哉は自室のソファーに座り、山積みされた書類と格闘していた。

 

 陣が不良時代の仲間から集めたお台場周辺、更に芝浦、品川の情報。瑠香と茉莉が集めてくれた学園島内部の情報が今、テーブルの上に積み上げられている。

 

 しかし、予想していた事だが芳しい成果は上げていない。

 

 この中に有益な情報は、ほんの一摘みだろう。

 

 だが、これで良いのだ。

 

 友哉の作戦、「デュランダル包囲網」の本質は、敵の選択肢を潰す事にある。

 

 こうして、こちらが監視している事をデュランダルが感知すれば、それだけこちらを警戒して動かざるを得ない。つまり、その動きは鈍らざるを得ないと言う訳だ。

 

 その為、陣にはなるべく派手に、人目に付くようにやるよう指示を出している。デュランダルに、こちらの動きをわざと察知させるためだ。

 

『これで、デュランダルが、どう動くか』

 

 デュランダルは犯行を行う前段階として、必ず何らかの脅迫メールを被害者に送っているらしい。そちらの方はアリア達に頼んでそれとなく気に掛けて貰っているが、今のところ目立つ動きは無いらしい。

 

 と、

 

「友哉君ッ」

「おろ!」

 

 突然名前を呼ばれ、友哉は考え事を中断して顔を上げると、制服の上からエプロンを着込んだ瑠香が困ったような表情で立っていた。

 

「もう、いつまでこうしているつもり? 早くしないと遅刻するよ」

「ああ、ごめん」

 

 時刻は間もなく7時半を回ろうとしている。最近は事件調査も行っている為、以前より登校時間が遅くなってきているが、通学にバスを使わない友哉としては、そろそろ出発したい所である。

 

「瀬田さんも悪いね、付き合わせちゃって」

「いえ、構いません」

 

 茉莉は相変わらず起伏の少ない言葉で、友哉にそう返した。

 

 今までは瑠香が食事の準備をしに来て、一緒に食べるのが当たり前だったが、最近ではそれに茉莉も加わるようになった。瑠香と茉莉は仲が良いし、寮の部屋も隣同士である事から、この流れは自然な物であった。

 

 茉莉と言えば、結局この間の覆面男の事は、改めて考え直してみても、全く心当たりがないらしい。一体なんだったのか、真相は不明であるが、あの男の口ぶりからして、近いうちにまた現れる可能性はある。充分に注意する必要があった

 

「あっと、そうだ。今日は出発前に隣に寄って行くからね」

「隣・・・ああ」

 

 一瞬考えてから、瑠香は察したように頷いた。

 

 キンジが風邪をひいて、今朝から寝込んでいるらしい。

 

 昨夜勃発した第二次お隣大戦(命名:瑠香)の結果、巻き添えを食らったキンジは、窓から東京湾に突き落とされたらしい。その結果、見事に風邪をひいたのだとか。

 

 これは以前、キンジから聞いた事なのだが、彼は体質的に薬の類が効きにくいらしい。これは薬物に対する攻撃に耐性がある半面、回復薬も効きにくい事を意味していた。

 

 そんな訳で、風邪をひいてしまったキンジは大人しく寝ている以外にない訳である。

 

 勝手知ったる隣の部屋に入ると、3人は寝室へと進む。部屋の構造は友哉の部屋と同じである為、特に迷う事も無い。

 

 向かって2台ある2段ベッドの内、向かって左側の下段がキンジのスペースである。

 

「おはよう、キンジ。具合はどう?」

「お、おう、緋村、それに四乃森と瀬田も来てくれたのか」

 

 弱々しく目を開けるキンジ。どうやら、起きているのもつらいらしい。

 

「先生には、キンジが今日休むってのは伝えとくよ。あと、何か欲しい物とかあるんだったら、放課後買ってくるよ?」

「いや、飯は白雪が作って行ってくれたが、どうにも食欲がない。それに、薬が欲しいんだが、この辺じゃ売ってないからな」

「薬たっだら、あたし買ってきますよ?」

 

 瑠香の言葉に、キンジは力なく首を横に振る。

 

「いや、俺が飲む薬は特濃葛根湯っていうんだが、この辺じゃアメ横まで行かないと売ってないんだよ」

 

 それは、確かに面倒くさい話だ。アメ横は上野と御徒町の中間ぐらいに位置し、どちらの駅からも少し離れている。放課後に行くには少々手間が掛りそうだった。

 

「そう言う訳だから、あまり気にしないでくれ」

「判った、じゃあ、せめてプリントの配布とかあったら取っておくよ」

「おう、頼む」

 

 これ以上はキンジの負担になりかねないので、3人は早々に部屋を辞し、登校の途に付いた。

 

 とは言え、ここに来て友哉には不安材料が浮上しつつあった。それは、アリアと護衛対象である白雪の仲が悪すぎる事だった。

 

 何しろ、二人ともあの性格である。反りが合わないのは初めから予想できたことだった。

 

 今回の一件もその延長にある。何とかしないと、これが致命的な失策にも繋がりかねなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあね、友哉君、茉莉ちゃん!!」

 

 手を振りながら走って行く瑠香を見送ると、友哉と茉莉も二年生の教室の方へと足を向けた。

 

「そう言えば、」

 

 並んで歩きながら友哉は、横を歩く茉莉に話しかけた。

 

「何でしょう?」

 

 茉莉は友哉より少し背が低い為、向かい合って話すと彼女が見上げるような形になる。

 

「あの後、買った服は着てみたりしたの?」

 

 つい先日、お台場に瑠香と3人で買い物に出かけ、茉莉の私服をあれこれ買いこんで来たのだ。

 

 生憎と言うべきか、友哉はその服を着た茉莉をまだ見ていないのだが、瑠香曰く「ファッションショーのモデルさんみたい」と言う事だったので、ぜひ見てみたいと思っているのだが。

 

 対して茉莉は、少し視線を逸らして前を見た。

 

「その、四乃森さんが、よく私の部屋に来るので、それで・・・・・・」

「・・・・・・ああ」

 

 恥ずかしそうに口ごもる茉莉の様子に、友哉は大体の事情を察した。

 

 恐らく瑠香の手によって、ほぼ毎晩のように着せ替え人形にされているのだろう。買って来た服だけではすぐにレパートリーが無くなって飽きるかもしれないが、瑠香と茉莉は背も体型も似ているので、瑠香が自分の服を貸しているのかもしれない。

 

「はは、それは災難だね」

 

 と、言いつつ、一言付け加える。

 

「今度、僕にも見せてくれないかな?」

「恥ずかしいから嫌です」

 

 にべもなく断られ、苦笑するしかなかった。

 

 その時、

 

「おい、緋村」

 

 名前を呼ばれ振り返ると、友人の武藤剛気が片手を上げてこちらに歩いて来るのが見えた。

 

「武藤、どうしたの?」

「さっき、相良の奴がお前の事探してたぞ。何でも、屋上の方に来てくれってよ」

「判った、ありがとう。それじゃあ瀬田さん、悪いんだけど」

「はい、また後で」

 

 そう言って茉莉と別れると、友哉は屋上へと足を向けた。

 

 

 

 

 

 屋上へ上がると、すぐに見慣れたぼさぼさ頭が見えたので、手を振って合図をする。

 

 陣がわざわざ呼び出したと言う事は、何か進展があったのかもしれない。

 

 そう期待していたのだが、どうにも陣の顔は浮かない様子だった。

 

「どうかしたの?」

「いや、な」

 

 少し言いにくそうに、陣は話し始めた。

 

 何でも、友哉に頼まれた情報収集を始めてから、昔の仲間に異変が起こり始めたとの事だった。

 

「始めはちょっとした事だったんだがよ、どうも最近は立て続けなんだよ」

 

 陣の昔の仲間達が、何者かによって闇討ちされていると言うのだ。徐々にその人数は増え続け、ついには病院送りになった者も複数いるとか。

 

「ちょっとやそっとの事でビビるような連中じゃねえのは俺が保証するがよ。だが、流石に今回はやべぇ感じだ。何しろ、誰も襲った奴の姿を見てねえって言うんだからな」

 

 屋上のフェンスに身を預けながら、陣は少し沈んだ声で言う。彼としても、昔の友人が傷付けられるのは面白くない事だろう。

 

 だが、友哉はある一点、今の陣の話に気になる事があった。

 

「陣、誰も、襲撃者の姿を見てないって言ったよね」

「ああ、何でも殆どが不意打ちだったらしいからな」

 

 デュランダルは「姿無き」誘拐犯である。そして、今回の襲撃者の姿を「誰も見ていない」。この二つの共通点が、友哉の中で歯車を組み合わせる。

 

「良い感じだね」

「何がだよ?」

 

 不機嫌そうに言う陣に、友哉はニッコリ笑って見せる。

 

「今まで僕達は、デュランダルと言う存在が、いるのかどうかさえ判らなかった。でも、こっちのアクションに対して、明確なリアクションが返された。これは、敵を覆っていたベールが着実に剥がされている事を意味している」

 

 友哉は確信を持って断言した。

 

「デュランダルは確かにいる。そして、間違いなく僕達の近くまで来ている筈だよ」

 

 魔剣狩りに関する確かな手ごたえを、友哉は今、確かに感じていた。

 

 

 

 

 

 教室に入ると、茉莉は自分の席へと足を向ける。

 

 何人かのクラスメイトと挨拶を交わしてから、自分の席へと座る。

 

 隣の席は未だ空席。それはそうだ、つい先ほど、友哉は相良陣に呼ばれて別行動をとっているのだから。

 

 相良と言えば、彼がこの武偵校に入っている事も茉莉にとって予想外だった。

 

 相良とは前の仕事の時に一緒になっている。今、顔を合わせる訳にはいかなかった。幸いにして、今のところばれた形跡はない。

 

 まったく、いくら不調とは言え、これだけ重大な情報を見逃すとは。下手をすれば作戦が崩壊しかねない失態である。

 

 自分の上役に心の中で文句を言いつつ、思考は別の方向へと切り替える。

 

『それにしても・・・・・・』

 

 茉莉は未だ空いたままの、隣の席を見やる。

 

 緋村友哉。

 

 不思議な空気を持った少年だと思う。

 

 出会ってから、まだそれほど時間が経っていないと言うのに、なぜか話していて落ち着く気がする。

 

 その答えが何なのか茉莉には判らない。

 

『僕達は、もう、友達でしょ』

 

 そう告げた時の優しげな眼差しが、いつまでも脳裏から張り付いて離れない。

 

 友哉の事を考えるだけで、胸に針が刺さったような痛みを感じる。

 

『でも・・・・・・』

 

 湧き上がりかけた感情を、茉莉は強引に打ち切る。

 

『私はいずれ、彼等を裏切らなきゃいけない』

 

 それは既に、確定された未来であり、やがて来る予定調和でもある。

 

 その時、友哉がどんな顔をするか、瑠香がどんな思いになるか、それを想像できない訳ではない。

 

 だが、

 

『それでも私には、成さなければならない事がある』

 

 例え、全てを斬り捨てたとしても、手にしたい物がある。

 

 胸の奥に秘めた悲壮な決意の元、茉莉は自分の運命を受け入れる。

 

 全ては、己が望みの為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数日は、特に動きも無いままに推移した。

 

 友哉は不知火から借りたIpodに耳を傾けながら、階段を上っている。

 

 曲名は「フー・ショット・ザ・フラッシュ」。アドシアードの閉会式で友哉達がバンドを組んで歌う曲である。因みに友哉のポジションはボーカルを任された。当日までにちゃんと覚えないと、武藤に轢かれそうなので頑張って憶えているところである。

 

 あの後、幸いにしてキンジの風邪は一日で回復し、翌日には学校に出てきていた。

 

 何でも、白雪がわざわざ件の特濃葛根湯を買って来てくれたらしい。全く持って、白雪のキンジに対する献身ぶりは大した物と言わざるを得ない。

 

 だが、一難去ってまた一難と言うべきか、新たな問題に頭を悩まさなければならなかった。

 

 キンジとアリアが仲違し、アリアが白雪の護衛任務から外れてしまったのだ。

 

 性急と言わざるを得ない。せめてアドシアードが終わるまでは護衛を継続してほしかったのに。特にデュランダルの影が見え始めている現状にあっては尚更だった。

 

 だが、取り合えずはキンジだけは護衛として残っている。加えてアリアが残して行った策もまだ生きていた。

 

 その策を確認する為、友哉は狙撃科棟に足を運んでいた。

 

 屋上の扉を開くと、四方を海にして東京湾を一望する事ができる。

 

 因みに今夜、東京ウォルターランドで花火大会が催される事になっている。瑠香にはさんざん連れて行ってくれとせがまれたが、流石に任務中にそれはできない。その代わり、今夜、友哉の部屋で茉莉も誘って三人で遠くの花火を眺めながらちょっとした宴会をやる事になっていた。

 

 目当ての人物は壁に背を預けて体育座りをしていた。

 

「レキ」

 

 名前を呼ぶと、緑掛かったショートヘアの少女、レキは振り返った。

 

 白雪を護衛するに当たって、二人では手に余ると考えたアリアが、予めレキにも声を掛け、手の空いている時に遠距離から監視するよう依頼していたのだ。その依頼は、アリアが外れた今でも有効である。

 

「様子はどう?」

「異常ありません。先程、護衛対象の白雪さんはキンジさんと一緒に生徒会室に入ったのを確認しています」

 

 2キロ以上の狙撃能力を持つレキにとって、校内を監視する事くらいは造作も無い話である。武偵殺しが起こしたバスジャック事件の時も、その能力を活かして活躍している。

 

 もし友哉の包囲網やキンジの護衛が突破された時、彼女が白雪を護る最後の砦となる。

 

「そっか。はい、差し入れ」

 

 そう言うと、友哉はカロリーメイトのチーズ味を一箱差し出す。レキはいつも、これを常食しているのだ。味気ない食事と言えばそうだが、忍耐力が要求されるスナイパーと言う兵種に置いて、食事も短時間で済ませる必要がある。そう言う意味で、このカロリーメイトは最適なのだろう。

 

 レキは少しの間、友哉の顔とカロリーメイトの箱を見比べたあと、黙って受け取った。

 

 その様子に、友哉は苦笑する。

 

 この娘も、茉莉とはまた違う意味で感情の起伏が乏しい。いや、感情が見られないと言う意味では茉莉以上かもしれない。これが先天的な物なのか、あるいは後天的な物なのかは判らないが、本人同士が一緒にいる所を一度見てみたいと思った。

 

 いや、やっぱりだめだ。どう考えても間が持たない事は目に見えている。

 

「それじゃ、引き続き宜しく頼むよ」

 

 そう告げる友哉にレキは、今度は返事を返さず、ただコクリと首を縦に振った。

 

 

 

 

 

 夜になり、友哉は部屋の片づけを終えると、予め買って来て置いた食べ物や飲み物を机の上に並べた。

 

 ここ数日、部屋を占領していたデュランダル関連の書類の山も今は無い。

 

 全て片づけて、今は綺麗に掃除もしてある。

 

 朴念仁を地で行く友哉でも、正式に客を招く時にはこれくらいの気遣いはする。

 

 買っておいた菓子とジュース、紙コップを並べ終えた所で玄関のチャイムが鳴った。

 

 ややあって、パタパタと二人分の足音が聞こえて来た。

 

「やっほー、友哉君こんばんは」

 

 瑠香は手にした風呂敷包みを掲げながら入って来た。どうやら何か作って来たらしい。

 

「今日は作って来なくて良いって言ったのに」

「良いから良いから、あっても困らないでしょ」

 

 確かに、瑠香の食事は美味しい。あればそれだけで嬉しいのは確かだ。

 

 今日は瑠香も防弾制服ではなく、長袖のTシャツに短パン、膝上の二―ソックスと言う恰好をしている。

 

「おろ、瀬田さんは?」

「いや~、それがね」

 

 瑠香は意味ありげな視線を、廊下の方に流す。

 

 すると、廊下の影から顔を半分だけ出した茉莉の姿がある。

 

「瀬田さん?」

「ッ」

 

 すると何を思ったのか、茉莉は首を引っ込めてしまった。

 

 そんな茉莉の様子に焦れたように、瑠香が歩み寄って手を引っ張る。

 

「ほ~ら、何やってんの茉莉ちゃん」

「やっ、し、四乃森さんッ」

 

 とっさに足を踏ん張ろうとするが、抵抗空しく茉莉はリビングに引きずり出された。

 

 その瞬間、友哉は思わず息を呑んだ。

 

 茉莉もまた、私服姿でそこにいた。

 

 うすい青色の半袖Yシャツに、首には薄手のパーカーの袖を結んで引っ掛けている。下は黒字に緑のチェックが入ったミニスカートを幅の太いベルトで止めているが、丈が武偵校の制服並みに短く、今にも下着が見えてしまいそうだった。

 

「あ、あの、あんまり見ないでください」

「あ、ああ、ごめん」

 

 恥ずかしそうに体を小さくする茉莉と、慌てて眼を逸らす友哉。

 

 そんな二人を、瑠香は楽しそうに眺めると、茉莉の方を持って前へ押し出す。

 

「ほら、だから言ったでしょ、友哉君はこう言うのが好きだって」

「は、はい・・・・・・」

「い、いや、別に僕は・・・・・・」

 

 言いながら、友哉はもう一度視線を上げて茉莉を見る。

 

「か、可愛いよ」

 

 一言、そう告げるのがやっとだった。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 対して茉莉も、それだけ言うと黙りこんでしまった。

 

 その時、

 

 ヒュゥゥゥゥゥゥゥ    ドォォォン

 

 遠雷のような音が鳴り響き、遠くの夜空に大輪の花が咲き誇った。

 

「あ、始まりました」

「おっと、じゃあ、ベランダ行こうか」

「そうだね、あ、電気消すよ」

 

 瑠香が電気を消すと、各々手に飲み物を持ちベランダへと出る。

 

 灯が落ちた闇の中で、巨大な花火が打ちあがり、咲いては散って行く。

 

 距離があり、間に遮蔽物もある為、角度的に見えない場合もあるが、それでも大きく打ちあがった物はベランダからでも見る事ができた。

 

 三人は、暫くの間、お互いの顔を一瞬だけ照らし出してくれる遠くの彩炎に、浮かされたように見入っていた。

 

 

 

 

 

 マナーモードにした携帯電話がメールの着信を知らせ、茉莉はスカートのポケットから取り出して液晶を見る。

 

『全ては整った。決行は近い。次の指示を待て   J 』

 

 茉莉は黙したまま、携帯電話を閉じた。

 

 

 

 

 

第4話「宵闇に咲く謀略の花」   終わり

 



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第5話「動き出した魔剣」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アドシアードが始まると、武偵校は午前中だけの短縮授業となる。

 

 競技に出る人間はそのまま自らの会場へと行き、そうでない人間はそれぞれの自宅へと戻る事になる。

 

 友哉達の出番もまた、閉会式となる為、競技期間中は至って暇である。

 

 その暇な期間を利用し、友哉は対デュランダル警戒網に傾注していた。

 

 寮へと戻る道すがら人込みをかき分けながら、友哉は頭の中で現在の状況を事細かに纏める。

 

 正直、現状は苦しいと言わざるを得ない。

 

 何しろ、最も警戒すべき時が、このアドシアード期間中である。多くの人が集まり、人の出入りも激しい。警戒はどうしても疎かになりやすい。

 

 現在、白雪にはキンジが張り付き、レキは遠距離からの監視任務に付いている。しかしレキは同時にアドシアードの狙撃競技に出場する代表メンバーでもある為、常時警戒と言う訳にはいかなくなる。

 

『だから、アリアには抜けてほしくなかったんだ』

 

 歩きながら友哉は、心の中で臍を噛む。

 

 アリアが護衛を離れた事が、ここに来てジワジワとこちらを苦しめ始めている。

 

 正直、ここまで人が集まる事は予想の範囲外だった。おかげで友哉が企図したデュランダル包囲網は機能飽和状態になりつつある。何しろ誰がどこにいるのかすら把握できないのだ。辛うじて、茉莉、瑠香とは定時連絡を取る事でお互いの位置が判るようにしているが、陣や彼の友人達の行動は殆ど把握できない。否、把握できたとしてもそれを制御し、情報を統合するのは極めて難しい状況と言えた。

 

 いっそのこと、こちらのメンバーの内、瑠香か茉莉のどちらかを白雪の直接護衛に裂こうかとも考えたのだが、二人のうちどちらかが抜けても、警戒網は薄くなってしまう為、裂いても良いものか、思案のしどころだった。

 

 この状況をいかにして凌ぐかが勝敗を決めるカギとなる。

 

 何事も無く過ぎてくれれば友哉達の勝ち。だが、何かが起こってしまえば・・・・・・

 

「いや、そんなこと考えちゃダメだ」

 

 ネガティブになりかけた思考を強引に引き戻す。

 

 とにかく、今は僅かな状況の変化も見逃さず、異変があれば即応できる状況を作っておく必要があった。

 

 その為にはやはり、薄くなった警戒網を狭め密度を上げるのが最適に思われた。

 

 つまり、誰か1人ではなく、友哉、瑠香、茉莉の三人でキンジと合流し白雪の直接護衛に当たるのだ。

 

 そう考え、携帯電話を取り出した。

 

 

 

 

 

 一通りの見回りを終えて、瑠香は合流場所へとやって来た。

 

 流石にこれだけの人が集まる中、学園島全体を回って警戒するのは身軽な瑠香でも骨が折れる作業であった。

 

 だが、取り敢えずノルマの半分は終わり、もう1人の警戒要員と合流して、一旦休憩を入れたかった。

 

 やがて、目当ての人物の姿が見えて来た。

 

「あ、茉莉ちゃん!!」

 

 手を振ると、向こうも気付いたらしくこちらに向かって歩いて来た。

 

「そっちはどうだった?」

「異常無し、と言いたいところですが、」

 

 茉莉はいつもの無表情に、少し困ったような顔を加えて言う。

 

「この人だかりでは、何とも言えません。どこまで見れたか自信がありません」

「そうだよね。これじゃあ、ちょっとねえ」

 

 相槌を打ちながら、溜息をつく瑠香。

 

「とにかくさ、いったん休憩しよう。コンビニでジュースでも買ってこようよ」

「そうですね」

 

 そう言って歩きだす瑠香の後を、茉莉がトコトコと着いて行く。

 

 それを横目で見ながら、瑠香は口元に笑みを浮かべる。

 

 可愛いなあ、と思う。

 

 以前、友哉に聞かれた事がある。なぜ、他の先輩には敬語なのに、茉莉にだけはタメ口で、しかもちゃん付けなのか、と。

 

 実のところ、何でかと聞かれれば瑠香にも答えられない事だった。

 

 見た目の幼さで言えば、断然アリアの方がちっちゃくて可愛いが、アリアの事は出会ってすぐに敬語に改めている。勿論、アリアを子供扱いしてタメ口を聞こうものなら、今頃風穴を空けられている事は間違いないが。

 

 だが、茉莉を見ていると、瑠香はついつい相手が年上である事も忘れ、手の掛かる妹を見ている様な気分になってしまうのだった。

 

 その時、スカートのポケットに入れておいた携帯電話が着信を告げる。相手は、友哉だった。

 

「はい、もしもし?」

 

 ほぼ同時に茉莉の携帯にも着信が入った。

 

《ああ、瑠香、今どこ?》

「探偵科棟の近くだよ。どうしたの?」

《悪いんだけど、ここで作戦変更する。一旦、アドシアードをやってる生徒会のテントに向かって。そこで星伽さんの護衛に作戦を切り変えよう》

 

 妥当な判断である。友哉は撹乱著しい外郭を捨てて本丸の防御に戦力を集中しようとしているのだ。

 

「判った、すぐ行くよ」

 

 そう言って、電話を切った。

 

「あのさ、茉莉ちゃん、今・・・・・・」

 

 そう言って振り返った瞬間、

 

 ドスッ

 

 鈍い音と共に、茉莉の拳が瑠香の鳩尾に突き刺さった。

 

「なっ・・・・・・はっ・・・・・・」

 

 痛みと共に、肺から空気が抜ける。

 

「な・・・なん、で・・・・・・ま、つり、ちゃ・・・・・・」

 

 意識が薄れる。

 

 ダメだ。

 

 今ここで手放したら、茉莉はきっと遠くへ行ってしまう。

 

 そう思うのだが、足に力が入らない。

 

 やがて、瑠香の意識は呆気なく暗転し、光を閉ざした。

 

「・・・・・・ごめんなさい」

 

 グッタリとした瑠香の体を抱きかかえると、そのポケットから携帯電話を奪い取る。そして物陰に運び、そっと寝かせた。これですぐには人目に付かないだろう。仮に目を覚ましたとしても簡単に外部に連絡を取る事ができない筈だ。

 

 目を閉じたまま身動きしない瑠香を見降ろして、茉莉は少し悲しげな顔をする。

 

 だが、すぐにまたいつもの無表情に戻り、自分の携帯電話を取り出した。

 

 コール一回で相手が出る。

 

《私だ》

「瀬田です。これで敵の目は全て潰しました。いつでも行動可能です」

《判った。それではまず予定通り、緋村を排除する。お前は例の場所へ奴をおびき出せ》

「了解です」

 

 そう言うと、電話を切った。

 

 これで、もう後戻りはできない。

 

 電話をポケットに入れて、茉莉は歩き出す。

 

 最後にもう一度だけ、瑠香の顔を見ると、未練を振り切るように背中を向けて歩きだした。

 

 

 

 

 

 人込みをかき分けるようにして会場を駆け抜けると、ようやく生徒会のテントに辿り着いた。

 

 このアドシアードの運営も、生徒会が取り仕切っている。

 

 当然、リーダーシップを取っているのは、生徒会長である白雪と言う訳である。

 

 白雪は今、友哉の目の前で忙しそうに走りまわっている。その姿に、友哉は取り敢えず胸をなでおろす。どうやら、今のところは無事らしい。

 

 近くに護衛役であるキンジがいる筈だが、人が多すぎて気配を探る事が難しい。まあ、逆を言えば如何にデュランダルと言えど、この人込みの中では犯行に及ぶ事も出来ない事が予測できた。

 

 後は瑠香や茉莉と合流して、白雪を影から護衛すれば良い。それで状況は万全となるはずである。

 

 その時、携帯電話に茉莉から着信が入った。

 

「瀬田さん、どうかしたの?」

《大変です、緋村君ッ》

 

 珍しく慌てた調子の、茉莉の声が聞こえて来た。

 

 一瞬で尋常ではない事を悟り、友哉は眉を潜める。

 

「どうしたの?」

《四乃森さんが何者かに襲われました》

 

 その一言に、血が沸騰しそうな錯覚に襲われた。

 

 瑠香が、襲われた。一体誰にっ!?

 

《私は今、その相手を追跡中ですが、今しがた見失ってしまいましたッ》

 

 電話越しにも茉莉の息が上がっているのが判る。どうやら走っているらしい。

 

 瑠香を襲ったのは十中八九、デュランダルの手の者と考えられる。もしかしたら本人と言う可能性も考えられる。

 

 やはり動きがあった。こちらの戦力を潰し、白雪確保の布石とするつもりだろう。

 

「瀬田さん、今どこ?」

《第4女子寮、私達の寮の近くです》

 

 それならここからそう離れていない。友哉の足なら3分も掛からずに辿りつける。

 

「僕もすぐ行く。瀬田さんはそのまま探索を続けて」

《判りました》

 

 通話を切ると、友哉は一瞬視線を白雪に向ける。

 

 この場に白雪を残して行く事に不安はある。しかし近くにはキンジもいる筈である。短時間であるなら、この場を抜けても問題はない筈。

 

 友哉はそう考えると、踵を返して駆けだした。

 

 

 

 

 

 結果から言えば、この時、友哉は冷静さを欠いていたと言わざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第4女子寮は、武偵校創設期の第1女子寮に当たる。

 

 学園島では最も古い建物の一つであり、内部は老朽化が進んでいる。何度も取り壊しと建て替えが検討されたそうなのだが、年々増え続ける武偵校受験者に対応しなければいけないという事情から、取り壊しは先送りにされ続けて今日に至っていた。

 

 そんな訳で入寮者は殆ど無く、瑠香と茉莉を含めて10人程度だった筈だ。

 

 老朽化具合からか、アドシアードの会場の一角に組み込まれている。もっとも競技はもう終わったらしく人影はない。

 

 その第4女子寮の前で茉莉が待っていた。

 

「周辺で聞き込みをしたところ、この寮に不審な人物が入って行くのを見たと言う人がいました」

「それ以後の動きは?」

「私が玄関前で見張っていた限り、人の出入りはありませんでした」

 

 茉莉の報告に、友哉は頷いた。

 

 つまり、敵はまだ中にいる可能性が高い。瑠香を襲った敵が。

 

「瑠香の容体は?」

「命に別条はありませんが、すぐには動ける状態ではないと思われます」

 

 刀を持つ手に力を込める友哉。

 

 大切な幼馴染を傷付けた敵を、許す事はできない。

 

「行こう」

 

 足を踏み出す友哉に、ブローニング・ハイパワーDAを抜いた茉莉も続いて第4女子寮へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 寮の屋上はフェンスも無く、階段のドアを開けると、給水塔の他は何も存在していなかった。

 

 そこに、1人の少女がたたずんでいる以外は。

 

 美しい少女だ。

 

 整った顔立ちに、軽くウェーブの掛かった銀髪を三つ編みにして結い上げているのが特徴である。

 

 人形に例えれば、白雪が純正日本人形なら、目の前の少女は西洋仏蘭西人形と言ったところではないだろうか。

 

 だが、愛らしい外見とは裏腹に、少女は銀色の鎧に身を固め、手には西洋剣を携え、戦闘準備を整えていた。

 

 友哉は見た目の愛らしさには目を奪われず、油断なく逆刃刀の柄に手をやる。

 

「来たか、緋村友哉」

「あなたが、デュランダルですか?」

 

 カマ掛けのつもりで言ったのだが、意外にも少女からの返事はあった。

 

「その名は好きではない。我が名は30代目ジャンヌ・ダルク。緋村、お前は不確定要素が多すぎる存在。本命の前に、お前にはここで舞台から降りて貰う」

 

 友哉は思わず息を呑んだ。

 

 ジャンヌ・ダルクと言えば、フランス100年戦争において「救国の少女」と謳われた英雄であり、聖女と称えられた存在である。しかし、ジャンヌ・ダルクは100年戦争中に敵に捕えられ、イングランド軍の手によって処刑されている。まさか、生き残っていたとでも言うのか。

 

 だが、今は相手の素性を探っている時ではない。

 

「今、本命って言いましたね」

「そうだ」

 

 ジャンヌは余裕の笑みを浮かべながら言う。

 

「星伽白雪。彼女を我が手で浚い、イ・ウーへと連れ帰る。それが我が目的だ」

 

 また。イ・ウーか。

 

 再び耳にしたその単語に、友哉は眼を細める。

 

 アリア、そして目の前のジャンヌの話を統合するに、何らかの秘密結社であると考えられるが、未だにその全貌を見る事はできていない。

 

 だが、今はそれを考える時でもない。

 

「そんな事はさせない」

 

 刀の柄に手をやり、いつでも斬り込めるようにする。

 

「君がデュランダルだと言うなら、君をここで捕まえ、それで終わりだ」

 

 そう告げる友哉。

 

 対して、ジャンヌは口の端に不敵な笑み見せる。

 

「哀れだな、緋村」

「・・・・・・何?」

「お前は私を罠にはめようとしていたようだが、実際に罠にはまったのはお前の方だと言う事に、まだ気付いていないのか?」

 

 挑発するようなジャンヌの言葉。

 

 そこで気付いた。

 

 背後に控えていた茉莉がいつの間にか、手にしたブローニングの銃口を友哉に向けている事を。

 

 

 

 

 

 頬を軽く叩かれる感触が伝わって来る。

 

 何だか、乱暴な手つきである。叩くならもう少し優しく叩いてほしいのに。

 

 いや、そもそも、自分はなぜ眠っていたのか。

 

「おい、瑠香、起きろって」

「う・・・うん?」

 

 名前を呼ばれ、ようやく瑠香は目を覚ます。

 

 その傍らには、覗き込むようにしてしゃがんでいる陣の姿があった。

 

「相良、先輩?」

「ったく、何でこんな所で寝てんだよ? 何回携帯に掛けてもオメェも友哉も出ねぇしよ」

「あれ? えっと・・・・・・」

 

 瑠香は頭に手を当てて考える。

 

 何だか前後の記憶が曖昧で、よく思いだせなかった。

 

 それに、何やら腹に鈍い痛みがある。

 

「お腹の痛み・・・・・・お腹・・・・・・」

 

 その瞬間、光景がフラッシュバックする。

 

 友哉からの電話を受け取った直後、自分を殴りつけた相手。

 

 あれは、茉莉だった。

 

「そんな、うっ!?」

 

 勢いよく立ちあがろうとして、茉莉は腹を押さえる。一撃で気絶するほどの力で殴られたのだ。まだダメージは残っていて当然だった。

 

「お、おい、無理すんな!!」

 

 慌てて瑠香を支える陣。

 

 その陣の肩を、瑠香は逆に掴む。

 

「た、大変、早く、友哉君に伝えないと!!」

「お、おい、どうしたんだよ!?」

 

 訳の判らない陣は、戸惑いながらも瑠香を引き止めようとする。

 

「相良先輩。早く友哉君に伝えないの。茉莉ちゃんが敵だって!!」

「茉莉・・・茉莉って、確か友哉のクラスに来た転校生の事だよな。そいつが敵だって言うのか?」

 

 陣はまだ転校した茉莉と会っていない。もしこの時、瑠香の手元に携帯電話があれば、友哉の部屋で撮った二人のツーショット写真がある為、すぐに陣に見せる事ができたのだ。そしてその写真を見れば、陣は茉莉が武偵殺しとの戦いで共闘した少女だとすぐに気付いただろう。しかし生憎、瑠香の携帯電話は茉莉が持ち去っていた。

 

 流れが変わろうとしている。全てがデュランダルの手の内へと流れ込もうとしているのが瑠香にも判った。

 

「とにかく、友哉を見付けて、その事を教えてやればいいんだな」

「う、うん、早くしないと、友哉君が・・・・・・」

 

 友哉はまだ、茉莉が敵である事を知らない。早く知らせないと、いかに友哉であっても危ないかもしれない。

 

「判った。急ごうぜ」

 

 そう言って立ち上がる陣。

 

 だが、その足がふいに止まった。

 

「相良先輩?」

 

 顔を上げて、瑠香は見上げる。

 

 一方の陣は、瑠香に背を向けたまま立ち尽くしている。

 

 そして、

 

 その視線の先には、槍を携えた大柄な男が歩いて来るのが見えた。

 

「あ、あれは・・・・・・」

 

 呻く瑠香。

 

 それは見間違える筈もない。この間、友哉と茉莉と3人で買い物に行った時、襲って来た男だ。あの時は覆面をしていて顔は見えなかったが、今は素顔を晒している。凶悪な容貌は、そのガタイと相まって、まるで鬼のような印象を与えて来る。

 

 丸橋譲治は、行く手を阻むようにして槍を構え、陣と瑠香を睨み据えた。

 

「お前達を行かせる訳にはいかん」

 

 その強烈な殺気は、直接肌を炎で焙られるような錯覚を齎す。

 

 陣は瑠香を庇うように、前に出ながら拳を構える。

 

「行け、瑠香。こいつの相手は俺がする」

「え?」

「早く友哉の所に行かなきゃなんねえんだろ。良いから行けっ」

 

 強く促す陣。

 

 次の瞬間、

 

「行かせんぞ!!」

 

 雄叫びと共に、譲治が斬り込んで来る。

 

 その刃を、陣は腕でいなす。

 

「テメェの相手は俺だっつったろ!!」

 

 牽制するように前にである陣。

 

 その横をすり抜けて、瑠香は走る。

 

 茉莉に殴られた腹は今もひどい鈍痛に見舞われているが、そんな事に構っている場合ではない。

 

 とにかく今は、愛しい幼馴染を助けるために駆けるしかなかった。

 

 

 

 

 

「瀬田、さん?」

「動かないでください」

 

 淡々とした声で茉莉は告げる。その声には一切の感情は現われておらず、まるで出会ったばかりの頃の、冷たい印象しかない茉莉に戻ったかのようだ。

 

「どうして・・・・・・」

「瀬田は元々私の協力者だ。お前達の情報を報告させ、更にはお前と四乃森の携帯電話に細工し、相良からの着信が入らないようにしたのも彼女だ」

 

 その言葉に、友哉は刃を噛み鳴らす。

 

 友哉が企図したデュランダル包囲網は、内側から突き崩されていたのだ。しかも携帯電話にも細工をされていたとは。恐らく陣にだけ着信拒否設定を掛け、更に登録した番号も別の物に変えていたのだろう。多分、茉莉かジャンヌが持つ予備の携帯の番号に。これが携帯を破壊された、奪われた等であれば、友哉はすぐに次善の策を練っただろうが、たんに細工をされただけなので、気付く事ができなかった。

 

「瀬田さん・・・・・・」

「動かないでください。あなたを撃ちたくはないです」

 

 そう告げる茉莉の声に震えは無い。友哉が動けば本気で引き金を引くだろう。

 

「・・・・・・仕方がないね」

 

 友哉は肩を下ろした。

 

 降伏の意を表すように力を抜く友哉。

 

 それを見て、茉莉とジャンヌは距離を詰めようと動いた。

 

 次の瞬間、

 

 友哉の姿が、二人の目の前からかき消える。

 

 否、殆ど予備動作の無い状態から神速で動き、視線から外れて見せたのだ。

 

 次の瞬間、友哉の姿はジャンヌの左側に現われた。

 

 そのまま逆刃刀を鞘走らせる。

 

 しかし、

 

 ダァァァン

 

 茉莉のブローニングが火を噴き、友哉を捉えた。

 

「なっ!?」

 

 ギィン

 

 友哉はうめき声を発しながらも、とっさに刀を振るって弾を刃で弾き飛ばした。

 

 しかし、友哉の驚愕は止まらない。

 

 神速で動く友哉に、茉莉は正確に照準を合わせて来たのだ。

 

「クッ!?」

 

 体勢を崩した友哉。

 

 そこへ、ジャンヌが斬り込んで来た。

 

 手にした西洋剣は聖剣デュランダル。彼女の異名にもなった、鋼鉄をも切り裂く剣である。

 

「ハァァァ!!」

 

 大上段から振り下ろされた剣。

 

 「斬る」事を純粋に追求した日本刀は、刀身の身幅を薄く抑える傾向にある。対して「叩き斬る」事を目的にした西洋剣は、身幅も厚く重量も大きい。まともに打ち合えばこちらが折れる可能性が高い。そう判断した友哉は、不利な打ち合いはせず、再び横に飛んでジャンヌの一撃を回避する。

 

 一閃されたジャンヌの攻撃は、床を真一文字に斬り裂いた。

 

 再び斬り込もうと、刀を構える友哉。

 

 そこへ再び、茉莉の銃撃が襲い掛かる。

 

 発射された弾丸は2発。

 

 友哉はとっさに攻撃を諦めて後退する。

 

 ブローニングの装弾数は13発。茉莉は3発撃っているので、あと10発と言う事になる。

 

 だが、茉莉にばかり気を取られている事はできない。

 

 着地した先に、ジャンヌがデュランダルを振り翳して斬り込んで来た。

 

 とっさに回避は間に合わない。

 

 友哉は払うように刀を振るい、デュランダルの腹を叩いた。これなら威力は横に逃げる為、直接打ちあっても刀にダメージは無い。

 

 だが、ジャンヌもまた並みの剣士ではない。

 

 振り払った剣の勢いに負けず、足をしっかりと踏みしめると素早く斬り返して来る。

 

 その一撃を刀でいなす友哉。

 

 ジャンヌの剣技は卓抜しており、身幅の厚いデュランダルを軽々と振るっている。

 

 しかも刃筋は一切ぶれない。この大振りな剣を完璧に使いこなしているのだ。

 

「クッ!?」

 

 友哉はジャンヌの横薙ぎの一撃を、上空に跳び上がって回避。同時に、逆刃刀を振り上げる。

 

「飛天御剣流・・・・・・龍槌・・・」

 

 しかし、急降下に入る直前、またしても茉莉の銃撃が友哉を襲う。

 

 放たれた弾丸は2発。

 

 空中にあっては回避もできない。

 

 それでも友哉は、1発は刀で弾く事に成功する。

 

 しかし、もう1発は友哉の胸を捉えた。

 

「グッ!?」

 

 防弾制服越しにも、激痛が走るのは避けられない。

 

 友哉は墜落するように、中空から落下、辛うじて着地には成功したが、その場で膝をついてしまった。

 

「貰ったぞ!!」

 

 そこへジャンヌが斬りかかって来る。

 

「チッ!?」

 

 舌打ちしながら刀を振るい、振り下ろされたデュランダルを辛うじて振り払った。

 

 しかし、ジャンヌの剣の勢いまでは殺しきれなかった。

 

 そのままよろけるようにして、床を転がりながら、刀を構え直す。

 

 ジャンヌは自分の剣の特性を理解し、能力を最大限に生かす戦い方を心得ている。その動きには一切の無駄がない。

 

 援護する茉莉の動きもまた見事である。彼女はどうやら、友哉の動きに追随できるだけの動体視力を持っているらしい。

 

 二人の相性は抜群。この場にあっては、友哉の不利は否めなかった。

 

「終わりだ、緋村」

 

 デュランダルの切っ先を真っ直ぐに向けるジャンヌ。

 

 そのまま踏み込み、一気に突き込んで来る。

 

「クッ!?」

 

 とっさに友哉はジャンヌの突きを回避し、体を大きくひねり込む。

 

 龍巻閃の構えだ。

 

 だがそこへ、茉莉が容赦なく銃弾を浴びせる。

 

「クッ!?」

「その技はこの間見ました、同じ手は喰いません」

 

 とっさに攻撃を回避しながら、友哉は後退を余儀なくされる。

 

 この間の覆面男の襲撃時に、確かに友哉は龍巻閃を使っている。考えてみれば、あの一件も今日の為の布石だったのかもしれない。

 

 大きく体勢を崩す友哉。

 

 その瞬間を逃さず、ジャンヌが勝負を仕掛けて来た。

 

「はぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 下段から磨り上げるように、デュランダルを振るうジャンヌ。

 

 その一撃を友哉は辛うじて刀で防いだものの、勢いに負けて数歩よろめくように後退、そのまま背中を階段の壁に付けてしまった。

 

 すぐに体勢を直そうとするが、遅い。

 

 ジャンヌが友哉めがけて2本のナイフを投げて来た。

 

 投げられたのはヤタガンと呼ばれるフランス軍が古来、正式装備とした銃剣である。

 

 だが、ナイフは友哉を直撃せず、挟み込むように、ちょうど掌の近くに突き刺さった。

 

 次の瞬間、驚愕すべき事が起こった。

 

 ナイフを中心に氷が急速に発生し、友哉の両腕を壁に縫い付けてしまった。

 

「なっ!?」

 

 ちょうど、磔にされたような形だ。押しても引いても、氷はびくともせずに友哉を拘束している。

 

「ラ・ピュセルの枷。それに捕まったら、自力での脱出はほぼ不可能だ」

 

 勝負はついた、と言う事を示すように、ジャンヌは聖剣を鞘に収めた。

 

 やられた。

 

 友哉は心の中で舌打ちする。

 

 ジャンヌはステルス、超能力者だったのだ。いや、ここはもっともらしく「魔女」と言うべきか。初代ジャンヌ・ダルクは魔女としての側面を持っていたとされている。彼女もまた、その資質を受け継いでいるのだ。

 

 それを見抜けなかったのが、友哉の最大の敗因と言える。

 

 だが、最早どうしようもない。友哉は拘束され身動きが取れず、これから作戦を開始するであろうジャンヌの行く手を阻む手段は失われてしまった。

 

「ではな、緋村。最早、お前とは会う事はあるまい」

 

 そう言って背中を見せるジャンヌ。恐らくこれから、白雪を浚いに行くのだろう。そして友哉が自由を取り戻す頃には、全てが終わっている事になる。

 

 最後に、茉莉もジャンヌに続いて屋上を後にする。

 

 その顔が一瞬、悲しそうに曇ったのは、友哉の見間違いではなかったと思いたかった。

 

 

 

 

 

第5話「動き出した魔剣」     終わり

 



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第6話「地下倉庫の決闘」

 

 

 

 

 

 

 屋上に張り付けられ、友哉はうなだれた様子で顔を落としている。

 

 既にジャンヌと茉莉は去ってしまった。

 

 遠くではアドシアードの歓声が続いている。どうやら、こちらでの戦いを余所に、大会は滞りなく進んでいるらしい。

 

 しかし、ここでこうして拘束されている友哉には何をする事も出来ない。

 

 両腕を氷漬けにされている為、身動きをする事も、仲間に連絡する事も出来なかった。

 

 白雪はどうなったのか。

 

 瑠香は無事なのか。

 

 それを確認する術すら無い。

 

 そして、茉莉。

 

 彼女がデュランダルの協力者だとは思わなかった。

 

 ここ数日、一緒に行動し、食事や遊びにも行った仲だ。

 

 仲間だと思っていた。友情を築けていると思っていた。

 

 それは全て、友哉の思い上がり立ったのだろうか?

 

 今となっては、それすら判らない。こうして捕らわれの身となっては、確かめる術も無かった。

 

 その時、

 

 ガァァァァァァン

 

 凄まじい轟音と共に、友哉の右腕の僅か下に着弾がある。

 

 かなりの高威力の銃によるものらしく、友哉を捉えた氷だけでなく、背後のコンクリートも破壊している。

 

 銃撃は更に2発、3発と続く。

 

 4発目を数えた時、氷は構造を維持できなくなって破砕、捕らわれていた友哉はよろけるようにして解放された。

 

 手を何度か開閉してみる。

 

 氷漬けにされていたので動きが鈍っているかとも思ったが、問題無い。どうやらあの魔法は体組織を凍らせる物ではなく、表面を堅牢な氷の殻で覆い動きを縛りつけるものであったらしい。

 

 友哉はポケットから携帯電話を取り出すと、目当ての番号を探してコールした。

 

《はい》

「助かったよ、レキ」

 

 相手はレキである。

 

 遠距離から、これだけ精度の高い狙撃ができる人間を、友哉は彼女以外に知らなかった。恐らくアドシアードの会場にもなっている狙撃科棟にいるのだろう。

 

「レキ、君は確か、アドシアードの代表選手の筈だけど、そっちの方は?」

《棄権しました。会場は大騒ぎでしたが、こちらの方が優先度は高いと判断しましたので》

 

 レキは競技者である前に武偵である事を選んだのだ。ありがたい話であるが、後でブーイングが来そうである。

 

 まあ、後の事は後で考えるとして、今すべきことをしなくてはならない。

 

《状況を説明します。今から約10分前に、クライアントの白雪さんが失踪。キンジさんはそれを追って第9排水溝の方向に向かわれました。恐らくは地下倉庫に入ったと思われます》

「地下倉庫、か」

 

 地下7階まで存在し、最深部には多数の爆発物を格納した、武偵校三大危険地帯の一つ。そこに恐らくジャンヌや茉莉もいるのだろう。

 

《その後を追って、アリアさんも地下倉庫に向かわれました》

「おろ、アリアが?」

《はい。アリアさんが言うには、自分が護衛から外れた振りをすれば、必ずデュランダルが動く筈。そこを捕縛するとの事でした》

「・・・・・・成程ね」

 

 流石はアリアと言うべきだった。

 

 友哉はデュランダル、ジャンヌ捕縛の為に包囲網を敷いたが、アリアはより確実性の高い作戦で彼女を追い詰めようとしている。すなわち、囮作戦だ。護衛対象である白雪を餌にしてデュランダルをおびき出す作戦らしい。

 

 敵を欺くにはまず味方から。一歩間違えば白雪を危険に晒しかねないが、確実性はより高いと言える。

 

「判った、引き続き監視をお願い」

《判りました》

 

 そう言うと、電話を切る。

 

 友哉はもう一度、両手の指を開閉して動作を確かめる。

 

 問題はない。これならば、刀をふるっても大丈夫だろう。

 

 脳裏には一瞬、茉莉の事が浮かんだ。

 

 彼女が何を想い、そしてなぜ、自分達と敵対する道を選んでしまったのか。

 

 それを、今から確かめに行く。自分の剣と、飛天御剣流の技に掛けて。

 

「さあ、ここから反撃開始だ」

 

 

 

 

 

 陣は両の拳を構え、譲治の懐へと飛び込むようにして殴りかかる。

 

 陣も武偵校に入る前から喧嘩屋として鳴らした男。事戦闘に関しては、転校したてにもかかわらず強襲科で上位に入る実力の持ち主である。

 

「ウォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 獣のような雄叫びと共に殴りかかる陣。

 

 対して

 

「ぬんッ!!」

 

 譲治は長大な十文字槍を横に薙ぎ払い、柄で陣を殴りつける。

 

「クッ!?」

 

 遠心力の乗った一撃は、陣の長身を強打する。

 

 撃たれ強さは友哉との戦いで証明している陣だが、それでも防御に回らざるを得ない程の一撃である。

 

 一瞬、陣の体が横に流れる程の一撃が繰り出された。

 

 だが、

 

「貰ったぜ!!」

 

 既に陣は槍の間合いの内側に入り込んでいる。この距離ならば、拳の方が速い。

 

 そう判断し、再度攻撃の構えを見せる陣。

 

 しかし次の瞬間、譲治は口の端を釣り上げてニヤリと笑った。

 

 一瞬、陣が背中に感じる悪寒。

 

 背後から風切り音が聞こえたのは、その時だった。

 

「ウオッ!?」

 

 殆ど本能に従って、地面にしゃがみ込む陣。

 

 その頭上を、十文字槍の鎌が背後から駆け抜けた。

 

 譲治は陣が更に向かって来るのを見越し、そのあり余る膂力を用いて槍を引き戻し、鎌で背後から斬ろうとしたのだ。

 

 だが、まだ譲治の攻撃は終わらない。槍は引き戻され、再び突き込む体勢にある。

 

 対して陣はまだ、地面に伏せたままだ。

 

 そこへ、槍の穂先が突き込まれた。

 

「グッ!?」

 

 刃の先端を胸に受け、陣はうめき声を発した。

 

 防弾制服のおかげで貫通はしていないが、鋭い一閃に思わずよろけてしまう。

 

 そこへ、好機とばかりに譲治が連撃を仕掛けて来る。

 

 突き、払い、引き、と槍の特性を活かして攻撃を仕掛ける譲治。

 

 対して陣は、接近する事も出来ずに防御に回らざるを得ない。

 

 武器の進化とは、その射程距離にほぼ比例している。素手より剣、剣より槍、槍より弓、弓より銃、銃より大砲、大砲より飛行機、といった具合に。

 

 これは、力の弱い人間が、より強い人間を安全かつ確実に倒す為に、射程が長く、かつ攻撃力が高くなるように進化した必然と言える。極端な話をしてしまえば、素手で武を極めた達人がいたとしても、子供が放った1発の銃弾には敵わないのである。

 

 だが、これを逆説的に考えれば、達人であればある程、武器は短い方が有利と言う事になる。

 

 例えば、先述した素手対銃。距離を置いていれば銃の方が有利であるが、一旦殴り合いの距離まで接近してしまえば、素手の場合、そのまま相手にめがけて拳を真っ直ぐ繰り出せばいいのに対し、銃は、構え、照準、修正、発砲、と言うプロセスを踏まねばならず、どうしても攻撃開始までにタイムラグが生じてしまうのだ。アル=カタでは、その隙を補うために、ゼロ距離での素早い身のこなしと高度な体術が要求される。アリアなどは総合格闘技バーリ・トゥードを活かしているのだ。

 

 つまり、仮に同レベルの実力であるなら、槍使いの譲治より徒手格闘の陣の方が有利に戦いを進められる筈なのだ。

 

 しかし、実際には譲治が常に押し、陣は防戦一方だ。

 

「ったく、常識外れだな、この鬼達磨!!」

 

 悪態をつく陣に構わず、譲治は無言のまま槍を繰り出す。

 

 それに対して陣は、ただ攻撃を避け続けるしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第9排水溝近くの変圧室から、梯子を伝って地下へと降りる。

 

 危険物を満載した地下倉庫は、学園島最深部、地下7階に存在している。

 

 既に戦闘が開始されているのか、先程凄まじい衝撃音が足元から伝わって来た。

 

 その後も、不気味な振動が僅かに伝わって来る。

 

 友哉は慎重に足を進めながらも、可能な限り急ぐ。

 

 ジャンヌは氷魔法を使う超能力者、魔女だ。その事をキンジもアリアも知らない。早く知らせる必要があった。

 

 それに白雪の安否も気になる。どのような形にせよ、彼女が現在、ジャンヌの手に落ちている可能性は高い。急がねばならなかった。

 

 だが、立ちふさがる者はジャンヌ以外にも存在していた。

 

 急ぐ友哉の行く手を遮るように、小柄な少女が物影から姿を現す。

 

 その姿を見て、友哉は足を止めた。

 

「・・・・・・瀬田さん」

「これ以上は行かせません」

 

 淡々と、しかし厳然として立ちはだかるが如く、茉莉は友哉を前にして揺らがぬ瞳のまま宣言する。

 

 その想いは既に断ち切られているかのように、ある種の覚悟を持ってそこに立っているのが判った。

 

 だが、それは友哉もまた同じ事である。

 

 この地下倉庫に駆け付けた時から、否、女子寮の屋上で対峙した時から、既に友哉もまた、こうなる事を覚悟していた。

 

 それでも、最後の望みを託して、口を開く。

 

「退く気は無いんだね?」

「何度も同じ事を言わせないでください」

 

 そう言うと、スッと影に隠していた自分の得物を取る。

 

 それは、

 

「日本刀?」

 

 漆塗りの鞘に収まった細身の曲刀は、間違いなく日本刀である。

 

 てっきり銃を使ったアル=カタを仕掛けて来ると思っていた為、友哉は意外な面持ちになる。

 

「元々、私はこちらの方が得意ですので」

 

 そう言うと、自身の愛刀を抜き放ち、切っ先を友哉へと向けた。

 

 銘は菊一文字則宗。福岡一文字と呼ばれる備前の刀工則宗の作で、則宗は鎌倉時代に後鳥羽上皇の御番鍛冶を務めた程の刀匠である。それ故に天皇家の御家紋である菊の文字を許され菊一文字を名乗ったとされている。

 

 最早、是非に及ばず。

 

 彼女を倒さない限り、友哉は先へと進む事ができない。

 

 腰に差した逆刃刀の柄に手を掛ける友哉。

 

 その脳裏には、これまでの色々な体験が思い出される。

 

 だが、次の瞬間には、その全てが流れ去り、意識は戦闘一色に染め上げられた。

 

「イ・ウー構成員、《天剣》の茉莉、参りますッ」

 

 次の瞬間、茉莉は地を蹴って刀を振りかざす。

 

 迎え撃つように、友哉もまた刀を抜き打つ。

 

 ぶつかり合う刃と刃。

 

 薄暗い地下にあって、互いの刃が火花を散らし、一瞬室内を照らし出す。

 

 弾かれるように斬り返す一撃。

 

 友哉の鋭い斬撃は、しかし、こちらも素早く切り返した茉莉の刀によって防がれる。

 

「ハッ!!」

 

 短い叫びと共に、茉莉は友哉よりも早く斬り込んで来た。

 

 その鋭い一閃を前に、友哉はとっさに大きく後退して距離を取る。

 

 かなり速い動きだ。速度は友哉に優るとも劣らない。

 

 だが、

 

 友哉は逆刃刀を右八双に構えると、今度は自ら斬り込む。

 

 その動きもまた、茉莉に決して劣ってはいない。

 

 袈裟掛けに振るわれる一撃。

 

 対するように茉莉も刀を繰り出すが、今度は加速がついている分友哉の方が速い。

 

「クッ!?」

 

 防ぐ事には成功したものの、振り抜かれた友哉の剣の鋭さの前に、茉莉は思わず呻き声を上げて後退せざるを得なかった。

 

 膂力と言う意味では友哉の方が茉莉よりも勝っている。まともに打ち合えば友哉の方が有利であった。

 

 更に友哉は後退する茉莉を追って斬り込みを掛ける。

 

「ハァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 フルスイングに近い抜き打ちによって、胴薙ぎを仕掛ける。

 

 対して茉莉も、やや体勢を崩しながらも辛うじて刀で受け切った。

 

 だが、

 

「うぅ・・・・・・」

 

 度重なる連続攻撃を前にして、茉莉の足がよろけるようになる。

 

 それを見逃す友哉ではない。

 

 ここが勝負を決める時と感じ、距離を置こうとする茉莉を追って前へと出る。

 

「飛天御剣流!!」

 

 右手一本にて刀を構え、左手は刃に添える。

 

 それを見た、茉莉の目が光る。

 

「龍翔閃!!」

 

 友哉は神速の勢いで、刀を斬り上げた。

 

 しかし、

 

「なっ!?」

 

 手応えが無い。

 

 確実に決まったと思った一瞬、茉莉は友哉の剣をも上回る反応速度で攻撃をすり抜けて見せたのだ。

 

 僅かに離れた場所で着地し、刀の切っ先を下げた状態で立つ茉莉。

 

 対して友哉は、逆刃刀を正眼に構えて警戒する。

 

 その内心では、僅かな焦りが見え始めていた。

 

 自分はもしかしたら、とんでも無い読み違いをしていた可能性があるのではないだろうか。

 

 そんな考えがよぎった時、茉莉の方から口を開いた。

 

「緋村君は」

 

 戦闘中であるにもかかわらず、相変わらず淡々とした調子でしゃべる茉莉。

 

「縮地、と言うのをご存知ですか?」

「縮地?」

 

 確か仙術の一種だった筈。所謂、瞬間移動の事で、理論としては「物理的な距離を縮め、一瞬で遠方へと至る術」だった筈。もっとも、友哉の知識は漫画の受け売りだが。

 

「私はジャンヌさんと違って超能力者ではありませんが、それと似たような事ができるんですよ」

 

 次の瞬間、

 

「こんな風に」

 

 茉莉の姿は、友哉のすぐ目の前に現われた。

 

『速いッ!?』

 

 驚く友哉。

 

 次の瞬間、茉莉は友哉の体を袈裟掛けに斬り下ろした。

 

 

 

 

 

 もつれる足は、否応なく重りに感じる。

 

 瑠香は壁にもたれるようにしながら、それでも前に進もうとする。

 

「グッ・・・・・・」

 

 腹が異物を飲み込んだように痛い。茉莉に殴られた痛みがまだ継続しているのだ。

 

 恐らく精神的な物もあるのだろう。友達だと思っていた茉莉に裏切られた事への精神的ショックが、痛みとなって現れているのかもしれない。

 

 普段なら羽のように軽い体が、今は鉛を流し込まれたように重かった。

 

 それでも、

 

「・・・・・・行かないと」

 

 絞り出すように、言葉を発する。

 

 友哉にこの事を伝えないといけない。

 

 そして茉莉。彼女がこれ以上犯行を重ねる前に、何としても止めないと。

 

 その執念だけが、瑠香を前へと進ませる。

 

 早く、

 

 早く行かなくては。

 

 気持ちだけが空回り、足は地面に縫い付けられたように動こうとしない。

 

 ついにはもつれ、地面に前のめりに倒れる。

 

 意識が、再び落ち始める。

 

 それを留める力は、瑠香には残っていなかった。

 

「・・・ま、つり・・・ちゃ・・・・・・ゆ・・・や・・・くん・・・・・・」

 

 うわ言のように言葉を絞り出しながら、瑠香の意識は再び暗転する。

 

 彼女が最後に見た物は、自分を見降ろすように立つ、武偵校の制服を着た女の子の姿だった。

 

 

 

 

 

「クッ!?」

 

 防弾制服の上からでも、斬られたと錯覚するほどの鋭い一撃に、友哉は顔を顰めた。

 

 見れば肩の縫製が僅かに解れている。茉莉の一撃は、それほどの鋭さを持っていたのだ。

 

 とっさに飛び退いて距離を取ろうとする友哉。

 

 だが、

 

「逃がさない」

 

 抑揚のない声と共に、逃げた先には既に茉莉が剣を構えている。

 

 茉莉が振るわれる一撃を、辛うじて撃ち払う友哉。

 

 だが、次の瞬間には、

 

「こっちです」

 

 背後で茉莉の声が聞こえた。

 

 そう思った瞬間、背中に鋭い斬撃を浴びせられる。

 

「クッ!?」

 

 床に転がるようにして距離を置きながら、膝を突き刀を構える。

 

 速すぎるッ

 

 飛天御剣流の極意は先手必勝。その下地となるのは、他者を凌駕する速さにこそある。

 

 陣にも、理子にも、彰彦にも友哉が互角以上に戦えたのは、ひとえに彼等よりも素早い身のこなしができたからに他ならない。

 

 だが、茉莉にはそれが通じない。向こうの方が圧倒的なまでに速いのだ。

 

 女子寮屋上での戦いで、茉莉が友哉の動きに銃の照準を合わせる事ができたのも、恐らくこの能力ゆえだ。

 

「どうしました、この程度ですか?」

 

 撹乱するように友哉の周囲を駆けながら、茉莉は囁く。

 

 友哉は必死に追いかけるが、あまりの速さに残像を捉えるのがやっとの状態だ。

 

 斬り込む茉莉。

 

「クッ!?」

 

 その一撃を、友哉は辛うじて防ぐ。

 

 火花を散らす刃と刃。

 

 しかし、友哉がカウンターの一撃を放った時には、既に茉莉はその場に無く、逆刃刀は虚しく空を切るのみ。

 

「遅いです」

 

 冷たい言葉がささやかれる。

 

 次の瞬間、友哉は胴に茉莉の刃を受けていた。

 

「グッ!?」

 

 息を吐き出し、体をくの時に折ながら、それでも友哉は倒れずに足を踏ん張る。

 

 対して茉莉は、数メートル離れた所で足を止め、友哉を見る。

 

 傷こそ負っていないが、既にボロボロの友哉に対し、ほぼ無傷に近い茉莉。両者を見比べれば、どちらが優勢かは一目瞭然であった。

 

 そんな友哉に、

 

「・・・・・・もう、退いてください」

 

 茉莉は静かな声で告げる。

 

 その声はそれまでの淡々とした物ではなく、どこか温かみのある、いつも友哉や瑠香と一緒にいる時の茉莉の物だった。

 

「あなたでは、私に勝てない。それは今の戦いで証明された筈。この戦いには、もう意味なんかない」

 

 そう言ってから、茉莉はもう一言付け加える。

 

「あなたを、斬りたくないです。お願いです。退いてください」

 

 そう告げる茉莉の瞳が、僅かにうるんでいるのが見えた。

 

 彼女の言葉は警告と言うより、懇願に近い。

 

 友情。

 

 この短い期間の内に、それを感じていたのは友哉や瑠香だけではない。茉莉もまた、彼らとの関係に温かみを感じていたのだ。

 

 だからこそ、自らの剣で友達が傷付く所は見たくなかった。

 

 対して、友哉は肩を落としながら顔を上げる。

 

「武偵憲章二条」

「え?」

「『依頼人との契約は絶対護れ』。僕は武偵として、この任務をやり遂げる義務がある。悪いけど、たとえ手足を千切られても退く気は無いよ」

 

 毅然と言い放ち、刀の切っ先を茉莉に向ける。

 

 確かに飛天御剣流の、友哉の速度では茉莉に敵わない。

 

 だが、それがどうしたと言うのだ。

 

 そんな物は足を止める理由にはならない。

 

「・・・・・・判りました」

 

 茉莉は再び淡々とした口調に戻り、友哉を見る。あくまで退かないと言うなら、彼女も戦うしかなかった。

 

 戦うべき理由なら彼女にもある。茉莉もまた、ここで退く訳にはいかなかった。

 

 菊一文字を正眼に構える茉莉。

 

 どれだけ啖呵を切ったところで、友哉の剣は彼女に届かない。縮地による神速の攻撃を用い、一撃離脱で仕留める。それが茉莉の弾き出した戦術だった。

 

「行きます」

 

 低い声で告げられる一瞬。

 

 茉莉の体は一瞬にして視界からかき消える。

 

 神速によって移動しつつ、友哉の感覚を撹乱する。そうして相手が疲弊した所で一撃加えるのだ。

 

 対して友哉は、棒立ちのまま動こうとしない。茉莉の動きを追い切れていないのだ。

 

 茉莉は床面だけでなく、壁や天井なども使い、三次元的な動きで友哉の周囲を駆け廻って行く。

 

 この動きを捉える事は誰にもできない。茉莉が今まで敵対した者を確実に倒して来た必勝戦法である。

 

 一瞬、友哉の死角に茉莉は回り込んだ。

 

『今ッ』

 

 刀を振りかざし、一気に斬り込む。

 

 ここが勝負の決め所だ。

 

 次の瞬間、

 

 友哉が茉莉の方に向き直った。

 

「ッ!?」

 

 駆けながら、思わず息を呑む。

 

 まさか、友哉には茉莉の姿が見えている?

 

『そんなバカなッ』

 

 本気を出した茉莉を追い切れる人間など、いる筈がない。

 

 そう思った時、

 

「飛天御剣流ッ」

 

 友哉の周囲に無数の斬線が、縦横に走るのが見えた。

 

「龍巣閃!!」

 

 視界に走る剣閃は、まるで空間その物を細切れに裁断するが如き数を持って、茉莉に殺到する。

 

 次の瞬間、

 

 茉莉の全身に凄まじい衝撃が走った。

 

 

 

 

 

 陣の着る防弾制服は、既にボロボロになっている。

 

 熟達した譲治の槍の前に、攻め手が全く掴めずに戦いは推移していた。

 

 だが、

 

「どうした、もう終わりかよ?」

 

 口元に浮かべられる笑み。その戦意は聊かの衰えも無く、獲物との距離を計る獣の如き雰囲気を持って立っている。

 

 一方の譲治の方は無言のまま、槍の切っ先を陣に向けている。

 

 相良陣。彰彦から情報を受け取り、その戦闘力はある程度把握していたつもりだが、まさかこれほどとは思わなかった。

 

 その撃たれ強さには舌を巻かざるを得ない。普通の人間なら10回は気絶していてもおかしくないような攻撃をまともに受けながら、尚も平然としている。戦闘技術は荒削りながら、場馴れしており予想外にねばって来る。

 

 譲治のように武術を鍛錬する者にとっては、逆に戦いにくい相手であると言える。

 

『仕方がない』

 

 手を抜いた攻撃では、却って戦闘が長引いてしまう。全力の一撃で、一気に勝負をかける。

 

 腰を落として、槍をやや下段に構える。

 

 次の瞬間、凄まじい踏み込みと共に、全力の直突きが放たれた。

 

「ウォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 まさに鬼の咆哮と言うべき譲治の気合。

 

 その覇気だけで、並みの人間ならば吹き飛ばされてしまいそうだ。

 

 気合、速度、威力、全てが充分。

 

 対して陣は、防御の薄い頭部を護ろうと身構えるのが見えた。

 

 それを見て、譲治は内心でほくそ笑んだ。

 

 陣がそのように動くのは予測済みだ。だからこそ、狙いは別にしてある。

 

 刃の向かう先。それは、陣の右脇腹。頭部に防御が集中している為、そこはほぼがら空きになっている。

 

 突き込まれた槍の穂先は、防弾制服すら貫通し立ち尽くす陣に突き刺さった。

 

「グハッ」

 

 腹から伝わる激痛と共に、口から血を吐き出す陣。

 

『決まったな』

 

 手応えはあった。

 

 これまでの度重なる攻撃で解れが生じていた防弾制服は裂け、切っ先は陣の腹部に刺さっている。充分なダメージは入った筈だ。陣はしばらく動く事も出来ないだろう。

 

 そう思い、槍を引き抜こうとした。

 

 その時、

 

 ガシッ

 

 その穂先が力強く握られる。

 

「捕まえたぜ」

 

 口元から血を流しながら、陣は不敵に言い放つ。

 

「なっ!?」

 

 譲治は初めて、驚愕を表情に浮かべた。まさか、まだ動けるとは思っていなかったのだ。

 

 そんな譲治を尻目に、陣は空いている右手を高々と振り上げた。

 

「この瞬間を、待ってたぜ!!」

 

 振り下ろされる肘打ち。

 

 その一撃は、槍の柄に叩きつけられた。

 

 武器破壊。

 

 譲治の攻撃に手を焼いた陣は、まずその槍をどうにかしようと考えたのだ。

 

 生木を折るような音と共に、十文字槍は穂先部分がへし折られる。

 

 思わず踏鞴を踏む譲治。まさか、こんな手で来るとは思ってもみなかった。

 

 自分の体にわざと刃を突き刺し、逆に相手の動きを封じる。陣の撃たれ強さがあったからこそ可能な技である。勿論、脇腹には刃による貫通創。言うまでも無く重傷である。

 

 だが、これで譲治は武器を失った。

 

「こいつで、とどめだ!!」

 

 拳を振り上げる陣。

 

 だが、陣が殴りかかる一瞬前に、譲治は懐からスプレー缶のような物を取りだすと地面に放り投げた。

 

 一瞬の閃光と轟音。

 

 投げられた閃光手榴弾は、陣の視界を白色に染め上げた。

 

「チッ」

 

 舌打ちしながら、視界の回復を待つ陣。

 

 やがて、周囲の情景が見えて来ると、そこに譲治の姿は無かった。

 

「・・・・・・逃げやがったか、あの鬼達磨」

 

 呟きながら肩を落とす。

 

「あ~、にしても、さすがにちっと痛ェかな」

 

 穂先が刺さったままの脇腹に手をやりながら、僅かに顔を顰める。

 

 譲治の動きを止めて懐に入り込むには、良い手だと思ったのだが、流石に無茶をし過ぎたようだ。

 

「確か、この手の怪我は救護科、とか言う所に行けばいいんだよな」

 

 呟くと、そのまま歩きだす。

 

 その足取りには、重傷を負っているにもかかわらず一切の不安定さは感じなかった。

 

 

 

 

 

 体が動かない。

 

 全身が軋むように痛い。

 

 一体、何があったのか。

 

 床に這いつくばりながら、茉莉は己に起きた事を振り返っていた。

 

 あの時、背後から友哉に襲い掛かり、神速の一撃で持って勝負を決しようとした。

 

 しかし、閃光のような斬線が無数に描かれたと思った瞬間、倒れていたのは茉莉の方だった。

 

 倒れ伏した茉莉。

 

 彼女を見降ろすように、友哉は刀を構えたまま立っている。

 

 チェスのゲームの中で、最強の駒は何かと言われれば、誰もがクイーンを上げるだろう。将棋で言う所の飛車と角の動きを併せ持ち、前後左右斜めに無限に移動する事ができる、言わば盤上最速の駒である。

 

 しかし、そのクイーンの力を過信し、単独で突出させれば、他の駒に包囲されて討ち取られる結果にもなる。故に「クイーンは迂闊に動かさないのが定石」と言う言葉もあるくらいだ。

 

 友哉は機動力に優る茉莉を相手にするにあたって、彼女の動きを先に読み、網を張って待ちうける戦術を取った。

 

 龍巣閃は飛天御剣流の速さを利用した乱撃技であり、その効果は通常の斬撃のように線ではなく、面を制圧するようになっている。茉莉の動きの読む事ができれば、後はその方向に技を放つ事で相手を絡め取る事ができるのだ。

 

 言うなれば、高速で突っ込んで来た茉莉は、龍が張り巡らせた巣の中に自ら飛び込んだようなものであった。

 

『とは言え、けっこう紙一重だったんだよね』

 

 考えながら苦笑する。

 

 茉莉は感情の動きが希薄である為、その思考を先読みする事は難しい。「死角から攻めて来る」と読んだのは殆ど賭けに近かったのだが、どうにか成功する事ができた。仮に正面から斬りかかって来るのであれば、余計な撹乱はせず真っ直ぐに接近し最速の一撃を仕掛ける筈。それをしなかったという事は、死角攻撃を狙っていた、と友哉は判断した訳である。

 

 と、それまで床に倒れ伏していた茉莉が、菊一文字を杖代わりにして立ち上がろうとしている。しかし、足に殆ど力が入らないらしく、その姿はまるで生まれたての小鹿のようだ。

 

「もうやめなよ。一応急所は外したけど、君はもう戦うどころか立つ事もままならない筈だよ」

 

 既に勝負はあった事を、友哉は告げる。

 

 そんな事は茉莉にも判っていた。

 

 だが、

 

 それでも、

 

 

 

 

 

『頼んだぞ、茉莉』

『はい、必ず』

『お前だけが頼りだ』

『必要な額のお金を持って、必ず戻ってきます。それまでは、どうか辛抱してください』

 

 

 

 

 

「・・・・・・わた、しは・・・こんなところ、で・・・・・・」

 

 ショートポニーが解け、ばさばさになった髪を振り乱しながら、渾身の力を振り絞り、立ち上がる茉莉。

 

「負けられないんだァァァァァァァァァァァァッ!!」

 

 普段の彼女からは決して聞けないような雄叫びと共に、再び剣を振り翳して斬り込んで来る茉莉。

 

 しかし、その動きには先程までの超絶的な機動力は無く、ただ己の体をそのままぶつけるかのような雑な動きがあるのみだった。

 

 そして、

 

 ガキンッ

 

 友哉が殆ど無造作に横薙ぎに振るった一撃によって、菊一文字は茉莉の手から離れ、床に転がった。

 

「あっ」

 

 そのまま、茉莉自身も力を失ったように床に座り込んだ。

 

 彼女の抵抗は、全て封じられたのだ。

 

 友哉はそんな彼女に近づくと、務めて冷たい口調を作り言った。

 

「瀬田茉莉、殺人未遂、並びに未成年者略取の容疑で・・・・・・逮捕する」

 

 取り出した手錠を、茉莉の両手に掛ける。

 

 ガチャリ、と言う金属音が、何やら物悲しく聞こえた。

 

 項垂れる茉莉。

 

 友哉は次いで携帯電話を取り出すと、救護科3年の高荷紗枝を呼び出した。1期上の先輩だが、友哉が1年生の頃、任務で何度か怪我をした時に診て貰った事があり、腕が確かである事は保証済みだった。電話すると、生憎彼女はアドシアードの保健委員を務めており手が離せないらしいが、衛生科の友人を派遣してくれるとの事だった。

 

 その時、

 

 近付いて来る足音に振り返ると、瑠香と、彼女を支えるようにしてレキが歩いて来るのが見えた。どうやらレキが瑠香をここまで連れて来てくれたらしい

 

 立ち尽くす友哉と、手錠を掛けられ項垂れている茉莉。

 

 そんな二人を、瑠香は悲しげに見つめる。その光景だけで、勝敗がどうなったかは一目瞭然だった。

 

「友哉君・・・・・・茉莉ちゃん・・・・・・」

 

 幼馴染と友達が剣を交えると言う事態は、少女の心を深く傷つけていた。

 

 だが、生憎感傷に浸っている暇は無い。戦いはまだ続いているのだ。

 

「レキ」

 

 友哉は更に地下へと向かう梯子に向かいながら言う。

 

「ここはお願い。もうすぐ衛生科の人が来ると思うから」

「判りました、友哉さんは?」

「僕は、キンジとアリアの援護に行く」

 

 彼等の足下では、まだ戦いは継続されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦いは最終局面を迎えつつあった。

 

 一度は白雪を確保する事に成功したジャンヌだったが、その後参戦したキンジ、そしてアリアによって、彼女の計画が狂い始めていた。

 

 そして更に、2人の活躍によって危地を脱した白雪が戦線に加わった事で、完全に形勢は逆転しつつあった。

 

 星伽に科せられた禁を自ら破り、全力を解放した白雪は、自らの刀、銘刀イロカネアヤメに炎を纏わせ斬り込む。

 

 炎の力を使う白雪の能力は、氷魔法を使うジャンヌに対して極めて相性が良い。

 

 対してジャンヌもまた、イ・ウーに置いて銀氷の魔女と異名を取ったステルスである。その程度の不利など物ともせず、白雪と互角の戦いを繰り広げていた。

 

 だがついに、白雪がジャンヌを壁際まで追い詰めた。

 

「剣を捨てて、ジャンヌ。もう、あなたの負けだよ」

 

 しかし、そう告げる白雪の息は荒い。

 

 ステルスは莫大な能力を発揮する半面、消費する力も大きい。封印を破り全力を解放した白雪の体力も既に限界が近かった。

 

 対してジャンヌは、追い詰められながらも不敵に笑みを見せる。

 

「甘いな星伽、お前は本当に、氷砂糖のように甘い女だ。私の体ではなく、剣ばかり狙うとは。聖剣デュランダルは、誰にも斬る事などできはしない」

 

 武偵法9条「武偵は如何なる状況においても、その武偵活動中において人を殺害してはならない」

 

 白雪は戦闘開始から今に至るまで、ジャンヌの持つデュランダルに攻撃を集中していた。しかし、ジャンヌの言うとおり、未だ聖剣には傷一つついていない。

 

 その刀身が青白く発光を始める。ジャンヌが魔力のチャージを始めたのだ。

 

「見せてやる『オルレアンの氷花』。銀氷となって散れ!!」

 

 ジャンヌが最大の技を放とうとした、その瞬間、

 

「今よキンジ、あたしの3秒後に続いて!!」

 

 後方で戦況を見守っていたアリアが、ここが勝負処と断じ、白雪を援護すべく動いた。

 

 両手には小太刀二刀を構え、低空を飛ぶ鳥のように両手を広げて疾走する。

 

 それに気付いたジャンヌは、標的を白雪からアリアへととっさに変更する。

 

「ただの武偵如きが、超偵に敵うものか!!」

 

 奔流の如き青白い光を放つ冷気が、アリアに向けて放たれる。

 

 だが、アリアは一瞬早く、右の刀で床に落ちていた物を拾い上げて翳した。

 

 それはジャンヌが、作戦の一環として白雪に化けた際に使い、脱ぎ捨てた巫女服だった。

 

 勢いよく払った巫女服によって、放たれた氷は天井に逸らされ、まるで花開いたように凍りつかせる。

 

「今よ、キンジ、もうジャンヌは力を使えないわ!!」

 

 アリアの合図を受けて、キンジが動く。その手に構えられたベレッタを3点バーストに切り変え発砲した。

 

 しかし、それを予想していたジャンヌは、素早くデュランダルを引き戻し、その身幅の厚い投身で弾丸を防いだ。

 

「ただの武偵の分際で!!」

 

 斬り込もうとするジャンヌ。

 

 彼女の足元を、アリアが二刀で薙ぎ払う。

 

 それを跳躍して回避するジャンヌ。

 

 ジャンヌはその勢いのまま、デュランダルをキンジめがけて振り下ろす。

 

 西洋剣の重い一撃が、キンジの脳天へと迫る。

 

 その一撃を、

 

 キンジはあろう事か、左手の人差し指と中指で受け止めて見せた。

 

「何っ!?」

 

 驚愕するジャンヌに、キンジはベレッタの銃口を向けた。

 

「これで一件落着だよ、ジャンヌ。もう良い子にした方がいい」

「・・・・・・武偵法9条」

 

 静かに告げるキンジに、ジャンヌは強気に返す。

 

「よもや忘れた訳ではあるまいな、武偵は人を殺せない」

「はは、どこまでも賢いお嬢さんだ」

「お、おじょ・・・・・・」

 

 キンジのらしくない、穏やかで優しげな言葉に一瞬呆気にとられたジャンヌだが、すぐに剣を持つ手に力を込める。

 

「だが、私は武偵ではない、ぞ」

 

 キンジを振りほどこうとするジャンヌ。

 

 その時、

 

「キンちゃんに、手を出すなァァァァァァ!!」

 

 残る力の全てを込められた、白雪の手にあるイロカネアヤメが、炎を纏って虚空を奔った。

 

「星伽候天流、緋緋星伽神!!」

 

 振るわれた剣は、下段から磨り上げるように一閃、小型の太陽光の如き炎を発して、聖剣デュランダルを根元から一刀両断した。

 

「ば、バカなッ!?」

 

 一瞬呆然とするジャンヌ。

 

 しかし、最後の抵抗とばかりに、懐からチェコ製自動拳銃Cz100を取り出して構えようとした。

 

 次の瞬間。

 

 キンッ

 

 一瞬の鍔鳴りと共に、駆け抜ける影。

 

 見れば、逆刃刀を頭上に振り切った状態の友哉が、いつの間にかジャンヌの傍らに立っていた。

 

 ジャンヌの手にあるCz100は、銃身部分がスッパリと輪切りにされている。一瞬で接近した友哉が、逆刃を使って斬り落としたのだ。

 

「やあ、ジャンヌ、意外に早く再会できたね」

「クッ」

 

 そう言ってニッコリ微笑む友哉に、ジャンヌは言葉を詰まらせて黙りこむ。

 

 そこへ、

 

「デュランダル、逮捕よ!!」

 

 飛びかかったアリアが、ジャンヌの手に手錠を掛ける。

 

 その様子を見ながら、キンジと友哉は笑みを見せると、互いの手をパァンッと打ち鳴らす。

 

 それがこの、魔剣事件の終局を告げる鐘の音となった。

 

 

 

 

 

第6話「地下倉庫の決闘」     終わり

 



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第7話「雪、のち晴れ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な ん で、こうなる訳ッ!?」

 

 晴れ渡った空に、緋村友哉の絶叫がこだまする。

 

 普段、温厚が服を着て歩いているようなこの少年からすれば、誠に珍しいと言わざるを得ない。

 

 アドシアードは無事に終了、今はその閉会式が行われる直前となっている。

 

 閉会式では予定通り、友哉達はチアリーディングに合わせてバンド演奏を行う事になった。

 

 の、だが、

 

 あてがわれた控室に入り、

 

 用意された衣装に着替えた、

 

 で、

 

 冒頭の絶叫に繋がる。

 

 友哉に用意された衣装は、赤地に黒い縁取りが入ったブラウスに、同色のスカート、頭には大きなリボンがある。ところどころに黒いフリルがあしらわれており、理子辺りが好んできそうなロリータ風ファッションだった。

 

「何で僕がこんな恰好しなくちゃいけないの!?」

 

 叫ぶ友哉を前にして、仲間3人は笑いを止めようとしない。

 

 キンジは壁を叩いて必死に笑いを堪え、不知火は微笑を浮かべ、武藤に至っては床に笑い転げている。

 

 こいつら・・・・・・

 

 今すぐ龍巣閃をぶちかましたい衝動を必死に押さえる友哉。

 

「いや、でも可愛いって、マジで」

「嬉しくないよッ!!」

 

 眼に涙まで浮かべながらフォロー(のつもり)をしてくる武藤に、友哉は顔を真っ赤にしながら怒鳴り返す。

 

 だが、実際の話、似合う似合わないで言えば、実は圧倒的に似合っているのだ。

 

 友哉は身長154センチと、同年代の男子と比べると圧倒的に背が低い。その上肉付きも薄く、所謂単身痩躯の体付きをしている。顔も中性的、と言うよりもやや少女寄りであり、一度、特殊捜査研究科(CVR)の結城ルリ先生に「うちの科に来ない?」などと冗談交じりに言われた事があるくらいである。勿論、丁重にお断りしたが。

 

 極めつけは声だ。

 

 当然のことながら、友哉は年齢的に変声期を終えているのだが、その声は高校生男子としては異様に高く、知らない人間が声だけ聞けば性別を間違いそうである。

 

 そんな友哉が女装をすれば、最早どこからどう見ても立派な女の子だった。

 

「まあまあ、そう叫ばない。とっても似合っているよ」

「不知火まで~・・・・・・」

 

 裏表のない笑顔の不知火は、ある意味武藤よりも性質が悪い。何しろ、こっちが反論する気力をなえさせる効果があるのだから。

 

「ほら、時間だ。さっさと行くぞ」

「うう~・・・・・・」

 

 キンジはそう言うと、尚もグズる友哉の首根っこを捕まえ、引きずるようにして閉会式の会場へと向かった。

 

 

 

 

 

 ギターキンジ、ベース不知火、ドラム武藤、そしてボーカル友哉と言うポジションで演奏が始まる。

 

 

 

「I‘d like To thank the Person」

(感謝させてほしいよ)

 

 

 

 舞台の真中に立ち、恥ずかしいのを隠すように、殆どやけくそ気味に歌う友哉の高い声が、会場内に響き渡る。

 

 それを見ていた武偵校の生徒達から、ざわめきのような声が聞こえて来る。

 

 

 

「Who Shooot the flash」

(その一閃を放った人に)

 

 

 

 会場からは、「誰だあの娘?」「あんな娘いたっけ?」「新人アイドルでも呼んだの?」「可愛い」等と言う声が聞こえて来る。

 

 それらを無視しながら、友哉は歌い続ける。

 

 

 

「Who flash the shot like The bangbabangbabang!?」

(バンババンババンって、あの一閃は誰が?)

 

 

 

 そこへ、両手にポンポンを持ったチアガール達が入って来ると、会場は大いに盛り上がった。ノースリーブのワンピースタイプで、黒を基調とした独特のチアガール衣装は、武偵校ならではである。

 

 中には知り合いの女子も何人か姿を見せている。

 

 

 

「Each time we‘re in froooooooont of enemies!」

(敵の真ッッッッッ正面に出たって、)

「We never hiden sneak awey!」

(逃げ隠れなんか絶対しない)

 

 

 

 小さな体で元気に飛び跳ねているのは、アリアだ。

 

 戦いが終わり報酬配分の場で、アリアチーム:緋村チームで6:4の配当がされた。それを不服と訴えたのはアリアだった。

 

 同じ敵と戦い、逮捕する事ができたのだから、報酬はイーブンにするべきだと。

 

 だが、それは他ならぬ友哉自身が断った。結局、友哉達は最後まで敵に翻弄されっぱなしだったし、茉莉が敵である事も見抜けなかった。加えてジャンヌを捕えたのがアリアである事を考えれば、この配当は妥当な物だった。

 

 

 

「Who flash the shot like The bangbabangbabang!?」

(バンババンババンって、あの一閃は誰が?)

 

 

 

 恥ずかしそうに胸を隠しながら踊っている白雪が見える。

 

 彼女は事件の後、何か吹っ切れたように明るい表情をするようになった。

 

 その事情は、友哉には推察する以外にできないが、この事件が彼女にとって何かしらプラスに働いた事は間違いなさそうだった。

 

 あれだけ険悪だったアリアとも仲直りできたようであるから何よりである。

 

 

 

「Who was the person, I‘d like to the body」

(誰なんだそいつは、抱き締めさせてくれよ)

 

 

 

 そして、瑠香。

 

 事件直後は、彼女も落ち込んでいた。

 

 あの戦いの後、逮捕された茉莉とジャンヌは、教務課へと連行されていった。その後彼女達には、尋問科教師、綴梅子による尋問と言う名のお仕置きが待っている事になる。

 

 だが、連行される直前、茉莉は俯く瑠香と、その瑠香の肩を抱きしめる友哉の前で一旦立ち止まった。

 

『・・・・・・ごめんなさい』

 

 その一言が、この事件で傷付いた心へ送る、唯一の慰めとなった。

 

 あれから数日、瑠香は表面上は元気を取り戻し今は元気に踊っている。

 

 やがて、歌う友哉達の前で、チアガール達が一斉にポンポンを上空に投げ上げ、同時にスカートの下から抜き放った銃を連射、次々と撃ち落として行く。

 

 撃ち抜かれたポンポンが、まるで桜吹雪のように風に乗って舞い踊る。

 

 

 

「It makes my life change at all Dramatics!」

(それが私の人生を一変させたんだから!)

 

 

 

 瑠香もまた、笑顔で拳銃を構え、上空に向けて撃っている。

 

 願わくば、その笑顔が心の底から出た物である事を、友哉は願わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 成功裏に終了したアドシアードから数日たった。

 

 ある種やかましいくらいの賑わいを見せていた学園島にも静けさが戻り、代表選手を始め、武偵校の生徒達はそれぞれの日常へと帰って行った。

 

 そんな中で友哉は、教務課に呼び出され、一つ、厄介事を押しつけられる事になった。

 

 その厄介事が、今日から始まる事になる。

 

 ピンポーン

 

 チャイムととともに、パタパタと廊下を歩く音が聞こえて来た。

 

「ヤッホー、来たよ、友哉君ッ」

「不届き者ですが、これからよろしくお願いします」

 

 瑠香と茉莉が、そう言って挨拶して来る。

 

 そんな二人に、友哉は苦笑する。

 

 そもそも茉莉、それを言うなら「不束者」だから。いや、ある意味「不届き者」で合っているのかもしれないが。

 

 これが教務課から言われた厄介事だった。

 

 地下倉庫での戦いにおいて、ジャンヌが作戦の一環として排水溝の爆破を行ったのだが、その際、悪い事に学園島のライフラインも一部損傷してしまった。具体的に言えば、瑠香達が暮らす第4女子寮のガス管と電気線が切れてしまったのだ。

 

 損傷部位は地下で修理は難しい。そもそも、老朽化が進んだ第4女子寮を修理する事に意味があるのか、と言う疑問も出され、結果、取り壊し、建て替えが決定されたのだった。

 

 だが、問題はまだ続く。現在、学園島では他にも建設中の施設がある為、取り壊し、建て替えと言っても簡単には行かない。秋までに作業に入れるかどうかも微妙なところであり、工期完成には1年以上掛かる見通しだった。

 

 幸いな事に、第4女子寮は入寮者が少ない。そこで、バスや電車による通学が可能な者には実家から通ってもらい、そうでない者は他の寮へと入る事になった。

 

 と言う訳で、四人部屋を一人で占領している友哉の部屋に、「顔なじみだから良いだろう」と言うひどく適当な理由で瑠香と茉莉が転がり込む事になった訳である。

 

 友哉はチラッと、茉莉を見た。

 

 彼女は容疑者として事情聴取を受けた後、司法取引と言う形で再び武偵校に戻って来た。

 

 戻ってきた当初、友哉も、そして茉莉自身も、互いにどう接すれば良いのか判らなかった。何しろ、直接剣を交えた仲である。わだかまりは、どうしたって消える物ではない。

 

 だが、そんな重い雰囲気を払拭してくれたのは、瑠香の明るさだった。

 

『うわぁ、帰って来たんだ。お帰り、茉莉ちゃん!!』

 

 そう言って本当に嬉しそうに茉莉の手を取る瑠香の姿が、今でも思い出される。

 

 彼女の様子を見て、友哉も、茉莉も、戸惑っていた自分達の態度がひどく滑稽な物に思えてしまい、互いの顔を見合せながらぎこちなく苦笑を浮かべ会うのだった。

 

 そんな訳で、これから最低でも1年間、3人はこの部屋で半ば同棲じみた生活をする事になった訳である。

 

 因みに、主犯と言う事でもう少し時間がかかりそうだが、ジャンヌもまた司法取引によって武偵校に編入して来るらしい。

 

 何やら、随分とにぎやかになりそうな予感がする。

 

 その時、マナーモードにしていた携帯がメールの着信を告げる。

 

「おろ?」

 

 憶えの無いアドレスからの着信である。

 

 訝りながら開いてみる。

 

『紆余曲折はありましたが、どうやら収めるべき鞘に収まったようで何よりです。私は前々から彼女はこちらの業界には向いていないと思っていましたので、ちょうどいい機会だったと思っています。君の事は信頼しています。どうか、彼女の事を宜しくお願いしますよ、緋村君。     仕立屋』

 

 友哉は無言のまま、携帯を閉じる。

 

 仕立屋、由比彰彦。

 

 やはりあの男、生きていたのか。

 

 今回はジャンヌに加担したのか。いや、このメールの文面を見れば、茉莉を武偵校に入れるのが目的であったとも考えられる。

 

 あるいは、ジャンヌの支援と茉莉の司法取引による編入、そのどちらもが目的であったとも考えられる。

 

 いずれにしても、今回もまた、あの男の掌の上で踊っていたと言う事か。

 

 まあ、良い。

 

「いつか必ず、あの男とは決着を付ける」

 

 それは最早、友哉にとって必然の未来と言って良かった。

 

「どうしました、緋村君?」

 

 不思議そうに問いかけて来たのは茉莉だ。

 

 もし、彰彦が武偵校に入れる為に今回の作戦を仕組んだと知れば、茉莉は何と思うだろうか。

 

 ある種の執念にも似た戦いを見せた彼女である。もしかしたら平静ではいられないかもしれない。

 

「いや、何でもないよ」

 

 そう言って笑い掛けるにとどめた。

 

 キョトンとする茉莉。

 

 だが、こうして彼女が武偵校に戻り、またあの楽しかった日々が帰って来た。

 

 その一点だけは、彰彦に感謝しても良いかもしれない。と、友哉は思う事にした。

 

「ねえねえ、茉莉ちゃん。男の子の部屋に来たら、やる事は一つだよ」

「はい、何ですか、それは?」

「勿論、レッツ、探索!! 机の裏とかベッドの下とか、本棚の裏とか、そう言う怪しげな場所にある怪しげな本を探す旅に出よう!!」

「え、そ、そんな・・・・・・持ってるんですか?」

「いや、無いからね」

 

 瑠香の言葉に、顔を赤くして困ったような表情をする茉莉。

 

 そんな二人に、友哉は苦笑せざるを得なかった。

 

 騒ぎ立てる瑠香もそうだが、口ごもる茉莉もまた、なかなか耳年増であるようだ。

 

 その時、チャイムも無しに扉が開く音がした。

 

「おう、友哉、遊びに来たぜ!!」

 

 遠慮と言う言葉が一切感じられない声は、相良陣だ。

 

 彼は彼で例の覆面の槍使いと戦い重傷だった筈だが、入院した翌日には武偵病院を抜け出して遊び歩いていたと言うのだから恐ろしい話である。診察した高荷紗枝曰く「どういう体のつくりをしているのかさっぱり判らない」との事だった。

 

 まさに生命小宇宙、人体の神秘、と、言っても、良い、のだろうか?

 

 とにかく、無事であった事は何より、と言う事にしておこう。

 

 喧騒を背中に聞きながら、友哉は空を眺める。

 

 空は雲一つなく、澄み切った青空が広がっている。

 

 瑠香、陣、そして茉莉。

 

 友哉の下に、人が集まり始めている。

 

 彼等と共に暮らし、彼等と共に戦っていく日々が、どんな物になるのか。

 

 友哉は澄み切った青空に思いを馳せるのだった。

 

 

 

 

 

第7話「雪、のち晴れ」    終わり

 

 

 

 

魔剣編     了

 



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ブラド編
第1話「殺人鬼の刃」


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝

 

 緋村友哉は目を覚ますと、硬くなった筋肉を思いっきり伸ばしながらベッドを下りる。

 

 時刻は朝の5時。一般的な学生にしては早すぎる起床時間だが、子供の頃から朝稽古が習慣化していた友哉にとっては、これが普通なのである。

 

 遠くの汽笛以外に聞こえる物が何もない静かな時間。

 

 いや、耳を澄ませば、他にも聞こえる音がある。

 

 友哉が寝ているベッドの、隣に置かれた二段ベッドの下段から、静かな寝息が二つ、重なり合うように聞こえて来る。

 

 そこには同居人の四乃森瑠香と瀬田茉莉が、同じベッドで向かい合うように寄り添って眠っていた。

 

 引っ越してきたその日の夜に瑠香が『茉莉ちゃん、一緒に寝よ』と言った事でこうなったのだが、それが今もまだ続いているのだった。

 

 先の魔剣事件の影響で住んでいた寮を失い、友哉の部屋に転がり込む事になった二人であるが、元々頻繁に出入りしていた事もあり、今やこの部屋にいる事が当たり前のようになっていた。

 

 ちなみにここは男子寮であり、普通ならば女子の出入りに関しては制限されるべきなのである。が隣の友人、遠山キンジの部屋には神崎・H・アリアや星伽白雪が入り浸っている。分けても生徒会長である白雪が出入りしているのだから、そんな寮則、あってないような物である。

 

 何よりこれが教務課からの命令である以上、異を唱えるつもりは友哉には無かった。

 

 特徴的な赤茶色の髪を後ろで縛り、部屋を出ると、キッチンへ向かう。

 

 冷蔵庫を開け、卵3つとレタスを取りだした。

 

 瑠香は最近、朝はパンにこだわっているとかで、そちらをよく食べている。だからついでにバターとイチゴジャムも用意した。

 

 一方で茉莉は、朝は和食じゃないと調子が出ないとかいう理由で、必ずご飯を食べたがる。その為昨夜の内から米を炊き、味噌汁の用意も済ませていた。

 

 因みに友哉は、その日の気分でメニューを変えたりするので特にこだわりのような物は無い。強いて言うなら、今日は洋食の気分だったので、パンを1人分余計に用意した。

 

 そうして準備を整え、3人分の目玉焼きを焼いていると、眠い目をこすりながら瑠香が起きて来た。

 

「ふぁ~、おあようごやいまふ、ゆうやくん」

「おはよう、着替えて顔洗っておいでよ。準備しとくから」

「うん・・・」

 

 おぼつかない足取りで自分の部屋へと向かう瑠香。

 

 因みにこの部屋は4人部屋であり、寝室以外にも廊下に面して4つの個室がある。元々は友哉1人しかいなかったので使っている部屋も1つだけだったが、今は瑠香と茉莉もそれぞれ一部屋ずつ使っている。

 

 やがてテーブルに朝食が並び、インスタントコーヒーを入れる頃、茉莉が起き、瑠香も着替えてやって来る。

 

「おはようございます」

 

 起き抜けであるにもかかわらず、茉莉の方はしっかりした口調で挨拶すると、自分の席へと着いた。

 

 瑠香も揃い、友哉がそれぞれの席の前にコーヒーを置くと、朝食の準備は整った。

 

「「「いただきます」」」

 

 3人で唱和して食べ始める。

 

「ん、友哉君、ちょっとこの目玉焼き、焼き過ぎじゃない?」

「ごめん、そうだった?」

「私はこれくらいでちょうど良いです」

「そうかな、もうちょっと柔らかい方がおいしいのに」

「緋村君、このおみそ汁は美味しいです」

「そっか、良かった」

 

 そんな事を話しながら、朝の食事は進んで行く。

 

 朝食が終わると、片づけは茉莉と瑠香が担当し、その間に友哉は自分の部屋に入って準備をする。

 

 教科書、筆記用具、ノート。そして、愛刀である逆刃刀。

 

 幕末の刀匠、新井赤空の手によって打たれたこの刀は、打たれてから1世紀半の時間が経過しているにもかかわらず、その斬れ味は一切の衰えを見せていない。

 

 新井赤空と言えば、無数とも言える数の刀を打ち、倒幕派、佐幕派を問わず多くの者達に愛好された事でも有名である。

 

 愛好された、すなわち、その多くが実戦に用いられ、たくさんの人間がその刃の下に血しぶきを上げ散って行った事を意味している。

 

 新井赤空の作の中で、特に有名なのが、彼が技術の限りを尽くして作り上げた、数々の「奇剣」であろう。

 

 二本の刃を狭い間隔で並走連結させ、相手に斬りつける事によって縫合不能な傷を負わせ、最終的に死に至らしめる『連刃刀』。

 

 刃の強度を保ったままギリギリまで薄く鍛え、同時に2メートル以上の刀身を与える事で、鞭の如き扱いを可能とした『薄刃之太刀』。

 

 刃の強度を保ったままわざと鋸状に鍛え、刃毀れする事を防ぐ『無限刃』

 

 そして、友哉の先祖である緋村抜刀斎が使用したとされ、刃のみならず、峰、鍔にも刃を備えた『全刃刀』。

 

 それらの奇剣は、その殆どが幕末や明治の混乱期に破棄、あるいは破壊され現代に伝わっていない。

 

 新井赤空最後の作が、この逆刃刀だと言われている。

 

 人を殺す刀ばかりを作って来た赤空が、このように殺人を否定するような刀を作ったのか、また、なぜその刀を抜刀斎に託したのかは判らない。どのような心の変化があったのかは、後世に生きる友哉には推察する事しかできない。

 

 逆刃刀の刀身には「我を斬り 刃鍛えて 幾星霜 子に恨まれんとも 孫の世の為」と言う赤空の詩が彫られている。

 

 もしかしたら、赤空は己の刀を使う人間が、いずれ平和な世を作り、子供や孫が生きる時代を護ってくれると思いたかったのかもしれない。

 

 友哉は逆刃刀を腰のラックに装備すると、鞄を持って部屋を出る。

 

 古の人達の想いを継ぐのは、自分達の役目なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友哉は重い空気を引きずるように、廊下を歩いている。

 

 これから向かう場所は、できる事なら避けて通りたい場所である。

 

 教務課(マスターズ)

 

 未だに現役武偵を務める百戦錬磨の教員達がひしめき、殺気立った空気を常時撒き散らしている場所。

 

 武偵校三大危険地帯に指定されているその教務課に、友哉は今向かっていた。

 

 しかも、これから会うのは強襲科教師の蘭豹。「人間バンカーバスター」の異名を持ち、香港では無敵の武偵と恐れられた女だ。当然、東京武偵校でも掛け値なしの危険人物として恐れられている。

 

 だが、歩いていれば目的地に付いてしまうのは道理である。

 

 蘭豹の部屋の前に立つ友哉。

 

 一度大きく息を吸い、そして吐き出す。

 

 そして意を決すると、ドアをノックした。

 

「失礼します。強襲科(アサルト)2年、緋村友哉、入ります」

 

 そう言うとドアを開けて中に踏み込む。

 

「おう、緋村、よう来たな」

 

 笑いながら手を上げている大女が、強襲科の凶悪教師蘭豹である。美人である事は間違いないのだが、190センチ以上の長身と、全身筋肉の体からは女らしさのかけらも感じる事はできない。その名の如く肉食の獣その物だ。

 

 主な武装は「像殺し」の異名で知られる程の凶悪な威力を誇る回転式拳銃S&W M500だが、彼女はそれを片手で撃てると言うのだから、その力は押して知るべしと言う物だった。

 

 部屋には他にも人がいた。

 

「あなたは・・・・・・」

 

 そして驚くべき事に、その人物は友哉とも顔見知りだった。

 

「よう、緋村、久しぶりだな」

 

 40代前半ほどのその人物は、ガッシリとした体付きをした男性で、いかつい顔の割に人懐っこい表情を浮かべる男性だった。

 

「長谷川さん・・・・・・」

 

 長谷川昭蔵(はせがわ しょうぞう)。それが男の名前だった。

 

 東京地検特捜部に所属する武装検事であり、以前、友哉が従姉の女性に付いて武偵助手をしていた時期に知り合い、何度か仕事を共にした事もある。

 

 武装検事とは日本国内にあって、「殺しのライセンス」を持つ公務員である。凶悪犯に対する殺傷権限を持ち、その実力は国内最強と言って間違いない。

 

「長谷川さん、どうしたんですか、こんな所に?」

「ああ、実はな、お前さんにちょいと用があってな。近くに来たついでに寄らせてもらった」

「飯屋じゃないんやで。ついでで来るような場所かいな」

 

 蘭豹は呆れたように言う。

 

 どうやらこの2人は知り合いらしい。

 

 公務員の武装検事と、あくまでも民間委託業務である武偵では、相性が悪いとまでは言わなくても、良好な関係を結ぶのは難しいように思える。事実、友哉の従姉と長谷川はあまり仲が良いとは言えず、仕事の場でかち合っては険悪な雰囲気を作り、間に立つ友哉をハラハラさせていた。

 

 しかし蘭豹と昭蔵はまるで長年の友人であるかのように、気さくに話し合っていた。

 

「じゃあ、蘭豹、悪ぃが、こいつ連れてくぞ」

「おう、持ってけ持ってけ。何なら殺してくれても構わんで」

 

 物騒な事を言う蘭豹の部屋から逃げるように出て、先を行く昭蔵の隣に並ぶ。

 

「長谷川さん、蘭豹先生と知り合いだったんですね」

「おお、奴とは飲み友達だ」

 

 飲み友達、と言うが、蘭豹はあれでまだ19歳、未成年である。もっとも、授業中であろうと、酒をかッ食らっているような女である。日本の法律なんぞ関係ないのかもしれない。

 

「前に大阪で仕事した時に知り合って、その後打ち上げついでに飲みに行ったんだがな、あいつの話は聞いてて面白ェから、飲んでるうちにすっかり意気投合しちまったのさ」

「そうだったんですか」

 

 香港最強の武偵と日本最強の武装検事。互いに何か相通じる者があったのかもしれない。

 

「そう言えば緋村、お前、昼飯は食ったか?」

 

 まだである。3限目の終わりに蘭豹に捕まり、昼に教務課に来るように言われた為、昼食を取る暇がなかった。

 

「よし、じゃあ、先に食いに行くぞ。この間、品川に良い店見付けたんだ」

 

 そう言うと、大股で歩き出す昭蔵を友哉は慌てて追いかけた。

 

 

 

 

 

 長谷川昭蔵と言えば、ちょっとしたグルメ家としても知られていた。

 

 趣味は食べ歩きであり、美味しいと言う噂の店があれば、和洋中の別を問わず自ら足を運び、自らの舌で持って噂の真偽を確かめている。

 

 忙しい検事の仕事の傍ら、よくそんな暇がある物だが、これで仕事はきちっとこなす人物であり部下からも信頼が厚い。何度か一緒に仕事をした事がある友哉も、彼が部下達を見事に指揮して凶悪犯を制圧する場面を何度も見て来た。

 

 そんな昭蔵がお勧めする店だ。間違いは無いだろう。

 

 昭蔵が運転する車で連れて来られた店は、天麩羅をメインにした和食屋で、品川区の外れの方にある小さな店だった。

 

「ここの海老は、なかなか大したレベルなんだよ」

 

 そう言って暖簾をくぐる昭蔵。

 

 店の店主とは既に顔馴染なのか、「いつもありがとうございます」などと、親切に声を掛けられている。

 

 昭蔵は一番奥のテーブル席に腰掛けると、友哉はその反対側に向かい合って腰掛けた。

 

「そう言えば緋村、明神の奴は元気か?」

「あ、はい。今はうちの実家の道場の方で、子供達に剣道教えてます」

 

 友哉の従姉で元武偵の明神彩(みょうじん あや)は今年で26歳になる。

 

 元は武偵庁直属の武偵であり、数々の凶悪犯を捕縛した凄腕武偵であったが、結婚を機に引退。今は友哉の実家である神谷活心流緋村道場で師範代を務めている。昨年子供も産まれ、武偵をやめた後も私生活は充実していた。

 

 武偵時代は、攻撃よりも防御・カウンターに優れた戦術を得意とし、作戦中に敵味方、誰1人として死なせなかった事で有名である。友哉と模擬戦をやれば、仮に友哉が飛天御剣流の技を使っても、彼女の防御を抜くのは容易ではない。

 

 因みに、昭蔵との仲は先述したとおり険悪で、顔を合わせれば喧嘩をしていたという記憶があるが、実際には彩が昭蔵を毛嫌いし、昭蔵が面白がって彩をからかう、と言うのがいつもの構図であった。

 

「ありゃ、良い女だったからな。俺があと20若けりゃ、放っては置かなかったんだが」

「奥さんに言いつけますよ」

「おっと、こいつは藪蛇」

 

 昭蔵はおどけたように首を竦めて、苦笑しながら熱い茶を一息に飲んだ。

 

 やがて、頼んだメニューが運ばれて来る。

 

 流石はグルメ通、長谷川昭蔵お勧めの店だ。

 

 舞茸や山菜、穴子などを揚げたものが仄かに湯気を発し、何ともうまそうである。

 

 しかし何と言っても目を引くのは、皿の中央に鎮座した大きな海老だろう。身の部分だけ殻を向いて揚げられた海老は何とも美味そうな色を見せていた。

 

 天ツユと塩、両方用意されており、そのどちらも舌の上でとろけるような触感を齎した。

 

 やがて、食事も進み、付け合わせの漬物を口にしていると、昭蔵が話しかけて来た。

 

「なあ、緋村よ」

「はい?」

 

 何気ない感じで声を掛けて来た昭蔵。しかし、その瞳はまるで戦闘前のように真剣な表情を作っていた。

 

 何か真面目な話なのだろうと思い、友哉は居住まいを正して耳を傾ける。

 

「お前、最近、イ・ウーの連中とドンパチやりあってるそうじゃねえか」

「あ、はい」

 

 《仕立屋》由比彰彦、《武偵殺し》峰・理子・リュパン4世、《銀氷の魔女》ジャンヌ・ダルク30世、《天剣》瀬田茉莉。この2カ月で、これだけの者達と刃を交えている。

 

 流石は武装検事と言うべきか、友哉達がイ・ウー構成員と何度か交戦した事を昭蔵は既に掴んでいたらしい。

 

 だが、次に昭蔵が言った言葉は、友哉を驚愕させる物だった。

 

「やめときな、あいつ等の相手はお前にはまだ早い」

「え?」

 

 驚く友哉に、昭蔵は真剣な眼差しを向けて言う。

 

「連中は普通じゃねえ。それはお前だって判ってんだろ」

「それは、まあ・・・・・・」

 

 今まで戦って来た連中は、1人として一筋縄で勝てるような連中ではなかった。それは身を持って体験している。

 

「長谷川さん、イ・ウーって言うのは一体何なんですか?」

 

 この質問は、アリアにも茉莉にもした事がある。だが、2人ともその話題になるとはぐらかすが口を閉ざすかして、頑として教えてはくれなかった。

 

 まるで霧の中に見え隠れする不気味な怪物のように、イ・ウーは友哉の目の前にその片鱗のみを見せ、未だにその全容を現そうとはしなかった。

 

 だが、この質問をした瞬間、昭蔵はその顔を更に険しくした。

 

「悪いがそいつは言えねえ。言えば、俺はお前を消さなくてはいけないって事にもなりかねねえからな」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 その言葉に戦慄が走る。

 

 国内最強と言われる武装検事にそこまで言わせる事は、最早恐怖以外の何物でもない。

 

 武装検事に狙われたら最後、命は言うに及ばず、個人情報、カード類、痕跡、その全てが抹消され、「そのような人物はいなかった」事にされてしまう。

 

 一見すると、気さくな親父に見えるこの長谷川昭蔵にした所で、先祖は「鬼」と恐れられた火盗改めの長官であり、彼自身、その血を色濃く受け継いでいる。

 

 これは脅しではない。そして、今日昭蔵が友哉の前に現われたのも、たまたまではない。昭蔵は今日、友哉に警告を与える為に武偵校に来たのだ。

 

 もし、友哉が昭蔵と戦ったら・・・・・・

 

 間違いなく友哉は負けるだろう。それほどまでに、この男との実力差は隔絶していた。

 

 と、そこで、それまで緊張の極致にあった空気が緩和した。

 

「ま、何だ、お前はまだ若い。それに学生だ。名を上げる機会なら、これからいくらでもある。そう焦る事はねえだろ」

 

 そう言って、昭蔵は元の気さくな感じに戻る。

 

「今はまだ、もっと安全な仕事やって、地道に点数稼げよ。それが、この業界で生き残る確実な道だぜ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 そう言って茶を飲む昭蔵の顔を、友哉はジッと眺める。

 

 昭蔵が言う事に、一理ある事は認める。

 

 認めるが、

 

 友哉とてプロの武偵を目指す身。理由も知らされず、ただ黙って手を引け、などと言われて納得が行く筈がなかった。

 

「納得できねえか。まあ、そうだろうな」

 

 どうやら友哉の子の反応は予想済みだったらしく、湯呑を置くと昭蔵は立ち上がった。

 

「なら、着いてきな。お前にも教えられる範囲で教えてやる」

 

 そう言うと、勘定を済ませて店を出るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「緋村、お前さん、『黒笠』は知っているか?」

 

 愛車を運転しながら尋ねて来る昭蔵に、友哉は振り返って答える。

 

「武偵校のライブラリで見た事があります。確か、東南アジア一帯で指名手配されている殺人犯でしたよね」

 

 話には聞いていた。

 

 要人暗殺を主に行うテロリストで、犯行時には古風な漆黒の編笠を被って現われる事からそう呼ばれている。

 

 奇妙なのは、黒笠と対峙して、重傷を負いながらも生き残った人間全員が「急に体が動かなくなった」と証言している事だった。

 

 恐らく理子やジャンヌと同じ、超能力者、ステルスの類なのだろうと推察できるが、それ以上有力な情報が無い為真偽の程は判らなかった。

 

「その『黒笠』が、最近になって日本に入った言う情報を掴んだ」

「えっ!?」

 

 凶悪な殺人鬼が、この国にいると言うのか。

 

 そんな事を話している内に、昭蔵は車を止めて友哉にも降りるように促した。

 

 そこは品川区の一角なのだろう。ただ繁華街などに比べると、どうにも寂しい雰囲気の場所で、元は何かの向上だったのだろうが、今は寂れて廃墟と化している。

 

 なぜ昭蔵は、このような場所に友哉を連れて来たのか、真偽を計りかねていると、1人の男が物陰から駆けよって来た。

 

「検事、お待ちしていました」

「ん。状況は?」

「既に包囲は完了しましたが、連中に動きはありません」

 

 どうやら、ここは何かの事件の現場であるらしい。

 

 そして、友哉も気付いた。

 

 肉眼では確認できないが、そこら中の物影に潜んでいる人間がいる事を。

 

 巧妙な気配の隠し方からして、彼等は地検の部隊、それも武装検事直属の特殊部隊だと思われた。

 

「よし、じゃあ始めるか」

 

 気負いの感じられない、それでいて殺気を充分に満たした声で昭蔵は命じた。

 

 次の瞬間、

 

 ドンッ

 

 耳に響く音と共に、廃工場の正面鉄扉が爆破された。

 

 同時に潜んでいた者達も、一斉に内部へと突入していく。

 

「東京地検特捜部だ、大人しくしろ!!」

 

 警告に対する返事は、銃撃によって返される。

 

 敵も武装していたようだ。突入班の何人かが銃弾を食らって倒れるのが見えた。

 

 反撃はすぐに返された。

 

 数は圧倒的に味方の方が多い。

 

 敵も必死に応戦するが、火力が違いすぎた。

 

 抵抗の銃声はやがて散発的な物へと変わって行くのが判った。

 

 友哉や昭蔵が手を出すまでも無く、事態は終息へと向かっていた。

 

「ふん、どうやら見込み違いだったみてぇだな」

「見込み違い?」

 

 つまらなそうに鼻を鳴らす昭蔵に、友哉は訝りながら尋ねる。

 

「ここは数ヶ月前から内偵を進めていた東南アジア系マフィアのアジトなんだよ」

 

 その説明を聞いて、友哉は成程、と頷いた。

 

 最近では、こうした外国のマフィアグループが日本に入り込み、武器や麻薬の密売を行うケースが増えている。ここもそうした組織の一つなのだろう

 

「情報によると黒笠の潜伏先の可能性があるってんで警戒していたんだが、残念ながら奴はいねえみてぇだな」

 

 昭蔵は少し残念そうに言うと、手持無沙汰になった両腕を組む。この場は彼が直接動かなくても、他のメンバーだけで制圧は充分に可能だろう。

 

 元々いなかったのか、それとも危機を察していち早く逃亡したのか。いずれにしても、東京地検の今回の作戦が、画竜点睛を欠いた物になってしまったのは否めなかった。

 

 その時だった。

 

「け、検事ッ!!」

 

 突入班の1人が素っ頓狂な声を上げた。

 

 次の瞬間、

 

 その男は背中を袈裟掛けに斬られ、血しぶきを上げた。

 

 思わず友哉は眼を向く。

 

 武装検事直属の部隊であるのだから、当然、防弾装備はしっかりしている筈である。その防弾服の上から斬られたのだ。

 

 場に戦慄が走る。

 

 一体何があったのか。

 

 身を乗り出そうとする友哉を、昭蔵は片手で制した。

 

 緊張の坩堝が口を開く中。

 

 そいつは現われた。

 

 肩から膝下まですっぽりと覆う黒い防弾コート。口元にはマフラーを巻き、そして、頭には随分と古風な漆黒の編笠を被っている。

 

 笠とマフラーのせいで表情はまったく見る事ができず、男か女かすら判別できない。

 

 背は友哉より高く、恐らく160から170センチの間くらいだろう。

 

 その幽鬼のような出で立ちに、その場にいる誰もが気圧される思いだった。

 

「この野郎!!」

 

 突入班に所属すると思われる3人の男が、それぞれ銃を手に《黒笠》へと襲い掛かる。そのまま近接拳銃戦へと持ち込もうとするようだ。

 

 だが、その時、《黒笠》の奥で目が光ったような気がした。

 

『あれはッ』

 

 友哉が心の中で呻いた瞬間だった。

 

 突如、全身に重りを乗せられたような緊縛感に襲われた。

 

「ッ!?」

 

 体が、動かない。いったい、何があったのか。

 

 誰もが驚愕に満ちる中、《黒笠》は1人動く。

 

 手にした日本刀が閃いたと思った瞬間、地検職員3人はそれぞれ斬られて地に伏していた。

 

「・・・・・・クックックッ」

 

 笠の奥から、くぐもった笑い声が聞こえて来る。

 

 友哉は眼を細めた。

 

 こいつ、殺人を楽しんでいる。

 

 言いようのない怒りが、胸の内から湧き上がって来るのが判る。

 

 こんな奴が日本にいて、多くの人を殺し、そしてこれから多くの人を殺す。

 

 そんな事が許せるか?

 

 否

 

 断じて否だッ。

 

「ククク・・・次は・・・どいつだ?」

 

 掠れるような声で、獲物を探る《黒笠》。

 

 その時、

 

「ふざけるな・・・・・・・・・・・・」

 

 内から湧き上がる炎にも似た激情のままに叫ぶ。

 

「命を・・・・・・何だと思っているんだ!!」

 

 放たれる気合。

 

 同時に、それまで体を責め苛んでいた重りが、嘘のように消え去る。

 

 動けるッ。

 

 戦えるッ。

 

 次の瞬間、友哉は地を蹴って《黒笠》へと接近、逆刃刀を鞘走らせる。

 

「ククク・・・お前、か・・・・・・」

 

 向かって来る友哉を見て、良いカモが見つかったとばかりに、刀を振りかざす《黒笠》。

 

 対して友哉は、神速の勢いで斬り込んだ。

 

 ギンッ

 

 互いの刃と刃がぶつかり合い、火花を虚空に散らす。

 

 友哉は空中に浮いたまま、刀を返し袈裟掛けに斬り下ろそうとする。

 

 対して《黒笠》は、その動きに冷静に対処、友哉の剣を全く慌てた様子も無く弾いて見せる。

 

「クッ!?」

 

 その凄まじい膂力は、宙に浮いたままの友哉の体を押し返す程であった。

 

 着地する友哉。

 

 そこへ黒笠が斬り込んで来る。

 

 その時、

 

 ダァン

 

 銃声と共に、黒笠の胸に着弾があった。

 

「グッ・・・・・・」

 

 くぐもった声と共に、黒笠の体が揺らぐのが見える。

 

「今だ、緋村!!」

 

 昭蔵が叫ぶ。その手にはS&W M29がある。回転式のマグナム拳銃で、その大威力から来る破壊力ゆえに「世界最強のマグナム」と言う異名を頂いている。

 

 357マグナム弾を胸に受けた《黒笠》は、大きくよろめいている。

 

 その隙を、友哉は見逃さない。

 

「ハァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 右手1本で柄を持ち、低空を飛翔するように駆ける友哉。

 

 だが、敵も只者ではない。その時点で、《黒笠》は既に体勢を整えていた。

 

 視線が交錯する一瞬。

 

 白銀の刃は閃光となって互いを貫く。

 

 すれ違う両者。

 

 友哉は地面に足を付き、制動を掛けて急停止した。

 

 同時に、友哉は肩口から血を噴き出す。今の一撃が僅かに掠めていたのだ。しかし、防弾制服を紙のように切り裂く敵の技量は驚愕に値する。

 

 だが、友哉もまた打撃を加える事に成功している。相手の左肩に一撃。仮に黒笠のコートが防弾性だったとしても、この一撃には耐えられない筈である。

 

「クククっ」

 

 相変わらずくぐもった笑いを洩らす黒笠。一見するとダメージを負っているようには見えない。

 

 だがよく見れば、刀を右手で持ち、左手はだらりと下げている。今の一撃が効いているのだ。

 

 友哉は更に追撃を掛けるべく、刀を正眼に構えた。

 

 と、次の瞬間、黒笠は踵を返して友哉に背を向けると、脱兎の如く駆けだした。

 

「待てッ!!」

 

 昭蔵の部下達が次々と銃を向けようとするが、既にその時には黒笠は駆け去った後であった。

 

 だが、

 

「追うな!!」

 

 昭蔵が野太い声で部下達を制する。

 

 黒笠が容易ならざる敵である事は判った。迂闊に追えば藪蛇にもなるだろう。

 

「負傷者の救護と、捕まえた連中の護送準備を急げ」

「了解」

 

 そう言うと、彼等は倒れている仲間達に駆け寄って行く者、建物の中に入りマフィアメンバーの捕縛する者に別れて行動する。

 

 昭蔵も銃をホルダーに仕舞うと、友哉に向き直った。

 

「腕は大丈夫か?」

「かすり傷です。血もすぐ止まると思います」

 

 暫くは疼くような痛みが続くかもしれないが、それも1日~2日の事だろう。軽く動かしてみても、何の問題も無かった。

 

 それにしても、

 

「あれが、黒笠、なんですね」

「ああ、噂じゃ、奴もイ・ウーの構成員の1人だって話だ。それに、あの技、ありゃ、超能力の類じゃねえな」

 

 意外な事を言う昭蔵。

 

 あの時、確かに重しでも乗せられたような感覚と共に、体が動かなくなってしまった。あれが超能力でなくて何だと言うのだろう?

 

「二階堂平法、心の一法だ」

「二階堂平法・・・・・・心の一法?」

 

 聞き慣れない名前だった。

 

「ああ、言ってみりゃ、催眠術と剣術を組み合わせた技だな。催眠術で相手の動きを縛り、その間に斬りつける。外道の技と言えばそうだが、効果は見ての通りだ」

 

 視線を向ければ、黒笠に斬られた者達が地面に転がっているのが見える。中には全く動かず、仲間達が必死に応急手当てをしている者もいた。

 

「じゃあ、僕や長谷川さんが動けたのは、何でですか?」

「催眠術ってのは、ようするに互いの意思同士の鍔迫り合いだ。相手よりも強い意思でもって臨めば、防ぐ事も、解除する事もそう難しくは無い」

 

 民間の催眠療法において、まず相手をリラックスさせてから術を掛けるのは、相手の意思を弱め術を掛かりやすくするという意味合いもある。

 

「て言うかお前、さっき判っててやったんじゃねえのか?」

 

 実は友哉は、昭蔵が縛を解く前に既に黒笠に斬り込んでいた。その為、昭蔵はてっきり、友哉が相手の技の正体と解除法を知っていたのだと思っていたのだ。

 

 対して友哉は、首を横に振る。

 

「いえ、何しろ、夢中だったんで」

「・・・・・・ふうん」

 

 昭蔵は面白い物を見たと言う風に笑みを浮かべた。どうやら目の前の少年は、昭蔵が思っていた以上に成長していたようだ。

 

「緋村」

 

 昭蔵は話を変えるように、真剣な眼差しで口を開いた。

 

「《武偵殺し》、《デュランダル》、《天剣》。こいつ等は手ごわかっただろう?」

「はい」

 

 理子も、ジャンヌも、茉莉も、決してたやすい相手ではなかった。一歩間違えば、敗北の憂き目を見ていたのは友哉の方だったかもしれない。それほど、彼女達との戦いはギリギリのレベルで行われたのだ。

 

「だがな、奴等はイ・ウーでは末端構成員に過ぎないって言われている。その末端が倒された以上、奴等はそろそろ本腰を上げてくる可能性もある」

 

 友哉は、僅かに喉を唸らせるようにして驚きの声を飲み込む。

 

 まさか彼女達ほどの実力者が、末端構成員に過ぎないとは。では、幹部クラスともなるとどれほどの怪物である事か。

 

「お前が明神の後をうろちょろしていた頃に比べて、予想以上に成長していた事は認めてやる。だがな、お前が消えて喜ぶ奴は、そんなに多い訳じゃねえだろ。なら、せいぜい長生きする道を選べよ」

 

 そう言い残すと昭蔵は、倒れている部下が心配なのか、そちらの方へ歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学園島に戻った友哉は、寮へと続く道を1人歩いていた。

 

 あの後、昭蔵は事後処理があると言う事だったので、彼の部下に送ってもらったのだが、ちょっと歩きたい心境だったので、学園島に入ったところで下ろしてもらった。

 

 殺人鬼《黒笠》。

 

 まだ、対峙した時の感覚が抜けない。

 

 まるで毒蛇を目の前にした時のような、肌が泡立つ緊張感。人殺しを楽しむような態度は、正に殺人鬼その物である。

 

 それに、あの二階堂平法心の一法とかいう技。今回はたまたまうまく解除できたが、次も同じようにできるか判らない。《黒笠》と戦うなら、あの技の攻略法を身に付けるのは急務だった。

 

 そこで友哉は、ふと、自分が再び《黒笠》と戦う事を想定している事に気付いた。昭蔵からは手を引けと言われたのに。

 

 だが、友哉とて武偵を目指す者だ。普段は温厚な性格でいる為イマイチ周囲からは判り辛いが、10代故の根拠の薄い自尊心も相応に持ち合わせている。

 

 理由も言われず、背景も語られず、ただ手を引くよう言われて、はいそうですかと引き下がれる訳が無かった。

 

 それに、茉莉、理子、アリアと知り合いにイ・ウーと関係している者が多くいる。そこから抜け出した者、まだ在籍している者、そして戦っている者。理由は様々であるが、彼女達との付き合いの深い友哉は、既に深いところまで足を踏み入れていると言っても過言ではなかった。

 

 その時、友哉の行く手を塞ぐように小柄な影が立ちはだかった。

 

 顔を上げて、相手の顔を確認する。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

 

 とっさに、刀の柄に手をやった。

 

 そこにいたのは友哉の知り合いである。だが同時に、この場にいない筈の人物であった。

 

「ヤッホー、ユッチー、お久しぶり。元気だった?」

 

 金色のゆったりとしたツーサイドアップに、小柄な体。フリフリの多い改造武偵校制服。

 

 4月のハイジャックの際に取り逃がした《武偵殺し》峰・理子・リュパン4世が、まるでその場にいるのが当たり前であるかのように立っていた。

 

「・・・・・・理子、なぜ君がここに?」

 

 友哉は警戒を解かず、刀に手を置いたまま尋ねる。

 

 互いの距離は3メートルも無い。完全に友哉の剣の間合いである。この距離なら仮に理子が銃やナイフを抜いたとしても友哉が斬り込む方が速い。

 

「やだなあ、そんな警戒しなくたって、ここでユッチーと戦う気は無いよ」

 

 それに、と理子は続ける。

 

「もう、そんな事する必要も無いしね」

 

 その言葉に、友哉はピクリと眉を動かす。

 

 武偵校の制服を着て堂々と現れた理子。そして、もう戦う理由は無いというセリフ。

 

 その事から、ある可能性に辿り着く。

 

「司法取引による、武偵校復帰・・・・・・」

 

 可能性がない訳じゃない。現に、陣、茉莉、ジャンヌはそうして武偵校に編入している。

 

「ピンポーン、大正解。そんな訳で、理子りんは帰って来ちゃったわけです」

 

 おどけたように言う理子。

 

 対して友哉は警戒を解かないまでも、刀を掴んだ手を放す。もし仮に理子の言う事が本当だとすれば、理由も無く彼女に危害を加えた場合、裁かれるのは友哉の方、と言う事になる。

 

 そんな友哉に、理子は下から覗き込むようにして近付く。

 

「ねえねえ、ユッチー」

「何?」

 

 警戒しているせいで、つい友哉の口調も素っ気ないものになってしまう。

 

 だが、そんな友哉の態度に構わず、理子は爆弾発言的な言葉を告げた。

 

「理子と一緒に、ドロボーしよう」

「・・・・・・・・・・・・おろ?」

 

 

 

 

 

第1話「殺人鬼の刃」

 



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第2話「決断せし道」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 武偵少年法により、犯罪を犯した未成年の武偵のプロフィールを公開する事は禁止されている。

 

 マスコミでも報道されないし、関係者が口コミで広めるのもご法度となる。そんな訳で、あのハイジャック事件にかかわった友哉、キンジ、アリアは、その真相を誰にも話していなかった。

 

 それを良い事に、まるで何事も無かったかのように武偵校に戻ってきたのが、この女である。

 

「みんなー、お久しぶりー、りこりんが帰って来たよー!!」

 

 教壇に跳び上がってはしゃいでいる理子を包囲するように集まったクラスメイト達が、「りこりん、りこりん」などと無邪気に唱和が始める。

 

 理子はその社交性の高さから友人が多い。

 

 ハイジャック事件で一戦交えた友哉達からすれば、逆立ちしても納得いかない光景ではあるが、先述の武偵少年法に加えて、司法取引の事を考えると、この馬鹿騒ぎをどうこうする事も出来ないのも事実である。

 

「で、どうするの?」

 

 窓に寄りかかりながら、友哉は隣に立つキンジとアリアに尋ねる。

 

 あの後、話に聞いてみたところ、どうやらキンジとアリアもまた理子から泥棒をするように誘いを受けていたらしい。

 

 友哉やキンジはまだしも、自身が目の敵とまで狙ったアリアにまで声を掛けるとは、一体理子は何を考えているのやら。

 

「理子の考えに乗るの?」

「そんな事、よくないに決まっているでしょう。リュパン家の女と組むなんて、ホームズ家始まって以来の不祥事よ。天国の曾お爺様もきっと嘆いてらっしゃるわ」

 

 けど、とアリアは続ける。

 

「今はそんな事も言ってられないわ。理子は協力すればママの裁判で証言するって言っている。これも必要悪と割り切るしかないわ」

 

 アリアの母、神崎かなえは懲役864年の判決を受けて収監されている。その内、122年は武偵殺し、つまり理子が起こした事件であるとされている。更に107年は先頃逮捕した《デュランダル》ジャンヌの物である。この2つの事件が無実であると証明できれば、他の事件も連鎖的に無罪を勝ち取れる可能性があった。

 

「だが、理子が俺達にやらせようとしているのは泥棒だぞ。下手をすれば、俺達も捕まる事になるだろ」

「その心配は無いわ」

 

 キンジの危惧に、アリアはあっさりと答えた。

 

「あたし達が潜入しようとしている館の主、ブラドはイ・ウーのナンバー2よ。相手がイ・ウーなら、もう法律の外。そこから何を盗もうと罪には問われないわ」

 

 そのアリアの言葉に、友哉は先日で、品川での昭蔵との会話が思い出された。

 

 末端構成員を立て続けに倒されたイ・ウーは、本腰を上げて幹部を戦線に投入して来る事もあり得る。奇しくもその通りになった訳だ。

 

 イ・ウーのナンバー2《無限罪》のブラド。しかし、ブラド自身がイ・ウーでは特に慎重に行動する性格らしく、轟く異名と相反し、その正体は厚いベールに包まれ、どのような警察機関も詳細は掴んでいないとの事だった。

 

 正体が事前に判らないと言う意味では、先の魔剣事件の時も同様だったが、今回の敵の実力はジャンヌをも上回るとの事である。

 

 その時、教室の戸が開き、茉莉が小柄な体にたくさんのプリントを抱えて入って来た。彼女は今日、日直であるから、その仕事の為に教務課に行っていたのだろう。

 

 そして、ちょうど壇上に立っていた理子と目が合った。

 

「お?」

「あ・・・・・・」

 

 互いの視線が合うとともに、声が発せられる。

 

 次の瞬間、

 

「お~、マツリンだ、ひっさしぶり~!!」

「理子・・・さん?」

 

 目を輝かせる理子に対し、茉莉は驚いたように動きを止めている。

 

 理子はダイブするように教壇から飛び降りると、その勢いのまま茉莉に抱きついた。

 

 背は茉莉よりも理子の方が高い。加えて理子は小柄な体ながらスタイルが良い為、肉付きの薄い茉莉よりも大きく見える。

 

「り、理子さん、どうしてここに?」

 

 首根っこに抱き疲れたまま、茉莉が少し苦しそうに尋ねる。

 

「何でって、理子は元々このクラスの子だよ」

 

 どうやら、2人は知り合いであるらしい。確かに同じイ・ウーの構成員同士、顔見知りであったとしても不思議は無かった。

 

「ん~、マツリン、相変わらず良い匂い」

「ちょ、理子さん・・・・・・やめてください」

「なんで~? 良いじゃん別に、久しぶりなんだし~」

 

 首元に鼻を近づける理子に対し、茉莉は身を捩って逃げようとする。

 

 最近判って来た事だが、普段はクールに振舞っている茉莉だが、突発的なハプニングに意外と弱いらしい。今も理子の行動にどうリアクションしていいのか判らず右往左往している。

 

「え、なになに、理子ちゃんと瀬田さんって知り合いだったの?」

「どこで知り合ったの?」

 

 二人の様子を見て、また人が集まり始める。

 

 友哉はそんな理子を、ジッと見詰める。

 

 正直、今回の件に関してまだ迷いがある。アリアは母親の事があるから、理子の依頼を受けざるを得ないし、キンジはアリアのパートナーだから、一緒に仕事をするのも判る。

 

 しかし、友哉にはそうした事情は無い。理子の依頼を受ける絶対的な理由が友哉には無いのだ。

 

 それに、

 

 頭の中で繰り返されるのは、昭蔵の言葉だ。イ・ウーから手を引けと言う言葉は、どうしても友哉の中で大きな割合を閉めてしまう。

 

 勿論、そんな言葉一つで引き下がりたくは無い。だが、それでも、このように宙ぶらりんに近い考えで関わって良いとも思っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友哉は屋上の手すり身を預けながら、ぼんやりと考え事をしていた。

 

 自分が戦う理由。

 

 そんな物に悩む事になるとは思わなかった。

 

 武偵を目指して武偵校に入学した時点で、自分が戦う事は当たり前だと考えていた。

 

 武偵は力無い人を護る最後の盾であり、悪を斬る為の剣でもある。そう考えて今日まで生きて来た。

 

 武偵になった時点で、自分の命は勘定には入れない。それが武偵としてのあり方であると言える。自分の命よりもまず人の命、と考えるべきだ。

 

 今から1年ほど前、浦賀沖で大型客船が沈没すると言う事故が起きた。後にキンジから聞いた事だが、この事故は武偵殺し、つまり理子の犯行によるものとの事だった。

 

 この時、乗り合わせた武偵(つまり、理子のターゲット)は乗客全員を逃がした後、自分1人が犠牲になったらしい。

 

 この事は、後に世間から大きく非難される事になった。

 

 一緒に乗り合わせていながら事故を防げないとは、何のための武偵なのか、と。

 

 だが、友哉はその人は立派だと思う。何しろ、乗員乗客全員を無傷で助けたのだから。沈没した客船は排水量数万トンにも達する豪華客船であり、乗員乗客合わせると1万人近い数の人間が乗り組んでいた筈だ。その全てを助けたのだから。

 

 だが、同時にこうも思う。彼の残された家族はどうなるのか、と。噂では事故後、残された遺族にまで非難の声が寄せられ、無責任な報道が遺族に責任の所在を追及すると言う、見苦しい構図までできあがったらしい。

 

 その武偵の家族が、今どんな思いで生きているか。それをつい、想像してしまう。

 

 友哉にもまた、家族がいる。

 

 父、母、従姉の彩。自分が死ねば、きっと彼等は悲しむだろう。

 

 だが、それでも武偵として、それを目指す者として、目の前の敵から逃げたいとは思えなかった。

 

「・・・・・・あなたなら、こんな時どうしますか?」

 

 友哉は逆刃刀を手に取ると、鯉口を切り僅かに刀身を抜いてみる。

 

 その脳裏に浮かんだのは、見た事も会った事も無い先祖、緋村抜刀斎の事だった。

 

 緋村抜刀斎が記録に残る活動をしたのは1863年から1868年までの5年弱の間だけである。その内、前半は闇の人斬りとして、表に出ない暗殺業を請け負い。後半は劣勢の維新志士側を援護する遊撃剣士として戦い続けた。彼の名前が記録に残っているのは、その後半部分ゆえである。

 

 だが、その後、人斬り抜刀斎の足取りは鳥羽伏見の戦いを機にプツリと途絶え、どの文献を紐解いても名前は出て来ない。

 

 その彼が、晩年持ち歩いたとされるこの刀。

 

 人斬りであった彼が、このような刀を持ってまで、なぜ人を斬らずに戦い続けたのか。今、その答えが無性に知りたかった。

 

「友哉君ッ」

 

 名前を呼ばれたのは、その時だった。

 

 振り返ると、瑠香がその小柄な体で跳ねるように走って来るのが見えた。

 

「もう、探したよ。教室行ってもいないんだもん。アリア先輩とかに聞いても誰も知らないって言うし」

「ごめん、探してくれたんだ」

 

 そう言うと友哉は、瑠香のショートヘアに髪を絡ませるようにして頭をなでてやる。

 

 子供の頃から兄妹のように過ごして来たこの娘もまた、友哉が死んだら悲しむだろう。そして、それが逆だったとしたら、勿論友哉は悲しかった。

 

 友哉の周りには、これほどまで大切な人達で溢れている。そんな彼女達を悲しませて戦う事が、本当に正しいのだろうか?

 

 と、瑠香は友哉の手つきに、気持ち良さそうに目を細めていたが、ふと何かに気付いたように問い掛けて来た。

 

「友哉君、どうかした?」

「え?」

 

 突然の質問に、友哉は手を止める。対して瑠香は、怪訝そうな顔のまま話を続けた。

 

「何だか、今日の友哉君、元気がないみたい。気のせい?」

 

 クシャッと、自分の髪をかき上げて苦笑する。

 

 勘の鋭い娘である。友哉との付き合いが長い彼女は、すぐに友哉の様子がいつもと違う事に気づいたようだ。

 

「友哉君?」

「何でもないよ」

 

 そう言って、もう一度笑い掛ける。

 

 強襲科の学生が「戦う理由」なんて物に迷い、あまつさえそれを戦妹にまで心配させたなんて事になったら情けないどころの騒ぎじゃない。

 

 だが、瑠香は尚も納得できない様子で覗き込んで来る。

 

 彼女の性格からして、更にしつこく追及してきそうな空気だった。

 

 なので、友哉はやや強引ながら、話題を変える事にした。

 

「そうだ、瑠香。久しぶりに、あれ、やりに行かない?」

「え?」

 

 戸惑う瑠香の手を優しく取り、友哉はさっさと歩きだした。

 

 

 

 

 

 友哉が気分転換したい時は、大抵ゲームに走る。

 

 家庭用ゲーム機を使う場合もあるし、気が向いた時にはゲームセンターまで繰り出す事もあった。

 

 今日は一度気持ちをリセットしたい気分だったので、瑠香を連れてゲームセンターまで繰り出していた。

 

 友哉と瑠香がゲームをする時、大抵は2Dか3Dの格闘物がメインとなる。

 

 体を動かすようなスポーツタイプは避ける。前に一緒にやった時、瑠香が「絶対友哉君が勝つからやだ」と言ったのだ。それ以来、避けるようにしている。

 

 その点、格闘ゲームならどうしても動きがシステムに制限されてしまう為、反射神経上のハンデが小さくなる。

 

 そんな訳で、2人は対面の筺体を相手に対戦格闘ゲームにいそしんでいた。

 

 2人がやっているのは、往年の侍格闘ゲームの進化型であり、アバターはその殆どが刀を使って戦う事で有名である。

 

「うりゃうりゃうりゃうりゃッ」

「ん、そう来たか、よっと」

 

 激しく攻める瑠香に対し、友哉は回避を織り交ぜながらダメージを最小限に抑え、カウンターを返す戦術を取る。

 

 戦績は3対4で瑠香が優勢。

 

 そして、既に友哉の操るアバターの体力は4割を切っている。

 

 瑠香もここが攻め時と踏んだのだろう。激しい攻撃で、友哉に反撃の隙を与えようとしない。おかげでこちらの体力は防御の上からジリジリと削られていく。

 

 だが、友哉は冷静に状況を見極めようと、画面を凝視してアバターを見詰める。

 

 瑠香の性格からいって、このままズルズルと小技で攻め続けるような事はしない筈。必ず、防御無視の大技を決めてフィニッシュにしようとする筈だ。

 

 食らえばそれまでだが、それをうまく返す事ができれば、

 

 そんな事を想っている内に、ついにアバターの体力が2割を切った。

 

「とどめ!!」

 

 案の定、瑠香は大振りな一撃を繰り出す。

 

 派手なライトエフェクトと共に、瑠香キャラが刀を振りかぶった。

 

 その瞬間、

 

「今だ」

 

 短い呟きと共に、友哉キャラがコンパクトな動作ながら、鋭い連撃を放つ。

 

 大技は溜めから発動まで時間が掛るのは、古今格闘ゲームのお約束である。友哉が待っていたのは、正にその瞬間だった。

 

 鋭い斬撃が、面白いように瑠香キャラに叩き込まれていく。

 

「あ、ちょ、ちょっと、待って!!」

 

 まるでこの間のVS茉莉戦で決め技に使用した龍巣閃のような光景だ。

 

 そして、

 

《YOU WIN》

 

 の、文字が友哉の筺体の画面に踊った。典型的な逆転勝利である。

 

「ああ~~~~~~!!」

 

 反対側からは、愕然としたような瑠香の声が聞こえてきて、友哉はクスッと笑った。

 

 どんな事でも全力投球の瑠香は、例えゲームであっても負ければ悔しいのだ。

 

「もう一回、もう一回よ!!」

「はいはい」

 

 負けて更に意気上がる瑠香に対し、友哉は苦笑しながら、再び始まる対戦画面に集中した。

 

 

 

 

 

 その後も対戦成績は10対12で瑠香の勝ち越しとなり、双方いい加減指が疲れて来たので切り上げる事にした。

 

 このゲームセンターは学園島から近い事もあり、中には武偵校の臙脂色をした制服を来た者もチラホラと見えた。

 

 ゲームでストレスを発散した事で、少し気分が晴れた気がする。やはり悩んだ時は、一度気持ちをリセットするに限る。

 

 そんな事を考えていると、

 

「あ~!!」

 

 隣の瑠香が大声を上げた。

 

 振り替えると、瑠香の視線はUFOキャッチャーの筺体に釘付けになっていた。

 

「レオポンの新作、出てたんだ」

 

 レオポンとは、瑠香が好きなぬいぐるみのマスコットシリーズである。デフォルメされた白い猫のぬいぐるみの愛くるしさが売りの商品だ。

 

 以前、瑠香がそのレオポンのぬいぐるみを持っていて、何なのか尋ねたところ、小一時間に渡って講釈をしてくれたのを覚えている。

 

 そう言えば、アリアとキンジがレオポンのお揃いストラップを持っていたのを、友哉は思い出した。あの2人も普段喧嘩している割に、そう言う趣味が合うのかもしれなかった。

 

「欲しいなあ、あ、けど、さっきの格ゲーでもうお金が・・・・・・」

 

 目を輝かせながら筺体にへばりつく瑠香を、友哉は微笑ましく見詰める。ここは兄貴分として度量を見せるべき所だった。

 

「ちょっと貸して」

 

 そう言うと、友哉はコントローラーの前に立ち100円玉を投入する。この手のゲームは久しぶりだが、腕が落ちていない事を祈りつつ操作パネルに手を伸ばす。

 

 狙い目は、右奥にある1体だ。

 

 慎重にアームを操作し、目当ての人形を目指す。

 

「もうちょっと、もうちょっと・・・・・・」

 

 瑠香が筺体のガラスにへばりつきながら、アームの行方を追っている。

 

 やがて、目指す人形にゆっくりとアームが伸ばされる。

 

「あっ」

 

 茉莉の小さい声と共に、レオポンの人形は見事にアームに引っ掛かった。

 

 そして、

 

 ガコンッ

 

 低い音と共に、人形が落ちて来た。

 

「やったぁ!!」

 

 嬉々としてレオポン人形を取りだす瑠香は、満面の笑顔を浮かべている。

 

 失敗せずに済み、ホッと胸をなでおろした。

 

 その時だった。

 

「キャッ!?」

 

 悲鳴と共に、瑠香が床に倒れ込むのが見えた。

 

 見れば、数人連れだって歩く大柄な男達が瑠香の前に立っているのが見えた。どうやら、彼等とぶつかってしまったらしい。

 

 いかに武偵として日々鍛えているとはいえ、瑠香は友哉よりも小柄な女の子だ。正面からぶつかり合えば、相手が男相手であれば当たり負けするのも仕方がない。

 

「いってぇな、テメェ!!」

 

 転んだ瑠香を見降ろして、怒声を上げる男に対し、瑠香もまた見上げるような形ながら怒鳴り返す。

 

「何よ、そっちがぶつかって来たんでしょ!!」

「テメェが俺の歩く前にボーっとしてたのが悪ぃんだろうがよ!!」

 

 通常、一般人が武偵に喧嘩を売る事は少ない。彼等も武偵が普段から戦闘訓練をしている事は知っているし、喧嘩すれば勝ち目が薄い事は自覚しているからだ。

 

 だが、この不良の男は、瑠香が来ている武偵校制服に気付いているにも関わらず喧嘩を売って来ている。余程、自分に自信があるのか、それとも単なる無知なのか。

 

 だが、流石に公共の場で騒動はまずい。もし乱闘になって器物破損にでもなれば当然、弁償はしなくてはいけないし、それに、一応内申にも響きかねない。

 

 ここは穏便に済ませた方が得だった。

 

「まあまあ、落ち着いてください」

 

 友哉は両者の間に割って入る。

 

「んだ、テメェはよ!?」

「この子の連れですよ。こんな所で騒ぎもなんですし、ここは穏便に済ませてくれませんか?」

「知るかよ。その女がぶつかって来たんだ。詫び入れるのが筋ってもんだろ!!」

「だから、ぶつかって来たのはそっちでしょ!!」

 

 尚も言い募る瑠香に、とうとう男がキレたように拳を握る。

 

「テメェ、付け上がりやがって!!」

 

 今にも殴りかかりそうな雰囲気に、場の空気は一気に張り詰める。

 

「落ち着いてください」

「うぜぇんだよ、引っ込んでろ!!」

 

 言い放つや否や、男は友哉に殴りかかって来る。

 

 その様子を、友哉はぼんやりと眺めていた。

 

 この程度の相手、刀を抜くまでも無く叩き伏せる事は可能だ。拳を回避し、鳩尾にでも柄尻を叩き込めばそれで済む。

 

 だがふと、疑問が脳裏に浮かんだ。

 

 昨日の黒笠も、目の前の不良も、友哉にとっては等しく「敵」であると言える。そこにある違いは、単なる実力の差でしかない。

 

 昭蔵の言葉は、言ってしまえば敵を無視しろと言っているようなものだ。

 

 じゃあ、目の前の不良は?

 

 この男がもし、友哉よりも強ければ、友哉は無視して逃げれば良いのか?

 

 そんな事をすれば、友哉の後ろにいる瑠香や、他の人達がとばっちりを食う事になるかもしれない。

 

 黒笠もそうだ。誰かが止めないと、犠牲者が増える事になる。

 

『ならっ・・・・・・』

 

 刀を持つ手に力を込める。

 

「友哉君ッ!!」

 

 瑠香の悲鳴。

 

 既に拳は目の前まで迫っている。

 

 誰もが、友哉が殴り飛ばされる光景を。

 

 次の瞬間、

 

 高速で男の懐に潜り込んだ友哉が、男の鳩尾に逆刃刀の柄尻を叩き込んだ。

 

「がっ・・・・・・あ・・・・・・」

 

 空気が抜けるような音と共に、男は前のめりに倒れる。

 

 その様子を見て、男の仲間達は慄きながら、倒れた男を抱えて去って行く。どうやら、仲間達は、倒れた男ほどには血の気が多くないらしい。

 

 途端に、周囲から拍手の嵐が起こった。

 

「友哉君!!」

 

 慌てたように、瑠香が駆け寄って来た。

 

「大丈夫? 怪我ない?」

「ああ、大丈夫だよ」

 

 心配して見上げて来る戦妹の頭を、友哉は安心させるようにそっと撫でる。

 

 その瞳には、先程までには無い、強い光が宿っていた。

 

「友哉君?」

 

 瑠香もまた、そんな友哉の様子に気付いたのだろう。不思議そうな目を向けて来る。

 

 そうだ、迷う必要なんか、初めからどこにも無かった。

 

 自分は大切な物を護りたいと思ったからこそ、武偵を目指した。なら、その信念に従い真っ直ぐに進むだけだった。

 

 

 

 

 

《やぁやぁユッチー。よくぞ決断してくれた。歓迎するよ》

 

 底抜けに明るい声が友哉の携帯電話から聞こえて来る。

 

 ゲームセンターから戻ってから、友哉はすぐに理子へと電話を掛け、今回の件、承諾する旨を伝えた。

 

 泥棒と言う行為に抵抗が無い訳ではないが、アリアの話では今回に限り、こちらが罪に問われる事は無いとの事。ならば友哉は友哉自身の目的の為に行動するべきだった。

 

「その代わり、条件がある」

《およ?》

 

 訝るような声を発する理子に、友哉は告げた。

 

「君が持っている《黒笠》に関する情報全部と引き換えだ。尚、これは前払いにする事。それが条件だよ」

 

 こうしている今も、《黒笠》は日本のどこかに潜伏しているかもしれない。そう考えると、理子の作戦を完了してから動いたのでは遅い。作戦と情報分析を同時に行う必要があった。

 

 元イ・ウーの理子なら、外部の人間には知りえない情報も持っている可能性があった。

 

 ややあって、理子が返事を返して来る。

 

《友哉、お前、あいつを追う気か?》

 

 突然、男言葉になる理子。

 

 それはそれまでの明るい雰囲気の理子ではない。あのハイジャック事件を起こした《武偵殺し》峰・理子・リュパン4世の声だった。

 

《一応、言っておくぞ。やめておけ。あいつは恐ろしい奴だ、お前、殺されるぞ》

 

 理子にそこまで言わせるのだから、黒笠の恐怖は本物なのだろう。

 

 だが、

 

「その手の話は聞き飽きたよ。それも全部承知の上で言っているんだ」

《決意は変わらないか・・・・・・》

 

 諦めたような、溜息交じりの声が聞こえて来る。

 

《仕方ないな。私としてもお前と言う手駒を失うのは惜しい》

 

 そして、

 

《ほんじゃユッチー。ブツは近いうちに届けるようにするよっ。てなわけで、よっろしくね~》

 

 そう言うと、理子は電話を切った。

 

 これで良い。

 

 友哉も電話を切り、心の中で呟く。

 

 イ・ウーと戦う。

 

 友哉はそう決断した。その為の一歩が、《黒笠》との戦いになるだろう。

 

 勿論、それは決して平坦な道ではなく、歩く事も憚られるような険しい道だ。

 

 だが、飛天御剣流の理は「時代時代の苦難から、力の無い人達を護る」とある。ならば、友哉自身が逃げる事はできない。

 

 その決断を胸に、友哉は真っ直ぐに前を向いて歩き始めていた。

 

 

 

 

 

第2話「決断せし道」   終わり

 



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第3話「梅雨の秋葉原」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自室にソファに座り、ニュース番組を流すテレビを、友哉は見るとも無しに見ていた。

 

 画面を眺めているだけで、内容は全く頭に入って来ないが。別にそれは構わない。取り敢えず頭に雑音を入れておけば、却って頭はすっきりする。

 

 手には書類の束を持ち、瑠香が入れてくれたコーヒーを片手にそれに目を通している。

 

 内容は、先日、理子に依頼した黒笠に関する物。

 

 流石は探偵科で、その調査能力に定評がある理子。仕事は正確で、かつ速かった。

 

 だが、

 

「正体は・・・やっぱり不明、か・・・・・・」

 

 どうやら黒笠は、自分の正体を仲間内にも徹底的に隠していたらしい。理子であっても、その正体に至る事はできなかったらしい。

 

 だが、いくつか判った事がある。

 

『使用している武器は日本刀「肥前国忠吉」。防弾コート、防弾マフラー、防弾編笠。銃火器は使用せず』

 

 編笠を被る理由は、素顔を隠すと同時に、不意の狙撃から身を護るためとある。確かに、狙撃のセオリーとして狙われやすい場所は頭部である。編笠のように幅の広い物を頭に乗せておけば、狙撃手は正確な照準が付けられず簡単な狙撃対策になる

 

 それに肥前国忠吉と言えば、日本の刀剣の中で新刀最上作最上大業物に指定されている逸品だ。随分と良い刀を使っている物である。

 

 次に友哉は二階堂平法に付いて語られているページに目を向けた。

 

「『二階堂平法は初伝を「一文字」、中伝を「八文字」、奥伝を「十文字」とし、これら「一」「八」「十」の各文字を組み合わせた「平」の字をもって平法と称する』か。ちょっと面白いね」

 

 そして肝心の「心の一法」についての項に目を向ける。

 

 そこに書かれている内容は、昭蔵が話していた内容と同じであった。目から気合を放つ事で相手を竦ませて催眠術に掛ける。掛けられた相手は体を動かす事ができなくなり、成す術も無く斬られる、とあった。

 

 破る方法は術者の目を見ないようにするか、あるいは術者よりも強い気持ちを保つ事にある。だが、正直、前者は難しい。どのような武器にせよ、戦いの場にあっては相手の目を見て出方を探るようにするのは常識である。それは高速で跳び回る飛天御剣流とて例外ではない。実質、相手の目を見ないで戦う事などできないのである。

 

 となると、残る対策は後者と言う事になる。

 

 この間の戦いではたまたま上手く行ったが、今度もまた上手くいくかどうか。とにかく、この事は忘れないようにしなくてはいけない。

 

 友哉は書類をテーブルの上に置くと、大きく伸びをした。

 

 そこでちょうどよく、腹の虫が小さな音を立てた。どうやら、空腹も忘れて読むのに没頭していたらしい。もうすぐ夕食時だった。

 

 キッチンの方からは、同居人である少女達の楽しそうな声も聞こえて来る。恐らく夕食の準備をしているのだろう。

 

 そう言えば、この書類を渡された時、理子は妙な事を行っていた。

 

『明日の作戦会議なんだけど、マツリンとルカルカも連れて来て』

『おろ、瀬田さんと瑠香を。何でまた?』

『ちょっと予定変更になっちゃってね。頭数が5人必要なんだ。理子はブラドに顔が知られているから作戦に参加できないし、あと2人、何とか確保しないといけないの。でぇ、マツリンとルカルカにも協力してほしいんだ』

『まあ、判った。一応2人にも話してみるよ』

 

 部屋に戻ってから2人には話してみたが、2人とも特に断る理由も無いらしく、あっさりと承諾してくれた。茉莉は理子とはイ・ウー時代からの友人らしいし、瑠香も元々理子には可愛がってもらっていたクチだから当然と言えば当然だった。

 

 とにかく、明日だ。会議は武偵校ではなく、理子が指定した場所で行う事になっているが、そこに何が待ち構えているかは判らない。用心に越した事は無かった。

 

 その時、

 

「あぁ~」

 

 キッチンの方から、気の抜けるような声が聞こえて来た。

 

「おろ?」

 

 不審に思った友哉が覗いてみると、瑠香と茉莉はガスコンロの前に立ち尽くしていた。2人とも臙脂色の制服の上からカラフルなエプロンをしている。見ていて可愛らしい姿であるが、今問題にすべきはそこではない。

 

 2人の目の前、コンロ上のフライパンの上には、

 

 こんがりと焼き上がった『炭』が乗っかっていた。

 

「また、失敗?」

「ご、ごめんなさい・・・・・・」

 

 呆れ気味の瑠香の言葉に、茉莉はシュン、と項垂れる。

 

「もう・・・何でたかが目玉焼きで、こんな真っ黒な炭ができる訳?」

 

 同居を始めてすぐに判明した事だったが、茉莉は料理の才能が絶望的なまでに壊滅状態だった。

 

 火を使わせれば炭になる、塩と砂糖は呼吸をするように間違える、野菜を切れば全て連結している等お約束的な事から、日本刀(菊一文字)を使って調理しようとする、胡椒と間違えてガンパウダーを使う等、わざとやっているのでは、と思えるようなことまで平然とやってしまう。一度、油と間違えて灯油をフライパンに投下しようとした時には、友哉と瑠香が全力で止めに入った。

 

 そんな訳で、どうやら現在、瑠香が茉莉に料理の特訓をしていたらしいのだが・・・・・・・

 

「茉莉ちゃん、これで何回目だっけ?」

「・・・・・・18回目です」

 

 2人の周りに、戦場跡とも言うべき様相で卵の殻が残骸よろしく散らばっている事が、事実を雄弁に語っていた。

 

 男が外に出て仕事をし、女は家庭を守る。等と言う考えは、とっくの昔に過去の物であり、今や女性無しでは社会は回らないようにもなっている。しかし、一方で、じゃあ女性は家庭的な事は一切しなくていいのか、と言われれば、その考えは間違いなく否である。

 

 例えば、会社でバリバリ仕事をして、男をアゴで使い、家庭に帰っても家事は一切しない。そんな女王様気取りの女が男受けするか、と問われれば、可能性としては極めて低いと言わざるを得ないであろう。料理ができる女性とできない女性、どちらがより男に好かれるかと言えば、だんぜん前者である。

 

 つまり、料理とは女性にとって必須事項ではなく、持っていれば格段と有利となる重要なスキルと言う訳である。

 

「とにかく最低限、カレーくらい作れるようになってもらうからね」

「ま、まだやるんですか・・・・・・」

「お返事は?」

「うう~・・・はい・・・」

 

 その様子に、思わず友哉は苦笑してしまう。会話だけ聞いていれば、本当にどちらが年上か判らない。

 

 とは言えどうやら、夕食にはもう少しかかる様子だ。

 

 仕方なく友哉は、ソファーに座り直し、再び書類に目を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 秋葉原、そこは別名「武偵封じの街」。

 

 道が複雑に入り組んでいる為、ここに犯罪者に逃げ込まれると追跡するのが難しい。加えて大通りには歩行者天国が存在し、多くの人がひしめき合うように行き来するこの場所では、むやみに発砲や斬り合いはできず、十全に能力発揮する事ができないのだ。

 

 ちなみに、春葉原と夏葉原と冬葉原は存在しない。

 

 その秋葉原の街を、友哉、キンジ、アリア、茉莉、瑠香の5人が連れだって歩いている。

 

 理子が指定してきた店は、この秋葉原の一角に存在していた。

 

 自分のホームグランドに引き込み、話を優位に進めようと言う魂胆らしい。が、今回の依頼人が理子である以上、向こうの要求に合わせなくてはならない。

 

 指定された店に着くと、5人は緊張した面持ちのまま互いの顔を見合わせる。

 

 ここから先は完全に理子のフィールドだ。何が待ち構えていてもおかしくは無い。

 

「用意は良いわね?」

 

 アリアの言葉に頷きながら、5人はそれぞれの武器を取り出す。

 

 アリアは2丁のガバメント、キンジはベレッタ、瑠香はイングラム、茉莉はブローニング、そして友哉は逆刃刀に手を掛けた。

 

「行くわよッ」

 

 アリアの号令一下、5人は一気に突入した。

 

 次の瞬間、

 

「お帰りなさいませ、ご主人様、お嬢様」

 

 色とりどりのメイド服を着た少女達が頭を下げていた。

 

「おろ・・・・・・」

「メイド、喫茶?」

 

 それは間違いなく、近年、そのマニアックな趣向から爆発的な市民権を得ているメイドのコスプレを制服とした喫茶店だった。

 

 まさか理子が、このような場所を指定してくるとは思っていなかったため、一同は目を丸くする。

 

「ここで、合ってるよな?」

「う、うん。多分・・・・・・」

 

 キンジの言葉に、友哉は頼りなく頷く。

 

 そんな一同に、メイドの一人が近寄って来た。

 

「理子様から話は伺っております。お席の方にご案内しますね」

 

 そう言うと、先導するように歩きだした。

 

「これがメイド喫茶・・・・・・初めて来ました」

「うん、あたしも。でも、あの服、すっごく可愛いよね」

 

 後を歩く瑠香と茉莉が、少し弾んだような声で会話している。茉莉はともかく、瑠香はファッションにも気を使う方なので、見ていて楽しいようだ。

 

「る、瑠香はあんなのが良い訳!? 信じられないわよ。あの胸、じゃなくて服。いくら給料が良くてもあれは無いわ。イギリスならともかく、日本で着るなんて場違い。恥っずかしい。なんて店なの。あたしなら絶対無理。あんな物絶対着ないんだから!!」

「そうかな、可愛いのに。アリア先輩も似合うと思いますよ」

「とにかく着ないったら着ないの!!」

 

 可愛いという言葉に反応して、顔を真っ赤にしながらムキになるアリア。

 

 確かに可愛い事は可愛いが、アリアの言うとおり、あんなのに周りを囲まれたら落ち着かない事は間違いなかった。

 

 やがて案内された個室に通され、それぞれの席に腰掛ける。

 

 聞いた話では、理子はこの業界では少し名の売れた服飾デザイナーであり、この店の衣装デザインも彼女の物であるとか。何やら意外な一面を見た気がした。

 

 程なく、首謀者たる理子が姿を現した。

 

「や~、ごめんごめん。みんな、お待たせ~」

「理子、呼び出しといて遅刻すんじゃねえよ」

 

 悪びれしない理子に、キンジは呆れた口調で抗議するも、理子はどこ吹く風とばかりに椅子の一つに腰掛けると、やって来たメイドに振り返った。

 

「んと、理子はいつものパフェとイチゴオレ。こっちのダーリンにはマリアージュ・フルーレの朝摘みダージリン、男の娘にはキリマンジャロの焙煎をブラックで、あっちの元気っ娘はデラックスショートケーキとココアのセット、こっちの大人しい娘は抹茶ラテとオリジナルフルーツパフェを、そこのピンクいのには、ももまんでも投げつけといて」

 

 勝手に注文を決めてしまった。まったくもってゴーイングマイウェイな所は、いつも通りの理子である。

 

 やがて注文していた物が運ばれて来たので、それらに口を付けつつ本題の話が始まる。

 

 ターゲットの屋敷は横浜市郊外にある紅鳴館。地上3階、地下1階の洋館で、庭を含めた敷地面積は豪邸と呼んで相応しいものであるらしい。

 

 そこに管理人、及び執事1名、メイド3名が暮らしているらしい。

 

 理子が作ったと言う精巧な屋敷の見取り図と作戦計画に感嘆の声を上げながら、先を進めて行く。

 

 イ・ウーでジャンヌに倣ったと言う理子の作戦は見事であり、実行は充分に可能であると思われた。

 

「理子のお宝は、この屋敷の地下にある筈なの。でもさ、周りは罠だらけだし、その罠の内容もしょっちゅう変えてるらしいの。その上管理人、メイド、執事の存在が邪魔だし。だから実行役と、おとり役と通信担当が必要になるんだ」

 

 つまり、実行役は1人で、他の4人は内部の人間を引きつける役。最後の1人、これは理子になるだろうが、全てを管制する通信手が必要と言う訳である。

 

「それは判ったけど、作戦の途中でブラドが現れたら逮捕しても良いのよね? あいつはアンタと同じであたしのママに罪を着せた仇の1人何だから」

「あー、それは無理。ブラドはあの屋敷に何十年も帰ってきてないらしいから」

 

 アリアの言葉に、理子はあっさりそう返した。

 

 当然、アリアが黙っていられる筈も無い。

 

「はあ? だったらあたしが協力するメリットなんてないじゃない。アンタが自分でやりなさいよ!!」

「落ち着けアリア」

 

 激昂するアリアを宥めつつ、キンジは先を促す。

 

「それで理子。俺達は一体、何を盗んで来ればいいんだ?」

「うん、それはね、ロザリオだよ。理子がお母さまから貰った」

 

 その言葉を聞き、アリアが再び激昂するのに間はいらなかった。

 

「あんた、どういう神経してるの!?」

「アリア、落ち着いて」

「これが落ち着いていられる訳ないでしょ!!」

 

 とどめようとする友哉を、アリアは一言で振り払った。

 

「あたしのママには冤罪を着せといて、自分はママからもらった宝物を取り返せですってッ!? あたしがどんな気持ちなのか考えてみなさいよ。アンタ達のせいで、あたしはママに会いたい時に会えない。いつもアクリルの壁越しにほんのちょっとの間しか会えないのよっ。それなにの・・・・・・」

「アリアがうらやましいよ」

 

 アリアの言葉を遮るように、理子がポツリと言った。

 

「何がよ!?」

「だって、アリアのママは生きてる。理子の両親は、もう死んじゃってるから・・・・・・」

 

 見れば理子は、その可憐な瞳に涙を浮かべていた。

 

 いたたまれない空気が満ち溢れ、一同は黙って視線を理子に向ける。

 

「あのロザリオは、お母様が理子の8歳の誕生日にくれた大切な物。それをブラドは理子から取り上げて、あんな警戒厳重な地下室に隠しやがって・・・・・・ちくしょう・・・ちくしょう・・・・・・」

 

 耐えるように泣き声を押し殺す理子に、言葉も出ない。

 

 4対の瞳は一斉にアリアに向けられる。「どうするんだ、これ?」と無言で問い掛けているのだ。

 

「ほ、ほら、泣くんじゃないわよ。ブスが化粧崩れてもっとブスになっているわよ」

 

 慰めているのかけなしているのか判らない言葉で、アリアは理子にハンカチを差し出す。アリアも不器用ながら優しい娘である事は間違いない。こうした場面ではどうすればいいのか判らないのだろう。

 

「り、理子先輩、元気出して。あたし達も協力しますから」

「私も・・・・・・できる事はします」

 

 瑠香と茉莉も慌てたように、

 

「うん。ありがとう、みんな。理子はいつでも明るい子。さあ、笑顔になろう」

 

 そう言うと、涙を拭いて理子は顔を上げた。

 

 その時には、もういつもの笑顔が理子には戻っていた。

 

「じゃあ、アリア、ルカルカ、マツリン、行こっか」

「「「はい?」」」

 

 笑顔の理子に、3人は怪訝な顔を向けた。

 

 

 

 

 

 世の中には、色々な店がある物だ。

 

 キンジと一緒に所在無げに立っている友哉は、そんな事を考えながら店の中を見回す。

 

 所狭しと掛けられた服は、全てメイド服の形をしていた。

 

 ここは秋葉原の一角にあるメイド服専門店だった。理子はここでメイド服の試着を行おうと言って一同を連れて来た。

 

「ねえねえ、友哉君」

 

 クローゼットの影から瑠香が顔を出した。

 

 友哉が振り返るのを見計らって、瑠香はぴょんっと飛ぶように姿を現した。

 

 その格好は、黒地のブラウスとスカートに白いエプロンとヘッドドレスと言う、典型的なメイド服を着ていた。

 

「じゃーん、どう? どう?」

 

 見せつけるように友哉に寄って来る瑠香。

 

「似合ってるよ。とっても」

「えへへ、やった」

 

 嬉しそうに笑顔になると、瑠香はその場でクルッとターンをして見せた。

 

 一瞬、スカートがフワッと持ちあがり太股が大胆に露出した為、慌てて視線を逸らす友哉。見れば、キンジも顔を赤くして視線を横に向けていた。

 

「ほら、茉莉ちゃんも、早く早く」

「い、いえ・・・私にも、その、心の準備と言う物が・・・・・・」

 

 などと言って、瑠香はクローゼットの影から茉莉を引っ張りだした。

 

 こちらは瑠香と同じ形のメイド服だが、色は青となっている。

 

 茉莉も瑠香同様、とても似合っている。

 

 瑠香に対する表現が「可愛い」、とするなら、茉莉は「綺麗」だろうか。普段のクールな性格とのミスマッチもあり、とても似合っていた。

 

「あ・・・あの・・・・・・」

 

 茉莉は自分の体を捩るようにして、友哉に上目づかいを見せる。

 

「あ、あんまり見詰めないでください・・・・・・恥ずかしい・・・・・・」

「あ、ああ・・・ごめん」

 

 友哉もまた、顔を僅かに赤くしながら、茉莉から目を逸らした。

 

 その時、

 

「いーやーよー!!」

 

 クローゼットの影から、悲鳴に近いアリアの声が聞こえて来た。

 

 何事かと振り返ってみたら、理子がアリアを引っ張りだそうとしている所だった。

 

「り、理子~、変な所触らないでよ」

「良いではないか、良いではないか~。おお~アリア、良い匂いクンカクンカ~」

「へ、変態ッ 変態2号だわ、あんた!!」

「変態理子さんが本気になったら、アリアなんかとっくに裸エプロンだよ~」

 

 などと言うと、ついにアリアを引っ張り出してしまった。

 

 その格好は瑠香や茉莉と違い、制服の上からそのままエプロンを着ただけの物だが、そのエプロンと言うのがピンク色のフリフリがたくさんついた物でひじょうに可愛らしい。

 

 あれだけメイド服を着ることに抵抗感を示していたアリアの事を考慮し、理子は比較的レベルを下げた段階から入ったようだ。

 

「と、言う訳で無難に制服エプロンから始めてみましたー、アリア可愛いよアリア」

 

 心底うれしそうにする理子に対し、アリアは顔を赤くして俯いている。

 

 だが確かに、ピンクの髪とピンクのエプロンが絶妙に合い、その幼い外見と相まって、とても可愛らしい。

 

「さあさあ、キーくん、ユッチー、アリアを見てあげて。穴の開くほど見てあげて」

 

 誘うように言われ、視線はアリアの方に向いてしまう。

 

 見ればキンジも顔を赤くしてアリアに釘づけになって見た。

 

「よーし、じゃあセリフの練習いってみよう」

「何よそれ!?」

「『ご主人様、御用件は何ですか』って聞くの。キーくんがご主人様役ね」

「お、俺がかよ!?」

 

 戸惑う2人を完璧に置き去りにして、理子は話を進めて行く。

 

「リピート・アフター・ミー。『ご主人様、御用件は何ですか?』はいッ」

「い、嫌よ、そんなのッ」

「リピート・アフター・ミー」

 

 理子は容赦なくアリアを追い詰める。何だか、昨夜の瑠香と茉莉を見ているようだ。

 

「『ご』ッ・・・けほー、けほー」

 

 1文字言っただけで咳き込むアリア。貴族の階級を持つ彼女にとって、たったそれだけでも難事のようだ。

 

「がんばれがんばれ、やればできる。あきらめんなよ、ネバー・ギブアップ」

 

 そんなアリアを、実に楽しそうに励ます理子。

 

 本当に、こんなので大丈夫なのだろうか?

 

 早くもこの大泥棒チームに、友哉は不安を感じずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 梅雨に入り、日々雨が降る日も多くなってきている。

 

 体育の後の片づけで遅くなってしまった友哉は、濡れた髪を指でかき上げながら教室へと向かう。

 

 あの秋葉原の一件以来、理子はそれぞれに合った訓練計画を課していた。

 

 その訓練と言うのは、主に潜入に必要な執事、及びメイドとしての技能訓練であった。

 

 この訓練、友哉、キンジ、瑠香の3人はそれぞれ問題無くクリアした。キンジは元々探偵科である為、この手の事は授業で行っている。瑠香もまた諜報科である為、同様。潜入には必須のスキルと言えた。友哉は専門科目ではないが、元々大抵の事はそつなくこなす方なので問題は無い。

 

 問題なのは茉莉とアリアだった。それでも茉莉は、人前でメイドの恰好をする事への羞恥心があるだけだったので、暫く訓練すれば問題は無くなったのだが、アリアの方は羞恥心に加えて妙なプライドまで持ち合わせている為、訓練は難航している様子だった。

 

 とは言え、作戦決行まで、もう時間が無い。理子もアリアを重点的に特訓している様子だった。

 

「クシャンッ」

 

 友哉は一つ、くしゃみをした。

 

 体が冷えてきている。早く帰ってシャワーでも浴びよう。

 

 そう思って教室の戸を開けた。

 

 中には誰もいない教室で一人、茉莉が佇んでいた。

 

「おろ?」

「あ、緋村君」

 

 入って来た友哉に気付いた茉莉は、ゆっくりとこちらに振り返った。

 

「まだ、帰ってなかったの?」

「はい。少し、調べ物をしていたら、時間が経ってしまいました」

 

 そう言って微笑する。

 

 彼女のこうした仕草は、転校してきたばかりの頃には見られなかったが、今では友人相手に笑っている姿をよく見かける。

 

「調べ物。手伝おうか?」

「いえ、ちょうど、終わったところですので」

 

 見れば、確かに茉莉は鞄を机の上に置き、帰る準備をしている所であった。

 

「そっか、じゃあ、早く帰ろう。風邪ひいちゃうよ」

「そうですね」

 

 ふと、鞄に手を伸ばしかけ、茉莉は何かを思い出したように友哉に向き直った。

 

「理子さんから聞いたのですが、緋村君が黒笠の事を調べてるって言うのは本当ですか?」

 

 同じ探偵科同士、会う事も多いだろうから情報の伝達も早い。

 

「本当だよ」

「私は、あの人の事は、見た事が何回かあるくらいですが、その雰囲気だけで、只者じゃない事は判りました」

「例えば?」

 

 問い掛ける友哉に、茉莉はスッと目を細め、低い声で告げる。

 

「・・・・・・何人もの人を斬り、呼吸をするように、人を殺す事が当たり前になった存在。そこには殺気も無く、ただ人を斬る為に生きている。そんな事を感じさせるような相手でした」

 

 寒い空気が、更に下がった気がした。

 

 おぞましきは殺人鬼《黒笠》と言うべきか。その存在は伝え聞くだけで、魂を寒からしめるようだ。

 

「できれば緋村君には、関わってほしくないって思っています」

 

 茉莉もまた、昭蔵や理子と同じ事を言う。

 

 だが、

 

「もう、決めたんだ」

 

 友哉は静かに、自分の決意を言う。

 

「僕のこの剣は、力無い人達を守るために使う。その為に戦い続けるって」

「でも、それで、緋村君が死んでしまったら、何もならないじゃないですか」

 

 静かに、しかし抗議するような目が友哉を見詰める。それはまるで、闇に向かって歩く友哉を引き戻そうとしているかのようだ。

 

 そんな茉莉に、友哉はそっと笑い掛ける。

 

「大丈夫、そう簡単にやられるつもりは無い。だからこうして、情報を集めて準備しているんだ」

「でも、・・・それだけ、じゃあ・・・・・・」

 

 言葉がとぎれとぎれになる茉莉。

 

 そこで友哉は、ふと気付いた。茉莉の顔が異様に青白い事を。

 

「瀬田さん?」

 

 名前を呼んだ瞬間、茉莉は糸が切れた人形のように、その場に膝をついた。

 

「瀬田さん!!」

 

 慌てて駆け寄り、抱き起こす。

 

 茉莉は友哉の腕の中で、ぐったりとしたまま動こうとしなかった。

 

 額に手を当ててみるが、どうやら熱は無いようだ。

 

「と、とにかく、保健室に」

 

 友哉はグッタリした茉莉の体を支えると、救護科に向かうべく立ち上がった。

 

 

 

 

 

 幸いにして、救護科(アンビュラス)で顔見知りの先輩に連絡を付ける事ができた友哉は、彼女が指定した保健室に茉莉を運び込んだ。

 

 救護科棟は武偵病院にも併設している為、そこに所属する学生は病院の方に研修に出る事が多い。掴まえる事ができたのは幸いだった。

 

「貧血ね」

 

 茉莉に問診をした高荷紗枝(たかに さえ)は、そう診断を下した。

 

 救護科に所属する3年生で、友哉は何度か怪我の治療で彼女の世話になっている。黒髪のロングヘアを背中まで伸ばした女性で、その細い目付きからは、どこか怜悧な印象を受けるが、実際に接してみると実に気さくで付き合いやすい女性だった。

 

 因みに学業成績は3年生でも上位らしく、まだ梅雨入りの時期であるにもかかわらず、就職先の内定も既に決まっているらしい。

 

「ちゃんとご飯は食べてる? 武偵は体が資本なんだから、疎かにしちゃダメよ」

「・・・・・・はい、食べてます」

 

 その点は心配ない。茉莉の料理の腕は壊滅的だが、毎日瑠香がきちんと食事を用意している。

 

「まあ、とにかく、栄養剤を出すから、少し休んでから帰りなさい。ベッドも空いているし」

「はい・・・・・・」

 

 そう言うと紗枝は、背後のカーテンに仕切られたベッドを差した。

 

「すみません、高荷先輩」

「良いのよ、緋村君とは顔見知りだし。多少の融通はしてあげられるから」

 

 頭を下げる友哉に、紗枝はそう言って笑うと、ちょっと悪戯っぽい目を向けて来る。

 

「さあ、緋村君。彼女をお姫様抱っこでベッドまで運んでね」

「おろッ?」

 

 突然の紗枝の言葉に、戸惑う友哉。

 

 そんな友哉の反応がおかしいのか、紗枝は更に笑みを見せる。

 

「それが、私が診察する時のルールよ」

「いや、聞いた事ありませんよッ」

「うん、今できたばかりだから。おめでとう。あなた達が履行者第一号よ」

 

 全然微塵もめでたくない理屈を振り翳す紗枝に、友哉は肩を落とす。

 

 とは言え、今も苦しそうにしている茉莉をこのままにもしておけない。

 

「ご、ごめんね」

「いえ・・・・・・お願いします」

 

 少し恥ずかしそうに顔をそむけながら、それでも茉莉は友哉に身を預けて来た。

 

 肩と太股の裏を支えるようにして抱きかかえると、女子特有のやわらかさが手に伝わって来る。肉付きの薄い印象がある茉莉だが、そこはやはり女の子。触ってみれば壊れそうな柔らかさがあった。

 

 緊張して手付きがいやらしくならないように注意しながら、茉莉の体をベッドに横たえると、靴を脱がし、布団を掛けてやる。

 

「すみません、緋村君。少し休めば良くなると思いますので・・・・・・」

「いいよ、気にしないで」

 

 そう言って、時々瑠香にやってあげるように、茉莉の頭をなでてやる。

 

 茉莉は気持ち良さそうに目を閉じると、それほど時間を置かずに寝息を立て始めた。

 

 それを見て安心した友哉は立ち上がろうとした。

 

 だが、

 

「・・・・・・おろ?」

 

 茉莉の手は、友哉の手を掴んで放そうとしない。どうやら、友哉の手を掴んだまま眠ってしまったらしい。

 

「あらあら、仲が良いわね」

 

 そう言ってクスクス笑う紗枝。

 

 だが、友哉の方は笑いごとではない。これでは立ち上がる事も出来ない。

 

 困った友哉に、紗枝は近付いて小声で言った。

 

「私、用事あるから先に帰るけど、鍵は事務の方に返しといてくれれば良いから」

「おろ、帰るんですか?」

 

 ここをこのままにして行っていいのか、と疑問に思ったが、紗枝は何でもないと言う風に片目をつぶってみせた。

 

「それじゃあね。あ、やるんだったら避妊はしっかりね」

「いや、やりませんよッ」

 

 茉莉を起こさないように小声で抗議する友哉に手を振ると、紗枝はそのまま出て行ってしまった。

 

「・・・・・・まったく」

 

 腕は良いのだが、あのからかい癖だけは馴れなかった。

 

 とは言え、

 

 友哉は改めて、眠っている茉莉に向き直った。

 

 不思議だ。この娘と死闘を演じたのは、ついこの間の事である。だと言うのに、茉莉は友哉の手を握り、安心しきった顔で眠っている。

 

 友哉はもう一度、茉莉の頭を撫でる。

 

 その無邪気な寝顔を見ていると、何だか親愛にも似た愛おしさがこみ上げて来るようだった。

 

 

 

 

 

第3話「梅雨の秋葉原」     終わり

 



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第4話「潜入作戦発動」

 

 

 

 

 

 

 

 

 装備科(アムド)とは、戦いに必要な各種装備の改造、制作を行う事を学ぶ科である。

 

 その分野は武器弾薬から、潜入に必要な小道具、防弾装備、果ては何に使うのか判らないような物まで多岐にわたる。更に学生間で依頼を受けるにあたって、報酬を取る事が許されている為、ある意味、武偵校の中で最も儲かる学科でもある。

 

 成績上位の学生に至っては、最早プロ級をも上回る腕前を示している。

 

 友哉はそんな装備科にある、知り合いの作業室を訪ねた。

 

「失礼します」

 

 中に入ると、色々な機材やら部品やらが文字通り山のように積み上げられ、殆ど視界の効かない状態になっていた。

 

「平賀さん、緋村だけど」

 

 声を掛けると、積み上げられた部品の向こうで、人が動く気配があった。

 

「はーい、ちょっと待ってほしいですのだ」

 

 子供のような声と共に、何かを掻き分ける音が聞こえて来た。

 

 やがて、部品の影から、小さな女の子が出て来た。

 

「ひむらくん、こんにちはですのだ」

 

 背はアリアと同じか、少し高いくらいだが、全体的な雰囲気はより子供っぽい感じがする女子である。

 

 平賀文は装備科の中でも、特にその改造、制作の腕に秀でた少女である。江戸時代の発明家、平賀源内を先祖に持っており、その確かな腕から周囲からの信頼も厚い。多くの学生は武器の改造や制作を彼女に頼む事が多い。一方で、改造に当たっては法外な料金を請求する上に、ごく稀にいい加減な仕事をする事でも有名である。

 

 しかし、それを差し引いても、平賀が優秀である事には変わりない為、皆からは一種の敬意を込めて「平賀さん」と呼ばれていた。

 

「頼んでおいた物、できてる?」

「はいですのだ。ちょっと待ってほしいですのだ」

 

 そう言うと、平賀は奥の方にチョコチョコと入って行った。

 

『それにしても・・・・・・』

 

 友哉は周囲を見回す。

 

 いつ見ても、凄い所である。

 

 雑然としていて、友哉にはどこに何があるのかさっぱり分からない。この部屋の中で自由に動き回る事ができる平賀は、それだけでも天才なのではないかと思ってしまうほどだった。

 

 程なくして、平賀は戻って来た。

 

「はい、これ、頼まれていた物ですのだ」

 

 そう言うと平賀は、何枚かのビニールに入った布を友哉に渡した。

 

 それはTシャツである。

 

「このTシャツ、御註文通り、防弾制服と同じ素材で作らせてもらったのだ。長袖にしたから、腕とかに当たっても大丈夫だし、これ1枚着ているだけでも45ACP弾くらいならストップできるのだ」

 

 エッヘンと小さな胸を張る平賀に微笑みを返しながら、友哉は真剣な眼差しをする。

 

 これで友哉は防弾ジャケット、防弾Yシャツ、そしてこの防弾Tシャツと、上半身に限って言えば、防弾服を3枚重ね着する事になる。実際に、防弾服を紙のように切り裂く技量を持った黒笠が相手では気休めかもしれないが、用心に用心を重ねてもまだ足りない。奴には並みの防弾装備は用を成さないのだ。

 

「ありがとう、平賀さん。相変わらず良い腕だね。お金はいつもの口座に振り込んでおくよ」

「はいですのだ。また何かあったらよろしくですのだ」

 

 平賀の無邪気な声を背に、装備科を後にすると、友哉はその足で一般科棟へと向かった。

 

 作戦決行まで、もう殆ど時間がない。作戦の細かい部分を、理子達と詰める必要があった。

 

 一般科棟に入って廊下を歩いていると、反対側から来た男子と行きあった。

 

「ん」

「お、よう、緋村」

 

 キンジは軽く手を上げて挨拶して来る。

 

「キンジ、どこか行くところだったの?」

「ああ、理子を探しててな。あいつに聞きたい事があったんだ」

「あ、奇遇だね。僕も理子の所に行く予定だったんだ」

 

 2人は並んで歩きだす。

 

「そっちの様子はどう?」

「ああ、アリアもようやく様になって来たし。どうにか間に合いそうだよ」

 

 それは何よりだった。今回の作戦の最大の不安要素は間違いなくアリアのメイド化である。それが間に合いそうなのは良い事だ。

 

「ま、後は本番でトチらない事だね」

「そうだな」

 

 そう言った時だった。

 

 すぐ脇にある音楽室から、ピアノの音が聞こえて来た。

 

「あれ?」

 

 二人とも足を止め、その音に聞きいる。

 

 その調べはとても耳に心地良く、暖かい空気に包まれるような気分になる。奏者はかなりピアノの扱いに慣れているようだ。

 

「良い曲だね」

「ああ。それにこの曲は・・・・・・」

「知ってるの、キンジ?」

「ああ、前に聞いた事がある。えっと、確か曲名は・・・・・・」

 

 ややあって、キンジは言った。

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・『火刑台上のジャンヌ・ダルク』・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

 ピシッと言う音と共に、キンジと友哉は顔を見合せたまま動きを止めた。

 

「ま・・・さ・・・か?」

 

 2人はそ~っと、音楽室の中を覗き込んで見る。

 

 すると、そこに、いた

 

 銀髪の少女が。

 

 先月、魔剣事件を起こし、白雪を誘拐しようとして友哉やキンジ達と死闘を演じたデュランダル事《銀氷の魔女》ジャンヌ・ダルク30世がピアノに向かい合って座っていた。

 

「遠山、と緋村か。久しぶりだな」

 

 ピアノを弾く手を止めて、ジャンヌはこちらに向き直った。

 

 その立ち居振る舞いは堂々とした物であり、あの地下倉庫で戦った時のままの彼女がそこにいる。

 

 武偵校の臙脂色のセーラー服を着ているが、西洋人形めいたその美しさは聊かも損なわれておらず、1個の美として、音楽室の中に立っていた。

 

「司法取引が完了したんだ?」

「ああ、今の私はパリ武偵校からの転入生。情報科(インフォルマ)2年のジャンヌだ。宜しくな」

 

 悪びれもしないジャンヌの言葉に、友哉とキンジは顔を見合わせて肩を竦めるしかない。

 

 そんな2人の反応に構わず、ジャンヌは続ける。

 

「ブラドの屋敷に忍び込むのか?」

「何でそれを!?」

 

 流石は情報科と言うべきか。こちらの動きを察知するとは。

 

 だが、ジャンヌの返答は予想していなかった物だった。

 

「知っているからな。リュパン4世、理子が求めている事を」

「求める?」

「何を?」

 

 問い掛ける友哉とキンジに、ジャンヌは言った。

 

「自由だ」

「自由?」

 

 随分と漠然とした物である。そもそも、今でも理子は充分自由な気がするのだが。自由すぎてこんな事に巻き込まれる方の身にもなってもらいたい物である。

 

「理子は幼い頃、長い間監禁されて育ったのだ」

「え?」

「理子が未だに小柄なのは、その頃碌に食べ物を与えられなかったせいだし、衣服にこだわるのは襤褸布しか纏う事を許されなかったからだ」

「そんな、冗談だろ。リュパン家は怪盗とは言え高名な一族だぞ」

 

 信じられなかった。リュパン1世は「紳士怪盗」と異名で呼ばれたほど、身なり立ち居振る舞いに洗練された物があり、それだけで貴族のような生活をしていたであろう事が窺える。その子孫である理子が、なぜそのような扱いを受けたのか。

 

「理子の両親が死んだ後、リュパン家は一度没落しているのだ。使用人達はバラバラになり、財宝は盗まれた。最近になって理子は、母親の形見の銃を取り戻したらしいがな。そして身寄りの無くなった理子を、ルーマニアの親戚だと言う者が引き取った。そこで、囚われ、監禁された」

 

 友哉もキンジも、驚愕を隠せない。

 

 あの理子に、そんな凄惨な過去があったとは。あの、いつも笑顔を振りまき、おバカなキャラを演じるムードメーカーからは、そんな雰囲気は一片も感じる事ができなかった。

 

「その、理子を監禁した者こそ、イ・ウー、ナンバー2、《無限罪》のブラドだ」

 

 ブラド。

 

 友哉達が忍びこもうとしている屋敷の主であり、間違いなく過去最強の敵になるだろう相手だ。

 

 ジャンヌは自分の鞄から紙とペンを取り出して、何かを書き始めた。

 

「詳しいんだね、ブラドの事」

「我が一族にとって、ブラドは仇敵だからな。3代前の双子のジャンヌ・ダルクが初代アルセーヌ・リュパンと共にブラドと戦い、引き分けている。1888年、まだ下半分しかできていなかったエッフェル塔でだ」

「ブラドの先祖と、か?」

「いや、ブラド本人とだ」

 

 意味が判らなかった。1888年と言えば、今から120年も前だ。当然、人間ならそんな長命で生きれる者などいるはずがない。

 

「いったいブラドってのは、何者なんだ?」

「うむ・・・・・・日本語で何と言えば良いのかは判らんが、強いて言うなら、『鬼』だ」

 

 鬼。

 

 またもや、物騒な事を予感させる言葉である。少なくとも、ただの人間でない事だけは確かなようだ。

 

「ブラドは理子を拘束する事に異常に執着していてな。檻から自力で逃亡した理子を追ってイ・ウーに現われたのだ。その時の決闘で理子はブラドに敗れたが、成長著しい理子を見て、ブラドはある条件を出した。『理子が初代リュパンを越えた事を証明できたら理子を解放し、もう二度と手出ししない』とな」

 

 そこで友哉は思い出した。四月のハイジャックの時、理子が言っていた言葉を。

 

『アリアを倒せば、私は私になれるんだッ』

 

 あれは、そう言う意味だったのだ。

 

「ああ、そうだ。ついでだから、ブラドの弱点を教えておこう」

「弱点?」

「ああ、ブラドを倒すには全身に4か所ある弱点を同時に潰さなくてはならない。奴はその昔、バチカンからやって来た聖騎士に呪いを掛けられ、4か所の弱点全てに、一生消えない印を付けられた。その内、3箇所は判明している。ここと、ここと、ここだ。よし、できた」

 

 そう言うと、ジャンヌは書いていた紙を2人に示した。

 

 次の瞬間

 

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

 絶      句

 

 

 

 

 

 と言う以外に表現のしようが無い。

 

 それほどまでに、ジャンヌの描いた絵は、超絶的にヘタクソだった。

 

『ちょ・・・何これ?』

『お、俺が知るかッ』

『ここの、これ・・・・・・鼻穴?』

『いや、目玉じゃねえか?』

『判った、これきっと腕だよ!!』

『いや、翼って線もあるぞ』

『そもそも、この人・・・人? 胴体はどこにあるの?』

『人じゃないんじゃねえか?』

 

 ヒソヒソと話し合う2人。

 

「どうした、遠慮はいらないぞ。持って行け」

「あ、ああ」

 

 キンジがノロノロとブラド(らしき物)の描かれた紙を受け取る。

 

「礼はいらないぞ」

 

 そう言って、ジャンヌは颯爽と出て行く。

 

 友哉とキンジは、ブラド(らしき物)の絵を手にしたまま、その姿を黙って見送る事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 そして、作戦の決行日を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友哉、キンジ、アリア、茉莉、瑠香の5人は、連れだって集合場所であるモノレール駅にやってきていた。

 

 学校へは「民間の委託業務を通じたチームワーク訓練」と報告すると、あっさり受理されてしまった。そう言う点はチェックの甘い武偵校のシステムに感謝である。

 

「理子先輩、遅いですね」

 

 腕にはめた時計を見ながら、瑠香がそわそわした調子で呟く。

 

 もうすぐ出発予定時刻だと言うのに、肝心の理子がなかなか姿を現さないのだ。

 

「ったく、あいつの作戦だってのに、何やってんだ?」

 

 キンジがぼやいた時だった。

 

「お~い、みんな~、おっ待たせ~」

 

 声がした方に振り返ると、そこには見覚えの無い女性が手を走って来るところだった。

 

 茶色の長い髪を後ろで三つ編みにした小柄な少女だ。遠目にも、かなりの美人である事が窺える。

 

「おろ?」

「誰?」

「さあ?」

 

 首をかしげる一同の下に、女性は駆け寄ると実に気さくにあいさつして来た。

 

「やあ、ごめんね、遅くなって」

「理子さん、その顔は・・・・・・」

 

 茉莉の言葉で、一同は目の前にいる人物が理子の変装だと判った。

 

「理子、アンタ、理子なの!?」

 

 アリアが驚いた顔を見せる。それもそうだろう。彼女もハイジャックで一度、理子の返送を見ているが、こうまで全く違う人間になられると全く見分けがつかない。

 

「理子ね、ブラドに顔が割れてるから、ばったり会ったりしたら大変でしょ。だから、変装して来たの」

 

 確かに、その可能性がある以上、理子の変装は当然だった。となると、もう一人、この中に問題がありそうな人物がいる訳だが。

 

「茉莉、アンタはそこのところ、大丈夫なの?」

「私は、ブラドとは会った事ありませんから。問題無いです」

「それよりも理子ッ」

 

 アリアと茉莉の会話を遮るように、キンジが割って入った。

 

「事情は判ったが、理子。何だってカナの顔なんだよ!?」

 

 一同はキンジがなぜ怒っているのか判らず首をかしげる。

 

 カナ、と言う人物が誰なのか。そもそも、キンジは理子が誰に変装して来たのか、なぜ知っているのか。

 

「カナちゃんは、理子の知ってる中で一番美人さんだからね~。それに、キーくんの一番好きな人の顔で応援してあげようと思ったの。怒った?」

 

 理子の悪びれしない言葉に、キンジは呆れたようにそっぽを向く。

 

「いちいちガキの悪戯に怒る程、俺もガキじゃない。ほら、時間だ。さっさと行くぞ」

 

 そう言うと、明らかに苛立ったように1人さっさと歩きだした。

 

 その後を追い掛けたアリアが、しつこく「カナって誰よ?」と聞いているが、キンジはそれを無視して、さっさと1人歩いて行ってしまった。

 

 

 

 

 

 横浜郊外にある紅鳴館は、鬱蒼とした森の奥にあり年代的にかなり古いらしく、いかにもホラー映画等に出てきそうな佇まいをしていた。

 

「な、何か、呪いの館って感じね」

 

 やや腰が引けた感じに呟くアリア。

 

「そ、そうですね」

 

 こちらも、明らかに蒼い顔をして茉莉が答える。

 

 どうやらこの2人、この手の雰囲気が苦手であるらしい。

 

 何やらどんよりした霧が当たりに立ちこめ、館周囲には黒い鉄柵が張り巡らされている。

 

 と、蝙蝠が出てきて、前を横切って行った。

 

「「ヒィッ」」

 

 それを見て、互いの手を握り合うアリアと茉莉。

 

 そんな2人に構わず、理子はドアの前まで来ると呼び鈴を押した。

 

《はーい》

「失礼します。人材派遣会社より、ハウスキーパー5名をお連れしました」

《あ、はい。少し、待ってください》

 

 インターホンから聞こえて来たのは、若い男性の声だった。

 

 だが、それを聞いて一同は首をかしげる。どうにも、どこかで聞き憶えがある声のような気がしたのだ。

 

 ややあって、扉が開かれた。

 

「お待たせしました」

 

 そう言って、扉の中に立っていたのは、

 

「「「「「あ」」」」」

 

 一同がポカンと口を開ける。

 

 ドアを開けた人物は、武偵校の救護科で非常勤講師をしている小夜鳴徹だったのだ。

 

 血の気の多い、と言うより血の気しか無いような教師が大半を占める武偵校の中にあって、性格は比較的温厚であり、その線の細い顔立ちから一部の女子生徒からは「王子」などと呼ばれて人気があった。

 

「おや、皆さん・・・・・・」

 

 小夜鳴の方も驚いたようで、目を丸くしている。

 

「あの、お知り合いですか?」

「え、ええ・・・・・・」

「が、学校の・・・・・・」

「先生です・・・・・・」

 

 変装した理子の問いかけに、一同は無難に答えておく。理子の事が疑われないようにする為にも必要な事であった。

 

「ま、まあ、立ち話も何ですから、とにかく中へどうぞ」

「はい。失礼します」

 

 完璧に人材派遣会社社員になりきっている理子に続いて、一同も館の中へと入る。

 

 内部の作りも西洋風で、調度品一つ取ってもかなりの値打ち物である事が窺われた。

 

 やがて大広間に通され、そこで小夜鳴を上座にして一同もソファーに座った。

 

「いや、それにしても驚きました。ハウスキーパーさん2人が休暇を取る間だけなので誰でも良いとは言ったのですが、まさか武偵校の生徒さんが来るとは」

「わたくしも驚いています。まさか、お知り合いだったとは。でも、これで自己紹介の手間は省けますね」

「まったくです」

 

 人当たりの良い小夜鳴と、完全に変装した理子が差し障りの無い調子で会話している。

 

「この館のご主人が戻られましたら、きっと話のタネになりますね」

 

 カマを掛けるつもりなのだろう。理子はわざと話題をブラドの方へと振って見せる。

 

 対して小夜鳴も微笑を崩さないまま返す。

 

「いや、彼は、今とても遠くにいるので。暫くは帰って来ないと思いますよ」

「海外で、お仕事をされているのですか?」

「さあ、どうなんでしょう。実は、私も会った事が無いんですよ」

 

 それはまた奇妙な話であった。ここの管理人をしているのに、館の主人に会った事が無いとは。

 

「ここの地下にある研究室を借りている間に、いつの間にか管理人のような事を任されるようになったんです」

 

 地下、と言う言葉に一同は、気付かれないように反応する。そこが今回のターゲットがある場所だからである。

 

「当初は2人だけ雇うつもりだったのですが、来週、急に海外から知人が遊びに来る事になりまして。執事長とメイド長だけでは何かと手の行き届かない事もあるかと思って、急遽、5人も雇う事にしたんです」

「まあ、海外から、急にですか?」

「ええ、今は主が不在だからまたにしてくれと言ったのですが、何分、強引な性分の方でして」

 

 そう言って小夜鳴は苦笑する。

 

「ああ、そうだ。仕事を始める前に、執事長とメイド長を紹介しておきましょう」

 

 そう言うと、小夜鳴はポケットからブザーを取り出して鳴らした。

 

 程なくして、男女1人づつ、応接室の方に入って来た。

 

 男の方は、細い目付きが特徴の、痩せ形でスラリと背の高い人物。女性の方も痩せ形だが、こちらは柔和な顔つきをしている。

 

「こちらが執事長の山日志郎(やまび しろう)さん。こっちがメイド長の韮菜島美奈(にらなしま みいな)さんです」

「初めまして」

「みんな、2週間だけど宜しくね」

 

 2人ともにこやかに挨拶して来る。人当たりの良さそうな印象があった。

 

「仕事の事は、この二人に着いて習ってください。館の事に関しては、私よりも詳しいくらいですから」

 

 にこやかにそう言う小夜鳴に合わせつつも、友哉達は内心で鋭い視線を3人に向ける。

 

 作戦決行までにやる事は山積みである。ターゲットの確認、警備状況の把握、小夜鳴達の動向監視、そして人心の把握。いざ作戦決行の段階になって、思わぬ邪魔が入らないように入念に行う必要がある。それに、海外から来ると言う客人の事も不確定要素だ。何とか怪しまれないようにしないといけない。

 

「それではみなさん、しっかりお願いしますね」

 

 そう言うと、理子は立ち上がって屋敷を出て行く。

 

 こうして「大泥棒大作戦」の幕は上がったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 館内での仕事は、事前に想定していたのと比べて、随分楽な物であった。

 

 朝は門の外まで新聞を取りに行って小夜鳴に届け、3度の食事の用意や館の掃除、庭の手入れ、門番などを行う。

 

 館の物々しさとは裏腹に規則は緩く、多少失敗した所で咎めて来る訳でもない。

 

 志郎と美奈も、馴れない仕事をする5人に丁寧に教えてくれた為、5人が館の生活に慣れるまでに3日も必要無かった。

 

 男子2人は燕尾服、女子3人がメイド服に着替えて走り回る姿は、ある種絵になる物であった。

 

 一つ、問題があるとすれば、アリアと茉莉の料理音痴組だった。

 

 こればかりはベテランメイドの美奈にもお手上げらしく、何度か2人を厨房に立たせては苦笑する、と言う行動を繰り返した後、以後は瑠香、友哉、キンジの3人がローテーションを組んで食事を作る事になった。

 

 と、言っても、小夜鳴はなぜか、軽く焙った串焼き肉だけしか食べないので、料理をする側としてはひどく拍子抜けせざるを得ない。むしろ、志郎と美奈を加えた使用人7人分の食事を作る方が大変なくらいだった。

 

 仕事の無い休憩時間などは、談話室にあるビリヤード台やカード類を使ってゲームをしている事も許可されている。客観的に見れば、こんな美味しいバイトは、そうそう転がってはいないだろう。

 

 勿論、各人共に「本命」の方も忘れていない。

 

 仕事をしながら、あるいは合間を縫って、警備体制のチェックや小夜鳴、志郎、美奈の行動チェックを行い、その行動パターンを覚えて行った。

 

 唯一の諜報科生徒である瑠香などは、単身屋根裏に潜入し、未発見の警報装置が無いかの確認までしている。

 

「ま、仕事が少ないってのは、楽でいいよね」

「まあな」

 

 その日の仕事が終わり、友哉とキンジは風呂に入って、それぞれの自室へと向かっていた。

 

 部屋はそれぞれ、5人とも個室を使っている。小夜鳴曰く「部屋はいっぱいあるけど、どうせ誰も使っていませんから」との事だった。

 

「しかし、キンジ凄いね。まさかキンジにあんな才能があるなんて思って無かったよ」

 

 今回の潜入作戦で、最も役になりきっているのが誰かと言われれば、それは間違いなくキンジだろう。元々才能でもあったのか、実に見事に執事と言う仕事に溶け込んでいた。

 

「そりゃ、ここ数カ月、毎日のようにリアル執事をやらされてりゃ、嫌でも覚えるさ」

「おろ?」

 

 溜息交じりのキンジの言葉に、友哉は訳が判らないと言った感じに首をかしげた。

 

 その時、

 

「ああ、ちょうど良かった、緋村君、遠山君。ちょっと」

 

 背後から声を掛けられて振り返ると、そこには大振りな剪定バサミを持った志郎が歩いて来るところだった。

 

「おろ、どうしたんですか?」

「はい。明日、2人にはお願いしたい事がありまして。どうも最近、手入れをさぼったせいか、庭の木の枝が伸びて来てるんです。2人には明日、その剪定を手伝ってもらいます」

 

 そう言うと志郎は、友哉達に1本ずつ鋏を手渡す。

 

 あまり持った事の無い大振りな鋏に戸惑いながらも、その具合を確かめるように開閉して見る。

 

「来週にはお客さまも来ますから、早めにやっておきたいんですよ」

「良いですけど、俺達、どれくらい切れば良いかとかは判りませんよ」

「大丈夫です。私も一緒にやりますから。2人には、その手伝いをお願いします」

 

 「じゃあ、おやすみなさい」と言うと、志郎は2人に背を向けて去って行った。

 

 その背中を見詰めながら、友哉はスッと声のトーンを落として囁いた。

 

「キンジ、今の、気付いた?」

「ああ、流石にな」

 

 キンジもまた、友哉と同じ事を考えたようだ。

 

 あの時志郎は、2人に全く気付かれないまま、その背後に現われたのだ。

 

 一切の気配を感じさせずに。

 

「あいつ、只者じゃないな」

「うん」

 

 考えてみれば、ここはイ・ウーナンバー2の屋敷。そこで雇われている使用人が、普通であると考える方が危険だった。

 

 まだ任務は始まったばかりだと言うのに、早くも暗雲が立ち込めそうな気配に満たされていた。

 

 

 

 

 

 翌朝、友哉とキンジが志郎の助手として庭木の剪定を始めた頃、茉莉とアリアは美奈の運転する車で街へと買い物に出かけていた。

 

 流石にこのご時世の日本、用も無いのに町でメイド服を着ていられるのは秋葉原くらいの物である。

 

 と言う訳で、3人は私服に着替えて町へと繰り出した。

 

 アリアはリアルで貴族である為か、普段から着る物には気を使っている、今日も髪に合わせた薄ピンク色のワンピースを着ている。

 

 一方の茉莉も、毎日のように瑠香に着せ替え人形にされているせいで、こちらもファッションには気を使うようになっていた。今日は黒を基調とした長袖Yシャツに、チェックの入ったミニスカートを穿いている。

 

 スカートから出た太股の涼しさが何とも頼りなく感じ、茉莉は隣に座るアリアに気付かれないようにそっと太股をより合わせた。

 

 茉莉としてはもう少し長いスカートの方が良いのだが、瑠香の「スカートとスピーチは短い方が良いのは世界常識だよ」と言う良く判らない理屈で強引に押し切られてしまった。

 

「あの」

 

 そんな茉莉の様子に気づかず、アリアが美奈に話しかけた。

 

「今度来る海外のお客さまって、どんな人なんですか?」

 

 機会あればブラド逮捕を狙っているアリアとしては、僅かでも情報を得ておきたいのだろう。もしかしたら、その客人からブラドに繋がる情報を得られるかもしれない。

 

「私も、直接会った事は無いのよね。何でもハンガリー出身の貴族の女性らしいのよ」

「ハンガリーですか・・・・・・」

 

 イ・ウーではドイツ語が公用語の一つとして用いられていたので、茉莉もドイツ語ならあり程度会話に使う事ができるのだが、流石にハンガリー語となると全くの無知だった。

 

 それを察したように、美奈はハンドルを操りながら笑った。

 

「大丈夫よ。小夜鳴さんの話じゃ、日本語は普通に話せるそうだし。会話に関しては問題無いんじゃないかな?」

「なら、良いのですが」

 

 そう言って茉莉は胸をなでおろす。

 

 そんな彼女の様子をルームミラーで見ながら、美奈はニンマリと笑う。

 

「そんな事より、もうちょっと楽しいお話いましょう」

「楽しい、ですか?」

「どんな?」

 

 キョトンとする2人に、美奈は意味ありげな笑みを浮かべながら行った。

 

「そりゃぁ勿論、女が3人も集まっているんだから、流れ的には恋話しかないでしょ」

「「はい?」」

 

 突然の話の流れに、思わずハモる2人。

 

「神崎さんは・・・・・・そうだな、遠山君が好きだったりする?」

「ばっ」

 

 アリアの顔が一気に赤く染まる。

 

「馬鹿言わないで。あいつはただの奴隷ッ、それ以下でも以上でもないんだから!!」

「ふ~ん奴隷ねえ。奴隷にして、ずっとそばに置いておきたいくらい大好きって事?」

「ち、違うわよ!!」

 

 完全にからかい口調の美奈に、てんぱりまくるアリア。狭い車内で、その小さな手をぶんぶんふり回す。

 

「瀬田さんは、緋村君とか?」

「あ・・・いえ・・・私は、別に・・・・・・」

 

 そう言って俯く茉莉だが、脳裏ではこの間の保健室での事が思い出された。

 

 あの貧血で倒れ運び込まれ、ベッドで一休みした茉莉が目を覚ましてみた物は、自分の手を握ったまま、ベッドに寄り掛って眠る友哉の姿だった。

 

 自分が眠っている間、ずっとそばにいて手を握っていてくれた。そう思うと、気恥かしさと同時に、奇妙な愛おしさを感じずにはいられなかった。おかしな話である。ついこの間、剣を交えたばかりの相手に、このような感情を抱く事になるとは。

 

「ん~、黙るって事は、肯定って事でOK?」

「そ、そうなの、茉莉!?」

 

 美奈のみならず、アリアまで身を乗り出して来る。

 

「ち、違いますっ」

 

 思わず否定してしまう茉莉。その一瞬後「別に、肯定しても良かったかな」等と考えてしまったのは秘密である。

 

「何か、間が怪しいよね」

「茉莉、正直に言いなさい」

 

 昨日の友は今日の敵。人の恋話は蜜の味。今やアリアまでもが面白そうに追及の手を掛けようとしている。

 

 対して、元イ・ウー構成員《天剣》の茉莉は、その自慢の縮地を発動する事も出来ず、ひたすら狭い車内で悶えている事しかできなかった。

 

 そして無論、美奈・アリア連合軍の追及は、帰りの車の中でも続いた事は言うまでも無い事である。

 

 

 

 

第4話「潜入作戦発動」      終わり

 



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第5話「泥棒はディナーの前に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日は朝から大忙しだった。

 

 料理に庭の掃除、客人は外で会食するのが好きと言う事で、その為のセッティング。当然、その為にテーブルや椅子を庭に面したテラスへ運んでセッティングを行わなければならない。

 

 友哉達は志郎と美奈の指示に従って、それぞれの作業にいそしんでいた。

 

 志郎と美奈はベテランらしく、的確な指示で学生達を指導し、大掛かりな作業を短時間でまとめあげて行く。

 

 彼等の的確な指示と、学生達がそれに良く応えて動いた為、作業開始から2時間ほどで設営は完了した。

 

 そして、正午少し前に、その人物は到着した。

 

「トオル、久しぶりねッ」

 

 美奈の運転する車から降りた女性は、丈の長い白のワンピースを着た、20代前半ほどの女性だった。欧州人らしく、金髪で目鼻立ちの整った美しい女性である。

 

「やあ、エリザ、お久しぶりです」

 

 小夜鳴はそう言うと、エリザと呼ばれた女性の手を握ると、軽く挨拶の抱擁を交わす。

 

「わざわざ遠い所を。お疲れでしょう?」

「まあ、ちょっとね。けど、今日はどうしても、あなたが育てたバラを見たくてね」

 

 エリザの言葉に小夜鳴は苦笑する。

 

「まさか、本当にそれだけの為にわざわざハンガリーから来るとは思いませんでしたよ」

「だって、あなたがこんな写真送って来るから」

 

 そう言って見せた写真には、紅鳴館の庭に咲く深紅のバラが映っていた。

 

「ほんと綺麗ね。早く直に見てみたいわ」

 

 まるで子供のようにはしゃぐエリザに、小夜鳴は微笑を返す。

 

「そう思って、薔薇の見えるテラスに会食の準備を整えておきましたよ」

「さっすがトオル。気が効くわ」

 

 そう言って視線を巡らした時、並んでいる友哉達と目が合った。

 

 見慣れない若い使用人達の様子に、明らかにエリザは怪訝な顔を作り小夜鳴に向き直った。

 

「トオル、暫く見ないうちにあなた、趣味変わった?」

「い、いや、違いますよッ」

 

 小夜鳴は慌てた様子でエリザの言葉を否定する。

 

「彼等は、私が非常勤講師をしている学校の学生達です。今回、ハウスキーパーとして来て頂いたんですよ」

「あ、そうだったんだ。私、てっきり・・・・・・」

「『てっきり』何ですか?」

 

 苦笑しながら、小夜鳴も友哉達に向き直った。

 

「皆さん、彼女はここの主の友人で、ハンガリー人のエリザ・バーンさんです」

「よろしくね、みんな」

「「「「「宜しくお願いします」」」」」

 

 気さくな感じのエリザに、5人も元気に返事を返す。

 

「さ、お疲れでしょう。まずはテラスで食前酒でもどうです?」

「良いわね」

 

 小夜鳴のエスコートに続いて歩きだすエリザの傍らに、茉莉が素早く付いた。

 

「お荷物、お持ちします」

「うん、ありがとう」

 

 かいがいしくメイドの仕事をする茉莉に、エリザも優しく微笑みながら鞄を差し出す。

 

「教育はしっかりしているのね」

「もっぱら、山日さんと韮菜島さんに任せていますがね。彼等が上手くやってくれるおかげで、私は地下で研究に没頭できますよ」

 

 そう言って肩を竦める小夜鳴に微笑を向けながら、茉莉に向き直る。

 

「あなた、お名前は?」

「あ、茉莉、瀬田茉莉です」

「そう、マツリ。今日一日、宜しくね」

 

 そう言って笑い掛けてくるエリザ。

 

 エリザの持った手提げ鞄を受け取ると、茉莉も一歩後からつき従いテラスへと向かって歩きだした。

 

 

 

 

 

 小夜鳴とエリザのグラスにキンジが赤ワインを注ぐと、2人はグラスを掲げて一口飲んだ。

 

 小夜鳴の後ろにはキンジとアリアが控え、エリザの後には茉莉が立っている。彼等は給仕を担当するのだ。

 

 その他に瑠香と美奈は調理担当。友哉と志郎は配膳担当と割り振られている。

 

 貴族であると言うエリザは元より、小夜鳴もグラスを持つ手が手慣れている。

 

 グラスのワインを飲も干すと、再びキンジが注ぐ。

 

「ありがとう、遠山君」

 

 礼を言ってキンジを下がらせると、手にしたグラスを掲げ小夜鳴は視線を薔薇の方に向ける。

 

「Fii Bucuros・・・」

 

 自身が作り上げたバラ園を満足そうに見詰め、そう呟く小夜鳴。

 

 その声を聞いて、黙って控えていたアリアが口を開いた。

 

「ルーマニア語ですね。先生はルーマニア語が話せるんですか?」

「ええ、神崎さんも?」

「昔、ヨーロッパで武偵をしていましたから。その時に必要だったので憶えたんです」

 

 アリアの言葉に興味を示したのか、エリザが身を乗り出して来た。

 

「アリアは、何ヶ国語できるのかしら? ハンガリー語もできる?」

「えっと、17カ国語喋れます。ハンガリー語もです」

「ほんと!? すごいわ!!」

 

 嬉しそうに笑うエリザ。

 

 それを見て、小夜鳴が手をたたいた。

 

「本当に素晴らしいですね。そして、ぴったり同じです。この庭のバラと」

 

 そう言うと、小夜鳴は立ち上がってグラスを片手にバラを眺める。

 

「これらは私が品種改良したバラで、17種類ものバラの優良種の遺伝子を掛け合わせて作ったのです」

 

 小夜鳴は武偵校でも遺伝子関連の授業を行っている。その実験の成果として生み出されたのが、このバラなのだろう。殆どの人間が植物に触れるにしても、せいぜいが栽培する程度である事を考えれば、彼の趣味と研究を兼ねたライフワークは見事と言えた。

 

「そうだ、ちょうど良い。あのバラ、まだ名前が無かったのですが、『アリア』と名付けましょう」

「素晴らしいわ。これも全部、アリアのおかげね」

 

 エリザも賛成らしく、嬉しそうにそう言う。

 

「ええ。全くです。『アリア』乾杯」

 

 そう言って、小夜鳴は手にしたグラスをバラ園の方へ掲げ、中身を口に運んだ。

 

 

 

 

 

 その頃、厨房では会食用の食事が作られていた。

 

 小夜鳴もそうだが、エリザも肉食派なのか、彼と同じようにレアの串焼き肉だけで良いとの事なので、さほど手間は掛からない。

 

 そこで、会食料理の方は瑠香が1人で担当し、その間に美奈が使用人7人分の食事を用意するという手筈になっていた。

 

「はい、友哉君。2人分の会食料理、上がったよ」

「判った」

 

 カウンターの上に2人分の乗せられている。

 

 後はこれをテラスまで運ぶだけなのだが、流石に友哉1人では一度には運べない量である。

 

 仕方なく、2回に分けようかと思った時、

 

「料理は、冷めないうちに運ぶのが基本ですよ。できるだけ、一度に運ぶようにしましょう」

 

 突然、背後から声を掛けられ、友哉はとっさに振り返る。

 

 そこには、いつの間に来たのか、志郎がにこやかな笑顔で立っていた。

 

「山日さん」

「私も手伝います。早く運びましょう」

「・・・・・・そうですね」

 

 片方の料理を持って出て行く志郎の背中を、友哉は鋭い目付きで見詰める。

 

『また・・・・・・』

 

 背後に立たれた事に気付かなかった。

 

 一体、何者なのか。

 

 友哉は背筋に寒気のような物を感じた。

 

 そう、それはまるで、あの《仕立屋》由比彰彦と初めて対峙した時のような感覚だった。

 

 

 

 

 

「本当に綺麗ね、こうして間近で見るだけで心が洗われるようだわ」

 

 会食も一通り終わり、友哉達がテラスの片付けを始め、小夜鳴も地下の研究所に降りると、エリザは茉莉を連れてバラ園を回っていた。

 

 こうしてバラの木々に囲まれて歩いていると、咽るようなバラの香気に包まれ、世界が染め上げられるようだった。

 

「良い色。マツリは、赤は好き?」

「あ、はい。好きです」

 

 突然尋ねるエリザに、茉莉は少し戸惑うようにしながらも答えを返す。

 

 特に各別に好き、と言う訳ではないが、決して嫌いな色ではない。特にこうして、緑の葉の中に、赤い色を付ける花は見ているだけで気分が弾むようだ。

 

「私、赤ってだ~い好きなの。この色は人間の原初に通じる色よ」

「原初、ですか?」

 

 何とも哲学めいた言葉のような気がして、茉莉は首をかしげる。

 

 一体、エリザは何を言っているのだろうか。

 

「人間はね、マツリ、赤い液体から生まれて来たのよ。赤は言わば生命の色、母の色。原点であり終末を表す色こそが赤なのよ」

 

 そう言うと、バラの花を一本手折ると、その花を自身の花へと近付けた。

 

「良い香り。流石はトオルよね」

 

 そう言うと、そのバラを茉莉の方へと向けた。

 

 嗅いでみなさい、と言う意味なのだろう。そう受け取った茉莉も、バラに手を伸ばした。

 

 その時、

 

「痛ッ」

 

 バラの棘が茉莉の人差し指に刺さり、僅かに皮膚を傷付けた。

 

「た、大変ッ、ちょっと見せてッ」

 

 エリザは慌てて茉莉の手を取ると、その指先を見詰める。

 

 人差し指からは、一滴の赤い雫が零れ落ちようとしている。

 

「ごめんなさい、ああ、どうしよう。何か拭く物は・・・・・・」

 

 血を見て気が動転したのか、エリザは周囲を見回すが、当然、近くに傷口を押さえられそうな布は無い。

 

「気にしないでください。これくらいなら、館に戻って手当てを・・・・・・」

 

 茉莉がそう言った時だった。

 

 突然、何を思ったのか、エリザは茉莉の人差し指を口にくわえて舌を這わせいた。

 

「え、エリザさん、何をッ」

「じっとして」

 

 そう言うと、エリザは茉莉の指に丁寧に舌を絡めて行く。

 

 その舌使い優しく、そして巧みであり、指を舐められているだけなのに、茉莉は何やら変な気分になってしまう。

 

 エリザの舌先が、指を伝って直接性感帯を刺激して来るような、そんな感覚。

 

 血の巡りが、体の芯に集まりそうだった。

 

 やがて、エリザが茉莉の指から口を離した。

 

「・・・・・・はい、お終い。ごめんね、ほんと」

「い、いえ・・・・・・」

 

 声を掛けられ、茉莉は慌てて手を引っ込めた。

 

 そんな彼女の様子が可笑しかったのか、エリザは顔を近づけて笑う。

 

「美味しかったわよ、マツリの血。さっき飲んだワインよりも。とっても甘かったわ」

「え、エリザさん!?」

 

 妙な恥ずかしさに、茉莉は顔を赤くする。

 

 その様子が可笑しかったのか、エリザは転げるように笑いだす

 

「ふふ、冗談よ、冗談。マツリ、あなた可愛いわね」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 からかわれたと判り、茉莉はばつが悪そうにうつむく。

 

「さ、行くわよ」

 

 そう言うと、エリザは茉莉を置いて歩きだす。

 

 茉莉も、慌ててその後へ着いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数日後、ついに作戦決行日が訪れた。

 

 今日は2週間のバイトの最終日である。

 

 つまり、今日を除いて、地下へと忍び込める日は無い。

 

 その為の準備は入念に行って来た。

 

 地下室に設置されている警報装置の配置状況を細かく調べ尽くし、談話室の床には潜入用の穴を掘り作戦に備えた。

 

 なぜ、このような事をするかと言えば、地下室の床は感圧床になっており、踏めば警報が鳴る仕組みになっている。その為、実行役は1階床から地下室の天井へと侵入、床に足を着けず、ぶら下がった状態で目標となるロザリオを奪取する手はずになっている。

 

 勿論、小夜鳴達を遠ざける手筈は整えている。

 

 幸いな事に、今日は昼から美奈が瑠香と茉莉を連れて町へ買い物に行く事になっている。

 

 その間にアリアが小夜鳴を、友哉が志郎をおびき出して引きつけておき、キンジが実行役として地下へもぐる事になっている。

 

 以上の事を、理子が横浜ランドマークタワーに置いたアジトから、通信機を介して指示を飛ばす事になっている。

 

《良い、アリア、キーくん、ユッチー。作戦はタイミングが命だ。持ち時間は15分。その間に何としてもロザリオをゲットするよ》

《ああ》

《言われなくても判ってるわよッ》

「了解だよ」

 

 理子の言葉に、三様の返事を返す。

 

《それじゃあ、時計を合せるよ、現在、5秒前・・・4、3、2、1》

 

 4人同時に腕時計のボタンを押し、時計の針を合せる。

 

《それじゃあ、作戦、開始~!!》

 

 理子の号令のもと、ついに「大泥棒大作戦」。その本作戦が開始された。

 

 

 

 

 

 友哉の役目は、志郎の足止めである。

 

 志郎は今、裏庭の手入れをしている筈。

 

 既に作戦は開始され、アリアは小夜鳴の誘い出しに成功していた。友哉も急いで志郎を探す必要があった。

 

 紅鳴館には、小夜鳴がバラを栽培している庭の他に、裏庭も存在している。そこは前庭ほどの広さは無いが、入った事のある瑠香の話では、志郎が家庭菜園のような事をやっているとの事だった。

 

 裏口の扉を開けると、成程、確かに多くの野菜が植えられている。

 

 今はもう梅雨だから、春野菜から夏野菜へ入れ替えの時期でもある。

 

 だいぶ葉が色付いた畑の中を歩きながら、友哉は志郎の姿を探す。

 

 いかに前庭ほどではない、とは言え、裏庭も相応の広さがある。探すのは手間だった。

 

 と、その時、

 

「そこにいるのは・・・・・・緋村君ですか?」

 

 茄子の木の向こう側から、声を掛けられえ振り返る。

 

 その木の葉の影から、僅かに燕尾服の背中が見て取れた。どうやら、志郎はしゃがんで作業をしていたらしい。どうりで遠くから眺めても見付からなかった筈だ。

 

 苗を踏まないようにしてかき分けながらそちらへ向かうと、志郎は地面にしゃがんでアスパラを取っている所だった。

 

「アスパラも、今年はもう終わりですね。もうすぐ枝豆やきゅうり、トマトが食べごろを迎えます。できれば、緋村君達にも食べてほしかったのですがね」

「仕方ありませんよ。僕達も学校がありますし。あ、手伝います」

「すみませんね。じゃあ、そっちから取って行って下さい」

 

 指示された通り、友哉は志郎の反対側にしゃがんでアスパラを取って行く。

 

「山日さん、好きなんですか、家庭菜園?」

「素人の横好きですよ。独り者をやっていると、つい何かを育てたくなってしまう物ですので」

 

 どうやら志郎はまだ未婚であるらしい。確かに、志郎はまだ若いので、未婚であっても不思議ではない。

 

 庭に花を植えたり、部屋に鉢植えを置いたりするのは、寂しさを紛わせたりする為でもあると言うのは何かで聞いた事があった。

 

 友哉は意外な面持ちで、志郎を見る。

 

 この男の事を、友哉は得体の知れない不気味な人物のように思っていたが、こうして話を聞いてみると、親しみやすい人物のようにも思える。

 

 その時

 

《こちらキンジ、モグラは蝙蝠になった》

 

 インカムからキンジの声が聞こえて来る。穴から地下に潜ったキンジが天井からぶらさがるようにして配置に着いたようだ。

 

《よし、キーくん、それじゃあ、レール作戦、始めるよ~》

 

 理子の明るい声が聞こえて来る。

 

 地下室には赤外線センサーが縦横に張り巡らされている。それを避けて通り、目標のロザリオをゲットするには、それらを避けるようにしてレールを配し釣り上げるしかない。その為、キンジのインカムには小型のデジタルビデオカメラが搭載され、アジトにいる理子にリアルタイムで映像が送れるようになっている。理子がその映像を元にレールを組み上げる指示を出すのだ。

 

『急いでよ、キンジ・・・・・・』

 

 作戦のタイムスケジュールはギリギリで組まれており、僅かなずれも許されない。加えてやり直す時間も無い。

 

 正にワンチャンス・ワントライ。嫌が上でも緊張が高まる。

 

「緋村君達は、」

 

 インカム情報に耳を傾けていた友哉に、志郎から声を掛けた。

 

「武偵を目指しているのですよね」

「はい、それが?」

 

 志郎は立ち上がり、真っ直ぐに友哉に向き直った。

 

「武偵は、人を殺してはいけないとか」

「ええ、武偵法9条がありますから」

 

 武偵法9条「武偵は如何なる状況であっても、その武偵活動中に人を殺害してはならない」。

 

 これは武偵があくまでも民間委託業である事から来ている。これが公務員であるならば、一般警察官であっても、(数々の制約をクリアし、一定の条件を整えた上ではあるが)被疑者殺傷もやむなしとされる場合がある。

 

 しかし、武偵にはそれが許されない。

 

「・・・・・・・・・・・・もし、あなたが事件の現場に出て、どうしても、人を殺さなくてはならない、と言う事になったらどうします?」

「それは・・・・・・」

 

 そんな事は言われるまでも無い。殺さなくても良い方法を考えるまでだ。それが武偵としてのあり方である。

 

「では、質問を変えましょう」

 

 志郎はスッと目を細めて、睨みつけるように友哉を見る。

 

「あなたの大切な人が人質に取られ、犯人を殺さないと助けられないとしたら?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は答えられない。

 

 どういう状況なのかは、想定する事も出来ないが、もしそのような事態になったのなら、自分は本当に、誰も殺さずに事件を解決できるかどうか判らなかった。

 

「覚えておいた方が良いですよ。人を殺す覚悟の無い人間は、戦場では決して生き残れない。仲間か、自分か、必ずどちらかの命を失う事になりますよ」

 

 対峙する両者の間に、6月にしては冷たい風が吹き抜ける。

 

 一瞬にして庭園は志郎の殺気に満たされ、その温度を下げているように錯覚させたのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は黙したまま、志郎と対峙している。

 

 まるで戦場にいるかのような、緊迫した空気が流れる。

 

 耳に付けたインカムには、作戦の状況が伝わってきている。

 

 どうやらレールを届かせ、ロザリオを釣り上げる事には成功したようだが、引き寄せるのに苦戦しているようだ。

 

 時間は既に半分以上経過している。急がないと、小夜鳴が地下室に戻ってしまう。

 

「どうしました、足元が気になりますか?」

 

 ギクッと、友哉は心臓が高鳴る音が聞いた。まさか、気付かれているのか?

 

 だが次いで、志郎は顔を緩め笑顔を作った。

 

「実は多いんですよね、この辺」

「・・・何が、ですか?」

「モグラですよ。放っておくと野菜の根を食い荒らされて困るんですよね」

 

 そう言うと、志郎は足元の地面を軽く蹴った。

 

「モグラ、ですか?」

「ええ、見付ける度に対策は講じてるんですが、なかなかうまくいかない物です」

「・・・・・・そうですか」

 

 どうやら、気付いた訳ではないらしい。先程まで感じていた殺気も綺麗に消え去っている。

 

 やはり、気のせいだったのだろうか?

 

 再び作業に戻った志郎をぼんやりと眺めながら、友哉はそんな事を考える。

 

 作戦の方も、理子が何やら梃入れしたらしく、キンジは順調にロザリオを回収し、何とか小夜鳴が地下室へと戻るギリギリの時間に作業を終える事ができたようだ。

 

 その後、志郎は何事も無かったように収穫した野菜を厨房へと運び、夕食の準備を始めた為、友哉もキンジ達と合流すべく談話室へと向かった。

 

 理子が指定したロザリオは、ピアスのように小さな物で、銀の地金に蒼い装飾が施された物だった。

 

 とにかく、これで作戦は完了。後はランドマークタワーの理子へとロザリオを届けるだけとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バイトの時間が終了となり、元の武偵校制服に着替えた友哉達は、小夜鳴、志郎、美奈に別れを告げ紅鳴館を後にした。

 

 2週間、一緒に働いて来たのだが終わりは呆気ないものであり、2~3挨拶を交わしただけで終了となった。もっとも、小夜鳴とはまた学校に行けば授業などで会う事になるのだから、別れを惜しむような程でもないが。

 

 2台のタクシーに分乗した一同は、そのままランドマークタワーへと直行し、理子が指定した屋上へと上った。

 

 そこはフェンスの無い吹きさらしになっている。普段は作業員以外は出入りしないのだろうが、今は理子の手によって鍵も解錠され、簡単に出入りできるようになっていた。

 

 屋上に入るとすぐに、ゆったりした金髪を揺らして理子が駆け寄って来た。

 

「みんな~、おっ疲れちゃ~ん」

 

 上機嫌に皆を出迎える理子。

 

 作戦は成功、目的のロザリオを無事に取り返せたのだから当然だった。

 

「ほら、これだろ」

 

 そう言ってキンジが差し出したロザリオを受け取ると、理子は目を輝かせた。

 

「おお~、これだよこれ、キーくんありがとう~!!」

 

 そう言いながら、理子はその場でクルクルと回り始めた。

 

 相当な浮かれ振りである。ロザリオが戻って来たのが相当嬉しいらしい。

 

 そんな理子を呆れ気味に見ながら、アリアが口を開いた。

 

「理子、喜ぶのは良いけど、ちゃんと約束は守りなさい。ママの裁判で証言するのよ」

 

 アリアが今回、このような作戦に参加する事を渋々ながら了承した最大にして唯一の理由が、母親の裁判での証言である。それが行われない事には、アリアにとってこの作戦は真の完結を見ない。

 

 そんなアリアの必死さをからかうように、理子はクルッと向き直って言った。

 

「アリアはほ~んと、理子の事何にも判ってな~い。ねえ、キーくん」

 

 理子はキンジの前に来ると、クルッと回って背中を見せた。

 

「お礼はちゃーんとするから、プレゼントのリボンを解いてください」

 

 リボン、とは理子が髪を両脇で縛っているリボンの事だろう。

 

『何だろう・・・・・・これ・・・・・・』

 

 状況を黙って見ていた友哉は、知らずの内に手を、いつでも刀を抜ける位置に持って行っていた。

 

 レキの言葉じゃないが、良くない風が吹いている。そんな気がしてならなかった。

 

 キンジが手を伸ばして理子のリボンを解いた。

 

 次の瞬間、理子は振り返り、

 

 チュッ

 

 一瞬の隙を突くようにして、キンジの唇に自分の唇を重ねた。

 

「なっ!?」

「え・・・・・・」

「おろ?」

 

 一同が驚愕する中、理子は勿体ぶるようにして唇を離した。

 

「り、りりりりりりり理子ォ、な、ななな何やってるのよォ!?」

 

 この手の事に免疫の無いアリアが、見ていて面白いほど狼狽しまくっている。

 

「り、理子先輩ッ、いきなり大胆すぎますって!!」

「///(コクコク)」

 

 こちらも狼狽しながら訴える瑠香と、声を出すのも忘れ、無言のまま頬を赤くして首を振る茉莉。

 

 だが、友哉は状況の異常さもさることながら、もう一つ、別の事に驚いていた。

 

『・・・・・・どういう、事?』

 

 その視線はキンジへと注がれている。

 

 キンジの雰囲気が、明らかに数秒前と変わっていた。そう、あの、戦闘時に時折見せる、冷静沈着な状態に変化していた。

 

 これまで変化したキンジを見た事は何度も会ったが、変化する瞬間を見た事は無かった。その為、まさかここまで切り替えが急激に行われるとは思ってもみなかった。これは最早、「変化」ではなく「変身」と言っても過言ではないレベルだ。

 

「ごめんね、キーくん。理子は悪い子なの。このロザリオさえあれば、理子的には、もう欲しいカードは全部揃っちゃったんだ」

 

 そう言って、理子はキンジから一歩下がる。

 

「理子、約束は全部ウソだったんだね・・・・・・けど、俺は理子を許すよ。女性の嘘は罪にはならないからね」

 

 やはり、変化しているらしく、口調が普段のぶっきらぼうな物から、落ち着いた物へと変わっている。

 

 これを始めて見る瑠香や茉莉などは、突然のキンジの変化に着いて行けずうろたえている様子だった。無理も無い。今まで何度も見ている友哉ですら驚いているのだから。

 

 アリアがキンジの横に並んで、鋭い目を理子へと向けた。

 

「まあ、こうなるかもって、ちょっとは思ってたんだけどね」

 

 そう言うと、スカートの下から2丁のガバメントを抜き放つ。既にやる気満々である。

 

 対して理子は笑みを浮かべてそれを見詰める。

 

「そうそう、それで良いんだよアリア。理子のシナリオに無駄は無いの。ロザリオを取り返した後、それを使ってアリアとキーくんを倒す。キーくんも頑張ってね。折角理子が、初めてのキスまでしてお膳立てしてあげたんだから」

 

 そう言うと、理子は、両手で2丁のワルサーを抜き放った。こちらも戦闘準備を整えて待ち構えていたのだ。

 

「理子、戦う前に一つ聞かせなさい。そこまでこだわるって事は、そのロザリオ、ママの形見ってだけじゃないわよね」

 

 ホームズ家の嫡女としての勘が、そこに秘められた「何か」を鋭く察知していた。

 

 対して理子は話題を逸らすように別の事を口にする。

 

「ねえ、アリア『繁殖用雌犬(ブルード・ビッチ)って知ってる?』

「繁殖用雌犬?」

「腐った肉と泥水しか与えられないで、檻の中で暮らした事ある? 悪質な犬のブリーダーがさ、人気の犬種を増やしたいからって、檻に入れて犬を虐待するの。その人間版。ニュースとかでもよくやってるでしょ」

 

 確かに、そう言う事はニュースで時々やっていて大問題になる事もある。

 

「何よ、何の話?」

 

 戸惑うアリア。

 

 その言葉を聞いた瞬間、理子もまた、切り替わるように口調を変えた。

 

「ふざけんなッ あたしはただの遺伝子かよ!? あたしは数字の4かよ!? 違う!! 違う違う違う!! あたしは理子だッ 峰・理子・リュパン4世だ。5世を産むための道具なんかじゃない!!」

 

 それは正に。普段被っている笑顔の仮面を脱ぎ棄て「武偵殺し」としての素顔を露わにした理子の咆哮だった。

 

 初めて見る瑠香などは、その豹変ぶりに怯えを隠せず、隣に立つ茉莉の袖をギュッとつかんで震えに耐えている。

 

「アリア、良い線行ってるよ。このロザリオは、ただのロザリオじゃない。これはリュパン一族の秘宝。お母様が言うには、リュパン一族全ての財宝と引き換えにしても釣り合う程の物だって。だから、捕まっている時もこれだけは口の中に入れて隠していたんだッ」

 

 そう言うと同時に、理子の髪が揺らぎ、隠していたナイフを抜き放った。

 

 あのハイジャック時に見せた、アリアとは違う意味での双剣双銃(カドラ)が再び姿を現す。

 

 それに合わせて、アリアとキンジもそれぞれ銃を構えた。

 

「加勢は?」

 

 刀の柄に手を構えながら、友哉が短く尋ねる。見れば、茉莉も刀に手を掛け、瑠香はイングラムを抜いている。

 

 しかし、アリアは首を横に振った。

 

「不要よ。理子はあたしとキンジを倒す事を目的にしている。なら、それに真っ向から受けてやるわ」

「判った・・・・・・」

 

 友哉はそう言うと、刀から手を離す。

 

 武偵憲章4条「武偵は自立せよ。要請無き手出しは無用の事」。

 

 アリアが友哉の加勢を断った以上、友哉には手出しする理由が無かった。

 

 再び対峙する、ホームズとリュパンの子孫たち。

 

 次の瞬間、

 

 バチィィィィィィッ

 

 電撃が放たれたように、理子はうめき声をあげ、一瞬体をのけぞらせた後、そのまま前のめりに倒れた。

 

「え!?」

 

 一同が唖然とする中、

 

 理子の背後から、1人の男が現れた。

 

 その姿を見て、一同は驚愕とする。

 

「そ、そんな・・・・・・なぜ、あなたが?」

 

 無理も無い。それは、つい先ほどまで、一緒にいた筈の人物なのだから。

 

「さ、小夜鳴、先生・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

第5話「泥棒はディナーの前に」      終わり

 



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第6話「上空296メートルの戦場」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前の光景が信じられなかった。

 

 ロザリオを渡し、そして自分の本性を露わにした理子。

 

 その理子が、今、床の上に這いつくばっている。

 

 そして、その理子を倒した人物こそが、彼女の背後に立った男。

 

「小夜鳴、先生・・・・・・・・・・・・」

 

 武偵校救護科非常勤講師にして、最前まで5人がアルバイトと称して潜入していた紅鳴館の管理人、小夜鳴徹がルーマニア製自動拳銃クジール・モデル74を構えていた。30年以上前に正式採用された骨董品のような銃である。

 

「皆さん、ちょっとの間、動かないでくださいね」

 

 全くいつもと同じ調子で小夜鳴は告げる。

 

 その背後から、

 

 グルルルルル

 

 喉を唸らせるような声が聞こえて来た。

 

 目をそちらへ向けると、小夜鳴の背後から白い毛並みの狼が二頭、姿を現した。

 

 友哉は油断なく刀に手を掛けながら、それを見る。そう言えば最近、武偵校に一頭の狼が侵入すると言う事件があった筈。そしてその際に狼に噛みつかれて負傷したのが小夜鳴だった筈。

 

 それももしかして、同じ狼なのだろうか。

 

「皆さんが少しでも前に出たら、襲い掛かるように躾けてありますからね」

 

 狼たちは小夜鳴の背後に控えながらも、いつでも飛びかかれるようにしている。

 

「良く躾けてあるな。腕の怪我も狼と打った芝居だったって訳か」

「紅鳴館での皆さんの学芸会に比べたら、随分ましだったと思いますけどね」

 

 小夜鳴がそう言っている内に、狼の一頭が理子の銃とナイフを咥えてビルの縁から捨ててしまった。

 

「皆さん、動かないでくださいね。この銃は30年以上も前に作られた物ですから、トリガーの掛かりが少し甘いんですよ。間違ってリュパン4世を射殺してしまったら勿体ないですからねえ」

 

 小夜鳴は理子を「リュパン4世」と言った。つまり、正体を知っていると言う事になる。

 

 しかし、そんな筈は無い。理子がリュパン4世である事を知っている人間は、武偵校関連では友哉、キンジ、アリア、そして同じ組織にいた茉莉とジャンヌだけの筈だ。

 

 小夜鳴がその事実を知っているとすれば、すなわち《無限罪》のブラド本人から聞いた事になる。

 

 とは言え、状況は不利かと言えば、そうでもない。

 

 友哉は状況を冷静に見極める。

 

 向こうの戦力として、恐らく小夜鳴は頭数に入れなくて良い。銃の持ち方がどう見ても素人だった。となると、残るは狼2頭と言う事になる。

 

 対してこちらは学生とはいえ武偵が5名。人質である理子さえ奪い返せれば、状況の逆転は充分に可能だ。

 

 友哉はグッと腰を低く落とし、小夜鳴に斬りかかれるようにする。一瞬のタイミングを逃さなければ小夜鳴が引き金を引く前に斬り込める筈だ。

 

「ひとつ、補講をしましょうか」

 

 そんな中で、小夜鳴が言葉を紡ぐ。

 

「人の能力とは遺伝子で決まる物です。親から子へ、子から孫へと。今から10年ほど前、私はブラドに頼まれて、この娘のDNA鑑定を行いました」

「お・・・お前だったのか・・・・・・ブラドに下らない事を吹き込んだのは・・・・・・」

 

 理子はスタンガンで痺れた体に耐えて、必死に首だけで振り返る。

 

 そんな理子を愉快そうに眺めながら、小夜鳴は続けた。

 

「リュパン家の血を引きながら、この子には、」

「や、やめろ、オルメス達には言うな!!」

 

 震えた声で遮る理子。しかし小夜鳴は愉悦に浸るように言ってのけた。

 

「優秀な能力が、一切遺伝していなかったのです。つまり、この子は全くの無能な存在だったのです。遺伝学的にはたまにこう言う事があり得るのですよ!!」

 

 その言葉に、理子は額を床に押し付けて嗚咽を漏らす。無理もない。最も聞かれたくない人間に聞かれたくない事を聞かれてしまったのだ。

 

「自分の無能さは、自分が一番わかっているでしょう4世さん。私はそれを科学的に証明したに過ぎません。あなたは初代リュパンのように1人で何かを盗む事ができない。先代のように精鋭を率いたつもりでも、ほら、この通り。まったく、無能とは悲しいものですね、4世さん」

 

 そう言うと、小夜鳴はポケットから小さなロザリオを取り出すと、その場にしゃがみこんだ。

 

 それはキンジが、本物とすり替えて地下室に置いて来た模造品であった。

 

 小夜鳴は理子の首に掛かっている本物のロザリオを引きちぎると、取り出したロザリオを理子の口の中へと突っ込んだ。

 

「あなたには、こちらのガラクタの方がお似合いですよ。何しろ、あなた自身がガラクタなんですからね」

 

 理子は必死になってもがくが、まだ電撃のダメージが抜けきっておらず全く抵抗できない様子だ。

 

「ほら、しっかり口の中に入れておきなさい。ルーマニアでもこうしていたのでしょう。上手く行ったと思いましたか? わざと盗ませてあげたのですよ。より深い絶望を叩き込む為にね」

「いい加減にしなさいよ!!」

 

 アリアが食ってかかる。

 

「理子を苛めて、アンタに何の得があるって言うのよ!!」

「良い質問です」

 

 アリアの言葉を受けて、小夜鳴は顔を上げる。

 

「絶望が必要なのですよ。彼、ブラドを呼ぶ為にはね」

「ブラドッ」

「そうです。彼は絶望の詩を聞いてやって来るのです」

 

 イ・ウーナンバー2、《無限罪》のブラド。どうやら、その対決は不可避の物となりつつあるようだ。

 

 小夜鳴は更に、理子の顔を足蹴にする。

 

 その瞬間だった。

 

 それまで理子を虐待していた小夜鳴の雰囲気が、徐々に変化していくのが判った。

 

『何だ?』

 

 友哉は警戒を解かないまま、訝るように小夜鳴を見る。

 

 それまでの優男然とした外見は変わらないが、何と言うべきか、気配が一回り大きくなったような気がする。

 

 そう、ちょうど、先程見たキンジの変化に似ていた。

 

「そ、それは・・・・・・」

 

 どうやら、キンジの方でも気付いたようだ。呻くように声を上げる。

 

 それを聞いて、小夜鳴はニヤリと笑う。

 

「そうです、遠山君、これはヒステリア・サヴァン・シンドローム。君と同じでしょ」

 

 ヒステリア・サヴァン・シンドローム。初めて聞く名前だった。

 

 友哉はグッと、腰を落とし、前傾に近い形になる。

 

 小夜鳴が何かするつもりなら、それをする前に仕掛ける必要があった。

 

 そんな友哉の機先を制するように、小夜鳴は声を掛けて来た。

 

「ああ、そうだ、緋村君。今日は君に、どうしても会いたいと言っている友人を連れて来ているのですよ。お待たせするのも何なので、そろそろ出て来て貰いましょう」

 

 一体誰の事を言っているのか?

 

 訝る友哉。

 

 すると、小夜鳴の背後の物影から、人影がゆらりと立ち出でた。

 

 その瞬間、

 

「お、お前はッ!?」

 

 友哉は思わず声を上げた。

 

 漆黒の防弾コートに、腰に差した日本刀、風に靡く防弾マフラー、そして、漆黒の編笠。

 

 殺人鬼《黒笠》が、幽鬼のように立っていた。

 

 まさか、この場に現われるとは思っていなかった。

 

「みんな、気を付けて・・・・・・あいつが黒笠だ」

 

 友哉のその言葉に、全員が緊張を高めた。殺人鬼《黒笠》の存在はみんなに説明してある。その残忍さも会わせて伝えてあった。

 

 そんな友哉の反応を楽しむように、小夜鳴は説明する。

 

「せっかく、緋村君とは知り合いだと言うので、来て貰ったのですよ。『彼女』にもね」

「・・・・・・かの、じょ?」

 

 その言葉と共に、黒笠は自分の笠を取った。

 

 その下には、

 

「みんな、お久しぶり。って、まだ1時間ちょっとしか経ってない、か」

 

 韮菜島美奈がそこに立っていた。

 

「韮菜島さん・・・・・・」

「そんな、美奈さんが、《黒笠》なんですか?」

 

 その質問に、美奈はニッコリと微笑んで見せる。

 

「言っとくけど、みんなみたいにコスプレしてるわけじゃないよ」

 

 つまり、本物の黒笠、と言う事だと言いたいらしい。

 

「緋村君と、この格好で会うのは品川以来ね。あの時は痛かったわ。何しろ、まともに動くようになるのに1週間も掛かったからね」

 

 そう言うと、美奈は自分の左肩を指し示す。

 

 そこは、品川での戦いで友哉が一撃加えた場所だ。この事実を知っているのは、友哉以外では長谷川昭蔵と地検職員、そして黒笠本人以外には知りえない筈だ。

 

 つまり、間違いなく彼女が黒笠本人と言う事になる。

 

 その間にも小夜鳴の変化は続く。

 

「ひとつ、良い事を教えましょう。ブラドは600年前から、交配以外の方法で他者の遺伝子を取り込んで来たのです。その方法こそが『吸血』です」

「吸血・・・・・・ブラド・・・・・・ルーマニア・・・・・・」

 

 アリアが単語合わせの遊びをするように、言葉をなぞる。そして、ハッと顔を上げた。

 

「そうか、ブラド、奴の正体は、吸血鬼ドラキュラよ!!」

 

 アリアの言葉に、一同は驚いて彼女を見た。

 

 ドラキュラ。それは間違いなく世界的に最も有名なモンスターの一つであるが、それが実在すると思っている人間が、果たして世界中にどれだけいるだろう?

 

 だが、アリアは聊かの揺るぎも無く、小夜鳴を睨みつける。

 

「ドラキュラはワラキア、今のルーマニアに実在した人物よ。ブカレスト武偵校にいた頃、聞いた事があるのよ。『まだ生きている』って言う怪談付きでね」

 

 その言葉で、友哉もハッとした。

 

 何かの本で読んだ事がある。

 

 今から約600年前、当時のルーマニアを支配していたとある領主は、敵対国の捕虜全員を生きたまま串刺し刑に処し、それを国境線に並べて敵国に対する警告とするという残虐な行為に走ったと言う。

 

 そのルーマニアの領主こそがブラド・ツェペシュ。

 

 またの名を《串刺し公》ブラド。

 

 ドラキュラ伯爵の元となったと言われるそのブラドこそが、実は本物のドラキュラだったのだ。

 

「御名答、光栄に思ってください。皆さんは間もなく、ドラキュラ公に拝謁できるのですから」

 

 そう言いながら、小夜鳴の体に変化が起こる。

 

 体が膨張するように盛り上がる。ボディビルダーがパンプアップする時に似ているが、そんなレベルではない。

 

 既に小夜鳴の四肢の筋肉は、普通の人間の3倍近くにまで盛り上がっている。最早人間の到達できるレベルではない。同時にその瞳は深紅に光り、犬歯が牙のように鋭く伸びた。

 

「じゃあ、お願いしますよ、《黒笠》」

「了解、任せといて。まあ、あっちもすぐ来るだろうから、自分の獲物の選定は早めにしないといけないけどね」

 

 小夜鳴に頷きながら、美奈は再び編傘を被り直す。

 

 それに満足そうに頷き、小夜鳴は再び振り返った。

 

「さあ・・・・・・カレガ・・・キタゾ」

 

 まるで地獄から響いて来るような声と共に、変化は加速する。

 

 筋肉はさらに膨張を続け、小夜鳴が着ていたスーツも弾け飛ぶ。体中から体毛が伸び、歯は全て牙となった。

 

 瑠香が怯えるように震え、それを支えながら茉莉が彼女の肩をしっかりと抱きしめる。しかし、その茉莉もまた、折れそうになる自分を叱咤しているかのように見えた。

 

 彼女達が怯えるのも無理は無い。それほどまでに小夜鳴の変化はおぞましいものだったのだ。

 

 その姿に、友哉はジャンヌの描いた絵を思い出していた。

 

 ジャンヌは嘘は言っていなかった。確かにブラドは、化け物のような存在だったのだ。あの絵がヘタクソであった事は変わりないが。

 

 そして、ついに変化を終えたブラドが、一同の前に姿を現した。

 

 体長は3メートル長。その巨体は人間の5倍以上に達している。

 

 まさにジャンヌの言っていた通り、鬼と言うべきだった。

 

「初めまして、だな」

 

 大気その物を揺るがすように、ブラドがしゃべる度に空気が震える。

 

「俺達は頭の中で会話するんでな。小夜鳴から話は聞いている。判るか? 今の俺はブラドだよ」

 

 その言葉を聞いて、キンジは何かを悟ったように口を開いた。

 

「そうか・・・そう言う事だったのか」

「なに、キンジ、どういう事なの?」

 

 アリアの問いかけに、油断なくベレッタを構えながらキンジは答える。

 

「擬態だったんだよ。小夜鳴はブラドが人間社会に溶け込む為のな」

 

 キンジの推理では、恐らく今目の前にいるのがブラドの元々の姿であり、長い年月を掛けて人間の遺伝子を取り込み続けた結果、小夜鳴と言う人格が生まれるに至ったと言う訳だ。言わば小夜鳴とブラドは二重人格のような存在なのだ。

 

「概ねその通りだ」

 

 言いながら、ブラドは足元に倒れ伏していた理子の頭部を持ちを掴み上げた。

 

「うっ・・・・・・」

「おう4世、久しぶりだな。イ・ウー以来か」

 

 理子は朦朧とした意識の中で、それでもブラドを睨みつける。

 

 その瞬間、キンジが動く。

 

 ベレッタを3点バーストに切り変え発砲する。

 

 その横に佇む《黒傘》も、2頭の狼も全く動かなかった。

 

 全ての弾丸がブラドに命中する。

 

 しかし、次の瞬間、驚くべき事が起こった。

 

 弾丸が命中した箇所が、赤い煙を上げて治って行く。それどころか、体内に食い込んだ弾丸まで押し戻し排出された。

 

 その光景に、一同は唖然とせざるを得ない。やはりジャンヌの言った通り、ブラドを倒すには4か所の弱点を同時攻撃するしかないようだ。

 

 頭部を掴まれた理子は、苦しそうに呻きながら口を開く。

 

「ぶ・・・ブラド・・・・・・全部、嘘だったのか? ・・・・・・オルメスの子孫を倒したら、あたしを解放するって・・・・・・」

「お前は犬とした約束を守るのか?」

 

 さも可笑しそうに、ブラドは理子をあざ笑う。

 

「檻に戻れ、繁殖用雌犬。少し放し飼いにしてみるのも面白ぇかと思ったが、結局お前は自分の無能さを証明しただけだったな。ホームズには負ける、盗みの手際も悪ぃ。弱い上にバカで救いようがねえ。パリで戦ったアルセーヌの曾孫とは思えねえほどだ。だが、お前が優良種である事には変わりはねえ。交配次第じゃ、品種改良された良い5世が作れて、そいつから良い血が取れるだろうよ」

 

 そう言うとブラドは、理子を見せつけるように掲げて見せた。

 

「遠山、お前の遺伝子とでも掛け合わせてみるか? 何なら緋村、お前とでも良いぜ」

 

 下衆としか言いようがない言動だ。

 

 キンジも、アリアも、友哉も、瑠香も、茉莉も、その場にいる誰もが怒りの為に飛び出すタイミングをはかっている。

 

「良いか4世、お前は一生、俺から逃れられないんだ。イ・ウーだろうとどこだろうと関係ねえ。お前がいる場所は、一生あの檻の中だけだ」

 

 そう言うと、理子の頭を持って外へと向ける。

 

「おら、しっかりと眺めておけ。これが人生最後の、お外の風景だ」

 

 理子は最早、抵抗する気力も無くしたように、手足を下げている。

 

 その目は涙をこぼさないとするかのように、きつく閉じられている。

 

「アリア・・・・・・」

 

 理子の口から、嗚咽交じりの声がこぼれる。

 

「キンジ・・・・・・みんな・・・・・・」

 

 

 

 

 

「お願い・・・・・・助けて・・・・・・」

 

 

 

 

 

「言うのが遅い!!」

 

 その小さな声に、

 

 誰よりも早く、誰よりも気高い声が答える。

 

 アリアは手にした二丁のガバメントを掲げる。

 

「行くわよ、キンジ、友哉、茉莉、瑠香。まずは理子を救出、その後、ブラドと黒笠を逮捕するわ!!」

「ああッ」

「了解だよッ」

「行きます」

「判りましたッ!!」

 

 武偵憲章4条「武偵は自立せよ。要請無き手出しは無用の事」とある。しかし今、その「要請」が入った。理子は確かに「助けて」と言ったのだ。ならばあとは武偵憲章一条「仲間を信じ仲間を助けよ」に基づき、彼女を助けるために戦うだけだ。

 

 ブラドは理子の頭をしっかりと把持している。まずはそれを放させる必要がある。

 

 しかし、5人が動くと同時に、2頭の狼が反応して襲い掛かって来た。

 

 それを迎え撃つべく、キンジが前に出た。

 

 ベレッタが2度、火を吹く。

 

 それぞれの弾丸は、狼の首元を掠めて飛んだ。

 

 外したか、と思った瞬間、2頭の狼はバランスを崩して床の上に転がった。一体どうやったのかは判らないが、キンジの攻撃は狼を殺す事無く無力化したようだ。まったく、驚嘆すべき実力だった。

 

 その機を逃さず、友哉が動く。

 

 抜刀と同時に、地を蹴る。

 

 次の瞬間友哉の姿は、ブラドの正面、その眼前に跳躍した状態で躍り出た。

 

「ハァァァァァァッ!!」

 

 抜き打つように両手で構えた刀を横薙ぎに振るう。

 

 一閃は、ブラドの頭部を真横から殴りつけた。

 

「グオッ!?」

 

 ブラドからすれば、文字通り鉄の棒で顔面を殴打された形だ。

 

 思わず声を上げるブラド。いかに驚異の回復力を誇るとはいえ、一瞬ダメージが入る事は避けられない筈。友哉の狙いは、その一瞬のダメージだった。

 

 よろけるブラドへ、小柄な影が走る。

 

 アリアは小太刀2本を構えると、ブラドの下へと潜り込んだ。

 

 振るわれる小太刀は、ブラドの腕を下から切り裂く。

 

 人間の腕の内、小指から肘に掛けての部分には尺側手根屈筋、長掌筋等、物体の把持に必要な筋肉が走行している。ブラドも一応辛うじてではあるが人型をしている。その為、筋肉の付き方も人間と同じであると考えられた。

 

 案の定、アリアに腕を切られたブラドは、掴んでいた理子取り落とした。

 

 落下する理子。

 

 その理子を、スライディングの要領で滑り込んだキンジが受け止める。

 

 キンジはそのまま離脱するように、背中を向けて駆けだす。まずは理子を安全圏に退避させることが先決だ。

 

 友哉はそんな2人を守るように、ブラドの前へと立ちはだかる。

 

 その時、

 

「あなたの相手は私よ」

 

 闇から湧き出るような言葉と共に、黒笠が友哉に斬りかかって来た。

 

「クッ!?」

 

 舌打ちしながら、その斬撃を防ぐ友哉。

 

 対峙するのはこれで2度目。一応、ある程度の備えはして来たが、それがどこまで通用するか判らない。

 

 だが、既に後戻りはできない。

 

 今この時に、全力で挑むしか無かった。

 

 キンジの一時戦線離脱、友哉と黒笠の激突により、ブラドと対峙するのはアリア、茉莉、瑠香の3人の少女となっていた。

 

 アリアと瑠香がそれぞれブラドに弾丸を浴びせ、茉莉が菊一文字を抜刀すると縮地を発動して斬り込む。

 

 ブラドの巨体には弾痕が刻まれ、茉莉の刃が切り裂く。

 

 しかし、先程と結果は同じ。弾丸は全て体外に排出され、斬撃の跡も綺麗にくっついてしまう。

 

「ダメですアリア先輩。銃も剣も効果ありません!!」

 

 イングラムのマガジンを差し替えながら。瑠香が悲鳴交じりに言う。

 

「どうしたものかしらね・・・・・・」

 

 無限の回復力が相手では流石のアリアも、攻め手に迷っている様子だった。

 

 彼女はキンジからブラドの弱点の事は聞いていた。確かにブラドの体には、目印らしき白い模様がある。しかし、やはり数えてみても模様は3箇所しかない。あと1か所、それを探さない事には、作戦案である4点同時攻撃を敢行する事も出来ない。

 

「とにかく、キンジと友哉が戻ってくれば、状況を好転させる事も出来るわ。茉莉、瑠香、アンタ達は友哉を援護して、こっちはあたしが押さえるわ!!」

 

 危険だが、合理的な判断でもある、現状ではブラドを倒す事はできない。ならば、倒せるほうから先に潰してしまおうと言うのがアリアの作戦だった。

 

「でも、アリア先輩、あんなのの相手を、1人でなんて・・・・・・」

「ここで膠着して、戦力を遊兵化するよりマシ。それにキンジが直に駆けつけるわ!!」

 

 言いながら、アリアはガバメントを仕舞って小太刀を抜き放つ。弾丸の節約を狙っているのだろう。

 

「判りました」

「茉莉ちゃん!!」

 

 抗議しようとする瑠香に、茉莉は静かに向き直る。

 

「四乃森さん。今は議論している場合じゃありません。一刻も早く、敵を制圧するには、アリアさんの作戦に従うべきです」

 

 茉莉は冷静に状況を見極めながら言う。ブラドを倒すには3人では難しい。今は倒せる敵から倒すべきだった。

 

「行きなさい!!」

 

 叫ぶと同時に、アリアが突撃を仕掛ける。

 

 一方のブラドは、アリアの素早い動きに着いて行けない様子だった。

 

 その間に2人は戦線を離脱、友哉の援護に向かおうとした。

 

 その時、

 

「あらら、どこに行こうと言うのかしら?」

 

 2人の行く手を遮るように、1人の女性が現れた。

 

 その人物に2人は思わず驚愕する。

 

「え、エリザさん?」

 

 つい先日、紅鳴館で知り合ったばかりのハンガリー女性がそこに佇んでいた。

 

 あまりにも場違いな人物の出現に、瑠香も茉莉も思わず足を止める。

 

 それに気付いたブラドが声を掛けて来た。

 

「おお、来たかエリザベート。ちょうどいいタイミングだ」

「メインディッシュには間に合ったようで何よりよ」

 

 そう言って笑うエリザ。

 

「・・・・・・エリザベート?」

 

 その聞き慣れない名前に、アリアが声を上げた。

 

「そう、私の本当の名前はね、エリザベート・バートリって言うの。エリザって言うのはまあ、偽名みたいなものね。良い名前でしょ」

 

 その言葉に、アリアは頭の中でパズルが組みあったようにハッとした。

 

「まさか、エリザベート・バートリ・・・・・・《鮮血の伯爵夫人》!!」

 

 それはハンガリー史に残る程の陰惨な大量殺人事件。

 

 今から約450年前、ハンガリーに1人の美しい女性がいた。彼女は自らの美しさを保つために、何人もの処女を殺害し、その鮮血を浴びる事で若さを保とうとしたと言う。

 

 その女性こそがエリザベート・バートリ。別名《鮮血の伯爵夫人》。彼女もまた、吸血鬼の一体である。

 

 ブラド、黒笠に続いて現われた新たな強敵に、誰もが緊張を隠せない。

 

 そんな中で、茉莉は菊一文字を手にして前に出る。

 

「四乃森さん、先に行ってください。彼女の相手は私が」

「そんな、茉莉ちゃん1人じゃ・・・・・・」

 

 渋る瑠香を庇うように、茉莉は前に出る。

 

「理由は、さっきのアリアさんと同じです。彼女も吸血鬼なら、ブラドと同じように弱点を突かないと勝てない。なら、攻略順位は自ずと決まります」

 

 当初の予定通り、まずは黒笠を潰す。そうでなくてはこの状況は動かせない。

 

「・・・・・・判った、茉莉ちゃんも気を付けて」

 

 頷くと同時に、瑠香は跳躍する。そのままエリザベートの頭上を飛び越える構えだ。

 

「行かせると思うのかしら?」

 

 その瑠香へとナイフを投げようとするエリザベート。

 

 しかし、

 

「やらせません」

 

 囁くような声。

 

 次の瞬間、縮地を発動した茉莉が一気にエリザベートへ接近、彼女の体を袈裟掛けに斬り下ろした。

 

 手応えはあり。確かに、茉莉の剣はエリザベートを切り裂いた。

 

 しかし

 

「あらマツリ、あなたが遊び相手になってくれるのかしら?」

 

 まるで何事もないかのように、エリザベートは振り返る。

 

 その傷もまた、すぐに塞がってしまった。

 

「良いわ。たっぷり、相手をしてあげる。せいぜい、死なないようにね」

 

 そう言うと、エリザベートは腰に下げていた鞘から剣を抜き放つ。

 

 その剣は一見するとレイピアに似ているが、刃を完全に廃し、ただ刺突のみに特化したエストックと呼ばれる剣であった。

 

「さあ、行くわよ!!」

 

 鋭くエストックを繰り出すエリザベート。

 

 だが、

 

「遅いです」

 

 縮地を発動した茉莉にとって、その動きは止まって見えるほど遅い。

 

 かつて友哉をも苦しめた《天剣》の茉莉の実力は、その鋭さにいささかの陰りもない。

 

 茉莉は背後へ回り込むと同時に、エリザベートの背中を斬りつけた。

 

 手応えは充分。刃は表皮と筋肉を斬り、骨の近くにまで達した筈だ。

 

 しかし、

 

「それだけ?」

 

 エリザベートは何事もないように振り返る。同時に、背中の傷も、まるで逆再生のように塞がってしまった。

 

「クッ・・・・・・」

 

 その様子を見て、茉莉は舌打ちする。これではいくら攻撃しても意味がない。

 

「どうしたの? 来ないなら・・・こっちから行くわよォォォォォォ!!」

 

 エストックを翳して茉莉へと襲い掛かるエリザベート。

 

 対抗するように、茉莉も刀を構えて迎え撃つ。

 

 とにかく時間を稼ぐ。今はそれしか方法が無かった。

 

 せめて、キンジと友哉が戻ってくるまで。

 

 

 

 

 

 互いの間合いに踏み込むと同時に、刃を繰り出す。

 

 黒笠は友哉よりも身長が高い為、その分リーチも長く取る事ができる。間合いの取り合いでは彼女の方が明らかに優位だった。

 

 だが、

 

 友哉は鋭い一閃で黒笠へ斬りかかる。

 

 踏み込みの速度なら友哉の方が速い。

 

 袈裟掛けに振るわれる逆刃刀。

 

 その一撃を、黒笠は刀でいなす。

 

 友哉の体勢が崩れた一瞬、今度は黒笠の方から動いた。

 

「はぁ!!」

 

 横薙ぎに斬撃を繰り出す黒笠の攻撃。

 

 その攻撃を、友哉はしゃがみこむ事で回避。同時に、手を刃に当て斬り上げる。

 

「龍翔閃!!」

 

 黒笠の顎めがけて振り上げられる刃。

 

 その一閃を黒笠は、辛うじて刀で防ぐ。

 

 しかし、勢いまでは殺しきれない。

 

「うぅ!?」

 

 よろけるように、黒笠は数歩後ろへと下がった。

 

 それを見て、友哉は追撃を仕掛ける。

 

「飛天御剣流ッ」

 

 体を大きく捻り込みながら、黒笠の懐へ入った。

 

「龍巻閃!!」

 

 旋回によって威力を高められた一撃が繰り出される。

 

 しかし、

 

「ククッ」

 

 くぐもったような笑い。

 

 次の瞬間、両者は交錯する。

 

 背中を向け合ったまま着地する友哉と黒笠。

 

 次の瞬間、

 

 友哉の左肩から鮮血が吹き出した。

 

「なっ!?」

 

 驚く友哉。

 

 あの一瞬で、反撃を返されるとは思っていなかった。

 

「まずは一撃」

 

 黒笠は可笑しそうに笑う。

 

「この間の借りは返したわよ」

 

 言われて、友哉はハッとする。

 

 傷口は、先日友哉が黒笠に叩きつけた場所と同じだった。

 

「さあ、次はどこを斬ろうかしら?」

 

 楽しそうに言いながら、鮮血の滴る肥前国忠吉を掲げる黒笠。

 

 その様子を睨みつけながら、友哉は傷口を押さえて立ち上がる。

 

 やはり、尋常でない強さだ。あの体勢の崩れた体勢から反撃してくるのだから。

 

「それにしても、おかしいなあ・・・・・・」

 

 友哉の様子を見て、黒笠は訝るように首をかしげた。

 

「予定じゃ肩から先を斬り飛ばすつもりだったんだけど・・・・・・」

 

 言いながら、黒笠は友哉の傷口を注視する。

 

 押さえた手の下。そこから溢れる鮮血を受け止めようとする衣服の布地が、良く見なれた物である事に気付くのに、そう時間はかからなかった。

 

「・・・・・・ふうん、そう言う事。やるじゃない」

 

 友哉は防弾服を3枚、重ね着していた。ジャケット、Yシャツ、Tシャツと言った具合に。そのおかげで、黒笠の斬撃を鈍らせる事ができたのだ。

 

 そんな黒笠を、友哉は睨みつける。

 

「・・・・・・なぜですか?」

「ええ?」

 

 友哉は真っ直ぐに黒笠を睨み付ける。

 

「なぜ、あなたは人殺しなんてするんですか? これほどの剣の腕を持っているなら、もっと他にできる事があるでしょうッ」

「はあ?」

 

 さもつまらない冗談を聞いたかのように、黒笠は笠の奥で顔をしかめて見せる。

 

「随分、詰まんない事聞くのね」

「詰まらない?」

「剣の腕が立って、それを活かすんなら、やっぱり人殺しにならなきゃ」

 

 さもそれが真理であるかのような言葉と共に、黒笠は歪め口元に笑みを刻む。

 

「だ~って、そっちの方が面白いじゃない。刃がさ、肉に食い込む瞬間の感触って、もう、最ッ高なのよね~ 男の×××を×××に入れた時みたいでさ。一度知ったら絶対病み付きだって!!」

「・・・・・・・・・・・・」

「あれに比べたら、世界中のどんな快楽も、路地裏のゴミ屑とおんなじね。ま、童貞チェリー君にはわっかり辛い例えだったかな~?」

 

 そう言って笑う黒笠。

 

 その姿を、友哉は黙って睨みつける。

 

 以前、茉莉に言われた事がある。

 

『・・・・・・何人もの人を斬り、呼吸をするように、人を殺す事が当たり前になった存在。そこには殺気も無く、ただ人を斬る為に生きている』

 

 確かにその通りだった。

 

 この女にとっては人殺しは多分、食事をするよりも簡単な事なのだ。

 

 止めなければならない。武偵として、飛天御剣流の使い手として、この女はここで止めなくてはならなかった。

 

 友哉は刀を構え直す。

 

「行くぞッ」

 

 叫ぶと同時に地を蹴る友哉。

 

 対して、刀を持ち上げながら立ち尽くす黒笠。

 

 その時、

 

 黒笠の目が強烈な眼光を発した。

 

 二階堂平法心の一法ッ!!

 

 強力な催眠術によって相手を縛る凶悪な技。

 

 食らったが最後、抜けるのは難しい。

 

 友哉の体が、重りを加えられたように重みを増す。

 

 次の瞬間、

 

「オォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 大気を切り裂くような友哉の声。

 

 その声に呼応するように、友哉を縛る不可視の枷が弾け飛んだ。

 

「なっ!?」

 

 その様子に、黒笠は明らかな狼狽を見せた。まさか、これほどあっさりと自分の術が破られるとは思っていなかったのだ。

 

 友哉は加速を聊かも緩めることなく、黒笠へ斬りかかる。

 

「クッ!!」

 

 友哉の一撃を刀で弾く黒笠。

 

 だが、友哉の攻撃はそこで止まらない。

 

「シッ!!」

 

 着地とほぼ同時に、逆袈裟に斬り上げる。

 

 対して黒笠は後退して回避、同時に反撃しようと刀を構え直す。

 

 が、それよりも友哉の方が速い。

 

 黒笠が体勢を立て直す前に斬り込み、刀を横薙ぎに振るう。

 

「うっ!?」

 

 辛うじて友哉の攻撃をいなす黒笠。しかし、常に先の剣を取り続ける友哉の前に、防戦一方になりつつある。

 

『行けるッ』

 

 友哉は心の中で叫ぶ。

 

 このまま押し切れば、勝てる筈だ。

 

 更に斬り込むべく、刀を振りかざす友哉。

 

 その瞬間、

 

 ズンッ

 

 それまでにないくらい、強烈な圧迫感を感じ、友哉の体は見えない鎖で縛られたように指一本動かす事ができなくなった。

 

「なっ・・・・・・はっ・・・・・・」

 

 手も、足も、指も動かせない。声も出せず、瞬きすらできない

 

 まるで体を動かす神経パルスが、脳から隔離されたように、体の動かし方が全く思い出せなかった。

 

 時その物が止まったような戦場にあって、

 

 ただ1人、

 

 黒笠だけは、その口元に笑みを浮かべて立っていた。

 

 

 

 

 

 茉莉は得意の三次元機動を発動し、エリザベートの視覚を撹乱しつつ、攻撃を仕掛けていく。

 

 ここは友哉と戦った地下倉庫のように、天井のある空間ではない為、縦方向の動きには制限が掛かるが、それでも《天剣》の茉莉にとって、その程度の事はハンデにもならない。

 

 周囲の壁を蹴りながら、空中を飛ぶように移動、死角から一気に斬り込む。

 

「ハッ!!」

 

 茉莉の剣は、確実にエリザベートを捉え、彼女の体を切り裂く。

 

 対するエリザベートも、手にしたエストックをカウンター気味に振るうが、茉莉を捉えるには至らない。

 

 刺突に特化した剣は、虚しく茉莉の残像を捉えるだけだ。

 

 しかし、結果は変わらない。

 

 いかに茉莉が超絶的な技巧で剣を振るおうと、エリザベートの傷は数秒と待たずに完全に塞がってしまう。刀だけでなく、何度か銃による攻撃も試みてもみたが、結果はやはり同じだった。

 

 やはり、ブラドと同じで弱点を潰さなければダメージは入らないのだ。

 

 それに、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 茉莉は深呼吸して息を整える。

 

 茉莉の縮地は、その性質上どうしても体力の消耗が激しい。全力で駆ければ、数分と待たず体力を消耗し尽くす事になる。

 

 そんな茉莉を、エリザベートは余裕の態度で見詰めている。

 

 何度か剣を交えて確信したが、彼女の剣の腕はハッキリ言って大した事は無い。素人同然と言っても良い。

 

 だが、それでも茉莉が消耗し尽くせば、戦況はエリザベートの方に傾く事になる。

 

 もう一度、茉莉は深呼吸する。

 

 物影の向こうでは、凄まじい轟音が聞こえて来ている。恐らくアリアが単身でブラドを食い止めているのだ。

 

 とにかく、友哉達が戻って来るまでは、体力の消耗を押さえて戦うしかない。

 

 菊一文字を構え直す茉莉。

 

 そんな茉莉を見ながら、エリザベートは笑みを口元に浮かべる。

 

「ねえ、マツリ。あなた、『アイアンメイデン』って知ってるかしら?」

「・・・・・・アイアン、メイデン?」

「そう、日本語で言うと、『鋼鉄の処女』かしら」

 

 エリザベートの笑みが、残忍な色を持ち、声にも不気味さが帯びる。

 

「鋼鉄製の棺桶でね、蓋は観音開きになっているの。その蓋の内側には鋼鉄製の長い針が何本も仕掛けられていてね、蓋を閉じれば中にいる人間の全身を無数の針が貫くっていう仕掛けになっているの」

 

 ゾワッ

 

 その状況を想像し、茉莉は背筋に冷たいものが走るのを止められなかった。

 

 エリザベートは更に続ける。

 

「あれ、実は作ったの、あたしなのよね。あれは本当に良い物よ。流れ出た血をバスタブに入れて、お風呂に入るの。とっても気持ちいいわよ」

 

 そう言うとエリザベートは、エストックを床に突き刺し、両手をポケットに入れた。

 

「試してみましょうか」

 

 取り出した物を、空中へ放り投げる。

 

「こんな風にね」

 

 銀色に鈍く光る無数の物。

 

 それは、

 

「釘・・・・・・」

 

 無数の釘が空中に浮き、その先端を全て茉莉に向けている。

 

 その有り得ない光景は、驚愕するに余りある。

 

「私は、吸血鬼としてはブラドとは違う進化を遂げた存在。彼のように爆発的な力は得られなかった代わりに、こう言う力を身に付けたのよ」

 

 つまり、エリザベート・バートリは、

 

「超能力者(ステルス)ッ!?」

 

 次の瞬間、無数の針は一斉に茉莉に襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 どんなに力を入れても、体は全く言う事を聞かない。

 

 そもそも、どのように体を動かすのかすら思い出せない状況だ。どう力を入れて良いのかすら判らなかった。

 

「これで勝てる、とでも思ったかしら?」

 

 そんな友哉をあざ笑うかのように、黒笠は口を開く。

 

「あたしの事を色々調べて対策を立ててたみたいだけど、そんな子供のお遊びでどうにかできる程、殺人鬼《黒笠》は甘い存在じゃないってことよ」

 

 言いながら、肥前国忠吉を掲げる。

 

「さっき掛けようとしてアンタに弾かれたのと、品川で使った心の一法は、遊び半分で使ったような物。まあ、それでも完璧に決まれば、並みの人間じゃ動けなくなる筈なんだけど。それに比べて、今回のはかなり強力に掛けたから、殆ど身動きが取れないでしょう?」

 

 そう言っている内にも、友哉は息苦しさを覚える。

 

 どうやらこの心の一法は、不随意筋にまで影響するらしく、呼吸筋の動作も止めてしまっているらしい。このままでは数分と待たずに意識が落ちてしまう。

 

『な、何とか・・・・・・しな、いと・・・・・・』

 

 だが、その友哉の焦燥は杞憂でしか無い。

 

 なぜなら、

 

 友哉の目の前に立った黒笠が、忠吉を真っ直ぐに振り上げたからだ。

 

「さようなら、緋村君。所詮君は、この程度だったって事よ」

 

 その声と共に、友哉は先程、山日志郎に言われた事を思い出した。

 

『憶えておいた方が良いですよ。人を殺す覚悟の無い人間は、戦場では決して生き残れない。仲間か、自分か、必ずどちらかの命を失う事になりますよ』

 

 そうなのか?

 

 自分には、覚悟が足りなかったのか?

 

 だから、こうなってしまったのか?

 

「じゃあね」

 

 笑顔と共に、黒笠は刀を振り下ろす。

 

 次の瞬間、

 

「友哉君から離れろ!!」

 

 凛とした声。

 

 見れば、瑠香がサバイバルナイフを逆手に構えて黒笠へ襲い掛かる所だった。

 

 イングラムを使わないのは、手元がぶれて友哉に当たる可能性を考慮したからだろう。

 

 だが、黒笠相手に瑠香が接近戦を選択するのは、あまりに無謀過ぎた。

 

『まずい・・・・・・ダメだ・・・・・・瑠香ッ!!』

 

 声なき声で叫ぶ友哉。

 

 しかし、その声は届かない。

 

 瑠香の接近に気付いた黒笠は、彼女に向き直って、指を鳴らした。

 

 すると、

 

「あ・・・あ・・・あれっ!?」

 

 突然、瑠香の体は、空間に縫い付けられたように動かなくなってしまった。

 

 初めて心の一法に掛かった瑠香は、その異常性に全く理解が追いついていない状態だ。

 

「ククク」

 

 それを見て、黒笠はくぐもった笑い声をあげた。

 

「心の一法の使い手は、優れた催眠術師でもある。四乃森さん、あなたは紅鳴館で私といる機会が一番長かったからね。だから、掛けさせてもらったのよ、条件反射型の催眠を」

「条件、反射?」

 

 動けない体におびえながらも、必死に言葉を紡ぐ瑠香。

 

「そう、私があなたの前で指を鳴らすと、あなたは心の一法が掛ったのと同じように、体を動かす事ができなくなる。本当は神崎さんや瀬田さんにも掛けようかと思ったんだけど、流石に時間が無くてね」

 

 そう言うと、黒笠は瑠香へと向き直る。

 

 その手にはだらりと下げた刀が握られている。

 

「さて、じゃあ、まずは、あなたから死んでもらいましょうか?」

「ヒッ!?」

 

 編笠の下で残忍その物の笑みを浮かべる黒笠に、瑠香の顔はひきつる。

 

 人を殺す事が普通になってしまった殺人鬼は、その静かな恐怖を殺す相手に刷り込む。

 

「や・・・・・・め、ろ・・・・・・」

 

 絞り出すような友哉の声に、黒笠は僅かに振り返り、少し感心したように言う。

 

「あら、まだ喋れるんだ。意外にやるわね」

 

 そう言いながら、忠吉を振りかぶった。

 

「でもだめ~。あなたはそこで、指をくわえて見ていなさい。あなたの大切な物が、血飛沫を上げて、床に転がる様をねェェェ!!」

 

 そう言い放つと同時に、

 

 黒笠は、

 

 刀を振り下ろした、

 

 立ち尽くす、瑠香に向けて。

 

「あ・・・あ・・・?」

 

 一瞬の間をおいて、鮮血が瑠香の体から噴き出した。

 

 目を見開く瑠香。

 

 血は止め処なく溢れ、彼女の命もまた、零れ落ちていく。

 

『る・・・瑠香・・・・・・』

 

 立ち尽くす事しかできない友哉の目の前で、

 

 瑠香はゆっくりと膝を折り、

 

 前のめりに、倒れた。

 

「アハ・・・・・・アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ これよこれ!! ああもう、最ッ高!! この興奮ッ!! この恍惚!! この快感!! この世のどんな快楽だって、これに優る物は無いわ!!」

 

 狂ったように笑い転げる黒笠。

 

 しかし、友哉の目のは、そんな黒笠の姿は見ていない。

 

 鮮血を流し、

 

 床に倒れ伏した瑠香、

 

 幼馴染で、今までずっと兄妹同然に過ごした瑠香。

 

 そんな、大切な妹を、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ア     イ     ツ     ガ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 殺     シ     タ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さってと、それじゃ、緋村君、君もサクッと死んどこうか」

 

 黒笠はそう言いながら、友哉へと向き直る。

 

「なに、寂しくなんてないよ。今から急いで追えば、きっと四乃森さんと一緒に行く事ができるよ」

 

 そう言った瞬間、

 

 ドスッ

 

「・・・・・・・・・・・・へ?」

 

 目を見開く黒笠。

 

 その胴を薙ぎ払うように、

 

 友哉の逆刃刀が食い込んでいた。

 

 一瞬感じる浮遊感。

 

 次の瞬間、

 

 黒笠が痛みを感じるよりも早く、

 

 彼女の体は大きく吹き飛ばされ、背後の壁に叩きつけられた。

 

「グボハッ!?」

 

 遅れてやってきた痛みと同時に、胃その物が破裂したような焼けつく感覚が黒笠を襲う。

 

「な・・・・・・・・・・・・なに、が?」

 

 顔を上げる黒笠。

 

 その視線の先に、

 

 刀を手にした友哉が、

 

 幽鬼の如く立ち出でる。

 

 その瞳はうすら寒くなるほど、感情を秘めておらず、それでいてどのような獣よりも凄惨さを感じさせる殺気で満ち溢れていた。

 

「・・・・・・・・・・・・選べ」

 

 その声は、夜の空気をも押しのけ、締め付けるような冷気と共に発せられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「生きて地獄に落ちるか、死んで地獄に落ちるか、どちらでも好きな方をな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第6話「上空296メートルの戦場」     終わり

 



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第7話「フォーショット・ワンキル」

 

 

 

 

 

 

 

 細められた瞳。

 

 凄惨その物の殺気。

 

 ただ、人を喰い殺す為に現われたかのような姿。

 

 これが本当に、あの温厚で少女然とした少年なのか?

 

 見た人間は、10人が10人、そう思う事だろう。

 

 それほどまでに、今の緋村友哉は、普段とは隔絶した存在だった。

 

「は・・・・・・はは・・・・・・ハハハハハハ」

 

 気の抜けた笑い声をあげながら、黒笠は立ち上がる。

 

 友哉の一撃をくらったものの、彼女もまた真正の殺人鬼。この程度で沈むような存在ではない。

 

「そう・・・それが、あなたの本性って訳・・・・・・」

 

 言いながら肥前国忠吉を持ち上げて構える。

 

「良いわ・・・・・・」

 

 編笠の奥で、その瞳がギラリと光った。

 

「面白くなって来たじゃない!!」

 

 叫ぶと同時に、地を蹴った。

 

 一気に間合いを詰め、斬りかかる黒笠。

 

 しかし次の瞬間、友哉の姿は彼女の目の前にはいない。

 

 殆ど目視すら不可能な勢いで、友哉は回り込むように彼女の左側へと移動していた。

 

『速いッ!?』

 

 横薙ぎに振るわれる逆刃刀を、後退しながら回避する黒笠。

 

 先程と比べて、友哉の剣速は明らかに増している。

 

 それに、

 

 黒笠の振るう斬撃を逆刃刀で受け流しながら、友哉が放つ、壮絶と言って良い程の殺気。

 

 これは最早、武偵が放つような物ではない。

 

 それは間違いなく、彼女の同業者、即ち殺人鬼の、否、『人斬り』の放つ殺気と言って良い。

 

『こんな・・・・・・何でこんな奴が、武偵をしている!?』

 

 友哉の斬撃は、鋭く、速く黒笠に襲い掛かってくる。

 

 対して黒笠は、殆ど防戦一方だ。

 

 友哉は更に追撃を仕掛けるべく、踏み込んで来る。

 

「クッ、舐めるなよ、ガキが!!」

 

 対抗するように、間合いに入った友哉に対し、横薙ぎに斬りつける黒笠。

 

 刃は、友哉の胸元を掠める。

 

 防弾ジャケット、防弾Yシャツ、防弾Tシャツが切り裂かれ、友哉の胸元から鮮血が僅かに滲む。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は視線を聊かも揺るがせる事無く、その冷めた眼光を黒笠へと向けている。

 

 ただキレているのではない。

 

 単にキレて暴れているだけならば、黒笠にとって物の数ではない。そのような敵は、一時的に燃え盛る炎のような強さを発揮するが、視界は却ってせばまり、容易に足元をすくう事ができる。

 

 しかし、目の前の少年はどうだろう。

 

 爆発的な力を発揮してはいるが、その瞳は鋭いまでの冷徹さを保っている。

 

『いったい・・・・・・こいつは何なんだ!?』

 

 チラッと、視線を、倒れている瑠香へとやった。

 

 あの小娘の死をトリガーにしたように、友哉は豹変したように見えた。

 

 何が・・・・・・

 

 一体、何が現れたと言うのか・・・・・・

 

 まるで数百年の亡霊が蘇ったかの如く、友哉は圧倒的な存在感で持ってその場に存在していた。

 

「クッ・・・・・・」

 

 黒笠は唇をかむ。

 

『落ち着け・・・・・・落ち着け、私。私は《黒笠》だぞ。東南アジア一帯を恐怖に陥れた殺人鬼。私の名前を聞けば誰もが恐れ、誰もが慄く存在だ。それを・・・・・・・』

 

 顔を上げる。

 

『それを、こんなガキ如きがッ!!』

 

 ギリッと、歯を噛み鳴らす。

 

 目の前の人物が何者であろうと、それを上回る力で当たれば何の問題もない。

 

 刃を目の前に掲げ、刃に映った己の目を見据える。

 

 切り札を切るなら、今しか無かった。

 

 同時に、気力を高め、眼光を鋭く放つ。

 

「我! 不敗! 也!」

 

 自らの眼光は自らの眼球へと映り込み、鋭く射抜いて行く。

 

「我! 無敵! 也!」

 

 眼球から入り込んだ眼光は脳に達し、中枢神経を鷲掴みにするような感覚と共に膨れ上がる。

 

 同時に、変化が起こった。

 

 黒笠の筋肉が、盛り上がり隆起していく。

 

 先程の小夜鳴からブラドに変化した時程ではないが、人間が自然に変化するレベルを越えている事だけは間違いなかった。

 

 そして、更に気を自分の眼へと送り込む。

 

「我・・・・・・最強也」

 

 言い終えると同時に、顔を上げ、友哉に向き直った。

 

 見れば、線の細かった女性の姿はそこには無く、女ボディビルダーと見まがわんばかりの隆々とした姿がそこにあった。

 

 これぞ、二階堂平法の奥の手。自らに強力な自己催眠を掛ける事によって、普段は眠っている潜在能力を100パーセント引き出す技。名を「影技・憑鬼の術」と言う。

 

「卑怯な技だと思うけど、あたしもこんな所で終わる気は無いの。だから、使わせてもらうわよ」

「・・・・・・好きにしろ」

 

 低い声で友哉は答える。

 

「どんな手品を使った所で、俺が貴様を地獄に叩き込む。その未来は絶対だ」

 

 普段と比べて、口調までもが豹変している友哉。

 

 対して黒笠も、ニヤリと笑って応じる。

 

「良いわよ。そうでなくちゃ・・・・・・」

 

 その手が、自らの編笠を取る。

 

「面白くないわ!!」

 

 叫ぶと同時に、笠を友哉めがけて投げつける。

 

 一瞬、遮られる友哉の視界。

 

 その瞬間を逃さず、黒笠は駆けた。

 

 逆刃刀で飛んで来た笠を振り払う友哉。

 

 そこへ、黒笠は斬り掛かった。

 

「ハァァァァァァ!!」

 

 放たれる一閃。

 

 その一撃を、友哉は僅かに体を傾けるだけで回避する。

 

 そして、高速で黒笠の背後に回り込もうとした。

 

 しかし、

 

「そこォ!!」

 

 既に友哉の動きに追い付いていた黒笠が、捻り込むように剣を一閃。友哉に斬りかかる。

 

「ッ!!」

 

 短く息を吐き、黒笠の攻撃を受け流す友哉。

 

 その勢いを利用して、一時後退を計る。

 

「逃がすか!!」

 

 逃すまいと斬り込む黒笠。

 

「誰が逃げるか」

 

 静かな声と共に、友哉もまた迎え撃つ。

 

 全力で振るった互いの剣が火花を散らし、両者とも僅かに後退する。

 

 更に一撃。

 

 続けて一撃。

 

 先程まで押されていた黒笠が、ほぼ友哉と互角の戦いを演じるようになっていた。

 

「あは・・・・・・」

 

 その口元に、黒笠は歪んだ笑みを刻む。

 

「アハハハハハハ、アハハハハハハ、楽しいわねェェェ!!」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉の剣を弾き返しながら、火が付いたように笑いながら剣を振るう。

 

 先程よりも重い一撃。

 

 友哉の体勢は崩れはしないものの、痺れるような感覚が掌に伝わって来た。

 

 これが影技・憑鬼の術の効果なのだろう。

 

 友哉は大きく後退し、刀を正眼に構えた。

 

 冷めきった瞳は、物言わず語る。

 

 それがどうしたと言うんだ?

 

 あいつは自分から大切な物を奪った。

 

 ならば、相応の地獄に叩き込まねばならなかった。

 

 

 

 

 

 膝を突く。

 

 這いずるようにして物影に隠れながら、茉莉は大きく息を吐いた。

 

 まさかエリザベートが、あのような攻撃を行うとは思っていなかった。

 

 無数の釘を超能力で操って飛ばす攻撃は、最早ショットガンの散弾と同じである。

 

 本当に、武偵校の防弾制服には感謝である。これを着ていなかったら、今頃は蜂の巣、否、エリザベートの言った通り、アイアンメイデンの拷問に掛けられたように、全身を刺し貫かれていただろう。

 

 とは言え、

 

 茉莉は、自分の右太ももに目をやる。

 

 流石に無傷とは行かず、防弾スカートから外れた太股に一発食らってしまった。

 

 他にも頬と額を釘が掠め、血が流れ出ている。

 

「・・・・・・うっ・・・・・・クゥッ!!」

 

 茉莉は歯を食いしばって目をつぶると、思い切って太ももから釘を引き抜いた。

 

 真っ白な太ももに、深紅の鮮血が一筋流れる。

 

 今は手当てをしている余裕はない。とにかく体勢を立て直さないと。

 

 そう思った時、

 

「こ、れ、で、ちょろちょろと動く事も出来なくなったでしょ」

 

 その声に、ハッと顔を上げる。

 

 そこには、エストックを振り翳したエリザベートの姿があった。

 

「ッ!?」

 

 その事に気付き、とっさに逃げようとする茉莉。

 

 しかし、僅かに遅い。

 

 エリザベートの剣は、怪我をした茉莉の右太股に突き刺さった。

 

「あァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 激痛と共に吐き出される茉莉の悲鳴。

 

 その様子を、エリザベートはうっとりとした表情で眺める。

 

「ああ、いいわぁ、ほんと。マツリ、あなた、悲鳴まで最高ね」

 

 そう言うと同時に、エストックをマツリの太ももから引き抜いた。

 

「アグッ!?」

 

 再び起こる激痛に、顔をしかめる茉莉。

 

 エリザベートは舌を伸ばし、エストックに付いた茉莉の血を舐め取る。

 

「ああ、美味しい。やっぱり、あたしの目に狂いは無かったわ。小夜鳴から1人貰って良いって言われた時、真っ先にあなたに目を付けたの。だって、あなたの血、とっても美味しそうだったんだもの」

 

 そう言うと、剣先に付着した血を、舐め取って行く。

 

「あなたの血を一滴残らず搾り取って、バスタブを満たし、それでお風呂に入れば、きっと気持ちいいでしょうね~ ああ、いっそ、他の娘もくれないかしら。どうせブラドが欲しいのはリュパン4世と遺伝子だけなんでしょうし」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 茉莉は動かなくなった足で、必死にエリザベートの間合いから逃れようとするが、既に機動力を奪われた茉莉に逃れる術はない。

 

「さあ、もう逃げられないように、もう一本の足も潰しておきましょうかねえ」

 

 そう言ってエストックを振り翳すエリザベート。

 

 次の瞬間、

 

 強烈なライトが、真横からエリザベートに浴びせられた。

 

「なっ!?」

 

 突然の事に驚くエリザベート。

 

 そんな彼女を前にして、光を遮るように大柄な男が進み出た。

 

「東京地検特捜部の長谷川昭蔵だ。《鮮血の伯爵夫人》エリザベート・バートリ、神妙にしろ!!」

 

 野太い声と、圧倒的を通りすぎるほどの威圧感。

 

 日本最強を謳われる武装検事の1人、長谷川昭蔵はその鋭い瞳でエリザベートを睨みつける。

 

「クッ!?」

 

 その存在を脅威と感じ取ったのか、エリザベートは昭蔵へと向き直る。

 

 しかし、それよりも早く、昭蔵は動いていた。

 

「撃てェッ」

 

 短い号令。

 

 次の瞬間、背後に控えていた彼の部下達が、アサルトライフルによる一斉掃射をエリザベートに向けて放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 接近と同時に横薙ぎに振るわれる刃。

 

 神速の攻撃を、黒笠は後退しつつ回避。同時に、眼光は鋭く友哉を見据える。

 

「ハァァァァァァ!!」

 

 唐竹割りに近い一撃を、友哉は刀を盾にして受け止め押し返す。

 

 同時に、たたらを踏むように後退する黒笠の背後へ、友哉は高速で回り込む。

 

 しかし、その動きも、既に黒笠は捕えていた。

 

 背後から横薙ぎの一撃。

 

 しかし、命中直前に黒笠は刀を返し、友哉の剣を弾いた。

 

 攻撃失敗を悟り、後退しようとする友哉。

 

 しかし、それを逃すまいと、黒笠は体のひねりを効かせて大振りな一撃を加える。

 

「ッ!?」

 

 その攻撃を、刀を立てて防ぐ友哉。

 

 しかし、跳躍中であった為、足を踏ん張る事ができない。

 

「おらァァァァァァ!!」

 

 憑鬼の術を用いて得た膂力で、友哉の体を持ち上げて投げ飛ばす。

 

 友哉は大きく吹き飛ばされ、背後の壁に頭から叩きつけられる。

 

 そう思った瞬間、友哉は体勢を入れ替えて壁に「着地」する。

 

 勿論、そこで終わらない。

 

 叩きつけられた勢いのままに膝を撓め、エネルギーを貯め込んだ状態から一気に解放、砲弾の如く前方に向かって跳躍した。

 

「ぬおっ!?」

 

 殆ど飛翔に近い一撃。

 

 しかし、黒笠もさるもの、友哉のチャージアタックを、辛うじて刀でいなす事に成功した。

 

 友哉は床に着地すると、足裏で急ブレーキを掛けつつ停止、再び黒笠と向かい合った。

 

 互いに刀の切っ先を向け合って対峙する、友哉と黒笠。

 

 あれだけの攻防にも関わらず、両者とも息の乱れは無い。

 

 両者実力は伯仲、互いに一歩も引く構えを見せない。

 

 だが、物影の向こうでは、ブラドが暴れている音が尚も聞こえて来ている。そろそろお互い、決着と行きたい所だった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は黙したまま、腰のホルダーから鞘を外し、刀を収めた。

 

「あん?」

 

 訝る黒笠を前にして、鞘を体に隠すように構え、腰を落とす。

 

 居合、抜刀術の構えだ。

 

 友哉は一撃必殺の技で持って、勝負を掛ける気なのだ。

 

 その姿を見て、黒笠は面白そうに笑った。

 

「へえ、そう言う事・・・・・・」

 

 抜刀術の利点は、刀の間合いを隠す事。そしてそこから「いつ刀を抜くか」と言うある種の心理戦を仕掛け、不意の抜刀の速度で相手を仕留める事にある。

 

 今の友哉の機動力を活かせば、神速の抜刀術が可能となる。

 

 読み間違いは死に繋がる。しかし抜刀術は第二撃を放つ事が難しい。

 

 一撃、

 

 それさえ回避できれば、黒笠の勝利は確定したような物である。

 

「良いわ、乗ってあげる」

 

 そう言うと、忠吉を八双に構える黒笠。

 

 両者、無言。

 

 時が止まったかのように、互いに動かないまま。

 

 稲光が、互いの横顔を照らし出す。

 

 次の瞬間、

 

 互いに地を蹴った。

 

「オォォォォォォォォォォォォ!!」

「ハァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 距離は一瞬でゼロと化す。

 

 友哉の刀が鞘走った。

 

 その速度、正に神速。

 

 しかし、

 

『見切った!!』

 

 黒笠は不敵に笑う。

 

 これまでの戦闘で、友哉の間合いはほぼ把握している。仮に抜刀術を使ってもそれは隠しきれない。ならば、後は抜刀のタイミングさえ逃さなければ、回避は難しくない。

 

 一閃

 

 しかし、友哉の剣は黒笠の鼻先を掠めるにとどまる。

 

 大振りは完全に回避された。

 

「貰ったわよ!!」

 

 無防備に立ち尽くす友哉に、刀を振りかざす黒笠。

 

 次の瞬間、

 

 双頭の龍はその鎌首を持ち上げて襲い掛かった。

 

 漆黒の一撃。

 

 バキィィィッッッッッッ

 

「がっ!?」

 

 激痛は、黒笠の右腕から発せられ、全身に伝播する。

 

 黒笠の右腕を襲い、容赦無くへし折った一撃、それは、

 

「鞘!?」

 

 友哉の左手に握られた漆塗りの鞘が、黒笠の右腕の肘関節を打ち砕いていた。

 

「飛天御剣流抜刀術、双龍閃」

 

 刀と鞘を使用した二段抜刀術。黒笠に間合いを見切られている事を読んでいた友哉は、更にその裏をかく戦術に出たのだ。

 

 そして、

 

 まだ終わらない。

 

 友哉は立ち尽くす黒笠を前に、鞘を投げ捨てると、中天高く飛び上がった。

 

「飛天御剣流・・・・・・」

 

 そのまま急降下、龍の顎を解放する。

 

「龍槌閃!!」

 

 狙うは左肩。

 

 一撃食らった黒笠の左肩は、鈍い音と共に粉砕された。

 

「がァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 激痛と共に、床へ転がる黒笠。

 

 その姿を、友哉は冷めた瞳で見詰めていた。

 

 

 

 

 

 体中に無数の弾丸を受け、エリザベートは膝を付く。

 

 手を掲げ、その血に濡れた体を眺める。

 

「こ・・・・・・こんな・・・バカな・・・・・・」

 

 出生以来450年。数多の女性をその手に掛けて来た自分が、まさか彼女達と同じように体を穴だらけされるとは思ってもみなかった。

 

 吸血鬼には魔臓と言う人間には無い器官が4つ存在し、それが彼女達の弱点となっている。吸血鬼を倒すには、この弱点を同時に潰さないとならない。しかも、その魔臓は吸血鬼1人1人位置が違う上に小さい為、発見は困難である。

 

 が、

 

 全身にくまなく銃弾を浴びせられたエリザベートにとって、もはや魔臓の位置がどこであろうと大した問題ではなかった。

 

 しかも、

 

「クッ・・・・・・この薄汚い、どぶの様な匂いは、まさか、法化銀弾(ホーリー)ッ!?」

 

 法化銀弾とは純銀で被膜した弾丸の事で、神社や教会等の高位の僧侶がまじないを掛け、対超能力者用に特化させた弾丸である。

 

 いかに物質を操る事ができるエリザベートでも、法化銀弾が相手では分が悪かった。

 

「特殊部隊員5人分、マガジン1本30発。計150発の法化銀弾だ。少々高く付いたが、世界に3体しか確認されていない吸血鬼の1体を倒せるって言うなら、そう悪い買い物じゃなかったな」

 

 そう言うと、昭蔵は日本刀を携えてエリザベートに歩み寄った。

 

 エリザベートは全身を穴だらけにされ床に座り込みながら、それでも貴族として最後のプライドなのか、倒れるのを拒否して昭蔵を睨みつけている。

 

「ふ・・・フンッ・・・極東の猿にしては、なかなかやるわね」

 

 尚も強がって見せるエリザベートに、昭蔵は感心したように見詰める。

 

「ほう、法化銀弾をそんだけ浴びて、まだ動けるのか。大したもんだな。吸血鬼ってのも」

「な、なめないでよね、下等生物如きが・・・・・・こ、この程度で、このあたしが死ぬわけないでしょう」

 

 そう言って、エリザベートは不敵に笑う。

 

 確かに、人間なら即死してもおかしくない傷だが、エリザベートは余裕を表すように笑みを浮かべて見せた。

 

「この程度の傷、数日の内には跡形もなく消え去るわ。そしたら、裁判の場で、私が今までどれだけの人間を殺害して来たか、たっぷりと聞かせてあげる」

 

 そう言って、更に笑みを強めるエリザベート。

 

「そうよ。私が今まで殺して来た人間は、星の数よりも多いわ。裁判1回くらいじゃ、全部は言いきれないわねェ。アハハハハハハハハハハハハ!!」

 

 高笑いするエリザベートの声が、ランドマークタワーに響き渡る。

 

 稀代の魔女にして吸血鬼、《鮮血の伯爵夫人》エリザベート・バートリは、その狂気に彩られた人生を象徴するが如く、高笑いを続ける。

 

 そんなエリザベートに、

 

「おいおい」

 

 昭蔵は、まるで世間話をするかのように語りかけた。

 

「オメェは裁判に出れると、まさか本気で思ってるのか?」

「・・・・・・ハ?」

 

 意味が判らず笑いを消すエリザベートに、昭蔵はゆっくりと顔を近付けた。

 

 その顔は、相変わらずの笑顔。しかし、想像を絶するような凄みが見え隠れしている。

 

「オメェはな、今ここで死ぬんだよ」

「え?」

 

 言った瞬間、

 

 昭蔵は日本刀、井上真改を抜き放ち、一刀の下にエリザベートを斬り下げた。

 

「なっ!?」

 

 斬られたエリザベートは、信じられない、と言う顔をする。

 

 既に魔臓を潰されたエリザベートに、無限の回復力は無い。斬られれば死ぬのは、普通の人間と同じであった。

 

 一方の昭蔵は、正に鬼の形相と言うべき眼光で、斬ったエリザベートを睨みつけている。

 

「ば、バカな・・・・・・このあたしが、こんな、極東の地で・・・・・・」

 

 そのまま、後ろ向きに倒れるエリザベート。

 

 450年の時を生き、自分で誇った通り、星の数ほどの人間を殺害して来たハンガリーの《鮮血の伯爵夫人》エリザベート・バートリ。彼女もまさか、自分がこのような極東の島国で生涯を終える事になるとは思っていなかっただろう。

 

 西洋の吸血鬼より、日本の鬼の方が一枚上手だったのである。

 

 昭蔵は血振るいすると、井上真改を鞘に戻し、座り込んでいる茉莉に向き直った。

 

「おう、お嬢ちゃん、大丈夫かい?」

「は・・・・・・はい・・・・・・」

 

 茉莉は気が抜けたように答えた。

 

 一部始終を見ていた彼女は、あの鬼のような昭蔵の形相に、我を失っていた。

 

 世の中には、これほど恐ろしい人間がいるのか。そう思わずにはいられなかった。

 

 そんな茉莉に笑顔を見せて、部下に手当てを命じながら、昭蔵は視線を別の方向へと向けた。

 

「さて、緋村の奴はあっちか」

 

 そう言うと、視線を少し細めた。

 

 

 

 

 

 床に倒れ伏した黒笠。

 

 その黒傘を友哉は冷めた目で見つめている。

 

 既に両腕を叩き折られた黒笠に、抵抗する術は無い。

 

 憑鬼の術も解け、その反動なのか、彼女の筋肉は完全にしぼみ切っていた。

 

 そんな黒笠の前に、

 

 友哉は刀を構えて立つ。

 

「ヒッ!?」

 

 その幽鬼の如き姿に、黒笠は悲鳴を上げる。

 

 その姿には、東南アジア一帯を震撼させた殺人鬼《黒笠》の姿はどこにもなかった。

 

 無理もない。

 

 友哉から発せられる凄惨すぎる殺気は、それだけで首を絞めつけられるような錯覚に襲われるのだ。

 

「お、お願い、殺さないで、まだ死にたくない!!」

 

 いざるように後退する黒笠。

 

 対して友哉は、感情を一切現さず、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「・・・・・・・・・・・・今まで、お前に殺された人達は命乞いはしなかったのか?」

「そ、それは・・・・・・」

「なのに、お前は自分の命が惜しいって訳か・・・・・・・・・・・・」

 

 ギンッと、強烈な眼光が黒笠を貫く。

 

「都合のいい話だな、おいッ」

 

 言うと同時に、逆刃刀を返し、振りかぶる。

 

 武偵法9条などと言う甘い考えは、今の友哉には無い。ただ、目の前の下衆を地獄に叩き込む。それだけの想いを剣に込めて振り翳す。

 

「死ね」

「やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて・・・・・・」

 

 呪詛の如く震える口で囁き続ける黒笠。

 

 そんな彼女を冷徹に見詰める友哉。

 

 そして、

 

 刀を振り下ろした。

 

 次の瞬間、

 

「ダメェェェェェェェェェェェェ!!」

 

 背後から発せられた悲鳴のような声。

 

 その声を聞き、友哉の瞳に光が戻った。

 

「・・・・・・・・・・・・え?」

 

 振り返る友哉。

 

 その隙に、立ち上がった黒笠は悲鳴を上げて逃亡するが、今はそれに構っている時ではない。

 

 友哉は踵を返すと、慌てて駆け寄った。

 

 傷付いた体を、懸命に持ち上げて起きようとしている戦妹、瑠香の元へ。

 

「瑠香!!」

 

 慌てて彼女を支える。

 

 瑠香の防弾制服は血で塗れており、見るからに重傷である。しかし、その瞳は力強く輝き、友哉を諌めるように見詰めている。

 

「友哉君、正気に、戻ったんだね」

「正気? いや、そんな事より瑠香、君は怪我をッ」

 

 そう言った時、瑠香を支える友哉の手が、何か硬い物に触れた。

 

「これは・・・・・・」

 

 切り裂かれた防弾制服の影から、格子状に細かく編まれた服が見える。

 

 瑠香は防弾制服の下に、鎖帷子を着込んでいたのだ。いかに黒笠の剣でも、とっさに鉄を斬る事まではできなかったらしい。

 

「友哉君に黒笠の事聞いてたから、もしかしたらって思って、最近は着るようにしてたの」

 

 友哉は装備科で防弾Tシャツを発注したが、瑠香はそれ以上の備えをしていたのだ。

 

「いや、でも瑠香、斬られた時、血が出たはず・・・・・・」

 

 言ってから、思い出した。

 

 瑠香は隠密お庭番衆、つまり昔の忍者の末裔である。忍者は剣士に比べて戦闘力で劣る分、様々な手管を使って自分な有利な戦術を組み立てる。「だまし討ち」もまた、その一つだ。

 

 瑠香は服の下に、血糊の入ったパックを仕込んでおり、敵の弾丸やナイフが当たった時、血飛沫に似た赤い液体が飛び散るように仕掛けている。それが、先程見た光景の正体だったのだろう。

 

 とは言え、黒笠の一撃を受けて無傷とは行かなかったようだ。鎖帷子の上からでも衝撃は大きく、今まで気を失っていたのだ。

 

「痛ッ」

「無理しちゃだめだっ」

 

 斬撃を受けた胸を押さえる瑠香を、友哉は慌てて支える。

 

 下手をすると骨が折れているかもしれない。

 

 その時、

 

「緋村ッ!!」

 

 背後から聞き憶えのある声で呼ばれ、振り返ると、昭蔵が近寄って来るところだった。

 

「長谷川さん、どうしてここに?」

「ああ、ハンガリーから手配中の凶悪犯が入国するって言う情報を掴んでな、網を張っていたら、ちょうどお前達が戦っている所に出くわしたんだ」

 

 地検の方はブラドとは別方面から、捜査を進めていたらしい。この場で互いが出くわしたのは偶然であるようだ。

 

「緋村、四乃森の事は俺達に任せろ。お前はまだ、やる事があるんだろ?」

 

 そうだ。キンジ達はまだブラドと戦っている。あの怪物を倒さない限り、まだ勝利とは言えなかった。

 

「お願いします」

 

 友哉はそう告げると、疾風の如く床を蹴った。

 

 

 

 

 

 黒笠は転がるように、廊下を走っていた。

 

 どうにか地検の連中に出くわさずに済んだのは幸運だった。今の黒笠は両腕が使えず、戦える状態ではない。武装検事はおろか、並みの隊員と出くわしても勝つ見込みは無かった。

 

「と・・・とにかく、早く逃げないと・・・・・・」

 

 戦場を逃げる事に成功したとは言え、まだ安全圏に逃げ切ったとは言えない。どうにかして逃げ切らないと。

 

 焦燥が足を動かす。

 

 まずは日本にいる知り合いのマフィアに渡りを付ける。それで闇医者を紹介してもらって腕の治療をしない事にはどうしようもない。

 

「クッ・・・あのガキがァァァ」

 

 足を動かすたびに、砕かれた両腕に激痛が走る。

 

 それが余計に屈辱感を呼び起こした。

 

 自分が

 

 この自分が、

 

 殺人鬼と恐れられ、多くの人々を斬り殺して来た、この黒笠が、

 

 あんなガキに負けて、怯えるように逃げなくてはならないとは。

 

「お、憶えていなさい・・・・・・この恨みは、必ず返すわ!!」

 

 そう言った時だった。

 

 向かう廊下の先に、1人の人物が立っている事に気付き、足を止めた。

 

 だが、すぐに緊張を解いた。目の前の人物が、知り合いだと気付いたのだ。

 

「あ、アンタだったんだ・・・・・・」

 

 そう言うと、相手に駆け寄った。

 

「悪いんだけど、しばらく私をかくまってくれない? ちょっと、やばい事になっちゃって・・・・・・」

 

 そう言った瞬間、

 

 薄暗い廊下に銀光が一閃する。

 

「・・・・・・・・・・・・え?」

 

 額から流れる液体に気付き、呆然とする黒笠。

 

 次の瞬間、血は一斉に額から噴き出し、壁一面を染め上げる。

 

 黒笠はその場で膝を折ると、前のめりに倒れる。

 

 床に広がる血だまり。

 

 その姿を、冷めた目で見据える。

 

「・・・・・・クサすぎるんだよ、お前の芝居は」

 

 そう言うと、その人物は手にした刀を血振るいして鞘に収め、踵を返してその場を後にした。

 

 

 

 

 

 雷鳴の轟く中、友哉は駆ける。

 

 今や最後の敵となった、《無限罪》のブラドの元へ、

 

 そして、奴と戦う仲間達の元へ。

 

 ブラドとの戦況は、一時的ながら拮抗した状態になっていた。

 

 ブラドの攻撃によって、一時は階下に落とされ、絶体絶命の危機に陥ったキンジだったが、理子の活躍によって危地を脱出、再びブラドと対峙していた。

 

 しかし、状況は全く好転していない。

 

 ブラドの4つ目の弱点は未だに見つからず、弾薬も残り少ないときている。

 

 ブラドは無限回復力を発揮し、未だに無傷。4点同時攻撃に賭けるしかないキンジ達としては、攻め手に迷わざるを得なかった。

 

「みんな!!」

 

 跳躍から着地。友哉は3人の前に躍り出ら。

 

「お待たせッ」

「友哉、無事だったのね。黒笠は!?」

 

 目の前に現われた友哉を見て、アリアは顔をほころばせた。待ち望んでいた援軍がようやく来たのだ。

 

「あいつは倒したよ。ッて言うか、理子、何で下着なの!?」

 

 驚く友哉の言うとおり、理子は上下ハニーゴールドの下着姿だった。お洒落に気を使う理子らしく、付けている下着も高級ランジェリーであるらしい。そんな理子の姿に、友哉は顔を赤らめつつ目を逸らす。

 

「いやあ、ユッチー。取り敢えず、その話は後で。今はこっちに集中しようよ」

 

 流石の理子も、この状況でふざける気は無いらしく、少し恥ずかしそうに目を逸らしながらも、地鳴りのような音を立てて近付いて来るブラドを指差した。

 

 確かに、悠長に話している場合ではなさそうだった。

 

「さて、どうしようか」

 

 ブラドは無傷。こちらはせいぜい、あと一回の攻撃が限界と来ている。

 

「みんな、弾は?」

「俺は1発だ」

「あたしも、1発ずつよ」

 

 キンジのベレッタに1発、アリアの2丁ガバメントに1発ずつ、計3発。仮にブラドの弱点が判ったとしても、同時攻撃には後一発足りない。

 

 ここは一旦戻って、地検職員に銃を借りた方が良いか。

 

 そう思った時、

 

「理子もあるよ。一発だけだけど」

 

 力強い口調で理子が言った。

 

「それに理子は、ブラドの最後の弱点が何処かも知っている。ブラドにその事を悟られないように今まで黙ってたけど」

 

 賢明な判断だ。仲間にまで正体を隠す程用心深いブラドだ。理子が自分の最後の弱点を知っていると判れば、徹底的に理子を潰そうとしただろう。

 

 だが、おかげで最後の攻撃のチャンスが生まれた。

 

 フォーショット・ワンキル。それを可能にする条件が、全て整ったのだ。

 

「判った」

 

 友哉は頷くと、逆刃刀を掲げて前に出る。

 

「露払いは僕が務める。みんなは、僕の3秒後に続いて」

 

 友哉の言葉に、キンジ、アリア、理子は頷く。

 

 これが、最後の戦いだ。

 

 そこへ、ブラドが近付いて来る。

 

「グァハッハッハ、悪あがきはもうお終いか?」

 

 勝ち誇ったように吠えるブラド。

 

 次の瞬間、友哉は駆けた。

 

 神速を持ってブラドの巨体へ接近、刀を振りかざす。

 

「あん?」

 

 友哉の接近に気付いたブラドと目が合う。

 

 しかし、もう遅い。

 

「ブラド、その巨体じゃ一撃加えても、大したダメージにはならない。ならッ!!」

 

 無数の斬線が縦横に走る。

 

 視界その物が細切れにされたような錯覚が、ブラドを襲った。

 

「飛天御剣流、龍巣閃!!」

 

 斬撃が一気にブラドへと殺到、その急所をすべからく打ち抜く。

 

「グォォォォォォォォォォォォ!?」

 

 全身を襲う乱撃の嵐に、ブラドは悲鳴を上げて巨体を揺るがせる。

 

 しかし、そこはイ・ウーナンバー2《無限罪》のブラド。全身の膂力で持って踏み止まる。

 

 だが、隙はできた。

 

 友哉が飛び退くと同時に、

 

 アリアが、二丁のガバメントを構え、

 

 キンジがベレッタを持ち上げる。

 

 そして、理子はその豊かな胸の谷間から超小型拳銃デリンジャーを取り出した。小型で1発しか装填できず、せいぜい奇襲くらいにしか使えない銃だが、古くはアメリカ16代大統領エイブラハム・リンカーン暗殺にも使われた名銃である。

 

 アリアが先制して銃を放つ。

 

 しかしそこで、予期せぬハプニングが起こった。

 

 ランドマークタワーを掠めるようにして、稲光が走ったのだ。

 

 その轟音と閃光に、アリアは僅かに手元をぶれさせてしまった。

 

 雷が苦手なアリアの事、仕方ないとは言え、ぶれた弾丸は僅かに目標から逸れて飛んでいく。

 

 作戦失敗か。

 

 そう思った時、

 

 1人、冷静に状況を見極める男がいた。

 

 キンジはベレッタを構えると、落ち着いて弾丸を放つ。

 

 キンジの放った弾丸は、アリアの放った弾丸に追いつくと空中で衝突、互いの軌道を僅かに逸らす。

 

 銃弾撃ち(ビリヤード)と呼ばれる、高度な拳銃技である。ほとんど曲芸に近い。

 

 しかしキンジは冷静な判断力と、驚異の照準力で、呼吸をするよりも簡単にその難事を成功させて見せた。

 

 3発の弾丸は、見事にブラドの弱点、魔臓を打ち抜く。

 

 しかし、それでも尚、ブラドの余裕は揺るがない。例え魔臓3つを潰しても、最後の1つを潰さない限りはいくらでも再生できるのだ。

 

 だがそこで、ブラドが見た物は、跳躍しながらデリンジャーを構える理子の姿だった。

 

 理子が銃を放つ。

 

「4世ッ!!」

 

 ブラドが反射的に叫んだ瞬間、理子の放った弾丸は、ブラドの口の中へと飛び込んだ。

 

 理子はそのまま、ブラドの頭を踏み台にして飛び越える。

 

 そして、開かれたブラドの口。そこからはみ出した舌の中央には、他の場所と同様、撃ち抜かれた白い模様が描かれていた。

 

 ブラドの最後の弱点とは、舌だったのだ。

 

 ブラドは一瞬身震いした後、その巨体を床へと沈める。

 

 その姿を見て、一同はようやく肩の力を抜いた。

 

「勝った・・・・・・」

「みたい、だな」

 

 一同、疲労の色が濃い。既に気力を使い果たしているのだ。

 

 だがついに、イ・ウーナンバー2を、自分達の力だけで倒したのだ。

 

「やったね」

「ああ」

 

 互いに笑みを見せあう4人。

 

「おーい、友哉君!!」

 

 呼ばれて振り返ると、瑠香と茉莉が、それぞれ地検の職員に支えられるようにして歩いて来るところだった。

 

 あれだけの死闘をして、全員が生き残ったのだ。これは誇って良い事だと思う。

 

 その事を、6人の武偵達は、それぞれ噛み締めていた。

 

 

 

 

 

第7話「フォーショット・ワンキル」     終わり

 



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第8話「聞こえる足音」

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの後、地検の職員達にブラドを引き渡すと、友哉達は応急処置を終え、その足で武偵病院へと向かった。

 

 友哉、茉莉、瑠香の3人は戦闘で負傷している為、その治療が必要だった。

 

 夜遅くなってはいたが、連絡した高荷紗枝はすぐに駆けつけてくれた。

 

 とは言え、今回は明らかに違法と思われる行為をいくつも行ってしまった。武偵校に戻って、何らかの処分が下される事は免れないだろう。

 

 そう思っていた友哉達だったが、現実は実にあっさりとした物となった。

 

 ランドマークタワー屋上での戦闘は落雷事故として処理され、事件その物は世間に公表されなかった。更に、友哉達5人には後日、司法取引に関する同意契約書、並びに説明書と言う物が神奈川武偵局、警視庁、神奈川県警、検察庁、東京地検から大量に送られて来た。

 

 多すぎて内容を全て把握する事はできなかったが、要約すると、今回の件は永久に他言無用、その代わり今回5人が行った違法行為に関しては目をつぶるという内容だった。

 

 どうやら、イ・ウーの事は政府としても徹底的に隠蔽を図りたい事であるらしい。その為の書類であった。

 

 この事件で、結局逮捕されたのは《無限罪》のブラド1人だけであった。《鮮血の伯爵夫人》エリザベート・バートリは、東京地検特捜部との戦闘で死亡、一度は逃亡に成功した《黒笠》韮菜島美奈も、すぐにランドマークタワーで遺体となって発見されるに至った。

 

 尚、《武偵殺し》峰・理子リュパン4世は逮捕されていない。彼女は地検職員が屋上出入り口を封鎖していると知ると、屋上から飛び降りたのだ。

 

 自殺、ではない。理子の制服は変形するとパラグライダーになる仕組みになっており、それを使って脱出したのだ。落下したキンジの救出や、4月のハイジャック事件でANA600便から脱出する際にも、このパラグライダーを使ったのだ。

 

 逃亡を許したか、と一時は思われたが、後日理子は、アリアの母、神崎かなえの担当弁護士の元を訪れ、《武偵殺し》事件に関して、裁判で証言を行う旨を告げたらしい。

 

 理子はもう、ブラドに怯える事は無い。数字の4でもない。1人の人間、峰・理子・リュパン4世として自由の道を歩き始めた。その彼女が最初にした事が、ライバルとの約束を守る事だった。

 

 嘘はついても裏切りはしない。何とも彼女らしい行動だった。

 

 以上が、ブラド事件における後始末の顛末である。

 

 

 

 

 

「ふうん、そんな事があったとはね」

 

 相良陣は感心したように頷いた。

 

 今日は久々の休日、友哉、陣、茉莉、瑠香の4人は連れだって秋葉原の街を歩いていた。

 

 相変わらず、通りにはメイド服や様々なコスプレをした女の子が呼び込みをやっており、華やかな雰囲気がある。今日は休日と言う事もあり、以前、作戦会議に来た時よりも人通りが多く感じられた。

 

 当然、4人も今日は防弾制服ではなく、私服を着ている。帯剣帯銃している事を除けば、そこらにいる一般人と変わらない。

 

「つーかよ、そんな面白ェことやるんだったら、何で俺を呼ばねぇんだよ?」

「おろ~」

 

 友哉の首に腕を巻き付けて、陣は不満そうに言い募る。彼としては派手に暴れる機会を逃してしまった形になるから当然である。

 

「もうっ、ぜんぜん面白くないですよ。本当に今回は死ぬかと思ったんですから!!」

 

 茉莉と一緒にアイスを食べながら、少し怒ったように瑠香が言う。

 

 実際、彼女にしてみればあわや黒笠に斬られる所だったのである。もし事前の準備を怠っていたら、今頃彼女とこうして並んで歩く事はできなかっただろう。

 

 またしても、ギリギリの勝利であったのだ。

 

 友哉はふと、その事を思い出し、苦笑する。

 

 きっとこれからも、自分達はギリギリの戦いを繰り返して行く事になるのだろう。願わくば、全ての戦いにおいて仲間を守り、勝利する事ができるようにしたい物である。

 

「緋村君」

 

 そんな友哉に、茉莉が声を掛ける。

 

「おろ?」

「これからみんなでゲームセンターに行くと言う事で話しているんですが、緋村君はそれで構いませんか?」

 

 今回の外出のメインは買い物のつもりだったが、先に遊んだ方が良いかもしれない。どうせ茉莉と瑠香は大量に買い物をするだろうから、買い物の後では荷物を持ちながら回ることにもなりかねない。

 

「そうだね・・・・・・」

 

 そう言い掛けて、友哉は足を止めた。

 

「ごめん、先行ってて。僕、ちょっと用事ができたから」

「あ、緋村君ッ」

 

 茉莉にそう言うと、友哉は通りの角にある喫茶店へと駆けこんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこはテラスのようになっていて、屋外にテーブルが設けられている。

 

 そのテーブルの一角に、見慣れた人物がいるのを見付けたのだ。

 

 駆けよって、声を掛ける。

 

「長谷川さん・・・・・・」

「おう、緋村。元気か?」

 

 日本最強を謳われる武装検事にして、鬼と言う異名で呼ばれた火付盗賊改方の長官を先祖に持つ男、長谷川昭蔵は、

 

 昼下がりの喫茶店で、巨大なパフェに舌鼓を打っていた。

 

 見事に、シュールな光景である。

 

「こいつはなかなか美味ェな。噂通りだよ」

 

 このグルメ検事に掛かれば、女子に人気のスイーツでも守備範囲になるらしい。

 

 40過ぎのごついオッサンが、嬉しそうにパフェに食らいついている姿は、ある種の凄味すらあった。

 

「お前も何か頼むか、奢ってやるぞ」

「いえ、折角ですけど、今日は友達と来てるんで」

 

 長谷川を見かけたのはたまたまである。あまり瑠香達を待たせたくはなかった。

 

「そうか、じゃあ、手短に用件を話すとしようか・・・・・・」

 

 昭蔵はスプーンを置くと、友哉を見上げた。

 

「緋村」

 

 一瞬、気温が下がった気がした。

 

 その空気が、目の前の男から発せられていると気づくまでに時間はいらなかった。

 

「お前には、イ・ウーに関わる事から手を引けと言っといたはずだがな」

 

 殺気すら滲ませる昭蔵。

 

 あのエリザベート・バートリを一刀のもとに斬って捨てた鬼は、今にも友哉に斬りかからんばかりの凄味を見せる。

 

「イ・ウーナンバー2の屋敷に忍び込んで泥棒行為とはな。しかもそれが、あの《武偵殺し》の依頼だって言うじゃねえか。その果てが、ランドマークタワーでの乱痴気騒ぎと来た。今回の件で、奴等は間違いなく本気になった。このままじゃお前、確実に殺されるぞ」

 

 これは最早、警告ですら無い。長谷川は来たるべく未来の予定調和を語っているのだ。

 

 イ・ウーとの全面戦争は、最早避けられない。そして、今の友哉の力では、彼らとの戦いで生き抜く事は難しい。

 

 それが判っているからこそ、昭蔵は友哉に手を引くように言ったのだ。

 

 だが友哉は聞き入れず、前へと進む道を選んだ。

 

 それに対して、友哉は静かに口を開く。

 

「・・・・・・僕が逃げたら、何か変わっていたんですか?」

「なに?」

「僕が逃げれば、どこか別の場所で、僕以外の人が殺されていたかもしれない。長谷川さんは、その方が良かったって言うんですか?」

 

 武偵は一般市民を守る最後の盾である。盾が逃げ出しては一般市民を守る事はできなくなる。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 昭蔵は無言のまま、友哉を睨みつける。

 

 友哉も何もしゃべろうとしない。

 

 大切な人達を守り、戦い抜く。

 

 あの時、

 

 あの決断を下した時から、友哉はもう迷わないと決めていた。

 

「・・・・・・ま、良いだろう」

 

 ややあって、折れたのは昭蔵の方だった。

 

「確かに、黒笠とブラドを倒したお前等は、もうガキじゃねえ。一人前の大人だ。だから俺も、そう言う風にお前を扱う事にするよ」

「長谷川さん・・・・・・」

「だが、判ってんだろう。お前が進もうとしているのは茨の道だ。歩くだけで足が傷付き倒れそうになるだろう。それでも、お前は進むんだな?」

 

 長谷川の問いかけ。

 

 それに対して友哉は、

 

「勿論です」

 

 僅かな揺らぎもない瞳で、そう答えた。

 

 

 

 

 

 昭蔵の下を辞し、喫茶店を出る友哉。

 

 昭蔵の話が正しければ、これからの敵はあのブラドをも上回ると言う事になる。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 手にした逆刃刀を、強く握りしめる。

 

 果たして自分は、勝てるのだろうか。

 

 自分は飛天御剣流の、技の殆どを未だに使う事ができない。それどころか、知らない技も多い。極めるには程遠い状態だ。

 

 そんな自分が、これからの戦いを生き残る事ができるのか?

 

 その時、

 

「おい、友哉、遅ェぞ!!」

 

 声を掛けられ顔を上げると、そこには、陣、茉莉、瑠香の3人が友哉を待ち受けるようにして立っていた。

 

「おろ・・・みんな、どうして?」

「茉莉ちゃんがね、友哉君が何だか深刻そうな顔してたって言うから、みんなで心配になって見に来たの」

 

 成程。事情も言わずに飛び出したから、余計な心配を掛けてしまったらしい。

 

「あの、御迷惑でしたか?」

 

 上目遣いにそう尋ねる茉莉。

 

 そんな彼女の様子に、友哉は苦笑する。

 

 そうだ、自分には、こんなにも頼りになる仲間達がいる。たとえ自分が未熟な存在であっても、彼女達がそれを補って一緒に戦ってくれる。ならば、どんな敵が来ても負ける筈がないのだ。

 

「いや、そんな事はないよ。さあ、早く行こう。遊ぶ時間が無くなっちゃう」

 

 そう微笑しながら告げると、3人と連れだって歩き出した。

 

 そんな子供達の後ろ姿を、長谷川は満足そうに眺めている。

 

「まったく、子供ってのは、大人が気付かないうちに、どんどん成長しちまうもんだな」

 

 友哉の成長は、昭蔵が思うよりもはるかに上を行っていた。彼には先程ああ言ったが、これならもしかしたら、イ・ウー上層部の連中と戦っても勝利する事ができるかもしれない。

 

「なあ、お前も、そう思わんか?」

 

 問い掛けるような声。しかし、昭蔵の目の前には誰もいない。

 

 返事は、彼の背後から帰って来た。

 

「取るに足らんよ」

 

 バッサリと斬り捨てるような言葉に、昭蔵は苦笑する。この男との付き合いはそこそこに長いが、この性格は会った時から変わっていない。

 

 男はライターを取り出すと、口元にくわえた煙草に火を付けた。

 

「おいおい、ここは禁煙だぜ」

「知るか。潜入捜査で長らく禁煙してたんだ。吸わなきゃやってられん」

 

 昨今の禁煙全盛などどこ吹く風。

 

 男はそう言うと、周りが顔を顰めるのにも構わず、大きく煙を吹かす。

 

 一応のマナーとして、携帯灰皿だけは用意しているようだが、それはむしろ、「好きな時に吸いたいから」と言う理由にも取れる。

 

「あの時、あの場で黒笠を斬れなかったのは、奴のガキ故の甘さだ。それがいずれ、首を絞める事になる。自分か、仲間か、どちらかのな」

「あの時か・・・・・・」

 

 実際に黒笠を斬った男の言葉であるから、重みが違う。

 

 友哉が豹変し、黒笠を斬り殺そうとした事は、事情聴取を受けた瑠香から話を聞いて知っている。そして、その正体の事も。

 

 昭蔵が友哉を事件から遠ざけようとしたのは、彼の身を案じての事だけではない。彼がああなった時、止められる人間が殆どいないからでもある。

 

 以前、友哉がある事情で豹変した時は、Sランク武偵が2人掛かりでも止めるのに時間が掛ってしまい、その内1人が再起不能の重傷を負う大惨事となった。その時の友哉はまだ14歳、中学2年生だった。その時よりも肉体的に成長している今の友哉が相手となると、力づくで止められる人間はいないかもしれない。

 

 武偵と殺人鬼。双方になり得る、危うい存在。それが緋村友哉と言う少年の本質と言えた。

 

「だが、もう悠長には構えていらない。ブラドを倒した事で、イ・ウーも警戒心を強める事だろう」

「だろうな、そうでなくちゃ困る」

「次は奴が出て来るぞ、イ・ウーのリーダー、《教授(プロフェシオン)》が」

 

 一瞬、風が木々を薙ぎ、葉を揺らす。

 

 男は、煙草を吸いきって携帯灰皿に押し付けると、そのまま立ち上がる。

 

「何が出てこようが、俺は俺の正義に従い戦うだけだ。その過程で奴が使えるようなら、使い潰すし、使えないようなら使い捨てる。それだけの事だ」

 

 そう言うと、男は昭蔵に背を向けて歩きだす。

 

「相変わらずだなあ、お前さんは」

 

 対して昭蔵は、背中越しに苦笑して見せた。

 

「なあ、山日志郎・・・・・・・・・・・・いや・・・・・・・・・・・・」

 

 再び風が吹き、葉が重なり合って音を鳴らす。

 

 背中越しに聞くその音は、まるでこれから起こる戦いの足音のようにも聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「警視庁公安部 公安0課特殊班、斎藤一馬」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第8話「聞こえる足音」     終わり

 

 

 

 

ブラド編     了

 



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番外編
「温泉宿の怪」(TV版未放送13話)


 

 

 

 

 

 ひどい天気だ。

 

 相良陣(さがら じん)が運転する軽自動車の助手席で、緋村友哉(ひむら ゆうや)は窓の外を眺めながら呟いた。

 

 山道に入ってから暫くすると小雨が降り始め、深い霧が立ち込めるようになった。

 

 前を行くミニバンの姿も霞んで見えるくらいだ。テールランプの明かりが無ければ、すぐに見失ってしまうところだろう。

 

 後部座席に目を転じれば、四乃森瑠香(しのもり るか)瀬田茉莉(せた まつり)が寄り添うようにして眠っているのが見える。久々の遠出とあってさっきまではしゃいでいたせいか、2人とも、車の振動を揺り籠代わりにして、ぐっすりと眠っていた。

 

 再び、視線を前方に戻す。

 

 前を行くミニバンは、相変わらず霞んで見えるだけだ。

 

「陣、気を付けて運転してね」

「おう、任せとけって」

 

 そう言って陣は請け負う。

 

 学園島を出た時は友哉が車を運転していたのだが、先にトイレ休憩を取った道の駅で陣と交代したのだ。

 

 前のミニバンには、遠山キンジ、武藤剛気、神崎・H・アリア、峰理子、ジャンヌ・ダルク30世、星伽白雪、レキ レキの飼っている狼のハイマキ、そして引率教員として尋問科(ダギュラ)の綴梅子が乗り込んでいる。

 

 今日は武偵研修として、綴が古くから付き合いがある、とある村の旅館に向かっていた。

 

 当初は温泉で研修と言う事でちょっとした旅行気分だった一同も、引率が綴と言う時点で、一気にテンションが萎えた事は言うまでも無い。何しろ、あの「綴」である。尋問科のドS教師にして、強襲科(アサルト)の蘭豹と並んで、武偵校暴力教師の双璧である。友哉達でなくても、同行はご遠慮願いたい所である。

 

「あん、何だこりゃ?」

「おろ?」

 

 友哉が考え事をしていると、隣の陣が訝るような声を上げた。

 

「どうしたの?」

「いや、ちょっとナビがおかしくねえか?」

 

 言われて画面を見てみると、確かにおかしくなっている。車を表すアイコンが、道の無い場所を走っているのだ。ちょうど、古いカーナビが、新しくできた道に対応していないかのように。

 

「壊れたか?」

「まさか」

 

 陣の言葉を、友哉は言下に否定した。

 

 この軽自動車は車輛科(ロジ)からの借り物である。乗り物が商売道具である車輛科では当然、整備は日常的に行っているし、カーナビなどの部品も新品に更新している筈。壊れる可能性は低かった。

 

「とにかく、山の中だからそうそう別れ道なんてないだろうし、前の車を見失わないようにしよう」

「おう」

 

 友哉の言葉に陣は頷き、再び運転に専念した。

 

 

 

 

 

「晴れた~~~!!」

 

 理子の底抜けに明るい声が木霊する。

 

 山道を走る事、約1時間半。目的の村の入り口に到着する頃には、あれだけ深かった霧も、雨も止み、見事な晴れ空が顔を見せていた。

 

 入り口の看板前には小さな駐車スペースがあり、ミニバンと軽自動車はそこに停め、一同はトランクから荷物を下ろしている。

 

「お~、ハイマキ~、モフモフ~」

 

 いち早く出発の準備を終えた瑠香は、レキが連れているハイマキの首に抱きついて頬ずりしている。

 

 大型バイク程の体躯を持つハイマキである。小柄な瑠香がしがみついても、行儀よくお座りしたまま全く動じた様子は無い。自分にじゃれつく子犬のような少女を、特に迷惑がる様子も無く、大人しくされるがままになっている。

 

 傍らには、飼い主の狙撃少女も立っているが、こちらも特にリアクションする事は無く、愛犬にじゃれつく瑠香を見守っていた。

 

 同じように準備を終えた茉莉も、恐る恐ると言った感じに手を伸ばし、銀狼の頭を撫でてやっていた。

 

 友哉が自分の荷物を下ろすと、何やら理子がキンジの腕に抱きついているのが見えた。

 

「感謝しても良いよ、キーくん。理子ね、晴れ女だから」

「ブラドの時も、ハイジャックの時も、ひどい天気だっただろうが」

 

 確かに。理子が《武偵殺し》として起こした事件の時は、決まって暴風やら雷やらに見舞われて、ひどい目にあったのを覚えている。

 

 だが、当の理子はキンジに突っ込みを受けても、「そだっけ?」などと、素知らぬふりをしているだけだった。

 

 そこへ、

 

「こら~ッ キンちゃんに触るな~!!」

 

 自分の荷物を出し終えた白雪が、キンジの腕に抱きついている理子を見て怒声を上げる。

 

 白雪と理子の相性の悪さは、アリアのそれを上回ると言っても過言ではない。何しろ理子と来た日には、事ある毎にキンジに絡んでは、それを周囲に見せつけているのだ。キンジが侍らせている(本人は激しく否定)女子の中では、最も積極的なアプローチを見せている。

 

 そのような状態を、自称「キンジの正妻」である白雪が見過ごす筈も無かった。

 

「ほら、いつまで騒いでるんだ。これから研修でお世話になる旅館に行くが、くれぐれも村の人達に迷惑かけるんじゃないぞ!!」

 

 自分のバッグを肩に担ぎ、綴が騒いでいる学生武偵達を窘める。一見するとまともなように見えるが、咥え煙草で注意している辺り、ヤクザの引率と大差ない。

 

 武藤もまた、そう思ったのだろう。傍らに立つ陣に近付いて、何やらヒソヒソと話している。

 

「何だか、綴のくせにまともな事言ってやがるぜ」

 

 だが、強気な態度も一瞬のうちに霧散した。

 

 如何なる地獄耳なのか、武藤の陰口を聞き逃さなかった綴が、彼の後頭部に愛銃グロック18を突きつけているからだった。

 

 これは洒落にならない。物騒な事で有名な武偵校教員の中で、1、2を争う程物騒な綴に銃口を突きつけられているのだ。下手をすれば、本当に脳天をぶち抜かれる事になりかねない。

 

「・・・・・・あ・・・あの、言い間違え、ました」

「武藤、お前、車の中でもあたしの事呼び捨てにしたよな」

 

 そんな事してたのか、武藤。

 

 あっちの車じゃなくて良かった、と友哉は心の底から思った。

 

 顔面蒼白になって震えている武藤をいたぶるように、綴はうすら笑いを浮かべ、グロックの銃口でコツコツと後頭部を叩く。

 

「今度間違えたら、あの世行きか、あたしの尋問か、好きな方を選ばせてやる」

 

 ドS教師はそう言うと、グロックをホルスターに収めた。

 

 解放された武藤は、ドッと疲れたように肩を落とす。

 

「雉も鳴かずば撃たれまいに」

「いやはや全く」

 

 無謀な友人を襲った惨劇に、キンジと友哉がやれやれと肩を竦める。

 

 と、一連のやり取りを見ていたジャンヌが、鞄を取り落としていた。顔面蒼白になって、何かに怯えるように震えている。

 

 目を転じれば、茉莉も瑠香の背に隠れて涙目になって震えている。

 

「ま、ジャンヌとマツリンは、綴先生の尋問をじっくり受けたクチだからね~」

 

 と、お気楽に言ったのは、この中にいる元イ・ウー構成員の中で唯一、上手く立ち回ったおかげで恐怖の尋問を回避できた理子だった。

 

 「綴の尋問」と言う物がいかに恐ろしいか、魔剣事件で逮捕された後、茉莉とジャンヌは嫌と言うほど味わっている。

 

 一体何をされたのか、2人ともその話題が出る度にマジ泣きしそうになる為、極力誰も話題を振らないようにしているから、真相は闇の中だった。

 

「ほら、アンタ達、行くわよ」

 

 準備を終えたアリアが、先頭を歩き出す。

 

 それに続いて、一同も村の中へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あまり開発が行われていないらしく、村へ続く道は舗装もされておらず、剥き出しの地面が足元に広がっている。

 

 傍らに並んでいる六地蔵などは、よく手入れされ、村人達の信心の深さが覗える。

 

 道の左右には草が生え放題になっており、朽ちたオート三輪の残骸が、緑に埋もれるようにして放置されている。

 

 入口から村の居住区までは少し距離があるらしく、暫くは鬱蒼とした森の中にある小道を歩いて進む。

 

 一応、武偵「犬」という名目になっているハイマキも、リードと首輪に繋いでレキと並んで歩いていた。

 

「それにしても、温泉で研修なんて、武偵校も気が効いてるわよね」

「先生の趣味らしいよ」

「ここの温泉は、万病に効くらしいですよ」

「それは良いな。私の冷え症も、治ると良いのだが」

 

 上機嫌で歩くアリアと、その横に並んで白雪、茉莉、ジャンヌが楽しそうに話しこんでいる。

 

 って言うかジャンヌ、冷え性なのに、何故に氷の魔法を使っているのか。

 

 ジャンヌとの戦いで氷の魔法で磔にされた経験のある友哉は、少女達の会話を聞きながら首をかしげざるを得なかった。

 

 と、友哉の前を歩く理子が、何か思いついたかのように口を開いた。

 

「あ~あ、理子、どうせだったらキーくんと2人で研修に来たかったな」

 

 表でも裏でもトラブルメーカーである理子。今度もまた何か悪戯を思いついたと見える。

 

「混浴して~、布団並べて~、電気消して~」

「き、きき、キンちゃんとの既成事実は、私が先約なんだからね!!」

 

 お約束と言わんばかりに噛みつく白雪。

 

 と言うか、既成事実の先約とは、これ如何に?

 

 面白がって、理子も悪ノリで応じる。

 

「じゃあ理子、割り込み予約~ と言う訳でキーくん、今夜12時にズバッとお願いします」

「な、何言ってるのよ、アンタ!!」

 

 反応したのは、なぜかキンジの前を歩いているアリアだった。

 

 だが、一度点いてしまった火は、容易には消えそうもない。案の定、白雪はむきになって食い下がる。

 

「う~、10時から!!」

「じゃあ、理子6時~」

「3時!!」

「1時~」

 

 完全に理子に弄ばれてる白雪。からかわれている事にすら気付いていない様子だ。

 

 そして、とうとう、

 

「い、今すぐ!!」

 

 叫ぶや否や、白雪は諸肌を脱ぎに掛かる。両肩をはだけ、ブラの黒い紐が見えていた。

 

 慌てたのは、成り行きを呆れ気味に見守っていたキンジだった。

 

「お、落ち着け、白雪!!」

「放してキンちゃん。今すぐキンちゃんと既成事実作るんだもん。混浴して、布団並べて、電気消すんだもん!!」

「いや、訳判らんぞ、それッ」

 

 慌てて押さえようとしているが、白雪も嫌々と抵抗している。

 

 そこへ、

 

「じゃあ、いっその事、3人で・・・・・・」

 

 更に悪ノリした理子が、自分も制服の肩をはだけて来る

 

 と、

 

「うう~、星伽さん・・・・・・不憫だ・・・・・・」

 

 何やら1人、武藤が地面に手を突いて泣き崩れている。

 

 そんな彼を慰めるように、ハイマキが前足を上げて、武藤の頭をポンと叩いていた。

 

 ズキューン ズキューン

 

 雑然となりつつある状況は、銃声によって打破される。

 

「もーッ いい加減にしなさいアンタ達ッ どいつもこいつも風穴開けるわよ!!」

 

 2丁のガバメントを空に向けて放つアリア。しかし、その顔が赤くなっている辺り、怒っているのか、それとも照れているのか判り辛い。

 

「ほら、お前等いい加減にしろ、いつまで騒いでるんだ。さっさと行くぞ」

 

 先頭を歩く綴が、振り返りながら気だるげに言う。と言うか、発砲について注意しないあたりは、流石は武偵校教師と言ったところだ。

 

 そんな事をしていると、開けた丘の上に出た。

 

 遠くを臨めば小高い山が連なっているのが見え、そして、眼下には長閑な田園風景が見て取れた。どうやら、目的地に着いたらしい。

 

 

 

 

 

 山間の隠れ里と言った風情の村は、木造の家や石造りの塀など、まるで昭和の頃の風景を持って来たかのように、趣のある様相だった。

 

 皆は珍しい物を見るように、周囲を見回しながら歩いている。

 

 元々住んでいる人が少ないのか、歩いていて村人とすれ違う、と言う事も無く、一同は目的の宿へと到着した。

 

 和風造りの建物は、いかにもひなびた温泉宿としての風格があり、看板には「かげろうの宿」とあった。

 

 だが、村内同様に、宿の中もひっそりと静まり返り、誰も出て来る気配が無い。

 

 不審だった。ここに至るまで、誰も村人の姿を見ていない。

 

 不気味な想像が、脳裏を過ぎる。

 

 それは、10年ほど前に流行った都市伝説で、大戦前に大虐殺が起こった村の話。混乱の拡散を恐れた政府の主導で、その村の存在は地図上から抹消されたと言う。しかし、抹消された筈の村の中で未だに生き残った住民たちは生き続け、一種の鎖国状態を形成し、偶然村に迷い込んだ外部の人間を、集団リンチにして殺害すると言う恐ろしい言い伝えがあった。

 

 一瞬、ここがその村なのではないか、と疑ってしまう。

 

 怪訝な面持で、中に入ろうとする友哉。

 

 しかし、綴は腕を上げて、友哉を制した。

 

「先生?」

 

 声を掛ける友哉を無視し、綴は1人宿へと入って行く。

 

「女将、いないのか!?」

 

 大声で呼びかけるも、返る返事は無く、不気味さが増して行く。

 

 綴は慎重な足取りで中へと入って行く。

 

 土足のままに上がり框に上がり、玄関の中央付近まで進んだ。

 

 次の瞬間、天井の梁から舞い降りて来る人影があった。

 

 一同が「あッ」と驚く中、綴は素早く身を翻すと、懐から銃を取り出して構える。

 

 ほぼ同時に相手も銃を構え、互いに銃口を向け合う状態となった。

 

 相手は和服を着た女性だ。なかなかの美人であり、年の頃は20代から30代ほどと思われる。手にしたサブマシンガンには、強烈な違和感を感じずにはいられないが。

 

「久しぶりね、綴」

「腕は落ちていないようだね」

 

 旧友同士、互いに挨拶を交わし、顔に笑みを浮かべる。

 

 その様子を、友哉達はポカンと眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宿内の造りも、予想通り純和風となっており、中庭には大きな菊人形が飾られている。時折聞こえて来る宍脅しの音が、何とも小気味良かった。

 

 早速、部屋に案内された一同は、そこでようやく一息つく事ができた。

 

 動物であるハイマキは、流石に屋敷内に上げる訳にはいかないので、女子部屋のすぐ外に繋いで、今はレキがご飯をあげていた。

 

「しつもーん!!」

 

 荷物を下ろした理子が、早速と言わんばかりに、女将に向かって手を上げて見せた。

 

「何かしら?」

「女将さんと綴先生って、どんな関係なんですか?」

 

 もっともな質問である。このような田舎の温泉宿の女将と、東京のど真ん中にある武偵校の教師、接点を想像する方が難しい。

 

「昔、一緒に仕事をした仲よ」

「女将は、こう見えて、昔は武偵だったんだ」

 

 女将の言葉を引き継いで、綴が説明した。

 

 確かに、あの身のこなしであるならば、昔武偵だったと言われれば納得行く物がある。

 

「どうして、やめちゃったの?」

「あれだけの腕前なら、まだまだ現役で通用すると思うのだが?」

 

 瑠香とジャンヌの質問に、女将は意味ありげに笑って見せた。

 

「元々、先祖代々、温泉が好きな家系だったので。だから、田舎に引っ越して温泉宿を始めたの」

「先祖は、旅をする爺さんを影から支えるくノ一、だったか?」

「そう。そのお爺さんは他にも2人のお供や、ちょっとうっかりする人なんかも連れていたみたいね」

 

 どこかで聞いたような話である。

 

 先祖が同じ忍びとあって、瑠香などはもっと話を聞きたそうな素振りを見せている。

 

「因みに、女将はこう見えて、もう還暦だぞ」

『え~~~~~~!?』

 

 これには一同も、驚かざるを得ない。どう逆立ちして見ても30以上には見えなかった。

 

「さてと」

 

 自分の荷物を整理し終えた綴は、大きく体を伸ばしながら立ち上がった。

 

「研修は明日からだからな。お前達も、今日は羽を伸ばせよ」

 

 そう言うと、女将さんと2人で部屋を出て行った。

 

 後には女子武偵だけが残される。男4人は、勿論別部屋があてがわれている。女子は人数が多い為、この部屋と、襖を挟んで続きになっている2部屋を使うように言われていた。

 

「いや~、でものんびりしたところですね」

 

 この中で1人年下である瑠香は、足を投げ出して床に座っている。

 

 確かに宍脅しの音以外は何も聞こえてはこない。ふとすると、世界から全ての音が消えたかのような感覚さえ覚えてしまう。

 

「でもさ~ こう静かだと、何か出そうじゃない?」

 

 わざとらしく声を潜めながら、理子が一同を見回して言う。

 

「な、何かって、何よ?」

 

 理子の雰囲気に気圧されたのか、アリアが若干引き気味に尋ねる。

 

 すると理子は、両手の甲を見せて胸の前でダラリと下げる。

 

「そりゃ、勿論、お化けとか?」

「な、ななな、何言ってるのよ、馬鹿じゃないのアンタッ そ、そんなの、い、いる、いる訳ないじゃない!!」

 

 声を震わせつつ反論するアリア。この時点で既に、理子の術中に嵌っているのだが、既にテンパっているアリアは気付いていない。

 

 と、

 

 ドサッ

 

 何かが倒れるような物音に、一同が振り返ると、それまで立っていた茉莉がその場で尻もちをついていた。

 

「えっと・・・・・・・・・・・・」

 

 倒れた茉莉の様子に驚きながら、瑠香が声を掛ける。

 

「もしかして茉莉ちゃん、ホラーとか苦手だったりする?」

「そ、そそそ、そんな事はッ」

 

 言いながらも、視線を逸らす茉莉。明らかに動揺が見て取れる。

 

 そして、この手の面白いネタを見逃す怪盗少女ではない。

 

「ああ~、マツリンの肩に誰かの手がァァァ!!」

「キャァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 思わず飛び上がる茉莉。

 

 だが、

 

「な~んちゃって」

 

 してやったりとばかりに、舌を出す理子。

 

 当然、肩を見てもそのような物は無い。

 

 恐る恐る茉莉が振り返ると、6対の視線が向けられている。

 

「茉莉ちゃん、やっぱり・・・・・・」

「あ・・・・・・・」

 

 取り繕おうにも、後の祭りだった。

 

 1人、爆笑しているのは理子である。

 

「いや~、やっぱりね~、マツリンまだ治って無かったんだ。確か何年か前にも、一緒にホラービデオ見てさ~」

 

 嬉々として説明を始める理子。

 

 対して茉莉は、ゆらりと立ち上がり、理子を睨み据える。

 

 その茉莉の様子に、一同は思わず気圧されたように後ずさった。

 

「・・・・・・理子さん、悪戯が過ぎますよ」

「はえ?」

 

 顔を上げる理子。

 

 そこへ、茉莉が一気に襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 部屋で一息ついた後、友哉は他の3人とも話し合って、取り敢えず夕食の前に温泉にでも入ろうと言う話にまとまった。

 

 既に男子の方にも綴から伝達があり、今日1日は充分羽を伸ばすように言われている。

 

 そこで、ここはやはり女将さん一押しの温泉を楽しもうか、と言う話になった。

 

 何しろ、ついこの間、イ・ウー、ナンバー2《無限罪》のブラドや、殺人鬼《黒笠》、《鮮血の伯爵夫人》エリザベート・バートリと死闘を演じたばかりである。あの時戦った者には、まだ傷が癒え切っていない者もいるくらいだ。ここらでゆっくり、体を休め、明日からの研修に備えたかった。

 

 「ごめんなさいね、混浴じゃないのよ」と女将さんに言われた時は、さすがに赤面してしまったが。

 

 そんな訳で友哉は、女子の方の予定も聞きに来たのだった。

 

「ごめん、ちょっと入るよ。緋村だけど」

 

 そう言って襖を開けた。

 

 すると、

 

「うりうりうりうりうりうり」

「あっあっ、いやっ、り、理子さ・・・やめ・・・あん!!」

 

 理子に圧し掛かられた茉莉が、何やら悩ましい声を出して、畳の上で手をバタバタと動かしている。

 

 「手足」ではなく「手」である所が重要である。

 

 なぜなら、床の上に腹ばいにされた茉莉の両足は、理子にがっちりホールドされて、思いっきりくすぐられているのだった。

 

「おろ・・・・・・」

 

 絶句する友哉。

 

「どう、降参? 降参?」

「あッ・・・んッ・・・やめ、助け・・・あぁん!!」

 

 実に楽しそうに茉莉の足をくすぐる理子。ご丁寧に、ロザリオの力で髪を操り、茉莉の足を縛り上げて、逃げられないようにしている。

 

「クフフ~ マツリンのくせに喧嘩で理子に勝とうなんて、1万年と2000年早いのだよ」

「い、や・・・ああぁん・・・くぅッ・・・・・・」

 

 必死に耐えようとする茉莉。

 

 実力的にはほぼ伯仲している茉莉と理子だが、凡そ奸智度においては、茉莉は理子に遠く及ばない。その為、イ・ウー時代から、訓練ならともかく、喧嘩で理子に勝てた事は一度も無かった。

 

 と、理子は悪戯ついでとばかりに、空いた手で茉莉のスカートの、お尻の部分をめくり上げる。

 

「お~、マツリン、ネコさんパンツとは、相変わらず愛い奴よの~」

「やぁっ み、見ないでくださぁい!!」

 

 必死に抵抗しようとするが、足をホールドされてる状態では、それもできない。

 

 尚も、容赦無く理子必殺の「くすぐり地獄の刑」は続く。

 

 対して、逃れる事も抵抗する事もできない茉莉は、ただ成す術も無く嬌声を上げる事しかできない。

 

 その様子を見て、

 

 友哉は無言のまま襖を閉めた。

 

「・・・・・・・・・・・・あ、後で出直そう」

 

 今忙しいみたいだし。

 

 だが、茉莉のパンツを見てしまった為、赤くなった顔は隠しようも無く、部屋に戻った後、武藤達に追及される羽目になるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 女将さんが自慢するだけあり、露天風呂になっている温泉は広く、造りも立派な物だった。

 

 天然の源泉を使用しているようで、浸かるとジンワリとした暖かさが体に伝わってくるのが判った。

 

 早速、生まれたままの姿になった女子達は、体を洗い、岩風呂になった湯の中へと体を入れる。

 

「おお~、雪ちゃん、おっぱい大きいッ!!」

 

 剥き出しになった白雪の胸を見た理子が、歓声を上げる。

 

 確かに、この中で白雪のバストサイズは群を抜いている。大きいという意味では理子も充分上位なのだが、白雪のそれは理子すら遥かに凌駕した質量を誇っていた。

 

「あ、あんまり見ないで・・・・・・」

 

 恥ずかしそうに身を捩って胸を隠そうと白雪。だが、その質量があだとなって隠し切れていない。

 

「うむ、美しいな」

「そんな、ジャンヌまで・・・・・・」

 

 尚も顔を真っ赤にする白雪。

 

 隅の洗い場では、レキがハイマキの体を洗ってやっていた。

 

 だが、胸の話で華やぐ湯船の中で、沈んでいる一角がある。

 

「いいなァ、みんな・・・・・・」

「うらやましいですね・・・・・・」

 

 瑠香と茉莉が、何やらズーンと言う擬音を発しながら、暗い顔で湯船につかっている。

 

「ど、どうした、お前達?」

 

 心配になって声を掛けるジャンヌ。

 

 そのジャンヌの胸と自分達の胸を見比べ、2人そろって溜息をつく。

 

「ジャンヌ先輩は良いですよね、何だか美乳って感じで・・・・・・」

「いや、あのな、お前達・・・・・・」

 

 何しろバストサイズに関しては、この中では下から数えた方が早い2人である。白雪、理子には劣るものの、適度な大きさと、張り、艶を持つジャンヌの胸は、それだけで羨望の対象だった。

 

「そ、そう気を落とすな、あれよりはマシだと思うぞ」

 

 慌ててフォローするジャンヌが指差した先には、理子達の会話を聞きながら、明らかに不貞腐れた様子のアリアが湯船に浸かっていた。

 

 確かに、アリアに比べれば「マシ」なのかもしれないが・・・・・・

 

「ジャンヌ先輩・・・・・・」

「それはフォローしてるんですか? それともとどめを刺してるんですか?」

 

 「武偵校ロリ代表」みたいなアリアと比べて勝っていると言われても、ちっとも嬉しくなかった。

 

 そのまま湯の中に沈んで行きそうな勢いの茉莉と瑠香に、フォローに失敗したジャンヌはオロオロとするしか無かった。

 

「まったく、おっぱいおっぱいと、子供じゃあるまいし」

 

 一緒に湯船につかり、優雅に徳利を持ち込んで優雅に風呂酒を楽しんでいる綴が、呆れたように言った。

 

「こんな物、あっても邪魔になるだけだろ」

「そう、そうよねッ!!」

 

 アリアが勢いよく同意の意を示す。まさに、我が意を得たりと言った風情に、先程までの不機嫌を吹き飛ばして喜色を浮かべている。

 

「だいたい、女の価値は胸じゃないだろ」

「そうそう、その通りよ!!」

 

 綴の言葉に、いちいち頷くアリア。

 

 そこで綴は、水を掻き分け立ち上がると、一同に自らの背中を見せた。

 

「女の価値は、『括れ』だろ」

 

 正に女盛りと言った風情の綴は、項に始まり、鎖骨、背中、腰、お尻と、見事な曲線を描いている。まさに、それ自体が一個の造形美と言って良かった。

 

 勿論、万年幼児体型のアリアに、そんな見事な括れがある訳も無い。

 

「こっのォ!!」

 

 風呂桶の下に隠しておいた2丁のガバメントを取り出すと、いきなり引き金を引いた。

 

「どいつもこいつも、風穴!!」

 

 火を噴くガバメント。

 

 瞬間、身のこなしの速い茉莉と瑠香は、その場から一足で飛び退いて安全圏へ逃れる。

 

 そして、

 

「防弾石鹸!!」

「防弾アヒル!!」

「防弾ヘッドホン・・・・・・」

 

 綴、ジャンヌ、レキが、それぞれアリアの弾丸を弾いて行く。

 

 そこへ、

 

「あらあら、随分と楽しそうね」

 

 遅れて入って来た女将さんが、賑やかな様子に笑顔を浮かべて立っている。

 

 体の前はタオルで隠しているが、隠しきれない胸の膨らみは、タオル越しに見ても察するに余りある。それは最早、白雪すら凌駕するレベルである。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 圧倒的物量差の前に、一同は喧騒をやめて視線を釘付けにする。

 

 そして、流石に敵わないレベルと知り、アリアはガックリと肩を落とす。その頭上には「敗 者」と言う文字が哀愁と共に浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 女子が女湯で華やいだやり取りをしている頃、男湯では、恐ろしい陰謀が着々と進行しようとしていた。

 

「おお~、やっぱ来てよかったぜ」

「全くだな」

 

 壁に耳を当てて、向こうの会話に聞き耳を立てているのは武藤と陣の2人である。はしゃぐ女子の声に、興奮は隠せない様子だ。

 

 他2名、友哉は2人の様子を苦笑しながら眺め、キンジは耳を塞いで必死に声を聞かないようにしていた。

 

「で、武藤よ、まさかとは思うが、ただ声を聞くだけで終わりじゃ、ねえだろうな?」

「フッ、甘いぜ相良。この俺が、そこを抜かる筈ないだろ」

 

 目をキラリと光らせ、武藤が取り出したのは2対のザイルと、山岳訓練用の滑車、体を固定する為のハーネスだった。

 

 女湯と隔てる壁の高さは、4~5メートルだが、既に返しの部分に支え用のねじくぎを刺し終え、準備は万端の状態だった。

 

 2人が目指す桃源郷は、今や壁1枚隔てた向こう側に存在している。

 

 わざわざ風呂に入る前に、取り敢えず無害そうな友哉をパシらせて、女子達のスケジュールを聞きに行かせたのはこの為だったのだ。

 

「だが・・・・・・」

 

 ハーネスを取り付ける段階になって、武藤が躊躇う素振りを見せた。

 

「どうした?」

「いや、向こうには星伽さんもいる・・・・・・このまま行けば、星伽さんの裸を見てしまう。果たしてそれで良いのか、俺は・・・・・・」

 

 葛藤と共に迷いを見せる武藤。

 

 と、

 

 バキィッ

 

 弱気な武藤を、陣は殴り飛ばした。

 

「馬鹿野郎、そんな弱気な事でどうするッ?」

「さ、相良?」

 

 呆然とする武藤に、陣は諭すように語りかける。

 

「武藤よ、男はな、数々の試練を乗り越えた上でこそ成長して行くもんだと、俺は思うぜ」

「そうなの?」

「知るか」

 

 心底、どうでも良いと言った感じの友哉とキンジを無視して、陣は熱っぽく語り続ける。

 

「お前が星伽を神聖視したい気持ちは判る。だが、それはそれ、これはこれだろ。俺達の崇高な目的を思い出せ」

「・・・・・・そうか、そうだったな」

 

 何かを悟ったように立ち上がる武藤。その顔には、先程までの迷いは見られず、晴れやかな様子が見て取れた。

 

「ありがとよ、お陰で目が覚めたぜ、兄弟(ブラザー)

「フッ、それでこそ男だぜ、兄弟(ブラザー)

 

 ガシッ

 

 固い握手を交わす、男と男。

 

 ここに一つ、熱き男の友情が交わされたのだった。

 

 ま、やろうとしている事は、所詮覗きだが。

 

 準備を終えた2人は、早速ザイルと滑車を使って、壁を登り始める。

 

 武藤の準備は万端だった事もあり、2人はあっという間に壁を登り切り、屋根へと取りついた。

 

 目指す天国は、あと一歩のところまで来ている。

 

「行くぜ、準備は良いか?」

「聞かれるまでもねえ」

 

 頷き合う2人。

 

 そのまま一気に、身を乗り出した。

 

 すると、

 

「こんにちは、」

 

 何とも長閑な口調で、女将さんが屋根に捕まるようにして待ち構えていた。

 

 絶句する2人。

 

「ば、馬鹿な・・・・・・」

「さっきまで、みんなと話してたんじゃ・・・・・・」

 

 2人の様子が可笑しいらしく、女将さんはクスクスと笑っている。

 

「くノ一ですから」

 

 女将さんがそう言った瞬間、陣と武藤は揃って手を滑らせた。

 

「なんじゃそりゃァァァァァァ!?」

「理由になってませんよォォォォォォ!?」

 

 ザッパーン

 

 下の温泉に墜落する2人。身長180以上の大男2人が落下した事で、巨大な水柱が立ち上った。

 

「先上がってるぞ」

「後片付け、宜しくね」

 

 そんな2人を、付き合いきれんとばかりに放っておいて、友哉とキンジはさっさと風呂場を後にした。

 

 

 

 

 

 楽しくはしゃぐ一同

 

 明日からのきつい研修を取り敢えず忘れて、誰もが羽を伸ばしている。

 

 だが、楽しげな声を、

 

 物影から静かに見詰める目がある事に、

 

 まだ誰も気付いていなかった。

 

 

 

 

 

 風呂に入り終えた女子達は、旅館の浴衣に着替えて卓球場へと来ていた。

 

 旅と言えば、温泉と卓球とばかりに、手にラケットを持って白熱した球技に熱中している。

 

 現在の対戦は、アリアVSジャンヌ。

 

 地下倉庫(ジャンクション)以来の対決となる2人は、持ち前の身体能力を駆使して互角の戦いを演じていた。

 

 ジャンヌが打ったピンポン玉の軌道を正確に読み、アリアが素早く追いつく。

 

「貰った、ホームズ・スマッシュ!!」

 

 鋭い打ち返し。

 

 しかし、ジャンヌもまた、アリアの攻撃に追いついて見せる。

 

 跳ねるピンポン玉は、再びアリアへと向かう。

 

 その時、ジャンヌがピンポン玉に向けて、翳した手から冷気の魔力を吹きかけた。

 

 すると、玉はアリアの予測を外れて空中で跳ね、床へと転がった。

 

「ポイント、ジャンヌ~」

 

 審判役の理子の裁定に従い、瑠香が点数表を1枚めくる。

 

 納得がいかないのはアリアである。

 

「な、何なのよ今のは!?」

「何って、軌道修正。武偵卓球じゃ常識でしょ」

「聞いた事無いわよッ!!」

「イ・ウーじゃ大流行だったんだが」

 

 顔を合わせて肩を竦めるジャンヌと理子。流石は世界最大の犯罪組織。卓球一つまともでは無かった。

 

「あんなの無し、ちゃんと本気でやるの!!」

「「え~~~」」

「『え~』じゃない!!」

 

 アリアはそう言って、ラケットを振り翳した。

 

 白熱の戦いを再開するアリアとジャンヌ。

 

 そこへ、自分もラケットを持った茉莉がやってきた。

 

「理子さん、やりませんか?」

「ん、良いよ~」

 

 茉莉に誘われ、理子もラケットを持ってもう1台の卓球台についた。

 

 ジャンケンをして、先攻は理子となる。

 

「クフフ、リッコリコにしたやんよ!!」

 

 言い放つと同時にピンポン球を投げ上げ、ラケットで的確に弾く理子。

 

 ピンポン玉は2回バウンドして、茉莉の方へと飛んで行き、

 

 ズドーンッ

 

 次の瞬間、衝撃波と共に理子の顔のすぐ脇を掠めて飛んで行った。

 

「・・・・・・へ?」

 

 舞い上がった理子の豊かなツーテールの片方が、一瞬の間を持って元に戻る。

 

 恐る恐る振り返ると、茉莉が打ち返したと思われるピンポン玉が、理子の背後の壁に突き刺さって煙を上げていた。

 

 如何なる力を加えればそうなるのか。普通に考えれば、壁に当たればピンポン玉の方が破裂する筈なのだが。

 

「どうしたんですか理子さん? 打ち返してくれなきゃ卓球になりませんよ?」

「ま、マツリン?」

 

 振り返ると、笑顔の茉莉がラケットを構えてそこにいる。だが、目は全く笑っていなかった。

 

「あの、マツリン、もしかして・・・・・・怒ってる?」

「いいえ、全く、全然、微塵も」

 

 明らかに怒っている。さっき「くすぐり地獄の刑」に処せられた事を根に持っていた。

 

「レキさん、(たま)

「いや、今、明らかに字が違ったでしょ!!」

「どうぞ」

「ちょっ、レキュゥゥゥ!!」

 

 あっさり寝返ったレキに声を上げる理子。

 

 だが、そんな事をしている暇は、理子には無い。

 

 レキからピンポン玉の入った箱を受け取った茉莉は、理子に向けて「砲撃」を開始したのだ。

 

「大丈夫ですよ、痛くしませんから」

「絶対嘘だァァァァァァ!!」

 

 それに対して理子は、涙目になりながら逃げまくる事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 楽しい時間は続く。

 

 だが、

 

 惨劇は、もうすぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 卓球を終えた一同は、部屋に戻りそれぞれに髪を乾かす者、お茶を飲む者に別れ、めいめいに時間を過ごしていた。

 

「あ~あ、折角お風呂に入ったのに、汗かいちゃったわよ」

 

 アリアが床に足を投げ出しながら、溜息交じりに言う。

 

 あの後も熱戦は続き、結局かなりの運動量となってしまったのだ。

 

「後で、また入れば良いよ」

「あ、あたしも入りたいです」

 

 白雪の言葉に、瑠香も同意する。

 

 その時、髪をブラシで梳かしていた理子が、何かに気付いたように振り返った。

 

「あれ、そう言えば、ジャンヌは?」

 

 言われて、一同は周囲を見回す。

 

 確かに、銀氷の魔女の姿は、何処にも無かった。

 

「部屋に入るまでは、一緒だったと思ったんですけど」

 

 茉莉も首をかしげる。何しろあの容姿だ。いなくなれば誰かが気付くと思うのだが。

 

「レキ、あんた何か知ってる?」

「気付きませんでした」

 

 アリアの問いに、レキも首を振る。

 

 この中で一番集中力と注意力に優れているレキですら気付かなかったとは、不可思議な話である。

 

 その時だった。

 

『ウワァァァァァァァァァァァァァ!?』

 

 遠くから聞こえる、明らかに常軌を逸した悲鳴。

 

「これってッ」

「武藤君の声!?」

 

 一同は弾かれたように立ち上がると、部屋を飛び出して駆け出す。

 

 途中で、同じように悲鳴を聞きつけた、女将さん、綴、更に、友哉、キンジ、陣とも合流し、声が聞こえた方へと走る。

 

 武藤は、廊下の端に座り込んで、庭の方を向いていた。そこにある何かを見て怯えているように震えている。

 

「武藤!!」

「どうしたのッ!?」

 

 駆け寄るキンジと友哉に、武藤は庭の一点を察し示す。

 

 武藤が示した方へ、皆は視線を向けた。

 

 そこには、庭の隅に大きな菊人形が飾られている。宿に入った時も、随分と立派な人形だと思った。

 

 だが、次の瞬間、一同は揃って絶句した。

 

 朝には1体だった筈の菊人形が、2体に増えていたのだ。

 

 否、元からある菊人形の脇に、同様の装飾を施されたジャンヌが、虚ろな目をして立っているのだ。

 

 元々、仏蘭西人形のような美しい外見を持つジャンヌである。装飾を施され、より美しく、それでいて途轍もなく不気味に、そこに存在していた

 

「や、八墓村?」

「いや、犬神家じゃなかったか?」

「そんな事どうでも良いわよ。だ、誰がこんな事やったのよ!?」

 

 震える声で尋ねるアリアの声にも、答えられる者はいない。

 

 一同は、恐る恐る、菊人形にされたジャンヌに近付いてみる。

 

 と、ジャンヌの目に焦点が戻るのが見えた。

 

「・・・・・・ここは、どこだ?」

 

 意識が戻ったジャンヌは、被っていた笠を取り周囲を見回す。

 

 途端に、アリアと理子が爆笑した。あまりの緊張感とギャップに、拍子抜けしてしまったのだった。

 

 そんな中で、1人、

 

 レキは、愛犬ハイマキが、何もいない場所に向かって敵意の唸り声を上げている事を不審に思っていた。

 

 

 

 

 

 だが、この時、

 

 既に、惨劇の扉はゆっくりと開いていたのだ。

 

 

 

 

 

 部屋に戻ったジャンヌは、少し気分が悪いと言ったので、すぐに布団を敷いて横にならせた。

 

 とにかく、一体誰があんなタチの悪い悪戯をしたのか、犯人を割り出すのは後回しにして、ジャンヌを休ませてやる必要があった。

 

「じゃあ、何も覚えていないのですか?」

「ああ、気付いたら、あそこに立っていたんだ」

 

 茉莉の問いかけに、ジャンヌは困ったように頷く。

 

 考えてみれば、おかしな事だらけだ。

 

 この村に来てから、誰も住人を見ていない。みんなの目の前で消えて、いつの間にか菊人形にされていたジャンヌ。この旅館にしても、これだけの規模であるにもかかわらず、女将さん以外の従業員は見ていなかった。

 

「いったい、どうなってるの?」

「ふふん、アリア、判らないの?」

 

 理子が自慢げに胸を逸らして見せる。

 

「これはね、きっと研修の一環だよ。明日からなんて言ってあたし達を油断させておいて、もう始まってるんだよ」

 

 確かに、そう考えれば、全ての事に辻褄が合う。

 

 住人や従業員がいないのは、一般人を巻き込まないようにする為の配慮と取れるし、ジャンヌを襲った事も、誠に武偵校の研修らしいと言える。

 

 だとすれば、黒幕は綴と女将さんと言う事になるが。

 

 その時、襖が開いて、キンジと友哉が部屋の中に入ってきた

 

「おい、武藤と相良は知らないか?」

「2人とも、さっきから姿が見えないんだけど」

 

 だが、女子達は揃って首を横に振る。

 

 そこでふと、理子がある事に気がついた。

 

「そう言えば、ルカルカは?」

 

 見れば、瑠香の姿も見当たらなかった。さっきまでは間違いなく一緒にいた筈なのだ。

 

 胸騒ぎを覚えつつ、一同は探しに出る事にした。

 

 間もなく日も落ちる。土地勘の無い場所で、夜中に探して回るのは避けたい所であった。

 

 まずは武藤を探す、と言う事になり、ハイマキに匂いを覚えさせてレキがリードを握り先行していた。

 

「でもさ、武藤と相良の事だから、どうせまた、2人で変な事でも企んでるんじゃないの?」

 

 それは否定できない。何しろ覗き前科一犯の2人だ。今度は何を企んでいるやら。

 

 匂いを辿っていたハイマキが足を止めたのは、その時だった。

 

「ハイマキ?」

 

 レキが愛犬の傍らにしゃがみこんだ、

 

 その時、

 

「お、おい、あれ!!」

 

 息を飲むようなキンジの声に、一同が指し示された天井を振り仰いだ。

 

 そこには、天窓がある。そして、その天窓から身を乗り出すようにして、何か粘土のような物を顔に塗りたくられた武藤が、代わり果てた姿で身を乗り出していた。

 

「「キャァァァァァァァァァァァァ!!」」

 

 白雪と茉莉の悲鳴が連鎖的に発生した。

 

 更に、

 

「あ、あれはッ!?」

 

 友哉が緊張に満ちた声で、庭の方を指し示した。

 

 そこには、両手を左右に広げた状態で壁に磔にされている瑠香の姿が。

 

 そして、その足元の地面には、首まで生き埋めにされた陣の姿があった。

 

 一瞬の間があって、天窓が破れ、武藤の体が落下してくる。

 

 その光景を、一同はただ茫然と眺めている事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 ようやく、自分達の置かれた状態が容易ならざる物と判った一同。

 

 しかし、これはまだ、氷山の一角に過ぎないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日も落ち、辺りが暗くなった部屋の中で、一同は緊張に満ちた面持ちで準備を進めている。

 

 犠牲になった武藤、陣、瑠香の3人だが、取り敢えず命に別条は無く、介抱して今は休ませている。

 

 3人とジャンヌをそれぞれの布団に寝かせた後、それぞれ得物を手に終結した。

 

 キンジはベレッタを、友哉は逆刃刀、アリアは2丁のガバメント、理子は2丁のワルサー、白雪は銘刀イロカネアヤメ、レキはドラグノフ、茉莉は菊一文字を持って、それぞれ集まって来た。

 

「本当にやるのか?」

 

 キンジが気乗りしない感じで呟く。

 

 これから綴と女将さんに対し、反撃を開始しようと言うのだ。

 

 確かに、相手は手練の武偵とは言え、こちらもこれだけの戦力で挑めば勝つ事は難しくないだろう。

 

「当然でしょう。このままやられっ放しでたまるもんですか!!」

「大丈夫大丈夫。ちょっと脅かすだけだから」

 

 すでに臨戦態勢充分のアリアと理子。

 

 やられたらやり返す。まこと、武偵らしい行動ではあるが。

 

「と言う訳で、キンジ、友哉、アンタ達、ちょっと行って先生と女将さんを連れ出して来なさい」

「へいへい」

「了解」

 

 2人は顔を見合わせて肩を竦めると、アリアの指示に従い綴の部屋へと向かった。

 

 綴と女将さんは、夕方から2人で酒を飲んでいる筈である。確かに、今襲えば確実に勝てるだろう。

 

 2人が連れだって綴の部屋の前まで行くと、襖が開いており、中の光が漏れ出ていた。

 

「失礼します」

「先生、ちょっと良いですか」

 

 声を掛けて中を覗き込む2人。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・あれ?」

 

 部屋の中に2人の姿は無かった。

 

 周りには酒の空き瓶が転がっており、テーブル上にもビールの缶が置かれている。つい今しがたまで2人がここで飲んでいたのは間違いない筈なのだが。

 

 不審に思ったアリア達もやって来て、部屋の中を隈なく探し始めるが、綴たちの姿は無い。

 

「おかしいわね」

「何処に行ったんでしょう?」

 

 置かれている瓶の中には、まだ中身が入っている物もある。これを置いて2人が何処かに行くとは考えづらいのだが。

 

 そんな中で、ふと、白雪は何気ない仕草で、続きの間に通じる襖に手を掛けた。

 

 開いてみると、中は真っ暗で奥の方まで見通す事はできない。

 

 仕方なく、白雪は手にした懐中電灯を点けた。

 

 次の瞬間、

 

「キャァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 耳を劈くような白雪の悲鳴。

 

 一同は慌てて振り返り、白雪に駆け寄る。

 

「どうした、白雪!?」

 

 白雪が指し示す部屋の奥。

 

 そこには、

 

 天井から紐のような物でつり下げられた、綴と女将さんの無惨な姿があった。

 

 2人の姿に、一同は絶句せざるを得ない。

 

 今の今まで、犯人は綴と女将さんだと思っていたのだ。

 

 しかし、その2人が変わり果てた姿で発見されるに至った。

 

 普段は強気な軽口を叩く理子も、冷静沈着なレキも、驚愕を禁じえない様子だった。

 

「い、一体、誰がこんな事を・・・・・・」

 

 この宿には、否、この村にはプロ級の武偵を人知れず戦闘不能に追いやる程の存在がいる。それだけでも、恐怖は嫌が上で増幅する。

 

 その時、真横からカタッと言う音が聞こえ、一同が振り返る。

 

 視線の先に、1人の少年が立っていた。

 

 年の頃は小学校低学年程度。半袖に半ズボンを着た、何処にでもいそうな少年である。

 

 だが、その少年を見た友哉は、思わず目を疑った。

 

 暗がりに立っているせいで、他の皆は気付いていないみたいだが、少年の目は暗く落ち窪み、眼球がある場所には黒い穴になっているのだ。ちょうど、そこだけくり抜かれたかのように。

 

「あ、あなた、ここで何があったか、知らない?」

 

 アリアが声を掛けた時だった。

 

 踵を返した少年は、脱兎のごとく駆け出してしまった。

 

「あ、待って!!」

 

 一度も、それを追って外へと飛び出す。

 

 入ってきた入口との反対側には渡り廊下があり、少年は一目散に駆けて行く。

 

 それを追って、武偵達も駆ける。

 

 先頭はアリアとキンジ、やや遅れて理子、レキ、白雪が続き、最後尾が友哉と茉莉になっていた。

 

 だが、追えども追えども、少年との差は一向に縮まらない。

 

「クッ、このままじゃ埒が明きませんッ」

 

 そう言うと、茉莉はスッと腰を落とした。

 

 次の瞬間、シルエットが霞む程の速度で廊下を駆けだす。

 

 縮地を発動した茉莉。その姿を追う事は困難を極め、友哉ですら遅れないようについて行くので精いっぱいだった。

 

 やがて、少年は母屋のような場所へと駆けこんで行くのが見えた。

 

 迷わず、友哉と茉莉も追い掛ける。

 

 中は相当に広く、幾重にも座敷が連なっている。

 

 2人が座敷の中へと踏み込むと、少年は既に次の間の襖を閉めようとしていた。

 

 追い掛けて襖を開くと、またも少年は次の間の襖を閉める。

 

 そこも開くと、更に向こう側の襖を締める少年の姿が見える。

 

 キリが無い。まるでアキレスと亀だ。

 

「緋村君、様子がおかしいです」

「うん、警戒してッ」

 

 2人は、少年の姿を見失わないように駆け続ける。

 

 そして、何枚目かの襖を開けはなった瞬間、

 

 異様な光景が広がっていた。

 

 そこは4畳ほどの狭い部屋だった。

 

 目の前には、何かを祀った祭壇があり、壁一面に御札が貼られている。

 

「こ、これは・・・・・・」

 

 思わず絶句する友哉。

 

 と、

 

「あの、緋村君、他の皆さんは?」

「え?」

 

 来た道を振りかえる友哉。

 

 見れば、キンジも、アリアも、理子も、レキも、白雪も姿が見えなかった。

 

「そんな・・・・・・」

 

 次の瞬間、今まで開け放ってきた襖が次々と閉まって行く。

 

 あっと思った時には、目の前の襖も閉じて、2人は完全に閉じ込められてしまった。

 

「ひ、緋村君ッ」

 

 裏返った声を発する茉莉。

 

 同時に、どこからともなく読経のような声が聞こえて来る。

 

「あ、あぁ・・・・・・」

 

 ガタガタと体を震わせて、その場に座り込む茉莉。

 

 友哉もまた、立ち尽くしたまま、あまりにも異様な事態に言葉も出ない。

 

 襖の一角が突然開き、痩せこけた、黒い手のような物が伸びて来るのが見える。

 

 その光景だけで、いつ発狂してもおかしくは無い。友哉の足元に座った茉莉などは、今すぐに失神しても不思議では無かった。

 

 友哉は恐怖を噛み殺し、スッと目を閉じる。

 

『落ち着け・・・・・・落ち着け・・・・・・』

 

 心の中で、繰り返し言い聞かせる。

 

 この状況が何なのか、それは判らない。だが、この異様な事態にあって冷静さを失えば、それで終わりだ。

 

 一つ、深呼吸をする。

 

 読経の音は尚も聞こえてくるが、それに惑わされずに腰を落とし、逆刃刀の柄に手を掛けた。

 

 目に見える物、耳で聞く物が全てでは無い。己の心の中にある物を信じよ。

 

 ただ只管に、それだけを思い描く。

 

 次の瞬間、

 

「やァァァァァァァァァァァァッ!!」

 

 裂帛の気合と共に、逆刃刀を鞘走らせる。

 

 銀の閃光は闇を切り裂き、空間その物を断ちきるかのごとく迸った。

 

 途端、

 

 それまで聞こえて来た読経の音は途絶え、閉まっていた襖もいつの間にか開いていた。

 

「ひ、緋村君?」

 

 その光景に、茉莉は信じられないと言った感じに目を丸くしている。まさか、自分達を取り巻いていた状況を、剣一つで振り払ってしまうとは思わなかった。

 

「前にね、SSRで読んだ本が、意外と役に立ったよ」

 

 友哉は1年の頃、担任教師の使いで超能力捜査研究科(SSR)に行った時、先方の都合で少し待ち時間ができてしまった為、そこらに置いてあった本を適当に手にとって暇をつぶした事があった。

 

 その本に書いていた事だが、悪鬼、魑魅魍魎、物の怪の類と言う物は、悲しみ、怒り、恐怖等の「陰の気」に引きつけられてやってくると言う。そのような存在と戦うためには、喜び、楽しみ、元気と言った「陽の気」を強く持つ事が大事であると書いてあった。

 

 童謡「お化けなんてないさ」の歌詞にある、「おばけなんてないさ、おばけなんて嘘さ」と言うのは、除霊の方法として、あながち間違いではないのだ。

 

 そこで友哉は、剣術家の放つ裂帛の気合、「剣気」で代用できないか、と思って試してみたのだが、

 

「ぶつけ本番だったけど、意外と上手くいくもんだね」

「こんな事、普通できないと思います」

 

 友哉に助け起こされながら、茉莉は呆れ気味に返事をした。

 

 冷静になり、改めて見回すと、部屋の異様さが良く判る。

 

 目の前の祭壇も、周囲の御札も、禍々しい空気を放っている。

 

「これは、何かを鎮める為の祭壇のようですね」

 

 注意深く観察しながら、茉莉が呟く。

 

 祭壇は何か祀ってある物の魂を慰め、御札は、この部屋にその存在を閉じ込めようとする意図が見えるようだった。

 

「って言うか、瀬田さん、結構詳しいね」

 

 友哉に指摘され、茉莉は「ああ」と呟いて向き直った。

 

「そう言えば、言ってませんでした。私の実家は神社なんです。それで」

「ああ、成程ね」

 

 それなら、色々と詳しい事にも納得できた。

 

 て言うか、神社の娘でもホラー物が怖いのか、と友哉は思ったが、それを言っちゃ可哀想な気がしたので、慎ましく黙っていた。

 

「それで、ここに祀られていた物って、何なの?」

「流石に、そこまでは・・・・・・」

 

 茉莉が、そう言い掛けた時だった。

 

 視界の端で、影が動いたのを見逃さなかった。

 

 振り返ると、先程の少年が、部屋の隅からこちらの方を眺めていた。

 

「あっ」

 

 声を上げた瞬間、少年は茉莉に向かって駆け寄ってきた。

 

 すれ違う。

 

 否、少年は、茉莉の体の中をすり抜けて、その後方へと駆け去って行ったのだ。

 

 次の瞬間、茉莉は色々な物を感じた。

 

 寒さ、辛さ、寂しさ、そして、計り知れないほど大きな悲しみ。

 

 それらが一瞬にして駆け抜け、茉莉は思わず立っている事もできず、その場に膝を突いた。

 

「瀬田さん!!」

 

 慌てて駆け寄る友哉。

 

 茉莉は自分の肩を抱き、何かを堪えるように震えている。

 

「瀬田さん、大丈夫?」

「・・・・・・・・・・・・はい」

 

 絞り出すように、茉莉は返事を返す。

 

 友哉に支えられるようにして立ち上がりながら、茉莉は先程感じた、言い知れぬ悲しみに事を考えていた。

 

 あれは、もしかしたら・・・・・・

 

「・・・・・・行きましょう、緋村君」

「え、瀬田さん?」

 

 戸惑う友哉を引っ張るように、茉莉はある種の確信を抱いて歩き出した。

 

 

 

 

 

 茉莉がやって来たのは、一見すると納戸のようにも見える木の引き戸がある場所だった。

 

 躊躇わずに取っ手に手を掛けて引くと、カビ臭い匂いが、ツンと鼻の中に飛び込んで来た。

 

 中は意外と狭く、2畳ほどの広さしか無い。

 

 だが、内部は納戸では無く、真ん中にはひどく薄汚れ、ボロボロになった一組の布団が置かれているだけだった。

 

「ここは?」

「多分・・・さっきの男の子の部屋だと思います」

 

 先程、少年とすれ違った時、茉莉は少年の持つ感情と、そして歩んで来た歴史のような物が見えた気がした。

 

 それは、女将さんがここに宿を造るよりも遥かに前。恐らくは昭和初期の事。

 

 1人の少年が、ここに住んでいた。

 

 少年は早くに両親を亡くし、裕福な親戚の家に引き取られたのだが、その親戚は、まだ幼い少年をまるで奴隷のように扱ったと言う。

 

 毎日、毎日、朝から晩まで牛馬のように扱き使われる日々。僅かでも失敗すれば、容赦無く暴力を振るわれた。出される食事と言えば、粗末な物ばかり。それすら、理不尽な理由で抜かれる事もあった。

 

 遊びたい盛りに遊ぶ事も許されず、親戚家族は「自分達が身寄りのないお前を拾ってやったんだ。その恩を返すのは当然の事」と、事ある毎に繰り返しては、少年を扱き使い続けた。

 

 そんな悲しみに包まれた人生の末、少年は流行病にかかり、「体面が悪い」と言う理由で医者にも診せてもらえず、碌な治療もされないまま、幼くしてこの世を去ってしまったのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・悲しすぎるね」

 

 茉莉の説明を聞き、大きな怒りが、友哉の胸を支配する。

 

 もし自分が、その時その場所にいれば、少年を救ってやる事ができたのに。

 

 手にした逆刃刀を、力強く握りしめる。

 

 その時、すぐ背後に気配が立つのを感じた。

 

 振り返れば、先程の少年が、ジッとこちらを見つめている。

 

 今度は逃げ出す事も無く、ただ、何かを訴えるように見詰めていた。

 

「・・・・・・・・・・・・もう、良いんですよ」

 

 ややあって、声を掛けたのは茉莉だった。

 

「もう、苦しまなくて良いんです」

 

 そう言うと茉莉は、少年を怖がらせないようにそっと近づくと、その小さな体を優しく抱きしめる。

 

「もう、楽になっても良いんです。向こうに行けば、きっと、あなたに良くしてくれる人が、たくさんいると思いますから」

 

 そう、優しく語りかける。

 

 どれくらい、そうしていただろうか、

 

 やがて、

 

《ア リ ガ ト ウ オ ネ エ チャ ン》

 

 そう言う呟きが聞こえ、一瞬、少年が微笑んだ気がした。

 

 次の瞬間、茉莉の腕の中で少年の体はスーッと消えて行くのが判った。

 

「・・・・・・行ったんだね」

「・・・・・・ええ」

 

 茉莉がそう頷いた時だった。

 

 突然、視界がグルリとひっくり返るような感覚に襲われ、次いで景色が一気に暗転する。

 

 何も見えなくなり、真っ暗な奈落を落ちて行くような感覚。

 

 気付いた瞬間、意識は肉体を離れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 眩しい日差しが、瞼を明るく染め上げる。

 

 朝の陽ざしに似ているが、それよりもより柔らかく、優しい感覚がある。

 

「・・・・・・んッ」

 

 呻き声をあげて、友哉は眼を開いた。

 

 体が痛い。何だか、不自然な格好で眠っていたような感じだ。

 

 そこでふと、我に返った。

 

 何とそこは、来る時に乗ってきた軽自動車の中だった。

 

 隣の運転席では陣が眠っており、後部座席では茉莉と瑠香が寄り添って眠っていた。

 

「そんな、馬鹿な・・・・・・」

 

 車は、村入口前の駐車スペースに停まっており、すぐ前にはキンジ達の乗ったミニバンもあった。

 

 急いで陣達を叩き起こし、更にミニバンの扉を開いて、やはり眠りこけていたキンジ達も起こして行った。

 

「いったい、何があったの?」

「さ、さあ・・・・・・」

 

 皆、村に入って宿に行った記憶はある。だが、気が付けば、全員がこの駐車スペースの車の中に戻っていたと言うのだ。

 

「全部、夢だったのか?」

「まさか・・・・・・」

 

 全員が同じ夢を見る事など、あり得るのだろうか?

 

 まるで狐に摘まれたような面持になる。あの綴ですら、信じられないと言った面持ちをしていた。

 

 誰も、この状況を説明できる者はいない。

 

 とにかく、こうしていても始まらないので、取り敢えず村に行こうと言う事になり、半日前と同じように、皆で連れだって村の中へと入って行った。

 

 驚いた事に、先程とはうって変わって、村の中は活気に満ち溢れていた。

 

「お、先生、お久しぶりですねッ」

「今年もこの季節が来ましたか」

「また、宜しくお願いしますよ!!」

 

 すれ違う村の人々が、皆、気さくに声を掛けて行ってくれる。

 

「この村って、こんなに人がいたんだ・・・・・・」

 

 アリアが呆然と呟く。

 

 そんな事をしている内に、一同は「かげろうの宿」へと到着した。

 

 すると、そこには既に女将さんが三つ指ついて一同を待っていた。

 

「ようこそ、待っていましたよ、皆さん」

 

 溢れんばかりの笑顔には、この宿で起きた事を覚えている様子は微塵も感じられない。

 

 恐る恐ると言った感じに、アリアが尋ねてみる。

 

「あの、いきなり襲いかかってきたりはしないんですか?」

「はい?」

 

 突然の質問に、目を丸くする女将さん。

 

「だって、元武偵なんですよね」

「それに、もう還暦だって・・・・・・」

 

 白雪と瑠香の質問に、女将さんはニッコリ微笑む。

 

「あらあら、よく知ってるわね」

 

 言いつつ、綴に詰め寄る。

 

「ッて言うか綴、会ったばかりの学生さんに、何色々と話しちゃってるのよ?」

「いや・・・会ったばかりじゃないんだが・・・・・・」

 

 説明不能な事態に、綴も未だに戸惑いから抜けきれないでいた。

 

 そんな中で、茉莉は、そっと友哉に近づいた。

 

「もしかしたら、あの子はたんに遊びたかっただけなのかもしれません」

「え?」

 

 振り返る友哉に、茉莉は微笑みながら言う。

 

「私達が遊んでいるのを見て、楽しそうだったから。だから、祀られている祭壇を飛び出して、一緒に遊んでもらいたくて出て来たのかもしれません」

 

 言われてみれば、確かに。襲われたみんなも、ひどい恰好にはさせられていたが、怪我をした者は1人もいなかった。あれが、子供の悪戯だったと考えれば、納得のいく物もある。

 

「そうかも、しれないね・・・・・・」

 

 風が、優しく吹き抜けて行く。

 

 天に上るその風を感じながら、友哉と茉莉は、少年に思いを馳せて微笑んでいた。

 

 

 

 

 

番外編「温泉宿の怪」(TV版未放送13話)      終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに、

 

 武偵校に帰った茉莉は、

 

「マッツリ~ン、ホラー映画全特集、借りて来たよ~、今夜はオールナイトだー!!」

「イィヤァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 やっぱり、ホラー物が苦手だった。

 



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イ・ウー激突編
第1話「夏も近付く」


 

 

 

 

 

 

 

 

 暗い部屋。

 

 淀んだ空気が重苦しい。

 

 もう何日も、こんな場所に転がされていた気がする。

 

 目が痛い

 

 手が痛い

 

 体が痛い

 

 足が痛い

 

 声も出ない

 

 喉が渇いた

 

 衣服が乱れている。

 

 手足が動かないのは、縛られているせいで、声を出せないのは猿轡を噛まされているせいだ。

 

 けど、

 

 きっと、それだけじゃない。

 

 自分の目の前に立つ少年。

 

 血濡れた木刀を下げ、鋭いまでに目を細めたその姿。

 

 それが、あの少年と同一人物だとは思えないほどだった。

 

 そして、彼の足もとで襤褸屑のようになり果てて転がる男。

 

 彼は自分を誘拐した男。

 

 だが、彼はもう良い。

 

 問題は、木刀を手に立っている少年。

 

 誰よりも大好きな筈の少年。

 

 その少年に恐怖し、体を動かす事ができなかった。

 

 

 

 

 

 四乃森瑠香は息苦しさと共に、目を覚ました。

 

 上体を起こす。

 

 体中にひどい汗をかいていた。パジャマも下着もグッショリと濡れていて気持ち悪い。朝になったらシャワーを浴びなければならない。

 

「・・・・・・・・・・・・なんって、夢見てんだろ、あたし」

 

 それは「あの時」の夢。

 

 瑠香にとっては、思い出したくもない記憶。

 

 それを、今になって夢に見るとは。

 

「・・・・・・きっと、あんな事が、あったからだ」

 

 先日の黒笠との戦闘。あの戦いの時に、瑠香の戦兄である緋村友哉は、その隠された本質を表出させ、黒笠をボロボロに叩きのめした。

 

 あんな姿を見てしまったから、封印していた記憶を蘇らせる結果となってしまった。

 

「あんな事、なければ・・・・・・・・・・・・」

 

 汗に濡れて額に張り付いた前髪をかき上げる。

 

 ふと、自分の隣を見る。

 

 瑠香が眠る一緒の布団には、瀬田茉莉が静かな寝息を立てている。

 

 今の行動で起こしてしまわないか心配だったが、どうやら大丈夫らしい。

 

「クスッ」

 

 微笑を浮かべると、瑠香は手を伸ばして茉莉の頭をそっと撫でる。

 

 すると、茉莉はくすぐったそうに少し顔を動かした。

 

 本当に寝顔まで可愛い娘である。茉莉とは色々あったが、友達になれて本当に良かったと思っていた。

 

 そして、

 

 隣のベッドでは、瑠香であり戦兄であり幼馴染でもある緋村友哉が眠っていた。こちらも、起きて来る気配は無い。

 

「友哉君・・・・・・」

 

 子供の頃から一緒に過ごしてきた大好きな少年。

 

 彼のあんな姿は、二度と見たくないと思っていたのに。

 

「私がもっと・・・・・・強くならないと・・・・・・」

 

 瑠香はまだ明けぬ闇の中で、そう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 7月に入り、梅雨も明けた空はカラッと晴れ上がる。

 

 この時期、武偵校の制服は臙脂色の冬服から、青を基調とした夏服に切り替わる。と言っても男子は普通の学校と同じくジャケットを脱ぐだけの話だが。女子の方は生地の薄い青いラインの入った半袖セーラー服となる。

 

 清涼感と開放感を感じさせる光景ではあるが、同時に布面積の狭小化は防弾制服としての防御力が低下する事を意味している。その為、武偵校で夏服を着るのは、7月いっぱいと、夏休みを含む8月のみとされる。

 

 仕方ないとは言え、残暑の残る9月には冬服に戻らねばならない為、暑さが苦手な人間には、少々つらい物があった。

 

「いや~、もうすぐ夏休みだね~」

 

 3人そろって学校へ向かう道を歩きながら、瑠香が早めの開放感に浸るような気分でそう言う。

 

「夏休みどうしよっかな~、実家に帰って久々にお父さん達の顔見るのも良いけど、ああ、でも友達とも遊びに行きたいし」

 

 前途にある楽しい未来を思い描きながら、クルクルと回っている瑠香の姿は見ていて楽しい。

 

 が、彼女の戦兄として、友哉は一応の釘も刺さなければならない。

 

「浮かれるのは良いけどね、瑠香。その前に休み前の試験もあるって事、忘れてないよね?」

「うっ・・・・・・」

 

 忘れてました、と言うよりは、努めて思い出さないようにしていました、と言う顔で瑠香は動きを止める。

 

 そんな戦妹の姿に、友哉は溜息をつく。

 

「夏休み前で浮かれる気持ちも判るけど、その前にクリアする物はクリアしとかないと」

「わ、判ってるってばッ」

 

 因みに、瑠香の成績はまことに武偵校生徒らしく、お世辞にも良いとは言い難い。いかに一般常識に関してあまり頓着されない武偵校とは言え、成績が下がり過ぎればそれなりにリスクも生じる物である。

 

「四乃森さん、一緒に頑張りましょう。少しくらいなら、私も勉強を見てあげられますから」

「む~~~」

 

 茉莉に優しく言われ、瑠香は頬を膨らましながらそっぽを向く。

 

 瑠香としては、なるべく勉強に割く時間は作りたくないのが本音である。いかに友達の言葉でも、そこだけは変わらなかった。

 

 っと、何かを思いついたのか、瑠香は顔を上げて茉莉をジト目で見た。

 

「つーか茉莉ちゃん、前から言いたかった事があるんだけど」

「は、はい、何ですか?」

 

 瑠香の気迫に押されるように、茉莉は少し引き気味に答える。

 

「茉莉ちゃん、あたし達と一緒に生活するようになって結構経つよね」

「そ、そうですね・・・・・・だいたい2ヶ月くらいでしょうか?」

 

 ズイッと、茉莉に顔を近付ける瑠香。

 

「何で未だに、あたし達の呼び方が『緋村君』と『四乃森さん』なのかな?」

「え、別に、他意は無いですけど・・・・・・」

「今後の親交とチームワークの向上の為に、ここはやっぱりお互いを名前で呼び合う事も重要なんじゃないかな?」

「・・・・・・え?」

 

 突然の事で、とっさにどう答えて良いのか判らない茉莉。

 

 助けを求めるように、友哉の顔を見る。

 

 が、

 

「あ、それ良いね。僕も賛成だよ」

 

 あっさり寝返る友哉。茉莉の味方はいなかった。

 

「じゃあ、友哉君からいってみようか?」

「おろ、僕から?」

 

 突然話を振られ、友哉はキョトンとする。まさか自分に矛先が向くとは思っていなかったようだ。

 

「そうだよ。だって、友哉君も茉莉ちゃんの事、いつまでも『瀬田さん』って言ってるじゃん」

 

 そう言えばそうか。考えてみれば、同級生で、そこそこ仲の良い女子の内、名字で呼んでいるのはせいぜい星伽白雪くらいだ。あとはみんな名前で呼んでいる。そう思い、友哉は茉莉に向き直った。

 

「じゃあ、僕はこれから、瀬田さんの事を『茉莉』って呼ぶ事にするよ」

「えッ!?」

 

 茉莉はビクッと肩を震わせた。友哉があっさりと同意してしまった事が衝撃だったらしい。

 

「おろ、もしかして『茉莉ちゃん』の方が良かった?」

「い、いえ、そこはどちらでも・・・・・・」

 

 しどろもどろになる茉莉に、更に追い打ちが掛る。

 

「はい、じゃあ、今度は茉莉ちゃんの番ね。友哉君の事を、『友哉』って呼んで」

「い、いきなり呼び捨てですかッ!?」

 

 茉莉にはハードルが高すぎるらしい。

 

「ん~、じゃあ、無難に『友哉君』で良いよ」

「う・・・・・・」

 

 熱くなり始めた気温の中、ダラダラと汗を流しながら目を逸らす茉莉。

 

「これもダメなの?」

「い、いえ、私にも、その、心の準備と言う物が・・・・・・」

「そんな物必要ないよ。はい、どうぞ」

「じゃ、じゃあ、また日を改めて・・・・・・」

「今ここでやっちゃおう。はい、どうぞ」

「せ、せめてもう少しレベルを下げて・・・・・・」

「これ以上下げようがないよ、はい、どうぞ」

 

 瑠香は容赦なく茉莉を追い詰めていく。

 

 その時、

 

「朝から何をやっているんだ、お前達は?」

 

 声を掛けられ振り返ると、武偵校の制服を着た銀髪の少女が呆れ気味に見ていた。

 

「あ、ジャンヌ、おはよう」

 

 かつて魔剣事件において剣を交えた《銀氷の魔女》ジャンヌ・ダルク30世は、今は情報科2年生として同じ学校に通っていた。

 

 噂によるとテニス部に所属し、転校したてであるにも拘らず、下級生から絶大な人気を誇っていると言う。彼女自身、凛とした女優の様な容貌を持ち、面倒見も良く、先祖の血ゆえかカリスマ性にも優れているのだろう。

 

 彼女はこの短期間で、ある種の勢力とも言える存在を武偵校に築きつつあった。

 

「おはようございます、ジャンヌさん」

「ああ、おはよう瀬田。今日も良い朝だな」

 

 茉莉とジャンヌも挨拶を交わす。

 

 イ・ウー時代からの友人である。2人とも気軽に挨拶を交わす。

 

 と、

 

「ま~つ~り~ちゃ~ん」

「キャッ!?」

 

 瑠香がゾンビのように、茉莉の背後から首に手を回して抱きついた。

 

「な~んで、ジャンヌ先輩は『ジャンヌさん』で、あたしは『四乃森さん』なの~?」

「そ、それは別に・・・・・・」

「もうちょっとフレンドリーに行こうよ~、フレンドリーに~」

 

 放っておくと、このまま学校までズルズルと行ってしまいそうな瑠香ゾンビ。

 

 仕方ないので、友哉は苦笑しつつフォローに入る事にした。

 

「まあまあ、こう言うのは、馴れない人がいきなりやれって言われても難しいんじゃないかな?」

「だぁって~、寂しいじゃん」

 

 茉莉の背に張り付いたままブー垂れる瑠香。

 

 そんな様子を見ながら、ジャンヌも面白そうに口を開く。

 

「そう言えば、瀬田はイ・ウーでも、周囲に溶け込むのにかなり時間が掛っていたな」

「ジャンヌさん、そう言う事は言わないで良いです・・・・・・」

 

 ガックリと項垂れる茉莉の姿に、何とも哀愁漂う物を感じる。

 

 その時だった。

 

 ブゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン

 

 どこからともなく、甲高く耳障りな音が聞こえて来た。

 

 振り返る友哉。その目に、羽を広げて飛ぶ甲虫類が映った。

 

「おろ 虫?」

 

 かなり大型だ。カナブンよりも確実に二周りは大きいだろう。メスのカブトムシにも見えるが、まだカブトムシが活発に活動する時期ではない。ましてや、このような海の上の人工島でカブトムシを見るなど、殆ど奇跡に期待するしかないのではないだろうか。

 

 何だろうと思ってみていると、虫はジャンヌのむき出しの膝の辺りにピトッと止まった。

 

 と、

 

「う、うわぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 突然の事で驚いたのか、ジャンヌは悲鳴を上げて思いっきりバランスを崩した。

 

「あ、じゃ、ジャンヌ、そっちはッ」

 

 友哉は制止しようとするが、既に遅い。

 

「ギャッ!?」

 

 ジャンヌの足は、たまたま蓋が外れていた側溝に嵌まり込んでしまった。

 

「ジャンヌ先輩、大丈夫ですか!?」

「あ、ああ、このくらいは・・・・・・」

 

 幸いにして、水の通っていない側溝だったらしく、靴や衣服が汚れる事も無い。

 

 だが、そこで終わらなかった。

 

 一同が胸をなでおろす中、

 

 ブロロロ~

 

 今度はそこへ、運悪く大型バスが通りかかった。

 

「ジャンヌ~~~~~~~~~~~~」

 

 悲鳴を上げる一同。

 

 その目の前で、

 

 ジャンヌは思いっきりバスに轢かれてはね飛ばされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ジャンヌ・ダルク30世。極東の地において、謂れ無き災禍によって散りぬ。享年16歳。その可憐なる容姿、その気高き精神、その誇り高き武勇は、偉大なる先祖、初代ジャンヌ・ダルクと比して勝るとも劣らぬ物であった』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何だかお空の彼方で、爽やかな笑顔を浮かべたジャンヌが、キラッと輝いた。

 

 

 

 

 

 ような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう、危ない所だった」

「おろっ!?」「あれ!?」「ええ~!?」

 

 何事も無く現われたジャンヌに、度肝を抜かれる一同。

 

「じゃ、ジャンヌ、生きてたんだ?」

「当然だ。あの程度で、私が死ぬはずないだろう」

 

 そう言うと、腰に手を当てて誇らしげに胸を張るジャンヌ。

 

 次の瞬間、

 

 カクンッ

 

「・・・・・・あ、あれ?」

 

 ジャンヌの視界の中で、世界が斜めに傾いだ。

 

 否、傾いているのは彼女自身である。

 

 ジャンヌの片足は、まるで力が抜けたように地面を膝に突いていた。

 

「・・・・・・・・・・・・えっと、救護科、行っとく?」

「・・・・・・・・・・・・た、頼む」

 

 

 

 

 

 救護科の先輩、高荷紗枝に連絡を着けると、彼女はたまたま武偵病院で夜勤当番だったらしく、眠い目をこすりながらも診察に応じてくれた。

 

 彼女の指定した保健室に入ると紗枝は既に来ており、ジャンヌを自分の前に座らせて何度か触診をしてみた後、カルテにメモしていく。

 

「捻挫ね」

 

 紗枝が下した結論がそれだった。

 

「全治2週間ってところかしら。まったく、どうすれば、こんなひどい捻挫ができるのよ。虫に驚いて側溝に嵌った後、通り掛かったバスにでも轢かれたの?」

 

 『いや、見てたんかいッ!!』と言う心の中の突っ込みを一同がする中、紗枝は的確に処置していく。ジャンヌの足を軽いギプスで固定し、その上から更に包帯を巻く。

 

「暫くは、あまり動かさないように。戦闘訓練も禁止よ」

「このくらいなら大丈夫だ。問題は無い」

 

 ジャンヌがそう言った時、

 

「医者の言う事は聞きなさい、ね」

 

 どこから取り出したのか、紗枝の手には医療用のメスが握られ、その刃をジャンヌの頬に当てていた。

 

 スッと、血の気が下がる。

 

 救護科と言う、比較的荒事と縁遠い学科に所属する紗枝だが、そこは武偵校の3年。いくつもの修羅場を潜り抜けて来ている点では、同級生達に引けを取らない。純粋な戦闘力では敵わずとも、凄みと言う点では友哉達の遥かに上を行っている。

 

「いい、OK?」

「わ、判った・・・・・・」

 

 メスで頬をピタピタと叩かれながら、ジャンヌは首を縦に振る。その顔は哀れなほど青ざめていた。

 

「そう、じゃあ、そこにある松葉杖から、体に合う奴を適当に持って行って良いわよ」

 

 そう言うと、紗枝は壁の隅に立てかけている松葉杖の方を指差した。

 

「あ、そうだ、緋村君」

 

 ジャンヌ達が松葉杖の選別を始めると、紗枝は友哉を呼び止めた。

 

「おろ、何ですか?」

「折り入って、君に話しておこうと思っていた事があるの。ちょっと、時間作れる?」

 

 時計を見れば、まだ始業には間がある。ここで話を聞いてから教室に向かっても充分に間に合う筈だ。

 

「構いませんよ」

 

 そう言って、友哉は頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長い廊下を歩くと、目的の部屋が見えて来た。

 

 扉の前に立ち、ノックをする。

 

「どうぞ、開いているよ」

 

 中から聞こえる気さくな声。

 

「失礼します」

 

 由比彰彦(ゆい あきひこ)が扉を開けて中に入ると、中には1人の男性が執務机を挟んで椅子に座っていた。

 

 オールバックの髪に、高い鼻の端正な顔立ちの青年だ。

 

 その深い瞳は全てを見通せると思えるほど深く澄み渡り、知性を感じさせる顔立ちは侵しがたい神聖な雰囲気がある。

 

 大柄な体を古めかしいスーツで包んだその男性こそが、イ・ウーのリーダー「教授(プロフェシオン)」である。

 

「良く来てくれたね。体はもう良いのかい?」

「はい。おかげ様で。しかし、この年になると、風邪ひとつひくだけでも長引いてしまいますね」

 

 そう言って彰彦は仮面の奥で苦笑する。

 

 4月のハイジャック事件からこっち、体調を崩してしまい、治った後も各方面の作戦支援に駆けまわっていた為、イ・ウーに戻って来たのはつい先日の事だった。

 

 だが教授自らのお呼び出しとくれば、他の用事は全て瑣事と化す。

 

 彰彦はいくつか残っていた用事をすべてキャンセルし、急ぎ帰還したのだ。

 

「教授自ら、私をわざわざ任地から呼び出したと言う事は、いよいよ、ですかな?」

 

 探るような彰彦の言葉に、教授は我が意を得たりとばかりにニッコリ微笑んだ。

 

「流石だね。説明が不要で助かるよ」

「当然ですよ。私がイ・ウーにいる理由はそれなのですから」

 

 教授の悲願。

 

 その成就こそが《仕立屋》としての本懐だと思っていた。

 

「僕の推理が正しければ、間もなくパトラ君が行動を起こす筈だ。それを君が密かにフォローしてもらいたい」

「フォローですか。しかし、パトラさんはプライドの高い方。支援など受け付けないでしょう」

「だから、」

 

 教授はニッコリと微笑んだ。

 

「密かにやるんだよ。君の配下で、すぐに動けるのは川島君と、杉本君だったね。この2人は確か日本にいた筈だ」

 

 流石と言うべきか。まるで見て来たように、こちらのスケジュールを把握している。

 

「そうですね。他の方は、まだ任務で戻れないでしょう。日本にいるのはその2人くらいでしょうか」

「じゃあ、彼等に連絡を取ってくれたまえ」

「判りました」

 

 彰彦は恭しく頭を下げる。

 

「いよいよですね」

「ああ、本当に長かったよ」

 

 感慨に耽るような教授の様子に、彰彦は表情が引き締まるのを感じずにはいられない。

 

 この作戦が発動したなら、かつて無い死闘になるかもしれない。

 

 そして・・・・・・・・・・・・

 

『恐らく、彼もまた、出て来る事になるだろう』

 

 緋村友哉。

 

 あのハイジャック事件の時、《仕立屋》として長く戦場に身を置いて来た自分に土を付けた存在。

 

 彼の存在があるからこそ、教授は彰彦を呼び戻したのだ。

 

 仮面の奥で目を細める。

 

 彼との決着を付ける時が、来たのかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 授業を終え、寮に戻った友哉は、ソファに身を投げ出して天井を仰いだ。

 

 思い出されるのは、朝に紗枝に言われた事だった。

 

 あの後、呼びとめられて1人残った友哉に、紗枝は深刻そうな顔で切り出した。

 

『話って言うのはね、瀬田さんの事なの?』

『おろ、茉莉の事ですか?』

『あらあら、いつの間にか名前で呼んじゃって。仲良いわね』

『いや、別にそう言う訳じゃ・・・・・・』

 

 茉莉の方はまだ友哉を名前では呼んでいない為、呼び「合って」いる訳ではない。

 

 友哉をからかってから、紗枝は真顔に戻った。

 

『まあ、冗談はさておき、あの娘、少し気に掛けておいた方がいいわよ』

『どういう事です?』

『うん。この間、彼女の事、診察したじゃない』

 

 茉莉は紅鳴館での潜入作戦を実行する前に、貧血で倒れた事がある。その時診察に応じてくれたのが紗枝だった。

 

『あの後、気になって、あたしのほうでも少し調べてみたのよ。そしたら、教務課から取り寄せた資料なんだけど、これ・・・・・・』

 

 そう言って紗枝が差し出したのは、教務課の任務受諾記録だった。武偵校では専門科目に応じて様々な任務が設けられ、それを任意でこなす事ができる。更には重要な案件になると、教務課から直接命じられる場合もあった。

 

 その書類を見て、友哉は思わず目を剥く。

 

 茉莉は何と、1日に最低でも1つ。多い時は4つもの任務を請け負いこなしているのだ。

 

 調査依頼や、失せ物捜索等、簡単な仕事が大半であるが、中には強襲科向けのハードな制圧任務も含まれている。

 

 明らかなオーバーワークだった。

 

『こんなんじゃ、貧血にもなるわよ。緋村君は把握していたの?』

 

 溜息交じりに尋ねる紗枝に、友哉は驚きを隠せぬままに首を振る。

 

『いえ、知りませんでした』

『でしょうね。あなたの性格からすれば、知ってれば止めてるでしょうし』

 

 しかし、この依頼受諾量は異様だ。確かに武偵校では依頼の受諾は個々人に委ねられているが、茉莉のは常軌を逸しているレベルだ。しかも茉莉は、受けた依頼を全てパーフェクトにこなしている。

 

『あの娘、ひょっとしてお金に困っていたりするのかしら?』

『いや、そんな事は今までは・・・・・・』

 

 そう言ってから、友哉はハッとする。

 

 自分は茉莉の事を殆ど知らない事に、今更気付いたのだ。

 

『とにかく、もう少し彼女には、気を配るようにしておいて。何かあってからじゃ遅いんだから』

『・・・・・・判りました』

 

 結局、今日一日、その事で頭がいっぱいだった。

 

 瀬田茉莉。

 

 イ・ウーでの通り名は《天剣》の茉莉。

 

 初めて剣を交えたのは、5月に起きた魔剣事件の時。

 

 だが、それ以前の事は何も知らない。

 

 どこから来て、どのような道を歩んで来たのか。そして、どこへ行こうとしているのか。

 

 知りたい。

 

 純粋に、彼女の事をもっと知りたいと思った。

 

 そう考えた時だった。

 

 机の上に置いておいた携帯電話が、着信を告げる。

 

 手にとって耳に当てる。

 

「もしもし」

《緋村か、遠山だ。忙しい所をすまん》

 

 相手は友人でクラスメイトの遠山キンジだった。何やら慌てている様子のキンジに、友哉は訝るように首をかしげた。

 

「おろ、キンジ。別に今は忙しくないけど、どうしたの?」

 

 そんな友哉に、キンジは緊張しきった顔で告げた。

 

《すまん、緋村、俺を助けてくれッ》

 

 何やら、深刻な事態が起こっているであろう事は、その一言で充分に伝わって来た。

 

 

 

 

 

第1話「夏も近付く」      終わり

 



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第2話「札幌校から来た刺客」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 強襲科の学生は、午後の自由履修の時間になると、大抵は任務に出かけるか、体育館に集まってトレーニングや戦闘訓練、射撃場での射撃訓練を行う事になる。

 

 闘技場と呼ばれるスケートリンクのような楕円形の広い体育館で、多くの学生達が集まって個人で体を動かしたり、あるいは誰かと組んで戦闘訓練を行っている。

 

 一応、監督者として強襲科教員の蘭豹がついてはいるが、片手には酒の入った瓢箪を持っており、半ば放置に近い形となっていた。

 

 友哉もまた、同じ強襲科の相良陣と組んで、戦闘訓練を行っている。

 

「成程ね。そんな事があったのか」

 

 友哉の振るう木刀を素手で払いのけながら、陣は納得したように頷いた。

 

 因みに友哉の振るう木刀は、剣道の練習で使う素振り用の太い木刀を、外側から特殊素材でコーティングした特別製だ。装備科の平賀文に頼んで作ってもらった物である。訓練で逆刃刀を抜く訳にもいかないし、さりとて普通の木刀では飛天御剣流の技に耐えきれず、数発で破砕してしまうからだ。

 

 重さも強度も充分な木刀は、当然、威力も鉄棒並みにある。

 

 そんな木刀の一撃を平然と素手で受けるのだから、陣の打たれ強さは相変わらずだった。

 

「それで、どう陣、この話?」

 

 一旦距離を置きながら、友哉は尋ねる。

 

 話は、先日、突然掛って来たキンジからの救援コールだった。

 

 何でも進級の為の必修単位が1・9足りないキンジは「夏季休業期緊急任務」を漁ったらしい。

 

 夏季休業期緊急任務とは、その名の通り、夏休みに取り扱う任務の事で、単位が足りていない者の為に、学校側が格安で大量に取りつけて来てくれる任務の数々を言う。言わば、一般校で言う所の補習授業のようなものだ。

 

 その中でキンジは、自分に必要な単位獲得が可能な「港区カジノ『ピラミディオン台場』警護任務」を持って来たらしい。

 

 そのカジノの事は友哉も知っていた。何でも、何年か前に東京港に漂着したピラミッド型の未知の物体を、当時の東京都知事が気に入り、カジノのデザインとして採用した事で有名だった。

 

 そのカジノ警備をキンジが請け負ったらしい。

 

 ただし、この警備任務、一つ難点があり、制服の支給はあるのだが、必要人数が8人であるらしい。そこでキンジは、友哉にも声を掛けたのだ。

 

「一応、茉莉と瑠香にも声を掛けて了承は得たんだけど。後1人、君にもどうかと思ってね」

「別にかまわねえぜ。ここのところ、ちっと暴れ足りねえと思ってたとこだしな」

 

 そう言って笑う陣に、友哉も苦笑する。

 

 そもそも、暴れに行く訳じゃないのだが。

 

 キンジから最低限集めてくれと言われた頭数は4人。これでノルマは果たした事になる。

 

「そんじゃ、こっちもそろそろケリと行こうぜ」

 

 そう言って、陣はニヤリと笑う。

 

 既に2人で戦闘訓練を始めてから、30分近くになる。そろそろ決着を着けても良い頃合いだった。

 

「そうだね・・・・・・」

 

 友哉は頷くと、木刀を正眼に構える。

 

 次の瞬間、互いに砂の撒かれた床を蹴って距離を詰める。

 

「ウオォォォォォォ!!」

 

 真っ直ぐに右ストレートを繰り出す陣。

 

 対して友哉は、接近しながら木刀を抜き打つように横薙ぎに振るう。

 

 重なり合う2つの影。

 

 周囲の人間が息を飲んで見守る中、

 

 友哉と陣は互いに笑みを交える。

 

 陣の拳は、僅かに友哉の頬を掠めるのにとどめたのに対し、友哉の木刀は陣の胴を薙いでいた。

 

 友哉の勝利である。

 

「ああ、くそッ」

 

 木刀の直撃を受けた陣は、打たれた場所を片手で掻きながら、もう片方の手を頭に当てる。

 

「また負けたよ。ったく、相変わらず動きが速ェな、お前」

「陣だって、『あれ』を使えばもっとうまく戦えるんじゃない?」

 

 友哉の言う「あれ」とは、以前戦った時に陣が使って見せた「二重の極み」の事である。刹那の間に衝撃を二重に与える事によって、物質の抵抗力を相殺し粉砕するあの技を使えば、コンクリートですら粉々にする事ができる。勿論、人体もその例外ではない。

 

 だが、陣は訓練において、未だに二重の極みを使って見せた事は無かった。

 

「馬鹿言うな。俺はあれを人相手には使わないって決めてんだ。使えばヒデェ事になっちまうのは判りきってるからな」

 

 岩をも砕く拳である。人間相手に使えば相手が木っ端微塵になる事は疑いない。確かに、不殺を旨とする武偵にとっては、禁じ手にしておきたい技である事は確かだ。

 

 その時だった。

 

「そんな甘い考えじゃ、この先やってけないわよ」

 

 突然、背後から声を掛けられて友哉と陣は振り返る。

 

 そこにはピンク色のツインテールを靡かせた神崎・H・アリアが、相変わらず小さな体を見せつけるように、腰に手を置いて立っていた。

 

「アリア、訓練は終わったの?」

「まあね・・・・・・」

 

 アリアはつまらなそうにそう言って、そっぽを向く。

 

 アリアはこの学校でも数少ないSランク武偵だ。並みの強襲科学生なら3人がかりでも、アリアと拮抗する事はできない。その為、戦闘訓練ではいつも物足りない思いをしているのを友哉は知っていた。

 

 その為アリアは、戦闘訓練で手持無沙汰の時は、同じ強襲科に所属している戦妹、間宮あかりの訓練に時間を使っていた。

 

「友哉、たまにはあたしの相手しなさいよ」

 

 不満そうに言うアリアに、友哉は苦笑を返す。

 

 確かに、友哉は強襲科でもアリアと互角に戦える数少ない1人だが、そうそう毎回同じ人間と訓練する訳にもいかないので、たまにしか訓練する事は無かった。

 

「それよりも、相良ッ」

 

 アリアの大きな目が、真っ直ぐに陣を見る。

 

「あんたのバカみたいな打たれ強さは認めるけどね、そんな考え方してたら生き残れないわよ。あんたなんか、銃も持ってないんだし。それで戦場に出たら、撃たれて一発でアウトよ」

「うるせえ、放っとけ。大体、銃なんかに頼ったら、折角の喧嘩が詰まらなくなっちまうだろ」

 

 相変わらずの素手喧嘩上等理論をぶち立てる陣に、友哉は苦笑する。初めて戦ったバスジャックの時も、陣はそう言って持っていた銃を投げ捨てている。あの頃から、その考えを変える気は全くないらしい。

 

 だが、一方のアリアはと言えば、そんな「男の浪漫」的なノリには全く興味がないらしく、呆れ顔で肩をすくめてみせる。

 

「馬鹿じゃないの、あんた。そんな原始人の理論振り翳して命捨てる気?」

「んだと、このチビ、喧嘩売ってんのか!?」

「言ったわねッ、風穴開けてやるわよ!!」

 

 陣が拳を掲げ、アリアが2丁のガバメントを引き抜く。

 

 その横で友哉は、やれやれと溜息交じりに肩を竦めた。血の気の多い武偵校強襲科にあって、血の気の多い男子代表とも言うべき相良陣と、女子代表の神崎・H・アリアが揃えば、こうなるのは自明の理だった。

 

 因みにこの二人、今まで何度か模擬戦を行っているが、全てアリアの圧勝である。

 

 陣の膂力と防御力はアリアを大きく上回っているのだが、アリアは近接拳銃戦やバーリ・トゥードを使った技巧で陣を翻弄して陣を叩きのめすのが常だった。

 

 とは言え友哉が見たところ、陣はまだ本気を出していない節があるし、何より、その状態でも陣はあわやの所までアリアを追い詰めた事が何度もある。もし2人が本気で戦ったなら、どちらが勝つかは友哉にも予想がつかなかった。

 

 そんな一触即発の2人。

 

 仕方なく、友哉は間に入って止めようとした。

 

 その時、

 

「あらあら、随分と元気な娘がいるわね」

 

 まるで、清涼な風が室内に迷い込んだような、涼しげな声が掛けられ、3人は動きを止める。

 

 振り返る3人。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

「あ・・・あんたは・・・・・・」

 

 思わず、友哉とアリアは絶句した。

 

 そこにいた人物は、胸に札幌校の記章を付けた臙脂色の武偵校防弾制服を着た女子だった。

 

 茶色掛かった長い髪を三つ編みにしたその女性は、一個の美と言う物がいかに人を魅了するかをその身で持って体現するが如く、その場に悠然とたたずんでいた。

 

 周囲にいる強襲科生徒達は、皆、手を止めてその女性を見ている。

 

 誰もが、その姿に魅了される程に、その女性の美しさは際立っている。「絶世の美女」と言う言葉が現実に存在するのなら、それは間違いなく、彼女の為にあると言っても過言ではなかった。

 

 そして、友哉とアリアは、彼女に見覚えがあった。

 

 とは言え、彼女本人との面識は無い。

 

 先月、紅鳴館に潜入する際、峰・理子・リュパン4世が素性を隠す為に行った変装が彼女だった。

 

 また理子の変装か、とも一瞬思ったが、すぐにその考えを否定する。

 

 理子が小柄なせいで、あの時の変装では女性の背丈は友哉よりも低かった。しかし、目の前の女性は、明らかに友哉よりも背が高い。

 

 そして、何よりも、その身から発せられる圧倒的なまでの存在感。まるで周囲のもの全てを取り込み、自分色に染め上げてしまうようなオーラは、理子には決してまねできる類の物ではない。

 

 カナ。

 

 キンジがそう言っていた女性が、今、目の前に存在した。

 

 カナは、その深い色を湛えた瞳で真っ直ぐにアリアを見詰める。

 

「良かったら、私と、どうかしら?」

 

 まるでデートにいざなうかのような言葉。

 

 このように美しい女性からの誘いとあらば、喜んで受けたい所である。例え、それが同性であっても、断る理由は見つからないと思えるほどだ。ただ一点、ここが「強襲科体育館」である。と言う事を抜きにすれば。

 

 この場での誘いは、すなわち決闘への誘いを意味する。

 

 そしてアリアも、勿論、誘ったカナも、既にその事を強く認識している。

 

「・・・・・・・・・・・・良いわ、やってあげる」

 

 ややあって、アリアが答えた。

 

 相手は謎の美女、カナ。あの時、キンジが一目見て明らかに動揺した女性。

 

 パートナーに因縁がある女が目の前に現われて、自分に戦いを挑むのであれば、拒む理由はアリアには無かった。

 

 その様子を見て、カナはクスッと笑う。

 

「良い子ね」

 

 そう言うと、顎をしゃくってアリアを体育館の中央に誘う。

 

「アリア・・・・・・」

「手出しは無用よ、友哉」

 

 カナに着いて行こうとするアリアに、友哉が声を掛けるが、その意図を察したようにアリアは振り返らずに答える。

 

 一対一の決闘をアリアは受けようと言うのだ。

 

 だが、友哉は一抹の不安を拭えずにいた。

 

 カナを一目見た時の雰囲気。それがどことなく似ているのだ。「あの症状」を発現させた時のキンジに。

 

 アリアは強い。間違いなく強襲科2年の中では最強の存在だろう。

 

 では、そのアリアが、本気のキンジと戦って勝てるか。と言われれば、友哉は首を横に振る。純粋な戦闘力を比較した場合、キンジの方がアリアよりも強いと友哉は考えている。勿論、実際の戦闘となると、様々な要因が絡んで来る。本人同士の実力差だけでは決して測れない物が勝因になる場合も多々あるのだが。

 

 そう考えている内に、アリアとカナは体育館の中央にて対峙した。

 

 その様子を、強襲科の学生達は遠巻きに眺めている。

 

 一応の監督である蘭豹も、2人の様子から何をするのか気付いたのだろう。面白そうに様子を眺めると、ホルダーから愛用の拳銃S&W M500を取り出して天井へと向けた。

 

 高まる緊張。

 

 一瞬の静寂が訪れた。

 

 次の瞬間、

 

 ドォォォォォォン

 

 大砲のような轟音と共に、蘭豹の手にあるM500が火を噴いた。

 

 それが合図となった。

 

 先に仕掛けたのはアリアである。

 

 小柄な体はロケットブースターを噴射したような速度で地を掛けると同時に、スカートの下から2丁のガバメントを抜き出し、同時にカナに向けて放った。

 

 放たれた2発の弾丸は、真っ直ぐにカナへと迫る。

 

 しかし、

 

 パァン

 

 短い炸裂音。

 

 同時に、命中コースにあったアリアの弾丸は、まるで見えない力に押されたように、あっさりと軌道をずらして飛び去ってしまった。

 

「ッ!?」

 

 息を飲むアリア。

 

 彼女としては、先制の攻撃によってカナが防御するか、回避して体勢を崩した所に得意の近接拳銃戦を仕掛けるつもりだったのだろう。

 

 だが、その目論見は、脆くも崩れ去ってしまった。

 

 一方、外周で見守っていた友哉には、今のからくりが概ね読めていた。

 

 カナが使ったのは、恐らくキンジがブラド戦で使って見せた弾丸弾き(ビリヤード)だ。あの時のキンジは弾丸の軌道修正に使ったが、カナは弾丸を弾丸で防御するのに使ったのだ。

 

 とは言え、カナがどのような銃を使い、どのような動きでビリヤードを成功させたのかまでは確認できなかった。そもそも、カナは一瞬たりとも動いたようには見えなかった。

 

 一体、どういうからくりなのか。

 

 当初の目論みを外されたアリアは、持ち前の機動性を発揮しながら徐々に距離を詰めていく。

 

 対するカナは、殆ど動かずにアリアの様子を見守っている。

 

 時折、アリアが牽制の銃撃を行うが、カナに命中する事は無い。カナは最小限の動きだけでアリアの銃撃を回避している。恐らく、体勢、腕の角度、目線、銃口の角度から弾丸のコースを見切り回避しているのだ。同じ事は友哉にもできるが、カナがやってみせている程、最小限の動きだけで回避し続ける事ができるかは自信が無かった。

 

 そうしている内に、アリアがついに距離を詰めて近接拳銃戦の間合いにカナを捉えた。

 

「喰らいなさい!!」

 

 銃口を向けるアリア。

 

 対してカナは、僅かに手を伸ばす。

 

 それだけでアリアの銃口は、両方ともカナを射線から外してしまう。

 

 虚しく銃弾を吐きだすガバメント。

 

 お返しとばかりに、カナは再びあの見えない弾丸をアリアへと放つ。

 

 今度は至近距離。アリアに回避する術は無い。

 

 腹に2発食らい、大きく後退するアリア。

 

 更にそこへ、カナからの追撃が入る。

 

 連続して放たれる弾丸は、アリアを容赦なく捉え、防弾制服の上から打撃を加えていく。

 

 その状態から、アリアもどうにか反撃しようとガバメントを撃つが、カナはビリヤードを織り交ぜてアリアの攻撃を封じ、かつ自分の攻撃は的確にアリアを捉えていく。

 

「クッ!?」

 

 胸部に命中を受けたアリアは、口元から血を流しながら大きく距離を取る。

 

 カナはそんなアリアを見ながら、その口元の微笑を絶やさない。

 

「どうしたの、アリア。来ないのかしら?」

 

 挑発するようなカナの言葉に、アリアは目を吊り上げ、再び突撃を仕掛ける。

 

 その様子を、友哉は眉を顰めながら見ている。

 

 まずいパターンだ。アリアの悪い癖が出てしまっている。アリアはそのプライドの高さゆえに、挑発に弱い面がある。軽い冗談のような挑発も本気で取ってしまい、突っかかってしまう事が多いのだ。

 

 敵がアリアより弱ければ、それでも良い。力押しでいくらでも相手を叩きのめす事ができる。

 

 だが今回の相手は、明らかにアリアよりも強い。力押しで攻めても勝てる道理は無い。

 

 案の定、突っかかって言ったアリアは、またもカナの見えない弾丸によって返り討ちにされている。

 

「一方的じゃねえか・・・・・・」

 

 陣が吐き捨てるように言った。

 

 彼の言うとおり、アリアは手も足も出ないまま一方的にやられている。

 

 あのアリアが、2年強襲科ナンバー1の実力者と行っても過言ではないアリアが、こうも一方的にやられるとは。

 

「・・・・・・陣、準備しといて」

 

 友哉は低い声で言いながら、木刀を掲げる。

 

 アリアからは加勢は断られたが、友哉はカナを一目見た瞬間から万が一の時は割って入る覚悟を決めていた。

 

 そして、結果は予想通りと言うべきか、予想以上と言うべきか、殆どカナのワンサイドゲームとなりつつあった。

 

「おうよ、そうこなくっちゃ」

 

 素早く、お互いに「マバタキ信号(ウィンキング)」を交わす。

 

《僕がアリアを救助する》

《了解。そんじゃあ、俺はあの女を引き付けるぜ》

 

 相談を終え、互いに頷いた。

 

 次の瞬間、皆が見ている前でアリアが片膝をついた。

 

 その瞬間、

 

「陣ッ!!」

「おうっ!!」

 

 友哉の合図ととともに、陣がカナめがけて走る。

 

 突然の陣の突貫に、誰もが度肝を抜かれた。

 

「おら、相良ァ、何しよんねん!!」

 

 傍でアリア達の戦況を見守っていた蘭豹が、叫ぶと同時にM500を陣の足元へ放つ。

 

 しかし、足元に砲撃のような弾丸を食らっても、陣は聊かも速度を緩めない。

 

 その様子は、カナからも確認できる。

 

「まるで、人間戦車ね」

 

 呟くように言いながら、見えない銃撃を陣へと向ける。

 

 被弾する陣。

 

 しかし、持ち前の撃たれ強さは弾丸にも有効だ。

 

 弾丸を食らった陣だが、防弾制服越しの衝撃に、聊かも揺らぐ事無く突進を続ける。

 

「本当に戦車なの?」

 

 これにはカナも、やや呆れ気味につぶやいた。

 

 しかし、すぐに切り替えると、再び陣に向き直る。

 

 パァン

 

 銃声が鳴り響く。

 

 またも同じ手か? 誰もがそう思った。

 

 しかし、カナが狙ったのは陣の胴体ではない。

 

「グッ!?」

 

 陣は思わず、突進を止めてその場で立ち止まる。

 

 着弾したのは頭部。

 

 どんなに体を鍛えた人間でも、頭部は絶対的に鍛え難い場所である。頭部の構成は殆どが骨であり、筋肉の付きが薄いからである。以前、友哉が陣と戦った時も、頭部を狙い打って勝利している。

 

 カナは非殺傷兵器のラバー弾を使い、陣の頭部を集中的に狙い撃ちしたのだ。

 

 命中は4発。流石の陣も、これには止まらざるを得ない。

 

 しかし、時間は稼げた。

 

 友哉はその間に、アリアに駆けよって、膝を突いている彼女を抱きかかえる。

 

「アリア、こっち!!」

 

 アリアを両手で抱えるようにして走る友哉。

 

「ゆ、友哉、あんたッ」

「言いたい事は後で聞くよ」

 

 アリアの抗議を封殺しながら、友哉はアリアを抱えて走る。

 

 既に陣は動きを止められている。あの陣をあっさりと封じる辺り、やはりカナは恐ろしい程の実力を誇っている。

 

 そのカナの視線が、友哉を捉えた。

 

 来るッ

 

 そう思った瞬間、友哉は全力を足に集中させる。

 

 いかにアリアが小柄とは言え、人1人を抱えて全力で駆ける事は友哉にもできない。

 

 だが、一瞬の加速さえできれば・・・・・・

 

 思考と銃声が重なる。

 

 次の瞬間、着弾は友哉の背後であった。

 

 一瞬の加速により、僅かにカナの照準が狂ったのだ。

 

 とは言え、紙一重であった事は間違いない。銃弾は、友哉の一房だけ伸ばした赤茶色の後髪を僅かに掠めて飛び去った。

 

 カナが、僅かに驚いたような顔を見せた。

 

 その隙に、友哉はアリアを下ろす。

 

「アリアはここにいて」

 

 それだけ言うと、友哉は腰に差しておいた木刀を抜いて構えた。

 

 対して、カナもまた、待ち構えるように友哉に向く。

 

「おいで、緋村友哉。あなたの実力も見てあげる」

 

 気負いも無く、ただ手招きをするようにカナは告げる。

 

 距離にして30メートル以上。斬り込むには距離がありすぎる。

 

 だが、友哉は迷わず木刀を構え、カナに向かって行く。

 

 先程の話に戻るが、アリアは確かに強い。その実力は間違いなく、強襲科2年ナンバー1だろう。

 

 では、友哉はアリアと戦って勝てないか、と聞かれれば、友哉は必ずしもそうではないと答える。

 

 友哉自身、いくつかの点で自分がアリアに優っている事に気付いている。

 

 その一つが、「目」だ。

 

 飛天御剣流が先の剣を取る為には、絶対的な「読みの鋭さ」が必要不可欠となる。相手の思考を読み、動きの先を読み、そして常に先に動く。その下支えを行う為に、必要なのが相手の動きを見極める目だった。

 

 その目が、カナの動きを僅かながら捉えている。

 

 捉えているのは腕の動きのみ。銃口や銃の形状、抜くタイミングまでは判らない。

 

 だが、腕の動きさえ分かれば、発砲のタイミングは掴める。

 

 友哉が加速すると同時に、銃声が鳴り響いた。

 

 瞬間、

 

 友哉の顔のすぐ脇を、銃弾が駆け抜ける。

 

「ッ!?」

 

 読みの鋭さに加えて、神速の動きを加算して尚紙一重。恐ろしい技量だ。

 

 更に横へと飛ぶ友哉。

 

 それを追うようにして着弾するカナの銃撃。

 

 全て紙一重で友哉には当たらない。

 

 全神経を目と、回避に振り分ける友哉に余裕は無い。

 

 恐らく、カナの技は、友哉の使う抜刀術と同じなのだ。普段は空手の状態から、神速の抜き打ちと照準により発砲、そして再び収納。それを瞬きする間にやっているので、何もない所から弾丸を放っているようにも見えるのだ。

 

 更に放たれる弾丸を、横に飛んで回避する友哉。

 

 後一撃。

 

 それだけ回避したら、剣の間合いに持ちこめる筈。

 

 既に限界まで加速している友哉に、これ以上速度を上げる事はできない。

 

 それを見て、カナはニコリと笑った。

 

 次の瞬間、友哉の腹部と左肩と胸部に衝撃が走った。

 

「グッ!?」

 

 距離が詰まれば、命中率も上がるのは自明の理である。

 

 一度に3発の被弾。防弾Yシャツの上からでも、衝撃が伝わってくる。

 

 だが、

 

「これで!!」

 

 血の味が滲む歯を食いしばる友哉。

 

 剣の間合いに入った。

 

 突撃の勢いのまま、擦り上げるように友哉は木刀を振るう。

 

 その一撃を、僅かに体を逸らせる事で回避するカナ。

 

 だが、それは友哉も予測済みだ。

 

 振り上げた勢いのまま、上空へ跳躍、木刀を振り上げる。

 

「飛天御剣流、龍槌閃!!」

 

 急降下と同時に木刀を振り翳す友哉。

 

 対してカナは、

 

 僅かに首を振る。

 

 同時に、彼女の後ろ髪がのたうつように宙に舞った。

 

 ガキンッ

 

 それだけの事で、空中にあった友哉の体は横から薙ぎ払われたように大きく吹き飛ぶ。

 

 一体、何があったのか。友哉は自分を吹き飛ばした物の正体を確認する事ができなかった。

 

 ただ一つ言えるのは、カナが先程から全く動きを見せていないと言う事だった。

 

「クッ!?」

 

 地面に転がりながら、それでも辛うじて膝を突き、起き上がろうとする友哉。

 

 そこへ再び、カナの銃撃が襲い掛かる。

 

 着弾は3発。

 

 肩に1発、胸に1発、

 

 そして、最後の1発は友哉の手にある木刀に命中した。

 

 先の激突で既にダメージを負っていたのか、友哉の木刀は、その一撃で手元から数センチ残して折れ飛んだ。

 

「まだやる?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 笑顔で問い掛けるカナに、友哉は無言のまま折れた木刀を見詰める。

 

 刀があれば。などと言う気は無い。木刀で戦うと決めた時点で、この結果の責任は友哉自身にある。

 

 木刀の柄を投げ捨てて、友哉は立ち上がる。

 

 お世辞にも得意とは言えないが、一応素手格闘もできない事は無い。

 

 拳を握りしめ、再びカナに対峙する友哉。

 

 だが、彼が素手でカナに殴りかかる事は無かった。

 

「もう良いわ、友哉」

「アリア!?」

 

 一旦は戦線離脱させたアリアが、いつの間にか友哉の背後に立っていた。

 

「あんたと相良には悪いけど、これ以上の手出しをすれば、アンタ達から先に風穴開けるわよ」

「アリアッ!!」

 

 強気で言うアリアに、友哉は抗議の声を上げる。

 

 先程の戦いを見る限り、アリアがカナに及ばないのは火を見るより明らかだ。意地を張っている場合じゃないと言うのに。

 

「これはあたしが売られた喧嘩よ。ケリはあたしが付ける」

 

 そう言うと、アリアは友哉を押しのけるようにして前へ出た。

 

 再び対峙するアリアとカナ。

 

「さっきまでは気付かなかったけど、銃声とマズルフラッシュ、それに友哉との戦いを見てようやく思い出した。アンタの銃、コルトSAA ピースメーカーね」

「正解、良く判ったわね」

 

 アリアの言葉に、カナは笑顔のまま答える。

 

「骨董品みたいな銃だから、イマイチ思い出せなかったけど」

 

 アリアの言うとおり、コルト・ピースメーカーは19世紀に開発された回転式拳銃で、西部劇などにも使われている程その歴史は古く、博物館にも展示されているような銃だ。

 

 装弾数、連射速度、命中率。あらゆる意味で近代的な自動拳銃の方が上だが、ただ一点。「早撃ち」の速度だけは、構造上、回転式の方が速い。それが、カナが先程から使っている技「不可視の銃弾(インヴィジビレ)」を支えているのだ。

 

「なら、もう少し見せてあげるわ」

 

 言うが早いか、

 

 パァン

 

 再び起こる銃声。

 

 しかし、今度はアリアも反応して見せた。

 

 先程の友哉の戦い方からヒントを得ていたのだろう。

 

 初手からギアをトップスピードに入れ、頭を低くし、駆けると同時に見えない弾丸を回避する。

 

 そのまま懐に飛び込むアリア。

 

 ガバメントを振り上げて、銃口をカナへ向ける。

 

 しかし、カナは全く慌てる様子を見せず、またも僅かな動作だけでアリアの銃口を逸らして見せた。

 

 止まらない引き金。

 

 無駄に吐き出される弾丸。

 

 同時に、ガバメントのスライドは後方に引かれたまま固定されてしまう。弾切れを起こしたのだ。

 

 だが、その事はアリアも想定済みだ。

 

 銃撃戦は囮。本命はここからだ。

 

「やっ!!」

 

 掛け声とともに空中宙返りを打ち、カナの背後に降り立つと同時に背中から二刀の小太刀を抜き放った。

 

 これまで一方的に痛めつけられていたアリアが、ここにきてようやく一矢報いたのだ。

 

 背後からカナへと斬りかかるアリア。

 

 しかし、

 

 ギギンッ

 

 またしても、カナが僅かに首を振ったかと思うと、アリアの両手から小太刀が弾き飛ばされて床に転がってしまった。

 

 唖然とするアリア。

 

 完全に捉えたと思ったのに、気が付けば刀はアリアの手から離れていたのだ。

 

 そこへ再び、不可視の銃弾がアリアを襲う。

 

 呆然としていたアリアに、回避する術は無い。

 

 数発食らって、後退を余儀なくされた。

 

「こ、こんな事って・・・・・・」

 

 友哉は、呆然と呟いた。

 

 友哉と、陣と、そしてアリア。

 

 強襲科でもトップクラスの3人が同時に掛かって、怯ませる事すらできないとは。

 

 その時だった。

 

「やめろ、やめるんだカナ!!」

 

 鋭い声と共に、駆けこんで来た男子生徒がアリアとカナの間に割って入った。

 

「キンジッ」

 

 キンジは息を切らしてカナを睨みつけている。

 

 探偵科は今、座学の最中の筈だ。恐らく噂を聞いて駆けつけたのだろう。

 

「ど、どきなさいキンジ!!」

「キンジ、どきなさい」

 

 アリアは激昂気味に、カナは静かにキンジに告げる。

 

 だが、キンジは退かない。

 

「あなたのような素人は、動きが不規則な分、事故が起きやすい。危ないわ」

「そんなこと判ってる。あんたに言われなくてもな」

「ならどうして? 何の為に危険に身を晒すの? まさか私を敵に回すつもり? 未完成なあなたが私に勝つ確率は・・・・・」

「そんな事は判ってんだよ!!」

 

 キンジは敢然とした態度で、カナの言葉を跳ね付ける。

 

「キンジ・・・・・・」

 

 そんなキンジの様子を、カナは少し驚いた様子で見詰める。

 

「・・・・・・変ったわね、あなた」

 

 感慨に耽るような、それでいて寂しさを感じさせるような声。

 

 それと殆ど同時に、キンジの背後でアリアがドサッと音を立てて倒れた。

 

 最後の対峙の時には、既に彼女は限界を迎えていたのだ。キンジが現れた事で、緊張の糸が切れたのだろう。そのまま眠るように気を失っていた。

 

「アリアッ」

 

 慌ててアリアを抱きとめる。

 

 その様子を見て、カナは一つ、大きな欠伸をした。

 

 彼女の事を良く知っているらしいキンジは、カナのその姿を見て、どうやら交戦の意思無しと判断したらしい。緊張を解くのが判った。

 

 その判断通り、カナは欠伸をしながら踵を返すと、そのまま体育館を出て行く。

 

 後には、アリアを抱えたキンジと立ち尽くす友哉、蹲ったまま動けないでいる陣だけが取り残されることとなった。

 

 

 

 

 

第2話「札幌校から来た刺客」     終わり

 



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第3話「黄昏の帰り道」

 

 

 

 

 

 

 

 

 季節的にも既に夏である事から、刺すような暑さが都内にも降り注ぎ始めている。

 

 東京港に浮かぶ人工島である学園島もその例外ではなく、武偵校生徒達はうだるような暑さと戦いながら日々を過ごしていた。

 

 むしろ、自然の大地が少ない学園島では、アスファルトからの放射熱もあり、他の場所よりも暑い気がした。

 

 一日毎に強まる暑さだが、しかし気温とは関係なしにスケジュールは進んで行く。

 

「あづ~い」

 

 テーブルに突っ伏すようにして、瑠香は倒れ込んだ。

 

 彼女の前には広げられたノートや参考書が散らばり、勉強中であった事が判る。

 

 彼女達が暮らしている第3男子寮は、一応全室冷暖房完備ではあるが、所謂居候の身である彼女達としては、家主が不在の時に贅沢はしたくないと言う事で、今はクーラーを切っている。

 

 一応、海側に面した大きな窓は開けており、時々そこから海風が入って来るのだが、気温自体が高い為、あまり意味がなかった。

 

「がんばりましたね、四乃森さん」

 

 そう言って、茉莉は瑠香の頭を優しく撫でてやる。

 

 今日は休日と言う事で、茉莉は朝から瑠香の勉強に付き合っていたのだ。

 

 依頼の掲示板にめぼしい物が無く、暇を持て余していた事もあるのだが、先日、瑠香に言われた通り、親交を深める事も大事と思った事も大きかった。

 

 まあ、流石にまだ当面の目標である「名前で呼び合う」は達成していないが。

 

 因みに家主である友哉は、今は部屋にいない。2人が手を放せないので、近くのコンビニまで昼食の買い出しに出かけたのだ。

 

「ふにゃ~、気持ちいい~」

 

 頭を撫でられて、猫のような声を出す瑠香を見て、茉莉はクスクスと笑う。

 

 今日は朝から頑張ったのだ。そろそろ切り上げても良いだろう。

 

 そう思った時、

 

「ただいまー」

 

 買い出しに行っていた友哉が戻って来た。手には頼まれた弁当を持っている。

 

「危なかったよ。危うく全部売り切れるところだった」

 

 こう暑いと、誰も料理をして食べようとは思わないのだろう。友哉がコンビニに行った時には、既に殆どの弁当は売り切れている状態だった。

 

 それでも人数分の弁当を確保する事ができたのは僥倖だった。

 

「はい、瑠香、御褒美」

「うわっ、ありがとう友哉君!!」

 

 瑠香はガバッと起き上がると、友哉が差し出したアイスを受け取り、袋を開けて齧り付く。

 

 友哉は茉莉にも同じ物を渡すと、思い出したように口を開いた。

 

「そう言えばさ、今そこで、高荷先輩に会ったんだけど、」

「高荷先輩に?」

 

 3人とも高荷紗枝とは面識がある。救護科の中では特に成績の良い彼女には、武偵病院で何度も世話になっていた。

 

「うん。先輩さ、午後から非番なんだって。それで、午後からみんなでプールでも行かないかって言われたんだけど?」

「行く!!」

 

 凄まじい速度で瑠香が反応した。

 

 部屋の中が余程暑かったのだろう。それはもう、疾風の如くと言うべき反応速度だった。

 

「じゃあ、OKって、先輩にはメールしとくね」

「うん。やったね、茉莉ちゃん。この間買った水着、早速着れるよ!!」

「そ、そうですね」

 

 そう言うと、茉莉は少し顔を赤くして目を逸らす。

 

 先週の日曜日、瑠香と茉莉は2人で買物に出かけている。目的は夏物の衣服や小物を買う事。

 

 しかし、帰って来た時、茉莉は妙にそわそわして顔を赤くしていたのを覚えている。

 

 どうやら、水着も購入したらしい事から、どうせまた瑠香に着せ替え人形にされたのだろう事は容易に想像できた。

 

「じゃあ、2人とも行くって事で。ああ、そうだ、どうせだから、陣にも声を掛けよう」

 

 そう言うと、友哉は携帯電話を取り出し、紗枝のアドレスを呼びだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は年間でも初の真夏日と言う事だった。

 

 その為、都内の市民プールは避暑を求める客で大盛況の様相を見せていた。

 

 市民プールとは言うが、ここは飛び込み台あり、ウォータースライダーあり、波ありと、なかなかバリエーションに富んでいる。

 

 いち早く水着に着替えた友哉は、プールサイドで思いっきり体を伸ばした。

 

 女性陣はまだ来ていない。男と違い、女性の着替えは時間が掛るのは水着でも変わりがない。

 

 因みに陣は、友哉よりも先に出た筈だが、既に姿は無かった。

 

「ふう、さて、どうしようかな?」

 

 周りを見回せば、人ごみが目に入る。いかに陣が大柄でも、この中から探し出すのは困難なように思えた。

 

 その時、

 

「おーい、友哉く~ん!!」

 

 呼ばれて振り返ると、瑠香が手を振りながらこちらに歩いて来るところだった。

 

 その姿を見て、

 

「うっ・・・・・・」

 

 友哉は思わず、顔が赤くなるのを感じた。

 

 瑠香の格好は、赤と白のストライプが入ったビキニ姿だった。大胆に出された足やへそが妙に眩しく感じるのは、きっと気のせいじゃないだろう。

 

 普段から露出の多い武偵校制服を着ているが、体のラインがしっかりと出る水着となるとまた話は別である。

 

『それに・・・・・・』

 

 友哉は凝視しすぎない程度に、瑠香へと視線を向ける。

 

 前に一緒にプールや海に行ったのは、もう何年も前になる。普段は判り辛いが、その時に比べると、だいぶ成長しているようだった。

 

「どう、どう、友哉君?」

 

 そう言って手を取る瑠香の姿に、友哉はますます顔が赤くなる思いだった。

 

「う、うん。と、とっても、可愛いよ」

 

 自分でも滑稽に思えるほど狼狽しまくって、友哉はそう答えるのがやっとだった。

 

 と、

 

「つか、茉莉ちゃん、いつまであたしの背中に隠れてんの?」

 

 瑠香がそう言ってから、気付いた。

 

 瑠香の背に隠れるようにして、茉莉が縮こまっている事に。

 

 2人は背丈も似ている為、隠れようと思えば隠れられるのだが、流石にここまで接近されるまで気付かなかったのは不覚だった。

 

「だ、だって・・・恥ずかしいです」

「まったくもう、この娘は・・・・・・」

 

 溜息をつきながら、瑠香は茉莉を自分の前に引き出した。

 

 茉莉の水着は、瑠香と同じくビキニタイプである。白地に黒い水玉模様の入った上下で、縁の部分にフリルが入っている。全体的に可愛い印象がある。

 

 肉付きが薄い印象の茉莉だが、こうして水着越しに見てみると、年相応に膨らみのある体である事が判る。

 

「あの・・・・・・緋村、君?」

「ハッ!?」

 

 思わず食い入るように見ていた友哉は我に帰る。

 

「ご、ごめん、ちょっと、見とれちゃって」

「ッ!?」

 

 友哉のその一言で、一気に顔が赤面化する茉莉。

 

 その光景に、いつかキンジが言っていたアリアの急速赤面術を思い出した。あれもきっと、こんな感じなんだろう。

 

「~~~~~~ッッッ!?」

 

 そのまま回れ右をして逃げようとする茉莉。

 

 だが、

 

「はいそこ~、逃げな~い」

 

 それよりも一瞬早く、瑠香は手を伸ばして茉莉のトップの紐を掴んで拘束する。

 

 茉莉が縮地を使っていたら瑠香では捕えられなかっただろうが、そんな事も忘れるほどテンパっていたらしい。

 

「大丈夫だって、友哉君は取って食べたりしないから」

「そう言う問題じゃありません~」

 

 半泣きになっている茉莉の頭を、瑠香がよしよしと撫でてやっている。

 

 そこへ、

 

「ごめんなさい、遅くなったわ」

 

 紗枝がこちらに歩いて来るのが見えた。

 

 彼女もビキニ姿だが、やや光沢のある黒を着用している。ただし、前2人と違い、そのはちきれるような肢体は、小さな布面積に収まりきる物ではなく、今にも零れ落ちそうな印象があった。

 

 普段、制服の上からでも充分な自己主張がされている紗枝の胸は、水着になる事でその封印が解かれ、見るもの全てを魅了せずにはいられない最強の武器としてその場に存在していた。

 

「ごめんね、新しい水着だから着るのに手間取っちゃって」

「い、いえ・・・・・・」

 

 流石に直視する事ができず、目を逸らす友哉。

 

 そんな友哉の様子をジト目で見る2人の少女。

 

 しかし、圧倒的なまでの戦力差(胸)はいかんともしがたい・

 

『う、ま、参りました・・・・・・』

『で、でもでも、2年後にはあたしだってあれくらいになってる筈ッ』

 

 敗者(お子様)2人は、心の中でそう呟きながら、言いようの無い虚脱感に必死に耐えるのだった。

 

 

 

 

 

「ほらほら、茉莉ちゃん、行くよォ!!」

「キャッ、ちょ、四乃森さん!!」

 

 茉莉と瑠香が、腰まで浸かる浅いプールで水の掛け合いをしている。

 

 あの後、1人で遊びに行っていた陣とも合流し、改めて5人で遊び始めた。

 

 と言っても、今はめいめい好きな事をやっている。

 

 茉莉と瑠香は2人でじゃれ合い、紗枝はビーチチェアに寝そべって、ジュースを飲みながら何やら分厚い医学書を読みふけっている。

 

 そして友哉はと言えば、陣に4回連続でウォータースライダーに付き合わされ、流石にちょっと目を回し気味だったので、プールサイドに座って体を休ませていた。

 

 因みに陣は、5回目のウォータースライダーに挑戦すべく、既に目の前の小山へと向かっていた。

 

 視界の先で手を振る茉莉と瑠香に手を振り返しながら、友哉はふと、先日の事を思い出していた。

 

 カナ、と言う新たに現われた強力な敵。

 

 その実力は、現在の友哉達と隔絶していると言って良かった。

 

 今まで戦ってきた敵、ブラド、ジャンヌ、理子、黒笠、エリザベート等とも明らかに一線を画する実力の持ち主。

 

 存在の不気味さで言えば、あの《仕立屋》由比彰彦にすら匹敵するのではなかろうか。

 

 彼女もイ・ウーの構成員なのだろうか、と言う疑問が浮かぶ。

 

 時期的に考えて、イ・ウーが次の行動を起こすタイミングであるようにも思える。

 

 だが、そう考えるにしては、不可解な点が多すぎる。

 

 なぜ、カナはあんな衆人環視の中に、堂々と姿を現したのか。ましてか、場所は武偵校の強襲科。仮に彼女がイ・ウーの構成員なら、周りは敵だらけと言う事になる。あの場には生徒だけでなく蘭豹もいた事を考えれば、下手をすると彼女の命にもかかわりかねなかっただろう。

 

 終始、試すような態度でいた事も気に掛かる。後から思い返してみても、カナはまるでこちらを誘うかのように、余裕を見せる戦い方をしていた。

 

 一体、彼女は何者で、何をする為に武偵校に現われたのか。

 

 その時、

 

 ドゴッ

 

「・・・・・・おろ?」

 

 一瞬感じる浮遊感。

 

 気が付けば、視界は上下逆さまになっている。

 

 次の瞬間、友哉の体は縦に半回転し、そのまま水の中に突っ込んだ。

 

 立ち上る水柱。

 

 目と鼻と耳と口に一斉に水が流れ込み、プール水特有の刺激が激痛となって友哉を襲う。

 

「ガボガハガボッ」

 

 ようやくの事で顔だけ水面に上げると、プールサイドに屈みこむようにして覗き込んでいる陣の姿があった。

 

「遊びに来て、な~に辛気臭ェ顔してんだよ」

「ケホッ 別に、そんなつもりは無いんだけど・・・・・・」

 

 言いながら、プールサイドへ上がる。

 

「この間の体育館の事、思い出してたの」

「ああ、あの時な」

 

 言われて、陣も思いだしたようだ。

 

「ったく、あの女、一体なんだったんだよ。急に現われたと思ったら、いつの間にかいなくなってっし」

「そう言えば陣、あの時頭撃たれたけど、もう大丈夫なの?」

 

 非殺傷のラバー弾とは言え、頭に4発も食らえば、衝撃で脳に異常を来してもおかしくない筈なのだが。

 

「俺があのくらいでどうにかなるわけねえだろ」

 

 そう言って、陣は不敵に笑って見せる。

 

 確かに何事も無かったように、ここでこうして遊んでいるのを見る限り、異常があるようには見えない。

 

 ここは流石の打たれ強さと言うべきか、それとも怪物じみていると言うべきか、いずれにしても陣が只者で無い事だけは再確認できた。

 

 その時、背後から近付いて来る足音があった。

 

「心配するだけ無駄よ。こいつは文字通り脳みそまで筋肉でできてるんだから」

 

 呆れ気味にそう言ったのは、読書に飽きてやって来た紗枝だった。先日のカナとの戦闘後に、陣を診察したのも彼女である。

 

「いったい、どういう体の構造してるのか、今度救護科の知り合いにでも頼んで調べて貰おうかしら?」

「おいおい、冗談きついぜ、姐御。単に他の奴より鍛え方が違うってだけの話だろ」

「それじゃ説明がつかないから言ってんのよ。ッて言うか、姐御って何よ。勝手に変な呼び名付けないでよね」

「じゃあ、姐さん?」

「同じでしょうがッ」

 

 肩を怒らせて怒鳴る紗枝に対し、陣は飄々とした態度のままでいる。どうやら呼び方を変える気は無いらしい。

 

 そんな2人の様子を横目に見ながら、友哉は先程の思案に戻る。

 

 正直、これからカナクラスの敵が出て来るとしたら、今のままじゃ勝てない可能性もある。

 

『やっぱり・・・・・・必要になるよね、あれが・・・・・・』

 

 友哉の脳裏には、ある存在が浮かんでいた。

 

 友哉は飛天御剣流の技を、まだ殆ど使う事ができない。

 

 だが、実家の蔵の中には江戸時代からの文献が多数収められており、その中には多くの記録が残されていた。飛天御剣流の事に関する文献もそこで見付けたのだ。

 

 今まで見付けた文献に載っていた技は、武偵校入学前に全て再現し習得する事ができたが、まだ調べていない文献も数多い。その中には、きっとまだ友哉の知らない技も載っているだろう。一応、これまで調べた文献の中に、だいたいどれくらいの技があるかと言うのは載っていたのだが、習得した技の数は明らかにその数に足りていなかった。

 

 夏休みも近い事だし、一度実家の方に戻ってみるのも良いかもしれない。一応、父に頼んで蔵の中の文献を調べて貰っている。もしかしたら、新しい文献が見つかっているかもしれなかった。

 

 その時、

 

「友哉君ッ、一緒に泳ごうよ!!」

 

 いつの間にか近くに来ていた瑠香が、友哉に手招きをしている。

 

 午前中の地獄を乗り切った彼女としては、残された体力を使いきるまでにはしゃぎたいのだろう。

 

 見れば、その隣に立っている茉莉は、頬を赤くして顔を背けている。半分瑠香の影に隠れるようにしているところを見ると、まだ恥ずかしいらしい。

 

「行ってきたら?」

 

 背中を押すように紗枝が言った。

 

「あなただって、たまには息抜きが必要よ」

「そうですね」

 

 友哉は笑みを返すと、水の中へと入り2人の方へ向かった。

 

「あたし達、これから流れるプールの方に行くんだけど、友哉君も一緒に行こうよ」

「うん、良いね。僕も少し泳ぎたいと思っていたし」

 

 そう言うと、友哉は茉莉に目を向けた。

 

「茉莉も、一緒に行くんでしょ」

「え、あ・・・えっと・・・・・・」

 

 微妙に友哉と視線を合わそうとしない茉莉。

 

「ほらほら、いつまでも恥ずかしがってないで、茉莉ちゃんも行こ」

「あうっ、四乃森さんッ」

 

 そう言うと、茉莉の手を引いて水の中を走りだす瑠香。

 

 その様子を、友哉も笑いながら追いかけた。

 

 

 

 

 

 人工的に波の出るプールは、今ではそう珍しい物でもない。

 

 プールの底が僅かな傾斜状になっており、奥に進む毎に深くなって行く。そこへ水の流れを調節して揺らぎを持たせ、まるで本物の海にいるような演出をするのだ。

 

 問題点があるとすれば、小さい子供が知らずに奥の方まで行くと、いつの間にか足がつかなくなっていて溺れてしまう事がたまにある事だろう。

 

 茉莉は1人、だいぶ深い所まで泳いで来ていた。

 

 それにしても、

 

『や、やっぱり、恥ずかしい・・・・・・』

 

 今の自分の恰好が、である。

 

 初め、瑠香に水着を買いに行こうと言われた時は、まさかこんな事になるとは思わなかった。

 

 自分だって新しい水着は欲しいし、今日みたいに暑い日には泳ぎにも行きたい。

 

 が、当初、茉莉はそれほど目立たず、露出も少ないワンピースタイプの水着を買う予定だった。

 

 が、

 

 ワンピースタイプの水着コーナーを眺めていた茉莉を、瑠香が強引に茉莉をビキニタイプの水着が置いてあるコーナーまで引っ張って行き、そのまま大量の水着と共に試着室に押し込まれてしまった。

 

 だが、試着室で一着目の水着を試着した時点で、茉莉は完全にギブアップだった。

 

 こんな物、着れる訳がない。ましてか、これを着て人前に出るなど、茉莉にはハードルが高すぎる。

 

 仕方なく、服に着替えて外に出ようか、そう思った時。

 

『ねえねえ茉莉ちゃん、これな~んだ?』

 

 瑠香が意味ありげな言葉と共に、白い布を両手の人差し指に引っ掛けて掲げて見せる。

 

 それを見て、茉莉は顔を真っ赤にすると同時に本気で慌てた。

 

『そ、それ、私のパ・・・パン・・・///』

 

 それはさっきまで茉莉が穿いていたパンツだった。いったい、いつの間に盗んだのか、今は瑠香がおもちゃのように指先でクルクル回している。

 

 二階に上がって梯子を外されるとはこの事だ。瑠香は茉莉が渋る事を見越して、先手を打って来たのだ。

 

『か、返して下さい!!』

 

 とっさに手を伸ばして奪い取ろうとするが、瑠香はひらりと身を翻して、茉莉の手から逃れる。

 

『大丈夫。それぜ~んぶ試着したら、ちゃんと返してあげるよ』

 

 がんばってね~、と無責任に笑う瑠香。彼女もやはり、忍びの末裔と言うべきか。願わくば、その才能をもっと別の方面に活かしてほしいのだが。

 

 とは言え、従わないと帰りは本当にノーパンで帰ることにもなりかねない。茉莉のスカートは例によって短い物を穿いて来てしまっていた。実行すれば完全に露出プレイになる。流石に、そこまで人生跳躍したくなかった。

 

 泣く泣く、茉莉は瑠香主催による強制水着ショーのモデルをやる羽目になった。

 

 ただ、流石に腹に据えかねたので、お仕置きとしてその日の晩の夕食メニューは、瑠香だけ茉莉スペシャル(『黒焦げのご飯』『味噌の入っていない味噌汁』『炭と化した魚』『牛肉の脂身だけ』『得体の知れない青野菜の盛り合わせ』『青紫色したゲル状のナニカ』)にしてやったが。

 

 と言うような、恥ずかしい体験を経て買ったのがこの水着である。

 

 こうして泳いでいる今も、恥ずかしくて堪らなかった。

 

 茉莉は元々、あまり露出の高い服は着ない方であった。だから、武偵校に潜入した時にはスカートの短さにも抵抗があったくらいだ。実家でも、とある事情から裾の長い服を着用していたし、イ・ウーの時は着やすさを理由に、実家にいた時の服を元に防弾服の作成を行った。

 

 だと言うのに、こんな水着を着て人前に出る事になるとは。

 

 そこで、ふと、思った。

 

『緋村君は・・・どう思っているのでしょう、私の水着姿を・・・・・・』

 

 なぜか脳裏に浮かんだのは、最近一緒にいる事が多い少年の事だった。

 

 この水着を着て彼の前に出た時の友哉の反応を見た限りでは、決して悪印象では無かったと思いたい所ではあるが。

 

 と、そこで茉莉は我に返った。

 

『わ、私は何を考えているんでしょう・・・・・・』

 

 急激に頬が熱くなる。

 

 こんな事、

 

 1人の男の事で悩む事など、今まで無かったと言うのに。

 

『も、もう上がろう』

 

 強引に思考を振り払うように、茉莉は水中で進路を変えようとした。

 

 その時だった。

 

 ピキッ

 

 右足の足関節で、何か嫌な音が聞こえたような気がした。

 

 次の瞬間、鋭い痛みが神経パルスを通じて全身に伝播する。

 

『う、うそ、攣った!?』

 

 突然の事に、茉莉は思わず焦った。

 

 とっさに足を伸ばして、底に着こうとするが、運悪くそこの水深は茉莉の背よりも深く、足が届かなかった。

 

『クッ!?』

 

 焦りはさらなる混乱を生む。

 

 焦った分だけ肺から空気が抜け、息が詰まる。

 

 滑稽に思えた。陸ではあれだけの神速を発揮できる筈の足が、一度水に落ちれば、ただもがく事しかできないなんて。

 

 そんな事を考えている内に、茉莉の意識は闇へと落ちて行った。

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、仲間達が心配そうに覗き込んでいるのが見えた。

 

「・・・・・・・・・・・・ここ、は?」

 

 僅かに出す声も掠れている。が、どうやら助かった事だけは間違いなかった。

 

「あ、茉莉ちゃん、気が付いたんだ!!」

 

 瑠香は身を乗り出すと、茉莉の首に手を回して抱きついた。

 

「し、四乃森、さん?」

「も~、心配したよ~、何か急に姿が見えなくなったと思ったら、いきなり溺れ出すんだもん」

 

 どうやら、溺れてからあまり時間が経っていないらしい。背中のごつごつした感じと、水の匂いがする事から、そこがプールサイドだと言う事は判った。

 

「ほらほら、四乃森さん、具合診るからちょっとどいて」

 

 瑠香を押しのけるようにして現われた紗枝が、馴れた手つきで茉莉の手首を取ると、橈骨動脈に触れて、自分の手首に付けた時計と合わせて確認する。

 

 更に紗枝は、口内、眼球も確認してからニッコリと微笑んだ。

 

「うん、大丈夫ね。体調に問題は無いわ。けど、溺れて体力は消費しただろうから、少し休んでから帰りなさい」

「はい」

 

 医療武偵である彼女の診察に間違いは無いだろう。

 

「いや~、でもびっくりした~、急に友哉君がプールに飛び込んだから何だと思っていたら、茉莉ちゃんが溺れてるんだもん」

「緋村君が?」

 

 僅かに顔を傾けてその姿を探すと、目当ての人物はすぐに見つかった。

 

「無事で良かったよ」

 

 そう言って笑い掛ける友哉。

 

 その顔を見て、茉莉はまた顔が赤くなるのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕暮れが、地面に落ちる影を伸ばす。

 

 夏の盛りと言う事で日が落ちるのは遅く、まだ町の街頭には灯が入っていなかった。

 

 そんな中を歩いて行く。

 

「あ、あの・・・緋村君、私、自分で歩けるんで、その・・・・・・」

 

 茉莉は言いにくそうに、そう言う。

 

 が、友哉は聞く耳持ちませんとばかりに足を止めようとしない。

 

「だ~め、無茶した罰だよ。今日は寮に帰るまでこのまま」

 

 そう言って友哉は笑う。

 

 今、茉莉は友哉におんぶされていた。

 

 陣は家がお台場なので途中で判れ、瑠香と紗枝は先に帰って夕食の支度をしてくれる事になった。その為、今は友哉と茉莉、二人っきりである。

 

 体付きが細く、同年代の男子よりも明らかに華奢で、女の子のような外見をしている友哉だが、こうしておんぶしてもらうと、やっぱり男の子特有の力強さのような物が伝わって来た。

 

 それにしても、こう言う強引なところはやっぱり瑠香の戦兄なんだと納得してしまう。変なところを似ないで欲しかった。

 

 おかげで、すれ違う人にクスクスと笑われて、すごく恥ずかしい。まったく、今日1日で何回赤面すれば良いんだろう。

 

 心の中でちょっと拗ねていると、友哉の方から声を掛けて来た。

 

「ねえ、茉莉」

「はい?」

 

 最近ようやく、友哉に下の名前で呼ばれる事に抵抗が無くなってきていた。

 

 そんな茉莉に、友哉は少し真剣身を帯びた声で言う。

 

「何か、悩んでいる事でもあるの?」

「・・・・・・え?」

 

 突然の質問に、茉莉は一瞬、友哉が何の事を言っているのか判らなかった。

 

「高荷先輩から聞いたよ。茉莉が、異常な量の依頼をこなしてるって」

「それは・・・・・・・・・・・・」

 

 茉莉は言葉に詰まる。

 

 正直、あまり知られたくない類の話だった。だからこそ、茉莉は友哉にも相談しようとしなかったのだ。

 

 そんな茉莉に、友哉は優しく言葉を続ける。

 

「君が何を抱え、何に悩んでいるのか、それを僕達にも話してほしい。僕達は仲間だ。仲間は困っている時に助け合うもんでしょ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉の言葉は、途轍も無いぬくもりを伴って茉莉の心に染み渡った。

 

 武偵憲章1条「仲間を信じ、仲間を助けよ」。だが、そんな物が無くとも、友哉はきっと茉莉を助けてくれうだろう。それだけの優しさと包容力を備えた少年なのだ。

 

 しかし、そんな友哉が相手だからこそ、

 

 茉莉は彼に、何も言う事ができなかった。

 

 

 

 

 

第3話「黄昏の帰り道」     終わり

 



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第4話「ファラオの賭博場」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピラミディオン台場は、日本の公営カジノ第1号であり、その規模は他の公営カジノよりも大きい。

 

 その名の通りピラミッド型をしている建物は、外観や内装にも税が尽くされており、外壁は全面ガラス張り。中に入ればレーザー光線で彩られた鮮やかな噴水が接地されている。

 

 その噴水を抜けた先が、カジノホールとなっている。

 

 種類も豊富で、カード、ダイス、ルーレット、スロット等、古今に名のあるゲームは全て揃っている。

 

 来店する客は、財界の有名人からアイドル、政治家と幅広く、当然、その金の流れもまた大きい。

 

 一晩で億単位の金が動く店。それがピラミディオン台場なのだ。

 

 そのカウンターの前に、1人の男が立った。

 

「両替を頼みたい。今日は蒼いカナリヤが窓から入って来たんだ。きっとツイてる」

 

 成金趣味の青年IT会社社長、といった風情の男は、気障なセリフを堂々とカウンター係に告げる。どこか影の感じさせる若い男だが、その目付きは一般人に比べると鋭く、只者で無い事が覗えた。

 

 その傍らには、あどけなさの残る小柄な美女が、彼に腕をからませて立っている。どうやら、男の連れであるらしい。白を基調にしたパーティドレスが、カジノと言う闇の世界の中で尚、色を失わない花のようだ。

 

 カウンター係は手慣れた調子でチップを換金する。

 

 男は「ありがとう」と告げてチップを受け取ると、女を連れてカジノ・ホールへと入った。

 

 ホールの中はぐるりと囲むように、海へとつながるプールが囲まれており、そこを水上バイクに乗ったバニーガール姿のウェイトレス達が行き来していた。

 

 男は女を連れて、行き来する人の波を避けてホールへと入った。

 

 そして、

 

「で・・・・・・」

 

 女は男に話しかけた。

 

「そろそろ、僕がこんな格好をしなきゃいけない理由を聞かせてもらいたいんですけどね、遠山社長ッ」

 

 ギュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ

 

「イデデデデデデ、つ、爪を立てるな!!」

 

 女に思いっきり腕をつねられ、青年社長は思わず悲鳴を上げた

 

 その青年社長の正体は遠山キンジ。今日はこのカジノの警護に来たのである。

 

 そして、

 

「それで、何で僕がこんな格好な訳?」

 

 不機嫌そうにそう言ったのは、緋村友哉である。ただし、今日の格好は、白いパーティドレス。スカートは膝上までの短い代物で、肩も大胆に露出している。特徴とも言うべき赤茶色の髪を一本に纏めているのはいつもの事だが、今日はそこを白いリボンで結んでいた。

 

 元々、線の細い少女のような顔立ちの友哉であるが、これでどこからどう見ても「青年IT社長の愛人」にしか見えないだろう。

 

 スカートの下半身が、何とも頼りなく感じる。一応、下は短パンを穿いてはいるが、それでも捲れないように歩くのは一苦労だ。顔には化粧も施してあり、そっちは紗枝に手伝ってもらった。

 

「仕方ないだろ。お前の写真見たクライアントが、是非にも私服女性警備として入ってくれって言うんだから。他の女子は全員スタッフとして潜入してるし」

「まったく・・・趣味悪いにもほどがあるよ」

 

 友哉は溜息交じりにそう言った。

 

 わざわざ男に女の格好させてまで警備に着かせるとは。

 

「て言うか、お前、ホントに腕とか腰とか細いよな。それでよく、あれだけ刀振り回せるよ」

「・・・・・・言わないでよ、気にしてるんだから」

 

 キンジの指摘に、友哉は少し落ち込んだように顔を落とす。

 

 実際、友哉の手足は、本当に剣士なのか疑いたくなるくらい細い。強襲科には友哉よりも。体格の良い女子がいくらでもいるくらいだ。

 

 自分の華奢な体に若干のコンプレックスを持っている友哉だが、その努力だけでは改善しきれない問題については、既に諦念と折り合いをつけていた。

 

「それで、他のみんなは?」

「ああ、もう来てる筈だ」

 

 今日ここにきているのは、2人の他に、アリア、陣、白雪、レキ、茉莉、瑠香の6人である。その中で陣は2人とは別行動で潜入、女子たちはスタッフとして潜り込んでいる筈だった。

 

 2人は壁際に寄り、並んで立ちながらホールを見回す。

 

 流石にこう人が多いと、誰がどこにいるのか判り辛い。まあ、警護任務であるから無理に合流する必要も無いし、適度に見回りながら、見かけた際には軽く情報交換をすれば良いだろう。

 

 良い機会なので、友哉はこの間から気になっていた事をキンジに尋ねてみる事にした。

 

「ねえ、キンジ」

「ん、何だ?」

 

 尋ねる友哉に、キンジは振り返る。

 

 一方の友哉は、少し真剣な話をするように、眼差しを真っ直ぐにキンジへ向けた。

 

「この間の、カナって人の事なんだけど」

「ッ!?」

 

 その名前を出したとたん、キンジは明らかな動揺を見せた。

 

 先日、武偵校に現われ、圧倒的な実力を見せつけた女性、カナ。やはり彼女は、キンジにとって何らかの因縁がある事は間違いなかった。

 

 ならば、と、友哉は韜晦せず単刀直入に斬り込んだ。

 

「彼女は、君とどんな関係なの?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 キンジは無言のまま、友哉の言葉に答えようとしない。答えたくないのか、それとも答えられないのか。

 

 そこで友哉は、もう1枚のカードを開いて見せた。

 

「ヒステリア・サヴァン・シンドローム、だっけ?」

「お前ッ」

「この間、ブラドが言っていたのが気になってね、調べてみたんだ」

 

 ランドマークタワーで戦った《無限罪》のブラドは、小夜鳴と言う殻を破り本来の姿に戻る際、そのヒステリア・サヴァン・シンドロームを使用していた。そして、それがキンジも知っているような口ぶりであった為、友哉も気になって調べてみたのだ。

 

「アメリカの学会の方に論文が出てたよ。流石に全部は読めなかったけど。略称は『HSS』。性的興奮を覚える事で中枢神経にβエンドロフィンを分泌促進させ、本来は眠っている潜在能力を引き出す。副作用として、発症した人間は、異様なまでに異性に対し好かれるような行動をとる、だっけ? キンジが時々、戦闘中に人格が切り替わるのはこれのせいだったんだね」

「・・・・・・ああ」

 

 観念したように、キンジは頷いた。

 

「俺はヒステリアモードって言っているがな。うちの家の人間に遺伝的に伝わる特異体質なんだよ。こっちとしては迷惑千万だがな」

 

 そう言って、うっとうしそうに髪を掻き上げる。

 

 それを見ながら、友哉は続ける。

 

「カナさんからも、キンジと同じ物を感じた」

「ッ」

「ここからは僕の想像なんだけど、あの時のカナさんも、もしかしたらHSS、ヒステリアモードになっていたんじゃないかな。だからこそ、キンジと似たような気配を感じた。そして、そこから考えられるのは、」

「悪い」

 

 友哉の言葉を遮ってキンジは言った。

 

「キンジ?」

「悪い、その事は、今はこれ以上聞かないでくれ・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「今は、その事を話したくないんだ」

 

 視線を逸らしながら、キンジは訴えるように言う。

 

 2人は壁に背を預けたまま、暫く無言。時間だけがただ過ぎて行く。

 

「・・・・・・・・・・・・ずるいな、キンジ」

 

 ややあって、友哉は苦笑気味に言った。

 

「そう言えば、僕がこれ以上追及しないって判ってて言ってるんでしょ?」

「・・・・・・すまん」

 

 そう言ってキンジも苦笑する。

 

 互いに付き合いも長いせいで、手の内も性格も把握されている。

 

「良いよ。キンジが話したくない事だったら、僕も今はこれ以上聞かない」

 

 そう言って微笑する。友哉とて、友達を困らせたくてこんな話をした訳じゃない。キンジが辛いと言うなら、それ以上話す気は無かった。

 

 その時、

 

「て、キンジ、あれ、星伽さんじゃない?」

「え?」

 

 友哉に言われてキンジが振り返ると、そこには黒山の人だかりができていた。そして、その中心にいるのが、我等が東京武偵校生徒会長にしてキンジの幼馴染、星伽白雪その人だった。ただし、その格好はいつもの見慣れた制服や巫女服ではなく、他の女性スタッフと同じバニーガール姿だった。

 

 その様子に頭痛を覚えつつ、キンジは舌打ちする。

 

「・・・・・・あいつ、バックヤード係をしてろって言っといたのに」

 

 仲間内では特にスタイルが良い方の白雪である。既に好奇の目をした男達に包囲され、右往左往していた。中には携帯電話のカメラで写真を撮っている者までいる。

 

「あ~、あれはまずいな」

「だね」

 

 今回の警護任務は、警備員だと正体がばれないようにするのがクライアントからの要望である。あまり騒ぎが大きくなれば、白雪が襤褸を出してしまう可能性もある。

 

「しょうがない、ちょっと行ってくるよ」

「行ってらっしゃ~い」

 

 背中越しに手を振るキンジを見送り、友哉は手持無沙汰になった手を下ろす。

 

 折角だから、警備らしく少し見て回ろうかと思い、歩きだした。

 

 見回せば、本当に色々な種類のカジノ台がある。比較的友哉にもルールが判る物から、見た事も無い物までピンキリである。

 

 暫くそうして歩いている内に、いつの間にかプール脇まで来てしまっていた。

 

 そのままブラブラするように縁を歩きながら視線を巡らしていると、すぐ傍らでエンジン音が停止する音がした。

 

「お客様、お飲み物はいかがですか?」

 

 プール側から声を掛けられ振り返る、と、そこには水上バイクに2人乗りしたバニーガールが、こちらに向いていた。前席のバニーが操縦を担当し、後席が運搬担当をしている様子だ。

 

 だが、

 

「い、いかがでしょう、お、お飲み、っもの、な・・・ブッ!!」

 

 とうとう堪え切れなくなった、とばかりに操縦を担当しているバニーガールが口に手を当てて吹きだした。

 

 そのウサギ耳の少女を、友哉は半眼になって睨みつける。

 

「・・・・・・・・・・・・瑠香」

「ご、ごめん、友哉君・・・だって、そのかっこ・・・・・・」

 

 瑠香はハンドルに突っ伏したまま、必死に笑いを堪えている。よほど、友哉の女装姿が可笑しいらしい。

 

 一方、後席に座った茉莉は、何やら頬をピンク色にしてポ~ッと眺めている。

 

 そんな彼女に視線を向け、友哉は訝る。

 

「茉莉?」

「か、可愛い・・・・・・」

 

 ポツリと告げられた茉莉の言葉に、友哉は目が点になった。一体、何を言っているのかこの娘は。

 

 だが、茉莉は熱に浮かされたような目で、女装した友哉を見詰めている。

 

「お~い、茉莉ちゃん、戻っておいで~」

 

 瑠香が茉莉の目の前で掌を振ると、茉莉は我に返って顔を上げた。

 

「す、すみません。緋村君の姿が、その、あまりにも可愛らしかったもので・・・・・・」

「あのね・・・・・・」

 

 友哉は頭痛をする思いで、額に手を当てた。

 

 女装した格好を可愛いなどと言われて喜ぶほど、友哉は特殊な性癖をしていなかった。

 

「それより、今のところ問題は起きてない?」

「特に無いよ。さっき奥の方で遠山先輩がアリア先輩にボコられてたくらいかな」

 

 友哉は溜息をついた。

 

 その一言だけで、状況は察するに余りある。とは言え、別れてからキンジの身に何があったのか

 

「まあ、良い。今のところ、大きな問題も起きていないようだし。引き続き警戒を怠らないように」

「了解。あ、友哉君」

 

 話を終えようとした友哉を、瑠香が引きとめた。

 

「部屋に帰ったら、その格好で写真撮らせて」

「ダメに決まってるでしょッ」

 

 何を言い出すのかこの戦妹殿は。

 

「え~、良いじゃん。減るもんじゃないし。茉莉ちゃんも写真、欲しいよね?」

「え、わ、私ですか?」

 

 いきなり話を振られて戸惑う茉莉。しかし、すぐに上目遣いになって友哉を見た。

 

「その・・・緋村君がよろしければ、私も・・・・・・」

「君達ね・・・・・・」

 

 本気で頭痛がして来た友哉。

 

 その時、

 

「だ~ハッハッハッハッハッハッ」

 

 横合いから、甲高い声が聞こえて来て、顔を上げた。

 

 何となく嫌な予感を覚えつつ、振り返る。聞こえて来た声に、とても聞き憶えがあったのだ。

 

 見ればポーカーのテーブルで、相良陣が山のように積み上げたチップを抱え、御満悦と言った感じに大はしゃぎしていた。

 

「あいつ・・・・・・」

 

 どうしてこう、今日は頭痛の種が増えるんだろう。と、自問自答する。私服警備員が目立ってどうするのか。

 

「・・・・・・ちょっと行って来る」

「あ~、あんまり騒ぎ過ぎないようにね」

「が、頑張ってください」

 

 2人の微妙な応援を背に、友哉は陣のいる方向へと足を向けた。

 

 とは言え、どうするか。

 

 この状況で、客として潜入している陣に、こちらから話しかけてテーブルから引き離すのは得策ではない。不審な行動は、自分達の正体を露呈するきっかけにもなりかねなかった。

 

 暫く考えて、友哉は自分のポケットの中にある物に思い至った。

 

 キンジと別れる際、彼から何枚かのチップを預かって来ていた。

 

「・・・・・・よし」

 

 ある事を思いつくと、友哉は台へと近付いた。

 

 陣はまたも挑戦者を下したらしく、場の盛り上がりは一層強まっている。

 

 そんな人込みの中に、友哉は割って入ると、陣とテーブルをはさんで向かい合った。

 

「対戦、宜しいですか?」

 

 突然、テーブルに美女が着いた事で、ギャラリーから感嘆の溜息が出た。この美女は、ただの出しゃばりか、それともミステリアスな容貌の実力者か。それを見極めようとする視線が友哉へと向けられる。

 

 一方、陣は頬をひきつらせた。

 

「ゲッ、ゆ、ゆう・・・・・・・・・・・・」

 

 まさか女装した友人が、自分に対戦を挑んで来るとは思ってもみなかったのだろう。

 

 だが、すぐに気を取り直す。

 

 実は陣は、お台場の不良仲間の間では勝負運の強さで知られていた。この手のゲームでは殆ど負け知らずであり、仲間内では勝負から逃げる者もいるくらいだった。

 

 実力勝負ならともかく、この手のゲーム勝負で友哉に負けるとは思っていなかった。

 

『俺を甘く見るなよ、友哉』

 

 配られたカードを受け取りながら、陣は不敵に笑った。

 

 

 

 

 

~~~15分後~~~

 

 

 

 

 

「まだ、続けますか?」

 

 涼しい顔で問い掛ける友哉。

 

 あれだけ山のように積み上げられていた陣のチップは、殆どが友哉の側へ移っていた。

 

「グッ、バカな・・・・・・」

 

 呻く陣。ここまでの対戦成績は10対0で友哉のパーフェクトゲーム。

 

 引きの強さ、カード構成の見極め、ブラフの使い方。全てにおいて友哉の方が陣を上回っていた。

 

「くっ、くそっ」

 

 陣が更なるチップを賭けようとする。どうやら、まだ勝負を引く気は無いらしい。

 

 因みに、元金になったチップは全てカジノからの借りものである為、いくら勝っても任務終了時に全て返さないといけない。それは陣にも判っている筈だが、どうやら負けている事自体が悔しいらしい。

 

 とは言え、

 

『そろそろ、潮時かな』

 

 その様子を見ながら、友哉は心の中で呟いた。

 

 元々、この勝負は陣にあまり目立たせない事が目的だった。それは友哉が彼を押さえこんだ事で達成されている。そろそろ引き際を考えないと、今度は友哉が目立ってしまう事にもなりかねない。

 

 そう思った時、

 

「失礼、俺も、この勝負に混ぜて貰おうかな」

 

 そう言って、友哉の隣に1人の男が座った。

 

 スラッとスーツ姿のその男は、どこかの会社の社長であるらしい。身なりの良さが見ていて判る。

 

「ツイている女性は強い。あやからせてもらうよ」

 

 そう言うと、パチンと片目を瞑って見せる。

 

『う・・・・・・・・・・・・』

 

 背筋に寒い物を感じ、友哉は僅かに肩を震わせた。

 

 向こうは友哉を女だと思って色目を使っているのだろうが、友哉からすればただただ気色悪いだけである。

 

 男はこの手のゲームにそうとう自身があるのか、馴れた手つきでカードを切って行く。

 

 友哉も渡されたカードを見て、手早く自分の手札を決め、カードを交換する。

 

 友哉と、陣と、男。

 

 緊張の視線が交錯する中、互いの手札がオープンとなった。

 

「ストレートだ。どうよッ」

 

 自慢げに札を並べた陣の手元には、クローバーのカードのうち、2から6までが並べられていた。ここ一番で、これだけのカードを揃えたのだから、陣の勝負強さも伊達ではない。

 

 対して、友哉の傍らに座った男は、余裕の笑みを浮かべてカードをひっくり返した。

 

「ストレートフラッシュだ」

「なっ!?」

 

 陣の顎がカクンッと落ちた。

 

 男の手元には、確かにハートのカードが9からキングまで並んでいた。

 

 場がざわめく。今のやり取りで、陣の勝利を確信していた者も多いだけに、この逆転劇は大いに盛り上がった。

 

 こうなると、残り1人、友哉の手札が気になる所である。

 

 多くの視線が集まる中、友哉もカードを返した。

 

 そのハンドは、

 

「ストレートフラッシュ、ただし、スペードの」

 

 友哉の手元には、スペードの5から8のカード4枚と、ジョーカー1枚が並べられた。

 

 ハンドが同じの場合、絵柄によって強弱が付けられる。4種の絵柄の中でスペードは最高の強さを誇っている。

 

 つまり、男より友哉のハンドの方が強いと言う訳である。

 

 逆転に次ぐ逆転に、場は大いに盛り上がった。

 

「いや、すごいね。やっぱり、ツイてる女性には敵わない」

 

 そう言って、男は肩を竦めた。どうやら、負けた事自体は大して気にもしていない様子である。

 

 男は向き直り、真っ直ぐに友哉を見据えて笑い掛ける。

 

「お嬢さん、良かったら、お名前を聞かせてくれないかな」

「えっと・・・・・・」

 

 流石に冗談じゃ効かなくなりつつある。この男、本気で友哉を口説きに掛っている様子だった。

 

 良く見れば、若干の荒々しい気配がある物の、顔立ちその物は端正に整っていて、なかなか女受けしそうな容貌だった。

 

 あくまで、相手が女なら、の話ではあるが。

 

「どうだい、これから暇なら、俺と食事でも」

「いや~、それはちょっと困るんですけど・・・・・・」

 

 どうにか断る口実を探す友哉。だが、冷静を装っている外面とは裏腹に、内面ではリッター単位で冷や汗をかいていた。

 

 男なのに、男から口説かれている。そんな経験今まで一度も無かった為、どうすれば良いのか戸惑っているのだ。

 

 男が馴れた手つきで、手袋に包まれた友哉の手を取った。

 

「良いだろう? 君の事を、もっと知りたいんだ」

 

 男の真摯な眼差しが、友哉を真正面からジッと眺める。

 

 口調も強引な物ではなく、あくまでも甘く囁きかえるように、それでいていつの間にか逃げ道を塞ぐように語られる。

 

『うっ・・・・・・』

 

 男が相手であっても、なぜか引き寄せられるような感覚に襲われる。

 

 これ以上はまずい。

 

 本気で振り払おうか、そう思った時だった。

 

 ドォンッ

 

 少し離れた場所で、爆音のような音が鳴り響いた。

 

「ッ!?」

 

 その音を聞き、友哉と陣は同時に顔を上げた。

 

 次いで、湧きおこる悲鳴。

 

 その騒ぎの中心に、異様な存在が立っていた。

 

 全身に黒いペンキを塗ったような体格の男で、上半身は裸である。手には半月型の斧を持っている。

 

 異様なのは頭部だった。その顔は人の物ではなく、犬のような狼のような、そんな姿をしている。

 

 一瞬、仮面を被っているのかとも思ったが、そうではない事はすぐに判った。仮面にならある筈の継ぎ目のような物が無い。つまり、本当に首から上が犬なのだ。

 

 犬顔の怪人。冗談のような存在が、現実に目の前に立っていた。

 

「こいつは、トラブルかな?」

 

 皆が先を争うように逃げていく中で、友哉の傍らに立った男だけは冷静にそう言いながら事態を見詰めている。その顔に動揺している様子は見られず、不思議なくらい落ち着き払った調子で異形の怪人を眺めていた。

 

「そうみたいですね。あなたも早く逃げてください」

「君はどうする?」

 

 尋ねる男に対し、友哉は穿き慣れないヒールを脱ぎ捨て、裸足になりながら告げる。

 

「僕には、やる事があるんで。陣ッ!!」

「おう!!」

 

 友哉の呼び声に答える陣。その手は、自らの背中に差しこまれ、そこにあった物を引っ張り出した。

 

 それは、友哉の逆刃刀である。

 

 長物の刀剣類を武器として使う武偵が、武器を背中に隠すのは割とポピュラーな事である。身近なところで言えば、アリアや白雪もやっている。

 

 だが、友哉の場合背中に隠すには、少々上背が足りない。加えて抜刀術を戦術に取り入れている友哉にとって、すぐに刀を抜けないと言うのも不便である。

 

 そこで、今回は潜入任務であり、大っぴらに刀を持ち歩く訳にも行かなかった為、陣に刀を預けておいたのだ。

 

 投げ渡された刀を受け取ると同時に、視界の彼方で白銀の毛並みを持つ狼が、まっしぐらに犬男へ飛びかかるのが見えた。

 

 それはレキが飼っているコーカサスハクギンオオカミのハイマキだ。元は武偵校に侵入したこの狼を、レキが仕留めて手懐け、武偵犬として飼っているのである。

 

 ハイマキの体当たりを受けて、床に転がる犬男。

 

 しかし、すぐに立ち上がると、バイクほどもあろうかと言う銀狼を、苦も無く床に叩きつけて見せた。

 

「クッ、ハイマキ!!」

 

 それを見ながら、友哉はテーブルの上を飛び跳ねるように駆ける。

 

 ハイマキは衝撃で失神してしまったのか、そのまま動こうとしない。

 

 相手が何者であるかは判らないが、まずは当たって実力を確かめる。

 

 接近と同時に、友哉は刀を鞘走らせる。

 

「ハッ!!」

 

 神速の抜刀術。

 

 横薙ぎの一閃は、犬男の胴を捉えた。

 

 吹き飛ぶ犬男。

 

 そのまま床に倒れると、まるで砂が崩れるように形を崩し、ただの砂と化してしまった。

 

 友哉は、その信じられないような光景に、思わず目を見張った。

 

「・・・・・・何、これ?」

 

 得体の知れない物を見て、友哉は呻く。人じゃない事は一目見て判ったが、生き物ですら無いとは。

 

 その崩れた人型の中から、羽を広げた大型の甲虫類が飛び出して来た。

 

「あれは・・・・・・」

 

 その虫を、何処かで見たような気がしたのだ。

 

 しかし、友哉が答を導き出す前に、銃声と共に飛来した弾丸が、虫を吹き飛ばした。

 

「下がってください友哉さん。あの虫は危険です」

 

 そう言ったのは、ドラグノフを手に駆け付けたレキだった。

 

 ハイマキの飼い主である彼女は、ディーラーに化けて潜入していたのだ。

 

「レキ、あれの正体が判るの?」

 

 友哉の問いかけに、レキは答えない。既にその余裕がないのだ。

 

 見れば、同じような犬頭の人型が、次々と現われてこちらに向かって来るところだった。

 

「友哉君!!」

「数が多すぎますッ」

 

 見れば、水上バイクを乗り捨ててプールから上がった瑠香と茉莉も、銃を手に応戦している。

 

 だが犬男の数は増える一方である。

 

 その時、

 

《緋村、聞こえるか?》

 

 耳に装着していたインカムから、キンジの声が聞こえて来た。

 

「キンジ、こっちは今、敵襲を受けてる。そっちの様子は!?」

《くそっ、そっちもかよ。こっちは今、白雪と応戦しているが、相性が悪いらしくて苦戦中だ!!》

 

 どうやら、キンジ達は奥のホールで戦っているらしい。向こうも交戦中のようだ。

 

 互いの部屋は狭い廊下を抜ける必要があり、壁によって分断されている形だった。

 

 そうしている内に、敵の数は徐々に増えていく。このままではキンジ達と合流する事も難しいだろう。

 

「何なんだ? このカジノ、誰かに恨まれてたりするのかな?」

 

 近寄って来た犬頭を、逆刃刀で薙ぎ払いながら、友哉はぼやくように言う。

 

 とは言え、キンジ達ははまだアリアとも合流できていない様子だ。キンジと白雪だけでは戦線を支えきれる保証は無い。万が一、2人が突破されるような事になれば、今度は友哉達が背後から挟撃を受ける可能性もあった。

 

「仕方がない。レキ、君はキンジ達の援護に向かって。ここは僕達が支える!!」

 

 友哉の指示に、レキはコクッと頷き、ハイマキを連れて奥の部屋へと向かった。

 

 その様子を見送りながら、友哉は再び犬男達に向き直る。

 

「さて・・・・・・」

 

 友哉は迫りくる犬男達を睨み据える。

 

 その傍らには、瑠香、茉莉、陣の3人が立つ。

 

「来客者全員が逃げるまでの時間を稼ぐよ。相互の支援を欠かさないようにッ」

「「「おうッ!!」」」

 

 互いに頷き合うと同時に、4人は一斉に散開した。

 

 

 

 

 

第4話「ファラオの賭博場」      終わり

 



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第5話「奪われし者達」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車のシートに身を預け、男は黙って煙草を吹かしていた。

 

 目線の先には、日本最大級のカジノの建物がある。

 

 先代の都知事が何をトチ狂ったのか、あのような趣味の悪い建物にしてしまったが、あれはあれで人気のあるデザインであるらしい。

 

 もっとも、カジノなどと言う物に、一切興味を持っていない男としては心の底からどうでも良い話ではある。

 

 短くなった煙草を車載灰皿に押しつけ、更に新しい1本を取り出して火を付けた。

 

 大きく肺まで吸い込み、そして吐き出す。

 

 苦みを伴った紫煙が、肺に至福を齎す。

 

 時計に目をやる。

 

 情報通りなら、間もなく動きがある筈だが。

 

 そう思った時、建物の中ら一斉に人が流れ出て来るのが見えた。

 

 スーツやドレスに着飾った客達の顔は、一様にこわばり、何かに恐れて逃げ惑っているのが車の中からでも見る事ができた。

 

「・・・・・・・・・・・・ようやくか」

 

 張り込みと言うのも楽ではない。が、情報に間違いは無かった。

 

 人の波は、途切れる事無く入口から吐き出され続ける。

 

 その様子からも、中で起こっている事が只事ではない事が窺える。

 

「・・・・・・さて、それじゃあ、行くとするか」

 

 半分くらい吸った煙草を灰皿に押し付ける男。

 

 その手で、助手席に置いておいた日本刀を取り、車のドアを開けた。

 

 

 

 

 

 並んだテーブルの上を跳ねるように走りながら、友哉は手にした逆刃刀を振るう。

 

 その行く手には、犬の顔をした異形の男が斧を振り翳して立つ。

 

 振り上げられた斧が、真っ直ぐに友哉へと振り下ろされる。

 

 しかし、当たらない。

 

 斧は虚しく友哉の足元にあったテーブルを破壊するに留まった。

 

「ハッ!!」

 

 友哉は天井近くまで跳躍する事で回避、そのまま急降下して刀を犬頭へと叩きつけた。

 

 友哉の剣をまともに受けた犬頭は、そのまま崩れ落ちるように床へ倒れ、砂にその体を変じる。

 

 先程から、この繰り返しだ。

 

 この犬頭が、どうやら、超能力的な何かによって動かされている人外である事は理解したが、それがどういう存在なのかまでは理解が追いつかない。

 

 だが、今はさし当たって相手の正体は問題ではない。

 

 今は、押し寄せて来る敵を如何に食い止めるかが重要であった。

 

 他の3人も、それぞれに応戦している。

 

 茉莉は高速で移動しながら、手にしたブローニング・ハイパワーDAを的確に照準し放って行く。

 

 今回、茉莉は持ち歩きに不便な刀ではなく、銃を装備して来ている。しかし、縮地と言う神速の移動術と、それの下地となる正確無比な照準力を持つ彼女にとって、武器の違いによるハンデなど無いに等しい。

 

 額や、心臓に当たる部分を正確に射抜かれ、倒れると同時に砂へと変わる。

 

 一方の、瑠香は愛用のマシンガン、イングラムM10を振り翳して応戦している。こちらは茉莉ほど正確な照準はできないが、弾数と連射速度で圧倒している。ばらまくように放たれた弾丸は、犬頭達を次々とハチの巣にしていく。

 

 無論、犬頭達は瑠香にも斬りかかるが、

 

「ハッ!!」

 

 短い掛け声とともに、瑠香は跳躍。犬頭達の上空へと躍り出る。

 

 一瞬、目標を見失った犬頭達が動きを止める中、忍びの末裔たる少女は、鋭く獲物を見定め引き金を引く。

 

 ばらまかれた弾丸は、立ち尽くす犬頭達を容赦なく撃ち抜いて行った。

 

 茉莉も瑠香も、その俊敏な動作と、バニーガールと言う可愛らしい恰好から、可憐なウサギが無邪気に飛び跳ねているような印象を受ける。

 

 だが、彼女達はただのウサギではない。その身に牙を持つ咬兎だ。その可憐さは、獰猛さを隠す為のベールでしか無い。彼女達の牙に掛かれば、猟犬もただの木偶と化すだろう。

 

 そして、

 

「おらぁぁぁ!!」

 

 中で、最も豪快な戦い方をしているのはこの男であろう。

 

 陣の戦い方はシンプルだ。

 

 かつてカナが人間戦車と評した通り、圧倒的な防御力とダッシュ力で突進。自身の間合いまで踏み込んで、拳で殴りつける。

 

 シンプルだが、それ故に強い。

 

 加えて、

 

「おぉ、らァァァァァァ!!」

 

 叩きつけられる、右の拳。

 

 次の瞬間、犬頭は胸部から弾けるようにして吹き飛んだ。

 

 二重の極み

 

 二度の打撃を瞬時に加える事で物質の抵抗をゼロにまで減らし、拳の打撃を対象に直接伝導する、陣の持つ必殺技。

 

 陣はこの技を、人相手には決して振るわないと決めているが、相手が人でないと判れば、もはや遠慮容赦は無用だ。

 

 後から迫った犬頭に対し、裏拳気味に二重の極みを叩きつける。

 

 その一撃で首から上を吹き飛ばされた犬頭は、よたよたと数歩後退した後、そのまま砂となって崩れ落ちた。

 

 封印の解かれた拳は、何物をも粉砕しうる強力な砲弾と化して、人以外のあらゆる物を粉砕してのける。

 

 武偵4人の猛攻を前にしては、いかに人外の存在とは言え、抗し切れる物ではない。

 

 友哉は素早く状況を確認する。

 

 交戦当初から比べて、敵の数は減ってきている。勝負を掛けるなら、今だった。

 

「茉莉、陣、瑠香、敵をなるべく中央に集めて!!」

 

 友哉の指示に、3人は頷くと、残った敵を弾くようにしてカジノホールの中央へと寄せて行く。

 

 その様子を見て、友哉は駆けた。

 

 飛天御剣流は、元々こう言う戦い方をする為に編み出されたような物。敵の数が減っている今なら尚更好都合だ。

 

 残った敵は、5体。皆、中央に集められ立ち尽くしている。

 

 そこへ、友哉は逆刃刀を振り翳して踏み込んだ。

 

 間合いに入ると同時に、軸足を強く踏みしめ、刀を持つ両手へ力を込める。

 

「飛天御剣流、龍巣閃!!」

 

 縦横に走る斬線が、視界を細切れに裁断する。

 

 その一撃一撃が、確実に犬頭を捉えて叩き伏せていく。

 

 犬頭達に成す術は無い。

 

 ただその場に立ち尽くし、その身を砂と散らして行くしか無かった。

 

 友哉が最後の一撃を振り切った瞬間、最後の犬頭が声にならない絶叫と共に、その場へと崩れ落ちた。

 

「・・・・・・終わったね」

 

 友哉は呟くように言うと、逆刃刀を鞘に収める。

 

 既に周りから犬頭達が湧き出て来る気配は無い。

 

 だが、ホール内は惨憺たる有様になっていた。

 

 調度品は全て破壊され、テーブルもひっくり返され、床にはカードやチップが散乱している。とても、ここが日本最大のカジノだとは思えないほどだった。

 

 周りに倒れている人の姿は見られない。どうやら皆、無事に脱出してくれたらしい。

 

 だが、まだホールの奥ではキンジ達が戦っている可能性がある。彼等の援護に行かねばならなかった。

 

「よし、じゃあ、ここはもう良いから・・・・・・」

 

 友哉が、そう言い掛けた時だった。

 

 背後で、何か巨大な影が躍ったような気がした。

 

 振り返る、視線の先。

 

 そこには、

 

 今までのと比べると、数倍の巨体を誇る犬頭が拳を振り上げて立っていた。

 

 その巨大な拳が、振り下ろされる。

 

「クッ!!」

 

 とっさに身を翻し、攻撃を回避する友哉。

 

 轟音と共に、床の破片が飛び散る。

 

 その一撃で、床が陥没する程の衝撃がホール内に走った。

 

「参ったね・・・・・・」

 

 距離を取って着地しながら、改めて相手に目をやる友哉。

 

 犬頭はかなりの巨体だ。さっきまでのは、せいぜい人間の大人くらいの体格しか無かったが、今目の前にいるのは、ゆうにその3倍はある。先月戦ったブラドと同じくらいだ。

 

 こんな巨大な敵が、一体どうやって、気配も無く現われたのか。

 

 そう思った時、友哉は傍と気付いた。

 

 さっきまで床に散らばっていた筈の大量の砂が、全て消え去っている。

 

 つまり、目の前の巨大犬頭は、それらの砂を合せて造られた物なのだ。接近して来たのではなく、いきなりこの場で現われたのだから気配に気付けなかったとしても無理は無い。

 

「クッ!!」

 

 友哉は振り翳された拳を後退してかわしながら、回避、同時に逆刃刀の柄に手を掛けた。

 

 見たところ、相手はただ図体がでかいだけで、特別に何か能力を持っていると言う訳でもなさそうだ。ならば、通常攻撃の身で仕留める事が可能だろう。

 

 そう思った時だった。

 

「倒した敵の生死くらい確認しろ。だからお前は甘いと言うんだ」

「え・・・・・・・・・・・・」

 

 突然、背後から声を掛けられ、友哉は振り返る。

 

 そこには、1人の男が立っていた。手には抜き身の日本刀を持ち、鋭い眼光から放たれる殺気は、まるで飢えた獣の如く、獲物を食い千切る時を待っているようだ。

 

「あなたはッ・・・・・・・・・・・・」

 

 その人物の姿を見て、友哉は驚愕した。

 

 男は左手に長く構えた刀の切っ先を真っ直ぐに犬頭に向けた状態から、弓を引くように構え。右手は長く突き出した刃を支えるように前へと伸ばした。

 

「・・・・・・どけっ」

 

 短い口調。

 

 しかし、その一言は、友哉を退かせるには充分な物だった。

 

 あれはまずい。

 

 友哉の第六感が強烈に告げている。

 

 よけろ、と。命が惜しかったら、今すぐそこをどけ、と。

 

 飛び退く友哉。

 

 次の瞬間、

 

 狼が、牙をむき出した。

 

 疾走。

 

 閃光が空間を切り裂き、大気その物が爆ぜる。

 

 かつて、幕末の京都において、維新志士達にとって最強最悪の宿敵と呼ばれた剣客集団が存在した。

 

 京都守護職会津公から京都の治安維持を託されたその集団の名は「新撰組」。

 

 その新撰組において、基本戦術の一つとされたのが、刀を片手に持ち、刃を寝かせて相手に突き込む型が存在する。

 

 戦術の鬼才、新撰組副長土方歳三が考案した「片手平刺突」は、その威力、派生において死角の存在しない良技と称されている。

 

 しかし、

 

 その片手平突きを、ある男が使うと、その技はあらゆる存在を凌駕しうる、恐るべき牙と化したと言う。

 

 

 

 

 

 ザンッ

 

 

 

 

 

 

 刃の切っ先は、一部の狂いも無く犬頭の体に吸い込まれ、

 

 そして破砕した。

 

 否、食いちぎったと言うべきか。

 

 刃を食らった犬頭の体は、衝撃に耐えきれずに上下で分断され、ちぎれた上半身は空中に舞っていた。

 

 新撰組三番隊組長 斎藤一が得意とし、敵対した存在全てを仕留めて来た凶悪な技。

 

 左片手一本突き

 

 またの名を、牙突。

 

 牙が突き穿つと書いて牙突は、受けた存在の命を確実に奪う恐るべき技であった。

 

「なっ・・・・・・」

 

 目を見張る友哉。

 

 何と言う威力だ。いや、そんな言葉では語り尽くせない。

 

 想像を絶するとは、この事だ。

 

 もしこれを人間が食らったなら、その人物は間違いなく肉片と化すだろう。

 

 犬頭を一撃の下に屠った男は、残心を解くとゆっくりと友哉に振り返った。

 

「・・・・・・そう言えば、お前達には本名を名乗って無かったな」

 

 その男、紅鳴館の執事長、山日志郎は、今まで友哉達に見せた事も無いような鋭い眼光を向けて言った。

 

「警視庁公安部、第0課特殊班所属、斎藤一馬(さいとう かずま)巡査部長だ」

「ッ、公安0課!?」

 

 つまり、山日志郎は現職の警察官と言う事だ。

 

 しかも、

 

 公安0課。それは「殺しのライセンス」を持ち、凶悪犯に対する無許可の殺傷権を持つ、武装検事と並んで日本国内最強を名実ともに噂される存在だ。

 

 そんな危険な存在が、紅鳴館では自分達のすぐ近くにいたとは。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は無言。

 

 しかし、刀の柄に掛けた手を離す気にはなれない。

 

 ハッキリ言って、友哉には今まで対峙していた犬頭達より、目の前の男の方が危険に見えているのだ。

 

 紅鳴館で「山日志郎」に感じていた得体の知れない恐怖感は杞憂ではなかった。

 

 山日志郎、いや、斎藤一馬。この男は危険だ。

 

 ここで殺るか。

 

 自分の立場も、相手の立場も忘れて、一瞬友哉はそう思ってしまった。

 

 その時、

 

「キャァァァァァァ!!」

 

 引き裂くような悲鳴に、友哉は我に返った。

 

「何だテメェ等は!!」

「四乃森さん!!」

 

 陣と茉莉の叫ぶ声が、緊張感を否が応でも増幅させる。

 

 振り返ると、

 

 そこには2人組の人間が、陣達と対峙するようにして立っていた。

 

 1人は、ベリーショートに切りそろえた髪と、スラリとした四肢から、スーツを着た少年に一見すると見える。しかし胸が僅かに膨らんでいるのが見える事から、女性である事が判る。その整った顔立ちからモデルのような印象も受ける。

 

 その彼女の手には、気を失っているのか、グッタリとしている瑠香が抱えられていた。

 

 そしてもう1人。

 

 日本刀を手に、彼女の前に立つ男には、友哉も見覚えがあった。

 

「あなたはっ」

「よう、また会ったな、お嬢さん」

 

 そう言って人懐っこい笑みを浮かべて来る男は、あのポーカー台で相席になった男だった。

 

「そうかそうか、あんたが旦那の言っていた緋村友哉か。俺とした事が、まさか男をくどいちまうとはな」

 

 そう言って、苦笑しながら頭に手をやる。そこには一切の気負いは無く、まるで世間話でもするかのような気軽さで語る。

 

「でも、その格好の君が魅力的だっていうのは、今も変わらないぜ」

「・・・・・・あなた達は、誰ですか?」

 

 軽口には取り合わず、友哉は警戒心を持って対峙する。

 

 男の正体が何者であれ、その頭は瑠香をどうやって取り戻すかをシュミレートしていく。

 

 男に一撃斬りかかり、怯ませると同時に全速でその脇を抜け、そして背後の女へ斬りかかるか。それとも、打ち合わせはしていないが、陣や茉莉が連携してくれる事を見越して、彼等に陽動を頼むか・・・・・・

 

 そんな事を考えていると、男は口を開いた。

 

「悪いが、今この娘を返す事はできない。何しろ、うちの旦那からの御所望なんでな」

「杉村、そろそろ・・・・・・」

 

 背後の女に促され、男は振り返った。

 

「ああ、そうだな。川島。お前は先に行け。こいつ等の相手は俺がする」

「了解」

 

 短くそう言うと、川島と呼ばれた少女は、瑠香を抱えたまま踵を返す。そのまま戦線離脱するつもりなのだ。

 

「待ちやがれ!!」

「行かせません!!」

 

 陣が拳を掲げ、茉莉がブローニングを構えて追い掛けようとする。

 

 しかし、

 

 一瞬、

 

 その隙に、杉村と名乗った男は、2人の前へ躍り出た。

 

「お前等の相手は俺だと言った筈だぜ」

 

 口元に浮かべられた笑み。その手には、いつの間に抜いたのか一振りの日本刀がある。

 

 刀を下段に構える杉村。

 

 そこへ、茉莉と陣が間合いの中へと踏み込んだ。

 

「退けェェェェェェ!!」

 

 陣が拳を振り上げる。

 

 刀を構えた、杉村の目が一瞬細められた。

 

 その瞬間、

 

 友哉の背筋に、凄まじい寒気が走った。

 

「ダメだ、避けて!!」

 

 友哉が叫んだ瞬間、

 

 杉村は刀を勢い良く振り上げる。

 

 その空圧が、容赦無く陣と茉莉を襲った。

 

「グッ!?」

「キャァッ!?」

 

 陣はどうにか踏み止まったが、体重の軽い茉莉などは、そのまま背中から倒れてしまったくらいだ。

 

 動きを止める2人。

 

 その眼前で、刀を大上段に振り上げた杉村。

 

 次の瞬間、

 

 杉村が剣を振り下ろしたのと、

 

 友哉が斬り込んだのは、ほぼ同時だった。

 

 神速の接近からの抜刀術。

 

 振り抜かれた逆刃刀が、杉村の刀と触れあった。

 

 ギィィィンッ

 

 凄まじい火花と金属音。

 

 次の瞬間、友哉の体は背中に向かって大きく弾き飛ばされた。

 

 それのみに留まらない。

 

 振り下ろした勢いを殆ど殺されなった杉村の剣は、床に叩きつけられ、轟音と共に、そこへ半径数メートル単位のクレーターを作り上げた。

 

「ッ!?」

 

 弾き飛ばされた状態から体勢を入れ替え、辛うじて着地に成功した友哉は思わず息を飲む。

 

 大理石の床に、正円を描くクレーターが一瞬にして出来上がっている。

 

 この威力。先程の斎藤の突き技と比較しても、何ら遜色があるようには見えない。

 

「・・・・・・やるねえ」

 

 そう言って、杉村はニヤリと笑った。

 

「流石、旦那が目を掛けただけの事はある。俺の龍飛剣に合わせられた奴は、お前が初めてだよ」

 

 そう言うと、杉村は友哉に向けて、何かを放って寄こした。

 

 足元に転がった物を拾い上げると、それがGPS機能の付いたデジタルマップである事が判った。

 

 踵を返す杉村。

 

 そこで足を止め、振り返って言った。

 

「言って無かったな。俺は杉村、杉村義人(すぎむら よしと)。イ・ウー《仕立屋》の1人だよ」

 

 その一言が、友哉に対する最大級の挑戦状となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピラミディオン台場での警護任務は、終了を迎えた。

 

 施設、及び調度品の損害はそうとうな物になったものの、入場客、及びスタッフに死傷者は無く、任務としては最低限のレベルは達成できたと判断できた。

 

 だが、武偵校に戻った一同に、明るい空気は無かった。

 

 四乃森瑠香、そして神崎・H・アリア、両名が敵対組織に拉致、この場に戻ってくる事はできなかった。

 

 カジノ襲撃の主犯格と思われるのは、《砂礫の魔女》と言う異名で呼ばれる超能力者パトラ。かつてイ・ウーにおいてブラドをも凌ぐナンバー2の立ち位置にあり、その残虐性から、追放の憂き目にあった存在だ。

 

 自らを称してエジプトの女王、クレオ・パトラの転生者と称している女である。

 

「まさか、あのパトラが出てくるとはねえ。予想外だったよ」

 

 そう言ったのは理子である。

 

 現在、武偵校には招集できる限りのメンバーを集めて、事後の対策を練る事になっている。その中で、理子も集まってくれた1人だった。

 

 しかし、理子は今、右目にハート型の眼帯をしている。

 

「理子、その目は?」

「ああ、これね」

 

 尋ねた友哉に、理子はそう言って、自分の右目の眼帯を指差した。

 

「これはね、スカラベの呪いで眼疾を患っちゃったの。全治一週間だって」

「スカラベ?」

 

 聞いた事の無い単語に、友哉は首をかしげる。しかも呪いとは。

 

 因みに呪いとは、既に一部が科学的に立証されている。言うなれば心理的圧迫感を相手に与える事で、一種のうつ状態を誘発するのが目的の攻撃手段であるが、理子のは最早、そんなレベルの話ではなかった。

 

 目を見えなくしてしまう呪い。それもまた、超能力の一種なのだろうか?

 

「あれ、ユッチー、スカラベ知らない?」

「いや、知らないけど・・・・・・」

 

 そんな「あのお店知らないの? 遅れてるね」みたいなノリで言われても困るのだが。

 

「でも、ジャンヌが足怪我した時、一緒にいたんだよね。その時さ、何か大きいコガネムシみたいなの見なかった?」

 

 それで思い出す。

 

 確かに、ジャンヌが怪我をした時、そのような虫を見た気がする。それに、カジノを襲った犬頭の体内からも同じような虫が現れた。

 

 あれがスカラベだったのだ。

 

 スカラベとはフンコロガシの名称でも知られ、古代エジプトでは聖なる甲虫として崇拝された存在である。映画「ハムナプトラ」では食人虫として登場し、視聴者を恐れさせたのは有名である。

 

「古代エジプトって事は、それももしかして、パトラの呪いなの?」

「そ。多分パトラは、理子やジャンヌみたいな、自分に邪魔になりそうな人間を先に排除してから、今回の計画を仕掛けて来たんだと思う」

「計画・・・パトラの狙いって一体何なの?」

 

 カジノを襲い、アリアや瑠香を拉致して、その自称エジプトの王は何をしたいのだろうか?

 

「恐らく、イ・ウーの頂点、ナンバー1になる事だ」

 

 友哉の質問には、別の方向から答えが返った。

 

 見れば、ジャンヌが松葉杖を突きながら部屋に入って来るところだった。その後にはキンジ、白雪、レキも続いている。

 

「イ・ウーのナンバー1?」

「そうだ。パトラには誇大妄想の気があってな。現在イ・ウーを率いている教授が死ねば、次は自分がリーダーになると思っている。そしてまずはエジプトを、そしてゆくゆくは世界征服をも目論んでいる」

「世界征服って、そんな大げさな」

「決して、大げさな話じゃないんです。そう思わせるには充分な力と規模を、イ・ウーは誇っているんです」

 

 そう言ったのは茉莉だった。彼女も病院で一応の検査を受けた後、こちらに合流していた。

 

「兄さ・・・カナが言っていた。アリアの命はあと24時間持つ。パトラはその間に、イ・ウーの教授って奴に、自分を後継者にするように交渉するそうだ」

 

 そう告げたキンジは、いつも以上に焦燥した雰囲気がある。

 

 聞けば、アリアは彼の目の前で浚われたと言う。大切なパートナーを助けられなかったのだから、そのショックは大きいだろう。

 

 気持ちは友哉にも判る。大切な人を守れなかったという意味では友哉も同じだ。大切な幼馴染であり戦妹でもある瑠香を浚われてしまった。しかも相手はあの仕立屋、由比彰彦の仲間である。悔しくない訳がない。

 

 そして、その悔しさは、この場にいる全員が共通している者だと思う。

 

 友哉、キンジ、白雪、レキ、陣、茉莉、ジャンヌ、理子、そして車輛科の武藤剛気が遅れて入って来るのが見えた。

 

 皆一様に、浚われた仲間の身を案じ、彼女達を助けようと集まった者達だ。

 

「では、作戦会議を始める」

 

 壇上に立ったジャンヌが、凛とした声で告げた。作戦立案能力に長けた彼女が、参謀として作戦立案を行ったのだ。

 

「現在までのところ、星伽の占い、理子がアリアの服に取り付けた発信機、そして緋村が提供してくれたGPS情報により敵、パトラの正確な位置が判明している」

 

 友哉が杉村から渡されたGPSは、帰ってくるとすぐに情報科のジャンヌに渡して解析を頼んでいた。その結果が既に出たのだろう。

 

 ジャンヌの後ろのパネルが点灯し、デジタル化された地図が浮かび上がる。そこは、北海道の北部、オホーツク海周辺から太平洋域を映した物だった。

 

 その一点を、ジャンヌは手にした棒で差した。

 

「北緯43度19分、東経155度03分。太平洋上、ウルップ島沖の公海上だ」

「その辺に島は無い筈だから、多分、船か何かを使ってるんだろうな」

 

 ジャンヌの言葉に、武藤はそう言った。乗り物に関するエキスパートである彼は、当然海図も頭に入っている。

 

 ジャンヌは武藤の言葉に頷く。

 

「恐らく武藤の言う通りだろう。そしてそこには、アリアや四乃森、パトラだけじゃなく、カジノを襲ったと言う、奴のゴレムも多数存在している筈だ」

 

 あの犬頭達がゴレムと呼ばれる存在であると友哉が知ったのは、武偵校に戻ってジャンヌの話を聞いてからである。確かに人間ではない事は判っていたが、どうやら超能力で動く人形であるらしい。そう言われれば、納得のいく物がある。

 

 ジャンヌは説明を続ける。

 

「今回は時間が無いので、複雑な作戦は組まずシンプルに行く。要するに強行突入作戦の応用だ。まず部隊を3つに分ける。実際の突入を担当するアルファ、囮を担当するベータ、輸送と火力支援を担当するデルタだ。アルファチームは、遠山と星伽が担当する。任務はアリア、四乃森の救出とパトラの捕縛となる。パトラ本人と戦う可能性が高い以上、この中で奴に対抗できるのは星伽だけだ。それに遠山はアリアのパートナーだし、星伽とは付き合いも長いから支援には最適だろう」

 

 確かに、白雪程の実力者であるなら、かなり高位のステルスが相手でも互角に戦える筈だった。

 

「次にベータ、こちらは緋村、相良、瀬田の3人だ。任務はアルファに先行して、敵兵の目を引き付ける事。敵船の甲板上でできるだけ派手に暴れ、敵の注意を引き付けるんだ」

 

 最後にジャンヌは、レキと武藤に目を向けた。

 

「最後にデルタは、武藤、レキ、お前達だ。任務はベータチーム輸送後、目標上空に留まって火力にて支援する事。既に音速ヘリの使用許可は取ってある」

「おう、任せとけ」

「・・・・・・」

 

 不敵に笑う武藤と、無言のまま頷くレキ。

 

「みんな、この作戦は時間との勝負だ。間もなく、アリア救出期限まで11時間を切ろうとしている。最早一刻の猶予も無い。各人、己の本分にて最善を尽くせ」

 

 ジャンヌのその言葉で、作戦会議は終了となった。

 

 

 

 

 

 廊下に出ると、友哉は足を止めた。

 

 視線の先では、斎藤一馬が会議の終了を待っていたかのように、壁に背を凭れさせた状態で煙草を口にくわえていたのだ。

 

「・・・・・・ここ、禁煙ですよ」

「それは悪かったな」

 

 そう言うと悪びれた様子も見せず、一馬は煙草を手にした携帯灰皿に押しつけた。

 

 そして、友哉に真っ直ぐに向き直る。

 

「今回の作戦、俺も同行させてもらうぞ。既にお前等の教師には許可を取った」

「あなたも?」

 

 友哉は胡散臭い気持ちになる。この男の事は、初めて紅鳴館で出会った時から警戒していたが、カジノでその正体を知ってから、その想いはなお一層強くなっていた。

 

 そんな友哉の態度に、一馬は苦笑する。

 

「何だ、その嫌そうな顔は?」

「・・・・・・別に」

 

 そう言ってそっぽを向く。

 

 胡散臭い事には変わりないが、一馬の実力が本物である事は、カジノでの戦いで確認している。ついて来てくれるなら心強いのは確かだった。

 

「元々、イ・ウーの事は公安の方でも内偵を進めていた案件でな。俺が紅鳴館に潜っていたのもその一環だ」

「そうだったんですか」

「お前等を餌に、奴等がつられたんだ。相乗りしない手は無いだろう」

 

 潜入作戦の時とは随分と態度も口調も違う物である。話し方だけ聞いていれば、目の前の斎藤一馬と、紅鳴館にいた山日志郎が同一人物だとはとても思えない。

 

 だが、その根底にある不気味な雰囲気は変わらない。否、今や隠していた牙をむき出した狼は、剣呑とも言って良い気配を惜しみ無く発揮していた。

 

 しかも、事実上囮にされたと知り、友哉としても不愉快さは拭えなかった。

 

 そんな友哉とすれ違うように歩きながら、一馬は口を開く。

 

「お前には伝えた筈だぞ。人を殺す覚悟の無い奴は、いずれ自分か、味方の命を失う事になる、と」

「ッ!?」

 

 それは紅鳴館で山日志郎が友哉に告げた事。

 

 そして、その言葉通り、友哉は瑠香と言う大切な存在を敵に奪われる事になった。

 

「その結果がこれだ。お前は結局、お前自身の大切な物を守る事ができなかった。それは、お前の甘さ故に起こってしまった事だ」

「まだ失って無いッ」

 

 友哉は一馬の言葉を真っ向から否定するように叫んだ。

 

「アリアも、瑠香も、まだ死んでない。まだ取り戻せる!!」

 

 その目は真っ直ぐに一馬を見据えて射抜いている。

 

 揺るぎない、あらゆる障害に立ち向かう事を覚悟した勇気の籠った瞳である。

 

 奪われた仲間は、必ず取り戻す。友哉の瞳はそう語っている。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 互いに無言のまま、睨み合う。

 

 戦う為には、相手を殺す事もやむなしと考える一馬に対し、友哉はあくまで武偵として、敵を殺さずに戦い抜くと決めている。

 

 互いの信念がぶつかり合い、激しく火花を散らす。

 

「・・・・・・・・・・・・良いだろう」

 

 ややあって、一馬は言った。

 

「お前の言葉がただの大口じゃないと、俺に証明して見せろ」

 

 そう言って歩き去る一馬の背中を、友哉は真っ直ぐに睨み据える。

 

 言われなくても判っている。

 

 アリアも、そして瑠香も、必ず助け出して見せる。

 

 友哉は信念を宿した瞳で、そう誓うのだった。

 

 

 

 

 

第5話「奪われし者達」      終わり

 



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第6話「緋弾の射手」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「御苦労さまです」

 

 由比彰彦は、開口一番、戻ってきた自分の部下2人をそう言って労った。

 

 彼等の任務はカジノ、ピラミディオン台場への潜入、そして、緋村友哉の戦妹、四乃森瑠香の奪取にあった。

 

 作戦は見事に成功、今、彰彦の目の前には後ろ手に手錠を掛けられた瑠香が、薬で眠らされた状態で転がっていた。

 

 その危険な任務をやり遂げた2人の部下は、まるで何でもないと言いたげに彰彦の前に立っている。

 

「任務ですので」

 

 素っ気なく答えのは川島由美。髪をベリーショートに切りそろえた小柄な少女で、本人の趣味なのか、常に好んで男装をしている。その雰囲気から、まるで宝塚の男役を彷彿とさせる物があるが、潜入、諜報、暗殺に掛けてはイ・ウーでも屈指の実力者である。

 

「なかなか楽しめたよ。眼福もあったしね」

 

 そう言って肩を竦めたのは杉村義人。イ・ウーに入ってまだ日は浅いが、その壮絶な剣技、龍飛剣は、例え食らうと判っていても回避、防御が不可能とさえ言われている。事実、ピラミディオン台場での戦闘でも、友哉はダメージこそ無かったが大きく吹き飛ばされる結果となった。

 

「それで、この後どうするんだ?」

 

 義人は、そう言って彰彦を見る。仕立屋として多くの戦いに参加した彼は、自分達のリーダーが、次にどのような戦場を用意してくれるのか、楽しくて仕方がない様子だ。

 

 だが、それに対して彰彦が返した返事は意外な物だった。

 

「取り敢えずは、何も」

「は?」

 

 義人はその言葉に訝る。てっきり、次の一手を打つと思っていたのだが。

 

 そんな義人の様子に、彰彦は仮面の奥で可笑しそうに笑う。

 

「緋村君に、『招待状』は渡したのでしょう?」

「・・・・・・ああ、アンタに言われた通りにな」

 

 少し不機嫌そうに、義人が答える。何もしない、と言う事が彼にはどうやら不満であるようだ。

 

 対して彰彦は座っていた椅子から立ち上がり、背中で手を組む。

 

「ならば、何も心配はいりません。教授の条理予知通りなら、放っておいても間もなく、彼等の方から姿を現わしますよ」

「・・・・・・だと良いがな」

 

 少し胡散臭そうに、義人は目を細めた。

 

 確かに彰彦の言う通りなら、後は待っていれば良いだけになる。本当に現われるのなら。

 

 実際にその条理予知とやらが、どの程度の的中率なのか知らない義人にとっては、その真偽を推し量る事ができなかった。

 

「心配しなくても、あの方の条理予知が外れた所を、私は見た事がありません。何も心配せずに待っていれば、望む結果は必ず訪れるでしょう」

 

 その条理予知によれば、パトラではこれから攻めて来る武偵達を止める事はできない。そこで教授の本懐となる戦いが始まる事だろう。だが、そこで邪魔になるのは、やはり緋村友哉の存在だ。

 

 そこで、友哉の気を教授から仕立屋に向けさせる。それが今回の彰彦達が行う「仕立」となる。その為に必要なのが、今目の前の床に転がる少女、四乃森瑠香という訳である。

 

「そんなもんかね?」

 

 尚も納得のいかない調子で義人が言った時だった。

 

「・・・・・・ん・・・うん?」

 

 足元で、小さな呻き声が上がり、床に転がされている瑠香が、僅かに目を覚ました。

 

「ここ・・・・・・は?」

 

 瑠香はボウッとする頭を回転させながら、状況を確認しようとする。

 

 確か、自分は戦兄である友哉達とカジノの警備に出かけ、そこで犬頭の奇妙な連中と戦闘になり、そこで・・・・・・・・・・・・

 

「・・・・・・あれ?」

 

 そこから先が思い出せない。それからどうしたんだっけ?

 

 その時、

 

「お目覚めですか?」

 

 頭上から聞こえる声。

 

 振り仰いだ瞬間、

 

「ッ!?」

 

 息を飲む。そこには友哉の宿敵とも言える存在の、無表情を張り付けた仮面があったからだ。

 

「由比彰彦!?」

 

 とっさに飛び退こうとするが、できない。手を後ろに回され、手錠をされている事に今更気付いたのだ。

 

 当然、武器も無い。イングラムもサバイバルナイフも取り上げられていた。

 

 そんな瑠香を、覗き込むように彰彦は見る。

 

「そう焦らなくても、あなたに危害を加える気はありませんよ。それに、間もなく緋村君があなたを助けに来るでしょう。そうしたら、無事に返してあげます」

 

 そう告げる、彰彦だが、瑠香は身動きのままなら無い体を引きずるようにして、どうにか距離を取ろうとする。

 

「し、信用できる訳無いでしょ!!」

「まあ、当然でしょうね。ですが、この事は私、イ・ウー『仕立屋』リーダー、由比彰彦の名と、名誉に掛けて誓わせてもらいます。あなたには決して危害を加えないと」

 

 表の世界に守るべきルールや法があるように、裏の世界にも守るべき節度がある。イ・ウーの仕立屋と言えば、裏の世界では名の知れた存在でもある。その名を出して誓った以上、誓いを守る事は彰彦にとって「義務」となった。もしこれが破られる事があれば、その時は彰彦自身、闇の世界での信用を失うことに繋がる。

 

 つまり、彰彦もある程度のリスクを負っている事を瑠香に伝えたのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・どういう心算よ?」

 

 尚も警戒を解かぬ目を向けたまま、瑠香は尋ねる。

 

 対して彰彦は、飄々として肩をすくめてみせる。

 

「私はね、四乃森さん。試してみたいんですよ、緋村君を」

「友哉君の、何を試すって言うのよ?」

 

 尋ねる瑠香に、彰彦は僅かに声のトーンを落として言う。

 

「私の目的。その助けとなるかどうかを、ね」

「なっ!?」

 

 瑠香は絶句する。

 

 この男の真意が読めない。一体、何を考えているのか。

 

「ゆ、友哉君がアンタなんかに協力する訳無いでしょ!!」

「さて、それはどうでしょうね。いずれにしても、それを決めるのは、私でもあなたでも無く、緋村君自身ですから」

 

彰彦は立ち上がって踵を返す。

 

「ただ、あるいは、今回の戦いでは得られぬ答もあるのかもしれませんね」

 

 そう言うと、彰彦はそれ以上何も語ろうとはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウルップ島は、元々は日本固有の領土とされていたが、第二次世界大戦以後はソビエトが、その後はロシアが実効支配を続ける島であり、国後、択捉、歯舞、色丹から成る北方領土の更に北に存在する。古くはアイヌ人達が、漁をする為の拠点にも使用したとされる島である。

 

 そのウルップ島を眼下に見ながら、ヘリは飛翔していく。

 

 武偵校所有の音速ヘリで一旦網走まで飛んだ強襲チームは、そこで休息と補給を行い、目標となる地点を目指していた。

 

 ヘリの操縦は武藤が担当し、後部キャビンには友哉、茉莉、陣、レキ、そして一馬が乗り込んでいる。

 

 キンジと白雪からなるアルファチームは、ジャンヌが学園島潜入に際して使用したと言う高速魚雷を改造した小型潜航艇「オルクス」を駆って先行している筈だ。

 

 元々100ノット以上出せる乗り物だが、今は武藤の手によって改造を施され170ノットまで強化されている。最早、羽を付ければ飛べるレベルだ。しかし、それでもヘリの速度には敵わない為、友哉達が出発時間をずらす事で調節していた。

 

《緋村、あと少しで目標地点だ》

 

 コックピット席で操縦する武藤から、インカムを通して通信が入る。ヘリの内部ではローター音が激しい為、隣の相手でもインカムを使わないと会話できないのだ。

 

 時計を見ると、タイムリミットまであと1時間半を切ろうとしている。予定では、友哉達が突入した15分後に、キンジ達も突入する手筈になっていた。

 

「了解。何か見えたら教えて」

《おう。お前等を下ろした後、俺達は現場上空に留まって支援砲撃を担当する。つっても、このヘリにゃ武装は積んでないから、火力支援はレキの担当になるがな》

 

 そう言うと、武藤からの通信は切れた。

 

 友哉は改めて全員を見詰める。

 

 茉莉は愛刀 菊一文字を両手で抱えて座っている。その顔には、普段あまり見る事ができない緊張のような物が見て取れる。これから戦う相手は、イ・ウーにおいて彼女よりも上位だった存在。緊張するのも無理からぬ物がある。

 

 レキはドラグノフを抱えたまま、相変わらず耳に付けたヘッドホンで何かを聞いている。こちらには気負った様子は無い。いつも通りの仕事をするだけ、と言う事を無言で言い表していた。

 

 気負っていないと言えば陣も同じだ。両腕を組んだままジッとしている。目をつぶって僅かに体を揺らしている所を見ると、どうやら居眠りをしているらしい。その豪胆さは、友哉は苦笑しつつも見習いたいと思った。

 

 そして、最後の1人。

 

 斎藤一馬。今回の作戦において、唯一の武偵以外の参加者。

 

 彼は戦場では相手を殺す覚悟を持てと言った。しかし、武偵である友哉にとって、それは到底受け入れられぬ言葉だ。

 

 人を殺す事が、必ずしも解決にはならない。その事を、ここで証明して見せる。

 

 友哉が心の中で決意を固めた時。

 

《見えた。けど、ありゃ何だ!?》

 

 驚愕に満ちた武藤の声に、友哉は窓に寄って外の景色を眺める。

 

 そこには、驚くべき光景が広がっていた。

 

 何十頭ものクジラが海面で群れをなして泳いでいる。時折、潮を吹き上げたり、海面でジャンプする姿は実に壮大な眺めである。

 

 だが、奇妙な事に、クジラ達は一定の周回でもって泳いでいるように見える。このような事があるのだろうか?

 

 そう思ってよく目を凝らすと、クジラ達が周回遊泳する中央に、1隻の船がいる事に気付いた。クジラ達は、まるでその船を守るようにして泳いでいるのだ。

 

「武藤、多分、あの船がそうだよッ」

《みたいだな。よし、着けるぞ!!》

 

 そう言うと武藤は、操縦桿を操ってヘリを船へと近づけていく。

 

 近付いてみて判ったが、それは大型の客船だった。ただ、何か大きな物を積んでいるのか、喫水はかなり深くなっている。加えて、外装もボロボロで何やら幽霊船めいた印象があった。

 

 もし、この場にキンジがいたら、きっと驚愕で声も出なかったであろう。

 

 その客船の名はアンベリール号。今から半年前の昨年12月に沈没した豪華客船である。冬の浦賀沖にて、彼の兄を乗せて。

 

 目を凝らせば、甲板上に無数に動いている人影が見える。あのカジノを襲った犬頭、ゴレムである。やはり、ここで間違いない。《砂礫の魔女》はここにいるのだ。

 

 甲板上に巨大なピラミッドがあるが、あれは恐らく後から設けられた物だ。

 

 ヘリはゆっくりと、アンベリール号の甲板へと近付いて行く。

 

《よし、緋村。あと少しでワイヤー降下が可能な高度になる。そしたら前甲板に、》

「いや、武藤。ワイヤー降下はしない」

 

 友哉は武藤の言葉を遮って言った。

 

 敵は甲板上に無数にひしめいている。悠長にワイヤー降下をしていたら、敵に囲まれてしまう。

 

「ある程度高度を落としてッ 後は飛び降りるから!!」

《無茶にも程があるぞ!!》

 

 武藤が怒鳴って来るが、友哉には考えを変える気は無い。敵の包囲網の中に突っ込んで行くのだ。飛び降りるくらいのリスクは飛び越えるくらいの気概が必要だ。

 

 その間にもヘリは船へと近付いて行く。時間的にアプローチのやり直しをしている時間は無い。

 

《クソッ、どうなっても知らねえぞ!!》

 

 そう言うと、武藤は更に機体を甲板に寄せる。

 

「みんな、準備は良いね?」

 

 尋ねる友哉に、頷く陣、茉莉、そしてレキ。ただ1人、一馬だけは一言もしゃべろうとしない。

 

 友哉としても、一馬に返事を期待していた訳ではないので、それ以上は何も言わずにハッチを開く。どの道、この男に何を言ったとしても、言ったとおりに動いてくれるとは思えなかった。ならば好きにやらせた方が良い。

 

「行くぞ!!」

 

 号令と同時に、友哉は中空に身を躍らせた。

 

 

 

 

 

 遠目で確認した通り、アンベリール号の甲板は無数のゴレムでひしめき合っていた。

 

 どうやらパトラは、こちらの襲撃を予期して待ち構えていたらしい。自身の頼みとする軍勢を持って、こちらを迎え撃つ体勢は万全と言う訳だ。

 

 だが、向こうが襲撃を予期していたのなら、こちらも迎撃は予想済みである。

 

 故に、最大の戦力を叩きつける。

 

「ハァァァァァァ!!」

 

 降下、着地と同時に抜刀、友哉は敵のまっただ中へと斬り込んだ。

 

 振るわれる白刃。

 

 その一撃が、数体のゴレムを一撃の下に粉砕する。

 

 更に友哉は、自身を最も敵の密集した場所へと飛びこませ、逆刃刀を縦横無尽に振り回す。

 

 その一撃一撃は重く、また速い。

 

 ゴレム達は侵入者の存在を感知し、動くように仕込まれているようだが、友哉の動きを捉えるには遅すぎる。

 

 振るわれる剣は、確実に敵の数を減らして行く。

 

「おっしゃぁぁぁ!!」

 

 陣も甲板に降り立ち、容赦無く拳を振り回す。

 

 リーチが短い分、素早く切り返す事ができる陣は、友哉よりも深く敵陣に斬り込み、独自の喧嘩殺法を駆使して、ゴレム達を殴り、蹴り、粉砕していく。

 

 勿論、陣は友哉ほど速くは動けない。更に的となる図体もでかい為、反撃に振り下ろされる剣や斧が容赦なく陣を叩く。

 

 しかし、

 

「効かねえな」

 

 陣は不敵な笑みを浮かべて、立ち尽くすゴレムを睨む。

 

 刃は防弾制服が防いでくれる。そして、並みの衝撃では陣にダメージを入れる事はできない。

 

 お返しとばかりにはなった拳が、ゴレムの頭を見事に吹き飛ばした。

 

 続いて、茉莉が甲板の上に立った。

 

 と、思った瞬間、

 

 既に茉莉は数十メートルの距離を、瞬きする間もなく疾走していた。

 

 キンッ と言う鍔鳴りが鳴ったと思った瞬間、彼女の進路上にいたゴレムが一斉に胴や首を飛ばされ、砂へと帰っていった。

 

 スッと目を細め、茉莉は次の獲物を見定める。

 

 獲物。

 

 正に、今のゴレム達は茉莉にとって獲物に他ならない。

 

 縮地を発動し、神速の移動が可能となった彼女は、普段の大人しい、儚げな少女ではない。確たる狩猟者の本性を露わにし、目にした敵全てを屠り去る覚悟と実力を持って、その場に立っていた。

 

 その茉莉に向けて、ゴレム達が殺到して来る。

 

 だが、茉莉は恐れない、慌てない。

 

 ただ、己が狩るべき獲物を見定め、

 

「フッ!!」

 

 一瞬にして疾走。

 

 次の瞬間、その全てが切り倒されていた。

 

 後には、スカートを揺らし、泰然と立つ少女が1人存在するのみであった。

 

 一馬は降り立つと同時に、左手に刀を持って構え、突撃を仕掛ける。

 

 牙突

 

 ある意味、陣以上に戦い方はシンプルであると言える。

 

 轟音と共に、ゴレム達が文字通り粉砕され、塵となって消えていく。

 

 牙突を打ち切り、次の目標に向けて刀の切っ先を構える一馬。

 

 戦場において、同じ敵に二度当たる事は珍しい。ならば、余計な技を複数持つよりも、ただ一つの技を必殺の域にまで昇華させる事こそが、必勝への道へと通ずる。

 

 そうして完成したのが、牙突と言う技である。

 

 この幕末を駆け抜けた狼の末裔は、己が斬るべき相手を見定める、確たる目が備わっている。

 

 そして、敵と見定めた存在に対して、一馬は容赦する必要性を微塵も感じてはいない。

 

 それは、自身の魂に刻みつけられた、たった三文字の正義が根幹を成している事に由来する。

 

 すなわち、「悪・即・斬」。

 

 それ以外に言葉はいらないし、それ以外の正義は必要なかった。

 

 殆ど跳躍と言って良い速度で、一馬は地を蹴る。

 

 標的にされたゴレムは、反応すらできずに刃の切っ先を胸に突き込まれ、そして吹き飛ばされた。

 

 数十に及ぶゴレムを倒し、甲板に敢然と立つ友哉、陣、茉莉、一馬。

 

 上空では武藤が操縦するヘリが旋回し、そのキャビンに膝立ちしたレキがドラグノフを構え、ゴレムに対して狙撃を敢行している。

 

 だが、敵は尚もひしめき合って、こちらへ向かって来ている。

 

 獲物を選ぶのに、苦労はいらない様子だった。

 

 

 

 

 

 甲板上の死闘を背に、キンジと白雪はアンベリール号の船内を走る。

 

 既にアリア救出期限まで一時間を切っている。彼女の命の灯が消え去る前に、間にあわせるのだ。

 

 甲板上の戦いは、さらに激しさを増し、轟音は船内にまで響いて来ている。いかにあの四人が一騎当千の実力者でも、敵の数を前にしては多勢に無勢。友哉達が持ちこたえている内にパトラを倒しアリアを救出しなければならなかった。

 

「キンちゃん、ここだよ!!」

 

 白雪が足を止めて、身構えた。

 

 場所的には、そこはあのピラミッドの中であると考えられる。

 

 ジャンヌからの情報では、パトラはピラミッドのある場所では無限の魔力が使用できるそうだ。対して白雪は、一時的に爆発的な力を発揮できるが、その力は決して長続きする物ではない。

 

 不利な戦いになる。それを覚悟のうえでの突入だった。

 

「行くぞ」

「うん」

 

 互いに頷き合うと、巨大な扉を押し開いた。

 

 内部の王の間はかなりの広さを持っており、巨大な石柱が立ち並び、奥にはスフィンクスが飾られている。

 

 驚くべき事に、その全てが、眩いばかりの純金でできていた。

 

 その最奥には、アリアが浚われた時に使われた棺が収められている。

 

 その傍らにある玉座には、古代エジプト王朝のような衣装を身にまとったパトラが座っていた。

 

「何故、聖なる間に入れてやったか、判るか、愚民共?」

 

 パトラは対峙するキンジと白雪を前にして、勿体付けたように口を開く。

 

「ケチを付けられたくないのぢゃ。妾はイ・ウーの連中に妬まれておるでの。ブラドを呪い倒したにも拘らず、奴等は妾の力を認めなんだ。ブラドはアリアが仲間と共に倒したの、などと抜かしよる。群れるなど、弱い生き物の習性ぢゃと言うのに。ともあれ、このアリアを仲間もろとも倒してやれば、奴等の溜飲も下がろう」

 

 そう言えば、今更ながらキンジは気付いた。甲板上にはあれだけいたゴレム達が、船内には1体もいない事に。甲板上のゴレム達は、恐らく、先行した友哉達を押さえる為のブラフ。パトラは、この状況を予期してキンジ達を待ち構えていた。

 

 ベータチームは、囮役を引き受けたつもりが、逆に自分達が囮に食いついてしまった事になる。

 

 パトラは持っていた水晶玉を投げ捨てて立ち上がる。

 

「イ・ウーの次の王は妾ぢゃ! 教授も妾がアリア一味を倒し、アリアの命を握って話せば王位を譲るに違いないぢゃろ」

 

 それは絶対的な自信から来る言葉。

 

 それは絶対的な強者のみに許された言葉。

 

 《砂礫の魔女》パトラは、例えこの場に現われた全員が相手であっても、確実に勝利する自信があるのだ。

 

「そうはいかないよ」

 

 対して白雪は、静かにそう言うと、自身の頭を飾る白いリボンを解く。このリボンが白雪の力を封じる存在である。これを解いた時、白雪は荒削りながら世界最強クラスの魔力を発揮する事ができるのだ。

 

 白雪は更に背中に手をやると、巫女服の上衣の背から幅広の西洋剣を引き抜いた。

 

 それはかつて、彼女自身が叩き折った聖剣。連続超偵誘拐犯デュランダル事、ジャンヌが愛用したデュランダルである。

 

 実は白雪が普段使っている日本刀イロカネアヤメは、今回の事件に先だってパトラの手によるゴレムに盗まれ紛失していた。そこで、今回の出撃に際しジャンヌは、白雪に自らの愛剣を貸し与えたのだ。

 

「キンちゃん、私の力は五分しか持たない。キンちゃんはどうにかその間に、アリアを助け出して」

「判った」

 

 白雪の言葉に頷くキンジ。

 

 次の瞬間、白雪は巫女服の袖から無数の折り紙の鶴を取りだし投げつける。

 

「緋飛星鶴幕!!」

 

 鶴は空中で一斉に火の鳥と化し、パトラめがけて襲い掛かる。

 

 それを迎え撃つパトラもまた、砂金で創り出したナイフを投げ火の鳥を迎撃していく。

 

 そこへデュランダルを翳して斬り込む白雪。対するパトラもまた、イロカネアヤメを取り出して斬りかかる。

 

 東洋の守り巫女とエジプトの魔女が、互いの全力でもって激突した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 甲板上では激闘が続いていた。

 

 倒しても倒しても湧きだして来るゴレム達を相手に、友哉達もまた一歩も引かずに激突する。

 

 単純な技量なら、友哉達の方が圧倒的に高い。ゴレム達は侵入者に攻撃を仕掛けると言う単純プログラムで動いているらしく、ただ力任せの攻撃しかしてこないから、パターンさえ判っていれば回避も防御も難しくは無い。

 

 ただ、数だけは恐ろしく多い。

 

 アンベリール号の甲板はそれなりの広さがあるのだが、それでも狭く感じるくらいの数が一度に攻めて来るのだから溜まった物ではない。

 

 倒しても倒しても、一向に視界は開かれない。

 

「クッ・・・・・・ハァハァハァ・・・・・・」

 

 茉莉は菊一文字を構えながら、荒い息をついている。

 

 無理も無い。元々、彼女は陣のように抜群に体力に恵まれている訳でもない。にもかかわらず、その戦術は体力を大量消費するような代物なのだ。言ってしまえば、陣が長距離の持久走ランナーなら、茉莉は短距離のスプリンターだ。短時間なら爆発的な力を発揮できるが、長時間の戦闘には向かないのだ。

 

 しかし、それでも茉莉は戦う事をやめない。

 

 愛刀を振り翳し、ゴレムめがけて斬り込んで行く。

 

 振るわれる刃は、一体のゴレムの胴を斬り飛ばす。更に一体、今度は逆袈裟に斬り上げた。

 

 続けてもう一体、

 

 そう思った時、横合いから振り下ろされた斧に、気付くのが一瞬遅れた。

 

「あっ!?」

 

 気付いた瞬間、茉莉は刀で防ごうとする。

 

 ぶつかり合う刀と斧。

 

 次の瞬間、菊一文字は茉莉の手から弾き飛ばされ、茉莉自身も甲板の上に倒れ込んだ。

 

「あァッ!?」

 

 激痛が全身に掛け巡る。

 

 倒れた茉莉にとどめを刺そうと、ゴレムが斧を振り上げた。

 

 次の瞬間、

 

「ま、だまだァ!!」

 

 茉莉は捲れ上がったスカートの下からブローニングを抜き放ち、ゴレムに向けて立て続けに3発放った。

 

 顔面を撃ち抜かれ、四散するゴレム。

 

 その瞳には、普段の彼女からは想像もつかない程の殺気が滲んでいる。

 

 大切な友達、瑠香を守れなかったと言う思いは、彼女もまた共有する所である。ならば、それを取り返す為に、死力を振り絞って戦うつもりだった。

 

 だが、倒れた茉莉に、尚もゴレム達は殺到して来る。弱った敵にとどめを刺そうというつもりらしい。

 

 そこへ、

 

「オォォォォォォォォォォ!!」

 

 友哉は茉莉を庇う位置に立つと刀を一閃、ゴレム達を纏めて吹き飛ばす。

 

 その動きに、一切の陰りは無い。精彩を放つ飛天の剣は、未だに鈍ってはいなかった。

 

「茉莉ッ!!」

 

 友哉は手を伸ばして、茉莉を引き起こす。

 

「大丈夫です、まだッ」

 

 茉莉は荒い息を整えながら答える。

 

 友哉に感謝しつつも、茉莉はその瞳には僅かな非難の色を滲ませる。こんな事をしている場合じゃない事は、友哉自身にも判っている筈なのだ。

 

 銃を構える茉莉を見て、友哉も頷きを返す。

 

「そうだね」

 

 友哉も頷くと、逆刃刀を持ち上げる。

 

 茉莉のブローニングが火を噴く。

 

 友哉が刀を構えて斬り込む。

 

 2人はぴったりの息を合せて、群がる敵を屠る。

 

 かつて剣を交えた者同士が、否、であるからこそ、互いの呼吸を知りつくし、絶妙のタイミングで援護に入る。

 

 一方、2人から少し離れた場所では陣もまた奮戦を続けている。

 

 一撃粉砕の拳は健在。持ち前の防御力と攻撃力を遺憾なく発揮し、敵を寄せ付けない。

 

「おらおら、どうしたよ? 全然歯ごたえが無いぜ」

 

 ゴレム相手に挑発してもしょうがないと思うのだが、そんな事はお構いなしとばかりに、陣は不敵な笑みを張り付けたまま手招きしている。

 

 まあ、戦いの場にあって気分を高揚させる事ができるのは悪い事ではない。

 

 その間にも、ヘリに乗ったレキからの的確な援護射撃が入る。

 

 彼女の神業的な援護があるからこそ、ベータチームは辛うじて戦線を維持できているような物である。

 

 だが、

 

「おいおい、ちょっときりがなさすぎるんじゃねえのか?」

 

 ゴレムの一体を殴り倒しながら、陣が呆れたように呟く。

 

 先程から、一向に敵の数が減っていないような気がした。

 

「いや、『ような気がする』んじゃ無くて、もしかして、本当に減っていないんじゃ・・・・・・」

 

 周囲を警戒するように刀を構えながら、友哉が言う。

 

 既に4人で倒した敵の数は、100体を越えている筈。いくらなんでも、これだけ倒して、敵の数が減っているように見えないのはおかしかった。

 

「気付くのが遅いぞ」

 

 そう言ったのは、いつの間にか近くまで来ていた一馬だった。

 

 彼も相当数の敵を倒したらしく、着ているスーツはボロボロだったが、未だにその顔には疲労の色は無かった。

 

「見ろ」

 

 そう言って一馬が差した先には、甲板に散らばった砂が寄り集まって新たなゴレムが生まれようとしていた。

 

 敵はそうやって、何度も砂を再利用してゴレムを作っていたのだ。これでは一向に敵が減らないのも無理は無い。

 

 恐るべきは無限魔力の使い手、《砂礫の魔女》パトラ、と言うべきか。これだけ膨大な軍勢を使い回す程の魔力を有しているとは。しかも予定通りなら彼女は今、キンジや白雪と交戦中の筈。にもかかわらず、片手までこちらの相手までしているのだ。

 

「おいおいどうする? これじゃ埒が明かねえぞ」

 

 陣の言葉を受けて、友哉も焦りを感じずにはいられない。

 

 だが、そうなると、取るべき作戦は決まって来る。

 

 元を断つ。即ち、パトラの首を取る。それ以外に現状を打破する方法は無かった。

 

 そのタイミングを見計らったように、耳に付けたインカムに上空を周回するヘリから通信が入った。

 

《デルタ1より、ベータ1、緋村、聞こえるか!?》

「武藤!?」

 

 わざわざ作戦中に通信を入れて来た、と言う事は何らかのトラブルがあったと言う事だろう。そして、その考えは杞憂ではなかった。

 

《こっちはもうすぐ燃料切れだ。帰りの分が無くなっちまう!!》

 

 武藤は声を張り上げて言っているが、実際の話、ヘリの燃料切れは元々作戦の中に織り込み済みだ。武藤はここで一旦、網走の基地へと帰還し、燃料を補給後、再出撃する算段だった。

 

 とは言え時間的に見て、ヘリが戻ってくる頃には戦闘は終了している計算である。事実上、武藤の再出撃は、作戦終了後のメンバー回収と言う事になる。

 

 勿論、作戦が成功していればの話ではあるが。

 

 そこへ更に通信が入る。

 

《デルタ2、レキです。間もなく残弾が無くなります》

 

 淡々と告げるレキ。タイミングが良いと言うべきか、どの道、ヘリがいなくなる以上、レキに残弾が残っていても仕方がない。

 

「ベータ1、了解。デルタは、レキの弾丸切れの後、網走に帰還してッ」

《こちらデルタ1、すまねえ》

 

 そう言って通信が切れた。

 

 ヘリは大きく旋回しつつ、再び側面をアンベリール号の甲板へ向けようとしている。恐らく、最後の攻撃の為のアプローチに入ったのだ。

 

「さて・・・・・・」

 

 デルタチームの方はこれで良いとして、問題はこっちである。このまま戦い続けていてもらちが明かないのは目に見えている。

 

 やはり、ここを突破して誰かがキンジ達の援護に行くしかない。

 

 その時、

 

「行け、友哉!!」

 

 陣が友哉を庇うように前へと出て、両の拳を握りしめる。

 

「お前が行けッ ここは俺達が押さえる!!」

「でもッ」

「行ってください!!」

 

 ブローニングのマガジンを差し替えながら、茉莉も言う。

 

「この中では、緋村君が援護に行くのが一番良い筈です。だからッ!!」

「茉莉・・・・・・」

 

 眦を上げる友哉。

 

 見れば、一馬もまた、何も言わずに背中を向けている。「好きにしろ」と言う意味なのだろう。

 

 更に数を増して群がって来るゴレム達。

 

 それに対し、茉莉が銃を放ち、陣が殴り込みを掛ける。

 

 一馬は刀の切っ先を真っ直ぐにゴレムへと向け、斬り込んで行く。

 

「みんな・・・・・・」

 

 皆、判っているのだ。この状況を打破できるのは、友哉しかいないと。

 

 友哉は決断する。彼等の想いに応える為に、自分は自分の戦いをする、と。

 

 跳躍する。

 

 一気に立ち尽くすゴレム達の頭上を飛び越え、彼等の背後に着地する。そこはもう、船内への入口の前。ここから中に入り、キンジ達の後を追う事ができる。

 

「茉莉・・・陣・・・斎藤さん・・・・・・」

 

 友哉は一度だけ、仲間達の方へと振り返る。

 

「頼むッ」

 

 一言、そう告げると、船内へと踏み込んだ。

 

 

 

 

 

 廃船とは言え、これだけ巨大な客船ともなると、船内は迷路のように入り組んでいる。

 

 その廊下を駆け抜けながら、友哉は船内の構図を頭に思い浮かべていた。

 

 恐らく、甲板上のピラミッド。あそこでキンジ達が戦っている筈。ならば、船内の配置はともかく、方向的には間違わないで済む。

 

 やがて、友哉の目の前に、開かれた巨大な門が見えて来た。

 

 その中へと飛び込む友哉。

 

 そこで、目を見張った。

 

 内部には、破壊し尽くされた調度品の数々が散らばり、激闘の凄まじさを物語っていた。奥の方には首を斬り落とされたスフィンクス像まである。

 

 白雪とパトラ。強大な力を誇る2人のステルスが激突すればどうなるか、と言う光景がそこに現出していた。

 

 そして、

 

「ほっ、また愚民が現れおった。まったく、目障りな事じゃ」

 

 倒れた白雪を踏みつけたパトラが、部屋の中央に立っている。更にその奥では、キンジが膝をついて蹲っていた。

 

 部屋の様子から、2人が奮戦した事が窺える。しかし、無限の魔力を扱えるパトラには、ついに敵わなかったのだ。

 

「キンジ、星伽さん!!」

 

 駆け寄ろうとする友哉。しかし、

 

「止まれ、下郎!!」

 

 パトラの大渇の前に、足を止めざるを得なかった。

 

「刃物を捨てるのぢゃ。この日本の魔女が、体中の水分を抜かれてミイラになっても良いのか?」

 

 見れば、倒れ伏した白雪の体からは白い煙のような物が立ち上っているのが見える。パトラが魔力を使って、白雪の体内の水分を蒸発させているのだ。

 

 白雪を人質に取られた状態では、戦う事もままならない。

 

 友哉は仕方なく、逆刃刀を鞘ごと床に投げ捨てた。とにかく今は、どうにかして逆転の手を考えないといけない。ここでパトラを仕留め損ねれば、自分達だけでなく、上で戦っている茉莉達の死にも繋がりかねない。

 

 刀を捨てた友哉の姿を見て、パトラは満足げに笑みを浮かべる。

 

「まったく、お前達は大した奴等ぢゃよ。正直、ここまで追い詰められる事になるとは思わなんだ。ぢゃが、妾は神から無限の力を与えられておる。対してお前達の力は、所詮は有限。有限が無限に勝つなど無理。無理無理無理無理無理ぢゃったのよーッ!!」

 

 勝ち誇るパトラに、友哉は葉を噛み締める以外にできない。

 

 何か、何か打つ手は無いのか。

 

 そう思った瞬間、

 

 

 

 

 

「じゃあ、もう少し無理させてもらおうかしら?」

 

 

 

 

 

 淀んだ空気を切り裂くような、清涼感溢れる声。

 

 次いで、ピラミッドの外壁でガンッと言う音がした。

 

 次の瞬間、キンジの背後にあったガラスが割れ、オルクス潜航艇が部屋の中に飛び込んで来た。

 

 それを見て、パトラは顔を赤くする。

 

「トオヤマキンイチ、いや、カナか!!」

 

 パトラは砂金でナイフを作り、一斉にオルクスに攻撃を開始する。

 

 しかし、ナイフがオルクスに突き刺さった瞬間、

 

 ハッチが開き、武偵校の女子制服を着た女性が宙返りしながら飛び出してきた。

 

 同時に、

 

 パパパパパパッ

 

 6つの光が一斉に煌めいた。

 

 不可視の弾丸、6連射。

 

 神業に近いその攻撃を、しかし、パトラは一瞬早く空中に宙返りしながら回避する。

 

 着地、同時にパトラの額から一筋の血が零れ落ちた。

 

 対峙するは、謎の美女カナ。その手には燻し銀のコルト・ピースメーカーが握られている。

 

「出エジプト記34章13、汝等還りて、彼等の祭壇を崩し、偶像を毀ち、斫倒すべし」

 

 聖書の一節を謳い上げるように朗読し、カナは弾丸を空中に投げ上げてリボルバーにリロードすると、背後にいるキンジに僅かに振り返って話しかけた。

 

「キンジ、私があげたナイフは持っているわね。それを手に持って、アリアに口付けしなさい」

 

 奇妙な指示を出してから、パトラに向き直った。

 

「パトラ、今の私は、女にも容赦しないわよ」

「・・・・・・カナ、トオヤマキンイチ。寄るでない。妾は、お前とは戦いとうない」

 

 そう言いながら、パトラは後ずさる。

 

 同時に魔力で砂金を操り、盾を6枚空中に浮かべる。

 

 そこへ再び、カナの6連射が着弾する。

 

「まだぢゃ!!」

 

 6枚の盾、全てが破壊されるのを見ながら、パトラは更に砂金で無数の鷹を創り出してカナへ向けて襲い掛かる。

 

 対抗するように、カナは髪を揺らして全ての鷹を撃ち落として行く。あの体育館の戦いで、友哉の龍槌閃を撃ち落とした見えない斬撃だ。

 

 それを見ながら、友哉は足指で刀を踏み上げ、空中でキャッチする。

 

 アリア、友哉、陣が3人がかりでも勝てなかったカナが味方してくれている。これほどの好機は他に無いだろう。

 

 跳躍、接近と同時に抜刀、その一撃で3羽の鷹を撃ち落とす。

 

「援護します」

「助かるわ」

 

 笑みを返すカナ。

 

 キンジはアリアの救出に向かい、白雪は力を使い果たし戦える状態じゃない為、壁の方へ退避している。

 

 事実上、友哉とカナの共闘と言う形となった。

 

 カナの手は、解けた三つ編みの中へと差しこまれる。

 

 ジャキジャキ、と言う音と共に、何かが組み上がる音がした。

 

 同時にカナは、制服の袖から数本の棒を取り出して連結、髪の中から取り出したパーツと繋ぎ合せた。

 

 そこには出現したのは、巨大な一振りの大鎌。

 

 カナは普段、この大鎌の刃の部分を分解して、三つ編みの中に隠しているのだ。それが、友哉やアリアの攻撃を防いでいた物の正体だった。

 

「私にこれを出させたのは、パトラ、あなたが初めてよ。サソリの尾(スコルピオ)。砂漠にピッタリでしょう」

 

 その様は、本人の実力と相まって、正に死神の如しと言うべきか。

 

 美しき死神は、その大鎌の刃をパトラへと向ける。

 

「わ、妾は覇王ぞ。お前如きに、お前如きに!!」

 

 喚くように言いながら、パトラは闇雲の砂金を操り、様々な猛獣をけしかけて来る。

 

 対抗するように、前へ出る友哉とカナ。

 

 友哉は逆刃刀を、カナは大鎌を振って、襲い来る猛獣たちを的確に薙ぎ払って行く。

 

 特にカナの技量は、驚嘆すべき物がある。

 

 カナは巨大な大鎌を、殆ど指先だけで操って、バトンのように回転させている。しかも、その回転速度が音速を越えているらしく、刃の先に触れた空気が炸裂弾のような音を立てて弾けている。

 

 まるで花弁を連想させる円錐水蒸気が断続的に発生し、カナの周囲に一種の結界を築き上げていた。

 

「この桜吹雪、散らせるものなら散らしてみなさい?」

 

 穏やかにパトラに語りかけるカナ。

 

 格が違いすぎる。いかに無限魔力を操るパトラと言えど、カナの前では子供同然だった。

 

 そして、その間にキンジが、アリアが捕らわれている棺に取りつく事に成功した。

 

 最早時間が無い。残り1分を切っている。

 

 キンジは渾身の力を込めて、棺の蓋を開けると、中では古代エジプト風の薄い衣装を身に纏ったアリアが眠っていた。

 

「アリア、俺だ、アリア!!」

 

 キンジが呼びかけるが、アリアは目を開ける事無く眠り続けている。

 

 その時、キンジの足元の床が、突然崩れた。

 

 いや、まるで流砂でも起きたように、徐々に沈み込んでいる。パトラは万が一に備え、自分以外の誰かが棺に触れた際の予防として、この罠を仕掛けておいたのだ。

 

 キンジはどうにか堪えようと手を伸ばすが、回り全てが砂と化した状況では如何ともしがたい。

 

 やがて、キンジは、アリアの眠る棺ごと、階下へと落ちて行った。

 

「ほ、ホホ・・・・・・」

 

 その様子を見て、パトラは冷や汗を浮かべながらも、口の端を釣り上げて笑って見せる。

 

「この勝負、預け置くぞ。このような瑣事に構っている暇は、妾には無いでの」

「逃がすと思う!?」

 

 友哉が一気に間合いを詰め、横薙ぎに斬り込む。

 

 しかし、その刃が届く前に、パトラの姿は彼女の足元に開いた穴の中へと消えて行った。

 

 追おうにも穴はすぐに塞がってしまい、追撃の道は断たれてしまった。

 

「クッ」

 

 友哉はパトラが消えた穴を見詰め舌打ちする。

 

 流石は、元イ・ウーのナンバー2。一筋縄ではいかない、と言う事か。

 

「仕方がないわ。別の道を探しましょう」

「そうですね」

 

 カナの言葉に、友哉は頷きを返す。実際の話、ここで穴を掘る訳にもいかないので、別ルートで階下を目指すしかない。

 

「私も行くよ」

 

 それまで離れた所で戦いを見守っていた白雪が、前へと出て言った。既に頭の飾り布は締め直している事からも、彼女がこれ以上戦えない事は明白である。

 

「星伽さんは、ここで待っていた方が良いよ」

 

 追い詰めたとはいえ、パトラはまだ無限の魔力を使う事ができる。白雪を守りながら戦うのは困難に思えた。

 

 だが、白雪は真っ直ぐに友哉の目を見詰めると、強い口調で食い下がって来た。

 

「お願い、緋村君。キンちゃんと、それにアリアが心配なの」

 

 そう告げる白雪の瞳には、躊躇う色が無い。かつては殺し合いその物の激突までした仲であると言うのに、今では白雪にとって、アリアはかけがえの無い友人の1人となっているようだった。

 

「でも・・・・・・」

「それくらいにしときなさい」

 

 尚も言い募ろうとする友哉を苦笑交じりに制したのは、成り行きを見守っていたカナだった。

 

「女の子を守るのは男の子の役目であり、義務でもあるのよ」

 

 そう言って片目をつぶって見せるカナ。

 

 対して友哉は、溜息交じりながら従うしかない。どうにも、カナには無条件で人を従わせてしまう何かがあるような気がしてならなかった。

 

 それに気になるのは、先程パトラが言っていたトオヤマキンイチという名前。遠山と言えばキンジと同じ名字だし、前から2人の間に何らかの関係があるだろうとは推察していたが、それがなぜ、男の名前で呼ばれるのか?

 

 そんな感じに思案する友哉を放っておいて、カナは大鎌を肩に担いで部屋を出ていく。どうやら、さっさと来いと言う事らしい。

 

 ますます深まる謎を、取り敢えず横に置くと、友哉もその後を追って部屋を出た。

 

 

 

 

 

 これは、どういう事だ。

 

 階下へ至る階段を見付け、ようやくキンジ達が落下した場所に行きついた友哉達の眼に飛び込んで来たのは、想像を絶する光景だった。

 

 アリアがいる。それは良い。意識を取り戻している所を見ると、どうやらキンジは間に合ったらしい。

 

 それは良いのだが、

 

 そのアリアが、今、うつろな目をしたまま、立ち尽くし、その瞳は緋色に煌々と輝いている。

 

 尋常ではない。それは見ただけで判る。何か、友哉には全く理解できない力が、アリアの中から溢れだそうとしているようだった。

 

「な、なんぢゃ、これは・・・この感情は・・・怖い? 妾が、恐れておる?」

 

 青ざめた顔で後ずさるパトラの姿。無限魔力を持つ彼女ですら恐れる存在、それが今のアリアなのだ。

 

 アリアは右手を持ち上げ、人差し指を真っ直ぐにパトラへと向けた。

 

 その指に緋色の光が収束し、赤く輝いていていく。

 

 それと同時に、部屋の中も緋色に染め上げられていく。

 

「緋弾・・・・・・」

 

 見守っていた白雪もまた、慄くようにして後ずさる。

 

 一体、アリアの身に何が起きているのか。

 

 次の瞬間、

 

「よけなさい、パトラ!!」

 

 叫ぶカナ。

 

 増幅する光。

 

 パトラが身を翻した瞬間、

 

 

 

 

 

 光が、爆ぜた。

 

 

 

 

 

 駆け抜ける閃光。

 

 常識を超える規模の閃光は、一瞬前までパトラが立っていた場所を薙ぎ払い、そしてピラミッドの上層部分を丸ごと吹き飛ばした。

 

 緋色の光が消滅すると、そこには抜けるような青空が広がっていた。

 

 同時に、力を使い果たしたように倒れるアリアを、キンジが抱きとめた。

 

「あ、あ、ああ・・・・・・」

 

 パトラが焦ったように呻き声を発する。

 

 見れば、ピラミッドを構成していた建材や調度品が、次々と崩れていく。それだけではない、パトラが身につけている古代エジプト風衣装まで砂となって床へと落ちていく。

 

 それらは皆、パトラの無限魔力によって構成された物。アリアの謎の力によってピラミッドを大きく破損されたパトラは、その下地となる無限魔力を全て失ったのだ。

 

 とうとう、パトラの着ている物は、薄い水着一枚となる。

 

 その好機に、

 

 動く影が2つ。

 

 カナと、そして友哉だ。

 

 カナはアリアが入れられていた棺の下へと駆け寄る。どうやらそれだけは、パトラが砂から作った物ではなく本物であるらしい。

 

 カナが何をするのか、その意図をとっさに察した友哉は、パトラを挟んでカナの対側に位置する場所へと躍り出た。

 

 同時に、カナはホッケーの要領を用い、大鎌で棺を叩いて勢いよくパトラに向けて弾き滑らせる。

 

 それを見て、友哉も勝負を掛ける。

 

 体の正中を軸に、背中を見せるようにして、大きく捻り込む。

 

「飛天御剣流、抜刀術!!」

 

 そのまま、限界まで捲かれたねじが元に戻るように、勢いを付けて体を回転、同時に刀の鯉口を切る。

 

 この技は本来、飛刀術に類別すべきだが、飛天御剣流では抜刀術の括りの中にあった。

 

 体の回転と同時に、指で勢いよく鍔を弾いた。

 

「飛龍閃!!」

 

 弾かれた刀は鞘を奔り、飛翔する翼龍の如く、まっしぐらにパトラに向けて空中を突進、その柄尻を彼女の腹に叩き込んだ。

 

「グォォォォォォ!?」

 

 体をくの時に折り、苦悶するパトラ。

 

 そこへ、カナが弾いた棺が足に当たり、その中へと尻もちをつくようにして転がり込んだ。

 

 その機を逃さず、今度は白雪が動く。

 

 床に落ちていた棺の蓋の下にイロカネアヤメを差し込み、そのまま梃子の原理を利用して空中へ跳ね上げる。

 

 とどめとばかりに、最後にキンジが動いた。

 

 手にしたベレッタを斉射。空中に浮かんだ蓋に弾丸を当ててタイミングのいい場所へ落とす。

 

 バクンッと言う音と共に、蓋は見事に棺を覆い、内部に主であるパトラを閉じ込めてしまった。

 

「おやすみなさいパトラ。御先祖様と一緒の棺の中でね」

 

 優しく告げるカナ。

 

 その言葉を最後に、棺の中で喚いていたパトラも大人しくなる。

 

 最早、パトラがこの場にあって何の脅威にもならない事は、誰の目にも明らかだった。

 

 

 

 

 

第6話「緋弾の射手」      終わり

 



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第7話「時の彼方より来るもの」

 

 

 

 

 

 

 

 戦いは終わった。

 

 アンベリール号の甲板に出ると、あれだけいたゴレム達の姿は綺麗に無くなっており、既に戦闘が終結した事を物語っている。やはり、パトラを倒す事が戦闘終結に繋がったようだ。

 

 そのパトラを捕縛した棺を、共同で甲板上まで引っ張り上げると、ようやく一息つく事ができた。

 

 見れば、熾烈な戦いを繰り広げた面々も、甲板の上に集まってきている。

 

 陣は甲板上に胡坐をかいて座っており、一馬は海を眺めながら煙草を吹かしている。アリアと白雪は、なぜかキンジの両手を持ちながら言い合いをしており、カナがその光景を微笑しながら眺めている。

 

 と、

 

「緋村君」

 

 背後から茉莉に声を掛けられた。

 

 振り返れば、そこには刀を持った茉莉が立っている。

 

 制服はあちこち裂けて肌が露出し、結ったショートポニーの髪もばさばさになっている。手足には生傷もたくさんある。しかし、勝利者の特権として、戦いの終わった戦場に、彼女は自分の足で立っていた。

 

「勝ったんですね」

「うん。パトラは捕まえたよ。これで、この事件も終わりだね」

「そうですか」

 

 そこでふと、思い出したように茉莉は言った。

 

「あの、緋村君、四乃森さんは、どこに?」

 

 パトラを倒したのだから、当然、瑠香も一緒に出て来ると思っていた茉莉は、1歳下の友人の姿が無い事に不審に思った。

 

 対して友哉も、少し困ったような顔をする。

 

「それが、パトラと一緒にはいなかったんだ。もしかしたら、別の部屋で監禁されているかもしれないから、ちょっと聞いてみよう」

 

 そう言うと、友哉はパトラの収まっている棺に歩み寄った。

 

「パトラ、起きてる?」

 

 蓋をコンコンと叩きながら、友哉が尋ねると、中で動く気配があった。

 

「何ぢゃ、下郎? 気安く話しかけるでない」

 

 捕まってもなお尊大なパトラの態度には、最早苦笑しか出ない。

 

 無視して友哉は尋ねる。

 

「聞きたいんだけど、君がカジノで、アリアと一緒に浚って行った女の子はどこ?」

 

 何が目的で瑠香をさらったのかは知らないが、戦いは終わったのだから返してほしかった。

 

 だが、パトラの口から帰って来た言葉は、友哉達の予想とは違った。

 

「そのような者、妾は知らぬ」

「は?」

 

 友哉と茉莉は、思わず顔を見合わせた。

 

「いやいや、いたでしょ。ショートヘアで、小柄でちょっと活発そうな女の子」

「知らぬ」

 

 パトラは言下に言いきった。

 

「妾の目的は、元々アリア1人ぢゃ。なぜ、そのような瑣末事に関わらねばならぬ?」

「・・・・・・じゃあ、仕立屋に、瑠香の拉致を頼んだのは、君じゃないの?」

 

 あの時対峙した杉村義人は、確かに自分の事を仕立屋だと名乗った。であるからてっきり、瑠香の拉致もパトラの意思によるものだと思い込んでいたのだが。

 

「シタテヤ、と言えばユイの手の者か。なぜ、あのような下賤な輩の手を妾が借りねばならん? 妾は覇王ぞ。協力者なぞ、いても邪魔なだけぢゃ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は黙り込む。

 

 胸を襲うのは、強烈なまでの違和感。

 

 何かがおかしい。まるで、服の前ボタンを一番上から掛け違えたような、そんな不快感。

 

 そもそも、なぜ、仕立屋は、瑠香を拉致した? なぜ、あの場に姿を現わした? そしてなぜ、この場には姿を現わさない?

 

 パトラと一緒に姿を現わしたのだから、両者は提携しているのだと今の今まで思っていた。だが、パトラはその事を否定した。

 

 いったい、どこから間違えた? そして、瑠香はどこに連れ去られたんだ?

 

 そう思った時、友哉は、周囲の雰囲気が一変している事に気付いた。

 

 海が、静かすぎる。あれだけいたクジラの群れが、綺麗に消え去っていた。

 

「・・・・・・な、何だ?」

 

 例えるなら、台風の目に入ったような、奇妙な静けさ。

 

 嵐が起こる前の前兆とは、この事であろうか。

 

「逃げなさい、キンジ!!」

 

 声を張り上げたのは、驚いた事にカナだった。

 

 あの、どんな時でも冷静で、余裕の態度を崩さなかったカナが、ひどく狼狽している。

 

 あの、カナをも恐れさせる何かが来ると言うのか。

 

 そう思った時、

 

 突如、アンベリール号から離れた海面が急速に盛り上がり、何かが浮上してくるのが見えた。

 

 黒っぽい外見から、初めはクジラかと思ったが、違う。

 

 クジラの何倍も大きく、明らかに鋼鉄製と思われる外観が波間から見えている。

 

 潜水艦。それも、かなり巨大な艦である。

 

 通常、潜水艦は小型である方がいいとされている。大型になればそれだけ、水圧による摩擦が大きくなり、水中に潜った際に雑音がひどく、発見が容易になってしまうのだ。

 

 だが、目の前の潜水艦は、ザッとみて300メートル前後はありそうである。常識の範疇では無かった。

 

「・・・・・・ボストーク号」

 

 キンジは、ポツリと呟いた。

 

 それは旧ソビエト海軍が建造した超アクラ級原子力潜水艦の名前で、進水直後に行方不明になった悲劇の艦である。

 

 そのボストーク号が、現実に一同の目の前に姿を現わした。

 

「キンジ、みんなも、早くここから撤退しなさい!!」

「お、落ち着けよ、カナ。逃げるって言ったって、俺達には船も無いんだぞ!!」

 

 ここは広い洋上のど真ん中。探せば救命ボートぐらいは見つかるだろうが、それでは遠くまで逃げる事ができない。

 

 やがて、ボストーク号は減速しつつゆっくりとターンする。

 

 その巨体に描かれた伊とUの文字。

 

 「伊」は日本が、「U」はドイツが、それぞれ第二次大戦中に使用していた潜水艦のコードの頭文字に使っていた文字だ。

 

 すなわち、伊・U。

 

 イ・ウーとは、この原子力潜水艦の事を差していたのだ。

 

 そのボストーク号の艦橋に、誰かが立っているのが見えた。

 

 戸惑うキンジ達を庇うように、カナが両手を広げて前へ出る。

 

「教授、やめてください。この子たちと戦わないでッ」

 

 そう言った瞬間、

 

 ビシッ

 

 空気が抜けるような音と共に、カナの胸から鮮血が舞った。

 

 その光景を、一同は驚いて見守る。

 

 カナは防弾制服を着ている。その上から胸を撃ち抜かれたのだ。

 

「カナッ!?」

 

 倒れるカナ。

 

 恐らく、カナを撃った技は、彼女の得意技でもある不可視の弾丸だろう。しかし、ボストーク号とアンベリール号の間には、まだ相当の距離がある。不可視の弾丸は、狙撃銃でもできる技なのだろうか?

 

 そんな事を考えている友哉の横に、茉莉が立った。

 

「・・・・・・緋村君、あれが教授(プロフェシオン)です」

「教授、イ・ウーのリーダーの?」

 

 友哉の言葉に、茉莉は蒼い顔をして頷いた。

 

 イ・ウーのナンバー1。すなわち、あのブラドよりも、黒笠よりも、そしてパトラよりも強い相手。

 

 茉莉が恐れるのも無理は無かった。

 

 その教授の顔が、少しずつ見えて来る。

 

 だが、

 

「あ・・・あれは・・・・・・」

 

 友哉は思わず、言葉を失った。

 

 その顔は、いつか暇つぶしに探偵科の友人から借りた教科書に載っていた。

 

 否、教科書だけで無い。何しろその人物は、伝記、小説、専門書、あらゆるメディアに題材として使われている程の人物なのだから。ひょろ長い痩せた体に、鷲鼻、角ばった顎。右手には古風なパイプと、左手にはステッキを持っている。頭にハンチング帽を被っていないのが残念なくらいだ。

 

「・・・・・・・・・・・・曾お爺様」

 

 ポツリと、呟くアリア。

 

 そう、イ・ウーのリーダー、教授とは、アリアの曽祖父にして、武偵の元祖とも呼ばれ、史上最高の頭脳を持つ者。

 

 名探偵シャーロック・ホームズ1世。その人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドォン、と言う轟音と共に、衝撃がアンベリール号を襲う。

 

 立っている皆がよろけるほどの衝撃。既に疲労困憊の茉莉と白雪、それに呆然自失していたアリアなどは、そのまま床に倒れ込んでしまったくらいだ。

 

 イ・ウーがアンベリール号に、魚雷を打ち込んだのだ。

 

 アンベリール号は、元々パトラが中途半端に船底を爆破して浸水を引き起こしていたのだが、今の攻撃で完全にとどめを刺される形となった。

 

 炎が上がり、徐々に喫水が上がって行くのが体感できる。

 

 そんな沈み始めたアンベリール号の船首部分に、イ・ウーは接舷した。

 

 どうやら、あの男はそのままこちらに乗り込んで来るつもりらしい。艦橋を降りて、漆黒の甲板を歩いているのが見える。

 

「クッ、白雪、船尾部分に救命ボートがあった筈だ。行って準備してくれ」

「は、はい!!」

 

 キンジの指示を受けて、白雪が船尾の方向に走っていく。

 

「茉莉、星伽さんだけじゃ大変かもしれないから、君も行って」

「で、でも・・・・・・」

 

 友哉の言葉に、茉莉は難色を示すように口ごもる。

 

 彼女にも判っている。自分がこれ以上、ここにいても役に立たない事を。ゴレム達との戦闘で、茉莉の体力は限界を迎えていた。仮に戦闘になった場合、足手まといにしかならない。

 

 そんな茉莉に対し、

 

 友哉は微笑を浮かべ、その頭を撫でてやる。

 

「あ・・・・・・」

 

 その友哉の行動に、顔を赤らめる茉莉。その場の状況を忘れるほど、暖かい感触が友哉の掌から伝わってきた。

 

「ありがとう、茉莉が一緒に来てくれて、本当に助かったよ。君がいてくれなかったら、パトラは倒せなかったかもしれない」

「緋村君・・・・・・」

「さあ、行って。ここは僕達に任せて」

 

 コクンッと頷くと、茉莉は躊躇いを断ち切るように背中を向けて走り出した。

 

 その背中を見送り、友哉は振り返った。

 

 見れば、いつの間にか棺から出て来たパトラが、カナに駆けよって抱き起こし、その胸の前に手を翳しているのが見える。恐らく、回復魔術か何かを掛けているのだろう。

 

 ピラミッドの無限魔力を失ったパトラに、心臓を撃たれたカナを治せるのか判らないが、今は任せるしかないだろう。どの道、S研的な事に疎い友哉には、どうする事も出来ない。

 

 問題は、こちらだ。

 

 友哉の目は、接舷したイ・ウーに向けられる。

 

 炎はますます勢いを増している。あの男は、一体どうやって、こちらに乗り込んで来るつもりなのだろう?

 

 そう思った時だった。突然、空から白い物が振り出した。

 

 雪、いやダイヤモンドダストだ。

 

「これは・・・・・・」

 

 忘れもしない。これは《銀氷の魔女》ジャンヌが使う魔法だ。

 

 ジャンヌと同じ事が、あの男にもできると言う事か。

 

「いちいち驚くな、阿呆が」

 

 そう言ったのは、いつの間にか隣に来ていた一馬だった。

 

 一馬はその細い瞳を真っ直ぐに炎の向こうへと向けながら、友哉に語りかける。

 

「情報では、イ・ウーってのは一種の学習機関だって言う話だ」

「学習機関?」

「ああ、世界中から超人を集め、自分達が持っている能力を他者へ教え合う。そうする事によって、より完全な超人を創り出す。それがイ・ウーと言う組織だ」

「じゃ、じゃあ、イ・ウーのトップであるあの男は・・・・・・」

 

 全ての超人の能力を兼ね備えた、まさに超人の中の超人と言う事になる。

 

 やがて、炎が消え去った甲板の上に、

 

 その男は静かに現われた。

 

 オールバックの髪に高い鼻。意外に身長は高く、180センチはあるだろう。小柄な友哉からすれば、見上げるような長身だ。それでいて、鍛え上げたような細身はフェンシングのサーベルを思わせる。

 

 外見の年齢は、不思議な事に20代ほどの青年にしか見えない。ふとすると、落ち着きのある学生のようにも見えた。

 

「もう逢える頃と、推理していたよ」

 

 第一声は、それであった。

 

「卓越した推理は、予知に近付いて行く。僕はこれを「条理予知(コグニス)」と呼んでいるがね。つまり僕は、この事を予め知っていた。だから、カナ君。遠山金一君の胸の内も、僕には推理できていた」

 

 パトラが言っていた、トオヤマキンイチの名前を、彼もまた使っている事が不思議だったが、今はそれに構っていられない。

 

 彼は更に続ける。

 

「さて、遠山キンジ君、緋村友哉君、相良陣君、それに、公安0課の斎藤一馬君だったね。君達も僕の事は知っているだろう。いや、こう思う事は、決して傲慢ではない事を理解してほしい。何せ僕と言う男は、いやと言うほど書籍や映画で取り上げられているのだからね。でも、可笑しい事に、僕は君達にこう言わねばならないんだ。今ここには、僕を紹介してくれる人が1人もいないようだからね」

 

 そう言うと、微笑を浮かべ、

 

 告げる。

 

 その名を。

 

 

 

 

 

「初めまして、僕はシャーロック・ホームズだ」

 

 

 

 

 

 気負いの無い名乗り。

 

 逆に一同には、言いようの無い緊張が走る。

 

 幻でも、クローンでも、ましてか精巧なロボットでも無い。

 

 シャーロック・ホームズは、ただ正真正銘のシャーロック・ホームズ本人として、その場に立っていた。

 

 シャーロックは自己紹介を終えてから、アリアに向き直った

 

「アリア君、時代は移って行くけど、君はいつまでも同じだ。ホームズ家の淑女に伝わる髪形を君はきちんと守ってくれているんだね。それは初め、君の曾お婆さんに僕が命じたのだ。いつか、君が現れる事を推理していたからね」

 

 これだけの武偵と警察官に囲まれながら、シャーロックは全く恐れる事も無く、穏やかな口調でアリアに話しかける。

 

「アリア君、君は美しい。そして強い。ホームズ一族で最も優れた才能を秘めた天与の少女、それが君だ。なのに、ホームズ家の落ちこぼれ、欠陥品と呼ばれ、その能力を認められない日々はさぞかし辛かっただろう。だがね、僕は君の名誉を回復させる事ができる。僕は、君を後継者として迎えにきたんだ」

「・・・・・・ぁ・・・・・・」

 

 小さく、声を上げるアリア。その様子には、いつもの強気な彼女の姿は見られない。まるで、初恋を知った少女のような、脆く儚い雰囲気があった。

 

「おいで、アリア君。君の都合が良ければ、おいで。悪くても、おいで」

 

 そう言うと、シャーロックはアリアに手を差し伸べる。

 

「おいで、そうすれば、君のお母さんは助かる」

 

 その一言が、決定打となった。

 

 アリアは魔法でも掛けられたように、シャーロックへと手を伸ばす。

 

 アリアのその仕草に微笑みを浮かべ、シャーロックは彼女の手を取る。

 

「さあ、アリア君。とかく好機は逸して後で悔やむ事になりやすい物だからね」

 

 そう言うとシャーロックは、アリアをお姫様抱っこで抱き上げると、くるりと踵を返した。

 

「行こう、君のイ・ウーだ」

 

 優しく、そう告げるシャーロックの腕の中で、アリアがキンジの方へと振り返った。

 

「キンジ・・・・・・」

 

 混乱と、怯えが見え隠れするその表情。しかし、抵抗するそぶりは見られない。

 

 アリアは、シャーロックを受け入れているのだ。

 

「アリア君、君達はまだ学生だったね。ではここからは、復習の時間といこう」

 

 そう言うと、シャーロックはアンベリール号に向けて、軽い調子で跳んだ。

 

 次の瞬間、彼が着ているコートが翼のようにはためいた。

 

 そのままシャーロックは、イ・ウーの前方に浮かぶ流氷へと着地、更に跳躍する。

 

 理子が髪を操る時に使う能力だ。ジャンヌの能力に続いて、理子の能力までシャーロックは披露して見せた。

 

 その向かう甲板上に、

 

 2人の人影が立っているのが友哉の眼に映った。

 

 1人は、スーツ姿に、顔には仮面を付けた長身の男。ハイジャックされたANA600便以来、久しぶりに姿を見せた《仕立屋》由比彰彦の姿だ。

 

 そして、もう1人。

 

 その姿を見て、友哉は思わず目を見開いた。

 

「瑠香!!」

 

 それは間違いなく、四乃森瑠香だった。浚われてから1日。まだ着替えていないらしく、浚われた時のバニーガール姿だった。

 

 瑠香は何かを叫んでいるが、距離がありすぎてここまでは届かない。彼女を浚ったのはパトラじゃなく、イ・ウー、シャーロックだったのだ。

 

 その間にも、アリアを連れたシャーロックは潜水艦へと近付いて行く。

 

「アリア!!」

 

 キンジが手を伸ばすように叫ぶ。

 

 このままでは、アリアが手の届かない場所へと連れて行かれてしまう。

 

 そう思った瞬間、キンジの中で燃え上がるような感情が湧きあがるのを感じる。

 

 どす黒い、うねるような血の巡り。

 

 ヒステリアモードの状況に似ているが、それとも違う。もっと力強い、嵐にも似た攻撃的な何か。

 

「アリアァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 気が付けば、キンジは叫びを発していた。

 

 その叫びは友哉や陣はおろか、一馬すら思わず驚愕する程の物だった。

 

 その時、

 

「シャー・・・ロック、馬鹿め。心臓を撃ち抜いた程度で、もう義を制したつもりかッ」

 

 背後からの声に振り返ると、カナが苦しげな声を発しながら立ち上がろうとしていた。

 

 驚いた。

 

 防弾制服を脱ぎ棄て、漆黒の防弾アンダーウェア姿となったカナは、明らかに男の体付きをしているのだ。

 

「た、立つなキンイチ! 立ってはだめぢゃ。まだ傷は癒えておらぬッ」

「これで良い、これ以上は治すな」

 

 うろたえるパトラに強い口調で言うと、カナは髪を解き、その中に仕込んでいた大鎌のパーツを甲板に捨てる。

 

「久しぶりだな、遠山」

 

 そう言って声を掛けたのは、友哉の傍らに立った一馬だった。

 

 対して、カナの方は、少し顔をしかめて一馬を見る。

 

「フンッ、まさか、アンタと共闘する事になるとはな・・・・・・」

 

 2人は知り合い。それも、雰囲気からして、あまり仲が良いとは思えなかった。もっとも、一馬のこの性格で友達が多いとも思えないが。

 

「斎藤さん?」

「こいつの名前は、遠山金一。そこの遠山キンジの兄で、元武偵庁の特命武偵だ。半年前に死んだ筈のな」

 

 まさか生きていたとは。と、煙草を吸いながら言う一馬を無視してカナ、いや、金一はキンジへ向き直った。

 

 驚くべき事だった。まさかカナが男で、キンジの兄だったとは。そう言えば、以前読んだHSSに関する論文に書いていた事だが、ヒステリアモードになる為の性的興奮を覚える条件は人それぞれで、条件を確定できれば、自在に変化する事も可能である、と。恐らく金一は、女装する事でヒステリアモードに変化する事ができるのだ。

 

「覚えておけ、キンジ。ヒステリアモードには成熟や状況に応じた派生形が存在する。今の俺は、ヒステリア・アゴニザンテ。別名を『死に際のヒステリア』。瀕死の重傷を負った男は、死に際に子孫を残そうとする本能があり、その本能を利用したヒステリアモードだ」

「兄さん、やめろ。そんな、そんなにまでして、戦うな!!」

 

 金一の命の灯が消えかかっている。それは誰の目にも明らかだ。戦うどころか、絶対安勢が必要だ。

 

 だが、金一は弟の言葉を振り払うように言った。

 

「止めるなキンジ。これは好機なのだ。この客船は日本船籍。その船上では日本の法律が適用される。奴はそこで未成年者略取の罪を犯した。これはシャーロックを合法的に現行犯逮捕できる唯一無二の好機だ」

「でも・・・・・・」

「覚えておけ。好機の一瞬は、無為な一生に勝る」

 

 金一は、文字通り自身の命を掛けて、巨悪と戦おうとしているのだ。

 

「聞けキンジ。さっきのお前の叫びを聞いて、俺は確信した。今のお前も、通常のヒステリアモードじゃない。通常のヒステリアモードは、ヒステリアノルマ―レ。女を『守る』ヒステリアモード。だが、今のお前はヒステリア・ベルセ。女を『奪う』ヒステリアモードだ」

「ヒステリア・ベルセ・・・・・・」

「気を付けろ、ベルセは通常のヒステリアモードに、自分以外の男に対する悪感情が加わって発言する危険な物だ。女に対しても、荒々しく、時には力付くで奪おうとする。戦闘能力はノルマ―レノ1・7倍だが、思考は攻撃一辺倒になる」

 

 そう言うと金一は、睨むようにイ・ウーに向き直った。

 

 友哉も、逆刃刀を抜いて金一達の傍らに立つ。

 

「僕も行きます」

 

 瑠香を取り戻す。その為に、友哉は敵の本拠地へと乗り込む決意を固めていた。

 

「俺も行くぜ」

 

 そう言ったのは、陣だった。

 

 だが、友哉はそんな陣を見て、黙って首を横に振った。

 

「陣はダメ」

「何でだよ!?」

 

 抗議する陣。

 

 対して、友哉は軽く、彼の腹を叩いて見せた。

 

 次の瞬間、

 

「ぐ、グォォォォォォ、ゆ、友哉、テメェ・・・・・・」

「そんな状態で、戦える訳無いでしょ」

 

 ゴレム達との戦闘では、その攻撃の殆どを、その身で受けていた陣である。本人は無事なつもりでも、ダメージは確実に残っているのだった。いかに打たれ強い陣でも、限度と言う物がある。

 

 陣とて、普通の人間相手ならもっとうまく戦えたのだろうが、ゴレム達は自分達の損害も無視した人海戦術を仕掛けて来た為、その攻撃の大半を食らってしまったのだ。

 

「陣は、こっちに残って、茉莉達の手伝いをしていて」

 

 これ以上無理をさせるのは、流石に危険だった。

 

 そう言って、友哉は立ち上がる。

 

「・・・・・・斎藤さんは、まだ行けますよね?」

 

 友哉は、もう1人の同行者に声を掛ける。

 

 一馬は陣と違って、あまり傷を受けているようには見えない。充分に戦闘力を残している様子だ。

 

 問いかけに対しても答えず、僅かに振り向いて視線を向けて来ただけだ。どうやら、「いちいち聞くな」と言う事らしい。

 

「行くぞ、まずはアリアを救出(セーブ)し、シャーロックを逮捕するッ」

 

 金一の宣言にも似た声に、キンジ、友哉、一馬の3人はそれぞれの得物を手に前へ出る。

 

「行くぞッ!!」

 

 ついに、最後の戦いが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イ・ウーの甲板に乗り込むと同時に、戦闘は開始された。

 

 先制したのはシャーロックである。

 

 先程見せた、ジャンヌと同じ氷魔法を用い、4人の行く手にダイヤモンドダストの幕を張り巡らせて迎え撃つ。

 

 一同の武器や服にも霜が降りて白く染まっていく。

 

 だが、

 

「オォォォォォォォォォォ!!」

 

 気合と共に、友哉はその幕を突きぬける。

 

 ダイヤモンドダストが、細かいナイフのように全身を切り刻むが、それにも構わず駆ける。

 

 キンジ、金一、一馬もまた、友哉に続くようにしてダイヤモンドダストの壁を突き破るのが見えた。

 

 目指すシャーロックの背中が前方に見える。人1人を抱えているのに、走るスピードはそうとうな物だ。

 

 そのシャーロックへ向けて、金一が銃撃を放つ。

 

 不可視の弾丸(インヴィジビレ)

 

 見えない銃から放たれた弾丸が、真っ直ぐにシャーロックへと向かう。

 

 と、シャーロックの背中越しに、マズルフラッシュが閃いた。

 

 次の瞬間、シャーロックへ向かっていた弾丸が弾かれるのが見えた。

 

 不可視の弾丸、そして恐らくは銃弾弾き(ビリヤード)

 

 難易度の高い高度な2つの技だが、シャーロックはそれを背中越しにやって見せたのだ。恐るべき技量とはこの事である。

 

 キンジが続けて銃を放つが、それもまたシャーロックのビリヤードによって回避された。

 

 と、今度は友哉の隣を並走する一馬が、腰から銃を抜き構えた。

 

 シグ・サウエルP239と呼ばれるその銃は、前作のP229をよりコンパクトにして、携行性を高めた銃である。

 

 放たれる弾丸。

 

 しかし、やはりシャーロックを捉えるには至らない。

 

 銃を持っていない友哉以外の3人が、ありったけの弾丸を吐き出すように銃撃を加えるが、前を走るシャーロックに命中する事は無く、その足を聊かも緩ませる事はできない。

 

 シャーロックも反撃として銃を放ってくるが、それらもまた、金一とキンジが銃弾弾きで防御、あるいは、その派生技である鏡撃ち(ミラー)を用い、シャーロックに向けて弾き返す事までやっている。

 

 逃げるシャーロックに、追う4人。互いに決定打を打てないまま、状況は推移する。

 

「なら、これでッ!!」

 

 言い放つと同時に、友哉は1人速度を上げて突出する。

 

 銃撃だけでは埒が明かないと判断し、自らの間合いに踏み込んで斬りかかろうと言うのだ。

 

 だが、それはあまりにも無謀である。当然のことながら、シャーロックは1人突出した友哉に照準を合わせて発砲した。

 

 対して友哉は全神経を目に集中し、シャーロックを注視する。

 

 先のアンベリール号での対峙の時、シャーロックは自身の使う条理予知について講釈を行ったが、実は友哉にも、それと似た事ができる。

 

 勿論、シャーロックのように、己の卓抜した推理力によって、事象に起こる全ての事を把握する事はできない。

 

 飛天御剣流は、剣の速さもさることながら、先読みの速さ、鋭さも特徴の一つとしてあげられる。目で見た現象から、刹那の間に状況を判断、次にどう行動するかと言う戦術組み立てを、一瞬の間に行うからこそ先の剣を可能とし、現代戦でも通用し得る戦術となるのだ。

 

 友哉はこれを「短期未来予測」と呼び、密かに修練を重ねている。飛天御剣流に連なる技の数々が友哉の使用する戦術のハード面とするなら、短期未来予測はソフト面と言う事になる。

 

 未だに極めるには至っていない為、予測できる時間はせいぜい3秒、長くても5秒と短い。しかし、純戦術的に見た場合、3秒先の未来を予測できれば相手に対して絶対的に優位に立てる。刹那の間に勝負を決する現代戦にとって、一瞬の判断力が勝敗を分ける事など珍しくないのだ。

 

 武偵校でカナを相手にした時も使用を試みたのだが、あの時は不可視の銃弾や、コルト・ピースメーカー等の前情報が少なすぎて、彼女の攻撃を回避しきる事ができなかった。

 

 だが、今は違う。

 

 背中越しに弾丸を放つシャーロック。

 

 しかし、

 

 来ると判っていれば、回避も防御もできる。

 

 友哉の瞳は、真っ直ぐに飛翔する弾丸の軌跡を正確に捉え、自身の行動を一瞬で算定する。

 

 ギィンッ

 

 自分に向かって来た弾丸を、友哉は刀で弾いて見せた。

 

 攻撃を防ぎながら、友哉は更に加速する。

 

 シャーロックもまた、友哉に向けて銃を放ってくるが、今度は、頭を低くして回避。

 

「ここでッ!!」

 

 2発の銃弾を回避した事で、友哉は攻撃可能圏内にシャーロックを捕えた。

 

 全開まで加速し、刀を振り上げる友哉。

 

 その一瞬、シャーロックは僅かに後ろを振り返った。

 

 次の瞬間、互いの視線が交差する。

 

 ギンッ

 

 一瞬にして、空気そのものが圧迫されたような感覚に陥り、友哉は体が重くなるのを感じた。

 

「これはッ・・・・・・」

 

 二階堂平法心の一法。かつて、殺人鬼 黒笠が得意とした催眠術と剣術を組み合わせた戦術である。シャーロックは、振り向きざまに友哉に対して、使って来たのだ。

 

 だが

 

「ハァァァァァァァァァァァァッ!!」

 

 催眠術は、より強い意思を持てば破る事ができる。それを黒笠戦で知っていた友哉は、気合を発する事ですかさず解除する。

 

「逃がすかッ!!」

 

 更に斬り込もうと、剣を振り翳し切りかかる友哉。

 

 しかし、振り下ろした刃がシャーロックを捉える事は無い。

 

 白刃が一閃された瞬間、シャーロックは瞬間的に加速、一気に20メートル近い距離を開いていた。

 

 今度は茉莉の縮地である。どうやら思った通り、シャーロックはイ・ウー構成員全員の能力を使う事ができると考えられた。

 

「おい、あまり無茶するな!!」

 

 友哉が一瞬足を止めた隙に追いついたキンジが、怒鳴るように言う。

 

「判ってる。けどッ」

 

 友哉もまた、立ち上がりながら言い返す。

 

 アリアを連れたシャーロックは、もうすぐ艦橋部分に取りつこうとしている。中に入られてしまえば追跡も困難である。

 

 その時、何を思ったのか、シャーロックは足を止めて振り返った。

 

 腕に抱かれたアリアが、耳を塞いでいるのが見える。

 

 正面にアリアが来た事で、射撃が躊躇われる。

 

 その隙に、シャーロックは行動を起こした。

 

 胸郭が膨らむ程に息を吸い込む。

 

「まずい、あれはッ」

 

 何かに気付くキンジ。

 

 次の瞬間、

 

 声が衝撃波のように4人に襲い掛かり、まるで瀑布を叩きつけられたような感覚に襲われる。

 

 ワラキアの魔笛と呼ばれる、この声の衝撃波は、ランドマークタワーの戦いでブラドが使った物で、ヒステリアモードの解除に用いられる。一度食らって手痛い目にあっているからこそ、キンジは事前に技の正体に気付いたのだ。

 

 一同は足を踏ん張り、吹き飛ばされそうになるのを堪える。

 

 この音が耳から脳内に叩きつけられれば、中枢神経にダメージを負い、ヒステリアモードが解除されてしまう。

 

 それが判っているキンジは、耳を押さえて必死に耐えていた。

 

 やがて、声が止まる。

 

 その場に立っていたのは3人。

 

 友哉と一馬、そして耳を離したキンジ。

 

 キンジは見事、ワラキアの魔笛に打ち勝って見せたのだ。

 

 だが、

 

「兄さん!!」

 

 キンジが慌てて駆け寄った先には、床に倒れて耳から血を流している金一の姿があった。

 

 雰囲気で判る。ヒステリアモードが解除されている事が。

 

 金一は今の攻撃に耐えられなかったのだ。そして、既に瀕死の重傷を負っていた金一にとって、ヒステリア・アゴニザンテは最後の切り札である。最早、彼が戦えない事は明白であった。

 

 次の瞬間、

 

「キンジ、よけろ!!」

 

 金一がキンジを突き飛ばした瞬間、彼の心臓をシャーロックの放った弾丸が撃ち抜いた。

 

 既にヒステリアモードで無くなり、ビリヤードを使う事ができなくなった金一は、身を呈して弟を守ったのだ。

 

 弟の腕に支えられ、金一は目を見開く。

 

「・・・・・・キンジ、追え・・・・・・奴は艦内に、に、逃がすなッ」

 

 口から血を吐き出しながら、最後の力を振り絞るように言う金一。

 

 こうしている間にも、彼の体から力が抜けていくのが判る。まるで、流れ出る血と一緒に、金一の命も失われて行っているかのようだ。

 

「兄さん、あんたを置いてなんかッ」

「フッ、お、お前如きに、心配されるとは・・・俺も、ヤキが回ったな・・・・・・」

 

 呆れながら、それでいて、弟の成長がどこか頼もしいように苦笑する。

 

 金一は髪の中に隠していた2発の銃弾を抜き放つと、それをキンジに渡した。

 

「武偵弾だ。ビリヤードで防御されない戦闘で使え」

 

 武偵弾。それは、一流の銃弾職人にしか作れない一発一発が多様な性能を示す強化弾であり、一発で戦局の逆転も可能となる必殺兵器である。

 

 恐らく、金一にとってはヒステリアモードと並ぶ、もう一つの、そして最後の切り札だったのだろう。それをキンジに託した事からも、彼の弟に対する信頼が見て取れた。

 

「行け、キンジ、攻めろ!!」

 

 口から、文字通り血を吐きながら金一が叫ぶ。

 

「俺は初めて、お前に理屈の通らん事を言っているのかもしれない。だがな、キンジ、人生には理屈を越えた戦いをせねばならない時がある。それが、今なのだッ」

 

 そう言うと、金一は気合を入れるためなのか、キンジに頭突きを食らわせた。

 

「キンジ、もう振り返るな、行け!!」

 

 それは、兄から弟へ送る、最上級の激励だった。

 

 金一は更に、友哉の方へと向き直った。

 

「弟を、頼む」

 

 その短い言葉に、金一の想い、全てが詰まっているような気がした。

 

 しっかりと、首を振って頷く友哉。

 

 既にシャーロックは、艦内に入ったのか姿が見えなかった。

 

「死ぬなよ、兄さん。死んだらアンタの弟をやめてやるからな!!」

 

 そう叩きつけるように叫ぶと、キンジは振り返る事無く走りだす。

 

 その後から続く、友哉と一馬。

 

「それならキンジ。心配するな・・・・・・お前は、ずっと、俺の弟・・・だ」

 

 意識が薄れゆく中、すっかり自分の手を離れ、立派に成長したキンジの姿に、金一は頼もしそうに眼を細めた。

 

 

 

 

 

第7話「時の彼方より来るもの」      終わり

 



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第8話「激突する狼」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 艦内に飛び込むと、内部が意外に広い事に驚かされた。

 

 潜水艦と言えば、一般的に狭苦しい印象がある。海上自衛隊などでは、クルーの寝床として魚雷の上などで寝る者もいる、と言うくらい潜水艦内部は狭い物である。

 

 しかし、流石はロシア製と言うべきである。「潜水艦=狭い」と言う常識に、唯一当てはまらないのがロシア製の原子力潜水艦であろう。何しろ、艦内にサウナやプールが常識的に設けられ、クルーの居住性を高めている事で有名である。ましてか、ボストーク号は世界最大の潜水艦。その規模も半端ではないのだろう。

 

 降り立った場所はホール状になっており、ティラノサウルス、ステゴサウルス、トリケラトプスの骨格標本や、虎、ライオン、狼、亀などの剥製が展示されている。

 

「イ・ウーってのは、一体どういう組織なんですか・・・・・・」

 

 まるで博物館でも歩いているような感覚になり、友哉は呆れ気味に呟いた。

 

 巨大なのは判るが、潜水艦の中にこんな物を飾っておくとは。

 

「さっきも言ったろ。一種の学習機関だって」

 

 歩き煙草をしながら、一馬が面倒くさげに答える。

 

「元々の発生は、第二次世界大戦時の日本とドイツが共同で設立したのが最初らしいがな」

「成程、それで『伊・U』って事か」

 

 一馬の説明に、キンジは納得したように頷いた。

 

 終戦間際、日本もドイツも影で数々の奇想兵器の研究をしていたのは有名な話である。恐らくその中に、両国が提携して超人を作る、と言う計画があったのだろう。現に、日本の伊号潜水艦やドイツのUボートが、何度も連合軍の制海権を踏破して、互いの国を行き来していた。その事から考えても、全くあり得ない話ではない。

 

「まあ、そんな事はどうでも良い」

 

 そう言って、キンジは会話を打ちきる。

 

「今はシャーロックを倒し、アリア達を取り戻す。その事に集中しようぜ」

「・・・・・・そうだね」

 

 キンジはそう言いながら、通路の奥へと入って行く。

 

 友哉は頷きながらも、キンジの言動がいつもと違う事に気付いていた。

 

 これが恐らく、ヒステリア・ベルセの影響なのだ。キンジの思考は、多分今、攻め一辺倒になっている。確かに攻撃力は増すのだろうが、同時に思考の柔軟性が低下しているようにも見える。

 

 金一の語っていたヒステリアモードの派生形。通常型のノルマ―レノの1・7倍の戦闘力を発揮できるとの事だが、状況によっては、総合力では却って低下する事も考えられる。

 

 サポート役の援護がないと、思わぬ所で足元を掬われることにもなりかねない。

 

 そう思った時だった。

 

 突然の落下音。

 

 次の瞬間、天井から鋼鉄の壁が降りて来た。

 

「キンジッ」

 

 友哉は叫んで手を伸ばそうとするが、既に遅い。

 

 浸水防止用の隔壁が降りて来て、行く手を阻まれる。

 

 向こう側にはキンジ1人。こちら側には友哉と一馬の2人。見事に分断されてしまった。

 

「キンジッ、キンジッ!!」

 

 友哉はとっさに隔壁に取りつくも、一度降りてしまった隔壁は、人の力ではびくともしない。

 

「騒ぐな、阿呆が」

 

 冷静に一馬は言うと、軽く手の甲で壁を叩いて確かめる。

 

 隔壁はかなり分厚いらしく、叩いた感じからもそれが伝わってきた。

 

「緋村、お前、斬鉄はできるか?」

「・・・・・・一応は」

 

 日本刀では本来、鉄を斬る事はできない。頑丈さよりも切れ味を優先している日本刀を鉄に当てると、逆に刀の方が折れてしまうのだ。

 

 その鉄を斬る為に編み出された技術が斬鉄である。銘刀の切れ味と達人の技があって初めて可能となる技術である。しかし、

 

「・・・・・・けど、流石にこの厚さじゃ」

「だろうな」

 

 さして期待はしていなかった、と言う風に頷かれ、友哉はムッと顔を顰める。だったら聞くな、と言いたいのをグッとこらえた。何となく、言えば負けのような気がしたので。

 

 しかし、実際に無理な事に変わりは無い。軍艦の隔壁は、浸水の際に何万トンもの海水を受け止める為に分厚く作られている。日本刀で斬れてしまったら欠陥品も良い所である。

 

「なら仕方ない。多少遠回りになるが、次のプランで行くぞ」

「次のプランって?」

 

 尋ねる友哉に、一馬は折り畳んだ一枚の紙を差し出して来た。

 

 受け取って広げて見ると、それが何かの見取り図である事はすぐに判った。

 

「って、これ!?」

 

 それはこの潜水艦、ボストーク号の艦内配置図だった。戦闘区画から居住区画、発令所の詳細なデータまである。その気になれば、艦を沈める事も難しくないだろう。

 

「何でこんな物持ってるんですかッ!?」

「公安を舐めるな。イ・ウーと戦うと決めた時点でこの程度の情報収集は基本だ」

 

 この程度、と一馬は軽く言うが、世界中の政府が手出しできない秘密組織の見取り図を手に入れるなど、並みの情報網では不可能な話である。

 

 何より、友哉が不満なのは、一馬が今の今までこんな切り札を持っていた事を隠していた事だった。

 

「ほら、行くぞ」

 

 踵を返して歩きだす一馬の背中を、友哉は恨みがましく睨みつける。

 

 しかし、現実に彼に付いて行かない事には、本丸に辿り着くのは難しい。

 

 仕方なく、友哉は一馬に続いて歩き始めた。

 

 

 

 

 

「予定通り、緋村君達と遠山君を分断できたようです」

 

 モニターを眺めながら、彰彦は背後に立つシャーロックに語りかけた。

 

 甲板上での戦闘を、当然のように無傷で潜り抜けたシャーロックは、アリアを聖堂に残し、一旦発令所の方に来ていた。

 

 ここには艦内を監視するモニターが集中している。そのモニターでは、戦闘区画の方へ最短距離で向かってくるキンジと、やや遠回りのルートを辿る友哉、一馬が映し出されていた。

 

「僕の推理通りだね」

 

 シャーロックは、その状況に、満足げに頷く。

 

 このままいけば、キンジはICBMの収められた戦闘区画手前にある聖堂、つまりアリアのいる場所を通る事になる。

 

「さて、アリア君は僕が思った通りになってくれるのか、こればかりは神のみぞ知る、と言ったところだね」

「おや、あなたでも判らない事が御有りで?」

 

 彰彦は意外な面持で尋ねる。シャーロックの下で仕事をしてかなりの年月になるが、この男が神などと言う不確かな物に賽の目を委ねるのは珍しい事だった。

 

 対してシャーロックは、苦笑しながら肩をすくめてみせた。

 

「こればかりは、僕の推理でも及ばない領域でね。まあ、結果が判らない分、楽しみでもあるけどね」

 

 どこまでが本気で、どこまでが冗談なのか判らない。誰よりも長く生きている割に、誰よりも子供っぽい所がある人物である。

 

「緋村君達の行動も予定通りです。公安の方に渡ったこの艦の見取り図を元に迂回路を辿る様子です」

「斎藤君が来た時点で、それも予測済みだね。それで、配置の方は?」

「予定通り、彼に迎撃に出て貰いました。そろそろ、欲求不満もたまるでしょうから」

 

 そう言って苦笑する彰彦に、シャーロックも面白そうに笑う。

 

「実に彼らしいね。これで、こちらの布陣は整った訳だ」

 

 シャーロックは満足げに頷くと、次いで彰彦の傍らに立つ少女に目を向けた。

 

「君にも、窮屈な思いをさせたようで済まなかったね」

「・・・・・・いえ」

 

 シャーロックにそう言われ、瑠香は警戒の中に、戸惑いと緊張を混ぜて言った。無理も無い。相手はあのシャーロック・ホームズなのだ。伝説上の人物が目の前にいて、しかも自分に話しかけている、などと言う異常事態に、緊張しない方がおかしい。

 

 そんな瑠香に優しく笑い掛けながら、シャーロックはテーブルの上に置いていた物を差し出した。

 

「君の銃とナイフだ。返しておくよ。間もなく緋村君がやってくる。そうしたら、彼の元へ行くと良い」

 

 そう言って差し出された銃とナイフを、瑠香は受け取る。確かに、自分のイングラムとサバイバルナイフに間違いなかった。

 

「銃の弾丸は抜かせてもらいました。ナイフの方には、特に細工はしていませんが、それ一本でどうにかなるとは、思っていないでしょう?」

 

 彰彦の言葉に、瑠香は黙りこむしかない。確かに、ナイフ一本で、ここにいる人間を制圧できるとは思えない。危害を加えない代わりに友哉が来るまで大人しくしていろ、と言う事らしい。

 

「それから、これはお詫びも込めて、僕からの贈り物だ。いつまでも、そんな恰好じゃ嫌だろう?」

 

 そう言ってシャーロックが差しだしたのは、白地に青いラインの入った武偵校の夏用セーラー服だった。

 

 確かに瑠香は、カジノで浚われて以来、着替えをしていないので、未だにバニーガール衣装のままだ。肌にピッタリ張り付くレオタードのような服でいるのは、やはり恥ずかしい物である。

 

 貸してもらった個室に入り、バニー衣装を脱ぎながら、友哉の顔を思い浮かべる。

 

「友哉君・・・・・・」

 

 幼馴染の少年が助けに来てくれた。それは嬉しい。だが、気になるのは彰彦が言っていた言葉だ。

 

 友哉が協力者に相応しいか見極める。と言っていた彰彦。その真意が何なのか、瑠香には判らない。

 

 だが、何だか友哉が遠くへ行ってしまう。そんな漠然とした予感が、瑠香の胸を支配しようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友哉は前を歩く一馬の背中を見ながら、遅れないようにしてついて行く。

 

 全く持って、とことん相容れない人間とはいるものだが、友哉にとってこの斎藤一馬と言う男は正しくその典型であると言える。

 

 性格は皮肉屋で傲岸不遜。常に上から目線。状況的に仕方がなかったとはいえ、正体を隠して友哉達に近付いたり、今回のように重要な情報を隠していたりもする。

 

 加えて、向こうは殺しを肯定する公安0課であるのに対し、友哉は殺しを否定する武偵。つまり、互いの立場は全く真逆のベクトルを示している事になる。

 

 いや、そんな上辺の事じゃない。

 

 友哉にとって、この斎藤一馬と言う男は何から何まで受け入れがたい存在であると言える。これはもう、魂のレベルでかみ合って無いとしか言いようがない。

 

 自分と一馬の間には前世で何かあったのだろうか? と勘繰ってしまうほどだった。そう、例えば文字通りの殺し合いをしたり、互いに天敵と判っていても嫌々ながら共闘したり、決闘を行おうとしたけどすっぽかされた、とか。

 

 全く持って、こんな男と剣を並べて戦っている事自体が、ある意味友哉にとって奇跡に思えて仕方がなかった。

 

 そんな事をブツブツ呟きながら歩いていた時だった。

 

 ボフッ

 

「おろッ?」

 

 突然、前を歩いていた一馬が足を止めた為、友哉はその背中に思いっきり鼻をぶつけてしまった。

 

「ど、どうしたんですかッ?」

 

 やや抗議するように言う友哉に対し、一馬は煙草の煙を吐きながら告げる。

 

「出迎えだ」

 

 そう言って指し示した先は、広いホールのような部屋になっており、その部屋の反対側の壁際には、鞘に収まった日本刀を肩に担いだ青年が立っていた。

 

「よう、待ちくたびれたぜ」

 

 気さくに右手を掲げて来る男。

 

 瞬間、友哉は目の前が歪む程に、自身の血が沸騰するのを感じた。

 

「あなたはっ!?」

 

 忘れもしない、ピラミディオン台場で瑠香を拉致した男、杉村義人だ。

 

「よう、また会ったな」

 

 まるでカジノでの因縁など無かったかのように、気さくな挨拶をしてくる。

 

「挨拶は良いです。そこを通して下さい。さもないと、」

「ヒュー、怒った顔も可愛いねえ。それに、『男装』の君も、なかなか似合ってるよ」

「僕は男です!!」

 

 顔を真っ赤にして、刀の柄に手を掛ける友哉。最早、前置きも無しにそのまま斬りかかりそうな勢いである。

 

 次の瞬間、

 

 ドゴッ

 

 前に出ようとした友哉の額に、一馬の裏拳が炸裂した。

 

「熱くなるな。阿呆が」

 

 そう言うと、咥えていた煙草を投げ捨てて前へと出る。

 

 視線を義人に向けたまま、友哉へ語りかける。

 

「こいつの相手は俺がする。お前は先に行け、邪魔だ」

「んなッ!?」

 

 言動がいちいち癇に障る男である。義人よりも先に、こいつを叩きのめしたい欲求が、友哉の中でかなり本気に芽生えて来る。

 

 そんな友哉を無視して、犬でも追い払うようにシッシッと手を振って見せる。

 

 その姿に腹立たしい物を覚えるが、ここを引き受けてくれると言うなら、それだけ早く瑠香の元へ辿り着ける。

 

「・・・・・・お、願い、します」

 

 腹立たしさをどうにか飲み込み、友哉は絞り出すようにそれだけ告げると、一気に義人の頭上を跳躍して飛び越え走りだす。

 

 対して義人は、とっさに友哉を追おうとしたが、できなかった。

 

 目の前に残った男が、自分に向けて凄惨すぎる殺気を放って来ているからである。

 

 そんな一馬の様子に、義人は目を細めながら笑みを浮かべる。

 

「へえ、結構、優しい所もあるんだな」

「何の話だ?」

 

 詰まらない会話に付き合うように、一馬は素っ気なく答える。

 

「あいつを先に行かせる為に、自分がここに残ったんだろ。見かけによらず、随分浪速節な奴なんだな」

 

 そう言って肩を竦める。確かに、状況から見れば、確かに一馬が義人の足止めをして、友哉を本丸へ先に行かせた、と見えるだろう。

 

 だが、

 

 そんな義人の言葉に対して、一馬は鼻で笑って見せた。

 

「冗談を言うな。あんなガキがいたら、煩くて戦いに集中できないだろう。それに、俺が浪花節だと? 笑わせるな」

 

 言いながら距離を計るように、一馬は僅かに前へと出る。

 

「『悪・即・斬』先祖が貫き通してきたこの正義の元に、俺は剣を振り続けるだけだ」

 

 日本刀を抜き放つ一馬。

 

 刀は左手に持ち、弓を引くように構え、右手は刃の峰に当てて支えるように掲げる。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 対して義人は、無言のまま一馬を見据える。

 

 危うく、目の前の男を見間違える所だったのを自覚する。

 

 この男は、決して他人と相容れるような人間ではない。ひたすら自身の力のみを頼りとし、息が切れるまで戦い続ける。

 

 孤狼、と言う言葉がこれほど似合う男もいないだろう。

 

「良いだろう。どの道、俺が言われてるのはアンタの足止めだ。あいつは先に行かせたところで、何の問題も無い訳だしな」

 

 そう言うと、義人も日本刀を抜き放った。

 

 切っ先を真っ直ぐに向ける一馬に対し、義人は切っ先を下げた下段に刀を構える。カジノで見せた、あの強力な打ち下ろし技の構えである。

 

 両者、互いに睨み合ったまま、凄まじいまでの殺気が室内を満たして行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 互いに無言のまま、時は過ぎる。

 

 一馬と義人は睨み合ったまま、動こうとしない。

 

 迂闊な攻撃は敗北に直結する。特に、互いに一撃必殺の技を持っているのだから尚更だ。

 

「・・・・・・どうした、来ないのか?」

 

 義人は刀を下段にしたまま尋ねる。

 

「その構え、カジノで見せたあの突き技だろ。なら、アンタから仕掛けてくれない事には始まらないんだが?」

「挑発か。随分、安い手を使うな」

 

 義人の軽口に、一馬は取り合わない。ただじっと、刀の切っ先を向けたまま待っている。

 

 だが、一馬の目的はこんな所には無い。いつまでも、こうして千日手を決め込むつもりも無かった。

 

 その時、

 

 ガァンッ

 

 艦底の方で、何かがぶつかる音がした。恐らく、小型の流氷か何かがぶつかったのだろう。

 

 その瞬間、

 

 狼は駆けた。

 

 切っ先を真っ直ぐに向けたまま、まるで飛翔するように突進する。

 

 その切っ先が、義人に届くかと思われた瞬間、

 

「ハァッ!!」

 

 タイミングを見計らった完璧なスリ上げによって、牙突の切っ先は大きく上に逸らされてしまった。

 

「チッ!?」

 

 勢いを殺されては、突き技として用を成さない。

 

 とっさに後退する一馬。

 

 それと、義人が剣を振り下ろすのは、ほぼ同時だった。

 

 轟音

 

 同時に、床が陥没する程の衝撃が室内を奔った。

 

 辛うじて後退に成功した一馬は、膝を突きながら視線を義人へ向ける。

 

 相変わらず、強烈な技である。

 

 イ・ウーの艦内は、超人達が好き勝手に暴れられるようにと、隔壁の補強は入念に行われているが、それでもこの威力である。

 

 一馬は立ち上がる。

 

 そして、再び牙突の構えを取った。

 

「また、その技か。懲りないね、アンタも」

「生憎、不器用なんでな」

 

 低い声で応じると同時に、一馬は再び疾走する。

 

 真っ直ぐに突きだされる切っ先。

 

 対抗するように、義人も刀を下段に構えて迎え撃つ。

 

 交錯する一瞬

 

 義人の剣は、再び一馬の攻撃を上方へと逸らした。

 

 瞬間、

 

 一馬が後退するよりも早く、

 

 振り下ろされた義人の剣が、一馬の肩を斬った。

 

「ッ!?」

 

 一馬が着ているスーツは、当然防弾処理をしているが、そのスーツを一撃で斬り裂いて見せたのだ。

 

 それでも軽傷ですんだのは、とっさに一馬が体を捻って義人の間合いから逃れた事が大きかった。

 

 だが、

 

 一馬は流れ出た血を拭いながら、義人を睨みつける。

 

 あの龍飛剣と言う技は、なかなか厄介だ。

 

 一馬の牙突は、自ら仕掛けて相手に防御や回避の隙を奪う先の剣であるのに対し、龍飛剣は先に相手に手を出させ、それを打ち払った上で攻撃する、言わば後の先だ。

 

 後の先は先の剣と比べ、相手に先制攻撃を許してしまうと言う不利な要素がある半面、相手の剣をいなす事ができれば、絶対的な隙を作り出す事ができ、自身の攻撃を確実に当てる事ができる。

 

 言わば牙突と龍飛剣は、全くの対極、究極の先の剣と、究極の後の先の激突と言える。

 

「なあ、知ってるか?」

 

 義人は軽い世間話でもするかのように話しかけた。

 

「アンタと俺は、ちょっとばかり縁があるんだぜ。おっと、誤解しないように言っておくが、俺達は全くの初対面だ」

 

 言ってから、義人は意味ありげに笑みを見せる。

 

「縁があるのは、俺達の先祖同士さ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 義人の言葉を、一馬は黙したまま聞いている。

 

 一馬の先祖。その中でとくに有名な存在と言えば、1人しかいない。関係があるとすれば、その線である。

 

 幕末の京都において、治安維持を担っていた新撰組。

 

 その新撰組において、最強の剣客が誰かと問われれば、多くの人間が一番隊組長 沖田総司を上げるのではないだろうか。

 

 しかし、当時の隊員は、沖田、斎藤を押しのけて1人の男を最強として称えた。

 

 松前藩に生を受け、神道無念流の達人として知られる男。新撰組飛躍の最大の要因となった池田屋事件においては、幹部、隊員達が次々と戦線離脱する中、局長 近藤勇と2人、最後まで戦線を支え続けた男。

 

 その名は、永倉新八。

 

 新撰組幹部最後の生き残りと言われた男である。

 

 杉村は再び、刀を下段に構えた。

 

「まさか、新撰組生き残りの子孫同士が、こんな形で再会できるとはな。なかなか感慨深くないか?」

「興味無いな」

 

 吐き捨てるように言いながら、一馬は立ち上がる。

 

「下らん世間話は終わりか?」

 

 掲げるように刀を目線の高さまで持ち上げる。

 

「過去に何があろうが、貴様が何者であろうが、そんな物は一切関係ない。ただ、俺の正義に反する限り、斬って捨てるだけだ」

 

 そう言うと、再び牙突の構えを取る。

 

 その構えは、それまでのよりもやや高く構え、刃が頭頂付近に来るように構えられている。

 

 対して

 

「・・・・・・・・・・・・やれやれ、身も蓋も無い事を言う奴だな」

 

 義人は刀を構えたまま、溜息をつく。

 

 どうやら、目の前の男とはとことん相容れないと言う事だけは理解できた。

 

 互いに剣を構え、睨み合う。

 

 一馬の剣は確かに激烈とも言うべき突進速度と破壊力を誇っているが、その鋭さゆえに、ベクトルの変化には弱い。義人の龍飛剣は、そう言う意味で、対牙突用にはうってつけの技と言える。

 

 だが、その程度の事で一馬は退かない。

 

 ただ自らの牙を、相手に突き立てるまでだ。

 

 次の瞬間、一馬は地を蹴る。

 

 一瞬の疾走。

 

 その切っ先は、真っ直ぐに義人へと向かう。

 

 対する義人もまた、迎え撃つは自身の最も恃む必殺の龍飛剣。

 

 下段からのスリ上げが、一馬の刀を捉え、切っ先を大きく上に逸らした。

 

「これでッ!!」

 

 言った瞬間、

 

 驚いた。

 

 目の前にいた筈の一馬の姿が、消えている。

 

 その一馬は、

 

 義人の頭上に跳躍し、刀の切っ先を再び向けていた。

 

 牙突の考案者、斎藤一は、戦況によって技を使い分けられるよう、牙突にいくつかの派生を持たせていた。

 

 これもその一つ、頭上から撃ち降ろす事によって、通常の突撃形態よりもより高い威力を持たせる事ができる。

 

「牙突・弐式!!」

 

 一馬は龍飛剣の軌跡を見切り、上へ飛ぶ事によってスリ上げの威力を減殺すると同時に、自らの攻撃態勢を確立する事に成功したのだ。

 

 対して、義人は、状況を理解したものの、攻め手に一瞬迷った。

 

 龍飛剣の威力は、打ち下ろしの際のインパクトにある。相手が上空にいる状態では、本来の威力を出せないのだ。

 

「チィッ!!」

 

 それでも構わず、剣を振り下ろす義人。

 

 互いに交錯する一馬と義人。

 

 一馬は刀を突き出した状態、義人は刀を振り下ろした状態で背中を向け合う。

 

 次の瞬間、

 

「グハッ!?」

 

 鮮血と共に、義人は床に膝をついた。

 

 やはり、相手が上空にあっては、龍飛剣は本来の力を発揮できない。牙突の方が、一瞬早く決まったのだ。

 

「やるな・・・・・・」

 

 僅かに振り返りながら、一馬は言った。

 

「あの一瞬で、刀を合せて牙突の威力を減殺したか。でなければ、お前の胴から上が吹き飛んでいた所だ」

「・・・流石、はあんただろ」

 

 苦しそうにしながらも、義人は苦笑しながら言う。

 

「たったあれだけの時間で、龍飛剣の弱点を見破るとはな。俺も、まだまだ甘いって事かね」

 

 言いながら、立ち上がる。

 

 ふらつきは見られる物の、倒れる様子は無い。

 

「ま、これくらいで良いかな。俺の役目はアンタの足止めな訳だし。これ以上戦っても、俺には何のメリットも無いしな」

 

 そう言うと、ポケットから取り出した閃光手榴弾を床に投げ捨てた。

 

 とっさに目を庇う一馬。

 

 そこへ、閃光が炸裂、室内を白色に染め上げた。

 

「・・・・・・・・・・・・フンッ」

 

 目を開くと、そこには既に義人の姿は無かった。どうやら、逃げたらしい。

 

 だが、これで行く手を阻む者は無くなった事になる。

 

「足止め、か」

 

 義人がそんな事を言っていたのを思い出す。確かにここで足止めを食ったのは事実だし、そう言う意味で連中の作戦は成功と言う事だろう。

 

 だが、奴等は一つ、ミスを犯した。それは、一馬にフリーハンドを与えてしまった事だ。

 

 先行した友哉やキンジは、間違いなく派手に暴れてイ・ウー側の目を引き付けてくれるだろう。その隙に一馬は、影のように動く事ができる。

 

 刀を鞘に収め、歩きだす。

 

 狙うはシャーロック・ホームズの首一つ。

 

 今、狼は深く静かに、イ・ウーと言う巨大怪物の中を疾走し始めた。

 

 

 

 

 

 駆ける足を速め、友哉は先を急ぐ。

 

 潜水艦の内部は、客船以上に入り組んでおり、一馬から渡された地図が無ければ余裕で迷えるレベルだった。

 

 それでも、どうにかキンジが向かった区画に通じる通路を割り出して走っていた。

 

 瑠香やアリアの事も気になるが、キンジの事も心配である。ヒステリア・ベルセによって超人的な力を発揮している状態のキンジだが、それが却ってあだとなっている可能性も否定はできなかった。

 

 その時、

 

「緋村ッ!!」

 

 背後から声を掛けられ、振り返る。

 

 そこには先行した筈のキンジと、そして

 

 シャーロックに浚われた筈のアリアが、少しばつが悪そうな顔で立っていた。

 

「アリア、無事だったんだ!?」

 

 彼女が、無事にこうして目の前に立っている事が純粋に嬉しかった。

 

「その、友哉・・・・・・」

 

 アリアは言いにくそうに、顔を背けながら口を開く。

 

「あ、あんたにも、その、迷惑、とか掛けたわね」

 

 ぎこちなく、言ってくるアリア。

 

 そんな彼女を不思議そうに眺め、友哉はそっとキンジに顔を近付けた。

 

「ちょっと、何かあったの、彼女?」

「さあな。何か拾い食いでもしたんだろ、ももまんとか」

「あ~・・・やりそうだね」

「アンタ達ッ 後で風穴!!」

 

 アリアは先程のしおらしい態度をかなぐり捨て、肩を怒らせながら1人でズンズン歩いていく。

 

 そんなアリアの様子に、2人は苦笑しながら、後に続いた。

 

 

 

 

 

第8話「激突する狼」      終わり

 



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第9話「決戦」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友哉達が入った部屋は、戦闘区画の一室らしく、巨大なICBMが立ち並ぶ広大な空間だった。

 

 数は8本。小国なら、壊滅させてもお釣りがくるレベルだ。

 

 ミサイル発射区画であるらしいその部屋は、ちょっとした体育館ほどの広さがある空間だった。

 

「何でなの・・・・・・」

 

 部屋の中を歩き、アリアは信じられないと言った面持ちで周囲を見回しながら呟いた。

 

「あたし、この部屋を見た事がある」

 

 その言葉に友哉とキンジは顔を見合わせ、次いでアリアに向き直った。

 

 思わず、彼女が錯乱してしまったのか、と疑い掛ける。ここは世界中の機関が血眼になっても、その片鱗すら掴めなかった秘密結社イ・ウー。その最深部である。いかにアリアと言えど、その内部を知っている筈がない。

 

「落ち着けアリア、そんな筈は無い。それは既視感って奴だ」

「見間違い、とかじゃないの?」

 

 だが、2人の言葉に、アリアは首を振る。

 

「違うわ、確かに・・・・・・見た事があるの。そして、あたしはここでキンジと会った事がある!」

「ありえん。少なくとも俺はこんな所に来た事がないからな」

 

 奇妙な事である。

 

 2人の人間が、互いに確信を持って真逆の事を言っている。

 

 単純に考えれば、アリアの勘違いと考えるのが妥当だが、彼女は半ば強迫的な表情で、自分の主張の正しさを訴えて来ている。

 

 そんな事を話していると、何もなかった筈の空間から、雑音混じりの音楽が聞こえて来た。

 

 古いラジオを聞いているような、そんな音は前に進む毎に大きくなっていく。

 

 クラシック音楽と思われるその音は、この秘密犯罪組織と言う場所に似つかわしくないような優雅さを持って、3人の耳に届いていた。

 

「・・・・・・モーツァルトの『魔笛』か」

 

 キンジが低い声で、曲名を呟く。ヒステリアモードになっている彼にとっては、こうした戦闘以外の知識をひき出す事も容易であるらしい。

 

 その時、

 

「音楽の世界には、和やかな調和と甘美な陶酔がある」

 

 ICBMの影から聞こえて来た声に、3人は足を止めて身構えた。

 

 アンプを繋いだ蓄音器を足元に置き、世界最高最強の名探偵、シャーロック・ホームズが、悠然と姿を現わした。

 

「それは僕らの繰り広げる戦いと言う混沌と、美しい対照を描く物だよ。そして、このレコードが終わる頃には、戦いの方も終わっているだろうね」

 

 相変わらず、講釈するような話し方の元、シャーロックは数歩だけ前に出て立ち止まった。

 

 緊張の面持ちで、友哉は刀の柄に手を掛け、キンジとアリアは銃を抜く。

 

 対してシャーロックは、ただ穏やかに微笑んで見せた。

 

「いよいよ、解決編。と言う顔をしているね。だが、それは早計と言う物だよ。僕は一つの記号、『序曲の終止線』に過ぎないからね」

「序曲?」

「そう、この戦いは、キンジ君とアリア君が奏でる協奏曲の序曲に過ぎない。僕の、この発言の意味は、直に判る事だろう。ところで、」

 

 言いながら、シャーロックは友哉に向き直る。

 

「その中で緋村友哉君。君と言う存在は、とても異質なんだ。何しろ、僕が何度推理しても、君と言う存在がこの場に現われてしまう。本来この場に立つべきは、僕と、キンジ君、アリア君の3人であるべきなのにね」

 

 そう言って苦笑して見せるシャーロック。その表情は、自身の推理に満足すると同時に、どこか諦念染みた雰囲気を感じさせるものだった。

 

 どうやら、全ての事を己の推理下におけるシャーロックと言えど、その全てを制御できる、と言う訳ではないらしい。

 

 予知できる。と言う事は即ち「万能」と言う訳ではない。「予測」ができても「回避」ができるとは限らないのだ。特に、自身が直接関与できない事に関しては、尚更その傾向が強いと言えるだろう。

 

 この場にあって、シャーロックにとっての最大のイレギュラー。それが友哉と言う事になる。

 

「と言う訳で、回避ができないなら、せめてその切っ先がこちらに向かないように、手を打たせてもらったよ」

 

 そう言ってシャーロックが自身の背後を指し示すと、ICBMの影から、小柄な少女が飛び出してきた。

 

「友哉君ッ」

 

 少女は戦兄に存在を見付けると、真っ直ぐにその胸へと飛び込んだ。

 

「瑠香ッ」

 

 友哉もまた、飛び込んで来た少女をしっかりと抱きしめる。

 

 たった1日、会わなかっただけだと言うのに、もう何年も離ればなれになっていたような感覚がある。

 

 ひとしきり抱擁を交わした後、友哉は確かめるように瑠香の顔を見る。

 

「怪我は無い?」

「うん。ひどい事とかは、されなかったから。けど・・・・・・」

 

 振り返る瑠香の視線を追う。

 

 そこには、

 

「お久しぶりですね、緋村君。ハイジャック以来ですか」

 

 いつの間に現われたのか、教授の傍らに立つ由比彰彦の姿があった。

 

 相変わらず、無表情の仮面を付けた顔を覗い知る事はできないが、その不気味な存在感は、あの大井コンテナ埠頭で対峙した時と比べて、聊かも変わっていない。

 

「教授。緋村君の相手は私がします。どうぞ、存分に本懐を遂げてください」

「ありがとう。君の友情には言葉も無いよ」

 

 そう言いながら、彰彦は友哉を見据えて前へと出る。

 

 これで友哉は、嫌でも彰彦と戦わざるを得ない。敵の中枢まで攻め込んだにもかかわらず、キンジ達の援護ができなくなってしまったのだ。

 

「友哉、お前はあいつをやれ」

 

 内心で歯咬みする友哉。

 

 そんな、迷いを見せる友哉に、キンジは強い口調でそう言った。

 

「でも、キンジ、シャーロックは強敵だよ」

 

 アリアとキンジの戦闘力の高さはしている。ましてか、今のキンジはヒステリア・ベルセ。通常のヒステリアモードよりも、高い戦闘力を発揮できる。

 

 しかし、それでも2人合わせてシャーロックに届くとは思えない。だからこそ、前衛として友哉が援護しようと考えていたのだが、その策は戦闘前に崩れてしまった。

 

 それを見越し、シャーロックはこちらを分断する作戦に出たのだ。まずはキンジと友哉、一馬を切り放し、更に一馬も切り離され、この戦場に姿を現わしていない。分断の策は完全に成功したと言える。

 

 時を超える名探偵にとって、たかだか17年しか生きていない学生武偵など、御するのはたやすいと言う事か。

 

「大丈夫よ」

 

 尚も不安の残る顔をする友哉に、アリアが自身に満ちた声で言った。

 

「武偵憲章1条『仲間を信じ、仲間を助けよ』。あんたはもっと、あたし達の事を信用しなさい」

「・・・・・・・・・・・・判った」

 

 頷く友哉。確かに、拘泥しても始まらない。既に火ぶたは切られたのだから。

 

 友哉は、傍らの瑠香を見詰める。

 

「瑠香は離れてて」

「友哉君・・・気を付けてね」

 

 心配そうに見上げて来る少女の頭を、そっと撫で、友哉は2人から距離を置くように横に歩く。

 

 それに合わせて、彰彦もまた移動を始める。その手には、一振りの日本刀が鞘に収まって握られている。彼の刀はANA600便で戦った時に友哉が折っているので、新しく用意したか、予備の刀を持って来たのだろう。

 

 彰彦のバトルスタイルは、一剣一銃のガンエッジ。戦闘時には正確な射撃と鋭い斬撃によって、距離に関係ない攻撃を仕掛けて来る。

 

 背後では、シャーロックとキンジ、アリアが話している声が聞こえて来る。

 

 戦闘開始前のピリッとした空気が、部屋全体に流れて来る。

 

 まずは、間合いを制する事。それが戦術の第一歩となる。その為の算段は、既にキンジ達と取りきめていた。

 

「瑠香を浚ったのは、この戦いの為の布石だったんですね」

「その通りです」

 

 仮面の奥で、彰彦は頷いて見せる。

 

「先程、教授が話した通り、彼の条理予知によると、どのような経過を辿っても、君がこの戦いに介入してしまう事は避けられない。条理予知は、正確無比。教授が起こると言った事は、必ず起こる事なのです。そこで、君と言う鋭い刃を逸らす為に、私と言う盾を用意した訳です」

 

 そう告げると、立ち止まる彰彦。

 

 それに合わせて、友哉もまた足を止める。

 

 対峙するのは3カ月振りとなる両者。

 

 未だ互いの剣は鞘に収まったまま、距離は20メートル強。

 

 いかに友哉のスピードでも、斬り込むのに若干の時間が必要であるのに対し、銃を使える彰彦にとっては既に攻撃可能圏内だ。

 

 作戦は予定通り。

 

 友哉は刀の柄に手を掛け、腰を落とし、斬り込む体勢を作る。

 

 対して彰彦も、腰を落として両腕を僅かに広げる構えを取る。あの体勢からなら、刀を抜くのも、懐の銃を抜くのも容易である。

 

 次の瞬間、

 

 室内に閃光が奔った。

 

 カメラのフラッシュを100個近く一斉に焚いたような閃光は、キンジが武偵弾を使ったのだ。

 

 金一から託された武偵弾のうち、1つは閃光弾(フラッシュ)と呼ばれる物で、効果は閃光手榴弾と同じだ。更に武偵弾の特徴として、銃を使わずとも起爆できる。

 

 キンジはシャーロックの目を欺く為に、銃を使わずに起爆させたのだ。

 

 その瞬間、

 

 友哉は動いた。

 

 接近、同時に抜刀。

 

 彰彦へと斬りかかる。

 

 迫る刃。

 

 しかし、

 

 ガキンッ

 

 彰彦は、自身も刀を抜き放ち、友哉の剣を防いで見せた。

 

「やりますね、閃光弾とは。しかも、一見ばらばらに戦っているように見せかけて、実は連携している。見事な戦術です」

 

 仮面の下で、彰彦は素直な称賛を述べる。

 

 仮面、そう、彰彦は仮面をしているのだ。

 

「クッ・・・・・・」

 

 友哉は僅かに舌を打つ。

 

 仮面をしていたおかげで、彰彦は閃光弾のダメージを食らわなかったのだ。

 

 だが、隙をついて距離を詰める事には成功した。

 

 友哉は鍔迫り合いの状態から、刀をスリ上げる。

 

 彰彦の胴が開いた。そこへ、刀を逆胴の要領で叩き込む友哉。

 

 だが、

 

「遅いッ」

 

 彰彦は素早く刀を返し、友哉の剣を防ぐ。

 

 攻撃を防がれ、友哉の動きが一瞬止まる。

 

 その瞬間を逃さず、彰彦は友哉の腹を蹴りつけた。

 

「グッ!?」

 

 彰彦の蹴りに、友哉は大きく後退しつつ膝をつく。

 

 その隙に、彰彦は懐から愛銃、グロック19を取り出して構えた。

 

 一瞬の照準の後、放たれる弾丸。

 

 しかし、その弾丸が捉えるよりも早く、友哉はその場から横へと跳び、回避に成功した。

 

 一剣一銃。彰彦の得意とする構図ができあがってしまった。

 

 チラッと、友哉はキンジ達の方に目をやると、未だに対峙は続いていた。どうやらシャーロックに閃光弾は効かなかったらしい。となると、後は力づくで、と言う事になる。

 

「どうしました、向こうが気になりますか?」

 

 尋ねる彰彦の声に、友哉は向き直る。

 

 刀と銃を構え、彰彦は友哉を仮面越しに睨んでいる。

 

「随分、余裕ですねッ!!」

 

 言い放つと同時に、突撃。斬り込んで来る彰彦。

 

 龍巻閃で迎撃。

 

 そう考え、体を捻り込もうとする友哉に向けて、彰彦は右手のグロックを2発放って来る。

 

 飛翔する弾丸は、真っ直ぐに友哉へと向かう。

 

「クッ!?」

 

 対して友哉は舌打ちしつつ、攻撃を諦めて回避行動に入る。

 

 1発を回避。更にもう1発を刀で弾く友哉。

 

 だが、体勢が崩れた所へ、彰彦が斬り込んで来る。

 

「ッ!?」

 

 とっさに防ごうと刀を立てるが、遅い。

 

 袈裟掛けに振るった彰彦の剣は、友哉の肩を切り裂いた。

 

 防弾制服などお構いなしに、鮮血が宙を舞う。

 

「クッ!?」

 

 肩にダメージを受ける友哉。

 

 状況は完全に彰彦のペースだ。一旦仕切り直す必要がある。

 

 とっさにすれ違うようにして、彰彦の横を抜ける。一旦距離を置くのが目的だが、この体勢では下手に後退すると追撃を食らう可能性もある。その点、交差するようにすれ違えば、相手との距離が詰まる分、危険ではあるものの、通り抜ければ互いに背中を向け合う形となる為、逆に安全である。

 

 着地し、刀を構え直す友哉。目論みは成功し、彰彦の追撃を振り切る事ができた。

 

 とは言え、

 

 距離を置きながら、友哉は自身の肩の傷に目をやる。生地の薄い夏服仕様とは言え、防弾線維をこうもあっさり切り裂くとは。

 

「その刀・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は彰彦の手にある刀を見ながら言った。

 

 直刃に表裏揃った湾れの波紋。静謐な美しさと剣呑な怪しさを備えた刀。その忌むべき名は・・・・・・

 

「村正・・・・・・」

 

 元は伊勢の国、桑名に生を受けた千子村正と言う名工の手による刀の事を指すが、いつの頃からか、それは忌むべき名として知られるようになった。

 

 曰く「呪われし妖刀」

 

 曰く「徳川に仇成す刀」

 

 徳川家康の祖父、徳川清康は僅か10年で三河一国を統一した剛の者で、「30まで生きていれば必ずや天下を取る」とまで言われていたが、25歳の時、父親を殺されたと勘違いした家臣に斬られて命を落とす。この時に使われていた刀が村正であった。

 

 これが、妖刀伝説の始まりである。

 

 家康の父、広忠が泥酔した家臣に斬殺された時、その家臣が使った刀も村正。

 

 織田信長に謀反の疑いを掛けられた、家康の長男 信康が切腹する事になったが、この時に介錯に使われた刀も村正。

 

 家康の正妻 築山御前が殺害された際に使われた刀も村正。

 

 更には関ヶ原で戦功を上げた武将が、論功行賞の際、家康に乞われて自らの槍を披露した際、うっかり手を滑らせて落とし、その刃が家康の手を傷付けてしまった。この時の槍もまた村正の手による物だった。

 

 こうした一種、呪詛染みた噂が流布し、「村正妖刀伝説」が作り上げられていった訳である。

 

 二度に渡る大阪の陣において豊臣側の主将として参戦し、一度は家康の首を取る寸前までいった武将、真田信繁こと、真田幸村。更には幕末の維新志士達と言った、徳川家に仇成す者達は、皆好んで村正を愛用したと言う。

 

 そしてもう1人、戦国の世が終わり、日々の生活に苦しむ狼人達を見かね、御政道を正そうと慶安の変を起こし、徳川打倒を掲げた軍学者 由比正雪もまた、村正を愛用していた1人として知られている。

 

「先祖伝来の刀です。君と戦うからには、これくらいの装備が必要でしょう」

 

 そう言って、切っ先を友哉に向ける彰彦。

 

 新井赤空、千子村正と言う、世に名の知れた二大刀匠の手による刀を持つ2人が対峙する。

 

 その時、

 

 ドォォォォォォォォォォォォォォォン

 

 凄まじい轟音と共に、熱風が吹き荒んだ。

 

 思わず友哉も、彰彦も振り返る。

 

 そこには巨大な炎が湧きあがり、シャーロックを包み込んでいる光景が見えた。

 

 キンジが金一に託されたもう1つの武偵弾、炸裂弾を使ったのだ。

 

 思わず、唖然とする。

 

 その凄まじい力は、もはや小型の気化爆弾と呼べるレベルである。

 

「これなら・・・・・・」

 

 いかにシャーロックが超人でも、人間である事には変わりない筈。これだけの火力に包まれて無事である筈がない。

 

 そう思った時、

 

「さて、どうでしょうねえ?」

 

 落ち着き払った彰彦の言葉が、不気味に響く。

 

 次の瞬間、

 

 炎を断ち割り、シャーロックは姿を現わした。

 

 その雰囲気が、先程までと大きく異なっている。

 

 重傷を負っているのは判る。だが、その雰囲気は、先程よりも更に強大に変化している。

 

「まさか・・・・・・ヒステリアモード・・・・・・」

 

 ヒステリア・アゴニザンテ。死に際のヒステリア。

 

 カナ、いや、金一がイ・ウーにいたのだ。その技術は伝わっていてもおかしくない。現に。ランドマークタワーで戦ったブラド、小夜鳴はヒステリアモードを使っていた。シャーロックが同じ事ができる事も頷ける。

 

「さて、あちらはあれで良いでしょう」

 

 彰彦は、改めて友哉に向き直る。

 

「そろそろ、決着を着けましょう」

「・・・・・・そうですね」

 

 そう言うと、彰彦は村正とグロックと掲げるように構える。

 

 対して友哉は、右手一本で逆刃刀を弓を引くように構え、左手は寝かせた刃を支えて持つ。

 

 次の瞬間、仕掛けたのは友哉だった。

 

 神速の接近と同時に、体を沈み込ませ、攻撃態勢に入った。

 

 刹那の間に、斬り上げる。

 

「飛天御剣流、龍翔閃!!」

 

 振り上げられる刃。

 

 しかし、

 

「甘いッ!!」

 

 彰彦は友哉の剣の軌跡を見切り、紙一重で龍翔閃を回避して見せた。

 

「その技はハイジャックの時の食らいました。同じ技を2度食らう私ではありませんよ」

 

 斬り上げの為に体が大きく伸び切り、隙を作ってしまった友哉。

 

 対して彰彦は、右手を持ち上げてグロックの照準を付ける。

 

「ッ!?」

「残念です、緋村君。君には、もう少し期待していたんですけど」

 

 仮面の奥で、彰彦の目が鋭く光る。

 

 友哉はとっさに回避しようとするが、彰彦の照準から逃れるには圧倒的に時間が足りない。

 

 一種のスローモーションのように流れる視界の中、放たれた銃声は3発。

 

 その全てが、無防備に立ち尽くす友哉の胸へと吸い込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一同が見守る中で、友哉の体がゆっくりと床に沈むのが見えた。

 

 至近距離から3発もの銃弾を食らったのだ。無傷である筈がない。もしかしたら、防弾制服を貫通したかもしれない。

 

「友哉君ッ!!」

 

 悲鳴その物の、瑠香の叫び。

 

 彼女の見ている前で、友哉は床に倒れ動かなくなる。

 

 瑠香の悲痛な叫びにも、友哉が起き上がって来る気配は無い。

 

「友哉君・・・・・・」

 

 友哉が、

 

 戦兄であり、幼馴染であり、

 

 そしてとっても大好きだった少年が、

 

 負け、た?

 

「友哉・・・・・・君・・・・・・」

「待ちなさい瑠香ッ!!」

 

 フラフラと友哉の方へ歩いて行こうとする瑠香を、アリアが止めに入る。先程の閃光弾の衝撃から、まだ立ち直っていないらしく、アリアの足はふらついており、手さぐりに近い形で瑠香の袖を掴んで引き戻している。

 

 このまま彼女が彰彦に挑みかかっても、返り討ちにあう事は目に見えている。行かせる事はできなかった。

 

 だが、掴んだアリアの手を振り払うようにして、瑠香は更に前へ出ようとする。

 

「放して・・・・・・」

「あんたが行っても、敵う相手じゃないわ!!」

「放してッ」

 

 瑠香はアリアよりも背が高く、止めに入った場合、アリアの方が引きずられるような形となってしまう。

 

 それでもアリアは、渾身の力を込めて瑠香を引き留める。

 

「落ち着きなさい。友哉はまだ負けてないわッ」

「・・・・・・え?」

 

 アリアの言葉に、瑠香は足を止めて振り返る。

 

「よく見なさい」

 

 アリアはまだ良く見えない目をこらし、倒れた友哉を指差す。

 

 そこで、瑠香も気付いた。

 

「あ、あれは・・・・・・」

 

 倒れて力尽きた筈の友哉は、まだ逆刃刀を握りしめている。

 

 力強く握られた拳は、未だに自身の恃む刀を離さず、無意識のうちにも闘争心を放っているのが見て取れた。

 

 まだ負けていない。友哉は意識を失いながらも、まだ戦っているのだ。

 

「アンタも、友哉の戦妹なら、もっとアイツの事を信用しなさい」

「はい・・・ごめんなさい」

 

 アリアに叱咤され、瑠香は目を伏せる。アリアは戦妹の自分などより、ずっと友哉の事を理解し、信用している。その事が、とても恥ずかしかった。

 

 その時、

 

 ギィン

 

 金属がこすれ合うような音と共に、シャーロックと対峙していたキンジが後退して来るのが見えた。

 

「キンジッ」

「野郎、やりやがる」

 

 流れ出た汗を拭い、キンジは尚も闘争心を失わない瞳でシャーロックを睨みつける。

 

 対するシャーロックは余裕の表情のまま、手にはいつの間に抜いたのか一振りの長剣を構えていた。

 

 先程の武偵弾による攻撃で破けたシャツとジャケットを脱ぎ捨てた姿は、引き締まった筋肉質をしており、鍛え抜かれた体操選手を思わせる。

 

 その時、突然、地鳴りのような音と共に、床が揺れる振動が伝わってくる。

 

 見れば、立ち並ぶICBMから白煙が噴き出している。発射態勢に入っているのだ。

 

 何をするつもりなのかは知らないが、嫌な予感しかしなかった。

 

「もう時間がないようだ。1分で終わらせよう」

 

 そう言って、長剣スクラマ・サクスを構えるシャーロック。古代西洋において一般的に使われていた剣だが、その性質は普通の西洋剣よりも、むしろ日本刀に近く、破壊力よりも切れ味を優先して作られている。

 

「気が合うな。こっちもそのつもりだ」

 

 不敵にそう呟き、キンジもバタフライナイフを開いた。

 

 その時だった。

 

 

 

 

 

「1分もの時間が必要か?」

 

 

 

 

 

 不敵に発せられる声。

 

 次の瞬間、煙を突き破り、

 

 牙狼が、世界最高の名探偵に牙を剥き出した。 

 

 

 

 

 

第9話「決戦」      終わり

 



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第10話「緋色の講釈」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パァン と言う弾ける音が、室内にこだまする。

 

 疾走する一馬、その剣先から水蒸気が迸り、突撃の速度は音速を超えた。

 

 狙うはシャーロック・ホームズの首。

 

 世界最高の名探偵を食い千切るべく、狼の末裔はその牙をむき出しにし、更に加速する。

 

 その目指す先には、立ち尽くすシャーロックの姿。

 

「シャーロック・ホームズ、その首貰ったぞ!!」

 

 咆哮を上げる牙狼。

 

 その切っ先は鋭い牙と化し、シャーロックへと迫る。

 

 対してシャーロックは黙したまま、迫る一馬を見据えながら立ち尽くしている。

 

 と、シャーロックはスラックスのポケットに手を入れ、そこに入れておいた何かを取りだすと、それを空中にばらまいた。

 

「あれはッ!?」

 

 その光景に、思わず声を上げるキンジ。

 

 ベルセによって強化された視力は、空中に浮かぶその物体が何であるか的確にとらえている。

 

 それは空中に浮かび、鈍く光る無数の鉄釘。その細長い切っ先は、例外なく突進してくる一馬へと向けられている。

 

 あの《鮮血の伯爵夫人》エリザベート・バートリが使っていた能力だ。

 

 エリザベートはイ・ウーの構成員ではなかったが、そんな彼女の技までシャーロックは使えるらしい。恐らくはブラドから聞いていたと考えられるが、それだけで他人の技を再現するあたり尋常ではない。

 

 一斉掃射される鉄釘。

 

 その一撃一撃が、突進する一馬に突き刺さって行った。

 

「クッ!?」

 

 体中に無数の釘を受け、動きを止める一馬。

 

 その攻撃だけで、牙突の突進力は失われてしまう。

 

 さしもの一馬であっても、散弾に等しい攻撃を前にしては動きを止めざるを得なかった。

 

 その様子に、シャーロックは満足そうに微笑む。

 

「僕の推理通りだね」

 

 あくまでも予定調和であると、シャーロックは語って見せる。

 

「斎藤君。君の家系は先祖代々、潜入や暗殺を請け負う事が多かった。新撰組、軍の特殊部隊、そして公安警察。その君が僕の首を取りに来るとしたら、必ずや奇襲を仕掛けて来ると読んでいたよ。結果は、この通りだね」

 

 条理予知と言う稀代の推理力を前にしては、狼の牙ですら彼の者に届かない。

 

 だが、

 

「フンッ・・・・・・」

 

 一馬は血まみれの体を引きずって立ち上がり、再び刀を持ち上げて牙突の構えを取る。

 

 その目に宿る殺気の輝きには、聊かの陰りも見られない。

 

 まだ、戦う気なのだ。

 

「やれやれ、まだ来るのかい?」

「愚問だなッ」

 

 言い放つと同時に、空中高く飛び上がる一馬。

 

 友哉の龍槌閃よりも高く飛び上がった一馬。その切っ先が、シャーロックへと向けられる。

 

「牙突・弐式!!」

 

 急降下の勢いに乗せられて放たれる突き。

 

 だが、

 

「フム、鋭いね」

 

 落ち着き払ったシャーロックの声。

 

 同時に、一馬の動きを見切り、後方に跳躍して回避する。

 

 対して、

 

「逃がすかッ!!」

 

 一馬は着地と同時に、追撃の体勢に入る。

 

 構えは再び牙突。しかし、視線は尚も跳躍中のシャーロックを見据える。

 

 瞬間、一馬もまたシャーロックを追って跳躍する。今度は相手も跳躍中、回避する事はできない。

 

「牙突・参式!!」

 

 切っ先を上に向け、跳躍中の敵を狙う、言わば対空用の牙突。射程こそ、壱式、弐式に比べるとどうしても短くなってしまうが、鋭さと威力においては何ら劣ってはいない。

 

 その斎藤の攻撃を前に、シャーロックは僅かに驚いた様子を見せた。

 

 その切っ先がシャーロックを捉えるかと思った瞬間、

 

 シャーロックのスクラマ・サクスが、鋭く一閃された。

 

 交錯する一瞬の一撃。

 

 それだけで、一馬の胸元が斬り裂かれた。

 

「グッ!?」

 

 床へ降り立つ両者。

 

 だが、片や自らの足で立ち、片や膝を突いている者。その勝敗は明確に分けられていた。

 

「大した物だね、君は」

 

 肩を竦め、シャーロックは素直に感心したように言う。

 

「杉村君を相手に戦ったんだ。君も無傷ではないだろう。にもかかわらず、これだけの攻撃ができるんだからね。もし万全の状態の君が相手だったら、僕でも危なかったかもしれない」

 

 既に満身創痍の様相となった一馬。

 

 だが、それでも尚、立ち上がる。

 

 新撰組隊規一条「士道に背くあるまじき事」。既に新撰組は崩壊し、過去の歴史の中にのみ存在している。しかし、そこで培われた精神は、子孫たちの血の中へと宿り、今も脈々と受け継がれている。

 

 再び牙突の構えを取る一馬。

 

 そんな一馬の前に、彰彦がシャーロックを守るように進み出た。

 

「教授、彼の相手は私が」

 

 友哉をほぼ無傷で倒した彰彦は、自らの持つ全てを掛けてでも、この手負いの牙狼を押しとどめようとしているのだ。

 

 教授の大願を成就させる。それが仕立屋としての彰彦の仕事であり、彼がイ・ウーに居続けた理由でもある。

 

「頼むよ」

 

 信頼すべき部下であり、友でもある男にそう言い置くと、シャーロックは背を向けてキンジ達の方へと向き直る。彼自身に、既に時間が無くなりつつある。これ以上の遠回りは時間の無駄だった。

 

 一馬と彰彦。

 

 互いに剣の切っ先を向け合い、無言のまま対峙する。

 

 キンジもまた、再びシャーロックと対峙する。

 

「これが、最後だね」

「ああ、そうだな」

 

 互いに言葉を交わす、キンジとシャーロック。

 

 その時、

 

「じゃあ、僕も、乗り遅れる訳にはいかないね」

 

 キンジの背後から、絞り出すような声と共に人が立ちあがる気配がした。

 

 一同がそちらへ向き直り、同時に彼の戦妹である少女が歓喜の声を上げる。

 

「友哉君ッ!!」

 

 緋村友哉は、束縛を払うかのように、渾身の力で起き上がろうとしていた。

 

 その様子に、彰彦は思わず、仮面の奥で目を剥いた。

 

「・・・・・・・・・・・・しまった」

 

 本来なら、友哉を押さえるのが彼の役割だった筈。その為に、彰彦はこの場に残ったのだ。

 

 だが、今の彼は、一馬と対峙している身。友哉を押さえる為には、一馬に背を向けなくてはならない。そして、それがどれほど危険な事かは、今更考えるまでも無かった。

 

 《仕立屋》由比彰彦は、この最終局面において、痛恨の判断ミスをしたと言える。

 

「・・・・・・申し訳ありません、教授」

 

 悔恨を言葉にする彰彦。

 

 対してシャーロックの方は、どこか諦念を滲ませる言葉で返した。

 

「仕方がないさ。彼は、この場にあって紛う事無きイレギュラー。どうやら、僕の条理予知は完璧に過ぎたようだ」

 

 八方手を尽くし、謀略に次ぐ謀略を仕掛け、罠に罠を重ねて尚、この未来を回避する事ができなかった。

 

 友哉がこの場に介入する。その未来を変える事は、稀代の名探偵であっても不可能だったのだ。

 

 イレギュラーは除き切れないからこそイレギュラーと言うべきか、ついに、キンジと友哉は、自分達の間合いの中にシャーロック・ホームズを捉えていた。

 

「キンジ、2人で掛かるよ」

 

 彰彦は一馬と対峙している。こちらに介入する事はできない筈。

 

 ならば、今こそ、キンジと友哉が同時にシャーロックに仕掛ける好機であった。

 

「お前と組むのは1年の時以来か。足引っ張るなよ」

「そっちこそ」

 

 互いに笑みを交わす。

 

 互いに感じる友情と、それ以上に感じる信頼でもって、2人の武偵は最後の戦いに臨む。

 

「友哉君・・・・・・」

「キンジ・・・・・・」

 

 瑠香とアリア、2人の少女がそれぞれ、戦場に赴く2人の少年を見守る。

 

 これが、最後の激突だ。

 

 友哉は逆刃刀を正眼に構え、キンジはバタフライナイフを開いて構える。既に弾丸切れのキンジにとっては、これが最後の武器である。

 

 見れば、一馬もまた牙突の構えを取り、一剣一銃(ガン・エッジ)を構えた彰彦と対峙する。これで、彰彦が戦線に介入してくる事は無い筈だ。

 

 そしてシャーロックが、

 

 史上最高最強の名探偵もまた、スクラマ・サクスを構えて迎え撃つ体勢を整える。

 

 沈黙が舞い降りる。

 

 ICBMの奏でる振動以外、何の音も聞こえない。

 

 次の瞬間、

 

 友哉が仕掛けた。

 

 上空高く飛び上がり、刀を大上段に振り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほぼ同時に、一馬もまた仕掛ける。

 

 刀の切っ先を彰彦へ向け、一気に疾走する。

 

 牙突。

 

 愚直なまでに、ただ一つの事を追い続け、昇華した必殺剣。

 

 それはある種の鉄壁と言う言葉にも似た、頑なさでもって、一本の牙を形成している。

 

「オォォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 放たれた牙は、しかし彰彦を捉える事は無い。

 

 彰彦は刃が届く直前、空中に飛び上がって回避したのだ。

 

「なかなかなの突き技ですが、やはり教授の言うとおり、傷による減衰は避けられないようですね」

 

 振り下ろすように向けるグロックの銃口。

 

 しかし、その瞬間、彰彦は見た。

 

 再び牙突の構えを取った一馬が、自分に向かってくるのを。

 

 牙突・参式

 

 対空用の牙突が、仮面の剣士に襲い掛かる。

 

「クッ!?」

 

 照準を付けている暇は無い。

 

 とっさに攻撃を諦めると、彰彦は一馬の剣を防ぎに掛る。

 

 切っ先を逸らされ、横に流れる牙突。

 

 しかし、

 

「それで防いだ心算か!!」

 

 叫ぶ一馬。

 

 次の瞬間、突き技は横薙ぎに変換され、彰彦に食らいつく。

 

 牙突に死角は無い、とはこういう事だ。仮に一撃目を回避されても、すぐに横薙ぎに変換できる事こそ、この技の強みだった。

 

「クッ!?」

 

 防弾スーツで、斬撃は防いだものの、それでも鉄棒で殴られたような衝撃が、彰彦に襲い掛かる。

 

 姿勢を保てず、墜落するように床に降り立つ彰彦。

 

 一馬もまた、床に足を付き、牙突の構えを取る。

 

「クッ・・・・・・」

 

 その様子を見て、彰彦は舌打ちする。

 

 手傷を負った事で、戦力低下を期待していたのだが、とんだ間違いだった。

 

 目の前の男は、文字通り手負いの狼。傷を負った事で、その凶暴性を増している事は間違いない。

 

「これは・・・・・・厄介な事になりましたね」

 

 仮面の奥で呟きながら、彰彦は僅かに視線を外へ向ける。

 

 そこでは、シャーロックと、キンジ、友哉が死闘を繰り広げていた。

 

 

 

 

 

「飛天御剣流、龍槌閃!!」

 

 振るわれる、上空からの一閃。

 

 雷霆の如く、振り下ろされた一撃は全てを砕く、文字通りの鉄槌と化す。

 

 しかし、

 

 その一撃を、シャーロックは、頭上に長剣を掲げる事で、その場から動かずに防ぐ。

 

「クッ!?」

 

 先制攻撃を片手で防がれ、友哉は舌を巻く。シャーロック・ホームズは西洋剣術においても達人の腕前を誇ったと言うが、その逸話は決して誇張ではなかった。

 

 だが、今の友哉には、頼るべき仲間がいる。

 

「ウオォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 バタフライナイフを掲げて、キンジが突貫して来る。

 

 速い。

 

 神速を発揮した友哉に、勝るとも劣らない動きだ。

 

 だが、友哉には見えていた。

 

 短期未来予測を発動した友哉には、3秒後の世界が手に取るように分かる。

 

 この後、キンジの攻撃を防ぐべく、シャーロックは友哉を振り払い、彼に剣を向ける筈だ。

 

 ならば、と、友哉はシャーロックに先んじて動く。

 

 龍槌閃を防がれた状態から、まだ体が空中にあった友哉は、シャーロックのスクラマ・サクスを支点代わりにして、そのまま前転するようにして空中で縦回転、シャーロックの背後へと躍り出た。

 

 タイミングは完全。友哉とキンジは前後でシャーロックを挟撃する位置に立った。

 

 同時に、体を大きく捻り、刀を繰り出す。

 

「飛天御剣流、龍巻閃!!」

 

 キンジの突きと、友哉の一閃が同時にシャーロックへ迫る。

 

 しかし、

 

 次の瞬間には、友哉とキンジは同時に目を剥く。

 

 シャーロックはキンジのナイフをスクラマ・サクスで防ぎ、友哉の刀を素手で止めているのだ。

 

 神速に近い、2つの攻撃を同時に防いで見せたシャーロック。その技量は、最早驚嘆の言葉を通り越して神業と称していいだろう。

 

 微笑を浮かべる名探偵。

 

 まだまだ甘いね。そんな言葉が聞こえてきそうな笑顔だ。

 

「なめ、」

「るなぁッ!!」

 

 2人の武偵は同時に叫び、次の攻撃に移る。

 

 友哉は刀を右手一本でもち、左手は刃を支えるようにして斬り上げる。

 

「飛天御剣流、龍翔閃!!」

 

 繰り出される高速の切り上げ。

 

 至近距離に近い一撃だが、シャーロックは体をのけぞらせる事で難なく回避して見せた。

 

 だが、

 

 友哉は跳びあがりながら、状況を見極める。

 

 龍翔閃を回避される事は、予想済み。

 

「ウオォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 友哉の攻撃を回避して、体勢が崩れたシャーロックへ、キンジが斬りかかる。

 

 突き込まれるナイフ。

 

 今度こそ貰ったか。そう思った時、

 

 ガキンッ

 

 殆ど体勢が崩れているにもかかわらず、シャーロックはキンジのナイフを長剣で防いでいた。

 

「甘いね。2人掛かりで、この程度かい?」

 

 まるで格闘技の稽古を付けているかのような気軽さで、シャーロックは言って来る。

 

 そこへ、

 

「動きが止まっているよ!!」

 

 友哉が刀を八双に構えて斬り込む。

 

 間合いに入ると同時に、鋭い斬線が無数の軌跡を描き、視界が縦横に裁断される。

 

「飛天御剣流、龍巣閃!!」

 

 乱撃の嵐が、立ち尽くすシャーロックを包囲、一斉に殺到する。

 

 捉えたか?

 

 そう思った瞬間、

 

「君も、動きが止まっているよ」

 

 静かに聞こえる声の方角は、

 

「後ろッ!?」

 

 いつの間にか背後に回り込んだシャーロックが、スクラマ・サクスを振り上げている。恐らく、一瞬で縮地を発動し、友哉の攻撃圏内から逃れると同時に背後に回り込んだのだ。

 

 回避は、できない。防御も無理。

 

 短期未来予測が、冷酷な事実を突きつける。

 

 だが、同時に別の未来を友哉に見せる。

 

「らァッ!!」

 

 放たれた回し蹴りが、一瞬、シャーロックの残像を捉えた。

 

 しかし、その時にはシャーロックは既に大きく後退しており、空振りに終わる。

 

 シャーロックが剣を振り下ろすよりも早く、キンジが回し蹴りを食らわせたのだ。

 

「チッ、素早いな」

「茉莉の技を使えるんだもん。これくらいは当然だよ」

 

 キンジの横に並びながら、友哉は答える。

 

 あれだけの猛攻を受けているにもかかわらず、シャーロックは息一つ乱していない。

 

「ったく、奴は本当に150歳の爺さんなのかよ?」

「少なくとも、敬老会に入るような人じゃないのは確かだね」

「違いない」

 

 この程度の軽口を叩くくらいには、2人もまだ余裕があった。

 

 その時だった。

 

 突然、鋭い痛みが友哉の脇腹を、そしてキンジの肩を襲った。

 

「これはッ!?」

「銃撃ッ!?」

 

 傷口を押さえながら、呻く2人。

 

 しかし、その攻撃は銃撃ではない。正体は、高圧縮した水の矢。シャーロックは超能力で水を操り、遠距離から攻撃を仕掛けて来たのだ。

 

「クッ!?」

 

 友哉はすぐさま、脳内で自身の情報を更新し、短期未来予測を発動させる。

 

 飛んで来る水の矢の軌跡を見極め、上空へ跳躍。刀を振り上げる。

 

 しかし、

 

「甘いよ」

 

 静かに囁くシャーロックの声。

 

 次の瞬間、何かが対空砲のように打ちだされ、上空に跳躍中の友哉を捉えた。

 

「クッ!?」

 

 撃墜され、床に膝をつく友哉。

 

 今度は水ではない。

 

 友哉を攻撃した物の正体は、風。恐らくは鎌鼬と思われる。

 

 氷、水、風。様々な属性の超能力まで使いこなせるシャーロック。この分で行けば、他の属性も押さえている事だろう。

 

 一方の友哉とキンジは、多少人間離れしている面はあるが、基本的に一般人と変わりは無い。まともな激突では圧倒的に不利である。

 

 だが、

 

 友哉は尚も立ち上がる。

 

 この程度の不利など、初めから織り込み済みだ。今更拘泥に値するものではない。

 

 友哉が立ち直るまでの間、キンジがシャーロックと対峙しいている。

 

 だが、やはり1対1では実力差は歴然であり、キンジが一方的に押し込まれている。

 

 シャーロックに一撃を、キンジが紙一重で回避している光景が見えた。

 

 友哉はホルダーから鞘を外すと、刀を収めて構えた。

 

「キンジ、避けて!!」

 

 言いながら疾走。一気にシャーロックとの間合いを詰める。

 

 キンジが破かれた防弾ベストを脱ぎ捨てながら、後退するのを確認し、友哉は仕掛ける。

 

「飛天御剣流抜刀術、双龍閃!!」

 

 鞘走る一閃。

 

 その一撃が、とっさに防御にかかったシャーロックの剣を捉える。

 

 抜刀の速度を上乗せした一撃に、思わずシャーロックはスクラマ・サクスを弾き飛ばされ、体は跳ねあげられたように大きく開く。

 

 その胴めがけて漆黒の一撃。鉄拵の鞘が迫る。

 

 そして、

 

 バキィッ

 

 シャーロックは、その一撃を素手で押さえて見せた。

 

「なっ!?」

 

 驚愕に友哉の顔面が染まる。

 

 あれだけ完璧なタイミングで放った一撃を、いともあっさりと防がれるとは思わなかった。

 

 素早く切り変える。

 

 友哉は追撃が来る前に、大きく後方に跳躍してシャーロックから距離を取った。

 

「まだ、行けるか?」

「当然」

 

 傍らに立って問い掛けるキンジに、友哉は答える。とは言え、強がってはみたものの、既に友哉の体は満身創痍に近い。

 

 アンベリール号甲板でのゴレム戦に始まり、パトラ戦、彰彦戦、そしてシャーロック戦と連戦続きである。体力的にも限界が来ている。

 

 これ以上の長期戦は、不利になる一方だった。

 

 その時だった、

 

 それまで室内に流れていたモーツァルトの「魔笛」が、華麗なソプラノパートの独唱(アリア)へと変化した。

 

 それと同時に、2人と対峙していたシャーロックの表情も硬い物に変じる。

 

「このオペラに入る頃には、君達を沈黙させている筈だったんだけどね。流石だよ、キンジ君。友哉君。君達は、僕の条理予知を完璧に狂わせてしまった。流石にHSS、そしてイレギュラー、と言っておこうか。つまり、僕は生れて初めて、推理に失敗したと言う事だ。君達は称賛されるべき男達だよ」

 

 そう言って、肩を竦めるシャーロック。だが、自分の推理を外されたにもかかわらず、その仕草はどこか嬉しそうだ。自分の予測が追いつかなかった、と言う初めての経験を楽しんでいるようにも見える。

 

「俺は、アンタに認められるような人間じゃないさ。ただの高校生さ。偏差値低めで、ちょっと荒っぽい学校のな」

 

 そう言うと、キンジはバタフライナイフを閉じ、ポケットに収めた。

 

「キンジ?」

 

 訝る友哉、そしてシャーロックに対し、キンジは肩をすくめてみせる。

 

「この戦い、アンタが2対1の勝負を受け入れた時点で既にフェアじゃなかった。だから、これで貸し借りは無しだ」

 

 剣を失ったシャーロックに対し、武器を使うのはフェアじゃない。キンジはそう言いたいらしい。

 

 そんなキンジを見て、友哉は溜息交じりに呟く。

 

「・・・・・・妙な所で律儀だよね、キンジって」

 

 と、言いつつ、自分も逆刃刀を鞘に収める。キンジがそう言うのなら、自分も合せようと言う気になっていた。

 

 そんな2人の様子を見て、シャーロックは少し照れたのか、顔を赤くしているのが見えた。

 

 やはり血筋と言うべきか、そんな仕草はアリアそっくりである。

 

「否定されたが、繰り返し言おう。君達は大した快男児だよ。僕がこんな気分になったのはライヘンバッハ以来だ」

「バッハじゃ無くて、モーツァルトだろ、この曲は」

「・・・・・・・・・・・・キンジ」

 

 友哉は呆れ気味に溜息をつく。どうしてここでボケるかな、この男は。

 

 ライヘンバッハとは、シャーロック・ホームズが宿敵ジェームズ・モリアーティ教授と最後の対決に及んだ滝がある場所であり、一度は彼の最後の地と呼ばれた場所でもある。その後、奇跡的に生還を果たしたシャーロックは、見事に宿敵を下し、その後も探偵として数々の難事件に挑んで行く事になる。

 

 その事が妙にツボだったらしく、シャーロックは噴き出していた。

 

「キンジ君、友哉君。戦いの中で言うのは不適切かもしれないが、僕は君達が本当に気に入った。できればここからは、君達と素手での戦いに興じたいところだが・・・・・・申し訳ない。この独唱曲は、最後の抗議「緋色の研究」についての講義を始める時報なのだよ。紳士たる者、時間にルーズであってはいけないからね」

 

 「緋色の研究」と言えば、シャーロックが世に出るきっかけとなった事件に由来するが、それが今、何の関係があるのだろうか。

 

 そんな事を思っている時だった。シャーロックの体が、淡く光り出したのだ。

 

 何か仕掛けて来る気か。そう思った友哉は、刀の柄に手を当てる。

 

「僕がイ・ウーを統率できたのは、この力があったからだ」

 

 オーラのような光を身に纏い、シャーロックは語り始める。

 

 その光は、あのパトラ戦の終盤でアリアが使った謎の光に似ていた。

 

「だが、僕はこの力を不用意には使わなかった。『緋色の研究』。緋弾の研究が未完成だったからね」

 

 そう言ってシャーロックが取り出したのは、大英帝国陸軍がかつて使用していた45口径ダブルアクション拳銃アダムス1872・マークⅢだ。

 

「あの『緋弾』を、お前も撃てるのか?」

「君が言っているのは、恐らく違う現象の事だろう。アリア君がかつて指先から撃ったのは、正確には緋弾ではなく、古の倭詩で『緋天・緋陽門』と言う、緋弾の力を用いた一つの現象に過ぎない」

 

 そう言うと、シャーロックはマガジンから1発のみ入っていた弾丸を取り出した。その弾丸は、見事なまでの緋色をしており、まるで炎をそのまま削り出したような印象を受ける。

 

「これが『緋弾』だよ。いや、形は何でも構わない。日本では、緋々色金と呼ばれている、ようは金属なのだからね。理子君が持っていた十字架にも、これと同種の金属を微量に含む色金合金だ。つまりイロカネとは、あらゆる超能力がまるで児戯に思えるような、偉大なる超常の力を人間に与える物質、言わば『超常世界の核物質』なのだ」

 

 確かに、理子はあの十字架を持っている時だけ、髪を操った攻撃ができた筈。

 

 つまり緋弾とは、超強力な超能力を発揮できる未知の金属と言う事になる。

 

 だが、まだ謎は残っている。なぜ、色金を持たない筈のアリアが、パトラ戦であの光を放つ事ができたと言うのだ?

 

「世界は今、新たな戦いの中にある」

 

 シャーロックは、講釈を続ける。

 

「色金の存在と力が次第に明らかになり、極秘裏に研究を進められているのだ。僕の『緋色の研究』のようにね。イ・ウーだけじゃない。アジア大陸北方の『ウルス』、香港の『藍幇』、僕の祖国、イギリスでは世界一有名なあの結社も動いている。他にもイタリアのバチカンやアメリカのホワイトハウスのように、国家が研究を支援しているケースもたくさんある。日本でも宮内庁が、君達の高校に星伽の・・・・・・いや、これは少々口が滑ったかな・・・・・・そして、僕のように高純度で質量の大きい色金を持つ者達は、互いに色金を狙いつつも、そのあまりに甚大な力に、互いに手出しできない状態になっているのだ」

 

 そう言うと、シャーロックは緋弾をマガジンに戻した。

 

「さて、この弾を使用する前に、もう一つ、お見せしようか」

 

 そう言って掲げたシャーロックの指先が、緋色に輝き始めた。

 

「これだろう、君達が見た現象は」

 

 その光が徐々に収束していく。

 

 まずい・・・・・・

 

 友哉は額に冷や汗が滲むのを感じた。

 

 あの一撃は戦艦の艦砲射撃に匹敵する。まともに食らえば、まず骨すら残らず消滅してしまうだろう。

 

 見れば、それまで剣を交えていた一馬と彰彦も、戦う手を止めて、その現象を眺めている。

 

「ゆ、友哉君、あれ、何?」

「キンジ・・・・・何が、起きてるの?」

 

 瑠香とアリアも、怯えた様子でその現象を見守っている。

 

 友哉とキンジは、少女達を庇うように前へ立ちふさがる。無駄な努力かもしれないが、それでも彼女達を守る為に、最後まで戦いたかった。

 

 その時

 

「・・・・・・な・・・何、これ?」

 

 戸惑うように、背後から聞こえるアリアの声。

 

 そこには、シャーロックと同じように、体に光を纏ったアリアの姿があった。その光もまた、徐々に彼女の指先へと収束していく。

 

「アリア君、それは『共鳴現象(コンソナ)』だ。質量の多い色金同士は、片方が覚醒するともう片方も目を覚ます性質がある。その際、色金を用いた現象も共鳴するのだ。今、僕と君の指先が光っているようにね」

 

 言いながらシャーロックは、光る指先を構える。

 

「アリア君。僕はこの光弾『緋天』を今から君達に撃つ。それを止めるには、同じ『緋天』を衝突させる事のみだ。日本の古文書には、それによって緋天同士が静止し、『暦鏡』なる物が発生するとある」

「曾・・・お爺様?」

 

 戸惑いと緊張に満ちた声が、アリアから発せられる。

 

 その間にも緋色の光は、どんどん収束していった。

 

「さあ、それで僕を撃ちたまえ。緋弾に心を奪われないように、静かに、落ち着いて、指先に力を集め、保つようなイメージをするんだよ。キンジ君、アリア君を支えてあげなさい」

「良く判らねえな」

 

 シャーロックの言葉に対し、キンジは吐き捨てるように言う。ここで起こっている事全てが彼にとって、否、シャーロック以外の全員にとって理解の及ばない事ばかりだった。

 

「あれもこれも、判りたくない事ばっかりだけどね。ただ一つだけ判る。要するにお前はチェック・メイトを掛けて来た。そして俺達も、まだ一手打てる。そう言う事なんだろ、シャーロック」

「御名答だ。キンジ君。どうかそのHSSの優れた推理力と状況判断力で、これからもずっと、アリア君を助け続けてあげてくれたまえ」

 

 シャーロックの言葉を受けて、キンジはアリアに歩み寄る。

 

「き、キンジ・・・・・・」

 

 尚も戸惑いを隠せないアリアに、キンジは諭すように話しかける。

 

「俺なりに、この状況を説明してやるよ。シャーロックの指先は、今、戦艦の主砲並みの威力を持っている。そしてアリア、お前にも、どういう訳か同じ力が宿っている」

 

 そう言うと、キンジはアリアを背後から抱き締めるようにして抱え、その右手をシャーロックに向けさせる。

 

「多分、こうだぜ」

 

 狙いはシャーロックの指先へと向けられる。

 

「大丈夫だ、俺を信じろ。お前はパトラと戦った時、無意識のうちに一度この力を使ってるんだ」

「キンジ・・・・・・」

「お前には俺がついてる。何がどうなろうと、最後までな」

 

 キンジがそう言うと、アリアの体の震えは少しだけ収まった。

 

 その様子を見て、シャーロックは満足そうに微笑む。

 

「良いパートナーを見つけたね、アリア君。かつて僕にもワトソン君がいたように、ホームズ家の人間には相棒が必要だ。人生の最後に象徴的な姿を前にできて、僕は・・・・・・」

 

 友哉が、瑠香が、一馬が、彰彦が見守る中。

 

「幸せだよ」

 

 緋色の光が、爆ぜ飛んだ。

 

 

 

 

 

第10話「緋色の講釈」      終わり

 



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第11話「始まりの終わり」

 

 

 

 

 

 

 

 

 光が弾け、やがて、視界が元に戻る。

 

 アリアとシャーロック。2人から放たれた光弾は、2人の間の空間で互いにぶつかり合い、

 

 そして、静止した。

 

 静謐。

 

 ただ静かに、光はたゆたっている。

 

 その光を見て、

 

「僕には、自分の死期が推理できていた」

 

 シャーロックは静かに語り始めた。

 

「どんなに引き延ばしても、今日この日までしかもたないと。だから、それまでに子孫の誰かは緋弾の継承をする必要があったのだ。元々、緋弾は『ホームズ家で研究するように』と女王陛下から拝領した物だからね」

 

 言っている間に、一旦強まった光はすぐにお互い打ち消すように、急速に収まって行く。

 

「しかし、その後の研究で判った事だが・・・・・・緋弾の継承には難しい条件が3つあった。1つは、緋弾を覚醒させられる人格に限りがある事。情熱的でプライドが高く、僕は自分がそうは思わないが・・・・・・どこか、子供っぽい性格をしていなければならないらしい。しかしホームズ一族は皆、そうではなかったのだ。だから僕は、条件に合う子孫が現れるのを待ち続けなければいけなかった。そして現われたのが、アリア君、君だ。2つ目の条件は・・・・・・アリア君とキンジ君、君達の今後に関係がある為、詳細は伏せるが・・・・・・緋弾を覚醒させるにはアリア君が女性として心理的に成長する必要があった事だ」

 

 シャーロックが語っている間に、たゆたっていた光が緋色から、徐々に透明へと変わっていく。

 

「3つ目の条件として、継承者は能力を覚醒させるまで、最低でも3年の間、緋弾と共にあり続ける必要があった。これは簡単なようで最も難しい条件だった。なぜなら緋弾は、他の色金保有者たちから狙われていて、覚醒した者でなければ守る事ができない状況だったからね。だから、今日までは覚醒した僕が緋弾を保有し、今日からは覚醒したアリア君が緋弾を保有する。これを成立させる為に、僕は今日までこの緋弾を持ち続け、更に3年前の君に渡さなければならなかった。これは僕にとっても、生涯最大の難問の一つだった。だが、その難問を解決してくれたのも、また緋弾だったよ」

 

 光は徐々に形を変えていき、レンズのような形になって行く。

 

 その中に、何かが浮かび上がるのが見えた。

 

 人、少女である。

 

 その姿に、その場にいた誰もが驚愕した。

 

「これだ・・・・・・! これが日本の古文書にある『暦鏡』。時空のレンズだ。実物を前にするのは僕も初めてだよ」

 

 興奮を隠しきれない様子で、シャーロックが説明するが、誰もがその言葉を聞いていない。

 

 なぜなら、皆の視線が、暦鏡に映っている人物に集中しているからだ。

 

 その人物は、見間違える筈も無い、

 

 アリアだった。髪の色は亜麻色であり、目はサファイアのような蒼をしているが間違いない。今よりもやや幼い雰囲気があるが、仕草や雰囲気は間違いなくアリアだった。

 

 背中の開いたサニードレスを着ているアリアは、こちら側から見えない誰かと楽しそうに談笑している。

 

「アリア君、君は13歳の時、母親の誕生パーティの場で、誰かに銃撃された事があるね」

「は、はい。撃たれました。何者かに、でも、それが今、何だと・・・・・・」

 

 アリアの背中には、その時の傷が残っている。その為、アリアは他人に背中を見られる事を極端に嫌がる傾向にあった。

 

 そんなアリアに対し、シャーロックは驚愕の事実を告げた。

 

「撃ったのは僕だ」

「え・・・・・・」

「いや、これから撃つのだ。これはどちらの表現も正しい」

 

 言いながら、シャーロックはアダムス・マークⅢの撃鉄を起こす。

 

「緋弾の力をもってすれば、過去への扉を開く事もできる。僕は3年前の君に、今から緋弾を継承する」

 

 銃の照準が、レンズの向こうのアリアへと向けられる。

 

「や・・・やめろ!!」

「アリア先輩、逃げて!!」

 

 キンジと瑠香が叫び、友哉が止めに入ろうと刀の柄を握るが、どう考えても間に合わない。

 

「なに、心配には及ばないよ。僕は銃の名手でもあるんだ」

 

 レンズの中のアリアは、気付いておらず、全くの無防備に立ち尽くしている。

 

 駆けるキンジ。その手を必死に伸ばすが、それは届かない。

 

「アリア!! 逃げろ、アリアァァァ!!」

 

 叫ぶキンジに、アリアが不思議そうな顔で振り返った。

 

 その目がキンジと合わさる。

 

『あたし、ここでアンタと会った事がある』

 

 戦闘開始前にアリアが言ったあの言葉は、嘘ではなかったのだ。時空を超えて、今、13歳のアリアと17歳のキンジが出会ったのだ。

 

 そして、

 

 パァン

 

 乾いた音と共に、背中を向けたアリアにシャーロックの撃った弾が吸いこまれた。

 

 驚愕の表情を浮かべ、キンジの方へと倒れて来る過去のアリア。

 

 それを抱き止めようと腕を伸ばすが、その前にレンズは霞み消えていく。

 

 シャーロックの言葉を借りれば、これで緋弾の『継承』は完了した事になる。3年前のアリアへと。あの緋色の光を今のアリアが使えたからくりは、こう言う事だったのだ。

 

「アリア君、緋弾の副作用に付いて、2つ断っておこう。緋弾には延命作用があり、共にある者の肉体的な成長を遅らせる。あれから君は、体格があまり変わらなくなった事だろう。それと文献によれば、成長期の人間に色金を埋め込むと、体の色が変わるらしい。皮膚の色は変わらないようだが、髪と瞳の色が美しい緋色に近付いて行くらしい。ちょうど、今の君のようにね」

 

 それで、過去のアリアと今のアリアとではここまで容姿が違うのか。

 

「以上で、僕の『緋色の研究』に関する講義は終了だ。緋弾について僕が解明できたことは、これで全てだよ」

 

 キンジは過去のアリアを救おうとしたまま、その場で蹲り、瑠香は立ち尽くすアリアを気遣うように、そっと寄り添っている。

 

 彰彦と一馬もまた、それ以上動こうとしない。互いに警戒はしつつも、それ以上剣を交える気はないようだ。

 

 友哉は1人、刀に手を掛けながら立っている。

 

 シャーロックの狙いは、初めからこれだったのだ。そして、自分達はまんまとシャーロックの思惑を許してしまった事になる。

 

「アリア君、キンジ君。『緋色の研究』は君達に引き継ぐ。色金保有者同士の戦いは、まだお互い牽制している段階だが、何れ本格的になり、君達はその戦いに巻き込まれていくかもしれない。その時は、どうか悪意ある者達から緋弾を守ってくれたまえ。世界の為に」

 

 そう言っている間に、シャーロックの容貌が急速に老けていくのが判る。それまでは20代の若者だったのが、今は明らかに30代を越えた壮年期の容貌に変わっている。恐らく、緋弾を継承した事で、その副作用の恩恵も失い、肉体の時間が急速に元に戻ろうとしているのだ。

 

 その時だった。

 

「ふざけんな!!」

 

 キンジが、その内に湧き上がる怒りをそのままに、咆哮を上げる。

 

 ベルセによって得られた爆発的な感情の流れを、そのまま直接叩きつけるような叫びは、その場にいる者全員を威圧して余りあった。

 

「シャーロック、お前は、そんな危険な戦いにアリアを巻き込ませるつもりなのか。自分の・・・・・・血の繋がった曾孫をッ」

「キンジ君、君は世界におけるアリア君の重要性が判っていない。1世紀前の世界に僕が必要だったように、彼女は今の世界に必要なんだ」

「違うッ!!」

 

 シャーロックの言葉、その全てを否定するキンジの叫び。

 

 許せなかった。

 

 アリアを、自分のパートナーを道具扱いする目の前の男を、キンジはひたすらに許せなかった。

 

「こいつはただの高校生だ。俺はそれを、よく知っている。ゲームに夢中になって、ももまん食い散らかして、テレビ見て馬鹿笑いしている。ただの高校生なんだ! 何も判ってねえのはシャーロック、お前の方だ!!」

「・・・・・・認めたくない気持ちは判らないでもない。君は彼女のパートナーなのだからね。だがキンジ君。この世に悪魔はいないにしても、悪魔の手先のような人間はいくらでもいる。この世界には、君の想像も及ばないような、悪意を持つ者が色金を、」

「俺は世界なんて物に興味はねえ!! 悪意も善意も知った事か!!」

 

 シャーロックの言葉を遮って叩きつけるキンジの言葉は、一種の子供の我儘のようにも聞こえる。だが、それ故に偽りはなく、純真かつストレートに叩き出される。

 

「それが、世界の選択か・・・・・・」

 

 対してシャーロックは、そんなキンジに背を向け、何処か納得したように呟いた。

 

「・・・・・・それなら、平穏に生きると良い。君達はそう言う選択もできるのだよ。その意思を貫く為にアリア君を守り続けて。平穏無事に緋弾を次の世代に継承しなさい。全て君達が決めて良いんだ。そしてその意思は通るだろう。なぜなら、君達はもう充分強いのだから。良いかいキンジ君、意思を通したければ、まず強くなければならない。力無き意思は、力ある意思に押し切られる。だから僕は君達の『強さ』を急造する為にイ・ウーのメンバーを使ったのだよ。君達が死なない程度の相手を段階的にぶつけていく形でね」

 

 武偵憲章3条にこうある。「強くあれ。ただしその前に正しくあれ」と。

 

 ギリシャ神話に出て来る正義の女神は、右手には力の象徴である剣を持ち、左手には罪を計る天秤を持っていると言う。「力無き正義は無力であり、正義無き力は暴力である」と言う事を現わしているらしい。その体現が、武偵憲章3条なのである。

 

「強くなければ意思は通らない。それは正しいさ。だが正しくなければ意思を通してはならない。それが武偵のルールだ。お前はその逆をやっている。天才の頭脳と強大な力で、自己中にアリアを巻き込もうとしているんだ!!」

「そうかもしれない。けど、僕にはそれができた」

「そうさせねえって言ってんだよ。この俺が!!」

「それなら、さっきも言った通り、そうしなければ良い」

 

 そう言うと、シャーロックは落ちていたスクラマ・サクスを拾い、ICBMの方へ足を向ける。同時に、天井の発射口が開き、青空が見えた。

 

 その光景を見ながら、友哉はいつでも斬りかかれるように腰を落とす。このまま終わるとは思えなかった。

 

 すると、

 

「待て、それで追われるか。こっちを向け」

 

 案の定、キンジが剣呑な声でシャーロックを呼び止める。

 

 その手に再び開いたバタフライナイフを構えている。

 

 これが、本当に最後の激突だ。

 

 足を止めるシャーロックに、向かい合う武偵が1人。否、2人。友哉もまた、刀の柄に手を置いたまま前へと出る。

 

 アリアを撃たれた。その事に怒りを感じているのはキンジだけではない。

 

「どうする気だい? 君達では僕に勝てない事はさっきの戦いで証明したばかりだろう」

「そうですね。けど、このままじゃ収まりがつかないのも事実なんで」

「武偵は義理堅いんでな。パートナーが一発貰ったら、一発返すのが決まりだ」

 

 並び立つ2人の武偵を前に、今も急速に老化が進むシャーロックは向き直る。迎え撃つつもりなのだ。

 

「できるつもりかね?」

「できる。『桜花』絶対にかわせない一撃でな」

 

 自信あふれる返事を返すキンジ。

 

 同時に友哉もまた、できると確信していた。

 

 友哉の持つ飛天御剣流の技は、全てシャーロックに破られた。正確にはまだ1つ、否、2つ残っているが、この場にあっては使用に適さない技である。

 

 だがそれでも、友哉にはまだ、最後の切り札が残っている。

 

 それは一種の確信めいた物で、確証を得られた訳ではない。だが、試してみる価値はあると思っている。

 

 成功率はせいぜい4割。下手をすると3割も無いが、それでも今この場で頼るべきは、それしか無かった。

 

「僕にも推理できない物がある」

 

 シャーロックは静かに語る。

 

「どうやら、友哉君はともかく、キンジ君の行動は、それが遠因なのかもしれない」

「何だよ、それは?」

「若い男女の、恋心だよ」

 

 キンジとアリア。2人の息を飲む声が聞こえた気がした。

 

 だが、最早迷っている暇は無い。最後の賽は投げられたのだ。

 

 友哉とキンジは、僅かに視線を交わし合うと、互いに横に移動して距離を開ける。その一瞬で、自分達の戦術を決定したのだ。

 

「教授」

 

 迎え撃つ姿勢のシャーロックに、彰彦が声を掛ける。自分が2人の相手をする、と言おうとするのだ。

 

 だが、それを察したシャーロックは、微笑を浮かべて首を振った。

 

「いけないよ、由比君。君との仕事の契約は、緋弾の継承を済ませた時点で完了している」

「しかし・・・・・・」

「それに、君には大望があるのだろう。こんな場所で、僕のような老兵の為に、命を危険に晒す物じゃない」

 

 そう告げられると、彰彦は何も言う事ができなくなってしまう。

 

 ただ仮面の奥で、成り行きを見守る事しかできなかった。

 

 沈黙が支配する一瞬。

 

 次の瞬間、

 

 仕掛けた。

 

 先攻したのは友哉。

 

 地を蹴ると同時に、刹那の間にシャーロックへ接近する。

 

 友哉にはある種の確信があった。

 

 飛天御剣流は、全てにおいて速さを基本とし、相手に先んじる先の剣を骨子としている。

 

 ならば、まだ見ぬ奥義は、どのような形となるのか?

 

 今まで使ってきた技は、神速の動きがあって初めて成立し得る技ばかりである。ならば、奥義がその程度である筈がない。

 

 神速を越えた神速。すなわち、超神速こそが、飛天御剣流奥義に繋がるのではないだろうか。と友哉は推測している。

 

 未だに、友哉はその域には達していない。しかし今なら、今だからこそ、できるような気がした。

 

「オォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 裂帛の踏み込み。

 

 放たれる抜刀術。

 

 その速度は、最早目視する事は不可能。

 

 刹那の間すら斬り裂いて、剣閃は迸る。

 

 速度は、そのまま絶大なる破壊力となって、シャーロックへ襲い掛かる。

 

 その一撃を、

 

 シャーロックは、

 

 長剣を盾に、見事に防いで見せた。

 

 否、

 

 攻撃の圧力を受け、シャーロックの体は大きく吹き飛ばされ、倒れないまでも大きく後退する。

 

 崩れる体勢。

 

 最高の名探偵が、初めて見せた隙。

 

 そこへ、友哉の背から、最後の勝負を掛けるべくキンジが飛び出す。

 

 だが、流石は名探偵シャーロック・ホームズ。キンジが攻撃位置に付いた時には既に、体勢を立て直していた。

 

 キンジがナイフを翳して斬り込む。

 

 桜花

 

 この技は、連発する事はできない。一度使えば、自身の腕を損傷してしまうからだ。

 

 それでもキンジは躊躇わない。

 

「この桜吹雪、散らせるもんなら、散らしてみやがれ!!」

 

 一瞬にして弾ける水蒸気。

 

 音速を越える一撃。

 

 それが、キンジの腕を傷付け、飛び散った鮮血が舞い散る桜のように花開く。

 

「ウォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 自らの右腕を犠牲にする、最大最後の一撃。

 

 その攻撃を前にして、

 

 バチィィィィィィィィィィィィ

 

 シャーロックは、片手真剣白刃取りの要領でキンジの一撃を受け止めて見せた。老いて尚、人知を凌駕する技量は健在。

 

 カウンターとして放たれる、長剣の一閃。

 

 その一撃を、キンジもまた片手真剣白刃取りで受け止める。

 

「惜しかったね、キンジ君」

 

 互いに千日手の状況となり、至近距離で向かい合う。

 

 どちらも動けず、どちらも退く事ができない。

 

 だが、

 

「惜しくねえよ」

 

 キンジは不敵に言い放つ。

 

「そう来る事は、判ってたんだからな!!」

 

 大きくのけぞると同時に、キンジはシャーロックの頭に自身の頭を叩きつけた。

 

 遠山家に代々伝わる隠し技。キンジにとって、本当に最後の奥の手である。

 

 頭突きを食らったシャーロックは、剣とナイフを離し、のけぞるようにして仰向けに倒れ込んだ。

 

 ついに、

 

 ついにキンジは、イ・ウーリーダーにして、世界最高の名探偵を打ち破ったのだ。

 

「やった・・・・・・・・・・・・」

 

 既に立っている事もままならなくなり、その場に膝を突きながら友哉は呟いた。

 

 そこへ、

 

「友哉君ッ!!」

 

 瑠香が転がるようにして駆け寄って来る。

 

 それに応えるべく立ち上がろうとして、

 

「グッ!?」

 

 友哉の全身に、軋むような痛みが奔った。

 

 神速を越えた、超神速の一撃を放ったのだ。体に負担が来ない筈がない。

 

「友哉君、大丈夫!?」

 

 心配そうに覗き込んで来る瑠香。対して友哉も、痛みを堪えて笑みを見せる。

 

「大丈夫だよ、これくらい・・・・・・」

「でも、でも友哉君。こんなに、体、ボロボロになって・・・・・・」

 

 床に座り込んだまま、瑠香は涙をこぼし始める。

 

「ごめんね・・・・・・ごめんね、あたしの為に、こんなになるまで・・・・・・」

 

 泣きじゃくる瑠香。

 

 そんな瑠香に対し、友哉は重くなった腕を持ち上げてその頭を優しく撫でてあげる。

 

「泣かないで、瑠香。瑠香は僕の家族だ。家族を守るのは、当然の事だよ」

 

 そう言って微笑む友哉に、瑠香は恥ずかしそうに鼻をすすりながら、顔を赤くする。

 

 向こうの方では、アリアがシャーロックに手錠を掛けているのが見える。長い戦いだったが、これにて一件落着、と言う事だろう。

 

「忘れないで、瑠香。僕は、ううん、僕だけじゃない、茉莉も、陣も、君の事を大切な仲間だと思っている。君が危険な目にあっている時は、僕達は何を置いても君を助けに行くよ」

「友哉君・・・・・・友哉君ッ」

 

 感極まって抱きついて来る瑠香を、友哉は軋む体で必死に抱きしめる。正直、すぐにでも床に倒れてしまいたい心境だったが、今だけは、こうして好きなだけ泣かせてやりたかった。

 

 と、

 

「終わったようだな」

 

 いつの間に横に立ったのか、煙草を吹かしながら一馬が傍らにいた。

 

 刀は既に鞘に収められ、これ以上戦闘を行う気が無い事を現わしている。

 

「そうですね」

 

 そう言って、友哉はニコニコとした顔を一馬に向ける。

 

「・・・・・・何だ?」

 

 訝るように尋ねる一馬に、友哉は得意げな顔で言う。

 

「結局、誰も死なないで事件は終わりましたね」

「フンッ」

 

 友哉の言葉に、一馬は鼻を鳴らした。

 

 ここに来る前、戦う以上は人を殺す覚悟を持てと言った一馬に対し、友哉はそれを真っ向から否定した。そして、見事にそれを証明してみせたのだ。甲板上の戦いで重傷を負った金一がどうなったか心配だが、向こうにはパトラや白雪もいる。きっと大丈夫だろう。

 

「そんな事で一々得意げになるな。不気味な奴だな」

「ぶき・・・・・・・・・・・・」

「元々、相手が死のうが生きようが、事件が解決すればそれで良い。単に俺が戦う以上は、そうしてるってだけの話だ。それくらい気付け、阿呆が」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 何だろう。

 

 勝った筈なのに、

 

 自分の信念を貫き通した筈なのに、

 

 胸の内から湧き上がる、途轍もない敗北感を友哉は拭えなかった。

 

 その時だった。

 

「シャーロック、どこへ行くんだ!!」

 

 キンジの鋭い言葉に、顔を上げる。

 

 見れば、アリアによって手錠を掛けられた筈のシャーロックが、いつの間にか発射寸前のICBMの前に立っている。しかも、そのICBMにはハッチのような物が取り付けられていた。

 

「やられたッ」

 

 一馬が呻くように言う。

 

 あのICBMは何処かを攻撃する為の物ではない。脱出用だったのだ。

 

「僕は何処にも行かないよ。昔から言うだろう『老兵は死なず、ただ消え去るのみ』と。さあ、卒業式の時間だ。花火で彩ろう」

 

 そう言うと、シャーロックはICBMに乗り込んでしまう。

 

「曾お爺様、待って!!」

 

 それを追って、アリアも駆けだす。

 

「行かないで・・・・・・! イヤ・・・イヤ・・・・・・あなたの事、ママの事、もっと話したい事があるんです!!」

「アリア、行くな、あれはもう発進する!!」

 

 キンジの言うとおり、既にICBMは発射態勢に入っている。最早止める事は不可能だ。

 

 それでもアリアは、二本の小太刀を抜き放って、ICBMの外壁に取り付く。

 

 その様子を見て、シャーロックは自身の遺言めいた最後の言葉を発する。

 

「アリア君、短い間だったが楽しかったよ。何か形見をあげたいが、申し訳ない。僕にはもう、君にあげられる物は何もないんだ。だから代わりに名前を上げよう。僕がかつて呼ばれていた二つ名だ」

 

 シャーロックは、そう言って微笑み、告げた。

 

 

 

 

 

「さようなら『緋弾のアリア』」

 

 

 

 

 

 その言葉を最後にハッチが閉じる。発射が秒読みに入ったのだ。

 

 にもかかわらず、アリアも、そしてそれを追い掛けるキンジもICBMから離れようとはしない。

 

「クッ、キンジッ、アリアッ!!」

「遠山先輩、アリア先輩、戻ってください!!」

 

 友哉と瑠香が必死になって叫ぶが、その声は最早、2人に届いていない。

 

 そしてついに、ICBMは浮き上がり始めた。

 

「クッ・・・・・・」

 

 友哉は痛む体を引きずり、鞘に収めた刀を杖代わりにして、ICBMに近づこうとするが、既に手の届かない位置まで上昇していた。

 

 白煙を上げ、次々と発射されるICBMを黙って見送る事しかできなかった。

 

「アリア・・・・・・キンジ・・・・・・」

 

 とうとう、アリアもキンジも飛び立ってしまった。

 

 2人は当然、落下傘のような物は持っていない筈。このままでは、2人の命が失われてしまう。

 

 そう思った時だった。

 

「行ってしまいましたか」

 

 どこか、哀惜を感じさせる声。

 

 その声に弾かれ、友哉が振り返ると、そこには由比彰彦が佇んでいた。

 

「これで、イ・ウーにおける私の役目は終わりましたね」

 

 そう呟く彰彦に対し、友哉は警戒の色を一気に強める。

 

 この場にある人間で、ほぼ無傷を保っているのは彰彦1人だ。友哉は言うに及ばず、一馬もシャーロックとの戦いでボロボロになっており、瑠香も銃の弾が無い。

 

「・・・・・・瑠香、ナイフを貸して」

 

 友哉はまだ戦う気なのだ。刀を振る力は最早残されていないが、ナイフならまだ使う事ができる。

 

「友哉君、そんな体で・・・・・・」

「大丈夫、良いから貸して」

 

 渋々、瑠香が差し出したサバイバルナイフと引き換えに、逆刃刀を少女に預ける。

 

 見れば、一馬もまた刀を抜き、斬りかかるタイミングをはかっていた。

 

 だが、

 

 それに対して彰彦は、右手を上げて2人を制してきた。

 

「私としては、これ以上戦う気はありません。この場は退かせてもらいますよ」

「勝手な言い分ですよね」

 

 友哉はナイフを掲げて、前へと出る。正直、これ以上の戦闘は不可能だが、それでもここで由比彰彦を逃がせば、必ずや後の災禍となる事だけは判っていた。

 

「由比彰彦、あなたは、この場で、逮捕します」

 

 言っている間にも、友哉は膝から崩れ落ちそうになるのを必死でこらえる。

 

 そんな友哉の様子が判っているのか、彰彦は刀も銃も抜かずに佇んでいる。

 

「無理をしてはいけませんよ、緋村君」

「・・・・・・・・・・・・」

「何れ、君と再び巡り合う機会はあるでしょう。その時まで、勝負は預けておきましょう」

 

 そう言うと、彰彦は床に発煙筒を転がし、視界を遮りに掛る。

 

「教授に最後に行った攻撃。あれは実に素晴らしかった。次に会う時までに、君があれを使いこなせるようになっている事を願いますよ」

 

 その言葉を最後に、彰彦の気配が煙の中に遠ざかっていく。

 

 友哉にも、そして一馬にも、それを追い掛けるだけの力は残されていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友哉と瑠香が甲板に出ると、不気味なほどの静けさが海を満たしていた。

 

 戦いは終わった。

 

 イ・ウーナンバー1のシャーロックは空へと去り、他のメンバー達もそれぞれのICBMに乗って、何処かへと飛び立ったらしい。恐らく艦内は今、蛻の殻だろう。

 

 一馬も、やる事があると言って、艦内へと消えていった。恐らく、東京の警視庁本部へと連絡を入れているのだ。この大きすぎる遺物を回収させる為に。

 

 そして、

 

 キンジとアリアもまた、帰って来なかった。

 

「キンジ・・・・・・アリア・・・・・・」

 

 2人を救えなかった。

 

 それが悔恨となって、友哉の胸で疼いていた。

 

 その時、

 

「緋村君ッ 瑠香さん!!」

 

 効き憶えのある、それでいて懐かしさすら感じそうな声が聞こえて来て、2人は振り返る。

 

 そこには、甲板上を走って来る、茉莉と陣の姿があった。

 

「茉莉ちゃん!!」

 

 その姿を認め、瑠香もまた駆けだす。

 

 2人は走り寄ると、互いに飛び付くようにして抱き合う。

 

「瑠香さん、無事だったんですね。ほんとに、良かった」

「うん。茉莉ちゃんも、来てくれてありがとう」

 

 抱擁を交わし合う、少女達。

 

 そこでふと、瑠香はある事に気が着いて顔を上げた。

 

「茉莉ちゃん、今、あたしの名前・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・あ」

 

 今更思い出した、と言う風に茉莉は自分の口に手を当てる。

 

 いつの間にか、茉莉は瑠香を名前で呼ぶようになっていたのだ。

 

「ありがと、茉莉ちゃん」

「い、いえ・・・・・・」

 

 笑顔を向ける瑠香に、茉莉は恥ずかしそうに視線を背けた。

 

 そこへ、陣が友哉の傍らに立ち、訝りながら尋ねて来た。

 

「おい、友哉、遠山と神崎はどうした?」

「それは・・・・・・」

 

 陣の質問に、友哉は口ごもった。果たして、2人の事をどう伝えれば良いのか。

 

 そう思った時だった。

 

「ゆ、友哉君、あれ、あれ、あれ見て!!」

 

 かなり狼狽した様子で、瑠香が空の一点を指す。

 

 つられて、上を向く友哉達。

 

 その蒼穹が広がる視界の彼方で、

 

 白い雲を突き抜けて、真っ直ぐに向かってくる赤い鳥が見える。

 

「・・・・・・鳥?」

「いや・・・・・・」

 

 陣の言葉に、友哉は首を振り、そして笑みを浮かべる。

 

 あれは鳥なんかじゃない。

 

「アリア・・・・・・キンジ・・・・・・」

 

 涙で、その光景が霞んで見えるようだ。

 

 瑠香と茉莉が、2人を回収しようとボートのある方向へ走っていく。

 

 やがて、緋弾のアリアと、その最高のパートナーは、ゆっくりと、この地上へと帰って来た。

 

 

 

 

 

第11話「始まりの終わり」      終わり

 

 

 

 

イ・ウー激突編     了

 



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夏休み編(オリジナル)
第1話「意地っ張りな子猫達」


 

 

 

 

 

 

 

 他人に激しく説明を求めたい時と言うのは偶にある物であるが、今この時がそうなのではなかろうか。

 

 全く訳の判らない状況に放り込まれてしまうと、人はかなりの高確率で思考停止状態に陥ってしまうらしい。

 

 強襲科棟での自主訓練を終えて、寮に帰宅した緋村友哉の心境は、正にそのような感じだった。

 

 人は1人では生きられないと言った偉人は誰だったか? 少なくとも、この間まで海賊の頭領やってた150歳の若作り爺さんでないのは確かだろう。

 

 だが、その言葉は間違っていない。まこと、人と人とは支え合って生きて行かねばならない。

 

 だと言うのに昨今。人は他者を顧みない事が多くなった。

 

 顧みない、と言う事は他者に対して無関心である者が多くなったとも言える。

 

 互いにあい争う、と言う行為は決して褒められた行為でない事は確かだが、それでも相手に対して興味を向けているからこそ起こる現象である。

 

 だが、無関心であるなら、互いに争う事すらできない。相手はただ生活の一背景に過ぎなくなり、互いの感情を交換する事も無くなってしまうからだ。

 

・・・・・・・・・・・・

 

 さて、

 

 現実逃避はいい加減やめよう。

 

 だが、現実逃避の一つもしたくなる、というのも確かである。

 

 なぜなら、このような事はまずあり得ないんじゃないか、と思っていた事が、現実に目の前で起こっているのだから。

 

「だから、あたし、何度も言ってんじゃん!!」

「そんな事言われても、判らない物は判らないんですッ!!」

 

 単刀直入、ぶっちゃけ言ってしまうと、友哉の2人の同居人、四乃森瑠香と瀬田茉莉が、

 

「ああ~、そうだよね~、茉莉ちゃんは弱虫だもんね~」

「瑠香さんに、そこまで言われる筋合いはありませんッ!!」

 

 前代未聞の大喧嘩をやらかしていた訳である。

 

 友哉は唖然としたまま、激しく言い合う2人の少女を眺めている。

 

 夏休みに入り、授業は無くなったが、それでもトレーニングくらいはしておこうと思い、友哉はマメに強襲科棟の体育館に行っては体を鍛えている。

 

 既にイ・ウー戦で受けた怪我も完治し、体を動かす事に支障は無くなっている。

 

 診察してくれた高荷紗枝からも太鼓判を貰った事で、友哉は今日も訓練で汗を流し、夕方になると寮に戻った。

 

 寮では一足先に戻った瑠香と茉莉が、食事の支度をして待っている筈。

 

 後はシャワーを浴びて、3人で食事をしてゆっくりと過ごそう。

 

 そう思っていたのだが、

 

「おろ・・・・・・・・・・・・」

 

 帰る早々、友哉の目に飛び込んできた光景がこれであった。

 

 

 

 

 

 

 話は、友哉が帰って来る10分前に遡る。

 

 

 

 

 

 キッチンに立つ、茉莉と瑠香。

 

 2人の目の前には、ある種、屍と表現していい物が転がっていた。

 

 それは元々は、とても立派な食材だった。きっと、多くの可能性を秘め、その先には多くの人の舌を楽しませる、そんな希望に満ちた食材だった。筈だ。

 

 だが、そんな希望も、たった1人の破綻者の存在によって全てが打ち砕かれた。

 

 今、2人の目の前には炭化し、元の正体が何だったのか、完膚なきまでに判らなくなった元・食材が置かれていた。

 

「茉莉ちゃん・・・・・・」

「ご、ごめんなさい・・・・・・」

 

 溜息交じりの瑠香の言葉に、茉莉はシュンと項垂れて謝るしかできない。

 

 今日も夕食の準備にかこつけて、瑠香が茉莉の料理の特訓をしていたのだが、

 

 結果はご覧の通り。今日も今日とて絶好調、とばかりに、盛大な失敗を繰り返していた。

 

「もうッ、言った通りに作ってる筈なのに、どうして炭になっちゃうのッ?」

「そ、そう言われても・・・・・・」

 

 茉莉だって、好きで炭を量産している訳ではない。何か失敗の理由があるんだったら、彼女自身が聞きたいくらいだった。

 

 しかし、瑠香が特訓を始めて、もう大分経つと言うのに、未だに上達の兆しすら見えないと言うのも凄い話である。これも、一種の才能と言うべきだろうか?

 

「まあ、しょうがないよ。諦めずに頑張って行こう」

 

 そう言って、瑠香は茉莉を明るく励ます。

 

 だが茉莉は、俯いた表情のまま佇んでいる。ここまでやっても変化が見られない自分の腕前に、絶望感すら抱いていた。

 

「ほら、茉莉ちゃん。もう一回、頑張ってみよう。友哉君が帰ってくるまで、まだ少し時間あるし」

 

 促す瑠香。

 

 だが、茉莉はその声に答えず、ポツリと言った。

 

「どうせ私なんか・・・何度やっても上手になりませんよ・・・・・・」

 

 それは諦念と共に吐き出された言葉。既に茉莉の中では、料理と言う行為に対する諦めがついていた。

 

 だが、

 

 その言葉を聞いた瑠香は、ムッと顔を顰めた。

 

 万事、アグレッシブな行動を旨とする瑠香にとって、後ろ向きな態度は看過しかねる物であった。

 

 ましてか、それが友達の口から発せられるなど、許される物ではなかった。

 

「・・・・・・あたし、そう言う事言う人嫌い」

 

 故に、つい、口調が刺々しい物になってしまった。

 

 顔を上げる茉莉に、瑠香は更に言い募る。

 

「『どうせできない』とかさあ、そんなの弱虫な人が逃げる時の言い訳じゃん。茉莉ちゃんって、弱虫だったの?」

 

 その言葉に、茉莉も頭にカチンッと来る物があった。どうして、たかが料理でそこまで言われなくてはならないのか。

 

 だから、殆ど脊髄反射と言って良いレベルで、こう言ってしまった。

 

「自分と比べないでください。何でも瑠香さんと同じようにできる筈ないです。そんな考え、傲慢だと思いますッ」

 

 今度は瑠香がカチンと来る番だった。

 

「何それ・・・・・・」

 

 瑠香は座った目をして、茉莉を睨みつける。

 

「茉莉ちゃんって、あたしの事、そんな風に思ってたわけ?」

「事実じゃないですか。そうやって、料理ができない私を嘲笑いたかったんでしょうッ」

「・・・・・・・・・・・・言、わ、せておけば~」

 

 頭に来た、とばかりに瑠香も身を乗り出す。

 

 後はもう、売り言葉に買い言葉。

 

 2人の少女は際限なく言い争いを始め、それは留まる事無くヒートアップしていく。

 

 友哉が帰って来たのは、そんな時だった。

 

「おろろ・・・・・・・・・・・・」

 

 目の前には言い争う2人の少女。

 

 友哉は途方に暮れて、それを眺めている。何しろ、普段あれだけ仲の良い2人だ。今まで多少の意見の食い違いはあったが、ここまで激しい喧嘩は初めての事である。

 

 友哉としても、どう対処すればいいか、見当もつかなかった。

 

 とにかく、事態がこれ以上悪化するのだけは防がなくてはならなかった。

 

「ふ、2人とも、取り敢えず落ち着いて、まずは話を・・・・・・」

 

 この時の友哉は勇敢だった。そして、無謀だった。

 

 牙をむき出して向かい合っているライオンと虎に、「ちょっと道をお尋ねしますが」と言っているような物である。

 

 2人が振り向いた。

 

 と、次の瞬間、

 

「やかましい!!」「引っ込んでてください!!」

 

 少女2人のストレートが友哉の顔面にクリーンヒットする。

 

 そのまま仰向けに吹き飛ばされ、友哉は大きく飛翔する。

 

 薄れゆく意識の中、友哉が思った事、それは

 

『今日の晩御飯、どうなるんだろう?』

 

 であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、その後、どうなったんだ?」

 

 学食で昼食を取る友哉に、隣に座った陣が話しかけて来た。

 

 今日は、陣に付きあってもらって自主訓練をする予定だった。陣の方も弾に体を動かさないと鈍ってしまうと言う事で、わざわざお台場から来てくれたのだが、

 

 今の友哉の姿を見て、ぎょっとしてしまった。

 

 頭には包帯を巻き、腕は三角巾で釣り、右目には眼帯までしている。どうみても、交通事故後の重傷患者だった。

 

 とは言っても、実際の話、見た目ほどには傷はひどくない。せいぜい、顔面が殴られて腫れている程度だ。この包帯は、あの後、我に返った瑠香と茉莉が、慌てて巻いた結果、この木乃伊状態になってしまった、と言うだけの話である。

 

 とは言え、それで仲直りできたか、と言われればそのような事も無く。

 

「最終的には2人して泣きながら取っ組み合いになっちゃってさ。もう僕1人じゃどうしようもなかったから、隣の部屋からキンジとアリアと、あとついでに何か知らないけど一緒にいた理子に援軍頼んで、4人がかりでようやく引き離した」

 

 包帯を取りながら、友哉は説明する。

 

 それで、昨夜の事は一応の終息を見たが、事態はそれで終わらなかった。

 

 結局、

 

『これ以上、あなたの顔なんて見たくもありませんッ』

『あ、そう。じゃあ、さっさと出て行けば。こっちだって清々するよ』

 

 と言う捨て台詞を互いに交わし、茉莉は部屋を飛び出して行った。

 

 その後、理子からメールが来て、茉莉は彼女の部屋に転がり込んだ事が判り一安心したが、結局、朝になっても茉莉が戻ってくる事は無かった。

 

「それにしても、四乃森さんは、あの通りの性格だから判らなくも無いけど、瀬田さんがそんな風に怒るなんて、想像もできないわね」

 

 そう言ったのは、一緒に食事を取っている高荷紗枝だった。彼女も論文の纏めの為に学校に来ていたらしく、見かけた際に声を掛けたのだ。

 

「いや、姐御。あの嬢ちゃん、あれで意外と頑固な所あるからよ。こうなったのはむしろ当然かもしれないぜ」

「そんなものかしらねえ」

 

 月見うどんを口に運びながら、紗枝が首をかしげる。と言うか、もう「姐御」と呼ばれる事に関しては、突っ込みを入れない所を見ると諦めを付けたらしい。

 

 その時だった、

 

「あ、いたいた、お~い、友哉君ッ」

 

 昼食のトレイを持った瑠香が、こちらに歩いて来るのが見えた。

 

「噂をすれば、って奴だな」

「そうだね」

 

 おもしろげな陣の言葉に、友哉が苦笑しながら応じた時だった。

 

「ここ、良いですか?」

 

 背後から声を掛けられ、友哉の隣の椅子が引かれた。

 

 そこにいたのは、

 

「茉莉・・・・・・」

 

 彼女も食事に来たのか、テーブルの上には日替わりランチ定食が置かれている。

 

 そして、

 

 両者がお互いの存在を認知した瞬間、

 

「「・・・・・・・・・・・・」」

 

 視線が鋭く交錯する。

 

 視線が火花を散らす、と言う事が実際に起こり得るとは思わなかった。

 

 少なくとも、その場に居合わせた者には、瑠香と茉莉の視線の中央に凄まじい電流が流れたのを見た気がした。

 

「・・・・・・おはようございます、『瀬田先輩』」

「・・・・・・おはよう『四乃森さん』」

 

 のっけから剣呑な雰囲気を、惜しげも無くばら撒く2人。

 

 瑠香は今まで呼んだ事も無いような呼び方で茉莉を呼び、茉莉もまた、前の呼び方に戻って応じていた。

 

 どうやら、溝は思った以上に深いらしい。

 

「・・・・・・・・・・・・こいつは」

「・・・・・・・・・・・・おろ」

 

 2人の雰囲気に呑まれ、気圧される友哉と陣。ただ1人、紗枝だけが平然として箸を動かしていた。

 

 取り敢えず2人とも、ここで争う気は無いらしく、その後は視線も合せないまま席に付く。

 

 しかし、

 

 その緊迫感が蔓延し、場に会話が途切れる。

 

 重たい空気の中、味気の無い食事が続けられ、徐々に沈黙は痛々しい物へと変じていった。

 

「あ~」

 

 そんな空気に耐えられなくなった陣が、意を決して口を開く。

 

「調子はどうだ、四乃森?」

 

 話しかけ方としては最低の部類だが、ここは先陣を切ったその勇気をこそ褒め称えるべきだろう。

 

 対して、瑠香は食事から顔を上げて陣に向き直った。

 

「そりゃ、気分いいですよ。弱虫な娘を追い出せたんですから」

 

 場の空気は一気に氷点下まで下がる。

 

 何もこんな所で挑発しなくても良いのに。

 

 対して、対面に座っている茉莉も、食事を止めて口を開く。

 

「そうですね。私も煩い娘の相手をしなくて、とてもすがすがしい気分です。こんな気持ちになったのはいつ以来でしょう」

 

 こちらも、なかなか負けてない。

 

 一瞬、瑠香の額に、青筋が立った気がした。

 

「ほ~んと、辛気臭いのがいなくなってくれて、お部屋が広くなった気分だよ」

「静かな日常が戻ってきて何よりです」

 

 友哉達がハラハラと見守る中、2人の口喧嘩はヒートアップしていく。

 

「大体、瑠香さんはいつもいつも、私を子供扱いして、年下のくせに一体何様ですかッ?」

 

 舌鋒鋭く言い募る茉莉に対し、瑠香は反撃とばかりに言葉を投げる。

 

「ふ~んだ、未だに子供っぽいイチゴパンツ穿いてる娘に、そんな事言う資格ありませ~ん」

「んなッ!?」

 

 絶句する茉莉。しかし、その顔を羞恥で真っ赤に染めながらも、反撃の口火を切る。

 

「・・・・・・そう言う事言うんだったら、私にも考えがあります」

「へー、どんな?」

 

 キッと、茉莉は顔を上げる。

 

「瑠香さんなんて、私よりおっぱいが小さいじゃないですかッ」

「うぐッ」

「そんな人に子供っぽいとか言われたくありません」

「うぐぐぐ・・・・・・」

 

 歯を食いしばりながら、それでも瑠香は辛うじて踏みとどまる。

 

「ま、茉莉ちゃんなんて、この間ホラー映画見て、夜1人でおトイレに行けなかったじゃない!!」

「ハウッ!? そ、そんな事言ったら、瑠香さんなんて、テストで0点取った挙句、追試の前の晩になって私に泣きついて来たじゃないですかッ 徹夜で勉強教えてあげたのは誰だと思ってるんです!?」

「ウガッ!?」

 

 そんな感じで、2人の言い合いは留まる事無く熱を帯びていく。何だか最早、喧嘩と言うよりも「恥ずかしい秘密暴露大会」みたいな感じになっているが。

 

 因みに胸のサイズに関しては、茉莉が84のB、瑠香が82のこれまたB。どちらも見た目、大きさに大差は無く、小さいという点ではどっちもどっちである。つまり、一言で言い表すと「ドングリの背比べ」である。が、本人達にとっては死活にかかわる重要な問題であるらしい。

 

「「あ~、も~!!」」

 

 殆ど同時に堪忍袋の緒を切った2人は、椅子を蹴って立ち上がる。

 

「「頭に来たッ!!」」

 

 茉莉が菊一文字の柄に手を掛け、瑠香がイングラムを抜き放ち、

 

 そして

 

 

 

 

 

 ズドンッ

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・おろ」

 

 一同が絶句する中、優雅に茶を飲む紗枝は、右手に持ったH&K P9Sを天井に向けて放っていた。

 

 パラパラと、思いだしたように埃が舞い落ちて来る。

 

 そんな一同を前に、紗枝はゆっくりと湯呑をテーブルに戻した。

 

「あなた達。今、食事中。少し静かにしなさい」

「「・・・・・・はい」」

 

 ノロノロと席に着く茉莉と瑠香。

 

 その後、特に騒動のような事は起きなかった。

 

 しかし、茉莉と瑠香は結局、終始視線も言葉も交わさないまま、昼食の時間は沈黙のうちに過ぎて行った。

 

 

 

 

 

「ふうん、そんな事があったんだ」

 

 風呂上がりの理子は、ベッドの上で胡坐をかいて茉莉と向かい合っていた。

 

 理子の部屋に転がり込んで1日。茉莉は馴れない部屋で恐縮しつつも、どうにか暮らしていた。

 

 元々、理子とはイ・ウー以来の友人である。友哉の部屋を飛び出した茉莉が、頼み込んで転がり込み易い人物だった。

 

 頼み易いと言えばもう1人、イ・ウーの同僚としてジャンヌもいるが、そっちはなぜか断られてしまった。

 

『い、いや瀬田。別にお前が嫌いと言う訳じゃない。私はお前の事が好きだぞ。あ、いや、好きと言うのは友人としてであって、別に私はそう言う趣味は無い。って、何を言わせるんだお前は!! と、とにかく、私の部屋は色々と都合が悪いのだ。理子にでも頼んでくれ』

 

 電話で話した際の、何やら異様に慌てたジャンヌの言葉に引っ掛かりはしたが、とにかく断られてしまった以上は仕方がない。

 

 次いで電話した理子は快諾してくれたため、現在に至る訳である。

 

「もうさ、謝っちゃいなよ。ルカルカだって、悪気があってそんな事言った訳じゃないと思うよ」

「それは・・・・・・」

 

 判ってますけど、と茉莉は小さく呟く。

 

 そうだ。自分だって別に瑠香と喧嘩がしたかった訳じゃない。きっかけは、本当に些細な事。ただどちらかが、一歩引いて相手に譲ればそれで丸く収まった筈だ。だが、どちらも激しく自己主張をしてしまった結果、互いに引っ込みが着かない所まで来てしまった。

 

「でもさ、このままずっと喧嘩したままでいる訳にもいかないでしょ?」

「そうですけど・・・・・・」

 

 だからって、自分から謝りに行くのは気が引けた。一応、上級生のプライドと言う物もある。

 

「ま、あたしはどっちでも良いんだけどね~」

 

 そう言うと、理子はピョーンと跳び上がって茉莉に飛びかかった。

 

「キャッ!?」

 

 突然の事で、茉莉は支えきれずに背中から倒れてしまう。

 

「ルカルカもユッチーもいないから、今日は理子がマツリンを独り占めしちゃうぞー」

「ちょ、理子さんッ!?」

 

 理子はご満悦と言った感じに、茉莉の胸元に顔を埋める。

 

「おお~、マツリン、良い匂い~、フカーフカー」

「く、くすぐったいです~」

 

 身を捩って逃れようとする茉莉に、遠慮なく顔を押しつける理子。

 

 そこで、ふと、何かを思い出したように顔を上げた。

 

「あ、そうだマツリン、こう言うのはどうかな?」

「はい?」

 

 訝るような茉莉に、理子は意味ありげに笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 訓練が終わっても尚、不機嫌そうにしている瑠香の横を歩きながら、友哉は呆れを隠せなかった。

 

 大体、友哉と瑠香は付き合いが長い。彼女の考えている事はある程度読む事ができた。

 

 多分瑠香は、もう茉莉の事を怒ってはいない筈。むしろ、仲直りするタイミングをはかっている筈だ。

 

 ただ、そのタイミングが掴めずに苛立っている、と言った所ではないだろうか。

 

「ねえ、瑠香」

「・・・・・・・・・・・・」

「いい加減、機嫌直しなよ」

 

 友哉の呼びかけにも答えず、瑠香は1人でズンズンと行ってしまう。

 

 溜息をつく。

 

 全く、頑固な所は、お兄さんにそっくりだな。

 

 などと思った時だった。

 

 ヒューンッ  スコンッ

 

「おろッ!?」

 

 突然、どこからともなく飛来した矢が、友哉の眉間に突き刺さった。

 

「ゆ、友哉君ッ!?」

 

 そのあまりの光景に、瑠香は思わず振り返って声を上げた。

 

 友哉に突き刺さった矢。その先端付近には、何やら紙が巻かれている。つまり、矢文と言う事だ。

 

 見れば、先端の部分は鏃ではなく玩具の吸盤になっている。シリアスなのかギャグなのか、イマイチ判り辛い。

 

「お、おろろ~」

 

 目を回している友哉から手紙を取り出し、瑠香は開いて読んでみた。

 

『四乃森瑠香様

過日の遺恨、決闘にてこれを果たしたく思い候。ついては明日、朝9:00、強襲科体育館まで来られたし。ルールは無制限、一本勝負。武器使用ありとします。

 

瀬田茉莉

 

追伸

逃げたかったら、どうぞお好きに』

 

 文面は淡々とした文字で、そう書かれていた。

 

 明らかな挑発と思われる最後の一文に、凄まじいまでの悪意を感じずにはいられない。

 

「お、おろ・・・・・・」

 

 復活して横から覗き込んだ友哉が、思わず絶句してしまうような内容だが、筆跡は確かに茉莉の物だった。

 

 あの茉莉が、まさかここまでするとは。

 

 と、

 

「ク・・・・・・クッ・・・・・・クックックックックッ」

 

 手紙を握りしめたまま、瑠香がくぐもったような笑い声を上げ、友哉は思わず後ずさる。

 

 次の瞬間、瑠香は手紙を握り潰し、ガバッと顔を上げた。

 

「あ ん の、小娘ェェェェェェ、人が下手に出てりゃ、つけ上がりやがってェェェェェェ!!」

「いや~、瑠香、コンマ1秒たりとも君が下手に出た事は無いからね」

 

 友哉の冷静な突っ込みも耳に入らず、口から火を吐く勢いで暴走を始める瑠香。

 

 それは最早、友哉の手には止めようがなかった。

 

 と言うか、できれば関わり合いになりたくなかった。

 

 友哉はそっと、溜息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝

 

 夏休みの、早朝と言う事で、強襲科体育館には人影は無い。

 

 そこには茉莉と、立会人として指名された友哉。そして、噂を聞きつけて観戦に来たらしい陣と紗枝、そして理子がいるだけだった。

 

「ねえ、茉莉」

「何ですか?」

 

 友哉の問いかけに、茉莉は素っ気ない返事を返す。既に戦闘モードに入っているらしい彼女は、必要最低限の受け答えしかしない。

 

「本当に、やるの? 決闘」

「当然です。加えて言えば、客観的に考えて、私が瑠香さんに負ける要素は1パーセントにも満たないです」

 

 自信満々に答え、再び沈黙に入る。

 

『果たして、それはどうかな?』

 

 それを見ながら、茉莉には聞こえない声で、友哉はそっと呟いた。

 

 因みに、切った張ったが日常茶飯事の武偵校において、決闘とは「あまりしないように」言われているだけで、したからと言って何かペナルティがある訳ではない。

 

 一方、対戦相手の瑠香はと言うと、まだ姿を現わさない。昨日から友達の部屋に行って、色々と準備しているらしい。

 

 その時、

 

 ザッと言う音と共に、すぐ背後に人の気配が現れた。

 

 そこには制服に身を包み、いつもと同じ姿の瑠香が立っていた。

 

「お待たせ」

 

 素っ気ない一言から、こちらもまた戦闘態勢に入っているの判る。

 

 茉莉と瑠香。あんなに仲の良かった2人が、今まさに激突の時を迎えようとしていた。

 

「遅かったですね」

「ごめんね~ 朝ご飯作るのに時間掛かっちゃって。お料理が下手などっかの誰かさんと違って、食事はちゃんと作る方だから」

「・・・・・・・・・・・・上等です」

 

 明らかな挑発だが、既に戦闘モードに入っている茉莉は応じようとしない。ただ黙って、開始位置に着くだけだ。

 

 対して瑠香も、それ以上の向上は唱えず、自分も開始位置に着く。

 

「マツリーン、ルカルカー、頑張れェ!!」

「思いっきりぶっとばしてやれ!!」

「どうでも良いけど、怪我だけはしないでね。仕事増えるから」

 

 外野が勝手に囃したてている。

 

 その声をBGMにしながら、2人は友哉の方を見る。

 

「友哉君、あたしはいつでも良いよ」

「私もです」

 

 既に闘志充分と言った感じの2人。だが、友哉は、それに水を差すように首を横に振った。

 

「ちょっと待って」

 

 そんな友哉に、2人は不満そうな視線を送る。今更止め立てするつもりなのか?

 

 見れば、理子達も不満そうにブーイングを送って来る。

 

 それらを無視して、友哉は言った。

 

「別に止めはしないよ。ただ、今回は立会人を頼んだから」

 

 友哉がそう言った時だった。

 

「全く、朝っぱらからこんな事に付き合わすなよ」

「ブツブツ言ってないで、さっさとするッ」

 

 実に気だるそうなキンジと、そんなキンジを蹴飛ばすようにアリアが入ってきた。

 

 そんな2人を見て、友哉は苦笑しながら手を上げる。

 

「悪いね、2人とも」

「いや、気にすんな」

 

 友哉が頼んだ立会人とは、キンジとアリアだった。

 

 そう言って手を上げて応じるキンジ。本来なら休み中と言う事で、朝のこの時間はまだ眠っているのかもしれなかった。

 

「では、改めて」

 

 立会人も来た事で、友哉は2人の間に立つ。

 

「これより、決闘を始める。時間は無制限。銃剣爆投極打、全てあり。どちらかの背中が地面に着くか、どちらかが降参する事で勝敗とする」

 

 ルール説明に、2人は黙したまま頷きを返す。

 

 最早言葉は不要。そんな事を感じさせる仕草だ。

 

「では・・・・・・」

 

 友哉は右手を振り上げる。

 

 一瞬、流れる沈黙。

 

 次の瞬間、勢い良く振り下ろした。

 

「はじめッ!!」

 

 裂帛の気合と共に、火ぶたは切って落とされた。

 

 

 

 

 

 先制攻撃を仕掛けたのは、茉莉だった。

 

 自身が主力戦術と恃む縮地を発動。一気に瑠香との距離を詰める。

 

 かつて、友哉すら圧倒した茉莉の縮地。

 

 その神速の移動術は、常人では捉える事すら不可能。

 

『これでッ』

 

 勝利を確信する茉莉。

 

 一撃で決める。

 

 その想いと共に、菊一文字を抜刀した。

 

 次の瞬間、

 

 瑠香の足元で、何かが爆発した。

 

「なっ!?」

 

 立ち上る煙。

 

 それが、一瞬にして茉莉の視界を塞ぐ。

 

「来ると判っていれば・・・・・・」

 

 頭上から降り注ぐ、瑠香の声。茉莉の足を止めると同時に、上空へ舞い上がったのだ。

 

「対処できる!!」

 

 その手に構えたイングラムが火を噴いた。

 

 吐き出される弾丸。

 

 しかし、

 

「甘いッ」

 

 一瞬早く、茉莉はその場から飛び退いた。

 

 弾丸は虚しく、床に叩きつけられた。

 

 瑠香は更に、茉莉を追って銃撃を繰り返すが、縮地を発動中の彼女を捉える事はできない。

 

 やがて、イングラムの弾丸が切れた。

 

 その隙を逃さず、茉莉が仕掛ける。

 

 瑠香にマガジン交換の隙は与えない。このまま一気に決めてしまおう。

 

 茉莉が目指す先には、立ち尽くす瑠香の姿。手には弾切れのイングラムがあるのみ。

 

「もらいましたッ!!」

 

 振るわれる刀。

 

 次の瞬間、瑠香が制服の内側から何かを取り出して投げつける。

 

 次の瞬間、轟音と共に強烈な光が室内を満たした。

 

「うあッ!?」

 

 その衝撃と轟音に、茉莉は思わず、よろけるようにして後退する。

 

 瑠香が使ったのは、屋内制圧用のフラッシュバンだった。それを至近距離で食らった為、茉莉は視覚と聴覚が一時的に混乱を期待してる。

 

『やっぱりね・・・・・・』

 

 戦いの様子を眺めながら、友哉は自分の予想が外れていなかったと感じた。

 

 茉莉は確かに強い。それは実際に剣を交えた事がある友哉にはよく判る。縮地を使用した神速の剣術は、今の友哉でも未だに追いつく事ができない。

 

 だが、逆を言ってしまえば、それだけの話なのだ。

 

 そして、これまでの戦いで、茉莉は自分の手の内を晒し過ぎている。言わば、ネタの割れた手品に近い。それでも戦況を拮抗させていられるのは、茉莉の自力の高さゆえであると言える。

 

 対して瑠香はと言えば、今までの戦いで、あまり己の手の内を晒していない。茉莉も、瑠香の本来の実力は知らない筈だ。この差は大きいだろう。

 

 加えて、互いの属性の関係もある。

 

 茉莉の属性は剣士。己の最も得意な物を見付け、それを極限までに鍛える事で強さを得るタイプであるのに対し、瑠香の属性は忍者。その属性は兵士のそれに近く、勝利の為なら手段を選ばない事を強さとしている。茉莉は戦いにおいて銃も使うが、それはあくまで補助的な意味合いが強く、瑠香の本来持っている戦術の多彩さに比べれば無いに等しい。

 

 剣士と兵士。これはどちらが優れているか、と問われれば即答はできないだろう。だが、この場にあっては、情報量の差で瑠香が優位に立っていた。

 

 友哉が、一概に茉莉優位とは思わなかった理由は、それだった。

 

 茉莉が前後不覚に陥っている隙に、瑠香はマガジンの交換を終えて再び銃口を向ける。

 

「これで、終わりだよ!!」

 

 引き金を引こうとした、その瞬間。

 

 ギンッ

 

「ッ!?」

 

 指の間から、僅かに見えた茉莉の目から、強烈な剣気が放たれ、瑠香は一瞬息を飲んだ。

 

 次の瞬間、茉莉はフラッシュバンのダメージなど感じさせない動きで一気に距離を詰めた。

 

「クッ!?」

 

 とっさにイングラムを持ち上げる瑠香。

 

 しかし、

 

「遅い」

 

 囁かれる声に滲む殺気。

 

 それは、いつもの仲の良いお友達のそれではない。

 

 イ・ウー構成員《天剣》の茉莉としての顔を覗かせていた。

 

 峰で跳ねあげられる菊一文字。

 

 その一閃は、瑠香の手からイングラムを弾き飛ばした。

 

「あっ!?」

 

 放物線を描いて、イングラムが体育館の床へ転がる。

 

「クッ!?」

 

 瑠香が更に道具を出し、それを投げつけようとした。

 

 が、

 

「愚かな」

 

 低い囁き。

 

 次の瞬間、茉莉は容赦なく瑠香の腕を打ち据える。

 

「あっ!?」

 

 その一撃で、手に持っていた道具がバラバラと零れ落ちる。

 

「この距離で、私の剣に先んじられると思っているんですか?」

 

 嘲るような茉莉の言葉。

 

 その剣が、瑠香へと向けて振り上げられる。

 

 次の瞬間、

 

「まだまだァ!!」

 

 叫びと共に、瑠香が足を振り上げる。

 

 同時に、履いていた靴がすっぽ抜け、茉莉へと向かう。

 

「ッ、悪あがきを!!」

 

 吐き捨てるとともに、靴を振り払う茉莉。

 

 しかし、次の瞬間、茉莉の手にある菊一文字に、細長いワイヤーが巻き付けられた。

 

「あっ!?」

 

 知覚した瞬間、刀は茉莉の手からもぎ取られ、遠くへ投げ飛ばされる。

 

「油断大敵、だね」

「・・・・・・やりますね」

 

 初めから靴は囮。茉莉から武器を奪い取るのが目的だったのだ。

 

 茉莉はスカートの下からブローニングを抜き、瑠香も制服の下からサバイバルナイフを抜き放った。

 

 互いに笑みを交わし合い、最後の武器を構える。

 

 同時に、2人は再びぶつかり合うべく疾走を開始した。

 

 

 

 

 

 2人が激突する様子は、見守る一同にからも見る事ができた。

 

 瑠香がナイフで斬りかかり、茉莉がそれをかわして銃で反撃する。

 

 互いに身のこなしが素早いので、入れ替わりが激しい戦闘となっている。

 

「なんつーか」

 

 その様子を眺めていた陣が、腕を組みながら呟くように言った。

 

「あの2人、随分楽しそうにやり合ってんな」

「そうだね~」

 

 答えたのは理子だった。

 

「ルカルカもマツリンも、これじゃあ決闘って言うより、ただじゃれ合っている感じだよ」

「子猫がじゃれ合ってるって感じか?」

「そうそう、そんな感じ」

 

 そう言って2人は楽しそうに笑う。

 

 一方、立会人に指名されたキンジとアリアは、真剣な眼差しを向けていた。

 

「だが、そろそろ決着が着くんじゃねえか?」

「そうね。見たとこ、2人ともそろそろ限界っぽいし」

 

 冷静に戦況を見極める。

 

 既に2人とも、開始当初にあった動きのキレが鈍り始めていた。

 

 茉莉は銃の弾も切れ、瑠香の手からはナイフがもぎ取られていた。

 

 お互い素手のみとなった状態。しかし、その腕を振り上げる力も残されていなかった。

 

 最早お互い、何のために戦っているのかすら思い出せずにいた。ただひたすら、目の前の相手に勝ちたい。負けたくない。そんな想いだけが2人を前に進めていた。

 

「・・・・・・・や・・・やるね・・・・・・さすが、は、茉莉、ちゃん」

「る・・・瑠香さんこそ・・・・・・正直、み、見くびってました・・・・・・」

 

 更に、一歩、互いに前に出る。

 

 その瞬間、タイミングを合わせたように、2人は前のめりに倒れ、そのまま互いを抱き合うような格好でズルズルとへたり込む。

 

 やがて、

 

「・・・・・・・・・・・・ご、ごめん・・・なさい」

 

 ポツリと、絞り出すように茉莉が言った。

 

「本当は、判ってたんです。瑠香さんは、私を思って、あんな事を言ったんだって。それを、私は・・・・・・」

「あたしこそ、ごめん・・・・・・」

 

 茉莉の言葉を遮るように、瑠香が口を開いた。

 

「茉莉ちゃんの気持ちも考えないで、勝手なことばっかり言っちゃって。茉莉ちゃんが怒るのも無理ないよ」

 

 そのまま、硬く抱擁を交わす。

 

「えっと、この場合、どうなるんだ?」

「あ、あたしに聞かないでよ」

 

 判断に困る、立会人2人。キンジもアリアも、この状況をどう処理していいのか判らない様子だ。

 

「引き分け、ってことで良いんじゃないかな?」

 

 友哉は優しく微笑みながら言った。

 

 元々この戦い、友哉としてはどちらが勝っても遺恨が残りそうな気がしていたのだ。こうなってくれた事は、むしろ好都合だったかもしれない。

 

「そう言う事で良い?」

「別に良いよ~」

「まあ、決着が着かない事はちょいと不満だが、悪くはねえな」

 

 理子も陣も、そう言って頷きを返した。

 

 そして、

 

「そうね。良かったと思うわ」

 

 そう言って口を開いたのは、紗枝だった。

 

 でも、と続ける。

 

「このままじゃ、どうにも収まりが着かないから、落とし前くらいは着けてもらいましょうか?」

「・・・・・・おろ?」

 

 紗枝がそう言った瞬間、友哉は背筋に寒い物を感じた。

 

 そんな友哉を無視して、紗枝は立った今決闘を終えた2人に歩み寄った。

 

「さて、2人とも、楽しいお遊びが終わった所で、今度は私と一緒に遊びましょうか」

「へ?」

「あ、あの・・・・・・」

 

 思わず動きを止めて、紗枝を見上げる2人。

 

「あ、あの、遊びって、どんな?」

 

 恐る恐る尋ねる茉莉。対して紗枝は、ニッコリと微笑んで答える。

 

「なに、簡単よ。まず2人が私の前に座るの」

「そ、それから?」

「そして、私の話を聞いているだけ。ね、簡単でしょ?」

 

 それは俗に言う、「お説教」と言う物ではなかろうか。

 

 微笑む紗枝。しかし、その目は1ミリグラムも笑っていない。

 

「あ、アリア先輩、た、助け・・・・・・」

「さて、決闘も終わった事だし、帰るわよキンジ」

「何でお前が仕切ってんだよ」

「り、理子さん・・・・・・」

「あ、理子、これからお買い物に行くんだった。ほんじゃね、バイバイチャーン」

 

 薄情にも背を向けて出て行く3人。

 

 そして、

 

「逃がさないわよ」

 

 ガシッ

 

 まるで子猫を持ち上げるように、2人の首根っこを捕まえる紗枝。

 

「さあ、とっとと始めましょうか?」

「あの・・・・・・謹んでご辞退を・・・・・・」

「え? 何か言った?」

「・・・・・・御拝聴、させていただきます。はい」

 

 最後の抵抗もけんもほろろに弾かれて、顔面、真っ青になる茉莉と瑠香。どうやら、彼女たちの運命は確定したらしかった。

 

「俺も帰るわ」

 

 大きく欠伸をしながら、陣が友哉に言う。

 

「お前はどうすんだ?」

「僕は残るよ」

 

 友哉は苦笑しながら答える。多分、終わった後、2人を慰める人間が必要だろうから。

 

 紗枝は問診の練習と称して、一時期、尋問科を自由履修してた事があるらしく、綴梅子直伝の尋問術を習得している。

 

 友哉も1年の頃、一度受けた事があるが、終わった後、全ての力を使い果たし、立ち直るのに2日掛ったのを覚えている。

 

 そんな訳で、友哉は去っていく陣に手を振り、お説教が終わるのを待つ事にした。

 

 2人は早速、体育館の隅で正座させられ、その頭の上に雷を落とされている。

 

 友哉は肩を竦めると、その様子を少し離れた場所から眺めていた。

 

 説教は、その後、1時間近くに渡って続けられ、瑠香と茉莉は殆ど半泣きに近い状態にまで追い込まれていた。

 

 紗枝の前で正座させられ、項垂れている2人に、紗枝は容赦なく言葉を浴びせて行く。

 

「・・・・・・そもそも、うちの学校じゃ下らない事で決闘する奴等が多いけど、アンタ達もそれと同じレベルね。馬鹿なの? いえ、馬鹿なんでしょうね。馬鹿じゃなかったら、やり合う前に一度話し合いなりなんなりするでしょうし。もうね、アンタ達の事は、明日から馬鹿娘1号、2号って呼ぼうかしら」

「い、いえ、それは・・・・・・」

「あら、不満なの、馬鹿娘1号さん? 随分と贅沢なのね、人に意見するなんて。普通は『ありがとうございます』って泣いて喜ぶ所なんだけど。馬鹿娘が嫌なら阿呆娘1号、2号の方がいいかしら?」

「い、いや、それランク下がってるんじゃ・・・・・・」

「へえ、そんな事を考えられる脳味噌はあるのね。意外だったわ。馬鹿娘2号さん」

 

 そんな感じで、尚も続いて行く。

 

「だいたいね、アンタ達みたいなお尻の青いガキが決闘なんて100年早いわよ。せめてオムツが取れてから出直して来なさいッ」

「「・・・・・・はい」」

「声が小さい!!」

「「は、はいィ!!」」

 

 これは、終わった後、2人に何か奢った方が良いかもしれないな。

 

 友哉はそんな事を思い、尚も続くお説教を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数日後、

 

 いつものようにトレーニングを終えて帰宅した友哉を、なぜか満面の笑顔を浮かべた瑠香と、少し恥ずかしそうに俯いている茉莉が玄関で出迎えた。

 

「おろ、どうしたの、2人とも?」

「良いから良いから、友哉君、こっち来て」

 

 訳が判らないまま瑠香に背中を押され、テーブルへと連行されると、そこには食事が一組用意されていた。

 

 やや色の付いた白米ご飯に、何だか色が濃い味噌汁、辛うじて形が判る程度に炭化した魚に、多分肉だと思われる物。

 

 とても、食事と呼べるレベルの物ではない。しかし、

 

「これ、もしかして、茉莉が作ったの?」

「は、はい・・・・・・」

 

 そう言って俯く茉莉。

 

 一生懸命作ったのだろう。その指には絆創膏がいくつも張られている。

 

「ほらほら、友哉君食べてみて」

「判った」

 

 そう言うと友哉は、箸を取って一つずつ食べて行ってみる。

 

 一通り口に入れてから、箸を置いた。

 

「ど、どう?」

 

 緊張の面持ちで尋ねる瑠香。茉莉もまた、無言のまま真剣な眼差しを向けて来る。

 

 ややあって、友哉は答えた。

 

「・・・・・・・・・・・・まだまだだね」

「・・・・・・そうですか」

 

 友哉の言葉に、茉莉は落胆したように呟いた。

 

「もうッ、友哉君、空気読まなすぎ、茉莉ちゃんだって、頑張って・・・・・・」

「けど、」

 

 抗議する瑠香を遮って、友哉は言った。

 

「すごく、上達したと思うよ。前よりずっと美味しくなったと思う」

 

 その言葉を聞いて、瑠香と茉莉は嬉しそうに手を取って喜びあった。

 

 友哉は、もう一度、箸を取って口に運ぶ。

 

 苦い。

 

 まだ、人に食べさえる、というレベルではないだろう。

 

 だがそれでも、その中にある茉莉の真心のような物は、しっかりと感じる事ができた気がした。

 

 そこでふと、友哉はある事を思い出して顔を上げた。

 

「そう言えば、言い忘れてたけど、メールボックスに茉莉宛ての手紙が来てたよ」

「手紙・・・・・・ですか?」

 

 茉莉は訝るようにして受け取り、何気なく裏面に返した。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「誰から?」

 

 横から覗き込もうとする瑠香。

 

 だが、茉莉は隠すように、身を翻した。

 

「あ、あの、すいません。重要な書類みたいなんで、部屋で読みますね」

「そう?」

 

 そう言うと、茉莉は自分が使っている部屋へと入って行った。

 

「いや、それにしても、茉莉も良く頑張ったね」

「でしょでしょ、大変だったんだから」

 

 そう言って、瑠香も一口、食べてみる。

 

「うん、ようやく、食べられるって感じになったね」

「これも、瑠香のおかげかな?」

「や、やだなあ、もう」

 

 褒める友哉に、瑠香は照れたように顔を赤くした。

 

 だが、実際、瑠香が献身的に茉莉の特訓に付き合ってあげたからこそ、茉莉の料理の腕は、ここまで上達したんだと思う。

 

 あの喧嘩の事は、確かに大変だったが、結果的に2人の友情はより強まったように、友哉には見えた。

 

 

 

 

 

 その頃、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 無言で手紙を読む茉莉。

 

 やがて、

 

 手紙を再生できないくらいに細かく破り捨てると、ふらつくような足取りで部屋を後にした。

 

 

 

 

 

第1話「意地っ張りな子猫達」     終わり

 



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第2話「帰省」

 

 

 

 

 

 

 

 東京郊外に、活気溢れるような空間が存在している。

 

 江戸時代から連綿と続く町道場は、規模的には大手の流派には敵わないものの、それでも通う子供たちのはしゃぐ声が絶える事無く、いつも笑い声に満ち溢れていた。

 

 夕方にもなれば、竹刀を打ち合う音や、それに伴う元気のいい掛け声が聞こえて来る。

 

 昔ながらの剣道場から聞こえて来る、子供達の活気溢れる声は、下町風物詩の一つであると言える。

 

 だが、今日の活気はいつもと少し違った。

 

 この道場の1人息子が、友達を伴って帰って来た事にそれは起因している。

 

 元々、少年は小さい子供達に人気があったのだが、ここ数年は都心の学校に行き寮に入ってしまった為、なかなか道場の方に顔を出す事ができなかった。

 

「そうそう、右手はもっと力を抜いて、左手には力を入れて。でも、手首はもっと柔らかく、ブラブラするくらいがちょうど良いかな」

 

 緋村友哉は、防具を付けた少年に優しく竹刀の握り方を教えてやっている。

 

 ここは神谷活心流緋村道場。友哉の実家である。

 

 江戸時代から続く道場で、戦中は米軍による帝都空襲からも全損を免れ、若干の増改築を行いながらも、今日までその伝統と技を伝え続けて来ている町道場である。

 

 神谷活心流とは、その名称の通り活人剣を旨とし、相手を殺さずに制圧する事を目指している。

 

 殺人剣隆盛の江戸時代にあって、その思想と戦い方はある意味異色であったとも言える。だが、現代の武偵が殺人を否定し、非殺を謳っている事を考えれば、200年もの時代を先取りした剣術であったと考える事もできる。

 

 友哉は、学校の夏休みを利用して、昨日から帰省していた。

 

 そんな訳で友哉は、夕方から子供達の相手をして剣道に興じているのだ。

 

 飛天御剣流の変則的な剣術を使いこなす友哉にとって、型にハマった道場剣道は物足りなさを感じずにはいらなかったが、子供好きの友哉にとって、こうして小さい子達の相手をするのは楽しい時間であった。

 

「ねえねえ、兄ちゃん。稽古付けてよ」

 

 顔見知りの男の子が、元気に手を上げてそう言って来る。

 

「判った、良いよ、ちょっと待って」

 

 友哉がそう言って、防具を付けようとした時だった。

 

「あ~、ずるい、俺も俺もッ」

「わたしも~」

「僕も!!」

 

 あっという間に友哉は、たかって来た子供達にへばりつかれて姿が見えなくなってしまう。

 

 これも、友哉自身の人徳故であろう。彼が相手をする子供達は、皆、きらきらと瞳を輝かせている。友哉がきてくれて、本当に嬉しいのだ。

 

 だが、たかられ方からすれば堪った物ではない。

 

「お、おろ~」

 

 あっと言うかに押し倒され、子供達の中へと埋もれてしまう。

 

 その時、

 

「何してるの、みんなッ」

 

 女性が手を叩きながら、道場に入って来るのが見えた。

 

 年の頃は25、6。結ったポニーテールの髪と、整った顔立ちが特徴的の女性で、長年剣道に親しんで来たせいもあり、剣着と袴の着こなしに隙がなかった。

 

 子供1人産んでいるにもかかわらず、まったく崩れを知らない体は、その容貌と相まって、未だに街を歩けば掛かる声に辟易している事がある。

 

「ほ~らほら、遊んでないで。さっさと防具付けて、斬り反しから基本の打ちこみまではいつもの通り。掛かり稽古になったら私と友哉も入るから。先生がいないからってサボっちゃダメよ」

『は~い』

 

 子供たちが元気に散っていくのを見て、女性は肩を竦め、次いで床に襤褸雑巾のように転がっている友哉を見た。

 

「ほら友哉、あんたもいつまで寝てる気? さっさと起きなさい」

「おろ~」

 

 目を回している友哉に、女性は溜息をつくしかなかった。

 

 

 

 

 

 明神彩(みょうじん あや)は、友哉の従姉で、元武偵庁所属の特命武偵に当たる。

 

 神谷活心流を子供の頃から習い、既に師範である友哉の父から免許皆伝を貰っている彩は、その理念と技を活かし、敵は勿論のこと、味方や護衛対象にも一切死人を出した事は無かった。

 

 その戦術構成は、鉄壁と称して過分は無く、いつしか人々は、彼女の事を「絶対防御(イージス)」と言う異名で呼ぶようになっていた。

 

 彼女の現役時代、友哉も武偵助手としてあちこちに連れ回され、事件解決の手伝いをやらされていた。

 

 しかし、今から3年前。とある事件で左肩に重傷を負い、前線で戦う事ができなくなった為、実戦部隊から事務方へと所属が変更された。更にその1年後、かねてから付き合っていた婚約者との結婚を機に引退、昨年には待望の第一子も誕生している。

 

 現在は緋村道場で師範代を務め、こうして子供達に剣道を教える毎日を送っていた。

 

 夕方になり子供達が帰った道場の中で、友哉は彩と2人、後片付けに勤しんでいる

 

 練習の後、片づけをするのは子供達の義務なのだが、彼等に任せっぱなしにすると、どうしても雑にやってしまうので、あとでこうして友哉達が細かい部分に手を入れているのだ。

 

「どう、学校の方は。勉強は進んでる?」

 

 竹刀を整理しながら、彩が尋ねて来る。彼女も東京武偵校のOGであり、学生時代から大きな事件をいくつか解決した事で有名である。

 

「まあね。取り敢えず、単位は足りているし。任務の方も順調だよ」

「任務ねえ・・・・・・」

 

 友哉の言葉に、何かを思い出したように彩は溜息をついた。

 

「な、何?」

「この間、長谷川さんから電話が掛って来てさ。あんたがイ・ウーに関わる事件に首突っ込んでるって聞かされた時は、本当にびっくりしたわよ」

 

 長谷川と言うのは東京地検特捜部に所属する武装検事で、名を長谷川昭蔵(はせがわ しょうぞう)と言う。ブラド事件の際には共闘した事もある。彩とは武偵現役時代顔見知りである。もっとも、当時はあまり仲が良かったとは言えないが。

 

 その長谷川からどの程度の事を聞いているのかは知らないが、イ・ウーの名前は特命武偵であった彩も知っている筈。その得体の知れない不気味さも含めて。

 

「あんまり、無茶しないでよね。長谷川さんから聞いた時は、正直頭が痛くなったわよ」

「それは・・・・・・ごめん・・・・・・」

 

 イ・ウーから手を引けとは、昭蔵からも言われた事だが、友哉はそれを突っぱね、ついには連中の本拠地まで攻め込み、組織壊滅に一役買ってしまった。

 

 最早友哉達は、後戻りできない所まで踏み込んでしまっている。例えこちらが無関心を装うとも、表裏に関わらず世界中の組織が注目して来る事だろう。場合によっては交戦も避けられない筈。加えて、イ・ウーも組織は壊滅したとはいえ、残党はまだ健在である。事件後に姿を消した遠山金一とパトラの事も気になる。

 

 彼等はいずれ、友哉達の前に現われる事になるだろう。これからは今まで以上に舵取りの難しい選択が迫られ、その上でより一層激しい戦いに身を投じる事になるだろう。

 

「そうだ、友哉」

 

 彩が何かを思いついたように言うと、壁に掛けてある木刀のうち、一番上にある、友哉が普段使っている木刀を手に取って投げてよこした。

 

 それを空中で受け取った友哉の目に、自身も木刀を一振り構えた彩の姿がある。

 

「久しぶりだし、手合わせしてみない?」

「姉さん・・・・・・」

 

 神谷活心流は竹刀剣術である。稽古に木刀を使う事は無い。しかし、彩は武偵を目指し実戦的な剣術も学ぼうと思い立った時から、個人練習には木刀を用いるようにしている。

 

 その木刀を、彩は右手一本で持ち、切っ先を友哉に向けて来た。奇妙な構え方ではあるが、彼女は今、こう言う構えしかできない。

 

 彩は左肩が上がらないのだ。通常、肩関節の関節可動域は、屈曲(前回し)方向に180度、外転(横回し)方向に180度となっている。しかし彩は、過去の傷がもとで、どんなに力を入れても左肩は90度以上上がらなくなってしまったのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 その様子を無言で眺めながら、友哉も木刀を正眼に構えた。

 

 彼女との対峙は、もう何度目になるか判らない。少なくとも彩が武偵現役時代、そしてそれ以前の対戦で勝てたためしは無かった。

 

 視線が合わさる。

 

 次の瞬間、友哉は動いた。

 

 強烈な踏み込みと共に一気に接近。横薙ぎに木刀を振るう。

 

 その一撃に対し、彩は右手だけで気用に木刀を操り、友哉の剣を弾いた。

 

 更に友哉は自身の間合いに踏みとどまり、高速の乱撃を行う。龍巣閃程の速度は出さないが、それでも普通であれば目視も難しい速度だ。

 

 だが、その攻撃に対し、彩もまた対応して見せる。

 

 全ての攻撃を、右手1本、木刀一振りで防いでいる。

 

 片腕となり、現役を退いたにもかかわらず、その技量の健在ぶりを如何なく示している。

 

 鋭い反撃が、友哉を掠めるように振るわれる。

 

「ッ!?」

 

 とっさに後退する事で回避する友哉。

 

 そこへ、追撃とばかりに彩が踏み込んで来る。

 

 袈裟掛けに奔る一閃。

 

 対して友哉は、大きく跳躍。彩の頭上を飛び越えて、その背後に立った。

 

 ほぼ同時に、彩も振り返る。

 

 互いに振るう木刀。

 

 その一撃がぶつかり合って、乾いた音を立てた。

 

 互いに後退。一足一刀の間合いにて構え直す。

 

「どうしたの、友哉」

 

 余裕を見せる表情で彩は言う。

 

「もっと本気で掛かって来なさい。イ・ウーを壊滅させたって言うアンタの剣は、そんな物ではないでしょう」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 彩の言葉に、友哉は一瞬、躊躇うように目を閉じる。

 

 確かに、友哉は手を抜いて剣をふるっている。それは彩の体を気遣っての事だ。

 

 しかし、確かに手を抜いた状態で剣を振るう事は、相手に対して失礼以外の何ものでもない。それが彩ほどの実力者であるなら尚更だ。

 

「・・・・・・判った」

 

 友哉は頷くと、改めて剣を構え直す。

 

 次の瞬間、その姿は霞のように消え去る。

 

 一瞬にして、友哉は彩の頭上へと移動する。

 

 振るわれる一閃。

 

 飛天御剣流 龍槌閃。

 

 雷霆の如き一撃に対し、彩の反応が一瞬遅れる。

 

「クッ!?」

 

 とっさに掲げた木刀で、友哉の攻撃を防ぐ。

 

 が、友哉は着地を待たずに次の攻撃に移っていた。

 

 体を大きくねじり、抜き打ちの構え。

 

 鋭い横一線に対し、彩はとっさに後退する事で回避した。

 

 彩は内心で舌を巻く。

 

 これが友哉の本気か。否、彼女の見た所、友哉はまだ余力を残している。

 

 元々、友哉は並みはずれた剣術の才能があった事に加えて、友哉自身相当な努力家である。更にここに来て、イ・ウー構成員との実戦経験も加わる事になる。実力が飛躍的に上がらない筈がないのだ。

 

『いつの間にか、こんなになっちゃって』

 

 友哉の剣を辛うじて弾きながら、感慨深げに彩は心の中で呟く。

 

 自分の後をついて回っていた頃に比べて、こんなにも成長しているとは。

 

 友哉は木刀を右手一本で持ち、更に左手は刃の峰に支えた状態で構える。

 

『あれはッ!?』

 

 彩が防御の体勢に入るが、既に加速した勢いを止める事はできない。

 

 鋭い切り上げに対し、防ごうとした彩の木刀が弾き飛ばされる。

 

 飛天御剣流 龍翔閃

 

 友哉が飛天御剣流の中で、最も得意としている技である。

 

 その一撃を受けて、彩は立ち尽くす。

 

 ややあって、手を離れた木刀が道場の壁に当たって床に転がった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 彩は絶句する。想像以上の成長ぶりだ。

 

 弟同然に思っていた少年の、思わぬ成長に、感心以前に驚愕が勝っていた。

 

 その友哉は、長い飛翔を終えて彩の背後に降り立った。

 

「・・・・・・・・・・・・ごめん」

「・・・・・・何で、謝るのよ」

 

 突然の友哉の謝罪。

 

 彩には、友哉が何に対して謝っているのか、想像が着いていた。

 

 ついているだけに、逆に腹が立った。

 

「だって、姉さんは万全だったら、こんな物じゃなかった筈だ」

「今更、そんな事言ったって始まらないでしょ。これが『今』の私の実力よ」

「でもッ!!」

 

 友哉は感極まったように、勢いよく振り返る。

 

「姉さんがそんな風になったのは、『俺』の・・・・・・」

「友哉」

 

 言い募ろうとする友哉を、彩は強い口調で制した。

 

「それ以上言ったら、本気で怒るよ」

「姉さん・・・・・・」

「確かに、あの事件で私は武偵として戦う力を全て失った。けど、」

 

 言ってから、彩は友哉に笑い掛けた。

 

「アンタが、私の後を継いで武偵になってくれるなら、腕の1本くらい安いものよ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 その言葉に友哉は答えない。

 

 ただ黙して、彩から視線を逸らした。

 

 その時、

 

「友哉君、彩さん。お夕飯できたよ」

 

 瑠香が道場に入って来た、そう告げる。ヒヨコのエプロンを付けている所を見ると、どうやら食事の支度をしていたらしい。

 

「あ、そう言えば、もうこんな時間か。さあ、行こう友哉」

「う、うん・・・・・・」

 

 木刀を拾い、先に立って歩き出す。

 

 友哉は自分の「姉」に対し躊躇うような気持を抱えながらも、その意思を継ごうと考えを新たにするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 敷地内に個人所有の剣道場を持つ緋村家の敷地は広く、東京都内にありながら一種の豪邸のような印象すら受けた。

 

 周囲は塀で囲まれ、日本家屋特有の静かで温かみのある造りである。

 

 居間のテーブルには、美味しそうな料理の数々が並び、さながら宴会のような様相を示している。

 

「お、こりゃ美味そうだ」

「あ、ダメですよ、相良先輩。つまみ食いしたりしちゃ」

「良いじゃねえかよ、ちょっとくらい」

 

 既に待ちきれないと言った様子の陣が、早速手を付けようとしているのを見咎めて、瑠香が声を上げている。

 

 そんな様子を、追加の料理を手に入ってきた女性がクスクスと笑いながら見ている。

 

「相良君。もう少しだけ待ってね。今、うちの人も帰ってきたところだから」

「いや~、こりゃすんませんね」

 

 やんわりと注意され、陣は照れたような笑いを浮かべる。

 

 まだ20代後半くらいに見えるその女性は、しかし実際には40代に差しかかっている。しかし、その事を感じさせない程若々しい外見をしていた。

 

 女性の名前は緋村雪絵(ひむら ゆきえ)。友哉の実の母親に当たる。剣術道場と言う荒事を生業とする家の女性とは思えないほどだ。

 

「ほんとに、友哉がお友達を家に連れて来るなんて珍しいわ。ゆっくりして行ってね」

「ありがとうございやす」

 

 陣がそう言った時、浴衣に身を包んだ壮年の男性が居間に入って来た。

 

「おや、今日は宴会かな?」

 

 微笑を含む低い声で囁かれる声は落ち着きに満ち溢れているが、醸し出される雰囲気はどこか深い物を感じる事ができる。どこか、歩んできた人生を感じさせる男性だ。

 

 男の名前は緋村誠治(ひむら せいじ)。神谷活心流現当主にして、友哉の父親である。

 

「あ、こりゃ、お邪魔しています」

 

 そう言って頭を下げる陣に、誠治も笑って手を振る。

 

「相良陣君だね。友哉から時々電話で話を聞いてるよ。頼りがいのある友達ができたって。ここを自分の家だと思ってゆっくりして行きなさい」

「どうもです」

 

 この手の礼儀に関して、陣は割と心得ている方である。多少、言葉づかいは微妙に荒いのは、御愛嬌と言うものだろう。

 

 やがて、着替えを終えた友哉と彩も合流し、宴会の幕開けとなった。

 

 料理は雪絵と瑠香が心を込めて作った御馳走ばかりである。雪絵は元々料理が美味いし、瑠香は言うに及ばずである。一同の箸が自然と進むのは当然の事であった。

 

「ん、この唐揚げ、美味しい。瑠香ちゃんが作ったの?」

「はい。衣の厚さに、少し工夫を入れてみました」

「そんな所まで、気を使うんだ。もう、これならいつでもお嫁さんに行けるね。友哉の所に」

 

 彩の言葉に、友哉は思わずの見かけのウーロン茶を噴き出した。

 

「ブッ、な、何言ってんの、姉さんッ!?」

「あら、いつでも受け付けてるわよ。瑠香ちゃんみたいな娘がお嫁さんに来てくれたら、母さんも楽できるし」

「母さんまで!!」

 

 この主婦どもは、

 

 自分の意思に依らず、話をどんどん進められ、友哉としては頭痛がする思いであった。

 

 見れば、いつの間にか隣に来ていた瑠香が、何を思ったのか三つ指を着いていた。

 

「あ、あの、不束者ですが・・・・・・」

「いや、早い早い」

 

 お前は白雪か。

 

 心の中で突っ込みを入れつつ、友哉は男性陣の方へ視線を向けて見た。

 

「いや、相良君。君もなかなか行けるクチだね」

「何の、まだまだ、これからっすよ」

 

 何やらできあがった感のある2人が、さっさと酒盛りを始めていた。

 

「いや~、若い者と飲む酒はおいしいね~ 友哉は全く付き合ってくれないから詰まらんのだよ」

「いや、付き合うも何も、僕達はまだ未成年だからね、父さん」

「そいつはいけねえな。男だったら酒の一つも飲めねえと」

「一応言っとくけど陣、君も未成年だからね」

 

 友哉が冷静に突っ込みを入れるが、既に完璧に出来上がっている陣は聞く耳を持たない。

 

「馬鹿野郎。法律が怖くて、武偵ができるか!!」

「いや、武偵なら法律くらい守ろうよ」

 

 素面で酔っ払いの相手をする事ほど、面倒くさい事は無い。

 

 友哉は溜息をつくと、2人から離れて縁側に出た。

 

 涼しい夜風が、気持ちよく吹き抜けて行く。昼間、あれだけ暑かったのが嘘のようだ。

 

 見上げれば、煌々と輝く月が明るく夜空を照らしている。

 

「そう言えば、家から見る月は久しぶりか・・・・・・」

 

 満月ではないが、こうして闇夜に大きく浮かぶ月を見ていると、少しほっとする思いであった。

 

 寮の窓から見る月も、ここから見る月もあまり変わらないのだが、家で見る月の方に愛着があるのは、落ち着いて見る事ができるからかもしれない。

 

「茉莉も来ればよかったのに」

 

 ふと友哉は、この場に来れなかったもう1人の友人の事を思い浮かべた。

 

 茉莉の事も誘ったのだが、実家に用事があるとかで、同行しなかった。

 

 何やら、深刻めいた茉莉の顔が、今になって思い浮かばれる。

 

 ここ数日、茉莉は何かに悩んでいるようなそぶりをよく見せていた。しかし、友哉や瑠香が尋ねても、何でもないの一点張りで、それ以上何もしゃべろうとしなかった為、真相は判らないままである。

 

「どうだ、久しぶりの実家は?」

 

 背後から話しかけられたのは、そんな時だった。

 

 誠治はビールの入ったコップを手に、友哉の傍らに腰を下ろし、同じように月を眺める姿勢になった。

 

「陣の方は良いの?」

「ああ、彼な。なかなか面白いな。お前の友達としては、個性的な方じゃないか。まあ、あのまま彼とばかり話しているのも何だから、抜けだしてきた」

 

 そう言って、手にしたビールをグッと口に入れる。

 

「話の方は、彩ちゃんから多少の事は聞いている。色々と、派手に暴れているらしいね」

「いや、まあ、ね」

 

 誠治の言葉に少し不穏な物を感じ、友哉は首を竦める。

 

 確かに、ここ数カ月、命の危険を感じた事は何度もある。それを考えれば、親が良い顔をしない事は充分に予想できる。

 

 勿論、武偵にも守秘義務があるので彩が全てを話したとは思えないが、それでも一部だけ聞いただけでも、肝を冷やすには充分なレベルの筈だ。

 

 だが、意外な事に誠治は笑顔を浮かべ、息子を見た。

 

「お前が活躍してくれる事は、親として素直に嬉しく思うよ」

「父さん・・・・・・」

「だが、体は大事にな。どんな時でも健康である事が、長く戦い続ける秘訣だぞ」

「うん、判ってる」

 

 頷く息子に、誠治は優しく笑い掛けると、懐に手を突っ込んで、何かを取り出した。

 

「ほら、受け取れ」

「なに、これ?」

「お前、誕生日近いだろ。プレゼントの前渡しだ」

 

 確かに、友哉の誕生日は8月の22日。近いと言えば近いが、それにしても、プレゼントの前渡しとは。

 

 訝りながら包みを解くと、思わず友哉は目を見張った。

 

「父さん、これッ」

「どうだ、お前がずっと、欲しがっていたものだろう」

 

 中には3冊の古びた書物が収められていた。書物と言っても、きちんと背を糊づけされた本タイプではなく、何枚もの紙を紐でくくって本の形にした物である。

 

 表紙には『備忘録 其之弐拾四 緋村剣路』とあった。

 

「緋村剣路と言えば、緋村家の二代目当主であり、かの人斬り抜刀斎の息子であったと言われている。今日、こうして飛天御剣流が現代に伝わっているのも、彼の功績に依る所が大きいだろう」

 

 そうだ。緋村家初代当主は、そもそも飛天御剣流を後世に伝えるつもりは無く、息子の剣路にすら何一つ教える事は無かったと言う。しかし緋村剣路は独学で飛天御剣流の技を再現したらしい。

 

 友哉も殆ど手さぐりに近い所から始めた事もあり、この130年前に生きた先祖には、どこか共感のような物を覚えていた。

 

「少し読んでみたが、それには飛天御剣流の技の中でも、特に派生技に関する物が多く書かれていたよ。きっと、お前の助けになる筈だよ」

「ありがとう、父さん」

 

 友哉は、貰った本を大事そうに抱えた。これで、いくつかの技を再現できれば、新たな力を得る事ができる。

 

 これからの戦い、より一層激しくなることが予想される。飛天御剣流が完成すれば、これから現われる多くの敵にも対応できる筈だ。

 

「じゃあ、私からは、これね」

 

 そう言うと、いつの間に来たのか、雪絵が紙に包まれた物を差し出した。

 

「母さん、これは?」

「あなたが帰って来るって聞いてね、お父さんと2人で何を送れば良いのか考えたの。開けてみて」

 

 言われるままに開けてみると、中から漆黒のコートが出て来た。腰の部分と襟にはベルトがあしらわれたデザインをしている。

 

 だが、貰ってから友哉は、少し微妙な顔を作る。

 

「いや、嬉しいけどさ、今、まだ夏だよ」

 

 夏に黒のロングコートを着ても、暑苦しいだけだと思うのだが。

 

 だが、そんな友哉に対し、雪絵は心配無用とばかりに胸を張る。

 

「大丈夫よ。それね、何でもアメリカの軍隊か何かが開発したっていう素材を使っているらしくてね、夏でも着れるように、通気性は抜群なんだって」

「へえ・・・・・・」

 

 確かに、通気性の高い防弾服の開発は、各国の企業でも躍起になっている所だ。一々夏が来るたびに防御力が落ちていたのでは、笑い話にしかならない。

 

「ありがとう、母さん」

「大事にしてね。そのコートじゃなく、あなたの体を」

 

 そう言って、雪絵は優しく微笑む。

 

 友哉が武偵になると言った時、雪絵は強くは反対しなかったが、同時に、内心ではあまりよく思っていなかったであろう事は、友哉にも薄々判っていた。その母が、こうして応援してくれる事は、理屈を抜きにして嬉しい事である。

 

 友哉が興味深げにコートを広げて眺めている時だった。

 

 ポケットに入れておいた携帯電話が振動し、着信が告げられる。

 

 こんな時間に誰かが電話をして来る事は珍しい。訝りながら出てみると、聞き慣れた声が耳に入ってきた。

 

《緋村か。夜分にすまない。ジャンヌだ》

「おろ、ジャンヌ。どうしたの?」

 

 ジャンヌ・ダルク30世は、少し緊張した声音で話し出す。

 

《うむ。少し気になる情報が入ってきたのでな。お前にだけは教えておこうと思ってな》

「気になる・・・・・・どんな?」

 

 ややあって、ジャンヌが言った言葉は、友哉を驚愕させるには充分な物だった。

 

《・・・・・・単刀直入に言おう。瀬田の命が危ない》

 

 

 

 

 

 長野県某所

 

 この辺りは山間部に位置し、昔ながらの里山の風景を残している。

 

 人口も2000人と少なく、歩いていて人に出会う事もあまりない。

 

 近年になり、都会から若者が、レジャー目的で遊びに来る事も多くなり、そのおかげで僅かに財政も潤い始めて来た所である。

 

 近辺には街灯も少なく、夜ともなると殆ど真っ暗に近くなる。

 

 そんな暗い夜道を、2人の男が千鳥足で歩いている。

 

「おやっさん。そんなんで、明日の仕事、大丈夫すか?」

「馬鹿野郎。こんなもん、呑んだ内に入るかよッ!?」

 

 顔を赤く染め、明らかに回っていない舌で、年輩の男は叫ぶ。

 

 たった今、商店街にある飲み屋で閉店まで飲んで来た帰りである。

 

 全く、困ったものである。

 

 明日は仕事だと言うのに。現場監督がこんな状態で本当に大丈夫だろうか。

 

 心の中で溜息をついたた時だった。

 

 それまで鳴いていた虫の音が、一斉に途絶えた。

 

「・・・・・・な、何だ?」

 

 一切の音が途絶えた静寂。漆黒の闇の中にあって、全ての存在が消えうせたような錯覚すら覚える。

 

 不気味な存在に、それまで回っていた酔いも、一気に冷めて行くのが判る。

 

「な、なんでぇ、こいつはッ!?」

 

 隣を歩いていた監督も、その雰囲気に圧倒されて目を覚ました。

 

 その時だった。

 

 突然、左右に列を作るように、青白い炎がボッと浮かび上がった。

 

 炎は次々と点灯し、炎の道を作り上げて行く。

 

「な、何なんだよ、こいつはよッ!?」

「し、知りませんよ!!」

 

 あまりの出来事に、発狂しそうな程に狼狽する。

 

 その炎が進む先に、人影が立っている。

 

 だが、その顔には、能などで使う狐の面が付けられていた。

 

「い、稲荷小僧・・・・・・」

 

 恐怖で腰を抜かし、呟く声。

 

 ゆっくりと、人影は近付いて来る。

 

 その手には、一振りの日本刀が握られていた。

 

 

 

 

 

第2話「帰省」      終わり

 



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第3話「水辺の天女」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝になり、鳥の音と共に目を覚ます。

 

 最近ではベッドで寝る事が多かったので、こうして畳の上に布団を敷いて寝るのは本当に久しぶりだった。やはり、こちらの方が、自分には合っているように思えた。

 

 ただ、最近はよく、同室の娘と一緒の布団で寝る事が多かった為、1人で寝る布団に物足りなさを感じていたが。

 

 それでも、久しぶりの実家と言うのは良い物である。

 

 寝巻にしている白襦袢を脱ぎ、普段着に着替え、紐でセミロングの髪をショートポニーに結んで、服装をチェックする。

 

「ん、問題無し・・・・・・」

 

 低い声で呟く。

 

 朝の準備を終えた瀬田茉莉は、お勤めに出るべく部屋を後にする。

 

 その格好は、白い上衣に緋袴と言う巫女装束を着ていた。

 

 

 

 

 

 神社の石段を、竹箒を掃き清めて行く。

 

 まだ葉の落ちる時期ではない為、掃除は比較的簡単に済む。それに、こちらに戻って来てから毎日掃除しているので、思っている程汚れも無い。

 

 長野県の山村にある瀬田神社の歴史は、古くは戦国時代にまで遡る。

 

 この皐月村自体が、元々は戦火を逃れて移り住んで来た者達が作った隠れ里である、という伝承が残っている。江戸時代後期になるまで、他の村との交流も殆ど無く、閉鎖的な印象が強かったのだ。

 

 瀬田神社はその中にあって土地神を信仰し、村の有力者として人々の信頼を集めていた。

 

 もっとも、瀬田と言う名字を使うようになったのは、明治期に入り、当時の神主の1人娘が、旅人として訪れた男性と結婚してからの事であり、それ以前は別の名前を使っていたらしい。生憎、そこら辺の記録は大正期に倉が火事で焼失した為に失われてしまい、今となっては調べる事もできないが。

 

 元々、神道系だった事もあり、廃仏毀釈の難も逃れ、瀬田神社は今日に至るまで存続していた。

 

 茉莉はこの神社の巫女であり、神主の一人娘でもある。

 

 とは言え、今この神社にいるのは茉莉1人である。母は茉莉が生まれて間もなく他界した為、茉莉は父と長く2人暮らしをしてきたのだが、その父もつい先日、事故によって大怪我をして今は病院にいる。

 

 茉莉が武偵校の寮で受け取った手紙は、父が事故にあったという知らせだったのだ。

 

 その時、石段を上って来る人影がある事に気付いた。

 

「あれ、茉莉ちゃん、おはよう」

「おはようございます」

 

 上がって来たのは、近所に住む高橋のおばさんだった。

 

 茉莉が産まれる前から瀬田家と付き合いがある女性で、茉莉は子供の頃から可愛がってもらっている。

 

「朝の参拝ですか?」

「うん。いつも通りのね。茉莉ちゃんも御苦労さま」

 

 高橋は茉莉と同じ段まで登って来て、気さくに話しかける。

 

 母親のいない茉莉にとっては、母代りのような女性だ。自然と、接し方にも親しみやすさが交じる。

 

「それにしても、あれね。茉莉ちゃんも久しぶりでしょ。こうして実家で暮らすのも」

「はい、そうですね。もう3年になります」

 

 茉莉がイ・ウーに「入学」したのは14歳の時だ。以来、故郷には一度も戻っていない。とある大望を秘めて故郷を出た茉莉にとって、戻る時はその大望を果たす時と決めていた。

 

 だが、既にそのイ・ウーを抜け、彼の秘密結社もまた壊滅した。そして父の事故の報せを受け、茉莉は目的を果たせないまま、故郷の土を踏む事となったのだ。

 

 もっとも、そう言った裏の事情は、目の前のおばさんにはあずかり知らぬ事である。

 

「長い事、都会で一人暮らしは大変だったでしょう」

「ええ、ちょっと」

 

 イ・ウーにいた時期も含めて、茉莉が故郷を離れていた理由は、そう言う風に説明されているらしい。確かに、その方が茉莉としても色々と都合が良いが、優しい父らしい配慮だと思った。

 

「それにしても、」

 

 そんな事を考えていると、高橋のおばさんは茉莉に顔を近づけて来た。

 

「おばさん、ほんとに心配だったのよ」

「心配って、何がですか?」

 

 キョトンとする茉莉に、おばさんは険しい顔で言った。

 

「だって、茉莉ちゃんって、言っちゃなんだけど、こう、ボーッとしてる所あるじゃない。都会に行って悪い人に捕まったりしないかってね」

 

 そう言う事は、本人を目の前に言わないでほしい。

 

 確かに悪い人達(イ・ウー)と付き合いがあったのは事実だが。

 

「それに、茉莉ちゃんってば、ろくにお料理もできないじゃない。そんなんで、本当に1人でやっていけるかどうか、おばさん心配で心配で」

 

 それに関しては、例え天地がひっくりかえっても茉莉に反論する資格は無い。何しろ、それが原因で瑠香と大喧嘩をやらかしたのは、ついこの間の事である。

 

「茉莉ちゃんは頼りないから。本当に大丈夫だった?」

「だ、大丈夫ですって」

 

 そう言って強がって見せる茉莉。

 

 だが、完全に否定しきれない事は事実だった。

 

「それはそうと、茉莉ちゃん」

 

 高橋のおばさんは、急に声音を変えて茉莉に顔を寄せて来る。茉莉は知っている。この顔は、何か茉莉をからかう時の顔だった。

 

「都会に行って、彼氏の1人でも作った?」

「か、カレッ!?」

 

 思わず絶句する茉莉。

 

 忘れていた。このおばさんは、この手の話題が大好きで、中学の頃までは茉莉は良いカモだったのだ。

 

「おばさん、そっちの方も心配だったのよね。ほら、茉莉ちゃんって中2の頃まで、すっごい幼児体型だったじゃない。それに、帰って来て成長はしたみたいだけど、おっぱいは小さいままだし」

「余計なお世話ですッ」

 

 顔を赤くして叫ぶ茉莉を無視して、高橋のおばさんは更に言い募る。

 

「それで、好きな男の子はできた?」

「そ、それは・・・・・・」

 

 追及に対し、茉莉は目を泳がせる。

 

 なぜか、頭に浮かぶのは、居候先の家主、緋村友哉の顔だった。

 

 少女のような顔立ちをした少年。しかし、ひとたび剣を取れば、鬼神もかくやと言わんばかりに敵をなぎ倒して行く姿は、爽快ですらある。そして、まるで本当の兄のように優しい少年。一緒にいるだけで、暖かい気持ちになれる。それが、緋村友哉と言う少年だった。

 

「・・・・・・・・・・・・ハッ!?」

 

 そこでふと、茉莉は我に返った。気付けば、高橋のおばさんは意味ありげな顔で茉莉を見ていた。

 

「あれあれ、その顔は、いるのね、好きな子が」

「おばさんッ」

「アハハハハ、そう言えば、おばさん、家の仕事がまだ残ってるんだった。早く参拝済ませて帰りましょ」

「もうッ!!」

 

 顔を真っ赤にしてプンスカ怒る茉莉に背を向けて、高橋のおばさんは本堂の方へと上がって行った。

 

 それを溜息交じりに見送る茉莉。

 

 高橋のおばさんには本当に感謝しているし、今でも大好きだが、あの性格だけは何とかしてほしいと、割と本気で思っていたりする。

 

 その時、石段下の鳥居付近で、数台の車が止まる音がした。

 

 振り返る茉莉。

 

 そこで、この少女にしてはなかなか珍しい事に、ハッキリそれと判るくらいに不快な顔を作った。

 

 黒縁眼鏡を掛けた痩身の男を先頭に、石段を上がってくる集団は、茉莉にとっては思い出したくも無い連中である。

 

「おはようございます。瀬田のお嬢さん」

「・・・・・・・・・・・・何の用ですか?」

 

 にこやかに挨拶して来る男に対し、茉莉は硬い声で応じた。

 

 20代後半ほどと思われる黒縁眼鏡の男の名前は、谷信吾(たに しんご)。古くからこの地方一帯を取り仕切っている谷家の御曹司である。一応、茉莉とは子供の頃からの顔見知りと言う事になるが、何かにつけて村の人達と揉めている印象しか無く、当然、茉莉も好感情を持っていない。

 

 そして、彼の家は、茉莉が村を出る原因を作った一家でもある。

 

 背後にはやたらガタイの大きな禿頭の男と、逆に貧相なほど痩せこけた男が着き従っている。恐らく、ボディガードなのだろう。

 

「帰って来たと聞いたので、御挨拶をと思いまして。それに、お父様が事故にあわれたとか。そのお見舞いも兼ねまして・・・・・・」

「・・・・・・白々しい」

 

 茉莉は低い声で吐き捨てる。

 

 判っているのだ、茉莉には。

 

 茉莉の父は谷家が推し進めている「とある計画」に真っ向から反対しており、その急先鋒でもあった。その為、谷家側は父を物理的に排除する為に動いたのだ。と茉莉は睨んでいる。勿論、証拠は無い。だからこそ茉莉も帰って来たは良いが、派手な身動きが取れないでいるのだ。

 

「心外ですね。私はただ、あなたやお父様の事を察し、こうして少ない時間を割いて来ただけだと言うのに」

 

 まるで、その事に感謝しろ。とでも言わんばかりの口調に、茉莉はますます腹を立てる。

 

「お見舞いなら結構です。どうぞ、お引き取り下さい」

「このガキっ」

 

 信吾の後ろに控えていた痩身の男が、牙をむき出すような勢いで身を乗り出す。

 

「坊ちゃんが、せっかく足を運んでやったって言うのに、何だその態度はッ!?」

 

 男の剣幕に対し、茉莉は両足を肩幅まで広げ、いつでも動けるような体勢を作り、同時に手にした竹箒を構える。

 

 後の2人がどの程度の実力かは知らないが、縮地を使えば瞬きをする間に3人とも叩き伏せる自信がある。ここは石段の中ほどで足場としてはあまり良くないし、今は刀も持っていないが、同時に茉莉の実家でもある。地の利は茉莉の方にあった。

 

 見れば禿頭の巨漢も、いつでも動けるように身構えている。

 

 来るか?

 

 そう思った瞬間。

 

「や~めろ」

 

 信吾が気だるそうに、背後の2人を制すると、再び茉莉に向き直った。

 

「お嬢さん、仕方がないので。今日の所はこれで帰りますよ」

 

 だが、信吾は最後に付け加えるように、茉莉の耳元で囁いた。

 

「お忘れないように。お父上が入院されている病院にも『谷』の息が掛っている者がいると言う事を」

「ッ!?」

 

 絶句する茉莉を置いて、信吾と2人の部下達は石段を下りて行く。

 

 その後ろ姿を、茉莉は憎しみすら込めた瞳で見送っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瀬田神社の裏手には、地下水がわき出した天然の泉がある。

 

 昼頃になると、陽光が水面に反射してキラキラと輝くその場所は、茉莉にとっての一番のお気に入りの場所だった。

 

 その泉のほとりで、茉莉は膝を抱えて座っている。

 

 だが、茉莉の目は水面を映してはいなかった。

 

 思い出されるのは、信吾のあの言葉だ。

 

 父の病院に、谷の配下の者がいる。その言葉はすなわち、父が人質に取られている、と言う事に他ならない。

 

 そもそも、谷の家は明治初期にこの地方一帯を収める事を当時の政府から委託され、それが現在まで連綿と続いていて来ている、生粋の「領主」一族だ。

 

 古くは一族から衆議院議員や警察官僚を出した事もある。信吾の父もまた県議員の1人である。その権力は絶対であると言えた。

 

 それに比べて、茉莉は村の有力者の娘とは言え、その権力には天地ほどの開きがある。

 

 まっとうな手段での対抗は、まず難しい。それどころか県警にも谷の息が掛っている。仮に証拠を揃えて行っても、握りつぶされ、逆に名誉棄損で起訴されるのは目に見えている。

 

 茉莉が村を出て3年間。今まで、谷の横暴に対し村が抵抗で来ていたのは、父の存在が大きかった。父は村内ではカリスマもあり、何より娘の茉莉から見ても度胸がある人だ。例え相手が誰であっても、通す筋はきちんと通すものである。

 

『それに引き換え・・・・・・』

 

 茉莉は自分の不甲斐なさを、心の中で嘆く。

 

 合法的な手段では谷を糾弾する事もできず、更には旗振り役であった父が倒れた事で、村内の結束は目に見えてほころび始めている。谷に対抗しようと言う者は殆どいなくなってしまった。皆、父のように危害を加えられる事を恐れているのだ。高橋のおばさんのように、昔から付き合いのある人は茉莉に同情して味方もしてくれているが、せいぜいそれくらいである。

 

「だから・・・・・・私は・・・・・・」

 

 掠れるような声で呟いてから、茉莉はブンブンと頭を振った。

 

 弱気になってはいけない。自分は何としても、倒れた父に代わってこの村を助けなければならないのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 無言のまま、水面を見詰める。

 

 谷が来たせいで、今の茉莉は明らかに頭に血が上っている。少し、クールダウンしたかった。

 

 立ち上がる茉莉。その手は、緋袴の帯に伸ばし、結び目をそっと解く。

 

 紐を全て解くと、緋袴を地面に落とす。

 

 上衣は上半身を覆うだけの長さしか無いので、そこからスラリと伸びた足と、その上にある下着までもが見えてしまっている。だが、問題は無い。何しろ今、この家には茉莉しかいないのだから。

 

 茉莉は更に純白の上衣も脱ぎ去った。

 

 雪原を思わせる白い肌に、上下水色のブラジャーとパンツが眩しく映えている。お尻の所に描かれたクマさんがお気に入りである。

 

 その下着も、脱ぎ去る。

 

 生まれたままの姿になった茉莉は、ショートポニーの髪も解き、ゆっくりと、爪先から水面に浸して行った。

 

 夏本場の蒸発しそうな気温の中、冷たい水の感触が足先から全身に広がって行く。

 

 この泉は元々、禊や水垢離の時に使う物だが、夏場にこうして水浴びに使う事は、茉莉にとって密かな楽しみでもあった。

 

 腰まで水深のある水の中で、茉莉は自分の体をじっと眺める。

 

 こうして見れば、高橋のおばさんの言うとおり、中学生のころに比べて手足も伸び、日々鍛錬を欠かしていないせいか、体も引き締まって来ている。

 

 だが、なぜか、胸だけは中学の頃からあまり成長していない気がした。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 そっと、自分の両胸に手を当てて見る。

 

 以前イ・ウーにいた頃、理子から「男は胸のある方が好み」と言う話を聞いた事がある。

 

 その時の茉莉は大して気にも留めなかったが、イ・ウーを離れ、武偵校で暮らすようになってから、その考えがたびたび脳裏によぎるようになった。

 

 その根底に、1人の少年の姿がある事は否めなかった。

 

「緋村君・・・・・・・・・・・・」

 

 口に出して呼んでみる。

 

 出会ったのは、5月の魔剣事件の折り。《仕立屋》の一員であった茉莉は、ジャンヌの依頼に従い、彼女を支援し、妨害して来るであろう友哉を排除する為に武偵校へ潜り込み、友哉に近づいた。

 

 初めは監視、排除の対象でしかなかった。

 

 しかし、その後、戦いに敗れて逮捕され、正式に編入した後、一緒に戦うようになって、最も身近にその存在を感じるようになった少年である事は間違いない。

 

 水を手で掬い、パシャっと胸元に掛ける。

 

 今回、茉莉は自分が抱えている事情を、友哉に話していない。

 

 否、友哉だけではない。瑠香にも、誰にも話していない。

 

「もし、私が話していたら・・・・・・」

 

 彼等は、力になってくれただろうか。

 

 きっと、なってくれたと思う。

 

 友哉は何も言わず、その剣を自分の為に振るってくれただろう。

 

 瑠香は、むしろ率先して力を貸してくれただろう。

 

 陣も、何だかんだで面倒見のいい性格をしているから、きっと力を貸してくれた筈だ。

 

 それは判っている。

 

 だが、

 

 判っているからこそ、茉莉は彼等に言う事ができなかった。

 

 相手は谷一族。この地方一帯を牛耳る権力者だ。いかに武偵の戦闘力を持ってしても、絶大な権力には敵わない。

 

 来れば彼等は潰される。

 

 だから茉莉は、誰にも告げずに1人でここに来たのだ。

 

 だが、

 

 脳裏からは、どうしても友哉の顔が離れない。

 

「緋村君・・・・・・」

 

 もう一度、そっと名を呟く。

 

「会いたい、です・・・・・・」

 

 その言葉は、誰にも聞き咎められず、水面を流れて消えて行く。

 

「お~~~~~~」

 

 その時、

 

「ろ~~~~~~」

 

 遥か頭上から、人の声が降って来る。

 

 振り仰ぐ茉莉。

 

 次の瞬間、

 

 バッシャーーーーーーン

 

 凄まじい轟音と共に、何かが上空から降ってきて泉に高々と水柱を上げた。

 

「・・・・・・・・・・・・はい?」

 

 あまりの事に、茉莉も目を丸くして硬直する。

 

 そんな茉莉の目の前で、その人物は顔を上げた。

 

「おろ・・・・・・だから、無茶するなって言ったのに・・・・・・」

 

 顔を上げた、互いの視線が交差する。

 

「「・・・・・・・・・・・・」」

 

 その状態のまま、互いに言葉を失う。

 

 なぜなら、降って来たのは、先程まで茉莉が思い描いていた人物、緋村友哉その人だったからだ。

 

 

 

 

 

 話は、数分前に遡る。

 

 瀬田神社の裏手は高い崖になっており、山頂付近まで細い道が繋がっている。

 

 その道を、3人の人間が歩いていた。

 

「ねえ、もうどれくらい歩いたっけ?」

「さあな、6時間くらいじゃねえの?」

 

 四乃森瑠香の質問に、相良陣は適当な調子で答える。

 

 だが、かなりの時間、山の中を彷徨っていたのは事実だった。

 

「まったく、相良先輩があてずっぽうで歩きまくるから、こんな事になったんですよ!!」

「んな事言うんだったら、お前だって駅前のレストランでゆっくり飯食ってるからだろうが。だから近道しようとしただけだろう!!」

「だって、美味しかったんだもんッ」

「ああ~、もう~、やめなよ」

 

 先頭で地図を見ながら歩いている友哉が、呆れ気味に言う。

 

 要するに真相を言うと、電車で最寄り駅に着いたは良いが、取る物も取り敢えずと言う形で出て来た為、碌に食事もしていなかった。そこで、まずは腹ごしらえと思い、駅前にあったレストランで食事をしていたが、たくさん頼み過ぎてしまい、乗る予定だったバスに間に合わなくなってしまった。

 

 田舎のバスは本数が少ない。数時間に1本、などというパターンが常である。

 

 仕方がなく、歩いて目的地に行こうと言う事に決まり、3人で歩き出したまでは良かったが、今度は陣が「面倒くさいので近道しよう」等と言いだし山に分け入ったのが運の尽き。

 

 完璧なまでに遭難し、現在に至る訳である。

 

 本格的なGPSくらい持ってくればよかったか、と友哉は割と後悔している。携帯電話のGPS機能では、性能が追いつかず、大体の方角くらいしか判らない有様だ。

 

「相良先輩は大雑把過ぎるんですよ!!」

「んだと、こらっ!!」

 

 更にヒートアップして行く2人。

 

「やめなってばッ」

 

 制止に入ろうとする友哉の言葉も聞いていない。

 

「ようし、そこまで言うんだったら、俺がどうにかしてやるよ」

「どうする気ですか?」

「へっ、道ってのはな、誰かが作ったのを歩くんじゃねえ。歩く場所を自分で切り開くんだ!!」

 

 そう言うと、何を思ったのか陣は、藪を切り開くようにして歩きだした。

 

「ちょ、陣、無茶はやめなってッ」

 

 慌てて友哉が制止しようとした時だった。

 

 ボロッ

 

 突然、道の端が崩れ、友哉の体が大きく傾く。

 

「・・・・・・お?」

 

 視界が斜めに、そして横倒しになった。

 

「ろ~~~~~~」

 

 そのまま、まっさかさまに落ちて行く友哉。

 

 とっさに陣と瑠香が手を伸ばそうとするが、届かない。

 

 そして、

 

 バッシャーーーーーーン

 

 どうやら、下は水辺になっていたらしく、そこに頭から突っ込んだ友哉は、水がクッション代わりになってくれて、どうにか大怪我をせずに済んだ。

 

「おろ・・・・・・・・・・・・だから、無茶するなって言ったのに」

 

 顔を上げる友哉。

 

 その瞬間、目の前に立っていた少女と目が合った。

 

「「・・・・・・・・・・・・」」

 

 互いに無言。

 

 少女は、水浴びの途中だったのか、陽光の下に裸身を晒している。

 

『・・・・・・・・・・・・き、綺麗だなァ』

 

 友哉は状況も忘れて、そう思ってしまった。

 

 やがて、

 

「ひ・・・・・・緋村・・・・・・君?」

「・・・・・・おろ?」

 

 目の前の裸身の少女から、いきなり名前を呼ばれて、友哉はキョトンとする。

 

 そこで、自分の記憶と、目の前の人物とのビジョンが一致して行く。

 

「ま・・・・・・茉莉?」

 

 髪を解いている上に、状況があまりにもアレだった為、思わず見間違えてしまったが、目の前の少女は間違いなく、寮で同室の瀬田茉莉に他ならなかった。

 

 まさか、こんな偶然があって良いのだろうか、と本気で考えてしまう。

 

「あ・・・あの、どうして、ここに?」

「いや、あの、ジャンヌから、聞いて・・・・・・ッて言うか、茉莉・・・・・・」

 

 友哉は顔を赤くしながら、僅かに顔を背ける。

 

「あの、前、隠してもらいたいんだけど・・・・・・」

「へ?」

 

 言われて、

 

 茉莉はゆっくりと、自分の恰好を見下ろす。

 

 言われるまでも無く、一糸纏わぬ真っ裸状態。

 

 まっさらな白い平原の上に、思いだしたように築かれた小さな二つの丘と、その頂にて自己主張しているピンク色の突起が、初々しい美しさと共に友哉の視線に惜しげも無く晒されている。

 

 ゆっくりと顔を上げる茉莉。

 

 その顔は、情けないくらいに真っ赤に染まっている。

 

「き・・・・・・」

 

 目に涙をいっぱい浮かべる茉莉。

 

 次の瞬間、

 

「キャァァァァァァァァァァァァ!!!!」

 

 盛大な悲鳴と共に、茉莉は両手で胸を隠し、水の中にしゃがみ込んでしまった。

 

 と、

 

「伝家の宝刀、怪鳥蹴りィィィィィィッ!!」

 

 ドゴスッ

 

「おろォォォォォォッ!?」

 

 どこからともなく飛来した瑠香のドロップキックが、友哉の側頭部に突き刺さる。

 

 呆気なく轟沈する友哉。

 

「友哉君、最低ッ 何、いきなり覗いてんのよッ!!」

「ご、誤解、だっ、てば・・・・・・」

 

 目を回しながら、それでも必死に弁明する友哉。

 

 そこへ、

 

「何だ、今の悲鳴はッ!?」

 

 藪を掻き分けて、陣が乱入して来る。

 

 だが、

 

「来るな、馬鹿ァッ!!」

 

 瑠香はその鼻っ面に、持っていたデイバックを思いっきり投げつけて悶絶させる。

 

 その後、瑠香は何とか茉莉を宥め、男2人を視界外に追い出して、どうにか事態を収拾するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 畳敷きの井草が香る応接間にて、どうにか落ち着きを取り戻した4人は、車座になって座っていた。

 

「あ、あの、すみませんでした。取り乱してしまって」

 

 まだ少し顔が赤い茉莉は、そう言って頭を下げる。

 

 父親以外の男に裸を見られる、と言う人生初の体験を交通事故並みの勢いでしてしまった少女にとって、なかなかそのショックから立ち直れないのも無理は無かった。

 

「ま、まあ、僕もちょっと、気が回らなかったと思っているよ」

 

 そう言って、友哉もまた頭を下げる。

 

 本当に、どうかしていた。

 

 裸の茉莉を前にして、思わず凝視してしまうなんて。

 

 そう、裸の・・・・・・

 

 それにしても、綺麗だったな。と、友哉は脳裏で思い浮かべる。

 

 白い絹のような肌が、その上を滑る雫に反射する陽光の元、まるで幻想のような光景を露わにしていた。

 

「・・・・・・友哉君」

「ハッ!?」

 

 瑠香の冷えた声に、友哉は我に帰る。

 

 何も長野くんだりまで、茉莉の水浴びシーンを覗きに来た訳ではない。れっきとした目的があって来たのだ。

 

 ゴホンッと咳払いをすると、友哉は真剣な眼差しを茉莉に向けた。

 

「茉莉、僕達は、この村が抱えている現状や、君の事情を聞いてここまで来たんだ」

「え?」

 

 友哉の言葉を聞いて、茉莉は驚いたような顔をした。

 

 茉莉は誰にも話さずに、故郷に戻って来たというのに、一体どこから情報を得たと言うのか。

 

「ジャンヌ先輩がね、教えてくれたんだよ」

「・・・・・・成程。そうですか、ジャンヌさんが」

 

 イ・ウー時代からの友人であるあの銀氷の魔女が、武偵校では情報科(インフォルマ)に所属している事を思い出した。恐らく彼女が張り巡らせているアンテナに、茉莉の事情が引っ掛かったのだろう。

 

「ダム建設が、進められているんだね」

「・・・・・・・・・・・・はい」

 

 ためらった末、茉莉は友哉達に事情を話す事にした。どの道、大体の事情を聞いているなら、今更隠した所で意味は無かった。

 

「その話が出たのは、4年前。私がまだ、イ・ウーに入る事を決める前です。治水工事の為に大型ダムを建設しようと言う計画でした。しかし、ダムが完成すれば、この村が水の底に沈んでしまうと言う話に、村の人達は怒り、反対運動を展開しました。その旗振り役が、私の父でした」

 

 村の有力者である茉莉の父が、反対派のリーダーをやるのは自然な流れだったし、何より本人もやる気満々だった。

 

 反対派は連日、座り込みや抗議文の作成、有力者への直談判など、考えつく限りのあらゆる活動を行い、工事の妨害を行った。

 

「でも、それらの活動は、全て無駄だったんです」

「どうして?」

 

 尋ねる瑠香に、茉莉は悲しそうな顔をして言った。

 

「谷家が、ダム建設推進派に回ったからです」

 

 この地方一帯を牛耳り、有力者はおろか衆議院議員にさえ太いパイプを持つ谷家にとって、小村の反対運動を握りつぶす事など、訳無かった。

 

「そんな折でした。私にイ・ウーから『入学』の誘いにが来たのは」

 

 イ・ウーからの使者は、茉莉に対し、彼女が持つ縮地の技術を開示する代わり、相応の報酬を払い、更に提示された任務をこなせば、充分な額の追加料金も払うと約束した。

 

 当然、初めは茉莉も、茉莉の父もその話に賛同はしなかった。しかし、現実問題として、お金が必要なのも事実である。綺麗事に縋って手をこまねいている内にも、工事は着々と進んで行っているのだ。

 

 迷った末に、茉莉はイ・ウー行きを決め、故郷を後にした。

 

『・・・・・・成程』

 

 話を聞きながら、友哉は少し納得したような気がした。

 

 出会ったころの茉莉は、どこか追い詰められた獣のような、執念にも似た印象を持っていた事を覚えている。それに、茉莉の依頼受諾量が半端ではない事も気になっていたが、それは全て、ここに直結していたのだ。

 

「話は判ったがよ、瀬田」

 

 それまで黙っていた陣が口を開いた。その目は睨むように細められ、明らかに茉莉を責めているのが判る。

 

「どうして俺達に言わなかった? 水臭ぇじゃねえか」

「危険だからです」

 

 陣の言葉に、茉莉も鋭く言い返す。

 

「谷家の権力は、恐らく皆さんが考えているよりもずっと大きい。皆さんの力は知っていますが、いかに力があろうとも、強大な権力の前ではただ押し潰されるしかありません」

 

 権力。と言う敵と戦った経験は、確かに友哉達には無い。だが、如何に武力と言う剣があっても、権力と言う城壁に傷を付ける事はできない。

 

 ゴクリッ

 

 誰かが、息を飲む音が聞こえた。

 

 これは、今までに対峙してきた敵とは一味も二味も違うと認識せざるを得なかった。

 

 だが、

 

「判ったよ、茉莉。けどね、」

 

 友哉は毅然と顔を上げて、言い放つ。

 

「武偵憲章1条『仲間を信じ、仲間を助けよ』。仲間が絶望的な状況にあるのに、それを見捨てるような人間に、武偵を名乗る資格は無いよ」

「緋村君・・・・・・」

 

 友哉の言葉に、茉莉は驚いたように目を見開いた。

 

「そうだよ、茉莉ちゃん」

 

 瑠香も身を乗り出して来る。

 

「あたし達はお友達だよ。助けあうのは当然の事じゃん」

「瑠香さん・・・・・・」

「ま、乗りかかった船ってな・・・・・・」

 

 陣も、ニヤッと笑みを浮かべて言う。

 

「こんな時くらい、俺らを頼れよ」

「相良君・・・・・・」

 

 胸が熱くなる。

 

 この村に戻った時。茉莉は孤独な戦いを覚悟した。

 

 だが今、こうして集まってくれた友達がいる。共に戦ってくれると言う仲間がいる。

 

 それが、茉莉には何より輝いて見えた。

 

「ありがとう・・・・・・ございます」

 

 そう言って、頭を下げる茉莉に、一同は微笑みを投げかける。

 

 まるで、謝る必要なんかない。これは必然の事なんだから、と無言のうちに語っているようだ。

 

「そ れ に」

 

 瑠香が、少し声のトーンを落として言う。

 

「どうせ、茉莉ちゃんの事だから、帰って来てから碌な物食べてないんでしょ」

 

 ギクッ

 

 図星を指摘され、茉莉は視線を泳がせる。

 

「そ、そんな事、無いです、よ?」

「何で口調が疑問文なのかな?」

 

 確かに、帰って来てから茉莉は高橋のおばさんが用意してくれた物以外は、インスタント物しか食べていない。

 

 そう言う意味でも、確かに皆が来てくれたのはありがたい事だった。

 

「そんな訳で、料理人くらい必要でしょ?」

「・・・・・・すみません」

 

 ここは、素直に白旗を上げるのが正解だった。

 

「それにしてもさ、」

 

 瑠香が話を変える。

 

「茉莉ちゃんのその格好、可愛いよね~」

 

 瑠香は目をキラキラと輝かせて言う。

 

 茉莉は水浴びをした後、そのまま服を着たので巫女装束のままである。確かに、神聖な巫女服は処女性を現わし、それが同時に清楚な美しさを見せていた。

 

「あの、良かったら着てみます?」

「良いの!?」

「はい。私の予備がありますし。それに瑠香さんなら、私と体格が似ていますから、多分着れると思います」

 

 そう言って部屋の方へ瑠香を案内する茉莉を、微笑ましそうに見送る友哉。

 

 少女達の姿が見えなくなってから、友哉は陣に向き直った。その目からは既に笑みが消され、真剣な眼差しが向けられている。

 

「どうやら、事態は思っていたよりも深刻みたいだね」

「ああ」

 

 陣も、難しい表情で頷きを返す。

 

 ダム建設。それに伴う反対運動。谷家の暗躍、そして反対派リーダーだった茉莉の父の事故。

 

 相手は、相当な権力を有している事が窺える。

 

「これは、一筋縄じゃいかないよね」

「そう言えばよ、妙な噂聞いたんだけどよ」

 

 陣が、ここに来る前に駅前で聞いた噂を思いだして話す。

 

「何でも、『稲荷小僧』とか言う奴が、ダム推進派を闇討ちしてるって話だぜ」

「稲荷小僧・・・・・・」

 

 また、随分と古風な名前である。

 

「何でも、この間もダムの現場監督とその他1名が襲われて、病院送りにされたって話だ」

 

 陣の言葉を聞き、友哉は考え込む。

 

 その稲荷小僧とやらが、どのような立ち位置で、何者なのかは判らない。

 

 だが、状況は自分達が考えている以上に、混沌とした物であるらしい事は理解できた。

 

 

 

 

 

第3話「水辺の天女」     終わり

 



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第4話「魔窟地方」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗闇に映り込む、白い狐の面が怪しく浮かび上がる。

 

 その視線に当てられ、見た人間は腰を抜かしたように後ずさる。

 

「ヒッ、て、テメェが、稲荷小僧か!?」

 

 稲荷小僧。

 

 それは、この界隈で有名になっている通り魔の名前。

 

 ダム関係者ばかりを狙った犯行である為、ダム建設反対派の犯行と思われがちだが、未だに確定的な証拠は掴めていない。

 

 しかし、遅々として進まない中でも、警察の目をあざ笑うかのように犯行は繰り返され、工事関係者の多くが被害にあい、ダム工事は基礎を終えた時点で半ば放置に近い形で停滞していた。

 

 この男も、工事関係者の1人。重機運用関連の責任者である。

 

 男を前にして、稲荷小僧は手にした日本刀を構える。

 

「クッ、クソッ!!」

 

 その姿を目にして、男は破れかぶれとばかりに、傍らにあったシャベルを手にとって構える。これでも、日々現場で鍛えているのだ。喧嘩でもそうそう負ける筈がない。

 

「この野郎!!」

 

 シャベルを振り翳し、稲荷小僧へ殴りかかる男。

 

 振り下ろされるシャベルは、相手を昏倒させるのに充分な威力を持たされている。

 

 しかし、

 

 振り下ろしたシャベルに、相手を殴った感触は伝わってこない。

 

 その一瞬にして、稲荷小僧は男の背後に回り込んでいた。

 

「ヒッ!?」

 

 恐怖にかられる男。

 

 その男に、振り翳した白刃が、真一文字に迫った。

 

 

 

 

 

 静寂な印象のある山間の神社の朝としては、少しにぎやかな物がある。

 

「は~い、お魚焼けたよ~」

「お、待ってましたッ」

「茉莉、そこの醤油、取ってもらえる?」

「はい、どうぞ」

 

 瀬田家の食卓を囲むのは、友哉、瑠香、陣、茉莉の4人。

 

 まさか、友人が自分の家に来るとは思ってもみなかった茉莉としては、嬉しさ8割、戸惑い2割と言ったところか。

 

 いつもなら、父と2人だけの静かな食卓が、武偵校の友人達との楽しい食卓へと変わっていた。

 

「みんな~、おかわりならいつでもしてね~」

「「「「は~い」」」」

 

 急遽、手伝いに来てくれた高橋のおばさんに、一同は元気に返事を返す。

 

 テーブルの上には、おばさんと瑠香が朝から作った料理の数々が並んでいるが、その料理も物すごい勢いで無くなって行く。皆、昨日は長旅の疲れもあり、取る物も取り敢えずと言う感じで床に着いてしまったので、殆ど食事らしい食事をしていなかったのだ。

 

「いや~、それにしても、茉莉ちゃんのお友達がこんなに、東京から遊びに来るなんて、おばさん嬉しいわ~」

 

 自分の娘の事のように喜ぶ高橋のおばさんに、茉莉も微笑を返す。

 

 急に押しかけて来たにもかかわらず、こうして嫌な顔一つせずに手伝ってくれた事には、本当に言葉も無かった。

 

「それで、」

 

 高橋のおばさんは、友哉の方に向き直って尋ねた。

 

「あなたが、茉莉ちゃんの彼氏さん?」

「ブゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!」

 

 高橋のおばさんの突拍子もない発言に、茉莉は飲みかけの味噌汁を思いっきり噴き出した。噴き出された味噌汁は、対面に座っている瑠香の顔面を直撃する。

 

「ゲホッ ゲホッ、い、いきなり何言いだすんですか、おばさんッ」

「あら、違うの? だって、そっちのおっきい子は、ちょっと茉莉ちゃんの好みとは違うみたいだし、あたしはてっきり、こっちの女の子みたいな子がそうなのかと思ったんだけど?」

「みんなは、学校のお友達であって、別にそう言う関係じゃありませんッ」

 

 からかうような口調のおばさんに対し、茉莉は顔を真っ赤にして反論している。

 

 その様子を、箸を咥えたままの陣と、瑠香の顔をタオルで拭ってやっている友哉は、唖然として見詰めていた。

 

 やがて食事も終わり、一同の胃袋が満足した頃、洗い物を終えた高橋のおばさんが、居間の方へと戻ってきた。

 

「それじゃ、みんな。おばさん、一旦家に帰るわね」

「ありがとうございました。ご飯、美味しかったです」

 

 一同を代表するように頭を下げる友哉に、高橋のおばさんも満面の笑顔を返す。

 

「良いの良いの、あたしにとって、茉莉ちゃんは本当の娘みたいなもんだし。こうして、わざわざ東京から遊びに来てくれたんだから、サービスの一つもするのは当然よ」

 

 本当にありがたい事だった。昨日、茉莉から聞かされた村の事情から鑑みれば、荒んだ雰囲気であってもおかしくないと思っていたが、こうして無条件で茉莉の味方をしてくれる人がいるなら、それだけでも心強い話である。

 

「これから、村の中を見て回るの?」

「ええ、そのつもりです」

 

 一応、話を合せる為に、「友達の家に遊びに来た観光客」を装うと決めているので、それらしく見せる為に、村を散策する事も考えている。同時に村の実情やダム建設の状況などにも探りを入れる事ができるので、一石二鳥だった。

 

「そう。なんにも無い村だけど、ゆっくりしてってね。あ、でも、」

 

 高橋のおばさんは、少し声のトーンを潜め、内緒話をするようにして言う。

 

「ダム建設現場の方へ行っちゃダメよ。あそこの連中、普通の建設業者にも見えるけど、実際には谷家の息が掛ってるヤクザだって専らの噂だから」

「ヤクザ、ですか?」

 

 ダム建設の話が出た事で、他の3人も注意をおばさんの方へと向ける。

 

「ええ。うっかり現場に近づいた人が、理由も無しに暴力を振られる、なんて事はしょっちゅうあるからね。それに、」

「それに?」

「昨夜も出たらしいのよ、例の稲荷小僧」

 

 稲荷小僧の話は、友哉達も聞いている。ダム建設関係者を狙った通り魔。その正体は未だに判っていないって言う。

 

「なんだか、やーね。この村も物騒になって来て。そんな訳だから、みんなも気を付けるのよ」

 

 そう告げると、おばさんは居間を出て行った。

 

 それを確認してから、友哉は一同に向き直る。

 

「・・・・・・・・・・・・さて」

 

 声に僅かに緊張が入り、眼つきも鋭くなっている。

 

 それは、つい先刻までの「遊びに来たお友達」の顔ではなく、武偵のそれになっている。

 

「今後の方針を決めたいと思う。まず、何よりも探らなきゃいけないのは、ダム建設に関する事と、谷家の事だね」

「実際にゃ、工事は停滞してるって話だが、再開の目処は立っているのかどうか、そこらへんも含めて探り入れた方が良いだろうな」

 

 陣も、頷きながら友哉の考えに賛同する。

 

 茉莉の説明で、村の大体の状況は把握しているが、それでも谷家と言う強大な戦力を相手にするには足りないだろう。もう少し深く、情報収集する必要があった。

 

「それに、気になるのは『稲荷小僧』の事だよね」

 

 付け加えた瑠香に、友哉は頷きを返した。

 

「確かに。現状では敵なのか、味方なのか。味方だとしたら、どういう存在なのかすら判らないのが気になるよね」

 

 言ってから、友哉は茉莉に視線を移した。

 

「そこのところ、どう? 何か知って無いかな」

「・・・・・・・・・・・・何年か前にも、同じような事がありました」

 

 茉莉はやや考え込むようなそぶりを見せたから、口を開く。

 

「街の方から、柄の悪い人達が来て、村の子供やお年寄りに暴力を振るうと言う事件があったんです。その時に、その人達を退治したのが、確か稲荷小僧って呼ばれる人だった筈です」

「成程、今回の出現が初めてじゃないんだね」

 

 ならば、何か情報を持っている人もいるかもしれない。

 

 友哉は頭の中で方針を決め、一同に向き直った。

 

「よし、二手に分かれて行動しよう。僕と陣は、ダム建設現場の方に行ってみる。茉莉と瑠香は村の中を見て、情報収集をしてみて。ほしい情報は、ダム建設の状況と、谷家の事、それに稲荷小僧の事だ。そこら辺を重点的にお願い」

 

 高橋のおばさんの話では、ダム建設現場には柄の悪い連中がいるらしく、荒事になる可能性がある。ここは、男2人が行くのが最適だろう。一方で、女の子2人の方が、情報収集には向いている可能性がある。

 

 その決定に異存は無いらしく、友哉の言葉に、一同は頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その建物を見た人間は、一様に、家主の趣味の悪さに絶句する事だろう。

 

 広い庭に、純和風の作りの建物。そこまでは良い。しかし、一歩中に入ると、なぜかそこには3階建の天守閣がそびえ立ち、入った者を見下ろしている。それでいて離れの方は明治初期のモダンな感じの洋館が立っている。これが所謂「和洋折衷」と言う奴だろうか?

 

 とにかく、悪趣味である事には変わりは無い。

 

 その悪趣味な家の主は今、不機嫌の局地にあった。

 

 谷源蔵は、当年とって56歳。若い頃からの不摂生により、背は低いが体は風船のように膨らむ、所謂小太りな男である。濁ったような瞳には、知性よりも、その腹の如く膨らんだ欲望しか見る事ができない。

 

 その源蔵が、なぜ不機嫌かと言うと、彼が主導するダム建設工事が予期せぬ妨害に遭い、思わぬ停滞を見せているからだった。

 

「・・・・・・それで、いつになったら工事は再開できるのだ?」

 

 不機嫌な源蔵の言葉に、目の前の男はひたすら平身低頭している。相手はこの地方一の権力者。逆らえば今晩には彼の死体が山中に埋められ、その存在そのものが無かった事にされてしまう。

 

「は、はい、何分、工事の責任者ばかりが負傷する事態でして、その・・・・・・」

「そんな事は、今更言われんでも判っているッ!!」

 

 源蔵の怒声に、男は飛び上がって恐縮する。

 

「そんな役立たず共の報告なんぞをワシに聞かせるとは何事か、恥を知れッ!!」

「は、はひィィィ!!」

 

 男は床に頭をぶつけんが勢いで、源蔵の前に土下座する。

 

 とにかく、これ以上相手を怒らせるのは得策ではなかった。

 

「良いか、5日だ。5日以内に工事再開の報告を持って来い。さもないと、お前は用済みだ」

「は、はい、必ずッ!!」

 

 慌てて出て行く男。

 

 それと入れ替わるように、部屋に信吾が姿を現わした。

 

「帰ったよ、パパ」

「おお、信吾、どうだ、様子は?」

 

 先程とは打って変わって、源蔵はにこやかな表情で息子を迎え入れる。

 

 対して信吾は、疲れたようにソファに腰を下ろすと、溜息交じりに報告する。

 

「どうもこうも、例の通り魔のせいで作業は停滞。おまけに村じゃそいつを英雄視して、僕等を軽く見る風潮がある。始末に負えないよ」

「稲荷小僧、か」

 

 源蔵は苦々しげに、その名を呟く。

 

 元々、工事は村人の反対運動のせいで、予定よりも遅れ気味であった。それを強引に進められたのは、谷家の持つコネと権力があったからこそである。

 

 その反対運動の旗振り役であった瀬田神社の神主も、予定通り「事故」で意識不明となり、これで工事は進むかと思った矢先の通り魔事件である。はらわたが煮えくりかえるとはこの事だった。

 

 だが、ダム建設が成功すれば、国から莫大な助成金が谷家へ入る事になっている。その資金があれば中央の政界へ進出する事も夢ではなかった。

 

「もっと警察を炊きつけろ。奴を捕まえるのに全捜査員を動員するように言うんだ」

「やってるよ。けど、連中、どうにも動きが鈍くてさ。いっそ、武偵でも雇った方が早いんじゃない?」

 

 近隣の警察は谷の傀儡である。動かし易い半面、トップや中間管理職には能力ではなく「谷家への忠誠度」で選ばれる為、その能力水準は目に見えた低下を見せており、それが稲荷小僧の跳梁を許す結果に繋がっている。

 

 だが、

 

「武偵はまずい。外部から人間を入れると、ワシ等の事もばれる恐れがある。何としても、身内だけで片を付けるのだ」

 

 用心深い、と言うより小心と言えば聞こえは悪いが、源蔵のこの性格故に、数々の悪事の隠ぺいに役立っているのも事実である。

 

 谷家の歴史は古く、そのルーツは幕末にまで遡る。元々は明治政府からこの地方一帯の当地と開発を任されたのが谷家であった。何も、過去の谷家に連なる全ての人間が、このように腹黒かった訳ではない。中には清廉な性格と努力によって、民衆の支持を得て、立派な政策を打ち立てた人物もいた。そのような人物がいたからこそ、戦後の混乱期にも勢力を伸ばす事ができた。

 

 だからこそ、源蔵もまた「領主」として絶大な権力を振るえる訳である。

 

「それよりお前、例の瀬田の娘はどうした?」

「ああ、彼女? やっぱり良いね。東京に行っていたお陰で、少しガキっぽさが抜け始めた所が特にね」

 

 茉莉の話になったとたん、親子共に薄笑いを浮かべた表情となる。

 

「全く、お前も物好きだな。あんな小娘のどこが良いんだ?」

 

 父親の言葉に、信吾は肩をすくめてみせる。

 

「パパは判ってないね。女はあれくらいの時からきちんと躾けて行けば、短期間で立派な雌犬になるんだよよ」

「歳の事じゃない。娼婦に仕立てて稼がせるにしても、雌として飼うにしても、少々肉付きが物足りないと思うんだがな」

「そんな物、最近の技術じゃどうにでもなるさ」

 

 本人が聞けば、嫌悪感しか感じないであろう会話を、親子は平然と交わす。

 

「いずれにしても、急げよ。可能性としては薄いが、親父の方が目を覚ましたら厄介だからな」

「抜かりないよ。所詮は小娘1人だ。どうとでもなるさ」

 

 そう言うと、下卑た笑みを口元に刻みつける。

 

 そこには、統治する者としての知性は微塵も感じる事ができなかった。

 

 

 

 

 

 足を踏み入れると、ただただ寂れた印象しか受けなかった。

 

 友哉と陣は、連れだって件のダム建設現場に来ていた。

 

 ダムの基礎工事は既に終えているらしく、重機や資材などが多く積み上げられているが、それらが動いている気配は無い。

 

 ダム建設ともなると、国家プロジェクトにもなる為、本来ならもっと活気があってしかるべきなのだが。

 

「こりゃ、噂は本当みたいだな」

「うん」

 

 ドラム缶を足で蹴りながら呟く陣に、友哉も周囲を見回しながら答える。

 

 稲荷小僧の影響で工事は停滞。進捗状況は芳しくない様子だ。

 

 やはり、稲荷小僧はダム建設反対派、もっと言えば皐月村の住人と考える方が自然だった。

 

 茉莉から聞いた話では、ダムが完成すれば、皐月村は完全に水底へと沈み、住人は若干の手当てを渡され、後は適当な移住先へと振り分けられる事になるらしい。住民としては、到底受け入れられる話ではないだろう。

 

「とにかく、ダム工事が停滞している事は判った。これ以上ここにいても仕方ないから、僕達も村の方へ移動しよう」

「そうだな」

 

 2人がそう言った時だった。

 

「テメェ等、何しに来やがったッ」

 

 低く言うなるような声に、2人は振り返る。

 

 すると、そこら中の物影から、屈強な男達が這い出て来るのが見える。皆それぞれ、作業着のような物を着ている所から見て、ダム建設の現場作業員である事が判る。

 

 だが、どの顔も剣呑な物ばかりで、とても堅気には見えなかった。

 

「村の奴らか? ここには近付くなって言ってんだろうがよ」

「喧嘩売ってんのか、テメェ等ッ ああッ!?」

 

 そう言って、2人を囲むように近付いて来る。

 

 どう見ても、ただで帰してはくれそうにない雰囲気だった。

 

「どうやら、高橋さんの言っていた事は本当のようだね」

「ああ、どう見ても、柄は悪いわな」

 

 互いに背中を合せるようにして身構える友哉と陣。

 

 その間にも、作業員たちは間合いを詰めて来る。

 

「おい、友哉。刀無しで大丈夫か?」

 

 今回は、一応の潜入調査と言う事で、武偵だと言う事がばれないよう、逆刃刀も武偵手帳も茉莉の家に置いて来ている。元々素手で戦う陣はともかく、主武装を持たない友哉には不利なようにも思えるが。

 

「何とかするよ」

 

 気負いなく、そう返す友哉。

 

 対して、陣も不敵に笑みを返す。

 

「そんじゃ」

「うん」《二手に分かれてバラバラに囲みを突破後、瀬田神社で合流》

《おうよ、了解》

 

 最後は互いにマバタキ信号で会話を交わす。

 

 次の瞬間、

 

「ゴチャゴチャ、煩ェ!!」

 

 その一言を契機に、作業員たちが一斉に襲い掛かって来た。

 

 対抗するように、陣も前へ出る。

 

「オッラァァァ!!」

 

 迷う事無く拳を一閃、近付いて来た作業員を容赦なく殴り飛ばす。

 

 大きく宙を舞い、落下する作業員。

 

「こ、この、舐めた真似を!!」

 

 さらに大量に押し寄せて来る作業員たち。

 

 それに対して、陣は一歩も引かない。むしろ、自分から躍り込んで行く。

 

 その陣に向けて、次々と殴りかかる作業員たち。

 

 だが、複数の拳をまともに受けながら、

 

「へっ、なんだそりゃ?」

 

 陣は不敵に笑って見せる。

 

 如何に屈強な作業員であろうと、陣の人並み外れた防御力を抜く事はできない。逆にカウンターとして殴り飛ばされ、着実に数を減らして行く。

 

 一方の友哉はと言うと、こちらにも作業員たちが群がっている。一見すると線の細い少女にしか見えない友哉である。陣よりも組みし易いと考えるのは当然の事だった。

 

 しかし、

 

「よっと」

 

 友哉は殴りかかって来る男達の頭上を、軽業師のようにひょい、ひょいと跳び回り、かわし、逃げ、そして蹴りつけて行く。

 

 徒手空拳は苦手な方だが、元々身体能力自体はずば抜けて高く、身ごなしも軽い友哉である。掴みかかって来る相手をかわす事など訳無かった。

 

 頭上高く飛び上がり、相手の頭を踏み台にしながら、巧みに包囲網をかく乱して行く。

 

 友哉の動きに比べると、作業員たちの動きはいかにも鈍重であり、ついて来れる人間は1人もいない。

 

 その時だった。

 

「おい、何やってやがるッ」

 

 騒ぎが広がろうとする中、2人の男が怒鳴り込んで来るのが見えた。

 

 禿頭の大男に、細身で小柄の男。先日、信吾の護衛として茉莉の前に現われた2人である。

「こ、これは、比留間の旦那方、実は、このガキどもが勝手に作業場に侵入しようとしたもんで・・・・・・」

 

 作業員の1人が、オドオドしながら報告する。

 

 比留間と呼ばれた男2人は、谷家が個人的に雇っている用心棒であり、その意向に沿わない者を粛正する役割も担っている為、作業員たちの間でも恐怖の対象だった。実際、この比留間達の力と、谷家の権力によって、存在自体を無き物にされた人間は何人もいた。

 

「フンッ 情けない奴らだ。どれ、ちょっとどいてろ」

 

 そう言うと、禿頭の男、比留間洋二は拳を握りながら前へ出る。

 

「兄貴、どっちをやる?」

 

 その傍らに小柄な男、比留間三矢が立って尋ねる。

 

「あっちのデカイ方。あれは俺がやる」

「んじゃ、俺はあの女みてぇな方だな」

 

 そう言って、それぞれの獲物に向き合う比留間兄弟に対し、友哉と陣は素早く視線を交わして頷き合う。

 

 長居は無用、ここらが潮時だった。

 

「いくぜ、おら!!」

 

 三矢が2本のナイフを手に友哉へと迫り、洋二が適当な角材を手にして構える。

 

 対して、友哉を庇うように前に出ると、屈みこむようにして地面に拳を握り、地面に叩きつけた。

 

「オラァァァ!!」

 

 叩きつける二重の衝撃。

 

 二重の極みによる一撃は、地面を大きく抉り、土砂を高々と巻き上げる。

 

 突進してくる比留間兄弟は、その一撃によって視界を塞がれ、思わず立ち止まってしまう。

 

「友哉、今だッ!!」

「了解ッ!!」

 

 陣の合図と共に、2人は踵を返して走りだす。

 

 途中、何人か行く手を阻もうとする作業員達がいたが、それらを蹴散らして、2人は建設現場を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 予定通り、一旦陣とは別れて、友哉は森の中へと分け入り、相手の目を撹乱する作戦に出た。

 

 皐月村近辺の森は、開発の手が及んでいない事もあり、鬱蒼として足場らしい足場も無い。普通に歩くのも困難な場所だ。

 

 しかし、身の軽い友哉は、木の幹や枝を足場にしながら空中を駆け、全くスピードを緩める事無く走って行く。

 

 やがて、一本の獣道に出ると、そこでようやく地面に足を下ろした。

 

「ここまで来れば、もう安心かな」

 

 殆ど森を突っ切るような形で走って来た。普通の人間がここまで来るには軽く30分は掛かる事だろう。

 

 一息ついて歩きだす。

 

 陣の方も上手くやっているだろう。向こうは友哉ほど身が軽くないので、そのまま公道を走って逃げていたが、彼の事だ、捕まる事はまずないだろう。

 

 あとは上手い事、瀬田神社で合流すれば良いだけである。

 

 そう思って、友哉が足を進めようとした時だった。

 

「・・・・・・・・・・・・何の用ですか?」

 

 突然、背後に現われた人の気配に気づき、友哉は振り向かずに足を止めた。

 

 その気配は、先程対峙した作業員や比留間兄弟とは比べ物にならないくらい、剣呑な雰囲気を発散している。

 

 一瞬、刀を持ってこなかった事を後悔したくらいだ。

 

 対して相手は、木の幹に背中を預けたまま言う。

 

「随分、奇遇な所で会う物だな」

 

 斎藤一馬は、低い声でそう告げた。

 

 対して、友哉も硬い口調で応じる。

 

「こんな所で長野観光ですか? 公安0課も暇なんですね」

 

 だが、友哉の皮肉には付き合わず、一馬は自分の本題を言う。

 

「こいつは警告だ。谷家に関わるのはやめておけ」

「え・・・・・・」

「あの一族は、明治期から権力と財を築いて来た連中だ。その力は単純な武力じゃ計りしれん。お前等が行っても潰されるだけだ」

 

 それだけ言うと、一馬は友哉に背を向けて歩きだす。

 

 公安0課。

 

 国内最強の公的武装集団まで動き出しているとなると、いよいよもってこのヤマ、一筋縄ではいかなくなってきているのかもしれない。

 

 友哉は目を細め、木立に隠れて見えなくなる一馬の背中を見送る。

 

 だが、何れにせよ、茉莉と言う大切な仲間が渦中の中心にいる以上、友哉としても手を退くつもりは微塵も無かった。

 

 

 

 

 

第4話「魔窟地方」      終わり

 



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第5話「稲荷小僧」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友哉が神社に戻ると、既に陣も、そして瑠香と茉莉も戻ってきていた。

 

 瑠香と茉莉は、お互い揃いの巫女装束に身を包み、瑠香が何やら茉莉の髪をいじっている所だった。

 

「ただいま」

 

 縁側から廊下にあがり、そのまま居間に上がる。

 

 ちょうど、一馬と会った獣道は、真っ直ぐ瀬田家の裏手に繋がっていたので、玄関には入らず、そのまま裏手に回ったのだ。

 

「あ、お帰り友哉君。どうだった?」

 

 茉莉の髪を櫛で梳いてやりながら、瑠香が手を上げて来る。

 

「何か判った事、ありますか?」

 

 普段はショートポニーにしている髪を梳いてもらっている関係で、解いてセミロングにしている茉莉。

 

 普段とはまた違った印象の少女の様子に、友哉は一瞬言葉に詰まった。

 

 先日の泉での一件もあり、どうにも必要以上に茉莉を意識してしまっている感がある。

 

 友哉は冷静になるべく、軽く息を吐いてから説明に入った。

 

「実は・・・・・・」

 

 噂通り、ダムの建設は停滞している事、そして作業員や用心棒と思われる者達と、陣と一緒に交戦になった事。

 

「やっぱり、稲荷小僧の影響なのかな?」

「ああ、それそれ。そっちでは何か聞けなかった?」

 

 瑠香の言葉に、友哉は反応する。

 

 今回の件、唯一ベールに包まれた状態にあるのは、稲荷小僧の事だ。そこだけが未だに謎に包まれている。

 

 逆を言えば、そこを考えればこの事件も、もう少し見えて来る物があるのでは、と友哉は考えていた。

 

「瑠香さんと2人で村の方で情報収集して見たんですが、凄かったです」

「もう、ね、ヒーロー? ッて言うか、守り神様みたいな崇め方だったよ。一部の人なんか、本当に神の御使いが来てくれたー、とか言って拝んでたくらいだし」

 

 何となく、その光景が容易に想像できる。

 

 村人達にとって、ダム工事を妨害し停滞させている稲荷小僧の存在は、確かに守り神と呼べるものかもしれない。が、

 

「とは言え、やってる事はれっきとした通り魔だから、武偵としては見過ごすわけにはいかないんだよね」

「そうだね」

 

 困った事に、と心の中で呟く。

 

 心情的には味方したい気持ちでいっぱいだ。特に、茉莉から谷家の実情を聞いた後は尚の事、そう思う。

 

 だが、それはそれとして、稲荷小僧のやっている事を見過ごす事もできない。

 

 如何に正義を語ろうと、法を介さなければただの暴力になり下がる。それを見過ごす事は、すなわち法の崩壊と、人心の荒廃に直結する。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 一同が話し込む中、茉莉が何やら深刻そうな顔で黙っている事に気付き、友哉は話しかけた。

 

「茉莉、どうかした?」

「え?」

 

 話しかけられ、今、友哉の声に気付いたとばかりに茉莉は顔を上げた。

 

 彼女も、この村の一員だ。その事を踏まえて、知っている事は何でも話してもらいたい。

 

「何か、悩み事でもあるの?」

「あ、い、いえ・・・・・・」

 

 訝るような友哉の視線に、少し慌てるようにしながら茉莉は言った。

 

「・・・・・・次に谷家の人達が、どういう手で来るのか、それを考えていたんです」

「成程、確かにね」

 

 悔しいが、今のところイニシアチブは谷家が握っている為、こちらが先手を打つのは難しい。相手の出方に応じて対応して行くしかないだろう。

 

 一歩間違えば、逮捕されるのはこちらと言う事態にもなりかねない。

 

「考えられるのは、稲荷小僧の燻り出し、だろうね」

 

 谷家としては、茉莉の父親を排除した以上、残る目の上のタンコブは、この正体不明の通り魔のみである。その排除に動くのは当然の事だろう。

 

「なら、俺達のやる事は、その稲荷なんたらを見付けてとっ捕まえる事だな」

 

 威勢よく言う陣に、友哉も頷く。

 

「そうだね。万が一、稲荷小僧が谷家の手に落ちたら、僕達は完全に勝機を失ってしまう事になる」

 

 谷家よりも先に稲荷小僧の身柄を確保し、その上で協力できるようならこちらに引き込む。それが当面の方針である。

 

 そう告げて、友哉は一同を見回す。

 

 力強く頷く陣と瑠香。だが、茉莉だけは何かを考え込むように俯いているのが見えた。

 

 何か声を掛けようかとも思ったが、その前にある事を思いだした為、そちらを先に話す事にした。

 

「そう言えば、さっき森の中で斎藤さんに会ったよ」

 

 その言葉に、一同は思わず目を剥いて騒然となった。

 

「おいおい、斎藤って言や、あいつだろ、あの客船の戦いの時にいた刑事だろナントカって言う組織の」

「公安0課、ですね」

 

 人の言葉を補足するように茉莉が言う。

 

 公安がこの事件に足を踏み入れている。この事実に、誰もが緊張を隠せなかった。

 

「だから、ここからは、より慎重に事を進めないといけない」

 

 友哉の言葉に、一同は頷きを返した。

 

 警視庁公安部が動いている以上、事件はかなりの規模に発展していると言う事だ。確かに、これからは慎重に動く必要があった。

 

「さて、と」

 

 話は終わり、瑠香は勢いよく立ちあがる。

 

「たくさん歩いて汗かいちゃった。茉莉ちゃん、お風呂入ろ」

「あ、は、はい。じゃあ、お湯沸かしますね」

 

 そう言って立ち上がる茉莉を見ながら、瑠香は睨みつけるように男性陣を見た。

 

「言っとくけど、覗かないでよね。特に友哉君」

「おろッ 何で僕?」

 

 心外だ、と言わんばかりに抗議しようとするが、瑠香は半眼になって友哉を睨みつける。

 

「友哉君、前科一般。昨日、茉莉ちゃんの水浴び覗いたでしょ。アリア先輩なら風穴物だよ」

「いや、だから、あれは偶然の事故だったんだってば!!」

 

 抗議する友哉だが、瑠香は聞く耳もたないとばかりにそっぽを向いている。見れば、茉莉も、その時の事を思い出したのか、顔を赤くして俯いている。

 

 どうやら、友哉の不名誉な誤解は、当分解けそうになかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 比留間洋二と三矢の兄弟は、谷家宅へと呼び出されていた。

 

 用件は、昼間にダム作業現場に侵入した子供2人についてだった。

 

「全く、なんてザマだッ」

 

 怒り心頭と言った風情で源蔵は怒鳴る。

 

「たった2人のガキを取り逃がしただとッ!? 一体、何の為の用心棒だ!?」

「そうは言うがよ、何とも妙な奴らでよ」

「そうそう、何かガタイの良い奴と、女みてェな顔した奴なんだけど、素手で地面割ったり、軽技みたいに身が軽かったりよ」

 

 言い訳じみた事を言う比留間兄弟に、源蔵は冷ややかな目を向ける。

 

「フンッ、世迷言を。言い訳なら、もう少しマシな事を言うんだな」

「本当なんだよッ」

 

 話を信じようとしない源蔵に、洋二は声を荒げるようにして言う。

 

 その声を無視して、源蔵は自分の背後に立つ男に目をやった。

 

「これは貴様の責任だぞ、喜一」

 

 喜一と呼ばれた男は、壁に背を預けたまま、腕を組んで様子を見ていた。

 

「貴様の弟が不甲斐ないせいで、ワシ等まで舐められる事になるんだッ」

「すいませんね」

 

 上辺だけの謝罪を口にしながら、喜一と呼ばれた男は洋二と三矢に目をやった。

 

「あ、兄貴・・・・・・」

「すまねえ・・・・・・」

 

 喜一に一睨みされ、振るえるように恐縮する2人。

 

 対して喜一は、底冷えするような声で言った。

 

「二度とこんな失敗をするな。次やったら、俺がお前等を殺すぞ」

「わ、判った」

 

 2人は必死に頷くと、慌てたように部屋を出て行った。

 

「それにしても、」

 

 話題を変えるように、喜一は源蔵に向き直る。

 

「気になりますね、その2人組のガキ。あいつ等にしろ、作業員にしろ、頭は悪いが腕っ節だけは、そこらの警官にだって負けない連中だ。それが何十人も集まって、捕まえる事ができないとは」

「まさか、そいつ等が稲荷小僧なのかッ?」

 

 源蔵は喜一の言葉に目を剥く。

 

 そいつ等が稲荷小僧なら、いよいよその正体を掴んだ事になる。

 

 だが、それを喜一は否定する。

 

「その可能性は、低いんじゃないですかね」

「なぜだ?」

「時期が合わないんですよ。稲荷小僧が出現し始めたのは、1週間くらい前から。対してそのガキは、今日初めて姿を見せた。可能性としてゼロじゃないにしても、この空白の期間には少々違和感がる。むしろ、村の誰かが武偵でも雇った、と考える方が無難でしょうね」

「武偵か・・・・・・」

 

 それはそれで厄介だ。連中にいらぬ事を探られては困る。

 

「何、心配はいりませんよ」

 

 そう言うと喜一は、傍らに置いてある白木造りの鞘に収めた刀を持ち上げる。

 

「その為に、私がいるんですから」

 

 その頼もしい発言に、源蔵も笑みを見せる。

 

「頼んだぞ、裏社会じゃ『千人斬りの比留間』と呼ばれているお前だ。頼りにしているぞ」

「御安心ください。それに、稲荷小僧の方も万全です。今夜中には捕まえる事ができるでしょう」

 

 その頼もしい発言に、源蔵と信吾も笑みを浮かべる。

 

 謎の通り魔さえ排除できれば、最早この地方で谷に逆らえる者はいなくなるのだ。

 

 富と権力を手中に収めた谷家。その躍進を止められる者など存在する筈がなかった。

 

 

 

 

 

 風呂を終えた瑠香と茉莉は、夕食の材料を買うべく、商店街へと繰り出していた。

 

 少々間の抜けた話ではあるが、風呂に入り終えた後に、夕飯の食材が無い事に気付いたのだ。

 

 高橋のおばさんに頼ろうとも思ったが、あまりおばさんにばかり頼りきりになる訳にも行かない。

 

 と言う訳で、今晩は簡単な物で自炊しようと言う事になったのだ。

 

「それにしても・・・・・・」

 

 瑠香は興味深そうに、周囲を見回しながら茉莉に話しかける。

 

「茉莉ちゃんの村って、面白いね」

「あの、つまらなくないですか?」

 

 茉莉は怪訝そうに尋ねる。都会育ちの瑠香からすれば、皐月村は何もないド田舎に見える事だろう。もしかして、退屈していないか、と勘繰ってしまったのだ。

 

 しかし、上目遣いで尋ねる茉莉に、瑠香は笑い飛ばすように言った。

 

「そんな事無いよ」

 

 そう言って、瑠香は茉莉の手を繋ぐ。

 

「あたしの京都の実家も街中にあるし、武偵校なんか、マジで都会のど真ん中じゃん。だからかな、逆にこう言う長閑な場所での生活って言うのに、少し憧れてたんだ」

 

 これが都会で育った人間と、田舎で育った人間の感性の違いなのだろう。一概にどちらが良いと言う訳ではないが、互いが互いの感性を理解しづらい事は確かだろう。

 

「そう言ってくれると、私も嬉しいです」

 

 茉莉も嬉しそうに微笑しながら、瑠香の手を握り返す。自分の故郷を良く言ってくれて、悪い気分になる者も少ないだろう。

 

 そのまま手を繋いで歩き、商店街まで歩いて来ると、何人か茉莉の顔見知りの人達と出会う事となった。

 

 何しろ、2人ともお揃いの巫女服を着ている。狭い商店街で、目立たない筈がなかった。

 

「あれま、茉莉ちゃん。帰ってたのかい」

「おかえり~、茉莉ちゃん」

 

 口々に話しかけて来る。

 

 その光景だけでも、茉莉が、この商店街ではちょっとしたアイドルのような存在である事が判る。

 

「茉莉ちゃん、大人気だね」

「うう、恥ずかしいです・・・・・・」

 

 顔を赤くしながら、所在無げに俯いている茉莉を見て、瑠香もクスクス笑う。

 

 そんな瑠香にも、話しかける声がある。

 

「お嬢ちゃんは、茉莉ちゃんのお友達かい」

「あ、はい。学校の後輩です」

 

 瑠香のその返事に、質問した相手の方が少し驚いた表情をする。

 

「あれ、あんた茉莉ちゃんより年下だったのかい。あたしゃてっきり、茉莉ちゃんの方が年下かと思ったよ」

「それは・・・・・・・・・・・・」

 

 瑠香と茉莉は微妙な表情で顔を見合わせる。

 

 割と普段から「瑠香=姉、茉莉=妹」のような関係の2人である。傍から見ても、やっぱりそんな風に見えるらしい。

 

 だが、そんなに悪い気はしない。と、茉莉は密かに思っている。

 

 昔から一人っ子だったから、一緒に遊べる兄弟姉妹が欲しいと思った事は何度もある。それが、瑠香のように何でも相談できる姉だったら、と思う事もあった。

 

 その時だった。

 

 それまで、2人を囲んで騒いでいた村人達が、緊張したように話すのをやめて、別の方向を向いている。

 

 その視線を辿り、茉莉も息を飲んだ。

 

 黒塗りのセダン。

 

 そこから降りて来た黒縁眼鏡の男が、目に入ったからだ。

 

 緊張に体をこわばらせながら、茉莉はそっと瑠香に口を近付ける。

 

「瑠香さん、あれが谷信吾です」

「うわっ あれがそうなんだ」

 

 名前を聞いて、瑠香も嫌悪感を露わにする。何しろ、自分達の敵が目の前に現われたのだ。警戒しない方がおかしい。

 

「こんにちは、瀬田のお嬢さん」

「・・・・・・どうも」

 

 にこやかな信吾の言葉に対し、茉莉は警戒心剥き出しの、硬い声で応じる。

 

 そんな茉莉の様子に気付いていないのか、それとも気付いていても無視しているのか、信吾は変わらない調子で話す。

 

「おや、夕食のお買いものですか、良いですね」

「あなたには関係の無い事です。それじゃ」

 

 そう言って、信吾の脇を抜けようとする茉莉。

 

 その時、

 

「お父様・・・・・・」

 

 その一言に、茉莉は足を止める。

 

「早く、良くなると良いですね」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 横目で睨んで来る信吾に対し、茉莉は視線を合わせずに黙りこむ。実質、父を人質に取られている茉莉にとって、この場での抵抗は封じられているに等しかった。

 

 それが判っているので、信吾は更に言い募って来る。

 

「どうです、今度ウチで食事でも? 是非招待させてくださいよ」

「何言ってんのよ、アンタッ」

 

 その言葉に対し、反応したのは茉莉ではなく、彼女の傍らで信吾を睨みつけていた瑠香だった。

 

「茉莉ちゃんがアンタの所になんか、行く訳無いでしょ」

「おやおや」

 

 そんな瑠香の剣幕にも、信吾は首を振ってやれやれと肩を竦める。

 

「お友達は選んだ方がいいですよ、茉莉さん。こんな犬のようにキャンキャンと吠えるだけの奴など、あなたに相応しくない」

「なにをッ」

 

 激昂しかける瑠香。しかし、その袖を茉莉が引っ張って制する。

 

「瑠香さん、ダメです」

「茉莉ちゃん、でもッ、こいつ、茉莉ちゃんの事ッ」

 

 怒る瑠香の気持ちは嬉しいが、ここでの揉め事はまずい。

 

 友哉からも、現状での交戦は避けるように言われていた。今はまだ、相手の力が大きすぎる。下手に手を出せば、それを理由にこちらが潰されてしまうのは明白だった。

 

 代わって、茉莉が瑠香の前へと出た。

 

「お話は判りました。いずれ覗わせて頂きたいと思います。ただ、」

 

 スッと、茉莉は眼を細めて信吾を睨みつける。

 

 イ・ウーにて《天剣》の茉莉として馴らした少女は、自身の殺気の出し方についても心得ている。

 

「これ以上、私のお友達を侮辱するなら、その時は容赦しませんよ」

「・・・・・・それは、肝に銘じておきましょう」

 

 ただの小娘だと思っていた相手の凄みに、信吾は僅かに鼻白んだ様子で返事を返す

 

 。とは言え、それで怯んだ訳ではないらしい。生来、父親の威を借り、他人を蹴落とす事で人生を歩んで来たこの男にとって、そもそも「他人と争う」と言う事自体が無縁である。よって、そもそもからして「殺気」とは如何なる物か、理解もできない様子だった。

 

「それでは、楽しみにしていますよ」

 

 それだけ言い置くと、車の方へと戻って行く。

 

 それを見送る茉莉。

 

 今はまだ、奴等に対抗する事はできない。だからこそ、自分達なりの戦い方をしよう、と心に誓うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陽が落ちると、この辺りは本当に真っ暗となり、馴れない人間では歩く事も難しくなる。

 

 周囲には田畑も多い為、下手をすればその中へ足を突っ込み、悲惨な状況になると言う、笑えば良いのか泣けばいいのか判らない、と言う事故も起こるくらいだ。

 

 そんな中を、数人の男達が歩いていた。

 

 ほろ酔い加減で、歩く彼等は、ダム建設現場で働く作業員達である。どうやら、今日も商店街の飲み屋で飲み歩いていたらしい。

 

 皐月村側としては、ダム建設関係者である彼等は仇敵と言っても良い存在だが、同時に金回りの良い上客である事には変わりがない。来店を断るに断れない、と言うのが本音であった。

 

「いやぁ しかし、困ったもんだよな」

 

 いい感じに出来上がっている作業員の1人が、仲間に肩を貸しながら口を開く。

 

「例の通り魔のせいで、一体、いつになったら、仕事が再開できるのか」

「いや、まったくだな」

「まあ、俺らはこうして、酒さえ飲んでりゃ良いんだから、楽なもんだよな」

「そうそう、いっそのこと、ずっとこのままでいてくれないかね?」

「稲荷小僧様様ってか」

 

 そう言って、大爆笑する男達。

 

 そうしている内に、小さな畦道に出る。作業場に戻るには、ここを通らねばならない。

 

「おい、ちゃんと歩けよ」

「判ってるよ。お前こそ、ふらついてんじゃねえよ」

 

 そう言った時だった。

 

 突然、畦道の両側に、ボッと青白い炎が浮かび上がった。

 

「・・・・・・あん?」

 

 目を剥いて、立ち尽くす男達。

 

 炎は、連なるようにして、間隔を置いて灯って行く。

 

 その向かう先に、小柄な人影が立っていた。

 

 白い上衣に緋色の袴。手には日本刀を携え、顔には狐の面をしている。

 

「い、稲荷小僧ッ!?」

 

 言った瞬間、

 

 白風が駆け抜けた。

 

 闇夜に、青白い光に照らされ、迸る白刃。

 

 一瞬にして、先頭の男は刃を受けて昏倒した。

 

 稲荷小僧は、刀を峰に返して振るっているので、相手を殺傷する事は無い。

 

 それでも、重い鉄棒を叩きつけられたに等しい一撃によって、昏倒は免れない。

 

 更に一撃。

 

 2人目の男が、稲荷小僧によってなぎ倒された。

 

 その素早い動きに、作業員達は相手を捕える事すらできないでいる。

 

「ヒッ、ヒィィィッ!?」

 

 稲荷小僧の出現に、作業員が腰を抜かして逃げ惑う。

 

 対して稲荷小僧は、逃がさないとばかりに回り込み、1人ずつ着実に叩きのめして行く。

 

 全ての男達が地面に転がるまでに、2分も掛からなかった。

 

 後には、1人立ち尽くす狐面の人物と、地面に転がった男達だけである。

 

 一撃で昏倒させられた者はまだ良い方で、中途半端に意識が残った者は、折られた腕や足を抱えて、呻き声を上げている。

 

「・・・・・・他愛ない」

 

 面の下から、低い声で囁きが漏れる。

 

 そのまま立ち去ろうとした、

 

 その時だった。

 

 突然、カッと言う音と共に、強烈な光が四方から浴びせられた。

 

「ッ!?」

 

 思わず振り返る稲荷小僧の視界に、瞼を焼くような光が飛び込んで来た。

 

 警察が夜間強襲に使う、強力なサーチライトの証明だ。

 

「ようやく捕えたぞ、稲荷小僧」

 

 光の中から歩み出た比留間喜一は、手にした日本刀を掲げるようにして見せる。

 

 対抗するように、手にした刀を構える稲荷小僧。

 

 その様子を見て喜一は、口の端を釣り上げて笑みを見せる。

 

「嬉しいぜ。久しぶりに『合法的』に人が斬れるんだからな。何しろ、テメェは犯罪者だ。斬ったところで、いくらでも言い逃れはできる」

 

 そう言うと、刀の鯉口を切る。

 

 その目には明らかな嗜虐が浮かび、自身の愛刀が血を啜る事を喜んでいるのが判る。

 

「おい、お前等。絶対に逃がすんじゃねえぞ!!」

 

 喜一は、周囲に大声で命じる。

 

 既に周りには、ダムの作業員や、応援に駆け付けた県警の職員によって包囲されている。

 

 夜間、少数の人間を相手に戦う場合、多数側が大兵力で一気に攻めると、視界の悪さから却って混乱し、損害を増やす結果にもなりかねない。ここは敢えて、大部隊は包囲にのみ専念し、精鋭のみを交戦に当てた方が効率は良い。

 

 喜一は長い裏社会での暮らしにより、その事を充分に理解していた。勿論、自分自身の実力に相当な自信がなければ成立しない作戦ではあるが。

 

 スラリと刀を抜き放つ喜一。

 

 対して稲荷小僧も、峰に返したままの刀を構えて斬り込んだ。

 

 互いの刀が闇夜にぶつかり合い、火花を散らす。

 

「おッらァァァァァァ!!」

 

 喜一は、自分よりも小柄な稲荷小僧の体を、力押しで弾き飛ばす。

 

 対して稲荷小僧は、地面に足を着いて受け身を取ると、その状態から急加速し、一気に喜一へと斬り込む。

 

「ウオッ!?」

 

 稲荷小僧の鋭い斬り込みに、喜一は思わずたたらを踏んだ。辛うじていなす事に成功したものの、バランスを大きく崩す。

 

 一方の稲荷小僧の方も、地に足を着いてブレーキを掛ける。そのまま反転して斬り込もうとする。

 

 が、

 

 突然、背後から襲いかかる気配に、とっさにその場から飛び退く。

 

 見れば、包囲している警官隊が、ジュラルミンの盾や警棒を手に、包囲網を狭めて生きていた。

 

「クッ!?」

 

 仮面の下で、思わず舌打ちする。

 

 改めて、自分が四面楚歌である事を思い知らされた。

 

 行動を制限すると同時に、逃げ場も塞がれている。このままでは捕まるのも時間の問題だ。

 

「どこに行く気だ?」

「ッ!?」

 

 気が付けば、いつの間にか喜一が距離を詰めて斬りかかって来るところだった。

 

 振り下ろされる剣を、とっさに刀を返して防ぐ稲荷小僧。

 

 しかし、鍔競り合いに入った瞬間、手首を掴まれてしまった。

 

「捕まえたぜ。これで、もう逃げられないだろ」

「クッ・・・・・・」

 

 仮面の奥で呻き声を上げる。

 

 とっさに振り解こうとするが、喜一は力強く握りしめ、離そうとしない。

 

「逃がしはしない。ここでくたばってもらうッ!!」

 

 そう言って、喜一が刀を振りかぶった時だった。

 

 突然、包囲網の外から投げ込まれた、数本のスプレー缶状の物から、勢いよく煙が噴き出して、視界を覆い始めた。

 

「クッ、煙幕かッ!!」

 

 喜一はとっさに、稲荷小僧の腕を放して、目と口を覆いながら後退していく。

 

 一方の稲荷小僧も、突然の事で戸惑ったようにその光景を見詰めている。

 

 と、その手がいきなり引っ張られた。

 

「こっちに、早くッ」

 

 その手の主は、半ば強引に引っ張るようにして駆け出す。

 

 包囲している警官隊や、作業員達の間をすり抜けるようにして、2人はその場を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 どうにか包囲網を抜け、途中の人目を避けながら走り抜け、街道近くまで来て、ようやく一息つく事ができた。

 

「ここまで来れば、もう安心かな」

 

 友哉は、後ろを振り返りながら言う。

 

 稲荷小僧は、疲れ果てたように地面に座り込んでいる。

 

 今夜あたり、稲荷小僧が動くと読んでいた友哉は、村の中の動きをよく観察していた。すると案の定と言うべきか、警察やダム建設作業員に大規模な動きがあった。

 

 恐らく、稲荷小僧を捕える為に谷家が動いたのだろうと考えた友哉は、じっと、その時が来るまで息を潜めて待機していたのだ。

 

 そして、交戦が始まった瞬間を見計らって飛び出し、予め用意しておいた投擲型の発煙弾を投げつけて包囲部隊の視界を奪い、その隙に稲荷小僧を救出する事に成功したのだった。

 

 谷家とて馬鹿ではない。そう何度も無防備に襲撃を許す筈がないと踏んでの行動だったが、どうやら予想は的中だったようだ。

 

「それにしても、君もなかなか無茶をするね」

 

 そう言って、呆れ気味の視線を稲荷小僧に向ける。

 

 その仮面の下の素顔に、友哉は既に大方の見当を付けていた。

 

 ゆっくりと、その手が狐面に伸ばされ、外される。

 

 淡い月光の下、晒される素顔。

 

 そこに現われたのは、

 

 瀬田茉莉の顔だった。

 

 

 

 

 

第5話「稲荷小僧」      終わり

 



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第6話「逆鱗」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてと・・・・・・」

 

 友哉は地面に座り込んでいる茉莉に対し、腰に手を当てて話しかける。

 

 稲荷小僧の正体。それが彼女であった事にはさほど驚きは無い。むしろ、彼女以外の人間であったなら、未知の勢力がこの地方には存在する事にも繋がる為、逆に厄介だと思っていたくらいだ。

 

 とは言え、事情その物は何も分かっていないに等しい訳で、

 

 友哉としても、そこのところを詳しく聞きたいところだった。

 

 友哉は追い詰めるように、茉莉に顔を近付ける。

 

「どう言う事なのか、説明して欲しいんだけど?」

「うっ・・・・・・」

 

 言葉に詰まる茉莉。

 

 怒っている。

 

 それが茉莉にも判った。

 

 笑顔であるだけに、余計に怖い。普段大人しい人間程、怒ると怖いと言うのは本当の事だった。

 

 いつもは滅多な事では怒りを表さない友哉。その友哉が、割と本気で怒っていた。

 

「こんな物まで用意して、随分と計画的だね」

 

 そう言って、友哉は丸めた紙のような物を手にとって見せた。

 

 その紙には、ある特殊な油が染み込ませてあり、火を付けると「熱を発しない青白い炎」を発生させる。茉莉がイ・ウー時代に技術開発部の責任者に教えてもらった物である。これと、導火線による時限発火装置を組み合わせた物が、戦闘前に発する青白い炎の正体だった。

 

 虚仮脅し以上の効果はない手品のような代物だが、それでも相手が素人なら、暗闇との相乗効果もあって、威嚇には充分だった。

 

「あ、あの・・・・・・」

「おろ?」

 

 話題を逸らすように、おずおずと茉莉は口を開く。

 

「ど、どうして 判ったんですか? 私が稲荷小僧だって・・・・・・」

 

 友哉の口ぶりからすると、初めから稲荷小僧の正体に気付いていた節がある。茉莉の正体を知る人間は、今、村には1人もいない。それなのに正体がばれたのが不思議だった。

 

 そんな茉莉に対し、友哉は少し柔和な顔付きをして答える。

 

「前から思ってたけど、茉莉って嘘が下手でしょ?」

「え?」

「昼間、みんなで話し合っていた時、稲荷小僧の話題が出るたびに茉莉の挙動がおかしかったからね。それがきっかけかな。確信したのはさっき助けた時だけど」

 

 そう言うと、友哉は茉莉を指差す。

 

「そんな格好してれば、流石に気付くよ」

「あうッ・・・・・・」

 

 茉莉は白い上衣に、緋色の袴と言う巫女装束を着ている。これだけの条件があり、友哉程、思考が鋭ければ、気付かない筈がなかった。

 

 観念したように息を吐くと、茉莉は口を開いた。

 

「・・・・・・・・・・・・お察しの通り、稲荷小僧の正体は私です」

「どうしてこんな事をしたの?」

 

 友哉は口調を改めて尋ねる。茉莉がこんな犯罪紛い、と言うよりも犯罪そのものの行為を、理由も無くするとは思えない。友哉はそれを知りたかった。

 

「・・・・・・谷家に対抗する為です」

 

 話し始める茉莉の言葉を、友哉は黙って聞き入る。とにかく事情を把握しない事には、どうする事も出来なかった。

 

「昨日お話しした通り、この地方での谷家の権力は絶大です。それは、コネ、財力、政治力にまで及びます。それらを覆すには、私1人の力では到底足りません。だから、少しでも相手の力を削ぎ、工事を遅延させる為には、これしか無かったんです」

 

 それは少女が、苦しみ抜いた末に出した結論。

 

 良くも悪くも、戦いの中に生き、戦いの中で己を磨いて来た少女が取るべき選択肢もまた、剣を持った戦いでしか無かった。

 

「何年か前に一度現れた事があるって言う稲荷小僧は?」

「それも、私です」

 

 数年前、近くの街からやって来たという不良グループが、村人達が暴力を振るうと言う事件が続発した。

 

 その時、茉莉自身は被害に遭う事は無かったが、茉莉の友達や親しかった人達にも被害が及んでいた。

 

 勿論、茉莉とて初めから暴力でやり返そう、などと考えていた訳ではない。

 

 だが、警察に訴えても「担当が違う」「証拠がない」「無防備にしている方が悪い」等、言を左右にされるばかりで、一向に被害が減る事は無かった。

 

「当時、既に近隣署の幹部は谷家の息が掛った人達で占められていました。そのせいで、警察組織はまともに機能していなかったんです」

 

 茉莉は覚えている。彼女達の訴えを「子供の戯言」と笑い飛ばす一方で、今夜の会合の打ち合わせをして盛り上がっている交番巡査の顔を。

 

 そして、ついに茉莉は一線を踏み越えてしまった。

 

 警察が当てにならないなら、自分で排除するしかない、と。

 

 当時、茉莉はまだ小学5年生だったが、幼い頃から鍛えていた剣術の才能は、既に高校生にすら負けない程に成長していた。

 

 自分の素性が割れないように、こっそりと倉庫の中から狐の面を持ちだして被り、父にばれないようにして木刀を手に、夜の村へと繰り出した。

 

 襲撃自体は簡単だった。

 

 元々、戦闘の心得も無く、ただ自分達よりも弱い者をいたぶって悦に浸っている様な輩達である。小学生とは言え、超高校級の実力を持つ茉莉の敵ではなかった。

 

 3人いた不良を、またたく間に叩き伏せ、正体を見咎められる事も無く帰る事ができた。

 

 次の日になっても、犯人は特定されないままだった。警察の捜査力の低さが、初めて役に立ったわけである。

 

「でも、それがいけなかったんです」

 

 初めの成功で、幼かった茉莉はある意味、味をしめた。増長したと言っても過言ではない。

 

 何しろ、村にやって来る不良たちは1人や2人ではない。噂を聞いて仲間の敵討ちに来る者、単に怖いもの見たさの者。様々である。それらに対し、茉莉は夜な夜な家を抜けだしては制裁を加える、という毎日を続けた。

 

 そんな日々が続くうちに、「皐月村には狐の面を付けた守り神がいる」と言う噂が広まるようになった。それが稲荷小僧の誕生である。

 

「結局のところ、私はどうしようもないくらいに子供だったんです。悪い人達をやっつけて、村の人達から感謝される。そんな自分に有頂天になっていたんだと思います」

 

 だが、そんな日々も、唐突に終わりを告げる。

 

 ある夜、茉莉がいつものように襲撃を終えて神社に戻ると、父が玄関で待っていた。

 

 父は有無を言わさず茉莉を居間に引っ張って行き、容赦無くお仕置きした。

 

「父には判っていたんです。稲荷小僧の正体が私だと言う事を。父が私に手を上げたのは、それが最初で最後でした」

 

 ひとしきり、茉莉をお仕置きした後、父は娘をしっかりと抱きしめ、諭すように言った。

 

『時には暴力で訴える事も必要な事があるのかもしれない。だが、それにばかり頼っていたら、いずれは自分が暴力で叩き伏せた人間と同じになってしまうのだよ』

 

 それを聞き、茉莉はただ泣きじゃくり、謝る事しかできなかったのを覚えている。

 

 その日以来、稲荷小僧が皐月村に現われる事は無かった。

 

 父も、谷家と警察の関係は知っていたので、大事な一人娘を腐りきった司法の手にゆだねる気は無かったらしい。それ以後、瀬田家で稲荷小僧の事が話題に上る事も無かった。

 

 ただその代わり、茉莉はその日以来父の下でそれまで以上に、激しい剣術の稽古に身を晒す事となる。

 

『良いかい茉莉。心が弱いから、すぐに暴力に頼ろうとするのだ。だからまず、お前は心を鍛えなくてはならない』

 

 そう言うと父は、まるで鬼が乗り移ったかの如く、茉莉を辛い修行の中に叩き込んだ。

 

 修業は凄まじく、幼かった茉莉の体に、痣の消える日は無かったほどだ。

 

 その甲斐あってか、茉莉は見る見るうちに剣の腕が上達し、普通なら何年もの修行の末に習得し得る「縮地」を、僅か1年足らずで使いこなすまでに至った。

 

「父が事故に倒れたと聞いて故郷に戻った私が見たのは、以前にもまして権勢を増した谷家の専横でした。それに比べて、私はあまりにも非力でした。だからこそ、再び封印していた稲荷小僧を呼び覚まし、谷家に対抗しようとしたんです」

 

 茉莉は言い終えると、口をつぐんだ。

 

 自分が何をしたのか、そして自分の行為がハッキリと犯罪行為である、と認識している。

 

 だが、それでも自分には、これしか手段がなかったのだ。

 

 そんな茉莉を、友哉は黙って見つめ、そして、

 

 ギュムッ

 

「ふにっ!?」

 

 いきなり友哉に鼻を摘まれ、茉莉は間の抜けた声を発する。

 

「いふぁいいふぁい、いひなひなにふうんれふかッ!?」(訳:「痛い痛い、いきなり何するんですかッ!?」)

 

 抗議する茉莉に対し、友哉は更に指に力を加える。

 

 手をバタバタと振り回すが、友哉は一向に茉莉の鼻を放そうとしない

 

「何を寝惚けた事を言っているのかな、この娘は?」

「いひゃい~ ゆふひへふらはい~」(訳:「痛い~ 許して下さい~」)

 

 友哉はそっと指を放し、茉莉を解放すると、改めて彼女に向き直る。

 

「ねえ、茉莉。君は重要な事を忘れているよ」

「うう~、何ですか?」

 

 茉莉は赤くなった鼻を押さえて問い返す。

 

 その目が恨みがましく友哉を睨んでいるのは、見間違いではないだろうが、友哉は無視して先を続けた。

 

「武偵憲章1条『仲間を信じ、仲間を助けよ』」

「緋村君、それは・・・・・・」

「忘れないで。君が望めば、僕達は君にとっての剣になってあらゆる物を切り裂くし、盾となってあらゆる危難から君を守るよ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉の言葉に、茉莉は黙り込む事しかできない。

 

 正直、心の奥底で、茉莉は「仲間」と言う言葉を軽視していた感がある。イ・ウー構成員として長く戦って来た茉莉にとっては、仲間など共闘する事はあっても助け合う物ではなく、足手まといは捨て置かれるものと言う認識があった。

 

 だが、それは違うと、

 

 そんな事は無いと、目の前の少年は言い、そして茉莉の前に手を差し伸べている。

 

 後はその手を、茉莉が取るか否か。それだけの話なのだ。

 

 友哉は、それ以上何も言わずに、手を差し出している。

 

「・・・・・・本当に、良いんですか?」

「おろ?」

「私はがやった事は、決して許されない事です。それを・・・・・・」

 

 言葉に詰まる茉莉。

 

 こんな自分が友哉達の仲間だ、などと言っても良いのか迷っているのだ。

 

 そんな茉莉に対して、友哉はニッコリと微笑むと、彼女の手を取り、自分の両手で優しく包み込んだ。

 

「それが、どうしたって言うの?」

「え・・・・・・」

「そんな事は気にしない。僕は君が守りたい物を守る為に戦ったって言う事を知っている。それを否定する奴は、たとえ誰であろうと、この僕が許さないッ」

 

 力強く、友哉は言い放つ。

 

 その姿は、茉莉の眼には何よりも眩しく映り込んだ。

 

「緋村君・・・・・・」

 

 この人なら、もしかしたら自分を救ってくれるかもしれない。自分と一緒に、この絶望的な状況を打破してくれるかもしれない。

 

 その想いが強くなる。

 

「一緒に行こう。一緒に戦えば、どんな敵にだって負けはしないよ」

 

 気が付けば、茉莉は友哉の手を握り返していた。

 

「・・・・・・・・・・・・一つだけ、良いですか?」

「何かな?」

 

 尋ね返す友哉。それに対し、茉莉は少し恥ずかしそうに顔を背けて言った。

 

「これからは、その・・・・・・『友哉さん』って、呼んでも良いですか?」

 

 今までは、恥ずかしくてできなかった事。しかし、いつもてらい無く友哉を名前で呼ぶ瑠香の事を、密かに羨ましいと思っていたのだ。

 

 対して友哉は、ニッコリとほほ笑む。

 

「勿論、こっちこそ、お願いするよ」

「・・・・・・はい、友哉さん」

 

 小さく頷く茉莉。

 

 その顔には、とても穏やかな笑顔が浮かべられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 公安の人間は、その性質上、相手にする犯罪者のレベルも所轄の巡査や本当の捜査課に比べて、高官である場合が多い。

 

 それに比べたら、今回の相手は高官である事には変わりは無いが、普段、相手にしているような海千山千の連中に比べると、見劣りする事この上なかった。

 

 だが、それでも公安0課特殊班と言う、荒事専門の一馬が派遣されて来たのは、状況によっては戦闘が生じる事も考慮しての事だった。

 

「谷親子に関しては、戦闘力は皆無。問題となるのは、雇われている比留間兄弟と言う3人の用心棒です」

「比留間・・・・・・聞かない名前だな」

 

 一馬は壁に背を預けたまま、会話相手に問い返す。

 

 相手は一馬に先んじて皐月村に入った、潜入捜査官の1人である。近隣に単身赴任してきたサラリーマンを装い、村人に紛れてダム建設現場と、それに絡む騒動を監視していた。

 

 一馬は国内の犯罪者や、裏社会にて顔の知られている連中は全て把握している。しかし、比留間と言う名前に聞き憶えは無かった。

 

「何でも、元は山陰地方を中心にシノギをしていた連中だとか。谷家当主源蔵が、ダム反対派の妨害を考慮して雇い入れたそうです」

「・・・・・・成程な」

 

 一馬は頷きながら、煙草を吹かす。

 

 注意すべき情報ではあるが、自分が知らなかった程度の連中だ。過度に警戒する必要は無いだろう。

 

「それと、これを。今朝、長野県警を通じて、本庁から届きました」

 

 差し出された書類を受け取り、中身を確認すると、一馬は口の端を釣り上げて苦笑した。

 

「長野県警が未だに機能していたのは驚きだな。てっきり、全て谷家の連中と繋がっていると思ったんだが」

「県警本部の方はまだ無事ですが、近隣所轄署は完全に谷家一色といった雰囲気です。ただ、今回の件で、県警本部も粛正計画を進めているとの事です」

「フンッ、今更重い腰を上げたか。少々遅い気もするが、それでも動きださないよりはマシか」

 

 一馬は書類を内ポケットに入れると、煙草を携帯灰皿に押し付けて立ち上がる。

 

「ご苦労だった。引き続き監視を怠るな。動きがあったら報告しろ」

「判りました」

 

 歩きながら、一馬は今後の行動に関して計画を組み立てる。

 

 公安0課の刑事にも、色々な種類があるが、中でも一馬が得意としているのは潜入、暗殺、奇襲と言った表には出せない任務である。

 

 とは言え、今回は暗殺という手段は使えない。

 

 谷家が長い年月をかけて作り上げたコネは、政府中枢にまで及んでいる。この事から考えて、谷親子を暗殺したところで、その裏にある組織力を壊滅させるには至らない。誰かが谷家に取って変わり、組織運営を継続するのは目に見えている。そう言う意味では、トップを潰せば良かったイ・ウーよりも厄介であると言える。

 

 だから、谷親子はたとえ手足をもいでも、生きたまま捕える必要がある。そして谷家に繋がる者達のデータ全てを確保し、そこから組織壊滅につなげる必要がある。言わば、中枢に及んだ一滴の毒が、巨大な体全体を連鎖的に破壊して行くに等しい。

 

 幸いと言うべきか、谷家側はまだ、一馬の存在に気付いていない。稲荷小僧とかいう通り魔や東京武偵校の連中が派手に暴れてくれているおかげで、一馬は潜行して事を進める事ができる。

 

 敵が気付いた時には既に手遅れ。獰猛な狼が、太りきった豚の喉元に食らいついている事になるだろう。

 

「さて、せいぜい、派手に暴れてくれよ」

 

 口元に笑みを浮かべて呟く一馬の脳裏には、友哉達の顔が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 神社に戻って朝を迎えても、友哉は茉莉の事を陣や瑠香に話す事は無かった。

 

 2人の事を信用していない訳じゃないが、こう言った事は、言うべき時に本人の口から言う事だと思ったからである。

 

 稲荷小僧の正体は茉莉だった。

 

 その事を何れ話すのか、そうでないのか。それを決めるのは友哉ではない。だが、どちらを選んだとしても、友哉は茉莉の味方でいようと心に決めていた。

 

 その茉莉は今、瑠香と一緒に部屋で遊んでおり、陣は縁側で居眠りをしていた。

 

 つまり友哉自身、手持無沙汰の状態にある訳である。

 

 良い機会なので、友哉は居間の柱に寄りかかるようにして、父から貰った書物に目を向けていた。

 

 これまでは、落ち着いた時間を作る事ができず、ゆっくり読む事ができなかったので、良い機会である。

 

 緋村家2代目当主である緋村剣路が書き綴ったと言う備忘録、つまり日記には、彼が生涯を掛けて再現する事に成功した、飛天御剣流の技の数々が綴られていた。

 

 飛天御剣流は、決して常人が扱える剣術ではない。類稀なる才能と、たゆまぬ努力、そして強靭な肉体があって初めて可能となる物である。

 

 読み進めて見て判った事だが、剣路の父である緋村抜刀斎は、晩年、体を壊し、殆ど戦う事ができない体となっていた節がある。どうも記載されている内容が、その辺のところ曖昧である為、ハッキリと読み取る事ができないのだが。

 

 しかし、友哉にも思い当たる節はある。

 

 例えば、イ・ウーとの最終決戦で、シャーロック相手に使った超神速の抜刀術。あれを使った後はひどかった。

 

 平衡感覚の喪失と、全身の筋肉が断裂しそうなほどの激痛。あんな物を使い続けて、体がおかしくならない筈がないのだ。

 

 気を付けないと、体格的に恵まれているとは言い難い友哉も、何れそうなる可能性があった。

 

 生憎、今回貰った書物にも、奥義に関する記載は無かったが、いくつかの派生技について書かれていた。

 

 だが、

 

「・・・・・・これと・・・・・・それに、これ・・・・・・」

 

 記載されている技のうち、2つを友哉は頭の中で削除した。その2つは、明らかに相手を殺傷する事を目的にしており、武偵が使う技として相応しくないと思ったからだ。

 

 言ってしまえば、禁じ手である。今の友哉の技量なら、使用する事はさほど難しくは無いだろうが、それでも使用する気にはなれなかった。

 

 どうやら、かなり集中して読んでいたらしい。一通り読み終えると、日は既に傾こうとしていた。

 

「ん~~~~~~!!」

 

 友哉は本を傍らに置くと、大きく体を伸ばす。

 

 今回、多くの技を知る事ができたお陰で、友哉の中で戦術のイメージは大きく膨らむ事となった。

 

 しかし、それを即実戦で活かせるか、と言えばそうでもない。理論や知識は、それを実用可能なレベルにまで昇華させるには、武偵校に戻って鍛錬を積まねばならないだろう。

 

 友哉がそう思った時、台所の方から歩いて来る人影が見えた。

 

 高橋のおばさんは、1時間前くらいに昇って来て、夕飯の支度をしてくれていたのだ。

 

「夕御飯の準備、してあるから。みんなで食べてね」

「ありがとうございます。何から何までお世話になって」

 

 台所の方から、醤油と出汁の効いた匂いが漂って来て、何とも食欲がそそられる。

 

 そう言って頭を下げる友哉に対し、高橋のおばさんはニコニコと笑って手を振る。

 

「良いのよォ 折角、遊びに来てくれたんだし。それにね、」

 

 おばさんは、ふっと遠い目をしながら呟く。

 

「私は嬉しいのよ。茉莉ちゃんは、あの通りの性格だから、東京の学校なんかに行っても友達はできないんじゃないかってね。けど、こうしてわざわざ夏休みに遊びに来てくれるくらい、仲のいい友達ができたんだから」

 

 そう告げるおばさんの顔は、まるで本当の母親のように喜んでいるように見えた。

 

「これからも、茉莉ちゃんの事、お願いね」

「はい、判ってます」

 

 頷く友哉を、満足そうに見詰めて、おばさんは出て行った。

 

 実際、間もなく武偵校ではチーム編成の為の申請が始まる事になる。友哉には一つ、腹案にしている物があるが、それには当然、茉莉という存在が必要不可欠だった。

 

 自分自身の熟達に、チーム編成、それらを効率よく運用する為の指揮能力の熟成。これまでのように、個人で戦っていればよかったのとは訳が違う。学ばなければいけない事がたくさんあった。

 

 友哉はもう一度読みなおそうと、本に手を伸ばした。

 

 その時、

 

「ゆ、友哉君、大変ッ!!」

 

 慌てた様子で、瑠香が駆け込んで来た。

 

 様子が普通ではない。何か、よくない事が起こったのは間違いなかった。

 

「た、高橋のおばさんが、石段の所で、倒れてた!!」

「ッ!?」

 

 おばさんが・・・・・・

 

 つい今しがたまで、楽しく話していた相手が。

 

 信じられない、と考えるよりも早く、友哉は居間を飛び出す。その後から、瑠香と、騒ぎを聞いて跳ね起きた陣も続く。

 

 履く物も取り敢えず、境内に飛び出し、そのまま石段の方へと駆けていく。

 

 石段の中腹、踊り場になっている部分には、立ち尽くす茉莉と、そして頭から血を流して倒れている高橋のおばさんの姿があった。

 

「茉莉!!」

 

 友哉は殆ど飛び降りる勢いで踊り場に降り立ち、素早く高橋のおばさんのを確認する。

 

 頭部に外傷と出血、名前を呼んで頬を叩くが、反応は無い。JCSにおける意識レベルは200から300。ただし、微弱ならが呼吸、脈拍は触知できる。

 

 事は一刻を争う。

 

 高荷紗枝がいてくれれば、と一瞬思ったが、それを言っても始まらない。

 

「ゆ、友哉さん・・・おばさんが・・・・・・おばさんが・・・・・・さっき、チラッと見ました・・・・・・作業服を着た人が、逃げて行くのを・・・・・・」

 

 たどたどしい口調での報告。

 

 口に手を当てて、茉莉が震えている。無理も無い、母親代わりとも思っている女性が目の前で血を流して倒れているのだ。取り乱すな、と言う方が酷だ。

 

 彼女の言が本当なら、おばさんは足を滑らせて転んだのではなく、石段の手前で誰かに襲撃された事になる。

 

 いや、誰か、などと韜晦しても始まらない。犯人は間違いなく、谷の息が掛った者だ。

 

 そこへ、瑠香と陣も追いついて来た。

 

「陣は救急車を呼んで。瑠香は茉莉を部屋につれて行ってッ」

「おう、判ったッ!!」

「茉莉ちゃん、こっちに」

 

 素早く支持を下す。

 

 強襲科の学科で習った。優れた指揮官の条件は、目の前の状況に流されず、常に氷のような冷静さで指示を下せる者だと言う。

 

 そう、例えば、ヒステリアモード時のキンジのように。

 

 今こそ、友哉にはそうして振舞う事が求められていた。

 

 だが、

 

 握った手が、僅かに振るえるのが自分でも判る。

 

 これは恐らく、警告だ。稲荷小僧の正体を谷家が掴んでいるとは思えない。だが、ダム反対派リーダーの娘である茉莉を脅しつけ、このまま反対運動を下火にしてしまおうと画策しているのだ。

 

 民間人、それも全くの無関係の人間すら、自分達の陰謀の為に供する。

 

 その性根に、言いようの無い怒りが滲むかのようだった。

 

 やがて陣が呼んだ救急車がやって来て、高橋のおばさんに処置を施すと、そのまま搬送して行った。

 

「・・・・・・やったのは、谷家の人達だよ」

 

 サイレンを鳴らして走り去っていく救急車を眺めながら、茉莉は言う。

 

「あの時、茉莉ちゃんとあたしで、高橋のおばさんをお見送りしたの。その一瞬後だった。あたし達が一瞬、目を放した時には、もうおばさんは悲鳴を上げて石段から転げ落ちて行く所だった。その後、逃げて行く男の人の背中が2人分、見えた」

 

 報告する瑠香の声も、怒りで震えているのが判る。

 

 彼女ですら、これほどの怒りを露わにしているのだ。当の茉莉は、心中は察して余りある物があった。

 

 

 

 

 

 茉莉は静かに、押入れを開き、中から漆塗りの黒く平たい箱を取り出した。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 父に続き、高橋のおばさんまで谷家の凶刃の犠牲となった。

 

 敵は最早、なり振りを構わなくなってきているようだ。

 

 眦を上げる。

 

 良いだろう、そっちがその気なら、こちらも相応の戦いを見せてやる。

 

 箱を開けると、中には一着の巫女服が入っている。

 

 ただし、ただの巫女服ではない。これは茉莉がイ・ウー時代に技術部に依頼して作ってもらった、防弾巫女装束だ。袴や袖の裾が長く、一見すると動きにくいようにも見えるが、その分防御力は武偵校の制服よりも高い。その上、子供の頃から着て、慣れ親しんだ服だ。茉莉にとっては、肌と一体に思えるくらいに着易い物である。

 

 着ている巫女服を脱ぎ、防弾巫女装束に着替える。

 

 武偵校入学以来、袖を通す機会は無かったが、これから戦いの場に赴くにあたって、これほど相応しい服は無い。

 

 谷一族。

 

 当主源蔵と、息子の信吾。

 

 許さない。

 

 絶対に、許さない。

 

 自分達が、一体何をしたのかと言う事を、その魂の芯まで判らせてやる。

 

 少女は暗い目のまま、愛刀、菊一文字を手に取る。

 

 その瞳には、最早、幽鬼と呼んでも差支えが無いほど、凄惨な色を浮かべていた。

 

 

 

 

 

第6話「逆鱗」      終わり

 



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第7話「黒き疾風」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 臍を噛む、とはこういう思いを言うのだろう。

 

 友哉は(この少年にしては、まことに珍しい事に)、苛立ちながら前髪をクシャクシャとかき上げる。

 

 その事に気付いたのは、高橋のおばさんを乗せた救急車を見送り、母屋に戻った後だった。

 

 父親に続き、お世話になっているおばさんまで倒れた事で、茉莉の精神的なショックは計り知れない事だろう。

 

 その為、瑠香には茉莉についているように頼んだのだ。

 

 だが、瑠香が血相を変えて戻ってくるのに、1分もかからなかった。

 

 慌てた瑠香によれば、部屋に行っても茉莉がいないと言うのだ。

 

 胸騒ぎは、一気に肥大する。

 

 すぐに3人で手分けして、神社内を捜索したが、やはりどこにも茉莉の姿は無かった。

 

 どう足掻いても、後悔は先に立たない。こうなる事は、予想できてしかるべきだったのだ。

 

 このような状況だ。茉莉を1人にするべきじゃなかった。こうなる可能性を考慮に入れなかったのは失敗だった。

 

 茉莉は「瀬田茉莉」であると同時に「《天剣》の茉莉」でもある。普段は恥ずかしがりやで大人しい少女であるが、ひとたび戦いの場になれば、猛虎もかくやとばかりの獰猛さで敵を屠り続ける。

 

 その二面性のうち、どちらが本当の「茉莉」であるかは、誰にも判らない。あるいは、どちらも彼女の持つ一特性に過ぎないのかもしれないが。

 

 とにかく、谷親子の行為が、ついに大人しい少女の仮面を、不用意にも剥ぎ取るきっかけとなった事だけは間違いなかった。

 

「友哉君ッ!!」

 

 瑠香が慌てて駆けて来るのが見える。彼女には、神社周辺の捜索をお願いしたのだが。

 

「ダメ。やっぱりどこにもいないよ、茉莉ちゃん」

「家の中もダメだッ」

 

 陣も戻って来て言う。普段は豪胆な陣の顔にも、明確な焦りの色があった。

 

「どこに行ったかは、想像が付いている」

 

 谷の本家宅。ここからなら、車で20分。皐月村から山を越えた向こう側だ。恐らく、そこへ行った事だろう。茉莉の足なら、恐らく10分もあれば到着する筈だ。

 

「どうしよう、友哉君。このままじゃ、茉莉ちゃんが・・・・・・」

 

 瑠香が声を震わせながら呟く。

 

 今にも崩れ落ちそうなほど、その体は震え、顔は青ざめている。茉莉が一種の悲壮感を胸に、戦場へと赴いた事が判っているのだ。

 

「大丈夫、落ち着いて。大丈夫だから」

 

 言い聞かせるようにそう言うと、友哉は瑠香の頭を優しく撫でてやる。

 

 とは言え、状況がひっ迫しつつある事は間違いなかった。このまま推移すれば、最悪の結末も考えられる。

 

 友哉は無言で、自分の持ってきた荷物の中から逆刃刀を取り出す。

 

 沸々と、怒りが胸の内に湧いて来る。

 

 谷家に対して、ではない。友哉は茉莉に対して怒っていた。

 

 なぜ、自分達を頼らなかったのか。なぜ、1人で勝手に行ってしまったのか。

 

 その理由も大方判っている。良くも悪くも正直すぎる娘の事、恐らく頭に血が上って、完全に周りが見えなくなってしまっているのだ。

 

 かつて、その性格故に、彼女は稲荷小僧になるという選択肢を選ばざるを得なかった。

 

 だが今は違う。茉莉には、頼るべき仲間がたくさんいるのだ。1人で無理を重ねる必要なんてどこにもない。

 

 その辺の事を、彼女にはしっかりと教育してやる必要がありそうだった。その為にもまず、茉莉を無事に連れ帰る必要がある。

 

 友哉は無言のまま、手荷物の中から漆黒のロングコートを取り出して羽織る。

 

 出発前に母がくれた防弾コート。新素材を使用する事で、時期を限定せず、防御力を落とさずに着る事ができるようになったコートだ。

 

 見れば、陣は拳を掲げ、瑠香もイングラムを取り出している。

 

 頷き合う3人。

 

「行くぞ」

 

 低く囁かれる友哉の声。

 

 それが、出陣の合図だった。

 

 

 

 

 

 友哉の予想した通り、茉莉が谷本家の前に辿り着くのに時間はかからなかった。

 

 とは言え、時刻は既に夕方。日は山の影に落ちようとしている。

 

 巫女装束を着た少女の姿に、門の前に立つ男は怪訝な顔つきになるが、茉莉は構わず、彼の前に立って足を止めた。

 

「・・・・・・谷信吾さんに会いに来ました」

 

 余計な会話はせず、率直に用件だけを言う。

 

「瀬田茉莉が来た。そう言えば伝わる筈です」

 

 一瞬、胡散臭げな視線を投げて来たが、少女の内に灯る暗い殺気に、門番の男は一瞬気圧されそうになった。

 

『サッサトシロ、キサマノ命ナド、イツデモ取レルンダゾ』

 

 無言の内に発する眼光は、そう言っているようだった。

 

 少し慌て気味に、趣味の悪い屋敷の中へと駆けこんで行く男を見送りながら、茉莉はその場に立ち尽くす。

 

 まだだ。

 

 仕掛けるにはまだ早い。

 

 敵は多分、茉莉をただの小娘だと侮っている筈。きっと、自分達から姿を現す筈だ。ならば、それを利用して至近距離まで接近、縮地を利用した奇襲攻撃で一気に仕留める。

 

 一瞬、茉莉の脳裏に友哉の顔が浮かんだ。

 

 昨夜の話し合いで、友哉はいつでも力を貸してくれると言った。

 

 だが、これだけは譲れない。谷親子は必ず自分の手で仕留める。それが、父や高橋のおばさんの敵討ちになるのだ。

 

 やがて、門番の男が戻って来て、離れの方へ行けと言った。

 

 茉莉は会釈もせず、無言のまま谷家へと足を踏み入れる。

 

 ここからだ。

 

 ここはもう戦場。張り詰めた気を一瞬でもそらせば、その瞬間、茉莉の首は取られることにもなりかねない。

 

 周囲から突き刺さるような気配。恐らく、ボディガードや私設警備員やらがいて、茉莉の動きに目を光らせているのだ。

 

 そんな中を、茉莉は庭を迂回しながら進んで行く。

 

 大きな庭だ。この庭だけ見ても、谷家の財力の高さを覗い知る事ができる。

 

 何代にも渡って伝わって来た谷家の力を、不必要なまでに誇示しているかのようだった。

 

 やがて、洋館風の離れの庭に設けられたテラスに、谷親子が並んで立っているのが見えた。

 

「やあ、お嬢さん、よく来たね」

 

 信吾は茉莉の姿を見ると、手を広げて笑顔を見せる。

 

 そんな信吾の姿を、茉莉は眼を細めて睨む。

 

 醜い笑顔だ。その腹の奥にある醜さが、透けて見えるかのようだった。

 

 茉莉の心情に気付く様子も無く、信吾は更に言い募る。

 

「ここに来てくれた、と言う事は、ようやく私の申し出を受けてくれる気になったんだね」

 

 信吾は茉莉が中学生だった頃から、彼女に執着していた。学校の行き帰りに後を付け回す、待ち伏せして言い寄る等、ストーカーまがいの行為に及ぶ事は勿論のこと、何度か瀬田家にまで踏み込んで来た事すらあった。もっともその時は、茉莉の父に手も無く撃退されたが。

 

 茉莉が信吾に嫌悪感しか抱けない理由は、まさにそれだった。

 

「フンッ、貴様が、あの忌々しい瀬田の娘か」

 

 茉莉を値踏みするように、源蔵が吐き捨てるように口を開く。

 

「どうりで、知性の欠片も感じない顔付きだ。さしずめ、東京では男漁りに夢中だったか? まったく、嘆かわしい事じゃ。貴様のような下賤の女に、ワシの息子が懸想してしまうとは」

「まあまあ、パパ」

 

 愚痴る源蔵を、信吾は笑顔で宥める。

 

「そこの所は、ほら、これからしっかりと教育してやれば良いんだし」

「そうだな。お前に相応しい雌にする為にも、早めの教育は肝心だ」

 

 そう言って下卑た笑みを、茉莉に向けて来る。

 

 対して、茉莉は2人の会話など聞いていない。ただ、自身と相手の距離を計っているだけだ。

 

 既に、殺傷圏内。斬りかかれば確実に2人とも仕留める自信がる。

 

「・・・・・・一つ、教えておく事があります」

「何だい?」

 

 ようやく口を開いた茉莉に、信吾は機嫌を良くして尋ねる。

 

 既に包囲は完了している。どうやっても、茉莉に逃げ道は無い。後は小娘1人、多少抵抗しようが、煮るも焼くも自分達の自由にできる。それが判っているから、余裕の態度でいられるのだ。

 

 茉莉は、スッと懐に手を入れる。

 

 そこから取り出した物を、手を伸ばして掲げて見せた。

 

「・・・・・・これに、覚えはありませんか?」

「そ、それはッ!?」

 

 茉莉が取り出した物、それは能に使う狐の面だった。

 

 狐の面。即ち、稲荷小僧。

 

 まさか、

 

 そう思った瞬間、

 

 茉莉は巫女装束の背中に手を入れた。

 

 背中に収めた菊一文字を、払うように抜き放つ。

 

 谷親子は、まだ茉莉の動きにすら気付いていない。

 

 このまま、一刀のもとに切り捨てる。

 

 そう思った瞬間だった。

 

 ガキィンッ

 

 振り下ろした刀が、横合いから伸びた刃によって防がれる。

 

「いやいや、危ない危ない」

 

 やれやれとばかりに溜息をつきながら、比留間喜一が茉莉の剣を自分の刀で受け止めている。

 

「その背格好、昨夜の稲荷小僧と似ていたんで、まさかとは思ったが、警戒していて正解だったな」

「クッ!?」

 

 奇襲を完全に防がれ、茉莉は歯がみしながら後退する。

 

 喜一と対峙したのはほんの数分程度だったが、まさかそれだけで正体を看破されるとは思わなかった。

 

「ど、どういう事だ、喜一ッ まさか、この小娘が稲荷小僧だとでも言うのかッ!?」

「正しく、その『まさか』だって言ってるんですよ」

 

 言いながら、喜一は掲げるようにして刀を構える。

 

 見れば、いつの間にか茉莉の背後には洋二と三矢も、回り込むようにして立っている。

 

 洋二は身の丈ほどもある巨大な太い金属の棒を持ち、三矢は猫のように背中を丸めながら、両手にナイフを構えている。

 

 状況は3対1。

 

 だが、

 

「それが・・・どうした・・・・・・」

 

 低い声で、茉莉は呟く。

 

 自分は谷親子を地獄へ叩きこむ。その覚悟でもってここに来た。ならば、この程度の事は不利にもならない。

 

 茉莉は無言のまま、菊一文字を構え直す。

 

 元より、ここに来た時点で、茉莉の心に退却の二文字は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友哉達は一心に駆けている。

 

 目指すは谷本家宅。何としても、茉莉が戦闘を開始する前に追いつく必要があった。

 

 こんな事なら、予め乗り物を確保しておくべきだったか、と思わなくもない。

 

 これが武偵校なら、車両は勿論の事、ボートや小型飛行機まで用意され、有事即応の状況が常に作られているのだが。

 

 とは言え、無い物をねだっても仕方がない。ここは何としても自力で追い掛けるしか無かった。

 

 その時だった。

 

「どこ行くんだ、テメェ等?」

 

 駆ける友哉達の行く手を阻むように、10人近い男達が現われるのが見えた。

 

 その手には、角材やら鉄パイプやらと言った、物騒な物が握られている。明らかに、友哉達の足止めを目的に現われたのが判る。

 

 振り返れば、背後にも同様に武装した男達が退路を塞ぐようにして並んでいる。完全に囲まれていた。

 

「・・・・・・どいてもらえませんか?」

 

 一応、最後通牒のつもりで、友哉は尋ねる。

 

 これでどくなら良し。どかないなら押し通るまで。既に時間的余裕の無い友哉達にとっては、素人相手にでき得る最大限の譲歩だった。

 

 だが、相手が子供3人と侮ったのか、そのニュアンスは全く相手に伝わらなかった。

 

 友哉の言葉を聞き、爆笑が立ち上る。

 

「おいおい、聞いたかよ、ボクちゃんッ!!」

「おっかなーい。殺されちゃうー」

 

 げらげらと笑いたてる男達を、友哉はスッと目を細めて見据える。

 

 警告は一度きりだ。それ以上、譲る気は無い。譲っている時間も無いし。

 

 友哉が斬りかかろうとして、身構えた時だった。

 

「行きな、友哉」

 

 陣が低い声で呟きながら前へと出る。

 

「お前1人なら、そう時間もかかんねえだろ」

「そうそう、ここはあたし達に任せて。茉莉ちゃんをお願い」

 

 瑠香もまた、イングラムを抜いて構えながら言う。

 

 確かに、相手は明らかな素人と言っても、20人もの相手を一瞬で倒せる訳ではない。こいつらにてこずっている内にも、時間は過ぎ去ってしまうのだ。

 

「ごめん、任せたッ」

 

 一瞬の決断と共に、友哉は大きく跳躍、男達の頭上を飛び越えて背後に降り立ち、そのままわき目もふらずに駆けだす。

 

 その様子に、一瞬呆気に取られた男達だが、すぐに我に返って追おうとする。

 

「ちょ、待ちやがれ!!」

「待つのはテメェだ!!」

 

 咆哮と同時に、陣の拳が男の顔面に突き刺さった。

 

 衝撃と共に、男の首はあり得ない方向にひん曲がって宙を舞った。

 

 首の骨が折れたのでは、と思えるほどの強烈な正拳突き。陣は初めから、手加減抜きの全力攻撃に打って出たのだ。

 

「お前等の相手は俺達がしてやる。さあ、死にてェ奴から前にでなッ!!」

 

 言いながら、陣は拳を掲げて突っ込んで行く。

 

 間合いに入るなり、殴り、蹴り、次々と人間を、紙屑のように吹き飛ばして行く。

 

 一方の、瑠香も負けてはいない。

 

 背後から襲ってくる敵に対し、イングラムを向けて容赦なく引き金を引く。

 

 装填してある弾丸は、非致死性のラバー弾。これが命中しても、相手を殺傷する事は無い。

 

 その代わりと言っては何だが、「死ぬほど」痛いが。

 

 吐き出される弾丸が、向かって来る男達を容赦なく薙ぎ払って行く。

 

 何しろ、一発一発がプロボクサーのストレート並みに威力があるのだ。まともに食らって、無事でいられる筈がない。

 

「この、クソガキッ!!」

 

 中の一人が、弾幕を突破して瑠香に殴りかかる。

 

 しかし、瑠香には、その攻撃は当たらない。

 

 友哉や茉莉にこそ劣るものの、瑠香も相当に身が軽い。ひらりひらりと舞いながら攻撃を回避し、弾丸の嵐を浴びせかかる。

 

 陣と瑠香

 

 全力を発揮した2人の武偵を前に、素人の作業員など、何人集まったところで路傍の石ころ以上の存在ではなかった。

 

 

 

 

 

 茉莉は苦戦を強いられていた。

 

 三男の三矢は、その素早い身のこなしで、近付いたと思ったら離れ、離れたと思ったら、いつの間にか接近する、といった行動で茉莉をかく乱している。武器も2本のナイフを持ったかと思ったら、離れるといつの間にか2丁の銃に持ち替え、射撃にて茉莉の動きをけん制して来る。

 

 二男の洋二の動きは、お世辞にも動きが速いとは言えない。茉莉が隼なら、洋二はさしずめ鈍重な牛だろう。しかし、その怪力によって振るわれる鉄棒の威力は、大気を粉砕し、地を叩き割る。その衝撃波だけで、茉莉の華奢な体は木の葉のように吹き飛ばされる。ましてか、直撃を食らった日には骨まで粉砕してしまうだろう。

 

 そして、長男の喜一。こいつだけは他の2人よりも別格だ。

 

 茉莉には判る。この男は少なくとも、二桁以上の人間を斬っている。戦い方が、「勝つ」ではなく「人を殺す」事に向いている。

 

 1人1人が相手なら、茉莉は決して負けはしない。

 

 だが、比留間兄弟達は、それぞれ互いの長所で短所を補うような連携を見せ、技量においては数段優っている茉莉を相手に、互角以上の戦いを演じていた。

 

 加えて、周囲にいる私設警備員と思われる者達が、盛んに野次を飛ばして煽っている。

 

 ここは、茉莉にとっては完全に敵地。味方が1人もいないアウェーに他ならなかった。それが精神的にきつかった。

 

「クッ!?」

 

 縮地の発動と同時に、茉莉は囲みを破るべく駆けだす。

 

 いかに茉莉でも、三方向から同時に攻められたら打つ手がない。

 

 だが、

 

「ど~こ行くんだ~?」

 

 そんな茉莉の行動を嘲るように、2丁のリボルバーを構えた三矢が追いすがって来る。

 

 放たれる弾丸。

 

 対して茉莉は、とっさに更に加速する事で弾丸の射線から逃れる。

 

 しかし、

 

「逃がさねェぜ!!」

 

 茉莉が向かう先には、既に鉄棒を振り上げた洋二が待ち構えていた。

 

「ッ!?」

 

 とっさに、急ブレーキを掛ける茉莉。しかし、一度起こってしまった運動エネルギーは、いかに茉莉であってもとっさに止める事はできない。

 

 つんのめるように茉莉が停止するのと、洋二が鉄棒を振り下ろすのは同時だった。

 

 粉砕される地面。

 

 その衝撃波が、少女の体を容赦なく叩きのめす。

 

「クゥッ!?」

 

 倒れそうになるのを、必死に踏ん張って堪える。

 

 だが、そこへ、

 

「ハッハー!!」

 

 銃声が、立て続けに鳴り響く。

 

 同時に、茉莉の右肩と太股に着弾があった。

 

「グッ!?」

 

 発する激痛。とっさに歯を食いしばって、悲鳴だけは噛み殺す。

 

 敵に弱みだけは見せない。と言う意地が、少女を尚も大地に踏みとどまらせる。

 

 だが、

 

「そこだァッ!!」

 

 動きを止めた茉莉に、鋭い斬撃が襲い掛かる。

 

 喜一の放った斬撃は、茉莉の右腕を強かに打ち据え、その手から菊一文字を弾き飛ばした。

 

「あァッ!?」

 

 腕が折れるかと思うほどの衝撃。防弾巫女装束を着ていなかったら、今ので右腕を持って行かれたところだ。

 

 だが、

 

 その場で膝を着く茉莉。

 

 先程食らった銃撃の分も含めて、全身は激痛に包まれている。

 

 懐にはブローニング・ハイパワーを忍ばせている。それを使えば、まだ戦う事はできるだろう。

 

 しかし、足に銃撃を食らったせいで、縮地が大幅に制限されてしまっている。その状態で戦っても、勝利はおぼつかないだろう。

 

「勝負あった?」

 

 茉莉達の戦いを、酒を傾けながら見物していた信吾が、動きを止めた茉莉を見ながら尋ねる。

 

 血を吐くような思いで、茉莉は信吾を睨みつける。

 

 既に茉莉に戦う力は残されていない。

 

 悔しい。

 

 怨敵を前にして、膝を屈し、手も足も出ないでいる自分が悔しかった。

 

 そんな茉莉を嘲るように見ながら、信吾は手にしたワイングラスを干して言う。

 

「さあ、お嬢さん。オイタはこれくらいにしましょう。私としても、美しいあなたが、これ以上傷付くのは見たくない」

 

 そう言うと、這いまわる虫のような視線を茉莉に向けて、足元を指差す。

 

「地面に頭を付けて謝りなさい。そうすれば、今日の事も、今まであなたが稲荷小僧としてやってきた悪戯の事も、水に流して差し上げましょう。それどころか、私の愛人として、これから一生、不自由ない生活を保障して差し上げます。どうです、破格の申し出だと思うんですがね」

 

 信吾の言葉に、茉莉はギリッと歯を噛み鳴らす。

 

 確かに、自分がやって来た事は、無意味な事だったのかもしれない。それどころか、明らかな犯罪行為だった。

 

 だがそれでも、目の前のこの男。父や、高橋のおばさんや、村の人達を傷付けたこの男にだけは、そんな事言われたくなかった。

 

「だ、れがッ、あなたなんかにッ!!」

 

 顔を上げ、睨みつける。

 

 この男に、これ以上、頭を下げているだけで死にたくなる思いだった。

 

「もう良いッ」

 

 そんな様子を見て、信吾よりも先に源蔵の方が、吐き捨てるように口を開いた。

 

「元々、こんな下賤の女は、谷家の人間が飼うのに相応しくないのだ。それに、この野蛮なまでの気性だ。仮に飼っても、いつ飼い主に噛みつくか判った物ではない」

 

 汚らわしい物を見るようにして言った後、源蔵は喜一に向き直った。

 

「殺せ」

「パパ・・・・・・」

 

 その言葉に、信吾は顔をしかめて振り返る。まるで、お気に入りの玩具を取り上げられた子供のような顔だ。

 

「彼女は僕の物だって、言ってるでしょ」

 

 そんな息子を宥めるように、しかし自身の意思は曲げずに源蔵は返事を返す。

 

「お前には、あとでいくらでも見繕ってやる。だから、この女は諦めろ」

 

 父の言葉に、信吾はやれやれと肩を竦めた。

 

「仕方ないか・・・・・・良いよ、やっちゃって」

 

 もう飽きた。と言わんばかりに、信吾は言い捨てる。もはや、茉莉には一片の未練も無いのが、そのあっさりとした態度で判った。

 

 信吾の命を受けて、喜一は三矢に目配せする。とどめを刺せ、と言っているのだ。

 

 対して三矢も、ニヤリと笑い、手にナイフを持って構える。

 

「つー訳だからよ。サクッと殺されちゃってくれや」

 

 そう言って、近づいて来る三矢を、茉莉は真っ直ぐに睨み返す。

 

 立ち上がって逃げようにも、足が負傷している為、それもままならない。

 

 最早、これまでか。

 

 視界の中で、ナイフを振り上げる三矢。

 

 せめて、最後まで抵抗した証として、茉莉はしっかりと目を見開き、自分の敵の姿を睨み続けていた。

 

 ナイフが、振り下ろされる。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 漆黒の風が、

 

 

 

 

 

 庭の中に吹き込んだ。

 

 

 

 

 

 凶刃が茉莉に届くかと思った瞬間、黒風は彼女の体を抱え上げ、そして駆け抜ける。

 

 一瞬の静寂が、谷家の庭に降り立つ。

 

 そんな中、

 

「よく頑張ったね、もう、大丈夫だよ」

 

 優しい声が、耳に暖かく響いた。

 

 ああ、この声・・・・・・

 

 この声を、どんなに聞きたかった事か。

 

 思わず、茉莉の目に、熱い物が溢れだした。

 

「きッ 貴様、何者だ!?」

 

 上ずった声で尋ねる源蔵に対し、腕に茉莉を抱いたまま、ゆっくりと振り返る。

 

「・・・・・・あなた達が、どこで何をしようが、本来なら僕には関わりない筈だった」

 

 低い声で、告げる。

 

「・・・・・・だが、あなた達が僕の大切な仲間を傷付けるなら、僕は僕の持つ全存在を賭けて、あなた達を破滅させてやる」

 

 剣気は一瞬にして、場を駆け抜ける。

 

 茉莉をその腕に抱え、緋村友哉は、敢然とその場に立ちはだかっていた。

 

 

 

 

 

第7話「黒き疾風」      終わり

 



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第8話「その笑顔の為に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボロボロに傷付いた茉莉を腕に抱え、友哉はその場にいる者達を睨み据える。

 

 谷源蔵、信吾親子、比留間喜一、洋二、三矢兄弟。

 

 そして、その他の私設警備員達。

 

 彼等が茉莉を、ここまで傷付けた。

 

 それだけではない。これまでも多くの人達を傷付け、茉莉の心を傷付け、大人しい少女をして、犯罪紛いの行為に走らせるまでに追い詰めた。

 

 許されざる者達。

 

 友哉は茉莉を抱えたまま、自身の中で静かに炎が燃え上がるのを感じた。

 

 茉莉を、ここまでの行動に走らせたもの、それは間違いなく彼女の持つ純粋な怒りに他ならない。

 

 ならば、それは自分が引き継ごう。

 

 仲間が一発食らったら、一発返す。それが武偵の意地だ。

 

「き、貴様、何者だッ!? 誰の許しがあって、この屋敷に足を踏み入れたッ!?」

 

 源蔵が狂ったように喚き散らすのに対し、友哉は静かな瞳で一同を見据える。

 

 他の連中はともかく、用心棒と思われる3人、比留間兄弟達は多少、荒事に馴れた感がある。警戒するべきは、その3人くらいだろう。

 

「あ、兄貴、こいつだぜ。昨日、作業場に来たやつはッ!!」

 

 友哉の存在に気付いた三矢が、慌てたように喜一に報告する。

 

「あ、あともう1人、うすらでかいガキがいた筈だけどよ・・・・・・」

「ほう・・・・・・」

 

 弟の言葉を聞いて、喜一は値踏みするように友哉を見る。

 

 一見すると、少女のような外見をした少年。しかし、来ているコートは恐らく防弾仕様。更に、腰には日本刀を差している。加えて、既に振り下ろされた三矢のナイフの下から茉莉を助け出した事からも、只者でない事は判った。

 

「テメェ、武偵だな?」

「ええ」

 

 喜一の言葉に友哉は頷きを返す。ここで否定しても始まらない。

 

「一体、誰に雇われた?」

 

 武偵が現れた、と言う事は村の誰かが金を払って雇ったと考えたのだろう。

 

 だが、友哉は首を横に振る。

 

「誰にも。僕は、全て僕の意思で、茉莉を助ける為にここに来た」

「随分、酔狂な奴だぜ」

 

 友哉の返事に、喜一は苦笑交じりにそう言いながら、手にした日本刀を持ち上げて構える。

 

「で、威勢が良いのは結構だが、この人数を相手にどうするつもりだ?」

 

 改めて確認するまでも無く、周囲は谷家の私設警備員達に囲まれている。いかに友哉と言えど、手負いの茉莉を連れて戦えるとは思えない。

 

 その時だった。

 

「ぐァァァァァァッ!?」

 

 周りを囲んでいた私設警備員の1人が、悲鳴を上げて地面に倒れている。

 

 その場にいた誰もが、突然の事に呆気に取られる。

 

 すると、その背後に立っていた男が、煙草の煙を吐き出しながら言った。

 

「来るのが遅いんだよ、お前は」

「斎藤さん・・・・・・」

 

 斎藤一馬は、煙草を投げ捨てると、愛刀 鬼童丸を手に前へと出る。

 

「どうしてここに?」

「放っておいても、お前等がそのうち派手に暴れるのは目に見えていたからな。その隙に潜入させてもらった」

 

 相変わらず、行動パターンが一々癇に障る男である。ようするに一馬は、友哉達を囮にして谷家に潜り込んだのだ。

 

 しかも、潜入していた、と言う事は茉莉が戦っているのも見ていた筈。苦戦する彼女を、ただ黙って見物していた事になる。

 

「何だ貴様は。貴様も武偵かッ!?」

「冗談だろ。こんな温い奴等と一緒にするな」

 

 吐き捨てるように言うと、自身の懐から警察手帳を出し、開いて見せた。

 

「警視庁公安0課の斎藤だ。谷源蔵、並びに信吾、お前達には逮捕状が出ている」

 

 公安0課、と言う単語に、周囲は騒然となる。

 

 国内最強と言われる公的な殺し屋は、このような地方にあっても恐怖の対象である。

 

 だが、

 

「な、何を恐れる必要があるッ あ、あ、相手はたった2人ではないか!!」

 

 声を震わせながら、源蔵がヒステリックに叫ぶ。

 

「公安0課だろうが、武偵だろうが、稲荷小僧だろうが、この屋敷からは生かして帰さん!!」

「だ、そうだ」

 

 喜一は、口元に笑みを浮かべて言った。

 

 その目は濁ってはいるが、鋭く細められ、この状況を歓迎しているようにも見られた。

 

 実際、喜一はこの状況を喜んでいた。何しろ、ボディーガードに雇われたものの、相手をするのは力の無い一般人ばかりである。これでは「千人斬りの比留間」と言われる剣の腕も、鈍ろうと言う物だ。

 

「やっぱり、たまには人を斬っておかないとな」

 

 その様子に、一馬はやれやれと肩を竦めた。

 

「どうやら、先に面倒事を片づける必要がありそうだな」

「そうですね」

 

 一馬の言葉に、友哉は頷きを返した。

 

 その時、2人の前に立ちはだかるように、洋二と三矢が前へと出た。

 

「兄貴、こんな奴等、兄貴が出るまでも無いぜ」

「そうそう、俺達に任せとけって」

 

 洋二は鉄棒を振り上げ、三矢は2丁の銃を構えて言う。

 

 そんな弟達の様子を見て、喜一は鼻を鳴らした。

 

「フンッ、良いだろう。任せるぞ」

 

 そう言うと、喜一は刀を下ろして数歩下がった。

 

 彼としては、この戦いで友哉と一馬の力量を見極めるつもりなのだ。洋二と三矢も、ある程度腕に覚えがある。彼等に勝てるようなら、友哉達は喜一が自ら剣を振るうに値すると考える。だが、もし弟達に敗れるようならそれだけの話。わざわざ自分が相手をするまでも無いと思っているのだ。

 

 対して、友哉はそっと、腕に抱えていた茉莉を地面に下ろした。

 

「友哉さん・・・・・・」

「大丈夫。後は僕達に任せて」

 

 そう言ってニッコリ微笑むと、比留間達に向き直った。

 

「ケッ 恰好つけやがってよ」

 

 友哉の様子を見ていた三矢が、挑発するように銃を掲げながら言う。どうやら、友哉の相手は彼がするらしい。

 

 見れば、一馬は洋二と対峙している。あちらは任せても良いようだ。

 

 友哉は無言のまま、腰から逆刃刀を抜き放つ。

 

 それを待っていたかのように、三矢が銃を放ちながら友哉に向かって来た。

 

「フッ!!」

 

 短く息を吐くと同時に、横へと跳躍して照準を外す友哉。

 

 しかし、三矢は逃すまいと、すかさず照準を修正して友哉を追い掛ける。

 

「オラァ!!」

 

 2丁の拳銃から、弾丸が間断なく放たれて来る。

 

 それに対して友哉は、ただ距離を置いたまま回避に専念するのみだ。

 

「どうした、武偵ってのは、ただ逃げるしか能がねえのか!?」

 

 挑発する言葉と共に、三矢は拳銃を仕舞い、2本のナイフを抜いて斬りかかって来た。

 

 左右から迫る斬撃。

 

 その攻撃を、友哉は正確に見極め、自身を安全圏まで逃がす。

 

 逃げる友哉を、三矢もまた高速で追撃してくる。

 

「ハッ、手も足も出ねェってか!? この臆病モンがッ!!」

 

 三矢の攻撃をことごとく回避する友哉に、三矢は間断無く挑発の言葉を浴びせていく。

 

「知ってるか!? 俺のように銃と剣を2つずつ使って戦う人間の事はよ、こっちの業界じゃ双剣双銃(カドラ)って言うんだぜ。つまり、テメェは、近付けばナイフで切り裂かれ、逃げようとすれば銃で撃たれるってわけだ。どうよ!?」

 

 三矢は距離が開いた事で、再びナイフを仕舞い、銃を取り出して構える。

 

 その様子を見ながら、友哉は足を止めて三矢に向き直った。

 

「ハッ、とうとう諦めたかッ!?」

 

 動きを止めた友哉の姿に諦めたと思った三矢は、真っ直ぐ正面に対峙して銃を構える。

 

 だが、

 

 友哉は右手に持った刀を、片手上段のように真っ直ぐ切っ先を上に向けて構えた。

 

「あん?」

 

 訝る三矢。

 

 次の瞬間、

 

「飛天御剣流・・・・・・」

 

 友哉はソフトボールの投手のように、手先が霞むほどの勢いで右手を後方から反回転、刀身を勢いよく地面に叩きつけた。

 

「土龍閃!!」

 

 地面に当たった瞬間、刃は足元を大きく粉砕。砕け散った地面は、散弾のように三矢に襲い掛かった。

 

「ギャァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 断末魔の悲鳴を上げて、地面に転がる三矢。その体には砕け散った地盤の破片が、無数に突き刺さってのたうちまわっている。

 

 その様子を、友哉は冷ややかな視線で見つめる。

 

「この程度で双剣双銃(カドラ)? 笑わせないでください。僕の友達には、あなたよりもずっと上手に双剣双銃を操る娘が、2人もいますよ」

 

 

 

 

 

 一方、一馬と洋二の対峙は、尚も続いていた。

 

「ぬんッ!!」

 

 洋二が鉄棒を振るい、一馬に叩きつける。

 

 対して、一馬は無言。その軌跡を正確に見極め、最小限の動きで回避する。

 

 横薙ぎの攻撃も、一馬には当たらない。こちらは、後退する事で直撃を避ける。

 

 先程からこの繰り返しだ。

 

 友哉ほど動きに派手さは無いが、一馬は最小の動きで洋二の動きを見極め、その全てを回避して行く。

 

「クッ、このッ!!」

 

 焦りを見せた洋二が、更に膂力に任せた攻撃を仕掛けて来る。

 

 だが、その攻撃が一馬を捉える事は無い。

 

「どうした、さっきから攻撃が当たっていないぞ?」

 

 一馬は、口元に薄笑いを浮かべながら言う。

 

 これまで一馬自身、何度か反撃する機会があったにもかかわらず、手出しをしていない。それが判っているだけに、洋二の怒りは沸点に達しつつある。

 

「この、青二才が、舐めるんじゃねェッ!!」

 

 鉄棒を両手で掴み、大上段から振り下ろす。

 

 対して今度は、一馬はよけようとしない。

 

 ただ黙って、迫って来る鉄棒を見据え、そして、

 

 ガシッ

 

「なっ!?」

 

 洋二は絶句する。

 

 何と一馬は、洋二が渾身の力を持って振り下ろした鉄棒を、右手一本で受け止めてしまったのだ。

 

 2人の体格差は、人間と熊ほどもある。どう見ても洋二の方が力は強いと思われる。にもかかわらず、一馬は受け止めて余裕の表情をしている。

 

「どうした木偶の坊。もう終わりか?」

「ぬゥッ!?」

 

 洋二はとっさに鉄の棒を引き戻そうとするが、まるで空中に制止させられたかのようにびくともしない。

 

 と、洋二が体重を後に逸らした瞬間を見計らい、一馬はパッと手を放した。

 

「う、うォォォォォォ!?」

 

 突然の事に、洋二はバランスを保つ事ができず、思わず数歩後ずさる。

 

 その隙に、一馬は左手に持った刀を、弓を引くように構え、右手は真っ直ぐ前へと伸ばした。

 

 次の瞬間、狼は鋭く疾走する。

 

 牙突

 

 鋭く突き込まれる切っ先。

 

 対して洋二は、まだバランスを崩したままである。

 

 そこへ、一馬の牙突が襲い掛かった。

 

 振るわれる一撃は、鉄棒を粉砕し、洋二の胸へと突き刺さる。

 

「グォォォォォォォォォォォォ!?」

 

 胸から鮮血を噴き出して、洋二は仰向けに地面へと倒れる。

 

 出血はしているが、あの巨体だ。死ぬような傷ではないだろう。加えて、一馬も手加減して技を放ったようだ。でなければ、洋二の上半身は軽く吹き飛んでいた筈。どうやら、殺す程の価値も無いと判断したらしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 洋二と三矢。

 

 比留間兄弟の内、2人までが倒れた事で、警備員達の間に動揺が走っている。

 

 何しろ比留間兄弟は、極悪非道ながら、その武力は凄まじく、今まで誰も敵わなかったのだ。それが、明らかに細身の2人の男(うち1人は少年)に叩き伏せられたのだから、無理も無い話だった。

 

「お、おい、だ、大丈夫なのか?」

「し、心配しなくても、大丈夫さ、パパ」

 

 戦況を見守る谷親子にも、震えながら様子を見詰めている。

 

 2人。

 

 僅か2人の男が、今やこの地方の支配者を塗り替えようとしている。

 

 そんな中でただ1人、動揺していない人物がいる。

 

「やるじゃねえか」

 

 比留間喜一は、白木の鞘から刀を抜きながら庭へと降りる。

 

 弟2人を倒した。ならば、自分が腕を振るうに、充分な相手と言える。

 

「次は俺が相手をしてやる」

「お、おお、良いぞ喜一。報酬分はしっかり働けよ!!」

「ま、負けるんじゃないよ!!」

 

 谷親子の声援を受けながら、喜一は友哉と一馬の前へ進み出る。

 

「それで、どっちが俺の相手をする? 何なら両方一緒でも構わんぜ」

 

 2人を同時に相手にしても、勝てる自信が喜一にはある。自分は弟達とは違うのだから。

 

 喜一の言葉に対し、友哉はチラッと一馬の方に向き直った。

 

「斎藤さん・・・・・・」

「好きにしろ」

 

 「どうしますか?」と聞きたかったのだが、聞く前に返事を返されてしまった。

 

 さっさと煙草に火をつけたところを見ると、本気でどうでも良いと思っているらしい。

 

 仕方なく、友哉は溜息をつきながら前へと出た。

 

「僕が先にやります」

「良いだろう」

 

 友哉は正眼に、喜一は八双に、互いに刀を構える。

 

 一同が無言のまま、対峙する2人を見守る。

 

 次の瞬間、喜一が動いた。

 

「シャァッ!!」

 

 接近と同時に、刀を横薙ぎに振るう。

 

 その動きに、一瞬、友哉は目を剥いた。

 

『速いッ!?』

 

 後退しながら、心の中で呟きを洩らす。

 

 自信を持つだけの事はあり、喜一は素早い踏み込みによって、友哉に先制攻撃を仕掛けて来た。

 

 とっさに後退する事で、喜一の間合いから逃れる友哉。

 

 喜一はそれを追って、更に前へと出る。

 

「らァッ!!」

 

 振るわれる剣は、友哉の手元や足元に狙いを定めて振るって来る。

 

 人間の体の構造上、どうしても下半身を狙って攻撃を受けた場合、反応が遅れてしまう事が多い。例えば防ぐにしても、足元までカバーするのは難しいし、回避した場合でも、地面に足を着き、エネルギーを地面に伝達する関係から、どうしても、まず上半身を逃がしてから、下半身を逃がすと言うプロセスが必要になる。

 

 つまり、人間の下半身は、非常に攻撃を防ぎにくい部位なのである。

 

 喜一はそれを理解しているが故に、足元へと攻撃を集中しているのだ。

 

「そらッ!!」

 

 斬撃が、友哉の足元を襲う。

 

 それに対して、友哉は大きく後退して回避する。

 

「逃がすかッ!!」

 

 対して喜一も刀を振りかぶり、友哉を追って前へ出ようとした。

 

 次の瞬間、

 

 友哉は右手で刀を構え、左手は刃に当てた状態で、一気に喜一との距離を詰めた。

 

「なッ!?」

 

 神速の動きに喜一は一瞬驚いて息を飲むが、その行動は、友哉にとっては欠伸が出るほどに遅い。

 

「飛天御剣流 龍翔閃!!」

 

 高速で振り上げられる刃。

 

 閃光と化した剣閃を、喜一は目視する事すらできない。

 

 その一撃は喜一の顎を容赦なく撃ち抜いた。

 

「グオォォォォォォ!?」

 

 大きく宙を舞い、そして、喜一は地面に叩きつけられた。

 

 そのまま大の字に転がり、起き上がって来る気配は無い。白目を剥いている所を見ると、完全に意識を手放しているようだ。

 

 比留間三兄弟は、その悉くを討ち取られた事になる。

 

 それは同時に、この地方を牛耳っていた「谷政権」の崩壊をも意味していた。

 

「う、うわぁぁぁ、もうだめだー!!」

「に、逃げろォ!!」

 

 地面に無惨に転がった谷兄弟の無様な姿を見て、警備員達は我先にと逃げ出して行く。

 

 最早、自分達の主を守ろうとする意思すら完全に放棄した様子だ。

 

「こ、こらッ、お、お前達、どこに行く。ワシを守らんかッ!!」

 

 逃げ散っていく警備員達に手を伸ばす源蔵だが、誰一人として、その声を聞く者はいない。

 

 だが、警備員達も逃げる事はできなかった。

 

 先頭の人間が門に達しようとした時、

 

「オラッ!!」

 

 突然、殴り飛ばされて地面に転がる。

 

 見れば、背の高いぼさぼさ頭の少年が、口元に交戦的な笑みを浮かべて立っているのだった。

 

「おいおい、親玉を置いて、自分らだけ逃げようってのか? そうは問屋が卸さねえっての」

 

 足止めをして来た作業員達を一掃した陣は、そう言って警備員達の前に立ちはだかる。

 

 その背後には、イングラムを構えた瑠香の姿もある。

 

 ほぼ無傷の2人は、凄みの効いた視線で警備員達を睨みつける。

 

 既に戦意を完全に喪失した彼等に、尚も戦意旺盛な2人の武偵の相手をするのは不可能だった。

 

 自身を守る最後の砦にも、あっさりと見はなされた源蔵。

 

 その姿には、この地方の「領主」としての風格は一切無く、ただの豪華に着飾った肥満体親父がいるだけだった。

 

 そこへ、一馬が冷たい目をしたまま歩み寄ると、懐から1枚の紙を取り出して広げて見せた。それは潜入捜査官を通じて、東京の警視庁から取り寄せた逮捕令状だった。

 

「谷源蔵、並びに信吾。お前達には脱税、暴行、殺人教唆など14の容疑で逮捕状が出ている。しかし、まあ、叩けばまだまだ埃が出そうではあるな」

 

 口元に笑みを浮かべながら、一馬は源蔵に顔を近付ける。

 

「言っとくが、既得のコネに頼ろうとしても無駄だぞ。今頃長野県警じゃ、お前の息が掛ってる連中に一斉検挙が掛っている。それと並行して、谷家の持つ財産には凍結指示が出されている。東京のお偉い先生方も、金の無くなったお前には見向きもしないだろう。つまり、お前は名実ともに、ただのオッサンに成り下がったってわけだ」

「そ、そんな・・・馬鹿な・・・・・・」

 

 呆けたように、虚空を仰ぐ源蔵の口からは、やがて乾いた笑い声が聞こえて来た。

 

 そんな源蔵に一瞥をくれてから、もう一人対象者に目を向けた。

 

 が、

 

「・・・・・・・・・・・・フンッ」

 

 混乱に乗じて逃げたらしく、信吾の姿はどこにもなかった。

 

 更に、友哉と茉莉の姿も消えていた。

 

 

 

 

 

 転がるように屋敷の中を駆け抜け、信吾は一目散に裏手へと駆け出ていた。

 

 とにかく、脇目もふらずに走り続ける。

 

「クソッ、クソクソッ」

 

 口からこぼれる呪詛の言葉。

 

 なぜだ?

 

 どうして、こんな事になった。

 

 一体、自分が何をしたと言うのか。

 

 自分は何もしていない。だと言うのに今、理不尽にも武偵やら刑事やらが来て、自分を逮捕しようとしている。

 

 こんなの受け入れられる訳がない。自分のような善良な市民が、なぜ逮捕されねばならないのか。

 

「こ、これと言うのも・・・・・・」

 

 比留間兄弟。あいつ等が、あんなガキどもに負けたせいで。

 

「何が比留間兄弟だ、何が《千人斬り》だ。役立たず共が。高い金を払ったと言うのにッ!!」

 

 それに、我先にと逃げ散った警備員共もだ。何の為の警備なのか。

 

 父親を置いて来てしまったが、今はそんな事関係無い。誰だって自分が可愛いに決まっている。助かりたかったら、自分で何とかすれば良いんだ。

 

 その時だった。

 

「何処に行くんですか?」

 

 背後から、少女の声が信吾を呼び止めた。

 

 ビクッと足を止め、恐る恐る振り返る。

 

 そこには、白い上衣に緋袴と言う巫女装束を着た瀬田茉莉が立っていた。

 

 茉莉は混乱に乗じて逃げようとしている信吾を見付け、ここまで追って来たのだ。

 

 その姿を見て、信吾は顔をくしゃくしゃにしながらも、どうにか笑顔を浮かべる。

 

「お、お嬢さん、どうかわたしを助けてください。こんなの、理不尽すぎます!!」

 

 縋りつくようにして、信吾は媚びた声で茉莉に言う。

 

「今回の件は、全て父がやった事で、私は何も知らなかったんですッ 本当ですッ それなのに、逮捕されるなんて。こんなのはあんまりです!!」

 

 見下げ果てるとはこの事だ。

 

 谷親子の専横と横暴ぶりは、皐月村で知らない者はいない。それなのに、その罪を全て父親に負わせ、自分は何も知らないと言い張るつもりらしい。

 

 茉莉は無言のまま、信吾に歩み寄る。

 

 それを了承と受け取ったのだろう。信吾は口元を歪めて笑みを浮かべ、自分も茉莉に歩み寄ろうとする。

 

 しかし、次の週間、銀の閃光が、信吾の顔面をまともに殴打した。

 

「おぶゥッ!?」

 

 鮮血を噴き出した信吾の鼻は、見事なまでに粉砕され、ひしゃげていた。

 

 茉莉は背に隠し持っていた菊一文字の峰で、信吾の顔面を思いっきり殴りつけたのだ。

 

「ひっ、ヒィィィィィィ!?」

 

 鮮血を流す鼻を押さえ、信吾は尻もちを突いて後ずさる。

 

 それに対して、茉莉はゆっくりと追い詰めていく。

 

「今更、どの口がのたまってるんですか?」

「ひぎぃぁぁぁぃぃぃッ」

「あなた達のせいで、一体どれだけの人が傷付いたと思ってるんですかッ?」

「い、痛いィ痛いィ痛いィ」

「父を、おばさんを、村のみんなを・・・・・・」

「助けて、お願い助けてェ・・・」

「私の大切な人達をたくさん、たくさん傷付けておいてッ」

 

 茉莉は菊一文字の刃を返し、ゆっくりと振り上げる。

 

 その冷めた瞳から発せられる凄惨な殺気は、最早人のそれではない。

 

 古来より、狐は物の怪の類に例えられる事が多かった。ならば、稲荷小僧に扮して戦うと決めた時、茉莉もまた、自身を物の怪と化したのかもしれなかった。

 

 生まれて初めて、自分に向けられる殺気に、信吾は魂の奥底から恐怖する。

 

 自分が一体、誰を怒らせたのか、と言う事を今更理解したのだ。

 

「お、お願い、しましゅ・・・殺さないで・・・・・・」

 

 目に涙を浮かべ、懇願する信吾。

 

 その姿を見ながら、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 茉莉はゆっくりと、刀を下ろした。

 

 それまで彼女を包み込んでいた凄惨な殺気は、綺麗に消え失せ、代わって、何かを失ったような虚脱感が全身を覆っていた。

 

「やらないの?」

 

 友哉が彼女の背後から声を掛けたのは、その時だった。

 

 茉莉が信吾を追ったのを見て、友哉もまた彼女を追い掛けてここまでやって来たのだ。

 

 対して茉莉は、刀を鞘に収めながら、ポツリと言った。

 

「・・・・・・殺す価値もありませんから。それに、」

「それに?」

 

 問い返す友哉に、茉莉は顔を上げ、力無く微笑を浮かべて言った。

 

「もし、ここでこの人を殺してしまったら、もう二度と友哉さん達と一緒にいる事ができない。そう思ったんです」

「・・・・・・そっか」

 

 友哉もまた、笑顔を返す。

 

 茉莉は最後の最後で、稲荷小僧としての自分よりも、武偵としての自分を選んだのだ。友哉にはそれが、とても嬉しかった。

 

 だが、事態はまだ終わっていなかった。

 

 背中を向けている茉莉。

 

 その茉莉に、信吾は隠し持っていた銃を向けた。

 

「馬鹿め、誰がお前らなんかに捕まるかよ!!」

 

 銃口が、真っ直ぐ茉莉に向けられる。

 

 次の瞬間、

 

 その眼前に、友哉が立ちはだかった。

 

 友哉は、経験、状況、対象、条件などから、凡そ3秒先までに起こる事を想定し、予測し得る「短期未来予測」を使う事ができる。その短期未来予測が、信吾の次の行動を読んでいたのだ。

 

「・・・・・・つくづく、救えない男だね」

「ヒッ!?」

 

 低く、冷たく囁かれる声。

 

 その眼光から発せられる殺気は、先程の茉莉の比ではない。

 

 信吾が恐怖で息を飲んだが、最早完全に手遅れだった。

 

 斬線が無数に走り、その悉くが信吾に殺到する。

 

「飛天御剣流 龍巣閃!!」

 

 無数の斬撃を、その体に受けて、信吾の体は吹き飛ばされた。

 

「ギャァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 耳障りな断末魔の声を聞きながら、友哉は刀を鞘に収める。

 

「『気絶しない程度』に威力は押さえといたから。暫く、地獄の中でのたうち回るんだね」

 

 そう言うと、襤褸布と化した信吾を置き捨て、友哉は茉莉の肩を抱いて歩きだした。

 

 

 

 

 

 庭に戻ると、既に長野県警からの応援部隊も到着しており、残った警備員達や使用人達を拘束し、更に邸内の家宅捜索も始まっている様子だ。

 

 そんな中で、仕事を終えた一馬は煙草を吹かして、その状況を眺めていた。

 

 公安0課から派遣された一馬の任務は、源蔵と信吾の捕縛である、それ以外の事に関しては、他の人間の仕事であるらしかった。

 

 茉莉は意を決すると、一馬の方に歩み寄った。

 

「・・・・・・何だ?」

 

 横目で一瞥する一馬に、茉莉は硬い声で告げた。

 

「・・・・・・私を、逮捕してください」

「茉莉ッ!?」

 

 目を剥いたのは友哉である。

 

 確かに、茉莉が稲荷小僧としてやった事は犯罪なのかもしれない。しかし、それは谷家の専横に端を発している。そこで茉莉を罰するのは理屈としてはともかく、道理的には筋が通らない話である。そもそも、警察が全く当てにできないからこそ、このような事態になったのであるから、尚更の話である。

 

 だが、そんな友哉を茉莉は穏やかな声で制する。

 

「良いんです、友哉さん」

「茉莉・・・・・・」

「私がやった事は、決して許される事じゃありません。罪は罪として、購わなければならないんです」

 

 そんな茉莉に対し、一馬は吸い掛けの煙草を投げ捨てると、足裏で踏み消して振り返った。

 

 茉莉は5月の「魔剣事件」の際に、一度逮捕されている。あの時は司法取引と言う形で赦免されたが、今度はそうはいかないだろう。

 

 と、その前に、彼女を庇うように友哉が立ちはだかった。

 

「友哉さん・・・・・・」

「許さないよ」

 

 声を上げる茉莉に、友哉は断固とした口調で言った。

 

「こんな事は絶対に許さない。茉莉、君がもし、犯罪者として裁かれなければならないって言うなら、僕はここで、どんな事をしてでも君を守って見せる」

 

 その眼光は鋭く一馬を睨み、手は腰の刀に掛けられる。

 

 正直、友哉と一馬の間には歴然とした実力差が存在する。例え本気で掛かっても、友哉は一馬に敵わないだろう。

 

 だが、それでも、友哉は己の命を賭けてでも、茉莉を守ると決め、牙を剥く狼の前に立ちはだかっていた。

 

 それに対して、一馬は詰まらなそうに鼻を鳴らすと、視線を向けずに口を開いた。

 

「俺はこれから忙しいんだ。余計な事に、首を突っ込んでられるか」

「・・・・・・え?」

 

 キョトンとする茉莉に、一馬は新しい煙草に火を付けながら言う。

 

「谷親子の護送と取調べ。更に、連中と繋がりのある大物の洗い出しと検挙。やる事は山積みだ。稲荷小僧なんて言う、いるかどうかも判らん、不確かな物にかけてる時間は無いんだよ」

 

 そう言ってから、一馬は友哉に視線を向ける。

 

「お前もそいつの飼い主なら、首輪くらいしっかり繋いどけ」

 

 そう言うと、一馬はそれ以上何もいわずに歩き去って行った。

 

 後には、立ち尽くす茉莉と、見守る友哉だけが残った。

 

「えっと・・・・・・」

「つまり、」

 

 戸惑う茉莉に、殺気を消した友哉は、溜息交じりに苦笑しながら説明してやる。

 

「茉莉がこれ以上、悪さをしなければ、今回の事は目を瞑ってやるってさ」

「はあ・・・・・・」

 

 何となく、納得できるような、それでいて釈然としないような、そんな複雑な感情に捕らわれる。何だか、一大決心を肩透かしされた気分だった。

 

 その時、

 

「おーい!!」

「茉莉ちゃんッ、友哉君ッ!!」

 

 警備員達の一掃し終えた瑠香と陣が、こちらに走って来るのが見えた。

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 そんな2人の姿に、茉莉は足を止めて振り返る。

 

 2人もまた、茉莉の無事な姿を見て、ホッと息をついた様子で立ち止まる。

 

「茉莉ちゃん・・・・・・」

 

 ポツリと、名前を呟く瑠香。

 

 と、次の瞬間、瑠香は足早に歩み寄り、

 

 パァンッ

 

 茉莉の頬を張り飛ばした。

 

「瑠香、さん・・・・・・」

 

 叩かれて赤くなった頬を押さえ、茉莉が顔を上げると、瑠香は目に涙をいっぱい浮かべて睨みつけていた。

 

「馬鹿ァ、本当に、心配したんだからァ!!」

「・・・・・・ごめ、なさい」

 

 小さく、茉莉の口から謝罪の声が漏れる。

 

 叩かれた頬よりも、友達に心配を掛けてしまった心の方が、何倍も痛かった。

 

 そのまま瑠香は茉莉を抱きしめると、茉莉もまた、ぎこちなく瑠香の背中に手を伸ばす。

 

 どちらが先だったのか。少女2人は互いに抱き合ったまま、子供のようにわんわんと泣きだしてしまった。

 

 泣きじゃくる少女達の様子を、陣は溜息をつきながら肩を竦める。

 

「これで、一件落着、って事で良いのかね?」

「良いと思うよ」

 

 そう言って、友哉もまた微笑ましそうに笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

 

 その様子を、少し離れた森の中から観察する影があった。

 

「まったく、心臓に悪い連中だ」

 

 夜の闇にも鮮やかな銀髪を靡かせて、ジャンヌ・ダルク30世は、やれやれと呟いた。

 

 一部始終を見守っていた彼女としては、かなり冷や汗ものだった。茉莉が1人で突入した時などは、デュランダルを抜いて飛び込んで行こうと思ったくらいだ。

 

 だが、幸いな事に友哉達が助けに入った為に、事無きを得た様子にホッとする。

 

「これも、全てお前の筋書き通りか?」

 

 そう言って、背後にいる男に声を掛けた。

 

 スーツ姿に無表情の仮面を付けた男は、ジャンヌの言葉に対して肩をすくめてみせる。

 

「確かに、シナリオは私の物ですが、勝利を掴んだのは彼等の実力ゆえですよ」

 

 由比彰彦は、そう言って仮面の奥で微笑を浮かべる。

 

 対してジャンヌは、胡散臭い物を見るような眼つきをする。

 

「よく言う。こうなる事を予想して、瀬田の情報を私に流したくせに」

「否定はしません」

 

 アッサリと彰彦は言う。

 

 茉莉が抱えている事情を察知し、それを旧知のジャンヌに伝える。ジャンヌは恐らく、茉莉と仲が良い友哉達に連絡を入れる事だろう。そうすれば、友哉達が必ず茉莉を助けに行く筈。そこまで予測した上での行動だった。

 

「今度は何を企んでいる? どうせまた、碌でもない事だろう」

 

 鋭く睨むジャンヌに対し、彰彦は少し真剣味を帯びた声で返す。

 

「まあ、その考えは半分正解ですね」

「半分?」

「ええ、イ・ウーの崩壊、そして緋弾の次代への継承により、世界は再び動き出そうとしています。間もなく、大きな戦いが始まるでしょう。その中で、私達《仕立屋》も、生き残る為に戦わねばなりません。今回の件は、そのデモンストレーションも兼ねているのです」

 

 今回、仕立屋はイ・ウーを離れた状態であるにもかかわらず、見事に対象を支援して見せた。裏社会においても、この功績は無視できない。これで《仕立屋》健在をアピールできた訳である。

 

「それで、あとの半分は?」

「それは、まあ・・・・・・」

 

 彰彦は、珍しく少し照れたように顔を逸らしてから答える。

 

「最後の、親心、ですかね?」

「はぁ?」

 

 あまりに予想外な返事に、怪訝な顔をするジャンヌを余所に彰彦は、瑠香と抱き合ったまま泣きじゃくっている茉莉に目を向けた。

 

 彼女の身の上を案じていなかった訳じゃない。これでも一時期は、自分の部下として戦っていたのだから。だから、何とか助けてやりたいと思っていた。それが今回、思いもせず、その機会が巡って来た為、彰彦は彼女を影から手助けする為に、行動に移したのだ。

 

「さて、私は帰る」

「おや、もう、ですか?」

 

 てっきり、茉莉達と会って行くのかと思っていた為、彰彦は不思議そうな目でジャンヌを見た。

 

「明日は早い。何しろ、遠山の要請でサッカーなる物の試合に出ねばならないのだ」

「ジャンヌさん、あなた、サッカーできたんですか?」

 

 意外そうな声を発する彰彦に、ジャンヌは心外だとばかりに、顔をしかめて返した。

 

「馬鹿にするな。要するに、日本で言う蹴鞠の事だろう。それくらい書物で学習済みだ」

「・・・・・・・・・・・・本当に、大丈夫ですか?」

 

 何とも不安感いっぱいの答えに、彰彦は溜息しか出ない思いであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後

 

 茉莉は走っていた。

 

 病院の廊下を走ってはいけない事は判っている。だが、今の茉莉には、そんな事は関係なかった。

 

 入院している高橋のおばさんから連絡を受け、着の身着のままで走って来たのだ。

 

 おばさんの方も重傷ではある物の命に別条は無く、比較的早いうちに意識も取り戻していた。

 

 そのおばさんからの連絡に、茉莉は慌てて走って来たのだ。

 

「茉莉ちゃん、こっちよ!!」

 

 名前を呼ばれて振り返ると、高橋のおばさんが手を振っているのが見えた。

 

 おばさんは頭や腕に包帯を巻いているが、見た限りでは普段通りに元気そうに見える。

 

「おばさんッ」

「こっちこっち!!」

 

 手招きをされて、病室に入る。

 

 個室のベッドの上には、全身に包帯を巻いた1人の男性が横たわっていた。

 

 茉莉は恐る恐る、ベッドに近付き、男性の顔を覗き込んだ。

 

「・・・・・・・・・・・・お父さん」

 

 そっと、呼びかける。

 

 すると、

 

「・・・・・・ま、つり?」

 

 そっと、小さく目が開き、名前を呼ぶ声が聞こえた。

 

 思わず、涙がこぼれる。

 

 数年ぶりに聞く父の声の、何と暖かい事か。

 

 高橋のおばさんは、父の意識が戻ったと茉莉に伝えて来たのだ。

 

「・・・・・・大きくなったね、茉莉」

「あれから、3年も経ったんですよ。当然です」

 

 そう言って、泣き笑いの表情をする。

 

 茉莉は父の手を握りながら言う。

 

「全て終わりました。もう、何も心配する事はありませんよ」

 

 谷親子は逮捕され、現在は東京の警視庁で取り調べを受けている。噂では黙秘を続けているそうだが、既に資産の凍結、協力者の検挙も終えている。後は押収した資料から証拠を見付ければ、自白無しでも送検できる。

 

 他の者達、作業員や警備員、比留間兄弟達もまた同時に逮捕され、取り調べを受けている。当分、警視庁と長野県警は寝る暇すら無いだろう。

 

 だがこれで、長くこの地方を縛っていた呪縛が、解き放たれた事になる。

 

 そこでふと、父は何かに気付いたように、茉莉の背後を見た。

 

「茉莉、彼等は、友達かい?」

 

 振り返ると、病室の入り口に友哉達が立っているのが見えた。

 

 その姿を見て、茉莉は最高の笑顔を浮かべた。

 

「はい、私の、仲間達です」

 

 

 

 

 

第8話「その笑顔の為に」      終わり

 

 

 

 

夏休み編     了

 



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京都編
第1話「水投げの日に」


 

 

 

 

 

 

 

 

 東シナ海、公海上

 

 今、1隻の貨物船の上で、一つの戦いが終わろうとしていた。

 

 戦闘の原因は、海賊船の襲撃にあった。

 

 21世紀になって既に10年近くになろうと言う昨今だが、未だに海賊と言う、ある意味レトロな存在は根絶するに至っていない。

 

 この船が海賊船の襲撃を受けたのは、今から約30分前。

 

 そして、夜を赤く照らし出すような戦闘の後、戦いは終結した。

 

 海賊達の敗北と言う形で。

 

 乗り込んで来た海賊達は、全て1人残らず返り討ちにあい、甲板上にその屍を晒していた。

 

「キヒ、他愛ない奴らネ」

 

 髪をツインテールに結った、チャイナ服を着た少女は、無様に甲板上に転がる海賊達の亡骸を見て、その可憐な顔に嘲笑を浮かべる。

 

 乗り込んで来た海賊達は全部で30人前後。その殆どを、この少女が倒した事を考えれば、驚異的な実力の持ち主である事が窺える。

 

「あちゃー あたしの船を、随分と血だらけにしてくれたわね」

 

 そんな少女に、別の女が背後から声を掛ける。痩身で背がスラリと高い、長い髪を流した女だ。口ぶりからすると、この女が船長のようだ。

 

「やるなら、もう少し考えてやりなさいよね。これじゃ掃除が大変よ」

「そう言うなら、お前も少しは働くね。サボるから、こんな目に会うね」

 

 女の手には、回転式の拳銃が握られている。侵入した海賊の何人かは、この女が倒した事が判る。S&W M28。「ハイウェイ・パトロールマン」の愛称で親しまれる重量級の拳銃だが、女はそれを片手で苦もなく持ち歩いていた。

 

 しかし、それでも少女にとっては不満であるらしい。

 

「これもビジネスの内ね。お前、私、東京まで運ぶ。もう、その分の報酬は払ったネ」

「海賊との戦闘と、船の破損代で、追加料金を払ってもらいたいくらいなんだけど?」

 

 溜息交じりに、女はそう言うと、さっと右手を上げる。

 

 すると、海賊船に乗り込んでいた部下達が次々と甲板上に戻って来る。指示しておいた作業が完了したのだ。

 

「それはそれ、これはこれ、海賊の襲撃、私のせいじゃないネ」

「はいはい。しっかりしてる事で」

 

 そう言うと、指示を待つ部下に頷いて見せる。

 

 船は止めていたエンジンを再び動かし、ゆっくりと無人となった海賊船から離れていく。

 

「アンタの金のがめつさは知っている方だし。これくらいはサービスにしといてあげる」

「物判りが良い奴、好きよ。お前、きっと出世するネ」

「そいつはどうも」

 

 軽口を言っている内に、船は漂流している海賊船から、充分な距離を放していた。

 

 それを見て、女は頷く。

 

「さて、こんな物か」

 

 やれ、と短く命じる。

 

 待機していた部下は、手に持っていたリモコンのスイッチを入れる。

 

 次の瞬間、海賊船は轟音と共に火柱を上げ、一気に炎上を始めた。

 

 その様子を、満足げに眺める。

 

「あいつ等も運がなかったわね。たまたま、襲撃を掛けたのがあたしの船だったとは」

 

 自分も、クルー達も、そこらの海賊に負けるような温い海を渡って来た訳じゃない。この船を沈めたかったら、軍艦の1隻でも連れて来ない事には不可能だ。

 

「さて、日本まではまだ間があるから、アンタはもう少し、客室でゆっくりしてな」

「そうするね。これ以上、私の手煩わせる、ダメよ」

「そいつは、あたしに言われても困るんだけどな」

 

 そう言って苦笑する。

 

 彼女にとっても、久しぶりの日本だ。だがある意味、この時期に帰ってこれたのは幸いだったと言える。

 

「さて、今度はどんな戦いが、待っているのかしらね」

 

 吹きつける潮風を浴びながら、不敵に微笑む。

 

 願わくば、今戦った海賊よりは上等な敵と巡り合える事を、切に願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏休みも終わり、9月に入った事で、東京武偵校の制服は開放感ある半袖から、再び臙脂色のジャケットに戻っていた。

 

 正直、残暑真っ盛りの9月に冬服を着るのは拷問以外の何物でもないと思うのだが、これを守らないと嬉々とした教員連中の体罰フルコースを、もれなく平らげる事になる為、皆、必死になって守っている。

 

 学校に通う生徒達の顔つきも様々である。

 

 充分に夏休みを満喫し、英気を養った者。課題消化に追われ、休む暇も無かった者、なぜか事件に巻き込まれ、休み中なのに任務に明け暮れた者。それぞれに違った顔付をしている。

 

 だが、こうしてまた、学校に一同が介し、学園島は普段通りの活気を取り戻していた。

 

 四乃森瑠香は、諜報科での潜入訓練を終え着替えると、その足で強襲科棟へと向かった。

 

 今日は、同居人の緋村友哉、瀬田茉莉に加えて、相良陣、高荷紗枝等も加えて、お台場に食事をしに行く事になっている。

 

 そこで、強襲科棟まで友哉達を迎えに来た訳である。既にメールで、茉莉と紗枝は強襲科に向かっている旨が送られて来ている。どうやら、合流するのは瑠香が最後と言う事になりそうだった。

 

「うわ、みんな怒ってないと良いけど」

 

 腕時計を確認しながら、瑠香は駆け足気味に強襲科の敷地に入った。

 

 まだ夏と言っても良いこの時期、陽が落ちるには間がある。

 

 西日が差しこむ強襲科体育館に入った時、見知った少女の背中を見付けて声を上げた。

 

「あ、茉莉ちゃん、ごめんごめん。お待たせ~」

 

 名前を呼ぶと、瀬田茉莉は振り返った。

 

「瑠香さん、お疲れ様です」

 

 茉莉も探偵科での授業を終えて合流したばかりだ。その横には救護科での自由履修を終えた高荷紗枝も手を振っていた。どうやら予想通り、2人は瑠香よりも先に着いていたようだ。

 

「ごめんね、遅くなっちゃって」

「いえ、それが・・・・・・」

 

 言い難そうに言葉を詰まらせる茉莉を、瑠香は怪訝そうに眺める。

 

 その視線を追い、そして絶句した。

 

 何とそこには、未だにジャージ姿の緋村友哉が立っているのだ。

 

 手に刀を握っている所を見ると、まだ訓練の途中であると覗える。

 

 全身から滝のように汗を流し、俯くように伏せた顔は激しく上下して荒い呼吸を繰り返している。

 

「そんな・・・友哉君、まだ終わっていなかったの!?」

「終わっていない、どころの騒ぎじゃないわよ」

 

 驚く瑠香に、紗枝は溜息交じりに答えた。

 

「ど、どういう事ですか?」

 

 瑠香が、そう尋ねた時だった。

 

 視界の先で、友哉が動いた。

 

 助走を付けつつ疾走、同時に、刀を担ぐように構えた。

 

 友哉が進む先には、標的用の案山子が立っている。強襲科の学生が、相手がいない時の打ち込みなどに使う案山子である。

 

 友哉は案山子まで5メートルほどの距離まで到達すると、前方に向かって踏み切り、跳躍。空中で体を捩じりながら突進する。

 

「オォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 旋風のように振るわれる刀が、ラバー製の案山子を直撃した。

 

 見ている人間全員がどよめきを上げる中、友哉はそのまま案山子の横を通り過ぎ、

 

 そして、

 

 着地に失敗して、頭から床に突っ込んだ。

 

「友哉君ッ!!」

 

 その様子を見ていた瑠香が、悲鳴に似た声を上げて駆け寄ろうとする。

 

 だが、その前に大柄な影が立ちはだかって制した。

 

 強襲科教員の蘭豹である。

 

 蘭豹は倒れた友哉の様子を舌打ちしながら睨むと、控えていた学生に言った。

 

「おい、叩き起こせッ」

 

 指示を受けた学生は、瑠香達が声を上げる前に、手に持ったバケツの水を友哉の顔面に叩きつけた。

 

「ガハッ、ゲホッゲホッ」

「緋村ァ 何寝とんねん!! まだ今日のノルマ終わってへんぞ!!」

 

 蘭豹の声を聞きながら、友哉はゆっくりと身を起こすと、無言のまま開始位置へと歩いて行く。

 

「先生ッ!!」

 

 そんな蘭豹に、瑠香が食ってかかる。

 

「やりすぎです、こんなのッ やめさせてください!!」

 

 叫ぶ瑠香。

 

 対して、蘭豹は不機嫌そうに腕を組んだまま、ジロリとひと睨みした。

 

 それだけで、瑠香は恐怖の内に竦み上がるのを感じた。

 

 香港マフィアの首領の娘にして「人間バンカーバスター」の異名で呼ばれる女傑に敵う学生は、この武偵校には存在しない。チビらなかっただけ、瑠香はまだ偉い方である。

 

 そんな瑠香の様子に、蘭豹は1枚の紙を突き出して来た。

 

「な、なな、何ですか?」

「見てみい。あのアホから提出された自己鍛錬計画書や」

 

 受け取って一読し、瑠香は絶句した。

 

 内容が、明らかにオーバーワークだ。友哉は通常1日にこなすメニュー量の5倍近い練習量を提出していたのだ。

 

 主な内容は飛天御剣流の型の反復練習だが、それを各5000回ずつ。友哉はそれを、昼から休み無しで行っている。しかも、今の友哉は、両腕に各10kgのリストバンド、両足に各10kgのレッグバンド、腰に20kgのベルトを巻いている。都合60kg。ほぼ大人1人分の体重に匹敵する重さを追加しているのだ。

 

 道理で、長野から帰って来てからこっち、寮に帰ってくると異様に疲れていると思ったら、こんな事をしていたとは。

 

「こんな物、受理したんですか!?」

 

 書類を受け取った時点で、蘭豹には却下する権限もあった筈だ。なぜ、そのまま受け入れたのか。

 

 対して、蘭豹も大きくため息をつく。

 

「ウチかて何遍もやめろ言うたわ。それをあんの頑固モンが、聞く耳持とうとせえへん。だから、一遍やらせて、無理な事を体に判らせよう思うたんやけど、緋村の奴、とうとう全部消化してしまいよった。今日ももう、9割方終わっとる」

 

 溜息しか出ない。

 

 恐らく友哉は先月実家に行った際、父、誠治から貰った飛天御剣流の資料を元に、早く技を物にしようと躍起になっているのだ。

 

 今の友哉には、早く飛天御剣流を完成させる事以外、念頭にない筈だ。

 

 一途なのか、馬鹿なのか。

 

 間違いなく、後者だろう。

 

 友哉は先程と同じく、回転突撃技でラバー案山子に斬りかかる。

 

 今度は、先程のように頭から突っ込む事は無い。どうやら、少しずつコツを掴めてきているようだ。

 

 そんな友哉を見て、紗枝が厳しい顔で前に出た。

 

「蘭豹先生。救護科(アンビュラス)の者として進言します。これ以上の訓練は体に対する負担にしかなりません。よって、ドクターストップの許可を」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 蘭豹と紗枝は、暫し無言のまま睨みあうが、初めから無理という事は本人にも感じていたのだろう。やがて、蘭豹の方から視線を逸らした。

 

「おい緋村ッ 今日はもう仕舞やッ お前もさっさと上がりッ!!」

 

 声を張り上げる蘭豹。

 

 だが、友哉はそれが聞こえていないように、再び開始位置まで行こうとしている。

 

「チッ、あのドアホが・・・・・・」

 

 蘭豹は苛立たしげに、舌打ちした。

 

 友哉は尚も訓練をやめようとしていない。どうあっても、自分に課したノルマを完遂しようとしているのだ。

 

「仕方がない、おい、相良」

「あん?」

 

 傍らで胡坐をかいて見物していた陣を、蘭豹は振り返って呼び付ける。

 

「ウチが許可したる。あの馬鹿をぶん殴ってでも止めてこい」

「気が進まねえな・・・・・・」

 

 そう言って、陣は面倒くさそうに頭を掻く。

 

 友達を殴る事もそうだが、既に倒れる寸前の人間を殴り飛ばす事自体、陣には許容できない事だった。

 

「良いからやれやッ」

「へいへい」

 

 蘭豹にハッパを掛けられ、仕方なく友哉の方へ歩いていく陣。

 

 だが、友哉を目の前にした陣は、その顔を覗き込むようにした後、肩をすくめて振り返った。

 

「お~い、蘭豹先生よォ。どうやら必要ないみたいだぜ」

 

 陣が友哉に近づいた時、既に友哉は立ったまま気を失っていたのだ。

 

 次の瞬間、友哉は力を失い、その場に前のめりに倒れ込む。

 

 慌てて駆け寄った一同が介抱する中、友哉が意識を取り戻したのは、その20分後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は武偵校の日程で言うところの「水投げの日」に当たる。

 

 この日に限り素手での戦闘のみ、全面解禁となる。もっとも年がら年中、銃やら剣やらを振り回している武偵校にとって、それがどれほどの意味があるのか不明だが。

 

 駅の構内に入ると、帰宅する人や遊びに出る人の波でごった返していた。

 

 結局、友哉は意識を取り戻した後も、落ち着くまで時間がかかってしまい、一同がお台場に出発したのは、その2時間後となってしまった。

 

 当初はまた今度にしようか、という意見も出たのだが、友哉が、折角みんなが集まってくれたのに、自分のせいで延期になっては申し訳ない、と言った為、友哉の回復を待って出発となったのだ。

 

「いや、ごめんね、みんな」

 

 まだ少しふらふらとしながらも、友哉は支えを借りずに自分の足で歩いている。

 

 一応、刀は戦妹である瑠香が持ち、鞄は陣が持っている為手ぶらであるが、それでもまだ、どことなく歩いて、つらそうな感がある。

 

「まったく、友哉君無茶しすぎ。体壊すよ!!」

「いや~、もうちょっといけるかと思ったんだけどね」

「気絶までしておいて何言ってるんですかッ」

 

 左右から瑠香と茉莉に抗議され、流石の友哉もタジタジと言ったところだ。

 

 実際の話友哉としては、新たに知った技を早く自分のものにしたかった為、あのようなオーバーワークを申請したのだ。本人的には問題ないつもりだったのだが、やはり無茶があったようだ。

 

「ま、とにかく、これに懲りたら、少しは自重する事ね」

「だな。ぶっ倒れるまでやって、いざという時に動けませんでした、じゃ話になんねえし」

「おろ・・・・・・」

 

 紗枝と陣にもまで言われてしまい、友哉は言葉を詰まらせながら押し黙るしかなかった。

 

 何事も、過ぎたるは及ばざるが如し、と言う事なのだろう。

 

「そう言えば」

 

 話題を変えるように、瑠香は口調を変えて言った。

 

「もうすぐ、2年は修学旅行Ⅰ(キャラバン ワン)だね。良いな~、友哉君達、京都旅行に行けて」

「いや、京都旅行って・・・・・・あれって一応は、チーム編成の為の下準備みたいなものでしょ」

 

 夏休みも終わり、武偵校ではチーム編成の時期が近付いていた。

 

 武偵同士のチーム編成と言うのは、それなりに重い意味を持っている。武偵校において編成されたチームは、武偵庁に登録され、後々まで有効となる。その為、かなり息のあった学生同士であっても、チーム編成の際には慎重になり考え直そうとする。その為に設けられたのが修学旅行Ⅰ(キャラバン ワン)と言う訳である。

 

「ん~、でも、あたしも去年行ったけど、殆ど旅行みたいなものよ。名所を2~3箇所見学して、その事を帰ってからレポートに書くだけ。後は遊んでいて良いって感じだったわね」

 

 流石は、専門科目以外は割とどうでも良い体質のある武偵校。修学旅行も超が付くほど適当だった。

 

「そうだ、チーム編成と言えば、友哉さん、知ってますか?」

 

 主語を省いて質問したのは茉莉だった。

 

 先月、自分の出身地である皐月村の、ダム開発に絡む陰謀に巻き込まれた茉莉だったが、その事件は友哉達の活躍によって無事に解決され、彼女は今までよりも明るい表情を見せるようになった。

 

「遠山君と神崎さんが、別れたって言う噂があるのですが」

「おろ、キンジとアリアが・・・・・・」

「あ、それ、あたしも知ってる」

 

 反応したのは、傍らを歩いていた瑠香だった。

 

「あたしの友達に、遠山先輩とアリア先輩の戦妹の娘がいるんだけどさ、その娘達が言うには、遠山先輩、アリア先輩とコンビ解消して、別の人とチーム申請しちゃったんだって」

「別の人って、誰?」

「それが、」

 

 茉莉は言いにくそうに淀んでから言った。

 

 彼女との付き合いもそれなりになる為、そろそろ行動パターンが読めるようになってきている。茉莉がこういう顔をするときは、本当に困っている時だ。

 

 ややあって、茉莉は言った。

 

「レキさん、なんです・・・・・・」

「それは・・・・・・」

 

 確かに、言いにくい事この上なかった。

 

 とは言え、キンジとレキ。全くあり得ない、とは言い切れないものの、やはり違和感がある組み合わせだ。

 

 キンジとレキ、それに友哉や強襲科同期の不知火亮は、1年生の頃からよくチームを組んで行動する事が多かったが、それもキンジが去年、探偵科に転科するまでの話である。2人が取り立てて仲が良かった、という印象は特にない。

 

 それに比べれば、アリアの方が(喧嘩しながらではあるが)ずっとキンジと仲が良いように思える。てっきり友哉としては、キンジはアリアとチームを組むと思っていたのだが。

 

 これがもし、相手が峰理子や星伽白雪だったのなら、まだ納得も出来るというものなのだが。

 

 いや。それ以前に、キンジがレキとチームを組んだ、などと知ったら、アリアがどんな行動に出るか、想像に難くなかった。

 

 世間一般では「女たらし」などと言われているキンジだが、実際には、逆に「女嫌い」である事を、友哉は知っている。であるから間違っても「キンジが、アリアとレキを天秤にかけて、レキを取った」と言う事は無い筈だ。

 

 一度、当事者の誰かに、話を聞いてみる必要がありそうだった。

 

 その時だった。

 

「やめろ、アリア!!」

 

 ホームへと続く階段の方から、緊迫に満ちた声が聞こえてきた。

 

 その鋭い声には、覚えがある。

 

「お、おい、この声はッ」

「キンジだ」

 

 尋常じゃない声音は、何かのトラブルを予見させた。

 

 すぐに飛び出したのは、陣と瑠香だ。

 

 友哉も慌てて後に続こうとするが、激しい訓練の後で体が思うように動かず、つんのめるような体勢になり、慌てて茉莉が横から支えてくれた。

 

 茉莉と紗枝と3人で、先行した2人に追いついた時、階段の踊り場で対峙する、キンジとレキ、アリアと理子、そしてレキの飼っているコーカサスハクギンオオカミのハイマキがいた。

 

 一瞬にして、場の空気が険悪な物だと読み取れる。

 

 特に、睨みあっているアリアとレキ。この2人は既に互いの殺気を相手にぶつけあっている。

 

 目を疑いたくなるような光景だ。

 

 アリアにとってレキは、同性の中では特に仲のいい友人だと思っていた。他にも何人か付き合いのある女子はいる事はいるが、例えば目の前にいる理子などは、一見すると仲が良いようにもみえるが、当人同士はあくまで「ホームズ家とリュパン家の人間が、仲が良いなんて事はあり得ない」等と否定しているくらいだ。

 

 そんな訳で、アリアにとって最も仲の良い女子といえばレキ、という印象があった。

 

 しかし今、2人は今にも殴りかからんばかりの勢いでにらみ合っている。

 

 レキの後ろに立っているキンジは、状況についていけずただ慌てているだけだ。その事を見ると、どうやら先程瑠香達が言っていた噂は本当であるらしい。

 

 次の瞬間、状況が動く。

 

 アリアが、レキに目がけて飛びかかったのだ。

 

 得意の総合格闘技(バーリ・トゥード)で、レキに攻めかかる。

 

 対して、レキは何もしない。ただ、アリアに押し倒されるままだった。

 

 スナイパーとして超一流と言って良いレキ。そのレキに発覚した意外な弱点、それは素手格闘技能の皆無だった。

 

 倒れた主人を助けようと、ハイマキが飛びかかろうとするが、アリアの援護についていた理子が、尻尾を掴んでそれを引きとめた。

 

「クフフ、理子、ニャンコ派だけど、実はワンコも行けるんだよねえ」

 

 言いながら、理子はハイマキの背に飛び乗ってしまう。

 

 更に理子はハイマキの足を払い、床に押しつぶす事で動きを封じた。

 

「あはは、レキュ、この子、理子が貰っちゃうぞ。貰ってフルモッフだァ」

 

 かつて、ハイマキを捕える際、ヒステリアモードのキンジとレキが2人掛かりであったにもかかわらず、理子は1人であっさりと、その動きを封じてしまったのだ。

 

 素手格闘皆無で、更に頼みのハイマキも封じられ、これでレキの敗北は確定したかと思われた。

 

 しかし、レキを押し倒したアリアは、そのまま動こうとしない。

 

 躊躇っているのだ。友達であるはずのレキを殴りつける事を。

 

「やめろ、アリア、こんなの、ただの弱い者いじめだろ!!」

「2人とも、やめるんだ!!」

 

 キンジと友哉がほぼ同時に叫び、動きを止めるアリア。

 

 その隙を逃さず、レキが動いた。

 

 スカートの下から銃剣を抜き打ち、アリアに躊躇なく斬り付けた。

 

「あッ!?」

 

 声を上げるアリアは、髪を数本断ち切られ、そのまま驚いて後退する。

 

 レキは水投げの日のルールを無視して、刃物を構えたのだ。

 

 立ちあがるレキ。そのまま慣れた手つきでドラグノフの先端に銃剣を取り付けて、槍のように構えた。

 

 かなり、洗練された構えだ。徒手格闘はできないレキだが、どうやら銃剣術の心得はあるらしい。

 

 鋭い踏み込みで、アリアに向かって突き込むレキ。

 

 殺気。

 

 普段、「ロボット・レキ」などと言われ、感情の起伏が皆無に見えるレキが、今、明らかにアリアに殺気を向けていた。

 

 流石のアリアも、熟練した銃剣術相手に、素手では苦戦を免れない。レキの的確な攻撃を前に、回避しながら後退することしかできないでいる。

 

 その光景を、キンジも、理子も、他の皆も唖然としてみつめている。

 

 そうしているうちに、アリアが壁際に追い込まれる。そこから後には、もう逃げ場はない。

 

「クッ!?」

 

 友哉はとっさに動く。

 

 全身に走る激痛を無視して、瑠香に預けておいた逆刃刀を奪い取ると、そのまま神速の勢いで階段を駆け上がった。

 

 踊り場まで跳び上がると、今まさに、壁際に追い込まれたアリアに、レキがとどめを刺そうとしているところであった。

 

「レキッ!!」

 

 叫ぶと同時に、友哉はアリアを守るようにして立ちはだかり抜刀、レキの銃剣を払いのける事に成功した。

 

「ゆ、友哉・・・・・・」

 

 自分を助けるように飛び込んできた友哉の姿に、呆然とした声を上げるアリア。

 

 対して、突然の乱入者にも、レキは顔色を変えない。

 

「そこまでだよ、レキ。これ以上は必要ない筈だ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉の言葉に対して、レキは無言のまま狙撃銃を引くと、肩にかけ直した。

 

 一応、これ以上戦う気はない。と言うジェスチャーであるらしい。

 

「あんたなんか・・・あんたなんか・・・・・・」

 

 その様子を、友哉の背中越しに見ていたアリアが、絞り出すように言う。

 

「あんたなんか、もう絶交よッ 二度と、顔も見たくないわ!!」

 

 そう叫び捨てると、アリアはその場から駆け足で去り、その後を追いかけて理子も去って行った。

 

 その様子を眺めながら、友哉は溜息をつく。

 

 どうやら、この場は事無きを得た様子で何よりであるが、事態は思った以上に深刻だ。

 

 キンジ、アリア、レキ。

 

 ここにきて、思ってもみなかった三角関係が勃発してしまっている。

 

 間もなく、修学旅行、そしてチーム編成が待っている。それまでに、何とか3人の仲が回復してくれればいいのだが。

 

 そう考えながら、友哉は逆刃刀を鞘に収めようと持ち上げた。

 

 すると、

 

 柄が手から滑り、ガシャンと床に刀を落としてしまった。

 

「・・・・・・・・・・・・あれ?」

 

 気がつけば、妙に目の前が薄暗くなっている。

 

 キンジや瑠香が、自分を呼んでいるのは分かっているが、それらが遠くから聞こえる気がする。

 

 そこまで考え、友哉は自分の意識をアッサリと手放した。

 

 

 

 

 

第1話「水投げの日に」      終わり

 



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第2話「千年王都」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 適度な振動が、心地よい眠気を引き起こす。

 

 友哉はまどろみに身を委ねながら、ここ数日の事を思い出していた。

 

 あの後、アリアとキンジ、レキの関係は修復不能なレベルにまで陥ったらしい。レキは余程の事がない限り、四六時中キンジの傍らに張り付いて付いて回り、周囲の人間には、「遠山とレキが付きあっている」と言う噂が武偵校中に広まるに至った。

 

 当然、アリアはその状況を面白く思っている筈も無く、一度話を聞く機会があったが「そんなもの、あたしには関係ないわよッ」、と言うお言葉を頂いた。

 

 もっとも、様子からして「関係ない」とは言い切れない所がありありと見て取れたが。

 

 一方で、キンジと接触する事にも成功していた。

 

 「接触に成功」などと書くと大げさに聞こえるかもしれないが、事が事だけにレキがいる場所では話しづらい。その上、彼女がいない場合でも、ハイマキが常時見張っている状態である。

 

 レキに忠実なコーカサスハクギンオオカミは、少しでもキンジが余計な事をしようとするのを見張っている為、やりにくい事この上なかった。

 

 そこでレキが離れた隙に、ハイマキの好物の魚肉ソーセージを賄賂として持参し、それを食っている隙にキンジと話す事に成功した。

 

 キンジが言うには、レキはいきなり求婚を申し込んだかと思うと、キンジを狙撃拘禁したと言う。恐らく、キンジが彼女の傍を離れようとすると、容赦無くドラグノフが火を噴く事になるのだろう。

 

 レキの狙撃絶対半径は2051メートル。学園島のどこにいても狙撃可能である。

 

 真っ当な方法でレキから逃げる事は不可能。となると、残る手段は1つ、「リマ症候群(シンドローム)」を狙うしかない。

 

 これは所謂、ストックホルム症候群の逆で、拘禁されている側の身上に犯人が同情、乃至共感を促し、拘禁を解かせる手段である。

 

 語源となった、ペルーのリマで起きた日本大使館立てこもり事件においては、犯人側のゲリラグループメンバーが、実際に日本大使館員達に共感を覚え、中にはより深いコミュニケーションの為に、日本語の勉強を始める者まで現れたと言う。

 

 しかし今回、果たしてそれが成功するかと言えば、難しいと断じざるを得ない。何しろ相手はあの「ロボット・レキ」だ。感情が希薄で何を考えているのかすら判らない。馴れない人間では、会話を成立させる事すら難しい少女である。果たして、どこまでうまくいくか、見当もつかなかった。

 

 とは言え、こればかりは外部の人間は直接支援する訳にもいかない。キンジが独力で状況を脱するしかないのだ。

 

 その時、

 

「友哉さん・・・・・・友哉さん・・・・・・」

 

 耳元で囁かれる声と、控え目なゆすり方。

 

 この起こし方は、瑠香ではない。彼女なら、もっと乱暴に体をゆすって来る。

 

「ん・・・・・・茉莉?・・・・・・」

 

 うっすらと目を開くと、予想通り、覗き込むようにして顔を近付けている茉莉の姿があった。

 

「着きましたよ。起きてください」

「そっか・・・・・・」

 

 友哉は状況を呑みこみ、脳を覚醒させる。

 

 今日は修学旅行Ⅰ(キャラバン ワン)初日。友哉達は、東海道新幹線に乗り、はるばる京都までやって来たのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや~、良く寝た」

 

 人通りでごった返す京都駅の構内で、友哉は大きく体を伸ばす。

 

 これから3日間、東京武偵校の2年生たちは修学旅行に勤しむ事になる。

 

 日程としては、1日目は寺社見学。自分で決めた寺社仏閣を3箇所巡り、帰った後、その事をレポートに纏める事になる。2日目、3日目に関しては完全に自由行動。大阪か京都の街を適当に見ておけ、との事だった。

 

 出発前に紗枝の言っていた通り、適当極まりない話である。

 

 多分、文部科学省辺りが知ったら、指導が入る事だろう。

 

 だが、そのおかげと言うべきか、他の学校の修学旅行にあるような堅苦しさは一切無縁で、本当の旅行のような気分を味わう事ができる。

 

 実際、出発前の雰囲気を見る限り、緊張感を持って臨んでいる者はほぼ皆無で、皆が皆、いかにして旅行を満喫するかに傾注している事が見て取れた。

 

 そんなな中、

 

「大丈夫ですか、まだ、疲れているんじゃ?」

 

 茉莉が心配そうに尋ねて来る。

 

 無理も無い。

 

 あの日以来、友哉は結局、訓練のボリュームを下げろと言う瑠香や茉莉、紗枝の言葉を無視して、自分が決めたノルマをこなし続けたのだから。

 

 こうして普通に会話している今も、僅かながら頭にもやがかかったような感覚があり、疲労が抜けきっているとは言い難い。

 

 茉莉としては、友哉がまた倒れないか心配なのだ。

 

 だが、折角の修学旅行なのだ。疲労して仲間に心配を掛けたままでは、折角の機会がもったいない。

 

「大丈夫だよ」

 

 彼女に心配かけまいと、友哉は微笑みながら答える。

 

「ここのところ、確かにちょっと疲れていたけど、今日から羽を伸ばせるからね」

「だと、良いんですけど」

 

 まだ不安そうな茉莉は、言葉を濁しながらも、一応は納得した風に頷いた。

 

 故郷を巡る騒動で、友哉には大きな借りがある茉莉は、以前よりも献身的な態度を見せるようになっていた。

 

 そこへ、

 

「おーい、友哉、瀬田!!」

 

 手を振りながら、陣が呼ぶ声が聞こえた。

 

 陣の大柄な体は、人垣の向こうからでも確認する事ができた。

 

 新幹線では離れた席になったが、街中では一緒に行動しようと言う事になっている。

 

 この修学旅行Ⅰは、チーム編成の一環である。

 

 武偵にとってチーム編成が重要である事は以前にも話したが、その最終確認を行うのが修学旅行Ⅰである。この旅行を通じて、チームを予定通り組むのか、それとも改めて組み直すのかを考えるのだ。

 

 友哉が目下、構想するチーム編成の中には、これまで一緒に戦って来た陣と茉莉の名前は当然ある為、今回の旅行でも一緒に回る事は前提の話だった。

 

「待たせたな。それで、どうすんだ?」

「取り敢えず、予定としては、金閣寺、清水寺、そして最終的に鞍馬山の順番で回る予定かな。その後、3日間の宿泊先である旅館に行く事になるから」

「その旅館って、あれだろ。四乃森の実家だろ」

 

 瑠香の実家である旅館「葵屋」は江戸時代から続く老舗である。現在は瑠香の両親が経営を担当しており、友哉も子供の頃から、何度も遊びに来ていた。

 

「瑠香さん、残念でしたね」

「まあ、こればっかりは仕方ないよ」

 

 顔を落とす茉莉の言葉に、友哉は苦笑しながら返す。

 

 1年生の瑠香は、当然のことながら修学旅行に参加する事はできず、東京でお留守番と言う事になっている。

 

 もっとも、友哉達が出発する時は、

 

『行ってらっしゃーい、お土産宜しくねー』

 

 などと言って、朝、元気に送り出してくれたが。

 

 いつになく、妙にハイテンションな気もしたが、まあ、そこは気にしても始まらない。お土産に何か小物でも買って行けば喜ぶだろう。

 

 さて、

 

 いつまでも駅でとどまっていては、時間がもったいない。有限な時間で、如何に有意義な旅行を楽しむか、が今回のメインテーマであると言える。

 

「じゃあ、行こうか」

 

 京都の地図を広げながら、友哉は茉莉と陣に先だって歩き出した。

 

 

 

 

 

 京都

 

 古くは日本の首都が置かれた場所であり、華やかな文化が花開く半面、多くの悲劇の舞台にもなった地でもある。

 

 幕末と呼ばれる時代も然り。多くの武士が倒幕派と佐幕派に別れて剣檄を鳴らし、血風の元に散って行った。

 

 友哉は昔から幕末の歴史に興味があり、剣術の練習の傍ら、そうした資料に目を通しては読みふける、と言う事をやっていた。維新志士や、その敵対者であった新撰組の活躍に目を走らせては心を躍らせた物である。

 

 今回1日目は、幕末に縁のある地を訪れる事はできないが、2日目以降は自由行動だ。2人を誘って行ってみるのも良いかもしれない。

 

 そんな風に考えていると、バスは1つ目の目的地である金閣寺近くの停留所へ停車した。

 

 金閣寺は正式には鹿苑寺の事を差し、室町時代の北山文化を象徴する建築物として世界文化遺産にも認定されている。室町三代将軍足利義満が、己の権勢を誇る為に建立した寺院である。その金箔の張られた外観は、あまりにも有名であり、京都でも人気の観光スポットとなっている。

 

 人によっては銀閣寺の方が趣があって良い、という意見を発する者もいる為、そこで意見が分かれる事も多い。

 

 周囲を見回せば、やはり人気観光スポットらしく、武偵校の制服を着た学生も何人か見る事ができた。やはり、考える事はみな同じと言う訳だ。

 

 もっとも、アリアやキンジなど、知り合いの姿は見られないが。

 

 受付を通って入ろうとした友哉達だが、入口付近で待機していた係員に呼びとめられた。

 

「あの、すいません、武偵養成校の方ですか?」

「はい、そうですが、何か?」

 

 突然声を掛けられた事で、友哉は怪訝な顔つきになる。まさかとは思うが、武偵お断り、などと言うルールでもあるのだろうか。

 

 荒事の処理を行う武偵は、勿論、市民の味方を標榜しているが、中にはそう思っていない人間もいる。とある政党の議員などは、武器を持っている、と言うだけで武偵を危険人物扱いする者もいるくらいだ。

 

 その為、緊急時を除いて、武偵が出入り禁止にされている施設もある。

 

 そう疑ってみたが、実際に話を聞いてみると、そうではなかった。

 

「あの、お手数ですが、入場の際は、こちらで武器の類は預けていただく事になっています」

「ああ、成程」

 

 係員の説明に、友哉は頷く。

 

 それなら珍しい話ではない。勿論、用も無いのに武器をひけらかす馬鹿はいないだろうが、寺社側としては一応の安全確保と、一般客へのイメージアピールもあるのだろう。こうして武器持ち込み禁止を掲げる事は珍しい事ではない。

 

 友哉は逆刃刀を預け、茉莉も菊一文字とブローニング・ハイパワーを出して受付のカウンターへ預けた。

 

 すると、

 

「あの、あなたもお願いします」

「いや、俺は武器は持ってねえよ」

 

 係員が陣にも声を掛けている所だった。

 

 陣は普段から、武器は使わず素手のみで戦っている。

 

 実際、陣は普段から防弾制服以外の武装は持っていないのだが、他人にはそれが判らないのだ。

 

「あの、困ります。規則ですので」

 

 本当に困った顔で、陣に言い募る。

 

 「武偵=武器を持っている」と言う認識が強い中、武器を持たないで戦う武偵もいると言う事が、係員には理解できないのだ。

 

 相手は至極真面目に対応しているだけなので、余計に困る。

 

「だから、本当に俺は何も持ってねえんだよッ」

「いえ、ですから・・・・・・」

 

 陣の剣幕にやや怯みながらも、自身の態度を崩そうとしない係員は、その認識の間違いはともかくとして、職務を立派に果たしているという点で、仕事をする人間の鏡であると言えた。

 

 そんな係員の態度に、陣も苛立ちを募らせているのが判る。このままでは、相手に掴みかかってしまう可能性すらあった。

 

「あの、」

 

 仕方なく、友哉は助け船を出す。

 

「本当に、彼は何も持っていないですよ」

「そんな例外を認める訳には行きません。預かった武器は、きちんとお預かりして、お帰りの際に返却しますから、どうかご協力ください」

 

 友哉の言葉にも、やはり首を縦に振ろうとしない。

 

 どうやら今度は、仲間同士で庇いあっている、とでも思っているらしい。ここまで来ると、職務に忠実なのを通り越して、ただの頑固者に見えて来る。

 

「チッ、面倒癖ェな」

 

 陣は頭をガリガリと掻くと、友哉達の方に振り返った。

 

「友哉、瀬田、ちょっと、この石頭を説得してから行くから、お前等は先に行っててくれ」

「え、でも、それじゃ相良君・・・・・・」

「良いから。早く行かねえと、予定も詰まってるんだしよ」

 

 渋る茉莉に、陣は苦笑しながら言う。しかし、確かに彼の言うとおり、ここであまり時間を掛ける事もできない。

 

「仕方ないよ、茉莉。僕達が先に見学して、陣とは後でレポートを書く時に情報を共有するようにしよう」

「・・・・・・そう、ですね」

 

 折角一緒に回っているのに、ここで離ればなれになるのでは意味がないが、今はそうする事が賢明のように思えた。

 

 陣は尚も係員と押し問答を続けているが、その声も境内に入ると聞こえなくなった。

 

 周囲は観光客の喧騒でいっぱいであり、寺院特有の静寂さなど感じられない。あまりの人の多さに、真っ直ぐ歩く事明日ら困難だった。

 

 世界遺産にまで指定されている建物だ。観光客が溢れるのも無理は無かった。

 

 そんな中を、2人は縫うように歩いて行く。

 

「凄い人だね、さすがは金閣寺って感じだよ」

「そうですね。何だかはぐれてしまいそうです」

 

 そう言ってから、茉莉は考え込んだ。

 

『そう言えば、友哉さんとこうして2人っきりでいるのは初めてかもしれない・・・・・・』

 

 いつも、一緒に行動する時は瑠香や陣が一緒である事が多い為、なかなか2人っきりになれなかった。

 

 そう、2人っきりに・・・・・・

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 そこまで考えた瞬間、茉莉の顔は一気に、ボッと真っ赤に染め上げられた。

 

『ふ、ふふ、ふた、ふたり、きり、ゆ、友哉さんと、2人っきりッ!?』

 

 突然、正体不明の緊張感と羞恥心の連合軍によって茉莉の脳内は蹂躙される。

 

 友哉と2人っきりと言う状況が、自分に取って如何にハードルの高い物であるか、今更認識したのだ。

 

 心臓が波打つ音が聞こえる。

 

 頬の熱が全身に伝播し、汗が否応なく流れる。

 

 なぜ、友哉の事を考えるだけで、こんなにも緊張してしまうのか、茉莉にも判らなかった。

 

 確かに、友哉とはいろいろあった。司法取引で編入して以来、常に肩を並べて戦い、私生活中でも、一緒の部屋で生活し、遊びに行くときも一緒だった。何より、この間、茉莉が長年抱えて来た故郷のダム建設を巡る問題を解決する為に尽力し、最後には出頭しようとする茉莉を、自分の体を張ってまで止めてくれた。

 

 普段は誰よりも優しく穏やかでありながら、断固たる意思と強さを兼ね備えた少年。それが緋村友哉と言う存在だった。

 

「茉莉、どうかした?」

「は、はひっ、い、いえ、何でもないでしゅよ」

 

 緊張のあまり、思わず噛んでしまった。

 

 その事で、更に恥ずかしさが増してしまう。

 

 真っ赤な顔のまま、ブンブンと首を振る茉莉を見て、友哉はクスリと笑みを浮かべると、手を差し伸べた。

 

「はい」

「ええっと、何か?」

 

 意味が判らない茉莉に対し、友哉は優しく言う。

 

「はぐれるといけないから、手を繋いで行こう」

「え・・・・・・えェェェ!?」

 

 突然の申し出に、茉莉の混乱は一気に加速する。

 

 そ、そんな事をしていいのか? 恐れ多くないのか?

 

 茉莉の中で、グルグルとした思考の渦が流れ始める。

 

 そんな茉莉の様子を見て、友哉はハッと何かに気が付き、次いでばつが悪そうに視線を逸らした。

 

「あ、ごめん、ちょっと無神経だった。嫌だよね、こんなの」

「いえいえいえ、そんな事無いですッ!!」

 

 勢い込んで行ってから、赤くなった顔を逸らしつつ、茉莉もオズオズと手を伸ばす。

 

「お、お願いします」

 

 差し出された手を、友哉はそっと握る。

 

『あ・・・・・・』

 

 心の名で声を上げる茉莉。

 

 普段から一心に剣を振るう友哉の手は、その少女めいた外見と異なり、ゴツゴツと硬くなっている。

 

 しかし、いつも勇気づけるように頭を撫でてくれる手は、やはり暖かく、それまで緊張に満ち溢れていた茉莉の心を優しく包み込んで行った。

 

 笑みが浮ぶ。

 

 茉莉自身、まだ自分が友哉の事をどう思っているか、整理が付いていない状態だ。

 

 彼を友達として好きなのか、それとも・・・・・・

 

 いずれにせよ、まだそれの答えを出すのは早いような気がした。

 

 2人はやがて、金閣寺が見える池の畔までやって来た。

 

 そこにも観光客が溢れかえっており、背が低い2人は、なかなかその金色の豪奢な建造物を目にする事ができないでいた。

 

「ちょっとすいません、通りますよ」

 

 言いながら、友哉は茉莉の手を引いて手際よく人込みをかき分けていく。

 

 やがて2人の視線に、金色の建物が飛び込んできた。

 

「うわぁ・・・・・・」

 

 その光景に、茉莉は思わず感嘆の声を上げる。

 

 別に茉莉自身、こうした豪奢な物に興味がある訳ではない。しかし、それでも美しい物を素直に美しいと絶賛するだけの感性は持ち合わせている。

 

「本当にすごいね。これが、1000年近く前の日本人が作ったのかと思うと、信じられないくらいだよ」

「そうですね」

 

 実際のところ、友哉の感性から行けば、こんな物を作るあたり足利義満はそうとう悪趣味な人だったのではないかと思えるのだが、純粋に建築物として見た場合、やはり美しいと思う事が出来る。

 

「そうだ、資料用に写真撮っておかないと」

「あ、そうですね」

 

 2人はそう言うと、持参したデジタルカメラを取り出してシャッターを切る。

 

 その時だった。

 

「ッ!?」

 

 一瞬、背中に寒い物を感じ、友哉はとっさにカメラを持ったまま振り返った。

 

 僅かな間のみ感じたそれは、間違いなく殺気の類であったように思う。

 

 だが、振り返った先には、多くの人だかりがあるだけであり、肝心の殺気もまた一瞬で消滅してしまった為、相手を特定する事が出来なかった。

 

「友哉さん・・・・・・」

 

 傍らに立つ茉莉もまた、緊張した面持ちで友哉に話しかける。どうやら彼女も、同様の殺気を感じ取ったらしい。

 

「何だろう?」

「分かりません。私達に向けられたものかどうかも・・・・・・」

 

 とにかく一瞬だった為、判断する材料が少なすぎる。取り敢えず、警戒しておくくらいしかする事がなかった。

 

 少なくとも、殺気を持つ誰かがいる。それだけは確かなようだ。

 

 その時だった。

 

「キャァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 突然の悲鳴が鳴り響く。

 

 ハッとして振り返ると、身形の良い女性が地面に手をついて倒れているのが見えた。

 

 更に、その女性に背中を向けて走っていく男の姿も見える。恐らく20代ほどの若い男だが、その手には、女性の物と思われるバックが握られている。

 

 引ったくり。

 

 観光地に来て、気が緩んだすきを突いた大胆な犯行である。

 

「茉莉ッ!!」

「はいっ!!」

 

 友哉の言葉を受けて、2人はその後を追おうとする。

 

 しかし、何しろこの人だかりである。加えて、突然の騒ぎの為に野次馬が集まり始めている為、身動きが思うに任せない。

 

 他の武偵達も同様であるらしく、皆、走り去っていく引ったくり犯の背中を見送ることしかできないでいた。

 

 ちょうどそのころ、友哉達とは反対側から、騒ぎを見守っている女性がいた。

 

 女性は腕に抱いた赤ん坊をあやしながら、視線は自分の方へ走ってくる男へ向けている。

 

 倒れている女性に、バックを握って走ってくる男性。

 

 その光景だけで、何があったのかだいたい察した。

 

「・・・・・・準ちゃん」

「何?」

 

 傍らに立つ夫に声をかけると、抱いている赤ん坊を差し出す。

 

「ちょっと、あっちゃんお願い」

「分かった、無茶しないでね」

 

 そう言って赤ん坊を受け取る夫に背を向け、前へと出た。

 

 そこへ、男が走ってくる。

 

「どけぇぇぇ!!」

 

 立ちはだかるのは女1人。組みし易しと見た男は、突進の勢いのまま殴りかかってくる。

 

 次の瞬間、

 

 女は身を翻すように男の腕を掴むと、勢いをそのまま利用しながら、同時に足払いをかける。

 

 投げ飛ばされた男は、そのまま天地が逆さになるような感覚の後、背中から激烈な衝撃に襲われた。

 

 何と、その女性は片手で男の体を投げ飛ばし、そのまま地面にたたきつけたのだ。

 

 その光景に、武偵、一般人を問わず、見ていた全員が呆気にとられる。

 

 どう見ても体格の劣る女性が、右腕一本で大の男を投げ飛ばしたのだから当然である。

 

 しかし、当の女性はと言えば、何でもないといった風に額をぬぐって見せた。

 

「いや~、あたしも衰えたわね。年かな?」

 

 そう言って苦笑する女性。

 

 その女性を、人込みをかき分けて出てきた友哉が、唖然とした目で見つめる。

 

「・・・・・・ね、姉さん?」

 

 呼ばれて振り返った女性は、友哉を見つけて笑顔を見せる。

 

「あら、友哉、奇遇ね。あんたも京都に来てたんだ」

 

 明神彩は、そう言ってヒラヒラと手を振って見せた。

 

 

 

 

 

 ひったくり犯を係員に突き出してから、一息ついた一同は、改めてと言った感じに向き合っていた。

 

「いや、ホントにびっくりしたよ。まさか武偵校の修学旅行Ⅰ(キャラバン ワン)と重なるなんて」

 

 彩は武偵校のOGである為、当然、その制度も知っている。彼女もまた、数年前に仲間たちと一緒に京都を訪れ、戦いと青春にその身を捧げた1人である。

 

「驚いたのはこっちだよ。まさか、こんな所で姉さん達と会うなんて」

「まあね、偶々、準ちゃんのお休みが重なったからさ」

 

 そう言って、背後で我が子を抱く夫に目をやった。

 

 彩達が京都に観光に来たのは、本当にただの偶然だった。そこから更に、同じように金閣寺に足を運んだのも同様である。

 

「久しぶりだね、友哉君」

「お久しぶりです、準一さん」

 

 人当たりの良さそうな、柔和な顔つきの青年は明神準一。彩の夫であり、現在は武偵庁の事務職員として働いている。と言っても、本人は荒事に向いた性格はしておらず、あくまでも事務方の人間として働いている。こう見えて、事務屋としては優秀であり、将来、官僚候補の有望株として武偵庁では期待されていた。

 

 彩と出会ったのは、彼女がまだ武偵現役時代だったが、友哉ともその頃からの知り合いで、友哉自身、準一の柔和な人柄には好感を覚えていた。そして、彼の手に抱かれている赤ん坊は、彩と準一の長男で、去年産まれた明神敦志である。

 

「で、友哉」

 

 彩は、友哉の背後に控えている少女を見ながら話しかける。

 

「そろそろ、そっちの娘を紹介してほしいんだけど?」

「あ、ああ・・・・・・」

 

 言われて、友哉は振り返った。

 

 こんな所で知り合いに会うと言う、衝撃のせいか、友哉は自分の背後で恐縮している茉莉の事をすっかり忘れていた。

 

「彼女は瀬田茉莉さん。同じクラスの女の子で、これまでも何度か一緒に戦ったんだ」

「あ、あの、瀬田茉莉です」

 

 そう言って勢いよく頭を下げる茉莉に、彩は優しく笑い掛ける。

 

「あたしは、友哉の従姉で明神彩よ。いつも友哉がお世話になっているわね」

「い、いえ、私の方こそ、いつも友哉さんに助けてもらってばかりです」

 

 そんな茉莉を見てから、友哉に向き直った。

 

「友哉、アンタもなかなかやるわね。瑠香ちゃんに続いて、こんな可愛い娘捕まえるなんて」

「いや、姉さん。茉莉も瑠香も、そんなんじゃないってば」

 

 呆れ気味に否定する友哉の横で、茉莉は「可愛い」と言う言葉に反応して、顔を赤くしている。

 

 その様子が可笑しいのか、更に従弟へと詰め寄る彩。

 

「まったく、このムッツリスケベめ。一体、何人の女の子を毒牙に掛けてるんだか。その内、自分の周りにハーレムでも作る気なの?」

 

 従姉から発せられる事実無根の中傷に、友哉は頭が痛くなる思いだった。大体、そんな事を言い出したら、(本人の意思にかかわらず)既に周囲がハーレム状態になっているキンジは一体何なのか。

 

 その様子を見て、敦志を抱いた準一が優しげな笑みを見せる。

 

 ひったくり犯を捕まえると言う荒事の後だと言うのに、まるで家族団欒のような暖かさが満ち溢れていた。

 

 

 

 

 

 そんな友哉達の様子を、物影から見詰める視線があった。

 

「あれが、ヒムラユウヤ、『飛天の継承者』ネ」

「ふうん、あれがね」

 

 少女の説明に、その傍らに立った女性は感心したように頷いた。

 

 少女の方は小柄な体で、長い髪をツインテールにしている。一方の女性は痩せ形でスラリと背が高く、長い髪をストレートに下ろしていた。

 

「キンチの再試の前に、あれを試す機会ができたネ」

「仕掛けるの?」

「今はまだ駄目ネ。それに、傍にマツリいる。あの女、(ウオ)の顔知ってる。ここで仕掛ける、得策でない。どこか人目の付かない場所を選んだ方が良いネ」

 

 そう言うと、少女は目を細め、視線を友哉に向ける。

 

 先程、友哉に視線を向けた際、ほんの一瞬だったにもかかわらず、彼は反応して見せた。

 

 面白い。

 

 その実力、存分に見させてもらおう。

 

 そう心の中で呟くと、女性を従えて踵を返す。

 

 後には、2人がいたと言う痕跡も残っていなかった。

 

 

 

 

 

第2話「千年王都」      終わり

 



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第3話「万武の武人」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その男を見た人間は、誰もが鋭利な刃を連想するだろう。

 

 引き締まった細身の体。サングラスの奥に隠された鋭い眼差し。俊敏さを連想させる体つきから発せられる雰囲気は、どう見ても素人の物ではない。

 

 知らない人間が見れば、それだけで震えあがりそうな雰囲気がある。

 

 今や京都武偵局は、未曾有の危機に瀕していると言っても良い。

 

 千年王都として多くの人間が訪れる一方で、明治時代以降、行政の中心が東京に移ってしまい、更に近畿の産業は大阪、神戸に集中している事もあり、有為な人材は、それらの大都市に流れてしまう事が多い。京都の治安維持能力は、その規模と比較して必ずしも高いとは言い難い。もっとも、重要性が低い故に、今まで大きな事件が起こって来なかった事も事実である。

 

 そう、今までなら。

 

 だが、今やその常識も覆されようとしている。

 

 故に、男が任務地から呼び戻される結果となった。

 

 男はやがて、局長室とプレートの貼られた扉の前に立ち、その中へと入った。

 

「失礼します」

 

 男が入ると、中にいた壮年の男が顔を上げて視線を向けてきた。

 

「来たか、待っていたぞ」

 

 京都武偵局局長を務める壮年の男性は、元々は東京武偵局からの出向組であり、自身も現役の武偵として前線に立ち続ける男である。

 

「すまんな、任務を途中で切り上げさせる事になってしまって」

「構いません。どの道、向こうは長期戦覚悟の任務です。一朝一夕で片づけられないなら、優先度の高い方を先に片づけましょう」

 

 局長は男にソファに腰掛けるよう促すと、机の上に置いてあった資料を手渡した。

 

「かねてから懸念されていた事だ。イ・ウーの崩壊により、その残党達が世界各地に散らばり活動を始めている。いずれ、戦いが本格化する前に、奴らが自分達の陣営強化に走る事は予想されていたからな」

「そして、まず動き出したのが、こいつらですか」

 

 男はサングラス越しに資料を眺めながら答える。

 

 持っている資料に書かれているのは、香港に拠点を置く「藍幇(ランパン)」と呼ばれる組織に関わる物だった。

 

 イ・ウーとも取引があり、構成員の一部が「入学」していた事もあった。

 

 その藍幇の構成員が密かに日本へ入国し、この京都に入ったという情報を掴んだのだ。

 

「君にわざわざ戻ってもらったのは、他でもない。この件への対処をお願いしたいからだ」

 

 京都武偵局の中でナンバー1の実力を誇る男ならば、たとえ相手がイ・ウーの残党であっても対抗は可能であると考えての人事だった。

 

 逆を言えば、この男以外で、藍幇の構成員に対抗できる戦力は、京都武偵局には存在しない。

 

「了解しました」

 

 短い言葉と共に、男は立ち上がる。

 

 その全身からにじみ出る殺気、そして圧倒的な存在感。

 

 男が「京都武偵局の切り札」と呼ばれるにふさわしい実力者である事は、それだけで説明不要だった。

 

 

 

 

 

 見学を終え鹿苑寺を出た所で、友哉達は外で待っていた陣と合流した。

 

 結局、係員の説得は出来なかったらしい。それどころか、危うく警察まで呼ばれそうになったらしい。どうにか武偵手帳を見せて納得してもらったものの、結局中には入れなかったのだ。

 

「まったく、どうかしてるぜ。あの石頭」

 

 ぼさぼさ頭をがりがりと掻きながら、陣はぼやく。

 

 何しろ友哉達が入場している1時間以上の間、ずっと外で待っている羽目になったのだから、仕方がない事である。

 

 そんな陣の様子に友哉と茉莉は、顔を見合わせて苦笑するしかない。

 

「まあまあ、ちゃんと後で資料はあげるし、レポート書くのも手伝ってあげるから」

「マジか、じゃあ後でデータ渡すから、宜しく頼むぜ!!」

「いや、あくまで手伝うんであって、代わりにやってあげる訳じゃないからね」

 

 調子に乗ろうとする陣に、釘をさす友哉。

 

 そんな少年達の様子を、クスクスと笑いながら彩が見ていた。

 

「それじゃあ、友哉、あたし達行くけど、どうせあんた達も、今夜は葵屋に泊るんでしょ」

「うん、そのつもり」

 

 瑠香の実家である葵屋ならば、身内割引きで宿泊料を安くしてくれる。その浮いた分を遊興費に使おうという計画だった。

 

「あたしらも、葵屋を予約してるから。宿で会おうね」

 

 そう言うと、彩は待っている夫と子供たちの方へと歩いていった。

 

「良いお姉さんですね」

 

 親子3人で歩いていく彩の背中を見送りながら、茉莉は言った。

 

 どうやら彩は、茉莉の事も気に入ったらしく、今夜は色々と話をしてみたいと言っていた。

 

 その状況を想像し、友哉は苦笑を洩らす。

 

 控えめな性格の茉莉が、割とハイテンションの彩のトークについていけるかどうかは分からないが、それなりに楽しそうな光景ではあった。

 

「さてと、そんじゃ、俺等も行くとするか」

 

 陣は大きく体を伸ばしながら言う。友哉達を待っている間手持無沙汰だったせいもあり、余計に疲れてしまった様子だ。

 

「そうだね、次は、えっと・・・・・・」

「清水寺ですね、ここからなら、バスで行きますから・・・・・・」

 

 茉莉が携帯電話でバス時間を検索していく。

 

 思わぬ出会いとアクシデントに見舞われ、予想外の滑り出しになった友哉達の修学旅行だが、これはこれで、一同にとっては楽しい範疇におさまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 清水寺の見学を終え、友哉達は3番目の目的地である鞍馬山へと向かっていた。

 

 鞍馬山は、古くから天狗の住む山として有名であり、彼の源平合戦きっての名将、源義経が幼少期を過ごし、武術と学問を学んだ事でも有名である。

 

 山門を潜り、長い石段を登って行くと、やがて本堂が見えて来る。

 

「なんつーか、辛気臭ェ場所だな」

 

 周囲を見回しながら、陣が率直な感想を漏らす。

 

 確かに、夕暮れが近い事もあって観光客の姿は少なく、かつ山寺である為か、静かな場所である。

 

「あの、相良君、一応お寺なんですから・・・・・・」

 

 静かなのは当たり前だろう、と窘める茉莉に、陣はそんなもんかね、と肩をすくめてみせる。

 

 そんな2人の様子を苦笑しつつ横目で見ながら、友哉はカメラ撮影を続けていく。

 

 鞍馬寺と言えば、思い出されるのはやはり源義経だろう。

 

 当時は遮那王と名乗っていた義経は、これから己に降りかかる運命を知らないまま、この寺で幼少期を過ごしていた。もしそのまま、義経が安寧の時の中で生きて行けたなら、それから起こる歴史は、きっと大きく様変わりしていた事だろう。恐らく、源氏と平氏のパワーバランスが逆転するような事も無かった筈だ。

 

 だが、時代のうねりは、義経が埋もれていく事を許さなかった。やがて彼は、歴史を動かす大きな戦いの舞台に躍り出る事になる。だが、それは同時に、彼のその後の悲劇を運命付けたと言って良かった。

 

 悲劇の名将、源義経。彼は歴史の表舞台に出られて満足だったのか、それとも、平和な内に埋没した方が良かったのか。

 

 現代を生きる友哉には、その判別は永遠にできそうになかった。

 

 と、

 

「あれ・・・・・・・?」

 

 ふと気が付けば、いつの間にか周囲に誰もいなくなっている事に気が付いた。

 

 茉莉や陣の姿も見えない。

 

「もうッ 2人とも、何処行っちゃったんだ?」

 

 見回しても、鬱蒼と茂る森があるだけ。木立のせいで視界もよく聞かない。

 

 耳を澄ませても、静寂が返ってくるだけだ。

 

 途方に暮れて溜息をつく。

 

「仕方がないな」

 

 はぐれて行動する訳にもいかない。そう思い、携帯電話を取り出した時。

 

 突然、視界の中を横切るように、大きなシャボン玉が風に流されて通り過ぎた。

 

 そして、目の前に来たとたんに破裂し、空中に虹を残して散っていく。

 

「・・・・・・おろ?」

 

 何故、こんな場所で、シャボン玉が飛んでいるのか。

 

 そう思った時。

 

「お前、今死んだネ」

 

 片言の日本語で声を掛けられ、振り返る。

 

 そこには、小柄な少女が、口元に笑みを浮かべて立っていた。ゆったりとした中国の民族衣装に身を包んでおり、長く伸ばした髪をツインテールにしている辺り、どこかアリアに似た外見をしている。

 

 だが、

 

 友哉は僅かに体を半身にずらし、少女と向かい合って対峙する。

 

 笑顔とは裏腹に、少女から発せられる殺気に気付いているのだ。

 

 それは、この静寂な寺院には似つかわしくない。あまりにもそぐわない物だった。

 

「・・・・・・君は、誰?」

 

 尋ねる友哉に少女は、口元の笑みを強くする。

 

(ウオ)、名前、ココ言うネ。覚えておくと良いよ、飛天の継承者」

「・・・・・・飛天の、継承者?」

 

 聞き慣れない単語で呼ばれ、友哉は当惑する。一体何の事を言っているのか。

 

 だが、飛天の継承者。つまり、飛天御剣流を蘇らせようとしている友哉は、そう言う意味で確かに「継承者」と言えなくもないが。

 

 だがなぜ、こんな小さな女の子から、そんな単語が出て来るのか。

 

 そんな友哉を前に、更に近付いて来るココ。

 

 次の瞬間、

 

 いきなり、ココは友哉の目の前まで距離を詰めていた。

 

 その動きに、友哉は思わず驚愕する。

 

『速い・・・いやッ』

 

 違う。

 

 スピードは思っている程には速くない。しかし、通常の動作から急激な動作に移る挙動が、あまりに「普通」過ぎた為、次の動きが読めなかったのだ。

 

 ココはそのまま、鋭い蹴りを友哉に向けて来る。

 

「クッ!?」

 

 その蹴りを、とっさに後退して回避する友哉。

 

 ココの蹴りは、友哉の頬を僅かに掠めていく。

 

「何をッ!?」

 

 相手の真意を問いただす間もなく、更にココは襲い掛かってくる。

 

 今度はゆったりとした袖口から、大振りの扇を取り出して構える。戦扇(バトルファン)と呼ばれる武装で、主に中国拳法などで使われる武器だ。古くは日本でも非殺傷系の武器として使われた。

 

 ココの持つそれは、恐らく鉄製。まともに食らえば骨折は免れないだろう。

 

 何故襲われてるのか、この、ココと名乗る少女はいったい何者なのか。状況が全く掴めないまま、静寂の鞍馬山は戦場と化していた。

 

『まずい・・・・・・』

 

 友哉は僅かな焦りと共に、ココとの間合いを測る。

 

 今の友哉は丸腰だ。逆刃刀は入口で預けてしまった。一応、防弾制服は着ているが、衝撃を殺す事ができないので、戦扇相手では、何の役にもたたない。

 

「キヒッ」

 

 戦扇を広げたココは、回転するような挙動で友哉に襲い掛かった。

 

 旋回しながら襲い掛かってくるココの戦扇。

 

 その軌道を見極め、腕を掴んで動きを封じるか。

 

 そう思った瞬間、一瞬、戦扇の縁が怪しく光ったのを、友哉は見逃さなかった。

 

「チッ!?」

 

 舌打ちしながら、友哉はココを捕まえる事を諦め、とっさに手を引く。

 

 振るわれた戦扇が、友哉の手首を掠めていく。

 

 と、

 

 戦扇に触れた瞬間、その箇所から僅かに血が噴き出した。

 

「ッ!?」

 

 舌打ちしつつ、出血箇所を手で押さえる友哉。

 

 一瞬見て思った通り、戦扇の縁は刃になっているようだ。下手に捕まえようとすると今のように切り裂かれていた事だろう。

 

「さて・・・・・・」

 

 どうするか?

 

 流れ出た血を舐め取りながら、友哉は次の行動を模索する。

 

 とにかく刀か、少なくともそれに代わる物が欲しい所だ。レキほどではないにしろ、徒手格闘の技能が弱い友哉が素手で戦える相手ではない。

 

 だが、相手はそれを待ってくれるほど甘くは無いようだ。

 

 再び戦扇を掲げ、斬り込んで来る。

 

 振るわれる鋭い攻撃は、まともに受ければ切り裂かれる事が判っている。

 

 対して友哉は、とっさに空中高く飛び上がった。

 

「逃がさないネッ!!」

 

 それを見て、ココもまた膝を撓めて跳躍、友哉を追って上昇して来る。

 

 逃げる友哉と、追うココが、距離を置きながら垂直に上昇する。

 

 だが、友哉の狙いは逃げる事ではない。

 

 ここは森の中。周囲には樹齢何千年と言う木々が立ち並んでいる。

 

 その木々から伸びる大きな枝を掴むと、逆上がりの要領で勢いを殺さず一回転、そのまま推進ベクトルを180度回転させて強制的に体勢を入れ替えると、尚も上昇して来るココに向けて、カウンター気味に蹴りかかった。

 

「ッ!?」

 

 ココが一瞬、目を見開くのが見える。

 

 そこへ、友哉の蹴りが入った。

 

 相対速度的に、回避が可能な速度ではない。

 

 友哉の足裏は、ココの小さな体に突き刺さった。

 

「どうだッ!?」

 

 渾身の手応えと共に、友哉はそのまま踏み抜く勢いでココを地面へと叩きつける。

 

 ややあって、着地する友哉。

 

 やったか?

 

 そう思った瞬間、

 

 シュルッと伸びた何かが、友哉の首に巻きついた。

 

「グッ!?」

 

 喉に感じる圧迫感。

 

 それが髪だと判った瞬間には、既に手遅れだった。

 

 ココは友哉の蹴りを、一瞬速く翳した戦扇で受け止め逸らしていた。

 

 そして着地の隙を突いて背後に回り、長い髪を使って首を締め上げたのだ。

 

 気道が締めあげられ、息が詰まる。

 

 はずそうともがくが、完全に首の皮膚に食い込んだ細い髪をはずす事は不可能に近い。

 

「これでリーチね」

 

 笑いを含んだココの声が聞こえる。

 

 直に酸素が行かなくなった脳は、強制的に活動を止められる。そうなったら終わりだ。

 

「ま・・・だ、まだッ」

 

 友哉はとっさに地面を蹴り、後方に大きく跳躍した。

 

 背後から首を絞められた場合、無理に外そうとするのは得策ではない。はずそうともがいている内に、酸素欠乏症で意識が落ちてしまうからだ。

 

 ならば、どうするか?

 

 答えは、締め上げている本人を直接攻撃する、である。拘束を直接解くのではなく、締めている力を緩めさせるのだ。

 

 友哉は勢いよく後方に跳躍する事で、背中に張り付いていたココを巨木の幹に叩きつけた。

 

「グアッ!?」

 

 カエルがつぶれるような声と共に、拘束が緩む。

 

 その一瞬の隙を突いて、友哉はココを引き剥がした。

 

「クッ・・・・・・」

 

 よろける足で距離を取りながら、大きく口を開けて酸素を取り込む。

 

 霞む視界の中で、ダメージを受けたココが、それでもダメージを無視して追撃を仕掛けて来るのが見える。

 

『まずい・・・早く、立て直さないと・・・・・・』

 

 朦朧とした意識の中でどうにか体を動かそうとするが、その意思とは裏腹に、膝に全く力が入らない。首締めの影響で酸素が足りず、体の機能が低下しているのだ。

 

 そんな友哉の目の前に、ココが立つ。

 

 やられるのか。

 

 そう思った瞬間、

 

 何かが、高速で飛来すると同時に、ココに鋭く襲い掛かった。

 

「阿ッ!?」

 

 その攻撃を回避しきれず、辛うじて受け止めながら後退するココ。

 

 友哉を守るように現われた長身の人物は、突進の勢いそのままに蹴りを繰り出し、ココを吹き飛ばしていた。

 

「ハッ」

 

 鋭く低い声と共に、疾風の如く駆け抜け、鞭のように撓る足が蹴りを繰り出す。

 

 それに対してココは、ダメージの残る体を引きずりながらも、辛うじて後退する事で回避する事に成功した。

 

「お前、誰ネ!?」

 

 尋ねるココに対し、男は静かに構えを取りながら返す。

 

「この場合、それは俺の言葉だ、藍幇の構成員。これ以上の狼藉は俺が許さん」

 

 サングラス越しに放たれる眼光が、容赦無くココを射抜く。

 

 その眼光に怯んだ訳ではないだろうが、ココは警戒の構えを解かないままゆっくりと後退して行く。

 

「仕方ない。今日の所は退いてやるネ」

 

 そう言うと、視線を男の背後で膝を突いている友哉に向けた。

 

「ヒムラユウヤ、お前、良いトコ30点。0点じゃないけど、まだまだ落第点ね」

 

 そう言うと、身を翻し、軽快な身のこなしで距離を取る。どうやら、そのまま後退するつもりのようだ。

 

(ウオ)はココ。万武(マンウー)のココ。ユウヤ、お前、後でもう一度、再試やる。その時は、もっと実力見せるネッ」

 

 そう言いながら、ココは坂道を飛び越えるように跳躍し、あっという間にその小柄な体は見えなくなってしまった。

 

 一体、何だったのか。突然現れたかと思うと、通り魔のように襲い掛かって来た。だが、ただの通りまでは無い事は、その言動から察しが付く。

 

 身のこなしや戦扇を使った戦い方など、明らかに戦いなれした者の動きだ。

 

 今回は素手だったが、果たして刀を持っていたとしても勝てるかどうか怪しかった。

 

 それにしても、

 

 友哉は目の前に立つ男に目を向け、そして笑顔を向けた。

 

「お久しぶりです」

「・・・・・・ああ」

 

 友哉の言葉に、男が短く答えた時だった。

 

「友哉さん!!」

 

 茉莉が呼ぶ声が聞こえ、振り返る。

 

 見れば、茉莉と陣が山頂の方から駆け降りて来るのが見えた。

 

「大丈夫か、友哉ッ!!」

 

 今まで何をしていたのかは知らないが、どうやら危機を察知して来てくれたらしい。

 

 そんな2人は、友哉の傍らに立つ男の存在に気が付き、足を止めて身構える。

 

「テメェ、何者だ!?」

 

 唸るような陣の声。

 

 茉莉もまた、いつでも動けるように身構えている。

 

 対して友哉は、頭をかきながら苦笑する。どうやら、完全に誤解されているらしい。

 

 一方の男は、静かに構えを解いたまま立ち尽くしている。ただ、その身から発せられる静かな存在感が、圧倒的な質量を持って、この場を支配している事が判る。

 

 まったく、

 

 無口なのは相変わらずのようだが、これでは周りの人間が苦労するのも無理は無い。

 

「・・・・・・そんな格好だから、いつも誤解されるんじゃないんですか?」

「・・・・・・そうか?」

 

 言いながら、男はサングラスを取る。

 

 その下から現われた鋭い眼差しが、改めて2人を見詰める。

 

 鋭く絞られた瞳は、相当な修羅場をくぐって来た事を感じさせるが、同時に深い色は思慮深さを感じさせる。

 

「友哉さん、その方とお知合いなんですか?」

「うん、まあね」

 

 驚いたような茉莉の言葉に、友哉は苦笑しながら頷いて見せる。

 

「この人は京都武偵局所属の武偵で、四乃森甲(しのもり こう)さん。瑠香のお兄さんだよ」

 

 その言葉に、陣と茉莉は目を丸くするしか無かった。

 

 

 

 

 

第3話「万武の武人」      終わり

 



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第4話「葵屋」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鞍馬山で、ココと名乗る謎の襲撃者に襲われた後、一同は甲の運転する車で、本日の宿泊先である葵屋へと移動していた。

 

 結局、あのココが何者なのかは判らず仕舞いであり、突然襲われた友哉としては、首をひねらざるを得ない結果となっていた。

 

 因みに、陣と茉莉は、友哉達が戦っていた場所よりも上の本堂付近で、観光客と思われる女の人に道を聞かれて話しこんでおり、駆けつけるのが遅れたと言う。

 

 甲の車の助手席に座りながら、友哉は考え込んでいる。

 

 どうも、状況ができ過ぎているように思える。

 

 突然の襲撃者と、それを計ったように現われた女性。まるでこちらを分断し、本命を叩きに来たかのような行動だ。

 

 その動きが、あまりにも似ているのだ。あの男のやり口に。

 

 《仕立屋》由比彰彦。

 

 友哉は、ジンワリと滲む汗が額を濡らすのを感じる。

 

 今回の件に、またあの男が一枚噛んでいるのか。いや、あの男でなくとも、仕立屋の誰かが関わっている可能性は充分にある。

 

 通常、仕立屋は自ら能動的に動く事は無い。主役となる誰かが存在し、その主役を引き立てる黒子となるのが、仕立屋のあり方だ。

 

 これまで、仕立屋が関わって来た事件全てに、その条件が当てはまる。

 

 峰・理子・リュパン4世が起こした武偵殺し事件では由比彰彦本人が、ジャンヌ・ダルク30世が起こした魔剣事件では瀬田茉莉が、シャーロック・ホームズ1世との決戦では、由比彰彦と杉村義人が影で動き、戦いに必要な舞台を作り上げて来た。

 

 ならば、今回の主役は、あのココと名乗った少女、と言う事になる。

 

「緋村、藍幇(らんぱん)と言う組織を知っているか?」

 

 甲が車を運転しながら、友哉に話しかけて来た為、思考はそこで中断した。

 

「藍幇・・・・・・いや、聞いた事無いですね」

 

 発音からして、大陸系の組織か何かと推察できるが、ちょっと記憶になかった。

 

 そんな友哉に代わって口を開いたのは、後部座席に座る茉莉だった。

 

「香港に拠点を置く組織ですね。イ・ウーにも、藍幇からの出向者が何人かいました」

「そうだ。さっき、お前を襲った女は、その藍幇の構成員だ」

 

 イ・ウーに出向者がいた、と言う事はつまり、彼女もイ・ウーの残党と言う事になる。

 

 そこから考えれば、

 

「つまり、彼女が僕を襲った理由は、イ・ウー壊滅に対する復讐、と言う事ですか?」

 

 友哉もまた、イ・ウーの壊滅に大きく関わった1人。敵将シャーロック討伐の際には、キンジと共に剣を交えた者だ。

 

 それ故に、イ・ウーの残党から恨まれていたとしても不思議は無い。

 

 だが、

 

「いや、そうじゃないな」

 

 甲は、友哉の考えを否定した。そこに、茉莉も同意を兼ねて補足する。

 

「友哉さん。イ・ウーが無くなったからと言って、その残党の中で友哉さんや遠山君を恨んでいる人は殆どいないと思います」

 

 公安0課の斎藤一馬が以前言っていたが、イ・ウーは一種の学習機関であり、自身の能力を高める事を目的としている。そこでは誰もが教師であり、誰もが生徒となる。あのシャーロックでさえ、その枠に当てはまる。

 

 全てが自らの向上心と栄達心の為に存在する組織。

 

 逆を言えば、イ・ウー構成員に仲間意識や帰属意識などは存在しない。その組織が崩壊したところで、友哉達を恨む人間は少ない、と言う訳である。

 

「むしろ、崩壊させた事、それ自体が問題だった」

「どういう事だよ?」

 

 僅かに不機嫌な声を滲ませて、陣が尋ねる。

 

 あの戦いには陣も参加して、激しい死闘の渦中にいた1人である。その戦いが間違いだった、と言う風な事を言われれば、穏やかでいられる筈も無かった。

 

「イ・ウーは確かに強大な組織だったが、それ自体は単一に過ぎなかった。だが、お前等がイ・ウーを倒し、その残党が世界中に散らばった事で、それまで一致協力してイ・ウー警戒網を構築していた各国政府は、それぞれがバラバラに、自分達にとって最も危険度の高い組織に当たらなければならなくなった」

 

 そこで友哉は、甲の言わんとする事が理解できた。

 

 つまり、それまではイ・ウーと言う大火一つを警戒していればよかったのだが、それが細かく散って飛び火したせいで、あちこちの消火に追われる羽目になった訳だ。

 

 1匹の象と100万匹の蟻。どちらが殺すのに困難かと言えば、断然、後者である。

 

「でも、それと、今回の襲撃と、どう関係してるんですか?」

 

 そこが判らなかった。復讐目的の襲撃でないとしたら、いったいなぜ、このような事態になったのか。

 

 甲は僅かに友哉に視線を向けた後、再び前を見ながら答えた。

 

「イ・ウーの崩壊後、各組織は自陣営の強化に乗り出している。藍幇もその一つだ」

「陣営の強化って、一体何のために?」

「それは判らん。だが、何かの前触れである事は間違いない」

 

 陣営の強化と一口で言っても、それは簡単な事ではない。金も掛かれば手間もかかる。例えば、1人の兵士を養うにしても、その人物の食事代や生活費、養成費用などで莫大な出費となる。

 

 組織運用も楽ではないのだ。

 

「まるで、戦争でも始めるみたいですね」

 

 茉莉が言った言葉に、友哉は考え込む。

 

 確かに、戦争を始めるのだとしたら、陣営強化の辻褄も合う。つまり、各組織は、やがて起こる戦争を予期し、それに勝ち抜く為に準備を進めているのだ。

 

「お前を襲った藍幇の女は、恐らく目を着けた人材を見極め、拉致する為の要員だったのだろう」

「なるほど、だから・・・・・・」

 

 再試だの30点だの、何の事を言っているのかさっぱり判らなかったが、これでハッキリした事がある。

 

 だが、この予想が正しければ、やがて大きな戦争が起こる事になる。

 

「何れにせよ、奴等の言葉通りなら、あの女は再びお前の前に現われるだろう。油断しない事だ」

「そうですね」

 

 そう言葉を交わす頃、目的地である葵屋の灯が見えて来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 葵屋は創業300年近い、江戸時代から続く老舗の旅館である。

 

 近年、バブルの混乱期に、瑠香や甲の祖父が手堅い商売を続けたおかげで、順調に業績を伸ばし続け、現在では雑誌にも掲載される程の有名になっていた。

 

 江戸時代さながらの雰囲気を残しつつも、内装の近代化がおこなわれ、京都で人気の旅館となっていた。

 

 その葵屋の正面に車を付けた甲は、友哉達が荷物を下ろすのを確認してから、窓を開けて助手席に身を乗り出した。

 

「藍幇に関しては、俺の方でも探ってみる。何か判ったら、お前達にも連絡を入れる」

「え?」

 

 甲の言葉に、友哉は少し驚いたように問い返した。てっきり、このまま実家に顔くらい出して行くと思っていたのだが。

 

 そんな友哉の思考を読んだのか、甲はサングラス越しにフッと笑って言った。

 

「今は、そんな事をしている時じゃないからな。落ち着いたら寄らせてもらうさ」

 

 そう告げる甲は、何かを思い出したように僅かに細め、睨むように友哉を見る。

 

「緋村、お前もいい加減、あの事は忘れたらどうだ?」

「ッ!?」

 

 甲の突然の言葉に、友哉は思わず息を飲んだ。

 

 甲が何を言わんとしているのか、友哉にはそれが理解できている。

 

 それは友哉にとって、忘れたくても忘れられない忌まわしい記憶であった。

 

「じゃあ、またな」

 

 そう言うと、車をスタートさせ去って行った。

 

 走り去る車を見送ってから、友哉は葵屋の建物を振りかえった。

 

 ここに来るのは、もう3年ぶりになる。

 

 そう、3年前。

 

 友哉はそっと、目を伏せる。

 

 「あの事件」があった年、友哉はこの京都に来て、葵屋に泊った。幼馴染の瑠香と一緒に遊べる事を楽しみにして、わざわざ東京から新幹線で来たのだ。

 

 だが、それがあんな事になるとは・・・・・・

 

「おい、友哉」

「おろ・・・・・・」

 

 陣に声を掛けられ、友哉は我に返った。

 

「何やってんだよ、ボウッとして。入らねえのか?」

「疲れてるんですよ。早く入って休みましょう」

 

 声を掛けてくれる2人に、友哉はニッコリと笑みを返す。

 

「そうだね。入ろうか」

 

 そう言うと、2人の前に立って歩き出す。

 

 何れにせよ、もう終わった事件だ。気にするような事じゃない。

 

 暖簾をよけ、自動ドアを潜り、中へと入る。

 

 床感圧式の自動呼び鈴が鳴る。

 

 内部は純和風の構造をしており、上がり框で靴を脱いで上がるようになっている。

 

 1階は大浴場や宴会場、調理場、スタッフルームなどがあり、2階3階が客室となっている。

 

「いらっしゃいませー」

 

 呼び鈴が聞こえたのだろう。奥から浅黄色の従業員用の着物を着た、仲居さんが出て来た。

 

 仲居さんは上がり框の上で正座し、深々と頭を下げる。

 

「3名様で予約の緋村様ですね。お待ちしていました」

 

 そして、顔を上げる仲居さん。

 

 次の瞬間、

 

 友哉達は思わず絶句した。

 

 何と顔を上げた仲居さんは、

 

 友哉の戦妹、四乃森瑠香だったのだから。

 

「る、るる、瑠香ァ!?」

 

 瑠香は今、東京の武偵校で留守番している筈だ。そもそも1年生なのだから、修学旅行Ⅰに参加できる筈がない。

 

 別人か、と一瞬思ったが、流石に幼馴染の顔を見間違えるほどアホではないつもりだ。

 

「もう、3人とも遅いよ。待ちくたびれちゃったじゃない」

 

 やれやれとばかりに首を振る瑠香に、友哉は詰め寄る。

 

「な、何でここにいるの!?」

「何でここにって、友哉君。ここ、あたしの家だよ。いちゃ悪いの?」

「そう言う事言ってるんじゃない!!」

 

 東京にいる筈の人間が、どうして京都にいるのか尋ねているのだ。

 

「まあ、所謂、長距離任務ってやつ? 武偵校のホームページから京都でできる任務を探してさ、あとは今朝、友哉君達が出発した後に、あたしも寮を出たってわけ。羽田から飛行機使ってこっち来たから、みんなよりも先に着いたんじゃないかな?」

 

 確かに、認可されれば授業を免除されて任務を優先する事もできるのが武偵校と言う場所である。

 

 しかし、だからと言って、東京武偵校の人間が京都で任務を請け負うなど、無茶苦茶にも程があった。

 

「だって・・・・・・」

 

 少し口をとがらせて、瑠香は視線を逸らす。

 

「寂しかったんだもん。みんなが3日間も京都行ってるのに、あたしだけ東京で待ってるなんてさ」

「瑠香・・・・・・」

 

 瑠香の言葉に、友哉は言葉を詰まらせる。

 

 確かに、瑠香の気持ちも判らないではない。瑠香はその性格故に、1年生にも友達は多いが、基本的に友哉や茉莉と一緒にいる事が多い。その為、どうしても行動が友哉達を中心にした物になりがちだった。

 

「友哉さん、良いじゃないですか」

「茉莉・・・・・・」

「瑠香さんだって、私達の仲間です。1人だけ仲間外れにするのは可哀そうです」

 

 茉莉の言いたい事は判る。友哉だって、それと同じ気持ちだ。それに、正式な手続きを踏んで長距離任務を請け負って来たと言うなら、たとえ戦兄であってもとやかく言ういわれは無い。

 

「茉莉ちゃん!!」

「キャッ!?」

 

 突然、瑠香はダイビングするような勢いで茉莉に抱きついた。

 

「茉莉ちゃぁん、愛してるよ~」

「・・・・・・友哉さん」

 

 胸元に顔をうずめる瑠香を抱きとめながら、茉莉は視線を友哉に向けて来る。それは、瑠香の同行を許可してあげて欲しい、と言うサインであった。

 

「・・・・・・仕方ないね」

「やったー!!」

 

 友哉の言葉を聞いて、飛び上がる瑠香。

 

 その様子に、苦笑を洩らすしかない。

 

 そこへ、奥の方から、もう1人女性が出て来た。

 

「ほら瑠香、何してんだい。玄関先で騒いでたら、他のお客さんに迷惑だろ」

 

 少しぶっきらぼうながらも、顔に苦笑を浮かべた女性は、友哉の知り合いでもある。

 

「おや、友哉君。お久しぶりだね」

「はい、御無沙汰してます」

 

 女性は、瑠香や甲の母親で、四乃森弥生。この葵屋の女将を務めている。

 

「積もる話もあるだろうけど、取り敢えず部屋に行ってからにしなよ。疲れただろ」

「はい、お願いします」

 

 そう言うと、勝手知ったる幼馴染の家に、友哉は靴を脱いで上がり込んだ。

 

 

 

 

 

「え、お兄ちゃんに会ったの?」

 

 部屋でくつろぎながら、瑠香が驚いた声で尋ねる。

 

 ちなみに彼女、自分が請け負った依頼は昼の内にさっさと片付け、あとは葵屋で友哉達が来るのをずっと待っていたらしい。

 

 その頑張りを認めてくれたのか、弥生も娘が友哉達と一緒にいるのを許可してくれている。

 

 旅館の女将として、娘の事を優しくも厳しく育てて来た弥生にしては珍しい話である。

 

「うん、危ないトコを助けてもらったよ」

 

 あのまま戦っていたら、友哉はあのココと言う少女にやられていた可能性が高い。

 

 ちなみに武偵校では、自分よりも年下の相手に負ける事を「下負け」と言い、かなり不名誉なこととされている。逆に上級生に勝つ「上勝ち」は、1度するだけでも名誉なことであり、周囲からは雨霰と絶賛される。

 

 同時に年下と引き分ける「下分け」もあり、こちらも不名誉な事である。

 

 今回の友哉は甲の介入でココが退いた為、下負けなのか下分けなのか微妙な所だが、どちらにしても不名誉には違いない。

 

「お兄ちゃんもたまには帰って来れば良いのに。お母さんもお父さんも、いっつも電話でぼやいてるんだよ」

「まあ、甲さんは典型的な仕事人間だからね」

 

 瑠香のぼやきに、友哉は苦笑する。

 

 当初、弥生や、瑠香の父、勇人は、甲が接客業を勉強して、旅館を継いでくれる事を願っていた。

 

 しかし、そんな両親の意思に反して、甲は武偵養成校に入学し、今や日本でも10指に入るとまで言われるSランク武偵になっていた。

 

「新しい戦いは、多分、もう始まっている」

 

 友哉は部屋にいる、瑠香、陣、茉莉を見渡しながら言う。

 

「次の敵は藍幇。相手は僕達よりも年下の少女だけど、侮る事はできない。敵がどんな手を使ってくるかは判らないけど、みんなも油断しないように。良いね」

 

 友哉の言葉に、一同は緊張の面持ちで頷く。

 

 イ・ウー戦以来の激闘が始まる予感が、一同の胸に去来していた。

 

 その時、

 

「失礼します」

 

 部屋の入口の戸が開いて、壮年の男性が入って来た。背の低い、愛嬌のある男性で、どこか、人の良い好々爺然とした雰囲気がある男性である。

 

「お嬢さん、緋村さん、お風呂の支度ができました。お食事の前に入られますか?」

「あ、柏崎さん。それでお願いします」

 

 友哉が答えた男性は、柏崎弘志と言い、長年この葵屋で従業員をしている男である。当然、友哉とも幼いころから面識がある。

 

「いや、しかし、お久しぶりですね、緋村さん」

「すっかりご無沙汰になってすみません。柏崎さんも、お変わりないようで」

「いえいえ、ここの所、どうにも体が前ほど動けなくなってきてる気がするんですよ。私も歳ですね」

「またまた」

 

 そう言って、お互いに笑いあう友哉と弘志。

 

 そこでふと、弘志はある事を思い出して話題を変えた。

 

「そうそう、明神さんのご家族も、先程到着されましたよ。後で皆さんとご一緒したいとの事でした」

「あ、姉さん達も来たんだ」

 

 今朝、金閣寺で会った彩達も、どうやら到着したらしい。

 

 これは、今夜は騒がしい事になりそうだった。

 

「そんじゃ、まずは、お風呂に入ってこよう!!」

 

 なぜか、一番テンションの高い瑠香が、拳を突き上げながら宣言する。

 

 こうして、京都に来て1日目の夜を迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 葵屋の風呂は、大浴場と露天風呂からなっており、その広い風呂と、岩で作られた露天風呂も売りの一つとなっている。

 

 ただ、温泉地に立地している訳ではないので、湯は毎回沸かしているのだが。

 

 今はシーズンから外れている事もあり、利用客は少なく、ほぼ貸し切りに近い状態だった。

 

「大きいですね~」

「へへ、良いでしょ。自慢って程じゃないんだけどね~」

 

 湯煙で煙る大浴場の前に立ちながら、感嘆の声を上げる茉莉に、瑠香は自慢げに言う。

 

 勿論、2人とも一糸纏わぬ、生まれたままの姿になっている。

 

 普段は制服に隠している、発展途上の肢体は湯煙の中で鮮やかに浮かび上がっている。

 

「あ、茉莉ちゃん、背中流してあげるよ」

 

 武偵校の寮でも、2人は一緒に風呂に入る事が多い。場所が変わるだけで、その行動に大きな変化がある訳ではなかった。

 

 タオルにボディソープを付けて背後に回ると、瑠香の目には茉莉の背中が見える。

 

 ほっそりしたうなじ、翼を宿したような白い背中、そして小さなお尻にかけてのラインが、若干の妖艶さを持って瑠香の前に晒される。

 

 瑠香と茉莉の体格は似通っている。瑠香は高1女子としては取りたてて体が大きいと言う訳でもないので、茉莉の方が、高校2年生としてはやや小柄、と言う事になる。

 

 そんな茉莉の体に、瑠香はそっとタオルを当てた。

 

「んッ」

 

 石鹸の冷たさに、僅かに声を上げる茉莉。

 

 そんな様子に、瑠香は僅かにゾクッと体の毛が逆立つのを感じた。

 

「相変わらず、茉莉ちゃんって感じ易い体してるよね」

「そ、そんな事は・・・・・・」

 

 慌てて否定しようとする茉莉。

 

 しかし、状況のイニシアチブは、今や瑠香が握っている。

 

「へえ、じゃあ、こんなのはどうかな?」

 

 瑠香は強すぎず弱すぎず、絶妙の力加減で茉莉の背中を擦って行く。

 

「あ、あんッ」

 

 その絶妙な擦り方に、思わず声を上げてしまう茉莉。

 

「ほれほれ、良いのんか? ここが良いのんか?」

「ちょ、瑠香さ、やめッ、あ、うんッ!?」

 

 言葉を発する前に、快感が波となって押し寄せる。

 

 白く煙る浴場で、暫く少女の嬌声が鳴り響くのだった。

 

 

 

 

 

 それから暫く

 

 

 

 

 

 風呂に入り終えた茉莉は、脱衣所で着替えをしながら、そっぽを向いていた。

 

 セミロングの髪はタオルで纏めて邪魔にならないようにし、そのしなやかな肢体は、揃いの水玉模様の可愛らしいブラとパンティのみを身につけている。その顔は、湯上がり以外の要因で赤く染まっている。

 

 そんな茉莉の横で、瑠香は苦笑しながら宥めている。こちらも上下白の下着姿だが、縁どりに黒いフリルが入り、布面積も少し小さく、やや大人っぽい雰囲気が強調されている。

 

 結局あの後、茉莉は終始この状態だった為、流石の瑠香も、ちょっとやり過ぎたかな、と反省していた。

 

「もう、機嫌直してよ、茉莉ちゃん」

「知りません」

 

 完全に臍を曲げた茉莉は、頬をプーッと膨らませる。

 

「瑠香さん、お風呂の度にアレやるんですから。少しは私の身にもなってください」

「だから、ごめんってば」

 

 ジト目で睨む茉莉に、瑠香はばつが悪そうに頬を掻く。

 

 実際、瑠香からすれば、茉莉のこんな反応も含めて可愛いと思っている為、ついつい悪戯してしまう、というのが本音である。よくある、「好きな子を苛めて喜ぶタイプ」だった。

 

 それが判っているだけに、茉莉も溜息交じりに言う。

 

「反省してくださいね」

「したした、もう、バッチリしたよ!!」

 

 言いながら、茉莉の首に飛びつく瑠香。

 

 そんな瑠香には、茉莉も苦笑するしか無かった。

 

 その時、ガラガラと戸が開いて、浴衣姿の女性が脱衣所に入って来た。

 

「こら、アンタ達。ちょっと騒ぎ過ぎ。外まで声聞こえてたわよ」

 

 そう言ったのは、明神彩だった。瑠香は勿論、既に茉莉とも面識がある彼女は、その気さくな性格から、気兼ねなく話しかけて来た。

 

「あ、彩さん。早かったね」

「ご飯の前にお風呂に入りたくてね。あっちゃんは弥生さんに預けて来た」

 

 2人もの子供を育てた弥生なら、赤ん坊の扱いにも慣れている筈。敦志を預けても問題無いだろう。

 

 彩はシュルッと帯を解き、着ている浴衣をはだける。

 

 流石は大人の女性と言うべきか、少女2人と違い、彩の肢体は成熟した大人の艶やかさを醸し出している

 

 だが、

 

「おっと・・・・・・」

 

 手ぬぐいを左手で取ろうとして、彩は手を滑らせて落としてしまった。

 

「どうぞ」

「あ、ごめんね。ありがと」

 

 足元に落ちた手ぬぐいを拾った時、茉莉はそれを見てしまった。

 

 彩の左肩から胸元にかけて、無惨な傷跡が残っている。特に左肩関節から首筋にかけての部分は無惨にひしゃげた跡があり、一目で複雑骨折が治癒した跡だと判った。

 

 ここ最近の傷ではない。負ってからもう何年も経過し、表面上は塞がっている傷だ。

 

 チラッと瑠香に視線を向けると、いたたまれない風に顔を伏せているのが見えた。

 

 そんな少女達の様子に気づかないまま、彩は上機嫌で体を流していた。

 

「そんじゃ、あたしはお風呂入るから。また後でね」

 

 そう言うと、彩は長い髪を揺らして浴場へ入って行く。

 

 後には、立ち尽くす2人の少女が残された。

 

「瑠香さん・・・、彩さんの、あの傷は・・・・・・」

 

 ややあって、茉莉が尋ねた。

 

 あの傷は、ただの事故でついた物ではない。明らかに、鈍器のような物で殴られてできたものだ。

 

「・・・・・・流石に、茉莉ちゃんも気付くよね」

 

 少し言い難そうに、瑠香は口を開いた。

 

「彩さん、ね。昔、武偵やってたんだ」

「それは・・・・・・」

 

 薄々感づいていた。あの金閣寺での立ち回りが、何より雄弁に語っている。

 

 だが、昔、と言う事は、即ち今は引退してしまっている事を意味している。

 

「あの傷は、その頃に負った傷なんだ。あれのせいで、彩さんは武偵をやめなくちゃいけなくなったの」

「・・・・・・そうだったんですか」

 

 無理も無い。あれだけの傷だ。恐らく今も左腕が思うように動かないであろう事は容易に想像できる。たぶん、さっき手ぬぐいを取り落としたのも、そのせいだろう。

 

 だが、次に瑠香が言った言葉は、茉莉の予想していなかった物だ。

 

「・・・・・・あの傷を彩さんに負わせたのはね、友哉君なんだよ」

 

 

 

 

 

 風呂上がりに浴衣に着替えた友哉は、長い渡り廊下を歩きながら、明日以降の計画を頭に思い浮かべていた。

 

 今日一日で、学校から出されたノルマは達成した。更に予想外の事とは言え、瑠香も合流する事ができた。ならば、明日からは思いっきり羽を伸ばすに限る。

 

 当初計画していた通り、京都の名所巡りをするのも良いし、買い物に出るのも良い。

 

『買い物に行くんだったら、大阪に繰り出すのも良いかな。あ、でもそれじゃあ、ちょっと時間が足りないかな』

 

 明日一日自由にできるとなると、やりたい事は尽きない。3日目は移動の事も考えなければならない為、それほど遊んでいる時間は無い。やはり、遊ぶなら明日だろう。

 

 そう思っていると、渡り廊下の向こうから女性が歩いて来るのが見えた。

 

 髪の長いその女性は、葵屋の浴衣を着ており、泊り客である事が窺える。

 

 今日は止まり客があまりいないとの事だったが、彼女もその1人なのだろう。

 

 そんな事を考えていると、友哉と女性はすれ違う。

 

 と、

 

「首は、もう大丈夫なのかしら?」

「ッ!?」

 

 突然声を掛けられ、友哉は思わず足を止めた。

 

 振り返れば、女性は背中越しに話しかけて来ていた。

 

「でもさ、あんまり浮かれてばかりだと、その首、いつか取られちゃうよ」

「あなたは、誰です?」

 

 緊張をはらむ友哉の声。

 

 ここでその話題を出す、と言う事は、この女はココの仲間である可能性が高い。

 

「さあ、誰でしょうね。何れにせよ、死神の刃は、気付いた時には振り下ろされているものよ。せいぜい、気をつけなさい」

 

 そう言うと、女性は友哉に背を向けて去っていく。

 

 後には、立ち尽くす友哉が、女性の去った方向を眺めているだけだった。

 

 

 

 

 

第4話「葵屋」      終わり

 



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第5話「闇夜の救難信号」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 心づくしの京料理による夕飯を終えた後、友哉達は明神一家を交えて、団欒していた。

 

 予想通りと言うべきか、彩の気さくな性格は、茉莉ともすぐに打ち解け、女子同士で花を咲かせている一方で、友哉は、陣や準一など、男同士で話が盛り上がっている。

 

 準一は武偵庁の事務職員である為、鉄火場に出る事は無いが、それでも何人ものプロ武偵と交友がある。彼等から聞いたと言う話を友哉達にも聞かせてくれていた。

 

 プロを目指している友哉達だが、それでも現役の武偵達に比べればまだまだ巣立つ前の雛鳥みたいなものだ。そうして話を聞く事で、心を躍らせると共に、自分達の進むべき進路に明確な方向性を持たせる事もできる。

 

 一方で、女性陣からは、何やら黄色い声が聞こえて来る。

 

「ああ、敦志君可愛い。お顔とかプニプニしてるよ~」

 

 瑠香は寝ている彩の息子、敦志の頬を突いてご満悦といった表情を浮かべている。

 

 敦志は比較的寝つきが良い方なのか、多少の刺激を加えても起きる気配がない。

 

「いいないいな~、ねえ、彩さん。この子、あたしにちょうだ~い」

「へへ~、良いでしょ。でもあげな~い」

「え~、けち~」

 

 冗談のような掛け合いをしながら、瑠香と彩が談笑している。

 

 その様子を眺めながら、茉莉は先程、脱衣所で瑠香とした話を思い出していた。

 

『・・・・・・あの傷を彩さんに負わせたのはね、友哉君なんだよ』

『・・・・・・え?』

 

 瑠香の言葉に、茉莉は一瞬、聞き間違いをしたかと思った。

 

 友哉と彩は従姉弟同士。しかも、金閣寺でのやり取りを見る限り、決して仲が悪いようには見えなかった。

 

 そんな友哉がなぜ、彩に再起不能の傷を負わせる事態になったのか。

 

『・・・・・・あたしね』

 

 戸惑いと共に考え込む茉莉に対し、瑠香は遠い記憶を呼び起こすように語り始めた。

 

『誘拐された事があるの、中学生の頃』

『え・・・・・・・・・・・・』

 

 衝撃が、茉莉の中を駆け巡った。

 

 普段、明るくふるまっているこの少女に、そんな過去があるとは思いもよらなかったのだ。

 

 瑠香は話を続ける。

 

『犯人は、その頃話題になっていた、連続少女誘拐殺人犯だった』

 

 それは凄惨な事件だった。

 

 当時、近畿一帯を荒らすように犯行を繰り返した犯人は、警察に追われ京都に潜伏していた。

 

 ちょうどその時は夏休みであったが、瑠香は持ち前の運動神経を活かして部活の助っ人を行っていた為、朝から学校に行っていた。特にその日は、弱小の女子野球部の助っ人だった為、練習も念入りに行われたのを覚えている。

 

 犯行は、学校からの帰りに行われた。

 

 家まであと少しと言う所で背後から襲われ、何かの薬を嗅がされた瑠香は、そのまま気を失い連れ去られてしまったのだ。

 

 事は、夜になっても瑠香が返ってこない事を不審に思った両親が、捜索届を出した事で発覚した。

 

 犯人は既に、6人の少女を誘拐し、その全員が暴行を受けた上、無惨な姿となって発見されていた事から、瑠香の発見、救助には緊急を要するという判断が成された。

 

『それじゃあ、瑠香さん、あなたは、まさか・・・・・・』

『ああ、大丈夫大丈夫』

 

 誘拐犯から、女として、筆舌に尽くしがたい行為を受けたのではと心配になった茉莉を、瑠香は笑い飛ばした。

 

『だって、あたしはその前に救出されたから』

 

 瑠香の両親は、警察だけでは埒が明かないと判断し、京都武偵局にも捜査を依頼した。

 

 そして、派遣されて来た武偵は2人。

 

『それが、うちのお兄ちゃんと、その時、オフで観光に来ていた彩さんだったの』

 

 だが、実際に瑠香を救出したのは、2人ではなかった。

 

 いち早く誘拐犯の行動を割り出し、監禁場所に踏み込んだのは、彩の助手をしていた、当時14歳の友哉だった。

 

 悲劇は、そこで起こった。

 

 友哉が踏み込んだのは、誘拐犯が瑠香に暴行を加えようとする、正に直前だったのだ。

 

 その瞬間、友哉の中に眠っている、『何か』が目覚めた。

 

 縛られて転がされていた瑠香が目を覚ました時見た物は、木刀を手に冷たい瞳で立ち尽くす友哉と、その足元で襤褸布のようになって転がる誘拐犯の姿だった。

 

 僅か14歳の少年が、大の大人を木刀で殴り殺す寸前までいっていたのだ。

 

 しかも、友哉の狂気は、それのみでは収まらなかった。

 

 殆ど我を忘れているに等しかった友哉は、遅れて突入して来た甲と彩にも牙を剥いたのだ。

 

 当時、既にSランク武偵として活躍していた2人だったが、それでも、我を失った友哉を止めるには足りなかった。

 

 結果、事件は1人の死者も出さずに終息させる事が出来た物の、残された傷跡は深かった。

 

 誘拐犯は、正しく「辛うじて」息がある状態であり、どのような蘇生措置を施しても意識が回復する事はなく、今も植物状態のまま、どこかの警察病院に収容されているという。

 

 そして、辛うじて友哉を止める事はできたものの、結果、彩は左肩に一生治らない傷を残し、そして武偵として戦う力も失ってしまった。

 

 あまりにも凄惨すぎる過去の事件に、茉莉は暫く二の句が告げられなかった。

 

「茉莉ちゃん?」

「え・・・・・・」

 

 いつの間にか黙り込んでいた茉莉を不審に思い、彩が話しかけていた。

 

「どうかした? 具合でも悪いんじゃ、」

「い、いえ、そんな事ないです。大丈夫ですよ」

 

 そう言って、慌てたように微笑を浮かべる。

 

 この明るい女性の未来を、友哉が奪った。

 

 それは、あまりにも現実離れしていて、すぐには茉莉には理解出来なかった。

 

 と、

 

「えいッ」

「ふわッ!?」

 

 いきなり背後から瑠香に抱きつかれ、茉莉は思わず前のめりに倒れそうになった。

 

「折角の旅行なんだから、暗い顔しなーいッ」

 

 そう言うと、瑠香は茉莉の体を、ギューッと抱きしめて放そうとしない。

 

 彩はじゃれ合う2人の様子を、微笑みながら見つめる。

 

「あんた達、ほんと仲良いわね」

「もう、ラブラブだよ」

「いえ、そんな・・・・・・」

 

 ノリノリの瑠香に対して、茉莉は顔を赤くしながら口ごもっている。

 

 そんな女性陣の様子を、友哉、陣、準一の男性陣は、飲み物やつまみを片手に微笑ましく眺めていた。

 

「しっかし、あれだな」

 

 豪快につまみを頬張りながら、陣が苦笑気味に口を開く。

 

「女3人寄れば姦しいってのは、ありゃ本当の事だな」

 

 尚も騒ぎが大きくなっていく女性陣を見ていれば、その考えには頷ける物がある。

 

 だが、1人年長者の準一は、陣の考えを否定した。

 

「甘いな、陣君」

 

 その瞳は、何やらキラーンと輝いた。ような気がした。

 

「へ?」

「女性の声とは、それすなわち、妙なるBGMなんだよ。それは極上の子守唄にも勝る、至高の調さ。それを毎日のように聞く事が出来るんだから、結婚って言うのは本当にいいものだよ」

 

 何やら熱弁し始めた準一。

 

 そう言えば、子供の頃から剣道やっていた関係で彩は、よく通る澄んだ声をしている。

 

 元々声が高い事もあり、ある意味、ソプラノ歌手の歌声を聞いているような感覚になる。

 

「だがよ~」

 

 陣は尚も納得いかないと言った感じに、反対意見を口にする。

 

「その声を出してるのは、彩の姉さんはともかく、あの残念胸2人だぜ。おりゃ、女はもっとバインバインの方がこの・・・・・・」

 

 ガッッシャーン

 

 陣は最後までセリフを言い終える事はできなかった。

 

 その前に飛んできた湯飲み2つが、彼の頭を直撃したからだ。

 

「誰が残念胸よ!!」

 

 湯飲みを投げたフォームのまま、瑠香と茉莉が陣を睨んでいる。

 

「んだよ、痛ェじゃねェか!!」

「先輩が変な事言うからでしょ!!」

 

 ガーガーと言い合う2人の脇で、茉莉も頬をプーッと膨らませて陣を睨んでいる。

 

 まったく、彼らといると飽きなくて良い。

 

 手にしたオレンジジュースを口に運びながら、友哉は心の中で呟いた。

 

 準一は、そんな友哉に今度は話を振る。

 

「それで、友哉君はどうなの?」

「どうって?」

 

 質問の意図が分からず、友哉はキョトンと問い返すのに対し、準一は意味ありげな笑みを見せる。

 

「瑠香さんと瀬田さん、どっちが好きなのかって事だよ」

「いや、どっちかって・・・・・・」

 

 準一の質問に、友哉は苦笑しながら答える。

 

「僕は、どっちも・・・・・・」

「どっちも好きは無しだよ」

 

 友哉の言葉を先読みして、準一は遮った。

 

 流石は、あの彩と結婚した男であり、将来の官僚候補である。戦闘力は皆無でも、口を使った戦いでは友哉に勝っている。

 

「だいたい、僕が聞きたいのはLIKEじゃなくて、LOVEの方だよ」

「そう言われても・・・・・・」

 

 考えてみる。

 

 瑠香と茉莉。

 

 確かに、ここ数カ月、最も多く行動を共にした女の子は、この2人だろう。

 

 他にもアリアや理子など、一緒にいて楽しいと思える女子は多いが、やはり最も仲が良いと言えば瑠香と茉莉だ。

 

 瑠香は幼馴染であり、子供の頃から最も身近にいた少女だ。

 

 一方の茉莉はと言えば、付き合いの長さこそ瑠香に及ばないが、それでもここ半年で、親友と呼んでも差し支えが無い関係は築けていると思う。

 

 だが、準一の言葉に従えば、どちらか一方を選ばなければならない。

 

 となると、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は、瑠香と茉莉の顔を交互に見やる。

 

 2人とも、友哉の視線に気付いた様子は無く、尚も陣と言い合っている。

 

 瑠香も茉莉も、大切な友達だ。できれば、ずっとこのままの関係を維持したいとさえ思っている。

 

 だが、そんなことが許されないのも男女の関係と言う物なのだろう。

 

「友哉君には、まだ早いかな?」

 

 酒の入ったコップを傾けながら、準一が可笑しそうに言う。

 

 確かに、彼の言うとおり、今この場で決める事は、どう考えても無理そうだった。

 

 その時、傍らに置いておいた携帯電話のバイブレーションが振動し、着信が告げられた。

 

「おろ?」

 

 手に取って液晶を確認すると「遠山キンジ」と書いてあった。

 

「もしもし、キンジ、どうしたの?」

 

 キンジは今、レキと一緒に行動しているはず。昼の寺社見学では会う事は無かったが、彼らも京都に滞在しているはずだった。

 

 そのキンジから連絡してきた事に、友哉は少し怪訝な思いだった。

 

 暇つぶしに電話でもかけてきたのだろうか?

 

 そう思った友哉だが、スピーカーから聞こえてきたキンジの声は緊迫に満ちていた。

 

《緋村ッ、すまん、救援を頼みたい!!》

「キンジ?」

 

 友哉が呟きかけた時、スピーカーの向こうで何かが連続してはじけるような音が鳴り響いた。

 

『これは・・・・・・』

 

 友哉の聴覚は、一瞬でその正体に気付く。

 

 種類までは分からないが、それは間違いなく、マシンガンかアサルトライフルの銃声だ。

 

「キンジ、今、どこにいるの!?」

 

 緊迫した友哉の声に、陣や茉莉達も手を止めて視線を向けてくる。

 

 キンジ達が何者かの襲撃を受けている。それは間違いない事だった。

 

《俺た・・・は、今・・・・・・宿・・・・・・山の・・・・・・》

 

 キンジが言っている間にも銃声は続き、台詞は途切れ途切れになって聞こえない。

 

「キンジ、聞こえないッ もう一回言って!!」

 

 だが、そこからは、連続して攻撃を受けたのか、殆ど銃声しか聞こえない状態だ。

 

「キンジッ キンジ!!」

《・・・・・・にかく・・・すけ・・・連絡を・・・・・・む》

 

 次の瞬間、ブツンッと言う音と共に、通話は強制的に切断された。

 

 友哉は黙って、携帯電話を耳から放す。

 

 状況は掴めない。だが、キンジと、そして恐らく一緒にいるレキが何者かの襲撃を受けたのは間違いなさそうだ。

 

「友哉さん」

 

 茉莉が緊張した面持ちで尋ねてくる。

 

 事態の緊迫さは、今の友哉の様子で全員に伝わっていた。

 

 事は恐らく、一刻を争う。

 

「遠山に、何かあったのか?」

 

 陣もまた詰め寄ってくる。

 

 友哉は手短に、電話での事を説明する。

 

 とは言え、情報が少なすぎた。キンジは、自分がどこにいるのかすら、友哉達に言わなかったのだ。これでは、助けに行こうにも動く事が出来ない。

 

「クッ」

 

 臍を噛む友哉。

 

 どうにも、ここのところ、よくない事が連続している気がする。キンジとレキの突然のチーム編成に、それに伴うアリアの反発、今日のココの襲撃もそうだ。

 

 だが、今はそんな事に構っている暇は無い。

 

「とにかく、キンジ達がどこに泊まったのか調べて、助けに行かないと」

 

 武偵校の教務課(マスターズ)に連絡して、キンジ達がどこに泊まったか調べてもらうか、と一瞬思ったが、友哉はその考えを即座に否定する。

 

 今回の修学旅行Ⅰに際し、計画から実行まで全て学生に委任(と言う名の丸投げ)している教務課が、キンジ達の行動を把握しているとは思えない。事実、友哉達も葵屋に宿泊する事を報告していなかった。

 

 それよりも、情報科の人間、例えばジャンヌあたりに調べてもらおうか。その方が確実で早い気がした。

 

 そう思い、友哉は携帯電話でジャンヌの番号を呼び出そうとした。

 

 その時、

 

「待って、友哉君」

 

 瑠香が友哉を制した。

 

「そんな事しなくても、調べられるよ」

「瑠香?」

 

 瑠香は廊下の襖を開くと、大声で叫んだ。

 

「爺や、いる!? ちょっと来てッ」

 

 瑠香に呼ばれ、程なくして従業員の袢纏を着た柏崎弘志が部屋に入ってきた。

 

「どうしました、お嬢さん」

「調べて欲しい事があるの。うちの学校の先輩で、遠山キンジって男の人と、レキって女の子が泊まってる宿を大至急調べて」

 

 そこで友哉は思い出した。

 

 瑠香の四乃森家は、表向きは旅館と言う形を取っているが、実際には江戸時代、幕府に仕えた隠密御庭番集の末裔であり、当時の技術を今に伝える一族だ。

 

 江戸時代から京都に貼り巡らせた情報網は今も生きており、京都府内で起こった事件ならたちどころに探知できるという。瑠香誘拐事件解決の際にも、この情報網が物を言ったのだ。

 

 公式の記録には残っていないが、明治初期に起きた大きな事件の際、葵屋はこの情報網を駆使して、事件の鎮圧に活躍した事が言い伝えとして残っている。緋村家と四乃森家に縁ができたのも、その頃であったらしい。

 

「かしこまりました。少々お待ち下さい」

 

 そう言うと、弘志は下がっていった。

 

 その、僅か12分後の事だった。

 

「お待たせしました」

 

 弘志は再び戻ってきた。

 

「遠山キンジさんと、レキさんは比叡山山麓付近の民宿『はちのこ』に泊まっておいでです」

 

 流石は忍びの情報網と言うべきか、たちどころに、個人の所在地を突き止めてしまった。

 

 「天網恢恢、疎にして漏らさず」という言葉があるが、京都における四乃森家は、正にその言葉に当てはまった。

 

「それから、これは付近住人からの情報ですが、遠くの方で何かが爆発するような音を聞いたとの事です」

 

 つまり、既に外部に情報が漏れ始めているという事だ。

 

 急ぐ必要があった。

 

「行こう、みんな」

 

 友哉が声を上げると、茉莉、陣、瑠香が立ちあがって頷く。

 

 目指すは比叡山。

 

 何としてもキンジとレキを助け出すのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 葵屋から車を借り、友哉の運転で京都の町を駆け抜け、比叡山方面へと向かう。

 

 流石に山だけあって、途中から道が入り組んで曲がりくねり、なかなかスピードが出せない。

 

「何だってあいつら、こんな辺鄙なところに泊まってんだよッ」

 

 全員の気持ちを代弁するように、陣がぼやきの声を上げる。

 

 確かに、こんな所に泊まらなければ、苦労する事も無かっただろう。

 

 だが同時に、万が一、街中に宿をとっていたら、襲撃を受けた場合、周囲の被害が拡大した可能性もある。その事だけが唯一、不幸中の幸いだった。

 

 とは言え、急ぎたいというのに、道に慣れていないうえに夜間で視界も悪い。

 

 友哉の運転する車は、どうしてもスピードが遅くなりがちだった。

 

「あの、友哉さん」

 

 後部座席に座る茉莉が、躊躇うように声をかけてきた。

 

「今回の遠山君への襲撃ですが、もしかして、昼間のココと言う人と、何か関係があるのでは?」

「それは、僕も考えていた」

 

 襲撃を仕掛けてきた藍幇という組織は、甲が言うには自陣営の強化を目的に行動しているという。ならば、同じ理由でキンジやレキを襲ったとしても不思議はない。

 

 キンジは、普段こそ一般校の生徒よりは強い、と言う程度の力しかないが、いざヒステリアモードに目覚めれば、プロ武偵ですら圧倒する実力と判断力の持ち主。リーダーシップにも恵まれ、前線で戦う事も、後方で指揮を取る事も出来るオールラウンダーだ。

 

 レキも、パッと見た感じ、ボーっとしているだけに見えるが、その実「狙撃科(スナイプ)の麒麟児」と言う異名を持つ天才狙撃手だ。

 

 陣営強化を目指す藍幇としては、どちらも喉から手が出る程欲しい逸材だろう。

 

 一見するとバラバラに思えた襲撃事件が、ここに来て一本に繋がり始めた。

 

 その時だった。

 

 パンッ

 

 空気が抜けるような音が鳴り響いた一瞬後、車は強烈なスピンがかかった。

 

「「キャァァァァァァァァァァァァ!!」」

 

 後部座席の瑠香と茉莉が、悲鳴を上げて互いを抱き合う。

 

 助手席に座る陣も、座席にしがみつく事でバランスを保ち、友哉は必死にハンドルを操って車体を維持しようとした。

 

 間違いない。これはタイヤがパンクした時の現象だ。

 

 やがて、スピードが緩んだところで、友哉はブレーキを踏みこんで停止させる。

 

 車を路肩に着け、どうにか息を吐きだした。

 

「・・・・・・・・・・・・みんな、大丈夫?」

 

 ややあって友哉が尋ねると、車内で人が動く気配があった。

 

「な、何とかな」

「こっちも、大丈夫です」

 

 陣に、茉莉に、瑠香。どうやら、みんな無事であるらしい。

 

「一体どうしたってのよ?」

「多分、パンクだね」

 

 友哉が、鍵を回しながら答える。

 

 どうやら駆動系や電気系統に異常は無いらしい。と言う事は、タイヤを交換すればまだ走るはずだ。

 

「パンクって、そんな・・・・・・この車は、いつも爺やがちゃんと整備しているはずなのに」

 

 あり得ない、と呻く瑠香。

 

 だが、現実に車はパンクして走行不能になっている。これを修理しないと、動く事もままならない。

 

「とにかく、スペアタイヤに交換を急ごう。みんなも手伝って」

 

 タイムロスになってしまうが、仕方ない。焦って事故を起こしたら、それこそ本末転倒だった。

 

 その時、

 

「おい、友哉」

 

 緊迫に満ちた、陣の声が友哉を引きとめた。

 

 振り向くと陣は、真っ直ぐに前方に目を向けて鋭い目をしている。

 

 点けっ放しのヘッドライトに照らされた闇の先。

 

 そこに、1人の女性が立っていた。

 

「あれは・・・・・・」

 

 友哉には、その女性の顔に見覚えがあった。

 

 それは葵屋の廊下ですれ違った、あの女性だ。あの時は艶っぽい浴衣姿だったが、今は無骨なロングコートを着ている。

 

 その女性が、車の前に立ちはだかるようにして立っていた。

 

 あの後宿帳を調べてもらったが、あの女性は葵屋に泊っていない事が判った。つまり、あの女性は、わざわざ警告めいた言葉を友哉に告げる為だけに現われた事になる。

 

「おい、瀬田、あいつッ」

「ええ、間違いないです」

 

 陣と茉莉も、女性の顔を見て声を上げた。

 

「友哉、お前が鞍馬で襲われた時、俺達を足止めしたのはあいつだ」

「・・・・・・成程」

 

 やはり、と言うべきだった。全ては計画の上での襲撃だったのだ。

 

 となれば、後の取るべき行動も、自ずと決まって来る。

 

「みんな、あの人の相手は僕がする。ナビ通りなら多分、この道を真っ直ぐ上って行けば、もうすぐキンジ達が泊まってる宿が見えて来る筈。みんなは先に行っていて」

「友哉君、大丈夫?」

 

 尋ねて来る瑠香に、友哉は振り返って優しく笑い掛ける。

 

「僕は大丈夫だよ。それより、キンジとレキの方が心配だ。そっちの救援を急ぎたい」

 

 そう言うと友哉は、逆刃刀を掴むと、ドアを開いて外へ出た。

 

「相談は、もう良いのかしら?」

 

 尋ねる女性に対し、友哉は前へと出る。

 

 挑発的な言葉と共に、右手には回転式拳銃のS&W M28ハイウェイパトロールマンが握られている。

 

 対して友哉も、腰を落としていつでも切り込めるように準備する。

 

「一つ聞きます、あなたは、仕立屋のメンバーですね?」

 

 その問いに、女性は少し驚いたように目をも開き、次いで口元に面白そうな笑みを浮かべた。

 

「御名答、よく判ったね」

「やり口が似てますから。見当は付いてました」

 

 依頼主の為に、必要な舞台を作り上げるのが仕立屋の仕事。ならば、キンジ達を襲った輩も、自ずと絞り込める。

 

 恐らく、ココで間違いないだろう。鞍馬山で友哉を襲ったのと同じ手段だ。

 

 女性は面白そうに笑みを浮かべながら、ハイウェイパトロールマンの銃口を友哉に向けた。

 

「『仕立屋』メンバー、坂本龍那(さかもと りゅうな)。悪いんだけど、依頼主の要望で、アンタをこの先に行かせる訳にはいかないわッ」

 

 龍那が引き金を引く。

 

 と、友哉が頭を下げて疾走するのは、ほぼ同時だった。

 

 接近と同時に抜刀、神速の居合が龍那へと迫る。

 

 それと同時に、茉莉、瑠香、陣の3人が車から飛び出した。

 

「行くぞ!!」

 

 2人が戦っている脇を抜けて走りだす。

 

 一瞬、

 

 茉莉は友哉の方へと視線を向ける。

 

 しかし、既に戦いに集中し、視界を真っ直ぐに龍那に向けている友哉が、茉莉の視線に気づく事は無かった。

 

『・・・友哉さん、どうか、無事で』

 

 それだけを心の中で呟き、茉莉は駆けだした。

 

 その間にも、友哉と龍那の激突は続く。

 

「甘い甘いッ!!」

 

 龍那は友哉の斬撃を、ひらりと回避して見せた。

 

 回避しながら照準を修正。再び発砲する。

 

 放たれる弾丸は、刹那の間すら凌駕して友哉を貫く。

 

 はずだった。

 

 だが、

 

 距離的に1メートルも無い状態で、友哉は体を傾けて龍那の攻撃を回避して見せた。

 

「・・・・・・やるねッ」

 

 友哉の技量に、流石の龍那も舌を巻く思いだった。

 

 そのまま友哉は、龍那に対して右側へ向かって回り込もうとする。

 

 対拳銃戦の鉄則。相手が銃を持っている腕側へ回り込むように移動する。そうする事によって、相手は体が開く為、安定した姿勢で銃を構える事が難しくなる。

 

 螺旋を描くように友哉は、龍那へと迫って行く。

 

 だが、

 

「セオリー通り、でも、そんなんで良いのかしらッ!?」

 

 告げると同時に、

 

 龍那はハイウェイパトロールマンを放り投げ、左手に持ち替えて見せた。

 

 向けられる銃口。

 

「ッ!?」

 

 友哉はとっさに足を止める。

 

 龍那の照準は、友哉の未来位置を完全に捕捉していた。

 

 一旦距離を置こうと、動きを止めた友哉。

 

 だが、龍那がそれを許す筈がない。

 

 銃口が、真っ直ぐに友哉に向けられた。

 

「貰ったァ!!」

 

 放たれる弾丸。

 

 だが、

 

 対して友哉は、弾道を完全に見切り、左腕を翳した。

 

 弾丸は友哉の、掲げた左腕に着弾する。

 

 しかし、防弾制服を着ている為、貫通する事は無い。

 

「チッ!?」

 

 その光景に、龍那は舌を撃った。

 

 このように防弾服をアクティブに使った防御をするなど、正気の沙汰ではない。確かに、貫通する事は無いだろうが、至近距離からの着弾なのだ。下手をすれば骨折する程の衝撃が入る筈。

 

 しかし友哉は、一切の躊躇をする事無く、左腕を犠牲にする覚悟で龍那の攻撃を防いで見せたのだ。

 

 そして、

 

 友哉は痛みの残る左腕を下げたまま、右手一本で刀を肩に担ぐように持ち、立ち尽くす龍那に向かって斬り込む。

 

「飛天御剣流・・・・・・」

 

 体を大きく捻り、回転を掛ける。

 

 左腕を使えないので、旋回する事で威力を水増しする事が目的だ。

 

 龍那は退こうと体勢を入れ替えるが、その前に友哉は斬り込んだ。

 

「龍巻閃!!」

 

 旋風一閃

 

 その一撃が、

 

 龍那の左手首を直撃、その手からハイウェイパトロールマンを弾き飛ばした。

 

「ッ!?」

 

 殴りつけられた腕を押さえ、龍那は顔を歪める。

 

 対して友哉も、左腕はダラリと下げたまま、右手に持った刀の切っ先を向ける。

 

 互いに片腕同士、尚も失わぬ闘志をぶつけあう。

 

 その時、強烈な光が発せられ、同時に車のエンジン音が響いて来た。

 

 誰かが山道を、車で登って来たのだ。

 

 その一瞬の隙を突いて、龍那は身を翻した。

 

「待てッ!!」

 

 慌てて追おうとする友哉。

 

 だが、茂みにでも隠しておいたのか、気付いた時には既に、龍那はバイクに飛び乗っていた。

 

「待たない。折角、面白くなって来たところだけど、今夜の所はこれで退かせてもらうわ」

 

 そう言って、笑みを見せる。

 

「あたしの先祖は、逃げ足の速さでも結構有名でね。ま、そんな訳だから、ここはトンズラさせてもらうわ」

 

 そう言うと、アクセルを思いっきり吹かして、バイクをスタートさせる。

 

「焦んなくても、またすぐに会う事になるわよ。そんじゃね」

 

 そう言い残すと、友哉の脇をすり抜けて駆け去ってしまった。

 

 こうなると、最早追いつく事はできない。友哉は車よりも速く走る事もできるが、持続力と言う点では敵わなかった。

 

 入れ替わるように、ワインレッドのオープンカーが走って来た。

 

 光岡自動車の傑作オープンカー「卑弥呼」だ。

 

 その助手席に座った人物が、飛び降りると同時に、手にした和弓を構え、鏃を友哉に向けた。

 

「動かないで、刀を捨てなさいッ」

 

 淡々としながらも、鋭く発せられる声。

 

 相手は巫女服を着た少女だった。スラリと背が高く、頭には額金を装着して、万全の戦支度を整えた出で立ちである。

 

 僅かに滲ませている殺気から、相手が本気である事が窺える。恐らく、僅かでも友哉が動こうものなら矢が唸りを上げて飛んで来る事になるだろう。

 

 だが、相手の正体が判らない以上、その言葉に従う事はできない。

 

 友哉も迎え撃つように、逆刃刀を握り直して対峙する。

 

 その時だった。

 

「待って、風雪ッ その人は違います!!」

 

 聞き憶えのある声が、少女を制した。

 

 後部座席に座っていた女性が、出て来て友哉の前に立つ。

 

 卑弥呼のヘッドライトに照らし出された人物は、やはり友哉の知っている人物だった。

 

「星伽さん?」

 

 星伽白雪は、慌てた様子で友哉に駆け寄ってきた。

 

「ごめんなさい、緋村君。私達も慌てて来たから、緋村君の事を敵だと勘違いしちゃって」

「それは・・・良いけど・・・・・・」

 

 友哉は、先程の武装した巫女に目を向けた。

 

 どうやら彼女は、星伽の武装巫女であるらしい。友哉の視線に気づくと、弓を下げて頭を下げて来た。

 

「申し訳ありません、お姉さまの学友の方とは知らず、無礼な事を」

「いや、それは良いよ」

 

 風雪と呼ばれた少女に、友哉は苦笑して見せる。素性を知らなかったのだから仕方がない。友哉が彼女と同じ立場だったら、恐らく同じように行動しただろう。

 

「この娘は風雪。私のすぐ下の妹なの。風雪、こちらは私の学校の友人で、緋村友哉君です」

「よろしくね」

 

 そう言って挨拶してから、友哉は白雪に向き直った。

 

「それで、星伽さん達は、何でここに?」

「はい、実は、私は、この近くの星伽の分社に泊っていたんだけど、そこに銃声のような音が聞こえて来たの。それで、使い魔を飛ばしたんだけど・・・・・・」

 

 どうやら、白雪達は呪術的な力を使って、状況を把握したらしい。

 

 そこで友哉も、キンジからの救援要請があった事。そして、ここで足止めを食らった事をかいつまんで説明した。

 

「そんな、キンちゃんが・・・・・・」

 

 説明を終えると、白雪は明らかに青ざめた顔を見せる。

 

 キンジの事を何よりも、それこそ自分の命よりも大切に思っている白雪にとっては、相当なショックだろう。

 

「とにかく、急ごう。手遅れになる前に」

「そ、そうだね。じゃあ、緋村君も乗って」

 

 そう言って、白雪は友哉も卑弥呼へと誘う。

 

 キンジから連絡をもらって、既にだいぶ時間が経過している。急ぐ必要があった。

 

 

 

 

 

第5話「闇夜の救難信号」      終わり

 



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第6話「星伽会談」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜間の上に、曲がりくねっている山道を、卑弥呼は猛スピードで駆け抜けていく。

 

 振りだした小雨の中、その運転技術は聊かも衰える事無く走り続ける。

 

 運転手は凄まじい技量だ。武偵校に来たら、余裕で車輛科(ロジ)の教官をやれるだろう。

 

 後部座席に座る友哉など、しがみついていないと振り飛ばされそうになるくらいだ。

 

 一方、隣に座る白雪は、手で印を組んで一心に瞑想している。

 

 恐らく、先程説明してくれた式神からの情報を受信しているのだろう。

 

 幾度か目を開いては、運転手に指示を出している。

 

 焦りを見せながらも、その横顔は冷静さを失っていない。焦る事が、却って事態の進展を妨げる事を白雪も理解しているのだ。

 

 魔剣事件以前の彼女は、優秀ではあるものの、どこか浮世離れした危うげな雰囲気を持っていたが、数々の実戦を経験した事で一本芯の通った頼りがいのある人物に成長していた。

 

 その時、友哉の眼には、卑弥呼の進む先で対峙する人影を捉えた。

 

 そのうち1人は、臙脂色の武偵校制服を着ているのが見える。遠目だが、それがキンジであると判った。

 

 もう1人は、バイクにまたがった状態で、銃のような物を構えている。

 

「あそこッ」

 

 友哉の声に白雪と、助手席に座る風雪が顔を上げた。

 

「風雪!!」

「はいッ!!」

 

 白雪の指示を受け、風雪は立ち上がり、ひらりと身を翻してボンネットに降り立った。

 

 片膝を突いた状態で姿勢を安定させると、その状態から手にした和弓を構えて弦を引き絞った。

 

 放たれた矢は、唸りを上げて飛翔する。

 

 その矢を、バイクの相手は巧みに回避する。

 

「あれはッ!?」

 

 バイクに乗った人物を見て、友哉は声を上げた。

 

 あれは間違いない。鞍馬山で友哉を襲った少女、ココだ。

 

 更に二の矢を放つ風雪。

 

 今度はバイクを狙い、矢はタンク付近に突き刺さった。

 

 状況不利と判断したのだろう。ココはバイクを反転させると、一目散に退却を始めた。

 

 その背後から、キンジが落ちていたライフルを拾って構えるが、その時には既にココの姿はカーブの向こうに消え去っていた。

 

 卑弥呼が立ち尽くすキンジの横に急停止すると、白雪は跳ねるように跳び下りる。

 

「キンちゃん!!」

 

 心配顔で駆け寄る白雪に、キンジは笑い掛ける。

 

「ありがとう白雪、よく気付いてくれたな」

 

 キンジの顔には、それと判るくらいの疲労が見て取れる。恐らく、長時間に渡って神経をすり減らすような戦いを強いられたのではないだろうか。

 

「緋村も、よく来てくれた」

「いや、無事でなによ・・・・・・」

 

 言い掛けて友哉は、キンジの足元に、血塗れのレキが倒れているのに気づいた。

 

「大変ッ!!」

 

 白雪も駆け寄って、レキの顔を覗き込む。

 

 胸元が上下している事から、辛うじて息があるのは判るが、頭と右腕、左太腿から大量出血しているのが見える。

 

「レキは、さっきの奴にやられたんだ・・・・・」

「・・・・・・蕾姫(れき)?」

 

 キンジがそう言い掛けた時、付近警戒に当たっていた風雪が、怪訝そうな顔で尋ねて来た。

 

 風雪は足早に白雪に駆け寄り、何事かを耳打ちした。

 

「・・・・・・それは、本当なのですか?」

 

 話を聞いた白雪は、信じられないと言った風に問い返すが、風雪は確信を持った顔で頷きを返す。

 

 訳が判らない友哉とキンジは、顔を見合わせて首をかしげる。

 

 そんな2人に向き直り、風雪は説明した。

 

「この方の本当の名前は蕾姫、チンギス・ハン、源義経公の子孫にあらせられます」

「・・・・・・えッ?」

 

 友哉は思わず、レキの顔を見る。

 

 レキが源義経の子孫とは。

 

 しかし、義経の子供の内、正室である河越夫人との間に産まれた姫は、岩手県衣川で義経と運命を共にし、側室、静御前との間に生まれた男児は、義経の兄、頼朝の猜疑心によって、鎌倉の由比ヶ浜で殺された筈。

 

 それ以前に、「義経=チンギス・ハーン」説は、今では完全に否定されていた筈だ。

 

 だが、今はそれを考えている時ではない。

 

「大変、熱が凄く下がって、冷たくなっている。早く病院に運ばないと」

 

 白雪がレキの体温を計りながら言う。

 

 既に負傷してからかなりの時間が経過しているのだろう。レキの命は、こうしている間にも、徐々に削られているのだ。

 

 だが、白雪の言葉に、キンジは首を横に振る。

 

「いや、病院はまずい。さっきの敵、ココは狙撃銃が使える」

 

 スナイパーが敵にいる以上、街中の地形は敵にとって有利だ。対して、こちらのスナイパーは負傷中。万が一、次に襲撃を受けた場合、成す術も無くやられてしまう事も考えられる。

 

 それにしてもココ、格闘や銃に加えて狙撃まで使えるとは。

 

 万武の武人とはよく言った物である。

 

「では、星伽の分社にレキ様をお運びしましょう」

 

 そう言うと、風雪が血塗れのレキを抱え上げる。

 

 ちょうどその時、卑弥呼の横に、重厚な外観のセダンが到着した。

 

 光岡自動車製乗用車の櫛撫だ。これなら外層が頑丈である為、万が一途中で襲撃を受けても被害を受けずに済むだろう。

 

 とにかく、レキの事もあるし、ココや龍那が再襲撃してくる可能性もある。一刻も早く、安全圏に逃れる必要があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 櫛撫で星伽分社へ移動する最中、友哉は武偵校に連絡を入れた。

 

 襲撃を受けた事、レキが負傷した事を報告し、そして合わせて、救援要請の周知メールを発してくれるよう要請する為だ。

 

 だが、対応に出た狙撃科(スナイプ)教員の南郷は、今回の襲撃はケースE8に相当するとし、周知メールは出さない事を告げた。

 

 ケースE8とは、犯行が内部の者、つまり武偵校関係者である可能性を考慮し、情報の漏えいを考慮し、当事者が信頼できる者のみを集めて対処する事を意味する符丁である。

 

 確かに、キンジから聞いたのだが、ココは香港武偵校からの留学生を名乗ったと言う。

 

 こうなると、早急にこちらの体勢を固める必要があった。

 

 友哉はすぐに、別行動中の茉莉達に連絡を入れて合流を計る事にした。

 

 一応、パンクした車の事もある為、瑠香と陣はそちらに行って、修理が完了次第、葵屋に戻る事になり、茉莉だけがこちらに合流する事になった。

 

 その間にキンジは、ジャンヌに電話してココの正体を探ると同時に、合流の要請をしていた。

 

 できればアリアや理子にも来てもらいたい所だったが、どうやら今、京都にいないらしい。

 

 そうしている内に、櫛撫は星伽の分社へと到着した。

 

 場所は既にGPSを起動し、茉莉の携帯電話に転送している。程なく、彼女も合流する事だろう。

 

 この星伽分社は、まるで要塞のような外観をしており、周囲は鬱蒼とした森に囲まれ、社の周囲は高い壁が覆っている。遠距離からの狙撃はまず不可能だ。更に麓の駐車場には、ヘリも駐機してあった。

 

 古色然とした感のある星伽だが、こうして最新の機器も用意し、現代戦への対応も万全の様子だった。

 

 程なく茉莉と、そしてタクシーを飛ばして駆けつけたジャンヌも到着した。

 

 負傷したレキは担架に乗せられ、幼い巫女(寵巫女(めぐみみこ)と言うらしい)達が社の中へと運んで行った。

 

 だが、そこで一つ、問題が起こった。

 

 鳥居をくぐろうとした友哉を、風雪が呼びとめる。

 

「あの、緋村様、申し訳ありません。星伽神社は男子禁制なのです」

「おろ?」

 

 風雪に言われて、友哉はキョトンとした。

 

 確かに、男子禁制、または女人禁制とされる神社仏閣は偶にあるが、しかし、

 

「でも、キンジは普通に入ってるけど?」

 

 先に行ったキンジは、何事も無く山門の鳥居をくぐって境内に入っていた。

 

「実は、遠山家と星伽家は、代々深い繋がりがありまして、遠山家の男性だけ、特例として中に入る事を許されているのです」

「あ、そうなんだ・・・・・・」

 

 そう言う事なら、仕方がない。

 

 神社の外で、終わるまで待っていようか。

 

 そう思った時。

 

「待って、緋村君」

 

 踵を返そうとする友哉を、白雪が引きとめた。

 

「その腕、怪我してるんじゃない?」

「おろ・・・・・・ああ、うん」

 

 龍那と戦った際に、銃弾を受けた左腕がまだ痛みを発している。

 

 普通に動くので折れてはいないのだろうが、それでも暫くは違和感が残りそうだ。

 

「やっぱり、治療した方が良いよ」

「でも、決まりじゃ仕方ないし」

 

 この程度の傷で、禁を破らせたとあっては、逆に申し訳ない。

 

 だが、白雪は更に言い募る。

 

「でも、雨も降ってるし、こんな外にいたんじゃ風邪をひいちゃうよ」

「大丈夫、僕は馬鹿だから」

 

 馬鹿は風邪を引かない、と言う諺を逆用して冗談を言ってみるが、確かに夜通し駆けまわった後の雨は、体を冷やしてしまうだろう。

 

 そこで、白雪はポンと手を打った。

 

「そうだ、じゃあ、こうしようよ」

 

 

 

 

 

 ~そんでもって~

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・こうなる訳ね」

 

 座敷に正座した状態で、巫女さんが1人項垂れている。

 

 白い上衣に、緋袴を着た、何処にでもいる巫女さん。

 

 て言うか、

 

 最早、説明は不要だろう。いい加減、韜晦するのも面倒くさいし。

 

 巫女服を着た緋村友哉(17歳:♂)が、左袖を撒くって、治療を受けていた。

 

 巫女服の恰好に加えて、普段は縛っている髪も下ろし、顔には薄く化粧も施されている為、何処からどう見ても「美少女巫女さん」にしか見えなかった。

 

 白雪は、男子禁制の星伽分社に友哉を入れるに当たって、友哉に巫女服を着せて、女装させてから入れると言う荒技を使って来たのだ。

 

「あはは、さ、災難ですね」

 

 一応、信州瀬田神社のリアル巫女さんである茉莉が、そんな友哉の様子を見て苦笑する。

 

 友哉の治療には、看護師免許のある星伽の巫女が担当してくれている。幸い、打ち身程度なので、明日辺りには痛みも引くだろう。

 

 レキは隣の部屋で治療を受けている。星伽専属の医師が駆けつけ、治療してくれているらしい。看護師免許を持つジャンヌも補佐に回っていた。

 

 因みにキンジは、レキの無事を確認すると緊張の糸が解けたのだろう。文字通り、その場で意識を失って倒れ、今は別室で眠っている。

 

「終わりました。でも、今日1日は、あまり動かさないでください」

「ありがとう」

 

 一礼して去って行く巫女。

 

 友哉の左腕は、包帯を巻かれた上に三角巾で固定されていた。

 

 部屋の中には友哉と、茉莉だけが残された。

 

「で、茉莉・・・・・・」

 

 レキの容体が確認されるまで、こちらとしては動きようがない。その間に、状況の整理をしておく必要があった。

 

「もう一度聞くけど、イ・ウーにはココって名前の女の子はいなかったんだね?」

 

 あれだけの技量の持ち主だ。イ・ウーの残党であってもおかしくは無いと思った。

 

 だが、茉莉も、そして後で聞いたジャンヌも、その事は否定した。

 

「はい。まして、レキさんに匹敵するスナイパーと言えば、教授(プロフェシオン)くらいしかいなかった筈です」

「教授・・・・・・シャーロックか・・・・・・」

 

 あの男の銃の腕前は友哉も見ている。確かに、あの技量ならレキとも互角に狙撃戦ができるかもしれないが。

 

 となると、相手の正体がますますわからなくなる。

 

 拳銃、素手、狙撃。

 

 これら1つでも達人の域に持って行くのは難しく、かつ長い年月を必要とする。だがココは、その全てにおいて優れた能力を発揮している。

 

 果たして、そんな事が可能なのだろうか? ましてココは、友哉達よりも明らかに年下なのだ。

 

 何かを見落としている。そんな気がしてならなかった。

 

 その時、傍らに置いておいた、友哉の携帯電話が振動し、着信を告げた。

 

 出てみると、低い男の声が聞こえて来る。

 

《緋村か、俺だ》

「甲さん?」

 

 相手は四乃森甲だった。そう言えば甲は、藍幇の事を調べていると言っていたのを思い出した。

 

「その後、何か判ったんですか?」

《ああ、お前を襲ったココだが、どうやら人材収集以外にも、何かを企んでいるらしい》

 

 ココが人材収集を目的に行動しているのではないか、とは友哉と甲、双方が一致する見解だ。

 

 だが、それ以外の目的とは何だろう?

 

《まだ、不透明な情報だが、ココは香港から数100キロに及ぶ爆薬を日本に持ち込んだらしい事が分かった》

「爆薬ッ!?」

 

 それは穏やかではない。

 

 しかも数100キロとなると、量も尋常ではないだろう。種類にもよるが、爆発すれば大抵の物は木っ端微塵に吹き飛ばせる筈だ。

 

 最早、それはテロ行為と言って良いだろう。

 

《とにかく、おれは引き続き、連中の事を調べてみる。お前の方でも警戒しておいてくれ》

「判りました」

 

 そう言うと、電話が切れた。

 

「友哉さん・・・・・・」

「どうやら、大変な事になって来たね」

 

 友哉は難しい表情のまま、電話を畳の上に置く。

 

 気になるのは、ココが持ち込んだと言う爆薬だ。

 

 一体何に使う気なのかは判らない。だが、それだけの量となると、逆に使い方も限定されるような気がする。

 

 何かを派手に吹き飛ばすのか、それとも爆薬自体の取引でも行われるのか。

 

 いずれにしても、それが爆発する前にココを捕まえる必要があった。

 

 その時、廊下側の障子が開いて、白雪が入ってきた。

 

「緋村君、瀬田さん、お腹すいてません? 軽めの物だけど、用意してもらったから、良かったら食べて」

 

 そう言えば、徹夜明けで何も食べていない事を思い出した。

 

「ありがとう、頂くよ」

「すみません、星伽さん」

 

 2人とも、いい加減胃袋が悲鳴を上げようとしている。

 

 ここは、白雪の好意に甘える事にした。

 

 やがて、寵巫女達が膳に乗った食事を運んで来たが、その内容は一流料亭の食事に匹敵し、とても「軽い物」と言うレベルではなかった。

 

 だが、そこでふと、友哉はある事に気付いて舌を打った。

 

 今の友哉は左腕が使えず、器を持ち上げる事が出来ない。これがテーブルか何かの上に器が置かれているのであれば、多少行儀が悪くとも、器をテーブルに置いたまま箸を使って食べる事もできるのだが、膳は畳の上に直接置かれている為、非常に食べづらい。

 

 無理すれば、食べられない事も無いが。

 

「あ、あの、友哉さん・・・・・・」

 

 そんな友哉を見ていた茉莉が、声を掛けた。

 

 だが、その顔はなぜか赤く染まり、恥ずかしそうに、僅かに俯いている。

 

「どうしたの?」

「あ、あのあの・・・・・・」

 

 何かを言い難そうに口ごもる茉莉。

 

 やがて、決心したように顔を上げる。

 

「お、お手伝い、しましょうか?」

「おろ?」

 

 この場合のお手伝い。

 

 友哉は手が使えなくて、食事に支障が出ている。

 

 この場合のお手伝いと言えば・・・・・・

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 事態を察し、友哉も顔を赤くした。

 

 つまり茉莉は、食べさせてくれると言っているのだ。

 

「あ、あの・・・緋村君が、食べづらそうでしたから・・・それで・・・・・・」

 

 確かに、それはなかなか恥ずかしい。

 

「・・・・・・その、迷惑、でしょうか?」

 

 オズオズと尋ねる茉莉。

 

 確かに、恥ずかしい物は恥ずかしい。

 

 だが、

 

 現実問題として、食事に難儀しているのは事実な訳で、

 

「・・・・・・・・・・・・お願いします」

 

 と、言うしか、友哉にはなかった。

 

 では、と茉莉は自分の膳を持って友哉の傍らに来ると、箸を取って、まずは煮物を摘む。

 

 手が僅かに震えている所を見ると、茉莉も恥ずかしさで緊張している様子だ。

 

「は、はい、あ~ん」

 

 そこまでするんかいッ と心の中で突っ込みを入れたが、ここまで勇気を振りしぼってくれた茉莉の好意を無にするのもアレである。

 

「あ、あ~ん」

 

 友哉も躊躇いがちに口を開け、茉莉がその中に箸を入れる。

 

 正直、味なんて判らない。この緊張感を前にしては、どんな美味な食事も色を失う事だろう。

 

 だが、それとは別の、甘美な熱が、全身を包むような心地であった。

 

「じゃ、じゃあ、次はこっちを・・・・・・」

 

 そう言うと、今度は焼き物に箸を入れて持ち上げる。

 

「・・・あ~ん」

 

 茉莉の言葉に従い、口を開ける友哉。

 

 その時、

 

「ごめんなさい、お茶も出さないなんて、気が利かなかったよね」

 

 そう言って、手には急須と湯飲みを乗せたお盆を持って、白雪が入ってきた。

 

「あ?」

「え?」

「おろ・・・・・・」

 

 三者三様に、硬直する。

 

 友哉が茉莉に飯を食わせてもらっている。普通に考えれば、それだけの話なのだが、傍から見れば恋人同士の睦合いに見えなくもない。

 

 しかも、今の友哉は巫女服を着ている。つまり、女の格好をしている。ついでに言うと、茉莉も武偵校の女子制服を着ている為、女の子同士で、イケナイ関係になっているようにも見えた。

 

 友哉と茉莉は、顔を赤くして、食事を食べようと(食べさせようと)している状態で硬直し、白雪は、そんな2人を見ながら口をパクパクさせている。

 

「えっと・・・・・・」

 

 ややあって、硬直の解けた白雪が口を開いた。

 

「ご、ごごごごめんなさいッ き、気を使わなくてッ」

「い、いや、この場合、何に気を使うの!?」

「お、お茶なんて、い、いらなかったよね。そうだよね。く、空気読めてないね、私」

「べ、別に、そんな気にする事は、って、何やってるの!?」

 

 言いながら、混乱した白雪はなぜか、急須の口に自分の口を付けて、中のお茶をゴクゴク飲み始める。

 

「と、とにかく、落ち着いて、星伽さん!!」

「ウィ~、ヒック おちちゅいてましゅよ~」

「いや、何でお茶で酔っぱらってるのさ!?」

 

 こうして、何ともカオスの状況のまま、事態を収拾するのに、余計な手間までかける羽目になってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、キンジとレキの撤退援護をしたハイマキが、ボロボロになって合流した。

 

 キンジの話によると、ハイマキは何頭もの猟犬を相手に立ちふさがり、奮闘したのだとか。その全身には無残な傷跡が残り、白銀の毛並みは鮮血に濡れていた。

 

 だが、そんなハイマキの奮闘もあって、レキの手術は無事に成功。今は救護殿で深い眠りについている。当然、その傍らには、同じように治療してもらったハイマキが、張り付くように寝そべって休んでいた。

 

 目を覚ましたキンジと、ジャンヌが食事を終える頃、友哉と茉莉は白雪に呼び出された。

 

 現在、部屋の中には、友哉、茉莉、キンジ、ジャンヌ、白雪、風雪の6人が集まっていた。

 

 一同を見回すと、白雪は集まってもらった理由について話し始めた。

 

「みんなに集まってもらったのは、イロカネについて知っておいてもらおうと思ったからなの」

「イロカネって言うと、アリアの緋弾にも使われている?」

 

 あのイ・ウーでの決戦の際、シャーロックが3年前のアリアへ撃ち込んだ緋弾。それが確か、イロカネと言う特殊な金属でできていたはずだ。

 

 友哉の言葉に、白雪は頷いた。

 

「話せる範囲で説明するけど、アリアの緋弾に使われているのは緋緋色金。でも、レキさんは、それとは別のイロカネと関わりがあるみたいなの。それが、璃璃色金」

 

 璃璃色金という言葉には、一同は聞き覚えがなかった。

 

 白雪の説明を引き継ぐように、今度は風雪が口を開いた。

 

「先程、レキ様の体を調べさせていただきましたが、あの方が色金を保有している形跡はありませんでした。これは私見ですが、レキ様は郷里で長く璃璃色金と長く共にいるような生活をしていたと思われます。恐らくは、璃璃色金と心を通じる、巫女のような存在だったのでしょう」

 

 色金の巫女。

 

 巫女は神に仕える神聖な存在。ならば、色金も一種の神か、あるいは神がもたらした神具のような物と考える事が出来る。

 

「ウルス族、か」

 

 風雪の話を聞いていたジャンヌが、何かを納得したように口を開いた。

 

「以前、遠山からレキの事を調べるように依頼された事がある。その時に調べて分かったのだが、レキはモンゴルの、ある地方の出身である事が分かった。その地方に居住区を持つのがウルス族だ」

「じゃあ、そのウルス族が、璃璃色金を保有してるって事?」

「恐らくな」

 

 ジャンヌの説明で、友哉は一つ、思い当たる事があった。

 

 レキは鷹の目と言う、ある種の特殊能力めいた視力の持ち主であり、それが彼女の狙撃能力を支える一つの下地となっている。聞けばモンゴル人は、非常に目が良いと言う。これは遮る物の無い草原に居住している事から来ているらしいのだが、レキの視力も、ここから来ていたのだろう。

 

「しかし、ウルス族か・・・あまり聞いた事が無い部族だな」

「それはそうだろう。ウルス族はモンゴルとロシアの国境付近に隠れ住む部族だからな。だが、彼女達の祖先の名前なら、聞いた事があるはずだ」

 

 キンジの質問に、ジャンヌがそう言ってから続ける。

 

「ウルス族は弓や長銃の扱いに長け、それらを使用した傭兵稼業を行う一族として知られている。そして、その流れを遡って行くと、蒙古の王、チンギス・ハンに辿り着くらしい」

 

 チンギス・ハン。古代に猛威をふるったモンゴルの覇王の名前であり、後の元帝国の礎を築いた人物である。その孫、フビライが日本に2度攻めよせた事は、元寇として歴史の教科書にも載っている大事件である。

 

 説明しながらジャンヌは、その視線を茉莉に向けた。

 

「まだ、瀬田がイ・ウーに入る前だったが、一度、シャーロックが色金絡みでウルスと交渉を行った事があったのだ」

「そうだったんですか・・・・・・」

「ああ、だが、その時には既に直系のウルス族は47人しかおらず、しかも全員が女であったらしい」

 

 女しかおらず、しかも47人しかいない部族。それはある意味、黄昏を迎えた部族であると言える。

 

「そう言えば・・・・・・」

 

 キンジが何かを思い出したように、口を開いた。

 

「レキの奴、俺を狙撃拘禁した時、『ウルス47女』がどう、とか言っていたが、あれは、ウルスには47人の女しかいないって意味だったのか」

「キンジを自分のパートナーにしたのも、多分、強い男を引き入れて、一族を存続させる事が目的だったんだろうね」

 

 そう考えれば、レキの突拍子もない行動も一応の辻褄があう。

 

「だが、レキの顔は明らかに日本人の物だぞ。ちょっと髪の色が違うけど」

 

 確かに、目鼻立ちの彫りは浅く、作りとしては日本人に近い。あれで髪の色が黒ければ、誰もが日本人だと思うだろう。

 

 髪に関しては、武偵の特徴の一つとして、一匹狼の武偵が髪の色で契約相手に自分の専門分野を判らせる為、髪を染める事がある為だと考えていた。特に、スナイパーは青系の色で染める事が多いらしい事から、レキもその類であると考えていたのだが。

 

「それはね、アリアの髪や目を思い出してほしいの」

 

 白雪に言われて、アリアの事を思い出す。

 

 確かアリアは、見事なまでに緋色の目と髪をしている。

 

 だが確か、シャーロックとの戦いの際に見た過去のアリアは、碧眼に亜麻色の髪をしていた筈だ。

 

 それにシャーロックは言っていた。色金と共にある者は、髪や目の色が徐々に変化すると。

 

 つまり、アリアも、レキも色金と共にあった事で、身体的特徴が変化したと言う事になる。

 

「それに、レキさんが日本人風の顔をしているのには理由があるの。なぜなら、チンギス・ハンの正体は、頼朝公に追われて大陸に渡った九郎判官、源義経公だから」

 

 白雪の言葉に、友哉、キンジ、茉莉の3人は目を剥いた。

 

 確か、山中の戦いの後、風雪も同じ事を言っていたが、しかしその説はもう何年も前に否定され、義経を英雄視しようとするファンが立ちあげた、一種の創作であると言うのが通説の筈。

 

「実はね、その・・・星伽が史学者の先生とかにお願いして、作り話って言う事にしてもらったの。江戸時代にばれちゃったから」

 

 白雪が申し訳なさそうに、そう言う。

 

 確かに、星伽の本社は青森県にある。伝説では、義経は蝦夷地、つまり今の北海道から大陸に渡ったとされている事から、話としては筋が通っている。

 

 しかし何とも、突拍子の無い話である。

 

 日本史に疎い為、横で訳が判らない、と言った感じで座っているジャンヌ・ダルク30世の存在と合わせても、軽く歴史の教科書が紙屑になるレベルの話だ。

 

 そんな白雪の話を、風雪が引き継いだ。

 

「当時、星伽神社は政治的に複雑な立場にありました。義経様が大陸で作られた帝国を、正当な国家と承認し、その頃から、色金の情報について、やり取りを重ねて来たのです。蕾姫と言うのは、ウルスの純血姫が代々受け継いできた名前なのです」

 

 レキが姫だと言うなら、そこには「子孫を残す」と言う義務も生じる事になる。

 

 となるとやはり、キンジを引き入れようとした事にも頷ける物があった。

 

 

 

 

 

 説明を終えた後、白雪と風雪は、それぞれの務めに戻り、キンジは救護殿で眠るレキの傍らで、彼女のドラグノフを解体整備していた。

 

 ジャンヌは用事があるとかで、申し訳なさそうにしながらも、先に帰って行った。

 

 そんな訳で、少し手持無沙汰になった友哉と茉莉は、2人で神社の境内を見て回っている。

 

「何だか、凄い話だったね」

「はい。驚きました」

 

 レキの正体。それを遡れば、まさか源義経に辿り着く事になろうとは。

 

 ましてや、友哉達は昨日、その義経縁の地である鞍馬山に行って来たばかりだった。

 

 かく言う友哉自身、先祖である緋村抜刀斎が京都で活躍していた事もあり、この地への思い入れは深い。

 

 様々な時代、様々な人間の思惑が入り乱れた街、京都。

 

 千年王都の名は伊達では無いのだった。

 

 と、

 

「おろッ」

 

 友哉は思わず、つんのめって転びそうになる。

 

 穿き慣れていない巫女服の袴に、足を取られてしまったのだ。

 

「大丈夫ですか?」

「ああ、ごめん」

 

 慌てて支える茉莉に謝りながら、友哉は体勢を戻す。

 

 そこでふと、友哉の鼻腔に甘い香りが漂って来た。

 

 一瞬、茉莉が香水か何かをつけているのかとも思ったが、そう言ったきつい匂いでは無い。

 

 それが、茉莉自身の匂いであると気付くのに、そう時間がかからなかった。

 

「あ、あの、友哉さん?」

「・・・・・・おろ?」

 

 そこでふと、自分が茉莉と体を密着させている事に気付いた。

 

「ご、ごめんッ」

 

 慌てて体を離す友哉。

 

 だが勢い余って、痛めている左腕を柱にぶつけてしまった。

 

「痛ッ」

「友哉さんッ」

 

 慌てて茉莉は、友哉の手を取る。

 

 まだ完治していない事もあり、激痛が容赦なく走る。

 

「だ、大丈夫ですかッ?」

「な、何とか・・・・・・」

 

 生傷が絶えない武偵と言う仕事をしているのだ。この程度の事は怪我の内にも入らない。

 

 だが、

 

 心配そうに覗き込む、茉莉の顔が大きく友哉の視界を埋める。

 

 整った小さな顔に、柔和そうな眼つき。まだまだ硬いが、出会った頃に比べたら、大分表情も柔らかくなってきている。

 

 友哉の中で、心臓が高鳴るのを感じた。

 

 その正体までは判らない。こんな感覚は、瑠香や、紗枝、アリア達にも感じた事が無かった。

 

 だが、

 

 それが不思議と、不快には感じられない。

 

 僅かに降りしきる小雨の中、友哉は茉莉の顔を眺めながら、心地よい緊張感にいつまでも浸っていたいと思うようになっていた。

 

 

 

 

 

第6話「星伽会談」       終わり

 



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第7話「エクスプレス・ジャック」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ホームで暫く待つと、塗装の白さが目を引く新幹線、のぞみ246号が入ってくるのが見えた。

 

 周囲には、東京に戻る人の群れで溢れている。

 

 中には、臙脂色の制服を着た武偵校の生徒も、何人か見受ける事が出来た。

 

 友哉、陣、茉莉、瑠香の4人は並んでホームに立ち、自分達が乗り込む順番が来るのを待っていた。その後ろでは、彩、準一、敦志の明神一家が、やはり並んで、新幹線が停車するのを待っている。

 

 友哉達は、3日間の修学旅行の日程を終え、これから東京に帰るのだ。

 

 車内の乗り込むと、往復切符を買っていた彩達とは離ればなれになってしまったが、取り敢えず4人は揃って座る事ができた。

 

「あ~あ、折角京都に来たのに、殆ど遊ぶこと出来なかったよ」

 

 席に座って早々、瑠香がそんな風にぼやく。

 

 今日は修学旅行Ⅰの3日目。それぞれに羽を伸ばした武偵校生徒達が、東京へ戻る日であった。

 

 とは言え、2日目早朝のキンジ・レキ襲撃事件以来、友哉達も充分な警戒態勢を敷く必要があり、結局、みんなで遊ぶ予定だった2日目は、それで潰れてしまう形となった。

 

 そして3日目は、新幹線での移動もある為、それほど時間は取れない。

 

 取り敢えず、大急ぎで東京にいる両親や友達に土産だけ買い求め、新幹線に飛び乗った訳である。

 

「あ~も~、詰まんないな~」

 

 自分の座席に座ると、瑠香は手足を伸ばして不貞腐れたように呟いた。

 

 無理もない。友哉達と一緒にいたいが為に、わざわざ長距離任務を取得し、授業をすっぽかして京都までやってきたというのに、殆ど何もしない内に戻る羽目になってしまったのだから。

 

「しょうがねえだろ、俺等だって帰らなきゃなんねえんだからよ」

「気を取り直して、みんなでトランプでもしましょう」

 

 そう言って、陣と茉莉が瑠香をなだめる。

 

 そんな瑠香の様子を見ながら、友哉は苦笑する。

 

 これは、帰ってから何か、ご機嫌取りでもしてやる必要がありそうだった。

 

『それにしても・・・・・・』

 

 友哉は、動き始めた窓の外を眺めながら、心の中で独り言をつぶやく。

 

 あの後結局、ココ達が追撃して来る事は無かった。

 

 レキを負傷させて満足したのか、それとも星伽の防衛網を突破するのは困難と判断したのか。

 

 いずれにしてもキンジも、そして友哉達も何事もなく修学旅行Ⅰを終え、こうして帰路に就いていた。

 

 確か、キンジと白雪も同じ新幹線に乗っている筈。キンジの事も気になるし、後で探して様子を見に行くのも良いかもしれない。

 

 となると、後は気になるのは、やはりココや龍那達の動向だ。

 

 彼女達は数100キロに及ぶ爆薬を保持している。何としても、それが爆発する前に見付け出さないといけない。

 

 とは言え、こちらに有利な要素が無い訳ではない。

 

 自分達は修学旅行を終えて、間もなく東京に帰る。地の利が無かった京都に比べて、東京はホームグランドだ。攻めて来たとしても、迎え撃つ手段はいくらでもあるし、他の学生達との連携も行える。

 

 次の戦場は、東京になる。東京でなら、こちらの方が有利に戦える筈だった。

 

「おい、友哉ッ 大貧民やろうぜ」

 

 陣の言葉で我に返る。

 

 既にカードも配り終え、皆、自分達の持ち札と真剣に睨めっこしている。

 

 友哉も伏せられているカードを取って眺める。

 

 2が1枚に、Aが1枚。絵柄カードも何枚かある。最高ではないが、そこそこの好条件ラインナップだ。

 

「じゃあ、始めるよ」

 

 瑠香がスペードの3を出すと、4人はそれぞれ、自分達の戦略に従ってカードを開いて行った。

 

 

 

 

 

 それから4人は、大貧民を何度か繰り返した後、ババ抜き、ポーカー、ブラックジャックと一通りこなしてから、一息入れるべく、買っておいたお菓子とジュースを開いていた。

 

 そんな中で、瑠香が溜息にも似た言葉を口にした。

 

「あ~あ。それにしても残念だったな」

 

 ガックリと言った感じに肩を落とす瑠香に、友哉達は視線を集中させる。

 

「折角、簡単にできる長距離任務取得して、さっさと片付けたあとは、みんなと遊ぼうと思ってたのに」

 

 折角の計画が丸ごと破綻してしまった瑠香は、そう言って息を吐く。

 

 本当に、これじゃあ何のためにわざわざ京都に行ったのか判らない。ただ、両親の顔を見るだけで終わってしまった感があった。

 

「気を落とさないでください」

 

 瑠香の隣に座る茉莉が、微笑みながら慰めの言葉を掛ける。

 

「帰って一息ついたら、またお台場にでも行きましょう。私もお付き合いしますから」

「ほんとッ!?」

 

 泣いた烏が笑った、ではないが現金な物である。茉莉の一言で、瑠香はあっさりと機嫌を戻してしまった。

 

「そうだね、じゃあ、茉莉ちゃんの新しい服を見に行こうよ」

「え、いや、それは・・・・・・」

 

 藪を突いて蛇を出す。

 

 過去、新しい服を買いに行くたびに着せ替え人形にされた経験のある茉莉は、思わず硬直する。

 

 何しろ、ファッションにはそれなりに拘りを持っている瑠香である。買い物に行って、2時間、3時間は当たり前に見て回り、その上で何も買わないで帰って来ると言う事すら珍しくない。

 

 勿論、自分の服も見るのだが、最近では茉莉の服を時間かけて選ぶ事が、瑠香の最大の趣味になりつつあった。

 

「楽しみだね~」

「お、お手柔らかにお願いします」

 

 上機嫌になった瑠香に、ガックリと肩を落とす茉莉。さっきまでと立場が逆転していた。

 

 そんな2人の様子を笑いながら見ていた陣が、ふと思い出したように友哉に向き直った。

 

「そう言えばよ友哉、お前、チーム編成の事はどうなったんだ?」

 

 割と忘れがちだが、今回の修学旅行Ⅰは、チーム編成の為の行事の一環である。最終的に、この修学旅行Ⅰで決めたチームの編成を行い、それが卒業後、後々まで有効になるのだ。

 

 出発前に、友哉にはある腹案があったのだが、それはまだ自分自身、構想の段階であって誰にも話していなかった。ただ、陣と茉莉には、その事を話し、他の人間とチーム申請するのは待つように言っておいた。

 

 元より、陣も茉莉も、武偵校学生としては後から編入して来た人間だ。友哉以外の人間とチームを組む予定も無かったので、快く了承してくれたが。

 

 陣の問いに対して、友哉はニッコリ微笑んで見せた。

 

「うん、やっぱり、最初に考えていた通りの編成で行こうと思うよ」

「何だよ、だったらそろそろ、教えてくれても良いじゃねえか」

 

 陣の言葉に、茉莉も頷く。

 

 彼等としても、友哉がどのような考えなのか知っておきたい所だった。

 

 しかし、友哉は微笑んだまま首を横に振った。

 

「まだ秘密。こう言うのは、ギリギリまで伏せておいた方が良いからね」

「この野郎」

 

 言うが早いか、陣は友哉の首に腕を回してヘッドロックを掛ける。

 

「おろ~~~」

「おら、吐きやがれッ」

 

 ギリギリと友哉の頭を締める陣と、手をばたつかせて抵抗する友哉。

 

 そんな様子を、茉莉はおろおろと見詰め、瑠香は大爆笑していた。

 

 ひとしきりじゃれ合った後、陣は友哉を解放する。

 

「あ~あ」

 

 そんな中で、瑠香がまたも溜息をついた。

 

「チーム編成か・・・・・・」

「瑠香さん?」

 

 少し気を落とした感じの瑠香に、茉莉が怪訝な面持ちで声を掛ける。

 

 その様子に、友哉と陣もしゃべるのをやめて視線を向けた。

 

「みんなは良いよね。一緒にチーム組めて」

 

 この中で1人、1年生なのは瑠香である。

 

 友哉、茉莉、陣の3人は一緒にチームを組めるのだが、その中で瑠香はあぶれてしまう。

 

「あたしは、どんなチームになるのかな」

「誰か、1年生で仲の良い人はいないのですか?」

 

 尋ねる茉莉に、瑠香は少し難しそうに考え込む。

 

「友達はいっぱいいるけど、それでチーム編成ってなると、ちょっと違う気がするんだよね・・・・・・今更、あかりちゃん達のグループに入れてもらうのも、何だか気が引けるし」

 

 あかり、と言うのは、アリアの戦妹である間宮あかりの事だ。アリアよりも小さい体で、戦闘能力もずば抜けて高い訳じゃないが、度胸や執念は良い物を持っている。友哉も何度か顔を合わせた事があるが、元気な女の子で、何より仲間思いな面がある。きっと成長すれば、良いリーダーシップを取れるようになるだろう。

 

 瑠香自身、1年生の授業や実習、模擬戦で彼女達と共闘する事が多く、今ではすっかり打ち解けた感がある。

 

 確かあかり達のグループには、白雪や理子の戦妹もいた筈である。そう言う意味でも親しみやすいと思うのだが。

 

「まあ、焦る必要は無いよ。まだ1年もあるんだし。ゆっくり考えな」

「・・・・・・うん」

 

 戦兄の言葉に、瑠香は自信無げに頷いた。

 

 それから暫く4人とも他愛ない話をしながら、残っていたお菓子を口に運ぶ時間が続いた。

 

 そんな時だった。

 

「失礼します」

 

 そう言って、座席の方に来たのは、この新幹線の車掌だった。

 

 検札かと思い、4人はそれぞれ財布やポケットに入れておいた切符を出そうとする。

 

 だが、車掌はそんな友哉達の行動には目もくれず、何かを探すように座席の下や荷物棚の上に目を向けた後、そのまま何もせずに立ち去ってしまった。

 

「何だ、ありゃ?」

「さあ?」

 

 怪訝な面持ちで言いながら、車掌を目で追うと、次の席でも同じような事をしている。

 

 何かに焦るように、その額には汗が浮かび、顔面は蒼白になっている。

 

 友哉はスッと、目を細める。

 

 おかしい。何かが起こったのかもしれない。

 

 友哉は立ち上がると、制服の内ポケットに入れてある武偵手帳を確かめながら、車掌へと近付いて行く。

 

 警察に準ずる権限を与えられている武偵なら、手帳を示すだけで何があったのか聞き出す事ができる。

 

「あの、すいません」

 

 背後から声を掛けると、車掌は驚いたように勢いよく振り返った。

 

 やはり、何事かあったらしい。

 

 手帳を示して、事情を聞こうとした時だった。

 

 突然、新幹線はグンッと加速し、友哉はとっさに座席の背を掴んでバランスを保った。

 

 急な加速だ。通常、電車はこのような加速の仕方はしない筈。

 

 更に、不審な事が起こった。

 

 新幹線の両脇を、大型駅のホームが通過して行ったのだ。その看板にあった名前は「名古屋」。

 

 東海道新幹線は名古屋でいったん停止する筈。それなのに一切速度を落とす事無く、通過してしまった。

 

 どうやら、他の乗客たちも不審に気付き始めたらしい。周囲からざわざわと言った声が聞こえて来た。

 

 その時、車内放送がスピーカーから流れて来た。

 

《お客様に、お知らせ致します。当列車は、名古屋で停まる予定でしたが、不慮の事故により停車いたしません。名古屋でお降りのご予定のお客様には、大変ご迷惑をお掛け致します。事故が解決しだい、最寄駅から臨時列車を・・・・・・》

 

 放送が流れている内から、騒ぎは拡大して行く。名古屋で降りる予定であった人は多いらしく、またたく間に伝播して行く。

 

 放送は、更に続いた。

 

《尚、座席の周囲にて、不審な荷物、不審物を発見した場合は、絶対に手を触れず、付近の乗務員に、お知らせください》

 

 その言葉で、友哉はだいたいの事情を察した。

 

 同時に、全身に緊張が奔る。

 

 新幹線側から不審物の存在を示唆した、と言う事は即ち、車内に何かを仕掛けられた可能性がある。

 

 そして、その正体に、友哉は心当たりがあった。

 

 その時、

 

「おい、何か爆弾が仕掛けられてるらしいぞ!!」

 

 乗客の1人がそんな事を叫んだ瞬間、パニックは一気に広がった。

 

「爆弾? 嘘だろッ」「おい、爆弾があるってよ!!」「イヤァ、助けてェ!!」

 

 乗客たちが一斉に騒ぎ立てる。

 

 瑠香や茉莉が、必死になって宥めようとしているが、一度火のついたパニックは、そうそう収まる事は無い。

 

 その時、更に新幹線は加速し、立っていた何人かの乗客がよろめくのが見えた。

 

 電光掲示板には《ただ今の速度、130キロ》と表示される。

 

 いよいよもって、事態はきな臭くなって来た。

 

 その時、先頭車両側の扉が開き、誰かを肩に抱えたキンジが中に入ってきた。

 

「キンジッ その人は?」

 

 見れば、その顔には見覚えがあった。確か、タレントの鷲尾習だったか。この間、瑠香と茉莉と3人で、寮で見たバラエティ番組に出演していたので覚えている。柄の悪い事で有名であり、瑠香がえらい酷評していた。

 

「緋村、この馬鹿、その辺のシートに縛りつけといてくれ」

 

 そう言うと、荷物を放り投げるようにして、ワイヤーで手首を縛った鷲尾の体を適当なシートに放り出す。

 

 友哉は言われた通り、ベルトのバックルからワイヤーを取り出して、鷲尾の体を縛り付ける。

 

「何があったの?」

「こいつ、扉のロックを無理やり開けようとしやがった。しかも、爆弾の事まで大声で叫びやがって」

 

 苛立たしげに吐き捨てるキンジ。

 

 成程、パニックの根源は、この男であったらしい。それにしても、130キロで走行中の新幹線から降りようとするとは。無謀を通り越してキチガイと呼んでも良いレベルの話だ。

 

 縛り終えた所で、再び車内放送が鳴り響く。

 

 しかし今度は、先程の車掌の物ではない。

 

《乗客の皆さまに。お伝えし、やがります》

 

 その声には、聞き憶えがある。

 

 あれは、4月のハイジャックの時、武偵殺し、峰理子が使ったボーカロイドの複合音声だ。

 

《この列車は、どの駅にも停まり、やがりません。東京までノンストップで、参り、やがります。アハハハ、アハハハハハハハ!!》

 

 放送は更に続く。

 

《列車は、3分おきに、10キロずつ、加速しないといけません。さもないと、ドカァァァン! 大爆発し、やがります。アハハハ、アハハハハハハ!!》

 

 友哉はギリッと、歯を鳴らす。

 

 状況から考えて、仕掛けて来たのはココだ。確証は無いが、十中八九間違いない。

 

 ココも判っているのだ。東京に帰れば、自分が不利になる事を。だから、戦況を優位に進められる場所を選んで仕掛けて来た。

 

 ここなら外部から救援を呼ぶ事は事実上不可能。文字通り、乗っている人間だけで対処するしかない。

 

 甲から貰った情報と合わせても、この新幹線に爆弾が仕掛けられていると言うのもハッタリではないだろう。

 

 新幹線乗っ取り(エクスプレス・ジャック)

 

 こんな大胆な手を使ってくるとは、思いもよらなかった。

 

「どうやら、事態は容易な物じゃないみたいだね」

 

 友哉は自分の席に足早に戻ると、荷物棚からバッグを取り出し、ファスナーを開いて、中から漆黒のロングコートを取り出す。

 

 これは先月、母からもらった物で、薄手の新素材を使用した防弾コートである。

 

 裾をはためかせ、コートを羽織る友哉。

 

 事態は完全に後手に回ってしまった。だが、戦いはまだこれから。

 

 来ると言うのであれば、迎え撃つまでだ。

 

「友哉!!」

 

 そこへ、彩が駆け寄ってきた。

 

「何があったの? みんな、爆弾があるぞって騒いでるけど・・・・・・」

「まだ判らない。けど、」

 

 友哉が手短に事情を説明すると、彩の顔にも緊張が走るのが判った。

 

「判った。あたしの方でも、混乱を収拾するように働き掛けるから」

「お願い」

 

 左腕をまともに使えない彩は戦力としては数えられない。しかし、何も戦うだけが武偵では無い。民間人を混乱から守る事も、武偵の務めだ。彩は、その事を充分に理解していた。

 

 友哉は眦を上げ、逆刃刀を掴み、駆けだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とにかく、こちらも対応する必要があった。

 

 現在、のぞみ246号に乗り組んでいる武偵は、友哉、キンジ、アリア、陣、理子、白雪、茉莉、不知火、武藤、瑠香と言ういつものメンツの他に、鷹根、早川、安根崎と言う友哉達のクラスメイト達がいた。ただし、この3人は通信科(コネクト)であり、荒事に向いていなかった。

 

 一般客に武偵の乗り組みは無し。勿論、彩を戦力として数える事はできない。救援も期待できない。事実上、この13人で対応する必要があった。

 

 そんな中、1人座席に座っている理子に、友哉とキンジは視線を向けた。

 

「理子、俺が言いたい事は判るな。これは、お前と同じ手口だぞ」

 

 この中で、理子が《武偵殺し》である事を知っているのは4人。友哉、キンジ、アリア、茉莉だけだ。

 

 対して理子は、額に冷や汗を流しながら顔を顰める。

 

「やられた・・・・・・」

「どうしたの?」

 

 口調がいつもの、峰理子の物では無く、《武偵殺し》峰・理子・リュパン4世の物になっている。それだけ、事態は逼迫している事だろう。

 

「ツァオ・ツァオ、あの守銭奴め、もう動いたか」

「今回の事、犯人はツァオ・ツァオさんで間違いないんですか?」

 

 問い掛ける茉莉に、理子は難しい表情のまま頷きを返す。

 

「ツァオ・ツァオは子供のくせに悪魔のような頭脳の持ち主。イ・ウーの天才技師だ。あたしがキンジ達に使った爆弾も、あいつに教わったんだ」

「私が稲荷小僧の時に使った、『消熱油(ノンサーマル・オイル)』の精製法を教えてくれたのも、ツァオ・ツァオさんなんです」

「ああ、あれ。そうだったんだ」

 

 イ・ウーは互いの技術を教え合う場所である。恐らくツァオ・ツァオと言う人物は、技術面での教師役だったんだろう。

 

 だが、一つ気になる事があった。

 

「ツァオ・ツァオ・・・・・・『ココ』じゃなくて?」

 

 この犯行は、てっきりココによるものだと思ったのだが。

 

 だが、友哉の質問に、理子と茉莉は顔を見合わせてから首を振る。

 

「いや、この手口は、ツァオ・ツァオで間違いない筈だ」

「友哉さんの言うココ、と言う人には、やっぱり聞き憶えがないです」

「そっか・・・・・・」

 

 2人がそう言うなら、間違いないのだろう。

 

「詮索は後回しよ」

 

 会話を遮るように、アリアが言った。

 

「理子、茉莉、あんた達、生徒だったのなら爆弾の仕組みも判るでしょ。見付けて解除するのよ」

 

 確かに、悠長に話している暇は無い。こうしている間にも新幹線は加速を続けている。しかも、車輛科(ロジ)の武藤の計算では19時22分までに爆弾の解体を行わないと、新幹線は東京に着いてしまう。その先は線路が無い為、そこでジ・エンドだ。それ以前に新幹線の安全基準もある。万が一、車輪やレールに無理が掛り脱線でもしたら、その時点でアウトだ。

 

 だが、

 

「すみません。私は爆弾の技術については、教わった事は無いんです」

 

 申し訳なさそうに言う茉莉。

 

 ならば、と理子に目を向ける。彼女なら爆弾の知識がある筈だ。何しろ、実際に使っているのだから。

 

 だが、

 

「ダメだ。あたしはここから立てない」

 

 理子は舌打ちしながら、自分の座席を差して言った。

 

「迂闊だった。この座席は感圧スイッチになっている。あたしが立てば、その時点で爆弾は爆発するぞ」

 

 その言葉に、一同はどよめきの声を発した。

 

 敵は更に、こちらの行動を予測していた。爆弾を解除できる可能性のある理子を封じて来たのだ。

 

 加速爆弾に人間スイッチ。まさに、悪魔のような頭脳だ。

 

「因果応報だな、武偵殺しさんよ」

 

 皮肉げに言ってから、キンジは続ける。

 

「理子、ツァオ・ツァオは中国人で、お前より年下の女だな」

「何で知ってるんだ、キンジ?」

「俺も襲われたんだよ。同じ奴にな」

 

 その話を聞いていた友哉も、ピンと来た。

 

「つまりキンジ、そのツァオ・ツァオと、ココは同一人物って事?」

「ああ、多分な。どっちが偽名かはこの際どうでも良いが、多分間違いない」

 

 そう言うと、キンジは宿での経緯を話した。そして、レキが瀕死の重傷を負った事も。

 

「レキがッ どうして早く言わなかったのよ!!」

 

 レキの事を聞いて最も反応したのは、喧嘩中のアリアだった。

 

「俺はココに携帯を破壊されていたんだ。連絡できた時は、お前達は携帯の圏外にいたんだよ」

 

 この戦い、情報面でも色々と後手に回っている。

 

 友哉自身、ココの事でキンジと情報共有できたのは、星伽分社で一息ついてからだった。

 

 敵は技術面だけでなく、あらゆる意味で頭が回る様子だ。

 

「キンジ、アリア、友哉、聞け」

 

 理子が神妙な顔つきで、3人を見る。

 

「『減速爆弾(ノン・ストップ)』や『加速爆弾(ハリー・アップ)』の場合、様々な制約上、無線による遠隔起爆が難しい。そんな時は退路を確保した上で、自ら乗り込めと、あたしは奴に教わった」

「つまり・・・・・・」

「乗っているぞ、奴は、この列車に」

 

 理子がそう言った瞬間、

 

 運転席付近で騒いでいた乗客たちが、何かに負われるように雪崩を打って逃げて来る。

 

 武偵達はとっさに身を翻してかわすが、白雪は逃げ遅れて突き飛ばされてしまった。

 

 その時、運転席のガラスを破り、1人の少女が車内に飛び込んで来た。

 

 袖の広い中国の民族衣装に身を包んだ少女は、長い髪をツインテールにし、手には幅広の青龍刀を持っている。

 

 間違いない。口元に不敵な笑みを浮かべたその少女は、鞍馬山で友哉を、比叡山近隣でキンジとレキを襲ったココだ。

 

「ニイハオ、キンチ、ユウヤ、これで立直(リーチ)ネ」

 

 そう言うと、頭上に掲げるようにして右手に持った青龍刀を構える。

 

「この列車、お前達の棺桶になるネッ きひッ」

 

 ココの言葉を受けて、友哉は刀の柄に手をやり、アリアも背中に手を回して小太刀を抜く構えを見せる。

 

 その時だった。

 

 視界の端に、妊婦と、それに縋りつくようにしている数人の子供達が見えた。恐らく、逃げ遅れたのだ。

 

 まずい状況だ。ここは間もなく戦場になる。

 

 それを察した瞬間、真っ先にアリアが動いた。

 

「白雪、茉莉、瑠香、彼女達を救出(セーブ)して!!」

 

 言うが早いか、緋色のツインテールを靡かせて走る。

 

 同時に白雪は、胸の前で手を組んで足場を作る。

 

 アリアが白雪の手に足を乗せると同時に、白雪は放り投げるようにしてアリアを持ち上げ、跳躍をアシストする。

 

 跳び上がる事で白雪と交錯したアリアは、背中から2本の小太刀を抜き放って斬り込んで行った。

 

 その間に、白雪、茉莉、瑠香の3人が妊婦と子供に駆け寄って救助する。

 

 友哉も、刀を抜いてアリアの援護に加わろうとした。

 

 その時、

 

「ッ!?」

 

 瞬間的に察する殺気。

 

 全身を貫かれるような錯覚を感じた瞬間、友哉は躊躇わずに振り向き、抜刀と同時に一閃する。

 

 その一撃が、飛来した弾丸を空中で弾き飛ばした。

 

「やるね、完全に死角を突いたつもりだったんだけど」

「・・・・・・お陰さまで、耳も人より良いもんで」

 

 友哉は刀を構えながら、弾丸を放った人物を見る。

 

 その視線の先には、ハイウェイパトロールマンを構えた坂本龍那が立っていた。

 

「ココが来た以上、あなたも乗り組んでいる事は充分に予想の範囲内でした。なら、奇襲に警戒するのは当然の事です」

「そうかいそうかい・・・・・・」

 

 言いながら、半身後に引き下がる龍那。

 

 その左手は、友哉から見て彼女の体に隠れるような位置に入った。

 

 次の瞬間、

 

「御高説、どうもッ!!」

 

 煙るようなスピードで抜き放たれた龍那の左手には、もう一丁のハイウェイパトロールマンが握られていた。

 

 殆ど同時に、友哉も斬り込む。

 

 放たれる弾丸。

 

 ここは狭い車内。回避できるスペースは限られている。

 

 ならば、

 

 刀を眼前に掲げて振るう友哉。

 

 ギィンッ

 

 友哉は突撃の速度を一切緩める事無く、飛んで来る弾丸を刀で弾く。

 

「ハァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 間合いに踏み込むと同時に、袈裟掛けに刀を振るう友哉。

 

 対して龍那は、

 

 神速で足を振り上げ、ブーツの底で友哉の剣を防いで見せた。

 

「ッ!?」

「フ・・・・・・」

 

 互いに視線が一瞬交錯した。

 

 同時に、互いに押し合うようにして後退する友哉と龍那。

 

 たたらを踏むようにして、数歩下がり、向かい合う両者。

 

 次の瞬間、龍那は踵を返して走りだした。

 

「逃がすか!!」

「ハハッ、ついといで。地獄に案内してやるよ!!」

 

 龍那の背中を追って、友哉も駆けだす。

 

 背後では、尚も激突を繰り返すアリアとココの剣檄の音が、まだ鳴り響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天井に出た龍那を追って、友哉も新幹線の天井へと飛び出した。

 

 既に200キロ近く出ている新幹線の外は、凄まじい合成風力が発生して、立っているのもつらい状況だった。

 

 友哉は素早く踵鈎爪(ヒールフック)をブーツに装着した。これは不安定な足場で戦う際に武偵が用いる、チタン合金製の鈎爪だ。これを装備しておけば、滑りやすい場所でもブレーキを掛ける事ができる。

 

 風にコートをはためかせながら立ち上がると、第2車両である15号車の後部端に立つ龍那の姿が見えた。

 

「来たわね」

 

 ゴウゴウと吹きすさぶ風の中、それでも龍那の声は明瞭に聞こえて来る。

 

 対して友哉は、刀の切っ先を龍那に向けて構える。

 

「名前を聞いた時に、気付くべきでしたね」

「あん?」

 

 友哉の言葉に対し、龍那は怪訝な顔を作る。

 

 友哉は構わず続ける。

 

「あなたの先祖は、日本の海を切り開き、この国が躍進する礎を築いた人物。違いますか?」

「・・・・・・偽名くらい、用意しとくんだったかな」

 

 そう言って、龍那は溜息をつく。

 

 龍那の先祖。

 

 それは、この国で初めて商社を作った、日本の海の開拓者。

 

 幕末の時代、最重要危険人物として幕府に追われながらも、武力によらぬ戦いを選択し、見事に幕府打倒を果たした人物。

 

 その名は、

 

「坂本龍馬」

「御名答。ま、名前聞けば判る人は判るかもね」

 

 そう言って、龍那は肩を竦める。

 

 公式では、坂本龍馬に実子はいない。子供ができる前に、龍馬は何者かの手によって暗殺されてしまったからだ。

 

「・・・・・・けど、実際にはいたんだよ。龍馬の妻、楢崎りょうは、旦那である龍馬も知らないうちに、子供を身籠っていた。そして龍馬が殺された後、おりょうは龍馬の実家の土佐で子供を産んだ。記録だと、男の子だったって話よ」

 

 だが、その後の過酷さは、想像に難くなかった。

 

「結局のところは、お尋ね者の息子だ。父親同様、いつ刺客が来ないとも限らない。そこでおりょうは、折り合いが悪かった坂本家の人間の中で唯一、自分に便宜を図ってくれた龍馬の姉、おとめに息子を託し、離ればなれになったって話さ」

「その子の子孫が、あなたって訳ですね」

 

 友哉の問いかけには答えず、龍那はフッと笑って見せる。

 

 歴史の中に埋もれていく人物と言うのは、数知れない。龍馬の息子もまた、そうした人間の1人だったのだ。

 

「ま、そんな与太話は、今のあたし達には関係ないだろう?」

「そうですね」

 

 言いながら、互いに一歩、前に出る。

 

「この列車にある爆弾、その解除方法を教えてください」

 

 友哉の問いに対し、龍那はフッと肩を竦める。

 

「そう言われて、教える奴がいると思うかい?」

「思いません」

 

 龍那の問いに対し、友哉もあっさり答える。ここまでお膳立てをしておいて、それをあっさり教えたらただの馬鹿だ。

 

 だが、時間がない事も確かである。

 

「だから、力づくで聞き出します!!」

 

 言い放つと同時に、友哉は新幹線の天井を駆けて龍那へと迫る。

 

 漆黒のロングコートを靡かせ、神速の斬り込みを見せる友哉。

 

 対して龍那は、両手に持った2丁のハイウェイパトロールマンを構え、引き金を引く。

 

 撃ち放たれる弾丸。

 

 その軌跡を、友哉は狂い無く見定める。

 

 短期未来予測発動。

 

 発達した視力と、先読みの鋭さが、3秒先の未来に友哉を誘う。

 

 狙いは正確。

 

 それ故に、回避も難しくない。

 

 友哉は僅かに体を傾ける事で銃弾をかわし、龍那へと迫る。

 

 その刃を振り上げ、龍那へと斬りかかる。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

 

 背後から感じた殺気に、一瞬早く身を翻した。

 

 フルオートで着弾する弾丸。

 

 とっさに友哉は、攻撃を諦めて跳躍。龍那の頭上を飛び越える。

 

 勢いを着けて14号車の屋根へと着地し、振り返る。

 

 その視線の先、そこには、

 

 短機関銃UZIを構えた、ツインテールを靡かせた少女が立っていた。

 

「ココ・・・・・・いや・・・・・・」

 

 その立ち姿に、友哉は違和感を感じる。

 

 容姿は間違いなくココだ。その長いツインテールも、中華風民族衣装も、可憐な顔に張り付けた不敵な笑みも、見間違いようがない。

 

 だが、ココは今、アリアと対峙している筈。それがなぜ、ここにいる。

 

 そこで、友哉の頭の中で、バラバラだったパズルが、音を立てて組み合わさった。

 

「そうか・・・双子か・・・・・・」

 

 おかしいと思ったのだ。拳銃、徒手格闘、狙撃に加えて科学技術。どれも極めるには一朝一夕ではいかない。それを、いかにイ・ウーにいたとはいえ、14~5歳の少女が全て極めるのは無理を通り越して不可能だ。

 

 つまり、元からココは双子、2人いたと言う事だ。

 

「キヒッ、流石、飛天の継承者ネ、気付いたアルカ」

 

 言いながらココは、UZIの銃口を友哉へと向ける。

 

「この前の戦いの時は、あの男、邪魔したネ。けど、今日は邪魔、入らないヨ」

 

 言った瞬間、ココは既に仕掛けていた。

 

 放たれる弾丸が、一斉に友哉を襲う。

 

 いかに短期未来予測と言えど、防御不可能な攻撃は防御不可能と告げるしかない。

 

 友哉はとっさに後退しつつ、ココの攻撃を回避した。

 

 だが、今度はそこへ龍那が迫って来る。

 

「あたしも、忘れないでよねッ」

 

 殆どゼロ距離からの攻撃。2丁のハイウェイパトロールマンが火を噴く。

 

「クッ!?」

 

 友哉はその攻撃を、沈み込むようにして回避しつつ、刀を構える。

 

「飛天御剣流・・・・・・」

 

 そのまま龍翔閃を仕掛けようとする。

 

 だが、

 

 一瞬、龍那の足が霞む程の速度で蹴りを繰り出す。

 

 対して友哉は、殆ど本能に従う形で回避。後方宙返りをしつつ、距離を取って着地した。

 

 思い出したように、友哉の前髪が一房落ちて、風に流れて散って行く。

 

 改めて見ると、龍那の右のブーツの爪先から、小型の刃が飛び出ている。

 

 隠し刃。それが友哉を襲った物の正体だ。

 

 龍那は更に左のブーツを床にたたきつけると、その爪先からも刃が現れる。否、両踵からも飛び出し、合計4本の刃が現れていた。

 

「さあ、仕切り直しと行こうじゃないか!!」

「クッ!?」

 

 再び掛かって来る龍那に対し、友哉も迎え撃つように前へ出る。

 

 龍那はハイウェイパトロールマンに残っている全ての弾丸を撃ち終えると、銃をホルスターに戻し、腰から大振りのサバイバルナイフを抜き放った。

 

 これで刃は6本。世にも珍しい六刀流が姿を現した事になる。

 

 その間に距離を詰め、斬り込もうとする友哉。

 

 だが、

 

「やらせないネッ」

 

 ココがUZIを撃ちながら、友哉に挑みかかって来る。

 

 フルオートマシンガンに対して、友哉は殆ど防御手段を持たない。

 

 とっさに回避を行い、かわしきれなかった弾丸については、当たるに任せて防弾コートで防いだ。

 

 更に、距離を詰めようとするココ。

 

 友哉も押されっ放しではない。

 

 前へ出るココに対抗するように、友哉もまた神速の勢いで前へ踏み込んだ。

 

「ハァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 一瞬の弾丸の途切れを突き、斬り込みを駆ける友哉。

 

 だが、その前に龍那が立ちはだかり、友哉の刀を防いで見せる。

 

「クッ!?」

 

 動きを止める友哉。

 

 そこへ、龍那は蹴りを繰り出す。

 

 奔る爪先には、刃が光る。

 

 とっさに鍔競り合いを解除して、後退する友哉。

 

 龍那は追撃とばかりに、鋭い足技を繰り出す。

 

 鋭い回し蹴り。

 

 踵と爪先に仕込まれた刃は、容赦無く友哉に襲い掛かる。

 

 それらを弾き、あるいは後退する事で回避する友哉。

 

 しかも、龍那にばかり気を取られていれば、後方からココの銃撃が襲い掛かってくる。

 

 徐々に追い詰められていく友哉。

 

 その時、背後から風を切る音が響いたのを感じた。

 

 とっさに、前方へ転がり回避する友哉。

 

 そこには、

 

「キヒッ」

 

 先程、下の客室でアリアと戦っていた、もう1人のココが立っていた。

 

 ココ、龍那、ココ。

 

 状況は1対3。

 

 正に、絶体絶命の状況に、友哉は追い込まれていた。

 

 

 

 

 

第7話「エクスプレス・ジャック」      終わり

 



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第8話「死闘、時速300キロ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 友哉が屋根の上でココや龍那と死闘を繰り広げている頃、車内に残った武偵達は必死に走り回っていた。

 

 時間は限られている。何としても、東京駅に到着する前に爆弾を見つけて解体する必要がある。

 

 座席の下や荷物棚。他にもシートの上に置いてある不審物などを注意して見て行く。

 

 だが、どんなに探しても、それらしい物は見つからなかった。

 

「クソッ、いったい何処にあんだよ!?」

 

 苛立たしげに、陣がシートを蹴り付ける。

 

 新幹線の中は広い。たかが10人程度の武偵だけで捜索するには限界があるように思えた。

 

 そこへ、

 

「相良先輩!!」

 

 隣の車両の点検を終えた瑠香が走り込んできた。

 

「おお、四乃森。あったか!?」

「駄目です。何処にも見当たりませんッ」

 

 瑠香も焦りを隠せない。

 

 こうしている間にも、友哉やアリアは戦っている。彼らが頑張ってくれているうちに、何とか爆弾の場所だけでも探さないといけない。

 

「あたし、もう一回見てきます!!」

 

 そう言って駆けだそうとする瑠香。

 

 だが、その肩を、陣は掴んで引きとめた。

 

「な、何するんですか!?」

 

 肩の痛みに、顔をしかめて交互する瑠香。

 

 だが、陣は彼女を振り返らずに、視線は別の方向に向けられている。

 

「どうやら、悠長に探し物やってる場合じゃなさそうだぜ」

 

 呟く陣の視線を辿ると、数人に男が入口付近に立っているのが見えた。

 

 皆、黒いスーツにサングラスを掛け、視線を隠すようにしている。しかし、真っ直ぐに向けられる殺気は隠しようもない。

 

「・・・・・・もしかして、藍幇の?」

「ああ、多分な」

 

 こちらが爆弾解体に動いているのを知って、妨害に現れたのだ。

 

「行け、四乃森」

 

 言いながら、陣は拳を構えて前へ出る。

 

 状況は1対3と不利。ここは瑠香に手伝ってもらうべきなのかもしれない。だが、今はその時間すら惜しい。

 

「ここは俺が押さえる。行け!!」

 

 そう言うと同時に、陣は男達に殴りかかる。

 

 対して男達も、それぞれに構えを取って陣に向かってきた。

 

 狭い車内だ。大人数である事が有利とは限らない。地形をうまく利用し、1対1の状況を作り出せば、それほど労せずに倒せるだろう。

 

 そう考える陣。

 

 だが、

 

 次の瞬間、目を見張った。

 

 3人の男の内、後ろの2人が跳び上がると、それぞれ左右のシートの背足場にして走りながら、陣を挟み込むようにしてすれ違ったのだ。

 

「野郎ッ!!」

 

 とっさに陣は、体を旋回させて殴りかかるが、2人の男はそれをひらりとかわし、そのまま駆け抜けると、うち1人が通路に降りたって陣に向き直り、もう1人は脇目も振らずに瑠香を追っていく。

 

 前の1人と後ろの1人。2人で陣を挟み込んだ構えだ。どうやら、こちらを足止めするつもりだしい。

 

「チッ」

 

 舌を打つ陣。

 

 まんまと裏をかかれ、敵を足止めするつもりが、逆に足止めを食らう羽目となった。

 

「仕方ねえか・・・・・・」

 

 前後を見回しながら、拳を掲げ、改めて構えを取る陣。

 

 この場を突破しない事には、皆を助けに行く事も出来ない。

 

「行くぜ!!」

 

 陣は叫ぶと同時に、前に立つ男へと殴りかかった。

 

 横なぎに振るわれる拳。

 

 対して男は、ふわりと音がしそうなほど、軽やかな足さばきで陣の攻撃を回避する。

 

「クッ、こいつッ」

 

 自身の渾身の一撃を回避された陣。更に殴りかかろうと、足に力を込める。

 

 だが、

 

 ガシッ

 

 それを制するように、背後から足払いを掛けられ、長身の陣は、前のめりに床へと倒される。

 

「グアッ!?」

 

 すぐに起き上がろうとするが、更にその背中にのしかかられ、動きを封じられる。

 

 完全に床に倒れ伏した陣に、容赦のない乱打が襲いかかった。

 

 

 

 

 

 この時、車内の他の場所でも、戦闘が始まっていた。

 

 ココは日本に入国するにあたり、自分が動かせる兵力も連れて来ていた。

 

 今回のエクスプレスジャックに際し、妨害に出てくる兵力を足止めし、分断する為である。

 

 現在、のぞみ246号に乗り込んでいる武偵の内、友哉、キンジ、アリアは敵と交戦中、理子は動きを封じられている。鷹根、早川、安根崎の3人は戦闘力が皆無であり、更に、武藤は既に限界の近かった運転士と交代して新幹線操縦に専念している為、事実上、戦闘技能のある人間は陣、不知火、白雪、茉莉、瑠香の5人のみ。この5人だけで、事態の収拾に当たらねばならなかった。

 

 そこへ、敵の奇襲である。

 

 予想していなかった武偵達は、完全に分断されて、個々に対処せざるを得なくなっていた。

 

 そんな中で茉莉も爆弾捜索中に襲撃を受け、応戦している真っ最中であった。

 

 迫りくる3人の男は素手。

 

 対して茉莉は、菊一文字を抜き放って迎え撃つ。

 

「ハッ!!」

 

 横なぎに振るわれる銀の閃光。

 

 しかし、刃は敵を捉えるには至らない。

 

 茉莉の攻撃に対して、敵3人はそれぞれ、軽くステップを踏むようにして後退し、間合いから逃れていた。

 

 その様子に、茉莉は内心で舌を巻く。

 

 先程から、この繰り返しだ。

 

 敵は閉所での戦闘に慣れている。武器を使わず、素手での戦いを挑んでいる事からも、それは間違いないだろう。

 

 対して茉莉の戦い方は、閉所には向いていない。

 

 神速の移動を可能にする縮地も、このような狭い通路では使う事ができない。殆ど、足を止めての戦いを強いられているような物だ。

 

 それでも、茉莉は退く事が出来なかった。

 

「・・・・・・・・・・・・怪我はありませんか?」

 

 刀を構え直しながら、茉莉は背後に声を掛ける。

 

 そこには、彩と、敦志を抱いた準一の姿があった。

 

 爆弾探索中に、彼らの近くを探そうとした時に襲撃を受けたのだ。

 

「僕達は大丈夫だ。瀬田さん、君こそ無理はしないで。不利だと思ったら退くんだ」

 

 そう言って、準一は茉莉を気遣う。その様子には、降って沸いた緊急事態にも落ち着きが見られる。

 

 文官であっても流石は武偵庁職員。こういう時に、肝が据わっている。

 

 一方の彩は、戦う茉莉の背中を見ながら、唇を噛み締める。

 

「悔しいな・・・・・・」

 

 妻の苦渋に満ちた呟きを聞き、準一は慰めるように視線を向ける。

 

「元Sランク武偵が、こんな時に、まともに戦う事すらできないなんて・・・・・・」

「彩・・・・・・」

 

 彩の手に、そっと手を重ねる準一。

 

 驚いて顔を上げる彩に、準一は優しく笑い掛ける。

 

 そんな些細な事は気にしなくて良い。君がいてくれるだけで、僕たちはどんなに幸せな事か。

 

 その目は、そう語っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時速が250キロを越えた新幹線と言う物は、既に制御された暴走に近い。

 

 まして、その屋根の上で戦うなど、正気のそれでは無かった。

 

 吹きつける合成風の中、人影が4人、対峙している。

 

 1対3。

 

 完成した包囲網の中にあって、友哉は油断なく左右に気を配る。

 

 炮娘(ココ)、龍那、猛妹(ココ)

 

 1人でも厄介な敵が3人。いかに友哉であっても容易ならざる状況だ。

 

 逆刃刀を握る手にも、緊張で汗がにじむ。

 

 そんな友哉の心中を見透かしたかのように、3人はジリジリと包囲網を狭めて来る。

 

「もう、降参する、良いネ」

 

 UZIを構えた猛妹が、口元に笑みを浮かべて言う。既に、彼女達にとって勝利は確定的な状況なのだ。

 

「どの道、お前達、勝ち目ないネ」

「そうそう、それよりもユウヤ。お前も、アリアも、キンチも、藍幇に連れて行くネ」

 

 その言葉を聞き友哉は、やはり、と確信を持つ。

 

 この間、甲が言っていた事は間違いでは無かった。藍幇は自軍の陣営を強化する為に、人材収集を行っているのだ。

 

「藍幇、良いトコよ。お前に何でもくれてやる。女、財宝、取り放題ネ」

 

 その為に派遣されてきた要員が、ココ姉妹と言う訳か。

 

 友哉は無言のまま、刀を持ち上げて構え、切っ先をココ達に向ける。

 

「これが、僕の答えだよ」

 

 確定された宣戦布告。

 

 何よりも確実で、明白な意思表示。

 

 友哉はこの不利な状況下にあって、ココ達に明確にNOと言ってのけたのだ。

 

「・・・・・・こうなったら、仕方ないんじゃない?」

 

 それまで黙っていた龍那が、肩を竦めながら言う。

 

 その手には、再装填を終えたハイウェイパトロールマンが握られている。既に戦闘再開の準備はできている様子だ。

 

「炮娘、どうやらやるしかないみたいネ」

「面倒くさいけど、力づくアルカ」

 

 そう言うと、猛妹が青龍刀を、炮娘がUZIを構えた。

 

 対して友哉も、油断なく逆刃刀を構える。

 

 啖呵を切ったものの、状況が1対3である事には変わりはない。

 

 しかも場所は新幹線の屋根の上。狭い上に風も強く、揺れていて足場も悪い。刀を使う友哉にとっては、ひどく戦いにくい戦場だ。

 

 3人が今にも跳びかかろうと、それぞれに武器を構えた。

 

 次の瞬間、

 

 ダダンッ

 

 2発の銃声が、ほぼ同時に鳴り響くのが聞こえた。

 

 だが、撃たれたのは友哉では無い。

 

 とっさに、猛妹と炮娘は身を翻して、飛んで来た銃弾を回避するのが見える。

 

 振り向く友哉。

 

 そこへ、

 

「待たせたな、緋村」

 

 この場にあって、誰よりも頼りになる声が響き渡る。

 

 遠山キンジは鋭い眼光に笑みを加え、左手に持ったベレッタを真っ直ぐ構えて、ココ達を牽制していた。

 

 その鋭い眼差し。

 

 全てを制するかのような、圧倒的な存在感。

 

 キンジはヒステリア・モードを発動していた。

 

「遅いよ、キンジ」

「悪いな、道が混んでたんだよ」

 

 そう言って肩を竦めるキンジの右手には、デザート・イーグルが握られている。50AE弾を使用する大口径マグナムで、その威力から「世界最強のオートマチック拳銃」と言う異名で呼ばれている。左手のベレッタと合わせて、キンジは二丁拳銃(ダブラ)を構えた事になる。

 

 だが、これでこちらも体勢が整った。

 

 龍那達も、新たなキンジの登場に、警戒心を強めている様子。仕掛けるなら今だった。

 

「行くよ」

「おう」

 

 互いに声を交わす。

 

 次の瞬間、2人は新幹線の屋根を蹴った。

 

 同時に、敵も動く。

 

 ユウヤには龍那が、キンジにはココ姉妹が向かって来た。

 

 龍那は鋭く足を振り上げ、友哉に蹴りかかる。

 

 その爪先と踵には、ナイフが仕込まれている。迂闊に食らえば切り裂かれる事になりかねない。

 

 友哉はとっさに、後退する事で龍那の間合いから回避する。

 

 そこへ、

 

「逃がさないよ!!」

 

 龍那は体を旋回させると、右足を鞭のようにしならせ、後回し蹴りを繰り出した。

 

 既に、回避行動に移って体勢を崩している友哉は、とっさの行動が取れない。

 

「クッ!?」

 

 刀を盾にして龍那の蹴りを防ぐ友哉。

 

 しかし、回転によって威力を増した蹴りにより、友哉は数歩よろける。

 

 ここは新幹線の屋根の上。数歩と言えども、見切り間違えば命にかかわる。

 

 何とか踏みとどまる友哉。

 

 だが、そこへ2丁のハイウェイパトロールマンを構えた、龍那の姿が映った。

 

 放たれる弾丸。

 

 次の瞬間、

 

 友哉は軌道を予測して、宙に大きく飛び上がった。

 

「飛天御剣流・・・・・・」

 

 振り上げられる刀。

 

 急降下すると同時に、高速で振り下ろされる。

 

「龍槌閃!!」

 

 対して、一瞬で防ぎきれないと読んだ龍那は、とっさに後方に跳躍する。

 

 空を切る友哉の剣。

 

 しかし、着地した時には既に、友哉は次の攻撃の動作に入っていた。

 

 龍那の目には、腰を落とし、鞘に収めた刀の柄を握る友哉の姿がある。

 

 神速の踏み込み。

 

 同時に友哉は、刀を鞘走らせる。

 

 それと龍那が足を振り上げるのは、ほぼ同時だった。

 

 ガキンッ

 

 友哉の刀と、龍那のブーツがぶつかり合う。

 

「フッ・・・・・・」

 

 口元に笑みを浮かべ、それでいて龍那は、流れる冷や汗を止められなかった。

 

 龍那のブーツの底には、打撃用の鉄板が仕込まれているが、それを通して尚、衝撃が足を伝い、全身に伝播する。

 

 まともに食らっていたら、一体どれだけのダメージを食らう事か。

 

 情報では、友哉は17歳。まだ少年と言って良い年齢だ。その少年をして、これだけの戦闘力。

 

『こりゃ、ココが欲しがるわけだ』

 

 見れば、キンジとココ姉妹は、1号車の上で激しい空中戦を展開している。

 

 キンジが放つデザートイーグルの威力は凄まじく、ココ達もかわすので精いっぱいのようだ。

 

 ココ達も、1対1では敵わない事が判っているようで、必ずキンジを挟み込むようにしながら戦っている。

 

 それでも拮抗させているキンジは、流石と言うべきか。

 

 友哉と龍那はほぼ同時に、互いに後方に飛んで距離を取る。

 

 その間に龍那は、後退しながらハイウェイパトロールマンを放つ。

 

 その内の1発が、左肩を掠めて行くが、僅かな痛みと共に、友哉は振り払い、再び斬り込んで行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車内では死闘が続いていた。

 

 圧倒的に数に勝る藍幇構成員達は、各所で武偵達を分断し、1対多数の戦闘を展開している。

 

 彼ら全員、大陸で武術を学んだ者達である。中でもココ達は今回、無手での戦闘に優れた者達を厳選して連れて来ていた。

 

 武偵の大半は、銃や剣で戦う事に慣れている。中には陣のように素手のみで戦う者がいない訳ではないが、それでも多くの物が武器に頼った戦い方をする。

 

 戦いが新幹線の中で行われる事は、初めから織り込み済みであった。

 

 車内のような閉所では銃は使えない。跳弾の危険性もあるし、何より万が一弾丸がシステム系統に当たったら一大事である。大事故につながる可能性もある。

 

 よって、武偵達が車内で発砲しないのは想定済みだった。

 

 加えて、ナイフ等も障害物だがある場所では使いにくい。

 

 素手こそが、閉所戦闘において最も有効な手段なのだ。

 

 先頭の15号車付近に現れた敵は、既に白雪と不知火の2人が共同で撃退していた。

 

 陣と茉莉は、未だ交戦中。2人とも、敵が多い為に苦戦は免れないでいる。

 

 そして、瑠香もまた、敵との戦闘に入っていた。

 

 他の者達同様、襲ってきた敵は黒いサングラスに、黒いスーツを着ている。

 

 障害物となるシートを巧みに利用し、瑠香へと迫ってくる。

 

 その数は4人。

 

 瑠香も、手にサバイバル・ナイフを抜いて応戦している。

 

「鷹根先輩は下がっていてください!!」

「ご、ごめんなさい、四乃森さん」

 

 瑠香に声を掛けられ、鷹根は右腕を押さえながら後退していく。

 

 爆弾を探している最中に、彼女が3人の敵に襲われているところに出くわし、とっさに助けに入ったのだ。

 

 一時、奇襲によって鷹根を救出する事に成功した瑠香だったが、すぐに数の差で圧倒される事となった。そこに加えて、瑠香を追ってきたと思しき1人も加わり、今は1対4の戦闘になっている。

 

 銃が使えない上で、数でも圧倒されたとあっては、かなり厳しい戦いとなる。

 

 だが、援護が期待出来る状況でもない。

 

「なら・・・・・・」

 

 この場にあって、自分に最も適した戦い方をするまでだった。

 

 自分は、緋村友哉の戦妹だ。戦兄に恥をかかせるような、無様な戦いはできない。

 

 次の瞬間、4人は一斉に、瑠香へ襲いかかってきた。

 

 1人は背後、3人は正面。

 

 瑠香に逃げ場は無い。

 

 だが、

 

 瑠香は素早く、制服の懐に手を突っ込むと、中から掌サイズのボールを取り出し、床にたたきつけた。

 

 次の瞬間、濛々とした煙が一斉に広がり、車内の視界が一気に塞がれる。

 

 男達の動きが、一瞬止まった。いかに障害物に関係なく動けると言っても、それは視界が効いた状態での事。視界が使えなければ、彼らも自由に動けないのだ。

 

 その中でただ1人、的確に動く影がある。

 

 瑠香は諜報科(レザド)の授業で、暗所戦闘や視覚に頼らない戦闘方法を学習している。それ故に、こうした状況下で、最も有利に立ち回る事が出来るのだ。

 

 音も無く、瑠香は動く。

 

 まだ、敵に動きは無い。

 

 瑠香は袖口に仕込んだワイヤーを射出すると、その先端を敵の1人の足に絡めさせた。

 

 そのまま、思いっきり引っ張る。

 

「うおッ!?」

 

 突然、足を引っ張られ、男は悲鳴のような声を上げた転倒した。

 

 仲間の身に何が起きたのか。視界がふさがれている為確認する事が出来ず、男達の間に動揺が走る。

 

 その間にも、瑠香は動く。

 

 音も無く、素早く。

 

 暗視界戦闘の場合、静かに、無音の内で行動しろ。それが諜報科の授業で教わった事である。

 

 更に瑠香は、倒れた敵の上にのしかかるようにして、その鳩尾に膝を叩きこんだ。

 

「ぐおッ!?」

 

 空気が抜けるような音と共に、意識が刈り取られる。

 

 煙はまだ晴れない。

 

 この煙玉は、四乃森家に伝わる特殊な煙で、普通に紙を燃焼した場合に発生する煙よりも、倍近い時間、大気に滞留する性質を持っている。加えて、ここは空気の流れの無い車内。屋外で使用するよりも長い時間、空気は滞留する事になる。

 

 敵は自分達に有利な戦場を設定したつもりだろうが、この場にあって有利なのは瑠香1人。獲物と狩人の立場が更に逆転していた。

 

 瑠香はナイフを振るい、更に1人を倒す。

 

 行ける。

 

 口元に笑みを浮かべ、内心で自分の勝利を確信する。

 

 このままの戦い方を続ければ、勝てるはずだった。

 

 だが、その時。

 

 ガシャンッ ガシャンッ

 

 ガラスが割れるような音が連続して鳴り響く。

 

 同時に、車内に充満していた煙が、一斉に外へ流れて行く。

 

「なッ!?」

 

 その光景に、瑠香は自分が計算違いをしていた事に気付いた。

 

 確かに、この煙は滞留性が高い。しかし今、新幹線は時速300キロ弱で走行している。その合成風力が合わされば、通常よりも早く煙は流れてしまう。

 

 敵はその事を計算し、窓ガラスを割ったのだ。

 

 突風が、車内に一気に吹き込み、瑠香の姿を隠していた煙が車外へと噴き出していく。

 

「クッ!!」

 

 焦ったように、前へ出る瑠香。

 

 だが、それは敵の思うつぼだった。

 

 残り2人の敵は、一瞬で瑠香に接近すると、ラッシュのような打撃を仕掛けてくる。

 

「アアッ!?」

 

 接近戦闘に慣れている敵を相手に、動きを封じられた瑠香は、あっという間に叩き伏せられ、床に転がる。

 

 見れば、瑠香が倒した2人の敵も、息を吹き返して立ち上がっている。

 

 4人は瑠香を囲み、見下ろしている。今や、立場は完全に逆転している。

 

 最後のあがきとばかりに、瑠香はスカートの下からイングラムM10を引き抜いて持ち上げるが、それも敵の1人が蹴り飛ばしてしまった。

 

 これで終わり。完全に反撃の手段は断たれてしまった事になる。

 

 胸倉を掴まれ、高く持ち上げられる。

 

「う、グッ・・・・・・」

 

 背の低い瑠香の体は、爪先が床から離れ、釣り上げられてしまう。

 

 その瑠香の首を、男は容赦なく締めあげた。

 

 

 

 

 

 屋根の上でも、死闘が続いていた。

 

 16号車上ではキンジVS猛妹、炮娘

 

 15号車上では友哉VS龍那

 

 数の上では劣っているキンジだが、ヒステリアモードの身体能力、思考能力、そしてデザートイーグルの威力を計上し、どうにか戦線を拮抗させている。

 

 友哉もまた、2丁の銃と6本のナイフを武器に襲いかかってくる龍那を相手に、辛うじて互角の戦いを演じていた。

 

「飛天御剣流・・・・・・」

 

 間合いに踏み込むと同時に、友哉は高速で剣を振るう。

 

 縦横に襲い掛る剣は、全方位から龍那へと殺到する。

 

「龍巣閃!!」

 

 斬線が無数に迸る。

 

 だが、

 

「ハッハー!!」

 

 全ての剣を、手にしたナイフで弾いて見せた。

 

 その光景に、友哉も息を飲む。

 

 龍巣閃は、高速の乱撃技であるが故に、回避も防御も難しい。だが、今回、足場があまりにも不安定である為に、充分な威力と速度を剣に乗せる事ができなかったのだ。

 

 だが、仮にそれを差し引いたとしても、無数の斬撃を防いだ龍那の技量には、驚愕を禁じえない。

 

「ほらほら、ボウッとしない!!」

 

 叫びと共に、龍那の足が蹴り上げられる。

 

 その爪先には、鋭く光るナイフが仕込まれている。

 

「ッ!?」

 

 とっさに、後退する事で回避する友哉。

 

 だが、その友哉の目に、

 

 両手に銃を構えた龍那の姿が映った。

 

 その瞬間、友哉は己の失策に気付いた。蹴りは初めから囮。龍那は体勢が崩れた友哉を、初めから銃撃で仕留めるつもりだったのだ。

 

「しまっ・・・・・・」

「もう遅い」

 

 龍那は不敵に笑い、容赦無く引き金を引く。

 

 放たれる弾丸。

 

 友哉はとっさによけようとするが、先の後方への回避運動の影響で、まだ足が床についていない。

 

 次の瞬間、2発の弾丸は友哉の胸を直撃した。

 

「ウグッ!?」

 

 防弾コートが弾丸を完全にストップし、貫通はしていない。

 

 しかし、衝撃によって大きく吹き飛ばされ、友哉の体は15号車の屋根の上へと転がった。

 

「緋村!!」

 

 その光景に、キンジが叫ぶ。

 

 だが、

 

「隙ありネッ」

 

 一瞬の隙を突かれ、背後に回り込んだ猛妹が、その長い髪をキンジの首に巻き付けた。

 

 鞍馬山で友哉にも使った、あの絞め技だ。しかもココは、先の友哉との戦闘における反省点を活かしたのか、キンジの背中に片足を掛けてより効率よく、更に反撃しにくい体勢を取っている。これでは、キンジは絞め技を解除する事も難しい。

 

「クッ キンジ!!」

 

 友の苦境に、とっさに立ち上がろうとする友哉。

 

 だが、

 

 ドガッ

 

 その胸を、ブーツで思いっきり踏みつけられた。

 

「これで、終わりよ」

 

 友哉の胸の足を乗せた龍那が、無情な勝利宣言を下すと共に、その手にあるハイウェイパトロールマンを友哉の眉間に向けた。

 

 踏みつけは凄まじく、起き上がる事が出来ない。

 

 キンジも猛妹に締めあげられ、今にも意識が落ちそうな気配がある。

 

 ここまでか・・・・・・

 

 そう思った時だった。

 

 ビシッ

 

「ウグッ!?」

 

 突然、龍那が背中から何かに殴りつけられたようによろめき、友哉を踏みつけていた足を離してしまう。

 

 更に、

 

 ビシッ、ビシッ

 

「アウッ!?」

 

 キンジを締め上げている猛妹からも、悲鳴が上がった。

 

 見れば、彼女が今までキンジの首を絞めていた長いツインテールは、根元付近でバッサリと断ち切られている。

 

 タターン

 

 遅れて、遠来のように銃声が聞こえてくる。

 

「これは・・・・・・・・・・・・」

 

 立ち上がりながら、呻く友哉。

 

 着弾よりも銃声が遅い。と言う事は、超遠距離からの狙撃だ。

 

 いったい誰が?

 

 振り仰ぐ友哉の目に、新幹線を追いかけるように飛ぶ1機のヘリが映った。

 

 そのヘリのハッチから、身を乗り出すようにしてライフルを構える少女の姿がある。

 

 それは、友哉のよく知っている人物。

 

 呆然と、その名を呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レキ・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第8話「死闘、時速300キロ」     終わり

 



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第9話「闇から延びる手」

 

 

 

 

 

 

 

 飛翔するヘリから、身を乗り出した状態。

 

 新幹線の速度は290キロオーバー。当然、ヘリもそれを上回る速度で飛翔している。

 

 足場も目標も不安定な状態。

 

 しかし、そのような条件など、まるで感じさせない、正確無比な狙撃。

 

 正しく神業。

 

 其は、魔弾の射手と称すべき、神域の狙撃兵。

 

 彼女以外の何者に、このような真似ができるであろうか。

 

「レキ・・・・・・・・・・・・」

 

 立ち上がりながら友哉は、たった今、自分を救ってくれた友人の少女に目を向けた。

 

 レキ

 

 如何なる手段を用いたのかは知らないが、彼女もまた、この戦場に駆け付けてくれたのだ。瀕死の重傷を負ったその身で。

 

 更にレキは、正確な照準の元、3度目の狙撃を敢行。

 

 長い髪を切断されて、驚いている猛妹の足を掠めるようにして弾丸を放った。

 

「阿ッ!?」

 

 その一撃で、猛妹はバランスを崩し、立っている事ができずに屋根に転がる。どうやら、ドラグノフから放たれた弾丸は、足のヒラメ筋を掠め、アキレス腱に損傷を与えた様子だ。

 

「・・・・・・随分と、物騒なお友達がいるじゃないのさ」

 

 狙撃の衝撃から立ち直った龍那が、額に冷や汗を流しながら言う。

 

 レキの奇襲を背中に受けた龍那。万が一、彼女が着ているコートが防弾仕様でなかったら、確実に命を奪われていた。

 

 とは言え、それに対して批判をする気にはなれない。彼女のおかげで危地を脱する事ができたのだから。

 

 どうやらレキは、星伽が所有しているヘリをハイジャックさながらに奪って、ここまで駆けつけたらしい。

 

 キンジがインカムと白雪の携帯電話を経由して、あの比叡山で会った、薪江田と言う星伽お抱えの運転手と交信している。

 

 ヘリは、更に速度を上げる。どうやらレキは、そのまま乗り込んで来るつもりのようだ。

 

「ダメだレキ、やめるんだ!!」

 

 聞こえないと判っていても、友哉は叫ばずにはいられなかった。

 

 その時、

 

《キンジ、緋村、あと10秒で加速だ。300を越えるぞ!!》

 

 インカムから武藤の声が聞こえて来た。

 

 同時に、友哉は進行方向前方を見て、思わずうめいた。

 

 トンネルがある。このままでは、ヘリがぶつかってしまう。

 

 だが、レキは構わず更に加速させる。

 

「蕾姫、鳥を撃つしか能のない、北狄(ベイディ)の分際で!!」

 

 炮娘は叫ぶと同時に、UZIを振り上げ、空中に弾丸をばらまく。どうやら弾幕を張って、ヘリを遠ざけようとする魂胆らしい。

 

 しかし、その程度の事で、魔弾の射手を止める事はできない。

 

 ダァァァンッ

 

 レキは張り巡らされた弾幕に構わず、ドラグノフを放つ。

 

 直撃を受けたUZIは、炮娘の手から弾き飛ばされ、足元に転がった。

 

 レキが新幹線の屋根に飛び降りるのは、それとほぼ同時だった。

 

 降り立つと同時にレキは、銃剣を屋根に突き立ててバランスを保つ。

 

 それを見届けると、最早限界とばかりに、ヘリが高度を上げるのが見えた。

 

 既に、トンネルのある山肌は、至近距離にまで迫っている。このままでは、ヘリだけじゃなく、友哉達も危ない。

 

 ほぼ同時に、屋根の上にいた全員が、その場に伏せる。

 

 次の瞬間、視界が一気に闇へと染め上げられる。

 

 凄まじいまでの気圧の変化が、一同に襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 凄まじい乱打の嵐が、容赦無く浴びせかけられる。

 

 2人の男達は徒手での格闘技を習得した猛者達。その実力は、素手で熊をも倒す事ができるほどだ。

 

 その男達が、2人掛かりで乱打を浴びせた相手は、例外なく地面に這いつくばり、そして二度と起き上がってはこなかった。

 

 今度も例外では無い。

 

 床に倒れ伏した男は、ピクリとも動かず倒れ伏している。

 

 死んだか。

 

 何の感慨も無く、心の中でそれを確認する。

 

 彼等にとってはいつもの事。いつもどおり敵と戦い、そしていつも通り殺したまで。

 

 死体にこれ以上かける時間は無い。他の場所への援護へ行こう。

 

 そう考えて踵を返す。

 

 いつも通りの事じゃない事が起きたのは、その時だった。

 

「おい、何処行くんだよ」

「ッ!?」

 

 背後からの声に、とっさに振り返る。

 

 そこには、たった今倒した筈の男が、床の上で胡坐をかいて座っていた。

 

 動揺が走る。

 

 そんな馬鹿な。

 

 何発も急所に入れ、手ごたえも感じていた。

 

 にもかかわらず、目の前の男は何事も無いかのように、その場に座り、不敵な笑みすら浮かべている。

 

「ったく、散々殴ってくれやがって。ちっとばかし痒かったぜ」

 

 言いながら、陣はわざとらしく体を掻いて見せる。

 

 その様子を見て、男達は再び構えを取る。

 

 陣が言っている事は、恐らく強がりだろうと考えていた。自分達があれだけの攻撃を加えて、無傷である筈が無いのだ。

 

 だが陣は、何事も無かったかのように立ち上がって見せた。

 

 そこへ、男達が襲いかかる。

 

 今度こそ留めを指すべく、必殺の攻撃を繰り出す。

 

 その瞬間、

 

「オッラァァァァァァ!!」

 

 凄まじい勢いで繰りだされた蹴りが、カウンター気味に戦闘の男の顎を捉える。

 

 一撃。

 

 それだけで男は勢いよく空中に持ち上げられた。

 

 勢いはとどまらず、男は首から上が天井の板を突き破って刺さり、宙ぶらりんの状態になってしまった。

 

 仲間を襲った惨状に、あっけにとられるもう1人の男。

 

 その隙を、陣は見逃さない。

 

 右手の拳を握りしめると、勢いのままに突進する。

 

 その様子に、男は怯む。

 

 かつて、カナ、遠山金一は、陣を「人間戦車」と称したが、それは正に、戦車の突撃に等しかった。

 

 陣の突進に、男はただ立ち尽くす事しかできない。

 

「デリャァァァァァァ!!」

 

 打ち抜く拳。

 

 その一撃は、男の顔面を容赦なく捉え、そして吹き飛ばす。

 

 数瞬の浮遊感。

 

 男は背後のドアに叩きつけられ意識を失い、ズルズルと床に落ちて座り込む。そのまま、起き上がってくる気配はなかった。

 

「ま、ざっと、こんなもんだろ」

 

 陣は何でもないという風に、肩を回す。

 

 本当に、一戦終えた事など感じさせない、余裕あふれる態度だった。

 

 

 

 

 

 向かってくる敵の動きを、茉莉は冷静に見極める。

 

 対峙する敵は3人。その身のこなしと、これまでの対峙から、相当な手練である事は充分に理解できる。

 

 対して茉莉には、不利な要素が多すぎる。

 

 高機動戦闘を得意とする茉莉にとって、閉所での戦闘は、翼に重りを付けられたかのような不快感がある。

 

 だが、下がる事はできない。

 

 背後には、彩と準一、そして、まだ幼い敦志の姿がある。

 

 茉莉がここから下がれば、矛先は彼らへと向くだろう。

 

 故に、茉莉は下がらない、一歩たりとも。

 

 茉莉は鋭く眼光を光らせ、向かってくる3人の敵を睨み据えた。

 

 彼女は元イ・ウー構成員《天剣》の茉莉。

 

 これまで、もっと不利な戦場に放り込まれた事など、いくらでもあった。故に、この程度の状況など、不利の内には入らない。

 

 襲い来る敵の動き。

 

 その動きを、茉莉の両眼は完全に捉えていた。

 

 男達が攻撃体勢に入る。

 

 次の瞬間、

 

「フッ!!」

 

 手にした菊一文字を、鋭く一閃する。

 

 一撃。

 

 重さを徹底的に排し、ただ速さ、鋭さのみを追求した一撃。

 

 その攻撃は、友哉の剣閃すら凌駕する。

 

 縮地を完全に極めた茉莉の先祖は、走行中の馬車に追いつき、他者の視界から消え去る程の速度で移動する事が出来たという。

 

 茉莉は、まだその領域には遠い。

 

 しかし、それでも、その剣は刹那の間を凌駕し、一瞬で2人の敵を叩き伏せた。

 

 背中から宙を舞う2人。

 

 そのまま勢い余り、座席を押し倒しながら両者ともに墜落する。

 

 速さは、そのまま力となる。

 

 茉莉の速さがあって、初めて可能となる芸当だった。

 

 だが、

 

 最後に残った敵が、茉莉に向けて拳を振り上げる。

 

 その姿に、茉莉は眼を見開いた。

 

 たった今、渾身の一撃を放った直後である。技後硬直の為、すぐには動く事が出来ない。

 

「くゥッ!?」

 

 頭は必死になって、回避するように警告している。しかし、その焦りとは裏腹に、体は全く動こうとしない。

 

 男の顔が、ニヤリと笑みを刻む。勝利を確信したのだ。

 

 とっさに、防御の姿勢を取ろうとした茉莉。

 

 次の瞬間、

 

 茉莉のスカートが、思いっきり捲り上げられた。

 

「なッ!?」

 

 突然の事に、驚く暇もなく、

 

 いつの間にか背後に回り込んでいた彩が、捲り上げたスカートの下から、茉莉がサイドアームとして装備しているブローニング・ハイパワーDAを抜き放った。

 

 ワンアクションで安全装置を外し、スライドを引くと、右手一本で銃を持ちあげ、銃口は真っ直ぐに男に向けられた。

 

 ダンッ ダンッ ダンッ

 

 立て続けに、放たれる三発の銃声。

 

 至近距離からの銃撃には、いかに鍛え上げた肉体を持つと言っても、ひとたまりもない話であった。

 

 泡を吹いて倒れる男。

 

 対して、彩は苦笑しながら、ゆっくりと銃を下ろす。

 

「やっぱ、鍛錬はしとくものね。あたしも、まだまだ捨てた物じゃないわ」

「お、お見事、です・・・・・・」

 

 めくられたスカートを押さえながら、茉莉は、自分ですら苦戦した敵をアッサリと倒してのけた彩を唖然として見つめていた。

 

 

 

 

 

 ギリギリと、喉を締め付けられる。

 

 既に意識は、細い糸のような物で繋ぎとめられている状態であり、それが途切れた瞬間、瑠香は深い闇の中へと落ちていくだろう。

 

 首を絞められた状態で、天井近くまで持ち上げられた瑠香は、どうにか相手の手を振りほどこうと、必死にもがくが、徒手格闘を極めた相手の握力は凄まじく、万力で締められるように、ギリギリと、指が喉に食い込んで来る。

 

 締めると言うより、喉笛を指で引きちぎられそうな勢いだ。

 

 最早、視界は真っ暗に染まり、殆ど見えなくなっている。血液の流れが著しく遮断された為、ブラックアウト現象が起こり始めているのだ。

 

「ぅ・・・ぁ・・・・・・ぁぅ・・・・・・」

 

 か細い呼吸で、漏れ聞こえる声も呻きにしかならない。

 

 そうしている間にも、瑠香の喉を絞める手は圧力を増して行く。

 

 瑠香を締め上げている男は、ニヤニヤと笑みを浮かべている。

 

 どうやら、この手の嗜虐的な思考の持ち主のようで、瑠香は気付いていないが、先程から僅かな力加減で、指を締めたり緩めたりしている。瑠香の苦しみを長く持続させて、その苦しむ表情を楽しんでいるのだ。

 

 他の3人も、その様子を見てニヤついた笑みを顔面に張り付けている。

 

 瑠香は逃れる事も、落ちる事もできずに、苦しみの中でただ喘ぐしかない。

 

「・・・・・・た、助け・・・て・・・・・・」

 

 瑠香の口から洩れる言葉。

 

 その言葉に、男達の嗜虐的な笑みが強まった。

 

 次の瞬間、

 

 バキィッ

 

 突然、顔面に強い打撃を受け、瑠香を締め上げていた男は、鼻から血を流しながら呻き声を上げる。

 

 その手が、瑠香の喉から放される。

 

 一瞬感じる浮遊感。

 

 しかし次の瞬間、その体は誰かに優しく受け止められた。

 

 その人物の腕の中で、

 

 瑠香は、ようやく血が巡り始め、視界も徐々に回復して行く。

 

 やがて、自分を助けてくれた人物の顔が、うっすらと見えて来た。

 

「・・・・・・・・・・・・え?」

 

 思わず声を上げる。

 

 その人物の事を瑠香は、他の誰よりもよく知っていた。

 

「・・・・・・お・・・・・・お兄ちゃん?」

 

 京都武偵局所属、Sランク武偵 四乃森甲は、その腕にしっかりと妹の体を抱き留め、倒すべき敵をサングラス越しに睨み据えていた。

 

 藍幇に関する調査を進めていた甲は、のぞみ246号の発車直前にココ達の狙いに気付いたのだ。その時には自分で乗り込むだけで精一杯であり、友哉達に報せる時間が無かったのだ。

 

 そこで甲は、友哉達とは別に独自に行動し、事態の鎮圧に乗り出したのだ。

 

「すまん、他の制圧に、少し時間が掛った」

 

 そう言うと甲は、瑠香の体をそっと床に下ろして立ち上がった。

 

 対峙する4人の敵。

 

 だが、甲は臆した様子も無く、悠然と立ち尽くしている。

 

 瑠香自身、甲が戦う所を見るのは初めてである。実家の訓練では何度も剣を交えており、その度に負けて泣かされていたが、実戦を見るのは初めてであった。

 

 4人の敵は、それぞれに甲を取り囲むようにして布陣している。一気に袋叩きにしようと言う腹積もりのようだ。

 

「お兄ちゃん・・・・・・」

 

 いかに甲であっても、相手は閉所戦闘に手なれた者達。数の不利は否めない。

 

「大丈夫だ、瑠香」

 

 そんな瑠香に、甲は静かに告げる。

 

 まるで一切の波紋を排した水面であるかの如く、甲はただ黙したまま、その場に佇む。

 

 その甲めがけて、男達は一斉に襲い掛かる。

 

 四方から迫りくる暴力の嵐。

 

 逃げ場も、死角も、一切存在しない。

 

 対して、

 

 甲は淀みのない動作で、スーツの背から二振りの刃を抜き放った。

 

「あれはッ!?」

 

 思わず、瑠香は目を見張る。

 

 それは二振りの小太刀だった。アリアが使う物よりも若干長いが、友哉や茉莉の刀よりは短い。

 

 甲は幼い頃から、四乃森家に伝わる小太刀剣術を学び、それを実戦で使用可能なレベルにまで昇華させていた。

 

 その攻撃は変幻自在にして必殺。

 

 受けた者は、ただ迸る水に絡め取られたが如く、一瞬にして打ち倒される事となる。

 

 それこそが、徳川300年の御世を影から守り、現代へ連綿と受け継がれし忍びの戦技。

 

 御庭番式小太刀二刀流

 

 銀の閃光が、数回瞬いた。

 

 本当に、それくらいしか知覚できなかった。

 

 気付いた時、

 

 4人の敵は全員、例外なく床に倒れる運命にあった。

 

 刀を収める甲。

 

「お兄ちゃん・・・・・・」

 

 そんな兄を見詰め、瑠香はポツリとつぶやく。

 

 甲は振り返り歩み寄ると、膝を突いて床に座り込んでいる瑠香の頭にそっと手を置いた。

 

 いつも、言葉少ない兄。

 

 だからこそ、その行動だけで、甲の優しさが瑠香には充分に理解できる。

 

 感極まった瑠香は、そのまま兄の胸に飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トンネルを抜け、視界が一気に開ける。

 

 爆発が聞こえなかった所を見ると、どうやら薪江田は辛うじて墜落を免れたらしい。

 

 同時に気圧も元に戻り、友哉達はようやく立ち上がる事ができた。

 

 友哉、キンジ、龍那、炮娘、猛妹。

 

 幸と言うべきか、不幸と言うべきか脱落した者はおらず、全員が健在だった。

 

 そして、

 

 振り返れば最後尾車両の屋根の上で、立ち上がるレキの姿も見えた。

 

 ホッとすると同時に、また別の問題が出て来る。

 

 視界の彼方で、レキがドラグノフを抱えて走りだすのが見える。このまま、戦線に加わる気なのだ。

 

 無謀にも程がある。

 

「キンジ、ダメだ。レキを戦わせちゃッ」

「判ってる!!」

 

 友哉の言葉に、キンジも叩きつけるように答える。

 

 レキは瀕死の重傷を負い、つい昨日、生死の狭間を彷徨ったばかりだ。そんな彼女を、戦わせる事などできない。

 

 キンジは手早くインカムのチャンネルを操作し、車内で待機中の白雪を呼びだした。

 

 そこへ、

 

「何をするつもりか知らないけど、邪魔させてもらうよ!!」

 

 言いながら、龍那が両手、両爪先、両踵の6本のナイフを振り翳して斬りかかろうとする。

 

 だが、

 

「させないッ!!」

 

 友哉は一瞬早く回り込み、龍那のナイフを払う。

 

 友哉の攻撃は龍那を捉えるには至らなかったが、それでも龍那は大きく後退せざるを得なかった。

 

 その隙に、今度は炮娘が動く。

 

 予備のUZIを袖から出し、キンジに向けようとした。

 

 炮娘の位置は、キンジを挟んで友哉の反対側。斬り込むには迂回が必要な為、タイムラグが生じてしまう。

 

 いかに友哉でも、発砲よりも先に斬り込む事は不可能だ。

 

 キンジは尚も白雪と交信中であり、動く事はできない。

 

 炮娘の銃口がキンジに向けられる。

 

 攻撃が成功するかと思われた時、

 

 弾幕のような射撃が、炮娘を襲った。

 

「グアッ!?」

 

 全く予期していなかった攻撃に、炮娘は回避ができず、数発の直撃を食らって後退する。

 

 幸い、着ているチャイナ服は防弾仕様である為、怪我はない。

 

 しかし、

 

 苦々しく顔を上げる、炮娘の視界の先。

 

 そこに立っている友哉。

 

 手には、先程レキの狙撃で炮娘が取り落としたUZIを拾って構えていた。

 

 普段、友哉は全くと言って良いほど銃を使わない。ただし、これは「使えない」訳では決してない。ある程度の距離であるならば、命中させる事はできる。ただ、有効射程距離は、せいぜい4~7メートルと狭く、銃撃戦を行うほどの距離では大して命中率は望めず、かと言って近接拳銃戦に使うには技術が追いつかない。

 

 正に、「帯に短し、襷に長し」と言った所である。その為、実戦では殆ど役に立たないのだ。わざわざ馴れない拳銃の技術を学ぶよりも、幼い頃から磨いて来た飛天御剣流の技を鍛え、更に短期未来予測を強化する事で、近代戦に対抗しようと考えた為、友哉は銃火器使用の選択肢を自ら排したのだ。

 

 その為、この攻撃はココにとっても、全くの予想外だった。

 

 友哉は弾切れになったUZIを車外に投げ捨てると、再び刀を構える。

 

「おのれ、ユウヤ、許さないネッ」

 

 激昂した炮娘がUZIを構え、龍那がナイフを手に、友哉を挟み込む。

 

 このまま集中攻撃を仕掛ける。

 

 そう思った時、

 

《星伽候天流、緋緋星伽神・斬環!!》

 

 インカムから聞こえる、白雪の裂帛の気合。

 

 次の瞬間、

 

 まるで溶鉱炉の炎が迸ったかのような、凄まじい炎が、15号車と16号車の間、連結部を輪切りにした。

 

 その凄まじい炎に、友哉も一瞬、顔を覆ってガードする。

 

 それでもなお収まらない熱量が、周囲を圧倒するほどのエネルギーを振りまく。

 

「これはッ・・・・・・」

 

 見覚えがある。確か、魔剣事件の際に白雪がジャンヌに使った、剣術と炎の超能力を組み合わせた星伽の奥義だ。あらゆる物を切り裂く、魔剣デュランダルを一刀両断したほどの技だ。巨大だが、硬度においては遥かに劣る新幹線を切る事くらい、訳ないだろう。

 

 無論、常識外である事は間違いないが。

 

 レキを戦線離脱させ、尚且つ乗客を助ける為の最善にして最後の策を、キンジは躊躇う事無く実行してのけたのだ。

 

 減速する15号車以下を残し、加速を続ける16号車。その屋根の上には、キンジ、炮娘、猛妹が取り残される。友哉、龍那、そしてレキは15号車に残ったままだ。

 

 その距離も、徐々に開いて行く。

 

 距離にして5メートル以上。友哉なら、まだ余裕で飛び越える自信があるが、恐らくレキには無理だ。

 

 その一瞬、キンジと友哉の視線が交錯する。

 

『無事で・・・・・・』

『そっちもな』

 

 両雄は、互いに視線で語り合う。

 

 だが、事態はまだ終わっていなかった。

 

 速度を全く落とす事無く駆けて来たレキが、15号車の縁に立つと同時に、躊躇う事無く跳躍したのだ。

 

「レキッ!!」

 

 とっさに手を伸ばす友哉。

 

 その一瞬、レキが振り返り視線を合わせて来た。

 

 相変わらず、無機質な瞳。

 

 だが、その瞳の奥に友哉は、何か彼女の強い意思のような物を感じ取っていた。

 

 次の瞬間には、レキの体は空中に放り出されていた。

 

 だが、やはりと言うべきか、全く16号車まで届かない。

 

 このまま転落死するか、と思った時、レキは防弾制服の胸ポケットから何かを取り出し、宙返りしながら、それを自分の後方に投げつけた。

 

 何か小さい物が、宙を飛んでいるのが見える。

 

「あれは、武偵弾ッ!?」

 

 友哉の優れた視力は、その存在を正確に捉えていた。着色からして、恐らくは炸裂弾。

 

 友哉の認識と、武偵弾の炸裂は、ほぼ同時だった。

 

 凄まじい爆発が空中で踊り、友哉や龍那は、一瞬感じた衝撃に、吹き飛ばされないよう、その場で踏ん張るのが精いっぱいだった。

 

 レキは武偵弾炸裂の爆風を利用し、足りない飛距離を稼いだのだ。

 

 その様は、源義経の八艘飛びと称して良いだろう。かつての先祖の技を、子孫であるレキが使って見せたのだ。

 

 衝撃から顔を上げた時、レキが辛うじて、向こうの屋根の上に掴まっている光景が見え、ホッと胸を撫で下ろした。

 

 更なる加速を行う16号車に対して、15号車以下の車両は徐々に減速して遠ざかって行く。

 

 最早、友哉でも追いつく事は不可能だ。

 

「いやはや、命知らずってのは、割と結構いるもんだね」

 

 友哉ともう1人、こちら側に残る事になった龍那が、そう言って肩を竦めている。

 

 既に高速走行による振動は収まりつつあり、事態は収束しつつある事を告げていた。

 

 それと同時に、終局が近付きつつある事を如実に告げている。

 

「・・・・・・そろそろ、決着付けませんか?」

 

 言いながら、逆刃刀を持ち上げて構える。

 

 いよいよ、舞台も大詰めと言った感じだ。

 

 それは、龍那もまた同様の事なのだろう。2丁のハイウェイパトロールマンのシリンダーを確かめると、両手に構えて掲げて見せる。

 

「良いよ。やってやろうじゃないの」

 

 そう言って立った場所は、15号車と14号車の連結部。対して友哉は、切り裂かれた15号車の端に立っている為、ちょうど端と端で対峙する形だ。

 

 距離的には、友哉が絶対的に不利。斬り込むには、車両一両分を駆け抜けなければならない。

 

 だが、龍那の銃にも、最早残弾は1発ずつしか無い状態だ。つまり、それを回避する事ができれば、友哉にも充分に勝機がある。

 

 互いに無言。

 

 既に停止した新幹線の上で向かい合う。

 

 次の瞬間、

 

 動いたのは友哉だった。

 

 一気に床を蹴って、突撃を掛ける。

 

 その速度、正に神速。一瞬にして距離を詰めて来る。

 

 だが、龍那もまた、それは予期した行動だった。

 

 友哉が龍那の攻撃を受ける前に斬り込んで来るには、全速力で突撃を仕掛けるしかない。しかし、全速力を出した場合、視界が物理的に狭まってしまう。

 

 つまり、友哉の短期未来予測も、その能力が制限されてしまうのだ。

 

 龍那が待っていたのは、正にこのタイミングだった。

 

「貰ったよ!!」

 

 必中の確信と共に、2丁の引き金を引く。

 

 放たれた弾丸は、突撃する友哉を迎撃すべく、真っ直ぐに飛翔する。

 

 次の瞬間、

 

 龍那の視界から、友哉の姿が掻き消えた。

 

「ッ!?」

 

 否、友哉は一瞬にして、上空へ跳び上がったのだ。

 

 振り上げられる刀。

 

「さっきの技かッ!?」

 

 明らかな龍槌閃の構え。

 

 先程、一度使っている為、龍那にとって迎撃は容易。

 

 とっさにハイウェイパトロールマンを投げ捨て、ナイフを抜き放ち、急降下に備えた。

 

 次の瞬間、

 

「オォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 友哉は、刀を上段に構え、体を海老反りのように大きく引き絞ると、全身のバネを利用して解放、空中で大きく縦回転を掛けた。

 

「なッ!?」

 

 その光景に、龍那の顔が驚愕に染まる。こんな動きを、予測できる筈が無かった。

 

 突撃と回転の勢いを乗せ、友哉は一気に斬り込んだ。

 

「飛天御剣流、龍巻閃・嵐!!」

 

 立ち尽くす龍那に、成す術は無い。

 

 回転の加わった強烈な一撃は、見事なまでに龍那の右肩を直撃し、新幹線の屋根の上に打ち倒した。

 

 遅れるようにして、友哉も屋根の上に着地する。

 

 手応えは充分。暫くは起き上がれない程の打撃が入った筈だ。

 

 龍巻閃・嵐

 

 先月、父から貰った文献に書いてあった、強力な縦回転を掛ける事によって、威力を強化する、龍巻閃の派生技の1つである。

 

 まともに食らった龍那は、起き上がってくる気配が無い。どうやら、気を失っているらしい。

 

「勝った、か・・・・・・」

 

 呟いてから、東京方面へ続く線路に目をやった。

 

 既に16号車の姿は影も形も見えない。もはや追いつく事は不可能だ。

 

「キンジ・・・・・・レキ・・・・・・」

 

 命運は、今や2人の武偵に掛っている。友哉にできる事は、彼等の奮戦を祈る事だけだった。

 

「頼んだよ」

 

 その時だった。

 

「お見事、やはり、私の見込んだ通りですよ、君は」

 

 背後からの言葉に、

 

「ッ!?」

 

 友哉は振り返りながら、刀を構え直す。

 

 そこには、スーツ姿に、無表情の仮面で顔を覆った男が立っている。

 

 友哉にとっては、忘れる事の出来ない因縁の宿敵。

 

「由比彰彦!!」

 

 いつの間にか現れた彰彦は、まるでそれが当然であるかのように、新幹線の屋根の上に立っている。

 

 腕には、気絶して力の抜けた龍那を抱いて。

 

 彰彦は、スッと左手を上げ、友哉を制してきた。

 

「やめましょう。今日は戦いに来たわけじゃありません。彼女を回収し、この場を退かせてもらいますよ」

「そんな勝手な事はさせません」

 

 言いながら、いつでも斬りかかれるように準備をする。

 

 そんな友哉の言動を当然の如く予期していた彰彦は、用意しておいた言葉を紡いだ。

 

「なら、いっその事、私の仲間になりませんか? 君なら歓迎しますよ、緋村君」

「なッ!?」

 

 突拍子の無い突然の言葉に、流石の友哉も戸惑いを隠せない。

 

 一体、なぜそのような事を言い出したのか。

 

 だが、彰彦は、何処までも本気で言い募る。

 

「間もなく、戦いが始まります」

「戦い?」

「ええ、とても大きな戦いです。戦争と言っても良いかもしれません」

 

 それはこの間、甲も言っていた事だ。間もなく起こるであろう大戦争。その為の陣営強化を、どの組織も行っているのだと。

 

 仕立屋もまた、その例外ではないのだ。

 

「私達も否応なく、その戦いに巻き込まれるでしょう。だからこそ、私たちには君のような存在が必要なのです」

 

 彰彦は悪党ではあるが、非道ではない。守るべきルールは守る男だ。それはイ・ウーとの決戦の折、拉致した瑠香を無傷で戻している事からも分かっていた。

 

 奇妙な話だが、そういう意味で友哉は、目の前の仮面の男を信用している。

 

 だが、

 

「お断りします」

 

 友哉はきっぱりした口調で言った。

 

 それとこれとは、話が別だ。たとえ山のような黄金を目の前に積まれたとしても、友哉は己の志を捨てる気はない。それが武偵を志す、友哉の意志であり、誇りだった。

 

 その言葉に、彰彦は僅かに目を細めた。

 

 目の前の少年を叛意させる事は難しい。それは判り切っていた事だ。

 

 だからこそ、その魂に価値があるという物だ。

 

「・・・・・・分かりました」

 

 未練はあるが、まだ時間はある。ゆっくりと説得すれば良い。

 

 そう言うと、彰彦は右手を掲げて、虚空にある何かを掴んだ。

 

 その体が、徐々に持ち上がっていく。

 

 ハッとして振り仰ぐ友哉。

 

 そこには、いつの間に接近したのか、1機のヘリが滞空していた。

 

 消音ヘリだ。恐らく彰彦は、これを使って走行するのぞみ246号に並走していたのだろう。そして戦闘終了を見計らい、龍那を回収する為に現れたのだ。

 

「また会いましょう緋村君。次はもしかしたら、戦場で見える事になるかもしれませんね」

 

 そう告げると、彰彦は一気に高度を上げて去っていく。

 

 その姿を、友哉は新幹線の屋根の上で、立ちつくしたまま見送っていた。

 

 

 

 

 

第9話「闇から延びる手」      終わり

 



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第10話「X」

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝も明けやらぬうちに、柏崎弘志は葵屋の店の前に立って掃除をしていた。

 

 勤続40年になる弘志にとって、これは毎日の日課であり、老境に差しかかった今でも、誰にも譲る事の出来ない大切な役目だった。

 

 柏崎家は四乃森家と縁が深い。それは緋村家との仲よりも長いくらいだ。

 

 柏崎家もまた、代々御庭番衆の家柄であり、京都における情報網構築は柏崎家の者が行ったのだ。

 

 中でも最も柏崎家が活躍したとされるのは、明治初期に起こった大乱である。

 

 幕末の亡霊と称される1人の男によって率いられた軍勢が、明治政府打倒を目指して、ここ京都において挙兵を行ったのを、緋村抜刀斎や当時の京都御庭番衆が結託して阻止に当たったのだ。

 

 この戦いは正式な記録には全く残っていないが、当時の柏崎家の当主が日記として残していた。

 

 以来、柏崎家は四乃森家に突き従い、この千年王都にあって時代の移り変わりを見守って来たのだ。

 

 掃き掃除も概ね終わり、屋内の業務に戻ろうかと思った時だった。

 

 背後に人の立つ気配があった。

 

 一瞬、物盗りか何かかと思った。

 

 老境に差しかかっている弘志だが、若い頃から今に至るまで体を鍛え続けている。例え若い者であっても、襲い掛かってくるのであれば返り討ちにする自信があった。

 

 だが、背後の相手はなかなか襲い掛かって来る気配が無い。どうやら、物盗りではないらしい。

 

 だとすれば、泊り客か何かだろうか?

 

 そう思って振り返る。

 

「すいません。開店時間までには、まだ少し時間があるんですが・・・・・・」

 

 そう言って相手を見る弘志。

 

 そこで、絶句した。

 

「あ、あなたはッ!?」

 

 目の前には、スーツを着てサングラスを掛けた長身の男が立っていた。

 

 弘志はその男に見覚えがあると同時に、途轍もない懐かしさが込み上げて来るのを感じた。

 

「久しいな、爺」

 

 そう言って、四乃森甲はサングラスを取った。

 

「お、お久しぶりです、坊ちゃま・・・・・・」

 

 腰を追って深々と挨拶すると、慌てたように店内に入って行った。

 

「お、奥様、奥様、大変でございます!!」

「何事だい弘志さん。朝から騒々しいね」

 

 自身が信頼を置く大番頭の調子の外れた声に、弥生は呆れたような声と共に顔を出した。

 

 弘志が慌てる事などめったにない為、珍しい物でも見るかのようだ。

 

 だが、その背後から暖簾をくぐって入ってきた息子の姿に、弥生もまた言葉を失った。

 

「・・・・・・・・・・・・甲」

「ただいま」

 

 口数の少ない男は、そう言って母親に挨拶をする。

 

 その一言だけで、弥生は全てを察した。

 

 甲が実家に戻ってくるのは、決まって大きな事件を解決した時だ。

 

「おかえり」

 

 そう言って、息子を招じ入れる。

 

「すぐにご飯作るよ。今度は、少しゆっくりできるんだろう?」

「ああ」

 

 そう言って頷くと、甲は久しぶりに実家の床を踏んだ。

 

 

 

 

 

 ココが起こした東海道新幹線乗っ取り事件は、居合わせた武偵達、そして彼等の学友の手によって見事に解決を見た。

 

 友哉達と別れ、東京駅目指して暴走を続けたのぞみ246号の16号車では、その後、アリアも戦線に加わっての激戦となった。

 

 驚いたのはココ姉妹で、てっきり双子だと思っていた彼女達は、何と三つ子だったらしい。

 

 15号車以下を切り離した後、長姉の狙姐も戦線に加わった。

 

 徒手格闘の猛妹(メイメイ)、拳銃戦の炮娘(パオニャン)、そして狙撃の狙姐(ジュジュ)の三姉妹に対し、キンジと、アリア、レキが対峙する事になった。

 

 当初は、相変わらず険悪なムードのアリアとレキだったが、キンジの機転で共同戦線を張る事に成功、見事にココ三姉妹を撃退する事に成功した。

 

 問題の爆弾だが、武偵校から援軍としてやってきた装備科(アムド)平賀文(ひらが あや)が爆弾解除に成功、東京駅構内にて停車する事に成功した。

 

 その後、1人逃走に成功していた狙姐が、東京駅構内において現われ、キンジを狙撃しようとしたが失敗、レキに返り討ちにされて目出度く捕縛と相成った。

 

 一方、停車した15号車の方も、その後は何の問題も無く、残っていた藍幇構成員達も全員捕縛され、乗員乗客、全員が救助されるに至り、今事件は解決を見たのだった。

 

 中で、ちょっとした感動劇があった。

 

 猛妹が最初に姿を現した際に救出した妊婦が、収容された静岡の病院で無事に出産を終えたらしい。

 

 赤ん坊は女の子で、母子共に健康状態は良好との事。冗談を抜きにして命のやり取りの連続だった今事件の最後に、このような感動の出来事があった事を、誰もが喜んだものである。

 

 その後、武偵校生徒を含む、東京行きの乗客たちは最寄り駅で臨時列車に乗り、東京まで戻ってきたのである。

 

 これが、一連の事件の顛末であった。

 

 そして、

 

 それから数日間、事件に関わった者達は慌ただしい日々を送る事になった。

 

 事情聴取と司法取引の手続き。武偵校教務課からの呼び出し。勿論、修学旅行Ⅰのレポート提出と寝る間もないほどだった。一同は何日か友哉とキンジの部屋に泊まり込み、そこで共同でレポート作成等を行った程である。

 

 瑠香に至っては京都行きの目的がばれて、担任の教師からこってりと絞られ、結局、レポート作成を行う友哉達と一緒になって、反省文を書かされる羽目になっていた。

 

 そうしてバタバタとした日常に追われる中、ついにその日がやって来たのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瑠香は1人、リビングのソファに腰を下ろして、点けっぱなしのテレビを見るともなしに見ていた。

 

 時刻は11時過ぎ。この時間帯は、瑠香が見たいテレビは何もやっていないのだが、それでも雑音だけは耳に入れておかないと落ち着かなかった。

 

 今日はチーム編成の直前申請(ジャスト)の日。今頃は防弾制服・黒に身を包んだ2年生たちが、チーム申請と写真撮影を行っている筈だ。

 

 友哉と茉莉、それにここ数日泊り込む事の多かった陣も、朝から姿が見えない。

 

 今頃はみんな、写真撮影会場だろう。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 溜息が自然と出てしまう。

 

 さっきから画面の中でやってるお笑い番組の再放送も、さっぱり頭の中に入って来ない。サクラがやっているであろう笑い声だけはひっきりなしに聞こえてきてはいるが、瑠香には一体全体何が面白いのか、さっぱり判らなかった。

 

 抱えた膝に、ギュッと力を入れる。

 

 1人でいる事が、こんなにも寂しい事とは思わなかった。

 

 今頃、友哉達は自分達のチーム編成を行っている筈。

 

 瑠香は入学以来、常に友哉と一緒に戦って来たし、茉莉や陣とも家族以上の関係に馴れていると思っている。チーム編成など無くとも、自分達はチームなんだという自負があった。

 

 だがそれでも、たかが産まれて来たのが1年違うと言う理由だけで、自分1人がハブられるのが悔しかった。

 

「良いなァ、みんな・・・・・・・・・・・・」

 

 瑠香が独り言をつぶやいた時だった。

 

 テーブルの上に置いておいた携帯電話が、着信を告げた。

 

 手に取って見ると、発信者は「瀬田茉莉」とある。

 

「茉莉ちゃん?」

 

 もう写真撮影は終わったのだろうか?

 

 首をかしげながら、電話に出る。

 

「もしもし、茉莉ちゃん。どうしたの?」

《瑠香さん、何してるんですかッ?》

 

 珍しく、少し怒ったような声の茉莉に、瑠香はたじろきながらも答える。

 

「な、何って・・・・・・居間でテレビ見てる・・・・・・」

 

 そう答えると、何やら受話器の向こうで盛大に溜息をつく音が聞こえた。

 

 訳も判らずに戸惑っていると、茉莉が口調を改めて言った。

 

《良いですか。お洋服は瑠香さんのお部屋に置いてありますから。それを着て、すぐに撮影会場まで来てください》

 

 そう言うと、茉莉は一方的に電話を切った。

 

 訝りながら、自分の部屋へ向かう瑠香。

 

 そして、机の上に置いてある服を見て、思わず声を飲んだ。

 

 

 

 

 

 撮影会場では、防弾制服・黒を着た武偵校生徒達で溢れていた。

 

 皆、修学旅行Ⅰの結果、新たにチーム編成を行った者達である。

 

 因みに万が一、修学旅行Ⅰを経てもチームが決まらなかった学生に関しては、教務課(マスターズ)が強制的かつ適当にチームを組ませる措置が取られる事になる。その場合、学生当人同士の仲や相性は一切無視される為、悲惨である。

 

 撮影会場に来た瑠香は、すぐに目当ての人物に見つかった。

 

「瑠香さん、こっちですッ」

 

 茉莉が手を振りまわしている。

 

 今日の茉莉は、普段はショートポニーにしている髪をセミロングに下ろし、少しゆったり目の防弾制服・黒を着込んでいる。

 

 そして、

 

 瑠香もまた、茉莉とお揃いの防弾制服・黒に身を包んでいた。

 

 茉莉の傍らには、同じくスーツタイプの防弾制服・黒を着た、友哉と陣の姿もある。

 

 もっとも、Yシャツのボタンまできちんと止めている友哉に対し、陣はノーネクタイの上、第3ボタン辺りまでだらしなく開けているが。

 

「やっと来たよ、この娘は」

「遅ェぞ、四乃森」

 

 そう言って、2人とも笑みを見せて来る。

 

「あ、あの、これは一体・・・・・・」

 

 ここはチーム編成の為の会場だ。そこになぜ、自分が呼ばれているのか、瑠香には判らなかった。

 

 そんな瑠香に、茉莉が折り畳まれた紙を1枚取り出して見せた。

 

 開いてみると、それはチーム申請用の用紙だった。

 

 

 

 

 

チーム名『(イクス)

 

メンバー

◎ 緋村友哉 (強襲科(アサルト)

 

○ 瀬田茉莉 (探偵科(インケスタ)

 

・ 相良陣 (強襲科(アサルト)

 

・ 四乃森瑠香 (諜報科(レザド)

 

 

 

 

 

 その内容には、驚きを隠せなかった。

 

「何で・・・・・・何で、あたしもチームに入ってるのッ?」

 

 瑠香は1年生であり、正式なチームは組めない筈だった。しかし、何度見直しても、用紙の最後の欄には、瑠香の名前があった。

 

 そんな瑠香に、茉莉が優しく微笑みながら言う。

 

「友哉さんが教務課(マスターズ)に掛け合ってくれたんです。繰り上げで瑠香さんもチームに入れるように」

「友哉君が・・・・・・」

 

 視線を向けると、友哉も微笑んで頷いて来る。

 

 ずっと戦って来たからこそ、瑠香が抜ける事を良しとしなかったのは友哉も一緒だった。

 

 だからこそ教務課に掛け合い、繰り上げ枠で瑠香もチームに編成できるようにしたのだ。

 

「あの、迷惑ですか?」

 

 反応の薄い瑠香に、茉莉はオズオズと言った感じに尋ねる。

 

 勝手にこのような事をした事を、瑠香が怒っているのではないかと思ったようだ。

 

「ううん、迷惑なんかじゃないよ。すごく・・・・・・すごく嬉しい」

 

 1人になると思っていた。

 

 もう、みんなと同じチームでは戦えないのでは、とさえ思っていた。

 

 けど、そんな事は無かった。

 

 この中の誰か1人欠けても、チームでは無くなってしまうのだ。

 

「よっしゃ、そんじゃ一丁、ビシッと決めようぜッ」

 

 陣が力強く宣言する。

 

 既に、人影もまばらになり始めている。写真撮影を終えた生徒達が、会場を後にし始めているのだ。

 

 4人もまた、順番を待って撮影位置に着いた。

 

「チーム・イクス、緋村友哉が直前申請(ジャスト)しますッ」

 

 この写真撮影の際、自分の素性や使用武器、得意技を悟らせないようにする為、わざと斜を向いてぼかすのが習わしである。防弾制服・黒を着るのも、所属を隠す為の一環だった。

 

 中央に立った友哉は、刀を持つ左手を隠すように、半身引いて視線だけをカメラに向け、陣は背中を向けた状態で右に振り返り、横顔を見せる。

 

 茉莉は遠くを見つめるように真横を向き、瑠香は、持ち前の元気さと、チームには入れたのが嬉しい為か、カメラ目線で僅かに笑っている。

 

「9月23日11時23分、チーム・イクス、承認・登録!!」

 

 シャッターを切る蘭豹の大声と共に、フラッシュが焚かれた。

 

 

 

 

 

「でも、良かったんですか?」

 

 撮影が終わって会場を後にする際、茉莉が尋ねて来た。

 

「私なんかが、サブリーダーをやっても・・・・・・」

 

 イクスはリーダーが友哉、サブリーダーが茉莉と言う事になる。これは友哉が考え抜いて決めた事だった。

 

 不安そうな顔をする茉莉に、友哉は笑い掛ける。

 

「構わない。君なら色んな局面に対応できるだろうし」

 

 サブリーダーはいざという時に、リーダーに代わって指揮をとる必要がある。茉莉なら、その役をこなせると、友哉は考えていた。

 

 友哉、茉莉、瑠香の3人は、身のこなしの素早さにおいては武偵校でも屈指である。

 

 速さにおいては他の圧倒し、また戦闘時にも高い機動性を誇っている。

 

 陣は速度は劣るものの、攻撃力と防御力においては並はずれており、足を止めての戦闘ならば並みの相手が10人で掛かっても負けはしないだろう。

 

 友哉、茉莉、瑠香の3人が高速展開を行い、陣が後ろでどっしりと構えて防御や突破役となる。これが、友哉が構想していた布陣だった。

 

 恐らく、他の追随を許さない高速機動部隊となる筈だ。

 

 「速い」と言う事は、それ自体が一つの武器である。

 

 強硬偵察、高速展開、機動援護、奇襲攻撃、通常戦闘、如何なる戦場においても活躍する事ができる。

 

 なぜ、イクスなのか?

 

 そこには「交錯する」と言う意味がある。

 

 強襲科(アサルト)の友哉、諜報科(レザド)の瑠香、元不良の陣、元イ・ウーの茉莉。それぞれに出身する所属の違う4人が、一緒のチームを編成する。その意味を込めてクロスする、即ちイクスと命名した。

 

 いや、それ以前に、

 

 何かチーム名をと考えた時、友哉の脳裏に浮かんだのがXと言う文字だった。それが何を意味しているのか、友哉には判らない。ただ、ひどく懐かしい、それでいてとても大事な何かを思い出したような、そんな気がしたのだ。

 

「よっしゃ、チーム編成祝いの打ち上げだ。これからどっかでパーッとやろうぜ!!」

「おっしゃ、賛成!!」

「良いですね」

 

 そう言って盛り上がっている3人を見ながら、ふと友哉は、左手に持った逆刃刀に目をやった。

 

 この刀を持ち、明治の時代を駆け抜けた男、緋村抜刀斎。

 

 彼は飛天御剣流の理念に則り、時代の苦難から人々を救う為に戦ったのだろう。

 

『僕は、あなたの子孫として、立派に戦えていますか?』

 

 その問いに、返る答えはない。

 

 答は、自分自身のこれからの戦いで見付け、そして勝ち取って行くしかないのだ。

 

「友哉さん」

 

 そんな友哉に、茉莉がそっと語りかけて来た。

 

 彼女の後ろには、陣と瑠香も立ち、笑い掛けて来る。

 

 そう、これからも友哉は戦って行く事になるだろう。

 

 チーム・イクスの仲間達と共に。

 

 彼らと共にある限り、友哉は決して負ける気がしなかった。

 

 

 

 

 

第10話「X」      終わり

 

 

 

 

 

京都編     了

 



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宣戦会議編
第1話「Xの旗の下に」


注:ここからは「にじファン」で第2部として掲載していた物です。
その為、最初はまた、基本的な説明から入ってます


 

 

 

 幕末と言われた時代。

 

 狂気と動乱の巷と化した京都に、1人の剣客がいた。

 

 最強の維新志士と呼ばれた彼の名前は、緋村抜刀斎

 

 修羅さながらに人を斬り、「人斬り抜刀斎」と呼ばれ、人々から恐れられた。

 

 やがて時代は明治に移ると、抜刀斎は何処ともなく姿を消し、その消息を知る者は誰もいなくなった。

 

 

 

 

 

 そして、時代は流れ、時は平成

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 閑静な高級住宅街に、場違いな銃撃音が木霊している。

 

 周囲には立派な屋敷が立ち並び、この不景気な時代にあって、ここだけが日本とは別の場所のようにさえ思える。

 

 その屋敷も、例に漏れない。

 

 高い塀に囲まれ、広い面積を誇る屋敷。住んでいる人間も、某有名企業グループの会長であり、社会的にも有名な人物である。

 

 その会長宅が、今、襲撃を受けていた。

 

 時刻は朝6:00。間もなく、界隈でも出勤の動きが始まろうと言う時間である。

 

 そのような朝の静寂を破る、けたたましい銃撃の音は、誠にありがたくない目覚ましとなっていた。

 

 今から約30分前、突然の来訪者が現われ、奇襲攻撃を仕掛けたのだ。

 

 襲撃者の数は4人。

 

 近年になり、日本における犯罪の規模は増加の一途をたどっている。

 

 その理由の一つとして、銃の密売増加が挙げられる。

 

 小規模組織であっても銃火器で武装しているのは珍しくないこの時代、ある程度性能を求めないのであれば、ハンドガン1丁とマガジン1本分の弾丸が、家庭用ゲーム機よりも安い値段で手に入る。

 

 暴力団の事務所では、警察組織すら凌駕する量の銃が保管されてあるくらいだ。

 

 既に一般人にも被害が出るケースが増えており、日本政府は銃規制法の施行を行い規制の乗り出したものの、密売業者は巧みに法の網を掻い潜る為、一向に増加傾向が収まる事は無かった。

 

 そのような状況に対応し、一般の人々を守るためには、警察のような組織と慣習に縛られて身動きが取れない存在では力不足となりつつある。

 

 一般市民の武偵への期待は、今後ますます高まる事は疑いようのない事実であった。

 

 そして、

 

 この日、会長宅を襲撃した4人もまた、武偵であった。

 

 勿論、無法者宜しく、理由も無く来て暴れている訳ではない。

 

 ここの会長の傘下にある企業は、前々からきな臭い噂が絶えなかった。

 

 表向きはクリーンな企業を装っているが、裏では暴力団と繋がり、裏金作りに余念がないとか。

 

 そして、それらの噂は大半が真実であった。

 

 これまでは巧みに法の網を潜り抜けて来たが、決定的な証拠を押さえた武偵達はついに、明け方を狙って襲撃に踏み切ったのだ。

 

 だが、襲撃を受けた側も、無防備では無い。

 

 世間には内緒で暴力団との繋がりを持ち、敷地内に私兵集団を抱えている彼等にとっては、たかが4人の武偵など物の数ではない。

 

 筈だった。

 

 だが、

 

 

 

 

 

 結い上げたショートポニーを靡かせて、臙脂色のセーラー服を着た瀬田茉莉(せた まつり)は駆ける。

 

 迸る銀の輝きは、旋風のように彼女の周囲を取り巻く。

 

 手にした愛刀、菊一文字を閃かせ、己が敵を次々と打ち倒して行く。

 

 彼女の戦闘開始から、僅か2分。

 

 既に、多くの敵が戦闘不能となって、地面に打ち転がされていた。

 

 勿論、私兵部隊からも反撃が行われる。

 

 向かってくる茉莉を排除すべく、複数の銃口が次々と火を噴いた。

 

 しかし、

 

 飛んで来る銃弾は、彼女の影すら捉える事はできない。

 

 全てが、彼女が通り過ぎた場所を虚しく抉る事しかできない。

 

 あまりに茉莉の速度が速すぎる為、照準が全く追いつかないのだ。

 

 そして懐に入った瞬間、

 

「やッ!!」

 

 斬り上げられる銀の一閃。

 

 その一撃は、男の手から拳銃を弾き飛ばす。

 

 更に、峰に返した一撃が頭部に炸裂し、男は昏倒した。

 

「このガキがァ!!」

 

 仲間が倒れるのを見て、逆上したように残りの銃口が向けられる。

 

 だが、その銃口が茉莉にポイントしたと思った時には、既に目の前に少女の姿は無い。

 

 超高速で移動した茉莉は、彼等の背後に一瞬で回り込んでいたのだ。

 

 気付いた時には既に手遅れ。

 

 数回の閃光が瞬いた後、少女の前には誰も立っていなかった。

 

 

 

 

 

 別の場所では、より豪快な破壊音が鳴り響いている。

 

「おっらァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 飛んで来る銃弾をものともせず、相良陣(さがら じん)は拳を振り翳して突進する。

 

 体には何発も命中弾を浴びているが、怯んだ様子は無い。

 

 陣の体は装甲であり、陣の拳は如何なる物をも打ち抜く砲弾なのだ。

 

 一切の呵責ない突撃に、相手がひるんだ。

 

 そこへ、陣は己の間合いに突っ込む。

 

「らっあァァァァァァ!!」

 

 豪快に拳は唸り、顔面に直撃を食らった相手は、まるで襤褸屑か何かのように大きく吹き飛ばされて背中から地面に落着した。

 

 当然、それ以上起きて来る気配は無い。完全に気を失っていた。

 

 陣に真正面から懐にまで入り込まれた相手は、慌てたように銃を構え直す。

 

 しかし、既に距離にして1メートルも無い。近接拳銃戦(アル=カタ)でも使えない限りは、銃の使える距離では無い。

 

「遅ェッ!!」

 

 体を旋回するように振るう拳は、如何なる障害をも粉砕してのける威力を秘めて迸る。

 

 受けた相手は、顎を砕かれ、ろっ骨を叩き折られ、その場にて悶絶して行く運命にあった。

 

 

 

 

 

 圧倒的多数の兵力を擁しながら、僅か4人の敵に蹂躙されている状況は、彼等にとって信じがたい物だった。

 

 武偵達の進撃速度は異常だった。戦闘開始わずか数分で、セキュリティによる防衛網を切り崩されてしまった。現在、どうにか邸宅内に詰めていた部隊も戦線に加わって応戦している状態である。

 

 戦線はまだ、広い前庭で辛うじて膠着状態に持ち込んでいるが、このままでは突破されるのも時間の問題だろう。

 

「おい、もっと火力の強い銃を倉庫から出して来い!!」

「わ、判った!!」

 

 奇襲を受けた為、殆どの人間が拳銃等の小火器しかもっていない。だが、地下の武器庫へ行けば、アサルトライフルなどの強力な銃が保管されている。

 

 勿論、そんな物を保有している事がばれたら、それだけで銃刀法違反の適用となるのだが、この際、その程度の些細な事に拘っている暇は無かった。目の前の4人の武偵さえ倒せれば、後はどうとでも言い逃れができる筈だ。

 

 指示を受けた者達は、急いで武器庫の鍵を取り、地下へと続く階段へと向かった。

 

 急いで、そこから強力な武器を取って来ないと、味方は全滅しかねない勢いだ。

 

 と、

 

 急ぐ足が、何かに引っ掛かった。

 

「え?」

 

 視線を足元へ向けると、何やらワイヤーのような物が転がっており、その先端には丸いピンが結ばれている。

 

 恐る恐る、視線を上げると、足元の壁に並べられ、複数の手榴弾がテープで固定されていた。

 

「ッ!?」

 

 悲鳴さえ上げる暇は無い。

 

 次の瞬間、衝撃が容赦なく襲い掛かって来た。

 

「よし、作戦成功ッ」

 

 四乃森瑠香(しのもり るか)は、噴き上がる爆煙を見て、会心の笑みを浮かべる。

 

 仲間達から離れ、1人先行した瑠香は、不利になった場合、敵は武器を調達する為に動くだろうと考え、武器庫へと続く場所へ罠を仕掛けておいたのだ。

 

 慌てている時程、人は足元がおろそかになりがちである。誰も、自分達が普段歩く所に爆弾が仕掛けられているとは思わないだろう。

 

 勿論、手榴弾の炸薬は減らしてあり、音は派手だが炎は大して上がらず、衝撃もせいぜい、人1人をはね飛ばす程度でしか無い。武偵である以上、人の命を奪わないようにする配慮は基礎中の基礎である。

 

 だが、トラップとしてはそれで充分だった。

 

 既に前庭の戦いは、茉莉と陣の活躍によって制圧しつつある。残るは本丸だけだ。

 

「後は任せたよ」

 

 囁くような言葉は、自分達のリーダーへ向けて信頼と共に放たれた。

 

 

 

 

 

 屋敷中から鳴り響く銃声と破壊の音は、奥の執務室にも聞こえて来ていた。

 

 自身の財力を誇示するかのような会長執務室は、贅の限りを尽くした調度品で埋め尽くされている。壁には世代も作家もバラバラな芸術品が飾られ、成金の趣味の悪さが見て取れた。

 

「い、いったい、どうなっておるのだッ!?」

 

 護衛3人に守られる形で、中央の椅子に座った男は震えている。小太りで、およそ戦闘には無縁と思われるこの男こそが、この屋敷の主である。

 

「会長、御安心ください。敵は少数、それもガキばかりです。程なく、制圧は完了するでしょう」

「ほ、本当か?」

「ええ。我々はプロですので、学生武偵如きに後れは取りませんよ」

 

 私兵部隊の隊長は、そう言って請け負う。

 

 中東の紛争地帯で傭兵部隊を指揮していた経験があるこの隊長の言葉は、何よりも安心感がある。普段は荒くれ者と毛嫌いしているが、こう言う時は誰よりも頼り甲斐があった。

 

 それを肯定するように、程なく、銃声は鳴りやみ、屋敷内に静寂が訪れた。

 

「・・・・・・お、終わったのか?」

「ざっと、こんなもんですよ」

 

 肩を竦める隊長。後は不遜にも屋敷に『押し入った賊』の亡骸を処理すれば、全てが終わる。

 

 その時、

 

 正面の扉が開き、部下の1人がゆっくりと部屋の中に入ってきた。

 

「おう、片付いたか。ご苦労だったな」

 

 彼は前線の指揮を取っていた腹心の部下だ。彼がここに来たと言う事は、全て終わったと判断して良いだろう。

 

 だが、隊長の言葉に対して、何の反応も見せようとしない。

 

「おい、どうした? 報告をしろ」

 

 怪訝な面持ちになる隊長。

 

 その言葉に促されたように、ようやく口を開いた。

 

「・・・・・・つ、強ェ」

 

 絞り出すように、それだけ呟くと、膝をガクリと折り、その場に仰向けに倒れた。

 

「なッ!?」

 

 息を飲む一同。

 

 代わって、

 

 1人の少年が倒れた男の背中から現れた。

 

 臙脂色の武偵校制服の上から、漆黒のロングコートを羽織っている。赤茶色の長い髪を背中まで伸ばしており、色白で線の細い顔は少女のような印象すら受ける。

 

 そして、その手には一振りの日本刀が握られていた。

 

「他は全て制圧しました。投降してください」

 

 緋村友哉(ひむら ゆうや)は、静かな口調で語りかける。

 

 その手で10人以上の敵を倒しながら、一切の息の乱れは無い。

 

 その様に、会長は上ずった声を上げる。

 

「馬鹿を言うなッ 高い金を払って組織した私兵部隊だぞ。たかが4人のガキ相手に全滅など・・・・・・」

「あなたの見解はどうでも良いです。現実として、この屋敷に残っているのは、もうあなた達だけですから」

 

 言いながら、手にした逆刃刀を持ち上げて構える。

 

「この野郎!!」

 

 隊長を含む3人の護衛が、一斉に銃を構えた。

 

 だが、次の瞬間、

 

 シルエットが霞む程のスピードで斬り込んだ友哉は、逆刃刀を一閃。護衛2人を一撃のもとに叩き伏せる。

 

「なッ!?」

 

 声を上げたのは、私兵部隊の隊長である。

 

 あまりの速度の為、目で追う事すらできなかった。気付いた時には、2人の人間が倒れていた感じである。

 

 信頼していた部下が手も無く倒された事で、ようやく目の前の相手が単なる「ガキ」ではない事を認識していた。

 

「おのれッ」

 

 とっさに、銃口を友哉に向ける隊長。

 

 しかし、

 

 その時には既に、

 

 友哉は隊長の懐へと入り込んでいた。

 

 刀は右手一本で弓を引くように持ち、左掌を寝せた刃の腹に当てた構え、膝をたわめて、低い姿勢から見上げるような格好になっている。

 

「飛天御剣流・・・・・・」

 

 隊長は慌てて距離を置こうとする、が、最早既に遅い。

 

 翼を得た龍は、天空を目指して雄々しく飛翔する。

 

「龍翔閃!!」

 

 振り上げられる刃。

 

 瞬間、

 

 銀の一閃は、圧倒的な速度で持って襲いかかる。

 

 一撃を顎に受けた隊長は、容赦無く意識を刈り取られ、背中から大きく吹き飛ばされて宙を舞い、床へと落着した。

 

 その光景を、会長は信じられない面持ちで眺めている。

 

 自身が築き上げてきた物が、一瞬にして崩壊する様が、正に目の前で展開されているのだ。

 

 仰向けになり、口から泡を吹いて、体は痙攣を繰り返している隊長。もはや、簡単に起き上がって来ることはなさそうだ。

 

 最後の敵を倒した友哉は、その鋭い眼光を会長へと向けた。

 

「ヒィッ・・・・・・」

 

 人知の越えた光景を目の当たりにし、会長は小太りの体を倒し、その場に尻もちを突く。

 

 その会長の喉元に、友哉は切っ先を突きつけた。

 

「これで終わりです」

 

 静かに告げる友哉。

 

 視線は鋭く細められ、射抜くように会長を見据えている。

 

 対して会長は、ガバッと身を投げ出して額を床に擦りつける。

 

「た、頼む、見逃してくれッ 金ならいくらでもくれてやるッ」

 

 全ての護衛を倒され、最早逃げる事もできなくなったため、最後のあがきに出たのだ。

 

「お前が好きなだけ、金をやる。武偵は金で動くんだろう。だから・・・・・・」

「武偵憲章三条」

 

 友哉は会長の言葉を遮って、鋭く口を開いた。

 

「『強くあれ、ただし、その前に正しくあれ』。僕達を懐柔できるとは思わない方が良いですよ」

「そ、そんな・・・・・・」

 

 崩れ落ちる会長。

 

 最早、全ての抵抗は無意味だった。

 

 彼の人生は、たった4人の武偵の前に潰え去ったのだ。

 

 と、人の気配を感じ、友哉は振り返る。

 

「終わりましたね」

「よ、お疲れさんッ」

「やったね、友哉君」

 

 瀬田茉莉が、相良陣が、四乃森瑠香が、それぞれ笑みを見せて労いの言葉を掛けて来る。

 

 釣られるように、友哉も笑みを返す。

 

「ああ、みんなも、お疲れ様」

 

 それは戦闘時とはうって変わって、穏やかな口調であった。

 

 彼等は仲間だ。かけがえのない、友哉の仲間達だ。

 

 東京武偵校所属、チーム・(イクス)

 

 彼等は数多の戦場を疾風の如く駆け抜ける、最速の機動部隊である。

 

 

 

 

 

第1話「Xの旗の下に」      終わり

 



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第2話「宣戦会議への誘い」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 チーム・イクスは9月23日に結成された武偵チームである。

 

 緋村友哉をチームリーダーとして頂き、サブリーダーには瀬田茉莉、そして相良陣、四乃森瑠香の計4人で構成されている。

 

 友哉、茉莉、瑠香と、武偵校でも屈指の俊足を取りそろえ、展開速度に置いては他のチームの追随を許さない、東京武偵校最速を誇る、高速機動部隊である。

 

 今回の任務は、教務課(マスターズ)からの直接依頼(オーダー)に基づくものであった。

 

 裏で暴力団とも繋がりのある企業グループ会長を調査し、黒と判断された場合は突入、制圧も許可する、という内容だった。

 

 事実上、イクスとして初めて臨む事になる任務は、探偵科(インケスタ)所属の茉莉と、諜報科(レザド)所属の瑠香の調査により、暴力団との繋がり、更にはそこから流れる裏資金の存在も察知したイクスは、夜明けを期して制圧作戦を敢行した。

 

 事は、完全なる奇襲となった。

 

 敵側は、このイクスの動きを全くと言って良いほど掴んでいなかったのだ。

 

 既に、敵側には厄介な私兵部隊を雇っている事を掴んでいたイクスは、持ち前の俊足を如何なく発揮して敵の防衛ラインを次々と突破、本丸である邸宅へと迫った。

 

 この際、最も頼りになる存在は、陣の存在であろう。人間離れしていると言っても過言ではない防御力と攻撃力を持つ陣である。何発銃弾を食らっても怯む事すらしない陣の存在は、敵に取って恐怖に映った事だろう。

 

 そうして敵の防衛ラインがズタズタになったところで、他のメンバーが次々と突撃した。

 

 最後は、リーダーである友哉が、主犯である会長の逮捕に成功し、早朝の捕物劇は幕引きとなった。

 

 後続してきた車輛科(ロジ)に捕縛した連中を預けると、友哉達は帰宅の途についた。

 

 そして、

 

 その日の昼休み、友哉は教務課に出頭し、事件解決の報告を行っていた。

 

「はい、それではご苦労様でした」

 

 目の前に立った友哉に対し、ほんわかした声で労いが掛けられる。

 

 凡そ、武偵校と言う物騒な場所に似つかわしくない、おっとりした口調は探偵科教師にして、友哉の所属する2年A組担任である高天原ゆとり先生の物だ。

 

 一見すると、何処にでもいる優しそうな女教師だが、任務中に受けた頭部の負傷により戦えなくなるまでは「血塗れゆとり(ブラッディー・ユトリ)」の異名で呼ばれ恐れられた凄腕傭兵であったと言う話だ。

 

「今回は、チーム・イクスとして初めての任務でしたね。どうでした、感想は?」

「そうですね。戦闘時の連携は上手くいったと思います。みんな、思っていた通りに動いてくれましたから。ただ、情報収集の段階で、もう少し効率を上げる必要があると思いました」

 

 教務課のオアシスとも言うべきゆとりが相手なら、友哉も緊張せずに話す事ができる。これが綴梅子や蘭豹だったら、話す度に心臓が口から飛び出そうな感覚に陥る事だろう。

 

「では、そこの所を、チームメイトの皆さんと話しあい、今後の活動に活かして下さい。後は、そうですね、通信科や情報科の子たちのチームと連携するのも良いかもしれません」

「はい、判りました」

 

 餅は餅屋という言葉もある。情報に関する事は専門のチームに頼る方が効率的だ。勿論、相応の報酬を別に用意する必要が出て来るが。

 

 今回も、その選択肢が無かった訳じゃない。

 

 だが、友哉は今回だけは、イクス単独で任務に当たる事に拘った。何しろ、記念すべき最初の任務である。感傷的である事は自覚しているが、それでも友哉は自分達だけでやる事にしたのだ。

 

 勿論、その背景には仲間達に対する全幅の信頼があったからこそだが。

 

 とにかく、チーム・イクスの発任務は大成功の内に完了したのだった。

 

 ゆとりから今回の任務に対する報酬の書類を受け取り、友哉は教務課を後にした。

 

 廊下の窓から見える景色も、緑の中に黄色や赤が混じるようになっている。

 

 9月も今日で終わりとなる。

 

 修学旅行Ⅰ、チーム編成と大きなイベントが終わった武偵校内は、どこか浮ついたような印象を受ける。

 

 廊下を歩きながら、友哉はそんな事を考えていた。

 

 まあ、無理も無いだろう。何しろ、一般の高校と同じように、間もなく武偵校にも学園祭の季節がやってくるのだ。

 

 一般とは教育方針が違う武偵校であっても、学園祭は楽しみなイベントの一つである。

 

 勿論、武偵校のイベント宜しく、色々とこなさなくてはならない事もあるのだが、それを差し引いても学園祭が楽しみなイベントである事は間違いない。

 

 そこでふと、友哉は足を止めた。

 

 視線を前方に向けると、そこには友哉を待ち構えるように、見慣れた3人の人物が立っているのが見えた。

 

 向こうも、友哉の姿を見付け、手を振って来る。

 

「よう、お疲れさん」

 

 陣はそう言って、口元に笑みを浮かべて来る。

 

 イクス随一の突破力を誇る長身の男は、如何なる戦場であっても不動の信頼感を感じる事ができる。

 

「どうでした、報酬の方は?」

 

 茉莉が、少し控えめに尋ねて来る。

 

 俊足揃いのイクスの中にあって、最速の機動力を誇る少女である。彼女が本気で走れば、友哉ですら追いつく事はできない。冷静沈着で教養も高く、サブリーダーにはうってつけの人材である。

 

「ねえねえ、これからみんなで何か食べに行こうよ」

 

 この中で1人、1年生の瑠香は、無邪気にそう言う。友哉の幼馴染であり武偵校では戦妹と言う、友哉が直接指導を行う後輩である少女は、戦闘力こそ他の3人には届かないが、強硬偵察や先行潜入によって活躍し、戦闘のアシストを行ってくれた。

 

 3人に対し、友哉も笑顔で応じる。

 

「そうだね、報酬も入った事だし。どこかで打ち上げするのも悪くない」

 

 言いながら、ゆとりから受け取って来た書類を掲げて見せる。

 

 武偵校では一般教養の科目は午前中で終わり、午後は訓練や各専門学科の履修や、依頼された任務の遂行に当てる事ができる。

 

 今日は早朝から任務に当たっていたのだ。少しくらい休んでも単位には響かないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 武偵校のある学園島は東京湾岸のお台場沖に浮かぶ人口浮島、通称「学園島」にある事もあり、武偵校生徒、特に寮暮らしの生徒が遊びに出る場合、大抵、お台場になる事が多かった。

 

 友哉達も例にもれず、お台場にやってくると、適当な店を見付けて入り、テーブル席についた。

 

「て言うか、相良先輩。今日はちゃんと自分でお金払ってくださいよ」

「んだよ、硬い事言うなよ」

 

 釘を刺す瑠香の言葉に、陣はばつが悪そうに反論する。

 

 陣は食い逃げの常習犯、と言う訳ではないのだが、他人と食事に来ると、大抵の場合、一緒にいる人間に払わせている。その為、イクスメンバー以外の者は、誰も陣と食事に行きたがらないのだ。

 

 陣は元々、このお台場一帯を仕切っていた不良グループの顔役を務めていた。それが、今から半年前の四月、とある事件で友哉と戦い、敗れた後に、司法取引と言う形で武偵校に編入されてきた。以来、数々の戦場を共にし、友哉にとっては最も頼りになる友人の1人となっている。

 

 後発組と言えば茉莉もそうだが、彼女の場合はもっと異色である。何しろ、元は世界最大の犯罪組織と言われたイ・ウーの構成員であり、陣よりも直接的に友哉達と敵対する立場にあった。彼女もまた、戦いの後、司法取引で武偵校へと編入されたのだ。

 

 様々な立場の人間が集まる武偵校の中にあって、イクスは様々な人間が寄り集まって結成した異色のチームであと言える。

 

「・・・・・・友哉さん、どうしました?」

「・・・・・・おろ?」

 

 名前を呼ばれて、友哉は我に返る。

 

 考え事をしている内に、つい没入してしまっていたようだ。気付いたら、茉莉が怪訝そうな顔でメニュー表を差し出して来ていた。

 

「みんなもう決まりましたよ。後は友哉さんだけです」

「何だ友哉、まだ疲れてんのか?」

 

 からかうような陣の言葉に、友哉は何も話さず無言で笑みを返す。

 

 確かに、少し疲れがあるのかもしれない。まだイクスとして活動を開始したばかりであると言うのに、感傷を覚えるのは早い気がした。

 

 適当にメニューを眺め、カレーセットを頼むと友哉は再び自分の思考の中へと入った。

 

 感傷に耽る訳じゃないが、この半年の間、本当に色々な事があった。

 

 4月には《武偵殺し》峰・理子・リュパン4世が起こした爆弾騒ぎやハイジャック事件に巻き込まれた。陣と初めて会ったのもこの時である。

 

 5月には茉莉も関わった魔剣事件が勃発、星伽白雪の誘拐を狙って来た《デュランダル》ジャンヌ・ダルク30世と地下深くで死闘を繰り広げた。

 

 6月には、敵だった少女、理子の依頼により、伝説上の存在だとばかり思っていた吸血鬼《無限罪》のブラドや殺人鬼《黒笠》と対決した。

 

 7月には元イ・ウーナンバー2の《砂礫の魔女》パトラが起こした事件に巻き込まれ、最終的にはイ・ウー本拠地にまで乗り込み、世界最強の名探偵と刃を交えるに至った。

 

 8月には茉莉の実家がある長野で、彼女の故郷を守るため、巨大な権力者と戦った。

 

 そして9月、修学旅行Ⅰで行った京都で藍幇構成員であるココ3姉妹に襲われ、最終的にはエクスプレスジャックにまで及んだ。

 

 正に、息つく暇も無く戦って来た感じである。

 

「友哉さん、どうしたんですか?」

 

 会話に加わらず、虚空を眺めていた友哉に、再度、茉莉が声を掛けて来た。

 

「もしかして、どこか具合でも悪いんですか?」

「おいおい、無理すんなよ」

「友哉君、大丈夫?」

 

 様子を見ていた陣と瑠香も、身を乗り出して、心配そうに視線を向けて来る。

 

「い、いや、本当に大丈夫だよ」

 

 友哉はそう言って苦笑する。

 

 一緒に戦うだけじゃない。こうして、自分の事を気遣ってくれる友達でもある。

 

 だからこそ、友哉は彼等に対し無二の信頼を寄せる事ができるのだった。

 

 

 

 

 

 食事の後、陣は昔の仲間達と会う約束があると言って別れ、瑠香と茉莉も、2人で買物に行くと言った為、友哉は1人で学園島まで戻る事になった。

 

 瑠香と茉莉は、多分生活用の小物や、服を見に行ったのだろう。

 

 2人で出かける時は、大抵、瑠香が行き先を決めて、茉莉がそれについて行く、と言う形になる場合が多い。

 

 イクスで一番年下ながら面倒見の良い瑠香は、どこか浮世離れした儚げな印象のある茉莉を妹のように可愛がっているのだ。

 

 勿論、年齢は茉莉の方が上である。しかし、その茉莉もまた、自分を可愛がってくれる瑠香を実の姉のように慕っている。

 

 言わば、年齢逆転姉妹とでも言うべきか。奇妙な関係である事は間違いないが、それでうまくいっているのだから世の中不思議である。

 

 本来なら、このような関係はあり得ないだろう。特に武偵校は上下関係に殊更厳しい場所である。万が一、他のチームでこんな事があろうものなら、即座に上級生から修正が行く事だろう

 

 特に、茉莉はイ・ウーにいた頃、瑠香と剣を交えている。普通に考えれば、このような良好な関係を築く事は難しい。

 

 だが現在の2人を見る限り、夏ごろに一度、大喧嘩をした以外は仲が拗れると言う事も無く、傍から見て、本当の姉妹以上に仲が良い物を感じる事ができた。

 

 そんな事を考えていると、バスはトンネルを抜けて学園島に入った。

 

 友哉達が暮らす第3男子寮は学園島の端にある為、まだあと10分程はバスに揺られている必要があった。

 

 その時、まるで計ったように、携帯電話が着信を告げた。

 

 一応、マナーモードにはしてあるが、今はバスが混む時間帯では無い為、数人の武偵校生徒が乗っているだけだ。だから、電話に出ても迷惑にはならないだろう。

 

 友哉はポケットから携帯電話を取り出して、液晶を確認する。

 

 画面には「ジャンヌ・ダルク」と書いていた。

 

「おろ、ジャンヌ?」

 

 情報科(インフォルマ)所属の友人であり、かつてイ・ウーにおいて「銀氷の魔女」と言う異名で呼ばれたジャンヌからの電話と言う事で、友哉は首をかしげた。

 

 友人である事は確かだが、友哉とジャンヌは各別に仲が良いと言う訳ではない。仲が良さで言えば、元イ・ウー構成員同士の茉莉や理子の方がジャンヌとは仲が良い筈だ。

 

 向こうから電話を掛けて来る事自体が珍しい。

 

 訝りながら、友哉は電話に出てみた。

 

「もしもし、ジャンヌ、どうしたの?」

《緋村か。昼休みになったら姿が無かったから、校内を探してしまったぞ》

 

 責めるようなジャンヌの口調。どうやら、手を煩わせてしまったようだ。

 

「ごめんごめん、何か用事があったの?」

《そうだな。あ、いや・・・・・・》

 

 言い掛けて、ジャンヌは言葉を止めた。何か考えるように数瞬沈黙してから、もう一度口を開いた。

 

《やはり良い。お前の寮のポストに手紙を入れておくから、それを見てくれ。全てはそれに書いてある》

「おろ?」

 

 随分とアバウトな話である。用があるなら、今言えば良いのに。

 

 余程事情が複雑なのか、あるいは、電話では話しづらい事なのか・・・・・・

 

 そんな友哉の思考を読んだのか、ジャンヌは念を押すようにもう一度言う。

 

《必ず読めよ。重要な事が書いてあるからな》

「うん、それは構わないけど・・・・・・」

 

 必要以上と思える程に声を潜められたジャンヌの声に、友哉はそれ以上追及する事もできなかった。

 

 電話が切れると、友哉も携帯電話をポケットに戻した。

 

 ジャンヌの様子は、何やら緊迫感めいた物を感じる事ができた。

 

 ジャンヌは生真面目な性格をしており、言ってみれば委員長タイプの人間だ。先祖がフランス軍を指導する立場にあった影響もあるのだろう。それ故に、タチの悪い冗談は決して言わない。

 

 彼女がああ言った以上、本当に何かが起こっているのかもしれない。

 

 バスが第3男子寮前で停まると、友哉はその足で玄関へと向かう。

 

 中に入り、メールボックスを確認すると、確かにジャンヌからと思われる手紙が入っていた。

 

 取り急ぎ部屋へと戻り、蝋封がされた封筒を開いて、中から手紙を取り出した。

 

 が、

 

「よ、読めない・・・・・・」

 

 手紙は達筆なフランス語で書かれており、全くと言って良いほど読み取る事ができなかった。

 

 英語ですら、若干の日常会話がせいぜいの友哉である。フランス語などテレビ以外で聞いた事が無かった。

 

 手紙をテーブルに投げだそうとした時、文末に日本語で書かれている事に気付いた。

 

『どうせお前は読めないと思うから、裏に日本語で書いておく』

 

「・・・・・・・・・・・・えっと、ジャンヌ、喧嘩売ってる?」

 

 だったら最初から日本語で書けと言いたい。

 

 手紙を裏にめくって見ると、確かに日本語で書かれていた。

 

 

 

『緋村友哉殿

 

10月1日 夜0時

空き地島南端、曲がり風車にて待つ

武装の上、1人で来るように

 

ジャンヌ・ダルクより』

 

 

 

 何やら、果たし状めいた物騒な文面である。

 

 空き地島と言えば、学園島からはレインボーブリッジを挟んで北側にある何もない島である。そんな場所に、深夜に呼び出して一体何をしようと言うのか?

 

 まさか、本当に決闘をする訳でもないだろう。そもそも、ジャンヌから決闘を申しこまれる謂れが思い当たらない。今更、魔剣事件の恨みと言う訳でもないだろう。

 

 とにかく、0時に来いと言うのだから行くしかない。

 

 友哉は手紙を丁寧に折り畳み、鞄に仕舞った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空き地島は風力発電用の風車が立っている以外は、その名の通りだだっ広い空き地が広がっているだけの浮島である。それでいて学園島と同じだけの面積があるのだから余計に広く感じる。

 

 ジャンヌが指定した曲がり風車とは、一本だけ、根元付近から折れた風力発電用の風車を差している。

 

 4月に理子が起こしたハイジャック事件の名残である。あの時、墜落寸前にANA600便は、キンジの機転で空き地島に降りる事になった。その際、飛行機の機首は、その風車に当たって停止したのだ。

 

 不時着した機体は既に撤去され、折れ曲がった風車だけが残されていた。

 

 深夜

 

 友哉は同室の茉莉と瑠香が寝静まるのを待って、寮を出た。

 

 漆黒の防弾コートを羽織り、手には鞘に収めた日本刀を持っている。

 

 コートは薄手の新素材を使用した物で、軽量で、体の動きに対する阻害要素を極限すると同時に、通気性を考慮し夏でも着れるようになっている。

 

 刀は逆刃刀と言い、こちらは先祖伝来の物だ。峰と刃が通常とは逆になっており、普通に振るっても相手を斬り殺す事は無い。

 

 この2つが友哉のメイン武装となる。銃火器全盛の時代に刀一本しか装備が無いのは非合理的に思えるが、元々銃火器の扱いはそれほど上手くない事に加えて、自身の能力をフル活用すれば、火力不足を補い得ると判断している友哉が銃を使う事は無かった。

 

 モーターボートを浮島に停め、友哉は梯子を使って上陸する。

 

 いったいジャンヌは、こんな時間にこんな場所で何をしようと言うのか。

 

 訝るようにして足を進める。

 

 周囲には霧が発生していて、あまり遠くを見通す事ができない。振り返れば、レインボーブリッジのシルエットすら霞んで見えるほどだ。

 

「・・・・・・この霧は」

 

 少し違和感のような物を感じる。

 

 霧は空き地島を中心に発生している。というよりも、空き地島の周囲にしか発生していない。こんな狭い範囲で霧が発生するなど、ありえない筈だ。

 

 その時、

 

「緋村、お前も呼ばれたのか」

 

 背後から声を掛けられ振り返ると、そこには見慣れた男子生徒の顔があった。

 

「キンジ?」

 

 探偵科所属のクラスメイトである遠山キンジが、面倒くさそうな足取りでこちらに近づいて来るのが見えた。

 

 元々、武偵をやめたがっており、武偵活動においてもあまり積極的とは言い難い少年だが、HSS、ヒステリアモードと言う特殊な体質により、ここ一番と言う時には高い戦闘力とカリスマ性を発揮して味方を引っ張ってくれる存在である。

 

 現在は神崎・H・アリア、峰理子、星伽白雪、レキから成るチーム「バスカービル」のリーダーを務めている。

 

「お前も、ジャンヌに呼ばれたのか?」

「うん、そうだけど、キンジも?」

 

 友哉の問いに、キンジも頷きを返す。

 

 判らない。本当に、ジャンヌは何をするつもりなのか。

 

「遠山、緋村、こっちだ」

 

 深い霧の中からジャンヌの声がしたのは、その時だった。

 

 近付いてみると、銀色の軽装甲冑を着込み、手には聖剣デュランダルを携え、完全武装の様相だ。

 

「ジャンヌ、こんな夜中に呼び出したりして、一体どうしたの?」

 

 説明も無しにこのような場所に連れて来られ、友哉としてもこのフランス少女に一言言わねば気が済まない気分だった。

 

 だが、ジャンヌは友哉の問いかけに答えず、緊張の面持ちのままデュランダルを杖のようにして地面に突き立てている。

 

「間もなく0時です」

 

 頭上から静かに呟かれた言葉に、キンジと友哉が振り返ると、そこには曲がり風車に腰掛けて1人の少女がいた。

 

 レキだ。狙撃科(スナイプ)の麒麟児と言う異名で呼ばれ、この間の修学旅行Ⅰでは、意外な血統が明らかになった無口少女である。

 

 レキの言葉を待っていたように、異変は起こった。

 

 複数の強烈なライトが一斉に点灯し、霧の中を照らし出す。同時に、視界の外で次々と気配が動くのを感じた。

 

「な、何だ!?」

 

 警戒の声を上げるキンジ。

 

 友哉も刀の柄に手を掛け、いつでも抜けるように準備する。

 

 光の中に現われた者達。その姿はマチマチで、全く統一感と言う物が無い。

 

 ガタイが3メートル以上ありそうな者、逆に子供くらいしか無い者、男、女、中には普通に見える者もいるが、このような所に来ているくらいだ、普通でない事は容易に想像がつく。

 

 そして、1人1人がとんでも無い存在感を発している。まともに戦ったら勝利は覚束ないだろう。

 

「先日は、うちのココ姉妹が、とんだご迷惑をおかけしました」

 

 そう言って、糸のように細い目をした男が、キンジと友哉に頭を下げて来た。中国の民族風衣装を着ており、更にはココ姉妹の事を話題にしている所を見ると、どうやら藍幇の関係者であるらしい。

 

 少し離れた地面に、何やら黒い影のような物が、ゾゾゾゾゾゾと動いているのが見え、思わず息を飲んだ。最近、立て続けに超人奇人を相手にしており感覚は麻痺しがちだが、それが異常な光景である事は間違いない。

 

 やがて、影の中から黒いゴシックロリータ調の服を着て、日傘を差した金髪ツインテール髪の少女が現われ、薄笑いと共に友哉とキンジをねめつけて来た。

 

「お前達が、リュパン4世と共にお父様を倒した男達か。信じがたいわね」

 

 呟く少女の背には、黒い蝙蝠の羽のような物が付いているのが見える。

 

 3メートル近い巨大な影は、最早人型すらしていない。体の各所からガトリングガンやらロケットランチャーやらが飛び出て、まるで歩行型の戦車のようだ。

 

 その向こうでは、白い法衣に身を包み、大剣を背負った女性と、大きなとんがり帽子に漆黒のローブ、肩には大きなカラスを従えた魔女が、何やら剣呑な雰囲気で睨みあっている。

 

「仕掛けるでないぞ、緋村、遠山の。今宵は86年ぶりの大戦で、儂も気が立つがの」

 

 そう語りかけて来たのは、いつの間にか傍らに来ていた、和服を着た小柄な女の子だ。顔立ちは日本人風だが、髪は鮮やかなきつね色をしている。そして、驚くべき事に、頭部からは、本当に狐のような、尖った耳が飛び出ている。

 

 他にもトレンチコートを着た男性、毛皮のような物を頭から被って顔を隠した少女、ピエロのようなメイクを顔中に施した男等がいる。

 

 1人として、まともな者はいない。その全てが、一騎当千と呼んで過言でない者達だ。

 

 更に、

 

 友哉達の視界の中で、金色の砂金がキラキラと輝くのが見えた。

 

 この光景には、見覚えがある。

 

 とっさに振り返る、その視線の先、

 

「ホホホ、久しぶりぢゃな、トオヤマキンジ、ヒムラユウヤ」

 

 かつてウルップ島沖のアンベリール号船上で戦った砂礫の魔女、パトラが不敵な笑みと共に立っている。

 

 そしてパトラの横に立つ人物にも、見覚えがあった。

 

「金一さん・・・いや、カナさん・・・・・・」

 

 かつて敵として、そして味方として戦ったカナ。キンジの兄である遠山金一がヒステリアモードの状態で手を振っているのが見えた。

 

 そして、

 

「こんばんは、緋村君。良い夜ですね」

 

 あまりにも聞き慣れた声。

 

 そして、あまりにも聞きたくない声。

 

 振り返ると、スーツ姿に無表情の仮面をつけた痩身の男が友哉を見詰めるように立っている。

 

「由比彰彦・・・・・・」

 

 4月の事件以来、幾度も剣を交えて来た「仕立屋」を名乗る、友哉にとっては宿敵と呼んで差支えない男。この男も呼ばれていたらしい。

 

 緊張の為に、友哉は逆刃刀を握る手に汗が浮かぶのを感じる。

 

 もし、この場で彼ら全員が激発すれば、止められないどころの騒ぎでは無い。間違いなく学園島は海に沈む事になる。

 

 それらの一同を前にして、発起人らしきジャンヌは前へと出た。

 

「では、始めようか。各地の機関・結社・組織の大使達よ。|宣戦会議(バンディーレ)。イ・ウー崩壊後、求める物を巡り、戦い、奪い合う我々の世が、次へと進む為に」

 

 それが後に、「極東戦役」の名で呼ばれる事になる大戦の幕開けとなった。

 

 

 

 

 

第2話「宣戦会議への誘い」      終わり

 



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第3話「開戦の夜」

 

 

 

 

 

 暗く、深い闇。

 

 一切の光は差さず、一切の希望も見出せない地

 

 まるで神話にある地獄に通じるような、絶望と怨嗟が交錯する地。

 

 約450年の長きに渡り、この国の命運を操作してきたこの場所で、

 

 地上の動きをじっと見つめる目がある事に、誰もが気付いてはいない。

 

「・・・・・・ついに、始まったか」

 

 闇から絞り出されると錯覚するほど、おどろおどろしい声が鳴り響く。

 

 聞き咎める者のいないこの場所において、この声の主のみが唯一の語り部であり、聞き手でもある。

 

 辛うじて、男の声であるとのみ判別できるその声は、地獄の主を思わせるほどしわがれ、元がどのような声であったか、知る者は既にない。

 

 だが、その声音には、ある種の歓喜のような色がある事が覗える。

 

「今代の大戦、場所がこの極東の地であった事は、慶賀すべき事かな」

 

 この時が来るのを、実に星霜とも思える時を越えて待ちわびた甲斐があった。

 

 幾万の屍の山を作り、幾億の悲しみを築いたとしても、手に入れねばならない事がある。

 

 全ては、この国の未来の為に。

 

「必ずや、緋弾は我等が手に帰さねばならぬ」

 

 しわがれた声が、再び闇の中から響き、とけるような沈黙と共に消え去って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 緊張のあまり、この場で卒倒してしまわないのが不思議である。

 

 居並ぶ面々を警戒の面持ちで眺めながら、緋村友哉は全身から流れ出る汗を止める事ができなかった。

 

 ジャンヌの招集によりやってきた空き地島。武偵校から目と鼻の先のこの浮島で、このような場面に出くわす事になろうとは。

 

 傍らに立つキンジ、ジャンヌ、レキ、そして辛うじて、先程気軽に話しかけて来た狐耳の少女くらいしか、味方と呼べるものはいない。後は、明確に味方とは言い切れないかもしれないが、かつて共に戦った経験のあるカナも、信用に値する人物ではある。

 

 後は正直、信用のおけない者達ばかりだ。中には、いきなり攻撃を仕掛けて来てもおかしくないような殺気を放っている者までいる。

 

「初顔の者もいるので序言しておこう。かつて我々には、諸国の闇に自分達を秘しつつ、各々の武術・知略を伝承し、求める物を巡り、奪い合って来た。イ・ウーの隆盛と共にその争いは休止されたが・・・・・・イ・ウーの崩壊と共に、今また、砲火を開こうとしている」

 

 ジャンヌは緊張の面持ちで口を開く。何やら、大会前にやる、開会宣言みたいな印象がある。

 

 それにしても、イ・ウー。

 

 2か月前に友哉やキンジが、首領であるシャーロック・ホームズ、アリアの曽祖父と戦い、壊滅に追い込んだ巨大犯罪組織。

 

 そのイ・ウーが、今回の会合に関係しているらしい。

 

「皆さん、あの戦乱の時代に戻らない道は無いのですか?」

 

 一歩前に出て柔和な声で言ったのは、白い法衣に身を包んだ女性だ。この中では比較的まともな部類に入るように思える。

 

 白人特有の端正な顔立ちと、首と顔以外覆った白い法衣、小さなロザリオを持っている事から推察すると、ローマのバチカン関係者なのかもしれない。恐らくシスターなのだろう。

 

 だが、その背には身の丈をも超える巨大な大剣を背負っているのが、何ともアンバランスに思えた。

 

「バチカンはイ・ウーを必要悪として許容してきました。彼の組織が高い戦力を有しているからこそ、平和が保たれているのだと。結果として、長きに渡る休戦が実現できたのです。その尊い平和を保ちたいと思いませんか? 私はその事を伝える為に、今夜、バチカンからここにやって来たのです」

 

 やはり、思った通りバチカンの関係者だったらしい。

 

 シスターはそう言って、胸の前で十字架を切って祈りを捧げた。

 

 だが、

 

「できるわけねえだろメーヤ、この偽善者が」

 

 混ぜっ返すように吐き捨てたのは、メーヤと呼ばれたシスターの斜め後ろにいた、黒いローブの魔女だ。彼女は最初から、メーヤとは険悪な雰囲気を出していた。

 

 14歳程度の外見をした女性は、見た目そのままに魔女的な格好をして、髪はおかっぱ風に切りそろえている。目には眼帯をし、その表側には旧ナチスのハーケンクロイツが書かれていた。

 

「おめェら、ちっとも休戦してなかったろーが。デュッセルドルフじゃアタシの使い魔を襲いやがった癖に。平和だァ? どの口がほざきやがる」

「黙りなさい、カツェ=グラッセ。この汚らわしい不快害虫」

 

 カツェと呼ばれた魔女の言葉に、メーヤもまた舌鋒鋭く応じる。その様は、先程おっとりと和平を解いていた時とは、驚くほどの豹変ぶりだ。

 

 思わず、離れて様子を見ていた友哉とキンジがのけぞったほどである。

 

「お前達魔性の者共は別です。存在そのものが地上の害悪。殲滅し、絶滅させる事に何のためらいもありません。生存させておく理由が、聖書のどこにも見当たりません。祭日に聖火で黒焼きにし、屍を八つ折にして、それを別々の川に流す予定を立ててやっているのですから、ありがとうと良いなさい、ありがとうと。ほら、言いなさい! ありがとうと! ありがとうと!」

 

 早口でまくし立てるメーヤ。これは最早、二重人格と呼んで差支えが無いレベルの豹変ぶりだ。

 

 対してカツェも、嘲笑を持って応じる。

 

「ぎゃははは! おうよ、戦争だ! 待ちに待ったお前らとの戦争だ! こんな絶好のチャンスを逃せるかってんだ! なあヒルダ!!」

 

 カツェが話しかけた相手は、長い金髪をツインテールに結び、漆黒のゴシックローリタ調の服を着て、背中には蝙蝠のような翼を生やした少女である。

 

「そうね、私も戦争大好きよ。良い血が飲み放題になるし」

 

 そう告げるヒルダと呼ばれた少女の太股、スカートとニーソックスの間の部分に、白い目玉の刺青模様がある事を、友哉は見逃さなかった。

 

 その模様には見覚えがある。確か、5月に戦った《無限罪》のブラドの体にも、似たような物が刻まれていた。

 

 つまり、彼女もまたブラドと同じ吸血鬼。それも、先程の言葉を聞くに、ブラドの娘であると判断できる。

 

「ヒルダ・・・・・・一度首を落としてやったのに、あなたもしぶといですすね」

「首を落としたくらいで竜悴公姫(ドラキュリア)が死ぬとでも? 相変わらずバチカンはおめでたいわね。お父様が話して下さった何百年前も昔の様子と、何も変わらない」

 

 睨みつけるメーヤに対して、ヒルダは小馬鹿にした口調で応じる。こちらも険悪な関係であるらしい。

 

「和平、とおっしゃりましたがメーヤさん」

 

 のほほんと、声を掛けたのは、中国民族衣装を着込んだ、細目で痩身の男だ。一見すると普通の中国人に見えるが、これだけ異形が揃ったメンツの中にあって、男の顔には余裕の笑みが刻まれている。

 

「それは非現実的と言う物でしょう。元々我々には長江のように長きに渡り、黄河のように入り組んだ因果や同名のよしみがあったのですから。ねえ」

 

 そう言って、見上げた先にいるレキを、細い目で睨みつけた。

 

 男の言葉を受けて、ジャンヌが再び口を開いた。

 

「私も、できれば戦いたくはない。しかし、いつかはこの時が来る事は前から判っていた。シャーロックの薨去と共にイ・ウーが崩壊し、我々が再び乱世に陥る事はな。だからこの『宣戦会議(バンディーレ)』の開催も、彼が存命の内に取りきめられていた。大使達よ、我々は戦いを避けられない。我々は、そう言う風にできているのだ」

 

 ジャンヌの言葉は、皮肉にも、この場にあっての平和的解決の道を閉ざす物に他ならない。味方である彼女自身が、その可能性は無いと否定しているような物だ。

 

 とは言え、ジャンヌに非は無い。むしろ、彼女は無秩序な騒乱の調整役として、この場にあるように思えた。

 

 恐らく、闇の世界では今まで、イ・ウーと言う巨大組織が曲がりなりにも抑止力としての効果を担っていたのだろう。

 

 皮肉な話だが、いつの時代も平和を維持するのは、非現実的で黴の生えた平和主義の理想論では無く、強大な力であると言う事だ。

 

 だが、そのイ・ウーも、今は無い。言うなれば世界はタガが外れた状態になっているのだ。

 

 最早、戦いは待った無しの状態にある。それをジャンヌが調整する事で、激発をギリギリ押さえている状態だ。

 

「では、古の作法に則り、まず三つの協定を復唱する」

 

 ジャンヌの言う協定とは、言わば戦争条約みたいなものだ。実際の戦争にも、核使用や生物兵器使用を禁じた条約が存在している。それと同じだった。

 

 曰く、

 

 

 

1.いつ何時、誰が誰に挑発する事も許される。戦いは決闘に準ずるものとするが、不意打ち、闇討ち、密偵、奇術の使用、侮辱は許される。

 

2.際限無き殺戮を避けるため、決闘に値せぬ雑兵の戦用を禁じる。これは第1項より優先する。

 

3.戦いは主に「師団(ディーン)」と「眷属(グレナダ)」の双方の連盟に別れて行う。この往古の盟名は歴代の烈士達を敬う上、永代改めぬものとする。

 

 

 

 要するに、戦いは決闘形式で行うが、その際に多少卑怯な事をしても許される。ただし、無駄な犠牲を減らす為に、大兵力を投入する事は禁止する。勢力は師団と眷属の二派に分かれて行う。と言う事らしい。

 

 ただし、第3項だけは付記があり、どの勢力にも属さない中立、無所属、黙秘も許される、と言う事だった。

 

「続けて、連盟の宣言を募るが、まず私達イ・ウー研鑽派残党(ダイオ ノマド)は『師団』となる事を宣言させてもらう。バチカンの聖女メーヤは『師団』。魔女連隊のカツェ=グラッセ、それと竜悴公姫・ヒルダは『眷属』。よもや鞍替えは無いな?」

 

 ジャンヌの問いかけに対し、メーヤは胸の前で十字を切って答える。

 

「はい。バチカンはもとより、この汚らわしい眷属を討つ『師団』。殲滅師団(レギオン・ディーン)の始祖です」

「ああ、アタシも当然『眷属』だ。メーヤの仲間になんてなれるもんかよ」

「聞くまでもないでしょう、ジャンヌ。私は生まれながらにして闇の眷属よ」

 

 メーヤ、カツェ、ヒルダ。初めから敵対関係にあるらしい3人は、いち早く旗色を明らかにする。

 

「あなたもそうでしょう、玉藻?」

 

 ヒルダから話を振られたのは、キンジの傍らにいる狐耳の少女だ。

 

 見れば玉藻と呼ばれたこの少女、耳だけでなく尻尾まで生えている。ますますもって、人外の域にある。

 

「すまんのう、ヒルダ。儂は今回『師団』じゃ。未だに仄聞のみじゃが、今日の星伽は基督教会と盟約があるそうじゃからの。パトラ、お前もこっちゃ来い」

 

 どうやらこの玉藻と言う少女、こう見えて裏世界ではそこそこに顔が効く存在であるらしい。

 

 話を振られたパトラは、指先で水晶玉を回しながら答える。

 

「タマモ、かつて先祖が教わった諸々の事は感謝しておるがのぅ。イ・ウー研鑽派(ダイオ)の優等生どもには私怨もある。今回、イ・ウー主戦派(イグナティス)は『眷属』ぢゃ」

 

 玉藻の誘いを断ってから、パトラは傍らのカナに振り返って尋ねる。

 

「あー・・・・・・お前はどうするんぢゃ、カナ?」

「創世記41章11、『同じ夜に私達はそれぞれ夢を見たが、そのどちらにも意味が隠されていた』。私は個人でここに来たけど、そうね『無所属』とさせてもらうわ」

 

 どうやらカナは、参戦はするものの積極的な交戦をするつもりは無いらしい。

 

 パトラはカナの答えに、何やら肩を落としている様子だったが。

 

 そのパトラの額を突いて弄るカナの、更に奥に立つトレンチコートの男が次いで口を開いた。

 

「ジャンヌ。リバティ・メイソンも『無所属』だ。暫くは様子を見させてもらう」

 

 その時、

 

「LOO・・・・・・」

 

 声なのか、音なのか。

 

 3メートル近いガタイを持ち、全身から武装を突き出した歩行戦車のような人物が発した。

 

 LOOと言う言葉? のみを繰り返すその人物。勿論、何を言っているのか判らない。

 

LOO(ルー)よ。お前がアメリカから来ているのは知っていたが、私はお前を良く知らない。意思疎通の方法が判らないままであれば、『黙秘』したと判断するが、良いな?」

 

 ジャンヌの問いかけに、LOOは、僅かに頷いた(ような気がした)。

 

 次いで、

 

「『眷属』・・・なる!!」

 

 元気いっぱいと言った声が、霧の中にこだまする。

 

 見れば、獣の皮を頭から被った少女が、声を振り上げていた。

 

 一見すると、インディアンッぽい雰囲気のある子供にしか見えないが、その背後には彼女の体の数倍はあろうかと言う巨大な斧が鎮座している。しかも少女は、それを片手で軽々と操っているのだ。

 

「ハビ・・・『眷属』!!」

 

 日本に来るに当たって、それだけを覚えて来た、と言う風情だ。

 

 僅かに見えた素顔の額からは、2本の角のような物が突き出ているのが見えた。

 

「我々、仕立屋も『無所属』と言う事にします、ジャンヌさん」

 

 言ったのは、友哉達から僅かに離れた場所に立っている由比彰彦だった。

 

「ただし、先にカナさんや、リバティ・メイソンの大使殿が言ったように、様子見、と言う意味での無所属ではありません」

「どういう意味だ?」

 

 尋ねるジャンヌに、彰彦は仮面越しの笑みを見せながら答える。

 

「御承知の通り、我が仕立屋は言うなれば傭兵です。報酬さえ払っていただければ、いつ何時、どの勢力にも加勢しましょう。そう言う意味で『無所属』と言う事です。勿論、」

 

 言いながら、今度は視線を友哉とキンジへ向ける。

 

「緋村君、遠山君、望むなら、かつては敵対関係にあったあなた達に協力することもやぶさかではありません」

 

 つまり、報酬さえあれば誰にでも付くし、昨日の味方が明日も味方であるとは限らない。そう言う事らしい。

 

 友哉はスッと目を細める。相変わらず、油断ならないカードの切り方をする。彰彦はこの場にあって旗色を鮮明にしない事で、より多くの利を得ようとしているのだ。

 

 次々と各陣営の旗色が明かされて行く。

 

 そして、ついにジャンヌはキンジに向き直った。

 

「遠山、『バスカービル』はどっちにつくのだ?」

「・・・・・・?」

 

 いきなり話を振られたキンジは、キョトンとした顔をしている。どうやら、あまりの事態に思考が追いついていない様子だ。

 

「な、何で俺に振るんだよ、ジャンヌ?」

「お前はシャーロックを倒した張本人だろうが」

「い、いや、あれはどっちかつーと、流れで・・・・・・アリアを助けに行ったらシャーロックがいたって言うか、そもそも、あれは緋村と共同だっただろう」

「無論、すぐに緋村にも聞く。そもそも、この宣戦会議にはお前達の一味、バスカービルとイクス、そのリーダーの連盟宣言が不可欠だ。お前達はイ・ウーを壊滅させ、私達を再び戦わせる口火を切ったのだからな」

 

 ジャンヌは有無を言わさず、キンジに詰め寄る。

 

 確かに、シャーロックを倒したのはキンジと友哉だ。つまり穿った見方だが、2人が今日の事態を呼びこんだ、と考える事もできる訳だ。

 

 そのやり取りを見ていたヒルダが、黒い日傘を回しながら声を掛けて来た。

 

「新人は皆、そう無様に慌てるのよねぇ。ジャンヌ、あまり苛めちゃ可哀そうよ。聞くまでも無いでしょう? 遠山キンジ。お前達は『師団』。それしかあり得ないわ。お前は『眷属』の偉大なる古豪、竜悴公(ドラキュラ)・ブラド、私のお父様の仇なのだから」

 

 そう言ってキンジを睨みながら、ヒルダはさっさとキンジの旗色を勝手にきめてしまった。

 

「それでは、ウルスが『師団』につく事を代理宣言させてもらいます」

 

 静かな声で言ったのは、風車の上に座ったレキである。

 

「私個人は『バスカービル』の一員ですが、同じ『師団』になるのですから問題は無いでしょう。私は大使代理となる事は、既にウルスの許諾を得ています」

 

 そのレキを、ニヤリと笑いながら中国風の男が言った。

 

「藍幇大使、諸葛静幻が宣言しましょう。私達は『眷属』。先程の由比さんの商才には見習いたいところですが、ウルスの蕾姫には、先日ビジネスを阻害された借りがありますからね」

 

 諸葛と名乗る男の宣言を聞いてから、ジャンヌは友哉へと視線を向けた。

 

「緋村、お前の番だ。イクスはどうする? 『師団』と『眷属』、どちらか生き残る見込みが高い方を選べ」

 

 尋ねるジャンヌに視線を返しつつ友哉は、どうやら自分が既に後戻りの効かない場所に足を踏み入れている事を自覚した。

 

 正直、意味が判っていない、と言う点ではキンジと全く同じなのだが、ここで一つ、重要な事がある。

 

「キンジ・・・バスカービルと僕達は、特に敵対する理由も無い。バスカービルが『師団』ってのにつくなら、イクスも『師団』につくよ」

「お、おい、緋村ッ」

 

 キンジが責めるような口調で詰め寄って来る。どうやら、勝手に話を進めるなと言いたいらしい。

 

 その時、

 

「チッ。美しくねェ」

 

 残っていた最後の1人が、吐き捨てるように口を開いた。

 

 顔中に、軍隊がゲリラ戦時にやるようなフェイスペインティングを施し、何やらピエロのような風貌をした男だ。

 

「強ェ奴が集まるかと思って来てみりゃ、何だこりゃ。要は使いっ走りの集いって訳かよ。どいつもこいつも取るに足らねェ。無駄足だったぜ」

 

 これだけの異形達を前にして、この豪胆な物言い。命知らずか、余程自分の実力に自信があるのか。

 

GⅢ(ジーサード)。ここに集うのは確かに『大使』。戦闘力では無く、本人の希望、組織の推薦に加え、使者としての適性を考えて選抜された者達だ。確かにお前の望みうような者達でない事は認めるが、良いのか、このままではお前は『無所属』と言う事になるぞ」

「関係ねえなァ」

 

 ジャンヌの忠告に見向きすらしないジーサード。

 

「私達は同じ物を求め、奪い合う限り、何れは戦う事になる。その際『師団』か『眷属』についておけば、敵の数が減る事になるのだぞ?」

「敵だァ? 笑わせるな。今日はテメェ等の周りに強そうなのが出て来てるみてェだから様子見に来ただけだ。良いか、次は一番強ェ奴を連れて来い。そいつを全殺しにしてやる」

 

 地面に唾を吐きかけながらそう言うと、ジーサードの体はジジ、と言う明滅音と共にその姿が見えなくなって行く。

 

 透明化しているのだ。そのようなステルス技術が既に開発されているのとは、思いもよらなかった。

 

「・・・・・・下賤な男。吠えつく子犬のようだわ。殺す気も失せる」

 

 そう吐き捨てたのはヒルダだ。

 

 だが、果たしてそうだろうか? これだけのメンツを相手に、あの啖呵。精神力だけでも並みではないのが窺えるし、あの未知の装備も気になる。もしかしたら、今日集まった者の中で最も警戒すべきなのは、あのジーサードなのかもしれない、と友哉は漠然とながら、そう思った。

 

「これで全員済んだみたいね。そうよね、ジャンヌ?」

「・・・・・・その通りだ」

 

 ヒルダの問いかけに、ジャンヌは頷きを返す。

 

「最後に、この闘争は宣戦会議の地域名を元に名付ける慣習に従い、『極東戦役』と呼ぶ事を定める。各位の参加に感謝と、武運の祈りを・・・・・・」

「じゃあ、もう良いのね?」

 

 待ちきれない、と言った風情のヒルダ。

 

「もう、か?」

「良いでしょ、もう始まったんだから」

 

 言いながら、ヒルダとジャンヌ、双方の視線がキンジへと向いた。

 

「血を見なかった宣戦会議なんか、過去、無かったと言うし、ねぇ?」

 

 ヒルダが言った瞬間、

 

 ジャンヌは短縮マバタキ信号でキンジに合図を送った。「RA(逃げろ)」と。

 

 ジャンヌがデュランダルを抜き放って氷魔法を展開するのと、ヒルダが影の中に沈むのはほぼ同時だった。

 

「遠山、逃げろ! 30秒は縛る!」

 

 ジャンヌが投げつけたデュランダルが影に突き立ち、影は動きを止めた。どうやら縫い付けられたようだ。

 

 この瞬間、極東戦役の火ぶたは切って落とされたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友哉もまた、キンジを守るように刀の柄に手を当てて警戒に当たる。

 

 今のキンジはヒステリアモードじゃない。と言う事は、多少戦う事ができる程度の一般人と変わらない。さりとて、ここでヒステリアモードになる事もできないだろう。

 

 あの異形達に一斉に襲われたら、ひとたまりも無い。

 

 ここは如何にして、キンジを守りつつ撤退するかが重要になる。

 

 その時、すぐ脇で小型モーターボートが接舷するような音が響き、小柄な影が空き地島によじ登って来るのが見えた。

 

「SSRに網を張らせといて正解だったわ! あたしの目の届くところに出て来るとはね。その勇気だけは認めてあげるッ! そこにいるんでしょ!? パトラ! ヒルダ! イ・ウーの残党、セットで逮捕よ! 今月のママの高裁に手土産ができたわね!!」

 

 ピンク色のツインテールを靡かせ、神崎・H・アリアが2丁のガバメントを抜き放って構えた。

 

 だが、どうやら霧の向こうでは、こちらの様子は見えていないようだ。アリアはここがどれだけ危険か気付いていない。

 

「アリア、今はまずい! ここは、」

 

 キンジが制止する前に、アリアは射撃を開始。壊れた風車の羽の付け根を集中的に攻撃した。

 

 既に劣化が始まっていた羽は、アリアの集中射撃に耐えられずあっさりと破壊して落下する。

 

 その下にいたLOOを直撃する形で。

 

 LOOは突然の事で全く対処できなかったらしく、頭上から降ってきた風車に押しつぶされる形で、その場に擱座した。

 

「・・・・・・おろ」

 

 何やら煙を吹いて停止するLOOの様子に、友哉も絶句する。

 

 LOOはこの場にあって去就を明らかにしなかった1人。つまり、考えようによっては味方にできたかもしれない人物なのだが。

 

 だが、アリアは、そんな事情などお構いなし、と言った感じだ。まあ、無理もない。今来た人間に、この混沌の状況から事態を察しろ、と言う方がどだい無理な話だ。

 

 哀れなのはLOO。どうやら、ヒルダ達の手下だと思われているらしい。

 

「アハッ! アハハッ! 来たッ、来たッ!!」

 

 巨大な斧を振りまわし、歓喜の声を上げるハビ。

 

 その時、

 

 友哉は風を切る音を感じ、抜刀しながら振り返る。

 

 ガキンッ

 

 同時に、振り下ろされた刃を、横薙ぎに払った。

 

「・・・・・・何のつもりです?」

「いえ、立ち去る前に、ひとつ、御挨拶を、と思いまして」

 

 由比彰彦は、手にした妖刀村正を手に、肩を竦めて見せる。

 

 向こうの方ではメーヤとカツェが、大剣と短剣で斬り結んでいるのが見える。

 

「これが、あなたの言っていた、大きな戦いって言う奴ですか?」

 

 以前、友哉は彰彦から、自分の仲間にならないか、と誘われた事がある。その時に、彰彦は、何れこうなる事態を予期したような言葉を友哉に語っていたのだ。

 

「ええ、まあ。こうなる前に、あなたには私の仲間になってもらいたかったのですが」

「言った筈です。それは絶対にないって」

 

 かつて言った言葉を、もう一度繰り返す友哉。

 

「残念です」

 

 肩を竦めて見せる彰彦に、友哉は油断なく刀の切っ先を向けている。

 

 言っている間に、彰彦は霧の中へ溶けるように消えて行く。

 

「では、また会いましょう、緋村君」

 

 一瞬、追おうかと思って、やめる。今はこの混沌の場から撤退するのが先決だ。

 

 どうやらメーヤとカツェの戦いは、カナが間に入る事で収束しつつある。

 

 今の内に、どうにかここから退かねば。

 

「アリア、撤退だ! ここはまずい。見てわかんねーのか!?」

「最初は霧でよく判らなかったけど、どうもそうらしいわね・・・・・・パトラはあんたのお兄ちゃんと一緒みたいだし、ヒルダは逃げたみたいだし」

 

 キンジの警告に、アリアもようやく事態が只事ではないと理解したらしい。両腕を広げて2丁のガバメントを構え、視界の中から誰も出て来ないように警戒している。

 

 見れば確かに、ジャンヌに縫い止められていた影は綺麗に消えている。どうやらヒルダは撤退したらしい。

 

 リバティ・メイソンを名乗っていたコートの優男や、玉藻の姿も無かった。

 

 目を転じれば、先程アリアに破壊されたLOOの中から、小学生くらいの水着を着た女の子が出て来て、アリアを指差して喚いている。多分、怒っているのだろう。

 

 とは言え、戦車が無いと何もできないらしく、ひとしきり喚いた後、LOOも脱兎のごとく逃げ出す。

 

「何故来た、アリア!! 気を付けろ、ヒルダはまだいるッ それも近くにだ! 逃げるぞ、奴はイ・ウーから『緋色の研究』を盗んでいる。危険だ!」

 

 ジャンヌは言いながら、警戒用の氷魔法を展開し、一同を覆い隠すように包んで行く。

 

 このまま撤退に移行できるか?

 

 そう思った時、

 

 アリアの足元、彼女の影の中から人影が浮き上がるのを見た。

 

「よく確かめてからくれば良かったのにねえ。まるで飛んで火に入る夏の虫」

 

 ルーマニア語で呟くヒルダ。その手が、背後からアリアの首を掴んだ。

 

 そのヒルダの頭部に、

 

 パァンッ

 

 突然、破裂するように大穴が開いた。

 

 今のは狙撃。曲がり風車の上に布陣したレキが、彼女を撃ったのだ。

 

 普通なら即死だが、

 

 ヒルダは、僅かに体を傾かせただけで、平然としている。やはり、ブラド同様、普通に攻撃したのでは効果が無いのだ。

 

「愚かな武偵娘にお仕置きよ」

 

 言い放つとヒルダは自らの首を振り上げ、剥き出しの牙をアリアの首筋に突き立てた。

 

「~~~~~~~~~~~~ッ!?」

 

 痛みに目を見開くアリア。

 

 その一瞬、

 

「ハッ!!」

 

 ジャンヌが鋭い突きを放つが、ヒルダは後方宙返りをしつつ回避する。

 

「まだだ!!」

 

 そこへ更に、今度は友哉が逆刃刀を振り翳して斬り込む。が、その攻撃もヒルダが大きく飛び退いた為、捉えるには至らなかった。

 

「嬉しい誤算だわ。私は第一態(プリモ)のまま、もう殻を外せるなんて。おほほ、おーほっほっほっほっほっ!!」

 

 既にレキに撃たれた傷が完治しているヒルダの高笑いが響き渡った。

 

 一方のアリアは、振り返ろうとして、がくりとその場に膝を折る。

 

 普通の倒れ方では無い。まるで、全身から力が抜けたような、そんな倒れ方だ。

 

「毒か!?」

 

 声を上げるキンジの傍らで、いつの間にか転がっていた手鞠が声を発した。

 

「いや、毒では無い。もっと厄介な物だぞ、遠山の」

 

 声は玉藻の物だ

 

 そうしている内に、アリアの体が見る見るうちに緋色に輝いて行く。

 

 その光景には見覚えがあった。あれは確か、パトラとの戦いの終盤、そしてシャーロックとの戦いの時に見せた物だ。

 

「アリア、大丈夫かッ!?」

 

 声を掛けるキンジにも、アリアは虚ろな眼差しを返すのみだ。

 

 意識はあるのか、苦しげに呼吸をしているのは見えるが、何が起こっているのか、全く把握できない様子だ。

 

「ヒルダめ。お主、『殻金七星』破りまで知っておったか」

「光栄に思いなさい。史上初よ。殻分裂を人類が目にするのは」

 

 毬の姿の玉藻はヒルダと言葉を交わすと、緊迫した声のままキンジに話しかける。

 

「遠山の。アリアが来てしまったのが運の尽きじゃ。一つは儂が戻すから恐れるでない。アリアを動かさぬようにしろ。メーヤ! お主も一つ戻せ!」

 

 玉藻はそう言うと、白煙を上げて元の子供の姿に戻り、数枚の御幣を取り出した。

 

 次の瞬間、キンジが支えるアリアの体から光が迸った。

 

 数は7つ。

 

 光の内、1つは玉藻がキャッチ、1つはメーヤが大剣で弾き返してきた。

 

 だが、残る5つは、

 

 ヒルダ、カツェ=グラッセ、ハビ、諸葛静幻、パトラ、眷属5人の手に渡っていた。

 

「その殻、みんなにあげるわ。『眷属』についたご褒美よ。それにこれ、お父様の仇どもへの嫌がらせだから。私が1人で持つよりも、いやらしくて良いでしょう?」

 

 勝ち誇るように言うヒルダ。

 

「きゃは・・・・・・きゃははは!!」

 

 ハビは光を口の中に放り込み、そのまま四つん這いになって駆けだす。

 

「メーヤ、また会おうぜ」

 

 カツェも、ニヤリと笑って、続くように霧の中へと、その姿を消す。

 

「これはありがたい。計算以上の手土産です。すぐに藍幇城に戻って分析させて頂きましょう」

 

 諸葛はそう言うと、足元に設置しておいた煙幕缶を焚き、姿を覆い隠す。

 

「ほほ、ヒルダ、お前達親子には、イ・ウーを紹介してやった貸しがあるでの。これは有り難く貰って置くぞ」

 

 パトラもまた、発生させた砂嵐に紛れて撤退を開始する。

 

 眷属5人のうち、4人までが撤退を始めている。残るのはヒルダだけだ。

 

「じゃあ、私も今夜は、これくらいにしときましょうか」

 

 そう言うと、再び影の中へと沈んで行くヒルダ。

 

 全く持って、状況について行けていない。が、この状況がまずい事態である事は、友哉にも想像する事ができた。

 

「ジャンヌ、緋村、奴等を追うのじゃ。今ならまだ、あわよくば1人くらいは首級を上げれるかもしれん!!」

「はい」

 

 玉藻の言葉に一礼を返すと、ジャンヌはアリアを抱いているキンジに向き直った。

 

「遠山、この事態を招いたのは私の失態だ。謝罪する。アリアの容体に関しては、玉藻から聞いてくれ」

 

 そう言うと、今度は友哉に向き直った。

 

「行くぞ緋村。お前の力、貸してくれ」

「まだ、いまいちよく判ってないんだけど・・・・・・」

 

 言いながら、真っ直ぐにジャンヌを見返す友哉。

 

「仲間の頼みとあれば、喜んで」

 

 頷き合う友哉とジャンヌ。

 

 深夜の追撃行が、始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

第3話「開戦の夜」      終わり

 



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第4話「追撃、紫電の魔女」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の帳と、深く立ちこめる霧が、再び戦場に静寂を呼び戻している。

 

 先程までこの場で喧騒が溢れていたのが、まるで嘘のような静けさだ。

 

 その中を、鋭く疾走する影が2つ。

 

 漆黒のロングコートを靡かせて駆ける友哉。その後方からは、闇に映える程の鮮やかな銀髪をしたジャンヌが続く。

 

 宣戦会議の後、逃走した『眷属(グレナダ)』派閥の者達を追い掛け、2人は全速力で駆けている。

 

「でも、ジャンヌ、追うにしても、誰を!?」

 

 眷属への参加を表明したのは5人。しかも、5人はてんでバラバラの方向に逃げた。事実上、2人で全員を追撃する事は不可能だ。誰か1人に的を絞った方が良い。

 

「ヒルダだ。あいつは一番最後に撤退を開始した。今ならまだ追いつけるかもしれん!!」

 

 友哉の言葉に、ジャンヌは間髪いれずに答えた。

 

 確かに、ヒルダは全員の撤退を見届けてから自分も退いていた。捕まえる事ができる可能性があるのは、彼女だけだ。

 

 アリアの身に何が起きたのか、ヒルダ達は何を奪って行ったのか、そもそも極東戦役とは何なのか。聞きたい事は山ほどあるが、今は奪われた物を取り返すのが先決だ。正体が判らずとも、盗られたまま、と言うのは気分が良い物ではない。

 

 やがて2人は、空き地島の端までやってきた。

 

 そこで友哉は、盛大に舌打ちした。

 

 その先は海。いかに跳躍力に自信がある友哉とは言え、飛び越えられる幅では無いのは語るまでも無い。

 

 一旦、上陸した場所まで戻って、モーターボートを持ってくるか。

 

 だが、そうなるとタイムロスになって、逃げられてしまう。

 

 迷う友哉に、しかしジャンヌは凛と言い放った。

 

「構わん、緋村、そのまま走れ!!」

 

 同時に、ジャンヌは手を掲げて自身の魔力を最大限に放出する。

 

 すると、目の前の海面が一斉に凍りつき、たちまち対岸まで白銀の橋を作り上げてしまった。

 

「さすが・・・・・・」

 

 半ば呆然としつつ、呟く友哉。

 

 「銀氷の魔女」の面目躍如と言ったところだ。

 

 友哉はできた橋に、迷うことなく飛び込んで駆ける。

 

 氷でできた橋だが、周囲の大気温度も低く抑えたのか、全く滑る様子が無い。水分が完全に凍りつき個体と化しているためだ。これなら溶けだす前に対岸まで辿りつける。

 

 一切の速度を緩めず、友哉は氷橋を渡り始める。

 

 ジャンヌも、その後ろからやや遅れ気味について来ていた。

 

「緋村、気を付けろよ。ヒルダはイ・ウーでは《紫電の魔女》と言う異名で呼ばれた、名うてのステルスだッ」

「紫電って事は、雷って事ッ?」

「そうだ。奴の雷魔法は強力だ。絶対に食らわないようにしろッ」

 

 これは、少々厄介だ。

 

 友哉の刀は当然鉄製。電撃の伝道効率が高い。もし電撃を食らおうものなら、あっという間に刀を伝って全身に伝播してしまうだろう。

 

 だが、躊躇している時間も、今は惜しい。

 

 そうしている内に、2人は対岸へと辿り着いた。

 

 同時に、たった今まで駆けて来た氷橋が一気に氷解して崩れ落ちる。ジャンヌが魔力を解除した為、構造を維持できなくなったのだろう。

 

「ヒルダはッ!?」

「奴の気配がこちらに来たのは判っている。まだ近くにいる筈だ」

 

 警戒するように、それぞれ剣を構えて警戒する友哉とジャンヌ。

 

 相手がステルスなら、不意を打たれると致命的だ。

 

 と、

 

「おーほっほっほっほっほっ」

 

 趣味の悪い高笑いが、頭上から降り注いで来る。

 

 振る仰ぐ先に、いた。

 

 2人を待ち構えるように滞空したヒルダが。

 

「まったく、卑しいハイエナのように溝臭い連中ね。しつこいったらないわ」

 

 侮蔑を隠そうともしないヒルダに、友哉とジャンヌは剣先を向けて対峙する。

 

 相手は吸血鬼。恐らくブラドやエリザベートと同じく、弱点を破壊しないと倒せないのは確認済みだ。

 

 ブラドの時は、キンジ、アリア、理子が4丁の銃を使ったし、エリザベートは5人の特殊部隊員による一斉射撃で殲滅した。

 

 だが、今ここには友哉とジャンヌ、2人しかいない。ヒルダを倒すのは事実上不可能。ならば、奪われた物を取り返す事を優先せねばならない。

 

「ヒルダ、奪った物を返してもらうぞ」

「嫌よ。これはもう私の物。人の物を欲しがるなんて、物乞いと一緒よ」

 

 あくまで小馬鹿にするような態度を崩さないヒルダ。自らが上位者であると誇示する態度が、一々鼻につく。

 

「そんな事より、ジャンヌ。今からでも遅くは無いわ。あなたも『眷属』に来ない? 元イ・ウーのよしみよ。仲良くしましょう」

「断るッ」

 

 ヒルダの誘いを、ジャンヌは一顧だにせずに振り払った。

 

「忘れるな。お前達親子と、我が一族の間にも因縁があると言う事を」

 

 以前、ジャンヌが語った事がある。3代前の双子のジャンヌ・ダルクが、初代アルセーヌ・リュパンと組んで、ヒルダの父、ブラドと戦ったと。

 

 恐らく、この2人の間にも、相応の深い溝があるのだ。

 

「なら、仕方ないわね」

 

 さして残念がる様子も無く、ヒルダは滞空したまま薄笑いを浮かべている。

 

 その視線は、相変わらず足元で剣を構える2人に侮蔑を投げかけている。

 

「あなた達は所詮、地を這う蟻も同然の存在。対して私は天空を優雅に舞う鳳。初めから敵わないと思っている相手を追って来るなんて、人間って、なんて愚かな存在なのかしら」

「惑わされるな、緋村」

 

 ジャンヌの言葉が、鋭く友哉を制する。

 

 だが、この時、既に遅かった。

 

 友哉は、ヒルダと視線を合わせてしまっていた。

 

 バチッ と言う音と共に、友哉は縫い止められたように、その場から動けなくなっていた。

 

「こ、れはッ?」

 

 まるでブレーカーが落ちた、とでも表現すべきなのか。体が全く動こうとしない。

 

「緋村、どうしたッ?」

 

 異変に気付いたジャンヌが、警戒しながら気遣ってくる。

 

 そんな2人の様子をもながら、ヒルダの高笑いが響く。

 

「だから、人間は愚かだと言うのよ。いったい、猿からどれほど進化したと言うのかしら? 所詮、高貴な存在である竜悴公姫の足元を舐める事もできないのよ!!」

 

 友哉も瞬時に理解した。

 

 これは恐らく、催眠術。先程、ヒルダの目を見た時に、気を送り込まれて全身の電気信号を遮断されてしまったのだ。

 

 何とか、気を落ち着かせねば。

 

 友哉は焦る気持ちを押さえようと、躍起になる。

 

 そんな友哉を守るように、ジャンヌが前に出た。

 

「ここは私が相手だ、ヒルダ!!」

「良いわよ、ジャンヌ。あなたは捕えて、4世と同じように長く飼ってあげるわ。そこで無様に突っ立っている、溝臭い虫けらは捻り殺すけどね」

 

 空中の魔女と、地上の戦姫が対峙する。

 

 その時、

 

「オォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」

 

 大気を切り裂く程の、裂帛の気合が、ジャンヌの背後から発散される。

 

 驚いて振り返る2人の少女。

 

 その目の前で、友哉は全身から発散する気合によって、自分の周囲を吹き飛ばしていた。

 

「そ、そんな馬鹿な・・・・・・」

 

 唖然としたのはヒルダである。

 

 友哉に掛けた催眠術が、解かれていたのだ。

 

 ヒルダの催眠術を自力で解除できた者は、今までいない訳ではないが、そう言う場合でも、何らかの薬や道具を使っての事だ。友哉のように力技で解除した者など存在しなかった。

 

「初見だと、流石に僕でも解除できなかっただろうけどね」

 

 友哉は以前、ブラドと共に現われた、殺人鬼《黒笠》と戦った事がある。彼女も二階堂平法 心の一法と言う、催眠術の使い手だった。その時と今の状況が似ていた為、もしかしたらと思って解除を試みてみたのだが、

 

 結果は上手くいったらしい。

 

「クッ これだから野蛮人は嫌いなのよ。優雅さの欠片も感じられないわッ」

 

 悔し紛れの捨て台詞のような事を言い放つヒルダ。

 

 だが、彼女の余裕もそこまでだった。

 

 友哉の復活を好機と取ったジャンヌが、攻撃を開始したのだ。

 

「ハッ!!」

 

 氷で作り上げたナイフを、鋭く上空のヒルダへと投げつけるジャンヌ。

 

 対してヒルダは、空中で宙返りをするようにしてジャンヌの攻撃を回避した。

 

「無駄よ、ジャンヌ」

 

 僅かに高度を落としながら、ヒルダは余裕を取り戻した声で言う。

 

「あなた、さっき大掛かりな魔法を使ったでしょう。もう殆ど魔力は残されていない筈。そんな状態で、私に勝てるのかしら?」

 

 確かに、ジャンヌは先程、海を渡る際に大掛かりな氷魔法を使用している。ステルスは長時間の戦闘には向かない事を考えると、ジャンヌはこれ以上長く魔術使用はできないし、大魔法を使う事もできないだろう。

 

 ジャンヌは剣、超能力、銃をバランスよく使い分けるマルチタイプの戦術家だが、それだけに、魔力を使い果たした状態で、ステルス主体のヒルダと対峙するのは不利だった。

 

 だが、

 

「そうだな・・・・・・」

 

 デュランダルを構えながら、ヒルダの言葉に応じるジャンヌ。

 

「だがヒルダ。お前の方こそ、私達を見下すのに夢中になって、頭の上が留守になってはいないか?」

「何を言っているのかしら?」

 

 嘲笑するヒルダ。

 

 自らより高く飛べる人間などいる筈が無い。

 

 そう考えて振り仰いだ先。

 

 見て、

 

 絶句した。

 

 欠けた月を背景に、刀を振りかざした人影が、まっすぐにヒルダを睨み据えていた。

 

「残念だね。空を飛ぶのは君だけの特権じゃないんだよ」

 

 ヒルダよりもさらに高く跳躍した友哉の、囁くような声。

 

 次の瞬間、一気に急降下する。

 

「おのれッ」

 

 手を振り上げて迎え撃とうとするヒルダ。

 

 しかし

 

「飛天御剣流、龍槌閃!!」

 

 天空を舞う龍が打ち下ろす雷霆は、一瞬早くヒルダを捉えた。

 

 相手は吸血鬼。並みの一撃では簡単に復活を許してしまう。

 

 だから友哉は、微塵も容赦する事無く、ヒルダの頭めがけて刀を叩きつけた。

 

 悲鳴を上げる間すら無く、地上に叩きつけられるヒルダ。

 

 次いで、友哉も地上に着地した。

 

「やったかな?」

「いや、無理だろう」

 

 刀を構えて残心を示しながら尋ねる友哉に、ジャンヌは首を横に振る。

 

 相手は吸血鬼。この程度では足止めにもなるまい。

 

「じゃあ、今の内に、盗られた物を取り返しておこう」

 

 そう言って、倒れているヒルダに近づこうとした。

 

「フ・・・・・・フッフッフッフッフッ」

 

 倒れたままのヒルダから、くぐもったような笑い声が聞こえて来て、2人はとっさに剣を構え直す。

 

 2人が見ている前で、ヒルダはゆっくりと体を起こした。

 

「やってくれたわね・・・・・・虫けらの分際で・・・・・・」

 

 額から尚も血を流しながら、その顔は怒りに染め上げられている。

 

 格下だと思っていた者達にしてやられた事が、この吸血鬼のプライドを強かに傷付けた様子だ。

 

 異変は、その時起こった。

 

 2人が見ている前で、視界が明滅を始めたのだ。

 

 見れば、周囲の証明が一斉に点滅を繰り返したと思うと、一斉に消え去り、周囲が闇に包まれた。

 

 その中で1人、ヒルダだけが青白く輝いている。

 

 まるで、周囲の電力全てが、ヒルダ1人に集まったような光景だ。

 

「いかんッ!!」

 

 とっさに前に出て、デュランダルを盾にするように掲げるジャンヌ。

 

 同時にヒルダが動く。

 

「消し炭になりなさい!!」

 

 ボール状になった雷の塊が、ヒルダの手から放たれる。

 

 その一撃を、ジャンヌはデュランダルで受け止めた。

 

 だが、

 

「アァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 悲鳴と共に、ジャンヌは剣を取り落として、その場に倒れ伏す。

 

「ジャンヌ!!」

 

 友哉は慌てて駆け寄り、抱き起こそうとするが、先の電撃で鎧が過熱しており、すぐには触れそうもない。

 

 やがて、周囲の電気が点灯し、明るさを取り戻して行く。

 

 その時には既に、ヒルダの姿はどこにもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とにかく、多少落ち着くのを待って、友哉はどうにかジャンヌを武偵病院へ運ぶ事ができた。

 

 幸いな事に、救護科(アンビュラス)3年で、友哉の知り合いでもある高荷紗枝(たかに さえ)が当直で詰めてくれていたお陰で、運び込むとすぐに診察し、空きベッドを提供してくれた。

 

「すまないな、緋村」

 

 ベッドに横になりながら、ジャンヌが詫びて来る。

 

 深夜の病室と言う事もあり、あまり大きな声で話す訳にもいかない。

 

 友哉も、微笑しながら応じる。

 

「気にしなくて良いよ。まあ、結局ヒルダには逃げられたけど、ジャンヌが無事で良かったよ」

「とは言え、重傷である事は間違いないわ」

 

 友哉の言葉を引き継ぐように、白衣を着た紗枝が言った。

 

「事情は緋村君から聞いたけど、あなたは電撃を浴びたせいで全身の腱が激しく痙攣を起こしている状態よ。安静にしていれば、数日で動けるようにはなるけど、暫く戦闘は無理ね」

「とっさに対抗(レジスト)したのだが、やはり奴と私の相性は悪かったようだ」

 

 ステルスには、拳銃や刀剣には無い要素である「属性」が存在している。有名なのは「水克火」。すなわち、火は水で消せる。と言う物だ。これにより、火属性を持つステルスは、水属性を持つ者に対して不利となる。

 

 ジャンヌの属性が氷であるのに対し、ヒルダは雷。氷は水に近い性質を持ち、水は雷の伝導効率を上げ、威力も増幅させる。その為、相性の悪さのせいで、ジャンヌの魔力ではヒルダに対抗しきれなかったのだ。

 

 「お大事にね」と言って病室を出て行く紗枝を見送ってから、友哉はジャンヌに向き直った。

 

 友哉も、色々とジャンヌに聞きたい事があったが、今は取り敢えず絶対安静との事だったので、病室を後にして病院を出ようとした。

 

 だが、1階のロビーまで降りた時、友哉の行く手を遮るように小柄な影があるのに気づいた。

 

「待っておったぞ、緋村」

「おろ、君は・・・・・・」

 

 和服姿に、狐耳と尻尾を生やした女の子は、あの宣戦会議の場にいた玉藻と言う女の子だ。

 

 あの異形揃いの中では、数少ない味方である少女だ。

 

「どうじゃ、ジャンヌの容体は?」

「取り敢えず、命に別条は無いよ」

 

 言ってから、思い出したように付け加える。

 

「ごめん、結局、1人も捕えられなかったよ」

「いや、構わん。事情を知らなかったのであれば詮無い事じゃ。それより、よう2人とも無事に帰って来た」

 

 そう言って玉藻は友哉に労いの言葉を掛けた。

 

 取り敢えず、落ち着いて話そうと言う事になり、友哉は2人分のジュースを自販機で買い、ついでに玉藻が背負っている小さな賽銭箱に、玉串料として5円を献上させられると、2人は並んでロビーの椅子に腰かけた。

 

「さて、何から説明してやればよいかの」

「僕も何から聞けばいいのかさっぱりだけど、取り敢えず、」

 

 コーヒーに口を付けてから、友哉は玉藻に向き直った。

 

「何で僕の事知ってるの?」

 

 それが気になっていた。玉藻は初めて会った時から、友哉の名前を呼んでいた。

 

 勿論、このような狐少女と知り合いになった覚えは無い。

 

「ふむ」

 

 質問に対し、玉藻は暫く友哉の顔を見てから答えた。

 

「はじめは似てるかと思ったが、よく見ると、あまり似とらんな」

「似てるって、誰と?」

「お主の先祖じゃよ」

 

 言ってから、両手で持ったリンゴジュースをグビリと飲む玉藻。

 

「緋村抜刀斎じゃ。あやつもなかなかじゃったが、お主はあやつに輪を掛けて線の細い顔をしとる。殆ど、女子(おなご)そのものじゃな」

「いや、ちょっと待ってッ」

 

 思わず大きな声を出してしまってから、友哉はここが病院である事を思い出し、慌てて周囲に誰もいないのを確認してから玉藻に向き直った。

 

「抜刀斎が生きていたのは、もう150年も昔の話だよ。それを、」

「安心せい、儂は800年以上生きとる。150年前なんぞ、つい昨日と変わらん」

 

 800年。

 

 絶句と言う言葉すら、遠い時間のように思える。

 

 だが、どう見ても人間には見えないこの少女の事。そこに常識を求める事が間違いなのかもしれない。

 

 その後、「女神に歳を言わせるとは何事か」と怒られ、再び賽銭として10円ふんだくられる事になった。

 

「儂が抜刀斎に会うたのは、2度きりじゃ」

 

 飲み終わった缶を小さな手のひらでもてあそびながら、玉藻は語り始めた。

 

「はじめは幕末の京都。維新志士の先駆けとして戦っとった奴は、見るからに抜き身の刃のような印象をしておっての。敵である幕府方のみならず、味方からも恐れられとった。じゃが、儂にはどうにも、あやつが何か、深い悲しみを振り払うように戦っておるように見えたよ」

「そんな事が・・・・・・」

「次に会うたのは、明治の東京じゃった。会うたのは偶然じゃったが、奴は既に所帯を持って平和に暮らしておった。驚いたよ、あれだけギラギラとした殺気を振りまいていた男が、まるで隠居した年寄のように、自然と笑顔を表すようになっとったのじゃからな。一瞬、別人かと思うたくらいじゃった」

 

 その間に、一体抜刀斎の身に何があったのか、それは玉藻にすら判らない事だった。

 

「そんな訳で、お主の事は、何処か他人のような気がせんのじゃよ」

「そうだったんだ」

 

 うちの先祖も、色々な知り合いがいたもんだ、と心の中で呟きながら、コーヒーの最後の一滴を飲みほした。

 

 その後、玉藻は色々な事を友哉に話して聞かせた。

 

 今回の極東戦役の事、緋弾の事、パトラ達が奪って行った殻金の事、そしてアリアの事。

 

 アリアが現在保有する緋弾。その緋弾を封印し制御する為に、殻金七星と呼ばれる鍍金が被せられていたらしい。その殻金がヒルダによって破られた事により、緋弾を押さえていた封印が、徐々に綻び始めているとの事だった。

 

 幸いな事に7つの殻金の内、2つを戻す事ができた為、最低限の封印は保たれている。また、奪われた5つを取り戻せば、封印を復活させる事もできるらしい。

 

 だが、もし封印が解かれた時、それは覚悟が必要な時だとか。

 

 アリアは緋緋神と呼ばれる存在になり、人の心と争いを操り、世に災いを齎すと言う。

 

「これは、遠山にも言うたが、そうなったら、迷わずアリアを殺せ。さもなくば、取り返しのつかない事態に陥るじゃろう」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 アリアを殺す。

 

 はたして、そんな事ができるのだろうか。この自分に。

 

 アリアは仲間だ。仲間をこの手で殺すような事は、想像すらしたくなかった。

 

「・・・・・・とにかく、眷属の連中を倒して、その殻金を奪い返せば良いんだよね?」

「当面は、その認識で良かろう。じゃが、儂が言うたこと、ゆめ、忘れるでないぞ」

 

 念を押すような玉藻の言葉に、友哉は頷きを返す事が、結局できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、昨夜は一睡もできなかった。

 

 寮に戻った友哉は、寝ている2人を起こさないようにして部屋に入ると、戦いの泥を洗い流すべくシャワーを浴び、着替えてさっぱりしたところで、疲れた体をソファーに沈ませた。

 

 「宣戦会議」「極東戦役」「緋弾」「殻金」「師団」「眷属」

 

 一晩のうちに、あまりにも多くの事が起こり過ぎた。

 

 以前から、敵味方問わず、色々な人物が示唆して来た戦争が、ついに幕を開けた事になる。

 

 そして、イクスは2大勢力の片割れ、師団として戦う事を表明してしまった。

 

 本来なら、このような重大な事は、皆と相談の上で決めなくてはならない事の筈だが、友哉自身、事情も何も判らないままだった事もあり、なし崩し的に師団への参加を表明してしまった。

 

 一度、みんなで集まって、玉藻から聞いた事を説明しなくてはならないだろう。

 

 そう考えた時。

 

「おはようございます」

 

 背後からの声に振り返ると、パジャマ姿の茉莉が、少し驚いたような顔でこちらを見ていた。

 

「友哉さん、今朝は早いですね」

「うん、ちょっとね」

 

 曖昧に答えて、微笑を向ける。

 

 早いどころか、寝てすらいないのだが。とっさの事で、それをどう説明すれば良いのか思いつかなかった。

 

 だが、言いあぐねる友哉の姿に何かを感じ取ったのか、茉莉は真剣な眼差しを友哉に向けて来る。

 

「・・・・・・何か、あったんですか?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 尋ねる茉莉に、友哉はどう答えれば良いのか迷った。あまりにも、事が重大すぎるのだ。

 

 だが、黙っている友哉に、茉莉は静かに詰めよって来る。

 

「何かあったんですね」

 

 言い淀む友哉の態度に、茉莉も何か容易ならざる物を感じたようだ。真剣な表情で見つめて来る。

 

「話して下さい。私はイクスのサブリーダーです。あなたを補佐すべき立場にあります」

 

 確かに、いかに4人だけの少数チームとは言え、言わば茉莉は友哉の副官だ。彼女を信用せずして、一体誰を信用するのか。

 

「・・・・・・実は」

 

 友哉は昨夜から今朝方に掛けて、起こった事を全て話した。

 

 真剣に聞いていた茉莉も、そのスケールの異常さに緊張を隠せない様子である。

 

「・・・・・・極東戦役ですか。そんな事が」

「みんなに相談もしないで、こんな重大な事を決めてしまったのは悪かったと思っている」

 

 頭を下げる友哉に、茉莉はかえって恐縮したように手を振った。

 

「そんな、謝らないでください。きっと、私も友哉さんと同じ立場だったら、同じ決断をしたと思いますから」

 

 そう言ってくれると、本当に助かる。

 

 だが、

 

「正直、師団の不利は否めない。数は明らかに少ないし、敵の実力は殆どが未知数だ。暫くは苦しい戦いを強いられる事になると思う」

 

 戦力として把握しているのは、昨夜顔を出した中では、せいぜい以前戦ったパトラと、後は若干、ヒルダくらいの物である。後は全くの五里霧中状態だった。

 

 他に、『黙秘』したLOO、『無所属』を表明した、カナ、リバティ・メイソン、ジーサード、そして仕立屋の動向も気を使わねばならない。

 

 前途は、まだ昨夜と同じく霧の中にあった。

 

 

 

 

 

 その後、登校した友哉達は、3時限目までの授業を問題無く消化した。

 

 開戦初日と言う事もあってか、友哉は朝から緊張のし通しだった。

 

 油断する事はできない。極東会議の条文に従えば、いつ何時、誰が誰に奇襲を仕掛けても良い事になっている。つまり、極端な話、授業中に誰かが攻撃を仕掛けて来る事もあり得るのだ。

 

 とは言え、どの勢力も、すぐに仕掛けて来る事は無いようだ。

 

 流石にジャンヌは来てないそうだが、キンジは朝から登校していたし、C組の人間に話を聞いたところ、レキも普通に登校してきたようだ。

 

 唯一、朝には姿を見せなかったアリアも、4時限目には姿を見せ、健在は確認されている。

 

 そして、今日の4時限目は、学園祭の準備に向けたロング・ホームルームとなった。

 

 友哉達は2年A、B、C組の3クラス合同で、『変装食堂(リストランテ・マスケ)』をやる事になった。

 

 これは所謂、コスプレ喫茶とコンセプトは似ているが、中身は全く異なる。変装術の評価も含まれている為、中途半端は許されない。割りあてられた衣装の存在に、完璧に成りきる必要があるのだ。

 

「よっしゃ、ガキども。衣装決め、始めるぞ」

 

 威勢よく言っているのは、強襲科(アサルト)の蘭豹である。手には大型拳銃のS&W M500が剣呑な光を放っているのが見える。

 

「よぉーし、各チーム同士で集まって待機ィ、ゴホッゴホッ」

 

 咳き込みながら言ったのは、尋問科(ダギュラ)の綴梅子だ。

 

 と言うか、いかに武偵校内とは言え、体育館で教師が堂々と煙草を吸うのは如何な物か。

 

 イクスの面々も一か所に集まってくる。

 

 瑠香は1年生ながら、友哉が教務課に直談判し、繰り上げでチームに組み込んだ身だ。クラスよりもチームを優先するのが武偵である為、『変装食堂』への参加も認められている。もっとも、瑠香の場合、それでいて自分のクラスの出し物にもきっちり協力すると言うのであるから、ひじょうに彼女らしいと言える。

 

「楽しみだねえ」

「おう、何か学園祭らしくなって来たじゃねえか」

 

 瑠香と陣が、そう言って笑顔を浮かべている。

 

 まだ、2人には極東戦役の事は話していない。いずれ一両日中には、機会を設けて話そうと思っていた。

 

 近くには、同じく師団仲間のバスカービルの面々も見える。

 

 だが、キンジに対するアリアの視線が、何やらよそよそしいような気がするのは、友哉の気のせいなのだろうか?

 

 そんな事を考えていると、いよいよ衣装決めが始まった。

 

 衣装は、男子と女子に分かれたクジを箱から引き、割りあてられる仕組みになっている。

 

 引いたクジが気に入らなかった場合、引き直しは一度だけ認められる。その際、一枚目は無効となり、二枚目が確定、キャンセルはできない。

 

 万が一、難しい役を引いてしまい、それを全うできない場合は教務課全員の体罰フルコースが待っているから、誰もが真剣以上に真剣である。

 

「お~い、陽菜っち、こっちこっち!!」

 

 瑠香が元気に手を振り、くじ引き用の箱を持って歩いている、手伝いの1年生を呼んだ。

 

 見れば、其の1年生には見覚えがある。

 

 長い髪をポニーテール状に束ねた少女の名前は、風魔陽菜。キンジの戦妹の女の子だ。瑠香とは同じ諜報科(レザド)所属で仲が良かった筈。

 

「お待たせでござる、四乃森殿」

 

 芝居がかった口調は相変わらずのようで、友哉としては苦笑せざるを得ない。

 

 何でも、中学の時に模擬戦でキンジに負けた事で、彼に師事するようになったとか。諜報活動では高い実績を持っており、戦闘力も1年生の中では上位らしいが、キンジ曰く色々と残念な所があるらしい。

 

「ささ、男子はこちら、女子はこちらでござる。引いてくだされ」

 

 促されるままに、まずは陣が男子の箱に手を突っ込む。

 

 取り出した紙に書かれていたのは、

 

「野球選手か」

「お、意外と簡単そうじゃない?」

 

 これなら、割とすぐにできそうである。

 

 陣もそう思ったらしく、特に変える事も無く受け入れた。

 

「2番、行きまーす」

 

 そう言って、瑠香は元気に箱に手を突っ込んだ。

 

 引き当てた紙は、

 

『くノ一』

 

 とあった。これはかなりハマり役のように思える。何しろ、彼女が正にくノ一その物なのだから。

 

 だが、

 

「え~、つまんない。パス」

 

 そう言って、あっさりと捨ててしまった。どうやら瑠香の基準では、やり易さよりも面白さ優先であるらしい。

 

 続いて、もう一度引いてみる。今度は

 

『文学少女』

 

 とあった。この場合、イメージするのは、文庫本片手に眼鏡を掛け、楚々とした雰囲気を持った少女だろうか? ちょっと、瑠香のイメージとはかけ離れている気がした。

 

「四乃森殿、それで確定でござる」

「ん~、ちょっと難しいけど・・・ま、いっか。じゃ、次、茉莉ちゃん」

 

 瑠香に促され、茉莉も箱に手を入れて紙を一枚引く。

 

 そこには、

 

『巫女(神道系)』

 

 とあった。

 

「あ、良かった、これなら簡単ですね」

 

 茉莉はほっとしたように呟いた。何しろ彼女は神社の娘である。巫女服なら自前の物を持っているし、道具も、実家の父に頼めば、使っていない練習用の物を貸してくれると思う。これは当たり役かと思われた。

 

 しかし、

 

 背後から伸びて来た瑠香の手が、茉莉の紙をヒョイッと摘みあげた。

 

 そして、

 

 クシャクシャ ポイッ

 

「ちょッ 何するんですか、瑠香さん!?」

「だって、茉莉ちゃんはリアル巫女さんでしょうがッ リアル巫女さんが巫女さんのコスプレするなんて詐欺だよッ、ズルだよッ 武偵三倍刑だよ!!」

 

 意味が判らん。が、確かに、先程好カードを敢えて捨てた瑠香の事を考えれば、ズルと言えない事も無い。

 

「と言う訳で、陽菜っち、茉莉ちゃん、もう1回だって」

「では、瀬田殿。次で確定でござる」

 

 陽菜から箱を突き出され、後には引けない雰囲気になってしまった。

 

「う~・・・・・・判りました」

 

 何となく納得のいかない物を感じながらも、渋々もう1枚引く茉莉。

 

 今度は、

 

『和服ウェイトレス』

 

 とあった。

 

 茉莉の脳裏に浮かぶのは、時代劇などで和服の上からエプロンを掛けて登場する茶屋娘であった。

 

「良かった、これならできそうです」

 

 ホッと息を吐いて、決定を受け入れる茉莉。

 

「では、最後に緋村殿、引いてくだされ」

「うん、判った」

 

 最後に、友哉も箱に手を突っ込む。

 

 引きだした紙に書かれていたのは、

 

『仮面舞踏会風衣装』

 

 とあった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 その文字を見て、友哉は顔を顰める。

 

 あまり思い出したくない人物の事を、ストレートで思い出してしまったのだ。

 

「・・・・・・ごめん、もう1回」

「では、次で確定でござる」

 

 そう言って、陽菜が差し出した箱に手を入れる友哉。

 

 次に出てきた紙。

 

 それを見て、

 

 思わず絶句した。

 

 なぜなら、

 

『メイド』

 

 とあったのだ。

 

 いたずら目的なのか、サプライズ狙いなのか、男子の箱には女装物が、女子の箱には男装物の紙が何枚か入れられている。それを運悪く引き当ててしまったようだ

 

 失敗した。

 

 これなら初めのにしておけば良かった。

 

「ひ、緋村殿、それで確定でござる」

 

 肩を落とす友哉に、流石に哀れに思ったらしく、陽菜が遠慮がちに言って来る。

 

「いや、良い、良いよ友哉君、絶対可愛いって!!」

「ある意味、はまり役だろ!!」

 

 傍らで爆笑する瑠香と陣。

 

「き、気を落とさないでください友哉さん」

 

 と、茉莉も苦笑気味に慰めて来る。

 

 嘆息する友哉。

 

 どうやら、極東戦役以外にも、厄介事が増えてしまったようだった。

 

 

 

 

 

第4話「追撃、紫電の魔女」      終わり

 



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第5話「策動する者達」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 くじ引きで衣装決めを行った翌日から、変装食堂用の早速衣装作りが始まった。

 

 成り切りルールがあるとはいえ、基本は一般校で行われるコスプレ喫茶と同じ。衣装を自分達で用意し、それを着てフロアの給仕を行うのだ。

 

 ただ、この際使う衣装はそれぞれ、自分達で作る事を推奨されているが、今日日、芸術専門校でもない限り、裁縫スキルの高い人間など殆どいない。それが一般科目をおまけ扱いしている武偵校ならば尚の事である。

 

 そこで、潜入用の特殊な服を扱っている特殊捜査研究科(CVR)や予め小物を多く取りそろえている装備科(アムド)等に発注し、作成を依頼する行為が、暗黙のルールとして横行している。

 

 ただし、時期が時期であるだけに、CVRも装備科も稼ぎ時を心得ている。彼女等が発注者の足元を見るのは、無理も無い事と言えた。

 

 もっとも、それを専門にしているだけの事はあり、送られてきた衣装の出来栄えは上々である。

 

 後は教務課(マスターズ)の命令にある『汚し、よれ等、リアリティが不十分な物は許可しない』と言うのに従って、仕上げを行う。要するにまっさらな新品では無く、多少使い古した感を出せ、と言う意味だった。

 

 それらの仕上げを、締めきり日の前日に泊まり込みで行っていた。

 

 借り切った教室の壁際には、衝立で区切られた即席の着替えコーナーが設けられ、そこで作成した衣装に着替えるようになっている。

 

 誰かがスピーカーとアンプを持ち込んで音楽を掛けている為、さながらどこかのパーティ会場のような様相になっていた。

 

「じゃん、どうよッ」

 

 白地に黒とオレンジのラインが入ったプロ野球チーム巨人の恰好をした陣が、手にしたバットを構えてポーズを取っている。

 

 なかなか堂に入った出で立ちだ。

 

 元々、痩せ型ながら180センチの長身に、ガッシリした体付きの陣である。普段は制服を着ていてもラフに着崩している事が多いせいでチンピラめいた印象が強いが、このようにしっかりした格好をすれば、普通に体育会系の爽やか高校生に見える物だ。

 

「おお、良いんじゃねえか?」

「問題無いだろ」

 

 陣の野球選手の格好を見たキンジと、車輛科(ロジ)の武藤剛気が、感心したように評する。

 

 2人とも、今は見慣れた臙脂色の制服ではなく、それぞれ引き当てたクジの衣装に着替えていた。

 

 キンジは警察官の巡査の恰好で、腰には、恐らく装備科からの借り物と思われるリボルバー拳銃をしっかりと装備していた。

 

 武藤は全身銀色の、重そうな服を着ている。ヘルメットは被っていないが、こちらはどうやら消防士のようだ。

 

 2人とも、やはりCVRに発注したらしく、その出来栄えは本物よりもリアルさを感じさせた。

 

 バットを虚空に向けて「かっ飛ばすぜ」とか言っている陣の後ろでは、ちょっとした人だかりができていた。

 

「わ~、可愛いッ」

「四乃森さん、全然いつもと印象が違うね」

 

 女子陣に囲まれた瑠香が、少し照れたような表情をしている。この中で1人1年生と言う事もあり、女子陣から可愛がられている様子だ。

 

 格好は、彼女が引き当てた『文学少女』をイメージした物だ。普段とは違う、青系のセーラー服を着ている。清楚感を出す為に、スカートも武偵校の短い物では無く、膝上2センチ程度の長さだ。掛けている眼鏡は伊達であるが、黒縁の物で、普段の快活さを和らげる効果がある。髪はいつもより長く、三つ編みにしているが、これはウィッグのようだ。

 

 手には、普段は決して読まないハードカバーの小説を持ち、見事に「大人しめの文学少女」を作り上げていた。

 

「うちの制服も、あれくらい大人しければな・・・・・・」

 

 瑠香の恰好を見て、溜息をつくキンジ。ヒステリアモードという、ある種の持病を持つ彼としては、羞恥心をどこかに置き忘れたような武偵校の制服は、可能な限り遠ざけたい物なのだ。

 

 一方で、

 

「馬鹿言うなよ、キンジ」

 

 瑠香の姿を見た武藤が、目を光らせながら熱く語る。

 

「普段は元気一杯の後輩少女が、普段とは違う大人しい格好をして現われた。そのギャップを理解できねえのか?」

「理解できるか、そんなもん」

 

 叩きつけるように答えるキンジ。

 

 「キンジは付き合いが足りねえ。後で轢いてやる」等と、捨て台詞を吐く武藤。

 

 そこへ、着替えスペースの衝立が開いて、別の人物が出て来た。

 

「う~、何でいつもこうなるんだろ・・・・・・」

 

 出てきた瞬間には既に戦意を失っているその人物は、魂の底から深いため息をつく。

 

 黒地の長袖ブラウスとスカート、白いエプロンドレスとカチューシャ。普段縛っている赤茶色の髪は、今は解いて自然に流している。

 

 何処からどう見ても、美少女のメイド。

 

 緋村友哉は、地平の彼方へやる気と言う物を捨て去った状態で、その場に立っていた。

 

 次の瞬間、

 

 キンジ、武藤、陣の間で、大爆笑が起こった。

 

 なぜか、割と女装率が多い友哉。周囲の人間も既に見慣れた物だし、ふとすれば同性と判っていてもドキリとさせられる物がある。

 

 が、

 

 何度見ても面白い物は面白い。

 

「最高だよ、緋村ッ!!」

「お前、その格好で秋葉原とか行ってみろ。絶対ナンパされるって」

 

 そう言いながら、爆笑をやめようとしない武藤と陣。

 

 周囲の人間も、大半がクスクスと笑っている。中には友哉の女装を見て、顔を赤らめている者までいる。

 

 概ね好評である事は間違いない。

 

 が、

 

 それに対して友哉は、顔を真っ赤にしてぶるぶる震えている。

 

 見る方は、それは楽しいだろうが、やる方は正真正銘、羞恥プレイ以外の何物でもなかった。

 

 そんな友哉の反応も、見ている人間からすれば可愛くもあり、面白くもあるのだが、

 

 友哉の手が刀の柄に掛かり、キンッ という音と共に鯉口が切られた。

 

 その様子に、笑っていた連中も一瞬で凍りつき、思わず後ずさる。

 

「今宵の逆刃刀は、血に飢えておる」

「いや、その刀、血なんて吸った事ねえだろッ!!」

「て言うか、武偵法9条ッ 9条!!」

 

 武偵法9条「武偵は任務中、如何なる状況に置いても人を殺害してはならない」。

 

 が、今の友哉にとっては、「横断歩道は手を上げて渡りましょうね」と言われているくらいに、どうでも良い事だった。

 

 先祖の人斬り抜刀斎宜しく、誰かに斬りかかりそうな友哉の雰囲気は、しかし、次の瞬間、部屋に入って来た人物によって霧散する事になった。

 

 どこか別の部屋で着替えていたその少女は、恥ずかしそうに俯き、上目遣いで一同の視線に耐えていた。

 

「・・・・・・・・・・・・あの、皆さん、あんまり見ないでください」

 

 恥ずかしそうに小さな声で言ったのは、和服姿の茉莉だった。

 

 彼女の引いたクジは「和服ウェイトレス」だった。確かに、一見すると着ている物は和服に近い。

 

 しかし、それは上半身だけの話だった。

 

 掛け合わせた襟と、ゆったりとした袖、やや太め帯は和服その物だ。

 

 しかし、裾はミニスカート並みにカットされ、太股の付け根、股下1センチ付近まで大胆に露出していた。足には白い足袋と漆塗りの下駄を履いているのが、却って初々しいエロチズムを増幅している。

 

 髪は普段通り、ショートポニーに結い上げているが、いつもなら紐かゴムで適当に縛っているそこを、今日は大きなリボンで結んでいた。

 

「わぁ、茉莉ちゃん、可愛い!!」

 

 飛びつくように、瑠香が茉莉の手を取ってブンブンと振り回す。

 

 当初、クジを引いた時、茉莉としては時代劇風の茶屋娘を想像していたのだが、完成して見ればある意味、普段から着ている制服よりも恥ずかしい格好になってしまっていた。

 

 ヒステリア化を警戒するキンジなどは、露骨に茉莉から視線を逸らしているくらいだ。

 

「ま、茉莉・・・・・・その、格好は?」

 

 自分の恰好の恥ずかしさも吹っ飛んで、友哉は尋ねる。その顔は若干赤く染まり、ちらちらと、視線が茉莉の太股付近に行ってしまうのは、健全な17歳男子として仕方のない事である。もっとも、格好はメイドさんだが。

 

「その・・・理子さんに、服の作成を依頼したら、こんな・・・・・・」

 

 茉莉はもじもじと、ミニスカート状になった服の裾を気にしながら答える。

 

 その返事で、友哉はなるほどと納得した。

 

 理子は普段から自分好みの服を自作している。何しろ、武偵校の制服まで色々と改造しているくらいだ。頼めば服くらい作ってくれるだろう。

 

 茉莉としては、友達の理子に頼めば完璧に作ってくれるだろうし、友達割引でCVRに頼むよりも安くなるだろうと考えたのだ。

 

 その狙いは正しかった。ただ一点、デザインがこんな物にならなければ。

 

「そ、その・・・・・・似合ってる。とっても、可愛いよ・・・・・・」

 

 尚も視線を逸らすようにしながら、友哉はそれだけ伝える。

 

 勿論、本心からの言葉である。普段はおとなしい少女が、このように大胆な格好で現われたのだ。似合っていない訳がない。

 

 とは言え、じゃあ、直視できるかと言われれば、

 

 そこまで大物になるには、まだまだ道は険しかった。

 

「あ、ありがとう、ございます・・・・・・」

 

 対して茉莉も、恥ずかしそうに俯きながら、そう答えるのが精いっぱいだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仕上げ作業も終わり、集まった面々が三々五々散っていく中、友哉達も完成した衣装を手に帰宅の途についた。

 

 あの後、くじ引きで「小学生」を引いていたらしいアリアが、キッズサイズのブラウスにミニスカート、ランドセル装備状態で現われ、理子達にからかわれる、と言う騒動があったが、取り敢えず各人の衣装製作作業は完了し、後は「変装食堂」に必要なメニューや内装のセットをどうするのか、と言う事務的な話へと移行して行った。

 

 そちらは問題ないだろう。武偵は潜入作戦において、調理が必要になる場面もある為、料理ができる人間は意外に多い。

 

 イクスに関して言えば、友哉もあまり難しい物でなければ自炊で作っているし、瑠香に至っては旅館の娘と言う事もあり、料亭の板前並みの料理スキルを持っている。陣も軽いつまみ程度なら作れると言う。

 

 ただ1人、壊滅的、と言うよりは破滅的と言っても過言でない料理の腕前をしているのは茉莉である。瑠香との特訓で、辛うじて「食べても人が気絶しない物」くらいなら作れないでもないレベルにはなって来ていたが、彼女の料理を出そうものなら、変装食堂から食中毒者が出る事は間違いない。そうなれば、教育委員会やら、食品衛生管理部からうるさく言ってくる事は目に見えている。

 

 そんな訳で、学園祭当日、茉莉だけは厨房に立たせないようにしよう、と言う事で衆議一決したのだった。

 

「あ~、楽しかった」

 

 弾むように歩きながら、瑠香が手にしたバッグを振りまわしている。

 

 どうやら、先程の余韻がまだ残っている様子だ。

 

「早く当日になんないかな~」

 

 楽しみで仕方ない、と言った感じの瑠香の姿に、並んで歩く友哉と茉莉も微笑みを禁じえなかった。

 

「でも、確かに楽しみですね」

 

 茉莉が、囁くように口を開いた。

 

「私、学園祭って久しぶりなんです」

「あ、そうなんだ」

 

 考えてみれば、茉莉は14歳の時にイ・ウーに入学し、今年の5月まで在籍していた事になる。その間、まともな学園生活を送れたとは思えなかった。

 

 瑠香以上に、茉莉もまた今度の学園祭が楽しみなのだろう。

 

「じゃあ、たくさん楽しもうね」

「はい」

 

 茉莉が、笑顔で頷いた時だった。

 

 先を歩いていた筈の瑠香が、何故か足を止めて立ち止まっていた。

 

 待っていてくれたのか、とも思ったが、どうやらそうではない事は、すぐに判った。

 

 瑠香は無言のまま、闇の奥を凝視している。

 

 何かに怯えるように、震えているのが判る。

 

「瑠香?」

 

 声を掛けてから、瑠香の視線を追ってみる。

 

 その闇の中から、滲みでるように人影が現れるのが見えた。

 

「久しぶりだな」

 

 痩せ形の長身に、鋭く細められた双眸。

 

 剣呑その物と言って良いさっきと存在感を振りまいている男。その手には、鞘に収まった日本刀が握られている。

 

 まるで、牙をむき出した狼が現われたような感覚さえある人物。

 

 思わず、腰の逆刃刀に手を掛けてしまう。

 

 友哉はその人物を知っている。

 

 だが、同時に、間違っても油断できる人物でない事も知っていた。

 

「・・・・・・・・・・・・斎藤さん」

 

 友哉は警戒心を最大限に引き上げた状態で、相手の名前を呼ぶ。

 

 男の名は斎藤一馬巡査部長。

 

 警視庁公安部第0課特殊班に所属する刑事であり、友哉達とはイ・ウーを巡る戦いや、長野の事件の際に共闘している。

 

 これまで敵対関係になった事は無い。

 

 しかし、徹底した現実主義者の皮肉屋であり、更には殺人を否定する武偵の対極に位置する、公安0課所属と言う事もあり、友哉は一馬を、遺伝子レベルで反りが合わない人物だと思っている。

 

 一馬はゆっくりと歩み寄ると、友哉を真っ直ぐに見据えて立ち止まる。

 

「話がある。ちょっと顔を貸せ」

「・・・・・・いやだ、って言ったら?」

 

 絞り出すように友哉は答える。同時に、緊張が一気に場を支配した。

 

 友哉は刀を持つ手に力を込め、すぐに抜けるように身構えた。

 

 何時相手が斬りかかって来るか。その緊張感に満ち溢れる。

 

 正直、この男を相手に勝ちを得るのは難しい。相手は殺しのライセンスを持つ公安0課の現役刑事。潜ってきた修羅場も比較にならない

 

 背後では茉莉と瑠香が、それぞれ援護の準備を進めているのが気配で判るが、仮に3人で掛かったとしても勝てないかもしれない。

 

 そんな3人の殺気など見向きもせずに、一馬は踵を返しながら口を開く。

 

「極東戦役」

「ッ」

 

 その言葉に、友哉も、そして茉莉も瑠香も反応を示した。

 

 既に瑠香と陣にも、極東戦役開戦の事は伝えてある。しかし、まさか斎藤の口からその単語が出てくるとは思わなかった。

 

 3人の予想通りの反応に満足を得たのか、一馬は口元に笑みを浮かべた。

 

「来る気になったか?」

 

 そう言うと、顎をしゃくって歩き出す。どうやら、ついて来いと言うジェスチャーのようだ。

 

 その一馬の様子に、友哉達は黙って従うしか無かった。

 

 

 

 

 

 学園島の端まで来ると、一馬は煙草に火をつけ、大きく煙を吸い込んだ。

 

「どうやら、随分とややこしい事を始めてくれたようだな」

「別に・・・・・・僕達がやりたくて始めた事じゃないです」

 

 一馬の言葉に、友哉はムキになった調子で言葉を返す。まるで自分達のせいで戦争が始まったような言い方に、ムッときたのだ。

 

 だが、一馬はそんな友哉の様子を一切斟酌せずに話を続ける。

 

「お陰で、お偉いさん方は、随分と慌てている。この状況を予想していた連中は、少なくとも政府関係者にはいなかっただろうからな」

「政府は、極東戦役が開戦した事を知ってるんですかッ?」

 

 驚いたような茉莉の言葉に、一馬は面白くなさそうに鼻を鳴らす。

 

「阿呆。あれだけド派手な連中が雁首揃えて東京に入って、更に考え無しにドンパチまでやったんだ。気付かない筈がないだろう」

 

 つまり、宣戦会議の事は、予め日本政府の方に情報が言っていたと言う事だ。

 

 一馬は煙草の煙を吐き出しながら、更に続ける。

 

「もっとも、判っていて何の対策も打たなかったんだから、上層部も間抜けの極みだが」

 

 確かに、もしあの場に公安0課の刑事達が踏み込んでいたら、世界中の犯罪者を一網打尽にできたのだ。それをしなかったという事は、大規模な出動許可が警察庁、ひいては政府から出なかったと言う事だろう。

 

 いつの時代も、平和ボケした人間の対応など、そんな物だ。自分の頭の上に砲弾が降ってくるまで事態の重大性に気付かない。そして気付いて対応しようとした時には、既に事態は手遅れである場合が多い。

 

「まあ、そんな事はどうでも良い。問題なのは、戦場がこの国だと言う事だ」

 

 戦場がこの国である場合、一般人へ被害が出る可能性もあるし、構造物への破損も考えられる。最悪、それが無かったとしても、そうした事を懸念し、煙たがる連中はどこにでもいる。

 

「まさか、今更、どこか余所でやれ、なんて言いませんよね」

 

 皮肉めいた友哉の言葉には答えず、煙草の煙を大きく吐き出して一馬は言った。

 

「・・・・・・もし、お前等が派手に暴れるような事態になれば俺達が黙ってはいない」

「「「ッ!?」」」

 

 一馬の言葉に、友哉のみならず、茉莉と瑠香も身を強張らせた。

 

 それは事実上、公安0課が極東戦役に介入する事もあり得る、と言う宣言であり、万が一の時は、相手が友哉達であっても容赦はしないと言う警告だった。

 

 国内最強の武装集団である公安0課。

 

 その公安0課から目を付けられるという事態が、どれほど恐ろしいか。そんな事は想像もしたくない。敵対したが最後、その人物は、命を失うだけでは済まない。その存在から根こそぎ抹消され、文字通り塵一つ残らないだろう。

 

「俺が伝える事は、それだけだ」

 

 せいぜい、命は大切にしろ。

 

 そう告げると、一馬は来た時同様に、暗がりの中へと消えて行く。

 

 後に残された友哉達は、緊張のあまり一言も発する事ができずに、ただ立ち尽くしているだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は、皆さんに新しいお友達を紹介しますね。

 

 朝のホームルームを始めるなり、2年A組担任の高天原ゆとりは、そう切り出した。

 

 転校生と言う存在を珍しく思いながらも、友哉は心ここに非ずと言った感じに窓の外を眺めていた。

 

 宣戦会議から数日が経過したが、眷属側は一向に動きを見せる様子は無かった。

 

 師団側の方針としては、当面は守りに徹し、敵が攻めてきた場合にのみ対応する事になった。

 

 その方針に、友哉も異存は無い。戦力が不足している現状で、打って出るのは自殺行為でしか無かった。

 

 その間に、メーヤはバチカンへと帰国し、《厄水の魔女》カツェ=グラッセ討伐を目指し、玉藻は『鬼払い結界』と言う物を東京全域に張り巡らせ、敵の侵攻に備える事となった。

 

 防衛に徹する以上、敵が動かない事には、こちらも動きようが無い。

 

 加えて、一馬が言い残した、公安0課の極東戦役への介入の件もある。下手な動きは文字通り命にかかわる。ここは、慎重に動くに越した事は無い。

 

 そんな訳で、師団側の主戦力とも言うべきイクス、バスカービルの両チームには連日待機の日々が続いていたのだった。

 

 戦争中とは思えない程の長閑さの中、武偵校2年A組は、やや時期外れの転校生を迎えたのだった。

 

 入って来たのは、男子制服を着た少年だった。

 

 髪を短く切り揃え、小柄な体をしている。友哉よりも更に線の細い少年だ。

 

 少年は入って来ると、黒板に達筆な筆記体で自分の名前を書いた。

 

「エル・ワトソンです。よろしくね」

 

 良く通るような声で自己紹介する。

 

 同時に、女子達から黄色い歓声が上がったのは言うまでも無い事である。

 

 それにしても、

 

 友哉も驚きを隠せない。

 

 ワトソン、と来たもんだ。

 

 J・H・ワトソンと言えば、その名は彼の名探偵シャーロック・ホームズの無二の相棒として、あまりにも有名な名前である。

 

 そして、本人が社交的でない事も相まって、周囲にはあまり知られていない事だが、このクラスにホームズがいる事は、薄々だが偶然ではないだろうと言う確信が、友哉にはあった。

 

 ちらりと視線を向けると、アリアは何やバツが悪そうに、その隣のキンジは面白くなさそうに、それぞれワトソンを見ていた。

 

 2人の普段の態度から考えて、既に何かあったであろう事は間違いない様子だった。

 

 キンジとアリア。これまで喧嘩しながらも、割と上手くいっているように見えた2人。そんな2人の間に入り込んだワトソンと言う、ある意味、アリアにとっては最も近しい立場にある少年。

 

 友哉は、もう一度、視線をワトソンに向けた。

 

 口元に優しげな微笑を浮かべた少年。一見しただけでは、害のある人物には見えない。

 

 ただ友哉には、彼の存在が余計な火種にならない事を祈るだけだった。

 

 そんな事を考えていると、

 

「えっと、実はですね、今日はもう1人、新しいお友達がいるんですよ」

 

 ゆとりのこの言葉には、クラス一同も驚きを隠せなかった。

 

 一度に同じクラス、2人の転校生。そんな事普通はあり得ないだろう。普通は、同じ時期に転校して来たとしても、クラスは分ける筈だが。

 

 ワトソンに続いては言って来たのは、軽くウェーブのかかった、茶色の長い髪を持つ少女だ。背は高2女子としては並みくらいだろう。目付きが鋭い感じの女子だった。

 

高梨(たかなし)・B・彩夏(あやか)です。宜しくお願いします」

 

 そう言って頭を下げる彩夏に、今度は男子陣から歓声が上がった。

 

 彩夏の容姿は、充分に「美少女」とカテゴライズしても良いレベルだった。

 

 だが、男女が上げる歓声には加わらず、友哉は壇上に立つ2人の転校生を眺めていた。

 

 この時期に2人もの転校生。

 

 果たして、これが偶然と言えるのだろうか。

 

 材料が少なすぎる現状では、友哉は断定する事ができなかった。

 

 

 

 

 

 2人の転校生、ワトソンと彩夏は、あっという間にクラスの人気者へと昇りつめた。

 

 何しろ、ワトソンは線の細い感じの美男子だし、彩夏はハーフであるらしく、日本人には無い凛とした感じのある少女だ。

 

 傍から並んで見ると、王子の姫と言う言葉がこれほどぴったりとくる2人はいないだろう。

 

 2人はどうやら、アメリカのマンチェスター武偵校から来たらしく、所属する学科は違うものの、共に仲は良い様子だった。

 

 特にワトソンは、強襲科(アサルト)探偵科(インケスタ)を既に履修済みであり、東京武偵校では衛生科(メディカ)を受講するらしい。

 

 一方の彩夏も強襲科を履修済みで、こっちでは車輛科(ロジ)の所属となるそうだ。

 

 単に見た目が良いだけではない。

 

 2人とも日本に来るに当たって、一般教養を一通り予習して来たらしく、授業にも全く遅れずに着いて来ている。更に、2人とも如何にも外国育ちらしく、性格は社交的であり、誰とでも簡単に打ち解けている。

 

 そんな訳で、2人がクラス内で人気を獲得するのに、それほどの時間は必要なかった。

 

「ほ~、そいつはすげぇな」

 

 昼食の日替わりランチを(友哉の金で)食べながら、陣は感心したように言った。

 

 今は昼休み。食堂に集まったイクスの面々は、それぞれ注文した食事を持ってテーブルの1か所に集まっていた。

 

「ホントですよ。成績は、多分私よりもいいと思います」

 

 卵を箸で溶きながら、茉莉が答える。

 

 因みに茉莉の一般科目の成績は、イクスで随一である。一般教養をさして重要視していない武偵校の中ではかなり上位に食い込んでいる。

 

 その茉莉よりも成績が良いと言うのだから、ワトソンも彩夏も大した物である。

 

「ふ~ん。そんなもんかね? 俺なんか、午前中の授業は全部寝て過ごしてるぜ」

「相良君、それはちょっと・・・・・・」

 

 自慢げに言う陣に対し、茉莉は控えめに抗議の声を掛ける。そんなもん自慢してどうするのか、と。

 

 だが、友哉は2人の会話に加わらず、何かを考え込むように黙り込んでいる。

 

「友哉君、どうしたの?」

 

 少女然とした顔で難しい表情をしている戦兄の様子に、瑠香は怪訝な顔で尋ねる。

 

 見れば、友哉は注文した料理に手を付けてもいない。ずっと考え事をしていた様子だ。

 

 瑠香に声を掛けられて、ハッと我に返る。

 

「あ、ごめん、ちょっと考え事してた」

「ひょっとして、極東戦役の事?」

 

 瑠香と陣にも、既に極東戦役の事は伝えてある。

 

 話をした時、普段は騒がしい2人も神妙な顔つきになって聞いていた。2人とも、事態が冗談を差し挟めるものでない事を理解したのだ。

 

 話を終えた後、2人とも友哉の決断を支持すると言ってくれた時には、ホッと息をついた物である。

 

 これでイクスは、極東戦役に対して本格参戦の体勢を固めたと言える。

 

 だが、

 

「いや、ちょっと別の事だよ」

「ひょっとして、ワトソン君達の事ですか?」

 

 茉莉の問いかけに、友哉は躊躇いがちに頷きを返した。

 

 気になっているのは、ワトソン個人の事では無く、彼に絡んだキンジ、アリアの事だ。

 

 2人とも、明らかに様子がおかしい。今日などは、殆ど顔を合わせている所を見ていない。

 

 正直、これをワトソンの出現と無関係に考えるのは強引すぎると友哉は考えている。

 

 だが、同時にそれを関連付ける、決定的な証拠がないのも事実であった。

 

「ん~、でも遠山先輩とアリア先輩って、いっつも喧嘩、て言うかアリア先輩が遠山先輩をドツキ回している事が多いよね。今回もそれの延長なんじゃないの?」

 

 確かに、瑠香の言葉にも一理ある。むしろ、そう考える事の方が自然であるのかもしれない。

 

 だが、

 

 あの2人、特にアリアの態度が、これまでと違うような気が友哉にはした。

 

 どこが違う、と聞かれても答えられるようなたぐいの話ではない。むしろ、普段から接していないと気付けないような、微妙な変化なのだから。

 

「まあ、あの2人、ああ見えて、あの状況を楽しんでるみてぇだからな。気になるんだったら、それとなく様子を見とけよ」

 

 陣の言葉に、友哉は考え込む。

 

 楽しんでる? あれで?

 

 自分の身に置き換えてみる友哉。

 

 部屋に押し掛けられ、何かあるとすぐにガバメントか刀が出現し、それが無ければヒグマさえ殺すと自慢している腕力で殴られたり蹴られたりetc etc

 

『・・・・・・ダメだ』

 

 そんな毎日は全速力で遠慮したい。

 

 よくもキンジは、あんな生活に毎日耐えている物だと、改めて友人に崇敬の念を抱くのだった。

 

 その時だった。

 

「ごめん、相席、良いかな?」

「他の席、空いて無いのよ」

 

 声を掛けて、向かい合う友哉と瑠香の隣にそれぞれ、件の転校生組、ワトソンと彩夏が座った。

 

 一瞬の事で、呆気にとられるイクスの面々を余所に、2人はさっさと席に座ってしまう。

 

 見渡せば、確かに他のテーブルは殆ど食事をする学生で埋まっている状態だ。

 

「ヒムラ、マツリ。2人とはまだ、あまり話していなかったからね。これから一緒に勉強するんだし、少しでも早く仲良くなりたいと思ってね」

 

 屈託なく言うワトソンの様子に、敵意のような物は感じられない。本当に、転校初日で友達作りに邁進している感じだ。

 

 特に、おかしな様子は見られないが。

 

「はい、しつもーん!!」

 

 シュタッと手を上げたのは瑠香である。

 

「ワトソン先輩って、やっぱり、あのワトソン家の人なんですか?」

「君の言うワトソンが、どのワトソンなのかは知らないけど、J・H・ワトソン博士の身内か、と聞かれたら、僕は彼の曾孫だよ」

 

 「おー」と関心の声を上げる瑠香。

 

 だが、これでますます、アリア達との仲がややこしい事になるのは確定されたような物だ。

 

「あなた達って、そう言えばどういう関係なの?」

 

 手にしたフォークに、パスタを巻きつけながら彩夏が聞いて来る。

 

 確かに、普段からイクスの看板を掲げて歩いている訳でもないので、傍から見れば、4人の関係性は奇妙な物に映るのかもしれない。

 

「武偵チームだよ。この間、登録したばっかだけどね」

 

 そう言って友哉は、まだ紹介していない瑠香と陣を2人に紹介した。

 

「ああ、武偵チームか。そう言えば、そんなのもあったね」

「アメリカじゃ、そう言うのは無かったのか?」

「無い訳じゃないけど、あたしもワトソンも、登録はしてないから」

 

 陣の言葉に、彩夏はそう返して肩を竦める。

 

 個人で武偵活動をしていたと言う事だろうか。アメリカでは、そう言う人もいるのかもしれない。

 

「じゃあ、高梨先輩の『B』も、何かのイニシャルなんですか?」

「まあね、けど・・・・・・」

 

 言いながら一瞬、

 

 彩夏は顔を曇らせたような気がした。

 

「何の名前かは、秘密だけどね」

「えー・・・・・・」

 

 不満そうに口を尖らせる瑠香の様子に、彩夏はクスクスと可笑しそうに微笑を浮かべた。

 

「じゃあさ、じゃあさ、」

 

 尚も質問を続けようとする瑠香。だが、そのせいでワトソンと彩夏の食事は一向に進まない様子だ。

 

 流石に、それは申し訳ない。

 

「おっと、続きは、また今度にしないかい?」

 

 そう言って、ワトソンは、子犬のようにじゃれつく瑠香に優しく微笑みかける。

 

「今度?」

「今度、転校の挨拶もかねて、寮の僕の部屋でクラスの皆を呼んで、ちょっとしたパーティを開こうと思うんだ。君達にも、ぜひ来てほしい」

 

 パーティか。如何にも西欧人らしい発想である。

 

 しかし、これは同時に好機かもしれない、と友哉は思った。

 

 パーティにかこつけて、ワトソンの懐に入り込めれば、何かと色々探れるかもしれない。

 

 茉莉達には話していないが、もう一つの疑惑。極東戦役が開戦したこの時期に合わせるように、2人もの人間がアメリカから転校してきた、と言う事にも友哉は疑念を抱いている。

 

 ワトソンと彩夏が白ならそれで良し。だが、もし違ったら。

 

 その時は、対応を考える必要が生じて来る。

 

「わ、わ、友哉君。パーティだって。あたし、ドレスなんて持ってないけど、どうしよう?装備科(アムド)とかで貸してくれないかな」

 

 そんな瑠香のはしゃいだ様子に、ワトソンは苦笑しながら「制服で良いよ」と言っている。

 

 その様子を友哉は、僅かに目を細めて眺めていた。

 

 

 

 

 

第5話「策動する者達」      終わり

 



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第6話「心の距離」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ノルマ分を泳ぎ切って水から上がると、友哉は全身から疲れが滲むのを感じた。

 

 全身から水が滴るのに任せて、プール際を歩く。

 

 2年A組の面々は、蘭豹指導による体育の授業の為に、屋内プールへと来ていた。

 

 蘭豹が「プール20往復、サボった奴は射殺」と言う暴力ルールを発動してさっさと姿を消すと、学生達は一斉にプールを「横に20往復」して終わらせ、後は全員が岸に上がって休んでいた。

 

 友哉も例にもれず、さっさと自分のノルマを終わらせて、後は友達と話しながら適当に時間を潰そうと考えていた。

 

 少し離れた場所では女子達が、やはり水着姿で集まっているのが見える。

 

 良い眺めであるとは思うのだが、友哉とて健全な高校2年男子だ。そのような光景を見せられれば、つい赤面してしまうのは避けられない。キンジほどではないにしろ、もう少し女子達にも恥じらいと言う物を持ってもらいたい、と思わないでもなかった。

 

「武藤、雑誌借りるよ」

「おう」

 

 車輛科の武藤剛気は、こうなる事を予期していたらしく、雑誌を何冊か持ち込んでいた。ちょうど良いので、その山の中から1冊、ファッションメインの雑誌を取り出した。

 

 ふと、目を転じれば、すぐ脇に、椅子に座って体操着を着ている男子がいるのに気づく。

 

 この間転校してきたばかりのワトソンである。

 

 この水泳授業に、ワトソンは1人参加していなかった。体操服を着てサングラスを掛け、デッキチュアに腰掛けて何やらボケっとしている様子であった。

 

『風邪でも引いてるのかな?』

 

 そんな風に考えながらも、友哉は少し険しい目付きでワトソンを見ている。

 

 ここ数日、友哉は監視の意味も兼ねて、ワトソンの行動をそれとなく見ていた。

 

 特に、異常と思える事は無い。学校では普通に生活しているし、クラス内にもしっかりと溶け込んでいる。社交的で頭も良く人気も高い。噂では、既にファンクラブも存在しているとか。

 

 いたって普通に、転校生としての生活を満喫しているように思える。

 

 危惧していたキンジやアリアとのトラブルも、少なくとも今のところは見られていない。せいぜい、この前の体育の時間に、ワトソンがキンジに顔面レシーブを決めたくらいだ。

 

 気になると言えば一つ、キンジの部屋でアリアの姿を見ていない事だった。

 

 キンジやアリアのその事を聞いてみても、「何でもない」の一点張りで答えてくれないので判断のしようがないのだが。

 

 もし、これが所謂「離間の策」だとすれば、やはりワトソンはキンジとアリアの仲を引き裂く為にやってる、と言う事になるのだが・・・・・・

 

『・・・・・・考え過ぎかな』

 

 ここのところ、あまりにも多くの事が連続して怒り過ぎている為、ついそれら全てを関連付けて考えようとする思考が働いているのかもしれない。

 

 キンジとアリアの事も、たまたまここ数日、仲が悪いだけと言う事も考えられなくもない。この間、瑠香に言われるまでも無く、キンジとアリアは始終ドツキ合っている事が多い。その延長として考えてしまえば、何も違和感のない話なのである。

 

 もしかしたら、全ては偶然の産物であり、自分は必要以上に難しく考え過ぎているのかもしれない。と、友哉は思った。

 

 何れにせよ、今度、ワトソンの部屋で催されるパーティに招待されている。そこから何か探れるかもしれなかった。

 

 そんな事を考えていると、泳ぎ終えたキンジもやって来て、雑誌の山の中ら映画物を取り出した。

 

 すると、何を思っているのか、ワトソンはサッとキンジから目を逸らした。

 

 慌てているような素振りが見えるが、良く見ると顔が赤い。やはり、風邪なのかもしれない。

 

「おいワトソン、体調が悪いのなら救護科(アンビュラス)に行けよ」

 

 キンジがそう声を掛けると、

 

 なぜかワトソンは、顔を背けたまま距離を置こうとする。

 

「おろ?」

 

 キョトンとする友哉。

 

 その視線がワトソンと合うと、やはり慌てて視線を逸らしてしまった。

 

 何か、妙にそわそわしている印象がある。

 

 そこへ、不知火亮を伴った武藤が、雑誌を片手にやってきた。

 

「おい、キンジ、ワトソン、緋村。これにAKB全員がのっているぜ。総選挙やろうぜ」

「5人じゃ総選挙にならないんじゃないかな?」

 

 苦笑しつつ不知火も雑誌を覗き込んで来る。

 

 友哉とキンジも、それぞれの雑誌から目を放して覗き込む。

 

 雑誌には、今、人気急上昇中の48人から成るアイドルグループの水着写真集がのっていた。皆、それぞれに色とりどりの水着を着ており、目にも鮮やかな光景が広がっている。

 

 因みに友哉は半分どころか、3分の1も顔と名前が一致しない。数が多すぎである。子供の頃に大ブレイクしたモーニング娘も数が多かったが、アレと比べても、これは倍かそれ以上の人数いるのだから。

 

 だが、こうして眺めるのは嫌いじゃなかった。

 

 しかし、5人の中で1人、目を逸らしている者がいる。ワトソンだ。その顔は、先程よりもさらに赤くなっている

 

「断る。そんな本を公共の場で広げるな」

「まあまあ、硬い事言うなって。そんじゃ、1人5票ずつな」

 

 ワトソンの抗議の声を宥めつつ、雑誌を中央に置く武藤。

 

「絶対1人は気に入った子がいるって。騙されたと思ってみてみろよ、ほら」

 

 そう言って、上半身裸の状態の武藤は、ワトソンに体を寄せる。

 

 すると、

 

「キャッ」

 

 何やら女の子のような悲鳴を発し、ワトソンが後じさった。

 

 その声に、友哉、キンジ、武藤、不知火は一斉に視線を向けた。

 

 ワトソンの線の細さは、友哉の上を行くレベルである。そんな男子が少女のような声を上げたのである。驚いて反応するな、と言うのが無理な話である。

 

「な、何だよ、女みたいな声出して。じゃあ、お前はやんなくて良いよ。ッて言うか、お前少し、熱あるんじゃないか? ほら、コーラやるから飲めよ。気持ちいいぜ」

 

 そう言って、武藤は自分の飲みかけのコーラを、ワトソンに差し出す。

 

 対してワトソンは、缶を受け取ったものの、缶と武藤の顔を何度も交互に見直している。

 

「で、でも、これ、さっき君が・・・・・・」

「一口しか飲んでねえよ」

「でも、この、口を付けた物を・・・・・・」

「男同士で何言ってんだ」

 

 呆れたように言う武藤に対し、ワトソンはますます困惑したように狼狽している。

 

 と、そこに今度は、不知火がタオルを手にワトソンに近付いた。

 

「濡れてるよ。熱があるなら拭かなきゃ」

 

 どうやら、ワトソンの着ている服が、飛び散った水で濡れていたらしい。

 

 それを拭こうと、体を近付ける不知火。

 

 途端に、ワトソンはガタッと音を立てて立ち上がり、不知火と、その隣にいたキンジを勢いで突き飛ばした。

 

「も、もう限界だ。僕は帰らせてもらうッ」

 

 完全に裏返った声で言うと、飛ぶように走り去ってしまった。

 

「おろ?」

「何だ、あいつ?」

「さあ」

 

 ワトソンの奇妙な行動に、残った男4人は、揃って首を傾げるしか無かった。

 

 その後、結局ワトソンが抜けた事で白けてしまい、「ドキッ☆5人だけのAKB総選挙」はうやむやになってしまった。

 

 とは言え、潰さなくてはいけない時間はまだまだある。

 

 友哉はそのまま椅子を借りて座り、雑誌に目を通していた。

 

 暫くそうしていた頃、目の前に人影が立つのを感じ、顔を上げた。

 

「友哉さん、泳がないんですか?」

 

 肩からバスタオルを掛けた茉莉が、友哉を見下ろしている。

 

 髪からは水が滴っている所を見ると、今まで泳いでいたようだ。

 

 着ている水着は、いつかのビキニタイプでは無く、スポーツタイプのワンピースだ。

 

 茉莉のその姿に、思わず友哉は頬が熱くなるのを止められなかった。

 

 露出度と言う意味では、前の水着に劣っているが、元々、胸のサイズが小さい茉莉にビキニタイプは違和感があったのだ。

 

 それに対し、上半身を首辺りまで覆うスポーツタイプなら、胸の小ささには気にならないし、何より、足の付け根が急角度のハイレグになっている為、茉莉の持つ小鹿のような脚線美が如何なく友哉の視界を埋めている。ちょっと顔を上げれば、その上の部分も。

 

 むしろこちらの方が、より色っぽく感じてしまう。

 

「友哉さん、どうしました?」

「おろ?」

 

 ハッと我に返る友哉。思わず、見とれてしまっていたようだ。

 

「顔が赤いですよ。風邪でもひいたんですか?」

 

 と、さっきワトソンにした心配を、自分にもされてしまう。

 

「い、いや、大丈夫だよ」

 

 そう言ってごまかす友哉。

 

 茉莉は自分の魅力に全く気付いていないようだ。訝るように小首をかしげながら、友哉の横の椅子に腰かけた。

 

「今まで、泳いでいたの?」

「はい。蘭豹先生に言われた20往復、どうにか完遂しました」

 

 どうやら茉莉は、皆が横方向に20往復している間、1人真面目に、縦方向に20往復したらしい。

 

 そこまで真面目にやらなくても良いのに、と思わないでもないのだが、この真面目さが彼女の長所の一つであると、友哉は感じていた。

 

「私は、体力に問題がありますから」

 

 茉莉は、自嘲気味に言う。

 

 茉莉の戦術は、縮地を使用した神速を如何なく発揮した機動戦法にある。しかし、これは同時に体力に多大な負荷が掛る物だ。一般の女子よりは体力がある茉莉だが、それでも足りないくらいだ。

 

 事実、これまでの戦いで、茉莉は何度か体力切れで撤退を余儀なくされた例がある。

 

「だから、少しでも鍛えておきたいんです」

「成程ね」

 

 茉莉は椅子の背に上半身を預け、体を弛緩させている。

 

 やはり、20往復はきつかったようだ。

 

「でも、無理はしないでね」

 

 そう言って笑い掛ける友哉。

 

 その友哉の笑顔を見て、

 

 茉莉は少し顔を赤らめ、改まって口を開いた。

 

「あ、あの、友哉さん」

「おろ?」

 

 茉莉は友哉と視線を合わせず、もじもじとして何かを言おうとしている。

 

「どうかした?」

「も、もうすぐ、学園祭ですね」

 

 今更確認する事でもないだろうが、茉莉はなぜか尋ねて来る。因みに、友哉達の『変装食堂(リストランテ・マスケ)』の準備は滞りなく進んでおり、各人のシフトを調整する段階に入っていた。

 

「ふ、2日目って、確か、お店はありませんよね」

 

 友哉達のシフトは1日目だけだ。2日目は自由行動となる。友哉としては、あちこち見て回ろうと思っていたのだが。

 

「あ、あのあの・・・・・・」

 

 勢い込んだように振り返りながら、茉莉は顔を赤くして友哉に詰め寄って来る。

 

「お、落ち着いて、どうしたの?」

「あのっ」

 

 茉莉はその後も、何度か「あのあの」を繰り返した後、大きく深呼吸して、少しうるんだ瞳を友哉に向けた。

 

 その視線に、友哉はドキリとする。

 

 茉莉は、この血生臭い武偵校の中にあって、水準以上の美少女である。

 

 あまりに間近にいる為に、今まで気にはしなかったが、こうして至近距離で向かい合うと、その可愛さは否応なく判ってしまう。

 

 そんな美少女に見詰められ、友哉の鼓動は意思とは関係なく早まってしまっていた。

 

 やがて、茉莉は意を決したように言い放った。

 

「2日目、もし良かったら、私と一緒に学園祭を回ってもらえませんかッ!?」

 

 あまりの大声で、周囲の何人かが振り返ってしまったくらいだ。

 

 叫んでから、茉莉はハッと顔を上げるが、

 

 既に後戻りできる状況では無かった。

 

 一方、友哉はと言えば、茉莉の突飛な行動に唖然として動きを止めていたが、やがて、

 

「うん。良いよ」

 

 そう言って、ニッコリと微笑んだ。

 

 すると、茉莉は何かに憑かれたようにビクッと体を震わせて立ち上がった。

 

「あ、ああ、あ、あいがとうございますッ!!」

 

 若干噛み気味にそう言うと、殆ど無意識と言って良いレベルで縮地を発動。かつて《天剣》と呼ばれた駿脚に恥じぬ速度で、その場から一瞬で駆け去って行く。

 

 後には、

 

「おろ・・・・・・・・・・・・」

 

 雑誌を手に呆然としている友哉が、目を点にして残されているのみだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仲間内でも、彼等を毛嫌いする人間は少なくない。

 

 何しろ、その業務の一つが、仲間達の動向監視と内部監視でもあるのだから。

 

 警視庁の庁舎の地下にある部屋は、淀んだような空気の元、そこに住まう者達のおどろおどろしさを表しているかのようだ。

 

 警視庁公安部。

 

 外国人のテロや警察内部の不正に対する部署である公安は、同じ警察組織の中にあっても異色の存在であり、嫌われ者と呼んで差支えが無かった。

 

 もっとも、いちいちその程度の事を斟酌するような、真っ当な精神の持ち主は、そもそもここに来たりはしないが。

 

 その公安部の中で、更に暗部に位置し、その存在を知る者すら限られる者達がいる。

 

 それこそが、公安0課。

 

 平和と言うぬるま湯に浸かった日本の国内にあって「殺しのライセンス」を持ち、凶悪な犯罪者に対して独自の殺害権を持つ者達である。

 

 それ故に、武力は勿論、知力、教養、あらゆる面で秀でている事が求められる。勿論、出生、生活についてもクリーンである事は最低以下の条件だ。その点、純粋に専門分野のみの追及で許される武偵とは大違いである。

 

 まさに、1人が1軍に匹敵する。「日本最強」の呼び声は伊達では無いのだ。

 

 その中で特殊班とは、過激な現場へと飛び込み、早期の収束を目指す部署であり、精鋭中の精鋭である事が求められる。

 

 斎藤一馬も、そうして選ばれた精鋭の1人である。

 

 元々、斎藤の家と公安とは縁が深い。

 

 何しろ一馬の父と祖父もまた、公安の経験者だったのだから。

 

 一馬の先祖である、新撰組三番隊組長、斎藤一は、幕末維新後、藤田五郎と名を変えて警視庁に入った。そこから藤田家と警察の繋がりができた訳である。

 

 戦中には曽祖父が日本軍の特殊部隊に在籍し、大陸で中国の共産党軍や国民党軍相手に、いくつか記録に残らない任務を遂行したらしい。そこら辺の記録は戦後のどさくさで失われてしまった為、一馬も詳しくは知らないが。

 

 戦後、学生運動や安保闘争が活発化すると、公安の存在意義と言うのは急速に増してくる結果となる。祖父も、その時期に活躍した者の1人である。

 

 特に、日本赤軍などの過激派グループへの潜入、幹部の暗殺などに活躍したのだ。

 

 しかし皮肉な事に、その祖父の活躍が、藤田家にとっての不幸を呼び込む事になった。

 

 祖父の手による過激な捜査、取り締まりによって、藤田家の名前は共産系活動家達のブラック・リストに載ってしまったのだ。

 

 報復は苛烈を極め、藤田の家に連なる者達が多数、謂れの無い凶弾の前に倒れて行った。公安警察として活躍していた一馬の父も、捜査中に暗殺者に狙われて命を落とした。

 

 そのような事もあり、更なる惨劇を危惧した警察関係者は、一馬を含む藤田家の人間を保護すると同時に、暗殺者達の目を逸らす為に、長年名乗って来た藤田の性を捨て、先祖の斎藤性を名乗る事となったのだ。

 

 そのような経緯もあり、一馬も警察に就職以来も、その以前にも研鑽を重ね、父や祖父と同じ道を歩むようになったのは、当然の帰結である。

 

 その一馬は、オフィスにある自分のデスクに座り、いくつかの書類に目を通していた。

 

 傍らに置いた灰皿には、ダース単位で計算した方が早い量の吸い殻が山と積まれている。昨今の禁煙風潮など、一馬にとっては微風が吹いているに等しい事でしか無かった。

 

 手の中の書類には、幾人かの犯罪者の名前が顔写真付きで載っている。

 

『カツェ=グラッセ

通称《厄水の魔女》。ドイツを中心に活動するスパイ組織「魔女連隊」構成員。

当人もイ・ウーへの入学歴あり』

 

『ヒルダ

ルーマニア出身。通称《紫電の魔女》。世界に3体確認されている吸血鬼のうちの1体。竜悴公姫。

父親は、かの《無限罪》ブラド・ツェペシュ。

母親は死去。父親は現在、長野拘置所に収監中。

イ・ウーへの入学歴あり』

 

 他にも幾人かの資料が、一馬の手に握られている。

 

 全て、あの宣戦会議に出席したメンバー達だ。

 

 彼等はいずれも、公安がマークしている犯罪者、あるいは重要人物達である。

 

 これだけのメンバーが、もし激発していたら、間違いなく東京の半分は灰になっていただろう。

 

 改めて、この国の危機管理の悪さには、皮肉と共に苛立ちを禁じえない。

 

 それに、

 

 一馬は、ある少年の顔を思い出して、それとは判らない程度に顔を顰めた。

 

 あの場にい合わせながら、あの阿呆は1人も討ち取る事ができなかったらしい。だから、奴は甘いと言うのだ。

 

 お陰で、あの場にいた殆どの連中が自分達の拠点に戻ってしまった。

 

 敵のホームグランドで戦うのは、いかに公安0課と言えども骨が折れる事だ。だから、東京にいるうちに仕留めたかったのだ。

 

 日本政府の弱腰対応と、武偵達の不手際で、状況は当初よりも複雑化している。

 

 とは言え、愚痴を言っても始まらないし、何より一馬の性に合わない。次に連中が東京に現われた時に備えるのみだ。

 

 その時、

 

「斎藤君、これ、追加の資料だ」

 

 そう言って、新しい書類が差し出された。

 

 相手は一馬の上司で佐々木信雄警視。特殊班の班長を務めている人物である。

 

 何でも、佐々木の先祖も幕末の京都で活躍したらしい。もっとも、向こうは直参旗本達によって結成された京都見回り組であったらしく、浪士達を集めた新撰組とは、反りが合っていたとは言い難いのだが。

 

 勿論、佐々木はそのような素振りは一切見せず、一馬に対しても普通の上司として接している。

 

「どうも」

 

 一馬は書類を受け取り、一読する。

 

 新たな書類も、やはり極東戦役絡みの事であった。

 

 だが、こいつ等は確か・・・・・・

 

「それ、例のあいつらだろ。この間、湾岸でドンパチやった連中の」

「・・・・・・ええ」

 

 思考を遮るような佐々木の言葉に、一馬は頷きを返す。

 

 極東戦役開戦の事を知らない者は、公安にはいない。その為0課に限らず、今や公安部その物が火事場のような忙しさに包まれているのだ。

 

「その連中、どうやら日本に入ったらしいぞ?」

「・・・・・・確かですか?」

 

 一馬は鋭い視線を佐々木へと向ける。

 

「ああ、外事の連中が足取りを追ったんだが、うまく撒かれてしまったらしい」

 

 外事。0課では無いとは言え、公安の尾行を撒くとは、やはり普通のやり方での対抗は難しいと言わざるを得ない。

 

 一馬は、細い目で書類を睨みつける。

 

 どうやら、狼が解き放たれる時は、そう遠くは無いようだった。

 

 

 

 

 

 寮に戻った茉莉は、愛用の大きなクッションを膝に抱えたまま、ボーっとしていた。

 

 今、部屋には茉莉しかいない。友哉も瑠香も、用事があるのか、まだ学校から帰ってきていなかった。

 

 顔が若干赤いのは、風邪をひいたせいではない。

 

 思い出すのは、先程の体育の授業での事。

 

 友哉に対して、学園祭を一緒に回るように頼み、それを了承されてしまった。

 

「・・・・・・ゆ、友哉さんと・・・デ、デ、デデ・・・・・・」

 

 口にしようとするだけで、頬が熱くなり、舌が勝手にもつれてしまう。

 

 了承した側がどう思っているかは知らないが、これは傍から見れば完全にデートである。

 

 今まで、茉莉は作戦行動中以外に友哉と2人っきりになる事など、殆ど無かった。大抵は瑠香か陣、その2人がいなかったとしても、他の誰かがいたのだ。

 

 だが、今回は間違いなく、友哉と茉莉、2人っきり。シチュエーションが学園祭とは言え、初体験である事は間違いない。

 

「わ、私は、どうしてあんな事を・・・・・・」

 

 屋内プールでめいめいの事をしていたとは言え、殆どのクラスメートたちが見守る中で、まさか茉莉の方からデートに誘ってしまうとは。

 

 今思い出しただけでも、顔が真っ赤に染まるのが判る。時々、アリアがキンジ相手に見せる急速赤面術のようだ。

 

 いや、それ以前に、

 

 自分は友哉の事をどう思っているんだろう、という命題に、茉莉はまだ明確な答えが出せていなかった。

 

 その胸の内にある物が、好意である事は間違いない。だが、好意にも濃度と言う物がある。

 

 果たして、茉莉の友哉に対するそれは?

 

『・・・・・・仲間? ・・・・・・友達?』

 

 それらがある事は間違いない。むしろ、そんなレベルでは言い表せないだろう。

 

『・・・・・・家族?』

 

 は、明らかに飛躍しすぎである。

 

 では、

 

『こ・・・・・・こ、こここ・・・・・・』

 

 心の中ですら「恋人」と言う単語を発音できないあたり、ハードルの高さは見上げるほどであるのは間違いないだろう。

 

『キャーッ キャーッ キャーッ』

 

 ジタバタの勝手に悶えながら、ソファーの上でゴロゴロと1人転がる茉莉。

 

 と、

 

「何してんの、茉莉ちゃん?」

「ンキャァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 いつの間にか帰ってきていた瑠香が、不審物でも見るような目付きで自分を見ている事に気付き、茉莉はその場で跳びあがらんばかりの驚きを示した。

 

「る、瑠香さん、いつからそこにッ!?」

「いや、今帰って来たとこだけど・・・・・・」

 

 茉莉の奇行を目の当たりにした瑠香は、唖然としたまま立ち尽くしている。

 

 そんな瑠香に、茉莉はガバッと起き上がって駆け寄った。

 

「瑠香さんッ」

 

 瑠香の手を取る茉莉。

 

「瑠香さんに、相談がありますッ」

「は、はい。何でしょうか?」

 

 なぜか敬語になる瑠香。

 

 その瑠香に、茉莉は半ば血走った目を向けて迫る。なかなか怖い。

 

「る、瑠香さんは、その・・・・・・」

「ま、茉莉ちゃん、顔、顔近いんだけど・・・・・・」

 

 茉莉と瑠香の顔は、殆ど鼻が触れ合うほどに接近している。傍から見ればキスの直前に見えるくらいだ。

 

 だが、そんな事は構わず、茉莉は口を開く。

 

「瑠香さんは、その、お・・・お・・・」

「お?」

「男の子と付き合った事はありますかッ?」

 

 しばしの、沈黙。

 

 あまりに突飛過ぎる質問だった為、瑠香がその内容を吟味するのに時間が掛ったのだ。

 

 ややあって躊躇うように、くノ一少女の唇が動く。

 

「さ、参考までに聞くけど、どうしてあたしに聞くの?」

「え、だって、瑠香さん、そういう経験豊富そうじゃないですか」

 

 質問に対し、キョトンとした顔で返す茉莉。

 

 次の瞬間、

 

 ギュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ

 

 瑠香は両手を伸ばし、茉莉のほっぺを思いっきりつねり上げた。

 

「そう言うアホな質問するのは、この口かしら?」

「いひゃいいひゃいいひゃい」

 

 指に少し力を加えてから、瑠香はこの年上の妹を解放してやる。

 

「まったく。茉莉ちゃんはどういう目であたしを見ていた訳? 言っとくけどあたし、今まで誰かと付き合った事なんてないよ」

「え、そうなんですか?」

 

 意外そうに尋ねる茉莉。

 

 そして、

 

 ギュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ

 

「どうしてそこで意外そうな顔するかな~、この子は」

「ご、ごめんなひゃ~いッ」

 

 先より長く茉莉のほっぺを引っ張った後、改まって瑠香は尋ねた。

 

「大体、どうして急に、そんな質問する訳。誰か好きな人でもできたの?」

 

 キッチンで紅茶を淹れ、それを茉莉の前のテーブルに置くと、瑠香もカップを取った。

 

 武偵校であっても、この手の話題は事欠かない。別に恋愛禁止が校則に織り込まれている訳でもないし、学生同士で付き合っている者や、校外に恋人がいる者も珍しくは無いのだが、それがやはり友人の口から出たとなると、気になるのは当然の話だった。

 

「それは・・・・・・」

 

 茉莉は、瑠香が淹れてくれた紅茶に口を付けるのも忘れて、俯いたまま言葉を詰まらせる。

 

 正直、なぜ、と問われると茉莉にも判らない。

 

 ただ、自分ですら持て余しているこの感情に対し、誰かに明確な答えを教えてもらいたかったのかもしれない。

 

 沈黙したままの茉莉に対し、瑠香はその横に座ってフッと笑い掛ける。

 

 ここに来た時と比べて、茉莉は本当に成長したと思う。初めて会った頃は、まるで人形のように表情が乏しく、感情が起伏する事も少なかった。

 

 だが、今の茉莉は、どこにでもいる女子高生のように、全力で青春しているように思えた。

 

「別に、そんなに気を張らないで、自分に素直になったらいいんじゃないかな?」

「え?」

 

 顔を上げた茉莉は、瑠香の笑顔を見る。

 

「茉莉ちゃんが、その子の事が好きなら、その好きって気持ちをちゃんと相手に伝えれば、それで良いと思うよ」

 

 そう言って、瑠香は茉莉の頭を撫でてやる。

 

「・・・・・・はい」

 

 その瑠香の言葉に、茉莉は少し背中を押されたような気分になり、心が軽くなった気がした。

 

 だが、

 

 この時、茉莉も、瑠香も気付いていなかった。

 

 自分達の気持が、自分達も全く知らない所で交錯していたと言う事に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワトソンの部屋で、彼と彩夏の転校記念パーティが催されたのは、それから数日後の事だった。

 

 ワトソンはアリアと同じく、イギリスの貴族であるらしく、住んでいる寮の部屋もそれに見合った豪奢な物であった。

 

 何しろ、室内の面積だけで、友哉達の部屋の倍以上あり、しかもワトソンはそれを1人で使っているのだ。友哉達の部屋が4人用である事を考えれば、その広さは単純計算で8倍である。

 

 しかし今は、ワトソン、彩夏を始め、10人以上のクラスメイトが招待された為、流石に手狭な印象がぬぐえなかった。

 

 イクスの4人は当然呼ばれていたし、他にも武藤や不知火、男子や女子が数人ずつ呼ばれていた。

 

 尚、キンジ、アリア、理子と言ったバスカービルの面々は顔を出していない。

 

 ワトソンは自分の財力に物を言わせたらしく、出された料理も高級レストラン張りの豪華な物であった。

 

 その料理や、出されたノンアルコール飲料を楽しみながら、会話は弾んで行く。

 

「へえ、じゃあ、高梨先輩のお父さんがイギリス人なんですか」

「まあね」

 

 瑠香に質問された彩夏は素っ気ない口調で帰す。

 

 ワトソンと同じ転校生であり、このパーティの主役の1人でもある彩夏は、やはりこの場でも質問攻めにあっている。瑠香と茉莉に順番が回ってきたのは、つい先ほどの話である。

 

 聞いた話では、高梨は母方の姓であり、彼女のミドルネームであるBは父親の姓を表しているらしい。

 

「じゃあ、お父さんは何している人なんですか?」

 

 と、これは茉莉の質問だ。

 

 彼女達には予め、それとなく彩夏とワトソンの事を探ると言ってある。今の質問も、その一環なのだろう。

 

 対して、質問された彩夏は、対してきつくも無い飲み物を飲んで顔を顰めた。

 

「さあね。一体全体、何処で何してるんだか、あいつは・・・・・・」

 

 どうやら、彩夏にとって父親の話はあまり触れられたくない類の話であるらしい。

 

 その様子が、しかめられた表情から見て取れた。

 

「まあ、あんな女たらしの風天親父の事なんかどうでも良いじゃない。そんな事より楽しもうよッ」

 

 そう言って、2人の肩に腕を回す彩夏が見えた。

 

「どう見る、友哉?」

 

 フライドチキンを頬張りながら、陣が尋ねて来る。

 

 ひとしきりパーティを楽しんでいるように見える陣だが、どうやら友哉が頼んでおいた事に関して忘れていないようだ。

 

「君にはどう見えるの?」

 

 質問に質問で返すのは会話におけるマナー違反だが、友哉としては少しでも判断材料が欲しかった。

 

 ワトソンも彩夏も、調べれば調べるほどに問題らしいものは見当たらない。一見すると、本当に白のようにしか見えない。

 

 だが、どうにも引っ掛かるような物が、友哉の中で拭いきれないでいた。あるいはそれは疑心暗鬼以上の物では無かったのかもしれないが、それを捨て去ってしまう事の危険性を、友哉はよく承知していた。

 

「確かに、怪しい所は見えねえ。けどよ、」

「けど?」

「逆にそこが気に食わねえ。何つーか、綺麗過ぎるんだよ、あの2人。俺の経験上、ああ言う奴等は、大抵、腹の中じゃ碌でもない事を考えてるもんさ」

 

 陣の言葉に、友哉は言葉を返さない。

 

 こうして、向こうの誘いに乗って見れば、何かしら見えて来る者もあると期待したのだが、当てが外れたかもしれない。

 

『仕掛けてみるのも一つの手、かな・・・・・・』

 

 所謂、カマ掛けと言う奴だ。

 

 話しかけて、関連しそうな単語を織り交ぜて会話を進めれば、何かしらのボロを出す可能性もある。

 

 もっとも、向こうはアメリカでも現役武偵として戦って来た身だ。そう簡単に尻尾を掴ませるとは思えないが。

 

 そんな事を考えている時だった。

 

「ヒムラ、ちょっと良いかい?」

 

 都合がいいと言うべきか、ワトソンの方から声を掛けて来た。

 

「おろ、何かな?」

「ちょっと、話があるんだ。テラスに行かないか?」

 

 その言葉を聞き、友哉は僅かに視線を傍らの陣へと向けた。

 

 無言で、陣と視線を交わしてから、ワトソンを見た。

 

「いいよ、じゃあ、ちょっと行こうか」

 

 そう言うと、ワトソンに続いてテラスのある方へと向かう。

 

 ちょうど良い機会だ。ワトソンが何を想い、この学校に転校してきたのか探るチャンスだった。

 

 

 

 

 

 金が掛っているだけあって、テラスも相当な広さだった。剣の素振りだけなら普通にできそうな広さである。

 

 殆ど一流ホテルの内装と代わらない作りの中、ワトソンは手すりに上体を預けるようにして、吹いて来る風に身を委ねた。

 

「良い風だね。人が多いせいか、中は少し暑いくらいだ」

「そうだね」

 

 友哉も風を感じながら返事を返す。

 

 酒が入っている訳じゃないが、やはり狭い部屋に大人数が集まり、長時間飲み食いしていれば自然と体温も上がってしまう。

 

 そう言う意味で、ワトソンが友哉をベランダに連れ出したのはベストなタイミングであったと言える。

 

 だが、

 

 友哉はワトソンの華奢な後ろ姿を見ながら思う。

 

 この少女のような少年(自分のことは棚上)が、本当に腹の内では何かを企んでいるのか。

 

 ここからの会話で、できればその糸口を掴みたかった。

 

 そんな友哉に対し、ワトソンは先制するように話しかけて来た。

 

「さて、ここなら、他の子に会話を聞かれる事も無いかな」

 

 ワトソンは言いながら振り返り、手すりに背を預けて寄りかかる。

 

 その瞳は、真っ直ぐに友哉を見据える。

 

「僕に、話があったの?」

 

 ある種の確信めいた友哉の問いかけに、ワトソンはフッと笑い、真っ直ぐと見詰めて来る。

 

「ヒムラ」

 

 その口が、言葉を紡ぐ。

 

「君、『眷属(グレナダ)』に来ないか?」

 

 

 

 

 

第6話「心の距離」      終わり

 



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第7話「デッドヒート・ストライク」

 

 

 

 

 

 

 

 

「君『眷属(グレナダ)』に来ないか?」

 

 ワトソンの言葉を、友哉は噛み締めるように吟味する。

 

 短く放たれた言葉の中には、多くの疑問文が隠されているが、友哉は頭の中でそれら一つ一つを整理し羅列して行く。

 

「・・・・・・そう聞くって事は、君も?」

 

 極東戦役の関係者か? と言う質問を敢えてぼかす。そうする事によって、相手の立場を明確にしようという意図だ。

 

 ワトソンもその事を理解しているのだろう。フッと笑い、友哉の質問に答えた。

 

「その通り。僕は極東戦役の一環として、この学校にやってきた。もっとも、それはあくまでついでの理由で、メインは別にあるんだけどね」

 

 そう語るワトソンの目は、友哉を真っ直ぐに見詰めている。

 

 一見すると、リラックスしたようにゆったりと身構えているが、その実、全身から殺気のような物がにじみ出ているのが判る。

 

「メイン?」

「まあ、そっちの事は、今はどうでも良いさ。問題なのは君の去就だ」

 

 ワトソンは迫るように、一歩前へ出る。

 

「イクスも眷属に来ないかい?」

 

 先程の質問を、もう一度繰り返した。

 

 スッと目を細める友哉。

 

 どうやら、友哉の直感は当たっていたらしい。こうなると、一緒に転校してきた彩夏も、当然怪しいと言う事になる。

 

「君は何者だ?」

 

 まずは相手の正体を探るべく、友哉は尋ねる。マンチェスター武偵校からの転校生と言う仮面は、既にワトソン自身が脱ぎ去っている。ならば、その正体を把握しておかない事には話にならない。

 

「リバティ・メイソン」

 

 ワトソンが口にした組織の名前。それには聞き憶えがあった。

 

 あの異形達の集まり、宣戦会議にも顔を出していた。確か「無所属」を宣言した組織の名前である。

 

「本国のグランドロッジでは今、どっち陣営に着くか協議中でね。もっとも、僕の方から眷属に着くように進言を入れといたから、程なく決議もされるだろうけど」

 

 ワトソンの言葉に、友哉は内心で舌を打つ。

 

 由々しき事態であると言える。ただでさえ師団(ディーン)側は劣勢だと言うのに、このままでは更に敵が増える事態になりかねない。

 

「そこで、君達も一緒にどうか、と思ってね。情報では、君は師団に着いた理由が、トオヤマキンジ、バスカービルとの提携にあると言ったそうじゃないか。なら師団に特別な思い入れがある訳じゃないんだろう?」

 

 つまり、ワトソンは師団陣営の切り崩しを狙っていると言う事だ。

 

 確かに友哉は師団に対して、特に思い入れがある訳ではない。傍から見れば、確かに友哉は組みしやすいと思えるかもしれない。

 

 だが、

 

「読み間違えたねワトソン。そう言う理由なら、僕は君の提案を飲むつもりは無いよ」

 

 交渉は決裂だ、と友哉は言下に言い放つ。

 

 友哉は確かに師団に思い入れがない。極東戦役の事すら、知ったのはついこの間の事だ。結成したばかりの連盟に思い入れをしろと言うのが、そもそも無理な話である。

 

 だがそれは、逆を言うと眷属にも思い入れがない事を意味している。

 

 では、友哉をして、極東戦役への参戦を決断させた物は何だったのか。

 

 それはひとえに、仲間達への友情に他ならない。

 

 キンジ、アリア、白雪、理子、レキ、ジャンヌ。彼等と共に戦い、彼等を守るために戦う。それこそが友哉が剣を取る理由であり、飛天の剣士として戦う唯一にして無上の理由でもあった。

 

「リバティ・メイソンだろうが何だろうが、来るなら来て良いよ。けど、」

 

 鋭い視線が、真っ直ぐにワトソンを睨みつける。

 

「僕の仲間達を傷付けようとするなら、たとえそれが誰であろうと容赦はしない」

 

 対抗するように、ワトソンも友哉を睨みつける。

 

 互いに睨み合う両者。

 

 徐々に涼しくなりつつある風だけが、2人を取り巻くように吹き抜けて行く。

 

 やがて、ワトソンは苦笑気味に口を開いた。

 

「やっぱりダメだったか。まあ、予想した通りだったけどね」

 

 予定調和を確かめるような、自嘲に満ちた口ぶり。どうやらワトソンも、口先で友哉を説得できるとは思っていなかったらしい。

 

 その瞳が、鋭く友哉を睨み据えた。

 

「仕方ないね」

 

 呟いた瞬間、

 

 ワトソンが掲げた手には、黒光りする拳銃が握られ、真っ直ぐに銃口が友哉へと向けられていた。

 

 SIGSAUAR P226。16発装填可能なオートマチック拳銃で、最近では海上自衛隊や警察などにも出回っている。その堅牢さには定評があり、数時間泥水に漬け込んでも作動に影響がないとの事である。

 

「力づくでやるしかないか」

 

 ワトソンは、友哉の眉間を正確にポイントしている。

 

 両者の距離は2メートル強。友哉にとっては不利な状況だ。

 

 一般に近距離では射撃より白兵の方が有利とされているが、それはあくまで構え、照準、修正、発砲と言うプロセスにより時間が掛るからだ。

 

 だが今、既にワトソンは構え、照準、修正までを完了している。後はトリガーを引くだけである。友哉がどう動いても、ワトソンは先に発砲するだろう。

 

「君の事は事前に調べさせてもらった。剣を使わせれば、オーバーAクラスの実力だが、素手や銃は並み以下らしいね」

「・・・・・・否定はしないよ」

 

 調べて来たのなら、ここでとぼけても意味の無い話だ。

 

 友哉は今、手に刀を持っていない。銃を持つワトソンが相手では圧倒的に不利である。

 

「更に、もう一手、仕掛けさせてもらう」

 

 言いながら、ワトソンは指をパチンと鳴らした。

 

 同時に、友哉の背後に何者かが現われる気配があった。

 

「コンチワー、仕立屋、デリバリーサービスでーす」

 

 若い男の声。

 

 友哉の背後には、刀を持った青年が立っている。

 

 年の頃は友哉達よりも、少し上くらい。恐らく20歳前後だろう。髪を逆立てたヘアスタイルに、パンク系ロックミュージシャンのような、随分派手な格好をしている。

 

「リバティ・メイソンは、仕立屋と契約したんだ」

「傭兵を雇って自軍を強化するのは、古来からある戦場の常識さ。敵戦力の分断を行うのもね」

 

 どうやら、ワトソンは友哉を他の者達と引き離す目的で、このテラスに引き込んだらしい。それだけではない。イクスを眷属に誘っているのも、何れ戦う事になる師団の戦力を分断する事を狙っての事だろう。

 

 だが、

 

「策を仕掛けたのが、自分だけだとは思わない方が良いよ。陣ッ!!」

「おうッ!!」

 

 友哉に名前を呼ばれ、テラスの入り口から陣がその長身を現わした。同時に陣は、何か細長い物を投げてよこす。

 

 友哉は飛んで来た自分の刀を受け取ると、間髪入れずに鞘から抜き放った。

 

 今回のパーティ出席に当たり、友哉は逆刃刀を陣に預けていた。これはカジノ警備の時にも使った手だが、今回はワトソン達に自分が丸腰である事を印象付ける事が目的だった。自分が丸腰なら、ワトソンや彩夏が何か動きを見せるだろうと考えたのだ。

 

 その策は図に当たった。こうして、ワトソンの正体を暴き、目的まで見抜く事に成功したのだから。

 

「さて、これで2対2だね。どうする?」

 

 刀の切っ先をワトソンに向けながら尋ねる友哉。陣も、パンク風の男と対峙している。

 

 狭いテラスの中で、4人の人物がにらみ合う。

 

 その時、

 

「今日は、ここまでにしといた方が良いんじゃない?」

 

 緊張状態を緩和するような、耳触りの良い声。

 

 振り返ると、陣の背後からもう1人、高梨・B・彩夏が入って来る所であった。

 

「彼を引き抜くのには失敗したようね」

「ああ、なかなかガードが堅かったよ」

 

 言いながら、ワトソンは銃をホルスターに収めた。同時に場を満たしていた殺気も雲散霧消する。全員がほぼ同時に、戦闘意思を解除したのだ。

 

「君も、リバティ・メイソンだったんだね」

「ええ、そうよ」

 

 彩夏は韜晦もせず、あっさりと認めた。

 

 ならば、目的はワトソンと一緒と言う事か。

 

 友哉も刀を鞘に収めながら、2人を交互に見やる。

 

「気を付ける事ね。あなた達イクスは、リバティ・メイソンを敵に回した。その事がどれほど恐ろしい事か、近いうちに思い知るでしょうよ」

「・・・・・・それは、こっちのセリフだよ」

 

 そう告げる両者の間には、明確なほどハッキリと火花が飛び散った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数日の間は、特に異常らしい異常も起きないままに経過して行った。

 

 友哉としても意外に思えたのが、極東戦役において最も初めに動き出したのが、師団、眷属両連盟に属する陣営では無く、無所属のリバティ・メイソンだった事だ。

 

 中立宣言をした組織と言うのは、その実、最も不安定な立場にあると言える。双方の組織から攻められる可能性もあるし、何より戦役によって得られる利益も減ってしまう可能性が高い。リバティ・メイソンとしても、そこら辺の事情を考慮し、ワトソン、彩夏を派遣したのだろう。

 

 様相はいよいよ、戦乱の時代に突入した感がある。

 

 世間には見えない戦争だ。だが、ある意味、表の戦争並みに激しく、大規模な戦いになる予感もあった。

 

 だが現状では、いつ眷属陣営に襲われないとも限らない。リバティ・メイソンとの戦いは、早期決着が望ましかった。

 

『早期決着と言えば、こっちの方も早めに何とかしないとだね』

 

 友哉は心の中で独り言を言いながら、チラッと視線だけキンジとアリアに向けた。

 

 やはり、ワトソンの介入がジワジワと効いているのか、2人の間に険悪なムードが立ち込めているのが、傍から見ても判ってしまう。

 

 顕著なのは、やはりアリアだろう。

 

 普段の彼女なら、このような状態になったなら必ず銃か剣を抜いてストレス発散に走る。このようにうじうじと長引かせるような事はしない。そう言う意味では、迷惑ではあるが、意外に後を引かないのである。

 

 だが、今のアリアは自分の持ち味を完全になくしている感がある。一言で行ってしまえば、彼女らしくなかった。アリアなりに、この状態を持て余し気味なのかもしれない。

 

 翻ってキンジはと言えば、こっちはある意味もっと状況が深刻だった。

 

 何しろ、クラス内で孤立してしまっている。原因は、やはりワトソンだった。彼がクラス内で人気を独占している状態である為、ワトソンと対立関係にあるキンジは、クラスの中でハブられ気味である。キンジと仲の良い武藤ですら、あのパーティ以後は親ワトソン派に回ってしまっている。

 

 クラス内で未だ明確にキンジの味方でいるのは、事情を知っている友哉と茉莉くらいの物だ。後は、この手の事に興味がなさそうな不知火くらいだろう。

 

 そのような事情もあり、友哉はまだ、リバティ・メイソンの侵攻をキンジ達に報告できないでいた。

 

 バスカービルはリーダーとサブリーダーがそんな状態だし、理子は、なぜか最近捕まらない日が多い。白雪とレキはクラスが違う為、なかなかタイミングが合わなかった。

 

 

 

 

 

「どうにも、好きになれないんだよね」

 

 茉莉に付き合ってもらい、戦闘訓練を行いながら友哉が呟くように言う。

 

 強襲科の体育館で、体操着を着た2人は木刀を打ち合っている。

 

 茉莉と友哉は戦闘パターンが似ている為、互いに高速戦闘訓練を行う際には、こうして立ち合う事が多かった。

 

 2人が本気で動けば、並みの強襲科生徒では姿を追う事すらできない。一部始終を見ようとしていた者などは目を回しているくらいだ。

 

 体をひとしきり動かした2人は、壁際にあるベンチに揃って腰を下ろした。

 

「何がですか?」

「ワトソンの事だよ」

 

 彼がキンジをクラス内で孤立させようとしている事は明白だ。恐らく、友哉の事前情報を調べたのと同様に、キンジの事も色々と調べて来た事は間違いない。

 

 その目的にも、大体見当がついていた。恐らく、ワトソンの目的はアリアだろう。

 

 シャーロック・ホームズとJ・H・ワトソンが、世界でも有数のベストパートナーである事は今更語るまでも無い。恐らく現在でも、ホームズ家とワトソン家の間には何らかの繋がりがあると見て良い。

 

 しかしだからと言って、現代のホームズとワトソンもそれに倣う必然性は無いだろう、と友哉は思っている。相性とは血筋で決まる物では無く、実績によって決めるべきなのだから。

 

 あるいは、アリアを得る事で、ワトソンが何かを得る事ができるのか? そこまではまだ判らない。だが、現パートナーであり、(少なくとも傍目には)最もアリアと親しいキンジを、引き離そうと策動しているのは明白だった。

 

 友哉が気に食わないと言ったのは、ワトソンのやり口だった。

 

 まるで外堀を埋める。もっと悪く言えば、陰湿なイジメのようなやり方は、唾棄すべきものと言っても良い。勿論、極東戦役中に謀略が認められているのは、条文にも明記されていた事だが、やはりこう言うやり口は気に入らなかった。

 

「男だったら男らしく、正面から向かって行けばいいのに」

「友哉さん・・・・・・」

 

 すると、なぜか茉莉は深々と溜息をついて友哉を見た。

 

「気持ちは判りますけど、それってまるっきり強襲科(アサルト)的な思考ですよ」

「おろ・・・・・・」

 

 茉莉に半眼で睨まれ、友哉は絶句する。

 

 確かに、思い返せば少し物騒なせりふだったかもしれない。何だか「死ね死ね団(命名:キンジ)」の仲間入りしたみたいで、友哉はちょっと傷付いた。

 

「でも、確かに」

 

 茉莉は考え込むようにして言った。

 

「ワトソン君は、ちょっと男の子っぽくない所があるような気がします」

「まあ、あんな見た目だしね」

「いえ・・・・・・」

 

 容姿の事を言ったんだろうと思った友哉の言葉に、茉莉は首を横に振った。

 

「そうじゃないんです」

「おろ?」

「え~っと、何て言えば良いんでしょうか・・・・・・例えば、友哉さん」

 

 いきなり名指しされ、友哉は目を丸くするが、構わず茉莉は話を続ける。

 

「友哉さんは、確かに女の子みたいな外見をしていますが、」

「いや、まあ、ねえ・・・・・・」

 

 自分でもちょっと気にしている事を言われ、友哉は言葉を濁す。

 

「でも、友哉さんの場合、行動の端端には男の子らしさが見られるんです。でも、ワトソン君の場合、外見だけじゃなく、行動もどこか女の子っぽさがあるように思えるんですよ」

 

 うまく説明できなくてすみません。と言う茉莉を制し、友哉は考え込む。

 

 今の茉莉の説明。確かに曖昧な部分が多く、更に推測以外の何物でもないが、それでも霧の中に、1本の道ができるような、そんな感じがあった。

 

 例えばの話だが、武偵校には「転装生(チェンジ)」という制度がある。諸々の事情により、男が女の、女が男の恰好をして入学し、生活する制度の事だ。具体的には誰がそうだ、と言うのは判らないが、だいたい一学年に2~3人くらいはいると言われている。

 

 因みに、友哉は断じて違う。と、明言しておく。

 

 あるいはワトソンは、もしかしたら・・・・・・

 

「まさか、ね・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉はキョトンとする茉莉を横にして、自嘲気味に自分の意見を否定した。あまりにも、話が出来過ぎなような気がしたからだ。

 

 傍らに置いたバッグの中で、携帯電話が鳴ったのはその時だった。

 

 その液晶には、見慣れない番号が表示されていた。

 

 訝りながら、電話に出てみる。

 

「もしもし?」

《緋村か? 変な番号からですまん。ジャンヌだ》

 

 相手は情報科(インフォルマ)所属の銀氷の魔女だった。ヒルダの雷魔法を食らって身動きできなかったジャンヌだが、どうやら退院できたらしい。

 

 何やら、ジャンヌは慌てた調子で話して来る。まるで、何かに焦っているかのようだ。

 

「お、ジャンヌ。もう体は良いの?」

《いや、今はその話はいい。それより、まずい事になったぞッ》

「おろ?」

 

 怪訝な面持でジャンヌの話を聞いていた友哉だが、話が進むにつれて徐々に表情が険しくなった。

 

 ジャンヌが言うには、彼女もワトソンの存在に疑問を持ち、通信科(コネクト)で同室の中空知美咲に探らせていたと言う。

 

 中空知はオペレーター、音響解析術の天才であり、音を聞く事によって、通常目で見ただけでは知り得ない、あらゆる情報を取得できると言う一種の超能力めいた能力の持ち主である。

 

 その中空知の解析によると、ワトソンはレストランで薬を使い、一緒にいたアリアを拉致したと言う。

 

 問題なのはそこからで、その時、ジャンヌの部屋に居合わせたキンジが、2人を追って飛び出して行ったという事だった。

 

《遠山が私達の寮を出てから、既に20分近く経過している。私の携帯は遠山に持って行かれてしまったから、情報科(インフォルマ)に置いてある予備の携帯を取りに来るのに時間を掛け過ぎてしまった》

「ジャンヌ、確認したいんだけど、アリアが『浚われた』のを、キンジが『聞いた』んだよね?」

 

 友哉の質問に、ジャンヌは一瞬訝るような沈黙を置いてから答えて来た。

 

《あ、ああ。それがどうした? そう言えば、遠山の奴、随分と様子がおかしかったぞ。奴はHSSの変わり種がどう、とか言っていたが》

 

 ジャンヌの答えに、友哉は確信を持った。

 

 これと似たような状況が、前にも一度あった。あれは確か7月、イ・ウーとの決戦の折り、シャーロックに連れ去られたアリアを取り返す為に発現したキンジの、ヒステリアモードの派生形。

 

「ヒステリア・・・ベルセ・・・・・・」

 

 「女を守る」為では無く「女を奪う」為に発現する状態。通常のヒステリアモードの1・7倍の戦闘力を誇る、凶戦士化とも言うべき危険な状態。

 

 アリアをワトソンに浚われたキンジは、彼女を奪い返す為に自身の内なる凶暴性を発現したのだ。

 

「ジャンヌ。どうやら、事態はあまり良くない方向に動いているみたいだ。僕達もすぐに動く」

《判った。私はヒルダ戦の傷が、まだ完全には癒えていないから前線には立てないが、中空知の解析結果が出次第、お前達の携帯に連絡させてもらう》

「お願い」

 

 そう言うと、ジャンヌは電話を切った。

 

「友哉さん、アリアさん達に何かあったんですね?」

 

 傍らで聞いていた茉莉も、真剣な眼差しで友哉に尋ねてくる。状況が逼迫しつつあるのを、彼女も感じているのだ。

 

 友哉は携帯電話を閉じ、茉莉に向き直った。

 

 その眼差しは、既にイクスのリーダーとして、戦いに赴く剣士のそれへと変じていた。

 

「茉莉、すぐに戦闘準備をして。それから、陣と瑠香にも連絡を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 急いで着替え、武装してから、陣と瑠香、それぞれ別々に指示を出すと、友哉と茉莉は急いで車輛科(ロジ)の地下駐車場へと駆けこんだ。

 

 急ぐ必要がある。時間的に見て、既にキンジが学園島を出たのは間違いない。

 

 友哉は申請書類を書くのももどかしく、バイクのキーとヘルメット2つ受け取って専用駐車スペースへ駆け込んだ。

 

 友哉が割と借りる頻度の高いバイクは、レーサー仕様の物で、一見すると普通のバイクのようにも見えるが、車輛科の友人である武藤の手によって駆動系が徹底的にいじられ、時速200キロ近く出せる怪物バイクに変貌していた。

 

 エンジンを掛け、ゆっくりと走らせると、友哉は待っていた茉莉の前に停車させ、ヘルメットの片方を渡した。

 

 茉莉も友哉と同じフルフェイスヘルメットを被る。このヘルメットの内側にはインカムが備えられている為、通信相手とハンズフリーでの会話が可能となる。

 

「行くよ、しっかり掴まって」

「はいッ」

 

 スカートがめくれないように、しっかりとお尻の下に裾を挟んで座った茉莉は、その細い両手を友哉の腰へと回す。

 

 すると、背中越しに友哉の体の感触が、茉莉に伝わってきた。

 

『あ・・・・・・』

 

 とっさに出かかった声を飲み込む。

 

 ただそれだけの事で、茉莉は状況もわきまえず、自分の体が熱くなるのを感じた。

 

 見た目が華奢な友哉だが、こうして触れると引き締まった筋肉の感触があるのが判る。それは少年が、体格差と言う不利を克服する為に、普段から並はずれた努力を惜しんでいない証拠だった。

 

 次の瞬間、友哉はアクセルを思いっきり吹かし、バイクを発進させる。

 

 勢いの付いたバイクは、半地下状になっている駐車場入り口から、跳躍するように地上へ躍り出る。

 

 カタパルトから打ち出されるような加速の元、公道に出たバイクは驚異的なバランス力で体勢を立て直し、そのまま一気に加速を始める。

 

 そこへ、ジャンヌから通信が入る。

 

《緋村、ワトソン達の行き先が判ったぞ》

「どこ!?」

 

 バイクの合成風による衝撃に負けないよう、友哉は叩きつけるようにして尋ねる。

 

《東京都墨田区押上1-1-2だ。2人を乗せた車は、そこへ向かっている!!》

「友哉さん、その住所はッ」

 

 茉莉の言葉に、友哉は頷いた。

 

 そこでは今、世界最大級の建築物が建造中だ。

 

 東京スカイツリー。テレビの地上デジタル放送の為、2012年の完成を目指して建造中の巨大タワーである。確か今は7割方完成していた筈。

 

 友哉は舌打ちする。

 

 なぜ、ワトソンがそのような場所にアリアを連れ込んだのか、友哉には概ね見当がついていた。

 

 本当に最悪の話、アリアを物理的に奪おうとするなら、ホテルなり自分の寮なり、他に行く場所はいくらでもある筈だ。

 

 建設中の現場。つまり、人気があまりない場所へいざなった理由は、一つしか考えられない。

 

「ワトソンは、こっちを迎え撃つ気だ」

「えッ!?」

 

 恐らく、アリアを浚う事でキンジが、そして連動して友哉達が動く事を予期していたのだ。スカイツリーを戦場に指定したと言う事は、そこに行けば何かしらワトソンに有利な物があると見るべきだろう。

 

「茉莉、瑠香に連絡して。アリアとワトソンはスカイツリーへ向かった。先行して監視に当たってって。ただし、監視だけで手出しは無用ッ」

「判りました!!」

 

 瑠香の戦闘力で、敵陣への単独突入は危険すぎる。それよりも入口付近に潜伏させ、状況の変化を探らせた方が有効である。

 

 茉莉の返事を聞きながら、内心で臍を噛む友哉。

 

 こうなった責任は、友哉にある。

 

 ワトソン達の正体を知りながら対策を立てる事ができず、先制攻撃を許してしまった。

 

『この失態は、戦いの中で取り戻すッ』

 

 友哉は更にアクセルを強めに吹かし、バイクを加速させた。

 

 2人が乗るバイクが、レインボーブリッジへ繋がるトンネルまで、後5分程に迫った時だった。

 

 突然、背後から接近してくる、白いフェラーリがある事に気付いた。

 

 友哉はその姿をバックミラーで確認したが、あまり気にする事無く走り続ける。

 

 息を飲んだのは、次の瞬間だった。

 

 フェラーリのボンネットが2か所、観音開きに開いたと思った直後、その下から何かがせり出して来たのだ。

 

 比較的短い銃身6本を、環状に束ねた凶悪なフォルムを持つ機関砲。戦闘機のバルカンや、近代軍艦の対空砲にも使われているその機構は、見間違いようも無い。

 

「ガトリングガン!?」

 

 元々はアメリカ南北戦争時代に、北軍の軍医リチャード・ジョーダン・ガトリングが開発したと言われる回転式機関銃である。銃身を高速回転させる事によって過熱を可能な限り防ぎ、更には連続発射を可能にした銃である。

 

 友哉がバイクを蛇行させるのと、ガトリングガンが斉射を開始するのはほぼ同時だった。

 

 2丁のガトリングガンは、凄まじい勢いで弾丸を吐きだし、蛇行するバイクを捕えようと旋回して来る。

 

「クッ!?」

「ゆ、友哉さんッ 改造車両です!!」

 

 あんな物を食らったら、さしもの防弾制服であっても貫通を免れない。しかも、背後から撃たれている関係で、もし命中すれば直撃してしまうのは、リアシートに座っている茉莉だ。

 

 彼女を守るために、友哉は必死にハンドル操作をして、嵐のような銃弾をかわして行く。

 

 幸い、機動力はバイクの方が勝っている。ガトリングガンが旋回するよりも先にハンドルを切れば、回避する事も不可能じゃない。

 

 だが、回避すればそれだけスピードも落とさなくてはならなくなる。その為、2人を乗せたバイクはなかなかフェラーリの射程圏外に逃れる事ができないでいた。

 

 ガトリングガンの弾丸は、友哉達だけでは無く、停車中の車や街路樹も直撃し、それらを薙ぎ払って行く。

 

 被害は甚大だが、これに関しては死者が出ない事を祈るしかない。

 

 やがて、死の暴風も止む時が来る。

 

 元々、あまり多くの弾丸は搭載していなかったのだろう。弾切れを起こしたのか、ガトリングガンは射撃を停止して格納された。

 

 だが、安心するのはまだ早い。

 

 今度は運転席側と助手席側のドアから、大型の砲門がせり出して来たのだ。

 

「は、迫撃砲です!!」

「ッ!!」

 

 茉莉の警告を受けて、友哉は更にバイクを加速させる。

 

 しかし、その前にフェラーリの砲撃が開始してしまった。

 

 2人が乗るバイクの左右に、次々と着弾の炎が上がる。

 

「無茶をしてくれるッ!?」

 

 随分と大胆な襲撃である。

 

 その間にも迫撃砲の砲撃は続く。ガトリングガンほどの連射性は無いが、威力は段違いである。1発でも食らえば友哉と茉莉の体は木っ端みじんになる事だろう。

 

 人相手の戦闘なら誰にも負けない自信のある2人だが、相手が車となると勝手が違いすぎる。

 

「やられっぱなしってのも、性に合わないねッ 茉莉!!」

「はいっ!!」

「5秒後に反撃!!」

 

 言い放つと同時に、友哉は出力を全開にしてバイクを加速させ、フェラーリを一瞬引き離す。

 

 距離が開く両者。

 

 次の瞬間友哉は、ブレーキを掛けながら車体を傾け、バイクをスピンターンさせた。

 

 バイクとフェラーリが、一瞬正面から正対する。

 

 友哉の肩越しに伸ばされる、茉莉の右腕。

 

 その手にはブローニングハイパワーが握られている。

 

 立て続けに引き金を引く茉莉。

 

 発射された弾丸はしかし、

 

 全てがフェラーリに命中し、その全弾が弾き返された。

 

「クッ」

 

 その光景を目の当たりにし、友哉は舌打ちしながらバイクを再スタートさせた。

 

「防弾仕様みたいですッ 1発はタイヤに命中させましたが効果がありませんッ!!」

 

 まるで戦車だ。いや、今日日戦車でも、ここまでの重装備はしていないだろう。こっちは完全に火力負けしている。

 

 と、今度は車の天井が開くのが見えた。

 

 そこから尖った先端を突き出した物を見て、友哉と茉莉は眼を見開く。

 

「み、ミサイルッ!?」

 

 言った瞬間、4基装備された小型ミサイルは一斉に発射された。

 

「ッ!?」

「キャァァァァァァ!?」

 

 流石に洒落にならない。

 

 茉莉は悲鳴を上げて友哉にしがみつき、友哉は必死でバイクを加速させる。

 

「陣、聞こえるッ!? これから言うポイントに・・・・・・」

 

 言っている間にも、砲撃は続く。

 

 爆炎を上手く掻い潜りながら、バイクは辛うじてフェラーリの横を抜けた。

 

 それを追い掛けるように、自らもスピンターンするフェラーリ。狭い公道でやってのける辺り、運転者はかなりの技量だ。

 

 次発装填を完了したのか、2基のガトリングガンが再びせり上がり、砲撃を再開して来た。

 

 対して友哉と茉莉は、逃げる事しかできない。

 

 とにかく逃げて、時間を稼ぐのだ。

 

 ガトリングガンの猛射に対し、友哉は車道だけでなく歩道までフルに活用して逃げまくる。

 

 だが、運転技術では相手の方に一日の長があるようだ。

 

 友哉がいかに逃げようと、狭い路地に入ろうと、フェラーリは様々な運転技術を駆使してピタリと追随して来る。

 

 時折弾丸が体を掠め、ひやりとする場面も少なくなかった。

 

 だが、

 

 辛うじて相手の追撃をかわしながら、友哉はフェラーリを徐々にある場所へと誘導していく。

 

 まともに戦って勝てる相手でないのは明白だ。だから、罠を仕掛けるしかない。

 

 バイクは見通しの良い直線道路に入った。

 

 フェラーリもバイクを追って、道路へと入る。

 

 こここそが、友哉の立てた策の場所である。

 

「頼んだよ」

《おう、任せろッ》

 

 誰よりも力強く、頼りになる声。

 

 フェラーリは、バイクを仕留めようと更に加速して来る。

 

 次の瞬間、物影から飛び出した影が、フェラーリの前に飛び出し立ちはだかった。

 

 鋭い眼光とボサボサの髪型は、相良陣だ。

 

 自分を轢き殺さんと、スピードを上げるフェラーリに対し、陣は不敵な笑顔を見せ、拳を握り込んだ。

 

 そして、あと30メートル程度と迫った瞬間、

 

 陣は拳を地面にたたきつけた。

 

「二重の極みッ!!」

 

 刹那の間に二度の衝撃が加えられ、抵抗の一切を無効化されたアスファルトの地面は、再生不能なほどの粉砕され、粉塵が高々と舞上げられた。

 

 その予期し得なかった状況を目の当たりにし、フェラーリの運転手は思わずブレーキを踏みこみ、ドリフトの要領で急停車させる。

 

 そこで、砲撃が止んだ。

 

「助かったよ」

「良いって事よ」

 

 バイクをアイドリンクさせながら、友哉は陣の横にやって来る。

 

 目の前の地面には大きな穴が開いており、その向こうには横腹を見せて停止している白いフェラーリが見えた。

 

 火力では敵わないと見た友哉は、陣にこのポイントで待機するように言い、フェラーリが見えたら仕掛けるように言ったのだ。

 

 陣の二重の極みの威力なら、足止めできるだろうと踏んでの作戦だった。

 

「さて、いったい誰が乗ってるのかね?」

「もしかしたら・・・・・・」

 

 呟いた時、運転席のドアが開き、武偵校のセーラー服を着た女子生徒が姿を現わした。

 

 その姿を見て、友哉は自分の確信が正しかった事を確認した。

 

「高梨さん、やっぱり君だったんだ」

 

 リバティ・メイソン構成員、高梨・B・彩夏は、不敵な眼差しでこちらを見ていた。

 

「やるわね。ちょっと、あなた達の実力を過小評価しすぎていたわ」

 

 車輛科(ロジ)の彼女なら、この手の車両改造もお手の物だろう。もっとも、日本の公道で乗り回すには、明らかな違法だが。

 

「随分、物騒な自家用車だね」

「父の知り合いにね、この手の事が得意な人がいるのよ。武偵を始めるって言ったら作ってくれたの」

 

 外見上、フェラーリは普通の乗用車と変わらない。それをあそこまで改造してしまうのだから、その人物の技術力は恐ろしいと言わざるを得ないだろう。

 

「悪いけど、あなた達をワトソンの元に行かせる訳にはいかないわ」

 

 そう言ってスカートの下から、ドイツ製のオートマチック拳銃、ワルサーPPKを取り出して構えた。寸詰まりの短い銃身が特徴的な小型拳銃で、8発装填可能。彼のアドルフ・ヒトラーも護身用に持ち歩いたと言われる銃だ。最近では、日本のSPや皇居警察等でも使用されている。

 

 その時、

 

「ようやく出番かよ。あんたが獲物1人占めしちまうかと思ったぜ」

 

 鋭い声と共に、背後に人の気配が現われるのを感じた。

 

 そこに立つ、3人の人影。

 

 1人は、ワトソンの部屋で対峙したパンク風の男が姿を現わした。

 

 そして、他の2人は、

 

「や、久しぶりね」

 

 その横では、コートを着た髪の長い女性が、気軽に手を振っているのが見える。

 

 彼女は坂本龍那。先月のエクスプレスジャックの際、ココ3姉妹に加担した人物である。

 

 そしてもう1人、厳つい容貌と強靭な肉体。手には長大な槍を手に現われた男がいる。

 

 彼は丸橋譲治。魔剣事件の折り、当時まだ仕立屋メンバーだった茉莉と共に、ジャンヌの支援に当たった人物である。

 

 3人の仕立屋。それに加えて、マンチェスター武偵校にて強襲科(アサルト)取得済みの彩夏の存在も大きい。

 

 数だけ見ても、3対4の劣勢。

 

 キンジ救援を急ぎたい友哉としては、焦慮の気持ばかりが空転する思いであった。

 

 

 

 

 

第7話「デッドヒート・ストライク」     終わり

 



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第8話「英国から来た少女」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 岸壁に面した道路で、互いに対峙する。

 

 敵は仕立屋メンバーを含めた4人。

 

 対してイクスは瑠香を欠いた3人。

 

 数で劣っている上に、完全に包囲されている状況下にあって、友哉達はそれぞれ背中合わせに対峙している。

 

 不利は否めなかった。

 

「どうするよ、友哉?」

 

 尋ねる陣の声にも、苦い響きがある。

 

 敵の狙いは明らかだ。今、キンジがアリア奪還の為にスカイツリーを目指している。

 

 そして連中は、キンジ救援に向かうイクスを妨害し、時間を稼ぐつもりなのだ。

 

 キンジとワトソン、1対1の戦場を作り出す為に。いや、もしかしたらスカイツリーには他に仲間が伏せていて、こちらの分断、各個撃破を狙っての策だったのかもしれない。

 

 それにしても、

 

 友哉は背負っていた逆刃刀を外し、腰のホルダーに差し直しながら見回す。

 

 坂本龍那、丸橋譲治。他にも、新たに現われた、パンク風の男がいる。

 

 これだけの仕立屋メンバーが一か所の戦場に集まるとは思っていなかった。

 

「随分、そうそうたるメンツですね」

「リバティ・メイソンは払いが良くてな。大口の顧客にはサービスも弾むものさ。資本主義バンザイってところだ」

 

 そう言って肩を竦めるパンク風の男。

 

 既に場は戦場さながらの殺気に満たされている。いつ激発してもおかしくは無い状態だ。

 

「最後通告よ」

 

 その中で、彩夏は勝ち誇った表情で言った。

 

 何を言ってくるのか、友哉には大凡の見当は付いている。

 

 圧倒的有利な状況での交渉となると、やる事は一つ。降伏勧告以外にあり得ない。

 

「緋村君、イクスは眷属(グレナダ)に付きなさい。そうすれば、あなた達の生命は保証するし、リバティ・メイソンは最大限の歓迎をあなた達にする事を約束するわ」

 

 やはり、と、友哉は心の内で呟いた。

 

 従うなら良し。従わない時は容赦しない。彩夏は無言の内に、そう告げていた。

 

 だが、友哉の腹の内は既に決まっている。

 

「断る」

 

 寸暇すら迷うことなく、友哉は返した。

 

 その事は既に、ワトソンとの対峙で答を出していた事だ。今更翻す理由も意図も無いし、この程度の脅しに膝を折る必要性も感じなかった。

 

 対して、この友哉の答は予想していた事なのだろう。

 

 彩夏は肩を竦めて溜息をついた。

 

「後悔するわよ?」

「させてみなよ」

 

 友哉も一歩も引かず、挑発的に答える。

 

 なかなか手の込んだ脅迫である。ここは、敢えて乗ってやるのも一興と思ったのだ。

 

 その言葉を受けて、仕立屋メンバーも一斉に各々の武器を構えた。

 

「もう、良いか?」

「ええ。どうやら、交渉は決裂みたいだし」

 

 この中ではリーダー格の譲治の問いに、彩夏は頷きを返す。従わないなら力づくで。初めからそのつもりで仕掛けたのだから。

 

 イクス側も、友哉と茉莉が刀を抜いて構え、陣が両の拳を掲げた。

 

 いよいよ戦闘開始、

 

 激発のトリガーに指が掛った瞬間、

 

「やれやれ、派手に暴れるなと警告しておいた筈だぞ」

 

 鋭く発せられる声が、譲治達の更に背後から響いて来た。

 

 振り返る一同。

 

 そこには、いつの間に現われたのか、片手で煙草を吹かしながら鋭い眼差しを向けて来る狼が1匹、悠然とたたずんでいた。

 

「斎藤さんッ!?」

 

 斎藤一馬は、愛刀を腰に携えてその場に立っている。

 

 その全身から発せられる殺気を、隠そうともしていない。

 

 どうやら、明確な戦闘意思を持って、この場に現われたらしい。

 

「・・・・・・どうしてここに?」

公安(うち)の情報網が、要注意リストの人物が入国したのを捉えてな。その足取りを追ってきたら、ここに辿り着いた訳だ」

 

 そう告げる一馬の視線は、真っ直ぐに彩夏へと向けられていた。

 

「高梨・B・彩夏。リバティ・メイソン構成員。イギリスくんだりから、わざわざご苦労な事だな」

 

 狼の視線に睨まれ、彩夏は体を強張らせる。

 

 一瞬で、格の違いを思い知らされた感があった。

 

 予期せぬ一馬の出現に、彩夏や仕立屋の面々も意表を突かれたのだ。

 

「どういう事だい。公安0課は極東戦役に介入する気かい?」

 

 威嚇するようにS&W ハイウェイパトロールマンを一馬に向け、龍那が尋ねる。

 

 既に一馬の素性は、イ・ウーでの一件もあり、仕立屋メンバー全員が知る所である。だからこそ、その行動に対して無関心でいられない。公安0課と正面から対峙するのは、可能な限り避けたいところである。

 

「上の連中が何を考えているのかは知らん」

 

 本当にどうでも良い、と言外に言いながら、一馬は愛刀 鬼童丸を抜き放つ。

 

「ただ、俺は俺の中にある正義に従うだけだ」

 

 刀を左手一本で持ち、弓を引くように構え、右手は前方に突き出して峰に添え、刃を支える。

 

「悪・即・斬の名の下にな」

 

 それは、疑いの余地も無い、宣戦布告に他ならなかった。

 

 それぞれがそれぞれの想いの下に武器を取り、激突は不可避なものへとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 限界まで引き延ばした弦は、弾けた瞬間に全てが奔り出す。

 

 それは最早、何者によっても止める事は叶わない。

 

 まず仕掛けたのは、一番最後に姿を現わした一馬だった。

 

 切っ先を真っ直ぐに向けた刃が、あらゆる物を粉砕する牙と化して疾走する。

 

 左片手一本刺突

 

 あらゆる物を噛み裂き、あらゆる物を粉砕する為に存在する、狼の牙。

 

 その凶悪とも言える威力から、付いた通り名は『牙突』

 

 ただ一つの事を極限まで追求する事で、誰にも到達しえない領域へと達する。

 

 ある意味、不器用で武骨。

 

 故にこそ、至る事の出来る『必殺』の二文字。

 

 相手が並みの技でない事を見抜いたのだろう。

 

 迎え撃とうと刀を抜いて前に出たパンク男を制し、譲治が槍を手に前へと出た。

 

「奴の相手は俺がする」

 

 低い声と同時に、槍を振りかぶった。

 

「ウオォォォォォォ!!」

 

 全身の膂力を余すところなく乗せた強烈な薙ぎ払いが、疾走する牙狼を迎え撃つ。

 

 刀と槍が空中でぶつかり合い、激しく火花を散らす。

 

 次の瞬間、

 

 一馬は弾かれるように後退した。

 

「チッ!?」

 

 舌打ちしつつ、どうにか体勢を立て直す。

 

 譲治の槍裁きは、牙突の威力すら相殺する程の物なのだ。

 

 加えて長柄の武器である関係で、一馬の間合いよりも遠い場所から攻撃が可能となっている。

 

 結論を言えば、譲治は一馬にとっては非常にやりにくい相手であると言える。

 

 だが、

 

 一馬は再び刀を持ち上げ、牙突の構えを取る。

 

 その身に流れる新撰組隊士の血が、決して退かぬ不退転の意思となって現われているのだ。

 

 それに呼応するように、譲治もまた槍を振り上げる。

 

「良い覚悟だ」

 

 低い声で、心からの称賛を贈る。

 

 対して、地を蹴って疾走する一馬。

 

 狼と鬼は、再び互いを食い裂くべく激突した。

 

 

 

 

 

 自身に飛んで来る存在を感知し、茉莉はとっさに飛び退いて回避する。

 

 着地。

 

 同時に茉莉の前髪が一房、風に乗って散って行く。

 

 顔を上げ、自分を攻撃した相手を見た。

 

「飯綱さん・・・・・・」

「よう、瀬田。元気そうじゃねえか」

 

 日本刀を手にしたパンク風の男は、そう言うと片頬を持ち上げるようにして笑った。

 

 その笑みを見て、茉莉は僅かに顔を顰めて見せた。

 

 この人当たりの良い少女には珍しく、嫌悪感を隠そうとしない表情だ。

 

 飯綱大牙(いづな たいが)は茉莉の仕立屋時代の同僚であり、共に何度も戦った間柄だった。

 

 仕立屋と言う組織は、その時の状況に置いて派遣するメンバーや組み合わせを変える為、互いに面識がない場合が多い。事実、今日現われた4人の中で、茉莉が一緒の任務に就いた経験があるのは、この大牙と譲治だけだ。

 

 鋭く睨む茉莉に対し、大牙は軽薄その物の笑みを向けて来る。まるで茉莉の態度など、全く気にしていないかのような態度だ。

 

「暫く見ねえうちに、随分女っぽくなったじゃねえか。男の1人でもできたか?」

「・・・・・・あなたには関係ないです」

 

 茉莉は素っ気ない口調で応じ、菊一文字の切っ先を向ける。

 

 無駄口を叩く気は無いし、この男とは口を聞く気にもなれない。そんな態度だ。

 

「相変わらずつれないな、お前。そう言うトコは、ガキっぽいままだぜ」

 

 やれやれと肩を竦める大牙。

 

 同僚だったとはいえ、茉莉は大牙の事をあまり好きではない。と言うよりも、ハッキリと嫌っていた。

 

 勿論、イ・ウー時代は、周りの殆どの人間を信用していなかった。親しかったのは、友人として付き合っていたジャンヌ、理子他数人と言った所である。が、その中でも大牙は特に嫌っていたと言っても過言ではない。

 

 その理由は、大牙の粗野な上に、必要以上に好戦的な性格をしていた事に起因している。

 

 イ・ウーは犯罪者組織である。茉莉はやらなかったが、任務の過程で殺しを行う場合もある。

 

 だが大牙は、任務中に全く関係ない殺人を、何度か犯している。

 

 元々大人しい上に、無駄に戦う事を嫌う性格の茉莉は、そうした人間が近くにいる事に嫌悪感を覚えたのだ。

 

 だが、そのような思いを引きずる余裕も、今は無い。

 

「おら、行くぜ!!」

 

 思考もそこまでだった。

 

 大牙が手にした刀を無造作に、横薙ぎに振るう。

 

 次の瞬間、

 

 刀の振り抜きによって大気が変動したのを感じる。

 

「クッ!?」

 

 茉莉はとっさに後退しつつ、その場から飛び退く。その顔のすぐ横を、何かが通り抜けて行った。

 

 後退しながら、僅かに額に汗がにじむのを止められない。

 

『やっぱり・・・・・・』

 

 この技は前に見せてもらった事がある。だから、その振り抜きの軌跡から、相手の攻撃を予測できたのだ。

 

 だが、予測ができた所で、厄介な相手である事には変わりがない。

 

 茉莉は着地と同時に縮地を発動。反撃に転じるべく、一気に斬り込みを掛ける。

 

 神速の勢いで、自身の間合いへと迫る茉莉。

 

 振りかざした銀の閃光すら、目視する事は敵わない。

 

 だが、

 

 大牙の口元に、不敵な笑みが閃く。

 

「甘いぜッ!!」

 

 茉莉の接近を察知した大牙が、叫ぶと同時に、振り上げた刀を真一文字に振り下ろす。

 

 尋常ではない速度で迫る刃。

 

「ッ!?」

 

 対して、とっさに攻撃を変更して後退する茉莉。

 

 大牙が振り下ろした刃は、間一髪、後退する茉莉の鼻先を通過する。

 

 刃がかすめた瞬間、茉莉のスカートの裾が僅かに切り取られた。

 

 着地と同時に、額に冷や汗が流れる。

 

 大河の足元の地面、コンクリートで固められた道路にはパックリとした、綺麗な切断面ができている。

 

 危なかった。飛び退くのがあと一瞬遅かったら、茉莉の足は斬り裂かれていただろう。

 

 間合いの外に逃れた茉莉に対し、大牙は小馬鹿にしたような笑みを見せる。

 

「お前のやり口なんぞ、こっちは百も承知してんだ。そう簡単に俺に近付ける訳ねぇだろ」

 

 そう言って嘯く大牙に対し、茉莉は心の中で舌打ちする。

 

 防弾仕様のスカートを簡単に切り裂き、コンクリートすらバターのように切断する剣。

 

 それこそが、大牙の必殺技である。

 

 正体は、空気の断層が生み出す「鎌鼬」にある。高速で振り下ろされた剣が、鎌鼬を発生させているのだ。

 

 大気を奔る真空の刃。それこそが秘剣『飯綱』。

 

 大牙の名前にもなっている飯綱とは、妖怪鎌鼬の別名でもある。

 

「おら、どんどん行くぜッ!!」

 

 離れた茉莉に対し、真っ直ぐに剣を振るう大牙。

 

 鋭く奔る鎌鼬の旋風。

 

 射程距離のある斬撃を可能にするこの技は、「飛飯綱(とびいづな)」と言う。

 

 当然、その攻撃は風である為、目で捉える事はできない。見えない攻撃と言うのは、それだけで恐怖の対象となる。

 

 故に茉莉は、大牙が刀を振り下ろすタイミングを見極め、相手の射線を予測する事で回避するしかない。

 

 必死に回避しながら、距離を詰め、斬り込もうとする茉莉。

 

 だが、

 

「無駄だって言ってんだろゥがよォ!!」

 

 接近する茉莉を察知した大牙は、そこへ剣を振り翳す。

 

 その一閃を、後退する事で回避する茉莉。

 

 代わって、すぐ脇に根を下ろしていた街路樹に、大牙の刃は叩きつけられる。

 

 次の瞬間、街路樹は轟音と共に地面にたたきつけられた。その切断面は、磨き上げたように綺麗な年輪を描いている。

 

 目を見張る茉莉。

 

 太い幹は完全に真っ二つにされていた。

 

 これが「纏飯綱(まといいづな)」。飛距離は飛飯綱に敵わないが、威力はダイヤモンドすら両断する事ができる。実際、茉莉は以前、大牙と共に任務に当たった折、彼が分厚い装甲板を苦も無く斬り裂いている所を見ていた。

 

「オメェは全く成長しねェな、瀬田。そんなんで俺に勝てるはずねェだろうがッ!!」

 

 そう言って舌を出す大牙に、茉莉は唇を噛んで睨みつける。

 

 確かに、茉莉の手の内は大牙に殆ど知られてしまっている。この戦いにおける不利は否めなかった。

 

 

 

 

 

 6本の刃が、間断ない攻撃をしてくる。

 

 両手、両爪先、両踵から突き出した刃を巧みに操る龍那。

 

 かつて、のぞみ246号上において友哉すら苦しめた六刀流が、陣へと襲いかかる。

 

 対抗するように、陣も拳を掲げて殴りかかる。

 

「ウォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 陣の拳を防ぎ、変幻自在な攻撃で反撃に転じる竜那。

 

 6本のナイフは、次々と陣に襲い掛かる。

 

 が、

 

「効かねえな!!」

 

 陣は持ち前の防御力を如何なく発揮して龍那の攻撃を防ぎ、自身の間合いへと突進する。

 

 遠心力を如何なく発揮した拳。

 

 しかし、その一撃を、龍那は燕のようにヒラリと舞い上がり、回避した。

 

 見上げる陣。

 

 そこには、既に2丁のハイウェイパトロールマンを構えた龍那の姿があった。

 

「チッ!?」

 

 とっさに、両腕をクロスさせて顔面をガードする陣。

 

 そこへ、龍那の銃撃が容赦なく降り注いだ。

 

「グッ!?」

 

 凄まじい痛みが、陣の両腕を叩く。

 

 2丁合計12発を撃ち終えた龍那は、陣を飛び越える形で着地する。

 

「随分と、頑丈にできているのね」

 

 腕を下ろす陣。防弾制服のおかげで、体が傷付く事は無い。

 

 その様子を見て、龍那は嘆息した。

 

 12発もの弾丸を浴びて平然としている人間など、聞いた事も無い。

 

 竜那にとっては、目の前の光景が信じられなかった。

 

 やや呆れ気味に言う竜那に対し、陣は顔を上げる。

 

「へっ、この程度、痛くも痒くもねえぜ」

 

 強がってはいるが、実際の話、腕には痺れるような痛みが広がっている。S&W製の大威力拳銃弾1ダースを至近距離から食らっているのだ。ダメージが無い筈がない。それでもまだ軽微で押さえている辺りが、陣の化け物じみた防御力を如実に語っていた。

 

「でも、無限に耐えられるって訳じゃ、ないんでしょ?」

 

 言いながら、再びナイフを構える竜那。

 

「なら、試してみろよ」

 

 腕の負傷を隠しながら、陣も不敵に笑って見せる。

 

 弱みを見せれば、そこに付け込まれる。そして付け込まれれば、そこから崩れて行く。それは武偵になる以前、不良として喧嘩に明け暮れていた時期から培われた、陣の戦闘論理だった。

 

 再び激突する両者。

 

 拳とナイフが、ほぼ同時に交錯した。

 

 

 

 

 

 友哉は一足飛びで彩夏へと接近する。

 

 彩夏の手にあるワルサーPPK。

 

 その銃口が向けられた瞬間、

 

 友哉は空中で体を捻った。

 

 彩夏が発砲するのは、ほぼ同時。

 

 しかし、放たれた銃弾は、空中で身を捻る友哉を僅かに逸れる。

 

 間合いに入る友哉。

 

「ハッ!!」

 

 遠心力を描いた逆刃刀が、彩夏へ向けて疾走する。

 

 しかし、

 

 ガキンッ

 

 いつの間に抜いたのか、彩夏の手にはナイフが握られ、友哉の刀を防いでいた。

 

「クッ!?」

 

 攻撃失敗を悟り、後退しようとする友哉。

 

 だが、彩夏はそれを許さなかった。

 

「フフッ」

 

 不敵な笑みと共に、友哉が後退するよりも速く追いついて見せる。

 

 そして、勢いのままに蹴りを繰り出した。

 

「クッ!?」

 

 彩夏の蹴りを、辛うじて腕で防ぐ友哉。

 

 だが、動きが止まった瞬間、彩夏は勢いを付けて後回し蹴りを繰り出して来る。

 

「グッ!?」

 

 防御の上からの一撃だったが、友哉の体勢は大きく崩れた。

 

 その隙に、彩夏は友哉の肩に乗る形で頭を両膝の間に挟み込むと、そのままバク転の要領で勢いを付け、大きく投げ飛ばした。

 

 勢いよく放り出される友哉。

 

 対して友哉も、投げ飛ばされながら空中で体勢を入れ替え、辛うじて膝をつきながら着地に成功する。

 

 しかし、

 

「バリツか・・・・・・」

 

 アリアも得意とする、総合徒手格闘技バーリ・トゥード。どうやら彩夏も、その使い手であるらしい。

 

 厄介な相手である。数々の格闘技の要素を詰め込んだバリツには、隙と言う物を見いだせず、更に実用性も高い実戦型の徒手空拳技だ。

 

 これまで何度か、強襲科(アサルト)でアリア相手に訓練した事がある友哉には、その事が嫌と言うほどわかっていた。

 

「まだ行くわよ!!」

 

 再び仕掛けて来る彩夏。

 

 その右手に握っているワルサーが火を噴いた。

 

 放たれる弾丸は、しかし、友哉を捉える事は無い。

 

 彩夏の発砲と同時に友哉は、彩夏から見て右側へと走る。ワルサーの射線から逃れるのが狙いだ。この方向に走れば、彩夏は体が開く体勢になる為、照準が付け辛くなる筈。

 

 案の定、彩夏は友哉を追って体ごと旋回して来る。照準が甘くなるのを嫌ったのだ。

 

 そこを狙って、友哉は斬り込んだ。

 

 彩夏はまだ、照準を終えていない。銃を持ち上げて、照準を行うまでには、一瞬の間がある。今なら攻撃できる筈。

 

 そう思った時、

 

 彩夏の手が、前髪を止めている髪飾りを無造作に取り、友哉に向かって投げつけた。

 

 何を、と思った瞬間、友哉の目の前で閃光が炸裂し、視界を白く染め上げた。

 

「ッ 目晦まし!?」

 

 とっさに目を覆う友哉。しかし、一瞬遅く、視界が急速に奪われてしまう。

 

 その隙を、彩夏は逃がさなかった。

 

 構えたワルサーが火を噴く。

 

 放たれた弾丸は、友哉の体に容赦なく突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 既に周囲の景観は、一変していると言っても過言では無かった。

 

 大牙の容赦ない攻撃を前に、茉莉は必死に逃げる事しかできないでいた。

 

「オラッ、どうしたよッ!? ちっとくらい反撃して来いよ!!」

 

 言いながら、飛飯綱を放つ大牙。

 

 奔る不可視の斬撃は、食らえば確実に少女の体を真っ二つにする威力を秘めている。

 

 その一撃を、空中で宙返りしながら回避する茉莉。

 

 大牙が一閃するごとに走る鎌鼬の斬撃は、確実に茉莉を追い詰めようとしてくる。

 

 対して茉莉は、大牙の剣の軌跡から相手の軌道を読んで、回避に専念することしかできない。

 

 楽しんでいるのだ。

 

 茉莉を追い詰め、いたぶる行為に酔っている。

 

 不本意ながら、大牙との付き合いが長い茉莉には、それが良く判っていた。

 

「ハッ 臆病モンがッ 斬りかかって来る勇気も無いか!?」

 

 罵る大牙に、茉莉は顔を顰める。

 

 あんな男相手に手も足も出ないでいる自分が悔しい。

 

 しかし、離れれば飛飯綱の乱射、近付けば纏飯綱の一撃と、遠近に渡って隙の無い攻撃を仕掛けて来る大牙相手に、なかなか反撃のタイミングが掴めなかった。

 

 一瞬の隙。

 

 それさえ見出す事ができれば、茉莉にも勝機がある。

 

 茉莉は建物の影に隠れながら、大牙の様子を覗う。

 

 パンク風衣装の肩に刀を担ぎ、その場に立ち尽くしてニヤニヤと笑っているのが見える。茉莉が飛び出してくるのを待っているのだ。

 

 恐らく、飛びだした瞬間に飛飯綱の集中攻撃が襲ってくる事だろう。

 

 茉莉は大きく息を吐く。

 

 既に息が上がり始めている。体を鍛える事で対策を立てているとはいえ、連続しての縮地使用はまだまだ難がある。そろそろ決める必要がありそうだった。

 

 斬り裂かれ、スリット状になってしまったスカートの下から、ブローニングを取り出す。

 

 マガジンを抜いて残弾を確かめると、右手に菊一文字、左手にブローニングを構えて物影から歩み出た。

 

「お?」

 

 その様子に、大牙は声を上げる。

 

「何だ、かくれんぼはもう終わりかよ?」

 

 そう言って、刀を構え直す大牙。

 

 次の瞬間、

 

 茉莉は腕が霞む程の速度でブローニングを放った。

 

 飛び飯綱も纏飯綱も、攻撃用の技だ。そして、大牙が防御用の技を持っていない事を茉莉は知っていた。

 

 故に、大牙の弱点も、茉莉には読めている。

 

 相手の行動パターンを読むのは、何も大牙だけの特権では無いのだ。

 

「グアッ!?」

 

 放たれた弾丸をまともに食らい、大牙は顔を顰める。

 

 激痛が、全身に走った。

 

 勿論、着ている衣装は防弾処理を施している為、この程度の攻撃で傷を負うような事は無い。

 

 だが、格下だと思っていた女の攻撃を受けた事が、大牙のプライドを傷付けた。

 

「このクソガキがッ 痛ェじゃねえかよ!!」

 

 無造作に振るう剣先から発せられる鎌鼬。

 

 必殺の飛び飯綱が、大気を切り裂いて走る。

 

 次の瞬間、

 

 茉莉は一瞬にして、大牙の目の前に接近していた。

 

「なッ!?」

 

 驚愕する大牙を、鋭く細められた茉莉の双眸が容赦なく射抜く。

 

「・・・・・・鎌鼬って言っても、所詮は、風ですよね」

 

 低く囁かれる声は、死神の囁きのように大牙の鼓膜を撫でる。

 

 手にした菊一文字は既に水平に倒され、抜き打つような構えを見せている。

 

「私は、風よりも速い」

 

 大牙は顔をひきつらせ、とっさに逃げようとするが、既にそれが可能な距離ではない。

 

 次の瞬間、茉莉の容赦無い一撃が、大牙の胴に叩き込まれた。

 

 

 

 

 

 閃光自体はそれほどの威力では無かったのか、友哉の視界は程なく回復した。

 

 しかし、体中の痛みは消しようも無い。

 

 食らったワルサーの弾丸は、全てが防弾コートによってストップされたが、衝撃が叩きつけられた事による激痛は防ぎようがなかった。

 

 銃、ナイフ、閃光弾、徒手格闘に加えて、あの運転技術。どれも高水準で纏まり、高梨・B・彩夏の戦術構成を担っている。

 

 アメリカで武偵をやって来たのは伊達ではないようだ。

 

 激痛に耐え、どうにか立ち上がる友哉。

 

 その友哉を、彩夏は不敵な笑みを浮かべて見詰める。

 

 状況は彩夏にとって、圧倒的有利である。このまま戦えば勝てると言う確信があった。

 

「そろそろ、決めさせてもらおうかしら」

 

 言いながら彩夏は、撃ち終えたワルサーのマガジンをリリース。取り出したロングマガジンと差し替え、フルオートモードに切り替えた。

 

 銃口を友哉に向け、引き金を引く彩夏。

 

 対して友哉は、とっさの事で体が上手く動かない。

 

 放たれる弾丸が、まだ動きの鈍い友哉に襲いかかった。

 

「クッ!?」

 

 数発喰らいながらも、必死に逃げようとする友哉。

 

 転がるようにしながら、辛うじて道路わきの街路樹の陰へと転がりこんだ。

 

 だが、

 

「それで逃げたつもり?」

 

 妖しく囁かれる彩夏の声。

 

 彩夏はなぜか、胸のポケットに差しておいたシャープペンシルを抜くと、それを友哉が隠れる街路樹目がけて投げつけた。

 

 先端が幹に突き刺さる。

 

 次の瞬間、幹を吹き飛ばすほどの爆発がシャープペンシルから起こった。

 

「うわぁッ!?」

 

 細いシャープペンシルに内蔵していたとは思えない程の、爆発による衝撃。

 

 吹き飛ばされ、弾かれる友哉。

 

 地面をごろごろと転がりながら、辛うじて爆風圏外から逃れるが、彩夏の追撃の手は止まらない。

 

 スカートの下から数本のダーツを取り出すと、それを全て友哉に向かって投げつける。

 

 次々と、友哉の足元へ突き刺さるダーツ。

 

 それらも、例外なく爆発を起こし、友哉にダメージを与えてくる。

 

 ようやく爆発が治まり、一息ついた時、友哉は既にボロボロの有様だった。

 

 肩で息をしながら、立っているのもやっとと言った風情である。

 

 対して彩夏は、まだダメージらしいダメージを負っていない。

 

「いい加減、諦めたら?」

 

 友哉の様子を、むしろ憐れむように見つめる彩夏。

 

 これ以上戦う事は無意味だと、言いたいのだ。

 

「一応、教えておくけど、イギリスじゃ、武偵にも自衛手段として殺人が認められているの。ついでに言えば、あたし等はイギリス王室付きの武偵だから治外法権も持っているのよ」

 

 つまり、ここで友哉を殺害したとしても、彩夏が罪に問われる事は無い。

 

 暗に、これ以上やるんだったら、命を取られても文句を言うな、と言う事らしい。

 

 対して、

 

 友哉はホルダーから鞘を外すと、刀をそこへ収めた。

 

 一瞬、降伏の証しか、とも彩夏は思ったが、すぐにそれが勘違いであると判った。

 

 腰を落とした友哉は、刀身を背に隠すように構え、右手は逆刃刀の柄に置いている。

 

 その身から発散される剣気は未だに衰える所を知らず、闘争本能が立ち上っているのが見える。

 

 向けられる鋭い眼差しは、真っ直ぐに彩夏へと向けられていた。明らかに、戦意を失った物にできる目では無い。

 

「・・・・・・仕方ないわね」

 

 ため息交じりに呟く彩夏。

 

 女めいた見た目に反して、随分と強情な男である。ここまで痛めつけられて、まだ諦めないとは。

 

 まったくもって、理解し難い状況に呆れながら、それでも彩夏はワルサーのマガジンを差し替えて迎え撃つ準備をする。

 

 既に友哉は、見るからに満身創痍だ。

 

 今まで戦ってきた敵の中に、爆薬を戦闘に使ってくる敵はいなかった。しいて言えば《武偵殺し》として対峙した理子と、エクスプレスジャックを起こしたココがそうだったが、彼女達の場合も、友哉と戦った際には爆弾を用いなかった。

 

 その為、友哉としては、あまり経験のない敵が相手だった為、ここまで苦戦させられてしまったのだ。

 

 グッと腰を落とし、突撃に備える友哉。

 

 対抗するように、彩夏もロングマガジンを差したワルサーPPKを構える。

 

 友哉の構えから、彼が日本剣術で言うところの「居合い」を狙っている事は、すぐに読み取る事が出来た。

 

 居合いはその性質上、一撃目を回避されれば、二撃目を放つのは難しいという事を、彩夏は知識で知っている。

 

 加えて、友哉は既に満身創痍の状態である。

 

 つまり、一撃を回避できれば、彩夏の勝利は動かないという訳だ。

 

 次の瞬間、友哉が動いた。

 

 傷ついているとは思えない速度で、彩夏へと迫る。

 

 しかし、その動きを、彩夏は捉えていた。

 

 突撃する友哉を、絡め取るように空中にばらまかれる弾丸。

 

 その全ての動きを、友哉の目は捉える。

 

 短期未来予測。

 

 視界に捉えた全ての事象を読み取り、3秒後までの未来を正確に予測する。友哉にとっては飛天御剣流と対を成す基本戦術である。

 

 折り重なるように飛んでくる、無数の弾丸。

 

 対して友哉は、急激に機動を変換、一気に横に飛んで射線から逃れた。

 

 撃ち尽くしたワルサーのスライドが、後方に下がってストップする。

 

 その瞬間を逃さず、友哉は突撃を再開する。

 

 対する彩夏には、一瞬、焦った。

 

 弾丸を撃ち尽くしたばかりであり、マガジンを再装填する時間は無い。更に、爆薬も使いきってしまっている。

 

 ここは回避し、バリツで反撃しよう。

 

 そう考えた瞬間、

 

 友哉の姿は、彩夏の目の前に現れた。

 

『か、回避をッ!?』

 

 とっさに、後方へと飛ぼうとした瞬間、

 

 バキィッ

 

 鋭い衝撃が腹に入り、彩夏の体は一瞬、空中に持ち上がった。

 

「かはッ!?」

 

 肺の中から、一気に空気が漏れ出る。

 

 彩夏の腹に受けた衝撃の正体。それは、

 

「さ、鞘ッ!?」

 

 友哉は、間合いに入っているにもかかわらず、まだ抜刀していなかった。納刀したままの状態で、彩夏の腹を殴り付けたのだ。

 

 そして、

 

 自分が今、どのような状態になっているのか悟り、彩夏は愕然とした。

 

 鞘の一撃を受けて、彩夏の体は空中に浮いている。つまり、地から足が強制的に離され、身動きが取れなくなっている状態なのだ。

 

 反撃する事も、逃げる事もかなわない彩夏。

 

 そして、友哉はまだ、攻撃態勢を解いていない。

 

「飛天御剣流抜刀術ッ」

 

 鞘走る銀閃。

 

 その様を、空中にある彩夏は、ただ眺めることしかできない。

 

「双龍閃・雷!!」

 

 気合と共に、一閃が奔る。

 

 友哉の剣は、彩夏の肩に叩きつけられた。

 

 

 

 

 

第8話「英国から来た少女」      終わり

 



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第9話「トルネード・チェンジ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女の手から、構えていたワルサーPPKが滑り落ち、アスファルトの地面に当たって甲高い音を立てた。

 

 最早、それを構える力も、持っている力すら、少女には無いのだ。

 

 否、立っている力さえ・・・・・・

 

 少女は膝から崩れ落ち、その場にうつぶせに倒れ込む。

 

 一撃、

 

 たった一撃で、状況は逆転してしまった。

 

 技を打ち切った状態で荒い息をつく友哉は、疲労の濃い瞳で倒れた彩夏を見詰めている。

 

 飛天御剣流抜刀術 双龍閃・雷

 

 通常の双龍閃ならまず刀による一撃を加え、それが回避された場合、必殺の二撃目として鞘で攻撃する事になる。

 

 双龍閃・雷の場合、これが逆になる。まず鞘によって相手に打撃を加える。この際、相手の体を衝撃で宙に浮かせる事により動きを封じてから、抜刀による第二撃を繰り出す。通常の双龍閃よりも、難易度は高いが、上手く使いこなせば確実性の高い技である。

 

 双龍閃・雷をまともに食らった彩夏は、起き上がって来る気配がない。どうやら、気を失っているらしい。

 

 勝敗は決した。

 

 だが、

 

 友哉は、思わず崩れ落ちそうになる体を、必死に支える。

 

 恐ろしい相手だった。もう少し長引いていたら、敗れていたのは友哉の方だったかもしれない。

 

 その様子は、離れていた場所で戦っていた譲治や龍那の目にも見えていた。

 

「旦那、潮時じゃないかね?」

 

 陣の攻撃をかわしながら、龍那が背後の譲治に声を掛ける。

 

 既に状況は彼等にとって不利になっている。一馬が戦線に加わり、大牙と彩夏が倒れた事で、当初3対4だったのが、4対2に逆転していた。

 

「むぅ」

 

 一馬の牙突を捌きながら、譲治も唸り声を上げる。

 

 確かに、この状況でこれ以上戦う理由は、彼らには無かった。

 

 元々、依頼内容は時間稼ぎであって、敵の殲滅では無い。これ以上戦う理由は、仕立屋には無いのだ。

 

 それに、

 

 譲治は自身の槍の穂先に目をやった。

 

 立て続けに牙突を捌いた穂先は、ボロボロになり、今にも折れる直前と言った風情だ。

 

 譲治自らが特注し、並みの剣と打ち合っても刃毀れがしない程に強固な筈の刃が、まるで朽ち果てたように欠けていた。

 

 恐るべきは牙突の威力と言うべきか。柄の部分だけで金属バットの先端部分ほどもある槍を、ここまでボロボロにするとは。

 

 後一撃。それだけ食らえば、この槍はへし折られるだろう。そして、勢いを駆った狼の牙は、譲治に食い付いて来る事になる。

 

「どうした、来ないのか?」

 

 一馬の挑発的な言葉が響く。

 

 これまでの打ち合いで、一馬は無傷を保って立っている。彼の持つ刀も、戦闘開始時と変わらない、剣呑な輝きを放っていた。

 

 逃げるなら、背中から斬る。一馬の眼は、そう語っていた。

 

 この無傷の牙狼相手に、万全でない得物でこれ以上戦うのは危険だった。

 

「退くぞ、坂本。飯綱は俺が持つ」

「了解!!」

 

 言いながら、譲治は手にした槍を、一馬に向けて投げつける。

 

「チッ!?」

 

 舌打ちしつつ、飛んで来た槍を刀で払いのける一馬。

 

 しかし、重量だけで子供の体重程もある槍だ。払いのける事はできたが、一馬の体勢は大きく崩れる事になった。

 

 その間に、譲治は地面に倒れ伏してノびている大牙の体を拾い上げ、肩に担ぐ。

 

「待って!!」

 

 相手が離脱する気である事を悟った茉莉が、阻止しようと譲治へ斬りかかる。

 

 しかし、それは2発の銃声によって阻まれた。

 

「あぐッ!?」

 

 肩と腹に命中弾を受け、体をくの時に折る茉莉。

 

 見れば、龍那が両手に持った2丁のハイウェイパトロールマンの銃口を、茉莉に向けている。

 

 追撃をかけようとした茉莉を、龍那は牽制を目的として撃ったのだ。

 

「瀬田!!」

 

 膝をついて蹲った茉莉を庇うように、陣がその前に立ちはだかる。

 

 しかし龍那は、それ以上攻撃を行う事も無く、譲治と共に身を翻すと、そのまま背を向けて駆けだし、海に向かって飛び込んだ。

 

 ややあって、ドドドドドドと言う音が響き、死角から3人を乗せたモーターボートが走り去るのが見えた。

 

 用意の良い事である。そのボートで学園島に上陸したのか、それとも撤退を考慮して予め伏せておいたのか。どちらにせよ、これでもう3人を追い掛ける事ができない。

 

 友哉は刀を収めながら、周囲を見やった。

 

 戦闘の結果、周囲の景観は一変している。

 

 特に彩夏の爆薬や、陣の二重の極みによる被害は、惨憺たるものだ。これを修理するのは大変だろう、と漠然と考える。

 

 だが、まだ息をつく事はできない。こうしている間にも、キンジとワトソンは戦端を開いているかもしれないのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・斎藤さん、ここ、お願いして良いですか?」

 

 この男に頼み事をするのは、友哉にとって屈辱の極みなのだが、こうして介入を許してしまった以上、無視する訳にもいかない。それに友哉には、可及的速やかにスカイツリーへキンジ支援に赴かねばならない事情があった。それを成すには、一馬に事後処理を頼むしか無かった。

 

 対して一馬は、面倒くさそうに煙草に火を付け、一度大きく吹かしてから、こちらを見ずに口を開いた。

 

「構わんが、その女はこちらで貰うぞ」

 

 そう言って、倒れている彩夏を顎でしゃくる。

 

 友哉は一瞬、反抗するように目付きを細めたが、やがて、無理やり納得するように頷きを返した。

 

 これは仕方ない。ここまで派手に暴れてしまったのだ。一時的にせよ、彼女は司法の手に委ねざるを得ないだろう。それに一馬は(性格的には色々アレだが)、立場的にはしっかりしている。任せても大丈夫だろう。

 

 友哉は停車しておいたバイクに歩み寄ると、跨ってエンジンを掛ける。

 

「茉莉、陣、僕はスカイツリーにキンジ支援に向かう。2人は残って、後の処理をお願い」

 

 茉莉は一戦したせいで、既に疲労が見え始めているし、陣は乗る車が無い。一応、彩夏のフェラーリはあるが、流石にあんな『戦車』で東京の街中を走る気にはなれない。

 

 少し時間を置けば、車輛科(ロジ)から別の車を取って来る事もできるだろうし、茉莉も体力を回復させる事ができるかもしれない。

 

 しかし、今や事態は寸暇を争う。これ以上余計な時間を使っている暇は無かった。

 

 友哉はヘルメットを被ると、アクセルを吹かしてバイクをスタートさせる。

 

「頼む。無事でいてよ、キンジ、アリア」

 

 友2人の顔を思い浮かべ、逸る思いのままバイクを加速させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バイクを走らせ、どうにか渋滞を回避して友哉がその場所に到着したのは、それから10分後の事だった。

 

 バイクのエンジンを切り、ヘルメットを取る。

 

 目の前には、いずれ日本最大の建築物になる事が確定されている巨大な塔が見える。

 

 もっとも、こうして近くで見れば、何処にでもありそうなビルディングに見える。

 

 ためしに、螺旋を描く塔を見上げてみる。

 

 ただそれだけで、目が眩んでしまいそうなほどに高い。

 

 ここに、キンジとワトソン、それにアリアがいる筈。

 

 友哉は状況を確認しようと、周囲を見回す。

 

 ここへ来るに先立って、瑠香に入口を見張るように指示を出しておいた筈。しかし、一向に戦妹の少女は姿を現わさない。

 

「瑠香?」

 

 声を掛けてみるも、返事は帰らない。

 

 一応、携帯電話にも掛けてみたが、繋がらなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 15秒ほど、沈思する。

 

 嫌な予感がする。

 

 何かに急き立てられるように、友哉は工事現場の柵を越えて建物の中へと入って行った。

 

 

 

 

 

 何度かエレベーターを乗り継ぎ、徐々に上へと運ばれていく。

 

 視界は高みへと上り、眼下には街の夜景が見えるようになる。完成した暁には、多くの人の目を楽しませる事になる光景だ。

 

 だが、エレベーターの中で友哉は景色を楽しむ余裕も無く、壁に背を預けてズルズルと、その場に座り込んだ。

 

 立っているだけでも息が上がり、足が殆ど言う事を聞かない。よくここまで、バイクを運転して来れたと思う。

 

 やはり、対彩夏戦でのダメージは思ったより深刻なようだ。

 

 銃撃や爆風の衝撃は、容赦無く体を痛めつけ、体力を削り取っていった。

 

 多分、跳躍や高速機動は、もう殆どできないだろう。辛うじて刀を振るう力は残されているが、飛天御剣流の技はあまり使えそうもない。

 

 万が一、キンジがワトソンに敗れていた場合、彼を仕留める自信が友哉には無かった。

 

『だけど・・・・・・』

 

 友哉は刀を杖代わりにして、無理やり体を起こす。

 

 キンジにアリア、それに瑠香の事が気になる。こんな所で寝ている暇は友哉には無かった。

 

 やがてエレベーターが第1展望台に到着すると、友哉はよろけるように転がり出た。

 

 まだ完成途上の展望デッキは、コンクリート地が剥き出しの状態になっている。

 

 もう、大分上まで来ている。そろそろ、誰かと行きあっても良いような気がするのだが。

 

 そう思った時だった。

 

 友哉の視界が、2人の人間を捉えた。

 

 それは友哉が思い描いた通りの人物、キンジと、ワトソンだ。

 

 ワトソンの手にはSIGSAUAR P226が握られ、銃口は真っ直ぐにキンジの眉間へと向けられている。

 

 対してキンジは、空手だ。その手には何の武器も持っていない。ただ、何かを狙っているかのように、腕をピンと伸ばし、体を大きく捩じっている。

 

『キンジッ』

 

 痛む体を引きずり、友哉が刀の柄に手を掛けた。

 

 その瞬間、ワトソンが発砲、弾丸がキンジへと放たれた。

 

 ワトソンが狙っているのはキンジの眉間。それが友哉には判る。

 

 体がぼろぼろになっていても、充分な稼働率を確保している短期未来予測が、残酷な事実を突きつけていた。

 

 そして同時に、今から友哉が割って入っても間に合わない、と言う事を。

 

 次の瞬間、

 

 螺旋が、舞い上がった。

 

 自身に向かって来た弾丸を、キンジは全身を螺子巻きのように回転させ、右手の指先で捉えたのだ。

 

 キンジの右手には、オープンフィンガーグローブ「オロチ」が装備されている。これは特殊チタン合金と防弾線維を組み合わせたグローブで、平たく言えば、素手で弾丸を掴み取る事を目的として装備だ。

 

 本来なら両手装備となる筈なのだが、ワトソンの妨害と資金不足により片手分しか間に合わなかった。

 

 だが、今のキンジ、ベルセのキンジにとっては、片手分あれば充分だった。

 

 挟み取った弾丸に回転のベクトルを加え、

 

 斜め後方へと逸らしてしまった。

 

 正に絶技

 

 正に神技

 

螺旋(トルネード)・・・・・・」

 

 低い声で、キンジは囁いた。

 

 その様子を、友哉は呆れ半分、驚愕半分の瞳で見つめて呟いた。

 

「キンジ、君って・・・・・・」

 

 我が友は、一体どこまで人間やめれば気が済むのか。その底は計り知れなかった。

 

 一方、

 

「そ、そんな、馬鹿な・・・・・・」

 

 ありえない光景を目の当たりにしたワトソンは、動揺したように、数歩後ずさる。

 

 だが、彼が立っているのは、既に展望台のすぐ縁だ。そのまま行けば、350メートル下に転落してしまう。

 

「ワトソン、ダメッ」

 

 友哉が声を掛けるも虚しく、ワトソンはついに足を滑らして体を傾かせた。

 

 次の瞬間、

 

 宙にたゆたった腕を、伸びて来た手がガッシリと捕まえた。

 

 間一髪、ヘッドスライディングの要領で滑って来たキンジが、落下するワトソンの腕を捉える事に成功したのだ。

 

 友哉がホッと息をつく間に、キンジはワトソンの体に腕を回して、しっかりと固定する。

 

「な・・・なぜ、助けるんだ?」

 

 動揺を隠せない声のワトソン。彼からすれば、たった今までいのちのやり取りをしていただけでなく、ここ数日、謂れのない孤立を強いて来た相手に助けられた事が不思議な様子だった。

 

「・・・・・・それを聞くか?」

 

 友哉が近付いて来るのを確かめながら、キンジが苦笑して言う。

 

 武偵は人を殺さない。少なくとも、日本の武偵は。いや、それ以前に、誰かが危険な目にあっていたら助けるのが人間として当たり前の事だった。

 

 キンジのその言葉に、

 

 なぜかワトソンは、潤んだような眼でキンジを見ている。

 

 それに、座り込んでいるワトソンは両手で胸を隠し、更に、足を揃えて横座りをしている。

 

 その姿は、演技でも何でもない。

 

 キンジも、そして友哉も呆然とする。

 

 そこには、まぎれも無い1人の少女が座り込んでいた。

 

 

 

 

 

「ワトソン、君、『転装生(チェンジ)』だったの?」

 

 友哉の震える問いに、ワトソンは躊躇いがちに頷きを返す。

 

 ワトソンは語るに、真相はこうだった。

 

 表の事業では大々的な成功を収めたワトソン家だったが、裏の活動、つまりリバティ・メイソンとしての地位は30年ほど前から凋落傾向にあった。リバティ・メイソンとはそもそも、英国王室直属として、人知れず無償で世の中を救う事を求められる結社なのだとか。

 

 その中で凋落すると言う事は、ある種の蔑みも同時に受ける事になる。

 

 この事を憂慮した先々代のワトソン家当主は、4代前から付き合いのあるホームズ家と密約を交わし、やがて生まれて来る子供同士を許嫁として娶わせようとした。未だに高い地位を誇るホームズ家と縁続きとなる事で、失地回復を図ったのだ。

 

 しかし不幸な事に、両家に生まれた子供は、どちらも女の子だった。

 

 リバティ・メイソンの規約で、養子縁組は認められない。そこでワトソン家では、生まれたエルを男として育てたのだと言う。

 

 そこまで語り、ワトソンは目元を拭ってキンジを見た。

 

「ボクは貴族だ。負けたからには、今までの事・・・・・・仕返しはイーブンになるまで謹んで受ける」

 

 と、ヒステリアモードのキンジ相手に、随分と無防備な事を言う。

 

 聞いてから、友哉は嘆息した。ワトソンが転装生である事を疑っていた友哉だが、まさかその直感が当たるとは思ってもみなかった。

 

「ッて言うか、女同士で結婚なんて、色々と無理があるでしょ。最近じゃ風潮も緩くなってきてるけどさ。ばれたらどうするつもりだったの?」

「判っている。だが、それを置いても、まずはアリアを手に入れる事が先決だった」

 

 批判めいた友哉の言葉に、ワトソンは言い訳のように反論する。

 

「バスカービル、それにイクス。この2つが眷属(グレナダ)を選ばない限り、アリアの危機は拭えない。師団(ディーン)の持つ殻金は、現在2つ。対して眷属は5つ。これだけでも師団の不利は明らかだ。だから、アリアは眷属に入るべきだったんだ」

「そもそも、師団とやらに入ると宣言した覚えは無いんだがね」

 

 キンジは肩を竦めながら言う。

 

 確かに、キンジは師団にも眷属にも付くとは言っていない。殆ど状況に流されるままに、戦わざるを得ない上に追い込まれた、と言うのが本当のところだ。

 

「それに、今更裏切って眷属に入ったりしたら、今度は師団の連中から命を狙われる事になるだろ。そんな事は御免だね」

「確かに、玉藻とかレキとか、普通にやりそうだよね」

 

 師団のリーダー的存在である玉藻に、文字通り洒落の通じないレキ。この2人に狙われては、正直生き残る自信がなかった。

 

 裏切った翌日には、死体が一つ転がる事になるだろう。

 

「俺にとってアリアは、もう乗りかかった船みたいなもんだ。強引にパートナーにされちまった上に、チームの仲間でもあるからな。相手が誰でも関係ない。襲う奴がいれば護る。浚う奴がいれば奪い返す。と言う訳で、案内しろ。あいつの所へ」

「・・・・・・どうしても、眷属にはならないか? どんなに不利で、危険でも」

「いつもの事だ」

 

 事も無げに言うキンジ。

 

 そう、少なくともアリアが転校してきてからこっち、危険でなかった事など一度も無い。そして、彼女と共にいる限り、これからも危険でない事など無いだろう。

 

 つまり、こうしている今が、キンジ達にとって「普通」となりつつあるのだ。

 

 一片の迷いすら感じられないキンジの言葉に、とうとうワトソンは折れた。言葉だけで、この男を叛意させる事は不可能だと悟ったのだ。

 

「・・・・・・判った。ここからは僕も協力しよう。せめてもの償いとして、リバティ・メイソンへの『眷属』帰属提案も撤回し、『師団』となるように再提案する」

 

 それは有り難い事だった。劣勢の師団陣営にとって、少しでも味方が増える事は嬉しい。これで、これからの戦いも楽になるだろう。

 

 そうときまれば、これ以上ここで話していても仕方がない。アリアと、それから連絡の取れない瑠香の事が気になる。一刻も早く、彼女達の元へ行きたかった。

 

「そう言えばキンジ、瑠香見なかった?」

「四乃森? いや、見てないが・・・・・・」

 

 ワトソンに視線をやるが、彼女もやはり見ていないと言う。

 

 一体どこへ行ったのか。自分の仕事を途中で放り出すなどと言う事は決してしない子の筈なのだが。

 

 ワトソンが用意していたマガジンで弾丸を補充する2人を横目に、友哉は首をかしげる。

 

 弾丸の交換をしながら、2人が何かを言っているのは聞こえて来たが、会話の内容までは頭に入らなかった。

 

 友哉はそこで強烈な眩暈に襲われ、立っている事ができず、思わず柱を支えにする。

 

「おい緋村、大丈夫か?」

「う、うん。大丈夫。でも、ちょっとだけ、休ませて」

 

 心配そうに覗き込むキンジに手を上げて制し、友哉は柱を背にして腰を下ろす。

 

 無理も無い。この場にあって、キンジとワトソンも相当の激戦を繰り広げたのだろうが、友哉もまた彩夏との死闘を制してここに駆け付けたのだから。

 

 ワトソンも、心配そうに覗き込んで来る。

 

 その仕草が、妙におかしかった。

 

 きっと彼女自身は、とても良い子なのだろう。今までは実家と言う柵のせいで、わざと陰険な性格を演じなくてはならなかったのかもしれない。

 

 今の彼女なら、友達になれるだろうか。

 

 そう考えた時、異変は唐突に起こった。

 

 眼下の灯が、1つ、また1つと消えて行くのだ。

 

 やがて、変化は急速に訪れる。まるで黒い墨を浸したように、街の灯が次々と消えて行くのだ。

 

「何、これ・・・・・・」

「停電か?」

 

 訳が判らず、呻く友哉とキンジ。

 

 その時だった。

 

「ッ・・・・・・Wachout! Hight!!」

 

 慌てたワトソンの叫び。

 

 英語で言われたせいで、一瞬、何を言っているのか判らなかった。

 

 次の瞬間、

 

 巨大な雷球がキンジへと向かって落ちて来るのが見えた。

 

「あれはッ!?」

 

 見覚えがある。あれは宣戦会議の夜に戦った《竜悴公姫》ヒルダの技。

 

 雷球がキンジを直撃するかと思った瞬間、

 

 ワトソンがとっさに、キンジの体を突き飛ばした。

 

 視界が真っ白に染まる。

 

「2人とも、僕から離れろ!!」

 

 ワトソンの言葉に、突き飛ばされたキンジはとっさに、床に座り込んでいる友哉を脇に抱えて飛び退く。

 

 そこへ、特大の雷球が、立ち尽くすワトソンを直撃した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 強烈な白光が止んだ時、ワトソンはコートのフードを頭からかぶり、床に伏せていた。

 

 視界が元に戻ると同時に、キンジと友哉は慌てて彼女に駆け寄った。

 

「ワトソン、大丈夫かッ!?」

「・・・・・・だ、大丈夫、ではないな。あの魔女と関わった時から、そ・・・装備の耐電化はしてきた、つもりだったけど・・・・・・す、済まないトオヤマ、ヒムラ・・・・・・し、暫く、落ちる・・・・・・」

 

 苦しげにそう言うと、ワトソンは目を閉じてグッタリと力を抜く。どうやら気を失ったらしい。

 

「ワトソン、しっかりしてッ ワトソン!!」

「緋村、まずいぞ。とにかく今は、一旦退こう!!」

 

 キンジの言葉に、友哉も頷く。

 

 この場に留まっていては、いつ追撃が来るとも判らない。動けないワトソンを抱えた所で襲われればひとたまりも無いだろう。

 

 キンジがワトソンを担ぎ、一旦階下に降りる事となった。

 

 しかし、今の一撃でエレベーターは故障していて使えない。そこで、非常用階段を使い、階下の小部屋へと運ぶと、そこでようやく息をついた。

 

 ヒルダが陣を張っているのは、恐らく第1展望台より上の第2展望台付近と思われる。そこまで行けば、高度は450メートルにも達する。追撃されたらひとたまりも無いところであったが、幸いな事に、それ以上の攻撃は起こらなかった。

 

 ここでなら、ワトソンをゆっくり休ませる事もできるだろう。

 

 暫くすると、ワトソンも目を覚ました。

 

「こ、ここは?」

「第1展望室の下だよ。大丈夫、ここならヒルダの攻撃は届かないよ」

 

 友哉が安心させるように言う。

 

 実際にはどこまで安心なのか判らないが、今はそう信じるしかない。

 

「あ、ありがとう・・・・・・それより、アリアを・・・・・・アリアは第2展望台だ。そこには、ヒルダもいる・・・・・・」

 

 やはり、と思う。しかもどうやら、ワトソンとヒルダは水面下で接触して、今回の戦いを演出したらしい。ワトソンはキンジを排除して、アリアを手に入れる為に。そして、ヒルダにもヒルダの思惑があっての事だったらしい。

 

「こ、この剣を持って行け」

 

 そう言ってワトソンは、震える手で自分の剣をキンジに渡す。

 

「これは十字箔剣(クルス・エッジ)。ヒルダはこれを嫌う」

 

 更にワトソンは、強力な気付け薬をネビュラをキンジに渡す。一応、武偵手帳には万が一の時の気付け用にラッツォと言う薬と、小型注射器が入っているが、このネビュラはさらに強力な薬だと言う。

 

「それからヒムラ、君にはこっちだ」

 

 そう言ってワトソンは、キンジに渡した物とは別の圧式小型注射器をよこしてきた。

 

「気を付けろ、この薬は強力だが・・・・・・」

 

 衛生科(メディカ))の武偵らしく、薬の知識には詳しいらしい。思い出してみれば、彼女の先祖であるJ・H・ワトソンも医者だった。もしかすると、そう言う家系なのかもしれない。

 

「トオヤマ、ヒムラ、僕も、た、戦う・・・・・・」

 

 そう言って立ち上がろうとするワトソンだが、体ががくがくと痙攣するばかりで、殆ど身動きが取れない。

 

 既に戦えないのは火を見るよりも明らかだった。

 

「お前はもう戦わなくて良い。と言うか、立てないだろ。可愛い女の子が無理をするな」

「キンジ・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は呆れ気味にキンジを見る。

 

 こんな所でナンパしてどうするのか。ヒステリアモードの副作用として、極度に女の子に対し優しくなる事を知っている友哉だが、それでも友人のこの行動には嘆息を禁じえなかった。

 

 一方のワトソンは、暗闇にも判るくらいに顔を赤くして、何やらもごもごと言っているが、それ以上動こうとはしない。どうやら、キンジの言葉に従うらしかった。

 

 これで万全とは言えないが、準備は整った。

 

 キンジと友哉は、動けないワトソンをその場に残し、さらなる高みを目指して、天空樹を上り始めた。

 

 

 

 

 

 復旧したらしいエレベーターを乗り継ぎ、450メートル上空を目指して行く。

 

 既に戦闘意欲充分なキンジに対し、ダメージの抜けきらない友哉は、再びエレベーターの壁に寄り掛って座っていた。

 

「つらいんなら、ワトソンの所に戻ってても良いんだぞ」

「まさか、冗談でしょ」

 

 力無く苦笑しながら、キンジの言葉を否定する。

 

 ここまで来て退却なんてありえなかった。戦う理由があるのはキンジだけではないのだ。

 

 やがてエレベーターも途切れ、そこからは階段での上りとなる。目指す第2展望台は、もうすぐそこだった。

 

 ふと見上げれば、天井には無数の蝙蝠が群れを成して止まっているのが見える。

 

 どうやら、ここは蝙蝠の巣であるらしい。

 

 正直、蝙蝠はヒルダの羽を連想させるので、あまり良い気分ではなかった。

 

 更に上へ昇ろうとした時、

 

「キンジ」

 

 頭上から聞き慣れた声を掛けられ、2人は足を止めて顔を上げる。

 

 そこには、ピンク色の長いツインテールを靡かせた少女が立っていた。

 

「アリアッ」

 

 捕まっていると思っていた少女が、その場に現われた事に、友哉とキンジは驚きを隠せなかった。

 

「大丈夫か、ワトソンに変な薬飲まされたんだろ」

「平気よ。ここに来た時は眠っていたけど」

 

 降りて来たアリアは、キンジの後ろに付き従っている友哉の方にも視線を向けた。

 

「大丈夫、友哉、つらそうだけど?」

「ここに来るまでにちょっとね。けど、大丈夫だよ」

 

 そう言って、無理に笑って見せる。少し休んだおかげで、動くのに支障がない程度には回復していた。もっとも、激しい動きはまだ無理そうだが。

 

「そう。じゃあ、2人とも来て。この上にヒルダがいるわ。そこで話しましょう」

 

 そう言って、アリアは階上を指して2人を誘う。

 

 どうやら、ヒルダは交渉の場を設けるつもりのようだが、

 

「話すって、俺達はあいつの親父の、言ってみれば仇なんだぞ。話が通じる相手かよ?」

 

 確かに、ここにいる3人に理子を加えた4人が、ブラドを直接倒した、言わば張本人だ。話し合いの余地があるようには思えない。

 

「それに、僕は一度、ヒルダと直接やり合っている。正直、交渉できるとは・・・・・・」

 

 控えめながら、友哉も否定的な意見を述べる。

 

 あの宣戦会議の夜、刃を交えたヒルダは自らを上位者と僭称し、終始、友哉達を見下した態度を崩さなかった。そんなのを相手に交渉どころか、そもそも会話が成立するのかどうか、友哉には疑問なのだが。

 

 首を傾げる2人に、アリアは神妙な顔つきで言った。

 

「大丈夫よ。ヒルダはブラドと違って計算高いの。曾お爺様を倒したアンタ達を、それなりに警戒しているらしいわ」

「買いかぶられたもんだな」

 

 溜息交じりに言うキンジの言葉に、友哉は全くの同意だった。

 

 あの戦いは、2人掛かりでも終始、シャーロックに押されっ放しだった。最後の一撃が決まったのも、殆ど奇跡だったと思っているのだが、

 

 どうやら、傍から見ればそうでもないらしい。

 

 とにかく、向こうが話し合いに応じると言うのなら、それに乗るべきなのかもしれない。

 

 アリアを先頭に、3人は再び階段を上りはじめた。

 

 

 

 

 

 地上450メートル、スカイツリー第2展望台。

 

 スカイツリーは、まだここまでしか完成していない。

 

 現在はまだ吹き晒しであり、寒風は容赦なく吹き込んで来る。

 

 第1展望台よりも狭い面積の、第2展望台。

 

 その中央に、祭壇のような物が飾られている。

 

 周囲をバラで取り囲んだ中央には、細長い箱のような物が2つ飾られていた。

 

 Kinji Tohyama

 Aria Holmes Kanzaki

 

 キンジとアリアの名前が刻まれたその箱は、明らかに映画などで見る棺桶のように思えた。

 

 その棺桶には、太い電源ケーブルのような物が繋がれていた。

 

「一応もらっておくか。いずれ一度は入るもんなんだからな」

 

 棺桶に蹴りを入れながら、キンジが言った、その時だった。

 

「棺とは終の棲家。たった数平方メートルとは言え、何人たりとも侵されざる、個の領域。それは気高き吸血鬼(オーガ・バンピエス)からの至上の贈り物と心得なさい」

 

 聞き憶えのある甲高い声。

 

 振り返る先。

 

 豪華な棺の中から、影となって這い出して来る人物。

 

 闇夜にも鮮やかな金髪のツインテールを靡かせ、夜であるにもかかわらず日傘を差した、ゴシックロリータ調の人物。

 

 見間違える筈も無い。あの宣戦会議の夜に交戦した竜悴公姫。

 

『ヒルダッ』

 

 友哉は、キンジの背に隠れながら、いつでも刀を抜けるように身構える。

 

 先の戦闘のダメージが未だに抜けきらないが、それでも一撃、先制攻撃を仕掛けるだけの体力は残っている。

 

 話し合いの場を持つと言っても、油断するつもりは微塵も無かった。

 

 だが、

 

「その前に」

 

 ヒルダが意味ありげに、手に持った扇子を掲げた瞬間、

 

 物影から飛び出してきた何かが、友哉を押し倒す形でその上に圧し掛かった。

 

「ウグッ!?」

 

 突然の事でとっさに対応できず、背中から倒れる友哉。

 

 その上に圧し掛かった物の正体を見て、思わず息を飲んだ。

 

 白い毛並みを持つ、大型の狼。恐らく、レキの飼っているハイマキと同じ、コーカサスハクギンオオカミだ。

 

「クッ!?」

 

 押しのけようとするが、既に友哉にはその力すら残されていない。

 

「緋村ッ!!」

 

 とっさに友哉を助けようとするキンジ。

 

 しかし、

 

「ごめんね、キンジ」

 

 囁くようにそう言うと、アリアはキンジの首に鎖を繋ぎ、そこへ錠前を掛けてしまった。

 

 次の瞬間、キンジの体を中心にスパークが奔る。

 

 ヒルダの雷魔法だと判った時には、既に手遅れ。電撃を直接体に通されたキンジは、体の自由を奪われて、その場に膝をついた。

 

 そこへ、ヒルダの高笑いが木霊する。

 

「オーホッホッホッホッホッホッ こうもあっさりと上手くいくなんてね。所詮、あなた達下賤な人間は、高貴なる竜悴公姫には敵わないのよ!!」

 

 だが、友哉もキンジも、ヒルダのその言葉を聞いていない。

 

 視線は、まさかの裏切りをしたアリアへと向けられている。

 

「クッ、アリア、どういう事だ!?」

 

 声を荒げて尋ねるキンジに対し、アリアは無言のまま、何も答えようとしない。

 

 と、アリアの手が、祭壇の影から何かを引っ張り出した。

 

 よろけるような足取り引っ張り出されたその姿を見て、友哉は思わず呻いた。

 

「る、瑠香ッ」

「ごめん、友哉君。言われた通り入口を見張ってたんだけど。その時に、後ろから襲われちゃって・・・・・・」

 

 後ろ手に縛り上げられた瑠香は、弱々しく呟く。

 

 と、瑠香を捕まえていたアリアは、空いている手で自分の顎の下を掴むと、そこからベリベリと、自分の顔を剥がしてしまった。

 

 その下から出て来た人物を見て、

 

 友哉とキンジは絶句した。

 

 豊かな金色のツーテールに、愛らしい美貌。服装こそ、いつものフリフリの改造制服ではないが、その姿を見間違える筈も無い。

 

「り、理子・・・・・・」

 

 バスカービルメンバーの1人、峰理子が、無表情のまま友哉達を見下ろしていた。

 

 

 

 

 

第9話「トルネード・チェンジ」      終わり

 



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第10話「絶望から立ち上がる者」

 

 

 

 

 

 

 

 

 敵の首領を前にしながら、誰1人としてまともに立っている者はいない。

 

 キンジは電撃を食らって膝をつき、友哉は狼に押し倒され、瑠香は捕まり人質にされている。

 

 そして、理子。彼女は裏切りを象徴するように敵の側に立っていた。

 

 もう1人、祭壇に積まれたバラに隠されるように、鎖で縛られた少女が眠っている。

 

 アリアだ。彼女は今、理子が普段着ているヒラヒラの改造制服を着ている。恐らく理子が、アリアに変装する際に着替えさせたのだ。

 

 自分の敵全員が膝を屈する様を見て、ヒルダは満足げに高笑いを上げた。

 

「私はワトソンとは戦いたくなかったの。だからトオヤマ、お前がワトソンと戦うように仕向けたのよ。それに・・・・・・」

 

 次いでヒルダの目は、狼にくみ伏せられている友哉に向けられた。

 

「ヒムラ、お前も色々と目障りな存在だから、彩夏をぶつけておいて正解だったわね。お陰でお前は、碌に戦えない状態でのこのことやってきた」

「クッ」

 

 勝ち誇ったヒルダの言葉に、友哉は唇を噛む。

 

 つまり、イクスとバスカービル、そしてリバティ・メイソンは、全てヒルダの手の内で踊っていたと言う事になる。両者を潰し合わせ、ヒルダは1人、高みの見物をしゃれこんでいた訳だ。

 

「ヒルダが2人を警戒していたのは本当だよ。だから、少し違う展開も期待してたけど・・・・・・相手が悪かったね、キーくん、ユッチー」

 

 理子は低く抑えたような声で、そう言う。

 

 抑揚の感じさせないような声は、何処か複雑な響きを孕んでいるように思える。

 

 そんな理子を、ヒルダは満足げに見詰める。

 

「お手柄よ、理子。やはり、私が見込んだだけの事はあるわ。お前には私には無い技術と能力がある。私はそれを高く評価しているわ。だから私は、お前を竜悴公家の正式な一員、私に次ぐ次席として取り立てるわ」

 

 告げるヒルダに対して、理子は何の感情も示さないように、僅かに頷いて見せただけだった。

 

「それに、お前はとても愛らしい。お前は昔から私を憎悪しつつも、憧れていたのでしょう。その色を隠しきれずに混じり合って、私の心を疼かせるの」

 

 言いながら、ヒルダの細く白い指が理子の顎を撫でる。

 

「トオヤマとの間に色々あったのでしょうけど、全部忘れなさい。男なんてくだらないわ。それに、トオヤマは私が殺さなくても、何れ他の誰かに殺される運命にあった。だから、あなたに罪なんてないのよ」

 

 囁くように居ながら、ヒルダが理子の耳をまさぐる。

 

 そこには蝙蝠の形を象ったイヤリングが付けられている。

 

「これが、竜悴公家の正式な臣下の証よ。外そうとしたり、耳を削ぎ落そうとしたり、私が念じたりすれば弾け飛び、中に入っている毒蛇の腺液が傷口から入って、お前は10分以内に死にいたる。これは、裏切り者を再度取り立てる時、浄罪の為に着ける決まりになっているのよ」

「そんな物を付けて、操っていたのか、理子を・・・・・・」

 

 電撃によって動けなくなった体で、キンジは呻くように呟く。

 

「キーくん、理子もね、色々と考えたんだよ」

 

 縛り上げた瑠香の腕を捕まえながら、理子が言う。

 

「理子は元々、怪盗の一族。みんなとは違う、闇に生きる・・・・・・ブラドやヒルダと同じ側の人間なの。それがいつの間にか、キーくんやアリア、ユッチーの側に着いていた。理子は人としてぶれていたんだ」

 

 闇に生まれ、闇の中を歩みながら光へと向かおうとしていた理子。

 

 相反する二つの世界の間に立ってしまったが故に、その存在は不安定になってしまったのかもしれない。

 

「ヒルダは闇の眷属。生まれながらの悪女だよ。でも、自分を貫いている。ブラドが捕まって、エリザが死んで、最後の吸血鬼になったのに・・・・・・誰の庇護も無く戦い続けている。理子よりもずっと、自分が何者なのか判っている」

 

 キンジも、友哉も、瑠香も、呆然として理子の言葉を聞いている。

 

 はじめは友哉も、理子がヒルダに催眠術を掛けられて操られている事を疑ったのだが、淡々としゃべる理子にはその様子は無い。

 

 本当に、自らの意思で裏切ろうとしているのだ。

 

「それにヒルダは、仲間には貴族精神で接してくれる。ほんとはね、理子はちょっと前に、ヒルダと会って交渉したの。その時は物別れになったけど、理子は驚いたんだ。ヒルダの態度はとても丁寧だった。理子が『眷属』と同盟する条件を出しても良い、とまで言ってくれた。その後で、このイヤリングを付けられたんだけど、次に会った時に、理子はヒルダに『組むなら、あたしを4世と呼ぶな』って言ったんだ。そしたらヒルダは、それから一度も理子の事を『4世』って呼ばなくなったの」

「理子・・・・・・・・・・・・」

 

 狼の下で、友哉は呻いた。

 

 4世と言う言葉が、どれほど理子を傷付けて来たか、ハイジャック事件の折りの吐露を聞いて、薄々だが友哉にも感じる事ができる。

 

 自身を数字では無く、理子として扱う事。それは理子にとって至上にして最低限の自己確立の手段でもあったのだ。

 

 だからこそ、その条件を許したヒルダに着く事を了承した。勿論、イヤリングの事もあったのだろうが。

 

 これは、問題としては微妙だ。何より、あのイヤリング。あれがある限り、理子の命はヒルダに握られている事になる。

 

 その時。

 

「事情は判ったわ」

 

 聞き憶えのあるアニメ声。

 

 振り向く事はできないが、声の主が、今まで縛られて気を失っていたアリアだと言う事はすぐに判った。

 

 意識を取り戻したアリアは、自分の口を塞いでいた猿轡を噛み切り喋れるようになったのだ。

 

「理子、あたしはあんたを責めない。誰だっていのちは惜しいものよ」

 

 でもね、とアリアは舌鋒を鋭くして続ける。

 

「ヒルダの貴族精神は見せかけよ。あんたには随分と甘いらしいけど、それは言う事を聞かせる為にキャンディーをあげてるのと同じ、アンタはそいつに見下されて、子供扱いされているのよ!」

 

 事実を的確に突いたのか、ヒルダの目が険しくなるのが見えた。

 

 更にアリアは続ける。

 

「誰も言わないなら、あたしが言ってあげるわ。ヒルダはアンタを、その殺人イヤリングで奴隷にしているだけなのよ!!」

「人間の分際で、高等種の吸血鬼に偉そうな口を利くわね」

 

 苛立ったような口調のヒルダ。どうやら、アリアの挑発めいた口調に、気位の高い竜悴公姫のプライドを傷つけたらしい。

 

吸血鬼(あんたら)はちっとも高等じゃない! 教えてあげるけどね、イギリスでは1833年に奴隷制度廃止法が成立しているわ。アンタは150年は遅れているのよ! 人間は、奴隷制度何かとっくに卒業しているのよ!!」

 

 と、キンジを毎回奴隷扱いしているアリアは、声高に宣言した。

 

「理子、あんた、何度もキンジに助けられてる。命だって救われている。なのに、キンジを信じないで、ヒルダなんかを信じるの!? もし、そうだって言うなら、あたしもキンジの相棒として、アンタと戦う義理がある!!」

 

 言いながら、アリアは縛られたまま体を器用にくねらせる。

 

 すると、まるでウナギが漁師の手をすり抜けるように、小さな体は鎖から抜け始めた。

 

「お仕置きしてあげるわ、理子。そこのヒルダと2人並べてね!!」

 

 言い放つと同時に、アリアの体は完全に鎖から抜け出した。

 

 同時にアリアは駆ける。

 

 膝をついたままのキンジの背中から一振りのサーベル。ワトソンから託された十字箔剣(クルス・エッジ)を抜き放ち、ヒルダに斬りかかる。

 

 対してヒルダは、背中の翼を広げて大きく後退、間合いの外へと逃れた。

 

「やっぱり、これが苦手なのね!!」

 

 確信を持った口調で、アリアは言う。この十字箔剣は、ワトソンが対ヒルダ用に用意した物だ。その判断に抜かりは無かった。

 

 勢いに駆って、斬り込もうとするアリア。

 

 だが、その優勢も長くは続かなかった。

 

 手にした鞭を振るったヒルダは、十字箔剣の刀身を絡め取ったのだ。

 

 一瞬、綱引きのような状態になるヒルダとアリア。

 

 しかし次の瞬間、バチッと言う電流が奔り、アリアは体をのけぞらせた。

 

「キャァッ!?」

 

 ヒルダの雷魔法が、鞭を通してアリアの体に流れ込んだのだ。

 

 力が抜けたアリアの体を、ヒルダは強引に引き寄せる。

 

「下等な、人間の分際で!!」

 

 引き寄せたアリアを蹴り飛ばし、もぎ取った十字箔剣を遠くへ投げ飛ばす。

 

「こんな汚らわしい物を、よくも私に向けたわね!!」

 

 放り投げられた銀剣は、第2展望台の縁から階下へと落下して行く。

 

 アリアの復活で一瞬は盛り返した状況が、再び不利に巻き戻されていた。

 

 アリアは戦闘不能。ヒルダに有効な十字箔剣も最早ない。そして、友哉とキンジも今だ動ける状態に無かった

 

「ネズミの分際で夜眷属狩人(ヴァンパイア・ハンター)を気取るなんて。嫌いよ、そう言う冗談。私、少し怒っちゃったかも」

 

 そう言うヒルダの声に重なるように、何かのエンジン音が聞こえて来た。

 

 その手にある物を見た瞬間、友哉は思わず絶句した。

 

 小型のチェーンソーが、ヒルダの手に握られている。エンジン音は、そのチェーンソーだったのだ。

 

「アリア、お前の手術を早める事にしたわ。その胸を開いて、心臓を摘出させてもらうわよ。人間の肋骨は案外硬いから、これを使わせてもらうわ」

 

 言いながら、ゆっくりとアリアに近付いて来る。本当に、チェーンソーでアリアの体を切り裂くつもりなのだ。

 

「お、おい、止せ!!」

「アリア先輩、逃げて!!」

 

 キンジと瑠香が、悲痛な叫びを発する。が、ヒルダはやめようとしないし、電撃で体が痺れたアリアも、体を動かす事はおろか声を発する事もできないでいる。

 

 対照的に、ヒルダは恍惚な表情を浮かべている。

 

「良いわ、絶望感に満ちたあなた達の表情。あなた達は手も足も出せないまま、アリアが心臓を抉り出される様を見物していなさい」

 

 ヒルダはそう言いながら、アリアが着ている防刃ブラウスをめくり上げる。

 

「~~~~~~ッ」

 

 お気に入りのトランプ柄のブラを丸出しにされ、赤面するアリア。

 

 必死に首を振り、出ない声で悲鳴を上げているのが判る。

 

「安心しなさい。私はお前の容姿は気に入っているの。胸以外は傷付けないと約束するわ。体は剥製にして館に飾ってあげるわ。だから、安心して身を任せなさい」

 

 興奮したように息を吐きながら、ヒルダはチェーンソーをアリアへとゆっくり近づけて行く。

 

 嬲るように、その恐怖心を楽しみながら。

 

「や、やめろ!!」

「クッ アリア!!」

 

 必死に叫ぶキンジと友哉の声にも、ヒルダは動きを止めようとしない。むしろ、そうした声を楽しんでいるのだ。

 

「サイコーだわ、今夜は。この快感を思い出すだけでも、1年は快楽に困らなそう。さあ、アリア、鳴きなさい、鳴くのよ、そのナイチンゲールのように愛らしい声で!!」

 

 高らかに笑い声を響かせるヒルダ。

 

 その間にも、チェーンソーはアリアのブラの布地を削るように、刃を掠めて行く。

 

 声の出せないアリアは、その度にくぐもった悲鳴を発するが、それを聞いたヒルダも恍惚とした声を発する。

 

「良いわ・・・良いわアリア。今の、とっても素敵。とっても良かった・・・・・・そうよ、その表情よ。もっと、もっと見せなさい!!」

 

 言いながら、更にチェーンソーを近付けて行くヒルダ。

 

「い、イヤァ・・・・・・」

 

 ようやく声を出せるようになったアリアが、弱々しく悲鳴を発する。

 

 しかし、まだ体は動かず、抵抗する事もできない。

 

「どうなの、怖いの? 怖いのよね? 怖いって言って! 言いなさい、ほら!!」

 

 度重なってチェーンソーを当てられたブラは、既に襤褸布と化している。その布が無くなったら、ヒルダは今度はアリアの肌を切り裂きに掛るだろう。ブラと同じように、少しずつ、少しずつ、いたぶるようにしながら。

 

 対して、キンジ、友哉、瑠香は歯を食いしばりながら、その光景を眺めている事しかできない。

 

「ほらァ、どうなのよ、アリアッ!? 何か言いなさいよ! ほほッ おほほほッ!!」

 

 ヒルダの愉悦が絶頂に達した。

 

 その時、

 

「良いのか、ヒルダ」

 

 水を差すように発せられた、鋭い声。

 

「アリアは緋弾の希少な適合者だ。殺したら『緋色の研究』が上位に進めなくなるぞ」

 

 見れば、いつの間にか瑠香の腕を放して近寄っていた理子が、ヒルダの持つチェーンソーのグリップを掴んで制していた。

 

 まさに絶頂の直前で制止されたヒルダは、鋭い目付きで理子を睨みつける。

 

 次の瞬間、

 

 バチッ

 

 電撃が理子の体に走り、理子はうつぶせに倒れ込んだ。

 

 その背中を、ヒルダは容赦なく踏みつける。

 

「理子! お前、見ていて判らなかったの? 私は今、一番良いところだったのよ! せっかく、せっかくもう少しで上り詰めようとしていた所なのに、お前のせいで台無しだわ!!」

 

 拷問を中断させられた事がよほど悔しいらしい。ヒルダは涙ぐみながら理子に蹴りを加えて行く。

 

 対して理子は、弱々しい声で尚も言葉を紡ぐ。

 

「ア、アリアにはまだ利用価値がある。殺すな!」

 

 だが、その事が更なる嗜虐を呼ぶ。

 

「『アリアを殺すな』・・・ですって? お前、私に忠誠を誓ったのではなかったの? そう、そうなの。また裏切るつもりなのね?」

 

 ピンヒールの足裏で、ぐりぐりと理子の背中を踏みつけるヒルダ。

 

 ヒルダの拷問の対象は、完全にアリアから理子へ移っていた。

 

 対して、電撃のせいで身動きができない理子は、抵抗する事もできない。まるで怯えて振るえるように、必死になって暴力に耐えていた。

 

「理子・・・・・・」

 

 ヒルダの暴力に必死に耐える様子を見て、友哉は理子の心の内が少し見えたような気がした。

 

 理子は本心から裏切っていた訳じゃない。理子はきっと怖かったのだ、ヒルダと言う存在が。かつてルーマニアで捕らわれていた時、ヒルダが理子を苛めぬいていたであろう事は容易に想像できる。その時の恐怖に、まだ縛られているのだ。

 

 だからこそ、アリアをいたぶるヒルダを制した理子の行動は、彼女にとって精一杯の勇気。彼女は今、過去の恐怖に対して、必死に立ち向かおうとしているのだ。

 

『これは・・・・・・こんな所で寝ている場合じゃないね』

 

 心の中で呟きながら、自分に圧し掛かる狼を睨み据える。どうにかこいつをどかして、理子の援護に行かないと。必死に戦っている彼女に申し訳が立たなかった。

 

 ひとしきり理子に暴力を振るったヒルダは、彼女の横に自分の足を置いた。

 

「理子、私に謝罪なさい。ううん、もう謝るだけでは許してあげない。この靴に口づけなさい。私に永遠の忠誠を誓うのよ。そうすれば、ペットとして永遠に飼ってあげる。部屋の中で首輪を付けて、ずっとずっと愛玩してあげるわ。ただし、できないなら・・・・・・」

 

 言いながら、ヒルダは、もう片方の靴で理子の耳にあるイヤリングを突いた。従わなければ、これを弾くと言っているのだ。

 

「う、ううゥ・・・・・・」

 

 震えながら、理子はゆっくりと口をヒルダの靴へ近付けて行く。

 

 その目から、数滴の雫が流れ落ちて行くのが見えた。

 

 理子は泣いているのだ。憎くて堪らない相手に、膝を屈しなければならない自分が悔しくて。

 

 その時、

 

 カシュッ

 

 何かが小さく弾けるような音が響いた。

 

「・・・・・・武偵憲章8条」

 

 落ち着き払った声。

 

 ゆっくりと紡がれる言葉は、一気に場の雰囲気を塗り替えて行くのが判る。

 

「任務は裏の裏まで完遂すべし」

 

 バッと言う音と共に、キンジが立ち上がる。同時に、カチリと音がして、首に巻かれていた鎖のカギが外された。解錠キーを使って、一瞬で外して見せたのだ。

 

 ようやくヒルダの電撃のダメージが抜けたキンジは、ワトソンから渡されたネビュラを使って一気に神経を活性化させ、麻痺から回復したのだ。

 

「理子、いつだったか君は、俺に言ったね『助けて』って」

 

 それは、あのランドマークタワーでブラドと対峙した時の言葉。

 

 理子は確かに、ブラドの下を離れ自由を望み、キンジ達に助けを求めたのだ。

 

「今夜、理子の依頼の『裏』を完遂しよう」

 

 言いながらキンジは、低い姿勢で駆け、ヒルダの足元から理子を掬いあげる。

 

 その様子に、戦場に吹く風向きが変わったのを感じた。

 

「さて、と・・・・・・」

 

 友哉は自分に圧し掛かる、狼を鋭く睨みつける。

 

「いつまで、人の上に乗っかっているつもりなのかなッ?」

 

 言い放つと同時に、友哉は狼の腹に足裏を当て、巴投げの要領で蹴り飛ばした。

 

 立ち上がる友哉。

 

 先程までの疲労感が、嘘のように消え去っていた

 

「ひ、ヒムラ、お前までッ!?」

 

 驚くヒルダを無視して、友哉は具合を確かめるように掌を開閉する。

 

『ふむ・・・全快時の6~7割ってところかな?』

 

 先程まで殆ど動けなかった友哉が回復した理由も、階下でワトソンに渡された薬の為だった。

 

 効果は体内血流の活性と、神経系の亢進により、低下した身体能力の回復にある。

 

 しかし、まだ試験段階だと言うその薬は、扱いが難しく副作用も激しいらしい。使い過ぎれば命にもかかわるとか。今回使った分はワトソンが慎重に配合した為、体への影響は少ないが。

 

 更にデメリットとして、打ってから効果を現わすまで時間が掛ると言う。今まで友哉が動けなかったのは、その為だ。

 

 ワトソンは、この薬を万が一の撤退用に用意していたらしい。お陰で友哉は、重要な局面で、辛うじて戦える程度には回復していた。

 

 更に、個人差もあるのは当然で、友哉の体は60~70パーセント程度の回復しか見込めないらしい。

 

 だが、それだけ動ければ充分。それだけあれば戦う事に支障はない。

 

 友哉は刀を抜くと逆刃を返して、足元で座り込んでいる瑠香の、腕を縛っている鎖を断ち切った。

 

「あ、ありがとう、友哉君・・・・・・」

 

 言ってから、瑠香は少し俯いて目を伏せる。

 

「ごめなさい。役に立てなくて」

「気にしなくて良いよ」

 

 言いながら、友哉は瑠香の頭を優しく撫でる。

 

「ここにヒルダがいるなんて事、誰にも判らなかったんだ。むしろ、僕の方こそごめんね。君をこんな危険な目に合わせて」

「友哉君・・・・・・」

 

 涙ぐむ瑠香。

 

 だが、感動に浸っている場合ではない。戦端は、今にも開かれようとしているのだ。

 

「瑠香、僕の体はまだ全快じゃない。君の助けが必要だ」

 

 言っている内に、友哉が蹴り飛ばした狼が、立ち上がって唸り声を上げて来るのが見える。

 

 否、それだけではない。

 

 もう1匹、更に1匹、

 

 合計3匹の狼が、物影から這い出て来た。

 

「うん、判った」

 

 瑠香は力強く頷く。

 

 イングラムM10とナイフは捕まった際に取り上げられたが、瑠香は服のあちこちに色々な小道具を隠し持っている。それらを駆使すれば、友哉の援護は充分に可能だった。

 

「背中は頼むぞ」

「お任せあれ」

 

 キンジの言葉に、不敵な笑みを翳しながら答える友哉。

 

 戦機は、既に充分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 刀を構え、友哉は疾走する。

 

 敵は3匹の狼。その身体能力は、人間それを大きく凌駕している。

 

 更に、あのブラドに飼われていたのだ。知能もそれなりに高い事が予想される。

 

 だから友哉は、容赦せず、全力で挑みかかる。

 

「ハァァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 一気に跳躍し、刀を振りかざす友哉。

 

 一瞬、標的の姿を見失った狼は、その場で立ち止まって動きを止めた。

 

 その一瞬を、友哉は見逃さず、急降下を仕掛ける。

 

「飛天御剣流、龍槌閃!!」

 

 一撃。

 

 脳天を打ち抜かれた狼は、その場でよろけるようにふらついた後、バッタリと横倒しに倒れた。

 

 人間であろうと狼であろうと、頭に脳がある事は変わり無い。

 

 友哉の一撃は、狼に強烈な脳震盪を食らわせた形となった。

 

 更に刀を構え、次に備える友哉。

 

 そこへ、残り2頭の狼が、飛びかかって来る。

 

 だが、

 

「行かせないッ」

 

 瑠香は制服の袖から、掌大の丸い玉を取り出して投げつけた。

 

 床にぶつかった途端、小規模な爆発を起こして噴煙を噴き上げる。

 

 彩夏が学園島で使った物ほど強力ではないが、これも爆薬の一種。主に牽制に用いる物だ。

 

 今にも友哉に襲いかかろうとしていた狼は、バランスを崩してたたらを踏む。

 

 その瞬間を、友哉は逃さない。

 

 爆炎を突く形で、友哉は自身の間合いに踊り込んだ。

 

「ハッ!!」

 

 横薙ぎに振るわれる一閃。

 

 その一撃は、狼の顔面を真横から殴打し、吹き飛ばした。

 

 昏倒する狼。これで2匹目。

 

 だが、最後の1匹に対して、友哉は背中を向けている。

 

 そこに襲いかかろうと、疾走する3匹目の狼。

 

 だが、その後ろ脚に何かが巻きつけられ、動きを封じられた。

 

 見れば、瑠香が袖からワイヤー状の紐を伸ばし、狼の足に巻き付けていたのだ。

 

 一瞬、動きを止める狼。

 

 そして友哉には、その一瞬あれば充分だった。

 

「これでッ!!」

 

 距離を詰めると同時に、袈裟掛けに一閃。

 

 その一撃は、狼の頭部を捉えて吹き飛ばす。

 

 戦兄妹どうしならではの連携攻撃。

 

 その前には、いかに身体能力に勝るとは言え、たかが3匹の獣など、物の数ではなかった。

 

「よしっ」

 

 瑠香と共同で3匹の狼を倒し、友哉は満足げに頷いた。

 

 これで、敵は事実上、ヒルダ1人だ。

 

 その時だった。

 

 ドォンッ

 

 先程の瑠香の爆薬を、大きく上回る衝撃がスカイツリーを揺るがした。

 

「キャッ!?」

 

 とっさに、よろけた瑠香を支える。

 

 どうやら、対ヒルダ戦も佳境を迎えつつあるようだ。

 

「瑠香、僕は向こうの様子を見て来る。君はアリアをお願い」

 

 メイン武装の無い瑠香を、これ以上戦線にとどめるのは危険だし、何より、まだ電撃のダメージから回復していないアリアを放っておくのは危険すぎる。

 

「判った」

 

 頷いて駆けだす瑠香の背中を見送り、

 

 友哉も、友が待つ戦場へとひた走った。

 

 

 

 

 

 再びの衝撃と轟音が、大気を震わせる。

 

 戦場に着くと、凄まじい光景が展開されていた。

 

 先程、上がってきた際に見た、キンジとアリアの名が刻まれた棺桶が、爆破されていたのだ。

 

 そして、爆破した張本人は、悠然とした笑みを口元に掲げていた。

 

「理子・・・・・・」

 

 若干の安堵と、歓喜がまじりあった声で、友哉は少女の名を呼ぶ。

 

 その声に応えるように、理子は笑みを強めた。

 

「ヒルダ、これでお前は、電撃を使う事も、影になって隠れる事もできなくなった。お前の超能力(ステルス)はジムナーカス・アロワナの遺伝子をコピーする事で得ているからな。あの魚は長く放電はできない。さっき、理子とアリアに電撃を使ったから、もうお前に超能力は残っていない筈」

 

 理子の指摘に、ヒルダは僅かに顔をゆがませる。どうやら、図星であったらしい。棺桶の中身はバッテリーと変圧器。ヒルダはそれを使って、街中から電気を集めていたのだ。

 

 故に、その2つを破壊されたヒルダは、もう操れるだけの電気を持っていない。

 

「迂闊だったわ。お前が爆薬を隠し持っていたなんて」

「御存じの通り、わたくし《武偵殺し》は爆薬使いですから」

 

 そう言って、優雅にスカートのすそを摘み、理子は一礼して見せる。

 

 次の瞬間、

 

 バチッ

 

 鮮血と共に、理子の耳に付けられたイヤリングが弾け飛んだ。当然、その中に仕込まれた猛毒が、体内に侵入したのは疑いない。

 

 10分。

 

 理子に残された命は、たったそれだけでしか無い。

 

 絶望が降り立とうとする中、

 

 理子は、可憐に笑って見せた。

 

「お別れだね、キーくん、ユッチー。理子はほんの10分だけど、アイツから自由になれる。これも、2人が命がけで助けに来てくれたおかげだよ。だから、たった10分だけでも、本当の理子を2人に見てもらえるなら、もう、それで良いよ」

 

 理子が言い終わるのを待っていたように、パラパラと上空から雨が降って来る。

 

 その中で、理子はヒルダを、今まで自身を虐げ続けて来た憎き存在を、真っ直ぐに睨みつけた。

 

「ヒルダ、今からずっとやりたかった事をやってやる。お前への恨みを、晴らす!!」

 

 言い終わると、理子の髪が動き、制服の下からアリアの小太刀二刀を抜き放つ。

 

 更に理子は、キンジの制服から彼のベレッタとスクラマサクスを抜いて構える。

 

 キンジはこの時、ヒルダの暗示に掛けられ身動きが取れない状況だった。

 

 しかし、理子にとっては、却って好都合であるとも言える。

 

 復讐するは、我にあり。

 

 双剣双銃(カドラ)の理子。その変則版。かつて、キンジ、アリア、友哉が3人がかりでも仕留める事ができなかった、凶悪にして勇壮、かつ可憐な戦姿が、この場に降臨していた。

 

「良いわ、戦ってあげる。お前如き、電撃が使えなくても敵では無いわ。光栄に思いなさい竜悴公(ドラキュラ)の一族と2度も戦った人間は、歴史上、お前が初めてよ」

 

 言いながら、ヒルダは槍を構える。それは西洋風の三叉槍。トライデントだ。

 

「加勢するよ、理子」

 

 その理子と並ぶように、友哉も刀を構えた。

 

「理子の境遇に対して怒りを覚えているのは、何もキンジやアリア達だけじゃないよ」

 

 仲間である理子。

 

 その理子を虐げ、そしてこれからも虐げようとするヒルダ。それに対する怒りは、友哉も共有する所である。

 

「ありがとうユッチー。ユッチーのそう言う所、理子は好きだよ」

「・・・・・・照れるね」

 

 戦闘開始前だと言うのに、友哉は少し顔を赤くしている。

 

 そのやり取りが、ヒルダの苛立ちを加速させる。

 

「どいつもこいつも、私に盾突くなんて・・・・・・高貴な存在である竜悴公姫(ドラキュラ)を何だと思っているの?」

「たかが蚊の親戚でしょ。血を吸うくらいしか能の無い、ね」

 

 ヒルダの言葉に対し、友哉はらしくない、安っぽい挑発で応じた。ヒルダのように無駄に気位の高い敵が相手の場合、この手の安っぽい挑発の方が、むしろ効果が高い事を知っているのだ。

 

 案の定、ヒルダは白い顔を真っ赤にして激昂した。

 

「おのれ、下等生物の分際で!!」

 

 突き出される三叉槍。

 

 次の瞬間、友哉は大きく体を捻り込んで、三叉の刃を回避、同時に自身の間合いへと滑り込む。

 

「飛天御剣流、龍巻閃!!」

 

 旋回する風を巻いて、ヒルダへ迫る刃。

 

 だが、ヒルダは一瞬早く、上空に飛び上がって友哉の剣を回避した。

 

「オ~ホッホッホッ、そんな攻撃、食らう物ですか!!」

 

 嘲笑するヒルダ。

 

 しかし、その余裕も一瞬で霧散する。

 

 三剣一銃を構えた理子が、上空のヒルダめがけて飛びかかって来ていたのだ。

 

「おのれ、4世!!」

 

 槍を繰り出すヒルダ。

 

 対して理子は、小太刀を眼前でクロスさせて受け止める。同時にグルリと巻き込み、そのまま槍をもぎ取ろうとする。

 

 だが、その前にヒルダは槍を引き寄せて、逃れる。

 

「ヒルダ、お前は、魔臓に頼って生きて来た!!」

 

 言いながら、空中でスクラマサクスを振るい、斬りかかる理子。

 

 その一撃を、ヒルダは槍で受け止めるが、勢いまでは殺せず、そのまま第2展望台へ撃ち落とされる。

 

 辛うじてバランスを取り戻し、床に着地するヒルダ。

 

 そこへ、理子が追撃を掛ける。

 

「だから体捌きが甘いんだ。怪我をしたって平気だって、高を括っていたから!!」

 

 パァン

 

 火を噴くベレッタ。

 

 その一撃は、ヒルダの翼を捉えた。

 

 理子に撃たれた翼は、強酸を浴びせたように溶けて行く。

 

 ベレッタには今、ワトソンがキンジに託した法化銀弾(ホーリー)が装填されている。かつて《鮮血の伯爵夫人》エリザベート・バートリ討伐にも使われたこの法化銀弾は、超能力(ステルス)の効果を阻害する力がある。

 

 それ故、撃たれたヒルダには、この間、空き地島で見せたような超回復は見られなかった。

 

「この、4世、私のペットのくせに!!」

 

 叫びながら、三叉槍を横薙ぎに繰り出すヒルダ。

 

 その攻撃を、体をストンと下に落とす事で回避する理子。

 

 そのまま体を横に回転させて、ヒルダへと迫る。

 

「ヒルダ、お前は下手なんだよ、格闘戦がな!!」

 

 再度に火を噴くベレッタ。

 

 翼の穴は、更に大きくなった。

 

 そこへ、理子はスクラマサクスを斬り上げる。

 

 その一閃が、ついにヒルダの片翼を斬り飛ばした。

 

 よろけるように後退するヒルダ。一旦距離を置こうとしているのだ。

 

 だが、そこには既に、逆刃刀を構えた友哉が待ち構えていた。

 

「飛天御剣流・・・・・・」

 

 無数の斬線が、縦横にヒルダへと殺到する。

 

 その攻撃の前に絡め取られ、ヒルダは身動きすらかなわなくなった。

 

「龍巣閃!!」

 

 体中の急所を一斉攻撃され、さしものヒルダも悲鳴を上げてよろめく。

 

 そこへ、再び理子が接近する。

 

「アハハッ、ヒルダ! ヒルダ! どうしたのぉー!!」

 

 近接拳銃戦(アル=カタ)の技で、次々とヒルダを追い詰めて行く理子。

 

 対してヒルダは、殆ど防戦一方へと追い込まれていく。

 

 更に、もう片方の翼にも弾痕が刻まれる。

 

 そこへすかさず、理子がスクラマサクスを斬り上げて切断する。

 

 これで、ヒルダは両方の翼を失い、飛翔する事はできなくなった。

 

 その代償として、ヒルダが繰り出した槍が、理子の手からスクラマサクスをもぎ取って弾き飛ばす。

 

「この・・・・・・ネズミの分際で!!」

「ネズミ? それは自分でしょ。翼をもがれた蝙蝠さんは、あーらら不思議! ネズミにそっくりだ! あはははッ!!」

 

 歌い上げるように、理子は残った二剣一銃を振るう。

 

 更に激しさを増す攻撃を前に、溜まらずヒルダが後退しようとすると、それを待っていたように友哉が出て剣をふるい、ヒルダを理子の方へと叩き返す。

 

 ヒルダは殆ど、逃げる事も攻める事もできずに防戦一方になりつつある。

 

「あははは、ほらヒルダ。あたしを踏んだり蹴ったりしてみなよ。昔みたいにさ、ほらほらァ!!」

 

 今まで受けて来た屈辱と鬱憤を全て晴らすように、理子はヒルダを責め続ける。

 

 だが、ただ責めているだけでないのは、友哉にも判っていた。

 

 理子はヒルダの魔臓を探しているのだ。吸血鬼にとって、唯一の弱点となる4つある器官。それを探して潰さないと、真の意味でヒルダを倒す事にはならない。

 

 だが、それだけに攻撃は、どんどん苛烈になって行く。

 

「や・・・やめっ・・・・・・やめなさいッ・・・・・・やめろ!!」

「お前が! いっぺんでも! そう言ったあたしを! 蹴るのをやめた事があったか!?」

 

 とうとうヒルダは、槍も弾き飛ばされ、着ていたゴスロリ調の服も切り裂かれ、ただ理子にされるがままになっていた。

 

 もはや、友哉の出る幕は無い。

 

 ヒルダが殆ど脅威にならないのは、火を見るよりも明らかだった。

 

「このッ!!」

 

 バチッ

 

 一瞬、電撃が奔り、理子はとっさに飛び退いた。

 

 ヒルダが最後の力を振り絞って、反撃に出たのだ。

 

 だが、既に殆どの力を使い果たしているヒルダに、雷を攻撃に用いるだけの余裕は残されていない。

 

 更に、影に入って逃げようとするも、その力すら残されていない様子だった。

 

 今のヒルダは、魔臓の超回復力で辛うじて持ちこたえているような物。まさに、進退きわまった感じだ。

 

「見付けたよ、魔臓の位置。両太もも、臍の下、そして右の胸の下だよ」

 

 言いながら、理子はフラフラと倒れそうになる。

 

「理子ッ」

 

 慌てて支える友哉。

 

 その体は、異様なほどに熱くなっている。戦闘で体が火照ったと言うだけでは無い。恐らく、例の猛毒が体に回り始めているのだ。

 

 それだけの犠牲を払いながら、理子はついに、仇敵ヒルダを追い詰めたのだ。

 

「だが、どうする。ベレッタにはもう、1発しか入っていないだろ」

 

 理子が撃った弾の数を数えていたキンジが、傍らにやって来て言う。どうやら、ヒルダの暗示は解けたらしい。

 

 だが、確かに。

 

 弾が1発しかないのでは、かつてブラドを倒したフォーショット・ワンキル、4点同時攻撃も敢行できない。

 

「あと、2発ならあるわ」

 

 背後から聞こえて来た声に、3人は振り返った。

 

 そこには、瑠香に支えられるようにして歩いて来るアリアの姿があった。どうやら、ようやく電撃のダメージから回復したらしい。

 

 アリアは自分のツインテールを縛っている髪止めを外すと、そこから1発ずつ45ACP弾を取り出した。

 

「以前は薬を入れてたんだけど、今まで何度も弾丸切れでピンチになったからね。最近はここに弾を隠すようにしたのよ」

 

 そう言うと、理子に返してもらったガバメントに、銃弾をコンバットロードする。

 

 だが、これでもまだ、3発だ。

 

「あと一撃は、僕が・・・・・・」

 

 言いながら、友哉は刀を見る。

 

 抜刀斎の時代から、敵の血で濡れた事のない刀だが、この状況では仕方がない。偉大な先祖達には申し訳ないが、仲間の命には代えられなかった。

 

 だが、決断を下そうとした友哉を、理子が制した。

 

「大丈夫だよ、ユッチー。理子もね。方法を考えてあるから」

「他に、ヒルダを倒す手段が?」

 

 尋ねる友哉に、理子は頷いて見せた。

 

「もし殺されそうになったら、相討ち覚悟で使おうと思っていたの。ただ、それを使うにはヒルダが飛び回っていたらダメだから、まず先に翼を封じたんだよ」

 

 あれほど執拗かつ陰湿な攻撃も、理子の作戦の一環だったのだ。

 

 弾丸が3発しかない以上、ここは理子の作戦に乗るべきではないか。

 

 だが、それをキンジが制した。

 

「待て、理子」

 

 言いながら、ヒルダを見やるキンジ。

 

 理子の攻撃によってズタズタにされた服を引き裂いたヒルダは、紫色のランジェリー姿になっている。その肌には、うっすらとだが、確かに魔臓の位置を示した白い刺青が見て取れた。

 

「武偵法9条を護れって言うなら、ごめんキーくん」

「そうじゃない。ヒルダのあの態度には、違和感を感じるんだ。理子が何か切り札を持っているなら、今は使うな。予定通り、4点同時攻撃で仕留めるぞ」

 

 キンジの言葉に、理子は一瞬眼を瞬かせるが、すぐに納得したように頷いた。

 

「いいよ。キーくんがそう言うなら、それに従う。けど、あと1発はどうするの?」

「それは俺に任せろ」

 

 力強く請け負うキンジは、不敵な笑みを見せながら理子の頭を優しく撫でてやる。

 

「理子、歴史上人間は、多くの不可能を可能にして来た。だから今夜は、俺が理子の為に不可能を可能にしてあげよう」

「理子の為に・・・・・・」

 

 キンジの言葉に、理子は感動したように、潤んだ瞳で見上げて来る。

 

「判った、やるよ、キーくん」

「良い子だ」

 

 最後の作戦が始まる。

 

 理子とアリアは銃を構え、キンジはヒルダを挟み込むように、2人の対角線へと走る。

 

 だが、銃を構える理子は、フラフラと体を揺らしている。体に回った毒のせいで、既に立っているのも辛い状態なのだ。

 

 そこへ、体を寄せたアリアが肩を貸す。

 

「理子、大丈夫!? 良いわ、あたしに掴まったまま撃ちなさい」

「あは・・・・・・天国で、曾お爺様に怒られちゃうな・・・・・・ホームズ家の女に、肩を借りて、戦ったなんてさ」

「あたしだって虫唾が走るわよ。リュパン家の女と助けあうなんて。ほら、しっかり立ちなさい」

「あたし、やっぱりお前が嫌いだよ」

「あら、気が合うわね。あたしもあんたが大嫌いよ」

 

 憎まれ口をたたき合いながら、互いに笑みを交わす今代のホームズとリュパン達。

 

 その間に翼以外の再生を完了させたヒルダが、再び槍を手に迫って来る。

 

「ほほッ 足りてないんじゃない。ねぇ、たった3丁で、どうしようと?」

 

 言いながら、槍を構えるヒルダ。

 

 だが、その時には既に、準備は整っていた。

 

「行くぞ、俺が合図したら、撃て!!」

 

 指示を飛ばすキンジ。

 

 その様子を、友哉と瑠香は、離れた場所で見守っている。

 

 これが最後。最早この場にあって手出しできない2人には、3人の勝利を祈る事しかできない。

 

 その間キンジは、体を大きく捻り込むように構える。ちょうど先程、ワトソンに使った螺旋(トルネード)のような構えだ。

 

「理子! アリア! 撃て!!」

 

 発せられるゴーサイン。

 

 次の瞬間、3つの銃口から3発の弾丸が一斉に放たれる。

 

 一直線に向かう弾丸は、

 

 アリアが撃った2発が、ヒルダの右胸、下腹部、理子の1発は右太股に正確に命中し、その奥にあった魔臓もろとも貫通した。

 

 だが、残り1つ、左太股の魔臓がまだ健在である。そして、1つでも魔臓が残っていれば、吸血鬼は即座に回復が可能だ。

 

 故にこそ、キンジはそこに存在している。

 

 ヒステリアモードのキンジの視線は、飛翔して来る銃弾を正確に捉えている。

 

 そして、その内、ヒルダの太股を撃ち抜いた1発。理子の放った銃弾を見据えた。

 

 右手に装備した、オープンフィンガーグローブ「オロチ」。

 

 その右手の人差し指と中指で、弾丸を挟み込む。

 

 ここまでは螺旋と同じ。

 

 螺旋の時は30度のみの偏向だったが、今回はそれでも足りない。

 

 だが、キンジは「できる」と確信していた。

 

銃弾返し(カタパルト)

 

 技名と共に、弾丸のベクトルを180度変換。推進威力はそのままに、真っ直ぐヒルダへと送り返す。

 

 その絶技を持って、ヒルダの最後の魔臓を撃ち抜く為に。

 

 次の瞬間、

 

 弾丸は狙い違わず、ヒルダの左太股を撃ち抜いた。

 

 

 

 

 

第10話「絶望から立ち上がる者」      終わり

 



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第11話「天を衝く雷閃」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3発の銃弾。

 

 そして、キンジの「銃弾返し」。

 

 予期し得なかった攻撃により、ヒルダは全ての魔臓を撃ち抜かれ、よろめき歩いている。

 

 ついに《紫電の魔女》を仕留めたのだ。

 

 急所全てを潰されたヒルダは、うわ言のようにルーマニア語で何かを喋っている。

 

 たかが人間と侮っていた存在に敗れたのが、よほど信じられないのだろう。

 

 キンジが宣言した通り、不可能は可能にされたのだ。

 

 だが、

 

 一部始終を見守っていた友哉は、この戦いのヒロインたる少女に目を向けた。

 

 代償は、あまりに大きかった。

 

 理子はその身に毒を受け、最早余命幾許も無い状態だ。

 

 アリアとキンジ、瑠香も同じ気持ちなのだろう。悲しげな視線を理子へと向けている。

 

 自分に向けられている4対の視線に気づいたのだろう。理子は無理やりに笑顔を作って向けて来る。

 

「や、やだなァ もう! みんな、何て顔してんのよぉー」

 

 いつものおどけた調子の理子だ。

 

 だが、そう言っている間にも体はふらつき、容体は急速に悪化して行く。

 

 もう、間にあわない。ヒルダが理子のイヤリングを弾いてから、7分近く経過している。ヒルダの話では、毒が体内に回る所要時間は10分。今からスカイツリーを駆け降りるだけでも5分以上はかかる。降りてる途中でタイムアウトを迎えてしまう。

 

 だが、それでも理子は笑って見せる。

 

 絶望の中で咲く、一輪の花のように。

 

「キーくん、アリア、ユッチー、ルカルカ、そんな顔しないで。理子はね、今とっても良い気分なんだよ」

 

 言っている間に、理子の瞳から雨粒とは違う雫が零れ落ちて来る。

 

「理子はね・・・・・・理子はね、命懸け・・・・・・そんなの、何度も・・・やってきた筈なのに・・・・・・いつから、死ぬのが怖くなっちゃったのかな・・・・・・」

「理子先輩!!」

 

 感極まった瑠香も、瞳から涙を流す。

 

 自分を可愛がってくれた先輩が、これから死んでしまう。それを手出しできずに見ている事しかできない現状が悔しくて仕方がないのだ。

 

 そんな瑠香の頭を、理子が笑顔で撫でてやると、堪らなくなった瑠香は、彼女の胸へと飛び込んで泣きじゃくる。

 

 その時だった。

 

 ピカッ

 

 突然の稲光に、アリアは大きく体を震わせる。

 

 同時に理子が、その大きな瞳を見開いて、キンジ達の背後を驚愕と共に見詰めている。

 

 振り返る。

 

 その先に、

 

「ほほほッ、ご機嫌いかが、4世さん」

 

 三叉槍を手に、悠然と立つヒルダの姿があった。

 

「そ、そんな、4つの魔臓、全てを撃ち抜いた筈なのに・・・・・・」

 

 アリアの声は、全員の心を代弁している。

 

 全ての魔臓を撃ち抜かれた筈のヒルダは、何事も無かったように、その場に立っている。

 

 撃たれた傷も、銀弾に撃ち抜かれた両太股以外は既に塞がっている有様だった。

 

「あぁ、良いわ、5人とも、とっても良い表情。特に理子、無念でしょうねぇ、命を投げうってまで戦ったのに・・・・・・ほら、御覧の通り、私は平気よ。ねぇ、今どんな気分? ほほほッ もっと悔しがりなさい。それを串刺しにするから面白いのよねェ」

 

 勝ち誇るヒルダ。その手に持つ三叉槍を大きく掲げて見せる。

 

「私は生まれつき、見えにくい場所に魔臓があった訳じゃないの。その上、この忌々しい目玉模様を付けられてしまった。だから、外科手術で魔臓の位置を変えてしまったのよ。その場所は・・・・・・実は私にも判らないのよ。手術の痕はすぐに塞がってしまったし、執刀した闇医者は始末した。そいつから、場所も聞かなかったわ。私が知っていたら、誰かにばれるかもしれないしね。答は闇の中。だぁれも知らない」

 

 ヒルダの高笑いが木霊する中、キンジは自らの違和感が杞憂では無かった事を悟った。

 

 キンジが感じていた違和感。それはヒルダが目玉の刺青を露出させても、何も慌てた様子が無かった事だ。つまり、撃たれても平気だと言う事を判っていたのだ。

 

 キンジの作戦も、理子の犠牲も、全てが無駄になってしまうのか?

 

「ああ、何て良い天気かしら」

 

 降り注ぐ雷をうっとりと眺めて、ヒルダが呟く。

 

「4世。121年前、建造中だったエッフェル塔で、私のお父様とお前の曽祖父は戦った。奇遇な物ね。双方の子孫が戦ったこの塔もまた造りかけ、でも、良い塔よ。とても高くて、気に入ったわ。まさか、当世で最も高い塔を、東洋の猿が造るとは思わなかったけど。なぜ、竜悴公(ドラキュラ)一族が、雷雨の夜、塔で戦うのか・・・・・・教えてあげる!!」

 

 言った瞬間

 

 ガガァァァァァァァァァァァァン!!!

 

 ひときわ大きな雷が掠め、周囲の視界を閃光が包み込む。

 

「キャァァァァァァ!?」

 

 雷が苦手なアリアが、パニックに陥って悲鳴を上げる。

 

 そんな中、ゆっくりと目を開くと、大量に立ち上る水蒸気の中に、立ち尽くすヒルダの姿。

 

「・・・・・・生まれて三度目だわ。第三態(テルツァ)になるのは」

 

 やがて、その姿がしっかりと見えて来る。

 

 その全身に雷光を纏ったヒルダ。帯電性の下着とハイヒール、タイツ以外は全て燃え尽き、ツインテールを縛っていたリボンも消失している。

 

 解かれた髪が、強風に煽られ舞っている姿は、恐怖その物だ。

 

「お父様は、パトラに呪われて、この第三態になる機会も無いまま、第二態(セコンディ)でお前達に撃たれた。私は体が醜く膨れる第二態は嫌いだから、それを飛ばして第三態にならせてもらったわ。さあ、遊びましょう?」

 

 言い放つと、体から放電するヒルダは、三叉槍の石突きを、床に叩きつけた。

 

 ただそれだけで電流が走り、床にひび割れが起こる。

 

第一態(プリモ)が人、第二態(セコンディ)が鬼なら、この第三態(テルツ)は神。帯電能力と無限回復力を以て成す、竜悴公一族の軌跡。そう、稲妻とは奇跡的にも私が受電し易い電圧の、自然現象なのよ。それは、この現象を作った神が、私を神の近親として作った証拠・・・・・・」

 

 バチバチと帯電したまま、ヒルダは三叉槍を振り下ろす。

 

 その一撃だけで、先程理子が爆破した棺桶が、中身のバッテリー装置毎吹き飛ばされる。

 

 凄まじい膂力だ。あんな物で殴られれば、ひとたまりも無いだろう。

 

「だから、もう人間の電気なんかいらないの! オーホッホッホッ! ほら、ほら、ごらんなさい! 恐れなさい! 涙を! 流して! 命乞いするのよ!」

 

 恐怖心を煽るように、手にした槍で、近くにあった柱を粉砕するヒルダ。

 

 そんな中で1人、キンジが前へと出る。

 

「理子、いや、アリア、貸してもらうぞ」

 

 そう言うと、理子の背中から、アリアの小太刀を抜き放つ。

 

 しかし、今のヒルダは触れる事ができない。斬りかかろうものなら、こちらが黒こげにされてしまう。

 

 それが判っているキンジも直接斬りかかるような事はせず、小太刀をブーメランのようにヒルダへ投げつけた。

 

 回転しながら飛んだ刃は、ヒルダのアキレス腱を切断した。

 

 が、案の定と言うべきか、傷口はすぐに塞がってしまう。キンジとしては、今の一撃で転倒して塔から落ちる事を狙ったのだが、それすら起きなかった。

 

 ニィっと口元に笑みを浮かべるヒルダ。

 

「アリアを剥製にしようと思ったけど、ごめんなさいね。もう、それはできないわ。第三態(テルツァ)の私は、触れる物全てを焦がしてしまうから」

 

 入っている内に、掲げた三叉槍の先端に雷球が形成されていく。

 

 否、あまりの出力に、雷は球状を保てず、不規則な形でうごめいているのだ。

 

「私と長時間戦ったご褒美を見せてあげる。竜悴公(ドラキュラ)家の奥伝『雷星(ステルラ)』。これでお前達を黒焼にして、並べて串に刺し、お父様への贈り物にしてやるわ」

 

 流石は、串刺し公の娘と言うべきか。言動まで父親に似ている。

 

 対して、既に手も足も出なくなった武偵達は、黙ってヒルダを見詰めている事しかできない。

 

 そんな中で、

 

「・・・・・・・・・・・・雷・・・・・・か」

 

 1人、友哉は、何かを決意したように呟くと、既に立ち上がる力も無く、蹲っている理子に目をやった。

 

「理子、切り札があるって、言ったよね」

「そう、だけど・・・・・・?」

 

 顔を上げる理子の眼に、悲壮感を漂わせた友哉の顔が映る。

 

「なら、すぐ準備して」

 

 言いながら友哉は、手にした逆刃刀を握り直す。

 

「露払いは、僕が務める」

 

 かつて、ブラド戦の折りに告げた言葉を、友哉はこの場でもう一度繰り返した。

 

 前に出る友哉。

 

 緊張の為に、心臓が止まりそうなほどの感覚に襲われている。

 

 果たして、できるか、この技。

 

 これからやろうとする技の難易度は、想像を絶していると言って良い。むしろ、不可能と言うべきかもしれない。

 

 何しろ、あの人斬り抜刀斎が、飛天御剣流の技の中で、唯一、使いこなす事ができなかった技だと言うのだから。

 

 だが、最早これ以外に、ヒルダに対抗できる手段は無かった。

 

「ヒムラ、まずはお前から黒こげになりたいみたいね」

 

 更に巨大になった雷星を向けながら、ヒルダが勝ち誇った口調で言う。

 

 対して友哉は、緊張の眼差しを隠すように刀を持ち上げて構える。

 

「何処までも愚かしい人間。その行為は神に仇なすに等しいと言う事に、まだ気付かないの?」

「さっきキンジが言った事、もう忘れたの? 不可能を可能にするのが人間だって。今度は僕が、不可能を可能にしてあげるよ」

 

 一歩も引かず、友哉は答える。

 

 その言葉に、ヒルダは苛立たしく睨みつける。

 

「良いわ、そんなに早く死にたいのなら、その望み、叶えてあげるッ」

 

 言い放つと同時に、ヒルダは、友哉に向けて雷星を放った。

 

 迎え撃つ友哉。

 

 両の足を踏ん張り、己が持つ全存在を掛けて迎え撃つ。

 

「オォォォォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 全身から発散される剣気。

 

 大気その物がぶつかり合うような感覚が迸る。

 

 次の瞬間、友哉の刀と、ヒルダの雷星がぶつかり合った。

 

 一瞬、友哉の体が光り輝く。

 

「ユッチー!!」

 

 見ていた理子が、思わず声を上げる。

 

 まともに雷星を食らった友哉が、誰の目にも助からないであろう事は明白であった。

 

 だが、

 

 信じられない事が、起こった。

 

 雷星を食らい、立ち尽くす友哉。

 

 本来なら、黒こげになってもおかしくない筈のその姿が、

 

 尚も原形を保っているのだ。

 

 それだけではない。手にした逆刃刀が、帯電したように青白い光を放っているのだ。

 

「そ、そんな・・・・・・いったい、何なのよ、それはッ!?」

 

 ヒルダの目に、初めて恐怖が浮かぶ。

 

 自身の恃む最強の奥義を、このような形で受け止められるとは思ってもみなかったのだ。

 

「ひ、ヒムラ・・・・・・お、お前は一体、何者なのよッ!?」

 

 ヒルダの問いに、友哉は答えない。

 

 ただゆっくりと、青白く発光する刀を振り翳して構えた。

 

「飛天御剣流・・・・・・」

 

 一閃は鋭く奔る。

 

 その刀身に纏った雷光と共に。

 

「雷龍閃!!」

 

 雷閃の一撃。

 

 其れは文字通り、牙を剥く雷龍の如く、閃光を持って闇を切り裂く。

 

 ヒルダの視界が、閃光によって染め上げられた。

 

「なっ!?」

 

 絶句するヒルダ。

 

 駆け抜ける閃光。

 

 しかし。肉体的なダメージは無い。

 

 ダメージは、予期し得なかった場所に出ていた。

 

「目ッ・・・・・・目が・・・見えない・・・私の、目がッ!!」

 

 自分の両眼を押さえて、のたうち回るヒルダ。

 

 その様子を見て、

 

 友哉は、ガクッと膝を折った。

 

「な、何て、技だ・・・・・・」

 

 全身が痙攣し、今にも倒れ込んでしまいそうだ。

 

 飛天御剣流 雷龍閃

 

 緋村剣路の備忘録に、ほんの数行、やり方と効果のみが書かれていただけの技。その効果は、雷を刀身に受けて、剣気と共に反射する事により、肉体的なダメージを相手に与えるのではなく、相手の視覚を奪う事にある。

 

 ヒルダは今、一時的に視界を奪われ、盲目の状態になっている筈である。

 

 だが、その代償はあまりに大きい。ワトソンの薬によって折角回復した友哉の体は、再び自由を奪われて、身動きできなくなっている。

 

 ヒルダの雷を見た瞬間、とっさに思いついて実行してみたが、正直、二度とやりたくない技だ。

 

 だが、

 

 これで花道は完成した。

 

 あとは主演女優の出番だ。

 

「頼むよ・・・・・・理子・・・・・・」

 

 やがて、ヒルダは視界を回復させて目を開く。やはり、吸血鬼(ドラキュラ)相手では、目潰しも一時的にしか効果が無いらしい。

 

 見開かれた双眸には、憎悪の色が浮かぶ。

 

「おのれ・・・・・・」

 

 地の底から這い出すような声が、聞こえて来る。

 

「おのれおのれおのれおのれ、もう許さないわッ 消し炭にして、ズタズタに引き裂いてやるッ!!」

 

 怒り狂ったヒルダの声。

 

 先程より更に強大な雷を、召喚し始める。

 

 その時、

 

「人生の角、角は、花で飾るがいい・・・・・・あたしのお母様の、言葉だ・・・・・・」

 

 響く理子の声。

 

 その理子の手には、大きなひまわりの花束が握られている。

 

「だから・・・・・ヒルダ。お前にやるよ。お別れの、花・・・・・・」

 

 その理子の口元に、会心の笑みが浮かぶ。

 

「これは近すぎても、遠すぎてもダメだった。ベストな距離が必要だった・・・・・・」

 

 そう言うと、理子は花束を取り払う。

 

 その下から現われた、黒光りする銃身。

 

 ウィンチェスター・M1887

 

散弾銃(ショットガン)!!」

 

 これが、理子の切り札。

 

 友哉が雷龍閃で時間を稼いだ隙に、理子は最適な位置へと移動していたのだ。必殺の一撃を決める為に。

 

「クフッ 今最高のアングルだよヒルダ。素晴らしいよッ!!」

「ヒッ!?」

 

 事態に気付いたヒルダが、とっさに逃げようとするが、もう遅い。

 

 友哉が朦朧とした意識の中で、笑みを浮かべる。

 

 流石は理子。決めるべき時にしっかりと決めてくれる。

 

「・・・・・・行け・・・・・・」

 

 小さく囁かれる友哉の言葉。

 

 次の瞬間、

 

 理子の指によって、引き金が引かれる。

 

 銃身から発射される、100発以上の超小型軟鉄弾。

 

 通常の銃弾と異なり、「面」を制圧する目的で発射された攻撃。これなら、魔臓がどこにあろうと、関係は無かった。

 

「ウアァァァッ!?」

 

 全身に弾丸を受け、悲鳴を上げるヒルダ。

 

 今度こそ完全に、全ての魔臓が潰されたのだ。

 

「あっ・・・う・・・ううッ・・・・・・」

 

 ふらつき、その場に膝を折る。

 

 同時に。雷星は溶けるように槍へと戻り、ヒルダの体を通過して足元へと抜けて行った。

 

「キャァァァァァァァァァァァァッ!?」

 

 悲鳴と共に、燃え上がるヒルダ。

 

 無限回復力も、完全に途絶えている。

 

 炎は更に燃え盛り、ヒルダの体を包み込んで行く。

 

「あぁう・・・・・・そんな・・・・・・これは悪夢・・・・・・悪夢なんだわ・・・・・・だって、おかしいもの! ・・・・・・私が、この私が、こんな奴等に・・・・・・こんなに、ひどい・・・・・・」

 

 うわ言のように呟きながら、ヒルダはよろよろと逃げようとする。

 

 だが、燃え盛る炎のせいで、方向が見えていない様子だ。

 

「おい、ヒルダ、そっちじゃない、そっちに行くな!!」

 

 キンジが呼びもどそうとした時には、既に手遅れだった。

 

 炎によって視界を完全に奪われたヒルダは、とうとう縁から手を滑らせ、落下してしまった。

 

 450メートル下へと。

 

 遠ざかる絶叫。

 

 それが、ヒルダの残した名残となった。

 

 その声を聞きながら、

 

 辛うじて意識を保っていた友哉も、前のめりに倒れる。

 

「友哉君!!」

「友哉!!」

 

 瑠香とアリアが呼ぶ声が聞こえたが、最早友哉には、それに答える力も残っていない。

 

 そのまま、ヒルダ同様落下するような感覚に包まれ、友哉の意識は闇へと落ちて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まったく・・・・・・あなた達の馬鹿さ加減と言ったら、もはやギネス級ね」

 

 苛立たしげに足を組み変え、白衣を着た高荷紗枝(たかに さえ)は言った。

 

 ここは武偵校附属病院。

 

 スカイツリーでの戦いの後、友哉は救急搬送でここに運び込まれていた。

 

 もっとも、雷龍閃の影響で、全身痙攣を起こし、腕一本まともに動かせる状態では無いのだが。

 

 連絡を受けた紗枝は、非番であるにもかかわらず、わざわざ飛んで来てくれて、友哉の治療に当たってくれた。

 

 そして現在、

 

 ベッドに身を横たえた友哉は、そのままの状態で彼女のお説教を受けていた。

 

「ほんとにもうッ どこの世界に雷を受け止めて撃ち返すなんて言う馬鹿がいるのよ。そんな人間聞いた事無いわッ」

「はあ、まあ、僕も初耳ですけど・・・・・・」

 

 苦笑しながら、力無く答える友哉。

 

 そう言う事はうちの先祖にでも言って欲しい、と思わないでもなかったが、言えば怒られそうなので黙っていた。だって、怖いし。

 

 友哉のベッドの傍らには、陣、茉莉、瑠香と言うイクスメンバー達がいる。皆、一様に苦笑を浮かべている辺り、大なり小なり、似たような気持なのは明らかだった。

 

「おいおい、姐御よぉ。その『馬鹿』の中には俺も入ってるってのかよ?」

 

 不満そうに口を尖らせる陣。

 

 だが、紗枝は鋭い目付きで、バッサリ切り捨てる。

 

「何言ってんの。アンタが馬鹿の御大将でしょうが」

「グッ」

 

 ぐうの音も出ない陣。この女に口で敵う者は、武偵校を探してもそうはおるまい。

 

 因みに、友哉が知りえない事実が、一つ存在している。

 

 そもそも雷龍閃とは、稲光が発する『光』を刀身で受け、それを剣気によって増幅、反射する事で相手の視覚を潰す技である。友哉がやったように、わざわざ雷その物を受け止める必要性は、全くない訳である。

 

 友哉が無事だったのは、たまたま、ほんの一瞬だけ、彼の剣気がヒルダの魔力をも凌駕していたからに他ならない。

 

 正に、究極の結果オーライだった。

 

「それで、先輩、あっちの方はどうなりました?」

 

 尚も言い足りないことが山ほどある紗枝だが、友哉の質問に、やや不満げながら話題の転換に応じた。

 

「・・・・・・取り敢えず、峰さんの方は無事よ。ワトソン君と矢常呂(やどころ)先生が執刀してくれたから。初期対応が良かったおかげで、何とか事無きを得たわ」

 

 あの戦いで友哉が気を失った後、キンジはワトソンに渡されていた薬で、理子を一時的に仮死状態にし、その間に武偵校の車輛科(ロジ)から救護ヘリを呼んで理子を搬送したのだ。

 

 そして救護科(アンビュラス)教員、矢常呂イリンと衛生武偵としての知識があるワトソンが共同で執刀し、どうにか理子の体を蝕んでいた毒を解毒する事に成功したのだった。

 

「で、問題は、もう一方の方ね」

 

 今度は、少し諦念の入った口調で紗枝は言う。

 

 死闘を演じたヒルダだが、

 

 驚くべき事に、友哉の雷龍閃を食らい、理子のショットガンで全身を撃ち抜かれ、全ての魔臓を潰され、雷を浴びて炎上し、極めつけは450メートル下に落下して尚、彼女は生きていたのだ。

 

 恐るべき生命力。彼女が自慢げに言っていた吸血鬼とは、決して伊達では無かったのだ。

 

 すぐに収容され、理子と同じように治療を施されたヒルダは、傷を塞ぐ事には成功したものの、銃撃と火傷、高所落下に伴う出血多量により、もはや余命幾許も無い状態になっていた。

 

「じゃあ、ヒルダさんは、もうダメなんですか?」

 

 尋ねる茉莉に、紗枝は考え込むようにしてから言う。

 

「輸血すれば、充分助かる可能性はあるわ。傷は塞いだし、普通の人間なら、とっくに死んでいてもおかしくはない状態だけど、それでも彼女は生き続けている。輸血して体力が戻れば、助かる道も開けるでしょうね」

「輸血、ですか・・・・・・」

「でも、輸血用の血液が問題でね。彼女の血液型はB型のクラシーズ・リバー型って言って、170万人に1人しか適合する人間がいないって言われているの。世界中で保存されているのはシンガポール血液センターだけ。今から取り寄せても、間にあわないのは確実よ」

「それじゃあ、ダメじゃねえか」

 

 陣は苛立ちを隠したように言う。例え敵であっても、これから死のうとしている人間がいるのに、手をこまねいている事しかできないのは、もどかしい限りである。

 

 だが、紗枝は難しそうに話を続けた。

 

「ところが、そうでもないのよ」

「おろ?」

「調べて判ったんだけど、実は峰さんの血液型が、その型にピッタリ一致するの」

 

 それは、かなり複雑で、かつ微妙な問題だ。

 

 ヒルダは理子にとって仇敵だし、自分自身を殺そうとした相手だ。

 

 今も、嬉々として復讐に走る理子の姿は、友哉の脳裏に焼き付いている。あの姿は、正に凄惨の一言に尽きた。

 

 正直、あの理子が、ヒルダの為に自分の血を提供するとは、友哉には思えなかった。

 

 結局、後味が悪い終わり方になるのか、それとも・・・・・・

 

 戦いが終わり、ベッドに身を預けながら、友哉は、見えぬ未来が、誰にとっても最良である事を祈る事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数日が経った。

 

 清々しい陽光の下、友哉は武偵病院を出て、歩き出す。

 

 スカイツリーでの戦闘と、それに伴う広域停電は落雷事故と言う事で処理され、世間は落ち着きを取り戻している。

 

 驚いたのは理子で、結局、ヒルダへの輸血に応じたのだと言う。

 

 理子にどのような思惑があったのか、推し量る事はできない。

 

 スカイツリー上の戦いが決着した事で、自分の復讐も終わったと判断したのか、あるいは、輸血を拒否する事で、自分自身もかつて自分を虐げたブラド親子と同レベルになる事を嫌ったのか。

 

 何れにせよ、後味の悪い結果にはならなかったと思っている。

 

 理子の献身の甲斐あって、ヒルダは一命を取り留めた。どうやら、順調に回復しているらしい。流石の生命力と言うべきか。

 

 意識を取り戻した当初は、ナースに噛みつこうとしたり、逃げようとしたりと大暴れしていたらしい。しかし、理子が自分を助けるために輸血に応じたと知ると、急に大人しくなったそうだ。

 

 玉藻が現在構築中の鬼払い結界とやらは、湾岸一帯に敵が侵入した場合、自動で攻撃するように仕掛けられているらしい。その結界の中に、ヒルダが入っても大丈夫のように、現在、手配中らしい。と言うのは、入院中に見舞いに来てくれた玉藻本人から聞かされた事である。

 

 その際、また賽銭をたかられたが。

 

 そして今日、ようやく動ける程度に回復した友哉は、武偵病院を退院して寮に戻る所だった。

 

 とはいっても、体はまだ本調子ではない。ようやく私生活に支障が無くなったと言うレベルの段階だ。

 

 暫くは戦闘はおろか、訓練も禁止と言い渡されてしまった。

 

 病院の前庭を抜けて、敷地外に出ようとした。

 

 その時だった。

 

「Excuseme Boy」

「おろ?」

 

 突然、横合いから英語で話しかけられ、友哉は足を止めて振り返る。

 

 そこには、仕立の良いスーツを着た、1人の外国人男性が立っていた。

 

 年の頃は、40代後半から50代前半と言ったところだろうか。外国人らしい端正な顔立ちで、どこか柔和そうな印象のある。それでいて知性を感じさせる眼差しだけは、鋭い光を放っている男性だった。スーツに包まれた体は、見た目にも鍛え上げているのが判る程、引き締まっている。

 

「失礼、君が、ユウヤ・ヒムラ君かな?」

 

 今度は、随分と流暢な日本語で話しかけられた。

 

「そう、ですけど・・・・・・」

 

 友哉は警戒しながら、相手と向かい合う。

 

 一見すると、気さくに話しかけているようにも見えるが、その内面は、まるで抜き身のナイフのような鋭い印象を持っている男性だ。

 

 まるで、そう、斎藤一馬や由比彰彦と対峙した時のような感覚に襲われる。

 

 そんな友哉の緊張を解くように、男性は笑い掛けて来る。

 

「そう緊張しなくても良いよ。今日は君に、お礼を言いにきたんだ」

「おろ、お礼?」

 

 見ず知らずの外国人男性が、どう言う繋がりで自分に礼がしたいと言っているのか、友哉にはさっぱり判らなかった。

 

「僕の名前はジェームズ。君には娘が随分とお世話になったみたいだからね」

「・・・・・・娘って?」

 

 一体何の事か判らなかった。

 

 そんな友哉に、ジェームズは更に続ける。

 

「彩夏の事さ。彼女が、君に随分と迷惑を掛けたそうじゃないか」

「おろ、高梨さんの・・・お父さん?」

 

 意外な人物の登場に、友哉は目を丸くした。こんな所で彩夏の父親に出くわすとは、思ってもみなかったのだ。

 

「ちなみに、あの娘は僕の事を何って言っていたのかな?」

「あ~・・・・・・」

 

 ジェームズの質問に対し、友哉は言い淀む。

 

 正直、ちょっと、否、かなり悪し様に言っていたのを覚えている。

 

 だが、ジェームズが期待したような眼差しで促して来ると、観念して正直に口にした。

 

「その・・・・・・『女たらしの風天親父』って・・・・・・」

 

 聞いた瞬間、ジェームズは大爆笑した。その笑い声に、思わず友哉は後ずさる。

 

「何とまあ、そんな事を言っていたのか。しかし、後半部分はともかく、前半部分は誤りかな」

「おろ?」

 

 言いながら、ジェームズは、チラッと街路樹の方を眺めて、

 

「女たらし、と言うのは、女遊びが過ぎる人間の事を言う物だ。僕は一度だって彼女達の事をないがしろにした事はないし、今でも全員を平等に愛している。そして、これからもそれは変わらないだろう」

 

 堂々と言い放った。

 

 つまり、複数の女性と関係を持った。と言う部分に関しては否定しないらしい。

 

『ああ、成程』

 

 友哉は心の中で納得した。

 

 どうも、さっきから誰かに似ているような気がしていたが、ヒステリアモード時のキンジが、歳をくったらこんな感じになるのではないだろうか、と思った。

 

 そこで、ジェームズは少し真剣な顔つきになって口を開いた。

 

「だが、あの娘の言う事も、もっともでね。僕は仕事柄、どうしても世界中を飛び回る必要があったから、そのせいでどうしても必要な時に一緒にいてやれない事が多かった。彼女の母親も、年に数回しか会えなくて、ついには死に目にもついていてやる事ができなかった。あの娘が僕を恨むのは、ある意味当然の事だろう」

 

 言ってから、ジェームズは再び友哉を見た。

 

「だからこそ、娘には良い友人や、良い仲間を持ってもらいたいと思っているのだよ」

 

 そう言うと、ジェームズは右手を友哉に差し出して来る。

 

 躊躇いがちに握り返すと、ゴツゴツとした感触の中にも、確かな温かみを感じる事ができる。誰か他人の為に、自分を削るようにして働き続けて来た人間の手だ。

 

「ヒムラ、これからも娘の事を宜しく頼むよ。私が構ってあげられなかったから、あの通り少しひねてはいるが、僕にとってはとても良い、自慢の娘だと思っている」

「それは、勿論です」

 

 友哉も笑顔で応じる。

 

「けど、一番良いのは、あなたが時々で良いから、顔を見に来てあげる事だと思いますよ」

 

 その言葉に一瞬呆気にとられたジェームズだが、すぐに笑みを含んだ顔になって頷いた。

 

「確かに、その通りだ。これからは少しでも時間を作るようにするよ」

 

 ジェームズがそう言った時、彼の背後にスーツ姿の日本人が立った。

 

「ミスター・ジェームズ。間もなく飛行機のお時間です」

「判った、すぐ行くよ」

 

 言ってから、再び友哉に向き直る。

 

「それじゃあ、ヒムラ。機会があったら、またどこかで会おう」

 

 ジェームズはそう言うと、最後にもう一度、街路樹の方を見てから車に乗り込んだ。

 

 走り去る車は、話振りから察するに、これから羽田に行き、そこからジェームズは飛行機に乗り換えるのだろう。

 

 それにしても、

 

「ジェームズさん・・・・・・か」

 

 一体、どう言う類の人間なのか。

 

 こうして僅かに相対しただけでも、並みの実力者ではない事が覗えた。

 

「・・・・・・・・・・・・で」

 

 走り去る車が見えなくなるのを見計らって、友哉は背後の街路樹に向けて言った。

 

「いつまで、そこに隠れているつもりなの?」

「・・・・・・気付いてたんだ」

 

 少し拗ねたような口調で、先程まで話していたジェームズの娘が歩み出て来た。

 

 振り返る友哉の眼に、少し複雑そうな表情をした彩夏の姿が映る。

 

「たぶん、ジェームズさんもね。それより、良かったの? お父さん、行っちゃったけど?」

 

 会わなくて良かったのか、と尋ねる友哉に、彩夏はそっぽを向いて答える。

 

「別に、あんな奴に会う必要なんてないわよ」

「良いお父さんじゃん。高梨さんの事心配して、ここまで来てくれたんだから。まあ、ちょっと女性関係はアレみたいだけど・・・・・・」

「だからじゃない・・・・・・」

 

 友哉の言葉に、彩夏は不機嫌そうに答える。

 

「あれで、本当にどうしようもない、碌でなし親父だったら、あたしだって放っておくわ。けど、あの人はあの通りの性格だから・・・・・・」

 

 優しくて、気配りもできて、何より、自分を大切に思ってくれている。

 

 だからこそ、却って母親の死に目に会いに来てくれなかった父親に対して、複雑な感情を抱かずにはいられない。

 

 思春期少女特有の、不安定な精神状態にある彩夏は、どうやら父親に対して素直になれない一面を抱えているようだった。

 

「それはそうと、」

 

 これ以上、父親の話題に触れない方がいいと思った友哉は、話題を変える事にした。

 

「よく釈放されたね」

 

 公安0課に捕まった彩夏が、この場にいる事が友哉には不思議だった。何しろ、「泣く子も黙る」と言うより、「泣く子も消せる」公安0課である。一馬の事はある程度知っているつもりだし、彩夏の立場上、日本警察も無碍にはできないだろうと踏んだのだが、まさか、こうもあっさり解放されるとは思っていなかった。

 

 最悪、とまではいかずとも、国外退去処分くらいにはなるのでは、と考えていた。

 

「言ったでしょ。あたしやワトソンには治外法権があるって。 ・・・・・・まあ、しこたま怒られたけど」

 

 その時の事を思い出したのか、彩夏は暗い顔をする。どうやら治外法権に抵触しない範囲で、こってりと絞られたらしい。

 

「あっとそうだ、忘れる所だった。緋村君、これから時間ある?」

「おろ? まあ、無くはないけど」

 

 どの道、後は寮に帰って安静にしているくらいだ。特に予定はない。

 

「あ、そう。じゃあ、悪いんだけど、ちょっとこれから付き合って」

 

 そう言うと、彩夏は路地に停めてある、自分の愛車、純白のフェラーリを指差した。

 

 

 

 

 

 彩夏の運転するフェラーリの助手席に乗り、友哉は彼女が用があると言う場所へと向かっていた。

 

 どうやら、前に戦った時のフェラーリは、警察に没収されたらしい。このフェラーリは、釈放された後に、改めて同じ型の物を買い直したそうだ。

 

 無理も無い。ガトリングガンやら迫撃砲やらミサイルやらを搭載した車が、堂々と日本の公道を走れる筈も無い。

 

 因みに、友哉が「ちょっと乗ってみたかったのに」と密かに思ったのは、ここだけの秘密である。

 

「しかし、よく、これだけの高級車、すぐに買えたね」

「別にこれくらい、どうって事無いわよ。うちって結構お金あるし。私のおこずかいでも、これくらいの車、もう10台くらい買えるわよ」

 

 事も無げに言う彩夏に、友哉は絶句する。

 

 一体、どれだけ金持なのか。そして、娘にそれだけの金を持たせるジェームズの正体はいったい何なのか。

 

 興味はあるが、何となく詮索しない方が身のためのような気がしていた。

 

「さ、着いたわよ」

 

 彩夏は、とある寮の前で、車を止めた。

 

 降りてみて、友哉は声を上げた。

 

 そこは、ついこの間、パーティをやった場所。ワトソンの部屋がある寮だったのだ。

 

「じゃ、あたし行くから。あと宜しくね」

「おろ、一緒に来るんじゃないの?」

「あ、ごめん。言い忘れてた。用があるのは、あたしじゃなくてワトソンの方なの。彼、自分の部屋にいると思うから」

 

 じゃあね、と言うと彩夏はそのまま走り去って行ってしまった。

 

 そのまま立ち尽くす友哉だが、いつまでもそこで、そうしている訳にはいかない。

 

 仕方ない。ワトソンが用があると言うなら、行って話を聞いてみよう。

 

「とは言え・・・・・・」

 

 友哉は、複雑な表情を作る。

 

 友哉はキンジと共に、ワトソンの正体を知っている人間の1人だ。

 

 今まで男と思って接してきたワトソンが、実は女の子だった。

 

 その事実を、今後自分の中でどう処理すべきなのか、友哉には決めかねていた。

 

 呼び出しブザーを押すと、ややあって付属のマイクから聞き慣れた声が聞こえて来た。

 

《はい?》

「あ、ワトソン? 緋村だけど」

《ああ、待っていたよ。入ってくれ》

 

 ロックが外され、友哉は中へと入る。

 

 廊下を通り、ワトソンの部屋の前まで来ると、扉を開けて中へと入った。

 

「やあ、ヒムラ、良く来てくれた。さ、入ってくれ」

 

 待っていたワトソンは、そう言って友哉を中に招じ入れると、リビングに置いてあるソファーに座らせた。

 

「退院できて良かったね」

「まあ、まだ本調子じゃないんだけど」

 

 苦笑しながら、友哉は紅茶を入れるワトソンの横顔を見やる。

 

 こうして見ると、やはり彼女が女の子なんだと言う事が判る。

 

 友哉自身、普段から少女めいた顔をしていると言われ、自身、若干のコンプレックスと共に、その事実を受け入れてはいるが、その友哉と比べても、やはりワトソンの容姿は一線を画しているように思えた。

 

 ワトソンが淹れてくれた紅茶を一口飲み、友哉は顔を上げた。

 

「それで、話って?」

「まず一つ。つい先日、本国のリバティ・メイソン本部から連絡があった。リバティ・メイソンは、正式に『師団(ディーン)』に加わって戦う事になったよ」

 

 極東戦役において、敗者は死ぬか、勝者の配下となる。それは条文で持決められている、正式なルールだ。

 

 そのルールの下、ワトソンと彩夏を撃破されたリバティ・メイソンは、師団陣営に着く事を決定したらしい。

 

「そっか。じゃあ、これからはお互い味方同士って事になるね。宜しく」

「こちらこそね。シャーロックを倒し、イ・ウーも壊滅させた君達が一緒だと、こちらとしても心強いよ」

 

 その話は、真実ではあるが正確ではないと思っている友哉だが、ここは否定すべき場面でもない為、謹んで賛辞は受け取る事にした。

 

「それで、他の用事は?」

「あ、ああ・・・・・・」

 

 そこでワトソンは、なぜか歯切れが悪くなった。

 

 顔を僅かに赤くしながら、言い淀むように明後日の方向を向いている。

 

 ややあって、ようやく口を開いた。

 

「こ、これは、その・・・・・・個人的なお願いなんだが」

「おろ、何かな?」

「君は、その・・・・・・知ってしまったんだよな。僕が、その・・・女だって事・・・・・・」

 

 最後の方は、小さな声になりながら言った。

 

「あ~、まあ、ね・・・・・・」

 

 対して友哉は、どう答えるべきか迷い、曖昧に頷いて見せた。

 

「頼みってのは、その事、なんだけど。僕が女だって事は、皆には黙っていて欲しいんだ」

 

 やはり、と言うか予想通りの言葉だった。転装生(チェンジ)として入学した以上、周囲に本当の性別を知られる訳にはいかない。その事を危惧して、ワトソンは頼みこんで来たのだ。

 

「頼むッ この事は彩夏にすら教えていない事なんだ。もし知られたら、僕は・・・・・・」

 

 懇願して来るワトソン。

 

 アリアと言う存在を得るため。男としての自分を強要され続けて来たワトソンには、同情すべき点が多々あると思っている。

 

 だからこそ、返事は初めから友哉の中で決まっていた。

 

「勿論。君が望むなら、僕はその秘密を、お墓の中まで持って行っても良いよ」

 

 その返事に、ワトソンは安堵したように笑みを浮かべた。

 

「ありがとう、ヒムラ。本当に、ありがとう」

 

 そう告げるワトソンの顔は、本当に年相応の少女のように、可愛らしい物だった。

 

 

 

 

 

第11話「天を衝く雷閃」      終わり

 



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第12話「スマイルは有料です」

 

 

 

 

 

 

 

 朝、鳥の声と共に目を覚ます。

 

 友哉はベッドの上で体を起こすと、調子を確かめるように、少し動かしてみた。

 

 問題はない。思った通りに、体は動いてくれる。

 

 スカイツリーでの《紫電の魔女》ヒルダとの戦いで、重傷と言っても良い傷を負った友哉だが、数日間安静にしていたお陰で、既に本調子を取り戻していた。

 

 起き上がり、ベッドから抜け出す。

 

 隣のベッドでは、茉莉と瑠香が互いを抱き合うような格好で、静かな寝息を立てている。

 

 そんな2人の姿に微笑を浮かべながら、起こさないようにそっと寝室を抜けだす。

 

 リビングに出ると、カーテンを開いて光が差し込んで来る。

 

 良い天気だ。

 

 予報ではこれから数日間、晴れの日が続くと言う。あのスカイツリーでの悪天候が、まるで嘘のようであった。

 

「これなら、大丈夫だろうね」

 

 晴れ間を見上げ、満足げに呟いた。

 

 これから2日間、学園島は特別な盛り上がりを見せる事になる。

 

 今日から、待ちに待った文化祭が始まるのだ。

 

 その時、友哉が起きる気配を察知したらしい瑠香が、眠い目をこすりながら寝室から出て来た。

 

「ゆーやくん、おあよう~」

「おはよう、瑠香。顔洗っておいで」

「あい・・・・・・」

 

 フラフラとした足取りで、瑠香は洗面所の方へと向かう。

 

 準備期間の間、もっとも大変だったのは1年生たちだ。

 

 文化祭中は、外からも大勢の客が来る。中には武偵校進学を目指している小中学生の父兄や、マスコミも来る事になる。

 

 そうした人達の心象を損ねず、平和なイベントである事をアピールする為、普段は半ば放置に近い形で転がっている物騒な代物を、全て地下倉庫などの目につかない場所に仕舞う必要があるのだ。

 

 そして、そう言った雑用系の仕事は、武偵校では全て1年生の役割となる。

 

 「奴隷の1年、鬼の2年に閻魔の3年」とは良く言った物で、そうした軍隊じみた制度がしっかりと根付いているのだ。この事は、途中編入の茉莉や陣はともかく、友哉やキンジなどは普通に通ってきた道でもある。

 

 友哉自身は、この手の「階級制度」を後輩に強要した事はない。

 

 の、だが、瑠香に言わせれば「訓練中の友哉君は鬼と言うより修羅」と言う事らしい。

 

 そんな訳で、瑠香も例にもれず、ここ数日は手の空いている時間は雑用に奔走していた為、その疲れがまだ残っているのかもしれなかった。

 

 こればかりは、友哉や茉莉が手を貸す事もできなかった。いくら友哉や茉莉が善意で瑠香を手伝ったとしても、周囲はそうは思わない。瑠香が上級生から特別扱いされたと見られ、風当たりが強くなるばかりか、最悪、内心に響く事にもなりかねないのだ。

 

 そんな事を考えていると、残る茉莉が起きだしてきた。

 

「おはようございます」

 

 瑠香と違い、こちらは疲労も充分に取れて、さわやかな目覚めの様子だった。

 

「友哉さん、いよいよですね」

「うん、茉莉も、宜しくね」

 

 メインの出し物となる「変装食堂(リストランテ・マスケ)」。イクスの出番は、今日の朝から昼過ぎまでとなる。

 

 既に友哉も、療養の合間を縫って色々な準備を進めて来た。絶対に成功させる自信があった。

 

「はい、宜しくお願いします」

 

 笑顔で答える茉莉。

 

 彼女に頷きを返して、友哉はもう一度、青空を仰ぎ見る。

 

 今日から2日間は、きっと楽しい時間になるだろうと言う確信があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学園島の敷地内を歩けば、あちこちにポスターが貼られているのが目に着く。

 

 これらは教務課(マスターズ)が生徒達に募集して書かせた物である。

 

 水彩画、3D、アニメ調、油絵他、様々である。

 

 どれもジャンルの違いはあるものの、素晴らしい仕上がりである。これだけでも来場した人々を飽きさせないには充分だろう。

 

 この2日間、学園島では時間外以外、緊急の場合を除く車両の乗り入れは殆ど禁止となっている。

 

 都内から見物客が訪れる関係で島中が人でごった返す為、外周道路以外は全て歩行者専用となるのだ。

 

 既に、客が入り始めているらしく、一般人と思しき人たちの姿もあちこちで見る事ができた。

 

 2年A、B、C組+アルファで行われる「変装食堂」は学食を借り切って行われる。

 

 この日の為に学食は綺麗に掃除され、一般レストランさながらの飾り付けも行われていた。

 

 学食は100人以上が一斉に食事ができる程の広さを持っているが、3クラス合同となると、100人以上の人数になる。そうなると給仕の人間だけで混乱してしまう恐れがある為、シフトを整備し、「1日目の朝から昼過ぎまで」、「1日目の昼過ぎと2日目の朝」「2日目の昼から最後まで」と言う風に、3交代制が組まれたのだ。

 

 イクスやバスカービルは、1日目のみのシフトとなっている。

 

 「食堂」もさることながら、「変装」もまた、学生達にとっては大事な要素の一つである。

 

 これは、ただコスプレをすればいい、と言う訳じゃない。変装潜入する際の技能評価も同時に行われる為、指定された存在に成りきる必要があるのだ。

 

 そして、その評価を行うのが、強襲科(アサルト)の蘭豹と言う時点で、全員が震え上がった事は言うまでも無い事だが。

 

 友哉も(魂の底から不本意な事ながら)メイド服に着替え、服装チェックの列に並ぶ。

 

 この服装チェックに不合格となると、不名誉な厨房係りに回される事になる上、内申にも響いてしまう為、皆、必死に自分の役に成りきる事に専念していた。

 

 自分の順番が来るまでは、文字通り、生きた心地がしなかった。

 

 やがて、蘭豹が立ち尽くす友哉の前へと立つと、品定めをするように、頭のてっぺんからつま先まで、じっくりと眺め始めた。

 

 その間友哉は、呼吸すら忘れて立ち尽くしていた。

 

 蛇に睨まれた蛙。と言うのを、じかに体験した気分だった。

 

 やがて、蘭豹は重々しく口を開いた。

 

「緋村」

「は、はい・・・・・・」

 

 恐怖で声が裏返らないようにするのは一苦労だった。

 

「お前、ほんまに男か? なんやら、どう見ても女子にしか見えんで」

「は、はあ、自分でも時々、自信が無くなります」

「まあ、ええわ。合格や。フロアに入り」

「あ、ありがとうございますッ」

 

 気付かれないように、ホッと息をついた。

 

 フロアに入ると、野球選手の恰好の陣、文学少女風の衣装を着た瑠香、ミニ和服メイド姿の茉莉が、友哉が来るのを待っていた。

 

 どうやら、イクスメンバーは全員、合格サインを貰ったらしい。

 

「お疲れさん、友哉」

「ほんと、疲れたよ。もう、このまま帰って寝て良い?」

「いやいや、まだ始まったばっかりでしょ」

 

 戦兄の疲れ切った言葉に、瑠香は苦笑する。

 

 蘭豹の服装チェック、と言う名の尋問は、それほどまでに神経をすり減らす物だった。

 

「どうぞ、友哉さん」

 

 そう言って、茉莉が用意した水筒からスポーツ飲料を汲んで友哉に渡して来た。用意の良い彼女らしい気遣いだ。

 

「ありがとう」

 

 礼を言って受け取ると、中身を一気に喉へ流し込む。

 

 不毛の荒野の如く乾き切った友哉の喉は、その一杯で、緑地へと戻った気分だった。

 

 それにしても、

 

 友哉は改めて、茉莉の格好を見た。

 

 見た目和服なのだが、裾は股下1センチ付近で大胆にカットされ、白く細い太股やふくらはぎが露出している。

 

 正直、今回の「変装」の中では、群を抜く煽情さを誇っていると言って良い。これに比べたら、スカートの短さで有名な武偵校の制服も、普段着と変わらないだろう。

 

「友哉さん?」

「・・・・・・おろ?」

 

 声を掛けられ、友哉は我に帰った。つい、茉莉の恰好に見惚れてしまっていたようだ。

 

「どうか、しました?」

「い、いや、何でもない。何でもないよ」

 

 そう言ってごまかす友哉。

 

 だが、

 

「あ~、友哉君、今、茉莉ちゃんの事、やらしい目で見てたでしょ!!」

 

 ズビシッ と音がしそうなくらいに、瑠香に指を差され指摘される友哉。

 

 因みに、事実である為、否定もできない。

 

「あ、え~と・・・・・・」

 

 友哉が恐る恐る振り向いて見ると、茉莉は恥ずかしそうに顔を赤くして、心なしか距離を置こうとしている。両手は着物の裾に当て、必死に引っ張って足を隠そうとしていた。

 

「ゆ、友哉さん・・・・・・」

「い、いや、茉莉、違うんだ!!」

 

 この場合、言い訳すればするほど、立場は悪い物となる。

 

 見渡せば、周囲に入る女子達もヒソヒソと話しながら、友哉達の方をチラ見していた。

 

「何だ、友哉、青春真っ盛りって奴だな!!」

 

 慰めているのか、面白がっているのか? 恐らく後者であろう陣が、そう言って、友哉の肩に腕を回して来る。

 

 そこへ、服装チェックを終えたらしい蘭豹がやってきた。

 

「おらガキどもッ いつまでイチャラブっとる!? もうすぐ開店時間やでッ!!」

 

 蘭豹の発破を受けて、一同は蜘蛛の子を散らすようにそれぞれの持ち場へと走って行く。

 

 いよいよ、学園祭の始まりだった。

 

 

 

 

 

 滑り出しは好調だった。

 

 厨房係りを初めから選任されている者達は、予めメニューの料理を練習してこの日に備えていた為、来店した一般客達にも味の方は好評であった。

 

 また、学生達にとっては真剣そのものと言える変装も、一般客達から見れば、それぞれに個性の出たコスプレに見える。それがまた、人気を呼ぶ要因にもなっていた。

 

 因みに、蘭豹の服装チェックに引っ掛かった者が2名いた。

 

 1人は消防士の格好をした武藤剛気。理由は「命を掛けて仕事する消防士に、そんなヘラヘラした奴はおらん」との事。

 

 もう1人は、巡査の格好をしたキンジ。理由は「そんなネクラそうな目付きのポリ公はおらんやろッ」との事だった。

 

 2人とも、仲良く拳骨を食らって、厨房へと蹴り込まれていた。

 

 武藤のヘラヘラした態度はいつもの事なので、これはまあ仕方ない。が、キンジの目つきは生まれつきなので、どうしようもない気がするのだが。

 

 しかし、蘭豹の横暴に対し、蟷螂の斧を振るおうと言う勇者は誰もいない。

 

 誰もが、自分に矛先が向かなかった事に安堵するだけで精一杯なのだ。

 

 友哉は給仕の手を止めて、周囲を見回している。

 

 今の時間、イクスとバスカービルのメンバーは、ほぼ全員入っている。いないのはSSRの方で、別件のイベントを掛け持ちしている白雪くらいだ。

 

 アリアは小学生姿に諦めを付けたのか、半ば淡々と作業をこなしている。

 

 科学研究員姿のレキは無表情のまま給仕をし、客をドン引きさせている。

 

 文学少女瑠香は、清楚な恰好をしていても持ち前の快活さは隠しきれないらしく、心持ち長いスカートを大胆に揺らして、給仕に飛び回っている。

 

 茉莉も、短い着物の裾を気にしながらも、無難に給仕を行っていた。こちらも、自分の格好を過剰に気にするのはやめたようだ。

 

 目を転じれば、子供達の溜まり場ができているのが見える。その中心に入るのは陣だ。どうやら野球のユニフォームを着ている関係で、本物のプロ野球選手だと思われているらしい。本人も満更では無いらしく、ポーズをとってサービスしている。

 

 そして、理子。

 

 ガンマンの格好の理子も、持ち前のハイテンションを発揮して店内を盛り上げるのに一役買っている。

 

 どうやらヒルダによって注入された毒は、完全に消え去ったらしい。普段通り、明るい理子の様子に戻っていた。

 

 あのスカイツリーで見せた、凄惨な復讐者としての一面が、まるで幻であったかのように。

 

 だが、それで良いのだと、友哉は思う。

 

 ブラドを倒し、ヒルダを倒した事で、理子の復讐は本当の意味で終わったんだと思う。

 

 これからはバスカービルメンバーとして、そして友達として、この武偵校で同じ時間を過ごして行ってくれる事を、友哉は心の底から願っていた。

 

 その時、

 

「ねえねえ、そこのメイドさん!!」

 

 横合いから、声を掛けられた。

 

 因みに、今のシフト時間でメイドの恰好をしているのは友哉だけである。間違えようは無かった。

 

 思索をやめた友哉は、営業スマイルを作って振り返る。

 

「お呼びでしょうか、ご主人様?」

 

 すぐにこのような対応ができるまでには、友哉も割と努力した方である。何しろ、立ち居振る舞いまで完璧を求められているのだ。これくらいは呼吸をするように出来なくては話にならない。

 

 友哉を呼んだのは、同年代くらいの少年だった。制服を着ていない事から、校外の生徒だと判る。

 

「ご用は何でしょうか、ご主人様?」

 

 優雅に一礼しながら、尋ねる友哉。

 

 対して少年は、品定めするように友哉の姿を見てから、笑みを覗かせる口を開いた。

 

「いや、用って程じゃないんだけどさ・・・・・・」

 

 じゃあ呼ばないでほしい、と割と切実に思う。何しろ、こっちは暇じゃないのだから。

 

 昼が近くなり、客は徐々に増え始めている。冷やかし目的の客に構っている暇はないのだ。

 

 だが、そんな友哉の心中を一切察する事無く、少年は勿体付けたように言う。

 

「あのさ、君、シフト何時まで?」

 

 ようやく本題に入った様子で、少年が尋ねて来る。

 

「質問の意味がよく判らないのですが」

「だからさ、仕事終わったら、遊びに行かないかって言ってんの」

 

 そこでようやく、友哉は合点がいった。

 

 この少年は、友哉をナンパしているのだ。

 

 悟ると同時に、心中で暗澹たる気持ちになる。

 

 何が悲しくて、男の身分で女装した揚句、男からナンパされなくちゃならんのか。

 

 前にカジノ警備の折り、仕立屋メンバーの杉村義人からナンパされた事もある友哉であるが、こうも立て続けに同じ目に会うと、世の中の男どもの目はどんだけ腐ってるんだろう、と勘繰りたくなってくる。

 

 深呼吸を、ひとつする友哉。

 

 大丈夫。この手の事が起こる事は想定の範囲内だ。

 

 毎年何人かは、この手の猛者がいる物である。一体自分が今どこにいるのか、と言う事を考え直してからやってほしいとは、切に願う次第ではある。

 

 ここはある意味、無法者養成所とも言うべき武偵校である。下手をすれば、明日の朝、東京湾に、身元不明の死体が一つ浮かぶ事になりかねないのに。

 

 友哉は眼を開けて、真っ直ぐに少年を見返して言った。

 

「失礼ですが、ご主人様」

「へ?」

 

 落ち着き払った友哉の声に、ナンパ少年はキョトンとした顔をする。

 

 その顔に、友哉は特大の爆弾を投げつけてやった。

 

「ご主人様には、男色のケがおありですか?」

 

 笑顔で発せられる言葉。

 

 対して少年は、一瞬、友哉が発した言葉の意味を理解する事ができなかったらしい。

 

「あ、あの・・・・・・何言ってんの?」

 

 戸惑う少年に、友哉はスカートのポケットに入れておいた武偵手帳を取り出すと、あるページを開いて見せた。

 

「申し遅れました。わたくし、こういう者でございます」

 

 友哉が示したページ。

 

 それを見て、ナンパ少年はギョッとした。

 

 そこには、友哉のバストアップ写真と共に、名前、年齢、性別などが書かれている。当然、張ってあるのは普段通りの姿の写真である。

 

「お、お、おと、こ?」

 

 震える男に対し、友哉はニッコリ微笑んで頷いて見せる。

 

 男のくせに男をナンパしてしまった。そっち方面の趣味がある人でもない限り、このショックは大きいだろう。

 

「し、ししし、失礼しましたー!!」

 

 脱兎の如く席を飛び出すと、そのまま一目散に駆け去って行ってしまった。

 

 それを見て、友哉はフンスッと鼻息を荒くした。

 

 あの手の迷惑な客を叩きだすのも、ある意味業務の一環である。これで暫くは、この「変装食堂」の者をナンパしようと言う不埒者は出ないだろう。

 

 その時だった。

 

「おーい、ユッチー!!」

 

 理子に呼ばれて振り返った。

 

「どうしたの?」

「何かさ、ユッチーをご指名のお客さんだよ。窓際のとこ」

「おろ?」

 

 指名、と言う事は、知り合いでも来ているのだろうか。

 

 思い当たるとすれば、従姉の明神彩(みょうじん あや)や、両親くらいだが、メイド服を着た格好を見られたくないので、日程については何も言っていない。

 

 だが、元武偵の彩の事だ。独自の情報網を駆使して、今日の事を察知した事は充分に考えられる。

 

『やだなあ・・・・・・』

 

 心の中で深いため息をつくが、指名があった以上、無視する事もできない。

 

「御指名、一名様入りま~す」

 

 無駄にハイテンションな理子の声に背中を押されて、友哉は仕方なく窓際の方へと向かう。

 

 指定されたテーブルまで来ると、友哉は座っている相手に深々と頭を下げた。

 

「御指名ありがとうございます。ご主人様」

 

 頭を上げる友哉。

 

 そこで、

 

 絶句した。

 

「なかなか良い店だな」

「・・・・・・・・・・・・」

「だが、給仕が来るのが遅い。もう少し対応は早くすべきだろう」

「・・・・・・・・・・・・」

「ん、どうした、何を突っ立っている?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 相手の言葉に答える事もできず、友哉は眼を見開いたまま、口をパクパクと開閉している。

 

 あまりの衝撃に、声の出し方すら忘れてしまったのだ。

 

 なぜなら、

 

 指定された席には、

 

 警視庁公安部第0課特殊班刑事、斎藤一馬巡査部長が煙草を吹かして座っていたのだから。

 

「ちょッ ・・・まッ ・・・なッ ・・・あッ ・・・こッ ・・・いッ・・・」

「『ちょっと待て、何であんたがこんな所にいるんだ』と言われても、非番だから、としか言いようが無いんだが」

「いや、今ので判るアンタもスゲェよ」

 

 と、突っ込みを入れたのは陣。

 

 一馬は目を細めながら、友哉の格好を見て、

 

「フッ」

「あ~、鼻で笑ったァ!!」

 

 羞恥の為に、顔を真っ赤にして激怒する友哉。

 

「はいはい、どうどう、ユッチー、落ち着いてね~」

「ダメだよ、緋村君、チップは弾んでくれたんだから。サービスはしっかりしないと」

 

 そんな友哉を、理子と、パイロットスーツ姿の不知火亮が止めに入る。

 

「だってこいつがッ!!」

 

 バコンッ

 

 抗議しようとする友哉の鼻っ面に、メニューボードが叩きつけられた。

 

「つべこべ言ってないで、さっさとメニューを取って来なさい。グズグズしてると風穴開けるわよ!!」

 

 と、小学生姿のアリアに急き立てられて、友哉は渋々一馬の下へ行く。

 

「それで、ご注文は何でしょうか?」

「蕎麦は無いのか? かけ蕎麦があれば文句は無いが」

「ございません」

 

 て言うか、こんな所で蕎麦頼むな不良警官ッ

 

 と叫んでやりたい所を、グッとこらえる友哉。

 

 対して、一馬はわざとらしくフッと息を吐いて見せる。

 

「使えん奴だな」

「ウググググググググググググッ」

 

 歯をガリガリと噛み鳴らす友哉を無視して、一馬はメニューを眺めていく。

 

「仕方が無い。このケーキセットを頼む」

「ハッ 甘い物を食べる柄な訳?」

 

 ボソッと呟いた友哉の言葉に、一馬は目を細めた。

 

「し、失礼しました~」

「ほ、ほら、友哉さん、早くメニューの品、取って来ましょうッ そうしましょうッ」

 

 そんな友哉を、瑠香と茉莉は拉致するような勢いで抱え上げ、そのまま厨房の方向へと担いで去っていった。

 

 

 

 

 

~大体10分後~

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・どうぞ」

 

 思いっきりドスの効かせた言葉と共に、ケーキとコーヒーのセットをテーブルに置く友哉。

 

 それに一瞥をくれてから、一馬はコーヒーのカップを手にとって口に運んだ。

 

「それにしても、」

 

 コーヒーを飲みながら、視線を友哉に向ける一馬。

 

「そんな格好して、恥ずかしくないのか、お前?」

「放っといてくださいッ!!」

 

 眼に涙をいっぱい溜めて抗議する友哉。

 

 そのまま、自分自身を落ち着かせる為に、一馬の対面に腰を下ろした。

 

「・・・・・・それで?」

 

 スカートにも構わず思いっきり足を組んで、テーブルに肘をついている。この男の前で、これ以上礼儀を取り繕う必要性を、友哉はミジンコの足先程も感じていなかった。

 

 鋭い視線を一馬に向ける。

 

「何だ?」

「惚けないでください。あなたがうちの学園祭を楽しむ為だけに、わざわざこんな所に来たりはしないでしょ」

 

 一馬が今日、わざわざ学園島に来たのには、理由があると友哉は踏んでいた。

 

 何しろ、傭兵として加わった仕立屋を含む、リバティ・メイソンと激突したのは、ついこの間の事である。(ちなみに、あの時の戦闘痕周辺は工事中と言う事で一般人の立ち入りを制限している)

 

 あの戦いに参加した一馬が、たかが学園祭の物見遊山に来た筈は無かった。

 

「成程、おかしな格好してる割には鋭いな」

女装(そこ)から離れてくださいッ」

 

 これ以上そのネタで弄るなら斬る。

 

 友哉が眼光でそう告げると、一馬は鼻を鳴らし、それでいて全く恐れた様子も無く本題に入った。

 

「極東戦役の開戦を受けて、政府は重い腰を上げたぞ」

「と、言うと?」

「公安に大命が下った。今回の戦争は主戦場がこの国になる事は間違いなさそうだからな」

 

 言いながら、一馬は視線を、小学生の恰好をしたアリアに向ける。

 

 その視線の意味には、友哉も気付いている。

 

 彼女の中にある緋弾。それが今回の戦役における、争奪戦のメインになると考えられている。この間戦ったヒルダも、緋弾の奪取に躍起になっていた事から考えれば、それは明白である。

 

 つまり、こうも考えられる。現在、緋弾を持つのはアリアである。ならば、そのアリアのいる場所が、戦場になるだろう、と。

 

「現在、警察庁では0課を含めて、この件に関する特殊部隊の編成が進められている。目的は被害の拡散防止と、危険人物の即時排除。勿論、」

 

 鋭い視線が、友哉を射抜く。

 

「俺もメンバーに含まれている」

「・・・・・・・・・・・・」

「忘れるな。俺達は誰の味方もしない。師団(ディーン)だろうが眷属(グレナダ)だろうが、その他の奴らだろうが、それが悪と判断された時、容赦無く排除する」

 

 悪即斬の名の下に。

 

 一馬と友哉の視線は、空中で激しくぶつかり合った。

 

「・・・・・・・・・・・・良いですよ」

 

 ややあって、友哉は重々しく口を開いた。

 

「僕達は僕達の信念に従って戦うだけです。それが公安にとっても、決して不利益にはならないと信じていますから」

 

 だが、もし敵対する事になったのなら、

 

 その時は容赦しない。自分も全力で戦う。

 

 友哉の眼はそう告げていた。

 

 対して一馬は、(この男にしては誠に珍しい事ながら)、愉快そうに口を歪めて笑みを見せた。

 

「良いだろう」

 

 そうなったらなったで、面白い話である。と、一馬は思っていた。

 

「だがな、一つ言っておくぞ」

「おろ?」

 

 キョトンとする友哉に、一馬は底意地の悪い笑顔で言った。

 

「お前、その格好で凄んでも、全く迫力無いぞ」

「だから放っといてくださいってばッ!!」

 

 涙目で猛抗議するメイド少年。

 

 その時だった。

 

「風穴落としィィィィィィ!!」

 

 ドッカァァァァァァン

 

 聞き慣れたアニメ声と共に、轟音が変装食堂内に木霊する。

 

 見れば、どうやら不名誉な厨房作業から脱したらしいキンジが、アリアにパイルドライバーを掛けられていた。

 

 小学生が巡査にパイルドライバーを掛ける。これほどシュールな光景が他にあろうか?

 

 掛けられたキンジは、床板を突き破り、首まで突っ込んで悶絶している。

 

「愉快な食堂だな。動物園か、ここは?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 皮肉たっぷりの一馬の言葉に、友哉は何も答える事ができず、頭痛のする頭に手を置いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうにか一日も終わり、寮へと戻ってきた頃には完全にくたくただった。

 

 友哉は帰ってくるなり、自分の身をソファへと投げ出す。

 

「やれやれ・・・・・・」

 

 何だかんだで、大変な一日だった。

 

 精神的な疲労も半端ではない。これなら普通に戦った方がまだマシだった気がする。

 

 それにしても、警察が本腰を上げて、極東戦役介入を決めて来るとは思わなかった。

 

 いや、彼らにしてみれば、一般市民の生命の財産を守る事が使命でもある。この決定は妥当な物なのだろう。

 

 師団、眷属、仕立屋、無所属、日本警察。

 

 これからの戦い、想像以上に複雑かつ、泥沼化して行く事は避けられないだろう。

 

 そのような中で、友哉は仲間と共に戦って行かなくてはならない。

 

「・・・・・・・・・・・・やって見せるさ」

 

 傍らに置いた逆刃刀を見ながら、友哉は呟いた。

 

 今回戦ったヒルダや彩夏も強敵だったが、それでも、多くの仲間達と戦って勝利を得る事ができた。

 

 友哉1人の力は、小さな物なのかもしれない。だが、仲間達と共に戦えば、きっと戦いぬく事ができるかもしれないと考えていた。

 

「友哉さん?」

 

 名前を呼ばれたのは、その時だった。

 

 顔を上げると、自分の部屋から出て来た茉莉が、こちらを見ているのが見えた。

 

「ああ、茉莉、ただいま」

 

 言ってから、友哉はある事を思い出した。

 

 そう言えば明日、彼女とデートする約束をしていたのだった。

 

 忘れていた訳ではないが、今日1日で色々あり過ぎた為、失念してしまっていたのだ。

 

「お帰りなさい。お疲れでしょう。瑠香さんが食事の用意をして行ってくれましたので、すぐに用意しますね」

「その瑠香は?」

 

 戦妹の姿が無い事を不審に思った友哉が尋ねる。茉莉が帰って来ているのだから、てっきり一緒だと思ったのだが。

 

「明日の出し物の準備だそうです。今日は少し遅くなるみたいですよ」

 

 瑠香は変装食堂以外にも、自分のクラスの出し物の手伝いもしている。その準備があるのだろう。

 

 茉莉は食事の準備をしようと、キッチンに向かい掛けて、足を止めた。

 

「あ、あの、友哉さん・・・・・・」

「おろ?」

 

 声を掛けられ、友哉は再び顔を上げる。

 

 一方の茉莉はと言うと、なぜか顔を赤くして、俯き加減でこちらを見ていた。

 

「あ、あのぉ・・・・・・す、少しだけ、待っていてもらえ、ますか?」

「? 構わないけど・・・・・・」

 

 疲れてはいるが、別に食事を急ぎたい訳じゃない。むしろ、もう少しゆっくりしていたいと思っていたところだ。

 

 「それじゃあ、失礼します」と言い残し、茉莉はなぜか、再び自分の部屋へと戻って行った。

 

 怪訝に思いながらも、友哉が待つ事10分少々。

 

 部屋から出て来た茉莉を見て、友哉は思わず絶句した。

 

 そこには、変装食堂で使った和服ウェイトレス姿の茉莉が立っていたのだ。

 

「ま、茉莉・・・・・・」

「ど、どうですか?」

 

 絶句する友哉に、茉莉もオズオズと尋ねる。

 

 恥ずかしくて堪らないのだろう。その顔は、普段見られないくらいに真っ赤になっていた。

 

 着ている物は和服のように、生地が多く、袖や襟はゆったりとしていると言うのに、裾は大胆にも股下1センチまでカットされ、太股やふくらはぎが露出している。

 

 そのミスマッチ感が、思春期の少年の心を、否が応でもくすぐって来る。

 

 しかも、茉莉は普段はとてもおとなしい少女だ。その大人しい少女が、このようにエロチズムを伴う格好をしている。これで何の反応もしなければ、その人物は男では無かった。

 

「う、うん、可愛い、よ。けど、何で今?」

 

 その格好をするのか、と問う友哉に、茉莉は顔を俯かせたまま答える。

 

「だって・・・友哉さんが。可愛い、て言ってくれました、から・・・だから・・・」

 

 変装食堂の業務中に着た衣装であるが、あの時は武偵校の生徒や一般客の人達もいた。

 

 だが、茉莉はどうしても、友哉の為だけに、この格好をしてみたいと思っていたのだ。

 

 幸いな事に、今は瑠香もいない。茉莉にとっては千載一遇の機会だった。

 

 そんな茉莉に、友哉は優しく笑い掛ける。

 

「うん、とっても似合っているよ。どうだろう、いっそのこと、これからはそれを普段着にしない?」

「い、イヤです。恥ずかしいです・・・・・・」

 

 そう言って俯く茉莉。だが、すぐにからかわれたと気付いて、顔を上げた。

 

 案の定、友哉は可笑しそうに笑っている。

 

「もうッ 友哉さんッ」

「あはは、ごめんごめん」

 

 そう言って笑う友哉。

 

 つられるように、茉莉の顔にも笑顔が浮かんだ。

 

 

 

 

 

第12話「スマイルは有料です」      終わり

 



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第13話「クロスハート・イン・フェスタ」

 

 

 

 

 

 

 待ち合わせ場所に、教務課(マスターズ)裏手を指定したのは、成功と失敗、双方の要素を孕んでいたと友哉は思っている。

 

 『混雑を避けるため、すぐに思いつきそうな待ち合わせ場所は使用不可』と、教務課から事前通達があった為、目立つような場所で待ち合わせる事もできない。

 

 教務課(マスターズ)と言えば、目立つという意味では武偵校でも屈指であると同時に、暴力教師共との遭遇率も高い。それを考えれば、誰もここを待ち合せにする者はいないだろう。その代わり、友哉自身が教師と遭遇する可能性がある事を考えれば、賢い選択とは言えないだろうが。

 

 つまり、誰も思いつかない待ち合わせ場所であると同時に、待っている間は、それはそれは、恐怖心で胃が病みそうな感覚に耐え続けなければならないのだった。

 

「遅い・・・・・・な」

 

 友哉は腕時計を確認しながら呟いた。

 

 既に15分近く、この場に立って待ち人が来るのを待っている。

 

 あまり時間を掛け過ぎると命にもかかわる為、早く去りたい一方で、ここを動く訳にもいかないと言うジレンマに身が焦がされそうだった。

 

 どれ程そうしていただろう。

 

「す、すみませんッ」

 

 待ち人の声に、友哉は安堵の溜息と共に振り返った。

 

 友哉の視界の中に、息せき切って走って来る茉莉の姿が映った。

 

 茉莉は友哉の元まで来ると、膝に手をついて息を整える。

 

「す、すみません、友哉さん。出がけに瑠香さんに捕まってしまいまして・・・・・・」

「おろ、瑠香が、どうかしたの?」

「いえ、それが・・・・・・」

 

 息を整えて、茉莉は顔を上げる。

 

 その顔には、いつもより入念に化粧をしており、髪には普段付けないよう無髪飾りをしている。ショートポニーを結っている青いリボンも、普段はしていない物だ。

 

 「おしゃれできる範囲で気合を入れて来た」と言う感じである。

 

「この間、瑠香さんに今日の事を相談したんですが、そしたらさっき、部屋を出ようとした時に呼びとめられて、それで・・・・・・」

 

 それで、友哉はだいたいの事情を察した。

 

 ファッションに拘りのある瑠香の事だ。恐らく気合を入れて茉莉の事をコーディネートしたのだろう。

 

 それならば、これほどの時間が掛った事も頷ける。

 

「とっても、似合っているよ。すごく、綺麗だ」

「あ、ありがとうございます」

 

 そう言って、嬉しそうにはにかむ茉莉。

 

 その仕草は、普段日本刀を振るい、韋駄天の如く戦場を駆け巡る少女剣士の姿は連想できない。どこにでもいる女子高生の姿が、そこにはあった。

 

「それじゃあ、行こうか」

「はいッ」

 

 誘うように言う友哉に、茉莉は笑顔で頷きながら、着いて行く。

 

 と、

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 茉莉が何事かに気付いたように、声を上げた。

 

「おろ、どうかした?」

「い、いえ、何でもない、です」

 

 慌てて首を振ると、駆け足で友哉に追いついて来る。

 

 だが、友哉は気付いていた。

 

 茉莉が何かを求めるように、自分の手を眺めていた事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 客として回る学園祭は、スタッフとして参加する場合とは、また違った風景が味わえる。

 

 普段は運動に使われる校庭には、様々なジャンルの屋台が立ち並んでいる。

 

 特に食品関係の屋台が軒を連ねている場所では、近くを通るだけで香ばしい匂いが漂って来て、否応なく食欲がそそられる。

 

 イベントも豊富である。

 

 諜報科(レザド)棟では、この日の為に簡易アトラクションが建設され、我こそは、と思う者達が長蛇の列を成している。

 

 車輛科(ロジ)ではヘリコプターのコックピットに座るイベントが催されており、子供達に大人気を博している様子だ。

 

 装備科(アムド)では、古今の銃火器を集めて展示した「世界の銃器展」が開かれ、一般客のガンマニアが殺到しているらしい。

 

 探偵科(インケスタ)では推理力を用いたクイズ大会が行われ、多くの人達が用意された難問に挑んでいる。

 

 衛生科(メディカ)では、救急時の応急措置講習が行われている。イベントとしては地味だが、こう言う真面目な催しも中には必要である。

 

 通信科(コネクト)情報科(インフォルマ)は、共同で自作アニメの上映会が行われ、子供達の好評を呼んでいる。

 

 狙撃科(スナイプ)では、訓練用のスナイパーライフルを用いた射的大会が景品付きで行われ、大盛況の様子だ。

 

 他にも超能力捜査研究科(SSR)では占いの館が開かれ、朝から長蛇の列を成している。

 

 特に大人気なのは、特殊捜査研究科(CVR)生徒によるミュージカルで、本場劇場並みの価格がするチケットが、飛ぶように売れているそうだ。

 

「茉莉は、何か見てみたい物とか、ある?」

「そうですね・・・・・・」

 

 並んで歩く茉莉は、パンフレットに目を落として思案している。

 

 唸りながら、手にした髪と睨めっこをしている。多分、目移りして決めかねているのだ。

 

 色々ありすぎて、1日じゃ回りきれないだろう。

 

「あ、これなんて、面白そうじゃないですか?」

 

 そう言って、茉莉はパンフレットに書かれているイベントの1つを指差した。

 

 そこには「輪廻の館」とあった。

 

 超能力捜査研究科(SSR)のイベントの一つで、何でも特定の人物との相性を占ってくれるのだとか。

 

「ふぅん」

 

 茉莉も、こう言う占いめいた物が好きなのか、と、友哉はちょっと意外な面持になった。

 

「だめ、ですか?」

 

 上目使いに聞いて来る茉莉に、友哉はニッコリと微笑む。

 

「良いよ、行こうか」

 

 そう言うと、2人はSSR棟の方へと足を向けた。

 

 

 

 

 

 やはりと言うべきか、行った先にも長蛇の列ができていた。

 

 輪廻の館に来店した者達の中には、武偵校の制服を着た生徒もいるが一般客も多く、大盛況である事は間違いないようだった。

 

 それでも並んで、根気良く待つ事30分。ようやく、友哉達の番が来た。

 

「次の方、こちらへどうぞ」

 

 頭から布を被り、口元も覆った女子生徒が、中へと誘う。どうやら、アラビアンナイト風の衣装を模しているようだ。

 

 古今東西の超能力や魔術の研究を行うSSRでは、宗教の違いと言う者は特に関係無いらしい。普段から、大仏様の銅像の隣にコーランの経典が置かれ、その隣には十字架のロザリオが放置されている、と言うような事が平然と行われているのだ。

 

 そんな訳で、このアラビアンナイト風の占いの館も、見慣れている人間には特に違和感のないものであった。

 

 入って見ると、中には暗幕が何重にも張り巡らされ、前はおろか周囲すら見回す事ができない。案内がいなければ、それだけで迷ってしまいそうだ。

 

「こちらです」

 

 やがて、教室中央と思われる、開けた場所へと通された。

 

 中央には、やはりアラビアン風の、少し豪華な衣装を着た女子生徒が、水晶玉を覗き込んでいるのが見える。どうやら彼女が、この輪廻の館の責任者であるらしい。

 

「人は、輪廻転生を繰り返すごとに、様々な出会いを繰り返す事になります。今生の出会いは偶然では無く、その根元には、必ずや別の時、別の場所での出会いが関係している物なのです」

 

 そう言って前置きすると、2人に座るよう促した。

 

「それで、今日はどのような事を占いますか?」

「あの・・・・・・」

 

 チラッと、友哉の方を見る茉莉。

 

 それで相手は、どうやら事情を察したらしい。

 

「成程。そちらの方は、彼氏さんですか?」

「あ・・・・・・」

「いえ、そう言うんじゃないです」

 

 先回りするように答えた友哉に、茉莉は不満そうに頬を膨らませる。

 

 そんな様子が可笑しかったのか、アラビアン少女はクスクスと笑って、目の前の水晶玉に手を翳した。

 

「判りました。では、見てみましょう」

 

 そう言うと、何やら聞き取れない言葉でぶつぶつと呟き始めた。

 

 真剣な眼差しで、その様子を見ている友哉と茉莉。

 

 ややあって、アラビアン少女は顔を上げた。

 

「・・・・・・成程。お二人は、随分と複雑な(えにし)で結ばれているようです。・・・・・・これは、お二人の過去・・・・・・いえ、違いますね。恐らく遠い先祖同士が、接触を持っていたのだと思います」

 

 更に続いて行く。

 

「・・・・・・・・・・・・道を探す者と、道を示す者・・・・・・2人はぶつかり合い、やがて決着・・・・・・一方は道を探す為に去り、もう一方は、道を極める為に更なる闘争へ・・・・・・」

 

 淡々と告げられる言葉。

 

 正直、アラビアン少女が何を言っているのか、聞いていても友哉と茉莉にはさっぱり判らなかった。

 

 結局、何一つとして判らないまま、2人は首を傾げるようにして輪廻の館を後にした。

 

「さっきのは、どう言う事だったのかな?」

「私にも、よく判らないんですけど・・・・・・」

 

 屋台ブースの方へ向かいながら、2人は先程の占いの結果を反芻している。

 

「私の先祖と、友哉さんの先祖が、過去に会っていて、戦った事もある、と言う事でしょうか?」

「そのまま受け取れば、そう言う風に解釈できるよね・・・・・・」

 

 元々、S研的な事には疎い2人である。考えても答えなど出る筈も無かった。

 

「まあ、占いなんて、取りようによってはどうとでも取れるんだし。あんまり気にしても始まらないよ」

「そうですね」

 

 喋っている内に、2人は屋台ブースのすぐ近くまで来ていた。

 

 時間的には、まだ10時半前。昼食をとるには、中途半端な時間帯である。

 

 それでも、目の前に軒を連ねた屋台があれば、入って行って何か食べたくなるのがお祭り精神と言うものである。

 

「軽く、何か食べようか。昼前だけど」

「良いですね」

 

 茉莉も応じると、2人は校庭の中へと足を踏み入れる。

 

 麺や小麦粉、米が焼ける香ばしい匂いが、否が応でも漂ってくる。

 

 時間的にも中途半端であるせいで、腹の空き具合も半端である為、余計に食欲を誘ってくる。

 

「何食べようかな」

「・・・・・・・・・・・・あ」

 

 物色するように眺めていた友哉の横で、茉莉は何かに気付いたように声を上げた。

 

「どうしたの?」

 

 振り返る友哉。

 

 茉莉の視線の先には、綿飴の屋台があった。

 

「綿飴、好きなの?」

 

 友哉の問いに、茉莉は無言のままコクンと頷く。その仕草が、少し子供っぽくて可愛かった。

 

 自然と零れる笑みのまま、友哉は屋台の方へ歩いて行くと、1つ注文した。

 

 やがて、でき上がった綿飴を持って茉莉の所へ戻ると、茉莉は待ちきれないとばかりに、雲を連想させる飴に齧り付いた。

 

 無言のまま、夢中になって綿飴を食べる茉莉。

 

「美味しい?」

 

 余程好きなのだろう。

 

 友哉の質問にも、無言のまま頷きを返すだけだった。

 

 見ているだけでは、友哉も腹が減るので、綿飴の端っこの方を少しだけ千切って分けてもらうと口に運んだ。

 

 特有の甘みが口の中に一瞬広がり、やがて雪が溶けるように消えていく。

 

 正に、完璧な綿飴だった。

 

 やがて、食べ終わって満足した茉莉は、顔を上げた。

 

「御馳走様でした。美味しかったです」

「そりゃ良かった。そんなに好きなの、綿飴?」

「はい。私の実家でも、夏になると夏祭りがあって、屋台が立つんです」

 

 信州瀬田神社の神主の娘である茉莉にとって、夏祭りは毎年身近に感じる、待ち遠しいイベントの一つだった。

 

「子供の頃から、仕事が終わった父に連れられて、屋台を回るのが毎年の楽しみだったんです。中でも綿飴は一番好きな食べ物で」

「そうだったんだ」

 

 綿飴は、茉莉にとって好きな食べ物であると同時に、思い出深い食べ物でもあるようだ。

 

 また一つ、茉莉の事を知る事ができた。

 

 その事を友哉は、心の内で喜びとして噛み締めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何でこうなったのッ!?

 

 茉莉は、心の中で声高に叫びたい心境だった。

 

 前は闇、左右も闇、背後も闇、

 

 見回せば殆ど闇、

 

 辛うじて、隣にいる友哉の姿だけが見える程度だ。

 

「あ、あのッ あのッ 友哉さん、ぜ、絶対に離れないでくださいねッ」

「大丈夫だよ」

 

 そう言って苦笑して来る友哉の、何とも頼もしい事である。

 

 だが、

 

 数分前の自分には、今からでもタイムマシンを探して戻り、首根っこを捕まえて止めたい気分だった。

 

 昼までにはもう少し時間があるので、イベントブースの方も回ろうと言う事になったのだが、

 

 そこで、知り合いと会った。

 

『あら、緋村君、瀬田さん』

『おろ?』

『高荷先輩』

 

 それは、救護科(アンビュラス)の高荷紗枝だった。

 

 どこの学校でもそうだが、受験や進学、就職を控えた3年生には学園祭に参加する義務は無い。特に、武偵校の3年生ともなると、任務に出る頻度も高くなる為、尚更の話である。

 

 だから、ここで紗枝に会った事には、普通に驚いた。

 

 しかし、それはあくまで普通の学生の話である。紗枝の場合、既に単位取得はおろか、卒業後の就職先すら決まっている為、他の学生のように、進路に奔走する必要は無いのだ。そこで、救護科ブースの手伝いをしていたらしい。

 

『2人とも、良かったら寄って行かない。鑑識科(レピア)との共同企画なんだけど、結構人気が出てるのよ。あたしの身内って事で、サービスしてあげるから』

『そうですか、じゃあ、お願いしようか?』

『そうですね』

 

 そう軽く請け負ったのは、数分前。

 

 現在、茉莉は魂の底から自分の決断を後悔していた。

 

 救護科(アンビュラス)鑑識科(レピア)合同企画「死体安置所のなかまたち」

 

 それは、両学科が総力を結集し、技術と知識、経験の粋を結集して作り上げた、広大かつ壮大な「お化け屋敷」だったのだ。

 

 茉莉が気付いた時には、既に手遅れ。

 

 入り口で渡された頼りないペンライトを手に、魔窟とも言うべき闇の中への突入は不可避な物となっていた。

 

 もう、ほんと、泣きたい気分だった。

 

 何が楽しくて、こんな所に入らなくてはならないのか。

 

 しかし、最早後戻りもできない。校舎一棟丸々使ったホラーハウスの中を、前に突き進む以外に無いのだった。

 

 一方、そんな茉莉の様子に、友哉は微笑ましくも苦笑をやめられずにいた。

 

 そう言えば、茉莉はホラーの類が大の苦手だったな、と今更ながら思い出していたのだ。

 

 夏の初め頃だったか、女子会と言う名目で理子の部屋に泊まりに行った際、夜通し徹夜でホラー映画鑑賞に付き合わされた事があったらしい。その時、一緒に行った瑠香の話では、理子は逃げようとした茉莉を捕まえて縛り上げ、強制的に付き合わせたらしい。

 

 そのせいで茉莉は、暫くの間、夜トイレに行く際には必ず瑠香に付き添ってもらっていた。

 

 因みにその後、茉莉は暫くの間、理子と口を聞こうとしなかったのは言うまでも無い事であるが。

 

 そんな訳で、茉莉のホラー嫌いは、筋金入りと言って良かった。

 

 恐らく、紗枝としては、別に意地悪のつもりで誘った訳ではないのだろう。第一、紗枝は茉莉のホラー嫌いを知らない。彼女としては、純粋に呼び子のつもりだったのだ。

 

「ヒィッ!?」

 

 突如、悲鳴を上げる茉莉。

 

 突然の事だったので、思わず友哉まで肩を震わせてしまう。

 

 見れば、床一面に、真っ赤な血糊の跡がある。

 

 この手のお化け屋敷の場合、まず恐怖心を煽る事を第一に考え、タイミングや見た目を重視して作られる為、実際に戦場で見るリアルな血だまりよりも、グロテスクな物だった。

 

「こ、ここ、こう言うのって、よく、できてますよね」

「そうだね」

 

 と、相槌を打つ、この手の事には特に恐怖を感じない友哉。

 

 意外に思うかもしれないが、友哉自身、超常現象や、未確認生物、怪談話、都市伝説の類は、概ね信じている方である。その手の事を「非科学的」と断じる科学者は多いが、そもそも科学的に立証されている訳でもない物を、「いない」と言い張る方が、むしろ無理がある。何より、吸血鬼やら妖怪やらに知り合いができている昨今である。それらを否定する事は、現実逃避以外の何物でもなかった。

 

 逆を言えば、だからこそ、この手の作りモノと実物の差を認識できるようになっていた。

 

 割り切ってしまえば、この手のお化け屋敷も、面白いアトラクションである。

 

 だが、茉莉はそうでもないらしい。

 

 そんな茉莉の怖がる様子を見て、不謹慎ながら、こんな彼女も可愛いと思ってしまう友哉。何となく、普段から茉莉の事を弄りまくっている瑠香の気持ちが判った気がした。

 

 更に奥へと進もうと、足を進める2人。

 

 その時、

 

 突然、けたたましいサイレンと共に、赤色灯が回転を始める。

 

 ビクゥゥゥッ

 

 思いっきり肩を震わせる茉莉。

 

 心なしか、友哉の半歩後を歩くような位置にいる。

 

 その視界の先には救急搬送用のストレッチャーが放置され、その上には明らかに中に誰かは言っていると思しき死体袋が置かれていた。

 

 殆ど涙目になりながら、茉莉はゆるゆると友哉の方を向いてくる。

 

「・・・・・・あ、あの・・・他の道、行きませんか?」

「いや、ルートここだけだし」

 

 覚悟を決めたように、友哉の後から、おっかなびっくりついて行く茉莉。

 

 そして、ストレッチャーのすぐ脇まで来た瞬間、

 

「グワァァァァァァァァァァァァッ!!」

 

 ゾンビメイクの1年生が、袋を突き破るようにして、雄たけびを上げながら上半身を勢いよく起こして来た。

 

 その事を大方予想していた友哉は、殆ど平然としていたが、

 

「キャァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 完全に不意を突かれた茉莉は、髪を逆立てる勢いで驚きの声を発する。

 

 そのまま走って逃げようとして、

 

 ゴンッ

 

「ンキャァッ!?」

 

 壁に額をぶつけていた。

 

 その後も、茉莉にとっては地獄の連続だった。

 

 転がっている死体が、突然動きだす、などと言うのは序の口である

 

 細長い廊下では、突然、左右の壁を突き破って、無数の腕が伸びて来た。

 

 病室エリアでは、部屋に入った途端扉を閉められ、四方八方から現われたゾンビに迫られた。

 

 死体保管室のホルマリンプールの中からは、無数の死体が「上陸」して来た。

 

 普通に歩いていると、病院着を着た女の子が、完全に音階を外したけたたましい笑い声と共に、追いかけ回してきた。

 

 ガラス張りの教室がある廊下では、歩いていると突然、窓ガラスに血塗られた手形が無数に貼りついた。

 

 歩いていて突然、天井から人の上半身が逆さ吊りに降って来た時には、流石の友哉も驚いた。

 

 その度に茉莉はパニックを起こし、悲鳴を上げて逃げ回っていた。

 

 そんなこんなで小1時間ほど彷徨い、ようやくコースの3分の2ほどを消化する事ができた。

 

 随分とリアルなお化け屋敷である。普通に歩いている友哉としては、なかなか楽しいと感じているのだが、

 

 一方の茉莉はと言えば、暗闇にも判るほどに顔が青ざめていた。むしろ、よく頑張っている方である。

 

 と、階段を下りて、1階エリアに入ったところで、友哉のすぐ後ろを歩いていた茉莉が足を止めた。

 

「おろ、どうしたの?」

「あ、あの・・・友哉さん・・・その・・・・・・」

 

 茉莉は、何かを言い難そうに立ち尽くしている。

 

 その視線が何度か、左右に行ったり来たりしている。

 

 そこでふと、茉莉が内股気味に太股をすり合わせて、モジモジしているのが判った。

 

 視線を追うと、トイレの看板があるのが見える。

 

 そこで友哉は、あぁ、と得心する。確かに、女の子の口からは言い出しにくいかもしれない。

 

「行ってきなよ。ここで待っててあげるから」

「あ、あの・・・・・・あの・・・・・・」

 

 茉莉は尚も、何かを言いたげに、顔を赤くして俯いている。切羽詰まってはいるけど、自分からは言い出しづらい。そんな感じだ。

 

 そこで友哉は、茉莉が何を言いたいのか理解した。

 

「・・・・・・もしかして、ついて行った方が良い、とか?」

 

 と尋ねた友哉に対し、茉莉は無言のまま首を縦に振った。

 

 どうやら、「怖くて1人でトイレに行けない病」が再発してしまったらしい。

 

 仕方なく、友哉は茉莉に着いて行ってやる事にした。

 

 とは言え、流石に中まで入る事は友哉でなくても憚られる。そこまで無頓着にはなれなかった。

 

 だが、入口で待っている、と言うと、茉莉はまたもぐずり始める。

 

 が、ここから先は、流石に譲る訳にはいかない。

 

 最終的に「漏らしても知らないよ」と言ってやると、「絶対に、絶対に待っててくださいねッ!!」と必死の形相で言って、中に入って行った。

 

 その間友哉は、トイレの入り口に背を預けて、茉莉が出て来るのを待っている事にする。

 

 一方、中に入った茉莉は、無事に用を足してから、水道の蛇口で手を洗っていた。

 

 とにかく、もう少し。もう少し頑張れば、ここから脱出できるのだ。

 

 そう、あと少し、

 

 そう思った時だった。

 

『ウッ・・・ウッ・・・ウッ・・・ウッ・・・ウッ・・・ウッ・・・』

 

 どこからともなく、嗚咽のような声が聞こえて来た。

 

「ヒッ!?」

 

 思わず、壁に背を付ける茉莉。

 

 その間にも、嗚咽は流れ続ける。

 

「ゆ、ゆゆ、友哉さん、ですか?」

 

 だが、問い掛ける言葉に、返事は帰らない。ただ、嗚咽だけが、途切れずに鳴り響いて来る。

 

 そもそも、友哉なら、こんなタチの悪い悪戯はしないだろう。

 

 身動きが取れないまま、ガタガタと震える茉莉。

 

『苦シイヨ・・・イタイヨ・・・・・・助ケテ・・・・・・助ケテ・・・助ケテェェェ』

 

 やがて、嗚咽に代わって、地獄から這い出して来るような声が、滲み出て来る。

 

 次の瞬間、

 

 バタンッ

 

「キャァッ!?」

 

 突然、トイレの一番奥の扉が、凄い音と共に開いた。

 

 大量に流れる脂汗と共にジッと目を凝らす茉莉。

 

 やがて、

 

 ズッ・・・・・・ズッ・・・・・・ズズッ・・・・・・ズズッ

 

 何かが這いずるような音が聞こえて来る。

 

 緊張が高まる中、

 

 開いたドアの向こうから、

 

 凡そ人とは思えない、真っ黒い顔をした何かがこちらを覗き込んでいた。

 

 次の瞬間、

 

「キャァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 とうとう限界を越えた茉莉は、悲鳴を上げて飛びだす。

 

 そして、

 

 コケッ

 

「あうッ!?」

 

 入り口の段差に躓いて、思いっきり顔面から床にダイブした。

 

 驚いたのは、入口で待っていた友哉である。

 

 突然、悲鳴を上げて飛び出して来たかと思ったら、いきなり目の前でコケるのだから。正直、このお化け屋敷に入って、一番驚いたかもしれない。

 

「ま、茉莉、大丈夫?」

 

 恐る恐る、声を掛けてみる。

 

 勢いよく転んだせいで、茉莉はお尻を天井に向けて突き出すような格好で床に突っ伏している。

 

 スカートも、盛大にめくれてしまっている。

 

 「あ、今日はクマさんパンツなんだ」と、ちょっと顔を赤くして心の中で呟く友哉だが、今は取り敢えず茉莉本人の方が心配なので、黙っていた。

 

「もうイヤァ、おウチ帰りたいです・・・・・・」

 

 目の幅涙を流して幼児退行する茉莉。

 

 そんな茉莉に、

 

「ほら」

 

 友哉は、優しく、手を差し伸べた。

 

「え?」

「手、繋ご。そしたら少しは気が紛れるんじゃないかな」

 

 そう言って微笑む友哉。

 

 実は、さっきから茉莉が、手を繋ぎたがっているのではないか、と友哉は思っていたのだ。こんな形になってしまったのは不本意だが、それでも、今の茉莉を安心させるには、これが一番だと思った。

 

「は、はい・・・・・・」

 

 改めて、女の子座りで床に座り直すと、茉莉はオズオズと、友哉の手を握って来る。

 

 その掌から伝わってくる温もりが、茉莉の心を落ち着かせていくのが判った。

 

「さあ、行こう。もうすぐ出口だよ」

 

 そう言って微笑むと、友哉は茉莉を優しく引っ張るようにして歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うう、ひどい目に遭いました・・・・・・」

 

 ベンチに座り、しょぼ~んって言う感じで俯いている茉莉。

 

 お化け屋敷がよっぽど怖かったのだろう。このトラウマは、暫く尾を引きそうだった。

 

「まあまあ、ほら、これでも食べて、元気出しなよ」

 

 苦笑しながら、友哉は買って来た品を広げて見せる。

 

 焼きそば、たこ焼き、お好み焼き、良く冷えたジュース。

 

 これらはお化け屋敷を出た後、再度、屋台ブースの方を回って買い求めて来た物である。

 

 時間的には昼の1時少し前。そろそろ、昼食を食べるには良いころ合いだった。

 

「すみません友哉さん。お見苦しいところをお見せしてしまって」

「いや、まあ・・・・・・」

 

 曖昧な言葉を発する友哉。

 

 だが、茉莉は相変わらず落ち込んだままである。

 

「だ、大丈夫、ああ言う茉莉も可愛かったよ」

「あんまり嬉しくありません・・・・・・」

 

 ズーンと言う擬音が聞こえてきそうだった。

 

 仕方なく、友哉は苦笑すると、たこ焼きの一つに串を差して持ち上げた。

 

「茉莉」

「・・・・・・はい?」

 

 虚ろな目で顔を上げる茉莉。

 

 その鼻先に、持ち上げたたこ焼きを持って行った。

 

「はい、あーん」

「な、ななな!?」

 

 それまでの落ち込み具合もどこへやら。茉莉は一気に顔を赤くして、友哉の顔と差し出されたたこ焼きを見比べる。

 

 そんな茉莉に、笑顔を向ける友哉。

 

 その笑顔には、強制するような圧力めいた物は感じない。だが、逆に人をひきつけてやまない何かを、茉莉は感じていた。

 

 茉莉は顔を赤くしたまま、躊躇っていたが、やがて覚悟を決めると、目を閉じて口を大きく開いた。

 

「あ、あーん・・・・・・」

 

 その口へ、友哉はたこ焼きを放り込む。

 

 余程恥ずかしかったのだろう。茉莉は咀嚼もそこそこに、大急ぎでたこ焼きを飲みこんでしまう。

 

 それを確認してから、友哉は次のたこ焼きを取り出した。

 

「はい、じゃあ、次ね」

「ま、まだやるんですかッ?」

 

 とは言え、満更でもないらしい。

 

 観念して、茉莉はまた大きく口を開く。

 

 そんな事を何度か続けていくと、茉莉の様子もすっかり落ち着いたようだった。

 

 茉莉にばかり食べさせている訳にもいかないので、友哉自身も食べる。

 

 流石にレストランや料理店並みと言う訳にはいかないが、それでもお祭り料理としては充分な出来であり、空腹の相乗効果もあって美味しく食べる事ができた。

 

「友哉さん」

 

 暫くして、茉莉の方から声を掛けて来た。

 

「おろ?」

「今日は、本当にありがとうございました。私の我儘に付き合ってくれて」

 

 そう言って、頭を下げる茉莉に対し、友哉は微笑して応じる。

 

「そんな事、気にしなくて良いよ。僕も楽しかったし。ここのところ、いろいろありすぎたからね・・・・・・」

 

 宣戦会議、極東戦役、師団(ディーン)への加入、リバティ・メイソンとの抗争、スカイツリーでの戦い。休む間もなく戦い続けた半月だった。

 

 思い起こすようにして考えていると、何やら瞼が重くなってくるのを感じた。

 

 何だか、体を起こしているだけでも億劫に感じる。

 

 きっと、物を食べて腹がいっぱいになったせいだろう。

 

「・・・・・・友哉さん?」

 

 茉莉が呼びかける声に、どうにか答を返したような気がしたが、意識はそれ以上続かなかった。

 

 最後に、茉莉がクスッと笑ったような気がしたが、後の事は全く判らなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 どれくらい、そうしていただろうか。

 

 友哉は心地よいまどろみに包まれたまま、意識がゆっくりと浮上するのが判った。

 

『・・・・・・あれ、僕は、どうしていたんだっけ?』

 

 確か、茉莉と一緒にお化け屋敷を出た後、それから食事をして・・・・・・

 

 そこから先が、思い出せない。

 

「お目覚めですか?」

 

 優しく囁かれる、茉莉の声。その声が、やけに近い場所から発せられているような気がした。

 

 それに、何やら頭の裏に、優しく包まれるような柔らかい感触がある。

 

 目を開く。

 

 そのすぐ正面に、覗き込むようにして友哉を見ている茉莉の顔があった。

 

『綺麗だなァ・・・・・・・・・・・・』

 

 殆ど回らない頭で、そんな事を考える友哉。

 

 同時に、今どんな状態にあるのか理解した。

 

 茉莉は、眠ってしまった友哉に膝枕をしてくれていたのだ。

 

 頭の裏にある感触は、茉莉の太股の柔らかさだったのだ。

 

 傍から見れば、どうかは知らないが、今の友哉には不思議とこの体勢が、恥ずかしいとは感じられなかった。むしろ、ずっとこのままでいたいとさえ思っていた。

 

「もう少し、このままでいましょう。最近の友哉さんは、少し頑張りすぎでした。たまにはこうして、お休みする時間も必要です」

 

 そう言って、微笑みながら友哉の髪を撫でる茉莉。

 

 その笑顔を見詰め、

 

『ああ・・・・・・そうだったのか・・・・・・』

 

 友哉は、心の中で呟く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『僕は・・・・・・この娘の事が、好きなんだ』

 

 

 

 

 

第13話「クロスハート・イン・フェスタ」      終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな2人の光景を、遠くから眺める視線があった。

 

「・・・・・・・・・・・・友哉君・・・・・・茉莉ちゃん?」

 

 手に大きな荷物を持った瑠香は、不思議な物を見るような眼で、2人を見ている。

 

 茉莉が、今日誰かとデートするのは知っていたし、自分も全力で応援してあげていた。

 

 だが、その「誰か」までは気が回っていなかった。

 

「瑠香ちゃん、早く早くッ みんな待ってるよ!!」

 

 立ち尽くしている瑠香を不審に思ったのか、同じように大荷物を抱えた、クラスメイトの間宮(まみや)あかりが急かして来る。

 

 そこで、瑠香は我に帰った。

 

「あ、うん、ごめん。すぐ行くよ!!」

 

 そう言って、あかりの後を追おうとする瑠香。

 

 だが、最後にもう一度だけ、2人の方に視線を向けた。

 

 

 

 

宣戦会議編     了

 

 

 

 

 

 



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人工天才編
第1話「三者三様空模様」


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザッと言う音と共に、足に砂を踏みしめる感触がある。

 

 長く続く海岸線には、見渡しても人の影は無い。

 

 もっとも、今の時間、視界の殆どは闇に閉ざされてしまっているが。

 

 今は10月。

 

 海水浴のシーズンでは無いし、深夜2時と言う時間帯は、寒さも身にしみる。

 

 気候による寒暖の差が激しいこの国は特に、夏の暑い時期でもない限り、夜中にわざわざ海に繰り出す人間はいないだろう。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 大きく息を吸い込み、肺を満たしてみる。

 

 気のせいかもしれないが、何やら、魂の奥から安らぐような気分になって行くのが判る。

 

 背後に新たな気配が経つのを感じたのは、その時だった。

 

「よう。どうだ、初めて故郷に立った気分ってのは?」

「悪くないさ」

 

 背後に立つ友の質問に対し、含みを持つ笑いと共に答える。

 

 そう、悪くない気分だ。高揚していると言っても良い。このような気分になったのは、施設を脱走して以来かもしれない。

 

 とは言え、今、友が言った言葉には誤りがある。

 

 この国は別に、自分達の故郷と言う訳ではない。自分の両親も、そして祖父母、この国の出身ではないのだから。

 

 だが、押さえきれない万感の感情を前にしては、そのような事は瑣事と言うべきだ。

 

 それはきっと、遠い先祖の血。

 

 自分の中に僅かながら残っている、この国の人間の血が、望郷の念を思い起こさせているからなのかもしれない。

 

 とは言え、あまりこうしている時間は無い。

 

 グズグズしていたら、地元の警察に見咎められる可能性もある。そうなると、色々と厄介である。

 

 何しろ、自分達の身分は、控え目に言っても密入国者だ。

 

 いや、それ以前に、自分達の世界の表裏を問わず、自分達の首を欲しがっている連中はいくらでもいる。

 

 それだけの事をして来たという自覚はあるし、また自負と誇りもある。

 

「滞在用のセーフハウスの確保は、もうできている。暫くはそこで待機。標的の情報を収集しつつ、作戦開始時期を見極める」

「了解だ」

 

 頷きを返すと、友は隣に立って笑みを向けて来た。

 

「いよいよだな」

「ああ、胸が高鳴る、とはこういう事を言うのだろうな」

 

 彼等の背後には2人、より小柄な人影が立っているのが闇夜に見える。

 

 合計で4人。

 

 この4人が、今作戦における主要メンバーとなる。

 

「お互い、因縁の相手ってのは、どうしても気になるもんだな」

「違いない」

 

 そう言って、フッと笑みを浮かべる。

 

 今、脳裏には1人の男の顔がある。

 

 それが、自分にとっての因縁の相手。

 

 今回の来訪の目的であり、自分が倒すべき敵の姿。

 

「もうすぐだ・・・・・・待っていろ・・・・・・」

 

 闇に溶け込むように、その名を呟いた。

 

「・・・・・・・・・・・・緋村友哉・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼の時間、学食内は喧騒に満たされており、騒がしい限りである。

 

 学園祭も終わり、通常授業に戻った武偵校では、いつも通りの光景が返って来ていた。

 

 今は昼休み。

 

 午前中の一般科目の授業が終了し、午後からは専門授業や任務の遂行となる。

 

 そんな中で、

 

 四乃森瑠香は1人、テーブルに肘をついて考え事をしていた。

 

 頼んだラーメン定食には、一切手を付けていない。そのせいで、スープの中で麺が順調に成長を続けていた。

 

 脳裏に思い出されるのは、あの学園祭での一幕。

 

「・・・・・・・・・・・・友哉君・・・・・・茉莉ちゃん・・・・・・」

 

 緋村友哉と瀬田茉莉。

 

 ともに瑠香にとっては、かけがえのない存在。

 

 茉莉は、初めて会った時は、敵同士だった。任務を妨害された事もあるし、騙し打ちでひどい目に遭わされた事もある。

 

 だが、瑠香はそんな些細な事で茉莉を恨んだ事は一度も無かった。年齢は茉莉の方が上なのだが、儚さと、それに伴う危うさを伴った雰囲気を持つ茉莉を、瑠香はいつしか可愛い妹のように感じるようになっていた。

 

 そして友哉。

 

 幼い頃から一緒にいる事の多かった、幼馴染の少年。

 

 共に遊び、共に学び、そして武偵校に入ってからは共に戦って来た少年。

 

 瑠香にとっては、初恋の相手であり、今も変わらず心の中にある続ける少年だ。

 

 その、友哉と茉莉が、学園祭で一緒にいる所を、瑠香は偶然見てしまった。

 

 それだけではない。遠目で見ると2人がまるで仲の良い、そう、まるで恋人同士が睦み合っているようにも見えたのだ。

 

「あの2人・・・・・・もしかして、付き合ってるのかな・・・・・・」

 

 誰に聞くでもない問いに、当然、答は返らない。

 

 もし、そうなら、自分はどうすれば良いのだろうか?

 

 友哉と茉莉。

 

 瑠香にとっては、どっちも大切な存在である事に変わりは無い。

 

 どちらを傷付ける事もしたくはない。

 

 だが、ならば2人が付き合っている横で、自分は平然と、2人の友達面して笑っていられるのかと聞かれれば、到底そんな自信は無かった。

 

 友達を失いたくない気持ちと、友達を取られたくない気持ちが、瑠香の中で激しくぶつかり合っていた。

 

 その時だった。

 

「・・・・・か・・・・・・瑠香・・・・・・るーかッ・・・・・・瑠香ってば!!」

「は、はいッ!?」

 

 突然で大声で名前を呼ばれて顔を上げる。

 

 そこには、1人の女子生徒が、呆れ顔で瑠香の顔を覗き込んでいるのが見えた。

 

「た、高梨、先輩?」

「もうッ 何回呼んでも返事が無いんだから。どうしたの、一体?」

 

 高梨・B・彩夏。この間、友哉と同じクラスに転校してきた女子生徒。リバティ・メイソンと呼ばれるイギリスにある、伝統ある秘密組織の構成員である。

 

 そのリバティ・メイソンの師団帰属問題を巡り、刃を交えたのはついこの間の事である。

 

 彼女と、そしてエル・ワトソンがバスカービル・イクス連合軍に敗れた事で、リバティ・メイソンは以後、師団側に立って極東戦役を戦う事を決めた。

 

 この彩夏も、今ではすっかり師団の仲間である。

 

「どうしたの、何か悩みごと?」

 

 問いかけに対し、瑠香は答えあぐねる。

 

 彩夏の事は嫌いではない。確かについ先日戦ったばかりだが、遺恨あっての事では無く、それはお互いの立場に従っただけの事である。戦いが終わり、こうして仲間になった以上、彼女と敵対する理由は、瑠香にも、そして他のイクスメンバーにも無かった。

 

 しかし、それでも、この問題は軽々しく誰かに相談して良い事とは思えなかった。

 

「言いにくい事?」

「ちょっと・・・・・・」

 

 心配そうに尋ねる彩夏に、瑠香控えめに頷きを返す。彩夏の気づかいには有り難いが、瑠香自身この問題はまだ、明確な形が見えている訳では無い為、どう相談すればいいのか判らなかった。

 

「ふうん、じゃあ、聞かないでおいてあげる」

 

 そう言うと彩夏は、自分が持って来たカレーを食べ始めた。

 

 瑠香もその彩夏の様子を見て、自分がまだ食事に手を付けてなかった事を思い出し、慌てて割り箸を割った。

 

 伸びた上に、温くなった麺を啜っていると、彩夏が再び声を掛けて来た。

 

「そう言えば、前から瑠香に聞こうと思ってたんだけどさ」

「何ですか?」

 

 麺を食べながら、瑠香も顔を上げる。

 

「瑠香ってさ、友哉の事、好きなんでしょ」

「ぶふぁァッ!?」

 

 正に今タイムリーなネタで突っ込まれ、瑠香は思わず食い掛けのラーメンを噴き出したしまった。

 

「ちょ、だ、大丈夫?」

 

 慌てて彩夏がハンカチを取り出し、瑠香の口元を拭ってやる。

 

「ご、ごめんなさい、けど、どうして?」

 

 その「どうして?」には2つの意味があった。「どうして、その事を知っているのか?」と、「どうして、ここでその話をするのか?」と言う。

 

 彩夏はどうやら、前者の意味で取ったらしい。

 

「極東戦役にうちの組織が介入するに当たってね、標的に切り崩し易いイクスとバスカービルにするって言うには、比較的初めの頃から決定していた事なの。で、あたしのワトソンには、それぞれ別々の指令が下りてね。アリアとの関係から、ワトソンはバスカービル担当になってさ。で、余ったあたしは、イクス担当だったって訳」

 

 どうやら離間の策を予定されていたのは、バスカービルだけでは無かったらしい。もしバスカービルへの調略が失敗する、あるいは彩夏の方がワトソンよりも速く準備を完了していたなら、あの戦いにおけるイクスとバスカービルの立場は逆になっていたかもしれない。もしかしたら、その勝敗も。

 

 彩夏は意味ありげに笑みを浮かべながら続ける。

 

「もし、イクスを標的にした場合、あたしはあなたをターゲットにして、イクスを分裂させる予定だったから」

 

 彩夏がさらっと言った言葉に、思わず瑠香は息を飲んだ。

 

 もし、そうなっていたら、どうなっていただろう?

 

 相手は友哉をも追い詰めた戦闘力の持ち主。正面きっての戦闘では、まず敵わない。

 

 想像する事すら、空恐ろしかった。

 

「そ、そうならなくて良かったです」

「お互いにね。あたしだって、そんなやり方、気分良い物でもないしさ」

 

 そう言ってサバサバ笑う彩夏に、瑠香はホッとする。

 

 彩夏の笑顔には、表裏があるようには見えない。どうやら、組織の真意はどうあれ、この先輩の事は信用して良いような気がした。

 

「で、あなたの事は、あれこれ調べたんだけど、どうしても判らなかったのが、何で、京都出身のあなたが、わざわざ東京武偵校を選んで進学したのかって事。別に武偵校だったら、京都にも、大阪にも、兵庫にも大きいのがあった筈でしょ。規模としても、こことそう変わらない筈だし。わざわざこっちに来る必要は無かった筈よね」

「それは・・・・・・」

 

 言葉に詰まる瑠香に対し、彩夏は更に続ける。

 

「で、こっからはあたしの勘なんだけど、あなたは入学前、中学生の時点で、もう友哉と徒友契約をしている。で、ピンと来たのは、目的は学校なんじゃなくて、友哉自身だったんじゃないかって事。友哉とあなたが幼馴染なのは調べがついていたし、そう考えれば、全部が自然な流れのような気がしてくるのよ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ぐうの音も出ない。とはこの事だ。

 

 彩夏の言っている事は、全て細大漏らさず正鵠を射ている。

 

 今まで瑠香は、自分の想いを誰かに言った事は無い。友哉や茉莉は勿論、陣や紗枝、クラスメイトの間宮あかり達にすら内緒にしている。

 

 だがまさか、ついこの間会ったばかりの彩夏に看破されてしまうとは、思ってもみなかった。

 

「で、もう告ったの?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 無言で返事を返す瑠香。

 

 言える訳が無い。こんな状況で。もしかしたら、友哉と茉莉が付き合っているかもしれない、などと。

 

 その瑠香の反応を質問に対する否定と取ったのだろう。彩夏は呆れ気味に溜息をつく。

 

「まあ、人の事をとやかく言う気は無いけどさ、そんな呑気な事やってたら、誰か他の娘に取られちゃうよ。彼、見た目悪くないし、性格は優しいから、女なら放っておかないと思うな」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 そんな事、言われるまでも無かった。

 

 恐らく、彩夏としては悪気があって言っている事では無く、瑠香の背中を押しているつもりなのだろう。

 

 だが、その取られる相手が問題なのだ。

 

 これが、全く知らない、別の女であったのなら、瑠香は多分、幼馴染で戦妹と言う強力なアドバンテージを如何なく発揮して、強引にでも友哉を取り戻しにいった事だろう。

 

 だが、相手は他でもない、茉莉なのだ。

 

 親友で、チームメイトで、年上なのに妹のような女の子。

 

 彼女を傷付けるような真似、瑠香にはできない。

 

 果たして、どうすれば良いのか。

 

 瑠香の問いは、複雑な迷宮の中に迷い込み、出口も判らず彷徨っていた。

 

 

 

 

 

 体操着を着た緋村友哉は、流れ出る汗に構わず、相手を睨みつける。

 

 銃を向けている相手もまた、同様の表情をしている様子が遠目にも確認出来る。

 

 午後に入り、強襲科(アサルト)体育館で訓練を行う事にした友哉は、友人を誘っての模擬戦闘を行う事にしたのだ。

 

 以前、父から貰った、先祖、緋村剣路が書き残した備忘録に記されていた技は、反復練習を繰り返す事で、全てマスターしていた。

 

 これにより、友哉の持つ戦術のバリエーションは大幅に強化された事になる。

 

 もっともその中で友哉は2つだけ、ある理由から禁じ手として、生涯決して使わないと誓った技がある。

 

 一つは、龍槌閃・惨

 

 通常の龍槌閃の場合、空中に飛び上がり、落下の勢いを利用して相手を斬り下げるのだが、龍槌閃・惨の場合、切っ先を下にして、相手に突き込む形になる。

 

 もう一つは龍巣閃・咬

 

 縦横に剣閃を走らせる事は通常の龍巣閃と変わらないが、龍巣閃・咬の場合、無数の斬撃を相手の体の一点に集中させ、破壊力を増加させるのだ。

 

 どちらも殺傷力と言う点で、他の技を凌駕している。仮に使用すれば、たとえ逆刃刀を使ったとしても、相手を死に至らしめる可能性がある。

 

 武偵法9条により、日本では武偵が殺人を犯す事を禁じられている。

 

 故に友哉は、この2つの技をマスターしながらも、使用しない事に決めたのだ。

 

 今回の模擬戦では、マスターした他の技を、実戦形式で試してみると言う目的もあった。

 

 相手を頼んだのは、クラスメイトの不知火亮である。

 

 同じ強襲科所属の不知火は、その甘いマスクと優しい性格から、女子達に人気がある一方で、戦闘においては銃、ナイフ、格闘、全てを高い次元で使いこなすオールラウンダーでもある。

 

 刀以外に取り柄の無い友哉と違って、あらゆる局面で水準以上の能力を示す不知火なら、こうした訓練の相手にも、うってつけであった。

 

 模擬戦は熾烈を極め、周囲で訓練をしていた学生達も、手を止めて見入っていたくらいだ。

 

 5本勝負を行い、3対2で友哉が勝ち越したところで、一時休憩となった。

 

「いや、やっぱり不知火はやりにくいよ。どの距離(レンジ)でも有効打を撃ってくるんだから」

 

 スポーツ飲料の入ったボトルを傾けながら言う友哉に対し、不知火も苦笑して応じる。

 

「そう言う緋村君だって。弾丸を殆ど弾くか、かわすかして斬り込んで来るから、こっちとしては敵わないよ」

 

 短期未来予測を使えば、友哉はだいたい3秒、少し無理をすれば5秒くらい先までなら、相手の動きを予測する事ができる。友哉はこの能力を利用して、銃火器全盛の近代戦を戦いぬいて来たのだ。

 

 引き金を引く際の、目線、銃口の角度、筋肉の動き、姿勢。それらを見極めれば、発砲のタイミングや射線を読む事は、友哉にとってはさほど難しい事では無い。

 

 この能力と飛天御剣流の技があったおかげで、今まで数々の強敵と互角以上に戦ってくる事ができたのだ。

 

「それにしても・・・・・・」

 

 不知火は、少し何かを考え込むようにしてから言った。

 

「緋村君、前に比べると、少し変わったよね」

「そうかな?」

 

 指摘され、首を傾げる。

 

 自分では、特に気にしている訳ではない。動きや技にキレが無くなっている様子も無いし、他にも特に、不調と思えるような事は無かった。

 

「別に、どこか変わったようには思えないんだけど?」

「目に見える変化じゃないんだ。何って言うか、雰囲気、かな?」

 

 どうやら、不知火でもうまく説明できないらしい。

 

 確かに、雰囲気が変わったと言われれば、友哉自身から認識できないのも無理は無いかもしれない。

 

「何かあったの、瀬田さんと?」

「おろ?」

 

 突然の事で、思わず友哉は絶句しつつ不知火に視線を向けた。

 

 対する不知火は、柔らかい微笑で友哉の視線を受け止める。

 

「な、何で、そこで茉莉が出て来るのかな?」

「だって、この間の学園祭の時、2人で一緒に回っていたよね。ベンチで瀬田さんが緋村君を膝枕している所を見ちゃったんだけど」

「えッ!?」

 

 思わず、友哉は顔が赤くなるのを自覚した。

 

 あの時は、寝起きと言う事もあって頭が働かず、そのままの状況を受け入れてしまったが、後になった冷静になり、よくよく考え直してみたら、自分がとてつもなく恥ずかしい状況にあったのを思い出し、自室のベッドの上で思わず悶えてしまった物である。

 

 そんな友哉に構わず、不知火は続ける。

 

「緋村君、もしかして瀬田さんと付き合ってるの?」

「い、いや、そんな事は・・・・・・」

 

 相変わらず、この手の話題をよく振って来る男である。

 

 不知火はなぜか知らないが、他人の恋愛話に首を突っ込みたがる傾向にある。今までも、周囲に浮いた話の事欠かないキンジなどは、不知火の恰好のターゲットであった。

 

 翻って、不知火自身は浮ついた噂の一つも上がらない為、一部からはホモなのではないか、と言う声も上がっているくらいである。

 

 もっとも、不知火に限って言えば、男と付き合っている、などと言う不名誉な噂も立たない為、友哉としてはたんに他人の噂好きなんだろう、くらいの認識しか持っていないが。

 

「お似合いだと思うんだけどな、2人とも」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 不知火の言葉に、友哉は無言の返事を返す。

 

 確かに、自分は茉莉に対して好意を抱いている。

 

 その事を認識したのは、ついこの間の事だが、今ではハッキリと自覚できるくらいに、心の中の想いは成長していた。

 

 だが、

 

 果たして茉莉の方は、友哉の事をどう思っているのだろうか?

 

 友哉の不安は、そこにあった。

 

 自分は茉莉の事が好きだ。それは良い。

 

 だがもし、茉莉は友哉の事を嫌っていたら? いや、そこまで露骨でなくとも、お友達、もしくはチームメイト程度にしか思われていなかったとしたら、

 

 多分、自分はものすごいショックを受けるのではなからろうか?

 

「・・・・・・・・・・・・ねえ、不知火」

 

 ややあって、今度は友哉の方から声を掛けた。

 

 振り返る不知火に、友哉は少しためらうような口調で話す。

 

「自分が好きな娘が、自分をどう言う風に思っているか知りたい時って、どうすればいいと思う?」

 

 我ながら、随分と曖昧な質問だと思ったが、今の友哉には、これくらいしか質問する言葉が思い浮かばなかった。

 

 別に、明確な答えを期待している訳じゃない。ただ、誰かに、このモヤモヤした気持ちをぶつけて、返事が聞きたかっただけ。その対象が、たまたま話を振って来た不知火だったと言うだけの事である。

 

 対して、不知火はニッコリ微笑んで答える。

 

「まず、自分から相手に、その気持ちを言ってみるのが大切なんじゃないかな? そうする事で、相手も答を返してくれるだろうし」

 

 返された答に、友哉はそっと溜息をついた。

 

 不知火の答は正論だ。正論過ぎて実行が難しいからこそ、友哉は悩んでいるのだ。

 

 だが、結局のところ、それしか方法は無いのかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 瀬田茉莉は、窓際の席に座ったまま、ボーっと空を眺めていた。

 

 今は探偵科(インケスタ)の専門授業の最中。壇上に立った高天原ゆとりが、教科書に書かれている内容について、丁寧に説明している。

 

 しかし、茉莉は、その内容を一切聞いていなかった。

 

 脳裏にあるのは、1人の少年の事。

 

 緋村友哉。

 

 茉莉が所属するチーム・イクスのリーダーであり、そして今、茉莉が密かに想いを寄せている少年。

 

 いつの頃から、彼への想いが好意に変わったのか、実のところ茉莉にも判然としない。

 

 長野で茉莉の故郷を守るために、彼が戦ってくれた時。

 

 あの時にはもう、既に茉莉の好意は友哉に向いていたと思う。

 

 では、その前だろうか?

 

 イ・ウーでの決戦の時?

 

 それとも、横浜で潜入任務を受けた時?

 

 そちらも、確信と言うほどの物は得られない。

 

 結局、自分の友哉に対する想いなんてものは、その程度なんだろうか、と、1人でズーンと落ち込む茉莉。

 

 気を取り直して、別の事を考える。

 

 自分が友哉に好意を持っている。それは良い。

 

 だが、果たして友哉は、自分の事をどう思っているのか?

 

 何しろ、友哉はあの通りの性格だ。男女の別を問わず友達は多いし、自分の元に集まる人物ならどんな相手でもわけ隔てなく優しく接する。

 

 そんな友哉に好意を寄せている人間が、自分だけとは限らないのではないか。いや、それ以前に、もしかしたら付き合っている人だって、いるかもしれない。

 

 確かめたい。

 

 でも、確かめる事が怖い。

 

 身を焦がすようなジレンマの中、茉莉は自分の内にある感情を持て余し気味になっている。

 

 周囲を見回す。

 

 隣には、同じ師団(ディーン)所属のバスカービルリーダーである、遠山キンジが、一生懸命授業の内容をノートに写していた。

 

 だが、茉莉の探す人物の姿は、教室内に無かった。

 

 イ・ウーにおいて同期であり、同じく探偵科所属の峰理子は、ゆったりとした金髪ツーテールをしている為、遠目にも判りやすい。

 

 自称「ラブロマンスの人間ウィキペディア」である理子がいてくれれば、この手の事は相談し易いし、色々と的確な助言をしてくれると思ったのだが。

 

 今日、理子は、チームメイトの神崎・H・アリアと、買い物へ行くと言って、授業を休んでいたのだ。

 

 もう一度、空を見上げる。

 

 女心と秋の空とは、「先が読めない」という意味合いの言葉だが、今の茉莉には、自分の心すら読めなかった。

 

 その時、

 

「おい、瀬田ッ 瀬田ッ」

 

 隣に入るキンジに小声で呼ばれ、茉莉は我に返って振り返った。

 

「遠山君、どうかしました?」

 

 茉莉の問いかけに対し、キンジは無言のままシャーペンの先で前の方を指し示す。

 

 そこでは、困り顔のゆとりが、茉莉と視線を交えていた。

 

「あ、あの、瀬田さん。この問題を、解いてもらいたいんだけど・・・・・・」

 

 凶暴揃いの武偵校教員陣の中にあって、その笑顔と優しい性格から「教務課(マスターズ)のオアシス」と言う異名で呼ばれているゆとりに泣きそうな顔をされ、茉莉は焦ったように教科書に目を落とす。

 

 が、授業の始まりから考え事をしていた為、当然ながら一文字たりとも授業の内容は頭に入っていない。

 

「・・・・・・・・・・・・すみません。聞いてませんでした」

 

 言いながら、友哉に対してもこれくらい素直になった方が良いだろうか、と、尚も不埒な考えが頭をよぎっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が落ちるのも、以前に比べて早くなって来たと思う。

 

 強襲科(アサルト)での訓練を終え、帰宅の途に着いている友哉は、暗くなりつつある視界の中を、1人歩いていた。

 

 共に歩く者は、誰もいない。

 

 友哉としても1人で歩きたい気分だったので、ちょうど良かった。

 

 今まで、友哉は誰かを好きになった事は無い。

 

 勿論、子供の頃から数えれば、友達はたくさんいた。それこそ、男女の別を問わずである。憧れをもった事がある女性と言う意味では、従姉で年上の明神彩が、一時期そうだったかも知れない。

 

 だが、付き合いたいと思った女の子は、茉莉が初めてだった。

 

 それ故に、どのように接すれば良いのか、友哉には判らないのだ。

 

 不知火は、自分から積極的になるべきだ、と言った。

 

 確かにそれが正論だ。まったくもって、あのイケメンの友人は正しい。

 

 茉莉に自分の想いをぶつける。そして、答を聞く。それだけで、友哉が持っている悩みはすっきり解消されるだろう。

 

 だが、

 

 受け入れてもらった時は良い。その後、彼女になった茉莉と一緒に楽しい時間を過ごせるだろう。

 

 だが、断られた時は?

 

 多分、暫くは立ち直れなくなるんじゃないだろうか。

 

 結局、友哉は自分の中で答を見いだせなかった。

 

 吹いて来た風が首筋を撫でる。

 

 日没が早まるのに比例して、気温も低下している。

 

 寒さに耐えるように、友哉は防弾コートの襟をより合わせた。

 

 その時、

 

 制服のポケットに入れておいた携帯電話が、着信を告げる。

 

 取り出して液晶を開いて見ると、表示されている番号は見慣れないものであった。

 

 訝りながら、電話に出てみる。

 

「はい、もしもし?」

《緋村かッ。儂じゃ!!》

 

 その声には、聞き憶えがあった。

 

「おろ、玉藻?」

 

 今次戦役における師団(ディーン)のリーダーであり、見た目は小学生女児ながら、狐の耳と尻尾を持った齢800歳の大妖怪である。

 

 なぜ、玉藻が自分の携帯番号を知っていたのか気になるところだが、それを尋ねられる雰囲気ではなかった。

 

 電話口の玉藻は、何やら慌てた様子である。

 

《緋村、まずい事になったぞ。バスカービルが敵の襲撃を受けたッ》

「なッ!?」

 

 絶句する友哉。

 

 唐突すぎる。

 

 確かに、極東戦役では奇襲攻撃が許されているが、あまりにも突然の出来事であった。

 

《敵はGⅢ(ジーサード)とそれに与する者共じゃ。既に、アリア、白雪、理子、レキがやられ、敵の手に落ちたッ》

 

 ジーサード。

 

 その名前に、友哉は自身の中にある緊張が、否が応でも高まるのを感じた。

 

 あの宣戦会議の夜に集った者達の中で、友哉が最も危険と感じた存在。

 

 あれだけ錚々たるメンツの中で、物怖じ一つせずに無所属宣言を高らかにした男が、ついに姿を現わしたのだ。

 

 そして、Sランク武偵であり、東京武偵校最強と言っても過言ではないアリア、そのアリアと互角以上に戦う事ができる理子、超能力(ステルス)において他の追随を許さない白雪、超絶的な狙撃能力を誇るレキが、既に倒されたと言う事には、戦慄を禁じえなかった。

 

《既に、遠山とワトソンが、アリア達の救出に向かった》

「場所を教えて。僕もすぐに向かう!!」

 

 逸るように言う友哉。

 

 だが、玉藻は、厳しい口調でそれを制した。

 

《いかんッ 相手の実力は未知数じゃ。しかも、不意を突いたとはいえ、アリア達を瞬く間に倒す程の力を持っておる。お主まで行くのは危険すぎるッ》

「でもっ!!」

《まずは様子を見ることが肝要じゃ。お主は、イクスの仲間を集めて浮島の防備に当たれ。他に敵がいるやもしれぬし、眷属(グレナダ)も、この機に乗じようと言う輩がおるかもしれん》

 

 浮島、と言うのは学園島の事だろう。

 

 確かに、ここは言わば、師団にとっての本丸だ。敵の別働隊が、ここを突いてくる可能性も捨てきれないし、他にも、眷属(グレナダ)に所属する組織が、攻めてくる可能性だってあり得る。

 

《良いな緋村。既に彩夏もお主の元に向かうよう、手筈を着けた。後は・・・・・・》

「ごめん、玉藻」

 

 友哉は、玉藻の言葉を遮るようにして言った。

 

 その瞳は鋭く細められ、前方、闇の中をジッと見詰めている。

 

「どうやら、もう遅いみたいだ」

 

 言いながら、玉藻の返事を待たずに携帯電話を閉じた。

 

 腰の逆刃刀に手を掛けながら、いつでも抜けるように身構える。

 

「・・・・・・・・・・・・出てきなよ。僕に用があるんでしょ?」

 

 声は闇の中へと溶けていく。

 

 その声に反応するように、

 

 闇の中から、人影が2つ、滲み出るように現われた。

 

 

 

 

 

第1話「三者三様空模様」      終わり

 



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第2話「挑戦者たち」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 闇から滲み出るように現われた2人を、友哉は鋭い眼差しで見詰める。

 

 1人はかなり背が高い。180センチ以上はあるだろう。150センチ台の友哉からすれば、見上げるような長身だ。引き締まった体をしているのが、遠目にも判る。

 

 翻ってもう1人は、かなり小柄だ。恐らくこちらは、友哉よりも体が小さいだろう。

 

 2人ともピッタリとしたアンダースーツのような黒い衣装に身を包み、顔にはバイザー付きのヘッドギアのような物を被っている。その為、顔を覗う事は出来なかった。

 

 背の高い方は男である。そして、背の低い方は、丸みを帯びた体のラインや、膨らんだ胸の様子から、女である事が判った。

 

 共通点を殆ど見出す事ができない2人。

 

 そんな2人の、唯一とも言える共通点。

 

 それは、腰のベルトに装着した、細身の曲刀であろう。どのような剣なのかは、鞘に入っている為に判り辛いが、柄や鍔、鞘などは近未来を思わせる鋭角的なデザインである。

 

「・・・・・・緋村、友哉だな?」

 

 男の方が、低い声で尋ねる。

 

 聞き憶えのある声では無い。前に会った事は無い筈だ。だが、敵は友哉の素性を知っていた以上、何らかの繋がりがあると考えるのが自然だった。

 

 必要があって友哉の事を調べたのか、あるいは過去に友哉が戦った者の身内か。

 

 何れにしても相当の準備をしてきた事が窺える。油断はできなかった。

 

「・・・・・・そうだけど、君達は?」

 

 返答を期待しての問いでは無い。単に儀礼的な物だと友哉は解釈して尋ねる。

 

 だが、意外な事に、答は返ってきた。

 

「俺はMⅠ(エムアインス)。こっちはMⅡ(エムツヴァイ)だ」

 

 返答に対し、友哉は脳裏で「やはり」と呟く。

 

 一般的な名前では無く、まるで兵器か何かの形式番号のような名前から判断しても、恐らく間違いないだろうと確信した。

 

「その名前、君達もジーサードの?」

 

 友哉の問いに、エムアインスと名乗った男は重々しく頷く。

 

「我々は、あいつの仲間だ。さあ、緋村友哉、我々と戦ってもらうぞ」

 

 そう言うと、腰の剣へ手を掛けるエムアインス。同時に、傍らのエムツヴァイも、腰を落として斬り込む姿勢を見せた。

 

「・・・・・・断る、と言ったら?」

 

 正直、アリア達を奇襲された恨みもある。仲間がやられたら、やり返すのが武偵の意地。友哉とて、今すぐにでも斬りかかりたいくらいだ。

 

 だが、今はまずい。

 

 アリア達同様、友哉もまた奇襲を食らった形だ。準備もできていないし、何より相手は2人、こちらは1人。数的にも劣勢だ。

 

 しかし、無論のこと、相手はそのような事を一切、斟酌しなかった。

 

「ならば・・・戦わざるをえんようにしてやろう」

 

 言った瞬間、

 

 エムアインスは、凄まじい勢いで距離を詰めて来た。

 

『速い!?』

 

 気付いた瞬間、既に相手は間合いに入り、腰の刀を抜き打っていた。

 

 とっさに、大きく後退する友哉。

 

 同時に、腰の刀を抜き放つ。

 

 そこへ、再びエムアインスが斬り込んで来る。

 

 迎え撃つように、前へ出る友哉。

 

 互いの剣がぶつかり合い、火花を散らす。

 

 同時に、友哉とエムアインスは、互いに腕を引くようにして離れた。

 

 離れた瞬間、友哉は相手の得物に目をやり、そして思わず呻いた。

 

「それ、日本刀ッ!?」

 

 柄や鞘等の造りが近未来的なデザインであった為に気付かなかったが、僅かに反った薄い刀身や、波紋の浮いた刃は、間違いなく日本刀のそれだった。

 

 驚く友哉に対し、エムアインスは更に斬り込んで来る。

 

 横薙ぎの一閃に対し、自身も刀を繰り出して防ぐ友哉。

 

 だが、

 

「クッ!?」

 

 弾いた瞬間、思わず呻き声を発した。

 

 掌に感じる痺れ。

 

 相手は凄まじい膂力の持ち主だ。単純な打ち合いでは、あっという間に押し切られてしまうかもしれない。

 

 体勢を立て直そうと、後退を決意した時だった。

 

 エムアインスの脇から、疾風のように飛び出してくる影がある。

 

 エムツヴァイだ。

 

 影から出る形で友哉に奇襲を掛けたエムツヴァイは、勢いのままに抜刀、斬り込んで来る。

 

「ッ!?」

 

 抜刀の一撃を、とっさに刀を立てる事で防ぐ友哉。

 

 見れば、やはりと言うべきか、エムツヴァイの武装も日本刀だった。造りの方も、エムアインスの持つ物と全く同じである。

 

 刃と刃が勢い良く擦れ合い、火花が盛大に散らばる。

 

 瞬間、

 

 友哉とエムツヴァイは、バイザー越しに至近で睨みあいながらすれ違った。

 

 同じ格好に、同じ武装。

 

 こんな状況じゃなかったら、戦隊物か、と突っ込みを入れたいところだが、生憎、友哉にその余裕は無い。

 

 エムツヴァイの一撃をいなしながら、友哉は2人を同時に視界に収められる位置へと移動する。

 

 強い。

 

 数合打ち合っただけで、その事を感じ取る事ができる。

 

 特にエムアインスの方。速度は友哉と同等で、恐らく腕力では向こうが上だ。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 軽く呼吸を行い、息を整える。

 

 長引かせる事は不利だ。ここは一気に決めた方が良いだろう。

 

 多くの実戦経験を積んだ、友哉の戦術思考が、そう結論付けた。

 

 体を捻り、刀身を体の影に隠すように構える。

 

 相手は2人。1人に対し、1撃以上掛ければ、もう1人から反撃を食らう事になる。

 

 友哉の剣気が、一気に上昇した。

 

 次の瞬間、

 

 上空を目指して、大きく跳躍する。

 

 眼下を見据え、急降下の体勢に入る友哉。

 

 振り翳した刀が、闇の中で一瞬きらめく。

 

「飛天御剣流、龍槌閃!!」

 

 そのまま相手を斬り下げる。

 

 そう思った瞬間、

 

 思わず友哉は目を見張った。

 

 エムアインスが構えをとっている。

 

 その構えは、右手一本で持った刀を、弓を引くようにして構え、空いた左手は反った峰に添えている。

 

「その構えはッ!?」

 

 友哉が叫んだ瞬間、

 

「飛天御剣流、龍翔閃!!」

 

 翔け上がる龍の如く。

 

 エムアインスは上昇と同時に刀を振り上げ、宙にあった友哉に食らいついた。

 

 ぶつかり合う、刀と刀。

 

 飛び散る火花は、空中で飛散する。

 

 次の瞬間、友哉の体はエムアインスの攻撃を受け止めきれず、大きく弾かれる形で、空中でバランスを崩した。

 

「ぐあァッ!?」

 

 そのまま地上へ落下。着地に失敗し、無様に地面に転がる。

 

 対してエムアインスは、悠然と地上へ降り立った。

 

 どうにか起き上がり、顔を上げる友哉。

 

 その視界には、自分を見据えるエムアインスとエムツヴァイの姿がある。

 

 馬鹿な、と思う。

 

 友哉は未だに、自分の身に起きた事が信じられなかった。

 

「な、何で、君達が飛天御剣流の技をッ!?」

 

 問い掛ける友哉。

 

 しかし、答えの代わりに、今度はエムツヴァイが動いた。

 

 刀を横薙ぎに振りかぶりながら、友哉に向けて突っ込んで来る。

 

 迎え撃つように、刀の切っ先を向ける友哉。

 

 だが、次の瞬間、エムツヴァイは、大きく体を捻り込んだ。

 

「ッ!?」

 

 目をも開く友哉。

 

 そこへ、エムツヴァイは、巻いた螺子を戻すように回転しながら斬り込んで来た。

 

「飛天御剣流、龍巻閃!!」

 

 ギィン

 

 友哉とエムアインス。

 

 互いの剣がぶつかり合う。

 

 勢いに押されて、後退する友哉。

 

 辛うじて足裏でブレーキを掛けて、吹き飛ばされるのを堪える。

 

 しかし、その隙を逃す、エムアインスでは無い。

 

 体勢を崩した友哉に、神速の勢いで斬り込んで来る。

 

 対して友哉は、エムツヴァイの攻撃を凌いだ直後であり、とっさに動く事ができない。

 

「飛天御剣流・・・・・・」

 

 エムアインスは、空中を泳ぐように、友哉に頭を向けて突っ込む。

 

 同時に、体を捻り回転を掛けて斬り込んで来た。

 

「龍巻閃・旋!!」

 

 プロペラを思わせる高速の横回転。

 

 それは緋村剣路の備忘録にも載っていた、龍巻閃の派生技の一つ。

 

 通常の龍巻閃なら地に足を付き、そこを始点に体を回転させるが、この龍巻閃・旋は、空中を飛翔し、突撃しながら回転する技である。相手の攻撃をかわしながら突撃する為、通常の龍巻閃よりも難易度が高い。

 

 その一撃は、友哉の防御をすり抜けて斬り込んで来た。

 

「ウグッ!?」

 

 一撃を肩口に受け、友哉は大きく吹き飛ばされる。

 

 あまりの衝撃の為、体勢を立て直す事もできずに、地面へと転がった。

 

 地面に這いつくばり、激痛の走る体を必死に起こそうとする友哉。

 

 最早、疑う余地は無い。

 

 如何なる事情なのかは知らないが、エムアインス、そしてエムツヴァイの2人は、飛天御剣流の技を使う事ができるのだ。

 

 立ち上がり、刀を構え直す友哉。

 

 飛天御剣流の技は、師匠がただ1人の弟子を選んで継承する流派。しかも、明治以降絶えて久しく、友哉が文献を元に再現するまで使い手が存在しなかった流派だ。

 

 故に友哉としても、同門対決だけは絶対にあり得ないと思っていたのだが、

 

 そのありえない筈の事が、現実に起こっていた。

 

 立ち上がった友哉を警戒するように、対峙する2人も刀を構え直す。

 

「なかなか、しぶといな」

 

 低い声で、エムアインスは告げる。

 

「だが、そうでなくては、我々がこの国に来た意味が無い」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 エムアインスが告げた言葉の意味を、友哉は脳裏で反芻する。

 

 彼等は友哉の存在を知っていた。知っていて襲って来たのだ。

 

 今の口ぶりからすると、彼等が現われた目的は、友哉と戦う事にあるとも取れる。

 

「・・・・・・君達の目的は、何?」

 

 戦いを求める以上、そこに何かを見出したいから、と言う風に解釈できる。

 

 戦いその物を求め、勝利する事で快楽を得ようとする者も世の中にはいるが、この2人は、何となくその類の人間では無いような気がしていた。そもそも、ただ戦うだけの人間なら、相手の事を調べて襲う、などと言う手間のかかる事はしないだろう。

 

 友哉の質問に対し、ややあってエムアインスが答えた。

 

「・・・・・・目的。それは、俺達が俺達になる事だ」

「・・・・・・?」

 

 謎めいた言葉に、友哉は眉を潜める。

 

 なぜ、友哉と戦わねばならないのか。そもそも、「俺達になる」とはどう言う事なのか? それが判らない。

 

「あなたと戦い、そして倒す事によって、私達は初めて自分と言うものを得る事ができる」

 

 今まで殆どしゃべる事の無かったエムツヴァイが口を開いた。

 

 バイザーで隠しているせいで、顔を覗う事ができないが、声は透き通るような美しさがあり、まるでソプラノ歌手のような感じがする。

 

「それは、どう言う事ッ?」

 

 尋ねる友哉。

 

 しかし、

 

「これ以上の問答は、無用だ」

 

 言いながらエムアインスは刀を構える。

 

 切っ先を真っ直ぐに相手に向けた、正眼の構えだ。

 

「我が最強の技にて、散れ、飛天の継承者!!」

 

 次の瞬間、

 

 刀を構えるエムアインスから、凄まじい風が吹き荒れるのを感じた。

 

 それが、エムアインスの発する剣気である事を、一瞬で理解した友哉。

 

 次の瞬間、正眼状態のまま、エムアインスは一瞬で距離を詰めてきていた。

 

 神速の剣が、駆け抜ける。

 

 友哉が一瞬、垣間見たのは、自分に襲い掛かってくる9つの閃光だった。

 

 乱撃技であると、瞬間、理解する。

 

『龍巣閃・・・・・・いや、違うッ!?』

 

 とっさに剣を繰り出し迎え撃とうとするが、それすら圧倒的な攻撃力の前に蹂躙されてしまう。

 

 最早、防ぐ事もかわす事も叶わない。

 

「飛天御剣流、九頭龍閃!!」

 

 認識した瞬間、友哉の体を、それまで感じた事の無い衝撃が襲った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友哉の体は大きく吹き飛ばされ、地面に落着後、更に数回バウンドして転がった。

 

 その様子を眺めながら、エムアインスは技を撃ち切った状態で残心を行う。

 

 手応えはあった。

 

 エムアインスの剣は、確実に友哉を捉えた筈だ。

 

 飛天御剣流、九頭龍閃。

 

 飛天御剣流の神速を利用し、9つの斬撃を同時に叩き込む技。

 

 乱撃技と言う意味では龍巣閃と同じだが、龍巣閃と違い、九頭龍閃は9つの斬撃全てが必殺となる。

 

 「壱:唐竹」「弐:袈裟斬り」「参:右薙」「肆:右斬上」「伍:逆風」「陸:左斬上」「漆:左薙」「捌:逆袈裟」「玖:刺突」

 

 これらの攻撃を神速で繰り出す事により、相手が防御も回避も全くの不可能となる重囲攻撃を作り上げる。

 

 いわば、必殺の一撃を9回繰り返している事になるのだ。それも一瞬で。

 

 この技を前にした敵は、逃げる事も防ぐ事もできず、文字通り9頭の龍の牙によって食いちぎられる事となる。

 

 正に、飛天御剣流の体現とも言うべき、神速を如何なく発揮した技であり、宣言した通り、エムアインスの持つ最強の技でもある。

 

「やった?」

 

 傍らに立ったエムツヴァイが尋ねて来る。

 

 視界の先には、うつ伏せに倒れている友哉の姿がある。

 

 既に立ち上がって来る気配は無い。この戦いは、2人の完全勝利と言えた。

 

「ああ、だが・・・・・・」

 

 確かに、勝つ事は勝った。

 

 だが、余程、優れた防弾服を持っているのだろう。あれだけの斬撃を浴びせたにも関わらず、倒れている友哉の傷はさほど深いようには見えない。

 

「・・・・・・とどめを、刺しておくか」

 

 そう呟いて、刀を持ち直すエムアインス。

 

 相手の首を取って初めて勝利となる。ここでとどめを刺し損なえば、後に禍根を残す可能性もあった。

 

 エムアインスは刀を持ち上げ、友哉に歩み寄ろうとした。

 

 その時だった。

 

 突然、鋭いエンジン音を轟かせて、走り込んで来た純白のフェラーリが、倒れている友哉を守るように2人の前に立ちふさがり、ドリフト気味に停車した。

 

 開かれた運転席側の窓。

 

 操縦者の彩夏は、開いた窓から腕を突き出し、ワルサーPPKをフルオートでぶっ放した。

 

 不意を突かれた形となったエムアインスとエムツヴァイは、とっさに身を翻して、襲い掛かってくる弾丸を回避する。

 

 同時に、後部座席のドアが開いて、相良陣の長身が姿を現わした。

 

「テメェ等、何やってやがる!!」

 

 飛びだすと同時に、殴り込む陣。

 

 標的はエムアインス。

 

 握りしめた拳が、大気を粉砕するような勢いで繰り出される。

 

 対してエムアインスは、陣の攻撃を命中直前で見切り、後退して回避した。

 

「ツヴァイ。警戒しろ。報告にあった、緋村の仲間だ」

「了解ッ」

 

 頷きながら、再び抜刀して陣に斬りかかろうとするエムツヴァイ。

 

 陣はエムアインスと対峙している。そのまま背中に斬りかかる。

 

 そう考えて、エムツヴァイは刀を振り上げた。

 

 だが、それよりも速く、陣の背中を守るようにして刀を振るう影が割り込む。

 

 とっさに後退し、相手の剣を回避するエムツヴァイ。

 

 その視界の先で、陣と背中を合わせるようにして立つ、少女の姿がある。

 

「瑠香さん、高梨さんッ 今の内に友哉さんを!!」

 

 言いながら、イクスサブリーダー瀬田茉莉は、エムツヴァイを牽制するように刀を構えた。

 

 玉藻からジャンヌを介する形で連絡があったのは、数分前。

 

 その際、友哉が何者かの襲撃を受けたと言う事を聞き、彩夏のフェラーリで駆けつけたのだが、一歩遅く既に友哉は敗れ去っていた。

 

「相良君、そちらの人をお願いしますッ」

「任せとけって」

 

 リーダーの友哉が倒れた以上、イクスの指揮権はサブリーダーの茉莉にある。

 

 だが、相手は友哉をも破る程の実力者だ。下手な交戦は、文字通り命取りになる。

 

 ここは、友哉回収後、速やかに撤退するのが得策である。

 

 そこで、茉莉と陣が敵を抑えている隙に、瑠香と彩夏が友哉を回収する手筈となった。

 

「ウオォォォォォォ!!」

 

 雄たけびと共に、拳を握り殴り込む陣。

 

 その突進力は、大地を踏み割るのではと思えるほどの迫力を持って、エムアインスへと迫る。

 

「うちの大将をやってくれたんだッ ただで帰れると思うなよ!!」

 

 振るわれる拳。

 

 だが、その一撃を、エムアインスは優雅に後退する事で回避する。

 

「まだまだァッ!!」

 

 距離を詰め、拳打のラッシュを繰り出す陣。

 

 だが、その攻撃も、エムアインスは全て見切り、紙一重で回避して行く。

 

「へっ、いつまで逃げてられるか、なッ!!」

 

 渾身の踏みぬきと共に、繰り出される砲弾の如き拳。

 

 威力も、速度も充分な一撃だが、しかし、エムアインスには当たらない。

 

 ただ悠然と、余裕を持って回避するだけである。

 

 更に陣が、追撃を掛けるべく踏み込もうとした。

 

 その時、

 

「・・・・・・目障りだ」

 

 低く呟く、エムアインスの言葉。

 

 次の瞬間、一足でエムアインスは陣との間合いを詰めて来た。

 

「飛天御剣流・・・・・・」

「なッ!?」

 

 それは、彼の友人のみが使う技の筈だった。

 

 他の者が使い得るとは、到底、思い得ない技である筈だった。

 

 だが、

 

 現実に陣の視界は縦横に裁断され、閃光が無尽に走っている。

 

「龍巣閃!!」

 

 次の瞬間、無数の斬撃が、陣の長身に殺到した。

 

 

 

 

 

 その光景は、離れた場所でエムツヴァイと交戦している茉莉の眼にも見る事ができた。

 

「相良君!!」

 

 救援に行きたい所ではあるが、今の茉莉はそれどころでは無い。

 

 すぐそこまで、エムツヴァイが刃を閃かせて迫っていたのだ。

 

「余所見をするなんて、随分余裕ですね」

 

 囁くような言葉と共に、剣閃は鋭く奔る。

 

 その攻撃を辛うじて防ぎながら、茉莉は、得意の縮地による高速機動に入る。

 

 先程、エムアインスが陣に使った技。あれは間違いなく、龍巣閃。ジャンヌが起こした魔剣事件の折り、友哉が茉莉を仕留めるのに使った技だ。

 

 つまり、それが指し示す事実は1つ。この2人は、飛天御剣流の技を使う事ができるのだ。

 

 友哉が破れた理由も、恐らくは自分以外の人間が飛天御剣流を使うと言う事態に動揺したのも大きいだろう。

 

 勿論、たかが動揺したくらいで敗れる友哉では無い。それ以外の決定的な要因があったのだろうが、今はそれを探る時ではない。

 

 目を転じれば、瑠香と彩夏が、倒れている友哉に取りついている。恐らく、容体をみているのだ。

 

 あと少し、時間を稼ぐ必要がある。

 

 その時、

 

「だから、余所見するなって、さっきから言ってるじゃないですか」

 

 頭上からの声に、思わずハッとして振り返る。

 

 その視界の先に、刀を振り上げたエムツヴァイの姿がある。

 

「飛天御剣流、龍槌閃!!」

 

 振り下ろされる斬撃。

 

 振り下ろしに急降下の勢いが加算される龍槌閃に対し、防ぐ事はほぼ不可能。

 

 茉莉は、とっさに後退を決断し、その場から飛び退く。

 

 一瞬の間があって、エムツヴァイの刀が、茉莉のいた空間を薙ぎ払った。

 

 後退しながらも、茉莉は反撃の手を打つ。

 

 見た所、対峙している2人は、刀以外の武装は持っていない。ならば、実に皮肉な事だが、友哉と戦った際の戦訓が活かせる筈だ。

 

 後退しながら茉莉は、スカートの下からブローニング・ハイパワーDAを抜き放ち、照準と同時に引き金を引いた。

 

 放たれる弾丸は3発。

 

 その全てが、エムツヴァイへの命中コースを辿っている。

 

 だが、

 

 自身に向かって飛んで来る弾丸に対し、エムツヴァイはバイザー越しに睨み据えると、高速で刀を振るって見せた。

 

 閃光が、一瞬で三度走る。

 

 友哉の剣を見慣れた茉莉にすら、一瞬、何が起こったのか判らなかった。

 

 ただ、気付いた時には、放った弾丸3発全てが、エムツヴァイの刀に弾き飛ばされていた。

 

「ッ!?」

 

 思わず目を見張る。

 

 今のは、友哉も良くやる光景だ。

 

 飛天御剣流を扱う上で重要になる、先読みの速さ、剣速の速さを利用する防御法。

 

 茉莉はチラッと、自分の手にあるブローニングを見詰める。

 

 恐らく、何度撃っても同じだろう。彼等は自在に銃弾を防いだり、かわしたりする事ができるのだ。

 

 その時、動きを止めた茉莉に向かって、エムツヴァイが突っ込んで来た。

 

「飛天御剣流、龍巻閃・嵐!!」

 

 刀を両手で構え、強烈な縦回転をしながら斬り込んで来るエムツヴァイ。

 

 対して、茉莉はとっさに刀を寝せ、斬撃を防ごうとする。

 

 ぶつかり合う、互いの刃。

 

 しかし次の瞬間、相手の刃を抑えきれず、茉莉の体は大きく吹き飛ばされた。

 

 

 

 

 

「相良先輩ッ 茉莉ちゃん!!」

 

 2人が苦戦する様を見て、思わず瑠香は声を上げる。

 

 自分で見ている光景が、信じられなかった。

 

 飛天御剣流の使い手が友哉以外にいるなど。それも、2人も。

 

 だが、現実に目の前で、その信じられない事が展開していた。

 

「瑠香、手伝って!!」

 

 彩夏に呼ばれ振り返ると、彼女は、友哉の体をフェラーリに運び込もうとしている所だった。

 

「彩夏先輩、友哉君はッ?」

 

 駆け寄って覗き込むと、友哉は静かに目を閉じ、眠るように気を失っている。しかし、手にした逆刃刀は、いまだに強く握りしめ、戦意を失っていない事が覗えた。

 

「取り敢えず気を失っているだけ。意識レベルは100から200ってところかしら。ただ、頭の傷が、少し気になるわね」

 

 確かに、友哉の頭からは今も血が噴き出し、その少女めいた顔を赤く濡らしている。一刻も早く病院に運び込まないと、危険な状態だ。

 

 2人は協力して、友哉を車の中へと運び込む。

 

 彩夏は、流れ出た血でシートが汚れる事も厭わず、友哉の体をリアシートに押し込んだ。

 

 それを確認してから、瑠香は戦っている2人の方へと振り返る。

 

「相良先輩!! 茉莉ちゃん!! 良いよ、戻って!!」

 

 瑠香が声を掛けた時、2人は尚も、エムアインス、エムツヴァイと交戦中だった。

 

 陣は、全身に斬撃を受けた影響で、体中打撲だらけである。着ている防弾制服もところどころ切り裂かれ、血が全身から滴っている。

 

 一方の茉莉は、陣に比べてダメージこそ少ないが、エムツヴァイの猛攻の前に防戦一方の戦いを続けていた。

 

 2人とも、瑠香の合図は聞こえている。

 

 だが、エムアインスとエムツヴァイの猛攻の前に、退却のタイミングが掴めないのだ。

 

「瑠香、2人を援護するわよ」

 

 そう言うと、彩夏は瑠香に手榴弾を一つ渡して来る。

 

 一瞬、ただの手榴弾かとも思ったが、瑠香はすぐに違う事に気付いた。

 

「これってッ」

 

 確か、諜報科(レザド)の授業で習った事がある。この色は、通常の手榴弾では無かった。

 

 2人はセーフティピンを抜くと、大きく振りかぶった。

 

「2人とも!!」

「目ぇつぶって!!」

 

 言い終わるや、投擲する。

 

 放物線を描いて飛ぶ、手榴弾。

 

 それが地面に落ちた瞬間、

 

 凄まじい閃光が、闇を照らし出した。

 

 彩夏が用意したのは、閃光手榴弾だったのだ。爆薬を使った戦術で、友哉と互角以上に戦って見せたこのリバティ・メイソン構成員の少女は、どのタイミングでどの爆薬を使えばいいのかも、充分に理解していたのだ。

 

 この場合、優先すべきは速やかな撤収である。ならば、通常の爆薬よりも、閃光手榴弾を使って目晦ましを行った方が効果的と判断したのだ。

 

 その閃光を合図代わりにして、後退する茉莉と陣。

 

 4人は撤収を完了すると、フェラーリに飛び乗った。

 

「全員乗ったわねッ!? 出すわよ!!」

 

 シートベルトをするのももどかしく、彩夏は返事を待たずにフェラーリをスタートさせた。

 

 走り去る車の中。

 

 その後部座席に座る2人の少女は、シートに座ったままぐったりしている友哉の様子を、心配そうに眺めている。

 

「どうですか?」

「判んない。とにかく、早く救護科(アンビュラス)に連れて行かないと」

 

 心配そうに尋ねる茉莉に、瑠香は泣きそうな表情で首を振る。

 

 僅かに上下している胸は、少年が呼吸を続けている事を現わしている。

 

 今はそれだけが、友哉が生きていると言う唯一の証であった。

 

 一方、走り去る車を、エムアインスとエムツヴァイの2人は並んで眺めていた。

 

 最後に邪魔が入った事で、勝負はうやむやになってしまった。

 

 しかし、この戦い、敵のチームリーダーを討ち取り、救援にやって来た連中とも、終始互角以上に戦った。

 

 事実上、2人の勝利だった。

 

 刀を収める2人。

 

 それと同時に、戦いの喧騒は止み、夜の静寂が舞い降りて来た。

 

「・・・・・・今、サードから連絡が入った。作戦(ガンビット)はプロセスγに移行。俺達も、速やかに撤収せよ、だ、そうだ」

 

 どうやら、バスカービルと対峙したジーサード達の方でも、何らかの動きがあったらしい。

 

 どの道、敵が退却し、追撃の手段も無い以上、2人がこれ以上、この場に留まる理由も無かった。

 

「了解。セーフハウスへ戻り、次の指示を待ちます」

 

 頷いたエムツヴァイは、手早く撤退の準備を進めていく。

 

 その様子を横目で眺めながら、エムアインスは心の中で呟いていた。

 

 今回は、邪魔が入ったせいで、中途半端な結果に終わってしまった。それに奇襲を受けたせいで、友哉が実力を十全に発揮できなかった事もあり、エムアインスとしては、聊か物足りなさを感じずにはいられなかった。

 

 何れにせよ、近いうちにもう一度剣を交える事になるだろう。

 

 是非ともその時は、互いに全力を出せる状態でありたいものである。それでこそ、自分とツヴァイが、緋村友哉と言う存在を求めてこの国へ来た目的が、真の意味で達せられる筈だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 武偵病院へ運びこんだ友哉は、すぐに治療室へと運ばれ、措置へ入った。

 

 幸いな事に、殆どの斬撃は着ていた防弾コートと防弾制服によって防がれた為、重傷と言えるのは頭部に食らった一撃のみだった。それも、友哉はとっさに回避行動を取ったらしく、刃は掠めるように過ぎただけらしかった。

 

 処置を施し、ベッドに寝かせた所で、ようやくひと心地つく事ができた。

 

「・・・・・・たった半月の間に、2度も入院してくる人がいるとは思わなかったわ」

 

 呆れ気味にそう言ったのは、救護科(アンビュラス)3年の高荷紗枝だった。今回も、彼女が的確な措置を行ってくれたおかげで事無きを得た。

 

 今、彼女とイクスのメンバー、それに彩夏は友哉の病室に集まり、彼のベッドを囲むようにして立っている。

 

 友哉の他に、陣も重傷と言って良い。その証拠に、彼もまた全身に包帯を巻いた姿で立っている。

 

 もっとも、こちらは紗枝に「あんたは唾でも付けておけば治るでしょ」と言われてしまったが。

 

 それで納得している辺り、陣の体も人間としてどうなのだ、と思わない事も無い。

 

 とは言え、今、問題にすべきは、その事では無かった。

 

「今、連絡があったわ」

 

 紗枝は首に下げた院内用PHSを閉じ、顔を上げた。精密機器の多い病院内では、不要な電波による悪影響を避けるため、こうした専用のPHSを用いて、安全かつ素早く伝達を行うのだ。

 

「神崎さん、星伽さん、峰さん、レキさんの4人も収容完了したわ。これで、今夜被害にあった子は、全員収容できたわね」

 

 犠牲者が出なかった事は、喜ばしい事である。

 

 しかしその事は、感じる戦慄に対して1ミリグラムの減量にも貢献していない。

 

 一晩。

 

 それもたった数時間で、イクス、バスカービル両チームから5人もの負傷者を出しているのだ。

 

 正しく、壊滅と言って良い数字である。

 

 病室内は、まるで通夜のように沈んだ空気となっていた。

 

「でも・・・・・・・・・・・・」

 

 そんな重い沈黙を破ったのは、囁くような茉莉の声だった。

 

「無事で、本当に良かったです」

 

 そう言って、茉莉は眠っている友哉の髪を優しく撫でる。

 

 誰が、とは、茉莉は言わない。

 

 彼女にとって、そこに入る固有名詞は言わずとも決まっているのだから。

 

 そして、茉莉のその言葉は、この場にいた全員の気持ちを代弁した物だった。

 

 

 

 

 

第2話「挑戦者たち」      終わり

 



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第3話「師団会議」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 都内の一流ホテル。そのスイートを丸ごと借り切った事もあり、部屋の中とは思えないほど広々とした空間が広がっている。

 

 エムアインスと、エムツヴァイの2人がセーフハウスに辿り着くと、既に仕事を終えた友人が先に戻ってきていた。

 

 ソファーに腰を下ろし、足を組んだ姿勢で座っている男は、顔に派手なペインティングを施した、ピエロのような外見をしている。

 

 しかし、2人は知っていた。

 

 この目の前に入る派手好きな男が、世界中に存在するどのような存在よりも強く、そしてカリスマ性に溢れているかを。

 

「よう、戻ったか」

 

 帰って来た2人を見て、ジーサードは片手を上げて笑い掛けて来た。

 

 その様子を見て、エムアインスも笑みを返す。

 

 持って生まれた天性のリーダーシップ。それを如何なく発揮できる人間がいるとしたら、このジーサードのような存在である事だろう。

 

 ジーサードはエムアインスよりも年齢的には若い。にもかかわらず、組織の中にいる人間全員が彼を慕っている。全員が、彼の為なら命すら投げ出す人間ばかりだ。

 

 勿論、その中にはエムアインスとエムツヴァイも入っている。

 

 そう思わせるだけの物を、目の前の男は持っているのだ。

 

 ジーサードが腰掛けているテーブルの前には、飲み物や食べ物が大量に積まれている。どうやら、自分達が来るのを待っていてくれたようだ。

 

「どうだった、緋村友哉は?」

「勝つには勝ったよ」

 

 自分もソファーに腰を下ろすと、エムアインスはヘッドギアを取り払った。

 

 すると、中に収めていた長い黒髪が、バサッと落ちて背中の中ごろまで掛かる。

 

 端正な顔立ちだ。引き締まった目元や、色白の肌などは、どこかの聖人を思わせる者がある。

 

 それに合わせるように、エムツヴァイもヘッドギアを外す。

 

 こちらも髪が長い。だが、大きな目元は優しげな光を放ち、桜色の唇と共に可憐な容貌を作り出していた。

 

「だが、満足と言うには程遠い」

 

 言いながら、テーブルの上においてある酒瓶とグラスを手に取って、適当なカクテルを作りだす。

 

 その向かいに座ったエムツヴァイも、ポッキーを箱から取り出して、口に頬張っている。

 

「今回は奴も実力を発揮しきれなかった点が多いとみた。こっちはいきなり押しかけたようなものだからな」

 

 前情報があると無いとでは、人間は実力発揮するのに天と地ほども差が生じる。奇襲と言う戦術が、いまだに高く評価される理由の一つである。

 

 だが、そんなエムアインスの言葉に、水が差される。

 

「そうでしょうか?」

 

 否定的な意見を発したのはエムツヴァイだった。

 

「私達の実力は、完全に彼を凌駕していました。何度やり直しても、今回の結果は変わらないと思います」

 

 言葉が、僅かに弾んでいる。

 

 緋村友哉打倒と言う悲願が達成され、エムツヴァイは高揚を抑えきれない様子だった。

 

 自分達が持つ、存在意義をようやく果たせたと思っているのだ。

 

 だが、

 

「油断は禁物だ」

 

 そんな彼女に釘を差すように、エムアインスは言った。

 

「奴は、あのシャーロック撃破の一要因であり、イ・ウー壊滅の功労者でもある。それがあの程度の実力である訳が無い」

「それは、たまたま、その場にいたってだけの話ですよ。私達がボストーク号に突入していたら、シャーロックの首を取っていたのは私達だった筈です」

 

 高飛車に断言してのけるエムツヴァイ。

 

 これは、決して彼等が自信過剰である為に出た発言では無い。それだけの実力を、彼等は備えているのだ。

 

 そこでふと、エムツヴァイが何かを探すように、キョロキョロと辺りを見回した。

 

「そう言えばサード、フォースはどちらに?」

 

 フォース、とはジーフォースの事を差す。

 

 ある人物の遺伝子から作り出されたジーサードとジーフォースは、言わば兄妹みたいな物である。

 

 先端科学兵装(ノイエ・エンジェ)によって造られた刀剣を自在に操る少女、ジーフォースは、前にいた組織を脱走して以来の仲間の1人である。同い年である事もあり、エムツヴァイとジーフォースは仲が良かった。

 

 そのジーフォースがいない事を、エムツヴァイは不審に思ったのだ。大抵は、いつもそばにいる筈なのだが。

 

 対してジーサードは、エムアインスが適当に作ったカクテルを傾けながら答える。

 

「プロセスγへの移行は伝えたよな。あいつはキンジの所に預けて来た」

「と、言う事は、狙いは双極兄妹(アルカムナ・デュオ)か」

 

 聞いていたエムアインスが、聞き慣れない単語を告げた。

 

 双極兄妹。それは、男女のHSS因子保持者が寄り添う事により、HSSの双方同時発現を狙ったシステムである。

 

 ジーサード、そしてジーフォースはHSS、キンジが言う所のヒステリアモードになる事ができる。その体質を利用し、双極兄妹を完成させようと言うのが、ジーフォースが今回の作戦に参加した理由だった。

 

 その為、ジーサードはジーフォースを遠山キンジへと預け、HSSに馴れさせる事にしたのだ。

 

「上手くいくと良いね、フォース」

 

 友人の成功を祈るエムツヴァイ。

 

 だが、その時、

 

「うっ・・・・・・・・・・・・」

 

 軽い呻きと共に、エムツヴァイは座ったまま額を押さえて蹲る。

 

「ツヴァイッ」

 

 慌てて駆け寄るエムアインスは、エムツヴァイの肩を支えて抱き起こす。

 

 覗き込んだエムツヴァイの顔は、紙のように白くなり、呼吸音もどこかおかしかった。

 

「だ、大丈夫です。少し休めば、すぐ良くなりますから」

 

 その言葉が、強がりなのは、言われるまでも無く判る。

 

 こうしている間にも、呼吸はどんどん荒くなるようだ。

 

 見守っていたジーサードも、予断は許されないと判断したのだろう。正面の奥を指で察し示す。

 

「アンガスがお前等の部屋も用意してある。ツヴァイのは一番右の奥だ」

「すまない」

 

 友に礼を言い、エムツヴァイを抱き上げようとするエムアインス。

 

 だが、エムツヴァイは、それを制した。

 

「だ、大丈夫です。自分で行けますから」

 

 そう言うと、エムツヴァイはフラフラとしてはいるが、立ち上がって自分の部屋のある方向へと歩いて行った。

 

 その背中を、エムアインスは溜息交じりに見守る。

 

「やはり、あいつを連れて来たのは間違いだったか」

 

 今回の作戦は、元々エムアインスのみが参加し、エムツヴァイは海外のベースで待機している予定だった。

 

 だが、それをエムツヴァイ本人は了承せず、強引に割り込む形で自らついて来たのだ。

 

 結果、戦いに参加する事はでき、目的も達成できたのだが。

 

「治療が必要だな」

 

 エムアインスの思考を遮るように、ジーサードが言った。

 

「薬なら、あいつ自身が持っている。それに、この国の医者に、あいつの体が直せるとは思えないが?」

 

 エムアインスは、訝るような視線をジーサードに向ける。

 

 自分達の体の事は、ジーサードも知っている筈だ。並みの医者に見せた所で、匙を投げられるのは目に見えている。

 

 だが、ジーサードは首を振った。

 

「ツヴァイの事じゃねえよ。俺が治療っつったのはアインス、お前の事だ」

「何を言っているんだ?」

 

 尋ねるエムアインスに、ジーサードはまっすぐ腕を伸ばして、彼の肩の辺りを指差した。

 

 指し示された自分の体を見て、エムアインスは思わず絶句する。

 

 装着しているプロテクターに、放射状のひびが入っている。特に左肩がひどく、殆ど粉砕されているに等しかった。

 

「こ、これはッ!?」

 

 今まで、なぜ気付かなかったのか。

 

 恐らく、大願を果たす為の戦いを終えたばかりで、気を限界まで張り詰めていたせいだろう。

 

「グッ!?」

 

 認識すると同時に、痛みも襲ってくる。

 

 思わず、片膝をつくエムアインス。

 

「大丈夫か?」

「あ・・・ああ・・・・・・」

 

 尋ねて来るジーサードに、辛うじてそう答える

 

 こんな事ができる人間。それは1人しかいない。

 

 緋村友哉だ。

 

 恐らく、あの九頭龍閃を撃った時。

 

 あの時友哉は、殆ど抵抗できずに倒れたように見えた。

 

 だがあの時、友哉はエムアインスにすら気付かれず、返しの一撃を放っていたのだ。

 

 何と言う戦闘センス、何と言う勝負への執念。

 

「・・・・・・緋村・・・・・・友哉・・・・・・」

 

 絞り出すように、その名を呟くエムアインス。

 

 その瞳は、先程対峙した敵の姿が、くっきりと映し出されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハロウィンと言う催しに、茉莉は今まで縁が無かった。

 

 元々、長野の田舎出身だし、神道を旨とする神社の娘である。西洋の祭典に接点があった訳も無く、せいぜい「世の中にはそう言う物がある」と言う程度の認識しか無かった。

 

 本日はハロウィンの日と言う事もあり、武偵校学生は全員、教務課(マスターズ)からの指示で、今日一日、何らかのおばけの格好をして過ごす事となった。

 

 茉莉もまた例にもれず、袖が長く、その袖口と裾が鳥の羽根状にギザギザになっている白いパーカーを制服の上から着ている。頭に鳥の形をしたフードを被っている事から、恐らく本人的には、鳥女のつもりらしい。

 

 今まで参加した事の無いお祭りと言う事もあり、茉莉としては新鮮な楽しさを感じていた。

 

 ただ一つ、茉莉にとって残念な事に、友哉が病院のベッドの上にあり、このお祭りに参加できない事だった。

 

 昨夜、友哉は夜遅くに意識を取り戻した。

 

 回復は取り敢えず順調らしく、数日の内には退院できるだろうと言うのが、紗枝の見立であったから、ひとまずは安心だが。

 

 そんな事を考えていると、指定された場所であるファミレス・ロキシーへ到着した。

 

 昨夜遅く、ジャンヌから電話があり、師団(ディーン)メンバーを招集し、緊急の対策会議を行う事となった。

 

 本来であるなら、イクスからはリーダーである友哉が出席するべきなのだが、友哉はまだ動ける状態では無い。そこで、代理としてサブリーダーの茉莉が出席する事になったのだ。

 

 指定された席に行くと、既に他のメンバーは集まっていた。

 

「来たか、瀬田」

 

 ハーミットの衣装で声を掛けて来たのはキンジである。その横には、魔女衣装を着たジャンヌの姿もあった。

 

「マツリ、遅かったね」

 

 その向かいに入るかぼちゃ頭から声を掛けられた。声から察するに、中身はワトソンのようだ。

 

「茉莉、お主とは初になるの。宜しくのう」

 

 そう言って、どう見ても小学生にしか見えない玉藻が声を掛けて来る。こちらは思いっきり手抜きで、たんに普段隠している狐耳と尻尾を出して、顔に針金のひげを付けただけの化け狐姿だ。

 

《まあ、初めまして、瀬田さん。可愛らしい衣装ですね》

 

 テーブルに置かれたPCの画面に映っているのは、白い法衣姿の女性だ。

 

 恐らく彼女が、バチカンのシスター・メーヤなのだろうと茉莉は思った。師団の中では欧州戦線に参加している者達もいると、友哉から聞かされていたのだ。

 

「では、少々性急ではあるが、師団会議(ディーン・カンフ)を始める。先日、『師団』のイクス1名、バスカービル4名が、『無所属』であったジーサードと、その手下達に討たれた」

 

 友哉、アリア、白雪、理子、レキ。

 

 これだけ錚々たるメンバーが、一晩のうちに討たれた事には戦慄を禁じ得なかった。

 

「いくら寡兵とは言え、許しがたいな、奇襲とは」

「彼等は卑怯な手段を恥とは思っていないんだ。勝てばそれで良いという思考らしい」

 

 魔女っ子ジャンヌの発言に、カボチャ・ワトソンが捕捉する。

 

 つまり、ジーサードの勢力に所属する者達は、兵士的な戦術思考を持っていると言う事だ。最終的な勝利を得られるのであれば、その過程は何をやっても全てが許される、と言う事だ。

 

 茉莉の経験上、こう言う相手はやりにくい。こちらが正々堂々とした戦いを挑んでも、乗って来ない可能性があり、却って足元を掬われて敗北する事もあり得る。

 

 むしろ、こう言った手合いなら、忍びの末裔である瑠香や、様々な戦術を複合的に駆使する彩夏の方が良い勝負ができるかもしれない。

 

「どうする、今なら敵は分散している。やるか?」

 

 キンジが珍しく、交戦的な意見を口にする。

 

 仲間全てが討たれ、頭に血が上っているのかもしれないが、いつもなら慎重な行動をとる事が多いキンジにしては、珍しい事である。

 

 そして、

 

「私も、遠山君の意見に賛成です。こちらの戦力は低下していますが、敵も昨日の戦いで消耗している可能性が高いです。追い討つなら今かと」

 

 茉莉もまた、珍しい事に出戦論を口にした。

 

 自分が過激な事を言っているのは、茉莉にも判っている。

 

 だが、友哉を、思いを寄せる少年に重傷を負わされた事で彼女自身、相手に対する敵意が理性を上回っている状態であった。

 

 だが、

 

 そんな2人の意見を受けても、他の4名は思案するように目を伏せたままである。同意の意見を口にする者は誰もいない。

 

 中の1人、玉藻は自分のメロンソーダを少し飲んでから、顔を上げて言った。

 

「お主ら、仲間をやられて熱くなる気持は判るがの。あまり儂を失望させるでない。戦うとしても、お主ら、勝てるのか?」

 

 問い掛ける玉藻の視線に、一瞬、2人は言葉を詰まらせた。

 

 玉藻は、更に続ける。

 

「さっきワトソンから聞いたが、バスカービルの女子どもは、ジーフォース相手に手も足も出なかったのじゃろ。奴等の頭、ジーサードはそれよりも強いと言うではないか。そのような相手に、どう勝つと言うのじゃ?」

 

 信じがたい事に、アリア達4人は、ジーフォース1人に敗れたと言う。ジーサードは、更にその上を行く実力者。師団の現有戦力では、確かに勝利はおぼつかないかもしれないが。

 

「お主もじゃ、茉莉。聞けば、お主らが戦った敵、エムアインスとエムツヴァイは、飛天御剣流を使ったと言うではないか。そして、その継承者である緋村が破れた以上、戦うのはあまりにも危険すぎる」

「でも、それじゃあ・・・・・・」

 

 友哉を討たれて黙っているのは、耐えられない。そう言おうとする茉莉を、玉藻は遮って更に続ける。

 

「お主は、かつて緋村に敗れた。敵は、その緋村よりも強いのじゃ。それを忘れるでない」

「じゃあ、戦うなって言うのかよ。仲間が卑怯な手で闇討ちされたんだぞッ」

「闇討ち? それが何じゃ、これは戦ぞ」

 

 言い募るキンジを、突き放すように玉藻は言う。

 

「戦とはそういう物。スポーツとは違う」

 

 そんな事は判っている。だが、判っていても、納得はできなかった。

 

 玉藻はキンジを見据えて、話を続ける。

 

「遠山の。なぜ、お主だったのかは判らぬが、バスカービルは1人だけ無傷で残された。これは奴らなりの口上ぞ。『自分達は強い』と示したうえで、使者としてジーフォースを置いて行ったのじゃ」

 

 つまり、敵の目的も、戦闘その物では無く、交渉にあるという事か。

 

 ジーサードは、師団(ディーン)その物を、自陣に引き入れようとしているのだろうか?

 

「ジーフォースは今、甲冑を脱ぎ、刀も棄てたと言うではないか。奴は今、師団に敵対しておらぬ。交渉の余地を残しておると言う事じゃ。それをみすみす、こちらから形無しにしてはならぬ」

「それに、今は時節が悪い。璃々色金の粒子が濃すぎるんだ」

 

 ジャンヌが捕捉するように言った、璃々色金と言う言葉に、茉莉は聞き憶えがあった。

 

 確か修学旅行Ⅰの時、ある事情から行った星伽分社で、ここに入るキンジ、ジャンヌ、そして友哉と一緒に白雪から説明を受けた。

 

 対超能力者(ステルス)用の広域ジャミング。璃璃粒子と呼ばれる粒子が地球の広大な範囲に散布され、超能力の行使が不安定な物となる現象らしい。

 

 ここにいる中で、超能力を主体に戦うのは、ジャンヌ、メーヤ、そして玉藻だ。

 

 超能力(ステルス)が戦力として当てにならない今、戦闘は銃撃や白兵が主体となる。そして、それが得意な人間は、昨夜の内に大半が戦闘不能になってしまっている。

 

「・・・・・・じゃあ、どうするんですか?」

「取り込む」

 

 茉莉の質問に対し、玉藻は用意していたように淀みなく答えた。

 

「まずはジーフォース。そしていずれはジーサードを『師団』に取り込むのじゃ。戦役では、奴等のような強き『中立』や『無所属』を多く引き入れた方が良い」

「ば、馬鹿言うな!!」

 

 激昂したようにキンジが叫ぶ。

 

「あんな奴等、一体どう言って仲間にするってんだッ!?」

「トオヤマ、それなんだけどね」

 

 遠慮がちに、かぼちゃ頭のワトソンが口を開いた。

 

「何だよ?」

「その、えっとだね・・・・・・ジーフォースは聞いているこっちが恥ずかしくなるくらい、君に会えた事が嬉しくて仕方が無いらしい。つまり、どうも、君に気を許している傾向がある」

「だから何だ、寝首でもかくのか?」

「いや、違う。僕が言いたいのは、ロメオだよ」

 

 その言葉に、言われたキンジのみならず、茉莉もまた絶句した。

 

 ロメオとは、言うなれば男版ハニートラップ。強すぎる敵の女に対し、その女の好みの男をスパイとして当てがい、籠絡し、機密情報の奪取や寝返り工作を行うのだ。確か、ベルリンとバンコクの武偵校に専門学科があった筈である。

 

「ふざけんな、かぼちゃ頭ッ バスカービルはジーフォースに襲われた直接の被害者なんだぞ。それをッ」

「じゃあ、他に手はあるのかい? 僕等にはそれくらいしか打つ手が無いんだ。それに、外見上は、とてもそうは見えないが、実績上、君は得意だろう、女子をたらしこむのが。アリアを始め、白雪とか、理子とか、レキとか、中空知とか、その他とか」

 

 言っている内に、なぜかワトソンの声に不機嫌さが混じって行くように感じられた。

 

「遠山君、それはちょっと・・・・・・」

「違う。瀬田、お前まで信じるな!!」

 

 この中で唯一味方でありそうな茉莉にまで蔑んだ視線を向けられ、キンジは苛立ったように叫ぶ。

 

《まあ、そうなんですか。さすがはカナさんの弟さんですね》

 

 感心したように言うメーヤ。ジャンヌも、「がんばれ」と視線を送って来る。

 

 そして、

 

「では、遠山の。任せたぞ」

 

 メロンソーダの残りを飲み終えた玉藻も、そう言ってくる。

 

「では、って、なにが『では』なんだッ 俺にどうしろってんだよ!」

「ジーフォースと仲睦まじくするのじゃ。可愛がってやり、仲間に取り込めるようにせよ。師団(ディーン)の興亡この一作戦にあり、奮励努力するのじゃぞ」

 

 いやZ旗じゃないんだから。

 

 と、言う突っ込みはさておき、場の空気は完全に「キンジが、『得意』の手練手管を使ってジーフォースをたらし込み、師団陣営に引き入れる」方向で話がまとまりつつあった。

 

《遠山さん。相手は接近するのも困難かと思います。そこで、こちらからも支援物資を遠山さんとアリアさん宛てに送らせて頂きました。取り敢えず、身を守る程度にはお役にたてると思います》

「良かったな、遠山の」

「がんばれ遠山。あとで経過を詳しく報告するのだぞ。何をどこまでした、とか」

「トオヤマ、あとはまかせた。僕はアリア達を看護する」

 

 メーヤ、玉藻、ジャンヌ、ワトソンと、畳みかけるように言ってくる。

 

 その淀みの無さから言って、どうやら、この件に関して、4人が水面下で結託していたらしい事は明らかだった。

 

 最後の望みとばかりに、キンジは茉莉に視線を向けて来る。

 

 が、

 

『すみません遠山君。私にはどうする事もできません』

 

 申し訳なさそうに、顔を伏せる茉莉。

 

 何しろ、この中で一番遅れて来た茉莉だ。それでなくても、状況は1対4。キンジを入れても2対4。まこと、民主主義バンザイとでも言うべきか、数は力だった。たとえそれが暴「力」であろうと。

 

 かくして、衆議一決、と言う訳ではないが、今後の方針は定まった。

 

 その後、キンジは玉藻ごと背負っている賽銭箱をひっくり返し、「御利益無いから返せ」と言って、以前入れた10円を回収すると、肩を怒らせて足早にファミレスを後にした。

 

 出ていくキンジの背中を見送ってから、茉莉は一同を振り返った。

 

「皆さん、ちょっとひどいです。あれじゃ、遠山君が怒るのも無理無いですよ」

 

 非難めいた視線を、一同に向ける。

 

 正直、見ようによっては、面倒な問題をキンジに丸投げしたように見えなくも無かったのだ。

 

 だが、

 

「何を他人事のように言うておる。此度の件、お主とて蚊帳の外では無いぞ」

 

 散らばった賽銭を入れ直しながら、玉藻が切り返してきた。

 

 どう言う事か、と訝る茉莉に、ジャンヌが少し言い難そうに口を開いた。

 

「瀬田、今日お前に来てもらったのは、お前にも一つ、やってもらいたい事があるからなのだ」

 

 そのジャンヌの言葉に、茉莉は眉を潜める。

 

 どうにも、ジャンヌの口調に、不穏な物を感じずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、友哉の代理として出席した第1回師団会議は、正直、茉莉にとって納得のいかない形で終結する事となった。

 

 茉莉はその足で病院へ向かいながら、思案するように難しい顔をしている。

 

 玉藻達の言い分も、判らないでは無い。

 

 現在、師団の戦力低下は著しい物である。一応、専守防衛と言う大方針は堅持されている為、こちらから仕掛けない限りは無用な戦いは避けられるだろう。

 

 だが、仮に防衛戦をやるにしても、現状の戦力不足は否めなかった。

 

 玉藻達の判断は間違っていない。今は戦う時では無く、可能な限り時間を稼ぎ、戦力の回復に努めなくてはならない。

 

 それは判っているが、それでもやはり、納得はできなかった。

 

『それに・・・・・・・・・・・・』

 

 茉莉は、先程、玉藻達に言われた方針の事を思い出す。

 

 確かにそれは、茉莉にとっては気が進まない事であった。

 

 だが、今はそれしか方法が無いと言われれば、確かにその通りでもあった。

 

 そんな事を考えていると、いつの間にか友哉の病室へと着いていた。

 

 扉を開けて、中へと入る。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・あれ?」

 

 ベッドの上に、友哉の姿は無かった。

 

 何かの検査にでも出かけたのだろうとか、とすぐに思った。何しろ、重傷を負って運び込まれたのは、つい昨夜の事である。救護科や衛生科の知識を持っていない茉莉だが、色々と体の事を調べなくてはならないのだろう、と言う事くらいは想像がついた。

 

 だが、すぐに、そうではない事が判った。

 

 空のベッドの上には、引き抜いたと思われる点滴の針や、心電図の電極などが放置されている。点滴の液は、まだ半分弱残っている状態で放置されていた。

 

 更に、ベッドの横に立てかけてあった筈の逆刃刀も消えている。

 

「・・・・・・・・・・・・まさかッ」

 

 嫌な予感が込み上げ、茉莉は背筋に冷たい物が走るのを感じた。

 

 踵を返す。

 

 廊下に出ると同時に、構わず縮地を発動した。

 

 駆け抜ける衝撃波が、壁や窓ガラスを叩くが、そんな事は気にしない。

 

 途中で何度か救護科の学生とすれ違うが、彼らは一様に、突然吹き抜けた突風に驚くだけで、誰も茉莉を咎めようとする者はいない。本気で走る茉莉を目で追う事ができる者など、武偵校全体でも数人しかいないだろう。

 

 そのまま武偵病院を飛び出すと、茉莉は一散に走り、強襲科(アサルト)の体育館を目指した。

 

 扉を開けて、中へと飛び込む。

 

 同時に、襲って来た疲労により息が上がるが、整える間も惜しんで、茉莉は中へと踏み込んだ。

 

 果たして目指す人物は、

 

 いた。

 

 誰もいない体育館の中央に立った友哉は、手にした逆刃刀を一心に振り続けている。

 

 それを見た瞬間、茉莉は思わず息を飲んだ。

 

 鬼気迫る、という表現が最もふさわしいだろう。

 

 普段の友哉からは想像もできないような、凄まじい存在感を発しているのが判る。

 

 いや、前にもこのような事があった。

 

 あれは、確か夏休みが明けたばかりの頃。友哉は覚えたばかりの技を、早く物にしようと躍起になって訓練を繰り返していた時期があった。ちょうど、あの時の状況に似ている。

 

 友哉が刀を振りまわす度、銀色の閃光が鋭く奔るのが見える。

 

 離れている茉莉の耳にすら、刀が風を切る音が聞こえてくるくらいである。

 

 考えてみれば、この可能性は充分考えられた事だった。友哉は高い剣の才能を持って生まれたが、その才能におぼれる事無く努力を続けてきた。だからこそ、17歳と言う若さにもかかわらず、飛天御剣流と言う幻の流派を独力で復活させる事に成功したのだ。

 

 そんな友哉が、負けてそのままベッドに寝ている、などと言う屈辱を甘受する筈が無かったのだ。

 

 だが、その表情は遠目にも判るくらい、苦しげに歪められている。

 

 思わず、茉莉は飛びだした。

 

「友哉さん、やめてください!!」

 

 更に剣を振り続けようとする友哉に縋りつくようにして、茉莉は言った。

 

「友哉さんは重傷なんですよ。早く病院に戻ってくださいッ」

 

 必死に叫ぶ茉莉。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・はな、せ」

 

 絞り出すように紡がれた友哉の言葉に、思わず茉莉は息を飲む。

 

 普段から温厚な友哉の口から、このような暴言が飛び出るとは思ってなかったのだ。

 

 よく見れば、目の焦点が合っていないのが判る。

 

 いったい、どれくらい剣を振り続けていたのか。触れた体は、火が付いたように熱かった。

 

 意識も混濁しているようだ。自分を制止しているのが、茉莉である事すら気付いていない様子だ。

 

「友哉さんッ」

「放せッ」

 

 茉莉の手を、強引に振りほどこうとした友哉。

 

 次の瞬間、

 

 ズンッ

 

 響くような、重く、鈍い衝撃。

 

 ややあって、前に進もうとしていた友哉の体は、力を失って床に倒れ込んだ。

 

「友哉さんッ」

 

 とっさに駆け寄って、抱き起こす茉莉。

 

 その頭上から、鋭い声が呆れ気味に投げかけられた。

 

「ったく、お前のアホは、ほんま死ななきゃ治らんな、緋村」

 

 ハッとして振り返ると、長いポニーテールの前髪を、面倒くさそうにかき上げている蘭豹の姿があった。

 

 彼女は友哉が無茶な訓練をしていると感じ、とっさに当て身を食らわせて動きを止めたのだ。

 

 だが、

 

「先生、これはひどいですッ 友哉さんは怪我人なんですよッ」

 

 けが人に容赦無く当て身を食らわした暴力教師に食ってかかる茉莉。夢遊病患者のように訓練を続けようとする友哉を止めてくれた事には感謝するが、これは明らかにやりすぎだった。

 

 対して、蘭豹は無言のまま、鋭い視線だけを茉莉に向ける。

 

「ッ!?」

 

 ひと睨み。

 

 ただそれだけで、茉莉は自分の体が竦み上がるのを感じた。

 

 視線で人を殺す、と言うのはこう言う事なのだろうか、と思ってしまう。

 

 武偵校の教師たちは、たとえ相手が女子であっても手加減するような事はしない。体罰は平等に行われる。

 

 ましてか、相手は蘭豹。武偵校暴力教師の急先鋒である。茉莉ごときでは相手にもならない。蘭豹なら手を使わずとも、茉莉を半殺しにできるだろう

 

 だが、茉莉は蘭豹の強烈すぎる視線を受けても、一歩も引かずに対峙する。

 

 勿論、内心ではビビりまくっているのだが、そのような事はおくびにも出さずに、睨み返していた。

 

「フンッ」

 

 ややあって、蘭豹の方から視線を逸らした。

 

「だったら、管理くらい自分でしっかりせい。お前のオトコやろが」

 

 不機嫌そうに言い残すと、蘭豹は大股で去って行く。

 

 後には、気を失った友哉を膝の上に抱えた茉莉だけが、その場に残されていた。

 

 

 

 

 

第3話「師団会議」      終わり

 



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第4話「キンジの妹」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沈み落ちるような感覚が急激に止まった時、視界が徐々に明るくなるのを感じた。

 

 体を包み込む柔らかい感覚は、まるで雲の上にでも浮かんでいるかのようだ。

 

 目を開き、状況を確認する。

 

 白い天井、白い壁。

 

「・・・・・・ああ、そっか」

 

 友哉はようやく、自分の身に何が起きたのか理解した。

 

 エムアインスとエムツヴァイに敗れた後、友哉は病院のベッドの上で意識を取り戻したのだが、いても立ってもいられず、病院を抜け出して強襲科(アサルト)の体育館に自主練に行ったのだ。痛みが引かない体を引きずって。

 

 だが、結果として意識を失い、また病院に連れ戻されてしまったらしい。

 

 意識を失う前後の事は、殆ど思い出せない。確か、誰かに会ったような気がしたんだが。

 

 そこまで考えた時、布団から出ている手が、何か柔らかい物に触れた。

 

「おろ?」

 

 少し無理して体を起こす。

 

 すると、そこには上半身をベッドに預けるようにして、座ったまま眠りこけている少女の姿があった。

 

「茉莉・・・・・・」

 

 余程疲れたのだろうか、こちらが起きている気配にも気付いた様子が無く、静かな寝息を立てている。

 

「そっとしておいてやれよ」

 

 入口の方から声を掛けられ振り返ると、腕を組んで壁に寄り掛っている陣の姿が見えた。

 

「昼間、オメェが倒れたって、慌てて俺のところに電話よこしてよ。オメェが寝ている間、ずっと着いていてくれたんだぜ、そいつ」

「そう、だったんだ・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は、茉莉の可愛らしい寝顔を見詰め、そっと息を吐く。

 

 こんなになるまで、自分の事を心配してくれるとは。

 

「陣も、悪かったね」

「俺ァ、別に構わんよ。どうせ、暇してたんだしな。それより、瀬田が起きたら礼くらい言えよ」

「そうだね」

 

 言いながら、手を伸ばし、茉莉の髪をそっと撫でる。

 

「なあ、友哉よォ」

 

 そんな友哉の様子を見ながら、陣が話しかけて来る。

 

「おろ?」

「焦る気持ちは判るが、お前、ちっと無理しすぎだぜ」

 

 それは、言われるまでも無く、友哉も自覚している。

 

 エムアインスとエムツヴァイの2人に敗れた友哉。

 

 しかも、ただ敗れたのではない。飛天御剣流と言う、自分と同じ技を使う者達に敗れたのだ。

 

 相手は自分の同門。つまり基本となる条件は同じ。友哉は彼等に、実力で敗れたのだ。

 

「俺も、ちょっとばかり相手にしたから言うが、ありゃ、どう見てもお前より力は上だな」

「判ってるよ」

 

 少し不機嫌さの混じる声で、友哉は返事をする。

 

 そんな事は、友哉が一番わかっている。

 

 判っているからこそ、陣の言葉は思っている以上に、友哉の心に突き刺さった。

 

「言っとくが、1日や2日訓練積んだところで、埋められるもんじゃねェと思うぜ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 陣の指摘に、沈黙する友哉。

 

 友哉とて、ここまでの強さを得るのに相当な年月、努力を重ねて来た。それは「血の滲む」などと言う言葉では言い表せない、人知を越えた努力量だった筈だ。

 

 だが、それでも追い付けない物と言う物は往々にしてある。

 

 いま正に、エムアインスと言う存在が、高い壁となって友哉の前にそびえ立っていた。

 

「なあ、友哉」

 

 言葉を詰まらせる友哉に、陣は語りかける。

 

「イクスってのは、お前が作ったチームだろうが。だったら、もう少し俺等の事も信用しろよ。俺らだって、仲よしこよしで一緒にいる訳じゃねえ。戦う事はできるし、協力し合えば、どんな奴等にだって負けない自信はあるぜ」

「陣・・・・・・」

「とにかく、道はひとつじゃねェんだ。俺等には俺等にしかできねェ戦い方ってもんが、あるんじゃねぇのか?」

 

 そう言い残すと、陣は「お大事にな」と言い残し、背中越しに手を振りながら病室を出て行った。

 

 道は一つでは無い。

 

 確かに、そうかもしれない。

 

 友哉達は、今まで多くの敵を倒して来たが、その誰もが、自分達の実力を凌駕する者達だった。

 

 楽な戦いなど、一度も無かった。敗北の憂き目を見そうになった事も、一度や二度じゃない。

 

 だが、その度に、困難な戦いを乗り越え、勝利を掴んで来た。

 

 それはひとえに、仲間達と協力して来たからに他ならない。

 

 皆と力を合わせれば、どんな強大な敵をも打ち破れる筈。陣は、友哉にそれを伝えたかったのだろう。

 

 その時、

 

「・・・・・・ん・・・・・・んみゅ」

 

 猫のような声を上げ、傍らで寝こけていた少女が目を覚ました。

 

 顔を上げた茉莉は、半開きの眼のまま、寝惚けたように周囲をきょろきょろと見回した後、ベッドで上体を起こしている友哉を目に留めた。

 

 そこで、大きく目を見開く。

 

「友哉さん、起きてたんですかッ!?」

 

 すぐに茉莉は、友哉へ跳びついて来る。

 

「い、痛い所はありませんかッ? それよりも、何か欲しい物はッ? あぁ、えっと、お水持って来ましょうかッ!?」

「いや、茉莉、取り敢えず落ち着こう」

 

 苦笑しながら宥めるように、静かに言う友哉。

 

 その声に鎮静効果でもあったのか、茉莉の勢いは減速するように収束して行った。

 

「ごめん、心配かけちゃったね」

「いえ・・・・・・」

 

 微笑みを返す茉莉。しかし、その目元が、少しうるんでいるのを、友哉は見逃さない。

 

 もしかしたら、疲れて眠るまでの間、泣いていたのかもしれない。

 

 優しい娘だ、と思う。

 

 こんな娘だから、友哉は茉莉の事を好きになったのだ。

 

「ねえ、茉莉」

「は、はい?」

 

 茉莉は慌てたように、目元を拭って友哉を見た。

 

 そんな茉莉を、友哉は真っ直ぐに見詰めて言う。

 

「本当に、ありがとうね。君がいてくれて助かるよ」

「い、いえ・・・・・・」

 

 友哉の言葉に、茉莉ははにかむよう顔を赤くして俯かせる。

 

「友哉さんの為なら・・・・・・私・・・・・・」

 

 小声で囁く言葉は、友哉に僅かに届かない。

 

 友哉の優しさ、その包容力が生む圧倒的な温もり。それが、茉莉を優しく包み込むのが判る。

 

 だからこそ、茉莉は緋村友哉と言う少年に惹かれているのだ。

 

 互いに、抱える想いは一方通行。

 

 今はまだ、2つの感情と言う川が、僅かに逸れて流れている為に、互いの気持ちに気付いていない状態であった。

 

 その2つの小さな流れが結びつく日が、果たして来るのであろうか。

 

「あ、そうだ」

 

 そこで、茉莉はある事を思い出し、顔を上げると、真剣な眼差しを友哉へ向けた。

 

「実は、友哉さんに相談しなくてはならない事があるんです」

「おろ?」

 

 話題を変えた茉莉に対し、友哉も真剣な眼差しで先を促す。茉莉の態度から、何か深刻な事態が起きているのを感じていた。

 

 恐らく、極東戦役に関わる事なのだろう。

 

 聞き入る友哉に対し、茉莉は今日起こった事を説明した。

 

 友哉の代理として、茉莉が師団会議(ディーン・カンフ)に出席した事。

 

 そこで行われた、会話の内容。当面、師団(ディーン)としては、ジーサード勢力に対して、対話と様子見で対応し、その間に、キンジがジーフォースに対して寝返り工作を行うと言う事だった。

 

 そして、話しは茉莉自身の、最大の焦点へと入った。

 

「実は、私自身も、ある役をこなすように言われました」

 

 少し言い難そうに、茉莉は口を開く。

 

 話している内容は、茉莉にとってあまりにも重すぎる物だった。

 

 聞いている友哉にも、その事が判っている為、徐々に表情が険しくなるのが判る。

 

「・・・・・・・・・・・・判った」

 

 全てを聞き終え、友哉は苦い顔のまま頷いた。

 

 これは、確かに茉莉にはきつい事かもしれない。友哉だって、できれば避けたい事態である。

 

 だが、状況が、そのような贅沢を許さなかった。

 

 とにかく今は、打てる手を全て打つ必要がある。

 

「この件、僕に預からせてほしい」

「え?」

 

 友哉の言葉に、茉莉は驚いて顔を上げる。

 

 対して友哉は、茉莉を安心させるように笑顔を作る。

 

「交渉は、僕がやるから、茉莉は繋ぎ役をお願い」

「で、でも、玉藻さんからは、この事は私がやれって・・・・・・」

 

 言い募ろうとする茉莉を、友哉は制して言う。

 

「玉藻には玉藻の考えがあるのはわかるよ。けど、これはどちらかと言えば、僕達の問題だ。玉藻は確かに師団のリーダーかもしれないけど、イクスのリーダーは僕だよ。例え相手が玉藻でも、口出しはさせない」

 

 それにね、と友哉は微笑んだまま続ける。

 

「多分だけど、この役、茉莉がやるより、僕がやった方が成功率は高いと思うよ。僕なら、向こうが欲しがっている物を持っているから」

「友哉さん・・・・・・」

 

 心配そうな顔をする茉莉。

 

 そんな彼女を安心させるように、友哉は手を伸ばして茉莉の頭を撫でてやる。

 

 その心地よい感覚に、茉莉は頬を赤らめて身を委ねていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 圧迫するような闇の中に、自分がいる事を感じる。

 

 苦しい。

 

 息が苦しい。

 

 体中が痛い。

 

 助けて、

 

 誰か助けてッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お兄ちゃんッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ベッドの上で、エムツヴァイは目を覚ました。

 

 どうやら、いつの間にか眠っていたらしい。

 

 寝覚めは、最悪の気分である。

 

 体中に寝汗をかいているのが判る。

 

 栗色の前髪は、額に張り付き、それがまた不快な気分を呼び起こした。

 

 ここはセーフハウスの一室、エムツヴァイの部屋だ。

 

 一流ホテルの部屋を借り切っている状態である為、12畳ほどの広々とした空間の中に、贅を尽くしたような調度品の数々が飾られている。

 

 流石は、派手好きのジーサードだった。こう言う所に金を惜しまない事も、組織のトップに立つ人間には重要な事である。要するに、至近を惜しまず、自分の度量を見せる事で、下の者に良い目を見させる事が重要なのだ。

 

 ベッドから起き出す。

 

 上が白いタンクトップに、下が白のショーツのみと言う飾りっけのない下着姿だが、はだけた様な肩から腕にかけてのラインと、ショーツから伸びたほっそりした白い足が煽情的な光景を作り出している。

 

 エムツヴァイは冷蔵庫まで歩いて行くと、中からペットボトル入りのミネラルウォーターを取り出し、キャップを開けて口を付ける。

 

 熱を帯びた体に、よく冷えた水が気持よく流し込まれるのが判る。

 

 体の具合を確かめるように、掌を開閉してみる。

 

 この間の友哉との戦闘から、既に数日が経っている。本来なら、もう体は回復しても良い頃だが。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 半分ほど飲んだペットボトルを投げ捨てると、シャワールームへと足を運ぶ。

 

 ともかく、寝汗を流してすっきりしたい気分だった。

 

 シャワーを浴びると、服を着替えて部屋を出る。

 

 すると、リビングのソファーに腰掛けて、エムアインスの姿があった。

 

 何かの情報を確認しているのか、難しい顔で、テーブルの上においてあるノートパソコンを眺めている。

 

 今、このセーフハウスには、2人しかいない。ジーフォースは作戦の一環で学園島へ行き、首領であるジーサードは、別件で用があるとかで日本を離れていた。

 

 近付いてみても、エムアインスは顔を上げる様子は無い。一心にパソコンの画面を眺めている。

 

「どうかしたんですか?」

「ああ、ツヴァイか」

 

 今気付いた、と言う感じに、エムアインスはノートパソコンから顔を上げた。

 

「体は、もう良いのか?」

「ええ、すっかり。それよりも、」

 

 言いながらエムツヴァイは、ノートパソコンの方に目をやる。

 

 先端科学を操る事の出来るジーサード勢力は、やろうと思えば世界中から情報を集める事ができる。そうして集めた情報は、彼等の作戦行動における重要な指針となるのだ。

 

「何か、気になる情報でも?」

「ああ」

 

 尋ねるエムツヴァイに、エムアインスはパソコンの画面を指し示して見せた。

 

 覗き込むと、メール画面が開いており、一通の受信メールが入っていた。

 

 それは、東京武偵校に潜入しているジーフォースからの直通メールだった。

 

「この間の戦闘で、俺達と戦って負傷した連中が、全員退院したそうだ」

「それってッ」

「あぁ」

 

 驚愕したようなエムツヴァイの言葉に、エムアインスは重々しく頷きを返す。

 

「神崎・H・アリア、星伽白雪、峰・理子・リュパン4世、蕾姫のバスカービルメンバー。そして、」

「イクスリーダー、緋村友哉・・・・・・・・・・・・」

 

 その名前を呟きながら、エムツヴァイは苦い顔を作る。

 

 自分達が苦労して倒した敵が復活してしまった。その事に苛立ちを隠せない様子だった。

 

「やはりあの時、とどめを刺せなかったのが痛かったな」

「そんな事、今更言っても始まらないじゃないですか。それより、復活したのなら。また倒せば良いだけの話です」

 

 息も荒く、エムツヴァイはそう言いきる。

 

 確かに、言ってしまえばその通りではあるのだが。

 

「落ち着け、ツヴァイ」

「アインス?」

 

 エムツヴァイは、静かな光をたたえた瞳で、エムツヴァイを見詰める。

 

 その瞳は、有無を言わせないような迫力が込められているのが判る。

 

「闇雲に仕掛けるのは危険だ。奴には何か、執念深いような物を感じる」

 

 そう言うと、エムツヴァイは自分の肩に手をやる。

 

 そこは、先の戦いで、友哉の一撃を受けた場所だ。

 

 完全に勝ったと思った一瞬、まさかの逆撃を食らった場所。

 

 侮る事はできない。

 

 前回の戦いは実力で勝ったと言うよりも、情報を制したような物だとエムアインスは考えている。こちらは緋村友哉の情報を念入りに調べ上げたのに対し、何の前情報も無かった友哉は、殆ど成す術も無かったに等しい。

 

 にもかかわらず、執念とも言える反撃をエムアインスに食らわせた。

 

 舐めてかかれば、次に敗北するのは自分達かもしれない。

 

 漠然と感じる予感を、エムアインスは無視する事ができなかった。

 

 だが、

 

「怖気づいたんですか?」

「・・・・・・何?」

 

 嘲りを若干含ませたエムツヴァイの言葉に、エムアインスは静かに顔を上げて睨みつける。

 

 その眼光をまともに受けながら、平然と言葉を続けるエムツヴァイ。

 

「何度戦っても結果は同じです。また私達が勝つ。これは絶対です」

「その考えは危険すぎる。忘れるな、俺達と言えど、絶対の存在ではないと言う事を」

 

 窘めるようなエムアインスの言葉を、しかしエムツヴァイは言下にはねつける。

 

「アインスこそ忘れたんですか? 私達がここに来た目的を」

「忘れてないどいないッ」

 

 エムツヴァイの言葉に、エムアインスは殆ど反射的に返した。

 

 自分達と同じ、飛天御剣流を現代に伝える、緋村友哉と戦う。

 

 そして、倒す。

 

 それこそが、自分達にとっての唯一にして絶対の存在意義であり、自分達が生み出された理由でもある。

 

「なら、こんな所で手を拱いている暇は無い筈ですッ 今すぐにでも、武偵校に行き、緋村友哉の首を取る。それが、私達の取るべき道でしょう!!」

「次も、この前と同じように行くと思ったら大間違いだ。奴も、今度は万全の状態で待ち構えているだろうしな」

 

 血気に逸るエムツヴァイを、エムアインスはあくまで冷静にとどめようとする。

 

 エムアインスの目には、エムツヴァイが舞い上がり過ぎているように見えた。

 

 これまで2人は、ジーサードやジーフォースと共に数々の戦場に赴き、全ての戦いに勝利を収めて来た。

 

 そして先日、ついに宿願とも言うべき敵に打ち勝った。

 

 それら事実が、エムツヴァイを増長させているとしか思えなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・なあ、ツヴァイ」

 

 あくまで冷静に言い聞かせるように、エムアインスは口を開く。

 

「これは、前々からサードとも相談していた事なんだがな。お前、今回の作戦から外れないか?」

「・・・・・・え?」

 

 突然の申し出に驚き、次いで目を剥くエムツヴァイ。

 

「ど、どうしてッ」

「お前の体の事だ」

 

 優しく語りかけるように、エムアインスは強い口調で続ける。

 

「オランダに、サードが良い医者を見付けてくれている。どの政府や組織とも繋がりが無く、腕も良いそうだ。病院の立地条件も、自然に囲まれた環境に良い場所らしい。そこに行って、少し体を休めないか?」

「・・・・・・・・・・・・」

「別に、お前を放逐しようとか、一生、戦線から外れろと言っている訳じゃない。ただ、今は体の治療に専念し、回復を待ってから復帰した方がいいんじゃないのか?」

 

 諭すような、エムアインスの口調。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・もう、良いです」

 

 聞くに堪えない、とばかりにエムツヴァイは絞り出すような声で告げ、乱暴にソファーから立ち上がる。

 

「ツヴァイッ」

「そんな与太話を聞く為に、この国に来た訳じゃありませんから」

 

 そう言うと、振り返る事無く自分の部屋へと戻って行く。

 

 その背中を、黙って見送る事しかできないエムアインス。

 

「ツヴァイ・・・・・・」

 

 彼女の為と思ってしたお膳立て。しかし、結局それが、彼女を追い詰める結果となってしまっている。

 

 一体、なぜ、このような事になったのか。

 

 痛みを感じるほどに、硬く拳を握りしめる。

 

「・・・・・・・・・・・・全ては、あの時から始まったのだッ」

 

 囁く言葉は、後悔と憤怒によって彩られ、室内に溶けて行く。

 

 ただ、エムアインスには、戻る事の出来ぬ過去への憤りを吐き捨てる事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 その日、午前中の授業を終えた友哉は、午後の自由履修を辞退して、早々に寮へ戻る事にした。

 

 退院したとはいえ、完全に傷が癒えた訳ではない。激しい運動は控えるよう、紗枝から厳重に言い渡されていた。

 

 とは言っても、普段の友哉なら、この程度の無茶は押し通してしまうのだが、流石に、この間、茉莉達に迷惑を掛けたばかりである。そこは慎ましく自重する程度の分別は、弁えているつもりだった。

 

 第3男子寮前の停留所でバスを降りると、真っ直ぐ自分の部屋へと上がる。

 

 正直、エムアインス達の再襲が充分考えられる現状、悠長に休んでいる暇も無いのだが、陣にも指摘された通り、確かに、自分とエムアインスとの実力差は一朝一夕で埋まる物では無い。

 

 ここはまず、落ち着いて休養につとめ、戦力の回復を図るべきだった。

 

 自分の部屋のある階まで上がり、廊下に出た時だった。

 

「おろ?」

 

 廊下の端のドアの前に立ち、手に持った鞄の中を覗き込んでいる少女の姿があった。

 

 明るい茶色の髪を、短くボブカットにした少女だ。

 

 まだ、幼さの残るあどけない顔立ちは、美人と言うよりも可愛らしいという表現が当てはまる。

 

 きっと、あんな子がクラスに1人いたら、皆から可愛がられる事だろう。

 

 だが、見覚えの無い少女である。少なくとも、この寮に今まで住んでいた訳ではない筈。それなら、友哉とも会っている筈だから

 

 だが、その少女の様子に、友哉は不審に思う。

 

 この廊下の角部屋、ちょうど、友哉の隣の部屋に当たる場所は、キンジの部屋の筈だ。少女は、そのキンジの部屋の前に立って、何かをしているように見える。

 

「あっれー、おっかしいな・・・・・・確か、入れたと思ったんだけど・・・・・・」

 

 困り顔の少女は、自分の鞄の中を手でかきまわしながら何かを探している。

 

「どうかしたの?」

 

 少女の傍らまで歩み寄った友哉が声を掛けると、少女は驚いたように振り向いた。

 

 友哉と少女の視線が合わさる。

 

 思った通り、可愛らしい少女だ。大きな瞳がクリクリとよく動き、小動物のような可愛さがある。

 

 だが、友哉は少女の顔を、僅かな違和感と共に眺めていた。

 

 会った事は無い、筈だ。

 

 だが、何処かで見たような気がする。そんな違和感が、胸の内に湧き上がっていた。

 

「あの、えっと・・・・・・」

 

 突然現われた友哉に、少女は戸惑っている様子だ。

 

 そんな少女に対し、友哉は慌てたように苦笑して言う。

 

「あ、ごめん。君が何だか困っているみたいだったからさ」

 

 言ってから、自分の部屋を指差す。

 

「僕は、そこの住人だけど、君はキンジの知り合いか何か?」

 

 一瞬、キョトンとした少女だが、すぐに笑顔を浮かべ「あぁ、成程」と呟いた。

 

「初めまして、いつもお兄ちゃんがお世話になっています」

 

 そう言って、ペコっと頭を下げる少女。

 

「おろ、『お兄ちゃん』って事は・・・・・・」

「はい。私、遠山かなめって言います。お兄ちゃんの妹です」

 

 「お兄ちゃんの妹」と言う言い方も、どこかおかしいが、しかしそれなら、この部屋の前にいた事も納得がいく。それに言われてみれば、何となく雰囲気が似ている気がした。

 

 もしかしたら、先程感じた違和感の正体も、それだったのかもしれない。

 

 それにしても、

 

『キンジ、妹がいるなんて、一言も言った事無かった筈だけど・・・・・・』

 

 内心で首を傾げる友哉。

 

 兄がいるのは知っているし、実際に会った事も一緒に戦った事もあるが、キンジの下に弟妹がいるなんて話は聞いた事が無かった。

 

 とは言え、他人の家の事情である。何か話せない事情があったのかもしれないし、たんに話題の端に上らなかっただけと言う事も考えられる。

 

「で、かなめ。君はここで何やってたの?」

「えっと、実は、出掛ける時に鍵を忘れちゃって、部屋に入られなくなっちゃったんです」

 

 成程。それで鞄の中を必死に探していたのか。

 

 とは言え、自由履修を辞退して早退した友哉と違い、キンジは探偵科(インケスタ)の授業で6限まで学校にいる筈である。6限の授業が終わるまでには、まだ3時間弱ある筈だった。

 

 その間、かなめはこの部屋の前で待ちぼうけになってしまう。

 

 流石に、それは可哀そうだった。

 

「どうかな、うちの部屋でキンジが来るの待ってない? お茶くらいは御馳走するけど」

 

 言ってから、しまった、と思った。

 

 これじゃあ、傍から見れば、「見ず知らずの女子を部屋に連れ込もうとしている好色男」に見えなくも無い。友哉の見た目は女だが。

 

 とっさにフォローしようとする友哉。

 

 だが、その前にかなめが割り込んだ。

 

「じゃあ、すみませんが、お願いします」

 

 至極あっさりと、ついて来る事を了承してしまった。

 

 その様子に、友哉は一瞬呆気に取られる。

 

 随分あけっぴろげな感じのする少女である。もしかしたら、世間の一般論には疎いのかもしれない。

 

 何しろ、キンジの幼馴染と言えば、超箱入り娘の星伽白雪である。彼女も相当に浮世離れしている事から考えれば、妹もその枠に収まるのかもしれなかった。

 

 鍵を取り出し、ロックを解除する。

 

「あ、そう言えば名乗って無かったね。僕は・・・・・・」

「緋村友哉さんですよね。お兄ちゃんから聞いてます」

 

 そう言って、かなめは笑顔を見せる。まあ、部屋は隣だし、こう言っては何だが、キンジは友達が少ない方である。既に妹に友哉の事を紹介していてもおかしくは無かった。

 

 ドアを開いて、かなめを招じ入れる。

 

「さ、入って入って。ちょっと散らかってるけど」

「おじゃましまーす」

 

 散らかってる。と言っても、いつも几帳面な茉莉が掃除している為、それほど目立つような物では無い。せいぜい、今朝読んだ新聞が床に置かれている程度だ。

 

「わあ、やっぱり、お兄ちゃんの部屋と同じなんだ」

「この寮は、全部屋同じ間取りだからね。適当に座ってて。コーヒーで良いかな?」

 

 この部屋の住人は、皆、朝はコーヒーと決まっている。その他、好みに合わせてミルクや砂糖を入れるくらいである。その為、実際の話、他の飲み物と言ったら、冷蔵庫の中のジュースくらいなのだが。

 

 幸いと言うべきか、特にかなめは拒否もしなかったので、2人分のコーヒーを用意する。

 

「何だか、女の子の匂いがしますね」

 

 コーヒーを待っている間、かなめは部屋の中を見回しながら、そんな事を言う。

 

 その言葉に、友哉は苦笑した。

 

「匂いって・・・まあ、一緒に暮らしている女の子の匂いが、少し残っているのかもしれないね」

 

 考えてみれば、茉莉と瑠香がこの部屋に転がり込んで来て、もう半年になる。普段は気付かない生活の匂いのような物が、部屋に残っていてもおかしくは無いだろう。

 

 友哉は淹れ終えたコーヒーを盆に乗せ、かなめの元へ運ぶ。

 

「はい、どうぞ。砂糖とミルクはお好みでね」

 

 かなめの好みが判らないので、取り敢えずミルクの瓶と砂糖のケースも一緒に持ってきて置いた。

 

 だが、かなめはそれらには手を触れず、スカートのポケットからキャラメルの箱を取り出すと、一個取り出して口に含み、次いでコーヒーのカップに口を付けた。

 

 妙な飲み方だと思う。余程キャラメルが好きなのだろうか? とは言え、そんな飲み方では、キャラメルの味が消えてしまうような気がするのだが。

 

 しかし、一口飲んだかなめは、何やら幸せそうな顔を作る。

 

「うん、とっても美味しいですよ」

「それは良かった」

 

 まあ、世の中にはキャラメルマキアートやら、キャラメルフラペチーノやら、キャラメルとコーヒーを混ぜた飲み物もある事だし、飲み方は人それぞれだった。

 

 自分もコーヒーを飲みながら、友哉はそう言う事で納得する事にした。

 

 暫く飲んでいると、今度はかなめの方から声を掛けて来た。

 

「あの、女の子と一緒に暮らしてるって、言いましたよね」

「一緒に暮らしてるって言うか、2人は居候みたいなものなんだけど。まあ・・・・・・」

 

 かなめの言い方では、まるで同棲しているみたいな感じがする。

 

 まあ、それもあながち間違いとは言い切れないのだが。

 

「もしかして、どっちか1人は彼女さんですか?」

 

 突然の質問に、口に運びかけた手を止める友哉。

 

 その質問は、今の友哉にとって生々しすぎた。

 

「・・・・・・・・・・・・さあ、どうだろうね」

 

 カップをテーブルに戻しながら、動揺を抑えるように、努めて冷静に答える友哉。

 

 その脳裏に、どうしても1人の少女の姿が浮かんでしまう。

 

「・・・・・・彼女、では、まだないね」

 

 なぜ、そんな事を言ってしまったのか、友哉には判らなかった。

 

 友人の妹、と言うだけの存在であるかなめ。本来なら、このような事を相談するには不適切であろう。だが、友哉はまるで呼吸をするようにあっさりと、かなめに自分の心中を話してしまっていた。

 

「まだって、告白とかは?」

「それもまだ。どうしても、自分の中で踏ん切りがつかなくてね」

 

 自嘲的に笑う。

 

 敵と戦っている時なら、いくらでも果断即決できるのに、今回の事は、どうしてこうまでウジウジと悩んでしまうのか。

 

 正直、自分でもその答えを見つけられそうになかった。

 

「そこは、思いきって行かないと、ダメだと思いますよ」

 

 そんな友哉に、かなめはハッキリした口調で言ってくる。

 

「どんな事でも、自分からぶつかって行かないと。相手の気持ちなんて判らないと思います。少なくとも、私なら、そうします」

「・・・・・・・・・・・・そっか。そうだよね」

 

 同じような事を、この間、不知火にも言われた気がする。

 

 だが、不思議だった。

 

 年下の女の子に諭すように言われた言葉だが、なぜか友哉の胸にストレートに突き刺さった気がした。

 

 今まで友哉は茉莉にフられる事を嫌い、告白に踏み切れなかった。

 

 だが結局、それは自分がかわいい故に、戦う事から逃げていたにすぎないのかもしれない。

 

 目の前の少女は、その事をズバリ指摘して来たのだ。

 

「ありがとう。お陰で目が覚めた気分だよ」

 

 そう言って笑顔を向ける友哉に、かなめもまた笑顔を返してきた。

 

 と、その時、携帯のバイブレーションが振動し、メールの着信を告げてきた。

 

 ちょっと、ごめんね、と言って携帯電話を開くと、相手は茉莉からであった。

 

《先方との接触に成功しました。今夜にでも会いたいとの事です》

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 どうやら、早速食いついて来たらしい。まずは、予定通りと言ったところだ。

 

 正念場はここからである。何としても、こちらの要求を飲ませる必要があった。

 

「もしかして、彼女さんからですか?」

「彼女じゃないよ」

 

 『まだ、ね』と、心の中で付け加えてから、携帯を閉じる友哉。

 

 そこで、

 

 ふと、動きを止めた。

 

 視線は、手の中の携帯電話に釘付けになっている。

 

 この携帯電話の中には、1本の動画が圧縮ファイルとして収められている。入院中、暇を持て余したため、研究も兼ねてキンジから添付ファイルで送ってもらった物だ。

 

 それは、ジーサードが交渉と脅迫の為にキンジに送りつけて来た、ジーフォースと、アリア達との戦闘シーンの動画だった。

 

 その動画の中で、先進的な刀を振るう少女と、

 

 目の前の少女が、脳裏の中でピッタリと一致した。

 

「・・・・・・あ、やっと気付いたんだ」

 

 変わらぬ口調で、言うかなめ。

 

「でも、思ってたよりは早かったかな。ツヴァイ達が拘る訳が、何となくわかるよ」

「・・・・・・褒められたって、思っておくよ」

 

 答えてから友哉は、かなめを、

 

 否、

 

 ジーフォースを静かに見詰め返した。

 

 バスカービルをたった1人で壊滅させた少女は、相変わらず、キャラメルを口に含んだまま、コーヒーを飲んでいる。

 

「うちの学校に入り込んでるって、報告は受けていたけど。こんなに堂々と姿を現わすなんてね。君も、僕と戦うのが目的?」

 

 言いながら友哉は、傍らに立てかけた逆刃刀をいつでも取れるように身構える。

 

 しかし、対してジーフォースは、一切動じた様子は無い。

 

「それは非合理的。今のあなたじゃ、あたしには勝てないよ」

 

 ジーフォースは動じないのではない。動じる必要が無いのだ。今の友哉が、たとえ全力を出したとしても、自分には勝てないと判っているから。

 

 それは同時に、もう一つの意味も持っている。即ち「やるならとっくにやっている」と言う。

 

 ジーフォースが本気なら、とっくに友哉は殺されている筈だった。

 

 その事に思い至り、友哉もソファーに腰を下ろす。

 

 確かに、こうなった以上、慌てても仕方が無かった。

 

「それにしても、なかなか手の込んだ嘘だね。キンジの妹だなんてさ」

 

 友哉が最初に見た違和感は、キンジに雰囲気が似ていたからではない。動画として彼女の戦いを見ていたからだった。ただ、戦闘中のジーフォースはバイザーで顔を隠していた為、なかなか記憶が結び付かなかったのだ。

 

「その考えは、非合理的だよ」

「どう言う事?」

「だって、あたしは本当に、お兄ちゃんの妹なんだもん」

 

 芯からロールプレイを演じ切っているのか、ジーフォースは友哉の言葉を真っ向から否定する。

 

「じゃあ、『遠山かなめ』って言う名前は?」

「それは、お兄ちゃんが付けてくれたの」

 

 嬉々として語るジーフォース。

 

 確か、茉莉の話では、キンジがジーフォースにロメオを仕掛ける手はずになっていた筈。と言う事は、これもその一環かもしれない。

 

「それで、君はこれからどうするつもりなの?」

 

 いったい、何が目的でこの学校に来たのか。そこのところに探りを入れてみる。

 

 ここは言えば、彼女にとっては完全な敵地だ。そこにわざわざ1人で乗り込んで来た目的に興味があった。

 

「そうだなー・・・・・・」

 

 足をぶらぶらさせながら、ジーフォースは考え込む。

 

「まず、お兄ちゃんに近付く女共を全殺しして、お兄ちゃんには、あたし以外誰も近付けないようにすること。その後は、あたしがお兄ちゃんを、いっぱい愛してあげるんだ」

 

 物騒な愛もあった物である。

 

 何がジーフォースをそこまで駆り立てるのか、見当もつかない事である。

 

 だが、

 

「そう、うまくいくかな」

 

 友哉は静かな口調で告げる。

 

 この子の実力が本物なのは、今更疑う余地は無いが、戦いとはカタログスペックのみで決まる物では無い。その事を、友哉は良く知っている。

 

「行くよ~ あんな奴等、物の数じゃないもん」

 

 ジーフォースは言いながら、無邪気に可笑しそうに笑う。

 

 自身の実力に対する絶対の自信。それをジーフォースは隠そうとする気配すら無かった。

 

 その時、玄関の扉が開き、人が入って来る気配がした。

 

「ただいま、友哉君。少し休んだら、晩御飯の準備するから」

 

 そう言いながら、リビングへ入って来る瑠香。

 

 その視線が、友哉の正面に対峙するように座る、少女の姿を映した。

 

「あれ、かなめちゃん?」

「おー、こんにちはー」

 

 何やら親しげに挨拶する2人の様子に、友哉は思わず呆気に取られた。

 

「おろ、2人、知り合い?」

「うん、クラスは違うんだけどね。かなめちゃん、陽菜っちとクラスメイトだから、その関係でさ」

「ねー」

 

 陽菜っち、と言うのはキンジの戦妹の風魔陽菜の事だろう。瑠香とは同じ諜報科(レザド)出身で仲が良い。何でも、高名な忍びの末裔である所とかも、同様であるらしかった。もっとも、友哉には、いつも時代掛った口調で、腹をすかしている少女にしか見えないのだが。

 

 何はともあれ、敵と室内で2人っきりと言う状況は脱する事ができたらしい。

 

 友哉は仲良く話を弾ませる2人の様子を見ながら、そっと溜息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜。

 

 かなめやキンジも交えた夕食を終えた後、友哉は茉莉を伴って寮を抜けだした。

 

 予め車輛科(ロジ)からレンタルしてあったモーターボートに乗り、学園島からレインボーブリッジを挟んで北側にある、空き地島へと上陸した。

 

 この場で宣戦会議(バンディーレ)が行われたのは、今から約1カ月。

 

 その1カ月の内に、リバティ・メイソンと戦い、ヒルダと戦い、今度はジーサード勢力と戦う事になっている。

 

 正に、激戦と呼ぶべき状況である。

 

 そして今夜、師団(ディーン)の今後の方針に関わる重要な交渉の為、友哉は茉莉を伴ってこの場にやってきた。

 

 ANA600便の激突によって折れ曲がった風車の下まで来た時、2人は足を止めた。

 

「友哉さん、来ました」

 

 茉莉の声に、友哉は頷きを返す。

 

 友哉の視界にも、こちらに向かって歩いて来る人影が見えたのだ。

 

「時間通りですね。結構な事です」

 

 闇から現われた人物は、スーツ姿に無表情の仮面で顔を覆った男。

 

 友哉にとっては、何度も刃を交えた因縁の相手である。

 

 《仕立屋》由比彰彦

 

 彼が、今日の対談の相手であった。

 

「申し訳ありませんね。わざわざこのような時間に、このような場所へお呼び立てして」

「構いません。交渉を持ちかけたのはこっちですから」

 

 一見、気さくな会話のようにも見えるが、実際には友哉は僅かな油断すらしていない。

 

 これまでに仕立屋とは幾度となく戦い、足元を掬われた事も一度や二度では無い。警戒するに越した事は無かった。

 

 彰彦の方でも、同様の思いなのだろう。一定以上に近付いて来る事を避けている様子がある。

 

「それで、本日の交渉とは、如何なる物でしょう?」

 

 彰彦の問いかけに、友哉は僅かに躊躇うように唇をかむ。

 

 正直、この男に交渉を持ちかけるなど、友哉にとっては拒否したい事態なのだが、現状はそれを許してはくれなかった。

 

 顔を上げて、相手の仮面に包まれた顔をしっかりと見据えた。

 

「単刀直入に言います。師団(ディーン)は仕立屋の雇用を申し入れます。期限はジーサード勢力との戦闘が終了するまで。依頼内容は、学園島防衛の強化。投入戦力については、そちらにお任せします」

 

 それが、玉藻の打ち出した方針だった。

 

 ともかく、早急な防衛網再構築を行う必要がある。その為の手っ取り早い手段として、傭兵である仕立屋の力を利用しようと考えたのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・ほう」

 

 仮面の奥で目を細め、彰彦は納得したように頷く。

 

 友哉の申し出に、驚いた様子は無い。むしろ、この事態を予想していた様子だ。

 

 仕立屋としても、ジーサード勢力がイクスとバスカービルに奇襲を掛けた事は掴んでいた筈だ。そこから推察して、こうなる事を予想していたのだろう。

 

 ややあって、彰彦は口を開いた。

 

「良いでしょう。我々としても、今後の活動の為に師団と繋がりを持っておく事は望ましい。その話、お受けしましょう」

 

 ただし、と彰彦は続ける。

 

「御承知の通り、我々は傭兵です。傭兵と言うのは、兵士であると同時に商人でもあります。ビジネスとして雇われるからには、当然、報酬の交渉もしなくてはなりません」

「報酬、ですか。お金なら、」

 

 一応、この件に関して、玉藻から予算にいとめを付けないように言われている。玉藻には玉藻の財源があるようだ。どこから持って来たお金なのかは、敢えて聞かないでいるが。

 

 だが、そんな友哉の言葉を、彰彦は手を振って制する。

 

「いえいえ、報酬は、何もお金であるとは限りませんよ。要はこちらが欲している物を提供してくれればいいのです」

「それじゃあ、何を?」

 

 問い掛ける友哉。

 

 その一瞬、

 

 強い海風が、立っている3人の元を吹き抜けた。

 

「キャッ!?」

 

 とっさに、舞い上がる髪とスカートを抑える茉莉。

 

 その風がやんだ時、

 

 友哉と彰彦は、互いに無言のまま睨み合っていた。

 

「・・・・・・・・・・・・判りました」

 

 ややあって発せられた友哉の言葉は、苦渋と言うよりも諦念に満ちているような気がした。まるで、こうなる事を予想していたかのように。

 

「では、交渉成立です」

 

 仮面の奥で、ニヤリと笑う彰彦。

 

 その瞬間、

 

 友哉は自分が悪魔と契約したような気分になるのを押さえられなかった。

 

 

 

 

 

第4話「キンジの妹」      終わり

 



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第5話「リヴェンジ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦闘用に造られた、体にフィットする黒いアンダースーツを着込み、その上から軽量のプロテクターを装着する。

 

 大事な戦闘前である。一応、具合を確かめる。

 

 異常は無い。これなら、全力を発揮しても構わないだろう。

 

 バイザーと一体となったヘッドギアを取り、頭にかぶる。

 

 戦闘機のヘッド・アップ・ディスプレイと同じ機能を持たせたこのヘッドギアは、戦場の情報を視覚的に伝えて、戦闘をサポートしてくれる。特に、高速戦闘を基本とする飛天御剣流にとっては欠かせない装備だ。

 

 最後に、ベッドの上に置いてある刀を取った。

 

 鞘と拵えは近未来的で鋭角的なデザインであり、SF映画に出て来る武器のような印象も受ける。

 

 しかし、鞘に収まった刀身は、まぎれも無く日本刀の物であり、長年使用して、慣れ親しんだ愛刀が収まっていた。

 

 ロックを外し、僅かに刀身を抜いて見る。

 

 一点の曇りも無い、鋭いまでの銀の輝き。

 

 頼もしい光が、視界の中で瞬いた。

 

 エムツヴァイは、そっと目を細めた。

 

 長年に渡り、幾多の戦場を共に渡り歩いて来た、相棒とも言うべき刀。

 

 この刀がある限り、誰にも負けないと言う自信がエムツヴァイにはあった。

 

 そう、それがたとえ、飛天御剣流の真の継承者であったとしても。

 

 刀を鞘に収め、腰のホルダーに差す。

 

 これで、準備は完了だ。後は出撃するだけである。

 

 立ち上がり、部屋を出ようとした。

 

 その時、

 

「何処へ行くつもりだ?」

 

 行く手を遮るように、エムアインスがこちらを睨みつけていた。

 

 聖人のような穏やかな顔は、厳しく顰め、不遜な行動を取るエムツヴァイを咎めているのが判る。

 

 だが、エムツヴァイは臆した様子も無く、バイザー越しに睨み返す。

 

「今更、それを聞きますか? 決まっているじゃないですか。彼の所に行くのですよ」

 

 蔑みすら籠った口調で、エムツヴァイは告げる。

 

 彼、と言うのが緋村友哉の事を差しているのは、今更考えるまでも無いだろう。問題なのは、そのような事をエムアインスは命じていないと言う事だった。

 

「武装を解け、ツヴァイ。出撃は許可しない」

「どうしてですかッ!?」

 

 静かな口調のエムアインスに対し、エムツヴァイは激昂で応じる。

 

 今の彼女には、エムアインスの慎重すぎる態度には苛立ちを通り過ぎて怒りすら覚えていた。

 

「なぜ、許可してくれないんですかッ!?」

「状況を考えろ。もう俺達に奇襲の目は無いんだぞ」

 

 同じ敵に奇襲が有効なのは1回のみ。2度目は無い。

 

 次の戦いの時は、前回ほど楽にはいかないだろうとエムアインスは予想している。

 

 だが、

 

「それが何ですかッ?」

 

 はねつけるように、エムツヴァイは言った。

 

「奇襲なんかしなくても、正々堂々と戦えば良いだけです。それで勝てば文句は無いでしょう」

「勝てば、な」

 

 エムアインスの言葉に皮肉めいた物を感じ、エムツヴァイはムッと顔を顰めた。

 

「忘れるな。前回の時は、敵は分散していたのに対し、俺達は戦力を集中させる事ができた。だが、今は俺達が分散している状態にあると言う事を」

 

 戦力は集中して運用してこそ真価を発揮する。戦争における鉄則である。戦力を小出しにする事は、「所要に満たぬ兵力の逐次投入」に繋がり、各個撃破の対象にもなる。

 

 では、今の自分達はどうか?

 

 ジーサードは海外、ジーフォースは学園島、この場にいるエムアインスとエムツヴァイは意見が分かれている。完全に戦力が分散している状態だった。

 

「そんな事は関係ありません。敵が何人だろうが、私1人でなぎ倒して見せますッ」

「それだけじゃない」

 

 エムアインスは強い口調で言い放ち、エムツヴァイを真っ直ぐに見据えた。

 

「お前の体の事もある」

「ッ!?」

 

 エムアインスの言葉に、思わずエムツヴァイは息を呑んだ。

 

「俺が気付かないとでも思っているのか?」

「な、何を言って・・・・・・」

「お前の体は、もうボロボロだ。限界も近い。これ以上戦えば、命にかかわるぞ」

 

 度重なる肉体改造と、大量の薬物投与、過酷な訓練、休みの無い実戦投入。

 

 それらがエムツヴァイの体に、かなりの負担になっている事は明らかであった。

 

「悪い事は言わない。戦線を離脱しろ、ツヴァイ」

「・・・・・・・・・・・・」

「緋村とは俺が戦う。俺達の悲願は俺が必ず達成する。お前は待っていてくれれば、それで良い」

 

 静かに、諭すように言いながら、エムツヴァイの肩に手を置く。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・さい」

「何?」

「うるさいッ!!」

 

 叩きつけるように、エムツヴァイは叫ぶ。

 

 それは最早、1人の戦士と言うよりも、聞き分けのない子供のような仕草だった。

 

「言う事を聞くんだ、ツヴァイ!!」

「うるさいッ うるさいッ」

「ツヴァイ!!」

「うるさいッ 私を、その名で呼ぶな!!」

 

 栗色の髪を振り乱し、エムツヴァイは叫んだ。

 

「お前・・・・・・」

 

 呆然として声も出ないエムアインスを、エムツヴァイは血走った目で睨みつける。

 

「私は、そんな名前じゃないッ!! 私は・・・・・・私は・・・・・・わた、しは・・・・・・」

 

 頭に手を当てて、あとじさるエムツヴァイ。

 

 その瞳は、驚愕したように見開かれている。

 

「わた、しは・・・・・・私・・・・・・は・・・・・・」

 

 うわ言のように呟きながら、顔を上げ、視線をエムアインスに向ける。

 

「私って・・・・・・誰?」

「・・・・・・お前は」

 

 そう言って、エムアインスが手を伸ばしかけた、その時、

 

 エムツヴァイは脱兎のように跳ね起き、エムアインスを突き飛ばす形で部屋の外へと駆けだす。

 

 とっさの事でエムアインスも、立っている事ができずに床に座り込む。

 

 振り返った時には、既にエムツヴァイの姿は無かった。

 

 後には、床に座り込んだままのエムアインスだけが、室内に残された。

 

 やがて、呆然としたまま、その口が僅かに動いた。

 

「・・・・・・・・・・・・理沙」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 150年以上の長きにわたって積もり積もった物を取り除くには、相応の労力が必要である。

 

 黴くさいにおいに包まれながら、友哉はそんな事を考えている。

 

「エホッ エホッ ちょっと友哉君。少しは掃除くらいしようよ」

「瑠香さん、これ、そっちにお願いします」

 

 作業を手伝ってくれている瑠香と茉莉も、舞い上がる埃に辟易していた。

 

 積もり積もった埃に塗れながら、3人は天井近くまである文献の量に嘆息する。

 

 何しろ、江戸時代から長く保管されていた文献の数々だ。その数は半端な物では無い。

 

 ここは友哉の実家の片隅に、古くからある土蔵の中。

 

 友哉は土日の連休を利用して実家に帰省していた

 

 目的は、蔵の中に保管されている文献を、もう一度調べ直す事。

 

 調べたい事は2つである。1つは、本来なら時代毎に1人しか継承者が現われない筈の飛天御剣流の使い手が、なぜ今代では3人いるのか、と言う事。彼等がどこで飛天御剣流を学んだのか、その手掛かりが欲しかった。

 

 もう一つは、エムアインスが使った九頭龍閃について。あれが正式に飛天御剣流の技なら、この文献の山の中に、何かしらの情報が埋まっている可能性は高い。

 

 あの高速斬撃から生み出される破壊力は驚異的と言って良いだろう。友哉は、もしかしたら、あの技こそが飛天御剣流の奥義なのかもしれないと考えていた。

 

 エムアインス達は、必ずもう一度仕掛けて来る。と友哉は睨んでいる。彼等の目的が友哉を倒す事にあるなら、間違いないだろう。

 

 それまでに、できれば同じ技を使えるようになることが望ましいが、それが無理なら、せめて対抗手段が欲しい所であった。

 

 今まで、飛天御剣流の技を再現するに当たって、先祖である緋村剣路の備忘録、つまり日記の類を参考にして来た。

 

 だから、この中に何らかの情報があると思うのだが。

 

「だぁ~~~~~~」

 

 瑠香はガバッと、床に身を投げ出し、だらしなく大の字に寝転がった。

 

「見つからない、て言うか、本当にこん中にある訳?」

 

 瑠香が苛立つのも無理は無い。

 

 何しろ、昨日から掛かって、まだ10分の1も終わっていない有様だ。こんな調子でやっていたら、全部調べるのに1カ月くらいかかる事だろう。

 

 しかも、江戸時代からの文献である為、お世辞にも保存状態が良いとは言えない。

 

 虫食いや紙の傷みがひどく、触っただけで破れてしまう物まである。

 

 友哉は改めて、棚の上に高く積み上げられた本の山を見上げる。

 

 本当に必要なのは、この中の100分の1にも満たないだろう。それを見付けだすのは至難の業である。

 

 だが、いつまた襲撃を受けるとも判らない状況で、手をこまねいている事は出来なかった。僅かでも希望があるのなら、そこに賭けるべきだろう。

 

 そんな訳で友哉は、土日の休みを利用して、わざわざ家に戻り、朝から晩まで古ぼけた文献あさりをしている訳である。

 

 当初、友哉は1人で戻るつもりだったのだが、瑠香が「面白そうだから、あたしも行く」と言いだして、そうなると、今度は(主に食事関係から)茉莉を残して行く訳にもいかず、彼女も連れて行く事になり、結局3人で来た訳である。

 

 因みに、陣は「んな面倒クセェことやってられっかよ」と言って、付き合わなかった。

 

 その時、蔵の入口に人の気配が近付くのを感じた。

 

「みんな、御苦労さま。お茶入れたから、一息入れなさい」

 

 友哉の母親である緋村雪絵が、そう言って3人に声を掛けて来た。

 

 突然の帰宅だったが、雪絵も、父親の誠治も、快く3人を迎えてくれた。

 

 因みに誠治は今、仕事で会社に行っている。緋村道場の師範である誠治だが、流石に町の剣道道場だけで生計を立てて行ける世の中では無いのだ。

 

 好意に甘える形で、3人は作業を一時中断して、母屋の方へと戻った。

 

 友哉達はテーブルに着くと、自分のお茶が入った湯のみを取って、中にある熱いお茶を飲み下して行く。

 

 3人とも、精神的な疲労が色濃く出ている。

 

 何しろ、作業は朝から続けていたのだから。

 

 これで、何らかの成果が上がっているのなら、まだ多少は気が晴れるのかもしれないが、見つかった資料は悉く、目的とは関係の無い物ばかりであり、全ての作業が徒労に終わっていた。

 

「まあ、この手の作業は根気が大事だから」

 

 そう言って、友哉も力無く苦笑する。

 

 彼自身、飛天御剣流と言う、自分の先祖が使っていた流派の事を知り、そしてその詳細を調べるのに長い年月を要した。

 

 しかも、友哉自身、まだ飛天御剣流の全てを知っているとは言い難い。現に、九頭龍閃と言う、友哉が全く知らなかった技の使い手まで現われているのだ。

 

 まことに、その奥深さは底知らずと言った感じである。

 

 雪絵が淹れてくれたお茶を飲む事で、ようやく人心地つく事ができた3人は。昼も近いと言う事もあり、取り敢えず作業は一時中断と言う流れになった。

 

 その間、友哉は集めた資料をもう一度見直し、瑠香は携帯電話を出して何やら、友人とメールのやり取りを始めていた。

 

 茉莉は3人分の湯呑みをお盆に乗せ、台所へと運んで行った。

 

 茉莉が緋村家に来るのは、今回が初めての事である。

 

 広い敷地と和風の家造りを残した緋村家は、どこか落ち着きのある雰囲気を持っている。神社で育ったと言う事もあり、茉莉はこう言う家の雰囲気がとても好きだった。

 

「すみません、湯呑み、下げてきました」

「あぁ、ありがとう。そこに置いておいて」

 

 昼食の準備をしていた雪絵は、笑顔でそう言って流し台を指し示す。

 

「ごめんね、お休みの日なのに、わざわざ友哉の我儘に付き合ってもらっちゃって」

「いえ・・・・・・」

 

 雪絵の言葉に茉莉は、湯呑みを流し台におきながら恐縮する。

 

 彼女としては、片思いしている友哉の為に、少しでも役に立てるなら、この程度は苦労の内には入らないと思っていた。

 

「友哉さんには、日ごろから色々とお世話になっていますから。これくらいは何でもありません」

 

 とは言え、思い人の母親に、あまり生々しい事を言う事は憚られる為、無難にそう言って、お茶を濁しておく。

 

 茉莉が雪絵と会うのも、今回が初めての事であるが、会ったその日の内に、雪絵は茉莉の事を気に入り、瑠香と2人して、あれこれと可愛がっていた。

 

 何しろ、母親である雪絵の目から見ても、友哉は「鈍感、暢気、朴念仁」を地で行っている。そんな友哉が、少なくとも小学生を卒業して以降、瑠香と彩以外で初めて家に連れて来た女の子が茉莉である。気に入らない訳が無かった。

 

 一方の茉莉も、幼い頃から父親と2人暮らしであった為、「母親」と言う存在に、一種の憧れと言う物を持っていた。一応、近所の高橋のおばさんが色々と面倒を見てくれてはいたのだが、やはり母親と言うのとは少し違う気がしていた。

 

 そんな訳で、茉莉の方でも割とすぐに、雪絵と打ち解けて会話が弾むようになっていた。

 

「茉莉ちゃんは友哉のクラスメイトなんですってね、どう、あの子の学校での様子は?」

「様子、ですか?」

 

 質問に対し、茉莉はキョトンとした視線を返す。

 

 一瞬、何と答えれば良いのか迷っている内に、雪絵の方が改めて質問を重ねて来た。

 

「何か、変な事とかしていない? あの子、自分ではまともな事やってるつもりなんだろうけど、あれで結構抜けているところが多いから」

 

 そう言って、溜息をつく。

 

 母親として17年間見続けてきた息子である。きっと、今までそれなりの気苦労があったのだろう。

 

「はあ、まあ・・・・・・」

 

 何とも答えにくい質問に、茉莉は曖昧な返事を返す。

 

 何しろついこの間、重傷の身で病院を抜け出し、無茶な訓練をしようとしていた事は記憶に新しい。

 

 それ以外にも、他人の事となると、我が身を投げ出してまで護ろうとするし、翻って自分の事では、命を削っているのでは、と思えるほど過酷な訓練を毎日のように繰り返している。

 

 正直、ここまで「自分」と言う物に無頓着になれる人間も、珍しいのではないだろうか。

 

 そんな茉莉の反応に、大体の事情を察したらしい雪絵は、深々と溜息をつき、次いで、茉莉に微笑みかけた。

 

「茉莉ちゃん、あんなふうに、ちょっと抜けているところがある子だけど、これからも宜しくね」

「は・・・・・・」

 

 頷こうとして、声を止める茉莉。

 

 今の言葉、聞きようによっては「息子を貰ってください」と言う風に聞こえない事も無い。

 

 その事に思い至り、茉莉は頬を赤く染めて視線を逸らした。

 

「そ、そんな、まだ告白もしていないのに、気が早すぎます・・・・・・」

「ん、どうかしたの?」

 

 突然俯いた茉莉に、雪絵は怪訝な視線を向ける。

 

 雪絵としては、「これからも、友哉を助けてやってほしい」と言う意味で言った言葉だったのだが、目の前の少女は盛大に勘違いしてしまっていた。

 

「・・・・・・・・・・・・あぁ」

 

 自分の言葉を思い出し、何やら思い至ったらしい雪絵は、ポンと手を叩いた。

 

 と、同時に呆れ気味の可笑しさが込み上げて来るのを止められなかった。

 

 我が息子はあれだけ鈍感であると言うのに、それを慕う少女は随分と多いものである。

 

 雪絵は一応、瑠香の思いにも気付いている。

 

 瑠香が東京武偵校を受験すると、彼女の母、茜から電話で聞かされた時にピンと来たのだ。

 

 だから、瑠香が友哉を好きなのは前から気付いていたが、まさか目の前の少女まで、思いを同じにしていたとは思わなかった。

 

『我が子ながら、随分と罪作りね・・・・・・』

 

 そう、心の中で苦笑する。

 

 目の前の茉莉は、尚も顔を赤くしたまま、恥ずかしそうに俯いている。

 

 今更、間違いを指摘してやるのは可哀そうだと思った雪絵は、代わりに彼女の肩を叩いて言った。

 

「がんばってね」

「は、はい?」

 

 目を丸くした茉莉は、上ずった声で返事をする。

 

 そんな少女の様子を、雪絵は微笑ましく見詰めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼食のそばを食べ終えた3人は、午後から再び蔵に籠って文献あさりに没頭した。

 

 しかし、予想した事ではあるが、やはりめぼしい物が見つからないまま、ただ時間だけが空費されていく4。

 

 手に取った文献は全て、関係の無いものばかりであり、ただただ徒労感だけが、読んだ本の数だけ積み重ねられる結果となった。

 

 だが、地道な作業を積み重ねる事、3時間。

 

 友哉はある人物の日記の一節を読んでいて、ふと目を止めた。

 

「これは・・・・・・・・・・・・」

「友哉君?」

 

 傍らで、ダレ気味に文献のページを捲っていた瑠香が、顔を上げて友哉を見る。

 

 それに答えず、友哉は手の中の文章を丁寧に追って行く。

 

 確証と言うほどではない。だが・・・・・・・・・・・・

 

 その時、蔵の入り口から雪絵が入ってきた。

 

「ちょっと友哉。悪いんだけどあなた、茉莉ちゃん連れて、夕飯の買い物に行って来てくれない」

「おろ?」

 

 文献から目を上げた友哉は、驚いたような瞳で母を見る。

 

「良いけど、どうして僕が?」

「あたしは、これから夕飯の準備するけど、瑠香ちゃんには手伝ってもらいたいから。茉莉ちゃん1人だと、この辺に詳しくないでしょ。だから、あなたがついて行ってあげて」

 

 暗に、働かないなら食うな。と言っている事が、長年この女性の息子をやっている友哉には判る。下手に言い訳したり、さぼったりしたら、本当に夕食抜きにされかねない。

 

 確かに、料理をするなら瑠香に手伝わせた方が、効率は良いだろう。翻って、茉莉がそっち方面を手伝ったりしたら、本気で今晩の内に食中毒で全員病院送りになりかねないだろう。

 

 折角、手がかりになりそうな物を見付けたばかりで、これからという所だが、そう言う事なら仕方が無かった。

 

「判った。で、何買って来れば良いの?」

「これに書いといたから、持って行って」

 

 そう言って、買い物用のエコバックと、メモ用紙を渡して来た。

 

 友哉はコートを羽織ると、竹刀袋に入れてある逆刃刀を手に取った。

 

「茉莉ちゃん。今晩は御馳走にするから、楽しみに待っててね」

「はい、判りました」

 

 茉莉は頷くと、先に外に出た友哉に追いつく。

 

「それで、どこでお買い物を?」

「この近くにスーパーがあった筈だけど。あそこ、まだ潰れてないよね」

 

 言いながら、茉莉は友哉を伴って歩き出す。

 

 雪絵の料理がおいしい事は、友哉自身、子供の頃から食べ親しんで知っている。多分、明日には友哉達が武偵校に戻ると伝えてあるので、気合を入れて料理を作るつもりだ。瑠香を手伝わせるのも、その為だろう。

 

 今晩の食事は、期待できそうだった。

 

 

 

 

 

 緋村家の近くにあるスーパーマーケットは、友哉が子供の頃からある古ぼけた建物であり、品ぞろえの方もお世辞にもいいとは言い難い。

 

 しかし、半分傾いているような店舗は、まだ辛うじてだが余喘を保っていた。

 

 首尾よく、指示された食材を買い終え、帰宅の途に就いた2人。

 

 だが、ある場所まで来た時、ふと、友哉は足を止めた。

 

「茉莉、ちょっと時間あるから、寄り道して行かない?」

「どうしたんですか、友哉さん?」

 

 尋ねる茉莉に、意味ありげに微笑みかけると、友哉は方向を変えて歩き出した。

 

 訝りながらも、その後について行く茉莉。

 

 友哉が向かった先にあったのは、古ぼけた神社だった。

 

 神社と言っても、茉莉の実家のような大きな物では無く、せいぜい鳥居と小さな社があるだけで、神主も住み込んでいる訳ではない。

 

 友哉は迷うことなく敷地に入ると、懐かしそうに社を見上げた。

 

「ここは?」

「昔の遊び場。そっか・・・まだ、残ってたんだ」

 

 友哉に倣うように、茉莉は社を見上げる。

 

 管理する神主が杜撰なのか、あちこちに痛みが激しいのが見て取れる。軒下には蜘蛛の巣まで張ってあった。

 

 正直、神社の巫女である茉莉には、見るに堪えない光景である。

 

 だが、友哉は懐かしむように、微笑を浮かべて見上げている。

 

「ここで、子供の頃、友哉さんは遊んでいたんですか?」

「うん。この辺も、子供が遊べる場所って少なかったから、近所の子は大抵、ここに来て遊んでいたね」

 

 ここで昔、彩や、その他の友人達と、鬼ごっこやかくれんぼをして遊んだのを覚えている。

 

 本当に、懐かしかった。

 

 あの当時の友人達とは、もう殆ど連絡を取っていないが、きっと今も元気にやっているのだろうと思っている。

 

「ちょっと、残念です」

 

 茉莉は悪戯っぽく微笑みながら、友哉を覗き込む。

 

「おろ、何が?」

「その頃の友哉さんと一緒に遊べなかった事が、です。きっと楽しかったでしょうね」

「・・・・・・そうだね」

 

 あの頃、茉莉と一緒にいれたら、

 

 彼女に対する気持ちは、今とは違う物になっていただろうか、と友哉は心の中で考え込む。

 

 きっと変わらない。例えどんな人生を歩んで来たとしても、自分はきっと、茉莉の事を好きになっただろう。

 

 心の内に、友哉は確信めいた物を灯した。

 

「さて、あまり遅くなったら、母さん達が心配するだろうから、そろそろ行こうか」

「そうですね」

 

 子供の頃の友哉の思い出の場所。

 

 そこに一緒に立てた事で、茉莉は時を越えて、友哉と繋がりを持てたような気がした。

 

 家路につこうと、踵を返す友哉。

 

 そこで、

 

 動きを止めた。

 

「友哉さん?」

 

 怪訝な面持で、友哉の背中を見詰める茉莉は、友哉の視線を追うように首を巡らせる。

 

 その視線の先、境内の中央付近に、

 

 完全武装のエムツヴァイが、待ち構えるように立っていたのだ。

 

「ッ!?」

 

 思わず、息を飲む茉莉。

 

 だが、その茉莉を、友哉は片手を上げて制した。

 

「何の用かな?」

 

 緊張の混じった声で尋ねる友哉。

 

 この質問には、意味は無い。

 

 この場にエムツヴァイが現われた事は予想外だったが、その目的は1つしかないだろう事は疑うべくもない。

 

 友哉としても、一種の儀礼的な意味合いで聞いたような物だ。

 

「今更、それを聞くんですか?」

 

 案の定、エムツヴァイの返事も素っ気ない。語るのもばかばかしいと言った風情だ。

 

「やはり、あの時に殺しておくべきだったんです」

 

 言いながら、エムツヴァイの手は腰の刀に伸びる。

 

 近代的な拵えに対し、アンバランスなほど、古風で優美な日本刀が姿を現わした。

 

 その切っ先を、真っ直ぐに友哉へと向けるエムツヴァイ。

 

 抜き放たれた刀身が、夕闇に反射して剣呑な輝きを発している。

 

「だから、今度こそ、ここであなたの命をもらいうけますッ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 宣誓するような、エムツヴァイの言葉。

 

 もはや、対決は不可避な物となりつつある。

 

 彼女がここに来た時点で、是非も無い事であった。

 

「君1人? エムアインスはどうしたの?」

「あなた如きを殺すのに、私1人いれば充分です」

 

 エムツヴァイは、事も無げ言い捨てる。

 

 何度戦っても、自分が負ける筈が無い。その自信が全身から溢れているのが判る。

 

 先の戦いで圧勝した事が、彼女にとって絶対の自信となって現われていた。

 

 その言葉を聞いて、友哉は茉莉に振り返る。

 

「茉莉、ここは・・・・・・」

「・・・判りました」

 

 友哉の言葉の前半部分だけで全てを察し、茉莉は頷きを返した。

 

 ここは手を出さないでほしい。友哉がそう言いたいのを、茉莉は察したのだ。

 

 ただし、万が一、友哉が倒れた時に備え、スカートの下のブローニングをいつでも抜けるように、準備だけは怠らないつもりだった。

 

 社の階段を降り、エムツヴァイと対峙する友哉。

 

 同時に、竹刀袋の紐を解き、中から逆刃刀を取り出して腰のホルダーに差し込んだ。

 

 刀を正眼に構えたエムツヴァイに対し、納刀したまま、鯉口を切る友哉。

 

 次の瞬間、

 

 両者は、ほぼ同時に地を蹴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 闇が迫る大気を切り裂いて、2人の影は疾走する。

 

 互いの速度は神速。

 

 間合いは、1秒と待たずに0となる。

 

 次の瞬間、

 

 エムツヴァイは刀を斬り下げ、友哉は抜刀と同時に斬り込む。

 

 ガキンッ

 

 互いの刃がぶつかり合い、擦れ合う。

 

「ハァァァァァァ!!」

 

 友哉は弾かれた刃を、すかさず返して柄を両手持ちし、斬り下げるように振り下ろす。

 

 対してエムツヴァイも、すぐさま刀を引いて、友哉の剣を防ぎに掛った。

 

 衝撃波が発生する程に、互いの刃が中空でぶつかり合う。

 

 2人が後退したのは、ほぼ同時だった。

 

「クッ!?」

 

 着地と同時に、エムツヴァイは舌打ちする。

 

 あの一瞬で、友哉は二撃繰り出したのに対し、自分は一撃が精いっぱいだった。

 

 自分が、緋村友哉の後塵に配した。その事に苛立ちを覚えずにはいられなかった。

 

「このッ!!」

 

 その苛立ちを払うように、体勢を立て直すと同時に斬り込みを掛ける。

 

 刀を水平に倒し、鋭い斬撃を横薙ぎに振るう。

 

 銀の閃光が、真一文字に空間を切り裂く。

 

 しかし、刃は標的を捉えるには至らない。

 

 その前に友哉は、体を大きく捻りエムツヴァイの斬撃を回避しつつ、自らの間合いに斬り込んで来たのだ。

 

「飛天御剣流、龍巻閃!!」

 

 旋回によって得た攻撃力を上乗せした、強力な一撃。

 

 本来、龍巻閃はその動作上、どうしても一瞬、相手に対して背中を向けてしまうという特性がある。その為、先の剣を旨とする飛天御剣流の中では珍しく、後の先による返しの一撃を狙った技なのだ。

 

 今の友哉の一撃は、エムツヴァイの攻撃を回避しつつ、自らの攻撃態勢を確立している。まさに、理想的な龍巻閃の形だった。

 

 その攻撃が迫った瞬間、

 

 エムツヴァイは大きく跳躍して、友哉の攻撃を回避した。

 

 同時に、上空にあって、刀を大上段に振りかぶり、眼下の友哉を睨み据える。

 

「飛天御剣流、龍槌閃!!」

 

 急降下を開始するエムツヴァイ。

 

 迎え撃つ友哉。

 

 刀を右手一本で構え、左手は寝せた刃の腹に当て、跳躍と同時に斬り上げる。

 

「飛天御剣流、龍翔閃!!」

 

 急降下するエムツヴァイと、上昇する友哉。

 

 2人の刃が空中でぶつかり合う。

 

 状況は、先の戦いにおける、友哉とエムアインスの戦いに似ている。あの時は、友哉が龍槌閃を撃ち、エムアインスが龍翔閃を撃ったが、今回は逆の形となった。

 

 一瞬の競り合い。

 

 次の瞬間、

 

 友哉の龍翔閃が、エムツヴァイの龍槌閃を押し返す形で弾き返した。

 

「グッ!?」

 

 空中でバランスを崩すエムツヴァイ。

 

 しかし、どうにか体勢を入れ替え、膝を突く形で着地する事ができた。

 

 対する友哉。

 

 着地した時には既に刀を鞘に収め、次の攻撃態勢を整えていた。

 

 疾走。

 

 間合いに入ると同時に、刀を鞘走らせる。

 

「ハァァァッ!!」

 

 その一瞬の攻撃を前に、エムツヴァイの反応が僅かに遅れる。

 

「クッ!?」

 

 防御は間に合わないと踏んだエムツヴァイは、とっさに後退して回避しようとする。

 

 しかし、友哉の放った斬撃は、エムツヴァイのショルダープロテクターを捉え、その先端部分を僅かに吹き飛ばした。

 

 溜まらず、警戒しつつ後退するエムツヴァイ。

 

 だが、内心では、焦りが生じ始めていた。

 

『こんな・・・・・・こんな馬鹿な・・・・・・』

 

 自分達は最強の筈だ。今までどんな敵だって倒して来た。目の前の男だって、一度は倒したではないか。

 

 だが、今の友哉は、先日とは比べ物にならない程の戦闘力を発揮し、エムツヴァイと互角以上の戦いを演じていた。

 

 このままでは負ける、と考えている訳ではない。だが、正直なところ、どう勝負が転がるか、予測がつかなくなり始めていた。

 

 一方の友哉は、後退するエムツヴァイに対して追撃を掛けようとはしなかった。

 

 相手が後退した事で連撃が途切れてしまった、と言う事もあるし、向こうも同じ流派の技を使う以上、下手な攻撃は反撃の糸口を与える可能性もあったからだ。

 

 警戒したまま切っ先を向けている友哉に対し、エムツヴァイはダラリと刀を下げている。

 

 一見すると、無防備なようにも見えるエムツヴァイだが、まだ全身から発散される闘志には聊かの衰えも見られない。

 

 戦いは、まだ続くと見るべきだった。

 

 どれくらい、そうして対峙していただろう。

 

 何を思ったのか、エムツヴァイは口を開いて来た。

 

「・・・・・・・・・・・・できれば、使いたくなかったんですけどね」

 

 そう言うと、腰のポーチから小さなケースを取り出した。

 

 手のひらサイズの大きさのケースの中には、緑と白で色分けされたカプセル錠剤が入っている。

 

 エムツヴァイは、それを10錠近く取り出して口に放り込むと、水も無しに噛み砕いて飲み干した。

 

「ガッ!?」

 

 一瞬、感じる、言い知れない程の熱さと痛み。

 

 しかし次の瞬間には、それは圧倒的な解放感へと変わる。

 

 視界は開け、体は羽毛のように軽くなる。

 

 体中、至る所に目が開いたように、周囲の状況が手に取るようにわかった。

 

 エムツヴァイは頭に手をやると、ヘッドギアを取り外して足元の地面に捨てた。

 

 もう、こうなったら、これは必要ない。こんな物に頼らなくても、充分な戦闘力を確保できる。

 

 栗色の髪をかき上げ、真っ直ぐに友哉を見据える。

 

「行きます」

 

 静かに告げ、刀を持ち上げた。

 

 次の瞬間、

 

 エムツヴァイは、友哉の背後に一瞬で回っていた。

 

「友哉さん、後ろッ!!」

 

 その事に、友哉よりも先に、見守っていた茉莉が気付いた。

 

 茉莉が友哉に先んじてエムツヴァイの動きに気付けたのは、彼女が少し離れた場所で、戦闘を俯瞰的に眺めていたからにすぎない。もし、もう少し距離が近かったら、彼女でも気付く事は出来なかっただろう。

 

 それほどまでに、エムツヴァイの動きは常軌を逸していた。

 

 茉莉の警告と同時に、友哉は前方に跳び攻撃を回避。同時に振り返り、刀を構え直す。

 

 そこへ、エムツヴァイが斬り込んで来た。

 

「飛天御剣流、龍巻閃・旋!!」

 

 空中を、プロペラのように高速回転しながら突っ込んで来る、龍巻閃の派生技。

 

 その攻撃に対し、

 

 友哉もまた迎え撃つように刀を繰り出す。

 

 そのまますれ違い気味に交錯する両者。

 

 互いに勢いを殺しきれず、足裏で地面を擦るようにブレーキを掛けながら停止する。

 

 次の瞬間、

 

 友哉の首筋から、僅かに血液が噴き出した。

 

「友哉さんッ!!」

 

 その光景に、茉莉は思わず悲鳴を上げる。

 

 だが、

 

「茉莉、大丈夫だよ」

 

 静かに言いながら、血が噴き出した場所を手で拭う。

 

 頸動脈等の、大事な血管は傷付いていない。辛うじて、刃は皮一枚切り裂いただけで済んでいた。

 

 だが、

 

 友哉は改めて、エムツヴァイを見る。

 

 あの薬を飲んだ瞬間から、彼女の動きが格段に速くなった。

 

 あの薬は一体・・・・・・

 

 しかし、思考するのもそこまでだった。

 

 一瞬で間合いを詰めたエムツヴァイが、刀を八双に構えて斬り込んで来たのだ。

 

「飛天御剣流・・・・・・」

 

 縦横に走る斬線が、友哉の視界を裁断して行く。

 

 この技は、

 

『龍巣閃・・・・・・いや、違うッ!?』

 

 一見するとバラバラに走っているように見えた斬線が、一か所に集中して行く。

 

「龍巣閃・咬!!」

 

 無数の斬撃を、相手の体の一か所に集中させる事で、破壊力を増加させる、龍巣閃の派生技。友哉が禁じ手とした技を、エムツヴァイは躊躇う事無く使って来たのだ。

 

「クッ!?」

 

 斬撃による包囲網が完成する前に、辛うじて後退する事に成功する友哉。

 

 だが、エムツヴァイはそこへ、追撃を掛けて来る。

 

「死ねェッ!!」

 

 鋭い突きが、友哉の喉元を狙う。

 

 切っ先が真っ直ぐに、友哉に向かう。

 

 次の瞬間、友哉は身を大きく翻す事で、エムツヴァイの突きを回避した。

 

 大きく後退した事で、距離を取った友哉。

 

 その様子を、エムツヴァイは苛立たしげに睨みつける。

 

「このッ いい加減に!!」

 

 刀の峰に掌を添えて、低い姿勢のまま斬り込んで来る。龍翔閃の構えだ。

 

 対して友哉は、刀を大きく片手上段に構え迎え撃つ。

 

 エムツヴァイが、正に友哉を間合いの内に捉えようとした瞬間、

 

 友哉は全身の力で、刀を地面に叩きつけた。

 

「飛天御剣流、土龍閃!!」

 

 叩きつけた刀身に威力により、足元の地面が粉砕、大量の土砂が巻き上げられる。

 

 その一撃により、エムツヴァイの突進が強制的に止められる。

 

 いわば、陣が二重の極みを使ってやる、目晦ましの応用である。友哉も、この一撃で倒せるとは思っていない。

 

 本命は、次である。

 

 巻き上げられた土砂の壁を突き破るように、友哉は飛び出してきた。

 

 エムツヴァイが気付いた瞬間、

 

 既に白刃は、神速の勢いで振り抜かれていた。

 

「グッ!?」

 

 友哉の放った横薙ぎの一撃は、エムツヴァイの胴を直撃する。

 

 大きく吹き飛ばされて、地面に転がるエムツヴァイ。

 

 対して友哉は刀を構えたまま、倒れているエムツヴァイを見据える。

 

 手応えはあった。友哉の刀は、間違いなく彼女を捉えた。

 

 だが、

 

 友哉の視界の中で、エムツヴァイはゆっくりと体を起こそうとしていた。

 

 手にした刀をしっかりと握りしめている。戦意が失われている様子は無い。

 

「・・・・・・これ、でも・・・・・・まだ、足りないですか」

 

 言いながら、再びピルケースを取り出すと、今度は中身に残った錠剤を半分くらい、一気に手の中へ移してしまった。

 

「友哉さん、あれはッ!!」

 

 茉莉の悲鳴じみた声に、友哉も緊張の面持ちで頷きを返す。

 

 あれがどのような薬なのかは知らない。しかし、その光景が見るからに常軌を逸しているのだけは判った。

 

「もう、やめなよ。そんな事をしたら、君の体が・・・・・・」

「うるさい、黙れッ!!」

 

 怒声交じりに言い放つと、錠剤を手の中からボロボロこぼしながら、口の中へと放り込む。

 

 そのまま、バリバリと噛み砕き、嚥下していくエムツヴァイ。

 

 美しい栗色の髪は振り乱れ、目は真っ赤になる程血走って友哉を睨んでいる。息は荒く、まるで病人のようだ。

 

「こんな所で、負けられない・・・・・・私達が、私達になる為には・・・あなたを、ここで殺さなくてはならないんですッ」

 

 息も絶え絶えに言い放った言葉は、先の戦いでも言っていた言葉だ。

 

 一体、何がそこまで彼女を駆り立てるのか、友哉には想像する事もできない。

 

 だが、最早、言葉だけでは、目の前の少女を止める事ができない事だけは明らかだった。

 

「その・・・為だったら、私は、ここで死んだって良い!!」

 

 再び剣を構え、互いに睨み合う2人。

 

 片や、友哉の方は、静かな闘志を称えて剣を正眼に構えている。

 

 一方のエムツヴァイの方は、まるで手負いの獣のように、今にも倒れそうな状態で、剣を向けている。

 

 剣を構えながら、エムツヴァイは思った。

 

 これが、恐らく最後の一撃となる。

 

 彼女が飲んだ薬は、一時的に人間離れした身体能力を与えてくれる代わりに、その副作用として、作用が切れた時、全身を凄まじい激痛に襲われる事になる。

 

 一錠飲んだだけでも、副作用は耐えがたい物となる。それを大量服用してしまったのだ。最早、エムツヴァイに後は無い。

 

 一撃、

 

 それが限界だろう。

 

 だが、一撃あれば充分である。その一撃で、自分の全てを証明して見せる。

 

 そして、それさえ成す事ができれば、あとはどうなっても構わないと思っていた。

 

 次の瞬間、

 

 エムツヴァイは一瞬にして、天高く跳躍した。

 

 龍槌閃の構え。

 

 しかし、それだけでは無い。

 

 エムツヴァイは、切っ先を下にして、急降下しながら突き込むような構えを見せる。

 

「飛天御剣流、龍槌閃・惨!!」

 

 降下に合わせて、相手を突き殺す、龍槌閃の派生技。

 

 友哉が禁じ手とした、もう1つの技である。

 

 その切っ先は、真下にいる友哉に真っ直ぐに向けられている。

 

 一気に急降下するエムツヴァイ。

 

 次の瞬間、

 

 友哉もまた、上空を目指して跳躍した。

 

「なッ!?」

 

 その光景に、エムツヴァイは目を剥く。

 

 両者、空中ですれ違う一瞬、

 

「龍槌閃の弱点は、更に頭上を取られた時、成す術が無い点にある。こんな風にねッ」

 

 言った瞬間、

 

 友哉はエムツヴァイの頭上に躍り出た。

 

「クッ!?」

 

 舌を打つエムツヴァイ。

 

 確かに、これでは龍槌閃は何の意味もなさない。

 

 だが同時に、空中に飛び上がったと言う事は、友哉が打てる手段も限定されている事になる。

 

 頭上にある以上、使える技は、同じ龍槌閃のみ。

 

 ならば、着地と同時に防御の姿勢を取り、防ぎ切ったところで反撃すれば、勝てると踏んだ。

 

 やがて、地面に足を着くエムツヴァイ。

 

 対する友哉は、まだ上空にいる。刀を両手で構え、やはり龍槌閃の構えだ。

 

「それで勝ったつもりですかッ!?」

 

 言いながら、刀を持ち上げて防御の姿勢を取る。

 

 そこへ、友哉は斬り込んだ。

 

「グッ!?」

 

 膝がたわみ、刀を持つ手に激痛が走る。

 

 薬で強化した筈の体が、悲鳴を上げるのが判る。

 

 それほどまでに、友哉の龍槌閃は凄まじい威力だった。

 

 だが、

 

『もらったッ!!』

 

 勝利を確信するエムツヴァイ。

 

 友哉の龍槌閃を、完全に防ぎ切った。後は、体勢を崩した所にとどめの一撃を加えるだけである。

 

 斬りかかるべく、刀を振り上げる。

 

 これで、終わり。

 

 そう思った瞬間、

 

 エムツヴァイは見た。

 

 寝せた刀身に掌を当てて支え、弓を引くように構えている友哉の姿を。

 

 それは、

 

『・・・・・・龍槌閃と、龍翔閃の複合技ッ!? そんなの、私は知らないッ』

 

 振り上げられる剣閃。

 

 勝利を確信し、攻撃態勢を取っていたエムツヴァイには、成す術が無い。

 

「飛天御剣流、龍槌翔閃!!」

 

 上空に舞い上がる一撃。

 

 その攻撃が、エムツヴァイの顎を見事に打ち抜いた。

 

 木の葉のように、舞上げられるエムツヴァイ。

 

 大きく吹き飛ばされ、やがて頭から地面に落着した。

 

 勝敗は、決した。

 

 地面に倒れたエムツヴァイが、それ以上起き上がって来る気配は無い。

 

 一度は敗れた相手に、友哉は見事に打ち勝ったのだ。

 

 飛天御剣流 龍槌翔閃

 

 その名の通り、龍槌閃と龍翔閃を合わせた技で、一撃目の龍槌閃で相手の体勢を崩し、二撃目の龍翔閃でとどめを刺す複合技である。

 

「友哉さんッ」

 

 戦闘を見守っていた茉莉が駆け寄ってくると、ポケットからハンカチを出し、血で汚れるのも構わず、友哉の首に押し当てた。

 

「ありがとう」

「もうッ 友哉さんは無茶しすぎですッ」

 

 少し拗ねたような茉莉の言葉に、友哉は苦笑しつつ頭をかく。

 

 首に当てられたハンカチの感触が暖かい。

 

 実際、血はもう、殆どと待っていたのだが、もう少しこのままでいたいと思っていた。

 

 その時、

 

「がァァァァァァァァァァァァああああああああァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 獣の断末魔のような叫びに、思わず振り返る2人。

 

 そして絶句する。

 

 振りかえった友哉と茉莉が見た物は、己の胸を掻き毟りながら、絶叫するエムツヴァイの姿だった。

 

 

 

 

 

第5話「リヴェンジ」      終わり

 



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第6話「強化兵士」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「がァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!??」

 

 この世のものとは思えないような絶叫を上げ、地面に倒れ伏してのたうち回るエムツヴァイ。

 

 その様子を、友哉と茉莉は呆然として眺めている。

 

 エムツヴァイは、まるで地獄の責め苦を連想させるほど、断末魔を思わせる悲鳴を上げている。

 

 勝つには勝った。

 

 だが、それがこのような結末になるとは思ってもみなかった。

 

「しっかりして、どうしたのッ!?」

 

 慌てて駆け寄り、抱き起こそうと手を伸ばした。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

 

 友哉は思わず、エムツヴァイの体に触れた手を引っ込めた。

 

 体が凄まじい熱を発しているのだ。まるで熱湯その物のように、触れた瞬間、掌に感じた熱量は、思わず火傷するかと思ってしまったほどだ。

 

 意を決し、もう一度手を伸ばす。

 

 今度は慎重に、ゆっくりと手を伸ばす。

 

 触れた瞬間、やはり凄まじい熱を感じるが、友哉は構わず、エムツヴァイを抱き起こした。

 

「しっかりして!!」

 

 大声で呼びかける。

 

 しかし、耳元で怒鳴っても聞こえていないのか、エムツヴァイはイヤイヤをするように首を振るだけで、友哉の声に答えようとしない。

 

 一体、なぜこのような事になったのか。戦っていた友哉にすら、皆目見当がつかなかった。

 

「友哉さん、とにかく早く、病院に連れて行かないと!!」

「そ、そうだね」

 

 茉莉に指摘され、友哉は慌てたように携帯電話を取り出す。

 

 救急車を呼ぼうかと思ったが、すぐに思い直す。状態から察して、尋常でない事は友哉にも判る。そこらの病院に連れて行っても対処は難しいだろう。それに、難しい患者は救急車内で待たされ、病院をたらいまわしにされた揚句、命を落とすケースが頻発している昨今である。普通に救急車を呼んでも、病院に着くまでに何時間かかるか判った物では無い。

 

 ここは、設備が整っていて、尚且つ運が良ければすぐに治療してもらえる武偵病院に連れて行った方が、結果的には早道になる。

 

 そう思い直した友哉は、車輛科(ロジ)から専用の救急車を出してもらおうと、携帯に手を掛けた。

 

 その時、

 

「待てッ」

 

 鋭い声が、友哉の動きを制した。

 

 顔を上げる。

 

 そこには、背中まである長い黒髪をした、長身の男が立っていた。

 

 鋭い眼差しと圧倒的な存在感。だが、同時に穏やかに凪ぐ湖面のような静かさも備えており、まるで聖人のような雰囲気を持っている。

 

 バイザー無しで会うのは、これが初めて。友哉自身、顔を見る事自体、初めてである。

 

 だが、一瞬で判った。

 

 目の前の男が、エムアインスである事に。

 

「緋村、貴様ッ・・・・・・」

 

 倒れているエムツヴァイと、それを抱く友哉の姿を見て、エムアインスは何があったのか、大体の事情を察した。

 

 恐らくエムツヴァイは、ここで友哉と戦い、そして破れたのだ。

 

 今のエムツヴァイの状態は、恐らく使用薬物の禁断症状。恐れていた事態が、ついに起こってしまったのだ。

 

『だから、あれほど言ったのだッ』

 

 心の中で臍を噛む。

 

 こんな事になるなら、セーフハウスを出る時に力づくでも止めておくのだった。

 

 だが、いくら後悔しても、後の祭りである事に変わりはない。

 

 眦を鋭く上げ、エムアインスは友哉を睨みつけた。

 

「ツヴァイを、こちらに渡せ、緋村」

「断るよ」

 

 だが、エムアインスの言葉に対し、友哉は静かに、それでいて力強く撥ねつけた。

 

「貴様ッ」

 

 激昂しかけるエムアインス。

 

 その手は腰の刀に掛かり、セーフティを外しに掛る。

 

 だが、それに対し友哉は、あくまで落ち着いた調子で続ける。

 

「この娘の状態は、素人の僕から見ても危険な状態である事は判る。このままじゃ、命にもかかわる。病院に連れて行かなければならない。一刻も早く」

「だから何だ? 並みの医者じゃ、そいつの体は治せん。見せるだけ、時間の無駄だ」

「じゃあ、君には何か当てがあるの!?」

 

 友哉の叫びに、エムアインスは言葉を詰まらせて黙る。

 

 そこへ、友哉は畳みかけた。

 

「君に、すぐに連れて行ける医者の当てがあるって言うなら、僕は手を引く。どうなの?」

 

 問い掛ける友哉は、エムアインスを容赦なく睨みつける。

 

 それに対してエムアインスは、ただ睨みつけるだけで反論しようとはしない。

 

 生まれて初めて日本と言う国に来たエムアインスである。そんな当て、ある筈が無かった。

 

 今から国外に連れ出すのは、それこそ論外だ。一番早いチャーター機を用意したとしても、間にあわない事は明白だった。

 

 友哉は、一転して穏やかな口調に戻り、再び語りかける。

 

「僕に任せてほしい。この娘は武偵病院に連れて行く。あそこなら設備も整っているし、良い医者の知り合いもいる。決して、悪いようにはしないって、約束するよ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉の申し出に、逡巡するように視線を逸らすエムアインス。

 

 他に選択肢が無いのは判っている。

 

 だが、それでも敵に頼らなくてはならないという現状が、どうしても受け入れ難かった。

 

 ふと、視線がエムツヴァイの顔に注がれる。

 

 苦しそうに呼吸を繰り返すエムツヴァイ。

 

 その表情に、エムアインスも苦渋に顔を満たして口を開いた。

 

「・・・・・・・・・・・・頼む」

「判った」

 

 短いエムアインスの言葉に、色々な物を感じ取った友哉も、真剣な眼差しで頷きを返す。

 

 最後に、エムアインスはエムツヴァイの顔を一瞥すると、その場から風のように去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すぐに車輛科から救急車を呼び、エムツヴァイを学園島にある武偵病院に運び込んだ。

 

 搬送する救急車の中から、友哉と茉莉は、それぞれ陣と瑠香、それに彩夏とワトソンに連絡を入れ、事情を話してすぐに武偵病院に来るように話を付けた。

 

 武偵病院に着いた時、既にエムツヴァイは意識も無く、呼吸も微弱な物になっていた。

 

 すぐに、駆けつけた紗枝とワトソンの手によって、エムツヴァイは集中治療室に運ばれて、必要な処置を施されることになった。

 

 それから3時間。

 

 今だ集中治療室の扉が開かれる事は無かった。

 

「・・・・・・・・・・・・うん・・・・・・うん、判った」

 

 病院の前庭に出た友哉は、そこで携帯電話を取り出してキンジに電話していた。

 

 一応、友哉も簡単な治療を受け、エムツヴァイに斬られた首筋には止血シートを張ってある。もっとも、傷が浅かった事もあり、出血はとっくに止まっていたのだが。

 

 エムツヴァイと交戦した事、彼女を撃破した事を報告する為の電話だったのだが、どうやらキンジの方でも戦局に動きがあったらしい事を知らされた。

 

「・・・・・・なるほど、判った。じゃあ、みんなに怪我はないんだね? ・・・・・・うん、じゃあ・・・あっとそうだ、できれば、落ち着いたら帰りにでもこっちに寄ってくれないかな? ・・・・・・うん、お願いね」

 

 そう言うと、友哉は携帯を閉じた。

 

 こちらも大変だったが、キンジ達も劣らず大変だったらしい事が電話で知らされた。

 

 何でも、ジーフォース、かなめの存在を許容できないバスカービル女子陣が、とうとう白雪を中心になって、彼女に決闘を申し込んだらしい。

 

 彼女達が用いたランバー・ジャックと呼ばれる決闘方法は、決闘者以外の数人が円形に並んで「リング」を形成し、後退や撤退を防止して、ボロボロになるまで戦わせるやり方である。

 

 しかも、リング役の人間は中立である必要はない。決闘者どちらかが著しく人望に欠ける場合、文字通り四面楚歌の状況が作り出されることになる。

 

 言わば、決闘と言うより、吊るし上げと言った方が近い物がある。そして、あれだけ派手に暴れたかなめに味方がいる筈も無かった。

 

 結果は、予想通りと言うべきか、かなめの敗北で終わったらしい。

 

 その後、かなめと一同は、和解する事ができたようだ。

 

 紆余曲折はあったが、雨降って地固まるとなって、何よりである。

 

 一方、こちらはと言えば・・・・・・

 

「・・・・・・『雨降って、土砂崩れ』。そこまで行かないにしても、あんまり良い状況じゃないのは確かだね」

 

 そんな事を呟いていると、背後に誰かが立つ気配があった。

 

「友哉、終わったぞ。姐御が病室まで来てくれってよ」

「判った」

 

 呼びに来た陣に頷きを返すと、友哉は踵を返して病院の中に入って行った。

 

 陣と一緒に病室へと行くと、エムツヴァイが横たわるベッドを囲むように、茉莉、瑠香、彩夏、それに、エムツヴァイの治療に尽力してくれた紗枝とワトソンが立っていた。

 

 搬送前とはうって変わって、エムツヴァイは穏やかな寝顔で目を閉じている。暴れて自分の体を掻き毟る事も、地獄のような絶叫もする事は無い。

 

 ただ、腕には点滴を打たれ、口には人工呼吸器のマスクが装着されている。着ている病院着の下には心電図の電極も取り付けられているらしく、ベッドの傍らには物々しい機械が置かれていた。

 

「どうなんですか、彼女の容体は?」

 

 友哉は紗枝の尋ねる。

 

 表面上は大事無いようにも見えるが、実際はどうなのか執刀医に聞いてみない事には判らなかった。

 

 対して、紗枝は少し言い淀むようにしてから、口を開いた。

 

「・・・・・・・・・・・・結論から、言うわね」

 

 紗枝は躊躇うようにエムツヴァイの顔を見詰めたから、もう一度顔を上げて、重々しく言った。

 

「・・・・・・この娘はもう、恐らく一生、剣を握る事はできないでしょう」

 

 その言葉は、無形のハンマーとなって一同を強かに打ち据えた。

 

 あまりにも重すぎる事実。

 

 あまりにも重すぎる代償。

 

 友哉は、手に持った刀をきつく握りしめる。

 

 自分の剣が、1人の少女の人生を変えてしまった。その事実が、重くのしかかっていた。

 

 紗枝は更に続ける。

 

「リハビリをすれば、普通に生活を送れるくらいには回復するかもしれない。けど、それには多分、何年もの時間が掛るでしょうね」

「元々、彼女の体はヒムラと戦う前からボロボロだったみたいだ」

 

 紗枝の後を引き継ぐように、ワトソンが口を開いた。

 

「・・・・・・どう言う事?」

「調べてみて判ったんだけど、彼女の筋肉や腱、骨には細かいレベルのダメージがかなり蓄積されていた。これは何年にも渡って、無茶な運動をして来た人間に良く見られるパターンだよ。多分、今日ヒムラと戦わなかったとしても、彼女は数年の内には戦う事が出来ない体になっていただろうね」

 

 ワトソンの説明を聞き、友哉はエムツヴァイの、狂気に憑かれたような戦いぶりを思い出していた。

 

 彼女のあの戦い方は、今にして思えば、自分の体調から来る焦りに起因していたのかもしれない。

 

「極めつけは、これだよ」

 

 そう言ってワトソンは、着ている白衣のポケットからピルケースを取り出した。

 

 内部には緑と白で色分けされたカプセル錠剤が入っている。エムツヴァイが戦闘中に服用していた物だ。

 

 薬物関係に明るいワトソン家の人間である彼女に、友哉はピルケースを渡して中身の解析を依頼したのだ。どうやら、その結果も出たらしい。

 

「それは?」

「調べてみたけど、これはとんでも無い代物だよ。覚醒剤をベースにして、神経加速薬、筋増強剤、血流強化薬、プロテイン系の栄養薬など、少なくとも100種類以上の薬物を配合して作られている。中には劇薬も少なくない」

「そんな物飲んで、大丈夫なんですか?」

 

 説明を聞いて唖然とする瑠香が尋ねる。聞いているだけでも、吐き気がしてきそうな内容なのだ。

 

 対してワトソンは、溜息交じりに首を振る。

 

「大丈夫な訳が無いよ。普通の人間なら、1錠飲むだけでも命に関わるような薬だろうね」

「だが、この女は大量に飲んでも、暫くは平気だった訳だ。こいつはどう言う事なんだ?」

 

 陣の問いは、一同が共有する所である。そんな薬を、口から溢れるほど飲んで、なぜエムツヴァイは無事だったのか。

 

「それに関しては、あたしから説明するわ」

 

 そう言って口を開いたのは彩夏だった。

 

「頼んだ事の、調べはついたのかい?」

「ええ。詳しい事はまだだけど、大雑把な所は先行して送ってよこしたわ」

 

 ワトソンの問いに頷くと、彩夏は書類を取り出して一同に示した。

 

「ジーサード達の出現を受けて、リバティ・メイソンの本部グランド・ロッジに調査を依頼したの。まだ途中みたいだけど、今回、中間報告みたいな形で、一部の資料を送って来たわ」

 

 そう言って差し出された資料を一同が覗き込むが、

 

 生憎、英文で書かれている為、読めるのはワトソンと彩夏、そして医療関係で英語の勉強もしている紗枝だけだった。

 

 仕方なく、重要な部分を彩夏がピックアップして説明する事になった。

 

「これによると、アメリカに『ロスアラモス』って呼ばれる研究機関で作られた『人工天才(ジニオン)』って呼ばれる存在。それが彼等らしいの」

人工天才(ジニオン)・・・・・・」

 

 聞き慣れない名前である。字面から察するに何らかのエキスパートを、人の手で作り出す事だとは推察できるが。

 

 ロスアラモスと言われて連想するのは、第二次世界大戦中、世界で初めて核爆弾の製造に成功した研究所がある事で有名である。広島、長崎に投下された原爆も、このロスアラモスで製造された物である。

 

 同じ研究機関なのか、それとも名前だけ同じで、別の研究機関なのかは判らないが。

 

「ジーサードは、人工的に作り出した天才の1人だと言う話よ。彼等の事は『ロスアラモス・エリート』って呼ばれている」

「じゃあ、こいつらも、その、ロスなんたらって奴なのか?」

 

 陣が、眠っているエムツヴァイを見ながら尋ねる。

 

 確かに、話の筋から考えれば、そう言う風に解釈できるのだが、

 

「ところが、そうとも言い切れないみたいなの」

 

 彩夏は、少し困ったような口調で言った。

 

「どう言う事?」

「本部が調べた限りでは、人工天才(ジニオン)の中に『M』の開発コードを持つ製造番号は見当たらないのよ」

 

 彩夏が、そう答えた時だった。

 

「それは当り前だよ。だって、アインスとツヴァイは人工天才(ジニオン)じゃないんだもん」

 

 突然、割って入るように聞こえてきた言葉。

 

 振りかえる一同の目に、病室に入って来るジーフォース、遠山かなめとキンジの姿が映った。

 

 どうやら、ランバー・ジャックを終えて、その足でこちらに来てくれたらしい。

 

「かなめ、今のはどう言う事? エムアインスとエムツヴァイが人工天才じゃないって・・・・・・」

「言った通りだよ」

 

 友哉の質問に答えながら、かなめはベッドに眠るエムツヴァイの傍らに歩み寄った。

 

 その視線に映る、変わり果てた友人の姿。

 

 その様子をかなめは、少し悲しそうな目で見つめている。

 

「・・・・・・あ~あ、こんなになっちゃって。だから、みんなでやめろって言ったのに」

 

 言いながら、かなめの手がエムツヴァイの栗色の髪を優しく撫でる。

 

「かなめ、聞かせてくれ。人工天才じゃないなら、こいつ等は一体、何なんだ?」

 

 キンジが問い掛けると、かなめは手を止めて顔を上げた。

 

強化兵士(ストレンジ・ソルジャー)人工天才(ジニオン)みたいに、一から天才を作るんじゃ無く、才能を持った人間にあらゆる強化措置を施して、人工天才よりも低コストで、同等以上の戦力にする。人工天才と同時期にロスアラモスで進められていた計画の1つだよ」

 

 成程、と友哉は頷いた。

 

 つまり、同じロスアラモス内でも、人工天才(ジニオン)を研究するセクションと、強化兵士(ストレンジ・ソルジャー)を研究するセクションは、それぞれ独立した部署として扱われていたのだろう。

 

 リバティ・メイソンがエムアインス達の事を調べきれなかったのは恐らく、人工天才の方にばかり調査の目が行き、強化兵士の存在は失念されていた為だろう。

 

「最終的には、ロスアラモスの研究者達は、人工天才と強化兵士を兵器コンペみたいに戦わせて、どちらが優秀か競わせる予定だったの」

「でも、そうはならなかった訳だよね。それはなぜ?」

 

 もし、そうなっていたら、現時点でジーサードとエムアインスが同時に存在している事はおかしいと言う事になる。実際に兵器コンペが行われていた場合、どちらかが死亡している筈だからである。

 

「それは、強化兵士を開発するセクションが、非人道的なやり方で素体集めをしていたことが判ったから。あいつらは関係者を皆殺しにして、ターゲットを浚って来ていたの。それだけじゃない。研究も非人道的な物ばかりだって事が判って。それで、強化兵士を研究するセクションは凍結されてしまったの」

 

 言ってから、かなめは視線をエムツヴァイへ戻した。

 

「ツヴァイも、そうやって浚われてきた子の1人だよ。聞いた話なんだけど、アインスとツヴァイは、元々、本当の兄妹なんだって。前に、アインスがポロッと話してたのを聞いたの。けど、ツヴァイは研究所にいた頃の人体実験に耐えられなくて、記憶を失くしてしまったって」

「じゃあ、エムアインスは?」

「アインスは、そこら辺は大丈夫だったみたい。けど、昔の事とか、あんまりしゃべらなかったから」

 

 これで、大体の事が見えてきた気がする。

 

 彼女は強化兵士の1人として「改造」され、あれだけの戦闘力を得るに至ったのだろう。だが、その代償として、体中が飛天御剣流の技の反動に耐えきれず、ボロボロになって行ったのだ。

 

 恐らく、エムツヴァイが使っていた薬は、ロスアラモスが研究開発していたものだろう。身体能力を一時的に強化する事を目的とした薬なのだ。

 

 本来のエムツヴァイなら、あのような薬を使わずとも、大抵の敵は圧倒できた筈。だが、友哉と言う強敵を前にした時、自力では敵わないと考えたエムツヴァイは、手を出してしまう。禁忌の扉へと。

 

「でも、まだ判らない事があります」

 

 茉莉が自分の中にある疑問を口にした。

 

「どうして、この人達は飛天御剣流を使う事ができたのでしょう? 飛天御剣流を使う事ができるのは、友哉さんだけの筈じゃ・・・・・・」

 

 飛天御剣流は、1代に1人限り。確かにその筈である。

 

「その事なんだけど、ちょっと気になる物を見付けたんだ」

 

 友哉はそう言うと、足元に置いておいたバックから1冊の文献を取り出した。

 

 その文献の表紙には、こう書かれていた。

 

《日記            緋村剣心》

 

 その文字に、茉莉達は首を傾げた。

 

「剣、心? ・・・・・・いつもの・・・あの『緋村剣路』って人じゃないんですね」

「緋村剣心は、緋村剣路の父親で、緋村家の初代当主だった人だよ」

「初代当主って事は・・・・・・じゃあッ!?」

 

 驚いた瑠香の声に、友哉は神妙な顔で頷きを返す。

 

「そう。言い伝えでは、彼こそが『人斬り抜刀斎』本人だったって言われているんだ」

 

 言いながら、友哉は古ぼけた頁をパラパラとめくって行く。

 

 幕末最強と謳われた維新志士が書き残した日記が、時代を越えて、その子孫達の道行きに標を示そうとしていた。

 

「ちょっと、ここ見てくれないかな」

 

 促されて、キンジ、陣、茉莉、紗枝、ワトソン、彩夏、瑠香、かなめが一斉に覗き込んだ。

 

 一同の視線が、友哉が指し示した文を追い掛ける。

 

 古ぼけた紙に、墨で書かれた文字は殆ど読む事ができない。しかし、辛うじて判別できる部分は、こう綴られていた。

 

《全く持って、世に天才と呼ばれる者がいるとすれば、それは天草翔伍のような存在を言うのだろう。彼が真の継承者であったならば、拙者などよりも上手に、飛天御剣流を使いこなしたであろう事は疑いない。彼に比べたら、拙者など、及びも・・・・・・》

 

 後は掠れて読めなかった。

 

「天草翔伍・・・・・・」

「少なくとも、緋村剣心が存命だった時期に、飛天御剣流の使い手が2人いた事は間違いないみたいだ」

「じゃあ、」

 

 彩夏が、エムツヴァイの顔を見て言った。

 

「この娘達は、その天草翔伍って人の子孫、って事になるの?」

「それは判らない。けど、緋村家も幕末の時代から、現代に至るまで続いて来たんだ。天草翔伍の子孫も、どこかで生きていて、彼等が飛天御剣流を代々継承してきたとしても、おかしくはないんじゃないかな」

 

 天草翔伍が子孫達に飛天御剣流を伝え、その連綿と受け継がれてきた血統と技に目を付けたロスアラモスの研究員達が、その子孫達を拉致して強化兵士(ストレンジ・ソルジャー)とすべく、人体実験を繰り返した。その結果、生まれたのがエムアインスとエムツヴァイだとすれば、一応の筋道は立ったような気がした。

 

 だとすれば、文献を見る事で技を再現している友哉よりも、エムアインスの方が飛天御剣流の完成度は高い事になる。現にエムアインスは、九頭龍閃と言う、友哉も知らない技を使って来たのだ。その可能性は高かった。

 

「しっかしよぉ・・・・・・」

 

 陣が緋村剣心の日記を見ながら、呆れ気味に口を開いた。

 

「ちょいと思ったんだが、こいつ・・・・・・」

「おろ?」

 

 陣はのろのろと顔を上げて言った。

 

「すっげぇ、字、汚ェな」

 

 陣の言葉に、友哉も苦笑しながら目を泳がせる。本当は、友哉も、ちょっとだけ思っていた事である。

 

 とは言え、一応、先祖が書いた物である。フォローくらいはしておいたかねば、緋村家の沽券にも関わる。

 

「それは、ほら、結構年代が経ってるから、劣化が激しいんじゃないかな?」

「いや、そんなレベルじゃないだろ、これ」

 

 友哉の言葉は、即座にキンジによって否定されてしまう。

 

「確かに、ちょっと読みにくいと言うか・・・・・・」

「これなんか、何て読むのかしら?」

「記号・・・・・・いや、何かの暗号なのかな?」

「昔の日本語はあまり詳しくないんだけど、流石にこれはちょっと・・・・・・」

「非合理的だね~」

「すみません友哉さん。流石にフォローできません」

 

 彩夏、紗枝、瑠香、ワトソン、かなめ、茉莉にまで立て続けにボロクソに言われ、地味に傷付く友哉。

 

 きっと、緋村剣心も草葉の陰で泣いてるんだろうな~、などとどうでも良い事を考えつつ、夜も更けていくのだった。

 

 

 

 

 

第6話「強化兵士」      終わり

 



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第7話「ドキドキ☆体育祭」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ラ・リッサ」というイベントは元々、想像を絶する程の過激な競技内容目白押しであったらしい。

 

 銃あり、刃物あり、爆弾あり、格闘あり、罠あり。死者が出ない事が不思議なほどであったとか。

 

 まこと、「らしい」と言うべきか、これが武偵校の体育祭であった。

 

 それが現在のような形となったのは、その内容を知った当時の都知事が激怒し、以後は監視の目が付くようになったからに他ならない。

 

 教務課から、最優先で生徒達に課せられている事は1つ、

 

『第1部は無邪気な高校生を笑顔で演じる事。特に発砲等は厳重に処罰する』

 

 と、言う事である。

 

 要するに、都から監視が来ている午前中は、あくまでも普通の高校の体育祭を演じる事で糊塗し、監視がいなくなる午後から、一生懸命、殺し合いの競技をしろ、と言う事である。

 

 見事なまでの「臭い物に蓋」理論だった。

 

 そんな訳で、東京武偵校に所属する全生徒は、(まことに天変地異を疑いたいレベルで)珍しい事ながら、今日の午前中は、全員が非武装で競技に臨む事になる。

 

 友哉、茉莉、陣、瑠香の4人も、それぞれの武器や防弾制服を各自のロッカーに預け、体操服を着て、開会式が行われるグラウンドに集合した。

 

「晴れたね~」

 

 瑠香が手で庇を作りながら、上空の太陽を見上げるようにして言う。

 

 言った通り、雲一つない晴天に恵まれている。11月にしては気温もそこそこ高く、絶好の体育祭日和と言えた。

 

「そう言えば・・・・・・」

 

 体操着にハーフパンツ姿の茉莉が、何かを思い出したように言った。

 

「昨日、ベランダに出たら、遠山君が何か作って釣るしていましたが、アレは何なのでしょう? こう、てるてる坊主を逆さにしたみたいな・・・・・・」

「ああ、あれね・・・・・・」

 

 友哉は苦笑する。

 

 前に別のイベントの時、製作に付き合わされたから判るが、あれはキンジ流の逆てるてる坊主である。出席したくないイベントの時は、キンジは雨が降ってくれる事を願って大抵作っている。

 

 SSRに対して否定的な意見を持っているくせに、てるてる坊主は信じるのか、と呆れ気味に突っ込みを入れたのを覚えている。

 

 どうやら、今年も同じことをやったらしい。

 

 成長しない、と呆れるべきところだが、正直、友哉としてもキンジの気持は判らないでもない。

 

 こんな物騒なイベント、喜んでやるのは強襲科(アサルト)の過激派な連中くらいであろう。同じ強襲科でも穏健派な友哉としては、どちらかと言えばキンジに同調したい気分であった。

 

『そう言えば・・・・・・』

 

 歩きながらふと、友哉はエムツヴァイの事を思い出していた。

 

 結局、あの後、少女が目を覚ます事はなかった。

 

 今も武偵病院のベッドで眠り続ける少女の事を、ジーフォース事かなめが毎日のように見舞いに行っている。

 

 友哉も時々様子を見に行ったりしているのだが、つい先日、激しい命のやり取りをした時の印象はなく、やせ衰えた病人のように、衰弱しきったエムツヴァイの姿には、複雑な思いを抱かずにいられなかった。

 

 ワトソンや紗枝の話を聞いても、回復する兆しは見られないとの事だった。

 

 一命は取り留めた。

 

 だが、長く続いた戦場暮らしが、限界を越えて彼女の体を摩耗させていった事は間違いなかった。

 

 このまま一生、意識が戻らない事もあり得る。

 

 紗枝は沈痛な表情で、そう言っていた。

 

 挑まれた勝負であり、友哉は彼女を返り討ちにしただけだが、それでもやりきれない思いがあるのは仕方のない事だった。

 

 と、

 

 ボフッ

 

「おろッ」

 

 前を見ないで歩いていた友哉は、前を歩いていた人物にぶつかり、そのまま尻もちをついてしまった。

 

「おいおい、友哉、大丈夫か?」

「前見て歩いてないからでしょ」

 

 呆れ気味に声を掛けて来る陣や瑠香を余所に、ぶつかった相手は友哉に気付くと、膝をついて手を差し伸べて来た。

 

「ああ、すまん。大丈夫か?」

「い、いえ、こちらも、ぼーっとしてましたので」

 

 そう言って、差し伸べた男子生徒の手を掴んだ時だった。

 

 ゾクッ

 

 一気に鳥肌が立つ程の寒気を、友哉は感じた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 思わず、動きを止める友哉。

 

 対して、男子生徒は笑顔のまま、友哉を見ている。

 

「どうかしたか?」

「い、いえ・・・・・・」

 

 言いながら立ち上がる友哉。

 

 それを見届けると、「気を付けてな」と言い残し、男子生徒は去っていった。

 

「・・・・・・友哉さん、今のは?」

 

 茉莉も友哉と同じような物を感じ取ったのだろう、若干の冷や汗と共に尋ねて来る。

 

 友哉も、緊張を払うように、深呼吸をしてから答えた。

 

「今のは・・・3年生だよ・・・・・・」

 

 武偵校の3年生は、普段は大半が学校にいない。

 

 殆どが、海外留学と言う名目で任務についているからである。こう言う、学校指定の外せないイベントの時くらいしか全員が集まる事はない。仕事がある事情で、常時学校にいる紗枝の方が珍しいのである。

 

「へッ 面白い奴等がいるじゃねぇか」

 

 そう言って、ニヤリと笑ったのは陣である。どうやら彼も、そこら中に満ち溢れる気配に気づいたようだ。

 

 周囲にいる3年生は、一見すると普通以上に普通に見える。傍から見れば、何処から見てもそこらの高校生にしか見えないだろう。

 

 だが、判ってしまう。

 

 同じ武偵が相手なら、隠しきれるものではない。その内面に押し殺した存在感を。

 

 通常、3年生たちは素の実力を同級生や下級生達に見せたりしない。それは、いずれ商売敵として刃を交える事を考慮しての事である。

 

 「奴隷の1年、鬼の2年、閻魔の3年」。

 

 武偵校にあるこの階級制度が、決して形式だけの代物ではないと言う証左だった。

 

 その後、開会式が行われ、強襲科1年の高千穂麗(たかちほ うらら)の選手宣誓が行われた後、各自協議に移る事になった。

 

 まず手始めに行われたのは「玉入れ」。小学校などでも行われている、実に平和的な競技である。

 

 武偵校では、蘭豹が婚活に失敗した時、生徒に強制させる「2人1組で拳銃に弾込めをし、遅かった方を撃って良い」と言う、暴力ルール全開の「弾入れ」が存在するが、それとはまた、別である。

 

 因みに、友哉は「弾入れ」は苦手である。普段、銃を全く使わない弊害がそんな所にも出ていた。

 

 そんな訳で、紅組と白組に別れて玉入れに興じていた。

 

 友哉達は白組。友人達と一緒になって、スタートの合図と共に、落ちていた玉を頭上の籠に投げいれはじめた。

 

「ぬぉぉぉ、入らないのだぁー!!」

 

 友哉のすぐ脇では、装備科(アムド)の平賀文が、小学生並みの体で一生懸命玉を投げ入れている。

 

 だが、元々、運動神経に関しては度外視されている平賀。先程から、投げている玉が、てんで明後日の方向に飛んで行っていた。

 

 かと思えば、

 

「フンッ ハッ!!」

 

 見事なフォームと共に籠に投げ入れているのは、ジャンヌである。

 

 見ている内に、ポンポンと玉が面白いように籠に入って行く。

 

 こちらは色々とハイスペックである為、この程度の事は文字通り児戯であった。

 

 ただ一つ、激しく突っ込みを入れたいのは、なぜかジャンヌが履いているのは、時代錯誤のブルマーである、と言う事である。

 

 見た目、殆ど下着と変わらないブルマーなど、ヒステリア化を嫌うキンジでなくても、目の毒である事は間違いなかった。

 

 ジャンヌとは別の意味で実力を発揮しているのが、陣であった。

 

「よっと・・・それっ・・・へへ、軽いぜ」

 

 180センチの長身を活かし、軽々と玉を投げ入れていく。

 

 元々、この手の事には乗り気じゃないのでは、とも思っていたが、始めて見れば、意外な事に陣はノリノリで玉入れを興じていた。

 

 

 

 

 

 玉入れが終わると、なぜか競技の内容が適当になる。

 

 主に「個人競技」が主体となるのだ。

 

 これらは予め、教務課(マスターズ)から指定された競技に出る事となる。

 

 因みにその間、教務課の女性教師達は東京都教育委員会から派遣されてきた「監視員」達を接待している。

 

 スコア係りを務めているキンジの話では、何やら綴や蘭豹が、普段の暴力振りを完全に隠し、猫を被って「接待係の美人教師」を演じていたとか。

 

 まあ、あの2人、黙っていればそれなりに美人なので、やってできない事はないのだろうが。

 

 随分大きな猫の皮が必要だっただろうな、と友哉は心の中で呟いていた。

 

 そして、友哉もまた個人競技への出場が、教務課から言い渡されていた。

 

 友哉が出場する競技は「剣道」となる。

 

 これは、友哉の特性や、実家が剣道場である事も考慮されての事なのだろう。

 

 女子の部には、茉莉も出場している事から、それは間違いなさそうだった。

 

 普段、訓練中には絶対身に付けない、剣道着、袴、防具を纏い、竹刀を手に友哉は試合会場の真ん中へと進む。

 

 相手選手と向かい合って竹刀を合わせ、蹲踞の姿勢を取る。

 

 最近離れ気味だったにも関わらず、この辺の所作は忘れていない。

 

 実家の剣道場で子供の頃から慣れ親しんでいる事もあり、しっかりと体の中へと染みついていた。

 

 とは言え、

 

『気が進まないんだよな~』

 

 心の中でぼやきながら、溜息をつく。

 

 普段から刀をメイン武装に戦う友哉にとって、道場剣道は物足りない事はなはだしかった。

 

 剣術と剣道では、必要な動きがまるで違う。例えば剣道なら、きちんとした打突部位に適正な姿勢と踏み込みで竹刀を命中させない限り、1本とは判定されない。その為、打突部位以外はいくら食らっても構わないのだ。勿論、食らう場所によっては死ぬほど痛いが。

 

 翻って、剣術は1発でも食らえば、当然それまでである。自然、動きも防御の仕方も違ってくる。

 

 剣術に強いからと言って、剣道も強いとは限らないのだ。

 

 ましてか、友哉の使う飛天御剣流は、飛んだり跳ねたりが基本である。剣道でそんなやり方をしても、絶対に1本にはならないだろう。

 

 そんな訳で、傍から見れば当たり役のように見える友哉の剣道出場も、本人からすればだるさ全開のイベントでしかなかった。

 

 と、言うような事を考えていたのが、今から2時間前。

 

 結果表に貼り出された名前は、

 

『優勝:強襲学部強襲科2年 緋村友哉』

 

 張りだされた名前を、呆然と眺める友哉に対し、

 

「緋村ァァァァァァ、一生のお願いだッ 剣道部に入部してくれェェェェェェ!!」

 

 袴にしがみ付いて泣きついて来る剣道部の主将。因みに彼は、準決勝で友哉に敗れた。

 

「勘弁してくださいッ!!」

 

 叫ぶように言いながら、友哉はその場から脱兎の如く逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな訳で、怒涛の如く追い掛けて来る剣道部主将の魔の手(?)から逃れつつ、友哉はどうにか用具室方面に逃れていた。

 

 耳を澄ませば、尚も主将の怒号が聞こえて来る。

 

 主将からすれば、埋もれていたダイヤの原石を見付けた気分なのだろう。何が何でも、期待の超新星をモノにしたいと思っている筈だ。

 

「・・・・・・勘弁してほしい」

 

 友哉は溜息交じりに呟く。

 

 迂闊に優勝なんかしてしまった自分も自分だが、正直友哉は、部活動をする気など微塵も無かった。

 

 確かに刀を主武装にして戦い、実家は剣道道場である友哉だが、今更、剣道をやる気はない。

 

 自分が求める剣の道は、道場には無いと確信しているからである。

 

 放っといたら、この後、いつまでも勧誘の嵐に悩まされそうな気がして、友哉は少し鬱な気分になった。

 

 時刻はそろそろ昼の時間になろうとしている。

 

 このあと、昼休憩を挟んで、午後の部である第2部に移る事になる。

 

 そして、武偵校の体育祭は、この第2部こそがメインなのだ。

 

 ただし武偵校では「戦闘中に食事をするのはイタリア軍だけや」と言う蘭豹の暴力ルールにより、昼食を取る事は禁じられている。

 

 皆、腹をすかした状態で午後の部を乗り切らねばならないのだ。

 

 その時、

 

「ひィィィむゥらァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 主将の声が、すぐ脇から聞こえて来て、思わず友哉は肩を震わせる。

 

 まずい。このままでは、遠からず見つかってしまう。

 

 友哉はキョロキョロと周囲を見回すと、すぐ目の前の用具室の扉を開いて飛び込んだ。

 

 次の瞬間、

 

「キャッ!?」

 

 中にいたらしい人物の悲鳴が聞こえて、思わず振り返る。

 

 そこには、

 

 着替えの途中なのか、脱いだ袴を床に落とし、剣道着も半ばまで脱いで、両肩を露出させた、

 

「ま、茉莉ッ!?」

 

 が、立っていた。

 

 剣道着の前は紐を解かれ、艶めかしく開かれている。その為、ピンク色のパンティと、同色のブラが、友哉の前に気前よく晒されていた。

 

 着替え途中の半脱ぎ状態と言うのがまた、全裸や下着姿とは違った煽情感を出している。

 

「ゆ、友哉、さん・・・・・・」

「あ、ま、茉莉、これは、違うんだッ!!」

 

 突然の事で、羞恥よりも驚きが勝って呆然としている茉莉に、友哉は両手を振りながら言い訳しようとする。

 

 その時、

 

「緋村はいねがァァァァァァッ!?」

 

 主将の怒号が聞こえて来る。

 

 何で叫びが、なまはげチックなのかは知らないが、このままでは捕まってしまう。

 

 その叫びで、取り敢えず状況を察した茉莉は、意を決したように友哉の手を引っ張った。

 

「友哉さん、こっち!!」

「おろっ!?」

 

 茉莉は多く友哉の手を引き、傍らに1段目が開いた状態で置いてある防弾跳び箱の中に押し込め、自分もその中に飛び込むと、中から蓋を閉めてしまった。

 

「茉莉・・・・・・」

「シッ」

 

 何かを話そうとする友哉を、茉莉は人差し指を立てて制し、息を殺す。

 

 そこへ、

 

「緋村ァッ ここかァァァァァァ!!」

 

 ついに主将が、友哉と茉莉が隠れている用具室を探り当て、中へと踏み込んで来た。

 

 だが、中には誰もいない。

 

 主将は周囲をきょろきょろと見回すが、特に変わった様子の場所は無かった。

 

「チッ、ここでもないのか」

 

 そう言い残すと、部屋を出て行く気配がった。

 

 その気配を察し、ようやく2人は息をついた。

 

「友哉さん、いったい、あの人に何をしたんですか?」

「いや、何をした、て言うか・・・・・・」

 

 苦笑しつつ、友哉はあらましを説明すると、茉莉は呆れたように溜息をついた。

 

「優勝なんかするから、そんな事になるんですよ」

 

 それについては弁明の余地はない。何となく考え事をしながら戦っていたら、いつの間にか優勝してしまったのだから。

 

「そう言う茉莉は?」

「4位でした。準決勝と3位決定戦で負けましたので」

 

 その辺、茉莉はきちんと頭を使って戦っていた。元々、友哉と違い、基礎的な剣道の練習も欠かしていない彼女である。やろうと思えば優勝もできた筈なのだが、そこは、ある程度、実力を隠しながら戦って来たのだ。

 

 そこで、

 

 ようやくの事ながら、友哉は重大な事実を思い出していた。

 

「あ、あの、茉莉、非常に言いにくい事なんだけど・・・・・・・・・・・・」

「はい?」

 

 言いながら、友哉の視線を追う茉莉。

 

 そこで、自分のあられも無い格好に気付いた。

 

「////////////~~~~~~~~~~~~!!??」

 

 声にならない声で悲鳴を上げ、剣道着の前を慌てて隠す茉莉。

 

 恥ずかしさで顔が真っ赤になり、涙目になりながら友哉を見ている。

 

 だが、例え隠したとしても、剣道着の長さは腰までしか無い。体育座りした足の間から見えるピンク色のパンツと、そこから伸びる白い足は丸見えになっている。

 

「ゆ、友哉さん、あ、あんまり、見ないでくださいッ」

 

 恥ずかしさで、涙交じりに言う茉莉。

 

 一方で友哉は、

 

「えっと・・・・・・ごめん、無理・・・・・・」

 

 こちらも顔を赤くしながら、半裸状態の茉莉から目を逸らせなかった。

 

 物理的には、50センチも無い指呼の間と言う事もあるし、心理的には、もっと見ていたいと言う思いが働いていた。

 

「て言うか、茉莉はなんで、こんな所で着替えてたの?」

 

 脱ぎかけの剣道着や、バッグの中から覗いている制服から判断して、彼女がここで着替えをしていたのは判る。だが、着替えなら女子のロッカールームですれば良いのに。

 

「そ、その、ロッカールームは、着替えをする人でいっぱいだったので・・・・・・剣道で汗かいて、早く着替えたかったから、その・・・・・・」

 

 恥ずかしさを堪えながらの弁明に、友哉はなるほどと頷く。

 

 恐らく剣道が終わって、出場者が着替えの為にロッカールームに殺到したのだろう。

 

 それで茉莉は弾かれてしまった、と言うところだろうか。

 

 とは言え、狭い跳び箱の中に男女2人。しかも茉莉はパンツ丸見えの状態である。

 

 両者、狭い空間に押し込まれながら、恥ずかしい緊張に耐え続けるしか無かった。

 

 友哉がここから出ていけば問題無い話なのだが、そうすると、万が一、主将が戻ってきた時に、今度こそ捕まってしまう。

 

 その為、もうしばらくここに2人で隠れている必要があった。

 

 どれくらい、そうしていただろう。

 

 互いに、顔を真っ赤にしたまま、無言の内に時間だけが過ぎていく。

 

 今頃、第1部の残りの競技が消化されている筈だ。幸い、2人は剣道以外に出る種目が無い為、ここで立て籠っている事もできるのだが。

 

 だが、落ち着かないと言う意味では、ある意味、煉獄にも等しい時間だった。

 

 特に友哉。

 

 視覚的には、茉莉の艶姿を至近距離でガン見している、と言うのもあるのだが、それ以外にもう一つ、友哉を惑わせている要素があった。

 

 それは、匂いである。

 

 通常、男性は女性を、女性は男性を惹きつけ易い匂いを体から発している、と言われている。余談だが、キンジがヒステリアモードになり易いのも、この嗅覚が果たす役割が大きいのだ。

 

 友哉の鼻腔は、茉莉から無意識に発散される発せられるフェロモンとも言うべき匂いによって、いつも以上に引きつけられていた。

 

 特に、今の茉莉は剣道をやった後で汗をかいている。匂いの発散率は通常よりも上がっているのだ。

 

「な、なんだか、静かですね」

 

 そんな沈黙に耐えられなくなった茉莉が、先に声を掛けて来た。

 

「う、うん、そうだね」

 

 友哉も適当に相槌を打つ。

 

 その時だった。

 

 クゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ~~~~~~~~~~~~

 

 何とも可愛らしい音が、茉莉のお腹から聞こえて来た。

 

 2人以外この場所におらず、喧騒も殆ど遠くからしか聞こえて来ないので、その音は殊更、大きく響いた気がした。

 

 先程とは違う羞恥心から、顔を真っ赤にする茉莉。

 

 だがこの音が、恐らく死ぬほど緊張している2人を救ったのは、間違いなかった。

 

 そんな姿に、友哉はクスッと笑みを見せる。

 

「そう言えば、そろそろお昼だったね」

 

 とは言え、蘭豹の暴力ルールのせいで、食料の手持ちは無い。コンビニに行けば買い物はできるだろうが、もしそれが見つかったりしたら、武偵校名物体罰フルコースが待っている事になる。

 

「あ、そ、そうだッ!!」

 

 茉莉は何かを思い出したように、一緒に持って来た自分のバッグの中を漁り始めた。

 

 中には茉莉が朝に着ていた、体操着などが入っている。

 

 チラッと、替えの下着のような物が見えた気がしたが、そこは慎ましく黙っている友哉。

 

 そこへ、

 

「これ、どうぞッ」

 

 勢い込んで茉莉が差し出して来たのは、1枚の板チョコだった。

 

「流石にお弁当とかは持って来れませんでしたけど、これくらいは何とか持ちこむ事ができました」

 

 なかなか要領の良い娘である。

 

 茉莉はそう言うと包み紙を破り、半分に折ると、片方を友哉に差し出してきた。

 

「あ、ありがとう」

 

 受け取って、口に運ぶ。

 

 何だかんだで友哉も空腹だったせいもあり、チョコレートの甘さが舌から全身に染渡るような感覚に包まれた。

 

 ふと、視線を合わせると、茉莉もまた友哉の方を見ていた。

 

 目が合うと、互いに微笑みを浮かべる。

 

 まるで、今食べているチョコのような甘い空気が、昼の体育館倉庫を包み込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後に入ると、空気は一変する。

 

 一言で言えば、緊張感に学校全体が包まれるのだ。

 

 既に都から派遣されてきた監視員は、教務員達が徹底的に懐柔した後、上機嫌の内にお帰りいただいた。

 

 後には、気にするべき何物も存在しない。

 

 つまり、取り繕う必要性が無いのだ。

 

 それぞれ、めいめいに隠していた武器を取り、武偵達は本来の姿を取り戻して行く。

 

 体育祭(ラ・リッサ)第2部。ここからが、本当の武偵校体育祭となる。

 

 行われる競技は2つ。

 

 男子中心の「実弾サバイバルゲーム」と、女子中心の「水中騎馬戦」である。

 

 実弾サバイバルゲームの方は、読んで字の如く実弾を使用したサバイバルゲームである。防弾制服ならどこに当たっても構わない。ルールは単純で、背中を地面に付けた方が負けである。

 

 一方の水中騎馬戦、こちらも読んで字の如くと言いたい所ではあるが、こちらも銃あり格闘ありと物騒である。騎馬が崩れるか、頭の鉢巻きを取られれば負けとなる。

 

 本来ならイクスメンバーは、友哉と陣が実弾サバゲー、茉莉と瑠香が水中騎馬戦に出場すべきところではあるが、実際の話、女子2人では騎馬を組む事ができない。

 

 と言う事で、教務課(マスターズ)から指示が下り、4人揃って実弾サバゲーに出場する事となった。

 

 各々、手には武器を持っている。

 

 茉莉と瑠香は、それぞれいつものブローニング・ハイパワーDAと、イングラムM10を装備している。

 

 陣は、初めて友哉と戦った時に持っていた、AK74カラシニコフライフルを掲げるようにして持っている。作動率の高さやパーツの互換性の良さから、主に共産圏や中東、南米のゲリラに多く出回っている銃である。

 

 友哉も、腰に差した逆刃刀の他に、SIG SAUAR P226を装備している。殆ど銃を使わない友哉だが、ここは気分的な物を優先して、装備科(アムド)から借りて来たのだ。

 

「全員、準備できたみたいね」

「おろ?」

 

 振り返れば、愛用のワルサーPPKを掲げた彩夏が立っていた。

 

「高梨さんも、こっちに出るの?」

「何、友哉はあたしの水着姿が見たかったわけ?」

 

 少し上目遣いにして悪戯っぽく笑ってから、肩を竦める。

 

「お生憎さま。こっちでアンタ達と一緒にドンパチやった方が面白そうだったからね。どのみち、一緒に騎馬を組む人もいないし、ゆとり先生に頼んでこっちに入れてもらったの。残念だったわね」

「べ、別に、僕は・・・・・・」

 

 言いながらも、少し顔を赤くして視線を逸らす友哉。

 

 その視線が、茉莉のそれとぶつかった。

 

 そう言えば、茉莉の水着姿を見れなかったのは少し残念かな。いや、でも、さっきもっと凄いのを見ちゃったしな。

 

 などと不埒な事を考えていると、茉莉も友哉の視線に気付き、顔を赤くしながら、はにかんだような笑みを向けて来る。

 

 釣られて、笑みを返す友哉。

 

 その様子を、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 瑠香が、少し離れた場所で静かに見守っていた。

 

 

 

 

 

 時は来た。

 

 鳴り響くブザーは、開戦を告げる鐘の音に他ならない。

 

 学園島の対角線上に布陣した両軍は、開戦の合図を受けて一斉に動き出した。

 

 サバイバルゲームと言うだけあって、舞台は学園島全体で行われる。

 

 1・2年生合同で行われるこの戦い。両軍の参加兵力は、白軍183名、赤軍192名。兵数的には赤軍がやや優勢と言う事になる。

 

 白軍が勝利を得るためには、何としても早期にこの兵力差を覆す必要があった。

 

「行くよッ!!」

 

 鋭い声と共に、白軍の先鋒を務めるのは、やはり友哉、茉莉、瑠香から成るイクス勢だ。

 

 結成間も無いチームではあるが、既に機動力においては武偵校最速と噂されるイクス。そのイクスの高速機動について来れる者など、存在する訳が無かった。

 

 速さその物を武器に、イクスの3人は赤軍が配置完了する前に斬り込む事に成功した。

 

「ハァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 殆ど突撃の勢いを止めずに、先頭切って斬り込む友哉。

 

 対して、赤軍の部隊はこの奇襲を全く予期していなかった。

 

 ほぼ一瞬のうちに、5人の兵士が逆刃刀で殴打され、地面に転がる。

 

 続く茉莉と瑠香も、それぞれ手にした銃を放ちながら次々と敵陣に突入する。

 

「うわっ!?」

「な、何だこいつ等!?」

 

 突然の奇襲を受けた赤軍部隊は、完全に浮足立った様子で友哉達にかき回されるままになっている。

 

 その間にも友哉達は、着実かつ迅速に敵の数を減らして行く。

 

 そして、

 

「おらおら、邪魔だ、どきやがれ!!」

 

 遅れて踏み込んで来た陣が、浮き足立っている敵兵を、腕力に任せて殴り倒して行く。

 

「おめェら、速く行き過ぎだ!!」

「あたし達の分も、獲物を残しておいてよね!!」

 

 ぼやくように言いながら、追いついて来た彩夏がワルサーを放ち、残敵掃討を開始する。

 

 その圧倒的な進行速度、これまでの実戦で培われた戦闘力は、並みの生徒(へいし)では相手にもならない。

 

「う、うわぁ、もうダメだァ!!」

「ここは放棄しろッ 本隊と合流して体勢を立て直すぞ!!」

 

 残った敵は散を乱して撤退して行く。その殆どが2年であり、1年生の兵士は全員が、既に地面と熱い抱擁をかわしていた。

 

 赤軍の1部隊が壊滅するまで、10分も掛からなかった。

 

 正に、高速機動部隊の面目躍如である。

 

「さて、じゃあ、次に行こうかッ」

 

 友哉は仲間達、茉莉、陣、瑠香、そして最近、殆ど一緒に行動する事が多い彩夏に言った。

 

 このイクスの奇襲攻撃で、白軍は勢いづいた。

 

 出鼻を挫かれた形の赤軍は、拠点の構築にも失敗し、前線の一部が破綻してしまったのだ。

 

「お前等、緋村隊に負けるんじゃねェぞ!!」

「前線部隊は今の内に陣地の構築。支援部隊は火力支援を欠かさないように!!」

 

 武藤や不知火等に率いられた白軍本隊も前進し、イクスが開いた穴を徐々に左右へと広げていく。

 

 これに対し、初戦で躓いた赤軍は、ひたすら後退するしかなかった。

 

 通常、最前線が破られた場合、第2陣と合流して新たな前線を構築するのがセオリーである。

 

 しかし、白軍はそれを許さない。

 

 白軍が陣を構成しようとすると、イクスが比類ない速度で進撃してきて、またたく間に戦線に穴を開けてしまうのだ。

 

 そしてその穴から、また白軍がねじ込む、と言う事が続く。

 

 その結果、赤軍はひたすらに後退を続ける以外、取る道は無くなっていた。

 

 戦闘開始から約1時間。

 

 赤軍は今や学園島の一角にまで押し込まれ、絶望的な抵抗を余儀なくされていた。

 

 残存戦力も白軍146名に対し、赤軍は43名と大差が付いている。

 

 最早大勢は決したような物だが、それでも追い詰められた赤軍は、屋内戦闘訓練用の廃ビルに立て篭もり、最後の抵抗を行っていた。

 

 その頑強な抵抗を打ち破るべく、白軍が白羽の矢を立てたのは、やはりイクスだった。

 

 作戦は至ってシンプル。

 

 白軍本隊がビル正面に火力を集中し、敵の目を引き付けると同時に、イクスを主力とした特殊部隊3チームが裏手からビルに突入、赤軍を後方から撹乱する。赤軍が乱れた所を見計らい、白軍は総攻撃を敢行、敵司令部を制圧する手筈となった。

 

 指定された時刻にまで、配置を完了したイクス以下3チームの特殊部隊は、時計を合わせて突入開始時刻を待った。

 

 イクスの他に参加する部隊は、武藤と不知火の隊である。友哉達とは気心が知れており、連携を期待されての人選だった。

 

「そろそろかな・・・・・・」

 

 時計を見ながら、友哉が呟く。

 

 間もなく白軍本隊が、囮の為の攻撃を開始する事になる。そして赤軍の目を引き付けている隙に突入するのだ。

 

「だな。まあ、ここまで来れば、もう俺達の勝ちは動かないだろうけどよ」

 

 そう言って、陣は笑う。

 

 因みに、陣は用意したカラシニコフを1度も使っていない。全ての敵を素手で殴り倒してここまで来たのだ。

 

 ただ持っているだけのカラシニコフが、陣の背中で哀愁を漂わせているような気がした。

 

 もっとも、友哉も借りて来たSIGを全く使っていないのだが。

 

「時間です」

 

 茉莉の短い声と共に、聞こえて来る喧騒が更に大きくなった。

 

 白軍本隊が攻撃を開始したのだ。

 

「よし、行こうッ!!」

 

 そう言うと、友哉は戦闘を切って駆けだした。

 

 同時に武藤隊と不知火隊も動きだす。

 

 作戦は図に当たった。

 

 白軍の火力集中を、本格的な総攻撃と思った赤軍は、火力の大半を正面に集中させてしまった。

 

 そこへ、イクス以下の特殊部隊が突入して来たのだから堪った物では無い。

 

 友哉はビルに侵入すると、僅かに残っていた警戒部隊を排除し更に奥へと進む。

 

 この攻撃に対し、完全に虚を突かれた赤軍の戦線は、成す術なく崩壊して行く。

 

 白軍の勝利は疑いなく、それはさほど時間が掛からずに決するだろう。

 

 そう思われた時だった。

 

「キャァッ!?」

 

 聞こえた悲鳴に振りかえると、敵の反撃を食らったらしい茉莉が、床に背中を付く形で転がっていた。

 

 これで、茉莉は「戦死」と言う事になる。

 

 勝利を前にした、まさかの油断であった。

 

 だが、事態はそこで終わらなかった。

 

「このッ 女のくせに舐めるんじゃねェぞ!!」

 

 恐らく、茉莉を倒した敵だろう。

 

 その男子生徒は言い放つと、倒れ込んだ茉莉の上から、押しつけるように銃口を向けた。

 

「ッ!?」

 

 引き攣った茉莉の表情。

 

 如何に防弾制服を着ているとはいえ、あのような至近距離から撃たれれば大怪我もあり得る。

 

『茉莉ッ!?』

 

 それを認識した瞬間、

 

 スッ

 

 友哉は殆ど音も無く男子生徒の横に立つと、手にした刀を横薙ぎに振り抜いた。

 

 ガインッ

 

 一撃。

 

 殆ど容赦も無く、相手の腹を殴り飛ばす友哉。

 

「がァァァァァァ!?」

 

 その男子生徒は、5メートル近く吹き飛ばされて地面に背中を付いた。

 

 これで、この男子生徒も戦死である。

 

 だが、友哉は更に、懐に入れておいたSIGを抜き放ち、歩み寄って行く。

 

「ま、待った、参った。俺の負けだ!!」

 

 慌てたように、手を振る男子生徒。

 

 だが、

 

 友哉は無言のままスライドを引くと、男の顔面に真っ直ぐ銃口を向ける。

 

 その凄惨な殺気と、血走った目が、容赦無く男子生徒に向けられている。

 

 友哉は無言のまま、銃口を向けている。

 

 SIGには実弾が装填されている。このまま指を引けば、間違いなく銃弾は発射され、その男子生徒の頭は吹き飛ばされる事になるだろう。

 

「お、おいッ 何してんだよ、や、やめろよ」

 

 震える声でしゃべる男子生徒。

 

 彼の眼にも、友哉が本気である事が見て取れたのだ。

 

「な、何してんだよ。おれは、もう、やられただろ。だから・・・・・・」

 

 漏れ聞こえてくる声に耳を貸さず、友哉が引き金を引こうとした。

 

 次の瞬間、

 

「バッカヤロォォォ!!」

 

 バキィッ

 

 横から駆けて来た陣が、容赦無く友哉を殴り飛ばした。

 

 大きく吹き飛ばされる友哉。

 

 そのまま背中から床に倒れる。

 

「・・・・・・・・・・・・おろ?」

 

 そこで、友哉は我に帰った。

 

 周囲を見回し、更に倒れている茉莉を、そして荒い息を吐きながら自分を見下ろしている陣を見た。

 

「僕は・・・何を・・・・・・」

「馬鹿かテメェは!! ちっと頭を冷やせッ!!」

 

 怒鳴り付ける陣を、友哉は呆然と見つめている。

 

 あの一瞬、

 

 茉莉が傷つけられそうになった瞬間、

 

 自分の中にある何もかもが弾け飛び・・・・・・・・・・・・

 

 その後の事は、思い出せなかった

 

「まあまあ、相良君」

 

 そう言って宥めているのは、後から追い付いて来た不知火だった。

 

「取り敢えず、瀬田さんと緋村君はここで戦死って事で良いよね」

 

 味方に殴られたとはいえ、背中が地面についた事は変わり無い。友哉もまた、ここで「戦死」と認定される事になる。

 

「後は任せとけって。なに、ここまで来たんだ。お前等がいなくても、俺達の勝ちは動かねえよ」

 

 そう言って力強く請け負い、武藤が先陣を切って走って行く。

 

 その後から、不知火や他の特殊部隊メンバーも続いて行く。

 

 陣も、何か言いたそうにしていたが、やがて何も告げずに彼等の後を追って走り去って行く。

 

 後には、倒れたままの茉莉と友哉が残される。

 

「やられちゃいましたね」

「そう、だね・・・・・・」

 

 笑い掛けて来る茉莉。

 

 その茉莉に対し、友哉もぎこちなく笑いを返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「友哉君・・・・・・やっぱり・・・・・・」

 

 一連の様子を見ていた瑠香が、ポツリと呟きを洩らす。

 

 だが、周囲に人がいない為、その呟きが誰かに聞き咎められる事はない。

 

 やがて、ゲーム終了のホイッスルが、高らかに鳴り響くのだった。

 

 

 

 

 

第7話「ドキドキ☆体育祭」      終わり

 



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第8話「一人は皆の為に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザッと言う草を踏む音と共に、人の気配が複数、周囲を囲むように現われるのを感じた。

 

 それに合わせるように、エムアインスは顔を上げた。

 

「・・・・・・・・・・・・来たか」

 

 低い呟きは、闇の中へと溶け込んで行くように囁かれる。

 

 その声に答えるように、中の1人が歩み出た。

 

「ご苦労だったな、アインス。こっちの準備もようやく整った」

 

 光学迷彩を解除したジーサードは、相変わらず派手な出で立ちのまま、エムアインスの傍らへと立った。

 

 その2人を囲むように、周囲に立つ影。

 

 いずれも、ジーサードに忠誠を誓う仲間達。彼の為なら躊躇わず命を投げ出す事も厭わない猛者達である。

 

「ツヴァイの事は、報告で聞いた」

「・・・・・・すまない」

 

 隠しきれない苦みと共に、エムアインスは言葉を吐きだす。

 

 その話を避けて通る事はできない事は、初めから判っていた。エムツヴァイの暴走と敗北。エムアインスは、それら全てを自分の責任である。

 

「気にするな。ツヴァイが無理をすればああなる事は、とっくに判っていた事さ。それで参戦を許したのは俺の責任だ」

 

 そう言って、ジーサードはエムアインスの肩を軽く拳で叩く。

 

「しかし、俺はあいつを、守ってやる事ができなかった・・・・・・」

 

 深い悔恨がエムアインスを襲う。

 

 この世でただ1人の、大切な妹。

 

 自分が、何を置いても守ってやらねばならなかったというのに。

 

 それなのに・・・・・・・・・・・・

 

「まだ、終わってねぇ」

 

 マイナスの思考に陥りかけたエムアインスを強引に引っ張り上げるように、ジーサードは低い声で呟く。

 

「サード?」

「まだ、何も終わってねえだろ」

 

 言い放つジーサードは、真っ直ぐにエムアインスを見詰めてニヤリと笑みを見せる。

 

 その笑みに、エムアインスは自身の胸の内に熱い物が込み上げるのを感じた。

 

 ただそこにいるだけで人を魅了し、万民を従える事の出来る存在と言う者がいる。古代の人々は、そうした人物の事を「覇王」と呼び称え、敬った物だ。

 

 ジーサードには、その覇王の資質がある。と、エムアインスは考えていた。

 

 それはあの、地獄のようだったロスアラモスの研究所から解放してくれた時から思っていた事。

 

 やろうと思えばジーサードは、自分とジーフォースだけを連れて逃げる事ができたし、その方がずっと簡単だったはずだ。

 

 わざわざエムアインスとエムツヴァイを、一緒に助ける必要性は無かった筈だ。

 

 だが、ジーサードはそれをした。あえて、した。

 

 そこにこそ、目の前の男の偉大性がある。

 

 ただ強いだけではない。

 

 ただ頭が良いだけでもない。

 

 ただカリスマがあるだけでもない。

 

 それら全てを同時に兼ね備えているからこそ、目の前の男は英雄たる事ができるのだ。

 

 だからこそ、エムアインスはジーサードについて行こうと思うし、彼の為に躊躇い無く剣を振るおうと考える事ができる。

 

「さあ、行こうぜ。今度こそ決着だ」

 

 勇ましく言い放つジーサードに、エムアインスも力強く頷き、手にした刀を握り直す。

 

 そう、今度こそ、

 

 今度こそ、緋村友哉の首を上げ、自分達の宿願を果たす。

 

 闘志に燃える瞳で、エムアインスはそう誓うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 試験が近くなると慌てるのは、学生の性であろう。

 

 それが、成績表など汗拭きタオル程度の価値にも感じていない武偵校の学生であっても変わりはない。

 

 特にその兆候が大きいのは、成績が下位の学生達であろう。

 

 あまり成績が悪いと、偏差値に響いてくる場合もあるのは武偵校も一般校も同じである。その事を考慮すれば、あまりサボる事もできなかった。

 

 そんな訳で、その日、ファミリーレストラン「ロキシー」にて、茉莉は瑠香に勉強を教えていた。

 

 同室になって以来、瑠香はしばしば、茉莉から勉強を教えてもらう事が多かった。

 

 イクスの4人の中で最も成績が良いのは茉莉である。何でも学年全体でも10番以内に入る成績をキープしているらしい。彼女が武偵活動以外の事も真面目に取り組んでいる証拠であった。

 

 普段は、「瑠香=姉、茉莉=妹」と言う年齢逆転姉妹的な関係の2人だが、この時ばかりは、立場が逆(あるいは正常?)の物となる。

 

「んっと、これは・・・・・・」

「ああ、それはですね、さっきの定理を応用して、この公式に当てはめると判りやすいですよ」

 

 瑠香が迷う問題に、茉莉は的確にアドバイスを出して行く。

 

 時刻は昼さがり。

 

 報酬代わりの昼食を瑠香のおごりで食べた後、2人はこうして試験勉強に勤しんでいた。

 

 周囲を見回せば、考える事は誰も同じなのか、同様に試験勉強の課題を広げた武偵校生徒があちこちに見られた。

 

「ここは、どうするの?」

「あ、これはですね」

 

 質問に対して丁寧に教えてくれる茉莉。

 

 そんな茉莉の横顔を、瑠香はジッと見つめている。

 

 先日の体育祭(ラリッサ)以来、瑠香の中にある疑念はほぼ確信に近い物になりつつあった。

 

 茉莉は、友哉の事が好き。

 

 そして、友哉も茉莉の事が好き。

 

 初めにその事を思ったのは、学園祭の時、2人が一緒にいるところを目撃した時だった。

 

 思えば、それ以前からも兆候はあった。

 

 茉莉は時々友哉を見る際に、微熱の籠ったような視線を向けている事があったし、友哉もまた、茉莉を意識しているのでは、と思える行動をする時があったのだ。

 

 だが、どちらかと言えば引っ込み思案の茉莉と、頭に超が付きそうなほど鈍感な友哉であるから、今まで気づかなかったのだ。

 

 だが、先日の体育祭。

 

 最後に行われた実弾サバイバルゲームで、友哉は茉莉に危害を加えようとした男子生徒を、危うく殺しそうになっていた。

 

 ああなった友哉の事を、瑠香は何度か憶えがある。

 

 一度目は瑠香が中学生の時。瑠香を誘拐した犯人を、友哉は半殺しの目にあわせた。

 

 二度目は今年の6月。殺人鬼《黒笠》と戦った時。この時も、瑠香が殺されたと思った友哉は、その圧倒的な力で持って黒笠を叩き伏せた。

 

 緋村友哉と言う少年は、自らの中に、自分でも制御する事の出来ない魔物を飼っている。

 

 その魔物が目を覚ました時、緋村友哉は緋村友哉では無くなり、ただ己の目的を果たす為に、立ちはだかる者全てを薙ぎ払う修羅と化す。

 

 自らが望めば、武偵のような法の執行者にも、殺人鬼のような犯罪者にもなる事ができる危うい存在。

 

 それこそが、緋村友哉と言う少年だった。

 

 そして、

 

 瑠香の視線は、尚も茉莉の横顔を捉えている。

 

 この間の友哉は、間違いなく、茉莉を助ける為に、自身の凶暴性を発現していた。

 

 その事が、友哉の中で瀬田茉莉と言う少女が特別な存在になりつつあるのでは、と思い始めていた。

 

『もし、それが本当なら、あたしは・・・・・・・・・・・・』

 

 心の中での呟きは、声に出さずに消えていく。

 

 友哉は瑠香にとって幼馴染であり、今なお想う、初恋の相手でもある。

 

 だが、自分のこの気持ちは、友哉も、そして茉莉をも裏切っているのではないか、と思ってしまう。

 

 瑠香の中にある葛藤は、彼女自身を雁字搦めに縛っていた。

 

 この気持ちに、決着をつなければならない。

 

「瑠香さん?」

 

 突然、顔を上げて茉莉が怪訝な目を向けていた。

 

「ちゃんと聞いてました?」

「あ、え、えっと・・・・・・」

 

 わたふたと周囲を見回してから、しゅんっと顔をとして言う。

 

「ごめん、聞いて無かった・・・・・・」

 

 そんな瑠香の様子に、茉莉は溜息をつきながら苦笑する。

 

「もう、しょうがないですね。少し、休憩を入れましょうか」

 

 そう言うと、立てかけてあるメニューを取る茉莉。

 

 一応、ドリンクバーは頼んであるが、メニュー表を取ったところを見ると、何か他の物を注文しようと思っているらしい。

 

 そんな茉莉を見ながら、

 

「ねえ、茉莉ちゃん」

 

 真剣な眼差しで、瑠香は話しかけた。

 

「はい?」

 

 顔を上げる茉莉。

 

 対して瑠香は、彼女の顔を真っ直ぐ見詰めて言う。

 

「聞きたい事が、あるんだけど」

「何でしょう?」

 

 改まった瑠香の様子に、怪訝な面持になる茉莉。

 

 雰囲気から、何か重要な事を聞こうとしていると悟り、茉莉も真剣な表情で聞き入る。

 

 ややあって、瑠香は意を決したように口を開いた。

 

「茉莉ちゃんはさ、友哉君の事、どう思ってるの?」

「え・・・・・・・・・・・・」

 

 質問の意図が一瞬掴めず、言葉を詰まらせる茉莉。

 

 対して瑠香も、それ以上尋ねず、じっと茉莉の反応を待っている。

 

 茉莉も少しためらうようにしながら、微笑を浮かべて口を開く。

 

「どう、って、大切な仲間です。彼はイクスのリーダーとして・・・・・・」

「そんな事、聞きたいんじゃないよ」

 

 茉莉の言葉を、瑠香の言葉が遮る。

 

 そして、

 

 真っ直ぐ射抜く視線のまま、言葉が投げかけられた。

 

「茉莉ちゃんは、友哉君の事が好きなの?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 これ以上ないくらい、韜晦と言う要素を省いた言葉。

 

 対して茉莉は、答える事ができずに沈黙したまま瑠香を見ている事しかできない。

 

 昼下がりのファミレス。

 

 周囲には喧騒が満ちている。

 

 だが、2人の周囲だけが、まるで空間を斬り取られたように重い静寂に満ちていた。

 

「どうなの、茉莉ちゃん?」

「そ、それは・・・・・・・・・・・・」

 

 静かに追い詰めて来る瑠香に対して、茉莉は言い淀んで答えに迷う。

 

 確かに、茉莉は友哉に想いを寄せている。その事を偽る気はない。

 

 だが、ここで瑠香に、この質問をされるとは思ってもみなかった。

 

 瑠香が、更に言い募ろうとした時だった。

 

 テーブルの上に置いてあった、茉莉の携帯電話が着信を告げた。

 

 手に取って液晶を見てみると、渦中の人物からの電話着信であった。

 

「も、もしもし?」

《あ、茉莉、今、1人?》

 

 電話の向こうで、友哉が何やら慌てた調子で尋ねて来る。

 

 対して茉莉は、チラッと瑠香の方を見ながら答える。

 

「い、いえ、瑠香さんと、一緒ですけど・・・・・・」

《そう、ちょうど良かった》

 

 言ってから、友哉は声音に緊張を乗せて言った。

 

《まずい事になった。さっき玉藻から連絡があって、ジーサードが東京に戻って来たらしい》

「えッ!?」

 

 衝撃的な事実だった。ここに来て、敵の親玉が姿を現わすとは。完全に予想外である。

 

 それに、状況はお世辞にも良くない。

 

 今現在、誰がどこにいるかは判らないが、この時の為に味方が固まって行動しているとは思えない。

 

 つまり、ジーサードはまたしても、こちらがバラバラになっているところを見計らって、東京に攻め込んで来たという事になる。

 

《場所は品川火力発電所の東南東。既に星伽さんとジャンヌが先行して現場に向かっている》

「判りました。私達もすぐに行きます。現場で落ちあいましょう」

《いや、ダメだ。そっちには陣と高梨さんを向かわせたから、彼女達と一緒に向かって。僕はバイクで行くけど、途中で合流して一緒に現場に向かおうッ》

 

 この時、友哉が危惧したのは、結果として戦力の逐次投入になってしまう事だった。

 

 ただでさえ味方がバラバラの状態である。そこに来て、移動もバラバラに行ったのでは、各個撃破の好餌となってしまう。

 

 相手はバスカービル女子を1人で全滅に追い込んだジーフォース、かなめよりも更に強いのだ。ここは、悠長に見えても、全員合流してから現場に向かった方が、リスクは少ないと判断したのだ。

 

 茉莉は電話を切り、瑠香に向き直る。

 

「茉莉ちゃん・・・・・・・・・・・・」

「瑠香さん、さっきのお話は、また後にしましょう」

 

 宙ぶらりんになってしまった事への苛立ちはあるが、今はそれどころでは無い。

 

 既に、戦いは始まっているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 年末恒例、予算使い切りを目指した道路工事ラッシュがそこかしこで行われている中を駆け抜けるのは骨が折れた。

 

 友哉が運転するバイクと、赤色灯を点けた彩夏のフェラーリが戦場に到着した時、既に戦闘は始まっていた。

 

 この角度から戦場の様子は見えないが、先程から絶えず轟音が鳴り響いていた。

 

「急ごうッ」

 

 弾かれたように駆けだす5人。

 

 だが、すぐに一同は足を止める事になった。

 

 煙突に寄りかかるようにして、白雪、ジャンヌ、理子が気を失って座り込んでいたのだから。

 

 やはり、と友哉は臍を咬む。

 

 奇襲を食らい師団陣営は各個撃破されている。恐れていた事が現実になっていた。

 

 相手は未知の力を持つ人工天才(ジニオン)。本来なら、全戦力を結集して当たるべきだったのに。

 

 倒れている3人の傍らに、もう1人、無傷で立っている少女がいる。

 

 その姿を見て友哉と、そして瑠香は一瞬ギョッとした。

 

 漆黒のゴシックロリータ調ドレスに、長い金髪をツインテールにした髪型。西洋風の整った顔立ちと、趣味の悪い扇子。

 

 見間違える筈も無い。先月、スカイツリーで戦った《紫電の魔女》ヒルダが、そこにいた。

 

「遅かったわね、お前達。高貴なる竜悴公姫(ドラキュリア)に、このような雑用をさせるとは、恥を知りなさい」

 

 言い方は相変わらず高圧的。

 

 だが、先月の戦いで敗れたヒルダは、規約に従い今は師団陣営に属している事になっている。

 

「えっと、つまり、ヒルダがみんなを助けてくれたの?」

「当然でしょう。私に掛かれば、このような些事、牙を研ぐよりも簡単な事よ」

 

 「本当は理子だけを助けたかったんだけど・・・・・・」と小さくヒルダが呟いた言葉は、幸いな事に友哉達の耳には聞こえていなかった。

 

 その間にも、死角となっている戦場では轟音が響いている。

 

 こうして3人が敗れた後も、誰かがまだ戦っているのだ。

 

「急ごう、みんな」

 

 言ってから、友哉はもう一度ヒルダに向き直る。

 

「ヒルダ、悪いんだけど、もうすぐキンジ達が来ると思う。それまで、3人の事を見ていてあげて」

「ふ、フンッ 仕方ないわね。この私に願い事など、本来なら下賤の身では許されない事なのよ」

 

 言っている事は高圧的だが、拒否するそぶりは見られない。加えて言えば、その頬は若干赤くなっていた。

 

「ありがとう、お願いね!!」

 

 言い置くと、再び駆けだす。

 

「おい友哉、お前、友達は選んだ方が良いぜ」

「いや、まあ、彼女はきっと良い娘だと思うよ・・・・・・多分?」

 

 最後が疑問文になりつつ、ようやく戦場に辿り着いた。

 

 そこで、思わず一同は目を見張る。

 

 戦っていたのは、アリアである。

 

 だが彼女は、普段から履いている防弾スカートの上から、何やら外付けのブースターのような物を腰に装着し、そこから炎を噴射しつつ、戦闘ヘリのようにホバリングしながら、両手のガバメントで攻撃していた。

 

 そして、アリアが戦っている相手は、

 

「か、かなめちゃん・・・・・・」

 

 友人の瑠香が、呆然と呟く視線の先で、

 

 かなめ事ジーフォースが、恐らく先端科学兵装(ノイエ・エンジェ)の一種と思われる刀剣を振りまわし、アリアの攻撃を凌いでいるのが見える。

 

 空中から攻撃するアリアに対し、近接武装がメインのかなめは防戦一方に近い。

 

 しかし、恐らく武偵弾と思われるアリアの猛攻撃を刀だけで防いでいる辺り、かなめも一筋縄ではいかない事が窺える。

 

 手にした二振りの剣。

 

 映画スターウォーズで、ジェダイの騎士が使っていたライトセーバーに似た光剣を用い、怒涛のように迫る弾丸を弾きながら、反撃の機を覗っている。

 

 最早疑い無い。

 

 かなめはジーサードの側についたのだ。

 

 キンジのロメオが功を奏した、訳でもないのだろうが、ここ数日、友哉の目から見ても、かなめはイクスやバスカービルのメンバー達と打ち解けていた。

 

 友達として、そして仲間として、

 

 誰もがかなめの存在を受け入れ、そしてかなめもまた、皆と良い関係を築こうと頑張っていた。

 

 それら全てを台無しにする光景が、今、目の前で繰り広げられていた。

 

「・・・・・・迷っている暇は、無い」

 

 友哉もまた、苦しげな口調で絞り出す。

 

 かなめの事は確かに残念に思う。

 

 が、しかし、ここは既に戦場で、戦端も開かれている。この場で拘泥している事に、一切の意味は無かった。

 

 視線の向ける先。

 

 そこには、漆黒のアンダースーツと、プロテクターを身に着け、手には近未来的なデザインの鞘に収めた日本刀を持つ、エムアインスの姿がある。

 

 そして、更にその視線の先には、

 

 ジーサードが佇んでいる。

 

 顔にはいかめしいペインティングを施し、目はサングラスのようなヘッド・マウント・ディスプレイを掛けている。羽織っているコートはプロテクターと一体になっているデザインらしく、派手派手しい金の装飾が施されている。

 

 如何なる手品なのかは知らないが、ジーサードは海の上に立っているように見える。

 

「どうやら、お前に客のようだぜ、アインス」

「の、ようだ」

 

 余裕の態度を崩さない2人。

 

 そしてもう1人、

 

 クレーンの上に腰掛けている人物を見て、友哉は思わず呻いた。

 

「金一さん・・・・・・いや、カナさん・・・・・・」

 

 灰色のロングコートに、編み上げブーツ姿のカナ、キンジの兄である遠山金一が、戦いを見守るようにして眺めている。

 

 カナはこの戦いに参加する気はないのか、イクスメンバーが来ても一瞥をくれるだけで、何もして来る気配が無い。

 

 一方のエムアインスは、既に刀を持ち上げていつでも抜けるように身構えている。

 

 戦いは尚も、拮抗した状態のまま続いている。

 

 かなめは各種、先端科学兵装(ノイエ・エンジェ)の刀剣を巧みに操り、Sランク武偵を相手に互角の戦いを演じている。

 

 今回は、アリアも周到に準備して来たであろう事は見れば判るが、アリアのあのジェット噴射装置は、小柄な彼女の体に合わせてあまり大きな物では無い。当然、搭載燃料も多くはないだろう。もし燃料が切れたら、アリアも空中戦と言うアドバンテージを失って地上に降りざるを得ない。そうなると、形成は一気に不利になるだろう。

 

「仕方が無い」

 

 友哉は決断を下した。

 

 本当は、キンジが合流するまで待ちたかったのだが、最早それを待っている余裕も無い。

 

 この場にいる人間だけで、戦いに介入するしかない。

 

「茉莉、陣、瑠香、高梨さん」

 

 4人それぞれに視線を送ってから、友哉は自分の考えを話す。

 

「みんなはエムアインスを攻撃して」

「良いけど友哉、あんたはどうすんのよ?」

「僕は・・・・・・」

 

 尋ねる彩夏に対し、友哉は首を巡らして視線を向ける。

 

「ジーサードを、討つ」

 

 一方、対するジーサードとエムアインスも、イクスメンバーに戦機が上がるのを感じていた。

 

「来るぞ」

「ああ、任せろ」

 

 そう言って、エムアインスが前に出ようとした瞬間、

 

 弾丸すら凌駕する速度で、茉莉が斬り込んで来た。

 

「ッ!?」

 

 とっさに抜刀、同時に払いのけるように刀を振るうエムアインス。

 

 その一撃と、茉莉の攻撃が擦れ合って火花を散らす。

 

 先制の一撃。

 

 しかし、これが防がれるのは予想済み。

 

 要するに、他の3人が攻撃位置につく、一瞬の間を稼ぐ事が目的なのだ。

 

「行くぜ、おらァァァァァァッ!!」

 

 突進と同時に、拳を振り上げる陣。

 

 その拳を、

 

 エムアインスはとっさに飛び上がって回避する。

 

 そこへ今度は、フルオートの弾丸が襲い掛かる。

 

 エムアインスの動きを先読みした瑠香が、空中にばらまくようにイングラムM10をフルオートで放ったのだ。

 

 流石に空中にあっては、回避は難しい。

 

 瑠香が放った弾丸が数発、エムアインスを直撃する。

 

 しかし、エムアインスに怯んだ様子はない。弾丸は全て、プロテクターに当たって弾かれてしまったのだ。

 

 着地するエムアインス。

 

 その足元に、

 

 数本のナイフが突き刺さった。

 

 次の瞬間、そのナイフが一斉に爆発した。内部に爆薬が仕込まれていたのだ。

 

 身を翻し、爆発の圏外へと逃れるエムアインス。

 

「逃がさないわよ!!」

 

 その回避位置を見据え、彩夏はワルサーPPKを放つ。

 

 それらの弾丸を、刀で弾くエムアインス。

 

「クッ」

 

 舌を打つ彩夏。

 

 放った弾丸は、ただの一発も命中する事無く、虚しく明後日の方向へと弾かれる。

 

 やはり飛天御剣流特有の先読みができるエムアインスを相手に、並みの射撃は意味を成さないようだ。

 

 反撃に転じようと、刀を持ち上げるエムアインス。

 

 そこへ、

 

 茉莉が再び斬り込む。

 

 それを、刀で受けるエムアインス。

 

「やらせません」

 

 鋭く細めた瞳で、茉莉はエムアインスに冷たく言い放った。

 

 その様子を、ジーサードは舌打ちしながら眺めている。

 

「・・・・・・流石に、あのレベル4人が相手じゃ、アインスでも苦戦は免れんか」

 

 エムアインスの実力はジーサードが誰よりも知っているが、だからこそ、彼ですら苦戦を免れ得ない状況に苛立っていた。

 

 目を転じれば、かなめ、ジーフォースの方も、アリア相手にてこずっているのが見える。こちらは、何か迷いを抱えて戦っているようにも見える。

 

「フォース、やはりお前は・・・・・・」

 

 苛立ち紛れに、そう言った時だった。

 

 すぐ傍らで、ザッと床を踏むような音が聞こえた。

 

「へえ、見えないけど、何か床みたいなものがあるんだね」

 

 友哉は見えない足元を確かめながら、感心したように言う。

 

 かなめは白雪達と交戦中、カナは傍観を決め込んでおり、エムアインスは予定通り茉莉達が抑え込んでいる。

 

 その間に友哉は、大将首を狙って来たのだ。 

 

 対してジーサードは振り返らず、目線だけ友哉に送って来る。

 

「・・・・・・仲間を捨て石にして、俺の首を獲りに来たか、緋村?」

「捨て石じゃないよ」

 

 低い声で、友哉は否定の言葉を投げる。

 

「この場に集まった僕の仲間全員、捨て石のつもりで立っている者は誰1人として存在しない」

「・・・・・・・・・・・・」

「信頼して、背中を任せる。それが仲間ってものでしょ」

 

 言いながら、抜き放った刀の切っ先をジーサードへと向ける。

 

 真っ直ぐに向けられる友哉の視線を受け、

 

 ジーサードはペインティングされた口元を歪める形で、笑みを向けた。

 

「良いだろう。どの道、まだ少し時間があるからな」

 

 そう言うと、両手を拳に握り、掲げるように構えて見せる。

 

「来いよ。遊んでやるぜ」

 

 言った瞬間、

 

 友哉とジーサード、

 

 両者は同時に、見えない床を蹴って疾走した。

 

 

 

 

 

 甘かったかもしれない。

 

 茉莉はエムアインスの間合いへ高速で斬り込みを掛けながら、内心でそう考える。

 

 茉莉、陣、瑠香、彩夏の4人でエムアインスを足止めし、その間に友哉がジーサードを討ち取る。

 

 作戦としては悪くない。

 

 大将首を狙うのは最も効率の良い戦法であるし、うまくいけばその時点で戦闘終了も見込める。少なくとも、かなめを解放する事はできると考えられた。

 

 だが、対峙した瞬間、エムアインスの圧倒的な戦闘力の前に、イクスのメンバーは自分達の考えが甘かった事を思い知らされた。

 

 状況は4対1。

 

 イクスが圧倒的に有利である筈。

 

 で、あるのに、エムアインスの戦闘力を前に、辛うじて拮抗している状態であった。

 

「ハァッ!!」

 

 茉莉は踏み込みと同時に、刀を横薙ぎに振りかざし斬り込む。

 

 神速の接近からの攻撃。

 

 通常なら相手は、まともに受ける事もできずにいるはずだが、

 

 エムアインスは、その攻撃に反応して見せた。

 

 体を捩じるように回転させながら、鋭く遠心力の乗った一撃を繰り出す。

 

「飛天御剣流、龍巻閃!!」

 

 風を巻いて、旋回する剣。

 

 しかし、その刃が茉莉に届く寸前、大柄な影が割り込むような形で、エムアインスの刀を防いだ。

 

「やらせねェぜ!!」

 

 陣は両腕を交差させるようにして構え、エムアインスの攻撃を防ぎ切った。

 

 だが、その衝撃までは殺しきれず、陣の巨体は地面に両足を付けたまま、僅かに後退してしまう。

 

「正面は俺が防ぐッ お前等はその隙に攻撃しろ!!」

「了解ッ」

「判ったわ!!」

 

 瑠香と彩夏が、それぞれ銃を手に駆ける。

 

 それに続くように、茉莉もまた刀を手に斬り込んで行く。

 

 だが、陣の拳も、茉莉の刀も、瑠香と彩夏の弾丸も、

 

 エムアインスの姿を捉える事は無い。

 

 その前にエムアインスは、天空高く跳躍して刀を掲げる。

 

「飛天御剣流、龍槌閃!!」

 

 一撃。

 

 陣はとっさに両手を頭上で交差させて防ぐ。

 

 打たれ強さには定評のある陣。

 

 その陣が、

 

「うぐッ!?」

 

 思わず、呻き声を発して膝を撓める。

 

 防御の上からでも、押し潰されそうになる威力。

 

 それほどまでにエムアインスの攻撃は強烈だった

 

 しかし、

 

「まだまだァ!!」

 

 己を鼓舞するように叫び、陣は立ち上がる。

 

 自分はイクスの盾。自分が倒れる時はイクスが倒れる時である。

 

 それが判っているからこそ、陣は例え己の限界を越えたとしても倒れない。

 

 不器用な長兄役を担う少年は、大切な弟や妹達を守る為に、再び強大な敵へと殴り込んで行った。

 

 

 

 

 

 白銀の剣閃と、漆黒の拳撃が唸りを上げて交錯する。

 

 友哉とジーサードは、不可視の足元を頼りにしながら、互いに刀と拳で応酬を繰り返す。

 

 風を巻いて迫って来るジーサードの右フックを、友哉は体を低くして回避する。

 

 大気すら粉砕する程の拳は、下手な迫撃砲よりも高い威力が込められている。

 

「ハッ!!」

 

 返礼代わりに、友哉は刀を横薙ぎに繰り出す。

 

 無理な体勢からの一撃であったが、それでも充分に速度の乗った一撃。

 

 しかし、

 

「甘いぜッ!!」

 

 ジーサードは、その一撃をあっさりと拳で防いで見せた。

 

 速度はほぼ友哉と同程度。僅かに友哉の方が優速であるが、それで有利と呼べるほどの物では無い。

 

 そして、力は明らかにジーサードの方が上。

 

 総じて戦えば、ジーサードの方が実力的には上である。

 

 友哉はとっさに後退し、間合いを取って着地する。

 

 対してジーサードは追撃を掛けて来ない。

 

 両腕を下げ、自然体のまま、友哉が体勢を立て直すのを待っている。

 

「一つ、忠告しといてやる。そこから後には下がらない方が良いぜ。落ちるからな」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は構えを解かず、視線だけでチラッと足元を見る。

 

 つまり、ここから後が、見えない境界線と言う事らしい。

 

 これまで戦った範囲を考えれば、それなりの広さを持った空間らしい事が判る。

 

「着眼点は悪くねェ」

 

 攻撃してくる事もせず、ジーサードは友哉に対して語り始める。

 

「アインスを足止めして俺の首を狙って来た戦術も、それを支える実力も大したもんだ。流石はイレギュラーってところだな。俺が師団(ディーン)の連中の中で、キンジ以外に警戒しなきゃなんねえのが、多分お前なんだろうよ」

 

 かつて友哉が、シャーロックにも言われた事である。

 

 イレギュラー。

 

 彼の名探偵をして、排除不能とまで言わしめた不確定要素。

 

 故にこそ、他者を圧倒する事も、虚を突く事も可能となる。

 

「だが、俺を倒すには、少しばかり足りなかったな」

 

 ジーサードが、そう言った時だった。

 

「アリアッ かなめ!!」

 

 鋭い叫びが、戦場に木霊する。

 

 振り返れば、ようやく追いついて来たキンジが姿を現わしていた。

 

 キンジは素早く周囲の状況を確認し、膝を突いているアリアの元へ駆け寄った。

 

 アリアは既に、ジェット噴射の燃料が無くなり地上に降りていた。武偵弾も尽きたのか、手には何も持っていない。

 

「アリア、大丈夫か!?」

「ま、まだやれるわ・・・・・・」

 

 言いながら2人の視線は、刀を手に立ち尽くしているかなめに向けられた。

 

 対してかなめは無言。ただ、視線だけを悲しげに俯けている。

 

 そんなかなめから、キンジは振り仰ぐようにして視線を移した。

 

「カナ、何でそんな所にいるんだ!? 降りて来て、一緒に戦ってくれ!!」

 

 カナが共に戦ってくれれば、この戦いは勝てるだろう。

 

 何しろかつて、友哉、アリア、陣の3人が束になって掛っても敵わなかったのだから。

 

 だが、

 

「キンジ、私は極東戦役の戦いの一つを見に来ただけよ。それに、私は《無所属》。誰とも戦う義理はないわ」

 

 ここまで全く手出ししなかった時点である程度予測はできていたが、カナの返事は素っ気なかった。

 

 ただ、静謐とも言える美貌の瞳を、一同に向けている。

 

「でも、ジーサード。あなたはバスカービルと敵対した。戦役に参加し敗北した者は、死ぬか、敵の配下になる。それが今日、私がここに来た条件でもあるわ」

「構わねえさ。ハハッ とうとうこれで、『Gの血族』が揃ったな!!」

 

 嬉しそうに笑うジーサード。

 

 Gの血族とは一体、何なのか?

 

 だが、友哉の思考は、そこから先に続かなかった。

 

 轟音が鳴り響き、友哉は振り返る。

 

 その視線の先には、蹲るようにして地面に倒れる陣の姿があった。

 

 更に、

 

 掲げたエムアインスの腕は、瑠香の喉を掴んで高々と持ち上げていた。

 

「瑠香ッ 陣ッ!!」

 

 目を剥く友哉。

 

 見た限り、エムアインスは傷らしい傷を負っていない。茉莉、陣、瑠香、彩夏の4人を敵に回して、無傷を保っているのだ。

 

「どうやら、向こうもそろそろ終わりみてェだな」

 

 ジーサードが言った瞬間、

 

 視界の端で小柄な影が奔った。

 

「瑠香を放しなさい!!」

 

 彩夏はワルサーに残っていた最後の弾丸を放つと、そのまま接近戦に持ち込むべく、殴りかかる。

 

 徒手格闘においても高い技量を誇る彩夏なら、銃無しでもエムアインスと互角に戦える。

 

 そう思った瞬間、

 

 エムアインスは、掴んでいた瑠香の体を振り払うようにして、向かって来た彩夏に投げつけた。

 

「グフッ!?」

 

 2人の少女は、もつれ合うようにして吹き飛ばされ、そのまま地面に叩きつけられて動けなくなる。

 

 次の瞬間、

 

「おっらァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 蹲っていた陣が、立ち上がると同時に拳を握り、殴りかかった。

 

 虚を突かれた一瞬、

 

 刹那の間に放つ2連撃が、エムアインスの胸に突き刺さった。

 

「グッ!?」

 

 この攻撃には、流石のエムアインスも思わずよろける。

 

 同時に、胸部のプロテクターが、音を上げて砕け散った。

 

「へへッ・・・・・・最後の、意地って奴だよ」

 

 言いながら、陣の体は前のめりに倒れる。

 

 最後の力を振り絞っての二重の極みは、確かにエムアインスの一矢報いたのだ。

 

「・・・・・・後は、頼むぜ」

 

 その言葉を最後に、陣の体は地面に沈む。

 

 陣が執念で斬り開いた勝利への道を、

 

 韋駄天の少女が、駆け抜ける。

 

 一瞬で、

 

 茉莉はエムアインスの前へと躍り出た。

 

 縮地を全開にしての、神速の接近。

 

 これにはエムアインスも、とっさの反応が遅れる。

 

 陣が、瑠香が、彩夏が、そして友哉が、茉莉の剣に思いを託す。

 

「やァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 振り下ろされる剣閃。

 

 奔る銀の刃は、

 

 しかし、僅かにエムアインスの胸元を切り裂くに留まった。

 

 茉莉の刀が届く一瞬前、エムアインスは体をのけぞらせるようにして、彼女の攻撃を回避したのだ。

 

「クッ!!」

 

 攻撃失敗に、茉莉は舌打ちしながら更に攻撃を仕掛けようとする。

 

 だが、

 

 バキィッ

 

 それよりも一瞬速く、エムアインスは茉莉の体を蹴り飛ばした。

 

「あぐっ!?」

 

 短い悲鳴と共に、地面を転がる茉莉。手にした菊一文字も弾き飛ばされ、そのまま仰向けの状態で倒れ込む。

 

「茉莉ッ!!」

 

 友哉が呼びかけても、茉莉が立ち上がる気配はない。

 

 茉莉だけでは無い。イクスのメンバー達が、皆、傷付き、地面に倒れ伏している。

 

 エムアインスは、ただ1人で、イクスを壊滅させてしまったのだ。

 

「これで終わりか、随分と呆気なかったな」

 

 侮蔑の混じったジーサードの声を、友哉は聞いていない。

 

 その視線は、倒れている仲間達に注がれている。

 

 瑠香が、

 

 彩夏が、

 

 陣が、

 

 そして茉莉が、

 

 友哉の大切な仲間達。

 

 その仲間達を・・・・・・

 

 あいつが・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドクンッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドクンッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドクンッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鳴り響いた鼓動は、三度。

 

 その三度の内に、

 

 友哉は、己の中で、何かが切り替わるのを感じた。

 

 対して、イクスを壊滅させたエムアインスは、刀を手に悠然と友哉の方に振り返る。

 

「後はお前だけだ、緋村」

 

 言った瞬間、

 

 その場に存在するあらゆる物を凌駕し、

 

 刹那の間すら超越し、

 

 友哉はエムアインスに斬りかかった。

 

 ガキンッ

 

「うッ!?」

 

 とっさに刀で受ける事には成功したものの、大きく後退を余儀なくされるエムアインス。

 

 対して友哉は、エムアインスに斬りかかった姿勢のまま、立ち尽くしている。

 

「緋村、お前は・・・・・・・・・・・・」

 

 あまりに静かな態度。

 

 そこに込められた意味は、ただ激発を待つまでの、一瞬の静寂であるにすぎない。

 

 ゆっくりと、顔を上げる友哉。

 

 ギンッ

 

 それだけで、場の空気が一斉に凍りつく。

 

 凄惨と言う言葉すら、生ぬるい程の殺気。

 

「エムアインス・・・・・・」

 

 低い言葉は、ただそれだけに、凍りついた空間を更に凍てつかせる。

 

「貴様は、『俺』が殺す」

 

 友哉は己の内にある凶暴性を、余すことなく解放して、その場に存在していた。

 

 

 

 

 

第8話「一人は皆の為に・・・・・・」     終わり

 



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第9話「皆は一人の為に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高荷紗枝にとって、自分の患者と触れ合うことも重要な仕事の一つである。

 

 将来的に医療の道へと進む事を決めており、学校での成績もトップクラスを常にキープしている紗枝だが、自分自身はまだまだ未熟な存在であると思っている。

 

 得てしてそう言う人間は、結果を急ごうとするあまり、知識ばかりを詰め込んでしまい、最も肝心な「患者の為に力になる」と言う事を忘れがちである。

 

 将来、自分がどのような医者になるのかは判らない。

 

 だが、紗枝は決して、患者の気持を無視するような医者にはなるまいと硬く心に誓い、学生の身分である今から、そのことを心がけるようにしていた。

 

 患者との触れ合いも、その一環である。

 

 病室に入ると、花を活けてある花瓶の水を交換する。

 

 目を転じれば、ベッドの上で眠るように目を閉じている少女の姿がある。

 

 彼女はつい先日、後輩である緋村友哉と戦い、致命傷に近い傷を負って、この病院に運び込まれたのだ。

 

 長年にわたる肉体の酷使と、過剰な薬物の投与によって、今の少女の体は内側から蝕まれている状態である。こうして、心臓が動いているだけでも奇跡に近い。もしかしたら、一生このまま目を覚まさない可能性すらあるのだ。

 

 ベッドの傍らに歩み寄ると、紗枝は少女の髪をそっと撫で上げる。

 

 栗色の髪が、掌に優しい感触を与えて来る。

 

 掌に伝わる僅かな温もりと、かすかな呼吸音のみが、少女が未だに生を諦めていない証拠だった。

 

「早く、良くなると良いわね」

 

 優しく語りかける。

 

 その時だった。

 

「・・・・・・ウッ・・・・・・あッ・・・・・・」

「え?」

 

 少女の口から、漏れ聞こえるように呻き声が発せられる。

 

 驚いた表情を浮かべる紗枝。

 

 一瞬、聞き間違いかと思い、慌てて少女の顔を覗き込む。

 

 そこには、僅かにうっすらと目を開ける、少女の顔があった。

 

 紗枝の顔が、驚愕に染まる。

 

 意識が戻る事すら怪しいと言われていた少女が、今、紗枝の声に答えるように、ゆっくりとまぶたを開こうとしていた。

 

「大丈夫、あなたッ!? 私の事、判るッ!?」

 

 尋ねる紗枝に対して、

 

 少女、エムツヴァイは、ゆっくりと頷きを返した。

 

 

 

 

 

 死神と呼ばれてイメージする物は、やはり人の命を奪う存在であるという点にある。

 

 巨大な鎌を振るい、人の命を刈り取る存在。

 

 無慈悲に、かつ効率的に死と言う概念を振りまく存在。

 

 その、死その物を象徴的にした者が、今まさに、目の前に顕現していた。

 

 呼吸をするように死を振りまく存在。

 

 ただ、命を刈り取る為だけに、その場に在る死神。

 

 それが、今の緋村友哉と言う少年に相応しかった。

 

「クックックッ・・・・・・そうか・・・・・・そう言う事かッ」

 

 殺気の塊と化した友哉の姿を見て、対峙するエムアインスは、くぐもったような笑みを口元に浮かべる。

 

「それが、貴様の真の姿、と言う訳かッ」

 

 これこそが、自分達の求めた敵。

 

 自分と妹が、悲願を達成すべき、最高の獲物に他ならなかった。

 

「面白いッ!!」

 

 歓喜と共に言い放つ。同時にエムアインスは、頭にかぶっているバイザー付きのヘッドギアをかなぐり捨てた。

 

 最早、これは不要だ。否、それ以前にこれから始まる至高の戦いに、このような物は無粋でしか無い。

 

「言っておくが、俺はツヴァイよりも強いぞ。あいつに勝ったからと言って、俺にも勝てる、などとは思わない事だ」

「ほざいてろ」

 

 自身の剣腕を誇るエムアインスに対して、友哉は吐き捨てるように応じる。

 

「血の海に沈んでも、それが続けられるんだったらな」

 

 低い声で囁かれる言葉は、最早、普段の友哉とはかけ離れている。

 

 静かな殺気に身を湛え、ただ己が殺すべき存在をのみ、真っ直ぐに見据えている。

 

 その時、

 

 背後でも何か、動きがあるのを感じた。

 

 何か、

 

 眠っていた獅子が起き出したような、そんな圧倒的な存在感を背中に感じる。

 

 振りかえる事無く、視線だけで状況を確認する友哉。

 

 そこには、血塗れのかなめと、彼女を抱きかかえるようにして座り込んでいるアリアがいる。

 

 そして、その2人を守るようにして立つ、男が1人。

 

 キンジは常に無い程の殺気と存在感で、その場に立っていた。

 

「あれは・・・・・・」

「どうやら、成功したようだな、サード」

 

 友人のかつてない姿に、流石に驚く友哉を余所に、エムアインスは感慨深げにキンジの様子を見ていた。

 

「・・・・・・どう言う事だ?」

「俺達がお前を倒す事を目的としているように、サードにも、この戦いを起こした訳がある、と言う事だ。その理由が、今の遠山キンジの状態だ」

 

 言われて友哉は、改めてキンジに視線をやる。

 

 キンジは恐らくは、ヒステリアモードを発現させているのであろう。この圧倒的な存在感は、それ以外に説明が付かない。

 

 だが、友哉の鋭さを増した直感が告げている。「あれは違う」と。

 

 友哉が知っているヒステリアモードのタイプは2つ。通常のノルマ―レと、怒りが勝った状態の凶戦士タイプ、ベルセ。

 

 だが、今のキンジは、ノルマ―レよりも、ベルセよりも力強い印象が感じられた。

 

「あれはヒステリア・レガルメンテ。別名『王者のHSS』。事実上、最強のHSSと呼ばれている」

「王者のHSS・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は低い声で反芻する。

 

 確かに、今のキンジからは、これまでとは全く違う、異種の力を感じる事ができる。

 

「サードの目的は、ああなった遠山と戦い、それを倒す事だ」

 

 真の目的は違うのだが、とエムアインスは心の中で付け加える。

 

 彼は、ジーサードは自らの愛する女性を取り戻したい。そして、その力を持つアリアを手中にする為、この戦いを起こした。

 

 だが、アリアに手を届かせるには、どうしてもその前に立ちはだかるであろうキンジを倒す必要が出て来る。

 

 その為に、キンジをわざと最強の状態まで持って行き、そしてそれを破る事で、自分が勝者である事を決定的にする。それがジーサードの狙いだった。

 

 その時だった。

 

 ジジッ

 

 戦場を取り囲むように、何か電流のような物が瞬いたと思うと、数人の男女が滲みでるようにして姿を現わした。

 

 光学迷彩。

 

 ジーサードも使っている超高性能ステルスだ。これで今まで身を隠していたらしい。

 

 考えてみれば、先程まで友哉とジーサードが戦っていた場所も、この機能を使って姿を消しているのかもしれない。

 

 それにしても、

 

 友哉は現われた面々を見回しながら、内心で呆れ気味になる。

 

 マロンブラウンの髪に、狐耳と6本の尻尾を持った、少年とも少女ともつかない人物。

 

 顔面や首に、縫い目のある白髪の男。

 

 2メートル以上ある筋骨隆々な体躯と、頬に弾痕のある男。

 

 顔半分包帯で隠れている、ひょろ長い黒人の男。

 

 左右の目が違う、銀髪の少女。

 

 一見するとどこにでもいそうな、仕立の良いスーツを着た老人。

 

 よくもまあ、これだけの異形が、この場に揃った物である。

 

「なりませぬサード様!!」

 

 狐耳の人物が、鋭い口調でジーサードに詰め寄る。

 

「本日は凶日にございますッ このような得体のしれない男と争ってはなりませぬ!!」

「オメェは、本当に迷信が好きだな、九十藻」

 

 九十藻と呼ばれた人物に、ジーサードは呆れ気味に言葉を投げる。

 

 この九十藻と言う人物。どうやら出で立ちからして、玉藻と同族か何かであると推察できた。

 

「キンジは俺が試す。それはこの間決めた事だろ。男らしくねェぞ九十藻」

「九十藻は女にござります!!」

 

 どうやら、女だったらしい。

 

 サードのからかいに、九十藻は全身の髪を逆立てて食ってかかる。

 

「アインス様、あなたもでございます」

 

 そこへ、老人が丁寧な口調で話しかけて来た。

 

 一見すると、異形揃いの面々の中にあって、あまりにも普通すぎる感のある老人だが、それが見た目だけの話である事は、すぐに判る。

 

 全身から発せられる存在感が、一般人のそれでは無い。恐らくは長く戦場に身を置いて来た人物なのだろう。そもそも、この異形達の中で平然と立っていられると言う時点で、この老人も普通ではありえない。

 

「あなた様の身に何かあれば、ツヴァイ様は如何なさいますか?」

「ありがとう、アンガス」

 

 アンガスと呼ばれた老人に、エムアインスはそう言って穏やかに笑い掛ける。

 

「だが、これは俺とツヴァイの悲願でもある。どうか、それを止めないでやってくれ」

 

 静かに、しかし固い決意と共に、アンガスに告げる。

 

 だが、場の状況が一触即発である事に変わりはない。

 

 ジーサード側は増援が現われた事で数でも圧倒的である。対して師団側はイクス、バスカービル共に壊滅状態。事実上、戦闘力を保持しているのは友哉とキンジだけとなっている。

 

 他にアリアも残っているが、彼女はかなめとの戦闘で消耗が激しい。レキはアリアの戦いを狙撃でサポートしていたが、先程から沈黙しているところを見ると、弾切れであると思われた。

 

 数的劣勢は否めない。

 

 いかに友哉が内なる凶暴性を発現し、キンジが最強のヒステリアモードに目覚めたとしても、この状況を覆すのは至難に思われた。

 

 その時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「師団の皆さんに、手を出す事は許しませんよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いっそ不自然なほど、静かに告げられる言葉は、戦場に満ちる緊張感の中、一同に響き渡る。

 

 とっさに、周囲を見回すジーサードの仲間達。

 

 そこには、戦場を囲む彼等を、更に包囲するように、一団の男女が立っていた。

 

 強大な槍を携えた、筋骨隆々の男。

 

 人を食ったような笑みを見せている青年。

 

 男装の身なりをした女性。

 

 ロングコートを着た、交戦的な表情をした女性。

 

 髪を逆立てた、パンク風衣装の男。

 

 丸橋譲治、杉村義人、川島由美、坂本龍那、飯綱大牙。

 

 そして、無表情の仮面で顔を覆った、仕立の良いスーツ姿の男。

 

 由比彰彦。

 

 仕立屋メンバーが、ジーサード一派を取り囲むようにして展開していた。

 

 盟約に従い、彼等は師団を支援すべく駆けつけたのだ。

 

「由比彰彦・・・・・・」

「報せを聞いて駆けつけました。間にあって何よりです」

 

 友哉にそう言いながら、彰彦は改めてジーサードを見る。

 

「さて、ジーサードさん。どうしますか?」

 

 戦うと言うなら相手をする。彰彦の言葉は、言外にそう語っている。

 

 数も、今や8対8のイーブン。数的劣勢も無くなっている。

 

 仕立屋メンバーはそれぞれ、自分達の武器を構えながら、ジーサードの仲間達を威嚇する。

 

 そんな中で、

 

「ヘッ」

 

 ただ1人、ジーサードは不敵に笑って見せた。

 

「どうもこうもねェ、俺は元々、こいつ等に手出しをさせるつもりはねェよ。キンジは俺がやるし、緋村はアインスの獲物と決まっている」

「なりませぬ、サード様!!」

 

 九十藻が尚も食い下がる。

 

 更に、

 

「こんな奴等、サードやアインスが出るまでもありませんぜ」「お怪我をされたらどうします」「あたしにやらせて」

 

 他の面々も、口々に騒ぎだす。

 

 と、

 

「貴様等、俺達が負けるとでも思ってるのかァァァ!!」

 

 空間その物を震わせるような、ジーサードの大喝。

 

 それだけで騒いでいた連中は、一斉に口を閉じ、直立不動の姿勢を取る。

 

 真っ先に騒ぎだした九十藻なども、キヲツケの姿勢のまま固まっていた。

 

 ジーサードが持つ高いカリスマ性と、そんな彼等に対する一同の忠誠心が見て取れる光景だった。

 

「どうやら、話は決まったようですね」

 

 その様子を見ていた彰彦が、頷きながら言う。ただし、未だ警戒を解いていない事を現わすように、刀に手を掛けたままだが。

 

「では、緋村君、遠山君、ここは引き受けます。お二人は心おきなく、戦ってください」

「・・・・・・・・・・・・言われるまでも無い」

 

 言いながら、友哉は刀の切っ先を改めてエムアインスに向ける。

 

 彰彦達に頼る事は、友哉にとって屈辱の極みだが、今はこうするよりほかに手立てが無かった。

 

 ただ、かつて何度も刃を交えて来た相手である。心情的にはともかく、実力的には全く不足が無かった。

 

 構える友哉に合わせるように、エムアインスもまた、刀を構えて友哉に向き直る。

 

 今や舞台は整った。

 

 後はただ只管に、己が奉じる流派の名に賭けて剣を交えるのみである。

 

「飛天御剣流・・・・・・緋村友哉」

「飛天御剣流・・・・・・エムアインス」

 

 片や、緋村剣心を先祖に持つ、飛天の継承者。

 

 片や、天草翔伍を先祖に持つ、飛天の継承者。

 

 2人の飛天御剣流の使い手。その血脈を受け継ぐ2人の剣士が、時を越えて、今、激突しようとしていた。

 

「いざ・・・・・・」

「尋常に・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「勝負ッ!!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 両者は、同時に、

 

 自身のシルエットすら煙る勢いで接近。互いに、刀を繰り出す。

 

 ガキンッ

 

 繰り出された2振りの白刃は、中間点でぶつかり合い、火花を散らす。

 

 互いが互いの刃を受け止める、鍔迫り合いの状態。

 

 以前の戦いの時なら、この時点で友哉が力負けしていたが、

 

「ぬッ・・・・・・」

 

 エムアインスは、軽い呻き声を発する。

 

 友哉はエムアインスに対し、一歩も退く事無く、その場にあって刃を受け止めていた。

 

 己の内なる凶暴性を発現し、隠された潜在能力の全てを解放した友哉にとって、最早、力の差は無きに等しい。

 

「面白いッ!!」

 

 言い放つと同時に、エムアインスは鍔迫り合いの状態から友哉の刃を払いのけ、刀を大上段に振り上げる。

 

「フンッ!!」

 

 友哉が潜在能力を解放したと言っても、これでようやく条件が互角になっただけの話。ならば、勝負をためらう何物も存在しなかった。

 

 殆どゼロに近い距離から振り下ろされる、エムアインスの刃。

 

 しかし、刃が空間を奔った時、

 

 その場に友哉の姿は無かった。

 

 すぐに、次の行動を読み、迎え撃つ体勢を作るエムアインス。

 

 その頭上から、

 

 凄惨なほど、明確な殺気が降り注ぐ。

 

「飛天御剣流、龍槌閃!!」

 

 友哉は、エムアインスが刃を振り下ろすよりも一瞬速く、上空に飛び上がって逃れていたのだ。

 

 降下と同時に、振り下ろされる刃。

 

 対抗するように、エムアインスも刀を振り上げる。

 

「飛天御剣流、龍翔閃!!」

 

 天空から翔け降りる友哉。

 

 地上から翔け上がるエムアインス。

 

 かつての戦いは、この時点で既にエムアインスが友哉を圧倒していた。

 

 しかし今は、

 

 2人の刃が互いにぶつかりあい、

 

 そして、同時に弾けた。

 

「クッ!?」

「グゥッ!?」

 

 空中で錐揉みするようにバランスを崩す両者。

 

 しかし、互いに何とか、体勢を入れ替えて着地する事に成功した。

 

 次の行動。

 

 そこから先に起こしたのは、エムアインスの方だった。

 

「オォォォォォォ!!」

 

 神速の接近と同時に、大上段からの振り下ろし。

 

 友哉がようやく体勢を立て直した所に、斬り込んで来た。

 

 対する友哉。

 

 エムアインスの放つ先制の一撃を見極め、

 

「ハァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 体を回転させて、大きく捻り込む。

 

 同時にエムアインスの一撃を回避、カウンターとなる攻撃を旋回に乗せて繰り出す。

 

「龍巻閃!!」

 

 放たれる刃は、

 

 しかし、一瞬にして、攻撃から防御に転じたエムアインスによって防がれる。

 

 ガキンッ

 

 ぶつかり合う刃。

 

 友哉の攻撃を完全に防ぎ切るエムアインス。

 

 エムアインスの反応速度も、友哉に決して引けを取らない。

 

 だが、

 

「グッ!?」

 

 エムアインスは、思わず呻き声を発した。

 

 防御の上からでも、腕の筋が軋むのを感じたのだ。

 

 これまで戦って来たどのような敵であっても、これほどまでの強烈な一撃を放った者はいなかった。

 

 堪らず後退する、エムアインス。

 

 そこへ、友哉が追撃を掛ける。

 

「逃がすかッ!!」

 

 追いつくと同時に、刀を袈裟掛けに振り下ろす友哉。

 

 だが、その時には既に、エムアインスも迎え撃つ準備を整えていた。

 

 振り上げた刃を、そのまま地面に叩きつける。

 

「飛天御剣流、土龍閃!!」

 

 刃は一撃で地面を抉り、大きく爆砕する。

 

 巻き上げられる大量の土砂が、友哉に向かって襲い掛かってくる。

 

 このままでは、友哉の体は大量の散弾に滅多うちにされたに等しい状態になるだろう、

 

 その土砂の幕を、

 

「ハァッ!!」

 

 横薙ぎに振るった友哉の剣が、一刀両断にする。

 

 一瞬にして、友哉の視界が晴れる。

 

 飛天御剣流の技の数々は、友哉も使う事ができる。対策は、勿論立ててある。

 

 だが、

 

 晴れた視界の先に、エムアインスの姿は無かった。

 

 その頭上より、

 

「飛天御剣流、龍槌閃!!」

 

 急降下して来るエムアインス。

 

「クッ!?」

 

 とっさに後退して、刃の圏内から逃れようとする友哉。

 

 だが、エムアインスは、友哉の動きを見て降下の速度を緩めると、体勢を入れ替えて着地する。

 

 同時に、後退する友哉を追撃すべく、旋回しながら突進していく。

 

「飛天御剣流、龍巻閃・旋!!」

 

 龍槌閃は初めから友哉の後退を誘う囮。本命は、この追撃技にあったのだ。

 

 高速回転しながら斬り込んで来るエムアインス。

 

 対して、

 

 友哉もまた、体を大きく捻り込みながら突撃する。

 

「飛天御剣流、龍巻閃・旋!!」

 

 全く同じ技で迎撃する。

 

 互いに回転しながらの突撃。

 

 速度、突進力、旋回力、膂力。全てにおいて、両者互角。

 

 総じてぶつかり合えば、その衝撃も互角。

 

「うあッ!?」

「グゥッ!?」

 

 互いに空中で弾かれるようにして、大きく吹き飛ばされる。

 

 体勢を入れ替えて、着地する事には成功する両者。

 

 だが、流石に衝撃が激しすぎて、すぐには立ち上がる事ができない。

 

「クッ・・・・・・・・・・・・」

 

 どうにか顔を上げ、エムアインスを睨みつける友哉。

 

 エムアインスの方でも似たような状況らしく、顔を上げて友哉を見ている。

 

「・・・・・・ま・・・・・・まだだ」

 

 絞り出すように、エムアインスは呟く。

 

「まだまだ・・・・・・こんな所で、立ち止まっていられるかッ」

 

 渾身の力を振り絞って、エムアインスは立ち上がる。

 

 多少のダメージはあるものの、まだ倒れるようなレベルでは無い。

 

 そして、それは友哉も同じ事である。

 

 ゆっくりとした動きで、体の調子を確かめるように立ち上がる友哉。

 

 両雄は、再び刀を構えて対峙するに至る。

 

 その瞳に映る闘志に、一切の陰り無し。

 

 両者、一歩も引かずに剣先を向け合う。

 

「こんな所で、倒れる訳にはいかない」

 

 睨みつける視線の元、エムアインスは呟く。

 

「緋村、貴様をここで完膚なきまでに倒す。それでこそ、俺達は俺達になる事ができる」

「・・・・・・・・・・・・前から気に入らなかったんだが」

 

 と、こちらも睨み付ける視線を逸らさずに、友哉が尋ねる。

 

「その、『俺を倒せば、お前達になれる』と言うのは、どう言う事だ? こっちとしては迷惑千万以外の何物でもない」

 

 戦いの始まり。

 

 学園島で奇襲を受けた時から、友哉がずっと疑問に思っていた事がそれだ。

 

 まるで何かに憑かれたように、友哉の命を狙い続けるエムアインスとエムツヴァイ。その2人がお題目のように、事ある毎に口にするのが、その言葉である。

 

「知りたいか、まあ、そうだろうな・・・・・・」

 

 嘲りを含んだ声と共に、エムアインスは友哉を睨む眼光を鋭くする。

 

 そこに含まれる物は、闘争心と、己の持つ矜持、そして、憎悪。

 

 何か心の奥深い場所で、エムアインスは友哉を憎んでいた。

 

「・・・・・・俺達は元々、オランダの小さな田舎町で、暮らしていた。決して裕福と言う訳じゃ無かったが、両親と妹と俺、4人暮らすのに不自由を感じる事は無かった。

 

 父は牧場を経営しており、それだけで充分に暮らしが立っていた。

 

 父は日本人の血を引いていたらしく、昔から日本の文化に憧れを持っていた。子供達にもわざわざ、漢字を当て嵌める事の出来る名前を付けたくらいだから、尚更であろう。

 

 中でも、江戸時代の侍が使っていた剣術には並々ならぬ関心を持っていた。と言うのも、父自身が、飛天御剣流と呼ばれる剣術の正当な継承者だったからである。

 

 まだ幼かったエムアインスも、家の手伝いや学校の傍らで、父から剣術の手解きを受けた。とは言え、父は何も息子に剣士になる事を望んだ訳ではない。ヨーロッパの田舎とは言え、いつも治安が良いとは言えない。そこで父は、あくまで護身用として、飛天御剣流の手解きをしたのだ。

 

 元々、才能があったらしく、また興味も強かった為、エムアインスはあっという間に飛天御剣流の技を使いこなせるようになって行き、父を大いに喜ばせた。

 

 幸せだった。

 

 いつも一家を支える頼もしい父。これ以上無いくらいに優しい母。愛らしい妹。

 

 家族と一緒に暮らせる。

 

 ただそれだけの事が、とても幸せに思えた。

 

 だが、その幸せな日常は、突如として破られる。

 

 突然、武装をした多くの兵士達が、牧場に大挙して乗り込んで来たのだ。

 

 父は飛天御剣流を駆使して必死に戦ったが、多勢に無勢であり、最後は放たれた無数の弾丸にハチの巣にされて死んだ。

 

 幼かった兄妹を逃がそうとした母も、ライフルで頭を撃ち抜かれて死んだ。

 

 そして、残った兄妹は兵士達に捕まり、研究所のようなところに連れて行かれた。

 

 後は、地獄の日々である。

 

 過剰な薬物の投与と、筋力を無理やり増強させる手術や、連日、一切の休憩も睡眠も無しで繰り返される過酷な訓練。

 

 強化兵士(ストレンジ・ソルジャー)になる為の、あらゆる実験と訓練が繰り返された。「死んだ方がマシ」と言うふざけた言葉の意味を、あの施設でイヤと言うほど叩き込まれたのだ。

 

「過酷な実験の繰り返しで、妹は記憶を失った。そして、体もボロボロになった。先日、貴様と戦わなかったとしても、何れ妹は遠からず動く事すらできなくなっていただろう」

 

 そんな、光さえ見えない絶望の日々。

 

 それを救ってくれたのが、ジーサードだった。

 

『お前、強いな。俺達と一緒に来いよ』

 

 差し出された手と、鮮烈な印象の残る笑み。

 

 ただそこにいるだけで、万民を魅了するカリスマ性を備えた存在。

 

 ジーサードはエムアインスにとって、己の全てを掛けて仕えるに足る「君主」であった。

 

 そして、放浪が始まった。

 

 はじめは、ジーサード、ジーフォース、エムアインス、エムツヴァイの4人だけの旅。

 

 それは、決して平坦であった訳ではない。

 

 彼等の存在を危険視したアメリカ政府が、多数の暗殺者を送り込んで来るのは、それから遠くない事であった。

 

 しかしジーサードは、それら全てを返り討ちにしてしまったばかりか、その全員を心服させて自分の配下にしてしまったのだ。

 

 仲間はあっという間に増え、組織としての体裁が急速に出来上がっていった。

 

 そんな時だった。

 

 日本に、自分達と同じ剣術の流派を使いこなす武偵がいると言う噂を聞いたのは。

 

 それまでエムアインスやエムツヴァイの中には、何も存在しなかった。ただ、ジーサードの為に戦い、ジーサードの為に生きる事こそが自分達の務めだと思っていた。言ってしまえば「自分」と言う物が欠けていたのだ。

 

 そんな中で、自分達と同じ飛天御剣流を使う者がいる。しかもそいつは、自分達のように過酷な訓練や改造を施された訳では無く、全て独学と自主訓練のみで飛天御剣流を使いこなすに至ったと言う。

 

 激しい嫉妬に襲われた。

 

 自分達を襲った陰惨な境遇を考えれば、そいつは何と幸せな事だろう。

 

 倒したい。乗り越えたい。

 

 そうする事によって、自分達の空っぽの人生に、初めて「自分」と言う意味を持たせられるのでは、と思うようになったのだ。

 

「判るか、緋村ッ!!」

 

 切っ先を向けると同時に、エムアインスが吼え猛る。

 

「貴様は日本の一般的な家庭に産まれ、のうのうとした人生の中で過ごしてきたッ だがその間、俺達は、あのロスアラモスの暗い地下室の中に閉じ込められ、いつ終わるとも知れない地獄の実験に身を晒され続けて来たのだ!!」

 

 言い放つと同時に、エムアインスは間合いに斬り込んで来る。

 

「同じ、飛天の継承者であると言うのに、この落差だッ だから、俺達は俺達の人生に意味を求めた!!」

 

 剣閃が縦横に駆け抜け、友哉へと殺到して来る。

 

 飛天御剣流、龍巣閃

 

 神速の乱撃技は、既に完璧なる重囲陣を持って友哉に襲い掛かってくる。

 

 対して、友哉も刀を抜き打つように構え、一気に振り抜く。

 

「飛天御剣流、龍巣閃!!」

 

 互いに、同じ技での迎撃。

 

 2つの剣閃が、折り重なる良運敷いて四方八方でぶつかり合う。

 

 ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッ

 

 火花が辺り一面で咲き乱れ、周囲を一瞬、不自然なほどに明るく照らし出した。

 

 両者、互いの衝撃を殺しきれずに後退する。

 

「それこそが、貴様だ!! 貴様を倒し、俺達が唯一の飛天の継承者となるッ そうする事によって、俺達は初めて俺達になるのだ!!」

 

 エムアインスは言い終わると、腰の鞘を外し刀を収め、腰だめに構えて斬り込んで来る。

 

 対して友哉は、先の龍巣閃の衝撃を殺し損ねたせいで、一瞬対応が遅れた。

 

 その間に、距離を詰めるエムアインス。

 

 友哉が体勢を入れ直した時には、既にエムアインスは攻撃を開始していた。

 

「飛天御剣流抜刀術、双龍閃!!」

 

 抜き放たれる刀に対し、

 

 その銀の一閃を、後退する事で回避を試みる友哉。

 

 神速の抜き打ちは、僅かに友哉の前髪数本を断ちきるのみで駆け抜けていく。

 

 だが、その時には既に龍の二頭目が牙をむき出していた。

 

 襲い来る、鞘の一撃。

 

 対して友哉は、回避直後で体勢が完全に崩れている。

 

 故に、

 

 二撃目を防ぐ事は出来なかった。

 

 ガインッ

 

 衝撃と共に、友哉の手から逆刃刀が弾き飛ばされる。

 

 完全に、無防備になる友哉。

 

 そこへ、

 

「貰ったぞッ!!」

 

 刀を大上段に振りかざしたエムアインスが、剛風とも言える一撃で持って、友哉の脳天に振りおろして来る。

 

 対して、今の友哉は丸腰。

 

 今度こそ、絶体絶命か、と思われた時。

 

 バシィッ

 

 友哉は、振り下ろされたエムアインスの剣を、頭上すれすれのところで、両手掌に挟み込むようにして受け止めていた。

 

「な、にッ!?」

 

 目を剥くエムアインスに対し、友哉は至近距離から両の眼をしっかり開いて睨み返す。

 

 真剣白刃取り。

 

 剣術における最高奥義。無手を持って武器を持った相手を制する、究極の技の一つである。

 

 本来なら、如何に剣術の才能に優れ、数秒先の未来を見通す程の予測ができるとは言え、未熟な存在である友哉にできるような技ではないだろう。

 

 だが、友哉の実家が掲げる流派、神谷活心流は真剣白刃取りを応用した技も取り入れている。また、エムアインスは友哉と同じ飛天御剣流を使う為、太刀筋もある程度読む事ができる。

 

 以上、2つの要素が重なった為、友哉をして最高奥義を成功させるに至ったのである。

 

「貴様ッ・・・・・・」

 

 思ってもみなかった技で必殺の一撃を受け止められ、エムアインスは苛立たしげに呻く。

 

 下手な悪あがきをする目の前の相手に、敵意を隠しきれない様子だ。

 

 だが、対する友哉はその憎悪の籠った視線には取り合わず、鋭い眼差しを真っ直ぐにエムアインスに向けて口を開く。

 

「・・・・・・・・・・・・遠山キンジは、1年前の事故で兄は死んだと聞かされた」

「・・・・・・何の話だ?」

 

 訝るように尋ねるエムアインスを無視して、友哉は語り続ける。

 

「そして、無責任な連中や、心無いマスコミから、事故は兄のせいで起きたと罵られ、ついには人生を変えられるにまで至った」

「貴様・・・・・・何を言っている?」

「神崎アリアは、母親が無実の罪で投獄され、その濡れ衣を晴らす為に今も戦い続けている。星伽白雪は、家のしきたりなどと言う下らない物のせいで幼い頃から自由を与えられずに育ってきた。峰理子は、子供のころに両親と死別し、その後は暗い地下牢の中に幽閉され、長く虐げられて育った。レキに至っては、育った環境のせいで自分が幸福なのか不幸なのかすら判らない有様だ」

 

 友哉は、鋭くエムアインスを睨みつける。

 

「俺は、お前よりも不幸で、お前よりも強く生きている人間をいくらでも知っているッ」

 

 それは、視線だけでエムアインスを確かに圧倒する。

 

「下らん不幸自慢なんかしてるんじゃないッ 反吐が出る!!」

「貴ッ様ァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 激昂するエムアインス。

 

 叫ぶと同時に友哉の体を思いっきり蹴り飛ばした。

 

 思わず、友哉は掴んでいた刃を放し、大きく吹き飛ばされて地面に転がる。

 

 対して、エムアインスは大きく肩を揺らしながら呼吸を繰り返す。

 

 視線の先には、尚も起き上がろうとして体を動かしている友哉がいる。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 判っている。

 

 いちいち指摘されずとも、エムアインスにも判っているのだ。

 

 自分達のしている事が、ただの逆恨みに過ぎないと言う事を。

 

 だが、それでもなお、エムアインスと、そしてエムツヴァイは欲した。

 

 空っぽになってしまった自分達の人生に「意味」と言う物を。

 

 それが成されるならば、何を犠牲にしても良いとさえ、思った。

 

「・・・・・・・・・・・・もう、どのみち後戻りはできない」

 

 フラフラと立ち上がりつつある友哉を見ながら、エムアインスは呟く。

 

「俺達はもう、ここまで来てしまった。だからもう、この先も突き進むしかないのだ」

 

 そう言うと、手にした刀を、ゆっくりと正眼に持って行く。

 

 対して、友哉もまた、真っ直ぐに見据えて対峙する。

 

「緋村、貴様の能書きなどどうでも良い。俺達はここで弁舌の才を競っている訳じゃない。言いたい事があるなら、その刀で語れ」

 

 そう言うと、落ちている逆刃刀を指し示す。

 

 友哉は、静かにエムアインスを見詰めている。

 

 あの構え。そして、この状況。

 

 エムアインスが使ってくる技は、十中八九、あれに間違いないだろう。

 

 かつて、友哉をも倒した、エムアインス最大最強の必殺技。

 

 飛天御剣流、九頭龍閃

 

 あれに対抗する技は、今の友哉にはまだない。

 

 もし、対抗する事ができるとすれば、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は、無言のまま、落ちていた逆刃刀を拾い上げる。

 

 そして、くるりと刃を返して鞘に収めると、腰を落として構えを取る。

 

「・・・・・・・・・・・・抜刀術、か」

 

 エムアインスの呟き通り、友哉の狙いは抜刀術である。

 

 だが、友哉が今狙っているのは、ただの抜刀術では無い。

 

 かつて、イ・ウーでの決戦の折り、シャーロック相手に使った、超神速の抜刀術。

 

 友哉の持つあらゆる技は、恐らくは九頭龍閃に敵わないだろう。

 

 一度見ただけだが、友哉はそう確信している。それほどまでに、エムアインスの放った九頭龍閃は強力だったのだ。

 

 それでも、もし、あれに勝てる可能性があるとすれば、これ以外には考えられなかった。

 

 だが、果たしてできるか?

 

 友哉も、この技の成功率は3割に届かない。しかも、一撃を撃っただけで、全身が断裂しそうな程の衝撃が奔る。

 

 事実上の一発勝負。外せば、友哉の敗北は必至。

 

 だが、この一撃に賭ける以外、友哉に道は無かった。

 

「・・・・・・・・・・・・良いだろう」

 

 スッと、溜めを作るように下がりながら、エムアインスは切っ先を真っ直ぐ友哉に向ける。

 

 対して友哉も、グッと腰を下ろし、激発の瞬間に備える。

 

「貴様の覚悟、俺に見せてみろ!!」

 

 言った瞬間、

 

 両者は同時に、地を蹴った。

 

 刹那の間すら遠く、互いの間合いがゼロを刺す。

 

「飛天御剣流、九頭龍閃!!」

 

 一瞬で放たれる9連撃。

 

 その全てが必殺の一撃となり、絶技の重囲陣を築き上げる。

 

 この攻撃から逃れる事は不可能。

 

 捉えられた者に待っているのは、絶対不可避の死と言う運命。

 

『決まったッ!!』

 

 九頭龍閃を放ちながら、エムアインスは確信する。

 

 既に重囲は完成している。逃れる術は無い。

 

 友哉が例えどのような切り札を持っていたとしても、刹那の後には絶命する運命にあるのだ。

 

 これで、悲願は達成される。

 

 そう思った瞬間、

 

 圧倒的な速度と質量を持って、

 

 それは襲い掛かって来た。

 

「ウオォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 銀の閃光。

 

 エムアインスには、ただそれだけしか見る事ができなかった。

 

 必殺の9連撃、九頭龍の牙も、竜王の一閃の前には無力でしか無かった。

 

 次の瞬間、一体何が起こったのかすら認識できないまま、エムアインスの体は凄まじい衝撃の元に空中に吹き飛ばされ、舞いあがった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その光景を見ていた誰もが、信じられない面持ちであった。

 

 勝負を決する為の、一瞬の交錯。

 

 友哉とエムアインスが、互いに剣を交えたと思った瞬間、

 

 まるで見えない壁に弾き飛ばされたように、エムアインスの体は大きく吹き飛ばされたのだから。

 

 長い飛翔の後に、地面に落着するエムアインス。

 

 まるでボロキレのように満身創痍になり果てたエムアインスの姿に、九十藻やアンガス達ジーサード一派の面々は、唖然として眺める事しかできない。

 

 一方の、仕立屋メンバーも、それは同じである。

 

 この中にいるメンバーの殆どが、一度は友哉と戦った事がある身である。

 

 その友哉が、よもやあのような切り札を隠し持っているとは、思ってもみなかったのである。

 

「どうやら、勝負ありましたね」

 

 その中で1人、泰然としているのは由比彰彦である。

 

 彼はイ・ウー決戦の折り、友哉が使った超神速の抜刀術を一度見ているので、それほどの驚きはなかったのだ。

 

『もっとも、まだ、使いこなすには至っていないみたいですがね』

 

 彰彦が心の中で、そう呟いた瞬間だった。

 

「ゴフッ」

 

 咳き込む音と共に、ビチャビチャと、嫌な音が響いて来た。

 

 見れば、友哉の口元から赤い液体が噴き出しているのが見える。

 

 技の反動に体が耐えられず、衝撃がフィードバックしてしまったのだ。

 

 思わず、片膝を突く友哉。

 

 持っていた刀も取り落とし、どうにか地面に手を突く事で、倒れるのを堪えている。

 

 人智を越えた超神速。未熟な身で使うには、あまりにリスクが大き過ぎたのだ。

 

 その時だった。

 

 ザッ

 

 草を踏む音が聞こえ、振りかえる。

 

 そこには、満身創痍の体で立ち上がるエムアインスの姿があった。

 

 全身から血を噴き出し、動くだけで死ぬような激痛が奔る体。

 

 その体を引きずって、エムアインスは尚も立ちあがる。

 

「・・・・・・・・・ま・・・・・・・・・まだだ」

 

 口から血の泡を吹きながら、エムアインスはうわ言のように呟く。

 

 その足は、よろけるのを堪えながら、地面を這いずるようにして前へと進んで行く。

 

 ただ、その手に持った刀だけは、殆ど本能で握りしめていた。

 

「われ、らの・・・・・・悲願・・・・・・生きる・・・・・・意味を・・・・・・」

 

 最早、自分が何を言っているのかすら、判っていない様子だ。

 

 対して友哉も、近付いて来るエムアインスの姿を見て、尚も戦うべく落とした刀を掴む。

 

 この世に本来、両立する筈の無い2人の飛天の継承者。

 

 その2人は、正に命尽き果てるまで、戦い続けようとしていた。

 

 その時だった。

 

「やらせません」

 

 凛とした声が、エムアインスの行く手を阻む。

 

 そこには、ボロボロの体を厭わず、刀を構えて威嚇する茉莉の姿があった。

 

 茉莉だけでは無い。

 

 陣、瑠香、彩夏。

 

 イクスのメンバー達が、力尽きた友哉を守るように、毅然とエムアインスの前に立ちはだかっていた。

 

「これ以上やるって言うなら、もっかい俺達が相手になるぜ」

「絶対に、行かせないッ」

「ま、やるって言うなら、その命、置いて行ってもらうけどね」

 

 不退転の意思と共に、圧倒的なエムアインスを前に誰1人、一歩も退こうとしない。

 

「みんな・・・・・・・・・・・・」

 

 その光景を、友哉は呆然と眺める。

 

 その瞳には、先程までのように狂気に憑かれた光は宿っていない。いつも通りの、温厚で優しい少年に戻っていた。

 

 立ちはだかる4人を前にして、

 

 それでも前に進もうとするエムアインス。

 

 その時だった。

 

「やめてッ!!」

 

 鋭い、それでいて悲痛な叫びが、戦場に木霊する。

 

 振りかえる一同。

 

 そこには、

 

 紗枝に支えられ、よろばうようにして歩いて来るエムツヴァイの姿があった。

 

「もう、やめて・・・・・・こんな事、する必要ないよ・・・・・・」

 

 涙を流しながら訴えかけるエムツヴァイ。

 

 そして、

 

「・・・・・・そうでしょう・・・・・・お兄ちゃん」

「ッ!?」

 

 その言葉に、

 

 満身創痍のエムアインスは、その場で膝を折って崩れ落ちる。

 

 そして、

 

「う、ウオォォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 男の号泣が、木霊する。

 

 それが、この戦いの終幕を告げる鐘の音となった。

 

 

 

 

 

第9話「皆は一人の為に」      終わり

 



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第10話「別離の決意」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから暫くの間は、慌ただしい日々が続いた。

 

 イクス、バスカービル両メンバー共に無傷の者は少なく、治療に当たってくれた紗枝やワトソン、カナから療養を命じられていたのだ。

 

 とは言え、ただ黙ってジッとしている訳にもいかないのが、学生の辛い所である。

 

 戦闘が終結した翌々日から、武偵校では中間テスト期間に突入した為、命をやり取りする戦いから、今度は机の上で行われる戦いにシフトしていた。

 

 最も悲惨だったのはキンジだろう。

 

 エムアインスと交戦を開始してからの事を友哉は把握していなかったが、どうやらあの後、例の見えない床(飛行艇だったらしい)に乗ったキンジとジーサードは、遥か上空を飛行しながら戦闘を行ったらしい。

 

 結果は、辛くもキンジの勝利で終わったものの、キンジは墜落する飛行艇からパラシュートを使って脱出。風で流されて着水した先は相模湾のど真ん中であったらしい。

 

 そこから漁船と東海道線を乗り継いで武偵校に戻ってきたのが、テストの1日前の話。しかも、それらはすべて自腹。

 

 友哉達のところにも迎えの要請が来たのだが、生憎、全員が絶望的なテスト勉強に追われており、且つ、重傷を負っている者も多かった為、「武偵憲章1条~」と言う訳にはいかなかったのである。

 

 選択肢問題の時に鉛筆を転がしているキンジの事は、取り敢えず見ないであげる事にした。何と言うか、こう、武士の情け的な物で・・・・・・

 

 因みにテストは、メンバーの大半が勉強どころではなかった事もあり、ほぼ全員が成績を落とすと言う惨憺たる結果に終わった。

 

 イクスに限って言えば、元々成績の良い友哉、茉莉、彩夏は取り敢えず合格できたものの、陣と瑠香はあえなく撃沈の憂き目と相成り、追試に勤しむ事になった。

 

 涙目になりながら茉莉に勉強を教えてもらっている瑠香を、微笑ましく見ながら日々を過ごしている友哉。

 

 そんな友哉の元に、一通のメールが届いたのは、それから2~3日してからの事であった。

 

 差出人の名は「アンガス」とある。

 

 それが、あの、エムアインスとの決戦の場に姿を現わした老人の事だと思い出すには、少しだけ時間が掛った。

 

 曰く、明日、自分達はこの国を出る事になる。その前に、エムアインスとエムツヴァイが会いたいと言っているとの事だった。

 

 

 

 

 

 あの戦いの後、エムアインスとエムツヴァイは一時的に武偵病院に収容され、治療を受けていた。

 

 元々、体の中がボロボロになっているエムツヴァイは勿論、友哉渾身の一撃をまともに食らったエムアインスも、重傷を通り越して重体と呼んで差支えが無かった。

 

 それが数日で普通に立って歩けるくらいになったと言うのだから、相変わらずその身体機能は驚異的と言うべきだった。

 

 羽田空港のホールで佇むエムアインスは、見慣れたあの戦闘服では無く、仕立の良いスーツの上から茶色のコートを羽織った出で立ちである。

 

 左腕を吊っている事以外は特に目立つような外傷はなく、いたって健康そうな雰囲気である。

 

 友哉達の姿を認めると、自由になる右腕を上げて挨拶してきた。

 

「もう、体は良いの?」

「ああ。病院のスタッフのおかげだ。もっとも、戦うのはまだ無理そうだがな」

 

 エムアインスのジョークに対し、友哉もぎこちなく苦笑する。正直、あまりセンスの良いジョークには聞こえなかった。

 

 チラッと視線を逸らすと、傍らにはアンガスの押す車椅子に座った、エムツヴァイの姿があった。その周囲には、茉莉、瑠香、彩夏と言ったイクスメンバーの他、紗枝やかなめの姿もある。

 

「フォースは、こっちに残るんだ」

 

 友達の少女を見上げながら、エムツヴァイは少しさびしそうに問い掛ける。

 

 ジーサード一派の中で、かなめだけはこの日本に残る事になっている。これからはバスカービルの一員として、キンジの助けになってくれる事が期待できた。

 

「まあね、こっちにはお兄ちゃんもいるし。それに、せっかくみんなとも仲良くできたからさ」

「そっか・・・・・・何か、寂しくなっちゃうな」

 

 そう言って俯くエムツヴァイ。

 

 対してかなめは、少し優しげに笑い掛ける。

 

「もう、そんな顔しないッ これでもう会えなくなるってわけじゃないんだから。あたしだって暇になったら遊びに行くし、元気になったら、また日本に来なよ」

「・・・・・・うん」

 

 少し涙ぐみながら頷くエムツヴァイ。

 

 そんな彼女に、紗枝が屈みこむようにして話しかける。

 

「本当は、こんな形で患者を手放すのは本意じゃないんだけど、これ以上、あたしがあなたの為にしてあげられる事もないしね」

 

 医者の卵として、手の打ちようがないと言う状況は悔しいものがあるが、結局拘ってしまっては患者の為にはならない。その為、紗枝は彼女の転院を認める事にしたのだ。

 

「ごめんね、紗枝。今まで本当にありがとう」

「いいのよ、医者が患者の事を考えるのは当たり前の事なんだから。はい、これ」

 

 そう言うと、紗枝は1通の封筒を差し出した。

 

「この中に、あたしの紹介状が入っているわ。向こうの病院に行ったら、担当のお医者さんに渡してね。それから、何かあったら私に連絡頂戴。すぐに駆けつけるから」

「うん、判った。ありがとうね」

 

 笑顔で頷くエムツヴァイ。

 

 これから彼女には、過酷な治療とリハビリが待っている事になる。普通の生活を送れるようになるまで、一体どれだけの時間が掛るのか判らなかった。ましてか、剣を持って戦う事は、最早一生あり得ないだろう。

 

 それが、彼女に課せられた宿業の代償だとすれば、あまりにも理不尽と言わざるを得ない。

 

 だがきっと、彼女なら、どんな困難でも乗り切って行ってくれるだろうと信じていた。

 

「サードがな、前からオランダに良い病院を見付けてくれていたんだ。そこで暫くは、ゆっくり治療に専念させる予定だ」

「そっか」

「オランダは、元々俺達の故郷でもある。あそこに戻れば、妹も落ち着いて治療に専念できるだろうし、俺としても色々と助かるからな」

 

 それなら安心だった。

 

 戦いはもう終わったのだ。彼等と死闘を演じた友哉の中にも、2人を憎む気持ちは無い。後はゆっくりと、治療に専念してほしかった。

 

 そこでふと、友哉は前から気になっていた事があったのを思い出した。

 

 それは是非とも、別れる前に聞いておきたかった事だった。

 

「ねえ、そう言えば気になってたんだけど」

「何だ?」

「君が使った、あの九頭龍閃って技、もしかしてあれが、飛天御剣流の奥義なの?」

 

 奥義や九頭龍閃に関しては友哉も資料を集めようと努力したのだが、結局今のところ、それに関する記述を見付けるには至っていない。

 

 九頭龍閃はあの威力と外見である。アレを越える技を、少なくとも友哉は知らない。あれが奥義だと言われれば、そのまま納得してしまいそうなのだが。

 

「いや、違う」

 

 だが、エムアインスは黙って首を横に振った。

 

「奥義は俺達にも伝わっていない。伝わっているのは九頭龍閃までだ」

「そうなんだ」

「誰かが奥義の事を故意に削除したとも言われるし、もともと俺の家系の方には伝わっていなかったとも言われている。結局、調べようが無かったからな」

 

 言ってから、エムアインスは思いついたように付け足した。

 

「もしかしたら、お前が最後に使った、あの抜刀術。あれこそが、奥義なのかもしれないな」

 

 九頭龍閃を破ったあの、超神速の抜刀術。

 

 確かに、あれほどの威力と速度は、飛天御剣流の奥義と呼んでいいかもしれない。

 

 だが、1発撃つだけで、あれだけのダメージがフィードバックする技だ。果たして、それを使いこなす事ができるだろうか?

 

 それは、友哉には、まだ判り得ない事であった。

 

「これから、どうするの?」

「そうだな」

 

 遥か先を見通すように、エムアインスは柔らかい笑顔を浮かべて言う。

 

「まずは、体を治す事に専念する。それが成らない事には話は始まらないからな」

「その後は?」

 

 尋ねる友哉に、エムアインスは少し考えたから答えた。

 

「それは、またその後に考えるとしよう。何しろ、時間はたっぷりとあるからな。だが、これだけは約束する」

 

 言ってから、エムアインスは右手を友哉に差し出して来る。

 

「これからもし、困難な事が起こったなら、その時は俺を呼べ。お前が助けを求めたなら、俺は例えどこにいたとしても、お前を助けに駆け付けると約束しよう」

「・・・・・・判った」

 

 そう言うと、友哉も笑顔を浮かべてエムアインスの手を握り返す。

 

「それから、もう一つ。俺の名前は武藤海斗(むとう かいと)だ。妹は武藤理沙(むとう りさ)。これからは、そう呼んでくれ」

「判ったよ。元気でね、海斗、理沙」

 

 やがて、海斗、理沙、アンガスの3人は機上の人となり、日本を離れていった。

 

 だが、遠い空の下で、彼等は存在し続けている。

 

 時代を越えて出会った3人の飛天の継承者。

 

 その3人が、またいつか出会う事は、もしかしたら確定された未来の事なのかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 武藤兄妹がオランダへ旅立った翌々日、武偵校では中間テストの再試験が行われ、本試で点数を落としてしまった学生達が、揃って敗者復活戦に望む事となった。

 

 そしてその日の晩、茉莉の献身的な指導のおかげで、瑠香がどうにか追試を乗り切ったので、今日は彩夏も誘って3人で食事に行こうと言う事になった。

 

 テスト勉強の時は、報酬代わりとは言え瑠香が奢ったので、今日は茉莉の方から「自分が奢る」と言いだしたのだ。

 

 場所は勉強会の時と同じ、ファミレス「ロキシー」。

 

 食事の場所としてはありふれてはいるが、それだけに値段も手ごろで学生が通いやすい価格設定がされている。

 

 その為、しばしば作戦会議や依頼人との契約確認の場としても活用されていた。

 

 女3人だけの、ちょっとした女子会と言った風情で進められた食事。

 

 女子だけ、と言う事はそれだけで開放感がある。普段、男子が入れば話せないような内容の事や、見せられない姿も割と平気で見せてしまう。

 

 クラスの男子が馬鹿な事や、体重が増えてしまった事、過去の失敗談など、男子が傍にいれば100年の恋も冷める、とまで行かずとも、確実にドン引きしそうな内容ばかりだった。

 

 彩夏に至っては、酒も入っていないのに酔っぱらった体で瑠香と茉莉に纏わりついてきた。

 

『2人とも胸小さいわね~ 揉めば大きくなるらしいよ。手伝ってあげる』

 

 などと言って、ブラウスの胸元やら、スカートの中にまで手を突っ込んで来るから堪ったものでは無かった。

 

 そんなドンチャン騒ぎをしていたら、いつしか時間は11時近くにまでなっていた。

 

「いや~、食べたね~」

 

 1人ご満悦に笑っている彩夏を余所に、茉莉と瑠香は疲れ切った様子で後に続いている。

 

 結局、殆ど、騒ぐ彩夏に引きずられる形となってしまった。

 

「瑠香さん・・・・・・」

「言わなくて良いよ、茉莉ちゃん」

 

 視線を交わし合う茉莉と瑠香。

 

 彩夏に向けられた2人の視線は、何よりも雄弁に語っていた。

 

 この女と食事をするのは、金輪際やめよう、と。

 

「あ、そうだッ」

 

 そこでふと、前を歩いていた彩夏が、何かを思い出して足を止め振りかえった。

 

 また先程の繰り返しか、と思い身構える2人を余所に彩夏は言った。

 

「ごめん、あたしちょっと用事あったんだ。2人とも、悪いんだけど先に帰ってくれない?」

「はぁ・・・・・・」

「構いませんけど」

 

 ごめんね。と言って駆けていく彩夏。

 

 その背中を見送ってから、茉莉と瑠香は互いに顔を見合わせた。

 

「えっと・・・帰ろっか?」

「そ、そうですね」

 

 そう言うと、互いに肩を並べて、寮への道を歩き出した。

 

 互いに無言。一言もしゃべらずに歩き続ける。

 

 ただ、11月の寒い夜風だけが、2人の間を駆け抜けていく。

 

 冷えはじめた体に、堪らず瑠香がコートの前を合わせようとした時だった。

 

「瑠香さん」

 

 茉莉が足を止めて、声を掛けた。

 

 瑠香もまた、数歩進んだところで足を止め、そして振り返る。

 

「・・・・・・・・・・・・何?」

 

 これから茉莉が話す内容。

 

 その内容を、瑠香は既に予想できていた。

 

 そして、

 

 その内容が、自分にとってどのような意味を齎すのか、それを瑠香は充分に理解していた。

 

 だから無言で立ち止まったまま待った。茉莉が話しかけて来るのを。

 

「瑠香さん・・・・・・」

 

 もう一度名前を呼び、そして茉莉は話し始める。

 

「この間のお話、覚えていますか?」

「・・・・・・・・・・・・うん」

 

 頷く瑠香。

 

 勿論、覚えている。

 

 茉莉は友哉の事をどう思っているのか?

 

 あの時はエムアインスとの決戦が始まってしまった為、結局、宙ぶらりんのまま来てしまった。

 

 その話の続きを、今しようとしているのだ。

 

「私は・・・・・・・・・・・・」

 

 茉莉は顔を上げ、

 

 真っ直ぐに瑠香を見詰めて、

 

 言った。

 

「友哉さんの事が、好きです」

 

 疑いようも無く、自分の中の感情を言葉にして放つ茉莉。

 

 対して、瑠香は無言のまま、それを言ったん受け止め、

 

 ややあってから、問い返した。

 

「それは仲間として? それとも・・・・・・・・・・・・」

 

 瑠香にとってその質問は、最後の砦であった。

 

 だが、その質問が終わらないうちに、茉莉は瑠香の言葉を遮って首を横に振った。

 

「仲間としてじゃありません。異性として、友哉さんに好意を持っています」

 

 それは茉莉が、友哉と出会って以来、大切に守り育てて来た大切な感情。

 

 何も知らず無垢なままだった「少女」が、恋を知り、「女」へと変貌した瞬間だった。

 

 対して、

 

 瑠香は、僅かによろけるように後じさり、そして乾いた笑い声を立てた。

 

「・・・・・・は、ハハ・・・そっか・・・やっぱり、そうだったんだ?」

「瑠香さん?」

 

 怪訝な面持ちで問い掛ける茉莉。

 

 瑠香はそんな茉莉に対し、笑みを返そうとして、

 

 失敗した。

 

 作り笑いを浮かべようとした口が不格好に歪み、瞳は涙を堪える為に潤みを増していた。

 

 それでも、

 

「そ、それなら、良いんだ。うん」

 

 最後の強がりとして、それだけを取り繕うようにして言い、茉莉から視線を逸らした。

 

「る、瑠香さん?」

「ご、ごめん。あ、あたしも、用事思い出した、から」

 

 最後の方は殆ど鼻声になりながら瑠香はそれだけ言うと、茉莉に背中を向けて脱兎のごとく駆け出す。

 

 最早、取り繕う事は限界だった。

 

 これ以上ここにいたら、止め処無く泣き崩れる事は判り切っている。

 

 だからとにかく、一刻も早く、この場から駆け去りたい。

 

 それが「妹」に対する「姉」のプライドだった。

 

 茉莉の気持を確認する。そう決断したのは自分だ。ならば、この結果も予想できていた筈だ。

 

 だが、いくら自分にそう言い聞かせても、溢れて来る悲しみは止めようが無かった。

 

 このまま、何処か遠くへ。

 

 少なくとも、気持ちが落ち着くまでは1人でいたかった。

 

 その時、

 

「あれで良かった訳?」

 

 突然、声を掛けられ、足を止めて振り返る。

 

 そこには、先程とはうって変わって真剣な眼差しを向けて来る、彩夏の姿があった。

 

「高梨先輩、どうして・・・・・・」

「用事が済んだから、急いで追いかければ追いつけるかと思って来たんだけど、そしたら2人が何だか深刻そうな話してたから」

 

 そう言うと、彩夏は瑠香に足早に歩み寄った。

 

「ねえ、あれで本当に良かったの?」

 

 彩夏は、瑠香が友哉に対して長年に抱き続けて来た恋心を知っている。知っているだけに、まるで逃げるように去ろうとする瑠香の態度が解せなかったのだ。

 

 対して、瑠香は彩夏と視線を合わせず、俯いたまま口を開いた。

 

「良いんです、これで」

「どうして!?」

 

 彩夏は瑠香の両肩を掴んで、激しい口調で問い掛ける。

 

「何で諦められるのッ? だって、あなたは友哉の事が・・・・・・」

「言わないでッ!!」

 

 彩夏の言葉を、瑠香は大声を上げて強引に遮った。

 

 その瑠香の気迫めいた叫びに、思わず彩夏も追及する口調を止めてしまう。

 

 ややあって、今度は声のトーンを下げ、落ち着かせるような口調で尋ねた。

 

「・・・・・・理由、聞かせてくれるかな?」

「・・・・・・・・・・・・」

「こんなんじゃ、全然納得できない。瑠香が茉莉の為に身を引く理由なんてない筈よ」

 

 自分が理不尽な質問をしているのは、彩夏にも判っていた。

 

 この問題は、瑠香と茉莉、そして友哉の問題だ。他人である彩夏に口出しする権利は無い。

 

 だが、判っていても、この質問はしなければいけないと思った。

 

 そうしなければいけないと、なぜか彩夏は確信めいた想いを抱き、必死に目を逸らそうとしている瑠香を見詰め続けた。

 

 どれくらいそうしていただろうか。

 

 諦めない彩夏に根負けした様子で、瑠香が口を開いた。

 

「あたし・・・・・・・・・・・・」

 

 言い掛けて、一度躊躇うように口を閉じる。

 

 瑠香に取って、それほどまでに、これから話す内容は辛く重い物なのだ。

 

「あたし・・・・・・今、友哉君以外にもう1人、気になっている男の人がいるんです」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 その言葉に、思わず彩夏は絶句した。

 

 そんな情報は聞いていなかった。瑠香が友哉に対して抱いている想いについては察しているつもりだったが、まさか友哉以外に男がいるとは思ってもみなかった。

 

 だが、すぐに気を取り直して語りかける。

 

「それが何よ? あたし達くらいの年齢なら、気になる男子の2人や3人、いて当たり前よ。そんな事で、あんたが負い目を感じる事なんて無い」

 

 浮気してるならともかく、友哉と瑠香は付き合ってさえいない。その上で、多くの男子に興味を持つ事は決して悪い事では無い。むしろ、当然の事だった。

 

「・・・・・・違うんです」

 

 小さな声で呟くように言い、瑠香は顔を上げる。

 

 その瞳には、既に涙が湛えられ、今にも零れ落ちようとしていた。

 

「あたし・・・・・・心の中で、友哉君とその人の事を天秤にかけていたんです。どっちと付き合えば、自分を大切にしてくれるかなって」

「・・・・・・・・・・・・」

「でも、茉莉ちゃんは、友哉君の事を、本当に心から好きだって言ってた」

 

 それに、と言って瑠香は続ける。

 

「多分、友哉君も、茉莉ちゃんの事が好きなんだと思う」

「それは・・・・・・」

 

 早とちりしすぎなのでは、と言おうとする彩夏に先んじて、瑠香は言葉を紡ぐ。

 

「判るんです・・・・・・・・・・・・だって、幼馴染だから」

 

 幼馴染だから、相手の事が良く判る。

 

 そして、見たくない物まで見えてしまう。

 

 友哉と茉莉は、互いに惹かれあっている。それが瑠香には、イヤと言うほど見えていた。

 

「あたしの想いは、友哉君も、茉莉ちゃんも傷付ける事になる。でも、あたしは、あの2人が傷付くところを見たくない。だから、こうするしか無いんです」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 無言のまま、手を下ろす彩夏。

 

 これ以上語るべき言葉を、彩夏は持っていなかった。

 

 目の前の少女が並々ならぬ決心の元に、この決断を下したのだと言う事が、彩夏には判ってしまったからだ。

 

 その時だった。

 

「瑠香さん・・・・・・」

 

 その声に、瑠香はビクッと肩を震わせる。

 

 振りかえる、その先。

 

 茉莉が、悲しげな瞳を瑠香に向けて立っていた。

 

「ま、茉莉ちゃんッ」

 

 聞かれてしまった。今の話を、全部。

 

 動揺する瑠香に、茉莉は歩み寄り、そっと語りかける。

 

「ごめんなさい。瑠香さんの気持も知らないで、私・・・・・・」

「良いの」

 

 謝ろうとする茉莉を、瑠香は少し強い口調で遮った。

 

「謝らないで。茉莉ちゃんは、何も悪くないんだから」

「でも・・・・・・・・・・・・」

「悪いのは・・・・・・悪いのは、全部あたしなんだから・・・・・・」

 

 そこが、限界だった。

 

 泣き崩れそうになる瑠香。

 

 その瑠香の体を、茉莉は優しく抱き留める。

 

 後は、もう止められなかった。

 

 声を上げて泣き出す瑠香。

 

 釣られて、泣き出す茉莉。

 

 学園島に、2人の少女の泣き声が静かに木霊する。

 

 

 

 

 

 その泣き声の中で、瑠香は、自分の初恋が終わりを告げた事を悟った。

 

 

 

 

 

第10話「別離の決意」      終わり

 

 

 

 

人口天才編     了

 



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亡霊編(オリジナル)
第1話「ガールズ・トーキング」


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初めは噎せるようだった、きついシンナー臭も、長く嗅いでいれば気にならない物である。

 

 ただ、ここから出た時に、何らかの後遺症が残りそうで、それだけは嫌だった。

 

 少し、思考力が落ちて来ている頭を振り、瀬田茉莉は覚醒度を僅かでも上げようとする。

 

 既に徹夜2日目。

 

 正直なところ、今すぐでも床に倒れて、そのまま泥のように眠ってしまいたい気分だ。

 

 だが、自分のノルマも果たしていないうちに、それはできなかった。

 

 本来、これが任務であるなら、茉莉も二徹くらいで参る事は無い。

 

 しかし、神経のみを集中的にすり減らすような作業を続けていると、どうしても疲労は急速に溜まっていく。

 

「桃子さん、これ、上がりました」

「そう、じゃあ、今度はこっちをお願いね」

 

 そう言って渡された紙の束を見て、一瞬ゲンナリするも、無言のまま受け取って、再びペンをとる。

 

 茉莉は今、理子の部屋で漫画作りのアシスタントをやっていた。

 

 彼女に指示を出している桃子と呼んだ少女は、黒髪ストレートの日本人形のようないでたちの少女である。

 

 だが、その正体は、イ・ウーにおいて《魔宮の蠍》と呼ばれた猛毒使いで、名を夾竹桃(きょうちくとう)。本名は桃子と言うのだが、上の名前は茉莉も知らない。イ・ウーでは同期であり、それなりに仲が良かった少女である。

 

 彼女は理子が起こした4月の事件の折り、並行する形で別の事件を引き起こしていたのだ。その際、既に東京に潜入していた茉莉も、仕立屋として支援に回っている。

 

 その結果、夾竹桃は敗れて逮捕され、司法取引と言う形で東京武偵校に編入されて来たのだ。

 

 因みに夾竹桃は「クリスチーネ桃子」と言うペンネームで漫画を書き、それを夏と冬に東京ビッグサイトで行われる祭典で出店して人気を博している。

 

 クリスチーネ桃子の名は、そちらの業界ではちょっとした有名人らしい。

 

 今書いている漫画も、その為の出店物である。

 

「て言うか・・・・・・・・・・・・」

 

 茉莉は、少し気分を変えるために、部屋の中を見回して言った。

 

「何だかこの部屋、イ・ウー率高くありません?」

 

 茉莉の視界の中に、3人の少女がいる。

 

《魔宮の蠍》夾竹桃

 

《武偵殺し》峰・理子・リュパン4世

 

《銀氷の魔女》ジャンヌ・ダルク30世

 

 そして、

 

《天剣》瀬田茉莉

 

 更にもう1人、座っている理子の足元に、文字通り影となって寄り添っている者がいる。

 

《紫電の魔女》ヒルダ。

 

 先々月の事件以降、理子の傍を離れようとしないヒルダ。どうやら、理子と仲直りしたいのだが、そのきっかけと勇気が無いので、こうして影となってつき従い、色々と理子のお世話をしているのだとか。

 

 因みに、本人的にはあれで隠れているつもりらしいが、この場にいる全員が、作業を始める前から存在に気付いている。それでも可哀そうなので、取り敢えず放っておいているのだ。

 

 集っている5人の少女、全員が元イ・ウー構成員である。

 

「他の連中に任せるくらいなら、勝手知ったるあなた達に任せた方が、効率が良いでしょう」

 

 と、原稿から目を放さず、夾竹桃が答える。

 

 それでも、もう少し計画的に作業した方がいいような気がするのだが、と茉莉は思わないでもない。

 

 見た所、この中で未だに充分に気力を残しているのは夾竹桃くらいだった。

 

「だったら、いい加減、私にも絵を書かせてくれ」

 

 中でもダメージ大なのが、ぼやくようにそう言って、恨みがましく顔を上げるジャンヌだろう。

 

 彼女は一昨日から、枠線とベタ塗り作業のみを行っている。理由は単純にして、この上なく明快。ジャンヌが超絶望的に絵が下手だからだ。

 

 しかも始末に負えないのは、ジャンヌ自身は「自分は絵が上手い」と固く信じ切っている事だろう。

 

「適材適所よ」

「どう言う意味だ?」

 

 素っ気ない夾竹桃の言葉に、ジャンヌはブスっとしたまま睨み付ける。

 

 無理も無い。茉莉も同じ気持ちである。

 

 ジャンヌの事は好きだが、もし仮に自分が夾竹桃と同じ立場だったなら、同じように役割分担しただろう。

 

 その後も、一同作業に戻ってペンを走らせ続けた。

 

 不満たらたらだったジャンヌも、職務放棄をするつもりはないらしく、不承不承ながら枠線ベタ塗り作業に没頭していた。

 

 玄関のチャイムが鳴ったのは、それから1時間ちょっと経ってからだった。

 

「はいは~い」

 

 家主の理子が立ち上がり、フラフラとした足取りで玄関の方へと向かう。

 

 ちょうど良いので、ここらで一息入れようと言う流れになり、茉莉とジャンヌは手を止めた。ただ、そんな中でもクリスチーネ桃子先生だけは、休まずに書き続けているが。

 

「そう言えば茉莉、聞いたんだけど」

「はい、何ですか?」

 

 お茶を飲みながら、茉莉は尋ねて来た夾竹桃の方へ振り返る。

 

 一方の夾竹桃は、原稿から目を放さないまま語り続ける。

 

「あなた最近、男と同棲しているそうね」

「ブフゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!?」

 

 茉莉が思いっきり噴き出したお茶が、ジャンヌの顔面を直撃する。

 

 それほどまでに、夾竹桃の発言は茉莉の意表を突いていた。

 

「あの大人しい娘が、随分と大胆になったものね」

「断じて違いますッ!!」

 

 確かに友哉と同じ部屋で暮らしてはいるが、あれはルームシェアであって同棲では無い。

 

 大体、瑠香も一緒の部屋にいるのだから、同棲には当たらない筈だ。

 

「そ、そうだったのか、瀬田。知らなかった・・・・・・」

「ジャンヌさんも、信じないでください!!」

 

 茉莉が噴き出したお茶をレース柄のハンカチで拭いながら、信じられないと言った面持ちで震えているジャンヌに、猛抗議する茉莉。

 

「何にしても、やるなら避妊はしっかりとなさい。あなた、まだ若いんだから」

「だから、違いますってば!!」

 

 「避妊」と言うキーワードに、茉莉は顔を赤くしながら叫ぶ。

 

 何やら老成したような事を言う夾竹桃の中では、既に茉莉が男と同棲している事は確定されてしまったらしかった。

 

 ちょうどその時、廊下の方からパタパタと足音が聞こえて来た。

 

「うわっ お前等、何やってたんだよ?」

 

 入ってくるなり顔を顰めたのは、茉莉のクラスメイトでもある遠山キンジだった。この間の戦いでは敵の首領であるジーサードを討ち取り、師団の勝利を確定づける活躍を示した。

 

 そのキンジの後ろにつき従うように、ひっそりと佇んでいるのは、狙撃科の麒麟児、レキだ。

 

「アシだよー・・・・・・あぅー、冬が近いんだよー」

「冬って、今が冬だろ。ほら、借りてたゲーム返すから足どけろ」

 

 ソファーに座ったキンジの膝の上に、理子はうつ伏せになって遠慮なくのしかかる。

 

 その理子の元に、影になったヒルダがユンケルを銀のお盆に乗せて運んでいた。

 

 そんな様子を見て、

 

「遠山!!」

 

 ジャンヌが涙目になり、ガバッと顔を上げた。

 

「助けてくれ、理子も桃子も瀬田も、私に絵を書かせてくれないんだッ 人物どころか背景もだッ 枠線とベタ塗りだけはもう嫌だッ おお神よ!!」

 

 何やら、悲劇のヒロイン風に崩れ落ちるジャンヌ。

 

 素材が良いだけに、大変絵になる光景ではある。の、だが、

 

『だって、あんた絵ヘタクソでしょ』

 

 とは、茉莉、理子、夾竹桃が同時に思った事である。

 

「でも、私もそろそろ、限界なんですけど・・・・・・」

 

 言いながら、茉莉も眠い目をこする。

 

「3人とも、二徹くらいでだらしないわよ」

 

 衰える事を知らないのは、夾竹桃1人だけだった。全く持って、彼女の働き振りは驚異的と言わざるを得なかった。

 

 その後、キンジは自分とレキが特秘任務に就く事を告げて来た。どうやら、教務課から何らかの命令があったらしい。

 

「特務、ですか。遠山君とレキさんが・・・・・・」

「ぬいぬいのもそれー?」

 

 尋ねる理子の言葉に、茉莉は一瞬、何の事を言っているのか判らなかったが、クラスメイトの不知火亮の事を言っているのだと判った。

 

 どうやら、不知火も何らかの任務に就くらしい。

 

「いや、別件だ」

 

 短く告げると、キンジはレキを連れて部屋を出て行った。

 

 しかし、キンジとレキが抜けるとなると、またも学園島の防衛線が薄くなってしまう。極東戦役の戦局が激化の一途をたどっている現在、対策は早急に立てる必要がある。

 

 ここは一度、イクスの仲間達と一緒に協議する必要がありそうだった。

 

 キンジとレキが帰った事で、作業を再開した一同。

 

 それから暫くしたころ、茉莉はふと、腕時計を見た。

 

「あの、すいません桃子さん。今日はこれからちょっと、お友達と会う約束がありますので、抜けても良いですか?」

「あら、そうだったわね」

 

 言ってから、夾竹桃はスケジュールを確認する。茉莉が今日、用事がある事は事前に伝えておいたので、それと合わせて確認しているようだ。

 

「判ったわ。ここまで頑張ればもう一息だし。あとはこっちで何とかするから」

「ありがとうございます」

 

 そう言って、自分の荷物を纏める茉莉。

 

 そんな茉莉を、理子が悪戯っぽい笑みと共に見詰めた。

 

「なに~ マツリン、もしかして男の所に行くの~?」

「違いますッ!!」

 

 叫んでから、「しまった」と思った。

 

 先程の夾竹桃との掛け合いもあって、思わず過剰に反応してしまったが、これではまるで照れ隠しのようではないか。

 

 案の定、いかにも恰好のカモを見付けたとばかりに、餌にはいよるピラニアの如く言い寄って元同期達。

 

「ムキになるところが怪しいわね」

「そうか、瀬田もついに大人の階段を上る時が来たか。後でちゃんと報告するのだぞ。何がどうだったとか」

「マツリ~ン、頑張れ~」

「もう好きにしてください・・・・・・」

 

 ガックリと肩を落とす茉莉。

 

 これ以上、何を言っても無駄な事は、イ・ウー以来の付き合いで判り切っていた。

 

 必要以上に疲れ切った体で、茉莉は部屋を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼も過ぎていると言う事で、ロキシー内の人の姿はまばらである。

 

 武偵校の生徒も何人か見る事ができるが、殆どが1人で来ているらしく、ドリンク片手に参考書や文庫本を開いている者達ばかりであった。

 

 そんな中で、目当ての人物達はすぐに見つける事ができた。

 

「お~い、茉莉ちゃん、こっちだよ~」

 

 四乃森瑠香が元気に手を振っているのが見えた。

 

 その隣には、高梨・B・彩夏も控えめに手を振りながらこっちを見ている。

 

 夾竹桃に無理を言って抜けて来たのは、彼女達と会うためだった。

 

「どう、作業は進んだ?」

 

 席に座ると、メニューを渡しながら瑠香が尋ねて来た。一応、外泊と言う形になる為、同室である彼女と友哉には理由を話して出て来てある。

 

「はい、何とか。だいぶ進んだので、桃子さんも私が抜けても大丈夫だと判断したようです」

 

 メニューを見ながら答える茉莉。

 

 目は自然と、甘い物を追っている。漫画執筆と言うかなり神経をすり減らす作業を2日間徹夜でやって来たのだ。脳が急激に甘い物を欲していた。

 

「漫画か・・・・・・日本の漫画はイギリスとかアメリカでも流行ってるわよ。レベルが高いからね」

 

 漫画に限らず、日本のアニメやフィギュア、グッズなど、所謂「オタク文化」と呼ばれる物は、今や世界に誇るべき地位を保つに至っている。

 

 もっとも、オタクが市民権を得るようになったのは、ここ10年程の事であり、それまではオタクと言うだけで、周囲の人間から白い目で見られる事が多かった。

 

 その頃から比べると、大変な進化と言うべきだろう。

 

「彩夏先輩も、漫画とか読むんですか?」

「まあね。もっとも、あたしはどっちかと言えば小説派だけど」

 

 何でも、任務の合間の暇な時間を見付けて、文庫本を開いて読むのが彩夏の密かな趣味だとか。

 

 ところで、この間の事件以降、瑠香は彩夏の事を名前で呼ぶ事が多くなっていた。一番の理由としては、彩夏がそう呼ぶ事を許可した事が大きいのだろうが、それ以前に、既に半ばイクスメンバーと化している彩夏に、他人行儀な呼び方はしたくないらしかった。

 

 それに合わせて、茉莉も彼女の事を名前で呼ぶように改めている。これは以前、瑠香に指摘された事だが、仲間である以上、他人行儀な呼び方や態度はしない方がいいと思ったのだ。

 

「ところで、」

 

 運ばれてきたホットコーヒーにミルクと砂糖をたっぷり入れながら、茉莉は本題に入るべく話題を切り替えた。

 

「今日は、どんな意図で集まったんですか?」

 

 話の内容を、まだ茉莉は聞いていなかった。

 

 女3人だけ、男達がいない状況は、この間の女子会に似てなくもないが。

 

 そんな茉莉に対して、瑠香と彩夏は意味深な笑みを見せて来た。

 

「な、何ですか?」

「いや~、茉莉ちゃん。ちょっと聞きたいんだけど」

 

 瑠香が言い置いてから、今度は彩夏が口を開いた。

 

「茉莉は、友哉に対してどんなアプローチで攻めようと思ってるの?」

 

 次の瞬間、茉莉の目がまん丸になったのは言うまでも無い。

 

 この2人は、一体、何を言っているのか。

 

 だが、呆然としている茉莉を余所に、2人は更に舌鋒を強くする。

 

「いい、茉莉ちゃん、恋は駆け引きなんだからね。ただ単調に攻めてるだけじゃ、いつまでたっても『お友達』のままで終わっちゃうよ」

「そうそう。大胆かつ冷静にね。露骨に攻めようとすれば、却ってイタイ人みたいに見られちゃうから。攻めるべきところは攻めて退く所は退く。戦いと同じよ」

 

 それでようやく理解した。

 

 2人は、友哉と茉莉をくっつけようと画策して、このような形で話し合いの場を設けたのだ。

 

 それにしても、

 

 茉莉はチラッと、瑠香に視線を向ける。

 

 あの夜から数日。

 

 当初、少しだけ落ち込んでいる様子だった瑠香も、今は立ち直っているように見える。

 

 あの夜、

 

 茉莉は自分の想いをはっきりと告げ、そして結果的に瑠香を失恋に追いやってしまった夜。

 

 瑠香は、友哉と茉莉を傷つけたくない一心で身を引いた。全ては、彼女の行き過ぎた優しさゆえの行動だった。

 

 だが、それだけに茉莉は、瑠香が自分を恨んでいてもおかしくはないと思っていた。最悪、このまま仲がこじれてしまうのでは、とまで考えていたのだ。

 

 だが瑠香は、その後も変わらず茉莉と友達でい続けてくれている。

 

 今の茉莉の中では、瑠香への友情と、そして申し訳なさが入り混じっている状態であった。

 

「で、どんな戦略で攻めるか、なんだけど」

「ちょっと待ってください」

 

 尚も話を進めようとする瑠香を、茉莉は我に返って制する。

 

「何?」

「まさか、今日集まったのは、その為なんですか?」

「そだよ」

 

 何を今更、とばかりに溜息交じりの視線を向ける瑠香。

 

「だってさ、茉莉ちゃんの場合、待ってたらいつまで経っても、友哉君に告白できそうにないじゃん」

「こ、告ッ・・・・・・」

 

 瑠香の一言に、茉莉は思わず絶句してしまった。

 

 そうだった。

 

 茉莉はすっかり失念していた事だが、自分の中にある友哉に対する好意。これを形にするためには、どうしても避けては通れない道なのだ。

 

 無論、今更逃げる事はできない。茉莉は不可抗力とは言え、瑠香を蹴落とす形になってしまった。その茉莉が逃げるなど許されない事である。

 

「ん~、じゃあ、まずはさ」

 

 それまで黙って聞いていた彩夏が、ここで口を開いた。

 

「友哉を背後から襲って気絶させて、その後、目が覚めたらベッドの上、その隣には裸になった茉莉がいて既成事実完成ってのは?」

「絶対イヤです!!」

 

 その光景を想像し、茉莉は顔を赤くする。

 

 そんな事できる筈が無かった。

 

「だいたい、それじゃあ詐欺じゃないですか!!」

「ダメ?」

「ダメですッ」

「じゃあさ、茉莉がノーパン状態で、友哉の前でスカートめくって見せて『あたしを食べて』って言うのは? それで落ちなかったら男じゃないよ」

「却下ですッ!!

 

 顔を真っ赤にした茉莉に強い口調で言われ、彩夏は口を尖らせてブツブツと不平を言っている。しかし、何と言われようが、茉莉にその気はなかった。

 

 大体、そんなの戦略でも何でもない。ただの色仕掛けではないか。

 

 友哉の事は好きだが、友哉にはしたない女だと思われるのは絶対に嫌だった。

 

「となると、やっぱここは正攻法で行くしかないかな」

「正攻法って?」

 

 尋ねる彩夏に、瑠香は「う~ん」と考え込んでから口を開く。

 

「手料理・・・は、やめて、と・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 瑠香の言葉に、茉莉は不満そうに沈黙する。

 

 確かに、自分の料理の腕前が破滅的な事は知っているが、それでも少しずつ上達はしてきているのだ。もう少し頑張れば、ちょっとはマシなレベルになるのでは、と思っている。

 

 もっとも、旅館の娘であり、家事、特に料理に関しては小さい頃からある意味英才教育を受けて来た瑠香に言わせれば、茉莉の料理の腕は、良く言って「子供の泥んこ遊び」程度でしか無いのだが。

 

「やっぱさ、ここは一発、正面から告るしか無いんじゃない?」

「ちょっと待ってください」

 

 強引に話を進めようとしている瑠香と彩夏を制して、茉莉は自分のペースを取り戻すべく声を上げる。

 

「何だか、さっきから聞いていれば、私が友哉さんに告白する前提で話が進んでいるような気がするんですけど」

 

 その言葉に対し、

 

 瑠香と彩夏は、まるで珍獣でも見るような目を茉莉に向けて来た。

 

「何、もしかして茉莉ちゃん、告白しない気なの?」

「そ、そう言う訳じゃないですけど・・・その、何って言うか、こう言う事は、友哉さんの気持ちを確かめてからにするべきだと思うんですけど」

「だから、それを確かめる為にも、告白するべきだって言ってんの」

 

 何を言ってるのか、と呆れ気味に言う彩夏に対し、茉莉は急速に熱を帯びる頬を持て余すように、声を小さくしながら呟く。

 

「で、でもでも・・・もし、それで友哉さんに拒否されたら、私・・・・・・」

 

 その茉莉の言葉を聞いて、

 

 彩夏はあからさまに溜息をつき、肩を竦めた。

 

「・・・・・・ねえ瑠香。このヘタレ娘に譲っちゃって、ホントに良かったの? 何だったら今からでも取り返したら?」

「あ、あはは・・・・・・」

 

 こちらも、呆れ気味に苦笑する瑠香。瑠香としては、茉莉がこういう態度になってしまう事は、ある程度予想していた事だった。

 

 だから、優しく笑みを浮かべて語りかける。

 

「大丈夫だよ、茉莉ちゃん。友哉君も茉莉ちゃんの事好きだから」

「そ、そうでしょうか・・・・・・」

「絶対そうだって。あたしが言うんだから間違いないよ」

 

 瑠香にそう言われると、自分自身もそんな気がしてくるから不思議だった。

 

 友哉に告白し、自分の想いを伝える。そんな事は、茉莉にとって想像の埒外の事であった。

 

 だがもし、本当に友哉が自分の気持ちを受け入れてくれるなら、

 

 その時は・・・・・・

 

 ガシャァァァァァァン

 

 けたたましい音が、茉莉の思考を強制的に中断させた。

 

 顔を上げ、振りかえる茉莉。

 

「あれッ」

 

 彩夏が指し示した先では、数人の男達が垣根を作るようにしてボックス席を包囲している光景が見えた。

 

 数は4人。全員が強襲科の生徒なのだろう。高校生離れしたガタイをしているのが判る。

 

「キメェンだよ、テメェはよ!!」

「ここに来んなっつったろ!!」

「痛い目見てェのか、あァ!?」

 

 口々に罵り声を上げている。

 

 どうやら、4人で誰かを包囲し、吊るし上げのような事をしているらしい。

 

 珍しい光景では無い。

 

 武偵校生徒。特に強襲科の生徒は、自分達の腕力や戦闘技術を誇り、他の学科、特に装備科や救護科、車輛科等、戦闘力がそれほど高くない学科の生徒を標的にして、暴力を振るう輩が稀にいる。

 

 あの連中も、そう言う類なのだろう。

 

 周囲の者達も、いびられている生徒を助けようとする者はいない。武偵校の学生なら、荒事は自己管理が原則である為、誰もが無視を決め込んでいるのだ。

 

 ロキシーの店員も、無関心を装って見て見ぬ振りをしている。武偵校の近くに店を構えている時点で、彼等にとってもこの光景は日常茶飯事である為、いちいち慌てるには値しないと言う事だろう。壊れた備品に関しては、後で武偵校に請求が行くようになっているらしいので、それも無視して良いのだとか。

 

「黙ってねぇで、何とか言えよ、オラッ!!」

 

 言い放つと、男の1人が対象の生徒の襟首を握り、掴みあげた。

 

 襟首を掴まれた生徒は、顔を青くして悲鳴を上げている。

 

 大柄な男子生徒だが、鍛えているという印象は無く、どちらかと言えば肥満気味のように見える。やはりと言うか恐らく、車輛科や装備科の生徒なのだろう。

 

 掴みあげている強襲科生徒も、その取り巻きらしい3人も、悲鳴を上げる男子生徒をニヤニヤしながら見詰めている。

 

 圧倒的な力で弱い物をいたぶる。その愉悦に酔った者の目だ。

 

 茉莉は全身の産毛が逆立つのを感じた。

 

 彼女がかつて所属していた秘密組織イ・ウーでも、ああ言う輩が何人もいたが、そういう連中に対して、茉莉は例外なく嫌悪感を抱いていた。

 

 だからこそ、清廉で人当たりも良く、包容力も高い友哉に、茉莉は惹かれているのかもしれないが。

 

 だが今は、それどころでは無い。

 

「どうする、サブリーダー?」

 

 声を低める形で、彩夏が話しかけて来る。

 

 先程までとはうって変わって低く鳴った声からは、彼女も目の前の光景に怒りを覚えている事が覗えた。

 

「ああ言うのって、やだよね」

 

 そう言ったのは瑠香だ。

 

 こちらも、既に目を細め、飛びかかるタイミングを測っているかのようだ。

 

 つまり、2人は待っているのだ。

 

 イクスのサブリーダーである、茉莉のゴーサインを。

 

 この場に友哉がいない以上、決定権はイクスナンバー2の茉莉にある。茉莉が一言「やる」と言えば、2人とも躊躇い無く武器を抜き放つだろう。

 

 もう一度、男達の方を見る。

 

 今、強襲科生徒達は床に転がった男子生徒を、足でいたぶるようにして蹴りを加えている。

 

 唾棄すべき光景だ。断じて、許せるものではない。

 

 そして何より、友哉がこの場にいたら、必ず決断を下すと確信していた。

 

「やりましょう」

 

 茉莉の低い言葉は、迷いなく解き放たれる。

 

 その瞬間、待ってましたとばかりに2人の顔は輝いた。

 

 強襲科の男子達は下卑た笑い声を上げて、床に転がっている男子生徒を踏みつけている。

 

「つまんね。もう死ねよ、お前ッ」

 

 言い放つと、リーダー格の男が更に踏みつけようと、足を振り上げた。

 

 次の瞬間、

 

 ドンッ

 

「ぐあッ!?」

 

 轟音と共に、背中に殴りつけられたような衝撃を感じ、リーダー格の少年は思わずよろける。

 

 意表を突かれた形となった一同は、慌てたように振り返る。

 

「それくらいにしとけば。見苦しいにも程があるわよ」

 

 そこには、ワルサーPPKを真っ直ぐに構えた彩夏が、不敵な笑みと共に睨みつけていた。

 

「このッ いきなり何しやがる!?」

 

 激昂する男達を余所に、彩夏は涼しい顔のまま肩を竦める。

 

「別に。あんまりうるさかったから、静かにしてもらおうと思っただけよ」

「テメェッ」

「まぁ、待て」

 

 激昂しそうになる仲間達を、先程、彩夏に撃たれたリーダー格の男が制した。

 

 防弾制服越しとは言え背中をまともに撃たれたにもかかわらず、もう復活している辺りは、流石は強襲科と言うべきか。

 

「言っておくが、俺達は強襲科だ。それを承知で喧嘩売って来てるんだろうな?」

「知ってるわよ。頭悪そうな顔してるしね」

 

 啖呵を切ろうとする男に、彩夏は間髪入れずに挑発を返す。

 

 そこへ、茉莉も加わった。

 

「肩書きを振り翳さないと喧嘩もできませんか?」

「最近の強襲科も安っぽくなったわね」

 

 その言葉が、限界だった。

 

 そもそも、腕自慢の脳筋自慢である強襲科学生に、「自制する」と言う選択肢があるとは思えない。

 

 女に舐められてたまるか、と言うプライドもあるのだろう。

 

 茉莉と彩夏の言葉が引き金となり、男達は一斉に襲い掛かって来た。

 

 筋骨たくましい男達が、壁のように襲い掛かってくる姿は、確かに迫力がある。

 

 だが、

 

「所詮は、それだけですね」

 

 茉莉が淡々と呟いた瞬間、

 

 戦闘の男が、何かに足を引っ掛けて転倒した。

 

「グヘラッ!?」

 

 顔面から床に突っ込む男。そのまま自分の体重と突進力が凶器となり頭を強打、失神して動けなくなった。

 

 笑顔を向ける茉莉。

 

 その先には、ピースサインを向けて来る瑠香の姿があった。

 

 瑠香は茉莉と彩夏が相手を挑発している隙に、密かに彼等の足元にワイヤーを張っておいたのだ。突進してきた相手が転ぶように。

 

 諜報科所属で、しかも忍びの末裔である瑠香。しかも相手は、頭の悪そうな強襲科学生である。全く気付かれる事のないまま、罠の準備を完了していたのだ。

 

「ヤロォ!!」

 

 その様子に、とうとう激昂した男達が突っ込んで来る。

 

 相手は3人。しかも、見るからに体が細い女ばかり。まともに戦えば、強襲科の自分達の方が強い筈だ。

 

 そう思った瞬間、

 

 茉莉の姿が、彼等の目の前から掻き消えた。

 

 次の瞬間、

 

「こっちですよ」

 

 すぐ目の前に、腰をかがめた状態で立つ茉莉。

 

 その手には納刀したままの菊一文字がある。

 

 鞘走る一閃。

 

 一撃が男の胴に命中し、大きく吹き飛ばした。

 

 その間に彩夏はワルサーをフルオートに切り替えて斉射。更にもう1人の男に弾丸をシャワーの如く浴びせて床に這わせた。

 

「ば、馬鹿なッ・・・・・・」

 

 絶句する、リーダー格の男。

 

 ほんの一瞬のうちに、自分の仲間達が皆、床に沈んでしまったのだから無理も無い事だった。

 

 そこへ、

 

 チャキッ

 

 茉莉が刀の切っ先を、リーダーの首筋に突きつけた。

 

「まだやりますか?」

「クッ・・・・・・」

 

 実力差は歴然だった。

 

 茉莉は探偵科、彩夏は車輛科、瑠香は諜報科。この中に強襲科の者は1人もいない。唯一、彩夏がマンチェスター武偵校で強襲科を履修済みであるのみだ。

 

 しかし彼女達は皆、これまで何度も死線を潜り抜けて来た実戦経験がある。訓練だけで満足し、弱い者を苛めて悦に浸っているだけの連中に負ける筈が無かった。

 

「お、覚えてやがれ!!」

 

 ステレオ的な捨て台詞を残し、リーダー格の男は駆け去っていく。床に倒れた仲間達を見捨てて。

 

 その後ろ姿を見送ってから、茉莉は刀を鞘に収めると、先程まで苛められていた男子生徒の元へと駆け寄った。

 

「大丈夫ですか?」

「う・・・・・・うぁぁ・・・・・・」

 

 声を掛ける茉莉に対して、呻くような声を上げながらも、どうにか頷いて来る。

 

 気弱そうな少年だ。制服を着ていなければ、とても武偵校生徒には見えないだろう。

 

 茉莉はできるだけ不安を与えないよう、笑顔のまま話しかける。

 

「私は探偵科2年の瀬田茉莉と言います。良かったら、名前を聞かせてもらえませんか?」

 

 少年は怯えたような目をしていたが、やがて茉莉に害意は無いと思ったのだろう。震えるように口を開いた。

 

「石井・・・・・・石井忠志(いしい ただし)・・・・・・装備科(アムド)2年、です」

「石井君ですか。もし、また何か困った事があったら、私に連絡してください」

 

 そう言って、茉莉はニッコリ微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この時まだ、茉莉に気付く筈も無かった。

 

 この事が、後に重大な事件に巻き込まれる事になる予兆であったと言う事に。

 

 

 

 

 

第1話「ガールズ・トーキング」      終わり

 



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第2話「優しさの代償」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 強襲科と言う学科は、その性質上、どうしても生傷が絶える事が無い。

 

 切った張ったが商売内容であるのだから、それも無理からぬことである。

 

 加えて、戦いで得た傷と言う物は強襲科の生徒にとっては一種の勲章みたいなものである。それ自体が、どれだけの激戦を潜り抜けて来たかを現わすステータスとなるからだ。

 

 相良陣もまた、その例に漏れず体中傷だらけである。

 

 特にひどいのは、5月の魔剣事件の折りに鬼達磨(丸橋譲治)に槍で刺された腹の傷だろう。あの時は槍の穂先が体を貫通して、背中にまで達していたのだ。

 

 普通の人間なら致命傷となってもおかしくはない傷だが、しかし、陣は、槍の穂先が刺さったまま、自分で歩いて救護科まで行き、あまつさえ入院翌日には病院を抜け出して遊び歩いていたと言うのだから、この男の体がいかに常識外であるか窺えるだろう。

 

 そんな訳で、生傷が絶えない陣として、訓練後に救護科に通う事がある意味日課のようになっていた。

 

「あんたね・・・・・・」

 

 診察に応じた高荷紗枝が、呆れ気味に溜息をつく。

 

「こう毎回毎回来られたんじゃ、うちの備品の在庫はあっという間に底を突くわよ」

 

 不平を言いながらも、陣の体の傷を丁寧に消毒し、包帯を巻いて行く手際に淀みは無い。

 

 呆れかえる患者であっても、手を抜くような事をしないのは、医者の端くれとして称賛に値する事であろう。

 

「まあ、そう言うなよ。俺と姐御の仲だろ」

「どんな仲でもないでしょ」

 

 グリッ

 

 言いながら紗枝は、消毒薬を湿らせた脱脂綿で陣の腕の傷をわざと抉るように動かす。

 

「グォォォォォォォォォォォォ」

 

 これにはさすがに耐えがたい物があったらしい。

 

 激痛で陣が悶絶している内に、さっさと手当てを済ませてしまう紗枝。

 

 やがて処置も終わり、陣は紗枝を少し恨みがましい目で見ながら制服を着込んで行く。

 

「サンキューな、姐御」

「ったく、あんたならそれくらいの傷、唾でも付けておけば治るでしょうが。いちいちうちに来ないでよ」

「まあ、そうなんだがよ。折角ある物は、活用しないと損だろ」

「毎日のように来られる、こっちの身にもなりなさい」

 

 呆れ気味にそう言い、薬箱を棚に戻す紗枝。

 

 そんな紗枝に、陣はふと思い出した事を口にしてみた。

 

「なあ、姐御。ちょいと友哉の事で、気になる事があるんだが、聞いてくんねーか?」

「緋村君の事?」

 

 少し真面目さを帯びた陣の言葉に、紗枝も手を止めて振り返る。

 

 イクスのメンバーの中で、紗枝が最も長い付き合いなのが友哉だ。その友哉に関わる事となると、流石に看過できなかった。

 

「いや、この間の事なんだがな」

 

 陣は、先日のエムアインスとの決戦の事を、紗枝に語って聞かせた。

 

 あの時友哉は、正しく豹変と呼んで差支えが無い程に、普段からかけ離れた様相をしていた。

 

 惜しげも無く振りまかれる凄惨な殺気と、相手を殺す事も厭わない攻撃。それらは、普段の温厚な少年像からは、ひどくかけ離れたものであった。

 

 そう、まるで本物の「人斬り」と化したかのように。

 

 そして、陣、茉莉、瑠香、彩夏が束になっても敵わなかったエムアインス相手に互角以上の戦いを演じ、ついには辛くも、ではあるが倒すまでに至ったのだ。

 

「ありゃ、どう考えても普通じゃねえぜ。俺は見るのは初めてだったが、四乃森とか瀬田は、前にも友哉がああなったところを見た事あるらしい」

「う~ん・・・・・・あたしは、その現場を見てないから何とも言えないんだけど・・・・・・」

 

 少し悩むように考え込んでから、紗枝は顔を上げた。

 

「もしかして、二重人格みたいなものかしら?」

「確かに、それに近いっちゃ、近いんだがよ・・・・・・」

 

 陣は歯切れ悪く答える。

 

 どうにも、何か納得がいかない様子だ。

 

「気になるんなら、一度診てもらいましょうか? 救護科には精神科専門のカウンセラーもいるから、緋村君を連れて来るなら話を通しておくわよ」

「いや、そこまでする程のもんじゃ、ねぇと思うんだが・・・・・・」

 

 気になると言えばもう一つ。

 

 友哉が最後に使った抜刀術もそうだ。

 

 目視すら不可能な鞘走りに、大柄な人間一人を上空高く吹き飛ばせるほどの破壊力。

 

 友哉自身、成功率が低く、リスクの高い技だと語っていたが、あの威力は尋常ではない、と陣は感じていた。

 

 加えて、放った直後に友哉自身に帰って来たダメージ。

 

 エムアインスと互角に戦うだけの戦闘力を見せていた友哉が、ただの一撃で戦闘不能になってしまったのだ。

 

 あんな技が、普通である筈がない。

 

 あの技は、何れ友哉自身を滅ぼす事になりかねない。陣には、そう思えてならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 緋村友哉は、若干の戸惑いから抜けだせないでいた。

 

 時刻は8時少し前。今は寮を出て学校に向かっている最中。横には同室の四乃森瑠香と瀬田茉莉が並んで歩いている。

 

 問題なのは、茉莉の方だった。

 

 どうも、ここ数日、彼女の様子がおかしいのだ。

 

 話しかけても上の空だし。かと思えば、気付けば友哉の顔をボーっと見ている事が多い。自分の顔に何かついているのだろうか、と思わず真剣に鏡と睨めっこをしてしまったほどだ。

 

 今も、そうだ。

 

 先程から一言もしゃべる事無く、何やら思いつめたように、真剣な眼差しで俯いているように見える。

 

「あ、あの、茉莉?」

 

 恐る恐ると言った感じに声を掛ける友哉。

 

 と、

 

「ひ、ひゃいッ!?」

 

 思いっきり裏返った声で返事をする茉莉。どうやら考え事をしていたところに声を掛けられたせいで慌ててしまったようだ。

 

「あ、ご、ごめん。でも、何だか悩んでるみたいだけど、どうかしたの?」

「そ、それは・・・・・・」

「僕で良かったら、相談に乗るけど?」

 

 友哉としては100パーセント純粋な善意として言っているのである。

 

 が、当の茉莉としては、正に悩みの元である友哉からそのような気遣いをされては、却って言い淀んでしまうと言う物である。

 

 茉莉の悩み。それは、数日前に瑠香と彩夏から後押しを受けた件である。即ち「どうやって友哉に告白するのか」と言う事だ。

 

 簡単なようでいて難しいこの問題。奥手の茉莉にとっては高すぎるハードルとなって目の前にそびえ立っていた。

 

 そのせいで、ここ数日まともに眠れない日々が続いている。

 

「い、いえ、それは・・・・・・」

 

 口を噤んだ時、チラッと傍らの瑠香の姿が目に入った。

 

 瑠香は拳を作り、盛んにそれを振っている。『行けッ 行けッ』と、心の中で囃し立てているのだ。

 

 顔を上げる茉莉。

 

 その瞳は真っ直ぐに友哉を見詰めている。

 

「ゆ、友哉さんッ」

「おろ?」

 

 茉莉は真剣な眼差しを向ける。

 

「その・・・す・・・す・・・・す・・・」

 

 おお、ついに告白するのかッ!?

 

 瑠香が身を乗り出す中、

 

 茉莉は勢い込んで、

 

 

 

 

 

「す、寿司飯って、どうしてあんなに酸っぱいんでしょうかッ!?」

 

 

 

 

 

 ガクッ

 

 思わず、その場でズッコケる瑠香。

 

 友哉も目を丸くして、突然トンチンカンな質問をしてきた少女を見詰める。

 

「・・・・・・え、えっと、あれは確か、炊き立てのシャリを冷ます為だとか、ネタの鮮度を保ち易くするために酢を入れるっていう理由だった気がするよ。僕も、よく判んないけど」

「そ、そうですか・・・・・・・・・・・・じゃ、なくてッ!!」

 

 再び顔を上げる茉莉に対し、友哉は思いっきり怪訝な顔つきになる。

 

 さっきから茉莉が何をしたいのか、さっぱり判らないのだ。

 

「友哉さんッ」

「は、はい?」

「す・・・・・・す・・・す・・・すき・・・・・・」

 

 おお、今度こそ頑張れッ!!

 

 瑠香が心の中で精一杯のエールを送る中、

 

 茉莉は意を決して顔を上げた。

 

 

 

 

 

「す、すき・・・すき焼きが美味しい季節になりましたねッ!!」

 

 

 

 

 

「あ~、うん、そうだね」

 

 目が点になりながら、適当に相槌を打つ友哉。何だか、茉莉と言う少女の事が判らなくなりつつあった。

 

 言ってから、茉莉はハッと我に返る。

 

「い、いえッ あのッ だから、その・・・・・・」

 

 わたふたと両手を振りまわす茉莉。

 

 と、

 

 ギュムッ

 

「キャァッ!?」

 

 突然、茉莉は悲鳴を上げ、お尻を押さえる。

 

 涙目で振りかえると、そこにはジト目で睨んで来る瑠香の姿があった。

 

 あまりにヘタレまくる茉莉のお尻を、瑠香が思いっきりつねったのだ。

 

《な~にしてるのかな~茉莉ちゃんは?》

《ご、ごめんなさい~》

 

 マバタキ信号でそんな事をやり取りする2人を、完全に置いてけぼりを食らった友哉は、怪訝な顔つきで見詰めている事しかできなかった。

 

『まったく、もうッ・・・・・・』

 

 心の中で、瑠香は溜息をつく。

 

 茉莉が奥手なのは知っているが、こんな調子では卒業までに告白できるかどうかすら微妙だった。

 

 結局、その後も3人は、学校に着くまで、微妙な空気を引きずったまま歩き続けるしか無かった。

 

 玄関から校舎に入り、上履きに換えた時だった。

 

「あの・・・・・・瀬田、さん・・・・・・」

 

 黙っていれば、思わず聞き逃してしまいそうなほど、小さな声で名前を呼ばれ茉莉は振り返る。

 

 そこには、どこかで見覚えのある大柄な男子生徒が立っていた。

 

「ああ、石井君・・・・・・」

 

 それは先日、ロキシーで強襲科の生徒に絡まれているのを助けた、石井忠志だった。

 

 相変わらずオドオドと気弱そうな顔で、視線を合わせる事無く茉莉の方を見ている。

 

 茉莉はあれから何度か、石井が持ちかけて来た相談にのってあげ、その都度、的確なアドバイスをしてあげていた。

 

 その為、今では彼の少し気弱そうな顔を、すっかり御馴染となっていた。

 

「・・・あ、あの・・・・・・ちょっと、相談、良い、かな?」

 

 辛うじて聞き取れる程度の声で、そう言ってくる石井。

 

 対して茉莉は、少し考え込むようにしてから答える。

 

「それは・・・・・・構いませんけど・・・・・・」

 

 元々、何かあったら相談に来て良いと言ったのは茉莉の方である。どうやら、今日も相談したい事があって来たようだ。

 

 ならば、断る理由は茉莉には無かった。

 

 言ってから茉莉は、友哉の方に振りかえる。

 

「すみません、友哉さん。そう言う事なので、先に行っていてもらえますか?」

「うん、構わないよ」

 

 二つ返事で了承する友哉は、そのまま並んで去っていく茉莉と石井の姿を見送る。

 

 そこへ、瑠香がやってきた。

 

「あれ? あれってこの間の人だ・・・・・・また来てたんだ」

「瑠香、あの人の事、知ってるの?」

 

 少し呆れ気味に言う瑠香に、友哉は視線を向けて尋ねる。

 

「うん。この間ね・・・・・・」

 

 瑠香は友哉に、事の顛末を話して聞かせた。

 

 ロキシーでの事。そこで強襲科の生徒に絡まれていた石井を助けた事。それを機に、石井が頻繁に、茉莉に相談事を持ちかけている事。

 

 瑠香の話を聞いて、友哉は感心したように鼻を鳴らした。

 

「成程。そんな事があったんだ」

「茉莉ちゃんも真面目だよね。あんな言葉、リップサービスぐらいに考えてればいいのに」

 

 瑠香の言葉を聞いて、友哉は苦笑した。

 

 確かに、瑠香の言うことにも一理ある。きっと普通の武偵校生徒なら、石井とこれ以上関わるのは控えるだろう。武偵憲章4条に「武偵は自立せよ」とある。逆を言えば、自立できない武偵は半人前にも満たないと言う事だ。

 

 それ故に、助けてもらった後も茉莉を頼るような真似をしている石井は、本来であるなら武偵として相応しいとは言えない。茉莉が仮に彼を無視したとしても、誰も彼女を責める者はいないだろう。

 

 しかし、それができない所が、ある意味、茉莉の魅力と言えるのではないだろうか? 

 

 そして、だからこそ、友哉は瀬田茉莉と言う少女に恋をしたんだと確信していた。

 

「良いの、友哉君?」

「おろ?」

 

 瑠香が少し、呆れ気味に尋ねて来る。

 

「茉莉ちゃんにあんな事させといて?」

「いかにも、彼女らしいじゃない。良い事だと思うよ」

 

 そう言って笑い掛けると、瑠香の頭をポンと叩いて歩き出す。

 

 その背中を、溜息交じりに見詰める瑠香。

 

 正直、この鈍感君と奥手(ヘタレ)ちゃんのカップルを、どうくっつければ良い物か、悩まずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 キンジとレキが教務課由来の特秘任務を負って学園島を離れた為、2年A組の彼の席は常に空席となっていた。

 

 もっとも、キンジは元々、目立つ事を嫌う性格をしていた為、彼が抜けた事でクラス内の空気が重くなる、と言う事は無かったのだが。

 

 問題はクラスよりも、バスカービルの方だろう。

 

 元々は、キンジ、アリア、白雪、理子、レキの5人だけだったチームも、倒した眷属や無所属のメンバーも引き入れて、戦力を拡大している。

 

 その中で主要戦力であるキンジとレキが抜けたと言う事もあるが、何よりキンジがいなくなった事で、ある意味、中心となるべき人間を欠いた状態となっていた。

 

 元々、キンジは(彼自身は意識していなかったが)高いカリスマ性を備えた存在であった。彼がいたからこそ、アクの強いメンバー揃いのバスカービルが一つにまとまっていたのだ。

 

 残っているメンバーでは、どう考えてもキンジが抜けた穴を埋めるには及ばないだろう。

 

 アリアは戦闘力が高く尚且つ仕切り屋でもあるが、自身の直感を重視して突っ走る傾向がある。白雪は生徒会長も務めており纏め役に向いているが、どちらかと言えば後方支援向きであり、前線指揮官と言うタイプでは無い。理子は自由奔放に動くタイプであり、明らかに全体指揮には向いていない。ワトソン、ヒルダ、かなめと言った後発組は言うに及ばずである。

 

 つまり、曲がりなりにもバスカービルがチームとして動いていたのは、キンジと言う存在がいかにも大きかった事を示していた。

 

 そのような状況である。キンジを欠いたバスカービルが、普段にもまして統率が取れなくなるのは無理からぬことでもあった。

 

 それでなくとも、キンジとレキが抜けた穴は大きい。いつ眷属陣営が攻めて来ないとも限らない現状において、戦線の穴埋めは早急にする必要があった。

 

 そんな事を友哉が考えていると、ホームルームの開始を告げる予鈴が鳴り響いた。

 

 と同時に、滑り込むようにして茉莉が教室に駆けこんで来る。

 

 用事の方は終わったのだろうか?

 

 そう思って、友哉が隣の席に座る茉莉に目をやると、何か紙のような物を深刻そうに眺めていた。

 

「おろ? 茉莉、それは?」

 

 友哉に話しかけられた瞬間、思わず茉莉はビクッと肩を震わせながら振り返った。

 

 そんなに驚くとは思っていなかった友哉は、少し怪訝そうにするが、その間に茉莉は、隠すように手に持った紙を机の中に仕舞ってしまった。

 

「い、いえ、何でも無いんです」

「いや、何でも無いって・・・・・・・・・・・・」

 

 あからさまに不審な態度をされて気にならない訳がない。

 

「ほんとに、何でも無いんです。あ、ほら、先生が来ましたよ」

 

 茉莉の言うとおり、担任の高天原ゆとりが扉を開けて教室に入って来る所であった。

 

 先生が来た以上、これ以上私語をするのは躊躇われる為、友哉も追求を諦めて前を向くしか無かった。

 

 だが、茉莉の態度が気にならない訳ではない。

 

 他の者ならいざ知らず、相手が茉莉であるからこそ、気にせずにはいられなかった。

 

 自身が想いを寄せる少女が、自分に隠し事をしている。

 

 その事が友哉には、何となく面白くないように思えて仕方が無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼休みに入り、それまで机の上で不毛な戦いを強いられていた学生達は一斉に解き放たれ、悲鳴を上げる胃袋を満足させるべく、それぞれの行動を開始する。

 

 イクスメンバーもまた、例外ではない。

 

 全員、いつものように食堂に集まって、それぞれの食券で得た食事を手に席に着く。

 

 季節柄だろう。全体的に暖かい物が多く締められている。

 

 だが、

 

「あれ?」

 

 席に着いた時点で、何かに気が付いた陣が不審そうに声を上げた。

 

「そう言えば、瀬田はどうした?」

 

 見回しても、茉莉の姿はそこにはない。いつもなら、みんなの分のお茶がいきわたっているのか確認するくらいの気遣いを見せる茉莉がいない事が、少し意外だったのだ。

 

「うん、何か用事があるから、先に食べててくれってさ」

 

 答える彩夏の言葉を聞きながら、友哉は先程の茉莉とのやり取りを思い出していた。

 

 どうやら、今朝茉莉が、友哉から隠すようにした紙は、誰かからの手紙であったらしい。

 

 茉莉は、その手紙に呼び出されて出て行ったのだ。

 

 それは良いのだが、なぜ、それを自分に隠すようにしなければならなかったのか、友哉には判らなかった。

 

『・・・・・・まずいまずい』

 

 友哉は軽く頭を振って、ネガティブに陥りかけた思考を呼び戻す。

 

 別に付き合っている訳でもない茉莉を束縛する権利は、友哉には無い。勿論、付き合っているからと言って束縛して良いと言う理由にはならない。

 

 茉莉は困っている人を放っておけないからこそ、石井と言う装備科の男子を助ける決断をした。それが彼女にとっての美点であり、彼女に惹かれる者としては、むしろ誇らしく思うべきだろう。

 

 そんな友哉の様子を横目で見ながら、瑠香は内心、これは良い機会ではないかと考えていた。

 

 茉莉が今更、友哉以外の男に靡くとは思えない。それは半年以上一緒に暮して来た瑠香にとっては確信に近い結論であった。ましてか、石井のキャラクター性は、友哉とはほぼ正反対と言っても良い存在だ。言っては何だが、石井は茉莉の好みからは大きく外れているだろう。

 

 だが、石井の存在そのものが、この停滞した状況の突破口になる可能性は期待できる。

 

 兎角、友哉にしろ茉莉にしろ、暢気すぎるきらいがある。

 

 恋は駆け引きであり戦いでもある。

 

 2人のようにのんびりし過ぎていたら、相手を捕まえる事はおろか、永遠に堂々巡りをやっている羽目にもなりかねない。

 

 今回の件が、うまく功を奏してくれたら、2人の仲も進展するのではないか、と考えていた。

 

 その時だった。

 

「緋村君ッ!!」

 

 突然、大声で名前を呼ばれ、友哉は食べる手を止めて振り返る。

 

 そこには、血相を変えて走って来る紗枝の姿があった。

 

「おろ、高荷先輩、どうしたんですか?」

「どうしたもこうしたも無いわよッ 大変なの!!」

 

 普段、殆ど取り乱す事のない紗枝が、我を失うほど慌てている。その事から、何か尋常でない事が起こっている事が覗われた。

 

 

 

 

 

 話は若干、時間を遡る。

 

 友哉や彩夏が食堂に誘うのを辞し、1人正面玄関に向かっているのは茉莉である。

 

 その顔には、困惑と憂鬱が入り混じった表情を張り付けている。

 

「・・・・・・困りました」

 

 実際に言葉に出してから、茉莉は溜息をつく。

 

 その手には、今朝、石井から手渡された手紙があった。

 

『もう少し相談したい事があるので、昼休みに一般科棟正面玄関まで来てください』

 

 文面には、そうあった。

 

「これって・・・・・・多分、そう言う事なんですよね」

 

 「彼氏いない歴=年齢」の茉莉は、今までこの手の物を貰った事がない。普段の茉莉であるなら、恐らくピンとこなかっただろう。

 

 だが幸か不幸か、最近、その手の話題に事欠かない為、その意味を理解してしまった。

 

 ラブレター

 

 古式ゆかしい恋愛の文化である。携帯メール全盛の昨今であっても、やはり想いを伝えるのに最良の手段と言えた。

 

 自分を慕ってくれている異性がいる。ただそれだけなら、決して悪い気はしないだろう。

 

 しかし、それはあくまでも普段の話である。

 

 今の茉莉は、自分の中にある友哉への気持をはっきりと自覚している。その為、正直、この手の物は迷惑でしか無かった。

 

「と、とにかく、こう言う事は、相手にあまり気を持たせるような事をしてはいけない・・・・・・て、この前、瑠香さんが言ってましたし、ここはハッキリ断った方が良いでしょうね」

 

 独り言をブツブツ言っている内に、茉莉の足は正面玄関に着いてしまう。

 

 とにかく、まだ話がそうときまった訳ではないのだ。もしかしたら、全然違う話である可能性だって残されている訳だし。

 

 だがもし、本当に予想通りの話であったなら、まずはきっちりと断る。相手を傷付けないようにする為にも、それが一番だと思った。

 

 探すまでも無く、石井の姿は茉莉の視界に入った。大柄である為、探す手間が省けたのだ。

 

「あ、せ、瀬田さん・・・・・・」

 

 石井の方でも茉莉の姿を見付け、ぎこちなく笑顔を見せて来る。

 

「すみません、石井君。遅くなりましたか?」

「い、いや、僕も、今、来たところだから・・・・・・」

 

 相変わらず、聞き取り辛い低い声で石井は喋っている。

 

 茉莉も、彼の相談に乗るようになった当初は、この聞き取りにくい声に苦労した物である。

 

 石井は様々な事を、茉莉に相談してきた。

 

 強襲科の生徒にいじめを受けた事。成績が下がり気味な事。友達がなかなかできない事。その他にも、装備科で自分が作った武器の事を、自慢げに話してくれた事もあった。

 

 それらをいちいちきちんと聞き、茉莉は時にアドバイスを与え、時に一緒に悩んでもやった。

 

 今回も、同じような用件であって欲しい、と思っている。

 

 そんな茉莉に対し、石井は躊躇うように下げていた視線を上げて、真っ直ぐに見詰めて来た。

 

「せ、瀬田さん!!」

「は、はい!?」

 

 突然大声を上げた石井に、思わず茉莉の大声で返してしまう。

 

 その勢いを借りるように、石井は一気にたたみかけた。

 

「好きですッ、僕と、付き合って下さい!!」

 

 その言葉を聞きながら、

 

 茉莉は心の中で「ああ、やっぱり・・・・・・」と呟く。同時に、この思い切りの良さが羨ましくも感じた。

 

 自分にもこれくらいの思い切りの良さがあれば、友哉に対して、こうも奥手になる事も無いだろうに。

 

 だが、石井に対する羨望はともかく、その想いを受け止める事はできない。

 

 故に、

 

「・・・・・・ごめんなさい」

 

 この言葉は、茉莉にとって必然だった。

 

「あの・・・・・・私、今・・・・・・好きな人がいるんで。その・・・あなたの気持には、答えられません・・・・・・」

 

 本来、この言葉は、言わなくても良い言葉だっただろう。

 

 だが、相手の好意に対する若干の後ろ暗さから、茉莉は言い訳せずにはいられなかった。

 

 対して、石井は口を半開きにしたまま茉莉を見詰めている。

 

 あまりの事にショックを受けているのだろうか。

 

 そう思ったのだが、

 

「おいおい、瀬田さん、何言ってんの?」

「え?」

 

 まるで茉莉が、至極簡単な質問に対して、間違った回答をしたかのように、石井はうすら笑いを張り付けて言う。

 

「ここは、冗談を言う所じゃないよ」

「え、何、言ってるんですか?」

 

 キョトンとする茉莉。勿論、冗談を言っているつもりはない。茉莉は石井の告白に対して、正面から受け止め、そして断ったのだ。

 

 だが、茉莉の真意が伝わっていないかのように、石井は更に言い募る。

 

「いやいやいや、今ので、瀬田さんが落ちない筈ないって。何回もシュミレーションしたんだから、間違いないって」

「そ、そんな事言われても・・・・・・」

 

 困惑する茉莉。

 

 何だろう、この感覚は?

 

 まるで演劇の舞台の上で、相方とのセリフがかみ合わないかのようなもどかしさを感じる。

 

「このシチュエーションだって、一生懸命考えたんだよ。こう言う目立つ場所で告白すれば、奥手の瀬田さんは断る事ができないだろうって・・・・・・」

 

 石井の声に異様な熱が言葉に籠り始めるのを感じる茉莉。だが、その場に釘づけにされたかのように、茉莉は動けずにいる。

 

「大体、何が不満なの? 僕は瀬田さんの事なら、何でも知っているよ。得意な教科も、好きな食べ物も、趣味も、身長も、体重も、スリーサイズも!!」

「な、何で私のスリーサイズを知っているんですかッ!?」

 

 思わず胸を押さえて茉莉は顔を赤くする。まあ、もっともお世辞にも(主に胸のあたりが)自慢できる体型とは言い難いのだが。

 

 だが、そんなことはお構いなしに、石井はヒートアップする。

 

「好きな子の事なら、全部知っていて当然だろ」

 

 自慢げに言う石井。

 

 その双眸に、常軌を逸脱し始めた光が宿り始めているのを、茉莉は見逃さなかった。

 

 そんな茉莉に、石井は掴みかからんばかりの勢いで迫って来る。

 

「教えてくれッ 瀬田さん。僕の、一体どこがいけないんだ!?」

 

 対して、茉莉は逆に、冷静さを帯びて行くのを感じた。

 

 この手の熱し過ぎた手合いに対し、自分まで熱を持ってしまってはいけない。あくまで冷静に、咬んで含むように言って聞かせるのが得策だった。

 

 息を吐き出し、茉莉も真っ直ぐに石井を見る。

 

「ですから・・・・・・あの、私・・・・・・他に好きな人がいるんです」

 

 茉莉が、決定的な一言を口にした瞬間、

 

「何だあれ、ダッセ。振られてやがる」

「ちょっと、やだぁ 馬鹿じゃないの?」

「シッ 聞こえるって」

「構わねェんじゃねェの? こんな所で告る方が馬鹿なんだよ」

 

 周りにいた学生達が、口々に石井を指差して嘲笑する。

 

 なまじ、大きな声を出していたので、茉莉達は周囲の視線を集めていたのだ。加えてここは正面玄関前。目立たない訳がない。

 

 自分を嘲る声を聞き、石井は再び俯き、その大柄な体を震わせる。

 

「あ、あの、石井君・・・・・・」

 

 そんな石井に対し、茉莉は躊躇いがちに声を掛けようとした、

 

 次の瞬間、

 

「うがァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 石井は突然、ガバッと顔を上げたかと思うと、奇声を上げて茉莉に跳びかかって来た。

 

「キャッ!?」

 

 思わず怯む茉莉。

 

 この時茉莉は、石井に対し不用意に近付き過ぎていた。

 

 その為、気付いた時には、茉莉は石井に背後から拘束され、その体を締め上げられていた。

 

「もうダメだ、もう僕はおしまいだ!!」

 

 茉莉を抱えたまま、絶望的な叫びを上げる石井。

 

 対して、突然の事で呆然としていた茉莉も、我に返って叫ぶ。

 

「い、石井君、お、落ち着いてください!!」

「うるさいッ!! 僕はもう、おしまいなんだよ!!」

 

 言い放つと、左腕で茉莉の細い体を拘束し、右手は、腰からナイフを抜き放って茉莉の頬に当てた。

 

「ッ!?」

 

 一瞬、刃の冷たい感触に息を飲む茉莉。

 

 この手の荒事には馴れている茉莉でも、ナイフを直接顔に当てられて怯まない筈がなかった。

 

「お、おい、その娘を放せ!!」

「馬鹿な真似はやめなさいッ」

 

 周囲で先程まで石井を罵っていた生徒達も、ようやく状況が尋常でない事を察し、収拾の為に動きだす。

 

 しかしいかに武偵であっても、狂躁状態の人間を言葉だけで説得するのは難しい。

 

「うるさい、黙れッ!! 瀬田さんに振られた以上、僕はもう、生きてたってしょうがないんだッ だから、瀬田さんを殺して僕も死んでやる!!」

 

 石井がめちゃくちゃにナイフを振り回すと、即席の包囲網は呆気なく崩れて四散してしまう。

 

 その様子を見ながら、石井はニヤリと笑う。

 

 そこには最早、先程まで存在した気弱な少年はいない。狂気に走った犯罪者がいるだけだった。

 

「さあ、瀬田さん。行こうか。僕と君だけの楽園へ」

 

 完全に常軌を逸した石井の言葉に、茉莉は背中が寒くなるのを禁じ得なかった。

 

「そうだ、どうせなら、君をたぶらかした男にも見せてやろう。君が処刑されるところをね」

 

 石井の言葉に、茉莉はハッと顔を上げる。

 

『友哉さん・・・・・・・・・・・・』

 

 その脳裏には、想いを寄せる少年の温和な顔立ちがハッキリと浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 紗枝から知らせを受けた友哉達が駆けつけた時、既に現場は校庭へと移され、そこには包囲するように黒い人だかりができ上がっていた。

 

「何か、凄い事になってるねッ」

 

 ピョンピョンと跳びはねながら、瑠香が緊張した面持ちで言う。人垣が高過ぎて、彼女の背では中の様子が見えないのだ。

 

 それは友哉も同じである。男子としては比較的小柄な友哉では、中の様子を覗う事ができない。

 

 中で一体、どうなっているのか。

 

 茉莉は無事なのか。

 

 焦る気持ちが、水に浸したように増えて行く。

 

 その時、

 

「友哉ッ!!」

 

 名前を呼ばれて振り返ると、アリアが長いピンク色のツインテールを靡かせて走って来るところだった。

 

「アリアッ」

「話は聞いたわ。茉莉が人質になっているそうね」

 

 すでに周知メールが出されている。加えて今は平日の昼休み。殆どの学生が学校にいる。現場の状況は、既に大半の生徒に知れ渡っていた。

 

「既に強襲科(アサルト)の制圧チームが動いているわ。狙撃科(スナイプ)にも出動要請が出てる。アンタ達も手伝いなさい」

 

 ここは自分達にとってのホームグランド。制圧作戦の立案、実行も速やかに行える。

 

 だが、友哉は狙撃科が出動している事態に、僅かな難色を示した。

 

 うちの狙撃科を信用していない訳ではないが、万が一、茉莉を誤射をしてしまう可能性も考慮すると歓迎すべき事態では無かった。せめて、レキがいてくれたら安心できたのだが。

 

 その間にも、どうやら包囲網の内側では石井に対する説得と、時間稼ぎが行われていた。

 

「と、とにかく落ち着け。まずはナイフと、その娘を下ろすんだ!!」

 

 尋問科(ダギュラ)の生徒が、必死になって宥めようとしている。

 

 だが、

 

「煩い!! 早く、この女をたぶらかした男を連れて来い!! そいつも一緒に殺してやる!!」

 

 言いながら、抱えている茉莉の頬に刃を押しあてる。

 

 白い頬が、ナイフによって僅かに斬られ、鮮血が滲み出る。

 

 そんな中で、茉莉は成す術も無く捕らわれている事しかできない。

 

 一見すると気弱そうに見える石井だが、その大柄に違わず、凄まじい腕力で茉莉の華奢な体を締め上げている。茉莉の腕力では、到底解けそうになかった。

 

 加えて、石井と茉莉では頭2つ分くらい背丈が違う為、抱え上げられると完全に地から足が離れてしまう。茉莉の強さは、あくまで縮地を利用した高速戦闘にある。つまり、地面から足を離されてしまうと、殆ど何もできなくなってしまうのだ。

 

 せめて、サイドアームとして携行しているブローニング・ハイパワーを抜ければ良いのだが、腕ごと拘束されている為、スカートの下のホルダーに手が届かない。

 

 つまり、今の茉莉は全ての反撃手段を封殺されているに等しかった。

 

『クッ・・・・・・このままじゃ、まずい・・・・・・』

 

 締めあげられ痛む体に顔を歪めながら、茉莉はどうにか、この状況を抜けだす手段を模索する。

 

 既に友哉も、この事態を知っている可能性が高い。

 

 もし友哉がここに来たなら、石井がこれ以上何をするのか想像もできなかった。

 

 包囲している生徒達も、茉莉が人質にされている関係で、遠巻きに見ている事しかできない様子だ。

 

『わ、私が、何とか、しないと・・・・・・あぐッ』

 

 どうにか拘束から抜け出そうともがくが、一層体をきつく締めあげられ、殆ど身動きができなくなってしまった。

 

「残念だったね、瀬田さん。どうやら、君と一緒に死のうって言う勇気を持ったやつはいないみたいだ。けど、安心して良いよ。僕は絶対に、君を1人ぼっちにはさせないからね」

 

 得意の絶頂と言った感じの石井が、勝ち誇ったようにそう言った時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場の空気が、一変した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空気そのものが粘つくような、そんな錯覚が支配する。

 

 まるで、コールタールの海に、放り込まれたかのようだ

 

「な、何だ・・・・・・これ・・・・・・」

「く、苦しい・・・・・・」

「気持ち、悪い・・・・・・」

 

 包囲していた生徒達が、次々とその場に倒れ伏して行く。

 

 装備科や車輛課、救護科など、荒事に向かない学科の生徒などは、失神する者まで出ている。

 

「な、何だよ、これはッ!?」

 

 その異様な光景に、石井もまた困惑の表情を浮かべる。

 

 「気当たり」と言う言葉がある。

 

 殺気や剣気、闘気と言った目に見えない、所謂「気合」を相手にぶつける事で相手を怯ませる効果を生む行為である。

 

 剣道の立ち合いにおいて、気勢を上げるのは、その効果を狙った物でもある。

 

 この気当たりによって相手を怯ませる事ができれば、それだけ戦いを有利に進める事もできるのだ。

 

 だが如何様にすれば、対象だけならいざ知らず、周囲にいる無関係な者達をも巻き込む程の気当たりを発する事ができると言うのか。

 

 しかも、ただ怯むだけならいざ知らず、大半の者が動く事すらままならなくなるくらいに射竦められている。それだけでも、この状況を現出した人物が怪物じみている事が覗えた。

 

 多くの者が、その場にて倒れ伏す中、

 

 ゆっくりと前に出る者がいた。

 

「その娘を離せ」

 

 低く囁かれる言葉は、まるで古の魔王が降臨したかのように、声だけで周囲を凍てつかせる。

 

 容姿は可憐な少女のよう。

 

 しかし、内面から発せられる殺気は、修羅にも匹敵する凄惨さを誇っている。

 

「ゆ、友哉さん・・・・・・」

 

 息を飲みながら、茉莉が名前を呼ぶ。

 

 友哉の出現に、一瞬怯む石井。

 

 だが、既に精神が狂気に染まり始めている石井にとって、今にも斬りかかりそうな友哉の剣気さえ、ただの微風程度にしか感じていなかった。

 

「お、お前か、瀬田さんを誑かしたのは!?」

「だったら、何だ?」

 

 間髪入れずに返される、友哉の冷たい声。

 

 その言葉に気圧され、再びナイフが茉莉に突きつけられた。

 

「そ、それ以上近付いて見ろ。瀬田さんを殺すぞ!!」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 その言葉に、一瞬動きを止めた友哉だが、

 

 すぐに鋭い眼差しで、石井を睨みつける。

 

「やってみろ。ただし・・・・・・」

 

 続けて発せられた言葉を、その場にいた多くの者が、恐怖と共に心に刻みつけた。

 

「その時は貴様に、痛覚を持って産まれて来た事を後悔させてやる」

 

 死

 

 その場にいた誰もが、石井の死を予感する。

 

 それほどまでに、今の友哉は危険極まりない存在と化していた。

 

 更に、1歩前へ出る友哉。

 

「く、来るなッ 来るなァッ!!」

 

 友哉がいかに危険な存在であるか、ようやく気付いたのだろう。

 

 石井は茉莉に突きつけていたナイフを、とっさに友哉に向ける。

 

 だが、人質からナイフを離した時点で、石井の運命は決まっていたような物だ。

 

 次の瞬間、

 

 ガンッ

 

 鋭い発砲音と共に、石井の腕に着弾した。

 

「あぐッ!?」

 

 思わず、ナイフを取り落とす石井。

 

 友哉の背後。姿を隠して射角が取れるギリギリの位置に、白銀のガバメントを構えたアリアが立っていた。

 

 友哉が石井の気を引き付けている内に、照準を合わせたアリアが精密射撃を敢行したのだ。

 

 友哉の背を目隠しにしながら、僅かな射角で行う狙撃。いかに中距離とは言え、アリア以外にこの任務を達成できる者はいなかった。

 

 腕への着弾で、一瞬、石井の気が逸れる。

 

 そこへすかさず、友哉が一足で近付くと、茉莉の腕を取って強引に石井から引き離した。

 

「せ、瀬田さん!!」

 

 尚も未練がましく手を伸ばそうとする石井。

 

 だが、

 

「うるせぇんだよ!!」

 

 飛び出した陣が、その顔面を殴り飛ばす。

 

 多少、腕力があろうとも、陣のように常識外の戦闘力がある訳ではない。

 

「グボハッ!?」

 

 肺から抜けるような声を発し、無様にも地面に転がる石井。

 

 そこへ、彩夏が躍り出て来た。

 

「確保して!!」

 

 彩夏の号令の元、待機していた制圧チームが一斉に殺到し、倒れている石井を踏みつけ、殴り付け、拘束して行く。

 

 石井は尚も、言葉にならない叫びを狂ったように上げていたが、屈強な強襲科生徒に敵う筈も無く、あっという間に拘束され、そのまま連行されてい行く。

 

 その様子を、茉莉は友哉の腕の中で、悲しげに見詰めていた。

 

「大丈夫か?」

 

 不意に声を掛けられ顔を上げると、友哉は鋭い眼差しの仲にも、気遣うような視線を茉莉に向けて来ていた。

 

「・・・・・・は、はい。すみません、でした」

「いや、無事なら、それで良い」

 

 そう言うと、友哉は茉莉の頬に滲んだ血を、指先でそっと拭ってやった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黄昏に暮れる救護科棟の廊下で、友哉、陣、瑠香、彩夏のイクスメンバー達は、無言のまま佇んでいた。

 

 結局あの後、茉莉は簡単な治療を衛生科で受けた後、尋問科で事情聴取を受けた。

 

 事件の被害者であるとは言え、一応、確認を行わなければならない事がいくつかあったからだ。

 

 友哉や紗枝などは、茉莉が心身ともに疲弊している事を考慮して、聴取の延期を要求したが、当事者である茉莉が応じた為、予定通りの尋問が行われた。

 

 石井の方は強襲科に逮捕された後、同じように尋問科に連行されたが、こちらはひどく躁状態が続いており、とてもまともな会話ができる状態では無いとの事で、尋問は後日に回されていた。

 

 事情聴取を終えた茉莉は、その足で救護科へと行き、本格的な検査を受けている。

 

 そして、今に至る訳である。

 

 ここに集まった全員が、茉莉の身を案じて来たのだ。

 

 あのような事件に巻き込まれ、その後尋問科に拘束されたのだ。ひどいショックを受けていなければ良いが。

 

 そう考えていると、診察室の扉が開き、茉莉と、彼女を診察してくれた紗枝が出て来た。

 

「茉莉ちゃんッ!!」

 

 瑠香が真っ先に飛びつくと、茉莉の体をきつく抱きしめる。

 

「茉莉ちゃん、本当に良かったよッ」

 

 今にも泣き出しそうな瑠香を抱き留め微笑みかけると、茉莉は改めて全員を見回した。

 

「皆さん、ご迷惑をおかけして、本当にすいませんでした」

「気にすんな、良いって事よ」

「別に、アンタが悪い訳じゃないでしょ」

 

 陣と彩夏も、そう言って茉莉を慰める。

 

 そして、

 

「無事で良かった。本当に」

「友哉さん・・・・・・」

 

 微笑みかける友哉に対し、茉莉は夕日以外の事で顔を僅かに赤く染める。

 

「診察してみた限りでは、顔以外に特に外傷はないわ。ただ、精神的に少しショックを受けているみたいだから、ゆっくり休みなさい」

「はい・・・・・・」

 

 お大事にね、と言って部屋の中に戻っていく紗枝に頭を下げる茉莉。

 

 その顔には、ナイフで斬られた際にできた傷が残っており、今は絆創膏を貼っている。紗枝の診察では、半日程度で傷は完全に塞がり、跡も残らないだろうとの事だった。

 

 だが、優しさの代償は、あまりにも高くついた。

 

「さてッ」

 

 彩夏が、パチンと手を叩く。

 

「茉莉も無事だった事だし。今日はここで解散にしましょう」

 

 そう言うと、陣と瑠香の背中を強引に押して歩き出す。

 

「お、おい、何すんだよッ?」

「良いから良いから」

 

 彩夏は言いながら、2人の背中を押して行ってしまう。

 

 後には、友哉と茉莉の2人だけが廊下に残された。

 

 沈黙が、黄昏の寒気の中に舞い降りる。

 

 友哉と茉莉、互いに向かい合ったまま、無言のまま時間が過ぎて行く。

 

 ややあって、沈黙に耐えきれなくなった友哉の方から、口を開いた。

 

「茉莉、僕達もそろそろ・・・・・・」

 

 「帰ろうか」と言おうとした友哉。

 

 その友哉の胸に、茉莉が飛び込んだ。

 

「・・・・・・すみません。もうちょっとだけ、このままでいさせてください」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 抱き留めた友哉の胸に、かすかな震えが伝わってくる。

 

 茉莉は泣いていた。

 

 あまりに悔しくて。

 

 あまりに悲しくて、泣いていた。

 

 そんな茉莉の背に、友哉は手を回し、

 

 そして安心させるように、優しく頭を撫でてあげた。

 

 

 

 

 

第2話「優しさの代償」      終わり

 



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第3話「特別依頼」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タワーの如く詰まれた医学書は、今にも崩れてきそうなほど不安定に揺れている。

 

 時刻は深夜2時。夜勤でもない限り、この時間帯に救護科にいる生徒はいない。

 

 だが紗枝は、どうしても早急に調べたい物がある為、日勤開けであるにもかかわらず、救護科で自分が使っている診察室に、夕方から籠っていた。

 

 目の前にある分厚い医学書を、隅から隅まで読んで行く。本来なら、読み上げるのに、昼夜ぶっ続けで読んで4日は掛かりそうな代物だが、紗枝は既に3分の2近く読み進めていた。

 

 気になる事があった。

 

 それは、ついこの間見た、緋村友哉の姿。

 

 同じチームの少女である瀬田茉莉を人質に取られた友哉は、普段の彼からは想像もできないような凶暴性を垣間見せていた。

 

 紗枝も、友哉とは2年近い付き合いになるが、彼のあんな所は見たのは初めてである。

 

「あれが・・・・・・緋村君のもう1つの人格・・・・・・」

 

 事前に相良陣から聞かされていた事だが、実際に見た時のインパクトは計り知れなかった。

 

 目の前にいる全ての敵を切り裂くかのような狂気。

 

 己の大切な物の為なら、他の全てを切り捨てる事も厭わないかのような孤高性。

 

 あらゆる物を、自らの膝下にひれ伏させる、暴君の如きふるまい。

 

 その全てが、紗枝の持つ「緋村友哉」のイメージからかけ離れていた。

 

 事件の現場から離れていた紗枝でさえ、あの時の友哉の気当たりで、少しの間、気分が悪くなってしまっていたほどだ。

 

 もし、あれが二重人格だとしたら、武偵校はとんでも無い怪物を育てている事になる。

 

 一息入れる為に、傍らにおいてあるポットから、眠気覚ましのコーヒーを入れる。

 

 香ばしい香りに浸りながら、紗枝は沈思する。

 

 医学が発展している、と言っても、未だに人類にとって、人体と言うのは未知の部分が多い。それが脳や精神となると、尚更の話だ。複雑すぎて、未だに人間の手が入っていない場所ばかりだ。

 

 紗枝が今読んでいるのは、精神学に関わる医学書である。

 

 紗枝の専門は、内科と内臓外科である為、脳外科や精神科は専門外である。しかし、気になった事は調べずにはいられない性分なのだ。

 

 だが、この医学書を持ってしても、未知の部分が大きすぎて判らない事が多かった。

 

 友哉とは知らない仲ではない。学年こそ違うが友人だとも思っているし、イクスメンバー達は今や、紗枝にとって専属の担当患者でもある。

 

 少しでも、彼等の役に立ってやりたかった。

 

 

 

 

 

「無期限停学処分、ですか?」

 

 教務課に、友哉の不満げな声が響く。

 

 目の前には強襲科教員の蘭豹と、探偵科教員の高天原ゆとりがソファーに座っている。だが、よく見れば、蘭豹は不機嫌そうにそっぽを向き、ゆとりは申し訳なさそうに顔を伏せているのが判る。

 

 そして、友哉の横には、少し悲しげに俯いている茉莉の姿があった。

 

 今日2人が教務課に呼び出されたのは、先日、石井が引き起こした人質殺人未遂事件、その顛末に関係した説明を受ける為だった。

 

 あの事件の後、数日の間、茉莉は見るからにふさぎ込んでいた。

 

 無理も無い。自分が好意から起こした行動が、結果的に裏目に出て、1人の生徒を傷付けてしまったのだから。

 

 傷付いたと言えば茉莉もそうだし、彼女こそが、今回の件に関する最大の被害者である筈なのだが、自分の痛みよりも、他人の痛みの為に泣く事ができる少女である。今回の件で責任を感じてしまうのは無理からぬことであった。

 

 それでも、ここ数日は何とか立ち直った様子を見せ、少しずつだがいつもの調子を取り戻している様子だった。

 

 そして今日、2人は揃って教務課に呼び出された。

 

 そこで聞かされた、事件の容疑者である石井に対する処罰は「武偵校無期限停学処分」であった。

 

 当然、納得がいく筈がない。

 

 あれだけの事件を起こしたのだ。一般人であっても収監、実刑は免れない所である。ましてか、石井は曲がりなりにも現役の武偵だ。武偵が罪を犯した場合、「武偵三倍刑」が発動される為、一般人よりも罪が重くなる。

 

 それなのに、こんな軽い処分ですむ事事態、あり得ない話であった。

 

「説明してください。どう言う事ですか!?」

 

 身を乗り出すように食いつく友哉。事によっては、相手が蘭豹であっても掴みかからんとする勢いだ。勿論、その1秒後には友哉の方が床に這いつくばっているだろうが。

 

 対して蘭豹は、面倒くさそうに耳穴に指を入れながら、それでも眼光だけは鋭く友哉を睨みつけた。

 

「鬱陶しいから、子犬みたいにキャンキャン喚くなや。言われんでも、今から説明したるわボケ」

 

 吐き捨てるように言ってから、傍らのゆとりへと視線をやる。

 

 蘭豹の目配せを受けて頷くと、今度はゆとりが口を開いた。

 

「まず、2人に説明しておかなくちゃいけない事は、武偵校はその特殊性があるとは言え、れっきとした日本の高校であると言う事です。そして、たとえどんなジャンルであったとしても、学校を運営するには、莫大なお金が必要になります」

「分けても、うちらの学校は、浮島1個丸々買い取って学校にしとる。当然、掛かる費用も半端無いって事や」

 

 学園島は南北に2キロ、東西に500メートル。総面積1000平方キロメートル。更にその上に、各種最新の設備を満載した建造物を建設しているのだ。それ自体が、ちょっとした「学園都市」と呼んでも差支えは無い。

 

 一体、この島を維持するのにかかる費用がどれほどになるのか、友哉にも茉莉にも、想像がつかなかった。

 

「それで、ここからが本題なんですけど、石井君の家は、石井君が入学するに当たって、うちの学校にたくさんのお金を寄付してくれたんです」

 

 ゆとりの説明に、ようやく友哉は事態を飲み込めて来た。

 

 要するに、石井の家は武偵校に取ってスポンサーのような存在であり、発言権も大きいのだろう。その息子に重い罰を与える事は、自分達の首を絞めることにもなりかねない、と言う事だろう。

 

 それ故に武偵校側としては、石井を処罰する事ができず、事実上の「処分保留」に近い、無期限停学処分にするしか無かったのだ。

 

「石井君の家は、さる大会社の取締役で、全国の武偵校連盟の理事会員も務めていて。だから、誰も滅多な事は言えないんです」

「だからってッ」

「話はそれだけやないで」

 

 友哉の声を遮って、蘭豹が口を出す。

 

「連中、今回の件に異議申し立てを出して来よった。『うちの息子は誑かされただけであり、事件には何の罪も無い被害者である。罪は、被害者を僭称する少女の方にこそ問うべきである。真の加害者であるその少女こそ、厳罰にするべきである』ってな」

「そんな理不尽な話がありますかッ!!」

 

 激昂する友哉。

 

 彼らの主張する「少女」が、茉莉の事を言っているのは疑うべくもない。

 

 自分の身内可愛さに、被害者を加害者として糾弾する。これでは論点のすり替えも甚だしい。

 

 そんな道理の通らない事があって良い筈がなかった。

 

「馬鹿な息子を庇う馬鹿な親ってのは、どこにでもいるもんや」

 

 呆れ気味の溜息と共に、蘭豹が吐き捨てる。

 

 態度を見ている限り、蘭豹もゆとりも今回の件に不服を持っているのは判る。しかし、翻って一教師に過ぎない彼女達にも、どうにもならない事があるのだろう。

 

「で、だ・・・・・・」

 

 蘭豹は友哉と茉莉を交互に見詰めて言った。

 

「お前等2人、暫くの間、学校を離れろや」

 

 え? と驚く2人に、後を引き継いだゆとりが更に説明する。

 

「今回の件、ちょっと長引きそうなんです。下手をすると、あなた達にも累が及ぶ事になるかもしれないですから。その間、少し学校を離れていて欲しいんです。その間に必要な事は、こっちでやっておきますから」

「ちょうど、教務課の方に厄介な任務が一つ入っとる。こいつをお前等に回す事にする」

 

 つまり、長期任務中と言う事で、友哉と茉莉を武偵校から一時的に遠ざけ、その間に学校側で石井と交渉してくれると言う事らしい。

 

 顔を見合わせる、友哉と茉莉。

 

 これは武偵校が今、2人に示す事ができる最大限の温情である事が理解できる。

 

 それ故に、断る事は、できそうになかった。

 

 

 

 

 

 暗い部屋にうずくまり、石井忠志は光の籠らない目で虚空を見つめている。

 

 思い出されるのは、先日の武偵校での一件だ。

 

 石井が茉莉を人質にとり、殺人未遂にまで発展した事件。

 

 石井の中では、あの時の事を反芻する度に、「なぜ?」という疑問が溢れていた。

 

 なぜ、あのような事になってしまったのか?

 

 なぜ、自分だけがこんな目に合わなくてはならないのか?

 

 なぜ、他の奴等から嘲笑を受けなくてはならないのか?

 

 なぜ?

 

 なぜ?

 

 なぜ?

 

 なぜ、こんな事になったのか?

 

 自分はただ、彼女に告白をしただけだと言うのに。

 

 彼女なら、受け入れてくれると思った。

 

 なぜなら瀬田茉莉と言う少女は、石井が武偵校に入って、初めてまともに会話に応じてくれた相手だったからだ。

 

 あの、ロキシーで苛められていたところを助けてくれた時。

 

 その後、色々な相談を親身になって聞いてくれた時。

 

 友達のいない石井にとって、それは宝石のように貴重な体験であった。

 

 彼女こそ、自分の女神だ。

 

 彼女こそ、自分の運命の相手だ。

 

 憧れが恋に変わるのに、それほどの時間はかからなかった。

 

 だから、行動に移した。この感情を、僅かでも持て余す事ができなかったからだ。

 

 何度も何度も練習し、シチュエーションを組み、同時に茉莉の事をたくさん調べ上げた。

 

 武偵校に入って以来、石井は間違いなく最高の勤勉さを発揮した。

 

 それほどまでにして、石井は茉莉を手に入れたかったのだ。

 

 そして、全ての準備を整え、彼女に告白した。

 

 結果は、無惨だった。

 

 無上にして純粋な想いを断られたばかりか、あまつさえ目の前で下らない惚気まで聞かされる始末。極めつけは、周りにいた奴等に嘲笑まで浴びせられた。

 

 その後の事は、覚えていない。

 

 気が付けば、逮捕され尋問されていたのだ。

 

 尋問科の生徒から、自分が茉莉を人質に取って、殺人未遂をしたと言う事を聞かされた。

 

 なぜ、そのような事をしてしまったのか?

 

 どうして、こんな事になってしまったのか?

 

 自問自答は、際限無く続く。

 

 やがて石井は、ゆっくりと顔を上げる。

 

「・・・・・・・・・・・・あいつ等が悪い」

 

 囁かれた言葉は、怨嗟と憎悪に彩られ、赤黒く染まっているかのようだ。

 

「あいつ等が、全部悪い」

 

 自分を誑かした女、瀬田茉莉。

 

 そして、瀬田を唆した男、緋村友哉。

 

 あいつ等が自分を騙し、嘲笑しなければ、今、自分がこのような目にあう事も無かったのだ。

 

 自分は何も悪くない。

 

 あいつ等さえいなければ、自分はこのような目に遭わなくて済んだのだ。

 

「許さない・・・・・・絶対に許さない・・・・・・」

 

 自分がどうなろうが、最早、そんな事は関係なかった。

 

 ただ、あの2人。

 

 瀬田茉莉と緋村友哉だけは、絶対に許せない。奴等に自分達の罪を判らせ、罰を与えなければならない。

 

 瀬田は、緋村友哉の前でたっぷりと辱めを受けさせてやる。

 

 その後、泣き崩れる瀬田の目の前で、緋村を八つ裂きにして殺してやる。

 

 傍から見れば、見苦しい逆恨み以外の何物でもない、破綻だらけの論法。

 

 だが、当の本人からすれば、地面に張った根よりも強固な「必然」によって生まれた意思。

 

 かつて、気弱で苛められるだけの存在だった少年は、そこにはいない。

 

 今や完全に狂気の虜と化した石井にとって、「確固たる罪に対する、正当な報復」を躊躇う理由は微塵も存在しなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 任務の通達を受けた翌日から、早速友哉と茉莉は行動を開始した。

 

 とは言え、「じゃあ、始めますか」と簡単にいくわけでは無い。各種手続きや、関係各所への通達、事務的な確認など、先にこなさなくてはならない事は多いのだ。

 

 特に、今回は長期に渡って武偵校を離れる任務と言う事で、最大の問題として補給が上げられる。

 

 補給を無視しては勝機がないのは、戦争も武偵活動も同じである。

 

 食料や各種弾薬類、携帯バッテリー。資金等、様々な物を予め用意してから任務に臨まないといけない。任務中にこれらが不足した場合、武偵校から離れた場所では、即補充、と言う訳にはいかないのである。

 

 銃弾もそうだが、刀にしても一定の性能を維持する為には常に整備は欠かせない。その整備の為の道具も用意して行く必要があった。

 

 後は連絡と引き継ぎだろう。

 

 特に今は、極東戦役の最中。仲間達に、自分達が任務で暫くの間、学園島を離れる事。その間の連絡や防衛戦の維持、何より、イクスの指揮統率を誰かに引き継ぐ必要がある。

 

 そこで友哉はジャンヌに事情を説明し、学園島の防衛や、万が一の時の連絡手段の交換を行った。

 

 ジャンヌも茉莉の身に起きた事は知っているので、友哉の申し出に快く応じてくれた。

 

 更に友哉は、彩夏に自分と茉莉不在時の指揮代行を頼んだ。

 

 本来なら、後発組の彼女にそのような事を頼むべきではないのだが、陣にしろ瑠香にしろ、前線で暴れるタイプであり、指揮には向いていない。残留メンバーの中では、彼女が最も指揮官に適任だった。

 

 そうして各種の手続きを終えた友哉と茉莉は、行動を開始したのだった。

 

 任務を行うに当たって、まずは依頼人と会う必要があった。

 

 任務の詳細に関して、友哉も茉莉も教務課からは何も聞かされていない。依頼人から直接言われるように指示されている為だ。

 

 指定された喫茶店で待つ事10分。

 

 2人の前に現われたのは30代前半ほどの、人当たりの良さそうな青年だった。

 

「あ、お待たせしました。武偵校からいらした方々、で宜しいですよね?」

 

 そう言って、頭を下げて来る相手に対し、友哉と茉莉も立ち上がって礼をする。

 

「初めまして武偵校から来ました緋村友哉です」

「瀬田茉莉です」

 

 2人が名乗ると、相手の方も掛けている眼鏡を直しながら答えた。

 

「初めまして、私が依頼を送りました、浪日製薬株式会社専務の武田克俊(たけだ かつとし)と申します」

 

 その肩書きに、友哉と茉莉は驚いた。

 

 浪日製薬(なみひ せいやく)と言えば、今急成長中な事で話題の会社である。数々の新商品をヒット的に売り出している事でも有名であり、何れは上場株式市場にも名を連ねるのではと、もっぱらの噂である。

 

 その浪日製薬の専務が、このように若い男性であった事に驚いたのだ。

 

 その2人の様子から、何に驚いているのか察したのだろう。武田は少し照れくさそうに頭を掻いて苦笑する。

 

「まあ、専務と言いましても、私はたんに、みんなの纏め役みたいなものですから」

 

 謙遜はしているが、大会社の事実上のナンバー2を務めていると言うだけで、武田がいかに優秀なサラリーマンであるかと言う事が覗えた。

 

「それで、御依頼の件ですが?」

 

 挨拶を終えたと言う事で、茉莉は先を促すように話を進める。互いに恐縮していても話は始まらない。単なる時間の無駄である。

 

 武偵憲章5条「行動に疾くあれ」だ。何に付けても、もたもたする事に意味は無かった。

 

「そうですね。では、早速ですが」

 

 そう言うと武田は、持って来た鞄から数枚の資料を取り出して2人に渡した。

 

「お二人にお願いしたいのは、我が社の内部調査なのです」

「内部調査、ですか・・・・・・」

 

 武田の言葉を聞き、友哉は内心で首を傾げた。

 

 探偵が全盛だった時代から、大会社が内部調査を外部の人間に依頼する事は珍しくない。それが武偵に代わっても同じ事であった。

 

 しかし、

 

「あの、内部調査と言う事であれば、他の人間に当たらせた方が良かったのでは? こう言っては何ですが、こちらの瀬田はともかく、僕は強襲科、言ってしまえば荒事の専門家です。この手の依頼には向かないと思うのですが・・・・・・」

 

 調査系の依頼は、これまで何度かこなした事があるが、大抵はキンジや理子など、探偵科の友人の手伝いが殆どだった。正直、浪日製薬ほどの大会社の内部調査を手動で行う自信は無かった。

 

「それが、そうでもないのです・・・・・・」

 

 武田は、少し体を俯かせると、苦々しい口調で説明を始めた。

 

 武田の話によると、最近、社内で妙な噂が上がっているとか。それは、浪日製薬が急成長する事になったきっかけに起因する噂。

 

 浪日製薬は、ここ数年で急成長を遂げてはいるが、それまではどこにでもありそうな、ごく普通の中小企業であり、事業規模もささやかな物であった。

 

 しかし、歴史だけはそこそこ古く、創業は戦後にまで遡るらしい。

 

 だが、それまで、言ってしまえば泣かず飛ばずだった浪日製薬が、数年で急に成長したのには、何か理由があるのではないか、と言う噂が立ち始めた。

 

 そして、その理由こそが、

 

「生物兵器、ですか?」

「まさか・・・・・・」

 

 物騒過ぎる言葉に、友哉と茉莉は思わず絶句した。

 

 日本では核兵器、細菌兵器、生物兵器の開発、保有は法律によって禁止されている。もし開発を行えば、個人だけでなく会社そのものが操業停止に追いやられるだろう。

 

 にわかに信じがたい話である。

 

「私も、初めはそう思いました。しかし、調べてみたら、確かにここ数年、社長を中心にして、極秘のプロジェクトが行われている事が判ったんです」

「極秘って、武田さんにも知らされずに、ですか?」

 

 専務すら知らないプロジェクトなど、果たして存在するのだろうか?

 

「私は、どちらかと言えば経理担当ですので。開発にはあまり手を付けていないのです」

 

 武田の説明によれば、浪日製薬では研究開発部が1つの独立したセクションになっているらしい。その総指揮は社長自ら取っており、詳細を知る者はごく僅かだとか。武田をはじめとする経営陣は、経理や広報、営業などを担当しているらしい

 

「でも、極秘プロジェクトがある、ってだけじゃ、生物兵器を開発している事にはなりませんよね。他に何か、証拠になるような物があったりしますか?」

「はい。そこで、私も独自に調べたのですが、どうやら社長は、小笠原諸島の一角に、独自の研究施設を持っているらしいのです。そこは絶海の孤島で、週1回の船による定期便以外、連絡手段がないらしいんです。正式な会社の研究施設は他にあるのですが、それ以外に、社員にも秘密の研究施設を、そのような人目を隠すような場所に作る事が、どうにも私には疑わしく思えてならないのです」

 

 言われてみれば、確かに怪しく思える。

 

 ただの製薬工場なら、そんな辺鄙な場所に作る必要はない。だいたい、そんな場所に造れば、完成した製品を運び出すだけでも一苦労だし、輸送に掛かる費用もばかにならない。

 

 つまり、人目に付かせたくない物で、尚且つ、その程度の出費を度外視しても良いレベルの品物を、その工場で作っている、という論法が成り立つ。

 

 火の無い所に煙は立たない、とは古来から言われている事だ。それを考えると、この疑惑も真実味を帯びて来る。

 

「公的機関に調査を依頼し、もし万が一、黒であった場合、会社が受ける被害は測り知れません。だから、武偵校に調査依頼を出したのです。緋村さん、瀬田さん。どうかこの通り、宜しくお願いします」

 

 そう言って武田はテーブルに手を突くと、深々と頭を下げる。

 

「友哉さん、私は、受けても良いと思います」

 

 茉莉は控えめに、そう言ってくる。

 

 確かに、この話が本当なら、大変な事になる。

 

 暫く目を瞑って黙考した後、友哉は武田に目を向けた。

 

「武田さん。定期便が出るのはいつですか?」

「今夜です。時間は夜の7時」

 

 時計を見る友哉。

 

 時間は充分にある。今から向かえば、潜入は充分に可能だろう。

 

「判りました。この依頼、お受けします」

「あ、ありがとうございます!!」

 

 そう言って、再び頭を下げる武田。

 

 まずはその問題の島に乗り込む。その上で白なら良し。だが、万が一黒なら、その時は相応の対処をする必要があった。

 

 友哉がそう考えた時だった。

 

「友哉さん、これッ」

 

 茉莉の緊迫した声に、友哉は思考を止めて、彼女の方を見る。

 

 対する茉莉は、緊張した面持ちで、貰った資料を指差している。

 

 そこに書かれている人物の名前を見て、

 

「ッ!?」

 

 友哉は絶句した。

 

『浪日製薬代表取締役社長:石井久志』

 

 そこには、そう書かれていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大井コンテナ埠頭と言えば、すぐ目と鼻の先に学園島が見える場所にある。

 

 ここはある意味、友哉にとって因縁の深い場所である。

 

 あの《仕立屋》由比彰彦と初めて対峙した場所であり、そこから連綿と続く因縁が始まった場所でもある。

 

 隣を歩く茉莉。

 

 もしこの場所の因縁がなかったら、彼女と出会う事も無かったかもしれない。

 

 そう考えると、決してマイナスのイメージばかりがある訳では無かったが。

 

 武田が運転する車で埠頭にやって来た友哉と茉莉が見た物は、荷物の積み込み作業を行っている大型のコンテナ船だった。

 

 島にどれくらいの人間がいるのかは判らないが、その全員が1週間生活できるだけの必需品を輸送しているのだ。あれくらいの大きさは必要なのかもしれない。

 

「あれ、ですか」

「ええ」

 

 友哉の問いかけに、武田は緊張した面持ちで答える。

 

 彼の話では、島までの航程は船を使って24時間弱。結構な距離と言えるが、あれだけの大型船なら隠れる場所はいくらでもある。それくらいの密航くらい、何とかなるだろう。

 

 友哉は、背後の武田に振り返った。

 

「武田さんは、ここまでです。後は僕達に任せてください」

「いや、しかし・・・・・・」

 

 友哉の言葉に、武田は難色を見せる。

 

 彼としては、自分も島に乗り込んで、研究所の実態を確かめたいところなのだろう。武田の、会社に対する熱意はそれだけ重いのだ。

 

 だが、武偵として、依頼人を危機に晒す訳にはいかなかった。

 

「これ以上は万が一という事もあります。何かあった場合は連絡を入れますから」

 

 ここに来る前に装備科に立ち寄り、衛星通信可能な携帯電話を借りて来た。これならどこにいても、リアルタイムの交信ができる。

 

 友哉の言葉に対して、武田は苦い顔をしながらも引き下がった。彼自身、これ以上ついて行けば自分が足を引っ張ってしまう事は判っているのだろう。

 

「判りました。では、宜しくお願いします」

 

 一礼して去っていく武田を見送り、友哉は茉莉に向き直った。

 

「行こうか」

「はい」

 

 短いやり取りと共に頷き合う2人。

 

 2人は帳が下りる闇を縫って、足早に船の方へと近付いて行った。

 

 

 

 

 

 思った通り、船の中には充分な広さがある。

 

 加えて、襲撃の可能性を考慮していないのか、作業員や警備員の数も少ない為、友哉や茉莉が身を隠すのには、充分なスペースがあった。

 

「何とか、なりそうですね」

「うん」

 

 僅かな振動から船が動きだした事を感じ取りながら、2人は暗がりの中で会話を交わす。

 

 今2人がいるのは、格納庫に積み上げられたコンテナ。その内の1つの中だった。幸い、あまり物が入っていないコンテナがあったので、その中に身を隠したのだ。

 

 コンテナの中なら、島に着くまで中を改める事も無い筈。24時間もの間潜伏していなくてはならない以上、なるべくリスクの低い隠れ場所を選択したのだ。

 

 携帯食料や水なら備えがある。ここでなら、どうにか24時間くらいやり過ごせるだろう。

 

「それはそうと、友哉さん、気になりませんか?」

「おろ?」

 

 突然の質問に、友哉は闇の中でキョトンとする。

 

「さっきの、資料にあった名前の事です」

「・・・・・・ああ」

 

 茉莉の言葉に、友哉も頷きを返した。

 

 武田から渡された資料に遭った、浪日製薬社長の名前。

 

 石井久志。

 

 あの石井忠志と同じ名字。加えて、名前の響きも似ていると来た。

 

 まさか、と思う。こんな偶然があるのだろうか? と。

 

 しかし石井の人質殺人未遂事件の説明を受けた時、ゆとりも石井の父親が大会社の社長をしていると言っていた。だとするならば、こうなる可能性も無い訳では無かった筈だ。

 

「妙な所で、話は繋がって来るね」

「・・・・・・そうですね」

 

 暗闇の中でも、茉莉が俯いているのが判る。

 

 あの事件によって茉莉が受けた傷は、他人はおろか、茉莉自身が思っているよりもずっと深いのかもしれない。

 

 そう考えた友哉は、そっと手を伸ばし、

 

「あっ・・・・・・」

 

 茉莉の頭を撫でてやった。

 

「茉莉は悪くないよ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉の言葉が、闇の中から優しく響いて来る。

 

 闇に阻まれたその顔を、茉莉は至近距離にいながら見る事ができない。

 

 しかし、向かい合うだけで、少年が可憐な容貌に、優しげな笑みを浮かべている事を想像する事ができた。

 

「茉莉は何も悪くない。けど、全ての善意がいつでも良い方向に行くとは限らない。それが今回、たまたま、最悪の方向に行ってしまっただけだよ」

「友哉さん・・・・・・・・・・・・」

「だから茉莉。君は、自分の優しさを決して捨てないでほしい」

 

 だって僕は、君のその純粋な優しさが、とても好きだから。

 

 かつて、その溢れ出るほどの優しさゆえに、自分の全てを捨てて犯罪組織に身を投じた少女。

 

 自分の事より、他人の事の為に怒り、泣く事ができる少女。

 

 だからこそ、友哉は目の前にいる少女の事が好きになったのだ。

 

 ただ、

 

 この段になって尚も照れくささが勝ってしまい、友哉は言葉の後ろ半分を声に出す事ができなかったが。

 

 代わりに友哉は、茉莉の頭をそっと、かき抱くように自分の胸へと抱きよせる。

 

 茉莉もまた、抗う事無く友哉の胸に身を任せる。

 

 静かに揺れる波の振動の中、互いの顔が見えない闇に包まれて、しかし茉莉と友哉は、互いの温もりだけをしっかりと相手に伝えあっていた。

 

 

 

 

 

第3話「特別依頼」      終わり

 



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第4話「告白」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その島が、地図上から消されている事に気付いている人間は、恐らく1人もいないだろう。

 

 八丈島から南西に350キロほど進んだ場所にある小さな離島。

 

 黒潮の直撃を受けるその島は、常に荒天のような荒波にもまれている為、船で乗り付けることは難しい。かつ一般の航路からも外れている為、付近を船舶が航行する事も無い。

 

 つまり、人目に着く事自体が、殆ど稀である。

 

 隣島の住人にすら、長くその存在は疑問視されていた。

 

 周囲に人が住める島が全く存在しない、完全なる離島。

 

 晴れた日には全く見る事ができず、小雨が降った時のみ、遠方に黒々としたシルエットを僅かに覗かせる、幻のような島。

 

 地下に巨大な空洞でもあるのか、風が強い日には獣が唸るような声が遠く波に乗って聞こえて来る事もあった。

 

 古くは漁師の伝説にも上り、島の付近まで行った漁師は、事故に遭う者が続出したとか。更に、好奇心から上陸した者は1人も帰って来なかったとか。呪われた曰くが絶えない。

 

 その存在自体が、怪物じみた伝説を持つ島。

 

 故に、小笠原諸島の住人達は、恐怖と共に、島の事を、こう呼んだ。

 

 

 

 

 

 曰く「骨喰島」と。

 

 

 

 

 

 波とエンジンの振動に身を任せているうちに、どうやら眠ってしまっていたらしい。

 

 友哉が目を覚ますと、そこはまだ暗闇の中だった。

 

 一瞬、まだ夜なのかとも思ったが、そうではない。自分達がほぼ丸一日、光の差さないコンテナの中にいた事を思い出した。

 

 頭がはっきりしてくると同時に、友哉はある事に気付いた。

 

 眠る前と比べて、船の振動が少なくなっている。まだ動いている感覚はあるが、明らかに減速しているのが判った。

 

 そこから考えられる答は、1つしか無い。

 

「港に、近付いている・・・・・・」

 

 島が近付いた為、船が減速して停泊の準備に入ったのだ。恐らくこの後、岸壁に着けて荷降ろし作業に入るのだろう。

 

 こうしてはいられない。荷下ろし作業の合間に隠れて、船から脱出しないと。

 

「茉莉、起きて。降りるよ」

 

 そう言って、ゆり起そうと腕を伸ばした時、

 

 ムニュ

 

「おろ?」

 

 何やら、掌に好ましい感触が伝わってくるのを感じた。

 

 何だろう、あまり馴染のない感触だ。指に力を入れるだけで、面白いように吸いついて行くのが判る。

 

 とても柔らかく、ずっと触っていたいような感覚。

 

 放っておいたら、暫くこのまま弄んでしまいそうだ。

 

「あ、あの・・・・・・友哉さん・・・・・・」

 

 いつの間にか起きていた茉莉が、暗がりから声を発して来た。

 

 だが、声の調子がおかしい。何と言うか、長い付き合いだから判るのだが、茉莉が恥ずかしがっている時に出すような声だ。

 

「その・・・・・・そこは、あんまり、触らないでもらえると・・・・・・で、でも、友哉さんが触っていたいなら、少しくらいなら、い、良いですよ・・・・・・」

 

 何を言っているのか、と問おうとして、

 

 友哉は今、自分が何をしているのか気付いた。

 

 暗がりで判らなかったが、

 

 友哉の手は、茉莉の胸を鷲掴みにして、あまつさえ揉みまくっていたのだ。

 

 いつも胸の小ささを気にしていた茉莉。確かに傍から見た限りでは御世辞にも大きいとは言い難いのだが、

 

 こうして触ってみると、確かに「ある」のが判る。

 

「う、ウワァッ!?」

 

 慌てて手を離す友哉。

 

「ご、ごごご、ごめん茉莉ッ」

「い、いえ、私の方こそ、変な物を触らせてしまいまして・・・・・・」

 

 滑稽だった。

 

 顔も見えないほどの暗がりにいると言うのに、お互いの顔がリンゴのように真っ赤になっているのが判ってしまったのだ。

 

 友哉は(暗くて見えないのを良い事に)、掌に残っている感覚を反芻してみる。

 

 女の子の胸に触るなんて、少なくとも物心ついて以降は初めての事だ。しかも、相手は茉莉。友哉が片思い(と勘違い)している少女である。

 

 その柔らかい感触を思い出すだけで、血液の温度が上昇するのが判った。

 

 とは言え、いつまでもラブコメっている訳にもいかないので、暫く互いのまま無言を維持して落ち着きを取り戻すと、周囲に気配が消えたのを見計らってコンテナの外に出た。

 

 扉を開けた瞬間、眩しい光が差し込み、一瞬目を細める。

 

 一応、定期的にドアを開けて光を見るようにしていたので失明の心配はないのだが、やはり若干の眩しさは避けられなかった。

 

 船が岸壁に着き、錨を下ろすのを確認してから、友哉と茉莉は人の目を避けつつ船から降りた。

 

「これからどうしますか?」

 

 港から離れた場所で一息つきつつ、茉莉が尋ねる。

 

 ここまで来れば、誰かに見咎められる事も無いだろう。

 

「まずは島の状況を調べよう。あまり大きい島じゃないみたいだけど、それでもこの広さなら人が住んでいる可能性もあるし」

 

 浪日製薬の事を調べるにしても、まずは島の事を知らない事には話にならなかった。できれば、件の研究施設の関係者と接触して情報を引き出せればベストだが、流石にそれは贅沢を言いすぎかもしれない。

 

 だがそれ以外にも、島の地形や住民の有無など、調べておかなくてはならない事は山のようにある。

 

「さ、行こうか」

「はい」

 

 まずは島を一巡りする。

 

 その上で対策を立てよう、と言う事になった。

 

 

 

 

 

 だが、この時、2人は気付いていなかった。

 

 歩き出す2人の背中を、じっと睨み付ける視線があった事に。

 

 

 

 

 

 石井久志は、今年で61になる。

 

 老年と呼んでも差支えは無い年齢だが、若い頃からスポーツをやって鍛えた体は引き締まり、社長に就任した今でも、週2度のジム通いを欠かしていない。

 

 若い頃は大学で医学と薬草学を学び、卒業後は知人の経営する会社の研究チームに加わって、社の発展に大きく貢献した。

 

 また同時に、経営学も並行して学んだため、それらで得た知識は、会社経営に大きく役に立った。

 

 そんな久志は今、自分が経営する浪日製薬が持つ、研究施設の1つを訪れていた。

 

 ここは社内でも、ごく一部の物しか存在を知らない秘密の研究施設である。

 

 隣島の住民から「骨喰島」の名前で呼ばれ恐れられているこの島では、戦前から様々な医療関係の研究が行われてきた。

 

 病原菌の探索、特効薬の開発、危険植物の研究。

 

 ここで開発された物で、日本医療の発展に大きく貢献した物も少なくはない。

 

 戦前は軍の管理施設であったこの場所を久志が知ったのは、彼の父が旧日本軍の軍医であったからに他ならない。久志の父はそういった、当時としては最先端の医療を研究するチームの一員だったのだ。

 

 地図にも載っていない島である為、米軍による小笠原諸島侵攻の際にも標的にされる事は無く、大きな被害を受ける事を免れたのだ。

 

 研究所自体にも、カムフラージュが施されている。

 

 外観だけを見れば、ただの朽ち果てた廃墟にしか見えないだろう。しかし、その地下には島全体に広大な空間が掘り進められており、そこがメインの施設となっていたのだ。

 

 研究施設に足を踏み入れると、清潔な廊下や壁が見え、多くの研究員達が行き来していた。

 

「計画は予定よりも遅れているようだな」

 

 久志が厳しい口調で語りかけた相手は、背後に立っている彼の秘書だった。

 

 吉川志摩子(よしかわ しまこ)と言う名前のまだ20歳ほどの若い女性である秘書は、動き易さを重視したのか、ダークグレーのスーツと、下は同色のパンツルックである。細められた瞳と短く切った髪から、どこか少年のような印象も受ける。

 

「研究部からは、実験が難しい段階に入ったので、慎重を期したいと言って来ていますが」

「そんな物は言い訳にはならん」

 

 志摩子の発言を、久志は言下に切り捨てる。

 

「私が奴等に金を払っているのは、この島をリゾート代わりにして惰眠を貪らせる為ではない。クビにされたくなかったら、さっさと結果を出せと言え」

「はい」

 

 この研究施設において、久志が「クビにする」と言う言葉は、たんに会社を放逐すると言う意味では無い。文字通り、首を切られて海に投げ捨てられる、と考えた方が良いだろう。

 

 実際、過去に何度も、失敗をした研究員や、方針に反対した者が、その翌日には姿を消していた、などと言う事があった。

 

 彼等は「消された」のだ。文字通り、その存在そのものを綺麗さっぱり。

 

 久志の言葉に対し、志摩子は恭しく頭を下げる。非情な命令に対し、一切、表情を動かす事は無かった。

 

 久志が、まだ若いこの女を気に入っている理由はここだった。

 

 たんに優秀なだけでも、たんに美貌だけでも久志の秘書は務まらない。彼が下す非情な命令。それを淡々とこなすだけの精神力を備えた人間でなければ、恐らく1週間と持たないだろう。

 

 その点、志摩子は120点満点で合格ラインを突破していた。これまで久志が下した数々の命令に対し、一切感情を動かす事無く忠実に実行して来たのだ。

 

「この後の予定は?」

「はい。この後すぐに、研究部の視察、部長との方針協議に入ります。その後、10時から書類決裁。昼食の後、1時から食後のトレーニング、その後は・・・・・・」

「大会社の社長ってのも、大変なんだな」

 

 スケジュールを読み上げる志摩子を遮るように、付き従っていたもう1人の男が可笑しそうに言った。

 

 年の頃は30代後半ほど。およそ大会社の研究施設には似つかわしくない、荒々しさと血生臭さを感じる。しかし、それでいて、どこか高潔な武将めいた威丈夫である。

 

 対して、久志も肩を竦めてみせる。

 

「楽では無いさ。ただ、必要だと信じているから出来るんだ」

「そんなもんかね?」

 

 進んで苦労を背負いこむような物好きの事は良く判らん。とでも言いたげな男の態度に、久志は苦笑で返す。

 

 奇妙な事に、久志はこの無礼な男の事をそれなりに気に入っていた。それは単純に、男の優秀な人物であると言う事もあるが、自分に対して一切物おじしないこの性格に面白みを感じているからかもしれないと考えていた。

 

 男は久志が個人的に雇ったボディーガードである。

 

 職業柄、久志はどうしても敵が多い。会社経営を妨害される事もあるが、それ以外に、直接命を狙われる事も多かった。それを警戒して雇った男なのだが、結果は久志の期待以上だった。

 

 男はこれまで、何度かあった暗殺未遂事件において、見事に久志の身を守り抜いたのである。

 

 本来なら、私設警備隊の隊長を任せようかとも思ったのだが、本人的には一匹オオカミが好みらしく、あくまでも一ボディーガードとして久志に着き従っていた。

 

「そう言えば、忠志はどうした?」

 

 久志は、1人息子の事を志摩子に聞いた。

 

 久志もスポンサーとして出資している、東京武偵校に入学している忠志だが、ついこの間、女子生徒を人質にして殺人未遂事件を起こして停学処分を受けていた。本来なら実刑は免れない所ではあるが、久志が横槍を入れて、停学処分にしてしまったのだ。

 

 誰にでも、大切な物と言う物はある。自分にも他人にも厳しい久志が、唯一甘い存在が、息子の忠志だった。

 

 母親に早くに先立たれた事もあり、甘やかして育ててしまった面も大きい。それ故に、17歳になった今でも気が弱く、ちょっとでも強い相手を前にしたら竦んでしまう、そんな弱い男になってしまった。

 

 その事を憂慮した久志は、忠志を武偵校に入学させ、精神的に鍛えようと考えたのだ。

 

 しかし、その結果が、あの事件である。

 

 事件の顛末の事は聞いている。あれは、どう考えても忠志の方が悪い。だがそれでも、忠志は久志にとって、たった1人の大切な息子である。助けない訳にはいかなかった。

 

 無期限停学処分になったのを機に、久志は忠志を、この離島の研究施設へと連れて来た。何かの気晴らしになればと思ったのもあるが、いずれ忠志も浪日製薬を背負って立つ身。今から少しでも会社の事を知っておいて、損はないと思ったのだ。

 

「今は、自室で休んでおいでです」

「そうか。後で様子を見に行こう。それと・・・・・・」

 

 久志は厳しい目を志摩子に向けて言った。

 

「警戒は怠らないようにしろ。どうやら、ネズミが島に入り込んでいるようだからな」

 

 そう告げると、久志は歩き出す。

 

 ネズミが彼の周りをうろつくのはいつもの事である為、今更慌てるには値しない。

 

 万が一、彼の元に来るようなら、ボディーガードの男や警備員達が排除に動くだろう。

 

 それに、万が一にも、そうなる事態が起こるとは思えない。何しろ、この島を守っているのは、ボディーガードや警備員達だけでは無いのだから。

 

 島に入り込んだネズミは、間もなくそれを思い知る事になるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 11月とは言え、小笠原諸島は比較的暖かい。残暑とまではいかずとも、小春日和程度の気温は保たれている。

 

 その為、駆けまわる友哉と茉莉からすれば、行動するのに適した気候であると言えた。

 

 回って見て判ったのだが、島の周囲は黒潮の荒波で削られて高い断崖状になっている。

 

 縁に立って見ると目もくらむような高さであり、正直、ここから落ちたら友哉であっても生きていられる自信は無かった。

 

 更に島の中心部には、人の手が加わっていない生の原生林が広がっており、足を踏み入れてみると、見た事も無いような動物や鳥達が目に付いた。

 

 木々が縦横に生い茂り、周囲1メートルすら見通す事ができない密林。

 

 普通に考えれば、あまり人が歩くには適さないような場所だが、そこは、武偵校でも屈指の身軽さと機動力を誇る2人。道なき道を、まるで舗装された道路と同じような気軽さで越えて行ってしまう。

 

 2人が島を1周するのに、2時間も掛からなかった。

 

「・・・・・・成程」

 

 一通り回り終えてから、友哉は急速も兼ねて足を止めた。

 

 友哉自身はまだ体力に余裕があるが、茉莉の方は友哉に合わせて長時間走り続けた事もあり、いい加減、限界が近いようである。

 

 持って来た水で一息入れながら、友哉は島の情景を思い出していた。

 

 島は南北に3キロ、東西に2キロほどの楕円形に近い外見をしている。人が住んでいる気配はなく、地表の殆どが密林となっている。もっとも、2時間で全てを見れた訳ではないので、密林の奥の方がどうなっているのかは判らないが。

 

「・・・・・・妙だね」

「そうですね」

 

 友哉の疑問符に、茉莉も頷きを返す。どうやら、ほぼ同時に同じ疑問にぶち当たったようだ。

 

 2人が密航して来た船は、大型の貨物船である。具体的な積載量は判らないが、相当な物資の輸送が可能な筈であり、事実、船倉にはたくさんの大型コンテナが積まれていた。

 

 逆を考えれば、それだけたくさんの物資が必要なほど、大きな施設、あるいはたくさんの住人が、この島にいる筈なのだ。

 

 だが、ザッと見た限りでは、港以外で人の姿は見ていない。

 

「見落としたんでしょうか?」

「いや、その可能性は低いと思う」

 

 物資の量から計算して、見落とすような規模ではない筈。それに、物資を運ぶ為には、必ず、大掛かりな集積所や、電力施設、輸送トラックが通る為の大掛かりな道路も必要となるが、それすらこの島には見当たらないのだ。

 

 そんな事は、物理的にあり得ないはずだ。

 

 そこまで考えた時だった。

 

 ポツッ

 

 ポツッ

 

「あ・・・・・・」

「おろ?」

 

 ポツポツッ

 

 冷たい雫が、2人の頭や肩に落ち始めた。

 

「これは・・・・・・」

「雨、ですね」

 

 言っている間にも、雨足は急速に強くなり始めた。

 

 次の瞬間、視界が白く染め上げられたかと思うと、一瞬の後に耳を劈くような轟音が鳴り響いた。

 

「キャッ!?」

 

 思わず、耳を押さえて縮こまる茉莉。どうやら、島のすぐ近くに雷が落ちたらしい。

 

 別段、アリアと違って雷が苦手と言う訳でもない茉莉だが、流石に今のは驚いたようだ。

 

「茉莉、こっちッ!!」

 

 友哉は茉莉の手を引っ張ると、大急ぎで木蔭へと引っ張り込んだ。

 

 海上にある離島と言う事で、急変した天候は一気に悪化し易いのだろう。雨はまたたく間に豪雨となり、地面がぬかるんだ沼と化す。

 

「暫く、様子を見た方がよさそうだね」

「そうですね」

 

 上空を見上げながらそう言うと、2人はその場に腰を下ろした。

 

 とにかく、ここまで強い雨足だと、迂闊に探索もできない。下手をすると遭難と言う事態もあり得る。この離島でそうなると、洒落にならないだろう。

 

 ここは雨が小降りになるまで、ジッとしていた方が賢明だった。

 

 だが待っていても一向に止む気配がない。

 

 強い豪雨である為、木陰にいると言っても、雨を完全に防げるわけではない。徐々に浸すように、体が濡れて行くのは避けられなかった。

 

「クシュンッ」

 

 暫くすると、可愛らしいくしゃみが茉莉の口からこぼれて来た。

 

 友哉が振り返ると、少し彼女の顔が赤いのが見えた。どうやら、この雨のせいで、少し体が冷えてしまったらしい。

 

「大丈夫?」

「はい、このくらいなら・・・・・・」

 

 そうは言っているが、少し声の調子がおかしい。それに顔が赤いのは、熱っぽいせいもあるのかもしれない。

 

 友哉は着ているコートを脱ぐと、茉莉の肩にそっと掛けてやった。

 

「友哉さん?」

「体を冷やしたら、まずいだろうからね」

 

 男の友哉なら多少体が冷えた程度でどうという事も無いが、女の茉莉は、体調不良に直結する可能性もある。それに船旅や、馴れない環境のせいで体力が落ちている可能性もある。

 

 一応、いくつか薬の持ち合せもあるが、このような場所で病気になるのは避けたかった。

 

「あ、ありがとうございます・・・・・・」

 

 消え入りそうな声でそう言うと、茉莉は両手でコートを掻き抱く。それだけで、友哉の温もりを感じる事ができた。

 

 2人とも、暫く無言のまま、特にする事も無く並んで座り込んでいた。

 

 雨の勢いは若干弱まったものの、まだ動きまわれるレベルでは無く、むしろ長雨になりそうな雰囲気すらあった。

 

 その時だった。

 

「キャッ!?」

 

 突然、地面に座っているお尻に熱い物を感じ、茉莉は思わず飛び上がった。

 

「ど、どうしたの?」

「いえ、何だか、熱い物が流れて来て・・・・・・」

 

 言われて、友哉は茉莉が座っていた辺りに手を当ててみる。

 

 確かに、少し暖かい感覚が伝わってくる。これが地面や雨の感触では無い事は、すぐに判った。

 

「おろ・・・・・・これは・・・・・・」

 

 掌で地面を撫でながら、友哉の中である種の確信のような物が生まれていた。

 

 これはもしかすると、天の恵みかもしれない。

 

「茉莉、行こう」

「え、ゆ、友哉さん?」

 

 戸惑う茉莉の手を引いて、友哉は雨の中を駆けだす。

 

 恐らく、これを辿っていけば、友哉の予想通りの物がある筈だった。

 

 

 

 

 

 果たして、

 

 行きついた先には、友哉の思い描いた通りの物があった。

 

 そこはちょっとした洞窟になっており、雨風を凌げるようになっている。

 

 そして、その洞窟を2メートルほど奥に進んだ場所に、それはあった。

 

 もうもうと湯気を立て、視界が殆ど効かない中、2人の前には、ある程度の広さを持った水たまりが広がっていた。

 

 深さもそれなりにあるらしく、人が入るにはちょうど良い広さだ。

 

 そう、そこには天然の温泉が広がっていたのだ。

 

「やっぱりね」

 

 友哉は自分の考えが的中し、満足げに指を鳴らす。

 

 熱い液体が流れて来た時点で、どこか近くに温泉が湧いているのでは、と思ったのだ。

 

 一応、持っていたライターで、適当な紙に火を付けて放り込むと、パチパチと勢いよく燃えた。有毒ガスが発生していない証拠である。更に、近付いて手を入れてみると、熱すぎる事と言う事も無い、程良い温もりが伝わってくる。

 

 危険がない事を確認して、友哉は茉莉に向き直った。

 

「茉莉、入りなよ」

「え?」

「風邪引くとまずいからさ」

 

 ここで天然の温泉を見付けられたのは僥倖だった。体を温める事ができれば体調を崩す事も無いだろう。

 

「僕は外で見張っているから、茉莉、先に入りなよ」

「え、あの・・・・・・」

「気にしなくても、僕も後で入るから」

 

 そう言って、外に出ようとした友哉。

 

 その袖を、茉莉が掴んだ。

 

「おろ?」

「あ、あの・・・・・・・・・・・・」

 

 茉莉は、これまでにないくらいに顔を真っ赤に染めて俯いている。殆ど、下を向いているに等しいレベルだ。

 

「どうしたの? 風邪引くとまずいから、早く入りなよ」

「い、いえ・・・あの・・・・・・」

 

 茉莉は尚も下を向いたまま、友哉の袖を握っている。

 

 やがて、意を決して顔を上げた。そして、ただでさえ、スズメの涙くらいしか無い勇気を総動員して口を開いた。

 

「い、一緒に入りませんか?」

「・・・・・・おろ?」

 

 一瞬、友哉はキョトンとした。

 

 目の前の少女が、一体何を言っているのか判らなかったのだ。

 

 やがて、言葉の意味が徐々に脳へと浸透して来る。

 

 ここは温泉で、ここには友哉と茉莉しかいなくて、そして「一緒に入りませんか?」と来れば・・・・・・

 

 言葉を組み合わせてみて、友哉は一気に顔が赤くなるのを感じた。

 

 つまり、茉莉は友哉に、一緒に風呂に入ろうと言っているのだ。そして、有史以来の常識として、風呂に入る時には、服を脱がなくてはいけない訳で・・・・・・

 

「あ、あのあの、どの道、こんな所に、誰かが来るとは思えませんし、そのっ、2人で別々に入るよりも、一緒に入った方が、時間的なロスも少なくて済みますし、あの、えっと・・・・・・」

 

 必死になって、言い訳を並べたてる茉莉。

 

 対して友哉は、顔を赤くしたまま茉莉をまじまじと見つめている。

 

 正直、あの大人しい茉莉が、こんな大胆な事を言ってくるとは、思いもよらなかったのだ。

 

「い、いや、でも・・・・・・」

 

 ここで流されちゃダメだ。彼女の事は好きだが、ここで流されたら、自分は色々な物を失ってしまう。

 

 煩悩の大攻勢に対して、理性が最後の抵抗をする。

 

 そこへ、

 

「だ、だめ、でしょうか?」

 

 上目遣いに、友哉を覗き込む仕草をする茉莉。

 

 恐らく、狙ってやった物では無かったのだろう。

 

 だが、

 

 ドキンッ

 

 友哉の心臓が、ひと際大きく跳ね上がる。

 

『ま、茉莉って、こんな可愛い顔もできたんだ・・・・・・』

 

 勿論、普段の茉莉も充分にかわいい。だが、今の表情は正に別格だったと言える。

 

 そして、

 

「わ、判った・・・・・・」

 

 友哉の理性は、煩悩に無条件降伏した。

 

 

 

 

 

 チャプ・・・・・・

 

 控えめな音が聞こえた瞬間、友哉はあからさまに肩を震わせる。

 

 まさか、こんな事になるとは、全くの想定外であった。

 

 そう言えば、夏休みに茉莉の実家に行った時、偶然だが彼女の裸を見てしまった事を思い出した。

 

 もっとも、あの時は殆ど事故のような物だったし、直後に瑠香に蹴り飛ばされた為、じっくりとは見ていないのだが・・・・・・

 

『いやいやいやいやいやいや』

 

 ブンブンと頭を振る友哉。

 

 だからと言って、今じっくり見て良い訳ではないだろう。

 

「あ、あの、友哉さん。もう、大丈夫です」

「あ、そ、そう」

 

 言いながら、振りかえる友哉。

 

 そこには、湯に浸かった茉莉の姿があった。

 

 体の大半は湯で隠れている。しかし、剥き出しになった肩から首にかけてのラインがハッキリと見えてしまっていた。

 

 高鳴る心臓を押さえられない。

 

 茉莉と一緒に風呂に入っている。正直、幼馴染の瑠香とすら、小学生以降一緒に入った事はない。

 

 それが、緊急時とは言え、このような事になるとは思いもよらなかった。

 

 これで緊張するなと言うのは、呼吸を止めろと言われているに等しいだろう。

 

「こ、こんな所に、温泉があって、良かったね」

「そ、そうですね」

 

 2人してぎこちなく言いながら、沈黙してしまう。

 

 緊張しているのは、お互いさまだった。

 

 友哉同様に、茉莉もまた心の底から湧き出る気恥かしさに、沈黙を持って耐えている状態であった。

 

『うう~ どうして、あんな事を言ってしまったのでしょう』

 

 後悔していない、と言えば嘘になる。

 

 とは言え、いつまでも現状維持に甘んじていたいかと言えば、それも嫌だった。

 

 きっかけが欲しいかった。それが、どんな些細な事であっても。

 

 自分が奥手すぎる事も自覚している。だから、それを打破するだけの何かを、茉莉は求めていたのだ。

 

 その為だったら、羞恥心の一つや二つ、越えて見せる。

 

 と、決意したまでは良かったのだが、

 

『や、やっぱり、ダメです・・・・・・・・・・・・』

 

 恥ずかしくて堪らなかった。

 

 まともに、友哉の顔を見る事もできない。

 

 そんな茉莉を見て、友哉はフッと微笑んだ。

 

 そして、

 

「茉莉、こっちにおいで」

「あっ・・・・・・」

 

 茉莉が何かを言う前に、友哉は彼女の腕を引きよせる。

 

 気付いた時には、茉莉は友哉に背後から抱かれるような格好になっていた。

 

「ゆ、友哉さんッ」

 

 互いに一糸纏わぬ状態での密着。

 

 茉莉の背中は、友哉の胸に密着して互いの体の感触を伝えあっている。

 

 恥ずかしさで声を上ずらせながら、抗議しようとする茉莉。

 

 だが、そんな彼女に、友哉はあくまで静かに語りかける。

 

「・・・・・・ずっと、こうしたかった」

「・・・・・・え?」

 

 思わず、上げかけた声を止める茉莉。

 

 その耳元で囁くように、友哉は言葉を紡ぐ。

 

「きっかけが何だったのか、もう僕にも判らない。けど、この想いは、ずっとずっと、僕の中にあったんだと思う」

「友哉、さん?」

 

 その言葉に隠された、戸惑いと、微かな期待。

 

 温もりに包まれた中、

 

 友哉は言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「茉莉、君が好きだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、茉莉の中で止まっていた時間が動きだした。

 

「・・・・・・・・・・・・え?」

 

 友哉の言葉が、ゆっくりと茉莉の中へと浸透して来る。

 

 友哉が、好き? 自分の事を?

 

「あ、あの、それって・・・・・・」

「君が、好きなんだ」

 

 もう一度、耳元で、優しく囁かれる。

 

 ただそれだけで、茉莉はとろけそうなほど甘美な想いに満たされていった。

 

 まさか、こんな事が、本当にあって良いのだろうか?

 

 もしかしたら、自分は今、夢を見ているのではないだろうか?

 

 そんな事を考えてしまう。

 

 だが、背中に伝わってくる友哉の温もりは、間違いなく本物であった。

 

 そしてその瞬間、

 

 茉莉を縛る何物も、存在しなくなった事を意味していた。

 

「わ、私も・・・・・・」

 

 意を決するように息を吸い込み、茉莉は今まで胸の内に秘めて来た全てを言葉に乗せて差し出した。

 

「私も、友哉さんが好きです。大好きですッ」

 

 それは、想いが通じ合った瞬間。

 

 互いを遮る、全ての壁が意味を失った瞬間だった。

 

「・・・・・・・・・・・・ありがとう、茉莉」

 

 万感の思いと共に、友哉は自分の胸の内を告げる。

 

「茉莉と両想いになれた。たったそれだけの事が、こんなに嬉しいなんて思わなかった」

「私もです。すごく・・・・・・すごく、嬉しいです」

 

 茉莉の目から、涙がこぼれる。

 

 片思いだと思っていた。

 

 自分の思いは一方通行だと。

 

 だが、そうではなかった。友哉の方でも、自分を好きでいてくれた。

 

 その事が、堪らなく嬉しかった。

 

「でもね茉莉・・・・・・僕は、怖いんだ」

「怖い?」

 

 友哉の言葉に、茉莉は怪訝な顔をする。

 

「君も知っているでしょ。僕が、普通じゃないって事・・・・・・」

「それは、あの時みたいな?」

 

 茉莉の問いに、友哉は頷きを返す。

 

 つい先日、エムアインス、武藤海斗と戦った時に友哉が見せた、普段とは全くの真逆と言って良い人格。

 

「友哉さんには、あの時の記憶があるのですね?」

「うん」

 

 二重人格の場合、人格が切り替わっている時の記憶が欠落する場合が往々にしてある。しかし、友哉はその限りでは無いようだ。

 

「僕の中には、僕自身でも制御できない何かが棲んでいる。そいつがいつか、茉莉や、他のみんなを傷付けるんじゃないか。そう思ってしまうんだ」

「友哉さん・・・・・・・・・・・・」

 

 茉莉は友哉の腕の中で体を返し、正面から向き合う格好になる。

 

「そんな事にはなりません」

「でも・・・・・・」

「たとえ、もしそうなったとしても、その時は私が、友哉さんを止めて見せます」

 

 そう告げる茉莉の瞳には、何者にも断ち切り難い強い意志と共に、あらゆる物を凌駕する、少年への思慕の念が込められていた。

 

「茉莉・・・・・・ありがとう・・・・・・」

「友哉さん・・・・・・」

 

 2人の間に、それ以上の言葉は必要とはしない。

 

 ただ、互いに互いの温もりを感じ合うだけで思いを通じ合う事ができる事が判ったから。

 

 2人は、上気した顔で見つめ合い、

 

 そして、ゆっくりと唇を重ね合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 恋人としての通過儀式を終えた2人。

 

 しかし、自分達が温泉に入っていると言う事を、2人揃って半ば忘れていたと言うのは、いかにも間抜けな話であった。

 

 いい加減、のぼせる寸前まで行ってしまったので、2人はそそくさと湯を出ると、それぞれの服を着始めた。

 

 一応、温泉に入る前に、即席の物干し台を切った枝で作り、温泉の熱気で乾かすようにしていた。流石にコートは乾いていなかったが、制服や下着類は、我慢すれば着れなくはない程度には乾いていた。

 

 互いに背中を向け合ったまま、各々の服を着込む。

 

 そうしたのは、茉莉のお願いだった。晴れて恋人同士になったとは言え、着替えを見られるのは恥ずかしいらしい。

 

 制服を着込み、防弾コートを羽織って、逆刃刀を手に取った友哉。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

 

 思わず、手を止めた。

 

「友哉さん?」

 

 自分の彼氏になった少年を、怪訝そうに見詰める茉莉。

 

 対して友哉は、難しい表情のまま、ゆっくりと刀を取ると、腰のホルダーに差す。

 

「・・・・・・・・・・・・やられた」

 

 低い声で苦々しく絞り出される。

 

 恐らく、雨のせいだ。あの豪雨が、自分達の感覚を鈍らせていたのだろう。そうでなかったら、自分や茉莉が気配に気付かない筈がない。

 

 囲まれている。恐らく、洞窟の出口を半包囲する形で。

 

 茉莉も状況に気付いたのだろう。菊一文字を取って、いつでも抜けるように準備する。

 

「数は、15・・・・・・いえ、20くらいでしょうか?」

「多分それくらいだね」

 

 友哉は心の中で舌打ちする。

 

 この状況は不利だ。数は大した事はないが、こちらは狭い場所に押し込められている状態。逃げるにしても戦うにしても、洞窟の入り口から飛び出さなくてはいけない。下手にのこのこ出て行ったら、ハチの巣にされるのがオチだ。加えて、周囲は密林の状態である。接近戦主体の友哉と茉莉では、機動力を減殺されて、本来の実力を発揮しきれない。

 

「で、でも、どうして、私達がここにいる事が判ったんでしょう?」

「多分、森中に監視カメラが設置されていたんだ。迂闊だったかも・・・・・・」

 

 舌打ちしてから、友哉は茉莉を見る。

 

「茉莉、ここは一旦、全速力で包囲を抜けてしまおう」

 

 2人の脚力なら、敵が反応する前に包囲を抜けられる筈。一旦、この場を脱してしまえば危機は去る筈。後は密林に紛れてしまえば、隠れるのはそう難しくない。

 

「判りました」

 

 頷く茉莉。

 

 友哉は自分の彼女の小さな手を、勇気付けるようにギュッと握ると、互いに頷き合う。

 

 視線を入口に向けた瞬間、

 

 2人は同時に駆けだす。

 

 初手からのトップスピード。

 

 外から見ていた者達は、恐らく砲弾か何かが飛び出してきたようにも見えただろう。

 

 一瞬遅れて、銃撃音が響いて来るが、圧倒的に遅い。

 

 その時には既に、2人は洞窟から50メートル近く離れていた。

 

 敵は更に、2人の背後から銃を撃ってくるが、今度は木立が射角を邪魔して2人を捉える事ができない。

 

 その間に、2人は距離を稼ぐ。

 

 やがて銃声も遠のき、人の気配も希薄になる。

 

「ここまで来れば・・・・・・」

 

 安心だろう。

 

 そう言って友哉が足を止めようとした時、

 

 突然、横合いから、殴りかかってくる影があった。

 

「クッ!?」

 

 とっさに、刀を抜いて迎え撃つ友哉。

 

 走る銀の閃光は、向かって来た相手を確実に捉え、弾き飛ばした。

 

 だが、地面に転がった相手を見て、友哉は思わず絶句した。

 

 その人物は上半身裸なのだが、その肌は毒々しい紫色に染まっている、更に腕の筋肉は異様に盛り上がり、指には鋭い爪がある。伸び放題の伸ばした髪の下で目が爛々と輝き、口元には牙が伸びていた。

 

「こ、これは・・・・・・」

 

 その異様な姿に、覚えの声を上げる茉莉。

 

 確かに、見ただけで嫌悪感を呼び起こされるような風体だ。

 

 しかも、

 

 それ1体では無い。

 

 密林から滲み出るように、同じ風体の者が続々と現われて来たのだ。

 

「クッ!?」

 

 襲い掛かって来る相手に対し、刀を振るって薙ぎ払う友哉。

 

 更に、向かってくる敵を、刀で打ち払う。

 

 しかし、敵は仲間が倒される事も厭わず、次から次へと襲い掛かってくる。

 

 茉莉も刀を抜いて応戦しているが、あちらも似たような状況だ。

 

「クッ きりがないッ!?」

 

 何体目かの敵を倒しながら、友哉は吐き捨てるように言う。

 

 見れば、倒した異形の内、比較的打撃の軽かった者は、既に起き上がって、再び向かって来ている。

 

 まるで不死の敵を相手にしているかのようだ。

 

 時間を追うごとに、数も増えて来ている。このままではじり貧は目に見えていた。

 

 いつしか、茉莉とも大きく引き離され、孤軍を余儀なくされていた。

 

「仕方がない・・・・・・」

 

 友哉は手近な敵を刀で薙ぎ払うと、声を上げて叫んだ。

 

「茉莉、ここは一旦、バラバラに逃げて、後で落ち合おう!!」

「判りました!!」

 

 今や敵の数は、目に見えるだけでも20は下らない。密林の中の気配を探れば、更にその倍はいそうだ。

 

 無理に合流しようとすれば、却って包囲される危険性もある。ここはバラバラに逃げて、後で座標を決めて落ち合った方が得策に思えた。

 

 友哉と茉莉は、ほぼ同時に、互いに正反対の方向へと走り出した。

 

 

 

 

 

 幸いな事に、襲って来た異形どもの足はそれほど速くはない。友哉が全力で走れば、あっという間に引き離してしまった。

 

 茉莉の方も、心配はいらないだろう。彼女の足は友哉よりも速い。恐らく、捕まる心配はない筈だ。

 

 走り続けた友哉は、いつしか海岸線に出ていた。

 

 海岸と言ってもそこは砂浜では無く、切り立った崖である。

 

 恐らくこの島は、太古の昔にはもっと大きかったのだろう。それが何万年もの時を掛けて風や波で削られ、今のような形となったのだ。

 

 周囲を探ってみるが、人の気配はない。どうやら、追っ手は完全に撒いたようだ。

 

「それにしても・・・・・・・・・・・・」

 

 足を止め、沈思する。

 

 先程の異形の敵は、一体なんだったのだろう?

 

 一応、形的に人間に見えなくもない。四肢があり、首があり、2足歩行をしていた。

 

 しかし、見た目の異形さが、人間の持つイメージからかけ離れ過ぎていた。

 

 「鬼」と言うキーワードが、友哉の頭に浮かぶ。

 

 かつて相対した「鬼」と言えば、吸血鬼であるブラドとヒルダの親子、そしてエリザベートの3人だが、彼等は残忍であっても理性はあった。

 

 だが、先程の敵には、理性の欠片すら感じられなかった。

 

 まるで獣のように、本能の赴くままに襲って来た。そんな感じだった。

 

 友哉の持っている情報の中で、考えられる物は一つしか無い。

 

「生物兵器・・・・・・」

 

 出発前に武田に聞いた情報。

 

 浪日製薬は、密かに生物兵器を研究、製造していると言う。それを確かめるのが、今回の仕事だ。

 

 だが、今回の襲撃で、その疑いは濃厚になったと言える。

 

 とにかく、もう少し調べる為にも、早く研究施設を見付ける必要があった。

 

 その時、

 

「御名答、なかなか鋭いじゃないか」

 

 突然の声に、とっさに振り返る友哉。

 

 そこには、1人の男が立っている。

 

 落ち着き払った雰囲気と、飄々とした態度。それと同時に、一目で判る、血生臭い印象。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 警戒するように、刀の柄に手をやる友哉。

 

 目の前の男が、ただの一般人でない事はすぐに判った。恐らくはこの島の警備をつかさどる者。それも、どちらかと言えば、表には出せないような仕事が専門であろう。

 

「ほう」

 

 そんな友哉の態度に、男は感心したように声を発する。

 

 自分の正体を一目で看破した事を称賛しているのだ。それに、

 

「奇遇だな、お前さんもか」

 

 そう言って取り出して見せたのは、

 

 鞘に収まったままの日本刀だった。

 

 男は鞘から日本刀を抜き放つと、切っ先を友哉に向けて正眼に構える。

 

柳生当真(やぎゅう とうま)。押して参る」

 

 言い放った瞬間、

 

 地面を踏みぬかんとする勢いで、当真は切り込んで来た。

 

「クッ!!」

 

 とっさに、友哉も抜刀しながら迎え撃つ。

 

 ギンッ

 

 一瞬の火花と共に、互いの刃が押し返される。

 

 一見すると互角。

 

 しかし、

 

『強い・・・・・・』

 

 ボクシングのジャブを撃ちあったような僅かなぶつかり合いだったが、友哉は自分の体が押し戻されるのを感じた。

 

「逆刃刀とは、随分面白い刀だな!!」

「どうも」

 

 互いに軽口をたたき合いながら、相手に対して先手を取るべく距離を縮めていく。

 

 そこへ更に、当真が切り込む。

 

 大上段からの鋭い打ち下ろし。

 

 対して友哉も、斬り上げるように迎え撃つ。

 

 互いの刃がぶつかり合い、

 

 そして、

 

「グッ!?」

 

 僅かな拮抗の後、友哉は押し返された。

 

 凄まじい膂力だ。恐らく、まともな打ち合いで相手にもならないのではないだろうか?

 

 更に、後退する友哉を追って、当真は横薙ぎの剣を繰り出して来る。

 

 速度は充分。威力は言うに及ばず。

 

 風を巻いて向かってくる剣を、友哉は辛うじて回避する事に成功する。だが、ここは崖の上。いつまでも受けに回っているのは分が悪すぎる。

 

 幸いな事に、ここは密林からも外れ、視界も開けている。縦横無尽な3次元的戦闘を得意とする飛天御剣流にとって、戦いやすい戦場である。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 距離を取って、刀を背に隠し、抜き打つように構えを取る。

 

 その様子を見て、当真も無理に攻めて来るような事はしない。友哉が何かを狙って足を止めた事を見抜いたのだ。

 

 当真の剣は、友哉の飛天御剣流ほど派手と言う訳ではない。言ってしまえば、基本に忠実な剣だ。

 

 だが、その忠実な剣を、鍛えに鍛え抜き、更に当真本人の膂力を加える事で、絶対不可侵な必殺剣へと昇華させている。例えるなら、斎藤一馬の牙突や、杉村義人の龍飛剣のように。

 

 それだけに、手ごわい。並みの技では弾かれるだけでなく、その上から叩き潰されるだろう。

 

『一撃に、全力を掛ける』

 

 心の中で呟き、刀を持つ手に、僅かに力を込めた。

 

 激発する。

 

 次の瞬間、

 

「そ、そこまでだよ」

 

 およそ、戦場に似つかわしくない、緊迫感を著しく欠いた声。

 

 真剣勝負を、下らない冗談で水を差されたような、そんな不快感。

 

 苛立ちと共に振り返り、

 

 そして友哉は絶句した。

 

 そこに立っていた人物に、見覚えがあったのだ。

 

「い、石井・・・・・・・・・・・・」

 

 見間違いようも無い。そこにいたのは、先日、茉莉を人質にして殺人未遂を犯し、無期限停学処分となった、装備科の石井忠志だった。

 

 更に驚愕すべき事に、彼の背後にいる取り巻き。

 

 その内の1人が、茉莉を拘束して立っているのだ。

 

 友哉と別れた後、一旦は包囲を抜けた茉莉だったが、その後、大挙して押し寄せて来た警備員達に捕まってしまったのだ。

 

「す、すみません、友哉さん・・・・・・」

 

 茉莉は刀と銃を取り上げられた上に、後手に手錠を掛けられて身動きできなくなっていた。

 

 捕まってしまった自分の彼女の姿に、友哉は唇をかむ事しかできない。

 

 そんな友哉の姿に、忠志は茉莉の頭に銃口を突きつけ、勝ち誇ったように言った。

 

「ぶ、武器を捨てろ緋村ッ 瀬田さんを殺すぞッ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 正に下種と言うべき所業だが、茉莉を人質に取られた以上、今の友哉にはどうする事もできない。

 

 代わって肩を竦めたのは、つい今で刃を交えていた当真だった。

 

「おいおい坊ちゃん。そりゃ無い話だぜ。せっかく、これから面白くなるってのに」

「う、煩いッ お前はパパに雇われた身だろッ 良いから僕に従えよ!!」

 

 ヒステリックに叫びを返してから、忠志はもう一度友哉に向き直った。

 

「さ、さっさと武器を捨てろッ 本当に殺すぞ!!」

 

 そう言って、更に銃を茉莉に突きつける忠志。

 

 ハッキリ言って、構えが素人である事は一目見れば判る。ただそれだけに、誤って引き金を引いてしまう危険性は大いにあった。

 

「友哉さん、ダメですッ!! 私は良いですから・・・・・・」

「う、煩い、お前は黙ってろよ!!」

 

 喚き散らしながら、忠志は銃のグリップで茉莉の頭を殴りつける。

 

「待てッ」

 

 茉莉の頭から血が流れるのを見て、

 

 友哉はついに折れた。

 

 ホルダーから鞘を抜き、刀を収めると、地面に向かって投げ捨てた。

 

「・・・・・・・・・・・・これで良い?」

 

 忠志を睨みつけながら問う友哉。

 

 対して、

 

「ギャハハハハハッ!! ギーヒッヒッヒッ!! ケヒヒヒヒヒヒッ ケヒッ!! ケヒッ!! ケヒッ!! イーヒッヒッヒッ!! ギヒヒヒヒヒヒヒッ!!」

 

 不快感しか呼び起こさない、忠志の笑い声が密林の中にこだまして行く。

 

 そして、

 

 銃口が友哉に向けられた。

 

「馬~鹿、お前なんかもう用済みだ。目障りだから、もうさっさと死ねよッ」

 

 言った瞬間、

 

 あっさりと、

 

 引き金が引かれた。

 

 よけようと思えば、友哉には簡単に避けられる弾丸。

 

 しかし、

 

 友哉は避けなかった。

 

 胸に着弾する弾丸。

 

 次の瞬間、

 

 友哉の体は、後へ急速に傾く。

 

 下は切り立った崖。落ちたら命はない。

 

「友哉さん!!」

 

 叫ぶ茉莉と、一瞬目が合う。

 

 彼女を安心させるように、笑顔を向ける友哉。

 

 次の瞬間、

 

 友哉の体は、100メートル以上下の海へ、真っ逆さまに落ちて行った。

 

 

 

 

 

第4話「告白」      終わり

 



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第5話「悪魔の飽食」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高度100メートルから落下する恐怖は、実際に体験した者以外に知る事はないだろう。

 

 急速な落下に伴う衝撃と風圧。1秒ごとに加速する感覚から来る恐怖は、精神の弱い人間なら、それだけで気を失ってもおかしくはない。

 

 下が海である事は何の慰めにもならない。この高度から落下すれば、海面はコンクリートよりも硬くなり、落着した瞬間、五体はバラバラに砕け散るだろう。

 

 つまり、どう考えても今現在、友哉は絶体絶命の状況にあるのだ。

 

 まったく、

 

 バンジージャンプを考えた人間は、余程の暇人か、そうでなかったら世紀の天才かも知れない。

 

 これは確かに、遊園地のジェットコースターでは味わえる感覚では無い。

 

 今まさに、バンジージャンプを敢行している友哉だから言える事だ。しかも、ノーロープで。

 

 急速に落下しながらも、友哉は余裕を持った思考で状況を見極める。

 

 慌てる事には何の意味も無い。命の危機にある時程、状況を受け入れ、落ち着いて行動するべきである。そうすれば、絶体絶命の状況でも意外と生存率は高まる物なのだ。

 

 そして、落下する中で友哉の鋭い視線は、自分の生命線を見逃さなかった。

 

「ハッ!!」

 

 ベルトのバックルからワイヤーを取り出すと、崖に根を張った状態で飛び出ていた枝に投げて巻きつける。

 

 タイミングはばっちり。投げたワイヤーがうまい具合に枝に巻き付いた。

 

 急速落下状態から別ベクトルの力を加えられた友哉の体は、振り子のように左右に大きく旋回を繰り返しつつ、徐々に運動エネルギーを殺して行き、やがてぶら下がる形で停止した。

 

 息を吐く友哉。どうやら、うまく行ったらしい。

 

 そこは、崖の上から30メートルほど下に下った場所に、1本だけ張り出した小さな枝だった。根がしっかりと張っているらしく、友哉1人がぶら下がっても、折れたり抜けたりする事はない。

 

「やれやれ、何とかなった・・・・・・」

 

 額に滲んだ汗を、コートの袖で拭う。

 

 うまく行って良かった。さもなくば、今頃友哉の体は間違いなく海面に叩きつけられていた筈だ。

 

「さて、と・・・・・・」

 

 ワイヤーにぶら下がった状態で、友哉は上を見上げる。

 

 いつまでも、こうしてぶら下がっている訳にもいかない。何とか、崖の上まで登らないと。

 

 陽が落ちて天候も芳しくないせいか、見上げても崖上を見る事はできない。捕まった茉莉がどうなったのか気になるが、これでは確認のしようがなかった。

 

 ここを上って、元の落下地点に戻るか? 恐らく忠志や当真は、友哉が死んだと思っただろうから、上で網を張っていると言う事はない筈だ。

 

 だが、

 

「ッ!?」

 

 左肩に痛みを感じ、友哉は僅かに顔を顰めた。

 

 忠志に撃たれた場所だ。至近距離だった為、防弾コートと制服越しにもかなりの衝撃を受けてしまった。もしかしたら、肋骨の1~2本は折れているかもしれない。

 

 正直、この腕で崖を上るのはしんどかった。

 

 だが、このまま手をこまねいていたら、茉莉がどんな目にあうか。想像もしたくない事である。

 

 何とかして、早く助けにいかないと。

 

 身を焦がす焦燥感に包まれそうになった時だった。

 

「・・・・・・おろ?」

 

 ぶら下がっている場所から、5~6メートルほど横に行った場所に、何か人工物めいた突起がある事に気付いた。

 

 明らかに自然にできた物では無い。恐らく、何らかの目的で後から人間の手で設置した物だ。

 

 あそこくらいまでなら、この傷付いた体でもどうにか行けるだろう。

 

 友哉は落ちないようにワイヤーを腕に巻き付け、崖に張り付きながら慎重に横移動して行った。

 

 やがて、問題の場所までやって来る。

 

 そこは人1人が、どうにか立って通り抜けれるくらいの大きさをした通路状の場所で、中には大型のファンが取り付けられていた。どうやら、換気システムの排出口であるらしい。ファンは停止しており、容易にすり抜ける事ができた。

 

 内部のダクトを通り抜け、通風口をこじ開けると、内部へと降り立った。

 

 そこは、何かの施設の廊下だった。白一色で統一された清潔感のある内装は、一目で、何かの研究施設である事が判った。

 

「・・・・・・・・・・・・まさか、地下施設だったとは」

 

 肩を竦めて言うと同時に、自分の迂闊さに呆れてしまう。

 

 このような辺鄙な島に施設を作るくらいだから、てっきり施設は地上に作っているとばかり思っていた。

 

 恐らく、監視衛星対策だろう。違法な研究、開発を行っているのだから、当然、スパイ対策だけでなく、そう言った電子の目に対する対策もしていると言う訳だ。

 

 期せずして、友哉は敵地への潜入に成功した事になる。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 周囲の気配を探りながら、友哉は廊下の奥へと歩みを進めて行く。

 

 施設の事もそうだが、何より、捕まった茉莉の事も気になった。

 

 自分のせいで、危険な目にあわせてしまっているのだ。早く助け出してあげたかった。

 

「待ってて、茉莉」

 

 静かに、力強く囁く。

 

 今の友哉は丸腰。敵と出会った場合、有効な対処手段がない。

 

 だが、そんな事で、歩みを止める理由にはならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガチャンと言う金属音と共に、鉄格子に鍵がかけられる。

 

 周囲は壁のみ。明かり取り用の窓すら無い。

 

 座り込むと、剥き出しのコンクリートから伝わる冷たさが、否応なく伝わってくる。

 

 茉莉は今、明らかに独房と思われる場所に入れられていた。

 

 後手に掛けられた手錠はそのままに、殆ど身動きできないまま放り込まれたのだ。

 

「この女か、お前を誑かした武偵の女は?」

「う、うん、そ、そうだよ、パパ」

 

 俯いたまま独房の床に座り込んでいる茉莉を、久志と忠志の石井親子が眺めている。

 

 対して茉莉は、そんな2人の存在など眼中に入らないかのように、俯いたまま無言でいる。

 

 無理も無い。折角、想いが通じ合ったと思った瞬間、友哉は茉莉が見ている目の前で崖の下へと転落して行ったのだ。それを目の当たりにした茉莉が心を閉ざしたとしても、無理からぬことである。

 

 そんな茉莉に、石井親子の吐き捨ているような声が容赦なく浴びせられる。

 

「フン、浅ましい事だ。こんな所までノコノコやってくるとは」

「ぼ、僕を騙しただけじゃなく、パ、パパの事まで、つ、捕まえに来るなんて、ひどいじゃないかッ 人間のやる事じゃないよッ!!」

 

 2人の罵り声も届いていないのか、茉莉はピクリとも動かない。完全に、魂まで抜けてしまったかのようだ。

 

「それで、この娘、いかがいたしますか?」

 

 脱力した茉莉を冷ややかな目で見ながら、傍らに控えていた志摩子が無表情で尋ねる。

 

 これまで、浪日製薬の事を探りに来たスパイは幾人もいたが、その全員の運命が決まっていた。殺して、遺体を海に捨てれば、海流の関係で二度と上がって来る事はない。正に完全犯罪の成立である。

 

 目の前で項垂れている少女も、そうなるかと思われた。

 

「ま、まって、パパ。この女、僕に頂戴」

 

 まるで新しい玩具をねだる子供のように、忠志は意地汚い笑みを顔に張り付けて言う。

 

 これまで、己の欲望を何の不自由も無く叶えて来た人間が見せる、特有の下卑た顔だった。

 

 忠志にとって今や茉莉は、単なる玩具の1つにしか映っていない。それも、これまでに持った事も無いような新しいおもちゃだ。はしゃがない筈がない。

 

 緋村への復讐は、奴を殺した事で完了した。あとは、自分を騙した、この女への復讐をするだけだ。

 

 抵抗できない茉莉を裸にひん剥いて、泣き喚くまでたっぷりと辱めを受けさせてやる。

 

 本当は緋村の見ている前で犯し抜いてやりたかった。自分の恋人が、自分の見ている前で凌辱される。これほどの屈辱は他にないだろう。

 

 だが、死んでしまった物は仕方がない。

 

「ふむ・・・・・・」

 

 少し考え込むようにしてから、久志は答えた。

 

 幼い頃から久志は、忠志が欲しいと言った物は何でも与えて来た。そこに、この女1人が加わるだけの話である。

 

「良いだろう。お前の好きにしなさい」

「やったァッ」

 

 忠志は子供のように手を叩いて喜ぶと、鉄格子に手を掛けて、茉莉に粘つくような笑みを向ける。

 

「ま、待っててね、瀬田さん。あ、あとでたっぷりと可愛がってあげるから」

 

 不快感を呼び起こす声にも、茉莉は一切反応しない。ともすれば、本当に死んでしまったのでは、と思えるほどだ。

 

「い、言っとくけど、緋村を待っても、む、無駄だよ。あんな場所から落ちて、い、生きてる筈なんてないんだからさ」

 

 勝ち誇ったように、忠志は茉莉に告げる。

 

 彼にとって、友哉への復讐は既に終わっており、後は茉莉を慰み者にすれば、復讐は完遂されるのだ。

 

「さて、不愉快な奴等を掃除できたら腹が減ったな。忠志、そろそろ食事にしようじゃないか」

「う、うん、判ったパパ。そ、それじゃあね瀬田さん。あ、あとでまた来るから、大人しくしてるんだよ」

 

 そう言い残して石井親子と、それに従う志摩子が去っていく。

 

 やがて、足音も徐々に遠ざかり聞こえなくなって行く。

 

 人の気配が完全に消え、静寂が場を満たした頃。

 

「・・・・・・・・・・・・そろそろ良いでしょうか?」

 

 呟きながら、茉莉は顔を上げた。

 

 その顔は、先程までのように項垂れた物では無く、力強い決意に満ち溢れている。正に、戦う武偵の顔だ。

 

 茉莉は項垂れていた訳ではない、そう見えるように演技をしていたのだ。

 

 正直、石井親子。特に忠志の身勝手な言い草は、茉莉にとって聞き捨てならないほど、くだらない戯言だったが、それにも茉莉はジッと耐えた。

 

 あそこで激昂する事に意味は無かった。

 

 捕まった時点で多勢に無勢である事は判っていたし、何より、大人しくしていたら連行と言う形で施設に入り込めると思ったからだ。

 

 結果は、大当たりだった。茉莉は労せずして、敵の研究施設へ潜入を果たしていた。

 

 茉莉は腕を動かして、スカートのホックの部分を探ると、そこから短い針金のような解錠ツールを取り出し、後手に拘束している手錠のカギ穴に差し込んだ。

 

「えっと、ここをこうして・・・・・・こうして・・・・・・」

 

 指先で探るように、針金を動かして行く。解錠スキルは武偵校生徒にとっては基本的な技能であるが、流石に背中で解錠するのは骨が折れる。

 

「それにしても、これも皮肉なんでしょうか・・・・・・」

 

 解錠ツールの感触を確かめながら、茉莉は自嘲気味に呟く。

 

 茉莉は解錠ツールを始め、いくつかの道具を服の中に仕込んでいる。

 

 そうするようになったのは、夏頃に瑠香と喧嘩した事が原因だった。あの時、2人とも意地を張り続けた結果、互いに引くに引けない所まで行ってしまい、ついには決闘騒ぎにまで発展してしまった。

 

 当初、茉莉は自分の勝利を微塵も疑っていなかった。勝負は呆気なく決するだろう、と高をくくっていた。事実として、瑠香の実力は茉莉より大きく劣っている。茉莉がそう思うのも、無理ない事だった。

 

 しかし、瑠香が服の下に大量に仕込んでいた武器や爆薬の前に、予想外の苦戦を強いられたのだ。

 

 仲直りした後、茉莉は瑠香から服の下に武器や道具を隠す方法を、色々と教わったのだ。とは言え、機動力を武器とする茉莉にとって、あまり重い武器を持つと、持ち味を削ぐ事になってしまうし、爆薬の類は茉莉のバトルスタイルに合わない。そこで、解錠ツールを始めとした、補助的な道具を仕込んで持ち歩くようにしているのだ。

 

 きっかけが友達との喧嘩、と言う点に忸怩たるものがあるが、今はそんな些細な事に拘泥している余裕はない。

 

 カチリ

 

 やがて、乾いた音と共に、茉莉の右腕から手錠が外れる。

 

 こうなれば、後は簡単だ。茉莉は自由になった両腕を前に回し、残る左手の手錠を簡単に外してしまった。

 

 外れた手錠を投げ捨てると、手首をさすりながら、格子の方に向き直る。後は、この格子を破るだけだ。

 

「友哉さんの事もありますので、なるべく急がないと」

 

 呟くと、解錠ツールを握り直す。

 

 茉莉は、友哉が死んだなどとは微塵も思っていない。忠志は何やら言っていたが、崖から落ちた程度で本当に友哉を殺せたと思っているなら、果てしなくおめでたいとしか言いようがない。

 

 友哉は生きている。そして今もきっと、この施設に近付いている筈だ。

 

 友哉を助ける為にも、早くここを抜けだす必要があった。

 

 その時、

 

「全く。いらない手間を掛けさせるんじゃない。阿呆共が」

 

 今にも鍵穴に解錠ツールを差しこもうとしていた茉莉の耳に、低い、どこかで聞き憶えのある声が聞こえて来た。

 

 顔を上げると、そこには剣呑な雰囲気を持つ、鋭い目つきの青年が立っていた。

 

「さ、斎藤さんッ!?」

 

 それは、これまで何度も共闘した事がある、公安0課所属の刑事、斎藤一馬だった。

 

「ど、どうして、ここに?」

「愚問だな」

 

 素っ気なく言いながら、一馬は手に持った鍵束の鍵を差し込み、格子を開いた。

 

 呆気なく開く扉を見ながら、茉莉は、心の中で「確かに」と呟く。自分達がこの島に来た理由を考えれば、一馬がここにいる理由も、自ずと決まっていると言う物だ。

 

 開いた扉から外に出ると、茉莉は一馬に頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

 

 礼を言う茉莉に対し、一馬はさっさと煙草に火を付けると、大きく煙を吐き出しながら答える。

 

「礼はいい。たんに、俺の仕事の邪魔をされたくないだけだ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 素っ気ない口調の一馬に、流石の茉莉も閉口せざるを得ない。

 

 相変わらず、とっつきにくい男である。

 

 友哉からは蛇蝎の如く嫌われている一馬だが、正直、茉莉もあまり良い感情を持っていない。

 

 とは言え、現状では心強い味方である事は間違いなかった。

 

「お前の装備だ。回収しといてやったぞ」

 

 一馬が顎で示した先には、床に転がるようにして、菊一文字とブローニング、武偵手帳が転がっていた。

 

 手に取って確かめると細工された様子はないし、ブローニングのマガジンもそのまま残っていた。

 

 手帳はポケットに、刀を背中にそれぞれ収め、ブローニングのホルスターを太股に撒こうとして、

 

 ふと、茉莉は手を止めた。

 

「あ、あの、斎藤さん、向こう、向いててもらえませんか?」

 

 ホルスターは太股の付け根に着ける為、どうしてもスカートをまくらなくてはならない。その為、パンツが見えてしまうのだ。

 

 対して、一馬はいかにも興味なさげに煙草を吹かしながら尋ね返してくる。

 

「何でだ?」

「そ、それは・・・・・・」

 

 口ごもる茉莉。説明はしたいが、それをいちいち言うのも恥ずかしかった。

 

 対して一馬はフッと笑い踵を返すと、そのまま歩き出す。

 

「安心しろ。ガキには興味無い」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ムカつく、とはこういう事を言うんだろう。いつもからかわれたり、鼻であしらわれている友哉の気持が、痛いほどに判ってしまった。

 

 急いで太股にホルスターを装着すると、一馬の後を追いかける。

 

 一馬の方でも、追ってくる茉莉の足音には気付いているのだろうが、歩みを止める事はない。どうやら、放ってはおくが、ついて来るのは自由、と言う事らしい。

 

 一馬の後からついて行く茉莉は、彼の背中を見ながら尋ねた。

 

「斎藤さんがここにいると言う事は、政府も浪日製薬の事は気付いている、と言う事ですか?」

「連中が裏で生物兵器を作ってるって話か? そんな物は1年以上前から気付いていたさ」

 

 言いながら、一馬は目の前の扉を開いて更に奥へと続く廊下を歩いて行く。

 

「俺がここに来たのは1週間前だ。もっとも、随分と手の込んだものを作ってくれたせいで、ここに入れるようになったのは3日ほど前だがな」

「1週間、そんなに前から・・・・・・」

「ああ、お前等が乳繰り合っている間に、大体の調査は終えた」

「ちちくッ・・・・・・」

 

 一馬の言葉に、茉莉は顔を真っ赤にして絶句する。一馬としては皮肉のつもりで言っただけなのだが、それに関してはあながち間違いでもないので、否定する事ができない。

 

 そんな茉莉の様子を見て、一馬は怪訝な顔つきになるが、すぐに口元を吊りあげてニヤリと笑う。

 

「何だ、図星か」

「~~~~~~//////」

 

 自分が微妙に自爆した事を悟り、更に顔を赤くする茉莉。良くも悪くも、嘘のつけない娘だった。

 

 そんな茉莉の様子を見ながら、一馬は溜息交じりに紫煙を吐きだす。

 

「やれやれ、あの阿呆は、自分の女を置いて、1人死んじまった訳だ」

 

 「あの阿呆」と言う言葉が、友哉の事を差して言っていると悟った茉莉は、赤面した顔に鋭い眼光を張り付けて、一馬を睨みつけた。

 

「死んでません」

「ん?」

「友哉さんは死んでません。必ず、まだ生きています」

 

 力強く言い放つ。

 

 相手は公安0課の刑事。茉莉の実力では決して敵わない相手だ。もしここで、一馬が茉莉に襲い掛かってきたら、茉莉は抵抗する事もできずに倒されてしまうだろう。

 

 だが、圧倒的な戦力差を感じながら、茉莉はそれをはねつけるように、激しい双眸で睨む。

 

 友哉は生きている。その「事実」を譲るつもりは、茉莉には無かった。

 

 そんな茉莉の様子を、一馬は面白そうに眺めながら口を開く。

 

「それは結構。奴がいるといないとでは、今後の戦いに対する張りも変わって来るからな」

 

 そう言って、再び茉莉に背を向けて歩き出す一馬。しかし、その口元には、不敵とも言える笑みが僅かに浮かべられていた。

 

 友哉が急速に実力を上げて来ているのは、一馬も感じている。それは同時に、一馬の中に流れる狼の血が、滾りを増している事も意味していた。

 

 武偵と公安0課。本来なら同じ側に立つべき者同士。

 

 だがもし、今後、何らかの形で友哉と相対する事になったならば、その時は自分が全力を出すに値するのではないか、と一馬は考えていた。

 

 歩き出す一馬の後ろから、茉莉もまたついて行く。

 

 話を聞いて見ると、一馬は茉莉達と同じように定期便を利用して、この島に潜入したらしい。調査を進めてすぐに、問題の施設が地下にある事は突きとめたそうだが、中に入る道がなかなか見つからなかったのだ。

 

 そこでふと、一馬は足を止めた。

 

「・・・・・・そう言えば、お前もあれの当事者だったな」

「何の話ですか?」

「俺がここに来たのは、谷事件の追跡調査の為でもある」

 

 谷事件、と聞いて茉莉はハッと顔を上げた。

 

 谷源蔵と谷信吾の親子が、茉莉の故郷である皐月村周辺を牛耳る形で支配し、強引なダム建設を進めていたのは、茉莉にとって苦々しい記憶の1つだ。あの事件が、この段になって尚も尾を引いている事は、茉莉にとってこの上なく忌々しい話だった。

 

「谷親子が出資していた企業の一つが、この浪日製薬だ。もっとも、あの阿呆親子からすれば、浪日製薬の実態がこんな物だとは思っていなかっただろうがな」

 

 その点は茉莉も全面的に同意である。あの谷親子が、浪日製薬の裏事情を知っていたとは思えない。ただ、急成長を続ける浪日製薬の株を、ほんの数パーセントでも保有しておけば、莫大な利益が転がり込む。しかも、それは今後、増加する可能性すら秘めていたのだ。物欲の塊と言って良かった谷親子が目を付けたのは、当然の成り行きだったと言える。

 

 奇妙な所で縁が繋がる、という好例であった。

 

 その時、2人は円筒形のガラス筒が無数に並んでいるエリアに入った。

 

 どうやら何かの培養槽らしいそれらのガラス筒は、傍らの機械とワンセットになって、今も稼働状態にあった。

 

 若干の興味を引かれた茉莉が、何気なく、中を覗き込む。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

 

 悲鳴を上げる事すらかなわず、茉莉は呼吸を止めるほど、声で喉を詰まらせた。それほどまでに、中にあった物はおぞましかったのだ。

 

 まるで内臓を半分ミンチにして、こね合わせたような物が、羊水のような液体の中に浮かんでいたのだ。

 

 込み上げる嘔吐感を、口に手を当てる事で辛うじて抑え込む。

 

 荒事には馴れており、イ・ウー時代には、人間の死体など文字通り腐るほど見て来た茉莉だが、流石にこれは許容の範囲外だった。

 

「吐くなら、どっか余所でやれよ」

 

 素っ気なく言って来る一馬の言葉にも反応できないほど、今の茉莉はショックを受けていた。

 

 これならまだ、生首のホルマリン漬けでも見せられた方がマシである。

 

 暫く、まともに歩く事もできないほど、フラフラになっていた茉莉だが、やがて落ち着いて来たのか、虚ろになりかけた目で顔を上げる。

 

「・・・・・・・・・・・・これは、何なんですか?」

 

 見れば見るほど、不快感ばかりが増してくる物質。とても、こんな物が人間の手によって生み出されたとは、到底思えなかった。

 

「お前等も見ただろ、あの異形の化け物どもを」

 

 一馬が言っているのが、密林で襲って来た鬼達の事だと気付いた。

 

「あいつ等は、浪日製薬が開発した生物兵器の失敗作どもだ。そして、こいつらは、その失敗作にすらなれなかった奴らだ」

「失敗作って、あれが生物兵器なんですか?」

 

 たしかに、あれだけの戦闘力と打たれ強さがあれば、兵器としては充分通用しそうだ。だが同時に、理性らしきものが一切感じられなかった事を思い出す。失敗作と言うのは、もしかしたら、そう言う点の事なのかもしれない。

 

 だが、目の前の物体は、失敗作の、そのまた失敗作だと言う。

 

 一馬は説明を続ける。

 

「そもそも、浪日製薬が開発している生物兵器って言うのを、お前等はどの程度まで把握しているんだ?」

「えっと・・・・・・『そう言う物がある』ていう程度です」

 

 事実上、何も知らないのと同じだ。

 

 何しろ、これから調査をしようと言う段階で捕まってしまったのだ。そちらの方は殆ど何も判っていないに等しい。

 

 成程な。と言い、一馬は続ける。

 

「連中は、生物兵器を作る段階で、ただの人間に、卓越した兵士以上の戦闘力を持たせる事を思いつき、その為の薬品の研究開発を行った。同時に、実験もな」

「実験って・・・・・・・・・・・・まさかッ!?」

 

 ある考えに思い至り、茉莉は思わず声を上げた。

 

 それは、あまりにも恐ろしい考え。その考えに至ってしまった自分に、思わず嫌悪感を抱いてしまうほどだ。

 

「その通り、人体実験だ」

 

 一馬の言葉を聞き、

 

 茉莉はとうとう立っている事ができず、その場にズルズルと崩れ落ち、座り込んでしまった。

 

 人体実験。

 

 これほどおぞましい響きの言葉も、そうはあるまい。

 

 と、言う事は、あの鬼達も、目の前のおぞましい物体も、元は人間だったと言う事だ。

 

 久志はしばしば、捕虜になった人間を検体にして、生物兵器の人体実験を行っている。

 

 そのなれの果てが、森の中で友哉と茉莉を襲った異形の鬼達の正体だった。彼等は皆、元は国家や他企業の命を受けて浪日製薬を探りに来たスパイ達であり、実験に失敗した検体達だった。

 

 ああなると悲惨である。理性も感情も全てはぎ取られ、ただ人を襲って貪り食うだけの怪物と化す事になる。

 

「・・・・・・いったい、何なんですか、浪日製薬って?」

 

 茉莉は弱々しく顔を上げて、一馬の方を見る。

 

「いったい・・・どうしたら、こんな事ができるんですか?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 茉莉の問いかけに対して、一馬は暫く無言で煙草を吹かした後、おもむろに口を開いた。

 

「・・・・・・・・・・・・浪日製薬の創業は、戦後にまで遡る」

「それは知ってます」

 

 この島に来る前に、依頼人の武田から聞かされた話だ。歴史が古い割に、最近になるまで目が出なかったらしいと言う事も聞いた。

 

「だが、実際には、会社の前身になった組織がある」

「組織、ですか?」

「浪日製薬の、『なみひ』とは、そもそも、『731』と言う数字に当てはめる事ができる」

 

 731

 

 確かに、そんな風に語呂を当て嵌める事ができるかもしれないが、茉莉には聞き憶えの無い数字である。

 

「それは、いったい・・・・・・」

「悪魔の数字だよ」

 

 答える一馬。

 

 その声音は、珍しい事に、嫌悪が混じったように歪んでいた。

 

 かつて第二次世界大戦の折り、日本軍は中国大陸や南方への進出を控え、ある問題を抱えていた。それは、土着の風土に起因する、病原体に対する対応策が殆ど立てられていなかった事である。

 

 いかに屈強な兵士と言えど、病に倒れてしまえば、全く何の役に立つ事もできない。そして、その病気の治療法が確立されなければ、最悪、命を落としてしまう事にもなりかねない。

 

 そこで、そう言った病原体に対する対抗手段や、傷病兵の治療方法を研究、確立する為に、ある部隊の設立を行った。

 

 それこそが、関東軍防疫給水部第731部隊。

 

 別名、悪魔の部隊。

 

 中国大陸に拠点を構えた731部隊は、ありとあらゆる病原体との遭遇を想定して実験、研究を行った。そして、それらの実験の殆どを、中国人、朝鮮人、モンゴル人、ソビエト人の捕虜を使った人体実験によって行われたのだ。

 

 チフス、コレラ、ペスト、マラリア等病原菌を人体へ植え付けて反応を見る実験。北方進出時の寒冷対策の為、冷凍室に捕虜を閉じ込めて行う凍傷実験。馬の血の人体注入実験。毒ガスの開発実験。そして、それらを元にした、生物兵器等の開発。

 

 どれも、聞くだけで肌が泡立つ程のおぞましい実験である。

 

 人体実験と言えば、ナチス・ドイツがユダヤ人に行った非道の数々が有名であるが、規模が違うだけで、日本軍もまた、同じような事をしていたのである。

 

 戦後、731部隊の幹部達は、一度は連合軍によって逮捕、戦犯に指定されたものの、その後、自分達が行った実験のデータを取引材料にしてGHQと交渉を行い、ほぼ全員が無罪放免となっていた。

 

「じゃあ、浪日製薬は、その部隊の生き残りの人が作ったって事ですか?」

「その通りだ」

 

 まさに第二次世界大戦の亡霊。旧日本軍が生み出した怪物たちが、今も息づく楽園なのだ。この島は。

 

 一馬がそう答えた時だった。

 

 突如、室内全体に赤い回転灯が回り、けたたましいサイレンが鳴り響いた。

 

 同時に、周囲の気配が騒がしくなるのを感じる。

 

「これはッ」

「見つかったか」

 

 警戒する茉莉。

 

 同時に一馬は、煙草を投げ捨て、スーツの背中から日本刀を抜き放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 執務室の椅子に腰かけ、石井久志は物想いに耽っていた。

 

 思い出すのは、父親、つまり、忠志の祖父に当たる人物の事である。

 

 久志は、父の本当の子供では無い。

 

 元々は遠縁の親戚の家に産まれたのだが、口減らしの為に養子に出されたのだ。

 

 あの時代では珍しい事では無い。とかく、米軍の攻撃で殆どの物が灰燼に帰した為、日本中で物資が不足していたのだ。

 

 養子と言う形で裕福な家庭に入る事ができた久志は、むしろ幸運であったと言える。

 

 養父の第一印象は「厳格な人」だった。

 

 陸軍の軍医中将だった養父は、とにかくいつも厳しい顔をして無口でいる事が多かった為、久志はそんな養父の姿を子供心に怖がった物だった。

 

 だが、接してみると、とても優しく、養子に来て不安がっている久志を不器用に励ましてくれる事も多かった。

 

 医者と言うだけあって、養父はたくさんの蔵書を持っており、興味を持った久志を自分の書斎に招じ入れ、好きな本を読ませてくれたものだ。

 

 そんな養父に対し、久志は尊敬と思慕の念を抱くようになった。

 

 養父が晩年になってからの養子である久志が、親子として共にいられた時間は、それほど長くは無かった。

 

 養父が他界した後、久志が養父と同じ医学の道に進もうと考えるようになったのは、ごく自然の成り行きだった。

 

 やがて、順調に学業を修め、大学を卒業するころ、父の軍隊時代の同僚だったと言う人物から声を掛けられた。

 

 その人物は、軍時代のコネを使って、製薬会社を経営していると言う。そこで、久志にも、その会社を手伝わないか、と言って来たのだ。

 

 それこそが、後の浪日製薬と言う訳である。

 

 この会社は、久志の半生の結晶であり、愛する息子へ手渡す、最高の宝物だ。

 

「潰させはせんぞ。絶対に、誰にもな」

 

 その言葉は、

 

 背後に立った人物に、半ば投げかけられていた。

 

「石井久志。あなたを、殺人、死体遺棄、拉致監禁、生物兵器開発等の容疑で逮捕します」

 

 凛と放たれる言葉に対し、久志はゆっくりと椅子を返して振り返る。

 

 そこには、

 

 漆黒のコートを羽織った、少女のような顔立ちの少年が立っていた。

 

「・・・・・・驚いたな。生きていたのか」

 

 内心の僅かな驚愕を押し込めながら、久志は落ち着いた様子で、目の前の友哉を見る。

 

 九死に一生を得た友哉は施設に潜入後、この執務室の場所を割り出して乗り込んで来たのだ。

 

「生憎ですが、あの程度で死んでいたら武偵は務まりませんので」

 

 自信に満ちたその言葉は、久志には眩しく感じられた。

 

 できれば、自分の息子も、彼のようになって欲しかった。

 

 だが、羨望はともかく、今の友哉は久志にとって、紛う事無き「敵」に他ならない。

 

「蛮勇は認めよう。だが、愚かだな」

 

 静かに言い放つ久志。

 

 次の瞬間、施設中にけたたましいサイレンが響き渡った。

 

 

 

 

 

第5話「悪魔の飽食」      終わり

 



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第6話「浪に日が落ちる時」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤い光が鬱陶しく点滅する廊下を、一馬と茉莉は駆け抜けていく。

 

 施設内は、既に大混乱に陥っている。研究員達はパニックに陥りながら、右往左往しているのが見える。

 

 警備兵と思しき者達と何度かすれ違ったが、それらは例外なく2人に叩き伏せられてしまった。

 

「チッ あの阿呆が。早まった真似をしやがって」

 

 前を行く一馬が苛立たしく舌打ちしたのを、茉莉は聞き逃さなかった。

 

 この男がこう言う声を発するのも、珍しい話であろう。

 

「どう言う事ですか?」

 

 尋ねる茉莉に対し、一馬は無言のままスーツの内ポケットからスマートフォンタイプの携帯電話を取り出す。

 

 画面を何事か操作すると、それを背後に向かって放って来た。

 

 茉莉は投げられた携帯電話を空中で受け取ると、画面を覗き込む。

 

 そこには、島と思しき場所の地図と、そこに接近してくる何らかのビーコンマーカーが映し出されていた。

 

「これは、何です?」

「言っただろ。調査は終えていると」

 

 出くわした研究員を容赦なく蹴り飛ばしながら、一馬は答える。

 

「既に調査報告は東京の警視庁に送信済みだ。そして今朝、浪日製薬に対する制圧作戦のゴーサインが下された。今頃、東京の本社の方にも制圧部隊が向かっている筈だ。勿論、この島にもな」

 

 成程。地図にある島は、この骨喰島。そして、近付いて来ているビーコンは、制圧部隊を示しているらしい。

 

 一馬は作戦開始に先立ってこの島に潜入し、研究施設の実態調査や、連絡不能になった諜報部員達の捜索を行っていたのだ。

 

 そして、浪日製薬の実態が明らかにされると同時に、一馬は動いた。東京の警視庁に連絡を入れ、制圧作戦を発動させたのだ。

 

 武田は公的権力の介入を危惧して、武偵校に依頼したようだが、その行動は遅きに失した。浪日製薬の運命は1週間前には既に決められていたのだ。

 

「それを、あの阿呆が、先走りやがって」

 

 苛立つ一馬の言葉が何の事を言っているのか、茉莉にはすぐに判った。

 

 先程から耳障りなこの警報。これが誰のせいで発動されたか、と言う事だ。

 

 茉莉達のせいではない。もしそうなら、茉莉が牢を抜け出した時点で発動されている筈だ。

 

 残る可能性は、1つしか考えられない。友哉だ。友哉が生きていて、何らかの行動を起こしたのだ。この警報は、その結果なのだろう。

 

『友哉さん・・・・・・』

 

 嬉しさと、彼氏に対する思慕の念が、否応なく茉莉の心を満たして行く。

 

 信じていた。必ず、生きていてくれると。

 

 だが、同時に不安でもあった。何しろ100メートルの崖下に落ちたのだ。絶対に助かるという保証はなかった。

 

 だが、このサイレンが何よりも雄弁に、友哉の生存を物語っていた。

 

 叶う事なら、このまま舞い上がってしまいたい程に嬉しかった。

 

 だが、ここは戦場であり、そんな事をしている余裕がない事は、茉莉が一番良く判っていた。

 

 飛び出すと同時にアサルトライフルを構える警備兵。

 

 対して茉莉は。一馬の背から飛び出す形で前に出ると、手にした菊一文字を振り上げる。

 

 キンッ

 

 甲高い金属音と共に、アサルトライフルの銃身が斜めに切断される。

 

 あまりの速さに、警備兵は何をされたのかすら気付いていない様子だ。

 

 かつてイ・ウーにおいて《天剣》の茉莉と称された彼女の神速の剣術は、たとえ相手が銃火器で武装していたとしても、抗し得る物ではない。

 

 横で一馬が「ほう」と感心したように声を発する。

 

 彼は今まで、緋村友哉以外のイクスメンバーに対して興味を持つような事は無かったが、なかなかどうして、目の前の少女も面白い実力の持ち主である。

 

 峰に返した刀で、警備兵を殴りつけて気絶させる茉莉。

 

「とにかく、そう言う事なら、一旦友哉さんとの合流を目指しましょう。バラバラでいるのは危険ですから」

「ま、これ以上、奴に引っ掻きまわされるのも癪だしな」

 

 理由は違えど、友哉と合流する。と言う方針に異存はないようだ。

 

 友哉がどこにいるのか判らないので、取り敢えず彼を探す所から始めなくてはならない。

 

 茉莉は更に奥へ進もうと、足を上げた。

 

 次の瞬間、

 

「ちょっと待て」

「グッ!?」

 

 背後から一馬に、制服の襟首を掴まれた。加速を始めた正に直後であった為、茉莉の首はいい感じに閉まり、一瞬、意識が落ちかける所まで行ってしまった。

 

 なまじ、足が速い事が災いしてしまった。

 

「ケホッ ケホッ な、何なんですか!?」

「客だ」

 

 告げる一馬は、既に茉莉の方を見ていない。

 

 一馬の視線を追う茉莉。

 

 そこには、

 

 異形と言うほかない、2人の男が立っていた。

 

 1人は筋骨隆々とした大男で、両手には重量のあるガトリングガンを2丁装備している。

 

 もう1人は小柄な男だが、両腕が異様に肥大化しており、その指先にはナイフ程もありそうなほど巨大な爪が伸びていた。

 

「あれが、生物兵器・・・・・・」

「らしいな。粗悪な量産型の次は、完成品の登場らしい」

 

 刀を構える茉莉と一馬。

 

 その2人に対して、2体の生物兵器は嵐の如く襲い掛かって来た。

 

 

 

 

 

 嵐のような弾丸を、壁に隠れながら友哉はやり過ごす。

 

 敵は4人。刀を持っていれば、どうという事はない数なのだが。

 

「少し、ミスッたかな・・・・・・」

 

 苦笑気味に呟く声も、けたたましい銃撃にかき消されてしまう。

 

 あいにく、友哉にはキンジのように、指で弾丸を掴んだり、果ては投げ返したりするような技能は無い。現状では手も足も出せなかった。

 

 施設潜入後、会長室の場所を探り当て、石井久志を捕縛する為に動いたまでは良かったのだが、その後がまずかった。

 

 警報から僅か10秒以内で、警備員が駆け付けるとは思わなかったのだ。友哉としては、まず久志を捕縛してから、茉莉の居場所を聞き出そうと考えていたのだが、敵のこの行動の速さは、完全に計算外だった。

 

 お陰で久志を取り逃がしらばかりか、友哉自身が追われる立場になってしまっている。

 

「さて、どうしたものかな・・・・・・」

 

 僅かに顔を覗かせて、廊下の様子を覗う。

 

 一時的に銃撃は止んでいるが、敵の数は明らかに増えていた。このままでは、包囲されるのも時間の問題である。

 

 どうにか、敵の囲みを破らないと。

 

 そう考えていた時だった。

 

 廊下の方を覗いている友哉の背後から、別の警備員が足音を殺して近付いて来た。

 

 友哉は廊下側に意識を集中しており、背後の気配に気づいていない。

 

 指呼の間に迫った警備員が、手にしたアサルトライフルの銃床を振り上げ、友哉を殴りつけようとする。

 

 次の瞬間、

 

 友哉は振り返った。

 

 そこからの反応は、人智では到底及ばないだろう。

 

 友哉は一瞬にして、振り下ろされた重傷をすり抜けると、その警備兵の鳩尾に膝を叩き込んだ。

 

「ぐぅッ」

 

 空気が抜けるような音と共に、警備兵は白眼を剥いて、その場に昏倒する。

 

 相手が意識を失った事を確認してから、友哉は素早く相手の体を探り、持っていたハンドガンと、予備のマガジンを奪った。

 

「まあ、無いよりはマシだろうし」

 

 ハッキリ言って銃は苦手だ。訓練でも、100発撃って30発命中させれば自己ベスト、と言うくらいである。だがこの際、贅沢は言っていられなかった。

 

 一瞬、転がっているアサルトライフルの方を取ろうかとも思ったが、すぐに思い直した。ただでさえ銃の扱いが下手糞なのだ。拳銃よりも更に扱いがピーキーなアサルトライフルなど、持っていてもこけおどし以上の効果は期待できなかった。

 

 グロック19のプラスチックボディは、日本刀の扱いに慣れた友哉にとっては羽のように軽く物足りない感があるが、それでも牽制用に用いるのに不足は無かった。

 

 もう一度、廊下の方を覗うようにして見る。

 

 どうやら敵は、今の奇襲攻撃と呼応して一斉攻撃を仕掛け、友哉を無力化する計画だったらしい。先程よりも彼我の距離が接近してきている

 

 グロックを掲げるようにして構える友哉。

 

 次の瞬間、先頭を歩いて来る敵警備兵めがけて、迷うことなく引き金を引いた。

 

 突然の発砲に、警備員達が明らかに驚いて声を上げるのが見える。

 

 図らずも、友哉の攻撃は奇襲となった。

 

 これまで丸腰だった友哉が反撃してくるとは、露とも思っていなかったのだろう。敵の警備兵たちは慌てたように身を翻し、手近な物影へと退避して行く。

 

 友哉が撃った弾丸は、

 

 当たり前のように命中せず、壁に当たって明後日の方へと跳ね跳んで行く。

 

 だが、それで良い。友哉とて命中させる事を狙って撃ったわけではない。

 

 友哉が狙ったのは、こちらの攻撃によって相手が一瞬でも怯む事だった。

 

 一瞬の隙。

 

 その間に友哉は駆け抜ける。

 

 包囲しようとしている警備員達の相手はしない。そんな物を相手にしていたら囲まれて終わりだし、それでなくとも、茉莉救出と言う目的の前では時間の無駄でしかない。

 

 ただ、成しうる全速力で彼等の間をすり抜け、駆け抜けて行く。

 

「逃げたぞッ!!」

「お、追えッ!!」

 

 逃げる友哉の姿にようやく気付いた警備員達が、慌てた様子で銃を友哉の背中に放って来る。

 

 しかし、それらが友哉を捉える事はない。

 

 その時には既に、友哉は角を曲がって走り去っていたからだ。

 

「さて、ここから反撃開始と行きたいところだけど・・・・・・」

 

 走りながら呟く友哉。

 

 取り敢えずの危機は去った。だが、未だに問題は、何一つとして解決した訳ではない。

 

 久志は逃亡したままだし、茉莉も見つかっていない。

 

 前者の問題は、敵の逃亡と言う事態も考えられる。もし海外にでも逃げられたら、友哉には手も足も出ない。

 

 そして後者の問題は、友哉個人に関する限り、より重大であると言える。

 

 自分の彼女が、敵の手の中にある。

 

 忠志の茉莉に対する執着ぶりを見る限り、いきなり殺される可能性は低いかもしれない。

 

 だが、茉莉は女だ。もし忠志が欲望を剥き出しにして、茉莉を凌辱していたとしたら、友哉にとって、それは最悪の悪夢と言えた。

 

 故に、武偵としては褒められた物ではないかもしれないが、友哉の中で優先順位は、

 

①茉莉の救出

 

②石井久志の捕縛

 

③他

 

 となっている。

 

「茉莉、待ってて」

 

 彼女の名前を呟きながら、更に加速する友哉。

 

 やがて、友哉は少し開けた空間に足を踏み入れた。

 

 施設職員のサロンにでもなっているらしいその場所は、贅沢な内装が施され、壁の方にはバーカウンターまで設置されている。

 

 そこで、友哉は足を止める。

 

 その視線の先に、1人の男が立っているのが見えたからだ。

 

「よう、ここに来ると思っていたぜ」

 

 柳生当真は、まるで親しい旧友にでもあったかのように、気さくに右手を上げて来る。

 

 対して友哉は、油断なくグロックの銃口を、当真に向けて構える。

 

 剣を交えたのは僅かな時間だったが、その僅かな激突で、目の前の男が油断ならない実力の持ち主である事は判っていた。

 

 正直、使い慣れない武器で戦うのは心もとない。だが、この場を脱し、茉莉の元に向かうには、どうしても避けては通れない相手である。

 

 そんな友哉に対し、

 

 当真は少し不満げに、肩を竦めてみせた。

 

「おいおい、そんな無粋な物は仕舞っとけよ。お前さんに似合うのは、こっちだろうが」

 

 言いながら、何か細長い物を放り投げてよこした。

 

 とっさに受け取る友哉。

 

「これはッ?」

 

 そこで、驚いて声を上げた。

 

 当真が投げてよこしたのは、崖の上の戦いで、茉莉を人質にされた際に捨てた、友哉の逆刃刀だった。

 

 鯉口を切って少し抜いて見ると、何か細工をされた様子はない。奪われた時のままだった。

 

 驚く友哉に対し、当真は可笑しそうに笑って見せる。

 

「さあ、これで条件は五分だろう。存分に死合おうぜ」

 

 言いながら、自身も腰の刀をゆっくりと抜き放つ。

 

 対して友哉も戸惑いから抜け出すと、グロックを静かに床へと置き、鞘を腰のホルダーに差し込む。

 

 その様子に、当真は血が滾るような感覚を味わっていた。

 

 戦いが始まる前の、この高揚感。これはどのような美酒にも代えがたい、甘美な感覚だ。これがあるから、戦いは止められない。

 

 戦いと言う物に憑かれている。当真は自分自身を、そう評している。正気のままでは、この感覚は味わえない。敢えて狂う事でこそ、戦いの本質が見えて来る物なのだ。

 

 だから、崖から落ちた友哉が生きていてくれた事が嬉しかった。

 

 友哉が当真の事を只者ではないと感じたように、当真もまた、友哉の尋常でない戦闘力を見抜いていた。

 

 これほどの実力者と対峙するのは、当真とて久しぶりの事だ。

 

 故に、警報が鳴ると同時に、あらかじめ確保しておいた友哉の刀を持って姿を現わしたのだ。

 

 もう一度、今度こそ全力で戦う為に。

 

 八双に刀を構える当真。

 

 対して、友哉は鞘に収めたまま、抜刀術の構えを取る。

 

「行くぞッ!!」

 

 吼えるような当真の叫び。

 

 次の瞬間、両者は同時に床を蹴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上陸作戦と言う物は、本来なら多大な犠牲を伴う物である。

 

 上陸する兵士は海水に足を取られたまま、敵の砲撃や、場合によっては空襲にも晒されながら、それでも1秒でも早く、安全な場所を確保する為に進軍しなくてはならないのだから。

 

 今回も、その例外ではない。

 

 もっとも、上陸する兵士達を出迎えたのは、最新兵器の砲撃や爆撃では無く、身の毛もよだつような姿に変えられた、異形の鬼達だった。

 

 密林から、己の身のみを武器にして躍り出て来る様は、大航海時代における原住民の襲撃のようにもみえる。

 

 が、実態はそんな生易しい物では無い。

 

 文字通り、化け物の襲撃。

 

 髪を振り乱し、爪を閃かせ、牙をむき出しにして襲い掛かってくる異形の存在。これを化け物と呼ばずして何と呼ぼう?

 

「う、ウワァァァ、何だこいつ等は!?」

「ば、化け物だァァァァァァ!!」

 

 得体の知れない存在を前にして、恐怖は兵士達の間に一気に伝播する。

 

 彼等は極東戦役開戦の報を受け、全国の警察から選りすぐられた戦闘のエキスパートである。本来であるなら、凶悪な犯罪者相手に一歩も引かぬ鋼の精神と、卓越した技量を持っている。

 

 しかし、そんな彼らですら、自分達に敵意を向けて襲い掛かってくる化け物が相手では、恐怖の為に戦意を失い掛けていた。

 

 手にした武器を撃ちながら、後退を余儀なくされる兵士達。

 

 今や、彼等の戦線は崩壊寸前と思われた。

 

 その時、

 

 逃げる兵士達の間から、

 

 『鬼』が、姿を現わした。

 

「ぬんッ!!」

 

 気合と共に、抜き放たれた剛剣は、一刀の元に異形を斬って捨てる。

 

 その剣技、その形相、そしてその殺気。

 

 まさに、1匹の鬼がそこに存在した。

 

 異形を一刀の元に斬り伏せた鬼の名は、長谷川昭蔵。

 

 かつてランドマークタワーの戦いの折り、現存した吸血鬼の1体。《鮮血の伯爵夫人》エリザベート・バートリを一刀の元に斬り殺した、東京地検特捜部に所属する武装検事である。

 

「恐れるなッ ただの1人として、この島からの逃亡を許してはならんッ 抵抗する者は、容赦無く排除せよ!!」

 

 その叫びは、正に鬼の咆哮。

 

 ただ一声で、理性がない筈の異形達が委縮し、その動きに鈍りが見える。

 

 そこへ、戦意を取り戻した兵士達が攻撃を再開した。

 

 彼等は、一馬が呼びよせた制圧部隊である。そして、この部隊を指揮しているのが長谷川である。彼もまた、極東戦役に対する特別対策チームのメンバーに選ばれ、今回の作戦の指揮を任されていた。

 

 今頃、東京の本社にも、警視庁から捜査員が派遣され、一斉捜査が開始されている。最早、浪日製薬は死に体と言って良かった。

 

 後は石井久志を逮捕すれば、この件も完了する。

 

 だが、そこで終わりでは無い。今回の浪日製薬制圧作戦は、単純に生物兵器開発を阻止する事だけを目的に行われた訳ではないのだ。

 

 今回の戦いは、極東戦役の戦局にも大きく関わる事になる。故に、長谷川が直接指揮する形で乗り込んで来たのだ。

 

「行くぞッ」

 

 井上真改を掲げるように肩に担ぎ、部隊の先頭に立って歩き出す長谷川。

 

 この、日本最強の「鬼」を止め得る者など、どこにも存在しなかった。

 

 

 

 

 

 嵐のような弾丸を巧みに回避しながら、茉莉は相手への接近を試みている。

 

 ガトリングンと言う、凶悪極まりない武器から吐き出される弾丸を食らおうものなら、茉莉の細い体は一瞬を待たずして粉々にされるだろう。

 

 それでなくても、敵は茉莉の三倍はあろうかと思えるほどの巨漢。あのような武器を使わずとも、素手で殴りかかって来られるだけで、茉莉の苦戦は免れない。

 

 にもかかわらず、茉莉は一切速度を緩める事無く駆け続ける。

 

 そうする事が、自身を勝利へと導く事が判っているから。身のこなしが素早い茉莉にとって、一番安全なのは、自身が動き回っている時なのだ。

 

 相手は巨体の上に、重量のある武器を持っているせいか、動きは鈍い。

 

 燕のように駆けまわる茉莉の姿を、捉えきれない様子だ。

 

 激しい砲撃も、茉莉が通り過ぎた場所を虚しく駆け抜ける事しかできない。

 

 行ける。

 

 茉莉は自分のスピードが、相手を完全に凌駕している事を確信し、更に足を速める。

 

 最高速度まで加速するに掛る時間は、僅か1秒足らず。

 

 全開まで縮地の速度を上げた茉莉の姿を捉える事は、友哉であっても至難の業である。

 

 迸る砲撃が、茉莉の正面から迫って来る。

 

 正に、火力の壁とでも形容すべき光景だが、今の茉莉には何の脅威にもなりえない。

 

「ハッ!!」

 

 茉莉はトップスピードのまま体を傾けると、そのままの勢いで壁に足を掛けた。

 

 スピードがあまりに速い為、茉莉の体は落ちて来る事はない。

 

 ガトリング男の方でも、すぐに茉莉の動きに合わせて弾道を修正して来る。

 

 砲撃が、壁を走る茉莉を捉えようと迫った瞬間、

 

 更に驚くべき光景が現われた。

 

「ハッ!!」

 

 あろうことか、茉莉は更に跳躍し、天井に足をついて走り始めたのだ。

 

 物理法則すら凌駕する脚力と速度は、茉莉以外の何者にも真似しえない光景だろう。

 

 そしてついに、茉莉は相手を己の間合いの内に捉えた。

 

「ヤァッ!!」

 

 鋭い気合と共に、ガトリング男に斬りかかる茉莉。

 

 峰に返した菊一文字がガトリング男の顔面を直撃する。

 

 加速の充分に乗った一撃。普通の人間なら、昏倒必至の攻撃だったが。

 

「なッ!?」

 

 目を剥く茉莉。

 

 茉莉の一撃を受けて、ガトリング男は不敵に笑って見せたのだ。

 

 全く効いていない。どうやら速度が遅い代わりに、防御力は極限まで高められているらしい。

 

 とっさに飛び退きながら、茉莉は空中でブローニングを抜いて引き金を引く。

 

 放たれた3発の弾丸。

 

 的がでかいだけの事はあり、全てが難なく命中する。

 

 しかし、効かない。

 

 ガトリング男は、何事も無かったかのように、茉莉に向かって砲撃を再開して来た。

 

「クッ 何てデタラメッ!?」

 

 生物兵器と言う物がどう言う物なのか、茉莉はハッキリと味わっていた。

 

 先程の銃撃にしても、3発中2発は、剥き出しの腕に命中させたのだが、見た所、僅かな出血すら見る事ができない。ガトリングガン2丁を難なく使いこなす程に盛り上がった筋肉が、防弾ジャケットと同じ役割を果たしているのだ。

 

 チラッと一馬の方に目を向けるが、あちらはあちらで、手長男との戦いに忙殺されており、援護は期待できそうにない。もっとも、手が空いたからと言って、一馬が茉莉を援護してくれる可能性は薄いが。

 

 ここは、茉莉が独力で切り抜けるしか無かった。

 

 茉莉はガトリング男から距離を置いて足を止めると、刀を正眼に構え直す。

 

「すみません、友哉さん・・・・・・ちょっと、お借りします」

 

 この場にいない彼氏に一言謝ると、向かってくる弾丸の嵐に真っ向から飛び込んで行く。

 

 茉莉の急加速を計算していなかったガトリングガンの攻撃が、後方へと逸れる。

 

 次の瞬間、

 

 茉莉の姿は、

 

 ガトリング男の頭上、

 

 天井に「着地」した状態で現われた。

 

 膝を撓めた状態で、眼下に向けて跳躍する茉莉。

 

「ヤァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 同時に繰り出される刃。

 

 ガトリング男も迎え撃とうとするが、その動きは圧倒的なまでに遅い。

 

 次の瞬間、茉莉の剣はガトリング男の脳天、その頂を正確に直撃した。

 

 その姿は、友哉の龍槌閃にも似ている。

 

 どれだけ筋肉の鎧で覆っても、頭蓋部だけは例外である。そもそも、頭頂部には筋肉が存在しないのだから。無い物は鍛えようがない訳である。

 

 茉莉が放った一撃は、ガトリング男の頭を正確に撃ち抜き、衝撃を余すところなく脳に浸透させた。それでも、威力不足を危惧した茉莉は、友哉の龍槌閃を真似る事で威力を底上げしたのだ。

 

 轟音と共に、倒れるガトリング男。

 

 いかに生物兵器として人外になったとしても、人間としての弱点までは捨てきれなかったようだ。

 

 

 

 

 

 一馬と手長男は、互いに一進一退の攻防を繰り広げる。

 

 攻撃力は、圧倒的に手長男の方が高いだろう。

 

 肥大した両腕から繰り出される攻撃は、床を抉り、壁を粉砕し、あらゆる物を微塵に破壊して行く。

 

 跳躍力も半端ではない。

 

 茉莉が戦っているガトリング男とは逆に、こちらは速度重視型であるらしい。巧みに壁や床を蹴って、距離を詰め、両手の巨大な爪で斬りかかって来る。

 

 1本が大型ナイフ程もある巨大な爪。それが両手合わせて10本。

 

 触れればその瞬間、体は斬り裂かれ、鮮血の海に沈む事になるだろう。

 

 それらの攻撃を、一馬は紙一重で回避しながら、どうにか致命傷を避けて行く。

 

「このッ ちょこまかと逃げ回りやがってッ」

「・・・・・・・・・・・・ほう」

 

 一馬は、軽い驚きの声を発した。

 

 その様子に、手長男は得意げに笑い声を上げる。

 

「驚いたか。俺達のような完成形の個体は、自我や理性を残しているのさッ」

「いや、人並みの脳味噌があった事に驚いていた。言葉をしゃべれるのは意外だったな」

 

 所詮、お前等は実験室の遺伝子組み換えチンパンジーレベルの存在でしか無い。

 

 一馬は、言外にそう告げていたのだ。

 

 手長男の方でもそれを理解したのだろう。一瞬で激昂し、一馬に向かって襲い掛かって来た。

 

「テメェェェェェェ!!」

 

 2本の巨大な腕を振り翳し、一馬へと掴みかかる。

 

 あんな爪で掴まれたら、それだけで即死確定だ。

 

 対して、

 

 一馬は刀を左手一本で持つと、切っ先を相手に向け、右手を峰に添えて刃を支える構えを取る。

 

 次の瞬間、

 

 疾走。

 

 全ての敵を食い破る必殺剣、牙突が繰り出される。

 

 しかし、

 

「甘ァァァァァァい!!」

 

 手長男は、一瞬で大きく跳躍する事で、一馬の牙突を回避して見せた。

 

 やはり、機動力には相当な自信があるようだ。

 

 攻撃が回避された事を悟ると、一馬はすぐに刀を引き戻して牙突の構えを取る。

 

 再度の疾走。

 

 あらゆる物を粉砕する筈の牙狼の牙は、

 

 しかし、やはり、手長男を捉える事はない。

 

「チッ!?」

 

 舌打ちすると同時に、一馬は突撃から横薙ぎへと攻撃を変換する。前方360度に渡って、死角が少ないのも牙突の特徴である。

 

 しかし、その横薙ぎも、手長男を捉える事はない。

 

 一馬が薙ぎ払うよりも速く、手が男は間合いの外へと飛び退いてしまったのだ。

 

「ヒヒヒッ さっきまでの威勢はどうしたッ!?」

 

 縦横に飛び回りながら、手長男は立ち尽くす一馬をかく乱して行く。

 

 自身の機動力に絶対の自信を持ち、それを最大限に活かす事によって攻撃力を高めているのだ。

 

「テメェは何もできねェッ!! そこで突っ立ったまま、俺になぶり殺しにされるだけだ!!」

 

 天井、壁、調度品。あらゆる物を足場としながら、手長男は距離を詰めて行く。

 

 この機動力に着いて来れる人間など、いる筈がない。後は、一気に両手の爪で切り刻んでやるだけだ。

 

 5本の大振りな爪がギラリと、凶悪な光を帯びる。

 

 それだけで、鋼鉄すら斬り裂けそうなインパクトがある。

 

 普通の人間なら、抗う事すらできはしないだろう。

 

 そう普通の人間なら。

 

 手長男は知らなかった。

 

 自分が相手にしている者が、人間では無く、血に飢えた獰猛な狼であると言う事に。

 

 向かってくる手長男に対し、振りかえる一馬。

 

「馬鹿めッ 今更気付いても遅いわッ!!」

 

 既に手長男はトップスピードで突撃を開始している。その速度は、常人のそれを遥かに凌駕し、常軌を逸していると言っても過言ではない。

 

 対して一馬は、ただ振りかえっただけで刀を構えてすらいない。一馬の最強の必殺技である牙突は、あくまで突撃技であり、ある程度の距離を取らないと使う事ができない。

 

 つまり、手長男に先手を許した時点で、牙突は封じされたに等しかった。

 

「死ねェェェェェェェェェ!!」

 

 跳躍と同時に、10本の巨大な爪を振り翳して、迫る手長男。

 

 そのナイフにも似た爪が一馬に迫った瞬間、

 

 振り仰いだ狼の眼光が、手長男を貫いた。

 

「うッ!?」

 

 思わず、息を飲む手長男。

 

 血に飢えた狼の視線は、人外の怪物すら、ひと睨みで圧倒して見せた。

 

 次の瞬間、

 

 目の前にいた筈の一馬の姿が、忽然と消えさっていた。

 

「こっちだ阿呆ッ」

 

 聞こえる、不敵な声。

 

 次の瞬間、一瞬速く天井近くまで飛び上がった一馬は、手長男の頭を掴んで急降下。そのまま顔面を床に、思いっきり叩きつけた。

 

「ぐぎゃ!?」

 

 それ自体が潰れたような声を出し、手長男は押し潰されるような格好で床へ手足を広げて倒れ込む。

 

 今の一撃で伸びてしまったのか、それ以上起き上がって来る気配も無かった。

 

「化け物如きで、俺を倒せると思うな」

 

 若干乱れた前髪を手で撫でつけて直しながら、一馬は皮肉交じりに言い捨てる。

 

 己の牙すら用いずに人外を制した狼は、余裕を感じさせる態度で、その場に佇んでいた。

 

 

 

 

 

 

 茉莉と一馬が、異形の敵を相手に死闘を行っている頃、2人の剣士もまた、白熱した高いを演じていた。

 

 友哉と当真は、互いの刃を閃かせて斬りかかる。

 

 上段から袈裟掛けに斬り込んで来る当真。

 

 対して友哉は、一足で間合いに飛び込むと、刀を鞘走らせる。

 

 神速の抜刀術による一撃。

 

 だが、

 

 ガキンッ

 

 当真の剛剣は、友哉の神速の抜刀術を、真っ向から受け止めて見せた。

 

「オォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 そのまま力押しを掛ける当真。

 

 対して、

 

「チッ!!」

 

 舌打ちした友哉は、同時に身を翻して当真の力押しをいなす。

 

 ちょうど、相撲で、押しつけようと向かってくる力士を、技巧の力士がヒラリと回避する様に似ている。

 

 一瞬、当真は無防備な側面を晒した。

 

 その隙を、友哉は見逃さない。

 

「貰った!!」

 

 打ち下ろすように、当真の頭をめがけて友哉の刀が迫る。

 

 だが、

 

「甘いッ!!」

 

 友哉の攻撃が当たるよりも一瞬速く、当真の繰り出した剣が受け止める。

 

 のみならず、勢いそのままに、当真は友哉を押し返し、そのまま弾き飛ばしに掛かった。

 

「クッ!?」

 

 舌打ちする友哉。

 

 同時に、左肩が鋭い痛みを発し、思わず顔を顰める。

 

 先程、忠志に銃撃を食らった痛みがまだ引いていないのだ。それが、当真の斬撃を食らう事によってぶり返して来てしまった。

 

 しかし大きく吹き飛ばされながらも、友哉はどうにか体勢を入れ替えて着地する。

 

 そこへ、追撃して来る当真。

 

 対して、友哉も反撃に転じるべく、突撃する。

 

 刀を右手1本で持ち、左手は寝せた刃を支えるようにして構える。

 

「飛天御剣流、龍翔閃!!」

 

 間合いに入ると同時に、繰り出される龍翔閃。

 

 龍が天空へ飛び上がる様に似た剣を、

 

「おっとッ!?」

 

 しかし当真は、突き上げるように放たれた斬撃を紙一重で回避した。

 

 虚しく、空中にある友哉。

 

 そこへ、

 

「ッシャァァァ!!」

 

 当真の鋭い突きが襲い掛かる。

 

 対して、空中にある友哉は対応が一瞬遅れた。

 

「グアッ!?」

 

 呻き声を洩らす。

 

 当真の突きは、友哉の肩口に命中した。

 

 そこは、ちょうど忠志が放った弾丸が命中した場所に近い。

 

 防弾コートのおかげで貫通される事はない。しかし、火箸を体に突き込まれたような熱い感触が友哉を襲った。

 

 どうにか空中でバランスを保ち、着地には成功したものの、堪らずその場で膝をつく。

 

 肩を押さえて蹲る友哉を見て、当真は怪訝そうに攻撃をやめて、友哉を見た。

 

「おいおい、どうした? これくらいで参るようなタマでもないだろうが」

 

 勿論、友哉とて、勝負を投げる気はない。その証拠に、痛みに蹲りながらも、未だ瞳に宿る戦意は陰りを見せていない。

 

 だが、

 

 当真は訝りながらも、友哉が左手を庇うようにしているのを見逃さなかった。

 

「お前・・・・・・まさか、あの時に怪我でもしたのか?」

「・・・・・・だったら何ですか?」

 

 強がりながら立ち上がり、右手一本で刀を構え直す友哉。

 

 戦いの最中に、弱みを見せる訳にはいかない。見せれば、敵はそこに付け込んで来る。強襲科で習った事を実践すべく、友哉は何事も無いかのように立ち上がって見せた。

 

 だが、相手の方はそうでもなかったらしい。

 

 尚も戦意を失わずに立ち上がった友哉の様子に、当真は感心すると同時に、興が覚めたとばかりに肩を竦めてみせた。

 

「まったく・・・・・・せっかく、これから面白くなりそうだってのに。あんのドラ息子がッ」

 

 吐き捨てるように言いながら、当真は刀を鞘に収めた。

 

 戸惑ったのは友哉である。いきなり勝負は終わりだとばかりに刀を収める相手に、どう対応して良いのか判らなかった。

 

「行けよ」

「な、何を・・・・・・」

「手負いの奴と戦ったって、面白くも何ともねえ。ここは譲ってやるから、さっさと行けって言ってんだ」

 

 憮然とした調子で告げる当真。こんな形で勝負に水を差されるとは思っていなかった為、機嫌を損ねた様子で、友哉に道を譲る。

 

 対して、友哉は警戒するように、刀の切っ先を当真に向けているが、やがて、本当に道を譲る気だと判ると、一目散に駆けだす。

 

 両者、すれ違う一瞬、

 

「次は、お互い、万全の状態でやり合いたい物だな」

 

 そう呟く当真の声が、確かに友哉の耳に残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 既に、喧騒は、島中に響き渡っていた。

 

 東京地検の《鬼》長谷川昭蔵に率いられた制圧部隊は、初めこそ、見た事も無い異形達に恐怖し、苦戦したものの、昭蔵の督戦を受けて、今では完全に持ち直していた。

 

 こうなると、後の戦力差は圧倒的である。

 

 何しろ、制圧部隊は皆、戦闘のプロ達である。

 

 対して、島の警備員達は、多少戦闘の知識があるだけのアマチュアに過ぎない。

 

 異形達を駆りつくした制圧部隊が、一馬の残した目印に従って施設内に突入すると、圧倒的な制圧力で持って、蹂躙を開始した。

 

 装備、練度、数、全てにおいて圧倒的に勝る制圧部隊相手に、警備員達は絶望的な抵抗を行った後に、永遠の沈黙を余儀なくされていった。

 

 そんな喧騒が続く中で、中枢への突入に成功した友哉は、爆音を背に聞きながら駆けていた。

 

 浪日製薬に黄昏が訪れたのは、この音を聞けば判る。

 

 だが、友哉にとってはまだ何も終わっていない。

 

 石井久志の身柄を確保しなければならないし、何より、茉莉を助け出さないといけない。

 

 茉莉が今も、あの石井忠志のおぞましい視線や、這うような指先の下にあるかと思うと、気が気では無かった。

 

「茉莉・・・無事でいて・・・・・・」

 

 祈るように、呟く。

 

 自然、駆ける足は勝手に速くなる。

 

 何枚もの隔壁を潜り抜け、何人もの警備員達をなぎ倒しながら、友哉は更に中枢へと突き進んで行く。

 

 そして、間もなく、施設の管理区域に入ろうかとした時だった。

 

「友哉さん!!」

 

 涼やかさを感じる声で、名前を呼ばれる。

 

 懐かしさすら感じるその声の主を、友哉が聞き間違える筈も無かった。

 

 はたして、振りかえる先に、

 

 思った通りの人物が、駆けて来るのが見えた。

 

「茉莉ッ!!」

 

 驚きより喜びより先に、

 

 友哉は駆けより、茉莉の細い体を抱きしめた。

 

「良かった、無事だったんだね」

「はい」

 

 友哉の胸の中に顔を埋めながら、茉莉は、躊躇いがちに口を開く。

 

「ごめんなさい。私が不甲斐ないばかりに、友哉さんを危険な目に・・・・・・」

「それを言うんだったら、僕の方こそ、ごめん。君を、こんな危険な目にあわせたりして」

 

 互いの温もりを確かめ合うように、しっかりと抱き合う友哉と茉莉。

 

「・・・・・・・・・・・・で?」

 

 友哉は視線を上げ、茉莉の背後に目をやる。

 

 ものすごーく、嫌そうな視線を向けた先には、さも当然とばかりに立っている斎藤一馬の姿があった。

 

「どうして、アンタがここにいるんですか?」

「いちいち言わなきゃ判らんか、阿呆」

 

 そう言って、肩を竦める一馬。

 

「あ、あの、友哉さん・・・・・・」

 

 一触即発になりかけた状況に、茉莉は躊躇いがちに声を掛けた。

 

「一応・・・・・・ほんとに一応ですけど、私を助けてくれたのは、斎藤さんなんです」

「そう言う事だ。どこぞの無能な彼氏がフラフラとほっつき歩いている内にな」

 

 茉莉のフォローを台無しにする、一馬の一言。

 

「ウグググ・・・・・・・・・・・・」

 

 歯を思いっきり噛み鳴らす友哉。

 

 とは言え、茉莉を助けてくれたのは事実なようだから、反論する訳にもいかなかった。

 

 そんな友哉を無視して、一馬は最後の扉へと向き直った。

 

「さて、この先に、恐らく石井久志がいる。奴自身は大した戦闘力を持ってはいないが、これだけの大会社を経営し、武装兵まで擁している奴だ。どんな隠し玉が飛び出すか判らん。油断するなよ」

「判りました」

「・・・・・・言われなくてもッ」

 

 一馬の言葉に対し、ここまで共闘してきたおかげで、割と素直に返事をする茉莉と、あからさまな上から目線的な命令口調に、面白くない友哉がそれぞれ返事を返す。

 

 だが、確かに一馬の言うとおり。決戦はここからだ。

 

 大戦期から生き残る亡霊。

 

 それにとどめを刺すべく、3人の剣士はゆっくりと前に進んだ。

 

 

 

 

 

第6話「浪に日が落ちる時」      終わり

 



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第7話「狂気の成果」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 扉を開き、足を踏み入れた先は、ちょっとしたホールのような広い空間だった。

 

 友哉、茉莉、一馬の3人は、ゆっくりと足を進めながら、その中央にまで進み出る。

 

 3対の視線が集中する先。

 

 そこに、1人の男性が佇んでいた。

 

 斜陽を迎えたこの島にあって、尚、君主であり続ける男。

 

 年齢こそ初老と言っても良い域に達しているが、未だにその事を感じさせない、巌の如き存在感を溢れだしている。

 

 石井久志は、武偵2人、公安刑事1人と言う奇妙な組み合わせの一行を、興味深そうに眺めてから口を開いた。

 

「・・・・・・やはり、警備員共では阻止する事ができなかったか。これからは、もっと腕の良い連中を雇う必要がありそうだな」

 

 追い詰められて尚、堂々とした態度を失わないのは、敵ながら讃嘆を禁じえない。

 

 しかし、目の前の男が、今回の最重要参考人である事に変わりはなかった。

 

「なに、そんな事を心配する必要はないさ。どのみち、もうお前等は終わりだからな」

 

 そう言ったのは一馬である。

 

 既にこの島だけでなく、東京の本社にも司法の手が及んでいる。それと同時に、浪日製薬の株式凍結も行われている。仮に今ここで、久志が逃げおおせたとしても、彼が捲土重来を期する事は金輪際ありえなかった。

 

 その言葉を聞き、久志は深々と溜息をつく。

 

「戦後60年。連合軍の占領から脱し、復興の荒波の中をひた走ってきた日本。その日本の医療を影から支え、多くの功績を残し、尚且つ、この国を支え続けて来た我々を、君達は潰そうと言うのか」

 

 731部隊の関係者達は皆、GHQから釈放された後、多くの物がそのまま医学の道へと進んで来た。その中で、日本の医療技術躍進に貢献し、今日の医療大国日本を作り出すのに貢献した者も少なくない。

 

 久志もまた、その1人であり。歴代の浪日製薬社長達も例外ではない。

 

 彼等が、この国を支えたと言う久志の言葉は、決して誇張ではないのだ。

 

「断言しよう。我々が今後10年健在であるならば、この国の医療は更に発展を遂げ、今この時代では治療の当ても無く死を迎えるしかない人々を、10年後には救えるようになるだろう。それだけの力が、我々にはあるのだ」

 

 それは誇張でも何でもない。

 

 現代の最先端医学を持ってしても、決して救う事ができない患者は大勢いる。だが、浪日製薬のように最先端医療の研究を行う会社が力を合わせれば、将来、数々の病を克服する事も夢ではないのかもしれない。

 

「じゃあ、何で、生物兵器なんて開発したんですか?」

 

 茉莉が、震える声で尋ねる。

 

 あの研究等のガラス筒に収められたおぞましい物体。あのような物を作り出しておいて、なぜ、とくとくと医療の発展に着いて語る事ができるのか。

 

 茉莉には、理解に苦しむ事であった。

 

「医療の研究には、莫大な資金が必要なのだ」

 

 久志は諭すような口調で告げる。

 

「生物兵器開発は、その為の資金繰りに過ぎん。日本では禁忌に入る生物兵器も、1歩海外に出れば、欲しいという国はいくらでもいる。そこで我が社でニーズに合った物を開発し、資金を獲得し、その資金を医療発展に役立てる。それこそが、浪日製薬のあり方なのだ」

 

 そこには戦後60年と言う、莫大な時間と、そこを生きた多くの人々の想念を背負って立つ男の、絶対の自信と矜持が現われていた。

 

 貴様ら如き三下に、我等が歩みを止める資格はない。

 

 久志の言葉は、言外にそう語っていた。

 

「だからって、人体実験なんて言うひどい事をするなんて・・・・・・」

「奴等は皆、我が社に害を齎す為に来た者達。それを排除したまでの事だ」

 

 久志が今まで人体実験に供した者達は、他企業からのスパイ、国家の諜報部員、社内で重大な過失を犯した者達ばかり。言わば久志にとっては紛う事無き「外敵」である。そして、久志が行った行為は、ただ外敵を撃ち払っただけの事。少なくとも、久志の認識では、そうだった。

 

「でも、そんなの、間違ってます!!」

「何が間違っているのか、何が正しいのか。そんな物は、人の立ち位置や主観によっていくらでも変化する。少なくとも、会社を守り、将来の医療に貢献すると言う私の目的からすれば、聊かも間違っているとは思わん」

 

 傲然と胸を逸らして、久志は己の哲学をのたまって見せた。

 

 その言葉に、茉莉は言葉を詰まらせる。

 

 久志の言っている事は、明らかに間違っている。如何なる理由があろうとも、このような非道な行為が許されて言い道理は無い。

 

 だが、その考えを、言葉にして出す事ができない。この老獪とも言える人物を論破するだけの弁舌の才能は、この大人しい少女には無かった。

 

「もう良いよ、茉莉。ありがとう」

 

 彼女の肩を労うように優しく叩き、友哉が前に出る。

 

「どうやら、この人を説得だけで投降させるのは無理みたいだ」

 

 久志は確かに非道だが、己の非道さにある種の信念を持って生きている。しかも、生き馬の目を抜く医療業界で会社を発展させてきただけの事はあり、弁舌の才にもたけている。

 

 この手の人間は厄介だ。たとえ、こちらがどれだけ正論を吐こうとも、あたかもその正論自体が間違っているかのように巧みに論点をすり替え、まるでこちらが悪であるかのように見せて来る。

 

 であるならば、取るべき手段は一つ。一切の理屈を道理でねじ伏せる。即ち、快刀乱麻を断つのみだ。

 

「あなたは犯罪者で、僕達はあなたを捕まえる為に来た。事実はそれだけ判っていれば充分です」

 

 言いながら、逆刃刀を抜き放ち、切っ先を久志へと向けた。

 

「石井久志、あなたを逮捕します」

 

 この男にどんな信念があったとしても、それは関係のない事。

 

 武偵憲章二条「強くあれ。但し、その前に正しくあれ」

 

 友哉は武偵として、目の前の男を許す事はできなかった。

 

 対して久志は、何かを諦めるように溜息をつき、やがて真っ直ぐに友哉を睨み据えた。

 

「そう言う事なら、こちらも切り札を使わざるを得んな」

 

 そう言って取り出したのは、空圧式の無針注射だった。通常の注射のように、針を肌に差して薬液を注入するタイプでは無く、高圧縮させた空気でピストンを動かし、薬液を肌に浸透させるのだ。

 

「この中には我が社が総力を上げて開発した生物兵器用薬剤。その完成型が入っている。データはすでに処分した。他の完成品も焼却処分したから、残っているのはこれだけだ」

「だから何だ? それを渡すから見逃せとでも言う気か?」

 

 挑発的に一馬が尋ねる。勿論、そんな取引に応じるつもりは、一馬は元より、友哉にも茉莉にも無いのだが。

 

 だが、

 

「そうではない。これを・・・・・・」

 

 言いながら、久志は注射のノズルを自分の首筋に押し当てる。

 

「こうすると言っているのだよ」

 

 言った瞬間、友哉と茉莉は思わず動きを止めた。

 

 中の薬は人をあの凶暴な怪物に変える薬品。それを注射すればどうなるか、久志が一番よく知っている筈だ。

 

 それを久志は、自らに打とうとしている。

 

「待ってください、その薬は・・・・・・」

「君に言われずとも判っている」

 

 茉莉の言葉を遮り、久志は聊かも揺るがない言葉で告げる。

 

「この薬の力を使い、この身を人外にする事で、まずは君達を殺す。次いで、上で暴れている連中にも後を追わせる。それで、全てに片が付く」

 

 正に、究極の証拠隠滅、とでも言おうか。

 

 追い詰められた久志は、あたかも負けの込んだゲーム盤をひっくり返すが如く、最後の切り札を切って来たのだ。

 

 そんな物を使われたら、確かに厄介である。手の付けられない大惨事になるであろう事は、目に見えていた。

 

 だが、

 

「やれば良いじゃないですか」

 

 友哉は静かに、しかし確固たる意志を胸に秘めて言い放った。

 

「そんな事をしたところで、何の意味も無い。その事は、あなたが一番よく知っている筈でしょう?」

 

 仮に、ここで生物兵器として暴走し、島に上陸した者、友哉達も含めて全員を殺しつくしたとしても、最早、浪日製薬の再起は叶わない。それどころか、ここで生物兵器によって蝕まれ、久志は二度と「人」に戻る事ができないだろう。

 

「頭の良いあなたに、その事が判らない筈がない」

「どうかな? ここまで追い詰められたのだ。私自身、自暴自棄になっているかも知れんぞ?」

 

 確かに、そうなったら全てがお手上げだ。最早、目の前の老獪を止める手立てはないだろう。

 

 だが、

 

「その時は、僕達があなたを止めます。全力で」

 

 友哉の決意の言葉と共に、傍らに立つ一馬と、茉莉もそれぞれ刀を抜いて構える。

 

 相手は強大な生物兵器。その得体の知れない強さは、戦って勝てるという保証すら無い。

 

 だが、そんな事は些細な事だ。

 

 そこに悪があるのなら、たとえそれがどれほど強大であっても立ち向かう。

 

 それは、武偵も公安0課も変わらない事であった。

 

 しばし、睨み合う両者。

 

 互いに沈黙が支配する中、

 

 久志は、ゆっくりと、腕を下ろした。

 

「成程。これが、武偵か」

 

 弁舌で久志を止められないのと同様、目の前の少年を、能弁だけで留める事はできない。

 

 その事が、久志には判ってしまった。

 

 確かに、久志に、手の中にある薬を使う気はない。使えば勝てると判っていても、その気はない。所詮はブラフなのだ。

 

 結局、多くの化け物を生み出しながら、自分だけは人間でありたいらしい。

 

 自嘲的な笑いを浮かべる久志からは、先程まで纏っていた圧倒的な雰囲気は綺麗に消え失せ、代わって、退役を間近に控えた老兵のように、落ち着いた穏やかさを湛えていた。

 

 久志に、最早戦う気はない。それは見ただけで判った。

 

「私の、負けだよ」

 

 久志の心に去来するのは、半世紀以上に及ぶ自身の人生の走馬灯だった。

 

 元軍人の養父の元で暮らした幼少期。養父の死後、彼に追いつくために必死に勉強した学生時代。卒業後、研究員として浪日製薬に入社。その後、僅か数年で研究部のトップに立ち、会社経営の一部を任されるにまでになる。やがて、幹部へと昇進、そして最終的には、この大会社を引き入るトップにまで君臨した。

 

 どこかで道を踏み外した、と言う自覚はある。だがそれを後悔しているかと問われれば、まぎれも無くNOだ。熱く、滾るような人生だったと自慢しても良いくらいである。

 

 その人生の幕引きを行ったのが、まさか自分の3分の1も生きていない武偵の少年だとは、ある種の可笑しさが込み上げて来るのを止められなかった。

 

「大した物だ」

 

 久志が、そう告げた時だった。

 

 ダァァァンッ

 

 突然の銃声。

 

 一同は突然の事に、警戒の為に身を固くする。

 

 が、

 

 しかし、余程射手の腕が悪いのか、弾丸は完全に明後日の方向へ飛んで行き、虚しく壁に当たってめり込んだ。

 

「う、ウワァァァァァァ く、来るなよ、お前等ッ で、出て行けよォ!!」

 

 耳汚しとしか思えないような金切り声と共に、石井忠志が銃口を友哉達に向けているのが見えた。

 

「な、何なんだよ、お前等ッ!? い、いったい、どれだけ、僕を傷付ければ気が済むんだよッ!!」

 

 叫びながら、更に発砲。

 

 しかし、手元が完全にぶれている為、またも見当外れの方向へ弾丸が飛んで行く。

 

「忠志ッ!!」

 

 久志の鋭い声が飛ぶ。

 

 しかし、忠志はそれにも構わず、更に発砲する。

 

 今度は、真っ直ぐに友哉への命中コースを刻んでいる。

 

 弾丸は友哉の胸元めがけて飛翔し、そして、

 

 ガインッ

 

 鋭い音と共に、友哉の刀によって弾かれた。

 

 友哉は先読みの鋭さを利用し、大凡、3秒から5秒先までの未来を予測し得る、「短期未来予測」を使う事ができる。銃口の向き、目線、腕の角度、筋肉の動き、忠志の姿勢、立ち位置。それらを統合すれば、弾道を読む事など造作も無い事である。ましてか、忠志は2回も空振りしている。それだけでも、予測に必要なデータとしては充分過ぎるくらいだ。

 

「無駄だよ」

 

 低い声で告げる友哉。

 

「う、ウワァァァァァァ、死ねッ 死ねッ 死んでしまえェェェェェェ!!」

 

 叫びながら、尚も引き金を引き続ける忠志。

 

 対して、友哉達は全く動く様子も見せず、その光景を眺めている。

 

 放たれる弾丸は、手元がぶれているせいで、全てが命中コースすら外れている。そのため、かわす必要が全くないのだ。

 

 やがて、

 

 カチンッ カチンッ カチンッ

 

「うッ!? うッ!? うゥッ!?」

 

 当然の帰結として、弾丸が尽き、忠志の指の動きに合わせて、虚しくトリガーを引く音だけが響くようになった。

 

「終わりか」

「ですね」

 

 一馬のつまらなそうな口調に、友哉も同調する。

 

 忠志のやった行為は、本当に何の意味も無く、ただ、この最後の局面にあって己の矮小さを改めて露呈しただけに終わった。

 

 尚も未練がましく、空しく金属音を上げるだけになった引き金を引き続ける忠志。

 

 そんな息子に、久志はゆっくりと歩み寄った。

 

「もう、良い。もうやめるんだ。忠志」

「ぱ、パパァ・・・・・・」

 

 涙目になって向き直る息子に、久志は優しく笑い掛けた。

 

「すまなかったな。私が不甲斐なかったばかりに、お前にまで辛い目を合わせてしまった。許してくれ」

「そんな・・・そんな、パパ・・・・・・」

「せめて、お前の罪が軽くなるように、法廷で証言するようにする。だから、もうやめようじゃないか」

 

 最後はせめて見苦しい真似はせず、潔く身を処そう。それこそが、この大会社のトップにあり続けた者の、最後の意地であり義務でもある。

 

 久志の堂々たる態度が、そう語っていた。

 

「パパ・・・・・・」

 

 そんな父の姿を、忠志は涙ながらに見上げる。

 

「そうだね、パパ・・・・・・」

「忠志・・・・・・・・・・・・」

「ありがとう・・・・・・」

 

 次の瞬間、

 

 ズブリッ

 

「なッ!?」

 

 突然、湿った音と共に、自身の胸の中央に、何か熱い物を突き込まれた様な感覚に久志は襲われる。

 

 次いで、激痛が全身に伝播する。

 

 一体、何が起きたのか。当の久志にも、すぐには判らなかった。

 

 同時に、手に持っていた注射器が、掌から零れ落ちる。

 

 その注射器を、伸びて来た手が、落ちる寸前にキャッチした。

 

「ケヒ・・・ケヒヒヒ・・・・・・ケヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!! ギャハッハッハッハッハッ!! ギ~ヒッヒッヒッヒッヒッヒッ!!」

 

 たった今、父を刺した忠志は、手に血塗られたナイフと注射器を持って、耳障りな笑い声を響き渡らせている。

 

「馬鹿親父がァッ 役立たずのくせに、何偉そうに説教してくれてんだよッ!! 僕の役に立たないならさっさと死ねよ!!」

 

 ヒステリックに叫びながら、床に倒れ込んだ久志を、執拗に蹴りつける忠志。

 

 その久志の体を中心に、急速に赤い血だまりが広がっていく。

 

「ほんと、役に立たない屑親父だよな。こんなのが自分の親父だって思うと、恥ずかしくなってくるよ」

 

 言いながら、忠志は手の中にある注射器に目をやる。

 

「馬鹿な真似はやめろ!!」

 

 叫ぶ友哉に対し、

 

「ギッヒッヒッヒッ 緋村、お前、これが怖いのか?」

 

 忠志は顔を上げてニヤリと笑うと、注射器のノズルを自分の首元に押し付けた。

 

「なら、こうしてやるよッ」

 

 嘲るように笑う忠志には、自分の持っている物が、人外の怪物を作り出す生物兵器だと言う認識はない。ただ、新しいおもちゃを手に入れ、それを気に入らない奴に自慢している、と言う程度の思いしか無かった。

 

「これを使えば、僕は最強になれる。もう、お前らなんかに馬鹿にされる事も無いんだ!!」

 

 言い放つと同時に、

 

 忠志はあっさりと、注射器のピストンを押し込んでしまった。

 

 空圧式の注射器によって噴射された薬液は、一気に肌に浸透し、忠志の体を巡り始める。

 

 その様子を、友哉達はただ茫然と眺めている事しかできない。

 

「ギ~ヒッヒッヒッ これで僕が最強だッ もう、誰も僕に逆らうことなんかできないッ!! ギャ~ハッハッハッハッハッハ!!」

 

 勝ち誇った笑いを浮かべる忠志。

 

 だが、

 

 ズクンッ

 

「ギヒヒヒ、ケヒヒヒ、ケヒッ ケヒッ ケヒッ・・・・・・あれ?」

 

 己の内から湧き上がる不快な感触に、笑いを止める忠志。

 

 更に、異変は続く。

 

 全身の肉が急速に盛り上がり、髪は抜け、血管は異様に膨れ上がる。

 

「な、なんだ、これッ!? 何だよ、これッ!?」

 

 叫んでいる間に、元々大柄な体はさらに膨れ上がり、着ている服を内側から破り、更に膨張していく。爪は伸び、目は大きく見開かれ充血して行く。

 

「こ、こんなの、聞いてないよッ!!」

 

 忠志は自分がパンドラの箱に、不用意に手を掛けたのだと言う事に、まだ気付いていなかった。

 

 それは、開けてはならない禁断の扉。開ければそこから、世界を滅ぼす絶望が飛び出す事になる。

 

 だが、最早手遅れだった。

 

 忠志の中に入り込んだ薬液は、狭い注射器の中から飛び出した事で活発化し、順調に忠志の体を怪物に作り変えている。

 

 忠志は、自分の浅慮の代償を、自分で支払う事になったのだ。

 

「そんな、助けて、パパァッ!! パパァッ!!」

 

 その悲鳴を最後に、忠志の声はくぐもった唸り声に代わる。

 

 外見も、既に人のそれでは無い。

 

 腕や足は人間の4倍近い太さになり、身長も3メートルほどに伸びている。体幹の筋肉も盛り上がるように隆起し、爪や牙は鋭く伸びている。

 

 まさに、鬼その物の外観だった。

 

「・・・・・・やれやれ、面倒な話だな」

 

 今や完全に人のそれでは無くなった忠志を見ながら、一馬が吐き捨てるように言う。

 

 だが、現実に迫る脅威は、そんな悠長な態度すら許さなかった。

 

「言ってる場合ですかッ!!」

 

 叫びながら、友哉は逆刃刀を構え直す。

 

 目の前に迫る、小山のような忠志の姿。

 

 こいつを外に出してはならない。外に出せば、想像を絶する惨禍を呼び起こす。

 

「とにかく、こいつはここで止めないと。良いですよね?」

「聊か間抜けた話だが、仕方ないだろう」

 

 溜息交じりに言いながら、一馬も左手で持った刀を弓を引くように構えた。初手から牙突の構えである。

 

 友哉も右手1本で刀を構えながら、視線は忠志の足元へとやる。

 

 そこには、尚も体の血を流し続ける、久志の姿があった。

 

「あいつは僕達が引き受ける。茉莉はその間に、石井社長を救助(セーブ)して」

「判りましたッ!!」

 

 友哉の指示に、茉莉は間髪入れずに頷く。

 

 まだ息があるかもしれない久志を、あのような怪物の足元に置いておく事はできない。何より、もしあの怪物に弱点があるとすれば、知っているのは久志だけだ。

 

「おしゃべりはそこまでだ。来るぞ」

 

 一馬の鋭い指摘と共に、

 

 今や完全に人外と化した忠志が、咆哮を上げて襲い掛かってくる。

 

「行くぞッ!!」

 

 迎え撃つ友哉。そして一馬。

 

 2人はほぼ同時に、刀を振り翳して前へと出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先に仕掛けたのは、速度に分がある友哉だった。

 

 左手が怪我の為にうまく動かない友哉は、右手一本で刀を持ち、上空に飛び上がりながら振り翳す。

 

「飛天御剣流・・・・・・」

 

 急降下と同時に、振り上げた刀を振り下ろす。

 

「龍槌閃!!」

 

 脳天めがけて振り下ろされる一閃。

 

 龍槌閃の一撃は、確実に忠志の頭部を捉え、よろけさせる。

 

 天を翔ぶ龍からが一撃を加えると、間髪入れず、地を駆ける狼が襲い掛かった。

 

「オォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 突進からの突き込み。

 

 一馬の牙突は、忠志の胴部分に確実に吸い込まれた。

 

 鮮血が飛沫となって、室内に飛び散る。

 

 一馬の牙突を受けた場所は、獣の牙に抉られたように大きく削ぎ落されていた。

 

 それだけで、普通の人間なら致命傷である。

 

 だが、

 

「チッ」

 

 一馬は軽く舌打ちする。

 

 自身の刀が命中した場所。

 

 本来なら無惨な傷口が見えている筈の場所が、既に回復する兆しを見せているのだ。

 

 友哉の龍槌閃を受けた場所も、殆どダメージらしいダメージを見せていない。

 

 そこへ、再び友哉が切り込む。

 

 忠志の顔の位置まで飛び上がると、体を大きく捻り込ませ、巻いた螺子を勢い良く戻すようにして斬りかかった。

 

「龍巻閃!!」

 

 横殴りの一撃。

 

 鈍い音が響き、忠志の顔は一瞬、ありえない角度に向かって曲がった。

 

 逆刃刀は峰と刃が逆になっているので、普通に振るっても相手を斬る事はない。それでも、鉄の棒で殴りつけるのと同じ効果は期待できる。

 

 通常なら、首の骨が折れていてもおかしくないほどの打撃が忠志に加えられた筈だ。

 

 しかし、

 

 友哉が着地する頃には、既に忠志は何事も無かったかのように首を戻し、そして凶悪な視線を、愚かにも自分に歯向かう矮小な人間へと向けていた。

 

 咆哮する、忠志。

 

 同時に振り上げられた拳が、友哉に向かって振り下ろされる。

 

「クッ!?」

 

 とっさに、その場を飛び退く友哉。あんな物で殴り飛ばされたら、ただでは済まないだろう。

 

 だが、忠志は逃げる友哉を、執拗に追いかけて来る。

 

 殴るだけでなく、掌を大きく広げて捕まえようとしてくる事もあった。

 

 その時、

 

「どけッ!!」

 

 叫ぶような一馬の声に、友哉は一瞬だけ振り返り、次いで大きく跳躍する。

 

 刀を構えた一馬。

 

 手にした刀は、通常の牙突よりも高く構えられている。

 

 突撃。

 

 剛風すら撒く程の疾駆は、刃を撃ち下ろすような形で振り抜く。

 

 牙突・弐式

 

 撃ち下ろす形となる為、通常の壱式よりも威力が高い一撃が、友哉を追って振りかえろうとした忠志の腹に突き刺さった。

 

 衝撃、直後に轟音。

 

 一馬の放った牙突は、忠志の巨大な腹にまともに命中した。

 

 次の瞬間、忠志の剥き出しの腹は、ひしゃげるように抉られる。

 

 それだけではない。牙突の威力を殺しきれなかった忠志は、轟音と共に吹き飛ばされ、後方の壁に叩きつけられた。

 

 恐るべき光景である。

 

 人間としては比較的細身の一馬が、今や巨大ヒグマほどの体躯のある忠志を吹き飛ばしたのだから。

 

 傍らで見ていた友哉も、思わず息を飲む光景だった。

 

 これは決まったか?

 

 と、期待したのだが、

 

 友哉と一馬が見ている先で、忠志は緩慢な動きながら、その巨体を引き起こそうとしている。

 

 牙突による傷も、既に塞がり始めている様子だった。

 

「厄介ですね」

「フンッ」

 

 友哉の呟きに、一馬は鼻を鳴らして応じる。だが、内心では一馬もまた、友哉と同じ考えだった。

 

 あの巨体から繰り出される破壊力のある攻撃もさることながら、致命傷すら一瞬で回復し尽くす超再生力は、厄介などと言う言葉では言い表せなかった。

 

 やがて立ち上がると、忠志は勝ち誇るように雄叫びを上げる。

 

 ただそれだけで衝撃が奔り、部屋中が振動を起こす。

 

「やれやれ、いい気な物だ」

「まったくです」

 

 言いながら、友哉と一馬は再び床を蹴って忠志に斬りかかった。

 

 

 

 

 

 2人の剣士が怪物と化したかつての友人と戦っている隙に、茉莉は久志を救出する事に成功していた。

 

 茉莉の小柄な体に比べると、久志は筋骨逞しい武道家のような体つきをしている。正直、茉莉1人で、その体を運び出すのは無理かと思われた。

 

 しかし、驚いた事に、あれだけの大量出血をしながら、久志はまだ意識があったのだ。

 

 そして、茉莉に支えられるようにして廊下まで歩いて行くと、そこで力尽き、壁を背にして倒れ込んだ。

 

「しっかりしてください、石井社長ッ!! 今、手当てしますから!!」

 

 茉莉の言葉に反応するように、久志はゆっくりと目を開ける。

 

 茉莉は急いでブラウスの内側を探ると、そこに隠し持っている簡易救急キットを取り出した。いざと言う時の為に隠し持っている、簡単な応急措置セットである。

 

 だが、そんな気休め程度の物でどうにかなるような状況では無い。久志の胸の真ん中には深い穴が開き、そこから尚も血が噴き出し続けている。

 

 傷の位置が心臓に近すぎる。明らかに致命傷だった。若い頃から今に至るまで鍛え続けている肉体が功を奏し、未だに命脈を保ってはいるが、それも風前の灯である事は火を見るより明らかだった。

 

 それでも茉莉は、必要な措置を施して行く。

 

 菊一文字で久志のシャツを破き、取り出したナプキンを傷口に押し当てて臨時の止血にする。

 

 だが、流れ出る血液はそんな紙切れ一枚では留められず、白いナプキンはあっという間に鮮血色に染められてしまう。

 

「・・・・・・き、君」

 

 茉莉が更なる延命措置を施していると、久志の方から声を掛けて来た。

 

「た、忠志は、どう、なった?」

「まだ、暴れています」

 

 戦いの喧騒は、ここまで聞こえて来る。

 

 どうやら流石の友哉と一馬のコンビでも、あの人外の怪物が相手では苦戦を免れないらしい。

 

「教えてください、石井社長。あれを倒す方法は、何かないんですか!?」

 

 縋りつくように、茉莉は尋ねる。

 

 どんな些細な物でも良い。この状況を打破する一手が欲しかった。

 

 久志はしばし、黙考するように虚空を見つめた後、ややあってから口を開いた。

 

「あれは・・・今、使える技術の粋を尽くして作り出した最高傑作だ。強靭な肉体と、凶悪な攻撃力、そして超再生力。それらを組み合わせた究極の生物と言っても良いだろう。ハッキリ言って、外からいくら打撃を加えた所で、奴は倒せん。それこそ、ミサイルでも直撃させない限りはな」

「そんな・・・・・・」

 

 絶望的な気分になる茉莉。いくら友哉や一馬でも、流石にそこまでの攻撃力は無い。

 

 事実上、忠志を倒す事は不可能と言う事だ。

 

 そんな茉莉を、久志は荒い息のまま見詰める。

 

「・・・・・・君には、本当にすまない事をした、と思っている」

「え?」

 

 突然の言葉に、キョトンとする茉莉に対し、久志は弱々しい声で続ける。

 

「武偵校で忠志が起こした事件・・・あれについて、君に非は無い。悪いのは、全て、忠志の方だ・・・・・・」

「石井社長・・・・・・」

「馬鹿な親と、笑ってくれ。アレの母親が死んでから、私は忠志を、目の中に入れても痛くない程に可愛がってきた。だが、そのせいであの子は、あの通り、気弱で独善的な性格になってしまった。それを克服して欲しくて、武偵校に入れたのだが・・・・・・結果的に、君達に迷惑を掛ける事になってしまった」

 

 久志の言葉を、茉莉は黙って聞き入っている。

 

 少なくとも、茉莉に久志を笑う事はできなかった。誰にだって、一番大切な物と言う物はある。久志にとって、それが1人息子の忠志であった、と言う事である。

 

 そして久志は、大切な息子を守るために、全力を尽くしただけなのだ。確かに迷惑を被ったのは事実だが、それを今更責める気にはなれなかった。

 

「い、今更、謝ってどうなる物でもないのは判っている。だが、せめて、償いをさせてくれ」

 

 そう言うと、久志は震える手をスーツの内側に突っ込み、ポケットから小さな注射器を取り出すと、茉莉の掌に乗せた。

 

「・・・・・・これは?」

「あの薬の、抗ウィルス剤だ。 ・・・・・・万が一の時の事、を考えて、用意しておいた。外からの打撃には強い、が、内部の、ウィルスを殺せれば、忠志の暴走は、止まる、はずだ」

 

 言っている間にも、久志の声は小さく、掠れた物になっていく。彼の命の火が消えようとしているのだ。

 

 だが、それでも、最後の力を振り絞って、茉莉に語りかける。

 

「気を、付けろ・・・薬は、それしかない・・・・・・外せば、それで終わり、だ」

「判りました」

 

 希望を握りしめ、頷く茉莉。

 

 そんな茉莉に対し久志は、既に光の映らなくなった瞳を向ける。

 

「向こうで、戦っている少年・・・・・・あれは、君の、恋人かね?」

「・・・・・・はい」

 

 少し頬を赤くしながら答える茉莉に、久志は弱々しく笑う。

 

「・・・・・・良い少年だ・・・・・・まっすぐで・・・素直で・・・そして、強い・・・・・・願わくば、あの子にも、あんな風に・・・・・・育・・・・・・て・・・欲しかっ・・・・・・」

 

 瞼が、ゆっくりと落ちる。

 

 それっきり、久志が口を開く事は無かった。

 

 戦後の混乱期からのし上がり、日本の医療業界を背負って立った巨人が、今、逝ったのだ。

 

 茉莉は、暫く目をつぶり、死者に対する黙祷を捧げる。

 

 この人は確かに敵ではあったが、憎むべき相手では無かった。少なくとも、茉莉達と久志は、互いに信念からぶつかり合った者同士であり、そこに憎しみが混じる事は無かった。

 

 目を開き、立ち上がる。

 

 戦いは、まだ続いている。

 

 第二次世界大戦、最後の亡霊を屠るべく、茉莉は駆け抜ける。

 

 愛しい人の戦う戦場へ、迷うことなくひた走った。

 

 

 

 

 

 焦りが、自分の心を支配して行くのが判る。

 

 目の前の怪物に対し、友哉と一馬は先程から波状攻撃を仕掛け、無数とも言える致命傷を負わせている。

 

 普通の人間なら、100回は殺してもお釣りがくる。

 

 だが、目の前の怪物は、聊かも衰えた様子がなく、今も暴風の如き攻撃を繰り返している。

 

「チッ!!」

 

 旋回して襲ってくる拳は、それだけで友哉の上半身程もある。

 

 対して、友哉は空中に飛び上がるようにして回避すると、そのまま距離を詰めて忠志の懐に飛び込んだ。

 

「飛天御剣流ッ」

 

 右手に持った刀が縦横に振るわれ、斬線が縦横に駆け抜ける。

 

「龍巣閃!!」

 

 360度、全方位から忠志に襲い掛かる攻撃。

 

 かつては《無限罪》のブラドにもダメージを与え、決着の一助ともなった技。

 

 一撃でダメなら、連撃ならどうかと考えて放った技だが、

 

「・・・・・・ダメか」

 

 何事も無かったようにそそり立つ忠志の姿に、友哉は舌打ちする。

 

 防御力、再生力はブラド並み。唯一、理性がない事だけはブラドに劣っていると言えなくもないが、それとて、手が付けられないと言う意味では、ブラド以上に厄介な話だった。

 

 そこへ、

 

 衝撃が駆け抜ける。

 

 切っ先を真っ直ぐに向けた一馬が、忠志に襲い掛かった。

 

 突き込まれる刃。

 

 もう、何度目とも知れない牙突が、忠志の胸に炸裂する。

 

 巨体が轟音と共に吹き飛び、床へ崩れ落ちる。

 

 本来なら、驚喜すべき光景ではあるのだが、

 

 忠志は傷付いた体を引きずりながら、再び立ち上がろうとしている。

 

「やっぱり、だめか・・・・・・」

 

 何度目かの溜息と共に、友哉はまたも攻撃が徒労に終わった事を悟る。

 

 一馬の牙突は、友哉の持つどの技よりも強力で破壊力がある。これは技その物の性質もさることながら、友哉と一馬の間にある体格差から来る膂力も関係しているのだが、その牙突ですら、今の忠志に対しては致命傷にはなりえなかった。

 

 その忠志は、目を爛々と輝かせ、口からはよだれを垂れ流しながら、2人へと迫っている。もはや、あれが元人間であった事など、想像すらできなかった。

 

「来るぞッ」

 

 一馬の声と共に、再び迫りくる忠志へと刀の切っ先を向けた。

 

 次の瞬間、

 

「やァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 凛とした気合と共に、彗星の如く掛けて来たものが、鋭く忠志を斬りつけた。

 

 胸板が、大きく斬り裂かれる。

 

 瞬間、忠志はよろけるように、2~3歩後退した。

 

 そこで、攻撃を終えた茉莉が、友哉と一馬の前に着地した。

 

「茉莉ッ!?」

「遅くなりました」

 

 低く抑えた声で、茉莉は2人に振り返る。

 

 普段大人しい少女は、決意に満ちた瞳で、この戦場に立っていた。

 

「石井社長は?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 尋ねる友哉に、茉莉は無言のまま首を横に振る茉莉。その仕草で、友哉は何が起こったのか察した。

 

 まさか、こんな事になるとは。

 

 どんな時でも、被疑者は生かしたまま捕える。それが鉄則であった筈なのに。

 

 悔しさが滲み出るのを、止められなかった。

 

「その石井会長が、アレを止める方法を教えてくれました」

 

 そう言うと茉莉は、ポケットから注射器を取り出し、久志から聞いた事を2人に話した。

 

「成程、それで、奴にその中身をぶち込めば良い訳か。判り易くて良いな。狂犬病の予防接種みたいなもんだろ」

「もう、発症してますけどね」

 

 苦笑して言いながら、友哉は茉莉の攻撃から回復しつつある忠志に目をやる。

 

 確かに、外からの打撃には無敵でも、中からなら攻略可能かもしれない。その薬が、本当に効くなら、だが。

 

「となると、後はどうやって、それをアイツに撃ちこむか、だね」

 

 注射器は小型である為、当然、それを撃つ時には忠志に密着状態にならなくてはならない。いかに噴射式の注射とは言え、離れた状態では威力の低い水鉄砲と同じだった。

 

 どうにかして、あいつの動きを止めなくてはならない。

 

 その為には、

 

「各自、最大級の打撃で持って、奴にダメージを与える」

 

 一馬の言葉に、友哉と茉莉は振り返る。

 

「奴は究極であっても無敵では無い。俺達の攻撃でも多少のダメージは入っていた。そして、大きな損害の後、暫く動けないでいただろう。なら、出し惜しみ無しの最大限の攻撃で奴の動きを止め、そこへ、そいつをぶち込む」

 

 一馬が示した作戦案は、相手を無力化してから目的を達すると言う意味で、逮捕術の基本を拡大発展した物とも言える。ただ、それだけに友哉達にとっても馴染があり、扱いやすい作戦であると言えた。

 

 友哉と茉莉は、頷きを一馬に返す。

 

 その間にも、復活した忠志が、足音も荒く、接近してきている。

 

 心なしか、先程よりも勢いを増しているように思えた。

 

 まさかとは思うが、自身が執着する茉莉が現れた事で、頭に血が上ったのかもしれない。だとすれば、恐るべき執念であると言えた。

 

 迎え撃つように、刀を構える3人の剣士。

 

 友哉は正眼に、茉莉は八双に、一馬は左手1本で、切っ先を向ける。

 

「行くぞ、準備は良いな?」

 

 一馬の声に、頷きを返す。

 

 今更、聞かれるまでも無かった。

 

 次の瞬間、動いた。

 

 まず初めに動いたのは、この中で最も速度に勝る茉莉だった。

 

 一瞬で距離を詰め、刃を閃かせる。

 

 茉莉は、3人の中で最も力が弱いし、何より、大威力を発揮する技を持っていない。決定力不足は否めなかった。故に、この作戦案を聞いた時、茉莉は自分の役割を正確に理解した。

 

 それは、撹乱と牽制。自身最大の武器である縮地を利用し、2人に先んじて攻撃を仕掛け、忠志の動きを牽制するのだ。

 

 忠志の凶悪な姿が、茉莉の視界いっぱいに広がった。

 

 次の瞬間、鋭い斬撃が2度、3度と走り、忠志の体を切り裂く。

 

 鮮血と共に、咆哮を上げる忠志。

 

 茉莉の攻撃では、致命傷には程遠いだろう。しかし、動きを止める事には成功した。

 

 痛みの為に、完全に足を止めた忠志。

 

 そこへ、最強クラスの実力を持つ、2人の剣士が切り込んで来た。

 

 友哉は、自身の限界が近い事を自覚していた。左腕の痛みはピークに達している。これで決めなければ、友哉は戦闘不能になるだろう。

 

 二度目は無い、一回こっきりの攻撃に全てを賭けなくてはならない。

 

 フィニッシュとなる技。

 

 正直なところ、友哉はその技に全幅の信頼を置いている訳ではない。何しろ、一度も使った事がなく、ただ2回、見た事があるだけの技である。

 

 しかし、その技は友哉の持つどの技よりも威力を誇っている。この場で、忠志に一定量以上のダメージを与えるとしたら、これ以外には考えられなかった。

 

 疾走。

 

 同時に、正眼に構えた剣閃が軌跡を刻む。

 

 その数は、9

 

 「壱:唐竹」「弐:袈裟斬り」「参:右薙」「肆:右斬上」「伍:逆風」「陸:左斬上」「漆:左薙」「捌:逆袈裟」「玖:刺突」

 

 円環状に9つの斬撃が、神速の閃光と共に同時に繰り出される。

 

「飛天御剣流、九頭龍閃!!」

 

 それは、逃れる事の出来ない斬撃の重囲。

 

 9回同時に放たれる必殺の一撃を前にしては、如何なる存在であろうとも、逃れる事も防ぐ事もできない。

 

 かつて、飛天御剣流の同門、エムアインス事、武藤海斗と戦った時に、彼が使っていた技を、友哉は再現して見せたのだ。

 

 斬撃を叩き込まれ、苦悶の声を上げる忠志。

 

 しかし、

 

「クッ!?」

 

 技を撃ち終えた状態で、友哉は顔を顰めた。

 

 左半身に、強烈な痛みが奔っている。とうとう、左腕に限界が来たのだ。

 

 右腕一本でここまで戦って来たが、どうやら、ここまでで限界らしい。

 

 加えて、技としても失敗だった。

 

 9発の斬撃の内、左側の斬撃は完璧に入れる事ができたが、右側は威力が落ちてしまった。玖の刺突に至っては、放つ事すらできなかった。

 

 原因は、友哉がまだこの技に慣れていなかった事。流石に、これだけ複雑な技を、見ただけの再現する事はできなかった。加えて左腕の痛みもあり、刀をしっかりと握れなかった為、九頭龍閃を構成する円環の内、左側の攻撃の威力が落ちてしまったのだ。

 

 目を転じると、忠志はダメージは受けたようだが、まだ行動不能に追い込むには至っていないようだ。

 

 残る攻撃は一度。

 

 その最後の1人が、死角から忠志に近付いていた。

 

 一馬は、目の前の巨体を見上げ、感心したように鼻を鳴らした。

 

「フンッ よくもまあ、ここまで成長したもんだ」

 

 普通の人間ならば、ありえない程の巨体。

 

 それを睨み据え、

 

 牙狼は己の牙を剥き出しにした。

 

 通常の牙突では無い。

 

 牙突は本来、突撃技と言う性質から、どうしてもある程度の距離を置く必要がある。

 

 だが、今、一馬は殆ど至近距離に近い場所から、左手1本で持った刀を構えている。

 

 上体を傾け「溜め」を作るように、刀を引きつける一馬。

 

 次の瞬間、

 

 引き絞られた弓が一気に解放され矢を射出するように、左手の構えた刀を、振りかえる忠志に向けて繰り出す。

 

 零の距離から放たれる一閃。

 

 その一撃が、巨体に文字通り食らいつく。

 

「あれはッ!?」

 

 見ていた友哉は、思わず呻き声を発する。

 

 少々変則的ではあるが、一馬の技が牙突である事は間違いない。だが、あんな型の牙突を、一馬がこれまで使った事は無かった筈だ。

 

 凄まじいまでの衝撃が、忠志の全身を貫く。

 

 吹き飛ばされる巨体。

 

 一馬自身、勢いを殺しきれず、とっさに刀の柄を離すと、忠志の巨体は腹に刃を突きさしたまま宙へ浮き上がり、壁へと叩きつけられた。

 

 想像を絶する威力に、友哉も茉莉も呆然としている。

 

 通常の「壱式」、打ち下ろす「弐式」、対空用の「参式」に続く、第4の牙突。

 

 足を止めた状態から、上半身のバネのみを利用して放つ、一馬にとって秘中の絶技。

 

 牙突・零式

 

 相手を零距離まで引きつけて撃つ為、その威力は絶大。4つある牙突の型の中で最強と言って良いだろう。

 

 それは、ヒグマほどの巨体で宙に浮き、床に転がっている久志を見れば明らかだった。

 

「何を呆けている。さっさとやれ」

 

 一馬の声に、友哉と茉莉は我に返った。

 

 そうだ。このまま放っておいたら、また復活を許してしまう。

 

 今が唯一にして無二の好機。

 

 その好機を勝機へつなげるべく、茉莉は走った。

 

 殆ど一瞬で、忠志の首元に取りつくと、手にした抗ウィルス薬入りの注射器を振り上げた。

 

「これで、終わりです!!」

 

 突き刺される注射器。

 

 ピストンを押し込むと同時に、薬液が忠志の体内へと流れ込む。

 

 注射器が空になったのを確認すると、茉莉は忠志から飛び退いた。

 

 同時に、刀を抜いて警戒する。一応、死に際の久志の言葉を信用していない訳ではないが、それでも万が一、薬が効かなかったり、容量が足りなくて効果が薄かったりした場合は、戦闘再開となる。

 

 だが、やがて、それ杞憂であった事が判った。

 

 あれだけ巨大だった忠志の体が、まるで風船の空気が抜けるようにしぼんで行くのが判る。

 

 体内のウィルスが、急速に駆除されているのだ。

 

 やがて、完全に人間のサイズに戻った忠志が、床にうつぶせになる形で寝そべっていた。

 

 気のせいか、ウィルスを注入する前よりも体がしぼんでいる気がする。

 

「・・・・・・終わった?」

「みたい、です」

 

 もはや、忠志が起きあがって襲って来る気配はない。

 

 それを確認し、

 

 ようやく、一同は警戒を解くのだった。

 

 

 

 

 

第7話「狂気の成果」      終わり

 



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第8話「2人で一緒に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昇る日差しが目に沁みるようだ。

 

 ようやく闇の頸木から抜けだし、この呪われた島にも朝日の祝福が舞い降りようとしている。

 

 友哉と茉莉は、互いに毛布を纏った体を寄り添わせて、水平線から顔を覗かせている太陽を眺めていた。

 

 その眼下では、捕縛された浪日製薬の研究員達が、手に銃を持った兵士達に監視され、護送船に乗り込んで行くところが見える。

 

 これから彼等は東京へと運ばれ、今回の件に関する取り調べを受ける事になるだろう。

 

 結局、友哉達ができた事と言えば、暴走した元武偵を止めた事だけだった。

 

 全ては、遅きに失したのだ。

 

「おう、お前等。今回はご苦労だったな」

 

 ザッと言う土を踏む音と共に、人の気配が背後に立つのを感じた。

 

 友哉は、その気配に覚えがある。何しろ、その荒々しく、それでいてどこか親しみ深い気配には、子供の頃から憶えがあったのだから。

 

「傷の調子はどうだ?」

 

 声を掛けられて振り返ると、制圧部隊を指揮した武装検事、長谷川昭蔵が立っていた。友哉とは、彼が従姉の明神彩の元で武偵助手をしていた頃から面識がある。

 

 昭蔵は、部隊を指揮していた時と比べると、実に気さくで愛嬌のある顔つきをしている。

 

 犯罪者には容赦なく取り締まりを行うが、そうでない者達には親しみを持って接する。それが、《鬼》と呼ばれる男の本質である。

 

「大丈夫です。暫く、無理はできないと思いますけど」

「そうか。まあ、大事にする事だ」

 

 既に忠志から受けた傷は、制圧部隊に同行していた衛生兵によって治療してもらっている。案の定と言うべきか、肋骨が1本折れていた。

 

 それであれだけ動けるのだから、自らの身体能力が恐ろしいと言うべきか、それとも・・・・・・

 

 チラッと、友哉は茉莉を見る。

 

 友哉に合わせるように、茉莉もキョトンとした視線を向けて来る。

 

 施設にいる間中、友哉は彼女を助け出す事だけを考えて行動していた。殆ど、それ以外の事は頭の中から排除していたと言っても良い。

 

 だからこそ、あれだけの執念で動きまわれたのかもしれない。

 

 自身の傷も顧みず、命すら掛けて包囲網を突破し、そして彼女の元に辿り着いた。

 

 あの力を引き出してくれたのは、間違いなく、自分の隣で寄り添ってくれている少女だった。

 

「どうしました?」

「・・・・・・いや、何でもない」

 

 茉莉の問いに、友哉は微笑を浮かべながら口を閉じる。

 

 今更、わざわざそんな事を告げるのも照れくさいし、何より、わざわざ言わなくても、きっと彼女なら察してくれる。そんな気がしたからだ。

 

 そんな2人の態度から、何となく2人の関係を悟ったのだろう。昭蔵は腕組みをしながら微笑を浮かべる。

 

「ああ、それからな、石井忠志だが、ありゃ、一命を取り留めたぞ」

「・・・・・・そうですか」

 

 少し驚いたように、友哉は昭蔵の言葉を聞いた。

 

 自身を生物兵器と化し友哉達に挑んで来た忠志は、戦闘後、見る影もないほどにやせ細り、殆どミイラのような外観に変わり果てていた

 

 全ての生気を使い果たし、正に搾りカスとしか形容しようのない姿からは、ハッキリ言って生存の可能性を見出す事などできなかったのだが。どうやら、彼も生き残ったらしい。

 

 もっとも、生き残った方が、あるいは忠志にとっては過酷な運命となるかもしれない。

 

「奴の身柄は、一時警察病院に預ける。その後、取り調べを行った後、精神病院へ移送される事になる。何れにせよ、これで奴の人生は終わりだな」

「自業自得です」

 

 友哉は素っ気なく言う。

 

 茉莉の好意に甘え、自分勝手な言い分を展開して自己弁護と暴走ばかり繰り返した揚句に自爆した忠志を、友哉は決して許せなかった。

 

 精神病院に入るなら、それで好都合。一生、そこから出て来なければ良い。

 

 普段は温厚な友哉も、そう思わずにはいられなかった。

 

「まあ、何にしても、今回はご苦労だった。後は俺達に任せて、ゆっくり休めよ」

 

 そう言って、昭蔵は立ち去っていく。

 

 その足音を背中越しに聞きながら、友哉は自由になる右腕を、そっと茉莉の肩に回す。

 

 茉莉は、そんな友哉に少しだけ驚いたが、すぐに黙って、自分の身を寄り添わせた。

 

 

 

 

 

 一方、戦いは、まだ終わっていなかった。

 

 地下にある秘密の通路を、慌てたように駆ける影がある。

 

 久志の社長秘書を務めていた吉川志摩子は、脇目もふらずに目的の場所へと走っている。

 

 社長である久志が死に、浪日製薬の本社にも捜査の手が及んでいる事は判っている。

 

 忌々しい、と口の中で呟く。

 

 社長が死んだ事や、会社が壊滅した事では無い。そのような事は、志摩子には関係のない事である。

 

 志摩子にとって、この会社の滅亡など、歯牙にもかける必要がない些事に過ぎない。それでなくても、何れ滅んでもらう予定だったのだから。それを国家権力が予算と戦力を使って肩代わりしてくれたと思えば、何程の事は無かった。

 

 問題は、この会社に入った目的である。

 

 元々、ある事を探る為に、この会社に秘書として潜入した身だ。吉川志摩子と言う名前も偽名である。この名前は、尊敬する祖母の名前をアナグラム風にもじって考えた。

 

 だが、この潜入任務も、半ばで終わりを告げてしまった。

 

 結果は中途半端に終わり、志摩子としても納得のいかない結果となってしまった。

 

 とにかく今は、手に入れた情報だけでも届けなくてはならない。

 

 幸いにして、この地下道は社長以外には知らない。本来なら志摩子も知る立場では無いのだが、社長秘書として各種の書類に目を通している時に、偶然、関連する書類を見付けたのだ。

 

 この先に、緊急脱出用の高速艇がある。久志がこのような場合の時に、緊急脱出用として用意しておいた物だ。それを利用させてもらう。

 

 海に出てしまえば、こちらの物だ。後はいくらでも逃げおおせる事ができるだろう。

 

 やがて、志摩子は目的の発着場へと辿り着いた。

 

 息を切らしながら向ける視線の先には、目的の高速艇がある。小型クルーザー並みの大きさだが、大出力のエンジンを搭載しており、30ノットは出る。一度加速してしまえば、軍艦でも追いつく事は難しい。

 

 大きく息を吐きながら、高速艇に向かって歩き出した。

 

 その時、

 

「自分1人逃げるのは、虫が良過ぎだろう」

 

 背後から掛けられた声に振りかえる。

 

 そこには、剣呑な眼光を湛えた斎藤一馬が、ゆっくりとこちらに歩いて来る所であった。

 

 思わず、身構えて後ずさる志摩子。

 

 対して一馬は、落ち着き払ったまま近付いて来る。

 

「・・・・・・ど、そうしてこの場所が?」

 

 震える声で尋ねる志摩子に対し、一馬はニヤリと笑みを返す。

 

 一週間前から潜入していた一馬は、既にこの島や施設内を隅から隅まで把握している。当然、その中には、この地下道の存在も含まれていた。

 

 戦場の下調べなど、公安0課の刑事にとっては基本中の基本。かつて、世界最大の犯罪組織の本拠地である潜水艦の見取り図をも入手してのけた一馬にとって、この程度の施設、構造を把握するのに半日もいらなかった程である。

 

「クッ!?」

 

 とっさに、銃を抜いて構えようとする志摩子。

 

 だが、

 

 ドスッ

 

 一瞬速く接近した一馬が、刀の柄尻を志摩子の鳩尾に叩き込んだ。

 

 僅かな呻きと共に、意識を失い倒れる志摩子を、一馬は寸前で抱きとめて担ぎあげる。

 

「貴様に逃げられちゃ、こっちとしても困るんでね。悪いが付き合ってもらうぞ」

 

 そう呟くと、志摩子の体を抱えたまま、牙狼はゆっくりと闇の中へ溶けるように消えて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 島から戻って1週間ほど経った日の事だった。

 

 友哉と茉莉は、依頼人である武田克俊から呼び出された。

 

 武偵校に戻った2人は、任務完了の報告の後、再び通常の学業に戻っている。友哉の体も順調に回復し、今は軽い運動程度なら許可されるまでになっていた。

 

 そのような中での、武田からの呼び出しは正直意外だった。

 

 武田は浪日製薬の専務。本来なら今頃、取り調べに追われている頃と思っていたのだ。

 

 だが、依頼人からの呼び出しとあれば行かない訳にはいかない。

 

 友哉達は結局、任務を全うする事ができなかった。先を越されると言う形ではあるが、友哉達が介入した時には、既に警察が浪日製薬の内部調査をほぼ終えている状況だったのだ。

 

 こうなる事態を避けたかったから、武田は友哉達に依頼を持ちかけたのだが、結果的にそれが実らなかった事になる

 

 罵倒されても、文句は言えない立場にある。

 

 そう思って、依頼受諾の時に使った喫茶店に足を運んだ友哉と茉莉だったが、

 

 予想に反して、待っていたのは上機嫌に笑顔を浮かべる武田の姿だった。

 

「いや、今回はお疲れさまでした。お2人には、とんだご迷惑をおかけしました」

 

 そう言ってにこやかに笑う武田に対し、友哉と茉莉は狐につままれたような表情をしてしまう。

 

 何やら、拍子抜けした気分だった。

 

「どうかしましたか?」

 

 2人の様子に対し、武田も怪訝な顔つきで尋ねる。

 

 対して友哉は、慌てて取り繕い、自分の疑問を口にした。

 

「あ・・・いや・・・・・・僕達は、その、あなたの依頼を達成できなかった訳で・・・・・・」

 

 てっきり、その事を責められると覚悟して来たのだが。

 

 対して武田は、そんな事か、と笑って説明した。

 

「あの件は、私のミスです。まさか、既に警察の内定が入っているとは思いませんでしたし。だから、あなた方が気に病む必要はありませんよ」

 

 結局、戦闘の後、一馬と会う事は無かった。

 

 別の任務へ着いたのか、それとも、何かやり残した事でもあったのかは判らないが。

 

 まあお互い、挨拶を交わし合うような間柄では無い訳だし。友哉としてはむしろ、このまま一生顔を合わせなければ、それに越した事はないと、割と本気で考えているくらいであるが。

 

「武田さんは、警察には行かれなかったのですか?」

「行きましたよ。1日だけですが」

 

 尋ねる茉莉に、武田はあっさり答える。

 

「ですが、前にも言いましたが、私はどちらかと言えば経理関係が担当でして。技術関連の事は、本当に何も知らないんです。だから、簡単な事情聴取だけで終わりました。むしろ、技術課長の方がひどくやられているようですね」

「成程」

 

 知らない物は答えようがない。警察も、そこら辺は心得ているようで、無駄な事に時間は使わないつもりらしかった。

 

「今回の件ですが、報酬は既に指定された口座に振り込みました。本当は礼金も兼ねて弾みたい所だったのですが、生憎、社があの状態なので、指定額を捻り出すので精いっぱいでしたよ」

「えっ それは・・・・・・」

 

 友哉と茉莉は、驚いて腰を浮かしかけた。

 

 失敗した依頼に、報酬を払うなど聞いた事がない。そんな物を受け取る訳にはいかなかった。

 

 だが、

 

「受け取ってください」

 

 反論しようとする2人を、武田は柔らかく制した。

 

「今回の件に関する迷惑料でもあります。遅かれ早かれ、社には警察の手が及んでいた。なら、今回の件はあなた方の責任ではありません」

 

 そう言って頭を下げて来る武田に対し、友哉と茉莉は困惑して顔を見合わせる。

 

 だが、目の前の青年からは柔らかい物腰ながら、自分の言を曲げようとしない意思が感じ取れるようだった。

 

「・・・・・・・・・・・・判りました」

 

 ややあって、友哉の方が折れた。

 

「その代わり、もし、また何かあったらご連絡ください。できる限りの便宜は、図らせてもらいます」

「そうならない事を願いますが、もし何かあったら、その時は宜しくお願いします」

 

 そう言って、差し出した武田の手を、友哉は握り返す。

 

 会談を終えて、喫茶店を後にする友哉と茉莉。

 

 その2人の背中を窓越しに眺めながら、武田は口を開いた。

 

「・・・・・・・・・・・・良い子達じゃないですか」

 

 武田の前には、誰も座っていない。

 

 返事は、植え込みを挟んだ、武田の背後から返された。

 

「言ったとおりでしょう? だから、あなたに彼等を紹介したんですよ」

 

 その席には、無表情の仮面を付けたスーツ姿の男が座っている。

 

 由比彰彦。

 

 友哉の宿敵とも言うべき男であり、《仕立屋》の異名で呼ばれる傭兵斡旋業者でもある。

 

「あんな子達を騙すなんて、あなたも随分と人が悪いですね」

「騙すなんて人聞きの悪い。私はあなたに、最も信頼できる武偵を紹介しただけですよ」

 

 武田の言葉に、彰彦は苦笑を返す。

 

 ある目的を持って、彰彦が武田に接触したのは、今から1カ月ほど前の事だ。その際、武田は彰彦の頼みを聞く条件として、会社が裏で生物兵器開発を行っている事を調査するよう依頼した。

 

 だが、現在、彰彦の手元には戦力となり得る者がいなかった。そこで彰彦は、諜報部員を島に送り込む一方で、知っている武偵の中で、最も信用できる者達を紹介したのだ。それが友哉と茉莉と言う訳である。

 

「もっとも、私も、あなたの事は言えないのですがね」

「おや、そうなのですか?」

 

 武田の言葉に、彰彦は意外そうな面持ちをする。

 

 実直な物言いと、誠実な性格から、武田が万人に好かれ易い人物である事が窺える。そんな自嘲が聞ける程、武田はあくどい人間には見えないのだが。

 

「私の遠い先祖は、少々、あくどい方法で金儲けをしていたらしいんですよ。そのせいでしょうね。できるだけ誠実に、多くの人の為に生きる、と言うのが我が家の家訓なんです」

「結構な事じゃないですか。あなたは優秀な企業家であり、かつ、誰に対しても誠実にあろうとしている。先祖の罪を嘆くよりも、その事を誇りに思うべきだ」

 

 ありがとうございます。と言いながら、武田はカップに残った最後のコーヒーを飲み干すと、鞄の中から細長い包みを取り出した。

 

「では、これが御約束の品です。おっしゃったとおり、社長の隠し金庫の中に収められていましたよ。警察も、そこまでは発見できなかったようです」

「・・・・・・確かに」

 

 受け取って、感触を確かめるように、大事に抱く。

 

 これがどうしても欲しくて、浪日製薬と接触したのだ。これは彰彦の計画にとって、欠かす事の出来ない切り札の1枚だった。

 

『もっとも、その為に払った犠牲は小さく無かったですが・・・・・・』

 

 ついに連絡の取れなくなった、諜報部員の顔を思い出しながら、彰彦は仮面の下でそっと目を閉じた。

 

「とにかく、感謝しますよ。危険な物を盗み出してくれたあなたにも。勿論、彼等にも」

「どういたしまして。もっとも、こうした事は、これっきりにしてもらいたいのですが」

 

 軽口を叩く武田に対し、彰彦は肩を竦めると、それ以上言葉を交わす事無く店を出て行く。

 

 彰彦の悲願。

 

 それを達成する為のピースは、着々と揃いつつある。

 

 だが、まだ足りない。今のままでは勝つ事ができない。

 

 彰彦の脳裏に、1人の少年の姿が浮かぶ。

 

 誰よりも、真っ直ぐに、強く生きる少年。

 

 本来なら、血と泥で汚れた自分の手で汚したくはない。

 

 だが、そのような人物だからこそ、彰彦は自らの陣営に欲しいと思ったのだった。

 

 

 

 

 

 今回は、反省点の多すぎる任務だったと思う。

 

 茉莉と並んで歩きながら、友哉はそんな事を考えていた。

 

 準備から任務開始まで余裕が無かったとは言え、情報の無い敵地へ飛び込み、油断から包囲を受け、仲間を、それも自分の彼女を人質に取られるなど、失態だらけだった。

 

 おまけに、

 

 友哉はチラッと、横を歩く茉莉を見る。

 

 彼女が敵の手に落ちた時、友哉は何もかも忘れて、彼女の事で頭がいっぱいになってしまった。

 

 勿論、任務中に私情を優先するのは大問題ではあるが、実際の話、一番に悔いているのはその事ではない。問題は、茉莉を敵の手に委ねてしまった、と言う事にある。

 

 自分がもっとしっかりしていれば、あるいは、もっと的確な判断を下せていたなら、あのような事態は避けられた筈。茉莉を危険な目に合わせずに済んだ筈なのだ。

 

 首を振る。

 

 こんな事を考えている事自体、既にドツボに嵌っている。

 

 結局のところ、自分はまだまだ未熟なのだ。武偵としても、指揮官としても。

 

『それに比べて・・・・・・』

 

 友哉は一馬の事を思い出していた。

 

 いちいち言動が癪に障る男ではあるが、事、戦闘におけるセンス、作戦指揮は一級品と言えるかもしれない。

 

 事に、一馬が最後に、忠志に使ったあの技。

 

 牙突・零式

 

 凶悪極まるあの牙が、もし万が一、自分や仲間達に向けられた時、自分は防ぐ事ができるだろうか?

 

『・・・・・・恐らく、無理だ』

 

 以前から、一馬との間にある戦力差は感じていたが、ここに来て、それが歴然となった気がする。

 

 友哉は九頭龍閃を使いこなす事ができず、奥義に至っては、まだ片鱗すら掴んでいない状態なのだ。

 

 今の自分では、間違いなく、あの男には勝てない。

 

 では、勝つためにはどうするか? 答は最初から決まっている。

 

 まずは九頭龍閃を完璧に使いこなせるようにする。そして、奥義の発見、習得を急ぐ。それ以外に無かった。

 

「友哉さん」

 

 柔らかい声に振り返ると、茉莉の笑顔がすぐそこにあった。

 

「今回は、本当にお疲れさまでした」

「いや・・・・・・」

 

 微笑してから、茉莉に答える。

 

「茉莉の方こそ。本当に大変だったね」

 

 敵に捕まり、色々と大変な目にあった。そして、その責任は全て、友哉にある。

 

 自分の彼女を危機に晒す。それが生命の危機であっても、女としての危機であっても、彼氏として友哉は失格である。

 

 だが、そんな友哉の心を見透かしたように、茉莉は言う。

 

「私、強くなります。今よりも強くなります」

 

 あなたを支える事ができるように。

 

 優しく告げる言葉が、友哉の心を包み込み、癒して行くのが判る。

 

 護られるだけの女はイヤ。護ってくれるだけの男もイヤ。

 

 武偵として、武偵の恋人になったのなら、共に背中を預け合って戦う。それこそが茉莉の偽らざる願いだった。

 

 そんな茉莉の手を、友哉はそっと優しく握る。

 

 か細い手。この手で、あれほど鬼神の如く戦い続けて来たのだ。

 

 護りたい。そして、共に戦ってほしい。そう思わせてくれる。

 

 そんな少女が自分の彼女である事に、友哉は心の底から誇りに思う。

 

 そんな友哉の手を、茉莉もまた、少しだけ強く握り返すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下のジメジメした通路を歩く。

 

 何百年も昔に掘られたこの通路は、気が遠くなるほど遥か昔から、この国の未来を占う重要な場所であったと言う。

 

 その奥には、白木造りの古風な庵が存在していた。

 

 近く深くの魔窟にある、庵。

 

 その祭壇に向かって座る人物の背中越しに、柳生当真は恭しく膝を突いた。

 

「ただ今戻りました、御前」

 

 万事、無頼を通すこの男が、気持ち悪い程に礼節を保って頭を下げる人物。

 

 その人物は、振りかえる事も無く口を開いた。

 

「御苦労。首尾は?」

「は、これに」

 

 そう言って懐から取り出したのは、1本のUSBメモリーである。

 

 この中には、浪日製薬が開発した生物兵器のデータ。その全てが収められている。

 

 戦闘のどさくさに、当真がダウンロードして持ち出したのだ。

 

「これだけでも、持ち出せたのは不幸中の幸いでした」

「浪日製薬の事は聞いている。確かに痛手ではあるが、致命傷では無い」

 

 答える声はしわがれ、まるで高齢の老人を思わせる。

 

 対して当真は、黙したまま頭を下げている。

 

「我等の財源はまだまだ多い。石井の失態によって浪日が潰れたのは痛いが、この程度では小揺るぎすらせんよ」

 

 何百年もの間、影からこの国を操り続けて来た男は、そう言って高らかに笑い声を発する。

 

 それは正に、地獄から響いて来る、亡霊の笑い声と言うべきだった。

 

 

 

 

 

第8話「2人で一緒に」      終わり

 

 

 

 

 

亡霊編     了

 



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香港編
第1話「出入り」


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四方に窓の無い部屋は薄暗く、天井の頼りない蛍光灯がなかったら、すぐ隣にいる人間の顔すら見えないであろう。

 

 壁の装飾も一切無く、徹底的に「無駄」を排除した部屋からは何の感慨を浮かばせる事はできず、正しく牢獄と呼ぶにふさわしい外観をしている。

 

 女が逮捕されて約1週間。それまでは普通の拘置所に収監されていたのだが、今朝になってこの部屋に移された。

 

 尋問の為である事は、疑う余地はない。ましてか、相手は自分の正体を知っている。自分が持っている情報がいかに有益であるか、気付かない筈がなかった。

 

 部屋の中央に置かれたパイプ椅子に手錠で繋がれ、既に半日近くが経過していた。

 

 いい加減、変化のない光景に脳がまいり始めた頃、ガチャリ、と言う音と共に正面の扉が開かれた。

 

 入って来たのは痩身で鋭い眼光をした狼のような男だ。

 

 斎藤一馬。

 

 警視庁公安部第0課特殊班と呼ばれる部署に所属し、その戦闘力は一軍にすら匹敵すると言われる。

 

 間違いなく、日本最強戦力の1人である。

 

 この男に目を付けられた時点で、こうなる運命は決まっていたとも言える。

 

 一馬は、目の前に座る女をつまらなそうに一瞥すると、持ってきた資料に目を落とした。

 

「・・・・・・吉川志摩子。本名、川島由美。元大陸系テログループ《亜細亜の曙》構成員。中国国内における反体制派テロ事件に数度関与。その後、同組織は壊滅。数年間、中東、南米と言った紛争地帯を転々とした後、仕立屋グループにスカウトされる。主に情報収集、諜報活動に従事し、組織の諜報部部長を務める。祖母は彼の《東洋のマタハリ》川島芳子」

 

 一馬は資料を読み上げた後、フンと鼻を鳴らして、椅子に座ったままの由美に目を向けた。

 

「大した経歴の持ち主だ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 皮肉交じりの言葉に対し、由美は何も答えず、目も合わせようとしない。

 

 《東洋のマタハリ》川島芳子と言えば、日中戦争中、日本軍のスパイとした活躍した女性である。女性であるにもかかわらず、髪を切り、男の軍装に身を固めていた事から《男装の麗人》とも呼ばれた。芳子自身は、滅び去った清王朝の末裔であり、日本軍の協力の元で王朝復興を成そうとしたのだが、日本の敗戦が決まったことで中国軍に捕えられ、処刑されたという記録がある。

 

 しかし、実際には芳子は生き残っており、その血脈はこうして現代に伝わっていた。

 

 つまり世が世なら、由美は正真正銘、清の王族、姫君と言う訳である。

 

「それが落ちぶれて、今じゃ立派な傭兵組織の耳役と言う訳だ」

 

 皮肉を隠そうともせずに言いながら、一馬はこの場が地下であるにもかかわらず、煙草を取り出して火を付けた。

 

 先の浪日製薬壊滅作戦中、彼女の経歴を調べ上げた一馬は、仕立屋の情報を得る為に、彼女を生け捕る事を思いついた。

 

 仕立屋と言う組織は、兎角謎が多い。

 

 無理も無い話である。その本質は「他者の支援」であり、作戦中、本人達は常に黒子に徹している。その為、今まで殆ど全貌を掴めなかったのだ。

 

 決して表に姿を見せず、痕跡も残さず、風の如く消えさる組織。それが仕立屋だ。

 

 幹部を捕える事に成功したのは、今回が初めての事である。

 

 だが、無論、由美とて秘密組織の幹部である。そう簡単に組織の秘密に関して口を割るつもりはない。

 

 拷問に対する訓練も、テログループにいた頃から何度も受けており、苦痛に対する耐性はかなりの物であると自負している。

 

 頑なに口を噤んだままの由美を見て、一馬はゆっくりと紫煙を吸いこみながら、鋭い視線を投げかける。

 

「どんな拷問にも屈するつもりはない、か」

 

 由美を見ながら、一馬は壁際にあったもう一つのパイプ椅子を引っ張って来ると、彼女の正面に置いて腰掛け足を組んだ。

 

「言っておくが、俺達を甘く見るなよ。お前の存在、名前、戸籍、記憶、この世に生まれて来たという事実すら、消す事ができる」

 

 事実である。

 

 公安0課は今まで、そうして密かに、国内に入り込んだテログループの構成員や重要犯罪者を捉え、存在ごと根こそぎ地上から葬って来たのだ。

 

 今、一馬がその命令を下せば、ただちに由美の処刑は実行され、後は専門の処理班が彼女の存在を裏の裏に至るまで綺麗に抹消する事だろう。

 

 対して、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 由美は無言のまま、目を閉じる。

 

 とうの昔に覚悟はできている。やるならさっさとやれ。と言う意思表示のようだ。

 

 その様子を見て、一馬は煙草の灰を携帯灰皿に落としながら無言で見詰める。

 

 一馬と由美。

 

 狭い部屋の中で、互いに無言のまま暫く過ぎた頃だった。

 

 一馬の方から、口を開いた。

 

「どうだ、一つ、取引をしないか?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 話を持ちかけた一馬に対し、由美は相変わらずの無言。しかし、それまで閉じていた目が、急に開かれた。

 

 表情に乏しい為、いまいち判り辛いが、微妙に驚いているようにも見える。一馬の一言が、由美にとっては予想外であったらしい。

 

 それを見て、口元に笑みを浮かべる一馬。

 

 どうやら、主導権を握れたらしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鯉口を切り、愛刀を鞘から抜き出すと、緋村友哉は正眼に構えた。

 

 左腕の調子を確かめてみるが、痛みはおろか、違和感を感じる事も特にない。

 

 過日、浪日製薬を巡る戦いにおいて赴いた、小笠原諸島の骨喰島で起きた戦いにおいて、友哉は肋骨を骨折する重傷を負ったのだが、その傷はもう、動かしても気にならない程度まで回復していた。

 

 正眼に構えた切っ先は真っ直ぐに、前方に置かれた標的に向けられている。

 

 少女よりも少女的な顔には、真剣そのものの表情が浮かんでいる。

 

 固唾をのんで見守るギャラリーの中には、友哉の知った顔も少なくない。

 

 中には強襲科教師である蘭豹の姿もある。

 

 腕組みをしたままの蘭豹は、鋭い眼差しを友哉へ向けている。

 

 しかし、それらの視線は、一切、友哉の意識から隔離されている。

 

 友哉はただ只管に、目の前の標的と、自身がこれから繰り出す技にのみ集中していた。

 

 一同が、無言の内に時間が過ぎて行く。

 

 季節が冬と言う事もあり、体育館の中はそれなりに寒い。

 

 しかし、そんな気温も忘れさせられるほど、張り詰めた緊張感に満ち溢れていた。

 

 誰かが、沈黙に耐えかねて喉を鳴らした。

 

 次の瞬間、

 

 大気を粉砕したような衝撃波を残し、友哉は地面を蹴った。

 

 一瞬の間に、友哉と標的との距離は零となる。

 

 間合いは既に友哉の手の中。

 

 繰り出される斬撃。

 

 その数は、九。

 

「飛天御剣流、九頭龍閃!!」

 

 凶悪極まる、九頭竜の牙。

 

 見ていた人間のほぼ全員が、友哉が何をしたのか理解できなかった。

 

 標的の脇をすり抜ける友哉。

 

 同時に足を地面につけ、急制動を掛ける。

 

 次の瞬間、

 

 友哉の背後で、標的となったラバー製の人形が木っ端みじんに砕け散った。

 

 途端に、感嘆の声がギャラリーから起きる。

 

 ラバー製の人形は、訓練の際に加えられる強烈な打撃に耐えられるよう、充分な硬度と柔軟性を持たせてある。

 

 それを一瞬で粉砕してのけた友哉に、居並ぶ一同は驚愕を禁じえなかった。

 

「うむ、見事ッ」

 

 その中で1人、平然と笑みを浮かべて称賛の声を上げたのは蘭豹だった。

 

 彼女程の実力者からすれば、この程度の事は、まだ曲芸のレベルでしか無いのかもしれない。が、しかし、その凄みのある顔には、確かな称賛の笑みが浮かべられていた。

 

 とは言え、九頭龍閃である。

 

 どうやら、ようやくの事で物にできたらしい。

 

 友哉は大きく息を吐き、そして構えを解いた。

 

 元々は、以前戦ったエムアインス、武藤海斗が友哉を倒す為に身に付けた、飛天御剣流の技であるが、あまりに動きが複雑すぎる為、今まで友哉は模倣する事ができなかったのだ。

 

 この間の骨喰島の戦いで使ってはみたが、あの時は負傷のせいもあり、結局失敗してしまった。

 

 しかし、負傷の癒えた友哉は、今日まで鍛錬に鍛錬を重ねて、ようやく九頭龍閃を自分の物とする事ができたのだ。

 

「では、壊れた標的人形は、緋村が弁償すると言う事で」

「おろッ!?」

 

 蘭豹がニヤニヤ笑いながら、理不尽な事を言ってくる。

 

 目を丸くする友哉の様子が可笑しかったのだろう。周囲から笑いが起こった。

 

 やがて、三々五々、他の生徒達が減っていくと、知り合いの下級生2人が残って友哉に歩み寄って来た。

 

「凄かったです、緋村先輩!!」

「いやいや、どうやったらここまでできるんだよ?」

 

 歩み寄って来た2人の少女は、見るからに対照的な外見をしている。

 

 短めの髪をツインテールに結った小柄な少女は間宮あかりと言って、アリアの戦妹である。一見すると戦闘には無縁そうな小さな少女だが、こう見えて、仲間思いで決断力も高く、リーダー向けな性格をしている。

 

 もう1人の少女は火野ライカ。こちらは友哉よりも背が高く、スラリと均整の取れた外見は、モデルのような印象がある。好戦的な表情は、どこか、しなやかなネコ科の猛獣を思わせる少女だ。

 

 どちらも友哉にとっては強襲科の後輩であり、戦妹である四乃森瑠香のクラスの友人でもある。

 

「でも、凄過ぎて、結局何をしたんだか判らなかったです」

「何だ、あかりには判んなかったか~?」

 

 少し優越感を込めて嘯くライカに対し、ぼやいたあかりはふくれっ面を見せて食ってかかる。

 

「じゃあ、ライカには判ったの?」

「ああ、勿論だ」

 

 躊躇なく頷いてから、ライカは答え合わせを求めるように友哉を見た。

 

「先輩は間合いに入った瞬間、ちょうど『米』の字をみたいに剣を振って、最後に突きを繰り出した。それをほぼ一瞬でやったから、人形は衝撃を逃がす事ができなくて、あんな風になった。違う?」

 

 言いながら、ライカは視線を粉砕された標的人形に向ける。

 

 九頭龍閃の衝撃をまともに受けた標的人形は、最早元の形が何だったか判別がつかないほどに粉砕し尽くされている。

 

 改めて、九頭龍閃の威力のすさまじさを見せつけていた。

 

「正解」

 

 笑顔で答える友哉。

 

 もっとも、ライカの「答え」には、一点だけ誤りがある。最後の刺突を、友哉は切っ先で突き込むのではなく、柄尻に返して叩きつけたのだ。

 

 海斗は切っ先で刺突を放っていたが、それでは殺傷力が高くなってしまい、武偵の技としては失格と言って良い。九頭龍閃を鍛錬するに当たって、友哉が最も熟慮したのが、その点だった。

 

 あるいは刺突を除いた8連撃のみで技の完成とするか、とも考えたが、結局この型が最も理想的であるという結論に達した。威力は多少落ちるかもしれないが、元々、九頭龍閃は威力が高すぎる事も問題だったので、却ってちょうど良いだろう。間合いが短くなってしまう事もあるが、元々突撃技であるので、大した問題にはならない。

 

 元の形を改編した、言わば九頭龍閃・改とでも言うべき型となった。

 

 実は、友哉は知り得ない事だが、かつて、厳しい修行の末に九頭龍閃を体得した緋村抜刀斎も、不殺を貫く為に同様の改良を行っている。

 

 期せずして、古今における飛天御剣流の使い手が、時代を越えて同じ結論に至ったと言える。もし、この歴史に詳しい人間が知ったら、感慨深い物を感じずにはいられない事だろう。

 

「しっかし、こんな技を使われたんじゃ、また先輩との差が開いてしまうぜ」

「いやいや、流石に模擬戦じゃ使わないって」

 

 ライカのぼやきに対して、友哉は苦笑して返す。

 

 ライカやあかりとは、瑠香との兼ね合いもあり、よく訓練や模擬戦を共にしていた。その際、ライカはしばしば「上勝ち」を狙って友哉に挑んで来る事が多かった。

 

 幸いにして今のところは全勝をキープしている友哉だが、ライカは地力が強く、成長率も悪くない。いつかは追い抜かれるのではないか、と考えていた。

 

 とは言え、流石に1年生徒の模擬戦で九頭龍閃を持ち出すのは大人気無さ過ぎだろう。

 

 この技は、あくまで実戦で使用すると決めている。

 

 極東戦役における敵対組織の構成員。それに由比彰彦をリーダーとする仕立屋グループ。それらを相手にする時、九頭龍閃は友哉にとって大きな戦力になる筈だった。

 

 それに、もう1人。

 

 友哉の中で、思い描く人物がいる。

 

 斎藤一馬。

 

 公安0課の刑事であり、これまで何度も共闘してきた相手。

 

 共闘、と言っても、そこに互いのあったのは「利害」であって、「信頼」では無い。

 

 そもそも、友哉と一馬は相性からして最悪である。

 

 友哉は一馬の事を「魂の底から存在が気に入らない。腕が立つのは認めるけど、二度と目の前に現われないでもらいたい」と思っている。

 

 対して一馬は友哉を、「一から十まで全てが甘いガキ。取り敢えず使えるようだから使ってやっているだけ」と思っている。

 

 無理も無いのかもしれない。

 

 片や、最強の維新志士「人斬り抜刀斎」こと、緋村剣心の子孫。

 

 片や、維新志士の天敵、新撰組三番隊組長、斎藤一の子孫。

 

 記録によれば、抜刀斎と最も多く剣を交えた新撰組隊士は斎藤一であったと言う説があるくらいだ。にもかかわらず、両名とも明治期までの生存が確認されている。つまり、互いの決着はつかなかったという事である。

 

 水と油どころの騒ぎでは無い。冗談抜きにして文字通り、遺伝子レベルで反りが合わないのだ。

 

 そんな一馬と対決する可能性。友哉はそれを、最近になって割と深刻に考えるようになっていた。

 

 馬鹿な事を、と自分でも思う。友哉は武偵、一馬は公安警察。互いの利益が克ち合う可能性など限りなく低いだろう。

 

 だが、万が一の可能性として、もし友哉が一馬と対峙した時、はたしてあの牙狼相手に勝てるか? と問われれば、限りなく低い勝率と考えざるを得なかった。

 

 九頭龍閃は、そんな戦力差を僅かでも埋める為のカードである。勿論、使わないで済むなら、それに越した事はないと思っているが。

 

 訓練を終え、友哉はシャワーで汗を流すと、更衣室に戻った。

 

 後は着替えをして、寮の部屋に戻るだけである。

 

 寮と言えば、そこに戻ると思うだけで、友哉は僅かに心が浮き立つのを感じた。

 

 理由は判っている。

 

 寮に戻れば、茉莉が待っている。

 

 茉莉と付き合い始めて、既に半月近くになっていた。その間に何度かデートを重ね、なるべく一緒にいられる時間を増やしている。

 

 充実している。これまでにない、楽しい時間を過ごしていた。

 

 茉莉の笑った顔、恥じらった顔、少し困った顔、ちょっと怒った顔。

 

 それらを思い出すだけで、友哉は心が楽しくなるようだった。

 

 早く帰ろう。

 

 そう思い、ロッカーに掛けておいたコートに手を伸ばした。

 

 その時、携帯電話が着信を告げる。

 

 良い気分に水を差されたようで、少し苛立ちながら開いて見ると、差出人の名前は無く、メールの文面が用件のみを伝えていた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 一読し、携帯を閉じる。

 

 コートを羽織り、刀を手に取ると、友哉は足早にその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋の中には、瀬田茉莉、四乃森瑠香、高梨・B・彩夏の3人が、テーブルを囲んでお茶を楽しんでいた。

 

 光景その物はいつもの女子会と言った感じだが、場所はいつものように喫茶店やファミリーレストランではなく、友哉の部屋だった。

 

 一応、居候として一緒に住んでいる瑠香と茉莉だが、家主不在の状況でも構わず、3人はガールズトークに華を咲かせていた。

 

「ふうん、そっか、とうとう告ったんだ」

 

 紅茶のカップを傾けながら、彩夏は微笑を浮かべる。

 

 その視線は、テーブルを挟んで向かい側に座る茉莉に向けられている。

 

 その茉莉はと言えば、少し恥ずかしそうに頬を染めて俯きながらも、口元には隠しようの無い微笑が浮かべている。

 

 恥ずかしさと嬉しさが混在している。そんな顔だ。

 

 無理もあるまい。念願かなって、ようやく友哉と恋人同士になれたのだから。

 

 今は、彩夏にその報告をしているところだった。彼女に、ここに至るまでに様々な助言をしてもらった為、この報告はある意味必然であった。

 

「良かったね、茉莉ちゃん」

「瑠香さん・・・ありがとうございます」

 

 瑠香の言葉に、茉莉は少し困ったような顔を浮かべつつも頷きを返す。

 

 瑠香への報告は、骨喰島から戻ったその日の内に済ませてあった。

 

 何しろ、茉莉は瑠香に負い目がある。不可抗力とは言え、彼女から友哉を奪う形になってしまったのだから。勿論、瑠香は全くそのような事は気にしていないが、茉莉としては、やはり気に掛けずにはいられないのだった。

 

 因みに瑠香は、つい先日、12月3日を持って16歳になっている。イクスの誕生日は、それぞれ、陣が4月、友哉が8月、瑠香が12月、茉莉が3月となっており、まだ茉莉だけが誕生日を迎えていなかった。

 

「と、なると、だ・・・・・・次のステップが必要になるわね」

 

 意味ありげな彩夏の声を聞きながら、茉莉は紅茶のティーポットを持ち上げる。しかし、どうやら3人で飲みつくしてしまったらしく、中身は空であった。

 

 仕方なく、立ち上がるとキッチンへ向かう。確かまだ、作り置きがあった筈だ。

 

 ちょうどダイニングテーブルの上に置いてあった、別のポットを持ってリビングへと戻る。

 

「何ですか、次のステップって?」

 

 瑠香と彩夏のカップに紅茶を注ぎながら、茉莉は怪訝そうに尋ねる。

 

 対して、彩夏は意味ありげに含み笑いを浮かべて、茉莉の耳に顔を近付けた。

 

「勿論、好き合ってる男と女がする事」

「ッ!?」

 

 その一言で、彩夏が何を言いたいのか理解した茉莉は、顔を一気に赤くする。

 

 確かに、段階を踏んで行けば、次は「それ」なのだろうけど、

 

「で、できませんよ、そんな事?」

「え~、何でよ?」

「そ、そんな、ふしだらじゃないですか!!」

 

 ふしだら、とはまた古い言葉が出て来た物である。

 

 顔を真っ赤にした茉莉は、逃げるように後じさる。どうやら、ようやく付き合い始めたは良いが、そこまで考えるには、茉莉の頭はお子チャマに過ぎた。

 

 それにしても、

 

「まさかと思うけど、茉莉って、『処女は結婚するまで取っておく』とか天然記念物みたいな事言わないわよね?」

「そ、それは・・・・・・」

「そんな事、今時、白雪だって言わないわよ」

 

 武偵校生徒会長である星伽白雪は、規則に厳格な星伽神社の跡取り娘であり、礼儀作法や立ち居振る舞いの穏やかな、今どき誠に珍しい「大和撫子」であるが、その反面、事ある毎に幼馴染の遠山キンジと「既成事実」を作ろうとする事がしばしばある。

 

 呆れ顔を作る彩夏。

 

 どうやら、茉莉の貞操観念を改革するには、戦前まで遡る必要がありそうだった。

 

「いや~、彩夏先輩。茉莉ちゃんの場合、それ以前の問題だと思います」

「はい?」

「どう言う意味?」

 

 瑠香の言っている意味が判らず、キョトンとして尋ねる茉莉と彩夏。

 

「だって・・・・・・」

 

 呟くようにして言いながら、瑠香は一瞬でティーポットを持ったままの茉莉の背後に回り込んだ。

 

「え?」

 

 何をするのか判らず、立ち尽くす茉莉。

 

 そんな茉莉のスカートを、瑠香は手を伸ばして思いっきりめくり上げた。

 

「・・・・・・へ?」

 

 一瞬、意味が判らずに呆ける茉莉。

 

 しかし、すぐに状況を理解し、顔を真っ赤にしてしまう。

 

「キャァァァァァァッ!?」

 

 悲鳴を上げる茉莉。とっさにスカートを抑えようとするがしかし、両手にはポットとカップを持っている為、どうする事もできない。

 

 瑠香はスカートをめくったままの状態でホールドしている。その為、茉莉のパンツは、無防備に瑠香の前に晒されていた。

 

「は、放して下さい!!」

 

 今にも泣きそうになっている茉莉を無視して、瑠香は呆れ気味に溜息をつく。

 

「やっぱね~」

「どれどれ・・・・・・あ~、成程」

 

 めくられているスカートの下から覗き込んだ彩夏も、瑠香が言わんとしている事に納得して頷いた。

 

 茉莉が穿いているパンツは、ピンクと白のストライプで、お尻の所にデフォルメされたクマの絵が描かれている。

 

「これだもん」

「茉莉さ、彼氏持ちの女がクマさんパンツは無いと思うよ?」

「判りましたから、手を放してください!!」

 

 いよいよマジ泣きしそうになっている茉莉を見て、流石に可哀そうになった瑠香は手を放してやる。

 

「もうッ 一体何なんですか!?」

 

 スカートの皺を直しながら、茉莉はいじけたような目で瑠香と彩夏を睨む。

 

 流石に苛め過ぎたかも知れない、と思った2人は苦笑しながら茉莉を見た。

 

「ごめんごめん、茉莉ちゃん」

「けどさ、やっぱり男の子と付き合い始めたんだもん。もうちょっと、オシャレとかに気を使うべきだと思うよ」

「・・・・・・どう言う意味ですか?」

 

 完全にブー垂れた調子で、茉莉はソファーに座り直す。

 

 この場に女子しかいなかったから良いような物の、もし友哉がいたりしたら、死ぬほど恥ずかしい思いをする所であった。

 

 そんな茉莉の横に座り直し、瑠香が紅茶のカップを手に尋ねて来る。

 

「前から思ってたんだけど、茉莉ちゃんって、下着の趣味がちょっと子供っぽいよね」

「それは・・・・・・」

 

 瑠香の指摘に対し、言葉を詰まらせる茉莉。

 

 事実だった。確かに茉莉は、柄物やプリント入りなど、少し子供ッぽいデザインの下着を好む傾向があった。

 

 対して瑠香は、デザインはともかく、布面積がやや小さい物や、レース入りの物など、少し背伸びしたような、大人っぽいデザインを好んでいる。

 

 因みに彩夏は、瑠香よりもさらに過激なデザインの物を好む。露骨に露出度の高い物は避けているが、それでもちょっと着けて出歩くのは憚られるような物まで、日常的に穿いていたりする。

 

「・・・・・・良いじゃないですか。だって、好きなんですから」

 

 いくら相手が瑠香でも、パンツの趣味までとやかく言われる筋合いはない。と茉莉は思った。

 

「何だったら、あたしの貸してあげよっか?」

 

 綾香のその言葉に、茉莉は顔を赤くする。以前、綾香が使っている下着を見せてもらった事があるが、茉莉には一生かかっても着る事ができないような、過激な物ばかりだった。

 

 もし、あんな物を穿いているところを、友哉に見られでもしたら・・・・・・

 

 

 

 

 

~以下、茉莉の妄想~

 

 

 

 

 

『ふうん、茉莉はこう言うのを穿いてるんだ』

『あ、あの、友哉さん、これは・・・・・・』

『あんなに大人しかった娘が、すっかりエッチになっちゃったね』

『あ、あう・・・・・・・・・・・・』

『そんなエッチな娘にはお仕置きが必要だね。さあ、こっちにおいで』

『・・・・・・・・・・・・はい』

 

 

 

 

 

~妄想終了~

 

 

 

 

 

「そ、そんなはしたない事、できません!!」

「「いや、はしたないのはアンタの頭だから」」

 

 頬に手を当てて、イヤイヤをするように頭を振る茉莉に、半眼で突っ込みを入れる瑠香と綾香。

 

 そこで我に返ると、茉莉は反論に出る。

 

「か、仮にですよ、彩夏さんの言うとおりだったとしても、友哉さんとすぐにその・・・・・・ッチ・・・・・・するとは限らないじゃないですかッ」

 

 肝心の部分が小声になってしまう辺り、茉莉の羞恥心の強さを現わしていると言える。

 

 そもそも、友哉の性格からして、そんなに強引に事を進めるようには思えないのだが。

 

「甘いよ、茉莉ちゃん」

 

 そんな茉莉の考えを否定するように、瑠香が口を開いた。

 

「友哉君、あれで結構ロールキャベツ系だったりするから、意外とやる時はやると思うよ」

 

 草食系に見えて、実は中身は肉食系。

 

 そう言えば、茉莉にも憶えがある。

 

 茉莉自身、告白する時はあれだけ思い悩んだと言うのに、実際に告白して来たのは友哉が先だった。

 

 おっとりしていながら、決める時は決める。

 

 そう考えれば、実戦でも恋でも、友哉は先手必勝を旨として行動しているようにも見える。

 

「とにかくさ、いざって時がいつ来るかなんて判らないんだから。備えておいて損はないと思うよ」

「はあ・・・・・・」

 

 瑠香の言葉に、茉莉は尚も納得しきれてない調子で頷く。

 

 友哉と男女の仲になる。

 

 付き合い始めて、まだそれほど日が経っていない茉莉にとって、いまいちピンとこない。

 

 だがもし、友哉にそう迫られた時、自分はそれを拒む事ができるだろうか?

 

 きっと、できないかもしれない。

 

 茉莉は漠然と、そう考えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハッ・・・・・・クションッ!!」

 

 友哉は大きなくしゃみを一つぶちかますと、コートの前をより合わせた。

 

 寒さは身に沁みるようだ。何しろ、雪が降っているのだから。

 

 肩や頭に積もる雪に構わず、友哉は傘もささずに歩いていた。

 

「風邪、引かなきゃいいけど」

 

 とボヤキ気味に言いながら、友哉は両手をコートのポケットに突っ込んだ。

 

 学園島を出た友哉は、その足で西池袋を目指していた。

 

 原因は、夕方に貰った、奇妙なメールである。差出人は無く、件名には「遠山君の危機」とだけ書かれている。

 

 それによると、キンジは何やら暴力団関係者に目を付けられているのだとか。しかも悪い事に、キンジの友人数人が、その暴力団の手に落ちているとか。

 

「何やってんだろ、キンジ。そう言う任務なのかな?」

 

 特秘で長期任務についている友人に呆れながら、足を止めずに歩いて行く。

 

 とは言え、ヤクザはまずい。

 

 法律によって殺人を禁じられている武偵と違って、彼等は殺す時は殺す。しかも、様々な形で隠蔽を行う事も手慣れている。人1人の痕跡を綺麗に消す事くらい、訳無くできる連中だ。

 

 しかも、相手が誰であろうと構わない連中である。

 

 事実上、人質を取られて形になっているキンジの身にも、危機が迫っているのだ。

 

 やがて歩いて行くと、友哉の目の前に巨大な門がそびえ立っていた。

 

「『鏡高組』・・・・・・ここか」

 

 巨大な表札を見上げて、友哉は呟く。

 

 仰々しい門が前のこの屋敷こそが、メールにあった暴力団の屋敷だ。

 

 関東非指定暴力団『鏡高組』。現在。急速に勢力を伸ばしている一派だとか。

 

 こんなのを相手にしなきゃいけないあたり、キンジは相変わらず危ない橋を渡っているようだ。

 

「武偵憲章一条、『仲間を信じ、仲間を助けよ』・・・・・・」

 

 呟きながら、腰の刀をゆっくりと抜き放つ。

 

 逆刃刀と呼ばれる、峰と刃が通常とは逆になっている刀。その刀を、友哉は刃の方に返す。

 

「仲間がピンチになっている時は、何時如何なる時も、全力を持って駆け付ける。それが、僕達の信念だッ」

 

 言い放つと同時に、友哉は刀を逆袈裟に振るう。

 

 一閃。

 

 その一撃は、視界その物を斜めに両断した。

 

 

 

 

 

第1話「出入り」      終わり

 



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第2話「神成る者」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 縛られて転がされながら、遠山キンジは苦い表情を作っていた。

 

『いったい、何なんだ、この状況は?』

 

 自分を取り囲むようにして立っている者達を見上げ、キンジは心の中でぼやく。

 

 指定暴力団鏡高組。

 

 ここに捕らわれた友達を助けに来て、キンジもまた捕えられていた。

 

 約1か月前から、キンジは武偵校を退学し、池袋東校という一般高校に通っていた。任務では無い、正規の学生として通っていたのだ。

 

 バスカービルメンバーを始め、友人一同に説明していた「特秘任務」と言うのは嘘である。正確には、そう言う事にしておくように、と教務課から言われたのだ。

 

 対外的には特秘任務と言う事にして、実は退学。そしてごく自然に姿を消す。それが武偵校における転校措置の実態だった。

 

 これは元々、転化した武偵が一般校に行っても、学力の低さや協調性の悪さが災いして、うまく学校に溶け込めず、結局、一般校も退学になる者が続出してしまう事に起因していた。要するにそのような背景がある為、どこの学校でも武偵校からの転化と言うだけで忌避されてしまうのだ。

 

 だが一旦退学し、復学すると言う形を取れば、元がどこの学校出身か、申告する義務は無くなり、トラブル無く転化できると言う訳である。

 

 こうして、何故か一緒について来たレキと共に、晴れて念願の一般人としての生活を手に入れたキンジだったが、

 

 その生活は、ほぼ全くと言って良いほどうまくいかなかった。

 

 長年体に沁み込んだ、武偵としての癖は、一般人を目指すキンジにとって足かせとなり、事ある毎に空回ってしまった。

 

 常に緊張状態を強いられて奇行に走る事が多く、学校の成績も悪く、更には元々付き合いが悪い事も災いして、なかなかクラスに溶け込む事ができなかった。正に、他の転化武偵達と同じ道を歩んでしまっていたのだ。

 

 だがそれでも、不器用ながら一般人としての生活を続け、どうにか話のできる友達もできて来た矢先、

 

 事件は起こった。

 

 クラスメイトの女子が、この鏡高組に拉致されたのだ。更には、一般人として友人となった男子3人がその女子を取り戻す為に、先走って鏡高組に殴り込みを掛けてしまった。

 

 この鏡高組の現組長、鏡高菊代(かがたか きくよ)はキンジが神奈川武偵校附属時代の友人でもある。

 

 どうやら、浚われた女子、望月萌(もちづき もえ)と菊代との間に、何らかのトラブルがあったらしい。

 

 だが、キンジが赴いた先で、更に事態は混乱する事となる。

 

 かねてから菊代が組長でいる事に不満を抱いていた組員達が、このタイミングでクーデターを起こしたのだ。

 

 彼等は菊代や萌の他に、武偵として名の売れているキンジを取引材料にして、大陸系の組織に取り入ろうとしていると言う事らしい。

 

 極道の仁義もへったくれもあった物では無い。犬でも喰わせた恩を3日は忘れないと言うのに、彼等は欲に目がくらみ、長年、自分達を養って来た組長をあっさり裏切ったのだ。

 

 そして今、キンジは萌と菊代と3人で並んで転がされている。

 

 持って来たベレッタは、既に奪われていた。そしてもちろん、今はまだ、切り札とも言うべきヒステリア・モードを発動していない。

 

 正に、絶望的な状況である。

 

「遠山キンジくーん? 知ってるー? 君はこれから香港のマフィアに売られちゃうんだよー。でも、お友達には自慢できるよ。すんげぇ高値だから」

 

 そう言って、ホスト風の男がげらげらと笑う。

 

 その横では、東大卒と思われる男が、奪ったキンジのベレッタをひけらかすように弄んでいた。

 

「日本にはおまけと言う文化もありますからね。こちらの可愛い2人も、おまけで付けてあげますよ」

「その前に、今まで散々威張り散らしてくれた礼を、たっぷりとしてもらうけどな」

 

 その言葉を聞き、キンジの横で菊代がすすり泣きを漏らしていた。

 

 かつては共に武偵校にあり、そして長年ヤクザの組長をやってきた菊代。

 

 一見すると、気が強く、唯我独尊的な感じがある菊代だが、その実、脆い心を持っている事をキンジは知っている。

 

 中学時代も、実家がヤクザをやっていると言うだけで苛めを受けた事もあるくらいだ。その為、キンジは彼女を助ける為にひと肌脱いだ事もあった。

 

 もっともその後、キンジの特異体質を知った菊代と元いじめっ子メンバーに結託され、ヒステリアモードを便利使いされた事が、今日の女嫌いに繋がっているのは皮肉以外の何物でもないが。

 

 更に、

 

「と、遠山君・・・・・・」

 

 萌が不安そうな声を上げて来る。

 

 彼女は完全に一般人だ。なぜ、このような事態になってしまったのかいまいち経緯が掴めないが、彼女を巻き込む事は許されない。

 

 最悪、自分を餌に交渉して、菊代と萌を解放させるか。

 

 そうキンジが思った時だった。

 

「おい、兄貴、こいつ等やっちまっても良いよな?」

 

 最近、すっかり聞き慣れた声で呼ばれ、キンジは顔を上げる。

 

 姿は見えない。

 

 しかし、間違いなく、そこにいるのが判る。

 

「ジーサード、つけて来ていたのかッ?」

 

 先月、飛行艇の上で戦ったジーサードだが、キンジが武偵校をやめて実家に戻ると、何と、妹のかなめと一緒に、遠山家へホームステイして来ていた。今ではすっかり、遠山家の三男として、遠山金三(とおやま きんぞう)と呼ばれている。もっとも、本人はその名前にはいたく不満であるらしいが。

 

 そのジーサードが、どうやらキンジを尾行してここまで来ていたらしい。

 

 光屈曲迷彩で姿を消したまま、ジーサードは菊代の体を抱え上げて窓際まで運ぶ。

 

 縛っていたワイヤーは、既にキンジや萌の分も含めてジーサードによって斬られていた。

 

「美しい物を着ているな。剥がしていただくぜ。あと、今日は寒い。兄貴も、少し動きたいだろ」

 

 そう言うと、ジーサードは菊代が来ている、美しい模様の改造和服の帯に手を掛ける。

 

 次の瞬間、菊代の体は空中でくるくると転がされ、床に落ちる。

 

「な、何これッ!? キャァァァァァァ!?」

 

 悲鳴を上げている内に、彼女が着ていた黒地に鮮やかな菊柄が描かれた着物は、脱がされ、真っ赤なランジェリー姿が現われる。

 

 脱がしたジーサードの姿は見えない訳だから、周囲の人間には、突然、何もない空中で菊代が裸になったように見えた。

 

 顔を真っ赤にした菊代は、必死に自分の体を隠そうとしているが、勿論、そんな物で隠しきれる筈がない。

 

 そしてその艶姿は、ハッキリとキンジの視界に刻まれ、彼の中にあるトリガーが引かれる。

 

「あ、ロープが切れてるッ 遠山君のも!!」

 

 能天気な萌の声を聞きながら、キンジは自分の人格が切り替わるのを認識していた。

 

 その横に、光屈曲迷彩を解除したジーサードが立つ。その手には、菊代から脱がせた着ものがしっかりと握られていた。

 

「いい西陣織の柄だ。見ろよ兄貴、この万寿菊柄なんか、すげえアートだと思わねえか?」

 

 興奮したように叫ぶジーサード。その姿は、いつものプロテクターの上から、なぜか暴走族ばりの特攻服を着込んでいる。キンジが友人からもらった物を、欲しがったので譲ってやったのだ。

 

「てめえぇ!!」「このガキ!!」「どこの族だ!?」

 

 周囲を固めていた男達が、一斉にカラシニコフを放ってくる。

 

 だが、ジーサードはかつて、アメリカ合衆国大統領の警護官もつとめており、その肉体それ自体が1個の兵器と認定されている存在である。

 

 飛んで来た全ての銃弾を、「捻転(コイル)」、キンジ流の「螺旋《トルネード》」に相当する技で掴んで投げ返し、銃を破壊して行く。

 

 そんな頼もしい味方である弟の横に立ち、キンジはニヤリと笑みを向ける。

 

「どうやら、なっているみたいだな、ジーサード」

「ならなきゃ失礼ってもんだ。ルノワール、景徳鎮窯、湛慶、エミール・ガレによ」

 

 周囲に並ぶ美術品の数々を見回しながら、ジーサードは興奮して言う。

 

 彼は芸術品を鑑賞する事によって、ヒステリアモードに必要なβエンドロフィンを脳内に分泌する事ができる。これも一種の倒錯した性的興奮らしいのだが、とにかく、キンジやカナと比べても、便利な体質である事は間違いない。

 

「兄貴もなってるんだろ?」

「ああ、ある意味、やけぼっくいに火が付いた形だがな」

 

 言いながら、下着姿の菊代をちらりと見詰める。

 

 かつての同級生であり友人。

 

 そして今は、キンジにとって護るべき対象である少女。

 

 彼女と萌を庇いつつ後退するキンジ。

 

 そのキンジを庇うように、ジーサードが前に出る。

 

「お前等マフィアなんだろ! これで終わりとは言わせねえぞ! 戦える奴、出てこいやッ 兄貴の手前、殺さないでおいてやるからよ!!」

 

 その声に煽られるように、出るわ出るわゾロゾロと、奥から鏡高組の構成員達が湧きでて来る。その数は、軽く50人を下らないだろう。皆、手にマシンガンやショットガンを持っている。

 

 その間にキンジは、萌と菊代を庇いながら、どうにか庭に退避する。勿論、ジーサードから菊代の着物を奪い返しておいてだが。

 

 とにかく、この2人を先に逃がす必要がある。

 

 だが、いかにキンジとジーサードが一騎当千でも、50人の敵を相手に非戦闘員2人を抱えて無傷で戦うのは難しい。

 

 どうするか、と思案した時、ふとキンジの目は遥か上空に向けられた。

 

 既に雪はやみ、雲が晴れて、上空には星も出ている。

 

 その星の1つを、キンジは指差した。

 

「菊代、萌。このピンチを切り抜けるには、君達の力が必要だ。あそこにあるお星様が見えるだろう? さあ、あの星にお祈りしてご覧。『助けてください』って」

 

 こうしたセリフが何のためらいも無く言える辺り、キンジのヒステリアモードは侮れない物がある。

 

 そして、これほど気障なセリフを言っても違和感がないほどに、遠山キンジと言う男は、実はホスト向けのキャラをしていた。

 

「乙女の祈りは星に通じる物だからね」

 

 そう言ってウィンクして見せるキンジ。

 

 萌と菊代は、それぞれ先を争うように天を仰いで祈りを捧げる。

 

「お・・・お星様、お願いです。遠山君を助けてください。わ、私はどうなっても良いですから!!」

「わ、私だって、自分なんてどうなったって良い。けど、遠山だけは、遠山だけは助けて、お星様!!」

 

 2人の純粋な願いは、

 

 果たして、天に届いた。

 

「さあ、来るよ」

 

 輝く星の一つが、どんどん近付いて来る。

 

「星の女神、《双剣双銃》の降臨だ」

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 バ カ キ ン ジィィィィィィィィィィィィ!!

 

 

 

 

 

 聞こえるアニメ声は、その「お星様」から放たれる。

 

 それは、平賀文製作のホバースカートを装着した、神崎・H・アリアだった。

 

「会いたかったわよォ、キンジィ~~~」

 

 ギリギリと歯を噛み鳴らすアリア。どうやら、暫く顔を合せなかった事で、相当ご立腹であるらしい。

 

 対して、ヒステリアモードのキンジは、そんなアリアの様子を愛おしげに見詰めて言う。

 

「会いたかった? 奇遇だね」

「何がよ!?」

「俺も君に会いたかったよ」

 

 そう告げたキンジの言葉に、一気に赤面するアリア

 

 こうなると普段とパワーバランスが180度逆転する為、見ていて面白い。

 

 バリバリバリバリ

 

 殆ど照れ隠しなんじゃないか、と思える勢いで2丁のガバメントを放ち、次々とヤクザ達の銃を撃ち抜いて行くアリア。

 

 マシンガンやショットガンなど、危険度の高い銃を先に破壊して行くあたり、戦いなれしている感がある。

 

 そこへ、更に変化が起こる。

 

 キンッ

 

 鉄を打ち鳴らすような鋭い音。

 

 次の瞬間、閃光が斜めに走った。

 

 一同が見ている目の前で、鏡高組の門が音を立てて崩れる。

 

 キンジがとっさに、萌と菊代を庇う中、ゆっくりと歩いて来る足音がある。

 

 その足音を、感覚が鋭くなったキンジは聞き取り、そしてニヤリと笑った。

 

 たった今起こった事が誰の手による物か、その足音を聞いただけで理解したのだ。

 

「やれやれ、お前も来てくれたのか」

 

 顔を上げる。

 

 その先に立つのは、少女のような顔立ちをした少年。

 

「緋村」

 

 対して、友哉もニコリと笑みを返す。

 

「元気そうだね、キンジ」

 

 久しぶりに見る友人の姿は、どこも変わりがないようで安心した。

 

 否

 

 気のせいであろうか、友哉の眼には、今のキンジは以前よりも、どことなく生き生きしているようにも見える。

 

「て言うかキンジ、アンタ今まで何やってたのよ?」

 

 ガバメントに替えて刀を構えながら、アリアが尋ねて来るのに対し、キンジは肩を竦めて答える。

 

「ちょっと、社会見学をね」

「社会見学? て事は、一般人やってたの?」

「まあね」

「・・・・・・ふうん、で、一般人の彼女も作ったって訳?」

 

 とげを含む声で言いながら、キンジが抱いている萌と菊代を殺気を込めて睨みつける。

 

 対して、キンジはやれやれとばかりに肩を竦めて、アリアに歩み寄る。

 

「そんな事したら、アリアが1人っきりになってしまうだろ」

「ぷっ ぷえッ!?」

 

 急速に顔を赤化させるアリア。どうやらこっちの方も絶好調であるらしい。

 

 取り落としそうになった刀を拾ってやりつつ、キンジは彼女に笑い掛ける。

 

「そ、それより、ジーサード、何か、あんたの味方っぽいんだけど?」

「あ~、説明はちょっと難しいんだが、今は取り敢えず、協力してやってくれ」

 

 話題と視線を逸らすアリアに苦笑しつつ、キンジは説明してやると、友哉に向き直った。

 

「緋村も、それで良いな?」

「ん、了解」

 

 言いながら、改めて刀を構え直す友哉。

 

 話している間にも、屋敷の中からわらわらとヤクザ達が湧きだして来る。

 

 50人以上の敵を前に、こちらの戦闘員は4人。

 

 だが、このメンツなら、仮に1万の軍勢を相手にしたとしても負ける気がしなかった。

 

 キンジが萌と菊代を逃がす中、戦闘が開始された。

 

 いや、戦闘などと言う物では無い。それは最早、一方的な殲滅戦と言って良かった。

 

 友哉は敵が攻撃態勢に入る前に敵陣へ飛び込むと、刀を振るって次々と打ち倒して行く。

 

 いかに数を揃え、銃火器で武装していたとしても、捕捉できなければ蟷螂の斧にも劣る。

 

 友哉の神速の剣の前に、ヤクザ達は次々と蹂躙されていく。

 

 辛うじて、銃を構えようとする者には、アリアが襲い掛かる。

 

 ガバメントや刀を使い、的確に敵の武器を破壊し、そして隙をついて返り討ちにして行く。

 

 その正確な攻撃を前にしては、ヤクザの集団など紙の軍団と同じである。

 

 ジーサードに至っては、武器すら抜いていない。全て、飛んできた敵の銃弾を掴んではUターンさせると言う、常人では考えつきもしないようなカウンター攻撃で、次々と打ち払って行った。

 

 やがて、キンジが萌と菊代を逃がして戻ってくる頃には、先程のホスト男以外は殲滅済みの状態だった。

 

「な、何なんだよ、お前等!? お、俺は副組長だぞッ 判ってんのか!?」

 

 言いながら、震えた手で銃を構えている。

 

 だが、手元が激しくぶれている為、全く威嚇になっていない。恐らく、放っておいても当たる事はないだろう。

 

「あれキンジのベレッタでしょ。なに盗られてんのよ」

「一応、壊さないでおいてやったぜ。兄貴は貧乏だからな」

 

 調子を合わせて感じで肩を竦めるアリアとジーサード。2人とも既に、ホスト男の事は完全に眼中になかった。

 

「て言うか、この状況でよく、副組長とか言ってられるね」

 

 友哉も、周囲を見回しながら呆れ気味に言う。

 

 既に立っているのは、ホスト男だけで、あとのヤクザ達は死屍累々と言った感じに地面に転がり、呻き声を発している。

 

 将無くして兵は無く、兵無くして将も無い。今夜、鏡高組は完膚なきまでに壊滅したのだ。たった4人の武偵によって。

 

 この損害を回復するとなると、恐らく10年では効かないだろう。それでも尚、いきがっている辺り、相当、頭がおめでたいようだ。あるいは、そうすることで必死に現実逃避しているか。どちらにしても、状況の好転に何らの寄与もしていないが。

 

「帰れ、帰れよォォォ!!」

「ああ、帰るよ。貸した物を返してもらったらね」

 

 無様に泣き喚くホスト男に対し、キンジは冷静な声で告げて歩み寄る。銃を奪い返すつもりなのだ。

 

 だが、そのキンジの足が、ピタッと止まり、顔には険しさが宿る。

 

 背後に立つ人物の気配に、気付いたからだ。

 

「・・・・・・・・・・・・萌」

 

 ヒステリアモードのキンジにしては珍しく、少女に対して険しい表情を向ける。

 

 なぜなら、いつの間にか戻ってきた萌の手には、1丁の拳銃が握られているからだ。

 

 茉莉もサイドアームとして使っているブローニング・ハイパワーは、扱いやすい銃として愛好家が多い名銃である。

 

 今、萌の手には、そのブローニング・ハイパワーが握られている。勿論、一般人である萌の私物である筈がない。恐らく、菊代が庭に隠していた自分の銃を彼女に貸したのだ。

 

「と、遠山君を撃たないで!!」

 

 構えも立ち方も、完全に素人丸出しの持ち方。ただ、彼女を突き動かすのは、遠山キンジを守りたいと言う一念に他ならない。

 

 対して、既に超人達相手に完全にテンパっていたホスト男も、ベレッタを萌に向けようとする。

 

 だが、

 

「やめな。その娘は完全に堅気だよ。こら、彼女に銃を向けるな。撃つのは組のご法度だよ。そんな事も忘れたのかい? 撃つならあたしを撃ちな。そうすれば猴先生にも示しが付くだろ」

 

 そう言いながら、やってきた菊代はキンジを守るように、その前に立った。

 

「よせ、萌ッ 菊代ッ どうして戻って来たんだ!?」

 

 叫ぶキンジに対して、ブローニングを構えた萌も叫ぶように返す。

 

「だって、私もその、ピンクの子とか、刀の女の子みたいに、遠山君を守りたい!!」

 

 そう言って、嫉妬したような目をアリアや友哉に向けて来る。

 

 取り敢えず、「もしかして『刀の女の子』って僕?」などと、地味に傷付いてる友哉は無視して、キンジは焦ったように萌と菊代に視線を走らせる。

 

「遠山、これはケジメだよ。中国は甘くない。ここまでの事が起きたなら、あの馬鹿達が言い訳しようにも、スケープゴートが必要なのさ」

「菊代ッ!!」

「それに遠山。アンタを守りたいのは萌だけじゃない。昔から迷惑ばっかり掛けて来たのに、アンタはさっき、あたしを守ってくれた。うれしかったよ。やっぱり、アンタはあたしのヒーロー。形だけになっちゃうけど、これで借りは返すよ」

 

 そう告げると、菊代は強い眼差しでホスト男を睨みつける。

 

 対して、ホスト男は菊代の眼光に明らかな怯みを見せた。

 

 自分達のクーデターによって、トップの座から引きずり下ろした元組長。

 

 威張り散らしているくせに、1人じゃ何もできない小娘と思っていた少女を相手に、大の男が怯んだのだ。

 

「菊代ォォォ テメェェェェェェ!!」

 

 殆ど狂躁状態となったホスト男が、勢いに任せて引き金を引く。

 

 それに触発される形で、萌もまた引き金を引いてしまった。

 

 2発の銃弾は、それぞれホスト男と菊代に対する命中コースを辿っている。

 

 次の瞬間、複数の事が同時に起こった。

 

 まずジーサードが持ち銃であるH&K USPを引き抜いて発砲、萌の放った弾丸を銃弾弾き(クラッカー)、キンジ流で言う銃弾撃ち(ビリヤード)で弾いた。

 

 次いで、アリアが漆黒と白銀のガバメントを発砲、萌とホスト男の腕を掠めるようにして撃ち、2人の腕から銃を弾き飛ばした。

 

 ほぼ同時に、友哉が神速の勢いで距離を詰めて刀を一閃、ホスト男の顔面を正面から殴り飛ばした。

 

 だが、まだ銃弾は1発、空中に残っている。

 

 ホスト男が放ったベレッタの9ミリ弾は、完全に菊代の額を目指して飛んで来る。

 

 とっさに、左手で菊代を抱きかかえるキンジ。

 

 そのまま庇うつもりか?

 

 しかし、タイミング的に間にあう距離では無い。

 

 誰もが固唾を飲んで見守る中、

 

 キンジは、あろう事か、飛んで来た銃弾を素手で掴み取ってしまった。

 

「・・・・・・・・・・・・熱すぎだ、このカイロは」

 

 言いながら、キンジは銃弾を地面に投げ捨てる。

 

 一連の武偵達の動きは、全てキンジの指示だった。

 

 複数の射線を同時制圧する為に、キンジはとっさにジーサードにはブローニングの弾丸処理を、アリアには銃の制圧を、友哉にはホスト男への攻撃を指示したの。しかも、友哉とジーサードにはマバタキ信号を使ったが、アリアにはただ視線を送っただけである。

 

 アリアなら、視線を送るだけで自分の成す事を理解してくれるだろうとの判断に基づいての行動だし、事実、その判断は間違っていなかった訳だが、それらの事を一瞬でやってしまう辺り、キンジの底知れない強さを現わしていた。

 

「銃弾掴みは、俺もやった事無いぜ」

 

 キンジにベレッタを渡しながら、ジーサードが興奮したように言う。

 

「どうやったんだよ兄貴。今、撃っても良いか? もういっぺん見たら俺もできるだろうからよ。その後、俺を撃てよ」

「俺はお前とキャッチボールをするつもりはない」

 

 ぴしゃりと返すキンジ。物騒なキャッチボールもあった物である。

 

「て言うかキンジ。そろそろ『人間やめます宣言』しちゃったら? 証人が必要ならなってあげるよ」

「お前には言われたくないぞ、緋村」

 

 『人間やめた人間予備軍(命名:理子風)』と言うなら、友哉も充分にその範疇である。今更キンジをからかう事はできない。

 

 刀一本で銃弾を弾き、常人の理解を越えた脚力、跳躍力を誇る人間と、銃弾を弾き、逸らし、返し、掴み取る人間。ハッキリ言って、どっちもどっちだった。

 

 弟と友人を黙らせたキンジの横に、アリアがやって来る。

 

「あんた、暫く見ないうちに大人になった? そんな顔してるわ」

 

 そう言って笑い掛けて来るアリアに、キンジは肩を竦めて見せる。

 

 褒めてくれたのが嬉しくて仕方がない。そんな顔だ。

 

「ところでアリア。この近所には俺の実家もある。だから一緒に帰って、アリアを家族に紹介したいんだけど・・・・・・」

 

 言い掛けて、キンジは言葉をそこで止める。

 

 ほぼ同時に、ジーサードと友哉も、緊張した面持ちで構え直す。

 

 1人、赤面して悶えているアリアの事は放っておいて、男達は臨戦態勢を取る。

 

「・・・・・・それは後日にしよう。どうやら、まだ終わってないみたいだし」

 

 言いながら、キンジの視線が天井に向けられる。

 

 友哉も、そしてジーサードも気付いていた。そこに「本命」がいる事を。

 

「アリアは女子2人、萌と菊代を安全な所へ退避させてくれ。俺じゃ、詰めが甘くて戻って来てしまうみたいだから」

「ふーん、萌と菊代って言うの、この子たち。じゃあ、キンジ、後で尋問タイムだからね。そ、それとあんたの実家、い、行くから、ちゃんと紹介しなさいよ? スケジュール空けとくから。リアルに行くからね!!」

 

 などと、嬉しそうに怒っているアリアに微笑んでから、キンジは改めて萌と菊代に向き直る。

 

「と、遠山君、何であんな危ない事したの?」

「遠山・・・・・・」

 

 心配そうに眼を向けて来る2人の少女。

 

 萌は一般校に転入して四苦八苦していたキンジの世話を色々と焼いてくれた。もう1人は中学時代からの友人。ちょっと迷惑も掛けられたが、それでも大切な存在だ。

 

 どちらも等しく、「今の」キンジにとっては愛おしい。

 

「臆病な小鳥たちを、ちょっと驚かせたかったんだよ」

 

 甘く囁いてから、次いで、少し厳しい声で言う。

 

「良い子はもうお帰り。そして二度と銃を持ってはいけないよ。その美しい手は、あんな物を握る為にあるんじゃないんだ。勿論、女神様の手も美しいけど」

 

 と、アリアの方をチラッと見ながら言う。

 

 もっとも、当のアリアは意味が判っていないらしく、怪訝そうに「?」マークを浮かべているが。

 

「おい、兄貴。その辺にしとけ。嗤ってるぜ、向こう」

 

 ジーサードが天井を見ながら、苛立ったように言う。

 

 同様に友哉も刀を構え、敵の襲撃に対して警戒している。

 

 アリア達の退避を確認したキンジは、ジーサードの横に立って、同じように天井を見た。

 

「いるんだろ、遊びたいのか?」

 

 しばしの沈黙の後、返事が返る。

 

「・・・・・・是」

 

 中国語。どうやら、鏡高組の取引相手であるらしい

 

「俺がお望みらしいが、俺は金輪際、お前達と関わりたくない」

 

 そう告げるキンジの言葉に、今度は返事は返らない。

 

 どうやら、直接的な対峙は免れないようだ。

 

 キンジ、ジーサード、友哉の3人は頷き合い、天井を目指して登り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この可能性は、充分に考えられた。

 

 屋根の上に出て、月明りの下に3人の人影を見出した時、友哉は自分の予想が外れていなかった事を確信した。

 

 立っている3人のうち、2人には見覚えがあったのだ。

 

 長い黒髪をツインテールにし、清王朝の民族衣装を着た少女は、修学旅行Ⅰの際、新幹線の上で戦ったココだ。確か、今は長野の刑務所に入れられた筈だが、もしかしたら、猛妹、炮娘、狙姐のうち1人が脱走したのかもしれない。

 

 ただ、友哉の記憶が正しければ、眼鏡を掛けたココはいなかったと思うのだが。

 

 そのココの横に立つ、長身痩躯の男が恭しく頭を下げて来た。こちらも見覚えがある。

 

「再会を心よりお慶び申し上げます、遠山キンジさん、緋村友哉さん、ジーサードさん」

 

 およそ戦闘には向いていないように見える文官的な男は、諸葛静幻。宣戦会議に顔を出していた藍幇の大使だった男。

 

「緋村、あれ」

「うん、憶えている」

 

 鏡高組の取引相手とは、藍幇だったのだ。中国の組織と聞いて予想はしていたが、どうやら大当たりだったらしい。

 

 だが、最後の1人、黒髪をストレートに下ろした、小学生くらいの少女は見覚えがなかった。名古屋女子武偵校のカットオフセーラー服を着ているが、恐らく立ち位置的に、彼女も藍幇の戦士なのだろう。

 

「ヘッ そのがきんちょが、藍幇の代表かよ。極東戦役の」

 

 キンジの横で、既にジーサードが拳を構えて臨戦態勢を取っている。いつでも殴りかかる準備はできていた。

 

 それは友哉も同様だ。

 

 鞘に収めた刀の柄に手を掛け、戦闘開始と共に距離を詰め、斬り込む腹積もりである。

 

 対して、

 

「ええ、それはそうなのですが・・・・・・」

 

 諸葛が、何やら歯切れの悪い言い方をする。

 

 だが、そんな事はお構いなしに、ジーサードと友哉は前に出る。

 

「俺は『無所属』から『師団』に変わっているからよ、戦る理由はあるんだぜ」

「まさか、このまま何もしないで帰る、なんて事はないですよね?」

 

 2人に続いて、キンジも前に出る。

 

 今にも戦端が開かれようとした時、

 

「よ、よせ、遠山の、お主、仏と戦うつもりか!?」

 

 突然、聞き憶えのある少女の声がどこからともなく聞こえて来た。

 

「え、玉藻、どこ?」

 

 とっさにキョロキョロと周囲を見回す友哉。しかし、知り合いの狐少女の姿はどこにもない。

 

 すると、何を思ったのかキンジが、突然シャツを開く。

 

 そこで、バフッという煙が起こり、狐耳と尻尾を持つ幼女が、突然現れた。

 

 あまりの出来事に呆気にとられる友哉を余所に、玉藻はキンジに詰め寄る。

 

「俺が、何と戦うつもりだって?」

 

「あ、あの御姿は猴。日本の鳳と同レベルの、化生界の巨頭じゃ。天竺で戦闘勝仏と相なられた、しょ、正真正銘の・・・・・・」

「俺にはそうは見えないぜ。だから違うんだろ」

 

 玉藻の言葉を途中で遮り、キンジは猴に向き直る。

 

 友哉もまた、腰を落として抜刀術の構えを取る。

 

 正直、何度も目の当たりにしている超能力やら妖怪やらならまだしも、流石に仏様が目の前に現われたとか言われても、いまいちピンと来なかった。

 

「猴の前には銃も刃物も意味を成さぬ! よさんか、お主らァ!!」

「ハハッ、銃? 刃物? そんなもんには最初から頼りぁしねぇよ。俺達には、音速の拳がある!!」

 

 高らかに言い放つと、ジーサードは姿勢を低くした構えを取る。

 

 それはキンジの『桜花』と同じ、一撃必殺の技。言わば、ジーサード流の桜花、『流星(メテオ)』である。

 

 狙いは猴。一撃を持って彼女を屠り、この戦いに決着を付けるつもりなのだ。

 

「異教の神は殺しても良いんだぜ」

 

 好戦的に告げるジーサード。

 

 このままでは、本当に猴を殺しかねない。

 

 だが、その様子を見て、ココや諸葛が何やら慌てだした。

 

 同時に、一同が見守る中、猴の頭の上に、何やら光の輪が収束し始めた。

 

 それが何なのか判らないまま、急速に収束して行く。

 

「き、金箍冠ッ 猴、静まりたまえェェェェェェッ!!」

 

 玉藻が絶叫する中、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤い光が、走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一瞬、何が起きたのか。

 

 音も無く、深紅の閃光が奔り、

 

 それが、ジーサードの胴を貫通する様子が、友哉には見えた

 

 ただそれだけで、ジーサードの大柄な体が崩れ落ちる。

 

「じ、ジーサード!!」

 

 とっさにキンジが弟を呼ぶが、返事は返らない。

 

 一方、

 

「・・・・・・ル・ラーダ・フォル・オル?」

 

 撃った猴は、意味の判らない言葉を呟きながら、小首をかしげている。

 

 それを見て、唖然としているのは諸葛とココも同じである。どうやら、彼等にも、猴を制御できていないらしい。

 

「逃げろ、遠山、緋村!! ジーサードはもうダメじゃ!! 今のは如意棒ッ レーザービームじゃ。儂にも防ぐ事は出来ぬ!!」

 

 レーザー。

 

 そんな物を使いこなす人間がいるとは。

 

 しかも如意棒。その名前に聞き憶えがある日本人は、恐らくたくさんいるだろう。その使い手と共に、あまりにも有名な存在である。

 

 そして、友哉も、それを知っている人間の1人である。

 

「如意棒って、じゃあ、まさかッ!?」

「そうじゃ、さっきも言ったじゃろう! 猴は戦闘勝仏、『孫悟空』じゃ!!」

 

 玉藻の焦慮に満ちた叫びを、友哉は呆然と聞いていた。

 

 

 

 

 

第2話「神成る者」      終わり

 



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第3話「中華の戦神」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何が起こったのか。

 

 目の前の出来事に対し、友哉達はただ、立ち尽くす事しかできなかった。

 

 ジーサードが、

 

 あの、友哉ですら敵わなかった人工天才(ジニオン)が、

 

 一瞬一撃の元に、地に伏していた。

 

 流れ出る出血で、屋根が徐々に赤く染められていく。

 

 もう、助からない。腹を貫かれたジーサードは、どう見ても致命傷だった。

 

 そのジーサードを、一撃で屠り去った藍幇の戦士、猴。

 

 玉藻の言が正しければ、その正体は彼の孫悟空だと言う。

 

 日本でも「西遊記」を知らない者は少数派だろう。孫悟空は、その西遊記に出て来る、主人公の英雄である。

 

 猿の英雄として生まれた孫悟空は、徐々に巨大な力を持つようになり、天界にすら歯向かうようになった。この事を憂慮した天界は何度も討伐軍を指し向けるが、孫悟空はその全てを撃退してしまう。やがて、討伐を諦めた天界は、とうとう孫悟空に神の一座を与え、天界に迎えるという懐柔策を取った。

 

 だが、生来の乱暴者であった孫悟空は、やがて御釈迦様の怒りに触れて、岩牢に幽閉されてしまう。やがて、唐から天竺に向かう修行の旅をしていた三蔵法師によって助け出され、彼を守って冒険の旅に出る。と言うのが西遊記の大筋である。

 

 その孫悟空が、実は実在して、しかも今、目の前にいる。

 

 俄かには信じがたい話である。

 

 しかし、ジーサードを一瞬で倒した事だけは確か出る。

 

「鎮まり給え猴!! ここは倭ぞ!! これ以上人を殺めれば、倭と唐の化生が争う事にもなろうッ!! 鎮まり給えェ!!」

 

 絶叫する玉藻が、どうにか孫悟空、猴を鎮めようとしているのが判る。

 

 しかし、

 

「コル、オル、トルマエス、カルガラル」

 

 猴は意味不明の言葉を言いながら、その瞳は、キンジの方へと向けられている。

 

 如意棒、玉藻の言を借りれば、レーザービームの照準を付けているのだ。今度はキンジを撃つつもりである。

 

 それを見て、諸葛もココも慌てている。彼等にも、猴の制御ができていないのは明白だった。

 

 そのままキンジが撃たれるか。

 

 そう思った瞬間、

 

 突然、視界を遮るように赤、青、白のスモークが湧きあがった。

 

 一瞬にして視界が遮られ、友哉達と藍幇勢力との間を遮り、何も見えなくなってしまう。

 

「これは、武偵弾!?」

 

 恐らく煙幕弾だ。萌と菊代を退避させたアリアが、状況を察して援護してくれているのだ。

 

 逃げるなら今、この機に乗じるしかない。

 

「逃げろ、緋村ッ 玉藻!!」

 

 キンジも同様の結論に達したらしい。倒れているジーサードを抱えて踵を返す。

 

 背後では、ココと諸葛の慌てふためく声が聞こえて来る。あちらもどうやら、追撃を掛ける余裕は無いらしい。

 

 今なら逃げられるか。

 

 そう思った時、

 

 突如、足元が揺れるような感触に襲われた。

 

 地震か?

 

 そう思った瞬間、足元の屋根が爆発したように吹き飛ばされた。

 

「なッ!?」

 

 友哉も、そしてジーサードを抱えたキンジも、驚きのあまり、思わず足を止めた。

 

 見れば、瓦屋根に人一人が通れるくらいの大きな穴があいている。

 

 そして、その穴の縁に、今まさに手を掛けて這いあがってくる影があった。

 

「やっと、話は終わったかッ このまま待たされっぱなしで終わるかと思ったぞ!!」

 

 野太い声と共に這いあがって来たのは、ゆうに2メートル以上はありそうな長身を持つ、巨大な男だった。

 

 手に持っている武器は、特殊な形状をしており、槍の穂先の左右に、それぞれ短い月牙を取り付けている。

 

 古代中国で使われた武器で、方天画戟と呼ばれる物だ。突くだけでなく、斬る、打つ等の使い道もある万能武器である。勿論、完璧に使いこなすには、充分な修練が必要だが。

 

「諸葛よ、こ奴ら、俺が貰っても良いな?」

 

 男に声を掛けられた諸葛は、一瞬逡巡するようにするが、やがて不肖不精と言った感じに頷いた。

 

「仕方ないでしょう。こちらは猴を落ち着かせるのに手一杯ですので。伽藍(がらん)、そちらはお願いしますよ」

 

 そう言うと、再び諸葛は、猴の方に向き直った。どうやら彼にとっては、猴の制御は友哉達をこの場から逃がす以上に重大な事であるらしい。

 

 とは言え、それで危機が去ったとは言えない状況である。

 

 友哉は突如現れた、巨躯の男と対峙する。

 

「キンジ、先に行って」

 

 刀を構えながら、友哉は慎重に前に出る。キンジが安全圏に退避するまで、自分が時間を稼ぐつもりなのだ。

 

 今のキンジは重傷を負ったジーサードを抱えている。まともに戦える状態では無い。

 

 勿論、役割を交代する事もできない。友哉とジーサードでは体格差がありすぎる為、仮に抱えてもうまく動く事ができないだろう。

 

 ここはキンジがジーサードを連れて退避し、友哉が囮を担うのが上策だ。

 

 逃げるキンジを背中に庇い、前に出る友哉を見て、伽藍と呼ばれた男は「ほう」と呟く。

 

「小僧、この俺と、サシで勝負しようと言うのか?」

「それ以外に見えますか?」

 

 感心したような伽藍の言葉に、友哉は刀を正眼に構えながら応じる。明らかな交戦の意思だ。

 

 対して、伽藍は口元を歪めて凄絶な笑みを見せた。

 

「面白い、その大言、翻すなよ!!」

 

 言い放つと同時に、伽藍は方天画戟を振り翳して友哉に突っ込んで来た。

 

 

 

 

 

 衝撃で屋根の瓦が吹き飛び、舞い上がる。

 

 1歩ずつの踏み込みが、それだけで屋敷全体を破壊しそうな勢いだ。

 

「ッ!?」

 

 立ち尽くす友哉。

 

 対して伽藍は、方天画戟を横薙ぎに振るう。

 

 その一撃は致死の物。衝撃はそれ自体が質量を持ったかのように襲い掛かってくる。

 

 対して、

 

 一瞬、友哉のシルエットが闇夜に霞んだ。

 

 次の瞬間、中天の月を背景に、刀を振りかざす友哉の姿。

 

「飛天御剣流、龍槌閃!!」

 

 急降下と同時に振るわれる刃はしかし、それよりも速く引き戻された伽藍の方天画戟によって防がれた。

 

「クッ!?」

「フン」

 

 舌を打つ友哉に対して、ニヤリと笑う伽藍。

 

 そのまま空中にある友哉の体を吹き飛ばそうと、腕に力を込める。

 

 しかし、それよりも一瞬早く、友哉は方天画戟の柄に足を掛けて跳躍、伽藍の背後に躍り出た。

 

「ハァァァァァァ!!」

 

 背中を見せた伽藍に対し、急速に間合いを詰める友哉。

 

 伽藍も振り返るが、友哉の速度には追いつけない。

 

 その胴めがけて、友哉の横薙ぎが入る。

 

 タイミングは完璧。防御は間に合わない。

 

 柄を握る手に、確かに感じる衝撃。完全に入った手応えが伝わってくる。

 

 しかし、

 

「どうした、その程度か!?」

「ッ!?」

 

 まるで堪えていない様子の伽藍に、思わず友哉は息を飲みつつ、とっさに後退する。

 

 友哉の一撃は、確かに伽藍を捉えた筈だ。

 

 だが、伽藍はダメージを負っていないかのように、平然としている。

 

 見た所、何か特別な防具を着ているようには見えない。着ている服は防弾仕様かもしれないが、通常の防弾服では、貫通は防げても衝撃までは防げない筈だ。

 

 警戒するように距離を取る友哉に対し、伽藍は石突きを瓦に突き立てて立ちはだかる。

 

「動きはなかなかなようだな。だが、攻撃力が決定的に不足している」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉の戦いぶりをそう評してくる伽藍。

 

 対して友哉は、無言のまま刀を構え直す。確かに、このままでは決定打を奪う事は難しいかもしれない。

 

 そんな友哉を見ながら、伽藍も方天画戟を構え直す。

 

「さて、では、そろそろ、こちらから行かせてもらおうか」

 

 持ち上げた方天画戟の切っ先を、真っ直ぐに友哉へと向ける。

 

 と、頭上高く持ち上げると、そのままグルグルと旋回させ始めた。

 

 風を巻き、旋風のように回転する方天画戟。

 

 まるでそれ自体が、小型の台風であるかのように、吹き抜ける風が、立ち込める煙を散らして行く。

 

「行くぞッ」

 

 呟いた瞬間、

 

 伽藍は回転の勢いを乗せて、斬り込んで来た。

 

「ッ!?」

 

 瞬間、凄まじい勢いで、刃が友哉に迫って来る。

 

 とっさに回避しようと、後退する友哉。

 

 刃は友哉の眼前を、真一文字に斬り下ろす。

 

 否、

 

 次の瞬間、凄まじい衝撃が、友哉に襲い掛かった。

 

「なッ!?」

 

 攻撃は当たらなかった。確かに友哉は、伽藍の攻撃を完全に回避した。

 

 にもかかわらず、衝撃だけで、友哉の体は大きく吹き飛ばされたのだ。

 

 のけぞるような形で、宙に飛ばされる友哉。

 

 体はそのまま屋根の縁を越え、階下の庭へと落下を開始する。

 

「クッ!?」

 

 そのまま落ちれば、頭蓋から地面に叩きつけられる事になる。そうなれば、いかに友哉でも助からない。

 

 とっさに、体勢を入れ替えて着地する友哉。

 

 流石に、バランスを崩したままの着地だった為、殺しきれなかった衝撃が足を伝って体に流れ込んで来る。

 

「グッ!?」

 

 思わず顔を歪め、呻き声を洩らす。

 

 しかし、どうにか倒れずには済んだ。

 

 そこへ、

 

「まだだぞ!!」

 

 方天画戟を振り翳した伽藍が、降下しながら斬りかかって来る。

 

「ッ!?」

 

 着地の衝撃で痛む足を無視して、とっさにその場から飛び退く友哉。

 

 対して伽藍の一撃が、振り下ろされる。

 

 次の瞬間、砲弾が炸裂したような衝撃と共に、叩きつけられた地面が大きく抉り飛ばされた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 その様子を、友哉は呆然と眺めている。あんな攻撃を食らったら、ひとたまりも無い所である。

 

 改めて、互いの戦力差を認識させられる。

 

 この状況を打破できるとしたら・・・・・・

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は無言のまま、刀を正眼に構え直す。

 

 既に、充分な時間は稼いだ。キンジ達は既に安全圏まで逃れた事だろう。後は、友哉が脱出するだけである。

 

 相手の力は強大。いかに友哉の力を持ってしても、容易に倒す事はできない。

 

 ならば、取り得る手段は1つ。大出力の攻撃を持って、相手の行動力を奪うしかない。

 

「ほう・・・・・・」

 

 対して伽藍も、感心したように呟き、改めて方天画戟を構え直す。どうやら、友哉がまだ何か企んでいる事を察したらしい。正面から迎え撃つ構えだ。

 

 友哉と伽藍。

 

 互いに得物の刃を向けあったまま、無言の内に対峙する。

 

 緊迫が空気にまで伝播し、戦場を張り詰める。

 

 次の瞬間、

 

 互いに、同時に地面を蹴った。

 

 友哉は疾風の如く、

 

 伽藍は怒涛のように、

 

 互いの距離が一瞬で迫る。

 

 仕掛けたのは、やはり速度で勝る友哉だった。

 

「ハァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 剣閃は複雑な軌跡を、一瞬で描く。

 

 閃光の重囲は、その全てが必殺の一撃となって伽藍に殺到した。

 

「飛天御剣流、九頭龍閃!!」

 

 9つの閃光は、刹那の間も無く、全てが伽藍の体を撃ち抜いた。

 

「ウォォォォォォォォォォォォ!?」

 

 最後、柄尻の一撃を眉間に叩きつけた直後、さしもの伽藍も、唸り声を上げて転倒する。

 

 轟音を上げて、地に伏す伽藍。

 

 対して九頭龍閃を撃ち切った友哉は、残心を残す形で着地する。

 

 技は完全に極まった。九頭龍の牙は、確かに伽藍の体に突き立てられたのだ。

 

 九頭龍閃をまともに受けて、立ち上がれる筈がない。

 

 そう思った時だった。

 

「・・・・・・クッ・・・クッ・・・クックックッ」

 

 くぐもった笑い声。

 

 友哉が警戒して刀を、構え直す中、

 

 伽藍はゆっくりと、体を起こした。

 

「そんな・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は信じられない面持ちで、その様子を眺める。

 

 流石に無傷では無い。全身に打撲があり、頭からは血まで流している。とてもではないが、立てるとは思えない状態だ。

 

 にもかかわらず、伽藍は平然と笑みを浮かべ、再び方天画戟を構え直して見せた。

 

「面白い技を持っているではないかッ これだから、戦いはやめられないのだ!!」

 

 闘争本能の塊、と言うより、その物が闘争本能と言った感じの伽藍。

 

 その存在に、友哉は戦慄せざるを得ない。

 

 もしかしたら自分はこのまま、永遠に、この怪物を相手に戦っていなければいけないのだろうか?

 

 そんな事を考えてしまう。

 

「さあ、行くぞッ まだまだ、俺を楽しませてみろ!!」

 

 血に濡れた体を薙ぎ払うように、伽藍が前に出ようとした。

 

 その時、

 

 だしぬけに、伽藍の体に弾丸が命中するのが見えた。

 

 次の瞬間、大量の煙が湧きおこり、一気に視界が塞がれてしまう。

 

「ぬッ!? 何だこれは!?」

 

 先程と、同じような光景。

 

 突然の事に、伽藍も驚きを隠せない様子だ。

 

 弾丸は更に数発着弾し、煙の勢力を強める。

 

 今や、鏡高組の庭全体が煙に覆い尽くされている、と言っても過言ではない。

 

 一瞬、先程同様にアリアの援護が入ったのか、とも思ったが、彼女が使っていた武偵弾とは煙の色が違う。

 

 何が起きているのか。

 

 そう思った時、

 

「緋村君、こっちです!!」

 

 聞き憶えのある声と共に、強引に腕が引かれる。

 

 何が起きているのか、状況は全く把握できないが、今が逃げる好機であるのは確かなようだ。

 

 促されるままに、友哉は踵を返すと、その場から離脱して行く。

 

 その気配は、煙の向こう側に立つ伽藍にも感じる事ができた。

 

「おのれ、逃げるか!!」

 

 勢いそのままに、煙を薙ぎ払う伽藍。

 

 やがて、視界が晴れて、周囲の状況が見回せるようになる。

 

 だが、そこには既に、友哉の姿は無かった。

 

 後には、破壊し尽くされた庭があるだけである。

 

「ええいッ 逃がしたか」

 

 舌打ちしながら、やり場のない苛立ちを、地面を蹴って叩きつける伽藍。

 

 諸葛達が極東戦役における作戦の一環として、日本にいる師団勢力に攻勢を掛けると聞き、それに半ば強引に同行して来たのは、全て、戦いを欲するが故である。

 

 聞けば日本には、素手で弾丸を返し、銃弾を銃弾で弾き、天を駆けるが如く宙を舞う戦士がゴロゴロいるのだとか。それらと戦う事を願い、伽藍は日本にやって来たのだ。

 

 結果として、その噂はガセでは無かった。目指す戦士達は実在したのだ。

 

 強い戦士と戦い、これを打ち破る。これほど、心躍る瞬間は他にない。

 

 だが結局、決着はつかず、伽藍としては不完全燃焼な形となってしまった。

 

 藍幇は、日本に長居するつもりはない。一撃したら香港に引き上げる手はずになっている。

 

 つまり、逃げた連中を追って、再戦している余裕は無いと言う事になる。

 

「・・・・・・・・・・・・まあ、良い」

 

 低い声で呟くと、流れてきた血を拭って、ニヤリと笑った。

 

 奴等とは何れまた、近い内に戦う気がする。伽藍の勘は、そう告げている。

 

 そして、この手の伽藍の勘は、実のところ、今まで外れた事がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場を離脱し遮二無二駆け抜け、鏡高邸が見えなくなった所でようやく息をついた。

 

 上がりかけている息を整え、慎重に気配を探る。

 

 追って来る気配は無い。どうやら、追撃を諦めたようだ。

 

 今回の戦い、見た限りではどうも、藍幇の方でも不確定要素が高い戦いであったらしい。その為、追撃する余裕は無かったらしい。

 

 キンジ達の方がどうなったか気になる所ではあるが、藍幇があの調子なので、友哉としては、あちらも無事だろう、と楽観視している。

 

「それにしても・・・・・・」

 

 友哉は鋭い眼差しを流しながら、傍らに立つ人物を見た。

 

 先程、伽藍から友哉を助け、撤退を援護した男は、仕立の良いスーツ姿に、顔には無表情の仮面を付けている。傍から見れば、仮面舞踏会の出席者のようだ。

 

「あなたが助けに来るなんて、どう言う風の吹きまわしですか?」

「私としては、君があそこにいた事の方が余程、驚きなんですがね」

 

 由比彰彦は、そう言って肩を竦める。

 

 《仕立屋》と言う傭兵グループを束ねるこの男とは、これまで何度も剣を交えている。正直、あのような危機的状況で助け合うような間柄ではない筈だ。

 

「君も無茶をしますね」

「何がですか?」

 

 武偵弾を発射するのに使ったグロック19を、スーツの下のホルダーに収めながら、呆れたような調子の彰彦に対し、友哉も刀を鞘に収め、怪訝そうに尋ねる。

 

「君が先程まで戦っていた男の名は、呂伽藍(りょ がらん)と言って、中国の裏社会では《戦神》と言う異名で呼ばれている男ですよ。あらゆる武器に精通し、あらゆる格闘術を極め、その体は鋼よりも強固と言われています。あんなのと戦って、よく無事で済みましたね」

「いや、それ、人間なんですか?」

 

 彰彦の言葉に、友哉は呆れ気味に返す。話を聞く限り、とても「人間」の範疇に収まるようには思えない。

 

 とは言え、確かに九頭龍閃を食らって尚、立ち上がって来た事からも、常識では括れないのは確かだった。

 

 だがそんな事よりも、今は懸案する事項がある。

 

「それで、仕立屋は、今度は藍幇を支援する訳ですか?」

 

 彰彦があの場に現われたと言う事は、つまり、今度は仕立屋は藍幇の依頼を受けて動いている、と考えるのが自然だった。

 

 もしそうなら、またも厄介な戦いになりそうな予感があった。

 

「いいえ」

 

 しかし、彰彦は首を横に振った。

 

「藍幇は元々、イ・ウーに匹敵するくらい巨大な組織ですから、やろうと思えば、戦場の設定も補給も、輸送も、彼等は全て自分達で賄えるんです。君達が修学旅行の時、ココさん達を支援したのは、秘密裏に日本に入国したいという要望があったから支援しただけであり、本来なら私達の手助けはいらなかったくらいなんですよ。勿論、今回は何の依頼も受けていません」

「じゃあ、何であそこにいたんです?」

 

 この男が、用も無いのに動くとは思えない。ましてか、場所は暴力団の本宅。偶然と言われて信じるほど、友哉も阿呆では無い。

 

「藍幇ほどの組織が動くんです。偵察に来ない訳にはいかないでしょう」

「リーダー自ら?」

「ええ、まあ・・・・・・」

 

 友哉の言葉に、彰彦は僅かに言葉を濁した。

 

 実際の話、諜報部部長だった川島由美が公安0課に逮捕されてしまった為、彰彦以外に偵察スキルを持っている人間がいない、と言う事情があったのだが、それをここで話す気は無かった。

 

「そんな事より、緋村君」

 

 彰彦は、友哉に向き直って話題を変える。

 

「間もなくです」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 彰彦の言葉に、友哉は無言のまま答える。彼が何を言おうとしているのか、友哉には判っているのだ。

 

「既に、こちらの準備は整いました。可能なら、来年の年明けには動きたいと思っています」

「・・・・・・・・・・・・判りました」

 

 絞り出すように答える友哉。

 

 それを拒否する事は、友哉にはできないのだ。

 

「では、それまで、お体の方を大切に」

 

 そう言うと、彰彦は足音も無く、その場から去っていく。

 

 後に1人残される友哉。

 

 折から、再び降り出した雪が、友哉の肩や頭に、徐々に積もっていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彰彦と別れた後は、特にトラブルになるような事も無く、友哉は寮に戻る事ができた。

 

 だが、事態は決して、楽観視できるような物では無い。

 

 藍幇の再侵攻と仕立屋の蠢動。

 

 ここに来て再び、極東戦役の戦局は大きく動こうとしている。

 

 だが、

 

「僕に残された時間は、あまり多くないのかもしれない」

 

 不吉な音の言葉は、誰に聞かれる事も無く、寒空の大気の中へと溶けて行った。

 

 部屋の扉を開けて、中へと入る。

 

「おろ?」

 

 そこで、驚いた。

 

 部屋の電気が、まだ点いているのだ。

 

 戦闘終了後、歩いて帰って来た為、時刻は既に12時を回っている。てっきり、茉莉も瑠香も、もう寝ていると思ったのだが。

 

 リビングに入ると、更に驚いた。

 

 そこには、テーブルの上に上半身を預けてうたた寝する、自分の彼女の姿があったのだ。

 

「茉莉・・・・・・」

 

 可愛らしい寝顔は、静かな寝息を立てている。どうやら、今まで待っていてくれたらしい。

 

 友哉はクスリと笑うと、足音を立てないようにそっと近づく。

 

 手を伸ばして、髪を撫でてあげると、洗いたての、さらさらした感触が指に伝わってくる

 

「・・・・・・ん、んみゅ?」

 

 少しくすぐったそうに、子猫のような声を上げる茉莉。

 

 そこでふと、閉じていた瞳が、うっすらと開いて友哉を見た。

 

「あ、起こしちゃった?」

「ゆう・・・やさん?」

 

 寝惚け眼のまま、気だるそうに体を起こす茉莉。

 

 そこで、

 

「友哉さんッ!?」

 

 一気に覚醒すると、友哉に抱きついた。

 

「お、おろ?」

 

 とっさに、茉莉を抱きとめる友哉。

 

「ど、どうしたの、茉莉?」

「どうしたのじゃありませんよッ こんな時間まで帰って来ないなんてッ それにアリアさんから、友哉さんが暴力団の人の家に殴り込みをかけたってッ!!」

 

 それで、友哉は納得した。

 

 どうやら、アリアが気を効かせて連絡を入れてくれたらしい。だから茉莉は、こんな時間になるまで待っていたのだ。

 

 友哉は優しく抱きしめると、そっと彼女の頭を抱き込む。

 

「心配かけてごめんね。でも、ほら、ちゃんと帰って来たから」

「それは・・・・・・信じてましたから。ちゃんと」

 

 友哉が帰って来ない筈がない。それは茉莉にとって、ダイヤモンドよりも強固な未来であった。

 

 だから、「心配で」待っていたんじゃない。「信じて」待っていたのだ。

 

「お帰りなさい、友哉さん」

「うん、ただいま」

 

 そう言って、互いに見つめ合う2人の頬は、ほんのり赤く染まっている。

 

 やがて、

 

 どちらともなく、目を閉じ、唇を合わせるのだった。

 

 

 

 

 

第3話「中華の戦神」      終わり

 



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第4話「逆侵攻作戦発動」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 唐突だが、

 

 緋村友哉はアイアンクローを受けていた。

 

 何故いきなりこんな事になったのか?

 

 実のところ、友哉にも良く判っていない。

 

 一つだけはっきりしている事はと言えば、

 

 「とっても痛い」と言う事だけだった。

 

「おろろ~~~~~~」

「だから、何でそう言う面白い事をする時に、俺を呼ばねぇんだよ?」

 

 友哉にアイアンクローを掛けている相良陣は、手に込める力をさらに増していく。

 

 陣の手は大きく、広げれば友哉の顔はすっぽりと覆われてしまう。その為、締めあげられたこめかみには万力に挟まれたような強烈な痛みが襲っていた。

 

「いい、いたッ 痛いってば陣ッ!!」

「おうよッ 痛くしてんだ。当たり前だろうがッ」

 

 ギリギリと締めつけて来る頭蓋の圧力に、友哉はたまらず悲鳴を上げる。

 

 どうやら、この間の戦いの際、声を掛けずに1人で乗り込んで行った事に腹を立てているらしい。もっとも、友哉としては皆を集める時間が惜しかったので単独で行動しただけの話なのだが、喧嘩上等を背負って歩いているような陣からすれば、「自分を差し置いて面白い事をして来た」友哉に対し、一言言わなければ気が済まない。と言うのが本音であった。

 

 一言どころか手が出ている辺りは、御約束と言ったところだろう。

 

 そもそも、砲弾に匹敵すると言われる程の膂力を持つ陣に本気で締め上げられたら、今頃、友哉の頭は破砕しているかもしれない。

 

 やがて、陣は友哉を、舌打ち交じりに解放する。

 

「そんで、今度の敵は、その藍幇? だっけ? そいつらあれだろ。修学旅行の時にぶちのめした連中だろう?」

「・・・・・・うん、まあ」

 

 尚も痛む頭を押さえながら、友哉は答える。

 

 鏡高邸での戦いから数日。既にキンジとレキも学校に復帰し、これまでと変わらない生活が戻ってきていた。

 

 とは言え、油断はしていられない。

 

 極東戦役の戦局は、確実に動こうとしている。攻勢を掛けて来た藍幇に対し、師団はジーサードを戦列から失っている。

 

 ジーサード自身は、とっさに急所を避けてレーザービームを受けた為、致命傷は避けられた様子だが、それでも暫くは療養する為、戦列復帰は無理との事であった。

 

 その後、藍幇勢力は出国が確認されている。どうやら一撃を加えただけで退却したらしい。

 

 一撃した後、自分達の戦力圏まで素早く後退する事により、追撃の手を封じる。ヒットアンド・アウェイと言う訳だ。

 

 こちらが防衛戦術を展開し積極攻勢を控えている現状では、まことに有効な戦法と言える。

 

 藍幇としては、師団に少しでも損害を与えられれば上等と言う事だろうが、やられた側としては、鬱陶しい事この上ない。

 

 このままでは師団勢力は、徐々に戦力をすり減らされる結果にもなりかねないだろう。

 

 そろそろ、戦略を転換する時期に来ているのかもしれなかった。

 

 その時、

 

「緋村」

「おろ?」

 

 突然、名前を呼ばれて振り返ると、そこにはミニスカ和服姿の狐少女が立っていた。

 

「玉藻」

 

 師団のリーダーである玉藻は見た目の通り(?)狐の妖怪であり、様々な術を使いこなす事ができる。東京湾岸一帯に張り巡らせた鬼払い結界を張ったのも彼女である。つまり、師団の守りの要とも言うべき少女である。

 

 だが、

 

「何だ、このちっこいのは?」

 

 初めて玉藻を見る陣は、胡散臭そうに近付くと、彼女の頭をポム、ポムと叩いてみる。

 

「ちょ、陣ッ」

「何だ、友哉の知り合いか? お前、いつからロリに走ったよ?」

 

 と、色んな意味で失礼な事をのたまう。

 

 因みに玉藻は800年以上生きている大妖怪なので、厳密に言えば「ロリ」には該当しないと思うのだが、見た目がこんなである為、判断が難しい所である。

 

 次の瞬間、

 

「天罰!!」

 

 バキィッ

 

「グオッ!?」

 

 大きく跳躍した玉藻は、何処からか取り出した御祓い用の御幣で、陣の頭を龍槌閃ばりに叩きつけた。

 

 その一撃で、床に倒れ込む陣。

 

 玉藻の小柄な体からは想像もできない力である。恐らく、術を使って力を強化したのだろう。

 

「イテェな、このクソガキ、いきなり何しやがる!?」

 

 とは言え、そこは流石の陣。1秒後には回復して玉藻に食ってかかっている。

 

「相良、お前には信心が足りんッ 儂を何と心得るか!?」

「ああん!?」

 

 ガン飛ばし合う大男と狐幼女。正直、かなりシュールな光景である。

 

「まあまあ、2人とも落ち着いて」

 

 苦笑しながら両者の間に割って入り、2人を宥める友哉。正直、このまま場の流れに任せていたら、話は一向に進みそうも無かった。

 

 取り敢えず、互いに初対面だろうと言う事もあり、友哉が間に立って自己紹介する事にした。

 

「陣、この子は玉藻。こう見えて、一応、僕達、師団のリーダーなんだよ」

「緋村よ、お主の言い方も、そこそこに失礼であるぞ」

 

 不満顔の玉藻に向き直り、今度は陣を指差す。

 

「で、こっちが・・・・・・」

「相良陣じゃろ。知っとるわい。噂通り粗暴な男じゃの」

 

 その粗暴な男を、棒きれで叩き伏せた玉藻は後を向いて、背中に負った賽銭箱を陣に突き出して来た。

 

「? ・・・何だよ?」

「先程の詫び料じゃ。入れい」

 

 意味が判らず首を傾げる陣に対し、玉藻は語調を強めて迫って来る。

 

 殆ど、ぼったくりに近かった。

 

 とは言え、賽銭箱の形から、玉藻が何を言わんとするのかは判ったのだろう。

 

 陣は不承不承ながら財布を取り出そうとして、

 

「あ、悪ぃ、今、財布無ぇ。友哉、代わりに入れといてくれ」

「おろ・・・・・・」

 

 結局、友哉がぼったくられる事になった。

 

「で、玉藻、今日はどうしたの?」

 

 軽くなった財布をポケットにしまいながら、友哉は尋ねる。

 

 このような昼間から、玉藻が堂々と会い来るのは珍しい。何か用事があってのことと推察できた。

 

「うむ。先日の猴との一件を受けて、儂は暫く東京を離れ、京都へ赴く」

「京都?」

 

 京都と言えば、この間の修学旅行Ⅰも含めて、友哉達には馴染の深い場所である。

 

 だが、同時に千年の昔より魔物が息づく魔都である。そこに玉藻が赴くと言う事自体が、何か、人間には計り得ない因果があるように思えた。

 

「伏見稲荷の大八州評定にて、此度の件を審議するつもりじゃ」

 

 言っている事はさっぱり判らないが、取り敢えず、妖怪たちの会合みたいなものでもあるのかな、と友哉は推察した。

 

「場合によっては、大陸の化生達と争わねばならぬ事にもなりかねんからの」

「良く判んないけど、妖怪の世界も大変なんだね」

 

 中でも、今までの話を聞いていると玉藻は、妖怪の中ではそれなりに高い地位にいるらしいと言うのが推察できる。もしかしたら、妖怪たちの纏め役もやっているのかもしれない。

 

 見た目は、とてもそんな感じではないが。

 

「うむ。ついては緋村。儂は新幹線で京都へ行く故、その料金を玉串料として奉納せい」

「おろっ?」

 

 あまりと言えばあまりな言い草に、友哉は目を丸くする。

 

「いや、お金ならさっきあげたじゃん」

「何を言うておる。あれはこ奴の詫び料じゃろうが」

 

 そう言って、我関せずとばかりにふんぞり返っている陣を睨む。

 

 とは言え、払わないと、何か狐的な物に取り憑かれそうで、後が怖い。

 

 泣く泣く、財布に残っていた金を賽銭箱に放り込み、がっくりうなだれる友哉。

 

 とんだ霊感商法も、あったものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キンジから招集が掛ったのは、玉藻とのやり取りがあった翌日の事であった。

 

 クリスマスが近付く中、小雪もちらつく学園島だが、その寒さとは裏腹に、熱気にも似た賑わいに包まれている。

 

 理由は言うまでも無く、数日後に迫った修学旅行Ⅱである。

 

 国内限定であった修学旅行Ⅰとは異なり、今回の行き先は海外。武偵をやっていても、学生の内ではそうそう国外に出る事は無い。

 

 否が応でもテンションも上がって来る。

 

 そんな中で、師団に所属するイクス、バスカービル、リバティ・メイソン、イ・ウー研鑽派のメンバーにそれぞれ、キンジから同様のメールを受け取った。

 

 文面は「作戦会議だ、すぐに来い」とあった。

 

 いつになく、積極的なキンジの行動に、一同は首を傾げる。

 

 もしかしたら、先の特秘任務で何か思う所があって、キンジの心境に変化が現われたのかもしれない。

 

 何にしても、喜ばしい事だ。

 

 玉藻が不在である以上、師団の事実上のリーダーはキンジである。明確にそう決めた訳ではないのだが、今までの実績や実力を鑑みれば当然の事である。

 

 そのリーダーが、積極的になった。

 

 「勇将の下に弱卒は無し」とも言う。これで師団側の士気は上がる事だろう。

 

 早速、呼び出されたキンジの部屋に足を運んだ。

 

 までは良かったのだが、

 

 集まった女子全員が体操着姿であった事は、完全に予想外であった。

 

 どうやら、訓練時の余波で女子更衣室が破壊されたのだとか。それで、女子達は全員体操着姿であった。

 

 それでも、アリア、レキ、ワトソン、彩夏の4人はまだマシな方だろう。

 

 上記の4人は、下は短パンやハーフパンツを穿いた、通常の体操着姿をしている。

 

 因みにワトソンは、男の姿をしているが、転装生(チェンジ)と呼ばれる存在で、学校側から許可を得る事で、性別を偽って入学している。もっとも、この事実を知っているのは、この中ではキンジと友哉だけなのだが。

 

 問題は他の5人、理子、白雪、ジャンヌ、茉莉、瑠香だった。

 

 彼女達は何を思ったのか、今や絶滅指定種に認定されたブルマーを穿いて現われたのだ。

 

 ブルマーは古くから女性の体操着として歴史があり、体にフィットする構造から、動き易さという面に関しては、確かに短パンやハーフパンツよりも優れていると言える。

 

 しかし半面、パンツと同じ形をしている事から、行き過ぎたマニアによる盗撮被害が相次ぎ、今や日本中の小、中、高校全ての体操着から一掃された存在である。

 

 今やその存在を見る事ができるのは、漫画やゲームなど、一部のメディアに限られる。友哉自身、漫画もゲームもやる方なので知識としてはブルマーの存在を知っていたが、しかし実際に見るのは、この学校に入って、ジャンヌが穿いているのを見たのが初めてであった。

 

 確かに、武偵校では指定された体操着は無く、個人が自由な体操着を選ぶ事ができるが、わざわざ、それを選んで穿いて来る女子は少数派である。

 

 都会の真ん中に、咲いた花は5輪。

 

 正直なところ、かなり目の毒だった。

 

「・・・・・・・・・・・・キンジ」

「言うな。頼むから、何も言わないでくれ」

 

 ジト目で睨んで来る友哉に対し、キンジは頭を抱えて呻く。

 

 勿論、女嫌いのキンジが、狙ってこのような空間を現出したのではないのは判っている。

 

 が、しかし、あまりにも落ち着かないこの状況に、友哉としては恨み事の一つでも言わない事には気が収まらなかった。

 

「理子先輩に貰ったんだ。可愛いでしょ?」

「わ、私は、その、理子さんと瑠香さんに無理やり・・・穿かないとご飯抜きって言われて・・・・・・」

 

 気に入った様子の瑠香とは裏腹に、茉莉は恥ずかしさ満点と言った感じに顔を真っ赤にして俯いている。

 

 何となく、状況が想像できる。茉莉がブルマーを自ら望んで穿くのは考えられない。きっと、瑠香と理子に口八兆で強引に丸めこまれたのだろう。万事奥手な茉莉が、アクティブ少女2人を相手に、口喧嘩で敵う筈がなかった。

 

 とは言え、

 

 友哉は改めて、ブルマー姿の茉莉を見る。

 

 茉莉は顔を真っ赤にしたまま、体操服の裾を引っ張ってどうにかブルマーを隠そうとしているが、勿論、そんな程度では隠しようも無い。

 

『・・・・・・・・・・・・可愛い』

 

 自分の彼女が、こんなあられも無い格好をして恥じらっているのだ。可愛くない訳がない。

 

 時間が許すなら、このままいつまでも見ていたい気分である。

 

「あ、あの、友哉さん・・・・・・」

 

 そんな友哉の視線に気づいた茉莉が、顔を赤くしまたまま、上目加減に友哉を見詰めて来る。

 

 その様子がまた可愛くて、友哉も頬が熱くなるのを感じた。

 

「可愛い、よ。茉莉」

「は、はい、ありがとうございます」

 

 何やら、完全に2人だけの空間を形成している。

 

 と、

 

 ビシッ ビシッ

 

「おろっ!?」

「あうっ!!」

 

 おでこに強烈な痛みを感じ、2人は同時に額を抑えて蹲る。

 

「いつまでイチャラブってるんだテメェ等は? 話が進まねぇだろうが」

 

 自分のチームのリーダーとサブリーダーに容赦なくデコピンを浴びせ、陣が苛立ったように言う。

 

 見れば、他の一同も、友哉と茉莉に白い目を向けて来ている。

 

 因みに、この場にいる男女全員が1人身である中で、付き合っているのは友哉と茉莉だけである。

 

 正に「リア充爆発しろ」と言ったところである。

 

 そんな訳で、一部ピンク色の空気が垂れ流される中、作戦会議は始まった。

 

「打って出るぞ。ターゲットは藍幇だ」

 

 開口一番、キンジが宣言する。

 

 なぜキンジが鼻声なのかは取り敢えず置いておくが、その発言は友哉の予想通りでもあった。

 

 このまま藍幇の跳梁を許していては、師団のじり貧は目に見えている。何かしら、抜本的な解決策が必要であった。

 

 茉莉のおでこに絆創膏を貼ってあげながら、話の続きを聞く。

 

 キンジに続いて、ブルマー姿のジャンヌが発言する。彼女の子の姿は以前から何でも見ているが、素材が良いだけに、まるで下着モデルのような印象すらある。

 

「遠山に調べろと言われたので、ココについて情報科(インフォルマ)の方で調べてみたが、修学旅行Ⅰで逮捕したココ3姉妹が、間もなく仮釈放されるらしい。莫大な保釈金を積んでな」

「・・・・・・間もなく?」

 

 アリアの膝の上に乗ろうとしていた理子が、動きを止めて尋ねて来る。

 

「3人のココは、まだ長野拘置所で拘留されている。そして皆も聞いていると思うが、遠山と緋村は暴力団を壊滅させた際にココと会っている。『第4のココ』が存在するのだ。能力は不明。外見は他のココと同じだが、眼鏡を掛けているらしい」

 

 ジャンヌの言葉を受けて、友哉も考え込む。

 

 第4のココの事も気になるが、それ以上に、逮捕した3人のココが仮釈放される事の方が、友哉には気なっている。あの3人は、液体爆弾を用いたエクスプレス・ジャックと言う大それた事件を起こしている。本来なら、無期懲役になっていてもおかしくは無い。

 

 それを保釈金を積んで出て来ると言うのだ。恐らく動いた金は億単位になるだろう。つまり、それだけの金をあっさり出せるほど、藍幇は潤沢な資金源を持っていると言う訳である。

 

 キンジは一同を見回しながら、先を続ける。

 

「ココだけじゃない。諸葛って男も得体が知れない。それにジーサードを一撃で倒した猴と言う少女。こいつも強い。玉藻曰く、孫悟空なんだそうだ。如意棒と言うレーザービームを撃つ。あれは一言で言って必殺技だ。誰も勝てないだろう。俺以外には」

 

 自信ありげに言うキンジに、一同、特にバスカービルの女子4人は熱の籠った視線を送る。

 

「猴は俺に任せろ。弟の仇だ。俺が討つ。手助けがいる時は誰かを指名してやるから、そしたら来い」

 

 そう告げるキンジは、確かに、今までとは違う雰囲気を纏っている。

 

 今までのキンジなら、決してこのように積極的に前に出るような事はしなかっただろう。取ろうと思えば取れるリーダーシップを、放棄している印象すらあった。

 

 間違いなく、キンジの内面で何らかの変化が起こっていた。

 

「でも、キンちゃん、最初に行った『打って出る』って?」

 

 ブルマー姿のまま、ソファーに正座した白雪が怪訝そうに尋ねて来る。

 

 打って出ると言う以上、これまでの防御策を捨てて攻勢に出ると言う事だが。

 

「これまで極東戦役では受けに回っていたが、それだと距離のある敵に対しては膠着状態に陥る。実際、藍幇の一味は猴の調子が悪くなったのか、すぐに香港に引っ込んだ。それを体制が整うまで待ってやるほど俺はお人よしじゃないぜ。これは戦争みたいなもんなんだ。フェアプレーが褒められるスポーツとは違う」

 

 つまり、逆侵攻作戦。攻めて来た敵を撃退し、反撃と報復を兼ねて敵の領土へと乗り込むのだ。

 

「何か、誰かの受け売りっぽいけど、偉いわ、キンジ!!」

 

 ビシッとキンジを指差し、アリアは満面の笑顔で言う。

 

「攻撃は最大の防御なり! 強襲すべき時は強襲するのが戦いよ。受け身なのはあたしの性に合わないって、前々から思っていたところなのよ!!」

 

 鼻息も荒く言い放つアリア。

 

 一方他のメンバーは、肩を寄せ合い、何やらヒソヒソと話し合っている。

 

「キンちゃん様がこんなに積極的になるなんて。素敵・・・・・・」

「キーくん、拾い食いのメニューは何だったの? こんど理子が道端にそっと置いておくよ」

「・・・・・・」

「バスカービルのリーダーは遠山。長らく忘れていたが、思い出したぞ」

「トオヤマ、まさかとは思うけど、君は何か禁止薬物とかやったりとか・・・・・・してないよな?」

「あのさ遠山君、熱あるんだったら、早めに休んだ方が良いよ。うつされたらやだし」

「遠山がこんなに積極的になるとはな。こりゃ明日は雨か」

「いや~陣。もしかしたら、槍かも」

「いやいや、きっと銃弾だって」

「瑠香さん、それならもう降ってます」

 

 失礼極まりなかった。

 

 それらをスルーしつつ、キンジは先を続ける。

 

「そこで、修学旅行Ⅱを使う。行先はいろんな都市を選択できるが、バスカービルは香港だ。異存は無いな?」

「良いわ!」

「ついて行きます、地の果てまでも!」

「理子、栗子月餅食べるー!」

「はい」

 

 それぞれの返事で、肯定の意を示すバスカービル女子。

 

 因みに修学旅行Ⅱはクリスマスに何の予定も無い武偵校生徒達に、教務課が用意したイベントである。国内限定だった修学旅行Ⅰと異なり、上海、香港、台北、ソウル、シンガポール、バンコク、シドニーから選択する事ができる

 

「すまんが、私の所属する『コンステラシオン』はシンガポールに行く事になっているから同行はできない。だが、向こうでイ・ウー研鑽派の仲間と会ってくる。極東戦役に参戦する志願兵を募るつもりだ」

 

 ジャンヌは、すまなそうに言う。

 

 これは仕方がない。彼女のチームは中空知美咲等を中心とした通信系チーム。総合的な戦闘力は低い上に、当事者はジャンヌ1人しかいない。直接的な参戦は危険すぎる。

 

 むしろ、藍幇戦後の戦局を見据えて動くのが、今回のジャンヌの役割と言えた。

 

 ジャンヌに頷きを返すと、キンジは友哉に向き直った。

 

「緋村、イクスはどうする?」

 

 バスカービルと共に、実戦部隊の片翼とも言うべきイクス。その去就を聞いているのだ。

 

 対して友哉は、真剣な眼差しでキンジを見ながら言う。

 

「逆侵攻作戦自体に関しては反対しないよ。けど、その前に一つ、確認しておきたいんだけど」

「何だ?」

「こちらから打って出る場合、確かに決戦に持ち込む事はできるかもしれないけど、同時に守りの有利を捨てる事になる。そこら辺はどうするの?」

 

 戦いとは、守備側の方がどうしても有利である。兵力の集中ができるし、補給線も簡単に確保できる。何より、相互支援がしやすい。

 

 加えて現状、東京周辺には玉藻が敷いた鬼払い結界がある。これは玉藻の許可がない魑魅魍魎の類が内部に入り込んだ場合、自動的に攻撃を仕掛ける物だとか。

 

 まさに、鉄壁の防衛ラインである。以前戦った、《紫電の魔女》ヒルダも、この鬼払い結界があったからこそ、積極的に攻勢を掛ける事ができず、自陣におびき出す作戦を取ったのだ。

 

 猴が中国の化生に分類されているのなら、少なくとも結界内にいる限りは安全と言う事になる。

 

 その有利さを捨てても良いのか、と友哉は尋ねているのだ。それでなくても、調子に乗って敵領土に侵攻した揚句、壊滅的な打撃を受けた軍は歴史上枚挙に暇がない。

 

「緋村、お前の言いたい事は判るが、俺の考えはさっき言った通りだ。連中が戦力の立て直しを図るのを黙って見過ごしてやるつもりは無い。敵は叩けるうちに叩いた方が良い」

 

 ここは敢えて守りを捨ててでも、攻めに転じるべきだ、とキンジは主張しているのだ。

 

 友哉は視線を外し、茉莉、陣、瑠香は、それぞれに頷きを返して来る。3人とも、進撃案に異存がない様子だ。

 

 友哉も頷きを返すと、キンジに向き直った。

 

「判った、イクスはバスカービルと一緒に香港に進撃する」

 

 これで、決まりある。

 

 その後、一応の守りの要と言う事で、ワトソン、彩夏のリバティ・メイソン組は東京に残る事になった。

 

 外国からの留学者である2人には、修学旅行先が「東京」と言う選択肢も与えられている。彼女達には守備の他に、万が一、イクスやバスカービルが敗れて敗走して来た時、その受け入れをしてもらう必要があった。

 

 こうして、師団の香港逆侵攻作戦は満場一致で可決されたのだった。

 

 

 

 

 

 暗き、地の奥底にて、

 

 その人物は身じろぎもせずに鎮座している。

 

 僧侶のような法衣を身に纏い、顔は頭巾によって隠されている為、一切うかがい知ることはできない。

 

 彼は数100年の長きに渡り、この国の行く末を、この場から動かずに見守って来た。

 

 近年に入っての、時流の動きは速く、悠久の時を生きる彼にとっても、驚く事ばかりであると言えた。

 

 その中の一つ、かねてからの懸案事項に動きがある事が報告されていた。

 

「緋弾が、動くか・・・・・・」

 

 この1年余り、緋弾はこの国から出た様子は無かったが、ここに来て俄かに蠢動を見せている。

 

 向かう先は香港。彼の都市に根を下ろす組織との抗争が目的であるとか。

 

 藍幇は油断ならない組織。いかに緋弾の担い手と言えど、どうなるか判ったものではない。

 

 こちらからも、何らかの手を撃つ必要がありそうだった。

 

 それに、香港と言うのは好都合である。うまくすれば、色々な事に片がつくかもしれなかった。

 

「柳生、服部」

「はっ」

「これにっ」

 

 声に応じて、2つの影が目の前に膝をつく。

 

 1人は体格の良い男だ。その表情は荒々しさと知性を兼ね備えており、肉食の獣を思わせる。

 

 柳生当真。

 

 つい先日、友哉が骨喰島で交戦した剣豪である。

 

 もう1人、服部と呼ばれた人物は、黒ずくめの恰好に、黒い覆面までしており、表情はおろか、性別や体型まで判然としなかった。

 

 2人は黙したまま、頭巾の男に対し頭を垂れ、次の指示を待っている。

 

「間もなく、緋弾を中心とした勢力が、大陸の香港へと進軍する。柳生よ、お主は密かに潜行し、緋弾の守備に付け。無闇な手出しは不要であるが、いざという時には、敵対する勢力を排除せよ」

「はっ」

 

 次いで、服部の方へ視線を向ける。

 

「服部よ。お主は、彼の地の組織が保有する、例の物を奪取するのじゃ。あれはこれからの我等に必要な物。必ずや持ち帰れ」

「はっ、必ずや」

 

 服部の返事を聞き、男は頭巾の中で笑みを浮かべる。

 

 状況は彼が想像していたよりも、早く推移している。多少の計画変更が必要かもしれない。

 

 だが、事態はまだ、こちらの手の内だ。今なら、世界中の組織に対して先手を打てる筈だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 作戦会議を終え、メンバーが帰ってから、友哉達も自分達の部屋に戻った。

 

 と言っても、部屋はキンジの部屋の隣なので、すぐに帰る事ができるのだが。

 

「いや~、面白かった~」

 

 瑠香はご満悦、と言った感じに満面の笑顔を浮かべている。

 

「ブルマーって良いね。確か、志乃ちゃんとかも穿いてたし。これからは、体育の時、あれにしようよ」

「イヤです。恥ずかしいです」

 

 昼間の自分の姿を思い出したのか、茉莉が顔を赤くしている。どうやら、相当恥ずかしかったらしい。無理も無い、実質的にパンツ丸出しで歩いていたのと同じような物なのだから。

 

「そんな事言わないでさ。友哉君も、また見たいよね。茉莉ちゃんのブルマー姿」

「ん、そうだね」

 

 話を振られて、友哉も返事を返す。

 

 確かに可愛かった。茉莉のああいう格好が見られるなら、いつでも大歓迎である。

 

「そんな、友哉さんまで・・・・・・」

 

 彼氏にあっさり裏切られ、ガックリと肩を落とす茉莉。

 

 とは言え、友哉としても、今言った事は本音である為、引っ込める気は無いのだが。

 

『それはそうと・・・・・・』

 

 頭の中を、彼女の艶姿から、真面目な方向に切り替える。

 

 修学旅行で、香港へ進撃する。

 

 その作戦案自体には賛同した友哉だが、不安要素がないかと言えば、そんな事は無い。

 

 香港は藍幇にとってのホームグランド。攻め込めば、当然、激しい迎撃が予想される。今まで師団は、攻めてきた敵を迎え撃てば良い立場だったので戦力の集中は容易だったし、事実、強大な敵に対して皆の力を合わせる事で勝利して来た。

 

 だが、今回はその立場が逆になる。戦力の集中が可能なのは藍幇の方であり、師団側は敵地で、孤立した状態での交戦を余儀なくされる。

 

 味方はイクス、バスカービルのメンバー9人のみ。これだけで、強大な藍幇相手に戦わなくてはならないのだ。

 

 戦争における部隊運用とは、いかに必要な場所に必要な戦力を集中できるかに意義がある。そう言う意味で、高速機動部隊としてのイクスの真価が問われる戦いになるだろう。

 

「あ、そうだ」

 

 尚も茉莉にじゃれついていた瑠香が、何かを思い出したように言った。

 

「2人に言っておく事があるんだけど」

「おろ?」

「なんですか?」

 

 改まった口調の瑠香に、友哉と茉莉は顔を見合せながら尋ねる。

 

 対して瑠香は、驚くべき事をあっさりと言ってのけた。

 

「あたしさ、今回の修学旅行から帰ってきたら、この部屋出て行くから」

「え!?」

 

 突然の事に、友哉も茉莉も、思わず目を見開いて茉莉を見た。

 

「な、何でですか、急に!?」

「だってさ」

 

 対して瑠香は、2人を見比べると、少しさびしそうな顔をしながら言った。

 

「あたしがここにいたんじゃ、2人に邪魔かなって思って」

「そんな事はッ」

 

 2人の「新婚生活」に瘤付きでは何かと差し障りがあるだろう。瑠香はそう言っているのだ。

 

 言い募ろうとする茉莉を、瑠香は制する。

 

 茉莉からすれば、瑠香は大好きな「姉」である。その姉が、自分のせいで出て行く事に、耐えられなかった。

 

 だが、瑠香は微笑みを浮かべ、茉莉の鼻をチョンと人差し指でつつく。

 

「妹が甘えん坊なのは、『お姉ちゃん』としては嬉しい限りだけど、いつまでもそんなんじゃいけない事くらい、茉莉ちゃんにだって判っているでしょ?」

「瑠香さん・・・・・・」

「大丈夫。茉莉ちゃんの料理の腕も大分良くなってきたし。ここにいても、もうあたしができる事は少ないから」

 

 事実である。瑠香のスパルタ的努力によって、どうにか茉莉の作る料理も、人並み程度には上達していた。勿論、瑠香の腕前に比べたら、まだ天地の開きがあるが、それはそれ、元々瑠香の料理の腕前が良すぎるのである。一般的に見れば、茉莉の料理も充分に合格点だった。

 

 友哉と付き合い始め、茉莉にも「姉離れ」の時期が近付いているのかもしれなかった。

 

「でも瑠香、出て行くとして、何処に行く訳?」

「取り敢えず、彩夏先輩に相談したら、部屋が余ってるから来て良いって言ってくれた」

 

 どうやら瑠香は、全ての手回しを終えてから、話をしているようだった。

 

「決心は、変わらないんだね?」

「うん、もう決めたから」

 

 友哉の問いかけに、強く頷く瑠香。

 

 その姿を見て、友哉も諦めたように頷きを返す。

 

 時間が過ぎれば立場も変わる。

 

 友哉は瑠香では無く、茉莉を選んだ。その時点で、こうなる事はある意味、確定だったのかもしれない。

 

 これも一つの「時代」の終わりであるのかもしれない。

 

 友哉は、そう思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

第4話「逆侵攻作戦発動」      終わり

 



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第5話「撒餌作戦」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思っていたよりも暑いな。

 

 空港を出た友哉の、それが最初の印象だった。

 

 修学旅行(キャラバン)Ⅱの行先を、香港に定めたイクスとバスカービルの連合チームは飛行機から降り立つと、それぞれの荷物を手に香港の地を踏みしめた。

 

 肌を包む空気は、12月下旬だと言うのに暖かい。緯度的には沖縄よりも南にある為、寒暖の差があまり感じられないのだ。

 

 香港は、正式名称を「中華人民共和国特別行政区」と言う。

 

 かつて清王朝時代に起こったアヘン戦争で清が敗北した結果、南京条約によって、長らくイギリスの植民地となっていた。太平洋戦争が勃発すると、一時的に日本の統治下に置かれたが、やがて大戦終結と共に、支配権は再びイギリスに戻る。

 

 流転とも言える歴史を刻んできた香港が、本来の所有者である中国の元へ戻ったのは1997年7月になってからの事である。

 

 そのような経緯がある為、香港は古くは治安が悪い事でも有名だった。

 

 現在でこそ、昔と比べると治安の悪化も解消されている物の、それでもスリや暴行等の軽犯罪は横行しており、香港を選んで観光に来る客は注意が必要である。

 

 一方で良い面も存在している。長くイギリスの支配下にあったせいで洋の東西における文化が見事な融合を遂げ、世界でも有数の観光スポットとして栄えている。

 

 特に香港島のビクトリア・ピークや、尖沙咀のウォーターフロント・プロムナード近辺から遠望できる夜景は「100万ドルの夜景」と称され、世界中の人間の憧れとなっている。

 

 光と闇が交錯する東洋の魔都、香港。

 

 その香港に古くから藍幇の拠点がある事は、当然ながら構成員以外の一般市民には知られていない事である。

 

 藍幇は世界でも有数の巨大組織であり、その影響力は広大な中国大陸全土にまで及んでいると言われている。また、それだけ巨大な組織を維持する資金や人脈も膨大であり、全てを把握しできている人間は組織内でも殆どいないとさえ言われている。

 

 何度か司法機関による捜査が行われたが、その片鱗すら掴む事ができず、また彼等の拠点である藍幇城の所在すら掴めなかったと言う。

 

 世界最大の組織でありながら、世界で最も謎の多い組織、藍幇。

 

 イクスとバスカービルが、修学旅行Ⅱの行先を香港に定めた理由は、学校の行事だからでも観光を楽しみたいからでもない。

 

 極東戦役の一環として、敵対組織の一角を占める藍幇と決着を付けるために他ならなかった。

 

 だが、藍幇の御膝元とも言うべき香港に攻め込むと言う事は、彼等のホームグランドでの戦いを強いられると言う事になる。

 

 敵地(アウェー)での戦闘は、必然的に単純な戦力以上の差と戦わなくてはならなくなる。補給の確保にも一苦労だし、どこにどんな敵が潜んでいるかも判らない状況では緊張も強いられる事になる。

 

 しかし、それら全てを承知の上での逆侵攻作戦である以上、もはや後戻りはできなかった。

 

 イクスの4人とバスカービルの5人。

 

 事実上、師団(ディーン)勢力の主力を成す実働部隊9名は全員、藍幇との決着を付けるまで、この香港を離れるつもりは毛頭なかった。

 

「おお~ やっぱ外国の人ばっかりだよ、茉莉ちゃん、すごいね!!」

「瑠香さんは、外国に来た事とかは?」

「無いよ。だから、これが初めてなんだ。茉莉ちゃんは?」

「私は、任務の関係で何度か・・・・・・」

 

 何やら女子たちは早速、会話に花を咲かせている様子である。特に瑠香などは、初めての海外旅行、それも友達一同と一緒と言う事もありはしゃいでいる様子である。

 

 瑠香と言えば、先日での部屋での一件がやはり頭の中に残っている。

 

 自分や茉莉の事を気遣い、部屋を出て行くと言った瑠香。あの後、友哉は茉莉から事情を聴いていた。

 

 茉莉としては、瑠香から口止めをされていたみたいだが、あからさまに挙動不審な所を問い詰めてみると、重い口を開くように白状した。

 

 茉莉から事情を聞いた友哉は、自分の不明に恥じ入る思いだった。幼馴染として、あるいは戦兄妹として長く傍に居ながら、瑠香の気持ちに全く気付いてやれなかったのだから。

 

 その事について、もう一度瑠香と話し合おうと思った友哉。

 

 だが、それを茉莉が制した。

 

『今はきっと、時間が必要なんだと思います。瑠香さんにも、友哉さんにも、私にも・・・・・・』

 

 そう言われてしまっては、友哉も黙るしかなかった。ひょっとしたら女の子同士でしか分かりあえない心の機微と言う物が、茉莉と瑠香の間であるのかも知れなかった。

 

 茉莉の言う通り、この件は少し時間を置いてから話した方がいいかもしれない。

 

 そう思った友哉は、ひとまず棚上げすると決めていた。

 

 と、

 

「おい、友哉ッ」

 

 そこへ、パンフレットを片手に持った陣が近付いてきていた。

 

 日本人は比較的小柄の部類に入ると言われているが、長身の陣は外国人の中にいても見劣りしない程度の外見をしている。

 

 そんな陣は、自分よりも背の低い友哉と語り合う為に、身をかがめてパンフレットを差し出してきた。

 

「これなんか美味そうだろ。あとで食ってみようぜ!!」

 

 陣が指さしてきたパンフレットには、有名レストランのお勧め料理が写真付きで紹介されていた。よく見れば5段階評価の星が5つ並んでいる事からも、かなり人気が高い事が伺える。

 

 そんな陣の様子を見て、友哉はフッと苦笑を洩らす。

 

 そもそも今回香港に来た最大の目的は学校行事の為でも、まして旅行を楽しむ為でもなく、藍幇との決着を付けるためなのだが、陣のはしゃぎぶりを見ていると、何だか戦いそっちのけで観光に来ているようにも見える。

 

 だが、この底抜けの明るさには、ちょっと救われる思いだった。何だか、心の中に積っていた重みが、少し和らいだような気がする。

 

「何があったか知らねえがよ、そう落ち込んだ顔すんなって」

「おろ?」

 

 顔を上げると、陣は口元に笑みを浮かべながらも、どこか真剣なまなざしで友哉を見つめてきていた。

 

「何つーかよ、お前とか、瀬田とか四乃森とかの様子がおかしいのは、出発する前からうすうす感じてはいたよ」

「陣・・・・・・」

「けどよ、なんだかんだ言ったって折角の旅行なんだ。もっと楽しんで行こうぜ」

 

 陣は友哉達を取り巻く状況を何も知らない。だが、3人を取り巻くよそよそしい雰囲気から、何か感じる物があったのだろう。

 

 普段は粗暴でガサツなように見えても、流石はイクスの長兄役と言うべきか、「弟」や「妹」の様子の変化を察してくれたらしい。

 

 笑顔を浮かべる友哉。

 

 陣の言う通りだ。友哉にとっても初めてとなる海外。それも世界有数の観光地である香港に来たのだ。いくら極東戦役の一環とはいえ、多少楽しんでも罰は当たらないはずだった。

 

「ありがとう、陣」

「良いって、気にすんなよ」

 

 そう言って、友哉と陣が互いに笑みを交わし合った。

 

 と、その時、

 

 バタンッ

 

 不意に、2人のすぐ横から、乱暴な手つきで何かを閉じるような音が聞こえてきた。

 

 友哉と陣が同時に振り返ると、そこにはキンジが何やら、携帯電話を抱えたまま蒼い顔で立ち尽くしていた。

 

「おろ?」

「どうした、遠山?」

「い、いや・・・・・・」

 

 怪訝な顔付きで尋ねてくる友哉と陣に対し、キンジは明らかに挙動不審な態度で、手にした携帯をポケットに突っ込んだ。

 

 実はこの時、キンジにとっては聊か無視できない深刻な事態が起ころうとしていた。

 

 飛行機から降りて携帯電話の電源を入れると、メール着信は2件。相手は鏡高菊代(かがたか きくよ)望月萌(もちづき もえ)の両名だった。

 

 2人とも、先日の特秘任務(と言う名の退学、編入騒動)で、キンジが深くかかわった少女達だが、その両名が、事もあろうに武偵を目指すと、キンジに伝えてきたのだ。

 

 菊代はキンジが神奈川武偵校附属にいた頃の同期であるが、その後は実家の家業である暴力団組織を束ねていた。しかしその組織もつい先日、キンジ、友哉、アリア、金三(ジーサード)の襲撃を受けて壊滅し、菊代自身も路頭に迷う事になったのだが、どうやら古巣である武偵校に戻る事にしたようだ。

 

 一方の萌はと言えば、行きがかり上、事態に巻き込まれてしまった一般人であり、本来なら争いごととは無縁な性格である。血腥い闘争が日常茶飯事の武偵とは、そもそもからして住む世界が違う人物であるはずなのだが、先日の一件で何か思うところがあったらしい。まあ、武偵と一口で言っても、鑑識科(レピア)車輌科(ロジ)情報科(インフォルマ)通信科(コネクト)と言った、比較的ドンパチとは縁遠い領域も存在している為、一般人が武偵になる可能性も皆無ではないのだが。

 

 しかし、キンジの懸念材料は他にあった。ただでさえ女嫌いだと言うのに、自分の周りには女が多すぎる。そこに来て更に増えようとしているのだ。これ以上は、本当に御免蒙りたい気分だった。

 

 とは言え、今キンジがいる場所は日本から海を隔てた香港。東京で起きている事に対しては何のアクションも起こす事ができない。否が応でも、任務を終えて日本に戻るまで棚上げするしかなかった。

 

 もっとも、日本に帰ったら「キーくんのハーレム(命名:言うまでも無く理子)」に新たな「側室候補」が増えている可能性は否定できない、というより考えたくないが。

 

「ほら、あんたたち、いつまでも駄弁ってないで、移動を開始するわよ!!」

 

 尚もめいめいの行動を取っている一同に対し、仕切りや気質のアリアが手を叩いて指示を飛ばす。

 

「橋頭堡は既に確保してわるわ。ついて来なさい」

 

 そう言うと、外国慣れしているアリアは、先頭に立って歩き出した。

 

 こういう見知らぬ外国での旅行では、旅慣れている者が1人でもメンバーにいるだけでも、旅がグッと楽になる感がある。

 

 そう言う意味では、アリアや理子、茉莉と言った存在は、友哉達にとっても心強かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 港町である香港は、急峻な山岳地帯を背景に大小無数のビルが立ち並び、更にはそれらを縫うようにして路面電車まで走っている為、外見的には雑然とした印象を強く感じる街並みをしている。

 

 そうした乱雑感も香港の魅力の一つなのだが、それとは打って変わって九龍島に面したウォーターフロントには、近代的なビル群が立ち並び、東京と比しても勝るとも劣らない摩天楼が威風堂々とした姿を見せている。

 

 イクスとバスカービルメンバーを乗せた車は、このウォーターフロントの一角にある高層ホテルの一角で停車した。

 

 ICCビルと呼ばれるそのホテルは、高層ビルが立ち並ぶ香港でも、最大の高さを誇っているらしい。

 

 アリアが司令本部を設けたのは、このビルの118階だった。

 

「アリアはペニンシュラが好みだったんじゃなーい? あそこ、純イギリス系だし」

「藍幇は香港中に手先がいるでしょ。あんな歴史あるホテルじゃこっちの動きが筒抜けになるわ。ここは開業したてだから、藍幇の影響も少ないはずよ」

 

 理子の指摘に対し、アリアは淀み無く答える。

 

 ペニンシュラとはザ・ペニンシュラ香港の事で、イギリス統治下時代からある伝統的な企業が経営するホテルグループである。イギリス出身のアリアからすれば、確かに自分の御国のホテルの方が居心地は良いかもしれない。

 

 しかしイ・ウー以上に伝統があり、構成員も多い藍幇からすれば、そうした伝統あるホテルには多数の目を光らせていると考えた方が良い。下手に踏み込めば、物理的に寝首をかかれる事にもなりかねない。

 

 そう言う意味では、アリアの判断は正しいと言えるだろう。

 

 加えて、利点はまだある。

 

 アリアは平賀文特性のホバースカートをこの香港にも持ち込んでいるのだが、これを使用する場合、平地から高空まで駆け上がったのでは効率が悪い。それよりも、香港一高いこのホテルに陣取り、いざという時にはすぐに飛び立つ。そうする事によって、燃費を押さえ、なおかつ航続力と速力も稼ぐ事ができる。

 

 まさに、一石三鳥以上を狙える選択であると言えた。

 

 118階にあるOZONEと言うバーを貸切にすると、一同はウェイトレスが運んできたアフタヌーン・ティーセットを摘まみつつ、早速作戦会議に入った。

 

「藍幇は昔からある組織でね、清朝の頃までは海賊だったんだよ。だからイ・ウーとも思想的に共鳴してたね。洋上アナーキズムって言うのかな、ああいうの?」

 

 トレーの上に載っていた一口サイズのケーキを摘まみつつ、友哉は理子の説明を聞いている。

 

 成程、イ・ウーも海賊であった経緯を考えれば、両者が互いに提携していた事も頷ける。加えて、イ・ウーのリーダーだったシャーロックは元々イギリス人。イギリス領時代の香港に出入りしていたとしても不思議は無かった。

 

 藍幇の拠点は中国各都市にあるが、その戦略傾向についてはバラバラであるらしい。攻勢を主とする都市もあれば、亀のように防御を主体とする都市もある、といった具合に。中でも香港はカウンター型とされ、敵の攻撃を受け流しつつ反撃に転じる、と言うスタイルを得意としているらしい。

 

「藍幇城だっけ? 藍幇のアジトはどこにあるの? あと、藍幇の構成員はどれくらい?」

 

 礼儀正しく挙手をしながら聞いたのは、ウーロン茶を蒸らし中の白雪である。

 

 対して理子は、やや肩を竦め気味にして言う。

 

「アジトの場所は判んない。藍幇城は海上に浮かんでいる浮島みたいなもんでさ、それをタグボートで牽引して香港島とか九龍半島を行き来しているの。人数は・・・末端まで数えると100万人くらいかな?」

「100万!?」

 

 あまりの数字に、聞いていたキンジは思わず手にしたタルトを取り落としていた。

 

 驚いたのは友哉も同じである。

 

 敵軍100万に対して、味方は僅か9人。物量では端から相手にならない。

 

 ただ、理子の説明によれば、100万全てが戦闘員と言う訳ではなく、藍幇の構成員には政財界や教育、司法と言った一般人と区別が付かない者達もいるらしい。それでも、厄介な事に変わりは無いが。

 

 何か作戦を起こそうとしても、常に敵の目を気にしなくてはならない。それこそ孫悟空ではないが、イクスもバスカービルも藍幇の掌の上で踊るしかない状況である。

 

撒餌作戦(バーリィ)よ。その目の多さを逆用するわ」

 

 断を下すようにアリアが言った。

 

 撒餌作戦(バーリィ)とはその名の通り、囮を用いて相手が仕掛けてくるのを待つ作戦である。やり方としてはまず、敵地に侵入すると、戦力集中の法則を無視して敢えて散開するようにして行動する。そして敵がその内の誰か1人に食いついたところを見計らい、その囮役は持ち堪えつつ、味方が集まってくるまでの時間を稼ぐと言う訳である。香港系藍幇のように、カウンター狙いの組織を相手にするには、闇雲に走り回って捜査するよりも敢えて隙を見せて引きずり出す方が有効のように思えた。

 

 だが、

 

 友哉はチラッと、キンジの方を見る。

 

 先程から見ていれば、キンジはアリアに喋らせるに任せて、自分は最低限の補足説明をするにとどめているように思える。

 

 因みにこの場での指揮権最上位はバスカービルのリーダーであるキンジである。次いで次席指揮官がアリア、指揮権三位が友哉、四位が茉莉となる。

 

 本来ならイクスのリーダーである友哉が次席指揮官になっても良かったのだが、指揮能力はアリアの方が高いし、イクスはバスカービルの別働隊としての役割も担っている。いざという時はバスカービルとは別行動を取る事になる為、このように指揮権序列が成されていた。

 

 だが、どうやらキンジは、今回の作戦の指揮一切をアリアに任せる心算であるらしい。

 

 確かに、こういう海外での任務は、経験が少ないキンジよりもアリアの方が向いているかもしれなかった。

 

 その後、バディ編成として、バスカービルはアリアが指揮官としてホテルに残留、他の4名はキンジと白雪、理子とレキに分かれる事となった。

 

「友哉、イクスは4人一緒に行動しなさい。あんた達は緊急即応部隊として、敵が誰かに食いついた時に急行してもらうわ」

「ん、了解」

 

 コーラを飲みながら、友哉はアリアに手を上げて了承の意を示す。

 

 万が一、敵が先制攻撃を仕掛けてきた場合、イクスがまとまって行動していれば、戦力を早い段階で集中させる事もできるとアリアは考えたらしかった。

 

「じゃあ、お茶を飲み終わったら作戦開始よ。今の香港は治安は悪くないけど、それでもスリとかは出るみたいだから気を付けて。コラッ キンジ聞いてるの!?」

 

 などと、仕切り屋の本領を発揮しつつ、それでも的確な作戦指示を行うアリア。

 

 そのアリアの指揮の元、対藍幇戦の幕は上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上半身裸の引き絞られた体を空気に晒し、片足で立ちながら瞑想する姿は、仏教系の仏像を思わせるような神々しさがある。

 

 僅かな呼吸が織りなす僅かな隆起により、筋肉がきしむ音が聞こえるようだった。

 

 呂伽藍(りょ がらん)は、手にした方天画戟を水平に構え、右足の爪先のみで体重を支えながら、その場で立ち尽くしている。

 

 この姿勢を始めてから、既に1時間以上経過しているが、一切微動する様子は無い。

 

 ただ一点を支柱に巨体を長時間にわたって支えるのは、技術もさる事ながら、恐ろしいまでの集中力が必要となる。

 

 だが、それも終わりが来る時が来た。

 

 僅かに体が揺れたと思った瞬間、

 

 伽藍はカッと目を見開いた。

 

 次の瞬間、手の中にある方天画戟が凄まじい勢いで振り翳される。

 

 長柄の武装が大気を巻いた瞬間、衝撃波によって周辺の空気が砕け散り、壁と言う壁が悲鳴のような唸りを上げた。

 

 ただ、武器を振るっただけでこれである。

 

 この男が「戦神」などと言う大層なあだ名で呼ばれている事が、伊達でも誇張でもない事は明らかだった。

 

 再び訪れる静寂の中で、伽藍は方天画戟を振り抜いた状態を維持したまま、再び微動だにせずにいる。

 

 その静寂は、背後からの声によって破られた。

 

「伽藍様」

 

 背後からの声に首を僅かにひねって振り返ると、頭からつま先まですっぽりとローブを被った人物が膝を突いて臣下の礼を取っていた。

 

「何事か?」

「ハッ 以前より伽藍様が懸念されていた者が、香港に入ったとの情報が上がりましたので、ご報告に」

 

 その言葉を聞き、

 

 伽藍は口の端を吊り上げるようにして笑みを浮かべる。

 

 その脳裏に浮かぶのは、つい先日、日本に行った際に交戦した少年の事だった。

 

 女のような顔をしていながら、その剣腕は凄まじく、戦神と呼ばれる伽藍相手に一歩も退かなかったどころか、反撃にまで成功している。

 

 後に諸葛静幻に話を聞いたところ、彼は東京武偵校の学生で、名前は緋村友哉。飛天御剣流と言う、日本の戦国時代から伝わる古流剣術の使い手であるらしい。あのイ・ウー壊滅にもかかわったらしいと言うから、その実力の高さは充分であると言える。

 

「面白くなってきたではないか」

 

 やはり、自分の勘は外れていなかった。あの男とは、いずれ再戦する機会があると思っていたのだ。

 

 しかも、今回はこちらのホームグランドにわざわざ踏み込んできてくれたのだ。丁重なもてなしをしなくてはならない。

 

「行くぞ、出迎えの準備をする」

「ハッ」

 

 そう言うと伽藍は、手にした方天画戟を担いで歩き出す。

 

 その口元は、実に楽しそうに吊り上げられていた。

 

 

 

 

 

 囮、と言っても別段何かをすると言う訳ではない。ただ香港の街をぶらぶらと歩いて、獲物が掛かるのを待つだけ。

 

 撒餌作戦は単純な分、時間がかかるのが難点だろう。

 

 もっとも、学校の課題はあるし、できれば観光もしたいイクスメンバーからすれば、それは願っても無い状況ではあるのだが。

 

「とは言え、そうも言ってられないから困ったもんだね」

 

 友哉は所在無げに壁に寄りかかりながら、何とも無しに嘆息する。

 

 この場にいるのは友哉1人である。

 

 茉莉と瑠香は、服が見たいとかで、友哉の目の前にあるブティックへ入って行った。友哉には良く判らないが、どうやら香港でもそれなりに有名なブランドであるらしい。

 

 陣はと言えば、「女の買い物は長いし疲れる」と言って、その辺に散歩へ出かけてしまった。

 

 おかげで、友哉は1人、手持無沙汰で佇んでいる事しかできなかった。

 

 できれば友哉も観光したいのはやまやまではあるが、今こうしている間も藍幇の監視を受けているかもしれないと考えると、とてもではないが落ち着いて見て回る事も出来なかった。

 

 下手をすれば、街行く人全てが敵に見えて来るから困った。

 

 だが、こうして1人立っていれば、またぞろ女と間違われて通行人からナンパをされかねない。そろそろ何らかのアクションを起こした方が良いか?

 

 と、そう思った時だった。

 

「ほらよ、友哉」

「おろ?」

 

 陣に呼ばれて振り返るのと、その顔面に何かが降ってくるのはほぼ同時だった。

 

 途端に、強烈な熱さが額を中心に顔全体に広がった。

 

「おろ~~~~~~ッ!?」

「おいおい、しっかり取れよ」

 

 慌てる友哉を見ながら、投げつけた陣は手にしたものを口に運んで、呑気に咀嚼している。

 

 ようやくの思いで顔に張り付いている物を手に取ってみると、どうやら肉まんであったらしい。

 

 ふかふかに湯気を立てている肉まんは、いかにも美味そうである。もっとも、そのせいで友哉の顔は円形に赤く染まってしまっていたが。

 

「陣・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉がジト目になって睨むと、陣はニヤリと笑って、自身が食いかけの肉まんを掲げて見せる。どうやらそれが、散歩の「戦果」のようだった。

 

「なかなか美味いぜ、食ってみろよ」

 

 勧められるままに渋々と口に運んでみると、成程、確かに言うとおり、肉まん特有の濃厚なうまみが口全体に広がった。

 

 ひとしきり、肉まんの味を楽しんだ後、友哉はおもむろに、隣に立つ陣を見上げて尋ねた。

 

「何か動きは?」

「ねえな。今のところ『猿』は尻尾も見せねえよ」

 

 そう言って、陣は肩を竦めて見せる。

 

 因みに猿と言うのは、孫悟空に因んだ符号であり、藍幇全体の事を差している。事前の作戦会議で取り決められていた。

 

 流石に防御型の戦略思考をしているだけあり、香港系藍幇はなかなか姿を表そうとしない。

 

 バスカービルの方からも何も言ってこないところを見ると、あちらも主立った動きは無いようだ。

 

 時刻は、間も無く夕方に差し掛かろうとしている。

 

 予定通りなら、今頃バスカービルはおやつ時を利用して集合し、それぞれ情報交換を行った後、今度は司令本部に残留したアリアを除く4人が、散開して囮になる予定である。

 

 恐らく、仕掛けて来るならそこだろうと、友哉は睨んでいる。こちらが完全に無防備になる瞬間だ。もし藍幇がこちらの動きを掴んでいるなら、この絶好の機会を逃す手は無いはず。

 

「こちらは連絡があり次第、すぐに動くからね。そのつもりでいて」

「おうよ、任せとけって」

 

 頼もしく請け負いながら、陣は二つ目の肉まんを口に運んでいる。

 

 一見すると緊張感の無い行動にも見えるが、これが陣特有のスタイルであるらしい。ならば、友哉としては特にいう事は何も無かった。

 

「さて、そろそろ、茉莉たちが戻って来るんじゃないかな?」

 

 いくら女の買い物が長いとは言え、茉莉と瑠香も今がどういう状況下は弁えているはず。そろそろ出て来るだろう。

 

 そう思った、まさにその時、ブティックの扉が開いて意気揚々とした瑠香と、そして明らかに疲れ切った表情の茉莉が出て来るのが見えた。

 

 その様子を見て、友哉は思わず苦笑を漏らす。

 

 どうやらまた、茉莉を着せ替え人形にして遊んできたらしい。時間がかかったのは主にその為だろう。

 

 香港に来てまで同じことをしている辺り、変化が無いと評価するべきなのか、あるいはブレていないと褒めるべきなのかイマイチ判断がつかなかった。

 

「お待たせ~」

 

 元気に駆け寄ってくる瑠香。

 

 その後ろから、重い足取りの茉莉が付いて来る。

 

「お疲れ様」

「・・・・・・ありがとうございます」

 

 疲れ切ったその一言だけで、自分の彼女の身に何が起きたのか友哉は察し、心の底から同情を寄せる。

 

 とは言え、こうしている間にもバスカービルの方は行動を続けているはず。

 

 特に先述したとおり、これからの時間が最も無防備となる時間である。イクスとしても最大限の警戒をする必要があった。

 

「よし、それじゃあ・・・・・・」

 

 友哉が一同を見回して、何かを言おうとした、正にその時だった。

 

 突然、コートの内ポケットに入れておいた携帯電話が着信を告げた。

 

「・・・・・・・・・・・・おろ?」

 

 着信の表示を見て、友哉は思わず首をかしげる。

 

 液晶には「神崎・H・アリア」とあった。

 

 アリアは司令本部にいて全体の指揮に当たっている為、ホテルから動いていない。そのアリアからの連絡が入ったと言う事は、何かしら状況に変化があったかもしれない。

 

「もしもし、アリア。緋村だけど、どうかした?」

《友哉!!》

 

 耳に当てると同時に飛び込んできたのは、明らかに狼狽を含んだようなアリアの切羽詰まった声だった。

 

 その様子だけで、友哉は何か容易ならざる事態が起こっている事を察した。

 

「アリア、どうかしたの?」

《大変ッ・・・大変なのよ、キンジが!!》

 

 電話口から聞こえてくるアリアの声。

 

 それはいつに無いほど、怯えている様子に友哉には思えた。

 

 

 

 

 

第5話「撒餌作戦」      終わり

 



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第6話「急ぐ風に雲は流れ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 取る物も取りあえず、友哉達がICCビル118階のバー、OZONEに戻った時に見た物は、深刻な表情を突き合わせているバスカービルの面々だった。

 

 この中にキンジの姿は無い。

 

 アリアから連絡を受けた時、彼女はこう言った。

 

『キンジと連絡が取れなくなった』、と。

 

 事が起こったのは夕方。

 

 撒餌作戦の第2段階として、バスカービルメンバーがそれぞれ、散開して香港の街へ散った後の事だった。

 

 由々しき事態である。

 

 状況が容易ならざる展開を見せていると判断した友哉は、作戦を一時中断してバスカービルと合流したのだ。

 

「ユッチー・・・みんな・・・・・・」

 

 入ってきた友哉達の姿を見て、入り口付近にいた理子が力無く声を掛けてくる。いつもの溌剌とした調子が鳴りを潜めている所を見ると、理子自身、ふざけている場合ではないと認識しているようだった。

 

「キンジと、最後に連絡が取れたのはいつ?」

 

 友哉は前置きを置かず、いきなり本題から入った。

 

 今や一瞬ですら時間が惜しい状況である。悠長に話を韜晦している余裕は無かった。

 

「みんなで集まってお茶している時だったから、だいたい3時くらいかな?」

「大体それくらいだね。そのあとみんなで別れて行動したから・・・・・・」

 

 白雪に続いて理子が補足説明をする。見れば、レキも同意するように小さく頷くのが見えた。

 

 とっさに、腕時計に目を走らせる友哉。

 

 時刻は既に7時に達しようとしている。つまり、キンジとは4時間近くも連絡が取れない状態になっている事を意味する。

 

「定時連絡も無いし・・・・・・こっちから電話しても出ないし・・・・・・」

 

 顔を伏せた状態のアリアが、消え入りそうな声で状況を説明してくる。

 

 アリアだけでなくこの場にいる全員で、何度もキンジの携帯電話に連絡を入れているのだが、未だに電話口にキンジが出る事も返信が返って来る事も無かった。

 

 最悪の可能性として、キンジが藍幇の奇襲を受け、皆の連絡ができないまま排除された事も考えられる。

 

 ヒステリアモードを発動していないキンジは、一般人よりはマシ、と言う程度の能力しか発揮できない。その事を考えれば、熟練した戦闘員数名を派遣するだけで制圧は容易だろう。

 

 4時間あれば街中でキンジを襲撃して殺害、死体を処分して痕跡も残さず立ち去っても充分に時間が余る。そこまで行かずとも、キンジを拉致して藍幇のアジトに連れ去る事も可能だった。

 

 臍を噛む友哉。

 

 改めて、ここが藍幇の御膝元だと言う事を、否が応でも実感させられる。文字通りの四面楚歌の状況にあっては、不測の事態に対して即応する事も困難だった。

 

「どうしよう・・・・・・・・・・・・」

 

 力無い声が、静寂の室内に殊更響き渡る。

 

 友哉は一瞬、その声の主が誰なのか判らなかった。普段の自信あふれる声と比べると、あまりにも落差が激しすぎたのだ。

 

「あたしのせいだ・・・・・・あたしが、撒餌作戦(バーリィ)なんか言い出さなければ、こんな事には・・・・・・」

 

 アリアは普段に無いくらい落ち込み、青ざめた表情をしている。

 

「落ち着いて、アリア。まだそうと決まったわけじゃない!!」

「でも・・・・・・でも!!」

 

 友哉の説得にも、アリアは青い表情のまま泣きそうな顔をしている。

 

 普段見せている自信に満ちた尊大な態度からは想像もできない程、弱々しい雰囲気である。まるで親とはぐれた迷子のようだ。

 

 叫んでから、友哉は苦い表情をする。

 

 キンジは普段は割とやる気が無いようにも見え、武偵としての活動に関しても、お世辞にも乗り気は無いようにも見えるが、それでもいい加減な事は絶対にしない男である。

 

 定時連絡もせずにフラフラと歩きまわるなど考えられなかった。

 

「あたし、ちょっと探してくる!!」

「あ、アリア!!」

 

 居ても立っても居られないとばかりに、アリアは立ち上がると、友哉の制止も聞かずに弾丸のようにOZONEから駆けだして行く。

 

 キンジと連絡が取れず、行方不明になってしまった事に関して、ひどく責任を感じている様子である。

 

 だが、既に日は落ちて、窓の外は暗くなっている。眼下には香港の街を彩るネオンサインも見え始めていた。このような状況下で単独行動をするのは、いかにアリアと言えども危険である。最悪、二重遭難の危険性すらあった。

 

「レキッ」

 

 仕方なく、友哉も行動を起こすべく指示を飛ばした。

 

「アリアについて行って。今、彼女を1人にするのは危ないから!!」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 レキは無言のまま頷くと、アリアを追ってバーを出て行く。レキはこの中で一番、アリアと仲が良い。彼女に任せておけば、いざと言う時にアリアの抑え役も期待できる。

 

 その背中を見送ると、友哉は残った一同を見回す。

 

「星枷さんは理子と一緒に行動して。茉莉は僕と、陣は瑠香と一緒に。必ずツーマンセルで行動するように。単独行動は禁止する!!」

 

 矢継ぎ早に指示を飛ばす友哉。

 

 総指揮官であるキンジが行方不明、次席指揮官であるアリアが飛び出して行った状況では、友哉が指揮権を継承するしかなかった。

 

 バスカービルメンバー同士、白雪と理子は一緒に行動させた方が良い。何だかんだ言いつつこの2人、(本人同士は否定するかもしれないが)相性はいいみたいだし。

 

 イクスの4人に関しては、情報収集に長けている探偵科(インケスタ)の茉莉と諜報科(レザド)の瑠香を分け、それぞれ効率の良い情報収集を目指す事を目的にしたペア分けである。

 

 それぞれOZONEを飛び出していく一同。

 

 事態は一刻を争う状況である。誰の顔にも、深刻な眼差しが光っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友哉と茉莉。

 

 東京武偵校でもトップクラスの俊足を誇る2人が駆け抜ける姿を、香港の市民が目撃する事は無い。

 

 本気で走るこの2人を視覚で捉える事は困難であり、一般人にとっては不可能と言っても良い。

 

 しかも2人は律儀に道の上を走るような真似はせず、立ち並ぶ雑居ビルから雑居ビルへ、飛び越えながら走り抜けている。

 

 まず目指すは、白雪達が最後にキンジを見たと言うカフェ。そこを基点にして捜査の範囲を広げるのだ。だが、そこに行くのにわざわざ雑踏を縫って走ったのでは時間がかかりすぎる。その為、2人は「最短の道」を駆けているのである。

 

 万が一、下から見上げた人間が2人の姿を見たとしても、恐らく幻か何かを見たと勘違いする事だろう。

 

 それほどまでに、今の2人は現実味のない光景だった。

 

「友哉さん!!」

 

 前を行く友哉に、茉莉は声を掛ける。

 

「探すと言いましても、香港は広すぎます。それに、遠山君が藍幇側に排除されたのだとしたら、もう探すだけ時間の無駄かもしれませんよ!!」

「判ってる!!」

 

 流石、元イ・ウー構成員だけあり、茉莉はシビアな視点も持ち合わせている。一見すると荒事には向いていないように見える茉莉だが、こういう面を見れば、彼女が決して、ただ大人しいだけの女の子ではない事が分かるだろう。

 

 対して友哉も叩き付けるように言葉を返すが、その間も、駆ける足を緩めるような事はしない。

 

 茉莉の言うとおり、この広い香港でキンジ1人を探し出すのは困難である。更に、万が一既にキンジが殺され、その死体も処分されていたとしたら、探すのは時間の無駄と言う物だった。

 

 だがそれでも尚、友哉は駆ける足を止めようとしない。

 

 キンジが生きている可能性がゼロでない以上、諦めるつもりは毛頭ない。

 

 だが、もし本当にキンジが、既に殺されていたのだとしたら?

 

 その時は、どうするのか?

 

「・・・・・・決まっている」

 

 その時は香港系藍幇のアジトを探し出して乗り込み、そして叩き潰すだけだった。

 

 携帯電話が着信を告げたのは、友哉が最悪の場合に備えた決意を固めた時だった。

 

《友哉さん、レキです》

 

 珍しい人物からの電話に訝りながらも、友哉は足を止める。

 

「レキ、どうかした?」

 

 背後で茉莉が止まる気配を確認しながら、先を促す友哉。

 

 アリアと一緒に行ったレキからの連絡と言う事は、向こうで何らかの動きがあった可能性がある。

 

《先程、露天商のあたりを歩いていた時、アリアさんがキンジさんの携帯電話を発見しました》

「間違い無い?」

 

 勢い込んで尋ねる友哉。

 

 キンジ本人でなくても、その手がかりだけでも見付けられたと言う事は大きい。

 

 レキの説明によると、どうやらキンジの携帯電話は露天商の一角で売りに出されていたらしい。

 

《間違いありません。着信音で確認しましたので》

 

 携帯電話を握る友哉の手が自然と強くなる。

 

 手がかりが見つかったのは一応の前進と言えるが、携帯電話が見つかっただけでは、キンジの行方を探す直接的な要因にはなりがたい。

 

 キンジが落とした携帯電話を、誰かが拾って売ったのか? それとも盗んだ物を売ったのか? 軽犯罪が後を絶たない香港でなら、そう言った可能性は充分に有り得る。

 

 更に言えば、最悪の可能性もまだ消えてはいなかった。

 

 キンジを殺した相手が、所持品を処分がてら売り払った可能性だって充分に有り得る訳だから、相変わらず予断は許される状況ではない。。

 

 こんな時、情報科(インフォルマ)のジャンヌがいてくれたら、携帯電話に残っているデータから、キンジの居場所を突き止める事も不可能ではないのだが。

 

 しかしジャンヌがシンガポールに行っている以上、別の手段を考える以外に道は無かった。

 

「判った。引き続き、何か判ったら連絡して」

《はい》

 

 レキとの電話を切ると、友哉は携帯電話をしまう。

 

 とにかくこれで、キンジの身に何かトラブルが起きた事は確実になったわけだ。あとはそのトラブルが、大事でない事を祈るだけである。

 

「友哉さん、何か判ったんですか?」

 

 心配顔で尋ねてくる茉莉に、レキからの電話の内容を説明してやる。

 

 既に周囲は完全に日が落ち、香港の街は人工的な灯りによって満たされている。

 

 「100万ドルの夜景」と称されるその光も、このような心境で見れば、空疎に感じてしまう。

 

 できれば、茉莉と見る夜景はもっと別の形で見たかった、と友哉は心の隅で思ってしまう。

 

 だが、今はそんな事を言っている場合ではない。

 

「もっと具体的な情報が欲しい。できれば、キンジに直接つながるような何かが・・・・・・」

「判りました。私も、どこまでお力になれるか判りませんが」

 

 憂慮を浮かべる友哉の言葉に対して、茉莉は勇気付けるように言葉を返す。

 

 探偵科(インケスタ)の茉莉なら、効果的な情報収集の心得がある。ガチガチの戦闘職である友哉よりは、こういった場合役に立つだろう。

 

 だが、ここは日本ではなく香港。一応、友哉も茉莉も翻訳用のガイドブックを持参しているが、それもどこまで役に立つか。

 

 だが、それでもやるしかなかった。

 

「行くよ、茉莉」

「はい!!」

 

 頷き合うと2人は、再び香港の町中に、文字通り飛びだして行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、夜が白むまで香港の街を駆け巡ったのだが、めぼしい手掛かりは何も得る事ができなかった。

 

 疲労困憊の状態で、ICCビルへと帰還した友哉と茉莉。

 

 その足取りは、ひどく重い。

 

 身体の疲労は、無論溜まってはいるが、それ以前に心労の方が2人とも深刻だった。

 

 結局、一晩掛かっても、キンジの手掛かりに関する事は何も見つからなかった。

 

 上昇するエレベーターの中で、友哉と茉莉は悄然として肩を落としている。

 

 一晩中、香港の街を走り回り、ただ徒労感だけが否応なく蓄積されていた。

 

 友哉がチラッと視線を向けると、茉莉もそれに気づき、僅かな微笑を向けてくる。

 

 しかし元々、茉莉は体力的にネックを抱えている。一晩中駆けずり回って疲れていない筈が無い。現に今も、壁に寄りかかったまま立っているのも億劫そうにしている状態だ。できれば、一刻も早く休ませてあげたかった。

 

 エレベーターは間も無く、司令本部のある118階に到達しようとしている。

 

 その様子を確認しながら、友哉は今後の方針について自分の中で意見を纏めていた。

 

 こうなった以上、自分達に取れる手段は限られている。ならばいっそ「藍幇がキンジを拉致して、自分達のアジトへ連れ去った」と言う可能性に賭け、捜索の手を対藍幇戦にシフトするべきだった。

 

 勿論、キンジの遭難が藍幇とは直接関わりが無い可能性も残っているが、それでも広い香港の街を闇雲に駆けずり回るよりは建設的だろう。それが結果的に、キンジ発見に繋がる近道になるように思えた。

 

 とにかく、全員に連絡を取ってその旨を伝えよう。

 

 恐らく、キンジと関わりが深いバスカービルの女子達、特に今回の件で責任を感じているアリアは猛反対するだろう。だが、このまま本命が見えないまま闇雲に捜索を続けて最悪、本当に藍幇勢力から側面を突かれたら、その時点でイクスとバスカービルは壊滅する事にもなりかねない。

 

 友哉が自分の中で考えを纏めるのとほぼ同時に、エレベーターが118階に到着した。

 

 友哉は疲れている茉莉を伴って、OZONEへと足を踏み入れる。とにかく、みんなが集まるまでの間、茉莉を休ませてやろう。

 

 そう思った瞬間、

 

 思わず、友哉と茉莉はその場で、文字通りズッコケた。

 

 なぜなら、

 

「お、おう、緋村、瀬田・・・・・・」

 

 件の遠山キンジ君が、目の前のソファーに腰掛けて2人を出迎えていたのだから。

 

 しかも、ご丁寧に両脇には理子と白雪を侍らせ(?)、いかにもご満悦な状態。

 

 次の瞬間、

 

 ザンッ

 

 殆ど一瞬で逆刃刀を抜き放った友哉が、真っ向からキンジ目がけて振り下ろした。

 

「おわっ!! 危ねッ!?」

 

 その刃を、キンジはとっさに左右の理子と白雪を振り払うと、真剣白羽取りで受け止める。

 

 アリアの特訓の成果なのか、はたまた一晩中の捜索活動で友哉が疲労困憊していたのか、恐らくはその両方と思われるが、キンジは振り下ろされた逆刃刀を見事に両掌で挟み込んでキャッチしていた。

 

 だが、友哉は構う事無く、全体重を掛けてキンジに刀を押し付けてくる。

 

「斬って良い? ねえ、斬って良い? て言うか斬って良い?」

「怖ェよ!! てか、もう斬ってんだろ!!」

 

 若干、人斬りモードを発動させた友哉は、ご丁寧に刃の方に返した逆刃刀を、グイグイとキンジに押し付けようとしてくる。

 

 と、

 

「友哉さん、どいてください。私が斬ります」

 

 茉莉が、こちらも菊一文字の柄に手を掛けてにじり寄ってきている。こっちも、若干、稲荷小僧モードが入っている。

 

 普段大人しい少女が、冷たい瞳を爛々と輝かせて刀を抜こうとしている様は、軽くホラーだった。

 

「お前等、本当に怖ェよ!! てか、誰か止めろ、このバカップル!!」

 

 本気で、自らの身を案じ始めるキンジ。

 

 結局、友哉を理子が、茉莉を白雪がそれぞれ取り押さえ、両名とも刀を没収されて事態は収束した。

 

「それで?」

 

 ソファーに足を組んで座った友哉は、不機嫌そうな目をキンジに向けて尋ねる。

 

「いったい何があったわけ?」

 

 キンジが無事だったことは純粋に嬉しい。一時は最悪のケースすら考えていたのだから尚更である。

 

 だが、それはそれとして、状況を説明してくれないと納得がいかない。一晩駆けずり回ったのが完全に徒労になったのだから、それは当然の権利だと思った。

 

 対してキンジは、バツが悪そうにそっぽを向くと、ボソッと呟くように言った。

 

「スられたんだよ、財布とケータイ・・・・・・・・・・・・」

 

 バスカービル女子と別れた後、予定通り単独で行動していたキンジだが、暫くして財布と携帯電話が無くなっている事に気付いた。

 

 すぐにスられたと判ったが、その時にはもうどうする事も出来ない状態だった。

 

 見知らぬ異郷の地に1人、連絡を取る事もタクシーや路面電車に乗る事も出来ず、言葉さえほとんど通じない状況にあって、キンジはそれでもどうにかICCビルまで戻ろうと必死に歩いたのだが、それが却ってドツボにはまり、道に迷う結果になってしまった。

 

「結局、北角(ノースポイント)の親切な人達に、道が分かる所まで送ってもらって、ようやく戻って来れたって訳だ」

「・・・・・・ふーん、成程ね」

 

 尚も憮然とした調子で、友哉は頷きを返した。

 

 一晩の徒労を強いられたことに関しては尚もムカついている事は確かだが、その一晩の間にキンジの身に降りかかった事態を思えば、怒る気にもなれなかった。

 

「何にしても良かったです。遠山君が無事でいてくれて」

 

 どうやら、茉莉も同じ気持らしい。先ほどまでの殺気がこもった雰囲気は薄れ、微笑を浮かべてキンジを見ていた。

 

 そのキンジの肩を白雪が揉み、理子は膝の上に乗って首に抱きついている。

 

 完全にいつも通りの光景を目の当たりにして、友哉は最早、先程までの怒りも完全に雲散霧消していた。

 

「それで、キンジ、これからなんだけど・・・・・・・・・・・・」

 

 キンジが帰って来たのだから、今後の方針について改めて協議しようと思った。

 

 その時だった。

 

 ゾクッ

 

 突如、背中に寒気を感じる程、強烈な殺気がOZONE全体を覆い尽くした。

 

「友哉さん、これは・・・・・・」

 

 茉莉も同様の者を感じたのだろう。警戒するような目を向けてくる。

 

 どうやら、キンジも状況に気付いたらしく青い顔をしている。

 

 気付いていないのは白雪と理子くらいだ。相変わらず、キンジにまとわりついている。もっとも、この2人の場合、気付いていても無視している可能性もあるが。

 

 とっさに、逆刃刀を手に取ってエレベーターに目を向ける。

 

 果たして、扉が開き、

 

「バ カ キ ン ジィィィィィィィィィィィィ!!」

 

 ピンクのツインテールを靡かせて、アニメ声を張り上げたアリアが飛び出してきた。

 

 アリアは友哉と茉莉を押しのけると、理子と白雪を蹴散らす形でキンジに飛びつき、キンジの髪を掴み上げる。

 

「ちょ、アリアさん!!」

 

 茉莉が制止するのも聞かず、アリアはその小柄な体躯からは想像も出来ない膂力を発揮して、キンジを壁に向かって投げつけた。

 

「どこ行ってたのよ!?」

「い、いや、その、俺はケータイも財布もスられて、道に迷ってたんだよ!!」

 

 どうにか状況を説明してアリアを落ち着かせようとするキンジ。

 

 だが、

 

「迷うって何!? 北が九龍で南が香港島!! その間に流れる狭い海峡がヴィクトリア・ハーバー!! こんな簡単な構造が何で判んないのよ!? あんな世界一広くて、複雑な構造の東京に平然と暮らしているくせに、何でこんな狭い街で迷えるのよッ この馬鹿!! ド馬鹿!! ドド馬鹿!!」

 

 客観的に考えれば、住み慣れた街ならいくら広くても迷う事は無いし、逆に知らない土地なら、下手をすれば一本道でも迷ってしまう可能性はある。

 

 だが、そんな事も判らないくらいに、今のアリアは頭に血が上っていた。

 

 見ればいつの間に戻って来たのか、レキもまた部屋の隅に佇んで様子を見守っている。その顔はいつも通りの無表情だが、若干、アリアに殴る蹴るの暴行を受けているキンジに冷たい目を向けている所を見ると、彼女もキンジに対していきありを覚えている様子だった。

 

 その様子を見て嘆息しつつ友哉は、内心では彼女達の怒りも無理も無いと思っている。他ならぬ友哉自身、帰って来るなり、思わずキンジに斬り掛かってしまったのだから。

 

「お金までスられるとか、どこまで間抜けなの!? この間抜け大魔王!!」

 

 尚も舌鋒と暴行をヒートアップさせるアリア。

 

 だが、そんな彼女に、それまで無抵抗だったキンジがとうとう反撃に出た。

 

「あー、もう、うるせェ!!」

 

 普段は割とアリアに対して反撃しないキンジからすれば、なかなか珍しい光景である。

 

「金は、俺が両替した大部分はバッグの中に入ってるんだ!! 確かに困ったが・・・・・・俺の婆ちゃんが言ってた事だが、人間盗むより盗まれる方が良いんだッ 盗みってのは人から盗まなきゃならんほど困っている人がする事で・・・・・・」

「そう言う発想が日本人的なのよ、アンタは!! ここは日本じゃないの!! 世界には泥棒で生計を立てている人間なんてウジャウジャいるんだから!!」

 

 何やら、話が脱線した方向に走り出そうとしている。

 

 そんな中、横から口を挟んだのは、当の泥棒当人である峰・理子・リュパン4世だった。

 

「ん~~~~~~ふっふっふ・・・・・・ちょっと~~~~~~、待ってもらえますか~~~~~~? りこりんが~~~~~~、質問しても~~~~~~、良いですかー? んーふっふっふ・・・・・・」

 

 何やら突然、額に人差し指を押し付けて古畑任三郎のモノマネを始める理子。

 

 殺伐とした状況で、いきなり何を始めたのか、このアホっ娘怪盗少女は? と一同が思っている中、理子はビシッとキンジを指差す。

 

「キーくんッ!!」

「何だよ?」

 

 憮然とした調子で尋ね返すキンジに対して、理子は再び似非古畑に戻って、何やら推理めいた事を口にし始める。

 

「あなたは~、テーブルのお菓子に手を付けていない。少なくとも、何か食べましたね~~~~~~? そして、どこかに泊まりもした。その椅子でも寝なかったし、汗のにおいもしないですもんねぇ。それどころか、女の子の匂いがしたんですよ~~~~~~」

 

 そこまで来てようやく、友哉は理子が何を言いたいのか理解した。

 

 ようするに、最後の一言を言いたいがために、古畑の真似事までして推理を披露したのだ。

 

「理子ちゃんも嗅げたの!? やっぱりでしたよね!!」

 

 我が意を得たりとばかりに、白雪が大きく頷く。どうやら、彼女にも思い当たる節があったらしい。

 

「いや、これは、その・・・・・・」

 

 追い詰められたように、額に汗を浮かべるキンジ。

 

 そんなキンジの背中をバンバン叩きながら、理子はゲラゲラ笑う。

 

「やっぱりねー!! 理子は嗅げてないけど今のは誘導尋問!! ひっかけ問題でしたー!! そしてクンカクンカセンサーゆきちゃんから証言も取れました。キーくん、香港美女のお家で楽しく一夜を過ごして来たんだなァー!? いやー、流石だね、このジゴロは!!」

 

 流石は、火に油どころか、火があればガソリンとガスボンベと導火線付きコンポジットC4を投げ込み、盛大な花火をぶち上げようとする理子。トラブルの種を撒く事に余念は無かった。

 

「理子さん・・・・・・」

 

 友人の様子を、茉莉は嘆息しながら見つめる。

 

 成長しない事は良い事なのか悪い事なのか、昔から理子に良いように弄り回される事が多かった茉莉は、殆ど反射的にキンジに同情していた。

 

 だが、理子がばらまいた火種は、再びOZONEの中に大火を見舞おうとしていた。

 

「馬鹿に付ける薬は無いって言うけど、ホントみたいね、このムッツリスケベ!!」

 

 再び怒気と闘気を存分にみなぎらせるアリア。見れば、傍らのレキも冷たい目でキンジを見ている。白雪などは、徐々に黒化しつつあるのが分かった。

 

 1人、いつもの調子の理子は、

 

「まあまあ、ムッツリスケベにはムッツリスケベなりの事情があったんだろうからさ。旅行先で気が軽くなっちゃったんだよ、きっと。旅は人との触れ合い。さーて、キーくんはどこでどう、何人の女の事触れ合ってきたのかなァ?」

「いや、別にどっちとも触れ合うような真似は・・・・・・」

 

 言いかけて、キンジはハッと口をつぐむ。

 

 とっさに理子の言葉を否定しようとして、自爆してしまった事に気付いたのだ。「女と一晩一緒だった」事を、自ら暴露してしまったのである。しかも「どっちとも」と言っている辺り、最低でも複数の女性と触れ合う機会があった事は確実である。

 

「やっほー!! 聞かせて聞かせて!! 理子に聞かせて、キーくんの武勇伝!! 年上!? 年下!? それとも両方!? 巨乳!? 貧乳!? コスプレ有り無し!? キャッホー!!」

 

 全く悪びれた様子も無くはしゃぎまくる理子。

 

 一方、アリア様の怒りは、いよいよもって有頂天を突き破りつつあった。

 

「あんたは・・・・・・すぐそうやって女の橋を渡って生きる!! ほんッッッとアンタは行く先々で女作るッ!! あーあーあーほんっとモテるわよねェ!! 女に困った事無いでしょーね!! 理子か白雪か、どっちかと付き合っちゃえば!?」

 

 怒りのあまり、とうとう言っている事までおかしくなり始めたアリア。

 

撒餌作戦(バーリィ)を立案したのはアタシだったから、キンジがそれでいなくなっちゃったから、あたしがどんな思いして、どんな思いして・・・・・・」

 

 昨夜の事を思い出し、泣きそうになりながらアリアはキンジを睨みつける。

 

「その間にあんたは!! あんたは!!」

 

 キンジの身を心配して、夜の街を散々駆けずり回った自分と、その間に美女を侍らせて一夜を過ごしていた(と、アリアが勝手に想像した)キンジ。

 

 その落差から来る惨めさに、アリアは目に涙を浮かべて地団太を踏む。

 

「もう、アンタはクビ!! どうせ外に出したら女の子と遊んでばっかりなんだから!! 作戦には参加しなくて良し!! 帰国までずっと、ここで正座してなさい!!」

 

 とうとう、2丁のガバメントを抜き放つアリア。

 

 その様子を見て、理子と白雪はテーブルの下に隠れ、レキは持ち前の危機回避能力を発揮して物陰に退避、友哉と茉莉は刀を抜いて跳弾に備える。

 

 と、

 

「俺は・・・・・・・・・・・・」

 

 銃口を向けられたキンジが、

 

「俺は海外なんか初めてなんだ!! お前みたいな帰国子女とは違うんだよ!!」

 

 とうとう、ブチ切れた。

 

 この時、キンジの中では自分とアリアとの間にある、どうしようもない「格差」を痛感させられていた。

 

 アリアは何でも持っている。富、名声、実力。武偵としてはSランクとして高い戦闘力を持ち、学校の成績も良い。

 

 対してキンジはどうか? ヒステリアモード時には高い能力を発揮するが、それ以外はまるで駄目。実力は並みで武偵ランクはE、金は無く学校の成績も悪い。名声だけは独り歩きしているが、それとて望んでそうなったわけではない。

 

 何でも持っている「優秀な」アリアと、何も持っていない「ダメな」自分。

 

 その事が、キンジを強かに傷付ける。

 

 しかし、何よりもキンジを傷付けているのは、アリアがその事を全く気付いていない事だった。

 

 アリアは何でも持っている。だからこそ、何も持たない人間の苦悩を理解できない。その事がキンジには、堪らなく惨めに思える。

 

 まるで空を自由に飛ぶ鳥と、地を這う虫けら程に、キンジは自分とアリアを比較してしまっていた。

 

「何よ・・・・・・何よッ!!」

 

 対して、アリアは次の言葉が続かず、声を詰まらせてしまう。普段は、自分の暴力に対して反撃せず、ただされるがままになっているキンジが珍しく反撃に出た事で、とっさの対応が追いつかない様子だ。

 

 そこへ、キンジは畳み掛ける。

 

「お前こそ、もうクビだ!! 藍幇くらい俺1人で何とかしてやる!!」

 

 売り言葉に買い言葉と言うが、キンジも最早、引っ込みがつかないところまで来てしまっていた。

 

 そのまま、自分のリュックを取って、バーを出て行こうとする。

 

「何よ・・・・・・じゃあ、もう勝手にしなさいッ!! どうせこれで戦果無し!! せっかく攻めて来たのに、アンタのせいで手ぶらで日本に帰る事になるんだわ!! それで良いのね!?」

 

 背を向けるキンジ。

 

「それで良いのね!?」

 

 その背中に、アリアは再度同じ質問をぶつける。

 

 その声にはどこか、キンジが戻ってきてくれることを期待しているようなニュアンスまで含まれていた。

 

 だが、それに対して、

 

 キンジが振り返る事は無かった。

 

 

 

 

 

第6話「急ぐ風に雲は流れ」      終わり

 



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第7話「香港活劇」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分の荷物を纏め、OZONEを出て行こうとするキンジ。

 

 キンジの行方不明から一夜明け、無事な姿を確認したのも束の間、アリアとの仲たがいから、まさかの分裂に至ったバスカービル。

 

 あまりと言えばあまりの事態に、流石の友哉も焦りを禁じ得なかった。

 

「キンジ、ちょっと待ってよ!! キンジってば!!」

 

 何やら、自分のホテルにキンジを誘っている白雪と理子を押しのける形で、友哉はキンジの腕を引いて引き留める。

 

 このまま分裂してしまったのでは、藍幇側の思うつぼである。ただでさえ少ない戦力を、更に分散してしまうのは愚の骨頂だ。ここは何とか、キンジに叛意してもらいたかった。

 

 対してキンジは、やや億劫そうな瞳で友哉の方へと向き直った。

 

 説教ならお断りだ、とでも言いたげな瞳に友哉は一瞬怯むが、すぐに気を取り直して口を開く。

 

「・・・・・・昨日、キンジが行方不明になった時、一番心配したのはアリアだったんだよ。自分のせいでキンジの身に何かあったんじゃないかって。それだけは信じて」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 無言のまま聞き入るキンジ。しかし、友哉の言葉に何か思うところがあるのか、僅かに視線を逸らすような態度を取る。

 

 何だかんだ言っても、キンジは義理堅い性格をしている。迷惑をかけた事に関して、何も感じていない筈が無い。ただ今は、アリアの物言いがあまりにも一方的過ぎた為、脊髄反射的に反抗してしまっているだけなのだろう。

 

 加えて、普段のアリアの言動に対する不満も爆発してしまったのかもしれない。それらの相乗効果が、バスカービル分裂と言う結果に結びついていると思われた。

 

「キンジの気持ちも判るけど、アリアだって・・・・・・」

「そんな事より、緋村」

 

 友哉の言葉を遮るようにして、キンジは向き直って口を開いた。

 

「昨日はアリアに権限委譲したつもりだったが、それもここまでだ。今作戦の最高指揮官として命令する。お前はイクスを纏め、改めて街をうろついて藍幇を探せ。実は、話すアテがあるんだ。奴等とは交渉で決着できるかもしれない。そこにアリアを連れていくと戦いになりかねんからな。こうして分裂したのはちょうど良いと言えば良いかもだ」

 

 キンジのその言葉に、友哉は軽い驚きを覚えた。

 

 流石と言うべきか、キンジもただ足手まといになっていた訳ではなかった。どういう経緯であるかは知らないが、こうしてちゃんと藍幇勢力と接触し、その上で停戦交渉に向けた道筋を立てて来ていたのである。

 

 他のメンバーがキンジの捜索で手一杯だった事を差し引いても、賞賛すべき結果である事は間違いない。

 

 もし、キンジの策が功を奏せば、確かにこの戦い、無血で終わらせる事もできるかもしれなかった。

 

「藍幇にコンタクトしたら、俺に連絡を・・・・・・」

 

 言いかけて、キンジは言葉を止める。自分が携帯電話を落としていた事を思い出したのだ。

 

 と、

 

「キンジさん」

 

 いつの間にか背後に立っていたレキが、手に持った携帯電話をキンジに差し出してきていた。

 

「盗品等が売り捌かれている泥棒市の露店でアリアさんが見つけました。着信音でキンジさんの物と判り買い直したそうです」

 

 レキが差し出して来た物は、盗まれたはずの携帯電話だった。履歴を調べると、白雪や理子、友哉、茉莉、そしてアリアからの着信が多数に上っている。

 

 皆、必死になってキンジの身を案じてくれた証拠だった。

 

「キンジさん、私はアリアさんと一緒に行動します。今、彼女を1人にしない方がよさそうですから」

 

 レキは静かな声で、そう言ってきた。

 

「キンジさんの言うとおり、藍幇捜索は継続しなくてはならない。九龍は私とアリアさんが引き続き監視します。そのように私が言い聞かせますので。キンジさんや友哉さん達は香港島の方を調べてください」

 

 レキの言う事はもっともである。ここでアリアを放置すれば、却って意固地に陥ってしまう可能性が高かった。その点は、レキに任せておけば上手くやってくれるだろう。レキのコミニケーション能力はお世辞にも高いとは言えないが、しかしだからこそ、今のアリアを押さえる役にはうってつけだとも言える。アリアとしても、気心が知れたレキが共にいることくらいは了承してくれるだろう。

 

 キンジはレキに頷きを返すと、次いで友哉に向き直った。

 

「緋村、お前もそれで良いな?」

「・・・・・・判った」

 

 不承不承と言った感じに、友哉は頷きを返した。

 

 何はともあれレキの言う通り、この修学旅行(キャラバン)Ⅱの間に藍幇との決着を付けなくてはいけない事に変わりは無い。この機会を逃したら、師団勢力にもう一度、香港に攻め込むだけの力は残されないのだ。

 

 まさに水際での決戦。これに敗れるような事があれば、師団勢力は藍幇に対して敗北を喫する事も考えられた。そしてそれは即ち、極東戦役における師団の敗北にも直結している。

 

 友哉としては聊か納得がいかない事もあるが、キンジの主張の正しさは認めない訳にはいかなかった。

 

「でもキンジ、アリアの事も・・・・・・」

「判ってるよ」

 

 それ以上言うな、と言外に言うようにして友哉の言葉を遮ると、キンジは踵を返してOZONEを出て行く。

 

 何はともあれ、これで作戦続行となる。対藍幇戦の再開だ。

 

 だが果たして、分裂した戦力で100万の兵力を誇る藍幇相手に勝てるかどうか。

 

 憂慮を拭い去る事はできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どっちもどっちかな~?」

 

 椅子に座った瑠香が、コーヒーを片手に持って、ぼやくように呟いた。

 

 その向かいでは、茉莉が何とも形容しがたい微妙な表情を作っているのが見える。

 

「はあ、どっちもどっち、ですか?」

 

 言いながら、遅まきの朝食を頬張る。

 

 ここは香港の一角にあるビジネスホテル。イクスの4人は、ここに拠点を置いて香港での活動を行う事にしていた。ICCビルやペニンシュラのような大手ホテル企業に比べれば数段見劣りするホテルだが、それでも社員教育が充分に行き届いているらしく、清潔感が感じられる内装と、感じの良い客対応が好印象であった。

 

 キンジから撒餌作戦(バーリィ)の続行を命じられた友哉達は、その後、陣や瑠香と合流して、拠点となるホテルの確保を行った。昨夜はキンジの捜索とICCビルでの待機を交代でこなしたため、自分達の宿を確保するだけの余裕が無かったのだ。

 

 ともかく、キンジの無事も確認できたと言う事で、まずは体勢を立て直す必要があった。

 

 そこで友哉は、体力的な消耗が激しい茉莉と瑠香にはホテルでの待機を命じ、自分と陣は再び香港の街へと繰り出していた。

 

 本当は茉莉と瑠香もついて行きたかったのだが、何分、体力的に限界が近い事も事実である。その為ここは、素直に友哉の指示に従っておいた。

 

 そこで茉莉と瑠香は朝食を取りつつ、話題はICCビルでのやり取りの事になったわけである。

 

「だって、そうでしょ。今回の件だって、元はと言えば遠山先輩がポカやっちゃったから起こった訳だし。その点で行けば、アリア先輩が怒るのも無理無いと思う」

「それは・・・そうですね」

 

 瑠香の言葉に対して、茉莉は納得したように頷く。

 

 正直、苦労の末に戻ってきたOZONEで、理子や白雪を侍らせている(ように見えた)キンジを見た瞬間、茉莉も殆ど無意識にブチ切れていたのだから。

 

「でも、遠山先輩だって、普段からアリア先輩にドツキ回されてさ、鬱憤? みたいなのが溜まってたんじゃないかな? 正直、アタシの目から見ても、アリア先輩ちょっとやりすぎかな、て思う事って結構あるし」

 

 それもその通り、と茉莉はお茶を飲みながら思った。

 

 キンジの普段の生活ぶりを自分の身に置き換えてみればわかる。正直、アリアから毎日のように殴る蹴るの暴行を受けるような生活は、茉莉としても御免蒙りたかった。キンジは良く耐えていられると思う。

 

 そう考えれば、瑠香の言うとおり「どっちもどっち」という考え方には、大いにうなずけるものがった。

 

「でもさ、あの2人、何だか全然変わんないよね、4月の頃から。やってる事がいっつも同じっていうか・・・・・・」

 

 4月にアリアが、キンジの部屋に押しかけてきたころから知っている瑠香は、そう言って嘆息する。

 

 キンジが何かアリアの逆鱗に触れてアリアが怒り、キンジはその度に逃げるか、甘んじて受け止めるかの二者択一を強いられる。それがパターン化しているようにさえ思える。

 

 よくまあ、キンジが今まで激発しなかったものだと、関心すらしてしまう。

 

「いや、でも待てよ・・・・・・」

「どうかしました?」

 

 言葉を止めた瑠香に対し、茉莉は訝るような視線を向けながら先を促す。

 

「うん、これはあたしの勘違いかもしれないんだけど、遠山先輩はともかく、アリア先輩の方は、何か初めの頃より変わってきている気がするんだよね」

「そうでしょうか?」

「うん。どこがそうか? て聞かれても応えられるような事じゃないんだけど、何となく・・・・・・」

 

 瑠香の目には、アリアが以前と比べてキンジに対して依存する度合いが強くなっているように思えるのだった。本人は否定するだろうし、瑠香自身、確信を持って言える事ではないので、言葉自体も曖昧になってしまっているのだが。

 

 と、そこで瑠香は、ある事を思い出して話題を変えてきた。

 

「あ、そうだ茉莉ちゃん。例の『アレ』、どうだった? 試してみた?」

「アレ、て・・・・・・・・・・・・」

 

 一瞬キョトンとする茉莉。

 

 だが、すぐに瑠香が言わんとしている事を察し、次いで顔を赤くする。

 

「い、いえ・・・まだ、です」

「え~?」

 

 途端に、瑠香は不満そうな顔で茉莉を見てきた。

 

「何で? 友哉君、絶対ああいうの好きだと思うけど?」

「だって、恥ずかしいじゃないですか・・・・・・」

 

 言葉の最後の部分が消え入りそうになりながら、茉莉は弱々しく反論する。

 

 話題に上っているのは、先日ブティックに行った際に瑠香の勧め(という名の強制)で買ったある物である。

 

 殆ど言われるがままに買ってしまった物だが、茉莉にとっては、聊かレベルが高すぎるブツのように思えるのだった。

 

「とにかく、香港にいる間に1回は試してみなよ。お姉ちゃんからの命令って事で」

「うう・・・・・・はい」

 

 がっくりと肩を落として、返事をする茉莉。

 

 「妹」の性とでも言うべきか、強気な「姉」にはなかなか逆らえない。どうやら、近々、羞恥プレイを強要されるのは確実になりそうだった。

 

 その時、

 

 コンコン

 

「あれ、誰だろう? 友哉君達、忘れ物でもしたのかな?」

 

 扉がノックされた音に気付き、瑠香は顔を上げる。

 

 茉莉もまた、ドアの方に視線を向け、

 

 次の瞬間、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 素早い動作で、立てかけておいた菊一文字を手に取って、ドアの方に向かおうとする瑠香を制する。

 

「茉莉ちゃん?」

 

 訝るような瑠香に答えず、茉莉はドアの方に鋭い眼差しを向け続ける。

 

 その表情は、先程までの脱力しきった物ではなく、戦いを前にした戦士としての顔が顕にされていた。

 

 

 

 

 

 戦い慣れしていると、空気が変化する瞬間と言う物が分かるようになる。

 

 張りつめた空気が場を満たす中、友哉はリラックスした風を装いながらも、僅かな警戒を滲ませたまま歩を進めていた。

 

 と、

 

「気づいたか、友哉?」

 

 傍らを歩く陣が、僅かに普段よりも低い声で話しかけてくる。

 

 どうやら陣も気付いたらしかった。自分達を取り巻く異様な雰囲気に。

 

「うん、ちょっと前からね」

 

 陣の質問に対し、友哉も相手以外には聞こえないくらい低い声で応じる。周囲にいるのが何者で、何人いるのかはわからないが、こちらが警戒しているのを悟らせないようにする。

 

 囲まれている。恐らく、周囲には武装した戦闘員が配置され、友哉達の動向に目を光らせているだろう。

 

 既に包囲網が完成しているのなら交戦は避けられない。ならば、僅かでも戦況を優位にするために、相手に与える情報は少ないに越した事は無かった。

 

「来るな」

「来るね」

 

 2人が頷き合った瞬間、

 

 背後から、踊り掛かってくる影があった。

 

 その手には、銀色に鈍く光る幅広の刃。青龍刀呼ばれる、古代中国の次代から使われていた刀で、エクスプレスジャックの時には戦ったココ3姉妹の1人、猛妹(メイメイ)も使っていた。

 

 振りかざされる刃が、友哉の首を狙って旋回する。

 

 次の瞬間、

 

 ドスッ

 

 友哉は振り向く事無く、鞘に納まったままの逆刃刀を背後に向かって繰り出し、襲撃者の鳩尾に鞘先を突き込んだ。

 

 物言わず、倒れ込む襲撃者。

 

 襲撃者が倒れるのと同時に、周囲に動揺の気配が広がるのが分かった。自分達が奇襲をかけたと思っていたのに、逆に反撃を喰らった事に動揺している様子である。

 

 更に、

 

「オラッ!!」

 

 すぐ傍らで鈍い音と共に、人が宙を舞う気配が起こった。

 

 振り返れば陣が、やはり自分に向かって来ていた襲撃者を殴り飛ばしている所だった。

 

 見れば、物陰や路地裏から、次々と人が湧き出してくるのが見える。それらは皆、手に手に物騒な武器を握っていた。

 

 もはや疑う余地は無い。彼等はここを友哉達が通る事を見越して待ち伏せしていたのだ。

 

 自分達をピンポイントで襲撃し、これだけの仕込みを香港の街中で仕掛ける事が出来る組織。そんな物は、藍幇以外にはありえなかった。

 

「それにしても・・・・・・」

 

 友哉は飛んでくる弾丸を回避しながら、呆れたように呟く。

 

 極東戦役における交戦規定には、雑兵による大兵力の投入を禁止する旨、条文として記されている。

 

 にも拘らず、藍幇はこうして大兵力でもって襲撃を仕掛けてきた。これは明らかに、規定違反である。

 

 どうやら藍幇の主導部は、自分の都合さえ良ければ、交戦規定を守る意思は端から無いらしい。

 

 と、次の瞬間、友哉は頭上に複数の気配が同時に浮かぶのを感じた。

 

 振り仰いだ先。

 

 アパートのベランダと思しき4階部分に、ライフルを構えた複数の人影が見て取れた。

 

 弾丸が一斉に放たれる。

 

 銃声と共に、友哉めがけてまっすぐに飛翔してくる弾丸。

 

 対して、

 

 友哉はその超絶的な視力と先読みを駆使した短期未来予測を発動、自身に向かって飛んでくる銃弾一つ一つを正確に補足する。

 

 振るわれる、逆刃刀の刃。

 

 銀の光が奔る度、弾丸は確実に斬り払われ、明後日の方向へとそらされる。

 

 驚愕したのは藍幇の構成員たちであろう。まさか、ライフルの弾丸を刀で防ぐ人間がいるとは、思っても見なかった様子である。

 

 腕は大したことは無い。せいぜい、素人が銃を持っている程度の話だ。

 

 飛んでくる銃弾を刀ではじきながら、友哉はそのように判断する。同じスナイパーでも、レキなどと比べるべくもない、たんに駆り出されてライフルを持たされて襲撃に加わった、という程度ではないだろうか?

 

 飛んでくる弾丸も、殆どが命中コースに無い所から見ても、それは間違いないだろう。

 

 だが、それでも頭上を占位された状態から、好き勝手に撃たれ続けると言うのは、気分の良い物ではない事は確かである。

 

 どうにかして、早急にスナイパーを排除する必要がある。

 

 友哉は決断すると、助走を付けるべく距離を取る。

 

「陣、お願い!!」

「おうよ!!」

 

 友哉の行動で、彼が何を狙っているのか察したのだろう。陣は友哉に向き直ると、腰をかがめるようにして体の前で両手を組む。

 

 そこへ、助走を付けた友哉が駆けてきて、陣の手の上に足を掛けた。

 

「おりゃァ!!」

 

 次の瞬間、陣は膂力を振り絞るようにして、友哉の小さい体を頭上高く放り投げた。

 

 跳躍する友哉。

 

 その高度は、既にアパートの4階部分まで飛び上がっていた。

 

 陣に膂力と自分の跳躍力を掛け合わせ、一気に飛び上がったのだ。

 

 降り立つと同時に、疾風の如くベランダを掛け抜ける友哉。

 

 狭い場所での戦闘になるが、問題は無い。スナイパー達は反撃する間もなく、打ちすえられて昏倒する。

 

 距離さえ詰めてしまえば、スナイパーなど何の脅威にもならない。

 

 友哉が全てのスナイパーを打ち倒すまで、1分もかからなかった。

 

 眼下に目を転じれば、向かってくる敵に対して、拳を振るって奮闘している陣の姿が見える。

 

 大柄な陣は的としては充分すぎる為、四方から撃たれて被弾している。

 

 しかし陣は、聊かも怯んだ様子は無い。防弾制服に覆われていない部分だけをガードして防ぐと、そのまま距離を詰めて、相手を殴り飛ばしている。

 

 かつて遠山金一(カナ)から「人間戦車」と称された、破格の防御力と攻撃力は未だに健在だった。

 

 だが、こうして足を止めて戦っていては、いつまでも離脱する事ができない。何か、抜本的な解決策が必要だろう。

 

「陣、よけて!!」

 

 言うが早いか、友哉はベランダから身を躍らせる。

 

 同時に逆刃刀を大上段に構えると、コートの裾をはためかせて一気に急降下していく。

 

「飛天御剣流・・・・・・」

 

 迫る地面。

 

 落着と同時に振り下ろされる刃は、迷う事無く地面に打ち込まれた。

 

「土龍閃!!」

 

 次の瞬間、飛び散った破片が散弾のように、周囲へと飛び散った。

 

 

 

 

 

 イクスのメンバー達が取ったホテルを突き止めた藍幇勢力は、直ちに奇襲をかけるべく行動を開始した。

 

 人数を集め、ホテルを完全包囲した上で、突入部隊を編成する。

 

 ホテルスタッフには藍幇構成員が多数いるので、下準備には問題は無い。加えて、多少騒いだところで、後始末するのも問題は無かった。多少物が壊れたところで、ホテルには後で藍幇から補助金が出る手はずになっていた。

 

 イクスは今、分散して行動している。ホテルに残っているのが、少女2人である事も確認済みだった。

 

 相手は武偵とは言え、女子高生2人。大人数で掛かれば、制圧するのは容易だと考えられた。

 

 突入隊がライフルを手に、瑠香と茉莉がいる部屋のドアへと、足音を殺して近付いていく。

 

 先頭の1人が、手を伸ばして扉をノックする。

 

 ノックに気付いた中の人間が、扉を開いて出て来た所で取り押さえる。その上で室内に雪崩込み、もう1人も押さえる。と言うのが作戦である。

 

 だが、

 

 一同は訝る。

 

 ノックをしたにもかかわらず、中からは何の反応も無い。

 

 既に、藍幇構成員でもあるフロント係の証言で、中に2人の少女がいる事は確認済みである。窓は嵌め殺しになっているので、仮にこちらの動きに気付いたとしても、逃げる事はできないはず。

 

 そう思って、再度ノックすべく手を伸ばした。

 

 次の瞬間、

 

 バガンッ

 

 盛大な音と共に、扉が斜めに斬り裂かれ、手を伸ばしていた藍幇構成員は、倒れてきたドアの下敷きになって押しつぶされた。

 

 次の瞬間、

 

 部屋の中から、小柄な影が2つ、勢いよく飛び出してきた。

 

 瑠香と茉莉である。

 

 茉莉が、ドアの外から不穏な気配が流れて来るのを察知し、2人は自分達が包囲されている事を悟ったのである。

 

 とっさに、窓を斬って逃げる事も考えたのだが、ここはホテルの5階。飛び降りれない高さではないが、外も包囲されている可能性が高い。下手をすれば、飛び出した瞬間、四方を囲まれる危険性もあった為、迂闊に飛び出す事も出来なかった。

 

 そこで、茉莉はあえて相手の意表を突いて、正面突破を図る事にしたのだ。

 

 向こうは、こちらが女子2人だけだと思って油断している可能性が高い。その心理の陥穽を突けば、突破する事も不可能ではないと思われた。

 

 結果は予想通り。茉莉の作戦は見事に図に当たっていた。

 

 思っても見なかった反撃を受け、藍幇側は大いに混乱する。まさか、自分達の方が先制攻撃を受けるとは、全く予想していなかったのだ。

 

 大兵力を擁して来た事も、完全に裏目に出ている。

 

 藍幇側は狭い廊下の中でひしめき合い、身動きが取れなくなってしまっていた。

 

 そこへ更に、拍車をかける事態が起こる。

 

「瑠香さん、今です!!」

「はいなッ」

 

 茉莉の合図に従い、瑠香は数個のボール大の球を床に転がす。

 

 次の瞬間、球の中から猛烈に煙が吹き出し、あっという間に廊下を満たし、視界を塞いでしまう。

 

 相手に先制攻撃を仕掛け、更に瑠香の煙玉を使って視界を封じ、その間に機動力を利して離脱する。それが茉莉が即興で立てた作戦だった。

 

 案の定、立ち込める煙のせいで完全に混乱を来した藍幇は、2人を追う事すらできないでいる。

 

 その間に茉莉と瑠香は、混乱に陥ったホテルの廊下を一散に駆け抜けて行く。

 

「これからどうするの、茉莉ちゃん?」

「まずは友哉さん達と合流しましょう」

 

 瑠香の質問に答えながら、茉莉は鋭く考えを走らせる。

 

 もしかしたら藍幇は、ホテルで茉莉たちを襲うと同時に、街に繰り出している友哉達、もっと言えばバスカービルメンバーをも襲撃しているかもしれない。敵は兵力ではこちらを完全に圧倒している。こちらを用意に分断して、各個撃破する事ができるのだから。

 

 ならば、茉莉達にできる事も決まっている。

 

 この状況を打破する為にも、一刻も早い合流が必要だった。

 

 

 

 

 

 携帯電話が着信を告げ、友哉は左手でポケットから取出し、耳に当てた。

 

「・・・・・・もしもし?」

《緋村、俺だ》

 

 良く見知っている少年の声がスピーカーから聞こえてくる。

 

「キンジ、どうかした?」

《ちょっと困った事態になってね、こっちの合流できないか?》

 

 キンジの言葉に、友哉はスッと目を細めた。

 

 このタイミングで合流を言い出してくる、と言う事は、どうやら向こうも藍幇から襲撃を受けているらしい。

 

 成程、別働隊がイクスを襲撃して足止めする一方、本隊はバスカービルを襲撃する手はずだったらしい。物量に勝る側は兵力を湯水のように使う事ができるから、寡兵を率いる身としては羨ましい限りである。

 

「ごめん、こっちも今、ちょっと忙しいんだ」

《・・・・・・成程》

 

 友哉のその一言で、こちらの状況を察してくれたらしい。キンジは細かい事は聞かずに頷いてくれる。

 

《判った、こっちはこっちで何とかする。お前はそっちを片付けてから合流してくれ》

「ん、判った」

 

 そう言うと、電話を切る友哉。

 

 互いの安否確認は必要ない。そんな事は、するだけ無駄である。

 

「・・・・・・・・・・・・さて」

 

 携帯電話をしまった友哉は、周囲を見回してから口を開いた。

 

「まだ、やりますか?」

 

 周囲に、怯えたような空気が広がる。日本語で言った言葉だが、意味的にはどうやら伝わったらしい。

 

 無理も無い。彼等は今、目の前にいる少女顔の少年と、自分達との間にある絶望的な戦力差を、嫌と言う程実感させられていた。

 

 友哉が立っている周辺。

 

 そこは、土龍閃の余波を受けて、地面が深く抉れる形で吹き飛んでいた。

 

 人知を超える速度と跳躍力を誇り、刀1本で地を砕く少年。

 

 そんな化物を相手に、いったいどうすれば勝てると言うのか?

 

 藍幇構成員達が、恐れをなして後じさろうとした。

 

 その時、

 

「ほっほー 随分と、派手にやったじゃねえか」

 

 突如、愉快そうな声が日本語で発せられる。

 

 とっさに、声のした方へと振り返る友哉。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

 

 吹き付けられた強風に、思わず友哉は顔を顰める。

 

 否、ただの風ではない。

 

 微量な殺気を伴った風は、間違いなく、一流の剣客が放つ剣気だ。

 

 場の空気を一変させるほどの剣気を前に、周囲を取り巻く藍幇構成員たちは皆、戸惑うような表情を見せる。

 

 そんな中を、

 

 日本刀を手にした青年が、ゆっくりと友哉に向かって歩いてくるところだった。

 

「あなたはっ!?」

 

 目を剥く友哉。

 

 対して相手は、さも面白そうに、口元に笑みを向けている。

 

「よう、久しぶりだな。元気だったか?」

 

 気さくにそう言って、挨拶してくる男。

 

 それは、あの骨喰島で交戦した、柳生当真(やぎゅう とうま)だった。

 

 

 

 

 

第7話「香港活劇」      終わり。

 



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第8話「藍幇城絢爛」

 

 

 

 

 

 

 

 

 油断なく刀を、正眼に構え直す友哉に対し、当真は淀みの無い足取りでゆっくりと近付いて来る。

 

 柳生当真。

 

 先の骨喰島での戦いで友哉が交戦した剣士。

 

 あの時の当真は、違法な生物兵器開発を行う浪日製薬の用心棒のような立場にあり、依頼によって島の調査に来た友哉の前に立ちはだかったのだが・・・・・・

 

「まさか、実は藍幇の構成員だった、なんてオチじゃないでしょうね?」

 

 探るように友哉は質問をぶつけてみる。このタイミングで姿を現した以上、間違っても一般人だとは思えないが、何しろ情報が少なすぎる。迂闊に相手の素性を判断する事はできなかった。

 

 対して当真は一瞬足を止めたが、すぐに面白い冗談を聞いたと言わんばかりに、口元に笑みを浮かべて見せた。

 

「そうだ って言ったら信じるか?」

「まさか、それこそ冗談でしょう?」

 

 おどけた調子の当真に対し、友哉はバッサリと斬り捨てるように返事をする。

 

 藍幇の構成員が、傭兵のような形で浪日製薬の用心棒をしている事への因果関係が思い浮かばない。よって、友哉の中では当真と藍幇は別の存在と認識するべき、と言う結論に達していた。

 

 しかし同時に、この場に当真が現れた事も偶然の一言で片づける事はできなかった。

 

 それは彼が左手に持っている、鞘に収められたままの日本刀が何よりも雄弁に物語っている。ただの香港観光なら、絶対に必要のない代物。明らかな交戦の意志を持って、この場に現れた証拠だった。

 

 足を止める当真。

 

 間合いは一足一刀。あと1歩進めば、互いに斬り込む事ができる位置で立ち止まり、両者睨みあう。

 

 その時だった。

 

 状況を周りで見守っていた、藍幇の構成員に動きが生じる。見れば、複数の者達が、当真の背後から襲いかかろうとしているのだ。

 

 彼等は、突然現れた当真を邪魔者と判断し、排除しようと襲い掛かっている。

 

 手に、それぞれの獲物を持って掛かっていく藍幇の構成員たち。

 

 振りかざされるナイフや鉄パイプが唸り会を上げて、当真に向かって振り下ろされる。。

 

 対して、当真は微動だにしない。向かってくる連中には一瞥すらくれず、その場に立ち尽くしているだけだ。

 

 そのまま打ち倒されるか?

 

 そう思った次の瞬間、

 

 当真の全身から放たれた殺気が、容赦なく周囲に発散された。

 

「ッ!?」

 

 突然の事に一瞬、目を細める友哉。

 

 衝撃波にも似た殺気を前に、友哉の警戒心は否が応でも高まる。

 

 まして、殆ど素人に毛が生えた程度の藍幇構成員など、今のでひとたまりも無かった事だろう。

 

 友哉が目を開けた時、当真に襲い掛かろうとした藍幇構成員は全て、何を成す事も出来ず地面に這いつくばっている光景が目の前に広がっていた。

 

 対して、この光景を現出した男は、この上ないくらいリラックスした調子で周囲を民話している。

 

「今、良いところなんだから、邪魔すんなよ」

 

 いっそ不気味なくらいに、静かな凄みを含んだ声。

 

 当真が発する気配に圧倒されたのだろう。残っていた藍幇の構成員達は、倒れている仲間を回収して撤退していくのが見える。

 

 一方の友哉はと言えば、刀を正眼に構えて当真と正対している。

 

 当真がこの場に現れた理由が、友哉と交戦する為である事は最早疑いない。それ以外に、香港に縁が無い当真がこの場に現れた理由は思いつかなかった。

 

 不可避な激突を前にして、友哉の中で高揚と緊張が同時に高まるのを感じる。

 

 当真との交戦は、これで三度目。

 

 一度目は邪魔が入った為に中断され、二度目は友哉の負傷を見て取った当真が自ら退いた為、どちらも引き分けに近い形で終わった。

 

 これが三度目の激突。そして、双方とも万全の状態で挑む最初の戦いとなる。

 

 腰を落とす当真。同時にその右手は、刀の柄を握る。

 

「この日を待っていたぞ。お前と再戦できる日をな」

 

 鯉口が切られる。

 

 友哉も、迎え撃つべく構えを八双に改めた。

 

 そんな友哉の動きを見ながら、当真はすり足でゆっくりと間合いを詰めてくる。

 

「まずは、我が三池典太、受け止めて見せろ!!」

 

 言い放った瞬間、

 

 鋭い踏み込みと共に、当真は抜き打ちを放ってきた。

 

 一瞬に迫る刃。

 

 対して、

 

 ギャリンッ

 

 友哉は構えた刀をとっさに立てて、当真の斬撃を防御、両者の刃は盛大な火花を散らしながら擦れ合う。

 

 次の瞬間、友哉が動いた。

 

 素早く刃を返すと、当真に対して真っ向から振り下ろしにかかる。

 

 唐竹割のように、正面から真っ直ぐに振り下ろされる逆刃刀。

 

 しかし、迫るその刃を、当真は一瞬早く刀を返して打ち払うと同時に、自身の刃を返して横薙ぎの一閃を繰り出してくる。

 

 当真の手に握られた、三池典太と言う刀。元々は光世と呼ばれる刀工が作り出した刀の数々の総称であり、身幅の広さと切れ味の鋭さが特徴である。また、刀身には魔を打ち払う力が宿ると言う言い伝えがあり、徳川家康の佩刀であるソハヤノツルギや、天下五剣の一振りである大典太が有名である。

 

 鋭く繰り出される当真の剣を回避しながら、戦術を頭の中で組み立てていく。

 

 銀の色の閃光が、友哉の視界を掠めて過ぎ去っていくのを感じる。

 

 緊張の為に、僅かに息を呑む友哉。

 

 打ち損ないは、即、死に繋がりかねない状況である。当真の実力に典太の切れ味が加われば、友哉の防弾装備は確実に斬り裂かれるだろう。

 

 後の先を狙うのは危険。

 

 そう判断した友哉は、自分の中で戦術を決定し、それを実行すべく行動を開始する。

 

 大きく後退を掛けながら、同時に手にした鞘に刀を収め、腰を落として構える友哉。

 

 抜刀術の構えである。

 

 当真も瞬時に、友哉が何を狙っているか察知したのだろう。高速の突撃に備えるべく、刀を構え直した。

 

 次の瞬間、友哉は地を蹴る。

 

 高速の踏込みから繰り出される、神速の抜き打ち。

 

 他者を圧倒するほどの速度で繰り出された銀色の剣閃は、一瞬で当真を打ち倒すべく迸る。

 

 後の先が危険であるなら、先制攻撃によって勝負を決めるしかない。そう考えた友哉は、自身のトップスピードで斬り込みを掛けたのだ。

 

 しかし、

 

「おっとッ!?」

 

 迫る友哉の刃に対して、当真は僅かに体を傾ける事で回避する。友哉の神速の剣に対して、当真は辛うじて追随して見せたのだ。

 

 しかし、

 

 次の瞬間、友哉の瞳は鋭く光る。

 

 こうなる事は、ある意味想定内である。そして、その為の布石も既に打っていた。

 

 迸る第二撃。

 

 双頭の龍は、獰猛な牙も顕にして鎌首をもたげる。

 

「飛天御剣流抜刀術、双龍閃!!」

 

 繰り出された左手。

 

 その手に持った、鞘の一撃。

 

 必勝を期す、神速の二段構え。

 

 双龍の牙が当真へと食らいつく。

 

「チッ!?」

 

 舌打ちする当真。

 

 これには、流石の当真も予測が追いつかなかったらしい。迫る鉄拵えの鞘を前に、既に回避が不可能なレベルである事を悟る。

 

 貰った。

 

 友哉がそう思った瞬間、

 

 ガキンッ

 

 金属的な異音と共に、友哉が繰り出した鞘の一撃が防ぎ止められる。

 

 当真は自身の膂力を最大限に駆使して、友哉の双龍閃を防いで見せたのだ。

 

 その光景に、友哉は思わず目を見開く。必殺を確信した一撃を、まさか防ぎ止められるとは思っていなかった。

 

 しかし、勢いまでは殺しきれない。

 

 無理な体勢で友哉の攻撃を受けとめた当真は、そのまま吹き飛ばされる形で10メートル以上後退、辛うじてブレーキを掛ける事で転倒を免れた。

 

「・・・・・・やるじゃねえか」

 

 友哉の追撃を警戒しつつ、当真は尚も不敵な笑みを浮かべて見せる。

 

 対して、友哉も刀を正眼に構え直し、警戒を解かずにいる。確実に決まったと思った双龍閃を防ぎ止められたのだ。油断する事はできなかった。

 

 戦闘続行。

 

 再び対峙し刀を構え直す、友哉と当真。

 

 両者の視線が空中で激突し、火花を散らした。

 

 両者は同時に地を蹴って駆ける。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そこまでェェェェェェ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大気その物が圧迫されたような大音声が鳴り響き、周囲の建造物が振動によって不規則な鳴動を起こす。

 

 その声は凄まじいまでの質量を誇り、思わず、斬り込みを掛けようとしていた友哉と当真も、動きを止めて振り返ったほどである。

 

 動きを止めた2人が、向ける視線の先。

 

 そこには、筋骨隆々とした大男が、大股で歩いてくる光景が見て取れた。

 

「・・・・・・・・・・・・あいつは」

「知り合いかよ?」

 

 当真の言葉に答えず、友哉は向かってくる大男を凝視している。

 

 呂伽藍(りょ がらん)は2人の前まで歩いて来ると、鋭い眼つきで両者を見据える。

 

「この場での、これ以上の交戦は控えて貰おう。どうしてもまだ続けたい者があれば、この俺が相手をするが?」

 

 厳かに発せられる言葉は、重みをもって戦場に浸透する。

 

 思わず、顔を見合わせる友哉と当真。

 

 しかし正直、双方とも互いを相手にするだけでも手一杯な状況である。ましてそこに「中華の戦神」などと呼ばれて恐れられている怪物に出てこられたのでは、面倒どころの騒ぎではない。共倒れになるであろう事は目に見えていた。

 

 不承不承と言った感じを抱えつつも、友哉と当真は互いに剣を収めるしかなかった。

 

 互いの刀が、それぞれの鞘へと納められる。

 

 と、そこで当真は、踵を返し、元来た道を歩いて戻り始めた。

 

「ちょっと!!」

「どこへ行く?」

 

 友哉と伽藍が呼びかけるが、当真は振り返る事は無い。

 

「興が冷めた。今回は、ここで退かせてもらうよ」

 

 そう言うと、右手を背中越しにひらひらと振りながら、歩き去って行く。

 

 対して友哉は、去って行く当真の背中を、ただ立ち尽くしてみ守る事しかできなかった。

 

 当真が何をしにここに現れたのか、そしてどこの所属の者であるのか、本来なら聞きたい事はいくらでもあるのだが、それをするには、当真を追いかけて再度の戦闘を行わなくてはならない。そうなると、必然的に伽藍も戦闘に介入してくることになる訳で、そうなると、友哉の敗北は必至と言う事になる。

 

 悔しいが、今の友哉には当真を見送る以外に取るべき道は無かった。

 

 それはそれとして、現実的な脅威は未だに厳然として友哉の前に立ちはだかっている。

 

 振り返る友哉の視界の中に、立ちはだかる中華の戦神。

 

 対して伽藍も、見下ろすような形で少女のような顔をした少年と対峙している。

 

 大人と子供どころの騒ぎではない。小柄な友哉の体躯と比較すると、伽藍は文字通り巌の如き存在感を醸し出していた。伽藍に比べたら友哉など、大山を前にした鼠に等しい。

 

 と、

 

「友哉!!」

「友哉さん!!」

「友哉君!!」

 

 そこへ、藍幇構成員との戦闘を終えた陣が駆けつけてきた。その後ろからは、茉莉と瑠香も走ってくるのが見える。

 

 既に周辺の制圧は完了したらしい、藍幇構成員たちはあらかた制圧完了している。大半の者は、友哉達の戦闘力に恐れをなして戦意喪失していた。

 

 茉莉と瑠香も、藍幇に襲撃されたホテルを脱出する事に成功した後、GPSのナビを頼りに、この場所へ辿り着いたのだった。

 

「・・・・・・何だあいつは?」

 

 友哉の傍らに立つと、陣は警戒するように拳を構える。陣も一目で、伽藍が容易ならざるを相手であると言う事を見抜いたらしい。

 

 同時に、茉莉は菊一文字の柄に手を掛けていつでも抜けるように身構え、瑠香も服の下に仕込んだ道具で掩護できるように身構えている。

 

 これで戦況は4対1。

 

 しかし、相手は中華の戦神という異名で呼ばれる程の男。九頭龍閃をまともに喰らっても立ち上がってくるような怪物を相手に、果たして数のアドバンテージが通用するかどうか。

 

 警戒心を前面に出す、イクスのメンバー達。

 

 対して伽藍は、4人を見据え、大きく息を吐く。

 

 何やら、厄介事を抱えているような、そんな雰囲気を持った伽藍の態度に、友哉達は訝りながらも警戒を解く事は無い。

 

 相手の実力を考えれば、警戒し過ぎるなどと言う言葉は存在しない。下手な油断は命取りになるであろう事は明白だった。

 

 そんな一同に対して、

 

「今回の件、藍幇を構成する者として、深く詫びる。申し訳なかった」

 

 そう言って伽藍は、警戒している友哉達に対して頭を下げてきた。

 

「おろ?」

 

 思わず、顔を見合わせる友哉と陣。

 

 てっきり、このまま第2ラウンドに突入するかと思っていた為、あまりにも予想の斜め上を行く事態に拍子抜けしてしまったのだ。

 

 中華の戦神と言う異名で呼ばれる豪傑が、一介の高校生4人に頭を下げている光景は、なかなかシュールだった。

 

 狐につままれたような友哉達に対し、顔を上げた伽藍は肩を竦めながら話し始めた。

 

「此度のイクスとバスカービルに対する襲撃だが、藍幇全体の意志ではなく、一部の者達が暴走した事に端を発している。よって、こちらにはこれ以上の交戦の意志は無く、兵を退く用意があるが、どうか?」

 

 どうやら、伽藍は休戦の使者としてこの場に現れたらしい。今回の件は、伽藍としても連絡を受けておらず、突発的な事態を収める為に、この場に姿を現したらしかった。

 

 この事を考慮すれば、藍幇もまた一枚岩では無いと言う事が読み取れるのだが。

 

「・・・・・・それを、僕達に信じろって言うんですか?」

 

 友哉は、尚も警戒を解く事無く尋ねる。

 

 実際に襲撃を受けた身としては、敵の言葉を素直に信じられないのは無理からぬことである。伽藍自身は、あまり小細工を好むような性格には見えないが、それでも油断する事はできない。

 

 正直、今この瞬間に襲い掛かって来られたとしても不思議は無かった。

 

 対して、伽藍も重々しい顔つきで頷きを返す。

 

「お前の言葉はもっともだ。しかし、既に香港藍幇代表の諸葛静幻、それに、そちらのバスカービル代表である遠山キンジとの間で休戦協定が締結されたと言う報告が入っている。ここで、我らが戦っても何の意味も無い事だ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 嘘、を言っているようにも見えない。

 

 それに、伽藍ほどの力を持った武人が、虚言を弄して相手を陥れるような事をするのは、どうにもイメージに合わなかった。

 

 更に言えば、ICCビルを出る前にキンジは、藍幇との戦いを交渉で解決できる可能性を示唆していた。その事を考えれば、今回の停戦の流れは自然な事であり、むしろ今回、交戦するに至った経緯の方こそが不測の事態であった、と言う方が納得できる。

 

「どうする、友哉?」

 

 どう対応すべきか迷った様子で、陣が尋ねてくる。聊か予想外の事態に、振り上げた拳の下ろし場所が分からない、と言った感じだ。

 

 だが、それは友哉も同じ事である。

 

 本当に師団と藍幇との間で休戦協定が締結されたのだとすれば、ここでこれ以上交戦すれば、折角の解決の糸口が水泡に帰す事もありうる。

 

 だが、チームを預かるリーダーとして、安易な決断ができないのも事実だった。

 

「・・・・・・まずは、確認させてください。話はそれからです」

「よかろう」

 

 友哉の申し出に対して、伽藍は謹厳な顔で頷きを返す。どうやら、友哉がそう言ってくるのも、予想の範囲内だった様子である。

 

 コートのポケットから、携帯電話を取り出すと、友哉はキンジの番号を呼び出してコールする。

 

 何はともあれ、ここでのこれ以上の戦闘は回避できた事は確実だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 藍幇城は先日、作戦会議の時に理子が話していた通り、タグボートで引いて曳航するタイプの浮城だった。

 

 だが、規模は想像以上に大きい。横幅200メートル、奥行き50メートル。それが3階建で構成された巨大な海の城塞である。

 

 規模だけでなく、その外壁を彩る装飾の数々も豪華の一言に尽き、朱色や藍色で色分けされた壁面には、四聖獣を象った、龍、亀、虎、鳳の像が飾られているのが見える。

 

 その藍幇上の全貌が見えてきた瞬間、イクスとバスカービルの面々は、驚く者、目を輝かせる者、無反応な者、それぞれ違った反応を見せた。

 

 イクスの4人は、概ね驚愕に分類されている。

 

「つか、派手すぎじゃね?」

「お金って、ある所にはあるんだね、ほんと」

 

 開いた口がふさがらない、と言った風情の陣に対し、友哉は驚き半分、呆れ半分といった調子で答える。

 

 藍幇が資金面で潤沢な組織である事は前から知っていたが、これではまるで成金趣味のお城のようにさえ見える。

 

 香港市街での戦闘が、伽藍の介入で中断された後、友哉はキンジに連絡を取り、休戦協定が事実であった事を知った。

 

 キンジも、第4のココ、機嬢(ジーニャン)や、例の孫悟空、孫と交戦状態に入ったが、そちらの戦いも、諸葛静幻が間に入った為、中断されたらしい。

 

 その後、友哉達はバスカービルのメンバーとも合流し、そこから車と船を乗り継いで藍幇城まで招待されたわけである。

 

 師団と藍幇との間で停戦、和平交渉が推進された経緯には、香港藍幇を束ねる諸葛が、どちらかと言えば藍幇内では穏健派であり、キンジが提示した停戦案に対して乗り気であった事が大きいだろう。そうでなければ、あのままなし崩し的に全面抗争に雪崩込んでいたとしてもおかしくは無かった。

 

 キンジと諸葛、双方の代表が和平に対して積極的である事から考えれば、今回の戦いは穏便のうちに済ませる事も期待できるのではないかと思われた。

 

「うわー おっきいねー、おっきいねー」

 

 瑠香がポカンと口を開けたまま、二度同じ事を口にしている。どうやら彼女自身、藍幇城の威容と外見の前に圧倒されている様子だった。

 

 やがて、クルーザーが接岸し、一同は藍幇城へと上陸を始めた。

 

 まず友哉が驚いたのは、浮島の上に城を建てていると言うのに、殆ど揺れを感じない事だった。

 

 これだけの巨体なら、多少の波が来ても、あまり揺れる事は無いだろう。浮力は充分に確保できている様子である。ただしその反面、凝った装飾をふんだんに施しており、構造自体はそれほど強く無いようにも見えた。

 

 さすがは元海賊組織の拠点と言うべきだろう。イ・ウーが母艦にしていたボストーク号にも驚いたが、これはこれで、また別種の驚きがあった。

 

「皆さんの荷物は、後ほど回収してお部屋の方に運ばせます。どうぞ、ご入城ください」

 

 そう言うと、ここまで自ら案内役を務めてきた諸葛静幻が、一同を城の中へと招じ入れる。

 

 代表自らホスト役を務めている辺り、本当に和平推進の意図があるのか、あるいはこれも戦略の一環であるのかは判然としなかったが、ここまで来た以上、他に選択肢がある訳でもない。

 

 一同は顔を見合わせると、戦闘を歩く諸葛に続いて、ぞろぞろと城の中へ入って行った。

 

 諸葛に続いて城の門の方を潜り、玄関ホールへと足を進めると、

 

 と、

 

「どーもどーもー!! お久しぶりー!! イ・ウーの頃以来だね!!」

 

 早速、顔見知りの女子を見付けた理子が、一瞬にして打ち解け、旧交を温めている。完全に同窓会のノリである。

 

 そんな理子を、呆れ顔で見詰める一同。

 

 あの順応の速さは見習うべきところなのだろうが、流石にあそこまでオープンな性格を模倣できるとは、誰も思ってはいなかった。

 

「よーし、りこりん、今日はとことん飲んじゃうよー!!」

 

 調子に乗った理子は、ウェルカムドリンクをラッパ飲みし始めている。

 

 何やら、ここに来た目的を忘れているような理子の様子に、一同はもはや溜息以外の物が口から出る事は無かった。

 

 

 

 

 

 案内された部屋は、どうやら貴賓室らしく、かなり広い作りになっていた。

 

 中国人の特徴なのか、赤や金色をふんだんに使った装飾や彫刻がこれでもかと配置されている他、壁際には何に使うのか良く判らないが玉座まで設置されている。

 

 その玉座には今、レキが無言のままちょこんと座っているのが見える。ほとんど身動きしないその様子を見ると、完全に人形に見えてしまう。

 

 白雪の説明によれば、中国では赤は健康運、金色は金運を示すらしい。流石は風水大国中国と言うべきだろう。この部屋も、そう言った風水的な要素を考慮して建てられているのは間違いない。

 

「悪くない部屋だけど、クリスマスツリーが無いのはいただけないわね」

 

 部屋の造りを無視してそんな事を言うアリア。そう言えば明日はイブ、明後日はクリスマス当日だと言う事を、友哉はすっかり失念していた。

 

『しまったな・・・・・・』

 

 アリアの言葉を聞きながら、友哉は己の迂闊さを悟り、心の中で舌打ちする。

 

 折角、茉莉と付き合い始めて初めてのクリスマスである。任務中ではあるが、どうにか時間を作って2人っきりで過ごしたかったのだが、この状況ではそれも叶わないかもしれない。

 

 チラッと視線を向けると、当の茉莉は、瑠香や理子と一緒に部屋の装飾を見て回っている。

 

 そっと、友哉はポケットの中に手をやる。そこには昨日、茉莉達がブティックに行っている間に買い求めた物が入っているのだが。

 

 これを渡す為にも、どうにか2人だけの時間を作りたいところだった。

 

「ツリーって・・・この部屋には似合わないだろ」

 

 キンジの呆れ気味の声を聞いて、友哉は我に返った。

 

 どうやら、先程のアリアが発したお国柄的にKYな発言を聞き咎め、ツッコミを入れたらしい。

 

 だが、やっぱりと言うべきか、キンジの至極まっとうな発言は、アリア必殺の横暴発言によって返された。

 

「似合う似合わないの問題じゃないの。キンジ、アンタが何とかしなさいよ、ツリー。明後日にはもう、クリスマスなのよ」

 

 どうやら、今朝の大喧嘩の事を未だに根に持っているらしいアリアは、強硬な主張を緩めようとしない。こうなったら、何が何でもキンジがクリスマスツリーを用意しない事には、納得しないだろう。

 

「見てわかるだろ。ここはバリバリの中国間だぞ、そんなもん置いたらカオスに・・・・・・」

Hum(ハァン)?」

 

 首を捻じ曲げた状態で、キンジを睨みつけるアリア。

 

 仕草こそ愛くるしいが、その殺気を伴った眼光は、並みのチンピラ程度なら裸足で逃げ出すレベルである。

 

 対して、

 

「お、俺はちょっと偵察(さんぽ)してくる。調査(ガサ)は武偵の基本だからな」

 

 などと言って、スタコラサッサとばかりに部屋を出て行く。

 

 その後ろ姿を見送り、

 

「キンジ・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は呆れ気味にため息を漏らした。

 

 今朝の啖呵は一体何だったのか、と思いたくなるような見事なヘタレっぷりだった。

 

 こうして藍幇城に入り込む事には成功したものの、これでは肝心の和平交渉がうまくまとまるかどうか、

 

 友哉は一抹の不安を抱かずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

第8話「藍幇城絢爛」      終わり

 



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第9話「軍師の覚悟」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分自身で驚いている事ではあるが、どうやら緋村友哉という少年は、アルコールに対してそれなりに高い適性を持っていたらしい。

 

 喉に流れる心地よい感覚を味わいながら、友哉は少し癖になりそうなその味を、存分に堪能していた。

 

 藍幇城に入城したイクスとバスカービルのメンバーは、藍幇勢力から手厚い歓迎を受けていた。

 

 正直な話、当初考えていた事を考えれば、これは予想外だった。

 

 師団(ディーン)藍幇(らんぱん)は現在、交戦状態にある。師団がわざわざ香港まで出向いてきた理由は、まさに藍幇との戦いに決着を付けるためだったはず。そんな中で敵本拠地へ乗り込んだわけであるから、敵意の視線を四方八方から送られたとしても不思議ではないと思っていた。

 

 しかし、師団との手打ちを念頭に置いている諸葛の方針が徹底されているのか、藍幇は終始、友哉達に対して友好的な姿勢を取り続けている。

 

 出された食事も、ちょっと他では見る事ができないくらいに豪華な物だった。

 

 所謂、満漢全席と言う奴で、中国大陸中から集められた山海珍味がこれでもかとテーブルを埋め尽くし、いかにも美味そうな雰囲気を出している。

 

 漂ってくる湯気を嗅ぐだけでも幸せな感覚になれるその料理の数々は、空腹時の相乗効果も相まって、いかにも美味そうである。

 

 最初は毒入りを疑ったが、ここに来てそれは無いだろうと思い、友哉は箸を取った。

 

 途端に、これまで味わった事が無いような美味が舌の上で踊るようだった。これまで日本でも何度か中華料理を食べた事はあった。知り合いの武装検事であり、自他共に認めるぐるめ家として知られる長谷川昭蔵から、自慢の店をいくつか紹介された事もあったが、それですら一切比べ物にならない。まるでこの世の最高の美味を賞味したかのような、そんな気分を味わっていた。

 

 隣を見れば、陣が凄まじい勢いで自分の前にある料理を掻きこんでいるのが見える。放っておけば、友哉の分まで食べてしまいそうな勢いだった。

 

 女子達も、それぞれ出された料理に目を輝かせながら箸を取っているのが見える。

 

 半ば、師団の宴会部長と化している理子などは、先頭切って料理に箸を突っ込んでいた。

 

 品行方正な白雪も、普段は全く食べられないような料理に目を輝かせ、傍らのメイドにせっせと作り方などを聞いたりしている。

 

 アリアには何と、彼女の大好物であるももまんフルコースが出されていた。アリアの夢であるももまんピラミッドに始まり、ももまん粥、ももまん麺、ももまんパフェ、ももまんまん(何じゃそりゃ?)等々、よくもまあ、そんな怪しげなメニューを考えた物である。そして、それらを全て平らげてしまうアリアもアリアである。

 

 レキの目の前には、黄色い箱がたくさん積まれている。それら全てが、彼女が常食しているカロリーメイト。中には、ここでしか手に入らないと言う超レア物の種類もあるらしい。レキはそれら、山のように積まれたカロリーメイトをもそもそと食べていた。

 

 瑠香と茉莉も、初めて食べる満漢全席に、目を丸くしながら口を動かしているようだった。

 

 キンジは、給仕をしていた中国娘から「はい、あーん」とされている所をアリアに見咎められ、蹴た繰り回されていた。これだけは、いつも通りの光景である。

 

 そうして、山海珍味を食べ終わった師団メンバー達は、宛がわれた部屋へと戻ったわけだが、カオスな状況は、尚も終わる気配を見せようとはしなかった。

 

 理子が見付けてきた、朱塗りのヒョウタンに入った「ジュース」をみんなで回し飲みした瞬間、第2Rは派手に幕を開けた。

 

 中身が酒だった事に気付いた時には、既に手遅れ。全員が回し飲みで口を付けてしまった後だった。

 

 後は、ご想像の通り。収拾の付けようが無い事態へ急速に転がり落ちて行くのに、そう時間はかからなかった。

 

 特にひどいのが、アリアと白雪である。

 

 どうやら泣き上戸だったらしいアリアは、酒を飲むなり、まるで見た目通りの幼子であるかのように、その場に座り込んで泣き出してしまったのだ。

 

 対して、白雪は怒り上戸だったらしい。

 

 その二人が掛け合わされると、どのような光景が現出するかと言えば?

 

「このピンク武偵!! アリアは、キンちゃん様としゃべる時と、女子だけの時とで態度が違ァう!! 特に機嫌が良い時、最初っから最後までニコニコデレデレと!! 私みたいに、旦那様を遠くから見張る・・・・・・じゃない、見守る慎ましさが理解できんのかァ!?」

「うえェェェん、白雪が苛めるゥゥゥ!!」

 

 普段の清楚振りや、あるいはキンジを想って暴走している状態とはまた違い、顔を真っ赤にして、まるで「鬼」のような外見に変化し、泣きじゃくっているアリアを小突き回している。

 

 正直、普段の白雪を知っていても知らなくても、見ていてドン引きする光景である事は間違いない。武藤あたりなど、見た瞬間に卒倒する事は請負だった。

 

 そこへ、面白がった理子が写メで撮影しようとして、キンジがそれを必死で止めている。

 

 目を転じれば、瑠香とレキが、隅の方で何やら寄り添うようにして眠っているのが見える。

 

 この喧騒の中で眠っている辺り、この2人もあまり酒には強くないらしかった。もっとも静かに眠っているだけなので、ギャーギャー騒いでいるアリアや白雪に比べると、無害である事はありがたかった。

 

 そんな2人に、茉莉がそっと毛布を掛けてあげている。茉莉も少し飲んだはずだが、彼女も意外な事に、平気な顔をしていた。

 

 と、

 

「おぉい、友哉。何やってんだ。こっち来て一緒に飲もうぜ!!」

 

 叫び声に苦笑しながら振り返ると、そこには酒入りの瓢箪を掲げて誘っている陣の姿があった。

 

 どうやら武偵校に入る前から飲酒経験があったらしい陣。うまい中国酒を飲んだ事で、上機嫌になっている様子だ。

 

 しかし、

 

「と、何だよ、もう終わりか?」

 

 逆さに振った瓢箪から液体が零れる事は無く、陣は舌打ちを漏らす。

 

 9人で回し飲みした上に、その後も陣が飲み続けていたのだから、無くなってしまうのはある意味当然である。

 

 その時だった。

 

「邪魔するぞ」

 

 野太い声と共に扉が開かれ、大柄な男が部屋の中へ入ってきた。

 

 伽藍である。

 

 その姿に、一瞬緊張の表情を見せる友哉達だったが、すぐに伽藍が武器らしい物は何も持っておらず、戦うつもりでこの場にやって来たのではない事が分かった為、警戒を解く。

 

 今の伽藍は武器を持っていないばかりか、戦闘用の格好もしていない。着ている中国の民族服も、どうやら防弾処理等はされていない、普通の平服であるらしかった。

 

 一方の伽藍はと言えば、入って来るなり、室内の惨状を見て目を丸くした。

 

「・・・・・・何だ、もう始めていたのか」

 

 歴戦の伽藍をして、この惨状がいったい何なのか、理解する事は難しかったらしい。

 

 伽藍は大股で友哉と陣の元までやって来ると、手に持っていた巨大な陶器製の酒瓶を、ドンと床に置いた。

 

「飲め、俺からの手土産だ」

 

 どうやら、伽藍は友哉達と酒を飲む為に、この場に来たらしい。

 

 一抱えもあるような酒瓶を前にして、流石に友哉と陣も絶句して伽藍を見る。中国のお国柄、二十歳前での飲酒が認められているとは言え、日本では当然ながら話は別である。だが、伽藍の様子は、そんな事はお構いなしと言いたげだった。

 

「んじゃ、早速」

「ちょ、陣!?」

 

 何のためらいも無く、酒瓶に手を伸ばそうとする陣に対して、友哉は驚いて声を上げる。

 

 対して陣は、酒瓶のコルクを開けながら、口元に笑みを浮かべる。

 

「まあまあ、良いじゃねえか。折角すすめてくれてるんだしよ」

「そう言う事だ。深く考えず、好意は受け取る物だぞ。それに、日本には『かけつけ三杯』と言う言葉があるそうではないか」

「・・・・・・いえ、それ、使い方違いますからね?」

 

 微妙にずれたボケをかます伽藍に対して、嘆息しながらツッコミを入れる友哉。とは言え、何となく飲まないといけないような雰囲気ができてしまっている。

 

 仕方なく友哉も、その辺に転がっていた湯呑を手に取って差し出した。

 

 

 

 

 

 伽藍の先祖は、遡れば三国志の時代にまで達するらしい。

 

 呂布奉先

 

 三国時代随一の武勇を誇ったと言う伝説を持った猛将であり、彼の桃園の三兄弟、劉備、関羽、張飛の3人を同時に相手にして互角に戦ったと言う言い伝えまである。

 

 しかし、そんな呂布も時代の流れには逆らえず、また生来の粗暴な性格が災いして人心を失い、やがて味方の裏切りにあって討たれる事になる。

 

 そんな呂布の子孫が、こうして現代にまで伝わっているのだった。

 

「緋村よ」

 

 飲み干した湯呑を床に置き、凄味のある眼光を友哉に向けてきた。

 

 傍らでは、陣と、それに茉莉も来て座り込み、一緒に酒を飲んでいる。

 

 その眼差しに一瞬怯む友哉だが、すぐに気を取り直して伽藍と向かい合った。

 

「貴様、藍幇に来る気はないか?」

 

 伽藍の言葉に、思わず友哉は湯呑を口に運ぼうとする動きを止めた。まさか、伽藍の口からスカウトの言葉が出て来るとは、予想外だったのだ。

 

 茉莉と陣も、緊張した面持ちで、友哉の言葉を待っている。

 

 この質問、2人にとっても無関係ではない。イクスのリーダーである友哉が、今後の去就をどうするかによって、彼女達の運命も変わって来るからだ。

 

 もし、友哉が誘いに乗って藍幇に行く事を決意すれば、茉莉たちは今後、友哉無しで武偵を続けるか、それとも友哉と一緒に藍幇に移籍するかを決めなくてはならない。

 

 そんな2人の視線を受けながら、友哉は探るような目で伽藍を睨んだ。

 

「・・・・・・どういうつもりです?」

 

 藍幇からの勧誘と言う意味では、以前にも修学旅行Ⅰの際にココ姉妹から誘われた事がある。あの時はきっぱりと断ったが。

 

 だが伽藍は、鏡高組での戦い時は問答無用で攻撃して来た。であるのに、今になって藍幇に勧誘してくる意図が読めなかったのだ。

 

「別に不思議がる事もあるまい? 今は極東戦役と言う戦乱が起こっている。ならば、どこの陣営であっても、自軍の戦力強化は急務だ」

 

 そう言いながら伽藍は、陣から酒瓶を受け取り自分の湯飲みへと注いでいく。

 

「ましてか、貴様ほどの実力の持ち主、どこの組織であったとしても、喉から手が出るほど欲しいのは必定と言えよう」

 

 それはそうだ。

 

 これからますます、戦況は激化する事が予想される。聞いた話では、バチカンのメーヤ等が参戦している欧州戦線の方も、師団と眷属の間で膠着状態が続いているらしい。この状況を打破する為にも、あらゆる手段を使ってでも戦力強化を急ぎたい気持ちは、友哉も同様である。

 

「さらに言えば、戦後の勢力配分も考えなくてはならん」

「・・・・・・戦後?」

 

 伽藍の突拍子の無い言葉に、流石に友哉も呆れるような思いに捕らわれる。まだ戦争の真っ最中だと言うのに、今から戦後の事を気にして、いったいどうしようと言うのか?

 

 だが、伽藍は平然とした調子で続けた。

 

「何を驚く必要がある? まさか、この極東戦役が終結すれば、それで戦いは終わりだなどと考えていた訳ではあるまい?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 正直な話、友哉は普通に、そう考えていた。

 

 極東戦役は、表の一般人には公表される事が無い為、そのような戦争が行われている事を知っている人間は皆無であると言っても良い。しかし、その規模や、個々の戦闘の激しさは、もはや「世界大戦」と呼んでも差支えは無い。

 

 これだけ大規模な戦争に巻き込まれたのである。いかに戦い慣れているとは言え、日本の一介の高校生に過ぎない友哉からすれば、戦争が終わった後も尚、戦いが続くなどと言う状況は、想像できるはずもなかった。

 

 だが伽藍は、さも当然の真理を語るようにして続ける。

 

「戦いはまだまだ続く。それは、我らが生きている限り、終わる事は無いだろう」

 

 そう言うと伽藍は、湯呑に満たした酒を一気に飲み干す。

 

 友哉に向けられる眼差しは、酒に酔いながらも、しかし戦闘中と比して聊かも眼光が衰える事は無い。

 

 人生 之 即 戦 也(じんせい これ すなわち たたかい なり)

 

 伽藍の眼差しは、そのように語っていた。

 

 戦神の眼光からは、見た物をそのまま射殺せるほどの殺気が込められているように思える。

 

 生きる為に戦いを欲する、猛獣の目だ。

 

「俺が所属しているのは天津系藍幇だが、俺は武功を積み、そこのトップを目指す事になる。だが、それで終わりじゃない。やがては藍幇全体を総べる盟主の座に君臨して見せる」

 

 己の野心を隠そうともしない伽藍。

 

 伽藍が天津系藍幇の所属なら、香港系藍幇のアジトである、この藍幇城は友哉達同様、伽藍にとってもアウェーと言う事になる。当然、不用意な失言を、誰かに聞き咎められる可能性がある筈なのだが、まるで、そんな事は些末事に過ぎないと言う風な態度である。

 

 自らに向かってくる者は、誰であろうと叩き伏せる。その自信がありありと見て取れた。

 

「中国の人口は13億。世界中の人間の、実に20パーセントが中国人と言う事になる。その中でも、藍幇は組織としては最大級だ。つまり、藍幇のトップになると言う事は、同時に世界の王になると言う事を意味する」

 

 世界の王

 

 それこそが、伽藍の野望に他ならない。

 

 覇道、と称して良いだろう。

 

 伽藍は正に、この21世紀の世界に対して覇を唱えようとしているのだ。まるで、並み居る敵を打ち倒して国家を建設した古代中国の皇帝達がそうしたように。

 

 聞いていた友哉はと言えば、思わず目眩がする思いだった。

 

 正直、極東戦役で、攻めてくる敵を迎え撃っているだけでも手一杯だと言うのに、目の前の男は、そこから更に世界まで相手にして戦おうとしているらしい。

 

 伽藍は鋭く、友哉を睨みつける。

 

「どうだ、緋村。お前も俺と共に来ないか? お前が俺の味方をしてくれるなら、これ程心強い事は無い。俺と共に、天下を目指してみようじゃないか」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 伽藍の言葉に対して、友哉は無言のまま、手元の酒を口へ流し込む。

 

 熱い味覚を喉で感じながら、友哉は伽藍の言葉を反芻する。

 

 世界を相手に戦う。

 

 それもまた、あるいは面白いかもしれない。

 

 誰もが認める程、性格的には温厚な友哉だが、それでも自分の中で戦いと言う物に面白さを感じている部分が、確かにそう感じている事を否定する事はできなかった。

 

 伽藍について行けば、きっとこれからも面白い戦いができる。

 

 飛天御剣流の持つ技を存分に振るい、心躍るような戦いの日々を送る事ができる。

 

 あるいは、それはそれで充実した運命であるように思えた。

 

 だが、

 

 友哉は静かに湯呑を置くと、揺るぎない真っ直ぐな瞳で、伽藍を見つめ返した。

 

「折角ですけど、お断りします」

「・・・・・・・・・・・・ほう」

 

 静かな友哉の言葉に、伽藍は短く息を吐くように返事をする。まるで、その答えが初めから判っていたかのような落ち着きぶりである。

 

 目を転じれば、茉莉と陣も口元にそれぞれ、笑みを浮かべて友哉を見詰めている。どうやらこちらも、長い付き合いから、友哉がこう答えるであろう事は判っていたようだ。

 

「僕は武偵です。犯罪者の手先になるつもりはありません」

 

 きっぱりと告げる友哉。

 

 だが、その脳裏には、もう一つ、秘めた思いがある。

 

 それは、友哉の血脈の中に、綿々と受け継がれてきた魂の理念。

 

 時代時代の苦難から、人々を救う事を目指した、飛天御剣流を操る者としての想いが、友哉の中には確かに根付いているのだった。

 

 それ故に友哉は、伽藍と同じ天を目指す事はできなかった。

 

「・・・・・・ま、良いだろう」

 

 そう言うと、伽藍は湯呑に残っていた酒を一気に飲み干した。そこには、誘いを断られた事に対する残念さは感じる事ができない。

 

 味方ばかりが強いと言う状況もつまらない。敵にも少しくらい強い奴がいた方が楽しめる。とでも思っているのかもしれなかった。

 

「どのみち、まだ時間はある。ゆっくりと口説くさ」

 

 そう言って、新たな酒を湯呑へそそぐ伽藍。

 

 対して友哉は無言のまま、その様子を見詰めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一夜明けた後、早めに目を覚ました友哉は、室内の惨状振りに目を覆いたくなった。

 

 昨夜のカオスぶりを物語るように、部屋の中は乱れまくっている。

 

 最もひどい事になっているのは白雪で、あの後いったい何があったのか、下着姿のまま、部屋の中央で大の字になっている。深酒が祟ったのか、二日酔いに苦しんでいる様子である。果たして、この姿を白雪のファンが見れば、如何に思うだろう?

 

 アリアはと言えばちゃっかりした物で、ちゃんと寝巻に着替えた上、巨大ベッドを1人で占領している。

 

 目を転じればレキと瑠香は、昨夜最後の記憶に合った通り、互いに寄り添うようにして眠っている。その横では茉莉も横になって静かな寝息を立てていた。

 

 陣はと言えば、昨夜の名残である酒瓶を片手に鼾をかいている。とは言え、飲んだ量では白雪以上の筈だが、こちらは飲み慣れているせいか、あまり辛そうにしていなかった。

 

 当の友哉はと言えば、やはり、酒の影響なのか、少し頭がぼんやりとしているような気がした。

 

 キンジと理子の姿は無い。もしかしたら、理子がキンジを連れ出して、強引に探検でもしているのではないかと思われた。

 

「僕も、ちょっと行ってこようかな」

 

 怠くなっている体を少し引き締めたいと思った友哉は、そう呟いて立ち上がる。ちょっとその辺をぶらぶらと散歩でもして来れば、酔いも抜けて気が晴れるだろう。

 

 そう考えた友哉は、皆を起こさないように、そっと扉を開いて出て行った。

 

 

 

 

 

 朝が爽快な気分になるのは、どこの国でも同じ事である。

 

 海に面した廊下を歩きながら、友哉はそんな事を考える。

 

 吹き上げてくる心地よい風を体に感じながら、友哉はそのように感じていた。

 

 風が気持ちいいのは、日本も中国も変わらない。だと言うのに、そんな中国と日本で、勢力を分けて戦っている自分達は、何とも奇妙に思えるのだった。

 

 故に、今回の和平交渉がうまく行く事は、友哉も願っているのだが。

 

 人の気配を感じて顔を上げたのは、その時だった。

 

「おはようございます。昨夜は良く眠れましたか?」

 

 中国の文官服を着た、細めの男は、そう言って友哉に笑い掛けてきた。

 

 諸葛静幻だ。

 

 荒くれ者揃いの藍幇を纏めるには、少々不釣り合いと思える程、線の細い外見の持ち主であり、とても戦闘向きな性格には見えない。

 

 しかし、戦場の勇者が、組織に相応しいと言いきれないのと同様、戦闘と縁薄い人物であっても、何がしかの誇れるものがあるなら、組織の長として充分にやっていけるわけである。

 

 香港系藍幇の結束力が強固なのは、昨日の戦いで既に感じている事である。故に、目の前の文官風の男が、ある種のカリスマめいた物を持っているのは確かである。

 

 目の前の男が貧弱そうに見えるからと言って、それを理由に侮る事はできない。

 

 ましてか相手は、あの諸葛亮孔明の子孫。戦乱続く三国時代に、知の力を示して世界を作った程の存在。間違い無く、世界最高の軍師と謳われる存在の末裔である。昨日のキンジと孫の戦いも舌先三寸で収めてしまったと言うのだから、ある意味、武勇を誇る伽藍よりも扱いにくい相手であると言えた。

 

 もっとも、中国では、「我こそは諸葛孔明の子孫也」と名乗っている者が、それこそごまんといるらしい。中には、村人全員が諸葛性で、全員が孔明の子孫を名乗っている場所もあるとか。そんな訳であるから、静幻が必ずしも孔明の直系であると言う証拠はどこにもない。

 

 しかし、その知略が本物である事は間違いなさそうだった。

 

「ちょうど良かった、これから遠山さんと峰さんをお誘いして、朝のお茶を飲むところでした。緋村さんも一緒にどうです?」

 

 朝から姿が見えないと思ったら、やはりキンジと理子は一緒にいたらしい。

 

 しかし、酒を飲んだせいで、未だに酔いが抜けきっているとは言い難い友哉からすれば、諸葛の申し出はありがたい物があった。

 

「お願いします」

 

 友哉は素直に、その申し出を受ける事にした。

 

 

 

 

 

 以外にも、諸葛が用意したお茶は、コーヒーだった。

 

 てっきり、中国茶が出て来るだろうと思っていた友哉に対し、諸葛はその心を見透かしたように笑いかける。

 

「最近では朝にコーヒーを飲む事が、中国でも流行ってまして」

 

 そう言って出されたコーヒーの味は、流石と言うべきか、そこらの喫茶店のコーヒーなど足元にも及ばないと思える程の味だった。朝には、比較的コーヒーを飲む事が多い友哉からしても、そのコーヒーが齎す味は、これまでに味わった事が無いくらいに美味かった。

 

 一緒のテーブルについているキンジと理子も、諸葛が淹れたコーヒーを口に付けている。

 

 朝早くから、2人して何をしていたのか、友哉としても気になる所ではあるが、女嫌いのキンジと、人をからかう事に関しては天下一品の理子である。実際の所は「何も無かった」のが正解なのでは、と友哉は考えていた。

 

「いや、しかし壮観ですね、こうして見ると」

「おろ、何がですか?」

 

 コーヒーカップに口を付けながら、友哉は諸葛の言葉を聞いてキョトンとした顔をする。

 

 この細目をした文官風の男が、いったい何を言っているのか測りかねているのだ。

 

 対して諸葛はにこにこと笑みを浮かべながらキンジを、次いで友哉を見詰めた。

 

不可能を可能にする男(エネイブル)に、計算外の少年(イレギュラー)。今をときめくお二人と一緒に、こうして朝からお茶を飲めると言うのは、他の方が聞いたら羨ましがるような贅沢です」

 

 諸葛の言葉を聞いて、友哉はピクッ眉を顰めた。

 

 イレギュラー、と言う名前を初めに友哉に行ったのは、シャーロック・ホームズだった。しかし、ここでまた、その名前を言われるとは思っていなかったのだ。

 

「かの名探偵をして、予測不能とまで言わしめたあなたの武勇は、藍幇のみならず世界中でも語り草になりつつありますよ」

「・・・・・・そうだったんだ」

 

 いったい、いつの間にそんな事になっていたのか?

 

 何だか、自分が急にアイドルか何かになったような気分になり、友哉は妙に気恥ずかしい気分になってしまった。

 

 と、そこでふと、諸葛の方に目をやった。

 

「おろ? そう言えば不可能を可能にする男(エネイブル)って?」

 

 尋ねる友哉。

 

 それに対して、傍らのキンジは、なぜか面白くなさそうに仏頂面を作ってそっぽを向いた。

 

 そんなキンジの反応を楽しむように、諸葛は続けた。

 

「遠山さんに付けられた二つ名ですよ。とても似合っていると思うのですがね」

 

 諸葛の返事を聞いて、確かに、と友哉も心の中で頷きを返す。

 

 これまでキンジは、幾多の戦いにおいて自分よりも遥かに強大な敵と渡り合い、そしてその全てに勝利してきた。

 

 不可能を可能にする、と言う意味では、これ以上、キンジに相応しい異名は他にないだろう。

 

 まあもっとも、当人の反応を見る限り、あまり気に入っていないであろう事は明白だが。

 

 と、

 

「ああ、そう言えば忘れるところでした」

 

 諸葛はハタと膝を打つと、いそいそと袖に手を入れ、中から小さい箱のような物を取り出して机の上へと置いた。

 

 指輪か何かを入れるような手のひらサイズの箱が差し出されると、キンジ、理子、友哉の3人は訝りながら、揃って首を突き出して覗き込む。

 

「これは?」

「アリアさんの殻金です。戦線会議の時に頂いた物ですが、良い機会ですのでお返ししときます」

 

 あっけらかんと言ってのける諸葛。

 

 しかし、言われた方は、思わず仰天しそうなほどの驚きを見せた。

 

 殻金と言えば、アリアの中にある緋弾を制御する宝石の事で、宣戦会議の時にヒルダによって解除され、居合わせた眷属勢力に1つずつ持ち去られた物だった。

 

 極東戦役においては、最重要アイテムの一つであり、これ一つ持っているだけでも、藍幇は師団に対してかなり優位に立てるはずなのだ。

 

「本物、か?」

「たぶん・・・・・・」

 

 箱の中に収められた緋色の宝石を見ながら、キンジと理子が信じられないと言った面持ちで呟く。

 

 この殻金は、アリアの今後の事も考えれば絶対に返してもらわなくてはならない物だったが、それをこうもあっさりと返してくるとは。

 

 玉藻相手ではないが、何だか狐に摘ままれたような気分だった。

 

「何で、今返してくれるんですか?」

 

 友哉は己の中の疑問をストレートにぶつけてみた。

 

 とにかく、これだけの物を呆気無く手放してしまう諸葛の真意が知りたかった。

 

 対して諸葛は、相変わらずニコニコしながら肩を竦めた。

 

「いや~ それが忘れてまして。あ、そう言えばと思って、昨日探してきました」

 

 あまりと言えばあまりにも間の抜けた答えに、思わず武偵3人がズッコケたのは言うまでもない事である。

 

 とは言え、この殻金が是が非でも返してもらわなくてはならない物である事に変わりは無い。

 

 殻金を指先で突きながらキンジは、探るような目で諸葛を睨み尋ねる。

 

「これを上手く使って、交渉を有利に進めようとは思わなかったのか?」

「今、そうしたつもりですよ。この殻金はもう結晶化している。これをアリアさんの緋弾に戻すには、相応の手配が必要になるでしょう。それは、あなた方がここから無事に帰ると言う事に他ならず、すなわち、私達と講和ないし決着した後に限られるのです。どうです? 一刻も早く藍幇との争いを手内にして帰りたくなって来たでしょう?」

 

 その言葉に、思わず友哉は、静かに喉を鳴らして緊張感を強める。

 

 諸葛がここで殻金を出したのは、恐らく好意半分、謀略半分と言ったところだろう。

 

 戦場において最も優れた戦いは、血を見ずに戦いを収めた事である、とは古今の兵法に通じるものではあるが、この諸葛は、正にその理想を体現していると言える。

 

 諸葛は自ら設定した戦略の中に、師団の行動を押し込める事で有利な状況を常に作り出しているのだ。

 

 対して師団側は、交渉の段階において後手後手に回りすぎていた。

 

「昔の諸葛と随分変わったな」

 

 キンジが内ポケットに殻金を収めるのを見詰めながら、理子がポツリとつぶやく。

 

 訝るような視線を向けてくる友哉とキンジに対し、理子は説明するような口調で続ける。

 

「昔の諸葛は、もっとムキムキの荒くれ者だったんだよ。人材の取り合いでシャーロックとやり合った事もある。それも、互角だった」

 

 その言葉には、キンジも、そして友哉も愕然とした表情を作り、思わず諸葛を見た。

 

 かつて、キンジと友哉が2人掛かりで挑み、互いに切り札を使って、ようやく勝利を売る事ができたシャーロック。

 

 そのシャーロックと互角に渡り合ったと言うのだから、昔の諸葛がいかに武闘派だったかが伺える。

 

 もっとも、今の諸葛は、良く言って「線の細い研究員」と言った感じであり、とても、あのシャーロックと互角以上に戦った武人とは思えなかった。

 

「よしましょう、昔の話は。あなただって好きではないでしょう。それに互角と言いますが、あれは完全に私の負けですよ」

 

 対して諸葛は少し硬い口調で、しかし、どこか照れたようなニュアンスを含めながら答えた。

 

「ノン、あたしは見た。あの戦い、最後にはシャーロックが戦うのをやめたんだよ。『諸葛君、残りの命を大切にしたまえ』って言ってね」

 

 その言葉を聞き、キンジはある種の確信に満ちた目でシャーロックを見た。

 

「お前、やっぱり、病気なのか?」

 

 何か思い当たる節があるのか、キンジが恐る恐ると言った感じで尋ねる。

 

 対して諸葛は、ただ穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。

 

「東洋医学でも、押さえられない物はありましてね。医者からは、あと数年の命と言われています」

 

 そう言ってから諸葛は、その細い瞳を僅かに見開いてキンジを、そして友哉を見詰めた。

 

「だからこそ、今、我々には必要なのですよ。あなた方のような強く、そしてカリスマを持った存在が、ね」

 

 そう告げる諸葛には、どこか理想と悲壮が入り混じったような雰囲気が放たれていた。

 

 諸葛の瞳が鋭く、友哉とキンジを見据える。

 

「私は今の長閑な香港藍幇が好きです。この藍幇を、次代を担う誰かに継いでもらいたい。しかし、私の体はこの通り、病魔に侵され、もう数年も影響力を保つ事はできそうに無い。その後は、強硬路線を敷く上海系藍幇や天津系藍幇に影響を受け、この香港もまた無法の組織へと転落するでしょう。だからこそ、お二人のように未来があり、そして人の心が分かるような方達に引き継いでもらいたいと思っているのですよ」

 

 その言葉を聞いて、友哉は諸葛が極東戦役に参戦した理由を何となく察した。

 

 自分の死期を悟った諸葛は、恐らく自身の後継者たるに相応しい人材を探す為に、病を押して極東戦役参戦を決意したのだ。

 

 かつて、諸葛亮孔明は自らの死期が近い事を知りながらも、蜀漢帝国を守る為に、二度と帰る事の無い戦場へと赴いた。

 

 その子孫である静幻もまた、悲壮な覚悟を持って戦いに臨んでいるのだ。己の大切な物を守る為に。

 

 と、

 

「・・・・・・武偵憲章10条『諦めるな、武偵は決して諦めるな』」

 

 キンジは、自身の覚悟を語る諸葛に対して、鋭い眼差しで言葉を返す。

 

「先が読めるのは良い事だろうよ。だが、この世には『絶対こうなる』なんて読みはあり得ない。だから諸葛、見える未来に納得ができないんだったら、抗えよ。俺も、緋村も、理子も、そして他のバスカービルやイクスのメンバーだってみんな、納得がいかない運命に抗ってここまで来たんだ。往生際悪く、な」

 

 流石は不可能を可能にする男(エネイブル)と言うべきだろう。

 

 運命とは、ただ敷かれたレールの上を歩くだけではない。道なき道を、己の力で切り開いてこそ価値がある物なのだ。

 

 少なくとも、キンジや友哉は、これまでそうやって戦い抜いてきた。

 

 対して、諸葛はニコニコとした笑顔のまま返事をする。

 

「好きですよ、遠山さんの・・・・・・日本人のそう言うところ」

 

 それは、諸葛にとっての本心である。

 

 だからこそ、彼はキンジのような強い人間に、香港藍幇を継いでもらいたいと思っているのだ。

 

 師団と藍幇。

 

 この香港における決戦が迫り来る中で、双方のカードは出そろい始めていた。

 

 

 

 

 

第9話「軍師の覚悟」      終わり

 



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第10話「運命を受け入れる意思」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 太公望はどんな気分で釣り糸を垂れたのだろう?

 

 ふと、友哉はそんな事を考えてみる。

 

 中国においては、三国時代よりもさらに古い時代に名軍師として名を馳せた太公望は、釣りをする時に、その頭の中には天下への大計を秘めていたと言う。

 

 で、

 

 なぜ、友哉がこんな事を考えているかと言うと、

 

 藍幇城のベランダで、キンジと2人、並んで釣り糸を垂らしていたからである。

 

「釣れないな」

「釣れないね」

 

 嘆息交じりに会話を交わす2人。

 

 香港の釣りは竿を使わず、プラスチックの糸巻きにテグスが付いた物を使うようだ。その釣糸を、2人は揃って海面に垂らしている。

 

 話によれば、毒の無いアイゴが釣れるとの事だが、しかし先程からヒットする気配は全くなかった。

 

 これはもう才能が無いか、場所が悪いかのどちらかとしか思えなかった。

 

 もっとも、キンジにしろ友哉にしろ、別に本当に釣りがしたかった訳ではない。ただ、天下の大計を秘めた太公望宜しく、今後の方針を落ち着いて考える時間が欲しかっただけなのだ。

 

 が、

 

「で、どうするの? 何か考えはまとまった?」

「お前の方こそ、何か無いのかよ?」

 

 2人揃ってこんな会話をしている時点で、既に太公望とは雲泥の差である事は言うまでもない事である。

 

 とは言え、このままでは師団側は、何もカードが無いまま、藍幇との停戦交渉に臨まなくてはならなくなる。そうなると後は、決裂、全面抗争と言う流れになる事は想像に難くなかった。

 

 せっかく無血で手打ちにできる糸口が見つかったのだから、何とか講和を成立させたいところなのだが、2人が無い知恵を絞っても、なかなか妙案と呼べるものが浮かんでこなかった。

 

 2人の背後に人の気配が現れたのは、そんな時だった。

 

「あんたたち、釣り下手ね」

 

 少しイントネーションに癖がある日本語で話しかけられ振り返ると、中華風にアレンジされたメイド服を着た少女が、呆れ気味に腰に手を当てて立っていた。

 

 首を傾げる友哉。いくら記憶の中を探っても、目の前の少女は見覚えが無かった。

 

 だが、キンジの方には何か思うところがあったらしくて、軽く驚いた様子で少女を見ていた。

 

「ユアン、藍幇城に来ていたのか。驚いたよ」

「まさか、あんたが噂の不可能を可能にする男(エネイブル)だったとはね。昨日、孫様と戦っているアンタを見て、びっくりして藍幇の上に報告したら根掘り葉掘り聞かれて、参ったわよ。『一晩一緒に寝た』って言ったらさ、言い方がまずかったみたいでさ。変な誤解されちゃってさ。あんた付きのホステスやれって、ここに来させられたの」

 

 ユアンと呼ばれた少女の言葉に反応したのはキンジ、ではなく、その横にいる少女顔の少年だった。

 

「ふーん、僕達が心配して必死になって探している時、キンジはこんな可愛い娘とよろしくやってたんだ」

「だから、それは違うって言ってんだろ!!」

 

 ジト目で睨んでくる友哉に対して、キンジは思わず大声で叫ぶ。

 

 この件に関して、アリアと大喧嘩をしてしまった事はキンジにとっても苦い事である為、ここで蒸し返されたくなかったのだ。

 

 そんな友哉の事を、ユアンと呼ばれた少女は不思議そうな眼差しで見詰めてくる。

 

「何、あんた? もしかして、こいつの彼女、とか?」

「「断じて違う!!」」

 

 見事にハモッた友哉とキンジ。何をとんでもないことを口走ってくれているのか、この中華娘は。

 

「この阿呆の事は放っておいていい。それよりユアン。何が用があったんじゃないのか?」

 

 尚も何か言いたげな友哉の事を脇に押しのけつつ、キンジはユアンへと向き直る。

 

 そんなキンジに対して、ユアンは周囲を気にしながら素早く近付くと、小声で話しかけた。

 

「来て」

 

 短く告げるユアンに対し、キンジと友哉は訳が分からず、顔を見合わせる。

 

 見れば、いつの間にかユアンの背後には、別の女性が立っているのが分かる。

 

 そんな2人の様子にもどかしさを感じながら、ユアンは手短に説明してきた。

 

女傭(メイド)長様が、『猴様が、遠山と会いたいと仰ってる』って言うから」

 

 その言葉に、キンジと友哉は思わず息を呑んだ。

 

 猴と言うのが、孫のもう一つの名前である事は、キンジから聞かされて友哉も知っていたが、まさか本交渉前に向こうから接触を持ちかけて来るとは思っても見なかった。

 

 恐らくユアンの背後に立っている、20代くらいのツンツンした感じの女性が女傭長なのだろう。良く見れば、着ているメイド服も、ユアンの者より立派な作りをしているのが分かる。

 

 ともかく、向こうが合いたいと言ってきている以上、こちらが拒否する理由は無い。もしかしたら、何らかの形で交渉を有利に進める糸口が見つかるかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユアン、キンジ、友哉、女傭長の順番で並んで歩きだす。

 

 道すがら話を聞いてみると、ユアンの本名はユアン・メイシーで、藍幇の末端構成員をしているらしい。住まいは北角で、どうやら彼女が、財布とケータイをスられて道に迷ったキンジに、一宿一飯を世話したらしかった。

 

「騙すつもりは無かった。俺達が北角で出会ったのは、本当に偶然だったんだ」

 

 そう言ってキンジは、隣を歩くユアンに頭を下げる。

 

 本人にそのつもりは無かったとしても、結果的にキンジは、自分がバスカービルのリーダーで、敵対組織である藍幇との抗争に決着を付けるために香港に乗り込んで来た事をユアンに隠していた事になる。その事でユアンがキンジの事を怒っていたとしても不思議ではない。

 

 しかし、予想に反してユアンは微笑を浮かべると、首を横に振る。

 

「判ってるよ。そういうタイプじゃないもん、あんた」

 

 その様子を後ろから見て、友哉は少し感心したように頷いた。

 

 どうやら、ユアンはなかなか良い子らしい。もっともそれは、宿無しのキンジを一晩とは言え自分の部屋に泊めた時点で、ある程度予想はできていたが。

 

 しかし、それにしても驚くべきはキンジだろう。どこにいても発揮するジゴロ振りは、天性の物としか言いようがない。最早、ヒステリアモードの有無は関係ないのではなかろうか? これで本人に「女嫌い」などと言われても、何かの冗談だとしか思えなかった。

 

 やがて4人は、中国風の座敷牢のような場所へ連れてこられた。

 

 牢と言っても別に、暗く殺伐とした雰囲気は無く、中は行灯の光で照らされており、桃の詰まれている皿や、猴の趣味なのかパズルゲームの本が置かれている。

 

 何だか、牢と言うより個人部屋と言った風情である。

 

 キンキラの畳の上に、猴は背中を向ける形で寝そべっていた。

 

 とは言え、相変わらず名古屋女子武偵校の制服を着て、更に尻尾も立てている為、後ろから見るとなかなか絶景な状態になっていた。

 

 思わず、目を逸らすキンジと友哉。

 

 そんな2人に構わず、ユアンは猴へと近づいた。

 

「猴様、遠山様をお連れしました」

「あゃ!?」

 

 思わず飛び跳ねるように起きる猴。同時に、空中で膝を折り畳んで、着地した時には正座の姿勢を取っていた。たまに、白雪がやる一発芸と同じである。

 

「と、遠山、お久しぶりです」

「お、おう・・・てか、昨日の朝、会ったばっかだろ」

 

 何やら、微妙な調子で挨拶を交わす2人。

 

 そのやり取りで友哉は、どうやらキンジが香港の街をさまよっている内に接触したもう1人の女性と言うのが、目の前にいる猴だと言う事が分かった。

 

 とは言え、

 

「あのさ、キンジ・・・・・・」

 

 どうしても拭えない疑問を、友哉は尋ねてみる。

 

「本当に、彼女が孫なの? 何か、雰囲気が違うって言うか・・・・・・」

 

 日本で対峙した時の孫は、いかにも好戦的であり、また、どこか神秘的な畏怖をも備えた、言ってしまえば得体の知れない存在だった。

 

 しかし、いま目の前にいる猴に、そんな雰囲気は感じられない。どこにでも居そうな、幼い感じの女の子である。

 

「詳しい事に関しては、前に話して置いた通りだ。今のこいつは猴で、言ってしまえば孫とは体を共有している二重人格みたいな物、で良いよな?」

「あい」

 

 確認するキンジに対し、猴は頷きを返す。

 

「孫として過ごすのは、心身ともに疲れが溜まるです。長時間それをやって猴に戻った直後はフラフラするです。勿論、もう普通に戦えますが、あと1日半ほど休めば完璧になるかと。なので、それまで猴は、ここで待機させられてるです」

「成程ね・・・・・・」

 

 友哉は猴の言葉を聞いて、大体の事情を察した。

 

 どうやら諸葛は、猴が万全になるのを待って本交渉を開始するつもりらしい。自身の知力と猴の武力。双方を備えれば、藍幇側は、正に最強の布陣となる。交渉の場においても、話を有利に進める事ができると言う訳だ。

 

「遠山たちと孫の戦いの事、ココ達から聞いたです。遠山たちが戦ったのに殺されなかったのは、孫が遊びに徹したからでしょう。ですが孫は負けず嫌い。次は遊ばず、すぐに討ち取りに行くはず」

 

 猴の説明を聞きながら、キンジは確かに、と頷く。

 

 友哉達が藍幇構成員達と戦闘を行っている頃、キンジは理子や白雪と共に猴と戦ったのだが、その際猴は、どこかキンジとの戦いを楽しんでいる節があった。

 

 だが、次は恐らく、初手から本気で来る。例の如意棒、レーザー光線を使って。

 

「遠山、孫を殺してあげてください。ここで私を殺せば混乱になりますが、孫となって戦う流れの中であれば、藍幇もそれを認めるはず。それが・・・・・・私を救う」

 

 最後の方を猴は、消え入りそうな声で囁く。

 

 対して、顔を見合わせる友哉とキンジ。

 

 猴は孫悟空。中国の、それこそ神話の時代から生きてきた存在だ。その際に辛い事がたくさんあったのだろう。

 

 戦いを望む孫と、その真逆である猴。2つの相反する性格が身の内にある事もまた、彼女にとっては辛い事なのかもしれない。

 

 だから求めているのだろう。自らを殺し、自らの人生に幕を引いてくれる存在を。

 

 その時、

 

「よし、殺してやる」

 

 それまで一言もしゃべらなかった女傭長が突如しゃべったかと思うと、突然、顔をベリベリと引き剥がしてしまった。

 

 あまりに突発的な事態に、その場にいた友哉、キンジ、猴、ユアンが揃って呆気に取られる中、女傭長の顔の下から、良く見知った金髪少女が姿を現した。

 

「「り、理子!?」」

 

 素っ頓狂な声を上げるキンジと友哉。まさかの展開に、ユアンと猴は口をパクパクと開閉させる事しかできないでいる。

 

「まだ交渉の道だってあるんだ。理子、妙な事を言うな」

「そうだよ。それに、武偵法9条だってある。殺して良い事なんてないよ」

 

 言い募ってくるキンジと友哉に対して、理子はやれやれとばかりに肩を竦めて見せる。

 

「キンジは相変わらずロリに甘いな。それに友哉も、流石は茉莉を彼女にするだけの事あるよ」

 

 色々な意味で、なかなか失礼な事を言う裏理子。

 

 とは言え、茉莉がスタイル的に理子に負けているのは胸くらいな物で、後は水準以上だと友哉は思っている。

 

 理子は屈みこんで猴の右目を確認してから、尋問するように詰め寄った。

 

「御託は良いから、レーザーの事をとっとと聞かせな。あれは超必だ、撃たせたらヤバい。何か返し技は無いのか? 湯気で弱らせたり、鏡で反射したり、そう言う簡単なのは無いの? ねえ猴ちゃーん」

 

 最後は猫なで声で言う理子。

 

 しかし猴は、ネコミミのような可愛らしい髪を振りながら、首を横に振った。

 

「如意棒は熱線銃みたいなものです。鏡は瞬時に溶け、蒸気など消し飛ばします」

 

 予想内の返事に、友哉は嘆息する。

 

 ジーサードのプロテクターを紙のように貫いたのだ。並みの防御が役に立たない事は初めから判っていた。

 

 銃弾弾き(ビリヤード)螺旋(トルネード)など、これまでキンジが編み出してきた数々の防御技は意味を成さない。勿論、友哉の刀で弾く事も不可能だ。コンマ数秒では、流石の短期未来予測も効果は無いし、逆刃刀の刀身も一瞬で消し飛ばされるだろう。

 

 猴の説明によれば、如意棒の直径はおよそ7ミリ、照射時間はコンマゼロ数秒、装弾数は1発で連射は不可能、再装填には1日弱掛かるとの事である。

 

 これだけ聞くと、こちらに有利なようにも見えるが、実際には防御も回避も出来ない事を考えれば、さして有利な要素にはなり得ない。

 

「・・・・・・如意棒は無敵の矛。『矛盾』の故事にある『どんな物でも貫ける矛』なのです。見えている物を目で狙うので、狙いを外す事もできません。光線は直進するので、進路を変えたり曲げたりすることもできません。速度も光速なので、発射の後にかわす方法も無いです」

 

 悄然とした調子で説明する猴。

 

 それに対して、理子はやれやれとばかりに肩を竦めた。

 

「ダメだこりゃ。キーくん、ユッチー、あまりに強い武器を持って来られたら『使わせない』。やっぱこれしかないよ」

「あい、猴も、そう思うです」

 

 理子の言葉に、猴も頷いて同調する。

 

「でも、今まで長い間生きてきて、何か貫け無かった物とか無いのかな?」

 

 尋ねる友哉。

 

 とにかく今は、少しでも情報が欲しいところである。何の情報も無いまま戦ったのでは、敗北は必至だった。

 

 友哉の質問に対して、猴は少し考え込んだ後、何かを思い出したように顔を上げた。

 

「あ、あの、思い出しました。確か、第二次世界大戦のとき、猴は軍人にされそうになったのですが、その時、実験をさせられたです。途中で脱走したのですが、その時の実験で、全力で撃ったのに、あとほんの数ミリで貫けなかった装甲板が・・・・・・」

「お、何の装甲板だよ?」

 

 身を乗り出すキンジ。ようやく、何か有益な情報が出そうな予感である。

 

「戦艦大和です」

 

 その返答に、思わず友哉、キンジ、理子は揃って肩を落とした。

 

 今もって世界最大最強を謳われる戦艦の装甲を貫けなかったとして、それが自分達にいったい、どんな有利な要素になり得ると言うのだろうか?

 

「正確には、米軍から情報供給を受けて、国民党軍が『こんな感じじゃないのか?』と想像して作った主砲防盾ですが。厚さ67センチの高脹力鋼でした」

 

 戦艦大和の装甲最厚部は主砲の前盾部分で、ここは砲撃戦の際に敵弾が命中する可能性の高い場所であり、かつ命中した場合、最大の被害を蒙る可能性がある場所である。厚さは65センチ。決戦距離(20キロメートルから30キロメートル)から放たれた1・5トンの砲弾を、余裕で受け止められると言う計算で設計されている。

 

 つまり、中国軍の計算は大きく外れてはいなかった事になる。勿論、材質の違いもある為、一概に正しいとも言えないが。

 

「理子、大和を盗んできてくれ」

「ちょーっと、荷が重いかなァー」

 

 キンジの無茶振りに、怪盗少女は苦笑しながら応じるしかない。いかに世界最大の大怪盗のひ孫であっても、沈んだ戦艦を引っ張ってくるのは難しいらしい。

 

 救いらしい救いがあるとすれば、大和型戦艦の主要装甲が実戦の場で破られた事は、歴史上皆無だと言うくらいだろうか?

 

 坊ノ岬沖で大和が沈んだ時も、レイテ沖で武蔵が沈んだ時も、米軍は延べ数100機に及ぶ航空機で猛攻を仕掛けたものの、ついに大和型戦艦の主要装甲は破壊される事無く、最後まで原形を保ち続けた。

 

 唯一、例外があるとすれば、戦後になって米軍が、戦艦信濃(建造途中で空母に改装された大和型戦艦の三番艦)の主砲前盾装甲を回収し、自国の戦艦の主砲で破壊して見せ「アメリカの戦艦は日本の戦艦よりも強い」事をアピールしたが、あれはかなりの至近距離から撃った物である為、何の参考にもならないだろう。

 

 まさに、如意棒を最強の矛とするなら、大和はこの場合、最強の盾になるのだろうが、それが事態の好転に何の寄与もしていない事は明白である。

 

 まず、大和の装甲に匹敵する盾を今から用意する事はできない。そして、仮に用意できたとしても、それが人の手で持ち運びできる物であるはずもない。

 

 まさに、お手上げだった。

 

「ただし、見かけ上、撃たせて外させる方法はあるかもしれません。色々と前提は必要になるですが。その直後に孫を殺してしまえば、証拠も残らないです」

 

 そう告げる猴は、どこか悲壮めいた覚悟をうかがわせる瞳で、キンジ達を見詰めていた。

 

「どういう事?」

「あい。遠山達の仲間に、日本の巫女がいますね。姓は星枷の筈ですが、違いますか?」

 

 恐らく、白雪の事だろう。一応、茉莉も巫女としての資格は持っているが、この場合の話題に出すには相応しくないだろう。

 

「白雪の事なら、その通りだが?」

「彼女は太刀、日本刀を持っていますね?」

「ああ、持っている。良く知っているな。孫が日記でも書いたのか? 藍幇に聞いたのか?」

 

 キンジが軽口混じりに尋ねると、猴は小さな声で「いいえ、刀の存在を感じたです」と答え、何やら1人でぶつぶつとしゃべり始めた。

 

「ふむ・・・・・・でも刀で孫を猴に戻さなかったと言う事は、彼女は孫の正体を知らないのかも・・・・・・あい、そうである事を祈りますが」

「おい、ひょっとして、白雪の刀で、孫を猴に戻せるって言うのか?」

 

 独り言を呟いている猴に対して、キンジは先を促すように話しかけると、猴は顔を上げて頷く。

 

「あい。逆もです。でも、悠久の時の中で、それに仕える術式の継承が途切れてしまったのかもしれないです。だとすると、私の作戦は成り立たないですが・・・・・・ここからは、白雪が術式を知っていると言う前提で話を進めるです」

「ちょ、ちょっと待て。何で白雪と孫が関係あるんだ? 今、『孫の正体』がどうとか言っていたが、お前は・・・・・・お前達は・・・・・・何者なんだ?」

 

 訳が分からないまま話を進めようとする猴を、キンジが慌てて制した。

 

 目の前にいる人物が孫悟空。それは良い。だがそれならなぜ、白雪と、否、星枷と関係しているのか、それが分からなかった。

 

 対して猴は、再び顔を上げて説明を再開した。

 

「星枷は古代、日本から緋緋色金を手に渡ってきて、時の皇帝の求めにより私を変えた緋巫女の一族。白雪は、その末裔なのです」

 

 その言葉を聞いて、友哉は長い歴史の中に隠された、驚きの真実を感じずにはいられなかった。

 

 まさか、日本の星枷と、中国の英雄、孫悟空との間に、そんな関係があるとは思っても見なかった。

 

 そして、

 

「猴はあくまで猴です。しかし孫は、十全な神ではない。不完全な『緋緋神』なのです」

 

 緋緋神。

 

 それは、このまま行けば、いずれアリアがそうなるであろうと警告されている存在。戦と恋を愛し、世に大乱を起こすと言われる凶神。

 

 その緋緋神と、孫は不完全とは言え、同格の存在であると言う。

 

「私の胸には、取り出せない位置に緋緋色金が埋まっているです。それは昔、星伽の巫女が外科的に埋め込んだ物なのですが、星伽の刀は、人類には制御できない緋緋色金の力を制御する為、人が作り出した物。今の言葉で言えば、制御棒のような物なのです」

 

 そう言えば、今までも推察するような材料がいくつかあった。例えば以前、イ・ウーとの決戦の前に戦った《砂礫の魔女》パトラは、白雪の刀、イロカネアヤメを盗んでいるが、あれがなぜ盗まれたのか、友哉はずっと疑問に思っていたのだ。イロカネアヤメは、確かに星枷の宝刀かもしれないが、世界中を探せば同格の刀剣がいくらでもありそうである。それなのに、パトラがなぜ、危険を冒してイロカネアヤメに拘ったのか?

 

 イロカネアヤメ。

 

 漢字で書くと、「色金殺め」とも読める。つまり、色金の使い手を殺める、あるいは自らの制御下に置く為に、あの刀を作り上げたのだとしたら、色々な事に辻褄が合ってくる。玉藻の話では、遥か昔、日本で猛威を振るった緋緋色金の継承者を葬ったのは遠山侍と星枷巫女であると言うし、緋弾の封印に使われている殻金も、星枷の手によって生み出された物だ。

 

 星枷が、緋緋色金に対する二重三重の保険として、イロカネアヤメを作り出したとしても不思議は無かった。

 

 そこまで考えた時、猴が再び話題を戻して離し始めた。

 

「如意棒は発射するまでに、溜めの時間があるです。それは右目が赤く光る時で、判りやすいです。光は次第に強くなっていき、あるタイミングで急に明るさが増すタイミングがあるです。そこからはもう、発射はキャンセルできないです。なので、その時を見極めて、星伽巫女の制御棒で、孫を猴に変えてください。猴はわざと外して撃ちます。そこですぐに、遠山が猴を撃ち殺すです」

 

 言わば八百長試合。

 

 ただし、これはスポーツではなく戦争の一環である。この作戦を実行すれば、猴は、否、孫と猴は確実に死ぬこととなる。

 

 すぐには、答える事が出来ないキンジ。

 

 無理もない。武偵法9条で、日本の武偵は殺人を禁じられている。

 

 否、そんな事は関係無い。

 

 こうして、曲がりなりにも知り合いになった相手を殺す事について、ためらいを覚えない方がおかしいのだ。

 

 そんなキンジの葛藤を察したのだろう。猴は優しく微笑んで告げる。

 

「遠山、この話、遠山に預けます。星伽巫女とその下相談、それに遠山の心の準備の時間も要るでしょう。ですがそれも、一昼夜あればできると信じます。遠山は男の子。今度こそ、しっかり勝ってくださいね」

 

 そう言ってから、猴は今度は友哉の方へと向き直った。

 

「緋村、あなたが遠山を支えてあげてください。遠山は優しいから、この件ですごく悩むと思うです。そんな時に、一緒に考えてあげてほしいです」

「・・・・・・・・・・・・分かった」

 

 少しの沈黙を置いてから、友哉はそう答える。

 

 見つめる猴の姿。

 

 殆ど小学生くらいにしか見えないその小さな姿が、友哉には何だか、とても神々しく見えるのだった。

 

 

 

 

 

第10話「運命を受け入れる意思」      終わり

 



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第11話「駆け上がれ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 藍幇城の廊下を歩きながら、友哉はぼんやりと、猴が語っていた事を考えていた。

 

 不完全な緋緋神として生を受けた孫。

 

 その孫が持つ、最大最強の必殺技、如意棒。

 

 その如意棒を封じる手段として、猴自ら提案してきた八百長試合。

 

 しかし、そこに待っているのは、猴の死と言う納得しがたい結末である。

 

 受け入れられない事は言うまでもない。

 

 しかし、ではそれ以外に何かあるのか、と問われれば、今の友哉には何の妙案も浮かばないのもまた事実である。

 

 最強の矛を前にして、それを防ぐ事は人間には不可能だろう。

 

 しかし猴は、如意棒の光線でも戦艦大和を貫けなかったと言った。今回の件、唯一、突破口があるとすれば、そこなのだが、果たして・・・・・・

 

 その時、

 

「おろ?」

 

 前方から、良く見知った人物が歩いて来るのが見えて、友哉は足を止めた。

 

 茉莉である。

 

 だが、どこかそわそわしているような雰囲気が感じられる。前から歩いて来る友哉の存在にも気づいていないのか、しきりに自分の足元を気にしているような、そんな感じ。

 

「茉莉?」

「ひゃいッ!?」

 

 友哉が声を掛けると、思わず裏返った声で返事をしてきた。

 

「ゆ、ゆゆ、友哉さん!?」

「ど、どうかしたの?」

 

 予想外の反応をする茉莉に、友哉も目を丸くして尋ねる。自分の彼女が何をそんなに驚いているのか判らなかった。

 

 対して茉莉は、必死の形相で首を振っている。

 

「な、ななな、何でもあり、ありませんよ?」

「そ、そう?」

 

 何となく言葉のイントネーションがおかしかったが、友哉はそれ以上聞かない事にした。何だか、これ以上突っ込んだら悪い気がしたので。

 

「それより友哉さん、こんな所でどうしたんですか?」

「うん、実はね・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は、先程の猴との会見の事を茉莉に話した。

 

 事実上、如意棒を無力化する手段は存在しない事、唯一の可能性として、孫もろとも猴を殺す事。

 

 茉莉も、固唾を呑んで友哉の言葉を聞き入る。

 

 彼女にとっても、猴の死を持って決着を見ると言う終わりは、受け入れがたい物があるのだった。

 

「それしか、方法は無いんですか?」

「無い。少なくとも今のところは」

 

 友哉は厳しい表情で答える。

 

 「今のところは」と友哉は言ったが、もう本交渉開始まで24時間を切っている。それで決裂すれば師団と藍幇の全面抗争は再開となる。そしてそうなれば、如意棒の攻略法が無い師団の敗北は免れないだろう。

 

 まさに、状況は手詰まりになりつつあった。

 

「とにかく、この件は私達だけで考えるには難しすぎます。皆さんと相談して、何かいい方法が無いか考えましょう」

「うん・・・・・・そうだね」

 

 茉莉の言葉に、友哉も頷きを返す。

 

 とにかく、まだわずかだが時間もある。その間にイクスとバスカービル、9人で知恵を絞れば、何か妙案が出るかもしれなかった。

 

 そう言うと、友哉は茉莉の肩に手を回す。

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 とっさの事で、驚いて声を上げる茉莉。

 

 だが、すぐに友哉の手の温もりを肩に感じ、ほんのり、頬を赤く染めた。

 

「さあ、部屋に入ろう。夜は流石に寒いから」

「はい・・・・・・」

 

 頷きを返す茉莉。

 

 2人はそのまま連れ添って、部屋の中へと入る。間も無く食事の時間だ。それが終わったら、皆を集めて決戦に向けた打ち合わせを行おう。

 

 そう考える友哉。

 

 だが、

 

 部屋に入った瞬間、その場に満ちる異様な緊張感の存在に気付いた。

 

「友哉さん・・・・・・」

 

 茉莉も同時に、部屋を満たす気配に気づいたのだろう。友哉の手から離れ、手に持った菊一文字をいつでも抜けるように身構える。

 

 部屋の中には、キンジや陣を始め、友哉と茉莉以外の師団メンバーが全員そろっていた。

 

 だが皆、一様に緊張を満たしながら、部屋の奥を凝視している。

 

 その視線の先には、

 

「きひひ、ようやく来たネ、ユウヤ、マツリ」

 

 ココ4姉妹の1人が、不敵な笑みと共に立っていた。

 

 恐らく、猛妹(めいめい)だろう。以前、新幹線の上で戦った際、レキの狙撃で吹き飛ばされたツインテールが、短いままになっている。

 

 そして猛妹の足元には、縛られて転がされているユアンの姿があった。それだけを見ても、この状況が異常である事は間違いない。

 

 一同の視線が集まる中、猛妹は掛け軸の巻物のような物を広げて見せた。

 

 中には、何かが掛かれている事は判る。

 

 しかし、そこに書かれた内容を読めた者は、師団メンバーの中にはいなかった。あまりにも異体字の行書だらけだったためだ。

 

 そんな一同を見回し、猛妹はドヤ顔で説明を始めた。

 

「・・・・・・お前達に説明してやるネ。これは上海藍幇からの辞令ヨ。『遠山金次には、上海藍幇より、武大校の位、終身契約前払いで3000万人民元の給与を与える。曹操姉妹は全てその、正妻側室にする。遠山が中国語を覚えるまで女性教師を付ける』と書いてあるネ」

 

 その辞令、特に後半部分を猛妹が読み上げた瞬間、アリアと白雪が殺人鬼も裸足で逃げ出すような目でキンジを睨みつける。

 

 猛妹は構わず続けた。

 

「あと、『神崎・H・アリア、緋村友哉は武中校、星枷白雪、峰理子、レキ、相良陣、瀬田茉莉、四乃森瑠香はそれぞれ武小校とし、何れも遠山金次配下とする。以上の条件を持って、バスカービルとイクスは藍幇に下る事』、ネ。キンチの大校と言うのは旅団長くらいの地位ヨ。それより上は藍幇全体でも20人いるかいないかネ。つまり序列20位ぐらいにいきなり入れる破格の待遇。これ断る宇宙規模の馬鹿。キンチがそこまで馬鹿なら、極東戦役のルールで、決闘してしまえ、そのお許しももらたヨ」

 

 ようするに「従うなら破格の待遇を約束する。さもなくば死ね」と言う事だろう。何とも判りやすい話ではないか。

 

 そんな猛妹から視線を外し、キンジは彼女の足元に転がされている少女の目をやった。

 

「ユアン、何かひどい事はされなかったか?」

 

 キンジの問いかけに対し、ユアンは気丈にも首を振って見せる。

 

 その様子を猛妹は、薄笑いを浮かべて見つめる。

 

「この娘が気になるネ? キンチ、お前なかなか見る目あるヨ。この娘、銃突きつけても何も吐かなかったネ。とぼけるの上手かったネ。こいつはこれから、キンチの召使にするネ。そうした方がキンチも藍幇で過ごしやすくなる違うか? それに、コイツ吐かせる必要無いネ。猴をちょっと締め上げたら、峰理子に会った事を判ったある。ココ達、峰理子のひん曲がった性格は良く知っているヨ。何かはともかく、変な手を打ったに違いないネ。こっちが諸葛みたいにノロノロしていると、理子動き出す。理子がいる判った時点で、ココ達は上海に、この辞令出させるよう動いたある」

 

 成程。

 

 猛妹の言葉を聞きながら、友哉は状況を頭の中で整理する。

 

 藍幇ほどの巨大組織ともなれば、意志決定に関しても一枚岩とはいかないらしい。今回の件、もっとも先手を打つ形で事を進めたのは、どうやら諸葛でもイクス・バスカービルでもなく、ココ姉妹であったようだ。

 

「諸葛はどうした?」

「あいつはもう、退場ネ」

 

 尋ねるキンジに対して、ココはこともなげに言い放った。

 

「諸葛にあるのは頭だけある。上海はまだ、諸葛に香港藍幇を治めさせるつもりだけど、それもそろそろ終わりヨ」

「良いのか、そんな言い方して? 諸葛はお前の上役なんだろ?」

「それも今日までネ。キンチが武大校なれば、その正妻も位階が上がるのがルールある。それで一発逆転して、諸葛は曹操(ココ)の部下になるネ。なんでちょっとフライングして、諸葛はもう捕えてある。きひひ」

 

 口元に笑みを浮かべる猛妹。

 

 どうやら状況は、思っている以上にきな臭くなっているらしい。ココ姉妹が造反し、諸葛を捕えて、状況を有利に進めようとしているのが今回の事態に繋がっているようだ。

 

「キンチ、この辞令が最終交渉、兼、ココのプロポーズある。政略結婚で藍幇とバスカービルは朋友、ついでにイクスも朋友。お前達、これから一緒に頑張って、藍幇のトップ目指すね」

 

 「プロポーズ」のくだりに、バスカービル女子が沸点を上げる中、

 

 この中のリーダーであるキンジは、

 

 不敵な面構えと共に言い放った。

 

「これは上海のミスだな。人選をしくじった」

 

 いかにも好戦的な意欲を隠そうともしないキンジの口調に、キョトンとする猛妹。

 

「諸葛なら良かったんだけどな。ココ、お前じゃだめだ」

 

 ビシッと言ってのけるキンジ。

 

 その貫禄と、鋭利さを兼ね備えた瞳が、切れ味を感じさせる眼光を伴って、猛妹を貫く。

 

 まさに、英雄の如き、堂々とした姿であろう。

 

 否、数多いる英雄であっても、今の金次に匹敵する者は、そうはいないはずだ。

 

 そんなキンジを見ながら、

 

 猛妹は額からダラダラと汗を流しつつ、思わず後じさる。

 

「・・・・・・お、お前・・・・・・お嫁さん、男の方が良かたあるか・・・・・・」

「ちょ、まッ!?」

 

 ある意味、藍幇城に来て最大級の衝撃が走ったかもしれない。

 

 キンジ的には「諸葛以外とは交渉するつもりはない」と言うニュアンスで行った心算だったのかもしれないが、先程のセリフは確かに、取りようによっては「俺の嫁はココじゃなくて諸葛の方が良い」と言ったようにも思える。

 

 同時に、イクス、バスカービル両チームのメンバーは、一斉に波が引くように後退する。

 

「キンジあんた・・・・・・ワトソンとミョーな感じで仲が良いとは思ってたけど・・・・・・それと、あんたのお兄ちゃんの事には、あまり触れないようにはしてきたけど、やっぱり、血は争えないのね・・・・・・あっ、いや、別にあたしは差別とかはしないわよ・・・・・・?」

「キ、キンちゃん・・・・・・なかなか私にお情けをくださらないと思ったら・・・・・・そ、そう言う事だったんですか? これは、子孫繁栄に大きな障害が・・・・・・」

「うひゃー・・・・・・これは夾ちゃんに報告の要ありだね・・・・・・薄い本が厚くなるなぁ・・・・・・前科も考えると、つまりどっちもいけるクチって事だよね・・・・・・さすがキーくんだわ」

「・・・・・・・・・・・・」

「やるな、遠山。流石は不可能を可能にする男(エネイブル)の実力って訳か・・・・・・こいつは侮れねえぜ・・・・・・」

「えっと、遠山先輩の本命って、もしかして、友哉君だったりする? ほら、見た目可愛いし」

「ゆ、友哉さんは私のです!!」

「おろ・・・・・・・・・・・・」

 

 一同揃って、失礼極まりなかった。

 

「そ、そっちの話じゃねえよ!! 和平交渉に!! 出て来るのが!! 諸葛のままだったら!! 良かったのにな!! って意味だ!!」

 

 焦って叫ぶキンジ。

 

 それに対して一同は、揃って生暖かい目でキンジを見守っている。

 

 まあ、人の趣味は人それぞれ、て事にしておこう。優しく見守ってあげようじゃないの。別に悪い事してる訳じゃないし。

 

 とは、全員(猛妹含む)の一致した見解だった。

 

 と、

 

「気を付けェ!!」

 

 突然、キンジが体育の時の蘭豹よろしく、大音声で号令をかけた為、一同は思わずその場で背筋を揃えて立ち尽くしてしまった。

 

 そんな一同を見回し、キンジは殊更、厳しい調子で言った。

 

「お前等のリーダーとして命じる。ここでの飲み食いは、もう十分しただろ。これからは仕事の時間だ。『働かざる者食うべからず』だぞ!!」

 

 言い放ってからキンジは、視線を再び猛妹に向けた。

 

「ココ、俺が言うのも何だが、もっと広い視野を持てよ。日本には『金の問題じゃない』って言葉がある。金や地位で世界中の誰もが動くと思ったら大間違いだぞ。確か中国にも、『巧言令色少なし仁』とか言う言葉があるだろ?」

 

 金や地位につられて動くなら、その人物は三流以下に過ぎない。

 

 真の男とは、ただ己の中の誇りの為に動く物である。

 

 キンジの堂々とした態度は、そのように語っていた。

 

 対して、

 

没法子(しょうがない)没法子(しょうがない)。あい判ったネ。要するにキンチはココを、藍幇をフッたって事ネ。ま、半分はこうなるかもって思ってたヨ。キンチを味方にしたかったけど、それは諦めたある。決闘よ!!」

 

 猛妹はそう言うと、手にした掛け軸を真っ二つに引き破ってしまった。

 

 求婚から、一転しての宣戦布告。その切り替えの早さは、流石と言うべきかもしれなかった。

 

 対してキンジも、さして驚いた様子も無く猛妹と向かい合った。

 

「決闘は俺も想定の範囲内だ。だがココ、極東戦役のルールに基づいて、弱者の介入は許さない。そのルールに従う分には、こっちも従ってやる」

「どういう事ネ?」

「負けた奴はお望み通り、藍幇に入ってやるって事だよ。勿論、俺も含めてな」

 

 その言葉には、だれも異論は挟まない。

 

 元々、極東戦役の交戦規定にはそのように定められているし、全員、その事は初めから織り込み済みである。

 

 猛妹の方にも異存は無いようで、すぐに頷きを返してきた。

 

(シイ)。ココも藍幇城を壊したくないし、諸葛の報告のせいで使える兵隊も数減ってたとこネ。狭いとこで頭数揃えても邪魔ある。ただし藍幇の手勢は、狙姐(ジュジュ)炮娘(パオニャン)猛妹(メイメイ)機嬢(ジーニャン)、それと女傭隊(メイズ)。人数は伏せるあるが、この城を守る精鋭の特殊部隊いるネ」

 

 どうやら、話を聞く限り、イクスとバスカービルの数的劣勢は否めないようだった。

 

「それから呂伽藍(りょ がらん)。あとは、きひひっ 斉天大聖孫悟空」

 

 やはり、藍幇側の切り札はそこだろう。

 

 中華が誇る戦神と、伝説の英雄、孫悟空。これほどの好カードは他にあるまい。

 

「バスカービルとイクス、『死亡遊戯』やるネ。藍幇城は3階。1階につき1人のココが守るヨ。屋上には最後のココと孫、あと伽藍、諸葛も立会人としていてもらっているネ。まあ、そこまでイクスもバスカービルも、1人でも辿りつけるかどうかは、お楽しみある」

 

 死亡遊戯

 

 中国が世界に誇るアクションスター、ブルース・リーの遺作となった映画の題名。そこではリーが、各階で敵が待ち構える塔を上っていくシーンがあるとか。まさに、それの再現なのだろう。

 

「キンちゃん、この子の言っている事は本当だよ。孫は屋上にいる。それを感じるの」

 

 そう言って、白雪がキンジに寄り添うようにして告げる。

 

 その手には既にイロカネアヤメが握られ、いつでも抜けるようにしている。

 

 猛妹もまた、2本の蛇剣を手に取って白雪と対峙する。

 

「星枷白雪、お前の相手はこの猛妹ネ。お前は9月に新幹線を斬って計画を台無しにしてくれたネ」

「なら今度は、星枷侯天流がお城を斬ってあげるよ」

 

 挑発的な言葉を返す白雪に対して、猛妹は酒棚からブランデーを取り出すと、グイッと一気に煽った。

 

 戦闘開始前に気付けの一杯、ではない事は判っている。

 

 飲む量が尋常ではない。急性アルコール中毒になりそうなほどの量を、猛妹は一気に飲み干していく。

 

「気を付けなさい白雪ッ あれはただ飲んでるんじゃないわ。酔拳、その剣術版よ。嘘か本当か知らないけど、酔えば酔う程強くなるとか」

「あれは俺も二度見た。あそこまでの量じゃなかったがな。ココの動きが不規則になって、予測しづらくなる。舐めて掛からない方が良い」

 

 既に交戦経験のあるアリアとキンジが、白雪にアドバイスを送っている。

 

 そこで、それまで口を開かなかったレキが、窓の外を見ながら言った。

 

「キンジさん、友哉さん、外に船が集まっています」

 

 レキの指摘通り、外の海には大量の船が集まり、明かりによって高校と照らし出されているのが見える。

 

 窓からは全貌を見渡す事はできないが、恐らく藍幇城を取り囲むようにして並んでいるのではないだろうか? 間違いなく、全員が藍幇の構成員だろう。

 

 そこへ、酒を飲み終えた猛妹が、酒瓶を投げ捨てながら言った。

 

「気づくの遅いネ!! まー、安心するヨロシ。あれは非戦闘員ヨ。お前達、藍幇城から泳いで逃げる事できないようにする、壁の役目ネ。キヒヒ」

 

 猛妹の意地の悪い笑顔を横目に見ながら、友哉は相手の狙いがそこだけではないと感じていた。

 

 たとえば、サッカーや野球の試合において、味方チームの本拠地でやる場合と、相手チームの本拠地でやる場合、選手に掛かるプレッシャーは次元が違うレベルにまで達すると言う。それが勝敗に対して、大きく影響する事もある。

 

 サッカーには、「サポーターは12人目のプレイヤー」と言う言葉まであるくらいである。敵地での戦いとは、そのサポーターに包囲され、四方八方から圧力を掛けられた状態での戦いを余儀なくされるわけである。その為、選手は実力を大幅に減じた状態での戦いを余儀なくされる。

 

 非戦闘員に城を包囲された状態で、これから戦いに赴かねばならない友哉達の心境は、まさにそのような感じだった。

 

「友哉さん・・・・・・」

 

 友哉に寄り添っていた茉莉が、小さな声で話しかけてくる。

 

 その瞳には、既に鋭い光が宿っている。少女もまた、戦いに赴く覚悟を固めているのだ。

 

 見れば、周囲にはいつの間にか、陣と瑠香も寄ってきている。

 

 これから始まる戦いは、今まであまり経験の無い、敵地での戦い。だが、誰も、恐怖を感じている様子は無い。茉莉も、陣も、瑠香も、いたっていつも通りである。

 

 それは即ち、自分達の実力に絶対の自信を持っているからに他ならない。

 

 イクスもバスカービルも、今まで数々の激戦を潜り抜けてきた。故に、この程度の逆境など、考慮するまでも無かった。

 

 藍幇城の正面に設置された銅鑼が打ち鳴らされる。

 

 それが開戦の合図だったのだろう。外のサポーターたちが一斉に歓声を上げるのが聞こえてきた。

 

 最早、後戻りはできない。師団と藍幇は、最後の決戦へと突入したのだ。

 

「ほら、じゃあお言葉に甘えてこの階は白雪に任せて、みんなで上に行くわよ。わたしも、そろそろ体がなまって来たし」

 

 早速仕切っているアリアが、何やらポケットからリモコンのような物を取り出すとボタンを押しこんだ。

 

 途端に、そこら中の瓶や調度品の中から、何か金属のサーフボードのような物が次々と飛び出してきて、アリアの小さな体に装着し始めた。

 

 徐々に形作られていくその姿が、アリアのホバースカートだと気付くのに、そう時間はかからなかった。

 

 なかなか、壮観である。ホバースカート自体、近未来的な外見をしている為、まるでアリアは少女型の戦闘機のような印象さえ受ける。

 

 と、思ったのもつかの間だった。

 

「あ、あれ?」

 

 アリアが何やら、焦ったような声を出した。

 

 何度かリモコンを操作しようとするが、飛んできたサーフボード状の部品は、床に落ちたり、窓から飛び出して明後日の方向に飛んで行ったりしている。明らかに、正規の動作状況とは思えなかった。

 

「おろ・・・・・・まさか・・・・・・」

 

 唖然とした調子で、友哉は言葉を絞り出す。

 

 まさか、アリア自慢の新兵器であるホバースカートは、この大事な局面になって故障でも起こしたのだろうか?

 

 不幸な事に、友哉の予感は杞憂ではなかった。

 

「え、ちょ、ちょっと、止まれ!! 止まれってばー!!」

 

 そのまま、アリアの小さな体は、床から若干浮いた状態でホバースカートに振り回され始める。

 

 流石は平賀文(ひらが あや)印とでも言うべきか、性能が折り紙つきなら、壊れる時の派手さも折り紙つきだった。

 

 そして、

 

「お、おい!!」

「え、ちょ、ちょっと、避けなさいよ!! バカキンジ!!」

 

 言った瞬間、

 

 「わざわざキンジが避けた方向」に突っ込んで行ったアリア。

 

 そして2人は、そのままもつれ合うようにして床に倒れ込む。

 

 アリアが、キンジの顔面に座り込む形で。

 

 恐らく今、キンジの視界の前ではトランプ柄のお花畑が広がっている事だろう。もっとも、状況的にはそれどころではないのだが。

 

「おおおー おおおー!! これはゴイスー!!」

「キンちゃんは、よっぽどそれが好きなんだね・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 呆れ気味の視線を2人に送る、残りのバスカービル女子達。イクスメンバーの反応も、概ね似たような物である。

 

「あー・・・・・・飲み直すヨ、もう一瓶・・・・・・」

 

 猛妹もまた「やってらんねー」とばかりに、酒棚からもう1本、ブランデーを取り出して栓を開ける。

 

 決戦を前にして、何を桃色めいた事をしているのか、と言った感じである。

 

 だが、

 

「おろ・・・・・・でも、これってもしかして・・・・・・」

 

 ある事に気付き、友哉はピンと来た。

 

 そんな中、アリアは自分の股間の下からキンジの頭を引っ張り出している。

 

 すると、

 

「やあ、アリア」

 

 いっそ不自然とも思える程、キンジは落ち着いた調子でアリアに話しかけてきた。

 

 そのまま背筋の力だけを利用して立ち上がり、同時にアリアを、お姫様抱っこの状態で抱え上げる。

 

「思い出したよ。アリアと俺が出会った日の事。あの時はアリアが俺を受け止めてくれたけど、今日はその逆の事ができた。少しは、あの時のお礼ができたかな?」

 

 これで歯が浮かないのはおかしいと言いたくなるくらい、キンジは優しい口調でアリアに話しかける。

 

 そんなキンジを見て、友哉は自分の直感が正しかった事を確信した。

 

「これは、結果オーライって事で良いのかな、キンジ?」

「その言い方は予定調和のお約束みたいで気に入らないぞ緋村。だがまあ、お前の言うとおりだよ」

 

 そう言って、アリアを抱えながら肩を竦めて見せるキンジ。

 

 ヒステリアモード

 

 性的興奮を覚える事で戦闘力を何倍にも高める、キンジにとって最強のワイルドカード。これで師団は、万軍を得たも同然である。

 

 友哉とキンジは、互いに不敵な笑みを交わし合う。

 

 土壇場だが、師団側のカードは、これで全て出揃った。

 

 キンジは次いで、白雪の方へと向き直る。

 

「ここは白雪に任せる。白雪が目撃した、今の俺のような姿も、二度ある事は三度ある。三度目は白雪と、かもしれないね。白雪が猛妹に勝って、俺とまた会えれば、だけど」

 

 何じゃそりゃ、と言いたくなるようなセリフも、今のキンジなら何のためらいも無く言い放つ事ができる。

 

 だが、白雪にとっては、その言葉だけで充分すぎた。

 

 頭に巻いた、リボンのような飾り布を躊躇いなく解き放つ白雪。

 

 それはただのリボンではない。世界でも最強クラスの超能力者(ステルス)である白雪の能力を封じておくリミッターなのだ。

 

 抜き放ったイロカネアヤメの刀身から焔が迸る。

 

 これで勝てる。

 

 これまでも何度か見た事がある、白雪の勇壮な戦姿を目にして、友哉はそう確信する。

 

「行くぞ」

 

 アリアを抱えたままのキンジが、先頭を切って走り出す。

 

 それに続く一同。

 

 今、最後の決戦の幕が、切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先頭を友哉と茉莉が走り、その後ろを理子、レキ、そしてアリアを抱えたキンジが続き、陣と瑠香は後衛として背後の警戒に当たっている。

 

 決闘スタイルになった為、当初考えていたような絶望的な戦力差での戦闘は避けられたのだが、問題は依然として残っている。

 

 友哉は走りながら、背後から続いているキンジを見やる。

 

 あの如意棒を、キンジがどうやって攻略するかが、気になる所である。

 

 猴が提示した八百長作戦は、もう使えない。あれは白雪が万全の状態で戦列に加わる事が最低条件である。仮に白雪が猛妹に勝利し、その後合流したとしても、力を使い果たした彼女が、孫を制御できるとは思えなかった。

 

 とは言え、希望が無い訳じゃない。

 

 今のキンジはヒステリアモードになっている。思考力も数倍に高まっている為、何か、昼間には思いつく事ができなかったアイデアを、今なら思いつけるかもしれない。

 

 多分に他力本願である事は否めないが、今はそれに賭けるしかなかった。

 

 それに、友哉も他人の心配をしている場合じゃない。

 

 予想はした事だが、伽藍が参戦している以上、友哉は彼の相手をしなくてはならない。

 

 あの九頭龍閃をまともに喰らっても、一撃では仕留める事ができなかった戦神を相手にどう立ち向かうべきか、友哉自身、まだ答えは出ていなかった。

 

 その時。

 

「チッ 来やがった」

 

 最後尾を走っていた陣が、舌打ち交じりに立ち止って背後を振り返る。

 

 見れば、玄関の方からワラワラと人が雪崩込んでくるのが見える。数は30以上と言ったところだろうか? いや、玄関の外にはまだ人の気配がある為、50人くらいはいそうである。

 

 しかし、問題なのは彼等が、どう見ても戦闘員には見えないと言う事だ。鉄パイプやらナイフやら、一応武器は持っているが、動きがいかにも素人くさい。陣形も何も無く、ただ勢いに任せて突っ込んできている感じだ。

 

 彼等は恐らく、外で包囲網を敷いていたサポーターの一部だろう。どうやら、開戦の合図で興奮して、「我こそは」とばかりに、戦場に雪崩込んで来たのだ。

 

 サッカーなどの試合でも、行き過ぎたファンがルールを無視して試合場に雪崩込む事はたまにあるが、正にそれと同じ事がここでも起きていた。

 

 とは言え、状況はあまり宜しくない。

 

 相手は素人とは言え、数が多い。更に、この上には精鋭部隊が網を張って待ち構えているのだ。このまま上がったのでは挟撃される事になる。

 

「友哉、遠山、ここは引き受けるッ オメェ等は先に行け!!」

「みんなが戦う時間くらいは稼ぐから!!」

 

 最後尾の陣と瑠香は、そう言うと反転し、押し寄せてくるサポーター達に向き直る。どうやら、迎え撃つつもりのようだ。

 

「瑠香さん!!」

「茉莉ちゃんは行って!!」

 

 ふとすれば引き返しそうになる茉莉を、瑠香は叱咤するようにして促す。

 

「友哉君を、助けてあげて!!」

 

 背中は私達が守るから。

 

 敵に向かって行く瑠香は、無言の内にそう語っているのが分かる。

 

 唇を噛みしめる茉莉。

 

 本音を言えば、今からでも行って2人の援護をしたい。しかしここで逡巡していては、陣や瑠香、白雪の献身が無駄になってしまう。

 

 ならば、歯を食いしばって、この城を上りきるしかなかった。

 

「行きましょう、まだ敵はたくさんいますから」

 

 殊更、固い口調で言うと、茉莉は再び先頭を走りだす。

 

 その背後からは、喧騒と、物が壊れる音が派手に聞こえてくるのが分かる。

 

 だが一同は最早、背後を振り返るような事はしなかった。

 

 

 

 

 

第11話「駆け上がれ!!」      終わり

 



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第12話「穿つ龍牙」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 理子の説明によれば、三階層になっている藍幇城は、二階までがオープンになっているが、籠城戦になった時に備え、二階から三階まで上がる部分は、階段が一つあるだけであるらしい。

 

 一本道と言うのは厄介だ。前後を挟まれたら、否が応でも応戦せざるを得ないからだ。

 

 ルールを破って階下に雪崩込んで来たサポーター達は、取りあえず今のところ、殿を務めてくれた陣と瑠香がキッチリと押さえてくれている。

 

 だからこそ、残りのメンバー達は迅速に階上へと駆け上がり、この藍幇城を攻略する事が求められる。

 

 戦略上の要衝は、何と言ってもフロアを繋ぐ階段。そこに、敵が布陣していると思われるのだが。

 

 その階段があるフロアまで来た時、

 

 それまでキンジにお姫様抱っこされていたアリアが、合図して飛び降りると、一同に止まるよう促す。

 

 一同の先頭に立ったアリアは、防弾制服のネクタイを摘まんで、そっと物陰から外に出す。

 

 途端に、嵐のような縦断の洗礼が吹き荒れた。

 

 やはりと言うべきか、この先に藍幇は布陣しているらしい。それも恐らく、猛妹(メイメイ)の話にあった女傭隊(メイズ)だろう。

 

「銃はQBZ-95Bが12とQBZ-03が4ね」

 

 一瞬で相手の陣容を掴んだアリアが、スカートの下から漆黒と白銀のガバメントを抜き出して構える。

 

 アリアが言った銃はどちらも、北方工業公司製のアサルトライフルで、銃身が短く、取り回しが効きやすいカービンである。

 

 女傭隊を指揮する炮娘は、その甲羅の中央で腕組みをして仁王立ちをしていた。

 

 いささか厄介である。こちらの持っている銃も、それぞれフルオート射撃が可能なように改造が施されているが、何しろ数が違い過ぎる。正面からぶつかっても、火力の差で押し切られてしまうのは火を見るよりも明らかだった。

 

 しかも厄介な事に、女傭隊はシースルーの盾を並べて壁を作っている。ちょうど、巨大な亀が甲羅を横に向けて寝転がっているような物である。あれでは並みの攻撃では突破できないし、恐らく閃光弾や音響弾に対する対策もしてきているだろう。

 

 後は炸裂弾で吹き飛ばしてしまうくらいしか手が無いが、それをやると、最悪死者を出してしまう可能性すらある。

 

 正に鉄壁の布陣。道はここしかない以上、ここを突破しない限りは、会場へ上がる事は不可能だった。

 

 さて、どうするか?

 

 火力での応戦は、できない事も無い。キンジ、アリア、理子、レキ、茉莉の5人で応戦すれば、敵を無力化する事は不可能ではない。しかしその場合、こちらの弾丸切れも覚悟しなくてはならないだろう。これからさらに上に強敵が控えている現状での弾丸切れは命取りになりかねなかった。

 

 後は機動力に勝る友哉、茉莉、アリアの3人が飛び出して、相手の照準を攪乱しつつ接近戦を仕掛けることくらいだが、当然、屋内の戦闘では機動力も制限される。果たして二桁に上るアサルトライフルの弾幕を突破できるかどうかは、賭けに近かった。

 

 迷っていると、小柄な影が物陰から飛び出そうとした。

 

「誰が行くの? 誰も行かないなら、あたしが行くわよ」

 

 既にやる気満々のアリアが、飛び出して行こうとする。

 

 しかし、

 

「アリア、待て(ステイ)

 

 キンジはとっさに、アリアの手を掴んで制する。

 

 アリアの実力なら、あの陣形の突破も可能だろうが、何しろこちらの手駒は限られている。どのカードを切るかは慎重に選んで行かないと、最終的に手詰まりになりかねない。

 

 その時、階段前に布陣している女傭隊の方から、何か叫ぶような声が聞こえてきた。

 

 どうやら、何かを命令しているらしいその声は、中国語で言っている為、聞き取る事ができない。

 

 だが、一人、意味が分かったらしい理子は「あちゃー」とばかりに、額に手を当てている。

 

「メイド長さんだよ、今の声。理子があの人に化けて、キーくんとユッチーを猴ちんの所へ連れてっちゃったからさあ。あっはー『理子を狙え、殺して良い』とか言ってるよ。因みに『3分したら前進』だって」

 

 言ってから、照れたように頭を掻く理子。

 

 しかしこれで、いよいよ進退窮まった事になる。距離を詰めてアサルトライフルの一斉掃射を喰らったりしたらひとたまりもない。

 

 どうにかしないと、ここで師団側は壊滅と言う事態も考えられた。

 

 だが、

 

 この状況を打破する策は、既にキンジの中で完成していた。

 

「ここは君に頼むよ・・・・・・ヒルダ」

 

 その声に応えるように、理子の足元から影が一つ、ススーと流れていくのが見えた。

 

 影は誰にも気づかれる事無く、女傭隊の真下まで行くと、そこで一気に電撃を開放、陣取っていた女傭隊を薙ぎ払った。

 

 キンジ達が恐る恐ると言った感じに物陰から出て行くと、倒れ伏しているメイドたちの真ん中で、漆黒のゴスロリ衣装を着た少女が、勝ち誇るように高笑いを発していた。

 

素晴らしいわ(フィー・ブッコロス)。倒れ伏す敵を睥睨するのは、私の大好きな光景よ」

 

 かつて、スカイツリーで友哉達が対決した《紫電の魔女》ヒルダは、そう言いながら、動けなくなった女傭隊を見下ろしている。

 

 高飛車な性格は、敗れて軍門に下った今でも相変わらずであるが、こうして自分の役割をこなしてくれるあたり、義理堅い性格も併せ持っているようだった。

 

 女傭隊が壊滅したのを確認した友哉達は、一気に階段の方まで駆け抜ける。

 

 どうやら、炮娘だけはダメージが軽減されて無事なようだが、他の女たちは皆、立ち上がるのがやっとと言った状況らしい。それぞれ、動けなくなっている仲間を連れて、貴賓室の方へ退避していくのが見える。

 

 これも一種の自業自得と言うべきだろうか? 「理子を殺す」などと言われて、理子に依存しているヒルダが黙っている筈が無い。それでも電撃による死人が出ていない辺り、彼女なりに「手加減」した結果なのだろう。

 

「流石だよ、ヒルダ。手を貸してくれて助かる。どうにも中国では、頭数で負ける事が多かったからね」

「ほほほ 今の私は師団(ディーン)の俘虜。この階段一つくらいなら、守ってあげても良くってよ」

 

 目線が上なのか下なのか、良く判らない返事を返すヒルダ。

 

 しかし、かつて理子に斬り飛ばされて、再生途中である小さな羽をパタパタと動かしている辺り、どうやら褒められた事が嬉しいと言うのは間違いないようだ。

 

 気位が高いが故に割と乗せられやすい性格をしているヒルダ。その扱いに関して、キンジは手馴れている様子である。

 

「本当は、獣人界の有名人、孫と会ってみたかったところだけど。まあ、あとで死骸でもちょうだいな」

「そもそも殺す予定は無いんだ。いずれ2人のデートをセッティングしてあげるよ」

 

 物騒な事を言うヒルダに対して、キンジは肩を竦めながら答える。

 

 そんな中、理子はワルサーP99を構えて、炮娘と対峙している。

 

 炮娘は何やら、大きな壺の上に腹ばいになっている。どうやら絶縁体になっているらしいその壺を使って、ヒルダの電撃をやり過ごしたのだ。

 

「キーくん、ユッチー、アリアにマツリン、それにレキュも、先に行って。ここはあたしとヒルダで押さえるから」

 

 炮娘に銃口を向けて牽制しつつ、理子が叫ぶ。

 

 彼女もまた、階下に残った瑠香達同様、ここで殿を務める心算なのだ。

 

「り、理子!!」

双剣双銃(カドラ)は甘くない。そうだろ、アリア」

 

 心配そうに見つめてくるアリアに対して、裏理子はそう言って不敵に笑って見せる。

 

 迷っている暇は無かった。

 

「ここは頼むぞ、理子!!」

「貸し一つだからな!!」

 

 理子の声を背中に聞きながら、一同はキンジの後に続いて階段を駆け上がっていく。

 

 今は、仲間を信じて上へ進む以外に道は無かった。

 

 

 

 

 

 3階に上がると、打って変った静けさがフロア全体を包んでいた。

 

 慎重に進む一同。

 

 経験上、こうした静けさが一番危ない事を、皆知っているのだ。

 

 友哉達はカウンターに身を隠すようにして、頭を低くしながら慎重に進んでいる。

 

 しゃがんでいる関係で、女子3人のスカートが捲れてしまっているが、極力、そちらは見ないようにして進む。

 

 その時だった。

 

 突然、鳴り響く銃声。

 

 次の瞬間、友哉達がいるカウンターの頭の上で、並んでいた酒瓶が音を立てて砕け散る。

 

「みんな、大丈夫!?」

 

 友哉はとっさに振り返り、次いで、顔を赤くして視線を逸らす。

 

 とっさの事だったので、膝を立てた状態だったアリアとレキの、スカートの中を見てしまったのだ。

 

 どうやら、それはキンジも同様だったらしい。2人の背後にいた茉莉が見えなかったのは、友哉にとって幸いだったのか不運だったのか。

 

 ブンブンと、頭を振る友哉。

 

 今は戦闘中で、ここは戦場だと言うのに、何を呑気な事を考えているのか、自分は。

 

 意識のシフトを切り替えた時、レキが前に出て来た。

 

「これは、狙姐(じゅじゅ)からの挑戦です」

 

 静かな口調の中にも、確かな怒りを含めてレキは告げる。

 

「今の狙撃は彼女からのメッセージなのでしょう。移動中の私がどこにいるのかを予測して撃ってきましたから」

 

 修学旅行(キャラバン)Ⅰの時、レキと狙姐は互いに技術の限りを掛けて戦い、そして最後には、キンジ達の協力を得たレキが勝利した。

 

 その時の再戦を、この場で果たそうとしているのだ。

 

「彼女はこの奥のフロアに潜み、既に一度私達を見逃しています。発砲音から狙姐の位置は把握できました。この階に私達が上がり、このカウンターに身を隠すまでの間、彼女は私達5人の誰でも狙撃できた筈。ですが、狙姐はあえて撃たなかった。これは、彼女が、自分だけが遮蔽物の陰に陣取るのはアンフェアだと考えたのでしょう。だから私がここに身を潜めるのを待ち、それから私を指名した」

 

 淡々と、珍しく長い台詞を告げるレキ。

 

 狙撃手故に狙撃手を知る。

 

 レキだからこそ、狙姐が何を思い、何を狙っているのかを完璧に理解していた。

 

「私はここに残り、狙姐を倒すか足止めをします。キンジさん、友哉さん、アリアさん、茉莉さん。4人は上に行ってください」

 

 相手も1人。しかも狙撃兵。ならば、無駄に物量を投入するよりも、もっとも効果的なカードであるレキを投入するのが得策だろう。

 

 何より、この状況は狙姐自らが望んだ物である。それに乗らない手は無かった。

 

「俺達を撃てたのに撃たなかった。そう言うのは舐めてるって言うんだよ。自信過剰な狙姐ちゃんに、レキが思い知らせてやってくれ」

 

 言いながらキンジは、レキの頭に乗ったガラス片を取ってやる。

 

「あの晩、あの森でレキは俺にこれをくれたね。今夜は俺があげよう」

 

 そう言うと、キンジは手品のように取り出したカロリーメイトの箱を、レキの制服の胸ポケットへと差し込んだ。

 

「乗り越えておいで、レキ」

 

 優しく告げるキンジ。

 

 対してレキは普段通りの無表情ながらも、少しだけ顔を赤くしてコクリと頷いた。

 

 

 

 

 

 三階から屋上へと続く階段は、細く長い物だった。

 

 しかし、足元の暗さとは反比例するように、頭上から降ってくる存在感は、強烈さを増している。

 

 間違いなく、この上にいる。

 

 《斉天大聖》孫悟空が、そして《中華の戦神》呂伽藍が。

 

 その時だった。

 

「ちょ、ちょっと待って、ごめん・・・・・・」

 

 突然、後ろを走っていたアリアが、苦しそうに胸を押さえて立ち止まっていた。

 

「アリアさん、大丈夫ですか?」

 

 慌てて、近くにいた茉莉が駆け寄り、アリアの小さな背中をさすってやる。

 

 何か、毒物でも飲まされたのだろうか?

 

 先を走っていた友哉とキンジも、戻ってきて心配そうにアリアを覗き込む。

 

 やがて、落ち着いてきたのだろう。アリアは呼吸を整えて顔を上げた。

 

遅効性の毒(スローアクト)に心当たりは?」

「ううん、ちょっと・・・・・・でも、これよくある事だから。持病みたいな物よ」

 

 キンジの問いかけに、アリアはそう答える。

 

 この年でSランク武偵を張る程の実力を持ったアリアであるが、それが故に、何か体に無理をしているのかもしれない。そう考えれば、持病と言うのも頷けるのだが。

 

 その時、キンジは自分のポケットに入れておいたバタフライナイフが、仄かな光を帯びている事に気付いた。

 

「これは・・・・・・」

 

 元々は兄、金一からもらったナイフだが、たびたび、キンジにも判らない不可思議な現象を起こしていた。

 

 今回も、このタイミングで光った事には、もしかしたらなんらかの意味があるのかもしれなかった。

 

 だが、それはそれとしても、今は先に優先すべき事が存在した。

 

 友哉が、キンジが、アリアが、茉莉が、それぞれ振り仰ぐようにして屋上を見やる。

 

 あそこには、藍幇最後の敵が待ち構えている。

 

 4人は頷き合うと、一歩一歩、ゆっくりと階段を上って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 吹き抜けの屋上に出ると、友哉達は思わず息を呑んだ。

 

 藍幇城を取り囲むように、周囲一面、見渡す限り光の群れが海面を覆い尽くしているのが見える。

 

 これらは皆、藍幇の株構成員たち。本来なら決闘に加われる立場ではないが、せめて味方を応援しようと集まった有志たちである。

 

 周囲全て敵だらけ。故事にある「四面楚歌」を地で行く光景である。

 

 しかし、そのような絶望的な状況であるにもかかわらず、その一種幻想的な光景に見入らずにはいられなかった。

 

「綺麗ですね」

「ああ、大きな光の輪で、孫の金箍冠を表しているのかもな」

 

 うっとりした表情で呟く茉莉に、キンジが同意するように頷きを返した。

 

 そんな2人を見て、背後からアリアが嘆息する。

 

「呑気ね、アンタたち。見なさいよ、泳いで出る隙もなさそう」

「いや、それ以前にアリア、君、泳げ・・・・・・ごめん、何でもない」

 

 台詞の途中で、アリアがすごい視線で睨んで来たので、友哉は慌てて言葉を飲み込む。

 

 もっとも、アリアがカナヅチな事は、イクス、バスカービル両チームのメンバー全員が知っている事である為、今さら秘密もへったくれも無いのだが。

 

 とは言え、呑気な雰囲気に浸っているのもここまでだった

 

 そこへ、ゆっくりと近付いて来る4つの影がある事に気付いた。

 

 小柄な影が2つ、細身の影が1つ、大柄な影が1つ

 

 ココ、恐らく機嬢(ジーニャン)と孫、そして諸葛静幻に呂伽藍。

 

 もっとも、諸葛は手を後ろ手にされ、縄で縛られているが。どうやら、ココ達が先んじてクーデターを起こしたと言うのは本当らしい。

 

 とは言え、この場にあって、武力の弱い諸葛にできる事は少ないだろう。

 

 そんな事を考えていると、意外な事に初めに口を開いたのは拘束されている諸葛だった。

 

「この決闘は極東戦役の一戦。バスカービル、イクス連合軍と藍幇の勝敗を決する戦いです。良いですね、機嬢、伽藍」

 

 その宣言は、機嬢と伽藍に言い含めるように発せられる。

 

 この戦いは元々、香港藍幇が行った物。であるならば、その勝敗による結末は香港藍幇に帰せられる。上海藍幇や天津藍幇の干渉は不要。諸葛としてはそう牽制する事で、他の藍幇組織を牽制する狙いがあるらしかった。

 

 その諸葛の言葉に対して、伽藍と機嬢はそれぞれ頷きを返す。

 

「構わん。俺は元々、面白い戦がしたくてここに来た。それが達せられるのであれば、結果がどうであろうと興味は無い」

「こっちも同様ネ。それに海の上からも一目はいっぱいある。これで戦って私闘言うは無理あるヨ。ココにもメンツあるネ。曹操の名に懸けて、良いある。これは正式な決闘ネ。ただ・・・・・・」

 

 機嬢は言いながら、視線を友哉達の方に向けてくる。

 

「こっちは孫、伽藍、そして機嬢の3人。なのにそっちは、キンチ、アリア、ユウヤ、マツリの4人。数的にはちょっと不公平ヨ」

 

 確かに、状況的には4対3。藍幇側が数的に劣っている。

 

 しかも、友哉の予測では、恐らく機嬢の直接戦闘力は低いと思われた。

 

 機嬢は恐らく、武器作成や車両運用など、後方支援担当だと思われた。彼女がもし、戦闘技能に長けていたとしたら、あのエクスプレスジャックの際にも参戦していた筈だからである。

 

 そうなると、戦力的には4対2と、更に藍幇側に不利になるのだが。

 

「俺は構わんぞ」

 

 こともなげに言ってのけたのは、伽藍だった。

 

「この程度の数の差など、考慮に値するまでも無い。全て叩き潰すまでよ。お前もそれで良いな、孫?」

「言われるまでも無い」

 

 伽藍の問いかけに対して、孫は不敵な口調で返事をする。

 

 大人しい性格だった猴とは全く違う。孫は迸る交戦意欲を隠そうともしていなかった。

 

 どうやら伽藍と相通じるものがあるらしい。数の差など物ともしていない。

 

「友哉、孫は俺とアリアでやる。お前と瀬田は、伽藍の方を頼む」

「判った」

 

 キンジの言葉に、友哉は素直に従う。

 

 元々、ここにはそのつもりで来たのだし、伽藍もそれを望んでいるだろう。

 

 視線をかわし、友哉とキンジは頷き合う。

 

 ここから先は、互いに別の敵と相対する事となる。

 

 だが、そこに不安も恐れも無い。

 

 今まで多くの敵と戦い、その全てに勝利してきた友哉とキンジである。必ず再び、生きて見える事ができると確信していた。

 

 振り向く友哉。

 

 その視線の先には、方天画戟の穂先を下げ持つ伽藍が待ち構えている。

 

 それと正対するように友哉が、そして友哉の斜め後ろに控えるように茉莉が並んで立つ。

 

「ようやく、決着を付ける時が来たな」

 

 そう言って伽藍は、凄味のある笑みを向けてくる。

 

 ただそれだけで、圧倒的な存在感に押しつぶされそうになる。

 

「だが、戦う前にこれだけは聞いておく」

 

 伽藍はそう言うと、方天画戟の石突を床に立て、友哉に向き直った。

 

「俺と共に来い、緋村友哉。お前の力が欲しい。俺の傍らで我が覇道を助け、そして共に世界を統べてみないか?」

 

 それは、昨夜も言われた伽藍からの誘い。

 

 世界に覇を唱えようとする伽藍。

 

 その傍らで彼の覇業を助け、そして共に世界にはばたく事に対する魅力は、確かに友哉の中に存在している。

 

 だが、

 

「武偵憲章6条『自ら考え、自ら行動せよ』・・・・・・」

 

 友哉は真っ直ぐに伽藍を向きながら、そして毅然とした態度で答える。

 

「あなたが言う事は確かに魅力的です。けど、僕が歩む道じゃない」

 

 自分はあくまで武偵。

 

 何があろうとも武偵として戦い続ける。この命、尽き果てるその瞬間まで。

 

 それが、友哉の出した答えだった。

 

「・・・・・・・・・・・・そうか」

 

 伽藍は長い沈黙の後、短い言葉を返した。

 

 彼にとっては、友哉がこのように答える事は予想済みだったのだろう。だからこそ、完全武装した状態で、この決戦の場に現れたのだ。

 

「ならば仕方がない。この戦いを制し、実力でお前を軍門に加えるまでよ」

 

 そう言うと伽藍は、方天画戟の穂先を持ち上げて友哉に向ける。

 

 対して友哉も、背後の茉莉に目配せして下がらせると、自分も逆刃刀を抜いて構える。

 

 今回の戦い、友哉は一対一で伽藍に勝てるとは思っていない。そして、それは茉莉も同様である。

 

 だから、茉莉はいざという時の切り札として、待機させておくつもりだった。

 

 互いの刃の切っ先が、向かい合う。

 

 友哉と伽藍。鏡高組の屋敷以来の対決である。

 

「行くぞ」

「はい」

 

 短い言葉の応酬の後、

 

 両者共に駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先に仕掛けたのは、伽藍だった。

 

 長柄の方天画戟を振り翳し、膂力を全開にして突き込んでくる。

 

「ウオォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 咆哮と共に、友哉の体をかみ砕かんと向かってくる刃。

 

 機動力に勝る友哉を、伽藍は先制攻撃で抑え込むつもりなのだ。

 

 対して、友哉もまた、初手から全力で応じる。

 

 全力の突き込みに対して、体をひねり込みながら回避、同時に勢いの乗せた刃が旋回する。

 

「飛天御剣流、龍巻閃!!」

 

 刃が旋風を帯びて伽藍へと向かう。

 

 しかし次の瞬間、友哉の剣が伽藍に届く前に、突き込まれた方天画戟が勢いよく引き戻される。

 

 刃の両脇に備わった月牙が、背後から襲い掛かる。

 

「ッ!?」

 

 その事に、友哉は一瞬早く気付く。

 

 龍巻閃をキャンセル。同時に刃から逃れるべく上空高く跳躍する。

 

 眼下には、獲物を逃して立ち尽くす伽藍の姿がある。

 

「飛天御剣流・・・・・・・・・・・・」

 

 急降下に入る友哉。

 

 伽藍が振り仰ぎ、友哉の姿を確認する。

 

 しかし、遅い。

 

「龍槌ッ」

 

 叩き付けられる刃。

 

 その一撃が、伽藍の脳天を捉える。

 

 並みの相手なら頭蓋そのものを粉砕するのでは、と思えるほど強烈な一撃。

 

 しかし、友哉の攻撃はそこでは止まらない。

 

 着地と同時に、すぐに追撃へと移る。

 

 刃を寝せて、腹に手を当て、斬り上げる構えを取る。

 

「翔閃!!」

 

 跳躍と同時に斬り上げる一閃。

 

 顎を撃ち抜くような攻撃を前に、思わず伽藍は体をのけぞらせる。

 

 飛天御剣流、龍槌翔閃

 

 かつて、エムツヴァイ、武藤理沙を仕留める際に使った、龍槌閃と龍翔閃の複合技。

 

 龍槌閃で相手の体勢を崩し、そこへ勢いが消えないうちに龍翔閃で斬り上げる。そうする事によって、龍槌閃や龍翔閃の単発よりも威力の底上げができる訳である。

 

 しかし、

 

「甘い!!」

 

 伽藍は何事も無かったかのように、方天画戟を振り翳して友哉に斬り掛かってくる。

 

 これは、友哉としても別に驚くような事ではない。九頭龍閃をまともに受けても立ち上がって来たくらいなのだ。この程度でどうにかなるとは思っていなかった。

 

 突撃してくる伽藍に対し、友哉は地に足を付けると迎え撃つ体勢を整える。

 

 相手がこちらの一撃を難なく受け止められるくらい防御力が高いと言うなら、連撃を持って対抗するまでである。

 

「飛天御剣流、龍巣閃!!」

 

 迸る斬撃の重囲が、突っ込んでくる伽藍を包囲し捉える。

 

 降り注ぐ流星のように、一斉に伽藍に襲い掛かる龍巣閃の剣戟。

 

 その一斉攻撃を前に、

 

 伽藍は構わず、正面から突っ込んで来た。

 

「おォォォォォォォォォ!!」

 

 膂力を全開まで振り絞り、龍巣閃の乱打を全身に浴びながらも、伽藍は僅かすら怯む事は無い。

 

 旋回する刃は、それだけで大気を破壊するかのようだ。

 

 その刃を、友哉は一瞬で後方に跳躍する事で旋回半径から逃れ、回避する。

 

「どうした!?」

 

 そんな友哉の様子を見ながら、伽藍は口元に笑みを浮かべて叫ぶ。

 

「ただ逃げ回っているだけでは、俺には勝てんぞ!!」

 

 尚も突っ込んでくる伽藍を見ながら、友哉は内心で舌打ちをする。

 

 気楽な事を言ってくれる。向こうは好き勝手に武勇を誇れば勝てるのだろうが、こっちはそうはいかない。勝つ為には、策を弄しないといけない立場だ。

 

 だが、まだ策を仕掛けるだけの下地はできていない。

 

 だからこそ、友哉自身がもう一手、仕掛ける必要があった。

 

「飛天御剣流・・・・・・」

 

 突撃してくる伽藍に対し、友哉は体をひねり込ませながら螺旋を描くようにして突撃していく。

 

「龍巻閃・(こがらし)!!」

 

 伽藍から見ると、友哉の体は反時計回りに回転しながら突っ込んでくるように見えるだろう。

 

 旋回によって威力を底上げした攻撃が、伽藍へと襲いかかる。

 

 刃が織りなす銀の一撃は、伽藍を見事に直撃する。

 

 だが、友哉の動きはそこでは止まらない。

 

 龍巻閃・凩を直撃させたことで、旋回のベクトルは止められ、友哉の体は反作用の影響を受けて弾かれる。

 

 その反作用を利用して、友哉は今度は体を時計回りに回転させた。

 

「龍巻閃・旋!!」

 

 その速度を前にして、伽藍の対応も追いつかない。

 

 再び繰り出される刃が直撃して、伽藍の巨体がたわむ。

 

 そこへ、ダメ押しとばかりに友哉は、体を強烈に縦回転させながら、刃を伽藍に叩き付けた。

 

「龍巻閃・嵐!!」

 

 怒涛の龍巻閃三連撃。

 

 普通の敵なら、地に倒れてもおかしくは無いほどの攻撃である。

 

 しかし、

 

「まだまだァ!!」

 

 まるで何事も無いかのように、伽藍は立ち上がってくる。

 

 友哉の攻撃を悉くその身に食らいながらも、まるで意に介していない様子である。

 

 だが、

 

 伽藍が龍巻閃を喰らって、一瞬動きを止めた隙。

 

 友哉はそれを見逃さなかった。

 

 一瞬、背後を振り返る友哉。

 

 その瞳が愛しい彼女を見据え、瞬き信号で短い単語を刻む。

 

行け(GO)

 

 その信号を受け取った瞬間、

 

 韋駄天の少女が、初手からトップスピードにギアを入れて床を蹴った。

 

 殆ど、疾風が駆け抜けたとしか思えない光景。

 

 速度においては、未だに友哉すら凌駕する茉莉の動きを、目視で捉える事は、さしもの戦神にも不可能な事だった。

 

 接近。同時に抜き放たれる剣閃。

 

 銀の光が走ったと思った瞬間、伽藍の着ている鎧は斜めに斬り裂かれる。

 

「ぬッ!?」

 

 これには、流石の伽藍も予想外だったらしく、思わず驚きの声を上げた。

 

 動きを止める伽藍。

 

 その瞬間を逃さず、友哉は勝負を決するべく動いた。

 

 刀を正眼に構え、一気に踏み込みを掛ける。

 

 凶悪な鎌首を持ち上げる、九頭の龍。

 

「飛天御剣流・・・・・・」

 

 閃光は九つの輝きを帯びて、一斉に伽藍へと殺到した。

 

「九頭龍閃!!」

 

 回避不能な閃光が迸る中、

 

 伽藍はただ、立ち尽くす事しかできなかった。

 

 

 

 

 

第12話「穿つ龍牙」      終わり

 



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第13話「全て斬り裂く刃となれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 轟音が、鳴り響く。

 

 凄まじいまでの衝撃を受け、さしもの戦神も衝撃を受けきる事ができず、大きく吹き飛ばされて床に倒れた。

 

 飛天御剣流 九頭龍閃

 

 軌道が違う9つの斬撃を刹那の間に繰り出す事によって、回避も防御も不可能な飛天御剣流の上位技。

 

 現状、友哉が使う事ができる最強の技である。

 

 しかし、この九頭龍閃をもってしても、伽藍を仕留める事ができない事は日本での対決で既に証明済みである。

 

 そこで友哉は、一計を案じた。

 

 人は自分の意識を集中すればするほど、視界が狭くなる物である。それは、達人であればある程、顕著な物となる。

 

 友哉は伽藍の注意を自分に引き寄せる一方、茉莉を今回の戦いにおける切り札として待機させていた。

 

 そして伽藍が見せた一瞬の隙を見逃さず、友哉は茉莉に攻撃命令を下した。

 

 友哉をも凌駕する機動力を誇る茉莉の事。そのトップスピードで斬り込みを掛ければ、肉眼で捉える事は不可能に近い。仮に伽藍が、途中で茉莉の接近に気付いても、迎撃は不可能だろう。

 

 案の定、伽藍は茉莉の攻撃に対して、一瞬だが殆ど無防備になった。

 

 だが、友哉の狙いはそこではない。

 

 伽藍が一瞬、茉莉の方に気を取られた瞬間。

 

 その瞬間を逃さず、九頭龍閃を放ったのだ。

 

 離脱する茉莉に気を取られた伽藍は、防御もままならず、九頭龍閃をまともにその身で受けてしまったのだ。

 

 9つの剣閃をその身に受け、倒れ伏した伽藍。

 

 その伽藍を、友哉は残心を示しながら見据える。

 

『頼む・・・・・・このまま、終わってくれ・・・・・・』

 

 友哉には、九頭龍閃以上の技は無い。これで倒せなければ、事実上、友哉の敗北は決まったような物なのだが・・・・・・

 

 祈るような面持ちで、友哉と茉莉が見守る中。

 

「フッ ・・・・・・・・・・・・フッフッフッフッフッフ」

 

 倒れ伏した伽藍の口元から、楽しげな笑い声が聞こえてきたのはその時だった。

 

 友哉と茉莉の緊張が増す中、

 

 伽藍はゆっくりと、体を起こした。

 

 見れば、額からは血が流れ落ち、全身にも打撲の跡がある。

 

 しかし、それらをものともせず、戦神は再び立ち上がって見せた。

 

「そうだ。そうでなくては面白くないッ」

 

 言いながら伽藍は、方天画戟を持ち上げて切っ先を向けてくる。

 

「策謀結構!! 勝つ為ならいかなる手段でも肯定されるのが戦場だ。知と武のぶつかり合いもまた良し!! これだから戦は面白い!!」

 

 九頭龍閃の傷跡も、ダメージも一切関係ないとばかりに、再び闘志を漲らせる伽藍。

 

 その姿には、友哉も苦笑せざるを得ない。

 

 こちらは切り札を切ったと言うのに、尚も余裕とは恐れ入る。

 

「友哉さん」

 

 同じように緊張した面持ちで、茉莉が声を駆けて来る。

 

「こうなったら、もう2人で同時に仕掛けて叩くしかないと思います」

「・・・・・・・・・・・・そうだね」

 

 言いながら友哉は、刀を鞘に納める。

 

 確かに、茉莉の言うとおりだ。こちらが仕掛けた賭けに破れた以上、もはや取れる手段は限られている。

 

 しかし、果たしてそれで勝てるのか?

 

 迷う友哉。

 

 その迷いを見透かしたかのように、

 

「どうした? 来ないなら、こちらから行くぞ!!」

 

 伽藍は方天画戟を旋回させながら、2人に向かって突撃してきた。

 

 大気すら粉砕するような豪槍の一閃。

 

 対して、

 

 友哉と茉莉は、とっさに散開して攻撃を避ける。

 

 友哉は左に、茉莉は右に。

 

 東京武偵校でもトップクラスの機動力を誇る2人。その動きを同時に捉える事は、如何に戦神でも不可能である。

 

 友哉と茉莉は、息の合った行動を見せ、伽藍に対し同時攻撃を仕掛ける。

 

 左右から挟み込むように、伽藍へと迫る友哉と茉莉。

 

 その動きに対して、

 

「ぬぅん!!」

 

 伽藍は、掛け声と共に方天画戟を横一線に振り払った。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

「キャァア!?」

 

 今にも伽藍に斬り掛かろうとしていた友哉と茉莉を、豪風が襲いかかった。

 

 伽藍は、ただ戟を振るっただけである。だと言うのに、その衝撃だけで友哉と茉莉の突進は止められてしまったのだ。

 

 その隙に、伽藍は動いた。

 

「そらァ!!」

 

 方天画戟の穂先を友哉に向け、鋭く繰り出す。

 

 対して、その時には既に体勢を立て直していた友哉は、とっさに回避行動を取るべく体に力を入れる。

 

 伽藍との距離は、まだ4メートル以上ある。友哉のスピードなら、穂先が届く前に回避は十分可能と思われた。

 

 しかし次の瞬間、

 

 突然、強力なハンマーで殴ら多様な衝撃が、友哉に襲い掛かってきた。

 

「がッ!?」

 

 その衝撃を前に、友哉の小さな体は吹き飛ばされ宙を舞う。

 

 伽藍の攻撃は友哉には届いていない。だと言うのに、友哉は大きく吹き飛ばされてしまった。

 

 いったい何が!?

 

 どうにか空中で体勢を立て直し着地する中、友哉は自分に起きた事を分析して行く。

 

 伽藍はその場から動いていない。戟の穂先も友哉には届いていなかった。

 

 にもかかわらず、凄まじい衝撃と共に友哉の体は大きく吹き飛ばされてしまったのだ。

 

 そこへ、追撃とばかりに伽藍が方天画戟を振るってくる。

 

 その切っ先が友哉に向かって突き込まれ、

 

「友哉さん、ダメッ よけて!!」

 

 茉莉の悲鳴じみた警告に突き動かされるように、友哉はとっさにコートをひるがえしてその場から遠のく。

 

 一拍の間を置いて、自身のすぐ脇を何か圧縮された空気のような物が通り抜けて行くのが分かった。

 

 身を翻した友哉に代わり、すぐ背後にあった置物が、見えない何かに直撃されてみじんに吹き飛ばされる。

 

 その様子を見ながら、友哉は舌打ち交じりに息をのむ。

 

 もはや疑いない。伽藍は、ただ戟を振るうだけで大気その物を砲弾のようにして打ち出す事が出来るのだ。

 

 いわば、見えない砲撃。かなり厄介な物である事は間違いない。

 

 茉莉には、その光景に見覚えがあった。

 

 かつて、彼女がイ・ウーにいた頃、同じ任務で一緒に行動する事が多かった飯綱大牙。

 

 茉莉は彼の事をあまり快く思ってはいなかったが、彼が使う「秘剣 飯綱」が、正に伽藍が使っている技によく似ているのだ。

 

 飯綱は刀を振るう事によって、鎌鼬を伴った斬撃を飛ばす事が出来るのに対し、伽藍の技は無骨な空気の塊を飛ばすだけである。技術と言う面では飯綱に劣っている。

 

 しかし、離れた物を粉砕するほどの威力は、決して侮れるものではない。

 

「穂先を良く見てくださいッ そうすればかわす事は出来るはずです!!」

 

 伽藍は戟を振るう事で、空気を砲弾のように打ち出している。ならば、その穂先が向かっている方向にしか空気の塊は飛んでこない、と言う茉莉の読みは間違っているとは思えないのだが。

 

 しかし、

 

「果たして、どうかな?」

 

 伽藍の口元が、獰猛に釣り上がる。

 

 次の瞬間、再び渾身の直突きが友哉に襲いかかってくる。

 

 対して、高速で駆けまわりながら回避しようとする友哉。

 

 しかし次の瞬間、これまでにないくらいの規模で放たれた衝撃波が、回避行動中の友哉をまともに直撃してしまった。

 

「グッ!?」

 

 思わず、その場で動きを止めてしまう友哉。

 

 その瞬間を、伽藍は容赦なく突いてきた。

 

 膂力に任せて一気に突進。同時に、手にした方天画戟を勢い良く旋回させる。

 

「しまッ!?」

 

 友哉が回避行動を取ろうと体勢を立て直すが、既に遅い。

 

 その時には、伽藍の攻撃準備は完了していた。

 

 眼前に迫る、戦神の巨体。

 

 豪風を巻いて迫る方天画戟。

 

 それを回避する手段は、今の友哉には無かった。

 

 直撃。

 

 その先から、友哉の記憶は強制的に切断された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「友哉さん!!」

 

 悲鳴じみた茉莉の声が響く中、友哉の細い体は2度3度と床にバウンドして跳ね飛ばされる。

 

「技の威力は、自身の力をより強く込める事によっていくらでも補い得る物。当然の理屈だ。浅はかな付け焼刃で、我が攻撃を防げるとは思わぬ事だ」

 

 壁際まで吹き飛ばされて床に倒れる友哉を見て、伽藍は誇るでもなく、蔑むでもなく言い放つ。

 

 流石は戦神と呼ばれる程の男。自身が圧倒的有利な状況にあったとしても、決して油断する事なく対峙し続けている。

 

 対して、

 

「よくもッ!!」

 

 友哉の無残な姿を目の当たりにした茉莉が、伽藍を鋭く見据えて菊一文字を構える。

 

 縮地の発動と同時に、地を蹴る茉莉。

 

 機動力は茉莉の方が伽藍よりも勝っている。その事実は動かしようがない。

 

 自身の最高のスピードで持って、一気に懐まで飛び込んで斬り捨てる。それが、茉莉の描いた作戦である。

 

 案の定、伽藍は茉莉の接近に気付いてはいるようだが、あまりに速度差がありすぎる為、なにも出来ずに立ちつくしている。

 

 もはや、防御も回避も不可能。

 

 旋回する刃が、伽藍を斬り裂くべく奔る。

 

 対して、

 

 伽藍はスッと、自身の左腕を茉莉の刃の前へと差し出す。

 

「無駄な事を!!」

 

 迸る激情のままに、茉莉は叫び声を発する。

 

 たかが腕1本で防げるほど、自分の剣は温くない。伽藍の腕の太さから言って切断は無理かもしれないが、それでも斬り裂く事で暫く使えなくするくらいはできるはずだった。

 

 その茉莉の刃が伽藍の腕に届く。

 

 次の瞬間、

 

 ガギッ

 

 ありえない音と共に、菊一文字は伽藍の腕に食い込むようにして止まっていた。

 

「なッ!?」

 

 驚く茉莉。

 

 信じられない光景が、彼女の目の前にはあった。

 

 伽藍はと言えば、全くの無傷。血の一滴すら流れていない。刃は、彼の前腕に受け止められる形で停止していた。いかに茉莉が超絶的な機動力を誇ろうとも、その攻撃によってダメージを与えられないのでは何の意味も無かった。

 

 菊一文字の刃は、伽藍の薄皮一枚斬る事ができないでいる。

 

 何か超能力のような物で肉体を強化したのかとも思ったが、それも違う。伽藍は今まで、純粋な「武」の力のみで戦っていた。超能力のような力があるなら、とっくに使っているはずだった。

 

「速度には目を見張るものがある。が、重さが決定的に足りない」

「あっ!?」

 

 厳粛に言い放つと、伽藍は茉莉の手首を掴み、そのまま持ち上げてしまう。

 

 拘束され、床から足が離れてしまった茉莉。こうなると、彼女は無力に近かった。

 

 硬気功、と言う中国拳法に伝わる極意がある。

 

 読んで字の如く、体を鋼のように硬くしてあらゆる攻撃を防ぐと言う物だが、普通に考えれば、そんな事できる筈が無い。

 

 しかし中国では古くから、気功など、体の中に流れる「気」の力を操る技術に優れている。中国の医術には、この気の力を活性化する事によって治療を行うと言う物もあるくらいだ。そして、これを武術に転用する技術も存在している。

 

 硬気功も、こうした「気」を使用した武術の一つと言われている。もっとも、それだけで本当に体が硬くなるわけではない。気が遠くなるような集中力と、鍛え上げた肉体、そして相手の攻撃のタイミングを完璧に見極めて必要な要素を発動する天性の勘。それらが備わって、初めて発動する事ができる最強の防御技なのだ。

 

「あぐッ 痛ッ」

 

 くぐもった声が、茉莉の口から洩れる。

 

 同時に、伽藍が握る力を強め、茉莉の手から菊一文字が零れ落ちた。

 

 ガシャリと音を立てて、刀が床に転がる。

 

 これで、ジ・エンド。

 

 友哉は倒れ、茉莉も倒れた今、もはや伽藍を止められる存在はいない。

 

 キンジ達なら、あるいはリベンジをするかもしれないが、彼等もまた孫と戦っている最中である。こちらの戦いにまで気は回らないだろう。

 

 この戦い、イクスの負けで終わる。

 

 茉莉が絶望的な感情に支配されそうになった、

 

 その時、

 

 突然、浮遊感を感じたかと思うと、次いで、持ち上げられていた体が急速に短い垂直落下をする。

 

「キャッ!?」

 

 その場で尻餅をつく茉莉。

 

 痛むお尻を摩りながら、恐る恐ると言った感じに見上げると、伽藍は既に茉莉の方を見ておらず、視線は壁際に向けられている。

 

 その視線の先には、

 

 刀を手に、再び立ち上がろうとしている少年の姿があった。

 

「友哉さん・・・・・・」

 

 歓喜の声を上げる茉莉。

 

 対して、友哉は立ち上がると、鋭い目で伽藍を見据えた。

 

「その娘に、手を出すな」

 

 絞り出すような、友哉の声。

 

 先程のダメージがまだ残っているのか、息遣いはかなり荒い。

 

 しかし、未だに闘志を失わない目は、鋭い輝きを放っている。

 

 そしてそれは、戦神の闘争本能を、再び少年へ向けさせるには充分だった。

 

「面白い、そうでなくてはな」

 

 伽藍はそう言うと、既に興味の無くした茉莉から離れ、友哉へ向き直る。

 

 元々、今回の戦いにおいて、伽藍の狙いは友哉1人である。他は殆どオマケ程度にしか考えていないのだろう。

 

 友哉と戦い、敗り、そして彼を自身の配下に加える。その為に伽藍は、ココ姉妹の提案に乗って、このクーデターに加担したのだ。

 

 故に、今度こそ伽藍は、手加減無しの全力で友哉を叩き潰しにくるだろう。

 

 一方の友哉はと言えば、ノイズが入ったように霞む視界と格闘しながら、どうにか意識を保とうと躍起になっていた。

 

 立ち上がってはみた物の、既に状況が絶望的なのは語るまでも無かった。

 

 先程まで機動力を活かして戦闘を互角に進めていたと言うのに、伽藍の放った立った一撃を喰らっただけで、状況は逆転してしまった。

 

 ある意味、予想内の展開ではある。

 

 友哉の肉体は、正直それほど強固ではない。同年代の中では大柄な部類に入る陣や武藤剛気はおろか、キンジや不知火涼と比べても華奢な体つきをしている。恐らく強襲科2年男子の中では一番体が小さいだろう。

 

 そこに来て、中華の戦神が、その膂力を余すところなく放った一撃をもろに食らったのだ。無事である筈が無い。

 

 正直、こうして立っているだけでも相当辛い。

 

 おまけに、状況は完全に手詰まりだ。

 

 先程の一撃を喰らってしまったせいで、友哉の持ち味である機動力はほぼ失われてしまっている。

 

 切り札である九頭龍閃を撃つ体力は、もはや友哉には残されていない。

 

 否、仮に万全の状態で九頭龍閃を放っても、伽藍を倒す事ができないであろう事は既に判り切っている。

 

 どうする?

 

 朦朧とした意識の中で、友哉はそれでも必死に反撃の一手を考える。

 

 何か無いか?

 

 九頭龍閃を越える威力を秘めた、伽藍を一撃で沈める事の出来る程の手段。

 

 そんな、都合の良い物が・・・・・・

 

『・・・・・・・・・・・・ある』

 

 友哉が「それ」の存在に気付くのに、それほど時間はかからなかった。

 

 同時に友哉は、構えていた逆刃刀を返し、鞘の中へと納める。

 

「ぬ?」

 

 訝る伽藍を見据えながら、友哉は腰を落として抜刀術の構えを見せる。

 

 かつて友哉は、エムアインス事、武藤海斗の放った九頭龍閃を、超神速の抜刀術で迎え撃ち、これを撃破している。

 

 つまり、あの抜刀術なら九頭龍閃を超える程の威力を出せるのだ。

 

「面白い、受けて立とうではないか」

 

 伽藍は不敵に笑うと、方天画戟の穂先を友哉へと向けてくる。

 

 対して友哉は、ようやく覚醒してきた意識の元、この一撃に全てを賭けるべく気力を振り絞る。

 

 だが、果たしてできるか?

 

 友哉の中に、一抹の不安がよぎる。

 

 この超神速の抜刀術は、万全の状態の時に放ったとしても、成功率は三割に満たない。今までシャーロック戦、エムアインス戦と、2回続けて成功している事の方がむしろ奇跡なのだ。

 

 加えて、技を成功させた直後には、凄まじい衝撃のフィードバックが友哉を襲う事になる。そうなると友哉は最早、立つ事すらおぼつかなくなる。つまり仮に技の発動に成功しても、それで伽藍を仕留められなかったら、その時点で友哉の負けは確定なのだ。

 

 できるか?

 

「いや・・・・・・違う・・・・・・」

 

 誰にも聞こえない程の声で、友哉は言葉を絞り出す。

 

 できるかどうかじゃない。やるんだ。

 

 たとえ、この命を捨てる事になったとしても。

 

 そう、この命に代えても、抜刀術を成功させる。

 

 それこそが、イクスと言うチームのリーダーたる、自分の責任だった。

 

 次の瞬間

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『そうではない。それでは、ダメでござるよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 唐突に、

 

 友哉の視界が弾けた。

 

「え?」

 

 驚く間も無く、視界の全てが白一色で塗りつぶされる。

 

 いったい、何がどうしたと言うのか?

 

 訳が分からず困惑している友哉。

 

 その友哉の耳に、先程の声が再び聞こえてきた。

 

『そのような考えでは、お主は決してあの男には勝てぬよ』

 

 穏やかな声。

 

 しかし、どこか、懐かしさを感じるような、そんな安心感を与えてくれる声だった。

 

 気が付けばいつの間にか、目の前に誰かが立っていた。

 

 顔は良く見えない。しかし、やや線の細い印象のある男性である事はすぐに判った。特徴的な赤み掛かった髪をしており、奇妙な事に、服装は昔の侍が着たような着物に袴穿きである。

 

 戸惑う友哉に、男は更に続ける。

 

『お主には、もう判っている筈でござろう。自分自身に何が足りないかを?』

「僕に、足りない物?」

 

 意味が分からず首を傾げる友哉に対し、男は僅かに頷いて続ける。

 

『「死ぬ気で戦う」「命を投げ打ってでも敵を倒す」。本当にそれで良いと、思っているでござるか?』

「それは・・・・・・・・・・・・」

 

 言葉に詰まる友哉。

 

 命を投げ出す事が良い事だとは、確かに思えない。

 

 だがしかし、それ以外に、もう手段は・・・・・・・・・・・・

 

『忘れてはいけない。死からは何も生まれない。仮にお主が死を賭してあの男を倒したとして、お主の仲間は喜ぶでござるか? お主が大切に思っているあの娘は喜ぶでござるか?』

「・・・・・・・・・・・・」

 

 そんな筈はない。

 

 そんな事をすれば、陣はきっと怒るだろう。瑠香が悲しむだろう。

 

 そして、茉莉にも深い悲しみを与えてしまう事になる。

 

『忘れてはいけないでござる。死からは決して何も生まれない。大事なのは、大切な人を守る為に、自分自身も生き残る事でござる』

 

 言っている内に、男の声が小さくなっていくのが分かる。

 

『今のお主なら、きっと出来る筈でござるよ。飛天御剣流の、あの技を』

 

 

 

 

 

 ゆっくりと、目を開く。

 

 気持ちは、信じられないくらいに穏やかに澄んでいた。

 

 何も考える事ができず、また、何も考える必要は無い。

 

 あらゆる感覚は意味を成さず、ただ視界の先に佇む、己の敵の身を、両眼でしっかりと見据える。

 

 全身の力は抜け、果てしなく穏やかな空気の元、

 

 友哉は最後の攻撃を行うべく、抜刀術の構えを取る。

 

 次の瞬間、

 

「行くぞ!!」

 

 猛る戦神。

 

 次の瞬間、伽藍の渾身を込めた突撃が、立ち尽くす友哉へと迫ってくる。

 

 技術も何も無い。戦神の膂力を全て注ぎ込んだ、愚直なまでのチャージアタック。それ故に最強、それ故に究極。

 

 怒涛の如き突撃。

 

 巨象をも跳ね飛ばしそうな攻撃を前にしては、華奢な友哉などひとたまりもないだろう。

 

 対して、

 

 友哉は動じる事は無い。

 

 自身に向かってくる伽藍を、真っ向から見据える。

 

 慌てるべき何物も、友哉の中には存在していない。

 

 澄み渡った青空のように、

 

 あるいは、波の無い、静かな湖面のように、

 

 友哉の心は、一点の揺らぎすらない。

 

 唇は、誰に教えられるでもなく、自然と言葉を刻んだ。

 

「飛天御剣流・・・・・・・・・・・・奥義・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あま)     (かける)     (りゅうの)     (ひらめき)!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間

 

 

 

 光が迸った。

 

 

 

 否、その表現は正しくない。

 

 

 

 正確には、迸ったはずの光すら見えなかったのだ。

 

 

 

 光速すら超越した抜刀術。

 

 

 

 その速度、正に超神速。

 

 

 

 時間すら突き放した速度を前にして、

 

 

 

 最早いかなる防御も、回避も無意味だった。

 

 

 

 次の瞬間、

 

 

 

 伽藍の巨体は、成す術も無く空中に舞い上げられた。

 

 

 

 

 

第13話「全て斬り裂く刃となれ」      終わり

 



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第14話「戦場で送るメリークリスマス」

 

 

 

 

 

 技を打ち終えた友哉は暫くの間、刀を持った右腕を振り上げたまま硬直していた。

 

 余韻は、尚も細い体の中に残っている。

 

 ある意味、飛天御剣流を復活させようと研究を始めてから、この時ほど興奮した事は無かったかもしれない。

 

 飛天御剣流奥義 天翔龍閃(あまかけるりゅうのひらめき)

 

 なぜ、この技ができたのか?

 

 そして、聞いた事も無かったはずの奥義の名前が、なぜいきなり頭の中に浮かんできたのか?

 

 友哉には判らないことだらけだった。

 

 判る事はただ一つ。これが、この戦いの決着になったと言う事だけだ。

 

 友哉には確信があった。これで戦いは終わった、と言う。

 

 その想いを肯定するかのように、

 

 長い滞空時間を終えた伽藍の巨体が、轟音と共に藍幇城最上階の床へと落下してきた。

 

 その音を聞きながら、友哉は逆刃刀の刃を回して鞘に納める。

 

 恐らく、もう伽藍が立ち上がって来る事は無い。

 

 これまで多くの戦いを経験してきた友哉だが、これほどはっきり、自分の勝利を確信できたことは今までに無かった。

 

 それほどまでに、奥義の齎す存在性は絶対的だった。

 

 そこで、ふと、友哉はある違和感に気付いた。

 

「おろ・・・・・・これは・・・・・・」

 

 何かを確かめるように、掌をグーパーと開いたり閉じたりして見る。

 

 動かすのに支障はない。以前は、超神速の抜刀術を使うたびに、体が断裂しそうなくらいの激痛に苛まれたと言うのに、今回はそれが全くなかった。

 

 勿論、伽藍の攻撃を喰らった際のダメージは残っているが、それでも体を動かすのに支障が無いくらいである。

 

 気になる事はまだある。

 

 奥義を放つ前、伽藍と対峙した際に見た、あの幻のような光景は一体なんだったのか?

 

 自分の背中を押してくれるように、語りかけてきた、あの着物を着た男性は一体誰だったのか?

 

 考えても答えが出る訳ではなく、友哉としても首をかしげることしきりであった。

 

 小さな足音が近付いてきたのは、その時だった。

 

「友哉さん、大丈夫ですか?」

 

 茉莉が、心配顔で覗き込んでくる。

 

 彼女もまた、エムアインス戦の時に友哉が抜刀術を使うところを見ており、さらにその後の後遺症も把握しているので心配になったのだろう。

 

 対して、友哉は彼女を安心させるように、ニッコリと微笑んだ。

 

「うん、大丈夫だよ。何か知らないけど」

 

 実際、これまでに技を撃った後感じていた体の不調は一切無い。もっとも、もう一度、今この場で奥義を撃てと言われたら、流石に遠慮したい。体力的にはカツカツの状態だった。

 

「茉莉はどう? 怪我とか無い?」

「あ、はい」

 

 答えてから、茉莉は少し手首を摩るような仕草をして答える。

 

「ちょっと、手が痛いけど、それくらいです」

 

 伽藍から握られた際かなり力を加えられた為、まだ右手首の握力は戻っていないが、それも暫くしたら治るだろう。

 

 ひとまず安心したところで、友哉は振り返ってもう一つの戦いがどうなったか、視線を向けてみる。

 

 孫と戦い、もって藍幇との戦いに雌雄を決するべく赴いたキンジとアリアがどうなったのか気になったのだ。

 

 先程から戦っている気配がしないところを見ると、どうやら友哉と茉莉が伽藍と戦っている間に、向こうの勝敗も決していたらしい。

 

 それを確認して、友哉は口元に微笑を浮かべた。

 

 視線の先には、キンジとアリアが何やら向かい合って言葉を交わしている姿が見えたのだ。

 

 キンジとアリアが2人とも無事である。と言う事は、向こうも勝利で終わったのだろう。もし、如意棒を直撃されていたら、少なくともどちらか(その場合、間違いなくキンジ)が倒れていただろうから。

 

 まあ、あの如意棒を、キンジ達がどうやって防いだのか、友哉としても興味があるところである。あとで参考までにキンジに聞いてみよう。壁に立てられている、クリスマスツリーに似た謎の物体の事も含めて。

 

 その時だった。

 

「いや、参った参った・・・・・・」

 

 笑みを含んだ声が、背後から投げられたのは、その時だった。

 

 揃って振り返る友哉と茉莉。

 

 そこには、いつの間にか起き上った伽藍が、床に胡坐をかく形で座っていた。

 

 とっさに身構え、友哉と茉莉は刀の柄に手をやる。

 

 もしや、先程の攻撃でも仕留めきれていなかったか? だとしたら、戦闘継続と言う事になるのだが・・・・・・

 

 いつでも刀を抜けるように、鯉口を切る友哉と茉莉。

 

 そんな警戒する2人を見ながら、伽藍は大儀そうに体を動かし、どうにか向き直った。

 

「そう警戒せずとも、これ以上は何も出来んよ。見ろ」

 

 そう言うと伽藍は、自身の体を指し示す。

 

 促されるまま視線を向けた友哉と茉莉だが、すぐに絶句する事になった。

 

 伽藍の着た鎧には、凄まじい亀裂が放射状に入っており、かなり強烈な衝撃が加わった事は一目でわかる。

 

 だが、問題はそこではない。

 

 何と伽藍の体には、右腰から左肩に掛けて袈裟懸けに、深い溝のような跡がくっきりと刻まれていたのだ。

 

 それが天翔龍閃の余波である事は考えるまでも無いだろう。

 

 九頭龍閃の直撃にも耐えきった硬気功の上から、これだけのダメージを伽藍に与えたのだから恐るべき威力である。一歩間違えば、逆刃刀でも人を殺せるかもしれない。

 

 まあ、それほどの攻撃を喰らって、尚も平然としている伽藍も伽藍だが。

 

「大丈夫なんですか、それ?」

「指一本動かすだけでもきついよ。まったく、お前もとんでもない隠し玉を持っていたものだな」

 

 呆れ気味に尋ねる友哉に対して、伽藍はそう言って苦笑する。

 

 伽藍の認識は間違いである。今回の戦い、友哉の切り札はあくまでも九頭龍閃だった。なぜ、天翔龍閃がぶっつけ本番でできたのか、友哉にも未だに判っていないのだから。

 

 その伽藍はと言えばどうやら、平然としているように見えて、その実、かなりきつい状況のようだ。恐らく、伽藍ほどの武人でなければとっくに意識を手放している事だろう。それほど強烈なダメージを肉体に負っているのだ。

 

 しかし、そのような状況ですら、伽藍はニヤリと笑みを浮かべて友哉を見据える。

 

「しかし、これでますます、お前と言う存在が欲しくなった。どうだ、やはり俺と共に来ないか? お前と俺、この世界に戦いを挑み、ともに天下を取ってみたくはないか?」

 

 戦う前に行った勧誘を、伽藍は再びしてくる。

 

 藍幇を制し、ゆくゆくは世界に覇を唱える。

 

 正直、日本の高校生に過ぎない友哉などには想像もできないような、壮大な夢である。

 

 しかしだからこそ、魅せられる物を感じているのも事実である。

 

 それに対して、

 

 反論したのは友哉ではなく、茉莉の方だった。

 

「ダメです」

 

 友哉を守るように前に出ると、茉莉は座り込んだままの伽藍の前へ立ちはだかる。

 

「友哉さんは絶対に渡しません」

 

 静かな、しかし、確固たる意志を顕にした声で伽藍の前に立ちはだかる。

 

 両手を広げ、背中に友哉を庇う茉莉。

 

 中華の戦神と日本の女子高生は、しばしの間、無言のまま睨みあう。

 

 やがて、

 

 伽藍は何かを悟ったようにフッと笑みを浮かべると、視線を茉莉の背後にいる友哉へと向けた。

 

「この娘、お前の女か、緋村?」

「・・・・・・・・・・・・はい」

 

 伽藍の質問に対して、友哉は真っ直ぐに見据え、頷きを返した。

 

 スッと、伽藍は目を細める。

 

 倒れた友哉を守る為に、自らの前に果敢に立ちはだかった少女。

 

 実力的に大きく劣る事を自覚しながら、それでも大切な物を守る為に自分に挑みかかってきた小さな少女の存在は、武を奉じる伽藍にとっても称賛に値する者だった。

 

 どうやらこの戦い、完全に自分の負けであるらしい事を、伽藍は自覚せざるを得なかった。

 

 武の戦いでは緋村友哉に敗れ、心の戦いでは瀬田茉莉に敗れた。

 

 いわば、2人の武偵の間にある絆が、中華の戦神と言う強大な敵をを打ち倒したのだ。

 

 それに、伽藍にとってはそれだけではない。

 

 今回、伽藍はココ姉妹のクーデター計画に乗り、本来の首謀者である諸葛を拘束する形でイクス・バスカービルとの抗争に身を躍らせた。

 

 勿論、勝算あっての行動であったが、しかし結果はごらんのとおり。力戦及ばず、敗れてしまった。

 

 藍幇は信賞必罰に厳しい組織である。これほど重要な戦いに敗れた以上、規定に伴い、ココ姉妹や伽藍の位階は下がる事になるだろう。天下を目指す伽藍にとって、それはとても痛い事である。

 

 だが、これも仕方のない事だろう。

 

 「勝敗は兵家の常」と言う言葉がある通り、戦いを始めた以上、負ける事も覚悟しなくてはならない。そして負ければ全てを失うのが戦争である。

 

 だからこそ、戦は面白い。

 

 それに、失った物はまた取り戻せばいい。単純だが、それはあらゆる世界における普遍の真理である。

 

 故に、戦神は聊かも、今回の敗戦を悲観的には捕えていなかった。

 

 天下への道も、ほんの少しばかり後退するだけの話。今回の敗戦を機に、再び万全の体制を整えるように目指せば、決して高くない代償である。

 

 ただ伽藍は、ニヤリと笑みを浮かべて友哉を、そして茉莉を見詰める。

 

「良い女だ、大切にしろよ」

 

 そう告げる伽藍の言葉に対して、友哉と茉莉は互いに見つめ合い、そして同時に顔を赤くする。

 

 そんな2人の微笑ましい様子を見て、伽藍は呵々大笑するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後で聞いた事だが、キンジは如意棒を防御するのに、とんでもない方法を使ったらしい。

 

 かつて、孫が如意棒を使って貫けなかった似非大和の装甲板は67センチ。それを考慮したキンジは、自身が持つ最長武器であるスクラマ・サクスの刀身を利用する事で、その問題を解決してしまったのだ。

 

 レーザーが照射された瞬間、キンジはその射線上にスクラマ・サクスを投擲、刀身から柄尻までの「長さ」を「厚さ」の代わりにしたのだ。

 

 無茶その物、と言うより無茶以外何も無い策である。

 

 無論、ヒステリアモードを発動させたキンジなら朝飯前にできる芸当ではあるだろうが、そんな規格外な策を思いつく時点で、遠山キンジと言う武偵がいかに埒外であるかは語るまでも無い話である。

 

 結局、アリアの援護もあって如意棒を防ぐ事に成功したキンジ。その代償として、盾代わりに使ったスクラマ・サクスは、レーザー照射で融解して良い感じに傘状に広がり、今は藍幇城を飾るクリスマスツリーと化している。当然、もはや剣としては使い物にならない。キンジは装備していた割にいつ使うのか謎だったのだが、これにて、英国の至宝たる銘刀はお役御免となったわけである。

 

 とは言え、スクラマ・サクスの犠牲は決して無駄ではなかった。

 

 自身の最大の切り札である如意棒を完全に防がれた事により、負けを認めた孫は戦いに満足して眠りにつき猴へと戻った。

 

 孫、そして伽藍が敗れた事により、この藍幇城における戦いは師団の勝利に終わったのである。

 

 気が付けば、階下で戦っていた筈の陣や理子達も、三々五々集まってきているのが見える。どうやら、それぞれの戦いも師団側の勝利で終わったらしい。皆、それぞれに満足げな表情をしているのが分かる。

 

 そんな中、友哉と茉莉は少し離れたところで、2人っきりで佇んでいた。

 

天翔龍閃(あまかけるりゅうのひらめき)・・・・・・か・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は自分の右手を見詰めながら、技の感触を確かめるように思い出す。

 

 正直、想像を絶するほどの威力であった。何しろ、どれほど攻撃を加えてもビクともしなかった伽藍を、一撃の元に撃破したのだから。

 

 まかり間違えば、相手を殺めてしまう危険な技だ。

 

 だからこそ、それを振るう友哉には重い責任が課せられる事になる。

 

「おめでとうございます、友哉さん」

 

 声につられて振り返ると、友哉と並ぶようにして茉莉が笑顔を向けて来ていた。

 

 茉莉もまた、今まで友哉が飛天御剣流を復活させるのに、文字通り血の滲む努力をしてきた事を知っている。

 

 奥義の習得は、そうした努力を重ねる上で、一つの集大成でもあったのだ。友哉の努力が、具体的な形で実を結んだのだ。

 

 だからこそ、茉莉も友哉に惜しみない称賛を送ってきた。

 

「ありがとう、茉莉」

 

 そう言って、友哉は茉莉の髪をそっと撫でる。

 

 くすぐったそうに目を細める茉莉。

 

 あの時、あの着物を着た男性は言った。

 

 死からは何も生まれない。大事なのは、大切な人を守る為に、自分も生き残る事だと。

 

 ならば、自分も生き残らなくてはならない。

 

 自分自身と、そして掛け替えの無い仲間達を守る為に。

 

 天翔龍閃は、その為にこそ使おうと決めた。

 

 と、そこで友哉はふと、ずっとコートのポケットに入れっぱなしにしていたものがある事を思い出した。

 

 慎重に、ポケットから取り出してみる。戦闘の衝撃で壊れていないか心配だったが、どうやら無事らしい。

 

 ホッとため息を吐くと、茉莉に向き直る。

 

「茉莉」

「はい?」

 

 振り返った茉莉に、友哉は手にした袋を差し出した。

 

「その・・・・・・メリークリスマス」

「え?」

 

 突然、友哉が差し出してきた袋を見て、茉莉は一瞬、キョトンとした表情をする。

 

 そう言えば、今日はクリスマスであったことを思い出す。香港に来てから、キンジの行方不明に始まり、敵襲に藍幇城への招待と目まぐるしい日々が続いたため、すっかり失念していたが。

 

 とは言え友哉が差し出してきた袋が、どうやらクリスマスプレゼントであるらしい事は茉莉にも察する事ができた。

 

「あ、あの、貰っても、良いんですか?」

「勿論」

 

 頷く友哉の手から、綺麗にラッピングされた小さな袋を恐る恐る受け取る。

 

 重みは無い。茉莉の掌に乗るくらいの大きさだから、それほど大きなものではない事は間違いない。

 

 そっと、リボンをはがして開けてみる。

 

 中から、落ち着いた意匠の小さな箱が出て来た。

 

 その蓋をそっと開ける茉莉。

 

「わッ これってッ」

 

 途端に、目を輝かせた。

 

 小箱の中に入っていたのは、小さなピアスだった。銀色の素体に美しい装飾が施された2枚のリングが安置されている。

 

「こ、これを私に、ですか?」

「う、うん」

 

 尋ねてくる茉莉に対し、友哉もまた、少し照れくさそうに目を逸らしながら答える。

 

 2日前、茉莉と瑠香がブティックで服選びをしている時に暇を持て余した友哉は、クリスマスが近い事を思い出し、適当な装飾店に入って買い求めたのがこのピアスである。

 

 実のところ、友哉は武偵校の中では割と金を持っている方である。

 

 普段から銃を使わないので、他の武偵のように弾代も掛からないと言うのがまず大きい。当然、銃の分解整備に必要な消耗品も必要無い。あとはせいぜい、刀や防弾装備の整備に費用が掛かるくらいである。

 

 その為、このくらいの買い物なら、思い付きでもすぐにできるのだった。

 

「あ、あの・・・・・・」

 

 茉莉は友哉を見上げながら、少し躊躇うように顔を赤らめて言う。

 

「ゆ、友哉さん、その・・・・・・」

「おろ、どうかした?」

 

 訝る友哉に対し、茉莉は尚も言い淀んだような態度を取り続ける。

 

「もしかして、気に入らなかった?」

「そ、そんな事無いです!!」

 

 友哉の杞憂を吹き飛ばすように、茉莉は勢いよく迫ると、意を決したように顔を上げた。

 

「その・・・・・・友哉さん、付けて、もらえますか?」

 

 対して、友哉は目を丸くして、赤くなって目を逸らしている茉莉の顔と、突き出された小箱を見比べる。

 

 ようするに、ピアスを自分の耳に付けてくれ、と言いたいらしい。

 

 そんな可愛らしい様子に、友哉はフッと笑みを浮かべた。

 

 幸い、プレゼントしたピアスはマグネットも付随している為、穴を開けなくても付けられるタイプの物である。後日、改めて穴を開けるかどうかはさて置き、プレゼントされた茉莉としては、取りあえず付けてみたいと思うのは当然の事だった。

 

「貸して」

 

 友哉は茉莉の手から小箱を受け取ると、ピアスを手に持って茉莉に近付く。

 

 近付く2人。

 

 互いの吐息が重なるくらいに近付いた状態で、友哉は茉莉の左右の耳にピアスを付けてやる。

 

 これまで、高校生ながらどこか子供っぽさがあった茉莉だが、ピアスを付けることで、何となく垢抜けた女の子っぽさが出たような気がした。

 

 ゆっくりと、顔を離す友哉。

 

 どれと同時に、気配を察した茉莉も目を開ける。

 

「ど、どうですか?」

 

 オズオズと尋ねてくる茉莉。

 

 ピアスと言う、これまで体験した事の無い事態に対し、自分がどのように変化したのかが気になる様子である。

 

 対して友哉は、思った事をストレートに口にした。

 

「似合ってる。とても似合ってる。綺麗だよ」

 

 実際、ピアスをした茉莉は、これまでにないような可憐さで佇んでいた。

 

 少女の可愛らしさと、女としての美しさが奇跡的な比率で調和した美しさを作り出していた。

 

「嬉しい・・・・・・」

 

 恥ずかしそうにそう言うと、茉莉はスッと体を離す。

 

 元々、イ・ウーにいた頃の影響で感情の起伏がやや乏しかった茉莉だが、友哉と付き合うようになってから、これまでに無く色々な表情を見せるようになっていた。

 

 その事が、友哉にはとてもうれしかった。

 

 そんな茉莉の笑顔がもっと見たいと思って買ったピアスだったが、狙い通りと言うべきか、とても喜んでくれたみたいで、友哉としては大満足と言って良かった。

 

 その時だった。

 

 そんな2人の間を駆け抜けるように、急な突風が吹き抜けて行った。

 

 風と言っても、そんな激しい物ではない。藍幇城は海の上にあるのだから、風くらい拭くのは当たり前である。

 

 だが、その風が、

 

 立ち尽くしていた茉莉のスカートを、思いっきりめくり上げていったのだ。

 

「キャァ!?」

 

 悲鳴と共に、捲れあがったスカートを押さえようとする茉莉。

 

 しかし、元々、武偵校の防弾スカートは短い事で有名である、つまり、捲れあがっても押さえるまでのタイムラグがあまりに少ないのだ。

 

 そんな、あられもない格好になった茉莉を見て、

 

 友哉は思わず硬直してしまった。

 

 勿論、今まで、茉莉の恥ずかしい姿は(一応言っておくと不本意ながら)何度か見てきている。パンツも何度か見ているし、骨喰島の温泉では、お互い真っ裸で抱き合ったりもした。

 

 しかし、今回受けた衝撃は、それとはまた別種の物だった。

 

「ま・・・・・・茉莉・・・・・・」

 

 恐る恐ると言った友哉の声に、茉莉もまた、ゆっくりと振り返る。その顔は情けないくらい真っ赤になり、目には涙まで浮かべている。

 

「・・・・・・見、まし・・・・・た、よね?」

「う、うん・・・・・・ごめん」

 

 一応、謝っておく。

 

 だが、その口調も、明らかにぎこちない。

 

 なぜなら、捲れあがった茉莉のスカートの下から顔を覗かせた下着は、ピンク色で、側面にフリルがたくさん付いた可愛らしいデザインであると同時に、普通ならあり得ないくらい、布面積が小さく、茉莉の可愛らしいお尻はほぼ丸見えに近かったからだ。

 

 つまり、ぶっちゃけて言うと、茉莉が穿いているパンツは、

 

 少し大人っぽいデザインのTバックだったのである。

 

 

 

 

 

 普段はバックプリント入りなど、少し子供っぽいデザインの下着を好む茉莉が、こんなアダルティ一直線なTバックパンツをはいているのには、訳があった。

 

 その理由は、友哉が茉莉に送るクリスマスプレゼントを物色している時、つまり、ブティックで瑠香と洋服選びをしている時の事だった。

 

 瑠香に見繕ってもらった洋服をいくつか試着し、いざ試着室を出ようかと思った時だった。

 

 制服に着替えようとして、いつの間にか防弾スカートが無くなっている事に気付いた。

 

 何度探しても見つからず、半泣きになりながら焦っていた時だった。

 

『茉莉ちゃーん、探し物はこれかなー?』

 

 外から聞こえてきた瑠香の声に、嫌な予感がしつつ、首だけ出して外を見る。

 

 すると案の定と言うべきか、茉莉のスカートをヒラヒラと振り翳している瑠香の姿があった。

 

『か、返してください瑠香さん!!』

『ん~、返しても良いけど、一つ条件かな?』

 

 そう言うと瑠香は、空いている方の手で別の物を引っ張り出してきた。

 

『これも一緒に買う事。それが条件だよ』

 

 そう言って差し出してきたのは、恥ずかしがり屋の茉莉には絶対に無縁だと思っていたTバックのパンツだったのだ。

 

『あとでこれ穿いて、友哉君とデートする事、それも条件かな? ん? 2つになっちゃったけど、ま、いっか』

『そ、そんな~~~』

 

 マジ泣きを始める茉莉。

 

 とは言え、こういう時の瑠香は、梃子でも許してくれない事は、これまでの経験から判り切っていた。

 

 べそをかく茉莉に対し、瑠香はいかにもおかしそうに笑みを浮かべて追い込みを掛けて来る。

 

『別に良いんだよー 買わなくても。でもその場合、このスカートはあたしが預かってホテルに持って帰るから。安心して。ホテルに帰ったらちゃんと返してあげるから』

 

 つまり、買うならこの場ではスカートを返すが、買わないならパンツ丸出しで帰れ、と言う事らしい。

 

 何も瑠香は、意地悪でこんな事をしているわけではない。

 

 瑠香は自分が身を引く形で、友哉と茉莉を付き合い始める助けをしたわけである。その瑠香からすれば、何としても友哉と茉莉には行く所まで言って欲しいと思っているのだ。

 

 だと言うのに、茉莉はごらんの通りのヘタレな訳で、瑠香としては多少強引にでも梃入れをしてやらないといけないと思っている訳である。

 

 全ては茉莉のヘタレを治す為、瑠香はあえて心を鬼にして、愛の鞭を振るっているのだ。

 

 まあ、半分くらいは茉莉をイジメて楽しんでいると言う事も否定できないのは事実であるが。

 

 とは言え、いよいよ進退窮まった茉莉。

 

 夏に水着を買う際はパンツを人質に取られたが、今回はスカートを人質にされた感じである。ある意味、ハードルは跳ね上がっている。このままぐずっていたら、本気でスカート無しで香港の街を歩く事にもなりかねない。

 

 買えば後日、友哉の前で羞恥プレイ。買わなければ、この場で衆人環視の中、羞恥プレイ。まさに究極の二者択一だった。

 

『瑠香さん・・・・・・最近、理子さんに似て来ました』

『ん、それって褒め言葉?』

 

 皮肉も通じなかった。

 

 もっとも、お人よしの茉莉に、もともと皮肉を言うような才能は無いのだが。

 

 だが、どちらかを選ばないと、瑠香が許してくれないのも事実なわけで。

 

『・・・・・・・・・・・・買います』

 

 と言う以外に、茉莉には選択肢は無かった訳である。

 

 

 

 

「ふえぇ~~~~~~ん」

 

 その場でペタンと座り、泣き出してしまう茉莉。

 

 こんな露出度の高い(はしたない)パンツを穿いている所を、友哉に見られてしまった事が何よりも恥ずかしかった。

 

「ま、茉莉!!」

 

 そんな茉莉を、友哉はとっさになだめようとする。

 

「そ、そんな泣かないで。良い感じにオチになったんじゃないかな?」

「こんなオチいりません!!」

 

 ですよねー と友哉は苦笑交じりに心の中で同調する。勿論、何の慰めにもなっていなかった。どうやら友哉自身、先程のTバックの印象が鮮烈すぎて、頭が軽くパニックに陥っているらしい。

 

 しかし、

 

 冷静になって、先程の光景を思い出してみる。

 

 風邪で捲れあがったスカートの下から見えた、ピンクのTバックパンツ。

 

 普段は子供っぽい下着を穿く事が多い茉莉が、あんな大人っぽい下着を穿いていると言うのも、なかなかギャップがあって良かったかも、と思う。勿論、友哉的には普段穿いている子供っぽい下着も良いのだが・・・・・・

 

 そこまで考えて、友哉はハッとした。

 

 気配を察して目を転じると、涙をいっぱい浮かべている茉莉が、ジト目になって睨みつけていたのだ。どうやら、何を考えていたのかモロバレだったらしい。

 

「ふぇ~~~~~~ん!!」

 

 再び泣き出す茉莉。

 

「もうッ!! 絶対!! 絶対!! ぜ~~~ったい!! こんなパンツ穿きませんから~~~!!」

 

 戦争が終わった藍幇城に、茉莉の絶叫が木霊する。

 

 何はともあれ、友哉にとっても思いがけないクリスマスプレゼント(?)になったのは確かである。

 

 もっとも、見られた茉莉にしてみれば、魂の底から不本意極まりなかっただろうが。

 

 

 

 

 

 戦いが終わり、ほのぼのとした空気が支配し始める藍幇城。

 

 だが、師団も藍幇の者も、まだ誰も気付いてはいなかった。

 

 次なる脅威は、不吉な影と共に、もうすぐそこまで来ていると言う事に。

 

 

 

 

 

第14話「戦場で送るメリークリスマス」      終わり

 

 

 

 

 

香港編     了

 



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欧州戦線 前編
第1話「タンカー・ジャック」


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦いの余韻が齎す心地よい熱に浮かされながら、友哉は藍幇上屋上の縁へと立った。

 

 傍らには、キンジ・孫合作によるクリスマスツリー事、元スクラマサクスが立てられている。

 

 高圧のレーザーによって溶かされたスクラマサクスは、もはや剣としての機能は完全に消失していた。

 

 やれやれ、と呆れ気味に見上げる。

 

 普通こんな事、誰も思いつかないだろう。大抵の人間なら、まず無駄を承知でかわす事を考えるはずだ。

 

 我が友ながら、キンジの閃きと度胸、そしてその二つに支えられた絶対的な実力には目を見張るものがある。

 

 勿体ないな、と思う。

 

 キンジは武偵活動に対して、それほど積極的とは言い難い。

 

 だが、これ程の実力があるなら、もっと積極的に上位を狙えば良いのに、と思うのだが。

 

 目を転じれば、茉莉が理子に弄られているのが見える。

 

 茉莉のスカートの裾を摘まんで、めくり上げようとしている理子。

 

 それに対し、茉莉は涙目になりながら必死に抵抗してるのが見えた。

 

 無理も無い。何しろ、あのスカートの下には・・・・・・

 

 そこまで考えて、友哉は考えるのをやめる。

 

 何となく、これ以上は茉莉が可愛そうだったので。

 

 と、その時だった。

 

 ふと、肌寒さを感じ、友哉はコートの前を縒り合せるようにかい込んだ。

 

「おろ? 何だろう、急に・・・・・・・・・・・・」

 

 首をかしげる友哉。

 

 その時だった。

 

「緋村!!」

 

 警告音を滲ませたようなキンジの声。

 

 その指し示す方角を見た瞬間、友哉は僅かに呻き声を発した。

 

 霧が出ている。

 

 勿論、海の上で霧が出る事は、さほど珍しい事ではない。

 

 だが、問題なのは、その霧が海上の一点で蟠るように発生している事だった。

 

 明らかに、普通の霧ではない。

 

 その霧が今、西から東へ向かって、つまり香港の方角へ向かってゆっくりと流れていた。

 

 異常な事態に気付いたのだろう、他の面々も次々と縁に寄って、海上に発生した奇妙な霧を見やっている。

 

 その霧を割るようにして、巨大な影がにじみ出て来た。

 

 船だ。

 

 しかも、かなり大きい。

 

 目測だが、全長は270メートル強、全幅も40メートル以上あるだろう。それこそ、戦艦大和よりも一回り大きい程度である。

 

 そして、ある意味、最大の特徴とも言えるのが、船首部分から後部まで続く真っ平な甲板だろう。

 

「タンカーですね」

 

 友哉の傍らで様子を見ていた茉莉が、断定して言った。

 

 確かに、彼女の言うとおり、タンカーに間違いないだろう。

 

 正確には大規模2種石油(スエズマックス)タンカー。喫水線が深く下がっている所から見ても、内部には石油が満載されている事は疑いない。

 

 そして、

 

 友哉の研ぎ澄まされた視線は「それ」を見逃さなかった。

 

 タンカーの船尾楼の上。ポールに掲げられ、風に吹かれてはためく旗。

 

 そこに染め抜かれた紋様は、寺社のマークを逆にして逆卍型。

 

 日本名では鉤十字と呼称される物であり、同時にヨーロッパにおいては、20世紀最大の悪夢と言って良い存在。

 

 正式名称はハーケンクロイツ、ナチス・ドイツのシンボルマークに他ならなかった。

 

「ナチスのマーク、それにあれは、何?」

 

 ハーケンクロイツの下に、もう一つ旗が掲げられている。

 

 盾に、獅子のような黒い獣が描かれた旗。見た事のない物である。

 

 と、

 

「あれは・・・・・・カツェ!! 魔女連隊(レギメント・ヘクセ)の旗だ!!」

 

 その存在にいち早く思い至った理子が叫ぶ。

 

 カツェ

 

 カツェ・グラッセ。

 

 宣戦会議(バンディーレ)の際に魔女連隊の大使として現れ、バチカンのメーヤと激しくやり合っていた魔女の少女である。

 

 どうやら、次の相手が誰か、誰何するまでも無かったらしい。

 

 理子が言うには、カツェ・グラッセは元々、イ・ウーで理子や茉莉の同窓だったのだが、魔女連隊に帰隊する為に、自主退学したのだと言う。

 

 第二次世界大戦中、ヒトラー親衛隊、通称「SS」の隊長を務めたハインリッヒ・ヒムラーは、「北欧人種が世界を支配していた事の証明」を行う為の学術研究機関としてアーネンエルベを立ち上げた。

 

 魔女連隊も、そのアーネンエルベに端を発する組織が発展した物で、ドイツ敗戦後はイ・ウーへと逃亡し今日に至っているらしい。

 

「次の相手は、超能力者(ステルス)って訳だね」

 

 言いながら、友哉は僅かに苦い表情を向ける。

 

 超能力は、正直なところ少し苦手である。今までジャンヌ、ブラド、エリザベート、パトラ、ヒルダ、そして先頃の孫と、幾人かの超能力者を相手に戦い勝利してきたが、基本的に普通の人間に過ぎない友哉達では、不利も否めない話である。

 

 だが、

 

「飛んで火にいる夏の虫だわ!!」

 

 そんな友哉の思惑をよそに、アリアが意気を上げる。

 

「相手がカツェなら、風穴開けて捕まえてやる!! ママの冤罪96年分は、イ・ウー時代のあいつの罪なのよ!!」

 

 ある意味、母親の「仇」とも言わる相手を前にして、アリアが猛る心を抑えられるはずもない。

 

 2丁拳銃を構え、今にも発砲しそうな勢いである。

 

 その時だった。

 

 藍幇城屋上の縁にある黄金龍の彫像の上に、何かが出現した。

 

 一気に、警戒感を高める一同。

 

 銃を持っている者は銃を構える中、イクスの4人も、とっさに警戒レベルを引き上げる。

 

 瑠香がイングラムを構え、陣は両拳を掲げて構える。

 

 友哉と茉莉は、刀の柄に手を掛けた。

 

 そんな一同が見ている目の前で、現れた「何か」は、ブヨブヨと不定形に蠢き続けている。

 

 色はやや白みがかっており、ちょうどRPG等に出てくるスライムのような感じだ。気持ち悪さを我慢すれば、辛うじてゼリーに見えない事も無い。

 

 と、それを見て白雪が、感嘆したように口を開いた。

 

「厄水形・・・・・・すごい、複写人工霊体(タルパ)も組み合わさっている・・・・・・なんて高度な魔術なの。みんな、あれにはあまり近寄らないようにして。毒や酸じゃないけど、下手に触ると頭とか顔だけ埋まって、溺れさせられちゃうよ」

 

 其れは何と言うか、想像するだけで悲惨な状況に思えてくる。

 

 陸地で溺れるとか、シャレにならない話である。

 

 その時だった。

 

 ギャハハハハハハハハハハハハ!!

 

 突然、厄水形から響き渡る不気味な笑い声が、居並ぶ一同を圧倒する。

 

 それに対して、2人分の人影が動いた。

 

「このスライム野郎!!」

「ッ!!」

 

 触発されるように発砲する、理子とアリア。

 

 しかし、放たれた弾丸は、空しく厄水形を透過して、その背後へ駆け去って行くだけだった。

 

 どうやら、物理攻撃は事実上、何の用も成さないらしい。

 

「無駄だよ2人とも、厄水形の本体は別の所にいる物。これは多分、ただのスピーカー。喋らせよう」

 

 猛る理子とアリアを制し、白雪は冷静に話を進める。

 

 流石と言うべきか、こと超能力関連に関する限り、イクス・バスカービルの中で白雪の右に出る者はいない。

 

 そんな一同が見守る中、厄水形はブヨブヨと蠢き続け、やがて、はっきりと人の形を取り始める。

 

 鍔広な黒いとんがり帽子に漆黒のローブ。肩に止まった、一羽の大烏。

 

 目には鉤十字入りの眼帯をした、おかっぱ頭の不敵な少女。

 

 間違いない。《厄水の魔女》カツェ・グラッセだ。

 

 一同を見回して、ニィッと笑ったカツェは、右手を斜め前に高々と掲げて言い放った。

 

勝利万歳(ジークハイル)!!」

 

 テレビ等で見かける事もあるナチス式の敬礼は、当然だが、友哉にとって生で見るのは初めてである。

 

 刀を握る手に力を込める友哉。

 

 いかに物理攻撃が通じない相手とはいえ、警戒しておくに越したことはない。同時に、自分の中で対ステルス戦術構築に取り掛かる。

 

 勝つのは無理でも、せめて抵抗くらいはできるようにしておく必要があった。

 

「やあやあ諸君、戦争を楽しんでるかー? 楽しいよなー戦争は!!」

 

 意気揚々と言った感じで、カツェは口を開く。

 

 まるで、この場にいる全員を相手にしても勝てる自信があるかのような態度だ。

 

 カツェは、手にした拳銃、ルガーP08の銃口で、タンカーを指し示す。

 

「鬼払結界の中で震えていた臆病者共、バスカービルにイクス!! あれはお前等への宣戦布告さ。ついでに裏切者のヒルダもぶっ殺す。香港は対魔性が強くて魔術のノリが悪いからよォ あのタンカーでこけら落としといこうや」

 

 その言葉に、友哉は不穏な物を感じて目を細める。

 

 タンカーと、それに満載されているであろう油。

 

 どう考えても、嫌な予感しかしなかった。

 

「戦争は多様なバランスの取り合いだ。極東戦役で言えば西に師団のリバティ・メイソン、東に眷属の藍幇。組織力のあるおの2つのバランスを崩したくない所だぜ。と言う訳で、敗北した藍幇、裏切者には制裁を、だ!! まあ、人数が多いんで、街ごと殲滅する事にした」

 

 カツェの言葉を聞いて、友哉は自分の直感が間違っていなかった事を悟る。

 

 カツェは、あのタンカーを香港にぶつける気なのだ。

 

 確かに、藍幇は眷属にとって重要な資金源であり、かつ兵力の供給源である。それが丸ごと師団側に取り込まれる事は、眷属側にとって致命傷に近いはず。

 

 そう言う意味で、この香港での戦いは、極東戦役におけるターニングポイントであったと言っても過言ではない。

 

 その為、カツェは先手を打って行動を起こしたのだ。

 

 藍幇が師団に取り込まれる前に、師団側の精鋭部隊であるイクス・バスカービルごと殲滅してしまおうと。

 

 いや、攻撃を開始したタイミングを考えれば、もしかしたらカツェは、初めから藍幇が負ける事も視野に入れて行動していた可能性がある。

 

「あたしは爆泡(パオパオ)入りのツェッペリン号を造りたかったんだぜ。でも、上に怒られてよ。『優秀なテロリストは、手間も金も欠けずに敵に一大打撃を与える物ですわ』とかって。まあつまり、予算も工期も無かったんで、ジャックしたタンカーで、安上がりでお前等を皆殺しってこった。あーあ(プウー)

 

 まるで、ちょっと予定と変わってしまった。と言うくらいの軽いノリで話すカツェ。

 

 次の瞬間、厄水形はバシャリと見ずに戻って消えてしまった。

 

 その様を見て、理子が舌打ちした。

 

「イ・ウーじゃ、そこのココが爆弾戦術、カツェが乗っ取り(ジャッカー)戦術をあたしに教えたんだ。あれはカツェが理論上可能と言っていた『タンカージャック』。あまりにも物がデカすぎるから手口を教わっただけだったけど、カツェは実践するつもりだぞ」

「あのタンカーはシンガポール船籍のシーマ・ハリ号ある。載貨重量15万トン。たぶん、全部原油ネ。ジャックされてる、間違いないヨ。海峡航路、正しく進んでない」

 

 苦虫を潰した理子の説明に続いて、タンカーを観察していた機嬢(ジーニャン)が説明する。

 

 もしタンカーが岸壁にぶつかって爆発すれば、事は単純な火災事故程度にとどまらない。

 

 流出した原油がヴィクトリア湾を覆い尽くし、それが温暖な香港の気候に当てられると、どんどん空気中に揮発していくことになる。そして僅かな火種でも引火した瞬間、壊滅的な大爆発を引き起こし、ヴィクトリア湾は文字通り火の海と化す。

 

 更に、被害はそれだけに留まらない。燃焼は空気中の酸素を消費し尽くし、窒息と一酸化炭素中毒を引き起こす。

 

 香港は地獄と化す事だろう。

 

「何とか、止める手段とか、無いんですか!?」

 

 瑠香が震え気味に言う。

 

 もはや、逃げる時間も手段も無い。どうにかしてタンカーを止めないと、ここで全滅する事になる。

 

 それに対して、毅然とした声が応えた。

 

「手段は一つ、乗り込んで止めるしかないわ。キンジ、行くわよ」

 

 アリアはそう言うと、二丁拳銃を手にして颯爽と歩き出そうとする。

 

 だが、そんなアリアの行動を、キンジが制した。

 

「待てアリア、相手は乗っ取り犯だ。刺激したくない。それに、タンカーで発砲は厳禁だよ」

 

 その指摘に対し、アリアは一応銃を収めつつも、尚も交戦意志を捨てようとはしなかった。

 

「カツェが今回の作戦を成功させたいんなら、すぐには実行しない筈よ。原油を撒くのにベストな位置まで、まずはタンカーを運ぶはず。逆を言えば、それまでがタイムリミットよ」

 

 元より、交渉の通じる相手ではない。

 

 ならば力づくで、と言うアリアの考えは正しかった。

 

「諸葛、香港の水上警察に連絡だ」

 

 アリアの意志を受けて、キンジも交戦にシフトしたようだ。

 

 しかし、問題はまだ残っている事を、友哉は見抜いていた。

 

 移動手段が無い。

 

 相手が《厄水の魔女》である以上、ボートでの接近は不可能。途中で沈められるのがオチだ。

 

 藍幇城にはヘリポートが無いので、縁の離着陸もできない。

 

 機嬢が水上機を手配してくれたらしいが、到着には時間がかかるらしく、移動している時点でタイムアウトである。そしてアリアのホバースカートは絶賛故障中と来てる。

 

 まさに、事態は八方ふさがりに近い。

 

 と、

 

「・・・・・・いるよキンちゃん。あのタンカー・・・・・・シーマ・ハリ号の中に大きな力を持った魔女がいる。きっとカツェ・グラッセだよ。それに、もう1人・・・・・・これは、パトラ?」

 

 鬼道術でタンカー内部を探っていた白雪が言った。

 

 どうやら、敵はカツェだけではなかったらしい。

 

 イ・ウーとの前哨戦、アンベリール号で戦った《砂礫の魔女》パトラもいるらしい。

 

 カツェとパトラ、正に眷属側のステルス2大巨頭と言える。

 

 タンカー停止と合わせて、何とかこの場で撃破したいところである。

 

 その時、武偵校のカットオフセーラー服を着た猴が近付いて来るのが見えた。

 

「遠山、緋村、あのタンカーに行きたいのですか?」

「うん、けど、移動手段が無くて困っている所なんだ」

 

 尋ねてきた猴に、友哉が応える。

 

 とにかく、乗り移る事さえできれば、あとはどうにかなるのだが。

 

 と、そこで猴が、何かを決断したように口を開いた。

 

「今なら、行く方法があります。時間もかかりません」

 

 その言葉に、一同はどよめきながら振り返る。どんな方法であっても、あそこまで行ける手段があるなら、躊躇うつもりは無かった。

 

「なに、どうやって行くの?」

「筋斗雲を使います」

 

 尋ねるアリアに、猴はよどみなく答える。

 

 筋斗雲

 

 如意棒と並んで有名な、孫悟空の代名詞とも言うべきアイテムである。

 

 物語では、いかなる場所であろうともひとっとびに飛んで行ける雲として描かれているが。

 

「科学で言うとワームホールを使った位相空間の連続複写移動。現代西洋魔学で言うと短距離絶界橋(イマジナリ・ジャンプ)です。つまり、瞬間移動の法なのです」

「それで、シーマ・ハリ号には行けるの?」

 

 友哉が尋ねる。

 

 本来、瞬間移動などと言われて驚かない筈も無いのだが、最近は周りで超常現象が乱発されているせいか、今さらな感が強い。これが、感覚麻痺と言う物だろうか?

 

「あい、視界内にある場所なら確実に。ただし、これは如意棒と同じで1日に1回が限度です。なので、行くなら片道で、帰りは自力でどうにかしてもらう必要があります。それに、1回で送れる重量にも限界があります。見たとところ、遠山とアリアさんの組み合わせが、ギリギリベストと思われます」

 

 なるほど、超常現象もタダではないと言う事か。

 

 友哉は妙な所に感心する。

 

 一見すると便利で、使える者が有利なように見える超能力も、視点を変えれば万能ではないと言う事だ。

 

 そこら辺、今後の対ステルス対策に使えそうだが、今は思考から外しておく。

 

 今問題にすべきは、シーマ・ハリ号をどうやって止めるか、だろう。

 

 キンジとアリアが行けるのなら、別の組み合わせ、たとえば友哉とアリアとかでも行けるかもしれないが、実績や相性の問題を考えれば、やはりキンジ・アリアコンビがベストだろう。

 

 考えている時間は、もうあまり無かった。

 

「判った。まず、俺とアリアで行く。機嬢は水上機が到着次第、イクスとバスカービルのメンバーを運んでくれ。その際は、白雪が優先だ。理子はキャリアGAのメンツに連絡を。あいつらも香港にいるはずだ」

 

 後詰に白雪を選んだのは、彼女のS研知識を当てにして居る為である。

 

 因みにキャリアGAとは、クラスメイトの武藤剛気に率いられたチームであり、車輌科と装備科の面々で固められている。タンカーを止める為に、彼等の力を借りようと言うのだろう」

 

 キンジが指示を出し終えると同時に、キンジとアリアの間に立った猴が、2人の腰に手を回した。

 

来了(ライラ―)来了(ライラ―)筋斗雲(ジンドウン)来了(ライラ―)・・・・・・・・・・・・」

 

 暫く目を閉じて、呪文を唱え続ける猴。

 

 すると、

 

 猴の胸のあたりから、光の粒子が生まれ、それが風に舞うように空間に漂い始めた。

 

 2つ、4つ、8つ、16、32、64・・・・・・・・・・・・

 

 倍々ゲームで数を増やしていく粒子。

 

 それらは瞬く間に、キンジとアリアを覆い尽くしていく。

 

 やがて光が晴れた時、

 

 2人の姿は、忽然と消え去っていた。

 

 文字通り、神隠しにでもあったかのように。

 

「・・・・・・頼んだよ、2人とも」

 

 晴れる視界の中で、友哉は呟く。

 

 こうなった以上、2人の奮闘を祈るしかない。

 

 勿論、自分達とて手を拱いているつもりはない。水上機が到着次第、即座に後詰できるための準備はしておくつもりだった。

 

「よし、みんな。急いで1階に降りよう。水上機が到着したら、すぐに移動できるように」

 

 友哉の指示に、一同は頷きを返した。

 

 その時だった。

 

 藍幇の兵士と思われる人物が、何やら慌てた様子で諸葛に駆け寄ると、何事かを中国語で報告をしている。

 

 それを聞いた諸葛の細い目が、僅かに見開かれる。

 

 何か、良くない事が起きたか?

 

 そう思っていると、案の定と言うべきか、諸葛は友哉に振り返って来た。

 

「申し訳ありません、緋村さん。聊か、まずい事態になりました」

 

 そう告げる諸葛の声は、緊迫感に満ち溢れているようだった。

 

 

 

 

 

第1話「タンカー・ジャック」      終わり

 



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第2話「香港の長い夜」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 急いで階下に降り立つと、そこには驚愕の光景が広がっていた。

 

 床の上には武装した女性たちが、折り重なるようにして転がされている。どうやら、命までは取られていないらしく、微かな呻き声が友哉達の元にも伝わってきた。

 

 恐らく彼女達は、死亡遊戯の際に交戦した女傭隊(メイズ)の者達だろう。

 

 藍幇城を守る精鋭達を薙ぎ払った存在は、城の入り口付近で陣形を組み、新たに現れた友哉達と対峙している。

 

 犬頭、鳥頭、ワニ頭。エジプトの神々を模した砂人形たち。

 

 間違いない、パトラの作ったゴレムである。

 

 以前、台場のカジノ「ピラミディオン台場」やアンベリール号の甲板上で対峙した相手で、友哉達にとっては久方ぶりとなる再会である。勿論、出会わずに済む事を願っていた事は言うまでも無いが。

 

 その威容さは他の追随を許さず、精鋭部隊である女傭隊も、そこに圧倒された形だった。

 

「おい友哉、こいつら、あの時の」

「うん、パトラの砂人形だね。どうやら、こっちの足止めが目的ってところかな?」

 

 陣の言葉に頷きながら、友哉は脳裏で敵の作戦を推察する。

 

 派手に藍幇城に襲撃を掛けてこちらの目を引き付け、その間にタンカーを香港に突入させる。

 

 猴の筋斗雲に関しても予想の範疇に入っていたかどうかは謎だが、少なくとも友哉達がキンジ達に後詰する為には、どうしてもこのゴレムの群れを突破する必要がありそうだった。

 

「時間が無いって時に・・・・・・」

 

 逆刃刀をすらりと抜きながら、友哉は忌々しそうに呟きを漏らした。

 

 ここにゴレムがいると言う事は、当然、シーマ・ハリ号の甲板にも潜んでいる事が予想される。

 

 勿論、Sランク武偵のアリアと、ヒステリアモード発動時のキンジなら、ゴレム如き、大軍で攻めて来ようとも殲滅は可能だろう。

 

 だが、その後には《厄水の魔女》と《砂礫の魔女》と言う2大ステルスが待ち構えているのだ。油断はできなかった。

 

「諸葛さんは、負傷者の救護を指揮してください。僕達はその間、ゴレムを叩きます」

「判りました」

「あ~、あと」

 

 諸葛の返事を聞きながら、友哉は白雪に視線を向けた。

 

「星枷さんは、戦闘に参加しないで」

 

 白雪はキンジとアリアを救援する際の主力である。それでなくても藍幇城攻略戦で消耗している身。これ以上の消耗は避けたかった。

 

 その時だった。

 

「それなら・・・・・・」

 

 理子の足元から声が聞こえて来たかと思うと、ゴスロリ服を着たヒルダがにじみ出るように陰から浮上してきた。

 

「この私が、シラユキを、あのタンカーまで運んであげても良くてよ」

「ヒルダ」

 

 そう言えば、正規メンバーではないので意識の外に行っていたが、ヒルダは生粋の竜悴公姫(ドラキュリア)。こと超能力の知識と実践と言う意味では、白雪をも上回るのは彼女だけだった。

 

「お願いできる?」

「もちろんよ」

 

 そう言うとヒルダは、傍らに立つ理子の顔をチラチラと見やっている。

 

 それを見て友哉は、成程と納得する。

 

 要するにヒルダ的には、理子の役に立てるなら何でもやる、と言う事なのだろう。まあ、ここはありがたく好意として受け取っておくとしよう。

 

「星枷さん、お願い」

「判った。緋村君たちも気を付けて」

 

 そう言うと、白雪はヒルダに続いて、もと来た階段を再び登って行った。

 

 それを確認して、友哉は刀を構え直す。

 

 これで後顧の憂いが断てた、とは言い難い。自分達も早く、シーマ・ハリ号へ赴く必要があった。

 

「行くよみんな。何としても、ここは突破する!!」

『おう!!』

 

 友哉の号令の元、

 

 イクスとバスカービルの残りメンバーは、戦場へと踊り込んだ。

 

 

 

 

 

 先制したのは陣だった。

 

 殆ど床を踏み抜くような勢いで突撃すると、一気にゴレムの隊列へ肉薄する。

 

「テメェらが人間じゃないのは判ってるからな。遠慮なく行くぜ!!」

 

 言い放つと同時に繰り出される拳。

 

 放たれた打撃が、刹那の間に二重の衝撃を目標へと叩き込まれる。

 

 次の瞬間、ゴレムは成す術も無く粉砕されて、ただの砂へと戻って行く。

 

 二重の極み。

 

 あまりの高威力の為、陣が人相手には禁じ手にしている一撃が、容赦なくゴレムを吹き飛ばす。

 

 そこへ友哉、茉莉、瑠香の三人が飛び込む。

 

 茉莉の振るう鋭い剣閃がゴレムを斬り裂き、瑠香がイングラムとナイフを駆使して接近戦を仕掛け、次々と撃破していく。

 

 友哉もまた、彼女達に負けていない。

 

 敵陣を頭越しに飛び越えて隊列中央へと着地。ゴレム達が振り返るすきを与えず、円環を描くように刀を振るう。

 

 一撃。

 

 それだけで、複数のゴレムが吹き飛ばされた。

 

 バスカービルの居残りメンバー、理子とレキも遅れてはいない。

 

 理子はロザリオの魔力を発動して両手にはワルサーP99、蛇のように蠢く髪には2本のナイフを装備して暴れまくっている。

 

 レキは、この中でも最も白兵戦を不得手とする狙撃手だが、後方からドラグノフを構えて前線メンバーを掩護している。

 

 次々と数を減らしていくゴレム。

 

 その間に諸葛をはじめとした藍幇のメンバーは、負傷した女傭隊のメンバーを救助に当たっている。

 

 しかし、狭い城内で乱闘の合間を縫う形での救助作業は、なかなか進展しなかった。

 

「・・・・・・まだ、掛かるか?」

 

 1体のゴレムを撃破しながら、友哉は呟きを漏らす。

 

 元より、友哉達も消耗が激しい身である事に変わりは無い。

 

 友哉自身にしたところで、伽藍にやられた傷が未だに痛みを発しており、それが身体能力の阻害に繋がっている。

 

 あまり、長時間の戦闘はできそうになかった。

 

 その時だった。

 

「どうした、緋村。もう息が上がったか?」

 

 力強く、獰猛さを感じる声が響き渡った。

 

 次の瞬間、地鳴りのような踏み込みと共に、長柄の武器が豪風を撒いて旋回する。

 

 一撃。

 

 ただそれだけで、複数のゴレムが文字通り粉砕される。

 

 崩れ落ちる砂人形の群れ。

 

 その背後から、方天画戟を手にした巨漢が姿を現した。

 

 呂伽藍。

 

 《中華の戦神》と異名を取る男が、嬉々として参戦してきていた。

 

 振るった方天画戟が、あっさりと複数のゴレムを薙ぎ払う。

 

 伽藍とて、天翔龍閃のダメージが残っている筈なのだが、それを感じさせない程、豪快な戦いぶりである。

 

「こやつらは、ただ簡単な命令を実行するだけの木偶人形だ。一気に片づけるぞ」

「判りました」

 

 頷きながら、友哉は刀を構え直す。

 

 伽藍の参戦により、戦況は一気に師団側有利に傾いた。

 

 相手はゴレム。意志は無く、恐れも知らずに向かってくる存在である。

 

 しかし、友哉と伽藍を中心にした師団メンバーは、それらを次々と返り討ちにしていく。

 

 このままなら押し切れる。

 

 誰もがそう思った。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

 

 迸る殺気に、友哉が振り返る。

 

 次の瞬間、飛び込んできた刃が、容赦なく友哉の首を狙ってきた。

 

 その動きを読み、短期未来予測を発動する友哉。

 

 相手の動きと勢いから、防御よりも回避を選択。とっさに床を蹴って、大きく後退した。

 

「友哉さん!!」

 

 恋人の身を案じ、声を上げる茉莉。

 

 しかし、間一髪、回避が速かったおかげで友哉にダメージは無い。

 

 地に足を着いてブレーキを掛けながら、顔を上げる先。

 

 そこには、頭頂から足先まですっぽりと、銀色の全身鎧を着込んだ人物が、手にした大剣の切っ先を向ける形で友哉と対峙していた。

 

 顔もフルフェイスのマスクをして居る為、伺う事はできない。ただ、全体的に小柄なイメージがあった。

 

「お、今の避けたのか。お前、やるじゃねえか」

 

 友哉の身のこなしを絶賛しつつ、鎧人間はマスクの下でニヤリと笑みを浮かべた。もっとも、マスクをしているせいか声がくぐもっており、性別まで判断する事は難しいのだが。

 

 それに対し友哉は、無言のまま逆刃刀を正眼に構え直す。

 

 侮れる相手ではない。あれだけの鎧を着込んでいるのに、かなりの素早い動きだった。しかも身の丈ほどもある大剣を軽々と振り回している。それだけ、膂力が凄まじい事を意味していた。

 

 正体は判らない。しかし、このタイミングで仕掛けて来たと言う事は、カツェやパトラの仲間と見て間違いなかった。

 

 鎧人間は、マスク越しに周囲を見回すと、やれやれと肩をすくめる。

 

「やっぱ、パトラの雑魚人形じゃ、足止めくらいしかできなかったか。まあ、それでも目的は達成したんだから、よしって事にしておくか」

 

 言いながら、大剣の切っ先を友哉へと向ける。

 

「まあ、それならそれで、俺はちょっとばかり遊んでいくけどよ」

「戯言を」

 

 元より、こっちは遊びに付き合う気は無い。

 

 一気に勝負を掛けるべく、友哉もまた刀を構え直した。

 

 次の瞬間、両者は互いに床を蹴って疾走した。

 

 繰り出される刃。

 

 両者の速度は、ほぼ互角。

 

 否、友哉の方が僅かに早く、相手より先に打ち込んだ。

 

「ハッ!!」

 

 振り下ろされる逆刃。

 

 その一撃を、鎧は手にした大剣で防御する。

 

「フンっ!!」

 

 掛け声と共に、両腕に力を込める鎧。

 

 次の瞬間、大きく振り抜かれた大剣が友哉の体を弾き飛ばす。

 

 見ていた一同が、驚いて声を上げる中、

 

 友哉は体勢を入れ替えて天井へ「着地」。同時に、両足に力を込めて蹴り出し、急降下する。

 

 変則的な龍槌閃。

 

 放たれた斬撃が、鎧に襲い掛かる。

 

「チッ!?」

 

 マスクの下で舌打ちする鎧。

 

 友哉の斬り込む速度に対し、対応が追いつかないのだ。

 

 ガインッ

 

 刀が真っ向から鎧のマスクの中央を捉える。

 

「おっと!?」

 

 衝撃で鎧は大きくよろけて後退する。

 

 だが、

 

 友哉は警戒を解く事無く、刀を構え直す。

 

 思ったほどダメージは入らなかった。

 

 強固な鎧を着込んでいるせいもあるのだろうが、もっと別の要素によってダメージが軽減されたような感触がある。

 

 いずれにせよ、パトラやカツェの仲間なのだ。一筋縄でいかない事は判っていた。

 

 それに、

 

 友哉は自分の体が、軋むような痛みに苛まれ始めているのに気付いていた。

 

 伽藍と戦った時に受けたダメージが、再びうずき始めているのだ。

 

 これ以上、戦闘を長引かせるのは得策ではない。

 

《もう1回、行けるか?》

 

 自分の刀を見やりながら、友哉は心の中で呟きを漏らす。

 

 奥義 天翔龍閃(あまかけるりゅうのひらめき)

 

 ダメージを受けた身で、もう一度撃つのは難しいかもしれない。

 

 しかし、切り札は他に無いように思われる。

 

 友哉は刀を、腰の鞘へと戻そうとした。

 

 その時、

 

「時間切れ、か」

 

 ふと、対峙する鎧の方が殺気を消し、手にした大剣を降ろした。

 

「何を・・・・・・」

「悪いけど、今日はこれくらいにしようや」

 

 そう言うと、片手を上げて友哉を制する。

 

「元々、俺は足止めを頼まれただけだったし、これ以上ここにいて、窒息死の巻き添えは御免だ」

「勝手な事を・・・・・・・・・・・・」

 

 そちらから仕掛けてきておいて、何を言っているのか。

 

 再び斬り掛かろうと、身構える友哉。

 

 しかし、それよりも早く、鎧は身を翻らせた。

 

「それじゃあ、また会えるのを楽しみにしているぜ。それまで、せいぜい死ぬんじゃないぞ」

 

 そう言うと、クルリと踵を返し、藍幇城の入口へと駆け去って行く鎧。

 

 友哉は慌てて追いかけるが、その時にはエンジン音が鳴り響き、1艘のモーターボートが駆け去って行くのが見えた。

 

 舌打ちする友哉。

 

 まんまと時間を稼がれてしまった形である。これで、キンジ達への応援が大きく遅れる事となってしまった。

 

「緋村さん!!」

 

 そこへ、諸葛が駆け寄ってくるのが見えた。

 

「水上機が到着しました。これでシーマ・ハリ号まで行けます!!」

「・・・・・・・・・・・・判りました、お願いします」

 

 苦い声で言いながら、刀を収める友哉。

 

 敵の術中にはまってしまった事は痛恨だが、今は目的を見失わない事が重要である。

 

 こうしている間にも、香港は破滅に向かって転がり落ちようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友哉達が水上機を駆ってシーマ・ハリ号へと到着すると、戦いは既に終わっていた。

 

 カツェとパトラはキンジ、アリアとの交戦の末に逃亡。甲板上には彼女達が残して行ったゴレムが残っていたが、それらの掃討には猴が当たっていた。

 

 とにかく時間が無い。タンカーは、未だに動いているのだ。

 

 しかも、その後の機嬢の調べで、シーマ・ハリ号の操舵系統は大半が破壊されている事が判明した。

 

 用意周到な連中である。こちらが阻止に動く事を見越して、通常の手段での回避を封じて来たのだ。

 

 残る手段があるとすれば、タンカーの爆発それ自体を防ぐ事のみ。

 

 いよいよ、進退窮まった感じである。

 

 だが、まだ諦めるわけにはいかない。自分達も含めて香港住民を退避させている時間が無い以上、それこそ死ぬ気でタンカーを阻止しなくてはならなかった。

 

「イ・ウーでカツェに習ったんだけど、原油の流出は爆薬で起こすんだよ」

 

 この中で唯一、タンカージャックの知識がある理子が説明に入る。

 

「原油タンクの底に爆薬を仕掛けて亀裂を入れて、後は水圧とタンカーの自重で船体を割るの。生卵みたいに真っ二つにね」

「そんな事したら、タンカーが爆発しちゃうんじゃない?」

 

 もっともな質問をするアリアに対し頷きつつ、理子は答える。

 

「そうならないように、専用の指向性炸薬筒を使うんだよ。うんと長い対人地雷を下向きに仕掛けるような感じ。そいつでカーゴタンクの底から下に、船底とバラストタンク突き破って海面側にだけ必要最小限の炸裂を起こす。それだと、起爆しても海水で即座に消火されるから、大爆発は起こらないの」

 

 つくづく、忌々しいまでの手の込みようである。

 

 テロリストが知恵を絞って考えると大参事が引き起こされると言う、典型的な例だった。

 

 しかも、タイムリミットまで10分弱。まともなやり方で炸薬筒を見付け、それを拾い上げるのは不可能に近かった。

 

「炸薬筒はタンカーが岸に衝突した衝撃を感知して起爆するものある。それまでの時間は藍幇が伸ばすヨ」

 

 そう言うと、機嬢はインカムに向かって何かをしゃべり始める。

 

 中国語なので何を言っているかは判らないが、とにかく時間稼ぎについては任せる以外に無いだろう。

 

 そう思っていると、海上で変化が起こり始める。

 

 ポツリ、ポツリと海面に光が灯り始める。

 

 それらは急速に数を増やして、シーマ・ハリ号を取り囲み始めた。

 

「あれって、船だよ!!」

 

 瑠香が興奮したように叫ぶ。

 

 確かに船だ。

 

 漁船のような小舟から、水上警察の警備艇、高級クルーザーの姿まである。

 

 藍幇の船団である。カツェが撤退した為、海流が正常に戻りタンカーに追いついてきたのだ。

 

 そこへ、1隻の高速艇が寄ってきた。

 

「遠山さんッ 緋村さん!! 私達もお力添えしますよ!!」

 

 高速艇の縁に立った諸葛が、メガホンを手に叫んでくる。

 

 それと同時に、各船から一斉にフック付きのロープがシーマ・ハリ号へと投げつけられた。

 

 それらが障害物に食いつくと同時に、一斉にタンカーの進行方向とは逆に引っ張り始める。

 

 藍幇船団の船は、大きい物でもシーマ・ハリ号の10分の1程度でしかない。まさに、巨象と蟻の綱引き対決である。

 

 しかし、それでも数は力である。効果はすぐに出始め、シーマ・ハリ号は目に見えて減速し始めた。

 

「目測で21ノット。あと19分ネ、キンチ。それでヴィクトリア湾北西の端、ICCのふもと辺りにぶつかるよ」

 

 状況の変化を機嬢が伝えてくる。

 

 破滅の先延ばしはできたが、これで解決とはいかない。やはり、炸薬筒の解除は必須だった。

 

 その頃、甲板上では炸薬筒の位置を探る作業が始まっていた。

 

 と言っても、通常の方法では時間が足りない事は明白である。

 

 故に、通常ではない方法に頼らざるを得ない。

 

 甲板上では、ヒルダと白雪が互いに手を繋ぎ、額に汗を滲ませながらうろうろと歩き回っているらしい。

 

 どうやら、超能力で炸薬筒の位置を探っているらしかった。

 

 コックリさん、あるいはダウジングに近いやり方なのだろう。

 

 友哉を始め、S研的な知識には疎い面々だが、他に方法が無い以上、2人に頼らざるを得なかった。

 

 やがて、2人は何事かを察知したように数歩同じ方向へ歩くと、足を止めて振り返った。

 

「ここだよ、この下に炸薬筒があるはず・・・・・・だいたいなんだけど」

 

 そう言ってふらりと倒れそうになった白雪を、レキが支える。

 

 同様に、ヒルダも倒れそうになって、理子に支えられていた。

 

「第4カーゴ、センタータンクの下だね」

 

 まさにタンクの中央であり、しかも各タンクを隔てる隔壁はカツェ達によって解放されて居る為、どこか1カ所のタンクが解放されれば、全ての原油が流出する事になる。

 

「ありがとう、白雪、ヒルダ。だが、原油の中に沈んだ物を、どうやって拾い上げる?」

 

 透明度が最低レベルの原油の中に沈んだ代物を、水面上から目視で探すのは不可能である。

 

「ダイバースーツで潜るのです。潜って探すのです」

 

 ゴレムの掃討を終えた猴が、そう提案してくる。

 

 だが、機嬢がすぐに首を横に振った。

 

不是(できない)。酸素ボンベのレギュレーターが原油の分解作業で、すぐに駄目になるヨ」

「じゃあ、どうするの? 素潜りじゃ、流石のキンジでもたぶん無理よ」

「いや、アリア、『たぶん』じゃなくて絶対無理だからね」

 

 ヒステリアモードのキンジが、アリアの言葉をやんわりと否定する。

 

 原油の分解作用で皮膚が溶け落ちてしまうのは明白だった。

 

 そこで、機嬢が甲板の隅を指差した。

 

「あれを使うネ」

 

 その指差した先。

 

 そこには、乗り捨てられた海水気化魚雷(スーパーキャビテーション)改造潜水艇オルクスが転がされていた。

 

 

 

 

 

 作業用クレーンにつるされて、オルクスが原油取出し口へと運ばれていく。

 

「開けるよ、せーの!!」

 

 そのハンドルに取りついた友哉と陣が、バルブを開口方向に一斉に捻った。

 

 今、オルクスにはキンジと機嬢の2人が登場している。

 

 元々が魚雷改造の潜水艇である為、2人乗りが限界なのだ。

 

 そこで、メカに詳しい機嬢と、ヒステリアモードで思考速度が上がっているキンジが乗り込む事になった訳である。

 

 巨大なマンホールの蓋が開くようにハッチが口を開けると、同時に友哉と陣は大急ぎで退避した。

 

 タンク内部には揮発性の有毒ガスが充満している。人体への悪影響に加え、ここからは甲板上でも火気厳禁となる。

 

「頼んだよ、キンジ」

 

 最後の戦いに赴く友へ、友哉はそっとエールを送る。

 

 だがその時、クレーンが風に煽られ、オルクスの外装が僅かにハッチの縁へとぶつかった。

 

『ッ!?』

 

 思わず息を呑む一同。

 

 これでもし、万が一火花でも起これば一巻の終わりである。

 

 しかし幸いと言うべきか、オルクスは何事も無く原油の沼へとその身を沈めて行った。

 

 こうなると、友哉達にできる事は何も無い。あとはもうキンジ達の奮戦に運命を託し、祈るのみだった。

 

「いや・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は何事か呟くと、背を向けて歩き出す。

 

「おい友哉、どこ行くんだよ?」

「うん、ちょっとね。まだ敵がいるかもしれないから、ちょっと見回ってくる」

 

 尋ねる陣にそう返すと、友哉は足早にその場から歩き去って行った。

 

 暫くして甲板の隅へと来ると、足を止めてスッと目を細める。

 

「・・・・・・出てきたらどうです? いるのは判っているんですよ」

 

 誰もいない筈の空間に向かって声をかける友哉。

 

 すると、少しの間があって、詰まれたコンテナの上に人の気配が立ち上がった。

 

「やりますね、緋村君。よく、私の気配に気づきました」

 

 賞賛するように言いながら仮面の男、由比彰彦が友哉を見下ろしていた。

 

 対して、友哉は見上げるようにして睨みつ付ける。

 

「あなたのやり口は、この1年間、さんざん見て来ましたから。いい加減、見飽きましたよ」

 

 これだけのタンカーをカツェとパトラが単独で調達するとなると、簡単には行かない筈。故に「協力者」の存在が必要不可欠となるはずだ。

 

 故にこその「仕立て屋」。この極東戦役における唯一の「傭兵部隊」であり、報酬次第では師団、眷属、双方に味方すると宣言した存在が思い浮かばれるわけである。

 

「今度は魔女連隊にでも雇われましたか?」

「ご名答です。あそこのリーダーさんとはイ・ウー時代から懇意でして。今回の作戦も、カツェさん、パトラさんの移動、並びにタンカーの調達面で協力させていただきました」

 

 その答えを聞き、

 

 友哉は刀の柄に手を掛けた。

 

 既に互いの距離は至近。友哉なら一足の内に接近できる。

 

 しかし、それよりも一瞬早く、彰彦は右手を上げて友哉を制した。

 

「やめておきましょう。ここで戦えば、私も君もタダではすみませんよ」

「・・・・・・・・・・・・クッ」

 

 今やシーマ・ハリ号の甲板上は、ちょっとした火花でも火種になりかねない危険地帯である。刀同士のぶつかり合いなど、御法度も良い所だった。

 

「では、私の方でも失礼させていただきますよ。どうやら、君の援軍も来たようですし。騒ぎにならないうちにお暇させていただきます」

「待てッ!!」

 

 制止しようとする友哉。

 

 しかし、それよりも早く、彰彦は空中へと身を躍らせると、そのままクレーンか何かにつられるようにして上昇していった。

 

 舌打ちする友哉。

 

 恐らく消音のステルスヘリを上空に待機させていたのだろう。彰彦は退路を完全に確保した上で、友哉と対峙していたのだ。

 

 してやられた。

 

 武勇では、決してあの男に引けを取らないだけの自信が友哉にはある。

 

 しかし、事頭脳メインの駆け引きとなると、やはりと言うべきか、まだまだ遅れていると言わざるを得なかった。

 

「そう言えば、援軍って・・・・・・・・・・・・」

 

 彰彦が先ほど言っていた言葉を思い出し、友哉は踵を返して皆の所へと戻った。

 

 程無く、ローター音を響かせながら、別のヘリがシーマ・ハリ号へと接近してくるのが見えた。

 

 友哉達が見守る中、甲板に着陸したヘリのハッチが開き、4人の人影が颯爽と降りてくるのが見えた。

 

 その姿に、友哉の顔は歓喜に包まれる。

 

「武藤!!」

 

 武藤剛気、平賀文に率いられた武偵校チーム「キャリアGA」。

 

 車輌科と装備科のメンバーで構成された彼等は、急を聞いて駆けつけてくれたのだ。

 

「話は道すがら聞いた。緋村、あとは任せろ!!」

 

 力強く言い放つ武藤。

 

 同時に、メンバー達に矢継ぎ早に指示を飛ばしていく。

 

「鹿取と安斎は機関室へ行ってエンジンの停止ッ 平賀は回収した爆弾の解除だッ 舵は俺に任せろ!!」

 

 誰よりも信頼できる仲間達。

 

 その活躍によって、破滅へ進む道は光明によって塗りつぶされていくのだった。

 

 

 

 

 

第2話「香港の長い夜」      終わり

 



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第3話「這い寄る影」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 香港を壊滅寸前に追い込んだ未曾有のテロ事件であるタンカージャックは、イクス、バスカービル、キャリアGAと言った武偵校のチーム。そして藍幇が共闘する事により、未然に防ぐ事に成功した。

 

 タンカーは武藤達キャリアGAによって停止措置が取られ、問題の炸薬筒は決死のダイビングを行ったキンジと機嬢が回収、その後、平賀文の手によって完全に無力化された。

 

 その後、一同は香港中から歓待を受けた。

 

 師団の本部にしていたICCビルのバー「OZONE」には、イクス、バスカービルメンバーはおろか、キャリアGAのメンバーや藍幇の幹部、果ては顔も知らない構成員まで押しかけて、ドンチャン騒ぎと相成った。

 

 日付的にはちょうど、クリスマスと言う事もあったが、そんな事は一切関係ない大盛り上がりである。

 

 キンジは白雪にしだれかかられて辟易し、その横ではアリアが不機嫌そうに睨み付ける。

 

 理子はココ姉妹と共に、諸葛のピアノ伴奏でAKB48の振り付けを踊った。

 

 陣は飲み比べで、大の大人相手に50人抜きを披露し、その後、伽藍との頂上決戦に及んでいた。

 

 武藤はオリジナル裸踊り「轢いてやる音頭」を披露し、日本の恥を晒してくれた。タンカーでの活躍が台無しである。

 

 瑠香は今後の参考にと、出された料理を食べ比べていた。たぶん、日本に帰ってから実践する心算なのだろう。

 

 レキは1人、窓際で体育座りして、静かに星を眺めていた。

 

 それぞれ、各々が勝ち取った平和を満喫していた。

 

 そして、

 

 

 

 

 

「うわー、綺麗です!!」

 

 天上の星とは逆に、眼下に広がる星の如き夜景に目を奪われて、茉莉は目を輝かせている。

 

 友哉と茉莉は、OZONEでの喧騒からこっそり抜け出すと、2人で連れ立って夜景の見える場所までやって来たのだ。

 

 茉莉の耳には、友哉がプレゼントしたピアスが輝いている。

 

 勿論、まだ耳に穴はあけていないだろうが、こうして気に入って付けてくれている事が、友哉には嬉しかった。

 

「ほんと、綺麗だね」

 

 先程の茉莉の言葉を反芻するように、友哉は言う。

 

 しかし、

 

 友哉の目は、眼下の夜景を見てはいなかった。

 

 友哉が見ているのは、夜景の光に照らされて淡く浮かび上がった、茉莉の横顔だった。

 

「・・・・・・友哉さん?」

 

 そんな友哉の視線に気付いた茉莉が、キョトンとした顔で振り返ってくる。

 

 自分達は勝った。

 

 強大な戦力を誇った藍幇を打倒し、更に奇襲をかけて来たカツェ、パトラをも退けた。

 

 だからこそ、こうして茉莉と共に時間を過ごす事ができる。

 

 それこそが、友哉にとって、何よりのクリスマスプレゼントであった。

 

「茉莉」

 

 友哉はそっと手を伸ばし、茉莉の頬に手を当てる。

 

 その仕草に、光に照らされた茉莉の頬が、ほんのり赤く染まるのが判った。

 

 ゆっくりと、近付く2人。

 

 そして、

 

 100万ドルの夜景に祝福されながら、2人の唇がゆっくりと重なった。

 

 

 

 

 

 その頃、

 

 ICCビルでのどんちゃん騒ぎをよそに、香港の夜に冷徹な風が吹いている一角があった。

 

 倉庫街の角に立った柳生当真は、自身の背後に人の気配が浮かび上がるのを感じて顔を上げる。

 

「首尾は?」

 

 誰が来たか、などと言う事は問うまでも無い。慣れ親しんだ相手の気配は、視線を向けずとも感じる事が出来た。

 

 対して、相手も心得ているように、当真の横に立った。

 

「上々だ。良い感じにテロリストが騒いでくれたおかげで、警戒厳重な藍幇城にもすんなりと潜入する事が出来た」

 

 そう言うと、その人物は手にした物を当真に見せる。

 

 それを見て、豪胆な当真も、思わずゴクリと喉を鳴らした。

 

 布に包まれた細長い代物は、その中にあってさえ、禍々しい雰囲気を滲み出しているようだった。

 

「歴史の闇に埋もれ、消え去ったはずの存在が、巡り巡って香港に流れているとはな。運命ってのは判らんものだ」

「だからこそ、我々のような存在が許容される」

 

 光があれば、闇もある。

 

 故にこそ闇に生きる者も存在できると言う訳だ。

 

「何にしてもこれで、御前の『お使い』は達成できたわけだ。大手を振って日本に帰れるってもんよ」

 

 そう言うと、当真はニヤリと笑う。

 

 その脳裏に浮かぶのは、香港の街で三度目の対決を行った少年、緋村友哉の事だった。

 

 結局、今回も決着は着かないまま終わってしまった。

 

 だが、まあいい。どのみち、あの少年とはまた、いつか会う事ができるだろう。

 

 ある種の確信めいた予感と共に、当真はそう考えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 12月26日

 

 香港での戦いを終え、1日経ったこの日、茉莉は強襲科の体育館にいた。

 

 帰ってきた翌日、すぐに鍛錬を始めるのは真面目な彼女らしいとも言えるが、これには香港戦における反省の意味合いも含まれていた。

 

 対藍幇決戦時、茉莉は自分が胸を張って皆の役に立てた、とは言えなかった。

 

 折角、友哉から重要な役割を任されたと言うのに、肝心な時に役に立てなかったばかりか、自分の技が伽藍相手に掠り傷一つ負わせられなかった事は、茉莉にとって痛恨と言って良かった。

 

 勿論、友哉達は茉莉も良くやったと褒めてくれたが、当の茉莉からすれば、今の自分は決して満足のいく戦いができているとは言い難かった。

 

 だからこそ、茉莉は帰ってすぐに鍛錬を開始したのだ。

 

 先程から周回コースを何週もまわっている。

 

 ただし、ただ走っている訳ではない。

 

 茉莉の細い腰にはロープが巻かれ、その端にはタイヤが括られている。茉莉は、そのタイヤを引きずる形で走っているのだ。

 

 古典的な鍛錬方法だが、効果は絶大だった。

 

 今回の鍛錬に際し、茉莉が選んだのは、従来通りの「速力の強化」である。

 

 今まで機動力メインで戦ってきた茉莉が、今さら別の戦術を選択するのは得策とは言い難い。

 

 それよりも、自分の唯一の武器である機動力を徹底的に強化する道を選んだのだ。

 

 言い伝えによると、茉莉の先祖の脚力は半端な物ではなかったらしい。走っている馬車に後方から追いつき、全速で駆ければ姿を捉える事すら不可能だったとか。

 

 今までは、そんな事は不可能だと思っていた茉莉だが、最早そうも言っていられる状況ではない。

 

 敵は日に日に強くなってきている。

 

 それらに対抗する為に、茉莉もまた、己を極限まで鍛える必要性を感じていた。

 

 自身で決めたメニューを終え、茉莉が足を止めた時には、走り込みを始めて2時間近くが経過していた。

 

 元々、体力がそれほど高いとは言い難い茉莉にとって、それは苦行にも似た時間であったと言える。

 

 そこへ、

 

「お疲れ様、茉莉ちゃん」

 

 聞き慣れた声に茉莉は顔を上げて笑顔を浮かべる。

 

 そこには、瑠香が手を振って立っていた。

 

 そう言えば、今日は午後から一緒に買い物に行く約束をしていたのを思い出す。

 

 香港でも買い物はしたのだが、やはり日本に帰ってきた以上、日本の店でも買い物がしたいらしい。

 

 まあ、茉莉としても、いくつか日用品の買い足しをしたいと思っていたところなので、ちょうど良かったのだが。

 

「ちょっと待っててくださいね。すぐ、着替えますから」

「うん、待ってる・・・・・・と こ ろ で・・・・・・」

 

 言いかけた瑠香が、ニンマリと笑って茉莉を見てくる。

 

 その様子に、顔を引きつらせる茉莉。

 

「な、何ですか?」

「いやー 良い眺めだなーって思ってさ」

 

 そう言うと瑠香は、じっくりたっぷりと、茉莉の姿を見詰めてくる。

 

 その視線の意味に思い当たり、茉莉は思わず後ずさった。

 

 瑠香の視線は、体操服姿の茉莉を捉えている。

 

 ただし、その姿は香港に行く前と大きく変わっている点が1カ所ある。

 

 香港前の茉莉は、体操着に短パンを用いていた。

 

 しかし今、茉莉の下半身を覆っているのは、紺色の布地に、サイドには白いラインが2本入ったブルマーだった。

 

 パンツのような形状をして太ももは付け根付近から大胆に露出し、ピッタリとフィットする布地のせいで、柔らかそうなお尻の丸みはそのまま強調されている。

 

 茉莉の健康的な肢体と相まって、青々とした果実の如きフェチズムを醸し出している。

 

 瑠香の視線を受け、顔を赤くしながら、とっさに体操服の上衣を引っ張り、ブルマーの下腹部を隠そうとする茉莉。

 

 もっとも、短い上衣では完全には隠しきれていないのだが。

 

「る、瑠香さんがやったんじゃないですか!!」

 

 涙交じりに抗議する茉莉。

 

 ことの発端は、香港行きの前に行った師団の作戦会議までさかのぼる。

 

 あの時、理子が用意したブルマーを気に入った瑠香は、以後、自分の体操着をブルマーに変えてしまったのだ。

 

 その際に、茉莉も巻き込んだと言う訳である。

 

 因みに、茉莉がそれまで使っていた体育用の短パンは、瑠香に没収されてしまっている。その為、茉莉としては否が応でもブルマーを穿かざるを得なかった訳である。

 

 運動場に入ってから周囲の視線、特に男子のそれが好奇を伴って自分に向けられている事は感じていたが、敢えて鍛錬に集中する事で誤魔化していたのである。

 

「良いじゃん、可愛いんだからさ!!」

「キャッ!!」

 

 言いながら、瑠香は茉莉を抱きしめて頬ずりする。

 

「大丈夫大丈夫。わたしも一緒だから、お揃いお揃い!!」

「う~・・・・・・」

 

 瑠香は普段は茉莉に対して姉のように振る舞いながらも、時折このように無邪気な妹的な一面を見せてくる。

 

 その為、茉莉的には瑠香の我儘をついつい許容してしまう事が多いのだった。

 

「さあさあ、時間も無いんだし。早く行こうよ」

「・・・・・・判りました」

 

 がっくりと、肩を落としながら返事をする茉莉。

 

 どうあっても、自分はこの「年下の姉」には逆らえそうにない事を再確認するのだった。

 

 

 

 

 

 着替えを終えた茉莉は、瑠香と合流して街へと繰り出すべく後門へと向かっていた。

 

 学園島から近くのお台場まで、定期運航のバスが出ている。

 

 車輌科の学生などは自分の車等を使う場合もあるが、茉莉は自分の車も免許も持っていない為、こうしたバスを使って買い物に行く場合が多かった。

 

「さて、今日はどんな服を見よっか? 冬物はまだまだ必要だし、新しいコートとかも欲しいよね」

「ふ、服なら香港で見たじゃないですか」

 

 洋服を買いに行くたびに瑠香に着せ替え人形にされる茉莉にとって、軽いトラウマになっている。

 

 どうやら、今日もその運命から逃れる事はできそうにないらしい。

 

 と、

 

 教務課(マスターズ)の前まで来た時、何やら人だかりができている事に気付いて茉莉は足を止めた。

 

「あ、そう言えば・・・・・・」

 

 確か、期末試験の結果発表が、今日だったのを思い出す。

 

 武偵校の単位は、単純な筆記や実技の結果のみならず、達成した以来の内容によっても上下する。その点、一般的な高校よりも実力重視の学校ならではであると言えるだろう。

 

「さ、茉莉ちゃん、行こっか」

「待ってください」

 

 華麗にスルーしようとした瑠香の襟をガシッと掴み、茉莉は掲示板のある方へと歩き出す。

 

「ちょ、茉莉ちゃん、待ってってば!!」

「待ちません。結果くらい確認しないと」

 

 そう言うと、茉莉は渋る瑠香をズルズルと引きずって行く。

 

 筆記試験の結果がお世辞にも良いとは言い難い瑠香的に言うとスルーしたいイベントなのは判るが、茉莉としては自分の成績も気になる所なので、半ば強引に「姉」を連行して掲示板の前まで行くのだった。

 

 人だかりをかき分けるようにして掲示板の前まで行き、順に名前を見ていくと、チラホラと知った名前もきた。

 

 129位 相楽陣(強襲科(アサルト)

 

 126位 遠山金次(探偵科(インケスタ)

 

 ここら辺は、どうにか平均点クリアと言ったところである。

 

 自分達の実質的なリーダーであるキンジには、もう少し頑張ってもらいたいと思わなくも無いのだが、いざという時に発揮されるキンジの実力とカリスマは、茉莉も認めている所である為、これはこれで文句を言う筋ではないだろう。

 

 更に視線を上位に進めていくと、アリア、理子、レキと言った面々の名前も出てくる。

 

 元よりプライドの高いアリアが勉強面でも手を抜くはずがないし、レキは何をやらせてもそつ無くこなすタイプ、理子に至っては仲間内で最も要領が良い為、どんな困難でも鼻歌交じりで乗り越えて行ってしまう。

 

 そして、

 

 13位 緋村友哉(強襲科(アサルト)

 

 11位 不知火涼(強襲科(アサルト)

 

 と来て、

 

 10位 瀬田茉莉(探偵科(インケスタ)

 

 とあった。

 

 全国の偏差値が最低ランクで有名な武偵校の中にあっても、上位者となればそれなりである。まずまず、満足のいく結果ではあった。

 

 更に、その上には

 

 9位 エル・ワトソン(衛生科(メディカ)

 

 とあり、

 

 栄えある最上位には

 

 2位 星枷白雪(SSR)

 

 とあった。

 

 だが、

 

 1位 望月萌(救護科(アンビュラス)

 

 とある。

 

「・・・・・・誰でしょう?」

 

 その名前を見て、茉莉は首をかしげた。

 

 偏差値の低い武偵校の中では、成績上位者は大体決まっている。しかし、その「望月萌」と言う名前には見覚えが無かった。

 

「あれ・・・・・・でも、どこかで聞いたような・・・・・・・・・・・・」

 

 頭に指を当てて考えて見ても、答はなかなか出てこない。

 

 どうも、自分に直接関係のある名前では無かった気がする。

 

 そこまで考えていると、横から袖をクイクイっと引っ張られた。

 

「茉莉ちゃん、もう行こうよ」

「あ、そうですね」

 

 瑠香に促され、我に返る茉莉。

 

 まあ、自分に関係の無いなら、特に気にする必要も無い、と言う事にしておいた。

 

「ところで、瑠香さんはどうでした?」

「ん、順位、上がってたよ。これも茉莉ちゃんのおかげだね」

 

 テスト勉強の際、茉莉は自分の勉強の傍らで、瑠香の講師役も務めたのである。

 

 その効果が表れて何よりだった。

 

「お礼に、今日はたっぷりと服を選んであげるね」

「いえ、それは・・・・・・」

 

 何だか藪蛇になってしまったみたいで、茉莉は冷や汗を流しつつ視線を泳がせる。

 

 その時、スカートのポケットに入れておいた茉莉の携帯電話が着信を告げてきた。

 

 手にとって開いてい見ると、液晶には「お父さん」の文字がある。

 

「あれ、お父さん?」

 

 訝るように首をかしげると、通話ボタンを押して耳に当ててみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友哉が指定された強襲科別館の∑部屋に入ると、そこはいかにも女の子然とした感じのある部屋だった。

 

 中ではすでに、目的の人物2人が友哉を待って待機している状態であった。

 

「やあ、呼び出して悪かったね、ヒムラ」

 

 そう言うとエル・ワトソンは、両手を広げて挨拶してくる。

 

 転装生(チェンジ)であるワトソンは、普段は男子生徒として振る舞っているが、やはり事情を知っている友哉の目から見ると、「男装をした女の子」に見えてくる。

 

 もう1人、つい先日まで香港で共に戦っていた遠山キンジは、何やら渋面を作って友哉に視線を向けて来ていた。

 

 それにしても、

 

「何で、指定がここだったの?」

 

 強襲科別館は屋内戦闘の訓練を行う場所である。申請すれば借り切る事はできるのだが、そこに自分が来るまで、男と女(男装少女)が2人っきりでいたと言う事実には、いくら友哉でも何かと想像せざるを得ない所である。

 

 それに対し、キンジとワトソンはいかにも慌てた感じで首を振る。

 

「な、何でもない。特に意味なんてないよッ ね、トオヤマ?」

「そ、そうだぞ、お前も妙な事気にすんなッ」

「・・・・・・・・・・・・ふーん」

 

 いかにも挙動不審な2人だが、これ以上追及するのも何なので、取りあえず本題に入る事にした。

 

「それで」

 

 備え付けの椅子に座りながら、友哉は切り出した。

 

「話って、何?」

「うん、香港での戦いの件は、大体のところ把握しているんだけど、一つ、気になる事があってね」

 

 そう言うと、ワトソンもベッドに腰掛けながら本題に入る。

 

 ピタリと両足を揃えて座る辺り、そこら辺はやはり、女の子なんだな、と実感させられるところであるが、ワトソンはそんな浮ついた空気など介さずに本題へと入った。

 

「これはアリアから聞いた話なんだけど、カツェは藍幇が負けてからの攻撃が早かった。いや、早すぎたと言っても良いかもね。あのタイミングで、あの規模の攻撃は、その準備が早い段階で行われていた事を意味している。たぶん、ヒムラの報告にあった通り、仕立て屋を仲介する形でね」

 

 それは、友哉自身も感じていた事である。

 

 カツェは藍幇の敗北が確定するとすぐにタンカージャックを仕掛けて来た。これはつまり、ほぼリアルタイムでカツェが戦いの情報を得ていた事が考えられる。

 

「言いたくは無いけど、何者かから情報が漏れていたと、僕は考えている」

「そんなッ」

 

 ワトソンの言葉に、友哉は抗議の声を上げる。

 

 つまり、裏切者が自分たちの中にいる、とワトソンは言っているのだ。

 

 だが、ワトソンは非情な態度を崩さないまま続ける。

 

「魔女連隊は、バチカンや玉藻と同じで戦役のリピーターだ。ただ、戦って勝つと言う方法だけに拘らない。搦め手で来るかもしれない」

「・・・・・・俺は、仲間を疑うのは好きじゃないぜ」

 

 不機嫌そうに、キンジが返す。

 

 それについては、友哉も同意見だった。これまで一緒に戦ってきた仲間を疑う事などできない。

 

「好き嫌いの問題じゃないよ。君達は確かに連戦連勝してきた。しかし、勝利は慢心を生む。そこに付けこむ有効な方法が『スパイ』なんだよ」

 

 流石に西洋忍者(ヴェーン)の異名を持つ英国諜報員が言うと、重みが違ってくる。

 

「極東戦役は武力抗争。抗争ってのはパワーバランスが崩れてからが危険な時間帯だよ。暗殺、裏切り、スパイ、こう言った事に気を付けなければならない」

「そんなセコい手で来る奴は、しまいにゃ負ける。それが世の常だ」

 

 警告するワトソンに対し、キンジは尚も強気な発言を崩さない。

 

 それに対してワトソンは少しムッとすると、立ち上がってテーブルに歩み寄った。

 

「よし、じゃあ、君達にも判るように、ゲームに例えて教えてあげるよ」

 

 そう言うとワトソンは、机から取り出した紙と文房具で、何かのカードのような物を作り出した。

 

「これは兵力を表したカードだ」

 

 訝りながらキンジと友哉が覗き込むと、キンジ、アリア、友哉、白雪、茉莉と言った師団メンバーに加えて、カツェやパトラと言った眷属メンバーの顔もある。戦力を現した数字も掛かれている。

 

 正直、かなり上手い。簡単だが、それぞれの顔の特徴をよく捉えている感じである。どこぞの聖処女30世とはえらい違いである。

 

「ワトソン、絵、上手だね」

「ありがとう。ん、こんな感じかな」

 

 カードを並べ終えたワトソンに促され、改めて配置されたカードを見やる。

 

「師団が、かなり有利だな」

 

 キンジの言葉に、友哉も頷いた。

 

 伊達にここまで勝ち進んで来た訳ではない。大勢は明らかに、師団が有利に思われた。

 

 だが、そこにワトソンは警告を発する。

 

「でも、このカードのどれかの向きが反対になったら、どうかな? たとえば、判りやすいのは理子だ」

 

 そう言うと、ワトソンは理子のカードを眷属側に寝返らせる。

 

 すると、どうだろう?

 

 あれよあれよの間に、状況が覆されていく。

 

 まず、理子にベッタリなヒルダが、一緒になって寝返る。

 

 更に、味方だと思っていた理子の奇襲で白雪が倒され、手の内を知られているジャンヌもやられる。これで、味方のステルスはほぼ壊滅状態である。

 

 あとはステルス面に弱い面々が次々と狩られていく。勿論、その中にはキンジ、アリア、友哉も含まれる。

 

 全滅する東京勢力。

 

 仕方なく、ココ、猴と言った香港戦力を東京へ移動させるが、今度は香港が手薄になって狙われる。

 

 そこにカツェ、パトラの再進撃を受けてアウトだ。

 

 まず、香港が陥落する。それで藍幇勢は壊滅状態に陥るだろう。

 

 そこで、戦力が低下した東京は、眷属側に包囲され総攻撃を受ける事になる。

 

「ここに、ハビや、敵か味方か判らないLOOが攻めてきたらどうなる? 戦力が『?』と書かれている者は、誰よりも強い可能性もあるんだ。魔女連隊だって、1人じゃない。彼女達は皆、『戦魔女』。戦う事を専門とする魔女たちだ。極東戦役に参戦できる頭数は不明だが、カツェ以外の戦魔女と接触する可能性もあるだろう」

 

 そうなると、師団側の勝率は更に下がる。

 

 友哉は愕然とした。

 

 たった1人の裏切者から、現在の優勢がこうまで覆されるとは、思っても見なかったのだ。

 

 隣をチラッと見ると、キンジも同様の心境らしく、渋面を作っているのが見えた。

 

「君達の慢心を戒める為に、今回は最悪のケースを離したが、これは来月、もしかしたら来週には現実になるかもしれない出来事なんだよ。様子がおかしい者がいたら疑ってかかるべきだ」

 

 ワトソンの声が、冷徹に響く。

 

 確かに戦争である以上、あらゆる状況を想定して対策をたてないと、いつ足元を掬われるか判らない。

 

 それでなくてもヒルダ戦やジーサード戦等、罠や奇襲等を喰らって、あわや壊滅寸前まで追い詰められた例は幾らでもあるのだから。

 

 話を終えた後、キンジはふと、思い出したようにワトソンに尋ねた。

 

「そう言えばワトソン、イギリス関連の事で一つ、聞きたい事があるんだが」

「イギリス関連? いいよ、キミもいよいよ国際感覚を身に着けようとしているのかな?」

「そんな大それた話じゃない。ヨタ話だよ。イ・ウーでシャーロックが使っていたスクラマサクスってのがあっただろ。何かあれ、シャーロックが『大英帝国の至宝』とか言ってたんだが、お前、あれの銘とか知ってる?」

「知ってるよ。君がシャーロックから奪った剣だろう? 銘は『イクスカリヴァーン』。日本ではエクスカリバーと訛って呼ばれる、イギリスの国宝の一つだよ」

 

 その名前を聞いた瞬間、友哉の中で先程とは違う衝撃が走った。

 

 彼の騎士王が愛用したと言われる伝説の聖剣。日本でも知らぬ者がいないとさえ言われる剣の名前が、まさかこんな所で出て来る事になるとは思っても見なかった。

 

「目下、シャーロックの行方と共にMI6、イギリス情報局秘密情報部が捜索しているよ。彩夏のお父さんなんかも、実はあそこの所属なんだけどね。ただ、僕は秘密情報部が嫌いなんだ。特に00シリーズは諜報活動が乱暴で、イギリス人以外だと気に入らない相手は気軽に殺してしまうからね。だから、イ・ウー崩壊後にイクスカリヴァーンの行方についてボクにも問い合わせが来たけど無視してやったよ。彼等への嫌がらせにね。だから、君は見つからないように隠しながら使うと良いよ」

 

 ワトソンが説明している間に、キンジの顔がみるみる青くなったのは言うまでも無い事である。

 

 と、

 

「あれ、でもスクラマサクスなら、この間、キンジがクリ・・・」

 

 バッチーンッ

 

「ふもぐッ!?」

 

 「スマスツリーにしちゃったでしょ。孫のレーザーで溶けて」と続けて言おうとした友哉の口を、キンジがほとんどビンタするような勢いで叩き塞いだ。

 

《お~~~ろ~~~》

《ばばば馬鹿野郎!! 今このタイミングで、それバラす奴があるかァ!?》

《ご、ごめんなさい》

 

 そんな2人の阿呆なやり取りを、ワトソンは首をかしげながら見つめる。

 

「クリ? chestnut()がどうかしたのかい?」

「クリ・・・・・・クリ~・・・・・・そう!! 栗を取るのに使ってたよね!! こう、伸ばす感じでさ!!」

 

 などと、身振りを交えて説明する友哉。

 

 かなり苦しい言い訳だったが、果たしてワトソンは呆れ気味に溜息を吐きながら言った。

 

「まったく、馬鹿な事に使ってないで。もっと慎重に扱いなよ」

「お、おう、任せとけ」

 

 それに対しキンジは、妙に上ずった声で返事をするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜

 

 自室に戻り、友哉はリビングでワトソンとのやり取りの事を思い出していた。

 

 室内では、茉莉と彩夏が夕食の食器の片づけをしており、陣と瑠香はテレビにかじりついて対戦ゲームをしている。

 

 皆、試験の結果発表も終わって、各々くつろいでいる感じである。

 

『それにしても・・・・・・』

 

 裏切者、内通者。

 

 いずれにしても、気分が悪くなる単語である。

 

 ここまで共に戦ってきた仲間達は皆、運命共同体である。いわば、自分の一部であると言っても過言ではない。

 

 そんな仲間を疑う事は、自分の心を偽るような気分になるのだった。

 

 だが、友哉はイクスのリーダーである。ならば時に、非情な決断を下さなくてはならない時も来る。

 

 だが、

 

 友哉はそっと、皆を見回す。

 

 仮に、この中に裏切者がいたとして、友哉はそいつを討つ事ができるか?

 

 たとえば、そう、

 

 友哉の視線が、茉莉を捉える。

 

 自分の彼女が裏切者だったとしたら、どうする?

 

『・・・・・・たぶん、無理だ』

 

 かつては立場の違いから激突した事もあったが、今では茉莉は友哉にとって掛け替えの無い存在である。

 

 友哉には、茉莉を討つ事などできそうになかった。

 

 フッと、天井を仰ぐ。

 

 我ながら、嫌な事を考えていると言う自覚はあった。

 

 その時だった。

 

「あの、皆さん、お正月は何か予定とかありますか?」

 

 皿洗いを終えた茉莉が、エプロンを外しながら尋ねてきた。

 

 その声に一同は振り返る。

 

「実家に帰るくらいかな?」

 

 友哉が応えると、他の一同も続いて口を開いた。

 

「1回、イギリスに帰ろうかとも思っているけど、今あっちは極東戦役の影響で大変みたいだから、ちょっと迷ってるのよね」

「その辺ぶらついて、適当に暇潰すだけだな」

「実家に帰って手伝いでもしようかと思ってたけど、どうかした?」

 

 彩夏、陣、瑠香の答えをそれぞれ聞いてから、茉莉は少し躊躇うように言った。

 

「実は、長野の実家の父から昼頃に電話がありまして、もし、友哉さん達の都合が良ければ、私の実家でお正月を過ごさないか、との事でした」

「え、茉莉ちゃんのお家!?」

 

 茉莉の言葉に、瑠香が真っ先に反応する。

 

 茉莉の実家と言えば、長野にある神社である。夏休みに友哉、陣、瑠香の3人で出かけ、と言うか押しかけ、その土地にまつわる騒動を解決したのを覚えている。

 

「行きたいッ て言うか、絶対行く!!」

 

 そう言って、茉莉の手を取って飛び跳ねる瑠香。

 

「まあ、イギリスにはいつだって帰れるしね」

「無駄に暇潰しているよりは、面白いかもな」

 

 彩夏と陣も、賛同の意を示す。

 

 そこで、茉莉の目は友哉に向けられる。

 

 対して、

 

 友哉もニッコリ微笑んで返す。

 

「勿論、僕もお邪魔させてもらうよ」

 

 友哉がそう言うと、茉莉は安堵したように笑みを見せるのだった。

 

 

 

 

 

第3話「這い寄る影」      終わり

 



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第4話「武偵達の正月」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 12月の終わりともなれば、長野の雪はだいぶ深くなり始める。

 

 整地されていなければ、歩くだけでも一苦労である。

 

 一面の銀世界に覆い尽くされた山里と言うのは、ある種、冬の風物のような趣があり、東京では見る事の出来ない風景だった。

 

 大晦日を迎えたこの日、深い雪をかき分けるようにして、友哉達は茉莉の実家である瀬田神社へとたどり着いた。

 

 とは言え、ここに来るまでがひどく大変だった。

 

 元々、数の少ない路線バスが、雪で更に本数が減らされた為、危うく年内には到着できないと思った程である。

 

 神社の鳥居が見えた時には、思わずホッとしてしまった。

 

 だが、そんな苦労を忘れさせるような、美しい光景が目の前に広がっていた。

 

「夏に来た時は緑に覆われて綺麗だったけど、冬は冬で良い景色だね」

 

 周囲を見回しながら、友哉は感嘆したように呟いた。

 

 辺り一面に広がる銀世界。周囲の山々は元より、目についた民家の屋根もまた、全てが白銀の雪に覆われた光景は、幻想的の一言に尽きる。

 

 夏場の緑に囲まれた光景も良かったが、こうして雪に囲まれた様子を見るのも趣が合って良かった。

 

 始めて来た彩夏なども、目を奪われている様子だ。

 

「皆さん、こっちです」

 

 先を歩く茉莉に導かれ、一同は、石段のある参道の方へと歩いて行く。

 

 しばらく歩くと、何やら活気に満ちた喧騒が聞こえてきた。

 

 人々が話す声に交じって、何かの作業音も聞こえてくる。

 

 茉莉を先導にして進んで行くと、やがて音の出どころに辿りついた。

 

 参道の左右を埋めるように、多数の出店屋台の建設が進んでいる。

 

 恐らく、正月参拝客を狙った出店なのだろう。綿飴にフランクフルト、イカ焼きなど、食べ物系を中心に多くの屋台建設が進んでいた。

 

 正月もまた稼ぎ時の一つである事に変わりは無い。作業している皆は、活気を滲ませて作業している。

 

「おう、茉莉じゃねえか。帰って来たのか!!」

「茉莉ちゃん、今年も宜しく!!」

 

 出店する幾人かは茉莉とは、毎年の顔なじみであるらしい、前を通ると気さくに挨拶をしてきた。

 

 それらに挨拶を返しながら石段を登って行くと、友哉達にとっては4か月ぶりとなる瀬田神社拝殿が姿を現した。

 

 こちらも雪化粧に身を包んでおり、神社と言う場所柄もあって、一種の神々しい雰囲気を醸し出していた。

 

 すると、見覚えのある女性が、笑顔でこちらに近付いて来るのが見えた。

 

「ああ、茉莉ちゃん、おかえり。緋村君に相楽君、瑠香ちゃんも、よく来たわね」

「おばさん、ただいま帰りました」

 

 駆け寄ってきた高橋さんに、茉莉は軽く会釈して挨拶する。

 

 夏に友哉達もあった事がある高橋さんは、瀬田神社の近所に住む女性で、母を早くに亡くした茉莉にとって、母親代わりの人物である。

 

「高橋さん、またお世話になります」

「あらあら、大歓迎よ。みんな、自分の家だと思って、ゆっくりして行ってね」

 

 一同を代表してあいさつする友哉に、高橋さんはコロコロと笑いかける。

 

 その時、

 

 玄関の扉が開き、宮司姿の男性が姿を現した。

 

 中肉中背ながら、どこかいかめしい顔つきの男性は、それでいて、不思議な温かみも感じる事ができる。

 

 その男性と目を合わせると、茉莉は笑顔を向ける。

 

「お父さん、ただいま」

 

 茉莉がそう言うと、男性もまた重々しく頷きを返す。

 

「おかえり。良く帰って来たね、茉莉」

 

 茉莉の父はそう言うと、友哉達を見回す。

 

「みんなも、夏に来てくれたときは、碌に挨拶もできなくてすまなかったね。茉莉の父の瀬田信次郎だ」

 

 見た目に反して、耳に通るような優しげな響きのある声である。

 

 言ってから、信次郎の目は友哉に向けられた。

 

「君が、緋村友哉君だな。話は茉莉からよく聞かされている。不肖の娘が、いつも世話になっているね」

「い、いえ、僕の方こそ、茉莉・・・さんに、いつも助けられてばっかりで」

 

 流石に、自分の彼女とは言え、その父親の前で呼び捨てにする事は憚られ、友哉は慌てて言い直す。

 

 そんな友哉を目を細めて見ながら、信次郎は口を開いた。

 

「実は緋村君。来て早々、申し訳ないが、君に折り入って頼みたい事があるのだ」

「おろ?」

 

 首をかしげる友哉。視線を茉莉に向けてみるが、彼女も何のことか判らないらしく、同様に首をかしげていた。

 

 「着いて来なさい」と言う信次郎の言葉に従い、一同は揃って歩き出すのだった。

 

 

 

 

 

 瀬田家の持つ道場はそれなりの広さを誇っており、友哉の実家にある道場と比較しても、遜色無い物だった。

 

 この場で茉莉は、幼いころから厳しい修練を信次郎から施され、今に至る強さを手に入れていたのである。

 

 その道場の中央で今、2人の男が木刀を構えて対峙していた。

 

 1人は信次郎、そしてもう1人は友哉である。

 

 信次郎の頼みとは、友哉に立ち合って欲しいとの事だった。

 

 他の面々が見守る中、友哉と信次郎は油断ない視線をかわしながら、切っ先を互いに向け合っている。

 

 既に道場の空気は臨戦態勢にまで高められていた。

 

「お父さん、友哉さんだって長旅で疲れているんですよッ それなのにッ」

「黙っていなさい、茉莉」

 

 娘の抗議を、信次郎はピシャリと遮断する。

 

 その意識は既に、友哉との激突に傾注されていた。たとえ娘と言えど、口出しは許さない、という態度を崩そうとしなかった。

 

 一方の友哉はと言えば、現在に至る状況にイマイチ理解が追いつかないながらも、こちらも意識を高めて激突の瞬間に備えていた。

 

 信次郎がなぜ、友哉との立会いを望んだのかは判らない。

 

 しかし、やる以上、友哉は手加減する気は無い。

 

 元より、相手は茉莉の師だ。手加減などと考えた瞬間、叩き伏せられるであろう事は目に見えていた。

 

「て言うか、完全に予想外なんだけど。茉莉ちゃんパパって、こんなぶっ飛んだキャラだったんだ」

「まあ、茉莉のあの性格からは、ちょっと想像できないわよね。あの娘、お母さん似かも」

「良いじゃねえか、面白くなってきたし」

 

 茉莉と並んで見守っている瑠香が唖然として、彩夏が呆れ気味に、陣が面白そうに、それぞれ口々に言う。

 

 次の瞬間、

 

 信次郎と友哉は、ほぼ同時に床を蹴って疾走した。

 

 一瞬で詰められる間合い。

 

 同時に、互いの木刀が振るわれる。

 

 横薙ぎの友哉に対し、信次郎は真っ向から振り下ろす形だ。

 

 激突する刀身。

 

 金属とは違う、木の乾いた音が道場に鳴り響く。

 

 次の瞬間、友哉は押し負ける形で後退を余儀なくされた。

 

「ッ!?」

 

 息を呑みながら後退しつつ、体勢を立て直そうとする友哉。

 

 しかし、それを許さず、信次郎が斬り込んで来た。

 

『速いッ!?』

 

 目を見張る友哉。

 

 振り下ろされた木刀を、とっさに繰り出した自分の木刀で弾く。が、そこから反撃につなげる事はできない。

 

 あまりの踏み込みの速さに、友哉は対応するので精いっぱいである。

 

 茉莉の師であるから、恐らくは縮地もできるのだろうが、ある意味、娘以上の戦闘力である。

 

「ならッ」

 

 短い呟きを残すと、友哉は振り下ろされる木刀をすり抜ける形で上昇を掛ける。

 

 縮地使い相手に、後の先を待つのは危険すぎる。ここは自分から積極的に動いて戦いをリードしないと勝機は無かった。

 

 友哉の動きに気付いた信次郎も視線を上げるが、その時には既に、友哉は攻撃態勢を整えていた。

 

「飛天御剣流、龍槌閃!!」

 

 放たれる一撃。

 

 その攻撃を、

 

 信次郎は木刀を振り上げて防ぐ。

 

 否、僅かに膝をたわめ、龍槌閃の衝撃を堪える信次郎。

 

 その姿を見て、未だに空中にある友哉は軽く目を見張る。

 

 友哉自身、木刀なので威力は抑えざるを得なかったが、それでも龍槌閃の直撃にまともに耐えられるとは思って無かった。

 

 追撃を。

 

 そう思い、着地と同時に木刀を横に振り抜く友哉。

 

 しかし、当たらない。

 

 友哉が木刀を振り抜くよりも早く、信次郎は一足飛びに間合いから遠ざかったのだ。

 

 木刀を振り切った状態で、友哉は信次郎を見据える。

 

 信次郎は、例のダム建設を事件で襲撃され、長期入院生活を送っていた身である。

 

 それでいて、この身のこなし。万全の状態だったら、シャーロックとも互角に戦えるのではないだろうか?

 

 そこで、

 

 ふっと信次郎は笑うと、構えを解いた。

 

「いや、すまなかったね。急に変な事を頼んでしまって」

「・・・・・・いえ」

 

 やわらかい真次郎の声を聞いて、友哉もまた構えを解く。

 

 どうやら決着を付ける事が目的ではなく、単純に剣を合わせてみたかっただけらしい。

 

「茉莉から、君が飛天御剣流を使うと聞いていてね。一度、立ちあってみたかったんだ」

「飛天御剣流を知ってるんですか?」

 

 真次郎の言葉に、友哉は目を丸くする。自分の流派の名前が、こんな所で出てくるとは思ってもみなかったのだ。

 

 そんな友哉に対し、信次郎は頷きを返す。

 

「我が家の祖先が、飛天御剣流の使い手と関わりがあったらしい、という事が伝わっているんだ。もっとも、どういう繋がりだったかまでは分からないがね」

 

 共に闘ったのか、あるいは敵対していたのか。

 

 いずれにせよ、失われた筈の古流剣術を使う人物を相手に、真次郎も好奇心を抑えられなかったのだろう。

 

 一見すると剛健なイメージのある真次郎だが、その中身的には、意外と少年的な要素も残っているのかも知れなかった。

 

「もうッ お父さん!!」

 

 そんな真次郎の娘は、プンプン、と言った感じにに肩を怒らせて、父へと詰め寄ってきた。

 

「まだ病み上がりだって言うのに、こんな無茶してッ」

「大丈夫だ。お前も見ただろう。この通り、もう何ともないよ」

「それだけじゃありませんッ 友哉さんが怪我でもしたらどうするんですか!?」

 

 娘の怒りの意味が分からず首を傾げる真次郎。

 

「何を怒っているんだ、茉莉?」

「いや、実はですね・・・・・・」

 

 そんな真次郎に彩夏は擦りよると、何事かヒソヒソと話し始めた。

 

 恐らく、友哉と茉莉が付き合っている、という事を説明しているのだろう。

 

 彩夏の話を聞いて、真次郎はバツが悪そうに頭をかいた。

 

「いや、そうだったのか。それは気付かずに済まなかったね、緋村君」

「いえ、こっちこそ、説明が遅れまして・・・・・・」

 

 そう言って、互いに頭を下げ合う友哉と真次郎。

 

 だが、茉莉は尚も、お冠なようで、

 

「もう知りませんッ お正月のお雑煮、お父さんだけお餅無しですからね!!」

「いや、茉莉ちゃん。それじゃただの『お吸い物』だからね」

 

 と、瑠香に呆れ気味に突っ込みを入れられるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一宿一飯の世話になる以上、その家の家事を手伝うのは当然のことである。

 

 という訳で、到着早々の騒動が収まると、早速というべきか、イクスのメンバー達は行動を開始した。

 

 所謂、大晦日の大掃除である。

 

 村で唯一の神社と言う事もあり、瀬田神社の敷地は広い。掃除するだけでも大変なのだが、そこは若く、体力も余っている武偵達。持ち前の手際の良さを発揮して、次々と仕事をこなしていく。

 

 友哉は箒を手に庭と玄関前の掃除。さすがに神社だけあって庭の広さは相当な物だが、広さで言えば友哉の実家も相当である為、さほど苦にはならなかった。

 

 陣は真次郎の手伝いをして、屋敷内の重い物を動かす作業に従事し、そして彩夏がその間に室内の掃除をしていた。

 

 茉莉と瑠香は、高橋さんと一緒に台所に立って料理をしている。とは言え、茉莉は相変わらずの料理音痴である為、料理は主に瑠香と高橋さんが担当、茉莉はその傍らで食器出しや配膳を行っていた。

 

 そうして一通りの作業を終えた一同は、その夜、瑠香達が作った料理を囲んでの宴会を行った。

 

 おせち料理に、近所のすし屋から取り寄せた特上の寿司。

 

 イギリス育ちの彩夏に合わせて、洋風の料理もいくつか出されている。

 

 最後には酒も入る形で行われた宴会は、皆それぞれ大いに盛り上がり、最後にはご近所さんも集まる形で大宴会と相成った。

 

 そして、

 

 

 

 

 

 宴会もひと段落したころ、友哉は1人、縁側に出て風に当たっていた。

 

 酒も入っているせいか、体の中身は芯から熱を帯びているのが判る。

 

 少し熱気に当てられた体を冷まそうと思ったのだ。

 

 長野の肌寒い風に当たっていると、火照った体が冷やされて気持ちが良くなってくる。

 

「こういうのも、たまにはいいよね」

 

 誰にともなく、呟きを洩らす。

 

 今まで大晦日や正月と言えば、家族と暮らす事が常だった友哉。しかし実のところ、こうして友人一同と騒ぎながらする年越し、という物にも憧れがあったのだ。

 

 それが思わぬ形で実現できた事は、友哉にとっても嬉しい事であった。

 

 茉莉、陣、瑠香、彩夏、それにキンジをはじめとしたバスカービルのメンバーや、この戦役を通じて知り合った多くの仲間達。

 

 それら掛け替えの無い仲間達と、これからも共に戦い、そして共に穏やかな暮らしができれば、それだけでも幸せと言えるのかもしれない。

 

 その時、床板を踏む音と共に、誰かが近づいてくる気配があった。

 

 振り返ると、真次郎が手にお盆を持って、歩み寄ってくる所であった。

 

「隣、良いかね?」

「あ、どうぞ」

 

 そう言うと、真次郎は友哉の側へと腰を下ろした。

 

 真次郎は、お盆に載せて持ってきた急須から茶を入れると、湯気の立つ湯呑を友哉に差し出した。

 

「飲みなさい。少し、落ち着くよ」

「いただきます」

 

 湯呑みを両手で押し抱くように受け取り、口へと運ぶ友哉。

 

 熱の籠った液体を嚥下すると確かに、ほんのりとした苦みと共に腹に堪る温もりが、気分を落ち着かせてくれるようだった。

 

 渋みの少ない滑らかな口触りで、茶の成分が良く出ている。いい茶葉を使っているのもあるのだろうが、淹れ手の心配りを感じられた。

 

「話は聞いたよ。茉莉が、随分と君にお世話になっているようだね」

「あ、いえ・・・・・・・・・・・・」

 

 恐縮した体で返事をする友哉。

 

 考えてみれば「茉莉の彼氏」として真次郎に会うのは今回が初めての事である。そう考えれば、否が応でも緊張は増してしまう物である。

 

 そんな友哉の緊張を察したように、信次郎はフッと柔らかく笑って続ける。

 

「夏の一件で君も分かっているかもしれないが、あの娘は普段は大人しい方だが、思い込むと周りが見えなくなる癖がある。そのせいで、危険な目に遭う事もこれまで何度かあった」

 

 確かに、真次郎の危惧はもっともな事である。

 

 茉莉は「稲荷小僧」と称して、村を荒らす不良や谷家の者達を襲っていた過去がある。ああいう普段大人しい娘だからこそ、一度火が付けば、誰にも留める事ができない。

 

 ああ見えて、イクスの中で最も頑固な性格をしているのだ。

 

 真次郎は、友哉に向き直る。

 

「緋村君、どうか、これからも娘の事をよろしく頼む」

「真次郎さん・・・・・・」

「私はかつて、谷家に対抗する力を得る為に、あの娘をイ・ウーに行かせてしまった。その事をずっと後悔してきたのだが、それが結果的に君という良きパートナーに巡り合えた事を考えると、決して悪い事ばかりではなかったと考えている」

 

 人間万事塞翁が馬

 

 物事、悪い事ばかりだと思っていても、それが巡り巡って、結果的に良い結果に繋がる事は往々にしてある。勿論、その逆もしかりだが。

 

 茉莉をイ・ウーに入学させた事は父親である真次郎には痛恨だった事だが、それで友哉と巡り合えた事は、茉莉のみならず真次郎にとっても得がたき事だったのだろう。

 

「茉莉を、よろしくお願いする」

「い、いえ、こちらこそ、です・・・・・・」

 

 彼女の父親に深々と頭を下げられ、恐縮してしまう友哉。

 

 勿論、これからも茉莉と共に戦い、彼女を全力で守っていくという想いが友哉の中にある。

 

 だが、それは逆に、友哉自身が茉莉に守ってもらうという事態もありうるわけである。

 

 良くも悪くも武偵同士のカップル。

 

 その愛は、戦いの中でも尚、色褪せる事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あくる日、元旦。

 

 早速朝から参拝客に賑わう瀬田神社の境内では、祭りの日もかくやという賑わいを見せていた。

 

 何しろ、村内に神社は瀬田神社しかない。

 

 その為、村中だけでなく、近隣の町からも参拝に来る人々が多く、普段よりも人の出入りが激しくなる訳である。

 

 普段は近所の人々に応援を頼んでいる。

 

 しかし今回は、ちょうど午前中は暇を持て余しているという事もあったので、イクスメンバーも神社の業務を手伝う事になったのだが。

 

 が、

 

 業務時間を前にして、なぜか友哉は女子一同から包囲を受けていた。

 

 にじり寄ってくる女子達に対し、壁際に追い込まれてしまう友哉。

 

「・・・・・・・・・・・・本当に、これ、着なきゃだめなの?」

「だ~め」

「ププ いや、絶対にあってるって友哉君・・・・・プププ」

「すみません友哉さん。体格に合うのが其れしか用意できなくて。あ、でも、確か前にも一度来た事があるので、大丈夫なのではないか、と・・・・・・」

 

 笑顔で友哉の逃げ道を塞ぐ彩夏。

 

 含み笑いを隠そうともしない瑠香。

 

 フォローになってないフォローをする茉莉。

 

 何と言うか、無駄に迫力のある構図である。

 

 イクス女子3人に包囲され、壁際に追い詰められ、顔を引きつらせる友哉。

 

 陣はと言えば、友人を救援する気は一切無いらしく、状況を見て面白そうににやにやとしている。

 

 あとで覚えてろ。

 

 友哉は恨みがましい視線を陣に向けるが、それが事態の好転に対してなんらの寄与模していないのは明白だった。

 

 にじり寄る、女子3人。

 

 どれは同時に、友哉の命運が旦夕に迫っている事も如実に表していた。

 

 

 

 

 

 1時間後。

 

 開店した社務所には、4人の巫女さんが、お札や破魔矢を買いに来た参拝客に対応していた。

 

 そう、「4人」である。

 

 「3人」ではなくて。

 

 1人は、慣れた感じにそつなく対応している茉莉。

 

 1人は、元気一杯にお客さんと話している瑠香。

 

 1人は、持ち前の順応力で、あっという間に仕事を覚えた彩夏。

 

 そして、最後の1人は、

 

 もはや説明不要であろうが、一応紹介しておくと、

 

 巫女装束に身を包んだ緋村友哉君(17歳 ♂)だった。

 

「・・・・・・こちら、お札と・・・・・・お、お守り、ですね・・・・・・5000円・・・・・・お預かり・・・・・・します・・・・・・」

 

 屈辱感で顔を伏せながら客対応をする友哉。

 

 目には若干、涙まで浮かんでいる。

 

 泣きたくもなると言う物だろう。まさか、長野くんだりまで来て女装する羽目になるとは、思っても見なかった。

 

 確かに、茉莉が言った通り、京都に行った際、白雪の機転で巫女服を着た事が一度あったが、だからと言って慣れている訳ではない。

 

 もっとも、誰も友哉が男である事には気付いておらず、それどころか男の参拝客に至っては好奇の視線で友哉を見ていく者まである。

 

 これは友哉の女装が完璧に機能している事であり、武偵と言うあらゆる任務を請け負う職業を目指す物としては、むしろ誇るべき事である。

 

 勿論、当の友哉からすれば、ミジンコの足先程も嬉しくは無いのだが。

 

「ほらほら、友哉。いつまでも恥ずかしがってないで」

「可愛いよ、友哉君」

 

 実に楽しそうに言い募ってくる彩夏と瑠香を、半眼で睨み付ける友哉。

 

 こっちの気も知らず、良い気な物である。

 

「すみません友哉さん。本当に、すみません」

 

 しきりに頭を下げてくる茉莉の存在だけが、唯一救いらしい救いであると言えた。

 

 

 

 

 

 巫女装束の袴と、剣道着等の袴には違いがある。

 

 剣道着の袴は、股の部分で二つに分かれたズボンのような形をしているのに対し、巫女装束の袴はスカート状になっている。

 

 剣道着の方は気慣れている友哉も、(当然の事だが)巫女装束は殆ど経験が無い。

 

 傍から見るとロングスカートを穿いているような形だが、

 

「・・・・・・・・・・・・歩きにくいっての」

 

 社務所での業務を終えた友哉は、境内を歩きながらぼやくように言った。

 

 午後からは交代のアルバイト巫女が来る事になって居る為、友哉達は自由行動と言う事になった。

 

 そこで陣は屋台めぐりの為に早速石段を降りて行き、彩夏は純日本家屋が珍しいのか、散策がてら色々と見て回っている。

 

 瑠香は、友達の小学生の女の子に買って帰るお土産を物色している。

 

 各々が自分達の行動をする中、友哉は茉莉と共にや体験物をする事にした。

 

 とは言え、着替えている時間が無かったため、友哉はまだ巫女装束を着たままである。

 

 先程から周囲の人間、特に男達が向けてくる好奇の視線が気になって仕方ないのだが、

 

 そこはそれ、もはや割り切る以外に無かった。

 

 と、

 

「お待たせしました、友哉さん」

 

 パタパタと駆けてくる足音に振り返ると、同様に巫女装束を着たままの茉莉が、慌てた調子で駆けてくるのが見えた。

 

 なんちゃって巫女さんに過ぎない瑠香や彩夏、友哉などと異なり、もともとこの神社で子供の頃から巫女服を着なれている茉莉の姿は、他の3人に比べると、やはりどこか洗練された印象があった。

 

 と、

 

「キャァ!?」

「わァ 茉莉!!」

 

 友哉が茉莉の巫女姿に見とれていると、足元を滑らせて茉莉が転倒しそうになる。

 

 慌てて支える友哉。

 

 間一髪、友哉が伸ばした手が茉莉を捉え、顔面から地面に突っ込むのは回避された。

 

「気を付けないと。いくら茉莉でも、今のは下手すると怪我してたところだよ」

「は、はい、そうですね。すみません」

 

 そう言って謝る茉莉。

 

 それにしても、

 

 転んだ拍子にとっさに支えた為、友哉が茉莉を抱きしめるような格好になってしまっている。

 

 そして、それを見ている周囲の男達の視線は、更に好奇の度合いを増そうとしている。中には、下品にも口笛を吹いている者までいる。

 

「ま、茉莉、こっち!!」

「は、はいッ」

 

 慌てて、茉莉の手を引いて駆け出す友哉。

 

 巫女装束の少女(しょうねん)が、巫女装束の少女の手を引いて走る。

 

 その光景は、否が応でも人の目を引いてしまう。

 

 しかし友哉も、それに茉莉も、そんな事はもう気にしなかった。

 

 互いにつないだ手の温もり。それさえ感じる事ができれば、それで充分だった。

 

「じゃあ、まずは屋台めぐりと行こうか」

「はい。お父さんからお金ももらいましたし。今日1日遊ぶ分くらいはありますから」

 

 そう言って、笑顔をかわし合いながら駆けて行く友哉と茉莉。

 

 ほんのひと時、

 

 戦いに明け暮れる毎日を忘れ、2人とも穏やかな自由時間を体いっぱいに満喫する。

 

 

 

 

 

 だが、この時はまだ、知る由も無かった。

 

 友哉達の与り知らない所で、重大な問題が起ころうとしている事に。

 

 そして、それはイクス達メンバーにとっても、決して無関係ではいられなかった。

 

 

 

 

 

第4話「武偵達の正月」      終わり

 



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第5話「無謀な挑戦」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長野から戻ったイクスメンバーは、再び日常の中へと戻っていた。

 

 時期的にはまだ冬休みで、校内にいる生徒もまばらであるが、各々、訓練をする者、装備を新調する者。行動は様々である。

 

 そんな中、友哉は頼んでいた新装備を受け取るべく、装備科(アムド)の平賀文の元を訪れていた。

 

 優勢に傾いているとは言え、極東戦役は未だに収束しているとは言い難い。

 

 残る勢力の中で、明らかに師団側と敵対する道を選んでいるのは、魔女連隊、イ・ウー残党主戦派、そしてハビと名乗った少女である。

 

 ハビが如何なるものであるかは判らないが、当面の敵である魔女連隊、それにイ・ウー主戦派の主要メンバーであるパトラは名うてのステルスである。まして、主戦場である極東と違って、欧州戦線は眷属優位に推移している。彼女達への対策は万全に行っておく必要があった。

 

 やがて、平賀の部屋の前まで来ると、友哉は扉を開けて中へと入る。

 

「平賀さん、緋村だけど。頼んでおいた物、取りに来たよ」

「はいなのだッ どうぞ入ってくださいなのだ」

 

 中から聞こえてきた平賀の元気に導かれるようにして、友哉は部屋の中へと踏み入れる。

 

 内部は相変わらず、何に使うのかもわからないようなパーツや機器がごった返しており、まっすぐ進む事も出来ない有様である。

 

 それらをかき分けて奥へと進んで行くと、ほどなく、特徴的な小柄な姿をした少女が見えてきた。

 

 小さな体躯にぶかぶかな白衣を着込み、大きな椅子にちょこんと座っているのは、間違いなく平賀文である。

 

 平賀は友哉の足音に気付くと、振り返って笑顔を向けて来た。

 

「お久しぶりなのだ緋村君。香港以来なのだ」

「そう言えば、そうだね。あの時は助かったよ」

 

 言いながら友哉は、適当な椅子を引っ張って腰を下ろした。

 

 キャリアGAのサブリーダーとして、シーマハリ号へと駆け付けてくれた平賀は、炸薬筒の解体を行い無力化に成功している。実際にタンカージャックに関わった者として、平賀には感謝してもし足りないくらいだった。

 

「何の何の、困った時はお互い様、なのだ」

 

 そう言って平賀はカラカラと笑う。

 

 そんな彼女に笑い返しながら、友哉は本題に入った。

 

「それで、頼んでおいた物は?」

「はいはいなのだ。ちょっと待ってほしいのだ」

 

 そう言うと平賀は、机を開けてごそごそと引っ掻き回すと、中からCDケースくらいの大きさの箱を取り出した。

 

「はい、これなのだ」

 

 平賀が小さい手で差し出した小箱を受け取ると、友哉は中を確認する。

 

 そこには文庫本サイズくらいの大きさで、金属製の平たい形をした物が入っていた。

 

「言われたとおり、ベルトとかに挟んで使えるように改造しておいたのだ。あと、出力最大で使う場合、自分にもダメージが来るかもしれないから、サービスで耳栓もセットにしておいたのだ」

 

 言ってから、平賀は訝しむように首をかしげる。

 

「作っておいて何だけど緋村君、そんな物、何に使うつもりなのだ?」

「ん、ちょっとね」

 

 平賀の疑問に対し、曖昧に笑いながらはぐらかす友哉。

 

 極東戦役における詳細は無関係の人間に語る訳にはいかない、その為、主要メンバー以外には秘密と言う事になっている。

 

「ありがとう、良い出来だ。お金は、いつも通り口座の方に入れておくから」

 

 そう言って立ち上がろうとする友哉。

 

 携帯電話が着信を告げたのは、その時だった。

 

「おろ、理子?」

「理子ちゃんからなのだ?」

 

 平賀に頷きを返しながら、通話ボタンを押すと、友哉は電話を耳に当てた。

 

「もしもし理子、緋村だけど、どうかした?」

《あ、ユッチー、大変なんだよォッ 実は・・・・・・》

 

 少し慌てた調子で話しだす理子。

 

 その逼迫したような雰囲気に、友哉は何か良くない事が起こっていると感じるのだった。

 

 

 

 

 

 部屋の片づけを終え、茉莉はソファに腰を下ろした。

 

 今、寮内の部屋の中には茉莉1人である。

 

 友哉は平賀を訪ねて装備科へ行き、瑠香はお土産を持って友達のところへ行っている。

 

「意外と、手持無沙汰ですね」

 

 ため息交じりに呟く。

 

 いっそ、自分もジャンヌか桃子辺りの部屋に遊びに行こうかとも思う。

 

 桃子はともかく、ジャンヌの部屋にはまだ一度も行った事が無い。行こうとするたびに、なぜか全力で拒否されるのだ。

 

 一度は行ってみたい、と常々思っていたところである。いい機会なので、ジャンヌの部屋に行ってみようと思った。

 

 携帯電話を操作して、ジャンヌの番号を呼び出そうとする茉莉。

 

 しかしそこで、ふと手を止めた。

 

 連絡してから行ったのでは、どうせまた断られるに決まっている。

 

 ならいっそ、サプライズ的に突然行ってみよう。

 

 そうと決まれば善は急げである。

 

 ちょっと、悪戯をしているような気分になりながら、茉莉はコートを取るべく自室へ向かおうとした。

 

 だが、

 

 茉莉が立ち上がるのを見越したように、玄関の呼び鈴が鳴った。

 

「あれ?」

 

 こんな時間に客だろうか?

 

 機先を制された形の茉莉は、訝りながらも玄関へと向かう。

 

「はい、どちら様でしょうか?」

 

 声を掛けながら、扉を開く茉莉。

 

 しかし、

 

「あれ?」

 

 見回しても、誰もいない。

 

 確かにチャイムはなったはずなのだが・・・・・・

 

「いたずら、でしょうか?」

 

 訝りながら呟きを漏らした時だった。

 

「どこを見ておる。ここじゃ、ここ」

 

 声は、茉莉の足元から聞こえてきた。

 

 ゆっくりと視線を下げると、そこには武偵校のセーラー服を着た、小学生くらいの女の子が立っていた。

 

 ただ、普通の人間と違うのは、頭のてっぺんから狐の耳がちょこんと出ている事だろう。

 

「た、玉藻さん?」

「うむ、久しぶりじゃの、茉莉」

 

 師団の盟主である玉藻の突然の来訪に、茉莉は目を丸くする。

 

 玉藻とは以前、師団会議の場で会って以来であるから、ほぼ2カ月ぶりである。

 

「お主1人か?」

「あ、はい。友哉さんと瑠香さんは出かけていて。あ、友哉さんは、暫くすれば戻ってくると思いますけど、待ちますか?」

 

 何か話があるなら、リーダーである友哉がいた方が良いだろうと思って茉莉はそう申し出る。

 

 だが、意に反して、玉藻は首を横に振った。

 

「いや、よい。むしろ、お主1人で、却って都合が良かった」

「?」

 

 意味を図りかねる事を言う玉藻に、茉莉は首をかしげる。

 

 とにかく立ち話も何なので玉藻をリビングに通した。

 

 玉藻が甘い物が好きだったことを思い出すと、買い置きのチョコプリンを取り出し、それに淹れたての緑茶を付けて出してやった。

 

「それで、今日はどうされたんです?」

「うむ」

 

 茉莉が淹れた緑茶を飲みながら、玉藻は顔を上げた。

 

「まずは、香港における藍幇との戦い、大義であった」

「はあ・・・・・・・・・・・・」

 

 玉藻の言葉に生返事を返しながら、茉莉は密かに首をひねる。

 

 対藍幇戦で、玉藻は何もしなかった気がするのだが、なぜにここまで尊大になれるのだろう?

 

 まあ、取りあえず「玉藻だから」と言う事で納得しておくことにした。

 

「だが、既に聞き及んでいるやも知れぬが、欧州の戦況は芳しくない。パトラ、カツェを筆頭とした魔女たちに加え、凄腕の傭兵まで向こうについておる」

 

 眷属が傭兵を雇い入れたと言う話は、茉莉も報告で聞いていた。

 

 何でも2人組の男女で、それぞれ男の方が「妖刕」、女の方が「魔剱」と呼称されているらしい。

 

「いずれも手練の者達との事じゃ。その2人に警戒を回した隙を突かれる形で、バチカンやリバティ・メイソンと言った欧州の師団勢力は敗退を重ねておるのが現状だ」

 

 極東戦役の名が示す通り、主戦場はあくまでも日本と、その周辺である。事実、戦役の根幹となる戦いの大半は日本で起こっている。

 

 その為、戦役全体的で見た場合、師団の方が有利に進んでいると言えるだろう。

 

 しかし、もし欧州戦線が敗北すれば、眷属は勢いに駆って日本に攻め込んでくる。その為、どうにか眷属が欧州にいるうちに食い止めたいところだった。

 

「欧州ではこちらと違い、陣取り合戦のように戦役が進んでおる。今は眷属が東南、埃及(エジプト)から独逸(ドイツ)に掛けて陣地を広げておる。それに対して師団は西北、仏蘭西(フランス)和蘭(オランダ)英吉利(イギリス)に追い詰められぎみじゃ。既に伊太利(イタリア)のバチカンは孤立しておる。

 

 ちょうど、第二次世界大戦の欧州戦線を、ソ連無しでやってる状況に近い。

 

「お話は分かりました」

 

 プリンを食べる玉藻に向き直り、茉莉は口を開く。

 

「けど、そう言うお話だったら、やっぱり友哉さんが戻ってきてからの方が良かったんじゃないですか?」

「なに、こっちは些事よ。既に遠山達とも協議して、対応を練る算段になっておる。肝心なのはここからじゃ」

 

 口調を改めると玉藻は、口元に付いたチョコを舐め取って茉莉を見た。

 

「良いか、茉莉」

「は、はい」

 

 改まった口調の玉藻に対し、茉莉もまた居住まいを正す。

 

 玉藻は何か重要な話をする。

 

 その事を、茉莉もまた感じ取っていた。

 

「お主、決して緋村から目を離してはならぬぞ」

「・・・・・・・・・・・・は?」

 

 一瞬、玉藻が何を言ったのか理解できず、呆けた声を上げる茉莉。

 

 だが、その意味を悟った瞬間、沸騰するほどの勢いで、頭のてっぺんから首まで真っ赤に染めあがった。

 

「そ、そんなッ 目を離すな、だなんて・・・・・・そりゃ、付き合ってるわけですから、一緒にいる時間はたくさんありますし、私だって、できればいつも友哉さんだけを見ていたいと言うか、むしろ友哉さんには、私だけを見ていてほしいと言うか・・・・・・」

 

 のぼせ上がって、赤裸々な発言をする茉莉。

 

 次の瞬間

 

「喝ァーッ」

 

 バキィッ

 

「キャッ!?」

 

 いきなり飛び上がった玉藻が、手にした御幣で似非龍槌閃(えせりゅうついせん)をかまし、茉莉のおでこに叩き付ける。

 

「まったく、人の話を聞かんか。お主、暫く見ぬうちに、随分と脳みそがピンク色になったの」

「あう、すみません」

 

 涙目でおでこを押さえる茉莉に、玉藻はやれやれとばかりにため息をついて見せる。

 

「まあ、それくらいの方がむしろ、この話は進めやすいか」

 

 そう言うと、玉藻は再びソファに座って茉莉に向き直った。

 

「良いか茉莉。緋村に、何かよからぬ影が迫ろうとしている」

「影?」

 

 曖昧な玉藻の言葉に、茉莉は訝るように首をかしげる。

 

「それは、妖怪か何かですか?」

 

 「たとえば玉藻さんみたいな」と言う言葉を、茉莉は辛うじて飲み込んだ。言えば、また叩かれそうだったので。

 

 だが、茉莉の質問に対し、玉藻は首を横に振った。

 

「そうではない。いっそ、そのような具体的な物であるなら、儂の力で如何様にも察知できる。じゃが、緋村に迫っている物は、そんな単純な物ではない」

 

 妖怪のどこが単純なのか茉莉にはさっぱりだが、800年を生きる大妖怪の玉藻が言っている事だ。用心しておくに越したことはないだろう。

 

 その時だった。

 

 突然、玄関が開く音が響き、廊下を忙しなく何かが走ってくる。

 

「茉莉ちゃん、大変!!」

 

 扉をけ破りそうな勢いで飛び込んできた瑠香が開口一番に叫ぶ。

 

 対して、茉莉はため息交じりに窘める。

 

「瑠香さん、来客中ですよ」

「久しいの、瑠香」

「あれ、もっちゃん。来てたんだ」

 

 「もっちゃん」と言うのは「玉藻(たまも)」から付けた渾名であるらしい。

 

 自称とは言え800年を生きる大妖怪を相手にフレンドリーさを失わない瑠香は、ある意味大物であるのかもしれない。

 

「そんな事より茉莉ちゃん、大変なのッ ちょっと来て!!」

「いや、来てって・・・・・・どうしたんですか急に?」

 

 瑠香の慌て用から、事が尋常ではないと悟った茉莉は、チラッと玉藻に目をやった。彼女をどうするべきか、一瞬迷ったのだ。まさか、あのナリで校内に連れて行くわけにもいかないし。

 

 その茉莉の視線を受け、彼女が何を言いたいのか悟ったのだろう、玉藻はソファからピョンと飛び降りた。

 

「よい、儂もそろそろ、お暇する故な」

 

 言ってから、玉藻は言い含めるように、もう一度茉莉を見た。

 

「よいな茉莉。先程の事、ゆめ忘れる出ないぞ」

「・・・・・・はい」

 

 友哉に何かよからぬものが迫っている。

 

 その正体がわからない以上、不気味な印象がぬぐえない。

 

 果たしてそれは、眷属の敵勢力なのか、あるいはもっと別の何かなのか、それは茉莉には分からない。

 

 しかしイクスのサブリーダーとして、また友哉の恋人として、最大限の警戒をしておこうと心に誓うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瑠香に導かれるようにして教務課(マスターズ)に飛び込むと、茉莉はすぐに異様な雰囲気が場を支配している事を鋭く感じ取った。

 

 元々、武偵校三大危険地帯に指定されている教務課である。それでなくても、危険な雰囲気を纏った教師一同が詰める場所に、好んで近付きたいと思う学生は少ない。

 

 だが、そんな教務課が今、一触即発の火薬庫並みの危険な雰囲気に包まれていた。

 

 その中心にいるのは、茉莉達の担任である高天原ゆとりと、強襲科担当の蘭豹。

 

 そして、

 

「友哉さん・・・・・・・・・・・・」

 

 茉莉は、呆然として呟くを漏らした。

 

 何と友哉は、蘭豹、高天原を相手に、にらみ合う形で対峙していた。

 

 どう考えても、尋常ではない。

 

「緋村君、落ち着いて」

 

 高天原がどうにか穏便に事を済まそうとしている様子がうかがえるが、友哉も、そして蘭豹も引き下がる気配が見えない。

 

「何度も言わすな緋村。これはもう、決定事項や」

「納得できません」

 

 凄みを利かせて言い放つ蘭豹に対し、友哉は真っ向から受け止めていい返す。

 

 その姿を見て、茉莉は竦み上がる想いだった。

 

 武偵校暴力教師ナンバー1の蘭豹に対し、このような態度に出てただで済む筈がない。

 

 だが、友哉もそこら辺は承知の上で言い募っていた。

 

 友哉がこのように、教師に盾突いてまで自分の意見を通そうとする事は珍しい。

 

 それだけに、今回はよほど、腹に据えかねる事態である事が想像できた。

 

 事の発端は、理子からもらったメールにある。

 

 それによると、キンジがバスカービルを強制脱退させられて上、別のチームへと強制配属される事になったという。

 

 しかも、そのような事態に陥った事の原因が、当のキンジ自身に落ち度があったから、という訳ではなく、所謂「政治的な事情」という奴だった。

 

 主犯はイギリス政府だった。

 

 キンジは4月のハイジャック事件の後、イギリスが誇るSランク武偵である神崎・H・アリアを半ば強奪に近い形で連れ去っている。その事から、イギリス政府はキンジ個人に対する報復を図った、との事らしかった。

 

 その他、イギリスほどではないにしろ、ジーサードの件ではアメリカから、藍幇の件では中国政府から睨まれている節がある。

 

 これまで多くの活躍をしてきたキンジだが、国際的に見れば重犯罪者並みと言っても過言ではなかった。

 

 しかも、違法ギリギリの行為も何度か行っている事を考えれば、日本政府としても庇いきれない面があったのだろう。

 

「こんな横暴が許されるんですか!?」

 

 確かに、武偵は自主自立が基本である。学生であったとしてもそれは変わらない。キンジが蒔いた種は、キンジ自身が摘み取らなくてはいけないのだ。

 

 しかし、

 

「だからって、これじゃあ放任と変わらないッ いたい、学校は何を・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええ加減にせェよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 尚も言い募ろうとする友哉の言葉を遮り、蘭豹が重々しく口を開いた。

 

 ただ一言。

 

 それだけで、室内の空気の質量が一気に増したように錯覚する。

 

「黙って聞いていればガキが騒ぎよってからに。これは決定事項やと言うとるやろが。それを、お前がここでやいのやいのと騒いだところで、どうにかなるもんでもあらへんやろが」

 

 殺気すら滲ませた蘭豹の言葉が、容赦なく友哉を殴りつける。

 

 普通の学生なら、この時点で竦み上がり、あとはただ平謝りするか、一目散に退散する事だろう。

 

 いつもなら、友哉もそうするところである。

 

 だが、

 

 グッと、唇をかみしめる友哉。

 

 しかし、それだけだった。

 

 蘭豹の脅しに屈する事も逃げ出す事も無く、友哉はその場に踏みとどまる。

 

 それだけ、今回の件に対する友哉の憤りは大きかった。

 

 キンジに対する不当な処分。それに対する異議申し立てすら通らないと言うなら、この学校の教務課なんぞ必要無い。とさえ思っていた。

 

「校長先生に会わせてください」

 

 ここで騒いでも埒が明かない事は友哉にも判っている。ならば、この武偵校のトップ、緑松武尊校長に直に会い、談判するしかないと判断したのだ。

 

 しかし、

 

「あかん」

 

 案の定と言うべきか、蘭豹はけんもほろろに友哉の言葉を却下する。

 

 そして、用は終わったとばかりに視線を外すと、茉莉達の方へと向き直った。

 

「おら、瀬田に四乃森、何しとんねんッ 話は終わりやッ この阿呆、とっとと回収して去ね!!」

 

 その言葉に、茉莉と瑠香は我に返ると、慌てて友哉に駆け寄った。

 

「友哉さん、それくらいで・・・・・・」

「これ以上は流石にやばいって!!」

 

 そう言って駆け寄ってくる茉莉と瑠香。

 

 だが、そんな2人を、友哉は手を上げて制し、蘭豹を睨み付ける。

 

 鋭い眼差しは、まるで触れただけでも斬り裂かれそうな印象がある。

 

 しかし、当の蘭豹はと言えば、友哉の眼光を真っ向から受けても小揺るぎすらしていなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・判りました」

「何がや?」

 

 尋ねる蘭豹。

 

 それに対し、友哉は、

 

 誰もが予想し得ない事を言い放った。

 

「蘭豹先生。僕と立ち会ってください。それで僕が勝ったら、校長先生への直談判を許してもらいます」

「ちょっ」

「友哉君、無茶だって!!」

 

 慌てて止めようとする茉莉と瑠香。

 

 だが、友哉も引き下がるつもりは毛頭無い。本気で蘭豹相手に喧嘩を売っているのだ。

 

 それに対して、

 

「どうやら、本格的に地獄を見たいらしいな、このド阿呆は」

 

 蘭豹は凄味のある表情と共に、友哉を睨み返した。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 冬休みの午後と言うせいもあるのか、強襲科の訓練場は閑散とした雰囲気になっていた。

 

 人もまばらであり、幾人かの学生が自主トレーニングに励んでいる程度である。

 

 そんな中で、友哉は蘭豹と対峙していた。

 

 それを固唾をのんで見守るイクスメンバー達。

 

「おいおい・・・・・・」

 

 陣が呆れ気味に、友の姿を見詰める。

 

「いくら友哉でも、こいつは無謀ってもんだろうが」

「ほんとに、何がどうなれば、こんな事になるのよ」

 

 急を聞いて出先から戻ってきた陣と彩夏だったが、合流した時には既に、状況は一触即発となりつつあったのだ。

 

 もはや、止める事はできない。

 

 友哉も、そして蘭豹も。互いに退くつもりは毛頭無かった。

 

「・・・・・・・・・・・・抜けや」

 

 蘭豹が殺気の滲む声で言った。

 

「このままじゃハンデありすぎやからな。先制攻撃くらいくれてやるわ」

 

 言いながら、両手の指の骨をボキボキと鳴らす蘭豹。それだけでも、恐るべき凄味を放っている。

 

 それに対し、

 

 友哉は手にした納刀状態の逆刃刀を見詰めると、

 

 無言のまま、それを茉莉の方に投げてよこした。

 

「ちょ、友哉さん、何を!?」

 

 逆刃刀を受けとりながら叫ぶ友哉。

 

 その友哉を、蘭豹が鋭い眼つきで睨み据える。

 

「・・・・・・何のつもりや?」

「こういう事です」

 

 友哉は身を半身退きながら構えを取る。

 

「素手で、やらせてもらいます」

 

 その言葉に、誰もが息を呑んだ。

 

 友哉の徒手格闘技能は、お世辞にも高いとは言い難い。スピードはあるのだが重さが決定的に足りず、相手にダメージが入りにくいのだ。

 

「お、おい友哉!!」

「どこまで馬鹿なのよ、あんたは!?」

「友哉君、止めなって!!」

 

 陣、彩夏、瑠香がそれぞれ、友哉を制止しようと声を上げる。

 

 しかし次の瞬間、

 

「舐めるのも、大概にせいよ、クソガキがァ!!」

 

 大気を粉砕するような怒声と共に、蘭豹は床を蹴って友哉に襲い掛かった。

 

 振り上げられる拳。

 

 陣の攻撃すら上回りそうな拳撃を前にして、

 

 友哉はとっさに跳躍しながら回避する。

 

 元より、力では友哉は、逆立ちしても蘭豹には敵わない。

 

 ならば、自分の得意分野で勝負を掛けるまでだった。

 

 空中を蹴って疾走する友哉。

 

 その素早い動きは、並みの人間では捉える事は不可能に近い。

 

 着地と同時に、背後から蘭豹へと襲い掛かる友哉。

 

 捉えたか?

 

 そう思った次の瞬間、

 

 振り返った蘭豹の視線が、友哉を真っ向から捉えた。

 

「ッ!?」

 

 息を呑む友哉。

 

 次の瞬間、

 

「ウラァァァァァァ!!」

 

 鋭い回し蹴り。

 

 旋風すら巻き起こしそうな蹴りの一撃が、友哉に襲い掛かる。

 

「クッ!?」

 

 とっさに攻撃を諦めて、急ブレーキをかける友哉。

 

 辛うじて、蹴り足を回避する事に成功する。

 

 だが、動きを止めたその隙を、蘭豹は見逃さなかった。

 

「オラァ!!」

 

 真っ向からの直進と同時に、放たれる強烈な右ストレート。

 

 友哉はとっさに両腕を交差させて防御する。

 

 しかし、

 

「グッ!?」

 

 思わず、腕が折れるのでは、と思える程の衝撃が全身を駆け巡る。

 

 崩れる友哉の体勢。

 

 そこへ、蘭豹は追撃を掛けた。

 

「刀持ってようやくヒヨッコのお前が、ステゴロでうちとやり合おうとか、ふざけんのも大概にせェ!!」

 

 言い放つと同時に放たれた蘭豹の拳が、友哉の顔面を真っ向から捉えた。

 

 皆が息を呑む中、

 

 友哉の体は衝撃を殺しきれず、二度、三度と床をバウンドして転がり、やがて床に倒れ伏して動かなくなった。

 

「・・・・・・まあ、予想通りにはなった、か」

 

 陣が苦い口調で言う。

 

 いくら友哉でも、素手で蘭豹相手に勝てる訳がない。

 

 蘭豹はと言えば、顔色を無くして立ち尽くしている女子一同を見やりながら、大きくため息を吐いた。

 

「は、つまらん時間やったな」

 

 そのまま、倒れている友哉に背を向けて歩き去ろうとした。

 

 その時、

 

 ザッ

 

 背後からの物音に、蘭豹は足を止めて振り返る。

 

 すると、

 

 そこにはボロボロの体を引きずって立ち上がる、友哉の姿があった。

 

「・・・・・・まだ・・・・・・終わってない」

 

 絞り出すような友哉の言葉。

 

 次の瞬間、床を蹴って蘭豹に殴り掛かる。

 

 しかし、

 

「遅いわ、ダアホ!!」

 

 カウンター気味に前蹴りを繰り出す蘭豹。

 

 その一撃をまともに腹に受けた友哉は、再び押し返される形で吹き飛ばされた。

 

 蘭豹の強烈な一撃を喰らったせいで、友哉の持ち味であるスピードが完全に殺されてしまっていた。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・チッ」

 

 蘭豹は舌打ちする。

 

 その視線の先で、友哉は尚も立ち上がろうとしているのだった。

 

 再び、蘭豹に向かっていく友哉。

 

 しかし、今度は蘭豹は殴り掛かってきた友哉の腕を掴むと、そのまま背負い投げの要領で、友哉の体を床に叩き付けた。

 

 今度こそ終わったか?

 

 誰もがそう思う中、

 

 しかし、それでも友哉は立ち上がって来た。

 

 体中ボロボロの傷つき、ほとんど生ける屍(リビングデッド)のようなありさまだ。

 

 その様子に、流石に蘭豹も鼻白む。

 

 もう、殆ど気力だけで断っているような状態の友哉。

 

 そんな友哉を、茉莉は苦しげな眼差しで見詰める。

 

 手に抱いた逆刃刀に、ギュッと力を込める。

 

 恐らく友哉とて、自分に勝機が無い事は判っている。判っていて、あえて無謀な戦いに挑んでいるのだ。

 

 自らの意志を押し通す為に。

 

 そんな茉莉たちが見ている前で、最後の力を振り絞って蘭豹へ向かっていく友哉。

 

「・・・・・・しゃーない」

 

 そんな友哉を見据えて呟きを漏らす蘭豹。

 

「これで、終わりにしたるわ!!」

 

 言い放つと同時に、振り上げられる拳。

 

 その一撃が友哉を捉える。

 

 と思った次の瞬間、

 

 友哉の姿は、蘭豹の目の前から掻き消えた。

 

「なッ!?」

 

 驚く蘭豹。

 

 また上か? と思い振り仰ぐも、そこに友哉の姿は無い。

 

 果たして友哉は、

 

 まるで地を這うような姿勢で、蘭豹の足元に潜り込んでいた。

 

 友哉はボロボロに傷つきながらも、勝負を諦めてはいなかった。一瞬の勝機に賭け、反撃の機会を狙っていたのである。

 

 蘭豹との実力差を考えれば、二撃目を許してくれるとは思えない。

 

 この一撃。これに全てを掛ける。

 

 床を蹴りながら、全身のばねを如何無く発揮して跳躍。

 

 同時に振り上げられる拳。

 

 龍翔閃を応用した攻撃は、神速の勢いで蘭豹へと迫る。

 

 とっさに回避しようとする蘭豹。

 

 しかし、遅い。

 

 放たれる、神速の拳。

 

 次の瞬間、蘭豹の下あごを見事にとらえた。

 

「やった!!」

 

 見ていた瑠香たちが喝采を上げる。

 

 友哉も、クリティカルヒットを確信した。

 

 自分にできる最高の一撃を繰り出した。これなら、相手が蘭豹でも倒せるはず。

 

 友哉の見ている前で、蘭豹の体が大きく傾く。

 

 やったか?

 

 そう思った次の瞬間、

 

 蘭豹の足は、頑強に踏みとどまった。

 

 同時に上げられた蘭豹の顔には、凄惨な笑みが浮かべられている。

 

「ええパンチや。鍛えれば、そっち方面でも意外と行けそうやで、自分」

 

 言いながら振り上げられる拳。

 

「ほな、寝ろや」

 

 それが振り下ろされた瞬間、

 

 衝撃と共に、友哉の意識は強制的に刈り取られた。

 

 

 

 

 

 ハッと、目を覚ます友哉。

 

 自分は、どれくらい眠っていた事だろう?

 

 気が付けば、心配そうに覗きこんでいる茉莉の顔が、すぐ目の前にあった。

 

 どうやら、彼女に膝枕をしてもらっているらしかった。

 

「もう、無茶し過ぎですよ、友哉さん」

 

 そう言って、茉莉は友哉の頭を優しく撫でてくる。

 

 その心地よい感触に、思わず顔を綻ばせる友哉。

 

「そうだね、ごめん」

 

 流石に、今回の事は無謀が過ぎたと自分でも思っている。

 

 だが、キンジに対する処罰は、友哉にはどうしても納得ができない。そこの所の筋を通したかったのだ。

 

「勝負は?」

 

 尋ねる友哉に、茉莉は黙って首を横に振る。

 

 蘭豹の最後の一撃で友哉はノックアウトされ、それで勝敗は決したのだ。友哉の敗北と言う形で。

 

 見れば、陣、瑠香、彩夏の3人も、心配そうに友哉を覗き込んできている。

 

 その時だった。

 

 床を踏み砕くような足音がしたと思うと、友哉はいきなり胸倉をつかまれて持ち上げられた。

 

「おう、緋村」

 

 友哉の体を持ち上げた蘭豹は、ドスのある声で言い放つ。

 

「お前、二度とあんな戦い方すんなや」

「え?」

「お前はリーダーなんやで。お前の判断ミスは、即こいつらの命取りに繋がる。それを、よう覚えとき」

 

 そう言って乱暴に離された友哉の体を、茉莉が慌てて抱き留める。

 

 指摘されて、友哉は自分が完全に頭に血を上らせ過ぎていた事にようやく気付いた。

 

 蘭豹の指摘は全く正しい。

 

 自分の判断ミスによっては、瑠香が、陣が、彩夏が、そして茉莉が、命を落とす事も考えられるのだ。

 

 故にリーダーは、仲間を生き残らせる為に最善の努力をする必要がある。今回の友哉のように、自らの我を通すために無謀な戦いを仕掛ける事は許されない事である。

 

「・・・・・・すみませんでした」

「ん、判ればええわ。まあ、お前の最後のパンチはなかなかやったからな」

 

 そう言うと蘭豹は、僅かに赤みを帯びた自分の頬を友哉に見せる。

 

「これに免じて、遠山の処分撤回は無理でも、多少の便宜くらいは図ってやるわ」

 

 そう言って、蘭豹は笑みを見せる。

 

 性格が凶暴でも、ここら辺は、やはり教師なのだろう。蘭豹は友哉が見せた「意地」を評価してくれていた。

 

 友哉がやった無謀も、結果としては無駄ではなかった事になる。

 

「ま、それはそれとして、や」

 

 と、そこで蘭豹は、何やら意味ありげな笑みを友哉へと向けてくる。

 

 まるで、猫が捉えた鼠をいたぶるかのような、そんな凄味のある笑いである。

 

「うちに楯突いた緋村には、楽しい楽しい罰ゲームと行こか」

 

 それを聞いた瞬間、友哉の顔が青くなったことは言うまでも無い事である。

 

 

 

 

第5話「無謀な挑戦」      終わり

 



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第6話「花の都へ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠山キンジは、頭を抱えたい心境だった。

 

 東京武偵校から言い渡された処分によって、バスカービルから強制脱退させられたキンジ。

 

 だが、このまま孤立したままではキンジ自身の学業にも差し障ると判断した緑松校長の計らいによって、別のチームに編入と言う形が取られる事になったのだ。

 

 そのチームは、何と前代未聞、修学旅行の単位を落として補習と言う事態に見舞われており、キンジは早速、そのチームの監査役に任命されたのだった。

 

 そのチームの名前は「コンステラシオン」

 

 星座の名を頂くチームを率いるのは、キンジの仲間にして《銀氷の魔女》ジャンヌ・ダルク30世である。

 

 なぜ、修学旅行を補習する、などと言う事態に陥ったのか?

 

 その件に関し、イラスト無しでジャンヌに説明してもらったキンジだが、今一つ判らないままだった。

 

 それによると、何でもサブリーダーの中空知美咲は空港で手荷物を紛失し、島苺は飛行機をうっとり眺めている内に乗り遅れ、京極めめはメンタル上の理由でバックれたらしい。

 

 どんよりと、暗澹たる気持ちになるキンジ。

 

 今回の補習に関しては、キンジの評価にもかかわってくる。万が一評価が悪ければ、留年だってあり得るのだ。

 

 だと言うのに、島苺は相変わらず飛行機に夢中になり、中空知はオドオド気味に荷物をぶちまけ、ジャンヌは、そんなメンバー達を微笑ましそうに見守っている。そして、京極めめはさっそくリタイヤしていた。

 

 京極の代理としてワトソンが来てくれた事は師団的にはありがたいが、先行きに不安無しとはいかないのが現状だった。

 

 とは言え、行き先はヨーロッパ。それも現在、欧州戦線の最前線となっているパリである。

 

 欧州戦線救援と言う喫緊の事情を鑑みれば、むしろ好都合と言えるだろう。

 

 ワトソンがわざわざ京極の代理としてきたのも、その辺の事情を玉藻と協議した結果だった。

 

 とにかく、キンジ的には激しく不安を感じないでもないが、すでに投げられた賽にケチをつける事はできない。

 

 このポンコツチームを率いて、修学旅行補習と欧州戦線をダブルで乗り切らなきゃいけない訳である。

 

 その後、飛行機見たさに窓ガラスにへばりつく島を引きずり、スーツケースを床にぶちまかす中空知を助けつつ、どうにかパリ行き発着ゲートへとたどり着いたキンジ。

 

 そこで、予想外のサプライズが待っていた。

 

 発着ゲートでは、空港から許可を取ったらしい、バスカービルのメンバー、そしてイクスのメンバーの姿があったのだ。

 

「お前等、見送りに来てくれたのか。こんな所まで」

 

 事の顛末については、メールで既に知らせていたキンジだが、それ以来、仲間達とは直接会っていない。その気まずさから、視線を逸らしがちになる。

 

 だが、予想に反して、優しい言葉が投げかけられた。

 

「理子がサプライズで見送ろうって言うから。あんた、本当にバスカービルをクビになったのね」

 

 告げるアリアの言葉には、一抹の寂寥感が伺える。

 

 元々、チーム・バスカービルの発起人は彼女であり、長い戦いの中で彼女自身が「最高」と黙して選んだメンバー達で構成されている。その中でもキンジは特に、チームの中心として信頼してきたのだ。

 

 そのキンジがチームから抜ける事について、寂しさが無いはずが無かった。

 

「キンちゃん、将来、キンちゃんが会社とかクビになっても、私がその分働くからね。今回、それを証明して見せます!!」

「サプラーイズ!! キーくん、新しいチームでも頑張るんだよ!!」

 

 白雪と理子は、務めて明るくキンジを励ます。

 

 2人ともアリア同様、キンジが別のチームに行くことについて何も感じていない筈がないが、それでも旅立つキンジを励まそうとしているかのようだった。

 

「チームはどこであったとしても、私はキンジさんの力になりますから。私達得るすはいつでも、いつまでも、あなたの側にいる」

 

 物静かなレキですら、珍しい長台詞でキンジを気遣うように言う。

 

 仲間達の熱い激励に、キンジも胸を熱くする中、イクスのメンバー達もまた、旅立つ仲間にエールを送る。

 

「遠山君、どうか、御無事で。ジャンヌさんとワトソン君も」

「お土産、期待してますからね!!」

「眷属の連中をバシッとぶっ飛ばしてやんな!!」

「イギリスの事、お願いね」

 

 口々に激励の言葉を贈る茉莉、瑠香、陣、彩夏の4人。

 

 と、そこでキンジは、重要な人物がいない事に気付き、首をかしげた。

 

「そう言えば、緋村はどうしたんだ?」

 

 その言葉に、

 

 イクスの4人はピシッと固まる。

 

 誰もが、言いづらい事を抱えて黙っている。そんな感じだ。

 

「あ~・・・・・・えっと・・・・・・」

「ゆ、友哉君は、ね・・・・・・」

 

 言いづらそうに口調を濁す茉莉と瑠香。

 

 その時だった。

 

「おう、間に合ったな」

 

 背後から聞こえてきた野太い声に、振り返る一同。

 

 そこには、大股でノシノシと歩いて来る蘭豹の姿があった。

 

「せ、先生まで、見送りに?」

 

 明らかに「有難迷惑」な顔をするキンジ。出発前に、まさか暴力教師の見送りを受ける事になるとは思わなかった。

 

 そんなキンジの思惑に斟酌せず、蘭豹は歩み寄って来るとニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。

 

「おう遠山。せいぜい気張りや。この補習で、お前の今後が違ってくるからな」

「は、はぁ・・・・・・」

 

 豪快な蘭豹の激励に、生返事をするキンジ。

 

 正直、かなり迷惑な激励である。

 

 そこで、蘭豹は話題を変えるようにしていった。

 

「それでな、遠山。直前で悪いんやが、監査役補佐として1名追加や」

「え? 追加?」

 

 キョトンとするキンジ。

 

 いきなりそんな事を言われて、困惑を隠せずにいる。

 

 そこで蘭豹が、その大柄な体を脇にずらすと、陰から小柄な少女が姿を現した。

 

 赤茶色の髪をストレートに下ろし、武偵校のセーラー服に身を包み、その上から黒のコートを羽織っている。足にはニーソックスを穿き、スカートとの間に絶対領域を形成していた。

 

 俯いているせいで、癖のある前髪が表情を隠しており顔を伺う事はできないが、結構な美少女であるように思える。

 

「おら、時間無いんや。とっとと名乗らんかい」

 

 言いながら、蘭豹は少女の頭を乱暴に小突く。

 

 よろけるように、キンジの前へと出る少女。

 

 僅かに顔を上げ、視線を合わせる。

 

「・・・・・・・・・・・・ひ、緋村友奈(ひむら ゆうな)・・・です・・・・・・よろしくお願いします」

「・・・・・・・・・・・・は?」

 

 呆気にとられるキンジ。

 

 目の前に立つ少女の顔を、思わずマジマジと見てしまう。

 

 きめ細かい肌に薄く化粧が施され、目鼻立ちの整った顔は、可憐な美少女にしか見えない。

 

 しかし、よく見ると特徴のある眼つきや鼻立ちが、「その人物」と一致している。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

『えェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェ!?』

 

 

 

 

 

 一同は、一斉に大声を上げる。

 

 彼等の目の前にいるのは間違いなく、武偵校の女子セーラー服を着た緋村友哉その人だった。

 

 一同の視線を受け、友哉は顔を真っ赤にしながらブルブルと震えている。

 

 対して、事情を知っているイクス一同は、苦笑いするしかない。

 

 これが先日、蘭豹が言った「便宜」と「罰ゲーム」の内容だった。

 

 コンステラシオンの監査役補佐と言う形で友哉を同行させる。ただし、見ての通り女子の恰好をして、と言う条件付きで。

 

 その為友哉は、ここ数日「女子になりきる」為に、特殊捜査研究科(CVR)教師の結城ルリから、徹夜で指導を受けたのだった。

 

「わかっとるやろうな~緋村、あの事」

「ハイ、ワカッテマス」

 

 ぐりぐりと頭を撫でる蘭豹に対し、友哉は涙交じりに返事を返す。

 

 今回の罰ゲームには、もう一つオマケがある。

 

 それは、友哉が旅行中、一度でも「女装」を解いたら、その時は卒業までの間、転装生(チェンジ)として過ごす、と言う内容だった。

 

 そんな事になったら、男として色々と終わる事になりかねない。友哉としては死ぬ気で女装を維持するしかなかった。

 

「と こ ろ で」

 

 衝撃から立ち直ったらしい理子が、しげしげと友哉を見詰める。

 

「な、何?」

 

 明らかに不穏な空気を感じ、後ずさる友哉。

 

 次の瞬間、

 

「友奈ちゃん、今日はどんなパンツ穿いてるのー!?」

 

 次の瞬間、理子の手が友哉のスカートをめくり上げた。

 

「り、りり、理子ォ!!」

 

 慌ててスカートを押さえる友哉

 

 果たして、まくり上げられたスカートの下からは、

 

 白い布地の短パンが姿を現した。

 

 流石に、女子物のパンツを穿くわけにもいかないので。

 

 そこまでやる事は蘭豹も望まかなかったのは、友哉にとって唯一の救いである。結城の方は残念がっていたが、そこは男として断固拒否の姿勢を貫いた。

 

「ちぇー つまんないッ」

「何を期待していたのッ 何をッ!?」

 

 顔を真っ赤にして怒鳴る友哉。もっとも、女子の恰好で怒っても、迫力皆無なのだが。

 

「大丈夫です、友哉さん」

 

 そんな友哉を慰めるように、茉莉が優しく背中を叩く。

 

「そんな、気落ちしないでください」

「茉莉・・・・・・」

 

 まるで聖女の如き彼女の姿に、友哉は思わず顔をほころばせる。

 

 そして、

 

「私、友哉さんがずっと女の子のままでも、友哉さんの事が好きですから!!」

「はうあッ!?」

 

 茉莉の何気ない一言が精神にクリティカルヒットし、とうとうその場に崩れ落ちてしまった。

 

「うーむ、流石は茉莉ちゃん」

「見事なトドメだったわね」

 

 そんな屍のような友哉を、瑠香とアリアがしゃがみこんで指先でツンツンと突いてみる。

 

 ただでさえ女装などと言うストレスをたまる事をやっているのだ。ちょっとしたことでも、精神が破綻しかねなかった。

 

 ややあって復活を遂げる友哉。

 

「・・・・・・それはそうと、キンジ」

「な、何だよ?」

 

 いきなり名前を呼ばれ、訝るキンジ。

 

 次の瞬間、友哉は抜き放った逆刃刀を刃に返し、キンジに切り掛かった。

 

「おわッ 何しやがる!?」

 

 とっさに真剣白羽どりで友哉の刀を受け止めるキンジ。

 

 友哉はそのまま、グイグイと刃を押し付けるようにしてキンジに迫る。

 

「キンジ、まさかとは思うけど、万が一、僕でヒスったりしたら、その時は愉快な感じの惨殺死体にしてセーヌ川に浮かべてあげるから、そのつもりで」

「なるかボケ!! 良いから刀しまえ!!」

 

 そもそも「愉快な感じの惨殺死体」とは何なのだろう?

 

 刀をしまう友哉。

 

 対してキンジは、やれやれとばかりに息を吐く。

 

「ったく、お前最近、沸点低すぎるぞ」

「安心して。知り合いの不良警官のせいだから」

 

 どこぞの公安刑事が今頃くしゃみをしている事を期待する友哉。

 

 と、

 

「友哉さん」

 

 そんな友哉に、茉莉が歩み寄る。

 

 今回は武偵校からの命令である為、行くのは友哉1人のみ。当然、茉莉も残らなくてはならない。

 

 脳裏にどうしても浮かぶのは、先日、玉藻から受けた警告だった。

 

 友哉に何か、良くない影が近付こうとしている。

 

 本来なら、茉莉も共に行って守ってやりたいくらいである。

 

「どうか・・・・・・無事で」

「茉莉・・・・・・」

 

 友哉はそっと、茉莉の手を取り、両手で包み込む。

 

 互いに感じる手の温もり。

 

 この温もりを暫く感じる事ができないと思うと、寂寥感は嫌でも増してくる。

 

「大丈夫。僕は必ず帰って来るから。安心して待ってて」

「・・・・・・・・・・・・はい」

 

 頬を赤らめて答える茉莉。

 

 と、

 

「どーでも良いけどアンタ達、傍から見ると『イケナイ2人』にしか見えないわよ」

「「はッ!?」」

 

 彩夏の半眼のツッコミに、思わず我に返る友哉と茉莉。

 

 見れば一同、呆れ気味の視線を2人に向けてきているのが見える。

 

 慌てて、離れる2人。

 

 だが、手だけは互いに、最後までつないだままだった。

 

 

 

 

 

「今回の件、色々と悪かったな」

 

 飛行機が安定飛行に入ってから程無く、隣に座ったキンジが友哉に話しかけて来た。

 

「瀬田から聞いたよ。俺の為に蘭豹に楯突くとか、無茶し過ぎだろ」

「だってさ・・・・・・」

 

 友哉は少しばつが悪そうに、口を尖らせる。

 

「納得できないじゃん、こんな処分さ」

 

 武偵を要請する為に武偵校があるなら、学生が成長するまで守る義務が学校にはある筈だ。

 

 だが、今回のキンジに対する学校側の処分は、明らかにその義務を果たしていないように友哉には思えるのだった。

 

「だからって、それでこのザマ(女装)じゃ、締まりなさすぎだろうが」

「それは・・・・・・そう、かもだけど・・・・・・」

 

 頼りないスカートの裾を押さえながら、友哉は声を小さくする。

 

 確かに、蘭豹にボコボコにされた挙句、「強制女装の刑」では、恰好がつかない事この上無い話である。

 

「・・・・・・武偵憲章4条」

「おろ?」

 

 キョトンとする友哉を、キンジは横目でジロリと睨む。

 

「ほれ、武偵憲章4条は?」

「う・・・・・・『武偵は自立せよ。要請無き手出しは無用の事』・・・・・・」

 

 言ってから、友哉はシュンとする。

 

 キンジに起きた問題は、キンジ自身が自分の裁量で解決しなくてはならない。それは他ならぬキンジ自身が自覚している。友哉がやった事は、明らかに越権行為だった。

 

「・・・・・・ごめん、確かに今回は、勇み足だったかも・・・・・・・・・・・・」

 

 そんな友哉に対し、

 

 キンジはフッと笑うと、頭をこつんと叩く。

 

「判れば良いさ。まあ、お前の気持ちだけは、ありがたく受け取っておいてやるよ」

 

 そう言うとキンジは、シートに深く身を沈める。

 

 パリまでの道中は長い。暫く眠って、体力を温存する心算なのだろう。

 

 其れに倣い、友哉も毛布を取って目を閉じる。

 

 目を閉じれば、浮かんでくる仲間達の事。

 

 瑠香

 

 彩夏

 

 陣

 

 極東での戦闘は下火になっている事に加え、東京近辺には玉藻の鬼払い結界もある。眷属の残存戦力の内、大半がステルスである事を考慮すれば、彼等に害が及ぶ可能性は低いだろう。

 

 だが、何が起こるか判らないのが戦争である。

 

 それに、茉莉。

 

 彼女が最後に見せた、心配するような表情が、友哉には気になっていた。

 

 茉莉を悲しませたくない。

 

 その為には、何としても無事に日本に帰らなくてはならない。

 

 眼下で小さくなっていく日本の風景を目に刻みながら、友哉はそう心に誓うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当たり前の事だが、シャルル・ド・ゴール空港に到着しロビーに降りると、そこは外国人でごった返していた。

 

 時差ボケでフラフラする頭を抱えながら、友哉は集合しているコンステラシオンメンバーの方へと歩いて行く。

 

 ここから、チームは2班に分かれて行動する事になる。

 

 1班はキンジ、友哉、ジャンヌ、2班はワトソン、中空知、島と言う分け方だ。

 

 主体はコンステラシオンの筈なのに、純メンバーの構成が6人中半数の3人しかいないのは如何な物かとも思うが、そこはもう、ツッコムのはやめにしておいた。疲れるだけなので。

 

 1班の目的地であるパリは既に欧州戦線の最前線であり、危険地帯と化している。そこで地元で土地勘のあるジャンヌを含む師団メンバー3人が残り防衛線の強化に当たると同時に、無関係の中空知、島を含む2班は、師団勢力圏後方にあるブリュッセルまで後退し、ワトソンが護衛に回る、と言うのがジャンヌの作戦である。

 

 全員集合した時点で、監査役であるキンジが訓示を行う。

 

「この修学旅行では、各自やりたい事をやれ。敢行したけりゃ写真でも撮ってろ。誰も、何も強要はしない。ただ、将来への想像力があるのなら、遊んでいる場合じゃない事は判るはずだ。これからの世の中は、あらゆる物事が年々国際化していく。武偵だってその例外じゃない。俺達がまたいずれ、ヨーロッパで仕事する時も来るだろう。ただの観光客として遊んですごしてしまえば、将来この地で戦う時に命を落とす。この地に招かれた時、成果を上げられない。そうならない為に、手探りで良いから学べる限り学べ。修学旅行とは学を修める旅である。以上!!」

 

 マニュアル通りに近いが、完璧な訓示である。

 

 もっとも、

 

「は、はいぃ」

「はいですの~」

 

 コンステラシオンの純メンバー、中空知と島は半分も聞いていない様子だったが。

 

 その後、最低限の作戦方針をワトソンとしてから、二手に分かれる一同。

 

 友哉とキンジはジャンヌに先導される形で、高速郊外鉄道でパリ北駅へと向かった。

 

 パリと言えば「花の都」「芸術の都」としてのイメージが強いだろうが、一度街中に降り立ってみれば、それが幻想であった事が伺える。

 

 壁際にはホームレスや薬物中毒者が居座り、それらを監視するように、迷彩服を着た警備員がマシンガンを手に立っている。

 

 明らかに治安の悪さを象徴するような光景だ。

 

 町中にはゴミが普通に落ちていたりする。そう言うところを見ると、東京がいかに治安や衛生面に気を使っているかが判る。

 

 その一方で、歴史的な価値と言う意味ではパリの方が東京よりも優れていると言えるだろう。今まで戦争や震災で街を破壊された経験が無いせいか、ちょっとした建物であっても数百年前の歴史ある建築物だったりするから侮れない。

 

 他にも、高層建築物があまり見られないのは、景観を損なわない為の配慮であるらしい。日本でも京都辺りでは同じような政策が取られており、こちらは大型の看板まで撤去しなくてはならないのだ。因みに所有者が自費で。

 

 だがまあ、こちらも武偵だ。多少の治安の悪さは問題にはならない。むしろ、眷属から身を隠すうえでも好都合かもしれない。

 

「じゃあ、ジャンヌ。俺達は、この辺でホテルを探すから」

 

 告げるキンジに、ジャンヌは振り返ると真顔で、

 

「無駄な出費は控えろ。それに、ここはあまり良い地区ではない。私の部屋に泊まれ」

 

 とんでもない事を言ってきた。

 

「何言ってんだ、お前女だろ」

「そうだ。それがどうした?」

「いや『どうした』じゃないでしょ。男の人を簡単に人の家に上げちゃまずいよ」

 

 言い募るキンジと友哉に対し、ジャンヌは大したことではない、とばかりに肩を竦める。

 

「そんな事は気にしない。それに、緋村はその格好で言っても説得力無いぞ」

「いや、判ってるけどさ!!」

 

 今の友哉はどこからどう見ても女の子にしか見えない。この格好で「男が~」とか言っても違和感があるだけだった。

 

 そんな友哉達に対し、ジャンヌはフッと笑いかける。

 

ついて来い(フォロー・ミー)。この辺はスリが多いぞ」

 

 そう言うとさっそうと歩き出すジャンヌ。

 

 友哉とキンジはと言えば、顔を見合わせると、渋々と言った調子で付き従うのだった。

 

 

 

 

 

 シャンゼリゼ通り76番にあるジャンヌの賃貸マンションに到着すると、映画でしか見た事が無い手動開閉式のエレベーターに乗り、その最上階へと上がる。

 

 考えてみれば友哉も、幼馴染である瑠香以外で女の子の部屋に入るのは、これが初めてである。女子寮の部屋ですら、殆ど入った事が無い。

 

 否が応でも緊張してしまうのは避けられなかった。

 

「ここだ」

 

 言いながらジャンヌは、自分の部屋らしい303b号室の鍵を開け、友哉とキンジを招じ入れる。

 

「良いのか、ほんとに?」

 

 尻込みしているのはキンジも同様なようで、恐る恐ると言った感じにジャンヌに尋ねる。

 

 それに対し、ジャンヌは何でもない、と言った感じに振り返った。

 

「この8区の部屋は私個人の不動産だから気兼ねするな。一族の家は16区にある」

「いや、そうじゃなくて、ここまで来て言うのも何だが、女の1人暮らしの部屋に男が2人も止まるって言うのは、その、えーっとだな・・・・・・」

「私も家族以外の男を入れるのは初めてだ。しかし、ケ・セラ・セラ(なるようになる)だ」

 

 最後を日本語以外で言うと、ジャンヌはさっさと部屋の中へと入ってしまった。

 

 仕方なく、後に続くキンジと友哉。

 

 日本と違って、室内では靴を脱がないので、やや違和感を感じながらも中へと入って行く。

 

 ジャンヌの部屋は、フランス映画の撮影にも使えそうなくらい、オシャレな内装だった。

 

 藍色の壁紙に、ダークブラウンのフローリング。長く空けていたにも関わらず、持ち主の香りが未だに残っているようだ。

 

 読書家のジャンヌらしく、本棚にはフランス語の本がずらりと並び、デスクの上には夜用のキャンドルと読書用のメガネまで置いてある。

 

 寝室の方は、ややロココ調が入った様子で、女子力の高さが伺われる。そこら辺は、凛とした佇まいのジャンヌとは、若干のギャップがあった。

 

 と、

 

「おろ・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉はふらつく足を、壁に手を突いて堪える。

 

「大丈夫か、緋村?」

 

 ジャンヌの気遣う声を聞きながら、どうにか身を起こす友哉。

 

「ごめん、ちょっと、時差ボケが激しいみたい・・・・・・」

 

 香港の時は1時間だけだったが、パリと東京は8時間もの時差がある。パリはもう夜が明けているが、東京はまだ夜明けを迎えていない時間だ。

 

 当然、そんな時間に起きていれば、体調も崩れがちとなる。

 

 見ればキンジとジャンヌも若干疲れている様子が見て取れるが、どちらも友哉ほどではない。

 

「少し、休んだ方が良いかもな。リビングのソファを使え」

「ありがと・・・・・・そうさせてもらうよ」

 

 そう言うと友哉は、フラフラとした足取りでリビングまで行くと、そのままソファーに倒れ込む。

 

 それを待っていたかのように、友哉の意識は急速に落ち始めた。

 

 女装の事、

 

 欧州戦線の事、

 

 そして日本に残してきた茉莉たちの事、

 

 色々と心配事は尽きない。

 

 だが今は、とにかく少しでも眠って体調を戻したかった。

 

 やがて、思考も完全に暗転する頃、友哉は静かな寝息をたてはじめた。

 

 

 

 

 

第6話「花の都へ」      終わり

 



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第7話「仮面舞踏会」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ランペイジ・デコイ

 

 通称「暴れん坊の囮」と称されるこの戦法は、味方の主力部隊が拠点の防備を固めている隙に、少数精鋭の部隊が最前線で派手に暴れて敵の目を引き付ける事を基本とする。

 

 今回、友奈(友哉)達欧州派兵班に課せられた使命が、このランペイジ・デコイである。

 

 東京をイクス・バスカービルが、香港を藍幇が固めている隙に、友奈(友哉)達は欧州で派手に暴れて眷属の目を引き付ける。

 

 その隙に、バチカンやリバティ・メイソンと言った欧州の師団勢力は戦力の立て直しを図るのだ。

 

 魔女連隊やイ・ウー主戦派と言った主力も警戒が必要だが、謎の傭兵である妖刕、魔剱にも注意を払わなくてはならない事を考えれば、かなり困難な任務が予想された。

 

 

 

 

 

 友奈(友哉)が目を覚ますと、カーテンからは朝の日の光が差し込んできていた。

 

 その光が瞼を透過する形で、眼球を刺激してくる。

 

「・・・・・・うわ、どれくらい寝てたんだろ?」

 

 身体が妙にけだるく感じる。少なくとも、かなりの時間、眠っていた事は間違いなかった。

 

 その時、寝室に通じる扉が開き、部屋着姿のジャンヌが出てきた。

 

「おはよう緋村。随分と寝たものだな」

「ああ、おはよう。ごめん。完全に爆睡しちゃって」

 

 既にパリ到着から1日が過ぎていた。

 

 長旅に加えて時差ボケも有り、友奈(友哉)は自分で思っている以上に体力を消耗していたのだ。

 

「ご、ごめん、何かあの後、動きは・・・・・・」

 

 言いかけた瞬間、

 

 ク~~~~~~~~~~~~

 

 何とも間の抜けた音が、友奈(友哉)の腹から聞こえてきた。

 

 無理も無い。丸一日眠っていたと言う事は、丸一日何も食べていなかった事を意味しているのだから。空腹を覚えて当然である。

 

 顔を赤くする友奈(友哉)

 

 それに対し、ジャンヌはクスクスと笑う。

 

「まずは風呂に入ってこい。それから食事だ。話はその時でも良いだろう」

「う、うん」

 

 ここは、素直に従っておいた方が良いと思った。

 

 風呂場に入ると、よく洋画等で見かけるバスタブに戸惑ったが、取りあえず試行錯誤しながら湯に浸かる。

 

 風呂桶に溜めた湯に浸かっていると、寝ぼけた意識が徐々に覚醒してくるようだった。

 

 身体を充分にあっためると、ジャンヌが用意しておいてくれたらしいバスタオルで体を拭き、そして制服を着込んで行く。

 

 女子用のセーラー服の着方も、CVR教諭の結城ルリにみっちりと仕込まれた為、今では男子用の制服並みに慣れた手つきで着る事ができる。

 

 勿論、それで恥ずかしさが和らぐ事は、薄紙一枚分もあり得ないのだが。

 

「・・・・・・とにかく、日本に帰るまでの我慢だ」

 

 自分に言い聞かせるように呟く。

 

 日本に帰る事さえできれば、この屈辱的な格好を止める事もできるのだから。

 

「っと、これも忘れられないな」

 

 セーラー服を着込んだ友奈(友哉)は、スカートのポケットからスプレーを取り出して、全身に振りかける。

 

 これはCVRと装備科が共同開発した特殊な香水で、女性特有の匂いを発する作用がある。

 

 男と女は体臭に違いがある。これは両者が発するフェロモンの差でもあるのだが、男は女を引き付けやすいように、そして女は男を引き付けやすいような匂いを、汗と共に発すると言われている。

 

 この香水は、そうした女性特有のにおいを体に磨り込む事ができるのだ。

 

 とは言え、こんな物を使わなくてはいけない辺り、友奈(友哉)の精神的ダメージはいよいよ壊滅的なレベルになりつつあるのだが。

 

「何か僕、後戻りできない方向に進んで行っているような気がするのは、気のせいかな?」

 

 朝からブルーな気分に浸りつつ、友奈(友哉)は大きくため息を吐いた。

 

 着替えを終えた友奈(友哉)がリビングへと戻ると、既にキンジも起きており、更にジャンヌが朝一で買って来たらしいパンがテーブルの上に置かれていた。

 

「・・・・・・そう言えば」

 

 席に着きながら、友奈(友哉)はふと思った事を口にする。

 

「キンジって、昨夜はどこで寝たの?」

 

 言った瞬間、キンジの動きがピシッと固まる。

 

 ソファーは友奈(友哉)が占領していたし、この部屋にはベッドは一つしかない。キンジが寝るスペースは無かったはずだが。

 

「遠山なら昨夜は私と・・・・・・」

「ゆ、床だッ 床にマットを敷いて寝たんだよ!!」

 

 何か言おうとしたジャンヌを遮る形で、キンジが答える。

 

 何やらひどく慌てた様子だが、何だかそれ以上追及できるような状況でもない為、取りあえずはそれで納得しておくことにした。

 

「そ、それより、これからの作戦の事なんだがな・・・・・・」

 

 ぎこちない感じで話題を変えるキンジ。

 

 キンジがシャルル・ド・ゴール空港で訓示したとおり、この修学旅行の補習では、特に何かやる事が決まっている訳ではない。

 

 と言う事は、「欧州戦線の救援」を活動内容にしても、何ら問題は無い訳だ。

 

「まずは、メーヤを呼ぶ事になった」

「メーヤさんって、バチカンの?」

 

 友奈(友哉)も宣戦会議で会った事があるバチカンの聖女。やたら巨大な大剣を振り回し、カツェを特に危険視していたのを覚えている。

 

「でも、バチカンは今、孤立しているんでしょ。そんなところから、戦力を引き抜いちゃってもいいの?」

「このまま守りに徹してもじり貧になるのは目に見えている。ここは抜本的な解決策が必要だ」

 

 ジャンヌの説明に、友奈(友哉)は納得したように頷きを返す。

 

 確かに、負けが込んでいる勢力と言うのは、亀のように拠点にこもって防御を固めるのが定石だが、それでは敵に良いように戦力を削られた後、総攻撃を喰らってアウトである。

 

 ここはあえて「攻め」に転じ、一気に状況を覆すのも作戦としてはアリだろう。

 

「メーヤは『祝光の聖女』、敵からは『祝光の魔女』と呼ばれている。簡単に言えば、とにかく『運が良い』のだ」

「いや、運が良いって・・・・・・」

 

 ステルス系はさっぱりな友奈(友哉)は、ジャンヌの説明に首をかしげる。

 

 運が良いから、要するに何だと言うのだろう?

 

「運とは魔学上、最古から研究され、最新の研究も続いている、メジャーな分野の一つ。そして、最も危険な分野でもある」

 

 ジャンヌの説明によれば、運とは非常に平衡的な物であり、ある一方に運が良ければ、他方の運が悪くなる、といった具合に、バランスを取る性質があるらしい。

 

 その点、メーヤの場合はカトリックの祝福の粋を集め、武運に恵まれるように幸運強化をしているそうな。その分、どこか別の分野で割を食っているらしいが。

 

「メーヤとの合流を待って行動を開始するが、目標としては、魔女連隊の持つ兵器倉庫『兵器庫(アルゼナール)を探して叩くのが好ましいと、私は考えている。

 

 魔女連隊はその超常的な名称とは異なり、近代兵器も多数保有し、積極的に戦線投入していると言う。

 

 魔術一辺倒のバチカンや、隠密戦メインのリバティ・メイソンが苦戦している理由の一つが、それであると思われた。

 

「何とか兵器庫の場所を探り当て叩く事ができれば、欧州戦線はだいぶ楽になる筈なんだが・・・・・・」

「できないの?」

 

 尋ねる友奈(友哉)に、ジャンヌは苦い表情で頷きを返した。

 

「場所が判らないんだ。これまでリバティ・メイソンが幾度も偵察を仕掛けたが、悉く失敗に終わっている。どこか、意外な場所に隠されていると思われるのだが・・・・・・」

「成程ね」

 

 敵にとっても最重要の拠点と言う事だ。

 

 とすれば、もし兵器庫を叩く事ができれば、欧州戦線を一気に終息に導き、それを持って極東戦役を終結させる事も不可能ではないかもしれない。

 

「何か、作戦は?」

 

 《銀氷の魔女》ジャンヌ・ダルクは、同時に優れた参謀でもある。何かしら、策を用意してくれている事を期待して友奈(友哉)が尋ねる。

 

 果たして、ジャンヌは友奈(友哉)の質問に対し、頷きを返す。

 

「これは、リバティ・メイソン経由の情報だが、カツェが今、パリに来ているらしい。普段は普段はストラスブールにいるのだが、戦役以外の何らかの理由で、パリに来ているらしい」

「つまり、カツェを逮捕して、奴に兵器庫の場所を吐かせる事ができれば、事は一気に進むって訳だ」

 

 ジャンヌの説明を補足するようにキンジが言う。

 

 確かに、戦役以外の理由でパリにいるなら、カツェは眷属メンバーとは離れて単独行動している可能性が高い。全員で攻めれば、捉える事も不可能ではなかった。

 

 ともかく、今はメーヤと合流した上でカツェを探す。

 

 その方針で、一同の意見は一致した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その夜7時過ぎ。

 

 友奈(友哉)達は、バチカンから来たメーヤと合流すべく、ガルニエ宮にやってきた。

 

 ネオ・バロック調と呼ばれる様式で建てられた宮殿は巨大且つ荘厳で、屋上には芸術の象徴たる黄金の像が立ち、外壁にもびっしりと彫刻が施されている。

 

 ある意味、場違いなのではと思えるような建物を見上げ、友奈(友哉)とキンジは言葉も出ない感じである。

 

 ジャンヌの説明では、ここで行われる仮面舞踏会(バル・マスケ)において、メーヤと合流するのだとか。

 

 わざわざこんな面倒くさい手順を踏むのは、万が一、自分達やメーヤに尾行があった場合、この仮面舞踏会の混雑を利用して撒く為であるとか。

 

 その為、3人ともそれぞれ、パーティ用の恰好に着替えていた。

 

 ジャンヌはややタイトなドレス、キンジも、ジャンヌがどこかから調達してきた白のタキシードを着込んでいる。

 

 元々モデル並みにスタイルの良いジャンヌは、ドレスを切る事で体の曲線が強調され、より華やかな雰囲気になっている。

 

 キンジはと言えば、元々、パッと見た感じはクールな感じがする事もあり、白のタキシードがよく素材を引き立てていた。

 

 友奈(友哉)は、パーティとは言え女装を解くわけにはいかないので、ジャンヌからサイズの合うドレスを借りて着ている。こちらは、ややフレア上に広がった膝丈スカートに、レースのフリルが入った半袖のブラウス、腕には肘上まで覆おう手袋をしている。一応、胸にはパットを入れて誤魔化している。

 

 その他、仮面舞踏会と言う事もあり、キンジは端から下を覆うタイプの仮面をしている。ちょうど、「オペラ座の怪人」のファントムがしていたような仮面である。

 

 友奈(友哉)は逆に、目元だけを覆う仮面をしている。これは黒い縁取りのある、貴婦人が身分を隠す際に使用する物だ。

 

 ジャンヌはと言えば、なぜか頭にネコミミを乗っけている。これは出国前に理子がジャンヌに渡した物で、一応、ネコミミ型の集音機になっているらしい。これを付けると「ニャンニュ(命名:理子)」の完成である。

 

「でもさ、これ、持って行っても本当に大丈夫なのかな?」

 

 友奈(友哉)は言いながら、手に持った逆刃刀を指し示す。

 

 いかに武偵とは言え、舞踏会のような場所に持っていくのは似つかわしくないのは確かである。

 

 対して、ジャンヌは何でもないと言った感じに笑いかける。

 

「問題無い。入ってみればわかるさ。ついて来い(フォロー・ミー)

 

 そう言うと、さっさと歩き出すジャンヌ。

 

 仕方なく、友奈(友哉)とキンジも顔を見合わせて後に続くのだった。

 

 入口から地下の会場へと入ってみると、成程、と納得する。

 

 薄暗い内部には、きちっと正装を着込んだ身形の良い者達が、それぞれパーティを楽しんでいる。

 

 最も、大半の者が顔を隠している辺り、怪しいムードは拭えないが。

 

 中にはそうとうおかしな恰好をしている者までおり、一種のコスプレ会場のような様相を呈しているのが判る。

 

 そう考えれば、たかだか日本刀の一つや二つ、持っていたところでコスプレ用小道具以上には見られない事は明白だった。

 

 と、

 

「ミャォウ」

 

 突然、ジャンヌが猫の鳴きまねをしてみせる。

 

 ネコミミを付けているから、そのキャラ付か何かだろうか?

 

 そう思っていると、ジャンヌは手にしたウマのぬいぐるみを掲げて見せた。

 

「何だそれ?」

「猫がウマを持つと言う、愉快な目印だ。メーヤの側は犬が牛を持っている」

 

 尋ねるキンジに、どこが愉快なのかよくわからない説明をする。

 

「ようするに、メーヤは犬の恰好で、馬のぬいぐるみを持っているって事か?」

「そう言う事だ。少し手分けして探そう。思ったより人が多いからな。5分後にここで落ち合うぞ」

 

 ジャンヌの言葉に頷きを返すと、3人はそれぞれ、別々の方向へ人ごみをかき分けるように歩き出した。

 

 とは言え、地下室にこの人だかりである。小柄な友奈(友哉)では、まっすぐ歩く事すら難しい。

 

 加えて、暫くして、自分がメーヤの事をあまりよく知らない事を思い出した。会ったのは宣戦会議の時の一回だけだし、その時も、殆ど会話らしい会話をしなかった。

 

 だと言うのに、このコスプレ集団の中から彼女を探すのはかなりの困難を擁する。

 

「・・・・・・ま、良いか。顔は知ってるし。それに、いざとなったら2人に任せよう」

 

 そう気楽に考えると、再び人だかりをかき分けて歩き出す。

 

 改めて見ると、多種多様な仮装(コスプレ)をした者達でいっぱいである。

 

 中には、日本のアニメのキャラクターに扮している者までいるくらいだ。

 

 日本のサブカルチャーは世界随一と言われている事を考えれば、そう言う選択肢も有りなのかもしれない。

 

 と、脇を見ながら歩いていたせいか、正面に立っている人物に気付かずに突っ込んでしまった。

 

 ボフッ

 

「おろッ?」

「おや、大丈夫ですか?」

 

 タキシードを着た紳士は、友奈(友哉)を優しく抱き留めると、姿勢を正してくれる。

 

「これだけの人だかりですからね。気を付けて歩いた方が良いですよ」

「そうですね、すみません」

 

 そう言って顔を上げた友奈(友哉)

 

 次の瞬間、絶句した。

 

 なぜなら、その人物の顔に見覚えがあったからだ。

 

 否、正確に言えば、友奈(友哉)はその人物の顔を見た事は一度も無い。

 

 そしてある意味、この場において最も相応しい出で立ちをした人物である事は間違いなかった。

 

「由比彰彦!?」

「おやおや、誰かと思えば、緋村君でしたか」

 

 緊張を高める友奈(友哉)に対し、彰彦はあくまでも飄々とした態度を崩すことなく対峙する。

 

 普段から仮面をつけて素顔を隠している彰彦は、この仮面舞踏会の会場にあって、何の違和感も無く溶け込んでいた。

 

「随分、奇遇な所で会いますね」

「クッ」

 

 とっさに、刀の柄に手をやる友奈(友哉)

 

 しかし、

 

「やめておきましょう」

 

 そんな友奈(友哉)を制するように、彰彦はスッと手を翳して見せた。

 

「ここで暴れても、お互いに得な事は何もありませんよ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 言われて、友奈(友哉)は周囲を見回す。

 

 見れば、居並ぶパーティ参加者たちが、手を叩きながら2人の様子に歓声を上げている。どうやら、パフォーマンス的なイベントの一環だと思われているらしい。

 

 確かに、ここで暴れたりしたら、収拾のつかない大混乱になる事は間違いない。何よりメーヤとの合流が目的である以上、騒ぎになるような事は控えなければならない。

 

 友奈(友哉)としては不承不承ながら、ここは剣を引くしかなかった。

 

 そんな友奈(友哉)の様子を見ながら、彰彦は仮面の奥で笑みを見せる。

 

「ご理解いただけたようで助かります・・・・・・ところで・・・・・・」

 

 言いながら、彰彦のぶしつけな視線が友奈(友哉)に注がれる。

 

「な、何ですか?」

「いえ、まさか、君にそのような趣味があるとは知りませんでした」

 

 言われてから、友奈(友哉)はハッとなって、自分の今の恰好を思い出す。

 

 そう言えば、女装しているのをすっかり忘れていた。

 

「そう言う事なら早く言っていただければ、そう言った関連の接待も、こちらでご用意いたしましたのに」

「断じて違います!!」

 

 ガーッと言い募る友奈(友哉)

 

 もう、周りの目なんて気にせず、このまま斬り掛かっても良いんじゃないかと、割と本気で思っていた。

 

「そ、それより」

 

 慌てて話題を変える友奈(友哉)

 

 これ以上、話を長引かせたりしたら、変な方向に持って行かれそうだったので。

 

「あなたこそ、こんな所で何をしているんですか?」

 

 まさか、このような場所で彰彦に遭遇するとは思っていなかったのは、友奈(友哉)も同様である。その真意を確かめる必要があった。

 

 それに対し、肩をすくめて見せる彰彦。

 

「勿論、仕事ですよ」

「仕事って、戦役関連の?」

「他に何があると?」

 

 彰彦の答えに、友奈(友哉)はスッと目を細める。

 

 まさか、こちらの作戦が読まれたのか?

 

 警戒する友奈(友哉)を前にして、彰彦はフッと緊張を解くように言う。

 

「まあ、ここに来たのは、ある方との待ち合わせの為なのですが・・・・・・」

 

 言いながら、ウェイターの持つトレーから、グラスを2つ取り、片方を差し出してきた。

 

「良い機会です。一杯、付き合いませんか?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 彰彦の真意は判らない。

 

 だが少なくとも、お互いにここで仕掛ける事が出来ないのは確かだった。

 

 友奈(友哉)はグラスを受け取ると、煽るようにして口へと流し込む。

 

 熱い液体が喉を通過するのを感じながら視線を向けると、僅かに仮面をずらした彰彦もまた、グラスに口を付けている所だった。

 

 そう言えば、

 

 友奈(友哉)は彰彦が仮面を取っている所を見た事が無い。

 

 一体なぜ、あのような仮面をしているのだろうか?

 

 そんな友奈(友哉)の視線に気付いたのか、彰彦は視線を向けてくる。

 

「この仮面が気になりますか?」

「それは・・・・・・まあ・・・・・・」

 

 曖昧な返事をする友奈(友哉)に対し、彰彦はフッと笑い掛ける。

 

「この仮面はね、緋村君。いわば願掛けですよ」

「願掛け?」

 

 意外過ぎる答えに、友奈(友哉)は首をかしげる。

 

「そう、我が一族の悲願。それを達成するまで掛けつづけなくてはならない、という、ね」

 

 言いながら彰彦は、飲み干したグラスをテーブルの上へと置く。

 

「人は叶えたい願いがある時には、願掛けをする物です。それが一族の総力を挙げた願いともなれば尚更、ね」

 

 そう言うと、彰彦は友奈(友哉)に背を向けて歩き出す。

 

「ちょっと!!」

「言った通り、ここで仕掛ける気は私にはありませんし、キミの事を眷属の方々に報告する気もありません。だから、存分にパーティを楽しんでください」

 

 そう言って、後ろ手に手を振りながら去って行く彰彦。

 

 その姿を、友奈(友哉)は立ち尽くしてみ守る事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 友奈(友哉)と別れた彰彦は、暫くして、壁際で腕を組んで佇んでいる少女の傍らに立った。

 

「お待たせしましたか?」

「遅ェよ、ナンパでもしてたのか?」

 

 悪びれた様子も無く言う彰彦に、少女は睨み付けるような視線を向けてくる。

 

 それに対して、彰彦はクックッと仮面の奥で笑う。

 

「ええ、まあ、そんなところです」

 

 何しろ、友奈(友哉)のあの恰好である。ナンパと取られてもおかしくは無いだろう。

 

 それにしても、女装があれほど完璧に決まる人間が、果たしてどれくらいいるだろう? 下手をすると、イ・ウー時代に一緒に戦った御ことがある遠山金一、カナにも匹敵するのではないだろうか?

 

 あれで男であると言われても、下手な冗談にしか見えなかった。

 

 そんな彰彦を横目でにらみつつ、少女は壁から背を離す。

 

「とにかく行くぞ。これ以上、カツェを待たせたくないからな」

「判りました。それにしても、あなたもなかなか律儀な方ですね。研修の護衛の為に、わざわざ、敵地まで来るとは」

「カツェの頼みだからな。あいつの頼みじゃ、断る訳にはいかないさ」

 

 そう言って歩き出す少女の背に従い、彰彦も出口へと足を向けた。

 

 

 

 

 

 彰彦と別れ、友奈(友哉)は足早に人ごみをかき分けながら歩いていた。

 

 彰彦がここにいた、と言う事は他の眷属メンバーもいると言う事だ。それが誰かは判らないが、万が一、こちらの顔を知っている人間だとすれば、最悪の場合、奇襲を喰らう可能性もある。

 

 速やかにジャンヌ、キンジと合流し、メーヤを回収して撤収する必要があった。

 

 忘れていたが、このパリは今、欧州戦線の最前線なのだ。敵がいつ攻め込んで来たとしても不思議ではなかった。

 

 と、比との間を縫うようにして歩いている内に、見知った銀髪ネコミミ少女が目に飛び込んできた。

 

「ジャンヌ!!」

 

 呼びかけながら、急ぎ足で駆け寄ると、ジャンヌも友奈(友哉)の姿に気付いて振り返って来た。

 

「ああ、緋村か。メーヤはいたか?」

「いや、見付けられなかった。それよりも・・・・・・」

 

 友奈(友哉)は起こった出来事を、かいつまんで説明する。

 

 その説明を聞いている内に、ジャンヌの顔を見る見るうちに険しくなっていった。

 

「そうか、由比が来ていたか。これは、のんびりもしていられないな」

「もしかしたら、眷属の本隊も迫っている可能性もある。作戦を早めた方が良いよ」

「同感だ。遠山達にも伝えて、この場を離れよう」

 

 2人は頷き合うと、再び人ごみの中へと足を踏み入れようとする。

 

 すぐ傍らで騒動が起こったのは、その時だった。

 

「何だ?」

「さあ?」

 

 喧騒に首をかしげつつ、揃って中を覗き込んでみる友奈(友哉)とジャンヌ。

 

 そこには、

 

 我等が親友にして、師団のリーダーとも言うべき遠山キンジ君が、ホルスタイン級の巨乳美女を押し倒す形で、その乳房の中に顔をうずめていた。

 

 その押し倒された美女はと言えば、

 

「あら、まあ・・・・・・」

 

 何やら頬に手を当てて嬉しそうにしている。

 

「おろ、あれって、メーヤさんじゃ?」

「・・・・・・確かにな」

 

 キョトンとする友奈(友哉)の言葉に、ジャンヌは何やら妙に抑え気味の口調で返事をすると、カツカツとハイヒールを鳴らしながら近付いていく。

 

「遠山ッ 衆人環視の中で何をしている!!」

 

 ジャンヌの苛立ち交じりの怒声が響き、視線が彼女に集中される。

 

 それに対し、返事をしたのはキンジでは無く、押し倒されているメーヤの方だった。

 

「はいィ そのお声はジャンヌさんですね? ああよかった、お会いできて」

「久しぶりだなメーヤ。遠山に襲われたのか?」

「いや、違うんじゃないかな、予想だけど・・・・・・」

 

 取りあえず、フォローのつもりで友奈(友哉)が横から口を挟んでおくが、どうやらジャンヌは聞いていない様子である。

 

「あの、その・・・・・・急に遠山さんが胸に飛び込んできて、私には何が何だか・・・・・・」

 

 普段の性格がポケポケしているメーヤは、そう言いつつオロオロしており、イマイチ要領を得ない。

 

 だが、ジャンヌはそれで全て納得したように、険しい表情で頷く。

 

「この男は時々、急に女を襲う習性があるのだ。かつて、私も手籠めにされそうになった事がある。それも、ヒルダとの戦いで弱っている時にな」

 

 と、火に油を、自らドボドボと注いでいくジャンヌ。

 

 対して、メーヤは目をキラキラと輝かせる。

 

「まあ、そうなんですか。それはそれで、期待感の持てる方ですね」

 

 そこで、ようやく体勢を立て直したキンジが、メーヤの胸から顔を上げた。

 

「お、おいジャンヌッ 言っておくが、今のは完全に不幸な偶然だからなッ」

 

 とっさに言い訳しようとしているキンジ。

 

 だが、当のジャンヌは全く聞いておらず、手にしたカクテルを、景気付とばかりに一気飲みすると、自分の胸を見て、次いでメーヤの胸を見てから顔を上げた。

 

 ポン

 

 キンジの鼻っ面に馬のぬいぐるみを投げつけるジャンヌ。

 

 キンジが抗議の声を上げる中、どこからともなく馬上鞭を取り出して見せた。

 

「な、何するんだよッ て言うか、何をそんなに怒っているんだ!?」

「別に怒ってなどいない」

「いや、怒ってるだろ」

「ない。ところで遠山、良い事を教えてやろう。駄馬をしつけるのに最適な物は何だと思う? それは鞭だ」

 

 言いながら、ジャンヌは手にした鞭をヒュンと一振りする。

 

 それだけで、周囲の人間たちは面白そうに歓声を上げる。どうやら、SMショー的な何かが始まると、勝手に勘違いしているらしい。

 

「因みに、鞭は一般の欧米圏では、子供をしかるときに使う」

 

 日本では体罰等の問題が深刻化し子供をしかるのに(武偵校以外では)暴力を振るう事は少なくなってきたが、欧米ではまだ、それら「躾の文化」が根強く残っていると言う事だろう。

 

「・・・・・・一晩ごとに女を換えるような節操無しには、痛みで罪と罰の意味を覚えさせてやる。遠山、お前は私とメーヤを侮辱した。侮辱されたら仕返しするのが騎士道だ」

 

 早速、酔いが回り始めているのか、ジャンヌは言動までおかしくなり始めている。

 

 それに対し、もはや説得は不可能と判断したキンジ。その場から脱兎のごとく逃げ出す。

 

「待てェい!!」

 

 対して、鞭を振り翳しながら追撃するジャンヌ。

 

 逃げるキンジに追うジャンヌ。

 

 状況が違ったら、さぞ羨ましい状況であろう。

 

「トオヤマさーん、ジャンヌさーん、どっちも頑張ってくださーい!!」

「キンジはホント、どこ行ってもブレないね。ま、死なない程度に頑張ってー」

 

 メーヤは大剣を振り回しながら、友奈(友哉)は呆れ気味にそれぞれ声援を送る。

 

「煽るなメーヤ!! あと緋村は見てないで助けろ!!」

 

 逃げながら絶叫するキンジ。

 

 その状況に歓声が加わり、場は大きく盛り上がるのだった。

 

 

 

 

 

第7話「仮面舞踏会」      終わり

 



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第8話「龍殺しの少女」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昔の王様は城の大きさで自らの権威を誇ろうとしたらしいが、これを見れば成程、と納得してしまう。

 

 ルーブル美術館。

 

 元は宮殿だった建物を流用して建造された美術館は荘厳の一言に尽きる。

 

 壁に流麗な装飾を施されている点は、昨夜訪れたガルニエ宮と酷似しているが、規模はまるで違う。

 

 ガルニエ宮での騒動を修めた友奈(友哉)達は翌朝、ジャンヌの案内を受けてこのルーブル美術館を訪れていた。

 

 ただ、世界的にも有名な観光スポットである事から訪れる客も多く、入り口付近には来館者による長蛇の列が形成されていた。

 

「獅子の門から入ろう。観光客が知らないから、並ばずには入れる」

 

 地元出身のジャンヌが、勝手知ったる様子で皆を先導して歩き出す。

 

 今日ここに来たのは、メーヤの提言に拠る物だった。

 

 件の幸運強化により武運に恵まれているメーヤが告げた事は、たとえ「勘」であったとしても無視はできない。

 

 ある種の「占い」的な要素も期待できる事から、ここは任せてみようと言う事になったのだ。

 

 友奈(友哉)も、未だに慣れないスカートを気にしながら後を続く。

 

 ちなみに、流石に美術館に堂々と帯刀して入る訳にもいかないので、逆刃刀はキンジに預けてある。先の藍幇戦でスクラマサクスを失い、キンジの背中は空になっているのでちょうど良かった。

 

 ジャンヌの言った通り労せずして中に入ると、内部は更に華美な装飾によって彩られていた。

 

 美しいが、決して派手派手しい物ではなく、精緻にして絢爛、ある種の調和すら感じる豪華な内装が施されている。

 

 並んでいる美術品の数々もまた、世界的に有名な物ばかりと来ている。

 

 思わず、戦役の事も忘れて見入ってしまいそうだった。

 

「緋村、瀬田を連れて来たくなったのではないか?」

「あ・・・・・・あー、うん、そうだね」

 

 からかうように含み笑いを浮かべながら投げ掛けられるジャンヌの言葉に、友奈(友哉)は少しはにかむように返事をした。

 

 確かに、任務の一環とは言え、ここに茉莉を連れてこれなかった事は、友奈(友哉)にとっては痛恨だったかもしれない。

 

「あらあら、緋村さんは瀬田さんと、お付き合いなさっていらっしゃるのですか?」

 

 そんなジャンヌと友奈(友哉)のやり取りを聞いていたメーヤが、少し驚いたように話しかけてくる。

 

 そう言えばメーヤと茉莉は、師団会議の際に映像越しとは言え、顔を合わせていたのだ。

 

「瀬田さんは良い方ですね。素直で、真っ直ぐで、大事になさってあげてくださいね」

「そうだぞ、緋村。あいつはお前には勿体ないくらいの女だ」

「わ、判ってるってば」

 

 言い募るメーヤとジャンヌに対し、ちょっと照れくさそうに返事をすると、紅い顔を隠すようにそっぽを向く。

 

 自分の彼女を褒められるのは、悪い気がしなかった。

 

 そんな会話をしながら、4人は美術館内部へと足を進めていく。

 

 サモラトニのニケ、ミロのヴィーナス、レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザ

 

 どれも、世界に並ぶ物の無い芸術品の数々である。もしジーサード(金三)が同行していたら、狂気した事だろう

 

 しかし、

 

 世界的に有名な芸術品を見れた事は得難き体験である事は間違いないが、友奈(友哉)達の目的はあくまで欧州戦線への介入である。

 

 歩き始めて3時間経つが、未だにその兆候は表れる気配は無かった。

 

「これは・・・・・・空振りかな?」

 

 壁に掛けられた絵画を眺めながら、友奈(友哉)は独り言を呟く。

 

 まあ、このままここで1日潰してしまうのも悪い話ではないのだが、

 

 そう思い始めた時だった。

 

 傍らに拠ってきたキンジが、友奈(友哉)の肩を軽く叩いた。

 

「おろ?」

「緋村、あれ見ろ」

 

 キンジがさした方向に視線を向ける友奈(友哉)

 

 ジャンヌとメーヤも、揃って覗き込むように見やる。

 

 するとそこには、どこかの学生と思われる、制服を着た少女の一団がいた。

 

 ジャンパースカートの制服が可愛らしい、その女子学生の一団は、研修か何かと思われる。

 

 その中に、花柄の眼帯をした、おかっぱ頭の少女が、いた。

 

「あ、あれ、カツェだよね?」

 

 唖然とする友奈(友哉)

 

 正しく本命バッタリ。どストライクだった。

 

「メーヤ、お手柄だぞ」

 

 ジャンヌが小声で賞賛を送る。彼女の作戦が図に当たった形である。

 

「これ、お前の力なのか、メーヤ?」

「はい、恐らく・・・・・・としか厳密には言えないのですが。会うべき仇敵に偶然出会う、その偶然が必然に変わる。最も典型的な、私の『強化幸運(ヴェントウラ)』の現れかと」

 

 キンジの質問に答えつつ、カツェを睨み付けるメーヤ。

 

 正しく千載一遇の好機である。

 

 しかも見たところ、周りにいる他の女子は魔女連隊のメンバーではない。動きが素人すぎる。恐らく、カツェの学友であると考えるべきだった。

 

「お前等、ババッと魔法で捕まえる事できないのか? あいつをカエルに変えたりとかしてさ」

「もしくは、こう、テレポートとか金縛りとかは?」

 

 尋ねるキンジと友奈(友哉)に対し、ジャンヌとメーヤは、呆れ気味に首を振る。

 

「お前達、乏しい魔術知識で無理に語ろうとするな。聞き苦しい。今は魔術はダメだ」

「今日は瑠瑠粒子が濃い、魔術に頼り辛い日なのです。あの害虫も同条件ですけど」

 

 どうやら魔術にもいろいろあるらしく、強化幸運のように粒子の影響を受け辛い物もあるようだが、基本的に瑠瑠や璃璃の粒子が散布されている時期は、ステルス関連の能力低下は避けられないらしい。

 

「使えねーな、お前等。じゃあ、実力行使で行くぞ。ここで会ったが100年目だ」

 

 言いながらキンジは右手をジャケットのホルスターに差し入れ、左手は背中に伸ばして逆刃刀を取り出そうとする。

 

 だが、そのキンジの動きをジャンヌが制した。

 

「よせ遠山。ここは美術館だぞ。無関係な人間も多い」

「今すぐ殺虫したいのは山々ですが、尾行しましょう。1匹1匹殺しても良いですが、巣穴を見付ければゴキブリを一網打尽にできるかもしれません」

 

 確かに、ここでの戦闘は貴重な美術品を傷付けるだけでなく、一般人にまで被害が及ぶ可能性もある。

 

 ここは作戦通り『兵器庫(アルゼナール)』まで案内させた方が得策だった。

 

 暫く覗いていると、カツェは先生の講義を聞きながら、必死にメモを取っているのが伺える。

 

 言動は粗暴な印象があり、不良っぽいイメージの強いカツェだが、その本質は意外に勤勉家なのかもしれない。

 

 と、4人が密かに視線を向ける中で、カツェは観光客に背中がぶつかり、荷物を盛大に床にぶちまけてしまった。

 

 だが、周りで見ているクラスメイト達は、誰もカツェを助けようとはしない。

 

 見るからにはぶられ気味だった。

 

「あれはストラスブールの、フォレ・ノワール女学院の制服だ。通学制の、かなりのお嬢様学校だ。教育レベルも高いが、学費も高くて有名だ」

 

 ジャンヌの説明を聞き、友奈(友哉)はなるほどと納得する。

 

 確かに、上品なお嬢様学校では、あのカツェの性格は浮いてしまうのも仕方が無かった。

 

 その後、一通りの見学を終えた女学生たちは、夕方になると現地解散となり、それぞれ仲良しグループと共にパリの街へと繰り出していった。

 

 せっかくパリまで来たので、買い物でもして帰ろうと言う算段なのだろう。

 

 そんな中で、

 

 カツェは1人、ポツンと佇んでいた。

 

 ここでも彼女は1人、取り残された形である。

 

 やがて、

 

「ケッ」

 

 カツェはポケットからマルボロを取り出すと、1本取り出して火をつける。どうやら、少し時間をつぶすつもりのようだ。

 

 やがて、たばこ1本を吸い終わると、おもむろに動き出した。

 

 携帯電話を出していずこかに電話を入れると、そのまま地下へと歩き出す。

 

 それを尾行する、キンジ、友奈(友哉)、ジャンヌの3人。メーヤは、乗換に備えて車を取りに行っている所であった。

 

 地下室に降りたカツェはと言えば、駐車してあったバイクへと乗り込んでいるのが見える。

 

 そのバイクの形がまた奇妙だった。

 

 前輪は普通のタイヤなのだが、後輪は2軌道のキャタピラになっているのだ。傍から見ると、小型のトラクターにも見える。

 

「ケッテンクラートだな。ナチスドイツで量産されたオートバイだ」

 

 ケッテンクラートは本来、自走砲等をけん引する目的で量産された物だが、車輪式の車輌に比べて路外走破性が高い事に着目され、路面の悪い東部戦線でも多用された傑作車輌である。

 

 シーマ・ハリ号での敬礼もそうだが、つくづく、魔女連隊はナチス的な物を愛する組織であるらしかった。

 

 カツェが地下駐車場から出て行くのと入れ替わりに、メーヤが運転する深紅のアルファロメオが到着。友奈(友哉)達も乗り込んで追跡開始となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ケッテンクラートは目立つうえにスピードもそれ程出ないらしく、追跡にはさほど労する事は無かった。

 

 パリ市街地を南東に抜け、郊外へ出て田園地帯を進む。

 

 やがて車は、フェンスに囲まれた小さな飛行場へとたどり着いた。

 

「クベール飛行場だ。入って行くぞ」

 

 ジャンヌの言葉通り、カツェの運転するケッテンクラートが飛行場内に入って行くのが見える。

 

 その飛行場は大型機の運用には適さず、主に気球や小型機の発着に使われているらしい。

 

 だが今、そこには全長70メートルほどの飛行船が鎮座していた。

 

 ヒンデンブルク号を髣髴とさせる飛行船の側面には、魔女連隊のマークも描かれている。

 

「ビンゴだね、一応は」

 

 キンジの背中に手を突っ込んで、逆刃刀を鞘ごと引き抜きながら友奈(友哉)は呟く。

 

 確かに狙い通り、カツェを尾行する事で魔女連隊関連の場所まで来る事が出来た。

 

 だが、問題はここからだ。

 

 カツェが、あの飛行船に乗って行こうとしている事は疑いない。だが、自分達には、それを追う手段が無かった。

 

「格納庫内を見ましたが、積み荷は武器と・・・・・・化学兵器の材料と思われます。パリで買い集めていたのでしょう。きっと、ローマを攻める心算なんです」

 

 オペラグラスで観察していたメーヤが言う。

 

 孤立したバチカンが、今、魔女連隊の総攻撃を受けたらひとたまりもないだろう。何とか、その前に片を付けないと。

 

「どうする。離陸されたら、流石にもう追えないぞ」

「ロケットランチャーでも持って来ればよかったんですがね・・・・・・」

 

 焦るキンジとメーヤの言葉を聞きながら、じっと冷静に飛行船を観察していたジャンヌが、オペラグラスから目を離して口を開いた。

 

「ケッテンクラートを格納した倉庫だが、どうもハッチが割といい加減なつくりだから、潜入できそうだぞ」

 

 参謀ジャンヌの意見は、このまま追跡を続行して敵施設に対する破壊工作の実行だった。

 

「と、言う訳だ、遠山、緋村」

「おろ?」

「いや、何が『と言う分け』なんだよ?」

 

 猛烈に嫌な予感を覚えながら問い返す友奈(友哉)とキンジ。

 

 しかし、その予感は杞憂ではなかった。

 

「潜入に成功したら連絡をくれ」

「お2人のいる場所へ、すぐに駆けつけますので」

 

 既に友奈(友哉)とキンジが潜入する方向で話を纏めているジャンヌとメーヤ。

 

「行くんなら、お前等が行けよ。レディー・ファーストだろ」

「今は瑠瑠粒子が濃いとは言え、いつまでも濃いとは限らない。潜入の後に粒子が晴れたら、私達のような魔女は、カツェに探知される恐れがあるのだ」

 

 言い募るキンジに、ジャンヌはにべも無く言う。

 

 要するに、彼女とメーヤは今回の追跡作戦には向かない。やるとしたら、キンジと友奈(友哉)が行くしかないと言う事だ。

 

 とは言え、メーヤの幸運で得たチャンスをフイにするわけにもいかない。それにうまくしたら兵器庫(アルゼナール)の位置も掴めるかもしれないのだ。

 

 やる価値は充分にあった。

 

「仕方ない。やるか」

「だね」

 

 メーヤが胸の谷間から取り出したシリアルバーを受け取りつつ、キンジと友奈(友哉)はアルファロメオから飛び出して行った。

 

 ともかく、離陸前に何とか乗り込む必要がある。

 

 2人は貨物等の物陰を利用しながら可能な限り飛行船へと近づくと、一気に駆け出す。

 

 既に飛行船は離陸準備に入っている。一刻の猶予も無かった。

 

「先行くよ、キンジ」

「あ、おいッ」

 

 身の軽い友奈(友哉)が、キンジより先行する形で飛び出していく。

 

 大丈夫。この距離と友奈(友哉)のスピードなら、離陸前に充分追いつけるはず。

 

 そう思った次の瞬間、

 

 すぐ横合いから、強烈な勢いで飛び出してきた存在が、容赦なく友奈(友哉)に体当たりを仕掛けて来た。

 

「ッ!?」

 

 強烈な衝撃と共に、吹き飛ばされる友奈(友哉)

 

 とっさに体勢を立て直しつつ、足裏で地面にブレーキを掛けながら後退。勢いを殺すと同時に顔を上げる。

 

 だが、その間に相手は更に動き、キンジへと襲い掛かろうとしている。

 

「やらせるか!!」

 

 とっさに地面をけって疾走する友奈(友哉)

 

 スピードは友奈(友哉)の方が早い。

 

 殆ど地面を滑空するような勢いで相手に追いつくと、同時に神速の抜刀。白刃を叩き付ける。

 

 相手もまた、友奈(友哉)の動きを見切り、手にした剣で打ち払ってきた。

 

 その間にキンジは、飛行船に向かって走って行く。

 

「チッ」

 

 相手の舌打ちが聞こえて来たが、友奈(友哉)は構わず警戒を解かない。

 

 妨害が入った以上、友奈(友哉)が行く事はできそうにないが、キンジ1人だけでも潜入できれば、作戦としては成功だった。

 

 相手を見やる友奈(友哉)

 

 そこで、目を見張った。

 

 全身を覆う金属鎧に、手にした両刃の大剣。

 

 間違いなく、藍幇城で対峙した鎧人間だった。

 

「よう、また会ったな」

 

 気さくな調子の相手に対し、友奈(友哉)は油断なく、刀を正眼に構える。

 

 相手は自分の攻撃を物ともしなかった相手だ。侮る事はできない。

 

 そこでふと、相手は訝るような仕草で友奈(友哉)に視線を向けて来た。

 

「あれ、そう言えばお前って、男じゃなかったのか? あ、実は、あれが男装で、本当は女だったとか?」

「い、いえ、あの・・・・・・これには深い事情がありまして・・・・・・」

 

 しどろもどろになりながら、口調を濁らせる友奈(友哉)

 

 まさか、敵にまでそこら辺(女装)を突っ込まれるとは思って無かった。

 

 とは言え、

 

 チラッと視線を向けると、既に飛行船は離陸している。いくら友奈(友哉)でも、もう追いつく事はできない。

 

 しかし、どうやらキンジの潜入は上手く行った様子である。取りあえずは、こちらの作戦は成功と言う事だ。

 

「チッ だから、研修なんかフケちまえって言ったんだ。あいつも、妙に律儀だからな」

 

 どうやら、カツェの事を言っているらしい。となると、この鎧は、カツェの護衛としてこの場に来たと言う事になる。

 

「ま、いいや。それでお前と、こうしてやり合う事ができれば、俺としても特に言う事はねえしな」

 

 言いながら、大剣を構え直す。

 

 対抗するように、友奈(友哉)もまた逆刃刀の切っ先を向けた。

 

 どうやら、激突は不可避であるらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、両者は地面を蹴って駆ける。

 

 友奈(友哉)は最大加速で相手の懐に飛び込むと、袈裟懸けに刀を振り下ろす。

 

 対して、そのまま突っ込んで行く鎧。

 

 友奈(友哉)の剣を、真っ向から受け止める。

 

 ガキン

 

 逆刃刀の刃が鎧に受け止められるのを見て、友奈(友哉)は舌打ちした。

 

 状況は藍幇城の時と同じ。やはり、友奈(友哉)の攻撃は相手にダメージを与えられない。

 

 日本刀は西洋鎧に対して相性が悪い。

 

 純粋に「斬る」事を目的に造られている日本刀は、可能な限り切れ味を追及しており、その刃は薄く鍛えられている。その為、人体や日本式の鎧等、比較的柔らかい物に対しては絶大な威力を発揮する反面、板金鎧が基本の西洋風鎧に対しては、聊か分が悪かった。

 

 もっとも、対処法が無い訳ではないのだが。

 

「甘い!!」

 

 横なぎに振るわれた大剣を、友奈(友哉)はとっさに後退しつつ回避。

 

 地に足を付けたところで、相手が大剣を掲げて斬り込んで来た。

 

 真っ向から振り下ろされる斬撃。

 

 しかし、友奈(友哉)はまともに撃ち合おうとはせず、後退しつつ回避。相手の斬撃をいなしていく。

 

「どうした、逃げてばっかりじゃ、俺は倒せないぜ!!」

 

 さらに踏み込んでくる鎧。

 

 振るわれる横なぎの一閃。

 

 それに対し、

 

 友奈(友哉)は跳躍しつつ回避。同時に、体を大きくひねって剣を構える。

 

「飛天御剣流・・・・・・」

 

 螺旋のように捻られた体が、一気に巻き戻る。

 

「龍巻閃!!」

 

 振るわれる、強烈な一閃。

 

 その一撃が、鎧の頭部を捉える。

 

「グッ!?」

 

 思わず声を漏らしてよろける鎧。

 

 相変わらずダメージが入った様子は無い。だが、相手を怯ませるには充分だった。

 

 更に友奈(友哉)は追撃を仕掛ける。

 

 着地と同時に体をたわめ、寝せた刀の刃を左掌に乗せる。

 

 未だにバランスを回復しきっていない相手を睨み付ける友奈(友哉)

 

 次の瞬間、解き放つ。

 

「飛天御剣流、龍翔閃!!」

 

 吹き上げられる刃の一閃が、相手の顎を捉え、大きく弾き飛ばす。

 

 地面に倒れる鎧。

 

 その姿を見据えながら、着地した友奈(友哉)は再び刀を構え直す。

 

 技は完璧に決まった。

 

 並みの相手なら、あれでノックアウトさせる事も不可能ではない。

 

 だが、

 

 友奈(友哉)が見ている前で、鎧がムクリと体を起こした。

 

「あ~ イッテ~ やるじゃねえの、お前」

 

 何事も無かったように立ち上がって見せる。

 

 やはりと言うべきか、大したダメージは与えられたようには見えない。

 

 再び、刀を構え直す友奈(友哉)

 

「厄介だよね、その鎧」

「あ、これか?」

 

 言われてキョトンとしたような声を上げる。

 

 次いで、自慢するように見せびらかした。

 

「良いだろ、俺のお気に入りだぜ」

「・・・・・・・・・・・・成程」

 

 それ程の自慢の逸品となれば、まずはあの鎧をどうにかしないと、友奈(友哉)の攻撃はダメージを与えられないだろう。

 

「ならまず、その鎧、壊させてもらうよ!!」

「ハッ やれるもんならやってみな!!」

 

 突撃してくる鎧。

 

 それに対して、友奈(友哉)は逆刃刀を八双に構えて迎え撃つ。

 

 間合いに踏み込む両者。

 

 次の瞬間、友奈(友哉)は剣を振り抜く。

 

 縦横に奔る剣閃。

 

 視界全てを斬り裂く銀の光は、その全てが鎧へと殺到する。

 

「飛天御剣流、龍巣閃!!」

 

 振り抜かれた刃が、次々と鎧を乱打する。

 

 手を緩める事無く、剣を振るい続ける友奈(友哉)

 

 そして、

 

 ついに剣戟の威力に耐え切れなくなった鎧が、金属音を響かせて外れる。

 

 いかに板金鎧の防御力が高かろうが、全てに同等の防御を施せるわけではない。

 

 たとえば鉄板の継ぎ目のジョイント部分は、比較的脆い構造をしている。

 

 友奈(友哉)が龍巣閃で狙ったのは、この鎧のジョイント部分だったのだ。

 

 崩れ落ちる鎧。

 

 同時に、装着者本人も、姿を現す。

 

「貰った!!」

 

 自身の勝利を確信して刀を振るう友奈(友哉)

 

 剣閃が真っ向から振り下ろされる。

 

 次の瞬間、

 

 ガキッ

 

「なッ!?」

 

 絶句する友奈(友哉)

 

 あり得ない音と共に、刃は阻まれる。

 

 しかも、友奈(友哉)を驚かせているのは、逆刃刀を受け止めているのは、何も纏っていない、相手の「腕」だと言う事である。

 

 先に戦った呂伽藍のように、筋骨逞しい太い腕ではない。むしろ、友奈(友哉)並みに華奢で、見るからに折れそうなほど細い。

 

 次の瞬間、横なぎに振るわれた大剣が、友奈(友哉)に襲い掛かった。

 

「ぐあッ!?」

 

 とっさに防御が間に合わず、大きく吹き飛ばされる友奈(友哉)

 

 バランスを回復させる事ができず、そのまま滑走路上を転がる。

 

 どうにか顔を上げる友奈(友哉)

 

 斬撃は防弾セーラー服とコートが防いでくれたし、幸い、当たり所が良かったのか、骨折の兆候も無い。片手での振り抜きだった事で斬撃の威力が落ちた事が、どうやら友奈(友哉)にとっては幸運だったらしい。

 

 しかし・・・・・・

 

 友奈(友哉)が見ている先で、相手は残っていたマスクを取って地面へと転がす。

 

 そこで、思わず息を呑んだ。

 

 マスクの下から現れた金髪と、ブルーの瞳。

 

 端正な顔立ちは、間違いなく少女の物だった。

 

「悪いな、言い忘れちまって。俺は別に、この鎧でお前の攻撃を防いでいた訳じゃないぜ。鎧を着てるのは、まあ、趣味みたいなもんだ」

 

 そう言って、肩をすくめる。

 

 確かに、

 

 少女は最後の友奈(友哉)の攻撃を、自らの腕で防いでいた。しかし、少女自身の防御力は、それほど高いとは思えない。

 

 つまり、

 

「ステルス・・・・・・いや、魔女か」

「ご名答だ」

 

 何らかの魔術的な要因で身体能力と防御力を強化し、友奈(友哉)の攻撃を防いでいるのだ。

 

 少女はニヤリと笑い、手にした大剣の切っ先を友奈(友哉)へ向ける。

 

「今さらながら、名乗らせてもらうぜ。北方大管区ノルウェー管区所属、魔女連隊(レギメント・ヘクセ)、連隊長、《鉄腕の魔女》ルシア・フリートだ」

 

 やはり、魔女連隊。

 

 友奈(友哉)は身を起こしながら、軽く舌打ちする。

 

 ステルスが相手となると、流石の友奈(友哉)も聊か分が悪い。

 

 どうする・・・・・・切り札を使うか?

 

 そう考えた時だった。

 

 視界の端で、銀色の光が煌めきを発した。

 

 と思った瞬間、大気を斬り裂いて氷の礫が、ルシアに襲い掛かった。

 

 とっさに、手にした剣で氷を打ち払うルシア。

 

 そこへ、接近したメーヤが、大剣を横なぎにしてルシアに切り掛かる。

 

「チッ!?」

 

 舌打ちするルシア。

 

 同時に後退して、メーヤの剣を回避する。

 

「緋村、大丈夫か!?」

 

 聖剣デュランダルを手に駆け寄ってくるジャンヌ。どうやら、友奈(友哉)が交戦を開始したのを見て援護に来てくれたらしかった。

 

「あれは、《鉄腕の魔女》ルシア・フリート。魔女連隊ではカツェの盟友で、特に危険な害虫の1人です」

 

 と、相変わらず敵を害虫扱いしながら説明してくれるメーヤ。

 

 それに対し、ルシアは鼻を鳴らして睨み付けてくる。

 

「銀氷に祝光か。良いね、盛り上がってきたじゃねえか」

 

 言いながら、大剣を構え直す。

 

「言っておくが、俺の魔術は瑠瑠粒子の影響を受けにくいからな、流石に全力とはいかねえが、この状況でも充分に戦えるぜ」

 

 対して、こちらはジャンヌとメーヤの戦力低下は否めない。

 

 4人はそれぞれ、剣を構えて対峙する。

 

 激突は必至か?

 

 そう思った次の瞬間、

 

 耳障りな轟音と共に、1台のオートバイが滑走路内に入り込んで来た。

 

 サイドカー付きのオートバイは、友奈(友哉)達の隊列を蹴散らす形で割り込むと、横向きに停車して両者の間を塞ぐ。

 

「時間です。退きますよ」

 

 運転席に座った由比彰彦が、そうルシアに告げる。

 

「あ、もうそんな時間かよ?」

 

 時間を忘れて戦いに興じていたらしいルシアが、キョトンとして彰彦を見やる。

 

「ええ。遅刻すると、イヴィリタさんのお仕置きが待っているのでは?」

「うげッ そいつは勘弁だぜ」

 

 慌てた調子で、サイドカーに乗り込むルシア。

 

 その視線が、友奈(友哉)とぶつかりあう。

 

「緋村っつったな、お前」

 

 ニヤリと笑みを浮かべる。

 

「なかなか面白かったぜ、お前との勝負。今度、またやり合おうぜ。その時は、この《龍殺しの聖剣》の錆にしてやるからよ」

「逃がすか!!」

 

 地面を蹴って斬り掛かる友奈(友哉)

 

 しかし、その刃が届く前に、彰彦はバイクをスタートさせる。

 

 空を切る刃。

 

「それでは、また会いましょう、緋村君」

 

 そう言い残して去って行く彰彦。

 

 その背中を見据え、友奈(友哉)は大きく息を吐くのだった。

 

 

 

 

 

第8話「龍殺しの少女」      終わり

 



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第9話「手紙」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友奈(友哉)が携帯電話を開いて確認すると、メール着信が4件。いずれも、日本に残っているイクスの仲間達からだった。

 

 

 

 

 

From : 高梨・B・彩夏

《ハイ、友哉。そっちはどう? こっちは藍幇が味方になったおかげで、随分と静かよ。魔女連隊の連中は、やたらとしつこいから、戦う時は充分に気を付けなさいよ。あと、大丈夫だとは思うけど、万が一、イギリスまで戦火が及びそうになったら、その時はお願いね》

 

 やはり、イギリス出身の彩夏としては、欧州戦線の状況が気になるのだろう。まして、仏蘭西はドーバー海峡を隔てただけでフランスと隣接している。とても無関心ではいられないようだ。

 

 

 

 

 

From : 相楽陣

《友哉、帰りにオランダ饅頭を土産に頼むぜ!!》

 

 ヨーロッパで饅頭が手に入る訳がないだろうが。しかも、国を微妙に間違えてるし。

 

 

 

 

 

From : 四乃森瑠香

《友哉君、ちゃんとご飯食べてる? そっちで美味しそうな食べ物とかあったら、作り方聞いてきて。あとで、こっちでも作ってあげるから》

 

 戦妹の頼みに苦笑する。これも、瑠香なりの激励なのだろう。ちゃんと帰ってこいと言う。

 

 と、

 

《追伸:寂しくなったら、これ見て元気出して》

 

「おろ? 添付画像・・・・・・ぶッ!?」

 

 添付された画像を見て、思わず友奈(友哉)は顔を赤くして吹いた。

 

 その中には、風呂上りなのかバスタオルを体に巻いた茉莉が、慌てた様子で手を伸ばしている状態で写真に写っていた。

 

 バスタオルは足の付け根までしか覆っておらず、かなりきわどい状況である。しかも、結び目が少し解け、ほんのわずかに存在している胸の谷間がチラ見えしている。

 

《撮影している途中で気づかれちゃった。今度は、バッチリ撮れた奴をおくるから。期待しててね!!》

 

「いやいやいや、そんな気遣いらないから!!」

 

 思わず、メールの文面に突っ込みを入れてしまった。

 

 と言うか、戦闘時は触れるだけで切れそうな集中力を発揮する茉莉が、なぜに普段の生活ではこれ程までに無防備なのか? だから瑠香や理子達に弄り倒される羽目になるのだ。

 

 チームリーダーとして、そして彼氏として、そこら辺は今後、指導しておく必要がありそうだった。

 

 

 

 

 

From : 瀬田茉莉

《お元気ですか、友哉さん? そちらは寒くありませんか? 体調は崩していませんか? 友哉さん達がヨーロッパに行ってから、こちらはそれほど大きな事件も無く、瑠香さん達の依頼を手伝ったりして、平穏に暮らしています。あ、そう言えば先日、寮のベランダに1匹の猫が来て、瑠香さんと一緒に可愛がったりして遊びました。友哉さんにも見せてあげたかったんですけど、すぐにいなくなってしまって残念です》

 

 生真面目な茉莉らしいと言えばらしいが、何だか手紙の文面みたいな内容だった。

 

《会いたいです、友哉さん。お付き合いを始めてから、友哉さんとこんなにも遠く離れる事が無かったせいか、強くそう思います。本当に、どうか、無事で帰ってきてください。私は、友哉さんの無事な姿を見る事ができれば、それが何よりのお土産だと思っていますので》

 

「茉莉・・・・・・・・・・・・」

 

 いじらしい彼女のメールに、友奈(友哉)は胸が熱くなる想いだった。

 

 仲間達はそれぞれの想いをメールの文面にして送ってくれている。

 

 何となくだが、戦場で家族からの手紙を読む兵士とは、このような心境なのかもしれない、と思った。

 

《追伸:瑠香さんが送ったデータは消してください、お願いします!! あ、でもでも、友哉さんが取っておきたいのなら、少しくらいなら良いですからね!!》

 

「いや、どっちなのさ」

 

 茉莉の文面に苦笑しつつ、友奈(友哉)はデータ消去の操作に入ろうとして・・・・・・

 

「・・・・・・・・・・・・やっぱり、もう少しとっておこう」

 

 これは決してやましい気持ちではない。遠く日本にいる彼女への想いを忘れないよう、そして、いつでも彼女と共に在れる様にと言う、一種のお守りみたいなものだ。

 

 断じて、やましい気持ちではなのだ。

 

 自分の心の中でわざわざ2回も言いながら、友奈(友哉)は携帯電話を閉じた。

 

 その時だった。

 

「緋村、遠山の居場所が分かったぞ!!」

「おろォッ!?」

 

 突然、部屋の中へと入ってきたジャンヌに思わず携帯電話を取り落としそうになり、手の中で「お手玉」をしてしまう友奈(友哉)

 

 そんな友奈(友哉)を、ジャンヌは不審人物を見るようなまなざしで見つめる。

 

「何をしているんだ、お前は?」

「な、ななな何でもない!!」

 

 どもりながら、慌てた調子で携帯電話を、スカートのポケットに戻す。

 

 ただでさえ、女装などと言う究極的な変態行動を強いられているのだ。

 

 茉莉のセミヌード画像に見惚れていた、などと知られた日には、白い目で見られる事は確実だった。

 

 一つ咳払いをして気を取り直しながら、友奈(友哉)は話題を返る。

 

「それで、キンジの居場所が分かったって言ったけど、どうやって判ったのさ?」

「携帯電話の基地局を調べた。遠山はどうやら携帯電話の電源を入れっぱなしにしているらしくてな。それで足取りが辿れたのだ」

 

 携帯電話の通話には、各基地局を中継して行われるため、どの基地局の県内にいるかさえ判れば、あとは大まかな場所を特定する事ができるのだ。

 

「それで、キンジは今どこに?」

 

 友奈(友哉)は逸る気持ちを抑えきれずに尋ねる。

 

 こうしている間にも、キンジに危機が迫っているかもしれない。

 

 勿論、キンジの事だから簡単にやられたりはしないだろうが、それでもなるべく早く、救援に行ってやりたかった。

 

「遠山の位置が最初に確認できたのはシャモニーと言う、モンブランの麓にある街だ。今はそこから更に移動し、ルクセンブルクのエコールにいるらしい」

「モンブランって、何でそこでケーキ?」

 

 訳が分からずトンチンカンな受け答えをする友奈(友哉)に、ジャンヌは呆れ気味に溜息をついて見せる。

 

「何を言っているのだ、お前は。西ヨーロッパにおける最高峰だぞ」

 

 そうは言うが、恐らく大半の日本人は「モンブラン」と言えば、栗のケーキを思い浮かべる事だろう。

 

 だがジャンヌの言うモンブランとは、アルプス山脈の最高峰の事を差している。標高4810.9メートルは、ジャンヌの言うとおり、西ヨーロッパでは最も高い山である。雪をかぶったその流麗な姿から「白の婦人」の異名で呼ばれている。

 

 因みにマロンケーキのモンブランの由来は、この山から来ている。

 

「それで、すぐに攻撃を仕掛けるの?」

 

 意気込んだ様に、友奈(友哉)は逆刃刀を掲げて見せる。

 

 こちらの準備は整っている。いつでも斬り込む事は可能だった。

 

 だが、参謀としてのジャンヌが、そこに待ったをかけた。

 

「いや、敵の最重要施設に攻撃を仕掛けるのだ。ここは万全を期したい」

 

 ジャンヌのその言葉に、友奈(友哉)は僅かに眉を顰める。

 

 キンジの身がどうなっているのか判らない以上、これ以上の待機の延長には賛同しかねる物があった。

 

「ジャンヌ。言いたくないけど、あまり悠長な事を言ってる場合じゃ・・・・・・」

「判っている」

 

 逸る友奈(友哉)の言葉を遮るようにして、ジャンヌは安心させるように言った。

 

「私も大部隊を呼ぼうと言っているのではない。だが、最低限の増援は必要だ」

「おろ、増援?」

 

 キョトンとする友奈(友哉)に対し、ジャンヌは、その可憐な表情に意味ありげに笑みを浮かべて見せる。

 

「頼りになる奴等だ。期待しててくれ」

 

 未だに不信感は拭えないが、ジャンヌがそう言うなら信じるしかなかった。

 

 どのみち彼女の言うとおり、友奈(友哉)、ジャンヌ、メーヤの3人だけで襲撃を仕掛けるのは難があるのだから。

 

「それはそうと、お前こそ気を付けろ。ルシアはカツェ並みに危険な女だからな」

「ああ・・・・・・」

 

 言われて友奈(友哉)は、クベール空港で対峙した《鉄腕の魔女》ルシア・フリートを思い出した。

 

 巨大な大剣を細腕で軽々と振り翳し、友奈(友哉)の攻撃を完全に防ぎ止めて見せた実力派、確かに侮れない物がある。事実、あの時もジャンヌとメーヤが助太刀に入ってくれなかったら、友奈(友哉)は敗れていた可能性もある。

 

 香港で戦った呂伽藍は己の体を極限まで鍛える事で防御力を上げていたが、ルシアは間違いなく、魔術的な要因によって戦闘力を底上げしている。

 

 ステルス的な事を考慮すると、ある意味、伽藍よりも厄介かもしれなかった。

 

「彼女について、何か情報はある?」

「ああ、あいつも一時期、イ・ウーに留学していたからな」

 

 そう言うとジャンヌは、ルシアについて説明を始めた。

 

 彼女が使う魔術は主に身体能力強化系で、腕力と防御力、脚力を極限まで強化しているとか。使用する大剣の銘はバルムンクで、神話の時代、ドイツの伝説に伝わる大英雄が龍殺しを成し遂げた剣であるらしい。

 

「どうだ?」

「・・・・・・かなり、難しいかもね」

 

 友奈(友哉)は眉間にしわを寄せながら答える。

 

 物理攻撃しか手段が無い友奈(友哉)では、直接的な攻撃でルシアにダメージを与える事は難しいと言わざる得ない。

 

「けど、切り札なら僕も準備して来たから。場合によっては、それを使う事になるかもしれない」

「それは頼もしいな。期待しているぞ」

 

 そう言うとジャンヌは、友奈(友哉)の肩をポンと叩いて歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔女連隊制式軍装である、旧ナチス軍服とタイトなミニスカート姿に着替えを終えたルシア・フリートは、愛刀バルムンクを鞘ごと背中に背負い部屋を出た。

 

 ドイツに伝わる伝説の英雄ジークフリートは、倒した龍の血を全身に浴びる事によって、無敵の防御力を誇ったと言う。

 

 ルシアの家は、その子孫の流れを組んでいると言う。

 

 その証拠に、歴史の彼方に失われたはずのバルムンクもまた、ルシアの家に代々伝わってきていた。

 

 とは言え、彼女の使える魔術は同僚のカツェやパトラのように派手な物ではない。

 

 ルシアの使える魔術は、己の身体能力を強化するのみ。

 

 魔術を使えば、ルシアはそれこそジークフリートのように、体は如何なる攻撃をも受け付けなくなり、大の男ですら持ち上げる事ができないバルムンクを、片手で軽々と振るう事ができる。

 

 確かに、これだけでは魔女としては他に劣っているが、ルシアはこれら身体強化系の魔術を極限まで強化し、戦術に組み込む事によって、魔女連隊の中で連隊長を務めるまでに至ったのだ。

 

 と、廊下を歩いていたルシアは、見知った顔が別の部屋から出てくるのを見て、顔をほころばせた。

 

「よっ」

 

 声を掛けると、相手の方も振り返って手を上げてきた。

 

 ルシアよりもだいぶ小さな体躯に、おかっぱ頭が特徴的な少女。

 

 ルシアの親友にして《厄水の魔女》の異名を持つ、カツェ・グラッセである。

 

「研修中は迷惑かけたな。まさか、連中にメーヤが合流しているとは思わなかったよ」

 

 《祝光の魔女》メーヤ・ロマーノの存在は、魔女連隊にとっても忌々しい物である。彼女の持つ強化幸運があるせいで、眷属は今一歩の所でバチカンを攻め落とせずに来たのだから。

 

 そのメーヤの持つ武運がカツェの居場所を探り当ててしまった為に、危うく奇襲を受ける所だった。

 

「ま、けど、噂の《呪いの男》を捕えたんだろ。大手柄じゃねえか」

 

 呪いの男。

 

 それは魔女連隊の中で密かに付けられていた、キンジの異名の一つである。

 

 キンジに戦いを挑んだステルスの多くが、逆襲を喰らってひどい目に合っている事から来ている。

 

 本来なら圧倒的に有利なはずの超能力や魔術を駆使しているにも拘らず、多くの者がキンジに敗北してきている。これは、実力以上に厄介な何かが、遠山キンジには備わっているとしか思えない。

 

 故に《呪いの男》と言う訳だ。

 

「ん、まあ、な・・・・・・・・・・・・」

 

 ルシアの言葉に対し、カツェは何やら歯切れ悪く言いながら、そわそわと眼帯を掛けた目を泳がせる。

 

 そんなカツェに対し、ルシアは首をかしげながら尋ねた。

 

「どした?」

「な、何でもないッ 何でも無いからな!! あーそーだッ あたし、ちょっと用事があったんだ。悪いけどルシア、また後でな!!」

 

 シュタッと言う感じに手を掲げると、踵を返して駆け去って行くカツェ。

 

 一人、置いてけぼりを喰らったルシアは、ぽかーんと言う感じで、小さくなっていく、カツェの小さな背中を見送る。

 

「何だ、あいつ?」

 

 友人の見せた奇行には、さすがに理解が追いつかず、ルシアは首をかしげるしかなかった。

 

 

 

 

 

 数時間後、友奈(友哉)とジャンヌは、目標地点が望める場所に来て、身を潜めていた。

 

「あそこ?」

「ああ、間違いない」

 

 頷きを返すと、ジャンヌは手にしたオペラグラスを友奈(友哉)に渡してくる。

 

 その中に飛び込んで来た物を見て、友奈(友哉)は訝るように首を傾げた。

 

「何か、鉤十字が平然と飾られてるんだけど、それってヨーロッパ的にはまずいんじゃないの?」

 

 目標の建物には、ナチスの鉤十字(ハーケンクロイツ)が堂々と飾られていたのだ。

 

 ナチスドイツとアドルフ・ヒトラーの存在は、20世紀ヨーロッパにとって最大の悪夢であり、未だに血を流し続ける傷跡である。それを堂々と掲げるのがタブーである事くらい、友奈(友哉)にも想像できる。

 

 その象徴たる鉤十字が同道と飾られている事に、友奈(友哉)は違和感を覚えたのだ。

 

「掲げているのを見付かったら逮捕される程度にな。だが、どうやらあそこは例外らしい」

「おろ、例外?」

 

 指摘されて、友奈(友哉)はもう一度オペラグラスを覗き込む。

 

 そこで、納得した。どうやら、あの建物は兵器や軍服等、戦争に関わる物を展示した博物館であるらしい。

 

「考えた物だね」

「ああ。恐らく、あそこが兵器庫(アルゼナール)と見て間違いないだろう」

 

 気を隠すには森の中、に近い言葉はドイツにもあるのだろうか? 兵器博物館なら大量の兵器を堂々と置いておけるし、「雰囲気づくり」と説明すれば、鉤十字を掲げておくこともできると言う訳だ。

 

 考えた物である。

 

 リバティー・メイソンの内偵調査が今まで悉く失敗に終わったのも、まさかのまさか、こんな所に堂々と兵器庫(アルゼナール)があるとは思っても見なかったせいかもしれない。

 

「それでジャンヌ、援軍って言うのは?」

 

 ジャンヌ曰く、強力な援軍を呼んでいるとの事だが。その姿は一向に見当たらない。

 

 そんな友奈(友哉)に対し、ジャンヌは意味ありげに笑って見せた。

 

「もう来ているさ。まあ、期待していてくれ」

「・・・・・・まあ、良いけど」

 

 ジャンヌが自身を持って言うなら、友奈(友哉)がそれをとやかく悩む必要は無いだろう。どのみちもう、後戻りをしている余裕は無いのだから。

 

「よし、では行くぞ。秒針を合わせろ。10分後に作戦開始だ」

 

 ジャンヌに促され、時計の針を合わせる友奈(友哉)

 

 奇襲はスピードとスケジュールが命である。寸分でも狂いが生じれば、それが作戦の崩壊にもつながりかねない。

 

 まして、この一戦には欧州戦線の帰趨が掛かっていると言っても過言ではない。絶対に失敗は許されなかった。

 

 

 

 

 

 物陰に隠れるようにしながら、慎重に建物へと接近して行く。

 

 ここは既に魔女の巣窟。下手をすれば、あっという間に敵に包囲されて電撃やら炎やらを浴びせられる可能性すらある。

 

 ジャンヌはステルスだからまだ良いかもしれないが、所詮は普通の武偵に過ぎない友奈(友哉)では、多数の魔女に包囲されればひとたまりも無かった。

 

 先制攻撃を行うのはジャンヌ。

 

 彼女の「オルレアンの氷花」で敵施設に対し一斉攻撃を仕掛け、それを合図に友奈(友哉)も突入。後は可能な限り暴れて敵を引き付けている内に、ジャンヌがキンジを見付けて一緒に脱出する。と言うの長流れだ。

 

 そう思っている時だった。

 

 視界いっぱいに、青白い冷気が伝い始めたのが見える。

 

 ジャンヌの攻撃が始まったのだ。

 

 同時に、襲撃に気付いたらしい内部でも、喧騒が起きようとしている。

 

 正に、襲撃を掛ける絶好のチャンスだ。

 

「それじゃあ、行こうか!!」

 

 言い放つと同時に、友奈(友哉)は地を蹴る。

 

 ジャンヌの氷魔術によって凍てついたガラスを目標に跳躍すると、手にした逆刃刀を鋭く一閃する。

 

 砕け散る窓ガラス。

 

 結晶のような輝きを纏いながら、友奈(友哉)はスカートが捲れないように注意しながら、博物館の廊下へと踊り込んだ。

 

 着地。

 

 同時に、視線を周囲へと走らせる。

 

 周囲には3人の少女。恐らく、友奈(友哉)とはほぼ同世代に見える。

 

 彼女達は、突然飛び込んできた友奈(友哉)の姿を見て呆気にとられる。

 

 だが次の瞬間、友奈(友哉)が襲撃者の1人であると認識したのだろう。慌てたように攻撃態勢を取ろうとする。

 

 だが、

 

「遅いよ!!」

 

 友奈(友哉)は床を蹴ると失踪。一気に距離を詰めて刀を振るう。

 

 銀の閃光が室内を斬り裂く中、逆刃刀の一撃を受けた少女達は次々と昏倒する。

 

 相手が魔術を使うからと言って、必要以上に警戒し過ぎる事は無い。

 

 ようは、相手よりも速く、確実に仕留めるよう心がければいいのだ。

 

 常に先手を打つ「先の剣」を心がける。

 

 言ってみれば、飛天御剣流の基本は相手が何であれ、変わる事は無いのだ。

 

 更に友奈(友哉)は動く。

 

 廊下を走りながら、更に剣を振るっていく。

 

 それに対し、魔女たちも次々と部屋の中から出て来ては、友奈(友哉)に向けて魔術を放とうとする。

 

 だが、友奈(友哉)の鋭い視線は、それらを正確に見据え、軌道を読み取る。

 

 魔女たちは、できるだけ友奈(友哉)から距離を置きつつ戦いたがっているようだ。その証拠に、廊下に出てきた魔女たちは、まだ距離があるにもかかわらず魔術の発射体勢に入っている。

 

 だが、廊下と言う狭い地形は、彼女達にとって却って不利である。

 

 いかに大兵力を擁していても廊下に並んで攻撃できるのは、一度にせいぜい3人。無理しても4人と言った所である。

 

 そして、友奈(友哉)にとって幸いな事に、今対峙している魔女たちの技量は、お世辞にも高いとは言えない。

 

 対ステルス戦をシャーロックやブラド、パトラ、ヒルダ等で経験している友奈(友哉)にとっては、複数同時に相手をする事も可能だった。

 

 放たれる電撃や炎。

 

 それらを回避する友奈(友哉)

 

 焦った魔女たちは、更なる攻撃を仕掛けようとしているのが見える。

 

 彼女達と友奈(友哉)との間には、まだ10メートル近い距離があり、しかも友奈(友哉)には遠距離攻撃の手段が無い。どうにか刀の届く範囲まで斬り込まないと攻撃ができないのだ。

 

「ならッ!!」

 

 友奈(友哉)は飛んできた魔術による攻撃を跳躍して回避。

 

 そして、

 

 「壁に着地」すると、そのまま壁伝いに駆け出した。

 

 これには、魔女たちも驚いたようだ。

 

 ドイツ語らしき言葉で、何やら騒ぎ立てている。何やら「ニンジャ!!」などと言っている者までいた。

 

 ちなみに甲や瑠香と違って、友奈(友哉)に忍者の心得は無い。

 

 一気に距離を詰める友奈(友哉)

 

 間合いに入った瞬間、鋭く刀を振るう。

 

 先頭に立っていた魔女数名をを一撃のもとに叩き伏せると、更に後衛へと斬り込みを掛ける。

 

 前衛が倒された事で驚いていた彼女達は、友奈(友哉)の斬り込みに対してなすすべも無く打ち倒される。

 

 更に追撃を。

 

 そう思って友奈(友哉)が駆け出そうとした瞬間。

 

 突如、魔女たちの頭上を飛び越えるようにして、人影が斬り掛かってくるのが見えた。

 

「ッ!?」

 

 相手の放つ斬撃を、友奈(友哉)はとっさに逆刃刀を振るう事で弾く。

 

 刃が互いにぶつかり合い、異音と共に火花が飛び散る。

 

 衝撃を殺しきれなかった友奈(友哉)は、大きく後退を余儀なくされた。

 

「好き勝手やるのはそこまでだぜ、緋村」

 

 交戦的な声につられるように、顔を上げる友奈(友哉)

 

 そこには、金髪を後頭部で結った少女が、鋭い眼差しで友奈(友哉)を見据えていた。

 

「ルシア・フリート・・・・・・」

「随分と、派手にやってくれたじゃねえか、ええ?」

 

 怒りを顕にしながら、ルシアは友奈(友哉)を睨み付ける。

 

 友奈(友哉)達の奇襲に対して慌てて駆け付けたせいか、今日は「趣味」の鎧姿ではなく、ナチ軍服にミニスカートと言う、魔女連隊の制服姿だ。

 

 ルシアの登場と同時に、周囲で生き残っていた魔女たちから喝采が上がった。

 

 まるでヒーローの登場に喜びの声を上げているかのようだ。中には口笛を吹いている者までいる。

 

 まあ、無理も無い。この状況では、友奈(友哉)の方が完全に悪物である。

 

「タダ見は感心しないぜ。入館料を置いて行きな。御代は、お前の命だぜ」

「日本じゃ、そう言うのは『ぼったくり』って言うんだよ」

 

 軽口をたたき合いながら、互いに剣を構える友奈(友哉)とルシア。

 

『とは言え・・・・・・』

 

 友奈(友哉)はポーカーフェイスを装いつつ、内心では冷や汗を流す。

 

 友奈(友哉)はルシアに対する対策がほとんどない状態である。一応、ジャンヌに言った通り、切り札の用意はしてあるが、それとてどこまで通用するか判らない。

 

 だが、躊躇っている暇が無いのも事実である。

 

 次の瞬間、両者は互いの剣を繰り出して斬り掛かった。

 

 

 

 

 

第9話「手紙」      終わり

 



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第10話「竜王の嘶き」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 建物そのものが、一瞬にして倒壊するのではと思えるような踏み込みが、両者の間でなされる。

 

 いずれの者も視覚において動きが追えないまま、両者は全力でもって激突する。

 

 友奈(友哉)が横なぎに、ルシアは上段から振り下ろすように、

 

 振るう互いの剣が激突する。

 

 ガリィィィン

 

 耳障りな金属音と共に、互いの剣が火花を散らす。

 

 同時に2人は衝撃に押される形で、後退を余儀なくされる。

 

 体勢を立て直したのは、友奈(友哉)の方が早かった。

 

 床に足を付くと同時に強引に体勢を入れ替えると、神速の踏み込みと共にルシアへと斬り掛かる。

 

 対して、一瞬遅れる形でルシアもまた、体勢を整え友奈(友哉)を迎え撃つ。

 

 迸る剣撃。

 

 踏み込みは、僅かに友奈(友哉)が速い。

 

「ハァっ!!」

 

 袈裟懸けに振るわれる剣閃が、バルムンクの刃を潜り抜けてルシアへと襲いかかる。

 

 だが、

 

 ガキンッ

 

 異音と共に、ルシアの方に決まった逆刃刀の刃は防ぎ止められる。

 

 舌打ちする友奈(友哉)とは反対に、会心の笑みを浮かべるルシア。

 

 やはり、攻撃が通らない。

 

 ルシアの防御魔術の前では、友奈(友哉)の攻撃は全て無意味な物と化すのだ。

 

 並みの攻撃では埒が明かないだろう。

 

 では、九頭龍閃ならどうか? あるいは奥義・天翔龍閃なら?

 

『だめだッ』

 

 頭に浮かびかけた戦術を、友奈(友哉)は即座に破棄する。

 

 ジョーカーは切り時が肝心。すぐに切り札に頼るのは下策中の下策である。

 

 何とか、必勝の体勢を整えないと。

 

 焦る気持ちを押さえ、友奈(友哉)は剣を振るう。

 

 唯一、友奈(友哉)がルシアに勝っている要素があるとすれば、それはスピードくらいの物だろう。

 

 振りかざされるバルムンクの剣閃を、友奈(友哉)は紙一重で回避しつつ反撃の剣を繰り出す。

 

 しかし、やはり結果は同じ。

 

 友奈(友哉)の攻撃は、ルシアにダメージを与える事はできない。

 

「どうしたッ よけてばっかじゃ、あたしは倒せないぜ!!」

「判ってるよ!!」

 

 いらだち紛れに言葉を返しながら、友奈(友哉)は大きく後退して逆刃刀を正眼に構える。

 

 そこヘルシアが、容赦なく切り込んでくる。

 

 大気を斬り裂くような、横なぎの一閃。

 

 その攻撃を受け流しつつ、友奈(友哉)は大きく後退。同時に開いていた窓から、外へと飛び出した。

 

「逃がすかよ!!」

 

 それを追いかける形で、ルシアもまた庭へと飛び出してくる。

 

 ジャンヌの奇襲によって、既に博物館全体が大混乱に陥っているらしい。

 

 係りのスタッフに偽装していた魔女連隊の隊員達が、慌てて戦闘準備をしながら飛び出していくのが見える。

 

 そんな中、前庭の中央付近まで駆け出してきた友奈(友哉)とルシアは、再び互いの剣を構えて向かい合う。

 

 喧騒と陣風が交錯する中、鋭い視線を交わし合う両者。

 

「もう諦めろ」

 

 ややあって、ルシアの方が口を開いた。

 

「もう判ってんだろ。お前の剣じゃ、あたしは倒せない」

 

 自身の防御魔術に対する絶対的な自身を滲ませながら、ルシアは告げる。

 

 確かに、

 

 藍幇城の遭遇戦に始まり、クベール空港での激突、そして今回の戦いに至るまで、友奈(友哉)がルシアに与えたダメージは全くのゼロである。

 

 その事を考えれば、決してルシアの言葉が虚偽ではない事が判る。

 

「降伏しろ、緋村。ナチス・ドイツは、降伏して恭順した敵には寛大だぜ。日本は元々は盟友だしな」

 

 などと、かつての枢軸同盟ネタを持ちだして降伏勧告を迫ってくる。

 

 対して、

 

「昔のよしみで仲良くしましょう、か・・・・・・ま、そう言うのもアリかもだけど・・・・・・」

 

 言いながら、正眼に構えていた逆刃刀をくるりと回し、逆手の持ち変える友奈(友哉)

 

「けど、もう少し、付き合ってもらおうかな」

 

 そんな友奈(友哉)の態度に、スッと目を細めるルシア。

 

 友奈(友哉)はまだ、交戦の意志を捨てていない。ルシアとの対決を投げていないのだ。

 

「・・・・・・後悔するぜ」

 

 声を低めて、ルシアは告げる。

 

 既に勝負は見えている。

 

 にも拘らず勝負を投げないと言うなら、徹底的に殲滅するまでだった。

 

 対峙する両者。

 

 周囲で観戦していた魔女連隊の女子達も、喧騒をやめて対峙する2人に見入っている。

 

 勿論、彼女達はルシアの応援(サポーター)である事は言うまでも無い。

 

 いわば友奈(友哉)は、四面楚歌の状況で戦っているに等しかった。

 

 だが、

 

 その程度の事は不利にもならない。そもそも四面楚歌と言うなら、藍幇城の決戦で既に体験済みであった。

 

 高まる緊張が、空気を張り詰める。

 

 次の瞬間、

 

「行くぜ!!」

 

 大上段にバルムンクを振り上げたルシアが、大地を蹴って疾走する。

 

 一気に距離を詰めるルシア。

 

 自身の攻撃力と防御力を最大限に発揮して、一撃のもとに勝負を決める心算なのだ。

 

 対して、

 

 そのルシアを、冷静に見据える友奈(友哉)

 

 スッと細められた双眸が、突進してくる《鉄腕の魔女》を睨む。

 

 向かってくるルシア。

 

 両者が間合いに入った瞬間、

 

 友奈(友哉)が動いた。

 

「受けろ、龍王の嘶き!!」

 

 逆手に持った逆刃刀を振り翳す。

 

「飛天御剣流・・・・・・・・・・・・」

 

 左手は鞘に添え、同時に地を蹴って疾走する。

 

 交錯する一瞬、

 

「龍鳴閃!!」

 

キイィィィィィィィィィィィィィィィン

 

 鳴り響く鍔鳴。

 

 甲高い音が、周囲一帯に拡散する。

 

 そんな中、

 

 友奈(友哉)とルシアは、互いに交錯したまま、背中を向け合った状態で動きを止めていた。

 

 互いに、微動だにしない。

 

 だが、奇妙な事がある。

 

 友奈(友哉)は、刀を鞘に納刀した状態で動きを止めているのだ。

 

 確かに技は放たれた筈。

 

 誰もが訝りを覚える中、

 

 次の瞬間、

 

「ぐあァァァ!?」

 

 ルシアはバルムンクを取り落とし、その場に膝を付いた。

 

 魔女連隊の女子達が悲鳴を上げて見守る中、友奈(友哉)はゆっくりと振り返る。

 

「いくら魔術で肉体を強化したって、体の中まで強固になる訳じゃないよね」

「緋村・・・・・・テメェ・・・・・・」

 

 ルシアは膝を付いた状態のまま、苦々しい表情で振り返り、友奈(友哉)を睨み付ける。

 

 その左手は、自分の耳に当てられ、苦しそうな呼吸を繰り返しているのが判る。

 

「何を・・・・・・しやが・・・った!?」

 

 自身で大声を発するのもつらいのか、声を震わせるように絞り出す。

 

 対して、友奈(友哉)は冷静な眼差しでルシアを見据える。

 

 飛天御剣流 龍鳴閃

 

 それは神速の抜刀術の逆回し。「神速の納刀術」である。

 

 目にも止まらぬほどの神速で、抜刀状態の刀を鞘に収めた際、発生する強烈な鍔鳴音を相手の鼓膜に直接叩き付ける事で、聴覚にダメージを負わせるのだ。

 

「ただ、今回は少し強めにいかせてもらったから、たぶん、三半規管もやられてると思う。暫くは歩くだけでふらつくだろうけど、そこは許してほしいかな」

 

 そう言って、友奈(友哉)は肩をすくめて見せる。

 

 出発前にワトソンから内通者の存在を示唆された後、友奈(友哉)は自分なりに対ステルス戦の戦術を構築していた。

 

 だが、当然ながら先天的な才能が全てと言っても過言ではない超能力を、友奈(友哉)がこれから覚える事は不可能に近い。

 

 故に友奈(友哉)は、発想を自ら転換する事にした。超能力に対抗する手段が、何も超能力である必要は無い。既存の技と能力の組み合わせで対抗する手段が無いか考えた。

 

 その答えが龍鳴閃である。

 

 過去の戦いで、魔術や超能力は強力である反面、その行使には多大なエネルギーを消耗し、尚且つ、十全に行使する為には相当な集中力が必要な事は判っている。

 

 ならば、その集中力を乱してやれば良い。

 

 聴覚と言うのは、人間の持つ感覚の中で最も脳に近しいと言われている。そこに強烈な高周波を喰らわせる事で耳に、そして脳にダメージを負わせ、集中を乱してやれば、相手の魔術行使を乱す事は可能なのでは、と考えたのだ。

 

 加えて、どんな達人であっても体の中まで鍛える事はでいない。否、そう言う修行方法もあるのかもしれないが、そこまで鍛えた人間と言うのは得てして、仙人クラスの超越者のみだ。

 

 結果的に、友奈(友哉)の考えは正しかった。

 

 龍鳴閃をまともに喰らったルシアは、もはやまともに動く事すらできずによろけている。

 

 勝負はあった。

 

 そう考える友奈(友哉)

 

 だが、

 

「まだ・・・・・・だッ」

 

 落としたバルムンクを拾い、其れを杖代わりにしてルシアが立ちあがる。

 

 足は生まれたての仔馬のようにプルプルと震え、目は苦しさをこらえるように涙をにじませている。

 

 まだ耳が痛むらしく、左手は耳を押さえたままだった。

 

 だが、それでも、

 

「う、うわァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 渾身の力を振り絞るようにしてバルムンクを掲げ、ルシアは友奈(友哉)に斬りかかってきた。

 

 驚いたのは友奈(友哉)である。

 

 とっさに後方に跳躍してルシアの斬撃を回避する。

 

 次の瞬間、ルシアが振り下ろした剣が地面を大きく抉った。

 

「・・・・・・・・・・・・驚いたね」

 

 着地しながら友奈(友哉)は、素直な称賛を送った。

 

「まだ、それだけ動けるんだ」

「当たりめェだッ 舐めんなよ・・・・・・」

 

 友奈(友哉)の言葉に対し、ルシアは荒い息を吐き出しながら悪態で応える。

 

 本来なら、バルムンクはルシアの細腕で扱えるような代物ではない。それを魔術で補正する事で軽々と振るって見せていたのだ。

 

 まだ一応、持って振り翳す事くらいはできるようだが、スピードは明らかに先ほどと比べて低下しているし、剣先も定まっていない。大幅に戦力を削ぎ落す事には成功したらしかった。

 

「あたしは・・・・・・て、《鉄腕の魔女》ルシア・フリートだ・・・・・・仲間と・・・勝利の為・・・なら・・・・・・いくらでもこの命・・・・・・賭けてやるよ!!」

 

 言いながらルシアは、全身の筋肉を総動員してバルムンクを持ち上げ、切っ先を友奈(友哉)に向ける。

 

 対して友奈(友哉)は、スッと目を閉じる。

 

 大した気迫だ。龍鳴閃をまともに食らったせいで、動くどころか黙って立っている事すら不安な状況だというのに、尚も勝負を投げようとしない。

 

 友奈(友哉)は胸に宿った確かな称賛と共に、並みの決着方法では彼女を満足させる事は出来ない事を悟る。

 

「・・・・・・・・・・・・判った」

 

 目を開きながら、鞘から刀を抜く友奈(友哉)

 

 そのまま正眼に構えてルシアに向き直る。

 

「決着、付けよう」

 

 その友奈(友哉)の言葉に、

 

 ルシアも笑みを持って応じる。

 

「・・・・・・ありがとよ」

 

 自身の気概に友奈(友哉)が答えた事に満足しながら、バルムンクを構え直すルシア。

 

 もはや戦える状態ではない。

 

 だが、それでも魔女連隊の代表戦士として、一歩でも退く事は何よりルシア自身が許さなかった。

 

 次の瞬間、

 

 友奈(友哉)は地を蹴って疾走する。

 

 ルシアはもはや動く事すらできない。

 

 次の瞬間、

 

「飛天御剣流、九頭龍閃!!」

 

 九つの閃光は龍の牙となりて、彼女へと襲いかかった。

 

 刹那の間に撃ちこまれる、必殺の9連撃。

 

 轟き渡る轟音。

 

 その圧倒的な威力を前に、

 

 ルシアはなす術も無く吹き飛ばされる。

 

 龍殺しの末裔たる少女は、龍の名を冠した技を食らい、その身を牙によって切り裂かれる。

 

 やがて、技を撃ち終えた友奈(友哉)が残心を示す中、

 

 ルシアは膝をつき、そして地面に倒れ伏した。

 

 見守っていた魔女連隊の女子達が悲鳴を上げる。

 

 彼女の武力の象徴とも言うべきバルムンクは地に倒れ、その振るい手たる少女もまた、身動きすらできずにいる。

 

 勝負はあった。

 

 友奈(友哉)は魔女連隊代表の1人、《鉄腕の魔女》を下す事に成功したのだ。

 

 刀を鞘に戻しながら、友奈(友哉)は倒れ伏したルシアに目を向ける。

 

 やはり、侮れない相手だった。もし対抗策である龍鳴閃が効かなかったら、友奈(友哉)は手も足も出せなかった事だろう。

 

 だが、

 

 周囲に群がる殺気を感じ、友奈(友哉)は動きを止める。

 

 見れば、取り囲んでいた魔女連隊の女子たちが、友奈(友哉)に敵意の眼差しを向けてきている。

 

 何を考えているのか、その意図は明らかである。

 

 ルシアはかなり、部下から慕われていたらしい。どうやら彼女達は、その仇打ちを狙っているらしかった。

 

「やめときなよ。勝負はもう着いた。それに、そんな事、彼女も望まないんじゃないかな?」

 

 一騎打ちで負けた相手を、味方が私闘(リンチ)に掛けて嬲り者にする。誇りある戦士なら、そんな事は決して望まない筈。

 

 だが、そんな最低限の礼儀も、頭に血が上っている少女達には通用しそうもない。

 

 自分達の大切な存在であるルシアを傷付けた者は、たとえ誰であろうとも許さない。そんな感情が見て取れる。

 

 再び、刀の柄に手を置き、戦闘に備える友奈(友哉)

 

 次の瞬間だった。

 

 轟音と共に博物館の外壁が崩れ、中から巨大な鉄の塊が飛び出してきた。

 

 2つの履帯を轟かせ、逃げまどう魔女連隊の女子たちを蹴散らすように飛び込んできたそれは、友奈(友哉)の目の前でドリフトするように停車して見せた。

 

「おろッ せ、戦車?」

 

 突然の事態に、思わず目を丸くする友奈(友哉)

 

 その戦車は、ブルドーザーのような車体の上に、玩具のような砲塔がチョコンと乗っており、現代の重量感ある戦車のフォルムからすると、いかにも「チャチ」な印象がある。

 

 だが、その戦車は旧日本陸軍が開発した九五式軽戦車である。攻撃力、防御力共に当時の列強各国が使用した戦車に比べて劣るものの、機動性と走破性、航続力に優れ、マレー電撃戦においては2,000キロを走破した車両もあるという伝説を持っている。

 

 そんな友奈(友哉)の目の前で戦車前部に備えられたハッチが開き、中から小柄な人影が首を出してきた。

 

「お待たせしました、監査役補佐様ッ 早く乗るですの!!」

「おろッ 島、さん?」

 

 顔を出したのは、コンステラシオンメンバーで車輛科所属の島苺である。

 

 その小柄な体躯に似合わず、車輛科では唯一、武藤とタメを張れる実力者であるらしい。

 

 だが、ワトソン、中空地と共にブリュッセルに行っていたはずの島が、なぜここにいるのか?

 

「説明は後ですのッ 早く乗って!!」

「わ、判った!!」

 

 島に促されると、友奈(友哉)はヒラリと砲塔上部に飛び乗る。

 

 同時に島はハッチを締め、戦車をスタートさせる。

 

「行くですのッ しっかり掴まっていてくださいですの!!」

 

 言うと同時に、殆どフルアクセルに近い急発進した。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 博物館を脱出する事に成功した友奈(友哉)と島は、その後、こちらもどうにか脱出してきたらしいキンジとジャンヌを回収し、一路、逃避行へと移っていた。

 

 九五式戦車は本来3人乗りである為、操縦する島の他にキンジが砲手、ジャンヌが機銃手を務め、友奈(友哉)は車上歩兵の役割を果たす為、戦車上部に陣取っていた。

 

 先述したとおり、九五式戦車は速力が意外に速い。このままなら逃げ切る事が可能かもしれない。

 

 と思い始めた時だった。

 

「ああ、これは良くないね」

 

 キンジが、僅かに声を濁らせる感じで、静かな警告を発した。

 

 再会した時、なぜか既になっていたヒステリアモードの視線は、接近しつつある敵の存在を察知していた。

 

 地平線を踏み越えるようにして追撃を仕掛けてくる大型戦車。

 

 ふとすると玩具のような印象の受ける九五式と異なり、巨大な車体に力強さを感じさせる主砲塔を搭載した、まさに「戦車然とした戦車」のシルエットを持っている。

 

 それは旧ナチスドイツが、陸戦においてあらゆる敵戦車を圧倒する事を来して開発した、当時、世界最強を誇った重戦車、Ⅵ号ことティーガーⅠだ。

 

 戦争中期のレニングラード攻防戦や北アフリカ戦線で実戦投入されドイツ軍の快進撃を支え、後期には東部戦線に投入され、敗勢のドイツ軍を支えた傑作戦車である。

 

 速力においては九五式に匹敵し、主砲には九五式の倍以上の威力を誇る八八ミリ砲を採用、装甲はやや直線を多用され、被弾経路の対策が甘いようにも見えるが、少なくとも九五式よりは厚い。

 

 こちらが歩兵支援用の火力車輌であるのに対し、向こうは対戦車戦を設計段階から意識した本格戦車である。まともな撃ち合いでは勝負にならない。と言うよりそもそも、「まともな撃ち合い」にすらならないだろう。

 

 何しろ、日本戦車を圧倒的性能で蹂躙した米戦車M4シャーマンですら、このティーガーには「必ず3対1で掛かれ」とマニュアルされたほどである。

 

 間違いなく、最悪の相手である。

 

「頼むぞ、島ちゃんッ 全速前進だ!!」

「はいですの!!」

 

 ヒステリア・キンジの激励を受け、島は九五式をかっ飛ばす。

 

 開始される砲撃の中を、全速力で疾走する軽戦車。

 

「今、私は大きい!! 私は強い!! ですの!! ひゃっはーですの!!」

 

 ハイテンションの島が、笑いながら戦車を操縦する。

 

 その時、

 

《敵陣営の通信を傍受。繋ぎます》

 

 渡されたインカムから、冷静沈着な声が響いて来る。

 

「おろ、この声は・・・・・・・・・・・・」

 

 砲声の中、聞き覚えのある声に友奈(友哉)はキョトンとする。

 

 それはコンステラシオンの残るメンバー、中空知美咲の声だった。

 

 普段はどうしようもないくらいオドオド気味の態度しか取れない彼女だが、ひとたびインカム越しに喋り出せば、テレビのアナウンサー並みに滑舌が良くなると同時に、あらゆる手段を駆使した情報収集が可能となる。

 

 言ってしまえば、性的興奮こそない物の「通信科(コネクト)版ヒステリアモード」のような物を備えた少女である。

 

 ジャンヌが出撃前に言った「援軍」とは、中空知と島の事だったのだ。

 

 中空知が繋げた通信網から、声が聞こえてくる。

 

《前進、前進!! 撃て撃て撃てーッ!!》

 

 インカムからは、かなりヒステリックな女性の声が聞こえてくる。

 

 その声を聞いたキンジが、呆れ気味に溜息をつく。

 

「何とまあ、少将閣下のお出ましとは」

 

 声の主はイヴィリタ長官。魔女連隊のリーダーを務める女性である。捕虜になっている間、キンジは彼女と顔を合わせて居る為、声を覚えていたのだ。

 

 同時に放たれたティーガーの88ミリ砲を、島は絶妙な運転で回避する。

 

 爆炎と衝撃が吹きすさび、地面にクレーターができる。

 

《もっと、ちゃんと狙いなさーい!!》

《首、首を絞めないでくださいイヴィリタ様!!》

 

 八つ当たりされたらしいカツェが、何やら喚いている声が聞こえてくる。

 

 だが、コントじみた掛け合いとは裏腹に、敵の攻撃が徐々に正確さを増してきているのが判る。

 

 苦し紛れに、キンジが九五式の主砲である37粍砲を放つが、ティーガーの装甲にあっさりと跳ね返され、敵の失笑を買っただけに終わった。

 

 逆に九五式は敵の至近弾を受けただけで、容赦なく地面から跳ね上げられている有様だ。

 

「感じる・・・・・・向こうは命中率を上げるような魔術を併用しているのだ。遠山、次は当てて来るぞ」

「何の、避けきって見せますの!! 国境の川はすぐそこですの!!」

 

 冷静に状況を分析するジャンヌに対し、アグレッシブに請け負う島。

 

 ベルギーでは魔女連隊は指名手配を受けているらしく、そこまで逃げる事ができれば振り切る事ができるはず。

 

 だが、そんな淡い期待を斬り裂くように、強烈なサイレンのような音を上げて空中を飛翔してくる物体がある。

 

「ぶ、V1だと!?」

 

 自分達に向かって飛んでくる円筒形の物体を見たキンジが、驚愕の声を上げる。

 

 それはナチス・ドイツが完成させた、世界初の弾道ミサイルである。

 

 もっとも、オリジナルのV1は精密目標を狙い撃つようにはできていないので、今向かって来ているのは、無線誘導装置を搭載した改良品かもしれない。

 

「クソッ!!」

 

 キンジはとっさに九五式の主砲を旋回させると、飛んでくるV1目がけて照準を付ける。

 

 無茶だ、と友奈(友哉)が叫ぶ前に、キンジは砲弾を発射した。

 

 果たして、

 

 キンジが放った37粍砲弾は、一瞬の飛翔の後、間髪の間をおかずに飛翔するV1に命中した。

 

 軌道を逸らされるV1。

 

 だが、喝采を上げている暇は無い。

 

 直撃こそ免れたもののV1は九五式の右後方へと着弾。

 

 その影響で、元々が軽量の九五式は、そのばで180度スピンターンをしてしまった。

 

 それでも島は超絶的な操縦技術で瞬時に状況を把握。超信地旋回を選ばず、バックで後退を試みる。

 

 しかし、V1の至近弾炸裂により、九五式は履帯を損傷したらしく、自慢の速力が大幅に低下している。

 

 このままでは、追いつかれてしまう事は間違いなかった。

 

 ノロノロと後退する九五式に、ティーガーは容赦なく追いついて来る。

 

「まずい、距離を詰められたら終わりだ」

 

 友奈(友哉)が歯噛みする中、

 

 ティーガーからメガホン越しに、カツェ達が何やら叫んでいるのが聞こえてきた。

 

「ジャンヌ・ダルク!! イ・ウーの落ちこぼれ!! お前には地獄の業火がお似合いだ!!」

 

 その様子に、友奈(友哉)は唖然とする。

 

「え、何これ? 小学生の悪口?」

 

 訳が分からず首をひねる友奈(友哉)

 

 だが、変化は機銃を握るジャンヌに起こっていた。

 

「わ、私は・・・・・・・・・・・・」

 

 俯き加減に、絞り出すような声を発するジャンヌ。

 

 一体どうしたのか?

 

 そう思っていると、インカムから中空知とは別の声が聞こえてきた。

 

《ま、魔女共の歌を聞いてはいけません!! それは「恐怖の歌」、戦時中にも使われた、敵兵の士気をくじき、その次に内乱を起こさせる歌なのです!! 魔力を持つ人間は、それを感知してしまう!!》

 

 どうやら中空知と共にいるらしいメーヤが、焦ったように警告を発してくる。

 

 成程、どうやらさっきの「悪口」は、魔術を併用した即効性のマインドコントロールのような物だったらしい。

 

 人間は良くも悪しくも、外部からの影響を受けやすい生き物だ。周囲の人間から褒められ続ければ気分は高揚するし、逆に貶され続ければ鬱にもなる。

 

 魔女たちはジャンヌにピンポイントで精神攻撃を仕掛ける事で、こちらの戦力低下を狙っているらしい。

 

 その効果は絶大だった。

 

「そうなのだ、遠山、緋村、私は・・・・・・策を巡らす女。それは、本当は・・・・・・よ、弱いから。本当は、お前達と共にある事も恥ずかしい程、弱いのだ・・・・・・だから、私は・・・・・・」

「聞くな、ジャンヌ!!」

 

 弱気になり、涙まで浮かべるジャンヌを庇うように、キンジが叫ぶ。

 

 呪いに蝕まれたジャンヌが崩れ落ちようとするのを、必死に支えているのが判る。

 

 そんな2人の様子を見て、

 

 友奈(友哉)も決断した。

 

「・・・・・・キンジ、1発、何とか凌いで」

 

 言い置くと同時に、友奈(友哉)は九五式の車体から飛び降り、地面を一気に疾走した。

 

 その耳に流れ込んでくる、清涼感のある歌声。

 

 メーヤが対抗の歌を歌う事で、「恐怖の歌」を打消し、ジャンヌの呪いを解除しようとしているのだ。

 

 向かい合う九五式とティーガー。

 

 その戦力差は歴然。

 

 だが、そんな不利は考慮にも値しない。

 

 なぜなら、その砲を操るのは遠山キンジ。「(エネイブル)」の異名を持ち、不可能を可能にする最強の男だ。

 

 彼を信じずして、他の何を信じると言うのか?

 

 放たれる両者の砲弾。

 

 そして、立ち直ったジャンヌが放つ機関砲の弾丸。

 

 次の瞬間、

 

 やや下面気味の箇所に37粍砲弾を喰らった88ミリ砲弾は、軌道を僅かに上へとずらされ、そのまま弾道を山なりに変えられると、九五式を遥かに超える形で後方に着弾した。

 

「やってくれるッ」

 

 惜しみない喝采を友に送る友奈(友哉)

 

 いわば砲弾版銃弾撃ち(ビリヤード)とも言うべき技で、キンジは友奈(友哉)の要請にこたえてくれたのだ。

 

 2発の砲弾が描いた軌跡の下を、全力で駆け抜ける友奈(友哉)

 

 同時に逆刃刀を抜刀。刃に反して両手で構える。

 

 肉薄するティーガー戦車。

 

 その巨体を見上げ、

 

「ウオォォォォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 強烈な剣気と共に、刃を一気に斬り上げる。

 

 迸る一閃が、視界を縦に斬り裂いた。

 

 次の瞬間、

 

 ティーガーの砲身は、付けなから四分の一ほどを残して斬り飛ばされ、地面へと転がる。

 

 斬鉄

 

 本来なら日本刀では切れない筈の鉄を斬る技術で、達人級の腕前、銘刀の切れ味、裂帛の気合の3つが高いレベルで相乗した時、初めて可能になる奥義である。

 

 友奈(友哉)はこの斬鉄を使い、ティーガーの砲身を斬り飛ばして見せたのだ。

 

 何やら後方で、島が悲痛な叫びを発しているが、そこは丁重に無視しておいた。面倒くさそうだったので。

 

「・・・・・・て言うか今思ったんだけど、普通に戦車降りて魔術戦仕掛けた方が、そっちにとっては有利だったんじゃないの?」

 

 ティーガーの車体に乗りながら、友奈(友哉)は親切に教えてあげる。

 

 こっちはメーヤが別行動中なので、ステルスはジャンヌだけだったのだ。もし魔術戦を仕掛けられたら、不利になるのはこっちだったはずなのだ。

 

 まあ、それも今さらではあるが。

 

 友奈(友哉)は刀を納めるとティーガーから飛び降りて、ノロノロと後退する九五式を追いかける。

 

 取りあえずこれで、この場は逃げ切れるだろう。

 

 だが、相変わらず欧州戦線の不穏は続いており、師団は劣勢のままである。

 

 どうにかして、どこかで巻き返しを図らない事には、本気でじり貧になりかねないのが現状だった。

 

 

 

 

 

 因みに、ティーガーを壊した罪で、友奈(友哉)は後ほど、島から駄々っ子パンチでポカポカと殴られるのだった。

 

 

 

 

 

第10話「竜王の嘶き」      終わり

 

 

 

 

 

欧州戦線 前編   了

 



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欧州戦線 後編
第1話「内通者 遠山キンジ」


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 久方ぶりのベッドの感触を存分に味わった事で、疲れ切った体は完全にリフレッシュしていた。

 

 起き抜けにすっきりとした頭を振るい、友奈(友哉)はベッドから抜け出す。

 

 ここはベルギー首都ブリュッセルにある、リバティー・メイソンの息のかかったホテルである

 

 エコール戦車戦に勝利した友奈(友哉)達は、中破状態の九五式を引きずるようにして運転し、そのまま国境を越えた。

 

 予想通りと言うべきか、ベルギーに入った後、魔女連隊からの追撃は無く、撤退自体はスムーズに行う事が出来たのは幸いであった。

 

 戦車戦が終了した時点で、友奈(友哉)は元より、ジャンヌやキンジも消耗が激しかった。もしあそこで魔女連隊の追撃が鈍らなかったら、全滅していた可能性もある。

 

 そこで待機していたワトソン運転のワーゲンバスに乗り換え、このブリュッセルへと撤退する事に成功していたのだった。

 

 パリには、もう戻る事はできない。

 

 ワトソンから聞いた説明によると、友奈(友哉)達が留守にしていた隙を突く形で、パトラ率いるイ・ウー残党主戦派がパリに攻め込んだそうだ。

 

 パリ陥落。

 

 戦力的に劣るパリの師団勢力は、これにより壊滅状態と化し、北への敗走を余儀なくされた。

 

 ブリュッセルは現在までのところ、辛うじて師団の勢力圏にある。

 

 しかし、眷属の進軍速度を考慮すると、そう時を置かずに攻め込んでくるであろう事は明白である。悠長に構えている余裕は無かった。

 

 エコール戦車戦で大活躍を示してくれた島苺、中空知美咲の両名は、ここで離脱し、日本への帰国の途へと着く事となった。

 

 これ以上、直接的に戦役に関係ない彼女達を巻き込む事はできない。

 

 幸いな事に2人は、友奈(友哉)達と別行動を取っていた際、ブリュッセル武偵校の通信科と車輌科を見学し、有意義な時間を過ごして来たらしい。修学旅行の補習としては充分と言って良かった。

 

 ホテルから借りたパジャマをベッドに脱ぎ捨てると、壁に掛けておいた臙脂色の武偵校セーラー服に手を伸ばす。

 

 ブラウスに袖を通し、短めスカートを穿いて、足には白のニーソックスを通す。

 

 下ろした髪に櫛を入れ、顔には濃くならない程度に化粧を施す。

 

 最後に、件の匂いホルモンスプレーを振り撒くと、「緋村友奈ちゃん」の完成である。

 

 備え付けの姿見の前に立って、出来上がった自分の姿を映し出す。

 

 軽くターンをして不備が無いか確認。

 

 僅かに舞い上がるスカートを軽く手で押さえ、正面に向き直る。

 

 最後に、可愛らしくニッコリ微笑んで、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 がっくりと、その場で崩れ落ちた。

 

「な、何をやってるんだ、僕は・・・・・・・・・・・・」

 

 一連の行動を、友奈(友哉)は殆ど意識せずにやってしまっていた。

 

 と言う事はつまり、「友奈」でいる事が、「友哉」にとって普通になりつつあると言う事である。

 

「何かもう・・・・・・色々と駄目っぽい気がしてきた・・・・・・・・・・・・」

 

 果たして自分は、日本に帰ってから「緋村友哉」に戻る事ができるのか?

 

「もういっそ、キンジから金一さんのアドレス聞いて、メル友とかになっちゃおうかな?」

 

 キンジの兄である遠山金一は、カナと言う絶世の美女に化ける事で、強力かつ長時間のヒステリアモード化が可能となっている。

 

 ある意味「女装の大先輩」とも言うべき金一に、人生とは何か、という命題で是非ともご教授いただきたい今日この頃であった。

 

「いや、まだ大丈夫だ!!」

 

 ガバッと、顔を上げて立ち上がる友奈(友哉)

 

「日本に帰りさえすれば、もうこんな事しなくて済むッ 帰りさえすれば!!」

 

 言ってから、

 

 友奈(友哉)は再び崩れ落ちた。

 

 何と言うか、こんな事を考えている時点で、既にダメダメな気がしてきていた。

 

 と、

 

「ヒムラ、君、朝から何をしているんだ?」

「おろ!?」

 

 いきなり声を掛けられて跳ね上がるように飛び起きる友奈(友哉)

 

 振り返るとそこには、不審物(不審人物ではなく)を見るような眼差しでこちらを見ているエル・ワトソンの姿があった。

 

「わ、ワトソンッ い、いつからそこに!?」

 

 焦って尋ねる友奈(友哉)に対し、ワトソンはやや困り顔で答える。

 

「君が姿見の前で、可愛らしくポーズを決めている辺りからだけど?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ほぼ最初からだった。

 

「そんな事より、」

 

 落ち込む友奈(友哉)の心情を無視して、ワトソンは話題を変えて来た。

 

「トオヤマとジャンヌを見なかったかい? 起きたら、2人の姿が見えなかったんだけど」

「おろ、キンジとジャンヌが?」

 

 そう言えば、ワトソンとキンジは同じ部屋だった筈。

 

 転装生のワトソンは周囲から男だと思われて居る為、キンジと同じ部屋で寝ると言う事になったのだ。

 

 因みに友奈(友哉)の方は、一応、男である事は周囲に伝えてあるため、流れで1人部屋となった。

 

 友奈(友哉)達は今日ここで、ワトソンの上司であるリバティー・メイソンのメンバーと合流する事になっている。そこで改めて、反撃の為の方策について検討する予定だった。

 

「早く起きたから、2人で食事にでも行ったんじゃないの?」

「まあ、確かに。その線が一番高いか」

 

 そう言うとワトソンは、ソファーにチョコンと腰を下ろした。

 

 何となく、自分も連れて行ってもらえなかった事に拗ねているようにも見える。

 

 そんなワトソンの様子に嘆息する友奈(友哉)

 

 折角だから、自分達も食事に出ようか?

 

 そう言おうとした、

 

 正にその瞬間、

 

「ッ!?」

 

 息を呑む友奈(友哉)

 

 鋭い聴覚は、その音を明確にとらえていた。

 

 聞こえてくる、独特の風切り音。

 

 ほぼ同時に、ワトソンも気付いた。

 

「ヒムラッ!!」

「伏せろ!!」

 

 友奈(友哉)はとっさに、備え付けのテーブルを窓ガラスに向けて思いっきり蹴り飛ばす。

 

 ほぼ同時にワトソンが身を躍らせるのを確認してから、友奈(友哉)も床に身を投げた。

 

 次の瞬間、

 

 強烈な閃光と轟音が襲い掛かって来た。

 

 次いで、吹き荒れる衝撃が、容赦なく2人の体を抉るように駆け抜ける。

 

「敵襲か!!」

 

 床に伏せた状態で、ワトソンが舌打ちを漏らす。

 

 わざわざリバティー・メイソンに属するホテルに奇襲をかけて来たのだ。相手は眷属の勢力である事は疑いない。

 

 早すぎるッ

 

 友奈(友哉)は舌打ちした。

 

 まだ、こちらがブリュッセルに到着してから半日しか経っていない。なのにもう、眷属側の追撃に追いつかれたのか?

 

「クッ!!」

 

 とっさに、ワトソンは破壊された窓へと駆け寄ると、懐からシグ・サウエルを抜いて、窓の外へ躊躇わず発砲する。

 

 目標は、探すまでも無かった。

 

 ホテル正面に、明らかに対戦車砲(パンツァー・ファウスト)の発射筒と思われる細長い物を抱えた人物が立っていたのだ。

 

 他に人影は見られない。勿論、支援要員がいる事は予想できるが、それでも確認できた襲撃者は1人だけだった。

 

 ワトソンが撃った弾丸は、その人物に命中する。

 

 よろける目標。

 

 だが、相手は倒れる事無く、その場から逃走を開始した。

 

 ワトソンは更に追撃を掛けようとシグの銃口を向けるが、トリガーが絞られる前に、相手は物陰へと身をひそめてしまった。

 

 舌打ちするワトソン。

 

 対して、

 

「後は任せて!!」

 

 逆刃刀を手に持ち、防弾コートを羽織った友奈(友哉)は、ワトソンの脇をすり抜けるようにして、窓から身を躍らせた。

 

「ヒムラ、手傷を負わせる事には成功したけど、油断しちゃダメだよ!!」

「判ってる!!」

 

 着地しながらワトソンに返事をして、友奈(友哉)は一気に駆け出す。

 

 元より、相手はこちらの拠点に単独で奇襲を掛けてきた剛の者。よほど、実力に自信がある事が判る。油断はできなかった。

 

 駆ける速度を緩める事無く、相手を追いかける友奈(友哉)

 

 押し寄せる野次馬を回避し、人垣を一足で飛び越える。

 

 目標の人物が駆け込んだと思われる路地へと足を踏み入れる。

 

 だが、そこも既に、駆け付けて来た野次馬でごった返していた。

 

 舌打ちする友奈(友哉)

 

 その脳裏では、ホテル周辺の地形が再生される。

 

 この路地が使えないとなると、いったん大通りに出て迂回する必要が出てくる。そうなると、かなりの遠回りを余儀なくされてしまうのだが。

 

「・・・・・・・・・・・・仕方が無い」

 

 決断すると、友奈(友哉)は来た道を引き返す。

 

 自分の足の速さに任せ、相手に先回りできる可能性に賭ける。

 

 人々の合間を縫うようにしてどうにか大通りまで出ると、そこでも速度を緩める事無く疾走。

 

 ようやくの事で、先程までいた路地の反対側に出る事が出来た。

 

 だが、

 

「ダメか・・・・・・・・・・・・」

 

 路地の入口に立ちつくし、友奈(友哉)は舌打ちを漏らした。

 

 既にそこには、目標となる人物の姿は無かった。どうやら既に、この路地を抜けて逃げ去った後であったらしい。

 

 とっさに周囲を見回すも、既に目的の人物は見当たらない。完全に見失ってしまっていた。

 

「仕方が無い・・・・・・・・・・・・」

 

 思考を切り換える友奈(友哉)

 

 とにかくここは、いったんみなと合流してからホテルを引き払った方が良い。下手に留まると、今度はベルギー警察まで集まってきて、あれこれ根掘り葉掘り聞かれる事にもなりかねない。

 

 そう考えて、踵を返そうとした時だった。

 

「ひ、緋村・・・・・・・・・・・・」

 

 聞き慣れた声に名前を呼ばれ、慌てて振り返る友奈(友哉)

 

 そこには、ボロボロに傷ついたキンジがよろけるように歩いてくるところだった。

 

「キンジ!!」

 

 慌てて駆け寄り、脇に頭を入れる形で支えてやる。

 

「キンジ、どうしたの? この傷は?」

「やられた・・・・・・妖刕だ・・・・・・」

 

 キンジの言葉に、友奈(友哉)は自分の肌が泡立つのを感じた。

 

 妖刕

 

 ペアを組む魔剱と共に眷属に加担し、師団に大打撃を与えた凄腕傭兵ペアの片割。

 

 見たところ、キンジはヒステリアモードになっていない。その状態で妖刕に襲われ、よく生きて帰って来れたものである。

 

「前に玉藻に聞いた事のある特徴と一致している。妖刕は日本人の男。顔を隠すフードからロングコートまで黒ずくめで、体格は中肉中背だったが、戦闘前に筋肉を肥大させた。右目を紅く光らせて、黒い陽炎みたいな防性の力場で体を覆う怪人だ」

「判ったから、喋らないで。今はともかく、みんなと合流しよう。こっちも大変だったんだ」

 

 言いながら友奈(友哉)は、キンジを支える形でゆっくりとホテルへ引き返していく。

 

 だが、早くもこのブリュッセルに敵が姿を現したのに対し、師団は未だに体制が整っているとは言い難い。

 

 このままでは、ブリュッセルも陥ちる。

 

 そうなると、いよいよ師団は、ドーバー海峡を渡ってイギリスに撤退する必要が出てくるだろう。

 

 そうなると、戦局は末期的だ。

 

 まず、絶賛孤立中のバチカンは持ちこたえられないだろう。

 

 そして、後顧の憂いを断った敵は、意気揚々とイギリスへ総攻撃を仕掛けてくる。

 

 欧州戦線は、それで眷属の勝利に終わるだろう。

 

 残るは主戦場たる極東のみ。そこで最後の決戦に臨む、という形になる。

 

 まさに、想定としては最悪だ。

 

 友奈(友哉)はキンジの体を支えながら、暗澹の中に気分が沈んで行くのを避けられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その夜、

 

 ワトソン、メーヤと合流した友奈(友哉)達は、人目を避けるようにしてディアマン通りと言う高級住宅街へとやって来た。

 

 こちらは奇襲を受けた身であるうえ、キンジは負傷中である為、敵の再襲を警戒して、清朝に動かざるを得なかった。

 

 ジャンヌとは、結局合流できず別行動と言う事になってしまった。

 

 やがて、ワトソンの先導で「ブリュッセル石工組合会館」と言う建物へと入って行く。

 

 ここに、リバティー・メイソンの拠点があるらしい。

 

 ワトソンがインターホンに合言葉を告げると、程なくロックが解除される音が響き、一同は中へと入る。

 

 立派な大理石造りのホールを抜け、更に設えられた隠し扉の中へと入ると、1人の青年が一同を出迎えた。

 

Gosh Mr・Watson Are you Allright?(おお、ワトソン君。怪我は無いか?)

I,m okay Kaiser(大丈夫だよ、カイザー)

 

 心配そうに駆け寄ってくる、カイザーと呼ばれた青年に、ワトソンは頷きを返す。

 

 どうやら彼が、ワトソンの上司であるらしかった。

 

「それとカイザー、今は日本語で頼むよ。彼等は英語を解さないんだ」

「判ったよワトソン君。君が無事で何よりだ」

 

 言ってからカイザーは、改めてキンジと友奈(友哉)に向き直る。

 

「写真で見た事がある。君がトオヤマ・キンジだな。それに君が・・・・・・・・・・・・」

 

 言ってから、カイザーは友奈(友哉)を見て、暫く黙り込む。

 

「君が・・・・・・あー・・・・・・」

 

 少し困ったような顔をすると、カイザーはワトソンへと向き直った。

 

「すまないワトソン君、こちらの可愛らしいお嬢さんはどちら様かな? それにヒムラ・ユウヤが一緒に来ると聞いたのだが、彼はどこに?」

「カイザー、その女の子がヒムラだよ。まあ、その、何というか、色々と込み入った事情があってね」

 

 がっくりとうなだれるている友奈(友哉)を横目に、ワトソンが苦笑交じりに説明してやる。

 

 ワトソンの説明によると、カイザーはリバティー・メイソンの殲魔士(エクソサイザー)で、ワトソンの先輩に当たる人物であるとか。

 

 其れで友奈(友哉)も思い出したが、あの宣戦会議の夜、リバティー・メイソンの代表として現れ、無所属宣言をした人物、あれがこのカイザーだったのだ。

 

 そのカイザーは、なぜか先程からワトソンの顔をニコニコと見ている。

 

 顔立ちがかなりの美形なので、決して不快な印象ではないのだが、それでも行動がやや不信である事は否めなかった。

 

 とは言え、実際のところリバティー・メイソンの存在はありがたかった。彼等が警察や消防の対応を行ってくれたおかげで、友奈(友哉)達は余計なトラブルに巻き込まれる事無く、この隠れ家まで撤退してくることができたのだから。

 

 と、そこへ、コツ、コツと床を叩くような音と共に、1人の女性が部屋の中へと入ってきた。

 

 ブロンドの長い髪に白いヴェールを掛けた20代ほどの女性。白い法衣を着ている事空も、バチカンの関係者であることが推察できた。同じバチカン出身のメーヤよりも、やや小柄な体つきをしている。

 

 部屋の中に入ってきたにもかかわらず、女性の目は何も無い虚空を見詰めている。どうやら、視覚障碍者であるらしい。歩く際に発していた音は、杖を突く音のようだ。

 

「メーヤさん? メーヤさんもいらしているのですか?」

「ローレッタ様!!」

 

 女性を見たメーヤが慌てて駆け寄る。

 

「偉大なる祓魔司教(エクソヴェス)に拝謁でき恐縮です。今宵は闇討ちとは言え、反撃しきれずに潰走に至りました。どうか神罰をお与えくださいませ」

「とんでもない。神罰をちょうだいすべきは私の方です。私に戦う力が無いせいで、長らく前線をメーヤさんにお任せしてしまい、心苦しかったのです」

 

 そう言うと、ローレッタはメーヤを抱き寄せる。

 

 こうして見ると、とても仲の良い姉妹のように見えて、何だか友奈(友哉)的には、日本に残してきた茉莉と瑠香の逆転姉妹を思い出してしまうのだった。

 

「ですがローレッタ様、このような危険地帯に御自らおいでになってはなりません。どうか北のアムステルダムまでお退きください。ブリュッセルでは、妖刕の姿も確認されています」

「うろたえてはなりません、メーヤ。この程度の事、86年前の戦役に比べれば危機と呼ぶべくもありません。何よりローマ、バチカンは無傷なのですから」

 

 己が身を案じるメーヤに対し、ローレッタは毅然とした口調で諭す。

 

 その様は、上に立つ人間らしい堂々とした物である。メーヤとの会話から、ローレッタが戦闘職でない事は判る。だが、それを差し引いても尚、これだけの貫録を見せているのだ。メーヤが彼女を慕う理由は充分に理解できた。

 

 だが、そんなローレッタの発言に、カイザーが不快感を示した。

 

「バチカンが無傷ならフランスやベルネスクが奪われても良いと言う事か?」

 

 そんなカイザーの横やりに対し、ローレッタはメーヤを離しながら応じる。

 

「そうは申していません。そう思ってもいません。私達がここにいて、プロテスタント、敢えて異端とは申しませんが、あなた方と共闘している事が証明です」

「私にはそう聞こえたのだ。カトリック原理主義者よ」

 

 宗教的な観念から言うと、バチカンとイギリスは仲が悪い。

 

 中世ヨーロッパではキリスト教総本山であるバチカン、ローマ正教(カトリック)は強い権力を持ち、その力は一国の国王すら凌いでいたほどである。

 

 何しろ当時は、今以上に「神」の存在が堅く信じられていた世代である。その神を奉じるバチカンには、誰も逆らえなかったのだ。

 

 しかし、その状況に反発を覚えたイギリスは、キリスト教を奉じる独自の宗教を立ち上げ、バチカンに対抗した。これがイギリス国教会(プロテスタント)と言う訳だ。

 

 そのような経緯を引きずっている為か、リバティー・メイソンとバチカンの歩調は、必ずしもあっているとは言い難い。

 

 どうやら欧州戦線苦戦の理由は、単純な戦力差や不確定要素意外に、身内内部における不和もあるらしかった。

 

 

 

 

 

 そのようなピリピリした空気の中ではあるが、ともかく現状の把握と今後の対策は急務である。

 

 そこで、暖炉を取り囲みつつ、緊急の師団会議が開催される事になった。

 

 とは言え、敵の傍受を最大限に警戒しなくてはいけない事から、今回は通信回線を使わず、この場にいる者のみによる会議となった。

 

 そこでも示唆されたのが、内通者の存在である。

 

 これは出発前にワトソンからも言われた事だが、眷属はあまりにも的確に師団の先手を打ってきている。この事を考えれば、内通者がいる事は、もはや疑いないだろう。

 

 問題は、誰がそうなのかという事であるが。

 

「ジャンヌを最後に見たのはいつだ?」

 

 カイザーの追求は、当然の如く、そこへと向けられた。

 

 この場にいないジャンヌ。彼女が内通者で、師団の情報を眷属に渡して行方を晦ませた、と言う考えが、この場では最もシンプルであると言える。

 

 勿論、友奈(友哉)としてはジャンヌを信じてはいるが、残念ながら彼女の潔白を証明できる材料は何も無いのも現実である。

 

「ボクは、ホテルで部屋割りを決めた時に見たのが最後だよ」

「僕もその時ですね」

 

 部屋の違うワトソンと友奈(友哉)は、そう答えるしかない。実際、あとは全員、泥のように眠ってしまった。朝起きてから、襲撃騒動が起こるまでは一度も見ていない。

 

「私は同じ部屋に泊まっていたのですが、襲撃を受ける少し前に見たのが最後です。ジャンヌさんは『ちょっと外に行く』と言い残して外出されました」

 

 メーヤの発言に、カイザーは頷きながら思案する。

 

 だとすると、理由の如何に問わず、ジャンヌが姿を消したのはその後、襲撃を受けた前後と言う事になり、ますます嫌疑が濃くなる。

 

 最後にカイザーは、キンジに向き直った。

 

「君はいつ、ジャンヌを見たんだ?」

 

 その質問に対し、

 

 今だ妖刕から受けた負傷の癒えないキンジは、沈黙を持って返した。

 

「・・・・・・なぜ黙っている?」

 

 それに対し、カイザーもまた語気を強める形でキンジに質問を繰り返す。

 

「私も訊きたくはないが、こうなるとキンジ、君には訊かなくてはならない事が2つある。1つ、君はなぜ、火災の時にホテルにいなかったのだ? 2つ、私達は君が『不可能を可能にする男』だと言う事は知っているが、妖刕の強さも知っている。君はどうやって、あの妖刕の襲撃から生還したのだ?」

 

 カイザーの中では「キンジが内通者である」と言う可能性も急浮上しつつあるようだった。

 

 そんなキンジを、友奈(友哉)はハラハラしながら見守る。

 

 なぜ、キンジは黙っているのか?

 

 この場にあって友奈(友哉)は、誰よりもキンジとの付き合い長い。故に内通者ではない事を知っている。勿論、ジャンヌもだ。

 

 それだけに、キンジがなぜ黙っているのか、その意図が読めなかったのだ。自分が潔白なら、潔白だと一言言えば良いだけなのに。

 

 キンジは何かを隠している。それも、内通者に繋がる何かを。そう判断するのが妥当だった。

 

 だが、キンジの事をよく知らないカイザーは、追及の手をさらに強める。

 

「改めて問おう。なぜ、妖刕は君を見逃した? 状況を鑑みるに、君は自分の潔白を証明する立場にある事を理解すべきだぞ。我々ヨーロッパの師団は玉藻を通じてアジア側の情報を得ているが、君は常に実戦部隊に居たそうじゃないか。つまり、誰よりも最新の状況を発振しやすい位置にいたのだ」

 

 カイザーはキンジを追い詰めるような口調に切り替えてくる。

 

 これは武偵や警察棟が良く使う圧迫尋問(アッパク)と言うやり方だ。敢えて尋問対象に高圧的な態度で接し、時には暴力まで振るい、相手が音を上げるのを狙う危険なやり方である。

 

 これで黒なら自白するし、白は情報が無いから自白できない。と言う、強引な振るい掛けと言う分けである。

 

 だが、そんなキンジを助ける声が、横合いから入った。

 

「カイザー、君は短絡的すぎるッ トオヤマは今までずっと、師団の一員として命がけで戦って来たんだぞ!!」

 

 カイザーに食って掛かったのは、彼の同僚であるワトソンだった。

 

「内通者はいるだろう。けど、犯人探しで仲間割れしていたら、それこそ敵の思うつぼだ。ここはまず、内通者がいた場合のルール作りを優先すべきで・・・・・・」

「わ、ワトソン君、私はその、キンジを、確認の為に詰問していただけで・・・・・・」

 

 ワトソンにキャンキャンと詰め寄られ、カイザーはしどろもどろになりつつ後ずさる。

 

 つい先刻まで、あれほど高圧的な態度を取っていたのが嘘のように、タジタジになっているカイザー。

 

 そんなカイザーの不審な挙動に、友奈(友哉)とメーヤは顔を見合わせつつ首をかしげた。

 

 一体全体、この男は何なのだろう? イマイチ、カイザーと言う人間のキャラクター性がつかめなかった。

 

 そんなカイザーに対し、ワトソンは意趣返しのように更に詰め寄る。

 

「そう言えば、昔から君は仲間を内偵する悪癖があったよな?」

「な、内偵? 私はそんな事は・・・・・・」

 

 まるで根も葉もない事を言われたようにうろたえるカイザーに、ワトソンは可愛らしい顔を怒らせて言い募る。

 

「昔、僕と初めて組んだ直後、ロンドン・ロッジに申請して、ボクの写真を手に入れたそうじゃないか。前に地下鉄に乗った時チラッと見たけど、キミはその写真をパスケースに入れて持ち歩いていた。調査される側は、良い気持ちはしない物なんだぞ!!」

「おろ・・・・・・それって・・・・・・・・・・・・」

 

 ワトソンが怒るのに任せて言った言葉の一部に、友奈(友哉)は反応を示した。

 

 カイザーがワトソンの写真を入手して、それを持ち歩いていたと言うくだりだが、果たしてそれは本当に内偵の為だろうか? むしろ内偵調査の為なら、手に入れた写真は、どこか人目の付かない場所に保管するか、破棄するかどちらかのはずである。

 

 そこから考えると、別の事実が見えてくる。

 

 それは別段、珍しい事でも何でもない。最近では携帯電話やスマホの普及により、写真よりも隠匿が容易な待ち受け画面にする場合も多い。

 

 つまり、誰か好きな人の写真を持ち歩く行為なのではないだろうか? と友奈(友哉)は推察した。

 

 かく言う友奈(友哉)も茉莉の画像(セミヌードだが)を携帯に入れて持ち歩いていたりする。

 

『おろ・・・・・・でも待てよ・・・・・・』

 

 友奈(友哉)はそこで、いったん思考を止める。

 

 もし仮に、カイザーがワトソンに気があるのだとしたら、そこにどうしても無視できない矛盾がある事に気が付いたのだ。

 

 それを、頭の中で整理してみる。

 

 

 

 

 

1、カイザーはエル・ワトソンが好きである。少なくとも「上司と部下」以上の関係になりたいと願っている(と仮定する)。

 

2、カイザーは男である。そしてエル・ワトソンは女である。よって、2人の関係は健全かつ公正であり、何ら恥じるところは存在しない。本来であるなら。

 

3、しかし、ここで問題が生じる。上記2の事実を、エル・ワトソンは家族と一部の知人以外には秘匿しており、名目上の婚約者であるアリアですら、その事実を知らない。

 

4、上記3の事情により、カイザーはエル・ワトソンを男だと思っている可能性が極めて高い。

 

5、上記4の事情により、カイザーは「男の子のエル・ワトソン」に気があると言う事になり、これにより上記2の前提は崩れる事となる。そして、それが不健康な関係である事は言うまでも無い事である。

 

6、ただし、元々はエル・ワトソンは女であるわけだから、性癖はともかくとして、カイザーの感覚自体は正常である事が伺える。

 

7、しかし、これまでの会話から察するに、エル・ワトソンはカイザーを同僚、あるいは上司以上の存在としては見ていない可能性が極めて高い。よって、2人の関係は「カイザーが『男の子エル・ワトソン』に一方的な片思いを寄せている」と言う風に結論付けられる。

 

以上、考察終了。

 

 

 

 

 

「うわっ ややこしッ」

 

 周囲に聞こえないように、そっと呟いた。

 

「ワトソン君ッ その件は今は主要なテーマではないッ その、遠山キンジだッ 彼の証言がまだなのだ!!」

 

 何やら慌てた調子で、カイザーが強引に軌道修正を行う。どうやらこれは、友奈(友哉)の考えは的外れではないらしい。

 

 とは言え、いったんは収まりかけたキンジへの追及が再び始まる。

 

「キンジ、マッチポンプと言う言葉もある。こういう状況では、最も活躍している人間が火付け役である可能性も否定できない。単刀直入に聞くぞ。君はジャンヌを売ったのか?」

 

 その言葉により、室内の空気が一気に張り詰める。

 

 カイザーはいよいよ確信を持って「キンジ=内通者説」を強めようとしている。彼が内通者で師団を陥れると同時に、貴重なステルス戦力であるジャンヌを眷属に引き渡した、と疑っているのだ。

 

 対して、

 

「そう思うかよ?」

 

 キンジも、挑発的な返し方をする。

 

 それが、決定打となった。

 

「・・・・・・ワトソン君、合わせてくれ」

 

 カイザーは静かな声と共に、だらりと下げた手の中に、何か小型の刃物を構える。

 

 これは暗殺者の仕草だ。無警戒の体勢から、最速のスピードで相手の急所(この場合、恐らく頸動脈)を狙う気なのだ。

 

「よすんだカイザー!!」

「およしなさいカイザー。もうこれ以上、味方を疑ってはなりません!!」

 

 ワトソンとローレッタが制止するも、もはやカイザーが止まる気配は無い。ここで「裏切者の遠山キンジ」を葬る心算なのだ。

 

 友奈(友哉)も、いつでも逆刃刀を抜けるように身構える。勿論、キンジではなくカイザーを押さえる為だ。

 

 暗殺者としてのカイザーの攻撃速度がどの程度なのかは判らないが、極東戦役の代表戦士である以上、侮る事はできないだろう。

 

 果たして、先んじる事ができるか?

 

 そう思った時だった。

 

 それまで口を殆ど喋らなかったキンジが、はじめて自分から口を開いた。

 

「よしカイザー、それにメーヤも良く聞け。さっき2つ聞かれたから、2つ答えてやる。1つ、ワトソンは女だ、もう1つ、カナは男だ。そして出血大サービス、緋村はホモだ」

 

 その爆弾発言を前に、

 

「What!?」

「は、はいィィィィィィ!?」

「ととととトオヤマ! ちちち違うぞ!! 違うぞカイザー!! ボクはおとおとこのこ!!」

「あらまあ」

「キンジ斬られたい? ねえ斬られたい? 斬られたいよね?」

 

 カイザーの顎はカクンッと外れ、ワトソンは思いっきりキョドリまくる。

 

 元々カナと面識のあったらしいメーヤは驚愕し、あまり動じた風の無いローレッタは口に手を当てている。

 

 そして友奈(友哉)は、ちょっと危ない感じにブチギレていた。

 

 次の瞬間、

 

 キンジのポケット付近から強烈な煙が吹きだす。

 

 キンジが武偵弾の一種である煙幕弾を手動で炸裂させたのだ。

 

「クッ キンジ!!」

 

 煙幕の中、誰かが入口から出て行くのが判る。

 

 状況から、それがキンジだと言う事は判ったが、どうする事もできそうにない。

 

 末期的状況にある欧州戦線。

 

 このままでは、本当に師団は敗北しかねない状況に、追い込まれつつあった。

 

 

 

 

 

第1話「内通者 遠山キンジ」      終わり

 



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第2話「ブリュッセルのチェイサー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一通り建物の周囲を確認してから、友奈(友哉)は嘆息した。

 

 キンジが焚いた煙幕が晴れた後、すぐに追撃に移ったものの、結局キンジを見付ける事はできず、撒かれてしまったのだ。

 

 考えてみれば、キンジは探偵科(インケスタ)の武偵であり、尾行は専門に扱っている。それを考えれば、逆に追跡を撒く技術も持っていても不思議ではなかった。

 

 とは言え、これはまずい事態になった。

 

 ジャンヌは戻らず、キンジまでもが内通者扱いされて袂を別ってしまったのだ。

 

 これでは事実上、コンステラシオンのメンバーは半減してしまった事になる。

 

 なぜ、キンジはカイザーの追及に対し何の反論もしなかったのか?

 

 あの場で一言、キンジが「違う。自分は内通者ではない」と言えば、全ては丸く収まったはずなのだ。何しろ、あの場にいた大半がキンジの味方だったのだから。

 

 友奈(友哉)やワトソンは言うに及ばず、メーヤも、場合によってはローレッタも味方に付いてくれたと思う。

 

 そうなれば、たとえカイザーが何を言ったとしても、ごり押しはできなかったはずなのだ。

 

 にも拘らず、キンジは汚名を蒙る道を選んだ。

 

 果たして、これが意味するところは何なのか?

 

 逃げたキンジを追い、真相を確かめる為には、可能な限り、彼の根底にある思惑を知る必要がある。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 スッと目を閉じる友哉。

 

 頭の中で、ゆっくりと思考を回転させる。

 

 イメージを組み立て、頭の中で走らせる。

 

 限りなく、あの時のキンジへと近づく為に。

 

 キンジは自ら汚名を被った。

 

 ここで「キンジが内通者である」と言う線は初めから除外する。友奈(友哉)はキンジの事を信じているし、これまでの経緯を考えれば、その可能性は極めて低い。加えて、逆にキンジが内通者であるとすれば、手際があまりにもお粗末すぎた。

 

 では、キンジが何故、あのような行動に出たのか?

 

 考えてみれば、キンジが黙り込んだのは、内通者の話が出てからだ。もっと突き詰めて言えば、ジャンヌの事をカイザーが疑った直後からである。

 

 そこから導き出される答えは、

 

「まさか、内通者は・・・・・・・・・・・・」

 

 ジャンヌ?

 

「いや、そんな筈は無い・・・・・・」

 

 自身の内に浮かんだ考えを、友奈(友哉)は瞬時に打ち消す。

 

 確かに、出会った当初のジャンヌとは敵対関係にあったが、その後の戦いでは常に味方として、共に戦ってきたのだ。それは極東戦役においても例外ではない。

 

 ジャンヌはこれまで、多くの戦いにおいて最前線で戦ってきた。

 

 自軍の兵士を信用しない軍に勝機は無い。それは古来から伝わる不変の法則である。

 

 だが、ジャンヌの失踪と、今回のキンジの離反劇はきっと無関係ではない。根っこの部分で連動した出来事と見るべきだろう。

 

 結論を言うと、内通者がジャンヌである可能性に思い至ったキンジが、彼女を庇う形で行動を起こした、と考えるのが最も妥当である。

 

 だが問題なのは、キンジがその事を誰にも告げずに行動を起こした事だった。

 

「まったく・・・・・・お人よしにも程があるよ、キンジ」

 

 この場にいない友に、友奈(友哉)は苦笑交じりに語りかける。

 

 恐らくキンジは、1人で自分とジャンヌの潔白を証明する心算なのだ。友奈(友哉)やワトソンにもその事を伝えなかったのは、これ以上の分裂を防ぐためだと思われた。

 

 となれば、友奈(友哉)がやるべき事は自ずと決まってくる。

 

 まずはキンジを探す。その上で真偽を確認し、彼に協力するのだ。

 

 そんな事を考えている内に、友奈(友哉)は元の部屋へと戻ってきた。

 

「その為にも、まずはこっちの問題を解決しないとね」

 

 嘆息しつつ部屋の中へと入ると、案の定と言うべきか、カイザーとワトソンが言い争う声が聞こえてきた。

 

「だから何度も言っているだろう。彼が内通者であるわけがないよッ」

「しかし、現にキンジは逃げた。それも何の釈明もせずにだ。これは彼が内通者であると言う重要な証拠ではないかね?」

 

 2人の会話を聞きながら、友哉は沈思する。

 

 友哉達にとって忸怩たるものがあるが、客観的に見ればカイザーの主張にも正しさはあるだろう。逃げたキンジを疑うのは当然と言えば当然だ。なぜなら、それが答としては、最もシンプルだから。

 

 だが今回は、その前提がまず間違っている。

 

 キンジが内通者である筈がない。あのような行動に出た理由については、別の理由が必ずある筈なのだ。

 

 だが、それを証明する手段もまた存在しない事が歯がゆかった。

 

 と、そこでカイザーが、部屋に入ってきた友奈(友哉)を目に停めて振り返った。

 

「ヒムラ、キンジは?」

 

 カイザーの問いかけに、友奈(友哉)は首を振る。

 

 今はともかく、キンジの潔白を信じて行動する以外に無いだろう。

 

 対して、カイザーは難しい顔で頷きを返した。

 

「そうか。では仕方が無いが、彼がブリュッセルの外に出る事も考慮して、広域の索敵網をしかけよう。それで捉える事も可能なはずだ。なに、心配はいらない。リバティー・メイソンの諜報能力は優秀だからね。1日もあればキンジを発見できるだろう」

 

 カイザーはあえて言葉にはしなかったが、その言葉の中には、2つの選択肢が隠されているのが判る。

 

 つまり、キンジを生きたまま連れて来るか、あるいは死体として運んで来るかは判らない。と言う事だ。

 

「待つんだ、カイザー」

 

 それに異を示したのはワトソンだった。

 

「今は眷属がいつ攻め込んできてもおかしくは無い状況だ。それなのにトオヤマの追跡に多人数を裂くのは得策とは言い難い」

 

 ワトソンは時間を稼ぐつもりだ、と友奈(友哉)は察する。

 

 時間さえあれば、キンジが何らかのアクションを起こすか、あるいは突破口を見つける事ができるはずである。だがリバティー・メイソンが本気で彼を追跡すれば、カイザーの言うとり、あっという間に捕まってしまう可能性もある。

 

 だからこそ、時間を作る。

 

 戦略的見地から異を唱え、カイザーに思いとどまらせるのだ。

 

 カイザー自身も決して無能な男ではない。ワトソンが指摘した危険性にすぐに思い至り、考え込んだ。

 

 忘れてはいけないのは、自分達は戦争中で、ここが既に最前線だと言う事だ。

 

 敵は、今この瞬間、この場所に襲撃を仕掛けて来たとしても何ら不思議ではない。

 

 まして劣勢の状況にあるのは自分達の方である。戦力を分散している余裕は無かった。

 

「だが、このままキンジを放置すれば、いずれ我々の足元を掬われかねない。内通者の排除は早めに済ませておく必要がある」

 

 カイザーはあくまで、キンジが内通者であると言う可能性を捨てない方針のようだ。

 

 友奈(友哉)やワトソンにとっては忸怩たるものがあるが、今は割り切るしかなかった。

 

「なら、そっちはボクとヒムラで対応する事にするよ」

 

 そう言ったのはワトソンである。

 

 現時点の材料だけで、カイザーを叛意させる事は難しい。ならば、苦肉の策を取る以外に無かった。

 

 つまり、キンジに対して同情的な2人が主導する形で、追跡を続行するのだ。

 

 これなら、万が一にも交戦になる事はあり得ない筈である。

 

「ボク達2人だけなら抜けても大丈夫だろう。それに、2人で掛れば、万が一本当にトオヤマが内通者だった場合でも取り押さえる事はできる」

「・・・・・・・・・・・・判った」

 

 最終的には不承不承と言った感じに、カイザーはワトソンの申し出を受ける事になった。

 

 彼としても、これ以上余計な事に戦力を裂きたくない想いは同じであろう。

 

 無論、友奈(友哉)とワトソンがキンジと合流する可能性についても考慮しているだろうが、カイザー的にも立場上、ワトソンの提案を受け入れざるを得ないと言う事だ。

 

「ところで・・・・・・」

 

 話もひと段落したところで、カイザーはおもむろに話を切り出した。

 

「ワトソン君。私は君に、一つ確認しておかなくてはならない事がある」

「何だい、改まって?」

 

 突然の上司の態度に、訝るワトソン。

 

 これ以上、改めて、何を聞こうと言うのか?

 

 そう思っていると、カイザーは真剣な眼差しで語り出した。

 

「その・・・・・・キンジが言っていた事は本当なのかい? 君が、その、本当は女だと言う・・・・・・」

「ブッ」

 

 その言葉に、はしたなく噴き出すワトソン。

 

 行き成りその話題を振られるとは思っていなかった為、完全に不意打ちだった。

 

「そ、そそそそんな筈がないだろうッ ぼ、ぼぼ、ボクはお、おとおと、おとこのこのこだ!!」

 

 イキナリの事でどもりまくるワトソン。

 

 ハッキリ言って、はた目にもかなり挙動不審だった。

 

「本当に?」

 

 どうやら、カイザーもワトソンの挙動に疑いを持っているらしく、重ねて問いかけてくる。

 

「ほ、本当だとも」

 

 苦し紛れにポーカーフェイスを保とうとするワトソンだが、視線が微妙に泳いでしまっている。

 

「あ、あれはトオヤマの作り話だッ たぶん、ボク達を混乱させて、逃げやすくしたんだよ」

「ふむ・・・・・・」

 

 ドモリながらも、どうにか筋道を立てる事に成功したワトソンの言葉に、カイザーはやや納得しきれないながらも、矛先を鈍らせた。

 

 だが、

 

「では、ヒムラが、男好きだと言うのは?」

「僕はノーマルですッ」

 

 今度はこっちかいッ

 

 友奈(友哉)は心の中で突っ込みを入れながら、カイザーに食って掛かる。

 

 何を変な所に食いついているのか、このイケメン英国紳士は。

 

「だが、キミはそのような可愛らしい格好を普段からしている。それなら、男好きという話にも説得力があるのだが・・・・・・」

「だからこれは、学校からの命令なんですッ それに僕、日本に彼女がいますし」

 

 こんな「罰ゲーム」を思いついた蘭豹を、本気で呪い殺したくなる友奈(友哉)。いっそのこと、魔女連隊に呪殺の依頼でもしようかと思ってしまう。もっとも、あの蘭豹がその程度で死ぬかどうかは、激しく疑問だが。

 

「『彼女』と言うのは、『彼氏』を裏返した、現代日本特有の隠語では・・・・・・」

「れっきとした女の子ですッ」

 

 いい加減にしろ。と言うニュアンスを込めて断言する。

 

 まったくもって、ただでさえ混乱している状況なのだから、これ以上疲れる事はさせないでほしい。

 

 そう思いながら女装少年と男装少女は、揃ってガックリと肩を落とすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 屋根から屋根へ、

 

 飛び越えるようにして友奈(友哉)は走って行く。

 

 カイザーの説得に成功した友奈(友哉)とワトソンは、直ちに行動を開始した。

 

 流れ行く1秒の時間は、この際、零れ落ちる砂金にも等しい。

 

 こうしている間にもキンジの行方は掴みづらくなる。加えて、より大きな脅威として眷属への対応も喫緊の憂慮事項だ。

 

 もし今、ブリュッセルに眷属の本格侵攻が始まったら、師団側は壊滅状態に陥る事は銘悪である。

 

 何としてもそうなる前に、この馬鹿げた「スパイ狩り」を終わらせて、体勢を整える必要があった。

 

 友奈(友哉)は頭の中で状況を整理しながら、数メートルはあるビルの谷間を一足で飛び越えた。

 

 こうしていると、香港でキンジが行方不明になった時の事を思い出すが、シチュエーションまであの時と似ている事を考えると、苦笑いしか浮かんでこない。

 

 当初、ワトソンが運転する車で一緒に探す事を提案されたが、友奈(友哉)はそれを拒否した。

 

 時間が惜しい以上、役割は分担すべきだった。

 

 ワトソンはリバティー・メイソンの諜報能力を駆使してキンジの行方を探る「オペレーター」、友奈(友哉)は現場に駆けつける「実働部隊」の役割を、それぞれ単独で担う。

 

 「車」が移動において人間に勝っているのは、積載量とスピード、馬力、航続力だけである。勿論、それだけでも立派な長所である事は間違いないが、逆を言えば制約も多い。小回りは効かないし、街中では車道以外は走れない。信号や標識にも従う必要がある、等である。

 

 つまり、自動車を上回るスピードで走る事ができ、なおかつ宙を舞うようにあらゆる遮蔽物を飛び越えられる人間にとっては、必ずしも自動車に頼る必要性は無い訳だ。

 

 今回、一刻も早くキンジを探す必要がある為、友奈(友哉)は最適と思える方法を選んだのだ。

 

 そこへ耳に付けていたインカムに着信が入った。

 

 相手はワトソンである。恐らく、キンジについて何か情報を掴んだのだろう。

 

《ヒムラかい?》

「ワトソン、キンジについて何か情報が入った?」

 

 はやる気持ちをぶつけるように喋る。

 

 どうにかして、他のリバティー・メイソン構成員に先んじる形でキンジを見付ける必要がある。そうでないと、彼の命にもかかわる。

 

《諜報員が聞き込みで得た情報だけど、スハールベーク駅の近くで、東洋人らしき人物が歩いているのを見たって話だ。ただ、アンラッキーな事に、その人物の顔までは確認できなかったらしい》

「いや、充分だよ」

 

 友奈(友哉)はある種の確信を持って頷く。

 

 ヨーロッパでは東洋人を見かける事の方が少ない。それを考えれば、スハールベーク駅付近で見かけられた人物がキンジである可能性は大いにある。

 

「僕はこれから、その駅に向かってみる」

《判った。君の携帯電話に位置情報をメールで送る。頼んだよ!!》

 

 ワトソンとの通話を切ると、再び駆け出す友奈(友哉)

 

 ほどなく、メールの着信が入り、添付ファイルにスハールベーク駅の位置情報が入っていた。

 

 情報をGPSに記録すると、画面を見ながら振り返る。

 

「あっちか・・・・・・」

 

 駅の近くで目撃されたと言う事は(仮にそれがキンジだとして)、ブリュッセルの外へ逃亡する事を考えている可能性がある。

 

 いや、ベルギーは狭い。あるいは、国外へ出ると言う可能性もある。

 

 とすると考えられるのは、最も可能性が高いのは隣国のオランダだろう。ドイツは何と言っても魔女連隊のホームグランドだし、フランスもまた眷属勢力に攻め込まれている為、可能性としては低い。イギリスに逃げるのは、可能性としては最も低い。イギリスはリバティー・メイソンの本拠だし、何より、距離が開きすぎれば、却って無実の嫌疑を晴らす可能性が薄れる。

 

 逃亡者たるキンジの立場に立った時、最も安全な逃走ルートは、消去法でオランダ方面と言う事になる。勿論、確証は無いが。

 

「とにかく、急ぐッ」

 

 駆ける足を速める友奈(友哉)

 

 キンジがどこへ逃げるにしても、汽車が出る前に追いつく事ができれば問題は無いはずだった。

 

 

 

 

 

 スハールベーク駅に降り立った友奈(友哉)は、あまりの閑散とした状況に、思わず息を呑んだ。

 

 駅舎はあるものの周囲に人影は無く、気配も無い。

 

 日本のローカル線等でよく見かける無人駅のようだ。

 

「・・・・・・一応ここって、国際線も走ってるんだよね?」

 

 このスハールベーク駅は、日本で言えばJR駅にも匹敵する位置づけの筈である。流石、ヨーロッパは広いと言うべきなのだろうか? たとえ国際線駅でも小さい場所ではこんな物らしい。

 

 しかし、

 

「ここに本当に、キンジが?」

 

 訝るようにしながら、駅の構内へと足を踏み淹れる友奈(友哉)

 

 予想通りと言うべきか、やはり内部も狭く、人の姿は見えない。

 

 これは、空振りだったか?

 

 そう思った時だった。

 

 ホームの端に人が立っているのが見えた。

 

 背は友奈(友哉)よりも高い。スラリとした長身に、長いストレート髪をしている。遠目にも判るくらいの美女だ。何となく、昔のアニメ、銀河鉄道999に出てきたメーテルを連想させる出で立ちである。

 

 彼女以外の人影も、ホームには無い。

 

「これは・・・・・・本格的に空振りだったか」

 

 がっくりと肩を落とす友奈(友哉)

 

 これでキンジ捜索も振出しに戻さなければならない。

 

 だが、キンジ逃走から時間が経ちすぎている上に、手掛かりがプッツリと切れてしまっている。

 

 果たして、今から探して、キンジに追いつく事ができるだろうか?

 

 前路に暗澹たる物を感じながらも、友奈(友哉)はホーム上を歩いて行く。

 

 せめてヨーロッパ美人でも眺めて、帰った後、茉莉達のへ土産話にしよう。

 

 そう思って、女性に近付いた時だった。

 

 相手の方も近付いてくる友奈(友哉)に気付いたのか、振り返って視線を向けてくる。

 

 次の瞬間、

 

「ひ、緋村!?」

「おろ?」

 

 いきなり女性から名前を呼ばれ、キョトンとする友奈(友哉)

 

 相手は驚いたように、身構えて後ずさる。

 

 対して友奈(友哉)は、首をかしげながら相手を凝視する。

 

 そして、

 

「あァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 仰天の声と共に、思わず相手を指差してしまった。

 

 なぜなら、

 

 友奈(友哉)の目の前にいるヨーロッパ美人。

 

 何と何とそれは、

 

 女物のコートとウィッグで変装した、遠山キンジ君その人だったのだ。

 

「えっと・・・・・・キンジ、ナニソレ? え? キンジ? 金一さんじゃなくて? カナさん? あれ?」

 

 混乱しまくる友奈(友哉)

 

 対してキンジはと言えば、バツが悪そうに視線を逸らしている。

 

 その時だった。

 

「遠山様、お下がりください!!」

 

 凛とした声と共に、1人の女性が友奈(友哉)とキンジの間に割り込むようにして立ちはだかり、睨み付けて来た。

 

 長い金髪を靡かせた、美しい少女である。どこか、ほんわりしたような雰囲気を感じさせるが、今はそのエメラルドグリーンの瞳で、鋭く友奈(友哉)を睨み付けていた。

 

「リサ!!」

 

 驚いて声を上げるキンジを守るように、友奈(友哉)を威嚇するリサと呼ばれた女性。

 

 驚いているのは友奈(友哉)も同じである。勿論、キンジの女装などと言う前代未聞、驚天動地な事態に混乱している事もあるが、キンジが誰かと共に行動している事もまた、友奈(友哉)には予想外の事だった。

 

 いったい、如何なる経緯で知り合ったのか? 彼女がもしかしたら、キンジの逃亡を幇助しているのかもしれなかった。

 

「いいよ、リサ。そいつは大丈夫だ」

「遠山様?」

 

 尚も友奈(友哉)を警戒しながらも、キンジに振り返る。

 

 そんなリサの前に出ながら、キンジは友奈(友哉)に笑い掛けた。

 

「よく、ここが判ったな」

「7割くらいは賭けだったんだけどね。それにしても・・・・・・・・・・・・」

 

 友奈(友哉)はキンジの恰好を上から下までゆっくりと眺め渡し。

 

 次いで、

 

「プッ」

 

 わざとらしく、口に手を当てて笑って見せる。

 

「お前な・・・・・・・・・・・・」

「だってキンジ、その格好・・・・・・」

 

 メーテルスタイルのキンジを見て、友奈(友哉)は笑いが止まらなくなる。

 

 普段、自分が女装させられる側である為、他人がやらされているのを見ると楽しくて仕方が無かった。

 

 一方のキンジは、恥ずかしさもあってか、顔を真っ赤にして食って掛かる。

 

「お前にッ!! だけはッ!! 言われたくッ!! ねえッ!!」

「と、遠山様、落ち着いてください!!」

 

 激昂するキンジを、リサが必死になって押さえている。

 

 ちょうどその時だった。

 

 線路の先から列車が入ってくるのが見えた。

 

 やや汚れた印象のある、先端の尖った古臭い列車だ。

 

「・・・・・・・・・・・・どうする、緋村?」

 

 キンジが堅い表情で問いかけてくる。

 

「俺達は、あの列車でいったん、オランダに行く。お前はどうするんだ?」

 

 やはり、キンジはオランダに身を隠すつもりだったようだ。眷属の勢い激しいヨーロッパでは、最早そこが、ギリギリ安全圏である。

 

 キンジは友奈(友哉)に去就を決めさせているのだ。

 

 一緒に来るか? それとも、戻って報告するか、と言う。

 

 その間にも、列車はホームへと入ってくる。

 

 考えている時間は無かった。

 

「判った、僕も行くよ」

 

 どのみち、ここに来たのはキンジに問い質す事が目的であり、捕縛は論外である。当然、味方に報告する義務は無かった。勿論、あとでワトソンにだけは合流に成功した事を、メールで伝えておくが。

 

「でわ、リサが切符を買ってきますので、お2人はここで待っていてください」

 

 そう言うとリサは、パタパタと券売機の方へ駆けていく。

 

 その背中を見やりながら、友奈(友哉)はキンジに向き直る。

 

「リサって言うの、彼女?」

「ああ。詳しい事はあとで説明するが、あいつのおかげで色々と助かってるよ」

 

 キンジの言葉に、生返事のような頷きを返す。

 

 と、そこで思い出したように、友奈(友哉)はキンジに向き直った。

 

 そして、

 

「ていッ」

 

 ゲシッ

 

「痛ッ 何しやがる、いきなり!!」

「フンっ」

 

 突然むこうずねを蹴られて抗議してくるキンジを無視して、友奈(友哉)はそっぽを向く。

 

 キンジが逃亡する際にホモ呼ばわりされた事への意趣返しは、キッチリとしておくのだった。

 

 

 

 

 

第2話「ブリュッセルのチェイサー」      終わり

 



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第3話「郷愁」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オランダは比較的温暖な気候であるが、それでもやはり、若干の肌寒さを感じずにはいられない。

 

 どうにかコートの前を合わせる事でしのげない事は無いのだが、やはり格好に問題があった。

 

「うう・・・・・・・・・・・・」

「どうした?」

 

 足をもじもじと擦り合わせる友奈(友哉)に、キンジは訝るような視線を向ける。

 

 そのキンジは、黒い帽子にウィッグ、黒いロングコートをした「クロメーテル」すがたをしている。

 

 逃亡中を考慮して、どうやら外に出る時はずっとこのままでいる心算らしかった。

 

 やはり、《女装の大先輩》遠山金一の弟である。見るたびに、ため息が出るような美人に仕上がっていた。

 

 とは言え、今の友奈(友哉)には、キンジの美女振りに見惚れている暇は無い。

 

「さ、寒い・・・・・・」

 

 そう言って、むき出しの太ももを震わせる友哉。

 

 武偵校の短いスカートが、完全に災いしている。一応、足にはニーソックスも穿いているが、もともとスカートに履き慣れている訳じゃない友哉には、何の気休めにもなっていなかった。

 

「スカート履いてるからだろ。少しくらい我慢しろって」

「同じ女装なのに、キンジは何でスカートじゃないのさッ ズルいよ」

「な、何でそうなるんだよ!!」

 

 ブー垂れる友奈(友哉)に対し、ドモリ気味に反論するキンジ

 

 キンジの女装は武偵校の制服の上から、女物のコートと帽子を羽織り、ロングヘアのウィッグを被っているだけである。友奈(友哉)に比べるとかなり簡単な物だった。

 

 とは言え、それでもキンジ的には恥ずかしいらしく、顔を紅くしてそっぽを向いていた。

 

 2人は今、ブータンジェと言う、オランダにある、比較的長閑な田舎町に来ていた。

 

 中世から続いていると思われる古風な街並みは、レンガ造りの家々が多くみられ、どこかグリム童話の世界にでも迷い込んだような印象が与えられる。

 

 遠くに小さいながら存在している風車小屋の風景が、いかにもオランダ的な印象があった。

 

 一旦、物資調達の為にアムステルダムに立ち寄った友奈(友哉)、キンジ、リサの3人は、その後、半日かけてバスと電車を乗り継ぎ、このブータンジェへとやってきていた。

 

 オランダ出身だと言うリサの発案によれば、リバティー・メイソンは都市型の諜報機関である為、アムステルダムのような大都市では絶大な力を発揮するが、このブータンジェのような小さな街ではネットワークが構築されていないのだとか。

 

 一応、ワトソンに対しては現状の報告をしておいたが、心情的にもキンジの味方と言って良い彼女が、この場所をカイザー達に話すとも思えない。当面は安全と見て間違いなかった。

 

 このブータンジェは18世紀、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍の猛攻をしのいだ城塞都市であるらしい。その為、非常に入り組んだ街の地形をしている。

 

 万が一、攻め込まれた際、少数であるほうが有利に動く事ができる。

 

 オランダ出身のリサには土地勘もあり、地の利もある。

 

 その事を考慮した上での、リサの潜伏先選択であった。

 

 友奈(友哉)としても驚いた事だが、このリサ・アヴェ・デュ・アンクと言う名の少女は、もとはイ・ウー残党主戦派所属の代表戦士であったらしい。もっとも、本人曰く、能力らしい能力と言えば特異体質で傷の治りが多少早い程度なのだとか。

 

 聞けば、ホテル襲撃を行ったのも彼女であったらしい。その際にワトソンから撃たれた傷も、既に塞がってしまったと言うから驚きである。多少質は落ちるものの、ブラド、ヒルダの吸血鬼親子にも迫る回復力である。

 

 もっともそのせいで、眷属からは対戦車砲一つ持たされただけで、師団襲撃をやらされたらしい。

 

 接してみて分かったが、リサは本来、気弱でおとなしい性格をしている。とても戦闘に加われるような少女には見えないが、それでも駆り出されたのは、やはり前述の特異体質のせいだろう。そのせいで、特攻隊、もしくは鉄砲玉のような役割を担わされたらしい。

 

 だが、実際のところ、リサの最大の能力は戦闘面以外で大いに発揮された。

 

 イ・ウーでは会計士を務めていたと言うリサの金銭感覚は、キンジや友奈(友哉)などとは及びもつかない程に洗練されており、アムステルダムに寄った際の買い出しにしても、銃弾や食料等を本来の3割に近い低額で仕入れて来てくれた。

 

 また、交渉事にもたけており、幾度かあった危地に際しても機転を利かせ、巧みな話術で回避してくれた。正直、友奈(友哉)とキンジだけでは、こうはいかなかっただろう。

 

 逃亡先のオランダ選択や、キンジの女装についても彼女の発案であるらしい。こうした細かい所に気が付き実践できるのは正直、戦闘能力以上に貴重な才能であると言えるだろう。

 

 そのリサは今、友奈(友哉)とキンジを残して、ブータンジェにおける隠れ家を探しに行っている。こうした事は、彼女に任せておけば間違いはなさそうだった。

 

 因みにキンジの女装姿であるクロメーテルについて、友奈(友哉)は自分以外の人間が女装している所を見る機会がほとんどなかったため、散々笑ってしまったら、あとでキンジから思いっきりゲンコツで殴られてしまった。

 

 先の作戦では、リサが師団メンバーを足止めしている隙に、妖刕がキンジを倒す、と言う筋書きったらしい。

 

 だが、肝心の妖刕が作戦に失敗した。どうやらヒステリアモードではないキンジの事を、偽物であると勝手に勘違いして撤退してしまったらしい。

 

 確かに、通常時のキンジとヒステリアモードのキンジでは、能力も性格もまるで違うが、それを知らない人間が見れば、別人だと思われても不思議ではない。そのおかげで、キンジは命拾いできたわけである。

 

 だが、問題はまだあった。ジャンヌの事である。

 

 友奈(友哉)も愕然としたのだが、キンジを妖刕の元へと導いたのはジャンヌだったそうだ。

 

 こればかりは、当事者のキンジの口から聞かされても、いまだに信じられなかった。

 

 あのジャンヌが、いかなる事情にせよ味方を裏切り、キンジを眷属に売るなど。

 

 勿論、キンジもジャンヌが、自分を積極的に売ったとは思っていない。だからこそ、その真相を探り、ジャンヌの潔白を証明する為に行動を起こしたのだと言う。

 

 あの場で沈黙を貫いた理由は2つ。1つは、ジャンヌに嫌疑がかかり、彼女が内通者に仕立て上げられるのを防ぎ、敢えて「内通者は遠山」と言う印象をカイザー達に植え付ける為。

 

 そしてもう一つ、こちらはより深刻な問題だが、あの場に内通者がいた可能性も否定できない為、情報の流出を可能な限り防ごうと考えた為だった。

 

「だったら、僕にくらい教えてくれても良かったんじゃない?」

 

 不満げに頬を膨らませながら、友奈(友哉)はキンジに抗議する。

 

 友奈(友哉)とワトソンは、キンジが内通者ではない事を100パーセントの確信を持って信じていた。言ってくれれば、いくらでも協力した物を。

 

 しかし、

 

「それを言ったら、内通者にも警戒されちまうだろ」

 

 そう言って肩を竦めるクロメーテルキンジに、友奈(友哉)はそれもそうか、と納得顔で頷く。

 

 だがそうなると、いったい誰が内通者なのか、と言う事になる。

 

 いるのは判っているが、姿は見えない。まるで透明人間のような不気味さだけが、際立って存在している。

 

 その時、静かな足音が近付いて来るのが聞こえた。

 

 振り返れば、物件を探しに行っていたリサが、ちょうど戻って来た所である。

 

 表情がどこかはずんでいるようなところを見ると、何かしらいい成果を上げられたようにうかがえる。

 

「遠山様、緋村様、お待たせしました」

 

 近付いてきて一礼するリサ。

 

 つくづく、礼儀正しい少女である。こんな娘が無法者集団のイ・ウーにいたとは、とても考えられない事態だ。

 

 とは言え、茉莉も普段は非常に大人しいが、あれで元イ・ウー構成員である。それを考えれば、彼の組織にいるのに、本人の性格は特に関係無いのかもしれなかった。

 

 そんなリサの背後で、何かヒラヒラと、無数に飛び交う葉っぱのような物が見え、友奈(友哉)はキョトンとする。

 

 夕焼けに照らされたそれらは、まるで夢の中の光景のようにも見える。

 

「おろ、あれは何?」

「まあ、あれは・・・・・・」

 

 友奈(友哉)の視線を追って振り返ったリサは、その一種幻想的な光景を見て、顔を輝かせた。

 

「あれはクロケットマダラ。渡り蝶ですよ。冬になると海を渡ってイギリスまで行くのです。大半は寒さで力尽きますが、ちゃんと一部が生き残って、春になると次の世代がオランダに帰ってきます」

 

 リサの説明を聞きながら、友哉もまた、その美しい光景に見入っている。

 

 不思議な光景だった。

 

 ハクチョウなどの渡り鳥なら日本でも珍しくは無いのだが、海を渡る蝶と言うのは初めて見た。

 

 リサも、久々に自分の国に帰ってきて早々、地元特有の風物詩を見れて、喜んでいるのが判る。

 

 そして、改めて2人に向き直ると、嬉しそうに言った。

 

「家を借りる事が出来ました。リサの手持ちの資金で1カ月滞在できます。きっと、お二人もお気に召す、良い物件ですよ」

 

 そう言って微笑むリサ。どうやら、持ち前の値引きスキルを十全に発揮して、良質の物件を探してきてくれたらしかった。

 

 友奈(友哉)は改めて、この逃亡生活におけるリサの重要性を噛みしめる。言葉も碌に判らない友奈(友哉)とキンジだけでは、早晩、路上生活者に転落していた可能性すらある。

 

 と、何か思うところがあったらしいキンジがおもむろに立ち上がると、自分の財布からほぼ全財産を抜き取ってリサへと差し出した。

 

「リサ、大した額じゃないが、これを使ってくれ。家賃とか、生活費の足しに」

「そ、そんな、多すぎます!!」

 

 キンジが差し出した金額を見て、恐縮した体で断ろうとするリサだが、対してキンジも、少し強引気味に金を差し出す。

 

「良いから、受け取ってくれ。俺も考えたんだ。俺は(緋村もだが)変装している身空だし、お前みたいに買い物上手じゃない。ここは安全そうな町だが、俺達はまだ師団、眷属から逃げ隠れしている状況だ。それぞれの長所を使って助け合わないと、きっと生きていけない。だからこれは、戦闘力の無いお前は生活を、生活力の無い俺達は戦闘を、それぞれ分担する事にしないか。ある意味、お前の力を前借する事になるんだが、今の俺達には、用心棒みたいな役割しかできる事が無いんだ。すまない」

 

 そう告げるキンジに対し、友奈(友哉)は少し感心したように息を吐いた。

 

 普段、東京にいる時のキンジからは、あまり想像ができないような気配りのしかただ。

 

 確かに、この場にあってはリサに頼らざるを得ないところが大きい。それを考えると、キンジの提案は、全く持って的を射た物であると言えた。

 

 一方、言われたリサはと言えば、どこか感動したように瞳を潤ませてキンジを見ている。

 

 何事か起こるのか見守っていると、おもむろにリサはキンジに向き直った。

 

「シャーロック卿は、これを条理予知なさっていたのですね」

 

 リサの口から、かつて友奈(友哉)とキンジが共闘して、ようやく仕留めるに至ったイ・ウーリーダーの名前が出てきた。

 

 シャーロック・ホームズ

 

 アリアの曾祖父にして世界最高の名探偵であったシャーロックは、条理予知(コグニス)と言う、予知能力レベルにまで昇華した推理力を備え、ありとあらゆる物を見通す事が出来た。

 

 そのシャーロックが、リサに何を告げたと言うのか?

 

「一つ、お願いがあります、遠山様」

「改まって、どうした?」

 

 訝るキンジに、リサは正面から見据えてハッキリと告げた。

 

「リサの、ご主人様になってください」

「・・・・・・は?」

「・・・・・・おろ?」

 

 聞いていた友奈(友哉)とキンジは訳が分からず、思わず互いに顔を見合わせる。

 

 ご主人様?

 

 某ピンクツインテール少女は、逆にキンジを奴隷呼ばわりしているが、いきなり立場が180度反転した形である。

 

 これはあとで聞いた話なのだが、リサの家は代々、女は1人の勇者様を見付け、その人物に仕え、一生を捧げる事を使命としてきたのだと言う。

 

 これまでリサは運命の勇者に出会えずに来たのだが、まさか、その勇者がキンジだとでも言うのだろうか?

 

「イ・ウーで、運命の勇者様に出会えずに悩んでいた私は、シャーロック卿にご助言を頂いた事があるのです。そこで今日は言われました。私がお仕えするお方は、東から来る、ちょっと目つきが悪くて、喋り方はぶっきらぼうで、女たらし・・・・・・・」

「あ、それ、キンジに間違いないよ。良かったね、リサ」

「殴るぞ緋村」

 

 友奈(友哉)を睨み付けて黙らせるキンジ。

 

 対してリサは嬉しそうに続ける。

 

「シャーロック卿は、そのお方と運命の時を迎える際の光景も条理予知なさいました。『渡り蝶を見る時』と。それは今です。私は、運命の勇者様に巡り合えたのです」

「いや、ちょっと待て、それなら緋村だって当てはまるだろう」

 

 キンジの言葉に対し、リサはキョトンとして首をかしげる。

 

「なぜ、緋村様が? 緋村様は女の子なのに・・・・・・」

 

 ガクッ

 

 思わずズッコケる友奈(友哉)とキンジ。そう言えば、まだ説明していなかった。

 

「あー・・・・・・言い忘れたがリサ、こいつ、男だぞ」

「え・・・・・・・・・・・・ええェェェェェェ!?」

 

 仰天の声を上げるリサ。

 

 そりゃあ、まあ、無理も無いだろう。見た目は完全に「女の子」なのだから。女だと思っていた人物が、実は男だったと言われれば、普通の人間なら驚くはずである。

 

「そ、そう言えば、風聞で聞いた事があります。世の中には、そのような趣味を持つ事に喜びを覚える方もいらっしゃると・・・・・・」

「いや、違うからね」

 

 震えながらボケるリサに、友奈(友哉)は静かに突っ込みを入れる。

 

 とは言え、

 

「緋村様が殿方である事は判りました。けど、やっぱりリサの勇者様は遠山様です」

 

 きっぱりと、リサは言い放った。

 

 勿論、条件に合致しているのがキンジだと言う事もあるだろう。だがそれ以前に、リサだけに感じられる何かが、彼女の中で告げているのかもしれなかった。

 

「お願いします遠山様。どうかリサの、ご主人様になってください。どうかリサを、メイドとしておそばに置いてやってください」

 

 そう言って、深々と頭を下げるリサ。

 

「先ほどご主人様が仰った役割分担の話は、リサもしようと思っていたのです。お料理、お洗濯、お掃除、リサは何でもします。ご主人様が望む事なら、どんな事でもいたします。その代り・・・・・・戦いたくない。傷つきたくないリサに代わって、その御手に銃を、剣を取ってください。そうして、リサを苦しめる物から救ってください」

 

 その様子に、友奈(友哉)は傍らに立ったキンジを肘で軽く突く。

 

 「据え膳食わねば~」とは多少異なるかもしれないが、女のリサがここまでの事をしているのだ。

 

 ここは、キンジが「男」を見せる所だと思ったのである。

 

「・・・・・・・・・・・・わかった」

 

 ややあって、キンジは低い声で頷きを返した。

 

「女を守って男が戦うのは、義務みたいなものだ。だからリサ、お前も、必ず俺が守ってやる」

 

 そう告げるキンジに対し、

 

 リサは感極まったように、ポロポロと涙を流すのだった。

 

「遠山キンジ様。リサのご主人様。リサはご主人様を元気づける妹になります。慈しむ姉になります。お母様にもなれるように努めます。ご主人様の身の回りのお世話は、みんなリサがして差し上げます。メイドの身分は忘れませんが、ご主人様の家族になれるように頑張ります。だからどうか、リサと一緒の時は、家族と一緒にいるようにくつろいでお過ごしくださいませ。今から好みは全て、頭からつま先まで、ご主人様の所有物です」

 

 そう告げるリサの姿は、

 

 ある種の神々しさすら感じられるほど、晴れやかな輝きを放っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 主従の誓いが交わされたと言う事で、リサが用意してくれた隠れ家へと移動する事となった。

 

 オールドファッションながらも綺麗な印象のある外見は、流石、気配りが行き届いていると言える。

 

 レンガ造りの長屋で、上から見れば「口」の字になるようになっており、真ん中部分は中庭になっていた。

 

 ただ、大家をしていると言うおばあさんとあった時、思わず仰天してしまった。

 

 大きい。

 

 ゆうに190センチはあるのではなかろうか? クロメーテルキンジよりもさらに高い。男子としては小柄な部類に入る友哉からすれば、見上げるような大きさである。

 

 だが、人柄は気さくで、美人3人を見て朗らかに笑うと、リサといくつか細かい取り決めを交わし、鍵を渡してくれた。

 

 おばあさんとの契約が済むと、さっそく中へと入ってみる。

 

 内部もかなり広い作りになっている。

 

 ホール、リビング、ダイニング、キッチン、ベッドルーム、小さな居室が2つと、3人で過ごす分にも充分な広さである。家具や食器、寝具も全て揃っているのは、正に「至れり尽くせり」と言った感じである。

 

 更に、定期的に掃除もしてくれているらしく、清潔な印象が大きかった。

 

 ただ、日本人の友奈(友哉)的には、欧米人特有の、靴で室内に上がる感覚がどうしても馴染めずにいた。ジャンヌの部屋に泊まった時もそうだったが、これだけはどうにも違和感を拭えない。

 

 と思っていたら、どうやらキンジも同様であったらしい。友奈(友哉)が言う前に、その事をリサに告げると、後日、リサが人数分のスリッパを駆って来ると言う方向で落ち着いた。

 

 その後、籠った空気を入れ替える為に、リサが他の部屋へと向かったのを見計らい、友奈(友哉)はキンジに向き直った。

 

「それで、これからどうするの?」

 

 キンジは現在、逃亡中の身である。その間にどうにか、身の潔白を証明しないといけない。

 

 幸い、このブータンジュは守りやすい地形をしている。城壁に囲まれている為、出入りできる場所は限られるし、複雑な地形は逃亡の際に有利である。

 

 万が一、眷属や師団の追跡部隊に追いつかれたとしても、これなら対処の方法が幾らでもあった。

 

 だが、肝心の、潔白を証明する手段が見えてこなかった。

 

「まずは・・・・・・」

 

 言いながら、キンジは難儀そうに椅子へと腰を下ろした。

 

「傷を癒さない事には、何もできそうにないな」

 

 言いながら、シャツをまくり上げて見せる。

 

 その様を見て、思わず友奈(友哉)は意気を呑んだ。

 

 キンジが見せた脇腹は、赤黒く変色して腫れあがっている。これまでの様子から骨折には至っていないようだが、それでも相当な激痛に苛まれていた筈である。

 

 それだけの激痛を押して、ここまでの逃亡劇をやってのけたのだから、キンジの精神力は驚嘆すべき物がある。

 

「それ、妖刕に?」

「ああ、随分と派手にやってくれたよ」

 

 言いながら、キンジは少し苦しそうに息を吐く。

 

 その様子を見ながら、友奈(友哉)はスッと目を細めた。

 

 果たして、

 

 キンジがヒステリアモードであったなら、妖刕に勝つ事ができただろうか?

 

 あるいは、友奈(友哉)自身が妖刕と激突する事になったとしたら?

 

 友奈(友哉)は妖刕も魔剱も、未だにこの目で確認した訳ではない。だが、この2人のせいで欧州戦線における師団は苦戦を強いられている事を考えれば、油断は許されなかった。

 

 と、そこで部屋の歓喜を終えたらしいリサが、2人のいるリビングへと戻ってきた。

 

「いかがでしょうか、このお部屋は?」

「ああ、上々だよ」

 

 リサの問いかけに対し、キンジは僅かに居住まいを正して答える。

 

 メイドに対し、情けない所はあまり見せたくないのかもしれない。負傷した体で、無理をしているのが判る。

 

 そんなキンジの様子に笑みを向けながら、友奈(友哉)もリサに向き直った。

 

「僕も、特に問題無いかな。これから宜しくね」

 

 そう告げる友奈(友哉)にも、リサは笑顔で返事をしてくる。

 

 メイドの質と言うのは、そのまま仕える主人の質にもつながる。要するに、メイドの質が悪いと、その主人の教育がなっていないと評価され、主人自身も軽く見られる事になる。

 

 その点、リサの所作は完璧であると言える。勿論、それはキンジが彼女を躾けた訳ではないのだが、リサ自身、そうした点をしっかりと心得ているらしく、あらゆる意味でキンジの為に尽くそうとしてる姿勢が伺えた。

 

 つまり、「メイドとしてレベルの高いリサを従えているクロメーテル(キンジ)は、ご主人様としてもレベルが高い」と、周りの人間から見られるのだ。

 

 と、そこまで笑顔だったリサが、突然、何かを思いつめたように壁に掛かった絵を見詰めると、おもむろに二人の方へと向き直って来た。

 

「あの、ご主人様、緋村様、一つよろしいでしょうか? この絵は、あまり良い絵ではないと思うのです。外してもよろしいでしょうか?」

 

 言われて友奈(友哉)は、問題の絵を見てみる。

 

 夜の満月が、静かな草原を照らし出している絵だ。

 

 特に、何か問題があるようにも見えないのだが、生憎と言うか、キンジも友奈(友哉)も美的センスに関してはカラキシである。その為、どこが良く、どこが悪いのか、さえ理解できなかった。

 

「好きにしていいぞ。緋村も、それで良いよな?」

「ん、構わないけど」

 

 断定するように言われたが、実際の話、友奈(友哉)にも否やがある訳ではない。リサが気に入らないと言うなら、彼女の良いと思うとおりにしてくれて問題は無かった。

 

 絵の片づけを終えると、リサははにかんだような笑顔をキンジへと向けて来た。

 

「何だ?」

「あ、失礼いたしました。その、やっとリサにもご主人様だ出来た事が嬉しくて・・・・・・」

 

 キラキラした目で、キンジを見詰めるリサの姿は、友奈(友哉)の目から見ても維持らしく見えてくる。

 

「ご主人様。私の勇者様。サムライとして戦ってきた今までの日々は大変だった事と思います。でも、このお家の中ではリサがうんと、優しく癒してあげますからね」

 

 そう言って、微笑むリサ。

 

 その優しげな姿を見ながら、

 

 友奈(友哉)は無性に、日本にいる茉莉に会いたいと思うのだった。

 

 

 

 

 

第3話「郷愁」      終わり

 



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第4話「メイドの鑑」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 メイドと言う職種に、ある種の憧れを抱いている方々には申し訳ないが、

 

 メイドと言う物は本来、「家政婦」に近い物である。似て非なる物ではあるらしいのだが。

 

 欧州では場所によっては、一般人であってもメイドを派遣で雇う事が可能だが、大抵の場合、派遣されてくるのは熟練の中年女性である場合が多いらしい。

 

 これはある意味当然の事で、メイドである以上、主(この場合、雇い主)に対して些細な粗相がある事も許されない。当然、未経験の若者よりも、経験を多く詰み、如何なる仕事であっても万全以上に万全にこなす人材でなければ、メイドを名乗る資格は無い、と言う事である。

 

 しかし、リサ・アヴェ・デュ・アンクと言う少女に限って言えば、その常識的な範疇には収まらなかった。

 

 元々はメイド学校に通っていたと言う事もあり、リサはあらゆる家事をそつなくこなして見せた。

 

 炊事、洗濯、掃除、買い物など基本的な事は言うに及ばず、細かい所にまでよく気が付き、友奈(友哉)達よりも早く行動する事ができる。

 

 しかも、全てが要求以上の水準を満たしているのだから侮れない。

 

 まさに、メイドになる為に生れてきたような少女である。

 

 しかも、キンジだけでなく友奈(友哉)の身の回りの世話についてもやってくれるあたり、彼女の性格の良さが伺えた。

 

 戦闘力の皆無など、問題にもならない。リサは容姿、能力共に完璧に備えた、まさしく「憧れのメイド」そのものであると言える。

 

 おかげでキンジと友奈(友哉)は、安心して潜伏生活に専念する事が出来た。

 

 もっとも、キンジは妖刕にやられた傷が完治するまで派手な動きはできそうにない。特に蹴り飛ばされたと言う脇腹がひどく、今も内出血が収まっていない。どうにか日常生活には支障が無いレベルに回復はしているが、それでも戦闘はまだ無理そうだった。

 

 その為、町周辺における警戒網の設置、及び監視体制の強化に関しては、キンジが完全に復帰するまでの間、友奈(友哉)が担う事になっていた。

 

 とは言え、友奈(友哉)達がブータンジェにいる事は、まだ師団、眷属両陣営ともに感づいてはいない筈。連絡を入れたワトソンに対しても、万が一に備えて居場所までは伝えていない。故に彼女から情報が漏れる事は無いだろう。

 

 その為、このブータンジェの事が察知される可能性は低いと言える。

 

 そんなわけで、友奈(友哉)達は警戒をしつつも、取りあえずは穏やかな日常を満喫する事ができるのだった。

 

 

 

 

 

 暇を持て余し気味にあくびをしながら、キンジは点けっぱなしのテレビを見入っていた。

 

 オランダは小さい国なせいか、放送も海外メディアに頼っている面が強い。

 

 とは言え、言語についてはさっぱりな為、見てもつまらない物ばかりである。ドラマなどを見ても、意味が全然分からなかった。

 

 衛星のスポーツチャンネルをかけるとサッカー中継がやっていたので、今はそれを見ている。スポーツならば、たとえ解説の言葉が判らなくても楽しむ事ができるからだ。

 

 暫く見ていると、オランダチームのベンチに本田圭祐が座っているのが映った。

 

 日本人スター選手の姿を見て何となくホッとしてしまう。

 

 戦場の種類に違いはあるが、彼等もまた、海外で孤独に戦う英雄である事に変わりは無い。

 

 本田に比べれば、キンジには友奈(友哉)がいる、リサがいる、ワトソンも、ジャンヌもいる。ある意味、本田よりもずっと有利な状況にいるのだ。

 

 周りが外国人ばかりの状況にあって、力強く戦い続ける本田の様子を見ているだけで、勇気付けられるようだった。

 

 キンジは今、1人である。

 

 リサは部屋で何やら裁縫をしているし、友奈(友哉)も姿が見えない。

 

 そんな訳でキンジは、余計に暇を持て余している。せめて友奈(友哉)がいてくれれば、トランプでも何でもやって紛らわせる事が出来るのだが。

 

 と、思っていると、そのリサが入って来るのが見えた。

 

「ご主人様、少し、よろしいでしょうか?」

 

 その声に振り替えるキンジ。

 

 と、そこで思わず絶句した。

 

「ちょ、お前、その格好はッ・・・・・・」

 

 リサの恰好は、白いヘッドドレスをして、エプロンを着ている。

 

 だが、エプロンの下に着ているものを見て、キンジは思わず赤面するのを避けられなかった。

 

 なぜならリサが着ている服は、白地の長袖ブラウスに、短めの臙脂色のスカート。

 

 つまり、東京武偵校の女子セーラー服なのである。ご丁寧な事に、左袖の校章ワッペンまで模倣してある。

 

「通常のお仕え着に加えて、緋村様が着ていらっしゃる服を参考に作ってみました。でも、少し恥ずかしいですね。メイド服もセーラー服も、日本では伝統的なコスプレ衣装とされているようですし。武偵校のスカートは短いですし・・・・・・」

 

 そう言って苦笑いしつつ、少しだけスカートを摘まんで見せるリサ。友奈(友哉)の女装が、思わぬところで功を奏し(?)た形である。

 

 と、やや持ち上げられたスカートの下から見えた、フリルの付いた輪状の白い布地に、キンジは興味が惹かれて尋ねる。

 

「そ、その、スカートの下の、足を縛っている輪っかみたいな物は何なんだ?」

 

 武器をしまっておくには脆弱そうな作りを見たキンジは、よせば良いのについ、そんな質問をしてしまう。

 

 対して、リサは嬉しそうに説明する。

 

「これはキャットガーターです。ストッキングを着用せず、いわゆる生足で過ごす際に、スカートの中身を華やかに装う飾り布です。ご覧になられますか?」

「い、いや、良いから!!」

 

 更にスカートを持ち上げようとするリサを、慌てて制止するキンジ。

 

 これ以上持ち上げたら、パンツまで見えてしまう。ヒス化をひどく警戒するキンジとしては、ノーサンキューな事態だった。

 

 それにしても、

 

 改めて(あくまで控えめに)リサの恰好を見ながら、キンジは内心における赤面を抑えられなかった。

 

 可愛い。

 

 元々リサは、普通にしていても息をのむほどの美少女である。そこに加えて、キンジが普段から見慣れている武偵校の女子制服に着替えたのだから、その可愛らしさも倍増と言ったところだろう。

 

 しかも純白人であるせいか、メイド衣装に一切の違和感がなく、自然な光景として写り込んでいた。

 

「いかがですか、ご主人様、この衣装は?」

「あ、ああ。似合ってるよ。ただ、スカートは長くしてくれ」

 

 質問されて、とっさにそう答える。

 

 下手をすると、その格好だけでヒステリア化しかねない。もったいないとは思うが、そこは妥協しなくてはならなかった。

 

良かったです(モーイ)! それではスカートをロングに変えて3着ほど作らせていただきま、今後はこの衣装でご奉仕させていただきますね」

 

 その答えに対し、リサは嬉しそうに答える。

 

 対してキンジは、顔は赤面しつつも内心では冷や汗をかいていた。

 

 正直、リサは、普段から一緒にいる女子、たとえばアリアや理子に比べると、対照的と言って良いほど大人しい性格をしてる。更に、こう言っては何だが、今までは、やや地味な格好をしていた為、キンジはヒス化方面について、さほど彼女を警戒していなかった。

 

 しかし今、武偵校のセーラー服を着たリサを見た瞬間、思わず血流がヒス化の方向に流れそうになった。

 

 大人しいリサなら、同居しても安心だろうと考えていたのだが、これは油断できない事態である。これからは彼女に対しても一定の警戒は必要となってしまった。

 

 まあ、リサは素直だし、キンジに対しては柔順である事を考えれば、必要以上に警戒しすぎる必要はないだろうが。

 

 そんな風に思っていると、リサが、今度は少し違う種類の笑みを浮かべてキンジを見つめて来た。

 

「どうした?」

「ご主人様。実は、もう1つ、見ていただきたいものがありまして」

 

 そう言って、クスクスと微笑むリサ。

 

 何やら、悪戯を仕掛けた子供のような、楽しげな笑い方だ。

 

 訝るキンジに対し、リサは廊下の方へと歩いていくと、壁の陰に手を伸ばして優しく引っ張った。

 

 その陰から出て来た人物を見て、

 

 ガタタッ

 

 キンジは今度こそ、その場でひっくり返った。

 

 リサに引っ張り出される形で出て来たのは、先ほどから姿が見えなかった友奈(友哉)である。

 

 それは良いのだが、問題は友奈(友哉)の恰好だった。

 

 黒地のブラウスとスカートに、対照的な白いエプロンとヘッドドレス。ブラウスは冬であるにもかかわらず半袖になっており、袖口と胸元、スカートの裾にも白いフリルがあしらわれている。

 

 友奈(友哉)は、これまで着ていた武偵校のセーラー服ではなく、メイド服を着ていた。

 

「お、お前ッ 何だよ、その格好!?」

「だ、だって、リサが作ってくれて・・・・・・」

 

 追及してくるキンジに対し、俯き加減にしながら答える友奈(友哉)

 

 よほど恥ずかしいのか、顔は真っ赤になって、もじもじと手でスカートを弄んでいる。

 

 下ろすとセミロングほどの長さになる赤茶色の髪は、今は二つに分けられ、ツインテール状になり、頭の両端でリボンで留められている。

 

 その姿を見てキンジは、先ほどリサを見た時同様に鼓動が高まるのを感じた。

 

 今までも友奈(友哉)の女装は幾度も見て来たキンジだが、今回のは何か違う。

 

 何と言うか、今まで以上に可愛らしい印象がある。

 

 友奈(友哉)の年齢は17歳だが、今まで友奈(友哉)が女装した際に受ける印象は、彼の年相応の物である場合が多かった。しかし今回の女装は、それよりも明らかに若い、もっと言えば「幼い」印象がある。

 

 顔立ち、立ち居振る舞い、仕草、化粧、髪型、果ては筋肉の使い方に至るまで、全ての要素が、友奈(友哉)を幼く見せている。

 

「何でも学校の課題で、緋村様はヨーロッパにいる間は、このように女性の恰好をしていなくてはならないとか。そこで、及ばずながら、リサもお手伝いさせていただきました」

 

 出発前に、特殊捜査研究科(C V R)で、女の子になりきる為の特訓を徹底的に叩き込まれた友奈(友哉)だったが、それでも時間的な関係で、充分とは言えなかった。

 

 その訓練を、リサが引き継いで完成させた形である。

 

 今の友奈(友哉)は見た目や感覚をごまかしているだけでなく、少女らしい立ち居振る舞いや動きをするようになっている。

 

「うう・・・・・・リサ~」

 

 嬉々として語るリサに対し、情けない声を上げる友奈(友哉)

 

 リサ的には悪意はなく、たんに友奈(友哉)のお手伝いをしただけなのだろうが、友奈(友哉)的には、いよいよもって、自分が後戻りできない領域に転がり落ちて行っている気がしてならなかった。

 

 上目遣いで見つめて来る友奈(友哉)

 

 その姿にキンジは、相手が男だと分かっていても、思わず赤面してしまう事を避けられなかった。

 

 いつもより幼い少女のような姿をしたメイド友奈(友哉)。しかも、件の臭いスプレーを使っている為、五感で感じる気配も女子そのものである。

 

 恐らく初見の人間では、否、知り合いであっても、名乗るまで友奈(友哉)が男である事に気付かないのではないだろうか。

 

「あ、あんまり、見ないでよ、キンジ・・・・・・・・・・・・」

 

 恥らいながら、弱々しく発せられる友奈(友哉)の声。

 

 何と言うか、理子風に言うところの「苛めてオーラ」が出ている気さえする。

 

 その言葉に、キンジは思わず我に返り、ついで愕然とした。

 

 一瞬、キンジまで、目の前の「少女」の性別を忘れかけていたのだ。

 

 それ程までに、友奈(友哉)の女装は完璧であったわけである。

 

 殆ど、カナに迫る勢いなのではなかろうか? 

 

「お願いだから、帰ってもみんなには言わないでよ」

「わ。判ってるよ」

 

 そう言いながら、慌てたように顔を逸らすキンジ。下手をすると本当に「愉快な感じの惨殺死体」にされかねなかった。

 

 友奈(友哉)に近付くと、優しく両肩に手を置くリサ。

 

「いかがですか、ご主人様。緋村様は、こんなにも可愛くなられましたよ」

 

 そのまま、キンジにアピールするように、前へと押す。

 

 対して友奈(友哉)は、もはや恥ずかしさも限界とばかりに、真っ赤になってプルプルと震えており、今にもマジ泣きしそうな雰囲気だ。

 

「リサもここまで可愛らしい方を見た事がありません。本当に驚きました」

「う・・・・・・・・・・・・」

「きっと、緋村様には才能がおありなのでしょう。とても素晴らしい事です(モーイ)

「ううう・・・・・・・・・・・・」

「これなら、どのような殿方であっても、緋村様を放っておくはずがありません」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 とうとう、友奈(友哉)はその場に手を突く形でガックリと崩れ落ちた。

 

 再度、断っておくと、リサには一切の悪意は無い。ただ純粋に、女装した友奈(友哉)をほめちぎっているだけである。

 

 だが、それでも心のダメージは、クリティカル級に大きかった。

 

「もう・・・・・・いっそ殺して・・・・・・」

「あれ? 緋村様?」

「それくらいで勘弁してやれリサ。緋村のライフはもうゼロだ」

 

 流石に可哀そうに思い、助け舟を出すキンジ。

 

 その様子に、リサはキョトンとして首をかしげるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 潜伏中とはいえ、いつまでも引き籠ってばかりでは、体はなまってしまう。

 

 実戦における勘と言う物は、とかく劣化が激しい。少しでも離れると、すぐに錆びついてしまう物なのだ。

 

 だから、訓練は定期的に行う必要がある。

 

 そう言う意味で、この家は最適な作りをしている。

 

 上から俯瞰すると「口」の形をしており、中庭の様子を家の周囲から確認する事は不可能に近い。

 

 しかも今日は日曜日。どうやらクリスチャンの多い欧米では、日曜の朝に教会に行って礼拝をする習慣があるらしく、家の周囲には全く人の気配が感じられない。

 

 その為、武器を使った訓練を存分にすることができるのだった。

 

 勿論、大ぴらに飛天御剣流の技を連発する事はできないが、刀を握ってそれを振るう事が出来るだけでも、大きな違いがあった。

 

 因みに、今はリサもいない。食材の買い出しに出かけているのだ。

 

 目の前で水平に構えた刀に意識を集中する友奈(友哉)

 

 風がそよいだ。

 

 次の瞬間、

 

 鋭く振り抜く。

 

 風を切るが如く、刃が銀の閃光となって迸る。

 

 更に数度、刃が空間を斬り裂く。

 

 思い描くイメージ。

 

 軌跡は、その通りに駆け抜ける。

 

 慣れ親しんだ愛刀の重みを手に感じ、無心に振るい続ける。

 

 友奈(友哉)の速度を、並みの人間で捉える事は不可能に近い。もし仮に、近くにリサがいたりしたら、きっと目を丸くするのではないだろうか?

 

 そんな事を感じていると、人が動く気配を感じ、友奈(友哉)は動きを止めた。

 

「もう、動いても大丈夫なの?」

 

 振り返るとそこには、キンジが静かにたたずんでいた。

 

 武偵校の制服を着ている所を見ると、どうやら友奈(友哉)同様に訓練をする心算で出て来たらしい。

 

「別に歩けないくらい重傷って訳じゃないさ。それに、多少は動いておいた方が、傷の治りも良いって言うだろ」

 

 そう言うと、キンジも庭へと降りてきた。

 

 日照時間の少ないオランダでは、昼でも少し肌寒い。

 

 そんな中で、キンジはベレッタを抜いて調子を見ている。

 

「どうだ、緋村」

 

 自分の鍛錬に戻ろうとする友奈(友哉)を、キンジが呼び止める。

 

 振り返る友奈(友哉)に対し、キンジはベレッタを持つ手をだらりと下げながら言う。

 

「久しぶりに、やってみないか?」

「・・・・・・本気?」

 

 キンジは手合わせをしようと誘っているのだ。

 

 だがキンジはまだ療養中の身。本調子で動く事はできない筈だ。

 

 しかも、ここは狭い中庭の中。

 

 通常の場合、銃の方が剣よりも強いのが常識だが、狭い戦場では、それが逆転する。

 

 銃は構え、照準、修正、発砲と言う手順を踏まなくてはならない為、攻撃に移るまでに若干の時間がかかる。それに対して剣の場合は、構えてから即座に攻撃に移れるため、タイムラグが銃に比べて少ないのだ。その為、攻撃までの予備動作が短い剣の方が、銃よりも早く攻撃を開始できる分、狭い空間では有利となる。

 

 中庭と言う狭い空間で戦う場合、どうしても友奈(友哉)の方が有利だった。

 

「良いだろ、別に。軽く合わせるだけだよ」

「まあ、それくらいなら」

 

 そう言って、友奈(友哉)もキンジに向き直る。

 

 確かに、同じ訓練でも、相手がいた方が都合が良い。対戦相手のイメージは強化されるし、実践的な動きの把握にもつながる。

 

 対峙する友奈(友哉)とキンジ。

 

 キンジは体の右を引くようにして半身に構え、ベレッタを背に隠す。

 

 対して、友奈(友哉)は逆刃刀を鞘に納めると、腰を落として構える。

 

 互いに、一撃必殺の構えである。

 

「お前とやり合うのは久しぶりだな。もうすぐ鐘が鳴る。それを合図に始めるぞ」

「判った」

 

 近くの教会で、時報代わりに鐘を鳴らしている。

 

 時刻は間も無く9時。普段、鐘が鳴る頃である。その鐘の音に紛れ込ませれば、銃の発砲音も誤魔化せるはずである。

 

 向かい合ってにらみ合う、キンジと友奈(友哉)

 

 互いに視線をそらさず、視線を交錯させる。

 

 複数ある戦術パターンの中から、互いに最適な物を選び取る。

 

 冷えた空気に殺気が混じり、触れただけで肌が切れそうな感覚が支配する。

 

 次の瞬間、

 

 両者同時に動いた。

 

 先制したのはキンジ。

 

 自分の背から腕を跳ね上げ、ベレッタを振り上げる。

 

 友奈(友哉)には短期未来予測がある。その為、次の動きは読まれやすい。

 

 その事を知っていたキンジは、腕と銃を背中側において友奈(友哉)の視界から隠す事で、予め放出する情報量を制限したのだ。少なくとも、発砲の瞬間と照準を友奈(友哉)に悟らせないために。

 

 放たれるベレッタの弾丸。

 

 その弾丸が友奈(友哉)を捉える。

 

 と思った次の瞬間、友奈(友哉)は大きく跳躍する。同時に刀を抜刀して上段に構える。

 

 抜刀術の構えは、キンジの攻撃を誘う為の見せかけ。

 

 本命は、

 

「龍槌閃か!?」

 

 瞬時に友奈(友哉)の狙いを見抜くキンジ。

 

 だが、その時には既に、友奈(友哉)は攻撃態勢に入っていた。

 

 急降下と同時に、刀を振り下ろす。

 

 とっさに後退するキンジ。

 

 縦に奔る銀閃。

 

 間一髪、キンジが状態をのけぞらせるのが速く、刃は彼の鼻先を掠めていく。

 

 膝を突く友奈(友哉)

 

 そこへ、素早くベレッタの銃口を向けるキンジ。

 

 友奈(友哉)もまた、不安定な体制にも構わず、刀を振りかぶる。

 

 次の瞬間、両者の影が重なり合う。

 

 そして、

 

 友奈(友哉)の剣は、キンジののど元に突き付けられている。

 

 対して、キンジの銃は友奈(友哉)の額に押し当てられている。

 

 タイミングは同じ。

 

 両者、互角。

 

「やるね」

「お前もな」

 

 そう言って、互いに笑みを交わす。

 

 今回、キンジはヒステリアモードでは無かったし、友奈(友哉)も様々な制限下での戦闘だった為、全力を発揮できなかった。

 

 とは言え、戦闘とはいつでも全力で戦えるとは限らない。制限された状況で戦う事は往々にしてあり得る。

 

 それを考えれば、今回の手合わせは決して無駄にはならないだろう。

 

 と、

 

素敵です(モーイ)!!」

 

 声を掛けられて振り返ると、買い物から帰ってきてたらしいリサが、感激した瞳で2人のやり取りを見ていた。

 

「ご主人様も緋村様も、常にこうして鍛錬を欠かさないのですね。流石です、格好いいです。素敵(モーイ)!!」

 

 しきりに素敵(モーイ)を連発するリサ。

 

 純粋な子に素直な賞賛を受けるのは、決して悪い気はしなかった。

 

 何となくだが、リサの存在意義はメイドや会計士としてだけではなく、こうした癒し系キャラとしても発揮されている気がした。

 

 と、

 

「では、こちらの穴は、後ほど、リサが塞いでおきますね」

 

 と、リサが指差した先には、壁に人差し指大の黒い穴が開いており、うっすらと荘園の煙を上げている。

 

 それは、キンジが先程放った、ベレッタの弾痕だった。

 

「あ・・・・・・」

「ご、ごめんなさい」

 

 恐縮した体で平謝りする野郎2人(1人女装)。

 

 そんな2人に対し、リサは朗らかに笑って手を振るのだった。

 

 

 

 

 

第4話「メイドの鑑」      終わり

 



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第5話「ジェヴォーダン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょ、ちょっとリサ、これ変じゃないよね!? 変じゃないよね!?」

「大丈夫ですよ、緋村様。とっても可愛らしいです。素敵です(モーイ)!!」

 

 リサに手を引かれながら、友奈(友哉)は恥ずかしそうに駆けていく。

 

 何かホント、ヨーロッパに来てからこんな事ばっかりやっている気がする。

 

 ここ最近の、友奈(友哉)の「女装運」の悪さは、もはやギネス級ではなかろうか? 申請すれば通るのではないかと、本気で疑ってしまう。

 

 その一方で、前を走るリサはとても嬉しそうにしているのが判る。

 

 無理も無い。

 

 なぜなら、今日はブータンジェのお祭りがある日である。

 

 街は朝から活気に満ち溢れ、子供達がはしゃぐ声は、隠れ家の中まで聞こえて来ていた。

 

 地元出身のリサも、朝から浮き立つ想いを抑えきれなかったらしく、キンジから1日の暇をもらうと、早速、伝統の民族衣装に着替えて祭りの会場へと向かって駆け出していた。

 

 地元の祭り、と言う事で興味が湧いた友奈(友哉)も、リサに頼んで連れてってもらう事にしたのだが、

 

 それが運の尽きだった。

 

《では、緋村様の衣装も、一緒に用意しますね》

 

 嬉しそうにそう告げたリサ。

 

 そして出来上がった衣装を見た瞬間、友奈(友哉)は自分が完ぺきに早まった事を悟った。

 

 オランダの民族衣装と言えば、温かそうなパフスリーブにロングスカートのドレスで、黒地にヒラヒラとした白い飾り布をあしらったカラフルな物である。

 

 ただ慣れない友奈(友哉)にとっては恥ずかしい事この上無いのだが、胴部分にコルセット状のパーツが設けられており、その関係で胸部が強調される造りとなっている。

 

 そのせいで、布面積は大きく露出は少ないはずなのに、どうにも色っぽさが際立つ服装である。

 

 いざ着替える段階になって渋る友奈(友哉)だったが、口でリサに敵う筈も無く、あれよあれよの間に説得され、気が付けばドレス衣装に着替えさせられていた。

 

 リサは割とスタイルの良い体をしているから良いのだが、当然、友奈(友哉)には彼女のような大きな胸は無い(あっても困るが)。

 

 そんなわけで、胸にパットを入れてドレスを着ているのだ。

 

 とは言え、

 

「うわぁ・・・・・・」

 

 風車小屋近くの防塁に設けられた祭り会場に到着すると、友奈(友哉)は思わず感嘆の声を上げた。

 

 まるで街中の人間が集まったかのような、盛大な活気に包まれた会場は、華やかな熱気に詰まれていた。

 

 皆、この日を楽しみにしていたらしく、どこを見ても笑顔が溢れていた。

 

「さあ、私達も参りましょう、緋村様」

「う、うん」

 

 リサに促される形で友奈(友哉)も会場へと足を踏み入れた。

 

 祭りらしく、屋台も軒を連ね、ホットワインや、鶏肉の串焼きのような料理が並べられている。

 

「すごい、ね」

 

 お祭り自体は日本でも珍しくは無いが、ここまで盛況である物も珍しいだろう。

 

 言葉の分からない友奈(友哉)にも、楽しさが伝わって来るかのようだった。

 

「さ、行きましょう、緋村様」

「ちょ、ちょっと待ってリサ、この靴、歩きにくくて・・・・・・」

 

 転びそうになりながらも友奈(友哉)は、リサに手を引かれて走って行く。

 

 友奈(友哉)もリサも、民族衣装の一環で足には木靴を履いているが、これがまた、ひどく歩きにくい。普段履いているシューズと違って弾力性が皆無である為、走る事も飛ぶ事も難しいのだ。

 

 もし、今敵が来たりしたら、友奈(友哉)はまともに戦う事も出来ないだろう。

 

 だが、今回のお祭りに参加する事は、友奈(友哉)なりに打算もある。

 

 友奈(友哉)は今回の修学旅行(キャラバン)Ⅴ中、常に女装する事を強いられているのは今さら語るまでも無い事だが、その事について、教務課からはレポート提出が命じられている。

 

 女装して常に行動し、女子として振る舞う事によって得られる物は何か?

 

 (現状、説得力は皆無以下だが)男の友奈(友哉)には難しい命題である。

 

 その意味で「女子として何らかのイベントに参加」する事は、レポートを書く上で大いに役立つはずだった。

 

 実のところ先日、リサから立ち居振る舞いについて特訓を受けたのも、レポートの一環だったりする。これで友奈(友哉)は、レポートを書くのに有益なネタをいくつか収集する事に成功した。

 

 そうしているうちに、リサは友奈(友哉)の手を引いて風車小屋の前へとやって来た。

 

 そこでは、2人と同じように民族衣装に身を包んだ女の子たちが、楽しそうにダンスを踊っている。

 

 彼女達が打ち鳴らす木靴の音が、コトコトと鳴り響き、何やら小気味いい気分になってくる。

 

「さあ緋村様。私達も踊りましょう」

「お、踊ろうって、僕、踊り方が判んないんだけどッ」

「大丈夫です。私がリードして差しあげますから!!」

 

 そう言うとリサは、友奈(友哉)の手を引いて舞台へと上がった。

 

 それだけで、周囲からは一斉に歓声が上がる。

 

 どうやら、リサと友奈(友哉)が姉妹のように思われているらしかった。顔は似ていないのだが、しっかり者の姉が、慣れない妹をリードしている。周りからは、そのように見られているらしい。

 

 踊りの輪の中へと加わる2人。

 

 リサは慣れた体で、音楽に合わせて足を踏み慣らし、優雅に踊って行く。

 

 対して友奈(友哉)はと言えば、やはり慣れない木靴のせいで、動きはぎこちない。

 

 だが、そんな友奈(友哉)に、リサは時に合わせるようにしながら踊って行く、

 

 楽しそうに踊るリサ。

 

 そのリサの動きを見ながら、

 

 友奈(友哉)も徐々に、リード無しでも踊れるようになってくる。

 

 元々、見取り稽古は武道のみならず、様々な事に応用が利く。上級者の動きを見て、イメージトレーニングし、徐々に自分の動きをイメージに近付けていく事は、あらゆる分野において必要な技能である。

 

 友奈(友哉)もまた、剣術を志すうえで、他人の動きを見て自分の物にする技能は心得ている。

 

 その技術を応用すれば、リサや他の女の子の踊りを見て、自分の動きをトレースする事は充分に可能だった。

 

 そして、

 

 カッと木靴を慣らし、ロングスカートを揺らしながら踊る友奈(友哉)

 

 その動きは完璧に音楽に合わさり、一部の狂いすら無くなるまでに、そう時間はかからなかった。

 

 慣れてしまえば、なかなか楽しい物である。

 

 「踊る馬鹿に見てる馬鹿。同じ馬鹿なら踊らねば」と言う言葉があるが、やはり何だかんだ言っても、祭りは楽しんだ者が勝ちである。

 

 そんな友奈(友哉)の踊りを見て、

 

 周囲の人間は、唖然としている。

 

 誰もが、その美しい動きに魅了されているのだ。

 

すごい(モーイ)・・・・・・・・・・・・」

 

 一緒に踊っているリサですら、思わずため息とともに感嘆の声を漏らした。

 

 その時だった。

 

 群衆をかき分けるようにして、段ボール紙のボディに、折れた箒の牙、メロンの皮の毛皮と言う、継ぎ接ぎで作った怪物が現れた。

 

「な、何あれ?」

 

 手作り感抜群な怪物の出現に、呆気にとられる友奈(友哉)

 

 どうやら、何か狼のような怪物を似せてあるらしい。

 

秂狼(ルゥガル)!! 秂狼(ルゥガル!!)

 

 1人の少女がわざとらしく叫ぶと、皆が一斉に逃げ惑う演技をする。

 

 取りあえず、友奈(友哉)も合わせて一緒に逃げようとするが、その中で1人の少女が躓いて転んでしまった。

 

「おっと」

 

 助け起こそうとする友奈(友哉)

 

 だが、その手がクイッと横から引かれる。

 

「大丈夫ですよ緋村様。さ、こちらに」

 

 リサに腕を引かれて下がる友奈(友哉)

 

 見守っていると、怪物は倒れた少女を、胴部分の中に包み込んでしまった。

 

 なるほど。どうやら「食べられた」と言う演出であるらしい。

 

 その後、別の少女が腕を「食べられ」ながらも、怪物の額にキスをすると、怪物は大人しくなって下がって行く。

 

 その様子を見ていた友奈(友哉)は、大よそのストーリーが把握できた。

 

 恐らく、地方に伝わる怪物に生贄の少女を捧げる事で鎮める話。似たようなストーリーは、洋の東西を問わず、割とどこにでもある物である。

 

 やがて、そのイベントを最後にダンスはお開きとなった。

 

 これはこれで、なかなか貴重な経験だったと思う。あとでもう少し詳しい内容について、リサに聞いておこうと思った。

 

 と、

 

「ご主人様!!」

 

 リサの声に引かれて振り返ると、そこにはクロメーテル姿のキンジが、腕を組んで立っていた。

 

「おろ、キンジ、来てたの?」

 

 声を掛けようとするリサと友奈(友哉)だが、キンジは唇に人差し指を当てながら「日本語でしゃべるな」とジェスチャーで伝え、2人を風車小屋の方へと誘った。

 

 クロメーテルは、アラブ系の富豪と言う設定になっている。その事を考慮したのだろう。

 

 人気が少なくなったところで、ようやく3人はコーラを片手に口を開く。

 

「まさかご主人様がいらしているなんて・・・・・・油断しました」

 

 恥ずかしそうに俯きながらも、少し嬉しそうに告げるリサ。

 

 素の自分をキンジに見られた事が恥ずかしい反面、キンジが来てくれた事が嬉しいらしい。

 

 出会ってから数日しか経っていないのに、リサが抱くキンジへの崇敬は、長年共にある君臣よりも深いように思える。

 

 キンジには、こういう娘も必要だ。

 

 友奈(友哉)は2人のやり取りを聞きながら、そんな風に考える。

 

 「キーくんのハーレム(命名:理子)」には、何気にアクの強い面々が多い事を考えれば、リサのように大人しく、常に主よりも少し下がった場所を自分の立ち位置とする人間がいた方が、全体的なバランスの修正には便利なように思えるのだった。

 

「ねえリサ、あれはどういうストーリーだったの? ほら、最後の方で何か怪物みたいなのが出てきて、女の子が食べられてたりしてたけど」

 

 キンジとリサの話がひと段落した辺りで、友奈(友哉)はそう切り出す。

 

 今回のイベントは、帰国後のレポート提出に備えて、何としても外したくない要素である。それを考えれば、地元出身のリサから得られる情報は、大いに有益と考えるべきだった。

 

 だが、

 

 友奈(友哉)の質問に対し、リサは珍しく、一瞬険しい表情をした。

 

「リサ?」

「あ、いえ、すみません・・・・・・」

 

 怪訝な面持ちで尋ねる友奈(友哉)に、リサは慌てて表情を戻すと口を開く。

 

「そうですね、あれは『ジェヴォーダンの獣』・・・・・・秂狼(じんろう)狼男(おおかみおとこ)など、日本での呼び名は色々とありますが、吸血鬼のライバルとされ、あらゆる獣を従える力を持った、百獣の王なのですよ。18世紀頃に西ヨーロッパに現れ、村や町を荒らしまわったとか。そのジェヴォーダンの獣を、生贄の少女を捧げる事で、荒ぶる心を鎮める、と言うお話だったのですよ」

「吸血鬼っつったらブラドだろ。あれのライバルって言ったら、ああいう毛むくじゃならな感じのバケモノなのか?」

 

 キンジの質問を聞きながら、友奈(友哉)は脳裏に、かつて戦った《無限罪》ブラドの事を思い出す。

 

 ブラドは正に「バケモノ」としか称しようがない外見をしていた。身長は3メートル以上で、その重量感から来る威容は、ゆうに人間の10倍近い物があった。

 

 あのブラドのライバルと言うからには、それくらいあると考えるのが自然なのだが。

 

 しかし、リサは強い調子で首を振って否定する。

 

「ブ、ブラド様・・・・・・とは違うと思います。もっとずっと美しい、金色の大狼です。当時のフランスで描かれたスケッチもあるのです」

 

 地元のモンスターである故か、リサは秂狼の肩を持ちたい様子だ。

 

 そんなリサに、友奈(友哉)は苦笑する。

 

 まあ、「あの」ブラドと一緒にされるのは、リサならずとも流石に勘弁なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここは、どこなのだろう?

 

 周囲を見回しながら、友奈(友哉)は首をかしげている。

 

 周りは霧に包まれたように白一色となり、殆ど何も見えない状態となっている。

 

 不思議な空間だ。

 

 足元は妙にフワフワとして定まらず、しかいもはっきりとしない。

 

 一体、何が起こっているのか?

 

 そう考えた時だった。

 

「友奈」

 

 背後から声を掛けられて振り返る。

 

 するとそこには、不敵な笑みを浮かべたキンジが、真っ直ぐとこちらを見詰めて立っていた。

 

「ああ、キンジ、ここはいったい・・・・・・・・・・・」

 

 キンジの姿に安堵を覚えながら、質問しようとする友奈(友哉)

 

 だが次の瞬間、

 

 近付いてきたキンジの腕に、友奈(友哉)の細い体はすっぽりと抱きすくめられてしまった。

 

 うわ、キンジの体って、こんなに大きかったんだ。

 

 などと考えてから、ハッと我に返る。

 

「な、何するの、キンジ!?」

 

 抗議の声を上げる友奈(友哉)

 

 だが、そんな友奈(友哉)に、フッと笑い掛けるキンジ。

 

「怒った顔も素敵だな友奈は。けど、できれば笑ってくれないかな? 俺は笑顔の友奈の方が好きだよ」

 

 そう告げるキンジを見て、友奈(友哉)は確信する。

 

 キンジはヒステリアモードになっている。

 

 けど、どうして? いつの間に?

 

「ちょ、ちょっとッ ちょっと待って!!」

 

 言いながら、キンジの体を引き離す友奈(友哉)

 

 そんな友奈(友哉)に、キンジは不思議そうな顔を向けてくる。

 

「どうかしたのかい?」

「『どうした』はこっちのセリフだよッ キンジこそいったいどうしたって言うの!? 何でヒステリアモードになっている訳!? そ、それに・・・・・・・・・・・・」

 

 その後の、友奈(友哉)の言葉は続かない。

 

 「それに何で、男の自分に、あんな事をしたのか?」と言いたいのだが。

 

 それに対し、キンジはフッと笑って肩をすくめる。

 

「可愛い子を愛でるのは、男として当然の義務だろ」

「ぼ、僕は男だよ!!」

 

 女装なんかしているが、心まで女になるつもりはない。その事はキンジも判っている筈なのに。

 

 だが、そんな友奈(友哉)に、キンジは優しく諭すように言ってくる。

 

「何を言っているんだ友奈、君は女の子じゃないか」

「は? 何言って・・・・・・・・・・・」

 

 言ってから友奈(友哉)は、自分の体を見る。

 

 そこで、

 

 絶句した。

 

 胸が、ある。

 

 自分の胸が、大きく膨らみ、その存在感を恥ずかしげに主張している。

 

 B、いやCだろうか? 茉莉や瑠香よりも大きいくらいだ。

 

 そして、恐る恐る下にも手を伸ばし・・・・・・

 

「嘘・・・・・・・・・・・・」

 

 手の平に広がる空虚感に、絶望が心を支配していく。

 

 そんな友奈(友哉)を慰めるように、キンジはそっと近づくと、友奈(友哉)の顎に指を置いて上向かせる。

 

「さ、友奈、目を閉じて」

「ちょ、ちょっと、待って・・・・・・キンジ、待って」

「待たない」

 

 そのまま、キンジの顔がゆっくりと近づいてくる。

 

 対して、友奈(友哉)は目を閉じて顔を逸らし・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

「ウワァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 悲鳴と共に、友奈(友哉)はベッドから跳ね起きた。

 

 気が付けば、カーテンの隙間から日の光が差し込んできている。どうやら、いつの間にか朝が来ていたらしい。

 

「・・・・・・・・・・・・夢?」

 

 慌てて自分の体をまさぐるが、何ともない。いたって普通な、男の体だ。

 

 それを確認してから、友奈(友哉)は汗でぬれた前髪を鬱陶しそうにかき上げた。

 

「何て夢を見てるんだろ、僕・・・・・・」

 

 女になった自分が、ヒステリアモードのキンジに迫られて、そして最後には・・・・・・

 

「~~~~~~~~~~~~!!!!!!??????」

 

 思い出しただけで、強烈な自己嫌悪と羞恥心の連合軍に、友奈(友哉)の脳内は蹂躙され、ベッドの上でのたうちまわる。

 

 なぜ、あんな夢を見てしまったのか?

 

 一説によると、夢とは自己の願望が具現化して見る物であるとか。

 

 その点から考えると、あの夢はつまり、友奈(友哉)の・・・・・・・・・・・・

 

「ウワアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 ボスボスボスボスボスボス

 

 思いっきり枕を連打する友奈(友哉)

 

 と、その時。

 

「うるさいぞ緋村。朝っぱらから何やってんだ?」

 

 まさしく最悪のタイミングで、キンジが扉を開いて入ってきた。

 

 次の瞬間、

 

 ザンッ

 

「どわァッ!?」

 

 いきなり刃に反して繰り出された逆刃刀の一撃を、キンジはのけぞりながら真剣白羽どりで防ぐ。

 

 対して、友奈(友哉)は血走った目でキンジを睨み付けている。

 

 まるで「ジェヴォーダンの獣」に取りつかれたみたいで、ちょっと怖かった。

 

「い、いきなり何なんだ!?」

「・・・・・・何となく?」

 

 と、八つ当たりの張本人たる友奈(友哉)は、荒い息のまま答えるのだった。

 

 

 

 

 

「ったく、何となくで人を斬るのか、お前は」

「ご、ごめんなさい・・・・・・・・・・・・」

 

 椅子に座って腕を組み、説教モードのキンジに対し、友奈(友哉)は床に正座したまま小さくなる。

 

 朝食を終えてひと段落してから、キンジのお説教が始まっていた。

 

 友奈(友哉)がメイド姿をしている事もあり、絵的には完全に「悪い子を叱るご主人様」の図だ。

 

 キンジとしては、いきなり斬り掛かられたわけだから、怒りたくなるのも判る。

 

 今回は100パーセント、完全無欠で弁解の余地なく、一方的に友奈(友哉)が悪かった。

 

「お前の気持ちは判らんでもない。俺だって、今は他人事じゃないしな」

 

 苛立ちを押し殺したようなキンジの言葉に、友奈(友哉)はますますシュンとする。

 

 女装をしているのはキンジも同じなのだが、それでもキンジはまだ、自制している方である。

 

「それで、今回は何が原因なんだ?」

「そ、それは・・・・・・・・・・・・」

 

 まさか、あんな夢を見たとも言えず、言葉を濁らせる友奈(友哉)

 

 ちょうどその時、救世主が帰還した。

 

 買い物を終えたらしいリサが、戸をあけて入って来たのだ。

 

「ただいま帰りました」

 

 どうやら雪が降っていたらしく、リサの肩や頭にはうっすらと雪が付いている、

 

「ご主人様、緋村様、今日は教会の方に聖楽隊が来るそうですよ。後で行ってみませんか?」

「おろ?」

「聖楽隊?」

 

 嬉しそうにするリサに対し、顔を見合わせる友奈(友哉)とキンジ。

 

 ブータンジェにある教会はカトリック系。つまり、バチカンと繋がっている。

 

 そのような場所に、このタイミングで来る聖楽隊。

 

 友奈(友哉)とキンジは顔を見合わせると、素早く窓辺によって外を確認する。

 

 暫く、教会へと続く道を確認していると、数台のイタリア車が到着し、その中から白い法衣を着たシスターたちがぞろぞろと出てきた。

 

 皆若い。欧米人は日本人よりも顔立ちが大人びていると言う通説がある事を、年齢的には友奈(友哉)達よりも下なのかもしれない。

 

 だが、

 

 友奈(友哉)とキンジは、同時に気付いた。

 

 少女達が持っている楽器ケースの重心が、それぞれ微妙におかしい。それぞれに対応した楽器のバランスではない。

 

「キンジ・・・・・・」

「お前も気付いたか、緋村」

 

 恐らく、あの楽器ケースは見せかけ。中には別の物が入れられているのだ。

 

 そう思って監視を続けていた時だった。

 

「緋村、あれ見ろ」

 

 キンジに促されるままに視線を向けてみると、

 

 そこにはよく見知った人物が、指先に鳩を止めて佇んでいた。

 

「あれ、メーヤさん・・・・・・・・・・・・」

 

 絶句する。まさか、こんな形で知り合いの姿を確認する事になろうとは。

 

 恐らく、メーヤの持ち味である強化幸運(ヴェントラ)の影響だろう。そうでなくては、ここまでピンポイントで、このブータンジェを割り出せるはずはない。

 

 間違いない。あの聖楽隊はカムフラージュ。実態は、師団の戦闘部隊だ。

 

 とは言え、まだ悲観するには早い。

 

 メーヤの指のとまっている白鳩は、恐らく彼女の使い魔と思われるが、メーヤが認識できるのは恐らく「大体この辺にいる」と言う程度なのだろう。それを補うのが、あの使い魔と言う訳だ。

 

 これは、まずい事態だ。

 

 メーヤはおっとりした性格とは裏腹に、師団きっての交戦派である。眷属と見れば一切の容赦をかなぐり捨てて斬り掛かって行く。

 

 そんな彼女が、降伏したとは言え、元眷属のリサと会ったら、どんな反応をするか見当も付かなかった。

 

 加えて、メーヤは自身の分かと思われる10人のシスターを連れてきている。対してこっちの戦力は友奈(友哉)と、傷が癒えたばかりのキンジのみ。しかも、戦えないリサを抱えている状態である。

 

 戦えば勝負にならないのは明白だった。

 

「逃げるぞ緋村。すぐに荷物を纏めろ。リサには俺から伝える」

 

 キンジの決断は素早かった。

 

 平和とは、かくも脆く儚い物。いつ何時、如何様にして終わるかは見当も付かない。

 

 友奈(友哉)も、表情を引き締める形で気を張り詰める。

 

 穏やかな潜伏生活は今日で終わり。ここからまた、修羅の巷へと戻る決意を固めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クロメーテル姿のキンジ、メイド服ではない物の、髪をツインテールに結い、コートの前をしっかりと閉じた友奈(友哉)、それにスーツにメガネと言うオフィスレディ姿のリサは、それぞれ連れ立って、街の外へ通じる跳ね橋へと足早に向かっていく。

 

 ブータンジェは街の造りが入り組んでいるおかげで、入ってくる人間は判りやすいが、出ていく人間は判りにくいと言う特徴を持っている。

 

 街さえ出てしまえば、メーヤたちに気付かれる可能性は更に下がる筈。

 

 とにかく、それまでの勝負だ。

 

 そう思いながら、跳ね橋まで差し掛かった時である。

 

 橋に何やら、人だかりができている。

 

 そこで、愕然とした。

 

 橋が架けられた濠の中で、子供が溺れている。

 

 その子供には、友奈(友哉)も見覚えがある。確か、隠れ家の近所に住んでいた、ガキ大将のような少年である。

 

「フランツ!! フランツ!!」

 

 保護者と思しき老夫婦が、必死になって少年の名を叫んでいるが、誰もが助けに入るのを躊躇している様子だった。

 

 理由は、この濠の造りにあった。

 

 これはただの水たまりではない。外敵が塀を乗り越えて侵入した際、そこへ敵兵を落として溺れさせる為、広く深い造りとなっている。更に岸も高く急な崖状になっており、石垣の方はロープが足らせないようにデコボコの瘤に加えて、最上部には万が一にも水から上がれないように、鉄の杭まで打たれている。

 

 この濠があったからこそ、ブータンジェはナポレオンの侵攻を退ける事が出来たのだ。

 

 事態に気付いたシスターたちも橋に駆け寄って来るが、法衣では泳ぐ事も出来ないらしく、岸の集まって心配そうに眺めている事しかできない。

 

 どうする?

 

 友奈(友哉)は、チラッとキンジを見る。

 

 自分達にとって最善の策は、今すぐ、さりげない風を装って、この場を去る事だ。

 

 幸い、メーヤたちは騒ぎに気を取られ、こちらに気付く気配は無い。今なら安全確実に、ブータンジェを脱出できるはず。

 

 そうするべきだ。それ以外に選択肢は無い。

 

 だが、

 

 キンジは躊躇う事無く、橋の方へと駆け出した。

 

「お、おやめくださいご主人様ッ 死ににいくような物です!!」

 

 キンジの意図を察したリサが、悲痛な叫びを発してくる。

 

 彼女としても、あの少年は助けたいのだろう。しかし、この濠から人を助けるのは不可能に近い。加えて、出て行けば高確率で目を引く事になる。あまりに危険だった。

 

 だが、今のキンジに、そのような考えは無い。

 

 今ここで、あの少年を見捨てれば人の道に反する。それはキンジの奉じる正義にも反する行動だ。

 

 キンジは構わず、橋へと突き進んで行く。

 

「ダメですご主人様ッ この濠は底に汚泥が溜まっていますッ 足を取られては、まともに泳ぐ事なんてッ」

「死にかけてるやつをスルーするなんて、できる訳ないだろ!!」

 

 キンジは引き留めようとするオランダ人たちを振り払いながら、リサへと振り返る。

 

「お前は逃げろッ 今までありがとうな!!」

 

 そう告げると同時に、キンジは濠の中へと身を躍らせた。

 

 

 

 

 

 一方、友奈(友哉)は近くの民家の屋根を駆けるける。

 

 あれほど危険な濠だ。民家に救助用の船が無いか探すのだ。

 

 しかし、

 

「何で無いんだ!?」

 

 苛立ちまぎれに瓦屋根を蹴り付ける。

 

 どこを探しても、ボートのような類はない。

 

 恐らく、あの濠には誰も落ちない事を前提にしているのだろう。落ちたら最後、諦めるしかない、と言う訳だ。そうでなかったら、中世の物をそのまま残しておくはずがない。

 

「物持ちが良いのも考え物だよ!!」

 

 とにかく、もう少し探そう。

 

 そう思って駆け出そうとした時だった。

 

「緋村様―!!」

「おろ?」

 

 足元から名前を呼ばれて振り返ると、リサが必死になって手を振っているのが見える。

 

 その様子に驚きつつも、屋根から飛び降りる友奈(友哉)

 

「どうしたのリサ、早く逃げないとッ」

「そんな事より、手伝ってください」

 

 友奈(友哉)の言葉を遮り、リサは強い口調で言い募った。

 

「大家の方からボートを借りる事が出来ました。これで、ご主人様たちを助けに行けます!!」

「おろ、大家さんが?」

 

 言われて友奈(友哉)は、あの大柄なおばあさんの大家を思い出す。

 

 あの大家さんは何かと物持ちが良く、先日の祭りの際、友奈(友哉)とリサに衣装を貸してくれたのも大家さんだった。

 

 リサの案内でボートを止めてある場所まで行くと、焦る気持ちに押されながら舫い綱を解く。

 

「僕が漕ぐから、リサはみんなを引っ張り上げて!!」

「はいッ!!」

 

 リサを舳先に乗せて、ボートをスタートさせる友奈(友哉)

 

 オールを水面に付けると、まるでジェル状の液体のような感触が掌へとつながっている。

 

 リサが言った通り、この濠には長年の汚泥が溜まっている。これでは熟練の泳者でもまともに泳ぐ事はできないだろう。

 

 これでは濠と言うより、底なし沼に近い。一度沈めば、二度と浮かんでこれないだろう。

 

 それでも友奈(友哉)は、必死になってボートをこぎ続ける。

 

「あと少しです!!」

 

 リサの声に導かれるように、ボートは進んで行く。

 

 キンジはどうにか持ち堪えていた。

 

 フランツと呼ばれた大柄な少年も、大量の水を飲んではいるが、どうにか無事らしい。

 

 しかし、

 

 驚いた事に、現場にはもう1人、女性がいた。

 

 どうやら、助けに入ったのはキンジ1人ではなかったらしい。

 

「ご主人様、手を!!」

「リサ、何で逃げなかった!!」

 

 メイドを叱責しつつも、キンジはまずフランツ少年をリサへと渡す。

 

 とは言え、元々フランツ少年は大柄な事に加えて、大量の水を服で吸って重くなっている為、リサ1人では持ち上げる事ができない。

 

 そこで、友奈(友哉)もオールを離して引っ張る上げるのを手伝う。

 

 次いで、キンジと、もう1人の女性にも手を貸して引っ張り上げ、どうにか全員を窮すつする事に成功する。

 

 次の瞬間、

 

 濠の周囲から、街が割れるのではないかと思われる程の大歓声が巻き起こった。

 

 

 

 

 

 その後、フランツの保護者から多大な感謝をされ、シスターたちからも祝福された友奈(友哉)達は、一躍、街のヒーローとなった。

 

 とは言え、これだけ目立った以上、のんびりもしていられない。どうにかばれる前に離脱しないと。

 

 そう思った時だった。

 

「遠山さん?」

 

 呼ばれて、

 

 振り返るキンジ。

 

 すると、

 

 その視線の先では、不思議そうな眼差しを向けてきているメーヤの姿があった。

 

 

 

 

 

第5話「ジェヴォーダン」      終わり

 



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第6話「平穏の終わり」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遠山さん?」

 

 不思議そうな顔のメーヤに呼びかけられ、つい振り返ってしまうキンジ。

 

 傍らの友奈(友哉)とリサは、同時に「しまった」と言う顔をするが、既に後の祭りだった。

 

 キンジは相変わらずのクロメーテル姿だったが、やはりこれだけ近付けば、知り合いならば気付くだろう。

 

 次の瞬間、

 

 ガチャン

 

 背後で派手な音が鳴り振り返ると、先程、キンジと共にフランツの救助に当たっていた女性が、彼女の私物らしいバイクを倒し、驚いた表情でこちらを見ている。

 

 頭にはスカーフをかぶり、黒革装束を来た女性は、表情を伺う事はできない。

 

 しかし、どこかで会った事があるような気がするのだが・・・・・・

 

 友奈(友哉)がそう思った時、傍らに立っていたリサが、腰をぬかしたように、その場で尻餅をついた。

 

「パ、パトラ様!?」

「おろ、パトラ?」

 

 リサの声に導かれた友奈(友哉)は、逆刃刀の柄に手を置きながら振り返る。

 

 ほぼ同時に、観念したようにスカーフを取る女性。

 

 すると、

 

 その下から、《砂礫の魔女》パトラが姿を現した。

 

「リサ、占星術で居場所を見つけたが、タッチの差でメーヤも来ておったか。しかしなんぢゃ、さっきの舟での、トオヤマキンジの前でのイキイキした顔は。イ・ウーでは一度もそんな嬉しそうな顔をしなかったくせにの」

 

 なるほど、パトラもまた、脱走兵のリサを追ってここまで来たと言う事か。

 

 まさかの遭遇戦。

 

 友奈(友哉)達にとっては不運としか言いようが無かった。

 

 状況的には三つ巴。友奈(友哉)・リサ・キンジの逃亡組と、メーヤ率いるバチカンの聖楽隊。そしてパトラ。

 

 戦力的に一番不利なのはパトラだが、その事は彼女も心得ているらしく、バイクを起こして逃走の準備を始めている。

 

「トオヤマキンジ。どうやらお前も、師団に追われているようぢゃの。子供など放って、逃げればよかった物を」

「それはお前もだろ。師団の勢力圏内に飛び込んで来たくせに見つかってんじゃねーか。けど、お前も良い所あるんだな。少しだけ見直したぜ」

「わ、妾は、さっきはたまたま、急に泳ぎたかっただけぢゃ」

 

 小馬鹿にするような言葉に対し、キンジも負けじと言い返すと、少し慌てたように、パトラはそっぽを向く。

 

 確かに、子供を見捨てれば安全だったと言う意味では、キンジもパトラも、どっちもどっちである。

 

 かつては蛇のような執念さでアリアを浚い、キンジ達を追い詰めたパトラだったが、もしかすると根はやさしい部分があるのかもしれなかった。

 

 とは言え、和んでいるのもそこまでだった。

 

 パトラはすぐに表情を引き締め、全員を牽制するように構える。

 

「どうやら、師団が仲間割れしているのは本当だったようぢゃの。ほほほッ」

 

 言いながら、合図を送るパトラ。

 

 すると、濠の泥の中から、無数のコブラが湧き出してくる。

 

 どうやら、パトラの魔術であるらしい。

 

 同時にパトラの腰にベルトのように巻き付いていたコブラも、その輪の中に加わってシャッフルされる。

 

 これで、どれが本物のコブラなのか判らなくなってしまった。

 

 這い寄ってくるコブラたち。

 

 リサは腰を抜かしてキンジにしがみつき、身動きできなくなっている。

 

 シスター達も似たような物で、近付いてくるコブラに恐れをなして怯えているのが見て取れた。

 

 まともに動けそうなのは、友奈(友哉)とメーヤくらいである。

 

「うろたえてはなりません、乙女達!!」

 

 怯える部下達を叱咤しながら、メーヤは手にした大剣を振り回す。

 

「あれは魔女の術!! 魔女を前にして退がった者には私が神罰を与えますッ 物理的に!!」

 

 勇将の下に弱卒無しと言うが、メーヤはそれを体現しているかのように、部下のシスターたちを督戦している。

 

 部下達も、そんなメーヤに恐れをなしたのか、あるいは奮い立ったのか、法衣の下から一斉に細身の剣を抜いて構えた。

 

「あれは《砂礫の魔女》パトラ!! 名のある魔女を狩れば、殲魔科(カノッサ)の単位が一気に20も付与されて、半年は遊んで暮らせますよ!! アドナイ・メレク・ナーメン!!」

 

 勇ましくも言い放つメーヤ。

 

 それに対してパトラは、バイクをスピンターンさせて笑みを浮かべる。

 

「妾を討つ? バチカンはよく、できもしない事を嘯くのう」

 

 言いながら、身に着けた指輪や秒を変形させた弾子を撃ち放つ。

 

 その直撃を受けたシスターたちは、なぎ倒されていく。

 

 友奈(友哉)はキンジとリサの前に立つと、腰から逆刃刀を抜き放ち、飛んでくる弾子を刃で弾く。

 

 弾子は銃弾よりも遅い為、短期未来予測で捕捉する事は充分に可能だった。

 

 だが、弾子で目くらましをしている隙に、パトラは攻撃準備を整えていた。

 

 ネックレスを変形させて野球ボール大の金属球を作り出すと、それをメーヤ目がけて飛ばす。

 

 このままでは、メーヤは直撃を受けてしまう。

 

 そう思った次の瞬間、

 

「神罰代行ォォォォォォ!!」

 

 振りかざした大剣で、飛んできた弾丸を撃ち返してしまった。

 

 メーヤが撃ち返した金属弾は、そのままパトラの方へ帰って行き、彼女のすぐ横にあった木製の橋げたを粉砕してしまう。

 

 これには、流石のパトラも呆気にとられている。リサに至っては、再び腰を抜かして、その場にズルズルと座り込んでしまっていた。

 

「チッ 外しましたか」

 

 悔しそうに舌打ちするメーヤ。

 

 それに対し、流石に利あらずと踏んだのだろう。パトラはそのままバイクをスタートさせると、使い魔のコブラを連れて走り去ってしまう。

 

 それに対し、友奈(友哉)達は追う事ができない。

 

 置き土産とばかりに、パトラは友奈(友哉)やキンジの足に偽コブラを巻き着かせて動きを封じている。恐らく、パトラはメーヤに友奈(友哉)達を捕えさせ、その間に距離を稼ぐつもりなのだ。

 

 加えて、腰を抜かして動けないでいるリサの事もある。彼女を置いて逃げる事はできない。

 

 パトラの攻撃を受けてなぎ倒されたシスター達も、次々と立ち上がってきている。

 

 逃げる事も、戦う事も不可能。完全にジ・エンドだ。

 

 こうして、

 

 友奈(友哉)、キンジ、リサの3人はあえなく、メーヤ率いるシスターたちに捕縛されたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 待遇は、思った以上に友好的な物だった。

 

 これには、メーヤが友奈(友哉)達の事を敵視していない事が大きかったと思われる。

 

 シスターたちは武器を修めると、3人を包囲しつつも丁重に扱い、教会まで連行してきた。

 

 そして今は、地下の小部屋に軟禁されて、出された食事を食べている。

 

 一応、見張りのシスターは着いているが、武装は解除されていないし、彼女達も友好的に接してきている。

 

 取りあえずの所、大きな問題は起きていない。

 

 もっとも、傍らでパンをちぎって食べているリサは、なぜかちょっと不機嫌そうにしているが。

 

 そこへ、自分も食事をしてきたらしい、メーヤが入ってくるのが見えた。

 

「遠山さん、緋村さん、また会えて本当に良かった!!」

 

 開口一番、そう言うなりメーヤは、キンジの頭を優しく抱きしめる。

 

 とは言え、メーヤの胸は友奈(友哉)が知る限り、過去最大クラスの威容を誇っている。

 

 抱きすくめられたキンジの頭が、殆ど埋まっている状態である。

 

『あ、これはヒスッたか?』

 

 と思ったが、程なく顔を上げたキンジに、特段の変化は無い。どうやら、一歩手前で踏みとどまる事に成功したようだ。

 

 キンジも成長したなー などと考えていると。

 

 ギンッ

 

「ビックゥッ」

 

 何やら、横合いから強烈な殺気が迸り、友奈(友哉)は思わず背筋が寒くなるのを感じた。

 

 恐る恐る振り返ると、何やらメーヤをものすごいで勢いで睨み付けている、リサ・アヴェ・デュ・アンクさんがいた。

 

「すごいお胸ですね、シスター様」

「はい? ああ、これは肩が凝るだけですよ」

 

 リサの強烈な皮肉はしかし、メーヤにあっさりとかわされてしまう。

 

 メーヤはと言えば、特にリサの態度を気にした風も無い。もともと天然気味な性格である為、こんな時でも自分のペースを全く崩していなかった。

 

「あのシスターたちを、この部屋には戻さないでください。さっき、ご主人様に食事を出した事が気に入りません。ご主人様の身の回りのお世話は私がするのです。私以外の物を仕えさせないでください」

 

 舌鋒鋭いリサの様子を見て、なるほどと友奈(友哉)は内心で頷く。どうやら、さっきから不機嫌だったのは、シスターたちが勝手にキンジに食事を出したことが原因だったらしい。

 

 生粋のメイドであるリサからすれば、自分を差し置いて誰かがキンジの世話を焼く事が許せなかったのだろう。

 

 メーヤとしても、事情はよく判らないが反対する理由も無かったのだろう。あっさりとリサの要求を受け入れた。

 

「では、遠山さん、緋村さん、少し、お話しさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「ああ・・・・・・あ、いや、ちょっと待った」

 

 頷きかけたキンジは、そこで何かを思い出したように友奈(友哉)に向き直った。

 

「悪いが緋村、お前は残ってくれ」

 

 言いながら、キンジはマバタキ信号で合図を送ってくる。

 

《内通者、可能性、リサを守れ》

 

 短い文面から、友奈(友哉)はキンジの意図を察する。

 

 つまりキンジは、聖楽隊の中に内通者がいる可能性があり、そいつがリサに危害を加える事を懸念してるのだ。

 

 対して、友奈(友哉)も頷きを返す。

 

「判った。あとで話の内容を聞かせてよ」

「ああ。判ってる」

 

 キンジはそう言うと手を振って、メーヤに続いて部屋を出ていく。

 

 後には友奈(友哉)と、尚も不機嫌そうにそっぽを向いているリサだけが残された。

 

「・・・・・・・・・・・・機嫌直しなって」

 

 リサを案ずるように、友奈(友哉)は声を掛ける。

 

「気持ちはわかるけど、今からそれじゃ身が持たないよ」

「・・・・・・どういう意味ですか?」

 

 尚も頬を膨らませて尋ねてくるリサに、友奈(友哉)は苦笑しながら答える。

 

「キンジって、ああ見えて、結構周りに女の子多いから。いちいち気にしてたら疲れるだけだよ」

「ええ!?」

 

 友奈(友哉)の説明に、リサは素っ頓狂な声を上げる。

 

 キンジは普段から女嫌いを公言している為、そんなキンジが、周りに女を侍らせ(間違い)ている事など、リサには想像できなかったらしい。

 

「ご主人様は、そんなにおモテになるのですか?」

「あー・・・・・・モテる、のとはちょっと違うかな。どっちかと言えば、引っ張りまわされていると言うか、ドツキ回されていると言うか・・・・・・」

 

 主に、ピンク色の髪をしたヒロインに。

 

「そ、そうなのですか・・・・・・ご主人様は、いつも苦労されているのですね。やっぱり、リサがいつもお傍にいて、ご主人様をお助けしてあげないと」

「ん、その意気だよ」

 

 実際、リサのような存在がキンジの傍にいてくれることが望ましいと、友奈(友哉)は思っている。

 

 この欧州戦線がどのような形に終わるかはまだわからないが、もし勝つ事が出来たなら、リサの処遇について話題になった場合、その方向性で調整するように働きかけてみようと思った。

 

 キンジ自身が何と言うかは判らないが、少なくともリサは喜ぶだろうし、彼女にだって、これくらいの報酬はあっても良いと思うのだ。

 

 と、

 

「そう言えば、緋村様には、そう言ったお話は無いのですか? その、女性関係とか」

「おろ、僕に?」

 

 何やら興味が湧いたらしいリサが、そう尋ねてくる。

 

 そう言えば、彼女に日本での事を話した事が無かった気がする。まあ、流石にキンジ程の武勇伝は持っていないつもりだが。

 

「僕はほら、日本に付き合っている彼女がいるからね」

 

 そう言えば、ブータンジェにいる間、逆探知を警戒して携帯電話の電源を殆ど落としていた為、茉莉達とも連絡が取れなかった。

 

 幸か不幸か、こうして捕縛されてしまった以上、位置情報を秘匿する理由も同時に無くなったので、後ほど、携帯の電源を入れてメールの確認でもしておこう。

 

 そんな事を考えていると、リサは何やら真剣な眼差しで顔を近づけて来た。

 

「『彼女』と言うのはもしや、『彼氏』を裏返した、現代日本特有の隠語では・・・・・・」

「何でそうなるの!!」

 

 どこかで聞いたようなセリフに、ツッコミを返す友奈(友哉)

 

 そこでふと、ピンとくるものがあってリサに向き直る。

 

「そう言えばイ・ウーにいたんならリサも知ってるんじゃないかな、瀬田茉莉って・・・・・・」

「ああ、茉莉様でしたかッ」

 

 友奈(友哉)の説明を聞いて、リサもポムッと手を叩く。

 

 やはりと言うか、リサは茉莉とも面識があったらしい。

 

「茉莉様は良い方です。あの方と、他に何人かの方は、イ・ウーでもリサに優しくしてくれたのです」

 

 茉莉は無法者揃いのイ・ウーの中にあっても、ジャンヌや理子など、幾人かの同期達とは友好関係を築いている。

 

 どうやら、彼女達とリサとは、比較的仲が良かったと見える。反面、眷属での扱いを見るに、パトラ達とは、あまり上手く行っていなかった事が伺える。

 

「そうですか、茉莉様と緋村様がお付き合いなさっていたんですか」

 

 何か思うところがあるらしいリサは、感慨深そうに頷いた。

 

 その時だった。

 

 突如、地下室全体が、微かな揺れに襲われた。

 

 天井からはぱらぱらと誇りが舞い落ち、家具が音を立てて揺れる。

 

「地震?」

「いえ、近くで何かが爆発したのかもしれません」

 

 不安に顔を青褪めながら、リサは友奈(友哉)の言葉を否定する。

 

 火山列島の日本と違い、オランダは地震が無い事で有名である。そのためリサは、真っ先に爆発の可能性を示唆したのだ。

 

 その時、

 

敵襲(インカシオネ)!! 敵襲(インカシオーネ)!!」

 

 何かを狂ったように叫びながら、シスターが廊下をはしていく。

 

 言葉は判らない友奈(友哉)だが、明らかに異常事態が起こっている事だけは理解できた。

 

 机の上に置いておいた逆刃刀を手に取ると、ベルトのラックに差し込む。

 

「様子を見てくる。リサはここにいて」

「は、はい」

 

 素早く指示を出すと、友奈(友哉)は部屋の外へと飛び出す。

 

 もしリサの言うとおり、この振動が爆発によるものだとしたら、ただの爆発じゃない事は容易に想像できる。

 

「眷属の、奇襲。まさかこんなに早く・・・・・・・・・・・・」

 

 舌打ちする友奈(友哉)

 

 恐らくパトラがブータンジェの事を知らせたのだろうが、こうも敵の進撃が速いとは思わなかった。

 

 こちらは完全に後手に回った形である。

 

 どの程度の敵が来ているのかは判らないが、果たして勝てるか?」

 

 焦燥感に駆られながら、友奈(友哉)は地上へと続く階段を駆け上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 協会の地上部分はひどい有様だった。

 

 壁は所々破壊され、鮮やかなステンドグラスは粉々になって床に散らばっている。

 

 次の瞬間、割れたガラスをすり抜けるような形で、何かが礼拝堂へと飛び込んでくるのが見えた。

 

 矢だ。

 

 その矢の先端には、爆薬が取り付けられているのが見える。

 

「クッ!?」

 

 とっさに床を転がり、物陰へと退避する友奈(友哉)

 

 次の瞬間、床に炸裂した爆薬により、礼拝堂全体を揺るがす衝撃が襲い来る。

 

 明らかに敵意を持った攻撃だ。こちらを殲滅する心算で攻撃してきているのは間違いないだろう。

 

「緋村ッ」

「こっちです!!」

 

 声に呼ばれて振り返ると、窓際で身を潜めているキンジとメーヤが、手招きしているのが見えた。

 

 頭を低くして駆け寄る友奈(友哉)

 

「やられたね。敵の侵攻は思った以上に早かったみたい」

「ああ。どうやら連中は、近場で待機していたみたいだな。それが、パトラの連絡を受けて攻め込んで来たってところだろう」

「あの時討てなかったのが悔やまれます」

 

 友奈(友哉)の言葉に、キンジとメーヤも頷きを返す。

 

 ここにいる戦闘員は13名。うち、代表戦士はキンジ、友奈(友哉)、メーヤの3人のみ。一応、リサも代表戦士だが、彼女は頭数に入らない。

 

 相手の頭数にもよるが、こちらの不利は否めなかった。

 

「お二人とも、通りの向こう、風車小屋の羽根の上にいる、グレーのブレザーを着て、水色のリボンの少女を確認してください」

 

 メーヤに促され、友奈(友哉)とキンジは窓の縁からそっと顔を出して覗いてみる。

 

 するとメーヤの言うとおり、風車小屋の羽根の上に少女が立っている。

 

 幼い。恐らく小学生か、中学1年くらいではないだろうか? ただ、かなり目つきが悪く、遠目にもムスッとしているのが判った。

 

「あれは颱風(かぜ)のセーラ。ロビン・フッドの血を引いた、スコットランドの魔女です」

 

 ロビン・フッドとは、中世イングランドにおける伝説上の人物で、所謂、義賊(アウトロー)的な英雄として有名である。もっとも、その実態はイマイチはっきりせず、実在を疑われてもいる。

 

 なるほど、風で矢を操り、先程の爆撃を敢行していた物らしい。

 

 それにしても、火の白雪、氷のジャンヌ、土のパトラ、水のカツェ、雷のヒルダと来て、今度は風のセーラ。RPGで出てくる属性で、有名処が概ね出そろった事になる。そのうち、上位属性で光とか闇とかも出てくるかもしれなかった。

 

 セーラは傍らに、彼女の背丈よりも高い長弓を携えている。恐らくあれが、彼女の武器なのだろう。

 

 銃火器全盛の今代にあって、弓と言えば古臭いと言うイメージが強いが。実際のところ、利点も多い。

 

 まず、発射の際、発砲音が全くしない為、静粛性に優れる。それでいて、殺傷能力にも優れている。物によっては大岩すら貫通すると言うのだから侮れない。

 

 弱点と思われる射程も、長弓なら150メートル以上と、そこらの拳銃よりもはるかに長い。

 

 構造もシンプルな為、故障が少ない。

 

 加えて、銃弾と違って、矢の調達コストが低い事も挙げられる。何しろ、人によっては自作も可能なくらいである。

 

「セーラは風を操り、常識外の距離、方角から敵を射抜く弓の名手です。ただ、人とコミュニケーションを取らず、気分屋で、眷属も扱いにくかったらしく、前線まで出撃する事は稀で、奥の手のような存在だったみたいです」

 

 メーヤの説明を聞き、友奈(友哉)は思案する。

 

 滅多に姿を見せないセーラが、このブータンジェに現れた、と言う事は眷属は拠点を移動した可能性が高い。

 

 兵器庫(アルゼナール)の方は、放棄したのか、それとも維持しているのかは判らないが、少なくとも場所が割れた以上、拠点としては不適切であると判断された可能性が高かった。

 

「セーラの有効射程距離は?」

「彼女の弓術は、通常の弓射とは異なる攻撃の概念と捉えなくてはなりません。あの矢は彼女の操る気流に乗り、どこまでも飛ぶと言われています。噂では、2キロ先に当てた矢の矢筈に、次の矢を命中させたと言う話もあります」

 

 必中の狩人。

 

 レキ以外に魔弾の射手がいるとは驚きである。しかも、それが敵側と言うのが、また厄介な話である・

 

「狙撃手は厄介だ。まずセーラを潰すぞ」

 

 言いながら、ベレッタをコッキングするキンジ。

 

 と言うか、友奈(友哉)は今さら気付いたのだが、キンジはヒステリアモードになっている。いったい、メーヤと二人っきりの時に何をしていたのやら?

 

 密かに溜息をつく友奈(友哉)

 

 天然ジゴロ遠山キンジは、相変わらず侮れなかった。

 

 作戦は本隊と別働隊とに分かれる形式。メーヤ率いるシスター部隊が正面から接近し、それを機動力に勝るキンジと友奈(友哉)が左右両翼に展開して掩護しつつ並走、最終的に目標の風車小屋を包囲すると言う物だった。

 

 メーヤは胸の前で十字を切ると、手にした大剣を高らかに掲げる。

 

聖乙女(おとめ)達。ここより先、颱風、砂礫、厄水の3魔女の首を持ちかえらない限り、1歩たりとも後退する事は許しません!!」

はい(ペーネ)!!』

 

 メーヤの叱咤に答えるように、シスター達も勇ましく返事を返す。

 

「主は我が剣、我が磐盾なり!! サン・カルロ・アル・コルソ聖堂の鐘を融き、十字軍の聖剣と同じ型で鋳り、サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂の銀十字から削った銀を鍍し、聖水と聖骸布で磨き上げた私達の鐘十字剣(サントカンパナ)に滅ぼせぬ魔はありませんッ!! 神罰代行ォ!! 私に続けェー!!」

 

 言い放つと同時に、メーヤに率いられたシスターたちは一斉に突撃していく。

 

 彼女達の武器は、手にした剣と小型の盾のみ。

 

 たちまち、眷属側からの銃撃がシスターたちに襲い掛かってくる。

 

 シスターたちが着ている法衣は防弾仕様のようだが、やはり衝撃までは殺す事ができないらしく、字銃撃を浴びた少女達は次々と倒れていく。

 

 その様子を、友奈(友哉)とキンジは唖然とした調子で眺めていた。

 

「・・・・・・・・・・・・あのさ、キンジ」

 

 ややあって友奈(友哉)は、呆けたように口を開く。

 

「僕さ、何となくだけど、欧州(こっち)の師団が何で苦戦してるか、判った気がする」

「安心しろ、俺もだ」

 

 何だか、戦国時代の長篠の合戦を想起させるような光景である。

 

 仲間内で言えば、友奈(友哉)や陣、かなめ、ジーサード(金三)など、銃を使わない者は何人かいるにはいるが、それらは高い実力に裏打ちされた例外中の例外である。基本的に、剣は銃に敵わないのが普通なのだが、バチカンは雰囲気重視なのか、大時代的な戦闘方式に拘っているらしい。

 

 とは言え、彼女達の戦いを眺めている余裕は無い。

 

「行くとするか、俺達も」

「了解」

 

 頷き合うキンジと友奈(友哉)

 

 2人は同時に地を蹴った。

 

 

 

 

 

 友奈(友哉)は跳躍と同時に、屋根の上を駆ける。

 

 相手に狙撃手がいる以上姿を晒すのは危険なのだが、物陰に隠れながら地道に接近を図るのは、友奈(友哉)の主義に反する。

 

 ここは、自身の機動力に賭けて、一気に接近を図るのが得策と考えたのだ。

 

 視線の先にある風車小屋。

 

 その羽根の上に立ったセーラが、弓を構えるのが見える。

 

 ほぼ同時に、距離のある友奈(友哉)とセーラの視線が交錯する。

 

 先程のメーヤの説明を聞けば、セーラは風の力で矢を操る事ができるらしい。と言う事は、矢の速度を早くしたり、カーブさせる事もできる可能性がある。

 

 だが、先程の説明とは逆に、弓は銃に、絶対的に劣っている部分が一つある。

 

 それは、

 

「弓を射る動作は、決してゼロにはできない!!」

 

 弓弦を震わせて矢を放つセーラ。

 

 予想通り、速い。

 

 だが、

 

 風を切って飛んできた矢を、友奈(友哉)は首をかしげることで、紙一重で回避する。

 

 狙撃手が厄介なのは、「どこから仕掛けて来るか判らない」と言う奇襲的な要素も大きい。だが、今のセーラは、堂々と姿をさらしている。

 

 そして、見えてさえいれば友奈(友哉)は、短期未来予測で幾らでも対応可能だった。

 

 対して、セーラも次の行動が早い。

 

 素早く矢筒から抜いた矢を弓につがえ、二射目を放つセーラ。

 

 今度は更に速い。

 

 通常の動きでは捉えきれない。

 

 そう判断した友奈(友哉)は、自身の感覚を更に加速させる。

 

 飛んできた矢を、刀で打ち払う。

 

 セーラが、ジト目に僅かに見開くのが見えた。どうやら、2発もの矢を防がれたのが、彼女のプライドを傷つけたのかもしれない。

 

 更に攻撃を続行しようと、矢筒に手を伸ばすセーラ。

 

 だが、ふいに、鏃の目標を左へとずらすのが見えた。

 

 どうやら友奈(友哉)に気を取られている隙に、右翼のキンジが風車小屋に迫っているらしい。セーラは、そちらの迎撃に注意を向けたのだ。

 

 その様子に、内心で息を吐く友奈(友哉)

 

 どうにか2射までは防いだものの、流石は眷属で代表戦士を務めるだけの事はある。次があったら防げたかどうかわからなかった。

 

 セーラの気が削がれた今がチャンス。この間にどうにか、風車小屋まで辿りつくのだ。

 

 再び駆け出そうとする友奈(友哉)

 

 だがその時、

 

 その足元に、数発の銃弾が炸裂。駆ける足を強制的に止められる。

 

「ッ!?」

 

 顔を上げる友奈(友哉)

 

 そこへ、迫ってきた刃が横なぎに振るわれる。

 

 とっさに、自身も刀を繰り出して防ぐ友奈(友哉)

 

 だが、突然の事で対応しきれず、大きく吹き飛ばされ、隣の家の屋根に着地する。

 

「よくかわしました。また、腕を上げましたね」

 

 落ち着いた調子で発せられる声。

 

 顔を上げる先には、仮面をかぶった男が、右手には刀を、左手には銃を構えて立っている。

 

「由比彰彦」

「お久しぶり。クベール空港以来ですか」

 

 迂闊だった。眷属の本隊が攻めて来たのなら、当然、この男もいると考えて然るべきであった。

 

 逆刃刀を構え直す友奈(友哉)

 

 対して、彰彦も得意の一剣一銃(ガンエッジ)に構える。

 

「君とは、後の事を考えれば、ここでぶつかるのは不本意なのですが、これも依頼上やむを得ない事。すいませんが、全力で行かせてもらますよ」

「それは・・・・・・・・・・・・」

 

 言いながら、友奈(友哉)は逆刃刀を寝せると、刃の腹に手を当てて駆ける。

 

「こっちのセリフです!!」

 

 言いながら、間合いへと入ると同時に、刃を高く繰り出す。

 

「飛天御剣流、龍翔閃!!」

 

 振り上げられた刃。

 

 対して彰彦は、流れに逆らわず、斜め後方に跳躍しながら回避。同時に、友奈(友哉)に向けてグロック19を三点バーストで発砲する。

 

 放たれる弾丸。

 

 対して、友奈(友哉)の体は、龍翔閃を放った直後で、未だに空中にある。

 

 直撃はやむを得ないか。

 

 そう思った次の瞬間、

 

 友奈(友哉)は空中で鋭く剣を振るい、飛んできた弾丸を全てきり飛ばす。

 

「ほお・・・・・・・・・・・・」

 

 その様子に、彰彦は思わず、仮面の奥で感嘆を洩らす。

 

 数々の実戦を経て成長を遂げた友奈(友哉)の姿に、彰彦も感動を禁じ得ない様子である。

 

「どいて貰います!!」

 

 言いながら、逆刃刀を掲げて斬り掛かる友奈(友哉)

 

 ここで彰彦に構っている暇は無い。何としても突破して、風車小屋まで攻め込まないと。

 

 だが、そんな友奈(友哉)の心情を見透かしたように、彰彦はグロックをフルオートに切り替えて斉射してくる。

 

「クッ!?」

 

 放たれた弾幕に対し、とっさに宙返りしながら回避。屋根の上に着地しながら、友奈(友哉)は舌打ちする。

 

「行かせませんよ。君には、ここで私の相手をしてもらいます」

 

 静かに言い放つ彰彦。

 

 対して、友奈(友哉)の中で焦燥が募って行く。

 

 今頃は既に、キンジも、メーヤたちも風車小屋に辿りついている頃だろう。だが、友奈(友哉)が行かないと包囲網が完成しない。

 

「どけッ!!」

 

 駆ける友奈(友哉)

 

 しかし、焦りを含んだ攻撃は、鋭さに欠ける。

 

 彰彦はあっさりと友奈(友哉)の剣を防ぐと、至近距離からグロックを発砲して吹き飛ばす。

 

 屋根の上を転がる友奈(友哉)

 

 その友奈(友哉)を、彰彦は冷ややかな目で見据える。

 

「戦闘中によそ見とは、なかなか余裕ですね」

 

 言いながら、グロックの銃口を友奈(友哉)に向ける彰彦。

 

 その時、

 

「ッ!?」

 

 突如、強烈ん殺気に当てられ、彰彦は友奈(友哉)への攻撃を中断して後退する。

 

 次の瞬間、

 

 漆黒の影が、彰彦の襲い掛かった。

 

 繰り出される、鋭い蹴り。

 

 とっさの後退が速かったため、直撃は無い。

 

 しかし、

 

「馬鹿な・・・・・・」

 

 たった今、自分を攻撃した相手を見て、彰彦は呻き声を上げた。

 

「なぜ、あなたが?」

 

 その人物は、漆黒のロングコートを羽織り、顔は口元をマスクで覆っている。顔立ちは日本人のようだが、右目が不気味に赤く輝いている。

 

 そして、背には二振りの日本刀を交差させて収めていた。

 

 その容姿、そして、圧倒的とも言える存在感。

 

「妖刕・・・・・・・・・・・・」

 

 友奈(友哉)は、身を起こしながら、その名を呟く。

 

 欧州戦線にあって、眷属に味方する凄腕の傭兵。その片割が、ついに友奈(友哉)の前に姿を現したのだ。

 

 だが、

 

 奇妙な事に妖刕は、まるで友奈(友哉)の事を守るように、背に庇いながら彰彦と対峙している。

 

「邪魔をするのですか?」

「悪いが、コイツだけは特別だ。緋村には少々借りがあるんでな」

 

 妖刕の言葉に、友奈(友哉)は首をかしげる。

 

 まるで妖刕は、自分の事を知っているかのような口ぶりである。しかし、友奈(友哉)は、この妖刕を名乗る人物の事は、見た事も無い。

 

 いったい、何がどうなっているのか?

 

 混乱する友奈(友哉)

 

 それに対し、妖刕は僅かに顔を振り向かせて、友奈(友哉)に鋭い視線を投げ掛けて来た。

 

「さっさと行け。俺の気が変わらないうちにな。まあ、行ってももう、どのみち間に合わんがな」

 

 どうやら本気で、友奈(友哉)を掩護する心算らしかった。

 

 理由は、相変わらずわからない。しかし、今だけはありがたかった。

 

 駆け出す友奈(友哉)

 

 対して、彰彦は妖刕を鋭く睨み付けながら尋ねる。

 

「君は一体、何なのですか? なぜ、わたしの邪魔をするのです?」

「ただの高校生だよ」

 

 言いながら、背中の刀に手を伸ばす妖刕。

 

「ちょっと変わった、荒っぽい高校のな」

 

 

 

 

 

 予定を大幅に遅らせながら、友奈(友哉)は再び進撃を再開する。

 

 仕立て屋の登場に、妖刕の存在。

 

 気になる事は色々とあるが、今はまず、味方と合流する事を最優先に考えなければ。

 

 キンジはヒステリアモードになっていたし、メーヤもバチカンの代表戦士だ。滅多な事でやられる事は無いだろうが、しかし相手にもカツェ、パトラ、セーラがいる以上、不利は否めない。

 

 本来なら、それを補うための包囲作戦だったのだが。

 

「間に合えッ」

 

 駆けながら、祈るように呟く友奈(友哉)

 

 だが、次の瞬間、

 

 友奈(友哉)の視界の先で、強烈に発光する光の砲弾が迸った。

 

 その光を放った人物は、日本人風の顔立ちをした少女で、円環の形をした、奇妙な剣を携えている。

 

 どこか浮世離れしたような、他とは何かが違う雰囲気。しいて言うなら、つい先程対峙した妖刕と、似ている部分がある気がする。

 

「まさか、あれが魔剱・・・・・・」

 

 友奈(友哉)が呆然と呟いた時だった。

 

「キャァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 光の直撃を浴びたメーヤが、悲鳴を上げるのが聞こえた。

 

 次の瞬間、彼女の着ている法衣や靴がビリビリと破け、見る間に下着姿へと剥かれていく。

 

 更に、メーヤの代名詞のように存在感を誇示していた大剣も、地面に落ちて粉々に砕け散ってしまった。

 

 地面に倒れ伏すメーヤ。

 

 その姿に、友奈(友哉)は愕然とした。

 

 バチカンの戦士であり、対眷属の急先鋒だったメーヤが、まさかたった一撃で敗れ去るとは。

 

 どうやら魔剱は、超能力を無効化するような能力を持っているようだ。

 

 そのメーヤを守るように、シスターたちが盾を掲げているのが見える。

 

 まずい事になった。

 

 メーヤが倒れた以上、指揮官を失ったシスターたちは、ただ恐怖に駆られて震える事しかできないでいる。

 

 何とか救援を、

 

 そう考えて、友奈(友哉)はキンジに視線を向けた。

 

 次の瞬間、

 

《来るなッ!!》

「ッ!?」

 

 マバタキ信号を発せられ、友奈(友哉)は思わず動きを止める。

 

 更にキンジは、立て続けに瞼を上下して信号を送ってくる。

 

R・A(逃げろ)!!》

「そんなッ!!」

 

 短縮マバタキ信号の意味を悟り、友奈(友哉)は思わず声を上げる。

 

 キンジとて、既に自分達が不利なのは判っているだろう。

 

 だが、それでも尚、最後の賭けに出ようとしている。

 

 友奈(友哉)1人なら、あるいは機動力に任せて眷属の追撃を振り切れるかもしれない。その為に、自分は掩護に徹しようとしているのだ。

 

「でも、キンジ・・・・・・・・・・・・」

 

 言いかけた友奈(友哉)に対し、しかしキンジは、更なるマバタキ信号を送ってくる。

 

 その意味を理解すると、友奈(友哉)

 

「・・・・・・・・・・・・クッ」

 

 舌打ちして、踵を返した。

 

 キンジの想いを無駄にはできない。

 

 今は確かに、この事態を師団側に知らせなくてはならない。

 

「待っててキンジ・・・・・・必ず、助けに行くから」

 

 悔しさに後ろ髪を引かれる友奈(友哉)

 

 その姿は、あまりにも無力でしかなかった。

 

 

 

 

 

第6話「平穏の終わり」      終わり

 



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第7話「悲しみのカルネアデス」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友奈(友哉)がブータンジェを脱出し、走行する列車の貨物車輌に身を潜める形でアムステルダムに到着したのは、ブータンジェ陥落から一夜明けた翌日の事だった。

 

 眷属の警戒を襲撃して一旦は街道方面に逃げると見せかけ、そこから大きくUターンしてブータンジェ近郊の線路脇で待機。そして走り始めた列車の貨物倉庫を開けて、内部に潜り込んだのである。

 

 眷属も、ブータンジェでの交戦で消耗していた事に加えて、キンジやメーヤを捕縛した事で、戦力的な余裕も無かったらしい。幾人かの構成員が追撃してくる気配はあったが、カツェ、パトラ、セーラと言った大物が追ってくることは無く、友奈(友哉)は辛うじて、眷属の目を晦ます事に成功したのである。

 

 もし眷属が本格的に友奈(友哉)追撃を行っていたら、如何に友奈(友哉)であっても振り切る事は不可能だっただろう。

 

 アムステルダムに到着すると、駅にはワトソンが車で迎えに来ていた。

 

 どうやら友奈(友哉)達がブータンジェに潜伏している間に、リバティ・メイソンは拠点をアムステルダムに移し、眷属側の動向を伺うと同時に、反撃の機を伺っていたのだ。

 

 ワトソンと合流した友奈(友哉)は、その足でリバティ・メイソンのロッジへと向かった。

 

 ロッジはアムステルダム中央駅から15分ほど行った所にあるWTCビルの最上階で、エメラルド色の格子ガラスが美しいビルである。

 

 そこで友奈(友哉)は、ここ数日に起こった事の仔細を報告した。

 

 ブータンジェで眷属の脱走兵であるリサを含めて潜伏していた事、そこへメーヤ率いるバチカンと、パトラに導かれた眷属が同時に現れ戦闘になった事、敵側に仕立て屋や魔剱がいて敗北、キンジやメーヤが捕縛された事。

 

 友奈(友哉)としては、せめてリサだけでも助けて脱出しようかと思ったのだが、眷属側の目から逃れて行動しなくてはならなかった事から一歩及ばず、ようやく友奈(友哉)がブータンジェの協会に戻った時には、リサは捕えられて連行されていくところであった。

 

 話を聞いていたカイザーを始め、リバティ・メイソンのメンバー達は、事態の深刻さに言葉も出ない様子である。

 

 特に、キンジとメーヤが捕縛された事の深刻さには、戦慄を禁じ得ない様子である。

 

 キンジ、メーヤ、そして行方不明のジャンヌの存在は、(去就の是非はどうあれ)師団にとって貴重な戦闘用戦力である。それが、一気に失われた形である。

 

 ここまでの劣勢となれば、もはや逆転するのは難しいと言わざるを得ない。

 

 だが、戦慄するのはまだ早いだろう。何しろ、友奈(友哉)にはもう一つ、衝撃の情報があるのだから。

 

「内通者は、バチカンです」

 

 その言葉に、ざわめきは更に大きくなった。

 

 この情報を友奈(友哉)に託したのはキンジである。

 

 あの、捕縛される直前、最後にキンジが送ってきたマバタキ信号。

 

《内通者、バチカン、ワトソンに連絡しろ》

 

 キンジがいかなる推理展開によってこの結論に至ったかは、友奈(友哉)には分からない。

 

 ただ、キンジが確信を持って言うからには、必ず根拠がある筈。故に、友奈(友哉)はキンジの考えを支持し、そのまま伝える事とした。

 

 友奈(友哉)が敢えて、キンジ達を見捨てて脱出する道を選んだのは、キンジのこの指示があったからである。生きてさえいれば、キンジ達を救う機会は必ずある。しかし、友奈(友哉)まで捕まってしまったら、この情報をワトソンたちに伝えられる者がいなくなってしまう。

 

 そう判断したからこそ、あえて屈辱を呑む道を選んだのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・話は分かった」

 

 それまで友奈(友哉)の報告を黙って聞いていたカイザーが、頷きと共に口を開いた。

 

「たいへん興味深い意見であるし、一考するにも値する事は確かだ」

 

 元々、プロテスタントとカトリックと言う対立もあったせいか、カイザーは友奈(友哉)が齎した「内通者はバチカン」と言う情報に対し、大いに乗り気になっているようだ。

 

 宗教的な対立構図が、意外なところで功を奏した形でる。

 

「じゃあ、すぐにでも救出に・・・・・・」

「しかし」

 

 友奈(友哉)の言葉を遮るように、カイザーは否定的な接続詞と共に言葉を続ける。

 

「我々としてはまだ、キンジが内通者である可能性も捨てきれていない」

 

 バッサリと斬り捨てるような言葉に、友奈(友哉)は愕然とする。

 

 いったい、今さら何を言っていると言うのか。

 

「まだ、そんな事を言っているんですか!?」

「カイザー、ヒムラの言うとおりだ。これはもう、確定で良いんじゃないか?」

 

 抗議する友奈(友哉)とワトソン。

 

 しかし、2人の言葉を受けても、カイザーは頑なな態度を崩そうとしない。

 

「そもそも、バチカンが内通者だと言うなら、なぜ彼等はメーヤを倒して捕縛などしたのかね?」

「それは・・・・・・・・・・・・」

 

 カイザーの指摘に、友奈(友哉)は言葉を詰まらせる。

 

 確かに、バチカンが内通者であると言うなら、そのバチカンの関係者であるメーヤに危害を加えるのはおかしい。それにメーヤは眷属嫌いの急先鋒である。そのメーヤが好き好んで眷属側に加担するのは、どうしても違和感があった。

 

 友奈(友哉)としては、キンジがなぜ、その結論に達したのか判らない以上、そこに整合性を持たせるだけの説明はできそうにない。

 

 そこへ、カイザーは更に言い募る。

 

「私の考えはこうだ。まず、内通者はキンジ。彼はジャンヌを眷属に売って逃亡した後、眷属の一味と共にブータンジェに潜伏、そこへやって来たメーヤ達シスター兵を罠にかけ、全員を捕縛した、と行った所だ」

「そんな・・・・・・・・・・・・」

 

 友奈(友哉)は言い返す事ができずに絶句する。

 

 見れば、他のリバティ・メイソン構成員たちも、カイザーの意見に賛同するように頷いているのが見える。

 

 確かに、筋としては通っている。カイザーはリサの人となりは知らないし、ブータンジェでキンジや友奈(友哉)がどのような生活をしていたかもわからない。

 

 判らない人間の目から今回の出来事を客観的に分析すれば、そのような形になる事もやむを得ないのかもしれないが。

 

「そう言えば、ローレッタさんはどうしたんですか?」

 

 友奈(友哉)はこの場にいない、バチカンの祓魔司教について尋ねる。

 

 ローレッタは、友奈(友哉)がこのロッジに来てから、一度も姿を見せていない。その事が気になったのだ。

 

「彼女は一度、バチカンに戻ったよ。何でも、緊急に報告しなくちゃいけない事態が起こったとか言って」

 

 答えたのはワトソンである。

 

 この中で、友奈(友哉)に対し明確な支持を表明しているのは、彼女くらいのものであろう。

 

「ともかく、この件はもう少し、慎重に協議する必要がありそうだ。誰が内通者であるかも含めてね」

 

 カイザーはそう言って、締めくくる。

 

 対して、友奈(友哉)は歯を食いしばって拳を握りしめた。

 

 こんな事をしている場合じゃないというのに。こうしてる間にも、キンジやリサ、それにもしかしたらジャンヌも眷属に捕まり、ひどい拷問を受けている可能性がある。下手をすると、命にかかわるような事態だって考えられる。

 

 それなにの・・・・・・・・・・・・

 

 こんな所で既に答えが出ている議題について、悠長に討論している暇は無いのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・話にならない」

 

 吐き捨てるように言うと、友奈(友哉)は踵を返す。

 

 もうこれ以上、この場に一秒でもいる時間が惜しい。今すぐ取って返して、キンジ達を救出する為に動くのだ。

 

 だが、

 

「待ちたまえ、ヒムラ」

 

 そんな友奈(友哉)を、カイザーが背後から呼び止める。

 

「何ですか?」

 

 振り返る友奈(友哉)

 

 その小柄な女装姿目がけて、複数の銃口が向けられていた。

 

「君にも嫌疑がある。ここから出ていく事は許さない」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 その言葉に、友奈(友哉)は目をスッと細める。

 

 この上、何を言い出そうと言うのか?

 

「君がキンジと共謀し、我々を眷属の拠点まで導こうとしている可能性もある。悪いが、身柄を拘束させてもらう」

 

 言いながら、殺気の度合いを強めるカイザー。

 

 ここで友奈(友哉)が下手な動きをすれば、彼等は本当に引き金を引くだろう。勿論、防弾制服相手に銃弾は殺傷能力を減殺されるが、あれだけの銃弾を受けたら、暫く行動不能になる事は避けられない。

 

 対して友奈(友哉)は、腕をだらりと下げたまま、次の瞬間、

 

 ギンッ

 

 全身から、強烈な剣気を発散した。

 

 まるで空気その物の質量が増したような錯覚に、銃を構えていたリバティ・メイソンの構成員たちは、次々とその場に倒れ伏す。

 

 無事なのは、ワトソンとカイザーくらい。後の者は全員が戦意喪失し、中には座ったまま失神している者までいた。

 

「武偵憲章1条」

 

 殊更に張りのある声で友奈(友哉)は告げる。

 

「仲間を信じ、仲間を助けよ」

 

 言いながら、扉に向かっていく。

 

「僕はキンジを信じて、彼を助けに行きます。それでも僕を捕まえようって言うなら、殺す気で来てください。ただし・・・・・・・・・・・・」

 

 言いながら踵を返す友奈(友哉)

 

「その時は、リバティ・メイソンその物が壊滅するくらいの事は覚悟してもらいます」

 

 《(エネイブル)》遠山キンジの陰に隠れて忘れられがちだが、友奈(友哉)も《計算外の少年(イレギュラー)》の異名で呼ばれる、超高校級の武偵である。

 

 友奈(友哉)が言った事はハッタリではない。もし敵対するなら、本気でリバティ・メイソンと刺し違える気だった。

 

 そのまま、会議室を後にする友奈(友哉)

 

 その後を、慌てた調子でワトソンが追いかけて来た。

 

「待つんだヒムラ、いったいどうする心算なんだ?」

「ブータンジェに戻る。そこから眷属の足取りを追って、拠点を突き止める」

 

 もう、それしか方法が無い。

 

 ここに戻ってきたのはリバティ・メイソンの諜報力を当てにしようと思った事もある。彼等の力をもってすれば、連れ去られたキンジ達の行方も掴めるだろうと期待していた。

 

 だが、現実は、あの体たらくである。

 

 リバティ・メイソンが当てにならない以上、もはや自分で探す以外には無い。

 

 勿論、この広い欧州で、ろくなコネも無い友奈(友哉)が探すのだから、それこそ大海で糸くず一本を拾い上げようとする愚行に等しい。

 

 だが、やるしかない。それしかもう、キンジ達に辿りつく手段が無いのなら。

 

「止めても、聞かないんだろうね、君は」

「うん」

 

 諦念を滲ませたワトソンの言葉に、友奈(友哉)は固い決意と共に頷きを返す。

 

 対して、ワトソンは息を吐くと、ポケットから何かを取り出して、友奈(友哉)に差し出した。

 

「ボクの車のキーだ、行くなら使ってくれ。それと、積んである武器は自由に使ってくれていい」

「ワトソン・・・・・・・・・・・・」

「それと、これだ」

 

 そう言ってワトソンが差し出したのは、液晶付きのGPS端末だった。

 

「この端末には今、ある地点の情報が入力されている。君が戻ってくる少し前に行った調査で、眷属が何かの準備をしている事が判明してね。その情報は、問題の場所のデータだ」

「じゃあ、これが」

 

 友奈(友哉)の問いかけに、ワトソンは頷きを返した。

 

「もしトオヤマが連れて行かれたとしたら、そこの可能性が高い」

 

 言ってからワトソンは、友奈(友哉)の手をしっかりと掴む。

 

「いいかいヒムラ。カイザー達は、必ずボクが説得する。君は止めても聞かないだろうから止めないけど、僕達が行くまで、決して無茶するんじゃないよ」

 

 そう言うと、ワトソンは踵を返して足早に戻って行く。恐らく、会議室に戻ってカイザー達の説得を始める心算なのだろう。

 

 しかし、

 

「ごめん、ワトソン」

 

 男装少女の華奢な背中に、そっと詫びる。

 

 無茶をしない、などと言う事は約束できる事ではない。今こうしている間にもキンジやリサが危険な目に会されているかと思うと、気が気ではないのだ。

 

 多少、強引な手はやむを得ない。

 

 と、

 

「そうだ・・・・・・・・・・・・」

 

 自分で無茶な事をするのは良いとして、問題は無茶をするだけの対価を得られるかどうか、にある。

 

 そう考えて友奈(友哉)は、スカートのポケットから携帯電話を取り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠山キンジは、今まさに絶体絶命の時を迎えようとしていた。

 

 無論、キンジの人生において、絶体絶命と称すべき瞬間は、過去、現在、未来において様々存在している。

 

 だが、今回のは極め付けと言える。

 

 今まさに、遠山キンジの処刑が敢行されようとしているのだ。

 

 ともに捕まったリサやメーヤ、シスター達と共に、眷属の新たな拠点である龍の港へ連行されてきたキンジは、そこで先に捕らわれていたジャンヌとも再会する事が出来た。

 

 やはりジャンヌは、ブリュッセルでキンジが妖刕に襲撃される前に、眷属の手に落ちていたのだ。

 

 際どいデザインの花嫁衣装を着せられたジャンヌは、これから「ジェヴォーダンの獣」呼び出し、使役する為の生贄にされるらしい。

 

 ジェヴォーダンの獣がいったい何を指すのかは判らないが、ジャンヌもキンジ共々、進退窮まった形である

 

 その後に行われた眷属裁判において、キンジの処刑は確定してしまった。

 

 投票制で行われる裁判において、一度はキンジと戦って彼の事を気に入っていたカツェと、彼女に唆されたパトラは無罪票を入れてくれたものの、魔女連隊長官のイヴィリタと、眷属の同胞らしい、(えん)と言う鬼のような大女は処刑票に投じた。

 

 これで2対2のイーブンとなり、このまま「可逆優先」の方針でキンジの無罪が確定するかと思われた。

 

 しかし、そこで思わぬ伏兵が現れた。

 

 バチカンの修道女ローレッタである。

 

 キンジの予想通り、内通者はバチカンだった。

 

 バチカンは、この極東戦役がどのような形で終わるにせよ、自分達が敗者にならないように保険を掛けていたのだ。師団、眷属、双方に協力する形で。そして、形勢がほぼ定まった時点で、優勢な方へと旗色を変える、と言う訳である。

 

 日本風に言えば、洞ヶ峠の筒井順慶、あるいは関ヶ原の小早川秀秋と言った所か。

 

 いずれにせよ、褒められた手段ではない。

 

 とは言え、卑怯な手ではあるが、バチカンを責める事も出来ない。武偵の世界では「騙される方が悪い」「騙した者こそが優秀」と言う事である。

 

 カラクリとしては、主犯、と言うよりも内通劇の責任者はローレッタ。彼女は前線メンバーであるメーヤを使い、得られた師団の情報を眷属へ流していたのだ。

 

 メーヤも薄々、そのカラクリには気付いていた様子だが、彼女の能力である強化幸運は、味方を疑った瞬間、その加護を失い、それまでの幸運がフィードバックする形で不運に見舞われる事になるらしい。

 

 その為メーヤは、ローレッタと自身の役割分担に気付いていながらも、疑う事無く情報をローレッタに流し続けたのである。

 

 無論、これらの事はローレッタの一存で行われたわけではない。恐らく、バチカン全体が関わっている。そうでなければ、ここまで大掛かりなカラクリにはならなかったはずだ。

 

 眷属裁判の最中に姿を現したローレッタは、口封じの意味合いもかねて、キンジの処刑票に投票。かくて、キンジの運命は定まった訳である。

 

 これに先立ちキンジは、妖刕や《颱風》のセーラから「近々死ぬ」と宣告されていたのだが、それが見事に的中した形である。

 

 そして今、キンジは最後の時を迎えようとしていた。

 

 キンジは頑丈な檻に入れられ、満潮時の海面で水没する運命にある。

 

 ただ、それだけではない。眷属側はキンジを殺すのに念を入れて更に、リバティ・メイソンのいるアムステルダム攻撃用に用意した弾道ミサイルV2改の発射炎で、キンジを焼き尽くす事にしたのだ。

 

 いわば、二重の処刑。

 

 眷属としては、欧州における残る敵勢力であるリバティ・メイソンを壊滅させると同時に、厄介な《呪いの男(フルヒマン)》を始末できるのだから、正しく一石二鳥の妙案である訳だ。

 

「クソッ」

 

 悪態をつく間にも、満潮の海水は徐々に水かさを増してくる。

 

 キンジの頭は、既に鉄格子の天井に届き、呼吸をしようとするたびに、塩辛い海水が口の中へと入ってくる。

 

「これは、本格的にやばいかッ」

 

 逃れられない運命に、流石のキンジも覚悟を決めざるを得ない。

 

 このまま行けば、キンジは海水で溺死された後、V2のロケット燃料で、骨も残らず焼き尽くされる事になる。

 

 因みに余談だが、このV2は有人操縦であり、コックピットにはカツェが乗り込んでいる。

 

 魔女連隊には異性と恋愛する事を固く禁じた条項があり、キンジとの仲を疑われているカツェが、落とし前をつける目的で、その役目を命じられていたのだ。勿論、命中直前に、カツェは脱出できる仕様になっているが。

 

《観測結果を伝えるわッ 機体の傾斜、許容範囲内。天候不順なれど、発射に支障なし。現在、打ち上げまで7分。以降、発射のキャンセルは不可能よッ 勝利万歳(ジークハイル)!!》

 

 砂浜でメガホンを持ったイヴィリタの声が聞こえてくる。

 

 イヴィリタの脇には、セーラ、パトラ、閻と言った眷属の面々もいる。妖刕、魔剱の姿は見えないが、ほぼ全員が揃っている形であった。

 

 皆で、V2が発射され、リバティ・メイソンが壊滅する歴史的な瞬間を見ようとしているのだ。キンジの処刑は、そのおまけみたいなものである。

 

 その中に、リサの姿もあった。

 

 腕を取られて拘束されたリサは、うなだれた調子で状況を見守っている。

 

 眷属裁判における彼女への判決結果は、「無罪・再教育」であった。眷属はリサを再び仲間に引き入れて、再びこき使う腹積もりなのだ。恐らく、今度行われるであろう、極東侵攻作戦において、先鋒をやらせる気なのだろう。

 

《6分50秒前!!》

 

 イヴィリタのカウントダウンが、10秒刻みに行われる。

 

 いよいよ、キンジの運命は旦夕に迫りつつあった。

 

《6分40秒前・・・・・・6分30秒前・・・・・・》

 

 噴射ノズルから、白煙を上げ始めるV2。

 

 その時だった。

 

《あ、こらリサ、何をするのッ おやめ!!》

 

 イヴィリタの焦ったような声が、メガホンから聞こえてくる。

 

 この時、リサは皆がV2の発射に注意を向けた隙を突き、拘束を払ってイヴィリタに駆け寄り、彼女が腰に差していたキンジのベレッタと、ジャンヌのデュランダルを奪ったのだ。

 

 リサはそのまま、迷う事無くV2のある方向へと走って行く。

 

 対して、眷属たちはリサの事を追うに追えないでいる。

 

 既にV2の発射は止める事ができない段階に入っている。今からリサを追いかけて、抵抗を封じて連れ戻すまでには、時間が足りないのだ。

 

 リサはただ、状況に流されて絶望していたのではない。キンジを助けられる最後の可能性に賭け、ジッと雌伏していたのだ。そして、最も邪魔が入らない、このタイミングを見計らい、行動を起こしたの。

 

 全ては、愛する主であるキンジを助ける為に。

 

 ベレッタとデュランダルを手に鉄格子へと駆け寄るリサ。そのまま海水をかき分けて、檻へと取り付く。

 

「馬鹿っ ・・・リサッ 来るなッ ・・・何で、来たんだ!?」

 

 海水を被りながら、どうにか怒鳴るキンジ。

 

 対して、リサは半分泣きながら答える。

 

「ご主人様を見捨てたら、夢見が悪くなりますッ 安眠は大事です!!」

 

 そう言って、ベレッタとデュランダルを差し出す。

 

「武器をお取りくださいご主人様!! ご主人様は《(エネイブル)》ッ!! これさえあれば、きっと!!」

 

 しかし、水中にあるキンジは、既にそれを掴む事も出来ない。

 

 眷属たちは、この状況を持て余している様子である。

 

 リサの事は惜しいが、今さら駆け寄って浚う時間も無い。

 

 こうしている間にも、V2の発射時間は刻一刻と迫っている。

 

「逃げろリサッ お前も焼き殺されてしまうぞ!!」

「メイドが主人の為に命を投げ出すのは義務です!!」

 

 怒鳴るキンジに、リサもまた断固とした調子で返す。

 

 どうにか檻を壊せる場所が無いか探している様子だが、生憎、リサの細腕では鉄格子を壊す事など不可能である。

 

「違う!! 生きろリサ!! それが、義務だ!!」

 

 海水に翻弄されながら、それでも必死に叫ぶキンジ。

 

 キンジとリサ。

 

 主従は互いを思いやりながら、それぞれ真逆の主張を行う。

 

 ここでリサが戻ればリサは助かるが、キンジは助からず死が確定してしまう。だが、リサが戻らなければ、彼女は裏切者として処分されてしまうかもしれないが、同時にキンジは助かる可能性が出てくる。

 

 まるで「カルネアデスの板」だ。

 

 大海でたった1枚の板切れを持つ漂流者。そこに、もう1人の漂流者が現れる。だが板は小さく、2人が掴まる事はできない。先に掴まっていた漂流者は果たして板を相手に譲るのか?

 

 これは「緊急避難」の哲学的解釈を表しており、先に板に掴まっていた人物は、板を放せば自分が死んでしまう関係上、後から来た人物を殺しても罪には問われない。その逆も然り、という意味だ。

 

 だが、解釈と違う点はただ一つ。

 

 それは、キンジもリサも、自らが確実に生き残るために必要な「板」を、決して取ろうとせず、互いに相手に譲り合っている事だった。

 

「リサは、遠山様にお仕えできて、幸せでした」

 

 涙をこぼしながら、リサが言う。

 

 まるで遺言のような言葉の後、

 

 トンッ

 

 軽い衝撃と音が、リサの背中に伝わってくる。

 

 見れば、長い矢が、リサの背中に刺さっているのが見える。

 

 《颱風》のセーラが放った矢である。その矢が、リサの背中の真ん中を、ほぼ真っ直ぐに貫いていた。。

 

「ご、しゅじ、ん・・・・・・さま・・・・・・」

 

 手を伸ばすリサ。

 

 その顔に、微笑が浮かべられ、

 

 そして、フッと消える。

 

「リサ・・・・・・・・・・・・」

 

 呼びかけるキンジ。

 

 しかし、その声に帰る答えは無い。

 

「リサァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 絶叫が木霊する。

 

 ほぼ同時に、鉄格子一杯に海水が満たされる。

 

 そして、

 

 遠山キンジの心臓は、

 

 17年で、その鼓動を止めた。

 

 

 

 

 

第7話「悲しみのカルネアデス」      終わり

 



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第8話「欧州決戦」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 炎を噴き上げて、V2改が空へと飛翔していく。

 

 その弾頭に搭載されているのはシアン化ケトロシンと呼ばれる化学物質で、軽く拡散しやすいと言う欠点はある物の、一酸化炭素中毒と似た症状を引き起こす性質を持っている、極めて秘匿性の高い薬品である。

 

 眷属はこの薬品を用いて、アムステルダムの拠点に集結しているリバティ・メイソンを壊滅させるつもりなのだ。

 

「行ったわね・・・・・・」

 

 全ての成り行きを見守っていたイヴィリタは、僅かに哀愁を込めて呟きを漏らした。

 

 このV2発射と共に、遠山キンジと、リサ・アヴェ・デュ・アンクの死亡も確認された。

 

「リサ・・・・・・馬鹿な子・・・・・・」

 

 悲しげに言い捨てるイヴィリタ。

 

 眷属に帰属する事を許されながらも、最後の最後で裏切り、遠山キンジを助けようとしたリサ。

 

 その行為自体は美しく感動的だと思うのだが、それでもリタは処分されなくてはならなかった。

 

「そう、気を落とすでない。残念ぢゃが、こうなってしまった以上は仕方あるまい」

「ええ。判っているわ」

 

 慰めてくるパトラに対し、イヴィリタも素っ気なく返事をする。

 

 実際にリサを射抜いたセーラは、相変わらず茫洋とした瞳で、尚も飛翔するV2を目で追っている。

 

 鬼のような容姿をした閻も、同様に腕組みをして小さくなっていく炎の軌跡を追いかけている様子だ。

 

 彼女達が何を考えているのかは判らないが、確かに、こうなってしまった以上はもはや言っても仕方のない事だろう。リサの事はしょうがなかったのだと思ってあきらめるしかない。

 

「後片付けをなさい。V2の着弾を確認してから、一気に攻勢に出るわよ」

 

 言いながらイヴィリタは、パトラ達を連れて停泊中のUボートへと向かっていく。

 

 これで、欧州戦線の決着は着いた。あとは師団側の本丸と言うべき東京へ攻め込むのみ。欧州を席巻した魔女連隊、イ・ウー残党主戦派、そして、少々油断はできないものの、今や味方となったバチカンの戦力を持ってすれば、東京を陥落させる事は容易いはずだった。

 

 だが、

 

 イヴィリタがUボートの甲板に上がろうと、タラップに足を掛けた時だった。

 

 魔女の1人が、慌てた調子で駆け寄ってくるのが見えた。

 

「大変ですッ たった今レーダーで観測していたところ、先に発射したV2が、海上に墜落したとの事です!!」

「んな、何ですってェェェェェェ!?」

 

 報告を聞いて驚愕するイヴィリタ。

 

 まさに乾坤一擲で放ったV2が、目標を捉える事無く、空しく失われる事になるとは、誰が予想しただろうか?

 

 これでは、リバティ・メイソンを滅ぼして欧州戦線を決着させ、余勢を駆って東京に攻め込むと言う戦略が根底から破綻してしまう。

 

 いや、そんな事よりも、

 

「カツェは・・・・・・あの子はどうなったの!?」

 

 遠山キンジとの異性恋愛罪の嫌疑を掛けられたカツェは今回、そうとは知らされないままキンジの処刑に加担させられ、V2を操縦して飛び立った。勿論、V2命中前に脱出する前提で。

 

 だが、そのV2自体が墜落してしまった以上、彼女の安否も判らないままである。

 

「すぐに墜落地点へ救助隊を派遣なさい!! 早くゥ!!」

 

 慌てた調子で、イヴィリタは命じる。

 

 カツェは彼女の同期であるルシア・フリートと並んで、魔女連隊のアイドル的存在である。「格好良い系」のルシアに対し「可愛い系」のカツェは、二大巨頭と言っても過言ではない。かく言うイヴィリタ自身、2人の事をこよなく愛している。

 

 そのカツェの命が失われるなど、あってはならない事だった。

 

 慌てて動き出す魔女連隊の構成員たち。

 

 だが次の瞬間、

 

 強烈な爆発光が、龍の港の砂浜を揺るがした。

 

 爆発は連続して起こり、その度に魔女たちは、酸を乱して逃げ惑う。

 

 更に、大量の煙まで吹き荒れ、視界が一気に塞がれる。

 

「な、何事!?」

「敵襲ですッ イヴィリタ様!!」

 

 焦るイヴィリタに対し、魔女の1人が叫ぶ。

 

 敵襲? このタイミングで?

 

 混乱する状況の中、更なる爆発が龍の港を襲った。

 

 

 

 

 

 とにかく、奇襲は最初が肝心である。

 

 できるだけ派手な攻撃を初手で仕掛け、油断している相手を大混乱させる事がセオリーだ。

 

 その原則に基づき、友哉は単独による龍の港奇襲作戦を敢行していた。

 

 戦力は友哉1人だけ。一応、ワトソンの車に搭載されていたビーコンを起動して、この場所の位置情報を発信してはいる。もしワトソンがカイザー達の説得に成功していれば、その誘導電波を目当てに増援に来てくれるはず。

 

 しかし友哉は、その点についてあまり期待はしていない。リバティ・メイソンがあの状況では救援に来てくれるかどうか微妙な所であるし、仮にワトソンの説得が功を奏するにしても、時間がかかるのは間違いない。

 

 故に友哉は、たった1人での襲撃を決意したのだった。

 

 ワトソンの車に搭載されていた武器の中から、彼女のメイン武装である予備のシグ・サウエル2丁と、武偵弾の爆炎弾と閃光弾を、それぞれマガジン1本分借りた。

 

 他にもいくつか大型の銃火器があったが、どのみち射撃に関してはそれほど得意でもない友哉では使いこなせるかどうか微妙である。

 

 そこで、命中させなくても効果の高い爆炎弾と閃光弾を使用して敵を混乱に陥れた上で、得意の接近戦に持ち込む作戦を立てたのだ。

 

 作戦は功を奏し、視界の彼方で魔女連隊の構成員たちが右往左往しているのが見える。

 

「さて・・・・・・・・・・・・」

 

 言いながら友哉は、両手に持った銃を投げ捨て、腰から逆刃刀を抜き放つ。

 

「行きますかッ!!」

 

 言い放つと同時に、

 

 友哉は一気に駆ける。

 

 敵は未だ、武偵弾による奇襲から立ち直っていない。

 

 混乱する魔女たちの間を駆け抜け、目指すは本丸。

 

 その中央に立つ、ひときわ目立つ巨大な人影目がけて、友哉は全力で斬り込んだ。

 

 鎌首をともたげる、九頭の魔龍。

 

「飛天御剣流、九頭龍閃!!」

 

 刹那の間に放たれた九つの斬撃は、狙い違わず目標を捉える。

 

 最後の刺突を柄尻で相手の眉間へと叩き込んだ瞬間、

 

 その巨体の人物は、波打ち際まで大きく吹き飛ばされ、そのまま水面へと叩き込まれた。

 

 巨大な水飛沫を上げる中、混乱はさらに拍車がかかる。

 

 九頭龍閃を討ち終えた友哉は、素早く刃を返して追撃に入る。

 

 旋回するように刀を振るい、手近にいた魔女2人を薙ぎ払う。

 

 更に友哉は、近くに立っていた《颱風》のセーラを狙って斬り掛かった。

 

 袈裟懸けに振るわれる白刃。

 

 しかし、刃が命中するよりも一瞬早く、セーラは大きく跳躍する形で空中に舞い上がり、友哉の斬撃を回避する。

 

 その動きに目を見張る友哉。

 

 通常の人間の動きではない。恐らく、魔術で何らかの補正を掛けて身体能力を水増ししているのだ。

 

 空中にあって、セーラは体勢を入れ替えながら矢を抜き、友哉に向かっていかける。

 

 唸りを上げて飛んで来る矢。

 

 それを友哉は、素早く振るった刃で斬り飛ばす。

 

 停泊していた帆船の甲板へと降り立ち、友哉を睨み付けるセーラ。

 

 その間に、イヴィリタは部下に守られながらUボートへと退避していく。どうやらイヴィリタ自身の戦闘力はそれほど高くは無いらしい。その点は自身が前線には出ないでいたバチカンのローレッタと同じである。

 

 奇襲の混乱に乗じて大将首を取る。

 

 そう考えて、イヴィリタ追撃に入ろうとする友哉。

 

 だが、側面からの気配を察し、とっさに振り返る。

 

 そこへ飛んできた無数の礫を刀で弾き、捌ききれない分に関しては回避を選択する。

 

「これはッ!?」

 

 呻く友哉に対し、一瞬、足元の砂地が蠢いたと思った瞬間、危険を察してとっさに跳躍する。

 

 その直後、砂浜のアートオブジェのような巨大な腕が出現し、友哉に掴み掛って来た。

 

「パトラかッ!?」

 

 更に砂でできたコブラまで出現するに至り、友哉は更なる後退を余儀なくされた。

 

 猛攻を続けるパトラ。

 

 とにかく、相手が《砂礫の魔女》である以上、砂地の上にいるのは危ない。

 

 友哉はとっさの判断で、近場の岩場の上まで後退し対峙する。

 

「ほほほほほ、よう来たのヒムラユウヤ。ぢゃが、愚かぢゃな。飛んで火にいる夏の虫と言う奴よ」

 

 友哉の姿を見て、高笑いするパトラ。

 

 見れば、体勢を立て直したセーラも、再び弓を構えて友哉を睨み付けている。

 

 それだけではない。初期の混乱から立ち直った魔女たちもまた、友哉達の背後に回り込んで包囲しようとしてきている。

 

 そして、

 

 ザバッ

 

 豪快に水をかき分け、先程、九頭龍閃を受けて吹き飛ばされた大柄な人物も砂浜へと上がってきた。

 

 その姿を見て、友哉は意気を呑む。

 

 まず、遠目では判らなかったが、その人物は女性だった。ただし体格は、友哉はおろかキンジと比較してもかなり大きい。背丈は2メートル近くあるだろう。アフリカの民族衣装のような服の上から、やや古ぼけた和服を着ている。

 

 驚いた事に、頭には二本の角まで生えているのだ。正直、妖怪の知り合いはいるにはいる(玉藻とか玉藻とか玉藻とか)が、あれが飾りか何かである事を願いたい次第である。

 

 だが、友哉を驚かせたのは、外見だけではない。

 

『九頭龍閃をまともに喰らって、無傷?』

 

 水から上がってきた鬼女が、ダメージを負っているようには見えない。

 

 《鉄腕の魔女》ルシア・フリートも、ダメージを無効化する魔術を使い友哉を苦しめたが、これはあれとは違い、どちらかと言えば《中華の戦神》呂伽藍(りょ がらん)に近い物を感じる。

 

 もっとも、伽藍は九頭龍閃を喰らった際、ある程度のダメージを負っていたのに対し、あの鬼女は全くの無傷である。つまり、こと防御力に関する限り、あの鬼女の方が伽藍よりも上と言う事だ。

 

「やってくれたな。うぬが、今代の比古清十郎(ひこ せいじゅうろう)と言う訳か」

「え? 彦・・・・・・何?」

 

 鬼女、閻はハスキーな声でそう言うが、言っている意味が分からず、友哉は首をかしげる。

 

 いったい、何のことを言っているのだろう?

 

 それに対し、閻も訝るように更に問いかけてくる。

 

「異な事を。飛天の剣を使っている以上、うぬは今代の比古清十郎に相違あるまい?」

「あいにく、そう言った名前に覚えは無いです」

 

 飛天の剣、と言う事は、閻は何らかの形で友哉の知らない飛天御剣流の事に関わりがあるのかもしれない。

 

 だが、今はそれを確かめている余裕は無かった。

 

 セーラ、パトラ、閻、そして魔女たち。体勢は完全に立て直されている。

 

 包囲網は完全に出来上がってしまっている。奇襲の効果は完全に失われてしまっていた。

 

 妖刕に魔剱、仕立て屋の姿は見えないが、状況は完全に友哉にとって不利である。

 

 その時だった。

 

《あー、あー、ただ今、マイクのテスト中!!》

 

 Uボートの甲板上に退避したイヴィリタが、再びメガホンで呼びかけて来た。

 

《えー、緋村氏、初めまして。わたくしはイヴィリタ・イステル。魔女連隊の長官を務める者です・・・・・・・・・・・・あら?》

 

 名乗りを上げたイヴィリタが、不意に何かに戸惑ったように声を止めた。

 

《えっと・・・・・・・あれが緋村氏? そう言えばエコールの時にもいましたけど・・・・・・ご本人? 妹さんとかじゃなくて? え? そう言う趣味? ははぁ成程》

 

 何だか、ものすごい勢いで名誉が毀損されていた。

 

《えー、ゴホン・・・・・・大変失礼致しました、緋村氏》

「ほんとに、すんごい失礼だよね」

 

 メガホンの声に、ジト目で皮肉を返す友哉。人の事を何だと思っているのか。

 

 しかし、現実問題として危機は旦夕に迫っている。

 

《降伏なさい、緋村氏。この状況では、あなたに勝ち目はありませんよ》

 

 イヴィリタから発せられる降伏勧告。

 

 確かに、奇襲が失敗した時点で、友哉の勝機は限りなく低くなってしまっている。

 

 そこへ、パトラが前に進み出た。

 

「ほほほ、ヒムラユウヤ。お前もその姿で、妾の戦士(メジャイ)にしてやろう!!」

 

 言い放つと同時に、巨大な砂のコブラが友哉目がけて牙をむいて来る。

 

 身構える友哉。

 

 巨大な牙が、友哉を捕えようと迫った。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 銀の閃光と共に、世界は斜めに両断された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 構造を保てなくなり、崩れ落ちる巨大コブラ。

 

 パトラが、

 

 セーラが、

 

 閻が、

 

 イヴィリタが、

 

 眷属の魔女たちが揃って驚きの顔を見せる中、

 

 友哉を守るように、背の高い影が、手にした日本刀を掲げて立っていた。

 

「緋村をやる事は許さん。是非にと言うなら、まずは俺が相手だ」

 

 鋭い声が、全ての者達を威圧するように放たれた。

 

 その姿を見て、友哉は歓喜の声を上げる。

 

「海斗、来てくれたんだね!!」

 

 男の名は武藤海斗(むとう かいと)

 

 かつてエムアインスの名で呼ばれ、ジーサードリーグの一員として友哉と死闘を演じた、今代におけるもう1人の「飛天の継承者」である。

 

 戦いの後、妹、理沙の療養を兼ねてオランダに移っていた海斗。

 

 リバティ・メイソンのロッジを出る際、友哉は事態が自分の手に余る事を見越し、海斗に連絡を入れ、救援を要請したのだ。

 

 そして、海斗は友哉の声に答え、駆け付けてくれた。

 

 かつて、別れ際に言った「困難に出会った時は俺を呼べ。俺はたとえどこに居ても、お前を助けに駆け付ける」と言う約束を、海斗は見事に果たしたのだ。

 

「待たせたな緋村・・・・・・と言うか、何だその、ふざけた格好は?」

「う、これには色々と、複雑な事情があるんだよ」

 

 女装を冷静に突っ込まれ、しどろもどろな弁解をする友哉。

 

 来てくれたのはうれしいが、今更そこら辺の事情を説明するのはかなり面倒くさかった。

 

《ひ、一人から二人になったからと言って、それがどうしたと言うのです!?》

 

 イヴィリタは尚も、強気な態度を崩さないままメガホンで叫んでくる。

 

 確かに、いくら海斗が増援に来てくれたからと言って、状況は劇的に有利になる訳ではない。

 

 だから、

 

 友哉はここで、切り札を切る事にした。

 

 友哉は海斗の前に出ながら、スカートの下、太ももに巻く形で装備しておいた、ある物を起動する。

 

「海斗、耳塞いでッ」

 

 言いながら自身も耳栓をすると、左手に鞘を、右手には逆刃刀を逆手に持って構える。

 

「飛天御剣流!!」

 

 刀を持った腕が、霞む勢いで、刃は鞘へと戻される。

 

「龍鳴閃!!」

 

 

 

 

 

ギギギキィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィン

 

 

 

 

 

 強烈に耳障りな金属音が、周囲一帯の空間を容赦なく蹂躙する。

 

 龍鳴閃の齎した高周波は、龍の港を一気に覆い尽くした。

 

 それに伴い、魔女たちが、バタバタと倒れていくのが見える。

 

 それは、つい先日、兵器庫(アルゼナール)でルシアに放ったものよりも、数十倍は上回る規模の威力だった。

 

「さすが平賀さん、良い仕事をしてくれる」

 

 言いながら友哉は、自身の耳栓を外して笑みを浮かべると、スカートの下に隠し持っていた装備を取り出す。

 

 CDケースサイズほどのそれは、欧州行きに先立って装備科の平賀文に作ってもらった新装備で、正体は小型の拡声器である。

 

 小型でありながら、その性能は市販の物の10倍以上を誇り、殆ど「音波砲」に近い性能を誇る。

 

 魔女達のステルスに対し、龍鳴閃の音響攻撃によって対抗すると決めた時点で、友哉は平賀に頼んで作ってもらったのだ。

 

 効果はご覧のとおり、ただの一撃で魔女たちの大半は地に倒れ伏し、戦闘不能に陥っている。流石にパトラ、セーラ、閻は無事なようだが、それでも敵戦力の大半を削る事には成功した。

 

 だが、

 

「おろ?」

 

 友哉は手にした拡声器が、煙を上げているのを見て首をかしげる。

 

 どうやら壊れてしまったらしい。スイッチをON/OFFしても、それ以上はうんともスンとも言わなかった。

 

 平賀は腕が良いくせに割といい加減な仕事をする傾向があるため、作ってもらった装備品が変に壊れる事がある。今回もそのせいなのか、あるいは装置自体が龍鳴閃の威力に耐え切れなかったのか? いずれにしても、もう同じ手は使えそうにない。

 

《む、無駄な抵抗はやめなさーい!!》

 

 状況の悪化に対し、イヴィリタが焦ったように叫ぶ。

 

《あなた達のやっている事には何の意味もありませんよ!! 何しろ、遠山氏は既に死にましたッ こんな事したって無駄です!!》

「そっちこそ、何か勘違いしてるんじゃないですか?」

 

 イヴィリタの言葉に対し、友哉は冷静な口調で返す。

 

《な、何のことですッ?》

「あなた達は、自分達が誰を相手にしているのか、もう忘れたんですか?」

 

 その言葉に、戦慄が走る。

 

 遠山キンジ。

 

 あらゆる困難を跳ね返し、不利を覆し、運命すら超越する男。

 

 (エネイブル)

 

 そのキンジが、

 

「あんな程度で死ぬはずがない!!」

 

 友哉が言い放った次の瞬間、

 

 港の岩壁を突き破る形で、巨大な影が躍り込んで来た。

 

 それは、美しい獣だった。

 

 3メートル以上ある巨体は、全身金色の毛に覆われ、顔は狼のような精悍さを誇っている。

 

 凶悪な爪や牙も、その獣を彩る豪奢なアクセサリーに見える。

 

「ジェヴォーダンの、獣だと・・・・・・」

 

 海斗が、呻くように呟いた。

 

 オランダ出身の海斗は当然、ジェヴォーダンの獣の伝説は知っているし、ジーサードについて裏社会にも通じていた為、実在する事も前から知っていた。しかし、あくまで伝承に過ぎない為、実態がどういった物かまでは、見るまで判らなかったのだ。

 

「よく言ってくれた、緋村!!」

 

 そのジェヴォーダンの獣の背から、凛とした声が響き渡る。

 

 振り仰ぐ先、

 

 そこには、古の騎士宜しく、騎乗した姿で聖剣デュランダルを翳すキンジの姿があった。

 

「アハ、流石キンジ。人間やめてる感はハンパ無いね」

「お前もな」

 

 そう言って、互いに笑みを交わす友哉とキンジ。

 

 あの時、

 

 鉄檻が水没した時、キンジは確かに死んだ。

 

 だが、同時に「死に際のヒステリア」である、アゴニザンテを土壇場で発動したキンジは、自身の持ち技である桜花を胸と背中から同時に打ち込んで緊急蘇生する新技「回天」を使用し、再び心臓を動かす事に成功したのだ。

 

 それは「除細動」と呼ぶにもおこがましいほど強烈な「心臓マッサージ」であったが、それによって蘇生する事に成功したキンジは、そこで、自身を捉えていた檻が壊されている事に気付いた。

 

 壊したのは、リサだった。

 

 セーラの矢を受けて死んだ筈のリサだったが、そこで彼女に、思わぬ変化が起こった。

 

 何を隠そう、彼女こそがジェヴォーダンの獣、その正体だったのだ。

 

 眷属がリサの身柄に拘ったのは、この為だったのである。

 

 だが眷属側も、情報を持っていたのはそこまで。ジェヴォーダンの獣を呼ぶ条件の情報に付いては、ほぼ皆無と言っても過言ではなかった。

 

 ジェヴォーダンの獣を呼ぶキー、それは「満月」と「瀕死(アゴニザンテ)」。

 

 つまりリサが瀕死の状態で、満月から降り注ぐ赤外線によって減衰したスペクトルの太陽光を網膜に受ける事によって秂狼は目覚めるのだ。

 

 眷属は、「瀕死」というキーワードまでは知っていた為、リサを幾度となく死地へと放り込んでいたのだ。

 

 だが、今日は満月。条件は全て揃った事になる。

 

 そして、V2の発射直前に、ジェヴォーダンの獣(リサ)は目覚めた。

 

 発射されてV2にしがみつく形で難を逃れたキンジだったが、完全に覚醒したリサは理性を失っており、空中で散々に暴れた。V2が予定軌道を外れて墜落したのは、その為である。

 

 その後、リサはキンジの命がけの呼びかけによって理性を取り戻し、同時に耐圧カプセルのおかげで命拾いしていたカツェの協力もあって、何とか龍の港へと戻って来た訳である。

 

 突如現れたジェヴォーダンの獣の威容を前に、魔女たちは散を乱して逃げ惑っている。

 

 見れば帆船やUボートからも、次々と少女達が湧き出してきて、逃げ惑っているのが見える。

 

 どうやら、彼女達は戦士では無く、小間使いか何かのようだった。

 

《こら、お前達ッ 敵前逃亡は銃殺刑に処すわよー!!》

 

 流石のイヴィリタは踏みとどまっている。そこは、戦闘力が無いとは言え、一軍の将として立派である。

 

 とか思っていたら、Uボートのセイルに身を乗り出し過ぎて、海に落下した。

 

助けて(ヒルヘ)!! 助けなさい(ヒルヘ)!!」

 

 どうやら泳げないらしいイヴィリタが、水面で手足をバタバタと振り回している。

 

「何あれ? ナチス版ドリフ?」

「志村けんさんがいないのが残念だな」

 

 などと、割とどうでも良い感じで、友哉とキンジは言葉を交わす。

 

 まあ、大丈夫そうだから、あれは放っておくとして、こっちはこの機に勝負を決するのだ。

 

「緋村、俺達はジャンヌの救出に行く。お前達は掩護を頼む!!」

「え、ジャンヌもここにいるの!?」

 

 驚く友哉に、キンジは頷きを変えす。

 

 一度、反撃ののろしが上がればこっちの物。後は流れを打つように、全ての運がこちら側に流れ込んでくるかのようだ。

 

「遠山、俺も及ばずながら力を貸すぞッ 存分に戦え」

「ありがとうエムアインス、いや、海斗、頼んだぞ!!」

 

 大きく、力強く頷くとキンジは、ジェヴォーダンの獣、否、リサに指示を出して停泊している帆船の方へと跳躍する。

 

「行かせぬッ」

 

 そこへ、パトラが砂の腕で掴みかかろうとする。

 

 しかし、

 

「フッ!!」

 

 素早く接近した友哉が、逆刃刀を刃に反して一閃、砂の腕を中途から斬り飛ばす。

 

「悪いけど、キンジの邪魔はさせない!!」

「ヒムラユウヤ、魔術も使えぬくせに生意気ぢゃぞ!!」

 

 言いながら、パトラは砂地へ魔力を送り、次々とゴレムを生み出してくる。

 

 夏前にパトラと戦った際、ピラミディオン台場でも対峙した、犬頭のゴレム達である。

 

 それらが一斉に剣を構え、友哉へと襲い掛かってくる。

 

 対して、友哉はスッと目を細めると、地面に両足を突いて、逆刃刀を脇に構える。

 

「飛天御剣流・・・・・・」

 

 高速で、剣閃を振り抜く。

 

「龍巣閃!!」

 

 四方八方から殺到する銀の閃光が、ゴレム達を容赦なくとらえる。

 

 構造を保てなくなり、砂に戻って崩れ落ちるゴレム。

 

 そこへすかさず、友哉は間合いを詰めて斬り掛かるが、パトラはそれを見越したように、大きく後退する事で、友哉の攻撃を回避した。

 

 見れば、海斗はセーラに向かって斬り掛かっているが、あちらもセーラが巧みに回避しながら矢を射かけてくるため、勝負は互角に近い形になっている。

 

「おのれッ!!」

 

 頼みのゴレム三体を瞬時に撃破された事で、パトラは焦ったように砂飛礫を連射してくる。

 

 それらの攻撃を刀で弾きながら、徐々にパトラとの距離を詰めに掛かる友哉。

 

 それに対し、

 

「舐めるでないわ!!」

 

 パトラはありったけの魔力を注ぎ込む。

 

 どうやら、友哉の意外な奮戦に、片手間の応戦では追いつかないと考えたのだろう。

 

 かつてイ・ウーにおいて、事実上のナンバー2だった《砂礫の魔女》が、ついに本気になって友哉に牙をむいてきたのだ。

 

「クッ!?」

 

 危機を感じ、とっさに後退する友哉。

 

 次の瞬間、砂を巻き上げ、砂浜から巨大な神像が姿を現した。

 

 全身に鎧を着込んだ、魔神のような姿をした砂像。

 

 その巨大な砂像が、友哉目がけて、長大な剣を振り下ろしてくる。

 

「ッ!?」

 

 とっさに、その攻撃を回避して上昇する友哉。

 

 砂像の顔に当たる部分まで高度を上げた瞬間、友哉は鋭く横なぎに刀を振るう。

 

 しかし、

 

 ガキンッ

 

「ッ!?」

 

 けんもほろろ、としか言いようが無いほどあっさりと、友哉の剣は砂像に弾き返された。

 

 そこへ、砂像は腕を伸ばして空中の友哉へと掴みかかろうとしてくる。

 

 その腕が、友哉に届く瞬間、

 

「危ないッ!!」

 

 とっさに、横合いから抱きかかえる形で、友哉はその場から移動する。

 

 見ると、セーラとの戦いを中断した海斗が、友哉を抱きかかえる形で砂浜へと降り立っていた。

 

 一方、置き去りにされる形となったセーラは、今度はキンジと対峙しているのが見える。

 

 戦いは混戦模様を呈し始めている。誰が誰と戦い、どのように動くべきか、それを瞬時に見分けられなければ、即、命に係わる事だろう。

 

 その間にも、砂像は友哉達に狙いを定めて、ゆっくりと向かってくる。

 

「任せろッ」

 

 海斗は言い置くと、刀を正眼に構えて砂像と対峙する。

 

 同時に、砂浜を蹴って疾走した。

 

 強烈な牙を剥く、九頭を持つ魔龍。

 

「飛天御剣流、九頭龍閃!!」

 

 体格、腕力の関係から、その威力は同じ技を使う友哉をも上回る。

 

 九頭の龍は、砂像に向かって一斉に喰らい付く。

 

 そして、一気に噛み砕いた。

 

 粉砕される砂像。

 

「やったッ」

 

 その姿を見て、喝采を上げる友哉。

 

 しかし、

 

「無駄ぢゃ無駄ぢゃ!!」

 

 パトラの顔に、不敵な笑みが刻まれる。

 

 すると次の瞬間、海斗の剣によって粉砕された砂像の傷が徐々に修復され、元の姿へと戻って行く。

 

「魔女の技か。厄介だな」

 

 舌打ちする海斗。

 

 海斗の九頭龍閃ですら、あの砂像にダメージを負わせる事ができない。

 

 だが、これまでの経験から、パトラのゴレムは一定以上のダメージを与えれば破壊できる事が判っている。

 

 だが、問題はあの規模の相手に、どの程度ダメージを与えればいいか、と言う事である。

 

 瞬時に、海斗の九頭龍閃を上回る程の攻撃と言えば。

 

「・・・・・・・・・・・・下がって、海斗」

 

 静かな声で告げた友哉は、ゆっくりと刀を鞘に収めながら、前へと出る。

 

「緋村、お前は・・・・・・・・・・・・」

「今からちょっと、『切り札』を使うから」

 

 言った瞬間、

 

 友哉の全身から、強烈な剣気が迸る。

 

 空気が弾けるような音が鳴り響く中、砂像が再び剣を振り翳す。

 

 その様を真っ向から見据え、

 

 友哉は己の剣気を最大限に放出する。

 

 その様に、本来なら意志が無いはずのゴレムですら、どこか気圧されたように後退する。

 

 次の瞬間、

 

 竜王は、その圧倒的な存在感でもって、解き放たれた。

 

「飛天御剣流・・・・・・奥義!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天  翔  龍  閃(あま かける りゅうの ひらめき)!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 光が、駆け抜ける。

 

 神速を超越した、超神速の一閃が、砂像へと叩き込まれる。

 

 その一撃を見た者は、誰もいない。

 

 次の瞬間、巨大な砂像は、音を立てて、その場に崩れ落ちた。

 

「ば、馬鹿なァ!?」

 

 そのあまりの後継に、思わず絶叫を上げるパトラ。

 

 まさか、魔力も持たない友哉に、自身の最大の魔力を込めた砂像を打ち破られるとは、思っても見なかったのだろう。

 

 ここは撤退を。

 

 そう思って踵を返そうとした瞬間だった。

 

 パキパキパキパキパキパキ

 

 何かが破裂するような音と供に、砂浜に氷が走り、それによってパトラの足が拘束されてしまった。

 

 すかさず、友哉と海斗はパトラに駆け寄ると、それぞれ左右から刃を突きつける。

 

「そこまでだ、《砂礫の魔女》」

「ここは、大人しくした方が良いと思うよ、パトラ」

 

 2人の言葉に、がっくりとうなだれるパトラ。

 

 その姿を確認してから、次いで友哉は振り返って背後を見る。

 

 するとそこには、先程氷魔法を使ってパトラを拘束した少女が、聖剣デュランダルを手に、ゆくりと歩いてくるところだった。

 

「すまない、遅参した」

「いや、いいタイミングだったよ、ジャンヌ」

 

 そう言って、《銀氷の魔女》へと笑い掛ける。

 

 白いウェディング衣装の裾を破き、太ももを大胆に露出したジャンヌは、素足で砂を踏みしめながら近付いて来る。

 

 キンジとリサの活躍によって救出されたジャンヌは、この眷属との最終戦に際し、辛うじて間に合ったのだ。

 

「降伏しろ、パトラ。イ・ウー時代のよしみだ。我が名に掛けて、悪いようにはしない事を約束する」

 

 凛とした調子で告げるジャンヌ。

 

 それが事実上、この龍の港における戦いの終幕を告げる合図となった。

 

 

 

 

 

第8話「欧州決戦」      終わり

 



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第9話「戦役終結」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦いは、終わった。

 

 友奈(友哉)、キンジ、海斗、ジャンヌ、そしてリサが大暴れした結果、眷属側は総崩れとなり、一敗地にまみれた。

 

 その後、ワトソンの説得により、ようやく重い腰を上げたリバティ・メイソンの本隊が到着し、龍の港を制圧。イヴィリタ、カツェ、パトラを始め、主だった眷属メンバーを捕縛する事に成功した。

 

 更に、内通者であるローレッタもキンジによって捕縛された。

 

 キンジと戦った閻とセーラは辛くも逃げ延び行方をくらまし、妖刕と魔剱はいずこともなく姿を消した。

 

 由比彰彦もついに姿を見せなかったが、イヴィリタの話ではどうやら、ブータンジェの戦いが終わった時点で契約が解除された為、一足先に欧州を去ったとの事だった。

 

 これで、欧州における眷属勢力も、事実上、壊滅状態に陥った事になる。

 

 イヴィリタは、最後は一軍の将らしく堂々たる物だった。

 

 自ら白旗を掲げ、部下達を背中に庇いながら、最後まで眷属としての威厳を失う事は無かったのだ。

 

 流石は、師団勢力を最後まで苦しめた女傑である。戦闘能力の有無など関係無い。そうした堂々たる人柄から来るカリスマこそが、イヴィリタと言う人物の魅力であり、最強の武器であると、友奈(友哉)は思った。

 

 こうして、師団に投降したカツェ達を連れてアムステルダムへと戻った友奈(友哉)達は、リサが作ってくれた食事を存分に堪能してゆっくりと休んだ後、師団と眷属、双方による停戦交渉に移行する事となった。

 

 今回、師団と眷属の戦いは、事実上、眷属の降伏、敗北と言う形で幕を閉じている。

 

 戦争における降伏とは、実質、2つに分ける事ができる。一言で言えば「無条件降伏」と「条件付き降伏」である。

 

 前者の場合、敗北側はそれこそ、国家としての軍事力、経済力が完全に破綻し、民間人にまで被害を出し、抵抗する力を完全に喪失した状態で白旗を掲げる事である。当然、戦争終結後に、勝利側から突きつけられる条件も厳しい物となり、そこに一切の異議を挟む事が出来なくなる。第二次世界大戦における日本とドイツが、これに当たる。

 

 一方、後者の場合、敗北側は戦争の途中において政変等で方針を転換し、ある程度、戦力を保持した状態で降伏する事になる。この場合、降伏側は継戦能力を保持した状態で終戦を迎える事になり、同時に勝者側も、それ以上の無用な損害を避ける事ができる為、無条件降伏に比べれば条件も緩和され、停戦交渉の場にあっても、ある程度の発言権は維持される。同じ第二次大戦における、イタリアがこれだ。

 

 今回、眷属側の立場は後者になる。

 

 眷属側は、セーラや閻等、未だに有力な戦力を保持したまま降伏した為、継戦自体は可能となっている。もし、尚も戦い続けなければ、師団側も相応の損害を覚悟しなくてはならないだろう。

 

 そこで、眷属側の言い分を聞きつつ、それも含めて停戦条約が纏められた。

 

 以下が、師団と眷属、双方合意に至った条約文である。

 

 

 

 

 

 

○師団側負担

 

1、東京近郊に敷いた鬼払い結界を除去する。

 

2、以後、破壊活動が行われない限り、眷属勢力の存在を容認する。

 

 

 

 

 

○眷属側負担

 

1、龍の港、兵器庫を含む、複数の拠点をリバティ・メイソンに譲渡する。

 

2、保有する殻金を全て、神崎・H・アリアに返還する。

 

3、リサ・アヴェ・デュ・アンクを含む、代表戦士数名を、師団側に譲渡、乃至、期限付きで貸与する。尚、リサ・アヴェ・デュ・アンクに限り、本人の希望により、永久譲渡とする。

 

4、師団側の条約履行監視員派遣を受け入れる。

 

5、条約履行数年間、師団側との協調体制を取る。

 

 

 

 

 

○双方負担

 

互いに得た捕虜を返還する。ただし、自発的な残留を希望する者に限っては除外する。

 

 

 

 

 

 若干の捕捉解説をすると、眷属側は敗れはしたものの、完全に勢力を失ったわけではない。ただし、今後も下手に蠢動されるのは困る為、拠点や兵力保有を制限する事で、戦後しばらくは勢いを削いでおく事になったのだ。

 

 その際、リサに関しては、ある意味、友奈(友哉)が目論んだ通り師団側(と言うかキンジの所)に来る事となった。もっとも眷属側としても、ジェヴォーダンの獣の実態が分かった以上、リサの扱いには苦慮しており、ここは渡りに船であった感が強い。

 

 殻金はある意味、この戦役における最重要アイテムであり、アリアの緋緋神化を押さえる為に絶対に必要な物である。返してもらうのは当然の事であると言えるだろう。ただし、カツェ、パトラの保有していた2つは返還されたものの、行方の分からないハビが所持している最後の1個に関しては眷属側としてもどうしようもなく、結局、うやむやにされてしまった。

 

 捕虜に関する条文は、師団、眷属双方ともに負担と言う形にはなるが、一部の捕虜、たとえばヒルダなどは、そのまま残留する事を希望している為、このような形に決着した。

 

 因みに、この停戦交渉の間、バチカンの発言権はほぼ皆無と言っても良かった。

 

 漁夫の利を狙って師団と眷属に媚を売った挙句、決着直前になって眷属への鞍替えを表明したバチカンだったが、まさかのまさか、その直後に眷属が逆転負けを喫するとは思っても見なかったのだろう。おかげでバチカンは、師団勢力の中で唯一の「敗者」となってしまった。

 

 まさに清々しいくらい典型的な「自業自得」である。

 

 なお、この件に関してバチカンは、責任者であるローレッタに詰め腹を切らせた。

 

 ローレッタはこの後、シチリアの修道院に出向、事実上の左遷される事となったらしい。

 

 バチカンと言う組織に対し腹立たしい面はあるし、責任を押し付けられたローレッタには同情したい気持ちはあるが、事はバチカン内部での事である為、友奈(友哉)達に口出しする事はできなかった。まあ、身内内で処刑されなかっただけ良しと考えるしかないだろう。

 

 以上を持って、停戦条約は締結された。

 

 そして、

 

 それは同時に、約半年に渡って世界各地で死闘を繰り広げた、極東戦役の終結をも意味していた。

 

 

 

 

 

「よう、久しぶりだな、緋村」

 

 ロッジの廊下で声を掛けられて振り返ると、そこには、見覚えのある少女が松葉づえをついて歩いてくる姿があった。

 

「おろ、君は・・・・・・」

 

 身体に包帯を巻いて現れた少女は、ルシア・フリートである。

 

 彼の大英雄ジーク・フリートの子孫とも言われる魔女で、友奈(友哉)とは数度に渡って激戦を繰り広げ、最後は兵器庫の戦いでようやく、友奈(友哉)が勝利するに至った。

 

「もう、歩いても大丈夫なの?」

「おう、仲間内に治癒魔術に詳しい奴がいてな。そいつが頑張ってくれてな」

 

 もっとも、戦うのはまだ無理そうだけどな。などと言って笑うルシアに、友奈(友哉)も苦笑を返す。

 

 この分なら、復帰するまでに、そう時間はかからないだろう。

 

 2人はラウンジに出てコーヒーを淹れると、ベンチに座って一服する事にした。

 

「イヴィリタ様がな、あたし達を庇ってくれたんだよ。おかげでこうして、まだ生きている事ができるんだ」

 

 そう言って、ルシアは自嘲気味に笑みを浮かべる。

 

 停戦交渉の際、眷属側には当初、もっと厳しい条件が付きつけられており、その中にはカツェやルシアと言った代表戦士たちの処刑も含まれていたらしい。

 

 そこを、イヴィリタが粘り強く交渉する事で撤回させ、どうにか緩和する事に成功したのだった。

 

「そっか、すごい人なんだね、イヴィリタさんって」

「ああ、あたし達にとっては親みたいな人さ。ま、怒ると怖いけどな」

 

 ルシアの言葉を聞いて、2人は互いに笑いあう。

 

 まあ、あれだけ残酷な方法でキンジを処刑しようとしたイヴィリタだ。普段からわりと怖いのは、容易に想像できた。

 

 とは言え、

 

 友奈(友哉)は奇妙な感覚に捉われる。

 

 あれだけの死闘を演じたルシアと、今はこうして、互いに言葉を交わし、笑い合っている。

 

 何とも不思議で、奇妙な光景である事は間違いない。

 

 だが、よくよく考えても見れば、それはこれまで通りの事であるとも言える。

 

 今は味方になっているワトソン、ジャンヌ、ヒルダ、ココ姉妹、諸葛、伽藍、かなめ、ジーサード、彩夏、陣。そして、カノジョである茉莉でさえも、皆、かつては敵だった者達だ。

 

 だから、こうしてルシアと会話を交わす事自体は、「普通でないが故に普通の事」であるとも言えた。

 

「さてと」

 

 ひとしきり話し終えてから、ルシアは立ち上がる。

 

「おろ、行くの?」

「ああ、これから、色々と準備しなくちゃいけないからな。お前も、日本に帰るんだろ?」

 

 そう。友奈(友哉)達は間も無く、この欧州を去る事になる。極東戦役が決着した以上、友奈(友哉)達に帰国の時間が迫っていた。

 

 たぶん、帰ってからも、残るハビへの対応や、妖刕、魔剱の捜索など、やる事は無数にあるのは間違いない。

 

 だが、取りあえず、一区切りついた事は間違いなかった。

 

「じゃあな、緋村、また会おうぜ」

 

 ルシアはそう言ってニヤリと笑うと、松葉杖をつきながら、ひょこひょこと歩いて行く。

 

 それと入れ替わるようにして、長身の青年が近付いて来るのが見えた。

 

 海斗はすれ違う時にルシアと目礼を交わすと、そのまま友奈(友哉)に歩み寄ってきた。

 

「ここにいたか」

「ああ、海斗」

 

 友奈(友哉)はコーヒーを飲んだ紙パックをくずかごに捨てると、立ち上がって右手を差し出した。

 

「今回は助かったよ、来てくれて、本当にありがとう」

「気にするな。俺は約束を守っただけだ」

 

 素っ気なく言いながらも、海斗は口元に笑みを浮かべる。

 

 かつて交わした約束を守るため、土壇場で友奈(友哉)を守るために駆け付けてくれた海斗。

 

 そんな海斗に、友奈(友哉)は本当に感謝していた。

 

「そう言えば理沙・・・・・・君の妹はどう、容態?」

 

 最近知り合った狼メイドさんと同名である為に少々ややこしいが、海斗の妹である、エムツヴァイこと武藤理沙は、数か月前に友奈(友哉)達との戦いで再起不能の重傷を負い、今は加療中である。

 

 元々、子供の頃から過剰な肉体強化と薬物投与を続けてきたせいで、理沙の体はとっくの昔に限界を迎えたのだ。

 

 診断したワトソンや高荷紗枝の見立てでは、たとえ友奈(友哉)に敗れなくても、数年の内には剣を振るう事が出来なくなっていただろう。との事だった。

 

「もう、車いすの自走は始めている。体調が良ければ、来月辺りからリハビリを開始できると医者に言われたよ。今回も話したら着いてきたがったが、そこは説得して思いとどまらせた」

「そっか。頑張ってるんだね」

 

 海斗の言葉を聞いて、友奈(友哉)も顔をほころばせた。

 

 理沙が戦場に立つ事は、恐らくもう無いだろう。だが、このペースで行けばもしかしたら、数年の内には、ある程度普通の生活をできるくらいにまで回復するかもしれなかった。

 

「それよりも・・・・・・・・・・・・」

 

 海斗はそこで、話題を変えるべく口調を改めた。

 

 振り返ると、海斗は真剣な眼差しを、友奈(友哉)に向けてきている。

 

「飛天御剣流奥義、天翔龍閃、しかと見せてもらった。想像に違わぬ、凄まじい技だった」

 

 あの、パトラが全魔力を注ぎ込んで作り上げた巨大な砂像。

 

 海斗の九頭龍閃ですら完全には破壊できなかった砂像を、友奈(友哉)は天翔龍閃を用いて完全破壊して見せたのだ。

 

 恐ろしい程に強力な技である事は間違いない。

 

 だが、

 

 同時に、ある危惧が、海斗の中では持ちあがっていた。

 

「あの技は危険だ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 海斗が放った一言に対し、友奈(友哉)は僅かに眉をひそめて応じる。

 

 友奈(友哉)のその反応を見て、海斗もまた目を細める。

 

 海斗の言葉が意味するところが何か、友奈(友哉)にはよく判っているのだ。

 

「お前にも、判っているのだな? あの技が、如何なるものであるか?」

「・・・・・・・・・・・・うん」

 

 不承不承と言った感じに、友奈(友哉)は頷きを返した。

 

 天翔龍閃は、確かに最強の技かもしれない。その一撃で戦局を決し得る、最大最強のワイルド・カード(ジョーカー)だ。

 

 だが、リスクの無いジョーカーは存在しない。

 

 天翔龍閃もまた、その例外ではなかった。

 

「使い続ければ、いずれあの技は、お前自身をも滅ぼす事になるぞ」

「判ってる」

 

 海斗の言葉に、友奈(友哉)は頷きを返す。

 

 海斗は友奈(友哉)の身を案じているのだ。

 

 友奈(友哉)が今後も武偵として活動していくなら、天翔龍閃は確実に「武偵としての緋村友奈(友哉)」の寿命を削り続ける事だろう。そしていつかは、命を落としてしまう事もあり得る。

 

 だが今回や、前回の呂伽藍戦のように、奥義に頼らなければ勝てない相手が、今後増えて来るだろう事は、容易に想像できた。

 

「大丈夫」

 

 そんな海斗に対し、友奈(友哉)は柔らかく笑い掛ける。

 

「僕は大丈夫だよ」

 

 根拠など何も無い、ただの気休めの言葉。

 

 だが、海斗もそれ以上、何も言う事は無かった。

 

 これは問題としてはあまりにも微妙すぎる為、他人が安易に口を出して良い類の事ではない。全て、友奈(友哉)が自己責任において解決しなければならない問題だった。

 

 そんな友奈(友哉)に、海斗は諦念と共に息を吐く。

 

「判った。ただ、無理だけはするなよ」

「うん。ありがとう」

 

 互いに互いを知る2人の飛天の継承者は、そう言って頷き合うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「チッ」

 

 帰国しての第一声が、それかい。

 

 舌打ちする蘭豹を前にして、友奈(友哉)は内心でそう思った。

 

 その後の細々とした交渉をジャンヌやワトソンを任せ、友奈(友哉)とキンジは、リサを伴って先に日本に帰国した。

 

 初めて日本にやって来たリサが、飛行機から見た高層ビル群に感動し、日暮里駅やコンビニでプチ騒動を起こしつつも、どうにか懐かしの武偵校へ戻って来る事が出来た。

 

 そこで友奈(友哉)は、先に寮に戻ると言うキンジやリサと別れ、1人で教務課(マスターズ)へと足を向けたのだった。

 

 目的はただ一つ。とっとと、この忌々しい女装とおさらばする為である。

 

 教務課の扉を開けると、友奈(友哉)は専門科目までの時間があるため、暇を持て余していた蘭豹の前まで行き、リバティ・メイソンのロッジや、飛行機の中で急いで作成した書類を突きつけた。

 

 その書類はレポート2通と、署名書類から成っており、レポートの方はパリのガルニエ宮での仮面舞踏会や、ブータンジェでのお祭り等、女装して参加したイベントについて書かれたものと、リサから習ったより効果的な女装術やホルモンスプレーの有効活用法について、友奈(友哉)なりに纏めた物の2種類だった。

 

 因みに後者のレポートに関しては、CVRと装備科の方にも提出する予定で、今後の開発や実習に役立ててもらおうと思っていた。

 

 そして、署名書類についてはこう書かれている。

 

 

 

 

 

『我々は、緋村友哉(強襲科(アサルト) 2年)が、今、修学旅行(キャラバン)V内において、一度も女装を解かなかった事を、ここに証明するものである。

 

 

 

遠山キンジ(探偵科(インケスタ) 2年)

 

ジャンヌ・ダルク30世(情報科(インフォルマ) 2年)

 

エル・ワトソン(衛生科(メディカ) 2年)』

 

 

 

 

 

 これは出発前に教務課から義務付けられていた物で、帰って来た際には、このように同行した者達の署名入りで提出するように言われていた。

 

 その為友奈(友哉)は、キンジ達に頼んで署名をお願いしたのである。

 

 これで、友奈(友哉)は、自身を束縛する女装から解放されるための条件を、全て整えた事になる。

 

「しゃーない。まあ、がんばった事は確かみたいやし、これでうちに楯突いた件はチャラにしたる」

「ありがとうございます」

 

 頭を下げる友奈(友哉)

 

 もっとも、友奈(友哉)的には、あの時、蘭豹に意見した自分の行動は、間違った物ではないと今でも思っているのだが、今ここで、これ以上の時の事を蒸し返す必要は無いだろう。

 

「で、それはそれとして、お前自身、今回の事で、何か感じた事があったら言ってみい」

「そうですね・・・・・・・・・・・・」

 

 蘭豹に促され、友奈(友哉)は考えてみた。

 

 今回の欧州遠征は、本当に色々あり、命の危険を感じた事も何度もあった。

 

 だが、最も感じた事と言えば、

 

「もう少し、国際的な感覚を身に着けたいと思いました」

 

 言語や習慣の違い、それにコネの有無。日本から離れるだけで、自分はここまで無力になってしまうと言う事を、嫌と言うほど思い知った。パリではジャンヌが、ブータンジェではリサがいてくれたから何とかなったが、あの2人がいなかったら、正直、こうして生きて帰って来れるかどうかすら怪しかった。

 

 そんな友奈(友哉)の言葉に、蘭豹も笑みを浮かべて頷きを返す。

 

「ん、その事を肝に銘じて、今後も頑張り」

 

 そう告げる蘭豹に対し、頭を下げて踵を返す友奈(友哉)

 

 と、

 

「おう、そうや緋村、言い忘れる所やった」

 

 何かを思い出したように、蘭豹は友奈(友哉)を呼び止めると、口の端を吊り上げて笑みを見せる。

 

「お前、折角やから、もう暫く、その格好ですごさへんか?」

 

 そんな蘭豹の巣的な提案に対し、

 

 友奈(友哉)は心の中からさわやかな笑みを浮かべて返した。

 

「絶対ヤです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 教務課を出た友奈(友哉)は、その足で強襲科のシャワールームへと向かった。

 

 訓練を終えてシャワーを浴びていた男子学生たちは、女装したまま入ってきた友奈(友哉)にギョッとしていたが、友奈(友哉)はそれらを一切合財無視して服を脱ぎ、シャワールームへと突撃すると、そのまま気が狂わんばかりにシャワーを浴び続けた。

 

 とにかく、体に染みついているホルモンスプレーの匂いを、一秒でも早く、徹底的に洗い流したかった。

 

 約1時間近くもぶっ通しでシャワーを浴び、その間に10回もボディソープで体を洗い流した友哉は、ふやけそうなくらいに水を含んだ体に男子用防弾制服を着込み、ようやく「緋村友哉」に戻る事が出来た。

 

 その足で、懐かしき第3男子寮へと赴く。

 

 既に、先に帰ったキンジとリサが、居合わせているであろうアリア達と騒動を起こしている可能性は大いに否定できなかったが、今日ばかりはそっちは無視。とにかく、久方ぶりに「男」に戻れた感触を喜びと共に噛み締めつつ、友哉は自宅玄関を潜った。

 

 本当に、久しぶりに見る寮の光景は、いっそ新鮮に思えるくらいである。

 

 と、

 

『ほらほら、これなんか良いんじゃない?』

『そうですね、悪くないかもしれません』

 

 リビングの扉の向こうから、茉莉と瑠香が楽しそうに話しているのが聞こえてくる。

 

 その声が聞こえて来ただけで、友哉は心が浮き立つ思いだった。

 

 自然と、口元には笑みがこぼれる。

 

『て言うか、茉莉ちゃん、少し大きくなった?』

『は、はい。実は、ちょっとだけ』

『何ィー 茉莉ちゃんのくせに生意気だぞー!!』

『あ、ちょっ る、瑠香さん!!』

 

 楽しげに騒ぐ、2人の少女達の声。

 

 その声に導かれるように、友哉はリビングの扉を開いた。

 

「ただい・・・・・・・・・・・・ま」

 

 ノブに手を掛けた状態で絶句する友哉。

 

「「・・・・・・・・・・・・あ・・・・・・・・・・・・」」

 

 同時に、リビングにいた2人も硬直する。

 

 凍りつく時間。

 

 無理も無い。

 

 なぜなら、

 

 部屋の中では友哉の彼女と戦妹が、

 

 ともに、華やかな下着姿でこちらを見ていたからだ。

 

 瑠香はピンクの花柄をした、両サイドを紐で縛るタイプのパンツ、所謂「紐パン」に、上は同色のブラ。

 

 茉莉は、淡いブルーの布地に、お尻にはネコのバックプリントが入ったパンツ。因みに、ブラは外され、両胸は瑠香に思いっきり鷲掴みにされている。

 

 艶姿を惜しげも無く晒す、2人の少女。

 

 殺伐とした武偵校男子寮に、可憐な2輪の花が咲いていた。

 

 2人して試着大会の真っ最中だったのか、テーブルとソファの上には、色とりどりの下着類がこれでもかとてんこ盛りされている。

 

 帰国一発目としては、なかなか嬉し恥ずかし、インパクトのある眺めである。

 

「・・・・・・・・・・・・失礼しました」

 

 そのまま、パタンと扉を閉じてリビングを出ていく友哉。

 

 それを合図に下着姿の茉莉と瑠香は、互いに抱き合ったまま顔を真っ赤にして、ヘナヘナとその場に座り込むのだった。

 

 

 

 

 

 ~それから暫く~

 

 

 

 

 

 ようやく落ち着き、服を2人が服を着直すのを待って、友哉はリビングに入る事が出来た。

 

「えっと・・・・・・・・・・・・」

 

 正面のソファに座った茉莉と瑠香は、余程恥ずかしかったのだろう。顔を真っ赤にしたまま俯いている。

 

 かなり、気まずい雰囲気である事は確かだった。

 

 そんな2人を見て、苦笑する友哉。

 

 まあ、何はともあれ、言うべき事は言わねばなるまい。

 

「2人とも」

 

 ビククッ

 

 友哉が声を掛けると、ほぼ同じタイミングで肩を震わせる茉莉と瑠香。

 

 そんな2人に対し、

 

「ただいま」

 

 ニッコリと微笑んで、告げる友哉。

 

 対して、

 

「おかえりなさい、友哉さん」

「おかえり、友哉君」

 

 2人もまた、はにかんだような笑顔を浮かべて応じる。

 

 そこにあった物は、友哉が欧州にいる間、ずっと心の中で求め続けていた物。

 

 帰るべき場所と家がある。

 

 日本にいて普通に生活していれば当たり前に感じる事ができる事を、友哉は今、心の底から噛みしめていた。

 

 そこへ、

 

「おおいッ 友哉が帰って来たってのは本当か!?」

「ちょっと、帰って来るなら、一言先に言いなさいよねッ ワトソンに聞いてびっくりしたわよ!!」

 

 玄関が開く音がして、陣と彩夏の怒鳴り声が響いて来る。

 

 苦笑しながら、瑠香が立ち上がって玄関に行くのを見届ける友哉。

 

 と、

 

「友哉さん」

 

 茉莉の柔らかい声で呼ばれ振り返る。

 

 優しく笑い掛けてくる茉莉に対し、友哉もまた、笑い掛ける。

 

「本当に、お疲れ様でした」

「うん。ありがとう」

 

 恋人の優しい声を聴きながら、友哉は改めて実感するのだった。

 

 極東戦役は、本当に終わったのだ、と。

 

 

 

 

 

第9話「戦役終結」      終わり

 

 

 

 

 

欧州戦線 後編     了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは、

 

 

 

 

 

 現在(いま)より、ほんの少しだけ、未来(さき)の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その男が公安刑事だと言われても、誰もが何かの冗談だと思う事だろう。

 

 外見的には少年にしか見えず、どう見ても20歳に達しているようには見えない。

 

 だが、その少年は間違いなく、公安刑事である。それも、この日本においても屈指の実力者であり、「殺しのライセンス」を持つ、警視庁公安部 公安0課に所属する警察官だった。

 

 少年は次の瞬間、対峙する妙齢の美女に対して発砲する。

 

 だが、発砲のタイミングも、構えた筈の銃も、周りの人間には見えない。

 

 ただ、発砲の音だけが、残響のように響き渡る。

 

 不可視の弾丸(インヴィジ・ビレ)

 

 少年が持つ、攻撃的な技の一つである。

 

 放たれた弾丸は、亜音速で美女へと迫る。

 

 それが命中するかと思われた、

 

 次の瞬間、

 

 割って入った影が、手にした白刃で、飛んできた銃弾を弾き飛ばした。

 

 漆黒のコートを着た、公安の少年よりも、更に幼い印象のある少年だ。一見すると、少女にしか見えない。

 

 手にした刀を構え直しながら、漆黒の少年は背後の美女へと語りかける。

 

「早く逃げてください。ここは僕が引き受けます」

 

 漆黒の少年の言葉を受けて、美女は頷くと踵を返して走り去る。

 

 対して、公安の少年は、それを追おうとはしない。漆黒の少年がどれ程の脅威になるか、よく知っているのだ。

 

「やれやれ、アリアに続いて、お前まで出て来たのか」

「僕は上からの命令でね。悪いんだけど、そっちの好きにはさせないよ」

 

 そう言うと、互いに笑みを交わし合う。

 

 お互い、実力も手の内も把握している。故に、やり辛い相手である事は間違いなかった。

 

「斎藤さんも、お前の首を狙っているんだが、こいつは、悪いが早い者勝ちだな」

「まだ、君が勝つとは限らないでしょ」

 

 やや不満げに言いながら、少年は刀の切っ先をだらりと下げて構える。

 

 そこら辺は、学生時代と何ら変わらない仕草だ。

 

 対して公安の少年も、両手を空にしたまま下げる。

 

 一見するとリラックスしているように見える両者。

 

 しかしそれは、互いにいつでも攻撃開始できる合図に他ならなかった。

 

 次の瞬間、両者は同時に動く。

 

 公安の少年は銃を抜いて構え、漆黒の少年も刀を携えて駆ける。

 

「行くよ、キンジ!!」

「来いッ 緋村!!」

 

 次の瞬間、

 

 両者の影が鋭く交錯した。

 

 



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女神覚醒編
第1話「懐かしき学舎」


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 煙草を吹かしながら投げられる細く鋭い視線が、国際線の降り口から出てくる客、1人1人を捉えていく。

 

 普段から数多くの人が行き来する中にあって、その全員を確認するのは、ほとんど不可能に近い。

 

 だが、男は構わず、目的の人物を探し続ける。

 

 吐き出す煙に、隣のご婦人が迷惑顔をするが、男にとってそんな物、狸の置物程度の価値しかなかった。

 

 先月、昇進試験に合格して、巡査部長から警部補に昇進した斎藤一馬(さいとう かずま)は、公安刑事として培った全神経を集中させ、標的を探し続ける。

 

 極東戦役終結。

 

 その情報は外務省のみならず、欧州に潜入していた外事警察官からももたらされている。

 

 だが、それが全ての終わりではない事は、斎藤自身、誰よりもよく判っていた。

 

 確かに、形としての極東戦役は終わった。その存在は最後まで一般に知られる事はなく、日本という国家への被害も最小限に抑えられた事は喜ばしい事である。

 

 だが、第二次世界大戦が終結した後、日本軍やドイツ軍の残党の多くが活動をつづけたように、戦いを続けようとする輩は必ずいる。更に言えば、紛争に乗り遅れた連中が、「おこぼれ」に肖ろうとして、砂糖に群がる蟻のように、意地汚く勝者へ這い寄ってくる可能性もある。

 

 それを考えれば、油断している時間は1秒たりとも無かった。

 

 やがて

 

「・・・・・・・・・・・・チッ」

 

 出てくる人ごみの中に目的の人物を見付け、一馬は舌打ちを漏らした。

 

 何の事は無い。相手は自分達の存在を隠す事も無く、堂々とゲートから歩いて出てきたのだ。ひときわ目立つ巨体を見せ付けるようにして。

 

 間違いない。欧州戦線での報告にあった、眷属の残党たちだ。

 

 大女は、腕の中に少し小柄な少女を大事そうに抱いているのが見える。

 

 周囲にいる女たちも、間違いなく奴等の仲間だろう。

 

 古来より、俗に言う「鬼」と呼ばれる連中がいる事は知識として知っていたが、アレ等がそれに当たるのだろう。

 

 戦役が行われている間、この東京近郊には鬼払い結界なる、あの手の連中を退ける結界が張られていたのだが、つい先日、それが解除されたらしい。その途端にこれである。

 

 一応、周囲には一馬の他にも、数名の0課刑事が張り込んで見張っているが、その全員に対し、手出し無用の命令が来ていた。

 

 相手は常識外の力を持った連中だ。仮に挑んでも返り討ちに遭うのがオチである。

 

 この中で互角以上に戦えそうなのは、一馬くらいの物だった。

 

「来ましたね、主任」

「ああ」

 

 傍らに立った同僚の言葉に、一馬は頷きを返した。

 

 川島由美(かわしま ゆみ)巡査長は、つい数か月前まで仕立て屋と呼ばれる犯罪者組織に所属していたが、一馬によって逮捕され、その後、司法取引を経て公安0課所属となっていた。

 

 今は一馬の部下として、組織時代に得た諜報能力を存分に駆使している。

 

 あの鬼たちの入国を事前に察知したのも、由美の手腕に拠る物だった。

 

「連中の行先について、何か判ったか?」

「今のところは何も。相手が人間でないとあっては、その行動を予測する事も難しいようです」

 

 鬼の行動パターンを、こちらの予想に当てはめるのは、ほぼ不可能に近いと言う事だろう。

 

 人ごみの中に隠れても、尚、鬼たちの姿は遠目に見えている。特に一際大きい大女などは、周囲を押しのけるようにノシノシと歩いていた。

 

「行くぞ」

 

 タバコの火を灰皿に押し付けると、一馬は由美を引き連れて鬼たちの後を追う。一定の距離を開けつつ、追跡を行うのだ。

 

 やがて、

 

 気配を隠そうともしない鬼たちとは違い、一馬と由美の気配は、人ごみに隠れ、すぐに見分けがつかなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 欧州から戻って翌日の事だった。

 

 3学期の、それもかなり中途半端な時期だと言うのに、友哉達2年A組は、転校生を迎える事となったのだ。

 

 4月のアリア、5月の茉莉、9月のワトソンと彩夏に続き、通算で5人目となる転校生である。

 

 多すぎると言えば、かなり多すぎる数字ではあるが、今回ばかりは仕方ないと友哉は思っていた。

 

 ぶっちゃけ、友哉には誰が来るのか、この先の展開が読めている。

 

 まあ、師団か眷属、そのどちらかから武偵校に梃入れがあったのは間違いないだろうが、それでも概ね、理想通りの形になった為、友哉としては満足行く結果だった。

 

 やがて、入ってきた女生徒を見た時、

 

 友哉は、自分の予想が外れていなかった事を悟った。

 

「リサ・アヴェ・デュ・アンクです。この2年A組の救護科(アンビュラス)でお世話になります。また、高天原先生からは、保健委員を仰せつかっております。どうぞ皆様、なにとぞよろしくお願いいたします」

 

 リサは極東戦役の停戦条約により、師団、と言うよりもキンジに譲渡され、今も寮でキンジに仕えている。それを考えれば、彼女もまた武偵校へ編有してくるのは自然の流れであると言えた。

 

 救護科、と言う選択も、実に彼女らしいだろう。生来、戦いを望まないリサであるが、医療知識は若干ながら持っている。救護科なら、彼女の能力を十全に発揮できるはずだった。

 

 丁寧なあいさつをするリサに対し、クラス中から喝采が起こる。

 

 礼儀正しく控えめなリサの態度は、クラス内で一気に溶け込んだ感があった。

 

 荒くれ者の多い武偵校の中にあって、ある意味「癒やし」的な雰囲気のあるリサは、人気が出る事間違いなかった。

 

 それに、

 

 友哉は隣の席をチラッと見る。

 

 すると、茉莉が目をまん丸くした状態で、口に手を当てて驚いている。

 

 視線の先には、クラスの皆から質問攻めにあっているリサの姿がある。

 

 イ・ウーで同期だったリサが転校してくると言う事態は、茉莉にとっては青天の霹靂に近かったのかもしれない。

 

 しかもリサの話では、茉莉はリサと仲が良かったというのだから尚更だろう。

 

 嬉しさと驚きが混ぜ合わさったような視線を向けて来る茉莉に対し、友哉は笑顔で頷きを返す。

 

 茉莉が驚くのを期待して、敢えて友哉はこの事を彼女に伝えないでおいたのだ。どうやら、その狙いは的中だったとみて間違いなかった。

 

 

 

 

 

「友哉さんは意地悪です。こういう事であるなら、ちゃんと教えておいてください。ビックリしたじゃないですか」

 

 休み時間になり、茉莉は溜息と共に頬を膨らませている。

 

 彼女の前には、ニコニコ顔のリサが姿もある。

 

 持ち前のほんわかキャラで、すっかりクラスの人気者になったリサは、つい先ほどまで、皆から包囲されて質問攻めにされていたのだ。

 

 このほのぼのキャラに加えて気配り上手、更に可愛いと来れば、人気が出るのは当然の事だった。

 

「あはは、茉莉が驚くのが見たくてさ。こういうのも、悪くないでしょ」

「ええ、お陰さまで。とっても驚きました」

 

 珍しく、友哉に対して少し不機嫌そうな態度を取る茉莉。さすがに、今回の「奇襲」には面食らったと見え、彼氏と言えど友哉に対して言いたい事があり過ぎるようだ。

 

 勿論、本気で怒っている訳ではないようだが。

 

 とは言え、

 

「本当にお久しぶりです、茉莉様」

 

 そう言って笑いかけて来るリサのお陰で、茉莉の不満も一瞬で解消してしまう。

 

「リサさんも、お元気そうで良かったです。イ・ウーに残留したって聞いた時は、どうなるかって心配したんですよ」

 

 イ・ウー壊滅よりも先に逮捕されて脱退した茉莉と違い、リサはボストーク号の決戦後もイ・ウーに残り続けたのだが、理子やジャンヌなど、彼女と親しかった人間の大半が組織から抜けてしまった為、そうとう肩身の狭い思いをしたのは想像に難くなかった。

 

「でも、もう大丈夫ですよ。ここにはリサさんに優しくしてくれる人がたくさんいますからね」

「ありがとうございます。これからよろしくお願いしますね、茉莉様」

 

 何となく、キャラが似てるなこの2人。と友哉が内心で思っていると、教室の扉が開いて、見慣れた小柄な影が入ってくるのが見えた。

 

「おーい、友哉君。借りてた漫画返しに来たよー ごめんね、遅くなって」

 

 言いながら、堂々と教室に入ってくる瑠香。

 

 2年生の教室に1年生が入ってくるのは、普通はかなり緊張する物だと思うのだが、友哉の戦妹として、既に何度もこの教室を訪れている瑠香に気兼ねは無い。

 

 クラスメイト達にも、明るく挨拶をしていた。

 

 と、友哉達のすぐそばまで来てリサを見た瞬間、瑠香は目を輝かせた。

 

「ふおおおおおお!?」

 

 思わず奇声を上げる瑠香。

 

 そのまま、姿が霞む勢いでリサに駆け寄る。

 

「ナニコレ、ナニコレ、どうしたのコレ!?」

「取りあえず、落ち着いて」

 

 苦笑しつつ、友哉はリサから瑠香を引き剥がす。

 

 だが、瑠香の興奮は収まりそうにない。

 

「え、何? 友哉君たちのクラスでメイドさん雇ったの?」

「ハズレ・・・・・・じゃないね、概ね」

 

 言いながら、友哉はリサを差す。

 

「この娘はリサ。欧州で一緒に戦った娘だよ。メイドっていうのは間違いじゃないね。キンジのだけど。で、リサ、こっちは僕の戦妹で四乃森瑠香。仲良くしてやって」

「はい」

 

 頷いて立ち上がると、リサは瑠香に向かって一礼する。

 

「リサ・アヴェ・デュ・アンクと申します。四乃森瑠香様。今後とも、なにとぞよろしくお願いいたします」

「えっ うえ、あ、こ、こちらこそ」

 

 上級生に馬鹿丁寧なあいさつをされ、戸惑う瑠香。

 

 そんな瑠香に、茉莉も笑い掛ける。

 

「瑠香さん。リサさんは、私の昔のお友達でもあります。瑠香さんも、お友達になってあげてください」

「ああ、そうだったんだ」

 

 言いながら、瑠香は両手でリサの手を取った。

 

「よろしくお願いします、リサ先輩!!」

「はい、こちらこそ!!」

 

 挨拶を交わしてから、瑠香はやや呆れ気味の視線をキンジに向ける。

 

「それにしても、遠山先輩の武勇伝ってすごいですよね。そのうち宇宙人の女の子とかもナンパしてくるんじゃないですか?」

「するかッ お前は俺を何だと思ってるんだ!!」

 

 『ジゴロの遠山』

 

 とは、その場にいた全員(リサを除く)が同時に思った事である。

 

 何しろ、キンジの周りには女関係の話題が事欠かない。

 

 ざっと並べただけでも「本命:アリア」「本妻:白雪」「側室1:理子」「側室2:レキ」「愛人:ワトソン」「フランス現地妻:ジャンヌ」「香港現地妻:ココ姉妹」「妾1:菊代」「妾2:萌」「妹:かなめ」「メイド:リサ」と言った感じだろうか?

 

 なかなかな武勇伝振りである。「本命」と「本妻」が別であり、かつ「側室」と「妾」と「愛人」を、それぞれ別枠で確保しなくてはならない辺り、相当である。これで本人は「女嫌い」を自称しているのだから、何かの冗談だとしか思えないのだが。

 

「それはそうと、友哉君」

「おろ?」

 

 リサに一通りのあいさつを終えた瑠香が、思い出したように話題を変えた。

 

「さっき、そこで紗枝先輩と会って伝言頼まれたんだけど、『こっちはいつでも良いから、都合がいい時に来て』だってさ」

「ああ・・・・・・・・・・・・」

 

 瑠香の伝言を聞いて、友哉は頷きを返す。

 

 昨日、とある事情で紗枝に電話を掛けたのだが、生憎彼女は所用で出られなかったため、メールにメッセージを残しておいたのだ。

 

 その返事が、瑠香を介する形で返って来たらしい。

 

「どうかしたんですか、友哉さん?」

 

 茉莉が、心配顔で訪ねて来る。

 

 救護科の紗枝の名前が出た事で、少し不安になっている様子だ。

 

 そんな茉莉に対し、友哉はフッと笑いかける。

 

「何でもないよ。ちょっと、先輩に依頼したい事があっただけだから」

 

 そう告げる友哉。

 

 だが、茉莉は尚も、心配そうな眼差しで友哉を見続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「デートに誘いなさい」」

 

 第一声が、それだった。

 

 授業が終わり、午後の専門科目も終わった茉莉は、その後、瑠香、彩夏と合流し、いつも通り、ロキシーでガールズトークに花を咲かせていた。

 

 そんな中、2人が口をそろえて茉莉に言い放ったのが、冒頭の言葉だった。

 

「な、何ですか急に?」

 

 目をまん丸くしてたじろく茉莉に対し、2人はズイッと身を乗り出してきた。

 

「まったく、ほんとにもう、茉莉ちゃんは、いつまで経っても茉莉ちゃんだよね」

「よく判りませんが、すごく失礼な事を言われているのだけはよく判ります」

「『ヘタレの魂100まで』って言う諺が、確か日本にはあったわよね」

「ありません」

 

 チームメイト2人に、茉莉はジト目になって突っ込みを返す。

 

 2人は、昼間の友哉に対する、茉莉の態度について言及しているのだった。

 

 曰く、あそこでどうして、もっと突っ込んで話を聞かなかったのか、と。

 

「だって、友哉さんは何か、大事な用事があるみたいでしたし・・・・・・」

 

 尻すぼみ気味に言い訳する茉莉。

 

 だが、友哉があのような態度を取ると言う事は、何か他の者には言いにくい事を隠している時だった。

 

 だが、

 

「甘いッ」

 

 ズビシッ

 

「キャッ!?」

 

 いきなり彩夏から額にチョップを喰らわされ、短い悲鳴を上げる。

 

 いきなり何をするのか、と涙目で睨みながら抗議しようとすると、その前に茉莉の鼻先に指が突きつけられた。

 

「たとえ相手に嫌がられても、自ら突っ込んで行く。それこそが彼女の役割でしょうが!!」

「いや、それじゃあ、ただの迷惑な人ですから!!」

 

 ヒートアップする彩夏に対し、うんざりした調子で返す茉莉。

 

 公衆の面前で、何をのたまっているのか、この英国少女は。

 

「でもさ、茉莉ちゃん」

 

 冗談はこれまで、と言った感じに、瑠香は口調を改めて言った。

 

「茉莉ちゃんってこれまで、友哉君とデートらしいデートなんてした事無いよね」

「それは・・・・・・・・・・・・」

 

 確かに。

 

 言われてみれば、茉莉は今まで友哉と、2人きっりでどこかに出かけると言う事は無かった。出掛ける時は大抵、他のメンバーが一緒だった。

 

 しいて言うなら付き合い始める前、一緒に学園祭を周った時くらいだったが、あれは正直、カウントに入るとは思えなかった。

 

「ここらで、友哉君誘って、どっか遊びに行ってみれば? 彼女っぽくさ」

「で、でも、遊びにって言われても、どうすればいいのか・・・・・・・・・・・・」

 

 いかんせん、今までの人生の大半を修行と勉強に打ち込んできた茉莉である。急に「女の子っぽく彼氏とデート」と言われても、なかなかピンと来るものではなかった。

 

「そう、難しく考える物でもないでしょ。いつもあたし達とやってるみたいなことを、今度は友哉とやれば良いのよ」

 

 街に出て、買い物をして、少し喫茶店でお茶でも飲んで帰ってくる。

 

 ただそれだけでも、いつもとは違う新鮮さが味わえるはずだった。

 

「あたし達も協力するからさ。頑張ってみようよ、茉莉ちゃん」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 瑠香の励ましに、茉莉も不承不承ながら頷きを返す。

 

 確かに、もし今以上に友哉と楽しい時を過ごせるなら、それは間違いなく幸せな事だった。

 

 

 

 

 

 その頃、

 

 訓練を終えた友哉は、その足で救護科等に赴き、高荷紗枝の元を訪れていた。

 

 3年生の3学期ともなれば、既に就職活動で大わらわな状況である。

 

 かく言う紗枝は、既に卒業後の進路については決まっているのだが、当然、学校を去るに当たって行わなくてはならない身辺整理は山のようにある。

 

 私物の撤去に使用していた医務室の掃除。更に患者の引き継作業と、毎日が忙しい限りだった。

 

 そんな中で、友哉の頼みを聞いてくれていた。

 

「結論から言うわね」

 

 友哉のカルテに目を通しながら、紗枝は口を開く。

 

 欧州から帰還した友哉が紗枝に依頼したのは、自身の健康診断だった。

 

 思うところあって、自分の健康状態をチェックする必要に迫られた友哉は、気心の知れた紗枝が在学している内に、必要な事はやってしまおうと考えたのだった。

 

「ハッキリ言って、この所見からは、異常らしい異常は見られないわね。骨も筋肉も、内蔵、神経、血管、特に異常な数値は出ていないわ」

「そうですか・・・・・・・・・・・・」

 

 紗枝の言葉に、友哉はほっと息を付いた。

 

 整形外科等は紗枝の専門外の事なのだが、彼女の口利きで幾人かの救護科学生の元を周って検査を受けたのだ。

 

「どうする? 何か気になる事があるのなら、もう少し詳しい検査をしてみましょうか?」

「いえ、これで充分です」

 

 紗枝の申し出に対し、友哉は首を振って謝辞する。

 

 紗枝や、彼女が推薦する救護学生の診断である。その結果はそこらの医師の物よりも信頼できる物だった。

 

 それに、友哉自身としては、今現在、自分の体に異常が無ければそれでいいと思っていた。

 

 友哉は、体の中に爆弾を抱えている。

 

 それは、ずっと以前、それこそ武偵校に入る前から気付いていた事だった。

 

 本来、飛天御剣流と言う剣術は、使用者の体に掛かる負荷が半端な物ではない。下手をすると、技を撃つだけで筋肉や骨が断裂してもおかしくは無いくらいである。

 

 その為、使用者には強靭な肉体が求められる。

 

 これが武藤海斗のような、充分に整った体つきをしている人物であるのなら何の問題も無い。飛天御剣流の技によって起こる強烈なフィードバックにも耐えられる。

 

 だが、友哉は先天的に華奢な体付きをしている。その為、海斗ほどには技の負荷に対する耐久性が高くないのだった。

 

 友哉は生まれ持った剣術の才能でカバーする事によって飛天御剣流を問題無く行使しているが、それがいかに危険な状態と同居しているか、他ならぬ友哉自身が判っていた。

 

 極めつけは、奥義、天翔龍閃(あまかけるりゅうのひらめき)の存在である。

 

 未完成状態の頃は、それこそ一発撃つだけで凄まじいダメージが体にフィードバックしていたが、香港での戦いの際に完成させた事で、かなりダメージを軽減する事に成功してはいる。しかしそれでも、最終的に衝撃をゼロにはできなかった。

 

 これは欧州での決戦の後、海斗にも警告された事だ。「天翔龍閃を使い過ぎれば、いずれ友哉自身が身を滅ぼす」と。

 

 だが、友哉はまだ、戦いをやめるつもりはない。

 

 友哉の仲間達はまだ、苦しい戦いの渦中にいる。それを考えれば、いずれ滅びるこの身であったとしても、使い潰すくらいの覚悟を持って、戦い続ける心算であった。

 

 

 

 

 

 宵闇の天に、朧げに月が浮かんでいる。

 

 淡く輝く光は、しかし同時に地上をも薄暗く照らし出し、一種、不気味な様相を齎していた。

 

 その異様な雰囲気の元、

 

 白刃が、煌めいた。

 

 次の瞬間、血飛沫が盛大に飛び散り、路地や壁を朱に染め上げる。

 

 次いで、その朱色の発生源である肉の塊が、嫌な音と共に地面に倒れ伏した。

 

 辺り一面を赤に染め、その中央に無造作に置かれた肉塊。

 

 まるでそれ自体が、グロテスクなアート作品を連想させる。

 

「フンっ」

 

 そのアートの製作者は、自身の「作品」を見て、不気味な笑いを見せた。

 

「何とも、帰国早々手洗い歓迎だな」

 

 周囲を見回しながら、満足げに笑みを浮かべる。

 

 転がっているのは恐らく、この国の警察官だ。こちらの帰国に気付いて待ち構えていたのは大したものだが、戦力を見誤ったようである。

 

「さてさて、こんな雑魚に比べれば、奴の方がまだマシである事を祈る次第なのだがな」

 

 言いながら、倒れ伏した警察官の首を爪先で蹴り上げる。

 

 そこには、死者に対する尊厳など微塵も感じられない。

 

 ただ、自分の足元にあるごみを蹴り飛ばした。そんな感じである。

 

「よし、行くぞお前等」

 

 そう言うと、自ら先頭に立って歩き出す。

 

 その姿を、月明かりは不気味に照らし上げていた。

 

 

 

 

 

第1話「懐かしき学舎」      終わり

 



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第2話「深淵を覗く」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 携帯電話が着信を告げたのは、友哉が強襲科棟での訓練を終え、寮に戻ろうとしている時の事だった。

 

 誰から掛かって来たか、確認する事無く通話ボタンを押すと、友哉は電話を耳に持って言った。

 

「もしもし」

《どうも、緋村君。ご依頼の件、判りましたよ》

 

 スピーカーからは、聞き覚えのある男の声が聞こえてくる。

 

 正直なところ友哉自身、なるべく聞きたくは無いと思っている声ではある。

 

 だが今回はある意味、仕方が無い。どうしても早急に調べなくてはならない案件が生じているのだ。その為友哉は、初手からジョーカーを切る事を選択したのだった。

 

《まったく、私を顎で使う人間は、人生で2人目ですよ》

 

 呆れ気味な由比彰彦の声が、友哉の耳に飛び込んできた。

 

 ふと、参考までに友哉は聞いてみる。

 

「1人目は誰なんですか?」

《決まっているでしょう。教授(プロフェシオン)ですよ》

 

 成程、と友哉は納得した。

 

 イ・ウーのリーダーだったシャーロックこと教授(プロフェシオン)は、同時にイ・ウー時代の彰彦の上役でもあった。確かに、彼なら彰彦を顎で使いまわす事くらい、平気でしただろう。

 

 世界最大の犯罪者組織リーダーと同格に扱われた事は、果たして良かったのか悪かったのかは判らないが。

 

 今回の調べごとに際し、友哉は仕立て屋の情報網を利用したのだ。

 

 と言うのも、今回の調べ事は、彼等にとっても決して無関係ではない。何しろ、ほんの数日前まで同じ陣営に所属していたのだから。

 

 故に、情報関係に疎い友哉が素人レベルの調査をするよりも、頼れるつてを頼って専門家にやらせた方が早いと思ったわけである。

 

「それで、どうなんですか?」

 

 友哉は先を促すように続ける。

 

 その態度はいつに無くドライである。情報収集に利用したものの、下手に慣れ合うつもりはない。と言う事を明確に告げていた。

 

 対して、彰彦の方でも友哉の思惑を弁えていると見えて、すぐに本題へと話題をシフトした。

 

《結論から教えますと、閻さんとその一味、この場合、首領は覇美さんなのですが、彼女達は日本に入っています。どうやら、停戦条約で眷属が提示した「鬼払結界の除去」は、この為だったみたいですね》

 

 友哉が彰彦に依頼したのは、眷属の残党、欧州戦線を脱出した、閻とその仲間達、覇美一派の捜索だった。

 

 理由は二つある。

 

 彼女達は、アリアの殻金、その最後の一個を保有している。あれを取り戻さない限り、真の意味で極東戦役が終わったとは言えなかった。

 

 更にもう一つ。これは友哉の個人的な問題だが、閻は何か、友哉も知らない飛天御剣流の秘密を知っている。そう思わせる節が、あの龍の港の決戦時に見受けられた。

 

 友哉は彼女達に会う必要がある。

 

 だが無論、会えばただでは済まない。相手は戦を好み、極東戦役に参戦してきた鬼。出会えば十中の十まで、戦闘になるのは間違いなかった。

 

 しかし、既に極東戦役は終結し、停戦条約も締結している。これ以上、眷属関係者と戦えば停戦破りに抵触する恐れがある。最悪の場合、旧師団、眷属双方の陣営から挟撃されるかもしれない。

 

 だが、以上のような理由から、友哉はまだ、戦いをやめるわけにはいかなかった。

 

《彼女達に対しては、こちらの方でも追跡用の人員を付けていますので、最新の連絡は常に入るようにしてあります》

「それは、ご丁寧にどうも」

 

 ぶっきらぼうに言ってから、友哉は付け加える。

 

「因みに言っときますけど、これは欧州戦線でこっちの作戦を妨害した事に対する対価、ペナルティだと思ってください」

 

 一応、そう言っておく。

 

 欧州戦線において、仕立て屋は魔女連隊を支援して友哉達の行動を妨害している。その事もあって今回、友哉は彰彦に調査依頼を出したのだ。

 

 友哉としては「必要以上に慣れ合うつもりはない」というニュアンスで言ったつもりである。

 

 だが、

 

《それはつまり緋村君。君自身も、私の申し出を了承する用意がある、と判断して良いですね?》

「・・・・・・・・・・・・」

 

 やり返された形になった友哉は、言い返す事ができずに沈黙する。

 

 忌々しい事だが、友哉はこの男に借りがある。以前、ジーサード・リーグの奇襲を受けてイクス・バスカービルが壊滅状態に陥った時、友哉は玉藻からの指示を受け戦線が持ち直すまでの間、仕立て屋を傭兵として雇用している。その際彰彦は、報酬代わりに友哉に「ある事を」要求してきている。その履行がまだ成されていないのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・とにかく、追加情報が入ったらお願いします」

 

 そう言うと、友哉は通話を切り、携帯を乱暴にコートのポケットに収める。

 

 不愉快だった。

 

 結局、自分はあの忌々しい仮面男の掌の上で踊らされているだけ、と言う事だろう。

 

 吹き込む寒風に、コートの前を合わせる友哉。

 

 その首元には、見えない鎖が繋がれているような、そんな不快感に付きまとわれていた。

 

 

 

 

 

 一方、彰彦は仮面越しに、通話の切れた携帯電話を、暫く見詰めていた。

 

 スピーカーから僅かに聞こえてくる不通話音。

 

 ややあって、彰彦も通話を解除すると、手にした携帯電話をテーブルの上に戻した。

 

 まったくもって、面白い事だ。

 

 仮面の奥で、彰彦は苦笑を浮かべる。

 

 緋村友哉。

 

 かつて1年ほど前、彼が理子やジャンヌの支援の為に、仕立て屋メンバーの一部を率いて東京に来たばかり頃にコーディネートした、麻薬取引現場で出会った少年。

 

 依頼自体は、正直なところくだらない物だった。

 

 依頼主は利益を優先するあまり、こちらの指示を無視したばかりか、友哉と、彼の戦妹である、四乃森瑠香に叩き伏せられて逮捕された。

 

 だがある意味、あの時の仕事は彰彦にとって、報酬以上の成果があったとも言える。

 

 以来、友哉と彰彦は殆どの期間を敵として、そして僅かな時を味方として、戦場を共にしてきた。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・緋村君、あなたは果たして、気が付いているのですか? 私を『使う』と言う意味を」

 

 虚空に向かって、仮面越しの独り言を吐く。

 

 由比彰彦は紛れもない犯罪者である。直接自身で手を下す事こそ少ないが、それでも日本国内法に照らし合わせれば、犯罪教唆を幾度となく行っている重犯罪者である。

 

 その自分に、事情があるとはいえ、友哉は今回、何も躊躇う事無く依頼を持ちかけた。これはつまり、友哉の中で彰彦に対する警戒心が緩くなり始めている事を意味している。

 

 これはある意味、呪いだ。

 

 友哉は今まで、彰彦の事を目の敵と言っても良いくらいに警戒していた。だが、何度も接している内に、明らかに警戒心が緩み始めている。そして今回、ついには依頼まで持ちかけて来た。

 

 もはや友哉の中で、彰彦の立ち位置が「明確な敵」から「敵にもなるし味方にもなり得る」と言うレベルにまで引き下げられている事は、日を見るよりも明らかだった。

 

 こうして友哉は、徐々にだが、確実に彰彦のテリトリーの中へと引きずり込まれているのだ。

 

 まして、彰彦には先述した通り、「契約」と言う切り札まである。友哉の行動を縛る事は、今まで数々の策謀を弄してきた彰彦にとっては手を捻るよりも簡単な事だった。

 

 彰彦にとっては、正に歓迎すべき事態である。

 

 自身が今、推し進めている計画。

 

 ある意味、実現困難とも言える計画は、しかし、いずれこの国のみならず、世界に対して必要になると、彰彦は確信していた。

 

 その計画に、ある意味、必要不可欠なピースこそが、緋村友哉なのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・絶対悪を滅ぼすのに必要な物は何か?」

 

 ひとり言のように、彰彦は虚空に向かって囁く。

 

「多くの人間は『正義』と答えるでしょう。その事実は間違っていない。悪の闇を照らし出すのに、正義の光は絶対に必要な物だ。それ無くして、人々を導く事はできない」

 

 しかし、

 

「この世には、正義の光が決して届かない、更に深い闇が存在している」

 

 それは「絶対悪」と言う名の領域。

 

 その地獄に領域に住まう者は皆、人の皮を被ったケダモノたちである。

 

 人の命など道端に落ちた埃程度にしか考えず、己が欲望を満たす為ならば、どのような悪事でも肯定する輩。そうした人間は得てして、法の目から己を「守る」術をいくつも持っている物だ。武力、財力、権力と言った具合に。

 

 故に、ただの正義では奴等には決して届かない。

 

「絶対悪を征するには、自らも絶対悪になりきるしかない。と言う事です」

 

 『深淵を覗き込むとき、深淵もまた、こちらを覗いている』

 

 かつて、偉大なる哲学者が言った言葉の一節は、誠に心理の正鵠を射ている。

 

 深淵に深く斬り込むためには、自らも深淵に身を浸す必要がある。

 

 それが長年、多くの戦場を渡り歩いてきた彰彦の下した、一つの結論だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦友会(カメラート)の誘いを受けた時、友哉は迷った末に行く事と決めた。

 

 戦友会とは、かつて共に事件解決に当たった武偵同士が、久方ぶりに集まる、いわば「武偵同士の同窓会」である。

 

 友哉達の間では、キンジ、不知火涼、武藤剛気、平賀文、峰理子が対象となる。

 

 このうち、理子はワンダーフェスティバルなるオタクのイベントに参加すると言う理由で辞退した為、5人での開催となった。

 

 場所と料理の提供は、幹事の不知火が担当してくれた。

 

 場所は寮にある不知火の部屋。

 

 友哉が部屋に入ると、既に来ていた武藤と平賀が歓迎ムードで出迎えてくれた。

 

 そこから更に、少し遅れる形でやって来たキンジも加わり、戦友会開催の運びとなる。

 

 友哉としては欧州遠征時におけるストレスや、先の彰彦とのやり取りの件もあった為、たまにはリフレッシュをして気分転換をしたかった為、参加する事にしたのだ。

 

 テーブルの上には、不知火の心づくしの料理が、これでもかと並べられている。

 

 不知火は、拳銃、格闘、刃物と、武偵に必要な技能は割と何でもできる上に頭も良い。そこに加えて、そこらの女子を上回る程の料理の腕前も持っていると来た。正に「天は二物を与えず」と言う言葉に、真っ向から反旗を翻した男である。

 

 これなら、女子から高い人気を誇っているのも頷けると言う物だろう。

 

 だが、同時に不知火には、ある種の不確定要素にも通じる謎の部分が存在している。

 

 例えば、彼の過去。

 

 不知火は武偵校付属中学ではなく一般中学(ぱんちゅー)出身という事になっている。

 

 しかしそれでいて、入学当初から成績は良く、更にいくつか発生した制圧任務においても、犯人に対する発砲を一切躊躇わなかった。

 

 あれは、友哉達が1年の時に参加した銀行立て籠もり事件の現場。

 

 その場には友哉もキンジと共にいたのでよく覚えているのだが、不知火は突入するなり、涼しい笑みを浮かべたまま、リーダー格の男の膝を撃ち抜いて無力化してしまったのだ。

 

 普通の人間なら、たとえ相手が死なないと判っていても、引き金を引く時は躊躇う物である。時には、人差し指が自分の意志に逆らって、屈曲する事を拒否する場合もある。

 

 だが、不知火は一切の躊躇いを見せなかった。

 

 まるで、虫か何かを叩き潰すかのように、平然と引き金を引いて見せたのだ。

 

 つまり不知火は武偵校入学前から銃を撃つ機会があった、所謂「前からさん」という事だ。

 

 もっとも、そこらへんの突っ込んだ事情を聞いても、いつも本人に適当にはぐらかされてしまうのだが。

 

 そんな訳で、不知火亮という人間について詳しい事を知っている人間は、この武偵校の中では殆どいないと言って良かった。

 

「そう言えば緋村君、瀬田さんとはうまくいっているのだ?」

 

 食事も半ば以上進み、キンジと武藤が中座した頃、口の周りにソースをたっぷりと付けた平賀が、そんな事を聞いて来た。

 

「おろ、茉莉と?」

 

 話を振られ、友哉はキョトンとして振り返る。

 

 茉莉とは欧州戦線に行っている間、顔を合わせる事が出来なくて、お互いに寂しい思いをしたものである。

 

 だが、帰って来た後はこれまで通り、互いに普通に接している。

 

 別段、何か問題が起きているという事はなかった。

 

「何も問題はないよ。いつも通り、かな」

「本当に?」

 

 話を聞いていた不知火が、そこで会話に加わってきた。

 

「本当にって、何が?」

「緋村君がいなかったとき、ちょっと瀬田さんを見かけた事があったんだけどね。何だか、遠くを見つめている感じで、ボーっとしてたよ。どうしたのって声を掛けたら、慌てたみたいに笑って、走って行っちゃったけど」

 

 それは聞いていなかった。

 

 もしかしたら、友哉が把握していないところで、茉莉は思った以上に思いつめていたのかもしれない。

 

 欧州に行っている間、友哉は眷属との戦いに明け暮れ、それはそれで大変な日々を過ごしてきたが、しかし同時に、息つく間もないほど忙しく戦い続けた事で、ある意味「ストレス発散」ができた形である。勿論、女装等、他にストレスを感じてしまったことは山ほどあったのだが。

 

 だが、その間に日本にいた茉莉は、友哉に会う事が出来ずに不満を募らせていたのかも知れなかった。

 

「女の子っていうのはね、思っている以上に複雑なんだよ、緋村君。特に瀬田さんみたいに、色々な物を抱え込んでしまいそうなタイプの子は、ね」

「それは・・・・・・・・・・・・」

 

 不知火は、諭すような口調で言う。

 

 確かに、茉莉がストレスを溜めこみやすいタイプだと言うのは、友哉も前から思っていた事である。

 

 根が生真面目で、悩み事は人に相談する前に、まず自分で解決を試みる。その顕著な例が、夏休みの時の騒動だろう。あの時も茉莉は、事情をいっさい友哉達に話そうとせず、自分1人で敵地へと乗り込んで行くほどの無謀さを見せた。

 

 放っておいたら、いつか自滅しそうな気さえする。

 

「緋村君が色々と忙しいというのは何となく知っているけど、それでもたまには、瀬田さんの為に時間を割いてあげても良いんじゃないかな?」

 

 確かに。

 

 欧州戦線からこっち、あまり茉莉の為に時間を割いてこなかったのは事実だ。

 

 ここはひとつ、極東戦役終結のねぎらいも兼ねて、茉莉との時間を設けてみるのも良いかもしれない、と思った。

 

「おう、俺もそう思うぜ」

 

 そう言いながら、話に加わって来たのは武藤である。どうやら、キンジと何やら話しこんでいた様子だが。そっちの話題は終わったらしい。

 

「だいたい、緋村はちょっと、瀬田さんの事に無頓着すぎるんだよ。あとで轢くぞ」

 

 などと物騒な事を言ってくる武藤。

 

 そのままズイッと、友哉に近づいてくる。

 

「こういう時はよ、男がしゃきっとするもんだぜ。それが常識ってもんだろ」

「いや・・・・・・武藤にその辺の常識語られてもなー・・・・・・」

 

 本人に聞こえないように、友哉はそっと呟く。

 

 武藤は割と女子に対し、積極的に自分をアピールする方である。これでもっと、立ち回りが上手であったなら、きっと「面白い男子」として男女問わず人気が出た事だろう。

 

 だがいかんせん、根ががさつすぎる為、男子からは割と取っつき易い扱いを受けている反面、肝心の女子からは敬遠される事が多い残念男子だった。

 

 その武藤から「恋愛に関する常識」とか言われても、今八つほどピンと来なかった。

 

「それにほら、もうすぐ、おあつらえ向きのイベントがあんじゃねえか。バレン・・・・・・」

「「「「武藤((君))!!」」」」

 

 武藤が言いかけた瞬間、友哉、キンジ、不知火、平賀の4人が、殆ど同時に叫び声を発して黙らせた。

 

 その4人の様子に、武藤も思わず、口に手を当てて言葉を引っ込める。

 

「す、すまん、口が滑った」

「武偵校じゃ、その言葉はタブーだよ、武藤君」

 

 諭すように告げる不知火の額にも、僅かに冷や汗が流れている。

 

 

 

 

 

 バレンタイン

 

 それは、この武偵校では地獄への片道切符を表す、死の言霊。

 

 それは、いつの事だったか、正確に思い出せる者は、もうほとんど存在しない。

 

 その昔、武偵校に所属する、とある教師(強襲科(アサルト)担当。HN「らんらん」)が、1人の書店員に恋をした。

 

 彼女は自身の一途な恋心を彼に伝える為、バレンタインデーには丹精込めてチョコレートを作り、それを彼にあげて告白した。彼女にとっては、一世一代、勇気ある行動だった。

 

『付き合ってください』と。

 

 そして、

 

 その翌日、書店員は失踪した。

 

 それはもう、綺麗サッパリと、痕跡も残さず。

 

 悲嘆にくれた教師は、嘆き悲しんだ末に修羅と化し、やがてバレンタインデーと言う言葉そのものを憎む事になる。

 

 以来、武偵校ではバレンタインデーやホワイトデーを祝う風習は無くなってしまった。

 

 「チョコレートのような高カロリー食品は体に良くない」と言う、表向きの理由だけを残して。

 

 そんな悲恋の物語が、武偵校には存在するのだった。

 

 どっとはらい

 

 

 

 

 

 ともかく、武偵校内で「バレンタイン」なる物を口に出そうものなら、容赦なく体罰に見舞われる事になる。男女の区別無しに。

 

 気を取り直す形で、武藤は平賀へと向き直った。

 

「そう言えば、平賀はあれだろ。交換留学が決まったんだってな」

「え、そうなの?」

 

 初耳な事態に、友哉も目を丸くして平賀に向き直った。

 

 すると、視線を受けた平賀は、その小さな胸を大きく張ってふんぞり返って見せる。

 

「ですのだッ あややは来学期から、ワシントン武偵校の装備科(アムド)に行くのだ。工場のみんなが壮行会をやってくれたのだー ワシントンからは、ロスアラモスってところに研究開発員としていく事に決まっていますのだ」

 

 そう言うと、平賀は写真を見せてくれる。

 

 『文ちゃんがんばれ』の横断幕をバックに、工場のお兄さんたちが平賀の体を胴上げしている所が映っていた。

 

 それにしても、

 

 友哉は口元には笑みを浮かべたまま、スッと目を細める。

 

 「ロスアラモス」とはまた、曰ありまくりな単語が飛び出した物だ。

 

 かつて人工天才(ジニオン)強化兵士(ストレンジ・ソルジャー)と言った危険な計画を行っていた、アメリカの最先端兵器研究機関。

 

 たしかに、平賀程の天才ならば、ロスアラモスで修行して、より高度な技術を身に着ける事も可能かもしれない。

 

 しかし、武藤兄妹やジーサード(金三)、かなめの事を思えば、友哉としては複雑な念を抱かずにはいられなかった。

 

「あややの商品はアメリカからも通販するからご安心を、ですのだ。だけど、その前に・・・・・・」

 

 言いながら平賀は、紙束のような物をスカートの下から取り出す。

 

「在庫一斉処分を行うのだ」

 

 そう言って差し出された紙束は、どうやら商品の受注リストであったらしい。

 

 定価には射線が引かれ、通常よりも2~3割引きになっているのが判る。

 

 確かに、これはお買い得だった。

 

 友哉自身、銃を使わない関係から、弾丸関係の消耗品を必要とはしない。

 

 だが、平賀はその辺を考慮してくれたらしく、友哉専用の受注書も用意してくれていた。

 

 刀剣整備用のオイルに、欧州で使った拡声器の改良型、サブウェポンと思われるナイフや小太刀類、更に防弾用の衣服などがある。

 

 まこと、平賀は商魂たくましいと言うべきか、友哉達が欲しい物を心得ていた。

 

「そう言えば、玄関前にやたら大きな荷物があったけど、あれも商品なのか? あれも見せてくれよ」

 

 キンジがふと、思い出したように尋ねる。

 

 そこで友哉も思い出したが、玄関先には確かに、人一人が入れそうなくらいの大きな梱包があった。正直、几帳面な不知火の部屋には違和感のある代物である。

 

 そんな振りに、平賀もテンションが上がったように梱包の方へ駆け寄る。

 

「これは『YHS/02(イース・ドゥ)』! アリアさんに注文してもらった、ホバースカートの改良品ですのだ。ここに取りに来てもらう約束なので、そろそろ来ると思いますのだ」

 

 前のホバースカートは、藍幇城の戦いで壊れてしまっている。その為、アリアは最新型の注文を平賀に出していたらしい。

 

 ちょうどそんな事を話している時だった。

 

 玄関のインターホンが鳴り、見慣れたピンクのツインテールが入ってきた。

 

「あら、キンジ達もいたのね。ハロー、平賀さん。でも、男子寮で遅くまで遊んでいるのを見られると、寮監に撃たれるわよ」

 

 そう言いながらアリアは、ホバースカートの前にしゃがみ込むと、性能を確かめるように触ってみる。

 

「ちょうど開梱していたのね・・・・・・うん、良い感じ。気に入ったわ。キンジ、箱に戻しといて」

 

 と、品定めを終えたアリアは、いつものようにキンジに命じている。

 

 普段のキンジなら、ここで召使いのようにアリア(女王様)の命令に従うところである。

 

 だが、今日は友人一同の手前もあるのだろう。顔を赤くしつつも、そっぽを向く。

 

「い、イヤだね。いま俺は公式に休暇中、お前風に言えばパーティの席なんだ。指図を受ける謂れは無い」

 

 その言葉を聞き。友哉は思わず「おお」と身を乗り出す。

 

 ついに、キンジがアリアに反旗を翻す時が来たか、と思ったのだ。

 

 だが、女王様も、ただでクーデターを受け入れるほど易くは無いらしい。

 

「ノー、油売ってないでキリキリ働く!!」

 

 あくまでキンジにホバースカートを運ばせようとするアリア。

 

 そんな2人の(低レベルな)革命戦争を、周りにいる人間は生暖かく見守っている。

 

「遠山君、また彼女さんと喧嘩かい?」

「まあ、キンジだし、いつもの事だし」

「緋村君、人の事は言えないのだ」

「ちくしょうッ どいつもこいつもッ 羨ましくなんかないんだからな!!」

 

 何だか涙目になってヤケ酒ならぬヤケファンタをカッ喰らっている武藤の事は放っておいて、一同の視線は、尚も喧々諤々と言い合いをしているアリアとキンジ(女王様と召使い)に向けられている。

 

「キ、キンジ、ほら、早くそれを!!」

 

 周囲の反応にテンパるようにして言い募るアリア。

 

 だがその時、

 

 変化が起こった。

 

「を・・・・・・・・・・・・」

 

 言葉の途中で急に、アリアは伸ばしかけた手を自身の胸に持っていき、掻きむしるように握り締めた。

 

 そのまま、崩れ落ちるように座り込むアリア。

 

「あ・・・・・・あれ?」

 

 自分でも何が起きているのか判らない、と言った感じに息を荒くしているアリア。

 

「お、おい、アリア?」

 

 流石のキンジも、尋常な事態ではないと悟ったのだろう。慌てて駆け寄ってアリアを抱き起す。

 

 だが、アリアの額からは冷や汗が滲み、目の焦点も合っていない。

 

 明らかに、今のアリアは異常だった。

 

「大丈夫、よ・・・・・・いつもの、発作、みたいな物よ・・・・・・」

 

 言っている間にも、アリアの声は小さくなっていく。意識を保てなくなっているのだ。

 

 事態に気付いた友哉達も、慌てて駆け寄る。

 

「神崎さん!? どうしたんだい!? 脈は!?」

「大丈夫だ、除脈や脈拍上昇は起こしていない。不整脈の兆候も無いし、そっちは安定している。ただ意識が・・・・・・アリア!! 聞こえるか、アリア!!」

 

 キンジの呼びかけにも答えず、もはや完全に意識を失ったアリアは、彼の腕の中でぐったりと横たわっている。

 

 痛み刺激にも反応しない事から、JCS換算で、意識レベルは300。非常に危険な状態だ。

 

「これはまずいッ 武藤君、救急!! 緋村君は救急箱ッ 冷蔵庫の上にあるから取ってきて!! 平賀さんは救護科(アンビュラス)に連絡を!!」

 

 不知火が素早く指示を出している間にも、キンジは必至になってアリアに呼びかけ続ける。

 

 しかし、

 

 その緋色の瞳が、呼びかけに答えて開かれる事は、ついに無かった。

 

 

 

 

 

第2話「深淵を覗く」      終わり

 



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第3話「時代のバトン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 救急車で運ばれていくアリアを、友哉たちは、ただ呆然と見守る事しかできなかった。

 

 思えばアリアは、藍幇城での戦いの時から調子悪そうにしていたのを、今更ながら思い出す。

 

「・・・・・・クソッ」

 

 舌打ち交じりに、苛立ちを吐き出す。

 

 込み上げる悔しさと自身への怒りで、友哉は頭が沸騰しそうだった。

 

 兆候はあったのだ。だが、気付いてやる事ができなかった。

 

 友哉は先ほどのアリアの様子を思い出す。

 

 最前まで元気にしていた筈のアリアが、急に苦しみだしたと思うと、まるでスイッチが切れたように意識を失ってしまった。

 

 明らかに、普通の症状だとは思えない。

 

 ならば、原因は何だ?

 

 考えられる可能性を、一つずつ丁寧に潰していく。

 

 あれがアリア生来の症状でないとすれば毒物を投与された可能性もあるが、遅効性の処理を施したとしても、毒であんな症状をあらわす可能性は少ない。変化はもっと、劇的に起こり、処置の施しようがないくらい、あっという間に致死に至る筈なのだ。

 

 故に、毒物投与の可能性は、この場合、否定できる。何よりアリアは、今回にしろ藍幇城の時にしろ、「発作」と言う言葉を口にしてる。

 

 だとすれば、自ずと答えは限られてくる。

 

 と言うよりも、最大かつ最悪の可能性から、目を背けることはできないだろう。

 

「緋緋神化・・・・・・」

 

 周囲の者に気付かれないように、そっと呟く友哉。

 

 現状を鑑みるに、その可能性が一番高いと言えるだろう。

 

 奪われた殻金の内、殆どは取り戻す事に成功した。だが、最後の一枚が、未だに敵の掌中にある。

 

 そして、ついに間に合わず、アリアの緋緋神化が始まってしまった。

 

 そう考えれば、全ての事に辻褄が合う。

 

 急ぐ必要がある。

 

 かつて玉藻は、アリアが緋緋神化した場合、即座に殺すように指示してきている。それは、緋緋神が目覚めれば、世に災いが巻き起こるから、だとか。

 

 正直、その手のオカルト的な事は門外漢の友哉だが、アリアを殺すと言った玉藻の言葉に、偽りがあるとも思えなかった。

 

 そしてそれは、どうあっても看過できる事態ではない。これまで共に戦ってきた仲間を殺す事など、できるはずが無かった。

 

 だが、まだ手段が無い訳ではない。

 

 アリアの緋緋神化を止める事ができれば、彼女を殺す必要は無くなるのだ。

 

 宣戦会議の夜に眷属に奪われた殻金は殆ど取り戻した。残るは、覇美が持つ1個のみ。それさえ奪い返し、アリアの中にある緋弾へ戻す事ができれば、彼女を助ける事もできるはず。

 

 もはや手段を選んでいる余裕は無い。

 

 そう判断した友哉は、尚も心配そうに見守っているキンジ達からそっと離れると、コートのポケットから携帯電話を取り出して由比彰彦の直通番号を呼び出す。

 

 彰彦は閻に監視を付けていると言っていた。ならば、現在位置を割り出して襲撃を仕掛け、力づくで殻金を取り戻すしかなかった。

 

 コールすること数回、相手が受話器の向こうへと出た。

 

《もしもし、緋村君ですか?》

「計画を早めます。そちらが持っている情報を、全てこっちに回してください」

 

 間髪を入れずに、用件を切り出す友哉。

 

 判っている。

 

 これが自分にとって、坂道を転がり落ちる行為であると言う事は。

 

 だが、それでも、今は躊躇う訳にはいかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 都内某所の美術館にて行われている陶芸作品展は、連日にわたって多くの集客を呼び、多大な盛況ぶりを誇っていた。

 

 芸術文化とは、過去から連綿と受け継がれてきたバトンリレーであるとも言える。

 

 一時代を築いた芸術家が、次の世代へと技術(バトン)を渡す。

 

 そして受け継がれた技術(バトン)を、更に未来で別の誰かへと受け継ぐ。

 

 そうして、受け継がれた技術は、現代に残る物である。

 

 だが、バトンを受け継がず、己限りで技術を終わらせる芸術家も中には存在する。そうした存在の中には、幻とまで呼ばれ、実在を疑問視される場合も存在した。

 

 新津覚之進(にいつ かくのしん)と言う陶芸家も、その一人である。

 

 活動時期は明治初期から中期に掛けてと、極めて短く、世に出回っている作品も、他の陶芸家に比べれば圧倒的に少ない。。だが、その独特の作風と、神掛かっているとさえ言われる天才的な感性が、平成の現代になって尚、多くのファンを獲得している。

 

 反面、本人は極度の人嫌いであったらしく、山奥でひっそりと暮らしていたせいも有り、その姿を見た者はほとんど存在しないと言う。僅かな知り合いが残したとされる資料と、数々の作品だけが、その存在を現代に裏付ける証拠となっていた。

 

 閻は、飾られた器の一つを前に、腕組みをして立っている。

 

 周囲に、人の姿は無い。皆、閻の姿に恐れを成して離れて行ってしまったのだ。

 

 閻はただ1人、腕組みをしたまま、その器を眺めていた。

 

 と、

 

「その器に、何か思い入れでも?」

 

 傍らから発せられた明るい声に、閻は僅かな身じろぎをする。

 

 自分に近付いてくるような輩がいるのか、と訝りながら振り返る閻。

 

 すると、いつの間に現れたのか、友哉が同じような姿勢で閻の傍らに立って器を眺めていた。

 

 防弾制服の上から防弾コートを羽織り、手には逆刃刀を携えている。完全に戦闘モードでの登場である。

 

 既に展示会場の封鎖は、武偵権限で行っている。万が一戦闘になった場合でも、被害は最小限に食い止められるはずだった。

 

 彰彦からの情報で、閻達がこの展示場に現れる事を知った友哉は、完全武装の上でこの場所へとやって来たのだ。

 

 この件に関し、友哉はキンジに声を掛ける事なく行動を起こしている。

 

 閻達と接触するのは、ある意味、極東戦役の停戦やぶりに抵触しかねない危険な行為である為、誰かを巻き込むようなリスクは冒せない。

 

 加えてキンジは、今は倒れたアリアの容体の件で手いっぱいのはず。瑠香の話では、その件で風魔陽菜も動いているらしい。恐らく、キンジの命によるものだろう。

 

 どうもアリアは、あの後で意識こそ戻ったものの、イギリス大使館や日本の外務省の思惑により、事実上、病院内に監禁状態となっているらしかった。

 

 そちらについては、キンジに任せる事にして、友哉は問題への直接的なアプローチを試みる事にしたのだ。

 

「我は、人の作りし物に、さほどの興味はない」

 

 対する閻も、まるで世間話の延長のように、動じた様子も無く友哉の問いかけに応じた。

 

 見れば、別段、変わった器のようにも見えない。もっとも、芸術に疎い友哉が見ても、その価値は分からないのだが。

 

「しかし、中には作りし者の魂を感じる事のできる物も存在する。この器や、そこらに転がってある物も然り、そうした物があるというだけの事だ」

 

 そう言ってから、閻はジロリと、横目で友哉を睨みつけた。

 

「何用ぞ、緋村? わざわざ我を訪ねて来たからには、疾く、要件を言うが良い」

「そうですね・・・・・・」

 

 閻に促されるようにして、友哉は口を開く。

 

 元より、長々と前置きをするのは、友哉も好きではなかった。

 

「要件は2つ。1つは、あなた達が持っている殻金の返還。あれは元々こっちの物ですし、極東戦役の停戦条約で返還が決まっています」

「ふむ、して、いま1つは?」

「あなたが知っている、飛天御剣流の事について、教えて下さい」

 

 キンジの話では、閻はもしかしたら自分達が想像もできないくらいの長寿、それこそ玉藻に匹敵するくらいの年齢である可能性があるとか。

 

 だとしたら、過去に存在した飛天御剣流の担い手とも交流があったとしてもおかしくはなかった。

 

 友哉の問いかけに対し、閻は答えない。

 

 しかし、同時に周囲の空気が痛いほどに引きしめられるのが分かった。

 

 閻の殺気が上がっている。

 

 今の友哉の言葉に対し、何か看過し得ないものがあったのだろう。閻は牙を剥くような表情を友哉に向けて来た。

 

「殻金は今、覇美様の鬼袋の中にある。それを取り出す事、まかりならん」

 

 殺気を滲ませて発せられる言葉。

 

 普通の人間ならば、それだけで竦み上がる事だろう。

 

 だが、既に意識が戦闘モードにある友哉は、閻の視線を真っ向から受け止めて跳ね返す。

 

「僕は、『お願い』している訳じゃないんですよ」

 

 挑発的に言い返す友哉。

 

 拒否するなら力づくで行く。

 

 そのニュアンスと共に、友哉は閻に返す。

 

 対して、閻も腕組みを解いて友哉と対峙する。

 

「良かろう」

 

 重々しい言葉で頷いて見せる閻。

 

 元より、友哉がここに来た時点で、対決は望む所だったのだろう。

 

 是非にと言われれば、閻としても躊躇う理由は無かった。

 

「緋村よ、うぬのいま1つの願いも、うぬが強ければ応えて進ぜよう。ところで・・・・・・」

 

 言いながら閻は、不機嫌そうに牙を見せる。

 

「我は手の内を隠す輩は好かぬ。隠している物は、全て吐き出すが良い」

「・・・・・・成程、なら、『お互いに』隠し事はやめておこうか」

 

 言いながら、友哉はスッと右手をかざす。

 

 すると、背後の柱や壁の陰から、それぞれ茉莉、陣、瑠香が姿を現す。

 

 それとほぼ同時に閻の背後にも、複数の影が威嚇するように姿を現した。

 

 閻を取り巻く者達はみな、どこかの学校のセーラー服を着ているが、普通の持し攻勢でない事は一目瞭然である。

 

 1人は髪が長く、すらりとした美人だ。手には日本刀を持ち、鋭い殺気を友哉に向けてきている。

 

 もう1人は髪をベリーショートに短くしており、どこか可愛らしさのある大きな瞳に交戦的な笑みを浮かべている。

 

 皆が皆、鋭いまでの殺気を隠そうともしていなかった。

 

「閻姉様、ここは我らが。このような下賤な輩共、閻姉様の美しい御手を煩わせるまでもありません」

津羽鬼(つばき)姉様の言うとおりです。ここは、我らが」

 

 すぐ傍らに立った人物がそう言うと、残り1人も同意するように頷きを返す。

 

 所謂イケメン的なカリスマと言うべきか、その会話から、どうやら閻が仲間内からかなり慕われているらしい事が分かる。

 

 だが、そんな仲間に対し、閻は諭すように言う。

 

「奢ってはならぬ、津羽鬼(つばき)凶花(きょうか)。こ奴等、我らが戦うに相応しい力を持っておるようだ」

 

 そう言うと、閻は踵を返す。

 

 どうやら、着いて来い、という意味らしい。

 

 友哉達は頷き合うと、閻に続いて展示会場を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 閻が友哉達を連れてやって来たのは、すぐ近場にある公園だった。

 

 広さはある程度あり、それでいて周囲には人の気配は無い。

 

 まさに、戦場とするには相応しい場所であると言えた。

 

「さて、始める前に、武偵として質問させてもらうよ」

 

 そんな前置きと共に、友哉は対峙する閻に問いかける。

 

「今回の入国の目的、答えてもらえるかな? まさか、陶芸展を見たいからって訳じゃなかったんでしょ?」

 

 鬼払結界が解除された後、すぐに閻達の入国が確認されている。それはつまり、閻達は急いで日本に来なくてはならない理由があった、という事だ。

 

 まさか応えるとは思えないが、そこら辺は一応、武偵としての義務である。訪ねておかなくてはならなかった。

 

 だが、

 

「緋緋神様に会う為、アリアを確認しにまいった」

 

 思わず、イクス全員がその場で崩れ落ちそうになった。

 

 まさか、こんなにあっさりと言われるとは思ってもみなかった。

 

「え、えっと・・・・・・・・・・・・」

 

 そんな閻に対し、友哉は恐る恐ると言った感じに聞いてみる。

 

「こっちから聞いといて何だけど、そんなあっさりと話しちゃって良かったの?」

「うむ? 何か問題でもあるのか?」

 

 本気で訳が分からない、といった感じに閻は首を傾げる。どうやら本当に、さほど情報を重要視していないようだ。

 

 見れば、閻の背後に控えた津羽鬼と凶花も、「やだ素敵、しびれる」みたいな視線を閻へと向けている。

 

 もしかして、これが鬼のデフォルトなのだろうか?

 

「さて、問答はこれくらいでよかろう」

 

 閻は鋭い眼差しを向けながら、居並ぶイクスメンバー達と対峙する。

 

「これなる場所であれば、無用な邪魔も入るまい」

「確かにね」

 

 頷きながら周囲を見回し、友哉は閻へと視線を向ける。

 

「でも、こういう配慮をしてくれるとは、正直、驚いたよ。てっきり、そこらじゅうの物を全部巻き込んでも構わない、て言う感じだと思ってたから」

「愚問なり緋村。うぬは、蟻の巣を潰すのに、蟻の行列全てを踏み潰して歩くのか?」

 

 友哉の感心した言葉に対し、閻は何でもない、と言った調子に返す。

 

 要するに、無駄な犠牲を出すつもりはない、と言う事だろう。ありがたい事に。

 

 だが

 

「おいおい」

 

 その閻の言葉に対し、反応したのは陣だった。

 

「やっこさん、随分と俺等を舐めてるじゃねぇか。ここはひとつ、たっぷりと教育してやろうぜ」

 

 言いながら、指の骨を鳴らす陣。

 

 どうやら、自分達を蟻呼ばわりした事が頭に来ている様子である。

 

 見れば、茉莉も腰の刀に手を掛けて、戦闘開始に備えている状態だ。

 

 瑠香には一応、周囲の警戒に当たらせている。万が一、誰か一般人が公園内に入り込んで、戦闘に巻き込まれるのを防ぐためだ。

 

 対して、閻達も既に準備万端と言った感じに迎え撃つ体勢を整えている。

 

 閻は相変わらず腕組みをして泰然自若と言った感じだが、津羽鬼は腰の刀に手をやって戦闘準備を整え、凶花も両拳を掲げる形で激発するタイミングを待っている。

 

「閻は僕がやる。2人は残りをお願い」

「おうよ、任せとけ」

「判りました」

 

 頷きを返す陣と茉莉。

 

 対する閻達もまた、友哉達を睨み付けてくる。

 

 次の瞬間、両者は弾かれるように動いた。

 

 

 

 

 

 

「オラァッ!!」

 

 拳を振り上げて先制攻撃を仕掛ける陣。

 

 相手は、閻の右側に立つ無手の鬼、凶花だ。

 

 武器を持っているようには見えない。ならば、陣が相手をするのが適任だ。

 

 繰り出される、陣の強烈な拳による一撃。

 

 それを、

 

 相手は事もあろうに、素手で受けて来た。

 

 パシッ

 

 軽い音と共に、陣の拳が弾かれる。

 

「なにッ!?」

 

 驚愕する陣。

 

 思った以上に、軽い衝撃が伝わってくる。

 

 あり得ない。本気を出せばコンクリート壁すら粉砕できる陣の拳が、殆ど衝撃無しで防がれるなど。

 

「何だそれはッ 温いにも程があるぞ!!」

 

 不敵な笑みを浮かべる凶花。

 

 同時に、陣の体に衝撃が走った。

 

 凶花の拳が、霞むほどの速度で繰り出され、的確に陣の体を捉える。

 

「グッ!?」

 

 思わず、呻き声を漏らす陣。

 

 疾く、重く、しかも正確。

 

 凶花の攻撃は、常識外の打撃力でもって、陣に襲い掛かってくる。

 

 その速度を前に、陣も反撃の糸口がつかめずに後退する。

 

 だが、それを許さんとばかりに、距離を詰めて来る凶花。

 

「どうしたどうした人間!! その程度か!?」

 

 亀のように防御を固める陣を嘲笑う凶花。

 

 ただ力が強いだけではない。何かの格闘技をやっているかのように、型に嵌った攻撃をしてくる。

 

 恐らく、陣の拳をいなしたのも、何らかの技術によるものと思われた。

 

「そらッ これでェ!!」

 

 身体を捻り込みながら繰り出した強烈な拳撃を、容赦無く陣に叩き付ける凶花。

 

 堪らず、陣は大きく後退を余儀なくされた。

 

 やったか?

 

 確信と共に陣を睨み付ける凶花。

 

 自身の攻撃力を余すところなく叩きつけた一撃だ。これを食らって無事である筈が無い。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・それで終わりかよ?」

 

 ガードを解いた陣は、不敵な笑みを浮かべて凶花を睨み返す。

 

 ダメージを負った形跡はない。

 

 凶花が常識外なら、陣の打たれ強さもまた常識外だった。

 

「チッ 人間にしては頑丈だな、お前」

 

 舌打ちする凶花。

 

 その瞬間、今度は陣が動いた。

 

「そらッ 今度はこっちの番だぜ!!」

 

 言い放つと同時に、凶花へと拳を振り上げる陣。

 

 対して、虚を突かれた凶花が、今度は守勢へと回る。

 

 攻守を逆転した光景が、展開されていた。

 

 

 

 

 

 茉莉は自身のギアをトップに入れると、一気に駆け抜ける。

 

 狙うのは、閻から津羽鬼と呼ばれた鬼。

 

 スラリと背が高く、長い黒髪の少女の姿をした鬼である。

 

 だが、閻の側近をしているからには、油断できる相手ではないだろう。

 

 縮地を使い、一気に距離を詰める茉莉。

 

 友哉がいない間も鍛錬を欠かさなかった為、茉莉の機動力は、5月に友哉と戦った時よりも飛躍的に向上している。

 

 殆ど姿が消えるほどの速度で抜刀する茉莉。

 

 だが、

 

 白刃が津羽鬼を斬り裂こうとした瞬間、刃は空しく空を切った。

 

「なッ!?」

 

 驚く茉莉。

 

 次の瞬間、

 

 背後から迫る強烈な殺気を感じ、とっさに前宙を決めつつ回避する。

 

 上下逆さまの視界の中で茉莉が見た物は、自身に向けて刀を横なぎに振るう津羽鬼の姿だった。

 

 ドッと、冷や汗が出る。

 

 まさか、自分に追随できるほどの機動力を持つ存在がいるとは、夢にも思わなかった。

 

 友哉ですら、スピードでは今の自分には敵わないだろう。

 

 だが津羽鬼は、茉莉の速度に追随して来たばかりか、反撃までしてきている。つまり、彼女もまた、友哉よりも速いと言う事だ。

 

 もっとも、茉莉も負けてはいないが。

 

 着地と同時に体勢を強引に立て直すと、茉莉は技を振り切った状態で動きを止めている津羽鬼に対し、先手を打つようにして斬り掛かる。

 

 対して、今度は津羽鬼も回避行動に入る余裕が無かったらしい。

 

 茉莉の刃を、津羽鬼は自身の刀で受け止める。

 

 ガキンッ

 

 激突する刃と刃。

 

 その衝撃に押されるように、茉莉と津羽鬼は同時に後退する。

 

「フッ!!」

「まだッ」

 

 今度はほぼ同時。

 

 茉莉と津羽鬼は互いの刃を繰り出す。

 

 空中で激突する両者。

 

 剣戟が周囲に火花を飛び散らせ、夜の闇を一時、激しく照らし出す。

 

 やがて、互いに決定打を欠いたまま、茉莉と津羽鬼は仕切り直す為に距離を取った。

 

「・・・・・・やるではないか」

 

 津羽鬼は牙の生えた口を僅かに引き締めて茉莉に告げる。

 

「人の身で、そこまでの健脚は初めて見たぞ。まさかこちらに追いついて来るとはな」

「それは、こっちのセリフです」

 

 茉莉も、縮地を発動した自分が、まさかスピードで負けるとは思っても見なかった。

 

 油断すれば、一瞬で斬られる。

 

 茉莉と津羽鬼は、同時にそう考える。

 

「ところで・・・・・・・・・・・・」

 

 そこでふと、津羽鬼は真剣な眼差しで茉莉に告げて来た。

 

「お前、顔に似合わず、なかなか悪食よな」

「はい? 何の事ですか?」

 

 突然の物言いに、訳が分からず首をかしげる茉莉。何故ここで、食の好みの話題が出てくるのだろうか?

 

 すると、津羽鬼は刀の切っ先で茉莉を差して言った。

 

「下履きに絵を描く程、熊が好物とは。あれはなかなか筋張っていて、人の口には歯ごたえがありすぎると思うのだが」

「~~~~~~//////!?」

 

 津羽鬼の言葉の意味を悟り、茉莉は一気に顔を真っ赤にする。

 

 茉莉は今日、クマさんパンツを穿いてきている。どうやら津羽鬼は、その事を言っているらしい。

 

 普段、縮地を発動した茉莉のスカートの中まで見れる人間はまずいないのだが、その茉莉に匹敵する速度を持つ津羽鬼には、バッチリとパンツを見られてしまったらしかった。

 

「ち、違いますッ これはそんなのじゃありません!!」

 

 恥ずかしさを誤魔化すように、強烈な勢いで地面を蹴って斬り掛かって行く茉莉。

 

 心なしか、さっきよりもスピードが上がっていた。

 

 

 

 

 

 陣VS凶花、茉莉VS津羽鬼

 

 それぞれの戦いが激しく展開している頃、

 

 大将同士の激突にも熱がこもり始めていた。

 

 急速に距離を詰める友哉。

 

 閻の巨体が、すぐ間近へと迫ってくる。

 

 並みの攻撃ではダメージを与えられない事は、欧州での激突で分かっている。

 

 閻は友哉の九頭龍閃を受けて無傷だっただけではなく、ヒステリアモードのキンジとも引き分けたと言う。

 

 ならば、並みの攻撃では掠り傷一つ負わせる事はできまい。

 

 ならばこそ、まともに戦うのは危険だった。

 

「飛天御剣流!!」

 

 駆けながら、構えを変える友哉。

 

 刀を持った右手を大きく引き、左手は寝せた刃に当てる。

 

 閻が迎撃しようと剛腕を振るうが、それを頭を低くして回避。同時に攻撃態勢を整える。

 

「龍翔閃!!」

 

 刃は、確実に閻の顎を捉えて突き上げる。

 

 だが、

 

 空中高く跳び上がった友哉は、舌打ちしながら閻を見る。

 

 やはりと言うか、無傷。それどころか、飛び上がった友哉を、鋭い眼差しで睨み付けて来てさえいる。

 

「フンっ!!」

 

 強烈な気合と共に、再び拳を繰り出す閻。

 

 凶花のように技がある動きではないが、それだけに力任せの強烈さは段違い、と言うより次元違いのレベルだ。

 

 閻の攻撃を、空中で宙返りしながら回避する友哉。

 

 着地と同時に、再び接近を図る。

 

 津羽鬼程ではないにしろ、閻の攻撃も速い。

 

 しかも、剛腕から繰り出される攻撃は、それだけで吹き飛ばされそうな攻撃で友哉に襲いかかってくる。

 

「なるほど、これは、キンジとも引き分ける訳だ」

 

 呟きながら空中に飛び上がって閻の拳を回避する友哉。

 

 同時に体勢を入れ替えて、カウンターの構えを見せる。

 

「飛天御剣流・・・・・・龍槌閃!!」

 

 閻の脳天めがけて、刀を振り下ろす友哉。

 

 いくら防御力の高い閻でも、脳天の防御までは出来ない筈。

 

 そう考えての攻撃である。

 

 振り下ろされる刃。

 

 強烈な一撃を受け、僅かに閻の巨体が前のめりになる。

 

 だが、

 

 友哉が着地した瞬間を見計らうように、閻が拳を振り上げられた。

 

「チッ!?」

 

 舌打ちする友哉。

 

 同時に、全力でその場から飛び退きに掛かる。

 

 拳が、空気を粉砕するような勢いで繰り出される。

 

 その一撃が、友哉の鼻先を掠めて行った。

 

「ッ!?」

 

 当たってもいないのに、凄まじい衝撃が友哉に襲いかかる。

 

 思わず、体をのけぞらせる友哉。

 

 だが、そのまま勢いを利用する形で後方宙返りをすると、閻から距離を取る。

 

 対して、閻は友哉を追撃してくる様子はない。僅かに自身の首に手を置いて振りながら、具合を確かめている所を見ると、どうやら先ほどの龍槌閃はダメージが全く入らなかった訳ではないらしい。

 

 もっとも、倒すには程遠い状況なのだが。

 

 睨みあう両者。

 

 閻は両腕を軽く開いて構え、友哉も逆刃刀を正眼に構える。

 

「やるではないか」

 

 対峙しながら閻が、重々しい口調で告げて来る。

 

「うぬはまことに、比古清十郎(ひこ せいじゅうろう)では無いのか?」

「欧州でも言いましたけど、その名前には覚えがないですよ」

 

 龍の港でも聞かれたその名前に、友哉はやはり覚えが無い。いったい、それが何を意味しているのか?

 

「摩訶不思議な事よ。では重ねて問うが緋村、うぬは如何にして、飛天の剣を体得したのか?」

 

 閻のこれまでの会話から、比古清十郎なる名前が、何らかの形で飛天御剣流と関わりがある事は間違いない。

 

 このまま会話を続ければ、あるいはその謎に迫れるかも知れなかった。

 

「うちの先祖が飛天御剣流の使い手だったので、その文献をもとに、自分で再現しました。だから、これがオリジナルかどうかは、僕にも判りません」

 

 実際、多くの技のやり方については、緋村剣路(ひむら けんじ)の備忘録に記されていたが、その解釈の仕方については友哉の主観も含まれている。それが正しいかどうかについては、今や確かめる術は無かった。

 

 だが、そんな友哉の答えを聞き、閻は大笑いを上げた。

 

「何とも、女人の如き顔に似合わず、剛毅な物よ」

「褒めてくれるのはうれしいけど、一言余計だよ」

 

 自分でも気にしている女顔の事を言われ、口を尖らせる友哉。

 

 だが、閻は気分が乗ったように口を開く。

 

「好い・・・・・・好いぞ。今日はなかなか好い気分になれた。であるから緋村、うぬの問いに答えて進ぜよう」

「・・・・・・それは、飛天御剣流の事について?」

「うむ」

 

 警戒するような友哉の言葉に、閻は頷きを返す。

 

 どうやら実際に干戈を交えた事で、閻は友哉の事を気に入ったらしい。それで、質問に答えてくれるつもりのようだ。

 

「あれは、もう間もなく、戦国の世が終わろうとする頃であったか・・・・・・修行で信濃の国を旅していた我は、そこで1人の旅の剣士と出会い、立ち会う事となった」

 

 戦国時代の終盤と言う事は、17世紀くらいだろうか?

 

 だとすると、緋村抜刀斎が活躍した幕末よりも更にだいぶ前の時代と言う事になる。

 

「あの頃は、我もまだ若かった故に血気逸っていた面もあったな」

 

 まるで「今は違う」と言うニュアンスに、思わず吹きそうになる友哉。だが、ここは黙って「聞き」に徹する事にする。水を差したくなかったので。

 

「戦いは一昼夜に渡って続けられた末に、敗れたのは我の方だった。ただ、あれも詮無き事よ。かの者の強さは既に完成されていたのに対し、我もまた修業中だった故な。それに、戦いが終わった後は、実に楽しい宴で語り明かしたものよ」

 

 閻は思い出に浸るように、遠くを見る。

 

「戦に負けて悔恨の念を抱かなかったのは、後にも先にもあれ一度のみ。我と彼とは、それ以来、種を越えし友となった」

 

 言いながら、閻は視線を友哉に向け直す。

 

「我を倒せし、その剣士こそが、3代目比古清十郎(ひこ せいじゅうろう)殿であった。比古殿曰く、飛天御剣流は代々、継承者に技と名を引き継いでいく形で受け継がれていくというではないか。それ故、我もうぬを比古清十郎であろうと思うたまでよ」

「なるほどね」

 

 大体の事情が分かり、友哉は頷きを返す。

 

 つまり「比古清十郎」とは、飛天御剣流を体得した人間に贈られる

 

 飛天御剣流は代々、その技と志を、比古清十郎の名前と共に受け継がれてきた訳だ。

 

 これもある意味、技術(バトン)の継承であると言えた。

 

 それにしても、

 

 玉藻にしろ閻にしろ、常識外に長生きしている存在からは、よくよく思いも掛けない事が聞けるものである。

 

「さて・・・・・・・・・・・・」

 

 和んだ空気もここまで、といった感じに閻は、拳を振り上げて構えを取る。

 

「緋村、うぬのいま1つの願いにも、応えてやらねばなるまい」

「・・・・・・やっぱり、そうなるよね」

 

 アリアの殻金を返してもらう。

 

 昔話を余興のついでに聞く事が出来たが、ある意味、本命はそっちである。

 

 どうやらそちらに関しては、譲る気はないらしい。

 

 ならばこちらとしても、全力で応じるしかない。

 

 刀を鞘に納め、抜刀術の構えを取る友哉。

 

 奥義 天翔龍閃(あまかけるりゅうのひらめき)

 

 九頭龍閃でもダメージが与えられない鬼が相手では、最早それ以外に切れるカードはなかった。

 

 閻の方でも、友哉が本気になった事を悟ったのだろう。戦意を高めつつ、距離を縮めに掛かる。

 

 両者の戦意が膨れ上がった。

 

 次の瞬間、

 

「それくらいにしておけ」

 

 いっそ、場違いと思えるほどに落ち着き払った声が響き渡り、友哉と閻は、ほぼ同時に動きを止めた。

 

 水を浴びせられるように動きを止めた2人が視線を向けた先。

 

 そこには、煙草を吹かしながら、落ち着いた調子で歩いてくる痩身の男の姿があった。

 

「斎藤さん・・・・・・」

 

 知り合いの公安刑事の登場に、友哉は僅かに顔をしかめた。

 

 その一馬の背後からは、おずおずと言った感じに、瑠香が顔を出しているのが見えた。どうやら公園を見張っている時に捕まってしまったらしい。もっとも、ここで彼女を責めるのは酷だろう。何しろ、相手は公安0課だ。殺されなかっただけ、良しとするしかない。

 

 一馬が出てきている、という事は公安0課が、この戦いに介入する用意があるという事だ。

 

 閻達に続いて0課にまで出てこられては、厄介、どころの騒ぎではない。下手をすれば、この場で全員、存在を消されてもおかしくはないだろう。

 

「空の港より、我等を尾行していたのはうぬ等か?」

「ほう、気付いていたか。見かけによらず鋭いな」

 

 閻の言葉に、紫煙を吐き出しながら感心したように言う一馬。

 

 その言葉で初めて、友哉は公安0課が初めから閻達をマークしていた事を悟った。

 

「これ以上の騒動は遠慮願おうか。既に、この公園は公安が包囲している。是非にというなら、徹底的にやってやるが?」

 

 一馬の言葉を受け、友哉は閻に視線を向ける。

 

 この場にあって、鍵を握っているのは彼女だ。閻の出方次第で、この後の展開が変わってくる事になる。

 

 果たしてどうなるか?

 

 そう思っていると、

 

 閻は構えを解いて、クルリと踵を返した。

 

「興が削がれた。今宵は、ここまでにしようぞ、緋村」

「閻・・・・・・」

 

 そう言って立ち去っていく閻。

 

 そこで、何かを思い出したように、ふと立ち止まって振り返った。

 

「うぬが遠山と縁がある限り、我等は再び見える事となろう。その時までに、技を磨いておくが良い」

 

 そう言い残すと、今度こそ閻は、振り返らずに歩き去っていく。

 

 後には立ち尽くす友哉と、煙草を吹かす一馬だけが公園の闇に残されていた。

 

 

 

 

 

第3話「時代のバトン」      終わり

 



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第4話「Border Line」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 闇の中に座するその人物の存在を知る者は、今はこの国では、殆どいなくなってしまっていた。

 

 ゆったりとした法衣を羽織り、顔は深く被った頭巾の為に、窺い知る事はできない。

 

 一見すると、ただの痩せこけた老人のようにしか見えない。

 

 だがそれだけに、その不気味さは際立っていると言えよう。

 

 その存在を知る者には「闇の御前」と呼ばれて恐れられる老人は、ただそこにいるだけで、見る者の心臓を凍りつかせるように錯覚させられる。

 

 古の御世より、この国の全てを司り、人知れず暗躍を続けてきた存在である。

 

 人を動かし、歴代の天皇、将軍をも凌駕し、他者の人生を操り、多くの命を消費しながら、この国を陰から動かし続けてきた。

 

 この国に住んでいる者なら誰もが、御前には逆らう事ができなかった。

 

 その御前の背後に、突如、気配が浮かび上がるのを感じる。

 

 僅かに揺れるろうそくの炎。

 

 その光が、頭巾の奥の顔に影を作る。

 

「戻ったか」

「ハッ」

 

 御前の言葉に、背後で膝を付いた男は首を垂れる。

 

 外見からして、かなりの年齢である事は判る。どう見ても70は下らないだろう。

 

 オールバックにした長髪は軒並み白くなり、顔には多くのしわが刻まれている。

 

 だが、

 

 若い頃より鍛え上げて来た強靭な肉体は、老齢に達した今も衰える所を知らず、やや小柄ながら巌の如き体躯を築き上げている。

 

 更に、鋭い眼光は、老いて尚、衰える事を知らない獅子のようだ。

 

 平和に慣れた現代の若造如きなら、1000人を相手にしても殴殺できる自信があった。

 

「どうであった、海外における任務は?」

「は、失礼ながら、聊か拍子抜けの感が否めませんでした」

 

 気負いを一切感じさせない初老の男の発言に、御膳はほうっと感心したように言う。

 

 長年、多くの戦場を渡り歩いて戦い続けて来た男は、これまで御前の指示に従い、表には出せない任務を多くこなしてきた。それ故に、御前が寄せる信頼も、絶大なものであった。

 

「あの程度の敵が相手では、我等が出る幕でもなかったかと。むしろ、その裏にて行われていた極東戦役への参戦を御命じ頂きたかった程です」

 

 言いながら、初老の男はしわの深い顔を上げて御前を見る。

 

「さすれば、師団であろうが眷属であろうが、我等のみで殲滅してご覧に入れましたものを」

「相変わらずのようだな」

 

 まるで戦国武将のような勇ましい物言いに対し、御前はそう言って顔に笑みを浮かべる。

 

 この初老の男の、こうした豪胆な態度は、御前としても好むところである。

 

「しかし、お前は一つ、勘違いをしておるぞ」

「と、申されますと?」

 

 御前の言葉に対し、初老の男は訝しむように首をかしげて御前を見る。

 

 それに対し、御膳は頭巾の下に不気味な笑みを浮かべて言った。

 

「戦役は、まだ終わっておらぬ。確かに、形としての極東戦役は終結したが、未だに戦い続けておる者も多い。それに・・・・・・・・・・・・」

「それに?」

 

 身を乗り出す初老の男。

 

 それに対し、御前は先日、察知したある者の事を脳裏に思い浮かべる。

 

 何か、大きな力が、東京で動くのを感じた。

 

 あれは間違いなく、緋緋神が目覚める兆しであった。

 

 そして、それこそが長き月日にに渡って、御前が闇の中で座しながら待ち望んだ状況に他ならなかった。

 

「緋緋神は目覚めさせねばならぬ。いかなる手段を用いてでもな。その為に、邪魔する者達を、お前達が排除するのだ。彼の神を覆いし者共を全て平らげ、緋緋神を白日の下へと引きずり出すのだ」

「御意」

 

 御前の言葉を受けて、初老の男は首を深く垂れた。

 

 まもなく、より大きな戦乱が起こる。

 

 それこそ、世界全てを巻き込むほどの、大きな戦いが、だ。

 

「楽しみではないか。その時こそ、我等こそが、世界を動かす事となるのだからな」

 

 そう言って、御前はクックッと、くぐもった笑みを発するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒塗りのセダンや軽ワゴンが数台、公園の入り口付近に駐車されている。

 

 一見するとマナー違反の行為だが、今は深夜である。違法駐車を咎める者は存在しない。

 

 一度は巡回中の巡査が通りかかり、見咎めるようにして覗き込んで行くが、それらは全て、周りにいる黒服の者達にあしらわれ、スゴスゴと退散していくしかなかった。

 

 彼等は警視庁公安部 公安0課所属の者達である。いかに警察官と言えど、一介の巡査に太刀打ちできる相手ではなかった。

 

 その公園内では、今、公安指導による証拠隠滅作業が行われていた。

 

 公園内は、イクスメンバーと閻達が戦った余波で木々はなぎ倒され、地面は深く抉られている。

 

 これらに対して、ある程度の偽装を施して、「爆発事故」等の適当な理由を付けて世間の目を誤魔化すのもまた、公安の仕事だった。

 

「随分と派手にやらかしてくれたものだな」

 

 タバコの煙を吐き出しながら斎藤一馬は、呆れ気味の視線で、前に並んだ武偵達を睨み付ける。

 

 もっとも、当の武偵達はと言えば、それぞれ明後日の方向を向きながら一馬の言葉を聞き流しているのだが。

 

 説教なんぞ、どこ吹く風、と言った態度である。

 

「まさか、0課が閻達を張っていたなんて・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は苦虫を潰したような表情で、一馬を睨み付ける。

 

 そうと判っていれば、もう少し慎重に動いたかもしれない。

 

 とは言え、アリアの件もある為、あまり悠長に構えてはいられなかったのも事実なのだが。

 

「お前はいつでも、詰めが甘いんだよ、阿呆が」

「ウグ」

 

 そんな友哉に、容赦ない皮肉を浴びせる一馬。もともと仲が悪い事もあるのだが、その口調には一切の容赦がない。

 

 対して、全く持って一馬の通りである為、友哉としても言い返す事はできず、歯噛みするしかなかった。

 

 そんな友哉達に対し、一馬はやれやれとばかりに煙を吐き出す。

 

「本来なら全員、本庁まで御同行願うところなんだが・・・・・・・・・」

 

 一馬の言葉に、友哉達の間で緊張が増す。

 

 相手は国家権力の象徴たる警察官。それも国内最強の公安0課だ。イクスメンバーが全員で掛かっても勝てない事は明白である。

 

 だが、

 

 一馬は吸い終わった煙草の吸殻を足元に投げると、それを靴の底で揉み潰し、踵を返した。

 

「斉藤さん?」

「鬼どもの追跡任務は、まだ継続中なんでな。こっちはガキのお守りまでには手が回らん。あとは勝手にしろ」

 

 言いながら一馬は、背後に控えていた川島由美を伴って歩き去って行く。

 

 要するに、これ以上は大人しくしていろ、と言う事らしい。

 

 それを証明するように、停車していた車も公園から離れていく気配がある。どうやら本当に、公安0課は撤収を始めたらしかった。

 

 何とも肩透かしを食らった感が強いが、ここは助かったと思うべきところだった。

 

「ふいィ~~~~~~」

 

 それを確認した瞬間、瑠香は緊張が切れたように、その場に座り込んだ。

 

「大丈夫ですか、瑠香さん?」

「こ、怖かった~~~」

 

 腰が抜けたように座ったままの瑠香を、茉莉が気遣うように肩を抱いている。

 

 無理も無い。下手をすれば、公安0課との全面衝突に発展していた可能性もあったのだから。そしてその場合、敗れて全滅していたのはイクスの方だった事は疑いない。

 

 文字通り、大人と子供。相手にすらならなかっただろう。

 

「相変わらず、いけすかねえ野郎だな、あいつ」

「まあね」

 

 舌打ち交じりの陣の言葉に、友哉も頷きを返す。

 

 一馬とそりが合わないのは今に始まった事ではない。恐らく、あの男とは一生、分かり合える事は無いと思う。利害さえ合えば協力し合う事もあるだろうが、それも結局は一時的な物に過ぎないだろう。

 

 友哉と一馬。

 

 2人はどこまで行っても平行線。まるでコインの表と裏のような関係なのだ。

 

 だが、

 

「どうだ友哉、お前なら、あいつに勝てるか?」

「判らない。ちょっと前の僕なら、あっという間に負けていたと思うけど・・・・・・」

 

 陣の言葉に対し、濁すような返事を返す友哉。

 

 果たして「今」の自分が一馬と戦えば、どうなるだろうか?

 

 これまで友哉も、多くの敵と戦い勝利してきた。長年謎だった奥義も完成する事が出来た。

 

 ここ数カ月で、飛躍的と言っても良い程に成長を遂げたのは間違いない。

 

 だが、それでも公安0課刑事、斎藤一馬の実力には底知れない物がある。特に、彼の使う牙突の威力は、明らかに友哉の九頭龍閃を上回っている事は確実である。

 

 まだまだ、互して戦うには程遠かった。

 

「友哉さん」

 

 茉莉に呼びかけられ、友哉は思考を辞めて意識を戻す。

 

「ああ、ごめんごめん。みんな、今日は付き合ってくれてありがとうね」

 

 そう言って友哉は、居並ぶ仲間達に力無く笑い掛ける。

 

 結局、襲撃は失敗に終わった。

 

 飛天御剣流の貴重な情報を聞けたのは有意義だったが、結局、殻金を取り返す事はできず、閻達には逃げられてしまった以上、今回の作戦は失敗とせざるを得ない。

 

 戦ってみて改めて思ったのは、鬼たちの実力は侮りがたい、という事だろう。イクスメンバーが全力で激突しても、互角に持っていくのがやっとだったのだから。あのまま戦っていたとしても、友哉達が勝てた保証は無い。

 

 0課の介入で命拾いしたのは、あるいは友哉達の方だったかもしれなかった。

 

「で、友哉、これからどうするよ?」

 

 言いながら、陣は指の骨をボキボキと鳴らす。

 

 先の戦いは、陣としても不完全燃焼だったのだろう。閻達を追撃するべく、戦意も充分なようだ。

 

 だが、既に閻達が離脱してからそれなりに時間が経過している。今から追いかけて再襲撃を掛けるのは難しいだろう。

 

 残念だが、戦機は失われたと判断せざるを得なかった。

 

「今日は、ここまでにしよう。残念だけど、これ以上は意味が無いと思うから」

 

 それに、と友哉は心の中で付け加える。

 

 公安0課の介入によって、自分達がマークされてしまった可能性もある。これ以上の下手な動きは控えるべきだった。

 

「僕は、別のルートから、もう一度閻達に迫れないか探ってみるよ。みんなは先に帰ってて」

 

 そう告げると、友哉は仲間達に背を向けて歩き出す。

 

 そんな友哉の背中を、

 

 茉莉は少し寂しそうに見つめていた。

 

 

 

 

 

 携帯電話を取り出すと、友哉は迷う事無く目的の相手をコールする。

 

 これ以上のジョーカー行使は、自らの身を滅ぼす事になりかねない。

 

 だが、襲撃が失敗に終わった以上、速やかに次の手を打つ必要がある。その為には、どうしても情報が必要だった。

 

 やがて、通話を告げる音と共に、向こうの音声も耳に届いた。

 

《どうやら、不首尾に終わったようですね》

 

 彰彦の第一声を聞き、友哉は顔をしかめる。

 

 大方、張り付かせていた密偵から得た情報だろうが、こっちの事が筒抜けになっているのは、控えめに言っても良い気分ではなかった。

 

「0課の介入は予想外でした。そっちでは掴んでいなかったんですか?」

《申し訳ありませんね。こちらも人手不足でして。全てに対応する事は難しいのですよ》

 

 白々しい事を。

 

 友哉は腹の中で毒づく。

 

 彰彦が本当に、0課の動きを掴めていなかったかどうかについて、実際のところ友哉には判らない。もしかしたら知っていて、意図的に友哉に情報を流さなかった可能性もある。

 

 だが戦いが終わった今、その点に関して追及する意味は無かった。

 

「・・・・・・・・・・・・引き続き、鬼たちの追跡をお願いします。失敗した以上、閻達とはもう一度戦う必要があるので」

 

 今は彰彦の責任を問うよりも、閻達を追撃する方が先決であろう。アリアの事が手遅れになる前に。

 

 そんな友哉に対し、彰彦は少し黙ってから口を開いた。

 

《追跡調査と言う事なら構いませんがね、緋村君。しかし、一言言わせてもらえれば、「よろしいのですか?」》

 

 最後の一言に力を込めるようにして、彰彦は言った。

 

 その言葉に、眉をひそめる友哉。

 

《老婆心から言うのですがね、君はもう、随分と「こちら側の世界」に入り込んでしまっていますよ。勿論、私にはそれを止める権限など無いのですが・・・・・・》

 

 スッと目を自る友哉。

 

 分かっている。

 

 友哉自身誰よりも、これ以上進む事の危険性は理解していた。

 

 本能が、警告している。

 

 これ以上行くのは危険だ、と

 

 次に発する一言は契約成立の証。

 

 これ以上行けば、自分は引き返す事が出来なくなる事は明明白白。口をあけている闇に、一歩、踏み出す事になりかねない。

 

 ここに、目に見えない境界線が存在する。

 

 行けばもう、後戻りはできないだろう。

 

 待っているのはあるいは、修羅の道かもしれない。

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「構いません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友哉は躊躇う事なく頷きを返した。

 

 自分達の目的を果たす為に、閻や覇美は必ず倒す必要がある相手。だが、相手はただの人間よりもはるかに上回る力を持っている。

 

 武偵憲章8条「任務は裏の裏まで完遂せよ」

 

 極東戦役における殻金奪還が成らない以上、戦役は真の意味で終わったとは言い難い。

 

 ならば、今は手段の是非を問うている暇はなかった。

 

《・・・・・・・・・・・・分かりました》

 

 ややあって、彰彦が返事を返してくる。

 

 彼もまた、友哉の決断を感じ入っているのだ。

 

 男が何かを決断する時、そこに損得も理屈も存在しない。ただ、標的を射抜く矢の如く、真っ直ぐに飛翔するのみだった。

 

《では、近日中に、私の方から連絡を入れる事とします。その指示に従ってください。それと、ご依頼の件は、こちらで間違いなく。多少、時間はかかるかもしれませんが、可能な限り早く、確実にこなして見せます》

 

 事務的にそう言ってから、彰彦は最後に、

 

 これまで友哉が聞いた事が無いくらい、真摯な口調で言った。

 

《緋村君。君の決断と勇気に、心から感謝します》

 

 それっきり、通話が切れた。

 

 友哉もまた、携帯電話をコートのポケットへと戻す。

 

 その時だった。

 

「友哉さん」

「ッ!?」

 

 突然、背後から呼びかけられた友哉は、思わず肩を震わせて振り返る。

 

 すると、そこには心配そうな顔をした茉莉が、ジッとこちらを見つめて立っていた。

 

 まさか、今の会話を聞かれたのか? と一瞬疑ったが、どうやらそうではないらしい事は、すぐに気配で分かった。

 

「ど、どうしたの? 帰ったんじゃ・・・・・・・・・・・・」

「友哉さんと一緒に帰ろうと思って、待っていたんです」

 

 言いながら、茉莉は友哉に駆け寄ってくる。

 

「あの、友哉さん、今の電話は・・・・・・・・・・・・」

「ああ・・・・・・僕が使っている情報屋の人だよ。閻達の行動について、色々と調べてもらっているんだ」

 

 そう言ってごまかす友哉。

 

 茉莉をだます事について、若干、胸の痛みを感じないではなかったが、それでも本当の事を伝える訳にはいかない。

 

 それに、嘘は言っていない。彰彦とは情報を得る為に接触していたのは事実なのだから。ただ、相手が誰か、というところまで教えてないだけの話である。

 

 勿論これは、徹頭徹尾、屁理屈であるが。

 

「さあ、帰ろう。これ以上は、体を冷やしちゃうからね」

 

 そう言うと、友哉は茉莉の肩を抱いて強引に話を打ち切る。

 

 それに対し、茉莉は温もりに包まれながらも、胸の内に去来する不安感を、完全には拭えずにいた。

 

 友哉は、自分にも何か隠している。それも、重大な何かを、だ。

 

 座視すれば、いずれ大切な何かを失う事になる。

 

 そんな漠然とした恐怖が、茉莉には感じられるのだった。

 

 その時だった。

 

「ほんに、無茶をする奴らよの。お主ら、もう少し考えて行動せぬか」

 

 立ち去りかけた友哉と茉莉の足を、背後から呼び止める声があった。

 

 振り返る2人の視線の先、

 

 そこには狐耳と尻尾を生やした、和装の少女が、こちらを睨み付けるように立っていた。

 

「おろ、玉藻?」

 

 旧師団の盟主たる玉藻は、何やら厳しい眼つきで2人を睨み付けてきている。

 

 と、

 

 玉藻はてくてくと2人に歩み寄ると、

 

「テイッ!!」

 

 バキィ!!

 

「おぶッ!?」

 

 友哉に対して似非龍翔閃(えせりゅうしょうせん)をかまし、手にした御幣で顎を撃ち抜いた。

 

 堪らず、たたらを踏んで数歩、後退する友哉。

 

「ゆ、友哉さん!?」

 

 突然の事態に、オロオロとしながら駆け寄ってくる茉莉。

 

 対して友哉は、数歩後退してから踏みとどまり、玉藻の小さな姿を見る。

 

「イッタタタタ・・・・・・いきなり何するのさ?」

「それはこっちの台詞じゃ、たわけ」

 

 友哉の言葉にかぶせるように、玉藻は怒り顔で詰め寄ってくる。

 

「極東戦役は終結したと言うに、お主たちの方から鬼に仕掛けていくとは何事じゃ。事によっては、眷属の者共を纏めて敵に回しかねない、重大な規約違反じゃぞ」

「それは・・・・・・判ってるけど・・・・・・」

 

 玉藻に言われるまでも無く、友哉もその事は判っている。

 

 今回は、それら全てを飲み込んだ上での襲撃だったのだ。

 

「玉藻も知ってるでしょ、アリアが倒れた事」

「む・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉の言葉に対し、玉藻は短く唸ってから沈黙する。

 

 どうやら図星らしい。妖怪同士、何か特別なネットワークを持っているらしい玉藻は、既にアリアの急変についても、情報を掴んでいるらしかった。

 

「アリアの体調不良は、緋弾と何か関係がある。そうなんでしょ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉の質問に対し、沈黙でもって答える玉藻。

 

 しかし、この場合の沈黙は、肯定と同義である。

 

 玉藻は黙したまま、友哉の言葉が正鵠を射ていると頷いてしまっているのだった。

 

「・・・・・・・・・・・・さすがは抜刀斎の血筋か。なかなか鋭いの」

 

 ため息交じりに発せられた玉藻の言葉に対し、友哉はスッと目を細める。

 

 どうやら、友哉の予想は外れではなかったらしい。

 

「しかし、それならそれで、なぜ儂に一言言わなんだか? いくらでもやりようはあった物を」

「緊急性を要する。そう判断したから、僕の独断でやらせてもらった」

 

 以前、玉藻は友哉に言った事がある。

 

 アリアが緋緋神とかしたら、その時は迷わず殺す、と。

 

 緋緋神は恋と戦を好む神。目覚めれば、世に戦乱を招く事になる。それ故に、速やかに殺さねばらない。

 

 だが仲間として、そうなる事態は看過できない。それ故に友哉は、敢えて行動を起こしたのだ。

 

 しばし、睨み合う友哉と玉藻。

 

 傍らの茉莉は、ハラハラとしながら友哉を見ている。

 

 まさか、かつて同じ師団陣営として共に戦った2人が、ここで激突する事になるとでも言うのだろうか?

 

 ややあって、

 

「・・・・・・・・・・・・まあ、よいわ」

 

 玉藻の方から視線を外した。

 

「友を助けたいと願う、お主の気持ち、儂にも判らぬでもない。故に今宵の事は大目に見るとしよう」

 

 玉藻の言葉を受けて、

 

 友哉はフッと笑うと、刀に置いた手を外し殺気を引っ込める。

 

 正直、師団メンバーの中で最も実力が知れないのは玉藻である。本人曰く800歳の大妖怪だと言うし、戦役中も前線に出る事が無かった為、殆ど未知数と言っても良い。

 

 だが、仮にも師団側の盟主を務めたほどの人物である。更に戦役の期間中、鬼祓結界を維持し続けたほどの魔力の持ち主である。その実力が低いと言う事は考えにくかった。

 

 戦えば、友哉であっても危なかったかもしれない。

 

「じゃが、儂もまた、道を譲る気は無い。覚醒した緋緋神は、是が非にも討ち果たさねばならぬゆえな。その時には緋村、立ち塞がるならたとえお主であっても討たねばならぬ事と覚悟せよ」

 

 それに、

 

 玉藻は目を細めて友哉を見る。

 

 一見すると、どこにでもいそうな、普通の少年である。

 

 だが、玉藻だけには見えていた。

 

 少年を取り巻くように、黒い影が取り付こうとしているのを。

 

 これが何を意味しているのか、そこまでは流石の玉藻にも判らない。だが、友哉の行く道に、何かただならぬものが迫ろうとしている事だけは、確かだった。

 

「茉莉よ」

「は、はい?」

 

 突然、声を掛けられ、上ずった調子で返事をする茉莉。

 

 そんな茉莉の元に、トコトコと歩み寄ると、鋭い眼差しで見上げて来た。

 

「わしが以前言うた事、ゆめ忘れるでないぞ」

 

 それだけ言い置くと、玉藻は2人に背を向けて歩いて行く。

 

 もはや友哉を取り巻く事態は、玉藻を持ってしても止める事はできそうにない。

 

 しかし、もしかしたら、

 

 互いに想いを通い合わせている茉莉ならば、あるいは闇に堕ちようとしている友哉を掬い上げる事も、できるかもしれないと期待していた。

 

 やがて、玉藻の小さな姿も、闇の中へと溶けて消えて行く。

 

 後には、立ち尽くす友哉と茉莉だけが残された。

 

「・・・・・・・・・・・・僕達も、帰ろっか」

「そうですね」

 

 静かに告げる友哉に、茉莉も頷きを返す。

 

 踵を返して歩き出す友哉。

 

 だがふと、気配を感じて振り返る。

 

「おろ?」

 

 友哉が向けた視線の先では、茉莉が何か、思いつめたような顔で立ち尽くしているのが見えた。

 

「茉莉、どうかした?」

 

 尋ねる友哉。

 

 対して、

 

 茉莉は少し躊躇うような仕草を見せてから、意を決して顔を上げた。

 

「あの・・・・・・友哉さん」

「うん?」

 

 小首をかしげる友哉に対し、

 

 茉莉は精いっぱいの勇気を持って、言った。

 

 自身の胸の内を。

 

「良かったら、明日、私と・・・・・・デートしてくれませんか?」

 

 

 

 

 

第4話「Border Line」      終わり

 



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第5話「デート・ア・パニック Aパート」

 

 

 

 

 

 

 

 腕時計を見る友哉。

 

 時刻は午前9時54分。

 

 待ち合わせの時刻は10時ちょうどだから、まだあと少し時間がある。

 

「・・・・・・ちょっと、緊張して来たかな」

 

 誰にともなく呟くと、そわそわと周囲を見回す。

 

 目的の人物は、まだ姿を現さない。

 

 今日、友哉は人生初となる、女の子とのデートに行くことになる。

 

 それも、従姉の明神彩の買い物に付き合うとか、そういった「なんちゃってデート」ではない。

 

 れっきとした、彼女とのデートだ。

 

 昨夜、茉莉が顔を真っ赤にして友哉に言った。

 

 『デートしてください』と。

 

 正直、茉莉があのように大胆な行動に出るとは、思っても見なかったのだ。

 

 大方、瑠香や彩夏に焚き付けられたのだろう。

 

 しかし思えば確かに、今まで茉莉と2人で街を歩いた事が無かったのも事実である。これは案外、良い機会かもしれなかった。

 

 自然、心も浮き立ってくる。

 

「・・・・・・・・・・・・そろそろかな?」

 

 もう一度、はやる心を押さえて腕時計に目をやる。

 

 周囲を見渡せば、街の中は華やかな雰囲気に染まり、道行く人も皆、楽しそうに歩いているのが見える。

 

 明らかにカップルと思われる男女も、何人か見受けられた。

 

 もう間もなく、自分達もあの輪の中へと加わるの事になる。

 

 自然と心が浮き立ち、手に持っている竹刀袋に入った逆刃刀の柄を弄る。

 

「おろ? そう言えば・・・・・・・・・・・・」

 

 茉莉とのデートに想いを馳せながらも、友哉はふと、自分が何か重要な事を忘れているような気がした。

 

 何だろう?

 

 思い出さないと、それこそ命にかかわるほど重要な事だったような気がするのだが・・・・・・・・・・・・

 

「・・・・・・・・・・・・まあ、良いか」

 

 暫くしてから、考えるのをやめる。

 

 思い出せないと言う事は、きっと大した事ではないのだろう。あるいは、その内ふとしたきっかけで思い出すかもしれないし。

 

 そう思った時だった。

 

「お、お待たせ、しました・・・・・・・・・・・・」

 

 オズオズと発せられる聞き慣れた声。

 

 振り返った友哉は、

 

 思わず声を失った。

 

 茉莉が、目の前に立っている。

 

 だが、今日の茉莉は、どこかいつもとは違う雰囲気を出していた。

 

 白のブラウスの上からジーンズのジャケットを羽織り、下は膝丈のスカートを穿いている。

 

 顔の化粧と相まって、どこか垢抜けた感じがする。

 

 友哉は思わず、ドキッとしてしまう。

 

 手に友哉同様、刀の入った竹刀袋を持ってはいるが、いつもと違う少女の雰囲気に、一瞬呑まれそうになってしまったのだ。

 

「す、すみません。お待たせしてしまったみたいで」

「い、いや、大丈夫だよ。てか、まだ時間あるし」

 

 赤くなった顔を誤魔化すように、友哉は視線を外しながら答える。

 

 実際、目を合わせていると、それだけで気持ちが高ぶってしまいそうだった。

 

「それで、あの、今日はどこか行きたいところとかあるんだっけ?」

「あ、はい、そうですね・・・・・・・・・・・・」

 

 言いながら茉莉は、つい先日の事を思い出していた。

 

 

 

 

 

「デート・・・・・・ですか・・・・・・でも・・・・・・」

 

 詰め寄ってくる瑠香と彩夏に対し、茉莉はやや引き気味に答える。

 

 しきりに友哉をデートに誘えと言ってくる2人。

 

 だが、

 

「む、無理ですよ、そんなの・・・・・・・・・・・・」

 

 そんな事、恥ずかしくてできそうにない。

 

 自分からデートに誘うと言う行為は、まだまだ茉莉にはハードルが高い。

 

「だ、だいたい、友哉さんにだって、予定があるでしょうし・・・・・・」

「あのね、茉莉・・・・・・」

 

 言い訳がましく駄々をこねる茉莉に、彩夏は呆れ気味に言う。

 

「女の我儘を許容できない男なんて、大した価値は無いわよ。それで行けば、友哉はそんな事は無いでしょうし」

「で、でも・・・・・・」

「大丈夫だって。茉莉ちゃんがお願いすれば、友哉君なら絶対、嫌とは言わないから」

 

 彩夏に追随するように、瑠香も言い立ててくる。

 

 確かに、友哉の性格なら、茉莉がデートに誘えば、よほど重要な用事でもない限り、一発OKしてくれることは間違いない。それは、誰よりも茉莉自身がよく判っている。

 

 しかしだからこそ、茉莉としても遠慮してしまうのだった。

 

「でもさ、実際のところ、茉莉ちゃんだって、友哉君とこのままズルズル付き合い続ける訳にもいかないでしょ?」

「それは・・・・・・そうかもしれません、けど・・・・・・・・・・・・・」

 

 確かに、今のままでは友哉と茉莉の間は「ちょっと他より仲のいいお友達」の延長と大差ない。

 

 自分達の仲が、もっと進展する為にも、何かしらの対策を講じる必要があるのは確かである。

 

「じゃ、じゃあ、こうしましょう!!」

 

 いかにも、名案が思いついたみたいに、茉莉は手を打った。

 

「お二人も、一緒についてきてください。それなら安心です」

 

 そう言って、ニコニコと微笑む茉莉。

 

 次の瞬間、

 

 瑠香と彩夏が、脱力してその場に崩れ落ちたのは言うまでも無い事である。

 

「あ、あれ? だ、駄目ですか?」

 

 戸惑い気味に尋ねる茉莉。

 

 次の瞬間、

 

「ア、アホかァァァァァァァァァァァァッ!!」

「ひゃッ!?」

「どこの世界に、保護者同伴で彼氏とデートする女子高生がいるってのよ!?」

「ご、ごめんなさいィ!?」

 

 がっつりと、2人に怒られてしまった。

 

「まったく、このドヘタレ娘は、ほんと、どうしてくれようか・・・・・・」

 

 やれやれとばかりに、彩夏はため息をつく。

 

「とにかくさ、やるだけやって見なよ、茉莉ちゃん」

「瑠香さん・・・・・・・・・・・・」

「大丈夫、あたし達に任せなさいって」

「友哉君と茉莉ちゃんの初デート、バッチリとコーディネートしてあげるからね!!」

 

 アグレッシブに請け負う2人。

 

 その様子に、一抹以上の不安を感じずにはいられなかったが。

 

 

 

 

 

 そんなこんなで、茉莉は今日という日を迎えるに至った。

 

 服は瑠香と彩夏から徹底的にコーディネートされてしまった。待ち合わせ時間ぎりぎりの到着となってしまったのは、その為である。

 

「さてと、それじゃあ・・・・・・・・・・・・」

 

 言いかけた友哉は、そこで言葉を止めた。

 

 なぜなら、茉莉が友哉の左腕に縋るように、腕をからめてきたからだ。

 

 見れば、茉莉も顔を真っ赤にして見上げてきていた。

 

「だ、ダメ、ですか?」

 

 尋ねて来る茉莉。

 

 友哉の腕には、女の子特有の体の柔らかさに加えて、僅かに存在する胸のふくらみが意識されてしまう。

 

 普段、戦場に立つ勇ましさとは裏腹に、こういうところは、やはり女の子なのだと自覚してしまう。

 

「う、ううん、そんな事、ないよ」

 

 上ずりそうになる声を、友哉は無理やり押さえつける。

 

 茉莉が、こんな大胆な行動に出てくるのは予想外だった為、完全に不意を突かれた感があった。

 

 とは言え、恥ずかしいのは茉莉も同じなようで、互いに顔はリンゴのように真っ赤。

 

 そんな中で、並んで歩く姿は、何とも微笑ましい物がある。

 

「そ、それで、まずはどこ行くんだっけ?」

 

 通常なら男がリードして行先を決める所であろうが、今日は特に、茉莉の方で行きたいところがあると言う事なので、友哉はそれに付き合う形となっていた。

 

 だが、

 

 問いかけに対し、茉莉は答えない。

 

 ジッと、顔を赤くしたまま、つぐんだ口の中で何やらもごもごと言っているように見える。

 

「茉莉?」

「ひゃ、ひゃい!?」

 

 友哉の呼びかけに対し、思いっきり、どもる茉莉。

 

「ど、どうかした?」

「ど、どうもしません。ノープロブレムです!!」

 

 明らかに挙動不審な態度に訝る友哉だが、本人が大丈夫と言っている以上、これ以上追及するのもどうかと思うのだった。

 

 気を取り直して、友哉は再度たずねてみる。

 

「それで、どこ行きたいんだっけ?」

「は、はい。そそそ、それはですね・・・・・・・・・・・・」

 

 相変わらずドモリ気味な茉莉。

 

 そんな彼女の足が、不意に立ち止まった。

 

「こ、ここです・・・・・・・・・・・・」

「あ、ここなんだ。ここって何を・・・・・・・・・・・・」

 

 言いかけて、友哉は言葉を止めた。

 

 店は非常に華やかな雰囲気を齎しており、カラフルな色彩は、いっそ目に痛いほどのグラデーションを作り出している。

 

 その店は、女性特有の「ある衣服」を販売している店である。花屋ではないが、ある意味、花屋よりも華やかな雰囲気である事は間違いない。

 

 ぶっちゃけて言うと、

 

 そこは、高級ランジェリーショップだった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 立ち尽くす友哉。

 

 そして、

 

「さ、行こっか」

 

 踵を返して立ち去ろうとする友哉。

 

 その腕を、茉莉は慌てて掴む。

 

「ま、待ってください!!」

「いや、茉莉、そんな体張ったギャグ、いらない」

「ギャグじゃないです!!」

 

 必死になって友哉を引き留める茉莉。

 

 何が彼女を、そこまでさせるのか?

 

 そして、

 

「友哉さんに、下着を選んでもらいたいんです!!」

 

 普段の茉莉なら、決して口にしないような言葉が飛び出した。

 

 これには、友哉も驚いて動きを止める。

 

 まさかの事態に、先読みを旨とする飛天御剣流も、完全においてけぼりを喰らっていた。

 

 ややあって、茉莉も我に返って顔を真っ赤にする。

 

 白昼堂々と、自分がいかに恥ずかしい事を声高に宣言したのか、今更ながら思い至ったのだ。

 

 見れば、周囲の人間が、何やらこちらを見ながらヒソヒソと話し合っている。

 

 今の一言で、2人は完全に注目を集めてしまっていた。

 

「い、行きましょう、友哉さん!!」

「ちょ、ちょっと、茉莉!?」

 

 戸惑う友哉を引きずるようにして、茉莉はランジェリーショップへと突撃していった。

 

 

 

 

 

「と、言う訳で、これがスケジュール表よ」

 

 そう言って彩夏が差し出してきたプリント用紙を、一読する茉莉。

 

 何しろ、彼氏とデートなんて、16年の人生で初の事である為、何一つとしてわからない。そこで、その辺も含めて彩夏と瑠香からレクチャーを受ける事になったのだが、

 

「ブッ!?」

 

 読んだ瞬間、思わず茉莉ははしたなく噴き出した。

 

「な、何ですか、これは!?」

「何って、デート用のスケジュール。これだけやれば、鈍感な友哉でもイチコロ間違いないわよ」

 

 自信たっぷりに請け負う彩夏。

 

 予定表には、こうあった。

 

 

 

 

 

1、待ち合わせ場所で合流

 

2、2人で食事する。(場所は別の要旨を参照)

 

3、買い物。友哉に下着を選んでもらう。

 

4、ゲーセンで遊ぶ

 

5、ヤる

 

 

 

 

 

「一部、ものすごく納得できない箇所があるんですけどッ 最後の『ヤる』って何ですか、『ヤる』って!?」

「いや、茉莉ちゃん、流石に聞いてて恥ずかしいから、そんな連呼しないでね、その単語」

 

 テンパる茉莉を、瑠香は呆れ気味に窘める。

 

 だが、そんな事で止まらない程、今の茉莉は慌てている。

 

「それに、何で友哉さんに下着を選んでもらわなくちゃいけないんですか!? 下着くらい自分で選びます!!」

 

 言い募る茉莉。

 

 だが、

 

「だって、アンタに選ばせたら、どうせガキっぽいのにするでしょ」

「う・・・・・・・・・・・・」

 

 思い当たる節がありまくりな茉莉は、図星を突かれて絶句する。

 

「そ、そんな事、ありません、よ?」

 

 それでも何とか抗弁しようとする。

 

 だが、茉莉は気付いていなかった。

 

 自分が盛大に、墓穴を掘っている事に。

 

「・・・・・・ほほう?」

 

 それを聞いた瞬間、彩夏の目が怪しく「キラーン」と光った。

 

「それじゃあ、今穿いてるのは、いつもの奴とは違うんだね?」

「そ、それは・・・・・・」

 

 送らばせながら自分の失言に気付き、さっきまでの勢いを失い、目を泳がせる茉莉。

 

 だが、彩夏は逃がさないとばかりに詰め寄る。

 

「確認するから、ちょっとスカートめくってみ」

「や、ヤですよ、そんなの!?」

 

 慌てて逃げようとする茉莉。

 

 だが、

 

「あーもー、じれったい!! 瑠香ッ 強制執行!!」

「ラジャー!!」

「ちょまッ やめッ や、やァァァァァァァ!?」

 

 

 

 

 

~だいたい1分後~

 

 

 

 

 

「シクシクシクシクシクシク」

 

 壁に向かって体育座りをした茉莉が、「どよ~ん」という擬音と共にすすり泣いている。

 

 普段の生活では自他ともに認めるほど奥手の茉莉が、この2人とケンカして勝てるはずが無かった。

 

 一方で、瑠香と彩夏は、難しい顔を突き合わせている。

 

「何と言うか、安定のお子様パンツだったわね」

「ペンギンさんとは、結構な変化球でしたけど」

 

 などなど、確認した内容を論評する。

 

「てかさー 瑠香、あんた、茉莉の服とか、いろいろと選んであげてたんでしょ? 下着は選んであげなかったの?」

「シクシクシクシクシクシク」

「いやー、茉莉ちゃん、下着だけは、絶対に自分で選ぶって聞かなくて」

「まあ、こういうのが好きって言う男も、多いらしいからね」

「シクシクシクシクシクシク」

「友哉君も、けっこうそんな感じなんじゃないかな?」

「あー あるかも。て言うか、友哉なら茉莉が何穿いてても、オッケーかもよ」

「シクシクシクシクシクシク」

「友哉君も大概、こういう事に耐性無い人だからねー」

「そこら辺、茉莉だけ教育しても、あんま意味無いかもね」

 

 すすり泣く茉莉を無視して討論する瑠香と彩夏。

 

 そこで、ガバッと茉莉は顔を上げ、2人を睨む。

 

「いい加減にして下さいッ 2人とも!!」

 

 黙って聞いていれば、好き勝手に言いまくる2人に、とうとう茉莉の堪忍袋の緒が切れる。

 

「2人とも、私のパンツを何だと思っているんですか!?」

「「鑑賞用?」」

 

 コンマ1秒で即答され、茉莉は再びぐったりとうなだれた。

 

「・・・・・・もう、ヤです、この2人」

 

 目の幅涙を流す茉莉。

 

 正直、付き合うだけで、ごっそりと体力を削られそうだった。

 

 そんな茉莉の肩を、彩夏がポンと叩く。

 

「女の子のパンツはね、男の子に見られる為にあるのよ」

「ドヤ顔で恥ずかしい事言わないでください」

 

 ジト目で突っ込む茉莉。

 

「まあ、それはともかくとしてさ、茉莉ちゃん」

 

 (既に手遅れなレベルで)状況が混乱しつつあったので、瑠香が修正を加える。

 

「友哉君に下着選んでもらうのは、ちゃんと意味がある事なんだよ」

「・・・・・・・・・・・・どんなですか?」

 

 ふてくされた調子で尋ねる茉莉に、瑠香は含み笑いを浮かべながら顔を近付ける。

 

「だって、そうすれば分かるでしょ。友哉君が、どんなのが好みかがさ」

「ッ!?」

 

 思わず顔を赤くして息を飲む茉莉。

 

 友哉の好みが分かる、という事はつまり、「その時」が来た時に役立つ、という意味だった。

 

「ま、そんな訳だから、ちょっと頑張ってみなよ」

「・・・・・・・・・・・・はい」

 

 

 

 

 

 などというやり取りがあった訳である。

 

「じゃ、じゃあ、ちょっと行ってきます」

 

 取りあえず、友哉が(殆ど見ないで)選んだ下着数点を手に、茉莉は試着室のカーテンの向こうへと消えて行く。

 

 とたんに、友哉はひどくいたたまれない空気に包まれた。

 

 こんなとき、キンジならヒステリアモードになって、うまく切り抜けられるだろう。勿論、あとで猛烈に後悔するだろうが。

 

 ともかく、ランジェリーショップで、1人ぽつんと立たずも男。

 

 これは、いったい、どんな罰ゲームなんだろう?

 

 そんな事を思っている時だった。

 

「どうかなさいましたか、お客様?」

 

 慌てて振り返る友哉。

 

 1人、そわそわとした調子で佇む友哉を不審に思ったのだろう。店員の1人が声を掛けて来た。

 

「あ、いや、僕は、その、連れが・・・・・・」

「お客様ですと、そうですね。こちらの商品などいかがでしょうか?」

 

 などと行って手で指し示したのは、

 

 マネキンモデルに装着されている、パステルピンクの下着の上下だった。周りに白いフリルで縁どられ、更に白のドットが微妙なアクセントとなっている、可愛らしいデザインだった。

 

「おろ・・・・・・・・・・・・」

「こちら、今期新作のデザインでして、いま大変な人気商品ですよ。価格も大変、お求め安くなっております」

 

 その言葉に、友哉は顔をひきつらせる。

 

 間違いない。

 

 どうやらこの店員、友哉を女と間違えて、商品を勧めてきているのだ。

 

「よろしければ、御試着など、いかがでしょうか?」

「あ、あの、違うんですッ」

 

 ちょっとまずいレベルで、言い寄られ、慌てて手を振る友哉。

 

 このままでは本気で、試着室に放り込まれかねなかった。

 

「あの、僕、男ですから!!」

 

 友哉がそう言った瞬間、

 

 店員は一瞬、聞き慣れない外国語を聞いたようにキョトンとする。

 

 だが、すぐに気を取り直して、笑顔を浮かべた。

 

「お気に召しませんか? では、こちらなど・・・・・・・・・・・・」

「ほんとなんです」

 

 強弁する友哉。

 

 そんな友哉の様子に、店員はようやく何かに思い至ったのか、ポンと手を打つ。

 

「もしかして、性同一性障害の方・・・・・・」

「心身ともに健全な男です!!」

 

 その後も言い寄ってくる店員をどうにか、苦労して追い返す事に成功した友哉。

 

 何が悲しくて、男なのに女物の下着を勧められなくてはならないのか。

 

 そんな事を考えていた時だった。

 

「・・・・・・・・・・・・おろ?」

 

 ふと、視線を向けた先。

 

 そこに、何やら見知った人物がいたような気がしたのだ。

 

 そっと、首を伸ばすようにして、棚の陰から覗いてみる。

 

 すると、

 

「ッ!?」

 

 思わず上げそうになった声を、友哉は口を押さえる事でとっさに飲み込んだ。

 

 なぜなら、視線の先では、ちょっと大人っぽいデザインの下着を手にとって眺めている従姉、明神彩の姿があったからだ。

 

「やばッ」

 

 とっさに身を隠す友哉。

 

 こんな所を彩に見られでもしたら、後々、何を言われるか判った物ではない。

 

 だが、事態は更に、悪い方向へと動き出す。

 

 彩が気に入った下着を手に、こちらに歩いてきているのだ。どうやら、試着する心算らしい。

 

 もはや、見つかるのは時間の問題だ。

 

「こうなったらッ」

 

 腹をくくると、友哉はとっさに手近にあった下着を手に取って踵を返す。

 

 飛び込んだのは、茉莉が入った試着室に飛び込んだ。

 

「キャッ むぐ!?」

 

 悲鳴を上げそうになった茉莉の口を、とっさに塞ぐ友哉。

 

 突然の事態に、茉莉も驚いて目を見開いている。

 

「ゆ、友哉さん、何を!?」

「ごめん、茉莉。すぐ外に姉さんがいるんだ。ちょっとのあいだ匿って!!」

 

 小声で早口で言いながら、友哉は外の気配を探る。

 

 どうやら、彩は何やら店員と話し込んでいるらしい。恐らく、下着が合うかどうかについて意見を貰っているようだが、そのせいで友哉は、出るに出られなくなってしまっていた。

 

「その・・・・・・事情は分かりました、けど・・・・・・・・・・・・」

 

 茉莉は何やら、言いにくそうに声を小さくしながら、顔を真っ赤にしてもじもじとしている。

 

「おろ、どうかし・・・・・・・・・・・・」

 

 言いかけて、友哉は思わず動きを止めた。

 

 なぜなら、茉莉は、今まさに試着を始めようとしている最中だったらしく、一糸まとわぬ全裸状態だったのだ。

 

 一応、前はブラウスを掲げて隠しているが、それが却って、チラリズム的な艶やかさを存分に見せつけている。

 

 裾から見える華奢な肩口や、細い足を見ると、否が応でも心臓が大きく跳ねるのを止められなかった。

 

「お、お願いですから、向こう向いてくださいッ」

「わ、判ったッ」

 

 言いながら、手にした下着を茉莉に渡して後ろを向く友哉。

 

 しかし、狭い試着室内での事である。

 

 互いの存在を、否が応でも意識してしまう。

 

 友哉にとっては、正に拷問に等しい時間である。

 

 茉莉が下着を付ける衣擦れの音が絶えず耳に入ってくる上、女の子特有の匂いによって室内が満たされてしまっている為、五感がくすぐるように刺激されてしまう。

 

 なまじ「見ていない」せいで、却って想像してしまい、友哉は自分の体温が上昇するのを避けられなかった。

 

 やがて、

 

「い、良いですよ・・・・・・・・・・・・」

 

 促されるまま、振り返る。

 

 そこには、

 

 普段なら絶対に見る事の出来ないであろう、華やかなランジェリー姿の茉莉が立っていた。

 

「あ、あの・・・・・・友哉さん、こういうのが、好みなんですか?」

 

 この上無い程、顔を真っ赤にする茉莉。

 

 友哉が選んだ下着は、上下ともに水色なのだが、非常に薄い素材で作られており、殆どシースルーと言っても良い程、丸見えに近かった。一応、大事な部分は隠れる仕様にはなっているが。

 

 ブラの布面積も小さいが、茉莉の胸が小ぶりなせいもあって、一応、隠す役割は果たしている。

 

 パンティの方は、腰回りが2本の紐で構成されており、かなり大人っぽいデザインだ。

 

 それと、茉莉はどうやら隠しているつもりのようだが、背面が鏡張りになっているせいで、後ろも丸見えになってしまっている。

 

 パンティの後ろは、かなり際どい、と言うか明らかにアウトなデザインのTバックになっており、ほとんど食い込む仕様になっている。その為、茉莉の可愛らしいお尻が、ほぼ完全に丸見えになっていた。

 

「ど、どうです、か?」

 

 恥ずかしそうに、オズオズと尋ねてくる茉莉。

 

 実際、そうとう恥ずかしいのだろう。さっきから、視線が泳ぎまくっている。

 

 対して、友哉も顔を赤くしながら茉莉を見る。

 

「う、うん・・・・・・とっても、良いと思う」

 

 それだけ、絞り出すように言うのがやっとだった。

 

 正直、これ以上茉莉を凝視していると、気がどうになってしまいそうだった。

 

「そ、そうですか・・・・・・よ、よかった」

 

 友哉に褒められたのが嬉しかったのだろう。頬に手を当てて、体をくねらせる茉莉。

 

 その時だった。

 

 急いで付けたせいで、ホックの連結が甘かったのだろう。茉莉のブラが、ハラリとほどけて、床へと陥ちる。

 

「「あ・・・・・・・・・・・・」」

 

 声を上げる、友哉と茉莉。

 

 茉莉の小さな、膨らみかけの胸が、ほぼ至近距離で友哉の視界に晒される。

 

「あ・・・・・・あ・・・・・・あ・・・・・・・」

「ま、茉莉・・・・・・・・・・・・」

 

 目に涙をいっぱい浮かべる茉莉。

 

 次の瞬間、

 

「キャァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 悲鳴が、試着室内に響き渡った。

 

「ま、茉莉、落ち着いて・・・・・・・・・・・・」

 

 とっさに、友哉は茉莉を押さえようとする。

 

 しかし、それがいけなかった。

 

 パニクッた茉莉は、殆ど体当たりするような勢いで友哉にぶつかってくる。

 

 と同時に、2人は絡み合うようにして、試着室の外へと転がり出てしまった。

 

「クッ!?」

 

 舌打ちしながらも、とっさに友哉は茉莉を抱き留める形で床へと転がる。

 

 その判断が功を奏し、どうにか茉莉の体を抱き留めるような形で床に倒れる事に成功した。

 

 だが、

 

 一同の視線が集まっている。

 

 無理も無い。試着室から男女(1人は男の娘)が転がり出てくる、と言うシチュエーションは、ちょっと見られない光景であろう。しかも、その前に茉莉が盛大な悲鳴を上げたばかりである。目を引かない筈が無かった。

 

 そんな中、

 

「友哉・・・・・・それに瀬田さんも・・・・・・アンタ達、何やってんのよ?」

 

 呆気にとられた感じで、彩が声を掛けて来た。

 

 

 

 

 

第5話「デート・ア・パニック Aパート」      終わり



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第6話「デート・ア・パニック Bパート」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「成程ね。まあ、だいたい事情は分かったわ」

 

 ランジェリーショップの床に正座した友哉と茉莉。

 

 その目の前には、腕組みをした彩の姿がある。

 

 試着室から転がり出てきたとところで見つかってしまった2人は、そのままその場で彩から、お説教を受ける羽目になっていた。

 

 一応言っておくと、茉莉は服を着ている。

 

 の、だが、

 

 店のド真ん中で、わざわざ正座してお説教モードに入っている為、当然ながら周囲の注目を覿面に集めてしまっている。

 

 はっきり言って、そっちの方が恥ずかしかった。

 

「まあ、2人が付き合っていると言う話は分かった。アンタ達は若いんだから、ある程度、羽目を外したいって気持ちも判らなくもないわ。けどね、」

 

 語気を強めながら、彩は2人を睨み付ける。

 

「友哉、アンタ、女の子に誘われたからって、こんな所にノコノコと入って来るんじゃないわよッ それとも何? アンタも自分用の下着買うの?」

「い、いや、そんなつもりは毛頭無いけど・・・・・・」

「瀬田さんも、もうちょっと自分を大切にしなさい。あんな事して、もし万が一の事でもあったらどうするの?」

「その、すみません・・・・・・・・・・・・」

 

 怒られて、縮こまる友哉と茉莉。

 

 だが、実のところ2人とも、彩の説教は殆ど聞いていない。と言うのも、周りを気にして集中できないからだった。

 

 当然だが、店内でこんな事をすれば、周囲の視線を否が応でも集める事となる。

 

 今も周りの人たちの視線が痛々しく突き刺さり、正直かなり、居心地が悪かった。

 

「とにかく、デートするなとは言わないから、せめてもう少し節度を持ってしなさい」

「「はい・・・・・・・・・・・・」

 

 激しくどうでも良いから、さっさと終わってくれ。

 

 友哉と茉莉は、揃って同じことを考えていた。

 

 そんな2人を、嘆息して見詰める彩。

 

 本当に判っているのかどうか知らないが、これ以上は引き止めるのも酷だろう。折角のデートの最中に。

 

 説教をしつつも、そこら辺を汲み取れないほど、彩も鈍感ではない。

 

「さて、私はもう行くわ。2人も、まだどっか行くんだったら、あまり羽目を外しすぎないにしなさいね」

 

 言いながら、2人の横を通って歩き去って行く彩。

 

 だが、茉莉の横を通る寸前、彼女の肩を叩き、

 

「頑張ってね」

 

 友哉には聞こえないくらい小さな声で、そう囁きかけた。

 

 それを聞いて、ほんのり顔を紅くする茉莉。

 

 その横では、1人分かっていない友哉が、怪訝そうに首をかしげていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ランジェリーショップを出てから、友哉と茉莉は次の目的地に向かって歩いていた。

 

 時刻は昼時。

 

 昼食を食べようと繰り出している家族連れやカップルが、そこかしこに散見できる。

 

 そんな中で、友哉と茉莉は互いに並んで歩きながらも、先程から殆ど、会話らしい会話をしていなかった。

 

 ランジェリー・ショップでの出来事が、あまりにインパクトが強すぎたのである。お互いに。

 

 結局、あの後も友哉は、店員から「お客様、先程は失礼いたしました。これなどは、お気に召すのではないでしょうか?」などとしつこく勧められ、殆ど逃げ出すような勢いで店から出て来たのだった。

 

 だが、

 

 友哉は見逃していなかった。

 

 そんな混乱の中でも、茉莉はきっちり買い物をしていたのを。

 

 しかも、買ったのはあの、友哉が選んだ下着だ。

 

 あんな際どい下着、いったいいつ穿くつもりなのだろう?

 

 友哉はそんな事をぼんやりと考える。

 

 武偵校セーラー服の短いスカートでは、少し強い風が吹いただけで中身が見えてしまう。事実、藍幇城では茉莉自身が、その悲劇を味わっている筈なのだが。

 

 加えて、茉莉の性格から言って、あんな恥ずかしい物を普段から着るとも思えないし、何より友哉自身、茉莉があんなものを穿いている所を、他の男には見られたくない。

 

 イマイチ、購入した意図が判らなかった。

 

『ま、いいか・・・・・・・・・・・・』

 

 友哉はそう思い、思考を打ち切る。

 

 正直、ランジェリーショップでの事を、これ以上引きずりたくない、と言うよりも思い出したくなかった。

 

 そんな事をしているうちに、2人は次の目的地へと入った。

 

 茉莉が友哉を連れて来たのは、裏路地風の場所に開業している銃剣類を扱った武器専門店だった。

 

 看板には「新井銃砲刀剣店」とある。

 

 武偵が国際的に認められるようになってから、日本でも民間の武器専門店が出店するようになっていた。勿論、店を出す為には、国から厳しい審査を受ける必要があるのだが。

 

 日々、凶悪化、複雑化する犯罪に対応する為には、武偵や警察のみならず、時には民間人ですら武装する事を迫られるのだった。

 

 しかし、

 

 デートの目的地に、武器屋を選ぶというのも、なかなか「武偵」らしいと言えるだろう。

 

 一般人の常識からは外れている事は間違いないが。

 

 店内に入ると、小規模ながら品ぞろえが充実しているのが判る。

 

 ガラス張りのショーケースには、きちんと整備された大小の銃が並び、壁には刀剣が掛けられているのが見える。

 

「へぇ・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は感心したように、周囲を見回しながらため息を漏らす。

 

「結構、良いお店だね」

「好かったです」

 

 友哉の言葉を聞いて、茉莉も笑みを返す。連れてきた彼女としては、友哉に気に入ってもらえてうれしかったのだろう。

 

 友哉は、刀剣が飾られている棚に近付き、品定めをする。

 

 一口で刀剣と言っても、様々な種類がある物だ。

 

 西洋剣に、中華風の青龍刀、レイピアのような刺剣、そしてもちろん日本刀。

 

 大きさも大小さまざまで、中には、友哉が両手で持っても振るえなさそうな物まであった。

 

「いろんな刀がありますね。あ、あれなんか、どんな人が使うんでしょう?」

 

 傍らの茉莉も、初めて見る面白い形の剣に、若干興奮気味なようだ。

 

 こうして見ると(興味のジャンル)はともかく、しっかりデートっぽい雰囲気を作れているような気がした。

 

 かく言う友哉自身、メイン武装を日本刀にしているせいで、洋の東西を問わず、刀剣には非常に興味が高かった。

 

 その時だった。

 

「何か、お気に召した物はありますか?」

 

 不意に声を掛けられて振り返ると、青年が笑顔を浮かべながら歩み寄ってくるのが見えた。店のエプロンを付けている所を見ると、恐らくこの店の店員なのだろう。

 

「あなたは?」

「失礼しました。当店の店長をしております、新井と申します。どうぞ、これからもごひいきにお願いしますね」

 

 その言葉に、友哉は少し意外そうな顔をする。

 

 このような武器店の店長を務めている割に、その新井と言う青年は、虫も殺せないのではと思える程、人がよさそうな好青年だったのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・いい店ですね。いろんな武器が揃っていて面白いです」

 

 実際、銃や剣のみならず、炸薬を抜いた手榴弾等も展示されている。

 

 そこでふと、新井の目が、友哉や茉莉が手にしている竹刀袋に向けられた。

 

「・・・・・・日本刀、ですね。それも、かなり使い込んでいるとお見受けしました」

「判るんですかッ?」

 

 茉莉が驚いたように声を上げる。

 

 普通に考えれば、竹刀袋に入っている物を実際の刀剣だとは思わないだろう。まして、種類まで完全に言い当てられるとは思っても見なかった。

 

「ええ。全体や刀身の長さと重心、袋から浮き上がった若干の形状で種類は判りますし、持ち方を見れば、どの程度、その人物が使い込んでいるかは想像できます」

 

 新井の答えを聞いて、友哉は、ふむ、と考え込んだ。

 

 この青年、ただの武器屋の主ではない。目利きの才能も充分に備えていると見た。

 

「ここでは、武器の整備とかもやっているんですか?」

「はい。銃や剣は勿論、防弾服の整備も承っています。それに製作もできますよ」

 

 予想以上の答えに、友哉は内心で唸り声を上げた。

 

 実のところ、それまで整備をお願いしていた平賀文が来学期には渡米すると言うので、誰か代わりの整備士を探していたところなのだ。

 

 壁に並ぶ刀剣は、どれも入念に整備されている事が判る。どれも、今すぐ取り出して使えそうなほどだ。

 

 この店ならば、平賀に代わって整備を任せる事も可能かもしれなかった。

 

「また来ます。その時は、よろしくお願いしますね」

「ええ、こちらこそ。御贔屓にお願いします」

 

 そう言うと、2人は互いに笑みを交わし合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新井銃砲刀剣店を出たところで、時刻は昼に達しようとしていた。

 

 そこで友哉と茉莉は、軽めの昼食を取り、次の目的地へ向かおうと店を出た。

 

 その時だった

 

「ちょっと、そこのあなた達!!」

「おろ?」

「は、はい?」

 

 突然、背後から呼び止められ、振り返る2人。

 

 見れば、カラフルなメイドのような衣装を着た少女が、2人に駆け寄ってくるのが見えた。

 

 歳は恐らく、友哉達よりも1歳か2歳、上だろう。少しほんわりとした雰囲気の優しげな少女である。

 

 少女は近付いて二人を見極めると、ニッコリ微笑んで言った。

 

「うん、合格。これなら何とかなりそうね」

「あの、何か用ですか?」

 

 怪訝そうに尋ねる友哉。その傍らでは、茉莉も事態を飲み込めずに困惑顔を見せている。

 

 街頭で、いきなり不躾な視線を送られ、不審に思わない方がおかしかった。

 

 そんな2人に対し、少女は目の前でパンッと掌を合わせて頭を下げて来た。

 

「お願いします。どうか、助けてください!!」

 

 街頭で、見知らぬ少女にいきなり頭を下げられ、何かをお願いされる。

 

 まったく意味が判らない事態に、友哉と茉莉は揃って首をかしげるのだった。

 

 

 

 

 

 喫茶店「リトルスター」は、本日新装開店したばかりの店である。

 

 元々は別系列の大型店から分かれた店で、本格的なブレンドコーヒーや紅茶、そしてレベルの高いケーキが売りの喫茶店である。

 

 そのような人気の高い店である為、開店するに当たって行われた宣伝の効果もあり、初日から長蛇の列が作られるに至っていた。

 

 だが、ここで店側に誤算が生じる。

 

 当初予定していた数を遥かに超える客が殺到してきたため、スタッフの対応が追いつかなくなってしまったのだ。

 

 このままでは、どうしても、お客様を待たせる事になり、ひいては店のイメージダウンに直結してしまう。

 

「そんな時に、あなた達を見かけたって訳」

 

 そう言うと、少女は2人にニッコリと微笑んだ。

 

 関原利恵(せきはら りえ)と名乗った、友哉達よりも若干年上の少女は、この店の店員らしく、あまりの忙しさを見かねた店長命令により、緊急のヘルプ要員を探していたところに、友哉と茉莉が通りかかったと言う訳だった。

 

「事情は分かりました」

 

 話を聞き終えた友哉は、恐る恐ると言った感じに手を上げて質問する。

 

「けど何で、僕はこの恰好なんですか?」

 

 げんなりとした調子で尋ねる友哉。

 

 青を基調としたブラウスとスカートに、白のエプロンとヘッドドレス。足にはニーソックスを穿き、スカートとの間に「絶対領域」を恥ずかしげに形成している。

 

 友哉の恰好は、利恵や茉莉と同じ、ウェイトレスメイド姿である。

 

 渡された制服に着替えたら、こんな事になってしまっていた。

 

 傍らの茉莉も、笑っていいのか同乗して良いのか判らない、と言った顔をしている。

 

 欧州から帰国してわずか数日。この東京の地に「緋村友奈(ひむら ゆうな)ちゃん」が再臨してしまっていた。

 

 げんなりしてくる。

 

 どうにも自分は、こんな(女装の)星の下に生れているとしか思えなかった。

 

 もちろん、どれだけ「実戦」を重ねても、慣れる事は未来永劫あり得ないのだが。

 

 そんな友哉を見て、主犯である利恵はと言えば、満足そうに笑顔を浮かべている。

 

「うんうん。私の見立て通りね。あなたみたいな子は、うちの制服が似合うと思ったのよ」

 

 いかにも「いい仕事をした」と言った感じに頷く利恵。

 

 対して、当然ながら納得しない友奈(友哉)

 

「僕は男ですよッ」

 

 詰め寄りながら抗議する。

 

 しかし、

 

 小柄で線も細く、体付きがいかにも華奢な友哉。おまけに目鼻立ちに幼さが多分に残り、声も高音に近い友哉。

 

 どこからどう見ても、立派な「女の子」だった。

 

「またまた~ もしかして、あなた達の間じゃ、そう言う冗談が流行っているのかしら?」

「本当にッ 本当のッ 男ですッ」

 

 一節ずつ、強調するように言い放つ友奈(友哉)

 

 流石に自信が揺らいだのか、利恵は確認するように茉莉を見る。

 

「もしかして、マジ?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 対して、苦笑気味に頷きを返す茉莉。

 

 女装した友哉の事は可愛いとは思うが、それでも酷である事に変わりは無い。

 

 普段から弄られ体質な茉莉としては、今の友奈(友哉)には同情したい心境だった。

 

 これで、利恵は諦めてくれるだろう。

 

 そう思った、次の瞬間、

 

「ま、大した問題じゃないよね。こんだけ可愛いんだし」

 

 あっけらかんとして言い放つ利恵に、思わず口をあんぐりとあける友哉と茉莉。

 

 利恵はそのまま、友奈(友哉)の襟首をむんずと掴む。

 

「さて、かき入れ時で忙しいからね。たっぷりと働いてもらうわよ。あ、報酬はきちんと用意させてもらうから安心して」

「は~な~し~て~!!」

「諦めましょう、友哉さん、じゃなくて友奈さん」

 

 引きずられていく友哉。

 

 その後から、茉莉も嘆息気味に続いた。

 

 

 

 

 

 緊急で街頭ヘルプを募るだけの事はあり、確かに店の盛況ぶりは威容と称しても良いほどだった。

 

 まず、どれだけ時間が経過しても、空席が出来るという事が無い。客が立って空いた席には、すぐまた次の客が間髪いれずに座る、というような事が繰り返されている。

 

 客が品物を注文する声も、あちこちで交錯している。

 

 スタッフ達は、この日の為に訓練を重ねて来た言わば「精鋭」達であるが、それでも許容限界をとっくに超過し、皆が皆、へとへとと言った体である。

 

 そんな中、彗星の如く現れた2人のヘルプスタッフが、押し寄せる客をバッタバッタと斬り伏せるように、次々と注文をさばいていく様は、見ていて爽快と行ってもよかった。

 

「ご注文はお決まりでしょうか? アメリカンのブレンドがお二つ、特性ショートケーキに、デラックス・苺パフェですね。かしこまりました!!」

「お皿下げまーすッ 21番テーブル、オーダーお願いしまーす!!」

 

 友奈(友哉)と茉莉は、狭い店内を殆ど飛び跳ねるような勢いで駆けまわりながら、下膳と注文、配膳を繰り返していく。

 

 まるで蝶が飛ぶような可憐な姿に、男女問わず、目を奪われる客も少なく無い。

 

 中には露骨に声を掛けてようとする者までいるが、友奈(友哉)も茉莉も、ハッキリ言ってそれどころではない為、皆、声を掛けるのを躊躇っている状態だった。

 

 2人の活躍のおかげで、それまで息も絶え絶えの状態だった正規スタッフたちも、息を吹き返していく。

 

 臨時のヘルプに負けるな、とばかりに、店内を駆け回る姿が目に付く。

 

「いやー、思った以上の掘り出し物だったわ、あなたたち」

 

 2人の活躍を見て、利恵も絶賛している。

 

 2人をスカウトして引っ張ってきた彼女としては、自身の慧眼に対して絶賛したい心境だろう。

 

「もうね、いっそこのまま、うちに就職しない? あなた達なら、即戦力として期待できるから、給料も倍は固いわよ」

「お断りします」

 

 笑顔で、きっぱりと言い捨てる友奈(友哉)

 

 お金をもらえるのは無論、友奈(友哉)としても嬉しい事ではあるが、その為に女装しなくてはならない、と言うのは差し引きで大損である。

 

 ここは丁重に断っておくのが得策だった。

 

 一方で、利恵の方でもさして本気では無かったらしく「残念」と舌を出して笑顔で言いながら、厨房の方へと下がって行った。

 

 何とも、不思議な雰囲気を持った女性である。

 

 と、その時、

 

「あの、そう言うのは、本当に困ります」

 

 何やら、茉莉に言い寄っている男がいる。

 

 派手ではないが、上方から服装までしっかり決めた、所謂イケメン風の男だ。

 

 手まで取って、相当に馴れ馴れしい雰囲気である。見ている友哉の中で、苛立ちが一気に募って行く。

 

「あの、困ります。お仕事の最中ですので」

「ええ? 良いじゃん、ちょっとくらいさ」

 

 離れようとする茉莉の手を強引に掴み、逃がすまいとしている。

 

 その姿に、ムッとする友哉。

 

 ただでさえ茉莉に声を掛ける男を見るだけでムカつくと言うのに、この忙しい時に迷惑な話である。

 

 しかもこの男、テーブルの向かいには彼女と思しき女性を座らせておきながら、茉莉をナンパしてる状態だった。

 

 そうとう、チャラい性格なようだ。向かいに座った女性も呆れ気味にそっぽを向いている事から考えて、このような事は日常茶飯事のようだ。

 

「ねえねえ、この後時間ある? 良かったらこの後さ、どっか遊びに行かない?」

 

 この手の事に慣れていない茉莉としては、対応に困っている様子だ。

 

 ここは自分が、

 

 そう思って、前に出かける友哉。

 

 だが、それを遮るように、慣れた足取りで近付く影があった。

 

 利恵は男と茉莉の間に入ると、柔らかく、それでいて毅然とした調子で言った。

 

「お客様、申し訳ありません。他のお客様にもご迷惑になりますので、そう言った事はご遠慮ください」

 

 きっぱりと言ってのける利恵に、周囲も感嘆の声を上げる。

 

 友哉もまた、驚いて利恵の行動を見守っていた。

 

 だが、言われた男の方はと言えば、どうやら馬鹿にされたと思ったらしく、頭に血を上らせて言い募って来た。

 

「ああッ!? 俺は客だぞッ 客にそんな態度取って良いと思ってんのかよ!?」

 

 完全に言いがかり以外の何物でも無い物言いで、利恵に迫る男。

 

 さすがの利恵も、狂騒状態になった客に対する術は無いらしく、戸惑ったような表情を浮かべている。

 

「申し訳ありません、お客様。ですが・・・・・・」

「『申し訳ない』で済む問題かよ!?」

 

 男はいきなり掌でテーブルを叩き、大きな音を立てて威嚇してくる。

 

「客に対する態度がなってねえなッ 小学生からやり直して来いよ!!」

「申し訳ありません!!」

「謝るなら態度ってもんがあるだろうがよッ 土下座しろ土下座!! まずはそっからだろうが!!」

 

 完全に調子に乗った風で、利恵に言い募る男。

 

 他の客も、委縮したように、成り行きを見守る事しかできない。

 

 そんな中、

 

 友奈(友哉)はスッと、前へと出た。

 

「あ? 何だテメェは? テメェも一緒に土下座するってのか?」

 

 男は声を荒げるように言いながら、友奈(友哉)の姿を、頭の先からつま先まで、舐めるように眺める。

 

「おお、お前もイケてるじゃねえか。どうだ、お前も付き合わないか? いい店に連れてってやるぜ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友奈(友哉)は男の耳障りな声を聞き流し、無言のままポケットの中に入れておいた武偵手帳を取り出して、男の鼻先に突き付けて見せた。

 

「武偵です。威力業務妨害、並びに強要罪の現行犯で、緊急逮捕します」

 

 そう告げると、男が何か言う前に、取り出した手錠を男の手首にガチャリと掛けてしまった。

 

 その冷たい感触に、ようやく意識が事態の成り行きに追い付いたのだろう。顔を上げてわめきたてる。

 

「お、おいっ 何だよこれッ ふざけんな!!」

 

 友奈(友哉)は更に、ベルトのバックルからワイヤーを取り出して男を縛り上げる。

 

「テメェ、こんな事してタダで済むと思うなよッ 俺は・・・・・・・・・・・・」

 

 言い募る男を無視して、友奈(友哉)は茉莉に向き直った。

 

「茉莉、車輌科(ロジ)に連絡して。こいつを引き取りに来てもらうから」

「了解です」

 

 頷いて、携帯電話を取り出す茉莉。

 

 次の瞬間、期せずして店内から拍手が巻き起こった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 店を出た友哉と茉莉は、並んで歩きながら、帰宅する道を進んでいた。

 

 あの後、やって来た車輌科に男を引き渡すと、利恵だけでなく店長まで出てきて、2人にお礼を言ってくれた。

 

 ある種の「イベント」が功を奏し、その後も店は大盛況のまま営業を終え、2人は賄い食と日当を貰って店を出たのだ。

 

 利恵だけは名残惜しそうに、「働きたくなったらいつでも来てね」と言っていたが、そこは丁重に断っておいた。

 

 とは言え、

 

「何だか、慌ただしい一日になっちゃったね」

「あうッ すみません」

 

 何気ない友哉の一言に、茉莉は恐縮した体で謝る。

 

 彼女としては、もう少し別の形でのデートを希望していたのだろうが、どうもやはりと言うか、こんな形になってしまった。

 

 しょぼんとする茉莉。

 

 そんな茉莉を見て、

 

 友哉はそっと、彼女の頭に手を置く。

 

「友哉さん?」

 

 怪訝な面持ちの茉莉に対し、友哉は笑顔を向ける。

 

「今日は誘ってくれてありがとう。また行こうね」

 

 どんな形でのデートだろうと気にしない。2人で一緒にいれるだけで幸せだった。

 

 そんな友哉の笑顔に引き寄せられるように、茉莉もまた笑顔を浮かべる。

 

 デートは何と言うか、満足のいくものではなかったが、友哉が喜んでくれたのなら、茉莉としても文句は無かった。

 

 このまま、

 

 このまま何事もなく終われば(多少のドタバタはあれど)楽しい一日として、初デート記念日を刻む事ができただろう。

 

 そう、このまま、何事も無く、終わる事ができれば。

 

 だが、

 

 運命を告げる、携帯電話が鳴り響く。

 

 通話ボタンを押し、耳に当てる。

 

《緋村か、儂じゃ!!》

「おろ、玉藻?」

 

 何やら切羽詰まった声を上げる玉藻の様子に、怪訝な面持ちとなる友哉。

 

 何か起きた。

 

 明らかに、そう思わせるような緊迫した様子に、友哉は目を細める。

 

《よく聞け緋村。先程、大気中の魔力に変動が起こった》

「それって、まさか・・・・・・・・・・・・」

 

 玉藻の言葉に、

 

 友哉は「その可能性」に行き付き、絶句する。

 

 早すぎる。まだ、もう少し間があると思っていたのに。

 

 だが、

 

 真実は残酷に告げられる。

 

《緋緋神が、目覚めたぞ》

 

 その瞬間、友哉は己の周囲が暗黒に包まれたような錯覚に陥った。

 

 

 

 

 

 

第6話「デート・ア・パニック Bパート」      終わり

 



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第7話「緋の女神、覚醒」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友哉と茉莉は、共に並走するように夜の街を、ビルからビルへと飛翔するように駆け抜けていく。

 

 事は一刻を争う。

 

 玉藻から連絡を受けて数分。既に、事態は進行していると見て良いだろう。

 

 アリアの緋緋神化。

 

 恐れていた事態が、ついに起こってしまったのだ。

 

「こうなる前に、何とかしたかったのにッ」

 

 臍を噛む友哉。

 

 全ては、後手後手に回りすぎた結果だった。

 

 昨日の戦闘で、閻達を仕留められていたらと思うと、悔恨の念は否が応でも込み上げてくる。

 

 急がねばならない。

 

 場所は乃木坂にある乃木神社。

 

 既に、キンジが交戦状態に入っているらしい。

 

「茉莉、大丈夫!?」

「はい、問題ありません。防弾装備じゃないのが、少し不安ですけど」

 

 低い答える茉莉の声にも、気負いは感じられない。既に意識が、戦闘モードに入っているのだ。その為、普段のほわほわした雰囲気から、怜悧なまでに鋭い空気に切り替わっている。

 

 武偵の義務として、2人とも帯剣してきていたのが功を奏した。これで、到着後はすぐに戦闘に入れる。

 

 だが、相手は緋緋神。あの孫と同一、否、それ以上の存在だ。

 

 キンジがどの程度抑えられるかは判らないが、レーザー光線まで操ってくる「神」を相手に、過度な期待はできないだろう。

 

 最悪の可能性として、到着した時には既に、キンジの敗北で戦闘が終了している可能性すらあるのだ。そうなると友哉達は、各個撃破の危機に晒されてしまう事になる。

 

 急がなくてはならなかった。

 

 それにしても、

 

「まったく、忙しい一日だね」

 

 そう言って、傍らの茉莉へと笑い掛ける。

 

 本当なら今頃、デートの延長として、2人して甘いムードにでも浸りながら夕食でも楽しんでいる頃だったはずだ。

 

 だが、何の因果か、2人揃って戦場への道をひた走っている。

 

 結局のところ、自分達にはこんな日常こそが相応しいと言う事だろうか?

 

 残念ではあるが、そこら辺は認めざるを得ない所だろう。

 

 対して、茉莉も柔らかく笑顔を返してくる。

 

 自分達にとっての「日常」が、闘争の中にある、という点では、どうやら茉莉も友哉と意見を同じくするところらしい。

 

 つくづく、救いようの無い人生である。

 

 だが、

 

 同時に、そうした人生に、面白みを感じている事も確かだった。

 

 やがて、

 

「あそこです、友哉さん!!」

 

 茉莉の声に導かれ、友哉が視線を向けると、都会の街並みの中に一角だけ、木々が生い茂る青々とした場所があるのが見える。目を凝らせば、社らしき建物も見えた。

 

 どうやら、目的地の乃木神社で間違いないだろう。

 

 それに、

 

 耳を澄ませば発砲音も聞こえてくるのが判る。

 

 キンジがアリアと、否、緋緋神と戦闘を行っている音のようだ。

 

「行くよ、茉莉」

「はいッ」

 

 意識を完全に戦闘モードへとシフト。同時に逆刃刀を覆っていた竹刀袋を払うと、柄に手を置く。

 

 眼下の戦場目がけて、一気に急降下した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 愕然と憤怒、そして激情。

 

 それらの全てを飲み込み、王者は大地に立つ。

 

 目の前の「神」を前にして、遠山キンジは迷うことなく咆哮を上げた。

 

 兄のアパートで両祖父母と兄、それに兄と婚約したパトラ、そしてアリアを交えた団らんの後、キンジは金一から、近々、武偵を引退する旨を聞かされた。

 

 遠山家の人間にとって最大の切り札となるヒステリアモードは、性的興奮をトリガーとして引き起こされる。

 

 だが、結婚する事によって、他の女に対する性的興奮が抑え込まれれば、ヒステリアモードになりにくくなる。それが、引退の理由だった。

 

 事件は、その直後に起こった。

 

 キンジも、そして金一も気付かなかったが、2人の会話を、植え込みの陰に隠れたアリアによって聞かれていたのだ。

 

 キンジは普段からヒステリアモードの事をひた隠しにして生活しているが、パートナーであるアリアには特に、細心の注意を払って隠し続けてきた。

 

 それがついに、ばれてしまったのだ。

 

 思わず逃げ出したアリアを追って、乃木神社にやってきたキンジ。

 

 そこで、2人はこれまでにない程、甘い空気に包まれた。

 

 キンジはアリアを想い、アリアもまたキンジを想った。

 

 普段の2人からは想像もできない程、穏やかで温かい空気。

 

 昨年四月に衝撃の出会いをして以来初めて、2人は心の底から判り合えることができた。

 

 アリアはキンジに言った。

 

 「好き」と。

 

 その直後だった。

 

 全てをぶち壊しにするように、アリアはけたたましい笑い声を発した。

 

 唖然とするキンジを傲然と見下ろし、鳥居の上に立つ、つい先刻まで、アリアだった存在。

 

 だが、今は違う。

 

 あれこそが緋緋神。

 

 キンジや友哉が覚醒を恐れ、どうにかして防ごうとしていたアリアの緋緋神化が、ついに起こってしまったのだ。

 

 不敵な笑みを浮かべ、交戦意欲を隠そうともしない緋緋神。

 

 それに対しキンジは、己の内を濁流のように、血が駆け巡るのを感じていた。

 

「アリアを返してもらうぜ、緋緋神!!」

 

 神に対して臆することなく、己が激情を叩き付ける。

 

 キンジの中では今、二種類の血流がうねりを上げている。

 

 アリアを奪われた事から生じた、ヒステリア・レガルメンテ、そしてアリアを取り戻そうとするヒステリア・ベルセ。

 

 王者と凶戦士。

 

 凶王とでも称すべき今のキンジは、二つのヒステリアモードが重なり合い、かつて無いほどの力が全身にみなぎるのを感じる。

 

 対して、

 

 緋緋神はキンジと対峙しつつも、仕掛けようとせずに立ち尽くしている。

 

「遠山、あたしはお前を戦に使いたい。だから殺したくないんだ。それは判っている。判っちゃいるけど戦いたい。殺すまで数分、もしかしたら数秒かもしれないけど、きっとお前は激しく戦ってくれるよな。お前が『本物の戦い』と言う快感をくれると思うと我慢できなくなりそうなんだ」

 

 漏れ出てくる交戦意欲を前に、キンジは息を呑む。

 

 緋緋神は恋と戦を司る神。

 

 今回はアリアのキンジに対する恋心を糧に顕現したが、本能的には戦も好んでいる。

 

 ならば、戦いようもある筈だ。

 

 キンジは改めて、緋緋神と対峙する。

 

 要するに「神」などと言う得体のしれない物と認識するから尻込みしてしまうのだ。

 

 緋緋神の存在は確かに神かもしれないが、その本質は限りなく人間に近いとキンジは思っていた。ならば「超強力な超能力者(ステルス)」だと思えば良い。

 

 それならば、恐れるべき何者も存在しなかった。

 

「ちょっとだけつまみ食いさせてくれよ遠山。限界の限界まで手を抜くからさ」

「我慢なんかしなくて良い。理子も言っていたが、我慢は体に良くないからな。アリアの体に良くない事は一切するな」

 

 答えながらキンジは、自身の中で戦術を組み上げる。

 

 不可視の弾丸(インヴィジビレ)で閃光弾を放ち、相手の動きを封じてから先制攻撃を仕掛ける。

 

 先手を取る事ができれば、後の戦いを優位に進める事も不可能ではない筈だった。

 

 その時、

 

「キンジ・・・・・・・・・・・・」

 

 緋緋神が囁きかけて来た。

 

 アリアの声で。

 

「好きッ」

「ッ!?」

 

 その言葉に、ヒステリアモードのキンジは一瞬の動揺を見せる。

 

 放たれる弾丸。

 

 しかし、直前に動揺した事が響き、放った閃光弾は僅かに狙いを其れ、緋緋神の後方で炸裂する。

 

 にやりと笑う緋緋神。

 

 キンジは舌打ちしながら臍を噛んだ。

 

「ハハハハハハ、恋は良いなァ!! 恋は咲く花のごとし!!」

 

 謳い上げるように緋緋神が囁いた。

 

 次の瞬間、

 

 月光を背景に、銀の閃光を引いた影が、中天から急降下してきた。

 

 目を剥くキンジ。

 

 次の瞬間、

 

「飛天御剣流・・・・・・龍槌閃!!」

 

 振り下ろされる剣閃。

 

 空中から奇襲を仕掛けた友哉。

 

 タイミング的には、回避しようの無い一撃。

 

 の筈だった。

 

 しかし、

 

 振り返った緋緋神。

 

 その姿に、アリアが重なる。

 

「クッ!?」

 

 僅かに鈍る、必殺の剣閃。

 

 その僅かな隙に、緋緋神は鳥居から飛び降りて友哉の剣を回避してしまった。

 

 入れ替わるようにして鳥居に降り立つ友哉。

 

 同時に、いら立ちが募る。

 

 予想していた事だが、やりにくい事この上ない。相手が(当然の事だが)アリアの姿をしているので、そのせいても剣閃が鈍ってしまうのだ。

 

 地面に降り立つ緋緋神。

 

 それを待っていたように、藪から飛び出すように、疾風の如く刃が襲い掛かる。

 

 茉莉だ。

 

 彼女は友哉の龍槌閃を受けて、緋緋神が地上に降り立つタイミングを計っていたのだ。

 

 振るわれる剣閃。

 

 鋭いまでの斬撃は、

 

「おおっと」

 

 緋緋神がとっさに後退を掛けた為に空を切る。

 

「緋村ッ 瀬田ッ!!」

「事情は電話で玉藻から聞いたッ 掩護するよ!!」

 

 キンジの声に答えている間にも、茉莉と緋緋神の交戦は続く。

 

 神速の連撃を仕掛ける茉莉。

 

 刃が銀の閃光となって、緋緋神へと殺到する。

 

 だが、縦横に振るわれる剣戟を、緋緋神は余裕の表情で回避していく。

 

 その光景を見て、友哉は舌打ちを漏らした。

 

 茉莉の攻撃ですら、緋緋神に掠る事は無い。勿論、茉莉が多少の手加減はしているだろうが、それでも常人が目で追えるレベルのスピードではない。

 

 それをいともあっさりと回避していく緋緋神が、如何に驚異的であるかが理解できる。

 

「アハハハ、やるな、お前!!」

 

 笑いながら頭を振り、2本のツインテールを鞭のように振るう緋緋神。

 

 対して茉莉は、いったん攻撃を諦めてツインテールを回避。同時に後退して友哉達が断つ場所まで戻った。

 

「3人で掛かるぞ」

 

 言いながら、キンジはベレッタを抜き放つ。

 

 緋緋神が尋常な相手ではない事は、今の交戦ではっきりした。

 

 ならば油断無く、全力を出し切る以外に勝機を見出す手段はあり得なかった。

 

「了解です。けど・・・・・・・・・・・・」

 

 茉莉は右手に菊一文字、左手にはブローニング・ハイパワーと言う一剣一銃(ガン・エッジ)に構えながら、自身の内にある懸念を口にする。

 

「アリアさんが着てる服、防弾仕様じゃないですよね」

 

 緋緋神の姿を見ながら、茉莉は断定するように言った。

 

 アリアは今日、キンジの実家に招かれる形で出かけた為、普段には無いめかし込みをして来ている。

 

 ピンク地に水玉模様のワンピースはアリアの可愛らしさを際立てているが、それだけに、材質がTNKワイヤー仕様でないのは一目瞭然だった。

 

「アリアを無傷のまま確保するのは、まあ、当然だよね」

 

 友哉がチラッと視線を向けた先で、キンジが頷きを返してくる。

 

 アリアを傷付けるような攻撃は端から論外。ならば、それを考慮した上で、作戦を立てる必要がある。

 

「3人で掛かって、奴の動きを封じるぞ」

「良いけど、そこから先は?」

 

 問いかけに対する答えは無い。

 

 いかにレガルメンテとベルセのハイブリット・ヒステリアと言えど、前例に無い事態に対しては対応する術がない。

 

 緋緋神を取り押さえる。そこまでは良いとして、その先をどうするか? 具体的にはどうやって緋緋神をアリアに戻すか、と言う算段が全く立っていない。

 

 だが、状況は、作戦会議の時間を与えてはくれなかった。

 

「話し合いは終わったか? では行くぞ」

 

 言い放つと同時に、緋緋神は動いた。

 

 スカートの下から、アリアの主力武装である漆黒と白銀のガバメントを抜き放つと、容赦なく撃ち放ってくる。

 

 対抗するように、武偵達も動いた。

 

 キンジが銃弾撃ち(ビリヤード)で迎撃、茉莉が回避しながら回り込むような機動で動き、友哉は弾丸を刀で弾く。

 

 アリアの攻撃を正面からキンジが受け止め、その間に機動力の高い友哉と茉莉で反包囲の形を築くのだ。

 

「ハッ!!」

 

 キンジに向かって銃口を向けている緋緋神。

 

 それに対して友哉は、右翼から接近しつつ、跳躍して斬り込む。

 

 鋭い銀の一閃。

 

 だが、振るわれる刃は、緋色の奔流によって防がれる。

 

 緋緋神は魔力によって髪を操り、友哉の剣を防いで見せたのだ。

 

 反対側から斬り込みを掛けようとしていた茉莉も同様。迎撃にあって、接近に失敗していた。

 

「ならッ!!」

 

 友哉は体を大きくひねり込みながら、体を回転させる。

 

「飛天御剣流、龍巻閃!!」

 

 螺旋を描いて緋緋神に迫る飛天の刃。

 

 流石の緋緋神も、まともに受けるのは無謀と判断したのか、回避を選択する。

 

 そこへ、キンジが正面から仕掛けた。

 

「オラァ!!」

 

 桜花ほどではないが、かなり高速で繰り出される正拳突きだ。

 

 回避途中で体勢が崩れたままの緋緋神だったが、それでも尚、キンジの拳を回避して見せた。

 

「チッ!?」

 

 舌打ちしつつ、キンジは攻撃方法を回し蹴りに変更。大地を踏み砕くような蹴りを撃ち放つ。

 

 だが、

 

 緋緋神はニヤリと笑みを浮かべると、空中で大きく宙返りをしてキンジの蹴りを回避する。

 

 そこへ、刀を抜き打つように構えた茉莉が、跳躍しながら迫る。

 

 茉莉は菊一文字を峰に返すと、鋭く逆袈裟に一閃する。

 

 それを空中で迎撃する緋緋神。

 

 茉莉の剣を髪で弾き、代わって2丁のガバメントを向けようとする。

 

 銃口が茉莉を睨み、指を引き金に掛けた緋緋神はニヤリと笑う。

 

 次の瞬間、

 

「飛天御剣流、龍翔閃!!」

 

 下方から対空を狙った刃が、緋緋神へと向けられた。

 

 その一撃が、

 

 空中にある緋緋神を撃ち落とす。

 

 だが、緋緋神の方でも、とっさに衝撃を殺したらしく、大ダメージに至った様子は無い。

 

 だが、そこで、地上で待ち構えていたキンジが駆けた。

 

 接近と同時に振るわれる拳。

 

 亜音速の桜花が、動きを止めた緋緋神に襲い掛かる。

 

 大気を打ち砕くような拳撃が放たれる。

 

「グッ!?」

 

 とっさに、腕を交差させて受け止める緋緋神。

 

 やはり、ダメージが入ったように見えない。

 

 だが、

 

 それまでは回避する事で攻撃に対応していた緋緋神が、はじめて防御の姿勢を取った。

 

 大きく後退する緋緋神。

 

 それを好機と見てとった友哉が、神速で接近を図る。

 

「飛天御剣流・・・・・・・・・・・・」

 

 緋緋神も対抗するようにガバメントを翳すが、既に遅い。

 

 逆刃刀を逆手に持ち替える友哉。

 

 同時に逆再生のような勢いで、刃を鞘へと戻す。

 

「龍鳴閃!!」

 

 キキィィィィィィィィィィィン

 

 金属がぶつかり合う強烈な高周波が、龍の嘶きとなって緋緋神に襲いかかる。

 

 欧州戦線ではルシア・フリートに対して使われ、彼女を戦闘不能にまで追い込んだ龍鳴閃。

 

 三半規管にダメージを負わせる事によって相手の集中力を乱し、超能力行使を妨げる事は、既に実戦で証明済みである。

 

 友哉は緋緋神のステルスとしての力を、まずは封じようと考えたのだ。

 

 鳴り響く高周波が、緋緋神へと叩きつけられる。

 

 だが、

 

 高周波が拡散するよりも早く、緋緋神は何かに突き動かされたように、思いっきり後方に跳躍する。

 

 一拍おいて、炸裂する龍鳴閃。

 

 だが、

 

 着地して顔を上げた瞬間、緋緋神は可笑しそうに笑みを浮かべた。

 

「なかなか、面白い事考えるな、お前」

「ッ!?」

 

 笑みを浮かべる緋緋神に対し、舌打ちする友哉。

 

 効いてない。

 

 緋緋神は龍鳴閃の効果が自身に致命的なダメージを与える前に、とっさに後退する事で効果を半減させたのだ。

 

 僅かに耳を押さえている所を見ると、効果が全く無かった訳ではないようだが、それでも威力が大幅に減じられ、戦闘力を封じるには至らなかった事は火を見るよりも明らかである。

 

 とっさに後退する友哉。

 

 ここはいったん下がって、体勢を立て直した方が得策であると判断した。

 

 キンジを中央にして、その左右に降り立つ友哉と茉莉。

 

 対して、緋緋神もまた、距離を置いて対峙する。

 

「俺達3人で掛かっても仕留めきれないか」

「アリアの身体能力が、そのままそっくり敵にまわっているのが厄介だね」

「その他にも、緋緋神としての能力が加算されえいますから」

 

 3人は冷静に相手の力を分析しつつ、それぞれに戦略を練る。

 

 こちらは決定力に欠けるのが痛い。何とか、そこを補いうる手段を構築しない事には、いずれはじり貧に追い込まれてしまう。

 

「ん、どうした、もう終わりか?」

 

 対して緋緋神は、続きを催促するように語りかけて来る。

 

「恋も良いが、やはり戦も良いなァ 心が湧きたってくるよ」

 

 にやりと笑いながら、緋緋神は前へと出る。

 

 少女の両手は「前倣え」をするように、真っ直ぐに伸ばされる。

 

 その姿を見て、キンジは目を見開いた。

 

「まずいッ レーザーが来るぞッ 2人とも、よけろ!!」

 

 キンジが叫ぶ間にも、緋色の光は急速に増していく。

 

 孫が使っていた如意棒。同じ緋緋神であるなら、同様の事が出来て当然である。

 

 鏡高組を襲撃した際に、同じ物を友哉も見ているから、その脅威は嫌でもわかる。

 

 防ぐ事はほぼ不可能。

 

 キンジは藍幇城においてスクラマサクスを利用した「矛盾」で防いだが、そのスクラマサクスも、もう無い。仮に友哉や茉莉の刀で同じことをやろうとしても、日本刀にはスクラマサクスには無い「反り」がある為、レーザーを防ぐのに必要な「厚み」を稼ぐ事ができない。

 

 万事休すか?

 

「さあ、あたしをもっと楽しませろ!! もっと高ぶらせてみろ!!」

 

 次の瞬間、レーザーが放たれる。

 

 刹那の間に駆け抜ける緋色の閃光。

 

 その光がキンジを捕えようとした。

 

 次の瞬間、

 

 命中直前のレーザーはあり得ない曲線を描き、キンジの足元を焼く形で着弾する。

 

「何がッ?」

 

 目を剥く友哉。

 

 よく見れば、キンジの正面の空間が不規則に歪んでいるのが見える。

 

 原理は判らないが、ステルスの一種である事は間違いない。その空間のゆがみが、レンズのような役割をはたしてレーザーを屈曲させたのだ。

 

 驚いたのは緋緋神も同様らしく。驚愕に顔を染めているのが見える。

 

 その瞬間を逃さず、緋緋神に接近する影があった。

 

 手にした大鎌と相まって、死神のような印象を受けるが、その横顔は思わず息を吐く程に美しい。

 

 この世にこれ程の美女は、他に存在しないだろうとさえ思える程、唯一無二の美しさを誇る。

 

 カナは手にした大鎌スコルピオを容赦なく振るい、緋緋神の顎を掠めるように撃ち抜く。

 

 神を名乗ってはいるものの、体はアリアの物である。受けたダメージはキッチリと伝わる。

 

「あッ・・・・・・・・・・・・」

 

 小さな声を漏らしながら、膝を突く緋緋神。

 

 どうにかバランスを回復させようとして、果たせずに再び膝を突くと、そのまま地面に仰向けに倒れ込む。

 

「しょせん、人の体、か・・・・・・せめて猴の体であったなら、こうはいかなかった物を・・・・・・・・・・・・」

 

 纏っていたオーラも、徐々に薄れていくのが判る。明らかに、力が弱まっているのだ。

 

 そこへ、先程、魔術を用いてキンジを守ったパトラがやって来た。

 

「キンジ、今の内ぢゃ。お前が持つ小刀を緋緋神に突き付けるのぢゃ。急げ」

 

 促されたキンジは、言われるままにバタフライナイフを抜き放つと、緋緋神に緋色の刀身を近づける。

 

 それに合わせるようにパトラが何かを念じだすと、同時にナイフも緋色の光を帯びて輝き出す。

 

 明らかに、緋緋神の何かに反応している様子だ。

 

「・・・・・・うッ・・・・・・あッ・・・・・・やめて・・・・・・くるしいよ・・・・・・きんじ・・・・・・ああ・・・・・・・・・・・・」

 

 アリアの声で懇願する緋緋神。

 

 しかし、それが擬態である事は、一同にも判り切っている事である。

 

 声を無視して、キンジは更に刀身を緋緋神に近付ける。

 

 次の瞬間、

 

 突如、身を起こした緋緋神が、ナイフの刀身に噛みついた。

 

 驚いた友哉と茉莉が慌てて引きはがすが、緋緋神はニヤリと笑みを浮かべる。

 

「こ、今回はこれで良し、だ・・・・・・ハハッ、こいつはもう使えまい。あ、あばよキンジ・・・・・・近いうちに、また・・・・・・あう・・・・・・」

 

 そこまで言って、

 

 緋緋神は意識を失って倒れ込む。

 

 それを、とっさに抱き留めて支えるキンジ。

 

 やがて、

 

 静かな、「アリア」の寝息が、一同の耳にも届いてきた。

 

 

 

 

 

第7話「緋の女神、覚醒」      終わり

 



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第8話「最後の最後に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうにか戦いを終えた一行は、気を失ったアリアをキンジが背負い、乃木坂にある金一のアパートへと戻ってきていた。

 

 金一とパトラが婚約し、今は同棲中だと言うこのアパートは乃木神社のすぐ隣にあった為、気を失ったアリアを収容するのに都合が良かったのだ。

 

 アリアの服は戦闘でところどころ破けてしまった為、パトラと茉莉が着替えさせた。

 

 今はもう、ソファーに横になって「ももまん・・・・・・」などと寝言で呟いている所を見ると、アリア本来の人格に戻っているらしかった。

 

 とは言え、これが一時的な状況である事は想像に難くない。

 

 緋緋神が目覚めてしまった。

 

 その事実を前にして、前途には暗雲が立ち込めようとしていた。

 

「よく頑張ったわねキンジ、友哉と茉莉も、偉い偉い」

 

 普段はやや天然気味の性格をしているカナは、そう言ってニコニコと笑う。

 

 とは言え今回は、彼女(彼)とパトラが助けに来てくれなかったら本当に危なかった。シャーロックが生涯を掛けて行っていたと言う「緋色の研究」に関する知識を持っていた2人だからこそ、あの場に駆け付けて緋緋神を制する事が出来たのだ。

 

「でも、キンジが緋緋神を起こす程、アリアとの仲を進展させていたなんてねぇ。ちょっと予想外だったわ」

 

 言いながらカナは、めっと言う感じでキンジの額をつつく。

 

「思ったよりませてたのね、キンジも。でも、まだアリアとくっついちゃダメよ? そしたら、また緋緋神が出ちゃうから」

「いや、別にそんなくっついたって訳じゃ・・・・・・」

 

 ポケポケと説教するカナに、キンジは少し顔を紅くして抗弁している。

 

 一方で、話の筋が判っていない友哉と茉莉は、キョトンとして首をかしげる。

 

「あの、どういう事ですか? キンジとアリアがくっついたから、緋緋神が目覚めたって言うのは・・・・・・」

「ああ、そうね。まずは、そこら辺から説明する必要があるわね」

 

 そう言うと、カナは説明する。

 

 緋緋神は恋と戦を司る神である(ここら辺は友哉達もしている)。よって、緋緋神を目覚めさせるには、彼女の気を高ぶらせるほどの恋や戦を感じさせることが、覚醒の為のキーだったのだ。

 

「それで、今回は、アリアのキンジに対する恋心がトリガーになって、緋緋神が覚醒したって訳」

「ああ、成程」

「納得です」

「いや、納得すんな、お前等」

 

 あっさりとカナの説明に頷く友哉と茉莉に、キンジはため息交じりにツッコミを入れる。

 

 キンジ的には、何でそれで納得できるのか判らなかった。

 

「そこの恋の線さえ切っちゃえば、ひとまずは安心かな。アリアが武偵法を破って人を殺す程の戦いでもないと、緋緋神を満足させるような戦にはならない筈だし」

「アリアが、そう言う戦いをする恐れは無いって事か」

「絶対とは言わないけどね。アリアの身柄を拘束したくは無いし、『殺して』って頼んでくるまでは殺してもいけないと考えているわ。他の関係者がどういうかは判らないけど、武偵法4条『武偵は自立せよ。要請無き手出しは無用の事』。自分の事なんだから、どんな結末になるにせよ、アリアは緋緋神の件に自分で決着をつけるべきよ」

 

 やや突き放し気味に言うカナだが、その言葉は正しい。結局のところ、最終的にどうするか決めるのはアリアである。

 

 キンジや友哉達にできるのは、彼女が決断を下せる材料を揃え、環境づくりをする為の手助けをする事くらいだろう。

 

 そこへ、キンジのナイフを調べていたパトラが戻ってきた。

 

「・・・・・・このナイフはの、妾にも修復できぬ。もう、ただのナイフぢゃ」

 

 そう言って、バタフライナイフを畳んでテーブルの上に置いた。

 

 緋緋神を収める上で、何らかの切り札と言える存在だったのが、このナイフである。だが、パトラの見立てでは、もう使う事ができないらしい。

 

「カナ、これは以前、あんたからもらった物だけど、カナは俺に何を持たせていたんだ? このナイフ、大事にしろって言うから、ずっと持ってたんだぞ」

 

 問いかけるキンジに対して、カナは少し苦笑気味に笑ってから口を開いた。

 

「それは昔、遠山家が星枷神社からもらった匕首『色金止女(イロカネトドメ)』を打ち直した物なの。緋緋色金に共振して、力を少し打ち消す効果があるのよ。小さかったり、元々弱っていたりする色金なら、発動を止めさせることもできるの。緋緋色金絡みの災難を避けるお守りみたいな物ね。シャーロックが欲しがりそうな物だったし、そのシャーロックを殺す時に必要そうだったから、あなたに預けて隠したつもりでいたわ」

「やっぱり、色金絡みのアイテムだったのか」

 

 これまでいくつかの状況で判断材料を揃えていたキンジは、納得したように頷く。

 

 だが、その切り札も、失われてしまった事になる。

 

「周囲の緋緋色金が大きすぎたのよ。シャーロック、孫、アリア・・・・・・白雪の色金殺女(イロカネアヤメ)クラスじゃないと抑えが利かない程の大物ばかり、これまでキンジは相手にしてきたの」

「白雪の刀とも関係あるのか、これ?」

「それはイロカネアヤメを作った時に、余った材料で、もっと原始的な作り方に基づいて打たれた物。ほぼ無制限に仕えるイロカネアヤメと違って、共振する度に力が弱まって行き、最終的には使い捨てにする、一世代前の色金ジャマーなのよ。イロカネアヤメはずっと持ってても無害な色金合金でできているけど、このイロカネトドメは本物の緋緋色金をちょーっぴり含んじゃってるの」

「ちょッ!?」

「おろッ」

「ええ!?」

 

 カナの何気ない一言に、キンジ、友哉、茉莉の3人は唖然とする。

 

 随分と危ない物を、弟に持たせたものである。

 

「だ、大丈夫よ。それの色金は人体にはほとんど影響が出ないレベルだし。キンジなら、絶対大丈夫なの」

「・・・・・・・・・・・・どういう意味だよ?」

 

 何だか取り繕うような説明に、キンジは姉(兄)を胡散臭そうな眼つきで見据える。

 

「キンジは武偵だし、女嫌いで恋には向いてないって言うか、耐性があるから。恋愛感情に疎い子は、色金の影響を受けないのよ」

 

 納得がいかない物を感じつつも、自覚自体はあるらしく、キンジは黙り込む。

 

「しかし、そのイロカネトドメももう使えぬ。さっき緋緋神に力を一気に注ぎ込み、共振を満たしてしまったからの」

 

 パトラに言われてキンジがナイフを開くと、それまでは緋色だった刀身が、ありふれた銀色になっている。どう見てももう、ただのナイフに過ぎなかった。

 

「これくらいが、私とパトラが知っている色金についての全てよ。シャーロックもこれ以上の事は知らなかったでしょうね。そして、これだけの『緋色の研究』だけではアリアを救う手段は見つからない」

 

 カナやパトラが知らず、シャーロックでもここら辺が限界だったとすれば、イ・ウー関連で、これ以上の情報を引き出す事は難しいだろう。恐らく以前、「緋色の研究」を盗んだと言うヒルダの情報も、似たり寄ったりなはずだ。

 

「これ以上、キンジ達がアリアの為に戦うと言うなら、私達以上に色金を知っている人物を頼るしかない。そして私は、それを2人、知っているわ」

「カナ、それは・・・・・・・・・・・・」

 

 パトラが、カナの言葉を遮るように制する。

 

 だが、カナは黙って首を振った。

 

「仕方ないでしょうパトラ。最高裁よりも先に緋緋神に至ってしまったし。キンジももう17歳。大人を相手にする場に出しても良い年頃だわ」

 

 最高裁、という言葉が不穏な音を響かせる。

 

 一同の視線が集中する中、カナはこれまで以上に真剣な眼差しをして振り返った。

 

「いい事、キンジ・・・・・・友哉と茉莉も、これから私が話す事を聞いたら、もう後戻りはできないわよ」

 

 覚悟を試すように尋ねるカナ。

 

 対して、

 

「今さら何言ってんだ、カナ。俺は退く気は無いぜ」

「僕も同じです。仲間を助けたいって気持ちはキンジと同じです」

「私も、アリアさんは、大切なお友達でもありますから」

 

 武偵3人の決意に満ちた言葉が、カナへと返される。

 

 目の前にいるのは、親の庇護をうける雛鳥ではない。既に飛び立つ時を、今や遅しと待つ若鳥たちなのだ。

 

 ならばカナとしても、躊躇う理由は無かった。

 

「1人はロンドンにいるわ。現代最高の安楽椅子探偵、メヌエット・ホームズ。アリアの妹よ」

 

 アリアに妹がいる事は、前から聞いて知っていた。

 

 偉大なる曾祖父シャーロック・ホームズから、身体能力と直観力を受け継いだ姉に対し、ホームズ家にとって必要不可欠な推理力を受け継いだのが、その妹であるとか。

 

「もう一人は神崎かなえ。アリアの母親ね。かなえはメヌエットから、それを聞いて知っているの。メヌエットとかなえ、そのどちらか、或いは両方の口を割らせるしかないわ。どちらも至難の業だと思うけど」

 

 カナの説明を聞き、友哉はいくつかの情報を自分なりに整理してみる。

 

 緋緋色金に関する事柄は、国家の存亡にもかかわる重大事である事は間違いない。

 

 その緋緋色金に関する研究データ。所謂「緋色の研究」における第一人者がシャーロックだった。

 

 そのシャーロックの研究を引き継ぐ形でさらに発展させたのは、アリアの妹であるメヌエット・ホームズ。

 

 そして神崎かなえは、メヌエットから研究に関する情報を得ている。

 

 こうなると、神崎かなえが収監されている理由も怪しくなってくる。

 

 キンジが以前言っていた事だが、神崎かなえの裁判は、恐ろしく奇妙な点が多いとか。

 

 明らかに無実であると思われるかなえの不当拘束が認可される一方、決定的な証拠をいくつも揃えているにも拘らず殆ど聞き届けられない弁護側の主張に対し、明らかに支離滅裂であるにもかかわらず、裁判では無条件に通過する検察側の主張。

 

 だが、そこに色金問題が関わっているとしたら?

 

 政府が、あるいはもっと別の何かが色金研究に関わる何か重大な物を取得する為、かなえの不当拘束を黙認、乃至、承認しているのだとしたら?

 

 おぼろげながら、僅かな筋道が見えてきた気がした。

 

「アリアを救いたければ、まずは神崎かなえに会いなさい。緋緋神になった話をすれば、もう彼女もとぼけられない筈だし」

 

 確かに。事が急を要すると知れば、かなえももう、口をつぐんでいる訳にはいくまい。ましてか、それが娘の事となれば尚更だ。

 

「さて、と こ ろ で」

 

 話は終わったと言った感じに、カナはポケポケした口調で話題を変えて来た。

 

「このセーター、高かったのよね。パラスパレスの限定品。とってもお気に入りだったの」

 

 パラスパレスと言えば、「日本の美を追求する」と言うフレーズを謳い文句にするファッションブランドの事であり、天然やオリジナルの素材にこだわっているのが特徴である。

 

 そこの限定品と言えば、相当なお値段になる事は間違いなかった。

 

「どこかの誰かさんがアリアにませた事したせいで、私は急遽この服で戦う事になって、ここほつれちゃったなあ」

 

 見れば確かに、脇の部分がほつれて穴が開いてしまっている。

 

 その隙間から白い肌が見え、相手が男だと判っていても、ついついドキッとしてしまう。

 

「ご、ごめん」

「ほつれちゃったなあ」

 

 謝るキンジに、ニコニコと追撃をかますカナ。

 

 なかなか大人げない光景である。

 

「わ、判った。何かで弁償するよ」

 

 兄弟(姉弟)だけに、あとあと尾を引くのもアレだと思ったキンジがそう告げる。

 

 途端に、カナは満面を輝かせた。

 

「やったね。じゃあ、クロメーテルさんに会わせて?」

「ギャァ!?」

 

 そのとっても素敵な要求に、キンジは文字通り飛びあがった。

 

 ブータンジェに潜伏する際に行ったキンジの女装姿である絶世の美女「クロメーテル」の事は、恐らくパトラ経由で金一の耳にも入っていたのだろう。

 

 その証拠に、パトラも大乗り気で身を乗り出してきている。

 

「トオヤマキンジ、お前も女に化けたら大層な美人だったではないか。また化けて、妾の前で仲良こよし、やってみい」

 

 そう言ってにじり寄るパトラ。

 

「それはダメだッ 絶対にやらないぞッ 絶対だ!!」

 

 抗弁するキンジ。

 

 しかし、カナとパトラは「聞く耳持たん」とばかりににじり寄って行く。

 

「お姉ちゃん、妹が欲しかったのよー!!」

「それはかなめがいるだろ!!」

「かなめは可愛い、クロメーテルは美人で、別腹なの!! さあ、頑張ってみようー ファイト、キンジ!!」

「衣装は妾が貸してやろうぞ。ほれ、化けてみい」

 

 どこの世界に弟(義弟)を女装させて楽しむ夫婦がいるのか。

 

 と、激しく突っ込みたいところなのだが、現実に目の前にいるから困る。

 

 一方で、

 

「え、クロ、メ? え? 何の事ですか?」

 

 一人、事情を知らない茉莉が、キョトンとして首をかしげている。

 

 まあ、世の中には知らない方が良い事は往々にしてある物である。

 

 それはそうと、

 

 友哉は足音を殺しながら、そーっと撤退を図っていた。

 

 何とか、御夫婦の興味がこっちに飛び火してくる前に・・・・・・・・・・・・

 

 そう思った次の瞬間、

 

「ど~こに行くのかしら、緋村友奈(ひむら ゆうな)ちゃん?」

 

 ガシッ

 

「お・・・・・・ろ?」

 

 いつの間にかにじり寄ってきていたカナに、肩を掴まれてしまった。

 

「あなたの方が、こっち方面に関してはキンジよりも先輩よね。だからここはひとつ、キンジに『お手本』を見せてあげてね」

「い、いえ、時間も遅いですし、そろそろ、お暇しようかなーって・・・・・・」

「あら、遠慮しなくてもいいのよ。ゆっくりして行ってね。お茶くらいは出してあげるから。あとで」

「一切合財ッ 微塵も遠慮してませんから!!」

 

 何やらキンジが恨みがましい視線を向けてきているが、そこは無視。どうにかして撤退を図ろうと模索する。

 

 だが、

 

「ヒムラよ。お前には欧州での借りもある故な。妾も容赦せぬぞ。観念してユウナになるがよい」

「大人げないにも程があるよ!!」

 

 勝手な事を言ってくるパトラに、言い返す友哉。

 

 しかし逃げようとしても、カナに捕まれている為それもできない。

 

 このままでは、キンジと揃って日本に恥を晒す事になりかねない。

 

「マツリよ。お前も手伝うのぢゃ」

「い、いえ、パトラさん、カナさんも。もうそれくらいで・・・・・・」

 

 やんわりと、イ・ウーの先輩2人を止めようとする茉莉。

 

 だが、

 

「マツリよ」

 

 パトラが意味ありげな笑みを向けてくる。

 

「な、何ですか?」

 

 その不穏な笑みに、だじろく茉莉。パトラがこの手の笑みを浮かべている場合、たいてい碌な事にならないのは、イ・ウー時代に経験済みだった。

 

「手伝わねば、あの事をヒムラにバラすが良いのかの?」

「ッ!?」

 

 パトラの言葉に、茉莉は思わず顔をひきつらせた。

 

 イ・ウーの頃に理子達のとばっちりで色々とやらかしてしまった事は、茉莉にとっては墓の下まで持っていきたい一生の秘密である。

 

 だが、当然ながらパトラには、そこら辺の事情は知られてしまっている。

 

「あれは確か、お前が理子とホラー映画を見た後・・・・・・」

「キャー!! キャー!! キャー!!」

 

 思わず大声を上げてパトラの言葉を遮る茉莉。その顔は真っ赤に染まり、涙も滲んでいる。

 

 と、同時に室内であるにもかかわらず縮地を発動。菊一文字を抜刀してパトラに斬り掛かった。

 

 これには、流石のパトラも度肝を抜かれたらしく、とっさに魔力で盾を作って防ぐ。

 

 空中で不自然に制止する刃。

 

 しかし、茉莉は構わず刀を押し込もうと、グイグイとパトラに向けて刃を向けてくる。

 

「そ、それは絶対言わないって、約束したじゃないですか!!」

「わ、判っておる!! 言わんッ 言わんから協力しろと言うとるのぢゃ!!」

 

 パトラも予想し得ない事態に、ややテンパりながら茉莉の刃を防いでいる。

 

 茉莉はそのままクルッと友哉に向き直ると、涙目で迫ってきた。

 

「友哉さん、一生のお願いですから、今すぐ友奈さんになってください!!」

「お、おろ!? ま、茉莉!?」

 

 豹変した茉莉に、思わずたじろく友哉。

 

 まさか、自分の彼女が敵に回るとは思っていなかった為、不測の事態に指向が追いつかなかった。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、でもお願いします!!」

 

 謝りながら懇願されてしまう。

 

 状況的には2対3。

 

 このまま、キンジと2人で恥を晒す事になるのか!?

 

 そう思った次の瞬間、

 

「うみゅ・・・・・・クロメーテ・・・・・・ゆう、な・・・・・・ちゃん・・・・・・」

 

 うわ言のように呟いたカナが、そのまま糸が切れるように、その場に崩れ落ちた。

 

 そのまま、スースーと寝息をたてはじめる。

 

 ヒステリアモードは、長時間続けると、脳を休ませる為にしばらくは休眠する必要があるのだとか。どうやらカナには、間一髪でそのタイミングが訪れたらしい。

 

 歳に似合わず可愛らしい寝顔を見せるカナを見ながら

 

 友哉とキンジは、思わず大きなため息を吐き出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜間にも拘らず、御近所迷惑な騒動を経た後、取りあえず明日、アリアに事情を説明して神崎かなえのいる東京拘置所へと行くと言う事で話はまとまった。

 

 その際、アリアを捕えようとする日本の外務省やイギリス政府辺りから、何らかの妨害が来る可能性もあるので、友哉と茉莉も護衛に入る手筈でまとまった。

 

 そんなこんなで、取りあえず今日の所は解散と言う話になり、友哉と茉莉は学園島へと戻って来たのだった。

 

「何だか、大変な一日になっちゃったね」

 

 並んで歩きながら、友哉は、ぼやくように呟いた。

 

 朝のランジェリーショップでの騒動に始まり、昼は喫茶店での勘違い男の逮捕劇、夜は神様と一戦交えるに至った。

 

 何とも、波乱に満ちた一日もあった物である。

 

「す、すみません」

 

 そんな友哉の横を歩きながら、茉莉は縮こまっている。

 

 彼女としても、相当不本意な一日だったのだろう。

 

 だがまあ、これが自分達にとって初めてのデートだったと考えれば、悪くは無いかもしれない。

 

 何しろ確実に、一生の思い出として記憶に残るだろうから。

 

「あの、友哉さん」

「おろ?」

 

 茉莉が、何かを決意したように、立ち止まって友哉の方を見た。

 

「今日はその、付き合ってもらって、本当にありがとうございました」

 

 そう言って、頭を下げる茉莉。

 

 対して、友哉も微笑を返す。

 

「いや、僕の方こそ、本当に楽しかったよ」

 

 まあ、ドタバタした騒動が目白押しだったが、基本的に楽しかったのは間違いない。

 

「そ、それでですね・・・・・・・・・・・・」

 

 言いながら茉莉は、手にしたバックに手を突っ込み、そこに入れた小さな小箱を取り出して友哉に差し出した。

 

「こ、これを」

「これって・・・・・・・・・・・・」

 

 手の平に乗るくらい、小さな箱。そして、その中からは仄かに甘い香りが漂ってくる。

 

「今日は、2月14日じゃないですか。だから、瑠香さんに手伝ってもらって、作ってみました」

 

 そうだった。今日はバレンタインデーだと言う事を、友哉もすっかり忘れてしまっていた。

 

 だから、茉莉も今日を初デートの日に選んだのかもしれなかった。

 

「ありがとう、茉莉。とっても嬉しいよ」

「友哉さん」

 

 嬉しそうに頬を染める茉莉。

 

 その茉莉を、友哉はそっと抱き寄せる。

 

 2人の顔がゆっくりと近づき、

 

 そして、

 

「ひ~~~む~~~ら~~~せ~~~た~~~」

「「ビクゥ!?」」

 

 突然、地獄の底から湧き上がってくるような声が響き渡り、思わず肩を震わせる2人。

 

 その向けた視線の先には、

 

 強烈な殺気を撒き散らす雌ゴリラ、

 

 もとい、最恐アマゾネス、

 

 でもなくて、麗しくも純情可憐な蘭豹先生が、それはそれは、像も視線で殺せそうなほど素敵な殺気を放って、ドシッドシッと歩いてくるところだった。

 

「うちの前で、ようもイチャラブっとるもんやな自分ら? それに何や、うん? 校則をもう忘れたんか?」

 

 そこで、

 

 友哉は自分が何を忘れていたのか思い出した。

 

 思い出さなければ命に係わる程の重大事。

 

 それは、茉莉に「武偵校はバレンタイン禁止」と言う校則を伝え忘れていた事だった。

 

 ま   ず   い

 

 友哉の中で、過去最大級の警報が鳴り響く。

 

 このままでは最悪、2人揃って明日の太陽を拝めないかもしれない。

 

 そんな2人を見ながら、蘭豹はこれまでに見た事がないくらい、強烈な笑みを見せる。

 

「取りあえず、2人ともお仕置き部屋まで御同行願おか? 話はそこで聞いたるわ。勿論、うちの体罰込みでな」

 

 言いながら、ノシノシと近付いて来る蘭豹。

 

 友哉の腕の中で、茉莉は青い顔をして震えている。

 

 そんな茉莉を見て友哉は、

 

「・・・・・・・・・・・・逃げるよ、茉莉」

「え、友哉さん何を、キャッ!?」

 

 軽く悲鳴を上げる茉莉の方と膝裏に手を入れ、所謂「お姫様抱っこ」で抱え上げる友哉。

 

 同時に跳躍して、その場から離脱を図る。

 

「こら待てやー!! うちから逃げられると思うとるんかー!!」

 

 背後から迫ってくる蘭豹の声を無視して、友哉は全速力で逃走を続ける。

 

 まったく、

 

 今日は最後の最後まで、本当に災難続きの1日だった。

 

 だが、

 

 とても楽しい1日だった。

 

 それを象徴するように、

 

 友哉と茉莉は、共に笑顔を浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

第8話「最後の最後に」      終わり

 

 

 

 

 

女神覚醒編      了

 



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合衆国編
第1話「覇者の国へ」


誠に勝手ながら、今回から投稿を始める合衆国編の終了をもちまして、本作の更新を、一時停止させていただきます。

理由としましては、前回の更新停止と同様、原作「緋弾のアリア」に内容が追い付いてきたため、今後の展開が不透明なまま更新を続ける事は出来ない為です。

また、ある程度、原作の方が進行しましたなら、更新再開するつもりですので、その際はよろしくお願い致します。

それでは、今しばらく、お付き合いください。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神などと言う想像の埒外にあるような存在に積極的に関わる事態は、少なくともこれまでの人生で一度も想像していなかった事態である。

 

 緋村友哉は、そのような事をぼんやりと考えていた。

 

 思い出されるのは昨夜の事。

 

 アリアが緋緋神として覚醒し、友哉たちと交戦になった。

 

 圧倒的な戦闘力で攻め立てる緋緋神を前に、苦戦を強いられた友哉達。

 

 幸いな事に、「緋色の研究」に対する知識を有するカナとパトラが援護に入ってくれた為、どうにか戦いを制し、緋緋神を眠りにつかせる事に成功した。

 

 だが、それは一時的な物に過ぎない。

 

 緋緋神は眠りについているものの、ふとしたきっかけで再び目覚めないとも限らない。

 

 それを防ぎ、事の解決に臨むため、今日、キンジとアリアはアリアの母、神崎かなえに会う為、彼女が収監されている東京拘置所へ来ていた。

 

 ここは拘置所正面の駐車場。ここに友哉は、バイクを停めて待機していた。

 

 護衛対象のクーパーの運転席では、欧州行きに同行した、チーム・コンステラシオンの島苺(しま いちご)が、こっくりこっくりと舟をこいでいるのが見える。

 

 今のところ、異常らしい異常は無い。

 

 友哉の傍らには、イクスのサブリーダーであり、友哉自身の恋人でもある瀬田茉莉が控えている。

 

 2人は、アリアとキンジの護衛だった。

 

 アリアは今、外務省とイギリス大使館の目を晦ます形で隠密行動をしている。

 

 イギリス政府は、世界に冠たるSランク武偵のアリアを手元に呼び戻そうと、あの手この手で謀略を仕掛けて来ており、外務省はそんなイギリスにおべっかを使い、ほいほいとアリアの身柄を差し出そうとしているのだ。

 

 勿論、周囲はおろか、アリア本人の意志すら徹底的に無視して、である。

 

 そこでアリアのパートナーであるキンジは、峰理子に依頼してアリアに変装させて日英両陣営の目を誤魔化しつつ、本物のアリアと行動を共にしているのだった。

 

 当初の目的は鬼たち、覇美一派の追撃と殻金の奪還にあったのだが、緋緋神覚醒によって、今は目的が変更され、よりダイレクトなアプローチが必要になった。

 

 その為の、かなえとの接触である。

 

 かなえは「緋色の研究」について、金一(カナ)やパトラ以上の事を知っている。それを引き出す事ができれば、あるいはアリアの緋緋神化に歯止めを掛けられるかもしれなかった。

 

「結構、時間がかかってるね」

「そうですね。面会時間は制限されているでしょうけど、手続きとか、それなりに時間がかかるでしょうから」

 

 ぼやくような友哉の言葉に、茉莉も頷きを返す。

 

 キンジとアリアが拘置所の中に入ってから、結構な時間が経っている。

 

 一応、2人とも周囲の警戒は怠っていないが、それでも、いつ何時、敵襲があるか判らない以上、緊張感は否が応でも増していた。

 

 理想としては理子の陽動が功を奏して、このまま何事も無く学園島に帰る事ができれば御の字なのだが。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 周囲の気配を探っていた友哉が、不意に眦を上げて眉を顰めた。

 

 それと同時に、茉莉もまた、菊一文字の柄に手を掛けて、鋭い視線を投げ掛ける。

 

 既に茉莉は、意識は戦闘レベルまで向上しているのが判る。いつもの儚げな危うさが消えて、鋭いまでの気配を発散していた。

 

 囲まれている。

 

 数は、恐らく20人以上。いずれも手練の面々だ。周囲から向けられる気配で、それが判る。

 

 やはり、そうそううまく事が運ぶと言う事は無いようだ。

 

 しかし正直、ここまで大規模な包囲網を敷いて来るとは予想外だった。

 

 友哉と茉莉、それにアリアとキンジを合わせても、あれだけの数を同時に相手どるのは難しいだろう。

 

「友哉さん・・・・・・」

「まだ、仕掛けないよ」

 

 逸るように呟く茉莉を、友哉は小声で制する。

 

 今回、敵はアリアの捕捉を目的としている。その為、アリアの姿を確認するまで仕掛けて来る事は無いだろう。

 

 ならば、相手が動きを見せるのを待つべきだった。

 

 敵がアリアに傾注し過ぎれば、その隙を突いて活路を見い出す事ができるかもしれない。

 

 やがて、接見を終えたらしいキンジとアリアが、拘置所の建物から出てくるのが見えた。

 

 同時に、周囲の気配も緊張感を増したのが判る。

 

 いよいよ、仕掛けてくる気なのだ。

 

 恐らく理子の陽動が功を奏していると思われ、敵は目の前にいるのが本物のアリアなのかどうか、思案しているのだろう。

 

 仕掛けて来るとしたらどこか?

 

 アリア達が車をスタートさせた瞬間か? あるいは走行中の包囲を狙うか?

 

 そんな事を考えていると、キンジとアリアがクーパーに乗り込むのが見えた。

 

 アリアが寝ている島のリボンを引っ張って起こした時だった。

 

「友哉さん、あれは・・・・・・」

 

 別方向に注意を向けた茉莉が、不思議な物を見るような目で言った。

 

 釣られて視線を向けた先には、確かに奇妙な生き物、ではなくて少女がいるのが見えた。

 

 外見はアリア並みに背が低いにもかかわらず、大人用のトレンチコートを無理に来ているせいか、かなりダブダブとした印象がある。顔には大きめな野暮ったい眼鏡を掛けているのが、妙に印象的である。

 

 少女はキンジとアリアが乗ったクーペの後部座席に無理やり乗り込むと、アリア達に対して何やら言っているのが見える。

 

 と、次の瞬間、

 

 いきなりアリアが、少女の首を絞めだした。

 

「友哉さん、あれは」

「間違いないね。敵だ」

 

 やがて車内での騒動が大きくなるのが見えた。

 

 明らかに穏やかな状況とは言い難い中、ついにキンジとアリアが、協力プレイで少女を車外へと放り投げるのが見えた。

 

 それと同時に、周囲の気配も大きくなる。

 

 取り巻くように状況を見守っていた連中も、動き出す気配を見せ始めたのだ。

 

 その様子を確認すると、友哉は刀の鯉口を切る。

 

「行くよ、茉莉」

「はい」

 

 短いやり取りで頷き合う2人。戦闘開始である

 

 次の瞬間、友哉と茉莉は、互いに示し合わせたように、別々の方向へと駆けた。

 

 次々と飛び出してくる、スーツ姿の男達。

 

 友哉はその中に、迷う事無く飛び込むと逆刃刀を抜刀。出会いがしらの一撃で、先頭の相手を昏倒させる。

 

「なッ!?」

「こいつ!!」

 

 友哉達の奇襲に、一瞬たじろく男達。

 

 その間に友哉は、相手の正体を確認する。

 

 胸に付けられた外交官徽章。

 

 どうやら、外務省の連中であるらしい。何人かが、懐に収めた銃を抜いて友哉に向かってくる。

 

 だが、その前に友哉は動いた。

 

 素早く敵の間をすり抜けながら移動しつつ、手にした刀を振るい、次々と薙ぎ払っていく。

 

 何人かの外交官が拳銃を放って応戦してくるが、弾丸の軌道は全て短期未来予測で先読みし回避、あるいは刀で弾く。

 

 目を転じれば、茉莉も外交官達を相手に大立ち回りを案じている。

 

 友哉をも上回る健脚で陣形を引っかき回し、立ち尽くす相手を次々と討ち取って行く。

 

 茉莉の縮地は、このような戦闘でも有効である。外交官たちは、あまりの機動力に翻弄され、茉莉の姿を捉える事すらできないでいる様子だ。

 

 友哉はナイフを持って接近してきた外交官を、刀の一閃で顔面を殴り飛ばして黙らせると、キンジ達の方へと目を向ける。

 

 ちょうど、さっきの小柄な女の子を振り払い、島がクーパーを急発進させるのが見える。

 

「行かせるか!!」

 

 外交官の1人が、クーパーを停止させようと、懐から拳銃を抜こうとする。

 

 だが、

 

「させる、かッ!!」

 

 神速の踏み込みで背後から接近し、友哉は男の背中を容赦なく蹴り飛ばす。

 

 悲鳴を上げて昏倒する男を踏み付けにしながら、更に放たれる拳銃を刀で防御。走り去るクーペを見守る。

 

 そのままクーペは、駐車場の外へと一目散に走り去って行くのが見えた。

 

 これで、アリア達の安全は確保できたはず。ひとまずは安心と行った所だろう。もっとも、外務省が周囲にも包囲網を敷いている可能性は否定できない為、油断はまだできないのだが。

 

 と、

 

「逃がさないのですッ アリア女史ィ!!」

 

 先程、キンジとアリアによってクーパーから蹴り出された小柄な女の子が、ど根性を発揮して立ち上がると、駐車場の隅へと駆けていく。

 

 何をする心算なのか、と見守っていると、突然、大型車の陰から、ミニ原付、ホンダ・モンキーに乗った先程の少女が飛び出してきた。

 

 ナンバープレートが「外」から始まっている所を見ると、外務省所有の車両であるらしい。

 

 その様子に、友哉は唖然とする。

 

「随分と、しつこい人もいたもんだね」

 

 言いながら、踵を返す友哉。

 

 キンジ達が脱出し、それを敵が追った以上、これ以上この場での戦闘に意味は無い。自分達もキンジ達を追った方が得策だろう。

 

 そう思った時だった。

 

「ッ!?」

 

 突如、これまでにないくらい、鋭い殺気が向けられ、友哉は一瞬にして身を翻す。

 

 一拍おいて、駆け抜けた銀の閃光が、僅かに友哉の頬を掠めて行った。

 

 間一髪、相手の攻撃を回避する事に成功した友哉は、とっさに距離を置きながら、顔を上げて相手を見やる。

 

「今のかわすか。大した反応だ」

 

 感心したような声が、友哉に投げかけられる。

 

 若い男。と言っても、恐らく20代中盤くらいだろう。

 

 短く切った髪を丁寧にセットし、ピシッとしたスーツに身を包んでいる。

 

 左手に持っているのは、フェンシングのサーベルを連想させるレイピア。日本でもゲーム等でメジャーな刀剣である。その細身の外見から貧弱なイメージもあるが、反面、他の刀剣に比べて軽い為、使いこなせば素早い攻撃、防御が可能となる。接近戦においてはきわめて強力な武器だ。

 

「さて、銭形に付き合って来てやったんだが、こいつはとんだ大物が釣れたものだな。まさか、昨今噂の計算外の少年(イレギュラー)が相手とは。できれば(エネイブル)の方が良かったが、お前もなかなか楽しませてくれそうだな」

 

 どうやら、友哉やキンジの事は予め知っているらしい。

 

 まあ、それも無理は無い事だろう。

 

 直接介入こそしてこなかったが、日本政府も極東戦機の事は掴んでいた。それを考えれば、外務省に代表戦士の情報が入っていてもおかしくは無い。

 

 イクスやバスカービルの詳しい情報も、把握されていると見て間違いなかった。

 

 レイピアを構え直す男。

 

「塚山さん・・・・・・・・・・・・」

「下がってろ。お前等の敵う相手じゃない」

 

 言いながら、塚山と呼ばれた男は仲間を下がらせる。

 

 対抗するように友哉も逆刃刀を正眼に構えると、注意を塚山1人へ集中させる。

 

 片手間で戦える相手ではない。全力を傾注して戦う必要がある相手と判断したのだ。

 

 茉莉は、他の外交官たちを牽制するように睨み付けながら、友哉達の対峙を見守っている。

 

 次の瞬間、

 

 友哉と塚山は、同時に仕掛けた。

 

 鋭い軌跡を描いて旋回する友哉の剣閃。

 

 対して塚山の刺突が雷のように伸びる。

 

 ガキンッ

 

 両者の刃が激突し、空中に火花が散る。

 

 こすれ合う刃。

 

 振り切った状態から、友哉は刃を返して、再度斬り込もうとする。

 

 だが、

 

 それを見た塚山が、僅かに口元を歪めて笑みを浮かべた。

 

 次の瞬間、殆ど間髪を入れない素早さで、塚山は再度の刺突を友哉に向けて繰り出した。

 

「クッ!?」

 

 その攻撃に対し、とっさに後退して回避する友哉。

 

 だが、

 

「おっと、そいつは悪手だぞ」

 

 低い呟きと共に、塚山は一気に距離を詰めて来た。

 

 鋭く繰り出されるレイピアの攻撃。

 

 その攻撃を、友哉は辛うじて回避していく。

 

 レイピアそれ自体の攻撃力は、決して高くない。細い刀身から繰り出される攻撃には、「重さ」がが決定的に欠落している。

 

 だが、それだけに「速さ」は群を抜いていると言っても良いだろう。加えて、素早い攻撃で繰り出される鋭い切っ先は、殺傷力抜群である。その威力は、「重さ」をカバーして余りあった。

 

 ほとんどノーウェイトで繰り出される攻撃を、必死で回避する友哉。

 

 離れようとしても、殆ど差の無い機動力で追随してこられるため、仕切り直す事も出来ない。

 

 龍巻閃でカウンターを狙おうにも、相手の方が攻撃速度が速い為、不必要な体の回転は大きな隙になってしまう。

 

 繰り出される鋭い刺突。

 

 その攻撃を、友哉は辛うじて刀で防ぎながら、どうにか反撃の隙を探る友哉。

 

 今まで友哉は、対峙した大半の敵を自らの「速さ」で凌駕して勝利してきた。

 

 今まで戦った敵の中で、友哉よりも素早い動きができたのは、それこそイ・ウー時代の茉莉くらいである。

 

 だが、

 

 この塚山と言う外交官は、明らかに友哉よりも速い動きで攻め立ててきている。

 

 勿論、身のこなし自体は友哉の方が早い。だからこそ、辛うじて回避も追いついている。

 

 しかし塚山は、レイピアと言う武器の特性を最大限に生かし、最小の動きで攻撃を繰り出す事で、友哉をも凌駕する攻撃速度を実現しているのだ。

 

 放たれる3連撃の切っ先。

 

 その内の一発が前髪を掠める中、友哉は辛うじて首を傾ける事で回避。同時に、後方へ大きく跳躍する事で、塚山の間合いから逃れた。

 

 塚山の方でも、友哉の機動力は脅威と判断したのだろう。その場にとどまって、追撃の構えは見せなかった。

 

 どうにか、仕切り直しに成功した形である。

 

 しかし、剣戟の打ち合いは友哉にとって不利である事に変わりは無い。

 

「どうした、まだ終わるには早すぎるぜ?」

 

 言いながら、塚山はステップを踏んで距離を詰めに掛かる。

 

「まずい・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉は低い声で呟く。

 

 距離を詰められたら、また先程の繰り返しになる。

 

 そうなる前に、こちらから先制攻撃を・・・・・・・・・・・・

 

 そう思った、次の瞬間だった。

 

 突然の、轟音が鳴り響く。

 

 振り返れば、包囲網を敷いていた外交官たち複数が、まるで人形のように宙に舞っている姿が見える。

 

「な、何が?」

 

 あまりと言えばあまりな光景に、思わず友哉は唖然として見上げる。

 

 周囲の緊張が高まる中、

 

 人垣が、まるでモーゼの出エジプトのように、左右へと別れていく。

 

 あっという間に、綺麗な形で左右に分かれる外交官一同。

 

 そして、別れた人垣の先では、

 

 刀を携えた1人の男が、静かにたたずんでいた。

 

 スラリと背の高い痩せ型の体格に、特徴のあるプロテクターを装着し、顔はバイザーで覆っており、手には近代的な拵えの日本刀が握られている。

 

 その姿を見て、友哉は歓喜の声を上げた。

 

「海斗!!」

 

 エムアインスこと、武藤海斗は、友の呼び声に対してニヤリと笑うと、尚も周囲を囲んでいる外交官たちを威圧するように前へと出た。

 

「ジーサード同盟(リーグ)のエムアインスだ。この場での戦闘は、俺が預からせてもらう。それでも尚戦おうと言うなら、アメリカ合衆国を敵に回す事になるが、それでも良いか?」

 

 話がいきなり大きくなったものである。

 

 その言葉に、外交官たちにも動揺が走る。

 

 彼等は武闘派だが、同時に国際関係のエキスパートたちである。そんな彼等が「外国と争う」事のリスクを知らない筈がない。

 

 この場での戦闘に、お流れムードが漂い始める。

 

 一方、友哉と対峙していた塚山も、一つ舌打ちするとレイピアを鞘に納めた。

 

 どうやら彼も、アメリカと事を構えるリスクは避けるべきと考えているようだった。

 

「ここは退いてやる。立場上、アメリカと事を構える訳にはいかないからな」

 

 クルリと踵を返しながら、塚山は低い声で言い捨てる。

 

「だが、これで終わりではない。お前達が緋弾の独占を続ける限り、俺達との戦いは避けられないと知れ」

 

 別に緋弾を独占しているつもりはない。友哉やキンジのみならず、当のアリア本人ですら、できる事なら手放したいと思っている筈だ。

 

 彼等が言っている事は、完全に一方的な主張であり、こちらにとっては迷惑千万な話なのだが、それを言ったとしても問題の解決にはならないだろう。どうやら、彼等には彼らなりの事情があって動いているようだし。

 

 だが確かに、彼等の目的がアリアの身柄を利用して勝手にイギリス等の外交関係に利用しようと言う話であるなら、それは友哉達にとって受け入れられる物ではない。

 

 彼等とは、近いうちに再び激突する事になる。

 

 去って行く外交官たちの背中を見ながら、友哉はおぼろげにそう思うのだった。

 

 やがて、駐車場には友哉と茉莉、そして海斗の3人だけが残された。

 

「それにしても海斗。何か、すごい良いタイミングで来てくれたけど、そもそも何で、日本にいるの?」

 

 つい先日、欧州の決戦で共闘したばかりの海斗がいる事に、友哉は首をかしげる。

 

 ここは何かしらの用事があったと考える方が自然である。

 

「お前達に用があって来たんだが、戦闘中だったのは予想外だった」

 

 海斗は苦笑しながらバイザーを上げると、キョトンとしている友哉と茉莉を見やった。

 

「緋村、それに瀬田も、サードがお前達に会いたがっている。すまないが、一緒に来てくれないか?」

「おろ?」

「今から、ですか?」

 

 茉莉の質問に、海斗は頷きを返す。

 

 どうやら、事態は思っている以上に複雑な意味合いがあるらしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キンジの実家は、東京巣鴨の下町にひっそりと佇んでいる。

 

 遠山兄妹は両親がすでに他界しているが、両祖父母は健在であり、キンジ達は時々規制しては、祖父母に顔を見せて孝行しているのだとか。

 

 祖父の遠山鐡(とおやま まがね)は大戦中に零戦のパイロットをしていたつわものであり、ある時、撃墜されて不時着した島で、300人の米兵相手に大立ち回りを案じたと言う伝説の持ち主である。

 

 祖母の遠山セツも、本人は隠しているようだが、どこかの戦闘部族の出身らしく、その戦闘実力は高いらしい。

 

 エムアインスの案内で遠山家へとやって来た友哉と茉莉は、家主の鐡に挨拶してから屋内に上がり込んだ。

 

 丁寧にあいさつする2人に対し、鐡は人のよさそうな笑みを浮かべて

 

「おうおう、今日は良い日じゃのう。またまた、可愛らしい娘さんが2人も来てくれるとは。キンジも隅に置けん・・・・・・な、なにー!? お前さん、男じゃったのかァァァ!?」

 

 などと、友哉を見て驚愕していたが、その後は特に問題も無く遠山家に上がり込む事が出来た。

 

 考えてみれば、友哉もキンジの家に来るのは初めての事である。まさかkのような形で訪れる事になるとは、思いもよらなかったが。

 

 ジーサードが使っていると言う部屋に通されると、既に外務省を振り切って合流していたらしいキンジとアリア、それに遠山家の末娘たるかなめ。

 

 そして、布団の上で胡坐をかいたジーサード事、遠山金三の姿があった。

 

「よう、お前等。悪いな、急に呼び出したりしちまって」

 

 気さくに挨拶をしてくるジーサードだが、

 

 そんな彼の姿を見て、友哉と茉莉は絶句してしまった。

 

 体中にギプスやテープを巻き、元々義手だったらしい左腕も、今は外された状態にある。

 

 更に、布団の脇には酸素吸入器も置かれていた。

 

 明らかに重症であるにもかかわらず、何事も無いように笑っていられるタフさは相変わらず大したものだが、それでも痛々しい外見である事に変わりは無い。

 

「ちょ、どうしたの、それ?」

「里帰りして喧嘩で返り討ちにされたんだと」

「やられてねえ。ちょっと掠っただけだっつってんだろ」

 

 呆れ気味にコメントする兄に、キレながら噛みつくジーサード。

 

 とは言え、あのジーサードがここまでボコボコにやられる程の相手だ。かなりの強敵である事が伺える。

 

「来てもらったのは他でもねえ。緋村、瀬田、お前等に、一緒にアメリカに行ってもらう為だ」

「あ、アメリカ、ですか?」

 

 行き成りの申し出に、茉莉が目を丸くする。

 

 驚いているのは、友哉も同様である。

 

 何だか急に、話が大きくなってしまっていた。

 

「アメリカに、何かあるんですか?」

 

 茉莉が思っている疑問をぶつけてみた。

 

 ジーサードがわざわざ自分達にまで声を掛けてくるくらいだから、よほどの物があるのが予想できる。

 

 対いして、ジーサードは頷くと口を開いた。

 

「エリア51って知ってるか?」

「あの、UFOで有名な?」

 

 エリア51と言えば、その昔、墜落した未確認飛行物体(UFO)が運び込まれた、と言う都市伝説が有名である。一説によると、宇宙人の死体も収容され、研究されているのだとか。

 

「それもあるが、今の問題はそこじゃねえ」

 

 さりげなく、否定しないジーサード。

 

 だが、宇宙人以上に重要な問題となると、

 

「色金だ」

 

 ジーサードの言葉に、友哉と茉莉は一瞬にして緊張感が増した。

 

 色金は今、自分達が最優先で確保したいアイテムである事は間違いない。まさかそのうちの一つが、アメリカにあったとは。

 

「今日、ママに会って聞いた事なんだけど、あたしの緋緋神を止める為には、他の色金、璃璃色金とか瑠瑠色金に頼るしかないみたい。だから、アンタ達にも協力してほしいの」

 

 アリアが、ジーサードの説明を補足する。

 

 考えてみれば、緋緋色金には緋緋神が付いていた。と言う事は、他の色金にも神様が付いている可能性はある。

 

 どうやらアリア達は、自身の緋緋神化を押さえる為に、他の神から知恵を授かろうとしているようだった。

 

「兄貴は了承してくれた。お前等もそこに加わってくれるとこっちとしても助かるんだが、どうだ?」

 

 ジーサードがわざわざ、こっちにまで声を掛けて来ると言う事は、相当な激戦が予想されるだろう。

 

 だが、事が色金絡みだと言うなら、断る理由は無い。

 

「判った、行くよ」

「異論はありません」

 

 そう言って、2人は頷きを返した。

 

 

 

 

 

第1話「覇者の国へ」      終わり

 



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第2話「視線の先」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友哉と茉莉が遠山家での会談を終え、寮へと戻る頃には、日も傾き始めていた。

 

 一応、出発は明日と言う事になり、今日の所は取りあえず解散と言う事になった。

 

 アメリカ行きのメンバーは、ジーサード・リーグメンバーの他に、友哉、キンジ、茉莉の3人となる。

 

 アリアは、外務省やイギリス大使館ともめ事を起こした事で、イギリスへ自主帰国、事実上の強制送還となった。

 

 前後の状況を鑑みれば腹立たしい処置ではあるが、相手は国家権力、これ以上は如何ともし難いだろう。

 

 もっとも、アリアの帰国については、一概に悪い事ばかりだとは言えない。

 

 「緋色の研究」について、アリアの異母妹であるメヌエット・ホームズは、何らかの重要な情報を持っているとされている。そのメヌエットに会いに行くことができるのだから、いわば今回の帰国は渡りに船だとも言える。

 

「アメリカか・・・・・・何か言葉にするとすごい身近に感じる国だけど、実際に行くとなると、ちょっと想像がつかないね」

 

 寮の廊下を茉莉と並んで歩きながら、友哉は苦笑するように言った。

 

 アメリカ、ニューヨーク

 

 日本人なら3歳の子供でも知っている、外国と、そこにある都市の名前だ。

 

 だが、名前を知っていても、実際にそこがどんなところであるか知る日本人は少ない。

 

「ニューヨークはイ・ウー時代に何度か行った事があります。もし時間があれば、案内できると思いますよ」

「そっか、楽しみにしているよ」

 

 友哉はそう言って、茉莉に笑顔を返す。

 

 任務とは言え、海外へ行けるとなれば、それなりに楽しさも増してくるものである。それが茉莉と一緒と来れば尚更だった。

 

 友哉と茉莉は、そんな会話を交わしながら玄関を潜った。

 

「ただいま」

「あ、おかえり、友哉君、茉莉ちゃん」

 

 2人が帰ってくる気配を察したのだろう。夕食の準備をしていたらしい瑠香がエプロン姿で廊下に出てくるのが見えた。

 

「ごはん、もうすぐできるから、2人とも、リビングで待っててよ。そうそう、彩夏先輩も来てるから、ゲームでもやってて」

「おろ、彩夏が? 判った」

 

 別段、彩夏が遊びに来る事自体は珍しい事ではないので、頷いてリビングへと入った。

 

 すると、

 

 ソファーに座った彩夏が、携帯電話で何かを話していた。

 

 英語での会話である為、何を言っているのか判らないが、相手が親しい人物である事が判る。何やら電話口で楽しそうにしゃべっては笑っていた。

 

 やがて、電話を切ると、彩夏は2人に向き直った。

 

「おかえりなさい、2人とも」

「ただいま。電話してたの?」

 

 友哉は逆刃刀をテーブルの上に置きながら尋ねた。

 

「うん。イギリスにいる兄貴からね。普段は電話なんか殆ど寄越さないくせに、さっき、いきなりかけて来てさ」

「え、彩夏さん、お兄さんがいたんですか?」

 

 茉莉が驚いて声を上げる。

 

 今まで彩夏は自分の家庭についてあまり語る事は無かった。唯一、友哉が父親であるジェームズ氏と会った事があるくらいである。

 

 その為、正確な家族構成等については、実のところあまりよくわかっていなかった。

 

「兄貴って言っても、義理なんだけどね。昔、パ・・・・・・父が引き取って養育したの」

 

 パパ、と言いかけて彩夏は言い直した。

 

 父親との蟠りを持つ彩夏は、やはりまだ、素直になれていないようだった。

 

「何か、仕事で昇進したから、その報告だってさ。そう言うところは律儀なんだよね。普段は無駄な事は一切しないくせにさ」

 

 少し懐かしむような遠い目をする彩夏。どうやら、父親とは確執を持っている彩夏だが、その義理の兄とやらとは、それなりに良好な関係を築けているようだった。

 

「ところで、2人はどうしたの?」

 

 尋ねる彩夏に、友哉は今日の事を説明した。

 

「香港、ヨーロッパと来て、今度はニューヨークとはね。随分、忙しくなって来たわね、アンタ達も」

 

 確かに。

 

 極東戦役からこっち、敵対勢力が国際レベルになっているせいか、移動距離も飛躍的に伸びてきている。

 

 武偵憲章9条「世界に雄飛せよ。人種、国籍の別なく共闘せよ」とあるが、正に、それを体現しつつあるわけだ。

 

「良いなァ ニューヨーク。あたしも行きたい」

「いや、遊びに行くわけじゃないからね」

 

 サラダを盛り付けながら、瑠香がぼやくように言うのに対し、友哉は苦笑しながらツッコミを入れる。

 

 と、

 

「そう言えば、今回は友哉だけじゃなく、茉莉も行くのよね?」

「はい。そうですけど?」

 

 茉莉の返事を聞いた瞬間、彩夏は何やら、雷に打たれたような衝撃と共に、驚愕の表情を浮かべた。

 

「それってつまり、新婚旅行!?」

「違いますッ!!」

 

 突然、飛び出してきた突拍子もない単語に、顔を真っ赤にして反論する茉莉。

 

 いきなり何を言い出すのか。そもそも、結婚もしていないのに「新婚」旅行はあり得ないだろう。

 

「じゃあ、婚前旅行!?」

「それも違います!!」

 

 その様子を見て苦笑する友哉。

 

 これが婚前旅行なら、キンジにジーサード・リーグのお歴々までくっついて来る事になる。流石に、友哉もそんなメンツを見るだけで物騒な婚前旅行は願い下げだった。

 

 携帯電話が鳴ったのは、その時だった。

 

 開いて液晶を見ると、思わず友哉は目を見開く。

 

 『由比彰彦』

 

 友哉は無言のまま廊下に出ると、通話ボタンを押して耳に当てる。

 

「はい、緋村です」

 

 友哉は固い声で、第一声を切り出した。

 

《やあ、緋村君。聞きましたよ。何でも、外務省と一戦やらかしたとか》

「・・・・・・・・・・・・相変わらず、耳が早いですね」

 

 緊張感を増しながら、相手の言葉に応じる。

 

 仕立て屋の情報網を持ってすれば、こちらの動きは筒抜けと言う事だろうか?

 

 悔しいが、相手の方がまだ一歩も二歩も上手だと言うことを痛感させられてしまう。

 

 それはそれとして、

 

「何か用ですか?」

《つれない言いぐさですね。まあ、今に始まった事ではないですが》

「用が無いなら切りますよ。御承知の通り、こっちも疲れていますので」

 

 ハッタリではない。 これ以上、彰彦が本題以外の事で会話を引き延ばそうとしたら、友哉は容赦なく通話を切るつもりで、電源ボタンに指を伸ばす。

 

 友哉にとって、この男の声は、「この世で聞きたくない声ランキング」のナンバー2である。(因みにワースト1位は、斎藤一馬である)

 

 その気配を察したのだろう。先を制するように、彰彦は口を開いた。

 

《迎えの車をそちらに回しましたので、それに乗って、これから指定する場所まで来てください》

「・・・・・・・・・・・・」

 

 彰彦の言葉に、友哉はスッと目を細める。

 

 腹をくくる必要がある。

 

 どうやら、「来るべき時」が来たと判断すべきだった。

 

「・・・・・・・・・・・・判りました」

 

 静かにそう告げると、友哉は今度こそ通話ボタンを切った。

 

 友哉は携帯電話をしまうと、リビングへと戻る。

 

「あの、みんな、ちょっと・・・・・・・・・・・・」

 

 言いかけて、

 

 友哉は絶句した。

 

「いい、茉莉。男は夜になったらケダモノになるんだからね」

「そうだよ、狼さんなんだからね」

「お、狼さん、ですか?」

「そう、だから、それに備えて色々と準備しないといけないわよ」

「だからって、狼さんパンツは持って行っちゃダメだよ」

「持ってませんッ それは持ってません!!」

 

 姦しいガールズトークが、尚も絶賛継続中だった。

 

「おろ・・・・・・・・・・・・」

 

 立ち尽くす友哉

 

 何となく入って行けない雰囲気だった。いっそ、このまま何も告げずに出かけようかとも思うのだが、流石にそれはどうかと思うので。

 

「あの、みんな、今からちょっと出かけて来るから」

「え? 友哉さん、今からですか?」

 

 怪訝そうに尋ねてくる茉莉に、友哉は振り返って笑い掛ける。

 

「大丈夫だから、先にご飯、食べててよ。用事が終わったら、すぐに戻って来るから」

 

 そう言うと、友哉はパタンと扉を閉めて出ていく。

 

 後には、手を伸ばしたまま立ち尽くす茉莉が残された。

 

「友哉さん・・・・・・・・・・・・」

 

 何か、言い知れない予感が、茉莉の中で去来する。

 

 友哉が、何か自分達にも隠している事がある。そう思えてならない。

 

 だが、今の茉莉には、友哉の事を気にしている余裕は無かった。

 

 ガシッ ガシッ

 

「は、はい?」

 

 いきなり瑠香と彩夏に両脇を掴まれ、拘束されてしまう。

 

「さあ、茉莉ちゃん。そうと決まったら時間が無いんだし、色々と準備をしちゃおうね」

「え? え? えェ?」

「アメリカに行くんなら、相応の用意をしないとね。さあ、気合入れてファッションショーをやりましょうか!!」

「ちょ、ちょっと待ってくださいィ!!」

「「待たない」」

 

 そのまま、ズルズルと連行されていく茉莉。

 

 その後の茉莉の運命を知る者は、誰もいない。

 

 ただ、全てが終わった後、茉莉が憔悴しきっていたのは確かだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 塚山龍次郎(つかやま りゅうじろう)は、予定外の戦闘と、その想定外の終わり方に不満を抱きつつも、国内に残っていた残務処理の決済に追われていた。

 

 たまたま所用で一時帰国していた際、同期入省した銭形乃莉(ぜにがた のり)の仕事を手伝う事になった為、本来なら昼間の内に終わらせて置く予定だった仕事が、夕方までずれ込んでしまったのだ。

 

 彼女の仕事関係は対英方面の物だが、中でもVIP中のVIPと言える、Sランク武偵、神崎・H・アリアの滞在中の折衝にある。

 

 英国貴族であり、かのシャーロック・ホームズ卿の曾孫に当たるアリアは、同時に貴族特有の気難しい性格も持ち合わせており、彼女の相手をできる人間は限られている。その点で行けば、銭形はよく任務をこなしていた。

 

 そのイギリス政府の方が、最近になって、そのアリアを本国に呼び戻すべく策動しているのは、龍次郎も知っていた。

 

 無理も無い。アリアの身柄と能力は、イギリスにとって貴重な財産である。その財産を、いつまでも極東の島国に放り投げておきたくは無いのだろう。

 

 加えて、彼女のパートナーを自称(イギリス視点)している遠山キンジの事もある。

 

 遠山キンジはこれまで、イギリスを含む複数の国に対して、不利益になる行動を取った過去がある。その為、イギリス政府としても、そのような危険人物の元からアリアを引き離したかったのだ。

 

 そして、日本政府としても、そのイギリスの申し出をあっさりと引き受けていた。

 

 日本側としては、Sランク武偵とは言え、たかだか小娘1人の身柄でイギリスに恩を売れるのなら安い物だと考えているのだろう。

 

 その意見には、龍次郎も諸手を挙げて賛成である。

 

 そもそも、戦前の軍備拡張時代ならいざ知らず、今の日本は絶対的な強国と言う訳ではない。表向きな戦力は充実させているが、周辺には中国、韓国、ロシア、北朝鮮と言った危険な国々が控えているにも拘らず、軍事行動における法整備もままならないのが現状である。これらがいつ、日本を標的に戦争を仕掛けて来るか判った物ではない。

 

 否、目には見えにくいだけで、水面下ではすでに砲火は開かれている。つい先日まで行われていたと言う極東戦役が良い例だろう。

 

 いつ何時、本格的な戦闘状態に入ってもおかしくは無い。そして、日本単独でこれらの強国と戦うのは困難である。

 

 その時、国を守る為には、世界中に友好国を作っておき、いざという時には迅速な支援を受けられるよう体制を整えておかなくてはならない。それも、可能な限り強い国々とだ。

 

 そして、その為の橋渡しをするのが外務省の役割である。

 

 神崎・H・アリアをイギリスに引き渡す事ができれば、イギリス政府に対して計り知れない恩を売る事ができるのだ。

 

 だが、事もあろうに、そのアリアが監視の目をすり抜けて脱走したと言う。

 

 まったくもって、腹立たしい限りである。こちらの苦労も知らない子供が、悪戯に状況を掻き乱して何が楽しいと言うのか?

 

 アリアとて、日本に世話になっている身である。ならば、その身柄を進んで差し出すべきなのだ。

 

 アリア達の側からすれば、それこそ言いがかりに近い論法だが、龍次郎にとっては地に根が生えるくらい、確固たる信念に基づいた考えである。

 

 これらの視点は全て、龍次郎が外務省に所属しているからこそ出てくる思考であるが、それ自体が大きく間違っているとは思っていない。「国」を守る事がすなわち「人」を守る事に繋がるのだ。その為に、切れるカードは多いに越したことはない。まして、アリアの存在は、わざわざイギリスの方から指名してきた好カードだ。切らない手は無いだろう。

 

 結局、任務はジーサードリーグの介入によって失敗に終わり、銭形もアリアの確保には失敗した。

 

 もっともその後、アリア側からの申し出により、条件付きで帰国しても良いと言う旨、回答があったらしいが、龍次郎にとっては腹立たしい事に変わりは無かった。

 

 今回の戦いは外務省にとって、言わば戦略的敗北、どう贔屓目に見ても「引き分け」にすら持ちこめていない。

 

 結果的にアリアはイギリスに戻る事になったとはいえ、それは彼女自身の意志によるものだし、そのせいで外務省が被った損害も小さなものではない。

 

 そこへ、

 

「ふひ~~~~~~」

 

 気の抜けるような息を吐きながら、室内に入ってくる銭形の小柄な姿が目に移った。

 

 外務大臣からアリアの件で相当こっぴどく絞られたのだろう。

 

 そのまま、備え付けのソファーに辿りつくと、小学生並みの体躯でゴロンと横になってしまった。

 

「お疲れのようだな」

「見ればわかる事を、いちいち言うなです」

 

 見た目は小学生にしか見えない銭形だが、こう見えて、龍次郎とは同期の24歳。しかも同期ではトップの才媛だ。

 

 敢えて二度言うが、こう見えて。

 

 恐らくこの後も、何枚か始末書を書かなくてはいけないのだろう。その点は、手伝う訳にもいかないので、ご愁傷様とした言いようが無いのだが。

 

 そんな銭形に対し、龍次郎はフッと笑みを向ける。

 

「どうでも良いが、倒れるまで根詰めるなよ。俺達の仕事はストレスとの勝負なんだからな」

「言われなくても判っているのです。そっちこそ、無理しすぎるなです」

 

 言いながら、銭形はチラッと視線を龍次郎に向ける。

 

「そっちこそ、こんな所で油を売っている場合では無いのではないですか?」

「判っている。今日の最終でニューヨークに戻る予定だ」

 

 言いながら龍次郎は、パソコンを打つ手を止めない。

 

 対米方面の外交官である龍次郎のスケジュールは、ほとんど分刻みと言っても良いくらいに詰まっている。今回、緋緋神騒動が起こっている時に帰国していたのも、全くの偶然に過ぎなかった。

 

「それはそうと、例の件は耳に入ってるですか?」

「どの件だ? 色々ありすぎて絞り込めん。具体的な主語を言ってくれ」

巻六男(まき むつお)の件に決まっているです」

 

 銭形の言葉に、龍次郎はタイピングの手を止めて顔を上げた。

 

 巻六男の名には、龍次郎も聞き覚えがあった。

 

 陸上自衛隊東部方面隊、第1師団第1戦車大隊長。

 

 しかし巻は、そんな肩書き通りの男ではない。

 

 龍次郎の赴任前には駐米経験もあり、国際的な感覚も身に着け、自衛隊内部に固有の派閥を形成している人物である。

 

 しかも、それだけの実績と階級を持ちながら、年齢は未だ25歳と言う若さにある。

 

 それだけならば、せいぜい「優秀な軍人」と言う程度の認識しかないだろう。

 

 だが、この人物については、他に警戒すべき要素が存在した。

 

「巻が頻繁に上海や天津系の藍幇と頻繁に接触していると言う情報があるです。警戒するに越したことはないのです」

「確かにな」

 

 顔の前で手を組み、龍次郎は沈思する。

 

 藍幇

 

 極東戦役にも参戦した中国系の犯罪組織で、かのイ・ウーとも繋がりがあった危険な集団である。

 

 しかも、比較的温厚路線を取っている香港系と異なり、上海と天津は過激な運営思想を持つ事でも有名である。

 

 それらの組織が本格的に日本を狙って来たら、大参事は免れないだろう。

 

 巻六男が具体的にどのような目的で藍幇と接触しているのかは判らない。しかし、あの男には反米思想の疑いがある。具体的には、現在の日米安保条約を破棄し、中国と新たな同盟を結ぶべき、と言う考えを打ち出しているのだ。

 

 冗談ではない。

 

 中国は沖縄県尖閣諸島を巡る領有権を、長年にわたり不当に主張しているのみならず、未だに大戦時の賠償を厚顔無恥にも要求してきているのだ。

 

 同盟など結ぼうものなら、それを幸いとして更に要求がエスカレートする事は目に見えていた。

 

 中国との同盟は、日本がかの国の属国と化す第一歩になる事は明白である。だからこそ、巻の目論みは何としても阻止しなくてはならない。

 

 その為にも、アメリカやイギリスの要人との結びつきを強化し、同盟関係をより強固なものにする必要があるのだ。

 

「公安0課の件もある。お前も、充分気を付けろよ」

「判っているのです」

 

 銭形の返事を聞きながら、龍次郎は再び書類仕事へと没入していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友哉が部屋に通され、椅子に座って待つように言われてから、既に10分以上が経過していた。

 

 いい加減、イライラが募り始めている。

 

 人を待たせておいて、この待遇には納得がいかない物があるが、立場上「じゃあ帰る」とも言えない物がある。

 

 友哉が帰る事ができない訳。

 

 それは友哉自身が、極東戦役の開戦からこれまでに至るまでに抱え込んでしまった「負債」によるものに他ならなかった。

 

 友哉は由比彰彦に多大な借りがある。

 

 初めはジーサードリーグの奇襲によって、師団勢力が壊滅状態に陥った時。あの時、友哉は玉藻の指示で彰彦と接触。一時的に仕立て屋を防衛戦力として雇い入れる決断をした。

 

 その時に対価として要求されたのだ。

 

『いずれ時が来たら、我々の仲間になってもらいます』と。

 

 武偵である以上、悪人との取引はご法度である。だが、あの時はそれ以外に手は無く、友哉はその条件を呑む以外に道は無かった。そしてだからこそ、友哉自身も自ら交渉役を買って出たのだ。

 

 それが、悪魔との取引であると自覚しながらも。

 

 さらに最近では、被弾や殻金を巡る情報取得の面でも彰彦を頼ってしまっている。

 

 もはや、友哉に逃げる道は無かった。

 

 それが、今この場に友哉がいなくてはいけない理由だった。

 

 暇つぶしがてら室内を見回してみた。

 

 内装は、それほど華美と言う訳ではない。どちらかと言えば質素であり、家具も必要最低限の物しか置いていないようだ。

 

 門から入った時は、それなりに大きな屋敷だったのを見ている為、当然、家の中もそれなりに豪華な物を想像していたのだが、予想が外れた形である。

 

 ただ、清潔感があり、そこは住んでいる人間の性格が伺えるようだった。

 

 いったい、どんな人物の住まいなのか?

 

 もっとも、油断はできない。

 

 ここは由比彰彦が指定してきた場所。と言う事は、仕立て屋とも何らかの形で繋がりがある場所と見るべきだった。

 

 傍らに立てかけた逆刃刀に、いつでも手を伸ばせるようにしておく。

 

 その時だった。

 

 控えめな音と共に、扉が開き、見慣れた仮面男が室内に入ってくるのが見えた。

 

「お待たせして申し訳ありませんね、緋村君」

 

 ようやく現れた彰彦に対し、友哉はため息交じりに口を開いた。

 

「人を呼び出しておいて待たせるって、いったいどういうつもりですか?」

「申し訳ありません。何かとこちらも、準備等で立て込んでいまして」

 

 鋭い視線を投げ掛ける友哉に対し、彰彦は悪びれた様子も無く肩をすくめる。

 

 相変わらず、いけ好かない男だ。

 

 そんな友哉が見ている前で、彰彦はすっと入口の方を指し示す。

 

「どうぞ、翔華様。準備は整ってございます」

「おろ?」

 

 キョトンとする友哉。

 

 その友哉の前に、

 

 ゆっくりと進み出てくる姿があった。

 

 少女だ。

 

 恐らく年齢は、友哉と同じくらい。ゆったりとした長い髪を持つ、大人しそうな少女である。

 

 しかし、

 

 透き通るような透明感のある視線は、まるで心の奥底まで見透かされたような錯覚を覚えてしまう。

 

 少女は友哉のすぐ目の前まで進み出ると、小さくお辞儀をした。

 

「初めまして、緋村友哉様。お噂はかねがね、由比様より伺っておりました」

 

 言ってから、少女は真っ直ぐに友哉を見た。

 

「わたくしの名は崇徳院翔華(すとくいん しょうか)と申します。以後、お見知りおきを」

「は、はぁ・・・・・・・・・・・・」

 

 翔華と名乗った少女に対し、友哉は生返事を返す。

 

 行き成り見知らぬ少女が出てきたので、じゃっかんの戸惑いを覚えているのだ。

 

「緋村君。本日、君を呼んだのは、私ではなく翔華様なのですよ」

「え、そうなんですか?」

 

 視線を向けると、翔華もニッコリと微笑んで頷きを返した。

 

 

 

 

 

第2話「視線の先」      終わり

 



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第3話「暗雲揺れ動く未来」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 成田空港の出国ロビーに立ち、友哉は静かに佇み、沈思するように視線を下げていた。

 

 「少女的」と称される、この少年にしては珍しく、その可憐な顔は難しげに固まっている。

 

 友哉は今日、ジーサードの依頼を受けて、これからアメリカに向けて旅立つ事になる。

 

 流石は日本最大級の国際空港と言うべきか、行き交う人間の半分近くが外国人のように思えてくる。

 

 こうして見ると、人種も国籍もバラバラである事が判るから面白い。

 

 白人、黒人、アジア系、アラブ系、様々な人々が足早に行き交っており、まるでグラデーションのようだ。

 

 出発まで、まだ時間はある。

 

 一緒に行くキンジ、かなめの兄妹は、同日にイギリスへと旅立つアリアを見送る為、イギリス行の発着ゲートに行っていて姿が見えない。

 

 そんな中友哉は、昨日の事を思い出していた。

 

 

 

 

 

 改めて、友哉と翔華が対面の椅子に座り直し、ようやく本題へと入るムードになった。

 

 だが、友哉はそんな翔華を真っ直ぐに見据えながら、改めて自身の中で警戒を掛け直す。

 

 この場に呼んだのが彰彦ではないと判った事で、一瞬気が緩んだのは確かだが、考えてみれば、翔華が一体どこの誰なのか、それもさっぱりわからないのだ。油断する理由はどこにも無かった。

 

 視線を向ければ、彰彦がカップに茶葉を淹れ、紅茶の準備をしているのが見える。

 

 いったい、どういうつもりなのか?

 

 そしてなぜ、この翔華と言う少女は友哉をこんな場所へ呼び出したりしたのか?

 

 友哉の鋭い視線が、探るように対面の少女へと注がれる。

 

 見たところ、戦闘向けの体格ではない。武術をやっているようには見えないし、銃の扱いにも慣れていないのは、体付きを見ればわかる。

 

 だが、そうなると、最近よく戦う機会が多い超能力者(ステルス)の可能性も否定できないだろう。

 

 相手がステルスでは、友哉に勝算は乏しい。戦いになった場合、戦術の組み立ては容易ではないだろう。

 

 だが

 

「そう、警戒なさらないでください」

 

 そんな友哉を見ながら、翔華は微笑を崩さずに言った。

 

「わたくしは、ここで争うつもりはありません。ただ緋村さん。あなたとお話がしたいだけなのですから」

「そう言われても・・・・・・・・・・・・」

 

 やんわりと言ってくる翔華に対し、友哉は尚も固い調子で答える。

 

 訳も判らないうちに、訳の判らない場所に連れてこられ、訳の判らない人物と対峙しているのだ。「警戒するな」というのが、どだい無理な話である。しかもそれが、由比彰彦とつながりがある人物と来れば尚更であろう。

 

 そんな友哉の心情を察したのだろう。翔華は柔らかい口調で語り出した。

 

「仕立て屋の皆さんとは、何度もお会いしているのですが、皆さんの口からよく出てくる『緋村さん』とは今まで一度も会った事が無かったので。ぜひ、お会いしたいと思っていたのですよ」

「いったい、何を話していたのか知りませんけど、僕は彼等の仲間って訳じゃありませんよ」

「ええ、判っていますとも」

 

 そう言ってニッコリと微笑む翔華。

 

 ちょうどそこへ、彰彦が紅茶を入れて運んできた。

 

 香りの良い液体がテーブルに置かれると、翔華はそれを細い指で受け取り口へと運ぶ。

 

「良いお味ですね、由比様」

「恐縮です」

 

 そう言って恭しく頭を下げる彰彦の姿は、まるで「姫と執事」と言った印象を受ける。

 

 だが、当の友哉はカップには口を付けず、2人に鋭い視線を向け続ける。

 

 いったい、この2人の関係が如何なるものであるのか、友哉には測り兼ねている。

 

 ただ、あの由比彰彦がこれ程の礼を持って接している相手だ。如何様な立場にせよ、相応の地位にいる人物である事は間違いなかった。

 

 その視線を察したのだろう。翔華はカップを置いて友哉に向き直った。

 

「率直にお尋ねします。緋村さんは、今のこの国の現状を、どのように思われますか?」

「この国・・・・・・・・・・・・」

 

 言われて、友哉は思考を巡らせる。

 

 正直、今までは、そんな大きなこと考えた事も無かった。ただ、自分の身に降りかかる火の粉を、払い続けて来ただけである。

 

 無理も無い。友哉は武偵とは言え、まだ高校生である。国などと言う、ある意味、得体のしれない物の事を考える余裕などある訳がない。

 

 正直、「国」などと言われてもピンと来ない、と言うのが本音だった。

 

「今、この国は非常に危険な状態にあります」

 

 そんな友哉に対し、翔華は大上段から切り込むように説明を始めた。

 

「周辺各国は日本の持つ経済力や資源力に目をつけ、それらを吸い尽くす算段を進めている。中には、露骨な干渉を行おうとしている国もあります。そうした国々の工作員は、既に無数に我が国の領土内に入り込んでいる状態です。そして、その動きを完全に防ぐことは不可能です」

 それは、友哉にも判っている。と言うか、予想できている。

 

 意外に知られていない事だが、日本と言う国は周囲を危険な国々に囲まれた状態にあるのだ。それらの国々が、日本に対して何らかのアプローチをしてきていると考えるのは、至極当然の事である。

 

 もしかすると、今こうしている時でも、どこかでは人知れず戦いが行われているかもしれなかった。

 

 だが、それでも尚、一応、日本は表向きの平和を維持し続けている。それは即ち、見た目以上に、日本と言う国の守りは固い事を意味していた。

 

 表向きには陸海空の各自衛隊が睨みを利かせ、裏では公安0課をはじめとする公的武装集団が不法入国するスパイや武装勢力を闇に葬っている。

 

 勿論、それらを縁の下で支える情報収集能力や経済力も、大きな役割を果たしている。

 

 これらの力が複合的に連なり、大きな壁となっている。それこそが、この日本と言う国を守る力なのだ。

 

 裏の世界の事について、多少なりとも関わっている友哉にも、その事はよく理解できていた。

 

 たとえ敵対国がどのような攻撃を仕掛けて来たとしても、この国の根幹が揺らぐ事無く、国民は平穏の内に過ごす事ができる。

 

 そう信じていた。

 

 だが、

 

「今、この国は、戦後最大級と言っても過言ではない、未曾有の危機を迎えようとしています」

「どういう、事ですか?」

 

 首をかしげる友哉。

 

 今さら、周辺国が日本に対し戦争を仕掛けてくる、とでも言うのだろうか?

 

 まさか、と思う。

 

 戦後60年近く経ち、記憶は風化されつつあるとはいえ、今の国際世論は、表向きは平和第一主義を掲げている国がほとんどだ。

 

 2001年の米同時多発テロと、それに伴うアフガン戦争や、2003年のイラク戦争の頃には世界で戦火の嵐が吹き荒れていたが、今は既に、それらも下火となりつつある。

 

 確かに一部、過激な国があるのも確かだが、彼等とて無益な戦争を仕掛ければ国際世論に袋叩きにされる事は判っているだろう。

 

 危ない火花に囲まれつつも、取りあえず、日本の平穏を脅かす者はいないように思えるのだが。

 

 思考を続ける友哉に対し、彰彦は教師が教え諭すように口を開いた。

 

「緋村君、君は知らないでしょうから教えてあげます」

 

 そう前置きをすると、仮面の男は身を乗り出すようにして言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「公安0課は、間も無く解体されるかもしれませんよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 網走の倉庫街。

 

 既に使われなくなって久しい区画は、夜になれば闇と静寂によって包まれ、その存在を不気味に浮かび上がらせる。

 

 この網走の地には確定死刑囚の刑務所がある事は、日本全国であまりにも有名な話である。

 

 それ故に、この街には無念を抱いたまま死んだ死刑囚の怨念が漂っている、などと言う事がまことしやかに囁かれている。

 

 静寂と怨念が渦巻く街。

 

 その網走が今、火花飛び交う戦場と化していた。

 

 

 

 

 

 乾いた音が断続して響き渡り、遮蔽物を叩いていく。

 

 致死の弾丸は惜しみなく吐き出され、こちらに反撃の隙を与えない。

 

 川島由美巡査長は、手にしたシグ・サウエルP225を振り翳して応戦、相手に対し牽制の銃撃を続けている。

 

 しかし、

 

 次の瞬間には、由美が隠れている柱に、砲火が集中される。

 

 堪らず、亀のように首をすくめて銃撃の嵐に耐える。

 

 火力が違い過ぎる。

 

 相手は端から、テロ目的で密入国したような連中だ。装備は万全整えてきているのは判り切っている。

 

 それに対し、こちらは兵力こそかき集めた物の、明らかに装備面で劣っている。

 

 アサルトライフル等の大型携行火器を持つ相手に、拳銃など豆鉄砲程度の戦力でしかない。

 

 味方にも犠牲が出始めている。このままでは、相手を取り逃がすばかりか、こっちが全滅しかねない。

 

「・・・・・・・・・・・・成程な」

 

 そんな中、

 

 柱に身を預けた斎藤一馬は1人、タバコを吹かしながら鋭い視線で状況の観察に努めていた。

 

「こいつは確定だな。連中の目的と所属を聞き出したいところだから、1人くらいは捕縛したいんだが・・・・・・・・・・・・」

「しかし主任、これでは・・・・・・・・・・・・」

 

 尚も続く銃撃に耐えながら、由美は一馬に言い募る。

 

 こんな状況では、最悪、自分達が生き残れるかどうかすら判らないと言うのに。

 

 公安0課が、敵性国家のテログループ入国を察知したのは、つい先日の事。

 

 そこで、一馬を含む複数の精鋭によって組まれた部隊が、それを秘密裏に処理する為、この網走に派遣されてきたのだ。

 

 しかし、敵の戦力が予想外に大きかったのは完全な誤算であった。

 

 このままでは全滅もあり得る。

 

 だが、

 

 公安0課に敗北は許されない。

 

 後退も許されない。

 

 自分達が敗れると言う事は、すなわち日本に住む全ての国民がテロの脅威にさらされる事を意味する。

 

 故に、0課刑事は、己を1人の人間と定義しない。

 

 ただ、国を守り、人を守るための道具として、その為に己の命を使い捨てる覚悟が必要となる。

 

「川島」

「はい」

 

 一馬も懐から銃を抜きつつ、由美に語りかける。

 

「3秒、掩護しろ」

 

 短く言い置くと、一馬は返事を待たずに遮蔽物から飛び出した。

 

 たちまち、一馬目がけて攻撃が集中されそうになる。

 

 慌てて援護に入る由美。

 

 放たれた銃撃は、敵側の動きを封じるように放たれる。

 

 その交錯する銃弾の中を、

 

 一馬は真っ向から駆ける。

 

 同時に、右手に構えた銃を放ち、正面の遮蔽物に隠れてアサルトライフルを撃っていた敵を仕留める。

 

 相手側の銃撃が、一瞬途切れる。

 

 一馬には、その一瞬の間があれば十分だった。

 

 銃を懐に収め、代わりに背中から刀を抜き放つ。

 

 狼が、その牙をギラリと閃かせ、獲物を食いちぎるべく狙いを定める。

 

 慌てて、敵が体勢を立て直そうとしているのが見える。

 

 だが、遅い。

 

 左手に持った刀を弓を引くように構え、右手はバランスを取る為に大きく前へと突き出す。

 

 次の瞬間、

 

 疾走

 

 敵側が驚愕に目を見開く中、

 

 突き立てられた牙狼の牙は、遮蔽物ごと、複数の敵を吹き飛ばした。

 

 たちまち、それまで我が物顔で銃撃を続けていた敵が、ある者は粉砕され、ある者は唖然として現実感の無い光景を眺める。

 

 その間に、一馬は刀を返すと、更に2人を斬って捨てる。

 

 公安0課の反撃が始まった。

 

 集中される攻撃。

 

 だが、光景は先程とは完全に真逆である。

 

 殲滅が完了するまで、それから1分も掛からなかった。

 

 

 

 

 

「味方は2人が死亡。他、重傷1名、軽傷3名と行った所です」

 

 現場検証を終えた由美の報告を、一馬はタバコをふかしながら聞いている。

 

 とんだ作戦になった物である。

 

 日本に侵入しようとする連中も、日に日に凶悪化の一途をたどっている。

 

 2人分のビニールの袋が運ばれていく様子を、僅かに目を細めて見送りながら、一馬は先を促した。

 

「それで、例によって身元に繋がる物証は無しか?」

「はい。辛うじて息の合った連中も、全て自殺し、証言を取る事もできません」

 

 由美の発言を聞き、一馬は内心で舌打ちした。

 

 これも、いつもの事である。相手はプロの工作員だ。身元に繋がるような馬鹿げた物を所持している筈も無い。そんな物は、一馬は元より、参加した全員が期待していなかった事だ。

 

 この冬の時期に、北海道を上陸場所に選ぶ国など、始めから限られている。

 

「ロシアか」

「恐らく。樺太経由で侵入したと思われます」

 

 網走からは、狭い海峡を僅かに隔てた程度の先にある「外国」。侵入するのはさぞ容易な事だろう。

 

 もっとも「出る」方に関しては、ご覧のとおりな訳だが。

 

 一馬は吸い終わった煙草を指先で弾くと、靴の底で地面にこすり付ける。

 

「後片付けが終了次第、撤収を開始する。痕跡は可能な限り残すな」

「了解です」

 

 一馬の指示を受けて、由美が再び走って行く。

 

 その背中を見送ると、一馬は改めてタバコに火をつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え・・・・・・・・・・・・」

 

 彰彦の言葉が信じられないように、思わず一瞬呆ける友哉。

 

 公安0課解体。

 

 そんな馬鹿げた話があるのだろうか?

 

 公安0課は国内最強の公的武装集団であり、日本と言う国を守るための、いわば「最強の盾」だ。

 

 その公安0課を失えば日本は、裏社会における最大の守りを失った状態となる。

 

 そんな事をして、いったい誰が得すると言うのか?

 

「緋村さんは、去年、この国の政権が交代した事は知っていますね?」

「それは、まあ。新聞とかニュースとかで、大きくやっていたんで」

 

 翔華の質問に、友哉は戸惑いながらも頷きを返す。

 

 政治的な事には興味が無い友哉だが、流石に政権交代のニュースくらいは知っていた。

 

 それまで与党第一党だった自民党は、相次ぐ政治不信により支持率を大幅に下げ、去年行われた解散総選挙によって歴史的な大敗を喫した。

 

 これにより、新たな与党となったのは民主党である。

 

 長年の悲願であった政権交代を果たした民主党は、それまで自民党政権が果たせなかった国家的課題を解決すると称して、数々の新事業を提案している。

 

 しかし、

 

「民主党の統治は、既に綻びが見え始めています。彼等は選挙公約によって打ち出したマニフェストを次々と覆し、その言い訳と取り繕いに終始している有様です。そんな中で現政府は、予算配分における抜本的な見直し策を行おうとしています」

 

 後に「事業仕分け」と呼ばれる事になる政策は、現在行われている大規模公共事業が本当に必要か否かを見極め、不必要な事業や組織を中止、解体する事で予算の見直しを図ろうと言う物だ。

 

 いわば政治の大クリーンナップとでもいうべき大胆な手法である。それが成功すれば、確かに経済的には余裕ができるかもしれないが。

 

「その中に、0課の解体も挙がっているのです」

「そんな馬鹿なッ 0課の解体なんてやったりしたら、ただ国を弱くするだけじゃないですかッ」

 

 一部(と言うか一人)腹立たしい奴はいるが、公安0課の存在がある種の抑止力の役割を果たし、この国の維持に貢献しているのは紛れもない事実である。

 

 その0課無くして、どうやってこの国を守ろうと言うのか?

 

「まったくもって君の言う通りなのですがね、緋村君。この国には『日本は世界で最も平和な国である。その平和な国には武力など不要。むしろ武力などが持っているから戦争は起こるのだ』などと本気で言っている、頭のおめでたい人たちが多くいるのですよ。そして、そういった人間にとって、公安0課など、ただ金を食うだけの無駄にしか映らない事でしょう。彼等にしてみれば、最強戦力を維持する事よりも、マニフェストで謳った経済再生の方が優先すべき課題と言う事です」

 

 馬鹿げた話である。

 

 だが、その馬鹿げた考えを持っている連中が今、この国のトップにいるのだから始末に負えない。

 

「だからこそ、今、公安0課に代わる新たな力が必要なのです」

 

 翔華が口を開いた。

 

 ついに、確信に入った、という雰囲気に、友哉は知らずに息を呑む。

 

 今までのは、いわば前振り。ここからが、本日のメインの話となる。

 

「新しい組織を作り、公安0課無き無法時代の新たな守り手とする。それが、わたくしたちの目的です」

 

 翔華は、友哉の目を真っ直ぐに見据えて言った。

 

 0課の消滅。

 

 そして、それに対応するための、新組織の立ち上げ。

 

 どれも、友哉にとっては予想の範囲外の内容だった。

 

「ちょっと待ってください」

 

 そう言うと、友哉は彰彦の方に目を向ける。

 

「それなら、仕立て屋のような犯罪者組織と何故、手を組もうとしているんですか?」

「手を組んでいる訳ではありませんよ」

 

 質問をぶつける友哉に対し、翔華は柔らかい口調のまま、その言葉を否定する。

 

「由比さんは元々、わたくしの願いに賛同してくださり、わたくしの意に添うように動いてくれていたのです」

「確かに、一時はイ・ウーのような組織に身を置き、犯罪に加担するような真似をしていたのは事実ですがね、しかし、それも全て、この時の為だったのです」

 

 彰彦もまた、神妙な声音でもって告げる。

 

「我々の敵は、この国の転覆を企む犯罪組織やテロリストと言った裏社会の者達となるでしょう。それらに対抗するためには、表の、光の世界ばかりを見続けた人間には無理です。そこで私は、イ・ウーに入り、仕立て屋として多くの戦いに身を投じると同時に、この国の守りを担うに足る人材を探す事に奔走しました」

 

 俄かには信じがたい話だ。

 

 これまで友哉は、何度も仕立て屋と交戦し、煮え湯を飲まされたことは一度や二度ではない。無論、逆に勝利した事も多いが。

 

 しかし、その仕立て屋が、実は何らかの事情で動いていた仮の姿である。などと急に言われて納得ができる訳なかった。

 

 だが、

 

 既に状況が、切羽詰まりつつある事だけは、理解できた。

 

 勿論、公安0課を失ったからと言って、即日本の防衛力が0になる訳ではない。最強戦力を失った程度で瓦解するほど、日本と言う国は易くは無い。

 

 だがそれでも、0課の喪失によってもたらされるであろう未曾有の危機は、決して無視できるものではなかった。

 

「緋村さん。どうか、私達に力を貸してください。あなたがこれまで、武偵として多くの戦いに身を投じ、その全ての戦いに勝利して来た事は知っています。その力を今度は、どうか私達に貸してください。この国を守るために」

 

 そう言って、頭を下げる翔華。

 

 更に、彰彦が身を乗り出す。

 

「多くの人材を探し、時に賛同し、時に拒絶される中で緋村君、君は私が見付けた最高レベルと言っても良い存在です。その歳で既に大人顔負けの戦闘実力を誇り、多くの戦いに勝利してきた。だからこそ、私は是が非でも、君と言う存在が欲しくなった」

 

 そう言うと、彰彦も立ち上がって、友哉に対して頭を下げる。

 

「今までの事が不快であるのなら、私も謝罪しましょう。どうか、我々の力になって、この国を守る新たな力となってください。緋村君」

 

 頭を下げる2人に、当惑する友哉。

 

 ややあって、躊躇いがちに口を開く。

 

「けど、僕は武偵を目指して学校へ通っている身です。それなのに・・・・・・」

「問題ありません」

 

 翔華は友哉の言葉を遮るようにして顔を上げると、笑顔を向けて言った。

 

「わたくし達が作る組織は、公安0課のような公的武装集団ではなく、民間企業融資による物となるでしょう。既に企業数社に交渉を進め、賛同いただけたところからは資金援助も約束していただきました。その為、緋村さん、あなたの全てを、組織に縛り付ける気はありません。あなたは普段は、ご自身の生活を営みながら、こちらの指示があった時のみ動いてくれればそれで良いのです」

 

 チラッと、友哉は傍らの逆刃刀に目をやった。

 

 翔華の言葉が、脳内に響く。

 

 今、自分の力が求められている。

 

 自分の力で、この国を守る為に役立てる事ができる。

 

 それが本当に実現するなら、それも確かに一つの理想形と言えるかもしれなかった。

 

 だが、その為に、どうしても一つ、無視できない事があった。

 

「・・・・・・・・・・・・一つ、確認させてください」

 

 警戒するように、口を開いた。

 

「新たな組織は本当に、この国を守るために使うんですね? 決して、犯罪の為に使う訳ではないのですね?」

 

 知らずの内に、自分が犯罪に加担させられ、逃れられない所まで堕ちていた、なんてことになったら、もはや笑い話にもならない。

 

「もし、あなた達が僕を欺き、犯罪に加担させるような事をするなら、僕は僕の持つ全てを掛けてでも、あなた達を根底から叩き潰します。それでも良いですね?」

 

 確認するような友哉の言葉。

 

 対して、

 

「誓いましょう」

 

 翔華は強い口調で言った。

 

「新たな組織は、必ずやこの国の新しい盾として役立てると、この崇徳院翔華の名と、名誉にかけて」

 

 言い切る翔華。

 

 その可憐な瞳には一切の曇りは無く、果てしなく澄み渡る空の如く、真実のみを映し出しているように友哉には感じられた。

 

 それに対し、

 

「・・・・・・・・・・・・判りました」

 

 友哉は、静かに、自らの目の前にあった扉を開いた。

 

 

 

 

 

 正直、あれで良かったのか。

 

 友哉には分からない。

 

 だが、翔華や彰彦が、心から自分の力を欲している。国を守るために、力を貸してほしいと願っている事だけは判った。

 

 だからこそ、申し出に応じようと思ったのだ。

 

 それに、本当に公安0課が解体されれば、新たな戦力が必要になるのは事実である。

 

 これから先の運命、どっちに転ぶかは判らない。

 

 ただ、やらないで公開するような真似だけは、したくなかった。

 

「友哉さん、時間ですよ」

 

 茉莉に声を掛けられ、友哉は顔を上げる。

 

 どうやら、考え事をしている内に、時間が来てしまったようだ。

 

「あ、うん。今、行くよ」

 

 そう言うと友哉は、大きめな旅行鞄を手にとって、出国ゲートへと向かって歩き出した。

 

 

 

 

第3話「暗雲揺れ動く未来」      終わり

 



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第4話「摩天楼の下で」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彰彦が翔華の前にカップを置くと、少女は見上げるようにして、仮面の男に微笑を向けて来た。

 

 この家は翔華の持ち家であり、家人と言えば、翔華の他には数名のお手伝いさんがいるだけである。

 

 そんな中で、彰彦達が時々こうして訪ねて来て話し相手になってくれる事は、日々の生活に退屈をしている翔華にとっては数少ない楽しみである。

 

 最近、翔華が特に気に入っているのは、皆の口からよく出てくる「緋村友哉」と言う名前の少年についてだった。

 

 仕立て屋主要メンバーの大半と交戦し、その多くに勝利した少年。しかも、年齢的には翔華と同い年だと言うのだから驚きである。

 

 そしてつい先日、その本人と会う事が出来た。

 

「良い方でしたね、緋村さん」

 

 カップに口を付けながら、翔華は昨夜会った友哉の事を思い出しながら言う。

 

 まっすぐで優しげで、それでいて断固たる意志の強さを感じさせるような瞳をした少年。

 

 今まで、翔華の周りにはいなかったタイプの人間である。

 

 あれほど純粋な少年を、果たして自分達の側へと引き込んで良かったのか、と言う思いが翔華の中にはある。

 

「彼だからこそ、ですよ」

 

 自身も翔華の対面に座りながら、彰彦は諭すような口調で言った。

 

「彼のように純粋で、自分の正義を見失わない人間であるなら、きっといかなる状況であったとしても正義を信じて行動する事が出来るでしょう。私は確かに、新組織を立ち上げるに当たって、闇の世界をよく知る者達を集めて来ました。しかし、正義を信じ、正義の為に戦う事ができる人間もまた、必要なのです」

「ですが、わたくし達と関わったせいで、緋村さんの正義に曇りが生じたとしたら?」

「その時は・・・・・・・・・・・・」

 

 彰彦は少し言い淀んでから言った。

 

「その時は、私は彼に対し、一生償う事の出来ない負債を押し付ける事になるでしょうね」

 

 彰彦は、仮面越しにも判るような、遠い目をしながら言う。

 

「しかし、もはや我々には時間が無い。それは翔華様、あなたご自身が、一番よくわかっている事でしょう」

「・・・・・・・・・・・・はい」

 

 問いかける彰彦に対し、翔華は神妙な面持ちで頷きを返す。

 

「事は国外のみに留まりません。国内にも、不穏な空気が漂い始めています」

「闇の御前が動き出していると言う報せも、わたくしの元へと入ってきております」

 

 言いながら、翔華は可憐な美貌を僅かに顰めるように険しい表情をする。

 

 この国に乱を望む人間は、何も外国勢力ばかりではない。

 

 遥かな古来から、この国の闇を牛耳り、そして己が意のままに運命を捻じ曲げ、巣食ってきた者達がいる。

 

 彼等は必ず、この国に害をもたらす事になる。

 

 だからこそ、新たなる組織の存在は、どうしても必要なのだ。

 

 翔華は紅茶のカップをソーサーに置く。

 

「いずれにせよ、わたくし達も急ぐ必要がありそうですね」

 

 

 

 

 

 緩やかに下がるような感覚が、意識の浮上を手伝う。

 

 僅かに醸し出す振動に促されるまま、友哉は瞼を開けた。

 

 見上げた天井は意外なほどに低く、思わず、ここがどこなのか考えてしまった。

 

「・・・・・・・・・・・・ああ、そっか」

 

 ようやく意識が覚醒に向かいっつある中、友哉は己が置かれた事態を飲み込む。

 

 ここはサジタリウス。ジーサードが保有する大型ティルトローター機の中である。

 

 オスプレイを大型化したような機体内部は広く、アメリカ行きのメンバー全員が雑魚寝しても余裕があるくらいである。

 

 友哉達は今、ニューヨークにあるJ・F・ケネディ空港へと向かっている。

 

 今回、ジーサードからの依頼と言う形で渡米する事になった友哉達は、羽田からこのサジタリウスで離陸し、アラスカ上空を経由する形でアメリカの領空圏内へと入っていた。

 

 その間、操縦要員以外はジーサードの指示により眠りについていた。

 

 これは長距離移動による時差ボケを解消するための措置である。

 

 友哉自身、パリに行った時には時差ボケと疲労によって丸一日眠ってしまった経験がある。その為、ジーサードの勧めに素直に従って寝だめを行ったのだ。

 

 とは言え充分な睡眠をとったおかげで、今は心身ともに完全にリフレッシュできている。これなら、最高のコンディションでアメリカ入りできそうだった。

 

「ちょっと、水でも貰おうかな・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉はそう言いながら、皆を起こさないようにそっと立ち上がる。

 

 ジーサードの趣味なのか、サジタリウスの内装はホテル並みに豪華に施されており、友哉達は快適な空の旅を楽しみながら、ニューヨークへと向かっていた。

 

 部屋を出て、キッチンへと向かおうと、友哉は廊下へと出る。

 

 そこで、

 

「おろ?」

 

 階段に腰掛けるようにして、窓から外を眺めている少女の姿がある事に気付いた。

 

 茉莉である。どうやら友哉よりも先に起き出していたらしい。

 

 差し込んでくる陽の光が少女の横顔を明るく照らし出し、まるで一つの絵画のような印象を見る者に与えている。

 

 思わず胸がドキリと高鳴り、見惚れるように立ち尽くす友哉。

 

 そんな友哉の気配に気づいたのだろう。茉莉はふと顔を上げると、笑顔を向けて来た。

 

「あ、おはようございます友哉さん。よく眠れましたか?」

「あ、う、うん」

 

 微笑ながら問いかけてくる茉莉に対し、友哉は少し僅かに口をドモらせながら答える。

 

 何となく、さっきの幻想的な茉莉の姿に気を取られていたせいで、反応が遅れてしまったのだ。

 

「どうやら、ニューヨークに着いたみたいですよ。マンハッタンが見えてきました」

「え、ほんと?」

 

 促されるように、友哉も小窓から外を見てみる。

 

 吐息が掛かるくらいに顔が近付き、茉莉は少し顔を紅くする。

 

 一瞬、差し込んで来た眩しい光に目を細めるが、やがて徐々に光に慣れた瞳が、色を映し出す。

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 巨大なビルによって構成された摩天楼。

 

 まるで街そのものが地面から生えてきているような印象さえある光景は、壮観の一言に尽きる。

 

 自らの巨大な力を見せ付けるかのような、アメリカの光景は、同時にこれから始まる過酷な戦いを暗示しているかのようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 出入国ゲートでパスポート、ビザの確認、入国の目的、滞在期間などについていくつか質問された後、ゲートをくぐる。

 

 一歩踏み出した瞬間、何とも言えない空気が全身を包んだ錯覚に捕らわれた。

 

 ここはもう、日本じゃない。世界で最も強く、巨大な、覇者の国なのだ。

 

 思えば、アメリカと言う国ほど、世界中に知れ渡っている国は無いだろう。世界には、日本は知らなくてもアメリカなら知っている、と言う人間もいるくらいである。

 

 だが、それでも来るのは容易な事ではない。

 

 まるで隣にあるように身近に感じながら、遥か彼方にある不思議な国。それがアメリカなのだ。

 

「はい、ウェルカムドリンクだよー 緋村先輩」

「お、ありがとう。かなめ」

 

 先に入国手続きを済ませて待っていたかなめから手渡されたコーラに口を付けると、友哉は一息をつく思いだった。

 

 主だった渡米メンバーは、既に入国手続きを済ませている。あとはキンジの手続きが終わるのを待つだけだった。

 

「それにしても・・・・・・・・・・・・」

「ん、何?」

 

 急に嘆息交じりに声を上げた友哉に、かなめがキョトンとした感じで尋ねてくる。

 

「いや、何かすごいメンツだなって思ってさ」

 

 友哉は機内で紹介されたジーサード・リーグのメンバーを見回して言った。

 

 少し離れた場所で、茉莉と楽しそうに話している狐耳少女の九九藻(ツクモ)とは、日本でも何度か顔を合わせている。

 

 その他に、イケメン体育会系白人と言った感じの男がアトラス。天然パーマに顔の下半分を隠している黒人がコリンズと言う名前であるらしい。

 

 その他、日本でもジーサードの傍らに控えていたアンガス老人の姿もある。

 

 その向こうでは海斗と、リーダーであるジーサードが話し込んでいるのが見えた。

 

 イクスやバスカービルも、なかなか濃いメンツによって構成されているが、ジーサード・リーグの主要メンバーは、明らかにレベルが違う濃さを齎していた。

 

 まず、かなめ事ジーフォースが斥候、哨戒、ならびに特殊工作、そしてジーサード不在時における指揮代行も行う。

 

 エムアインスとエムツヴァイ、武藤海斗、理沙の兄妹は遊撃扱い。飛天御剣流が齎す機動力を存分に生かし、本隊進撃を支援する独立部隊。

 

 アンガス老人はリーダーの執事兼、仲間の輸送役。自動車のみならず、乗り物ならば割と何でも操る事ができると言う。日本からの飛行も、この老人とアトラスが交代で操縦を担ってくれた。

 

 白人のイケメンで、チーム一熱い男アトラスは、完全にフォワード担当。何でも最先端科学によって生み出された甲冑を着込んで戦うらしい。その戦闘力は、アリアとキンジを襲撃した外務省とイギリス大使館の戦力を、ほぼ単独で退ける程だったとか。

 

 狐耳少女のツクモは、どうやら玉藻とも知り合いらしく、色金関係にも知識があるらしいので、そちら方面の助言役を担当しているようだ。

 

 黒人のコリンズは、アトラスを支援して前線に立つ傍ら、株取引等で資金調達も行う縁の下の力持ち。

 

 今回の日本行きには同行せず本拠地の守備役についていた銀髪少女ロカは、超能力(ステルス)担当らしかった。

 

 そして、これらアクの強い個性豊かな面々を、絶対的なカリスマを誇るリーダー、ジーサードが統べる事でチームが成り立っている。

 

 まさに、小規模だが1国の軍隊に匹敵するほどの戦力である。

 

 かつて宣戦会議の折、友哉はジーサードを見て、最も危険な存在であると感じ取ったが、その考えは、良悪双方の意味で間違いではなかったと思う。

 

 以前、敵同士だった時には脅威以外の何物でも無かったが、こうして味方になった今となっては、この上無く頼もしい存在である。

 

「非合理的~ 自分だって負けてないでしょ。計算外の少年(イレギュラー)なんて、中二病みたいな名前で呼ばれているくせに」

「それは、まあ・・・・・・・・・・・・」

 

 自覚はあるのか、かなめの指摘に友哉は苦笑しながらそっぽを向くしかなかった。

 

 と、そこでようやく入国審査を終えたらしいキンジが、こちらに向かって歩いて来るのが見えた。

 

 かなめがキンジにもコーラを届けに行くのを見送ると、ちょうどある人物の姿が友哉の視界に入ってきた。

 

 レキだ。

 

 レキは今回、飛び入りで渡米メンバーに加わっていた。何でも、彼女が言うところ「風に言われた」と言う事らしい。

 

 修学旅行Ⅰ(キャラバン・ワン)以降、レキが「風が~」と言うような事を口にする事は少なくなっていたのだが、それがなぜ、急にそのような事を言い始めたのか、友哉には推し量る事ができない。

 

 だが、レキは故郷のウルスで、璃璃色金に纏わる役職、専門的に言うと「璃巫女」と呼ばれる存在だったとか。それを考えると、色金に纏わる今回の任務に同行してもらうのは心強かった。

 

「よし、兄貴も来た事だし、これで全員そろったな」

 

 一同を見回して、ジーサードが号令をかける。

 

「この後、一旦拠点へ行き、そこで休養と装備の新調を行う。その後、目標に向けて行動を開始する。以上、行動開始(ムーブ)!!」

 

 目標。

 

 それは色金の奪取に他ならない。

 

 ジーサードの話では、アメリカが保有する色金の色は青、瑠瑠色金であるらしい。

 

 だが、そこに至るまでには強大な敵が待ち構えている。

 

 マッシュ・ルーズヴェルト。

 

 ジーサードすら退けたアメリカ最強の敵を相手に、果たしていかなる手段を持って戦えば良いか、思案はまだ暗中を漂っている状態だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1、知り合いが、家を持っている。

 

2、知り合いが会社を持っている。

 

3、知り合いが、高層ビルを持っている。

 

 1はまだ現実味がある言葉だ。日本でも、そほど珍しい話ではあるまい。

 

 2は更に珍しくも無い。どんなに小さくても、社長と社員がいて事業内容が認められれば会社はできる。

 

 しかし、

 

 3はどうだろう?

 

 日本で高層ビルを個人で所有している人間が、果たしてどれほどいる事だろう?

 

 だが、

 

 現実に、目の前にそれをやってしまっている人物がいると来れば、空いた口も塞ぎようがないと言う物だ。

 

「さ、入れよ」

 

 マンハッタンに建つ高層ビル。その内の1軒に車を止めたジーサードは、そう言って友哉とキンジを促す。

 

 エントランス入口上部には「G」と「Ⅲ」を組み合わせたロゴマークが彫られている。

 

 つまり、ここはジーサードが個人所有る高層ビルなのだ。

 

「お前、ビルなんか持ってたのかよ!?」

「こんだけニョキニョキ生えてんだ。1本くらい俺のでもおかしくはないだろ」

 

 驚くキンジに、ジーサードはシレッとした態度で返す。

 

 いや、おかしい。明らかにおかしい。

 

 友哉は、密かに頭を抱える。

 

 何だか、色々とおかしい気がするのだが、ここは突っ込んだら負けのような気がした。

 

 エントランスに入ると、星条旗と日の丸が並んで掲げられている。恐らく、歓迎の意味も込めてジーサードが掲げるように命じたのだろう。

 

「ジーサードビル、久しぶりだ~」

 

 右手はレキと、左手は茉莉とそれぞれ手を繋いだかなめが、スキップしながらビルの中へと入って行く。

 

 広いエントランスの片隅には、ブロンズの手形がズラリと並べられているのが見えた。

 

 その隣に掘られている名前を見ると、どれもニュース等で見た覚えのある名前ばかりである。

 

「ヒーローの手形?」

「おう。ここに彫られているのは、みんな、俺でも100パーセント勝てるかどうかわからない友人達だ」

「何で上から目線なんだよ、お前は」

 

 自慢する弟に、キンジがジト目でツッコミを入れる。

 

 錚々たるメンバーの名前を、友哉は順繰りに見ていく。

 

 ヒノ・バット、海兵隊のライバック兵曹、CIAの諜報員ハント、ロス市警の不幸な某刑事・・・・・・・・・・・・

 

 そのどれもが、友哉も名前を聞いた事があるほど有名なヒーローたちである。

 

「ジーサードってもしかして、ヒーローマニア?」

「アメリカ人だったら、誰だってそうさ」

 

 呆れ気味に尋ねる友哉に、ジーサードはそう言って笑った。

 

 と、その中で気になる名前を見付け、友哉は歩みを止めた。

 

「Kinji Tohyama」

 

「キンジ。ヒーローの仲間入りしてるよ。良かったね」

「後で手形取らせてくれよ兄貴。ヒーローとしてここに、永久に名を残せるぜ」

「ふざけんなッ 俺はこういうのじゃなくて、普通の武偵になるんだッ 名札を外せ!!」

 

 顔を紅くして怒鳴るキンジに対し、友哉とジーサードはやれやれと肩をすくめる。

 

 何を往生際の悪い事を声高に言っているのか、この人外兄貴は。

 

 と、そこで長い銀髪をした少女が、喚くキンジに割り込むようにして話に入ってきた。

 

「おかえり、サード。負傷は、だいぶ回復したみたいね。留守中、この辺をNSAとかCIAが嗅ぎまわっていたよ」

 

 本拠地の守備役として居残っていたロカは、そう言って報告する。

 

 どうやら敵は既に、こちらの動きを警戒して動きを見せ始めているようだ。

 

「どうするの? 見つけて狩るなら手伝うけど?」

 

 友哉は手に持った袋入りの逆刃刀を掲げてそう言う。

 

 スパイの目と言うのが侮れない物である事を、友哉はこれまでの戦いで学んでいる。油断していると足元を掬われる事になりかねない。

 

 排除できるなら、それに越したことは無いと思うのだが。

 

 しかし、ジーサードは不敵に笑って見せた。

 

「んな小物に煩わされる事はねえさ。狙うなら、もっと大物(ビッグゲーム)だろ。それまで、用のねえ奴は泳がせておくまでさ」

 

 こっちを探りたいならいくらでも探らせてやる。その上で、相手が油断してくれるなら御の字、と行った所だろうか?

 

 小物は泳がせて、その間に大物を狙う。

 

 何とも、アメリカ人らしい発想だった。

 

「さて、瑠瑠色金をとりに行くにしても、まだ色々と準備は必要だ。その前に腹ごしらえと行こうぜ」

 

 そう言うと、ジーサードは一同を先導する形で歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この男が、現アメリカ最強と言われて、信じる人間が果たして何人いる事だろう?

 

 駐米大使館員の塚山龍次郎は、内心でそう思いつつ、目の前のデスクに座る人物を見やっていた。

 

 貧相な体付きに、色白な肌。更に言えば、この男からは硝煙の匂いや鋭い殺気と言った、戦場の雰囲気は一切しない。明らかに、戦闘とは無縁な存在である。

 

 ついでに言えば、名前の通り、キノコのような髪型をしているのは、恐らくアメリカンジョークの一種だろうと考える事にしておいた。

 

 どう見ても、戦闘向けの人物ではない。龍次郎がその気になれば、瞬く間に、男の命を奪う事も不可能ではないだろう。

 

 にも拘らず、間違いなく現在、この男はアメリカ最強、すなわち世界最強と言っても過言ではない男だった。

 

 米国家安全保障局(National Security Agency)所属マッシュ・ルーズヴェルト

 

 この男の「力」の本質は、単純な武力にあらず。

 

 莫大な情報力と経済力、膝下に置いた戦力。それを自在に使いこなす頭脳、そしてそれらに裏打ちされた「権力」こそが、マッシュを最強足らしめている力だった。

 

 まさに、現代アメリカを象徴するような男である。

 

「・・・・・・・・・・・・なるほど、君の報告書は読ませてもらったよ」

 

 龍次郎が提出した書類を机の上に無造作に投げ出すと、マッシュは腹の上で手を組んで、龍次郎を睨めつける。

 

 内容については、日本の一部勢力が、中国との関係を強化しようとしている事、しかしアメリカと日本の外交関係については、その後も問題なく継続したい旨が書かれている。

 

 こう言った書類は本来、アメリカ大統領宛に親書として送られるべき物である。

 

 しかし今やマッシュの権力は、日本としても無視できない程に膨れ上がっている。その為、龍次郎から手交させる形で、大統領に送った物と同じ文書がマッシュにも届けられたのだ。

 

 マッシュの後ろ盾には、現在のアメリカ政権与党を担う民主党が付いている。龍次郎は民主党議員と個人的なパイプを持っている為、マッシュとの橋渡し役を任されたのである。

 

「ようするにアレかな。中国と仲良くしたいけど、こっちにも良い顔はしておきたいって事だよね。成程、相変わらず、君達らしい姑息な手段だ。そこのところはパールハーバーの頃から変わってないね」

「は・・・・・・恐縮です」

 

 そう言って、龍次郎は僅かに頭を下げて見せる。

 

 腹の底で何を思っているかは、おくびにも表情に出さない。たとえどれだけ罵られようとも、相手の立場が上である以上、耐え忍ばなくてはならない。

 

 相手は大統領にも匹敵する権力者である。媚を売ると言えば聞こえは悪いが、今後の外交関係を考慮する上で、マッシュとのパイプを維持する為に手を尽くす事は、外交官として当然の事である。

 

 下手をすれば、全面戦争になって多くの命が失われる事になる。外交とはそれだけ、デリケートな仕事なのだ。

 

「まあ、君達のような弱者が、強者の僕達に媚を売っておきたいっていう気持ちは判らないでもないけどね。そして、それを庇護して情けを掛けてやるのも、僕達の仕事さ」

 

 薄笑いを浮かべて言葉を連ねるマッシュに対し、龍次郎は黙って聞き入っている。

 

「けど、それも、相手にそれだけの価値があれば、の話だよ」

「価値、ですか?」

「そう。政治も一種のビジネスだと考えれば、こちらが投げ与えたエサに対する価値を、君達が僕達に示してくれない事には、僕達が動く意味が無いじゃないか」

 

 日本に価値があると見いだせれば、何らかの見返りは約束するが、その価値が無いと判断すれば、斬り捨てる事に躊躇は無い。

 

 マッシュにとって、日本との外交は「お遊び(ゲーム)」の一種に過ぎないと言う事か。

 

「犬だって餌をやれば芸を見せる。じゃあ、君達はどうかな? 僕を満足させるだけの芸は見せてくれるのかな?」

「それについて答える権限は、私にはありません。私は今回、日本の意志をあなたに伝える事を目的に来ましたので」

 

 小馬鹿にするようなマッシュの言葉に、龍次郎は粛然とした口調で答える。

 

 腹立たしい限りであるが、同時に仕方のない事である。

 

 相手はアメリカ最強の男。すなわち世界最強の男だ。下手をしたら、龍次郎の首が飛ぶどころの騒ぎではない。本当に日本に戦争を仕掛けかねない。

 

「なるほど。君はただのメッセンジャーボーイ。それくらいなら子供にもできるだろうしね」

 

 そう言うとマッシュは、もう龍次郎に対する興味も失せた、とばかりに視線を外す。

 

「ま、考えておいてあげるよ。君達だって、極東で戦争が起これば、こっちに飛び火してくるのを避ける盾代わりくらいにはなるだろうし」

 

 それだけ言うと、マッシュは龍次郎の書類を適当に放り投げて、自分の仕事へと戻って行く。

 

 それに対し、龍次郎は黙って一礼すると、踵を返して部屋を出て行く。

 

 役目は果たした。ならば、もうこれ以上、僅かでもこの空間にいる事には耐えられなかった。

 

 やがて、扉が開く音と共に、龍次郎の姿は廊下へと消える。

 

 龍次郎が出て行ったのを横目に確認してから、マッシュはフンと鼻を鳴らした。

 

 彼は優秀な男のようだが、所詮は日本人と行った所だろう。強者に媚を売るしか能が無い連中の1人と言う訳だ。

 

 まあ良い、使えるうちはせいぜい使ってやるとしよう。使えなくなったら、その時は捨てればいいだけの話なのだから。

 

 マッシュは、これまでそうやって生きてきた。

 

 彼がこの若さでアメリカ最強とまで言われるようになったのは、自身の能力は勿論の事、自身の地位を押し上げるのに必要な物とそうでない物を、的確に選別して来たからに他ならない。

 

 マッシュにとっては、日本にしろ龍次郎にせよ、自分が出世する為の道具に過ぎない。そう言う意味では、実に便利な「道具」達である。せいぜい、搾り取れるだけ搾り取ってやろうと考えていた。

 

 龍次郎が持ってきた報告書など、目を通すにも値しない。そんな事に時間を割くくらいなら、マッシュには自身の出世戦略の為にやらなくてはならない事がいくらでもあった。

 

 その時、執務室のドアが開き、軍服を着た男が部屋の中へと入ってきた。

 

「失礼するよ、マッシュ君」

「これは中将閣下。どうされたのですか? 言ってくだされば、僕の方から出向きましたのに」

 

 マッシュは部屋へと入ってきた、恰幅の良い男性に対し、愛想笑いを浮かべながら立ち上がる。

 

 男の名はジェス・ローラット海兵隊中将。マッシュの支持者の1人であり、マッシュが持つ軍へのパイプの中でも、特に大きな部類に入る人物である。

 

「なに、近くを通りかかったついでに、顔を出しただけだよ」

 

 そう言うと、ローラットはソファに重い腰を下ろす。

 

 本人曰く、昔は「前線で勇を誇った」と言っているが、今はそのころの面影は完全に無い。

 

 中年の域に達している目元は落ちくぼんで隈が形成され、明らかに長年の不摂生によってもたらされたと思われる肥満体系は、歩くだけで大儀そうに揺れ動いている。

 

 胸元に付けられた階級章と勲章の数々が、煌びやかな輝きを放っているのが、その事が却って、この男の価値を下げて見せているようだった。

 

 見るからに不快感を漂わせている男だ。

 

 正直なところ、マッシュ自身、ローラットに対して好感情を抱いている訳ではない。

 

 しかしローラットはマッシュと同じ民主党寄りのスタンスをしている。その上、軍隊における階級も、マッシュが准将待遇であるのに対し、ローラットは中将である。

 

 その為、マッシュとしてもローラットを無碍に扱う事はできなかった。

 

「聞いたかね?」

 

 マッシュが対面に座るのを見計らって、ローラットは口を開いた。

 

「あのジーサードが、どうやら戻って来たと言う話だ」

「ええ、聞いてますよ」

 

 マッシュは余裕の笑みを浮かべたまま、ローラットに返事をする。

 

 先のエリア51での戦いにおいてマッシュが撃退し、這う這うの体で逃げ帰って行ったジーサードが戻って来た事は、あの男が成田空港を飛び立つ前から得ていた情報である。つまり、ローラットの情報は1日以上遅い訳だ。

 

 だが、そんな事も気付かず、ローラットは上機嫌で続ける。

 

「まったく、あの男の往生際の悪さと言ったら、ゴキブリ並みだな。我らと戦っても勝てない事くらい、子供でも判るだろうに。どうにも理解力が不足しているようだな、彼は」

 

 まるで自分がジーサードを倒したような言い草だが、先の戦いにおいてローラットは何もしていない。ただ、マッシュが兵力を動かしてジーサード・リーグを撃退するのを横で、無邪気に喝采を上げながら見ていただけである。

 

 だが、マッシュはその事をおくびにも出さない。

 

「ゴキブリは殺虫しますよ。今度こそ、完全にね」

 

 そう言って、笑顔を浮かべるマッシュ。

 

 彼の手に掛かれば、ジーサード如き、いくら攻めて来た所で完璧に返り討ちにできる。

 

 けど、

 

 ローラットに気付かれないように、マッシュはそっとほくそ笑む。

 

 実際に戦う前に、挨拶くらいはしておくのも面白いかもしれないと思った。どうやら、日本から面白いお友達も連れて来てくれたみたいだし。

 

 

 

 

 

 食事を終えた後、友哉、キンジ、茉莉、レキの4人は、ジーサードにつれられる形でアンガスの部屋へとやって来た。

 

 アンガスはジーサードリーグの装備調達担当をしている。

 

 その関係から、友哉達に新装備を提供してくれるのだと言う。

 

 アンティーク調で統一された室内で、早速、キンジがジーサードとお揃いのプロテクターを着せられていた。

 

「サード様の予備でしたが、流石は御兄弟。少しのカスタマイズで、問題無く着れそうですな」

 

 ごついプロテクターを着たキンジを見て、アンガスは感心したように呟いた。

 

 確かに、キンジとジーサードは体格的に似ている。服を選ぶ時など、意外と楽そうである。

 

「軽いな。どう動いても体の邪魔にならない」

 

 具合を確かめたキンジが、感嘆交じりに呟いた。着るまでは、そのゴツい外見に辟易していたキンジだが、実際に着て見ると、その驚く性能に惹き込まれたようだ。

 

「だが、やっぱ秘匿性がな。服の下に着れるような物は無いか?」

 

 キンジは探偵科(インケスタ)所属である為、単純な戦闘のみならず、潜入や護衛などの任務もあり得る。それを考えれば、あまり目立つ格好は避けたいと思うのは当然の事だった。

 

 まあ、それ以前に恰好が嫌だ、と言うのもあるのだろうが。

 

「多少、性能は落ちますが、充分可能です」

「兄貴は俺の『流星(メテオ)』と同じ技を使う。薄くしても良いが性能は落とし過ぎるな」

 

 話を聞いていたジーサードが、横から口を挟んだ。

 

 流星はキンジの桜花と同じ、超音速技である。最大でマッハ1まで達するほどの威力を誇っており、その威力は、放てば自身にもダメージがフィードバックする事からも、押して知るべしと言った所だろう。

 

 どうやらあのプロテクターは、ボクサーのグローブのように、自損から体を保護する役割も果たしているようだ。

 

「で、レキ・・・・・・・・・・・・」

 

 キンジは虚空に向かって語りかける。

 

「気に入ったのかもしれんが、脱げよ。お前がそれ着ると、マジでどこにいるのか判らなくて居心地が悪い」

 

 キンジの言葉に対し、

 

 ジジッと言う擦れるような電子音と共に、観葉植物の陰からレキが姿を現した。

 

 ジーサード達が作戦時に常用している光屈曲迷彩(メタマテリアル・ギリー)だ。元々気配が薄いレキが着れば、もはや完全に追尾は不可能となる。

 

 狙撃手は秘匿性を第一と考える。それを考えれば、最良の装備である事は間違いない。

 

「緋村、お前にはコイツだ」

「おろ?」

 

 友哉はジーサードが差し出した、ベルトのような物を受け取って、具合を見てみる。

 

 何やら、両腰に当たる部分に、円錐状の突起物が取り付けられているのが見えるのだが。

 

「ロケットブースター付きのベルトだ。アイアンマンにも使われている技術だぜ。お前はカエルみたいにピョンピョン跳ねるのが上手いからな。コイツを使えば、東京タワーくらい飛び越えるくらい軽いぜ」

「失礼な。て言うか、そこまでのジャンプ力はいらないよ」

 

 ベルトをジーサードに返しながら、友哉は呆れ気味に言う。

 

 さすがに東京タワーを飛び越える予定はないし、そもそも戦術的に使うにしても、ロケットブースターなど使った日には、却って間合いや速度計算が狂ってしまうだろう。どう考えても弊害の方が大きい。

 

 申し出はありがたいが、流石にロケットブースターはいらなかった。

 

「では、こちらなど如何でしょう?」

 

 そう言ってアンガスが差し出した物を見て、友哉は目を見張った。

 

 近代的な拵えをしたそれは、エムアインスが使っている物と同じ種類の刀剣だ。

 

 手に取って抜いてみると、ズシリとした重みが伝わってくる。もっとも、刀身自体は逆刃刀に比べると若干短いようで、せいぜい小太刀程度だろう。アリアがサブウェポンにしている小太刀と同じくらいである。

 

 これは良いかもしれない。

 

 友哉が自覚している自分自身のネックとして、上背が足りず、刀剣を背中に隠す事ができない事がある。普段は手に持って移動するから問題は無いのだが、潜入任務等があった場合、やはり刀を持ち歩けないのは不便である。

 

 この刀なら、友哉の背中でも問題無く収納できそうだった。

 

「気に行ったみてェだな」

「うん。あ、ついでに制服の方も、収納できるように改造をお願いしたいんだけど、良いかな?」

 

 友哉の申し出を、ジーサードが快諾した時だった。

 

「友哉さん」

 

 声を掛けられて振り返ると、茉莉が両手を広げるようにして立っていた。

 

 だが、普段見慣れた制服の上から、白いコートを着ている。

 

「おろ、それは?」

「緋村様が普段常用なさっているのと同じメーカーの防弾コートです。こちらは、女性用にデザインされたものですね」

 

 問いかけた友哉に対し、アンガスが説明してくれた。

 

 友哉のコートは軽い素材と特殊な縫製で作らている事から風通しが良く、夏でも問題無く着る事ができるのが売りだ。

 

「どうです? 似合っていますか?」

「うん。すごく、可愛いよ」

 

 友哉のコートは黒だが、茉莉のは白なのが特徴だろう。他にも、茉莉の方にはフードが設けられており、可愛らしいデザインだ。

 

 そう言って、茉莉に笑い掛ける。

 

 そんな友哉に対し、茉莉もまたはにかんだように笑みを返すのだった。

 

 これで、やや変則ながら、友哉と茉莉はペアルックになった訳である。

 

 その事を友哉は、何となく嬉しく思うのだった。

 

 

 

 

 

第4話「摩天楼の下で」      終わり

 



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第5話「ヒーローズ・パーティー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 唐突で誠に持って申し訳ないが、緋村友哉はピンチに見舞われていた。

 

 四方周囲を女の子、それも全員が水準を遥かに上回る美少女達に囲まれると言うシチュエーションは、男としては本来、喜ぶべき場面(ボーナスステージ)と言うべきだろう。

 

 しかし、今この状況は、友哉にとっては危機以外の何物でも無い。

 

「さあ、何も心配いらないわ。全て、身を委ねればいいのよ」

 

 銀髪少女ロカにのしかかられ、ベッドに押し倒された状態になっている友哉。

 

 更に、

 

「大丈夫だ。何も痛くしないからな」

「このシチュエーション、とっても背徳的だねー」

 

 右からツクモに、左からはかなめにそれぞれ押さえつけられてしまっている。

 

 女の子とはいえ1対3。完全に体を押さえつけられ、身動きを封じられてしまっている。

 

「あ、あの、本当に・・・・・・もう、許して・・・・・・・・・・・・」

 

 涙目になりながら懇願する友哉。

 

 しかし、

 

「フフフ、だ~め」

 

 無慈悲なロカの言葉が、友哉の逃げ道を塞ぐ。

 

 傍らのツクモとかなめも、完全にノリノリである。

 

 完成された包囲網。逃げ道は無い。

 

 最後の頼み、とばかりに視線を茉莉に向けるが、

 

 こういうシチュエーションではてんで役立たずな自分の彼女は、ほんのり顔を赤くしつつそっぽを向いている。

 

『すいません友哉さん。私にはどうする事もできません』

 

 茉莉の目は、そう訴えていた。

 

 その傍らではレキがぼーっと突っ立っている。こっちは、更に役に立ちそうになかった。

 

「さ、それじゃあ、始めましょうか」

 

 そのロカの合図と共に、

 

 少女達は一斉に、友哉に襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 ピシッとした黒のベストに革のコート、中折れ帽(ニューヨークハット)を被れば、アメリカ禁酒法時代のギャングが完成する。

 

 キンジの場合、元々背が高いうえに顔がネクラ顔なので、逆に少し陰のある感じの衣装が様になっていた。

 

 ジーサードとお揃いの恰好をすれば、見事にマフィア兄弟の完成である。これでドラムマガジン付きのトンプソン・サブマシンガンを構えれば完璧だろう。

 

「今度はどこ行くんだよ?」

 

 キンジはコートの襟を直しながら、傍らのジーサードに尋ねる。

 

 昼間、キンジ達はジーサードに連れられて、彼が出資している学校の子供達を相手にヒーローショーを演じてきた。

 

 身体障害者を集めて教育しているその学校は、同じく身体的なハンデを抱えて戦っているジーサードが資金援助しているそうだ。

 

 子供達にとって、世界を股にかけて戦うジーサードは、まさしく等身大のヒーローであり、心の底から憧れる存在であったらしい。

 

 子供達がジーサードを見るキラキラと輝いた目を思い出すと、キンジも密かに、この粗暴な弟の事を誇らしく思うのだった。

 

 と、

 

「ヒーロー組合(コンパニオン)のパーティだよ。お兄ちゃん、エスコートしてね」

 

 背後からいつの間にか近付いてきていたかなめが、自分の胸を押し付けるようにしてキンジの腕に抱きついた。

 

 アメリカでは、ヒーローにも組合があるとは驚きである。

 

 とは言え、キンジが今、気にするべきところはそこでは無かった。

 

「かなめ、お前そのVネックのドレス、胸開けすぎじゃないか?」

 

 かなめの着ているドレスは確かに、胸から背中にかけての露出が際どい物である。

 

 かなめは年齢に似合わず、やや大きめの胸をして居る為、露出の大きな服を着ると目立ってしまうのだ。

 

 兄として、そこは注意しておかなくてはならないと思ったのだが。

 

「やーん、お兄ちゃんがエッチな目で妹の胸の谷間を見るゥー 背徳ゥ~」

 

 かなめはむしろ、喜んでしまっていた。

 

 見れば、ロカ、ツクモ、レキ、茉莉もそれぞれ、似たような格好のドレスに身を包んでいる。

 

 コーディネートしたのはロカである。

 

 チーム一、オシャレ好きのロカは、自分の服をレキや茉莉にも貸して、パーティ用に仕立て上げたのだ。

 

 化粧にも徹底的なこだわりを見せ、華やかに飾り立てられている。

 

 だが、ヒステリア化を警戒するキンジにとって、それらは媚毒を含んだ鱗粉を放つ花の群れに等しい。

 

「お前等、そのドレスやめにしないか? 寒いだろ、冬だし」

「この田舎者。ドレスコードがあるんだから、これじゃなきゃダメなの。午後6時以降に催されるパーティでは、女は肌を見せるドレスが正装。袖は無し、胸元や背中は大きく開ける。裾は長く、素材はレースかサテン。宝石は真珠のアクセサリーで輝きを加える。はいこれは常識!!」

 

 傍らのツクモの衣装を一つ一つ指差しながら、懇切丁寧に早口で説明してくれる。

 

 と、そんなロカの背後から、もう1人、控えめに歩いて来る少女の姿があった。

 

 ロカ達と同様、露出の高いドレスに身を包んだ少女は、顔を真っ赤にして俯いている。

 

 だが、それを見た瞬間、キンジは顔をひきつらせた。

 

「ひ、緋村、お前まで何やってんだよ!?」

「しょ、しょうがないでしょッ 無理やり、こんな恰好させられちゃったんだから!!」

 

 女物のドレスを着た友哉は、キッと涙目を上げてキンジを睨む。

 

 今の友哉の恰好は、水色のドレスに、胸元にはバラの花飾りがあり、長い髪は纏められ、大きな髪飾りで留められている。更に、どういう訳か、胸元には本来は無い筈の膨らみまである。

 

 顔に施された絶妙な化粧と相まって、完璧な美少女が完成している。

 

 少女達に無理やり押さえつけられて「お着替え」させられた友哉。

 

 このアメリカの地でも、めでたく「緋村友奈ちゃん」が降臨していた。

 

「あら、こんなに可愛くなっちゃって、羨ましいわ~」

 

 友奈(友哉)の恰好を見て、コリンズがしなを作りながら笑顔を向けてくる。

 

 チーム一、ごつい外見をしているコリンズだが、性格はなぜか女性的であり、言動にはひどくギャップがある。もっとも、それでいて愛嬌がある性格なせいか、接していても不快にはならないのだが。

 

「ほんと、男のくせに、なんでこんなに肌がきめ細かいのよ。あんた、どんなスキンケアしてるわけ?」

「やってないよ、そんな事」

 

 友奈(友哉)を率先してコーディネートしたロカが、ジト目でにらみながら言ってきた。

 

 オシャレに気を使うロカとしては、男の友哉が見せる、女以上に綺麗な素肌に呆れている様子である。

 

 友奈(友哉)としては、そんな事言われても困るのだが。

 

 もっとも、女性陣としては、何の努力もせずに美貌を保って(?)いる友奈(友哉)に、嫉妬の念を抱かずにはいられない訳で。

 

「緋村は世界中の女性の敵だな」

「流石、計算外の少年(イレギュラー)だねー」

 

 ツクモとかなめも、何やら悪乗りした調子で言ってくる。

 

 そんな友奈(友哉)の肩を、逞しい掌がバンと叩いた。

 

「気にする事は無いぞ、緋村君。君は豪快にキュートだ!! 自信を持ちたまえ!!」

 

 そう言ってサムズアップするのは、チーム一熱い男、前衛担当のアトラスだ。

 

 体育会系のノリをしたアトラスは、見た目の通り、豪快に暑苦しい男でもあるが、自分自身、体を鍛える事が好きな友奈(友哉)としては、こういう体育会系の人間は決して苦手と言う訳ではない。

 

 そこへ、エレベーターのドアが開き、スーツ姿の海斗が出てくるのが見えた。

 

「おいみんな、いつまでのんびりしている。下に車が来ているぞ」

 

 そう言って一同を見回す海斗。

 

 と、そこで友奈(友哉)と視線が合った。

 

 そして、

 

「そろそろ行くぞサード。時間がオーバーしてる」

「いや、お願いだからッ お願いだからッ お ね が い だ か らッ 無言でスルーするのやめてッ ノーコメントだと余計にきついから!!」

 

 殆ど首を締めそうな勢いで海斗に縋りつく友奈(友哉)

 

 そんな状況に笑いを覚えつつ、一同はヒーロー組合が主催するパーティへと出かけていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブロードウェイとタイムズスクウェアの至近で賑わうミッドタウン、9番街。

 

 白い壁が特徴のハドソン・ニューヨークのホテルで、ヒーロー組合のパーティは催されていた。

 

「たくさん人が集まってるね」

「はい。何だか緊張してきました」

 

 友奈(友哉)と茉莉は、並んで歩きながら、周囲を見回す。

 

 ヒーロー組合の構成員なのだろう。既にチラホラと、それっぽい人物たちが見え始めていた。

 

 と、

 

「茉莉、あそこが入口だよ。さ、入って入って」

「ほらほら、友奈ちゃんもはやく」

 

 ツクモとかなめが、そんな事を言いながら、2人の背中を押してくる。

 

「おろ?」

「ちょ、ツクモさん、どうかしたんですか?」

「良いから良いから」

 

 よく判らないまま、促されるまま入口へと足を向ける2人。

 

 と、入り口に入ろうとした瞬間、

 

 ブワッ

 

「わッ!?」

「キャァッ!?」

 

 突然、足元から風が吹き出し、2人のスカートを大きくまくり上げた。

 

 幸い、スカートが長かった事と、とっさに押さえる反応が早かったおかげで完全に捲れあがる事は無かったが、2人のスラリとした足が、衆人環視の元に晒されていた。

 

 女である茉莉は、当然ながら白さの目立つ綺麗な足をしている。脚力を重点的に鍛えているだけあって、本当に駿脚の動物を思わせる。

 

 対して友奈(友哉)はと言えば、こちらも男とは思えない程細く白い足をしている。決定的な部位はガードしたので、誰も友奈(友哉)が男だとは気付かなかっただろう。

 

 その証拠に、居並ぶ面々が拍手喝さいしている。

 

 友奈(友哉)と茉莉が揃って顔を真っ赤にしながら振り返ると、共犯だったらしいかなめとツクモが、してやったりとばかりにハイタッチしていた。

 

「ちょ、な、何なんですか、これ!?」

「マリリン・モンローの『7年目の浮気』のシーンをオマージュした仕掛けよ。よくできてるでしょ」

 

 ロカがありがたい講釈をしてくれる。

 

 どうやら、友奈(友哉)と茉莉は2人揃って嵌められたらしい。

 

 だが、

 

「何で僕にまでやらせるのッ これ、完全にアウトでしょ!!」

 

 もし男だとばれたら、どうする心算だったのか?

 

 だが

 

「セーフだよー」←かなめ

「セーフだな」←ツクモ

「当然、セーフね」←ロカ

「豪快にセーフだ!!」←言うまでも無くアトラス

「セーフよー」←コリンズ

 

 シレッとした顔で、友奈(友哉)の言葉を全却下するジーサードリーグの面々。

 

 こ  い  つ  ら・・・・・・・・・・・・

 

 全員に一発ずつ、天翔龍閃(あまかけるりゅうのひらめき)をぶちかましても、割と許されるのではないかと本気で思ってしまう。

 

 そんな友奈(友哉)の、不穏な空気を察したのか、茉莉がすかさず腕を掴んでくる。

 

「ゆ、友奈さん、ここは我慢です、我慢」

「わ か っ て る・・・・・・・・・・・・」

 

 絞り出すような声と共に怒りを抑える友奈(友哉)

 

 アメリカンジョーク的なノリにいちいち付き合っていたりしたら、こっちの身が持たないのは確実だった。

 

 

 

 

 

 パーティ会場に入ると、ジーサード・リーグの面々は、それぞれ料理や酒を片手にばらけて行った。

 

 茉莉も、ツクモに手を引かれる形で、料理の置かれているテーブルへと向かった。

 

 どうやら、ここはヒーロー同士の交流の場でもあるらしい。

 

 場馴れしているアトラスやロカなどは、さっそく、話し相手を見付けて談笑に耽っていた。

 

 海斗もまた、知り合いらしい男と、グラスを片手に談笑しているのが見えた。

 

 そんな中、手持無沙汰になってしまったキンジと友奈(友哉)は、揃って壁に寄り掛かるようにして立っていた。

 

「それにしても・・・・・・・・・・・・」

 

 キンジは友奈(友哉)の恰好を見下ろしながら、呆れたように口を開く。

 

「お前の女装は前からの事だから良いとして、」

「良くない」

「今回のそれは何なんだ? ぶっ飛んでるにも程があるぞ」

 

 友奈(友哉)のジト目のツッコミをスルーしつつキンジが指差した先は、友奈(友哉)の胸元。

 

 そこには、男の友哉(ここ重要)には本来ならある筈の無い膨らみがあった。

 

「ちょ、あんまり見ないでよッ」

 

 そう言うと、友奈(友哉)は恥ずかしそうに胸を隠す。

 

 その仕草だけで、胸の膨らみが不自然に揺れるのが判った。

 

 勿論、即興で豊胸手術を施されたわけではない。

 

「ロカに無理やり付けられたの。何でも、特殊樹脂で肌に直接接着するパットで、見た目も手触りも、本物の胸と同じになるんだって。接着部分も、殆ど継ぎ目が見えないようにできるそうだから、間近でよく見ないと判らないそうだよ」

「ふーん」

 

 説明を聞いたキンジは、ふと好奇心に誘われ、友奈(友哉)の胸を人差し指で突いてみる。

 

 と、

 

「ヒヤァン!?」

 

 いきなり胸元からせり上がるような刺激を感じ、友奈(友哉)は思わず悲鳴を上げてしまった。

 

「ちょ、何だよ、いきなり、その反応は!?」

「そ、それはこっちのセリフだよ!? 何か、特殊加工のせいで感覚も直肌に直接フィードバックするって話だから、変に触られると、今みたいになっちゃうの!!」

 

 流石技術大国アメリカ。無駄な所が凝りまくっている。

 

 それにしても、

 

 さっきの友奈(友哉)の、まるで本物の女のような悲鳴を思い出すと、思わずキンジは、自分の中で血流が妙に早くなるのを感じた。

 

 馬鹿言うなッ こいつは男だ。こんなんでヒステリアモードになんかなった日には、完全に切腹物だぞ。

 

 自分に必死に言い聞かせるキンジ。

 

「おろ、キンジ、どうかした?」

 

 葛藤するキンジを、下から見上げる友奈(友哉)

 

 その仕草がまた、妙に可愛らしくて、男だと判っていても心臓が跳ね上がるのが判った。

 

「お、俺、何か食ってくる!!」

 

 そう言い残すと、脱兎のごとくその場から去って行くキンジ。

 

 そんな友の背中を、友奈(友哉)は首をかしげながら見送るのだった。

 

 と、そこへキンジとは入れ替わるようにして、両手にグラスを持った茉莉がやって来た。

 

「どうぞ、友奈さん。ここでは、フリだけでも食べたり飲んだりする形を取った方が様になるって、ツクモさんから聞きましたから」

「ん、ありがとう」

 

 そう言うと、茉莉の手にあるグラスを取った。

 

 中身はアルコール度数の低いカクテルらしい。

 

 藍幇城での飲み会で、友奈(友哉)も茉莉もある程度、アルコールへの耐性がある事は判っている。度数の高い中国酒を呑んでも大丈夫だったのだから、カクテル1杯くらいなら問題無かった。

 

「茉莉は、誰かと話したりしないの? 見たところ、結構な有名人が集まっているみたいだけど」

 

 カクテルに口を付けながら、友奈(友哉)は周囲を見回す。

 

 流石、世界一ヒーローの多い国と言うべきか、錚々たるメンツが顔を出している。

 

 勿論、現在活動中のヒーローや、この手の催しが苦手な者もいるだろうから、組合構成員全員が集まっている訳ではないだろうが。

 

 キンジなど先程、ヒノ・バットからもらったと言うサインを見せてくれた。彼もなかなかミーハーである。

 

 かく言う友奈(友哉)自身、誰かいい人がいないか密かに視線を走らせていたりするのだが。

 

「私は、ヒーローとかはあまり。映画は見ますから、ハリウッドスターには興味ありますけど」

 

 はにかむように告げる茉莉。

 

 なるほど、彼女らしい趣味だ。

 

 それにしても、

 

「また、茉莉の事が少しだけ判ったかな」

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 友奈(友哉)の言葉に、茉莉はほんのり顔を紅くする。

 

 今度、茉莉を映画に誘ってみるのも良いかもしれない。

 

 こうやって少しずつ、お互いの事を知って行くのも、恋人同士の醍醐味である。

 

 と、

 

「おろ?」

 

 そっと、茉莉が友奈(友哉)に身を寄せてくる。

 

 顔を見合わせると、その頬がアルコール以外の要素で赤く染まっているのが判った。

 

「その、少しだけ・・・・・・・・・・・・」

 

 薄いドレス越しに、茉莉の柔らかい感触が伝わってきて、友奈(友哉)も思わずドキリとしてしまう。

 

 周りのヒーローたちが、そんな2人を見て口笛を吹いたりしてはやし立てる。

 

 しかし、そんな事は気にしない。

 

 今この時、友奈(友哉)と茉莉は、2人だけの空間の中に浸っているのだった。

 

 

 

 

 

 キンジは今まさに、人生最高の瞬間を迎えようとしていた。

 

 友奈(友哉)と別れ、食事コーナーの方へとやって来たキンジ。

 

 さすがアメリカの立食パーティだけあり、テーブルに並べられた食材だけでも、最高級である事が伺える。

 

 料理を眺めながら歩いているだけで、腹が鳴るのが抑えられなかった。

 

 だが、

 

 グルメテクニシャンを自認するキンジは、そんな前菜程度の食事には目もくれない。

 

 せっかく最高級の食材と料理を取りそろえた最高レベルのパーティに出席しているのだ。狙うなら、一生に一度、お目に掛かれるかどうか、と言う幻級の料理である。

 

 そして、「それ」はあった。

 

 キンジが目を付けたのは、右にサーロイン、左にヒレの付いた至高のTボーンステーキ。

 

 ステーキの本場アメリカでは、本場だからこそ、生半可な仕事は許されない。まさに、素材の最高級性を活かしきり、更に極限を越えて昇華させなければ、プロを唸らせる事はできないのだ。

 

「・・・・・・焼いてくれ。一番良いのを頼む」

「・・・・・・ああ、勿論さ。俺の仕事は、あんたらヒーローに世界を守る活力を料理で与える事。つまり、俺も世界を守っているヒーローなのさ」

 

 プロフェッショナルはプロフェッショナルを知る。

 

 キンジの本気に、黒人アフロシェフは、真剣勝負をする眼差しで答えた。

 

 やがて、アフロの太い指で、最高級のステーキが焼かれていく。

 

 弾ける脂、胃袋を直接刺激する匂い、ただ見るだけでも幸福感が湧く光景である。

 

 一切の無駄の無い手つきで焼き上げ、熱いうちにカットしたアフロが、キンジに皿を渡す。

 

「いただくぜ」

「エンジョイしな、兄弟(ブラザー)

 

 互いにサムズアップするキンジとアフロ。

 

 この瞬間、2人のヒーローは互いを認め合い、最高の絆が結ばれたのだ。

 

 テーブルの上に皿を置き、フォークとナイフを構えるキンジ。ネクタイを緩め、リラックスしながら、最高の瞬間へと至る、一瞬の間を賞味する。

 

時は来た(The time is commin)

 

 厳かな宣言と共に、フォークとナイフを振り翳したキンジ。

 

 次の瞬間、

 

 テーブルの上に皿は無かった。

 

「あ、あれ?」

 

 キョトンと、何度見ても何も無いテーブルを見下ろすキンジ。

 

 まるで、皿とステーキだけ神隠しにでもあったかのような光景だった。

 

 と、

 

「うわー美味しい!! お兄ちゃん偉い!!」

「んー、これはAランクのを使っているね」

 

 横から皿をかっさらったかなめとツクモが、ヒレとサーロインを一気食いしている。

 

「お、お前等ァ!!」

 

 最高の瞬間を横からかっさらわれ、怒り心頭なキンジ。

 

 しかし、周囲の人間には、どうやらコメディの一幕だと思われたらしく、大爆笑を呼んでいる。

 

「キンジってさー、株とかギャンブルとかやらせたら、絶対、大穴を狙いに狙って、ラストでこけるタイプだよね」

「言い得て妙ですね」

「キンジさんですから」

 

 その様子を見ていた友奈(友哉)、茉莉、レキの3人娘は、やれやれと肩を竦めながら、妹と狐娘にボディプレスをかましているキンジを眺めやるのだった。

 

 と、その時、背後から肩を叩かれ、友奈(友哉)は振り返る。

 

 そこで、思わず絶句した。

 

「久しぶりだな」

 

 低い声で告げられる言葉に、友奈(友哉)は口をパクパクと開閉させる。

 

 背の高い、眼つきの鋭い男は、親しい者にしかわからない微笑を、口元に浮かべている。

 

「甲さん? 何でここにいるんですか?」

 

 京都武偵局所属の四乃森甲(しのもり こう)は、ピシッとしたスーツ姿で友哉達の前に立っていた。

 

「あ、瑠香さんの、お兄さん・・・・・・」

 

 京都で一度だけ面識のある茉莉と、初対面のレキも揃って会釈をする。

 

「俺はこれまで、何度かアメリカ政府からの要請を受けて任務に就いた事があるからな。ここの組合にも登録している。それより、驚いたのはこっちだ。お前等が、ここに出席しているとは思わなかったからな」

 

 まさか、こんな身近にヒーローがいたとは。

 

 まあ、確かに甲はSランク武偵だし、世界中を飛び回って戦っている。アメリカで戦った事があってもおかしくは無いのだが。

 

 その時、

 

「甲、久しぶりだな」

 

 笑顔を浮かべながら近付いてきたのは、何とジーサードだった。

 

 差し出されたジーサードの右手を、甲は固く握ると、軽く抱擁を交わす。

 

「久しいな、サード。メキシコの油田をテロ組織から奪還した時以来か」

「ああ、だから・・・・・・だいたい1年くらいか」

 

 懐かしむような口調のジーサード。

 

 そんな2人を、友奈(友哉)は呆気にとられて見比べる。

 

「あ、あの、盛り上がってるところ申し訳ないんだけど、お二人は知り合いですか?」

 

 なぜか敬語になる友奈(友哉)

 

「おお。甲とは、今まで何回か一緒に戦った事があるんだぜ」

「最初は敵同士だった。お互い、敵対組織に雇われる形で戦ったんだが勝負がつかなくてな。その内、お互いの組織が裏で繋がっている事を知って、2人で共闘したのがきっかけだ」

 

 何とも、世界は狭すぎるくらいに狭い物である。

 

 こんな形で、知り合い同士がつながっていたとは。

 

「ジーサード」

 

 そこで、甲は真剣な眼差しをジーサードへと送る。

 

「マッシュ・ルーズヴェルトの事は、俺も聞いている。事情は察するが、無理はするな」

「ったく。相変わらず耳が早ェな、お前は。あれは・・・その、アレだよ。ちょっとばかり、足を踏み外しただけだよ」

 

 足を踏み外しただけで、腕を吹き飛ばされるくらいの重傷を負うとは、流石アメリカ人、ズッコケ方も豪快である。

 

 とは言え、それがジーサード特有の強気発言である事は言うまでも無い。

 

 その事は、甲も承知しているのだろう。

 

「そうか、なら良いが」

 

 そう言うと、友奈(友哉)の肩をポンと叩いて踵を返す。

 

 その背中を見て、ジーサードはやれやれと息を吐く。

 

「相変わらず、熱いんだか冷めてんだか、よく判らない奴だな」

「あ、それは同感」

 

 慣れない人間にとって、甲は感情の起伏が乏しいせいで、その真意を推し量るのは難しい所がある。

 

 昔からの付き合いがある友奈(友哉)ですら、ときどき判らない事がある。

 

 甲の思考を完全に読める人間がいるとすれば、それは妹の瑠香くらいかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 出された料理も殆ど食べ尽くされる頃、パーティはお開きムードになりつつあった。

 

 集ったヒーローたちも、談笑しつつチラホラと帰りはじめ、楽しかった時間の終わりが近づいてきている事を告げていた。

 

 ヒーローたちは、今日ここで英気を養い、明日から再び、世界を守るための戦場へと赴くのだ。

 

「何か、あっという間だったね」

「そうですね」

 

 楽しい時間と言うのは、夢中になる事ができる為、ついつい時間を忘れてしまう物なのだ。

 

 とは言え、友奈(友哉)達としても、戦いを前にして英気を養う事が出来たのは事実。これで、戦いに全力を投入する事ができるだろう。

 

「さて、それじゃあ、キンジ達と合流して・・・・・・・・・・・・」

「どうかしましたか、友哉さん?」

 

 言いかけた友奈(友哉)が、不自然な形で言葉を止めたのを見て、訝るように首をかしげる茉莉。

 

 友奈(友哉)の視線の先に立つ人物。

 

 その姿を見て、

 

 思わず茉莉も、身を固くした。

 

 2人が見ている前で、スーツ姿の青年が近付いて来ると、鋭い視線を投げ掛けて来ている。

 

 その姿には、茉莉もひどく見覚えがあったのだ。

 

「久しぶり、と言う程でもないな。緋村友哉、それに瀬田茉莉」

 

 確かに、久しぶりと言う訳ではない。つい4日ばかり前に激突したばかりである。

 

「改めて名乗らせてもらう。日本国外務省駐米大使館付き武装書記官、塚山龍次郎だ」

 

 名乗る龍次郎に対し、友奈(友哉)と茉莉は警戒したまま視線を向けている。

 

 先の戦いで、龍次郎の実力の高さは知っている。正直、2人で掛かったとしても、勝てるかどうかわからなかった。

 

 だが、

 

「君達2人に、引き合わせたい人物がいる。一緒に来てくれ」

 

 そう言って促す龍次郎。

 

 顔を見合わせる、友奈(友哉)と茉莉。

 

 どうやら、取りあえずはこの場で争う気は無いようだ。

 

 そのまま、龍次郎は何も告げずに踵を返して歩き出す。どうやら、着いて来いと言う意味らしい。

 

 仕方なく、2人も龍次郎を追いかける形でパーティ会場を出て行った。

 

 

 

 

 

 タクシーに乗せられて連れてこられたのは、クラシック感あふれる喫茶店だった。

 

 中に入ると、感じの良い雰囲気に包まれるようだった。

 

「あ、ここ・・・・・・・・・・・・」

 

 何かに気付いたように、茉莉が足を止めて声を上げる。

 

「おろ、茉莉?」

「ここ、確か、映画で使われたところですよ。確か、『ユー・ガット・メール』で使われた場所ですね。メグ・ライアンとトム・ハンクスが出会うシーンで使われたカフェですよ」

 

 隠れハリウッドマニアの茉莉は、言いながら目を輝かせる。どうやら、実際のロケ地に想いも掛けずに来る事が出来て感動しているようだ。

 

 そんな彼女の可愛らしい仕草を見て、微笑を浮かべる友奈(友哉)

 

 だが、

 

 先導するように歩く龍次郎が進む先で、何やら不穏な空気が流れているのを感じ取り、友奈(友哉)は僅かに自身の危機レベルを上昇させる。

 

 やがて龍次郎は、一つのテーブルの前に立つと、そこに座る人物の傍らに立った。

 

「連れてきました」

「ああ、お使い、ご苦労様」

 

 頭を下げる龍次郎に対し、その人物はぞんざいに手を振って答える。

 

 驚いた事に、そのテーブルにはキンジとジーサードの姿もあった。

 

 だが、2人とも、相席している少年に対し、警戒心に満ちた眼差しを向けている。

 

 やがて、少年は立ち上がると、友奈(友哉)と茉莉に対し、大仰に手を広げながら言った。

 

「やあ、2人とも、始めまして。僕は、マッシュ。マッシュ・ルーズヴェルト」

 

 口元に、笑みが刻まれる。

 

「アメリカ、最強のヒーローさ」

 

 

 

 

 

第5話「ヒーローズ・パーティー」

 



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第6話「パクス・アメリカーナ」

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 目の前に立つ、マッシュルームカットの小男。

 

 この男が、アメリカ最強のヒーロー? ジーサードを破った?

 

「え、アメリカンジョーク?」

 

 目の前のマッシュ(今のところ自称)を見ながら、友奈(友哉)は信じられないと言った面持ちで呟く。

 

 どう考えても、目の前の小男がジーサードよりも強いとは思えない。ぶっちゃけ、そこらの子供とケンカしても負けそうな雰囲気がある。

 

 と言うか、キノコ型の髪(マッシュルーム・カット)でマッシュって、微妙にジャパニーズ・ジョークが入っているように思えるのだが。

 

「あの、ジョークの為に、髪型まで変えるのはちょっと。そこまで、体を張る必要は無いのでは・・・・・・」

 

 どうやら、茉莉も友奈(友哉)と似たような結論に達したらしい。マッシュ(今のところ自称)の事を本気で気遣うような口調で告げる。

 

 何気にひどいぞ、このカップル。

 

 マッシュ(今のところ自称)の方でも、2人の反応が気に入らなかったらしく、ムッとした調子で顔をしかめる。

 

「失礼だね、君達。どうやら極東の田舎者は礼儀も知らないらしい。これだから、教養の無い人間は始末に負えないよ。それに緋村、そんな恰好している人間に、身体的特徴を言われる覚えはないね」

 

 女装している友奈(友哉)を見据えながら、マッシュ(今のところ自称)は肩をすくめる。

 

「まあ良いさ。無礼な小者の言動にいちいち振り回される程、僕は子供じゃないからね」

 

 そう言うと、再び椅子に腰を下ろす。

 

「2人とも。信じられないだろうが、事実だよ。こいつがマッシュだ」

 

 このままじゃ話が進まないと思ったらしいジーサードは、そう言ってマッシュ(確定)を顎でしゃくって見せた。

 

 戦った本人が言うのだから、どうやら間違いないらしい。

 

 目の前のマッシュルーム小男は、間違いなくマッシュ・ルーズヴェルトなのだ。

 

 尚も、信じられないと言った面持ちの、友哉と茉莉。

 

 そんな2人を横目に、ここまで招待した龍次郎は、まるで従者の如く、マッシュの背後に立って控えた。

 

「座りなよ。立ったまま話すのはマナー違反だよ。それとも、テーブルマナーについて、一から講義してほしいかい?」

 

 あからさまに見下すようなマッシュの言葉に、友奈(友哉)と茉莉は苛立ちを覚える。

 

 しかし、今はどうする事も出来ない。何より、キンジとジーサードが大人しく座っている以上、この場で暴れる事に意味は無かった。

 

 仕方なく、2人も椅子を引いてきて座る。

 

 その様子に満足を覚えたように、マッシュは上機嫌で口を開く。

 

「さて、本来なら、こんな場所に僕が来る必要性は全くの皆無なのだけど、わざわざ日本から無駄なご足労をしてくれた君達に、一応の敬意をこめて足を運ばせてもらった」

 

 マッシュは、一同の投げ掛けてくる敵意に満ちた眼差しを受け流しながら言う。

 

「緋村友哉、それに瀬田茉莉。君達は今すぐ、この戦いから手を引いて日本に帰ってくれないかな」

「なッ」

 

 突然の物言いに、思わず腰を浮かしかける友奈(友哉)

 

 一瞬、何かの冗談だと思ったくらいである。見れば、茉莉の方も驚いたように目を見開いていた。

 

 だが、マッシュは至って平然とした調子を崩さないまま続ける。

 

「そこのキンジは、まあジーサードの身内だから仕方ないかもしれないけど、この戦いは本来、君達には関係のない物だからね。ここで退いてくれれば、危害を加えないと約束するよ」

 

 どうやら、マッシュはジーサード陣営の切り崩しを行う為に現れたらしい。

 

 とは言え、ジーサード・リーグの結束の強さはマッシュも心得ているのだろう。いきなり本丸を攻めたとしても切り崩せる可能性は低い。

 

 そこでまず、外堀を埋めるために友奈(友哉)達との接触を図ったと言う訳だ。

 

「言っておくけど、ジーサードに味方しても、君達に勝ち目はないよ」

「・・・・・・そんなの、やってみないと判らないでしょ」

 

 マッシュの決めつけるような物言いに、友奈(友哉)はとっさに反論する。

 

 勝負は水物だ。ふたを開けてみなければ、どのような流れで、どう決着するかは判らない。

 

 まして、ここにいる全員が一騎当千の実力者達である。

 

 だが、そんな友奈(友哉)を小馬鹿にするように、マッシュは続けた。

 

「理解力が悪い君達にもサービスで教えてあげるけどね、僕は現政権与党である民主党の支持を受けているのに対し、ジーサードは野党の共和党に与している。つまり、僕の方がジーサードよりも権力があり、かつ使える戦力も多いと言う訳だ。加えて、ジーサードはFBIのゴロツキ共が怠慢したせいで野放しになっている『混沌(カオス)』であるのに対し、僕は法と正義を司る『(ロー)』に当たる。どちらが正しいか、なんて子供でも分かる理屈さ」

 

 単純な武力なら、確実にジーサードの方が強い。

 

 しかしマッシュはガチガチの権力で自身の陣営を強化しており、使える味方も多い。

 

 流石のジーサードも、物量が積み重ねれば敗北する事もあり得るわけだ。

 

「緋村、瀬田、君達の戦いは僕も映像で見せてもらったが、あんなサーカスの曲芸師みたいなことを君達ができる訳がない。大方、そこのキンジと同じく、自分を売り込むためのトリックだろう。狙いはSDAランクの上昇かい?」

「・・・・・・何なら、今から実演して見せようか?」

「興味無いね。サーカスを見て喜ぶほど、僕は子供じゃないんだ」

 

 因みにSDAランクとは、非公式の超人番付の事で、特定の活躍をした人間がランキングされるシステムになっている。

 

 友奈(友哉)自身、特に気にした事は無かったので今まで知らなかったが、マッシュの言動を聞くに、いつの間にか登録されていたようだ。

 

「SDAハイランカーの殺害は、僕達のような特権階級の子女にとってランクアップにもつながるんだ。君達のお笑いランキングと違って、こっちは競争が厳しくてね。本来なら、君達も殺すべきところなんだろうけど、僕としてはリスクは減らしたいって考えていてね。因みに、僕の計算では、君達2人がジーサードに協力したとしても、彼の勝率はせいぜい3パーセント程度の上昇にとどまると出て居る。翻って僕の勝率は0.01パーセント下がるくらいだ。つまり、君達2人はいてもいなくても、大して変わらないって訳だよ」

 

 戦いを、まるでゲームのような感覚で話すマッシュに対して、友奈(友哉)たちの苛立ちは急速に増していく。

 

 友奈(友哉)達にとって、戦いとは自分達の力と知恵を最大限に振り絞り勝利を目指す命がけの物であるの。

 

 しかし、マッシュにとっての戦いとは、己は一切砲煙に身を晒さず、他人が戦っているのをモニターの前で座りながら眺めているだけの物なのだ。

 

 間違いない。この男の感覚は、自分達とは相いれないものがある。

 

 出会って僅かな時間しか経っていないと言うのに、友奈(友哉)はそう確信していた。

 

 だが、マッシュはそのような空気など、どこ吹く風と言った感じだ。傍らに控えている龍次郎も微動だにしていない。

 

 絶対的な有利を確信しているからこそ、泰然自若としていられるのだろう。

 

「キンジとジーサードを倒せば、僕はまた階級を上げる事ができる。その後もアフガン、シリア、北朝鮮、ロシア、中国を平定、これを持ってアメリカによる一極支配(パクス・アメリカーナ)の完成だ。そして僕は2033年、史上最も若い大統領に就任、アメリカは建国以来最も強い国になり、他の国を膝下に従えることになるだろう」

「そんな事が・・・・・・・・・・・・」

「できない、とでも言いたいのかな? それは浅はかな考えだよ。僕の力を持ってすれば、充分に可能な事さ。凡人の君達には理解が及ばない世界だろうけどね」

 

 茉莉の言葉を遮り、自慢げに演説するマッシュ。

 

「因みに僕が大統領になった年には、平均株価が現在の4.3倍、国民1人当たりの年間所得が4.7倍になり、失業率は過去最低になる事は間違いない。つまり、僕の正義はアメリカの正義その物と言う訳さ」

 

 言ってから、マッシュは改めて友奈(友哉)と茉莉に目をやった。

 

「さて、以上を踏まえた上で、最初の質問に戻ろうか。緋村、瀬田、君達はこの戦いから手を引いてくれないか? 勿論、ただで、とは言わない。ジーサードとの契約不履行に対するペナルティは無いようにするし、それどころか、こちらからの報酬も用意する。キャッシュに加えて、米国の永久居住権、それに就職先の手配もしてあげよう。勿論、帰りの旅費も不要だよ。その為に、わざわざ日本大使館員の彼に来てもらったんだから」

 

 言いながら、マッシュは親指で背後に立つ龍次郎を差した。

 

 まさに、至れり尽くせりと行った所だろう。報酬だけを見れば、マッシュの要請を受けた方が得策であるように思える。

 

 しかし、

 

「お断りします。依頼人との契約を破る訳にはいきませんから」

 

 きっぱりとした口調で、友奈(友哉)は言い放った。

 

 ここでジーサードとの契約を打ち切る事など考えられない。何より、目の前に座るマッシュの言いなりになるのは、生理的な嫌悪感すら伴っていた。

 

「私も、友哉さんと同意見です」

 

 茉莉もまた、きっぱりした口調で言い放つ。彼女もまた、ここでマッシュの言に従う事に対して拒否反応を示しているのだ。

 

 それに対し、マッシュはさも不思議な生き物を見るような目で友奈(友哉)を見据えてくる。

 

「理解できなかったかな? 君達のペナルティは無いようにしてあげるってさっき・・・・・・・・・・・・」

「そう言う問題じゃない」

 

 マッシュの言葉を遮って、友奈(友哉)は真っ直ぐに見据えて言う。

 

「プライドの問題だよ」

 

 鋭い眼つきでマッシュを睨み付ける友奈(友哉)

 

 しかし、その言葉を聞いたとたん、マッシュはまるで面白いジョークを聞いたとばかりに高笑いを上げた。

 

「・・・・・・・・・・・・何が可笑しいの?」

「だってさ、プライドって・・・・・・・・・・・・」

 

 腹を抱えて笑いながら、マッシュは小馬鹿にしきった口調で友奈(友哉)を指差す。

 

「極東の辺鄙な島国でのうのうと生きてきた君達の、蟻みたいに小さなプライドが何だって言うんだい? そんなちっぽけな物の為に命を捨てるなんて、これは特上級のコメディだね。本当に笑えるよ。何なら、チップでも払ってあげようか?」

 

 それを聞いた瞬間、

 

 ガタッ

 

 当の友哉よりも先に、傍らのキンジが立ち上がった。

 

 鋭い眼つきからは殺気が放たれ、今にもマッシュに殴り掛かりそうな雰囲気である。

 

 ほぼ同時に、マッシュの背後に控えた龍次郎も、いつでも動けるように身構えた。

 

 だが、

 

「よせ、兄貴」

 

 ジーサードが、慌てて腕を掴んで兄を制する。

 

「ここでコイツを殴ったって、何の特にもならねえぞ。むしろ、俺達の身が危うくなるだけだ」

 

 言いながらジーサードの意識は、カフェの外へと向けられる。

 

 そこには、恐らくマッシュの意を受けて警護にやって来たのであろう、ニューヨーク市警の私服警官が立っている。

 

 ここで騒ぎを起こせば、逮捕されるのはこっちだった。

 

 だが、

 

「止めるなジーサード」

 

 怒り心頭のキンジは、尚も敵意をむき出しにしてマッシュを睨み付ける。

 

「ダチのプライドを馬鹿にされて黙っていられるほど、俺は人間ができちゃいないんでな」

 

 キンジとて、表に居る制服警官の存在には気付いている。

 

 だが、それでも尚、友奈(友哉)の言葉を鼻で笑ったマッシュが許せなかったのだ。

 

 対して、マッシュは平然とした調子でキンジを見上げる。

 

「確かに、君は人間ができていないなキンジ。こんな程度の挑発にいちいち怒るとは。いやはや、子供以下だよ」

 

 そう言って、オーバーリアクションに肩をすくめて見せる。

 

 その時、

 

 ギシッ ギシッ

 

 床がきしむ音と共に、1人の少女がテーブルの脇にやってきた。

 

 小柄で、色白をした可愛らしい外見の少女である。しかし、その表情はレキ以上に変化に乏しく、まるで感情そのものが欠落しているようにさえ見える。

 

 だあ、その姿を見た瞬間、友哉とキンジは同時に目を剥いた。

 

LOO(ルウ)・・・・・・・・・・・・」

 

 それは、宣戦会議の時にアメリカの大使としてやって来たLOOだった。流石に、あの時アリアに破壊されたような、戦車姿ではないが。

 

 だが、宣戦会議の時と比べると、明らかに様子が違う。あの時はまだ、人間味のある仕草をしていたのだが、今は完全に人形のような印象があった。

 

 そんな友奈(友哉)たちに、マッシュは自慢するように言った。

 

「これの様子が昨年と違うのが気になるんだね。まあ、無理も無い。あの時は計画の担当者が遠隔で操縦していたんだけど、今は完全に自立機動中(スタンドアローン)だからね。もっとも、言語機能のソフトがまだ未発達でね。だから、僕が設定してしゃべれないようにしてあるのさ。もっとも、この状態でも対人戦闘は充分にこなせるけどね」

 

 まるで、自慢のおもちゃをひけらかすようなマッシュの言葉に、苛立ちはさらに募る。

 

 別にLOOに思い入れる心算は無いが、それでも、人1人を自分の支配下に置いてるかのような言動は、不快以外の何物でも無かった。

 

 それにしても、

 

 友奈(友哉)は改めてLOOの姿を見やる。

 

 宣戦会議の時には気付かなかったが、マッシュの説明を聞くに、どうやらLOOは普通の人間ではなく、自立機動型の兵器人間であるらしい。

 

 恐らく、アメリカ軍が開発を進めている、無人兵器計画の一環なのだろう。

 

 近い将来、こうした無人兵器が主流になる時代が来るのかもしれない。そして、その頂点に立つのが、マッシュ・ルーズヴェルトと言う訳だ。

 

「さて、それじゃあ、そろそろ僕はお暇させてもらうけどジーサード、帰る前に君に、これだけは言っておくよ」

「・・・・・・何だよ?」

 

 鋭い眼つきで睨み付けるジーサード。

 

 それに対し、

 

 マッシュもこれまでに無いくらい、敵意に満ちた眼差しで言った。

 

「僕が敬愛したサラ博士が亡くなったのは、君のせいだ」

 

 サラと言うのは、ジーサードをはじめとする人工天才(ジニオン)の開発に携わった科学者である。

 

 過去に何らかの理由で死亡したらしいのだが、ジーサードはそのサラ博士を蘇らせる為に色金を求めているそうだ。

 

「君がもっと強ければ彼女は死なずに済んだのになァ 実に残念だよ。彼女が生きていたら未来の大統領夫人として取り立ててあげたのに」

 

 そのマッシュの言葉に、ジーサードは手にしたグラスを砕きそうな勢いで握り締める。

 

「故人を貶める発言は、最も低レベルな発言の一つだ。乗るな、ジーサード」

 

 今にも掴み掛りそうなジーサードを、先程とは逆に、今度はキンジが制する。

 

 だが、そんな2人のやり取りを見て、マッシュは勝ち誇るように告げる。

 

「一応、教えておくと、僕も人工天才(ジニオン)の1人さ。もっとも、君達と違って、君等の父上の遺伝子から生まれた訳じゃないけどね。僕はRシリーズの3番目(サード)。武力ではなく知力を強化されたタイプだ。僕のIQは407。その頭脳から導き出した計算では、僕と君達が戦った場合、僕が200戦199勝1引き分けで無敗。勝率99.5パーセントだ。判るかい? 頭の悪い君達は、決して僕には勝てないのさ」

「ハッ そんな机上の空論に何の意味がある」

 

 言われっぱなしでは腹の虫がおさまらない、とばかりにキンジは言い返しにかかる。

 

「武偵にはこんな言い習わしがある。うまく力を合わせれば、1+1は3にも4にもなる」

「成程。ここまで頭が悪いとはね。算数もまともにできないのかい?」

「ものの例えが判んねえお前の方が頭悪いだろ。こっちは、数字を超越した、その、何かがあるって事だ」

 

 キンジの言葉を聞きながら、友奈(友哉)は思わず嘆息しつつ頭を抱えた。

 

 気分的にはキンジに賛同したい気持ちでいっぱいであるが、せめて口げんかを仕掛ける時は自分の意見を纏めてからにしてもらいたかった。

 

「あ、兄貴、あんまりしゃべるな。アホがばれる」

 

 ジーサードも同意見らしく、やや頬をひきつらせたようにしてキンジを宥めている。

 

 だが、キンジは弟の制止を振り切るようにして、更に言い募る。

 

「覚えておけ、マッシュ。お前は地位が高い事が自慢のようだが、エリートで地位が高い奴ほど、失敗した時に失う物は大きいって事をな」

「うーん。失敗した事が無いから判らないね」

 

 言い募るキンジを、小馬鹿にした調子で鼻で笑うマッシュ。

 

 そのまま、これ以上話す事は無いとばかりに立ちあがる。

 

「それじゃあ、生きている君達と会うのは、これが最後だ。次に君等を見る時は、君等が死体袋に入っている時だろうからね。僕は申請してネバダにあるエリア51の防衛任務に就く事になっているから、瑠瑠色金が欲しかったら攻めておいで。万が一、戦闘中に投降した場合は、刑務所(アルカトラズ)での楽しいバカンスを約束するよ。あそこには、今まで僕が送り込んだ荒くれ共がたくさんいるしね。ジーサードも、今の内に身辺整理をしておきたまえ。君を始末したら、あのビルは僕がもらう予定だからね。君が金を流している学校も、差し押さえてあげるよ」

 

 マッシュの言葉に、友奈(友哉)は昼間に言ったジーサード記念小学校の事を思い出す。

 

 身体に障害がある子供達が集められた小学校は、ジーサードの出資によって人並みの教育ができている。

 

 だが、もしマッシュがあの学校を差し押さえるような事があれば、彼等は路頭に迷う事になりかねない。

 

「あの子達は関係無い筈ですッ それなのに巻き込む気ですか!?」

知った事じゃないね(ザッツ ノット マイ ビジネス)

 

 激昂する茉莉に対し、マッシュは鼻で笑いながら肩をすくめて見せる。

 

「この国は権力と金が全てだ。万一、君達が生き残ったら、権力に訴えるなり、金を使うなりすればいい、その力が僕よりも上なら、僕を止める事も可能だろう。まあ、ミクロ並みの可能性だろうけどね」

 

 その言動に、

 

 ついにこらえきれなくなった友奈(友哉)とキンジが動く。

 

 立ち上がって、マッシュに掴み掛ろうとする。

 

 だが、

 

 次の瞬間、

 

 友奈(友哉)と茉莉の喉元に、刃が突きつけられた。

 

「動くな」

 

 龍次郎の鋭い声。

 

 その手にあるレイピアが、友奈(友哉)ののど元に突き付けられている。

 

 目を転じれば、茉莉ののど元には先端の鋭い大振りなナイフが突きつけられている。

 

 レイピアを使用する際に、併用される事が多いマンゴーシュと言うナイフだ。主に、相手の内懐に飛び込んで、トドメの一撃を与える時に使用される。

 

 キンジの方も、動きを封じられていた。

 

 マッシュの腕を掴んだものの、その腕をLOOに掴み返されている。

 

 友奈(友哉)はギリッと歯を鳴らして、龍次郎を睨み付ける。

 

 まさか、武偵校でも最速の域にいる自分と茉莉が、こうもあっさりと動きを封じられるとは、思っても見なかった。

 

 しかし、それも無理のない話であろう。

 

 友奈(友哉)や茉莉の動きは確かに素早い。恐らく、屋外でまともに戦えば、龍次郎と言えど苦戦は免れないだろう。

 

 だが、龍次郎の速さは、友奈(友哉)たちとは次元の異なる速さである。

 

 例えるなら、最小の動きで最速を実現する、と言うべきか、一切の無駄を排した動きがあるからこそ、鋭い攻撃が実現できるのだ。

 

 このような屋内の戦闘では、龍次郎の方が友奈(友哉)たちよりも素早く動く事ができるのだった。

 

「緋村、瀬田、再度の警告だ」

 

 2人に油断なく刃を突きつけながら、龍次郎は言う。

 

「ジーサードと手を切り、日本に帰れ。今なら、外務省の権限において、君達2人を安全に帰国させる事を約束する」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 龍次郎の言葉を聞き、歯噛みする友奈(友哉)

 

 この場にあっての支配権は、完全にマッシュに握られている。

 

 そして、事情は分からないが、龍次郎はマッシュに与している。

 

 事態は、完全に友奈(友哉)たちにとって不利に働いていた。

 

「返答は?」

 

 更に刃を突きつけて迫る龍次郎。その目は本気である。ここで友奈(友哉)たちが拒否の回答をすれば、本気で喉元を抉るつもりだ。

 

 息を呑む友奈(友哉)

 

 どうにか、反撃の手段を講じようと、体に力を入れた。

 

 その時、

 

「外務省の人間が、一般人を脅迫するのは感心しないな」

 

 低い声で告げる言葉と共に、龍次郎の肩に手が置かれた。

 

 振り返る龍次郎。

 

 そこには、いつの間に現れたのか、四乃森甲が、鋭い眼差しで龍次郎を睨みながら立っていた。

 

「甲さんッ」

 

 驚いて声を上げる友奈(友哉)

 

 甲が近付いてきている事には、全く気付かなかった。

 

「京都武偵局特命武偵の四乃森甲か・・・・・・・・・・・・」

 

 龍次郎は、苛立たしげに吐き捨てる。

 

 そんな甲とにらみ合いながら、

 

 龍次郎は舌打ちすると、剣を引っ込める。甲の登場によって、この場での自分達の優位性は失われたと判断したのだ。

 

 最後に、茉莉と友奈(友哉)を見据えると、龍次郎は剣を収めた。

 

 ほぼ同時に、LOOに腕を掴まれたキンジも、握力の限界に達して手を放してしまった。

 

「汚い手で触るな、黄色い羊(イエロー・シープ)

 

 侮蔑の言葉を投げ掛けると、マッシュはキンジの手を払い、そのまま踵を返してカフェを出て行く。

 

 それに付き従う形で、LOOと龍次郎もカフェから出て行った。

 

 同時に、カフェ全体を支配していた重い空気も解消される。

 

 どうやら、この場での激突は回避されたみたいだった。

 

「助かったよ、甲さん」

「いや、パーティ会場からお前等が出て行くのが見えたからな。後をつけて来て正解だったようだ」

 

 そう言うと、甲はジーサードへと向き直る。

 

「大丈夫か?」

「・・・・・・ああ、問題無ェよ」

 

 尋ねる甲に、ジーサードはぶっきらぼうに答える。

 

 しかし、そこに常の強気な態度は見られず、完全にマッシュにしてやられてしまった感じであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 外に出ると、外気が否応なく吹き付けてくる。

 

 どうやら外で待機していたらしいアンガスが車を回してくれるとの事だったので、友奈(友哉)と茉莉は、カフェの外で並んで待っていた。

 

「・・・・・・・・・・・・悔しいです」

 

 茉莉はうつむいたまま、唇を噛みしめている。

 

 マッシュに対して、一言も言い返せなかった事が、悔しくて仕方が無いのだ。

 

 そんな茉莉の肩を、友奈(友哉)はそっと抱き寄せる。

 

 悔しいのは友奈(友哉)も同じである。

 

 マッシュの力は、これまで友奈(友哉)たちが相手にした敵とは次元が異なる物だ。正直、どう戦えば良いのか見当も付かない。

 

 だが、これからの世界には、マッシュのような存在こそが、もしかしたら必要とされるのかもしれない。

 

 指先一つで大部隊を動かし、自身はモニターの前から動かずに、まるでゲームをするように戦争を行うマッシュ。

 

 そして今、アメリカと言う国はマッシュの存在を公に受け入れている。それはつまり、マッシュこそが社会的には、紛れもない正義だと言う事だ。

 

 そこから行けば、自分やキンジ、更にはジーサードの存在ですら古いのかもしれなかった。

 

 その時、

 

「あー、君達」

 

 突如、横合いから声を掛けられ、友奈(友哉)と茉莉は揃って振り返る。

 

 そこには、スーツ姿をした、長身の白人男性が2人、柔らかい笑みを浮かべて立っていた。

 

「何ですか?」

 

 警戒するような眼差しを向ける友奈(友哉)に対し、白人男性はフレンドリーな調子で語りかけて来た。

 

「君達、さっきカフェで、マッシュの奴と話していただろ」

「俺達、上からの命令で、あいつの護衛に来たんだよ」

 

 その言葉に、友奈(友哉)と茉莉はとっさに身構える。

 

 どうやら、カフェの外で見張っていた私服警官らしい。

 

 マッシュの護衛としてきた、と言う事は、こちらに対し何らかの危害を加える事が目的で近付いてきたと考えられる。

 

 先制攻撃を仕掛けようと、体に力を入れる友哉。

 

 だが、白人警官たちは、慌てて手を上げて友奈(友哉)たちを制した。

 

「おいおい、慌てるなって。別にアンタ達をどうこうする気は無いよ」

「そうそう。何か話聞いてたら、マッシュのクソ野郎よりも、君達の方が良い者っぽかったからな」

「おろ?」

 

 思わず、友奈(友哉)と茉莉は、キョトンとして顔を見合わせる。

 

 どうやら彼等は戦う為に来た訳ではないらしい。それどころか、内心ではこっちの味方っぽい感じすらする。

 

「立場上、味方になってやることはできないが、俺達は君達を応援しているよ」

「頼むぜ、あの野郎をぶっ飛ばしてくれよな」

 

 そう言うと2人は、サムズアップしながら去って行く。

 

 その背中を、友奈(友哉)と茉莉はポカンとした調子で眺めていた。

 

 やがて、

 

「何だ・・・・・・・・・・・・」

 

 友奈(友哉)は苦笑しながら呟いた。

 

 アメリカ人の全てが権力志向な訳じゃない。中にはこうして、反骨精神を持つ人間もちゃんといるのだ。

 

 考えてみれば、彼等は世界中の誰よりもヒーローを愛する人々だ。そんな彼等が、マッシュのような外道を許せるはずもない。

 

 その事が判り、友奈(友哉)と茉莉は何となく救われた思いになるのだった。

 

 

 

 

 

第6話「パクス・アメリカーナ」      終わり

 



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第7話「逆境こそ前向きなれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いよいよ時は来た。

 

 出撃準備を整えたサジタリウスの前に整列した部下達を前にして、ジーサードはピシッと直立不動にして立つ。

 

「よし、今から、ネバダ州グレーム・レイク空軍基地、通称『エリア51』、第89A管理区を再強襲する」

 

 整列するジーサードリーグの面々は、ボスの訓示を黙って聞き入っている。

 

 その傍らには、キンジ、レキ、友哉、茉莉の姿もあった。

 

「目的は瑠瑠色金の奪取。理由は俺の私利私欲、それと、それに比べればちっぽけな理由だが、神崎・H・アリアの緋緋神化に伴う世界戦争を未然に防ぐ為でもある」

 

 いや、それはどうなんだ?

 

 ゴーイング・マイウェイを地で行くジーサードの発言に、友哉、キンジ、茉莉の3人は無言でツッコミを入れる。

 

 が、ジーサードリーグの面々+レキは、全く気にした様子は無い。

 

「空路は親俺派の州と地域を通るが、一部、ユタ州とネバダ州は反俺派の勢力圏にある。そこは前回同様、マッシュ・ルーズヴェルトによる妨害が予想される」

 

 ジーサードの言う親俺派と反俺派とは、民主党と共和党を意味している。アメリカは州ごとの連邦制を取っており、それぞれの州によって政党の勢力も違う。いわば、各州が独立した小規模の国家であると考えれば近い物がある。

 

 その為、どうしても一部、敵の制空圏を通らなければいけないようだ。

 

「マッシュは与党の連中に可愛がられているが、他国の自由を冒涜する者。それがどこの国だろうと、人民の自由を冒涜する者はアメリカの国賊だ。心置きなく、そして腹括ってかかれッ!!」

 

 マッシュは己の出世の為に、他国を踏み躙ると堂々と公言して見せた。

 

 もしかしたら、彼の言う事は真実で、彼の正義はアメリカの発展につながるのかもしれない。

 

 だが、友哉達は日本人であり、アメリカの正義を語るマッシュには賛同できない。

 

 否、そんな問題ではない。

 

 たとえどのような理由であろうと、己の欲望の為に他人を踏み付けにする人間を許すわけにはいかなかった。

 

「待ってくださいサード様」

 

 ジーサードの訓示を聞き終えてから、ツクモが挙手をして発言を求めた。

 

「兵装は整えましたが、前回と同じで、しかもサード様が前回失った装備を古いスペアで補っており、お怪我も回復しているとは言えません。その・・・・・・このままでは不利です!! マッシュはまた、あの大兵力で迎撃してくるに違いありません!!」

 

 ツクモの言うとおり、ジーサードは吹き飛ばされた義手を古いパーツで補っている。怪我も万全とは程遠い状態だろう。

 

「その通りだ。正しい事を言ったお前には、あとでボーナスをやろう!!」

 

 ジーサードはツクモの意見を肯定する。

 

 肯定しておいて、受け入れる気が一切無い当たりは、実に彼らしいが。

 

「おいジーサード、俺もツクモと同意見だぞ。どうせ迎撃を受ける航路に前回と同じ航路で突っ込むとか、無謀すぎるだろ。せめて、新しい作戦の説明とかしないのかよ?」

 

 さすがに見かねたらしいキンジが、弟の耳を引っ張りながら言い募る。

 

 実際、何の作戦も無しに突っ込んだ日には、再度の返り討ちに遭うのは目に見えているのだが。

 

 対して、ジーサードは顔をしかめて兄の手を払う。

 

「いってえなッ 作戦なんか無ェよ。ただ突っ込んで、敵が来たらぶっ飛ばすだけだ」

「いや、流石にそれはちょっと・・・・・・」

 

 とっても頭の悪い作戦をご披露してくれるジーサードに、友哉も嘆息を禁じ得ない。

 

 その一方で、ツクモは涙目になりながらビシッと敬礼する。

 

「判りましたサード様ッ ツクモも一緒に玉砕いたします!!」

「いえ、ツクモさん。お願いですから、ちょっと落ち着いてください」

 

 茉莉が苦笑気味にツクモを宥める。

 

 ツクモの特攻精神は買うが、協力する身としては、もう少し勝率を上げる努力をしてほしいと言うのが本音である。

 

「冗談だ、作戦はある」

 

 ジーサードのその言葉に、一同はホッとする。

 

 どうやら、何も考えていない訳ではなかったらしい。

 

「今回の作戦は、『兄貴に何とかしてもらう』これで決まりだ」

『おお、成程!!』

「よし、お前等、全員そこに並べ。一発ずつ殴ってやる。桜花で」

 

 居並ぶ全員が「ポムッ」と手を打つ中、1人、キンジはキレ気味に鬼軍曹振りを見せ付ける。

 

 その視線が、傍らに立つ友哉と茉莉にも向けられた。

 

「お前等まで悪ノリしてんじゃねえよ!!」

「ああ、ごめん。つい・・・・・・」

「何だか、頷いておかないと、人としてどうかと思いましたので」

「ふざけんなァ!!」

 

 キレるキンジを余所に、ジーサードは部下達を見回して言う。

 

「悪ィな、お前等。エリア51の瑠瑠色金は、冷戦時代にソ連のエージェントが盗みに来たり、国内の強盗も大勢挑んだが誰も取れなかったお宝なんだ。いっぺん、俺も黒星付けられちまったしよォ。だからもう、今回はこういうオカルトに頼るしかねェのさ」

「俺をオカルト呼ばわりするなッ 人工天才のくせに、もうちょっとましな方法は考え付かねえのかよ!? だいたい、誰も取った事が無いんじゃ、いくら何でも不可能だろうがよ!!」

 

 確かに。

 

 キンジの言うとおり、気合でどうにかなるレベルではない。たとえキンジが十全に実力を発揮したとしても、今回ばかりは難しいかもしれない。

 

 いかにこれだけのメンツでも、鉄壁の防衛ラインを抜くのは容易ではないだろう。

 

 しかし、その質問を待っていたように、ジーサードはニヤリと笑った。

 

「いや、世界で言えば1人だけ、エリア51から瑠瑠色金を盗む事に成功した奴がいたぜ」

「誰だ、そいつは?」

「アルセーヌ・リュパン3世だ。奴には優秀なお仲間がいたらしいが、チームとしてはたったの4人。しかも、全員、使用する武器は銃と刀だけだったって話だ。それに比べれば、俺達の方がはるかにマシさ」

 

 その言葉を聞いて、友哉達は息を呑んだ。

 

「理子さんの、お父さんですか・・・・・・・・・・・・」

 

 茉莉が感慨深そうに、呟きを漏らす。

 

 追い風が、意外な形で吹いた気がした。

 

 理子の父親は恐らく、その時に盗んだ色金を使って、理子が持っているロザリオを作ったのだ。

 

「この馬鹿兄貴は、自分の異名も忘れて『不可能』と言ったが、不可能という概念は悪霊のような物だ。人間の心に取りついて心を挫く。前に不可能だった事に再び挑むのは、他人には愚かしく思えるかもしれねェ。だが、そう思う事こそが愚かだッ 確かに、今回成功する保証は無ェ。だが、だめだったらまた挑む。俺が死のうと、兄貴が挑む。その次もあるだろう。挑むんだ、何度でも。何度でも無限に挑み続ける相手を前に、永久に戦い続けられる敵はいない。たとえ悪霊と言えども例外じゃねェんだ」

 

 ジーサードが発する一言一言に、力強い響きが宿る。

 

 これこそが覇者の言葉。

 

 この場にいる仲間たち全員を魅了する言霊が込められているかのようだ。

 

「古来から人類は数多の不可能を可能にしてきた。海を渡り、空を飛び、月に着陸してきた。今また、俺達が不可能を可能にする。誰も、それを見てはいないだろう。密かに世界を救ったところで誰の賞賛も得られないだろう。だが、そんな事は気にするな。必ず、俺が見届ける。お前自身も、お前が成し遂げる姿も、必ず見届ける。やるぞ、今日俺達はエリア51に到達して、コロンブスに、リンドバーグに、アームストロングになる。全ての不可能において、いつか誰かがなるんだ。それが今だッ それが俺達だ!!」

 

 演説が冴え渡り、心の芯まで響き渡る。

 

 アンガスが、アトラスが、コリンズが、海斗が、ロカが、ツクモが、自分達の君主を見据えて打ち震えている。

 

 この男がいるからこそ、自分達は戦える。

 

 この男の為ならば、笑って死地へと旅立てる。

 

 そう思わせる程の絶対的なカリスマが、ジーサードには備わっているのだ。

 

 友哉もまた、己の中で決意を新たにする。

 

 色金の事が無くとも、マッシュは必ず倒さなくてはならない。

 

 自分の正義がアメリカの為になると言っていたが、マッシュはジーサードを倒した暁には、ジーサードが出資している学校を取り潰すと言っていた。

 

 あの学校にいる子供達は皆、身体的なハンデを負いながらも一生懸命に生き、そしてジーサードに憧れる純粋な子達だった。

 

 マッシュは、そんな子達から教育を受ける権利を奪うと言ったのだ。

 

 とどのつまり、アメリカの為と言いながら、マッシュにとっての「アメリカ人」とは「自分の利益になる人物」のみを差しているのだ。

 

 そんな正義は認めない。

 

 誰でもない、自分達が決して認めない。

 

 マッシュは自分のIQが武器であり、そこから導き出した計算力を自慢していた。

 

 だが、友哉の異名は「計算外の少年(イレギュラー)」だ。彼の名探偵シャーロック・ホームズですら、その行動を制御しきれなかった自分が、マッシュ如きに負ける心算は、毛頭無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 満天の星空の下、ジーサード以下、エリア51強襲チームを乗せたサジタリウスが、一路、ネバダ州を目指して飛翔している。

 

 サジタリウスはガンシップの如き武装が施され、不意の襲撃にも万全の状態を整えている。

 

 だが、敵がどのような手段で迎撃してくるか判らない以上、どれだけ武装を整えたとしても、油断はできなかった。

 

 星明りの下、サジタリウスは敵対勢力圏である筈のユタ州を通過し、更に順調に飛行していく。

 

「敵は、どんな手で来るのでしょうか?」

 

 菊一文字を僅かに抜いて具合を確かめながら、茉莉は傍らに座って読書をしているコリンズに尋ねた。

 

 この場には他に、ツクモとロカの姿もある。

 

 他の者は皆、操縦屋敷を担当しているか、あるいは別の部屋で待機していた。

 

「そうねえ、前の時はミサイルと無人戦闘機が、それこそハリケーンみたいな勢いで襲って来たけど、今回もそうなるんじゃないかしら?」

 

 コリンズの説明に、茉莉はグッと息を呑む。

 

 相手がミサイルや戦闘機では、刀は何の役にも立たない。最悪、サジタリウスに乗ったまま撃墜される可能性すらある。

 

 ジーサードリーグの面々にしても然り。大半が対人戦闘の専門家であり、戦争用兵器との相性は悪い。

 

「大丈夫よ」

 

 ロカが、口元に僅かな笑みを浮かべて言う。

 

「あなたは、いざとなったら緋村に守ってもらいなさい」

「良いわね、守ってくれる素敵な彼氏がいるって素敵な事よ」

「羨ましい・・・・・・・・・・・・」

 

 コリンズは笑顔で体をくねらせ、ツクモは指を咥えて呟く。

 

 そんな一同を前にして、茉莉は顔を紅くして縮こまった。

 

 勿論、戦場で友哉に頼り切る気は無い。むしろ、自分が友哉を助ける心算で戦っている。

 

 しかし、彼氏持ちの女子高生としては、颯爽と恋人に助けてもらう、と言う「お姫様」ポジションに憧れがない訳ではない。

 

 壁に寄り掛かって海斗と話し込んでいる友哉をチラッと見ながら、茉莉はそんな事を考える。

 

「まったく、そう言う事なら早く教えてくれればよかったのに。早く言ってくれれば、ニューヨークにいる間にデートのセッティングしてあげたのに」

「あら、まだ遅くは無いでしょ。帰ってからゆっくりすれば良いわよ」

 

 コリンズとロカが何やら語っているのを赤面して聞きながら、茉莉は顔を俯かせる。

 

 終わって帰ったら、友哉を誘ってデートする。それは茉莉自身、出発前から考えていた事でもある。

 

 その為にも、この戦い、何としても勝ち残ろうと思った。

 

「・・・・・・・・・・・・夜明けだよ」

 

 窓の外を見ていたかなめが、静かな口調で言った。

 

 ここまで、敵の迎撃は無い。

 

 だが、これは嵐の前の静けさだ。

 

 間もなく、戦いの幕が上がる。

 

 その時だった。

 

 椅子から立ち上がったジーサードが、インカムに向かって叫ぶ。

 

「レーダー!! 赤外線!!」

《い、異常無しであります!!》

《いや、たった今、6時方向にノイズレベルの捕捉反応が明滅(ブリンク)!!》

 

 コックピットに詰めているアトラスとアンガスから、矢継ぎ早に報告が入る。

 

 ジーサードは最新式のセンサーよりも先に、気配で敵の攻撃を察知して見せたのだ。

 

 次の瞬間、一同に緊張が走った。

 

 ついに、敵が仕掛けて来たのだ。

 

「恐らく超小型ステルスだッ 低高度監視を強化!!」

 

 ただちに回避行動に入るサジタリウス。

 

 敵は恐らく、山岳地帯から発進し、低高度で接近してきたのだ。

 

 航空機用レーダーと言う物は、低高度索敵には向いていない。レーダー波が地表に乱反射してしまい、目標を画像として捉えら難くなるのだ。一応、低高度専用レーダーと言うのもあるにはあるが、そちらは通常レーダーに比べて、どうしても探知範囲が狭くなる。

 

 ましてか、山岳地では山が邪魔になってしまい、探知はほぼ不可能となる。

 

 敵はこちらのレーダー探知範囲外から発進し、音も無く忍び寄って来たのだ。

 

 旋回に伴い、サジタリウスが大きく傾く。

 

 期待の中でメンバー達がバランスを取る中、更に事態は悪化する。

 

「高高度から更に1機、来るぞ!!」

 

 ジーサードの警告が走る。

 

 挟まれた。

 

 サジタリウスのような大型機では、直上の監視も甘くなる。本来は、そうならないように、こちらも高高度を取るのがセオリーだが、今回は地上目標へ密かな接近が目的である為、その手も取れなかった。

 

 今回は、自分達の目的が仇となってしまったのだ。

 

 敵はステルス機能に加えて、光学遮断システムも採用している。目視照準も不可能。迎え撃つには、熱源を探知した目標を撃つしかない。

 

捕捉(キャッチ)!! 回り込んでくるでありますッ 7時方向、および直上高高度!! 更に接近中!!》

 

 アトラスが叫んだ直後、小型機が搭載したミサイルを発射する。

 

 熱源探知型のスティンガーミサイル。

 

 既に必中距離だ。

 

 迎撃は、間に合わない。

 

 次の瞬間、衝撃が左右から襲ってきた。同時に、何かが致命的に請われる音が響き渡る。

 

《1号エンジン大破ッ 2号中破、3、4号正常。右垂直尾翼前喪失、右翼は損傷激しく全喪失ッ  操縦不能(アンコントロール)油圧降下(ハイドロ・フォール)。全プロップ、60度より戻りません。目的地より120マイル手前ですが、もう降りましょう》

 

 アンガスの冷静な声が響き渡る。

 

 今の一撃でサジタリウスはエンジンの半分と舵、それに右翼をやられてしまった。これ以上の飛行は不可能である。

 

 それでも一気に降下せず、緩やかに高度を下げつつあるのは、機体の性能とパイロット2人の技量ゆえだろう。

 

 いずれにせよ、これで一気に敵本拠地へ攻め込む案はご破算である。

 

 エンジンの火災が機内に逆流し、煙が噴き上げる。

 

 ロカやツクモ、茉莉が激しくせき込む。

 

「気を付けェ!! うろたえるな!! 耐衝撃姿勢!!」

 

 ジーサードの力強い声が響く。

 

 その間にも、急速に地面へと近付いていくサジタリウス。

 

 次の瞬間、

 

 ガクッと高度が落ち、それに伴い、一瞬襲ってきた浮遊感によって、全員の体が宙に投げ出される。

 

 その時、

 

 空中を浮遊する茉莉目がけて、大きなコンテナが飛んでくるのが見えた。

 

 目を見開く茉莉。

 

 未だに空中にある少女は、とっさに方向転換して回避する事はできない。

 

「クッ!?」

 

 とっさに友哉は。傾斜によって斜めに傾いだ壁を蹴って落下に逆らうと、空中に投げ出されていた茉莉の体を抱き留める。

 

「友哉さんッ」

「大丈夫!!」

 

 間一髪、コンテナは友哉の足先を掠めて落下していった。

 

 茉莉の頭をしっかりと抱きしめて、対ショック姿勢を取るように体を小さく丸める友哉。

 

 やがて、轟音と共に、サジタリウスの巨体は砂漠へと突っ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よしッ 前回よりは近付けたぜ」

「そのポジティブシンキング、実に・・・・・・実に羨ましいよ」

 

 胸を張るジーサードに、友哉は大きく肩を落としながら言った。

 

 砂漠に突っ込む形で不時着したサジタリウス。

 

 その巨大な翼が大空を舞う事は、二度と無いだろう。

 

 しかし、翼はその身を犠牲にして、メンバー全員を助けてくれた。

 

 死傷者は無し。あれだけ派手に墜落しておいて、状況的には奇跡である。

 

 とは言え、未だにエリア51までは200キロ以上ある。距離的には東京~静岡間よりも遠い。

 

 歩いて行くのは、事実上不可能に近い。

 

 とにかく、状況を整える必要があった。

 

 まずは手分けして、残骸と化したサジタリウスから、水と食料、使える武器弾薬を可能な限り運び出す。

 

 そんな中、活躍したのはアトラスだった。

 

 彼はパーソナル(P)アーセナル(A)アーマー(A)と言う科学甲冑の使用者で、これにより、常人を遥かに超えたパワーを発揮できる。

 

 そのアトラスが中心になって荷物が運び出された後、サジタリウスは爆破処理された。

 

「これから、どうするんですか?」

 

 途方に暮れた調子で、茉莉が尋ねる。

 

 生き残ったのは良いが、砂漠の真ん中で移動手段を失ってしまった。

 

 食料と水はあるが、アンガスの計算では良い所2日分との事だった。

 

 今は、コリンズが日課である礼拝をしているのを、みんなで待っている状態である。

 

 イスラム教徒のコリンズは、毎朝のお祈りを欠かしていないのだが、こうなると神頼みでも何でも、縋れる物には縋りたい気分である。

 

 待つこと暫く。

 

 祈りを終えて頭を上げたコリンズが、振り返ってジーサードを見た。

 

「サード、ちょっと。アンタの耳ならわかるかも」

 

 そう言って、地面を指差すコリンズ。どうやら、神頼みの効果があったらしい。

 

 促されてジーサードは地面に耳を付けると、暫くして顔を上げた。

 

「・・・・・・こっちだ、歩くぞ。人工物で風が遮られている」

 

 言うや否や、ジーサードは皆を誘導するようにして歩き出した。

 

 

 

 

 

 北海道の3倍の広さを誇り、全面積がほぼ砂漠と言うネバダ州は、ただ歩くだけでも苦行の道である。

 

 皆は少しずつ水分を補給しながら行軍していく。

 

 幸い、季節が冬な事である為、絶望的な気温上昇は無かったが、踏むだけで崩れる砂地は、墜落の衝撃で、ただでさえ消耗している体力をさらに削って行く。

 

 しかも吹き付ける砂埃が、顔と言わず、髪と言わず、服と言わず付着していき、不快感が徐々に増していく。

 

「茉莉、大丈夫?」

 

 友哉は傍らを歩く彼女を気遣いながら足を進めていく。

 

 元々、茉莉は体力面にネックがある。長時間、このように足場の悪い地面を歩くのは不慣れなはずである。

 

 だが、茉莉は健気に笑って見せる。

 

「大丈夫ですよ」

 

 言いながら、茉莉は傍らのロカやツクモに目を向ける。

 

 体力面に問題があるとすれば、彼女達も大差無い筈。自分だけが音を上げる訳にはいかなかった。

 

「あの、友哉さん」

「おろ?」

「さっきは、その・・・・・・ありがとうございました」

 

 さっき、と言うのは、墜落直前のサジタリウスで、抱き留めてもらった時の事だった。

 

 おかげで茉莉は、怪我一つする事無かった。

 

「茉莉に怪我が無くて良かったよ」

 

 そう言って微笑む友哉。

 

 やはり、友哉は自分のピンチの時には助けに来てくれる。

 

 サジタリウス内部で、ロカやコリンズに言われた事が、茉莉の中で思い出された。

 

 勿論、ただ守られているだけの心算は無い。

 

 今度は、自分が友哉の力になる番だと、茉莉は改めて自分の中での決意を固めていた。

 

 だが、本当の意味で辛いのは、日が落ちてからだった。

 

 日中には気温が上がる砂漠も、夜になれば氷点下まで気温が下がってしまう。

 

 吐く息は白くなり、皆がボロボロになりながら歩きとおして、時刻は深夜11時。

 

 ようやく、目的の場所へとたどり着いた。

 

 そこは、西部開拓時代の名残と思われる遺跡で、既に数十年前に打ち捨てられた街の後だった。

 

 中央付近に何か大きな建物があるのが見えるが、月明かりだけでは、その正体が何なのか判らない。

 

 完全に廃墟であり、人の気配は無い。所謂、ゴーストタウンと言う奴だ。

 

 こんな場所でも、全盛期には多くの人が行き交い、夢とロマンに胸を膨らませていたのだろう。

 

 この遺跡を見るだけで、当時の活気が蘇ってくるようだった。

 

 そのうちの一軒、バーと思われる建物の中へと入る。

 

 自然現象の中で最も体温を奪われやすい物は、雨や雪よりも、むしろ風である。

 

 既に朽ちかけている建物だが、とにかく直接的な風を防げるだけでも段違いにありがたかった。

 

「今夜はここで宿営とする。各自、レーションを摂れ。CⅡ種警戒態勢、巡回睡眠のローテーションはタイプⅠ。休めッ」

 

 指示を下したジーサードは、手近な椅子の砂を払って座り込む。

 

 ロカ、つくも、かなめ、茉莉、レキら女子陣は、壁際に置いてあるピンボールのゲーム台へと集まっている。

 

「やった、まだ動く」

 

 年代物だが、どうやら辛うじて稼働可能だったらしいゲーム機で盛り上がっている。

 

「何と、1934年物のバーボン(ジム・ビーム)がございました。状態も良い。ご賞味いただけますよサード様。残念ながら、チェイサーのビールはございませんが」

 

 カウンターをあさっていたアンガスが、酒の瓶を片手にグラスを探している。

 

「やだわー、セットが崩れちゃった。お肌が荒れちゃう」

 

 コリンズは壁の鑑を見て、髪をセットし直している。

 

「アトラス、缶切りか何か無いか? 缶詰があったんだが保存状態が良い。たぶん食べられるはずだ」

「OKだ、アインス君。他にも、色々と食料を運んできたよ。さあみんな、豪快に食べよう」

 

 海斗に缶切りを渡しつつ、アトラスは運んできた食料をテーブルの上に並べていく。

 

 何とも逞しい連中である。

 

 彼等なら、南極で遭難しても生きて行けるのではないかと思えてくる。

 

 そんな彼等を見ていると、友哉自身、悩んでいる事がバカバカしくなってくる。

 

「なるようになる、かな」

 

 そう呟くと、テーブルの上のトーストを手に取って口に運ぶのだった。

 

 

 

 

 

第7話「逆境こそ前向きなれ」     終わり

 



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第8話「覇者の路線」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前に広げられた冷凍食品の数々は、今の自分達にとってはこの上なくありがたい物である。

 

 友哉は、目の前のテーブルに座って、テキーラをカッ喰らっているご老体を眺めながら、苦笑を漏らした。

 

「いやー 今日はめでたいめでたい!! まさか、こんな田舎のゴーストタウンに本物のヒーローが来てくれたんだからな!!」

 

 そう言うと老人は、ジーサードの肩を叩きながら大笑いしている。なかなか馴れ馴れしい。

 

 この老人、サンダース氏と言うらしいのだが、どうやら以前、所有していた油田が大火災を起こし、絶体絶命の危機に陥った事があるそうだ。

 

 そこへ颯爽と現れ、彼と彼の家族を救ってくれたのがジーサードだったそうだ。

 

 以来、ジーサードの隠れた大ファンになったらしい。

 

 ジーサードが言った通り、アメリカの男達は皆、ヒーローへ憧れる。そこに年齢は関係ないようだ。

 

 バーで休息を取っていた一行の元へと現れたサンダース氏は、大喜びで一行を自宅へと招いてくれた。

 

 このような、人通りすら皆無と思える砂漠のど真ん中で、まさかこちらの味方になってくれそうな人物と出会えるとは。まさに、奇跡としか言いようが無い。

 

 まして、吹き曝しに近いバーに比べたら、掘立小屋と高級ホテル、とまではいかずとも、場末の安ホテル並みには違いがあった。

 

「ほう、グレーム・レイク空軍基地・・・・・・エリア51を攻めたいと。ジーサードは?」

 

 メンバー達とポーカーをしながら、サンダースはそんな事を尋ねてくる。

 

 流石のこの窮状にあって、地元民なら何らかの解決策を持っていないか、と期待して尋ねてみたところ、サンダースは何やら、楽しげな調子で話に乗って来た。

 

「で、反撃喰らって遭難してたのか。奴等はUFOやら何やら飛ばしよるからな。騒音公害でワシもむかっ腹が立っとる。あんた、奴等に一泡吹かせに行くのか?」

「そんなところだ」

 

 ジーサードの答えに、サンダースはニヤリと笑う。

 

大戦争(ビッグゲーム)か、ジーサード?」

激戦(ホット)だぜ」

 

 対してジーサードも不敵な笑みを返す。

 

 どうやら世代こそ違えど、熱い魂を共有していると言う点でこの2人、なかなか似た者同士であるらしい。

 

 サンダースは、そんなジーサードに対して指を鳴らして見せる。

 

「悪くねえぜ小僧。力になってやる。困った時はお互い様(We need each other)じゃ」

 

 ここに来て、運は上がり始めている。

 

 このまま、一気に行く所まで行きたいところである。

 

「サンダース氏、車をお持ちでしたら、お貸し頂けませんでしょうか? 勿論、代金はお支払いいたします」

 

 アンガスの申し出に対し、しかしサンダースは頭を振る。

 

「車じゃ、エリア51までは行けんぞ。車道が無い。ワシゃ、ジープも持っとらん。馬だけだ」

 

 流石に、馬でエリア51に特攻を仕掛ける訳にもいかないだろう。いくらポジティブシンキングなジーサード・リーグの面々とは言え、そこまでは無謀になれない様子だ。

 

 しかし、そんな反応を予想していたかのように、サンダースは身を乗り出した。

 

「だがのォ 別にスペシャルな道がある。明日用意してやるから、楽しみに待っとれ」

 

 

 

 

 

 流石に1日歩き通して疲れたのだろう。ポーカーが終わったあと、そのまま皆、就寝する運びとなった。

 

 ざっくばらんなサンダース翁でも、どうやら最低限の倫理観は備えているらしく、個室は女子達に宛がわれ、野郎たちはリビングやソファーで雑魚寝と言う事になった。

 

 しかし、そこは大柄なアメリカ人。

 

 海斗、アトラス、コリンズ、アンガスの4人が横になると、リビングの床はいっぱいになってしまった。

 

 1軒ある馬小屋の方は、遠山兄弟が入って行くのが見えた。

 

 少し覗いてみたが、何やら兄弟水入らずで話しており、入って行ける空気ではない。

 

「・・・・・・さて、どうしようかな?」

 

 途方に暮れる友哉。

 

 流石に、氷点下の中、外で寝るのは憚られる。

 

 思案の末、先程までいたバーに戻って寝る事とした。

 

 来る時には集団徒歩で30分かかったが、友哉の足なら、単独で走れば5分で到着できる。

 

 サンダース宅に比べれば劣るものの、これでも壁と屋根がある為、寒さはある程度まで凌げる。

 

 友哉は借りて来た毛布を羽織ると、壁に寄り掛かる形で座り、静かに目を閉じた。

 

 流石に、友哉も砂漠の行軍で疲労がたまっている。すぐに意識は曖昧になり始めた。

 

「明日はいよいよ、敵地突入か・・・・・・・・・・・・」

 

 サンダースがどのような移動手段を提供してくれるのかは判らないが、再びマッシュの迎撃があると見て間違いない。

 

 それを切り抜けない事には、エリア51へは辿りつけないだろう。

 

 敵は最新兵器でガチガチに武装している。その防衛ラインをいかにして突破するかが、勝利のカギだろう。

 

 キシッ

 

 控えめに床のきしむ音が、落ちかけた友哉の意識を覚醒させる。

 

 とっさに、傍らに置いてある刀に手を伸ばそうとして、やめた。

 

 戸を開けて入ってくる気配が、よく知っている人物のそれだったのだ。

 

「友哉さん、もう寝ましたか?」

 

 肩から毛布を羽織った茉莉が、静かな声で尋ねてくる。

 

 どうやら、友哉が寝てるかもしれないと思って気を使っているらしい。

 

 そんな茉莉の仕草にクスッと笑いながら返事をした。

 

「まだ寝てないよ」

 

 その言葉に、茉莉は安心したように近付いて来ると、友哉の横に腰を下ろす形で、自分も壁に寄り掛かった。

 

「どうしたの?」

「トイレに行こうとしたら、友哉さんが出て行くのが見えたので、追って来てしまいました」

 

 そう言って、身を寄せてくる茉莉。

 

 何だか、それだけで寒さが和らぐようだった。

 

「あったかいです」

 

 どうやら、同じ気持ちだったらしい茉莉も、そう言って笑う。何だか、悪戯をしている子供のような気分で、少し可笑しかった。

 

 言い得て妙かもしれない。

 

 こうして、2人してこっそり仲間の元を抜け出した年頃の少年と少女が、身を寄せ合って一晩を明かそうとしているのだ。

 

 ちょっとした悪戯気分になるのも無理ないだろう。

 

「茉莉、もっとこっちにおいで」

 

 そう言って、友哉は茉莉の体を寄せ合い、ピッタリと身を付けると、自分の毛布を広げて祭りも包んでやった。

 

 自然、抱き合う形になる2人。

 

 吐息がそのまま、互いの顔を優しくくすぐるのが判った。

 

「・・・・・・・・・・・・あ、あの、友哉さん」

 

 程無くして、茉莉が躊躇いがちに声を掛けて来た。

 

「おろ?」

「その、言いにくい事なんですけど・・・・・・・・・・・・」

 

 茉莉は何かを躊躇うように、口をもごもごとさせる。

 

 やがて、意を決したように先を続けた。

 

「私達の間って、もっと進展させるべきなんでしょうか?」

 

 それは、茉莉がずっと思っていた事だった。

 

 日本では、瑠香や彩夏にさっさと進展させろと、口を酸っぱくして言われる日々が続いている。

 

 キスはした。

 

 付き合い始めてから何回かだが、そこはクリアしたのだ。

 

 しかし、自他ともに認めるほど奥手な性格の茉莉は、どうしても、そこから先に進めないでいた。

 

 勿論、茉莉も手を拱いていた訳ではない。

 

 ある時など、部屋に誰もいない事を厳重に確認した上で、パソコンのある机の前で足がしびれるまで正座した後、爆弾を解除するような慎重な手つきでパソコンを操作し、更に死体袋の中身を確認するような手付きでインターネットのアダルトサイトにアクセスした事がある。(ちなみに、決断から目的のホームページに辿りつくまで要した時間は3時間57分)

 

 開いて、いきなり男女が裸で絡み合っているシーンを見た時には、思わず頭から煙を発し意識を失ってしまったが。

 

 三日後、再度のアクセスを試み(今度は、なるべく写真は見ないようにしながら)読み進めた結果、付き合い始めた男女が肉体関係を持つに至るまでに、最短なら数日しか掛からないと言う。

 

 翻って、自分達は既に、付き合い始めて半年近く経っている。

 

 流石に、不安になってしまった。

 

 もしや、自分は友哉を失望させているのではないか、と。

 

 そんな茉莉に対し、

 

「・・・・・・・・・・・・僕も」

 

 友哉は、躊躇いがちに答えた。

 

「茉莉と、もっと関係を進められたらって思っているよ」

「友哉さん・・・・・・・・・・・・」

「けど、そう言う事って、お互いが本当に望まないうちは、するべきじゃないと思っている」

 

 男女双方にとって、それは軽い気持ちで踏み越えて良い問題ではないと友哉は思っている。

 

 だからこそ、今はまだ、その時ではないと思っていた。

 

 と、

 

 茉莉の頭が、崩れるように友哉の方へと押しつけられる。

 

「おろ?」

 

 気が付くと、茉莉は安心したように目を閉じて、静かな寝息を立てていた。

 

 その可愛らしい様子に、思わず微笑みを浮かべる友哉。

 

 そして、そのまま自分も眠りへと落ちていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 建物の中から出てきたそれを見て、誰もが目を見開いた。

 

 決して大きい、と言う訳ではない。むしろ、現在実用されている物と比べれば、若干小さい印象すらある。

 

 しかし、醸し出す存在感は、比ではなかった。

 

 黒光りする車体に、天に向かって突き出した煙突、まるで巨大な鉄塊を直に削り出したような姿には、小規模ながら「黒鉄の城」と言うイメージがぴったりと合う。

 

 翌朝になり、サンダースは一同を街の中央にある大きな建物へと連れてきた。

 

 どうやら西部開拓時代の駅だったらしい街は、側線が引かれていたらしい。そして、夜に見た時には暗がりで分からなかったが、どうやら中央の建物は車輌車庫だったらしい。

 

 封印を解くようにして鎖を外され、巨大な扉が開かれた中から、圧倒的な存在感とともに姿を現したのは、威風堂々とした佇まいを見せる蒸気機関車だった。

 

「どうじゃ、すごいだろう。ワシの爺さんが乗っていた車輌じゃ。多少錆びついとるが、灯を入れれば、ちゃんと走るぞい」

 

 自慢げに車体を撫でながら、サンダースは車体を撫でる。

 

 よく見れば、車輌前方に掲げている星条旗に描かれている星の数は、現在の50個ではなく、13個の星が円型を描いて書かれている。つまり、この汽車は本当に開拓時代の遺産なのだ。

 

 と、

 

Gosh(神様)!!」

 

 突然の声が上がり、一同がそちらに振り向くと、メンバーの中で一番年長の筈のアンガスが、少年のように目をキラキラと輝かせて車体を眺めている。

 

「何と。何と。これは・・・・・・セントラル・パシフィック鉄道の63C号車! アメリカの国宝の一つではございませんか。薪燃料から石炭燃料に切り替えた初期タイプがまだ現存していたとは、興奮を禁じ得ませんぞ。おおッ 何と美しい臙脂色をしたカウキャッチャー・・・・・・」

「あんた、見る目があるなアンガスさん。ちなみにこいつは大陸横断用(トランス-アメリカン)の車体でな。愛称は『トランザム』だ」

 

 何やら、老人2人が蒸気機関車を見上げて盛り上がっている。

 

「鉄オタか」

「鉄オタだね」

「鉄オタですね」

「・・・・・・」

 

 キンジ、友哉、茉莉、レキの4人が、呆れた調子で爺さんズを眺めている。

 

 トランザムと言うからには、謎粒子を放出しながら速力アップや攻撃力強化等の特殊能力を発揮してほしい所だが、流石にそれは期待できそうにない。

 

 だが、何はともあれ「足」は確保できた。

 

 線路はエリア51内部まで続いていると言う。つまり、上手く行けば一気に敵本拠地まで乗り込めると言う事だ。

 

 ただちに出発準備が始められる。

 

 P(パーソナル)A(アーセナル)A(アーマー)を着込んだアトラスが中心となって荷物が積み込まれ、燃料となる石炭も、たっぷりと積み込まれた。

 

 中には、車に使われるニトロ燃料も運び込まれた。これは万が一の時の加速用に用いられる事になっている。

 

 トランザム号は4両編成で、先頭の機関車と、その後方にあって燃料である石炭と水を積んだ炭水車、そして客車が2両から成っている。

 

 こうして、出発準備が着々と進められていく。

 

 そんな中キンジは、客車に乗り込もうとしているかなめ、レキ、茉莉を前にして手で制した。

 

「お前達は守備役(ギャリソン)に残れ。サンダース爺さんに家を貸してもらえるように、俺が頼んでおくから」

 

 自身もの客車に乗り込もうとしていた友哉が、その言葉を聞いて動きを止めて振り返った。

 

 昨日、サジタリウスが手も無く撃墜されたのを見て分かるように、今回の戦いは多大な危険が待ち受けている。

 

 その事を予測し、キンジは女子達を残そうと思っているのだ。

 

 だが、

 

「この任務では、守備役を配置できる人的余裕はありません」

 

 真っ先に反論したのは、普段は無口なレキだった。

 

 恐らくレキにも、キンジの意図は判っている。それが、自分達を心配した故に出た言葉だと言う事も判っている。しかし、それでも尚、今回の作戦に自分達が必要とされているのを自認している。

 

 だが、キンジは尚も言い募る。

 

「お前達はそもそもジーサードの部下じゃない。レキと瀬田は言うまでも無いし、かなめはもう解雇された身だろ。こんな特攻じみた強襲作戦に着いて来る義理は無いんだ。それに、お前達は女子だ。特にかなめは一番の年下なんだし、安全な所で待ってろ。心配するな。俺は・・・・・・俺達は必ず生きて帰って来るから」

 

 だが、

 

「心外だなァ 私はおはようからおやすみまで、お兄ちゃんを見守る妹だよ」

 

 そう言って微笑むかなめ。

 

 その間にレキは、さっさと客車に乗り込んでしまう。どうやらこっちも、意志を覆す気は無いようだ。

 

 そして茉莉も、曇りの無い笑顔をキンジへ向けた。

 

「遠山君のお気遣いは嬉しいです。けど、ここまで来て、仲間外れは嫌です。一緒に行かせてください」

 

 茉莉の言葉を受けて、友哉はキンジの肩をポンッと叩く。

 

「連れて行くしかないよ。正直、僕もキンジと同意見だけど、ここで置いて行ったら、後でお互い、ご機嫌取りに苦労しそうだし」

「・・・・・・みたいだな」

 

 友哉の言葉を聞いて、キンジは嘆息気味に肩をすくめる。

 

 とにかく衆議一決。全員参加で最終決戦に突入する運びとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早朝からマッシュ・ルーズヴェルトは緊急呼び出しで叩き起こされ、基地内の指令室へと足を運んだ。

 

 室内に入ると、既に司令部スタッフが招集され、それぞれの作業へと入っている。

 

 そして、この中では異質とも言える2人がマッシュの目に飛び込んできた。

 

 日本大使館員の塚山龍次郎武装書記官と、海兵隊のジェス・ローラット中将。

 

 どちらも、マッシュの協力者、および支援者と言う事で、本来なら畑違いの空運基地への立ち入りを許可されていた。

 

「こちらに接近する物体があるって本当かい?」

「はい。速度はそれほど速くありませんが、真っ直ぐこちらに向かってきます。既に偵察型のプレデターを発進させました。間も無く、対象と接触します」

 

 プレデターと言うのは、アメリカ軍が配備を進めている無人航空機である。

 

 昨日、ジーサードリーグのサジタリウスを撃墜したのも、この機体だった。

 

「偵察機が接触しました。光学映像、出ます!!」

 

 オペレーターの声に、マッシュは視線を大パネルに向ける。

 

 そこには、先行偵察に出撃したプレデターから届いたカメラ映像が投影された。

 

 次第に鮮明になる映像。

 

 そこには、煙を吐き出しながら線路の上を突き進む、トランザム号が映し出された。

 

 それを見た瞬間、

 

 マッシュは思わず笑い転げた。

 

「いやー 楽しいッ 実に楽しいよジーサードッ 君にはコメディアンの才能があるみたいだね。まさか、そんなポンコツで、この僕と戦おうと言うのかい!?」

 

 ライバルの意外な復活が、可笑しくてたまらないとばかりに笑い転げる。

 

 それに追従するように、ローラットも大いに腹を震わせて笑う。

 

「ジーサードめ、とうとうヤキが回ったようだなッ どうやらこの勝負、我々の勝ちで決まったも同然だッ」

 

 愉快そうに笑うローラットを横目に見ながら、マッシュは自身の仕事に掛かる。

 

 あのまま、砂漠に埋もれて余勢を過ごすなら、そのまま見逃してやってもいいと思った。何だかんだ言っても同じアメリカ人なのだ。砂漠の端っこくらいに住処を作ってやるくらいの度量はマッシュにもある。

 

 だが、不遜にもさらなる挑戦を続けると言うのなら、相応のもてなしをしてやるまでだった。

 

「稼働全部隊に出撃を命じるんだ。敵はおろかにも、真っ直ぐこちらに向かって来ている。これはボーナスゲームだ。遠慮なく、ハチの巣にしてやるんだ」

 

 マッシュの中でも、既に戦いのシナリオは自分の勝利で終わると確信している。

 

 いかにジーサードが強大でも、自分の持つ戦力に敵う筈がないのだから。

 

「私が連れてきた、海兵隊の精鋭も出撃させよう。念には念を入れるべきだからな」

「ええ、お願いします」

 

 ローラットの言葉に、マッシュは頷きを返す。

 

 本来なら、この男の手など借りたくも無いのだが、確かに相手はあのジーサードだ。打てる手は全て打っておくべきだった。

 

「では、部隊の出撃に合わせて、私も出撃します」

 

 そう言って、席を立ったのは龍次郎である。

 

 既に、手には鞘に納めたレイピアを所持しており、意識は戦闘に向けられているようだ。

 

「頼むよ」

 

 その背中に、マッシュは小馬鹿にするような口調で言う。

 

「君の国の人間があっちに加担しているんだ。責任は、しっかりと取ってもらうからね」

「・・・・・・ええ、判っています」

 

 静かな口調で頷きを返すと、龍次郎はそのまま指令室を出て行った。

 

 その姿を見て、ローラットはあからさまに不機嫌そうな顔で鼻を鳴らした。

 

汚らわしい日本人(イエロー・ジャップ)め。ご機嫌取りに必死と見える。そんなにご主人様に尻尾を振るのが好きなのかね、極東の猿は? プライドの無い連中だ」

「まあ、弱者は強者に頼らないと生きていけないのは世の中の常識ですからね。せいぜい、どんなふうに足掻くのか、見物させてもらいましょう」

 

 そう言うと、マッシュは自分の席に腰掛けて端末を起動する。

 

「さてと、始めようか」

 

 まるで楽しいゲームを始める子供のような、軽い口調でマッシュは言い放った。

 

 

 

 

 

 蒸気機関車の速度は、お世辞にも速いとは言えない。

 

 無理も無い。元々が西部開拓時代の遺物だ。まともに動くだけでも御の字と言わざるをえまい。

 

 加速用のニトロ・パッケージはいざという時の切り札である為、おいそれと使う事はできない。

 

 その為、トランザム号は通常速度を維持したまま、線路の上を驀進していた。

 

 そんな中、いちはやく「それ」の存在に気付いたのは、レキだった。

 

 その茫洋とした瞳を空へと向け、一角を指差す。

 

 促されるように空を仰いだキンジは、視界の中に奇妙な物が浮かんでいる事に気付いた。

 

「何だ? エイ? ・・・・・・いや、クジラか?」

 

 とにかく、相手がかなりの大型である事は間違いない。

 

「航空機のようです。全幅は40メートル強。速度をこの汽車に合わせて、3.2キロの距離を保って追跡してきます」

 

 レキの冷静な言葉を受けて、一同に緊張が走った。

 

 ついに、敵が仕掛けて来た。予想通り、空からだ。

 

「総員戦闘配置ッ 迎撃準備急げ!!」

 

 ジーサードの言葉を受けて、一同は弾かれたように動き出す。

 

 かなめ、アトラス、レキの3人は最後尾の4号客車へと移動し、対空戦闘準備を行う。

 

 むき出しの炭水車では、コリンズが単身で石炭運びを担っていた。

 

 最重要の機関車にはキンジ、ジーサード、アンガス、ツクモ、ロカ、サンダース翁が残り防衛する手はずである。

 

 そして友哉、茉莉、海斗の3人は3号客車に待機。状況に応じて味方の援護に回る。

 

 迎撃態勢を整えるメンバー達。

 

 その時、上空を飛ぶ敵大型機、X-48E「グローバルシャトル」から、小型の何かが切り離されるのが見えた。

 

 幅は目測で3メートルほど翼を広げている。

 

「何だろう? 人に翼をくっつけたみたいな感じがするんだけど・・・・・・」

 

 様子を見ていた友哉が、首をかしげながら呟く。

 

 翼や装甲を張り付けた姿は、どこか近未来的な雰囲気を醸し出している。正直、ちょっと格好良いと思った。

 

「「LOO(ルウ)だ!!」」

 

 ほぼ同時に、相手の正体に気付いたキンジとジーサードが叫ぶ。

 

 LOOは、その細身の体に翼や装甲で武装し、こちらへ向かって来ていた。

 

「おいアトラス。あのメカ女の武装、お前のP・A・Aと似ているな。お前のが第1世代なら、あっちは第2世代ってところか?」

《イエッサー。あれはP・A・Aよりも服飾風のユニットであります。識別用に名づけるならP(パーソナル)A(アーセナル)D(ドレス)!!》

 

 因みに、数年後にはより強力な進化を遂げる事になるP・A・Dだが、現時点では先行試作型に過ぎず、お世辞にも実用的とは言い難い。

 

 LOOが装備しているP・A・Dにしても、強力な武装を搭載しているものの、自力飛行は不可能であり、母機で戦場上空まで輸送し、そこから切り離してグライダー滑空しつつ強襲、と言う、寄生戦闘機(パラサイト・ファイター)的な戦術しか取れないのだ。

 

 だが、迫りくるLOOの存在が脅威である事は間違いない。

 

「よし、ドレスを着たお嬢ちゃんとダンスしてやろうッ お前等、トランザムを守る切れ!! 守り切ってエリア51に入りさえすれば俺達の勝ちだ!!」

 

 ジーサードの鼓舞に、全員が威勢よく答える。

 

 その時、

 

「こっちも来たぞ」

 

 海斗の言葉に、3号客車の上に陣取っていた友哉と茉莉は、前方を振り仰ぐ。

 

 そこには、ローターを回転させながら迫りくる、大型ヘリの姿がある。

 

 エリア51から発進してきた輸送ヘリである。その中には、ローラットが連れてきた海兵隊の精鋭部隊は控えている。

 

 やがて、ハッチが開かれ、中の兵士達が次々と吐き出される。

 

 迎え撃つように、友哉達も刀を構える。

 

 戦いの火蓋は、切って落とされた。

 

 

 

 

 

第8話「覇者の路線」      終わり

 



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第9話「新風」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ニトロパッケージが罐に投入され、加速するトランザム号。

 

 強烈に吹きだす煙を引きながら、荒ぶる機関車が爆走する。

 

 その黒鉄の塊の上で、戦いの火蓋は切って落とされていた。

 

 最後尾では、共に近未来的な激突が繰り広げられていた。

 

 P(パーソナル)A(アーセナル)A(アーマー)を着たアトラスが、それよりも最適化された次世代型最先端化学兵器P(パーソナル)A(アーセナル)D(ドレス)を着たLOOと激突を繰り広げている。

 

 P・A・Dに搭載した火器を駆使して攻め立てるLOOに対し、アトラスはシールドで攻撃を防ぎながら、接近戦に持ち込もうとしている。

 

 灼熱化するP・A・A。

 

 しかし、アトラスは構わず突っ込む。

 

 放たれる弾丸は、全て装甲で弾かれる。

 

 火器を駆使して猛攻を前に、P・A・Aは辛うじて耐えて見せた。

 

 間合いに入ると同時に、アトラスは大腿部のハードポイントに装備していた振動ナイフを抜刀、LOO目がけて斬り掛かる。

 

 LOOの装甲とナイフが接触し、盛大な火花を散らす。

 

 LOOの左腕が、ナイフの振動を受けて破壊された。

 

 同時に、アトラスは追撃するように殴り掛かる。

 

「ぬぅぅぅん!!」

 

 ボクシングの要領で繰り出される拳が、次々とLOOに突き刺さる。

 

 LOOもどうにか体勢を立て直して反撃しようとしている。

 

 だが、アトラスはそれを許さない。

 

 LOOからもぎ取ったP・A・Dの前腕部分を振るい、アトラスは更なる攻撃を繰り返す。

 

 P・A・DとP・A・Aでは、世代に大きな違いがある。性能で言えば。LOOの方が圧倒的に有利なはずだった。

 

 もし、P・A・Dが完全な独立飛行が可能で、LOOがアウトレンジから攻撃を仕掛けて来ていたら、いかにアトラスと言えども勝ち目は無かっただろう。

 

 だが、地上に降りてしまえば、条件は殆ど一緒になり、アトラスの不利は大幅に減少される。

 

 加えてP・A・Dの特性は万能型であるのに対し、アトラスのP・A・Aは接近戦優先型。殴り合いならアトラスに一日の長がある。加えてアトラスは長い軍人生活で培った確かな実戦経験がある。

 

 いかにLOOの性能を持ってしても、埋め切れる物ではなかった。

 

 

 

 

 

 最後尾で最先端科学(ノイエ・エンジェ)の激突が繰り広げられている頃、中央の車両でも、戦闘が開始されていた。

 

 上空に占位したヘリから、次々とアサルトライフルを手にした兵士達が降下してくるのが見える。

 

 エリア51から出撃した、ジェス・ローラット中将指揮下の海兵隊部隊だ。

 

 彼等はヘリを上空に待機させ、次々とトランザム号を目指して降下してくる。

 

 通常、ヘリからの降下にはワイヤーとカラビナを使って行われる物だが、それでは隙も大きくなるし、降下中はヘリを固定する必要があり、それでは狙撃の恰好の的である。

 

 まして、こちらにはレキが、神域の狙撃兵がいる。通常での降下手段が使えない事は、マッシュたちも心得ているようだ。

 

 その為、彼等はヘリを上空に残すと、パラグライダーを使って降下してきた。

 

 脚部にはガス噴射式の姿勢制御装置を備え、走るトランザム号を正確に目指してくる。

 

「来るよ!!」

 

 背後で刀を構える茉莉と海斗に、鋭く声を掛ける友哉。

 

 上空にいる海兵隊員達が、背負って来たパラグライダーを切り離し、着地体制に入った。

 

 次の瞬間、友哉は動く。

 

「飛天御剣流・・・・・・」

 

 たわめた足をばねの如く一気に解放して、上空へと跳躍。

 

 同時に、刃が鋭く切り上げられる。

 

「龍翔閃!!」

 

 繰り出す刃が海兵隊員がアサルトライフルを構える前に顎を打ち抜いた。

 

 空中でのけぞるようにして吹き飛ぶ海兵隊員。

 

 友哉の先制攻撃が、敵の出鼻を見事に挫いた。

 

 すぐ隣にいた別の海兵隊員が、慌てて手にしたアサルトライフルを、友哉に向けて構えようとする。

 

 だが、

 

 空中にあって、友哉は素早く体勢を入れ替える。

 

 身体を捻り込むようにして横なぎに繰り出した刃が、更にもう1人の海兵隊員の胴を捉え吹き飛ばした。

 

 これで、2人。

 

 先制攻撃としては充分以上である。

 

 友哉が客車の屋根の上に着地すると、既に茉莉と海斗も戦闘を開始していた。

 

 しかし、友哉の先制攻撃が功を奏し、敵は完全に浮足立っているらしい。

 

 最速を誇る2人の剣士が繰り出す刃を前にして、浮足立った海兵隊員達は手も足も出せないでいる。

 

 アサルトライフルを構える前に、確実に刃が旋回し、汽車の外へと彼等を吹き飛ばしていく。

 

 それでもどうにか反撃しようと、アサルトライフルを構えようとする敵がいる。

 

 だが、引き金を引くよりも早く茉莉が接近すると、白刃を一閃、海兵隊員を弾き飛ばしてしまう。

 

 白いコートを靡かせて駆ける姿は、まるで天使が羽を広げているような印象がある。

 

 その可憐にして勇壮な戦姿を見せ付けながら、茉莉は近付こうとする敵を撃破する。

 

 海斗は2人の敵を相手にしていたが、鋭い横なぎの一閃で、一度に2人を撃破する。

 

 汽車から吹き飛ばされた敵は、そのまま砂漠に落ちて後方へと取り残される。

 

 まあ、彼等もプロだし、この程度で死ぬことは無いだろう。更に言えば、低速とは言え汽車に徒歩で追いつけるはずもない。つまり、落ちた敵がこれ以上の脅威になりえないのは明白だった。

 

 友哉も海兵隊員1人を撃破する。

 

 それと同時に、トランザム号がグンッと加速するのを感じる。

 

 機関車に陣取るジーサードの命令でニトロパッケージが追加投入されたのだ。

 

《ボイラー内温度2000度以上!! メーターを振り切ったから、もう判んないよ!! 速度ッ!! 現在、192㎞ッ まだ上がる!! 196㎞!! 200㎞ッ!! エリア、あぐっ 51まであと78㎞ッ!! ウワァンッ 舌噛んだ~~~!!》

 

 ロカの涙声を靡かせながら、加速を強めるトランザム号。

 

 だが、

 

 友哉は振り仰いだ先を見て、軽く舌打ちする。

 

 上空に占位したヘリからは、更に次の敵が降下してくるのが見える。

 

 本来ならレキにヘリを狙撃してもらいたいところなのだが、彼女は今、アトラスの援護に入っている為、それもできない。

 

 その時、

 

「友哉さん!!」

 

 茉莉の声に振り返ると、敵の1人が友哉に向けて銃を向けようとしているのが見えた。

 

 跳躍して回避行動を取る友哉。

 

 茉莉がスカートの下のホルスターから、ブローニング・ハイパワーを抜いて放つのは同時だった。

 

 フルオートで放たれた弾丸が、海兵隊員を弾き飛ばす。

 

 敵が後方に流れていくのを見ながら、屋根の上に着地する友哉。

 

「ありがとう、茉莉」

「い、いえ」

 

 ほんのり顔を紅くして答える茉莉。

 

 友哉の役に立てた事が嬉しいのだ。

 

 だが、和んでいる暇は無い。

 

「第2R(ラウンド)だ」

 

 海斗の静かな言葉と共に、上空を振り仰ぐ友哉と茉莉。

 

 今度は、先程のような逆奇襲は望めそうにない。

 

 その時、

 

「ウオォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 強烈な雄叫びが、後方から響いて来る。

 

 見れば、アトラスがLOOに対して突貫を仕掛けている所である。

 

 LOOの方はと言えば、背部から迫り出した巨大な大砲を構えている。

 

 あれが発射されれば、トランザム号は吹き飛ばされていたかもしれない。

 

 だが、生憎と言うべきか、その砲門は何か布のような物で塞がれている。

 

 アトラスを掩護していたかなめが状況を察し、磁器推進繊盾(Pファイバー)で砲門を塞いでしまったのだ。

 

 切り札を封じられたLOOは、一瞬の隙を突かれ、アトラスに攻め込まれてしまった。

 

 加速するトランザム号の上で、バランスを取り続けるのは難しい。

 

 アトラスは加速の勢いそのままに、LOOに体当たりを掛けた。

 

 もつれ合うように、車外へと吹き飛ぶ両者。

 

「アトラス!!」

 

 状況を察した海斗が、とっさに、対峙していた敵を蹴り飛ばして後部車輌へと向かう。

 

「手を!!」

 

 伸ばされた手を、ガッチリと掴むアトラス。

 

 その手の感触をつかみ取ると同時に、海斗は思いっきり引き上げる。

 

「豪快に助かった、ありがとう、アインス君!!」

「何の・・・・・・と言いたいが・・・・・・」

 

 アトラスの言葉を受けて、彼の姿を見た海斗は、苦笑気味に言葉を濁らせる。

 

P(パーソナル)A(アーセナル)A(アーマー)の方は、もう駄目だな」

 

 科学甲冑は激戦の様を想像させるほど、派手に大破している。アトラス自身の傷は浅いが、既に戦闘力を喪失しているのは明らかだった。

 

 その時、海斗の背後から迫ろうとしていた海兵隊員を、友哉が刀で弾き飛ばして撃破する。

 

「アトラスさん、ここは僕達に任せて、車内の方にッ 残ってる武器で掩護お願いします!!」

「豪快に任されたッ 武勇を祈る(グッドラック)、緋村君!!」

 

 アトラスが車内へと下がるのを見届ける間、茉莉は孤軍奮闘しつつ、更に4人の海兵隊員を撃破していた。

 

 敵の数が減ってきている。

 

 LOO、海兵隊と撃破できれば、敵の防衛線は半壊状態になっているはず。

 

 このまま一気に、

 

 そう思った時、

 

 3号車の屋根の上に、音も無く降り立つ影があった。

 

 これまでの海兵隊員とは、明らかに出で立ちの言葉る東洋人の男性。

 

「塚山さん・・・・・・・・・・・・」

 

 鞘に収めたままのレイピアを手に立つ龍次郎を見て、友哉はポツリとつぶやいた。

 

 この場に龍次郎が現れた意図は、今更測るまでも無い。何より、手にした刃が如実に物語っていた。

 

「ここまでだ、緋村。お前達を、これ以上行かせるわけにはいかん」

 

 吹き荒れる風に短い髪をなびかせながら、龍次郎は低い声で告げる。

 

 同時に、スラリとレイピアを抜き放った。

 

 細い切っ先が、真っ直ぐに友哉へと向ける。

 

 その刃を見据え、友哉もまた刀を構え直す。

 

「緋村」

「友哉さん」

 

 掩護に入ろうとする海斗と茉莉を、しかし友哉は手を上げて制する。

 

「あの人の相手は僕がするよ」

「でも・・・・・・」

 

 龍次郎は並みの実力者ではない。友哉と言えど、1対1では危ういかもしれない。

 

 しかし、

 

「この狭い屋根の上じゃ、どのみち、複数で掛かる事は難しい。2人は車内に戻ってジーサード達の援護をして」

 

 そう言ってから、友哉は茉莉に笑い掛ける。

 

「大丈夫。僕も後で、必ず合流するから」

「・・・・・・判りました」

 

 茉莉は、尚も名残惜しそうな顔をしていたが、やがて友哉の指示に従って車内へと下がって行く。

 

 一方、海斗も無言で降りようとするが、最後にもう一度、振り返る。

 

「先に行っているぞ」

「うん」

 

 友哉が頷きを返すと、海斗もまた、車内へと消えていく。

 

 それを確認してから、友哉は改めて龍次郎に向き直った。

 

「判っているのか、緋村?」

 

 対峙して改めて、龍次郎は友哉に問いかけるように声を掛ける。

 

「何がです?」

「お前がしている行為は、日本に住む全ての人々を危険にさらす行為なんだぞ」

 

 龍次郎の言葉に、友哉は眉を顰める。

 

 龍次郎がなぜ、そのような事を言っているのか、友哉には理解できなかった。

 

 その反応は、龍次郎にとっても予想していた物なのだろう。用意していたように、再び口を開く。

 

「今の日本は、非情に危うい状況にある。中国、ロシア、北朝鮮、韓国。周辺の国々は、皆、日本にある利権を狙って手を伸ばそうとしている。そして、それに対抗する術は、今の日本には無い」

 

 それは友哉も、アメリカに出発する前に由比彰彦や崇徳院翔華に聞かされた事である。

 

 周辺各国はやがて、日本と言う国が生み出す莫大な利益を狙って戦争を仕掛けてくる。そして、それに対抗できる戦力すら、今の日本は自ら捨て去ろうとしているのだ、と。

 

「それに対抗するためには、日本は強い国と手を結ばなくてはならないのだ」

「それが、アメリカ・・・・・・いや、マッシュ・ルーズヴェルトだって言うんですか?」

 

 友哉にも、龍次郎がなぜ、マッシュに加担するのか、その理由が見えてきた気がした。

 

「そうだ」

 

 友哉の言葉に、龍次郎は真っ直ぐに見据えて頷きを返す。

 

「マッシュは今、アメリカで最強の存在。権力に最も近い存在だ。それはすなわち、世界最強の存在である事をも意味している。彼と手を組み、日本の防衛を委ねる。それこそが、日本を守る、唯一の手段だ。緋村、ジーサードに加担する君達の行為は、その道を阻害しているのだぞ」

「そんな事はッ」

 

 言い募ろうとする友哉。

 

 だが、その前に龍次郎が、屋根の床を蹴った。

 

「あくまでも、君がジーサードに与し、日本の安全を脅かす存在たらんとするなら、俺は全力で君を排除する!!」

 

 全速力で距離を詰める龍次郎。

 

 間合いに入ると同時に、繰り出される鋭い刃。

 

 ついに、最後の激突の幕が、切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 速いッ

 

 今再び対峙した龍次郎の剣を見ながら、友哉は呻きを漏らす。

 

 短期未来予測を発動した友哉は、先読みの予測力をフルに活かして、数秒先の未来を見据える。

 

 しかし、龍次郎の剣は、友哉の予測すら上回る程のスピードで攻め込んで来た。

 

 細く軽量のレイピアから繰り出される攻撃速度は抜群に速く、それでいて鋭い切っ先は、それでいて致死レベルである事は間違いない。

 

 友哉はとっさに上空へ跳躍。

 

 同時に、急降下の体勢を取りながら刃を振り翳す。

 

「飛天御剣流、龍槌閃!!」

 

 打ち下ろされる刃が、龍次郎の脳天へと迫る。

 

 そのまま打ち抜くかと思われた。

 

 次の瞬間、

 

 ガキンッ

 

 耳障りな金属音と共に、友哉の刀は掲げられた龍次郎のレイピアによって防がれる。

 

 友哉が目を見開く・・・・・・

 

 よりも早く、龍次郎は行動を起こした。

 

 スーツの懐に左手を伸ばすと、そこに収められたマンゴーシュを引き抜き、友哉へと繰り出した。

 

「グッ!?」

 

 胸に突き刺さる刃。

 

 友哉は呻き声を上げて、覆わず膝を崩しそうになる。

 

 刃は防刃コートが完璧に防いだが、それでも肋骨を突き抜ける程の激痛が友哉を襲う。

 

 そこへ、蹴りを繰り出す龍次郎。

 

 友哉はとっさに後退して回避しつつ、仕切り直そうとする。

 

 だが、揺れる車体に足を取られ、跳躍しても思うように距離を稼げない。

 

 バランスを取りながら、どうにか着地する友哉。

 

 だが、龍次郎は悠々と距離を詰めると、再びレイピアを引き絞るようにして構えて攻撃態勢に入った。

 

「クッ!?」

 

 友哉は舌打ちすると、殆どとっさに刀を袈裟懸けに繰り出す。

 

 だが、

 

「甘いなッ」

 

 鋭い声と共に、龍次郎は友哉の刀をレイピアで防御。すかさずマンゴーシュで追撃を掛けてくる。

 

 日本刀剣術において二刀流を使用する場合、軽くて動かしやすい小刀は防御に使い、大刀を攻撃用に用いる。

 

 しかし、フェンシング等の西洋剣術では、これが逆になる。

 

 軽くて間合いも長いレイピアが敵の攻撃を防御して間合いを制すると同時に、短いナイフで相手に対してトドメを刺すのが基本となる。

 

 龍次郎は、その基本的な動きを忠実に守りながら、それでいて自身の独自の型を駆使して攻撃につなげてくる。

 

 最小の動きによって実現する最速の攻撃。

 

 それは、速度自慢の友哉の動きにも余裕でついてきている。

 

 対して、友哉の飛天御剣流は、身体能力によるトリッキーな動きと速度を武器とする。つまり、動き回るのに十分な空間があって、初めて威力を発揮できるのだ。

 

 加速するトランザム号の上では足場は悪く、更に狭い屋根の上での戦いである為、友哉は自身の最大の武器とも言うべき機動力を発揮できずにいた。

 

 鋭く繰り出されるレイピアの切っ先が、友哉の赤褐色の髪を僅かにちぎって行く。

 

 すぐさま反撃を・・・・・・・・・・・・

 

 だが、友哉が意識をシフトさせ行動を起こす頃には、龍次郎は既に次の攻撃態勢を整えている。

 

 放たれるマンゴーシュの一閃が、友哉の左肩へと突き立てられる。

 

「うあッ!?」

 

 激痛に耐えながら、どうにか後退する友哉。

 

 駄目だ。

 

 どうしても、龍次郎の速度を上回る事ができない。

 

 追撃を掛けてくる龍次郎の動きを見据えながら、友哉はギリッと歯を噛みしめる。

 

 この揺れる足場では、友哉は完全に不利だった。

 

 繰り出される刃を、何とか後退しながら回避していく事しかできない。

 

 放たれる刃が、銀のレーザーの如く、友哉の眼前へと迫る。

 

「うわッ!?」

 

 とっさに、のけぞるようにして回避するも、そこでバランスを崩して床へと倒れ込んでしまう。

 

 背中を着く友哉。

 

「貰ったぞッ」

 

 好機とばかりに、切っ先を下にして、突き込もうとしてくる龍次郎。

 

 刃の切っ先が、真っ直ぐに友哉を睨みつける。

 

 だが、その時、ガクンという衝撃と共に足元が揺れ、思わず龍次郎はその場でつんのめった。

 

 恐らく、ジーサードが再びニトロの投入を命じ、その為にトランザム号は更に加速したのだ。

 

「ッ!?」

 

 とっさに、寝転がった状態で、腰を支点に体を横に回転させ蹴りを繰り出す友哉。

 

 その不意を突いた攻撃は、しかし龍次郎がとっさに後退した為に空振りに終わる。

 

 だが、

 

 その間に友哉はどうにか起き上がり、体勢を立て直す事に成功した。

 

 刀を構え直す友哉。

 

 同時に龍次郎も、レイピアとマンゴーシュを構える。

 

 だが、

 

 明らかに友哉が押されている。

 

『どうにか・・・・・・しないと・・・・・・』

 

 友哉は荒い息を吐き出しながら、心の中で呟きを漏らす。

 

 地形的不利は、友哉にとって完全に致命傷となっている。

 

 ニトロ燃料で限界を超えて加速しているトランザム号では、本来であるならバランスを取る事すら難しい。

 

 友哉の抜群の身体能力があればこそ、まだ戦う事が出来ているのだ。

 

『・・・・・・・・・・・・いや、待てよ』

 

 友哉はふと、ある事を思い浮かべる。

 

 今、この走行中に足場を完全に安定させる事は不可能に近い。

 

 それならば、いっそのこと・・・・・・・・・・・

 

 決断すると友哉は、耳に付けたインカムのスイッチを入れた。

 

「・・・・・・もう諦めろ」

 

 そんな友哉の心情を見透かしたように、龍次郎が最後通告を出してくる。

 

「緋村、君がしている事は、さっきも言ったが日本と言う国を危うくする行為に他ならない。もう諦めて降伏しろ。これ以上やったところで、意味の無い事だ」

「・・・・・・・・・・・・そうでしょうか?」

 

 龍次郎の勧告に対し、友哉は静かな口調で応じる。

 

「塚山さん、あなたはマッシュと手を組む事が、日本を守る事に繋がるって言いましたよね?」

「ああ。言った」

 

 問いかける友哉に、頷きを返す龍次郎。

 

 だが、そんな龍次郎を、友哉は真っ直ぐに見据えて言った。

 

「けど、僕はどうしても、そうは思えません」

「・・・・・・・・・・・なに?」

 

 自身の意見を真っ向から反対され、目を剥く龍次郎。

 

 対して、友哉は迷いの無い瞳で、龍次郎を見据えて言う。

 

「僕はマッシュ・ルーズヴェルトを信用できません。何か重大な事態になった時、彼が本気で日本を守るために動いてくれるとは、どうしても思えないんです」

 

 それは、友哉の中にある、マッシュに対する印象そのものだった。

 

 マッシュは日本を守る気など、更々無い。それどころか、都合が悪くなれば、あっさりと切り捨てるか、あるいは使い捨てられるのは目に見えていた。

 

「塚山さんはどうなんですか? 彼が本気で日本を守ってくれると、本当に思っているんですか?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉の指摘に対し、龍次郎は一瞬黙り込む。

 

 龍次郎はある意味、友哉以上にマッシュと接してきた人間である。その人となりを、友哉以上に心得ていた。

 

 マッシュの念頭にあるのは、全て自身の出世であって、他はついでに過ぎない。

 

 恐らく、龍次郎が依頼した日本との同盟関係強化に関しても、自身に転がり込む利益と天秤にかけている事だろう。

 

 マッシュは自身の利益にならない限り、日本の防衛などに手を貸してくれることは無いだろう。恐らく日本の事は「極東の弾除け」くらいにしか考えていないはずだ。

 

 そんな事は判っている。

 

 だが、

 

「それを何とかするのが外務省(俺達)の仕事だ。君のような子供が口を出す事じゃない」

 

 マッシュは確かに、あの通りの性格だ。御しがたい事に関しては、残念ながら友哉の言う通りと言わざるを得ないだろう。

 

 だが、それを粘り強く交渉して何とかするのが自分達の仕事だと龍次郎は思っている。

 

 重要なのは、日本とアメリカの関係を今以上に強化する事なのだ。

 

「確かに、僕は子供です。塚山さんのように、大局的な物の考え方はできません」

 

 友哉ははっきりした口調で言い募る。

 

「けど、それでも判る。マッシュは信用できません」

「だから、それは・・・・・・」

「忘れたんですか? マッシュは、子供達が通っている学校を、潰すって言ったんですよ」

 

 友哉は龍次郎の言葉にかぶせるように、カフェでの出来事を言った。

 

「同じことを、日本にもしないって言いきれますか?」

「そんな事は・・・・・・・・・・・・」

「無いって言う根拠は、今のところ無いですよね」

 

 マッシュが世界を牛耳れば、彼の意に沿わない物は全て潰される事になる。

 

 日本とて例外ではない。他でもない。マッシュ自身の口から、自慢げに語られた事だった。

 

 友哉はもう一度、念を押すように言った。

 

「僕はマッシュ・ルーズヴェルトを認めない。彼が作る世界も認めない」

「・・・・・・・・・・・・」

「塚山さんはどうなんですか? マッシュに与して、彼に日本の安全を委ねて、それで日本を守ったって言えるんですか? あなたの家族に、友達に、胸を張って報告できますか?」

 

 友哉の言葉が、容赦なく龍次郎の胸へと突き刺さる。

 

 今でも、考えは揺らいでいない。

 

 日本はアメリカと手を組むべきだし、その為にマッシュに取り入るのは、最善の手段だと思っている。

 

 だが、

 

 友哉の言葉にも、一理以上の価値がある事は認めざるを得なかった。

 

「・・・・・・・・・・・だからって、今更どうする事も出来ないだろう」

 

 ややあって、絞り出すように龍次郎は言った。

 

「俺はマッシュ・ルーズヴェルトに賭けた。彼が日本を守るために動いてくれると信じて。ならば、如何に君が言葉を弄したところで、今更考えを変える事はできん」

 

 言いながら、龍次郎はレイピアとマンゴーシュを掲げる。

 

「これが俺の答えだ、緋村。俺は君達を、マッシュの元へは、エリア51へは行かせない」

 

 不退転の意志の元、龍次郎は言い放つ。

 

 彼もまた、彼なりの正義の下に立っている。

 

 たかだか17歳の小僧に説教された程度で、その考えを揺るがせる事は無かった。

 

 対して、友哉も構えを取る。

 

 是非も無い。

 

 もはや、決着は剣で付ける以外に無かった。

 

 その時だった。

 

 ある事実に気付き、龍次郎は目を見開いた。

 

 自分が感じている状況が、先程までとは全く違う物である事に気付いたのだ。

 

 ありていに言えば、減速している。

 

 もう、殆ど止まりそうな勢いだった。

 

「馬鹿なッ」

 

 エリア51までは、まだ距離がある。ここで減速する事に意味など無い筈なのに。

 

 慌てて振り返る龍次郎。

 

 対して、友哉は口元に笑みを浮かべる。

 

「ありがとう、かなめ」

 

 つぶやきは、ここにいない少女へと向けられる。

 

 見れば、炭水車と3号客車の部分で連結が解除され、2両の客車だけが後方に取り残されつつあった。

 

 友哉は先ほど、インカムでかなめに連絡を入れ、炭水車と客車の連結を解除するように指示を出したのだ。

 

 その要請に、かなめは答えてくれた。

 

 友哉は見る事はできなかったが、かなめは単分子振動刀(ソニック)で連結部分を切断、切り離す事に成功したのだった。いわば、修学旅行Ⅰ(キャラバン・ワン)の時に星枷白雪がやった新幹線輪切りの再現である。

 

 重荷を取り除き、エリア51への更なる驀進を続けるトランザム号。

 

 対して、取り残された客車は摩擦がブレーキになって、徐々に減速していく。

 

「・・・・・・・・・・・・やってくれたな」

 

 絞り出すような口調で、友哉を睨みつける龍次郎。

 

 対して友哉は、会心の笑みを浮かべて見せる。

 

 これで龍次郎はLOOや海兵隊員同様、この戦いにおける戦略的な脅威ではなくなった。

 

 自分1人が残る事で敵の重要戦力1つを削る事ができれば安い物だった。

 

「決着、付けましょう」

 

 言いながら、刀を鞘に納める友哉。

 

 対して、龍次郎もレイピアとマンゴーシュを構える。

 

 無言の内に、刃を向け合う両者。

 

 やがて、摩擦力が勝った客車が、ゆっくりと停車する。

 

 次の瞬間、

 

 友哉と龍次郎は同時に動いた。

 

 先に仕掛けたのは、龍次郎だ。

 

 コンパクトな動きから繰り出される攻撃は、一切の無駄を省いて友哉の急所を狙う。

 

 対して、

 

 友哉は短期未来予測が齎す先読みの中で、舌打ちを漏らす。

 

 やはり、攻撃速度は、龍次郎の方が早い。

 

 このままでは、先に攻撃を喰らってしまうだろう。

 

 どうにかして、龍次郎に先んじないと。

 

 しかし、飛天御剣流の技は、その特性故に大振りな物が多い。その為、最小の動きをする龍次郎が相手では、どうしても後手に回ってしまう。

 

 どうする?

 

 どうすればいい?

 

 その時、

 

 友哉の脳裏には、キンジの事が思い浮かべられた。

 

 そうだ。

 

 キンジはいつも、どんな時も、誰も考え付かないような発想力で技を生み出し、あらゆる苦難を跳ね除け、敗北の運命を覆して来たではないか。

 

 およそ、技を創造すると言う意味では友哉は、キンジの足元にも及ばない。

 

 だからこそ、キンジは「(エネイブル)」足り得るのだ。

 

 スッと、目を閉じる。

 

 

 

 

 

 思考を止めるな。

 

 

 

 

 

 加速させろ。

 

 

 

 

 

 そうだ、何も難しい事は無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無いなら、創れば良いじゃないか!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、

 

 友哉はさらに一歩、床を蹴って自身を加速させる。

 

「なッ!?」

 

 友哉の動きに、レイピアを振るおうとした龍次郎の目測が僅かに狂った。

 

 その隙に、友哉は龍次郎の懐に踏み込んだ。

 

 龍次郎が目を見開く中、

 

 友哉の鋭い視線が、見上げるように彼を射抜く。

 

 同時に、殆ど零距離で、刀が鞘奔る。

 

 とっさに後退しようとする龍次郎。

 

 しかし、全てが遅かった。

 

 次の瞬間、友哉は抜刀の初速をそのままに、逆刃刀の柄尻が龍次郎の鳩尾に叩き込まれた。

 

「グオォ!?」

 

 思わず、肺の空気を全て吐き出す龍次郎。

 

 友哉の実家が奉じている剣術流派、神谷活心流に膝挫(ひざひしぎ)という技がある。

 

 これは相手の攻撃を掻い潜り、下段攻撃から相手の膝に柄を叩き付けて破壊する技である。

 

 剣が折れて尚、戦おうと言う姿勢と、相手を殺さずに戦闘不能にする神谷活心流の理念を体現した技である。

 

 友哉は、この膝挫の動きを流用して、龍次郎の懐に飛び込んだのだ。

 

 それは、飛天御剣流の伝承には載っていない、全く新しい、友哉が生み出した、オリジナルの技である。

 

 

 

 

 

 命名

 

 

 

 

 

「飛天御剣流抜刀術・・・・・・龍牙閃(りゅうがせん)

 

 

 

 

 

 友哉の静かな声と共に、

 

 レイピアを取り落とす龍次郎。

 

 それでも尚、諦めない。

 

 最後の力を振り絞って、マンゴーシュを振り翳そうとする。

 

 だが、その前に友哉が次の行動を起こした。

 

 刀を返すと同時に、膝をたわめ、繰り出す刃に掌を当てて斬り上げる。

 

「飛天御剣流、龍翔閃!!」

 

 繰り出される銀閃の刃。

 

 その一撃が、龍次郎の体を大きく吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

第9話「新風」      終わり

 




オリジナル技

龍牙閃(りゅうがせん)
体勢を低くして、高速で相手の懐に飛び込み、ほぼ密着状態で相手に柄尻を叩き付ける零距離抜刀術。友哉は神谷活心流の技である膝挫(ひざひしぎ)をヒントにして思いついた。





ある意味、個人的には禁忌とも言えるオリジナル技の投入ですが、飛天御剣流の技は大半が出そろってしまったので。今後とも話を進めてく上で、設定の幅を広げる為に、あえてオリジナル技の投入を決定しました。


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第10話「ヒーローは倒れない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 吹き付ける風によって、龍次郎は意識を覚醒させた。

 

 見上げるまでも無く、視線の先には輝く太陽の光が飛び込んでくる。

 

 その事から、どうやら自分は仰向けに倒れていると言う事が判った。

 

「あ、気が付きました?」

 

 横合いから駆けられた声に、首だけ動かして振り返ると、そこには砂地の上に胡坐をかくようにして座っている友哉の姿が見えた。

 

 倒れている自分と、それを見下ろしている友哉。

 

 その両者の状況が、何が起きたのかを如実に表している。

 

「・・・・・・・・・・・・そうか、俺は、負けたのか」

 

 乾いた口調で呟いた。

 

 自分は任務に失敗した。

 

 ジーサードリーグの進撃を止め、エリア51を防衛すると言う任務を果たす事ができなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・これで、全てが終わったな」

 

 自嘲気味に、龍次郎は呟きを漏らす。

 

 負けた自分の言い分など、マッシュは耳を貸してくれないだろう。

 

 マッシュを味方につけるには、自分自身が価値を示し続けるしかなかったのだ。

 

 だが、龍次郎は失敗した。となれば、マッシュは切り捨てるのに容赦しない筈だ。

 

 マッシュを味方につけて、日本の防衛力を強化すると言う策は、これで御破算になってしまう事だろう。

 

 だが、

 

「そう、早とちりして悲観する事は無いんじゃないですか?」

「なに?」

 

 友哉の言葉に、とっさに身を起こそうとする龍次郎。

 

 しかし、強烈な痛みに襲われ、思わず顔をしかめた。

 

「あ、まだ動かない方が良いですよ」

「みたいだな・・・・・・・・・・・・」

 

 龍翔閃と、友哉オリジナル技である龍牙閃を受け、龍次郎の体は軋むような痛みに苛まれていた。

 

 かく言う友哉も、レイピアやマンゴーシュで貫かれた体が、未だに痛みを発し続けているのだが。

 

「それで、どういう意味だ、早とちりってのは?」

 

 怪訝な顔つきで尋ねてくる龍次郎。

 

 それに対し、友哉は笑みを浮かべながら答えた。

 

「だって、まだ戦いがどうなるか判らないじゃないですか。ジーサード達がエリア51に突入してマッシュを倒せば、そもそも、彼を最強にしている力その物が無くなってしまう訳ですから」

 

 キンジは言っていた。権力があるエリートは、失敗すれば失脚する、と。

 

 それが現実に起きて、マッシュが失脚する可能性はある。そうなればそもそも、マッシュの権力に縋ろうとする龍次郎の策は、根本から覆る事になるのだ。

 

「馬鹿な」

 

 吐き捨てるように龍次郎は、友哉の言葉を否定する。

 

「マッシュはまだ、多くの戦力を保有している。それを倒す事など、不可能だ」

 

 実際に彼の陣営にいた龍次郎だからこそ言える事。

 

 マッシュの持つ、巨大な戦力と、それを自在に操る事ができる権力を打ち破るなど不可能に近い。

 

 だが、友哉は笑って見せる。

 

「生憎ですけど、僕の友達には『不可能を可能にする男』がいるもんで。幸か不幸かは知りませんけどね」

 

 それに、と続ける。

 

「ヒーローってのは、自分ではない、誰か他の人の為に、どんな困難にも自分から迷わず立ち向かっていく人間の事を言うんだと思います」

 

 友哉にとって、ジーサードや遠山キンジこそが、真の意味でヒーローに値すると思っている。

 

 因みに本人は気付いていないが、他ならぬ友哉自身も、ヒーローの定義に当てはまるだろう。ジーサードやキンジ、茉莉達を行かせるために、自ら龍次郎の足止めに残った事からも、それは間違いない。本人に、その自覚は全く無いが。

 

 翻って、マッシュ・ルーズヴェルトは、ただ己の欲望の為に、安定の路線を、いわば他人の陰に隠れて歩いている。そんな人間がヒーローに値するとは、友哉には逆立ちしても思えなかった。

 

 その時、空からバラバラというローターが回転する音が聞こえてきた。

 

 振り仰ぐと、1機のヘリコプターが、2人の居る場所まで降下してくるのが見える。

 

 ヘリはやがて、砂地の上に着陸すると、何人かの兵士が下りて駆け寄ってくるのが見えた。

 

 兵士は座っている友哉の前まで来ると、踵を揃えてピシッと敬礼する。

 

「ミスター・ヒムラ、ミスター・ジーサードの要請により、あなたを、お迎えに上がりました。グレーム・レイク空軍基地へとお連れいたします。どうぞ、ヘリへお乗りください」

 

 もし、ジーサードが敗北していたら、友哉は否応無く強引に連行されていた事だろう。

 

 しかし、まるでVIPに対するような丁寧な対応は、この戦いの帰趨がいずれに帰したかを如実に表している。

 

 友哉は振り返ると龍次郎に笑みを向けた。

 

「ほら、言ったとおりでしょ」

「・・・・・・・・・・・・フン」

 

 それに対し、龍次郎はそっぽを向いて鼻を鳴らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は、少し遡る。

 

 エリア51内の指令室において、マッシュ・ルーズヴェルトは、自慢のマッシュルームカットを振り乱しながら、焦燥と狂乱の連合軍から総攻撃を受けていた。

 

「そんな馬鹿なッ!! そんな馬鹿なッ!! そんな馬鹿なッ!! そんな馬鹿なッ!!」

 

 彼の目の前に映された大画面では、巨大な炎の塊が地表に叩き付けられる光景が映し出されていた。

 

 LOOは撃破され、海兵部隊も全滅、切り札であるプレデター部隊に至っては、キンジとジーサードがやった石炭野球で壊滅すると言う体たらくだった。

 

 本当だった。

 

 全て本当だったのだ。

 

 カフェでの対談で、マッシュはキンジ、友哉、茉莉を小馬鹿にし、その戦いぶりがインチキであると勝手に断じた。

 

 だが、全て本当だった。

 

 友哉はまるで猛禽のように大空を舞い、茉莉は高解像度カメラでも捕捉しきれない程の速度で駆けまわり、キンジに至っては最新兵器を野球ゴッコで撃墜してしまった。

 

 最後に、破れかぶれとばかりに特攻させたグローバルシャトルは、キンジとジーサード、遠山兄弟の連係プレイで撃破されてしまった。

 

 この時、ジーサードが流星(メテオ)でカタパルトの役割を担ってキンジを上空へと打ち出し、そこでキンジが桜花を放つと言う、2段射出の攻撃が行われた。

 

 流星と桜花。

 

 合わせて桜星(おうせい)と名付けられた遠山兄弟オリジナル合体技は、時速マッハ2に達する強力な必殺技である。これを持ってキンジは、巨大なシャトルを素手で撃墜したのだ。

 

 これでジ・エンド。マッシュが繰り出した先端科学兵器(ノイエ・エンジェ)の部隊は、彼が侮っていて者達の手によって全滅してしまった。

 

「出鱈目だッ 何なんだ、こいつらはッ!?」

 

 殆ど悲鳴に近い金切声をあげるマッシュ。

 

 現実を受け入れられないのだ。

 

「僕の計算は完璧だったッ こんなのは何かの間違いだッ」

 

 自分が敗北するなどあり得ない。

 

 こんな物は絶対に認めないッ

 

クソ(Shit)!! 次は・・・・・・・・・・・・」

 

 言いかけて、マッシュは気付いた。

 

 指令室の中には誰もいない。

 

 オペレーター達も、ジェス・ローラットですら、いつの間にか姿を消していた。

 

 沈む船からは鼠も逃げる。

 

 彼等は皆、敗北したマッシュにいち早く見切りをつけて退避してしまったのだ。当のマッシュ自身を置き去りにして。

 

 マッシュは所詮、知力だけが恃みの傲慢な成り上がり者。それが一度敗北すればこうなるのは明白である。

 

 「豪華客船マッシュ・ルーズヴェルト号」は、今や沈没寸前の難破船だった。

 

「クソッ クソッ クソォ~~~~~~!!」

 

 マッシュはインカムを床に叩き付けると、そのまま踵を返して駆け出す。

 

「まだだッ まだ、僕は負けてない!!」

 

 ひとまず、ここを脱出すれば、まだまだマッシュには使える戦力と権限が溢れている。

 

 捲土重来はいくらでも可能なはずだった。

 

 そのまま扉を開き、廊下へと転がり出るマッシュ。

 

 その時だった。

 

 カツンッ   カツンッ   カツンッ   カツンッ   カツンッ

 

 一定のリズムを刻みながら、近付いてくる足音に、マッシュは思わず足を止める。

 

 振り返る視線の先。

 

 そこには、鋭い眼つきをした、長身の東洋人が立っていた。

 

「お前はッ!?」

 

 思わず、目を向くマッシュ。

 

 対して、東洋人の青年は、静かな声で言い放った。

 

「日本国、京都武偵局所属特命武偵、四乃森甲だ。マッシュ・ルーズヴェルト。連邦不正請求禁止法違反の容疑で逮捕する」

「馬鹿なッ!?」

 

 甲の言い分にマッシュは声を荒げる。

 

「僕にそんな罪状は無いッ 事実無根だ!! いや、そもそもッ」

 

 マッシュは、震える指を甲に突き付ける。

 

「日本の武偵である君に、逮捕される謂れは無い!!」

 

 マッシュの追及に対し、

 

 しかし甲は、一切顔色を変えずに言い返す。

 

「民主党議員からの依頼だ」

 

 短い声で告げられた言葉に、マッシュは自分の顔面が蒼白になるのを感じた。

 

 民主党。

 

 つまり、マッシュを支持する政党の依頼で、甲はマッシュ逮捕しに現れたと言う。

 

 それはつまり、民主党はマッシュを見限った事を表している。

 

 民主党はマッシュの首切りを決定したものの、先刻まで自分達の同僚であったマッシュを自分達の手で逮捕するのは、世間体に言っても極まりが悪い。だからと言って、他の政党シンパに依頼する訳にもいかない。

 

 そこで、日本人でありながらアメリカのヒーロー組合にも所属し、完全に中立的な立場にある甲にマッシュ逮捕を依頼したのだ。

 

 今更言うまでも無いが、マッシュには敵が多い。出世街道のトップを独走するマッシュの足を引っ張って蹴落とそうとする輩は、それこそアメリカ国内だけでごまんといるのだ。

 

 そんな連中が、マッシュの失敗を期に一斉に動いたのは言うまでも無い事だった。

 

「クソッ 俗物どもがッ」

 

 吐き捨てるマッシュ。

 

 だが、その間にも甲は、顔色一つ変えずに近付いて来る。

 

「言い訳は裁判でするんだな」

 

 もっとも、その裁判自体が公正に行われると言う保証は無いが。

 

 マッシュにとって、今やアメリカ国内全てが敵だらけの状態である。彼等が寄ってたかって、マッシュに濡れ衣を着せて葬ろうとしてくるのは明白だった。

 

 だが、

 

「フッ・・・・・・フフッ・・・・・・」

 

 突如、マッシュの口から放たれた笑みを聞き、足を止める甲。

 

 対して、マッシュは顔を上げると血走った目で甲を睨みつけて来た。

 

「こ、これで終わると思うなッ ぼ、僕の力は、こんな物じゃないんだァ!!」

 

 殆ど裏返った声で言い放つと、手にしたリモコンを操作する。

 

 すると、暫くして、廊下の陰から、何やら重い物体が歩いてくるような音が聞こえてきた。それも、複数。

 

 やがて、それらが甲の視界にも映し出される。

 

 それは、人の形をした機械の塊だった。

 

 と言ってもLOOのように、外見上人間に見えるような高性能な物ではない。

 

 言うなれば、むき出しの骨格標本を、全て金属で構成して、主要部分を最低限の装甲で覆ったような姿をしている。

 

 数は5体。皆、無機質な瞳を甲へと向けてきている。

 

 それらを背後に従えながら、マッシュは勝ち誇ったように笑みを浮かべた。

 

「どうだい、すごいだろうッ LOOを製造する過程で生み出された機械人形(マシンドール)たちだよ。生憎、開発途中でLOOの開発に成功したからお蔵入りになったんだけど、これでも戦闘力は充分にあるある。君1人くらい、ミンチ肉にするのに、ものの3秒もかからないよ!!」

 

 自慢げに語るマッシュ。

 

 それに対して甲は無言のまま、立ち尽くしている。

 

 その姿を見て、マッシュは更に笑みを刻む。

 

 どうやら、甲はこの機械人形に恐れを成し、その場から動く事も出来ないようだ。ならば、こちらから仕掛けるまでだ。

 

「行けッ!!」

 

 マッシュの命令を受けて、機械人形たちは一斉に動く。

 

 彼等は武器は持っていないが、全員が鋼鉄の拳を振り上げて、甲へと殴り掛かる。

 

 それらが一斉に甲へと迫る。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 閃光が、縦横に駆け巡った。

 

 

 

 

 

 一瞬の静寂。

 

 次の瞬間、5体の機械人形は例外なく、バラバラと床に転がった。

 

「んなァッ!?」

 

 あまりにも現実感が無い光景に、マッシュは思わずポカンと口を開ける事しかできないでいる。

 

 そして、

 

 その場に1人佇む甲。

 

 その両手には、二振りの小太刀が握られている。

 

 御庭番式小太刀二刀流。

 

 徳川幕府400年の歴史を陰から守り続けた達人の技は、最新兵器すら全く寄せ付けない。

 

 焦るマッシュ。

 

 対して甲は、何事も無かったように、小太刀二刀をだらりと下げたまま、機械人形(マシンドール)達の「屍」を踏み越えて近付いて来る。

 

「クソッ!!」

 

 マッシュは後じさりながら、更にリモコンを操作する。

 

 程無く、今度は先程よりも更に巨大な音が聞こえてきた。

 

 廊下の陰から現れた物は、今度は人型ですら無い。

 

 言うなれば歩行戦車、とでも称するべきか、巨大な足で二足歩行こそしているものの、そのずんぐりした巨体からは、ガトリング砲や迫撃砲と言った強力な兵器が突き出している。

 

「ど、どうだッ 恐れ入ったかッ!! 黄色い羊(イエロー・シープ!!) これこそアメリカの力ッ 僕の力だ!!」

 

 マッシュの高笑いを受け、歩行戦車が動き出す。

 

 基地内であるにもかかわらず迫撃砲を放ち、ガトリング砲が唸りを上げて回転する。

 

 吐き出される砲弾の数々が、廊下の床や壁に着弾して爆風を上げる。

 

 煙がもうもうと立ち込め、視界が妨げられた。

 

「こ、これならッ!!」

 

 確信を込めて、マッシュは呟く。

 

 致死量を遥かに超える弾丸が放たれたのだ。甲の体は粉々に砕け散っている筈。

 

 そう思って、身を乗り出すマッシュ。

 

 やがて、煙が晴れる。

 

 見渡す視界。

 

 その中で、

 

 甲の姿は見当たらない。

 

「よ、よしッ!!」

 

 思わず、ガッツポーズを取るマッシュ。

 

 これで勝った。

 

 そう思った、

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「御庭番式小太刀二刀流・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 低い声が放たれる。

 

 ギョッとして振り返るマッシュの視線の先。

 

 そこには、小太刀二刀を逆手に持って構えた甲が、いつの間に接近したのか、歩行戦車のすぐ足元で鋭い眼光を放っていた。

 

回天剣舞(かいてんけんぶ)六連(ろくれん)!!」

 

 放たれる斬撃。

 

 鋭い体の回転によって得られた高速の斬撃が、容赦なく襲い掛かる。

 

 数は、その名の通り、6連撃。

 

 その一撃一撃が、正に必殺以上。

 

 武術に関しては全くの素人に過ぎないマッシュには、何が起きているのかすら把握できない。

 

 ただ、気付いた時には、歩行戦車は散々に斬り裂かれ、ただの鉄屑の塊と化していた。

 

「馬鹿な・・・・・・・・・・・・」

 

 歩行戦車は、一瞬にして残骸と化し、ガラガラと音を立てて床に崩れ落ちていく。

 

 その光景に、唖然とするマッシュ。

 

 最先端科学の申し子たる兵器たちが、たった1人の男が繰り出す剣の前に斬り伏せられていく。

 

 それは、悪夢以外の何物でも無かった。

 

 対して、甲は鋭い眼差しでマッシュを睨む。

 

「次は何だ? 宇宙戦艦(スターデストロイヤー)でも出すか?」

「クッ!?」

 

 全ての手札を失い、完全に進退窮まったマッシュ。

 

「ウワァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 そのまま踵を返し、一散に逃げ出した。

 

 とにかく逃げる。

 

 ありったけの力を振り絞って逃げる。

 

 自分は、この基地の構造を知り尽くしている。逃げて脱出する事ができれば、それでいいのだッ

 

 だが、

 

 暫く進んだところで、マッシュは足を止めた。

 

「な、何でだ・・・・・・・・・・・・」

 

 驚愕の眼差しと共に紡がれる言葉。

 

 なぜなら、

 

 息を切らしているマッシュの目の前には、

 

 泰然とたたずむ、甲の姿があったのだ。

 

「遅かったな」

 

 まるで何事も無いように語る甲。

 

「悪いが、この基地の構造は全て、頭の中に入っている。逃げても無駄だぞ」

 

 その宣告のような言葉が、

 

 マッシュの、最後の気力を奪い去った。

 

 崩れ落ちるマッシュ。

 

 その傍らに歩み寄ると、その手を掴んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友哉がヘリでエリア51に到着した時、全ては終わっていた。

 

 基地には集まった空軍兵士達が、ボロボロになったジーサード一行を囲んで、「USA!! USA!!」と大合唱している。

 

 どうやら、トランザム号が飛び込んだ先は、ジーサードシンパのエリアだったらしい。その為、兵士達はヒーローの到着を大歓迎しているのだ。

 

 そんな中、

 

 ヘリから降りてくる友哉の姿を見付けた茉莉が、兵士をかき分けて走ってくるのが見えた。

 

「友哉さん!!」

 

 そのまま駆け寄ってきた茉莉が、ダイブするようにして友哉に飛びついてきた。

 

「おろーっ!?」

 

 龍次郎との戦闘でダメージを負っていた友哉は、茉莉の勢いを支えきれず、背中から地面に倒れ込む。

 

 だが、茉莉は構わずに友哉の上にのしかかって顔を近づける。

 

「もうッ どうして、あんな無茶をしたんですか!?」

「そう心配しなくても、この通り無事だったんだし・・・・・・」

「そう言う問題じゃありません!!」

 

 友哉の上に馬乗りになりながら、茉莉はいつになく強い口調で言い募る。

 

「もし、友哉さんの身に何かあったりしたら、私は・・・・・・・・・・・・」

 

 目にうっすらと涙を浮かべる茉莉。

 

 そんな茉莉に対し、

 

 友哉は手を伸ばして、頬を優しく撫でてやる。

 

「ごめんね。けど、大丈夫だよ。僕はこの通り、無事に帰って来たでしょ」

「友哉さん」

 

 その言葉に、泣き笑いのような表情を浮かべる茉莉。

 

 と、そんな2人に対し、周囲の人間が喝采にも似た歓声を嵐の如く浴びせてくる。

 

 目を転じれば、ジーサードリーグの面々も、何やら温かい眼差しを送ってきていた。

 

 そこで、2人はほぼ同時に気付く。

 

 茉莉は、倒れた友哉の腹の上に馬乗りになる形になっている。

 

 友哉の腹には、茉莉のお尻の、柔らかい感触がじかに伝わってきていた。

 

「「ッ!?」」

 

 慌てて飛び退く、友哉と茉莉。

 

 揃って顔を紅くするカップルを、居並ぶ兵士達は口笛を鳴らしたり、足を踏み鳴らしたりして、祝福なのかブーイングなのか、よく判らない歓迎の仕方をするのだった。

 

 その時、

 

 兵士達の陰から、連行されてくるマッシュの姿が現れた。

 

 左右を大柄な兵士に取り押さえられた姿からは、先日でのカフェにおける尊大な印象は微塵も見られない。

 

 場所が場所だけに、捕獲された宇宙人(リトルグレイ)を連想させられる。

 

 その背後には、甲の姿もあり、彼と並んで歩くように、空軍准将の階級を付けた大柄な将官の姿もあった。

 

「よう、マッシュ。死体袋入りじゃなくて悪かったな」

 

 そう言って笑い掛けるジーサード。

 

 それは、皮肉としては最高のレベルだった。

 

 カフェでのやり取りを、そっくりそのままやり返した形である。

 

「今の彼は『マッシュ容疑者』です」

 

 傍らの空軍准将が、説明するように言った。

 

「ミスター・ジーサードがエリア51に到着した時点でNSAを解雇され、同時刻に連邦不正請求禁止法違反で、彼に逮捕されました」

 

 そう言って准将は、隣の甲を差す。

 

「あんな告発は無効だ。裁判で覆してやる・・・・・・・・・・・・」

 

 マッシュは暗い目をして呟くが、その言葉に力は無い。

 

 もはや自分には、何の力も無い事は、他ならぬマッシュ自身がよく判っている事だった。

 

「怖がることは無いぞマッシュ君。刑務所(アルカトラズ)には、君が更生を約束させた心優しい先輩たちがたくさんいるからな。彼等は君をたっぷりと可愛がってくれることだろう」

 

 それは、間違いなく地獄だった。

 

 ただ一度の失敗。

 

 それが、マッシュ・ルーズヴェルトの全てを狂わせた。

 

 今や、彼を最強たらしめていた「権力」と言う力は、彼にとって最悪の敵となって立ちはだかっていた。

 

「あー、マッシュ。俺は平和ボケの日本人だが、どうやらお前の方が実戦経験は足りなかったみたいだな。まあ、出所したら歩兵からやり直せよ」

 

 完全に戦意喪失しているマッシュに、キンジはやや歯切れの悪い嫌味を返す。

 

 どうにも、先日の尊大な態度と比べて今の落差では、どう対処したらいいか判らなかった。

 

 それにしても、

 

「空しいね・・・・・・・・・・・・」

「友哉さん?」

 

 ポツリとつぶやいた友哉の言葉に、茉莉が視線を向けてくる。

 

 彼女の頭をそっと撫でてやりながら、友哉は脳裏で今回の戦いを反芻していた。

 

 今までの敵は、好悪こそあれ、全員が最前線に身を晒していた。それは魔女連隊長官イヴィリタのように、戦闘力が無い者であっても同様であった。

 

 皆、己の力と立場に誇りを持ち、正々堂々と挑んで来たのだ。

 

 だが今回、マッシュは終始後方の安全地帯で、モニターを見ながらゲーム感覚で戦っていただけである。

 

 こちらは命がけ。しかし、マッシュにとってはただのゲーム。

 

 これでは、勝ってもただ空しいだけであるのも無理は無い。

 

「何故だ・・・・・・・・・・・・」

 

 砂漠に膝を突き、四つん這いになりながらマッシュは呟いた。

 

「僕の計算は完璧だった。僕が負ける可能性は、皆無に等しかったはずだ・・・・・・・それなにの、なぜ、僕は負けたんだ?」

「そりゃ、お前が馬鹿だったからだろ。俺達にケンカ売る奴はみんな、馬鹿のノーベル賞だ」

 

 皮肉でも何でもなく、ただ事実を告げるように淡々とした調子で告げるジーサード。

 

 今回の戦いに空しさを感じているのは、友哉やキンジだけでなく、ジーサードもまた同様だった。

 

 これで相手が正面から正々堂々とぶつかって来ていたら、まだ救いもあったのだが、そもそもマッシュの能力では、それも不可能な事だった。

 

「ジーサード・・・・・・僕を笑いたければ笑え。殺したければ殺せ。僕は君のように強い男にデザインされなかった。周りのみんなは、女の子ですら僕よりも強かった。みんな、それこそオペレーターの少女達ですら・・・・・・陰で僕の事を笑っていたのを知っていたよ。だから縋ったんだ。僕が掴める、権力と言う力に・・・・・・僕を認めてくれたNSAに・・・・・・・・・・・・」

 

 マッシュはどうあっても、独力でヒーローの座を勝ち取る事はできなかった。

 

 だからこそ、自分を認めてくれたNSAに全てを掛けたのだ。

 

「そんな事ありませんよ」

 

 静かな声で言ったのは、茉莉だった。

 

「マッシュさんは、確かに身体的な不利を負って生まれて来たかもしれません。けど・・・・・・」

 

 茉莉は言いながら、傍らの友哉をチラッと見る。

 

「体が小さいと言う意味では、友哉さんだってそう変わらないです。けど、友哉さんはいつも努力を欠かす事無く自分を鍛え続け、どんな敵にも負けない強さを身に付けました」

 

 言い募る茉莉。

 

 対して友哉はと言えば、べた褒めしてくれる彼女の言葉に照れながら、顔を紅くして視線を逸らしている。

 

「あなたは人工天才。確かに、ジーサードさんとは違う形で生まれて来たかもしれません。けど、少なくとも生まれた時の条件は、友哉さんよりは良かったはずです。その力を、もっと別の形で活かす事もできたんじゃないですか?」

「それは・・・・・・・・・・・・」

 

 茉莉の言葉に、マッシュは沈黙を返す。

 

 確かに、友哉は身体的に恵まれているとは言い難い。華奢な体付きは、一般的な女子よりも多少大きい程度。武偵校の女子なら、友哉よりも大柄なのがゴロゴロといる。

 

 しかし、だからこそ友哉は、日々自分を鍛える事に余念がない。

 

「瀬田の言うとおりだ。お前は、自分を活かす方向を間違えた」

 

 ジーサードは、這いつくばるマッシュの傍らに膝を突きながら言った。

 

「けどな、そんなお前を認めているのは、別にNSAだけじゃねえぞ。もう1人いるだろうが。それを忘れるな」

 

 ジーサードの言葉に、マッシュは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げる。

 

「・・・・・・誰だ、それは? そんな奴、居るはずがない」

 

 言下に否定するマッシュ。

 

 だが、それに対してジーサードはニヤリと笑う。

 

「いるさ。お前の目の前にな」

「ッ!?」

「俺だ。この前は、殺される寸前までやられたしな。今回だって、俺等をあそこまで追い詰めたのはなかなかのもんだったぜ。だから顔を上げろ。もう泣くな。笑え。俺も、お前と同じ、アメリカの為に造られた哀れな男さ。それが2人とも捨てられて、砂漠でアホ面突き合わせている。どうよこれ、笑えるだろ?」

 

 一瞬ポカンとするマッシュ。

 

 やがて、ずれたメガネのまま、泣きはらした顔に笑みを浮かべる。

 

「・・・・・・・・・・・・フフ、そうだな、確かに笑えるよ。だが、アホ面というなら、君の方がアホ面だ」

「へっへっへ、いーや、お前の方がアホ面だ。そこは譲らねえ」

 

 低次元トークで笑い合う、2人の人工天才(ジニオン)

 

 空しい戦いの果てではあったが、そこに新たなる友情が芽生えた事は、荒涼とした砂漠の中で、一輪の花が咲くに等しい光景だった。

 

 マッシュは立ち上がり、身形を整え、こぼれ出た涙を袖でグイッと拭い取る。

 

 先程までの弱々しい姿とは違う、強い男の姿だ。

 

「痩せても枯れても、僕はアメリカ人だ。そして、全てのアメリカ国民には、自分の正義を信じて行動する権利がある。したがって、僕は君達のこれ以上の破壊活動を防止する為、ジーサード、君を瑠瑠色金の所へ案内する」

 

 その姿には、過去の自分を脱ぎ去り、新たな道を歩み始めた、新生ヒーローとしての姿が垣間見られるようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マッシュによって案内されたのは、エリア51内地下5階にある格納庫だった。

 

 いくつもの隔壁を越え、厳重な防御を解除しながら進んで行く。

 

 正直、ただ攻め込んでも、瑠瑠色金を取るのは不可能だったかもしれない。この厳重な防御を破るには、セキュリティを解除できるマッシュの協力が不可欠だった。

 

 やがて、最後の隔壁を抜けた先に置いてあったのは、20台ほどのクラシックカーだった。

 

 T型フォードと呼ばれる米国産の自動車は、世界中で販売台数1500万台を超えたベストセラー車である。

 

 だが、

 

 問題の瑠瑠色金はどこにもない。

 

 マッシュは呆然とし、ジーサードは力が抜けたように膝を突く。

 

 ここまで苦労して、

 

 命がけで困難を越えて、

 

 その結果が、これとは・・・・・・・・・・・・

 

 友哉もまた、めまいにも似た脱力感を感じる。

 

 全て徒労だったのか。

 

 だが、

 

「サード、この車、全部、全部、瑠瑠色金だ・・・・・・・・・・・・」

 

 震える声で言ったのは、超能力者(ステルス)のロカだった。

 

「・・・・・・・・・・・・なに?」

 

 顔を上げるジーサード。

 

 続いて、色金関係に知識があるツクモも、涙を流しながらジーサードに寄り添う。

 

「間違いありません、サード様。この車全て、塗装の下は瑠瑠色金です。走れるようにもなっていますッ これこそが、探し求めていたお宝ですよ、サード様!!」

 

 友哉も、驚愕に目を見開く。

 

 並んでいる車は全部で20台ほど。

 

 この全て、色金でできていると言うのか?

 

「これはカムフラージュだよサード。たぶん、アメリカ政府は戦争が起きた時に、走って全米各地に逃がす為に、色金を加工して、当時ありふれていたT型フォードに偽装したんだ」

 

 説明するロカの声も振るえている。

 

 つまり、この車を1台持って帰るだけで、使っても使い切れないほどの瑠瑠色化が手に入ると言う事だ。

 

「やったなッ ジーサード」

「兄貴」

 

 キンジがジーサードの脇を掴んで立たせながら、歓喜の声を上げる。

 

 その時だった。

 

「キンジさん」

 

 レキに呼ばれ、振り返るキンジ。

 

 その唇に、レキの唇が押し当てられた。

 

 突然のキス。

 

 キンジが驚愕し、誰もが唖然とする中、

 

 唇を放したレキは、

 

 まるで根本から、何か別の物に入れ替わったように、気配が最前までとは違っていた。

 

「レキさん?」

 

 近付こうとする茉莉。

 

 しかし、レキは手を上げて茉莉を制する。

 

 どこか艶のある仕草のレキ。こんな姿、普段の彼女なら決して見せる事は無いだろう。

 

 レキは踵を返すと、ゆっくりと車の方へと近づく。

 

「そこにいるのですね、ルル」

 

 問いかけるように放たれた言葉。

 

 それに答えるように、

 

 立体映像のような、青い裸体の女性が、目の前に現れた。

 

 それは幻想的な光景だった。

 

 友哉達も、呆然とした様子で状況を眺めている。

 

 数々の超能力や魔術に触れる機会がこれまでにあったが、これほど幻想的で理を超越した光景は、今までに見た事が無かった。

 

 だが、

 

 その中で、キンジ、ジーサード、マッシュの3人だけは、他とは違う意味で驚愕していた。

 

 現れた青い光の女性。その姿に、3人は見覚えがあった。もっとも、キンジは写真でだが。

 

「どうか、お許しください。あなた方が愛する、この女性の姿をお借りした事を。私達は定まった姿と言う物がございませんから、あなた達の脳内にあった、この姿をお借りしたのです」

 

 その姿は、ジーサードやマッシュの開発に携わった、サラ博士の姿だった。

 

「ルル・・・・・・・・・・・・」

 

 レキ、の中にいる、何か他の存在が、静かな口調で語りかける。

 

「もう止めましょう、ヒヒを。私は、この璃巫女の感覚を借りて、物語のあらましを見ていました。人間たちの命と心の為に、止めなければなりません。ヒヒを・・・・・・」

「私は・・・・・・争う時を、殺める時を、止める時を恐れていました。たった3つしかない私達が、また孤独に1歩近付くのを。ですが、もうリリの言う通りなのでしょう」

 

 そう言うと、青い女性と、レキの体を使用している女性は、振り返って一同を見た。

 

「・・・・・・どうか・・・・・・止めてください。ヒヒを・・・・・・緋緋色金を、私達の姉を」

 

 

 

 

 

第10話「ヒーローは倒れない」      終わり

 



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第11話「黒白の双翼」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 調度品が壊れる、耳障りな音が真夜中にも拘らず響き渡る。

 

 まるで宮殿のような豪邸の中は、しかし、誰あろう、そこの主の手によって、めちゃくちゃに荒されていた。

 

「クソッ クソッ クソォッ!!」

 

 ジェス・ローラット海兵隊中将は、荒れ狂う自身の感情を、そのまま物言わぬ調度品に叩き付け憂さ晴らしにまい進している。

 

 しかし、いくら暴れて物を破壊したところで、彼の気が晴れる事は一向に無い。そんな事をしても、根本から解決に至る事は無いのだから当然だろう。

 

 ジーサードリーグとの戦いに敗北した彼は、事実上陥落したエリア51を脱出し、命からがら逃げかえって来る事に成功していた。

 

 しかし、協力していたマッシュが失脚して逮捕された事で、彼自身も責任を問われる立場へと追いやられてしまっていた。

 

 既に海兵隊における彼の権限は凍結され、自宅謹慎が申し渡されている。

 

 このままでは、査問委員会に掛けられた上に、左遷される運命が待っている事は想像に難くない。

 

 これまで営々と築き上げてきた栄光の数々が、理不尽にも奪い去られようとしているのだ。

 

 それもこれも、

 

「マッシュだッ あの役立たずがジーサードなんぞに負けるから、私までこんな目に合わされるのだッ 全て奴が悪いッ」

 

 自分は何も悪くない。

 

 全てマッシュが悪い。

 

 それなのに、まるで責任を押し付けられるような扱いは、理不尽だと思った。

 

 勿論、マッシュに積極的に協力していたと言う意味において、ローラットの責任は誰よりも重大なのだが、およそ責任感と言う物が欠落している彼には、その事が一切認識できなかった。

 

 自分には一切何も責任は無く、完全無欠で潔白である。

 

 全て、自分以外の、誰かほかの奴が悪い。

 

 そんな考えで、ローラットの脳みそは埋め尽くされていた。

 

 あるいは、そうする事によって迫りくる現実から目を逸らそうとしているのかもしれないが、いずれにしても見苦しい事この上なかった。

 

「・・・・・・・・・・・・まあ、いい」

 

 ひとしきり暴れた後、ローラットは荒い息を吐き出しながら、ようやく落ち着きを取り戻した。

 

 高ぶる感情を無理やり押さえつけ、その肥満した尻をソファの上に乗せる形で座った。

 

 確かに、責任を問われる立場に追い込まれたのは確かだが、まだ巻き返しはできる。

 

 査問委員会で自らの潔白を証明し、この件に関して自分に責任が無い事をアピールすれば良い話だった。

 

 元より、実力よりも能弁の才と他人を陥れる姦計によってここまでのし上がってきたローラットにとって、査問委員会を丸め込むくらいの事は訳なかった。

 

「マッシュに全責任を押し付けてやれば、話は済む。何も難しい事は無いさ」

 

 考えがまとまり余裕が出て来たのか、ローラットは笑みすら浮かべてリラックスした風になる。

 

 そうだ、何も心配する事は無い。

 

 全てはマッシュが悪いのだから、あの小男が全責任を取る事は当然の事。自分には何の罪も無い。

 

 これで自分は元の職場に復帰できて一件落着。全てが丸く収まると言う物だ。

 

 ソファーに深く身を沈めるローラット。

 

 次の瞬間、

 

 その喉元に、冷たい刃が押し当てられた。

 

「ヒィッ!?」

 

 情けない悲鳴を上げるローラット。

 

 その巨体の背後から、冷たい殺気を振り撒く人物が、凍えるような声で告げた。

 

「ジェス・ローラット『元』海兵隊中将。内乱罪の容疑でお前を逮捕する」

 

 四乃森甲は、言いながら、手にした小太刀を更に突きつける。

 

 その状況に、更に無様な悲鳴を上げるローラット。

 

「ほ、法の保護を・・・・・・・・・・・・」

「残念だったな。既に連邦当局はお前の収監を決定した。『今回の件に限り、一切の裁判は不要。速やかにジェス・ローラット容疑者を拘束の上、収監せよ』。それが、俺に与えられた任務だ」

「そ、そんなァ・・・・・・・・・・・・」

 

 裁判も査問委員会も無し。全責任を押し付けられ、問答無用で罪に問われようとしている。

 

 まさにローラットは自分がマッシュに対してやろうとしていた事を、完璧にやり返された形だった。

 

 「人を呪わば穴二つ」とは日本の諺だが、さんざんマッシュに寄生する形でうまい汁のおこぼれに預かって来たローラットは、マッシュが失脚し、いち早く彼を見限った瞬間、これまでの収支を奪い取られる形で転落してしまったのだった。それも、マッシュよりもひどい形で。

 

 崩れ落ちるローラット。

 

 そんな彼を、甲は冷ややかな目で睨み続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 浅い覚醒を経て、友哉は目を覚ました。

 

 ここはニューヨークにあるジーサードビル。その中で、友哉が借りたゲストルームである。

 

 ジーサードビルは、上層フロアがメインスタッフ、つまりジーサードリーグメンバー専用になっており、各人の個室で成り立っている。その為、ゲストルームと言う物は存在しない。

 

 その為、友哉は下層のフロアに部屋を借りて、そこで眠っていた。

 

 エリア51での激闘を終えて帰還したのが昨日の事。

 

 基地最深部において、レキに憑依する形で姿を現した璃璃神、そして、その璃璃神の呼び声に応える形で具現した瑠瑠神と対面した友哉達は、そこで彼女達から、緋緋神の抹殺を依頼された。

 

 既に、緋緋神の存在は世界にとって多大な脅威となりつつある。その事を憂えた2人の女神は、苦渋の決断とも言える行動に出たのだ。

 

 彼女達に寄れば、世界に存在する色金は緋緋色金、瑠瑠色金、璃璃色金の3つのみ。

 

 ある種の同族とも言える存在を殺す事は、彼女達にとっては己が身を切り裂かれるほどの苦痛である筈だ。

 

 だが、世界と、そこに住む人々を救う為、2人はあえての決断に踏み切ったと言う。

 

 それに対し、

 

 キンジは、2人の考えを否定した。

 

 女性を傷付ける事は、たとえヒステリアモード時のキンジでなくても避けたい事態である。それに、いわば家族を殺そうとする彼女達の考えに賛同できない、と言うのもあったのだ。

 

 キンジは緋緋神を逮捕する、と言った。

 

 それができるかどうか、果たして逮捕したとして、どのような形で裁くのか、具体的な見当は付かない。

 

 だが、キンジは己の信念において、決して緋緋神を殺すような真似はしないと言ったのだ。

 

 ともあれ、戦いはこちらの勝利に終わり、目的だった瑠瑠色金も手に入った。

 

 これで、緋緋神に対抗する手段が、若干ながら手に入った事になる。

 

「全ては、これから、か・・・・・・・・・・・・」

 

 事態は未だ、入り口に立ったばかり。混迷の先にある道はぼやけ、見通す事すらできない。緋緋神を具体的にどうするのか、まだ全くと言って良い程に見当がつかなかった。

 

 だが

 

 小さな一歩は着実に刻まれている。

 

 その積み重ねが、いずれ必ず自分達の想いを結ぶと信じて、今は前に進み続けるしかなかった。

 

 友哉は、再び目を閉じる。

 

 まだ、完全に眠気が取れていない為、このまま二度寝しようと思った。

 

 疲れの抜けきっていない意識をゆっくりと沈降させる。

 

 そのまま寝返りを打った。

 

 その時、

 

 ムニュ

 

「あぅ・・・・・・・・・・・・」

 

 右の手の平に、何やら馴染の無い感触があり、更に、それに伴うように、自分ではない誰かの声が聞こえた。それも、すぐ隣から。

 

「おろ?」

 

 落ちかけた意識を覚醒させ、目を開いてみる。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

 

 思わず、驚愕の為に拍動が高まり、心臓が口から飛び出るかと思った。

 

 目の前に、茉莉の顔がある。

 

 ちょうど、友哉と向かい合う形で瞳を閉じていた。

 

 しかも、恰好は下着の上からYシャツを羽織っただけという、何とも煽情的な物である。

 

 胸元のボタンは上から3つが外され、ピンク色のブラに包まれた可愛らしい胸がほの見えており、裾からはピンク色のパンツと、そこから延びる白い足が晒されていた。

 

 更に言えば、寝返りを打った関係で、友哉の手は茉莉を抱きしめるような格好になっている。

 

 友哉の右手は、クマさんが描かれた茉莉のお尻を、さわさわと撫でまわしている。

 

 発展途上のバストと違い、お尻の方は少女らしく、丸みを帯びた可愛らしい形をしている。適度な張りと弾力、そして好ましい柔らかさが友哉の掌へと伝わってくる。

 

 茉莉はと言えば、ほんのり頬を紅くして、時折、小さく呻くような声を上げている。どうやら眠っていても、触られている感触は、しっかりとフィードバックされているようだった。

 

「え・・・・・・な・・・・・・何で? 何で茉莉が? 何でその格好?」

 

 一気に覚醒した脳が、必死に状況を分析しようと試みる。

 

 確か昨夜は、皆でジーサードビルに戻った後、勝利の祝杯をあげた。

 

 そんな中、疲れていた友哉は一足先に宴会を抜け、宛がわれたこの部屋に戻ってベッドに入ったはずなのだが。

 

 そこから先の記憶が、無い。

 

「ま・・・・・・まさか・・・・・・」

 

 友哉は、ある事態に思い至り、顔面が蒼白になる。

 

 昨夜、友哉は酔っていた。多少、アルコールに強い体質である事は間違いないが、酔っていたのは間違いない。

 

 そして、茉莉も酒が入っていたので、酔っていたのは間違いない。

 

 まさか、

 

 お互い、そのまま酔った勢いで・・・・・・・・・・・・

 

 その証拠に、茉莉はこんな艶めかしい格好をしている。

 

 最悪だ。

 

 酔った勢いで初行為に及ぶ、と言うのは強姦と同レベルで最低の事だと友哉は思っている。

 

 こんな事で、茉莉を傷付けてしまったとしたら、切腹したくなるような大失態だ。逆刃刀は切腹に向いてないが。

 

 その時、

 

「あ、あの・・・・・・・・・・・・友哉、さん・・・・・・」

「お、ろ?」

 

 呼ばれて視線を向けると、どうやら目を覚ましたらしい茉莉と目が合ってしまった。

 

 慌てて取り繕いつつ、取りあえず、挨拶をと思って口を開いた。

 

「お、おはよう、茉莉」

「おはよう、ございます。友哉さん・・・・・・・・・・・・」

 

 茉莉も、オズオズと言った感じに返事をする。

 

 状況が状況だけに、何とも間抜けな印象がある。

 

 と、茉莉は赤い顔のまま、少しもじもじとした感じに視線を逸らした。

 

「それで・・・・・・その・・・・・・友哉さん・・・・・・・・・・・・」

「お、おろ?」

 

 何を言うべきか判らないまま、声を途切れさせる友哉。

 

 いったい何を言われるのか、そう思って内心でびくびくと茉莉の言葉を待つ友哉。

 

 すると、暫くして、茉莉は躊躇いがちに言った。

 

「その・・・・・・手を・・・・・・・・・・・・」

「おろ? 手?」

 

 キョトンとする友哉。

 

 そこで、

 

 友哉は気付いた。

 

 自分の手が未だに、クマさんパンツに包まれた茉莉のお尻を触っている事に。

 

 しかも、殆ど無意識で、ムニムニと揉みまくっていた。

 

「ウワァァァァァァ、ごごご、ごめんッ」

 

 慌てて手を放す友哉。

 

 起き上がった勢いそのままに、ベッドの上で正座する。

 

 茉莉もまた、のそのそと起きて、友哉と膝を突き合わせるようにして茉莉も体面に正座した。

 

 朝から、互いに顔を真っ赤にして正座するカップル。

 

 何やら、明らかに「昨夜何かあった」図である。

 

 ところで、

 

 茉莉は相変わらず、はだけた下着Yシャツのままなので、ブラもパンツも、友哉の視界からはチラチラと見えてしまっている。紙のように真っ白な足など、陽光に照らされてまぶしく輝いていた。

 

「そ、それで・・・・・・・・・・・・」

 

 茉莉の艶姿から目をそらすように、友哉は顔を赤くしながら口を開いた。

 

「茉莉は、何でこの部屋に? ここ、僕の部屋だよね?」

 

 見回せば、友哉の荷物や防弾制服、逆刃刀がベッドの傍らに置いてある。

 

 同時に、茉莉の防弾セーラー服や菊一文字も置いてあるのだが。

 

 しかし、ここが友哉に宛がわれた部屋である事は間違いなかった。

 

「それが、私にも何が何だか・・・・・・・・・・・・・」

 

 どうやら、茉莉も何故友哉と同衾していたのか記憶に無いらしく、質問に対する歯切れが悪い。

 

 これはますます「やらかしてしまった」感が強くなるのだが。

 

「あ」

 

 そこで、何かを思い出したように茉莉が手を打った。

 

「そう言えば昨夜、友哉さんが部屋に戻った後、私も少し酔ってしまいまして、そのままツクモさんの部屋に行こうとしたんですが、そこでロカさんとかなめさんに、今日は友哉さんの部屋に泊めてもらえと言われまして」

「そして、部屋に入ってきてしまった、と?」

 

 友哉の言葉に、茉莉は顔を紅くしてコクンと頷く。

 

「部屋に入ったら、友哉さんがベッドで寝ていて・・・・・・それで、酔っていたせいで、それ以上考える事が出来なくて・・・・・・でも、パジャマが無かったんで、代わりに荷物に入ってた、この格好でベッドに入りました・・・・・・・・・・・・」

 

 Yシャツの裾をギュッと伸ばしながら、茉莉は恥ずかしさ満点の顔で言った。

 

 成程、だいたいの事情は分かった。

 

 ともかく「最悪の事態」に至ってなかった事だけは幸いだった。

 

 それにしても、

 

 こうなると少しだけ、昨夜意識が無かった事が悔やまれる。

 

 折角、茉莉と同じベッドで眠る機会があったと言うのに。絶好のイベントを逃してしまった気分だった。

 

「あの、友哉さん・・・・・・・・・・」

 

 そんな不埒な事を考えていると、茉莉が話しかけてきた。

 

「あの、着替えたいので、その・・・・・・・・・・・・」

「あ、ああ、ごめん。僕、顔洗ってくるから、その間に着替えてて」

 

 慌てて立ち上がってベッドを飛び降りると、洗面所の方へと駆けて行く友哉。

 

 朝っぱらから、何とも嬉し恥ずかし的なイベントをこなしてしまった。

 

「これは、ラッキーだったって思う事にしておこう・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉はそう言って、洗面台に近付いて水を出そうと手を伸ばし、やめた。

 

 もう少しだけ、茉莉のお尻を触った時の感触が残る手は、そのままにしておきたいと思ったからだ。

 

 などと、思春期少年特有の感情に顔を赤くする友哉であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食事を終えた友哉は、アンガスに呼ばれ、彼の部屋へと足を向けた。

 

 戦いを終えた直後だと言うのに、ジーサードリーグの面々は皆、思い思いの休日を過ごしていた。

 

 ロカはかねてから目当てだった腕時計を競り落とすべくオークション会場へ、海斗はオランダにいる理沙の元へ、アトラスは両親のある実家へ、コリンズはエステへと、それぞれ出かけて行った。

 

 かなめとツクモは何やら、ヤンキースタジアムに野球観戦に行くそうだ。

 

 のんびりしているのは、キンジとレキくらいである。

 

 それに加えて、面白い人物がいる。

 

 誰あろう、つい先日、あれだけの死闘を演じた相手、マッシュ・ルーズヴェルトである。

 

 何とも変わり身の早い事で、マッシュは戦いが終わった後、すぐさま自分自身をジーサードに売り込んで来たのだ。

 

 かねてから情報部門で専門家が欲しかったジーサードもこれを了承。晴れてマッシュは、ジーサードリーグの情報解析担当となった。

 

 その際、LOOも共にジーサードリーグ入りしている。

 

 考えてみれば、ジーサードリーグの面々は、かなめと武藤兄妹を除けば皆、元はジーサードを殺しに来た刺客達である。そこにマッシュたちが加わる事は、何の問題も無いのかもしれなかった。

 

 現在、マッシュは友哉、キンジ、茉莉の出国に際して必要な準備をしており、メンバーの中では比較的多忙な中にあった。

 

 LOOはと言えば、こちらは暇なようで、キンジ、レキと共にテレビを見ていた。

 

 友哉はアンガスの部屋の前まで来ると、ノックをして中に入った。

 

「失礼しますアンガスさん。緋村ですけど?」

「おお、緋村様、お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」

 

 友哉を招き入れたアンガスは、机の上に置いておいた刀を手に取って差し出した。

 

「おろ、それは・・・・・・」

「はい。以前、出撃前に緋村様が気に行った刀でございます。ここをご覧ください。」

 

 言ってから、アンガスは鍔に当たる部分を指差した。

 

 そこには、以前は無かった青い宝石がはめ込まれている。

 

 それを見て、友哉は驚愕で目を見開いた。

 

「これって・・・・・・・・・・・・」

「はい。瑠瑠色金でございます」

 

 エリア51の地下で入手した瑠瑠色金を、アンガスが加工して鍔元に埋め込んだのだ。

 

「使いこなす事ができれば、今後、敵が超能力(ステルス)であった場合でも、ある程度有利に戦えるはずです」

「いや、これはありがたいです」

 

 対超能力(ステルス)戦において、友哉の対抗手段は、ほぼ龍鳴閃一本のみである。だが、それでは先述の幅がどうしても限定されてしまうし、いずれ限界が来るかもしれない。

 

 しかし、こちらも色金を使えるようになれば、今まで以上の戦いができるはずだった。

 

 勿論、色金を持ったからと言って、友哉がステルスになれるわけではない。

 

 しかし、色金は特殊な粒子を放出して、超能力や魔術を阻害するジャミング効果がある。これを駆使して戦う事ができれば、占術の幅はより広がるだろう。

 

 友哉は刀を鞘に戻し、そのまま背中のホルダーに収める。

 

 まるであつらえたように、ぴったりと背中に収まった。

 

「おお、すごいすごい」

 

 友哉は子供のようにはしゃぐ。これで、潜入捜査等で刀を持っていけない時でも問題は無かった。

 

 そこでふと、友哉は傍らの机の上に置いてあるバタフライナイフの存在に気付いた。

 

「おろ、このナイフは・・・・・・」

「はい。お察しの通り、遠山様のナイフでございます。そちらの方も、瑠瑠色金で鍍金処理を施しましたので、間も無く御引渡しできるはずです」

 

 キンジのナイフ、イロカネトドメは緋緋神との戦いで効果を失ってしまったが、これでまた元通りの性能を発揮できるはずだった。

 

 そこでふと、友哉はある事を思いついた。

 

「あの、アンガスさん。お願いがあるんですけど・・・・・・・・・・・・」

「はい、何でしょうか?」

 

 友哉はアンガスに、自分の考えを言ってみた。

 

 それを聞いて、アンガスは微笑みながら頷きを返す。

 

「なるほど、実に良い考えですな。判りました、及ばずながら力を貸しましょう」

「ありがとうございます」

 

 請け負ってくれたアンガスが、作業に必要な準備に入ろうとした時だった。

 

 友哉の携帯電話が鳴った。

 

「もしもし?」

《おう、緋村か》

 

 相手はジーサードだった。

 

《お前に客が来てるぞ》

「おろ、客?」

《1階のメインフロアに待たせてある。会うなら行ってやりな》

 

 そう言うと、電話は切れてしまった。

 

 それを待っていたように、携帯型の端末を持って、アンガスがやって来た。

 

「こちらでございます」

 

 差し出された映像を見て、

 

 友哉は目を見張った。

 

 

 

 

 

「突然来て、悪かったな」

「いえ・・・・・・・・・・・・」

 

 互いに対面のソファーに座りながら、友哉と龍次郎は、そんな挨拶を交わした。

 

 客と言うのは龍次郎だった。

 

 これまでマッシュ派だった彼が、いわば敵の本拠地であるジーサードビルまで乗り込んでくるとは、よほどの要件である事が伺えた。

 

「もう、出歩いても大丈夫なんですか?」

「問題ない。それほどヤワな鍛え方はしていないさ」

 

 身体を気遣う友ない、そう言って龍次郎は笑い掛けた。

 

「本国から帰国命令が下ってな。俺はこの後の便で日本に帰る事になった。その前に、どうしてももう一度、君に会って話がしたかったんだ」

「帰国命令って・・・・・・それじゃあ・・・・・・」

 

 龍次郎は、今回の件における責任を取らされ、強制送還されるのだ。

 

 いわば、友哉が彼の運命を決定づけたに等しい。

 

「そんな顔をするな」

 

 対して、龍次郎は苦笑して見せる。

 

「この件に関しては、誰かが責任を取らなくてはならないのは事実だ。なら、最前線の当事者だった俺が取るのが適任だろう。それに・・・・・・」

 

 龍次郎は、フッと笑いながら友哉に視線を向ける。

 

「俺も、君も、互いの正義を掛けてぶつかり合ったんだ。その結果、君は勝って、俺は負けた。残念ではあるが、そこに悔いはない」

 

 あの時、

 

 トランザム号の上で戦った友哉と龍次郎は、互いに胸の内にある譲れない物の為に戦った。

 

 龍次郎はマッシュを守り、その上で日本を守ると言う正義の元。

 

 友哉は、マッシュを止めて、日本を守ると言う正義の元、

 

 互いに剣を振るった。

 

 ならば、そこに遺恨など無かった。

 

「この後、どうなるんですか?」

「さあな、外務省での書類整理に回されるか、あるいはより危険な紛争地域に飛ばされるか」

 

 いずれにせよ、左遷の運命にある事は逃れられない、と言う事だ。

 

「なあ、緋村」

 

 龍次郎は、口調を変えて友哉に語りかけた。

 

「あの汽車の上で、俺が君に言ったのは事実だぞ。今の日本は、未曾有の、それこそ第二次大戦の頃にも匹敵する国難に直面しようとしている」

 

 周辺各国が、日本の利権を狙って跳梁している。

 

 その為、龍次郎はマッシュと手を組もうとしたのだ。

 

「だが、今回の敗北で、それも敵わなくなった。無論、俺以外の別ルートで、米国とのパイプは維持されているが、最も即時的な効果が期待できたマッシュとの同盟関係は潰えてしまった訳だ」

 

 龍次郎は、スッと目を細める。

 

 同時に、周囲の空気は否が応でも締め付けられる。

 

 まるで、戦場にいるかのような緊張ぶりである。

 

「しかも、問題は国外だけではない。国内でも、問題は持ちあがっている」

「それは・・・・・・・・・・・・」

 

 思い当たる節があり、友哉は口を開いた。

 

「公安0課が解体される件ですか?」

「ほう、そこまで知っていたか」

 

 龍次郎は、少し驚いたように言った。

 

「そうだ。日本最強の戦闘集団が、もうすぐ無くなるかもしれない。それも、他ならぬ身内、現政権の手によってな」

 

 それは、日本にとって自殺行為に他ならない。しかし、政権を獲得したばかりの民主党には、その危機を認識できている人間は、悲しい事に殆どいないのが現状だった。

 

「今の政権を担っている連中、特にトップに近い奴等ほど、中国にゴマを擦る事しか考えていない。そんな奴等からすれば、最強戦力であり、闇の世界にも通じている公安0課は、対中交渉における邪魔以外の何物でもない、と言う訳だ」

「馬鹿げた話ですね」

 

 言ってから、友哉は何かに気付いたように顔を上げた。

 

「じゃあ、塚山さんは0課の代わりに、マッシュと手を組もうとしたんですか?」

「そうだ」

 

 友哉の質問に対し、龍次郎は頷きを返す。

 

 それは翔華や彰彦が、新しい組織を立ち上げようとしているのと、考えている根本は同じだった。

 

「これから、我々はどうすればいい? どうすれば、日本を守れる?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 質問に対し、沈思する友哉。

 

 ややあって顔を上げると、友哉は真っ直ぐに龍次郎を見て言った。

 

「自分達で、何とかするべきです」

 

 口調は確信を持って、言葉を紡ぐ。

 

「誰か他の人の手を借りるんじゃなくて、まず、頼るべきは自分たち自身だと思います。それが、こんな状況であっても、動くべきは自分だと・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉の言葉を聞き、

 

 龍次郎は難しい顔で応じる。

 

「それがいかに難しい事であるか、君は判っているのか?」

「はい」

 

 だからこそ、翔華たちは新組織の立ち上げに躍起になり、龍次郎は節を曲げてでもマッシュに付こうとして。

 

 そして、翔華たちに協力しようとしている友哉自身、今やこの件に関しては無関係ではなかった。

 

「良い目だ」

 

 友哉の言葉を受けて、龍次郎はフッと笑みを浮かべた。

 

「この前、君の事を子供だと言ったが、あれは撤回しよう。君はもう、自分の判断で剣を抜き、戦う事を選択できる大人だ」

 

 そう言うと、龍次郎は立ち上がった。

 

「塚山さん?」

「戦いには負けたが、勝ち負け以上に大事な物を得られた気がするよ。君のような男が日本の為に戦ってくれるなら、日本の未来は安泰かもしれないな」

 

 そう言うと、足元に置いてあった荷物を持って入口の方へと向かう。

 

 その背中を、友哉は黙って見送る。

 

 結果として、自分は龍次郎が目指した道を潰してしまった事になる。

 

 勿論、その事に後悔はしていない。否、後悔する事は許されない。

 

 自分のやった事に後悔すると言う事は、すなわち龍次郎の想いそのものを踏みにじる行為に他ならないからだった。

 

 その時だった。

 

「彼の事は、僕に任せろ」

 

 掛けられた声に振り返ると、よく見知ったキノコ頭の少年が、どこか悲しげな眼で、自動ドアを潜って出て行く龍次郎の姿を見送っていた。

 

「マッシュ?」

「NSAを解雇された僕だが、民主党にはまだ少しだけ、パイプが残っている。そこから通じて日本の外務省に働きかけ、塚山に累が及ばないようにするよ」

 

 そう言うと、マッシュは大きく息を付いた。

 

「それが、彼の想いに答えてやれなかった・・・・・・・・・・・・」

 

 いや、と言って、マッシュは自分の言葉を言い直す。

 

「彼の想いに最初から答える気が無かった、僕の最低限の償いだ」

 

 そう言い置くと、マッシュは友哉を置いてすたすたと去って行く。

 

 今回の戦いの前と後では、マッシュの雰囲気が全くと言って良い程、逆転している。

 

 あるいは、負けたからこそ、それまで自分を縛っていたコンプレックスを振り切る事が出来たのかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜になってから友哉は、茉莉をニューヨークの街へと連れ出した。

 

 かねてから計画していた、ニューヨークデートである。

 

 とは言え、友哉自身、ニューヨークに土地勘がある訳ではなく、デートスポットのリストも無い。

 

 ジーサードリーグの面々に聞こうかとも思ったが、大半が出払っている上、情報が無い場所を選んでも、茉莉を楽しませるだけのイベントを用意できるとも思えない。(もっとも茉莉なら、友哉がどこに連れて行っても楽しいだろうが)

 

 苦慮の末、友哉が選んだのは、この場所だった。

 

「うわぁ、やっぱり素敵です」

 

 カフェ・ラロ

 

 そこはつい先日、龍次郎に連れてこられる形でやって来た喫茶店であり、そして映画「ユー・ガット・メール」のワンシーンの撮影が行われた場所でもある。

 

 映画好きの茉莉は、目をキラキラと輝かせて、店内の様子を見ている。

 

 その様子を見て、友哉も微笑を浮かべる。

 

「この前に来た時は、ゆっくり見る事もできなかったからね」

「ありがとうございます、友哉さんッ」

 

 2人は早速、映画で使われたテーブルに座り、軽食とコーヒーを注文する。

 

「夢みたいです。友哉さんと、こんな風に、外国の街でデートできるなんて」

 

 子供のように目をキラキラと輝かせる茉莉。

 

 そんな彼女に対し、

 

 友哉はポケットに入れておいた箱を取出し、茉莉に差し出す。

 

「これは、僕から」

「?」

 

 受け取って、箱を開く茉莉。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

 

 思わず、目を見開いた。

 

 それは首飾りだった。

 

 左右に広げた白と黒の翼が特徴的であり、そして何より、中央には青い宝石がはめ込まれている。

 

「これ・・・・・・もしかして瑠瑠色金ですか?」

「うん、そうだよ」

 

 友哉はアンガスに頼み込んで、瑠瑠色金の加工方法を教えてもらい、このアクセサリーを自主作成したのだ。

 

 友哉は茉莉から首飾りを受け取ると、彼女の後ろに回って、首にかけてやる。

 

 儚げな少女を彩る、青き宝珠の翼。

 

 その姿は、ある種の神々しさすら感じる。

 

「嬉しい・・・・・・・・・・・・」

 

 茉莉は、うっすらと笑みすら浮かべながら、自分の胸元を飾る翼を手に取る。

 

 因みに、恥ずかしくて茉莉には言えないが、

 

 この翼、黒は友哉を表し、白は茉莉を表している。

 

 つまり、2人の仲をを象徴するアクセサリーなのだ。

 

 友哉はそっと、後ろから茉莉を抱きしめる。

 

 その突然の行動に、茉莉は驚いて顔を紅くする。

 

「友哉さん、他の人が見てます・・・・・・」

「うん。けど、今だけ、ね・・・・・・」

 

 茉莉の抗議を優しく聞き流して、抱擁を続ける友哉。

 

 やがて、

 

 茉莉も諦めて、友哉の温もりを受け入れていった。

 

 

 

 

 

第11話「黒白の双翼」      終わり

 

 

 

 

 

合衆国編      了

 




宣言通り、今回の掲載を持ちまして、更新を一時停止させていただきます。

原作の方が進みましたら、更新を再開させていただく事になりますので、その時は、またよろしくお願いいたします。

尚、更新再開時期は未定ですが、今回のように突発的に気分が乗って再開する、と言う可能性もある旨、予め明記させていただきます。

それでは、ご愛読ありがとうございました。また、お会いできる日を楽しみにしております。




2015年2月26日     ファルクラム


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