やはり私の居場所はここである。 (もす代表取締役社長)
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こうして、彼と彼女は出逢う。

「青春とは嘘であり悪である。

青春を謳歌せし者たちは、常に自己と周囲を欺く。

自らを取り巻く全ての環境を肯定的に捉える。

何か致命的な失敗をしても、それすらを青春の証とし、それを疑わない。

だがそれこそが欺瞞である。

失敗を失敗と捉えず、青春のスパイスとする。

これは自己の問題からの逃避である。

彼らは自分を変えることができないと錯覚し、変えようという努力までもせずにその選択肢を捨てるのだ。

自分を変えずに他者の力を借り問題を解決しようとする。

これは愚行だ。

これでは悩みや問題は解決せず、いずれ周りの人間にも災難が降りかかるだろう。

故に彼らは悪だ。

結論を言おう。

他者を頼っても誰ひとりとして救われないのだ。」

 

 

 

「・・・君もか・・・・なぁ雪ノ下、私が授業で出した課題内容はなんだったかな?」

 

「『高校生活を振り返って』というテーマの作文だったと思うのだけれど、違いましたか?」

 

平塚先生は大きくため息をついた。

なぜかはわからないのだけれど、どうやら平塚先生は私の作文が気に入らなかったみたいね。

それに、『君も』とはどういうことかしら。

 

「テーマはそうなのだがな、何なんだこの作文は?一応言い訳があれば聞いてやる」

 

「私はしっかり高校生活をおくった上で感じたことを書いたつもりだったのですが?」

 

先生は煙草をくわえて火を近づけた。

この様子を見た限りだと、かなり呆れているようだ。

それにしても校内で煙草を吸うのはいかがなものだろうか。

 

「君、友達はいるかね?」

 

質問の意図はわからないが、嫌な予感がした。

 

「そうですね。ではまずどこまで親しめば友達なのかということを定義していただいてもよろしいでしょうか」

 

「ああ、もう大丈夫だ。それは友達いない奴の台詞だぞ」

 

やれやれ、という様子で平塚先生は煙草の火を消し立ち上がった。

 

「付いてきたまえ」

 

 

 

 

 

 

私は平塚先生と特別棟に繋がる廊下を歩いていた。

 

「平塚先生、どこに行くのですか?」

 

私の前を歩く平塚先生は振り返ることなく質問に答えた。

 

「実はな、君と全く同じワードで作文を出してきた奴がいてな」

 

「私の質問とは回答がズレていますが?」

 

「まあ、黙ってついてきたまえ」

 

黙ってどこかを目指し歩く平塚先生の後ろ姿は、心做しか少し喜んでいるように感じた。

 

 

そこから少し歩いたところで先生は立ち止まった。

そこは何の変哲もない教室の前。

ルームプレートには何も書かれず、端っこに机と椅子が積み上げられた普通の教室。

 

ここから、この教室から私の人生は変わり始める。

この教室での出会いが、私の人生を、私自身を大きく変えることになる。

これはその物語である。

何もできない自己犠牲のヒーローが一人の少女を救う、世界一ちっぽけな英雄譚である。

 

「さあ、入りたまえ」

 

平塚先生が扉を開け、私に手招きをしている。

何もない、まっさらなその教室に私は足を踏み入れた。

 

─────息を呑んだ。

まるで美しい絵画を見たような気分だった。

そこには椅子に座り本を読んでいる少年が一人いるだけだったのだが、私は少しの間その少年から目が離せなかった。

 

しかし、その感動も瞬間的に姿を消した。

その少年と目が合った、その瞬間に。

 

「平塚先生、入るときにはノックの一つぐらいして下さい。ってこれ毎回言ってるんですけど」

 

その少年は一言で表すと目が腐った人間だった。

まるで全てを諦めたような、そんな目だった。

私はその目がひどく気に入らなかった。

 

「君は返事をしたためしがないじゃないか」

 

「まずノックをしたためしがないじゃないですか」

 

少年は本に目を落としたままに話している。

 

「平塚先生、あのぬぼーって感じの男は誰ですか?」

 

率直な疑問をぶつけた。

この時点での印象は最悪だった。

 

「そうだな。まずは紹介しよう。彼は比企谷八幡。例の君と全く同じワードで作文を提出した人間だ」

 

「やっぱりぬぼーって感じの男って俺のことですよね」

 

比企谷八幡という男はなぜか落ち込んだ顔をしている。

ここは構わない方がよさそうだ。

次に平塚先生が私を指して紹介した。

 

「こっちは雪ノ下雪乃。入部希望者だ」

 

「はっ!?先生、聞いてないのですが」

 

「当たり前だ。今言ったのだからな」

 

先生は少年のような笑顔で言った。

しかし勝手に話を進められるのは困る。

 

「失礼ですがお断りします。この男と共にいることに身の危険を感じます」

 

本音だ。

この男の目を見てると不安になる。

 

「大丈夫だ。この男、比企谷八幡は自己保身には長けていてな。刑事罰になるようなことだけは絶対にしないような小悪党だ」

 

「いや、常識的判断ができるだけですからね」

 

妙に説得力があるわね。

お陰で納得してしまったわ。

 

「比企谷、お前には雪ノ下の更生を依頼したい」

 

「待って下さい、私は入部を認めた覚えはないのだけれど」

 

「雪ノ下、君に異論反論抗議意見口応えは認めない。とにかく一度やってみるといい。君には必要だと思うぞ」

 

正直なところ、どうしても入部したくない訳ではない。

しかし意図が見えない以上、これを受け入れる気はない。

 

「平塚先生、雪ノ下さんの更生って要するにどういうことですか?」

 

「それは私も気になっていたところだわ。説明お願いします」

 

先生は少し真剣な顔になり、話を始めた。

 

「雪ノ下、お前は人を頼ることを知らなさすぎる。これは社会で必ず自分の身を滅ぼすことになるだろう。だから、ここで人を頼ることを覚えてもらう」

 

比企谷八幡と目が合った。

すると比企谷八幡は渋々といった様子で立ち上がり言った。

 

「あのー、まず俺が他人頼らないのに雪ノ下さんの問題を解決できるとは思えないんですが」

 

私の気持ちを汲んでくれたのかしら。

目が合った途端に否定するなんて。

 

「誰が君が教えろと言った。この部の依頼者に触れ合わせることによって、頼られる側から体験してもらえば自ずと解決に向かうだろうという企みだ」

 

平塚先生は扉の方に歩いて行った。

 

「それでは、比企谷頼んだぞ」

 

平塚先生は出て行ってしまった。

 

「立ってるのもなんだし、椅子出して座ればどうですか」

 

「そうさせてもらうわ」

 

 

 

 

 

しばらくの間、二人の間に息苦しい静寂が続いた。

二人とも本を読み、コミュニケーションをとろうとはしない。

自分でも驚くことに、初めに沈黙を破ったのは私だった。

 

「あの、比企谷君、ちょっといいかしら」

 

「あ、何だ?」

 

特に用はなかったのだけれど、なぜ彼に声をかけたのだろう。

私は冷静を装いながら、必死で話題を探した。

 

「ここは何部なのか、まだ知らないのだけれど」

 

なかなか自然な話題が振れたわね。

少し安堵した。

 

「逆にしよう。何部だと思う」

 

「ボランティア部といったところかしら。平塚先生も依頼だのなんだのと言っていたし」

 

「いやっ、分かんのかよ。しかもなかなか即答」

 

失敗したわ。

自分から話を振っておいて悩みもせず答えるなんて。

少し不自然だったかしら。

 

「確信がなかったから一応確認しただけよ」

 

「そうか」

 

何で私は不自然だとか考えているのかしら。

 

ここに来てから自分の言動の真意が分からない。

それに私は入部を認めた訳ではない。

ここに残っている理由もないはずだ。

なぜ私はこの教室に、自分の意思で残っているのだろうか。

 

「奉仕部。ここは奉仕部だ。まあ、雪ノ下の目的は『他人を頼ることを知ること』らしいが、くれぐれも俺は頼らないでくれ」

 

「言われなくても、あなたみたいな腐った目の人間は頼らないわ。安心しなさい。それに私の目的ではないわ。平塚先生の目論みよ」

 

『俺のことは頼るな』

そう言って私を突っぱねた比企谷君は、どこか悲しげな表情だった。

皮肉に混ぜて助けを求めている。

強がって寂しさを偽っている。

そんな気がした。

 

「あなたも同じなのね・・・・」

 

私は無意識にそう呟いていた。

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

「邪魔するぞ」

 

平塚先生が唐突に教室に入ってきた。

 

「ほら、ノックしないじゃないですか」

 

「ノックをしても君は返事をしないからな」

 

「まず先生がノックをしたためしがありません。ってこれ二回目ですが」

 

「まあ、いいじゃないか。ただ様子を見に来ただけだ」

 

平塚先生は私達二人を交互に見た。

そして「ふむっ」と頷いた。

 

「仲が良さそうで結構だ」

 

どこをどう見ればそうなるのかしら。

 

「そういえば一つ言い忘れたことがあってな。雪ノ下、ここにいる比企谷八幡は社会不適合者予備群だ。そこで君にこの男の捻くれた性格の更生を依頼したい」

 

その言葉に不満気な顔で比企谷君が反応した。

 

「あのー、先生勝手に話進めてますけど、俺は性格の更生とか求めてないんですけど。しかも雪ノ下がそれを請け負うことは、『他人を頼ることを知る』という目的に関係ないですよね」

 

私は最初から言いたいことがあった。

平塚先生にここへ連れられた時から。

それを言うのは今しかない。

 

「私からも一つ。先生も比企谷君も勘違いしているわ。私が『他人を頼ることを知らない』ですって。そこがまず大きな間違いよ。私は『頼らない』だけ」

 

驚くことにここで私に反応したのは比企谷君だった。

比企谷君は真っ直ぐと私に目を向けた。

憐れみを帯びた、酷く鋭い目で。

 

「勘違いしているのはお前だぞ。『頼らない』だけなんて良く言えたな。自分に嘘はつくなよ。『頼らない』んじゃない、『頼れない』んだ」

 

「いえ、『頼らない』のよ。他人を頼るなんて、責任、負担から逃げる口実でしかないわ。相手に負担を押し付けて、自分が逃げているだけ。これでは問題は解決しないし、相手を押し潰しかねないわ。だから自分で解決するしかないのよ。問題がある以上、自分を変えないといけないの」

 

「自分を変えるね。それこそ逃げているだけだ。変わるってのは結局現状から逃げるために変わるだけだろうが。逃げないってのはな、変わらず、その場で踏ん張ることなんだよ」

 

「それじゃあ問題は解決しないし、周りも、自分自身も、誰も救われないじゃない!」

 

気づいたら私は声を荒らげていた。

なぜこんなにムキになっているのかしら。

自分でも分からない。

 

「まあまあ、二人共自分の意見を持っていて素晴らしいではないか。その調子で二人仲良く頑張りたまえ」

 

平塚先生は笑顔でそう言って、教室をあとにした。

おそらく、先生なりに空気を変えようとしてくれたらしいが、その気遣いも虚しく、教室には再び息苦しい静寂が続いていた。

 

時計の針の音、本を捲る音、遠くで響く運動部の声。

何分間もの間、それのみが場を支配していた。

 

 

「さっきは悪かった。俺も雪ノ下に共感する部分はあった。確かに『頼ること』は負担や責任の押し付けだ。でもな親しい人間を『頼ること』は負担や責任の信託だと俺は思う。だから、頼っても良いんだ。ほら、よく言うだろ。『人』って漢字は人と人が互いに支えあっている、なんてな。でもよく見てみろ。あれ片方寄りかかってんだろ。だから誰かに寄りかかる時があっても良いんだ。人ってのは、そうして関係を保っていくものなんだよ。まあ俺は頼れる友人とか、関わりがある人とかいないんだがな」

 

比企谷君は本に目を落としながら、私に向けてそう言った。

 

ようやく理解できた。

私がこの男・比企谷八幡を初めて見たとき、言葉が出なかった理由が。

比企谷八幡に対する自分の言動の真意が。

先程、感情的になり声を荒らげた理由が。

私はこの男に自分を重ねていたのだ。

私と比企谷八幡は似ている。

強がってはいるが理解者が欲しい。

それでも強がり続けて、自分の心を偽り続ける。

偽ることで生まれるものは何もない。

そのことは理解しているのだろう。

しかし、そんなものは有り得ない、そんなものは存在しないと認識しながらも、必死に何かを求め続ける。

擬い物ならいくらでも掴む機会は目の当たりにしてきた。

それを棄て、目もくれずに“本物”に手を伸ばしてきた。

それは実体のない霞や霧のように、いくら手を伸ばしても掴むことはできない。

比企谷八幡は自分を変えるのは逃げだと言った。

私には理解できる。

比企谷八幡は自分を変えることを自分の生き方を否定することだと思い、それを拒絶しているのだ。

自分を失うのが怖い。

変わらずとも理解し合える、そんな関係を待ち続けている。

私は比企谷八幡を失ってはいけない。

私達はお互いに求めている理解者になれる、この少年となら“本物”に手が届く、そんな気がしたのだ。

 

「そろそろ帰るか」

 

「そうね。帰りましょうか」

 

私は比企谷君より少し先に教室を出た。

 

私には比企谷八幡が必要だ。

比企谷八幡には私が必要だ。

 

私は振り返り、柄にもなく笑顔を作った。

 

「さようなら、比企谷君」

 

 

 

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

 

 

 

HR終了のチャイムが鳴った。

 

今日も私は奉仕部の教室に行き、いつもの位置に座る。

横に目をやると、静かに本を読む彼がいる。

私はそんな彼を一瞥し、本を開き目を落とす。

 

今日もこの部屋は心地良い静寂に包まれている。

 

 

 




今回はこの作品を目に止めていただきありがとうございました。
駄文で読み苦しい部分もあったかと思いますが、なかなか微笑ましい話にまとまったかな、と思います。
よければ感想もお願いします。


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やはり彼と彼女は同じである。

更新遅れました。
相当亀更新で申し訳ありません。

でも物語の流れは大体決まりました!
それでは第二話お楽しみください。



先日、奉仕部という部活に強制的に入れられ、目の腐った男・比企谷八幡と出逢った。

でも正直、あの空間は嫌いじゃないわ。

ただ一つ面倒なことは「『他人を頼る』ことを覚えろ」という平塚先生からの命令。

それなのに昨日さらに面倒事が増えた。

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

────1日前

 

私はいつも通り部室に行き、本を読んでいた。

少し離れたところには比企谷君が座っており、彼もまた本を読んでいる。

 

ガラッ

「失礼するぞ」

 

平塚先生が部室に入ってきた。

それにしてもここの部屋の訪問者はまだ平塚先生しか見たことがないのだけれど、依頼者は来ないのかしら。

 

「平塚先生、ノックしてませんよ」

 

「君もしつこいな。そろそろ諦めたまえ」

 

そう言いながら平塚先生は煙草をくわえた。

 

「ここ禁煙ですよ。てか校内が禁煙ですよね」

 

「いいんだよ。君達しかいない時間ぐらい肩の力を抜かせてくれ」

 

平塚先生はこう言っているが、この学校にはなぜか『平塚先生には煙草を注意しない』という暗黙の了解があるようだ。

事実、職員室でも煙草を吸っているが誰も何も言わない。

 

「それで、平塚先生はどんな御用でいらっしゃったのかしら?」

 

「そうだそうだ、本題を忘れるところだったよ。では早速。明日、君達の元に迷える子羊を導く。君達はそれぞれ自分のやり方で問題解決に努めたまえ。しかし君達には私からの依頼もある」

 

「それぞれの更生も視野に入れて依頼者の奉仕をしろ。ということですね」

 

「そういうことだ。ただ、普通にやっても面白くない。よって、どちらが先に相手の更生を完遂できるか競ってもらう。判定は私が下す。どちらかが更生したと私が感じとれれば勝負は終わりだ」

 

やれやれ、このままだったら勝負することが決定されてしまうわ。

どうにかしないと。

 

「先生、勝手に話を進めないでいただきたいのだけれど。競ったところで私たちにメリットはないわ。それに勝っても同じくメリットがない。よってその勝負をする必要はないわ」

 

「雪ノ下の言う通りだ。何より面倒だ」

 

先生は口角を吊り上げ、話を続けた。

 

「競うメリットはある。競うことによりお互いの更生が早くなることだ。だが士気がなければ競い合うこともできないと思ったのでな、死力を尽くして戦うために君達に条件を一つ用意した」

 

平塚先生は指を鳴らし、私達を指差した。

 

「勝った方が、なんでも一つ負けた方に命令できる。という条件でいく!」

 

「なんでも!!!?」

 

比企谷君が気持ち悪い声を上げた。

本当に気持ちが悪い。

 

「この男が相手だと貞操の危険を感じるのでお断りします」

 

私は比企谷君から身を退け言った。

 

「偏見だ!男子高校生は卑猥なことばかり考えているわけじゃないぞ!」

 

「何を必死になっているのかしら。ますます怪しいわよ、気持ち悪い」

 

ここで平塚先生が口を挟んできた。

先生はニヤつきながら、挑発するように私を一瞥した。

 

「ほー、あの雪ノ下雪乃も畏れる物があるのか。そんなに勝つ自信がないかね?」

 

少し癇に障る物がある。

確かに捻くねた心根を変えることは難しい。

しかし、その捻くれた心根を持つ男に負けるなど冗談じゃない。

私はこう見えて負けず嫌いなのだ。

今の言葉は聞き捨てならない。

 

「いいでしょう、あなたのその安い挑発に乗るのは癪ですが、受けて立ちます」

 

先生は小声で「決まりだな」と言った。

 

「先程も言ったが、勝負の裁定は私が下す。基準は私の独断と偏見だ。勝負に熱中して依頼の方を疎かにしないよう、善処したまえ」

 

そう言い残すと平塚先生は私と比企谷君を残して教室を後にした。

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

本当に厄介なことになってしまったわ。

平塚先生があんなに面倒な人だとは思わなかったわ。

 

 

放課を報せるチャイムが鳴り、生徒各々がそれぞれの場所へ足を運んでいた。

サッカー部はグラウンド。

バスケットボール部は体育館。

生徒会は生徒会室。

帰宅部は校門。

そして私は特別棟の空き教室。

その教室のドアを開けると、いつものように目の腐った男が一人座って本を読んでいる。

 

「よう、もう来ないかと思ってたぞ」

 

比企谷君は本から目を離さないまま話しかけてきた。

 

「私は貴方のような、性根が腐りきった人間ではないわ。入部した以上、サボるなんて愚かなことはしないわ」

 

「俺だってサボらずに来てるだろ」

 

「・・・・」

 

「・・・・」

 

他人から見たら息苦しい空気なのだろう。

でも私はこの短い会話と長い沈黙が心地好い。

私は比企谷八幡のことを、あまり好いていない自負がある。

認めている部分もある。

しかし、短い間だが付き合ってみると、出会った日に感じた、あの感情は間違いだったのかと思う時がある。

 

 

「一つ聞きたいのだけれど、いいかしら?」

 

「何だ?」

 

彼はまだ本から目を離さない。

 

「貴方って友達はいるのかしら?」

 

「関係ないだろ」

 

「関係はなくても知る権利はあるわ。これから部員として関わっていく以上、貴方のことを知っておく必要もあるわ」

 

比企谷君は「わかったよ」と言いながら本を閉じた。

 

「結論から言えばいねーよ。俺は昔から冷めた人間だとか言われてな。人が寄り付かないんだよ」

 

「そう。貴方も大変なのね」

 

「でも仕方ねーよ。人がまとまるためには敵の存在が必要だ。それに俺が選ばれただけで、誰しもが選ばれる可能性はあったんだ。俺のお陰でクラスとして成立していると言えるまである。『比企谷と仲良くしたら次は俺もハブられるかも』と考え、俺に関わる奴は誰もいなくなる。そうやって集団に属している人間は、自分の本意でもないことをするんだ。他人に流されて己自身を殺すわけだ。だから俺みたいな、どこにも属さない人間は自分らしく生きられる。不思議なことに『ぼっち』だの何だの言われてる俺みたいな人間の方が生きやすいんだよ。この世界は。」

 

そう言うと比企谷君は再び本を開いた。

 

おそらく、彼はもうすでに見限っているのだ。

自分と自分以外を。

きっとそれを隠して、協調して、騙し騙し自分と周囲を誤魔化しながらうまくやる事は難しくない。

最初はそうしていたはずだ。

けれど比企谷君はそれをしない。

人間の醜さを目の当たりにしたのだろう。

結局、人間は自分が一番可愛い生き物だ。

その醜さに気付き、見限ったのだ。

 

 

それは私と同じだ────

 

 

「ねえ、比企谷君。」

 

一瞬言葉に詰まる。

しかし自然に口は動く。

私が感じたことは間違いではないと、そう証明するために。

 

「貴方がよければ、私と友だ────」ガラガラッ

 

「失礼しまーす。あのー平塚先生に言われて来たんだけど・・・」

 

扉の方を見ると髪の明るい少女が立っていた。

女の子は私達の姿を確認すると驚きの表情を浮かべた。

 

「え!何で雪ノ下さんがここにいるの!?しかもヒッキーまで!?」

 

一通り驚いた後、少女は落ち着いて笑顔で呟いた。

 

「そっかあ。私の勘違いだっんだ・・・」

 

比企谷君と目を合わせるが、比企谷君も首を傾げる。

どうやら少女の言葉の意味が分からないらしい。

もちろん私も分からない。

 

「椅子を用意するわ」

 

私は一度考えるのをやめ、依頼者であろう少女の対応をすることにした。

椅子を私と対面する形で用意し、話を聞く準備をした。

 

「それでは、依頼の話をしましょうか」

 

私も椅子に座り、ついに最初の依頼人と話を進めようとするが、彼は本を開いたまま、少し離れたところに座り、参加しようとしない。

 

「えーっと、そのー・・・あ、まずは2-Fの由比ヶ浜結衣です!えーと、今日はー・・・そのー・・・・」

 

「貴方と同じクラスみたいよ比企谷君」

 

「マジか。そう言われれば見たことあるかもな」

 

依頼人の少女は比企谷君の言葉に過剰に反応し、彼を睨みつけた。

 

「酷いしヒッキー。覚えてないとかサイテー。きもい!」

 

比企谷君は本を閉じ、頬杖をついて、言い訳めいた言葉を並べた。

 

「俺は必要のないことは記憶しないことにしてるんだよ。文句は俺の脳に言ってくれ。あとヒッキーってやめろ」

 

全く救いようのない性格だ。

なぜこういう場面では嘘を吐かないのだろう。

いつもは息をするように嘘を吐くような人なのに。

 

「それで、そろそろ本題に入ってもらってもいいかしら?」

 

私がそう言うと由比ヶ浜さんは顔を赤くして比企谷君の方をチラチラと見た。

するといきなり彼が立ち上がった。

 

「俺、飲み物買ってくるわ」

 

「そう。なら私にはレモンティーをお願いするわ」

 

「私、抹茶ラテ!」

 

「サラッとパシんのやめてくんない。後で金は払えよ」

 

そう言って比企谷君は教室を出ていった。

 

「意外と気が利くのよ、彼。それで、依頼は何かしら?男の人がいると話し辛いことなのでしょう?」

 

すると由比ヶ浜さんは顔を赤くした。

 

「えーっと、私の依頼なんだけど・・・・

 

 

 

 

 

 

私、ヒッキーと仲良くなりたいの!」

 

はい?

 

 

 



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その教室には、また席が一つ増える。

早めの更新頑張りました。

今更ですが筆者はアニメで俺がいるを見た人間なので、原作派の方は読み辛い点があるかもしれません。
その点はご了承ください。


「あたし、ヒッキーと仲良くなりたいの!」

 

私は呆気にとられていた。

まさか彼と仲良くなりたいなんて女子がいただなんて。

 

「一応言っておくけど、彼がいつも独りで可哀想だ、などと考えて哀れんでいるのなら止めておきなさい。おそらく彼はその優しさを受け入れはしないわ」

 

すると由比ヶ浜さんは慌てたように答えた。

 

「いやいや!そんなんじゃないよ。純粋に仲良くなりたいだけだよ」

 

嘘を吐いてるようには見えない。

この少女はなぜ彼と友達になりたいのだろうか。

明るい髪、着崩した制服、これまでの言動。

これらの点を踏まえると、彼女はコミュニケーションが得意で、友達も多いはずだ。

しかし、それを聞くのは野暮というものだろう。

私はそんな一抹の疑問を胸で押し殺し、依頼内容について確認した。

 

「そう。それで、仲良くするために何か策はあるのかしら?」

 

「それが無いから相談にきたんだよぉ。そしたらここにヒッキーいるし。ホントにビックリだよ」

 

「良いチャンスじゃないかしら?彼が戻ってきたら、話しかけてみたら良いと思うわ。由比ヶ浜さんはそういう親しみ方が得意でしょう?」

 

「無理無理!恥ずかしくてできないし!そもそも話題が見つからないよぉ」

 

由比ヶ浜さんは顔を赤くしながら、胸の前でブンブン両手を振った。

私は思考した。

彼女の依頼を遂行する最良の手段を。

私は依頼人に完全に任されるつもりはない。

それでは人間は成長しないからだ。

飢えた人間に魚を与えるのではなく、魚の捕り方を教えるのだ。

私が彼女に提供するのは、飽く迄もきっかけ。

結果は彼女次第だ。

 

 

「それじゃあ、こういうのはどうかしら」

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

ガラッ

「パシっといて教室戻ったらいないって酷くない?って何その格好?」

 

「エプロンを着けただけよ。見て分からないのかしら」

 

比企谷君は私達からの置き手紙『家庭科室に移動』というのを読だのだろう。

彼が本当に来るかは、正直のところ分からなかったが、どうやらそこまで堕ちた人間ではないようだ。

 

「由比ヶ浜さんからの依頼は、プレゼント用のクッキー作りの手伝い。貴方も早くエプロンを着けなさい、比企谷君。」

 

「え?俺もやるの?」

 

「エプロンを着けなさいと言ったのよ。それは貴方もやると言っているのと同義だと思うのだけれど」

 

「まあそうですよね・・・ 」

 

そう言いながら比企谷君は渋々といった表情で、準備を始めた。

 

 

「それでは、クッキー作り始めましょう」

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

「で、これは何かしら?由比ヶ浜さん」

 

「えへへ、焼きすぎちゃったー」

 

全く理解できない。

由比ヶ浜さんにどれだけ丁寧に教えても、クッキーは完成しないのだ。

 

「これ本当にクッキーかよ。木炭みたいになってるぞ」

 

「比企谷君、味見してくれるかしら?」

 

「お前、サラッと俺に毒見押し付けんな」

 

「どこが毒見だしっ!」

 

由比ヶ浜さんは自分で作ったクッキーを一つ手に取り、口元まで運んだ。

しかし、それを口に入れることはできない。

 

「・・・・やっぱり毒かな?これ・・・」

 

「・・・・」

 

「・・・・」

 

 

 

「さて、どうすれば良くなるか考えましょう」

 

「ズバリ由比ヶ浜が二度と料理しない」

 

「それで解決しちゃうんだ!?」

 

実際にはクッキーが美味しくならなくても、本来の依頼には全く問題はないのだけれど・・・・

 

「よーし!次こそは雪ノ下さんみたいなクッキー作るぞー」

 

この様子はクッキー作りに熱中しているようだ。

 

「由比ヶ浜さん。本来はクッキー作りは上達しなくても問題ないのよ」

 

私は由比ヶ浜さんの耳元で呟いた。

 

「えー、でもここまでやったらさ、やっぱりやりたいよ」

 

全く何を考えているのか分からない。

自分で持ち込んだ依頼の内容を見失っているようだ。

しかし、依頼人である彼女のことを粗末に扱う訳にもいかない。

私は深くため息をついた。

 

「そう。ならもう一度お手本に作ってみせるから、その通りにやってみて」

 

「うん!」

 

 

 

そして完成した物が木炭。

どうすれば伝わるのかしら。

 

「やっぱり才能ないのかな、あたし」

 

由比ヶ浜さんがボソっと呟いた。

彼女の言葉を耳に入れたとき、私は頭が熱くなっていた。

 

「由比ヶ浜さん、貴女才能がないと言ったわね」

 

「え?あ、うん・・・」

 

「その認識を改めなさい。最低限の努力もしない人間に才能を羨む資格はないわ」

 

由比ヶ浜さんは無理に笑顔を作った。

 

「でも、こういうの最近みんなやんないって言うしさ・・・」

 

私は気づけば由比ヶ浜さんを睨んでいた。

 

「その周囲に自分を合わせようとするの、やめてくれないかしら。ひどく不快だわ。周囲に合わせて自己を偽り、騙し騙し生きる。自分の不器用さ、無様さ、愚かしさの遠因を他人に求める。そんなこと恥ずかしいと思わないのかしら?」

 

私は彼女を批判した。

私の価値観で呵責した。

それは正しいことだと信じて疑わない。

しかし私の酷く道徳的な信念は現社会では、酷く醜い意見なのだろう。

 

「貴女個人の問題は貴女個人の努力で解決する場合が多い。その努力をも放棄した人間に才能がなんだのと論じる資格はないわ。それの責任を外部に求めることはさらに愚かだわ」

 

「雪ノ下、そのくらいにしとけよ。他人には他人の生き方があるんだ。お前の価値感を押し付けるのも違うだろ」

 

由比ヶ浜さんは下を向いて、少し震えていた。

少しの間、家庭科室には時計が時を刻む音がこだました。

 

 

「・・・かっこいい」

 

その言葉はあろうことか由比ヶ浜さんの口から漏れていた。

 

「建前とか全然言わないんだ。なんというか、かっこいいよ」

 

「な、何を言っているのかしら?」

 

「言葉は酷かったし、ぶっちゃけ軽く引いたけど、でも本音って感じ。あたし人に合わせてばっかりだから、こういうの初めてで。次はちゃんとがんばる!だからもう一回お願いします!」

 

こんな人初めてだ。

他人の意見を聞いて、正面から向き合ってくる人間は案外少ない。

それが正論だとしても。

彼女は私の言葉を聞き入れ、自分を見つめ、あまつさえ私を讃えたのだ。

 

「正しいやり方、もう一回教えてやれよ。由比ヶ浜もこう言ってるし」

 

ここは教えるべきなのだろう。

でもそれは本来の依頼がなければの話。

ここらが良いところだ。

後は彼と彼女に委ねることにしよう。

 

「ごめんなさい。私、体力だけは自信がないの。料理だけでも少し疲れたわ。ちょっとの間、休ませてもらえるかしら?」

 

「うん!全然待つよ!」

 

「待つ必要はないわ。比企谷君、選手交代よ」

 

比企谷君は驚いた顔をして、手を横に振る。

 

「無理無理、人に教えるとかできないから」

 

「あら、その言い方だとクッキーは作れるのよね?ならやり方を見せるだけでも良いわ。お願いするわね」

 

彼はため息を吐いた。

 

「分かったよ。その代わり、次の毒見はお前だからな」

 

 

 

そして私は少し離れたところで二人の様子を見ていた。

 

「バカ!そこ違うって。醤油とか使わないから」

 

「バカって言うなし!別に醤油使おうとしてないし!」

 

「じゃあ何で手に持ってるんですか」

 

二人の姿を見ていると、少し微笑ましく見える。

罵声が飛び交っているのだけれど、何だか羨ましい。

私もあんな風に・・・・

 

「てか、何でうまいクッキー作ろうとしてんの?」

 

「は?どういう意味?」

 

「男ってのはな女子に毎日声かけられるだけで勘違いもするし、最悪好きになっちゃったりもするんだよ」

 

「ますます分かんないよ。クッキーと何の関係があるの?」

 

「つまりだな。男ってのは残念なくらい単純なんだよ。手作りクッキーってだけで喜ぶくらいな。だからうまくないクッキーでも・・・」

 

「おいしくない?うっさいよ!」

 

「まぁなんだ、由比ヶ浜が頑張ったんだって姿勢が伝われば、男心も揺れるんじゃねえの」

 

「ヒッキーも揺れるの?」

 

「あー、もう超揺れるね。ていうかヒッキーってやめろ」

 

私はボーッとこの会話を眺めていた。

もう大分慣れたみたいね・・・

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

「それじゃあ、こういうのはどうかしら」

 

由比ヶ浜さんが目を輝かせて耳を傾ける。

 

「貴女からの依頼はクッキー作りの手伝い、と彼には伝えましょう。最初は三人で作っていくわ。でも様子を見て私は途中で離脱。三人の時に比企谷君に貴女が馴染めば、私が離脱した後、自然と会話もでき、仲良くなるきっかけになるんじゃないかしら?」

 

「一緒に作業する中で親しむってことだよね?」

 

「端的に言えばそういうことよ。まあ、結局は貴女の頑張り次第にはなるけれど、やる価値はあると思うのだけれど」

 

由比ヶ浜さんは両手を力強く握りしめた。

 

「うん!自信ないけど頑張るよ!」

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

「やればできるじゃない」

 

比企谷君を騙してしまう形にはなったけど、依頼内容も考慮すれば仕方のない事だろう。

 

比企谷君と由比ヶ浜さんは楽しそうにクッキー作りをしている。

由比ヶ浜さんが比企谷君にちょっかいをかけ、比企谷君が困ったような顔をしながらも、それに付き合っている。

この様子だと、これで初めての依頼は達成かしらね。

しかし、これは何だろうか。

胸の辺りが重く苦しい。

少し外の空気でも吸おうかしら。

 

私は家庭科室の窓を開け、大きく深呼吸をした。

しかし、胸の苦しみが消えることはなかった・・・

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

────一週間後

 

私は今日も部室で本を読んでいる。

横には比企谷君。

彼もまた本を読んでいる。

 

「あれから、教室で由比ヶ浜さんとは関わっているの?」

 

「ああ、一日に何回かは声かけられるな」

 

ガラガラッ

「やっはろー」

 

そこには由比ヶ浜さんが笑顔で立っていた。

 

「これ、この前のお礼。はい、ゆきのん」

 

そう言って由比ヶ浜さんは私にクッキーを渡した。

それはいびつで焦げてて美味しくはなさそうだったが、頑張った姿勢が充分伝わってきた。

 

「頑張ったのね。受け取っておくわ。でも『ゆきのん』って呼ぶのはやめてもらえるかしら?」

 

「えへへー、いいじゃんいいじゃん。あとこれ、ヒッキーにも」

 

「いやー、俺、最近食欲ないから・・・」

 

「貴方、さっき菓子パン食べてなかったかしら?」

 

「ヒッキー食欲あるじゃん!」

 

「分かった分かった。貰っとくよ」

 

「あ、あとー」

 

すると由比ヶ浜さん一枚の紙を比企谷君の前に出した。

 

「あたし、由比ヶ浜結衣は奉仕部に入部します!」

 

それは入部届だった。

 

「ヒッキーこれからよろしくねー」

 

比企谷君が助けを求める目でこちらを見てきたけど、私は何もしない。

助けるわけないじゃない。

 

 

由比ヶ浜さんは、あなたの友達なのだから。

 

 

部員が一人増えた。

それは比企谷君の友達と言える存在だ。

 

最初の依頼も終わり、平塚先生の依頼の進捗も悪くない。

彼女の参加は彼にとっても僥倖だろう。

 

しかし私は何とも形容し難い、煩雑な気持ちだった。

この気持ちの正体は、何なのだろうか。

私は全貌が見えない感情に厭わしさを感じながら、彼らの様子を眺めていた。

 

 

 

 

 




早めに更新したはいいものの、次の更新がいつになるかは分かりません。
できるだけ早く更新いたしますので、これからもよろしくお願いします。


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彼女は変わり始める。

今日は雨だ。

いつもなら教室で昼食をとっている時間に、私は部室に向かっていた。

雨だから、とかそんなことは関係ない。

ただ今日は由比ヶ浜さんに誘われ、一緒に昼食をとることになっていた。

 

通り過ぎる教室からは楽しそうに話す人たちの声が聞こえる。

由比ヶ浜さんの性格から考えると、一度話の輪の中に入ってしまうと簡単には抜け出せないだろう。

少々面倒だけれど迎えに行くことにしましょうか。

 

2年F組の前に着いた。

予想に反して由比ヶ浜さんは抜け出そうとはしている様だった。

 

「今日31でダブル安いんだよねー」

 

「いや、今日は部活だし無理かな」

 

教室の後ろで大声で喋っている人達の中に彼女はいた。

おそらく、このクラスの中心人物達の集まりなのだろう。

その中でも二人、特に目立っていた。

一人は男子。

校内でもちょっとした有名人の葉山隼人。

総武校の生徒なら一度は耳にしたことがあるであろう名前だ。

もう一人は女子。

派手な格好と頭の悪そうな喋り方が特徴的な人物。

 

「あーし、チョコとショコラのダブル食べたい」

 

「それどっちもチョコだよ」

 

由比ヶ浜さんはソワソワしているものの、一向に話を切り出せない。

彼女の性格を考えると想定内の範囲だが。

 

「悪いけど、俺はパス。それに優美子もあんまり食い過ぎると後悔するぞ」

 

「あーし、いくら食べても太らないし」

 

葉山隼人のグループの奥、つまり教室の端の席に比企谷君の姿が見えた。

教室でも雰囲気は変わらず、周りには人がいなかった。

彼にとっては、あの方が気が楽なのだろう。

 

何気なく比企谷君のことを確認してしまった自分に、僅かに嫌気がさす。

私は彼の何を気にすることがあるのだろう。

 

そのとき彼がこちらを仰ぐかのように目を移した。

私は咄嗟に目を離した。

この瞬間、彼と由比ヶ浜さんの目が一瞬合ったように見えた。

由比ヶ浜さんは口をきつく締め、軽く拳を握った。

 

「優美子、あたし昼休みちょっと行くとこあるから・・・」

 

「あ、そーなん?じゃさ、ついでにアレ買ってきてよ、レモンティー」

 

彼女は少し困った表情をした。

つい先程の決意に満ちた表情は何だったのだろう。

 

「えーと・・・あたし戻ってくるの五限になるっていうか、お昼まるまるいないから、それはちょっとどうだろーみたいな」

 

優美子と呼ばれる人物の声色が威圧的になる。

まるで自分の思い通りにならないことに腹を立てているようだ。

 

「は?え、ちょ何それ?最近ちょっと付き合い悪くない?」

 

慌てて由比ヶ浜さんが言葉を補おうとする。

 

「それはなんというか、やむにやまれぬというか・・・私事で恐縮ですというか・・・」

 

「それじゃあ分かんないからちゃんと言ってくんない?あーしら友達じゃん」

 

「ごめん・・・」

 

由比ヶ浜さんの声がだんだんと小さくなり、それによって相手の女子生徒が更にイライラしている。

負のスパイラルだ。

 

「ごめんじゃなくて!何か言いたい事あんでしょ?」

 

全く見てられない。

由比ヶ浜さんもはっきり言えばいいと思うのだけれど。

それにこれ以上待たされるのも少し癪だ。

 

「由比ヶ浜さ「謝る相手が違うぞ由比ヶ浜」

 

私が由比ヶ浜さんに声をかけようとした時、同時に教室中に酷く落ち着いた声が響いた。

決して大きくはないが、妙に存在感がある低い声だった。

 

「人が飯食ってる前でモメることないんじゃないの。人間、モノを食べてる時はね、邪魔されず自由で、そして静かな安らぎに包まれる必要があるんだよ」

 

声の主は本に目を落とし、パンをかじりながら言い放った。

 

「迷惑なんだよ、三浦」

 

そう言って比企谷君は本のページをめくった。

 

「はー!?部外者は黙っててほしいんだけど。てか元はと言えばユイが」

 

「そうじゃないだろ」

 

そう言って比企谷君は本を閉じ立ち上がった。

 

「由比ヶ浜は自分の意思を伝えようとしていた。それにお前の申し出を丁重に断ったはずだ。それなのにお前が威圧的な態度で、しかも由比ヶ浜が伝えようとしていることに耳もかさなかったんだろ」

 

三浦さんは机を両手で叩き、立ち上がった。

 

「あーしらの話まだ終わってないし!それをあんたにどうこう言われたくないんだけど!」

 

比企谷君はフッっと鼻で笑った。

 

「話?お前あれが会話のつもりか?悪いな、俺は友達いないから会話がどういうものかを知らなかったよ。あくまで俺が知っている範囲の会話ではなかったってだけだ。悪かったな。お前の言うところの会話を妨げちまってよ」

 

「はっ!何言ってんの?意味わかんないし」

 

教室からどんどん人がいなくなっていく。

当然のことだろう。

どう考えても、普通の感性を持った人達が教室内にいられる雰囲気ではない。

 

「それに由比ヶ浜、謝る相手が違うぞ。お前らのモメ事で気分を悪くした俺に謝るべきだろ。お前が雪ノ下との約束に遅れるのは知ったこっちゃないけど、俺に迷惑はかけないでくれ」

 

由比ヶ浜さんが俯く。

 

「ごめん、ヒッキー・・・でも何でゆきのんと約束って知ってるの?」

 

比企谷君が黙ってこっちに目を向ける。

それに釣られ、由比ヶ浜さんもこちらを見た。

どうやら彼女はやっと私を認識したようだった。

 

「あっ!ごめんゆきのん。ちょっと色々あって」

 

そう言いながら彼女がこちらに近づいてくる。

 

「災難だったわね。比企谷君に絡まれてたのでしょう」

 

「いや、お前見てただろ。たしかに結果俺が絡んだけど、元凶は俺じゃないよね」

 

「ちょっと!何なのあんたら!あーしが悪いって言いたいわけ?」

 

三浦さんが比企谷君を睨みつける。

それに対して彼は無表情で三浦さんを見つめる。

 

「まあ まあ まあ」

 

葉山君が間に割って入った。

緊張状態の渦中にはいると思えないほどの、爽やかな笑顔で。

貼り付けたような笑顔で。

 

「二人共それくらいで」

 

しかし三浦さんは比企谷君を睨み続ける。

彼は溜め息をつきながら視線を外した。

 

「優美子、それくらいにしようよ」

 

三浦さんはついに顔を背けた。

それと同時に比企谷君は教室をあとにする。

彼が由比ヶ浜さんの横を通り過ぎる時、微かに彼女の口が動いたように見えた。

 

「先に行くわね」

 

私は由比ヶ浜さんにそう告げ、教室を出た。

教室を出ると、廊下に彼が立っていた。

 

「気になるのかしら?」

 

「お前もだろ」

 

私は彼の隣に立ち、壁に体重を預ける。

 

「・・・ごめんね」

 

教室内から由比ヶ浜さんの声が聞こえる。

 

「あたしさ、人に合わせないと不安ってゆーか、つい空気読んじゃうってゆーか・・・イライラさせたことあったかも。やーもう昔からそうなんだよね。おままごとで本当はママ役やりたいのに、他の子がやりたいからってポチ役やってたり・・・」

 

「何言いたいか全然分かんないんだけど」

 

「だよね。あたしもよく分かんないんだけどさ・・・でもヒッキーとかゆきのん見てて思ったんだ。本音言い合って、お互い空気読んで無理に合わせてないのに楽しそうで。なんか・・・合ってて・・・」

 

一瞬彼に目を移す。

彼は窓の外を見ていた。

 

「・・・なんか私、今まで必死になって人に合わせてたの間違ってるかなって。だってヒッキーとかマジヒッキーじゃん。休み時間とか寝たふりしたり、本読んで笑ってたりキモイし」

 

彼が苦笑いをしている。

その様子を見て私も思わず口元が緩んでしまう。

 

「あの・・・そういうわけで・・・別に優美子のことが嫌だってわけじゃないから・・・これからも仲良くできるかな?」

 

教室内が静かになった。

数秒の沈黙が教室内の重たい空気を一層濃くする。

 

「・・・ふーん、あっそ。まあいいんじゃない」

 

安心した。

由比ヶ浜さんは自分の気持ちをしっかりと伝えることができ、三浦さんは不機嫌ながらもそれを認めた。

三浦さんの敵意、それを比企谷君は自分に向けさせ、由比ヶ浜さんが責められるのを止めた。

それが由比ヶ浜さんと三浦さんの仲を取り持った訳では無いだろうが、結果的に彼は由比ヶ浜さんを救った。

 

比企谷君は何も言わずに私の前を通り過ぎていった。

 

「貴方、意外と優しいのね」

 

「そんなんじゃねえよ」

 

私はその後ろ姿を見つめ、小さく微笑んだ。

 

 



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彼女達の関係は少しずつ変わってゆく。

材木座回カットしました。
材木座回は内容全く変わらなそうなので笑
話はカットされましたが、出来事としてはしっかり起こってますので、これから材木座がしれっと出てくることがあります。

今回内容がガラっと変わっております。
オリジナル展開に耐性がない読者様にはあまりオススメしません。
あまりにも酷い、読みづらい、求めてた感じと違うなどは感想でお願い致します。


今日は体育だ。

体育は私が唯一苦手とする科目で、その要因は幾つかあるが、最も大きな理由は「疲れる」ことだ。

私は体力だけには自信がない。

疲れた頃に他の人の様子を見ても、やはり私の体力は周りの人間に比べて少ないようだ。

しかし技術などの点に於いては引けを取ることはなく、私のプレーで歓声が上がることもしばしばあった。

それでも疲労を感じる時は必ずくる。

そうなった時は教科担当の先生に許可をとり、授業の合間に休憩を挟むことが多い。

今日も例の様に休憩している。

 

「身体弱いアピールうざ」

「一人だけ休憩許されるとか贔屓じゃない」

「先生に媚び売ってるからでしょ」

 

このような声は毎回聞こえる。

他人のことを深く知りもしないのにも関わらず、罵詈雑言を吐く人間に多少の苛立ちを覚える。

しかし体力がないという欠点があるのもまた事実。

まったく我ながら情けない。

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

昼休み。

私は部室で昼食をとる。

あれから由比ヶ浜さんと一緒に昼食をとることが日課となっていた。

由比ヶ浜さんはいつも少しばかり遅れて部室に着く。

それまでの間、私は部室の窓を開け風を浴びる。

臨海部に位置するこの学校は昼時を境に風向きが変わる。

そしてそれがこの時間。

ちょうど部室に風が吹き込んでくる。

その風を感じ、由比ヶ浜さんを待つ時間が私は嫌いじゃない。

 

「お待たせー」

 

由比ヶ浜さんがニコニコしながら扉付近に立っていた。

そのまま私に近づいてきて隣に座る。

 

「ねえねえ、ゆきのん聞いてよ。さっきヒッキーも誘ったのに無視してどっか行っちゃってね────」

 

由比ヶ浜さんは弁当箱を広げながら話を始めた。

相変わらず騒がしい。

こちらが本を読んでいても、勉強をしていてもお構い無しに話かけてくる。

 

────まったく迷惑だわ。

 

「ねえゆきのん、ゆきのんてば。ねえゆきのん聞いてる?」

 

「ごめんなさい。何だったかしら?」

 

由比ヶ浜さんは頬を膨らませた。

 

「もー、だから、ヒッキーが罰ゲームでジュース買ってきてね、でも頼んだジュースと全然違くて、ほんと最悪だよね」

 

昼休みはだいたい終始由比ヶ浜さんの質問に答えるか、比企谷君の話を聞くかだ。

由比ヶ浜さんはとても楽しそうに比企谷君の話をする。

どうやら由比ヶ浜さんからの依頼は無事達成できたようだ。

由比ヶ浜さんは私の知らない比企谷君の姿を笑顔で話す。

 

私はこの時間が嫌いじゃない。

しかし、なぜだかこの時間は決まって胸が苦しくなる。

 

「でもなんだかんだ買ってきてくれるのね。比企谷君らしいじゃない。奴隷として虐げられるのが板についているわね」

 

「ほんと、微妙に優しいよねー、ヒッキーって」

 

由比ヶ浜さんはニコニコしながら私の顔を覗きこんできた。

私は由比ヶ浜さんから目を背けた。

 

「私はそんなこと言ってないのだけれど」

 

「ほんとに優しいんだよ。実は入学式のときも助けてもらってね」

 

入学式の日・・・

その日のことはあまり思い出したくない。

 

「どうしの、ゆきのん。具合でも悪いの?」

 

どうやら私は表情を曇らせていたらしい。

由比ヶ浜さんは他人の変化によく気づく。

彼女の前だというのに、失敗したわね。

 

「少し嫌なことを思い出しただけよ。気にしないで。それで、比企谷君には何を助けてもらったのかしら」

 

由比ヶ浜さんはすぐに心配そうな顔から明るい顔に変わり話を続ける。

 

「えっとね、入学式の日の朝なんだけど、サブレの散歩してたらサブレが逃げちゃってね。すぐ追いかけたんだけど、サブレ車道出ちゃってさあ。サブレ轢かれちゃうって思って、もうすごい頑張って捕まえたんだけど、私が車に轢かれそうになっちゃったの。そしたらヒッキーが私のこと突き飛ばしてくれて轢かれずにすんだんだあ。まあその時はびっくりして気絶しちゃったんだけどね。えへへ」

 

私は混乱していた。

違う。きっと私の勘違いだ。そんな偶然あるはずがない。でもこれって・・・なら比企谷君が、いや由比ヶ浜さんが私の・・・

視界が歪み、突然教室が傾いた。

同時に身体全体に強い衝撃を感じる。

そのまま私の視界は真っ暗になった。

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

「──のん!ゆきのん!」

 

気がつくと私は保健室のベッドに横たわっていた。

身体を起こすと突然由比ヶ浜さんが泣きじゃくりながら私に抱きついてきた。

 

「よかった。よかったよお」

 

「なぜあなたが泣くのよ」

 

「だって、いきなり倒れるから。心配で、ゆきのん全然起きないし」

 

暖かい。

彼女の体温が私に伝わる。

ずっと泣いていたのね。

私はこの太陽のような暖かさに、この心地良さに暫く身を委ねた。

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

「ここまでの経緯、聞いてもいいかしら」

 

事の顛末を由比ヶ浜さんに聞いた。

どうやら私は部室で倒れたらしい。

焦った由比ヶ浜さんはなぜか先生ではなく、比企谷君を呼び比企谷君が保健室まで私を運んだ。

先生曰く「ただの貧血」。

由比ヶ浜さんは授業にも参加せず、ずっと横にいたらしい。

今は放課後。

約3時間眠っていたということになる。

 

「あなたは大袈裟なのよ」

 

由比ヶ浜さんに微笑みかける。

この笑顔は自然だろうか────

 

「もー、笑わないでよお。それに私だけじゃないよ。ねえヒッキーっ」

 

由比ヶ浜さんはカーテンの向こうに声をかけた。

 

「言うなよ。恥ずかしいだろ」

 

カーテンの向こうから低い声が返ってくる。

その瞬間、少し胸が暖かくなった。

彼が私を心配してくれるなんて思ってもいなかった。

しかし同時に疑念と嫌悪で紡がれた縄が私の心を締め付る。

私はできるだけ感情を面に出さないように、いつも通り皮肉めいた素っ気無い態度をとる。

この感情を悟られないように。

2つの不自然に入り混じった、今にも崩れそうな歪な感情を────

 

「あら、いたのね比企谷君。意外だわ。あなたも他人を心配できるのね」

 

「いや俺も人並みには優しさあるからね。あと俺は心配だから残ってたんじゃなくてだな、依頼人がいるかもしれないだろ」

 

そう言いながら比企谷君は保健室から出て行った。

彼は今、どんな顔をしたのだろうか。

そして今私はどんな顔をしているのだろうか。

 

「ちょっとヒッキー、どこいくの」

 

由比ヶ浜さんはカーテンを開けた。

そこにはやはり比企谷君の姿はなく、変わりに2本の飲み物が机の上に置いてあった。

 

「えへへ、やっぱりヒッキー優しいね」

 

由比ヶ浜さんがこちらに微笑みかける。

 

「だから、私はそんなこと言ってないのだけれど」

 

由比ヶ浜さんは飲み物をとり元の場所に座り直した。

その時には彼女の顔から笑みは消えていた。

いつもの笑顔はなく、翳りを帯びた、そんな表情だった。

 

「ゆきのん、ひとつ聞いてもいいかな?」

 

突然の由比ヶ浜さんの言葉に少し動揺した。

嫌な予感がした。

 

「いいけど、何かしら?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────ゆきのんってさ、もしかしてあの事故に関係してたりするのかな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その言葉は無機質に私の頭の中に谺響した。

思考が一斉に動きを止める。

同時にあの光景がフラッシュバックする。

 

蹲り痙攣する少年。

割れたフロントガラス。

朦朧とする意識。

そして・・・

 

 

 

「ゆきのん!ゆきのん!」

 

由比ヶ浜さんに体を揺すられ、我にかえる。

由比ヶ浜さんは心配そうな顔でまっすぐと私を見つめる。

 

「大丈夫よ。心配いらないわ」

 

私は由比ヶ浜さんに微笑みかけ、窓の外に目を移す。

窓からはオレンジ色の夕焼けが顔を覗かせていた。

 

そうだった。

彼女はいつも周りを気にして、周りに合わせて、そうやって自分を確立してきたのだった。

そんな彼女だから気づいたのだ。

私の歪な感情に。

 

「あなたは変わったのね」

 

「えっ・・・」

 

由比ヶ浜さんの表情が暗くなる。

 

「変わったというのは良い意味よ。強くなったのね。前のあなたなら聞けなかったでしょう。他人の深い所まで踏み込む勇気がある、そんな強い人間になった。正確にはなろうとしてる、かしらね」

 

私はベッドから降り、立ち上がった。

 

「きっと彼のせいで」

 

私は由比ヶ浜さんには届かない小さな声で、そう呟いた。

 

ガラッ

 

「おい、鞄持ってきたぞ。あと明日依頼人来るから今日はもう帰っていいぞ」

 

保健室の扉の前には3つ鞄を持った汗だくの比企谷君が立っていた。

 

「何で汗だくなのかしら?部活をサボって遊んでいたのなら問題なのだけれど」

 

「いや一応部活だから。依頼人がテニス部なんだよ。依頼内容は明日でいいだろ」

 

「それじゃあお言葉に甘えて今日は帰りましょうか。行きましょう、由比ヶ浜さん」

 

由比ヶ浜さんは浮かない顔だったが、すっと笑顔に戻った。

 

「うん!帰ろゆーきのん!」

 

そう言って抱きついてくる。

やはりこの少女は暖かい。

 

「ごめんなさい」

 

「ううん、大丈夫」

 

私達は短く言葉を交わした。

互いに届く言葉を。

 

 



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そして、また新たな疑念が生まれる。

憂鬱だ。

朝からつくづく気分が優れない。

原因は言うまでもない、昨日の一件だ。

部活の時間が近づくにつれ、地に足がつかないような感覚が強くなっていく。

 

しかし、無情にもチャイムが放課を知らせる。

今日は部室に行くのに気が進まない。

昨日の由比ヶ浜さんの言葉を思い出す。

 

────もしかしてあの事故に関係あったりするのかな?

 

私はその質問に答えることはできなかった。

あまりに粗野で異状、不躾の極み。

頭では分かっていながら、心が受け入れなかった。

私の心が疑念で真実に靄をかけ、私に確信を許さなかった。

 

そんな私がどう彼女の顔を見れば良いのだろうか。

どう接すれば良いのだろうか。

 

考えても答えが出るわけはなく、ただ虚しく時間が過ぎていく。

臍を噛んでも仕方が無い。

今日は依頼人も来るようだし早いところ、部室に行こう。

 

私はその侘しい感情を断ち切り部室に向かった。

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

「ごめんなさい。少し遅れてしまったわ」

 

「おお」

 

比企谷君が軽く返事をする。

部室には由比ヶ浜さんの姿はなく、いつも通りの静寂に包まれていた。

昨日のこともあり、由比ヶ浜さんが来ていないことが少し気にかかったが、どうしても自分から彼女のことを比企谷君に聞く気にはなれなかった。

 

「依頼人が来るんじゃなかったかしら」

 

私は紅茶を淹れながら、比企谷君に声をかけた。

 

「由比ヶ浜が呼びに行ってるよ」

 

比企谷君は目を合わせないまま答えた。

ひとまず由比ヶ浜さんのことについて安堵したのだが、次に比企谷君が目を合わせないことに対し心が波打つ。

目を合わせないのはいつものことだ。

しかし私は愚かにも、由比ヶ浜さんから例のことを聞いたためではないかと考えてしまった。

そんなことはありえないと分かっている。

彼女は私が解を出すまで、自分の胸にしまっているのだろう。

 

「なあ雪ノ下」

 

「何かしら」

 

妙に緊張して次の言葉を待つ。

 

「お前、テニス部に入部してみないか」

 

「言葉が足りないわ。なぜテニス部員ではない貴方に、テニス部に勧誘されるのかしら」

 

比企谷君は頭を掻きながら、こちら顔を向けた。

しかし私は目を合わせることができなかった。

 

「今回の依頼人がテニス部員なんだよ。昨日少しそいつと話したんだが、お前がテニス上手いって褒めちぎっててな。入ってほしいらしいんだ。何でも弱小高から脱却したいみたいでな。部員のレベル向上に上手い人が入ってくれればってよ。お前も無理矢理入れられた奉仕部から抜けれるし、部活という集団活動を通して平塚先生のねらいを達成させることもできる。誰も損しない良い提案だと思うがな」

 

────誰も損しない。

 

なぜか私はこの言葉に少し胸を痛めた。

私には彼が必要、彼には私が必要、そう思ったことがあった。

これが正しい考えだったのかは判断しかねるが、これだけは言える。

 

「あなたがどうかは分からないけれど、少なくとも私は此処が嫌いじゃないわ。あなたの提案は悪くないかもしれないけれど、それは無理な相談ね。それに集団活動ができないから此処に流されたのよ。正しくは集団が私を拒絶するのだけれど。私を排除する為に一致団結するなんてことはあるかもしれないけれど、けどそれが彼ら自身の向上に向けられることはないわ。今までも誰一人として私に負けないように自分を高める人間はいなかったわ・・・・あの低能ども」

 

過去のことを思い出し、気が荒立ってしまった。

比企谷君は引き攣った、困ったような笑顔で応答した。

 

「そうか。お前がそれならいいんだけどな。それにお前みたいな可愛い子だと仕方ないんじゃないの」

 

「───っ!」

 

おどろいて驚いて声が詰まってしまった。

 

「あまり変なこと言わないでくれる。怖気が走るわ!」

 

「いや、怖気は走るものじゃないからね」

 

比企谷君は頭を掻きながら、ぶつぶつ何かをボヤいていた。

そうだ。

彼はそういう人間だった。

自分の優しさを他人に見せないことに徹しているが、やはり優しいのだ。

彼の提案は嘘で固められ、元の姿を隠した優しさだったのだ。

それが分かって胸の痛みはすっかり消えていた。

 

直後、教室のドアが不必要な強さで開かれた、

 

「やっはろー!今日の依頼人連れてきたよ!」

 

由比ヶ浜さんが帰ってきた。

彼女の後ろから、ジャージ姿の女の子が顔を出した。

私と目が合い、軽く会釈をする。

 

「テニス部のさいちゃん!」

 

由比ヶ浜さんの紹介と同時に依頼人は再度頭を下げる。

 

「よろしくお願いします。戸塚彩加です」

 

私は椅子を用意して座るよう促した。

その時由比ヶ浜さんと目が合った。

彼女は落ち着いた柔らかい笑顔を見せただけだった。

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

「それで、テニス部を強くしてほしいわけね」

 

戸塚さんは心配そうな顔で比企谷君の方を見た。

 

「強くして・・・くれるんだよね?」

 

「昨日比企谷君がどんな説明をしたかは分からないけれど、私は奉仕部は便利屋ではないと思っているわ。あなたの手伝いをし自立を促すだけで、強くなるもならないもあなた次第ね」

 

「まあそうだな。今回は戸塚が頑張るしかないかもな。雪ノ下もテニス部には入らないみたいだし」

 

戸塚さんは肩を落とし、溜息をついた。

 

「そうなんだ・・・・」

 

落ち込む戸塚さんを見て、由比ヶ浜さんが慌てて言葉をいれる。

 

「でもさ、ヒッキーとゆきのんなら何とかできるしょ?」

 

この由比ヶ浜さんの言葉は私を動かすには十分なものだった。

何とかできるしょとはよく言ったものだ。

まさか由比ヶ浜さんが私を挑発してくるとは。

 

何とかできるしょ・・・できないの?

 

「由比ヶ浜さん、あなたも言うようになったわね。いいでしょう。あなたの技術向上を助ければ良いのよね」

 

「は、はい。ぼくがうまくなれば、皆も一緒に頑張ってくれると・・・・思う」

 

戸塚さんは胸に手を当て、困ったような表情をしていた。

同性の私から見ても、かなり良い容姿をしている。

このような表情で見られたら、比企谷君のような人間は勘違いで地獄に堕ちるのだろう。

案の定、比企谷君の表情筋は機能していなかった。

しかし、私はこの依頼人に違和感を覚えた。

どこか見落としているような気がしてならない。

 

「で、どうやるんだよ」

 

比企谷君の顔面が平常時のものに戻っていた。

 

「部長である貴方が、私を頼らないで貰えるかしら。貴方も思考しなさい」

 

「お前がテニス上手いらしいから聞いてんだよ。俺とか由比ヶ浜とか経験ないからね」

 

「勝手に決めつけんなし!・・まあ確かにないけど・・・・」

 

「そうね・・・放課後は部活があるから・・・・」

 

戸塚さんが唾を呑み、私の言葉を待つ。

なぜか由比ヶ浜さんまで少し緊張している様子だ。

 

「昼休みに死ぬまで走って、死ぬまで素振り、死ぬまで練習、かしら」

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

依頼人の戸塚さんが部活に戻り、私たちも今日は解散することにした。

テニスの練習は翌日の昼からと決まった。

なぜか比企谷君がいつもより高揚しているようだったが、原因は不明。

まったく気持ちが悪い。

 

「そういえば、比企谷君、よく女子と普通に喋れたわね。意外だわ。話している時の顔は気持ち悪かったけれど」

 

私は帰る支度をしながら言った。

 

「女子?誰のこと?」

 

由比ヶ浜さんが首を傾げる。

おかしい。

ここに来た人間なら一人しかいない。

疑問が生じる内容ではないはずだ。

 

「女子って戸塚のことか?」

 

「他に誰がいるのかしら。愚問で時間をとらないでもらえるかしら」

 

そう言いながら、二人の方に顔を向けると、由比ヶ浜さんがポカンとしていた。

そして比企谷君は苦笑いをしている。

どういうことなのだろう。

私は的外れなことを言ったのだろうか。

 

「雪ノ下、戸塚は男だ」

 

え?

今、比企谷君は何と言ったのだろうか。

確かに耳は音として、その波を受け取ったはずだ。

しかし脳に到達するころには、分散され、意味を持たない文字列となっていた。

今何と言われたのか、耳を疑うしかなかった。

 

「戸塚さんが・・・男?」

 

由比ヶ浜さんが唇に指をあて口を開いた。

 

「さいちゃん、男子だよ?」

 

この時、私は依頼人に対する違和感を思い出した。

あの時、私が感じた違和感。

 

 

────は、はい。ぼくがうまくなれば、皆も一緒に頑張ってくれると・・・思う

 

────ぼくがうまくなれば

 

────ぼくが

 

ぼく!!

戸塚さんは自分のことを僕と称していた。

こんなことにも気づかないなんて、私としたことが。

その上、この二人の前で手抜かりをするとは。

 

「そう。かなり中性的な顔立ちで、判断を誤ったわ。今のは忘れてもらえるかしら」

 

私はこのような恥ずべき失態を二度と起こさないよう、心に刻み込んだ。

それにしても、男子だと分かっていながら、あの緩みきった顔をしていた比企谷君はまさか・・・・

 

その疑念だけが、虚しく私の頭を満たしていた。

 

 

 



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彼女は彼女たる故に胸を張る。

 

 

人間は成長する。

成長を望む者。そうでない者。

そんなことは関係なく、等しく何らかの成長をする。

しかし、短期間で劇的に変化する者などは微々たるものだろう。

大抵の人間は、長期間をかけ僅かずつ自分を伸ばす。

努力により程度を調節することは可能だ。

蛇口を想像してみてほしい。

蛇口は捻ればそれだけ水が出る。

けれども例え蛇口を限界まで緩めたとしても、タンクの水が無くなるのには時間がかかる。

結局、調節可能と言っても、その程度なのだ。

 

今回の依頼の主題は『成長』。

この依頼は難しい。

この依頼において、終着点が見えないのだ。

どうなれば依頼達成なのか。

どこまで行けば依頼達成なのか。

とにかく私は依頼人の手伝いをするだけだ。

依頼人の望む『成長』が得られるように。

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

「まず今日は筋力の強化ね。筋力を上げれば、基礎代謝も上がり、より運動に適した身体となって、カロリー消費しやすくなるの」

 

「カロリー!?私もやるよ!」

 

心地よい陽気の中、私たちは筋トレ、ランニング、素振りのような基礎を中心として練習を行った。

途中から材木座君も許可なく参加していたが、ボール拾いなどの雑用に率先して動いていたので、黙認。

要するに、ここまでは何も問題はない。

事は順調に進んでいる。

 

「で、あなたはその煩悩を振り払ったらどうかしら」

 

運動をする由比ヶ浜さんを見て薄ら笑いを浮かべる比企谷君に微笑みかける。

比企谷君は一瞬驚いたような表情を浮かべ、何事も無かったかのように蟻の行列に目を移し、しゃがみ込んだ。

 

「あなたも働きなさい。腐っても部長なのだから」

 

比企谷君は見るからに気だるそうに立ち上がり、私の方に向き直った。

 

「俺も仕事くらいしたよ。戸塚とここの使用申請してきたし、テニスコートの使用の承認貰ってきたし、コートの使用許諾とってきた」

 

「呆れるわね。あなた結局一度しか働いてないのね。それに、その仕事は戸塚君一人でも十分だわ」

 

時計に目をやると、昼休みは残り五分となっていた。

片付けも考えると、今日はもう終わりにした方が良いだろう。

 

「今日はここまでにしましょう。比企谷君、片付けくらい手伝いなさい」

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

────次の日

 

「いっくよー、えいっ」

 

由比ヶ浜さんがコート端に向けボールを放る。

逆サイドにいた戸塚君がそれを追いかけクロスに返す。

昼休みが始まってから、ずっと反復でやっている。

もう体力的にも厳しいだろう。

 

「はあ・・はあ・・・・次、お願いします」

 

戸塚君が肩で呼吸をしながら構えた。

ここが追い込み時だろう。

 

「由比ヶ浜さん。もっとコート端の厳しいコースに投げなさい」

 

「わ、わかった」

 

脳が休息を求めている時にどれだけ追い込めるかが、成長に繋がる。

ここで手を休めては意味がない。

 

後ろに目をやると、比企谷君が冷ややかな目でこちらを見ていた。

やはり彼は優しいのだ。

ここで追い込ませる事を良く思っていないのだろう。

 

「さいちゃん、いっくよー」

 

由比ヶ浜さんが投げたボールはライン上に落ち、再び宙に跳び上がった。

戸塚君はそれを必死に追う。

一直線に走って、遂にラケットがボールを捉えるかと思われたその瞬間、戸塚君がみるみると減速し、頭が地面に近付いていく。

肌が地面と擦れる音が耳に入ると同時に、由比ヶ浜さんが駆け寄った。

 

「さいちゃん!だいじょうぶ!?」

 

「大丈夫だから・・・続けて」

 

戸塚君は起き上がり笑顔を見せた。

しかし、その膝からは血が流れていた。

それを見て比企谷君が小走りで、校舎の方へ向かっていく。

 

「ヒッキーどこいくのー?」

 

「怪我してるんだから安静にしとけ。俺、保健室から色々取ってくるから、それまで待ってろ」

 

そう言い残し、比企谷君は校舎内へと姿を消した。

それと同時に騒がしいグループが姿を現した。

比企谷君と入れ替わるようにして出てきた彼らは、真っ直ぐとテニスコートへ足を進めてくる。

嫌な予感がする。

 

「やっぱりテニスしてんじゃん。テニス部以外も使っていいんだあ」

 

三浦優美子。

後ろには葉山隼人とその取り巻きを連れている。

まったく面倒なのが足を突っ込んでくれたものだ。

 

「あーしもテニスやりたいんだけど。ここ空けてくんない?」

 

三浦さんが睨みを効かせ、こちらを威圧する。

なぜか自信に満ち満ちた目で。

まず穏便に済ますことを一番に考えるべきね。

 

「ここは戸塚君が許可をとって使っているの。あなた達が使える場所じゃないわ」

 

三浦さんの目の鋭さが増す。

この程度でイライラするなんて、やはりこの人種は扱いづらい。

 

「は?あんたも使ってんじゃん」

 

「私たちは戸塚君の練習を手伝っているのよ。あなた達のように遊びに来ているわけではないの。ただ依頼をこなしているだけ」

 

「は?意味分かんないんだけど」

 

三浦さんは声のトーンを下げ、私を威嚇する。

 

「今の説明を聞いて分からないのかしら。流石に威嚇なんて獣並の手段をとるだけのことはあるわね。獣水準の知能では、人間との会話は難しかったかしら」

 

「は!?あんたマジ何なの!?調子乗んないでくんない?」

 

三浦さんが声を荒らげると、葉山君が困ったように笑いながら私と三浦さんの間に割って入った。

 

「まあまあ、ケンカ腰になんなよ。皆で楽しくなればいいだろ」

 

「あなたも話が通じないのかしら。あなた達はここを使えないと今言ったはずなのだけれど」

 

葉山君は苦笑を浮かべ、何かを探すように視線を泳がせた。

この行動の真意は何だろうか。

まるで解決法を、その何かがあれば、この場を収束できると知っているような。

 

その時、私の足元に何かが飛来した。

それは宙に跳ね上がり、金網にぶつかった。

テニスボールだ。

ボールの飛んできた方に目を向けると、そこには三浦さんがラケットを持って立っていた。

 

「あーし、いい加減テニスやりたいんだけどー」

 

テニスボールを弄び、虫が悪そうな顔で立っている三浦さんを一瞥し、葉山君はアゴに手をあて思案した。

 

「じゃあこうしよう。部外者同士、こちらから一人、そちらから一人出して勝負する。勝った方が今後昼休みはここを使えるって事で。どうかな」

 

「こちらへのメリットを提示しなさい。それでなければ勝負する理由がないわ。それに、これは戸塚君の依頼よ。私たちだけで決めれることではないし、第一戸塚君の練習が目的なのだから、あなた達が遊びで使うなんておかしな話だわ」

 

「そうだな。君達が勝ったら俺達はもうテニスコートには来ないことは当たり前として・・・・今後、奉仕部の活動で人手が必要になったとき、できる限り手伝うことを約束するよ。もちろん俺らが勝ったら戸塚の練習にも付き合う。強い方と練習した方が戸塚のためになるだろ。それでどうかな」

 

戸塚君は助けを求めるような目で由比ヶ浜さんを見ている。

この様子では彼に決定を委ねることは無理そうだ。

 

「残念ながら、あなた達の手を借りる時なんてないわ。自分達のことは自分達で解決できる。今すぐ立ち去りなさい」

 

私の言葉と同時に、三浦さんの口角が釣り上がった。

見下すような目で私を笑ったのだ。

 

「あんたさあ、勝負に勝つ自信ないだけっしょ。ビビりのくせに調子乗んなし」

 

その言葉に釣られるようにして、三浦さんの取り巻きも笑い声を上げた。

葉山君は三浦さんを宥めるが、この場の雰囲気が変わることはない。

 

私は馬鹿にされるのが嫌いだ。

見下されるのが嫌いだ。

嫌われるのは何とも思わない。

しかし、見下されるのは我慢ならない。

昔を、情けない自分を思い出すから。

胸が締め付けられるように痛むから。

 

「分かったわ。あなたの挑発に乗ってあげる」

 

三浦さんが顔を近づけ、私を睨みつける。

 

「悪いけど、あーし手加減とかできないから」

 

私は真っ直ぐ三浦さんの目を見て、軽く微笑む。

自信に満ちた目で、胸を張って言い放つ。

 

「安心しなさい。私は手加減してあげる。その安いプライドを粉々にしてあげるわ」

 

 

 



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彼女は他人を頼らずとも彼を信じる。

テニス回
執筆者はテニス未経験です。
今回の話を書くにあたって、事前に少しルールなどは勉強したつもりですが、読み苦しい部分は多々あると思います。
以上のことを理解した上で読んでいただければ幸いです。


「プレイ!!」

 

戸塚君のコールと共に、火蓋は切って落とされた。

テニスコートの周囲はいつの間にか、野次馬の生徒達で埋めつくされていた。

 

「かわいそー、雪ノ下さん。こんな大勢の前で惨めだわー」

 

「それはどちらかしらね。恥をかくのはあなただと思うのだけれど」

 

負けるつもりは毛頭ない。

負けるはずがない。

テニスは、あの人の得意なことだったから。

 

────雪乃ちゃんは自由に生きなさい。自分の好きなことをやるの。

 

いつかあの人に言われた言葉を思い出した。

あの時、私は何と応えたのだったろうか。

思い出せない。

だが、一つ言えることはある。

 

私は奉仕部が好きだ。

 

 

「雪ノ下さん、知らないかもしんないけど、あーしテニス超得意だから」

 

「そう」

 

私は頭上高くにボールを放った。

ボールが最高点に達したことを見届け、地面を強く蹴る。

『パンッ』という音が鳴ると同時に、ボールは三浦さんの横を通過した。

三浦さんが呆然と立ち尽くし、一瞬でオーディエンスのざわつきが、ピタリと止んだ。

刹那、時が止まったかと錯覚するほどに。

 

「15-0」

 

「うおおおおォォォ!!」「何だ今の!?」「速すぎだろ」

 

歓声により我に返ったのか、三浦さんは私に鋭い視線を向けた。

 

「あなたは知らないと思うけれど、あたしもテニスは得意なのよ」

 

その言葉を聞いて、三浦さんの目付きはより一層鋭くなる。

 

「調子乗んな!!どうせ素人だと思って油断しただけだし!!」

 

「最初に言っておくべきだったかしら。ごめんなさい」

 

私は再びボールを投げ上げた。

同じタイミングで跳び、同じモーションでラケットを振る。

ボールはコート端に吸い込まれるかのように真っ直ぐと飛んでいく。

三浦さんは深いポディションで、ようやくそのボールに追いつくが、強く返す余裕などなく、ラケットに当てるのが満足だった。

その弱々しい返球は高く浅いところへ。

私はその球を、強くコート中央へ叩きつけた。

 

「30-0」

 

「ゆきのんすごい・・・優美子、中学ん時、女テニで県選抜なのに・・・」

 

「退くなら今の内よ。力量が判断できたら、決断しなさい」

 

「ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと打て!!」

 

「そう」

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

この後も試合に変化はなく、私があっさりと2ゲーム選手した。

今回の試合は1セット3ゲーム先取、デュース無しのルール。

昼休みの少ない時間でフルセットは難しいからである。

私はアゴから垂れる汗を拭い、3ゲーム目に臨む。

2ゲームとも完封された三浦さんは、威勢をほぼ失い、それでもまだコートに立っていた。

自尊心のためか目には幾分か、私への敵意を感じるが、やはり当初の勢いはまるで持っていなかった。

 

「サーブ、あんたなんだけど」

 

「申し訳ないわ。それじゃあ始めましょう」

 

このゲームを取れば私の勝ち。

戸塚君の依頼は、このまま滞りなく進められる。

ファーストゲーム、三浦さんは私のサーブをまともに拾えていなかった。

このゲームで勝負を決められるだろう。

 

私は額から流れる汗を拭い、ボールを投げ上げた。

跳んで腕を振る。

打球音と共にボールが飛んでいき、一度強くバウンドする。

そのまま決まるかと思われたサーブは、横から伸びてきたものに阻まれ、反発し、こちらに進行を変えた。

三浦さんのラケットがボールを捉えたのだ。

今までとは違い、完全に追いつき、その上コート端に打ち返す余裕まで見せた。

私はどうにかその打球に喰らいつき、既のところでボールに触れた。

運良く私の返球は白帯に絡み、三浦さん側に落ちた。

 

「15-0」

 

サーブが悪かったのか。

打ち損じた。コースが甘かった。コースが読まれた。

どれも違う。

いつも通りのサーブだったはずだ。

いや、今は気にしても仕方が無い。

次のサーブに集中しよう。

 

いつも通りのトスから、いつも通りのジャンプ。

全ていつも通りのはずだったが、またしても悠々と返球されてしまった。

三浦さんの返球は横いっぱいのクロスショット。

 

────間に合わない

 

私は後のことなど考えずに、その球に跳び付く。

しかし、無情にも球は私の横を走り抜けた。

 

「アウト!30-0」

 

戸塚君のジャッチはアウト。

どうやらサイドラインを割っていたらしい。

助かった。

まだ私の優勢。

しかし三浦さんの目は、先程とはうって変わり、自信に満ち溢れていた。

まるで勝者が敗者に向けるような、そんな目だった。

 

彼女の自信の正体は何だ。

それを探るために次のラリーを使う。

ラリーが続けば、自ずと彼女の狙いも見えてくるだろう。

 

私は機械的に精密な動きでサーブを打つ。

やはりそのサーブは楽に取られ、またしても横いっぱいのクロスショットで応酬。

その後も左右に振り回される形のラリーが続いた。

どんどん球が遠くなっていく。

どんどんコートが広くなっていく。

そんな錯覚に陥りながらも、懸命に球を追い続けた。

そして遂に私の動きを球が上回り、私の射程外に飛び出していった。

 

「15-30」

 

「うおおおおオオオオオ!!」「遂に優美子が取ったぞ!!」「このまま勝っちまえ!」

 

周囲が歓声を上げる。

今まで手も足も出なかった彼女が、実力でもぎ取った一点。

それに湧き、歓喜し、讃えた。

それでも彼女・三浦優美子は満足していない。

見下したような目で、自分が優れていることを確信しているような目で、私を睨んでいる。

 

「サーブ、早くしてくんない?」

 

「ええ、お望み通り」

 

三浦さんは腰を落として、次のサーブに備えた。

その姿を視認して、私はサーブモーションに入る。

トスを上げ、跳ぶ・・・・はずだった。

私はある異変に気づいた。

跳んだはずの私の両足が、重さを感じている。

足裏が何かを踏みしめているのだ。

目線の高さは変わらず、ただ放った球が落ちてくるだけ。

いつも通り跳んだつもりの私に、力強いサーブが打てるはずもなく、サーブは勢いのない、相手に得点させるには十分のものだった。

三浦さんはそのボールに素早く飛び付き、この試合で初めてのスマッシュを放った。

それが功を奏したのか、球はエンドラインを飛び越え、勢い良く柵にぶつかった。

 

「40-15」

 

「ゆきのん!!大丈夫!?」

 

異変に気づいたのか、由比ヶ浜さんが不安げな表情でこちらを見つめていた。

 

そうか。

私の体力は既に底を尽きていたのか。

疲労も感じないほど余裕がなかったなんて、私は相当熱くなっていたらしい。

きっとあの人のせいだろう。

テニスでも何でも、あの人には勝てたことがないから。

今の相手はあの人ではないのに。

 

「大丈夫よ、由比ヶ浜さん。私が負けるはずないじゃない」

 

既に少しも跳ぶことができないくせに、やはり負けたくはない。

私は負けず嫌いだから。

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

「40-40」

 

「雪ノ下さんさあ、さすがにもう限界っしょ」

 

三浦さんが鼻で笑った。

悔しいがその通りだ。

もう動く体力など微塵も残ってはいない。

このゲームを取らないと、もうチャンスはないだろう。

あと一点だけ。

あと一点取れば勝利。

でもどうすれば・・・・

 

 

 

 

「おい。何の騒ぎだよ、これ」

 

 

 

 

唐突に発せられた声の主は、救急箱を携え、テニスコート入口に立っていた。

 

「ヒッキー!!」

 

「悪いな。平塚先生に捕まって遅くなっちまった」

 

比企谷君は由比ヶ浜さんに救急箱を渡し、戸塚君の処置をするように指示した。

そして私の方に振り返り気怠そうに言った。

 

「で、この状況は?」

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

私はここまでの経緯を比企谷君に説明した。

彼は呆れたように溜息を吐き、今度は葉山君の方へ歩いて行く。

 

「おい葉山。ここはお前らは使えないんだ。出ていけ」

 

「その話はもう雪ノ下さんとしたよ。その結果、今の状況だ」

 

比企谷君は再び溜息を吐いた。

 

「お前ら全員認識を間違えてるぞ。ここは戸塚名義じゃない。奉仕部名義で使ってるんだよ。戸塚はテニス部だから申請なんて必要ない。だからお前らは使えない。戸塚の手伝いだとしてもな」

 

葉山君は驚いたように目を見開き、なぜか満足そうに笑顔を見せた。

 

「そうか。それなら意味はないな。優美子、もう教室に戻ろう」

 

葉山君の笑顔を見て、あの光景を思い出した。

何かを探すようなに辺りを見回した、あの行動を。

私にはあの真意が分からなかった。

しかし、あの時の行動と今の笑顔が、どこか彼の中で一致している。

そう見えた。

 

葉山君たちがテニスコートを後にしようとする。

その姿を見た三浦さんが声を荒らげる。

 

「ちょっと隼人!!試合だからマジでカタつけなきゃマズイっしょ」

 

そう言って、私の方へ向き直る。

 

「ほら、続きやるよ」

 

比企谷君はその姿を一瞥し、私の方へ戻ってきた。

 

「雪ノ下、大丈夫か」

 

「ええ、大丈夫よ」

 

比企谷君は突如目を閉じ、黙り込んでしまった。

静止する比企谷君の髪の毛が風に揺れる。

 

この男、やはり目を瞑ると、整った顔立ちをしている。

あの腐った目さえ無ければ、女子達は好感を持ちそうなものだ。

まあでも、あの目で無ければ、比企谷君じゃないわね。

 

そんなことを考えている内に、風が止んだ。

比企谷君は目を開け、私を見た。

 

「何だよ。俺のこと見つめて。何なの好きなの」

 

「い、いや。何でもないわ」

 

比企谷君は足元にあるテニスボールを拾い上げた。

 

「次のサーブ、弱く山なりに打て。その様子じゃまともにラリーできないだろ」

 

「ラリーできないなら尚更サーブで決めるべきだと思うのだけれど」

 

比企谷君は私にテニスボールを渡して、いつもと変わらぬ気怠そうな声で言った。

 

「たまには信じろよ」

 

私は彼の目を見て応える。

彼の真剣な目を見て。

 

「あなたの性格の悪さなら、いつでも信じてるわ」

 

そう言って私はコートに戻った。

彼の言葉を信じて、相手に向き合う。

 

「これでカタをつけるから、おとなしく敗北しなさい」

 

「は?自分の状況分かってんの?」

 

私は笑う。

彼のようにニヒルに笑う。

 

「私、暴言も失言も吐くけれど、虚言だけは吐いたことがないの」

 

もうすぐ昼休みが終わる。

いつもなら部室で由比ヶ浜さんと昼食をとっている時間。

音が聞こえた。

それは最近私が、私たちが聞いていた風の音。

 

ボールが風に乗って弱々しく三浦さんに向かっていく。

 

三浦さん、あなたは知らない。

昼下がり、この付近でのみ発生する、特殊な潮風を。

 

真っ直ぐと三浦さんの方へ向かっていた球は、まるで彼女を避けるかのように方向を変え、そのまま地面に着いた。

三浦さんは慌てて方向転換し、飛び上がった球を追う。

 

しかし、あなたは知らない。

この風が吹くのは、一度ではないことを。

 

先程の風が海へと帰っていく。

その風に煽られ、球は三浦さんを嘲嗤う。

またしても、急に向きを変える球に反応するも、返球には到らない。

球はそのまま二度目の地面との衝突を迎えた。

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

試合が終わり、今のテニスコートには私たち四人。

あの後、不貞腐れて今にも泣きだしそうな三浦さんを連れて、葉山君はテニスコートを後にした。

今は少し離れたベンチで由比ヶ浜さんが戸塚君の怪我の処置をしている。

私はベンチに座り、その様子を見ていた。

 

「お前が勝ってよかったよ」

 

私の横に立っている比企谷君が言った。

 

「あなたが私の勝ちを望んでいたなんて意外だわ。私が負ければあなたの嫌いな仕事が一つなくなるところだったのに」

 

「仕事より負けて機嫌損ねたお前の方が面倒くさいだろ。それに戸塚に限っては一切面倒だとは思わん」

 

私は軽く笑った。

 

「あなたは本当に捻じ曲がっているわね。でも、その斜め下すぎるやり方で、救われてしまう人もいるのよね。残念ながら」

 

比企谷君は何も言わなかった。

何も言わずに校舎の方へ戻って行った。

 

「雪ノ下さん。あのー、ありがとう」

 

処置を終えた戸塚君が目を輝かせて横に立っていた。

 

「私は別に何もしてないわ、礼なら彼と処置をしてくれた由比ヶ浜さんに言いなさい。さあ私たちも戻りましょう」

 

私は疲労が溜まり重くなった身体を持ち上げる。

 

「あの、それと。僕、昼練のことテニス部員に声掛けてみるよ。僕一人で上手くなってもダメだよね。だから明日からは僕達で頑張るから!今日まで力になってくれてありがとう!」

 

そう言うと戸塚君は比企谷君を追って走っていってしまった。

 

彼は成長したのだろう。

以前は自分から踏み込めず、自分の勇姿を見せて魅せることで、相手からの接触を待っていた。

しかし、自分から踏み込み、共に努力する決意をしたのだ。

仲間を信じ、行動を起こそうと決心したのだ。

原因は私の知るところではないが、今回の騒動で思うところがあったのかもしれない。

今までが間違えていたわけではない。

彼が出した解が正解というわけではない。

それでも彼が変われて、その上周りを変えられるなら、それはやはり成長なのだ。

当初望んでいた成長の形とは異なっていたとしても────

 

「とりあえず依頼達成かしらね」

 

昼休み終了のチャイムと共に、強い風が私の髪を揺らした。

 

 



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