駆紋戒斗とアンパンマン (ルシエド)
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ぼくの顔をお食べ
あるところに、
男は弱者だった。
客観的な認識でも、主観的な認識でも。
彼は自分の弱さを憎み、自分を踏み躙る強者を憎み……その果てに、"強者が弱者を虐げる世界構造"そのものを憎むようになった。
そして、誰よりも強くなろうとした。
始まりは彼が幼かった頃。
駆紋戒斗の父が心血を注ぎ、身一つで立てた工場があった。
そこに訪れた大企業の強引な買収の提案。父は最初はそれを断固として断った。
しかし父は、
その後詐欺にあい、半身の工場と工場の代金を失った喪失感から、酒に溺れる弱者となり、家族への虐待に走った末、首を吊ってブラブラと揺れていた父の最期。
薬物に走った弱者となり、おかしくなりながら死んでいった母の最期。
幸せだった家庭が壊れていく光景は、戒斗の根幹を構成する柱となった。
金という強さも、大企業の誘惑を跳ね除ける強さも、自分らしさを貫く強さも、喪失を乗り越える強さもなかった両親。
愛した両親の死を、彼は誰かのせいにしようとした。
そして、『弱さのせい』にした。
駆紋戒斗は成長し、20歳となった今も変わらず、世界を歩く。
弱者を虐げるための力だけを求める偽りの強者。
優しさと強さを持つ者を騙し、背中から撃つ卑怯者。
嘘偽り、圧する強者、強く在ろうとしない弱者。全てが彼の癇に障った。
この世界そのものへの彼の憎悪をかき立てた。
そして、最後の最後の戦い。
駆紋戒斗の前に立ち塞がったのは、
相対する二人の男、駆紋戒斗と葛葉紘汰。
この二人が戦い、勝った方が世界の行く末を決めるという最終決戦。
葛葉紘汰は終わり始める前の世界、人の世界の存続を望んだ。
駆紋戒斗は世界の終わりを、弱者が一方的に虐げられる世界の終わりを望んだ。
数え切れないほどの怪物を互いに引き連れ、葛葉紘汰は駆紋戒斗を見据えながら、語りかける。
「俺はお前だけには負けない。お前を倒し、証明してみせる」
葛葉紘汰はベルトを装着。その瞳には、弱者を虐げない強さが宿っている。
「ただの力だけじゃない……本当の強さを!」
オレンジのデザインが刻まれた錠前を取り出し、葛葉紘汰は胸の前に掲げた。
「それでいい」
同じようにベルトを取り出す駆紋戒斗。
他の誰でもなく、他の何でもなく。
葛葉紘汰という男が、最後の相手であったことに、運命とやらに感謝しながら。
「貴様こそ、俺の運命を決めるに相応しい」
ベルトを装着し、バナナのデザインが刻まれた錠前を同じく掲げる戒斗。
それをベルトに据えれば、ベルトが変身のプロセスを開始した。
《 バナナ! ロック・オン! 》
「うおおおおおおッ!」
《 オレンジ! ロック・オン! 》
そんなカイトに応えるように、紘汰もまた錠前をベルトに据え、変身プロセスを開始。
喉が張り裂けんばかりに、吠えた。
「おおおおおおおッ!」
戒斗もまた、負けじと吠える。
それは何の意味もない、男同士の意地の張り合い。
『この男にだけは負けられない』という男同士の意志表示。
《 オレンジアームズ! 花道 オン ステージ! 》
《 バナナアームズ! Knight of Spear! 》
葛葉紘汰と駆紋戒斗。
二人は、何度も共闘してとても敵わないような強敵と戦ってきた。
それと同じくらい、互いに意見が合わず、本気でぶつかり合いながら互いに刃を向けてきた。
その果ての、最後の戦い。
「葛葉ぁぁぁぁぁっ!」
「戒斗ぉぉぉぉぉっ!」
どちらが勝ってもおかしくはなかった。
何が勝敗を分けたのか、勝った方には理解できなかった。
だが負けた方には、不思議と理解ができていた。
最後に立つは葛葉紘汰で、倒れ伏すのは駆紋戒斗。
勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。
負けた者には、負けたことに相応の理由が存在する。
駆紋戒斗は、葛葉紘汰が自分に勝った理由を理解し……自分が結局、"本当に強い者"に『変身』できなかったことを自覚しながら、冷たくなっていく自分の体を認識する。
そして、冷めていく体の上に落ちる、雫の存在を感じ取る。
「……何故……泣く?」
駆紋戒斗は分からなかった。
何故、葛葉紘汰が泣いているのか。
何故、自分なんかのために泣いているのか。
何故、敵である自分のために、涙を流すことが出来るのか。
「泣いていい――だ。そ――俺の弱さ――しても――」
薄れていく意識の中で、戒斗に届く紘汰の声がかすれていく。
駆紋戒斗の胸の中に、最後に残ったものは賞賛だった。
『弱さ』というものを憎むことしか出来なかった戒斗。
そんな彼には、自分を打ち倒した紘汰の強さが、他人のために泣ける紘汰の強さが、自分の弱さを他人にさらけ出せる紘汰の強さが、ひたすらに眩しかった。
自分のために泣いてくれた、その男への感謝が、心の奥に絶えなかった。
「俺は……泣きながら進む」
死にかけた体で、せめて最後の一言をと、戒斗は最後の力を振り絞ろうとする。
ただ一言、駆紋戒斗にとっての最大の賞賛を葛葉紘汰にと、口を開いた。
「お前は、本当に強い」
それが彼の、最後の記憶。
意識が闇に飲まれていく感覚に、これが死か、と駆紋戒斗は全てを受け入れた。
まどろみの中、戒斗はふと瞼を上げる。
雲一つない青空が目に映り、戒斗は気怠い体を起こした。
「……?」
ここが天国とやらか、と戒斗は思う。
「いや、俺がそんな上等な場所に行けるはずがない」
しかし即座に否定する。
戒斗には、自分は善人でないという認識があった。
そもそも彼は天国に行きたいとも思ったことも、善行を重ねてきた覚えもない。
立ち上がって辺りを見回そうとする戒斗だが、体に力が入らず、膝をついてしまう。
(っ、体に、力が……)
理由は分からないが、大きな脱力感と空腹感があった。
体にエネルギーが行き渡っていない感覚。
どうしたものか、と戒斗は頭を悩ませる。
「どうかしたのかい?」
そんな彼にかかる声。
「どうしたもこうした……も……!?」
声がした方を睨みつけながら、戒斗はここがどこか問おうとした。
そして「これは夢だ」と確信する。
次に「そうでなくても異世界かどこかだ」とファンタジーに考える。
瞠目し、口を半開きにしたまま、戒斗は声をかけて来た相手を凝視した。
何しろその相手は、顔がパンで出来ていたのである。
「ぼく、『アンパンマン』! 君の名前は?」
「……く、駆紋戒斗だ」
戒斗が夢か現か疑うのも無理はない。
しかし目の前の存在の顔から漂うはっきりとした焼きたてのパンの香りが、逆にこれが現実なのか夢なのか、彼に疑わせるのだ。
しかし彼の思考の混乱とは裏腹に、彼の体の方は単純で、脱力感と空腹感から腹を鳴らしてしまうのだった。
「あ、お腹が減ってるんだね。どうぞ、ぼくの顔をお食べ」
「!?」
戒斗の中の非現実感が更に膨れ上がる。
なんと、アンパンマンと名乗った目の前のパンが、自分の顔を引きちぎって差し出してきたのである。それも、笑顔で。
戒斗がその顔の一部を受け取ってしまったのは、彼がそれほどまでに混乱していたということなのだろう。
手渡されたアンパンマンの顔の一部をじっと見て停止している戒斗を見て、アンパンマンは不思議そうに首を傾げている。
「? 食べないの?」
「……あ、ああ、いただこう」
アンパンマンの笑顔があんまりにも純粋だったものだから、戒斗は今更「食べられない」などと断ることができなくなってしまっていた。
戒斗はかつて、戦極凌馬という男の前でヘルヘイムの果実と呼ばれる果実――口にすればほぼ確実に死ぬ果実――を口にした時のことを思い出す。
あるいはその時と同じくらいの覚悟をもって、目の前の人型のパンが差し出した、その顔の一部を口にした。
「どうかな? カイトくん」
「……腹は膨れたな」
(美味いのが逆に腹が立つな……)
戒斗は味の感想を言いはしなかったが、味そのものは絶品だった。
体だけでなく心まで満たされるような暖かい味で、体に力が漲ってくる。
……一番近いものがあるとしたら、幼少期に食べた家族の手料理だと思い、戒斗はそんな自分を自嘲しながら鼻を鳴らした。
「アンパンマンと言ったな。貴様、ここはどこだ」
「ここかい? ここはジャムおじさんのパン工場の近くだよ」
「そういうことを聞いているのではない。例えば、近い国はどこだ」
「国? おかしの国や、アリンコの国のことかな?」
「……」
夢なのか、異世界なのか。なんだろうか、その国の名は。
自分が聞き間違えをしていないという確信があるからこそ、戒斗は空を仰ぐ。
これが夢だとしても、異世界だとしても、そこにある空は変わらず青かった。
「もしかして、どんぶりまんトリオのように旅をしている人なのかな?」
「……。まあ似たようなものだ」
「よかったら、一緒に町に行かないかい?
子供達の遊び相手が足りていなくて、困ってたんだ」
「町、か。人の居る場所に案内するというのなら、俺にはその程度容易いことだ」
不可思議な現実感の無さ。
その正体が何かも分からず、戒斗はとりあえず町を目指すことにした。
見知らぬ土地ではまず町、次に駅を目指すのは鉄則である。
幸い案内人が居る。迷う心配はなさそうだ。
「それじゃ、行こうか!」
「!?」
アンパンマンは突然戒斗を背後から持ち上げ、空に飛び立った。
すました顔でアンパンマンの申し出を受けた戒斗の顔が、唐突な飛行体験によって一瞬誰にも見せたことのないような表情に歪む。
その顔を誰にも見られなかったことが、駆紋戒斗の幸運だった。
なんでそうなったのか、説明するとややこしい。
どうしてこうなった、と駆紋戒斗が嘆いていることだけは確定だ。
よかったああなって、とそんな彼をアンパンマンが見守っている。
駆紋戒斗は子供達の前で、最高に格好いいダンスを披露していた。
「はっ!」
おお、と子供達と歓声を上げる。
子供達とは言っても、人間ではなく人型のカバやウサギとでも言うべき者達である。
人によっては悲鳴を上げるかもしれない異形。
……なのだが、おそらく大抵の人は可愛らしさに抱きしめたくなるであろう外見だった。
モンスター、あるいはインベスと言うにはあまりに可愛らしすぎる。
そして子供達が歓声を上げるほどに、駆紋戒斗のダンスは見事だった。
かつて彼は、ダンスチームのリーダーを務めていた経験がある。
そんな彼からすれば、衆目を集めることなど造作も無い。
アンパンマンの子供と遊んで欲しいという願いは、アンパンマンの予想を遥かに超えた形で、戒斗の手によって叶えられていた。
(……俺は何をやっているんだ)
戒斗はアンパンマンに街まで案内させた後、そのまま姿を消すつもりだった。
この世界がどういうものなのか、調べることが先決だと判断していたからである。
しかし、戒斗の予想は大いに外れ、アンパンマンが町に近付くだけで町の子供達が大勢集まって来て、着地をする頃には完全に囲まれてしまっていた。
彼はアンパンマンの人気を甘く見ていたのである。
そうしてなんやかんやで、アンパンマンは彼が何かをやってくれるよと、子供達に紹介。
戒斗はくだらん、と言ってその場を立ち去ろうとするが。
「なにもできないんだー」
「つまんなーい」
「なにかやってよー」
子供達の無自覚な煽りに戒斗は顔をしかめ、少しだけ乗り気になった。
「いいだろう。貴様らに、駆紋戒斗の存在を刻み付けてやる」
無愛想で周囲を遠ざける性格から誤解されがちだが、戒斗は意外と子供相手の面倒見はいい。
子供が木に登って降りられなくなっているのを見れば、忙しくても子供のために足を止めて何かをしてやろうとするくらいには、子供という"弱者にも強者にもなっていない者"に優しい男だ。
煽られても、頼まれても、彼はこうしていたに違いない。
まあ、彼が子供の面倒をしょっちゅう見ているかといえば、それもノーと言えるのだが。
そうして一通りダンスを終えると、子供達から拍手と歓声が上がった。
「おにいちゃんすごーい!」
「かっこいいー!」
「ねえ、ねえ、なんでそんなにダンスが上手なの?」
「頂点を取るべく積み重ねたならば、この程度造作もない」
「ちょーてん?」
「一番すごいってことじゃない?」
「わー、いちばんさんなんだ」
「お前達も目指すならば頂点を目指せ。
二番など所詮負け犬の中での一番だ。そんなものに価値はない。
どんな事柄であれ、頂点に立つということは、お前達の強さを証明する手段となる」
それは駆紋戒斗の人生哲学だった。
どんなことであれ、他者の上に立つということは己の強さを証明するということ。
だからこそ彼は力を求め、誰よりも強いということを証明できる頂点を目指す。
昔、戒斗は有名な音楽家が持論を展開して番組に物申し、音楽家のファンが署名を集めてその後に続き、結果的に番組を中止にしたというニュースを見たことがある。
そしてその日の内に、誰にも見向きもされず、不貞腐れて楽器を投げ出していた街頭のミュージシャンを見て、思った。
かの音楽家は強く、このミュージシャンは弱い。
どんな分野であっても強い者と弱い者が存在し、強い者はそれ相応に世界を変える力を持つ。
彼が生きていた世界は、彼の中の強弱論を証明するためにあるかのようだった。
競争社会の中で、駆紋戒斗が強者と認めた人種は二つ。
頂点を目指し、最後に勝ち残った者。
そしてどんなに圧倒的なものに踏み躙られても、それに屈することのない者だ。
何にも屈さず、自分らしさを失わず、強く在ろうとする者こそが彼の考える強者。
しかし、そんな理屈はこの世界の住人にはいまいち通じない。
「でも、みんな頑張ったなら二番だってすごく偉いよ?」
「かけっことかね!」
「ビリッケツでも一生懸命走った子は、えらいんだよ!」
「……」
戒斗は眉間を揉みながら、一度辺りを見回した。
子供達につられ、大人達もなんだなんだと集まり始めている。
皆動物じみた顔であり、それが戒斗の中の非現実感を膨れ上がらせる。
慣れたのか、もうクールな表情を崩すことはなかった。
しかしながらどいつもこいつも見たことがないくらい平和ボケした顔をしていて、戒斗は何を言っても暖簾に腕押し、糠に釘を打っている気分になってしまう。
周囲の全ての存在から暖かい善意を向けられている実感が、そこに何の悪意も混じっていないという確信が、戒斗に居心地の悪さを感じさせているのである。
彼が生きていた世界はこれと正反対とまでは行かないが、もっと殺伐としていて、もっと不条理や理不尽が混ざっていて、もっと残酷だった。
そのせいで、世界と自分が上手く噛み合っていないような気すらしてくる始末。
「お前達は、皆こうなのか。もしや、この世界には……悪人すら居ないのか?」
目眩がするくらいに、善意だけで構成された世界。
戒斗はこの瞬間まで、この世界をそう認識していた。
けれどもそんなことはなく、カバの子供とゾウの子供が顔を見合わせると、その後ろに立っていた大人らしき動物が戒斗に語りかける。
「いえ、悪者は居ますよ」
「なに? どういうこと――」
戒斗が顔には出さず驚き、それを問おうとする。
しかしその声は、横合いから聞こえてきた悲鳴に遮られてしまった。
「きゃああああっ!」
「はっひふっへほー! ドロ爆弾をくらえー!」
戒斗がそちらを向けば、そこには紫色の飛行物体に、それに乗っている黒い誰か。
黒い誰かは紫色のUFOらしき飛行物体を操作し、そこから生えた砲口から泥の塊を周囲に手当たり次第ぶっ放していて、そちらの方から泥まみれになった者達が、戒斗達の方に我先にと逃げて来る。
「た、大変だー! 『ばいきんまん』がきたぞー!」
「おい、そこのヤギ。何が起こっている? あれは何だ?」
「ばいきんまんさ。いたずら好きで、いつもみんなに迷惑をかけてる悪者なんだ」
「……こんな世界であっても居るものなのか。悪というものは」
泣き出す子供達にも構わず泥の爆弾をぶつけ続ける『ばいきんまん』とやらを睨み、駆紋戒斗の眼光が鋭さを増す。
それこそ、子供が泣き出しそうな形相だ。
不機嫌そうにも見える様子で、戒斗はばいきんまんの方へと踏み出す。
しかし、そんな彼に先んじてばいきんまんの前に立ちはだかった者が居た。
「ばいきんまん! 今日という今日は許さないぞ!」
「来たなアンパンマン! 今日こそはけちょんけちょんにしてやるぞ!」
(アンパンマン。そうか、そういうことか)
現れたのはアンパンマン。
空を飛びながらばいきんまんのUFOの前で通せんぼをしている。
すると、町の住民の間から歓声と応援の声が上がり、その顔に次々と希望が宿っていく。
戒斗はその光景に、見覚えがある。
彼が元居た世界の騒乱が終わる少し前の時期、インベスという怪物に襲われた人々が、『ライダー』と呼ばれた者達に助けられた時、ああいう顔を浮かべていたのだ。
(人気者には、相応の理由があるということか)
戒斗は飛び出すのをやめて、少し様子を見ようとする。
「バカなアンパンマンめ。オレさまが頑張って泥を集めてきた意味を教えてやる! そぅれっ!」
「えっ?」
「きゃー!」
「危ない!」
だが、様子を見るまでもなく状況はすぐに動いた。
ばいきんまんはアンパンマンに向けてではなく、町の住人に向けて泥を発射したのだ。
悲鳴を上げる、泥の爆弾を撃たれた女の子。
アンパンマンはその子の前に飛んで行って、とっさに腕で泥を防御するも、泥の爆弾は爆発してアンパンマンを泥だらけにしてしまう。
戒斗の視線の先で、顔が汚れたアンパンマンが力なく膝をついた。
「か、顔が汚れて、ちからがでない……」
「はっはっはっは、はっひふっへほー!
ざまあみろ、アンパンマン! 顔が欠けて力が出ないのに、他のやつなんか庇うからだ!」
(アンパンマンの弱点は顔か。しかし、先程までの力強さが見る影もないな)
どうやら、ばいきんまんの言葉を聞く限り、アンパンマンは顔が欠けたり汚れたりすると力が出なくなってしまうらしい。
戒斗は、アンパンマンの顔の欠けた部分を見た。
彼だけは、アンパンマンの顔のその部分が何故欠けたのか、知っている。
「ひ、ひきょうだぞ、ばいきんまん……」
「オレさま、卑怯なことが大好きだもんねー!」
アンパンマンにあっかんべーしながら、煽りに煽るばいきんまん。
もしも、もしもの話だが。
アンパンマンの顔が欠けていなければ、ばいきんまんには負けなかったかもしれないと思うと。
駆紋戒斗の胸の奥に、強烈な苛立ちが湧き上がる。
自分を助けたせいで卑怯者になぶられるヒーローを見て、駆紋戒斗は表情を歪めた。
「拍子抜けだな。強者ではなく、ただの卑怯者か」
ばいきんまんに声が届かない距離で、卑怯者を
「っ!?」
なのに、その足は止められる。
戒斗が進もうとしたその道に、横合いから巨大なアンパンマンの顔が吹っ飛んできたのだ。
呆気に取られる戒斗だが、それがアンパンマンの顔を模した車であることに気付くと、平常心を取り戻す。
危うく"この世界ではどこにでもアンパンマンの巨大な顔がゴロゴロ転がっているんだ"、という誤った常識を叩き込まれるところであった。
このパンズのファンタジーに呑まれるな、と戒斗は自分自身を叱咤する。
戒斗の前に吹っ飛んできたその車は、上部の蓋のような部分を開き、そこから一人の女性を吐き出してきた。
「こんな時にアンパンマン号のブレーキが壊れてしまうなんて……あいたたた」
「おい、そこの女。俺はこの先のアンパンマンとばいきんまんに用がある。そこをどけ」
「アンパンマン? ……そうだわ、アンパンマンに急いで新しい顔を届けないと!」
「新しい顔、だと?」
戒斗は平常運転で、女性の心配すらしようとしない。
そんな戒斗が目に入っていないかのように、女性は慌てながらアンパンマン号と呼ばれた車両の中に頭を突っ込み、そこから何かを取り出した。
『新しい顔』という、よく考えなくても狂った単語に興味を持った戒斗が彼女の手元を見ると、それはアンパンマンの顔だった。
それも焼きたてのパン特有のいい香りとツヤを兼ね揃えた、できたてホヤホヤとしか言いようのない、見事な出来のアンパンマンの顔。
「おい、それはなんだ」
「アンパンマンの顔よ!
顔が汚れたり濡れたりしたら、新しい顔と変えないといけないの!
でも、新しい顔さえ届けられたなら、アンパンマンはばいきんまんに負けたりしないわ!」
「ほう」
顔を取り替えたら死ぬんじゃないのか、なんて思考が戒斗の中に浮き上がる。
しかし「パンに人間の常識を当てはめてどうなる」という至極真っ当な思考でそれを切り捨て、戒斗はアンパンマン号の向こうを覗く。
そこではいい気になっているばいきんまんが、四方八方手当たり次第に泥を乱射し、まともな逃げ場が見当たらない空間を作り上げていた。
この女性がパンを届けようとしたところで、その途中で必ず汚れてしまうだろう。
そう判断した戒斗は、女性にぶっきらぼうに話しかけた。
「女、お前の名前は?」
「え? 『バタコ』……ってよく見たら、あなた見ない顔ね。旅の人?」
「似たようなものだ。その顔を渡せ」
そしてバタコと名乗った女性が手にしたアンパンマンの顔を見て、手を差し伸べる。
「お前の代わりに、俺が届けてやる」
ばいきんまんは上機嫌だった。
「ぐふふふ、まずは町を泥だらけにしてやるぞー!
次にカビだらけにして、バイキンだらけにしちゃうもんねー!」
とうとうアンパンマンを倒し、悲願を叶えた。
後は『アンパンマン、新しい顔よ』という声を警戒しながら、泥をずっと撒いていればいい。
普段は間抜けでおっちょこちょいなところも多いばいきんまんだが、今日は一味違うようだ。
顔が泥に濡れてよたよたしているアンパンマンを放置して、町中に泥の雨を降らせようとしている。
「この世界の悪など、こんなものか。理由のない悪意にはほど遠い」
「!」
そんなばいきんまんが、予想以上に近い場所からの声に驚いた。
UFOを反転させ、そちらを見るばいきんまん。
そこにはこの世界には存在しない、自然と姿勢を正させるような、そんな威厳に満ち溢れた……貴族や王のような雰囲気を纏う、そんな男が立っていた。
それでいて、その目は飢えた獣を思わせる。
ばいきんまんが四方八方に泥を振らせている最中であるというのに、その体には泥の飛沫すらも付いてはいない。
ばいきんまんは、その男に向かって大声で問いかけた。
「なんだお前は! アンパンマンの仲間か!」
「仲間? 笑わせるな。アンパンと仲間になる阿呆がどこに居る」
「お、おう……?」
またアンパンマンの仲間が助けに来たのか、とばいきんまんは思っていたために、一言であまりにも切れ味強くばっさり否定されたことで、逆に戸惑ってしまう。
戒斗は戸惑うばいきんまんの視界の中で、背中に隠していたものを取り出し、持ち上げる。
「仲間ではない。だが、味方をする義理はあってな」
「! そ、その顔は!」
「借りを作ったままにしておく趣味はない。一食の借りは返すぞ、アンパンマン!」
そして、手にしたアンパンマンの顔を、ヘタれているアンパンマンに向けて、投げ渡した。
戒斗が投げた顔は一直線にアンパンマンへと飛んで行き、泥まみれになっていた顔にぶつかり吹っ飛ばし、首のない胴体の上にセットされる。
すると、いかなる原理によるものか。
胴体に付いていた泥までもが弾け、顔も体も綺麗なものへと戻っていく。
汚れる前の状態、否、汚れる前よりも元気でエネルギーに満ち溢れた自分へと変わったアンパンマンは飛び上がり、叫ぶ。
「元気100倍! アンパンマン!」
アンパンマン、完全復活であった。
悔しげに唸るばいきんまんは、クールな表情で佇む戒斗に、食って掛かる。
「あー、ズルいぞ! そこのヤツ!」
「卑怯者は貴様だろう。
卑怯な策に頼るのは貴様が弱者だからだ。頼る強さが無いから、そんなものに頼る」
「うるさいうるさいうるさーい!」
戒斗の言葉に短気なばいきんまんは怒り、UFOから生えた泥の砲口を戒斗に向け、発射。
いくつもの泥の爆弾が戒斗に迫る。
しかし、彼はそれら全てを踊るように回避した。
「カイトおにいちゃんかっこいいー!」
「すげー! いっけー!」
「さっきのダンスだー!」
ばいきんまんが来てからの戦いを見守っていた町の住人、子供達から歓声が上がる。
戒斗の脳裏に、いくつもの射撃が蘇る。
葡萄の銃。赤い弓。そして、最後の最後に対決した、葛葉紘汰の武器の雨。
それらと比べれば、泥の砲弾はあまりにもぬるかった。
何の殺意も、敵意も、悪意もなく、込められているのはせいぜいがイタズラ心と短気を起こした子供の怒り……外道や卑怯者をさんざん見てきた戒斗としては、悪者なのにあまりにも純粋すぎるばいきんまんに調子が狂ってしまう。
変な気が起こらない内に、と戒斗はばいきんまんの横合いから接近していた、拳を振り上げるパンに向かって声を上げる。
「行け、アンパンマン!」
戒斗が声を上げ終わるのと、ばいきんまんがアンパンマンの方を向くのと、アンパンマンが振りかぶった拳を突き出すのは、ほぼ同時だった。
「アーンパーンチ!」
炸裂した拳が、ばいきんまんをUFOごと吹っ飛ばす。
「ばーいばーいきーん!」
そこでもまた、戒斗は自分の目を疑った。
殴られたUFOが山の向こうの空まで吹っ飛び、星となったのである。
負け台詞を吐きながら吹っ飛んでいったばいきんまんの声が遠ざかっていく過程、ドップラー効果で微妙に声の質が変わっていく過程が、彼の耳まで疑わせる。
一体何十kmの彼方までぶっ飛ばしたというのだろうか。
この時、アンパンマンは戒斗の中で、確かに『強者』として位置付けられた。
町のいたる所から、アンパンマンへの感謝の声と賞賛の声が上がる。
アンパンマンは皆に手を振りながら、戒斗の前に降り立った。
「ありがとう、助かったよ。カイトくん」
「借りを返しただけだ。貴様と馴れ合うつもりはない」
「それでも、助けられたから『ありがとう』だよ」
「……ふん」
ばいきんまんに襲われた後でも、ばいきんまんへの怒りはあれど、憎しみや怨嗟はない。
アンパンマンに町が汚れた責任を問うことも、守ってくれなかったと責めることもなく、ただ純粋に感謝の言葉を告げる人々。
アンパンマンとばいきんまんの間にすら、憎悪や確執といったものは見られなかった。
それに加え、唯一ここで悪と言われたばいきんまんが、あの有り様だ。
戒斗が居た世界では、もっと民衆というものは自分勝手だった。
被害者というものはもっと身勝手で、誰かのせいにしたがった。
宿命の相手というものは、もっと明確な敵意と殺意をもってぶつかり合っていた。
それが、ここにはない。
夢か現か幻か。
駆紋戒斗は、この世界に感じる非現実感が更に膨らんでいくのを、その心で感じていた。
戒斗はアンパンマンに礼を言われた後、日が暮れ始めていることに気付いた。
今日の宿を探す必要がある、と考え、無ければ木の上ででも寝るか、と一歩を踏み出す。
しかしそこで町の住民に取り囲まれ、もみくちゃにされながら礼を言われるのだった。
駆紋戒斗の周囲には自然と人が集まる。
それは本人が口では冷酷なことを言いつつも、行動の結果として人を助けることが多い、そういう性格だからである。
ある者はそれで彼をダンスチームのリーダーに推薦し、ある者はそれで彼の中に王の器を見て、ある者はそれで弱さと強さと捨てきれない優しさを見た。
町の住民も、アンパンマンを助け、ばいきんまんに立ち向かう彼に感謝の念を抱き、彼の中に何かを見たのだろう。
アンパンマンの感謝に始まり、アンパンマンを助けてくれたことに礼を言ってくるバタコ、ミミ先生と名乗ったウサギ頭にゾウ頭にカバ頭、茶碗頭にすりばち頭といった多種多様な町の住民が戒斗に礼を述べていく。
神経質な人間なら自分を見失いかねない光景だ。
が、戒斗は図太いので特にそういうことはない。
新参の戒斗への物珍しさも相まって、彼を囲み続ける住民から彼を救い出したのは、アンパンマンだった。
空を飛ぶ能力を駆使し、上から戒斗を掴み上げ、皆に別れの挨拶を告げつつ飛び去って行く。
手を振る住民達を置き去りにして、戒斗は不満げに悪態をついた。
「礼は言わんぞ」
「いいよ、このくらい。それより、旅の人なら泊まる場所は決まってないよね?
よかったら、うちに泊まったらどうかな? ジャムおじさんのパン工場の、個室なんだけど」
そうして戒斗は、アンパンマンの提案に乗り、彼の拠点に連れられて行った。
"ジャムおじさんのパン工場"と呼ばれたその場所で、戒斗はアンパンマンの家族と出会う。
アンパンマンの生みの親、パン作り名人の『ジャムおじさん』。
ペットというわけではないらしい名犬『チーズ』。
そして町で出会ったバタコという女性、合わせて二人と一匹。
アンパンマンも合わせれば二人と一匹と一個か、なんて戒斗は考える。
「ここに泊まりたいのかい? いいとも、ゆっくりしておいき」
「私としては大歓迎よ」
「ワン!」
アンパンマンの戒斗を泊めたいという願いを、パン工場であるジャムおじさんは快く承諾する。
戒斗に好感を持つバタコも快諾、チーズも笑顔で一声吠えた。
バタコは事前に面識があったとはいえ、ジャムおじさんの即答気味の快諾という、心優しい対応には戒斗も少々戸惑っている様子だ。
彼の経験上、この手の人間は騙されるためだけに居るような善意だけのバカか、懐の大きい大物か、いい人を装った悪人というパターンが多い。
ちなみに、彼の知る限り後者になればなるほど数が多かった。
しかしながら戒斗の勘は、ジャムおじさんは前者の方に近いと告げている。
これがまた、戒斗の居心地を悪くさせるのだ。
アンパンマンが分けてくれた顔のこともそう。
町の住民の感謝もそう。
パン工場に快く泊めてくれたこの流れもそう。
理由のない悪意のある世界に居た戒斗からすれば、理由のない悪意がどこにも見当たらず、理由のない善意に満ちているこの世界をどうにも居心地が悪く感じてしまう。
なのに、なのにだ。
以前居た世界に感じていた憎しみを、この世界には感じない。
それが戒斗の胸の奥に、今まで感じたことのない感情を湧き上がらせるのだ。
「戒斗くん、夕日でも見ない?」
することもなかった戒斗は、アンパンマンに促されるままにパン工場の屋根の上に上がる。
アンパンマンが勧めるだけあり、そこから見える夕日は美しかった。
中世を舞台にした絵物語の中の貴族、
戒斗は屋根の上に立ち、アンパンマンは座り、互いではなく夕日を見つめたまま、口を開く。
「アンパンマン。貴様は甘い」
「? アンパンだからね」
「そういうことを言っているのではない!」
どこまでものんきなアンパンマンに、戒斗の声は自然と苛立たしげになってしまう。
「もっと冷たく、冷酷になれ。
あのばいきんまんとやらが二度と貴様に歯向かう気が起きないほどに、徹底的にな」
「冷たく、って……ぼくは焼き立てのパンだもの。難しいよ」
「生温いと言っている!」
アンパンマンの心根の甘さが、暖かさが、戒斗は気に食わない。
嫌悪感も、憎悪もない。ただ気に喰わないのだ。
お前はもっと利己的になるべきだと、彼はそう思ってしまう。
「貴様が唯一絶対の強者として君臨すればいい。
他の強者を全て傘下に置き、支配すれば、貴様の望む平和な世界を維持することも容易だ。
最も強い者が頂点に立ち、悪と卑劣を許さないルールを敷けばいい。
アンパンマン。貴様は強者でありながら、頂点に立つ選択を放棄している」
圧倒的なものに踏み躙られようとも屈さず、大きな力を持ち、弱者を虐げることもなく、されど冷酷になりきれない甘さのせいで割を食う。
そんな、かつて戒斗が認めた一人の男が、アンパンマンと重なってしまう。
「あの男のようにな」
彼の中で『葛葉紘汰』と、アンパンマンが重なってしまう。
「貴様ほどの強者が生温い対応を繰り返すから、ばいきんまんとやらは何度も来る。
悪辣な強者も、唾棄すべき卑怯者も、言ったところで聞くわけがない。
奴らは自分のためだけに、貴様がかけた優しさを裏切る。力で排除するべき存在だ」
優しく強い者は、力で卑怯者を排除できない。
駆紋戒斗は、葛葉紘汰の傍に居た一人の卑怯者を、ずっと見ていた。
人を倒せど殺そうとしない、怪物の親玉とすらまずは話しあおうとする葛葉紘汰という男を、ずっと見ていた。
だからだろうか。
彼の言葉はアンパンマンに向けられたものであると同時に、彼自身にも自覚がないまま、葛葉紘汰という男に向けられたものでもあった。
彼が生きていた世界では、誰もが強くなる度に優しさを忘れていった。
強さを持ちながら、優しいままで居ようとした者から居なくなっていった。
強く優しい者が君臨し、強者が弱者を虐げることを禁じていたならば、あんな世界にはならなかったはず。駆紋戒斗は、そう信じているのだ。
「貴様も弱者を守る強者を気取るなら、この場所からばいきんまんを排除するべきだ」
だから彼は全ての人類を排除し、世界を壊し、新たな世界を作ろうとしたのだから。
彼が望んだ世界は、葛葉紘汰も、アンパンマンも、善意を裏切られることのない世界だ。
誰かを虐げるためだけの力を誰も求めない、新しく強い命だけが満ちる世界。弱者も卑怯者も居ない理想郷。それを求める心は、今も彼の中にある。
ゆえに、ばいきんまんを強者として力で排除しろ、と戒斗は言う。
しかしアンパンマンは首を縦には振らず、首を傾げて唸ってしまう。
「……うーん」
「何を躊躇う」
「ごめんね。ばいきんまんは悪者だけど……
ぼくはできれば、ばいきんまんとも仲良くしたいんだ」
「……!」
戒斗の脳裏に、叫ぶ葛葉紘汰の姿が蘇る。
―――守りたいという祈り、見捨てないという誓い……それが俺の全てだ……!
ばいきんまんをも見捨てないというアンパンマン。
誰も見捨てられないことは、弱さなのか。強さなのか。
だが、戒斗の知る限り、誰も見捨てない者はみな強い者だった。
「そうやって、力の強さや、どっちが優れているかにこだわり過ぎたら……
大切なことを見失ってしまいそうな気がするんだ。ぼくは、それはダメだと思う」
「大切なこととは、なんだ?」
「うーん、上手く言えないんだけど」
アンパンマンは少しだけ考え、自分なりの思いを戒斗に向ける言葉に変える。
「ぼくは何のために生まれたのか。何をして生きていくのか。
何がぼくのしあわせなのか。何をすれば、よろこべるのか。
それを見失ってしまいそうな……そんな気がするんだ」
「―――」
瞠目する戒斗。
「困っている人を助けた時に、心が暖かくなって、その時分かったんだ。
ぼくが何のために生まれてきたのか、何をして生きていくか、何がぼくの幸せかって……
みんなの笑顔を見たぼくの心の中に、よろこびがいっぱいいっぱい生まれたんだ」
息を呑み、視線を夕日からアンパンマンへと向け直し、その横顔を凝視してしまう。
アンパンマンは戒斗の方へ顔を向け、満面の笑みを見せた。
その言葉が心からの本心だと、まるでその笑顔が証明しているかのようだ。
―――お前を倒し、証明してみせる。ただの力だけじゃない……本当の強さを!
最後の戦いの時、駆紋戒斗の宿敵であった葛葉紘汰は、そう言っていた。
駆紋戒斗は、アンパンマンの在り方の中に、葛葉紘汰が証明しようとした『本当の強さ』が垣間見えた気がして、だからこそアンパンマンの言葉を軽んじられない。
葛葉紘汰は、駆紋戒斗に勝利しそれを証明したはずなのだから。
「カイトくんは、何のために生まれて、何のために生きているんだい?」
「……俺は」
その時、否、その日。
戒斗はその問いに答えられなかった。
彼は言葉に詰まった後、屋根より飛び降り、アンパンマンの問いに答えないままパン工場の中に戻って行ってしまう。
夕飯のパンを食べる間も、夜に寝床に案内される時も、戒斗は問いへの答えを返さなかった。
アンパンマンからすれば何気ない、答えてもらわなくても特に気にしない程度の問い。
けれども戒斗にとっては、自らの信念の全てを懸けて負けた直後の男にとっては、自然と自分というものを見直させる問いだった。
夜、戒斗は貸してもらったベッドに寝転がりながら、頭の後ろで手を組み天井を見上げる。
「俺が何のために生まれ、何のために行き、何が幸せで、何が喜びか、か……」
考え、手を掲げ、手の平を見る。
戦いの傷跡が残る手をぎゅっと握り、彼は拳を作り上げた。
その手が握る世界の行く末、勝ち残った者に与えられる力、運命はもうどこにもない。
駆紋戒斗の望んだ世界はもう来ないことを、彼が敗者であることを、他ならぬ彼が一番良く知っている。
その果てに辿り着いたこの不思議な世界。
死の間際に見ている夢の世界か、異世界か。彼にはいまだ確信が持てていなかった。
目を閉じれば、ひとたび眠れば。これが夢であるのなら、覚めるのではないか。
そう思い、戒斗は目を閉じる。
この夢が覚めて欲しいのか、覚めて欲しくないのか、自分の中の気持ちがどちらに向いているのか自覚できないままに。
目が覚める。
戒斗が周囲を見渡せば、そこはあの世でもなく、沢芽市でもなく、ジャムおじさんに貸してもらったパン工場の個室の一つであった。
「夢ではない、か」
何やら外が騒がしい。
戒斗は部屋を出て、工場を出た。
すると遠方の空で戦うアンパンマンとばいきんまん、それを応援するバタコとチーズ、バタコ達から少し離れた後方から彼らを見守るジャムおじさん、といった面々が彼の目に映る。
どうやらこんな朝っぱらからばいきんまんが暴れ、アンパンマンが取り抑える羽目になっているようだ。
「おはよう、カイトくん。よく眠れたかな?」
「寝床を貸してくれたことには感謝する。ジャム」
にこやかに話しかけてくるジャムおじさんに、戒斗は平常運転の返答を返す。
返答は返すが挨拶は返さないのが戒斗らしい。
他人への敬意や礼儀を全く見せようとしない、年上受けがそこまでよくない戒斗と、非常におおらかで寛容なジャムおじさんの相性は悪くないようだ。
「奴は今度は何をやらかしてきたんだ?」
「どうやら、ばいきんまんが誰かの大切なものを取ったらしいんだよ。
パトロールの最中に通りかかったアンパンマンがそれを取り返してくれたんだ。
そこからは二人が飛んでいって、ああなったみたいだね」
「なるほどな。またしても奴の自業自得か」
戒斗のばいきんまんを見る目は冷たい。
『卑怯が得意技』と公言してはばからないばいきんまんに、良い印象がないようだ。
「だが、当然だ。卑怯者と知られた卑怯者に居場所はない。
それでも受け入れる者は……最後にバカを見る、度が過ぎた愚者だけだ」
「君は苛烈だね、カイトくん。昨日君と少し話した時も思ったけれど……」
ジャムおじさんは、心で見て、心で聴けば、見えない本当のことが見えてくると、そう教えながらアンパンマンを育ててきた。
アンパンマンは今日もその教えを貫いている。
そしてアンパンマンをそう育ててきたということは、ジャムおじさんもその生き方を実践しているということだ。
「君とばいきんまんは、似ているのかもしれないね」
「――なんだと?」
睨む戒斗。
その鋭い眼光の奥に、ジャムおじさんは何かを見い出している。
「アンパンマンは他人のため。
皆にそうしたいから、と思いながら何かをする。
君とばいきんまんは自分のため。
自分がそうしたいから、と思いながら何かをする。
そのためなら、君らは他人を犠牲にできるだろうからね」
それは確かな事実だった。
行動原理の中心に他人があるか、自分があるか。
アンパンマン、ばいきんまん、駆紋戒斗はそのどちらかであり、過剰なまでに他人か自分を中心に据えている。
戒斗の表情は苦々しく歪んでいるが、自分本位という点に否定の声を上げることはなかった。
「だけど、勿論君とばいきんまんには違う所も多い。
ばいきんまんは卑怯が大好きだけど、君は卑怯が大嫌いだ。
ばいきんまんは嫌われ者だけど、君は人を惹き付ける一面がある。
それに、何より」
だが、ジャムおじさんの続く言葉に怪訝そうな様子に変わる。
ジャムおじさんはあいも変わらず微笑みを浮かべていて、その瞳の色は深い。
「ばいきんまんは悪者だけど、君は悪者ではなさそうだからね」
「―――」
その悠然とした有り様は、本当に戒斗の本質を見抜いているかのようだ。
年の功、若人を導こうとする先人の貫禄をにじませている。
戒斗は隠し切れない動揺を一瞬表情に浮かべてしまったが、すぐに取り繕い、常のクールな表情を浮かべる。
「ジャム、貴様に人を見る目はないな」
「うん?」
「悪か善かで言うならば、俺は間違いなく悪だ」
戒斗は別に、普通の人の判断基準における善悪が分からないわけではない。
ただ、それを自分の判断基準よりも重んじないだけだ。
善悪ではなく強弱で物事を計っているだけだ。
ゆえに彼には、一般常識の基準で悪と呼ばれてもおかしくない人間であるという自覚がある。
「いいや、私は君をいい人だと思うよ。ただ、少し不器用そうだ」
「人の話を聞かんのか貴様らは」
溜め息を吐き、この善人だらけの世界を再認識した戒斗は踵を返す。
ジャムおじさん達に背を向け、パン工場に帰ろうとしているようだ。
そんな彼の耳に、空からばいきんまんとアンパンマンの会話が届き。
「はっひふっへほー!」
「絶対に許さないぞ、ばいきんまん!」
よりにもよってその台詞が、戒斗の耳に聞き慣れたとある男の声を思い出させた。
―――絶対に許さねえ!
その時の戒斗の気持ちを文字にするならば「イラッ」だろうか。
できれば仲良くしたいアンパンマンと、アンパンマンの敵で居続けるばいきんまん。
根幹に自己犠牲があるヒーローと、根幹に自分の欲求があるライバル。
皆にそうしたい、とヒーローは言う。自分がそうしたい、とライバルは言う。
この時、アンパンマンと葛葉紘汰を重ねていた自分に気付いてしまったために、戒斗は先ほど言われた「ばいきんまんと似ている」という指摘がボディーブローのように効いてくる。
アンパンマンとばいきんまんの関係、葛葉紘汰と駆紋戒斗の関係は妙に似ている。
ジャムおじさんの指摘は正鵠を得ていたのだ。
こんなにも短い間に、戒斗の中身を見抜き始めていたジャムおじさん。
人をよく見ていると言うべきか、流石年の功だと言うべきか。
「くだらん」
感傷に浸る柄でもない、と戒斗はパン工場の全容を改めて見渡す。
そして目を見張る。彼は信じられないものを見て、驚愕した。
パン工場の外側、壁の表面を這うように生えるいくつもの植物。
叫ぼうとする口よりも先に、走ろうとした足が先に動く。
初期段階特有の、ツルと実で形成される形状。
一見赤と青にも見える、赤紫と青紫の二色の実。
『それ』に駆け寄った戒斗は、『それ』を手に取り、『それ』の名を叫ぶ。
「『ヘルヘイムの果実』、だと……!?」
悪意なき世界。
善意に満ちた世界。
駆紋戒斗がそう称したアンパンマンの世界に迫る、『理由のない悪意』。
この世界に終わりをもたらしかねない、絶望の種がそこに在った。
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笑顔で終わる物語
『ヘルヘイムの森』。
それは駆紋戒斗が元居た世界を滅亡の危機に追い込んだ、恐るべき存在の名だ。
信じられない規模と脅威を持つ侵略的外来種であり、世界を丸ごと塗り潰しながら侵略してくる異世界であり、滅びと進化をもたらす"現象"である。
時空の壁や異世界の気候などといったレベルの障害が障害にならない凄まじい生命力、他の生物の生存圏を全て塗り潰す圧倒的繁殖力で、その世界の生態系を全て塗り潰してしまう。
ヘルヘイムの森が作る極彩色の果実は、生物を誘惑して自分を食べさせる。
果実を食べた生物は例外なく怪物となり、森の走狗となり正気を失う。
そして怪物は周囲の生物を襲い、ヘルヘイムの種子を植え付けるようになり……という最悪の悪循環が完成することになる。
こうして、ヘルヘイムは"自然繁殖"と"種子散布者の作成"という二つのプロセスを用いて版図を広げていく。
川にも山にも風にも海にも、それは遮られることはない。
地球の総面積約5億1千万平方kmをヘルヘイムが完全に侵食し切るまでにかかる時間は、本格的侵攻開始から数えて10年しかかからない……というのが、当時の研究者の談。
火炎放射器、農薬、物理的隔離、核などといった人類の英知の全てを投入するという前提で、10年だ。想像するだに恐ろしい。
そして侵食が完成すれば、地球環境は人類が生きられる環境ではなくなってしまう。
抗わなければ、人類に待つのは滅びだけだった。
かつて戒斗は、その森が生み出した怪物達と戦っていた。
軍隊も敵わない、核ミサイルすら通用しなかった怪物達と葛葉紘汰を始めとする『ライダー』達と戦っていたのだ。
そしてその果てに、ヘルヘイムが世界を一つ喰らい尽くす度に一つ生み出す、世界一つ分のエネルギーが詰まった果実……『禁断の果実』の存在を知る。
それを手にした者こそが、ヘルヘイムの森を支配する力を得ることが出来る。
世界を救うためには、世界を望むままに変える力を宿したその果実を誰かが得る必要があった。
ヘルヘイムに抗う争いは、世界の命運をかけた禁断の果実を巡る戦いへ。
その戦いの最後に残った二人が葛葉紘汰と駆紋戒斗の二人であり、駆紋戒斗はその戦いに敗れた者だ。
ゆえに、彼はヘルヘイムのその恐ろしさを身に染みて知っている。
文字通り身に染みて知っている。
誰もが世界の終末を避ける唯一の手段として、禁断の果実を求めた。
逆に言えば、禁断の果実が無ければヘルヘイムの侵食を退ける手段は存在しない。
最後の一人になるまで戦う闘争がなければ、禁断の果実は得られない。
そんな『理由のない悪意』に狙われるには、この世界はあまりにも平和すぎる。
あまりにも優しすぎる。あまりにも善意に満ちている。
少なくとも、駆紋戒斗はそう思っていた。
彼にそう思わせるほど、この世界は幸せな夢のような世界だった。
「バカな……よりにもよって、この世界にヘルヘイムだと……!?」
だが、彼は知っている。この悪意に理由はない。
ヘルヘイムの森は彼が居た弱者に痛みしか与えない世界も、優しさに満ちたこの世界も平等に侵略し、その世界とそこに住まう命の全てを塗り潰す。
悪意なきこの世界も、理由なき悪意は容赦なく終わらせようとするだろう。
ヘルヘイムの侵略が事実であるならば、それは避けようのない『運命』である。
(そうだ、ヘルヘイムは世界を渡る侵食植物……
ここが現実に存在する異世界であるのなら、ヘルヘイムに侵食されない理由はない)
それは、戒斗には絶対に認められない運命だった。
ヘルヘイムという強者が、優しさに満ちたこの世界を弱者として踏み躙り、虐げる。
ふざけるなと、彼は心の中で吠えた。
「カイトくん、そんなところに何かあったのかな?」
そんな戒斗の様子を不審に思ったのか、ジャムおじさんが彼の背中に声をかける。
「近寄るな!」
「わわっ」
「聞け、ジャム。この植物は恐ろしい猛毒と繁殖力を持つ植物だ。
この植物は世界を渡ってこの世界に来た。対応しなければ、犠牲者が出るぞ」
「なんだって、それは本当かい!?」
戒斗は彼の知る限りのヘルヘイムの特性を全てジャムおじさんへと伝える。
一つ伝える度にジャムおじさんの表情は深刻になり、全て聞き終える頃には普段の穏やかな表情とは違う、思慮深さを覗かせる表情を浮かべていた。
「それが本当なら、大変だ。
果物などの食べるものも無くなってしまう。
小麦が作れなければ、アンパンマンの顔も作れなくなってしまう」
戒斗が想定していない問題まで想像できているあたり、しっかりと理解できているようだ。
実を食べてはならない、という点を特に強く注意して、戒斗はジャムおじさんに背を向け、街に向かって歩き出す。
「お前はアンパンマンにこのことを伝え、ヘルヘイムの侵食状況を調べさせろ。
俺は町に降り、住民にヘルヘイムの脅威を伝える。間違っても口にさせるわけにはいかない」
駆紋戒斗は苛立っていた。
彼が元居た世界がヘルヘイムに侵食された時、彼はこんなに腹を立ててはいなかった。
むしろ、憎んでいた世界の終わりにどこか愉悦すら感じていたフシもある。
なのにだ。彼は今、この世界にヘルヘイムが侵食しているという事実に、無尽蔵にこみ上げる怒りすら感じていた。
その理由。
彼がどんなに考えても分からなかった、胸の奥に湧き上がる不可思議な感情。
駆紋戒斗は、己のその感情の正体に気付きつつあった。
町に着き、戒斗は住民に全ての事実を告げる。
住民に混乱とざわめきが広がるが、それは彼が予想したものよりずっと小さなものだった。
不思議に思い彼が問えば、皆が同じ答えを返してきた。この町の住人……いや、この世界の住人には、恐ろしい脅威が迫って来た時に心が頼れるもの、強い心の支えがあったのだ。
「だって、あぶなくなったらアンパンマンが助けてくれるもん!」
ヘルヘイムの危険性を理解しつつ、皆で森や山のどこを調べるのか分担を話し合いながら、誰もが口を揃えてそう言うのだ。
もしも戒斗が元居た世界の人間がこんなことを言ったならば、彼は「強者に寄生する寄生虫、強くなろうともしない弱者」と罵倒していただろう。
なのに、彼はそんな言葉を口にはしなかった。
この世界にその言葉は的外れであると、そう思っていたから。
「ここは、弱いままで居ることが許される世界だ」
町を離れ、戒斗は森周りの崖の上に立っていた。
ヘルヘイムの森と聞き、彼は真っ先に『森の中で一番大きな樹』を探すことを決めていた。
彼が元居た世界でも、ヘルヘイムはそういう樹から侵食を始めていたから。
「強者が弱者を虐げるためだけの力を求めないからだ。
アンパンマンは当然。ばいきんまんですらそうだった。
ばいきんまんはアンパンマンを倒すという目的以外で、力を求めてはいなかった」
悪と呼ばれるばいきんまんですら、その始末。
この世界は戒斗が元居た世界と比べると、あまりにも甘く生温く、優しい世界だった。
「ここは弱さに痛みしか与えない世界ではない。
誰もが弱いままで居ることが許され、強者とならずとも虐げられない……そんな世界」
強者が弱者を虐げない世界。
弱者という立場を利用し、強者を後ろから撃つ卑怯者が居ない世界。
弱さというものが痛みを産むことしか許さない世界。
『弱者と強者による悪性の構造』が、この世界には存在しない。
「あの世界になかったものが、ここにはある。
あの世界にあったものが……ここにはない」
彼がこの世界に抱いていた思いは一つ。
この世界が彼に示す事実が一つ。
「この世界は、俺の、駆紋戒斗の望みを実現させたような……理想の世界の形の一つだったのか」
この世界は、彼がかつて望んだ『弱者が虐げられない世界』の形の一つ。
駆紋戒斗は口を開けば、「世界とはこうである」か「俺はこう思う」のどちらかを口にする。
その二つの区別がつかない人間からは冷酷な人間、あるいは二面性を持つ人間であると勘違いされることもあるが、彼の中の芯と主張は常に一貫していた。
彼が望む世界の形、彼が憎む世界の形もまた、一貫している。
弱者が虐げられないこの世界は、駆紋戒斗の理想を実現させた、一つの世界の形。
「俺も、葛葉を笑えんな」
駆紋戒斗に後悔はない。
彼はかつての世界で、世界の終わり、人類の排除を望んだ。
そうして新たに創った世界を、誰も虐げる必要のない強く新しい生命で満たそうとした。
それが彼の願い。彼の祈り。
かつて彼が目指していたその世界も、彼の信念から生まれたものだ。
きっとあの時、最後の戦いで葛葉紘汰に勝利し黄金の果実を掴み、望んでいた新世界に至ったとして、戒斗は後悔なんてしなかっただろう。
たとえその結果、世界と人類を滅ぼしたとしても。
だが、戒斗はこの世界の存在を知ってしまった。
自分の望みが"こんな優しい形"で叶っている世界の存在を、知ってしまった。
もしも最後の戦いで、駆紋戒斗が葛葉紘汰に勝っていたとしても。
運命の勝者が彼だったとしても。
アンパンマンが守るこの世界のような世界になっていた可能性は、0だっただろう。
この世界が示したのは『可能性』。
かつて紘汰や戒斗が戦いの中で証明した、輝けるもの。
それが子供の頃から一秒たりとも立ち止まらず歩き続け、上を目指し続け、強くなろうとし続けた戒斗が足を止め、自分のことを振り返る機会をくれた。
この世界もまた彼が望んだもの。
そう自覚した瞬間に、戒斗の足は止まり、彼の人生を振り返らせる。
強者と弱者。両親の無残な死。幼少期。世界の真理。
チーム・バロン。チーム・鎧武。ビートライダーズ。
弱いままでは居られなかった世界。弱かった自分。強かった敵。
ヘルヘイム。ロックシード。戦極ドライバー。
初瀬の結末。
ザック。ペコ。戦極凌馬。湊耀子。デェムシュ。
高司舞。
葛葉紘汰。
彼は葛葉紘汰に負け、この世界の存在を知り、アンパンマンと言葉を交わしたことで。
自分の初心を、信念を、最後の最後で紘汰に負けた理由を、見つめ直すことができた。
「俺は、間違えていたのか。目指す場所ではなく……そこに行き着く道筋を」
駆紋戒斗は鋼鉄の男である。
彼の心は誰よりも強く、頑なで、揺らがない。
他人が彼に自分を認めさせることはあれど、彼が他人の言葉で変わることはない。
それゆえに、彼を変えられるのは彼だけだ。
駆紋戒斗を変えられるのは駆紋戒斗しか居ない。
どんな強者であっても戒斗に負けを認めさせることはできない。
だが、戒斗が紘汰に対し負けを認めたように、他ならぬ彼自身ならば戒斗に負けを認めさせることができる。
彼は己の意志でのみ変わる。
この世界という彼の理想の形の一つが、彼に変化を促していた。
「自分が傷付くことも構わず、他人のために戦い続ける。
他人のために自分の血肉が削られることも躊躇わない。
アンパンマン、葛葉……だからこそ、貴様らは最後に勝ち残るのか」
戒斗はそんな生き方をしたいとは思わない。しようとも思わない。
ただ、少しづつ彼らの中に見た『強さ』の正体を理解し始めていた。
自分とは正反対の道を行く、彼らの強さのことを。
「カイトくーん!」
「……アンパンマンか」
離れた森を背にした崖の上、一人佇む戒斗の隣にアンパンマンが降り立つ。
「どうしたの、こんな所で? あ、こっちはまだ全然へるへいむ?は見つかってないよ」
「俺もヘルヘイムの痕跡を探している内に、成り行きでここにな」
どうにも緊張感のないアンパンマン。
滅多なことではうろたえない平然とした姿は、周りに大きな安心感を与えてくれるのだろう。
しかし、戒斗は多少なりとも危機感を持っていた方がいいと、そう判断する。
「聞け、アンパンマン。お前は理解しておくべきだ。
この世界に無い、だがこの世界に確かに迫る……
『理由のない悪意』という、戦わなければならないものの存在を」
「理由のない悪意……?」
戒斗が口を開いた、まさにその瞬間。
「それは私のことかな?」
森の中から、地獄の底より響くような声が二人の間に割って入る。
「!?」
「!」
即座に振り向き身構える戒斗に、同じように振り向くアンパンマン。
そこには、壮年の男が立っていた。
悪趣味に飾り立てられた服。
あまりにも華美すぎて、宗教の祭典でしか着られないようなそれが、妙に似合っている男。
悪趣味なくせに、外側だけは取り繕っている、そんな印象を受ける。
「まさかお前の姿をここで見るとは思わなかったぞ。駆紋戒斗」
「貴様は……!」
駆紋戒斗はその男と一度出会ったことがある。その時に、男に顔を覚えられた。
しかし紆余曲折あり、その男の記憶を奪われた。
だが、今。いかなる理由か、戒斗はその男の記憶を取り戻していた。
「
「覚えていたようでなによりだ」
この世界に迫る悪意。
その根源、原因である男と、刃を交えた過去の記憶を。
昔々、地球よりも先にヘルヘイムに侵略された世界があった。
その世界の住人はヘルヘイムの森に対抗するため、ヘルヘイムを支配することが出来る黄金の果実を人工的に創り出そうとした。
だが、それは失敗する。
黄金の果実が自らの意思を持ち、人の闘争心をエネルギーとして喰らい始めたのだ。
それだけに留まらず、果実はその世界の人間の闘争心を無理矢理に増大させ、互いに殺し合わせ始める。闘争心を自分のエネルギーとして喰らうため、人々を犠牲にし始めたのだ。
果実の目的は、自らを本物の黄金の果実と同等の存在へと押し上げること。
そのためにその果実は、『フェムシンム』と呼ばれたその世界の人々を殺し合わせてその闘争心のエネルギーを吸い上げ、同士討ちという形で世界を一つ滅ぼしている。
果実はいつからか、『コウガネ』と名乗るようになる。
意は
コウガネは全ての人間を愚かであると見下していた。
己を黄金の果実として完成させた後も、自分を人間に使わせる気などさらさらなかった。
人に近くなった果実が抱いた野望は、自らが世界を支配する神として君臨すること。
人に自分を食べさせることを拒絶し、人を己の養分としてしか見ていない、世界に神として君臨しようとしている果実。
それが、コウガネという男だった。
しかしコウガネは夢を操るフェムシンムによって夢の世界に封印され、悠久の時を経て復活をしたもののすぐに葛葉紘汰、駆紋戒斗達のチームによって打倒される。
人間を見下し、自分が神だと信じながら、その戦いで爆発四散したはずだったのだが……
「貴様、何故ここに居る?」
「お前と同じだ、駆紋戒斗」
「……なに? どういうことだ」
「……くっくっく、まさか、何も気付いていなかったのか?
これは傑作だ。貴様は特に愚かな闘争者だと思ってはいたが、ここまでとはな。
放っておいても、この世界の住民と共に私の糧となる運命を辿っていたのか」
コウガネは口元に手をやり、虫けらを見るような目で戒斗を見る。
見下し、嘲笑、侮蔑。そういうものしか見えてこない、そんな様子だ。
「思わせぶりな態度を取れば優位に立てるとでも思ったのか?
話す気がないなら、力ずくで話したくなるようにしてやる」
「やってみるがいい。人間風情が」
コウガネはどこからかベルトを取り出すと、装着。
対する戒斗はアンパンマンを手で制しながら、前に出る。
「アンパンマン。貴様は下がっていろ」
「え? でも……」
「『あれ』は俺達の世界から流れ着いた汚物だ。
貴様が手を汚す必要はない。俺の世界の始末は、俺が付ける。
邪魔をするようなら、まずは貴様から片付けるぞ」
「……危なくなったら、すぐ助けるからね?」
戒斗の本心がどうであるかは別として、戒斗の目はマジだった。
アンパンマンもそんな彼に気圧されたのか、すぐにでも助けられるよう身構えつつ、空へと舞い上がる。
そして、向き合う戒斗とコウガネ。
コウガネは味方を減らした戒斗を小馬鹿にするように笑い、口元を歪めた。
「別に二人がかりで来ようとも、私は構わなかったのだがな」
「必要ない」
「……なに?」
「この世界には必要ないのだ。俺も、貴様も。あまりにも無粋過ぎる」
戒斗が顔の前に右手をやる。
コウガネは懐からリンゴのデザインが刻まれた黒い錠前を取り出し、ベルトに据える。
戒斗は己の肉体の力のみで、コウガネはベルトの力を用いて、姿を変えた。
《 ダークネスアームズ 黄金の果実 》
電子音が鳴り響き、コウガネの姿を『ライダー』のそれへと変える。
対し戒斗の姿は、赤き鬼と成り果てた男爵、とでも言うべきおぞましい姿だった。
赤き男爵の怪物、『ロード・バロン』。
黒い果実の騎士、『仮面ライダー邪武』。
正しい者の味方であるはずの戒斗が化け物の姿に。
その敵である悪党のコウガネが、曲がりなりにもヒーローに近い姿に変わる。
それは、一つの皮肉だった。
「この世界が私を必要とする必要はない。私がこの世界を喰らうだけだ」
「この世界に貴様に食わせてやるものなど、パンの一切れすらもない!」
両者がどこからともなく武器を取り出し、一瞬で接近。
ロード・バロンが振り下ろした長剣を、邪武が二刀で受け止め、激しい火花が散った。
ロード・バロンが長剣を振り回し、邪武が二刀を振るう。
片や威力、片や手数。重視するものは違えど、両者の剣技はほぼ互角と言って良かった。
剣と剣がぶつかり合う度に火花が散り、衝撃が大気を切り裂いていく。
「ヘルヘイムの種子をこの世界に持ち込んだのは貴様か! コウガネ!」
「ああ、そうだとも。この世界にじっくりと根を張り、私のための養分を吸い上げる。
この世界の力は私と相性が良いようなのでな……
おかげでようやく、ヘルヘイムの森とここを繋げられるくらいまで回復できた」
戒斗達が見たヘルヘイムの植物は、このコウガネが持ち込んだもののようだ。
最近まではヘルヘイムの力を使わず養分を吸い上げていたが、ヘルヘイムの森とこの世界を繋げられるようになり、この世界を自分の養分とするためヘルヘイム化させるつもりなのだろう。
戒斗が危惧したヘルヘイムの侵食という事態ではなく、コウガネというもっと利己的な悪意による侵略だったようだ。
ロード・バロンが長剣で突く。
邪武はそれを寸前でかわすが、胸部装甲の表面に刃がかすり、嫌な音と共に火花が散った。
「この世界がヘルヘイム化すれば、私が力を取り戻す速度も格段に上がる。
そうなれば……私は完全なる黄金の果実として、あの世界に舞い戻ることができる!
その時こそ! 葛葉紘汰が守ろうとしたあの世界を壊し、私の復讐は遂げられるのだ!」
「目的は復讐か!」
ロード・バロンの振り下ろした剣、邪武のX字に交差させた剣がぶつかり合う。
パワーの差か、邪武の足が地面にめり込んだ。
衝撃が周囲の砂塵、木の葉を舞い上げていく。
コウガネの目的は復讐。
この世界をヘルヘイムの森と化し、森の生物と果実の全てを自分の糧として吸収した後、自分を倒した『ライダー』の守る地球という星を滅ぼさんとしているのだ。
その過程でこの世界の命が全て消え去ったとしても、気にも留めやしないだろう。
だが、そんなことは駆紋戒斗が許さない。
「コウガネ! 何故貴様はこのタイミングで俺の前に姿を現した!」
「不確定要素を排除するためだ!
貴様にヘルヘイムの植物を全て引き抜かれては、計画に遅延が出てしまうからな!」
邪武の銃剣から銃弾が飛ぶも、長剣を盾にしたバロンに防がれる。
しかし一発の弾丸が防ぎ切れず胸に当たってしまい、バロンはよろめいてしまう。
その隙を逃さず邪武は一気に接近して斬りかかった。
避け切れず、バロンは腕の外骨格で受け止め、苦悶の声を上げる。
邪武の仮面の下で、コウガネが愉しげに笑った。
「ぐっ……!」
「終わりだ、駆紋戒斗。その"見慣れた姿"には少々驚いたが……所詮、人間」
邪武は腕で受け止められた方ではない剣を振り上げた。
この一撃で首を刎ねるつもりなのだろう。
自分の力量に絶対の自信を持つコウガネは、その一撃で戒斗の命を断てることを疑いもせずに、剣を振り下ろし――
「聞きたいことは聞いた。もう貴様を生かしておく理由はない。用済みだ」
――次の瞬間、宙を舞っていた。
「……な、に!?」
胸部に走る激痛。少し遅れて、地面に激突した衝撃。
邪武は何が何だか分からなかった。顔を上げ、剣を振り終えた後の姿勢を取っていたバロンを見てようやく、邪武は自分が切られたのだと理解した。
「貴様の思考を当ててやろうか、コウガネ。
まだ本気を出していない。その上今のままでも互角以上。
小細工を弄すればどうとでも料理できる……といったところか」
膝をつくコウガネに立ち直る余裕を与えず、容赦なくバロンは追撃する。
踏み込む速度、剣を振り上げる速度、剣を袈裟に振るう速度。
それらのどれもが、先程までとは次元違いだった。
邪武はさっきまでのように剣を交差させて防ごうとしつつ、後方に跳ぶ。
が、無駄。
バロンの振り下ろす剣閃はあまりにも強すぎて、邪武の剣と剣を持つ腕は纏めて下方に強く弾かれる。結果、バロンの剣、その剣と接触し下方に強く弾かれた二本の剣が、同時に地面に突き刺さっていた。
後方に跳んでいなければ、邪武は一刀両断にされていただろう。
「な!?」
「優勢になるとペラペラと事情を喋ってくれる。貴様のような人種が一番面倒が少なくていい」
「駆紋戒斗、貴様……!」
ロード・バロンは手加減をしていた。
コウガネがいい気になって事情をペラペラと喋ってくれるよう、わざと適度に弱い自分を演じていたのだ。
そして、もはやその必要はない。
バロンが剣で足払いをかける。
怪物と化した今の彼の腕力ならば、それは膝から下を軽く切り飛ばす恐ろしい一撃だ。
くらうわけにはいかない邪武は跳躍し、必死に回避する。
しかしそこで斬撃の直後、一歩踏み込んできたバロンによるヤクザキックを腹にくらい、野球で打たれた打球のように吹っ飛ばされていった。
「ぐっ……!?」
「つまりは、貴様さえ仕留めればヘルヘイムは対処可能な広がり方しかしない。
それだけ分かれば十分だ。この世界の住人だけでも、十分に対処できる」
吹っ飛んだ邪武は森の木に衝突し、ダメージと引き換えに停止する。
ロード・バロンは、あまりにも強かった。
全盛期のコウガネでなければ、おそらくは太刀打ちすらもできないであろう強さ。
敗北し、力を失い、力を取り戻そうとしている最中の邪武では、相手にもならない。
「終わりだ」
「―――!」
バロンが剣を振り上げ、振り下ろし、決着。
そうなると誰もが確信した。
戒斗も、見守っているアンパンマンも、その瞬間の直前だけはコウガネも。
ロード・バロンが、手にした剣を取り落とした、その瞬間までは。
「……な、に?」
取り落とした剣を拾うとするバロンだが、その手が震え、掴めない。
それどころか震える手が壊れたビデオテープのように"ブレ"始め、次第に手だけではなく全身へと"ブレ"が広がっていく。
"ブレ"た場所はロクに動かず、バロンは次第に体のどこもかしこも動かなくなっていく。
「……やっとか。ここまで保つとは、異常な精神力の賜物か」
「貴様、何をした!?」
「私は何もしていない。お前があるべき姿に還るだけだ」
邪武は貯蓄したエネルギーを消費し、所詮果実状の本体を覆う器でしかない人間体の傷とダメージを緩やかに回復していく。
そして、手品の種明かし。
戒斗が、コウガネが、何故ここに居るのか。何故同じなのか。
その真実をここで明かした。
「この世界は、平行世界でありながら、夢の世界に限りなく近いのだ。駆紋戒斗」
「なんだと?」
「お菓子の国の夢を見る。永遠の平和が約束された夢を見る。
愚かな人間は幾多の夢を見るだろう。
そしてその夢とそっくりな並行世界が存在したとしても、何らおかしくはない」
戒斗はここに来た当初、この世界が夢の世界か異世界か、その判別がつかなかった。
その思考は正しく、判別がつかなかったこともまた正しい。
戒斗の直感は、限りなく正解に近付いていたのだ。
「この世界はどこかの誰かが、夢見た童話のような世界。
確かにここにありながらも、どこかの誰かの夢としても在る世界」
ゆえに、どこまでも理想的で、空想的で、非現実的で、甘く優しい。
「私は死んだ。貴様らと、葛葉紘汰によって殺された!
死者は決して蘇らない……だが、運命は私を見捨てはしなかった!
私は夢を司るフェムシンムにより、夢の世界に封印されていた黄金の果実」
コウガネは夢を操る力により夢の世界の中に閉じ込められ、葛葉紘汰や駆紋戒斗達の手によって夢の世界の中で死を迎えた。
それで完全な滅びを迎えないのが、このコウガネという果実のしぶとい部分だ。
「夢の世界に"馴染んでいた"私は、死後この世界に辿り着いた。
おそらく貴様は、私にひっつくことで付いて来たのだろう。
私も、貴様も、既に死んでいるのだ。ここにあるのは魂のみ」
「―――」
自分は既に死んでいる、魂だけで歩いている存在。
本来ならば認めがたい事実……だが、駆紋戒斗はそれを受け入れていた。
薄々感付いてはいたのだ。葛葉紘汰の最後の戦い、最後の一撃を、彼は鮮明に覚えている。
死者が蘇るような奇跡が自分に起こるなどと、彼は考えてはいない。
彼は自分を善人などとは思っていないのだから。
「我らは既に死した魂、夢幻のような脆く儚い存在。
それゆえに、依り代や、外付けの
貴様はそれがないために、少し叩かれただけで崩れ去りそうになっているのだよ」
邪武はコツン、とベルトを叩く。
『ライダー』になるために必要な変身装置。
コウガネはそれを用いて自分の存在を固定化しているのだ。
逆に固定化ができていないバロンの方は、圧倒的に強かったにも関わらず、かなり弱い攻撃が一度や二度当たっただけで戦えなくなってしまっている。
「く、ぐ……!」
「やはり人は愚かだ。自分が犯した過ちからしか学ばない。
経験から学ぶのが愚者、歴史から学ぶのが賢者、だったか。
やはり貴様らのような下等な命に、この
他人を見下すことで自分の価値を相対的に上げた気になり、自己陶酔に酔うコウガネは、バロンの腹を爪先で蹴り飛ばす。
その場所は偶然にも、最悪なことに、『駆紋戒斗を殺した一撃』の傷跡があった場所だった。
「ぎ、がっ……!」
「そして、こうやって砂の城よりも脆い剥き出しの魂に、もう一度衝撃を与えてやれば」
戒斗は地面を転がされ、ダメージで変身を解除させられてしまう。
全身の"ブレ"はますます酷くなり、魂の古傷まで完全に開いてしまっていた。
今の彼は、己の体を動かすことすら難しい。
「お前はあと数分で存在が霧散し、この世界から消滅する」
「……っ、くっ」
それは死刑宣告だった。
死者に告げられた死刑宣告。神気取りのコウガネらしい、傲慢さが先行する宣告だった。
「だが、体も動かせない状態でじわじわと死んでいくのは苦しかろう。今、私が介錯をしてやる」
邪武が剣を持ち、戒斗の前に立つ。
コウガネが変身した邪武という『ライダー』が、人である戒斗の首に刀を添えた。
戒斗の腹の古傷から血が流れているのも合わさって、本当に切腹の過程のようにすら見える。
邪武は刀を振り上げ、一刀で邪魔者の首を刎ねんとし、そして。
「アーンパーンチ!」
戒斗との戦闘に集中し過ぎていたせいで、その存在そのものを失念していたアンパンマンの必殺パンチを、その胸部にモロにくらうのだった。
コウガネと戒斗に共通するのは、この世界が甘っちょろく生温い世界であるという認識。
逆に共通しないのは、この世界の命の強さを認めているか、いないかというその一点。
強さを必要としないというこの世界の美点に、戒斗は気付いたがコウガネは気付かない。
そしてアンパンマンという存在の強さについても、コウガネは気付いていなかった。
コウガネはアンパンマンの強さを知らなかった。だから警戒が薄かった。
もっと露骨に言うならば、コウガネは基本的に自分以外の命というものを舐め切っている。
自分が最高の存在だと信じて疑わず、誰も彼もを見下しながら甘く見ているのだ。
常に格下の立場から格上の存在に挑み続けた、自分という弱者を舐めた強者の喉笛を食いちぎってきた、駆紋戒斗という男とは対照的に。
それゆえ、コウガネは強大な力を持ちつつもめっぽう隙が多い。
だから今こうして、アンパンマンの一撃に吹っ飛ばされている。
「ぁ、か、はっ……!?」
邪武の装甲はアンチマテリアルライフルの一撃ですら容易に弾く。
そんな強固な装甲が、"メコッ"と音を立ててアンパンマンの拳の形に凹んでいた。
恐るべき破壊力だ。
並大抵の相手なら成層圏の向こう側まで吹っ飛ばし、文字通りに空の星に出来る破壊力。
これこそがヒーローの一撃。これこそがアンパンマンだ。
小賢しい理屈なんて存在しない、『ただ単純に強いパンチ』という説明不要にして絶対的で圧倒的な、笑えるくらいにシンプルなフィニッシュブロー。
「大丈夫かい、カイトくん!?」
「……俺の、ことはいい。奴を止めろ、アンパンマン……!」
「分かった。そこから動いちゃダメだよ?
……コウガネくん! 君はなんでこんなことをするんだ!」
「愚問だな。私は唯一絶対の神となる者だ!
唯一の強者たる私には、愚かで弱い貴様らを支配する権利がある!」
邪武はアンパンマンのパンチに警戒しつつ、一気に接近。
それを迎え撃つアンパンマンは、特に策を弄することはなく、特に構えたりもせず、特に格闘技を使うこともないまま、普通にパンチを打つ。
何気ない一動作。
その一動作で、パンチ一発で、アンパンマンは邪武が防御に使った二刀を粉々に粉砕した。
「!?」
「カイトくんをこんなに傷付けて……許さないぞ!」
(溜めもない、予備動作もない、ただのパンチでこの威力……ありえん!)
細かな技、小細工、外付けの力、策など弱者が弄するもの、と戦うだけで証明するバトルスタイル。アンパンマンとは、そんな絶対的強者である。
「ただのパン風情が……私の邪魔をするか!」
「ぼくはパンだけど、きみが悪いことをしようとしているのなら、止めてみせる!」
アンパンマンのパンチは単純だ、技巧がない。
だから回避に徹することで、なんとか避ける事ができる……邪武は、そう考えていた。
しかしパンチが肩にかすり、肩の装甲がそれだけで粉砕されると、そんな余裕もなくなる。
「ぐ、バカな……!」
「アーン、パーンチ!」
アンパンマンは、基本的に『アンパンチ』だけで勝利することができる。
何故なら、アンパンマンは強いからだ。
特に小細工を弄さなくとも、ただ飛んで近付いて殴る、それだけで勝てる強者だからだ。
敵がどんなに速くても、どんなに硬くても、どんなに柔らかくても、どんなに強くても、どんなに巧くても、どんなに大きくても、アンパンマンは勝利する。
飛んで、近付いて、殴れば勝てる。
本質的に強いということは、そういうことなのだ。
アンパンマンは、本当に理屈を必要としない強さを持っている。
「コウガネくん、もうこんなことは止めるんだ!
心を込めて、カイトくんやみんなに謝れば、きっと……」
「アンパンらしい、頭の中に甘さしか詰まっていない者の意見だ……なっ!」
ならば、アンパンマンは絶対無敵のヒーローなのだろうか。
いや、違う。
アンパンマンは一度戦う度に、ほぼ毎回一度は負ける寸前まで追い込まれている。
卑怯者のばいきんまんが付け入る隙が、アンパンマンには存在するのだ。
ならばその弱点は同時に、コウガネが付け入る隙にもなりうるということである。
「―――!?」
その光景を近くで見ていたアンパンマンも。
いまだ意味ある言葉を一つ発することも出来ず、腹の古傷を抑え遠くから見ていた戒斗も。
『邪武が黒い霧になった』と、その瞬間にはそう思った。
だが、違う。それは黒い霧に見えただけで、全く違う別の何かであった。
それは邪武の体が変化して、一瞬で数百数千数万と数を膨れ上がらせ、邪武とアンパンマンを飲み込んだ黒いイナゴの群れだった。
黒い霧に見えるほどの数と密度で構成されたそれは、アンパンマンの顔に喰らいつき、圧倒的な数でその顔を喰らい尽くさんとする。
「わ、わ、わーっ、食べないでー!?」
他者を自分の糧としてしか考えない、一種蝗害に近い存在であるコウガネらしい力だ。
顔が欠ければ力が半減してしまうアンパンマンにとって、これほど相性の悪い能力もない。
アンパンマンは顔の表面を食べられながらも、必死にイナゴを振り落とそうとするが、この瞬間アンパンマンの意識は全てイナゴに向いてしまう。
「アンパンマン、後ろだ!」
「!」
腹の傷を抑え、消えかけていた戒斗が、そこで力を振り絞って警告の声を上げる。
イナゴを振り払おうとしているアンパンマンの背後に、邪武が立っていた。
攻撃と同時にイナゴの数で視界を塞ぎ、背後に回ったのだろう。
邪武の手の平の上にはコウガネ固有の力か、金色のリンゴのビジョンが浮かび上がっていた。
「貴様の強さは甘く見ていたが、私は貴様の弱点を知らないわけではない」
そして、そのビジョンを握り潰す。
するとその潰れたビジョンを中心に、四方八方に『果汁』が飛び散った。
果汁の方はビジョンではない。質量を持つ、リアルな果汁だ。
それを背後から、かつ至近距離で食らってしまったアンパンマンは、顔が果汁まみれになってしまう。
「か、顔がぬるぬるべたべた、かおがよごれてちからがでない……」
「コウガネ、貴様……!」
「神はイナゴをもって人を裁く……
貴様らの世界ではそうなっているそうじゃないか。なあ、駆紋戒斗?」
戒斗が元居た世界で、葛葉紘汰という彼も認めた一人の強者が、力比べで負ける以外の理由で何度か倒されたことがあるのと、同じように。
正攻法で強い者は、手段を選ばない者には時にひどくあっさりと負けてしまうこともある。
戒斗は腹の致命傷が開き、あと数分で消え去る運命。
アンパンマンは顔を無数のイナゴに食われ、果汁まみれで力が出ない。
蹴り飛ばされたアンパンマンを受け止めた戒斗に、一歩一歩邪武が迫る。
「お前の負けだ。負け犬のバロン」
絶体絶命。
戒斗の瞳に諦めは浮かんでいないが、この状況を打開する逆転策などどこにもない。
彼は、ただ諦めが悪いだけだ。
邪武が銃剣を戒斗達に向け、引き金を引く。
迫る銃弾。数秒後に、確実に訪れる彼らの死。
「黙れ、俺が屈しない限り……貴様が勝ったわけではない! 貴様などに、屈するものか!」
だが、戒斗は手を伸ばす。
銃弾の軌道に向けて手を伸ばし、死の瀬戸際で足掻きに足掻く。
いつだって、どんな時だって、踏み躙られ追い込まれようとも諦めず食らいつく不屈の心。
運命にすら抗ってきた、変わらぬ彼の心の強さが、奇跡を呼んだ。
光が生まれる。
突如戒斗の手の先に現れた光の球体が、邪武の放った銃弾ことごとくを弾く。
戒斗がそれを掴むと、光の球体は戒斗そのものを包み込んだ。
「なんだ、この光は……!?」
「カイト、くん……?」
コウガネとアンパンマンの動揺に満ちた声が響くも、戒斗には届かない。
戒斗は光の球体の中で、目の前に現れた二つのものを手にとった。
片や、駆紋戒斗がずっと愛用していたベルトのバックル。
フェイスプレートの種類、戦いの中で付いた傷跡。
どれもこれもが、そのベルトが戒斗のものであることを証明する。
片や、戦いの中で強化された視力で何度も見てきた、宿敵が愛用していた錠前。
表面に付いた傷の位置と形から、それに間違いがないことを戒斗は確信する。
これは、葛葉紘汰が愛用していたオレンジの
戒斗は、その二つを自分に届けてくれた誰かに心当たりがあった。
自分を包むその光に、見覚えがあった。
時間を跳躍し、平行世界を行き来する力をも持つ『始まりの女』の力の光だ。
自分のベルトに、葛葉紘汰の力、そしてもう一人の光。
戒斗は少しだけ笑って、お人良しな彼らの手助けと、この運命に感謝する。
「舞。それに……葛葉か。お節介な奴らめ」
ベルトを、錠前を、力を戒斗はその身に纏い光を切り裂く。
《 オレンジアームズ! 花道 オン ステージ! 》
『仮面ライダーバロン・オレンジアームズ』。
この世界では誰もそう呼ぶことはない、仮面の騎士が世界に降り立った。
駆紋戒斗の力と葛葉紘汰の力が一つになり、手にした剣を邪武へと向ける。
「バカな……戦極ドライバーとロックシードなど、どこで!?」
「答える義理はない!」
オレンジアームズの最たる特徴、銃剣と果実剣による二刀を振り上げるバロン。
邪武もまた銃剣と果実剣の二刀を振り上げ、応戦した。
二刀の乱舞に二刀の乱舞がぶつかり合い、嵐のように刃鳴散る。
「葛葉紘汰に敗北し、理想の全てを否定された負け犬ごときが……!」
自分にしつこく食い下がってくる戒斗を、コウガネが罵倒する。
互いの右手と左手が違う生き物であるかのようにぐねぐねと、それでいて速く鋭く動き、二刀と二刀で合計四の刃が二人の間で跳ね回る。
「俺は駆紋戒斗だ。それだけは揺らがない!」
戒斗の脳裏に蘇るのは、あの時答えられなかった一つの問い。
―――カイトくんは、何のために生まれて、何のために生きているんだい?
「俺は駆紋戒斗として生まれ、駆紋戒斗として生き!
駆紋戒斗として弱者が虐げられる世界を否定し続ける! それが俺の幸せと喜びだ!」
ゆえに、彼はコウガネを否定する。
この世界を、強者が弱者を虐げる世界に変えようとしているコウガネの存在を許さない。
何故ならば、彼は『駆紋戒斗』だから。
「敗北に否定されたとしても、俺が目指したものは……絶対に、間違いなどではなかった!」
駆紋戒斗が求めた世界の形。
たとえそれを掲げて敗北したのだとしても、それを目指したことは間違いではなかった。
それを、この世界が彼に教えてくれた。
彼がこの世界で過ごした二日間は、短くともとても優しいものだったから。
「ちっ」
《 ダークネス スカッシュ 》
邪武は後ろに跳んで距離を取り、ベルトを一回操作。
林檎を象った黒紫の光弾を16個生成、バロンに向けて一斉に発射した。
「ぬるいっ!」
バロンはそれを片っ端から撃ち落とし、切り払い、当たらないものは放置して、一気に接近。
二刀を合体させ、そこにオレンジの錠前をセットすることで必殺技を発生させる。
《 オレンジチャージ! 》
「はあああああああっ!」
合体剣から飛ぶ光刃。
それは邪武に命中……したかしなかったかも確認できなかった。
命中するかしないかというタイミングで、またしてもイナゴの群れに変わったからである。
黒いイナゴはまたしても一瞬で万単位の数に増殖し、邪武だけでなくバロンを飲み込み、その視界の全てを奪う。
「何!? がっ!」
そして、バロンを無防備な背中から斬る一撃。
倒れるバロン。イナゴが邪武に戻って行くと、バロンの背後で二刀を構え直す邪武の姿がようやくバロンの視界でも捉えられるようになった。
だが、またいつイナゴを使われるか分からない。
「お前のオレンジアームズと私のダークネスアームズでは、スペックに倍から三倍の差がある。
加えて、私はかつての自分ほどではないが……限りなくそれに近い状態だ。
もっと私が弱っているならまだしも、ライダー一人に負けるわけがない」
コウガネは自信満々に語る。
それは事実だろう。彼は今の状態ならば、今よりもっと弱るようなことがなければ、Sランクの
黒いイナゴの小細工を用いているのはより安全に勝つため、より楽に勝つため、より確実に勝つため、そして敵をいたぶるためだろう。
小細工抜きでも、邪武は強い。
その邪武に変身しているのが悪辣な卑怯者であるということが、最大の悩みの種だった。
「それが……どうした!」
立ち上がり、剣を振るうバロン。
だがその剣戟のキレは徐々に悪くなっていき、威力も速度も落ち始めている。
加え、時々動きが妙な形で止まることが多くなってきた。
邪武の仮面の下で、コウガネが愉悦の感情からかほくそ笑む。
「古傷が痛むか? 負け犬になった時の、その傷が」
長引けば不利。接近戦も不利。
何故ならば、戒斗の腹の傷は癒えてなどいないからだ。
戦極ドライバーというベルトの効力で、体の崩壊が緩やかになっただけ。
ゆえに、戦えば戦うほど、体を動かせば動かすほど、致命傷の傷跡は開いていく。
ダークネスアームズがオレンジアームズより強く、オレンジアームズが基本的に接近戦で戦うことを想定している以上、長期戦と接近戦を避けることもできない。
「たとえ傷が傷んでも、俺は行く! 貴様を倒すために!」
それでも、戒斗は歯を食いしばって二刀を振るう。
"弱さに与えられる痛みに耐える"こと。"自分よりも強い敵に挑む"こと。
彼の得意分野だ。ゆえに、彼は何度でも立ち向かって行ける。
どんなに敵が強くとも、どんなに自分が弱くとも、それは彼が屈する理由にはならない。
「ふむ。ならば、趣向を変えるか」
「!」
邪武が、銃剣をバロンではなくアンパンマンの方に向けた。
バロンが飛び出し体を張るのと、邪武が引き金を引いたのはほぼ同時。
アンパンマンを体で庇って、バロンは邪武の弾丸をモロに食らってしまった。
「ぐ、あ、あっ!」
「カイトくん!」
顔が欠け、汚れ、元気も勇気もなくなってしまった気弱なアンパンマンが悲鳴を上げる。
「ごめんね、カイトくん……
君を助けたくて、飛び出したはずだったのに。
僕はこんなに汚れて、格好悪くて……」
膝をつき、うずくまるバロンに駆け寄るアンパンマン。
だが、バロンを支えようとするその手を、彼は力強く跳ね除けた。
「何を言っている。頭の中身にまで奴の穢れた果汁が染みたか、アンパンマン」
「え?」
「俺がお前をどう思うかは俺の自由だ。お前の要求には屈さない。
お前に頼まれようが、望まれようが、俺はもう誰にも屈さない」
もう立ち上がる力など残っていないはずなのに。
もう戦える力など残っていないはずなのに。
意地、根性、気力、信念。
精神力と呼ばれるそれらだけで体を動かし、駆紋戒斗は立ち上がった。
「今のお前が格好悪いだなどと、俺は思わん」
「―――」
他人のために己が身を削り、己が身を汚したその姿への悪口は、たとえ本人の自虐であっても許さないと、そう口にしながら。
「お涙頂戴の友情物語。パンと負け犬のコンビにはお似合い、か」
《 ダークネス オーレ 》
そんな二人に砂粒ほどの情をかけることもなく、邪武はベルトを二回操作。
先ほどの一回操作よりも更に大きなエネルギーが、毒々しい色合いで3m近いサイズまで膨れ上がり、巨大なリンゴを象ったエネルギー弾となる。
戒斗も、アンパンマンも、どちらも死体すら残さないと言わんばかりのエネルギー。
「新世代の神たる私に逆らったことを、あの世で後悔するがいい!」
ダークネスアームズの必殺技が地面を抉りながら、バロン達に向かって飛んで行く。
勝った、とコウガネは思った。
もうダメだ、と顔が汚れたアンパンマンは思った。
まだだ、と戒斗は剣を振り上げた。
そして、そいつは空気を読む気がまるでなかった。
「アンパンマン! 新しい顔だ!」
横合いから放り投げられた新たな顔が、アンパンマンの顔を交換する。
そこからはまさに、一瞬のことだった。
優しく戒斗を脇にどけるアンパンマン。
そして邪武が放ったエネルギー弾をパンチ一発で吹き飛ばし、空に飛び上がった。
全員に聞こえるような大きな声で、アンパンマンは決め台詞を叫ぶ。
「元気100倍! アンパンマン!」
アンパンマン、完全復活。
「バカな! このタイミングで……しかも、お前は……!」
「貴様……」
「君は……」
その場の誰もが、自分の目を疑った。
アンパンマンに新しい顔を届けたのは、ジャムおじさんではない。
バタコでもない。チーズでもない。アンパンマンの仲間達でもない。
「アンパンマンの味方をしたわけじゃないぞ!
ばいきんまんさまは、アンパンマンの永遠の宿敵なのだ!」
「ばいきんまん……!?」
アンパンマンに手を貸したのは驚くべきことに、ばいきんまんだったのだ。
時間は少しだけ遡る。
「あー、あのカイトってやつむかつくー!
あいつに変装してたくさんイタズラして、あいつの評判悪くしてやるー!」
ズラを付けてそれっぽい服を着たばいきんまんは、戒斗本人に見せれば「やる気あるのか」と突っ込まれること間違い無しの変装で町に向かっていた。
笑えるくらいガバガバな変装だが、この世界の住人は他人を疑うということを知らないので、この変装でもほぼ確実に騙せるのである。
たとえ身長差が1m近くあったとしても。
この世界の基準では、ばいきんまんは変装の名人であった。
「うん?」
だが町に向かうその途中で、アンパンマンに顔を届けようとしているジャムおじさん達を見付けたばいきんまん。
こっそり隠れて、ジャムおじさんとバタコの会話を盗み聞き。
それが悪いことをしている感じがして、ばいきんまんの心はウキウキしてくるのだ。
どうやら、悪い奴が現れたらしい。
ヘルヘイムの植物を探している途中に迷子になった町の住民がアンパンマンのピンチを見て、ジャムおじさん達に知らせたのはいいものの、アンパンマンがどこに居るか分からないのだとか。
道に迷っていた途中に見付けたどこかの場所、ほど見つけにくい場所もないだろう。
ばいきんまんは、自分以外の悪いやつ、という部分に興味を持った。
だがそれ以上に、そいつにアンパンマンが倒されてしまいそうという部分に、心奪われていた。
(オレさま以外がアンパンマンを倒すだって~? ダメダメ! そんなの絶対ダメだ!)
更に、バタコの発言が追撃になる。
「もしかしたらばいきんまんよりずっと悪いやつかもしれないわ! 気をつけていきましょう!」
(オレさまより悪い~~~!?)
他人がそう言ってるのを聞いてしまえば、黙って居られないのがばいきんまんだ。
「一番悪いのはオレさま、ばいきんまん!
一番強いのもオレさま、ばいきんまん!
アンパンマンを倒すの、ばいきんまん! つまりオレさまだ!
ええい、見てろよ! オレさまが一番すごいんだってみんなに思い出させてやるのだ!」
ばいきんまんはジャムおじさん達の運んでいた新しい顔を一つ盗み、空からアンパンマン達を探すことであっという間に見付け、見付けた途端何も考えずに新しい顔をぶん投げる。
割と考えなしに短気を起こしてこういう行動を取ってしまった、という一面もあるにはあるが、ばいきんまんは己の中にあるばいきんまんなりの美学に従っていた。
つまりは、そういうことだった。
今日、この時ばかりはばいきんまんは敵ではない。
久方ぶりに敵同士でありながら手を組んだ、そんなアンパンマンの共闘相手だった。
「貴様、アンパンマンの敵ではなかったのか!」
「泥爆弾!」
「まぶっ」
ばいきんまんに向かって叫ぶ邪武への返答は、ノータイムでの泥爆弾。
泥まみれになった邪武を笑いながら、ばいきんまんは子供じみた煽りをかます。
「アンパンマンを倒すのはオレさまだ!
やーいやーいざまーみろ! えっらそうにしやがってー!
オレさまの方がずっとずっとすごい悪者なんだって、思い知ったか!」
戒斗はばいきんまんを見て、アンパンマンとばいきんまんの関係は、互いが互いにとって邪魔者ではあっても敵ではないのではないか、と……そう思い始めていた。
争い合いながら、互いに高め合い、けれど絶対に味方ということはなく。
背中を預け合ったこともあり、向き合って戦うこともある。
されど、互いに憎悪を向けたことは一度もない。
―――君とばいきんまんは、似ているのかもしれないね
戒斗はそう考えていると、アンパンマンと葛葉紘汰を重ねた自分自身のこと、ジャムおじさんにばいきんまんと似ていると言われたことを思い出す。
「……くだらん」
かぶりを振って、戒斗は気を取り直す。
それは考えたくもないことで、今は考えるべきではないことだ。
戒斗が油断なく敵の方を見れば、泥まみれになった邪武は体表でエネルギーを炸裂させ、泥を吹っ飛ばしていた。
「く、くくく……この世界の命もやはり救いがたい。
誰も彼もがガキすぎる。黄金の果実にはふさわしくないな」
「貴様のような果実にふさわしい者になるなど、誰もが願い下げだろうよ」
ばいきんまんの子供のイタズラのような泥攻撃、小学生並みの煽りはコウガネにはどうやら効果があったようで、邪武に変身したまま肩をフルフルと震わせている。
コウガネの発言を一言でバッサリと切り捨てた戒斗の右に、飛んだままのアンパンマンが。
戒斗の左にUFOに乗ったばいきんまんが来て、そこで止まる。
コウガネというこの世界を塗り潰さんとする侵略者に立ち向かう、善のパン、悪のカビ、善悪ではなく強弱にて生きる騎士。
三人が並び立ち、毒々しい色の邪武へと向き合った。
「どいつもこいつも、果実にたかる害虫のようにしぶとい奴らめ……」
倒しても倒しても、潰しても潰しても、何度でも這い上がる諦めない戦士達。
コウガネはそれを見て嫌な記憶を思い出し、仮面の下で顔を歪めた。
あの時も、こうだった。
コウガネはどんな時も諦めない者達と、その中でも最も諦めない心を持つ葛葉紘汰の何度でも立ち上がってくる強さに敗れ、死んだ。
諦めない者達を見ると『自分が殺された時』のことを思い出してしまい、コウガネは溢れ出る己の苛立ち、怒り、恐怖を抑え切れなくなってしまう。
「来たれ、我が端末」
邪武が空に手を掲げ、呼びかける。
するとこの世界を侵食するためにコウガネが潜ませていた何百、何千というヘルヘイムの植物達が、町の住人によって引っこ抜かれて燃やされる直前だった植物達が、集まっていく。
数千のヘルヘイムの樹木が邪武の頭上にて混ざり、融合していく。
そうして、最後には一本の木となり、森の中心に突き刺さった。
「なんだ、あれは……!?」
「私という果実にふさわしい果樹……私だけの神木だ」
邪武が指を鳴らすと、この世界にあったヘルヘイムの樹木全てを融合させた神木が、生き物のように枝を伸ばして邪武を掬い上げる。
まるで、邪武の従僕であるかのように。
邪武を掬い上げた枝の先端部分は絡まり、変化し、蓮華の花のような形状となる。まるで仏教で言うところの『蓮華座』のようだ。
『蓮華座の邪武』。
コウガネはそこに立ち、高みからバロン達を見下ろしている。
「果実にたかる小さな虫けらは、潰さなくてはな」
邪武が腕を振れば、神木の枝が一斉にバロン達に襲いかかった。
その数、まさに無数。
枝の一本が伸びてきたと思えば、その枝から新たな枝が伸び、無尽蔵の矢となって彼らを貫かんと飛んでくる。キリがない。
ばいきんまんは飛んでかわし、アンパンマンは飛べないバロンを抱えて回避する。
「わ、わっ!」
「行けっ、バイキンUFO!」
しかし回避だけでは、いずれ仕留められるのは時間の問題。
戒斗は考え、賭けに出る。今、彼らに残されている勝機はただ一つだ。
すなわち、戦力を引き上げた後、樹上で高みの見物を決め込んでいるコウガネを討つことのみ。
「アンパンマン。俺を下に降ろして、俺を守るとして、何分守れる?」
「カイトくんが望む限り、いつまでも」
「……頼りになる答えだ。打開策を打つ、頼むぞ!」
アンパンマンの手を離れ、地に降り立つバロン。
そんなバロンを四方八方からゴムより柔軟で鉄より硬く、槍より鋭い無数の枝が襲う。
しかし、無意味。
それら全てはバロンを守る、友達を守る、世界で一番強くて優しいパンによって弾かれた。
「ヘルヘイムを操れるのは、
コウガネ、貴様だけではない。俺もまた、世界の境界をこじ開けてきた者だ」
戒斗が虚空に手をかざす。
かつて世界と世界の境界に
自分一人の力ではまず不可能。だが、彼には確信があった。
自分が元居た世界の側から、自分が今居る世界の側に向かって、干渉し続けている『誰か』が居ることを、彼は信じていた。
その男を、その女を、駆紋戒斗は信じていた。
その二人の強さを信じていた。
虚空にかざした手の先で、何もない空間に光のヒビが入る。
更に力を込めればヒビは大きくなり、やがて砕けた。
空間を砕き、その向こうの光の中から飛び出してくる二つの何か。
戒斗はそれを迷わずキャッチし、確認した後ベルトに取り付ける。
「借りるぞ、葛葉」
新たに手にした二つもまた、見覚えのあるものだった。
片や、葛葉紘汰だけが使っていた『ゲネシスコア』と呼ばれるアイテム。
旧世代のベルトの外付け強化コネクタで、二つの
片や、駆紋戒斗が使っていたレモンエナジーロックシード。
表面の塗装の剥げ方すら懐かしい、彼が愛用していた錠前の一つだ。
旧世代のベルトでは本来使えないものだが、ゲネシスコアがあるならば、このベルトでもレモンエナジーロックシードを使うことは可能である。
『向こう側』から力を送ってきてくれている二人の存在を感じ、戒斗は強く拳を握る。
あいも変わらずお人好しな二人に、心のどこかが熱くなるのを彼は感じた。
駆紋戒斗のベルト、戦極ドライバー。
葛葉紘汰の錠前、オレンジロックシード。
駆紋戒斗の錠前、レモンエナジーロックシード。
葛葉紘汰のコネクタ、ゲネシスコア。
今ここに、罪なき世界と命を守るため、かつて戦った二人の力が一つとなる。
《 ミックス! ジンバーレモン! ハハーッ! 》
バロンの素体に、オレンジの鎧、レモンの陣羽織型装甲が重なった強化形態。
『仮面ライダーバロン・ジンバーレモンアームズ』。
赤いスーツのバロンの素体に、オレンジ色の装甲が重なり、その上に更に黄色を基調とした追加装甲が重なることで、実に美しく調和の取れた色合いとなっていた。
まるで、葛葉紘汰と駆紋戒斗の分かりづらい相性の良さを示しているかのように。
「! エナジーロックシードだと……!」
「アンパンマン、ばいきんまん、集まれ! 一点突破する!」
「うん!」
「えっらそうに命令するな!」
バロンに促され、三人は一丸となって駆け出した。
アンパンマンとばいきんまんは飛び、バロンは枝を足場として跳ね跳びながら駆け上がる。
全ての攻撃をかわしつつ、狙うは樹上のコウガネの首一つ。
「ちょこざいな!」
邪武が腕を振り、指を振れば、四方八方から降り注ぐ枝の槍。
しかし、先程までと今では遠距離武器の質が違う。
ジンバーレモンの固有武器『ソニックアロー』なる弓を得たバロンからすれば、全ての枝を射抜き破壊することなど造作も無いことだった。
「なんだとっ!?」
「コウガネ……自称黄金の果実、だったか、貴様は。
ハッキリ言って貴様の黄金の輝きなど、500円硬貨にも劣る」
「駆紋戒斗……貴様ぁ!」
邪武が怒りに任せ、ベルトを無茶苦茶に操作した。
膨大な数のエネルギー弾が降り注ぎ、バロンですらも自分に当たる分だけを撃ち落とすのに精一杯だった。
アンパンマンは拳で弾き、周囲の枝や葉が次々と吹っ飛ばされていく。
「ええい、こんな花火でオレさまを止められると思うなよー!」
「無茶はやめるんだ、ばいきんまん!」
「はっひふっへほー!」
しかし短気なばいきんまんはとうとう防戦一方に耐えられなくなってしまったようで、弾幕の中を突っ切りUFOで体当たりを仕掛けようとする。
平時なら、ここでアンパンチが決まる綺麗な流れだ。
しかしながら、ばいきんまんの今日の敵はアンパンマンではない。
邪武の放った巨大なリンゴ型エネルギー弾で、UFOは木っ端微塵にされてしまう。
そして乗っていたばいきんまんは、またしても空の彼方へと吹っ飛ばされていった。
「ばーいばーいきーん!」
「何がしたかったんだ、あれは……」
その流れに、コウガネまでもが思わず呆れた声を上げてしまう。
ばいきんまん、退場。
まずは一人、とコウガネは笑みを浮かべるのだが、その笑みが一瞬で凍りつく。
「だが、無駄ではなかった」
「……バロンッ!」
常に格上に戦いを挑み続けた戒斗の戦闘経験は、勝機を決して見逃さない。
ばいきんまんが体当たりを仕掛けようとしたその時から、バロンはばいきんまんのUFOが作った邪武の死角を辿って接近、UFOの爆発に紛れて一気に距離を詰める。
そして今、邪武に矢が届く距離まで辿り着いていた。
「コウガネぇっ!」
「くぅっ!?」
バロンがソニックアローより、エネルギーの矢を放つ。
邪武の装甲であっても致命傷になりかねない、そんな威力と速度の一撃。
コウガネはたまらず全身をイナゴの群れに変化させ、バロンの視界の全てを塞ぎ、バロンの背後に周り、その無防備な背中に剣を振り下ろそうとして。
背中を向けたまま弓矢を背面撃ちしたバロンに、腹に大穴を開けられた。
「……な、あ……?」
「これで三度目だ。貴様の芸の無い技を見せられるのはな」
相手の攻撃をイナゴ化して回避し、視界を塞ぎ、背後に回って剣で切る。
駆紋戒斗が相手なら、こんなワンパターンは二度使うだけでも危険なくらいだ。
邪武は自分の行動のツケを自分で支払い、枝から落ちていく。
落ちていく最中も、腹の穴が塞がっていく邪武。
ここで決めなければまた蘇ると、戒斗は唯一無二の勝機を見い出した。
「合わせろ、アンパンマン!」
「うん!」
アンパンマンは下から邪武を迎え撃つように、拳を引き絞る。
バロンは邪武を追って枝から飛び降り、ベルトを一回操作。
《 オレンジスカッシュ! ジンバーレモンスカッシュ! 》
バロンの下にオレンジとレモンの果実エフェクトが発生し、それをくぐり抜ける度に加速していく彼の片足に、とてつもない破壊力が凝縮されていく。
アンパンマンの右拳に、理屈のいらないパワーが握り込まれる。
バロンは上から、アンパンマンは下から。
挟み込むように、両者の最強の技が放たれた。
「終わりだ、コウガネ!」
「アーンパーンチっ!」
ライダーキックがその背中を、アンパンチがその胸を、強く打つ。
「が……ば、バカな……私は神だ……貴様らのような愚かな弱者に、この私が……!?」
コウガネがこの世界で取り戻した実体も、この一撃で崩れ去っていく。
滅び行く自分の体を、信じられないとでも言いたげに彼は見ていた。
戒斗はそんなコウガネを心底軽蔑し、アンパンマンの方を見ながら、強者であるコウガネが駆紋戒斗とアンパンマンに敗北した、その決定的な理由を語る。
「自分の
そして、足が纏っていたエネルギーを注ぎ込む。
「身の程を知れ!」
「バカな、バカな、バカなバカなバカなバカなバカなぁぁぁぁぁぁッ!!」
コウガネの体内に溜め込まれたエネルギー、ライダーキックのエネルギー、アンパンチのエネルギー。それらが邪武という器の中で暴走、臨界に達し、大爆発。
悪が討たれたことを示す鮮やかな色合の花火を、空に咲かせた。
バロンはキックで崩れた姿勢を空中で整え、華麗に着地。
降りて来たアンパンマンと並び、空の花火を見上げる。
それがこの騒動におけるこの世界最後の戦い、その結末だった。
これでハッピーエンド、おしまいおしまい。
……そう済ませられたなら、どんなに良かったことか。
「まだだ、まだ、私は……!」
「……!? コウガネ! 貴様、まだ生きていたのか!?」
「コウガネくん!?」
「こんな世界に居られるか……依り代を探し、取り憑いて存在を安定させ……
黄金の果実に至るために、元の力を取り戻すために、エネルギーを……!」
あまりにも唐突な出来事で、戒斗もアンパンマンも反応ができなかった。
もはや人のような姿の形すら保つことができなくなっていた、小さく黒いイナゴの集団に成り果てたコウガネは
その向こうを覗いたバロンは、思わず驚愕の声を上げてしまった。
「沢芽市、だと……!?」
そこは戒斗が生まれた町。そしてヘルヘイムの森の怪物と戦い、禁断の果実を求めて人と戦い、最後に葛葉紘汰との決着を付けた、つまり戒斗が死んだ地でもあった。
コウガネがそこに逃げ込んだ。
嫌な予感しかしない戒斗は、コウガネを追ってクラックをくぐろうとする。
しかし、そこで強烈なめまいと腹の傷の痛みを感じ、膝をついてしまう。
「カイトくん!?」
「……ああ、そうだったな。
ベルトの力で先延ばしにしただけで……俺は本来、数分で霧散するはずの死人だった」
自然と解除される変身。
戒斗が己の手を見れば、"ブレ"の酷さが先ほどの比ではなくなっている。
このままでは、戒斗は何も出来ないまま、この世界で霧散してしまう。
彼はコウガネが一纏めにした木を見上げる。
コウガネ消失の影響か、その木はヘルヘイムの樹木としてはほとんど死んでいるようだ。
けれど、万が一もある。
ノウハウのある地球に持っていった方が安全だろう。
残った力で、せめてこれだけはと、戒斗はオーバーロードの力と人としての全身全霊をかけ、クラックを通してその神木を地球の空き地へと転送した。
「! カイトくん、今のは……」
「立つ鳥は後を濁さない、というだけの話だ」
朦朧とする意識の中で、コウガネを追わねばという意志と、この世界に来てからの二日間の思い出が彼の脳裏を駆け巡る。
ばいきんまんを最初に撃退した後も、ヘルヘイムの脅威を説明した後も、町の住人や子供達は駆紋戒斗に暖かった。
彼が抱いた理想が、形になった一つの世界。
この世界を離れることに未練はない。ただ、守れたという達成感だけがあった。
「俺は奴を追う。……ここで別れだ、アンパンマン」
「えっ……」
クラックは徐々に小さくなっている。
会話を交わす時間もそうない。
アンパンマンも理解している。コウガネの話もちゃんと聞いていたのだから。
これが、二人の今生の別れになるのだと。
「もう、会えないの?」
「ああ。もう二度と会うことはない」
アンパンマンの表情はとても寂しそうで、戒斗は後ろ髪を引かれる気分になる。
だが、彼は足を止めない。
ここで足を止めるようならば、それはもう駆紋戒斗ではない。
アンパンマンに人並みの言葉をかけてやるのもそう。
感謝の言葉も、励ましの言葉も、甘やかす言葉も、駆紋戒斗の辞書にはないのだ。
だから彼は、最初に出会った時に伝えなかったことをぶっきらぼうに告げ、クラックをくぐる。
「お前の顔は美味かったぞ、アンパンマン。さらばだ」
「―――!」
それが不器用な彼なりの、アンパンマンへの感謝の気持ちを伝える言葉だった。
「カイトくん、色々とありがとう! 助けてくれてありがとう!
ぼく、きみのことは忘れないよ! だってぼくたち、友達だから!」
アンパンマンの声を背中に受けて、戒斗は元居た世界に向けて歩いて行く。
(もしかしたら、俺はこの世界でようやく、『変身』ができたのかもしれない……)
自分の終わりが、もうすぐそこまで迫っていることに気付きながら。
結論から言えば、戒斗がコウガネと戦うことはなかった。
コウガネは地球へと移動した後、手頃な少女を依り代として憑依。
邪武としての力、黒いイナゴを操る力を用いて、町で大暴れを始めたのだ。
だが、それで誰もが黙っているわけがない。
恐ろしい怪物の脅威に立ち向かう、心強き者達が居た。
消えかけの体で戦いを遠巻きに見ていた戒斗は、その男達の名を知っていた。
「城乃内、秀保……」
戒斗が知る限り、その男は策士気取りの卑劣漢のはずだった。
他人を利用することばかり考え、すぐ裏切る弱者。
後に少しはマシになった印象も受けたが、戒斗の中での城乃内の評価は低く、小賢しく立ち回るだけの弱者という印象しかなかった。
そんな城乃内が、たった一人で町の人々を守るためコウガネとその配下の怪物と戦っている。
何度転がされても諦めず、立ち上がり、勝てもしない勝負に挑み続けている。
圧倒的なものに踏み躙られても、城乃内は自分を曲げず立ち向かい続けていた。
だが、コウガネのあまりにも圧倒的な力に倒されてしまう。
しかし、怪物に立ち向かうのは城乃内だけではなかった。
城乃内が倒れても、またしてもコウガネに挑む心強き男がまた一人。
「呉島、光実……」
戒斗が知る限り、その男は唾棄すべき卑怯者の代表格のような男だった。
他人を騙し、裏切り、自分のために利用する。
そのためならば仲間の信頼を裏切ることも、仲間の背を撃つことも躊躇わない外道。
そして自分の行動の結果が最悪の形で返って来れば、俯いて泣き出す弱者。
駆紋戒斗は、この男を心底嫌悪していた。
そんな光実が、町を守るために命をかけて戦っている。
コウガネが憑依している『何の罪もない少女』を人質に取り、「変身を解除しろ」と要求した途端、変身を解除したところなんて、戒斗は自分の目を疑ったほどだ。
強く優しい人間を、背中から撃つ卑怯者であったはずの呉島光実が。
今はその強さを疎まれ、優しさに付け入られ、コウガネという卑怯者に嵌められる方の人間になっていた。目を疑う光景だった。
そして最後に、ピンチの光実をコウガネから救い出した一人の男。
戒斗も認める心強き男、運命の勝者。
「葛葉、紘汰……」
紘汰と光実が力を合わせ、戒斗によってコウガネという人の形の器を失い弱体化した邪武を、町と世界の平和を守るために倒す。
ロード・バロンにすら勝利した葛葉紘汰に、強者となった呉島光実。
コウガネごときが勝てるわけもない。
戒斗が見守る中、紘汰達は力を合わせた合体攻撃にて今度こそコウガネにトドメを刺した。
戒斗は戦いに一区切りがついたことを確認し、振り返る。
そこにはアンパンマン達の世界から持ってきた、ヘルヘイムの植物としては活動していない神木があり、しっかりと根を張っていた。
もしものことがあれば、誰かが燃やしてくれるだろう。
懸念事項が全てなくなり、戒斗は消え行く体と意識の中で、何かを思う。
「誰も見捨てない、か。
俺が排除すべきだと思ったもの、葛葉が見捨てないと誓ったもの……
それがこの世界に生き、強さを手に入れた。……弱者を虐げるためではない、強さを」
城乃内と光実。二人の姿は、葛葉紘汰の選択が内包する正しさを証明していた。
誰もが変われる。
誰もが『変身』できる。
誰も見捨てないということは、誰もが変われる可能性を残すということ。
戒斗はようやく、葛葉紘汰が他人を見捨てないことに何故あそこまで執着していたのか、その理由を理解した。
「葛葉の……人が変われると信じ待つ強さ、か」
戒斗はかの世界を知り、その世界の住民と触れ合い、『変身』した。
だから今の彼には理解できるし、受け入れられる。
人の愚かさ、醜さ、未熟さを知りつつ、いつか変われるのだと信じる強さを。
「どう、戒斗」
神木に寄り添い立つ戒斗の背中にかかる声。
戒斗が声の主の方へと振り向けば、そこには彼のよく知る女性が居た。
彼女の名は、
「みんな過去を乗り越えて、前へ進もうとしている。人類には、まだまだ、未来があるよ」
舞は世界の滅びを乗り越え、笑顔を取り戻した人の強さを讃えた。
戒斗はその言葉を受け止め、これから先の世界を担っていく彼女の覚悟を問うため、その覚悟を固めるため、あえてその言葉を投げかける。
「だが……いつかまた間違える。再び争い、傷付け合う」
崩れていく体に、これが自分の最後となると理解しながら。
「そうだね。そしてその度にやり直す。間違いを正しながら、少しずつ、歩いていく」
人の愚かさを言葉にして投げかけた戒斗に、舞は紘汰と同じく、誰もが変われると信じるという答えを、誰も見捨てないという誓いを口にする。
彼はその答えを待っていた。
そう答えてくれると、信じていた。
「やはりお前は強いな」
それが戒斗の最後の言葉。そう告げて、彼は消えていく。
舞の最後の答えは彼の心を暖かく満たし、自然と笑顔を浮かべさせる。
駆紋戒斗の人生は、恵まれたものではなかったけれど。
彼が人生で選んできた選択は全て、あまりにも殺伐としたものだったけれど。
けれど、最後は悪くなかった。
死後の彼に与えられた、理想の世界へ至るという祝福。
最後の最後に友より与えられた、笑顔で人生を終えるという幸福。
その二つは間違いなく、彼の心を救ってくれたものだった。
「さよなら……戒斗」
高司舞が、別れを告げる。
「じゃあな……駆紋、戒斗」
彼の最期を見送った、葛葉紘汰が別れを告げる。
「舞、俺達も自分の未来に進もう」
「うん、行こう、紘汰」
そして二人は、宇宙に戻る。
宇宙に希望の種を撒き、勇気の花を咲かせ、いのちの星を創るために。
弱者が虐げられない世界を望んだ、一人の男の願いを、胸に刻んで。
戒斗の戦極ドライバーとロックシードを、紘汰は地球近くの宇宙に浮かべた。
この星の行く末を、彼に見守っていて欲しいと、そう願って。
その結果、これは近くて遠い未来に『メガヘクス』という外宇宙からの侵略者に取り込まれ、誰にも知られないままにその内に溶け込んでしまう。
それが結果的にメガヘクスのシステムに小さなバグを発生させ、『駆紋戒斗とはいかなる男か』をある戦いの中で見せつける、そんな大きなバグを発生させるのだが……それは余談だ。
駆紋戒斗の人生は、物語は、ここでおしまい。
彼の物語は続かない物語。ここで終わる物語だ。
死んでしまった男の物語には未来がない。
それでも彼の願いだけは、紘汰と舞が創る世界の中で生き続ける。
どこかの世界で、アンパンマンという心優しいパンの思い出の中で生き続ける。
駆紋戒斗が『本当に強い』と認めた人達は、きっといつまでも彼のことを忘れずに、その心の中で戒斗を生かし続けてくれる。
戒斗が望んだ、弱者が虐げられない優しい世界の中心で。
これにておしまい
仮面ライダー鎧武外伝、デューク&ナックル!
2015年11月11日(水)発売予定だよ!(ステマ)
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