真・恋姫†無双 ~華琳さん別ルート(仮)~ (槇村 a.k.a. ゆきむらちひろ)
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01:そして、ふたりは出会った

今の彼女には、何もなかった。

 

父を失くし、母を失くし、祖父を失くし、血縁はおろかこれまで世話になっていたあらゆる縁者を失った。

そして今、彼女自身もまた亡き者にされようとしている。

 

年齢らしからず聡いと言われていた彼女にとって、追っ手の目を盗み逃げ出すことなど他愛のないことだった。

しかし逃げ続けるとなれば話は違う。わずか六つかそこいらの少女が、大人が数に任せて探し回る網の目を避け続けることなど無理な話だ。

 

少しばかり勝機があるといえば、その小さな身体を深い森の中へと紛れさせたことだろう。身を隠すものに困らない陰にあふれたこの森の中で、彼女は追っ手の波が引くまで持ち堪えようと考えた。

 

それでも、天は彼女に味方しなかった。

ひとりの追っ手の目から逃れようと動いたその先に、新たな追っ手の姿を見る。

さらにそれからも逃れようとしたところで、彼女は木の根に足を取られ転んでしまう。

齢相応な、可愛らしい悲鳴が小さく漏れた。

けれどそれは、周囲を練り歩く男たちを寄せ集めることになる。

怒号のような声たちを背にして、彼女は再び走り出した。

 

逃げる。

逃げる。

ひたすら逃げる。

 

なぜ私がこんな目に。

走り疲れた足が悲鳴を上げ、唐突に襲い掛かった理不尽な不幸と哀しみに涙が止まらない。

滲む視界を無理矢理拭いながら、追っ手のいない逃げるべき場所を探す。

 

何処へ?

 

ここで逃げ切ったとしても、すべてを失った自分は何処へ行けばいいのか。

その連想に行き当たったとき、彼女の足に限界がおとずれた。

膝の支えが抜け、前のめりに倒れ込む。

身体全身が地に叩き付けられる。顔を強打し、端整な顔は土に汚れた。

 

彼女は、そんなことなどどうでも良くなった。

逃げ切って、その先はどうするのか。

己の未来の先のなさに気付いた彼女は、とうとう、心が折れた。

 

身体は動かない。心も動かない。

彼女に近づいてくる音と声が聞こえたが、それが何を意味しているのかも分からなくなる。

何か怒鳴りつけるような声が聞こえたが、それが何を自分に伝えているのかも分からない。

 

そして、突然追っ手の男たちが悲鳴を上げたことも、彼女の頭には届いていなかった。

 

 

 

意識を失う寸前、誰かに優しく抱き抱えられたような気がした。

覗き込むその顔には心配する色が浮かんでいて。優しい声も掛けられたような。

先ほどまで一身に向けられていた怒号と罵声とは余りに違うそれに、彼女の中で失われた"何か"がわずかに動き出したような感覚を得る。

その疼きは愛しく、心地いいもので。

 

「……とうさま」

 

声になったかも分からないつぶやきを最後に、彼女は意識を手放した。

 

 

 

 

 

自分は、たくさんの追っ手に追われていたはずだ。

寝台の上で寝ているなど、ありえない。

 

意識が覚醒し、自分がどんな状況だったかを思い出し、今の自分を包む感触に違和感を感じて。

がば、と、彼女は力の限りをもって起き上がった。

 

「おぉ、目が覚めたか」

 

寝台の側らで椅子に座り、何やら書物を読んでいたひとりの青年。

見覚えのない人。見覚えのない部屋。

自分の身体を抱きしめるようにし、少女は寝台の端へと後ずさる。

警戒心を顕わにする彼女に、その反応も無理はない、と、青年は苦笑を漏らす。

 

「君に何らかの目的があるなら、あの森の中でどうこうできたよ。

ひとまず、話を聞いてくれないかな?」

 

彼はそう言いながら、自分が何故あの場にいたのかを説明する。

 

青年は商人で、商用の旅の途上だという。

仲間と共に馬車を進めていたところ、車輪が石を噛んでしまい難儀していた。なんとか元に戻し、ちょっと小用にと森の中へ入り込んだところで、不穏な声が上がるのを聞く。

面倒ごとは御免だと思いもしたが、元来お人好しなところがある彼は、ついつい声の上がった方へと向かっていき。

まだ幼い少女に斬り掛かろうとしている場面に出くわした。

 

どう見ても、彼女を襲っている方が悪役だ。

そう判断した彼は彼女を庇うように飛び出し、あの場にいた全員をのしてしまったのだという。

 

「理由は分からないが、君は襲われていた。

そのまま放置ってのも気分が悪かったんでね。ここまで連れて来てしまったわけだ」

「そう……ですか」

 

襲われたところから、足の遅い馬車でおよそ半日の距離を離れたことになる。

殺してはいないが、動けなくなるようにはした。ここまで後を付けられてはいないと思う、と、付け加える。

 

「あー、迷惑だったかな?」

 

青年の言葉に、少女は首を振る。

 

「ありがとう、ございました」

 

頭を下げ、礼を述べる彼女。

礼儀正しい所作。だがそれは、およそ6歳程度の少女がするには違和感が感じられる。

何より、彼女の目に力がない。

浮かんでいるのは、諦め、絶望といった色。青年はそれに気付く。

なぜなら彼自身、かつて同じような目を、絶望に囚われた目をしていたからだ。

 

こんな幼い子供がなぜそんな目を、と、いぶかしむが。あんな風に追われて殺されかければ無理もないか、と納得する。

戻る場所があるなら責任持って送り届けるが、という問うも、彼女は俯きながら、再び首を横に振った。

 

「親御さんは?」

「殺されました」

「……親類とかは、いないのか」

「皆、殺されました」

 

自分が洛陽の高官の血縁であること。

祖父や父が敵対する勢力の者たちに殺されたこと。

親類縁者すべてが殺されたこと。

自分ひとりが余所に預けられていたため難を逃れたこと。

だがその自分にも追っ手が掛かったこと。

世話になった人たちも殺されたこと。

そして、どこにも逃げる先がないこと

 

彼女は知る限りを口にする。

淡々と、ただ自分に関わる事実だけを述べるように。

 

「分かった、もういい」

 

青年は少女の頭に手を置き、わしゃわしゃと、やや乱暴に髪を掻き混ぜ撫でる。

そして胸板に彼女の顔を押し付けるようにして、無理矢理彼女の話を打ち切った。

 

「今日はもう寝ろ。後は全部明日にしよう」

 

齢相応に小さい、なのに震えもしない少女の身体を抱きしめながら、頭を撫で続ける。

少女を抱きしめたまま、青年も一緒に寝台へともぐりこんだ。

 

青年が下になり、彼女が彼の上に圧し掛かるような形になる。

さすがに慌てる少女。幼いとはいえ、女性らしい恥じらいはそれなりに芽生えているのだ。

そんな彼女に気を留めるでもなく。軽すぎる少女の重さをその身で支えながら、青年は言う。

 

「子供が無理をするんじゃない。泣きたい時は泣け」

 

泣いても誰も責めやしない、と、彼は、彼女の頭を撫で続ける。

 

人肌の温かさ、そしてそれ以上に伝わる胸の内の温かさに、

冷たくなっていた心が熱を帯びていく。

更に強く抱きしめられて、彼女の感情をせき止めていたものが、砕けた。

 

涙が流れる。嗚咽が漏れる。

 

少女は、青年の胸に顔を埋め、泣き出した。大人びたところのない、齢相応の幼さに満ちた、感情任せの声を上げて。

彼はただ優しく、抱き締め、なだめるように頭を撫で続ける。

彼女が泣き疲れて、眠ってしまうまで。

 

 

 

 

 

一夜明けて。

少女は目を覚ます。人肌の温かさと、心の澱を吐き出した気持ちよさに包まれながら。

幸せなそれに浸ってしまおうとした刹那、昨日までの自分の姿が脳裏をよぎり。

がば、と、慌てて身を起こす。

 

「おはよう。気分はどうだい?」

 

すぐ下から、声が掛かる。

泣き疲れ、青年に抱きついた状態で眠ってしまった少女。今の彼女は、慌てて身を起こし、彼の腹辺りにまたがった状態だ。

 

「す、すいません!」

「何に対して謝ってるのか分からないけど、まぁ気にしなくていい」

 

青年はそう言い、よっこいしょ、と、身を起こし。またがったままだった彼女を抱き抱え、寝台へと座らせた。

 

「さて、と。

起きて早々で済まないんだが。俺は商隊の皆と、ここを離れることになる」

 

君はどうする?

その言葉に、少女の気持ちはまた暗いものに覆われる。

どうすると言われても、どうしようもない。

行く宛てもなければ、その手段もない。かといって足を止めていれば、追っ手に掛かり殺されてしまうのは目に見えている。

 

「行く宛てがないなら、一緒に来るか?」

 

少女は驚いた。

追っ手に追われて殺されそうになっているという、面倒極まりない子供。それを一晩抱えただけでなく、面倒を見ようというのだから。

 

「俺もちょっとワケありでね。身寄りのない君をこのまま見捨てるのは気分がよくないんだ」

 

彼女の考えていることに思い当たったのだろう、彼はそう言いながら苦笑する。

 

「贅沢はできないけど、辛くない程度には生きていけると思う。

野垂れ死にするよりは、よっぽどいいと思うけど」

 

どうする?

と、優しい笑みを浮かべながら、彼は手を差し伸べる。

 

「……お人好しですね」

「よく言われるよ」

 

少女は、差し出されたその手を、弱弱しく、だがしっかりと、握りしめる。

家族の、一族の死を知ってから久しく、彼女は浮かべることのなかった笑みを湛える。

 

そういえば自己紹介がまだだった、と、今更のように彼は言う。

 

「北郷、一刀だ。好きに呼ぶといい」

 

よろしく、お嬢ちゃん。

彼女は眩しそうに、その笑顔を見つめ。

 

「私は……」

 

自らの名を告げる。

少女の名は、曹操。真名を華琳といい、字はまだない。

すべてを失った彼女は、このとき新たな支えを得た。

 

 

 

 

 

外史、という言葉がある。

かいつまんでいうならば、順当にたどるであろう歴史を持つ世界に対し、何らかの影響から違った歴史を歩みだした世界のことを指す。

 

本来であればこの少女、華琳は、乱れた世に覇を唱え歴史に名を残すほどの偉業を果たす人物であった。

だがこの外史では、父を失い、祖父を失い、係累すべてを失い、名を成す素地というものをことごとく失って、本来ある歴史の筋道からこぼれ落ちてしまう。

 

しかし、彼女はひとりの青年と出会った。

この出会いが果たして後にどのような歴史を生み出すのか。

それはまだ、誰にも分からない。

 

 

 

 




・あとがき
気分転換に組んだネタ、なぜか起動。

槇村です。御機嫌如何。





中にはご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、
Arcadiaさんで「愛雛恋華伝」というお話を書いておりまして。
展開を考えているうちに、
書きたかったシーンを登場させるのが難しくなってしまった。
どうすればいいかなー、と考えていたところ、
何故か新しくネタを組み始めていました。
ただそのシーンを書きたいがために。

さてさて。
こちらのお話の主役は華琳さん。
いきなりさらっと曹一族皆殺しとか、恋姫どころじゃないブレイク振り。
どうするつもりだ。

そして一刀さんは相変わらず一般人。
外史の管理者しっかり仕事しろよ(笑)



メインの「愛雛恋華伝」を書く合間にちょこちょこ、という頻度になります。
つまり超不定期ということだな。
どっちも変わらないじゃん、とか言わないでくれると嬉しい。


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02:これが私の生きる道

商人として生業を立てる、北郷一刀の朝は早い。

商用で遠出をした帰り道、居を構える地まで約1日の距離にある町で宿を取った一刀。日が昇り始めると、そろそろ彼の頭と身体が起きようとして動き出す。仕入れや商用のために方々へ出向くことの多い彼だが、その旅路にあっても生活習慣は変わることがない。

だがそれは何も彼に限ったことではなく。これまたいつもの通りとばかりに、一刀よりも早く動き出す者がいる。

 

「朝よ義父さま、起きなさい」

 

一刀の被っていた上掛けを盛大に引っぺがし、朝の心地よいひと時を奪い去る女性。

彼の養女・華琳だ。

 

未だ意識が空ろなまま横になっている彼の上に飛び乗り、馬乗り状態になって身体を揺する。そして。

 

「んっ……」

 

覆いかぶさるようにして、唇を重ねる。

貪るような、深いくちづけ。彼女はそれをさらに味わおうとするが。

一刀は、彼女の肩に手をやり無理矢理引き剥がした。

 

「……華琳、お前いい加減にしろ」

「いいじゃない、幸せな気分になるのよ。深く繋がるような気持ちになるの。

それに愛娘の接吻で目覚めるなんて、父親にしてみれば至高の幸福でしょう」

「普通の娘はそんな方法で起こしたりしない。父親も喜ばない」

「じゃあお嫁さんならいいのかしら。ふふ、私は14歳違いなんて気にしないわよ?」

「育ての親に求婚するな。そういうのは年齢ひと桁の時に終わらせておけ」

「ひと桁の頃なら受け入れてくれたの? あぁ、そう言えば初めて会った時は6歳の私を寝台に連れ込んで」

「お願いだからやめてくれ。分かった、もう起きるから」

 

義理の娘・華琳と、養父・北郷一刀。

ふたりの朝は概ね、こんな掛け合いから始まる。

 

 

 

 

 

華琳が何某かの集団に命を狙われ、一刀がそれを救った。それから11年が経つ。

あの後、寄る辺のなくなった彼女はそのまま彼の庇護下に入り、養女となった。

 

少しでも追っ手の目を誤魔化せるよう、髪を切り、表向きの姓を北郷の「北(ホン)」に変え。極力顔を出さないようにした上で、ふたりは拠点を定めない商隊に紛れて各地を転々とした。

その道中で、華琳の、そして曹一族にまつわる状況を集める。

 

曹一族の抹殺を命じたのは、洛陽の執政を統べる十常侍の一派だという。

その誰かまでは分からない。だがことによると、その全員の総意で行われた可能性もあった。

華琳の祖父・曹騰と、父・曹嵩の存在を嫌っている。そのひとつにおいて、十常侍の考えは共通していたからだ。

曹騰は、宦官の長と言える地位・大長秋の座にあってその影響力は甚大。曹嵩もまた漢王朝の中でも強い発言権を持つ存在であり。民の生活にも目を配る治世を行おうとする彼らは、私利私欲を満たすことを優先する十常侍の面々にはひたすら邪魔だったのだ。

手を掛けた原因までは、いち商人でしかない一刀では分からなかった。だが「十常侍が曹一族を滅ぼした」という事実は、耳に敏い者なら知ることができる程度まで広がっていた。

もっとも、権力とは縁のない者たちにとってそれは「雲の上のいざこざ」でしかない。民の間では一時話題に上ることはあっても、やがてそれが起きたことも忘れてしまう。

華琳を殺すべく放たれた追っ手も、以降はそれらしき者に遭うこともなかった。

叩きのめした追っ手らが彼女を仕留め損なったことは伝わっているはず、と考えてはいた。

もしかすると、失態を知られることを怖れて虚偽の報告をしたか、逃げ出したか。

そう思いたいところだったが、安易にそう決め付け気を緩めてはロクなことにならないと。一刀は華琳を連れながら、情報を集め周囲に気を配りつつ、行商と言う名の旅を続けた。

 

こうした数年の流浪生活を経て。曹家に関する話が聞けなくなり、洛陽にいる十常侍らが華琳ばかりに煩っていられないだろうと判断した一刀は、自分が居を構える町に定住することを決め。ふたりは改めて親子として生活することとなった。

 

11年という月日は、人に相当な変化を与える。

幼かった少女は成長する。

切った髪は新たに伸び。

本来のものであろう好奇心旺盛で闊達な性格が表に出て。

整った顔形は、"可愛らしい"から"美しい"へと変遷し。

ひとりの女性として、その魅力を増していった。

難点を言うならば、養父への依存度が高いということくらいだろう。

だが彼女の境遇を考えるなら、それも多少は仕方のないことだろうともいえる。

もっとも、多少で済むのかどうかは甚だ疑問だが。

 

 

 

北郷一刀がまだ幼い華琳の面倒を見ようと決心したのは、彼が持つ、人には到底信じてもらえないようなある事情からだ。

 

彼は、今この時代に生まれた人間ではない。

遥か未来、およそ1800年も先の世界からやって来たのだ。

 

といっても、彼自身がそれを望んたわけではない。

元の世界で、いつも通りの生活をし、いつもの通り就寝した。

いつもの通り目を覚ますと、そこは1800年も昔の荒野。身ひとつで放り出されていた。

 

理由など分かるはずもない。

彼は自身を襲った突然のことに驚愕し、混乱し、絶望するばかりだった。

文字通り生死の狭間を何度も行き来し、それでもなんとか生き長らえたのは、訳の分からない理不尽さに対する憤りゆえかもしれない。

確かに絶望はした。このまま死ぬのは楽そうだが、しかしそれは何か悔しい。

何に反発したのかは当人でさえ定かではないが、とにかく彼はそんな考えを持つに至り。この時代では低い身分とされている商人として身を立て。足掻き続けた甲斐もあり、泥水をすすらなくとも何とか生きていけるようにまでなれた。

 

"生き抜く"ということにひと息つけるようになった。そんな頃に出会ったのが、華琳である。

少し前までの自分と重なるようで、少しばかりの余裕が生まれた一刀には、彼女を見捨てるという選択は取れなかった。

彼は彼女を保護することを決める。

そのために負う苦労は増したが、むしろそれは娘の成長というものに反映されることで楽しみにすらなった。思いも寄らぬ父性の発露と言える。

 

娘が懐くのに応えるが如く、一刀は、華琳が望むものは節度ある範囲で与えるようにした。

物であれ、知識であれ。

 

彼女はなにより、養父の知識に夢中になった。

この時代、一般市民の識字率はお世辞にも高いとは言えない。そんなところにやって来た、一般市民のほぼ全員が読み書き計算のできるところの人間。実際に彼は知識どころか考え方から、ほかの人たちと異なる。

一刀自身も、育った時代背景が違うということを理解し、自分の持つ知識を小出しにしていた。だがその小出しにしていたものであっても、元より敏く、頭脳も精神も育ち盛りな少女にとっては実に刺激的なものだった。

現状を踏まえた上で養父が口にする言葉のひとつひとつに華琳は反応し、貪欲に吸収し、さらには自分なりの解釈をしてみせる。それはもう嬉々として。

教育と言うべきか、刷り込みと言うべきか。とにかく華琳は、一刀の影響を相当受けて成長する。

 

 

 

1800年先の教育と知識は、一刀が商人として身を立てるに当たっても甚だ有利に働いた。

読み書きも計算もでき、できないことがあっても習得までに時間が掛からず、それでいて"近代的な思考"から多方面で効率のいい働きを打ち出すことができる。

先に触れたとおり、この時代の識字率は相当低く、商人の中でもそれがあやふやな者がいるほどだ。そんな中にあって、字の分からない者にも噛み砕いた上で要点を伝えられる技量、どんな地位の人間に対しても物怖じしない豪胆さ、もしくは鈍感さや無知さ、といったものが上手く噛み合い、周囲からひと足もふた足も速く動き出す。彼のそんなところが、いつしか"損をしない、させない商人"として一部で知られるようになり。これまたいつの間にか人を使って商いを広げるまでになる。

 

彼の商いが飛躍的に広がった一端は、華琳にあった。

一刀に引き取られてからというもの、小さいながらにできることを細々と手伝っていた彼女。養父の仕事のあれこれをつぶさに見ながら、そのひとつひとつがどういったものなのかを教わる。

ただの商売の理屈ではない、状況と時勢を先読みし、時には手元にないものでさえ商品にしてしまう一刀の商いの手法は、幼い華琳をして驚かせると同時に呆れさせもし。どちらにしても、彼の言動は彼女を見ていて聞いていて飽きさせなかった。

そんな中での言葉のひとつ。

 

「商人というのは身分が低く見られている。商人というだけで嫌われることさえある。

だが俺たち商人が動かなければ、世の中の多くは立ち行かなくなる。

武具も食料も、王城を支える柱1本ですら、だ」

 

商人が取り扱うのは、物と金。

それらを意のままにできるなら、漢そのものでさえ裏から牛耳ることが可能だ、と。

 

大宦官の一族の娘として、生まれてから"身分"を持っていた彼女は、何事かを成そうとするには身分が必要だと思い込んでいた。

それなのに、世間では身分が低いとされる商人の身にも関わらず、その気になれば世の中を自らの腕で左右できるというのだ。

さすがに声を潜めて言うそれに、華琳は蒙を開かれたような気持ちになる。

 

彼女は一刀に尋ねる。

そんな考えに至る貴方は、商人としてなにを成すつもりなのか、と。

彼は言う。

 

「流通するすべてが、自分の手を経て世の中に出るようになること。

それが俺の目指すところだ」

 

つまり、陰からすべてを支配してみせる、と言うことか。

 

ふたりの想像したものが一致していたのかは定かではない。

だがこの時、華琳の中で成すべきことがひとつ、生まれた。

 

新たな幸せを手にし浸っていた華琳は、このことを機に目標が生まれ、意識を新たなものにする。

目指すのは、十常侍を物的に干上がらせ、泣くまで許しを乞わせた上で断罪すること。

その後は、後ろから漢の趨勢を左右するようになるのも面白そうだな、と考える。

一刀の目指すものも、自分の陳腐な復讐の後ならばやり易くなりそうだ、とも。

 

育ててくれた恩返し、というには、物騒に過ぎるわね。

華琳はひとり笑う。獰猛な色を湛え、覇気に似たものを滲ませながら。

 

祖父たちの仇を討ちたいという気持ちはもちろんある。

だがそれ以上に、商人という身分から洛陽の高官に手が届くところまで行けるという考えが彼女を刺激した。

そして、"身分"とは目的ではなく手段でしかない、と言い切る養父・一刀が見据える先を、華琳もまた見てみたくなったのだ。

 

 

 

成り上がる。そのために、彼女は本格的に教えを乞うようになる。

一刀もまたそれを受け入れ、自分の広げた商人同士の繋がりすべてに彼女を絡めようとする。

商談の場があれば必ず連れ出し、顔を合わせ、時に彼女自身にやり取りを任せる。

華琳は、"商い"という名の実戦を重ねていった。

 

 

 

 

 

過去も未来もワケありのふたり。今は商用による遠出から、居を構える町へと戻る帰途の途中。

荷を乗せた馬を引く一刀と華琳は、洛陽から遠い地、益州巴郡の郡治・江州へたどり着いた。

 

町に入るや否や、ふたりを出迎える声がひとつ。

 

「北郷のおじちゃん、おかえりなさーい!」

 

幼くも元気いっぱいな声の主は、一刀に駆け寄り飛び付いて来る。

勢いよく突進してきた彼女を、彼は柔らかい笑みを浮かべながらしっかりと受け止めた。

 

「ただいま、璃々。いい子にしてたか」

「うん。璃々、おかあさんのいうこときいてずっといい子にしてたよ」

 

よしよし、と、抱き抱えた少女・璃々の頭をかいぐる。

頬をほころばせて、大きな手の感触を堪能した彼女。そしてすぐに一刀の腕から離れ、次なる目標へ飛び付いていく。

 

「華琳おねえちゃんもおかえりなさい!」

「ただいま、璃々。変わりはないかしら?」

 

同じように璃々は突進し、華琳もまた同じようにそれを受け止めた。

久方振りの再会を喜ぶように、笑みを浮かべながら互いにじゃれ合う。

 

そんなふたりを優しく見つめる一刀。そしてまた、近づいてくる女性の姿に気付き。

 

「帰ってくるという便りが届いてから、璃々ったらそわそわしっ放しだったんですよ」

「これは内政官殿、お見苦しいところお見せしまして」

 

現れたのは、この町の内政に関わる公人のひとり。

表情を改め、一刀は彼女に対し頭を下げる。

 

「やめてください、北郷さん。璃々はもちろん、私もあくまで個人として出迎えに来ただけなんですから」

「まぁ分かってるけどね」

 

改まった彼の言葉と態度に、気を悪くすると言うよりは拗ねるような声音で返す女性。

そんな彼女に対して、からかっただけだ、と、一刀は口調を崩して話しかける。

 

「ともあれ、ただいまです。紫苑さん」

「ふふ、お帰りなさい。北郷さん」

 

彼の言葉に、璃々の母・黄忠は柔らかい笑みを浮かべた。

 

 

 

「北郷のおじちゃん、肩車してーっ」

 

璃々が再び一刀に飛び付き、肩車をねだる。

この時代に肩車と言う言葉があったかどうか定かではないが、璃々をあやす際に使っていた言葉がいつの間にか定着している。

そして彼女の大のお気に入りだった。

 

「よーしいくぞー」

「わーい、たかいたかーい」

 

一刀の肩にまたがり、あふれんばかりの笑顔を浮かべご満悦の璃々。そんな娘の姿を見て、黄忠の笑みはより優しいものになる。

 

「まったく、養父さまは子供に甘いわね」

「あら、いいことじゃない。華琳ちゃんもしてもらっていたことでしょう?」

「確かにね。でもさすがに今の齢じゃ、人前でしてもらうのは少し抵抗があるわ」

「……人前じゃなければいいのかしら」

 

お帰りなさい。ただいま。

互いに挨拶を交わしつつ、離れていく小さな背中と大きな背中を見やるふたり。

はしゃぐ娘の姿を見つめる黄忠の表情は、微笑ましさと同時に、どこか羨んでいるようにも見えて。

少なくとも、養父に対して好意を隠さない華琳にはそう感じられる。

 

「羨ましかったら、璃々に代わってもらったらどう?」

「できるわけないでしょう。人前じゃなくても抵抗があるわ」

「あら、もったいない」

 

想像してしまったのか、少しばかり顔を赤くし否定してみせる黄忠。華琳はその言葉を受け流し、はいはい、と取り合わない。

そんな彼女らを置いたまま歩き出していた一刀が、離れてしまったふたりに向け声を掛ける。

 

「おーい、ふたりとも行くぞー」

「おかあさぁーん」

 

一刀に肩車をされたまま、璃々が大きく手を振る。

傍から見れば親子そのものの姿に、思わず苦笑してしまう。

そんなふたりに向かって、華琳は駆け出し、黄忠はゆっくり歩き出した。

 




・あとがき
1話だけしかないのはどうかと思ったので急遽投稿。

槇村です。御機嫌如何。





そんなわけで、「華琳さん別ルート(仮)」2話目になります。

このお話の舞台は、黄巾の乱のちょっと前、まぁ原作と同じくらいですね。
でもこの時点で、一刀さんはすでに三十路越え。紫苑さんより年上です。
華琳さんを助ける数年前にやって来たって設定。

いや本当に、外史の管理者ちゃんと仕事しろよ(笑)

話をいじっている内に、華琳さんが超ファザコンになってしまった。
経緯を考えれば分からなくもないが、自分でもびっくり。
……嫉妬に狂ったりするのかな。



「愛雛恋華伝」も含めて、次は今月中にできればいいなぁという感じ。


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03:夜明けまえ

平穏と言っていい雰囲気が、そこには流れている。

一刀が璃々を肩車しながら談笑し、華琳は彼の腕にしがみ付く。空いたもう片方の手で、荷をくくり旅路を共にした馬を引きながら町中を歩いていく。その後ろに付いて会話に加わる黄忠も含め、4人は揃って笑顔を浮かべていた。

 

傍目には仲のいい親子のようにも見える彼と彼女たち。実際には、一刀と華琳が義父と養女、黄忠と璃々が実の母子、一刀と黄忠が友人という関係だ。

 

黄忠の夫は、璃々が生まれてすぐ鬼籍に入っている。その後の彼女らは、故人と友人であった一刀の世話になっていた。

一刀はその頃すでに華琳を引き取っていた。そのことから、独り身で子供を育てる大変さを身に染みて分かっており。故人を通じて既知となった黄忠が苦労するのは偲びない、という、彼らしいお人好しな面が発揮された結果、彼女らの生活を支援するということになった。

黄忠にしても、申し訳ないという気持ちはあったものの。一刀の支援は心身ともにこの上なくありがたいものだった。

ひとりで娘を育てるという負担の軽減もそうだが、愛する夫を亡くしたという精神的な喪失感を癒せたことが何より大きい。そのおかげで、気の落ち込みを引きずることなく、娘の璃々に愛情を注ぐことができたのだから。

そんな黄忠が、やがて一刀に対して友人以上の好意を抱き始めることも無理からぬことだろう。亡き夫に対する想いと悲しみが落ち着くと共に、頼りになる年上の男性の存在が気に掛かるようになっていた。

 

一刀大好きを公言して止まない養女・華琳は、彼女の気持ちの変化に真っ先に気が付いた。心的にも実際にも、距離が縮まりそうになると黄忠を威嚇して掛かる。

父親を取られる、という気持ちから生まれた行動ならばまだ可愛いものだが、華琳の取るそれは明らかにひとりの女性としての衝動。つまりは嫉妬だった。

黄忠もそれが分からないほど鈍い訳ではなく。華琳が一刀と共にいる経緯も知っているために、彼女もその想いは十分に理解していた。

だがそんな態度が、黄忠の中に生まれた新しい恋心に気づかせてしまったのは皮肉と言えるかもしれない。

 

一刀もまた、彼女たちの抱える気持ちにまったく気付いていない訳でもない。片や養女、片や友人の元妻という立ち位置が、迂闊に色恋どうこうという考えを抱かせなくさせていたのだ。

ふふふホホホと笑いながら対峙するふたりが怖かったばかりが理由ではない。断じて。

三十路を過ぎてこんなヘタレなことを考えるとは、と、内心溜息を漏らしながら。朴念仁を装ってのらりくらりと受け流しているのが現状だったりする。

もっとも、彼自身、それがいつまでも通用するとは思ってはいないけれども。

 

さて。

商用の旅から戻ったばかりの一刀と華琳は、腰を下ろして休む暇も置かずある場所へ向かう。

ふたりが商いの拠点としている、益州巴郡・江州。この町は、郡を治める太守がいる町でもある。

黄忠の仲介を経て、太守との面会に臨もうというのだった。

 

 

 

 

 

巴郡太守を務める厳顔は、黄忠の友人だ。誼を通じてから10年を超える長い付き合いになる。彼女が太守の地位についてからも、その関係は変わることがなかった。

領主としての彼女は、郡全域にわたって評判はいい。喧嘩っぱやく細かいことを気にしない大らかな性格もあって、公人としての場でも立場の上下を感じさせない振る舞いを多々する。最低限の礼儀は払い、締めるべきところはきちんと締め、この時代の高官にありがちな偉ぶるようなところがない。取っ付きやすい領主として民に好かれていた。

そんな彼女もまた、黄忠との繋がりから一刀とは長い付き合いがある。地位を得るよりも前から知己であり、互いに人となりもよく分かっている。彼女自身、身分がなんであれ友人として付き合うことに抵抗を感じていない。

 

確かに厳顔は、一刀のことを嫌ってはいない。友人の境遇を助けてくれたことも知っているため、むしろ好感を持っていると言っていい。

だが彼女は、この年上の男に苦手意識を持っていた。

 

理由はふたつある。

ひとつは私的な面。

酒好きの彼女が仕出かした失敗談や赤面ものの武勇談を数限りなく握っているため。

もうひとつは、公的な面。

太守として面倒になることの第一報は、大抵、彼から伝えられるからだ。

 

「話がある」と、一刀の方から敢えて面会を求められる。彼女にしてみれば、それは嫌な予感がしてならない。

そして今、巴郡太守・厳顔は、嫌な予感が的中したとばかりに頭を抱えていた。

 

「……北郷殿、貴方は自分が何を言っているのか、分かっとるのか?」

 

呆れというべきか疲れというべきか、憔悴した色を滲ませた声をあげる厳顔。

つい先程までは自分の立場に合った対応をしていたのだが、いつの間にかその建前も剥がれ。呼び捨てだった呼び方も、年上の友人に対する普段と同じものに変わってしまっている。公人としては姓名を呼び捨てにし、仕事を離れれば「殿」付けか真名を呼び捨てにするのが彼女の通常だ。

 

「いけません太守様、たかが商人風情に敬称を付けるなど」

「もういいと言っとるんじゃ。態度を戻さんとその首を捻り落とすぞ華琳」

 

それは一刀同様、小さい頃から付き合いのある華琳に対しても同様で。

立場をことさら強調してからかうような言葉を吐く彼女に、厳顔は頭痛を抑えるようなしかめ面をしながら物騒な物言いを返す。

これもまた、普段の厳顔を知る者にとってはいつものことだった。

 

「ふふ、いいじゃない。立場をわきまえた普通の言葉遣いをしているつもりだったのだけれど?」

「お主のへりくだった態度を見ると妙に腹が立つわ。わしが嫌がることを分かっていてやっているところがなおさらの」

「そんな、太守様を不快にさせるつもりなど、この孟徳決して」

「やめろと言っとるんじゃ! 紫苑、お前も笑っとらんで止めんか!」

 

不愉快さを露にして怒鳴り散らす厳顔に、人の悪い笑みを浮かべて弄り倒す華琳、その様子を見て笑いを堪える黄忠。太守に面会に来たはずが、いつの間にか友人同士の馬鹿げたやり取りになってしまっている。

 

「おかしいな、結構真面目な話をしに来たはずなのに」

「今さらよ、義父さま。身内しかいない部屋で、桔梗がいつまでも"厳顔殿"でいられるはずないでしょう」

「そりゃあそうだけどさ。最初に"厳顔殿"として接したんだから、話の最後までそれを通すべきだと思うんだけどなぁ」

「確かにそれは言えるわね。郡の太守様が商人と馴れ合っていると思われたら外聞が悪いだろうから、きちんとへりくだってあげているのに」

「あぁ、ダメだぞ華琳。そういう本当のことは、思っていても口に出しちゃいけない」

「ごめんなさい養父さま。親しき仲にも礼儀あり、と教わったはずなのに。失念していたわ」

「お主ら本当にいい加減にせいよ?」

 

喧嘩上等と腰を浮かせる厳顔。振るわれるその拳を笑いながらのらりくらりと逃げ果せる一刀と華琳。笑いをこらえすぎてお腹が痛くなってきた黄忠。

公的な立場を抜きにすれば、彼と彼女らはいつもこんな感じである。

 

 

 

「で、北郷殿。貴方がそこまで言うんじゃ。相当なところまで裏は取れてるんじゃろ?」

「んー、まぁねぇ」

 

後から考えてみれば、身内同士のくだらないとしか言いようがないじゃれ合いを経て。

真名を桔梗こと、厳顔は、すっかり憔悴した様子を見せつつ投げやりに話の続きを促す。

 

一刀が彼女に話したのは、黄巾賊の台頭による各地の被害状況と、それに対する民と領主の反応。そしてこれから起こるであろうことの予想である。

商人として方々を旅して回る一刀と華琳は、世の中がより激しく乱れるであろうことを肌身に感じ取っていた。

世は激しい乱世に襲われるだろう。そして本格的にそれに備えろという進言だ。

 

一刀にしてみれば、"知識"として歴史の流れが分かっていたというところはある。だが彼はそれを"知っている"で済ますことなく、自分の目で耳で捉え、出来る限り自ら確認を取り、務めて冷静にそれを"現実"として知ろうとした。

ゆえに、彼が口にする言葉は自ら体感したものであり、それらを今の世相と現状に照らし合わせて考えたものを口にしている。だからこそ、その"報告"は正確で、推測と結果のズレが少ない。厳顔がこれまで彼から聞いた"報告"の数々もそういった類のものだ。今回のものも大きく外れることはないだろうことが、彼女は確信できてしまう。

黄巾賊が意気を上げている場に出くわしその横を駆け抜けさえしたと聞いて、違った意味で表情を引き攣らせたりもしたが。

 

「幸いというべきか、ここ江州近辺ではあまり見受けられなかった。

巴郡、益州まで広げてみても、暴れている輩は比較的少ないようだな」

「益州では、ということは……」

「ご想像の通り、ほかの州では相当にのさばってる。

洛陽も対処しきれないようで、近々、各州の刺史に軍事力強化の令を出すらしい。

つまりは自前で何とかしろ、ってことだろうな」

 

淡々と他人事のように一刀が口にする言葉。あまりといえばあんまりなその内容に、厳顔は溜め息がこぼれるのを止めることが出来ない。

 

「中央のお役人も大したものよね。下に投げっ放しにするつもりなんだから」

「世の中が乱れるのは治める人間が悪いからだ、っていう考えは何処へ行ったんだろうな」

「そんな考え方をしていたら懐が暖かくならないものね。刺史の名前が牧に変わるのも、あわよくば売官出来るなんて考えてるんじゃないの?」

「刺史がそのまま牧になるんだからそれは、と言いたいところだが。別口で牧を置くってのはあるかもしれないなぁ、金で」

「嫌ね」

「嫌だねぇ」

「逆に言えば、お金さえ積めば誰でもいきなり州牧になれるってことなのかしら」

「華琳、試しにやってみるか?」

「嫌よ。わざわざ高いお金を払って、宦官どもに扱き使われる地位に座るなんてごめんだわ」

「お主ら本当にいい加減にせんか」

 

"普通の漢の臣民"が聞けば卒倒するような言葉を、こともなげに次々口にする一刀と華琳。対して、厳顔は頭が痛くてたまらないといった様子で、黄忠はどう反応すればいいか分からず力のない笑みを浮かべてしまう。

厳顔と黄忠とて、世の現状に不満はある。だがそれでも、漢王朝に逆らうといった感情は持っていない。考えがそこまで至らない。

その辺は育ち方や考え方の違いだろう。"ここ"ではない未来から来た一刀と、彼に育てられたがために染まってしまった華琳とは、世の中を見る視点が、見ようとする視点の数が違うからだ。

もっとも、一刀のそんな言葉を聞きながら"頭が痛い"程度で済んでいるのは、厳顔と黄忠も、相当彼に毒されているのかだろう。

 

 

 

話は元に戻って。

 

暴れ始めた黄巾賊をなんとかするため兵と軍備を整えろ、という令が洛陽から発せられるとして。本来、各地方の領主が独自に兵力を集めることは禁じられている。

だがそれは、半ば建前だ。

ある程度の大きさを持つ町であれば、自衛団というべき兵力を有している。それはどこも同じで、幽州と涼州などは北から侵入する異民族に対応するため常に戦力の増強に励んでいる。

そういった規模の大きなものから、町が盗賊の襲来に備えるような小規模なものまで、叛意ありと危険視されない範囲であれば洛陽もそれを黙認しているのが現状だ。目くじらを立てて押さえ込めば、その方がかえって面倒ごとが多くなる。華琳が少し触れた"投げっ放し"というのも、本来は意図的なものであったと言えるだろう。

それもあくまで"本来は"ということである。今の洛陽中枢を統べる大多数は、深くは考えずに「面倒ごとはごめんだ」と考えているに過ぎない。少なくとも、一刀と華琳はそう見ている。実際に自分たちの身に危うさを感じない限り、彼ら彼女らが動くことはないだろうとも。

一刀と華琳とて、「武力を上げなければ死んでしまう」という必要に迫られて鍛錬を重ねているのだ。それと大差ないと言われれば、そうなのかもしれない。

 

 

 

商人として各地を歩き回っている一刀は、身を守るための武力というものをそれなりに持っている。幼い華琳を助けることができたのもそのおかげだ。

なぜ商人が武力を持つか。それは何より自衛のためである。

黄巾賊が現れる前から、あらゆるところで盗賊の類は跋扈していた。物騒だと分かっている中を好んで歩き回るのだ。場合によっては荷を抱えたまま賊の対処をしなければならず、護衛を傭うにしても、雇い主が真っ先に死んでしまっては目も当てられない。

ゆえに、一刀は自ら武器を手にし、誰が死んでも自分は生き残る術を得ようとした。食い詰めた盗賊程度では相手にならない程度の強さは手に入れている。人を殺したことも幾度となくなる。"現代人"ゆえの倫理観やらなにやらに思い悩んだこともあったが、今ではそういったことも乗り越えている。殺した数より殺されかけた数の方が何十倍も多いんだから勘弁してくれ、と、捉え方が軽くなったのも、ある意味"現代人"だからこそかもしれない。

 

彼に限らず、町から町を渡り歩く商人たちには手練が多い。少なくとも、一刀に関わる者たちはそうだ。商隊を組めば、商人自身がそのまま有事にまで対応できる。一刀の言うとこころの"フットワークの軽さ"が、商いにおいて彼の一派が先を行ける要因のひとつだと言っていい。

 

護衛要らずの強い商人、という存在は、一刀の考え方だけで出来たわけでもなく。彼が拠点とする江州の土地柄の影響もあった。

江州を治める太守・厳顔の存在が大きい。

彼女の喧嘩好きは、江州、そして巴郡全域でよく知られている。

何であれ勝負をする、ということが、するのも見るのも好きな彼女。それは自ら治める江州の町で、定期的に格闘大会を開くほどだ。町に住む一般の民に参加者を募り、その戦いぶりを見て厳顔は大いに楽しむ。

領主の気まぐれで開かれる娯楽かといわれれば、そんなことはない。勝者には税の減額や副賞が与えられることもあって、定期的に行われる大会に町人たちもかなり本気で挑んでいる。これが結果的に、一般人が持つ武の底上げに繋がり、そこらの盗賊相手ならば軍が出るまでもなく撃退してしまえるほどにまでなった。そんな風評が、盗賊たちをして「江州を襲うのは割に合わない」と思わせることとなり、外敵の不安を大きく減らすことに繋がっている。

同時に、他地方からの民の流入が起きている。己の武に覚えのある者や、文字通り己の腕で税の少ない生活を勝ち取ろうとする家族が移り住んでくるのだ。

少しずつ、だが継続的に増えていく町の人口。おかげで納税額そのものは右肩上がりになっていくという現象が起きている。

一刀曰く「町おこしで相撲大会を開くようなもの」という程度だった規模のそれは、いつしか江州の治世そのものにつながる一大行事にまで膨れ上がった。

 

「いやもう本当に、計画通り」

「養父さま。そこで黙っていれば、本当にそう思ってもらえるのよ」

「そう思われるのが嫌だから言ってるんだよ。

まぁなんにせよ。一般人が自衛できるくらいになればいいなぁ程度に思っていたのが、ここまで盛り上がったんだから万々歳だよね」

 

主導したのは厳顔だったが、企画発案は一刀である。喧嘩好きな彼女はお膝下に手練が集まってきて日々楽しく過ごすことができ。商人である彼はそんな武芸者たち相手にあれこれ商売を仕掛けるなどして儲けさせてもらっている。

 

とは言うものの、そればかりが狙いというわけでもない。

 

「でだ。さっきもちょっと触れたけど、現在の刺史が、新しく州牧っていう地位に変わる。それに伴って"黄巾賊を滅せよ"みたいな令が出て、軍備を整えなきゃならなくなる」

「ふむ。劉璋殿の下に、下知が下りるか」

 

厳顔は、自らの上役である男、益州刺史・劉璋の顔を思い浮かべながら頷く。

 

「でも、劉璋殿が戦下手なのはよく知られているでしょう?」

「下手なだけならまだいいわい。劉璋殿はただのヘタレじゃ」

 

仮にも自分の上役に向かって言いたい放題な彼女らに、一刀は苦笑を禁じ得ない。もっとも、その評価には全面的に同意せざるを得ないのだが。

 

「実際に討伐に出るかどうかはともかく、兵を集めてそれっぽいことはしなきゃいけない。

でも、劉璋様直下の兵って、正直言って大したことないんだわ」

「だから、武に名高い江州太守殿にお声が掛かると思うのよね」

「……つまり、ワシに兵の都合をつけてくれと、劉璋殿が言ってくるか」

 

一刀の言葉を華琳が引き受け、厳顔がその意を受ける。彼女の言葉に、ふたりは揃って頷いた。

 

「そこで、"厳顔殿"にお願いがあるんだけど」

 

敢えて呼び方を変え、何かを企むような笑顔を浮かべる一刀。

 

「華琳を、その中に入れてもらえないかな」

 

彼の言っていることは、特に突拍子のないことではない。厳顔の目から見て、華琳の持つ武は若いながらも相当なものである。その上、人の上に立ち指示を与える才もある。仮に兵力を集めるのであれば、一兵卒として扱うのはもったいないと、そう考えている。

厳顔としても、その申し出はありがたいといえば、ありがたい。

 

だが、彼の浮かべる笑みが、どうにも嫌な予感を感じさせてならない。

一刀がこういう笑い方をしている時は、絶対に何かを企んでいる。

厳顔の経験上、それだけは確かだという確信がある。

 

「……北郷殿、何を企んでいるのかの?」

「下積み期間を終わらせて、そろそろ俺たちも派手に飛ぼうかと思って」

「私が表で、養父さまが裏で、ね」

 

桔梗には迷惑を掛けないよ、と、腹に何かを抱えている悪役のような笑い方をしてみせる一刀と華琳。

そんなふたりを見て、厳顔は顔を引き攣らせ。黄忠は「血は繋がっていなくても、親子って似るのね」と、内心思っていた。

 

 

 




・あとがき
イメージは、「ふたりでこの国の牙城を撃つ」とか、そんな感じ

槇村です。御機嫌如何。




「華琳さん別ルート(仮)」3話目をお届けです。
どっちが銀さんだよとかそういうツッコミはなしでお願いします。

「愛雛恋華伝」の方がうまく肉付け出来なくて、
気がついたらこちらの方を進めている始末。すいません。
こちらの方が進みやすい。なぜだ。

でも並行して書いているものがあると、煮詰まってきたらもう片方に頭を切り替えられるからいいね。
5000字もいけばOK、と設定した緩さもいい具合なのかもしれない。



今回書いていて、あぁやっぱりクドイ書き方が好きなんだな俺、と改めて思った。


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04:花の江州のすごいやつら

 

一刀と華琳が、居を構える地・益州巴郡の江州へと戻ってきてしばらく経ち。

ふたりの予想した通り、劉璋の使いの者が厳顔の下を訪れた。

 

益州刺史の地位にあった劉璋は新たに州牧に任ぜられ、同時に巷を騒がせている黄巾賊の討伐を行えという命を受けていた。

劉璋自身、自衛としてならばともかく、自ら討伐に出ようとするなら、有する兵の練度が心許ないことを理解していた。

とはいえ、洛陽から直々の命である。今後の覚えをよくするためにも、それなりの成果を出しておきたい。

そんな思惑から劉璋は、厳顔に対して兵の融通を命じてきたのだ。

 

これ自体は、一刀からあらかじめ言われていたことでもある。厳顔も驚きはしなかった。

だがその考えが、彼女は大層気に入らない。例えあらかじめ予想できていたとしても、だ。

せめてそう思ってはいても、それを悟らせずに伝えろ、と、厳顔は吠える。後日、一刀に酒を用意させ大いに荒れたという。劉璋とその使者は、その辺りの配慮に欠けていたらしい。「自分の出世のために兵を出せ」というあからさまな要求を聞かされたにも関わらず、その場は抑えてみせた彼女を褒めるべきなのかもしれない。

 

蛇足ではあるが。さらに後になって、一刀に酒の上での醜態をまたひとつ握られたことに気付いた厳顔は、二日酔いとは違った意味でまた頭を抱えたという。

 

 

 

益州は険しく高い山に囲まれた土地だ。賊の類が攻め入るには難しく、暴れ回るにしても地場がよろしくない。そもそも地理的に、人が集まり大きく行動するということに向いていないのだ。

反面、身を隠すに困らないという点がある。だからこそ一刀は、華琳を連れてからもこの地を拠点にし続けたといえる。

同じ理由から、益州を拠点とし、山を降りて州の外で活動する匪賊の類が多くいた。

州が被る被害そのものは大きくなくとも、そういった輩を放置することはできない。州そのものの評判にもかかわる。益州刺史をはじめ州内各地の領主は、それらを討伐するために兵力を抱えているといえる。

中でも、その兵力の質と武力に定評があるのは、厳顔が治める巴郡であった。

 

過程はどうあれ、劉璋の行動は予想していたことであり、それに対して兵を出すことは既に決まっていたことである。荒れた厳顔が自ら得物を手にして出陣、いう展開にもなりかけたが、そこは仮りにもひとつの郡を治める領主だ。喧嘩っ早い性格とはいえ、ぐっと堪えてみせたのは、さすが分別のある大人の女性と言えるだろう。

ともあれ、そんな彼女の代わりに、黄巾賊の討伐行には名代が立てられることになった。

厳顔の弟子・魏延である。

そして、その補佐に華琳が付くことになった。

 

「……お前がこういうことに出張るとは思わなかったよ」

「あまり目立ちたくないのは今でも変わらないわよ? ただ、自分から出て行ったほうがやりやすいこともある。それだけよ」

 

巴郡から西へ、州都のある蜀郡・成都を目指し江州軍が進む。その数はおよそ1,000。

これを多いと見るか少ないと見るかは、判断が難しい。

集めようと思えば、もっと規模を大きくすることはできた。だが先にも触れた通り、益州という土地は大軍が動くには中々に険しい土地だ。御しきれない数を用意するよりも、それなりの数の精鋭を出した方がいいだろうという判断からこの数に落ち着いた、という経緯があった。

 

本来であれば、江州の兵も含めた"益州軍"が編成されることになるはずだった。

だが成都の町に到着した魏延たちを迎えたのは、わずか2,000の兵。

仮にも益州牧の声掛かりで編成される一軍だ。にもかかわらず、ひとつの州が用意した兵の数は、ひとつの郡が出し惜しんだ兵数のわずか倍の数でしかなかった。

 

「そこまで戦ごとに無関心なのかよ」

「違うわ。立身出世と自分の懐具合にしか興味がないだけよ」

「もっとひどいじゃないか」

「まぁ、手元の兵力をできるだけ残した上で、実際は私たちをこき使おうと考えたんでしょうけどね」

 

魏延と華琳たちが率いる江州軍は、あくまで補充兵力でしかない。それを前提にして軍の編成を考えていたとしたなら、その事実に思わず笑ってしまいそうになる。実際は笑うどころではないけれども。

 

「ワタシの頭が悪いせいなのか? 出世出世という割には、兵数を削るとか悪手もいいところだと思うんだが」

「焔耶の頭でも分かることなのに、劉璋の中では結びついていないんでしょうね。

それだけ江州の兵に期待している、って言えば聞こえはいいけれど。付き合わされるこちらはいい迷惑だわ」

「……確かにその通りなんだが、前半が納得いかないぞ」

「深く考えないでいいわよ。まぁこちらはこちらで、せいぜい劉璋"様"の権威を活用させてもらいましょう」

「で、何かあったら責任を取らせると」

「当たり前じゃない。地位っていうものは、本来責任が伴うものよ?」

「華琳の真っ黒な目論見の責任を取らされるなんて、劉璋に初めて同情した」

 

軽口を交わし合いながら、一方では淡々と出征の準備が行われている。

江州軍と成都軍の再編成であったり。

想像よりも少なかった兵数でどうこなしていくべきかに頭をめぐらしたり。

そのあたりのことを何も考えていなかった成都軍の責任者を華琳が容赦なく罵り反論できなくさせてみたり。

実力は低いがそれを補完するかのように気位はとても高い成都兵に魏延がキレてみたり。

江州軍の"一般人"たちが成都兵を見て「これで正規兵が務まるなんて楽なもんだな」と羨んだり。

それを耳にして憤慨した成都兵が江州兵に突っ掛かるも返り討ちにされたり。

何のかんのでいつの間にか討伐行動の指揮を江州軍が執ることになったり。

 

ばたばたしながらも体裁は整えられ、しばらくの後、"江州軍"は成都の町を出発した。

 

「計画通りね」

「本当かよ」

「想定していた内のそれなりは本当にそうなったから、あながち嘘でもないわ。

焔耶も、成都軍の下に就いて戦働きなんてしたくなかったでしょ?」

「それはもちろんだ」

「ならいいじゃない。劉璋は地位と名誉が欲しい。私たちは戦力そのものが欲しい。お互いの利害が一致して、いいこと尽くしよ」

「……どこか違うような気がするのは気のせいか?」

「もちろん、やるべきことはちゃんとやるわよ? 黄巾討伐の名声は劉璋のものだし、実践を通して成都兵の調練までしてあげるしね。働いてくれた人たちには礼も保証もする。分け隔てなく、ね」

 

成都よりも江州の兵になりたいと思いたくなるくらいの扱いをしてあげる。

含みのある笑みを浮かべながら、華琳は小さく付け加えてそんなことを言う。

 

「……華琳といい北郷さんといい、どれだけモノを考えてるのかワタシにはさっぱりだ」

「想像できる限り、よ。頭を使うのは私がしてあげるから、焔耶はせいぜい戦功を上げなさいな」

 

師匠の影響なのか、武一辺倒の魏延である。そんな彼女に華琳は、死なないための策は出すからがんばれ、と、激励なのか呆れなのか分からないような声をかける。

口はともかく、頭のほどは十分に華琳を信用している魏延は、それ以上は何も言わずに受け入れた。

 

 

 

武人の魏延と、商人の華琳。ふたりの出会いは数年前にさかのぼる。

 

江州に置かれている自営のための兵団。これを指揮するのは厳顔であり、兵たち調練を行うのもまた彼女である。当初、魏延はその中の見習い兵のひとりでしかなかった。

厳顔の性格もあって、自ら抱える兵力に対して彼女が求めるものは相当に高い。必然、日々の鍛錬も厳しく辛いものになる。それに最後まで付いていくことができたのが、魏延だった。

こいつは見どころがあると、厳顔は魏延のことを気に入り。真名をあずけ、直弟子として扱うようになり、暇さえあれば鍛え上げシゴき続けた。

 

素質があったのだろう。師弟同士の相性もよかったのかもしれない。魏延はその武の程をメキメキと上げていき、手練揃いの江州において、厳顔と黄忠に次ぐ強者として知られるようになる。

周囲に敵う相手がおらず、師匠格でさえ感嘆する力を得て。やがて魏延は増長するようになった。自分は強いんだ、最強なんだと思い上がるようになる。

 

ある時、商用で長く不在にしていた一刀と華琳が厳顔の下を訪ねた。それを見た魏延は、わずかに顔をしかめる。

彼女も一刀たちのことは知っていた。"桔梗"と"紫苑"とは長い付き合いであることや、領主としての"厳顔"を裏から支援している商人であることなども。

だがそれでも、しょせん商人じゃないか。

そんな考えが彼女の中にはあり。

声を荒らげて拳を振り回す厳顔と、からかいながらのらりくらりとそれを躱す一刀と華琳。彼と彼女らのふざけ合いを、遠目で苦々しく見つめる日が続いた。

 

調練に参加することがあるとは言っても、普段は江州を離れていることが多い一刀と華琳。魏延には遠目で見かける程度しか接点はなく、機会もなかったため、ふたりと顔を合わせることもなかった。

一刀と華琳の方もそれは同じだ。「厳顔のシゴキを耐え抜いた奴がいる」いう話は耳にしていたが会ったことはなく、厳顔からも「お主らが調練に参加した際にでも紹介しよう」と言わるにとどまっていた。

 

初めて顔を合わせたのは、華琳がひとりで厳顔を尋ねた時のこと。領主としての彼女に所用があったが、軍部で調練中と聞き、久しぶりに調練場へ顔を出した。

厳顔を通し、互いに自己紹介をする魏延と華琳。

だが"いかにも商人"という対応をする華琳に対して、魏延は苛立ちを覚え。

些細なことからいがみ合い、というよりも一方的な難癖付けと言った方が妥当か、になり。

厳顔の鶴の一声で、ふたりが立会いをすることになる。

やる気に満ちた魏延と、面倒そうな表情を隠さない華琳。

結果だけを言えば、魏延が地を舐めさせられて終わった。

大きな金棒を振り回し相手を追い込む魏延が、逆に華琳に振り回され。挑発と"口撃"に逆上し動きが単調になったところを突かれ沈められた。いつの間にか得物を手放し、無手となった華琳の蹴り一発で。

 

華琳にとっては「策」であるが、魏延からすれば「卑怯」であったその立会い。

なじる魏延に、華琳は冷たく言う。

 

「でもこれが戦場なら、死んでいるのは貴女よ?」

 

相手の実力を発揮させないままやり込めるのは当たり前のこと。生死の懸かった状況なら、武人じゃない自分の目的は「何をしてでも生き残る」ことを重要視する。

程度はあるが、その手段に難癖を付けられる筋合いはない、と。

 

「一般人が重視するのは、"如何に勝つか"じゃなくて"如何に生き残るか"なのよ」

 

美学を持つのは結構だが、相手がそれに付き合うとは思わない方がいい、とも。

 

「……貴様に、誇りはないのか?」

「今確かに生きていて、目指すべきものがあり、それに向けて進まんとする気概がある。

誇りの有無にこだわるなんてところは、とっくに過ぎたわ」

 

勝負そのものも、彼女がこれまで持っていた武と価値観も。

魏延は、華琳に一蹴された。

 

武ではない違ったところで、敵わないものを感じる。

それを悔しいと思う自分に、魏延は内心戸惑いながら。

彼女は唐突に、華琳に真名をあずけた。

 

「いずれお前を見返して、真名を返してもらう。それまで持ってろ」

 

想像だにしなかった考え方に、思わず華琳は声を上げて笑い出した。

それはもう楽しそうに。

 

以来ふたりは、何かにつけて悪態を付き合う悪友のようなものになった

 

 

 

「あの屈辱は絶対に忘れない」

「いいかげんに忘れなさいよ。あんなもの、2回は通用しないんだから」

「いや、あの時のお前の言う通り、戦だったら2度目はないんだ。調子に乗りやすいワタシにはいい戒めってやつさ」

「変われば、変わるものね」

「……もっとも、お前のそういう態度が気に入らないからボコボコにしてやりたい、っていう方が強いけどな」

「前言撤回。やっぱり変わってないわ、あなた」

 

やれやれと呆れたような仕草を大袈裟にしてみせる華琳。そんな彼女に改めて青筋を立てて見せる魏延。

 

「その鬱憤は戦場で晴らしなさい。戦働きの功は全部、焔耶にあげるわよ」

「……ワタシが前でお前が後ろ、っていうのは分かってはいるんだけどな。それでもお前の上から目線な態度は腹が立つんだよ」

「あら、実際に上だもの。仕方がないわ。あなたが私より勝っているものなんて、背丈と胸の大きさくらいでしょ?」

「何だ、羨ましいのかコレが。欲しいか?」

「別にいらないわ。自分で大きくするから。そっちこそ、私の頭を欲しがってもあげないわよ?」

「いらんわバカ」

 

打てば響くというのはこのことか。

いつの間にやら話はズレていき、軽口の叩き合いが延々と続いていく。

江州兵の面々も、彼女たちのやり取りは見慣れたもので気にも留めない。また始まった、と、苦笑するくらいであった。

 

「無駄話はこれくらいにしましょう。そろそろ着くわよ。陣を展開させなさい」

 

魏延は振り上げていた腕を止め、ゆっくりと進んでいる軍全体をゆっくり見渡す。

柔らかく拳を握り、華琳の頭に当てて押すようにして小突いてみせる。それを了解の返事にして、彼女はその場を離れていった。

方々へと指示を出し始める魏延。その後姿を眺め、去り際の彼女の表情が引き締まったものに変わっていたことを思い返しながら、華琳はひとり満足そうにうなずいていた。

 

 

 

 

 

魏延や華琳らに課せられているのは、黄巾賊の鎮圧である。同じように討伐を行なっているほかの軍閥が知れば驚愕するほどに、江州軍は効率よくそれを行なっていた。

 

もちろん、それには理由がある。

 

ひとつは、兵たちの士気の高さだ。

 

魏延を含め、江州軍の主だった地位に立つ者は専任の兵である。逆に言えば、大多数はただの町民だ。

町民、ただの一般人が武器を取り、集まった。と言っても、江州軍にいるのは厳顔のシゴキを一定の域まで耐えられる自力を持つ者たちだ。"ごく普通"の人たちと比べるのはやや酷と言えるかもしれない。

実力はともあれ、括りとしては一般人の彼らが、なぜここまで士気を上げて戦働きができるのか。

それは、功績を挙げ無事に帰還すれば褒賞が出ると伝えられているからだ。

もともと腕に覚えのある者が多い江州の民は、これを聞いて、こぞって討伐行に参加を求めた。劉璋麾下の兵には少なからず出征を渋る者もいたことに比べれば大きな違いと言える。

 

「腕があって、それを振るうことを欲していて、おまけに褒美も出る。誰でも飛び付くわ。

それが何であれ、やる気を喚起させることができれば大抵何とかできるものよ。何とかなるような素地は作るし、用意もするけれどね」

 

商売と同じだ。

無理矢理出させるのではなく、相手が自分から出したいと思わせる。

常に利を考える、商人ゆえの発想だろう。

 

これは事実上江州軍に組み込まれた成都兵たちにも伝えられ、無事に帰還できれば、劉璋が与えるであろうものとは別に褒賞を用意しようと、華琳は約束する。さらに行軍中の食事などについても、それなりにいいものが与えられることを知り、成都兵たちの士気も上がっていた。

 

まさに、腹が減ってはなんとやら、である。

 

 

 

もうひとつは、下準備の周到さだ。

 

繰り返しになるが、この"外史"の華琳は、商人として生きている。

故に、損になるようなことは極力しようとしないし、状況から損を被らなくてはいけないという状況に陥ったとしても、後々少しでもその損を取り戻せるように策をめぐらせる。

 

ゆえに、効率よく、最小限の動きで多くの利を得るべく動く。

江州軍よりも数の少ない集団"だけ"を相手にして、確実に殲滅する。

さらに黄巾賊の拠点"だけ"を狙い、動きを縛る。

 

どんなに小さい規模であれ、軍勢を動かすには金が掛かる。手間も掛かる。

「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし」という題目を掲げ、今の漢王朝を否定し動く黄巾の徒。仮に高潔な理念の下に動いていたとしても、人である以上は腹も減るし喉も渇く。それも過ぎれば死ぬしかない。

 

「人が集まって何かをしようとするなら、食料や水は必須になる。

拠点を決めて貯め込んでいるか、行く先々で調達しているかしているはずよ」

「なるほど」

「黄巾のヤツらがちゃんと買っているのか、それとも何処からか奪っているのかは分からないけれど、どちらにしても必要となるモノが動く。そして何かが大量に動けば、私たち商人の情報網に引っ掛かる」

「拠点を叩けばいい、ってのは分かるけど、場所の確定が早いのはそういうワケだったのか」

「あやしそうなところはもう調べてあるわ。もう一度そこを調べさせて、あたりだったら、叩く。それだけよ」

「その拠点にたむろしているのが、ワタシたちより多かったら?」

「人が多いなら、少なくなるまで待つだけよ。それに、大仰なお題目を掲げて動いている輩が、いつまでも拠点でたむろしているほど暇なのかしら」

 

商人だったら役立たずの烙印を押されるわね、と、切って捨てる。

 

「……商人って、怖いな」

 

何処でどう動いても知らされてしまう、見えないナニカに常に監視されているような感覚。

こういうのを、準備万端、と言うのだろうか。

始まる前から詰んでいるような状況に、魏延は少しばかり黄巾賊が哀れになった。

不敵に笑う華琳を見て、彼女はことさらその思いは募る。

 

 

 

 

 

江州軍の下に、正確には華琳の下にだが、幾度となく伝達役の者がやって来る。周辺の調査に出した者であったり、一刀からの報告であったり、商人経由の兵站受け入れであったりと忙しない。

情報を伝える者がやって来るたびに、華琳は現状勢力の規模と位置関係の把握を改める。そして、魏延を通して軍全体が移動し、新たな黄巾賊の集団と衝突。鎮圧に掛かる。それが繰り返される。

 

鎮圧といっても、現在討伐に出ている江州軍は成都兵を含めておよそ3000人に過ぎず。総勢数十万とも百万とも言われる黄巾賊に対して、その数はあまりにも心許ない。

故に華琳は、先にも触れた通り無理な討伐を行わない。

「討伐の下知は他の州の勢力にもでいるのだから、私たちだけが無理をする必要はない」という姿勢を以って戦にあたった。

言い換えるならば、「首魁を求めて1回の戦に全力を注ぐ」のではなく、1000の賊に3000であたる戦を10回繰り返すことで「3000の兵が被害もなく1万を討伐した」という結果を得ることを目的とした。

 

地味ではある。劉璋や洛陽の高官に対しての覚えは悪いかもしれない。

だがひとりの将の名前など、多くの民はいつまでも覚えてはいない。

むしろ、不鮮明であっても具体的な数字の方に信憑性を感じる。それが口々に伝われば誇張され、1万という数字は3万にも5万にも膨れ上がりかねない。前者は評価を得た時点で頭打ちだが、後者は後々いくらでも膨れ上がる。少なくともそうなり得る素地がある。黄巾賊の暴挙に辟易しているのなら、討伐された数は多ければ多いほどいいのだから。

 

さまざまな軍閥勢が黄巾賊を制圧している、ということは民も知っている。

何処其処の将が誰某という将の首を取った、という話も時折上がる。

それでも民の多くは、それらが"自分の周囲に影響を及ぼしていない"と感じている。それだけの戦になっていながら、周囲に蔓延る黄巾賊がまだ存在するからだ。

だが具体的な地名や数字が絡むと、話はやや変わってくる。話に上がる地名が近ければその余波が近づいてくるように思えるし、征伐された黄巾賊の具体的な数字が伝われば「そのうちこのあたりからもいなくなるかもしれない」と思うようになる。

 

後に、呂布が単身で黄巾賊3万を屠ったとか、公孫瓚がわずか2万で黄巾残党30万を敗走させたとかいう話が民にもてはやされたのも、これに似たものなのかもしれない。

 

こうした民の口にのぼる話は、いかにして伝えられるか。それは各地を行き来する商人たちによる。

江州軍の参謀役にある華琳は商人である。

その後ろにいるのは、商人として独特の繋がりを広く持つ北郷一刀だ。

 

とにかく、劉璋が派兵した軍勢が、少数にもかかわらず数倍、十数倍の黄巾賊を討伐しているという噂が立ち始めていた。益州周辺はほぼ全滅させ、さらにその範囲を広げようとしている、と。

 

少しばかり大袈裟になっているところはあるが、内容そのものに間違いはない。

事実、わずか3,000の兵で討伐した黄巾賊の総数はすでに2万を超えており。負傷者はそれなりにいるものの、死者は指折り数えるほどしか出ていない。

それがさらに兵たちの自信と実力向上につながり、軍全体の士気向上を生む。規模に勝る相手ばかりとはいえ、連戦することから緊張感が途切れることもない。

 

今日もまた江州軍は、まるで討伐総数を更新するかのように、黄巾賊の集まりを強襲する。

 

 

 

「死にたい奴は前に出ろーっ!」

 

威勢のいい声と共に、魏延をはじめとした先鋒の一団が突貫する。黄巾賊討伐にあたって、江州軍が常に取るやり方だ。

 

魏延が常に先鋒に立ち、愛器である巨大な金棒・鈍砕骨を振り回す。勢いのあるそれに当たれば、名前の通り即粉砕骨折という得物を、彼女は軽々と使いこなす。

黄巾賊の多くは、そんな彼女の姿に恐れをなす。魏延にしても、怯んでくれればそれだけでやりやすくなる。動きの止まった相手を容赦なく吹き飛ばし粉骨していくだけだ。

彼女の得物から逃れた黄巾賊も、その後方から押し寄せてくる江州兵に蹂躙される。普段から賊の鎮圧などサラリとこなす、鍛え上げられた"一般人"だ。勢いを失った黄巾賊など敵にならない。

実力と運を発揮してそこから何とか逃れたとしても、江州軍の頭脳役・華琳が、周囲の兵たちを使って確実に潰していく。

 

「逃げても、死ぬわよ?」

 

華琳の持つ武の程は、魏延に勝るとも劣らない。立っているのが軍師の位置であっても、彼女の目の前に立てば一閃にして屠られてしまうのだ。

つまり、逃げきることはできない。

 

奇など衒わない。相手を選び、勝てる状況を作って、驕ることなく相対する。

このように、江州軍は小規模ながらも連戦し、着実に黄巾賊を減らしていく。

 

 

 

 

細々と、地味に、それでいて確実に黄巾賊の数を減らしながら各地を転戦。数をこなすことで、軍と兵の練度と経験値も上がっていく。

そんな中で江州軍は、規模の大きい黄巾賊と官軍がぶつかりかけていることを知る。

と同時に、江州の町で情報の取りまとめと兵站の手配を総べている一刀から新しい届いた。

やって来たのは、華琳の昔馴染みであり、この場においては意外な人物だった。

"黒髪の山賊狩り"と謳われる武勇を持ち、その戦う様の美しさから"美髪公"と呼ばれるほどに名を上げている女性。

姓を関、名を羽、字は雲長。真名を愛紗という。

 

長い付き合いのふたりが、久方振りに再会することになる。

 

 





・あとがき
接点がなさそうな者同士を絡めるって、かなり楽しい。

槇村です。御機嫌如何。




「華琳さん別ルート(仮)」4話目。
話のくどさと進みの遅さに定評のある槇村ですが、
まさに本領発揮という感じですな。(威張れねぇ)

想定では、あと数話はキャラクター寄りのお話が続き、
その後で全体のお話が動き出す感じ。

……いったいいつまでかかるんだよ。(自分で言うな)

ちなみに一刀&華琳さんらと原作キャラたちの接点はあらかた考えてある。




次は早くて今月末。
でなければ来月の同じくらいには続きを上げたい。
いいかげんに「愛雛恋華伝」の方を進めないと。


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05:縁

繰り返すことになるが、華琳は義父である一刀大好きを公言してはばからない。姿が見えない声も聞けないとなれば「義父さま成分が足りない」などと戯けたことをぼやきだすほどの重症ぶりだ。"成分"などという概念が確立しているかも分からない言葉を使っているあたりからも、育ての親である一刀の影響がどれだけのものかが窺い知れる。

そんな彼女が、長く一刀の傍を離れてそれなりにやっていけているのにも理由がある。一刀から定期的に送られてくる、必要な報告や連絡のしたためられた直筆の書簡のおかげだ。

 

益州牧・劉璋の軍勢を事実上乗っ取ったといってもいい江州軍。華琳がその舵を取ることになるだろうことを予想していたかのように、一刀は此度の討伐行を後方から支える準備をしていた。華琳もまた、それを当然のように受け入れて活用している。

一刀が後方で情報収集と伝達、輜重の手配や支援などを行い。

それを受けて華琳が前線に立って動く。

過程はどうあれ、兵が不必要に疲弊することなく、飢えることもなしに、結果を出している。

どこからも咎められるいわれはないと、華琳は涼しい顔をしている。

一刀がこの場にいたとしても同じ態度を取っただろう。

率いられる兵たちもまた、行軍の負担と辛さを軽減しようとしている華琳たちの行動を知っている。そのためだろう、商人である華琳の指示に従うことにも抵抗を感じていなかった。

もっとも、江州や成都において、華琳を相手に武力でも軒並み叩きのめされているため逆らえない、という事情もあったりはするのだが。

 

 

 

さて。

一刀から届く報告は大概、華琳もよく見知った商人たちが携えてくる。今回もまた同じだと思っていたのだが、意外な人物がやってきた。

 

「……どうして貴女がこんなところにいるのよ」

「お前を手伝ってやってくれ、と便りをいただいた。

 それで遠路はるばるやって来たというわけだ」

 

まだ一刀に保護されたばかりの頃、商用の旅の途上で友となった女性。

姓を関、名を羽、字は雲長。真名を愛紗という。

 

幼馴染みとも言うべき彼女は、幽州涿郡に居を構えている。一刀と縁のある商隊で護衛として働いたり、郡の兵たちと組んで山賊の討伐などを行っており、その武の程は"黒髪の山賊狩り"と謳われるほど。その名は幽州はもとより、遠く離れた益州にまで響いていた。

 

とはいっても、その当人の気質を知る者にとって、周囲が後から被せる評価などは重要ではない。よっぽと変わってしまったということでもなければ、やり取りや接する態度などもまた変わらないものだ。

 

「……愛紗。久しく見ない間に、また胸が大きくなっていない?」

 

だが華琳にとって、関羽の変化は見逃せないものだったらしい。

もっとも、こんなやり取り自体は変わりのないものではあるけれども。

 

関羽は関羽で、会って早々にあんまりな言葉を掛けられ思わず、その立派な胸を腕で隠すような仕草を見せる。次いで、思わずとばかりに溜め息を吐いた。

 

「華琳よ。久方振りにあった友に対して、第一声にそれはないんじゃないか?」

「まったく、愛紗といい焔耶といい紫苑といい桔梗といい、どうして私の周りにはこう胸の大きな女が多いのかしら。私だって小さいわけじゃないのよ? なのにどうして劣等感に駆られなきゃいけないのよ。納得いかないわ」

 

ぶちぶちと呟く華琳は、関羽の言葉に耳を貸そうとしない。そんな彼女を見て、関羽と魏延は顔を合わせる。初対面ではあるが、華琳に付き合う人間として相通じるものを感じたのかもしれない。

 

「もういい。お前に変わりないことは分かった。

ほら、愛する義父上からの報告だぞ」

 

もうどうでもいいやといわんばかりの投げやりさで、関羽は、華琳に書簡の束を差し出す。

次の瞬間、目にも留まらぬ速さでそれらは華琳の手の中に移った。

笑みを浮かべながら一枚一枚検分していく彼女の姿に、関羽は「やはり変わっていない」と苦笑せずにはいられない。

 

一方、魏延は心中穏やかではなかった。

華琳の幼馴染みだと?

その一事だけで、自然と腰が引けてしまいそうになる。

もしかしてこいつも、華琳みたいな"いい"性格なんだろうか。

華琳みたいな奴がふたりもいるなんてたまらない、と、魏延はわずかに警戒する。

 

もっとも、それはわずかな間でしかなかった。

 

「華琳と幼馴染みってことは、北郷さんとも知り合いなのか?」

「うむ。小さい頃からよくしてもらっている」

「……お前も、"弄る側"なのか?」

「……お前も、"弄られる側"なのか」

 

それ以上の言葉は、必要ない。

 

「愛紗と呼んでくれ。よろしく頼む」

「焔耶だ。こちらこそよろしくな」

 

ふたりは強く手を握り合い、互いの境遇に想いを馳せる。

ことあるごとに弄られるという意味ではあるが、同じ立場にいる何かがふたりを共鳴させ、分かり合うことを可能とさせた。それこそ、姓名を教え合う前に真名を交換してしまうほどに。

 

もしこの光景を厳顔が見ていたら、常に弄られ続ける同士として彼女も涙を流すに違いない。生暖かい視線を向ける黄忠の優しい笑みに見守られながら。

ふたりにそこまでさせた一刀と華琳の行状というのも、大したものだと言えるものだろう。

もちろん、多くは悪い意味で、だけれども。

 

 

 

ほかには分からない何かによって、深く誼を交わすふたり。それを放置して、というべきか、ふたりに放置されてというべきか。とにかく、華琳は一刀からの書簡を受け取り、"後ろの方"から目を通していく。

 

前半には、黄巾賊の状況であるとか、ほかの軍閥の動きであるとか、軍のこれからの動きに影響するそういった情報が記されている。もちろん、この書簡において主となる重要な内容だ。

同時に最後の部分には、一刀が娘を気遣う言葉が記されているの常だった。

 

ゆえに、彼女は後ろの方から目を通す。じっくりと、何度も何度も。華琳はいわゆる「義父さま成分」をそうやって補給することで、自身の士気であるとか意欲であるとか、そういったものを維持しているのだ。

傍から見れば、くだらないことかもしれない。だが本人にしてみれば至極真面目で、深刻な問題なのである。

 

笑みを浮かべながらひとしきり文字を眺め、満足したところでようやく彼女は本文の方へ目を移す。表情も、真面目なものに切り替えながら。

 

「ようやく本題に目が行ったか」

「相変わらず優先順位にブレがないな」

 

華琳の姿を見ながら、思ったことを好きなように口にする魏延と関羽。

 

「悪いやつじゃないんだよな。頭の回転が速くて性格が少しばかり陰湿ではあるけど」

「……私以外の評価も、そんなものなんだな。安心した」

「恋する乙女っていうのも、気持ちは分からないでもないんだ。だけど相手は義父なんだよなぁ」

「まぁ、父親とはいえ義理だ。年も離れすぎているというわけじゃない。細かいことを気にしなければ、問題ないとも、言えなくはない」

「はぁ?」

 

理解を示すようにひとりうなずく関羽。

魏延はまさかそういう方向で肯定されるとは思いもせず、間の抜けた声を上げて関羽を見返した。

 

「焔耶。華琳の境遇については?」

「詳しくは知らないけど、大まかには」

「係累がいないというのも?」

「知ってる」

「わずか6歳で身ひとつになり、それから育て上げてくれたのだ。それに一番近くに居続けた男性でもある。親愛が異性へのそれに変わったとしても不思議じゃないだろう」

「確かにそうかもしれないけどさ」

「何より義兄上は男性としてすばらしい人だ。惚れてしまったとしても仕方がない。年の差など何の障害にもなりはしない」

「……は?」

「優しく頼りになり何でも知っている義兄上は私にとってもかけがえののない存在だ。時に厳しいこともあったしかしそれもすべては私のことを思ってのこと愛そう愛ゆえのものだったのだ愛紗はその思いに応えてきましたもちろんこれからも応えていきます義兄上あぁ義兄上」

 

目を輝かせうっとりとしながら、流れるように言葉を紡ぐ関羽。

そんな彼女に、魏延は少しどころではなく腰を引いてしまう。

 

「兄さまの死後、私をここまで育ててくれたのはほかならぬ義兄上だ。敬愛せずにいられようか、いやいられまい!」

 

背後から効果音が聞こえてきそうな勢いで。

関羽は拳を振り上げた姿勢をキメて自らの想いを叫ぶ。

 

あぁ、やっぱりこいつも華琳と同類だったか。

あれ、というかこいつらをここまでダメにしたのも北郷さんなんじゃないか?

 

魏延はそんなことを考えつつ。

真名をあずけたのは早まったか、と、少しばかり後悔していた。

 

 

 

 

 

先にも触れたが、華琳と関羽が出会ったのは、ふたりがまだ小さい頃。一刀が華琳を引き取り各地を放浪していた時期だ。

関羽の生まれは、洛陽の北に位置する、司隷・河東郡解県。両親はおらず、実兄とふたりで暮らしていた。

彼女の兄は専売制となっている塩の密売をしており、一刀とはその縁で知り合っている。華琳を連れて放浪を始めて間もなく、一刀は彼の下を頼った。

理由はいくつかある。

ひとつは、洛陽周辺で曹一族虐殺の調査を進めるための拠点が欲しかったこと。

ふたつは、さすがに洛陽へ華琳を連れて行くことはできないため、彼女をあずける先が欲しかった。信用できる人間のうち、一番洛陽に近かったのが彼の下だったこと。

そして、華琳に同世代の友人を作らせたかったこと、だ。

 

当時の関羽にとって、一刀は「兄の知り合い」という程度の認識である。

そんな彼が突然連れてきた、同年代の女の子。それが華琳だった。

 

「俺のいない間、一緒に遊んでやってくれないか?」

 

関羽は両親の居ない中で自分を育ててくれている兄を尊敬しており、一刀はその兄を助けてくれる人ということで、それなりに懐いてはいた。その彼のお願いなのだから、それくらいのことならわけはない。

 

最初は互いに怖々と接しながらも、やがてそれなりに仲良くなることができるのは幼さゆえか。

だが幼いとはいえ"あの"曹操と関羽である。互いに我が強く、ひと言遊ぶといっても自分の得意な土俵で相手を振り回すようなものばかりだった。

思考型の華琳は、何かと小難しいことを吹っ掛けて関羽の頭を混乱させ。

行動型の関羽は、何かと強引に方々へ連れ回し華琳の体力を削っていく。

お陰でというべきか、関羽は動くにしてもいろいろと考えをめぐらす思慮深さを得て、華琳は考える粗方を自分でこなしてしまえる自力を得た。図らずも切磋琢磨を続けることとなり、成長したふたりの知的身的能力は相当なものになっている。

「"関羽"レベルの曹操、"曹操"レベルの関羽なんて怖すぎる」

"天の知識"ゆえの連想に、一刀が内心畏怖した時期があったことは誰も知らない。

 

 

 

そんな幼少時がしばし続き。年相応、と言うにはやることが飛びぬけていたりもしたが、年相応に友人と遊び回る楽しい時間が流れた。

だが天とやらは、ここでも無慈悲な事態を引き起こす。

 

関羽の兄が生業としているのは、塩の密売。本来は官主導で行われる専売品であるため、無論、違法行為である。というよりも、権力と権威が上乗せされている専売制の旨みを他に渡したくないのだろう。それを侵す商人たちに業を煮やしたのか、官吏たちが兵を連れて制圧に現れた。

関係者は慌てるが、"フットワークの軽さ"を信条にする一刀が全員に檄を飛ばし、逃走を図る。

逃げる商人連中の先陣を一刀が受け持ち、殿を関羽の兄が受け持った。

妹を頼む、と、一刀に託し走り去る兄。追おうとする関羽だったが、一刀に無理矢理抱え上げられ引き離されていく。泣き喚く彼女に構わず一刀は、華琳と関羽、そして仲間たちと共に河東郡を離れた。

 

捕縛あるいは殲滅を目的とした官吏たちから逃れ、落ち着いた先は幽州涿郡。関羽ら兄妹の叔母が住む村だ。

だが一刀はひとり、息を吐く間もなく河東郡へと取って返す。

「華琳と一緒に待っていてくれ。何、あいつと一緒に直ぐ戻る」と。

関羽の頭を撫で、華琳の頭にも手をやり。

誰の制止の声も置き去りにして、彼は駆けて行った。

 

それからの華琳と関羽は、毎日村の入り口に立ち、ひたすら待ち続けた。

戻らない肉親を想い、あふれそうになる涙を堪えながらふたりは夜を明かす。

幼い彼女たちのそんな姿は、周囲の大人たちの胸を締め付けさせた。

 

どれ位の日数が経ったか、一刀は再び涿郡へと戻ってきた。単身、傷だらけの状態で。

驚いて駆け寄る華琳と関羽、そして共に逃げた商人の仲間たち。

一刀は関羽の前にひざまずき、頭を垂れ、声を絞り出す。

俺はあいつを助け出せなかった、と。

彼が持ち帰ったのは、関羽も見覚えのある上着と、腕輪。

彼女に手渡されたそれらは血に塗れていて。

兄がどうなったのかは幼い身であっても想像はついた。

大切な兄は、もう戻ってこない。

涙が、あふれ出す。

崩れるように膝を突いた関羽は、そのまま一刀へともたれ掛かり。

垂らした彼の頭を抱き込むようにして、泣いた。

 

 

「必要なときに、泣かせてくれた。だがそれだけじゃない。

大人の男性が自分の行動を悔い、小さな子供に泣いて許しを乞うなどどれだけの者ができるだろう。それは兄さまを、私を、それだけ大切な者だ思っていてくれたからにほかならない。

だが今思えば、あの時に私はこう、胸が、悲しみとは別の何かで胸がうずいて……。

つまりそういうことだ」

 

 

以後、関羽は叔母夫婦にあずけられ、この地で過ごすことになる。

そして、一刀のことを"義兄上"と呼ぶようになった。

いきなり呼び方が変わり一刀は驚いたが、兄がいなくなった代わりなんだろうと考え、それを受け入れる。

さらに、華琳が嫉妬に狂うほど一刀にべったりとなった。

事情は理解しているし、自分も同じような境遇だったために自重していた華琳も、許せなくなったのか、それとも自分が耐えられなくなったのか、争うようにして一刀に抱きつくようになる。時に張り付く場所をめぐって喧嘩になるほどに。

周囲の目は、元気で何よりと微笑ましく受け取っていた。

しかし一刀ひとりだけ、

「幼いとはいえ"あの"曹操と関羽が拳で語り合ってる」

などと考えていたのは誰も知らない。

 

 

それから10年以上が経った。関羽は近しい者を失わないよう武の研鑽に努め、一刀の手助けになれるように華琳と共にさまざまなことを学び。可愛らしい少女は、凛々しさを湛えた魅力を持つ女性へと成長した。

 

 

 

新たな友・魏延を前にして関羽は、敬愛する義兄・一刀と自分にまつわる話を語る。大いに熱を込め、どれだけの一大叙事詩なんだと思わせるほどに。

聞かされる魏延にすればうんざりするようなものではあったが、話の主役は自身もよく知る北郷一刀という男。語られる彼の言動のところどころに心当たりがあったり納得したりするものだから、退屈にはならないところがまた憎らしく思う。

そして知れば知るほど、彼のことが分からなくなってくる。何よりもその考え方と知識、物事の捉え方に理解が追いつかない。

 

「あの人の知識も謎過ぎるだろ。時々聞いたこともない言葉使うし、物知りとかそう言う問題じゃない。羅馬(ローマ)より向こうから来た、って言われても信じちまいそうだ」

「私は、羅馬とは逆の海の向こうから来た、というのを聞いた覚えがあるような」

「愛紗、当たりよ」

 

受け取った書簡に目を通し終えて、あれこれ策を頭の中でめぐらせていた華琳が近寄ってくる。

おそらくは「義父さま成分」を補充できたおかげだろう、生気にに満ちた表情を浮かべて会話に加わった。

 

「え、本当に海の向こうから来たのか?」

「笑いながら言っていたことだから、本当かどうかは分からないけれどね。

でも、義父さまの生まれが地の果てだろうが海の果てだろうが関係ないわ」

「それもそうだな。今そこに義兄上がいて、自分を気に掛けてくださる。その方が大事だ」

「分かってるじゃない愛紗」

「当然だ」

 

示し合わせるでもなく、華琳と関羽は強く手を握る。互いに満面の笑みを浮かべて。

 

どうしよう、こいつら重症だ。

魏延は口を挟むことなく、ふたりからもう少し距離を取る。

だが一方で、「これまで生きてきたおよそ7割を、共にもしくは心の支えにして過ごしてきた」と考えれば仕方がないのか、とも思う。ふたりの境遇を想像するしかできない魏延には、深くどうこう言うこともできない。中身はともかく当人が幸せそうで、自分に迷惑が掛からなければいいか、という、消極的に見守ることで落ち着くことにする。

何となく黄忠から無言の威圧を感じたような気がしないでもないが、魏延は気のせいだと思うことにした。

 

 

 

 

 

話はやっと本題に戻る。

 

冀州近辺を根城にしていた黄巾賊の集団が移動する。中央から派兵された軍勢は洛陽に近づかせないよう追いやり続け、その結果、賊徒たちはどんどん南下していくことになった。

 

不幸中の幸いというべきだろうか、その道程に大きな町や集落は多くなく。移動している規模を考えれば、被害の程はそう大きなものではなかった。

もちろん、被害が皆無だったというわけでは決してない。各地の被害の程も、分かる範囲で報告がなされている。それらを目にするたび華琳は顔をしかめるが、今の彼女にどうにかする術はない。

洛陽の軍に対しても、数万単位で兵を出しているのだからもっとうまくやればいいものを、と思わないでもない。洛陽から遠ざければそれでいい、という考えなのか、徹底して討伐するという意識が薄いことも見て取れるのだ。

そんなことを言ってもどうしようもない。それは分かっている。それでも、ツケがすべて一般の民に降り掛かってくるのはが納得いかない。

華琳は、そう思わずにはいられなかった。

 

江州軍は益州を出て、現在、荊州南陽郡のやや南、襄陽に程近い場所にいる。

追いやられる形で南下して来た黄巾賊が、洛陽軍の追撃が緩んだところで再集結を始めた。そして南陽郡・宛の街を包囲しているという。さらに、それに対処する軍勢も近付いているという連絡を受ける。

一刀からの書簡にも南陽へ向かう軍閥がいる旨は記されており、華琳が方々へ放っている諜報役からも同様の報告があった。

 

そしてその軍閥を率いるのは、兗州・濮陽の県令だと聞き。

昔馴染みの顔を思い浮かべた華琳は、柔らかく微笑んだ。

 

「南陽を囲もうとしている黄巾賊を狙って、軍閥が展開しているわ。

私たちもそこに合流しましょう」

 

これまでに被害らしい被害を出していない頭脳役の華琳が言うのであれば、誰もそれに反対する理由などなく。

先触れを走らせた後、江州軍は進路を北へ取り、南陽へと向かう。

 

 

 

宛の街を遠巻きにしてたむろする黄巾賊の大軍と、それを威嚇するようにして陣を敷いている官軍。江州軍が到着した頃、近辺は一触即発とまでとは言わないがそれなりの緊張感に満ちていた。

 

そんな空気など知ったことかとばかりに、声を上げ駆けてくる女性がひとり。

 

「かりんさまーーーーーーーーーーーーーっ!!!」

 

真名を叫びながら、彼女は一直線に華琳へと向かい、抱きついてきた。

 

「かりんさまかりんさまかりんさまかりんさまかりんさまかりんさまかりんさ」

「いいかげんにしろ姉者。華琳さまが困っているだろう」

 

抱きつくやいなや、華琳の顔を大きな胸にうずめさせ、自身の頬を摺り寄せる。摺り寄せ続ける。

続いて、そんな彼女を姉と呼ぶ女性が現れ、頭を小突いてみせた。

 

「そんなことはないぞ秋蘭、私と会えて華琳さまもこんなに喜んで」

「とりあえず、苦しいから離れなさい春蘭。その胸揉み潰すわよ?」

「そんな、華琳さま!」

「いいから離れろ姉者」

 

無理矢理引き剥がされた女性は、華琳の言葉に傷ついたかのようにそのまま膝を突く。

さめざめと泣かんばかりの彼女を放置し、後から現れた女性もまた嬉しそうに笑いかける。

 

「お久しぶりです、華琳さま」

「元気そうで何よりね、秋蘭」

「私も元気です華琳さま!」

「見れば分かるし、身をもって体感したわよ。

……ふふ、相変わらずね。嬉しいわ、春蘭」

 

膝を突いたせいで低い位置にある頭を、華琳は優しく撫でる。

懐いた小動物のように嬉しそうな表情をする姉、その姿を見て顔をほころばせる妹。

このふたりもまた、華琳の古くからの友人であった。

 

 

 

双子の姉、姓を夏侯、名は惇、字は元譲。真名を春蘭。

妹、姓は夏侯、名を淵、字は妙才、真名を秋蘭。

華琳にとって彼女たちは、曹一族虐殺が行われる前からの知己である。

 

夏侯姉妹の父が華琳の父・曹嵩と誼のあったことから、3人は幼い頃に知り合っている。いずれは華琳と主従に、という考えもあったようだが、まだ片手で足りるほどの年齢であった彼女たちは互いに同年代の遊び相手として親交を深めていった。

そして起こった、華琳の祖父・曹騰、父・曹嵩が暗殺。

洛陽の中枢を統べる十常侍の極めて利己的な思惑から起きたこと。事態を知った夏侯姉妹の父は、娘ふたりを逃がした上で、行方知れずになった華琳の身元と、真相を明らかにすべく動き出した。

しかし、重ねて行われた曹一族の虐殺に巻き込まれる形で彼も殺されてしまう。

 

曹騰と曹嵩と誼があり、十常侍に与しないだろうという考えから、夏侯姉妹は袁家に縁のある家へあずけられた。

あずけられた事情、袁家の娘・袁紹の知己である華琳の友人ということも考慮され、ふたりは袁紹の近くに身を置くことになる。袁紹もまた、華琳という共通の友人の存在もあってかすんなりとふたりを受け入れた。袁紹の側近候補として傍に置かれている文醜と顔良も加わり、同年代の5人は友となった。

 

そこに伝えられた、夏侯姉妹の父の死、曹一族の滅亡、華琳の生存は絶望的だという知らせ。

友人と父親を同時に失った夏侯姉妹は 深い悲しみに囚われ泣き腫らした。

袁紹もまた友人を失ったという点では同じだ。だが「父親も失ったふたりに比べれば悲しみはまだ浅い」と、彼女は夏侯姉妹を慰めようとする。そして、そんな3人をさらに文醜と顔良がなだめるという日々が続いた。

 

幼い5人は、同じ悲しみを共有して涙を流し合った。皮肉ではあるが、このことを機に彼女たちの繋がりは深いものとなっていった。

 

 

後年、曹一族虐殺に関する得られる限りの情報を集め取りまとめた上で、一刀は袁家の主・袁逢の下を訪れ、華琳との再会の場を作っている。事情を知る者ということもさることながら、商人という立場で堂々と対応しようとする一刀に興味を持った袁逢の取り成しもあり、彼女たちは数年振りに再会することができた。

 

夏侯惇、夏侯淵、そして袁紹は、華琳の姿を見て呆然とし。次いで弾けるように抱き付き喜びの涙を流す。華琳もまた釣られるように涙ぐんだ。

 

中でも特に夏侯姉妹の喜びようは、歓喜を通り越し取り乱しているかのように激しかった。再会の場を設定した一刀と袁逢はもちろん、華琳までもが驚くほどに。

仲のよかった友を失い、次いで実の父親も失う。幼い頃のその経験が夏侯惇と夏侯淵に「身近な者を失う恐怖」を植え付け、そして死んだと思っていた友との再会が「もう失いたくない」という強迫観念のようなものを生んだのかもしれない。

 

 

「貴女たちも、いい加減に"様"付けはやめなさい」

「でも、華琳さまは華琳さまです」

「小さい頃の癖が染み付いて離れないんです。もうあきらめてください」

 

そういって微笑む夏侯惇と夏侯淵に、華琳は苦笑を漏らすしかない。

 

華琳にしてみれば、祖父と父が死なずにいたなら、ふたりが自分と主従の関係になっていたかもしれないことは想像できる。事実その頃から、敬称の意味も分からずに"様"付けをされていたのだから、夏侯姉妹の父にはそのつもりはあったのだろう。

だが今の彼女は一介の商人でしかなく。身分だけで言うならば、この中でもっとも下に位置するはずなのだ。夏侯姉妹もそれは分かっている。だがそれでも幼い頃と同じ呼び方をしてしまうのは、失ったと思っていたものが今もその手にあるという喜びからなのかもしれない。

 

 

 

「で、あの軍勢は濮陽軍になるのかしら。それとも袁家の私兵扱い?」

「袁家の兵になります。麗羽さまは新しく渤海郡太守を任ぜられました。転任の時期と黄巾討伐の下知が重なってしまったので、濮陽から兵を出すことができなかったんです」

「あら、出世したのね。

それじゃあ、麗羽は先に渤海に行っていて、現地をある程度掌握してから兵を再編成するってところかしら」

「はい。そのつもりです」

「じゃあ、今の軍勢の責任者は?」

「名目上は、姉者なのですが……」

「分かったわ」

 

華琳はその場に膝を突き、頭を垂れ、改まった態度を取る。

 

「袁渤海太守が軍の将・夏侯将軍にお願いがございます」

 

態度と共に声音も改まったものになる。まるで"平民が官吏に目通りを願う"かのように。

それに続くようにして、魏延と関羽も同じように膝を突き、頭を下げる。

 

「華琳さま、何を」

「姉者」

 

華琳の豹変に付いていけずうろたえる夏侯惇。

そんな姉の動揺を、夏侯淵は手をかざし押さえ。華琳に先を促す。

 

「ふむ、なんだろうか」

「益州牧・劉璋様の命により、我々は兵を率い黄巾賊の討伐を行っておりました。

独自に情報を集め、南陽近辺に黄巾賊が集結しているとの知らせを受け、そこへ向かう途中でした。

見れば将軍の軍勢も向かう先は同じ様子。

そこで、我々もその一端に加えていただけないでしょうか」

「華琳さまが一緒に来てくれるのなら喜んで!」

「姉者」

 

嬉しそうな声を上げる夏侯惇を再び諌めながら、夏侯淵は想像した通りの流れに微笑する。

 

「少数ながら多くの成果を挙げていると聞く、名高い"江州軍"と合流できるのだ。こちらの方こそ喜んで迎え入れたい」

「ありがとうございます」

 

さらに深く、頭を下げる華琳。そんな彼女に、夏侯淵は笑みを浮かべながらうなずいてみせる。

 

「こんな感じで、よろしいですか?」

「えぇ。ありがとう、秋蘭」

 

言葉と態度を最初のものに戻し、改めて素で接する華琳。

 

例え友であっても、今の彼女たちは立場が違う。

夏侯惇と夏侯淵は名家・袁家に属する将であり、対して今の華琳はただの商人でしかない。

例え古くからの友人であったとしても、外からはそんな事情など見えはしないのだから。

華琳が持つ実質的な権限というのも、しょせんは江州軍という身内の中でのみのもの。名代である魏延も、正式な地位で言うならば夏侯惇と夏侯淵に及ばない。ゆえに、揃って頭を下げてみせ"正式に"願い出たということになる。

 

「しかし頭を下げられているのに、見下ろしている気分ではありませんでした」

「当たり前じゃない。常にそういう心持で物事に向き合っているんだもの。

見ていなさい、いずれすべてを"下から"見下ろしてやるわ」

 

彼女の言葉には苦笑せずにいられない。

夏侯淵はもちろん、同じく顔を上げた魏延と関羽もまた同じ反応だ。

ただひとり夏侯惇だけは、何か眩しいものを見つめるかのような視線を向けているけれども。

 

「さて、まずは南陽に恩を売るわよ」

 

必要とされている場所に必要なものを届け、相応の対価を得る。

それが商人の基本のひとつだと、彼女は義父・一刀に習った。

華琳が求める対価とやらがどれだけのものになるのか、それはまだ誰にも分からない。

 

 

 




・あとがき
華琳「お義父さんのお嫁さんになる!」
愛紗「お義兄さんのお嫁さんになる!」

槇村です。御機嫌如何。




そんなわけで、ここの愛紗さんはブラコン設定になりました。
……おかしいな、どうしてこうなった?

さらに春蘭さんと秋蘭さんが登場。名前だけですが袁家の3人も。
「曹一族皆殺しって夏侯姉妹はどうなったー」という声もありましたが、
こんな感じにさせていただきました。

……おかしいな、このお話は1話5000字もいけばOKなつもりでいたのに。
でも第5話は書いていて楽しかった。



次は多分、4月末。
いや、ゴールデンウィーク明けになっちゃうかもしれない。

……祝日が入ると仕事があわただしくなるんですよ。
祝日なんてなくなればいいのに、と半ば本気で思うくらい。



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06:縁 その弐

 

「さすが曹孟徳。世界や境遇が異なろうとその実力に違いなし、といったところか」

 

荊州南陽郡・宛で起きた、黄巾賊と官軍の衝突。

その戦況を記した木簡を手にして、一刀はひとりうなずいてみせる。とても満足そうに。

義理の娘の活躍に、育ての親として鼻が高くなる。それがしっかりと、彼女が求めるものの足掛かりになっているのならなおさらだ。

 

「どうしたんですか北郷さん。ずいぶんと嬉しそうですけど」

「……なぜだろうか。貴方が笑みを浮かべていると、イヤな予感しかしないのだが」

「さすがにそれは酷いですよ。私はもちろん、商人というのは常に笑顔を絶やさず、商いに励んでいるだけなんですから」

「笑っている裏で何を考えているか分からないって、物騒ですよねー」

「お前にそんなことを言われるのだから、まったく大したものだな」

「そちらが話を振ったんですからちゃんと聞いてくださいよ」

 

白々しい言葉を口にする一刀を、席を同じくしているふたりの女性はまったく取り合おうとしない。軽口と言おうか憎まれ口と言おうか、そんなものを叩き合う程度には互いに気を許していることがうかがい知れる。

 

 

 

一刀はある場所で商談を行っていた。

 

華琳が軍勢を率いて転戦するにあたり、後方からそれを支援するのが彼の役割となっていたのだが。江州軍への輜重などは商人仲間に任せ、情報のやり取りやまとめは厳顔と黄忠にお願いし。彼は江州を離れていた。

 

"たかが商人"という立場を考えれば、後者に関しては問題があるようにも思える。友人とはいえ、相手は仮にも領主だ。だが益州牧・劉璋への報告や連絡なども定期的に行う必要があるのだから、と丸め込み、押し付けた。

もっとも、一刀謹製「商交渉の基本手順・情報処理のフローチャート」があるので、彼でなくともあれこれをこなせるようにしている。厳顔と黄忠はもちろん、その下の文官たちといった「誰でも」最低限できるような形を作り、任せきっている。

適材適所。ほかの人でもできるなら、自分は別のできることに専念しよう。

そういう発想から、自分が出張ったほうがいいであろうところに、一刀は出向いているわけだ。

 

今、彼が席を同じくしているのはふたりの女性。

 

ひとりは、張勲。

実質的に揚州の統治を仕切る立場にある袁家の娘・袁術に仕える頭脳役で、真名は七乃。

そして、もうひとりは周瑜。

同じく楊州の呉を拠点とする孫家に仕える軍師で、真名を冥琳という。

ふたりが現在の地位に就くよりも前からの知己で、それこそ"小さい頃から知っている"といって過言ではない間柄だ。

とはいえ、それは身内での話。表向きのふたりはしっかりとした地位を持つ人間であり、一刀は一介の商人に過ぎない。規模の大きな商談になれば、取引をする地でそれなりの立場にある人物が出張ることはある。事実、此度の商談は楊州全体に影響を与えかねない新販路の提案もかねている。一刀が言うところの"飛躍"に対する「プレゼンテーション」のために、彼女たちに足を運んでもらったのだ。

 

 

 

張勲とは、袁家の先代家長・袁逢との繋がりから顔を合わせている。

 

華琳の生存を報告すべく袁家に乗り込んだ一刀を袁逢が気に入り、幾度か商売でのやり取りを経たある時。彼は袁術と顔を合わせる。娘のひとりが蜂蜜が好物で、いい物はないかと頼まれたことがきっかけだ。

 

当時はまだよちよち歩きの娘・袁術に対して、「麗羽とはまた違う愛おしさなのだ」と溺愛ぶりを見せる袁逢。彼のそんな姿に一刀はたじろぐことなく、華琳を引き取り共に過ごした経験から「娘は可愛いなぁ」という袁逢の想い(親馬鹿)に同調する。

こうした経緯から、ふたりは身分を越えた友となった。

 

好物を持ってきてくれる父の知り合い、という立ち位置で、袁術に懐かれた一刀。後年、教育係及び世話係として袁術の傍に置かれた張勲とも誼を得ることになる。

始めこそ彼女は、一刀に対し「商人の分際で袁逢様と袁術様に取り入るとは」などと考えていた。だが袁逢と一緒に「ウチの娘は可愛いなぁ」論議を繰り広げる姿を見、年の近い華琳を紹介され、その彼女から「ウチの義父さまはカッコいいなぁ」を繰り返される。いつの間にか、警戒心などどこかへ放り出してしまっていた。

身近な人間に対する惚気を聞かされ続けていたためか、もしくはそれらから逃避するためなのか、張勲は、袁術に対し過剰なほどの愛情を持って接するようになる。それはもう、べったりと。そして袁逢に負けないほどの「ウチのお嬢様は可愛いなぁ」を展開できるほどに成長する。

成長と言っていいのかどうかは議論が分かれるだろうが、それについては割愛することにしよう。

 

 

 

一刀が周瑜との、というよりも孫家一派との誼を得たのは、彼が華琳と出会う少し前のこと。

 

商用で楊州にいた一刀は、孫策の母・孫堅と出会う。

彼女が土着宗教の蜂起を鎮圧するべく出兵した先で、数に押され剣を手放したところに助太刀に入った。助太刀と言っても、落とした剣を拾い体勢を整える時間を稼いだだけである。だがその時の彼女にしてみれば、それは千金に値するもの。まさに命拾いした数瞬だった。

 

孫堅に大いに感謝された一刀は、楊州方面に所用の際は必ず顔を出すほどの付き合いになる。

"現代人"ゆえの知識から、この時代の重要人物の名前は分かっていた。もし早い時期に顔を繋げることできれば生きやすくなるな、といった考えがあったのは彼も否定しない。だが、名前が世に出る前の孫堅と黄蓋、まだ幼い孫策、孫権、孫尚香、そして周瑜といった"孫呉"の面々と知己になれたのは「さすがに出来過ぎだろ」と思い悩んだ時期もあったりする。

だが都合の良いあれこれも、自身の知る"三国志"とは性別から違っていることを考えれば「深く考えたら負け」と思い放り出し、気にしないようにした。

 

そんなこんなで、孫堅が亡くなり、孫策がその後を継いだ現在も、家族ぐるみの付き合いと、地域を統べる領主と商人としての付き合いは続いている。

 

 

 

さて。

商談に当たる部分の大半を終えた頃に、一刀宛てに木簡が届けられる。それを一読し笑みを浮かべる彼に対して、張勲と周瑜が実も蓋もない言葉を掛けた、というのが前述した場面になる。

 

「私にとっていい知らせと、周瑜殿にとって頭の痛い知らせとありますが、どちらを聞きますか?」

 

言いながら、笑みを深める一刀。

名指しされた周瑜は、先にも口にしたイヤな予感をより募らせる。

とはいえ、こう話を振られて聞かないという選択はが取れるはずもなく。

 

「……いい知らせとは?」

 

周瑜は、先を促した。

 

「黄巾が占拠していた、南陽の宛が奪還されました。

主導したのは、冀州渤海郡の太守に新しく就いた袁紹殿の軍勢です。

そこにウチの華琳を含む江州軍も加わって、結構いいところを見せたみたいで」

 

良きかな良きかな、と、娘の活躍を喜び笑みを浮かべる一刀。

確かにいい知らせだ。こと張勲にとっては、昇進したばかりの袁紹が早々に手柄を立てたという情報は有益なものである。主に袁術をイジる話題のタネとして。

 

「じゃあ頭の痛い方っていうのは何ですか?」

 

そして張勲は、おそらくは周瑜が聞きたくないだろう知らせの方を勝手に促す。

 

「宛の奪還戦に、なぜか孫策殿が電撃参戦したらしいですよ」

 

彼の言葉を聞いた周瑜は力を落とし、うなだれ頭を抱えてしまった。

 

「あいつはなぜそんなところに……」

「勢いで突出するには遠すぎますねー」

 

あははー、と、張勲は愉快そうに笑い。

ははは、と、一刀も同調するように笑い声を上げる。

まさに能天気と言う言葉がふさわしいふたりの態度。だが周瑜にしてみれば笑い事ではない。

 

「聞いた話では、蜂起した土着宗教の鎮圧に出向いていたとか。

刺史からの命、ということですか?」

「そうですねー。美羽さまに話が降りてきて、孫策さんのところに"黙らせるのじゃー"って命令が行ったって感じです」

「鎮圧自体は、言いたくはないがいつものことなんだ。そもそも土着の輩なのだから、どんなに逃げ回っても楊州を出ることはまずない。

なのに何故あいつは、荊州まで突っ走っているんだ!」

 

ダァン、と勢い良く机を叩く。茶の入った碗が浮くほどの衝撃を与えながら周瑜が吼える。

 

「孫堅さんの敵だー、って感じで追い掛けていたら宛まで来ちゃった、なんてオチになるんじゃないですか?」

「……あー、ありそうだなぁ」

「考えたくなかった可能性に気付かせてもらって済まないな、張勲殿」

 

さらっと口にした張勲の言葉に、一刀が思わず口調を崩して同意し、周瑜は表情を引きつらせる。

 

「でもそれなら仕方ないよね。相手は堅殿の敵といっていい輩だし。

うん。孫策殿、どこまでも黄巾を追い詰め殲滅せよ。俺が許す」

「北郷殿、勘弁してくれ……」

 

一刀にしても、知己である人物を殺した集団が相手ならば、物騒な考えにならざるを得ない。

ヤッチマイナー、と、軽い言葉で煽り。張勲がそれをさらに煽って。周瑜がひとり溜め息を吐く。

場の空気はすっかり身内しかいない砕けたものに変わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

孫堅が命を落としたのは、黄巾賊が現れ出したごく初期。ほんの数年前だ。

今でこそ珍しくない黄巾賊の集結。当時は賊と呼ばれるほど台頭しているわけでもなく、小規模で暴れているだけだった。それが初めて大集結を始めたことが発端である。

鎮圧のために孫堅と孫策が借り出され、同じ戦場に立った。

そして、孫堅が命を落とした。

 

孫堅の死を伝え聞き、呉へ駆け付けた一刀と華琳の目にも、その頃の孫策の様子は不安定、それでいて激しい感情を吐き出しているように映った。

母親が娘をかばった、ということなのだろう。母の死の原因の一端は自分にあると、負の感情を抱え込む。そんな孫策は激しい躁と鬱を繰り返し、取り乱していた。悲しみは同じであるはずの妹たち、孫権と孫尚香になだめられるほどに。

 

時間が経つごとに、彼女の様子も落ち着いた。

孫策自身にしても、そこまで思い込むことに益はないと考えている。何より、いつまでもふさぎ込んでいては、当の母に顔向けができない。

母・孫堅のように、そしてそれ以上に、呉の地を盛り立てていく。

そう誓って、気持ちを新たにし、孫策は家長の座を継いだ。

 

以降、"家族"を統べるにふさわしい者たらんと、彼女は"自分なりに"精進を重ねている。相応に思慮深いところも備え、それでいて奔放な明るい気風を持つ彼女は地元・呉において高い人気を得ている。

 

だが孫策は、理を弁えつつも、感覚や感情で言動を行う向きがあった。母・孫堅の死によってその傾向はより顕著なものになる。

ことに、度を越えて人に害をなす存在を嫌悪するようになる。此度のように、血の滾りに身を任せて行動することも珍しくない。抑え役の周瑜が傍にいても、単身「皆殺しだ」と突貫しようとするのだ。

 

母を死なせた罪悪感、あるいは母を殺した賊徒に対する怨みが、戦に駆り立てるのかもしれない。

だとすれば、口でどう言おうと収まるものではないだろう。ある程度は仕方がない、と。周瑜も一刀も、ひと通りの事情を知るのみの張勲でさえ、そう思っている。

 

それでも、周瑜をはじめとした孫策の"家族"たちは、彼女をなだめ、諌め、自制を求める。

彼女が死ぬことなど、誰も望んでいないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

某所にて、愛の込もった叱責と噂話が展開している同時刻。

 

「ふ、えっくしょん!」

 

盛大なくしゃみをする女性がひとり。

些かはしたないと言われかねないものだったが、当人はさほど気に掛けていない。勢いに乗って、長い髪と、露出の多い服に包まれた大きな胸が揺れたことにも気を留めなかった。

対して、目の前の女性が飛ばした飛沫を浴び、これ見よがしに主張する巨乳の存在感を目の当たりにした華琳の気分は勢いよく下がっていく。

 

「風邪でもひいたかしら」

「誰かさんが、こんな場所までやって来たお馬鹿の悪口でも言っているんじゃないの?」

「んもぅ華琳ったら、そんなイジワル言わないでよ」

「限りなく事実に近いと思うわよ、雪蓮」

 

目の前で陽気に笑う女性に対して、華琳は溜息を吐き、気持ちを落ち着かせようとこめかみを揉みしだく。もちろん、飛んできた飛沫で汚れた顔を拭うことも忘れない。

 

華琳の前に立つ女性。

姓を孫、名を策、字は伯符。真名を雪蓮と言う。

華琳たちが今いる南陽より遥か東南の地、揚州の呉を拠点とする人間で、一刀との繋がりで知己を得た同年代の女性だ。

 

「それで? 呉の人間がどうして南陽まで来ているのかしら。

ちょっと遠出、というには遠すぎるでしょう」

「人様に迷惑を掛けてるクズたちを鎮圧して回ってたんだけどね。黄巾の奴らも便乗して暴れてるのに出くわしちゃって。追い掛けて殺して追い掛けて殺して、ってしてたら、ここまで来ちゃった」

 

てへ、とばかりに、孫策はお茶目に可愛らしく話す。傍目には可愛いと言うよりは美人と言いう方が適当な容姿を持つ彼女。一刀がこの場にいれば「語尾にハートマークが飛んでいそうだ」と評するだろう口調は、印象の差から奇妙な魅力を醸し出していた。

もっとも、その内容はこの上なく物騒なものだったが。

 

「……呉から南陽までって、どんだけだよ」

「……それだけの距離を追い立てられた黄巾の方に同情を覚えるな」

 

彼女の言葉に、魏延と関羽は思わずつぶやく。

魏延にとってはもちろん見も知らぬ人物である。

関羽は一刀から話は聞いたことがあるものの、実際に顔を合わせるのは初めてだ。

とはいえ、友である華琳の知己。それだけで一定の判断はできる。自分たちのことを棚に上げて、「華琳と一刀の知り合いならぶっ飛んでいても仕方がない」などと内心思っていた。

 

魏延と関羽の言葉を聞き流しながら、華琳はさらに頭痛が強くなりそうな感覚を覚える。

 

「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけれど、身をもって体験すると格別ね。

まったく、冥琳の苦労が良く分かるわ」

「ちょっとー、どう言うことよそれは」

「まぁともあれ。貴女がいたお陰で宛を落とすのがラクになったことは事実。それに関してはお礼を言っておくわ」

 

ありがとう、と。

その言葉を孫策は素直に受け止め。どういたしまして、と、華琳の頭をわしゃわしゃと撫でる。

華琳の身長は、おおよそ孫策の肩ほどの高さ。孫策は、手を置きやすいと言っては頭を撫でようとするのが常だ。心安さゆえといえば聞こえはいいが、やられる方はいい気分ではなく。そうされる度に華琳が彼女の手を払うのもまた常だった。

今回もまた、やはり孫策の手は素気なく払われてしまう。

 

「助かりはしたけれど、貴女に着いて来た兵たちをちゃんと労っておきなさい。雪蓮はともかく、普通の兵がこれだけ長い距離を連れ回されたら死んじゃうわよ。

というよりも、少なくない人数がここまで追い付いていることの方が驚きだわ」

「ふっ、孫呉が率いる兵を甘く見ないで欲しいわ」

「……帰り道のことは考えてる?」

「考えてない」

「威張らないでよ」

 

前線で「皆殺しだー」と突貫する孫策。その事情は華琳も理解できるし、彼女が持つ武の程も知っている。

同時に、抑え役である周瑜や、彼女の妹・孫権の気苦労の程も知っている。

 

「言って改まるとは思っていないけど、程ほどにしなさいよ。周りのことも考えなさい」

「最初はいつもの、鎮圧するだけの出兵だったのよ。ただ、黄巾の奴らが絡んでてね。拠点をつぶしながら転戦して、逃げるのを追い掛けたら別の黄巾を見つけて、の繰り返し」

「で、気が付いたら荊州まで足を伸ばしていた、と」

「そうそう」

「冥琳が付いていなかった時点で、想定外だったっていうことは想像できるわ」

 

滅多なことは起きないだろうと思いながらも、"江東の虎"とまで呼ばれた孫堅があっさり墜とされたことも事実なのだ。後方支援が本来の立ち位置になる商人・華琳としては、いろいろな意味で溜め息が出てしまう。

 

「でも華琳だって、もし黄巾の奴らに北さんを殺されたら同じことするでしょ?」

「当たり前じゃない。地の果てまで追い掛けて、ひとり残さず殲滅よ」

 

即答である。

あっさりと前言を放り出し、孫策の言葉に同調する華琳。

 

「当然だな。私の偃月刀とて黙っておらんぞ」

 

さらに、これまで口を挟まずにいた関羽が乗っかってくる。

 

「愛する者に手を出すならば」

「その命ないものと思い知れ」

「誰であろうと容赦はしない」

 

見敵必殺!殲滅!殲滅! と、得物を振り上げながら叫ぶ孫策、華琳、関羽。

対象は違えど、その内容はあまりに物騒。魏延は湧き上がる頭痛を堪えるのに苦労する。

確かにこの3人は揃って身内を亡くしている。大事な存在に対して害をなすなら容赦しない、という考えを持つのは理解できないわけであない。

 

「それにしたって極端じゃないか?」

 

魏延はそう言いたかったが、口に出していうのははばかられる。主に直接的な被害を被りかねないという点で。

周囲に助けを求めようにも、夏侯惇と夏侯淵は危険な笑みを浮かべる華琳を見てご満悦。ほかの面々は危険を察知したのか、いつの間にか姿を消していた。

 

桔梗さま助けてください。

 

魏延は内心で、苦労人でツッコミ役の師匠・厳顔に助けを求める。

もちろん、その声が届くことはなかった。

 

 





・あとがき
距離にして東京→大阪くらい?を"なんとなく"走破した雪蓮さんハンパねぇ。

槇村です。御機嫌如何。




ご無沙汰しております。
先日アルカディアさんに投稿している「愛雛恋華」を半年ぶりに更新して、
こちらもまた数ヶ月ぶりに更新となりました。

どれくらいいるのかは分かりませんが、待っていてくださった方々にお詫びをば。




さて。
今回は、"バーサーカー"雪蓮さんをはじめとした孫家関連の人たちが登場。
このお話では、袁術派と孫呉派が険悪ではありません。
それぞれの旧トップである袁逢と孫堅に通じていた一刀さんがあれこれ暗躍したという設定で。
くどくなるからあえて説明を入れなかったけど、ご都合主義万歳だね。

商人・北郷一派の広がりとかは次回に。
次回がいつになるかは確約できませんが。


今さらですけど、こちらのお話はキャラ押し気味の展開になりそうです。(本当に今さらだな)




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07:陽だまり

繰り返しになってしまうが、北郷一刀はこの時代に生まれ育った人間ではない。およそ1800年先の未来からやって来たという荒唐無稽な存在、彼曰く"歴史のイレギュラー"である。

 

彼が生まれ育った世界で「三国志」と呼ばれる時代。生まれるよりも遥か昔に起きた歴史または大河物語として、一刀はこの時代のことを少なからず知識として持っていた。

とはいえ、その逐一を事細かに覚えているわけではない。こんなことがあったかなぁ、という風に漠然とした流れが分かっている程度である。

 

彼はその"三国志の知識"が当てにならないと考えていた。

知識にある有名人が、女性である。知る限り、かの英雄や武将たちは皆男のはずで、明らかに年代が異なる人物が一緒にいる場合もある。

何より、時代に名を残す主人公のひとり、曹孟徳が表舞台に"存在しない"。

その考えに至り、一刀は内に抱えて悩むことを放棄する。

自分の思い及ばない"何か"に気を回し、いろいろ悩むだけ無駄だ、と。

 

何のことはない。ただ普通に、"死ぬまで生きる"ことにしただけだ。

 

 

 

とは言うものの。大まかではあっても時代の流れが読めると言うのは、生きていく上でこの上なく優位な点である。商人であるなら、その恩恵の程は筆舌し難いほどだ。

 

黄巾賊が台頭することは分かっていた。膨れ上がった賊徒がどこかの街を占拠することも分かっていた。

だがそれを止めることような力はない。防ぐこともできない。占拠されるだろう街の名前も覚えがあやふやだ。ゆえに、知識を元に何かをしようとするならばすべて後手に回ってしまう。

 

ならば、後手に回ることを前提にし、事後に適切な行動ができるように備えよう。

 

そう考え、一刀は、金銭、物資、人手、物流、それらを活用できる伝手など諸々、必要だと思えるものすべてに手を出し、拡げ、定着させるべく奔走し続けた。

彼には"現代で学んだ知識"、それを元に商人として生きてきた10年以上の積み重ねがある。約束を違えない誠実さと情、そして目先よりも長い目で見た総純益を提示できる計算高さと聡明さが、"相手に損をさせない商人"と呼ばれるまでにした。

 

事実、漢王朝の威が届く地域の内、南部に出回るあらゆる商品に絡めるまでその手は拡がっている。

例えば、呉に送られる酒の増減を彼の意のままにできる。少しずつその量を減らし、表向きもっともらしい理由を掲げながら兵糧攻めをすることも、今の一刀には可能だ。

これはあくまで例え話ではある。その上効果的なのは孫呉上層部のごく一部に限るが。

先立って周瑜がこれを聞き、「慄けばいいのか、身内の恥に悲しめばいいのか分からない」と心底複雑な表情をしていたのは余談である。

 

 

 

さて。

一刀の商人としての影響力。その一端が、ここ、荊州南陽郡・宛の街に注がれている。

指揮するのは、彼と共に商いという戦場を戦い抜いて来た養女・華琳だ。

 

宛を占拠していた黄巾たちが駆逐され、夏侯姉妹が率いる官軍勢が街へと入っていく。人はもちろん建物などにも被害が多く出ており、これらをなだめ復興させることが急務となった。

街を治めていた県令は黄巾賊によって殺されており、統治する者が不在の状態だった。

秩序を取り戻すべく仮に街を治める立場に置かれたのは、奪還を果たした将のひとり、夏侯淵。彼女は"偶然、軍に参加していた"商人に復興作業を依頼し、いち早く街が復活することを求めた。

つまり、華琳は、身内による公的な後押しを得た上で、堂々と、あれこれを取り仕切る名目を得たことになる。

 

一刀も華琳も、役人であれ商人であれ、自分たち以上に早く、速く復興に着手できる者はいないと考えていた。その手早さをもって、宛の街に恩を売ることが狙いである。

 

この時代で最も人口が多いと言って過言ではない南陽郡の要所・宛の街が黄巾賊に陥落させられたという情報を得て、一刀は街の復旧に必要なものの確保に走った。

官軍が街を取り戻すだろうという、一刀の"現代知識"と、宛に向かったのが腰の引けた禁軍ではなく袁家・袁紹の軍勢だと知り、「想像よりも早くケリが付く」と判断。華琳に向けて「一刻も早く官軍に合流すべし」という便りをしたため、呼び寄せ到着したばかりだった関羽にそれを託し、早馬よろしく向かわせた。

そして一刀自身は、現時点での物資流通を宛に向かわせるよう手配をした後、さらなる物資調達の一環と、楊州方面との流通についてすり合わせを行うために、張勲と周瑜の下へ出向いていたのである。

 

一刀と華琳が思案していたことのひとつ。

それは、商いの拠点を江州から他の地へ移すこと。

 

江州の町に愛着はあったが、商売の拠点とするにはいかんせん不便だ。何処に行くにも険しい山を上り下りしなければならないのは、難がある。

そこで一刀は、先にも触れた"場所は不確定だが黄巾賊に荒らされる街"に目を付けた。

 

つまり、街の建て直しに便乗し、新しい拠点を築いてしまおうというわけだ。

 

こういった考え方が、商人が嫌われる理由のひとつなのかもしれない。だが武力で言うことを聞かせるわけではないし、損をさせるつもりはないから勘弁してくれ、とは一刀の談。

遠からず街の商いの流通を牛耳るつもりである。それは彼も否定しない。だが、"相手に損をさせない商人"として知られる一刀たち商人一派のやることだ。元より街で商いをしていた人たちに不満のないような条件を示し、反発のないようにする。その上、より儲けが出せるであろう独特の流通などを提示してみせる。利に敏感な商人はこぞって飛び付き、復興の早さにひと役買ったという側面もあった。

 

復興の促進という意味では、華琳の豪腕も一因として挙げられる。

意気消沈した街の人たちが、何をすればいいのか分からず呆然としている中。行動の指標になり得る、気の籠められた彼女の指示と命令は心地よく人々の耳に染み込んでいった。

 

補う物資があり、人手もある。それらを無駄なく使いこなす知識を持つ者がいて、すべてを把握して指示できる者がいる。街の建て直しが完了するのも時間の問題と言えるだろう。

 

 

 

華琳が飛ばす指示と檄にしたがって、人が動く。

 

炊き出しをはじめとした当面の食料、壊された住居を補修する蓄財、その他諸々。必要とされるものが次々と運び込まれ、官軍らによって必要な場所で振り分けられ消費されていく。

復興の頭が官軍、その手足となって動くのが商人たち。さらに商人たちの取り成しと指示によって、街の人たちがすべきことを見出して動き出す。沈んでいた街の空気は徐々に払拭され、少しずつではあるが活気が戻って来る。

 

活気を呼び起こした理由のひとつは、街の人々に生まれた心の余裕だ。

自分たちの住む街の復興なのだから、官軍の命令の下、強制的に働かされても仕方がなかった。そこを敢えて、商人たちが雇い入れ報酬を払うという形にしている。

少ないながらも労働の対価を手にし、かいた汗の分だけ速く街が元へ戻っていく。その端から仮構えの店が並び出し、日々の営みに必要なものが蓄えられていくことに安心感が募る。それがまた、次の日に手掛ける復興への活力と繋がっていく。

 

「さすが華琳さま!」

「世が世ならば、私たちは麗羽さまではなく、華琳さまに仕えていたのだろうな」

 

華琳の手腕に、幼い頃からの知己である夏侯惇、夏侯淵の姉妹は感激するやら感心するやら。常にことの前面に立ち続ける華琳の、自信と覇気に満ちた言動。それは身分でどうこうと言えるものでも、出来るものでもなかった。

 

事実、華琳が夏侯姉妹らと対応にやり取りしている姿も見られていたため、彼女が官軍の中でも偉い立場の人物だと思い込んでいた人間も多くいた。後から彼女がただの商人に過ぎないと知った者は驚きを見せたが、官軍の兵さえ顎で使ってみせる様を見続けていたため、「いやいやそんな」と本気にしないものも多くいたとか、いないとか。

 

 

 

ともあれ、華琳は宛の街において多大な印象を植え付けた。「荒れ果て崩れきった地を彼女が歩けば、たちまち立て直されていく」。そんな言葉が半ば本気で語られるほどに。ある意味、得体の知れない恐ろしい存在として見られることもあった。

だがそれも、ある日を境に払拭される。

 

一際大きな兵站の集団が宛の街を訪れ、慣れた様に方々へ指示を出す男性の姿。

そして、待ちかねたかのようにその男性へと駆け寄る女性が、ひとり、ふたり。

 

「義父さまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

「義兄うえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」

 

走りながらも絶叫と言っていい声を上げ、飛び掛ったのは華琳と関羽。

来るだろう衝撃に備えて腰を溜めるも、受け止めきれずに地を舐め盛大に転がった男性は、ふたりが父と慕い兄と慕う、北郷一刀。

 

「義父さま義父さま義父さま義父さま義父さま義父さま義父さま」

「義兄うえ義兄うえ義兄うえ義兄うえ義兄うえ義兄うえ義兄うえ」

 

華琳と関羽が揃って抱き付き、いわゆる"一刀成分"を力一杯補給しようとするが。

 

「義父さま?」

「義兄うえ?」

 

一刀の意識は、天のどこかへ旅立とうとしていた。

 

「ちょっと愛紗何てことするのよ義父さまがあぁっ義父さましっかりして義父さま!」

「何言ってるんだ華琳お前の方こそ勢いを付け過ぎいやそれより義兄上が義兄上が!」

 

肉親であろう男性に甘え、友人である人物と他愛のない言い争いを真剣に繰り広げる。

人目もはばからずさらけ出すその姿に、街の人々は思わず優しい気持ちに包まれてしまう。

 

 

 

江州商人・北郷一刀。その娘・孟徳。

ふたりの名が、宛の街に定着した瞬間である。

 

……どこまでがふたりの計算したことなのかは、誰にも分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

南にも北にも動きやすい要所を得て、多くの伝手と協力者の力を借り、南陽以南の物資流通のほぼすべてに手を伸ばすに至った。

となれば、次に目指すは、以北、何より洛陽への影響力の強化。

 

抜かりはない。

一刀と華琳は、手を打っている。

 

 

 

 

 

この時期、各地で黄巾賊の騒乱が多数起きている。これらに対して漢王朝は、皇帝直属の軍勢・禁軍を用いて、皇帝のおわす洛陽の街や直轄の地である司隷周辺の守護を行っていた。

これを指揮するのは、洛陽の軍部を統べる大将軍・何進。異母妹が霊帝の宮中に入り、後に皇后に立てられたことから大出世を果たした人物である。

 

宮廷内に詰めるお偉方、つまり強い権力を持ちその恩恵を浴している者たちにしてみれば、成り上がり者である何進の存在は煩わしいものだった。ただの民草でしかなかった者が、自分たち高貴な者と同じ地位に、ともすればそれ以上の立場にあることに憤りを露にする。

彼女の家が屠殺業を営んでいたことから「豚殺し」とも呼ばれた。豚は殺せても人は殺せない、その弱腰が禁軍にまで及んでいるなど、陰から彼女に浴びせられる悪口雑言は枚挙に暇がない。

だが、何進はそれらに耳を貸そうとしない。

 

「私は人が食べるだけの動物しか殺さない。

他方で、血を浴びない場所から無駄に人間を殺す輩もいる。

はてさてどちらの方が物騒なのやら」

 

殺した者の金銭などは残さず平らげるようだがな、と、嗤う。

 

妹をダシにして宮中へ乗り込んだ、と陰口を叩かれようと、何進はそれに言い返そうとしない。

彼女が何を思い、何を考えていたのかは誰にも分からない。

ただ、今の彼女は、妹の産んだ娘・劉弁と、母の違うその妹・劉協のふたりが楽しそうに笑い、戯れる様を優しく見つめているだけだった。

 

「何進さん、そろそろ」

「もうそんな時間か」

 

歩み寄った女性の声に、何進はやれやれとばかりに肩を落とす。

 

「もう少しこの至福を堪能していたかった……」

「気持ちは分かりますけど……」

「お前はいいよな、弁とも協ともべったりしていられるものな」

「そんな目で見られても、どうしろっていうんですか」

「じゃあ私と代わろう。何、1日でいい」

「大将軍って地位にある人が、寝言はやめてください」

「せめて3日だけでも」

「どうして増えてるんですか」

「細かいこというなぁ」

「全然細かくないですよ!」

 

ひとしきりそんな会話、言い合い、と言うよりも何進が女性の方を弄り倒して。

涙目になった女性が続けて言う。

 

「……報告が来てます。南陽の宛が取り戻せたみたいです」

「ほう」

「やったのは袁紹さんの軍だって言ってました」

「渤海に移ったばかりだというのに頑張り屋だな。

と言うか、朱儁はどうした。あいつに平定に向かうよう言ったはずだろ」

「……宦官の皆さんが、どこかで口を出したらしくって。豫州から帰ってきたばかりで疲れてるだろうから休めって。それでも行こうとした朱儁さんを無理矢理止めさせたとか」

「馬鹿かあいつら、それどころじゃないだろ」

「詠ちゃんが頭を抱えてました」

「賈駆に、宦官どもの首輪をちゃんと握れと言っとけ」

「無茶ですよぅ……」

 

真名を詠という、仲間である賈駆なる人物の苦労を思ってか、それとも目の前で無茶を言う上司の非情さに絶望してか、その女性ははらはらと涙を流す。

 

「それで袁紹さんの軍なんですけど、華琳ちゃんが加わっていたみたいで。宛の復興に乗り出したそうです」

「あー、あいつらが動き出したか。

……確か、宛の県令はいなくなってたな。適当に欲があって、それでいてヘタレな奴を後釜にあてがっとけ」

「……それって、かえって難しい条件なんじゃ?」

「じゃあ害のなさそうな奴を見繕っとけ」

「いい加減だなぁ……」

「どの道、そこらに転がっているような奴じゃ、あのふたりに丸め込まれてお終いだよ」

「確かにそうですね」

 

互いに顔を見知っているふたりの商人。

想像の中でも人の悪い笑みを浮かべる姿に、おぉ怖い怖いとおどけてみせる。

 

「まぁ、復興がひと心地つくまでは任せきりで構わんよ。正式な派遣はその後ってことで、適当に理由でっち上げて話を付けとけ。袁紹のところの将を仮の県令扱いにしとけばいいだろ」

「分かりました」

 

洛陽でも主要な地位にある人間が、たかが商人について会話を交わしながら、その周囲の対応まで何となく決められていく。

そんなふたりの姿に、駆け回っていた3人の少女がようやく気が付いた。

 

「お姉ちゃんなのだ。お姉ちゃんたちも一緒に遊ぶのだ!」

「あ、お姉さん」

「おばさまも」

 

義理の姉の姿を見つけ、声を上げる少女。

姓を張、名は飛、字が翼徳、真名を鈴々と言う。実の姉妹というわけではないが、何進の傍らに立ち半泣き状態の女性を姉と慕う、まだ幼さの残る、やんちゃな少女。

 

彼女に続いて声を上げたふたりの少女が、劉弁と劉協。張飛と違い、母こそ異なるものの実の姉妹である。現在の皇帝である霊帝の血を継いだ次期皇帝候補だ。

 

宮中の奥で育てられたにしては、その気質は陰を感じさせることなく、活発そのものだ。これは、劉弁にとって伯母である何進のおおらかな性格と、天真爛漫な同年代の友人・張飛の存在が大きい。加えて、霊帝の生母・董太后による躾もあり、ふたりの幼帝は明るく活動的ながら理知にも富むという、理想的な育ち方をしている。世話をする者としては実に手が懸からない子供であった。

 

「おばさまも一緒に遊びましょう。私たちが無理でもおばさまなら鈴々ちゃんに追い付けます」

「これで逃げられっ放からおさらばよ。今度こそ鈴々を捕まえてやるわ」

 

ほんわかとした声で誘う姉・劉弁と、張飛に向かって指を指しながら闊達な声を上げる妹・劉協。

鬼ごっこでもしていたのだろう。軍部の長たる大将軍・何進を仲間に引き入れ、ふたりをあしらい続ける張飛になんとか一矢報いようと画策する。遊びに真剣になる、子供らしい一面だ。

この上ない地位を持つ立場とはいえ、歳相応の振る舞いを見せる幼帝たち。その姿は見る者の胸に温かいものを生じさせる。

 

だがそれでも、悲しいかな、大人には大人の都合がある。

元々の予定通り、遊びの時間はこれで終了。次は勉強の時間となる。

なるはずだったのだが。

 

「よーし、まかせろ。弁、協、お前たちに張飛を捕らえる策を授けよう」

「ちょっ、何進さん!」

 

嬉々として子供たちの遊びに混ざろうとする何進。

手が懸かるという意味では、幼帝ふたりよりもむしろこの上司の方がクセ者だった。

 

「さぁ張飛、我々の包囲網から逃げ続けることができるか?」

「望むところなのだ!」

「行きますよ鈴々ちゃん」

「覚悟しろよ鈴々!」

 

言うや否や、張飛、劉弁、劉協、そして何進は駆け出していく。

 

「鈴々ちゃんも煽らないでーっ!弁ちゃんも協ちゃんも止まってーっ!

というか何進さんいいかげんにしてくださーいっ!!」

 

手の懸からない幼帝たちの分を引き受けるかのように、苦労の種を撒き散らす張飛と何進。それを一心に引き受けることになる女性は、やはり半泣きの状態で、4人の後を慌てて追い掛け始めた。

 

 

 

精神的な負担を日々背負い続ける苦労人という、当人にしてみれば嬉しくない理由で有名な彼女。同時に前漢の皇帝の血を引く末裔としても知られ、今は何進の配下として漢王朝に仕えている。

 

姓は劉、名を備、字が玄徳。真名は桃香。

 

何の因果か、今の彼女は洛陽の宮中奥深くで、漢の次代を担う幼帝、劉弁と劉協の世話係として働き、一方で、奔放なところのある大将軍・何進とその配下の者たちの間に挟まれ奔走する毎日を過ごしている。

 

「お姉ちゃん遅いのだー」

「桃香お姉さん遅いですー」

「そんなんじゃいつまで経っても追い付けないぞー」

「劉備ぃー、本気出せー」

 

張飛捕獲作戦だったはずが、揃って劉備から逃げつつ煽るようにいつの間にか変わっていた。

 

「もういいかげんにしてーっ!!」

 

悲嘆にくれた劉備の絶叫は良くあることとして、今日もまた宮中の誰からも聞き流される。

 

漢王朝の中枢たる場所、洛陽は、表向きはまだ平穏な空気が流れていた。

 

 

 

 




・あとがき
何だか、気が付いたらこんな流れになった。

槇村です。御機嫌如何。





何をぬかしているとおっしゃるかもしれませんが、
これまでランキングってやつを気にしたことがなかった。
ところが前回6話を投稿してからしばらく、日間、週間、月間にコレの名前が躍り出ていた。
え、そんなに見てくれている人がいるの? と正直戸惑いました。
ありがとうございます。


そういやー、戦国恋姫って本当に出るんですね。(ひどい言い草)
日本史大好きな槇村ですが、多分手は出さないと思う。
エロなしにしてはキャラが多すぎじゃないか?

あぁでも。
外史の管理者になった一刀が戦国恋姫の世界に乗り込んで、
三国志も巻き込んだワールドワイドウォーに発展するみたいな話はどうだろうか。

楽しそうな気がする。




20130826:細かいところを修正しました。誤字の指摘感謝です。


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08:つなぐみらい

「何進さん。十常侍と宦官がいなくなった中央を、まとめ上げてもらえませんか?」

「……何だと?」

 

普通に考えれば、この時代に生きる者とは思えない言葉。

臆面もなくそれを口にする、良く知った商人をまじまじと見つめて。

何進は、深い思考に耽った。

 

 

 

 

 

人の縁とは異なものだ。何進は誰よりもそれを実感する。

 

洛陽の町の片隅で肉屋を営む家の長女。それが彼女の立ち位置。生まれてから死ぬまで、それは変わることがないと思っていた。

何進にとっての転機は、霊帝に妹が見初められ宮中へ上がることになったこと。

詳しいことは知らない。整った容貌を持つ妹ならば、そういうこともあるのだろう。

そう納得した。

妹に負けず劣らず、彼女もまたそれなり以上の美貌を持っている。だがいかんせん、彼女は日頃から獣の血にまみれた生活をしていた。しかも裏方だ。目に掛かることはなかったし、掛かったとしても別の意味で目に留まったという理由がせいぜいだろう。年齢が妹よりやや離れていたという理由もあったかもしれない。

 

ともかく、彼女と違って血に触れることなく育てられた妹は、霊帝の側に身を置くことになった。

これまで当たり前だった生活が色褪せるほどの贅沢な暮らしが待っているのだろう。そんなことを考えた当時の何進は、自分の境遇に目を向ける。

妹を見て、羨ましい、という気持ちがなかったとは言えない。だが、自分と妹を比べれば、誰でも妹の方を選ぶだろうとも思う。彼女には、羨望はあっても嫉妬はなかった。

 

それよりも、何進は宦官たちの方に意識が向く。

生き物を捌く肉屋は汚れ仕事だ。ゆえに彼女は、人が見せる表情の裏表、心変わりや理不尽さを嫌というほど見て来たし、骨身に染みて知っている。妹を連れて行く宦官の手の者たちの傲岸さも、憤るでもなく"そういうものだ"と醒めた目で見ていた。

 

一方で、こうも思う。

あの宦官どもは何を思って偉ぶるのだろう。自分とは何が違うのだろう。

立場か? 立場だけなのか?

同じ場所に立てるのなら、あいつらよりも自分の方が余程マシなことができるのではないか、と。

 

そんなことを考え、もやもやした感情を抱えてていた何進に声を掛けた男がいる。

かねてから付き合いのあった商人・北郷一刀。

 

「もし宮中に乗り込もうという意気があるなら、後押ししますよ?」

 

もちろん、条件付きでですが。

そんなことを、彼は笑顔を浮かべながら口にする。

商いの上で普段から見慣れている顔。何進には、彼の笑顔がこの上なく胡散臭く、物騒に見えた。

だが後年の一刀が言うには、何進の方こそ物騒な笑みを浮かべていたとか。

 

この時を境に、彼女と彼は共犯関係になった。

それから数年もの間、何進は金銭面でも物資の面でも世話になり続けている。

気にせずともいずれ見返りはもらう、と一刀は言う。

これほど注ぎ込んでまで得ようとする見返りとは一体何なのか。

返しきれるものなのかと、不安さえ感じていたのだが。

それもようやく、解消することになる。

 

 

 

 

 

劉備が洛陽に身を置くことになったきっかけは、北郷一刀だ。

 

幽州タク郡に生まれ、中山靖王・劉勝の末裔であり、皇族の血を継いでいると教えられて育った劉備。だが彼女自身はそんな系譜にこだわることなく、母と共に筵(むしろ)を織り、それを売って日々を過ごしていた。

 

出会いは、彼女が12歳の頃。

 

「君が劉備ちゃん?」

 

母親と話をしている姿は何度か見たことがある。商人の男性・北郷一刀。

面と向かい話をするのは、この時が初めてだった。

 

「劉備ちゃんのお母さんにはもう話したんだけど、君にちょっとお願いがあるんだ」

 

そう言って、彼は笑みを浮かべる。

 

後年、一刀との出会いを思い返した劉備は言う。

「後悔はしていないけれど」と前置きをし、

「笑顔そのものは、爽やかに見えた。それに騙されたんだと思う」と。

言葉の割に、彼女が漏らす笑みに陰はなかった。

 

 

 

妹が宮中に上がったことで、端役ながら地位を手に入れた何進。

そんな彼女は、一刀の手引きによってさらなる一手を得る。

彼が連れてきたのは、ひとりの少女。

中山靖王の末裔・劉備。

彼女を宮中で働けるように仕込んで欲しいと、彼は言う。

さすがの何進も、その紹介に目を見開いた。

対して、幼い劉備は緊張で身を固くしている。洛陽の中枢に身を置く、いわゆるお偉い人物。そんな女性と対面を果たしているのだから無理もない。

 

「……何を考えてるんだ?」

 

訝しむ何進の声と、視線。

劉備は、びくりと身を震わせた。

しかし一刀の方は何らたじろぐことなく。

むしろ、劉備の頭を撫でながら笑みを浮かべさえした。

 

「彼女には、自分の血筋については説明してあります。やり方次第でどんな風にも利用でき、また逆に利用されかねないということも、ね」

「お前、さすがにそれは」

「多少誘導した、っていう自覚はありますけど、彼女にとっても悪い話じゃないんです。

優しいこの子が、苦しんでいる人たちを何とかしたいと思う気持ち。

それを実行できる立ち位置が手に入るかもしれないんですから」

「相変わらず、口ひとつで人を丸め込もうとする」

「結構、本心ですよ?」

「だからこそタチが悪い」

 

苦笑いを浮かべながら、何進は彼に、目の前の少女と同じ視線まで身を屈め、声を掛ける。

 

「劉備、といったか」

「はい……」

「私は何進という。ここ洛陽で、漢王朝の政に携わる木っ端役人のひとりだ。

だが、木っ端で終わるつもりはさらさらなくてな」

 

何進は劉備の小さな手を取り、包み込むようにして握る。

そして、余りに明け透けな言葉を口にした。

 

「私はお前を利用したい。

少しでもましな世の中にしたいという望みを持つなら、お前も、私を利用するといい」

 

新しい皇帝に繋がる縁と、古い皇帝に繋がる縁。

新旧の王朝に流れる血は、このようにして交わった。

 

それから現在までの数年間、劉備は何進の下で教育を受け続ける。

宮中の執務の流れや力関係を叩き込まれ、何進付きの副官として成長する。

一刀に連れられた商用の旅の最中に目にした、民の生活の現実。それらの改善を目標にし、劉備は"ちから"と知識を蓄えていく。

どうすれば何が動き、それが各地にどのような影響を及ぼすのか。

劉備はひたすら学び、頭を捻り続けた。

 

彼女の幼さなど一顧だにすることなく、何進は劉備に様々な実務を課す。実践の数をこなすことで、実力と判断力、そして決断する強さを培い向上させようという目論見だ。

内容は、一刀曰く"スパルタ"。

事実、余りの激務に泣く暇もないほどだった。

 

同時期に、劉備は次期皇帝候補である劉弁と劉協と会う。

周囲には10歳以上歳の離れた大人しかいなかった幼帝ふたり。歳の近い子どもの相手が必要だという判断から、劉備に白羽の矢が立てられた。

これにはむしろ劉備の精神を落ち着かせる効果があったようで。膨大な量の勉強、そして何進から告げられる無茶振りに疲弊した彼女をひどく和ませた。

親身、というよりもべったりと言った方がいいほどの世話を焼く彼女に、劉弁と劉協はとても懐く。やはり大人よりも子供同士の方が気を許せるのだろう。後日、招き寄せられた劉備の妹分・張飛も加わり、彼女たちの間柄は身分を余り感じさせないものになった。

 

 

 

 

 

あれこれと過程がありつつ。何進は様々なものに後押しされ、宮中へと乗り込んだ。

それから数年が経ち、彼女の手にする権力と影響力は多大なものになっている。遂には軍部の長・大将軍の地位にまで上り詰めた。

 

霊帝の寵愛を受けた妹の威光。

皇帝の血を継ぐ劉姓の者を部下にしているという立場。

そして物的金銭的な不足を補う商人の後ろ盾。

 

何進が持つものは、中枢に居座る宦官たちが持ち得ないものあり、あらゆる面で秀でているものばかりだった。

宦官たちが余り熱心ではなかった軍部を掌握し、現在の皇帝に連なる血縁としての発言力を持ち、次代の皇帝育成にも携わっている。さらには、こなした仕事に対する信賞必罰が徹底されていることから配下の末端に至るまで評価が高い。

居丈高に命令を出すだけの宦官らと違い、報奨という見返りがしっかりとされている。それだけで、何進の下にいる者たちの士気は高まる。

上層の甘い汁がごく一部だけに留まり、末端にはほぼ旨みが行き届かない宦官勢との違いが顕著に見て取れた。日が経てば経つほどに、派閥としての気運の差は露になるばかりだった。

 

 

 

彼女の躍進に、十常侍や宦官たちは不快感を露にする。

 

劉姓の者が弁、協を世話するということで、「前漢の血が未来の漢王朝を育てている」という見方も出来る。それは権力志向を持つ宦官に対して強い影響力を持った。

何進を排除すれば、その配下にある劉備も無関係ではいられない。ひいては劉備に懐いている幼帝ふたりにまで影響を及ぼす。そして、何進一派の失脚に関わった者たちの覚えが悪くなるという結果をもたらすだろう。

さらに言えば、何進を排除した後、軍部を再び掌握することが難しい。

黄巾をはじめとした匪賊の類が急増している。皇帝の威をもってしても止められない以上、必然的に守りを軍部に頼るしかないことは宦官らも理解している。いたずらに掻き回せば、損をするどころか自分の命まで危うくなってしまう。

ゆえに、手が出せない。

気が付けば宦官の領分、それも相当な部分にまで、何進の口出しが行われるようになっていた。

 

実質的な行動に出られない分、十常侍や宦官たちは言葉で責め立てる。だが繰り返し聞かされる苦情やら陰口の類も、何進はまったく意に介しない。

 

「理路整然と反論できない内容で嫌味を言われることに比べれば、奴らの囀りなど可愛いものだ」

 

その嫌味というのが誰のものなのか、彼女は言及していない。

 

 

 

 

 

各地で暴れていた黄巾賊の勢いも小さくなってきている。各地域の軍閥が兵を上げ、積極的に討伐を行った成果、と言えるだろう。

 

また遠因として、南陽郡・宛の街を拠点とする商人たちが積極的に支援をした、という理由もある。

彼らは地域や派閥を問わず、求められれば必要なものを用意し格安で提供した。一刀と華琳が敷いた商人たちの情報網によって"兵站を一手に引き受ける"という知らせは各地域に伝わり、様々な軍勢が宛を経由してから方々へと進軍していくようになったのだ。行軍中でも餓える心配がないということで、前線に立つ兵たちはたいそう喜んでいたという。

 

余りに押し寄せるものだから、軍単位で順番待ちが出来るほどの盛況振りを見せる。そのため、宛の街は常にどこかの軍勢が常駐しているような状態となり。禁軍よりも充実した混成軍によって街の警護が行われるという、自分たちが何もしなくとも街の安全が図れる結果まで生まれた。この時期、南陽郡から盗賊や匪賊の類がひとり残らず逃げ出した、などという言葉が後世に残されている。

 

黄巾賊の討伐もそろそろ収束か、という頃になって。一刀はあるお偉方から招聘を受ける。

言葉は濁されているが、呼び寄せたのは十常侍の面々だ。

 

一刀は、言うまでもなく"たかが商人"である。

そんな彼の名をなぜ、十常侍が知っているのか。

 

南陽・宛の街が黄巾賊に占拠され、何進は軍勢を派遣し取り戻そうとした。しかし十常侍たちは、ただ何進に失点を与えたいがために派兵の妨害をしている。いわば利己的な理由で、この時代最大級の人口を持つ街を見捨てようとしていたのだ。

その後、宛の街は軍閥らによって取り戻される。そして、派兵の命を止めた理由は何なのだと、十常侍たちは何進に人前で難詰されている。何進の足を引っ張ろうとしていた十常侍と宦官らの面目は丸つぶれになり、一連の内容は霊帝にも報告されたという。

苦々しい思いをさせられた地ということで、十常侍らの記憶に宛という街の名が残る。

そして早くも街の復興が進められ、さらに黄巾賊討伐の補給まで行い始めたと聞き。得や利を嗅ぎ取ることに秀でる彼らは、何とか手を出せないかと企み出す。

各地の軍閥を一手に賄えるほどに物と金を持っているのだ、それを我々に回してもいいだろう、と。

 

だが大きな問題が浮上する。

大将軍・何進の存在だ。

件の商人と何進は、妹が霊帝に見初められる前から付き合いがあるという。

さらに宮中へ上がってからは地位と権力を確立していく後押しをしていたということも分かった。

このことに、十常侍たちは渋面を見せた。

妙な手出しをすれば何進に話が流れていく。そして、ただでさえ宦官たちに強く当たる彼女はさらに強気になって出ることだろう。彼らにしても、それは面白くない。

 

潰せないのなら、取り込んでしまえばいい。

何進への後押しを止めさせ、代わりに十常侍らを支援させる。どれだけの見返りを得ているのかは知らないが、しょせんは商人、それ以上のものを与えれば鞍替えするだろう。

複数の軍勢を支えられるほどの金づるが手に入るのなら、こちらから手を伸ばす手間くらいは我慢してやろうという、地位ゆえの傲慢な思考。

だが彼らは、手を伸ばした先にどんな棘があるか、もちろん知らない。

 

 

 

 

 

「あら、もうそんな動きを見せますの?」

 

そう漏らすのは、冀州渤海郡の太守に就いたばかりの袁紹。

彼女の手には、洛陽にいる大将軍・何進から届いた上洛を求める書と、幼馴染みの友から届けられた便りがある。

 

「斗詩さん、猪々子さん。兵をまとめて、いつでも出られるようになさい」

 

二枚看板とも称される顔良と文醜に書を手渡しながら、袁紹はすぐさま対応すべく指示を出す。

 

「春蘭さんと秋蘭さんも、同行なさい。

あのちんくしゃお嬢ちゃんのやろうとしていることを、見届けることにしましょう」

 

そう言いながら、友からの手紙を夏侯惇と夏侯淵に手渡した。

 

「準備が出来次第、発ちますわ。よろしくて?」

 

畏まった4人の返事を聞き、袁紹は満足げに笑う。

普段の哄笑ではなく、慈母の如き穏やかな笑みを浮かべ。

 

「尻拭いはして差し上げます。思うままに、想いを晴らしなさいな」

 

この場にいない友に向けて、彼女は呟きを漏らした。

 

 

 





・あとがき
もうすっかり書き方を忘れてしまった。

槇村です。御機嫌如何。





やぁやぁ、半年ぶりだよ。
もういい加減にしろよって感じの放ったらかし具合。
皆様いかがお過ごしでしょうか。

私? 槇村は仕事ばかり。



まぁそれはさておき。

ちまちま書いてはいたのですが、
間を空けるとダメだね。
モチベーションとかもそうだけど、
どんな書き方をすればいいか分からなくなっちゃう。
書くと決めたら、ちゃちゃっと書ききった方がいいな。うん。

そんなわけでして。
1次小説の方に比重を置くため、
まずこのお話しを終わらせようと思った次第。多分、あと3話くらいで。
巻きを入れようと思ったら、何だか箇条書きみたいになってしまった。
書き方を忘れてるな、と思った。
あれこれ思い出しつつ、次の更新がまた半年後、なんてことは避けたい。


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09:君の名は

洛陽の中枢部、皇帝のおわす王城のある一角。それなりの広さはあるが普段はあまり使われていない広間。

ここに十常侍の面々と、宦官の中でも主だった者が一堂に会している。

自他共に認める高い自尊心、自惚れにも近しいそれを持つ十常侍たちが自ら足を運ぶなど稀有なことだと言っていい。そんな彼らが何のために集まったのか。

それは、漢の商いの半分以上に関わっているという商人・北郷一刀と会談をするためだ。

 

噂に聞く商人が、王朝内で対立する勢力である大将軍・何進と繋がっていると知った十常侍たち。商人なぞと付き合うとはさすが庶民出の小娘よ、と当初は蔑んでみせた。

だが何進が見せたこれまでの躍進はその商人があってのこと、と分かれば、嘲笑するばかりではいられない。排除しても後々面倒なことになるなら、こちら側、宦官側に引き入れたほうがいいのではないか、という意見が現れる。

膨大な蓄えがあるのなら、それは我らのために使った方が有益であろう。

自らの権力欲と財を満たすことに貪欲な彼らは、少しの疑いもなく本気でそう考え。一刀を洛陽へ呼び寄せることを決定した。彼から来た受諾の返事も、さも当然のものとして受け取っている。

 

呼び寄せることは決まった。だが商人ごときを王城の深くまで入れることはできない。かといってわざわざ街へと足を運ぶのも、彼らにしてみれば業腹だ。

誰か遣いをやったとして、その誰かにすべてを握られることもあり得る。同じ十常侍、配下の宦官といっても、皆が皆互いを信頼しているわけでもない。出し抜かれて良いところを持っていかれることを懸念している。

溢れ出る欲と度の過ぎた矜持を測りに懸け、渋々ながら、十常侍の方が場所を用意することになった。また全員が居並ぶことで抜け駆けを防ぎ、同時に生意気な商人を威圧し貢がせてやろうという思惑もある。

 

「我々にここまで手間を掛けさせるとは。相当絞り上げてやらねばな」

「たかが商人ごときが私たちを煩わせたのだ。当然だろう」

 

彼らは下卑た笑みを浮かべながら、そう口にした。

 

 

 

 

 

小さな足音が近づいてくる。

来たか、と、部屋の入口に視線が集まった。

 

足音が止まり、扉が開かれる。

想像に反して、現れたのはひとりの少女。

 

美しい金髪、巻き髪。

左右にまとめられたそれを、髑髏に形取られたふたつの髪飾りで留めている。

黒を基調とし、足を出した丈の短い服。

露出した華奢な肩は、黒い服に浮かび上がるように映えていた。

 

呼んだ商人というのは男だったはず。

十常侍らは、見覚えのない顔に訝しむ。

 

「見覚えがない、かしら?」

 

彼らの内心をなぞるように、彼女は口を開く。

身ひとつで現れ、多くの視線にさらされながら、身じろぎもせず堂々としている。

 

「まぁ、当然よね。顔を合わせたことはないのだから。

名は操、字を孟徳。しがない商人の養女よ。」

 

静かな物言い。

広間の奥へと、ゆっくり歩を進め。顔がはっきりと分かるところまで近付く。

十常侍、そして宦官らにも、やはり、その顔に見覚えはなかった。

名と字を言われても、やはり分からない。

ここに呼んだはずの商人・北郷の娘なのだろうと想像する程度だ。

 

「でも、この名は憶えているのではなくて?」

 

かつての大長秋・曹騰。

その子・曹嵩。

 

さすがに十常侍たちも、彼女が口にした名に反応する。

 

「貴方たちは己の欲を満たすだけのために、目障りだった彼らを抹殺した。

自分たちの痛過ぎる腹を探られることを嫌って、ね。

当時の顔ぶれが未だに全員揃っているのも、大したものだわ」

 

彼女は淡々と語る。目の前の宦官たちが思い起こしていることをなぞるように。

なぜ知っているのか。

十常侍らの中で不穏な焦燥が高まっていく。

 

「曹騰と曹嵩を手に掛け、同時に曹一族を根絶やしにしようとした。

まぁ仇とばかりに歯向かわれたら困るでしょうしね。

徹底しようとしたことも、実行の素早さも、褒められて良いかもしれないわ」

 

でも。

 

「ひとり、取り逃がしたのではなくて?

それとも、手を抜いた部下にいい加減な報告をされたのかしら」

 

上が上なら、下がそうしていても納得できるけれど。

そう言って、嗤う。

声はとても軽い。

しかし彼女の目は、この場にいる全員を冷たく睨め付けて離さない。

 

広間にいる面々をゆったりと見渡した。

彼女の言葉は、まだ終わらない。

 

「曹姓の者は皆殺しにされた。

けれど、たまたま親元を離れていた6歳の娘がいた。

その娘の幼名は、吉利。

もちろん彼女にも、貴方たちは追っ手を掛ける」

 

なぜそれを知っているのか。

まさか、という思いが十常侍たちの中に生まれる。

もしそうだと言うならなぜ生きているのか。

そして、なぜ今頃になって現れるのか。

 

「10年以上前のことよ。

あるところで、ひとりの小娘がゴロツキたちに襲われた。

小さな子どもの足で逃げ切れるはずもなく、彼女は遂に追い詰められる。

もはやこれまで、というところで、酔狂な男が助けに入った。

たまたま通り掛かっただけの、しがない商人。

彼のおかげで、彼女は辛くも生き延びることができた」

 

十常侍たちがどのような決着を持ってひと段落としたのかは分からない。

とにかく、各地を流れ歩く商人に紛れ、身を隠し、ほとぼりが冷めるまで逃げ続けた。

 

その言葉に彼らは驚愕し、目を見開く。

心当たりがありすぎる事件の、知ることができなかった経緯。

もはや彼女の身分や言葉の真贋はどうでもよかった。

筋が通っている言葉に、この場にいる人間すべてが呑まれてしまっている。

 

 

 

突然、激しい音を立てて広間の扉が開かれる。

現れたのは、またも女性。細身で背が高く、流れるような黒の長髪が美しい。

だが手にしているふたつの武器が、そういった女性としての印象すべてを打ち消してしまう。

 

「遅かったか?」

「いいえ、丁度いいくらいよ」

 

ならばいい、と、乱入した女性は手にした武器の一方を手渡す。

それは簡単に言えば、鎌。

受け取った彼女は幾度も握りを直し、感触を確かめる。

先程までの言葉もあり、それを見る十常侍たちには不吉なものしか感じられない。

 

「少しは残しておけ。私とて兄さまの仇を取りたい気持ちはあるんだからな」

「後ろに逃げた輩をあげるわ。少しはそっちにも行くわよ」

「手を抜くのはいいが、怪我はするなよ? 義兄上が心配する」

「侮りはするけど、気は抜かないわ」

 

心配してくれるのは嬉しいけれど、と言葉を切り。

剣呑な空気を少し和らげながら。

 

「万が一にでもやり返されたら、とうさまに指を差されて笑われちゃうわ」

「……あぁ、"こんな相手に反撃受けてんの?"とか笑いそうだなぁ」

 

そんな言葉を交わし、ふたりは笑い合う。

 

もちろん、彼女たちの会話は十常侍たちにも聞こえている。

むしろ聞こえるように話し、彼らを煽っていた。

 

「まぁ良い。それで我慢してやる。

部屋の外も始まって、中央は相当大騒ぎだ。

事情を知らん者ならこの部屋まで気にすることはないだろう。いたとしても邪魔はさせん」

 

背中は任せろ、と呟く女性。

 

「心配はしてないわ」

 

武に秀でた幼馴染みの言葉を受け、彼女はわずかに柔らかい笑みを浮かべる。

 

 

 

「さて。私の語りはここまでよ」

 

再び十常侍たちと向き合った彼女は、その表情を冷たく豹変させ。

笑みは嘲りを含む嗤いへと質を変えた。

 

「貴方たちは自分の欲のために、ひとつの一族郎党を皆殺しにした。

それなら、ひとりのわがままのために、ある役職の人間が皆殺しにされても、文句はないわよね」

 

その言葉が、彼らにとって決定的なものになる。

 

「私はしがない商人の養女。

名は操、字を孟徳という」

 

そうか、やはりこの小娘は。

 

彼らの反応を察し、彼女は嗤う。

これまで積み重ねてきた想いを込めて。

そして。

 

「さぁ、私の名前を呼んでみなさい」

 

手にした死神鎌・絶の刃を鈍く煌めかせながら。

華琳、曹操は、十常侍たちに自身の名を問うた。

 

 

 

 

 





・あとがき
短けぇ。

槇村です。御機嫌如何。





史実でも、お父さん(曹嵩)を殺された曹操は激怒して出兵したらしい。
なら華琳さんでも、身内を殺されたら復讐したくなるだろうなぁ。
それが、このお話しのキモのひとつ。

で、ここから晴れて自分のフルネームが言えるようになりますよ、という話。
……「おれの名をいってみろ」ってシーンが、頭から離れなかったんだ。



あとどうしても、横文字で「スカート」とは書きたくなかった。





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10:世に万葉の花が咲くなり(最終話)

 

十常侍と、彼らに準ずる宦官たちの粛清。それは漢王朝を揺るがす大事件であったが、対象となった面々以外には大きな影響もなく、想像するよりも遥かに淡々と事態は収束した。むしろ、十常侍たちの横行の酷さが何進によってまとめられ、報告を受けた霊帝が体調を崩し寝込んでしまったことの方が一部で騒ぎになったほどだ。

 

此度の粛清を主導したのは、大将軍・何進。

皇帝の威光を借り、私利私欲に生きる彼らを野放しにするのは世のためにならない、という題目が掲げられていた。

兵を動かしたのは、冀州渤海郡太守・袁紹である。

何進の呼び掛けに同意し、袁紹は兵を率いて上洛。これまで宦官が行ってきた横行、それによる民の状況を訴えながら街中を進軍した。彼女を止める者は誰もいなかったという。

 

兵が王城に突入してからのことは、さすがに民まで話は流されてこない。事後に漏れ出た噂話が少しあるばかりだ。

だが実際、皇帝のおわす王城で起きたことなど民にとっては雲上の出来事でしかない。知り得ることなど、噂話程度のことで十分だ。多くの民は、これ以上酷くなるなどありえない生活をしていたのだから。

 

その意識も、此度の粛清によって変わることになる。

税を吸い上げられ、労働と貧困を強制されながら、具体的な改善が行われなかったこれまでの治世。それが、十常侍と宦官の粛清によってどう変わるか、という具体案が提示されたからだ。

何進によって促された上洛の際、袁紹はそれを常に口上しながら進軍した。名家として知られており、つい先頃にも南陽・宛の街を開放した実績もある。そんな彼女が動いたのなら、語られた十常侍の横暴さは本当のことだったのだろう。それを懲らしめようというのだから、悪い話ではないに違いない。

自らの境遇もあって、民はそのように理解する。

 

実際に、粛清後に税制の見直しほか政治的な改正が行われ、民に影響の大きいものは早い時期に告知された。分かりやすく具体的になされたそれらは、合わせて出入りが激しくなった官吏や商人らの働きによって、少しずつ着実に実行される。

小さくではあるがひとつずつ変化する日常に、民はこれまで感じたことのなかった希望を見た。これもすべて先だって起きた騒動のおかげだと考えるようになり、やがて「十常侍と宦官を粛清したのは正しかったのだ」という意識が定着した。

 

話の始まりは、進軍する兵たちを見た街の人々から出ている。だが、それが事態の背景を盛り込んだ上で拡散したのはどこからなのか、はっきりとは分かっていない。

この時代、噂話というものは主に各地を移り歩く商人たちが出処となり流布していく。

とだけ、付け加えるに留める。

 

 

 

 

 

袁紹率いる兵たちが洛陽に入り、宦官勢力を制圧した。宦官らの長である十常侍の面々は、ひとり残らず斬首されている。権力の乱用、つまり、皇帝の許しもなく玉璽を使い、身勝手な行いを繰り返していたのだ。漢王朝において、どれだけ掛けても償いきれるものではない。

 

だが、些か不審な点がある。

それは十常侍らが、王城の中心部から離れた広間に揃い、絶命していたことだ。

 

自分の利を優先するためか、彼らがひとどころに集まることなど滅多にない。互いに利用しつつ、それでいて足を引っ張る隙をうかがう間柄だった。足並みを揃えることなど、共通した利益でもなければありえない。少なからず十常侍たちの実態を知る者はそう考えている。

実際、彼らは利のみを考え、自分たち以外の人間が関わることを嫌った。自分たち以外はすべて、甘い蜜を生み運んで来る虫程度にしか捉えていなかった。

やがて、皇帝の威を借りた権力を自身のものと思い違いし、溺れ、酔う。自分に危険が及び、ましてや死ぬことなど想像さえしていなほどに。

 

「骨のある輩がひとりでもいるんじゃないか、と思っていたわけじゃないけれど」

「一方的過ぎたな」

 

だが実際は脆いものだ。刃を向けられても、対応することなどできない。虚勢を張り、通用しないと分かるとうろたえるだけだ。

 

元より十常侍をはじめとする宦官らは、軍部の人間を一段下に見ていた。某かの武を修めている、得意としているような者などひとりとしていない。

対して、荷を守りながら野盗や匪賊の類と渡り合い生き抜いてきた人間。そんな人物が振るう武を前にして、逃げられるわけもない。まるで草を刈り取るかのような容易さで、返り血ひとつ付けさせることなく、彼らの命は次々と奪われていった。

 

もっとも、それを見た者がいたわけではない。

事切れた十常侍と宦官たちの死体が積み重なった部屋が発見され、話が誇張されて広まっていったのだ。

表向きには、それを行ったのが誰なのか知らされていない。

商人を呼び出し絞り上げようとしていたことは知らされている。その商人と関わりのある何進が、腕利きの者を遣わせたのだろうということで落ち着いた。

 

「そんなところよね」

「妥当だろう」

 

もちろん、まるで当事者のように会話を交わすふたりの女性の存在も、表向きは知られていない。

 

 

 

 

 

此度の宦官排斥、それに伴う中央の改革。

大将軍・何進は、十分に根回しをした上で実行に移している。

 

仮にも王朝の政を統べていた者たちがごっそり不在になるのだ。混乱が起こることは想像に難くない。だからこそ、事後の混乱を速やかに治められるように、入念な前準備をしていた。

 

事件の後、何進はすぐさま代わりの人材を用意した。

中央にばかり目を向けていた十常侍と違い、彼女は地方に注目し、前途有望と判断した者との誼を重ねていた。

その筆頭である涼州の董卓、さらに抱えている軍師など、これはという人物たちをひと足早く中央に呼び寄せ、政を多く学ばせている。劉備と共に新しい体制の在り方を試行錯誤させ、実践できる人材の確保と質の向上を図ろうとしていた。

 

ほかにも、有能であれば在野の者であっても積極的に採用している。これまでならば想像もできないような人事を行い、既得権益にこだわらない実利優先の体制作りを行っていた。

「どこからこんな人物を見付けてきたのか」と驚きの声が上がるほどの人物も中にはおり、彼ら彼女らの能力は新しい政に大いに貢献したという。

 

「本当にどこから見付けてくるのよ」

「大体、北郷のせいだ」

 

他言できない知識から引っ張り出した一刀の情報が、この時代の有力者を見つけ出す助けになっていた。

誰が言ったかはともかく、ここで"おかげ"と言われないのは彼の人徳ゆえだろう。

 

 

 

 

 

与り知らないところで悪態を吐かれている北郷一刀。彼が率いる商人勢は、何進の改革の中でも目に見える部分を担っている。

すなわち、物と金だ。

 

これまで漢王朝の中枢部分は、懐を満たすことを優先する十常侍たちに実権を握られていた。そのため、民のところまで物と金が十分に行き届いていなかった。

それが、何進による体制の見直しによって改善されようとしている。

 

まず税制の改訂が通達され、これまでよりも出費が抑えられることが確定される。

同時に、街の中に物資が潤い出し、物価も下げられた。これは街の商いに携わる者たちに一刀たちが干渉し、新たな価格設定及び流通の確保による長期的な利益の見込みを説いたことによる。

 

「一度に100を得て以降はゼロ、もしくは10を10回以上長く得る。どちらがいい?」

 

どちらを選んだかは言うまでもない。

何より、既にそれを実践し富を重ね始めている場所があるのだ。説得力は段違いである。

前例を参考にしつつ、まずは洛陽を、次いでほかの地域にも。

このように、目に見える変革が広がっていくことになる。

 

 

 

 

 

騒動が落ち着きを見せ始めた洛陽を他所に、南陽群・宛の街は賑わいを増していた。

商人の動きが活発になったことで、人と物、金の出入りが激しくなった。黄巾賊によって破壊され底辺まで落ち込んだ生活が、商人の手によって少しずつ回復していき、水準を取り戻す。そこに、拠点を構えた一刀たちの手によって流通の活性化が始まり、物が充実し、金が落ちるようになる。そして、街人々の生活に余裕が生まれ始めたのだ。

 

中心にいたのは、やはり一刀を中心とした商人たちだ。

 

南陽群・宛の街を拠点とし、漢の威が及ばぬ場所にだって足を運ぶと言われる商人・北郷。現在、その名は一刀自身の名としてよりも、商号として呼ばれるようになっていた。

そんな"北郷"の本店と言うべき、宛にある店舗。切り盛りしているのは一刀の養女・華琳である。

十常侍が粛清されたことで、彼女は「曹」の姓を取り戻した。家を立て直すこともできたのだが、彼女は曹姓を名乗ることをせず、変わらず一刀の下にいることを選んでいる。

 

彼女曰く、「お祖父様とお父様には申し訳ないけれど、大長秋・曹騰の孫娘であるより、"たかが商人"の養女でいる方が面白いわ」とのこと。

 

その言葉を実践するかのように、今の彼女は漢王朝北部の商業圏を意のままにすべく画策している。

南部を養父・一刀が手の内に入れたのならば、北部は自分が握ってやろう、というわけだ。

 

「自分の匙加減ひとつで世の中が動く。これほどの快感があるかしら」

 

くすくすと、時折恐ろしい笑みを浮かべる養女を見て、

「覇王と言うより、魔王だな」

と、一刀は溜息を吐いたという。

 

彼らと付き合いの長い厳顔、魏延などがそれを聞けば、

「誰の背中を見て育ったと思ってるんだ」

と突っ込みを入れたに違いない。

違いない。

 

 

 

 

 

 

世の中の流れが変わりつつある中、同じように変わる者もいれば、変わらない者もいる。

 

厳顔は、今も変わらず益州巴郡太守として務めている。

むしろ一刀たちが南陽に進出したことで顔を合わせることが少なくなり、心的負担が軽くなったことを喜んでいた。それでも、時折一刀たち顔を出されると「今度はどんな面倒事を持ってきたのか」と警戒するのは変わらないという。

 

黄忠もまた、厳顔の下で内政官のままである。

だが内心、位を辞し、一刀を追って宛の街に押し掛けようかと考えていたりする。娘の璃々が寂しそうというのもあるが、自分自身が思った以上に寂しがっていることに気が付いたからだ。

後に彼女がどういった行動を取ったかは、割愛する。

 

魏延は、益州牧・劉璋麾下の軍兵を指導する立場になった。

黄巾賊討伐の際、彼女が率いた江州兵の活躍によって益州麾下の兵は名を上げることになった。しかし実際に活躍した兵の中に、劉璋の兵はほぼ皆無だったという。さすがにそれはまずい、という判断から、厳顔に調練の命が降り。師匠の命によって魏延にお鉢が回ってきたという経緯がある。時折、"黒髪の山賊狩り"とまで呼ばれる武を持つ女性・関羽が混ざることもあり、劉璋兵は極限まで酷使されるシゴキに悲鳴を上げる毎日だとか。

 

そんな魏延の下に顔を出すようになった関羽は、幽州から南陽・宛に居を移し、主に一刀と華琳の下で商いの手伝いをしている。重要度の大きい取引や、規模の大きな荷を運ぶ際に護衛として同行することが多くなった。

先に触れたように、魏延の下で劉璋兵に鬼の調練を行うようにもなり、その武のほどを存分に発揮していた。また同じく一刀に弄られ続けていた厳顔と縁を持ち意気投合するなど、彼女なりに充実した日々を過ごしている。

 

夏侯惇、夏侯淵の姉妹も、関羽と同じように宛の街へ移り住んでいる。仮の県令として置かれた夏侯淵が、そのまま正式に任命されたためだ。

妹の任官を聞き「離れ離れになるのか」と夏侯惇は落ち込んだものの、袁紹の計らいによって共に宛へと赴くことになった。彼女は歓喜のあまり、仮にも仕える主である袁紹に抱きつき押し倒してしまう一幕もあったりした。

宛に移った後の姉妹は、地位を離れたところでは良き友人としての付き合いを取り戻した。ちなみに地位の絡む部分では、表と裏それぞれで己の"ちから"を発揮し合っている。

 

袁紹は、何進の要望によって洛陽に招聘されている。冀州渤海郡の太守になったばかりにも関わらず、またも転移することになった。

「ほいほいと立場を変えられては、私が侮られるではありませんか」などと、口では面倒そうに悪態を吐くものの、求められ出世するということに悪い気はしていないようだった。

 

劉備は相変わらず、半泣きの状態で上へ下へと駆けずり回っている。

心休まる日は来るのかと嘆く彼女を見て、

「袁紹の代わりに渤海へ行くか?」

と何気なく言った何進の言葉に、

「本当ですか!」

これで無茶な上司から離れられる、と、本気で食いつくくらいに疲労困憊している。

「もちろん嘘だ」という何進の言葉に落ち込んだりしながら、劉備は、幼帝ふたりの癒しを支えに奮闘していた。

 

孫策は、母・孫堅と縁のあった袁術の後押しもあり、軍事を司る職・司馬に任命された。黄巾の残党をはじめとした匪賊や暴徒の類の鎮圧を続けている。

楊州を中心として、彼女は各地で起こる騒乱の平定に飛び回った。恐ろしい程の武力に対してサバサバした性格が好まれ、方々で民になつかれたという。

 

 

 

 

 

一刀は現在、宛の街にはいない。立て続けに起こった大きな騒動に際しいろいろと便宜を図ってもらった各所へ挨拶回りに出掛けていた。同時に、漢の北部を視野に入れた新たな商いについての説明、根回しも兼ねている。

 

先にも触れた通り、華琳は一刀の養女として、商人の弟子として、宛にある店を切り盛りしている。これまでやってきた一刀の手法や考え方、やり取りの機微などを新たに学びつつ、洛陽を中心とした商いの形を試行錯誤する日々を過ごしていた。王城の外にあるあれこれを実質的に仕切っているひとりといっていいだろう。

そんな彼女の下に、便りがひとつ届く。

 

「華琳、義兄上から便りが」

 

店先に顔を出した関羽が声を掛け、すべて言い終える間もなく。

彼女が手にしていた竹簡は華琳の手に奪われていた。

相変わらずの態度に驚くことすらなくなった関羽。だが、竹簡に目を通した華琳の様子が少しばかりおかしいことに気付く。

 

「ちょっと呉まで行ってくるわ」

「おい、何があった」

 

すぐさま駆け出そうとした華琳を、関羽は辛うじて引き止めることに成功する。

愛しの義父さまからの便りを手にしてさぞかし上機嫌になるかと思いきや、華琳の表情は何やら切羽詰まったものになっていた。

 

彼女は、一刀からの便りを後ろから読む。そこに華琳を気遣う言葉が記されているからだ。特に彼女だけが知っていることではない。関羽もそれを知っている。

つまり、華琳がまずそこを読むことを想定し、何かを書き足すことも可能なのだ。

 

書かれていたのは、孫策の盟友・周瑜からの報告だった。

 

「雪蓮は今、呉にいないのよ」

「……確か、孫策だったか?」

「そこで蓮華、いえ、孫権に、義父さまは持て成しという名の軟禁を受けているらしいわ」

「何だと?」

 

今は亡き孫堅には3人の娘がいる。孫策、孫権、孫尚香だ。彼女らは父と母を相次いで亡くしていた。家族のような仲間はいるものの、血の繋がる者は姉妹3人のみとなってしまう。

長女・孫策は、母の跡を継ぐという気持ちから強がることができた。しかし、当時はまだ若いというよりも幼かった次女・孫権と三女・孫尚香は、深く悲しみに暮れる。孫策をはじめ周囲の仲間たちもなぐさめたが、その中で、唯一と言っていい近しい男性が、一刀だった。父のように甘えられる存在として、ふたりの気持ちを落ち着かせることに大きく貢献していたことは間違いがない。

 

そして、その想いが妙な方向へと育まれていく。

 

孫尚香はまだ良い。単純に一刀を父代わりのように見てじゃれついているだけだ。

だが、孫権はいけない。

 

「あれは身内を見る目じゃない。男に向ける目よ」

 

つまりお前と同じなんだな、と、関羽は思わず呟く。

幸い、お嫁さんの座は渡さないわ!と、わめき立てる華琳にその声は届かなかった。

 

「とりあえず、蓮華を殴りに行かないと」

「だからちょっと待て。何より店はどうするつもりだ」

「いなくても回るように指示は出すわよ。私を誰だと思ってるの?」

 

未来の魔王だよな。

危うく口にしそうになるが、今度はその言葉を飲み込むことに成功する。

 

「止めるなら、愛紗をまず殴らないといけないわね」

「だから落ち着け。誰も止めるとは言ってない」

 

私も行く。

幼馴染みの言葉に、華琳はわずかに眉をひそめる。

次いで、口元を緩めた。

 

「まぁ良いわ、許してあげる。同行なさい」

 

お嫁さんの座は渡さない。

胸の内にある想いだけは、共通していた。

 

その後、店に関わる人間に様々な指示が飛ばされた。突然理由もなく「留守にする」と告げられるも、華琳の物騒な笑みと声の冷たさに、誰もがただ頷くことしかできなかったという。

 

足早に宛の街を出て行った華琳と関羽。

彼女たちをよく知るがゆえに、すぐさま理由に思い至る。

「一刀の旦那のせいだろ」

落ち着いてみれば、騒ぐほどのことじゃないな、と。

後に残された人々は、いつもの通りの日常に戻っていった。

 

 

 

 

 

時折騒ぎはあるものの、それは言わば平穏であるからこそ起こるもので。

言うなれば、じゃれ合いに似たようなもの。

これまで波乱に過ごした時間に比べれば、大抵のことは大したことではないと一笑できる。

そんな彼と彼女たちは、大きく名を残すこともなく、賑やかで飽きのこない日々を過ごそうとする。

 

親しい者、愛しい者と共にあり、泣き、笑い。

天、空にしろしめす。

すべて世はこともなし。

 

そうあれと願い、皆、今日という日を生きていく。

 

「義父さまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「義兄上ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

「え、どうしてここにグハッ」

「ご無事ですか義兄上!よし、確保!」

「次は蓮華を殴る番ね。ふふ、腕が鳴るわ」

「ちょっとまて華琳!あぁもう、北郷殿!早くあいつを止めてください!」

「おい華琳待て!愛紗離して!ちくしょう、冥琳先に追え!」

「勝手知ったるとはいえ、おい待て華琳!」

「いったい何があった愛紗」

「離したらどこかに連れて行かれてしまいます!絶対に離しませんよ!」

「いや本当に何を吹き込まれた!」

 

平穏がゆえの騒々しさが、日常を彩っていく。

すべて、こともなし。

 






・あとがき
真面目にシリアスを書こうとするより、丁寧にバカ話を書く方が向いているような気がしてきた。

槇村です。御機嫌如何。





はい、「華琳さん別ルート(仮)」はこれで終了になります。一応。(一応?)

読んでいただいた方々に、多大な感謝を。
また書き手のワガママで強引に終わらせてしまったことに、謝罪を。

オリジナルを書きたいなー、という欲求がむらむら湧いてしまいまして。
ただでさえ放置しっ放しのものを向こうにして書き始めるのも気分が良くなかったので、
何とか区切りを付けようとしたわけなのです。

「愛雛恋華伝」は、終わり方は決まってるんですけどそこまで行けそうにないので、
さらに放置することにしました。
そちらも読んでいただいた方には、重ねて申し訳ない。



勢いも大事だけど、
もっと計画立てて書いていればましだったろうに。
今後の課題。

呉勢を出した時点で、
タグに"蓮華「おじさま大好き!」"を入れるような展開とか、
実は水鏡女学院のパトロンは一刀で、とか、
ネタはいろいろ考えていたんだけど。
というかネタは次々出てくるんだけど、手が追いつかない。
ままならぬ。

「反董卓連合の際に、汜水関の上から連合軍を嘲笑する華琳さん」を書こうとしたはずなのに。
なぜこんな展開になったのやら。
時間をひねり出せないなら、なおさら計画立ててやらないとダメなことを思い知らされた。
(何をいまさら)

あと先に進めようとして焦ると箇条書きっぽくなるところも要改善。
諸々、次はもっと気をつけるようにする。



某サイトで、「小説家になろう大賞2014」用のお話を書き始めました。
(ぜんぜん某になってねぇ)
よろしければご覧になってみてください。


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