AとBの電脳探偵 (高野景)
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プロローグ:とあるチャットにて

誤字・脱字、問題点などございましたらご指摘下さい。


——[AI◎BA]がログインしました

 

[AI◎BA]——こんにちは、Bさん

 

[B]——こんな時間に、急

 

[AI◎BA]——そうですね、今くらい、お昼あたりなんていうのは珍しいかもです。お仕事でもされてましたか?

 

[B]——動いてはいた

 

[AI◎BA]——そうなんですか。お疲れさまです

 

[B]——別に疲れていない

 

[AI◎BA]——本当にそうなんですか? チャット面倒だったら断ってもいいんですよ?

 

[B]——お前は無意味にかけてこない

 

[AI◎BA]——……そうですね。いつもちょっと、Bさんには聞いて欲しいことがあったりしますしね

 

[B]——何故かけてくる

 

[AI◎BA]——うーん、……Bさんだから、としか言いようがないんですけど

 

[B]——……

 

[AI◎BA]——駄目ですか?

 

[B]——好きにすればいい

 

[AI◎BA]——すいません、ありがとうございます

 

[B]——何かあった

 

[AI◎BA]——えっと、夜の事ですけど。ちょっと、怖くて不思議で面白いこと?

 

[B]——どれ

 

[AI◎BA]——全部でしょうか

 

[B]——何があった

 

[AI◎BA]——うーん、言っていいのかな? 覗かれたりしてないかな

 

[B]——まずいことにでも首突っ込んだか

 

[AI◎BA]——まずい、というほどではないんですけれど。話にハッカーが関わっているかも知れなくて

 

[B]——何故乗った

 

[AI◎BA]——え? ええと……何だろう? その、チャット全体の何となくの流れ……は、全然違うし……えーと……

 

[B]——要は

 

[AI◎BA]——……興味が、そこはかとなく湧いたんです

 

[B]——単純

 

[AI◎BA]——駄目ですか?

 

[B]——軽率

 

[AI◎BA]——ひどいなぁ

 

[AI◎BA]——……でも、チャットやめずにいてくれるんですから、Bさんもなんだかんだ見捨てないでいてくれる人ですね

 

[B]——お前を放置してどうなる

 

[AI◎BA]——あはは、それもそうですね

 

[B]——何があった。具体的に

 

[AI◎BA]——Bさんならいいかな。えっと、EDENにあるクーロンっていう所、知ってますか?

 

[B]——話には聞いている

 

[AI◎BA]——そうですか。そこに来たら素敵なプレゼントをあげるって、チャットに割り込んできたハッカーさんが言ったんです

 

[B]——行くつもりか

 

[AI◎BA]——一人じゃないですけどね。もう他の行く人たちとも約束しちゃいましたし

 

[B]——罠では

 

[AI◎BA]——罠?

 

[B]——アカウント狙いだのあるそうだが

 

[AI◎BA]——ああ、そういうことですか! なるほどー

 

[B]——……

 

[AI◎BA]——あれ? どうかしました?

 

[B]——脳の容量が足りていない

 

[AI◎BA]——え、それってまさかですけど……意地悪ですか?

 

[B]——それ以外に何に思える

 

[AI◎BA]——ええっ、だってそんな言い回しされたの初めてというか……珍しい言い方しますね!

 

[B]——……回路の配線も異常極まりない

 

[AI◎BA]——ず、ズダボロに言われた!?

 

[B]——まだ言い足りないくらい

 

[AI◎BA]——どれだけ私をいじめる気なんですか!?

 

[B]——ここまで言われることをしているとの自覚もするべき

 

[AI◎BA]——相当ばっさり人を切り捨てましたね……!?

 

[AI◎BA]——あ、あはは……でも、きっと大丈夫です

 

[B]——何故

 

[AI◎BA]——だって私一人で向かう訳じゃないし、一緒に来てくれる人たちに、なんというか……頼もしさ、みたいなものがあって

 

[B]——付き合いが

 

[AI◎BA]——チャット上だけですけどね。でも二人とも優しくていい人で、信頼出来るんです

 

[AI◎BA]——それに、危ないって思ったらちゃんと逃げますし!

 

[B]——お前が危険と思った瞬間は恐らく手遅れ

 

[AI◎BA]——そんなにいじめないで下さい……!

 

[AI◎BA]——ふう、でも少し気分が落ち着きました

 

[B]——?

 

[AI◎BA]——やっぱりBさんとチャットすると、色々整理できるというか……Bさんが聞いていてくれてるなあ、って

 

[B]——??

 

[AI◎BA]——他のチャットだとあんまり沢山喋ったりしないんですけど。でもBさんとのチャットだとこんなにあれこれ喋ったり出来て、不思議な感じなんです

 

[B]——不可解

 

[AI◎BA]——そうですね。本当に、どうしてなんでしょうね。でもこうしてると、ちょっとした不安とか、まとまらない気持ちとかが整ってきて

 

[AI◎BA]——だからいつもBさんとチャット出来て良かった、って思えるんです

 

[B]——そう

 

[AI◎BA]——はい! いつもありがとうございます

 

[B]——お前とのチャットは飽きない

 

[AI◎BA]——そう言ってもらえたら十分です。私もです

 

[AI◎BA]——あ、そういえば時間!

 

[B]——授業?

 

[AI◎BA]——はい、そうです。Bさんもそろそろお仕事なんかの再開ですか

 

[B]——さあ

 

[AI◎BA]——働き過ぎとかしてませんか? ちゃんと寝てますか?

 

[B]——お前に心配される義理はない

 

[AI◎BA]——あ、そういうこと言います!? やっぱりあんまり寝てないでしょう!

 

[B]——何故そうなる

 

[AI◎BA]——心配するなーみたいなこと言って誤魔化してるじゃないですか! 寝食の充実は健康の要です、疎かにしてはいけませんよ!

 

[AI◎BA]——Bさんのことはよく知りませんけど、健康に越したことはないと思います。無理はして欲しくないですし

 

[B]——していない

 

[AI◎BA]——本当ですかー?

 

[B]——してどうする

 

[AI◎BA]——どうする、というより、私としてはして欲しくないというか、Bさんに元気でいて欲しいというか

 

[B]——……

 

[B]——そう

 

[AI◎BA]——はい。ご飯もちゃんと食べてますか?

 

[B]——食べている。時間

 

[AI◎BA]——え? あっ!

 

[AI◎BA]——すいません! そろそろ終わりにしますね……

 

[B]——遅れないように。授業にも、約束にも

 

[AI◎BA]——もちろんです! えへへ、ありがとうございます

 

[AI◎BA]——じゃあ、お疲れさまでした。いつかBさんにも会ってみたいな

 

——[AI◎BA]がログアウトしました

 

[B]——……

 

[B]——いって、こい

 

 

 

 

 会いたいというなら、会ってやろうか。待っていればいい。

 




本編は次章から始まります。


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Prologue:E・D・E・N
0-1


前半を大きく削っています。ご注意下さい。


 遅れないように、との注意があったのに、どうやらだいぶ遅れてしまったらしい。クーロンへ着いて見つけた相手——アッキーノこと白峰ノキアにこっぴどく叱られてしまった。……半分程は、どうも八つ当たりの空気が漂っていたが。

 そしてあの昼休みのチャット相手が指摘した怪しさは、半分近く当たっていたようでもあった。

「デジモン・キャプチャーねぇ……」

 アミの斜め前でデジヴァイスをいじりながら、整った顔つきの黒髪の青年——ブルーボックスこと真田アラタが興味深そうに呟く。青いラインの入った白のコートを纏った姿は、クーロンはガラクタ広場という空間の中でも全く慌てた様子を見せない。

 何しろ入り口からして退廃的だ。かつては子供達の為に設えられたのか、酷く劣化した数々の遊具、巨大な人形が円形の広場を取り囲んでおり、そこかしこにデータの残骸などが漂っている。

 ある種ノスタルジーを感じさせる物品のせいだろうか。アミはここに不気味さと共に不思議な懐かしさを覚える。

「ちょ、……こ、こんなもの、どうしたらいいの?! あ、アタシは、ハッカーなんて!」

 尤も、現在青ざめた顔であわあわ両手をばたつかせ、二つ結びにした髪を揺らすノキアには、この空間を気にする余裕は無いようであるが。青のミニワンピースの上に羽織ったピンクの上着が崩れて、際どい側面が見えそうになっている。

 一応アミもアラタに倣い、自身のデジヴァイスに強制インストールされたプログラム……「デジモン・キャプチャー」を開き、確かめてみる。

 取り扱い説明などという軟弱なものは当然のように附属していない。いくつかの数値や計測値が表示されるが、それだけだ。何かに反応し発見するといったことは無いし、まして人間を捉えてみても何も起こらない。

 多分、デジモン——デジタルモンスターがいれば、それに反応して機能するのだろう。デジモンというものは、ともかくハッカーの使うハッキングプログラムということしか分からないので、果たしてどう機能するのかも想像できないが。

「あ、アミも、なんでそんな平気そうにしてんの!? このまんまじゃアタシたち、ハッカーに間違われるかもだよ!?」

 と、ノキアの怖がった目がアミへと向いた。その様子はありありと同意や同じ感情を求めている。ところがその横で、プログラムを検査していたアラタがウィンドウを閉じてにやりと笑う。

「手に入れた時点でもうハッカー名乗ってるようなもんじゃねーのか」

「そういうこと言わないでよアラタ!」

「ったく、視野の狭い奴だな。ハッカーだって一概に悪い奴ばっかじゃねーって話もあんだろ」

「そういう問題じゃないの!!」

 片や肩をいからせて噛みつき、片や平然として受け流す。全く対照的な二人にアミは、仲良しだな、なんて感想を抱いていた。とはいえこのままでは喧嘩に発展してしまいそうだ、ノキアを宥めた方が良いだろうか。

「えっと、ノキア。ちょっと」

 声をかけようとしたその時だった。背後で何かの気配が、素早く動いていくのを感じ取った。

「!」

 言葉を止めて瞬時に振り向いたアミの目に、フード姿の何者かの姿が映った。

「あれって」

 アミの声にノキアとアラタも彼女の目線を辿る。だが人影はとんでもない速度で奥へと続く道を突っ走り、あっという間に姿が見えなくなってしまった。

「今のが『ナビットくん』!?」

 咄嗟にアミが口にした言葉に、アラタが表情を険しくして地面を蹴った。

「逃がすかよっ!」

「ちょ、アラタ!? な、なんで追いかけるの!?」

 驚くノキアを置き去りに、アラタもクーロンの奥へと消えていった。

「……」

 ぽかんとしながら、アミはノキアへ向き直った。するとノキアはぶんぶん頭を振った。

「あ、あたし……帰るから!! もう帰るからねっ!?」

 反対の方向へ走り出そうとしたノキアだが、すぐに足が止まった。その驚愕した顔の向いた方を辿ると、そこには道全部を塞ぐ大きな壁があった。

 どうやらセキュリティデータの集合体のようだった。大きな鍵穴のマークがあるのが示している通り、ロックがかかっているらしい。

「な、なに、これ……? さっきまでなかったじゃん……

 どうして……こんなのが……」

 呆然とノキアが呟く。確かにこんなものは見当たらなかったはずだ。だが意図のようなものは最早明白だ。

 これを仕掛けた相手は、アミたちを逃がさないつもりである。

「これも、ハッカーのしわざ……?」

「だと思う」

「……さ、先へ進めってこと……? あたしたちを……帰さないつもりなの……?」

 ノキアも至った結論に肯定を込めて、アミは頷いた。努めて冷静になろうとしていたが、彼女自身表情に戸惑いがありありと表れていた。

 どうするべきか。ハッカーのツールを手にしたとて、結局はアミたちは一般人だ。ここを突破するなど夢のまた夢だし、救助なんてものもクーロンでは望むべくもない。はっきり言って、孤立無援だ。

 だがこんなことを仕掛けた相手は、どうやってここから出るつもりなのだろうか? ここにアミたちがいては逃げられないではないか。

 もしかして。

「奥に出口があるかも……探しにいこう」

 アミは必死に働かせた頭から弾き出した推測をノキアへ伝える。だが暗い表情をしたノキアは頭を振って、行かないと意思表示した。更に説得も許さないといった雰囲気でアミへ背を向けてしまう。

 このままで状況が変わるとも思えないし、アラタが心配だ。

 アミはそう思ったが、口に出したとてノキアに重圧をかけてしまうだけだとも感じていた。だから頬をかきつつも、言葉に出せなかった。

 では、どうするか。ほぼ答えは一つしかないようなものだった。

「じゃあ、ノキアはここにいて」

「え?」

「私は向こうに出口がないか、アラタもいないか探してくる」

「!!」

 信じられない、といった顔でノキアが振り向く。アミは「大丈夫!」とガッツポーズをして、クーロンの奥へと足を向ける。

「ち、ちょっと! 待って、そんな」

「危なかったら戻ってくるし、時間もすごくかけたりしないから。ちゃんと戻ってくるよ!」

 じゃあ! 明るく挨拶をして、アミは走り出す。目指す所は……まだ、決まっていない。

 

 

 廃れたゲートを抜けて、彼女はその奥へ足を踏み入れた。すると中は、思っていたより広かった。様々なデータの残骸が山積しており、元は更に広かったのだろうとも予想できた。

 他のEDENのエリアとは雰囲気が全く違う。それがアミの抱いた第一印象だった。

 軽く辺りを見回してみたが、人影などは何処にもない。アラタは既に奥へ進んでしまったようだった。

(……どこにいるのかな)

 思った矢先、目の前のデータの残骸がブレて崩れかけ音を立てた。半歩ほど後ずさった所で、どうにか止まってくれた。

(気をつけて進もう……)

 ノキアの為でもある、ここで引く訳にもいくまい。アミはなるべく壁から離れて歩き出す。

 アーチを抜けて道なりに進む。高い壁と積もったデータのせいで歩く場所が制限されていて、見落としそうな所はない。アラタやハッカーでも飛び越えたり隠れたりは不可能だろう。

 自分の足音以外何も聞こえない空間をアミは見回しながら、通路の分かれ道へと辿り着く。やはり誰の姿も見つからない。

 片方は行き止まりのようだった。ならばここでは続く道の方へ行くしかないか。

 一応のこと誰かいないか確認しようとした所で、そこでふと何かが目に映った。

「? ……!」

 妙にデータがぼやけているが、それは人だった。何故か行き止まりで佇んで、

 と思った瞬間には、姿が消えていた。

「!」

 はっとして続いている通路へ顔を向ける。するとそこにやはりぼやけた人の姿が、

 途端、アミの全身へノイズが走った。脳天まで駆け抜ける痺れのようなもので身体から力が抜け、彼女は膝をついた。

 辛うじて視線を前方へ送る。だが視界が揺らいで、

 ——色が変わっている。人影が近いような、遠いような、分からない——

 倒れてしまったかのように視界が傾ぎ、

 暗転。頭が動かない。

 戻ってきたその瞬間、目の前に、

 人。

 黒のような白のような髪の、少年——?

 ……「——」?

 

 

 覆ってくる手を振り払うことは、叶わなかった。

 

 「       」が刻まれた……

 

 

 

 気がつくと、誰もいない道が目の前に広がっていた。アミは確りとその場に立ち尽くしていた。

「今、のは……???」

 アミは考え込むが、今の現象を説明できる言語を持っていなかった。

 いやそもそも、あれは実際に起きたことだったのか。その実感さえ無かった。

(夢……じゃなくて、何かのバグ? でも……)

 何だろう、今のを無視してはいけないような、でも実際にあったと確信が持てない。訳が分からなかった。

 ともかく、この場所は噂通りに危険だ。何が起こるのか分からない。早くアラタを見つけなければ。

 だが顔を上げて通路を見た瞬間。アミはまたしても驚愕した。

 通路の奥から、人がやってくる。だがその人の姿は、

 ……たった今見たような、あの光景の少年とそっくりだった。

 

 

 

 その幽霊は僕自身かもしれないね。などとアミの説明に軽く言ってくれるその少年もまた、どこか謎めいていた。

「僕を“クーロンに棲みついた幽鬼”と呼ぶ者もいるからね。この世のものではない、と」

「えっと……???」

 真相はただ自身が神出鬼没なだけ、ともその少年は語った。意味もよく分からないが、ただアミにはその少年と幽霊がどこか違っているような気がして、首を傾げた。事実、少年は実在しているとも明言してくれた。

「……君のような“迷い子”を導くためにね」

 少年は考え込むように手を組み、アミのデジヴァイスへ目をやる。

「君は言わば、『ハッカーの雛鳥』だ」

 どうしてこの少年は、アミが「デジモン・キャプチャー」を持っていると知っているのだろう。アミはまた驚くしかなかった。だがそんな彼女を意に介さず、少年は滔々とハッカーについて語っていく。

 或いは、義賊的な者。或いは簒奪者。また或いは、単に力を試したい者。その中でどれになりたいか。少年は、アミへ問いかけてきた。

「……」

 だが幾らも疑問が解決していない上、ハッカーとしての自覚さえ無い中のアミに、答えられるはずもなかった。

「その様子だと……雛鳥どころかまだ卵から孵ってもいないようだ」

 そして少年も惑うアミをあっさりと見抜いてくれた。アミは困るしかなく表情を曇らせる。

「ハッカーを目指すか、他の何者かになるか……それは、君の自由さ」

 ただ、経緯はどうあれハッカーに興味を持ち、結果として「デジモン・キャプチャー」を手にした。ということだろうと、少年は分かり切っている様子だった。

 そして「デジモン」と呼ばれるプログラムの、驚くべき力を試せばいい、とも口にした。

 試す、とはどういうことなんだろう。アミは戸惑いから抜け出せないままだったが、デジモンというものに興味は一応ある。教えてくれるのだろうかと期待を込めて、頷いた。

「……それでいい。

 では、未来の“仲間(ハッカー)”の誕生を祝して——君に、記念すべき一体目のデジモンを進呈しよう。

 ほら、君の後ろにいる……あれが、デジモン・プログラムだ」

 アミは言われるままに振り向いた。すると浮遊する箱の隙間から、小さく何かが覗いた。

 ひょこり、と現れたのは、三体の不思議な何かだった。一体は白と緑の動物のような姿、一体は植物が歩き出したかのような姿、一体は正しく歯車と機械のような姿だった。

 動物とも、植物とも、機械とも違う。全く未知の存在が、そこにいた。

「あの内のどれか一つを選ぶんだ。どのデジモンを選ぶ?」

 流石に全部大盤振る舞いとはいってくれないようだ。それもそうか、とは納得しつつ、アミの気持ちは高鳴っていた。未知との遭遇がこれ程に高揚を運ぶなんて、知りもしなかった。

「ええっと……」

 どれ、と言われると目移りしてしまいそうだった。そもそもどきどきが収まらなくて仕方がない。全員が魅力的に見えてなんとも言えない。

「デジモンを手に入れるにはいくつか手順を踏む必要があってね。デジモン・プログラムを発見、遭遇したなら——まずは『スキャン』を使い」

 歯車のようなデジモンを見る。するとデジモンは両手に当たるらしい歯車を回し見返してくる。表情が分かりづらいのは機械っぽいゆえだろうか。

 次に、箱の横へ隠れがちなデジモンを見る。頭に大きな花が咲いていて、顔はあるが全体として植物っぽい。その子も恥ずかしそうに見返してきてくれた。

 最後に動物っぽいデジモンを見る。耳らしきものが長く垂れており、対照的に二足歩行ながら手足は短い。やはり屈託無く小首を傾げながら見返してきてくれる。

「……我々ハッカーは研鑽の末、その“術”を生み出したが……“術”の使用については——」

 誰にするか、もう一度見返して

 

「——はその、ドーブツ、っていうのはどんなのが好きなの?」

「聞いてどうすんだよ、————。あんなのか?」

 目の前の二つの姿が指す先に、耳の長い動物のような——

 それに——は笑顔で、

「そうだな、わたし——」

 

「——っ」

 アミの目の前がちかちかしているようだった。

「……聞いていたかい?」

 少年の声が聞こえて、アミの目の前がはっきりとした。あのデジモンたちがきちんと三体いてくれている。

 後ろを顧みると、心配そうな不満そうな面持ちの少年がきちんといた。消えたりしていない。

「どうかしたのかい」

「いえ、なんでも」

 不思議な光景を見たような気がする、とは流石に言いにくかった。

「さて、そろそろどれにするか決めたかい」

「……」

 頭の中でちらついた光景が忘れられない。そしてあの中で交わされた言葉と、見たものは。

 アミの手は、すいと自然に一体へと向けられていた。

「あの、緑の動物っぽい子」

「なるほど、テリアモンにするのか」

「はい」

 示された動物のようなデジモン、テリアモンがじっとアミを見ていた。どこかで見ていたような気がするが、なんだか違うようでもある。ただテリアモンの方も、アミを興味深げな目線を投げかけている。

 こうして見ていると、ただのデータという感じは全くしない。寧ろ何というか、親しみがあるというか、

「かわいい……」

「カワイイ?」

「! しゃべった!」

 少し驚きだった。「そりゃそうだよー?」なんて更に言いながらテリアモンが耳をぱたぱたさせる。

 だが突如、巨大な吼え声が空間を震わせ何かが飛び降りてきた。

「え、」

「あれは」

「ギギ」

 紫の蛹に刃を持つワイヤーが三本ずつ付いたかのような、巨大な何かがそこにいた。

「あれは、成熟期の」

 少年が表情を険しくする間にも巨大な蛹は触手を広げ、三体へと飛びかかった。三体が悲鳴を上げて散り散りに逃げ惑う。

 その内テリアモンが、通路の先へと蛹に追われて消えていく。

「! テリアモン!!」

 アミは考えることすらなく、テリアモンと蛹の後を追って走り出す。

 速い。全力を出さねばすぐに見失ってしまいそうだった。アミは足を限界まで動かし、決して見失わないよう走った。

 道の角へと二体が到達する。その時蛹の触手がテリアモンの走る先へと伸び地面を穿ち、退路を塞いだ。飛び上がった拍子に逆を向いたテリアモンの更に前方へ、もう一本触手が地面へ刺さった。

「う、うわ……」

 テリアモンが頭を抱え縮こまる。明確に狙われている。このままでは、

 アミは強く地面を踏み切り、高く跳躍した。

「——たあっ!」

 アミは勢いそのままに蛹の触手を飛び越え、力強い音を立てて着地した。見ればテリアモンと蛹の間に割り込む形になっていた。

「き、キミ……どうして」

「こんなの当たり前だよ」

 アミはきっぱりと言い切り、蛹と向き合う。蛹は闖入者に興を削がれたか触手を引き抜き、距離をとる。

 さて、これもデジモンなのだろうか。あの速さも鑑みれば、ただ鬼ごっこをするのは問題がありすぎる。

「下がってて、テリアモン」

「でも」

「無茶はしないから。ね」

 武道の心得も何もあったものではないが、隙を作ってテリアモンを逃がすくらいならどうにか出来るかもしれない。

 やるしかない。いや、やってみせる。

「しょーがないなぁ」

 と、後ろに庇ったはずのテリアモンが、ひょこりと横へ出てきた。

「だ、ダメだよ出てきたら!」

「ひとりじゃ難しいなら、ふたりでやろうよ」

「!」

 不思議と、テリアモンの一言の意味がよく分かった。見ればテリアモンからも恐怖が失せている。

 アミは強く頷いた。

「……いくよ、テリアモン」

「おっけー」

 蛹が大きく吼え、触手を振り上げた。

「走るよ!」

 駆け出したアミへテリアモンが併走する。二人がほんの一瞬前いた場所を、複数の鋭い刃が貫いた。

「私は触手いく! テリアモンは胴体!」

「よっしゃー」

 アミは再び高く跳び上がり、中空を薙ぐ触手へと手を伸ばす。蛹は驚いたのか触手を退かし、アミの手が宙を掻いた。

「それーっ!」

 その隙を縫いテリアモンが蛹のがら空きの胴体へ頭突きをぶちかます。蛹の体がぐらりと揺れた。

 怒声を上げた蛹の触手が、今度はテリアモンへと刃を向ける。

「させ、ないっ!」

 アミは全身を思い切り蛹の頭へ叩きつける。強かな痛みを無視して蛹の眼を胴で塞ぎ、さまよう触手二本をとうとう片手で鷲掴む。

「っりゃぁあ!」

 そして蛹の顔を押しのけながら飛び降りる。容赦なく前へ引っ張られ蛹の触手はテリアモンを捉え損ね、再び体が隙を見せる。

「『プチツイスター』」

 テリアモンが高速で回転し、蛹の丁度真下で小規模な竜巻を発生させる。暴風と鎌鼬が蛹を切り裂いた。

「ギァアアァアァァアアアア!!!」

 が、蛹が一際大きな声を上げた途端、

「ひゃぁ、わあーっ!?」

 アミの視界が一瞬でブレて、次には地面が真正面にあった。

「危ないっ!」

 アミの目の前に白いものが飛び込み衝突した。衝撃はあったが痛みはない。だが、

「て、テリアモン、なんで……」

「うー、重いねキミ」

「そういうこと言う!? って」

 振り返れば傷だらけの蛹が、触手全部を振りかぶっていた。

 アミは咄嗟にテリアモンを胸に抱き背中で庇った。せめて、せめてテリアモンが助かれば、

 鋭い刃が空気を切り裂く音が聞こえた。

「————っ!」

 同時にアミの背中に何かが回り、浮遊感を味わった。

「え?」

 アミが閉じていた目を開くと、視界がくるりと回った。次には遙か下に触手を地面に突き刺し、呆然としているような蛹が見えた。

 そしてアミのすぐ傍で、爆発に似た音が聞こえた。無意識に体を跳ねさせたその直後、

 蛹がぐら、と揺れた。そのまま重力に引かれるように、地面へと倒れ伏した。

「……」

 急速に地面が近づいて、軽やかな着地音。アミには一切衝撃が無かった。

 アミは精一杯顔を後ろへ向ける。すると目の前には上質そうなジャケットを着込んだ大きな体躯があった。こんな所にいつの間に人が、不審さを覚えて彼女は相手を見上げた。

 が、固まるしかなかった。

「……」

 アミを映しているのは、血のような深紅の三つ目だった。ただのコスプレと思うには、人と同じ場所にある目も、人で言えば額にあるだろう縦に開いた眼も、なんというのか生々しい程のリアルさだった。

 顔の下半分は人に酷似している。だが上半分は目の場所のみを避けて藍色の仮面のようなものに頭まで覆われ、果たして全容は分からない。

 誰——いや、何だ。

「まったく、急に走り出すなんて——?」

 そこで少年の声が聞こえた。道の先から現れた少年の目は、明らかにアミではなく、その後ろの存在を見ていた。

「……デジモン、なのか?」

 少年は迷うように口にした。返事の代わりに、大きな銃のような代物が下ろされた。

「それは、君のデジモン……かい?」

 少年の目に不可解が浮かんでいた。アミは全力で頭を横に振った。

「そう、か。だが、それは一体、」

 全員の不審を受けて、ようやくそれが口を開いた。

「お前は知っているだろう。[AI◎BA]」

 



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0-2

 基本的にデジモンと戦うならデジモンで対抗するべき、人間が突っ込むのは無茶がありすぎる。こんな破天荒な「卵」に出会ったことはない。そしてデジモンがキャプチャーを介さず手に入り、まして懐くなどということは稀。

 つまり総合すると、あまりにもアミはイレギュラーである。そういうことらしかった。

 ユーゴと名乗ったあの幽霊そっくりの少年は、最後に意味深な言い方をしてアラタの居場所をアミに教えてくれた。

 まあ、全く以て現状の訳の分からなさは変わらないのだが。

「連れがいるのなら迎えに行くのが妥当だろう」

 との最大のイレギュラーのお言葉によって、ようやくノキアを迎えに行くことに思い至れた。

 まあしかし、まさかすぎると言えばまさかのまさかだ。

「えっと、B、さん?」

「何だ」

 アミの後ろを歩くテリアモンの更に後ろを歩くその相手を、アミはそろーっと顧みる。その相手は銀のアームガードを着けた腕を組んで、至って泰然自若としていた。三つの紅い眼がとりあえず、といった雰囲気でアミを見る。

「ほんとにアミはさー、Bがデジモンって知らなかったの?」

 てててっ、と後ろを歩くテリアモンがアミを見上げてくる。目が少し悪戯な色を灯している、可愛い。

「うん。本当に、全然知らなかった」

「じゃあ、どうしてBはアミに正体言わなかったの?」

 そしてアミが聞きたい、言いたいことを察してくれている。テリアモンは今度はBに向かって、長い耳をひらひらさせている。対するBは至って平静に口を開く。

「言う必要が無かったからな」

「そういう問題なの?」

「俺がデジモンだと知ろうが、こいつにはメリットもデメリットも無いし、利用も悪用も出来ない」

 いたくばっさりと切られてしまった。実際デジモンというものを知らない時に打ち明けられたとて意味不明なだけだし、事実と言えばそうなのだが。テリアモンはめいっぱい頭を傾けBを見上げて、三角に開いた口に手を当てる。

「実はアミを引っかけようとか、そういう魂胆だったりしなかったの?」

 テリアモンが思い切ったことを言い放った。アミは少しどきりとしたが、聞いておきたいことでもあったのでテリアモンの発言に便乗することに決めた。

「こいつを騙して俺に何の得があるんだ」

 そして返ってきたのはあまりにも取り付く島もない言葉だった。アミは肩をがっくり落とした。

「……ま、思わぬ収穫はあったがな」

 小さく聞こえた言葉に、アミは振り向いた。だがBは何も口にしていないかのように振る舞っていた。

「結局アミを利用してるじゃん」

 大きい分よく聞こえていたのか、テリアモンがBの足へぺちんと手を当てた。ツッコミのようだった。

「その件については弁解しない。……早く迎えに行かなくていいのか」

 Bは鉤爪状になった指を道の先へ向けた。そこでアミもはたと気付く。

 すぐ戻ると言い残していたのに、こんなに時間をかけてしまっている。もしかしたらノキアがしびれを切らして怒っているかもしれない。

「そうだった! 行こう、二人共!」

 アミは急いで走り出す。それにテリアモンがジャンプしながら、Bは大股で歩きながらついていく。

「うまいこと有耶無耶にしたねー」

「実際急ぐべきだろう」

 後ろの二人の密かな会話にアミは気付かないまま、通路を逆行していく。長い一本道を抜けた、そこでだった。

「きゃぁああああああ!?」

 悲鳴が響きわたった。声の主は判別するまでもなく、ノキアだった。

「ノキア!」

 アミは速度を上げて通路を駆け抜ける。後方がついてきていてくれるかが些か思案の外であったが、気にかける余裕はなかった。アーチのあった場所まで一気に戻って、そこで、見つけた。

 ノキアが二体のデジモンに囲まれていた。

「あ、あれは」

「もー、急にそんな走らないで……あれ」

 追いついてきたテリアモンがきょとんとしていた。

「あの人もハッカー?」

「まだ違うけど……って、そんな場合じゃなくて!」

「うーん、珍しい光景だね。ボクが言えた義理じゃないけど」

 あくまで暢気なテリアモンの様子で、アミは妙な点に気がついた。

「きゃあ、きゃあ! なに、なになに君たち!」

 囲まれたノキアは戸惑うというより嬉しそうにしていて、またデジモンたちも襲うなどせずノキアの周りを楽しそうに回っているのだ。

「ん、あれは……はぁあ?」

 どすり、とアミの肩に重みがのし掛かってきた。恐らくBだろうと目線をやって、更に度肝を抜かれた。

 あのBの姿は無く、代わりに一人の青年がいた。それも髪色、目の色、肌の色、服のレイアウトなどが非常にアミと似通った、まるで双子か兄弟のような姿だった。

「……B、さん?」

「そうか、ああいう現象が本来なら起きるんだな。……だが、あれは……」

 態度と口調からして恐らくBだろう人物は、アミの目の前で起きているデジモン二体とノキアの至って仲良しそうな光景を、信じ難いといった様子で眺めていた。

「あたたたたた、あた、あたしノキア♡ きみの名前は?」

「ボク、『アグモン』っていうんだ!」

「オ……オレは、『ガブモン』……」

 あっさりと自己紹介が始まった。それぞれがそれぞれの個性を隠すことなく仲睦まじい。

「アグモンくんに、ガブモンくんかぁ~

 ふふ、へんてこな名前だね~♡」

「へ、ヘンじゃないもん……!」

「キミこそ、ヘンな名前だ!」

「ふ~んだ、ヘンじゃないも~ん! ふふ♡」

 ノキアが頬を染めて二体、アグモンとガブモンに目線を合わせるように屈む。それぞれの距離が近くなる。

「……あれ?」

「……」

 すると、アグモンとガブモンが不思議そうな顔になった。

「ん? どしたのかな~?」

 ノキアがよく分からない可愛いアピールをする間も、二体はじっとノキアと向き合っていた。

「……なんだか、なつかしい“ニオイ”がする」

 アグモンが突如言い出したことに、ノキアはきょとりとした。

「……え、あ、あたし?」

「うん……それに、あんしんする“ニオイ”だ……」

「え……ええ~? な、なんか照れちゃうなぁ~」

 あたしのえろかわふぇろもんが仕事しまくちゃってごめんね~? などと満更でもなさそうに言い出したノキアに、今度はアグモンたちが笑い出す。

「アハハ! やっぱりキミ、ヘンだ!」

「え~? そんなことないってば! でもあたしのえろかわは変わらないんだよね~」

「エロカワってなんなの?」

 

「……」

 そんな人によっては大変に心和まされる雰囲気に、何故か青年、恐らくBは額を押さえていた。なんというか、信じたくないという空気が醸し出されている。

「あのー、あれ、どうします?」

「あの二体は害もなさそうだし、ボクとアミみたいになるまで待ってみたらー?」

「それもそうだね」

 テリアモンがアミの肩へよじ登ってくる。その可愛さに和みつつ納得していると、「いや」と一声あった。Bのものだった。

「行ってこい、アミ」

「え?」

「あれは放置していいものじゃない」

「どうしてですか?」

「いいから行け」

 肩に乗っていたBの腕が解け、そのままアミの背中を遠慮なしに押した。

「わぁっ! ちょ、っと、っと……あ」

 けんけんをするように飛び出したアミへ、三人が一斉に顔を向けた。

「あれ? あ、アミ! もー、どこ行ってたの!?」

「えっと、いやーその」

「わぁ!? ま、また、こわいひと!?」

 と、突然ガブモンとアグモンが血相を変えて後ずさりした。急なことにアミもぽかんとするのを隠せなかった。

「追いかけまわされるのはこりごりだ……逃げろー!」

「ちょ、ちょっと落ち着いて! このコ、友ダチだから……!」

 ノキアの慌てた制止も耳に届かなかったのか、アグモンとガブモンは一目散に何処かへ逃げていってしまった。

「あ~あ、行っちゃった……」

 そして可愛かったのに、と残念そうなノキアと、テリアモンを乗っけたアミが残された。

「もー、Bったらなんでこんなことしたのかなぁ」

 テリアモンが小さな頬杖をつく。そこでようやく気がついたのか、ノキアがテリアモンへ目を向ける。

「……ていうか、あれ? きみが連れてる、その……」

「うん。デジモンだよ。さっきのアグモンとガブモンと一緒の、ね」

「そうなんだ……! そのデジモンも、あのコたちも……悪そうなプログラムには見えないよね……?」

 あのコたちと一緒にいられるならいいかも……なんて言い出すノキアは、先程とは打って変わって楽しそうだった。

「途中で凶暴な大きいのにも襲われたけどね」

「え、ウソ!? 何それ!!」

「プログラム、な。そうか、ここではそういう捉え方なのか」

 と、そこに更に声が混じって、一人の青年が加わってきた。

「あれ? 誰この人」

「うーんと……」

 聞かれてなんと答えるべきか、アミは非常に迷った。こんなに似た外見の相手をチャット仲間と形容するのもおかしいし、まして本性はデジモンなどと言うのも奇妙すぎる。

「こいつの、アミの親戚みたいなものだ」

 ところが悩むアミそっちのけで、Bがあっさりでっち上げてしまった。ノキアが不思議そうに首を傾げる。

「え? じゃあキミももしかして、『ナビットくん』とかに誘われて?」

「いや、アミに会おうかと思っていた。そこでクーロンに行くと事前に聞いていて、先に入っていた」

「そーなんだ! こんな所来るなんて勇気あるんだね」

 疑いを持たせない程の流れるような言い訳に、あっさりノキアは乗ってしまった。苦労しなかったのはよかったが、そこはかとない脱力感がアミを襲った。

「へぇ~、それにしても似てるっていうか……てか、結構イケてるじゃん! アラタに負けてないカンジ!」

「ああ、見た目はどうも悪くない」

「あたし白峰ノキア! よろしくぅ!」

 ノキアが改めて自己紹介をしながら、Bを機嫌が良さそうに見詰める。確かに今のBの外見は、アミをベースにしつつも幾らか年上っぽく、おまけに顔立ちがかなり端正で、背丈もあり、体つきも程良く引き締まっている。

 そんなBが、ちらと目線をアミへ送ってきた。だが意図が分からずアミは首を傾げかける。

「あの、あなたの名前は?」

 ノキアの質問でようやくBの目線の意味を理解した。アミは慌てて頭を回転させる。

「えっと、た、タクミ! タクミさん」

「そっか~! じゃあタクミんでいい?」

 ノキアが胸を張るように腰に手を当てる。怪しまれるぎりぎりのラインだったことが気にくわなかったらしい、Bは一瞬鋭い眼光をアミへ放ってきた。

 その威圧感が半端ではなかった。アミの背筋に冷たいものが走った。

「……それでいい。よろしく、ノキア。

 そういえばこの先にアラタ、というのがいるらしいが」

「えっ!? アラタのヤツどこまで行ってんの!?」

 何事もなかったかのようなBの話から、ノキアがアミへ真剣な顔を向ける。やはりノキアもアラタのことが心配だったようだ。

「奥に古いログアウト場所があるらしくて、そこにいるんじゃないかって。ついでにそこから帰れるかもしれないんだ」

「うそっ!? じゃ、じゃあ早く行こ!? タクミんも!」

「? この先から帰れるのだから、呼ぶだけで」

「それが、ハッカーに入り口封鎖されてて……だからあっちから帰るしかないの」

「えー、そうなの?」

「作為を感じるな」

 テリアモンが入り口の方を見やり、Bは少し口元を引き締めた。かなり思う所があるようだ。

「そうだな、それならアラタの方へ行くのが妥当だ。行くぞ」

「おーっ!!」

「ああそうだ、アミ」

 元気に握った片腕を突き上げるノキアの前で、Bがアミへ向く。

「俺もデジモンは持っていないからな。もしこの先デジモンが襲ってくることがあれば……お前が何とかしてくれ」

「へっ!?」

「生身の人間がデジモンに肉弾戦を挑むのは無謀だと、誰かが言っていただろう」

 Bは多分に含むもののある微笑を浮かべた。綺麗な顔だと映えるが、もしかして。

「私が頑張るってことです?」

「そだねー。こうなっちゃったらやるっきゃないよ」

 テリアモンの言葉で更に思考が至る。今人間として振る舞っているBが、戦って良い道理がない。そうすれば怪しいことこの上なく、疑われること請け合いだ。

「……」

「あの時は例外だ。俺は格下と戦うつもりはないんでな」

 横暴とはこのことを言うのではないだろうか。アミはまたしてもがっくりと肩と頭を落とした。

「へ? どーかしたのアミ」

 事情の分かっていないノキアばかりが暢気であった。

 

 

 

「う~ん……なんかフシギなカンジだなぁ。

 子供の頃に、こんなことがあった気がするんだよね……」

 いくらかのデジモンとの遭遇を終え、ようやく辿り着いた最深部あたりでのノキアの一言だった。それまでは小さなデジモンを見ては「きゃわぅいい~!!」なんて騒いでいたのが嘘のように、深く悩んでいる顔つきだった。

 きみとアラタとも、会ったことがあるような。

 その一言が、不思議なことにアミに染み渡った。

「……そう? チャットもよくやってるしね」

 何となく濁す発言をアミがすると、ノキアは頭を横に振って否定する。だがすぐにそうかも、と自信なさげに悩み出す。全くまとまりがなかった。

「そんなにチャットとか、やってるの? 二人」

「あ~、そうだねぇ。昨日なんかもこのクーロン行くとかの話で盛り上がったりね」

「へぇー、おもしろそうだね」

 戦闘で少し疲れたのか、アミの頭にくっついたテリアモンがご機嫌に耳をぱたぱたさせる。そういえばBは出来ていたのだから、デジモンも出来たりするのだろう。少しやってみたい。

「……なんか、ヘン」

 ノキアはやはり浮かない顔だった。どうしたものかと少し考えようとして、

 突如、視界にノイズが走った。そして、

 

 小さな子供の姿が、見えた。

 

「な、なな、なに今の……!? き、きみも……タクミさんも、見た!?」

 ノキアが仰け反って慌て出す。アミもまた、今の不可解な現象に驚きを隠せず頷くしかなかった。

「ボクはなにもー?」

「……」

 テリアモンは顎を押さえているが、どういうことかBも難しそうな顔をしていた。まさか、何かを見たというのだろうか。

 デジモンも見るというこれは、一体なんなのか。

 またハッキングなのか、と不安げに胸のあたりを押さえるノキア。それから早くアラタと合流しようと提案してくる。

「……そうだね、早くしよう」

 アミが頷くと、おっけー! と険しい顔でノキアは先へと歩き出す。この先に進んで大丈夫なのか、彼女は少し心配になってきていた。

「——進むしかないんじゃない?」

 乗っかっているテリアモンが、茶化しのない口振りで言った。確かに、後戻りするという選択は無い。この先に進まなければ、どうすることも出来ない。

「よし、二人とも。行こう」

「連れてってー」

「テリアモン……あれ?」

 呆れかけながらBの方へ目をやると、Bは道の外へ鋭い目線を向けていた。

「どうかしたの」

「、……いや」

 だがBは小さく頭を振って、さっさと先へ進み始める。アミは気になって、Bの見ていた方を見やった。

 だがそこには既に何もなかった。アミは奇妙に感じつつも、Bの後へ続いた。

 

 

 

 結局の所、どうやらログアウトのポイントらしき場所にアラタはいた。見つけた途端ノキアが大声で呼びかけて顔を上げたが、その顔色が少し悪いようにアミには見えた。

「ひとりで勝手にいくとか!? どんだけジコチューカマせばよかですか——」

 ノキアが歩み寄りながらアラタをつつく。アラタは「あー」など困った様子を見せつつも、一応逃げなかった。

「あれが、アラタ……アラタ……、?」

 アミも近づこうとした所で、Bがアラタをじっと睨んでいるのに気がついた。

「どうかしたのー?」

「いや」

 テリアモンの問いにもどことなく上の空な返事をして、Bは歩き出す。そのBを見て、アラタが妙なものを見た顔をした。

「何だ? おいアミ、そいつ誰だ。あとお前の頭の上のそれも何だ」

「ちゃ——じゃなくて、親戚のタクミさんだよ。こっちはテリアモン、デジモンなの」

「こんにちはー、ボクテリアモン」

 テリアモンが小さな手を振ると、アラタは非常に複雑そうな顔をした。そして詳細が長くなると判断したのか、Bの方へ目を固定した。

「親戚なんて、どうしてそんな奴がここにいるんだよ。おまけに服装まで揃えやがって、仲良しか」

「少々理由があるんだ。同じく戻れなくなった輩というだけだ、気にするな」

 適当なBの言い分にアラタは顔を顰めるが、追求しても良いことなどないと分かるのか溜息を吐くにとどまった。

「しゃーねぇな。ま、定員が一人増えた所で——」

 アラタがログアウト地点に向き直る。

 だがそこで、

「アミ」

 不意にBが緊張した声で呼びかけてきた。アミがそちらを見やる時間もくれず、腕を引っ張られる。

「厄介なのが来る」

 その一言のすぐ後、近場に光が生まれた。すぐに広がり、紋章のようなものを描く。

 そして中心から、ぬるりと。太く白い触手のようなものが、現れ出た。

「……っ!?」

 驚愕する暇もなく触手が伸び、崩れた円のような形の胴が現れ、その中心にある謎の光る部分が出て、全容がアミたちの前に出現した。

 オウムガイ、というものに少し近い形状だった。白い全体に黒の線が無数に走り、胴体の中心に発光する器官を持っている。

 だが、分かるのはそれだけ。あれが何なのかは分からない。

「……な、なに……こ、これ……」

「何だ、ありゃ……あれもデジモン……?」

 ノキアとアラタも呆然としていた。何とかアラタが“EDENの黒い怪物”かと考察を重ねているが、やはり分からない。

「——“イーター”。こんな所にまで現れるとはな」

 ところがBが、小さいながら確信を込めて呟いていた。

「Bさん、知って……」

「お前ら、こっちへ走れ!! 何だかわかんねぇが、相当ヤバそうだ……!」

 聞こうとしたそこでアラタが叫んだ。するとBが動き出してしまい、それ以上は聞けそうになかった。

「 “ログアウトゾーン”のロックを解除する! ログアウトして、とっとと逃げるぞ!!」

 言うが早いか、アラタがウィンドウを呼び出して作業を始める。その手つきはあまりに迷いが無く、素早かった。

「あの白いひとの言ってることが分かったね」

 テリアモンが一言こぼしながら、ひらりとアミの肩から降りた。素早く動けるようにしてくれたのだろう、アミもログアウトゾーンへ走る。

 だがノキアが、動かない。違う、動けなくなっている。

「おい、走れっつってんだろ!? グズグズしてんじゃねぇ!!」

「……っう……あ……」

 作業しながらのアラタの乱暴な叱咤にも、ノキアはおののいた顔すら動かせなくなっている。ただ、目の前にいる脅威に圧倒されている。

「おい!?」

 再度のアラタの呼びかけも、ノキアを動かせない。彼女の目の前で巨大な何かが蠢いている。

「テリアモン」

「デジモン使いが荒いなぁ」

 硬直してしまったノキアを放っておくわけにはいかない。アミはテリアモンと目線を交わし頷き合った。

 だが駆けだそうとした瞬間、横から伸びてきた腕に前方を遮られアミは止まった。

「よせ。あれはお前たちが簡単にどうにか出来るものじゃない」

 腕の主は、Bだった。無表情で、酷く無機質な顔をしていた。

「でも、このままじゃノキアがっ」

「巻き込まれたら元も子もない。諦めろ。あれは逃げることも出来ない、それ程でしかないということだ」

 Bの言葉の意味を知って、アミの頭がぐわん、と揺れて沸騰した。

 どうして、どうしてこの存在は、そんな簡単に人を切り捨てられるというのか。まだ助かる見込みだってあるのに。

「どうして、そんな」

「……お前は俺を買いかぶりすぎだ。どうしようもないお人好しが」

 畳みかける言葉に、アミは目の前が赤く染まりそうだった。

「あ、ねえ。あれ」

 だがそのほんの寸前、くいとテリアモンが足をくいと引っ張ってきた。テリアモンへ目を移すと、小さな手の小さな指がノキアの方を指し示している。

 その先にあったのは、ノキアの前に立つアグモンとガブモンだった。

「き、きみ……たち……!!」

「ボクたちが、ノキアをまもる!」

「に、逃げて……ノキア!」

 アグモンとガブモンは、決死の覚悟でノキアの盾になるように立っていた。

「なっ、あいつ、馬鹿か!?」

 狼狽したような声を出したBの腕をかいくぐって、アミもノキアの方へ走っていく。

「テリアモン、行こう!」

「がってんしょーち」

「おい! っこの、馬鹿共が!」

 そしてBの声を振り切って、アミたちもノキアの前へと立ち塞がり、謎の相手へ対峙する。相手はただひたすらに触手をうねらせていた。

「テリアモン! まずは一発!」

「ほいっ」

 テリアモンが高くジャンプして飛びかかり、勢いを付けて耳で相手を思い切りはたいた。豪快な音が響き渡る。

「えーっ、なにこれ、かったい!」

 ところが、はたいた方のテリアモンが反動を受けて飛ばされ、相手は微動だにしなかった。アミは慌ててテリアモンを空中でキャッチした。

「『プチファイアー』!」

「『ベビーフレイム』!!」

 アグモンとガブモンが同時に息を吸い込み、目も眩む炎を口から吐き出した。青と赤の炎はあやまたず相手へと直撃し、火の粉を盛大に散らした。

 だが、

「ダメだ……少しも、効いてない!?」

 ガブモンの驚愕が示す通りに、炎がぶつかった場所には火傷の一つもついていなかった。相手の一部がちかちかと光を増していっている。

「むーっ、じゃあ『プチツイスター』!!」

 テリアモンがアミの腕から飛び降り、急速回転して竜巻を発生させる。風の奔流は相手を飲み込んだが、しかし晴れた後には、やはり無傷の相手がいるだけだった。

 相手が触手を蠢かせ、テリアモンたちへ向けた。

「っ防御して!!」

 咄嗟のアミの指示に全員が体を縮めた。

 

<イロードデバイス>

 

 触手があり得ない長さまで伸びて、アグモンへと突き刺さった。

「ぐぁっ!?」

 アグモンが苦鳴を上げ、転がった。傷らしい傷は見あたらないのに、起き上がるのがやっとな程に衰弱していた。

「こんな、……」

 じわじわとアミの胸の中に冷たいものが流れ込んでくる。それはたった一つの実感だった。

 勝てない。今この相手には、絶対に勝てない。

「ど、どうしよう……強すぎるよ……!」

「ボク……なんでこんなに弱いんだ……!

 ノキアを……みんなを守りたいのに……ッ!」

 ガブモンとアグモンも恐怖をこらえきれず、声が震えていた。アミもまた、恐怖に近いものを覚え始めていた。

「だから言ったろうが、全く」

 思わずアミは、Bへ目を向けていた。すると彼も見かね諦めたように動きかける。

「よしッ! ロックを解除した、ログアウトできるぞッ!」

 その瞬間、アラタがウィンドウを閉じて声を張り上げた。

 そしてまさかのまさか、程近くまで降りて来たBを掴んだ。

「おい、待て」

「待ってられるか! 詰まっても仕方ねぇんだよ、お前まで血迷ったことしようとすんな!!」

「っアミ!!」

 突然のことに反応が遅れたか、押し込められるままにBは——消えてしまった。

「おいノキア、次はお前だ! 早くッ!」

「で、でも、あのコたちが、まだ……!?」

 それでも動揺しているノキアに、アラタが目を吊り上げて叫ぶ。

「わかんねぇのか、足手まといはお前なんだよッ!

 お前が逃げおおせりゃ、あいつらはどうにでもなるんだ……!」

「……っ!!」

 アラタの一言に、ノキアが小さく打たれた。そして弾かれたようにログアウトゾーンまで走り、……離脱した。

「アミ! ノキアはログアウトした、俺も続く……! お前も急げッ! いいなッ!?」

 そしてアラタもそれだけ言い残し、すぐさまログアウトしていった。

「ごめん、みんな……何も、何も出来なかった……!!」

 アミは未知の相手を前に、ただデジモンたちへ懺悔するしかなかった。もし、もっと自分が何か出来ていたなら。こんな、苦しい思いを皆にさせることはなかったのに——

「アミ」

 そこで、テリアモンの耳がぽん、とアミの頭を撫でた。

「落ち込んじゃった話は、また次聞くから」

「……!!」

「だから行って。早く!」

 アミは踵を返して走った。これ以上皆の気持ちを無駄に出来ない。

 背後からおぞましい音が這い寄ってくる。逃げようとして、いつの間にか切れていたスタミナが役に立たなかった。

 地面のずれに蹴躓く。跳ねた足を、とうとう触手が掴んできた。

 振り返る。覆い被さろうとする相手の向こう、テリアモンたちがこちらへ駆け寄ろうとして、

 

 

 

 手を伸ばして、ログアウトが、届————

 

 

 ―警告

 相羽アミさんのログアウト処理中に予期せぬエラーが発生しました……

 

 ……ログアウト処理を続行できません……

 

 

 

 …………ログアウト処理 続行します

 

 

 ログアウト成功しました……

 

 「カミシロ・エンタープライズ」が運営……

 




Bの仕事しないっぷりが酷い。


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Chapter01
1-1


 先程の奇々怪々な何かについて、一部の野次馬や報道が聞いてくるのが伊達真希子には鬱陶しくてかなわなかった。そりゃ警察に見えないのやも分からないが、本職の警察は暇ではないのだ、その所を弁えてもらいたい。

 全く、だからパパラッチやらが問題になるのだろうが。若干怒りながら伊達は人を散らした。白昼の大通りのど真ん中にいつまでもひとがいて良いものではない。

「ったく、交通整理なんぞやらせやがって……あいつ、見つけたら逮捕だ」

 誰が聞いている訳でもないが、あちこち動き回り手振りで交通を整理し直す伊達は苛立ちが募って、口から自然とこぼれていた。

 勿論あの現象が何だったのか、あれは果たして本当に人だったかも定かには分からない。人のような姿をした謎の青い半透明の存在、そうとしか伊達には分からなかったし、説明しようがない。上に報告した所で「意味不明」と握り潰されるのがオチだろうから、どうせ報告する必要もない。

 もしかしたらあの人が抱えている「隠し玉」にでも聞けば、何ぞ判明するかもしれない。だがあんな胡散臭いものを頼るつもりには、かなりのことなれない。

 全く、現実と電脳が日に日に曖昧になる感覚だ。伊達は誘導警棒を肩に担いで、ふんと鼻を鳴らした。

 そろそろ終わりそうだ、終わったら万引き犯の一人でもしょっぴいてやろうか。などと考え、伊達は道路を見渡した。

 そこで、クラクションの音を遠くから聞き取った。

「ん?」

 よく見ると、交通の流れを完璧に無視した小型車両が一台、こちらへ向かってきている。あれは、かなり大きなバイクだ。

「こら、そこのバイク!! 何してんだ交通の邪魔だぁ!!」

 大きく声を張り上げ、注意勧告をする。だがバイクは止まりもしなければ引き返しもせず、どんどん伊達の方へ走ってくる。

「バイク! 聞いてんのか早くやめろ!! じゃねーと逮捕だこらぁ!!」

 伊達が叫ぶと、前方の車が驚いたのか怪しい挙動を見せた。その目前には件のバイクが迫っていた。

「あ、」

 まずい。伊達は衝突の瞬間を想定してしまった。

 だがバイクは驚異的な反応速度で横へ倒れ、衝突を回避した。そのまま速度を落とさず伊達の方へと走ってきて——

「う、ぉ!?」

 見事にハンドルを切ってドリフト走行を決め、伊達の目前で壮絶な音を立てて止まった。車輪というよりは地面が擦れて煙を上げていた。

「……」

 若干スタントのような技を決めたバイクは、赤と銀に統一された色合いだった。近未来的でごつくもスタイリッシュな風合いがかなりかっこいい。

 が、今は感心している場合ではない。

「て、てめ、」

「一つ質問がある」

「はあ!?」

 ようやく注意出来そうだった伊達の出鼻をくじいたそいつは、赤い髪に端正な顔立ちをした青年だった。黒地に黄色の模様が描かれたシャツを纏った体もなかなかの出で立ちで、取り押さえることになったら苦労しそうだ。

「というかお前、ノーヘルかよ! アホか、逮捕だ!」

「のー……? それはいい。質問に答えれば気にしない」

「こっちは良くねーんだよ!!」

 ゴーグル一つ、しかも頭に装着しただけのそいつは、伊達の張り上げる声など意に介した風もなく言った。

「このあたりでおかしなものを見なかったか」

「は……?」

「或いは、俺と似た姿の何かでもいい」

 質問が理解不能すぎた。一体何があってこの男は、そんなことを聞いている。おかしなもの、なんてこんな仕事をしていれば幾らだって見かける、曖昧にも程がある。更に付け足しで自らに似たものでも良いときた。

 あまりに取り留めがない質問に頭痛がしそうだったが、はたと気がついた。

「んだよ、おめーも野次馬みてーなもんか?」

「何かあったのか」

「あったも何も、おめーも気になって見に来たんだろ? 半透明の青いおかしなキモい奴のこと」

 途端につまらなくなった伊達が吐き出した言葉に、その男は僅かに目を見開いた。

「珍しい現象だ。人間だとそんなことが起きるのか」

「つかお前! 交通違反の上ノーヘルで重犯だ! 逮捕だ、逮捕!!」

「ちなみにその青いのは何処へ行った」

「知らねーよ! 急に銀色っぽい高級車が連れ去っていっちまって、逮捕しそびれだ!」

 代わりに逮捕してやろうと伊達は近づいた。するとエンジン音が鳴り響き、バイクが滑らかに動き出す。思わず巻き込まれないように距離を取ってしまった。

「生きていたなら上々か。何がどういう目的で連れて行ったんだか」

「あ、ちょ、待て!」

 それだけ残し、バイクは急激に速度を上げて去っていった。伊達は走ってみたが追いつけるはずもなく、すぐ見失った。

「~~お前ら、今度見つけたら全員逮捕だからなぁあ!?」

 伊達の雄叫びが昼間の新宿に響きわたった。

 

 

 

「……なるほど、経緯は把握した」

『はい。ログアウトまでにそのよく分からないものに捕まってしまって』

 喋っているはずの自身の声が機械音声のようで、アミは微妙な気分だった。声帯も一緒におかしくなってしまったのだろうか。

「ログアウトした場所は、ログインした場所と同じか、その付近なのかな?」

『いいえ、違います』

 アミが頭を振ると、長い金髪の美しい女性は手を組んで興味深げにアミを見てくる。それから考察を、今話しているアミと別の肉体が存在している可能性を示唆してくれた。

 だが、それには驚くしかなかった。

「肉体から精神データが分離してしまい、個別の存在として現実世界に現れた……?」

 それとも何らかの理由で肉体が「壊れたデータの怪人」に……? などなど、女性——暮海杏子は次々に推論を立てていく。

「いずれにしろ奇妙奇天烈な話ではあるが……目の前にまさしく、摩訶不思議な姿をしたキミがいる」

 だが現段階では状況証拠による単純な推理しか出来ない、とも難しい言い回しで告げられた。

「早速、情報収集を進めよう。まず、キミは何処でログインしたんだ?」

『……どうして助けてくれるんです?』

 アミは純粋な疑問から機械音声で口にした。すると杏子は美しい動作で髪を払い、微笑んだ。

「ここは電脳犯罪事件をはじめ、多種多様な超常現象事件の解決に確かな実績を誇る、『暮海探偵事務所』だ。キミの身に起こった怪異現象の謎を解明するのに、これほど頼もしい場所はないだろう?」

 そして今アミが腰掛けているのは依頼人のソファだと、杏子は指し示す。依頼報酬は今のアミの存在そのものとも語ってくれた。メアリー・セレストという船はよくわからないが、ともかく大船に乗ったつもりでいて良いとのことだ。

「さて、話を戻すとしよう……と言いたい所だが」

 杏子はちら、とアミの方へ目をやった。

「それよりも何よりも前に、キミの姿をどうにかしなければいけないな……」

『……ですよね』

 この姿では人に驚かれるのは既に証明されている。それに杏子はとても不安定に見える、とも指摘する。

 でも、どうすればいいというのだろう。アミはがっくりと肩を落とした。

 そこで突如、扉が若干乱暴に大きく開かれる音がした。

「む? ノックをしてもらいたい所なのだが」

『……!?』

 のんびりと語る杏子とは反対に、アミは驚愕していた。

「ふん。これは確かに奇怪だな」

 そう言いながら扉の奥に立っていたのは、まるでアミを性転換させて姿形を整えたような青年だった。アミはつい立ち上がっていた。

『Bさん!?』

「ああ、やはりアミか。もしかしなくてもあれから逃げそびれたか、仕方のない」

 青年——Bは呆れたというより少し安心しているようにも見えた。

「B? それがキミの名前なのかい、青年」

「チャットで名乗っていたものだ。今は……タクミ、だな」

「ふむ」

 杏子は至って冷静にBを眺める。だがそういえば、どうしてBは外へ出られたのだろう?

『そういえば、Bさんはどうしてここへ』

「お前、そろそろ呼び方変えろ。俺が怪しまれる」

『あっ……ええと、タクミさんももしかして、同じような……? あれ、でも』

 Bは元々はデジモンのはずだ。デジモンが外へ出たなんて話は聞いたことがないのだが。そんな疑問を込めたアミに、Bは苦々しい顔をした。

「俺は少々特別製なんだ。望んだ訳じゃないがな」

「ほう、もしやキミも彼女のこの状態に似たものであると?」

「似ていると言えばそうだ。だが違うとも言える」

「ふふ、難しいロジックだな」

 不敵に笑って腕を組む杏子に、Bもとにかく冷徹な眼差しを送る。それからアミの座るソファへと近づき、背もたれに寄りかかった。

「何にせよ、彼女をこのままにしておく訳にはいかない。タクミ、キミも彼女を手伝ってやってはどうだろう」

『……手伝ってくれませんよね』

 アミはそっぽを向いた。あの謎の存在に襲われた時、あっさりノキアを見捨てようとしたBの冷酷さを忘れてはいない。

「手伝う義理はないな。俺はお前のその状態に関しては何の責任もない」

 やはりそう言われるか。アミは分かり切っていたが、寂しさが拭えなかった。

「だが」

 と、Bは続けた。

「何の関わりもない、とも言い切れないのも確かだ」

 Bがしかと目をアミへ合わせてくる。元々がデジモンだから感覚が違うのか、見ていて気持ちが悪いなどは言わない。

「それに、少々やるべき……というか、押しつけられたこともある」

 その為にはアミが役立つかも知れない。Bはそうとも付け足した。もの凄く事務的で些か以上自己中心的な話になっているが、捨てずにいてくれるというだけでアミは嬉しくなってしまった。

『……ありがとうございます、び……じゃなくてタクミさん』

 アミは一応のこと気持ちを込めて、Bへ礼をした。するとBは目を丸くして、「あぁ」と曖昧に濁して顔を背けた。

「ふふ、人に感謝されるのはあまり慣れていないのかな」

「……」

 Bは顔を逸らしたまま、目線を杏子へ送る。

「お前とは違うからな」

 不思議な言い方だった。今度は杏子が少し驚いた様子を見せて、すぐに戻った。

「さて、観察して確信したが、アミはまさにデータの塊……『電脳体』そのものだ。だが私の声を聴き、ソファに腰掛け、会話している。現実の物理法則に従っている証拠だ」

 つまりリアルの特性を備えたデジタル体——「半電脳体」と名付ける。杏子は笑った。

「……」

「よく分からんみたいな顔をするな、おい」

 Bは杏子の言葉がきちんと分かったようで、地味にツッコんできた。

「キミのカラダがデータで構成されているならば、見た目をどうにかする事自体は、さほど難しくないだろう——」

「元の姿と合うデータを取り込んで治せばいいんだろう」

「ふむ、その通りだ。冴えている……いや、キミは分かっている、という方が正しいのかな」

 杏子がまた面白そうに笑い、Bは冷えた表情を崩さない。一体この二人はどういうことなのだろう。

「EDEN内で使用されているアバターと構造を同じくしているはず。クーロンの放置データの中に、アバターパーツのデータが見つかれば上々なわけだが……

 ……問題は、その状態でログインできるかどうかだな」

 杏子がやや難しそうな顔をした。長く真っ直ぐな金色の髪が、大胆に開いた上衣の胸元へ垂れて、女性同士であれども若干目に毒だ。視線をずらしがてらアミも考察する。

『え、ああそっか』

 正式なアバターではないし、アカウントが正常に機能してくれるとは限らない。もし弾かれてしまえばそれでアウトだ。

 どうすればいいのだろう。悩みかけて、そこでふとテレビがアミの視覚に入った。

『あれ?』

 そのテレビに誘われるような、何かがあるような感覚がしていた。アミは立ち上がり、テレビへ近づく。

「ん、何だ? 端末(テレビ)が……どうかしたか?」

「何だ、どうした」

 ついでにBが近づいてくる中、アミはテレビを見つめた。

 

 ——こっちよ…… 翔びなさい

 

『あ、れ。やっぱり』

 声が聞こえた気がした。翔ぶ、とはどういうことか不明だが、

『翔ぶ!』

 そこでテレビへかつてはグローブをつけていた手を伸ばした。

 その瞬間、テレビにデータの流れのようなものが見えた。そして大きなホールのようなものが出来て——

「お、ぉおっ」

 アミはその穴へ吸い込まれていった。

 視界を無数の情報が流れて過ぎ去っていく。巨大で膨大な情報の流れが、アミを乗せていく。

 そうして運ばれた先に、道のようなものと複雑な波を形成する曲線を見通した。

『これって……どういうこと?』

「突然どうしたかと思えば。何なんだこれは」

『え?』

 明瞭な低音の声に振り向くと、そこにアミの似姿ではなく本来の姿のBがいた。ちょっとびっくりした。

「一体何があった」

『声が、聞こえたんです』

「声? ……」

 Bは笑ったり貶したりするでもなく、鉤爪になっている手を顎に添え考え込む様子を見せた。

「……とりあえず、先に進めるようだが」

『行けば分かりますかね』

「さあな。だが、呼ばれたのだから何者かはいるかもな」

『ですね!』

 アミはとりあえず、浮遊するままに進み出した。すると、まるで水流に乗っているかのような自由さで先へと体が動いていく。

『わあ、凄いですよBさん! どうなってるんでしょうこれ』

「さてな、俺はそうもいかないが」

 振り返ればBには地面があるように見えるのか、走っていた。どうもBとは勝手が違うらしい。

「それはそれとしてだ。どうやら、迎えが来ているようだ」

『え?』

「お前の存在を感じ取ったか、お前を呼んだ張本人か、当てはないがさまよっていたか。どちらにせよ、この道はEDENに通じているようだ」

 Bの指さす方向に、ぽつりと小さな姿が浮かんでいた。白くて大きな耳を持つ、小さな動物のような姿。

『あれって、テリアモン!?』

 アミは急く気持ちそのままにそちらを目指した。するとアミの感情を反映したかのように急速で道を通過し、あっという間にその小さな相手の前へ来られた。

「うわっ! え、あれ……もしかして、アミ?」

 気付いたテリアモンは驚いた顔をして、それから小首を傾げた。少し悪戯っぽい目といい、間違いない、あのテリアモンだ。アミはほっと息を吐いた。

『良かったぁ……テリアモン、無事だったんだ!』

「それはこっちの台詞だよー。あの状況で本当によく生きてるっぽい感じで助かったね。

 ……でも、良かった」

 テリアモンがにこり、と笑った。アミは思わず抱きしめそうになったが、不安定な状態と表されていたのを思い出して寸でで止まった。そこにBが追いついて来た。

「お前も苦労するな、テリアモン」

「え? あっ、Bじゃん。ボクたちを差し置いて一人で逃げちゃったBじゃん」

「不可抗力だ。あの青い奴は焦りすぎだった、全く……くそ」

 Bとしては見捨てたみたいな言い方をされるのがいたく気に入らないのか、口元を若干曲げていた。

「ま、分かってるけどね。それにしてもアミってば急に消えちゃったからさ、びっくりしたよー」

「分かってて言うのか貴様喧嘩売ってるな」

『ご、ごめんねテリアモン……』

「おかげであちこち探し回って、急に開いたからこんな所に来ちゃったよ。もしかしたらこういう所通って逃げたのかと思って」

「このデジタルの流れか。確かにあれもこういったものに乗って現れていた可能性は十分にあったからな」

 Bの言葉にテリアモンは「せいかーい」とてをぱちぱちと叩く。突然開いたここが気になり、しばらくこのあたりをうろうろしていたそうだ。そしてやはりこの道はEDENへ通じているという。

「まあ、こいつが来たなら何よりだ。ここにもデジモンがいる、守ってもらえ」

『うん。またよろしくね、テリアモン』

「もうはぐれないでよねー、二人とも」

 ようやくの道連れを加えて、アミはネットワークの流れを進み出した。



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1-2

『ふむ、見た目だけは正常に戻ったようだな……』

「うん……やっとボクの知ってるアミって感じ……」

「これでまともな姿になったか」

 とまあ、大体元の姿を取り戻したアミへそんなお言葉が並べられた。アミも大方戻った自分の姿を眺めて、安心した。

「戦闘の作法も分かったか」

「はい。ありがとうございました、Bさん」

「……Bって、いつも……こんなの、してんの……?」

 戻った表情をにこやかに動かすアミの横で、テリアモンが疲れ切った顔でぺちゃりと倒れ込んだ。

「て、テリアモン!?」

「量としてはこれくらいは普通だが」

『全く、訓練は無理をしないのが基本ではないか?』

 承諾もしていたはずの杏子の声が、少し呆れを含んでいた。

 今回のアバターパーツ探しは、Bによるアミへの戦闘心得指南とテリアモンの特訓も組み込まれることとなった。「いつまでも弱いままでいられては困る」との言い分で、探すついでにいくらか戦闘もあるだろうから積んでおけ、とのB直々のお達しだった。

 アミもテリアモンもすぐに乗った。あの謎の存在に勝てなかった悔しさも、心残りもたっぷりとある。強くなって今後そんなことが起きなくなるなら、これ以上ないことだった。

 はず、なのだが。

「……なんで、あんなに戦わせるのさ……」

「テリアモンは実際に戦う側だったもんね。その、上手く指示とか出来なくって……ごめん」

 へろへろになって地面に突っ伏すテリアモンを、アミは謝罪の気持ちを込めて抱き上げた。やはりもふもふとして可愛いが、その大きくつぶらな瞳が怪訝そうに細められている。

「アミはいいけど……そっちも疲れて……というか心折れてないの……?」

「? どうして? 凄く勉強になって有意義だったよ」

「……アミとBって、もしかするとある意味相性良いのかも」

「え? え?」

 くたりと頭を垂れてしまったテリアモンに慌てて、アミは画面内の杏子に目をやった。杏子も僅かに眉を寄せていた。

『……タクミ、一体どういうプログラムを行ったんだ』

「実戦経験を積ませただけだが。多少の補足は入れた」

 Bは至って平静に口にした。事実ではある。アミとテリアモンは遭遇する相手と、片っ端から戦って戦って戦ったのだ。

 それはもう、中途から何をしに来たのか忘れそうになるくらいだった。

『それはもしかして、キミが普段行う程度の、か……?

 ……テリアモン、本当に疲れたろう』

 何やら知っている風な言い方を杏子はする。しかしBもまたアミと同じく何を言われているか分からない、という様相だった。

「もう、動けない……」

『アミが平気なのはかなり驚きだが』

 へろへろな声でもたれかかるテリアモンを撫でつつ、アミは額に手を当てる杏子にきょとんとした。確かに一度二度ですぐ覚えられて実践出来るものではなかったが、覚えるまできちんとやらせてくれたではないか。テリアモンと一緒の実践で、だ。

 おかげでテリアモンの動きも、戦闘の初歩的な心得もよく分かった気がする。

 しかしBは訓練中も今もずっと人の姿でやっていた。果たして杏子は何を感じ取っているのだろうか。

『……まあいい。とにかく大きな前進だ、目的は達したのだから一度事務所に戻ってきたまえ』

「はい。……あれ、でもどうやって?」

「うん? ふむ……ひとまず、いつも通りログアウトしてみなさい」

「入った端末に戻ってこられると思うが。アミが余程突飛な道の脱線をしなければな」

『正直な所、キミの場合は何が起こるかやってみないとわからないがね。

 仮にデータがネットワーク中に散っても、可能な限りサルベージしてあげよう』

「えっ!?」

 びくんとしたアミに、うっすらと杏子が笑った。

『ふふ、冗談だよ。……半分程は』

「半分だけ!? ちょ、杏子さ」

 アミが呼び終わる前に通信は切れてしまった。アミは大きな溜息を吐いた。

「ばらけたらどうなるか興味があるな」

「Bさぁん!?」

「だが今の方がデータが落ち着いてるんだろう。より不安定で渡り切れたのだから心配いらないはずだ……っち」

「なんで舌打ちするんです!? というか、戻るって」

 アミは目の前のログアウト場所へ目をやるが、どう見ても機能していない。前回のアミの無理なログアウトなどが響いたのかも知れない。

 となれば道を遡って、入ってきた場所へ戻る訳なのだが。

「……無理……ごめん……」

 寄りかかっているテリアモンの手はあまりに弱々しかった。アミは片手で頬を掻く。

「Bさんは手伝ってくれませんよね」

「この辺りに出る奴は絶対に御免だ」

 きっぱりと断ってくるBだが、となるともしやアミは、このまま強行突破するしかないのだろうか。今のテリアモンに無理をさせるのは心が痛むを通り越す。

「ミレイ、とか言う奴は使えないのか」

「あの人はこういうことは手伝ってくれないみたいなんで……うーん」

 杏子からの通信をきっかけとして、Bやテリアモンにもデジラボとミレイという人物について話してある。二人共疑うことはせず、真面目に聞いてくれた。

 だがミレイがよしんば手を貸してくれるにしても、出口の方にある接続場所に行かねばどうにしろ会えない。結局はここを抜けるしかないのである。

「……とりあえず、戻れる所まで行こう」

 残念なことにBは逃走の心得は教えてくれなかった。どうやらBという存在に後退の二文字は無いようである。

「アミぃ……危険だよ~……」

「でも帰らない訳にもいかないし、ここじゃ休めないし…」

「さっさと行くぞ」

 無慈悲にも道を戻りだすBを、テリアモンを抱えてアミは追いかける。はぐれたらそれこそまずい、ギリギリ守ってくれるかも知れない相手を見逃すのは無茶だ。

「……もし、もし」

 だが不意に声がかかった。アミが足を止めて振り向くと、……何もいない。

「申し訳ない、足下を注意して欲しい」

 更に聞こえる声を追って彼女が足下を見ると、白い半透明の存在がちょこんと靴の上に乗っかっていた。

「……ポヨモンじゃん」

「うむ、ポヨモンだ。現在は」

「な、なんだか凄くきちんとした喋り方してる!?」

 アミをかなりの衝撃が襲った。これまでに遭遇したポヨモン、または幼年期のデジモンはもっと、幼いか若しくは拙い喋り方をしていたのだ。

 だがそのポヨモンは「まあこれは理由がだ」などと更にはっきりとした口調をして、ぽよんと跳ねた。アミの目の前に小さな顔が現れる。

「貴方のテリアモンはだいぶ疲れているように見える」

「あ、えっとこれは」

「ああいや、貴方がさせたのではないとは何となく分かる。それから貴方には、他に連れているデジモンがいないこともだ」

「う」

 痛い点を突かれ、アミは言葉が出なかった。ミレイの用意してくれた機能を使っていればこうはならなかったはずなのだ。

 テリアモンがアミとはまた違って、じとっとした目線をポヨモンに送る。

「もしかして、今からボクたちを襲おうとか考えてないよね?」

「それならばとっくの昔に奇襲を仕掛けているよ。決して私は貴方がたに害を与えに来たのではない」

「は、はあ。それじゃ、どうして?」

 アミは片手でポヨモンをキャッチして、乗せた状態で向き合った。やはり襲ってくる気配はない。

「うむ、大変に個人的且つ勝手な内容で申し訳ないのだが……あそこにあるデジヴァイスを、持って行ってくれないだろうか」

 ポヨモンが小さくアワを飛ばす。アワが漂っていくその先は行き止まりだ。

 だが目を凝らしてみると、壊れかけの携帯とおぼしき形状の機械がガラクタの中に混じっているのが見えた。黒ずみ、液晶にも罅が入りぼろぼろだが、辛うじて画面が光っている。

「……きみ、あそこに入ってたの?」

「正確にはまだ入っている、という所だな。今の私は限界まで圧縮したデータが限定的に外に出ているに過ぎないのだよ」

「あれの持ち主は?」

「他のハッカーに襲われてアカウントを取られかけ、抵抗の結果破壊されてしまった。少し前のことだ」

 ポヨモンは悲しげに頭、もとい全身を振った。そんなことがあるのかと、現在半電脳体となっているアミは酷くぞっとした。

「そしてデータの残骸に私は残されたまま、出られないということなのだ。

 だから頼む、少女。どうにかデータの復旧か何かが出来る所まで私を連れていってくれ。代わりに戦闘があるなら戦う」

 ポヨモンが頭というより全身を倒した。そうきたならば断る理由はアミにはない。

「んー……ま、嘘っぽい感じもしないし、良いと思うよ」

 テリアモンも賛同してくれた。罠だとしても、最悪杏子に救援要請を出来なくもない。解決策くらいは教えてくれるだろう。

「分かった。直せる場所にも心当たりがあるし、やってみるよ」

「ああ、ありがたい。頼んだよ、少女」

 ポヨモンがアミの肩へと乗ってきた。彼女は嬉しくなりながら、周囲に襲ってきそうなデジモンがいないかを確認して、デジヴァイスへと近づき拾い上げた。本当にボロボロだ。内部のデータは大丈夫なのだろうか。

「うわぁ、壊さないように運ばないと」

 大事に胸へと抱えるアミの代わりのように、テリアモンが周囲を確認する。だがその丸い目が、またもじとりと半眼になる。

「……というかさ、Bいないよね」

「えっ?」

 言われてアミも辺りを見回す。確かにあのでかい図体が影も形もない。

 置いて行かれた。

「……」

「……」

「……追いかけよう!」

 せめて何も襲ってきませんように、とアミは心の中で願掛けし、ダッシュした。

 アーチを抜けた先にも既にBの姿はなかった。行動が早すぎるのではないか、どういうことだ。アミは戻ってきた足音を潜めつつ足は素早く動かし、急いで道を抜けていく。

「アミ、ボク歩ける」

「ダーメ!」

 テリアモンの申し出は却下だ。こんなに弱った姿を見て尚走らせるなど、そんな血も涙も無い所行はアミには出来ない。

「私はこの状態だ、降りては逆に足手まといになってしまうな。申し訳ない」

「いいよ、気にしないで!

 ……でも、ポヨモンがいるデジヴァイスの持ち主は、どうしちゃったの?」

 アミは純粋に気になって、走りながら口にした。するとポヨモンが少し苦い面持ちになった。

「簡単に言えば商売敵に負けたのだ。それなりの数我々を連れていたのだがね、皆……その相手が何処からか仕入れた強力なデジモンに、蹴散らされてしまったのだよ」

「え……」

「これでも私はあの人間の切り札だったのだがね。それでも相性が最悪な相手に立ち向かうのは土台無理だったということだ」

「うわー、つらいね……」

「ああ、善戦はした方だったと思いたいよ」

 ポヨモンの語り口は淡々としているようだったが、そこはかとなく後悔が見え隠れしているようにアミには思えた。

「元からあの商売敵とは犬猿の仲というものだったからね。襲った当時から復帰も出来ない程にするつもりだったのだろう。巻き込まれた我々はたまったものではなかったがね」

「……」

 アミは壊れかけのデジヴァイスを握る。

「ポヨモン。私、絶対に助ける」

「む、? どうした少女」

「こんな所で終わらせられないよ。ここから出て、すっきりしなきゃ」

 絶対にこれをミレイの元へきちんと届けて、復旧させよう。こんな、苦しい想いをさせたままに放置しておけない。助けるなんて大仰なことは言えないけれど、皆に出来うることを果たそう。

「……不思議だな、貴方は」

 ふ、とポヨモンが微笑む。他のポヨモンでは見られない柔らかな雰囲気だ。

「まー……アミはね。不思議天然ドジっ子だから」

「え、テリアモンいつの間にそんな判断を私に?」

「まだ付き合いが浅いボクにも分かるくらいだって自覚しなよ」

「そう、なの? え、え、誇張だよね?」

「自覚のない相手程こういうこと言うよねー」

「ちょっと!?」

 もーやだやだなどと、テリアモンが小さな手で頬をぺちぺち叩いてくる。全く自覚症状がないのだが、マジか。どうしよう、Bにも聞いて真偽のほどを確かめねば。

「ま、そこもプライスレスに優しい所もまだ好きだけど」

「えっ、て、テリアモン……。

 って、まだって何?」

「てーんねーん」

「もしもしー?」

「ふ、ふふ」

 と、走りながらぐだぐだ続く会話の合間に、ポヨモンの笑い声が挟まった。

「……いや、済まないな。こんなに仲の良い人間とデジモンは、初めて見たもので」

 肩に目を向けると、心底楽しそうに笑うポヨモンがいた。馬鹿にした雰囲気ではなく、珍しく面白いものを見ている、という風情だった。

「なんというのか、個人的には好きだな。貴方がたの関係は」

 ふう、と一息吐きがてらポヨモンがアワを吐き出す。誰の姿も見えない通路へ、ふわふわ流れていく。

「……?」

 誰もいない。これまで野良のデジモンと幾らも出会っていたはずなのに、今になって一度も出会っていない。

「……なんか、やーな感じしない?」

 テリアモンの声が低くなっていた。アミは走る速度を上げながら、ひたひたと忍び寄ってくる予感にこくりと頷いた。

 既にアミたちの背後に、黒い影が落ちていた。

「——はっ!」

 ポヨモンが大きく息を吸って、大量のアワを吐き出した。大きな呻き声の後、アミの目の前に巨大な機械の腕が突き刺さった。

「っ!!」

「こーなるよね」

 アミは跳びすさりながら振り向き、相手を確認した。影の主は、発達した青い上半身を持つドラゴンと機械の混合体だった。

「まさかこのタイミングで来られるとはな」

 ポヨモンが苦しげにこぼした。アミは急いでキャプチャーを起動して確かめるが、

「余程このデジヴァイスにご執心か、ギガドラモン」

「……完、全体?」

 キャプチャーが解析したデジモンの名前の横に、そうあった。Bの指南で学んだ知識によればテリアモンが属する成長期の二段階上。

 すなわち、もの凄い格上。

「無理!!」

 アミがダッシュした瞬間、空間を咆哮が揺るがせた。それだけで吹き飛ばされそうな威力を前に、多少訓練を積んだ程度のアミたちが敵う道理は無かった。

「しばし見かけないから大丈夫だと思っていたが、これ程引き寄せるとは想定外だった。まずい、まずいぞ!」

「あのさ、ポヨモン。これ全体的にきみのせいじゃない?」

「うむ、大変申し訳ない」

 三人の背後で巨大な落雷の音と閃光が走った。アミは全身全霊を込めてダッシュの速度を維持し続ける。

「まだここに収納されているデータが恋しいのか……仕方のない」

「う、わぁ!!」

 アミのすぐ横で巨大な爆発が発生し、熱風が吹き付けてきた。足を掬われ、アミたちは斜め前へ吹っ飛ばされた。

「あっつ! あち、あちちち!!」

「アミ、ボクたちをかばっちゃダメ!!」

 しかし咄嗟に体が動いてしまうのだから仕方ない。アミは胸にテリアモンとポヨモンを抱え、焼け付く痛みの走る背中もそのままに走る。

「少女、デジヴァイスを捨てるのだ! そうすれば少なくともしばらくはそちらへ気を取られるはずだ!!」

 ポヨモンが声を張り上げる。実際こんな格上の相手に襲われているのなら、そうして然るべきなのだろう。

 何より、アミは今半電脳体であるこの姿が本体なのだ。ここでやられれば、まさしくゲームオーバーだ。一巻の終わりだ。

 生命の危機というものが、あまりにも生々しくアミへとのしかかる。どこまでも純粋な恐怖が彼女の中に生まれていた。

 だが、アミはデジヴァイスを手放すことなく全力で走る。

「少女!!」

 浮遊する相手には分が悪く、すぐさま再び大きな影が被さってくる。

「っだぁ!!」

 アミは思い切り横へ跳ねた。直後、間近を鱗と機械に覆われた巨大な腕が削り抉った。足が変に曲がりそうになって、痛みが走る。

「ぽ、ポヨモン、さんっ……!」

「これ以上貴方がたを巻き込むわけにはいかない、早く!」

「引きつけておきます、だからテリアモンと一緒に、Bさんを呼んできて下さい!!」

「!?」

 テリアモンとポヨモンが同時に息をのんだ。アミは前方の階段をジャンプで飛び越える。

「テリアモンが姿を知ってますから! あのデジモンなら、少しは張り合える、かも! 頼みます!!」

「ちょっと、アミ」

 アミはテリアモンの不平を押しとどめるように二体を抱き込み、地面を強く蹴った。背後で暴風が吹き荒れアミたちを押し流す。

「もうすぐ、追いつかれるから……っ!」

「……」

 アミはテリアモンとポヨモンを手放そうとする。だがポヨモンが彼女の腕を使ってまた肩へ乗ってきてしまう。

「ちょ、だから」

「——ひとつ、賭けをするとしよう」

 ポヨモンがそう言って、目前の分かれ道を睨む。背後からは巨大な圧迫感が追ってきている。

「贖罪にもならないが、どうか一度だけ。私を信じてくれ」

 アミを、ポヨモンが真剣な眼差しで捉えていた。

 ……彼女がそれを無視出来るはずがなかった。

「私を下に構えてくれ。そして壁際で思い切り、」

 アミは言われるがままポヨモンを掴み、下へ向ける。テリアモンがアミの背中へ守るようにしがみつく。

「跳んでくれ!」

 アミは壁を飛び越える勢いで、ジャンプした。

「『ハイドロウォーターⅢ』」

 その瞬間、猛烈な圧が下からアミの体を急速に押し上げた。

 高く、高く飛んで、ブロックの山を越えて——その奥、入り口まで。その瞬間、壁を突き崩さん衝撃がフロアを揺るがした。

「————!!」

 そして入り口付近に丁度、あの黒い姿が寄りかかっていて、

「Bさぁ——————んっ!?」

 渾身のアミの叫びに黒が顔を上げた。そしてアミたちを三つの赤い眼が見つけた。

 黒が、とんっ、と地面を蹴った。そして自由落下を始めたアミたちを、長い腕が過たず捕まえた。

「……何を遊んでるんだ、お前ら」

 いたく呆れた声と共に、元の姿のBは軽やかに着地した。うつ伏せに拾われたアミには少しも負担が無かった。

「遊んでないです……あ、」

 否定した直後、咆哮と共にギガドラモンが壁の向こうから姿を現す。そこでポヨモンがアミの脇より抜け出て肩へ乗り、Bへと向き合う。

「貴方がB、か」

「便宜上は」

「……あれをどうにかして頂きたい。何より、貴方の為に」

「俺の、だと?」

 ポヨモンの言葉にBは怪訝な表情になる。しかしポヨモンは退く様子を全く見せない。

「あれは相当な強欲だ。放置すれば珍しい貴方をいつまでもつけ回すだろう」

「そうか。ふん」

 Bはアミ諸共全員を下ろし、スタスタとギガドラモンへと歩いていく。

 そして後ろ姿をアミ達へ見せたまま、ギガドラモンへと顔を上げた。

 瞬間、ギガドラモンが硬直した。

「……お前は何も見なかった。そうだな」

 Bの一言に、小さく震えながらギガドラモンが頷いた。明らかな恐怖が現れていた。

「なら、行け。そして此処へは二度と来るな」

 凍り付きそうな程の声音が空間を沈黙させた。それからギガドラモンが、静かに壁の奥へと逃げていった。

「……」

 ゆらり、とBの長く硬質な尻尾が不機嫌に揺れていた。

 

 

 

「中のデータが劣化し過ぎているわ。これではもう駄目ね」

 デジラボに持ち込んだデジヴァイスを確かめての、ミレイの発言だった。あまりのことにアミは絶句してしまった。

「そ、そんな……じゃあ、その中のデジモンは」

「出すどころか、少しいじるのさえ危険よ。残念だけれど」

「でも、ミレイさんなら!」

「ええ、私もこんな痛ましいことがあるだなんて信じられない…出来ることなら助けたいけれど」

 ミレイの眼鏡の奥で切れ長の眼が眇められる。

「もう、どうしようも無いんですか?」

「どうにかデータをかき集めれば、デジタマくらいには出来るかも知れないけれど。でもそれだって怪しいし、きちんとした子になるとも分からないわ。それ以上は私でも無理」

 それではポヨモンにも申し訳が立たない。中の誰もを救い出せなかった、なんて、どんな顔で言えばいいというのだろう。

 一度生命の危機に晒されてしまったせいだろうか。アミの中でデジモン達の命が潰えるという事実が、重すぎた。

「本当に悲しいわ……このデジモン。いくら何でも中心のデータが抜け落ちていては」

「はあ……え?」

「他には誰もいないのが救いと言えば救いかしら。でも」

「え、? え、え、えええ?」

 アミは思わずミレイの方へ身を乗り出していた。ミレイがきょとんとしていた。

「……もしかして、中身が複数だと思っていたの?」

 

 

 

「なんと、きちんと説明すれば良かったな。済まなかった、そんなに気苦労をかけていたとは」

「もー、アミってば早とちりさん」

「うー……」

「素直にただの思考欠如と言ってやれ」

「それ逆に胸が痛いのですけど……!!」

 戻って取り敢えず報告をすると、デジモン三体はそれぞれに反応を返してくれた。ポヨモンも、である。

「中身、ポヨモンさんの本体と残骸データだけだったなんて……」

「普通それくらい予想しない? さっすがアミ、天然お人好し」

「いっそ頭の配線がおかしいくらいにな」

「二人とも誉めてませんよねそれ」

 アミは静まりかえっている広場で、膝にテリアモンを乗せてぐったり座っていた。テリアモンの上には更にポヨモンがおり、中央のポールにBが背をもたせかけている。

「うーむ、自己犠牲が常に美徳とは限らないからな。特に少女、君のやり方は自身を顧みないことこの上ないぞ。よろしくない」

「はい……」

 はっきりと言われてしまうと悲しいものがあった。自分ではあの瞬間それが最善に思えていた分、至らなさを痛感する。

「お前は真性の平和すぎる軟体精神だ」

 そしてBのよく分からないお言葉が飛んでくるのだった。頭を垂れるアミに、ポヨモンが頬をすり寄せてくる。

「とはいえ、よくやってくれたよ少女。あそこで私に従わず捨てなかったのは、お手柄でもある」

「あのデジヴァイスの破損しきったデータを拾ってたら、ギガドラモンがバグってたんだもんね」

 とのことを、ミレイは語っていた。そしてバグを起こしていたら、ギガドラモンは理性をなくして暴虐の限りを尽くし、一帯に甚大な被害が出ていただろう、とも。

「元々は私の同僚のようなものだった。その分の執着が生まれてしまったのだろうな」

「……捨てなかったのは認めてやらなくもない」

 一応アミが壊したがらなかったことも考慮してか、Bはそれ以上きついことは言わないでくれた。

「でもポヨモンさん、やっぱり元の姿には戻れないって」

「それくらいなら全く困らないさ、またなりたくなったら鍛えれば良いのだから。幾らでも取り返しはつく」

「技を見る限り、きっちり前のデータ引き継いでるみたいだしね。良いんじゃない?」

「は、はぁ……」

 やはり人間とは生体が違うのだと、大変に思わされる暢気な会話だった。Bもツッコまないあたり、デジモンでは割と共通の意識なのかも知れなかった。

「テリアモン、今度から仲間増やしておくね」

「そうしてよ。ボクもあんなスパルタ二度とゴメンだし」

 アミはBを睨むテリアモンの耳を撫でた。Bは気にした素振りもなく佇んでいる。どうにか全員無事でいてくれた、良かった。

「……アミ、だったかな」

 ふと、ポヨモンが見上げてくる。アミは首肯する。

「良ければ私を、仲間に加えてくれないかな」

「えっ、」

「どうせ私の主はいないのだ。新しい人の元で過ごすのもありだろう」

「そ、そう?」

 でも、ポヨモンにだってかつての主との思い出とかがあるはずだ。そうそう簡単に乗り換えられる訳、

「実の所以前の奴はデジモン使いが非常に荒くてな。正直思い出したくない」

「……あ、そうなんだ」

 問題ないようだった。アミはテリアモンに目線を移す。するとテリアモンは、悪戯な笑顔を浮かべた。

「ちょっと変わった相手だよね。おまけにちょっと詰めが甘いっていうか」

「それは反論出来ないな。嫌かな」

「ぜーんぜん?」

 テリアモンが耳をぱたぱたさせる。案外と仲間が増えるのは嬉しいようだった。

「……テリアモンって、あれかな。ツンデレ?」

「ツンデレって言ったらBじゃん?」

「人を勝手に訳の分からんカテゴリに分類するな」

 Bもポヨモンそのものに文句を付けない。決まりだった。

「じゃあ、よろしくね。ポヨモン」

「ああ、よろしく頼む。アミ」

 ぽよん、と半透明の体が跳ねた。



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1-3

「コーヒーとかいうのは何だ」

 事務所の扉が訪問者を隠すなり、人の姿のBが聞いてきた。表情は訝しげそのもので、訪問者が帰り際、アミとBに耳打ちしてきたことが関連しているのだろう。

 そういえば元はデジモンだ、知らなくとも無理はあるまい。アミは素直に答える。

「こっちの世界ではポピュラーな飲み物です。茶色がかった黒の液体で苦味があるんですけど、でも芳醇な香りが楽しめるものですよ。どれかというと嗜好品としての傾向が強くて、栄養はそこまで考慮されないというか」

「黒い液体、か。それの『色』と……おい、『固形物』は普通入れるのか」

「え? ……どうでしょう? 私は砂糖——甘味をつけるものくらいなら小さい頃に入れてましたけど、それ以外に塊っぽいものは思いつきませんね」

 そこまでアミが説明すると、Bは目を素早く巡らせた。探偵っぽいな、なんて彼女は暢気に考えつつ、あの又吉という男性よろしくBもどうしたのだろうかと首を傾げた。

「やれやれ、キミたちEDENからの帰りが遅いから心配していたが。この様子なら調査に同行してもらっても問題なさそうだな」

 そこに事務所の奥から杏子がやってきた。車のキーを手にしており、すぐに出立できるよう準備万端だった。

「アミお前、今度から説明は端折らず要点を掴んでしろ。『デジモン助けをしたら巻き込まれて結果的に仲間が増えた』で誰が分かると思ってる」

「自分なりにまとめた結果なんですけど……」

「ふふ、これから報告のスキルも上がっていくことになるかも知れないぞ?」

 Bの指摘にしょげそうになったアミへ、杏子が素敵な微笑を浮かべて事務所の扉を開く。

「では出発するとしよう——『EDEN症候群』と【カミシロ・エンタープライズ】についての調査の為に、セントラル病院へ」

 アミは表情を引き締めて頷き、杏子へ続いた。これからあらゆる分からないことが、分かってくるかも知れない。

「知らん場所には流石に連れて行かれるしかないか」

 Bの呟きの意味は、まだアミには思案の外だった。

 

 

 

 “正攻法”を試みる、と病院の受付に向かう杏子は、それではどうすればいいかと問うたアミへ情報収集をするよう言った。

「聞き込み調査は、探偵行動の基本中の基本なのだよ」

 そう語り、杏子は最終的にアミを“助手候補”と呼んだ。そうして楽しみだ、と笑い受付へと去っていった。連れてこられたセントラル病院のエントランスで、Bと共に取り残されることになった。

「開業医で伝記とか、赤いほっぺって、何でしょう?」

「それを俺に聞くのか」

 Bに訪ねてみたが、Bも怪訝な顔をするばかりで知らないようだった。考えてみればデジモンであるBが、恐らく人間の文学作品や隠喩表現などについて知見がある訳もないのだった。

 それにしても、Bは助手候補とは形容されなかった。

「あくまで探偵として役立ち働くべきはお前ということだ。つまり、必要とされるのはお前の能力だ」

 疑問を抱いたアミに、Bは静かに口にした。アミの能力とは、すなわちコネクトジャンプとかのことだろうか。Bが語る所によると、Bもネットまでならどうにかなるが、アミのコネクトジャンプ程の自由度は無いとのことだった。よく分からない。

『そうだな。アミの能力は我々の出来るネット移動とはまたかけ離れたもののようだ』

 と、デジヴァイスから小さなウィンドウが立ち上がり、白くて丸いくず餅のようなものが映し出された。同時にもう一つウィンドウが現れ、耳の長い動物のようなものも出てきた。

『その能力って、元々アミが持ってたものじゃないんでしょ?』

「うん。あ、そうだ。テリアモンもポヨモンも、私のデジヴァイスの中でも平気?」

『割と居心地いいかもね。これなら前みたいにはぐれることもないし、万事おっけーだね』

『そうだな。それと事情とあの又吉という刑事の話も聞かせて貰ったが……もしかすると、アミは究極のレアケースかも知れない』

 半透明ことポヨモンの言葉は少し謎めいていた。対して動物っぽい方、テリアモンも何かしら分かりかけていることがあるらしく、『んー、だね』と同意していた。

 究極のレアケースと形容されたが、しかし一体何のことだろうか。

「だからお前は異質なんだ。仕事しないのか助手候補」

 Bの言葉を受けて、アミはとりあえず周囲を窺う。清潔で広々とした白を基調とした空間には老若男女問わず大勢の人がいる。立っていたり設置された椅子に座っていたりとそれぞれに過ごしている。

『仕事の邪魔はしないようにしよう。ではまた後で』

『またネットワークとか行ったらちゃんと呼んでよね』

 ポヨモンとテリアモンのウィンドウが消えて、いよいよ開幕と行きそうだった。

 誰に話を聞くべきか。アミは吟味しようとして前方に目をやり、ふと一つの光景に気がついた。

 窓からうっすらと差す日差しの中、看護師の制服を着た女性と一人の少女がいた。看護師の言葉を少女がどこか虚ろげに無言で受け、言づてを終えたと言った風に看護師がすぐに去っていく。

 残った少女が、アミの方へ顔を向けた。

 静かな雰囲気の少女だ。段をつけた漆黒の髪を肩胛骨あたりまで伸ばし、前髪の分け目から大きくも少し閉じ気味の憂いのある黒眼が覗いている。細い顔に揃ったパーツは一つ一つが清楚な空気を醸しだし、細い体には黒と白で統一されたミニワンピースと黒タイツを身につけ一層落ち着いた様相だ。

 少女はモノトーンのリボンをつけた腕を引いて、もう一方の手を少しだけさまよわせた。

「……?」

 アミはどうしてか、少女から目が離せなかった。何処かで会ったことがあるだろうかと内心首を捻るが、別段見覚えがあるということでもない。

 だが、少女を見つめてしまう。その姿から目が逸らせない。そして少女もアミに目線を合わせたまま、無言だ。

 ……段々居心地が悪くなってきた。

「っ、こんにちは!」

 雑踏の中の沈黙に耐えきれず、アミはとにかく笑顔で挨拶をした。こんな時に限ってBも何も言ってくれない。

 しかし、やはり少女は無言だった。そこで少女の背後のエレベーターが到着し、扉が開く。少女は名残惜しさも何も感じさせないままエレベーターへ乗り込み、扉の奥へと消えていった。

「うーん?」

 アミは首を傾げるしかなかった。今の少女は何だったのだろう、誰だったのだろう。知っているような、知らないような。

「お前何してるんだ」

 と、ようやっと声がかかってアミはそちらを見た。アミと似た青年の姿をしたBが、僅かに片眉を下げている。

「何だったんだろう?」

「……」

 Bは何か意地悪を言うかと思いきや、アミの目線の方を同じく見て顎に手を添えた。

「とにかく、そろそろ動かないと職務怠慢と言われるぞ」

 アミは少女が乗ったエレベーターが気になって仕方なかったが、怠慢の言葉に頭が切り替わった。

「じゃあ聞き込みをしなきゃ」

「特別病棟とかいうのは、ある階の可能性が高い」

「えっ、聞いてきてくれたんですか!?」

「これを見ていたら噂が聞こえた」

 Bは院内の地図が記されたパンフレットを差し出してきた。明らかな日本語で説明がそれぞれのフロアにされている。

「タクミさんって、そういえばどうして日本語の読み書きが出来るんですか?」

「ある意味ではお前のおかげと言っておく。この階に特別病棟と書いてあるが、ここは以前迷い込んだ奴によると警備が置かれていたとのことだ」

 アミはBの言葉の意味を考えるのは後にして、一つの階の説明書きを読む。重症患者専用フロアとされており、一見すると怪しい部分は無いようにも見える。

「警備、となると気になりますね」

「又吉の話では隔離施設だともあったからな。一般人を通さないようにしてあるなら確率は相当だ。行くか」

 Bは言うが早いか、エレベーターの方へと歩き出す。歩幅の違いから置いてけぼりを喰らいかけつつ、アミも小走りに追いかける。

「意外ですね」

「ん?」

「タクミさんが手助けしてくれるなんて」

 アミは想像もしていなかったと笑ってみた。

「相変わらずの花畑な脳内だな」

 するとBは呆れた顔で割と隠喩的な表現をしてみせてくれた。アミがどういう意味だと目を見張ると、Bは更に顔から表情を消してしまった。

「結果としてお前の手助けになっただけに過ぎない。俺はただ、さっさとこの案件を終わらせたいからしているだけだ」

 ……ブリザード並の冷たい実態にアミは落ち込みつつ、エレベーターのボタンを操作した。

 

 

 

 ネットワークを抜けて、杏子から情報収集の依頼通信を受けたのが今さっき。そしてアミが、ガラスの向こうにあるベッドに寝かされた自分の肉体を見つけたのが、たった今だった。

「……幽体離脱ってこんな感じなんでしょうか?」

「俺が知るか」

 Bはにべもない言い方をしながらも、自らの肉体を鏡に張り付いて眺めるアミをひっぺがそうとはしなかった。それはもしかすると、表には出さないアミのショックを感じ取っていてくれているということかも知れない。

 ベッドの上でチューブや配線を繋がれ、呼吸器で口を覆った自分は、一見するとただ眠っているだけのように穏やかな様子だった。放っておけばその内起きるんじゃないかと思えてしまうくらいだった。

 だが、このままでは起きることはないのだとアミは悟っていた。今ここに肉体と遊離した半電脳体となっている中身がいることが、何よりの証拠だった。

「やっぱり私もEDEN症候群なんですね」

「だろうな。ただ、そのデータがこうして自由に動き回っているという事例はこれまでに無いのだろう」

「どうして私はこうなったんでしょう」

「それを解明する一端を今から回収しに行くのだろうが」

 アミはようやくBへと目線を移した。やはりその顔に感情らしいものは見られないが、急かさずにいてくれるあたりは気遣いをしているのかも分からない。

「……そうですね。見ててもあそこに戻れる感じしませんし」

『っていうか、戻れるかもって思ってたんだ』

 ウィンドウがアミの目の前に現れ、何とも言えない顔をしたテリアモンが出てくる。ついでにもう一つウィンドウが立ち上がりポヨモンが難しい顔を見せた。

『ふむ、これ程に患者数が多いとは。それでも情報統制を可能としているとなると、やはりあの企業が背後にいるとしか思えないな』

「【カミシロ・エンタープライズ】? それにしてもポヨモンも人間のことについて情報通だね」

『伊達に長くハッキング生活を送ってはいなかったということだよ、アミ』

 ポヨモンはどこか油断を許さない微笑みを浮かべた。こういう所を見せられると、ポヨモンのハッカー所属歴が大変気になってくる。

「そろそろ行くぞ」

 Bが横の扉へと向かい、アミも二体に挨拶をしてウィンドウを閉じ続く。ロックがかかっていないのか、重厚そうな扉はあっさりと開いてアミたちを招き入れた。

 整然として仕事場らしい空間だった。いくつもの棚やダンボールに事務用品が揃っており、机が前方の壁に沿って一列に並べられ、それぞれにファイルや書類、パソコンがまとめて置かれている。

「研究施設って、もっと大きいのかと思ってました」

「それも含めて妙だな。……どこをどうするか」

 Bは内部をざっと見回している。流石に人間の仕事環境などについての知見も無いようだ。言語や一部知識はあるのに人間生活は知らないこのちぐはぐさは何だろうか。

「あ、あれとかどうでしょう?」

 アミも見回してみて、一つ電源のついたパソコンを見つけた。近づいてマウスを操作し、「File:001」とあるドキュメントを開く。

「あっ、これですよきっと! 【EDEN症候群について】って題名ですし」

 アミは小さくガッツポーズをし、カーソルを下へ動かし文書を読んでいく。

「ふんふん……この意識不明とかのあたりは又吉さんの話と一緒ですね」

「それだけあの刑事とやらが情報を掴んでいたということだろうな」

 その言葉の成り立ちから変遷までを辿り、それから最後に長期の昏睡で死亡する例もあるとまで認めた。

「えっ……これ、やっぱり私早く戻らないとまずいんじゃ」

「かも知れないな」

 ぞわぞわと嫌な寒気が背筋を這い回るのを感じつつ、アミはその後のファイルも全て読み通す。

「治療法はまだ不明、でもやっぱり【カミシロ】が関わってるみたいですね」

「この分だと相手の大きさと、情報握られているせいで強く出られていないようだがな」

 アミは全てのファイルをデジヴァイスにコピーし、すぐに杏子へ送信した。これで少なくともとっかかりは手に入れたことになる。

「もういいな。帰るぞ」

 そしてBはやはり早急に動き出す。デジモンという生体も意識も違う相手に思うのもおかしいかも知れないが、しかしこんなに多くの人が大変な目に遭い、更に家族も悲しんでいるのだ。そのことを何とも思わないのだろうか。

 どうしてそんなに、ドライでいられるのだろう。アミの心に寂しい気持ちが蟠る。それを隠してBに続く。

 だが通路に出た瞬間、アミは固まった。

「どうして、あなたが……!?」

 あの黒髪の少女が、二人のすぐ目の前で驚愕の表情を浮かべていたのだから。



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1-4

 こういうのを衝撃的と言うのだろうか。背後で頑なに閉じた扉の向こう、甘ったるく媚びた声を聞きながら思った。招かれざる客とはよく言ったものだ。

 

 何処かにいるとは知っていたが、最初の例を除けば関わることなどそうそう無いだろうと予測していた。向こうとこちらは性質としては水と油も良い所だし、そもそも何ぞあろうともまともに動きもしないこちらを、向こうがどうこうしようとも思わないはずだからだ。そしてこちらとて向こうをやたらに刺激するつもりなど毛頭なかった。

 勝手にやっていればいい。それをこちらは見物させてもらう。その手筈だった。

 だが、まさか過ぎた。あれが、こうなっていようとは。詳しい事情などどうでもいいが、……何故ああなったのかと、どうしてもそんな思考は拭えないのだった。

 言動を分析するに、向こうがこちらに気が付いているようではなかった。気付いていたなら速攻でこちらを排除にかかっていておかしくない、それだけの障害物となり得ることを自覚している。

 となれば恐らくは、こちらそのものではなく潜り込んだ鼠を値踏みしに来たか。或いはらしくもない——「気まぐれ」か。

 やがて扉の向こう側、扉の内部を疑う言葉が聞こえて来た。横で冷や汗をかいている奴が肩を小さく跳ねさせ、決して広くない部屋の中を必死で見回し始める。

 逃げ道を探している。あそこにいる相手を排除するのではなく、何事も無かったことに還元しようとしている。

 使いようによっては兵器ともなり得る存在を所持している。そんな自覚は、一切見られなかった。いや、実際にそうだとは欠片も思っていないのだ。

 更に言えば、こんな時に限ってこちらを頼ろうとしない。頼られたとて力を貸すつもりはないが、今のそいつはこちらを利用して強硬手段に出ようという、一種の保身を思いつきもしていないようだった。

 思えばこいつは不可解だ。誰かを助ける為に簡単に自らを投げ出し、こちらの本性の全てを知らないにしろ頼って来るのは最後の最後。そしてどれもが自分が助かる為ではなく、誰かを助ける為を原理としている節が見られた。

 本当にこいつは、会話だけの時と、全く変わらない。

 心底奇妙だと思う。だけれども、

 ……この気持ちは、なんと呼ぶのだろうか。

 

 

 

 

 

 元の体に、戻りたくはないか?

 キミの身に何が起きたのか、真相を知りたくはないか?

 

 

 そんな杏子の言葉に、アミは真剣に頷いた。デジモン・キャプチャーとテリアモンを手にした日に見て襲われた謎の白黒の存在は、何だったのか。一体今この電脳世界に何が起きようとしているのか。それを知りたいと、願っていた。

 顔を引き締め真っ直ぐに見つめるアミに、杏子は満足げに笑った。

「では、決まりだな。私の助手として、ここで働きたまえ」

 依頼にはEDENや電脳犯罪に関連した事件も多い、だから仕事をする中で手がかりもつかめる。そうも言ってくれた。

 素質と衣食住を認めるという言葉もまた、心強くてならなかった。

 この人の期待に応えよう。そんな気持ちにさせてくれた。

 

 

「キミは、たった今から私の助手兼【電脳探偵(サイバー・スルゥース)】だ」

 

 

 前途を祝して、珈琲で乾杯といこうじゃないか。

 ……という言葉の後、アミが知っている限りのコーヒーとはどうやっても合致しない「海ぶどうつぶあん珈琲」なる代物を出され、戦慄した。

 そしてそれを電脳探偵誕生を祝してと乾杯させられ、脂汗が止まらない中意を決し一気呵成に飲んで、……

 

 

「……——ん?」

 ふと、ゆらゆらしていた意識が輪郭を取り戻した。重い瞼を開けると、天井が目に入った。電気が殆ど落とされているがここは、

『あー、アミってばやっと起きた』

『このまま起きなかったらどうしようかと、かなり心配だったぞ』

「半電脳体も気絶するんだな」

 聞き慣れた声が三つして、アミはそちらへ顔を向けた。するとウィンドウが二つ浮かび、更に薄闇の中、正方形のガラステーブルを挟んだ向こう側に誰か一人、ソファに足を組んで腰掛けていた。

「あの探偵の出すコーヒーは劇物と同等らしいな。回避して正解だった」

『なんだっけ、ウミブドウにツブアンとか言ってたけど何それ』

『海ブドウは海草の一種、つぶあんは甘く煮詰めた豆類だな。まあはっきり言ってしまえば狂気の取り合わせだ』

 ポヨモンの解説にテリアモンが『なるほどー』と感心する中、アミは口をへの字に曲げた。

「……やっぱ逃げてたんですか……Bさん」

「やることをやっていたら自然とこうなっただけだ」

 とは付け加えられたものの、アミがBへ注ぐ半眼での目線は恨みがましいものになっていた。体を起こしてようやく、彼女は自分が事務所のソファに寝かされていたと気がついた。

 しかしコンピューターへ逃げ込んだ後、杏子の元へ戻る直前に「確かめたいことがある」などと別行動を取るとは、全く周到なことだ。Bの謎の勘の良さに悪い意味で感嘆しそうになりつつ、口内にまだ残っている粒の感触と極度の甘さと海の香りに辟易し、アミは溜息を吐いた。

「で、結局お前ここで働くんだな。助手だか、電脳探偵だかで」

「え? はい、そうですけど、何で」

『おめおめと帰ってきてから、キョウコさんから聞いてたよ』

「おいテリアモン貴様」

『割と驚いていたかなあ。妙に戸惑った様子を見せていたが、あれについて説明を今こそして貰いたい所だ』

「……」

 Bから一瞬殺気のようなものが出た。が、テリアモンもポヨモンも『わー』だの『ひゃー』だのと全く悪びれていないのだった。自身の仲間ながら鋼鉄の精神すぎるとアミは末恐ろしくなった。

「で、本当なんだな」

 座った体勢になったアミに、Bは腕を組んで目を合わせてきた。表情こそ消したが、その目はまるでアミの決心を、試すか計るかしようとしているようだった。

 アミは自分と全く同じ色をした眼を真っ直ぐに見て、頷く。

「うん。このまま何も分からないままなんて、嫌だから」

 心からの言葉だった。知らない方が幸せなことだってあるとも言う、だけど自分はもう何事かに巻き込まれてしまっているようではないか。それを解き明かさず、ただ誰かがどうにかしてくれるのを待つばかりなんて、アミはしたくなかった。

 知りたい。何が起きているのか、一体何がどこに潜んでいるのか。アミの意志はどこまでもはっきりとしていた。

「……そう、か」

 Bが、うっすらと眉を寄せた。少し久々に見る表情の変化だった。だがどうしたというのかと、アミは疑問が募った。

 沈黙が降りた。垂れ込める闇に紛れるBは、言葉にするのを少し迷っているようにも見えた。アミはその言葉を待つことにした。

「——ひとつ言っておく」

 そして再び聞こえたBの声は、刃のように鋭かった。

「お前が近づこうとする真実には、幾重もの罠と、無数の思惑と、想像もつかないだろう程に強大な何かと——隠された秘密が絡みついている。そしてお前は知ろうとするなら、全てから逃れることは能わない」

 Bの言葉の一つ一つに、途方もない重みが込められていた。アミの臓腑にずしりとのし掛かってくる。

「それでもお前は知ろうと思うか。己が身が数え切れない危機に晒されることを、耐え難い恐怖を、真実の持つ恐ろしさを、引き受けられるのか」

 向けられるBの一切が、アミに試練を課していた。生半可な気持ちで真実へ向かおうとするのを、決して許さない空気だった。

 Bの示した言葉の意味はまだ分からない。ただ、意地悪で言っているのではなく、どこまでも本気で語っているのだと伝わってくる。口にして貰うまでもなく、Bは少なくとも絡みついているものの一端を心得ているのだと知れた。

 何を知っているのだろう。何を見たのだろう。

「……そう言われると、怖くなるかもなぁ」

 アミは少し顔を伏せた。危険と分かっている暗がりへ飛び込むのは、途轍もない勇気を必要とすることだ。そしてその勇気は一歩間違えば、無謀へとすり替わる。勇気と無謀を弁えられる自信だって、アミには無い。

 怖い。それも本当の気持ちだった。

「でも」

 アミはもう一度顔を上げて、Bを見た。

「やっぱり私は知りたいし、このままでいられません。巻き込まれて、そして自分が何か出来るのに何もしないなんて、それはナシです」

 とても勝手な見解だけれど、思い止まれる地点で警告してくるとは、もしかするとBはアミを案じたということかもしれなかった。ともすれば冷血なこの存在にしては、あまりにも珍しいことではないだろうか。

 Bはアミの言葉を聞いてくれているようだった。そして、ゆっくりと瞼を閉じた。

「分かった」

 返されたのは、たったそれだけだった。だがそれで十分な気がアミにはしていた。

「なら、俺は何も言わない。助手だの探偵だの、好きにすればいい」

「はい」

 アミは笑った。すると、ウィンドウの中でテリアモンが耳と手両方を振る。

『アミ、ボクたちもお手伝いするよ。今更いらないなんて、言わないでね』

『ああ。求められれば幾らでも手を貸そう』

「え……いいの? 二人だって、今の話聞いてたよね?」

『もっちろーん。でも前に言ったでしょ、ひとりじゃ難しいなら、ふたりでやろう、って』

『恩より何より、私たちは君を助けたいと思う。だから手伝わせておくれ』

 アミの目頭が熱くなった。ぐっと感涙をこらえて、アミは満面の笑みを浮かべた。

「ありがとう!」

「お前らも好きにしろ。ただ」

 Bは開いた目をちらとだけアミに向け、それから口を動かした。

「俺もここを拠点にするが、今日のように常に手伝うとは限らんからな。あまり当てにするな」

「そうなんで……はい?」

 アミはぎょっとして真顔になってしまった。Bはバツの悪そうな顔になった。

「仕方ないだろうが。元々俺がこうなったのはこちらの世界でも活動する必要があるからだ、電脳世界にいずっぱりでは意味がない」

 再びの沈黙が降りた。

「えーと、実は拠点とか無い感じです?」

「ついでに免許だの身分証だのを逐一求めてくるとは不便だな、この世界は」

 割としょっぱい理由を並べられ、アミは趣深い顔になるしかなかった。

「……ちなみにどういう立ち位置に?」

『助っ人、だそうだ。暮海杏子やアミでは難度の高い仕事を請け負うとのことで、一応は所長と立場は限りなく同等だな』

『でもメンキョとかコセキとかは貸し、とも言われてたよー。ぶっちゃけイニシアチブ握られてるよね』

「やかましい貴様ら」

 かなりのこと悔しそうにするBに、アミはとうとう吹き出してしまった。じろりと睨まれたが、それでも笑いが収まらない。

 あんなに一人でクールっぽく強そうに振る舞っておいて、結局こんな風になるなんて。何とも締まらない。

 だけど、逆に親近感が湧く気分だった。本人に言ったらもの凄く嫌な顔をするだろうけれど。

「それじゃあ、これからもよろしく、でしょうか」

「……」

「よろしくお願いします、Bさん」

『よろしくねー、B』

『よろしく頼もう、B』

 アミはもう一度笑顔を向けた。Bは、小さな溜息を吐いた。



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Chapter02
2-1


 この世界は現実世界と電脳(デジタル)の境界が希薄になっている。ミレイは自分とアミ、そして何よりアミとBが出会えたことがその証明の一つであると言った。

 そして境界の希薄化は決して良い出来事ではない、これから起こる災厄の兆しだと。

「私とあなたの出会いがこの世界の希望の光となると良いのだけれど。でもそちらとの出会いは、一体何をもたらすのかしら」

 ミレイはじっとBを見つめて、難しげな顔をした。

「あなたがこの子から何を受け取るか、あなたがこの子を何処へどう導くか。それもまた重要かも知れないわ」

 ミレイのあまりに抽象的な言葉を、Bは黙って聞いていた。そして「ああ」とだけ返事をした。

 暗に自身の重大性と悪い影響力を、示唆されているようなものだった。

「フフ……この世界は本当に変わっているわ。楽しめそうだわ」

 そしていつもの場所で会いましょうと残し、ミレイはいなくなった。

 Bは、複雑な顔をしていた。

 

 

 それでも一応BW内への顔見せを続行するあたり、Bは結構律儀な性格だとアミは思った。丁度チャットの時にも感じていたことだ。恐らくはこれからの活動で顔を知っておかれればやりやすくなるとか、打算があるのだろうけれど。

「マスターとやらがやけに俺を羨んでいたが、あれはどういうことだ」

 コーヒー豆の袋を片手でお手玉しながら、Bはいたく不思議そうな顔を今し方出てきた店の扉へ向けた。袋はアミが受け取ろうとしたのだが、さりげなく持ってくれた。多分持ってみたかったのだろうと予想を付けつつ、アミは少々言い渋った。

「あー、杏子さんはほら、美人だから……人間の男性は綺麗な女性が好きで、同性とは張り合いたくなるってことで」

「あの探偵は見目は確かに良いのだろうが、問題もある」

「ああ、主にコーヒーですか」

「それが根源に起因するものであるなら、そうでもあるな」

 よく分からない言い方をするBを怪訝に思いつつ、アミはそういえば、と指を口元に当てる。

「タクミさんは美醜の感覚はあるのに、杏子さんの外見を誉めたりしませんね」

「整っている方だとは認めるが」

「その程度で収まっちゃうんですか」

「方向性は違うが超越した輩を見れば、お前もこうなる」

 アミはBの言葉を頭で反芻し、意味を読み取る。つまり杏子をも凌ぐ美人を、Bは知っているということらしい。デジモンは外見が整っていることもざらにあるのだろうか、などとアミは下へ続く階段を降りながら考察する。

「さて、これで目的のものも手に入りいましたね。……それに、ノキアの無事も確認できたし、良かったです」

「本人の心境は平安とはいっていないようだがな。あまりに言葉に取り留めがなかった」

「あれは割とノキアの通常なんですけどね」

 ちょっと笑ったアミとは対照的にBは「どういうやかましさだ……」と額を押さえた。「うら若い女子高生とらっぶらぶデートですか、このこのぅ!!」と肘でつつかれ、これまで見た事のない程げんなりした顔で「仕事」と返していたのを思い出した。親戚という設定を利用する思考はまだBには無いらしい。

 ノキアはアミと再会したことを喜んで心配して来たかと思えば、自分の至らなかった点に落ち込みデジモン達を案じた。そしてアラタのハッカー疑惑が引っかかって騒いで、最終的に好みの歌手の歌で落ち着こうと肩を落としていた。あの様子を見ると、ほんの短い期間で色々あり過ぎたとも思わされる。

「ノキアも疲れてるかも。少しは不安を取り除いてあげられればいいんだけど」

「そのことについては俺は手を貸さんからな」

「……」

 やはりBは、結構な頻度で冷たい態度を取る。そういう性格と言ってしまえばそれまでではあるが、アミの足が動きを若干鈍らせ踵を段に引っ掛けた。

「タクミさんももう少し、人のことを気にしたっていいと思うんですけどね」

「残念だがお前とは違う」

「探偵稼業に向いてるのかな……」

 アミ自身杏子からのお試し依頼をたった今達成したばかり、探偵の卵から孵ってもいない状態だが、依頼人から話を聞くなども仕事のようではないか。そんなアミの心配をよそに、Bはコーヒー豆の入った袋をざらざらと振る。

「依頼人はともかく、依頼に気をそそられるならやる。それにお前とは処理する仕事の種類も変わっている、依頼人との交渉が常にあるとも限らん」

「うーん」

 杏子からも聞いた所では、アミのような女学生では危険度が高い、または難しい仕事をBは請け負うのだという。どんな仕事なのかまだアミには分からないが、Bなら杏子でも些か難しい案件でも迅速に処理出来るという。

 それもあって助っ人、なんて所長に次ぐ権利の保持者に収まったということだ。それ以外の理由が何なのかは全く知らないが。

 ともかく適材適所、というものなのだろう。それでもアミとしては、Bのドライさが差し障らないか心配だった。それもそういう性格を気取っているのではなく、至って自然な態度なのだ。

「……俺のことをどうこう思うのは時間の浪費だ」

 つまらなそうにBは、本人の中ではだいぶソフトなのだろう言い方で、アミを置いてさっさと踊り場まで降りていく。

 Bの経歴などをアミはよく知らない。だから直せとか、人ではないがそれはどうなのかとか、なんて言葉を無責任に発することは出来ないしそのつもりもない。そうなるのが必然であったのなら、尚更だ。

 ただなんとなく、アミが見過ごしてしまおうと思えないだけ。それだけの話なのだ。

「駄目ですか」

 アミはBの後を追いながら返す。Bは今は青い目を一度だけアミへやって、すぐに戻した。こういう所は冷たい。

「しかし……これが電脳体をも昏倒させる劇物の原材料か」

 Bはコーヒー豆の入った袋をまじまじと眺める。その様子は未知の品を目にした異界の住人そのものだった。ちょっとおかしくて、アミは毒気を抜かれた。

 ただ、冷たさが強いだけでBの性根は決して悪くないようでもある。

「本当ならほろ苦さと品種によって違う香りが楽しめるものなんですけどね」

「それを口にした者が気絶するものへと錬成するとは、あの探偵の味覚はどうなってるんだか」

「語る姿を見るに、本人はまずいと思ってないみたいですしね……」

「本来のコーヒーが逆に気になってくるな」

 材料の無駄遣いだ。どことなく残念そうなBからは、聞く者の気分さえ凍らせてしまいそうな冷たさは無かった。

 アミはその様子を見て、少し考える。それからふと口にしてみた。

「じゃあ、暇になったらさっきのカフェに行きましょうか」

「ん?」

「タクミさんだけで行ってもらうのはちょっと心配なので、私もついていきますね」

 アミは自分でも小憎らしいと思うようなことを言ってみた。本心でもありつつ、ちょっとした言い訳でもあった。今度こそ振り向いたBは僅かに口元を曲げる。

「金銭の取引はいずれ自分で覚える」

「それも早めに、機会がある内に覚えちゃいましょうよ。ついでに普通のコーヒーの飲み方とかもどうでしょう」

「……お前のお節介は理解し難い」

 Bは顔を逸らす。嫌がられているのかも知れないが、アミはここで退くつもりもなかった。

「理解が難しくても、出来ない訳じゃないなら分かろうとするのもアリじゃないかな、って思うんです」

 アミは少し笑って階段を降り切って、事務所の方へ足を向ける。Bへの提案というよりは、アミ自身へ向けた言葉だった。

 確かにBのことは分からないことも多いし、その度が過ぎたクールさは怖くもなるし理解もまだ追いつかない。でも、そのいずれかが決定的に受け付けられない訳ではない。

 それならこれから、時間をかけてでもいいから、分かったり慣れたりしていくのだって一つの道じゃないだろうか。

 そして最後には、Bの色々なことを分かっておきたい。

「何を考えているか知らんが、もう一度言っておく。お前は俺を買いかぶりすぎだ」

 Bは鼻を鳴らす。ノキアを見捨てようとした時のようなことが、きっとこれからもあると言いたいのだろう。

 あの時のことは今だって許せない。でも、アミは一つ決心した。そういうことがあるのなら、Bがそういう言動をするのなら。

「じゃあ私もその時は、自分のやりたいようにしちゃいます」

 アミの放った一言に、Bがやや目を丸くした。

「そしておんなじように諦めて下さい。私はどうしようもない奴なんだって」

 アミは一歩先に進んで、事務所の扉を開いた。自分で言っておきながら偉そうだと感じて恥ずかしくなってしまった。

 そこで、背後で小さな、本当に小さな笑うような吐息が聞こえた。

「やってみろ」

 Bの声には、これまではどこにもなかった明るさが含まれているように思えた。

 

 

 

 アミを見捨てるとほぼ同義の行為をした時に覚えた、途方もない無力感と自身への諦念。あれは一体何だったのか、アラタは自身のことなのに何度考えても答えが出せずにいた。

 あの怪物が精神データに引き起こしたバグなのかとも考えた。だが電脳世界を抜けてもそれはアラタの中に留まっていて、そんな生易しいものではないと物語っていた。もっと根深く、それこそアラタの根本に関わる何かなのかも知れなかった。

 だが考えても何も得られないのなら、考えない方が無難だ。そうするのがいい。アラタはコンクリートジャングルとそぐわない、大木の木漏れ日の中でまた一つ諦めた。

 それにしても、あれからノキアからも、ましてアミからも何の連絡もない。ノキアはハッカーという存在を悪いものと決めつけていた、アラタがどう見てもハッカーでしかない所行をしたのに少なからずショックを受けたのだろう。そして気まずくて通信不能になっている。そこまでは容易に想像できる。

 詳細不明なのはアミだ。元よりチャットでの繋がりが少し発展した程度の関係だったから、何処でどうしているかなど知るべくも無いのが当然ではある。しかしああしてしまった分、アラタには大きな罪悪感があった。

 合わせる顔なんて無いが、謝りたい気持ちは山盛りだ。何かとっかかりでもあれば会いに行きたい。

 そう、あの親戚だのを名乗った野郎でもいい。あれでもいいから、何処かから姿を現さないか。アラタは雑踏と車の走行音が入り交じる喧噪を聞きながら願っていた。

 なんだかやけに車の走る音がうるさく聞こえる。段々と近づいてきているようにさえ思えるというか、

「……ん?」

 アラタは顔を上げて前の道路を見た。その瞬間だった。

「ちょ、び——タク、タクミさんっ!! は、はやいって、まって、」

「へ」

 レッドとシルバーの大きなバイクが道を超速で突っ切ってきていた。アラタと共に周囲がどよめく。

「ま、って! このままじゃぶつか、わ、ぁあああああ!?」

 そして速度そのままに豪快なドリフトを決め、壮絶な音を立てながらアラタのいる歩行者スペースへ乗り上げるぎりぎりで止まった。

 横断歩道もきちんと避けた、実に見事な駐車……ということにしておく。

 バイクのタイヤが擦り削った地面が、白い煙を上げていた。周囲が「スタント?」「CM撮影?」「ありのまま起こったことを話すぜ」などなど騒ぎ立てているが、そんなものは気にする風もなく、黒シャツ黄ズボン姿の赤髪の運転手はひらりとバイクから降り、後ろでぐったりしている同乗者の肩を叩いた。

「着いたぞ」

「……はぃ……」

 微妙に聞こえていた喚きと同じ声が、現在は弱々しい調子でアラタの耳に届く。聞き覚えのある声だった。

 いやまさか、そんな馬鹿な。いくらなんでも。

「あの、今度から速度制限とか守ってっ」

「またそんなものがあるのか。面倒だな……」

 猫でもつまみ上げるかのように、運転手は相手の首根っこを掴んでバイクから降ろした。降ろされた方は立つのもやっとな様子で、降ろした方は一応首を掴んで支えていた。優しさを発揮する場面はそこではないとアラタも思うのだが。

 だがその支えられている奴の姿を見て、アラタは衝撃に言葉を失ってしまった。噂をすれば影、でもないが、まさかこんなことがあるとは。

「あ、アミ、か?」

「? ……あっ、アラタ!」

 名前を呼ばれた相手はアラタを認めると、相手の手から離れふらふらしながらも走って近づいてきた。横で結んだ赤い髪をさらさらと揺らし、短いセピア色のスカートが翻り健康的な長い足の絶対領域をちらりと見せつつ、アミはアラタの前で止まって笑みを浮かべた。

「良かった、無事にログアウトできてたんだね!」

「ああ、なんとか大丈夫だ。……そっちはある意味無事じゃないようだがな」

「あれ、分かる?」

「そりゃ今の登場の仕方を見ればな」

 アラタの苦笑にアミは「あ、そっちね」などと言いつつも疲れた顔をして、膝に手をついた。現実世界でも豊満な胸が強調されるが、そこにバイクの運転手が至って平静な顔でやってきた。

「アラタだったな。こんな所で出会うとは奇遇だ」

「あんたがまず気にするべきは俺じゃねーと思うんだが」

 主に交通ルールとか、同乗者への配慮とか、周囲の目線とか、もっとそのあたりに気を使わないのだろうか。アラタは結構な呆れを込めつつ、アミと共通の特徴をいくつか持つ青目の青年を見た。普通に見返された。

「あれから何か変わったこととか、無い?」

「ああ、特にはな。

 強いて言えば、ノキアの奴、かな」

 とりあえず振られた話に乗って、今の豪快すぎる登場などにはアラタはこれ以上ツッコまないことにした。若干一名は自身の行動に疑問すら持っていないようだが、それも気にしない。気にしたら負けなのだ。

「チキンにゃちょっと刺激が強すぎたようだが、自業自得だな。あいつが最初に行きたいって言い出したんだからな」

「そうなのかなぁ。でもそれなら私だって同じだし」

「アミはもうちょい恩赦が入らなくもねぇな。これでちったぁ懲りりゃいいがな」

 本人も反省していないのではないとも思う。あそこでノキア自身が固まらなければ、あのデジモンたちやアミが身を挺することも無かったと、分かっているはずだ。だから積極的に、悪い表現をすれば図々しく、通信を取れない所もある。アラタにはそんな想定があった。

 これからは危険なこと、厄介なことにほいほい首を突っ込まなくなればいい。

「……しかし、あの化けモン」

 アラタはログアウトゾーンに突如として現れた、あの不気味な存在を思い出す。それだけで体がぞわぞわするようだった。

「はじめて見たぜ……何となく、噂にゃ聞いてたけどよ。他のデータを捕食する、あぶねープログラムがあるってな」

「そういうことになっているのか。……お前も詳細を知っている訳ではないんだな」

「あんたも気になるのか? けど、運営に問い合わせたって無駄だぜ。知らぬ存ぜぬの一点張りだ」

 しかしそれこそ不自然だ。あんな代物はEDENの害悪といっても過言ではない、運営が関知していないはずがないのだ。アラタが指摘すれば、アミは「そうなんだ……そうだね」と表情を曇らせ、横の青年は思案する顔になった。

「あれを隠しておきたい理由は何なんだろうな」

「あ? 隠す?」

「こっちの話だ」

 青年のこぼした言葉に問いかけるも、まともな答えは無くあっさり片付けられてしまった。ほんの一瞬、アラタの心中に疑念が浮かんだ。

 だが隠す、というのもあながち間違った表現とも思えなかった。

「確かに考え方によっちゃあ、運営が事実を隠してるとも言えるかもな。

 どうにも気になるんだよな……ちっとばかし、本腰入れて調べてみっかな」

 アラタはあのおかしくて危険が満載な存在が忘れられずにいた。どうしても頭に引っかかるというか、何もなかったことにしてはならない感じがしてならなかった。

 真剣に考えるアラタに、青年が少し困ったような顔をした。

「それなら気をつけることだな。あれはそう簡単なものじゃない……気が、する」

「ああ。公式のイベントや底辺ハッカーの悪フザケなんて適当なモンじゃねーだろうな」

 青年の言葉にアラタは頷く。そんなしょぼい理由から生まれ出たものではないことなど、明白すぎていた。

 と、そこでアミがふと思いついたように口を開いた。

「そういえば、アラタってハッカーなの?」

「ん? それは……は?」

 軽く流しそうになって、何を聞かれているのかに思い至ってぎくりとした。

「な、何だよ急に」

「アラタがあの時ログアウトゾーン解除してくれてたってこと思い出して。ここに来る前にもちょっとそういう話題あったんだけどね」

「どういう話題だよ!? あのな、」

 どうにかツッコんだ。そりゃ気になって然るべきだろうが、どうしてここで突然切り込んできたのやら。まさか底辺ハッカーとか口走ったのがまずかったのか。

「まぁ……それは、何つーか、アレだな……」

 どうにか横道へと進めようとして、上手く言葉が出なかった。まずい、まともな返事が思いつけない。このまま追求されたら逃げ道が無い。

「それは別にどうでもいいだろうが」

「おい」

 が、焦るアラタをよそに青年はあっさり問題外と切って捨ててくれた。ここまでどうでもいいと放られるとアラタも若干傷つくのでつっかかった、真偽がどうであれ。

「いずれにせよこいつが持っている能力であの場はどうにかなった。それでいいだろうが、ハッカーだの呼び方なんぞは些細な話だ」

 ところがその後に続いた言葉に、アラタも目を見張った。そんな見方をされたことはこれまでに無かった。

「そうですね。アラタがあそこで解除してくれなかったら、皆助からなかったでしょうから……

 改めて、ありがとう。アラタ」

 そしてアミまでが、屈託のない笑顔で礼をしてきた。あどけなささえあるその表情に、アラタの心臓が少々跳ねた。

「……ああ、おう」

 アラタは胸の内がなんともむずがゆくなって、誤魔化すように頭を掻いた。こんな風に受け入れられることは、一度だって体験したことがなかった。嬉しいというかこいつらおかしくないかというかどうしてこうなったというか……恥ずかしい、というか。

「ああっと、俺、約束があったんだった。そんじゃま、行くわ」

 若干いたたまれなくなって、アラタは二人に背を向けた。そろそろ二人からアラタまで視線が集まりつつあるのも居心地が大変悪かった。どうしてあんなダイナミック登場をしたのだか謎すぎる、やはりこの二人は変人だ。

 それでも、だ。

「……また、そのうちな」

 アラタは何だか知らないが、そんなことを言ってしまった。そしてなるべく平常を装いながら、歩いてその場を去った。

 これからやることは、調べるべきことは沢山ありそうだったが、ひとまず気分を落ち着かせるのが先決だった。

 

 

 

「……強制ログアウトさせてきたことに文句をつけるの忘れた」

「あ、まだ気にしてたんだ。でもアラタだって皆を助けたかったんですよ」

「急ぐと焦るを間違えてもな。あいつは少し心配だ」

「そう、ですか。……」

「悩む暇があるならさっさとやることするぞ」

「切り替え早いですね!? あっ、あそこにいるのって、サクラとリョウタ?」

「お前も人のことは言えない気がする」

 

 

 

 青年の名前をきちんと聞くのを、ついでに二人は何をしに来たのか問うのを忘れたとアラタが思い至ったのは、しばらく後になってのことだった。



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2-2

 音楽は好きだが、悪魔的で蝋人形になろうとかそういう表現はいまいち分からない。ウィンドウの中で一体の茶色く小さい海洋生物っぽいデジモンが首を捻った。

『まあ、地味にでも売れているのなら良い曲を作る……の、だろう……恐らく、多分』

『あ、プカモンがスゴい悩んじゃった』

 めっずらしーともう一つのウィンドウにいるテリアモンが手を合わせる。そこに所長デスクの前に立つ杏子が口元に手を当てる。

「ジミケンとは、最近知名度が上がってきているミュージシャン『ジミィKEN』の愛称だな。尤も、少々気になる噂もあるが。

 そういえばアミのデジモンは順調に進化を迎えたようだな。何よりだ」

『ああ杏子探偵、お陰様で。前の感覚も少しずつ取り戻してきたよ』

 元ポヨモン、現プカモンが杏子に向かって丁寧にお辞儀をする。ウィンドウの中なのに器用である。

『でもジミケン、ってさ。ちょっとありがちなあだ名っぽい名前だよね』

「○○ケンは確かに割とあるかもね。でも、サクラやっぱり様子変だったな……」

 アミは検証の途中で出会った同級生を思い出す。おっとりとして可愛い雰囲気が持ち味ではあるのだが、あれはおっとりというよりぼんやりだった。どうしたのか、どうも気にかかる。

「なんとかというそれのせいなのかもな、どうでもいいが。ともかく、アミはこのまま外で活動しても問題はないらしい。コネクトジャンプの瞬間を見られなければ一般人には違いが分からないようだ」

 給湯室から食べかけのリンゴを片手にBが出てきた。さっきは桃を剥いて食べていた。Bとしてはジミケンには興味が一切持てないようで、名前すらまともに覚えようとしていない。

「何だかスケスケ怪人とか、研究所から逃げ出したとか、訳の分からない話が流れてましたけどね……」

『別にアミだと特定された訳ではないからいいのではないかな。それより、探偵業務をしているという説明は、もう少し……慎重に、人を選んでした方が』

「えっ、だって休学してる間も動き回るならちゃんと理由を言わないと」

「母親の耳に最終的に入ったらどうするつもりなんだ」

『しかも電脳ってつけるから周囲が困惑してるしね』

「……」

 デジモンたちの指摘が耳に痛かった。杏子は微笑を浮かべたまま何も言わないが、それが逆に不安を煽ってくる。

「そうそう、タクミ。キミとアミに正式なEDENアカウントが用意できた。コネクトジャンプで“侵入”出来るとはいえ、それでは正式なサービスを受けられないからな」

「EDENでも職務をこなせるように、か。これからはそれでログインということか、分かったなアミ」

「了解ですけど、私が分かってないみたいな言い方はそろそろやめて下さい」

 アミは一応頼んでみたが、Bはあっさり「なら分かってなさそうな顔をやめろ」と切り返してきた。えらい言われようだ、今回はきちんと分かってたのに。

「しかし、タクミもきちんと人間として認識されるとは。流石の“特別製”だな」

「……あれは頭の使い方を間違えている気がしてならん」

 Bはどこか遠くを見つめながら、がり、とリンゴをかじった。前の言葉も加味するに、Bの現在の体質のようなものは生来的なものではなく、誰かが何かの目的を持ってBに与えたもののようだ。

 誰が、一体何のつもりでBに与えたのだろう。

「さて……そろそろ時間だな。タクミ、食べ終わりそうか」

「後で分別する」

 Bは芯だけ綺麗に残ったリンゴをつまみ、口の端をぺろりと舐めた。テリアモンとプカモンは挨拶を残してウィンドウを消したが、アミはなんのことかと首を傾げる。

「何か約束があるのですか?」

「——仕事の時間だよ、助手くん、助っ人くん」

 Bがリンゴの芯をくずかごへと放り、見事にホールインワンを決めた瞬間だった。

「あの……暮海……探偵事務所は、こちらでしょうか……?」

 どこかで聞き覚えのある声が、扉の向こうで聞こえた。

 

 

 

 山科悠子。それが長い黒髪の憂いのある少女の名前だという。やはり病院で出会ったあの少女と同一人物のようで、アミとBを見つけた時には大層驚いていた。

「山科、な。一体何のつもりだか」

 ソファに腰掛け、静かに話をする悠子をアミの横に立つBが見やる。引っかかるものがあるといった様子だが、やはりアミに何かを語ってくれるということはなかった。

「探偵さんには、消えてしまった父……『山科誠』を探し出して……欲しいんです」

 悠子の依頼は結構重大だった。どうしてだか分からないが、父親が行方不明になってしまったという。

「悠子さん、色々大変なんだ……大企業で働く人とかって狙われやすかったりするんでしょうか?」

「寧ろお前の方が分かっていて然るべきじゃないのか、ジャーナリストの娘」

「企業内情とかはお母さんの専門外なんですけど」

 Bもこのしばらくでだいぶ人間世界の知識を得ているようだ。あまり人間や他人に興味は湧かないと言っていたような記憶がアミにはあるが、ジャーナリズムには興味があるのだろうか。

「父の、基本的な情報はこちらに……データを送ります」

 杏子の情報についての質問に、悠子はデジヴァイスを動かした。しかし送った本人がが言うには、EDENのアカウントくらいしか手がかりになりそうなものは無いという。

「アカウント情報を問い合わせると……現在も、アクティブな状態なんです……でも……」

 呼びかけても一切反応してくれない。そこまでを語る悠子はやはり憂いに満ちた顔をしていて、杏子の目を見ていながらも不安定さが見え隠れしていた。

 父を見つけだして欲しい。頼んでくる悠子は真面目そのものだった。

「……わかりました。お引き受けしましょう」

 そんな悠子を前に、杏子は快諾の姿勢を取った。拒む理由はこの探偵には無いようだった。

 俯きがちによろしく頼んでくる悠子。だが彼女をBが無感動な目でずっと観察している。そんなにじろじろ見ては失礼じゃないだろうか、アミは後で注意することを決めた。

「連絡先を教えて頂けますか?」

「……」

 進展があればすぐに教えると伝えた杏子に、悠子は更に物憂げな顔をして、その表情を見せないかのように手を顔へ添える。そして、しばらくしたらまた来る、連絡の必要は無いと断ってきた。

「それでは……これで、失礼します」

 用件は終わったとばかりに悠子はソファからしずしずと立ち上がる。取り乱した様子は一切無く、とても落ち着いた動作で扉へと歩いていく。

 すれ違いざま、ちら、と悠子はアミたちへ目を向けた。だが何を言うでもなく、静かに扉を開いて出て行った。

「……なるほどな」

「妙なことだ」

 納得した様子の杏子と、不思議がっているB。どちらも何かを掴んでいるようだが……

「さて、助っ人は今回はどうするかな。これの他にはまだキミに任せる案件は来ていないのだが」

「そうだな。これに関しては処理に回ってもいい」

 結局どちらもアミに語ってくれることは無かった。自力で分かるようになれということなのか。

 

 

 

 杏子の調査の結果、山科誠のアカウントは最近巷を賑わせている「アカウント狩り」に遭っているとのことだった。挙動があまりに不自然かつ奇怪な現象が起きており、何者かが乗っ取って勝手に使用している可能性が高いのだそうだ。

 組織的に行われることが往々にしてあり、そうであるならいくらか情報があるはずだ。ということで、EDENでまず聞き込みをすることになった。そういえば病院の時はBがあっさり場所を特定してくれたからきちんと実践をしていなかったので、良い機会と言えばそうだった。

 幸いなのかそうでもないのか、Bは聞き込みについてはアミに一任してきた。恐らく聞き込みというものに興味がないのだろうが、いずれ行う仕事に響いたりしないのだろうかと若干の心配も抱いた。

 ともかくアミが出来る限りの交渉能力を駆使し、キーワードを使っての情報収集を行って、最終的に辿り着いたのは——

「ここが、クーロンのレベル2かあ」

「全体的な雰囲気は変わらないねー」

 デジモンの力を借りてファイアーウォールを突破し、ゴンドラによって運ばれたその先、廃れた青の地面と空間の中でアミはテリアモンとプカモンを連れて周囲を見渡す。レベル1よりもかなり広くて明るく、そこかしこで見かけるデジモンも強いものになっているのが確認できた。

 ここからが本格的なハッカーの溜まり場でもあるようで、人も結構いる。刺激しなければ喧嘩をふっかけられたりはしないだろうが、しかし今回は事情が事情だ。少しは気をつけねばならないかも分からない。

「アミ、あの仮面持ってるな」

 後ろから現れた人間姿のBが、片手に持った仮面をひらひらと振っている。白地に紫の星と黒の模様がついた、目つきの悪い品だ。アミは頷いて、手の中に同じ仮面を実体化させる。

「うーん、どうなってるか分かるから、って渡されたけど……これどこでどう使うのかな」

「そうだな、それらしい輩を見かけたらとりあえず見せてみればどうだろうか。恐らくは何らかの反応があるはずだ」

「渡してきたあのザクソンハッカーはどういうつもりなんだろーね。持っててもアカウント狩りはしてないみたいだったけど」

 プカモンの推理に納得しつつ、テリアモンの疑問からアミは少し考える。

「前に会った、ユーゴ……ってザクソンのハッカーは、誇りとかなんとか色々言っててやりそうにない人だったんだけどなあ。ザクソン、どうしちゃったんだろ」

「ふむ。となると、どちらか——まあ恐らくは狩っている側だな、それが掟に反して活動をしているということだろう。ザクソンと言えど全構成員をまとめあげるのは至難の業か」

 プカモンが平たい前肢を組み思案する。以前のハッカーから得た知識は本当にかなりの多さのようだ。

「群れればそれだけ統率の困難が発生する。当然のことだ」

 Bは冷ややかに口にして、アミへ目線を送ってきた。あまり悠長にもしていられない、捜査開始だ。

 開けた空間をアミは進む。階段の上、道の隅、あちこちに人がいるが、特にアミたちを咎めることはしてこない。今回のアカウント狩りと関係がないのだろう。そのまま道なりに移動して、角を曲がる。

 そこで突如目の前に、デジモンが一体飛び出してきた。

「うらぁっ! おいそこのデジモンたち、オレと戦え!!」

 緑の肌をして簡素な服をまとった、二足歩行のデジモンだった。アミがキャプチャーを起動すると、「ゴブリモン」と名前が表示された。

「そらよーっ!!」

 出てきた勢いそのままに、ゴブリモンは飛び上がり片手に握った棍棒を頭上へ掲げる。

「うわ、乱暴」

 いちはやく反応したのはテリアモンだった。空中の相手を迎え撃つように自らも跳躍し、距離を詰める。ゴブリモンが獰猛に笑い、当然のように棍棒を振り下ろした。

「ほいっとね」

「っと!?」

 テリアモンは半回転を決め棍棒を空振りさせる。そしてがら空きになったゴブリモンの背中を、長い耳で殴りつけた。

 ゴブリモンが苦鳴を漏らし地面へ転がる。テリアモンが耳を振りかぶって追撃をかけようとするが、咄嗟にゴブリモンが反転して棍棒を力任せに薙ぐ。

 テリアモンは攻撃を止め体を反らし、棍棒を避ける。その隙にゴブリモンは立ち上がろうとする、だが、

「こちらにもお気づきかな」

 待機していたプカモンが泡を吹きだし、ゴブリモンの顔に見事に命中させた。

「ぎゃっ!! お、覚えてろよぉ!!」

 軽くいなされたゴブリモンは、勝機のなさを悟ったか道の外へ消えていった。

「二人とも、お見事!」

「うーん、やっぱり手が多いと便利だね。お疲れプカモン」

「良い立ち回りだったよ、テリアモン。以前のスパルタが効いているのかな」

 テリアモンとプカモンがハイタッチして、アミの元へ戻ってくる。ダメージも負わずに片付けられたのはかなりの成果だ。

「同格相手にこの程度なら、前回のようなことでも無い限り道中は問題ないだろう」

 Bもそれなりに認めているらしい評価をくれた。ただ、アミを見て、

「お前も指示が追いつくようにな」

「り、了解です」

 釘を差すことは忘れないのだった。テリアモンが「ツンツンだー」と茶化す声に一瞬怖い目線が飛んでいた。

「だいぶ強くなったし、テリアモンもそろそろ進化するかな?」

 アミは再び歩き出しながら、横をちょこちょこ歩くテリアモンを見下ろす。テリアモンは口元に手を当て、小さく首を傾げる。

「経験は不足しているように思えないしな。あと少しかもしれない」

「どんなのになるのかな! 面影残ってるといいけど」

「アミってボクの今の姿がお気に入りな感じ?」

「可愛いしだっこも出来るから割とそう……ん?」

 と、頭を軽く小突かれた。顔を上げるとBがアミを見て、小さく先を指さしている。Bの指を辿れば、道の先を数人のハッカーが塞ぐように立っているのがアミの目に映った。

「あれって、通行止めでしょうか?」

「だろうしな。している理由は推して知るべしか」

 アミはBと共にハッカーたちへ近づく。

「おお~っとぉ!? お~っとおっと、おっとっとぉ!?」

 向こうもアミたちを見つけるなり、胸を張り出し柄の悪い声で威嚇してきた。

「ちょいと待ちやがってくださいよぉ? ここは絶賛、通行禁止中なんですよぉ……

 どっか行きやがってくださりますぅ?」

 でないと狩っちゃうよぉ? と不気味な笑い声を上げ、じろじろとアミたちを睨んでくる。まあ通行止めをしているあたりで怪しいこと山の如しではあったが、

(やっぱりアカウント狩りの人たちみたいですね……)

(大っぴらに口にして、頭の回路どうなってんだこいつら)

 アミは思わずBと顔を見合わせてしまった。相手がだんと足を踏み鳴らす。

「なぁ~にひそひそおハナシしてらっしゃいやがりますかぁ!? ……あ?」

 Bが件の仮面をハッカーの目の前に差し出す。すると相手はBと仮面を交互に見て、「おやおんやぁ!?」と奇っ怪な笑みを深くした。

「ぬわ~んだぁ、キミたちも仲間なんじゅわ~ん! もぉ~ん、だったらちゃ~んと仮面つけときなよぉ~ん!」

 ハッカーが怪しげなテンションのまま体を揺らし、横に退く。他のたむろしているハッカーたちもケラケラ笑いながら道を開けた。

 なんというか、言葉がうまく出てこない。

「……じゃあ、行きましょうか」

 アミはそそくさとハッカーの横を通過する。が、並んだ所でずい、とハッカーが顔を近づけてきた。

「でないとボクちんら……キミのこと間違って狩っちゃうかもしれないんだゾ♪……うぇへ♡」

 不意に誰かに腕を捕まれた。アミは硬直しかけていた状態から、素早く振り向いた。

「行くぞ」

 見上げれば、堅い表情のBがアミの片腕を握っていた。そのまま道の先へ引っ張られ、ハッカーたちがどんどん離れていく。

「た、タクミさん?」

「面倒だ、全く」

 Bは面白くなさそうな顔をしていた。

 引きずられるまま道を進み、曲がった所でアミはようやく離された。掴まれていた場所は案外と痛くなかった。

「どうしたんですか?」

「さっさと終わらせる。長引かせると碌なことになりそうにない」

 Bはそれだけ口にして、今し方通ってきた方向を見やった。ようやくテリアモンたちが追いついてきた。

「ちょっと、どしたのさB。アミに近づかれてヤキモチ?」

「お前は頭がいらないようだな、風通しを良くしてやろうか。このままだとまずいかも知れない」

「斬新な貶し方だ。気付かれているのか」

 テリアモンの冗談を切って捨てたBはプカモンの言葉に首肯し、すぐさま先へと大股で進み出す。アミたちは慌てて後を追った。

 しばし進むと再びガラの悪いハッカーたちが通行止めをしていた。案の定分かりやすく威嚇されたのだが、

 そこをBは、誰もが止める暇もなく突っ切っていった。

「あれってアリなの!?」

 アミはハッカーたちに仮面を見せて退いてもらい、Bの後を走って追う。かなり全力に近い早さを出しているのだが、それでも背中を見失わないようにするのが精一杯だ。

「プカモン。気付かれてるって、こっちの正体?」

「正体とまではいかないが、仲間ではないことを見抜かれている可能性がある。どうやら掟に反している自覚がたっぷりなようだな」

 皮肉げな顔をしたプカモンを、テリアモンが走りながら見つめる。

「プカモンの前の人って、そういえばハッカーだっけ」

「善とも悪とも言い難い輩だったがね。ただプライドだけは一等で、こういうことは美学に反するとしなかったよ」

 それもどうかと思いながらアミは道を走る。中途で猫型のデジモンが数体飛びかかってくるが、

「はいはい、ごめんねっ」

 テリアモンが前へ出て竜巻を発生させ、一気に散らす。その合間をアミは走り抜け、道の隙間を飛び越えショートカットした。

 そして先の分かれ道の前方に、Bがいた。だが、

「あら。この子?」

 Bの横にもう一体、ピンクと黄緑色のデジモンらしき存在が浮いていた。

「来たか。この先の行き止まりで取引しているらしい」

 アミの方に向き直ったBが、片手の親指を立て道の一方を示す。いやそれも大事だが、アミの視線はBの横に固定されていた。

「ベル、あの子私が気になるようだけど」

 デジモンの一言にアミはぶんぶん頷いた。しかし一方のBは腕を組み、若干不思議そうに首を捻る。

「お前から説明すればいいだろう」

「あら自己紹介しろって? やだ、初対面の子たちに恥ずかしいわ」

「……」

 恥じらうようにふよふよもじもじするデジモンに、Bは絶対零度の眼差しを向けた。だがデジモンは埴輪のような顔のままくすくすと笑い声を上げ、怖がる様子など一切見せない。

「うふふ、私はそうね、ララモンと呼ばれているわ。

 ベルの……、」

「昔なじみ」

「ちょっと特別な関係かしら……って、あらやだ」

 中途で言葉を被せたBにデジモン——ララモンがちょいと近づく。

「ベルってば、ちゃんと紹介出来るじゃない」

「つまらんハッタリを混ぜようとするな腹黒が」

「最初からきちんと紹介すれば手間じゃなかったのよー? 相変わらずせっかちさんなんだから」

「やめろ。その言い方やめろ。怖気立つわ」

 ララモンは本気で引いた様子になったBを目にしつつも、口元へ手を当て笑う。

「……えーと、べる? べるって、Bのこと?」

「何だか安心するなあ。Bにもこうして親しくする間柄の存在がいたのだな」

「……」

 テリアモンとプカモンの一種暢気な感想を聞きつつも、アミはBとララモンが並んだ光景を、どうしてかじっと見ていた。なんというか、目が離せなかった。以前もこんなことがあったような気もしている。

(悠子さんの時と、同じ?)

 そこまで思い至るが、どうして目が離せないのかは分からない。ただ目の前の情景に心惹かれるというか、何だか目に焼き付けておきたい衝動があるというか、気持ちがまとまらない。

「それにしてもベルってば、だいぶ素敵な子に当たったわね。羨ましいくらいの美形になっちゃって」

「——は、はあ」

 ララモンの不思議な発言でようやくアミの遊離していた心が戻ってきた。Bは特に何も言わず、顔を逸らしていた。

「ところで、あなた。名前は?」

「アミです」

「そう、アミね。ちょっとお仕事があるみたいだけど、その間ベルを借りていいかしら?」

 突然の頼みにアミはきょとんとした。ララモンはゆっくりとアミの目の前まで漂ってきた。

「大丈夫、あなたのフォローにもなるはずだから。ベルならさっさと片づけて戻ってこられるから、ね?」

 ララモンの謳うような語り口に、アミは自然と耳を傾けていた。さっきまでは分からなかったが、透き通ってどこか甘やかな美しい声をしている。

 少し考える。ギガドラモンのような事態は稀だろうし、緊急の時にBへと縋る癖がついてはいけないはずだ。いつも一緒に行動はしないとも本人が言っているし、何よりアミ自身がいけないと思う。

 デジモンという支えがありつつ、自力でどうにかする力をつけなければ。

「いつまでもタクミさんに頼れませんしね。分かりました」

「ありがとうね! じゃ、行きましょうベル」

 アミの快諾にララモンはぺこりと礼をして、Bの方を見やる。

「どうせあなたもこういうつもりだったんでしょう?」

 そして告げられた不可思議な言葉に、Bは小さく鼻を鳴らした。

「奥の取引をどうにかしておけ。お前らはそれでいい」

 それだけを口にして、Bはララモンと一緒に走り出した。段差を飛び越え、間隙を蹴り、あっという間に元の道へと消えていった。その動作が明らかに人間離れを起こしていることには気が付いていないようだ。

「それじゃ、ボクたちはボクたちのお仕事だね」

「ああ。アカウントをどうにか、だな」

 アミは見上げてくるテリアモンとプカモンに目を合わせ、強く頷いた。

 

 何が来ても、どんとこいだ。



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2-3

主人公ではありませんが、主要人物の無双要素が入っております。苦手な方はご注意下さい。


 ——クーロン2、とある地点にて。

 

 

「随分と分かりやすい『お客さん』が来てくれたみたいだな」

「おまけに狩れたら随分美味しそうじゃない?」

「かーわいい見た目してるもんなぁ……へへっ」

「ま、そういう楽しみを見出す輩がいるかもな。そういう意味でもなかなかの商品価値だ」

 広い空間一つを人数は十程のハッカーが陣取り、座ったり立ったり各々自由な体勢で円を作るように集まっていた。ほぼ全員が同じロゴの刻まれた服を身につけており、周囲には彼ら以外見当たらない。

「あれはどこ関係だと思う。俺はもしかしたら……警察とも繋がってる奴かとも睨んでるが」

 一人の言葉に数人が首を縦に振る。危険な綱渡りであるはずのことにも、彼らが臆している様子はない。

「末端の域を出ないかもだけど、それでも十分ね」

「そこから警察の網に潜り込めるなら最高だな!」

 不敵な発言を連ねていく彼らに恐怖などは見られなかった。ここに集まった自分たちの実力を疑いもしていない、そんな雰囲気だった。

「それにしてもあの子、あれで誤魔化せてるつもりかねぇ~? 番させてる奴らの大概は欺けてもねぇ」

「連れているデジモンもつまらない子供ばかりだったしな。ふん」

 口々に対象を見下した文言が飛ぶ。誰かは楽しそうでも、誰かはむっとしているようでもあった。

「あんなのに殴り込まれるとは、舐められたものだな」

「仮にも『ザクソン』でもあるこちらにああいう真似とはね。図太いのかそれとも頭が緩いのか」

「本当だよねー。身の程を知らないっていうかさぁ」

「おしおきついでにイロイロ教えてあげたくなっちゃうねぇ」

 一人下卑た笑いをこぼす輩に、冷たい目線と似た笑いが向けられる。そこを一人が「それより」と仕切り直し、場はまとまりを取り戻した。

「あれを狩るのは誰が行く? 警察絡みってリスクを考えると確実に仕留めるのが理想だが」

「ああ、そんなら俺が行く」

 一人が手を軽く挙げ、プログラムをいじる。すると巨大な黒い恐竜のようなデジモン——メタルティラノモンが現れる。

「丁度、肩慣らしがしたい所だった。この辺の野良いじめんのも飽きたんでな」

「ちょっと、キャプチャーくらいしててよ。使えそうなのがいたかもしれないじゃない」

「は? ザコはザコなんだからどうだっていいだろ?」

「強いの欲しけりゃ上行けよ。とりあえずお前に任せるけど」

 彼らの周囲にはデジモンの姿もほとんど見当たらなかった。そこがすっかり彼らに占拠されている証左とも言えた。

「つかよ、あっちも流石に警察関連捕まえたら怒らねー?」

 一人がだるそうな居住まいでようやっと提示した疑問に、一部は顔を見合わせたが大半は気にも留めない。

「逆に誉めてくれんじゃね? ちょっとこういう危険なことしてこそハッカーてなもんだろ」

「そうそう。ま、あんな平和この上ない頭してるっぽい奴じゃ満足してくれるか微妙だけど」

 

 

「平和な頭は認めるが、なるほどな。やはりお前らには首魁がいるか」

 

 

「だろ? つかヘッドの存在くらい分かって……あ?」

 突然割り込んだ違和感に、全員がその元へと一斉に目を向けた。

「そいつもいればだいぶ楽だったんだがな」

「あら、急いではいけないわ。まだ私だって裏にいる何かを掴んでないんだから」

 彼らの視線の先、エリアの入り口にいたのは、二体のデジモンだった。

 片方はピンクの頭部に埴輪のような顔、黄緑色の寸胴な体をしたデジモン。しかし彼らの目線はそちらではなく、その横にいる方に集まっていた。

「……ララモンの横にいるあれ、何だ?」

 一人の呟きに答える者は誰もいなかった。

 人に極めて近い姿をした、二足歩行型のデジモンだった。首回りにファーのついたジャケットと全身を包むライダースーツはいずれも光沢のある黒で、肩や膝にあたる部分に威嚇的な装飾が施されたカバーを着けている。腰周りにはベルト、前腕にはアームガード、脚部にはこれまたごついブーツが装着されている。

 これだけならやけに大きな体躯をした人間と間違っても不思議ではない。しかし手は指先が長く鉤爪状になっており、更にどういう構造なのか、長く硬質な鋭い尾が生えている。

 そして何より顔だった。口元から上は藍色の仮面のようなもので覆われており、薄い金の頭髪を逆立て目の部分だけ穴が開けられている。それぞれの穴から見える血のように紅い「三つの」眼が、冷たく光っていた。

「で、……ララモン。あいつらで間違いないんだな?」

 そのデジモンは通りの良い低音の声で明確に、流暢に喋った。横のデジモン、ララモンが頷く。

「ええ、間違いないわ。最近調子に乗ってるハッカー集団の一部よ」

「そうか。

 とりあえず聞くが」

 謎のデジモンの目線がハッカーたちを射抜く。

「お前らは何かの権限があってここを占拠しているのか」

 ハッカーたちは戸惑った顔でそれぞれ互いを見回した。その様子にデジモンは片手を腰に当てる。

「特に無いようだな。聞いた通りだが」

「相変わらずあなたってせっかちね。じゃあ私から言わせてもらうのだけれど」

 状況が掴めず言葉が出ないハッカーたちの前に、ララモンが進み出て顔の恐らく頬へ手を添える。

「最近あなたたちがここにいるせいで困ってるのよ。私たちも、ここに来る他の人たちもね。

 だから率直に、まずはお願いするわ。ここでアカウント狩りと無闇なデジモン狩りをするのをやめてくれないかしら?」

 ララモンの柔らかな言い口にも、ハッカーたちが言葉を紡ぐには時間を要した。

「……どうしてデジモンの言うことをあたしたちが聞かなきゃならないのよ」

 やっとララモンに返されたのは、明確な拒否だった。ララモンは「あらやだ」と言いながら、その場でくるくる回る。

「デジモンに対する差別だわー、私たちだってあなたたち人間と同じように感情もあるし食住も必要な知的生命体なのよ? そんな冷たいこと言わないで欲しいわ」

「うっせーな、お前たちのことなんてどーでもいいんだよ」

「あらそう」

 ハッカーの一人の言葉にララモンは回転を止めた。相変わらず三つの穴が並んでいるだけの顔が無表情だ。

「しょうがないわね、じゃあこれならどうかしら。

 ここにいるデジモンのパートナーが、あなたたちの活動で迷惑を被っているの」

 ララモンの小さな手が、横の大きなデジモンを指した。するとデジモンが仮面の下で若干表情をしかめた。

「おい待て」

「その人の頼みもあって、私はこのデジモンをここへ連れてきたのだけれど。あなたたちに意味が分かるかしら?」

 謎のデジモンが何事か付けようとするのをララモンは遮った。デジモンの方は苦い顔をしたが、そこでハッカーも口を開く。

「はっ、分かりやすい実力行使ですか」

「はい正解。分かるならまどろっこしいことはもうしないわ」

 突如、ララモンの声から明るさが剥がれ落ちた。その豹変の為か、ハッカーたちも表情を凍らせる。

「ここでの活動を今から全面的にやめなさい。反論は聞かない、これは最後通告」

 あまりにも酷薄な声には、静かな威圧が込められていた。ハッカーたちは場の空気を支配するようなその重みに、じりと後ずさった。

「素直にやめるのなら危害は加えないわ。そうでないのなら……分かるわね」

 仕方がない、といったようにララモンの後ろにいるデジモンが溜息を吐いた。

「——だから?」

 一人のハッカーが、出していたデジモンを見やる。するとデジモンがララモンともう一体のデジモンの方へ、ずんずんと追いつめるように近づいていく。

「あちらもそうだけど、随分なめた態度じゃない」

「デジモンってかわいそーな奴らだな。俺らを何だと思ってんだ?」

「そのパートナーとやらもな。本当にバカだ」

「パートナーが消えなきゃ怖さもわかんねーってか? ひひっ」

「余程平和な頭をしているようだな。てめぇらも」

 ハッカー全員が次々とプログラムを起動し、手持ちのデジモンを一斉に場に呼び出す。あっという間にその場をデジモンが埋め尽くした。どのデジモンも成熟期かそれ以上だ。

「こっちこそ最後通告だ。そのパートナーとやらを泣き寝入りさせるか、ここでデータぶっ壊されるか、どっちか選ばせてやる」

 ハッカーの声と態度は優越に満ちていた。自らの絶対的な優位を信じて疑っていないと物語っている。

 ハッカーたちの合図に自らの武器を構え、威嚇してくるデジモンたちを前に、ララモンともう一体は全く落ち着いていた。

「割と言うだけはあったわね。ちょっと意外」

「というかお前な、何だパートナーって。完全に向こうにインプットされてるだろうが」

「いいじゃないの、このくらい。それよりこれって実は脅迫?」

「今更白々しいんだよ。こうするつもり満々だっただろう」

 二体がどこか暢気に会話をしている中、メタルティラノモンが片腕を振り下ろす。二人が気付いたのは直後で、

 二体のいる場所を黒と銀の巨腕が叩き潰した。

「うぉっ! やったなー」

「やだ、ザンコク」

「手加減なんてしなくていいんだろ?」

 ララモンの相性、成長具合からして、今の一撃で粉砕は確実だ。ハッカーたちが黒い喜びに沸き立つ。

 その直後だった。

「撤回しないか。それでも構わん」

 メタルティラノモンの頭がごぎゃ、と嫌な音を立ててブレた。

「……は?」

 恐竜の頭部は、おかしな方向にねじ曲がっていた。先程振り下ろした片手に、人型の影が一つ乗っていた。

「まあ、こんな程度か」

 影が腕を蹴って離れると、メタルティラノモンの体が傾いで地面へと倒れ伏した。影の後ろから小さな姿も現れる。

 ララモンが、無傷のまま浮遊していた。

「ああ、こんなに派手に戦うの久しぶり。何分もってくれるかしら」

 どこか愉悦の含まれた一言が発された途端、空間に巨大な暗闇が生み出され衝撃が迸る。ハッカーたちのデジモンが悉く蹂躙され、悲痛な叫びが混ざり合って一帯へと響き渡る。

「な、な」

 ハッカーたちがララモンの方に気を取られている間に、謎のデジモンが消えた。這々の体で闇から逃げたデジモンも相手が一体足りないと気付き、辺りを見回す。

 その背後に、黒い姿がいつの間にか立っていた。

「これであいつも助かるか。ならいい」

 デジモン一体の背面が大きくへこみ高々と吹っ飛んだ。他のデジモンが呆気に取られた一瞬、いつの間にか片脚を振り上げていた謎のデジモンが鉤爪の腕をもたげた。

 デジモンたちが一斉に、不可視の何かで殴りつけられたように弾き飛ばされた。状況を把握し指示を出そうとしていたハッカーたちもまた、突然のことに固まってしまった。

 その暇を許さないが如くララモンがふわりと浮き上がり、手を泳がせる。緑光が落ちて膨れ上がり、デジモンたちを喰らい焼き焦がす。

 超範囲の攻撃からどうにか逃れた一体へ、突如前方へ謎のデジモンが現れ片腕を薙ぐ。鉤爪が深々とデジモンの肉体へと食い込み、滑らかに切り裂いた。

 木の葉のように払われた一体が地面へ転がる。その隙に宙空の他の一体が息を吸う。謎のデジモンは無感動にそれを捉えながらも狼狽えない。

 白を含んだ紅蓮の爆炎が吐き出された。渦巻きながら周囲を巻き込むそれが、謎のデジモンを腹へ収めようとして、

「ぬるい」

 再び謎のデジモンが消えた。次の瞬間には攻撃の最中で硬直した一体の懐で、片手に握った何かを振り抜いていた。

 腹部への一撃で、逆巻く炎が血液さながらにデジモンの口から塊となって飛び出た。

 一体が地面へと叩き落とされ、他のデジモンを数体巻き込む。そこへ明かりを飲み込みながら闇が収縮し、デジモン諸共炸裂する。

「うそ」

 ハッカーたちの目の前、飛んでいるデジモンが一体、また一体と地面へ墜落する。宙に躍り出た謎のデジモンの下、地面が割れ燐光が溢れデジモンたちを破壊していく。謎のデジモンが降り立つと同時、また一体が背中を真っ二つに踏み割られた。

 何が起きているのか、ハッカーたちが理解している気配は無かった。ただ呆然と目の前の光景を見ているしかなかった。

 一体が頭をブーツで踏み砕かれる。一体の半身が闇に消し飛ばされる。尾を掴まれ振り回された一体に数体が薙ぎ払われる。強大な圧に多数が潰れていく。

 言い表しようのない一方的さだった。あまりにも圧倒的過ぎていた。

 そしてハッカーたちが気がつく頃には——たった二体を残して、立っているデジモンはいなかった。

「……」

 一言も発せ無いハッカーたちへ、深紅の三つ目が冷徹に向けられる。途端、ハッカーたちの顔色が抜け落ち、数人がへたり込む。

 何かを悟ってしまったようだった。何か、触れてはならないものを知ってしまったようだった。

「どうする」

 三つ目がハッカーたちへ歩み寄りながら、片手に持ったものをくるくる回して握る。

 それは巨大な、拳銃だった。人間の頭程度なら易々と吹き飛ばせてしまいそうな、銃口を二つ持つ代物だった。

「条件を飲むなら、お前らにはこれ以上何もしない」

 がちん、と三つ目の親指が撃鉄を引く。ただの一発さえ放たれなかった事実が、三つ目はハッカーたち相手に武器を使うまでもなかったのだと物語っていた。

「安心しろ。喰らった所で痛みがあるだけだ、現実のお前らの肉体に損傷は出ない」

 まるで救いのように三つ目は口にするが、そんな話で済むものではないと、ハッカーは全員分かっているらしかった。そこにいる人間の誰もが最早恐怖に震えることすら出来ずにいた。

「あなたたちをやめさせた所で末端の一つを鈍らせるだけみたいだけど、いいわ。今回のことを薬にして、賢いやり方っていうのをもう一度考えなさいな」

 ふわふわとララモンがハッカーたちの前へ漂ってくる。声は柔らかだったが、そこに暖かな感情など籠もってはいなかった。

「さあ、あなたたちに残された選択は一つだけよ。選びなさい」

 既に選択にすらならない要求を、ララモンは容赦なくハッカーたちへ突きつけた。三つの眼もまた、どこまでも冷え切っていた。

 

 

 

 どうせ奴らを纏める頭を潰さねば意味は無かろうし、そいつには後ろ盾があるかも知れない。それが分からないお前ではないだろう、デジモンは隣の相手にそう問うた。

「それを誘い出す為の一歩に決まってるじゃない。私も会ってみたいのよ、諸悪の権現ってものに」

 とても個人的且つ気分的な内容に、デジモンはどこか呆れた様子になった。だが隣のデジモンは気にした風も無く、「それにしても」と浮遊する。

「力や使命感を得ると面倒なのは、デジモンも人間も同じなのね」

 クーロン2の最奥までへの道を歩きながら、そのデジモンは横の昔なじみに目を寄越した。今やララモンへと小型化した相手は無表情にくすりと笑った。

「別にベルのことを揶揄ったわけじゃないわよ」

「お前が俺相手にそんな言い方をしないのは知ってる」

「可愛くないのは変わらないわねー、あんな可愛い子から外見借りておきながら」

「どこに繋がりがあるんだ、その言い分」

 ベル、と呼ばれたデジモンは藍色の仮面の下、僅かに紅い目を眇める。ララモンの方を映そうともしない。

 クーロンの遠大な空間へと向けられていたが、その紅眼は何か別のものを捉えているようでもあった。

「あなたや私は一種自由だけれど、あちらはそうもいかないのが大変。そういう話かしら、こういうのを上から目線っていうのかもね」

 ララモンもまたどこかを見つめながら口にした。その言葉は曖昧過ぎたが、ベルは分からないという顔はしていなかった。

「奴らもまだ思う通りににしていればいい。俺はまだ何をするつもりもない」

「ふふ、そうね。私もどうやって動くかは、まだまだ先の判断ね。

 私ももう少し時間と機会が必要かしら」

 漂いながらララモンはベルへと目を向けた。

 ……何か言いたげな目線に、ベルは大きめの溜息を吐き出した。

「俺は嫌だ。あいつに、アミに言え」

「折角人間の姿してるのにつまらないわねえ。ま、ベルのこじらせ一匹狼は健在ってことにしてあげる」

「貴様の腹黒も健在だな。少しは直ってるかと思ってやったが」

 ベルの醸し出す殺気立った空気にも、ララモンは楽しそうにするばかりだ。ベルが拳銃のグリップに手をかけても焦りもしない。

「大体お前は何をしにここにいるんだ。あれが呼んだ時にはいなかったなら俺より前にいる」

「今ネタばらしなんてしたって面白くないでしょ。お楽しみは最後まで取っておくものじゃないの」

「単純に次の手が打てなかったとか言うんじゃないだろうな」

「あらやだ、ベルじゃあるまいし。ちょっと見過ごしたくないものがあっただけよ」

 さりげない毒舌にベルは舌打ちするが、実際あまり反論出来ないと自ら判ずるのか黙っていた。そんなベルにララモンはホホホホと高笑いする。

 しかしその途中で、ララモンは小さく宙を見上げる。

「でも、あのアミって子……何だか忘れられないのだけれど、どうしてかしら」

 横のデジモンの呟きに、ベルは少しだけ瞼を長く閉じた。

「もしかして——

 いえ、気に入ったということかしら」

 ララモンの声に、珍しく惑うような色が混じっていた。ベルはその言葉を否定も肯定もせず、短い沈黙が流れた。

「リリ」

 ベルが言葉を紡ごうとした、その時。

 

 

「ガアァアアァ!!」

 

 

 突如ベルの背後へ、一つの影が飛びかかった。

「あら」

 ララモンが一言発した瞬間には、ベルが横にスライドして突撃を避けていた。

 そして瞬時に抜かれた拳銃のグリップが影の頭を殴りつけ、前方へと吹っ飛ばした。

「がっ、ぁぐっ、げっ」

 地面を跳ねながら転がって、影は仰向けに停止した。その様をベルもララモンが歩きがてら、まるで傍観しているかのように眺めていた。

「報復ではなさそうか」

「というより、やっぱりこの子ね」

 ララモンは地面に倒れたそれに近づいた。小さな青い体は、傷のない場所を見つける方が難しい程にぼろぼろだった。

「なんだ、知り合いか」

「襲われたから追い払ってちょっとお話しただけの関係よ? あ、襲われたって言ってもそういう意味じゃなくて」

「そういうのはどうでもいい。なんなんだこいつは」

 ベルは小さい青の頭に結ばれた赤い紐を引っ張り、ぶらんと持ち上げた。自身と青のいたくぞんざいな扱いに「酷いわぁ」などとララモンは頬を膨らませつつ、青の頭を撫でた。

「まあ私がここに留まってた理由そのものね。

 言っちゃえばこの子も、使命感みたいなもので面倒になっちゃった部類かしら。それも、一番痛々しい感じで、ね」

 ララモンの言葉に、ベルは持ち上げた青をまじまじと見つめた。



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