ベルの大冒険 (通りすがりの中二病)
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出会い

むかーし、むかし…ある所に平和な国と世界がありました。

人々は皆平穏な毎日を過ごし、幸せな日々を送っていました

しかし、そんな平穏な日々は長くは続きませんでした。

ある日突然、その世界の平和は終わりを迎えました

世にも恐ろしい力を持った『魔王』が、その世界を支配しようとしたからです。

魔王は地上の魔物達を従えて、あらゆる国を襲いました

人々は家族や友達、そして自分達の世界を守るために戦いました

しかし、魔王軍の力はとても強大でした

村や町は燃やされ、王様のいたお城や宮殿は跡形もなく壊され、多くの人が倒れていきました

人々は魔王を恐れ、そして世界は魔王に支配されようとしていました。

 

しかしそんな中、希望を捨てず戦う者がいたのです。

 

――勇気あるもの『勇者』――

彼は人々の為に自ら剣をとって戦いました

お城に攻めてきた魔王軍と戦い、打ち勝ちました

魔物達の攻撃によって傷ついた仲間たちを守り、救いました

魔王によって攫われそうになったお姫様を見事助けました。

 

そんな強い勇者でも、魔王軍との戦いは熾烈を極めました。

 

ある時は魔物によって深い傷を負いました

ある時は傷ついたまま何日もの間休む事も眠ることも許されず、戦い抜く事もありました

ある時は人々を守りきれず、涙を流しました

ある時は自分の仲間すらも置いて、一人で戦う時もありました。

 

ある時は魔王共々、強大な力に巻き込まれ、長い間眠り続けた事もありました。

 

そんな彼の勇敢な姿を見て

そんな彼の優しさに触れて

そんな彼の希望を忘れない心を知って

 

人々は再び、勇気と希望を胸に抱き、再び魔王軍と戦う為に奮い立ったのです

勇者とその仲間達と共に、彼らも再び戦い始めたのです。

 

両軍の戦いは

そして勇者と魔王との戦いは、最後の戦いを残すのみとなりました。

 

見るもの全てを恐怖させる様な魔王城、その最も奥深い魔王の間

そこに勇者と魔王は対面していました。

 

そして、勇者の剣と魔王の呪文がぶつかり、最後の決戦が幕を上げました。

 

魔王の力はこれまで戦ったどの魔物よりも強く、恐ろしいものでした

魔王が炎を出せば全ての物を焼き尽くし、魔王が氷を出せば全ての物は凍りつき

魔王の爪は全ての物を簡単に貫き、魔王の両手から放たれる閃光は全ての物を破壊しました。

 

しかし、そんな恐ろしい魔王に勇者は最後まで戦い……そして、勇者の剣が魔王を切り裂きました。

 

魔王城に響く魔王の断末魔、そして魔王は倒れ…勇者が勝ちました。

 

魔王の敗北に、勇者の勝利に、人々は涙を流して喜びました

そして世界に、再び平和が戻ったのです。

 

――めでたし、めでたし――

 

 

「はあー、面白かった」

 

開いていた本をパタンと閉じて、白い髪を揺らしながら背筋を伸ばしてベル・クラネルは呟いた

今読んでいた本、それは彼の育ての親である祖父が所持している英雄譚の御伽本である。

 

今ベルが読んでいたモノは、そんな中でも王道的な話だ

勇者がいて、魔王がいる、魔物がいて、魔法もある

幼少の頃、誰もが一度は耳にした事のある話のものだ

そしてこの手の話は、年が二桁になる前に卒業するものだが…ベルは違った。

 

祖父の日々の教育もとい『男の義務教育』の賜物であろう、御伽噺、英雄譚、冒険活劇の数々

それはベルの心の中に、確かな刻印となって刻まれていた。

 

いつかは自分もこんな冒険をしてみたい

魔物と戦い、世にも恐ろしいダンジョンに挑み、財宝を手にしたい

剣を振るい、魔法を撃ち、仲間と共に苦楽を共にし、心躍る冒険をしてみたい。

 

そして、可愛くて綺麗な女の人とお近づきになりたい…そんな夢や憧れを胸に秘めていた。

 

 

「…っと、いけない。そろそろ水を汲んでおかないと」

 

 

その事を思い出す、そろそろ水瓶に入れておいた飲み水が尽きそうだったからだ

本来はこういう仕事は祖父の役目なのだが、『どうしても外せない遠出の用がある』と言って数日間は家に帰ってこない

なのでこの数日の間は、ベルが一人で家事をこなさなければならないのだ。

 

「よっし!」

 

空いている水瓶を背負って、家を出る

途中で見知った顔と簡単な挨拶と言葉を交えながら、ベルは近くの水場へと足を走らせる

数分も足を走らせて、もう間もなく水場に着くという時だった。

 

「ん?」

 

何かに気づいて、ベルは足を止めてその紅い瞳を動かす

一瞬で視界に入った何かが気になったからだ

 

そして見つけた…地面に倒れ伏している、その老人を。

 

「!!? おじいさん、大丈夫ですか!?」

 

その事に気づき、ベルは水瓶を背負ったままその見知らぬ老人へと駆け寄った。

 

 

 

 

 

……ここは、どこだ…?……

 

いつ切れるかも分からない朧げな意識の中で呟く

体を起こそうと両腕両足に力を入れても、その指先すら動かない

全身は過労や脱力といったものを超えた、麻痺に近い状態だった。

 

いつ落ちるか分からない意識の中、いつ塞がるか分からない視界の中

必死の思いで瞳を動かして現状を把握する

どうやら自分が今にも死にそうな事だけは確かなようだ、無論それを易易と受け入れる訳にはいかない。

 

今見える自分の周りの光景に、思い当たる場所はない

というよりも、よくあり過ぎる景色なので場所を絞り込めない

 

周囲に人の気配もない、鳥や動物がかろうじて視界の端を通り過ぎるくらいだ。

そして次の瞬間、その音に気づいた

 

「…ミ…ず…?」

 

それは最早声ともいえない声、からからに乾ききった擦れ音

その耳で確かに捉える、小さく静かに響く水の流れる音に

その瞬間、喉の渇きを知覚する

その麻痺した状態から、ようやく体から発せられる信号を受け取る事ができる。

 

渇きを潤したいという純粋な欲求に、体が反応する

決死の思いで力を込めて、死ぬ様な思いで地面を這いずる。

 

最早それは、意識しての行動ではなかった

死ねない、死ぬわけにはいかない、そんな生存本能、生き物としての最大の本能に突き動かされての事だった。

 

一回もがくだけでも、全身全霊の力を込めねばならなかった

既に顔は泥まみれ土まみれ草まみれ、恐らく体はそれ以上だろう。

 

どれだけそんな事を続けただろう?

何時間も続けたのか?それともほんの数分なのか?もはやそれすらも把握できなかった

 

ただひたすら水の音へと向かって、その体を前へ動かし続け――そして、限界がきた。

 

……これまで、か……

 

輝く水面を前にしながら、もはや体には一欠片の力も残ってなかった

もう自分には力がない、前に進む力も、生きる力も残されていない

ここで死に、ここで終わり、後は朽ち果てて土に変えるだけ

 

そんな風に全てが終わりそうな時だった。

 

 

「おじいさん、大丈夫ですか!?」

 

 

その声が響く、視線を上げればそこには照り輝く太陽

 

そして、白髪の少年の戸惑った表情だった。

 

 

 

 

 

それから先は、ベルにとっては混乱と驚きの連続だった。

 

倒れた老人の「み、ず」という呟きをきいて、近くの水場で水を汲み老人に飲ませた

その後すぐに知人を呼びにいき、村医者の下へ運んだ。

 

「かなり衰弱してるな…見た目はエルフに似てるが、どうにも違うな…

とにかくやれる事はやったが、ここ二三日が峠になりそうだな」

 

峠を越すまでは、どうなるか分からない。

険しい顔で宣言する医者を見て、ベルは老人の症状の深刻さを悟る

そしてベルは、この老人の下にずっと付き添った。

 

ベルに両親はなくずっと祖父に育てられた、しかしその事を特に不幸な事だとベルは感じたことはない

祖父はいつも自分の傍にいてくれた、自分に優しくしてくれ、笑顔にさせてくれた

それ故にベルはどうしてもこの老人の事を放っておけなかった、それこそ朝から晩まで付き添った。

 

ベルは冷たいその手を握り締め、ひたすら励まし続けた

汗を拭き、時折水差しで水を飲ませながら励まし続けた

 

頑張れ、負けるな、死んじゃだめだ

苦しそうに呻く老人にベルはずっとそうして励まし続けた。

 

そんな日を一日二日三日と過ごし、明けて四日目ここで事態は動いた。

 

 

 

「…こ、こ…は?」

 

その老人が目を覚ました

未だ弱った体であるが、今までの様に呻く事無く状態は落ち着いていた 。

 

「…驚いた、まさか持ち直すとは思わなかった」

 

目覚めた老人に対し、初老の村医者は唖然とする様に言った

簡単な受け答えが出来るくらいにその老人が回復した事が分かり、今までの経緯をざっと説明し

 

「ベル坊が目覚めたら礼を言ってやりな」

「…ベル坊、とは?」

「そこでぐーすか寝てる坊主の事だ。ベル坊が見つけなきゃ、アンタは今頃墓の下だ」

「フム、成程」

 

小さく頷きながら、その老人は答える

自分が寝ているベッドの横に小さな白い影がある、歳は大体十歳前後と言った所だろう

その言葉を切っ掛けに、老人は徐々に朧げな意識の中での事を思い出す。

 

倒れていた自分を見つけ、水を飲ませてくれた事

ここまで運んでくれた事

生と死の間に漂っていた自分に、ずっと付き添っていた事

 

そんな事を思い出しながら、老人は医者と簡単なやり取りをして

「じゃあ、何かあったら呼んでくれ」と言い残し、部屋から出ていく。

 

「――クク、よもや人の子によって…九死に一生を得たか――」

 

その事を自覚し、自然と笑いが零れる

何という皮肉だろう、よもや自分があの人間によって命を救われるとは…と、その奇妙な運命に思わず自嘲にも似た笑みが溢れた。

 

それからほんの少し後の事だった、うーんと気だるげな声を上げてその白髪の少年が体を起こした。

 

「…あ」

「お目覚めかな」

 

老人の瞳と赤い瞳が交差する

ベルは一瞬呆ける様な表情をするが、その人物が自分が今まで付き添っていた老人だと気づくと

 

「…良かったあぁ…」

 

溜め込んだ息を吐き出して、心の底から安堵した表情で言う

 

「…どうやら、其方によって余は命を救われた様だな…心の底から礼を言おう」

 

昨夜まで死に掛けていたとも思えないその口振りと態度

その尊大な態度と物言いに、普通なら多少なりとも反発を覚えるが…この老人に限って言えば、それは当てはまらなかった。

 

「…あ、う…」

 

照れくさそうに頬を染めて、ベルはついそんな風に口ごもってしまう

その老人の感謝の気持ちと言葉を受け取った瞬間、まるで一国の王様から最上級の褒賞の数々を受け取った様な気分になったからだ。

 

それはベルにとって初めての感覚

その老人が発する、とても病み上がりとは思えない雰囲気

絶対の存在感、圧倒的な貫禄、確かに感じるその覇気や迫力

見る者を惹きつけて止まない、瞳を釘付けにせずにはいられないそのオーラ

 

こうして対面しているだけで恐れ多くなり平伏したくなる様な感覚

しかしこうして対面し、言葉を交わす事が許されただけでも、何物にも変えがたい至上の幸福の様に思えたからだ。

 

「…あ、の…」

「フム、何かな?」

「僕、ベル・クラネルって言います。おじいさんの名前は?」

 

恐らくその言葉を伝えるだけでも、ベルにとって勇気を振り絞った行動だったのだろう

たどたどしく、しかし確かな意思を持って言われた言葉を聞いて老人は再び小さく笑い

 

「クク、そうか。これは余とした事が聊か礼に欠けておったな」

 

老人は再びベルと向き合う、お互いがお互いの顔をしっかりと向き合う

そして、その老人は名乗った。

 

 

 

「余の名は、バーン」

 

――大魔王バーンだ――

 

 

 

 

 

 




と、勢いのままここまで作者の妄想を書き綴って見ました。
一応時期としては原作が始まる5~6年前の設定です。
作者の考えとしては原作ベルくんの「ヒーロー兼ヒロイン」というキャラが大好きなので、そこは一切崩さずに書いていく予定です。

ここまで作者の妄想に付き合ってくれた方々、ありがとうございます。


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誓い

 

「…だ、大魔王…バーン?」

目の前の老人が名乗った名前、綴った言葉をベルはそのまま口にする。

――大魔王――

それは恐らく、ベルが最も良く知る単語の一つであろう

ベルが毎日の様に読んでいる英雄譚には、決して欠かせない存在

勇者や英雄とは、対極の位置にいる存在。

ある詩では、それは世界を滅ぼす存在

ある話では、それは全ての魔物や悪魔を統べる存在

ある本では、それは幾千の人間や亜人が束になっても敵わない存在

「フフ、まあ…行き倒れて死に掛けていた年寄りが言っても、説得力はないか…」

目の前で呆然とするベルを見て、バーンと名乗った老人は再びおかしそうに笑う。

こんな田舎の片隅で行き倒れ

子供に励まされながら生死の境を彷徨い

布切れ一枚で出来た病人用の衣を纏った、未だベッドの上から降りる事が出来ない大魔王

自分がこの少年の立場なら、吹き出して笑い転げている所だろう…そんな風にバーンは思ったからだ。

「……す……」

だがしかし、ベルの反応は老人の予想とは異なるモノだった。

「すっ…ごおぉーーい!!」

 

――妙な小僧だ――

両の瞳を輝かせて自分を見つめるベルの姿を見て思う

普通なら先ず信じる訳が無い、こんな死に掛けていた年寄りがそんな事を言っても

呆けた年寄りの戯言として、呆れられるか流されるかのどちらかだろう

相手が子供ならそれこそ笑いの種になるだろう。

では仮に信じたらどうなるのか?

怯えるか逃げるかのどちらかだ、人間にとって「大魔王バーン」の恐怖は記憶に新しい

如何に子供伝手と言っても、それは十分に警戒に値し、恐怖を揺り起こす言葉だ。

仮に大魔王本人ではないとしても、魔族がそんな事を言えば魔王軍に与する者と判断されてもおかしくない。

そして今の自分には嘗ての力はない、精々残りの魔力を使って移動呪文を使うのが関の山だ

仮に呪文封じでも使われたら、少々覚悟を決めねばならないだろう。

今後のリスクの事を考えれば、現時点で大魔王を名乗るのはどう考えても悪手だった。

しかし、リスクに怯えて命の恩人に…ましてこの様な幼子相手に、真実を隠すというのも自分の矜持や沽券に関わる…そう思ったからだ

元々この者によって拾われた命、ならばこの者によって危機に晒されても致し方なし…そう判断したからだ。

…なのだが

「スゴイすごーい!神様だけじゃなくて魔王もいたんだ!もしかして絵本に出てくる勇者や英雄で実在する人とかいるんですか!?」

―ー等々、目の前の少年はそう言った事を欠片も出さず、興味津々と言った様子で矢継ぎ早に自分に質問をしてくる

最初は信じていないか、それとも冗談だと思って話に乗っているかとも考えたが…どうやら違う。

「…そうだな、其方が言う勇者が誰を指すのかは分からぬが。勇者と一戦交えた事ならある」

「おおぉ!じゃあじゃあ!伝説の存在って言われる黒い竜の事なんですけど…」

このベルという少年は、自分が大魔王である事に疑っていない

それでいて尚、自分に興味を持ちこうして質問をしてくる

だから疑問に思う、如何に子供と言えど『大魔王バーン』がどういう存在か位は知っている筈

「ベル坊、少し静かにしろ」

「あた」

そんな時だった、自分を診てくれた医者が手に持った本で「パコン」と軽い音を立ててベルの頭を叩いた

どうやら騒がしいベルに対して注意をしに来た様だ。

「相手はまだ病み上がりだ、お喋りも良いが程々にしておけ」

「はーい、ごめんなさい」

「それから爺さん、アンタもだ。子供をからかいたいのは分かるがそれ位にしとけ

特にベル坊にその手の事を吹き込むと、後で冗談でしたじゃ済まねえぞ?」

「…フム、時に医師殿。其方はどう思う?余の言葉について」

「冗談が言える位に回復した様で何よりだ」

そう言って医者は再び退室し、先のやり取りに関して一考する。

……妙だな……

目の前のベルとは違い、あの者は大人だ

真偽は兎も角として、仮にも『大魔王バーン』を名乗った魔族に対してもっと警戒しても良い筈

だがしかしあの者は、『大魔王』という存在そのものを信じていない様に思えた。

――何かが違う、何かがずれている、何かが噛み合っていない――

――何かが起こっている、自分が全く予想も予期もしていない『何か』が起こっている――

そして再び、ベルに視線を向けて

「ベルよ、少々頼まれてくれぬか?」

――何だ、コレは?――

バーンは開かれた書物に目を走らせながら思う

今バーンが読んでいる本は、ベルに頼んで医者に借りてきた貰った物やベルの自宅にあったものだ

そこに書かれているのは、全く知らない世界、全く知らない歴史

幾百幾千もの間生きた自分すら知らない世界と歴史が、そこに書かれていた。

――違う、全く違う――

――『コレ等』は自分が全く知らない『モノ』だ――

世界地図や歴史が違う

人間や獣人、エルフが入り混じり暮らしている

そんな事がどうでも良くなる程の衝撃の事実が、そこにある。

 

――神々共が、降りてきているだと?――

 

それは絶対に有り得ない事

自分の知る限り神とは三界のバランスを維持するモノであり、調停者だ

基本的には下界に不干渉であり、三界の均衡を崩す『何か』が現れた時にようやく神は動く

そう、三つの神によって作り出された最強の騎士『竜の騎士』によって、再び元のバランスと均衡を維持する。

だがしかし、ここにある歴史は何れも違う

遠い遠い昔、神は地上に住む事に娯楽を見出し降りてきた。

神は地上に置いてその力のほぼ全てを制限されているが、人の潜在能力や可能性を引き出す『恩恵』を授ける事ができる

現代において、降りてきた神々の殆どは『迷宮都市』に居を移し、各々の眷属を従え『ファミリア』なるモノを結成し『ダンジョン攻略』を生業としている

その事実は、バーンの中にある知識や考えの根底を覆すものだった。

――有り得るのか、そんな事?――

バーンは自分自身に問う、しかしそれなら自分が感じていた違和感の説明がつく

念のため、後で自身でも確認をしてみるが…恐らく答えは変わらないだろう

それに何より、自身の勘がそれが真実だと告げている。

――自分が今居るこの世界は――

――自分が今までいた世界とは、全く違う世界だと言う事を――

「…ふ、くく…」

その事を認めた瞬間、思わず笑いが溢れる。

――我ながら、随分と奇妙な運命だ――

 

現状を把握しながら、バーンは思う

しかしそこには先程とは違って、自嘲の響きや感情はない。

今の自分には、嘗ての力はない

最強の肉体も、最強の軍も、自身の居城も、忠実な臣下も…大凡全てのモノを失った。

――だが、余は生きている――

自身の記憶が確かなら、『勇者』は自分に打ち勝った

若き『大魔道士』や『姫君』も恐らく健在だろう

『嘗ての軍団長』や『伝説の名工』を始めとする彼奴等の仲間もその多くが健在だろう

ほぼ全てのものを失った自分では、最早天秤の対にすら成りえないだろう。

―ーだが、余は生き延びた――

極めつけは、自身の現状

自分が居るのは、完全なる未知の異世界

仮にここで嘗てと同じ行動を完遂したとしても、魔界には一雫の光すら届かない。

――だが、余はまだ終わっていない――

 

まだこの心臓は動いている、血は全身を廻っている

目は見える、音が聞こえる、四肢と五指に力が入る

掌を握り、五指に力を込めてグっと握る

生きている、自分はまだ生きている。

確かに殆ど全ての力を失った――なら再び得れば良い――

確かに自分の軍は壊滅した――なら再び結成すれば良い――

今の自分には、あらゆる物が足りない――なら再び用意すれば――

そして、今の自分には忠実な臣下もいない――なら再び――

「………」

その瞬間、バーンの脳裏に嘗ての忠臣の姿が過る

自分の手となり足となり、影の様に付き従い、永い永い間忠義を尽くしてくれた自分の腹心

――こればかりは、仕方がないか――

やや諦める様に呟く

如何に世界は広いと言えど、嘗ての忠臣以上の存在とは決して出会えないだろう

少なくとも、これまで生きていた時の中で一度も巡り会えなかった

そして恐らく、もう二度と巡り会う事はないだろう

 

自分の影を務められるのは、後にも先にももう二度と現れないだろう。

「…………」

粗方の書物に目を通した後に、バーンを目を瞑る

ほんの数分間だけ目を瞑った後に、ゆっくりと開いて

「ベルよ、もう一つ頼まれてくれぬか?」

 

「バーン様、足元は大丈夫ですか?」

自身の肩に寄り掛かり、空いた片手で杖を突くバーンにベルは尋ねる

バーンが「問題ない」と答えると、ベルは移動を開始する。

バーンの頼み事、それは至極簡単なモノだった。

――太陽が見たい――

既に日は沈み始めていたので、一回部屋から出て外に出ないとその全貌が良く見えなかったからだ

少しの間苦戦して、二人は外に出て夕日が見える場所まで歩みを進めて

「…世界が変わっても、この輝きは変わらぬか…」

沈む夕日の光を一身に浴びて、感慨深く呟く

そのバーンの呟きを聞いて、ベルは不思議そうにバーンを見て

「バーン様は太陽が好きなんですか? お話だと悪魔や魔王って太陽とかが嫌いでしたけど?」

「そういう輩がいる事は否定しないが、余は違う…太陽とは素晴らしい力だ

例え勇者や魔王がどれだけの魔力を持っていたとしても、太陽だけは作り出す事は出来ぬ」

「そうなんですか?」

「少なくとも、余では無理だった…この世に存在する全ての命の源であり、力の源であるこの輝きだけは…誰にも作り出せぬのだ」

そのバーンの言葉を聞いて、ベルは『そうなんだー』と頷いて夕日を見る

バーンも沈みゆく夕日を、そのまま地平線に消えるまでずっと見つめる。

「…全てが未知の世界で、裸一貫でのやり直し…か」

その夕日の輝きに手を伸ばし、グっと掌を握り締める

見た目相応の老人の細腕ほどの力しか込められないが、それでもその光を手中に収めんと手を堅く握り

「――実に結構!それもまた一興!元より失った筈の命、惜しむ理由などないわ!」

その陽の光に向かって、大魔王は誓う。

――勇者よ!大魔道士よ!一時の間、そちらの世界と太陽は其方達に預けよう!!――

――余は確かに其方達に敗れた!全身全霊で挑み敗れた!――

――だが余は生きている!見知らぬ異世界で!ほぼ全ての力を失いながらも生きている!――

――大魔道士よ!其方は言ったな、例え結果が見えていようとも藻掻き抜いてやると!――

――例え残された時間が一瞬でも、閃光の様にあがいてやると!――

――ならば余もそれに倣おう!――

――もはや余には、全ての事が予想も想像もつかぬ!――

――我が肉体や鬼眼をも失った今、もはやこの躰はいつ朽ち果ててもおかしくないだろう!――

――まして余がいるのは未知の世界!如何に余とて異なる世界の渡り方など皆目検討がつかぬわ!――

――だからこそ、余も足掻こう!――

――残された時を、それこそ閃光の様に生き抜こう!――

――余は必ず嘗ての力以上の力を身につける!――

――余は必ず嘗ての魔王軍をも上回る軍団を結成してみせる!――

――そしてその時こそ!余は世界を渡り!其方達に勝利し!――

 

――太陽の輝きで魔界を照らしてみせよう!――

紅い夕日を全身に浴びながら、大魔王は新たな目標と誓をその胸に刻み込んだ。

 




文面だと格好良くバーン様は決めていますけど、外野から見れば孫に介護されてるおじいちゃんです(笑)
ちなみにベルくんがナチュラルに「バーン様」と読んでいる件ですが・・・そうですフラグです。
今回はバーン様視点が多かったですが、次回はベルくん視点の話になると思います。

最後にたくさんの感想ありがとうございます!感想は順々に返していきたいと思います!


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使徒

 

 

夕日の前にバーンが誓いを立てて数日、特に何かが変わった…という事は一切無かった

今のバーンは年相応の老人程の体力しかない、故に先ずは体調を万全の状態に整えてから…というのがバーンが出した結論だった。

失った筈の命を惜しむ理由はない、だが無駄に失う理由は更にない

命を賭ける事と命を投げ捨てる事は、全く以て意味は異なる

 

闇雲に無闇やたらに急いでも、物事は上手く行かない

物事には順序がある、何を為すにしても先ずは体からだ

下手な負担を掛けて全て台無しにしてしまったら、それこそ目も当てられない結果になるだろう。

きちんと食事をとり、良く眠る

時折体を動かして、徐々にその質と量を上げていく。

 

魔族の再生能力は高い、それが魔王クラスともなれば尚更だ

下手に回復呪文をかけるよりも自然治癒に任せた方が、肉体への負担もずっと少ない

それに今の自分は「衰弱」「疲労」という要因が大きい、回復呪文を使ってもそれは過剰効果となり…下手をすれば何時かの様に手や足を切り落とす事になるだろう。

 

……まあ、それでも失った物はあるが……

 

幸いにも体に後遺症らしいものはなかったが、やはり鬼眼の力や若き肉体は諦めるしかないだろう

微弱ではあるが、静養するに連れて着実に体力は戻っている

そして取り戻した体力に呼応して、魔力も着実に回復していった。

恐らく『鬼眼そのもの』が必要になる進化の力等は、もう二度と使えないだろう

だがしかし、魔力そのものが躰に宿っていればそんなものは些細な問題だ。

……嘗ての様に戦える様になるまで…凡そ数年、と言った所か……

今までの回復速度から、ざっと当りをつける。

 

嘗ての様に闘気を奮い、魔力を操り、思考を走らせ、自らの体で闘う

実戦や戦闘は、それだけで模擬戦や鍛錬とは桁違いの体力・精神力を消耗する

自分は相手を本気で殺そうとし、相手もまた自分を殺そうとする

その緊張感や緊迫感が生み出す心身への負担は、それ自体が桁外れにでかいからだ。

嘗て勇者に破れ自分が救った『魔王』も、その回復に十年以上の時間を要した

嘗て伝説の名工は、砕けた両腕の再生だけで七十年かかったという話だから…それ等を考えれば大分マシな方だろう。

……しかし、かと言ってあまり長い時間も掛けてはいられん……

人間の身体能力、個人差はあれどその最盛期は二十代半ばから精々三十そこそこ…と聞く

無論、戦いは身体能力一つで決まる程単純なモノではないが、自ら前に出る前衛タイプではその影響は大きいだろう。

……確か年の頃は、十二か十三程だったな……

 

相手はあの『竜の騎士』、普通の人間よりも肉体の最盛期は長いだろうが…それでもかけられる時間は長くて二十年程だろう

如何に自分の最終目標が魔界に太陽を照らす事だとしても、そこに嘗ての勇者一行が居なければならない。

互いに全力で正々堂々…等と言う綺麗事を口にする気はない

だが、相手が『劣化品』では意味がない…あの最終決戦以上の力を宿した勇者達でなければ、意味がないのだ。

 

自分を負かした相手を、自らの手で打ち倒す

如何に最終目標はあれど、これだけはバーンの中で決して譲れないものになっていた。

……それに、やる事も考える事も山積みだ……

なにせ自分にとって全てが未知の世界、故に金も無ければ家もない

そして何より、自分はこの世界に関しての知識が足りなすぎる。

 

知識とは誰でも所持する事が許された道具であり、時に名剣をも上回る武器になり、時に鎧以上の防具になる

力こそが全て、だが単純な力だけではただの魔物と変わらない

体力、魔力、知力、財力、武力…それら全てが『力』であり、故に自分が『大魔王』と成れた理由と言っても良いだろう。

だがしかし、世界そのものが変わったとすれば話は変わる

今の自分はこの世界において知らない事が多すぎる、それは決して無視できない事だろう。

そして何より

 

 

……余自身も興味がある……

 

 

数千年の時を生きた自分すらも把握していない、完全なる未知の世界

人間や亜人にエルフに加え、神々すらもが地上に降り共存し、作ってきた世界と歴史

年甲斐もなく気持ちが昂ぶり、もはや思い出せない童心を取り戻した様に精神は滾っていた

体が万全なら今すぐにでも世界中を見て回りたいが、それはまあ後の楽しみ…というヤツだ。

「しかし…降りてきた神々の殆どが迷宮都市に居を構えているとはな」

娯楽を見出した神々が集い、それぞれが認め『恩恵』を授けた人間達が集いし『迷宮都市』

間違いなく、この世界に於ける主要都市の一つと考えて良いだろう

それに世界は違えど、数多の神々を集める程の『ダンジョン』、これに関しても興味が尽きなかった。

 

そしてバーンはその情報が記載されている本を、半ばほど読み終えて

 

 

「バーン様ー見てください!こんなにリンゴ貰っちゃいましたー!一緒に食べましょう!」

 

 

読書の時間は少しの休憩に入った。

 

 

 

 

 

 

 

「…んー!甘い!」

「うむ、自然そのものが持つ旨味…悪くない」

「でもバーン様、本当に切らなくて良かったんですか?」

「良い、時にはこういう飾らない食し方も悪くない」

 

しゃくり、ざくり、と並んだ二人の口元からそんな音が響いていた

音の正体は、二人がリンゴを食する音…それも豪快に、皮付きの丸噛じりだった。

 

やや大きめに口を開いて果実に噛り付き、咀嚼するバーンを見て

『前歯全部もって行かれるんじゃあ…』と、少しだけ思っていたベルの心配もどうやら杞憂だった様だ

そしてベルもまたリンゴに噛り付く。

 

噛んだ瞬間、口の中を一瞬で満たして鼻へと吹き抜ける風味

シャクシャクと小気味良い歯応えに、芳醇な甘味とそこに潜む僅かな酸味

まさに『食べ頃』と思われるその味は、ベルは元より大魔王にも好評な様だ。

 

そして二人共芯以外を食べ終わり、軽く口元と手を布で拭い

 

「そう言えば、バーン様ってエルフなんですか? 皆は似てる似てるって言ってましたけど?」

「フム、確かに外見上の特徴は一致しているが、余はエルフではなく魔族だ」

「魔族? 御伽噺とかで出てくる悪魔の一つの?」

「…まあ、今はその程度の解釈で問題ないだろう。最も余は魔族を統べる魔王である訳だが」

 

「でも、村の皆は違うって言うんですよねー。皆はバーン様の事をエルフのお爺さんって思ってるんですよー、何で信じないだろ?」

「それが普通の反応だ。実際今の余は年相応の老人と大して変わらぬ…故に少々不思議に思う、ベルよ…其方はどうして余の言葉を疑いなく信じた?」

 

「だって神様がいるんなら、魔王だっていてもおかしくないと思います」

「フム、道理だな。だが長い歴史の中でも神こそ現れど、魔王という存在は今まで現れていなかった記されていた…これはどう思う?」

「歴史が変わった瞬間ですね!」

「…確かに、その通りだ」

 

自分の質問に大して屈託のない笑顔と共に返された答えを聞いて、バーンも思わず小さく笑う

子供ゆえの純真さ、無邪気さというのもあるのだろうが…中々どうして、答えには幼子なりの筋が通っている

それにこのベルという少年、自分が指定した訳でもないのに自分の事を「バーン様」と呼んでいる

人間特有の狡猾さやズル賢さを感じさせないその響き、恐らくこの少年は自分の事を本当に心から『大魔王』であるという事を信じているのだろう。

 

そしてバーンは、今後の事を改めて考える。

 

 

――あと数日もすれば、体の自由を取り戻せる――

 

 

その時は自分は退院という事になるだろうから、先立って医療費の支払い…つまり、金の問題が出てくる

それに今後の生活を考えると、やはり金の問題は避けられないだろう。

 

――ベルの話では、ダンジョン以外でも魔物は出没するという話だったな――

 

迷宮都市はここから遠く離れた場所ではあるが、ダンジョンから生まれたモンスターは稀に地上に出てくる事もあるという

稀ではあるがその数は決して少ないという訳ではなく、時折群れをなして商隊や旅の一団を襲ったり田畑を荒らす事もあるという

そして魔物は死ぬとその屍は消失し核たる『魔石』が残り、稀に肉体の一部が『ドロップアイテム』となって残り冒険者達はそれを換金するという。

 

――リハビリも兼ねて、当面は資金調達に勤しむとするか――

 

地獄の沙汰も金次第、どうやらそのルールにおいては大魔王も例外ではない様だ。

 

 

――余自らが資金集めなど…果たして何千年振りだろうか?――

 

 

もうどれほど前になるだろう?

自分が嘗ての臣下やかの冥竜王と知り合うよりも遥か昔、まだ何も為し得ていない一人の魔族だった時以来だろう。

 

 

「…成程、初心忘れるべからず…か」

 

 

――と、どこか感心したかの様に

そしてどこか面白そうにその声は響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…よーっし、洗濯終わり!」

 

吊るし上がった洗濯物を見て、満足げにベルは呟く

バーンと名乗った老人が目を覚まして、今日で二週間ほど経つ

既に本人もベッドから自由に降りる事ができ、散歩等の運動をしている

先日、医者と医療費や入院費の支払いについて話していたから、恐らくそう遠くない内に退院するだろう。

 

……色々あったなー……

 

ベルはこの二週間の事を思い出して、感慨深く息を吐き出す

例えば十日ほど前、ベルの祖父が遠出の用から帰ってきた。

 

そして自分が助けたバーンの事を知り興味を持ったので、バーンに祖父を紹介した時の事だ。

バーンは祖父の姿を、少しだけ注視して

 

 

『――成程、其方が神か――』

 

 

等と言い、そしてその言葉に対して祖父も…

 

 

『――よくぞ見破った大魔王!ワシこそが神じゃあぁ!――』

 

 

と、悪ノリを始める始末

ちなみにその直後二人はお互い大声で笑い出し、村医者から「うるっせえぞ爺ども!」ときつく注意されていた…のだが

 

「結局、お医者さんも一緒に酒盛りしてたもんなー」

 

帰って早々、二日酔いで死にそうになっていた祖父の姿は記憶に新しい

ちなみにその一件のおかげで二人は打ち解けたらしく、よく病室でチェスやカードをしている。

 

 

「…そう言えば、バーン様って退院したらどうするんだろ?」

 

 

何気なく、ベルはその事を考える

話では自分の城や家は全て『勇者一行』に破壊され、帰る場所もない『ホームレス』らしい

退院後はこの村に居を作るか、それとも村の外に出るのかは本人も考え中との事

 

本人曰く、近い内に世界を見て周りたいと言っていたので、そこまで村に長居するつもりはない様だ。

 

 

「…………」

 

 

何となく、だが…ベルは嫌だと思った

バーンと話した時間はそれこそ二週間程度、しかしその短い間で感じた事は正に『衝撃』の一言に尽きる。

 

ある時は話しているだけで、木漏れ日の中で緑森の中を歩いている様に思えた

ある時は傍に居るだけで、川の流れに身を任せて緩やかに漂っている様に感じた

 

話せば話すほどに、この老人について知りたくなる

知れば知るほどに、この老人に魅せられ惹きつけられていく

 

魅せられれば魅せられる程に、遥か遠い存在だと思った

惹きつけられれば惹きつけられる程、見上げる程に天高い存在だと感じた

 

もっと話したい、もっと知りたい、もっと近づきたい

もっともっと話したい、もっともっと知りたい、もっともっと近づきたい

 

 

だが、歯止めがかかる。

 

 

「………」

 

 

ベル自身、何となくだが理解している…『今の』自分が踏み込めるのは、ここまでだ

大魔王の退屈しのぎの世間話に付き合い、茶請け代わりに会話を提供する…それがベル・クラネルの限界だ。

 

もしも、そこから先に踏み込むのなら…今までの様にはいかない。

 

暖かい火も、近づき過ぎれば身を焦がす

太陽の光も、ずっと見ていれば目を焼く

 

あの『大魔王』から感じる魅力はそれと同じ類のものであり、下手に踏み込めば『その程度』では済まない

子供ながらに、ベルはその事を漠然と理解していた。

 

「…ま、仕方がない…か」

 

自分に言い聞かせるようにベルは呟く。

相手は大魔王、元より自分にとって住む場所居る位置が根本的に違う存在

それこそ御伽噺で出てくる『勇者』や『英雄』でない限り、踏み込めない領域にいる存在

 

だから、今はこのままでいい

未来や将来はどうだか分からないが、『今は』このままでいい…そんな風に思っていた。

 

 

――その日が来るまでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「バーン様、どこまで行かれるんですか?」

「其方も良く知っている場所だ」

 

それは満月が良く見える夜だった。

ベルは自宅からこっそりと抜け出して、バーンと共に夜道を歩いていた

夜道を歩くバーンの足取りはしっかりと安定していて、ベルから見ても既に杖などは必要ない程までに回復している事は明白だった。

 

二人が歩いているのは、ベルも良く知る道

そしてその道を辿って行く内に、何となくだがバーンの目的地が分かってきた。

 

「到着だ」

 

バーンが応える、そこは二人にとっての始まりの場所

あの日、死に掛けていたバーンを見つけた水場だった

 

「――ベル・クラネルよ、改めて礼を言おう。其方が居なければ、余はあの日命を落としていただろう…志半ばで朽ち果てていただろう」

 

星空を映し出す水面を見つめながら、バーンは語る。

 

「其方にはどれだけの言葉を尽くそうとも、余の気持ちを伝えきる事はできん。其方への感謝の念が尽きる事はない」

「ば、バーン、様?」

 

 

「故に、改めて言わせて欲しい…ありがとう、余は其方に救われた」

 

 

――感無量とは、正に今のベルの事を指すのであろう

もはや言葉に出せなかった、その気持ち、その衝動、その感動

例えどれだけの言葉を尽くしても絶対に言い表す事はできない程のものだった。

 

「何か其方に褒美を、と考えたのだが…生憎今の余は無一文ゆえ、形ある物で其方に礼を返すのは少々難しい

こちらは後で改めて其方に贈ろうと思う」

「は、はい!おっおきょこりょじゅかい!かん、しゃ!いたし…ます!」

「無理に返さなくともよい」

 

顔を真っ赤にしてガチガチに緊張しているベルを見て、バーンは面白そうに呟く。

 

 

 

「故に、余は今の余で其方の恩に報いる方法を考えた」

 

 

 

その瞬間、空気が変わる。

 

「故に余は其方にだけ見せよう…我が力の一端を」

 

その瞬間、光が変わる。

 

「故に余は其方にだけ見せよう…我が大魔王の力の一片を」

 

ベルは見る、バーンの姿を、バーンの両手に宿るその輝きを

 

大魔王の掌に宿る光の正体…それは炎

そしてその炎は、ベルが知る火や炎とは明らかに存在が異なる

 

恐らく少しでも触れれば、どんな人間でも一瞬で灰になるだろう

あの炎に包まれれば、例え魂すらも塵一つ残らず燃え尽きるだろう

熱さが違う、色が違う、燃え方が違う…そんなレベルの話ではなかった。

 

常識が違う、次元が違う、世界が違う…そんな言葉でも足りなかった。

 

「ベル・クラネルよ…しかとその眼に焼きつけよ」

 

次の瞬間、炎が変わる…ソレを形作っていく

激しい炎から双翼が生まれる、触れるモノを全てを灰にする炎からソレは生まれる。

 

それは強く大きく禍々しく、それは激しく美しく神々しく…大魔王の掌から産声を上げる。

 

「これが大魔王が宿す炎…大魔王が放つ焔だ」

 

そして大魔王がその名を呟く、その炎が羽ばたく。

 

 

 

 

 

「――カイザーフェニックス――」

 

 

 

 

 

 

そしてベルは『伝説』を、あるいは『神話』を見る

神炎の不死鳥は大魔王の掌から飛び立つ

 

紅蓮の軌跡を描いて雄々しく羽ばたく、夜空を翔け、星空を舞い、月夜に飛ぶ…そして空高く舞い上がり爆ぜた。

 

「フム、試し撃ちも兼ねてだったが…両手を使っても溜めにかなり時間が掛かる上に、威力・速度も半減とは…やはり早々上手くは行かぬか」

 

その呟きは、最早ベルには届いていない

その心は既に別の感情で埋め尽くされていたからだ。

 

ベル・クラネルは、その正体を垣間見た気がした

なぜ自分がこの老人にこれ程まで魅せられたのか

なぜ自分がこの大魔王にこれ程までに惹きつけられていたのか

 

今まで漠然としてた物の欠片を、一端を、輪郭を、この時確かに垣間見た。

 

 

――そして見てしまった以上、もう止まれない。

 

 

今まで見えてない物が見えてしまった以上、今まで知らなかった物を知ってしまった以上

ベルは自分の中で湧き上がる激情と衝動を、制御する術は知らない。

 

今までベルが踏み込めなかった領域

踏み込む為に足りなかったピースが、パチリと嵌まった様な感覚

 

後はベル次第だった

その最初の一歩を踏み出す、その領域に踏み込むのか否か

 

「…バーン様…」

 

もしも世界や運命に分岐点があるとすれば、それは正にこの時だっただろう

 

「…ぼ、ぼくは…」

 

もしもこの世界に大魔王というイレギュラーが現れなければ、この可能性は生まれなかっただろう

 

「…ぼ、僕に…」

 

しかし傾いてしまった、その選択に、分岐点に、可能性に

 

「――僕を!」

 

ベル・クラネルの運命は、傾いてしまった。

 

 

 

 

 

「――僕を!弟子にして下さい!――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





アバンの使徒がいるなら、バーンの使徒だっていたっていいじゃないか!(迫真)
とまあ、第三話も何とか投稿できました。
三話目にしてカイザーフェニックス炸裂…果たして大丈夫なのだろうか?(ネタのストック的に)
ちなみにバーン様がベル君にカイザーフェニックスを見せた理由としては、恩返しと試し撃ちを兼ねてのもの、わざわざカイザーフェニックスを選んだ理由としてはちょっとしたファンサービスみたいなものです。メジャーリーガーが自分のファンの子にサインボールをプレゼントする様な感じだと思って下さい。

……そして今回の主役はやはりベルくん、一話でも名言してありますが作者は原作ベルくんが大好きなのでベルくんのキャラや性格を改変するつもりはありません。そこだけは予めご了承ください。
それでは次回に続きます。


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師弟

 

「…余の弟子に、か?」

「はい!僕を、僕を弟子にして下さい!お願いします!」

 

土下座をする様な勢いで、ベルは渾身の篭った言葉と共に頭を下げる

そのベルの様子を見て、バーンは射抜く様な視線でベルを見る

ベルの今の気持ち、それはバーンにもある程度は理解できる

強い力に魅せられる、強い力に憧れる、強い力に惹きつけられる、老若男女関係なく他者を魅了する単純明快な解。

 

しかし、それとこれとは話は別である。

 

如何に相手が自分の恩人と言えど、仮にも『大魔王』が今まで培ってきた力と技術はそう易々と授けられる事は出来ない

今まで大魔王が数十年数百年数千年という時を掛けて磨き、培い、鍛え、体得した力と技は安くも軽くもない。

 

それは例え相手が命の恩人であっても、純心無垢な子供であっても同じ事

つまらない輩や脆弱な輩にはその片鱗すら触れさせる気はない。

 

それがバーンの答えだ。

そして何より

「ベル・クラネルよ、そもそも其方は勘違いしておる…例え余に弟子入りしたとて、勇者や英雄にはなれん」

 

そして魔王は告げる、その根本から立ち塞がる問題の根を。

 

「余は魔王だ、決して勇者や英雄ではない」

 

魔王は告げる、その存在の在り方を、互いの存在の意味を。

 

「ベルよ、其方が読んできた本や話では魔王はどの様な所業を行ってきた?」

「…それは…」

「人を救っていたか?街や都市を守っていたか?一国の王や姫君に賞賛され褒美の一つでも賜っていたか?」

「………」

「――違うであろう?人を襲い人を殺し、街や都市を火の海と瓦礫の山に変え、世界中に死と恐怖と絶望を振り撒く存在…それが魔王だ。それは余とて例外ではない」

「で、でもバーン様は!」

「この村の者には其方を含め少々世話になった、魔王には魔王なりの礼儀はある

余はこの村を襲う理由はなかった、だがもしもそれに足る理由があったのならば…余は躊躇いなくこの村の者全てを皆殺しにしただろう

ベル・クラネルよ…余の弟子になるという事はそういう意味だぞ?」

 

その瞬間、全てが変わる

二人を取り巻く世界が、その在り方を変える。

 

 

「――そして何より、安くないぞ?――」

その瞬間、ベルの全身が冷や汗を吹き出す。

全身を氷の槍で串刺しにされたかの様な痛烈な悪寒と衝撃

空気そのものが鉄塊となっているかの様な重力感

肺がまともに機能せず、呼吸すらまともにできない圧迫感

心臓を鷲掴みにされている様な恐怖感

脳髄を挟まれているかの様な危機感

魂を握り潰されそうな絶望感

痙攣するかの様に両手足はブルブルと震え、歯の根が合わずガチガチと音が出る

知らない内に目尻から涙が流れる、口の端から泡立った唾液が垂れる

反射的に膝をつき頭を垂れて、腹の中の物をぶちまけて、地面に平伏しそうになる。

「仮にも大魔王を名乗る余の集大成、幾百幾千という年月を重ねて鍛え磨いた我が力と技

迂闊に触れようものなら、いくら其方と言えど余は黙っておれぬぞ…それ相応の代償を覚悟して貰わねばならぬ」

それは恐らく、此処に来て初めてバーンが放つ空気

大魔王としての覇気であり闘気、大魔王バーンとしての威圧感であり迫力。

「――命懸け、では足りぬぞ?」

 

バーンからすれば、それは戯れやお遊び程度のレベル

だがしかし、それは嘗て六軍団長をも威竦ませ圧倒した大魔王の力の片鱗

それはベル・クラネルにとっては絶対的な恐怖の体現

瞬時に脳や頭を飛び越えて、魂でベルは感じ取る。

――死ぬ――

――殺される――

 

 

――逆らったら死ぬ――

 

 

――歯向かったら殺される――

――何か一つの切掛があれば、自分はこの人に殺されて死ぬ――

理不尽に命を嬲られて、不条理に蹂躙される…それが今ベルが居る世界

自分の意思など存在しない、自分の自由などありはしない。

 

きっと、虫から見た人間とはこんな感じに映るのだろう

ただそこにいただけで踏み潰される、ただ飛んでいただけで叩き潰される

捕まったら気の向くままに手足をもがれ、頭や胴体を引き裂かれる。

今のベルは、正にそんな状況の様に感じていた

全ては絶対的な神が決める事であり、絶対的な魔王が行う事

それに逆らえば即座に死ぬ、それが今ベルが感じる世界の在り方だ。

「――ベル・クラネルよ、其方に問おう

己が悲願、野望、願望、その達成のために幾多の屍の上を歩く覚悟はあるか?血の海を渡り修羅の道に進む事も躊躇わぬか?人道を外れ魔道の果てを悪鬼羅刹となって進み続け、己が覇道のためなら非道外道と成り果てる事も厭わぬか?其方にはその覚悟があるか?」

 

「…………」

「無いのなら止めておけ。その様な半端な覚悟で余の弟子となった所で、数日と持たず命を落とすだろう

弟子入りなら他を当たるが良い、余とて其方が無駄に命を落とす事は本意ではない…それが互いのためだ」

それで言うべき事は終わったのか、バーンは再び歩みを進める

俯き震えるベルの隣を通り過ぎて帰路を行く……それとほぼ同時だった。

「――覚悟は出来たのか?」

通りすぎるバーンの眼前に、再びベルは立つ

相変わらず体は小刻みに震えているが、それでも俯いたまま必死に呼吸を整えて

顔を上げる

紅い瞳と大魔王の瞳が再び交わり、ベルが口を開く。

「…僕、今までずっと…バーン様に聞きたくても聞けなかった事があります…お聞きしても、宜しいでしょうか?」

「…よい、申してみよ」

 

バーンの返事を聞いて、ベルは粗い呼吸を整える

心身を共に落ち着かせるように、深呼吸を数回繰り返して

 

 

「――バーン様が戦った『勇者一行』って、どんな人達でしたか?」

 

 

それは、今までベルがずっとバーンに聞きたかった事

聞きたくても今までずっと口に出来なかった問い。

「――強き者達だった。単純な肉体の強さだけでなく、屈強な精神力を兼ね揃えた強者だった」

 

どこか恨めしい様に、どこか悔しむ様に

 

「そして何より、諦めの悪い連中だった」

 

どこか面白そうに、どこか楽しそうに、バーンは語る。

 

「勇者と呼ばれた少年は、幾度となく余に立ち向かってきた。

力の差を見せつけ、父親が死に、仲間は倒れ、最強の武器も余は叩き斬った

だが勇者は余に立ち向かってきた、新たな力と武器を得て、仲間達と共に立ち上がり、絶望的な状況から余に立ち向かい続けた」

 

「………」

 

「だが、それでも余の方が上だった。勇者の新たな力と武器も、新たに得た技も、その仲間達も、余は再び打ち負かした

だがそれでも勇者は……いや、勇者達は諦めなかった」

 

――生憎と、私以上の切れ者ならもういる――

 

――くれてやるぞ!俺の生命!!――

 

――破ったぜえぇ!天地魔闘の構ええぇ!――

 

――バーン!もう絶対に放さないぞ!俺と一緒に…コイツを食らええぇぇ!――

 

 

「あの者は諦めなかった」

 

 

――あんた等みてえな雲の上の連中に比べたら、俺達人間の一生なんてどの道一瞬だろう?――

 

――だからこそ結果が見えてたってもがき抜いてやる!一生懸命に生きてやる!――

 

―― 一瞬…だけど閃光の様に!まぶしく燃えて生き抜いてやる!――

 

――それが俺たち人間の生き方だっ!――

 

――よっく目に刻んどけよ!このバッカヤロオオオオオォォォォ!!――

 

 

「既に敗北は決まっていた筈だった。例え余を殺していたとしても、奴等の敗北は既に履がえせなかった筈だ

既に殆どの仲間は戦闘不能だった、体力も魔力もほぼゼロだった、戦う術などなかった筈だ…だが、あの者達は諦めなかった」

 

「………」

 

「だがそれでも、余の方が上だった。如何に覇気や気迫があろうとも、魂だけでは余には勝てん、余を殺せん、余の勝利は揺るぎ無かった筈だ」

 

――まだ、手がある…最後の手が!――

 

 

 

「故に勇者は、『自分』である事を捨てた」

 

 

 

「……どういう、意味ですか?」

「奴は文字通り捨てたのだ、己が人である事を仲間の為に、平和の為に、勝利の為に捨てたのだ…奴はあの時、余を殺すためだけの魔獣となったのだ」

「っ!!?」

 

「恐ろしく強かった、仲間と世界を救う為に全てを捨てた勇者は…紛れもなく最強の存在だった」

 

――力が正義…常にそう言っていたなバーン!――

 

――これが、これが!これが正義か!!?より強い力にぶちのめされればお前は満足なのか!――

 

――こんなものが!こんなものが正義であってたまるかああぁぁ!――

 

 

「余にとって、力は絶対のルールであった。力こそが絶対の真理であり強者こそが正義だった

そして、余も捨てた。余も勝利の為に全てを捨てた、己が肉体を異形と化し勇者に挑み…」

 

 

――さよなら、大魔王バーン――

 

 

「――そして敗れた」

「――――」

「後は其方の知る通りだ。勇者に敗れた余は世界を超えて、未知の異世界であるこの地にまでやってきた

…恐らく最期の瞬間に、破滅する肉体を捨て本体のみを蘇生させ、不完全な移動呪文でも使ったのだろう」

 

そしてバーンは夜空を見上げる。

そこに浮かぶ満月をじっと見据えて、その先にあるであろう世界を見る。

 

「勇者に敗れ、魔王軍は壊滅し、己が力のほぼ全てを失い、未知の世界に流れ着き、あるのは今やこの老いた肉体だけだ」

 

そしてここで再びバーンの眼光が変わる

その目に強い意志と強大な信念を纏わせて、再び告げる。

 

「――だがなベルよ、余は諦めぬぞ

失ったモノは再びまた手にすればいい、力を失ったのなら再び身に着ければいい、軍も城もまた再び作り直せばいい」

 

「………」

「世界が違うのなら、再び渡ればいい。方法が解らぬのなら探せばいい、探しても見つからないのなら余自身が作ればいい…現に余はこうしてこの地にいる、ならば再び舞い戻れる道理はあるという事だ」

「…………」

 

「決して楽な道ではないだろう、恐ろしく困難を極める道になるだろう…だが、それでいい、そうでなくてはならん

そうでなくては、余は絶対に奴等を越えられないだろう

あの絶望的な状況から踏ん張り、這いずり、足掻き、そして余に勝利した勇者や大魔道士を超えるには、余もこの程度の状況を乗り越えなくては到底不可能だろう」

 

そしてバーンは視線を下に向ける、そこに入るベルに視線を置く。

 

 

 

 

「――ついてこれるか?――」

 

 

 

 

試すように問う、定めるかの様に尋ねる

大魔王の双眼の直視を受けて、ベルの体に走る緊張や重圧も先程とは比較にならない程に大きくなる。

 

それからどれだけ時間が過ぎただろう?

両者は黙り夜の帳が深みを増し、周囲の音は水場の音と僅かな虫の声だけ

 

夜の静寂が場を支配しておよそ数分たった時だった。

 

「…僕は今までずっと、絵本や御伽噺に出てくる勇者や英雄に憧れていました」

 

それはバーンが求める答えとは一致しない言葉

しかし完全に無関係とは思えないその語気に、バーンは少しばかり耳を傾ける。

 

 

「自分もこんな風になりたい、こんな風に強くなりたい、こんな風に格好良くなりたい、自分もこんな冒険がしたい

難攻不落のダンジョンに挑んで、強大なモンスターを相手に勇ましく戦って、お姫様みたいに可愛くて綺麗な女の人と仲良くなりたい…そう思っていました」

それは物心ついた時よりベルの心の内に秘められた願い

 

「大きくなったら迷宮都市に行って冒険者になる、いつか自分も絵本や御伽噺に出てくる勇者や英雄みたいになる、そして将来はそんな冒険者になる…それが僕が思い描いた自分の未来でした」

それは幼い少年がずっと胸に秘め、育んできた夢

 

 

「――でも、解ったんです。今のままじゃ無理だって、憧れているだけじゃダメなんだって」

 

 

しかし、それはこの日この夜この瞬間、砕けた。

 

「大きくなったらじゃ、駄目なんです」

 

少年が抱いていた理想が、砕け散った

 

「いつかじゃ、駄目なんです」

 

少年がずっと抱いていた夢や理想が、粉々に砕け散った。

 

「将来や未来じゃ、駄目なんです!」

 

何故なら、その夢や理想の体現が現れた。

 

 

「今のこの瞬間を踏み出さないと、駄目なんです!」

 

 

夢と理想の体現を見て、少年は『現実』を知った

 

「このままじゃ絶対、僕はそんな風になれない! このまま何となく毎日を過ごしているだけじゃ何も変わらない!

今ここで踏み出せなかったら、例え大きくなっても英雄や勇者なんかに絶対になれっこない!

今を頑張れなかったら、未来も将来もない!勇者にも英雄にもなれない!そもそも強くなんてなれない!」

だから、少年は最初の一歩を踏み出した

自分の夢と理想を、確かな『現実』にするために踏み出した。

「確かに僕は、バーン様の言う覚悟は出来ていません!

強くなるために誰かにひどい事をしたり、自分のために誰かを苦しめたりする事は出来ません!

そんな覚悟は絶対にできません!」

「……成程、つまりはそれが答えか?」

 

ベルの言葉、それをそのまま受け取れば弟子入り不可能

それはつまり、この問答の終わりを告げる筈だった。

 

 

 

「でも!それでも僕は貴方の弟子になりたい!」

 

 

だが、ベルは魅せられてしまった。

「僕は貴方から学びたい!他の誰でもないバーン様から学んでいきたい!」

 

ベルはどうしようもない程に、大魔王に魅せられてしまった。

 

「御伽噺の勇者よりも!絵本の中の英雄よりも!僕は貴方についていきたい!僕は貴方の…『大魔王バーン』の弟子になりたい!」

ベル・クラネルは誰よりも何よりも、大魔王バーンに魅せられてしまった。

 

「僕はバーン様の言う覚悟は出来ません!でもそれ以外ならどんな苦しい事にもどんな辛い事にも耐えてみせます!」

「先も言ったであろう?その様な半端な姿勢では数日持たん…それとも、その年で天に召されるのが望みか?」

「召されたくないです!死にたくないです!だから耐えます!耐えてみせます!

貴方の弟子になれるのなら!貴方の弟子である限り!どんな事にも耐え抜いて乗り越えてみせます!」

「――吼えたな、小僧」

自分勝手、支離滅裂

言ってしまえばそれは子供の我儘、夢見がちな餓鬼の発言、現実を知らぬ小僧の絵空事だった。

 

だがしかし、その一方でバーンはどこか感心していた。

大魔王の迫力と威圧を前にして、これだけの啖呵をきれる者は精々が『勇者一行』や一部の強者くらいだった

ベルの様な子供なら、それこそ恐れをなして失禁でもしながら自分に平伏している筈だった

現にベルは目に涙を浮かべ小刻みに手足を震わせている、その様はさながら怯える小動物だ。

――体は貧弱、心は脆弱――

――若くて青い、未熟で幼い――

――正に典型的な『弱者』――

 

だが、それでもベルはこうして自分の前に立っている。

 

ブルブルと体を恐怖で震わせながら、ガチガチと歯の音を立てながら

目からぽたぽたと涙を流しながら、ズズっと鼻水を垂らしながら

今にも逃げ出しそうな佇まいでありながら、今にも膝を折りそうな表情をしながら、今にも折れそうな心を抱えながら

 

今も尚、こうして大魔王の眼前に両足で立っている 。

今も尚、こうして大魔王と対峙している。

実力もない、魔力もない、知力もない

財力もない、武力もない、力がない

あるのは、ただ純粋な夢と憧れのみ

 

そしてそれのみで、この少年はこの大魔王と対峙している。

 

今までバーンが生きてきた数千年の中、今のベル程ほど情けない姿をした者はいないだろう

だが嘗て六軍団長ですら圧倒した大魔王の威圧の中、自分の意見をはっきりと口に出している。

 

 

――成程、確かに口だけではない様だな――

 

――希にみる大馬鹿か、底抜けの低脳か、次元の違いも分からない愚者か――

 

――それとも、紛れもない『本物』か――

 

「勇者に憧れる純心無垢な人の子が、よもや大魔王に弟子入り志願か…」

 

 

率直に言って、バーンから見たベルは『ただの少年』だった

年相応の振る舞いをし、未熟な体と心の成長途中の少年だった。

 

特別な才覚も素質も感じられないただの少年

そしてそんな『ただの少年』が、今こうして大魔王に自分の意見をぶつけている。

 

 

「――面白い、その様な喜劇もまた一興――」

 

 

だから興味が沸いた

この少年がどこまで行けるのか

力も才も感じられない、あるのは純粋なまでの憧れしかないこのただの少年が…果たしてどこまで行き着けるのか

 

何も出来ず朽ち果てるか、雑兵程度にはなれるのか、兵を束ねる位にはなれるのか

一騎士のレベルまでなれるのか、騎士団を率いるレベルになれるのか、それとも軍団長レベルまでになれるのか

 

 

それとも、更にその上まで行けるのか。

 

 

「良いだろう、其方の願いを聞き入れよう」

「っ!」

「だが、余は今まで特定の誰かを弟子にとった事はない。故にその手の事の加減は知らぬ

手取り足取り…等は期待するでないぞ?見込みが無いと解れば、その時は容赦なく切って捨てる

そうなりたくば、どんな事にも其方は自身の力で乗り越えなければならん…自身が先程口にした事だ、よもや今更撤回はできぬぞ?」

 

「――はい! よろしくお願いします!」

「良い。では追って詳細を伝える…今日はもう休むがいい」

「分かりました!今日はもう寝ます!」

 

 

そうして、二人にとっての始まりの夜は終わる

純心無垢な少年は、大魔王の弟子となったその夜は終わる。

 

――我ながら、随分と奇妙な事になったものだ――

 

闇夜の道を歩きながら、バーンは思う

あの戦いから今日に到るまでの、その足取り

 

勇者との決戦、凍れる時に封印した若き肉体の開放

数千年に及ぶ計画の失敗、鬼眼王と化した最終決戦、そして敗北

全てを失いながらも行き着いた未知なる異世界、そして其処で得た初めての弟子

 

「――フっ」

 

何気なく水面に視線を落とす

そこに映る自分の顔は小さく笑っていた。

どう転ぶかは分からない、だからこそ面白い。

どうなるかは解らない、だからこそ楽しい。

 

 

――其方はどこまで行けるか…ベル・クラネル?――

 

――小物として終わるのか、それとも大物に化けるのか――

 

――紛い物にすらなれずに終わるか、それとも正真正銘の本物に到るのか――

 

――もしも其方が余の期待に応えられたのなら――

 

――もしも其方が余が行く道についてこれたのなら――

 

 

 

 

――その時は、其方が我が『新生魔王軍』の最初の一人だ――

 

 

 

 

そして夜が明ける、朝日が昇り日付が変わる

バーンはその後、半日ほど村から姿を消して夕方頃に再び帰ってきた

 

「長らく支払いを待たせて済まなかった」

 

恐らく、その時が近年の中でも村一番の騒ぎだっただろう

バーンはどこからか大量の『魔石』を持ち帰ってきたからだ

素人目の判断でも、それは数万Vは下らない量だった。

 

本人曰く『運が良かった』『はしゃぎ過ぎた』らしいとの事

その一件以来、バーンは一部の村人から『魔王さま』と呼ばれる様になった。

 

次いでバーンは、村での空き家を買い取った

見知らぬ土地で居を構えるよりも、別宅でも良いから知っている土地に居を構えた方が都合が良いからだ。

 

「フハハハハ!退院祝いと新居祝いに来てやったぞ大魔王!」

「其方はもう少し静かにできぬのか」

 

家の準備が出来た夜、ベルとその祖父と共にささやかながら宴が行われた。

 

「フム、面白い風味の酒であるな」

「だろー?東国の名酒と言われる酒でなー、何でも米で出来ているんだと」

「余はどちらかと言えば葡萄酒を好むが…これはこれで興があるな」

「そんで次はこいつだ!コイツは火酒と言われるくらいの酒でなー」

 

と、二人でその日は飲み明かし…次の日ベルの祖父が再び地獄を見たのはまた別の話である。

 

 

そして、ベルがバーンの弟子入りの約束を取り付けて早五日

この日、二人は初めて「師弟」として対峙していた。

 

「さて、それでは準備は良いか?」

「はい!いつでも大丈夫です!」

 

二人が居るのは、二人にとって馴染みのある水場の近く

ベルは動き易い薄地のシャツに七分裾のズボン、バーンは村の服屋に仕立てて貰ったローブに外套を羽織っている

バーンの問いにベルは勢い良く答え、バーンは「よろしい」と頷く。

 

「さて、それでは早速……と行きたい所だが、その前に其方にしてもらう事がある」

「大丈夫です、準備運動ならちゃんとしてきました!」

「それもあるが、余の準備はそれとは違う――コレだ」

 

そしてバーンは持って来た所持品の中から、ソレを取り出した。

 

 

 

「――其方には先ず、コレを飲んでもらう」

 

 

 

それは一見すればただのグラスだった

しかしただのグラスと違い、その器の中身から白い蒸気の様なモノが絶え間なく湧き出しており、中身を完全に隠していた

そしてそのグラスを、ベルは興味深げにバーンから受け取り

 

「――うわー、面白いですねコレ。熱くないし冷たくも無いのにこんなに湯気が出てる…コレって何なんですか?」

「其方達で言う所のポーションに近いものだ。先ずはソレを飲み干して貰う、修行はそれからだ」

 

幼いベル自身そのグラスから奇妙な迫力というか、得体の知れない凄味の様なモノを感じ取っていた

確かにただの飲料ではなく、魔法薬の一種なのだろう。

 

 

……お薬かー、苦かったらやだなー……

 

 

と、ベルはそんな風に考えて

 

「それでは、頂きます」

 

そしてそのまま、一気にグラスの中身を飲み干した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ベールくーんのー♪ちょっといいトコみてみたーい♪

どうも作者です。前回から今回の話を投稿するまで二週間も掛かってしまいました(汗)
ベルくんとバーンさまの会話で予想以上にてこずり、今回の締めの部分までは絶対に書いておきたかったので少々時間が掛かってしまいました。
さて、なんやかんやでベルくんは無事バーン様に弟子入りです。
バーン様がベルくんを弟子にとった理由としては「ベルくんが弟子になったら面白そうだった」というのが一番の理由です。
ちなみにこの一件は前回のバーン様が言っていた「形ある褒美」には含まれていません。それはまた追々です。
それと渾身の誤字が発覚、ポップは大魔導師ではなく大魔道士でした!・・・ヤッチマッタ

そして作者的に驚いたのが…感想数がすげえ!
二話時点の感想数12→三話更新後・感想数36――マジで!っていう感じでした、ちなみに週間ランキングでも13-14位にも入っておりました。なんというか、皆さんありがとうございます!
感想の方は順じ返していきたいと思います。それでは次回にまた会いましょう!


追伸・作者とその友人達(いい年をした野郎共がガチ議論)が選ぶ「ダイの大冒険」で最も燃えたシーン

その1 カイザーフェニックスをかき消したポップ
その2 天地魔闘の構えを破った後のアバンストラッシュ、クロス、ライデインの流れ
その3 最終決戦でまさかのニセ勇者一行登場
その4 真魔剛竜剣を使うダイ
その5 ハドラーの最期
番外  レオナ姫のぽろり

――全部最終決戦です(笑)他にも数え切れない位でてました(ポップやノヴァの覚醒とかゴメちゃんを守る獣王遊撃隊とか)ダイの大冒険は名シーンじゃないシーンの方が多分少ないですね。


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修行

 

気がつけば、僕はそこに居た

真っ黒な霧の中、僕はそこにただ一人立っていた。

ここはどこだろう?

辺りを改めて見渡すが、黒い霧に阻まれて何も見えない

下を見ても黒い霧、上を見ても黒い霧、空も大地もなく在るのは黒い霧だけだった。

ここにただ立っているだけではどうしようもない、少しこの辺りを歩いてみよう

そんな風に思った時だった。

「……ヨコセ……」

その声が響く、小さく静かに囁く様な声だったが間違いなく聞こえた

『誰かいるんですか?』そう辺りに声を掛けても返事は来ない。

だがしかし、再びその声が響いてきた。

「……ヨコセ、オマエの体ヲ……」

「……私にヨコセ、キサマのその肉体を……」

黒い霧から腕が生える、何本も何十本も黒い霧から黒い腕が生える

そしてその腕は僕に向かってくる。

――ヨコセ!よこせよこせ!よこせエエエエエェェェェェ!――

――この躰は私のモノだ!この肉体は俺のモノだ!コレは全てワシのものだぁ!――

それは正に呪いの言葉、僕が初めて体験する人の悪意

妬み、恨み、僻み、憎しみ…ありとあらゆる負の感情が意志が込められた、純然たる悪意。

その黒い感情を前に、その呪いの言葉を前に

僕はたまらず叫びだす、僕は耐え切れなくなって逃げだす。

黒い霧が僕を逃すまいと腕を伸ばす

黒い手に掴まれた瞬間、その黒い手は僕の体に沈んでいく、その黒い腕は僕の体の中に入っていく。

恐怖の塊が、自分の肉体に侵入してくるその感覚

呪いの感情が、自分の肉体に浸透していくその絶望

僕はその時、どんな表情をしていただろう?

どんな言葉を口にしただろう?

恐怖と絶望の限界を超えた僕は、一体どんな事を考えただろう?

もう恥も糞もなかった、ただ抵抗した、必死に暴れて声を上げて抵抗した

嫌だ、止めて、消えたくない、奪われたくない、そんな風に絶叫しながら必死で暴れた

黒い腕を振り切る様に、呪いの言葉が聞こえない様に、僕は死にもの狂いで抵抗した

そして次の瞬間、眩い閃光が世界を照らしだした。

 

 

 

 

「戻ってきたか」

 

不意に響いたその言葉で、ベル・クラネルは我に帰った

『アレ?』という間の抜けた声と共に、呆けた様な表情をしながら辺りを見渡す

そこは見慣れた水場であり、目の前には自分の師である大魔王が書物を開いていた。

そして視線を下に向ければ、自分は草の上に腰を下ろしていた。

「…もしかして、僕寝てました?」

「もう昼時だな」

その言葉を聞いて、ベルはハっとしながら空を見る

既に日は真南を過ぎていた、自分がここに来たのは昼前だったから…その事を考えるとざっと一~ニ時間寝ていた事になる。

「アレ?でも僕はいつ寝て…アレ?」

「その事は後で話そう、腹が減っては何とやらだ」

二人は予め用意しておいた昼食を軽く取り、再び鍛錬の話に戻る。

「さて、ベルよ。寝ていた間の事は覚えているか?」

「寝ている時の事ですか?そうですね…実はよく覚えてないんですけど、恐い夢を見ていた様な気がします」

「…恐い夢、か」

「はい、何かこう…とても恐い何かが僕を襲ってきて、僕はその何かに必死に抵抗してた…様な気がします」

「…成程」

食後の一杯を飲み終えて、バーンはベルの様子を少しだけ注視して

「結論から言おう。其方の言う夢の正体は『闘気』だ」

「トウキ?」

「恐らく其方が体験した恐ろしい何かとは余の闘気、そしてそれに抵抗していた其方自身の闘気だ。…では、そもそも闘気とは何かという話だが…先ずはその説明をしよう」

バーンの言葉を聞いて、ベルもまた「お願いします」と一礼して姿勢を改めてバーンに向き合う

そしてバーンは説明を始める。

「闘気とは簡単に言えば、生命体であれば誰もが所持しているエネルギーの事だ…ある種の生命力と言っても良いだろう

無論、生命体である以上人間も例外ではない。そして生まれ持った力である以上、当然鍛え磨く事もできる。そして鍛え上げた闘気は様々な使い方において、その真価を発揮する」

「冒険者の方が使う魔力ってヤツと違うんですか?」

「魔力とはまた別物だ、それは追々説明しよう…まあ其方の場合は百聞より一見だろう」

そしてバーンは「見ていろ」と、ベルに一言いってその掌を突き出す

その掌が徐々に光を帯びていき、ベルもまたその力の脈動を感じ取る

可視化されるまでに圧縮され凝縮された、絶対的な力の波動をベルは感じ取る。

「っ!」

「解った様だな。余の掌に宿り、其方が感じているソレが闘気だ

そして鍛えられた闘気は最強の剣にも、最強の鎧にも進化する事ができる

またそうした使い方以外にも、身体能力の向上、武器や防具の強度向上

更に糸状に変化させたり、炎の様に高熱を帯びらせる事も可能だ」

「糸?炎?……じゃあ、さっき僕が飲んだアレって…」

「そうだ。余の闘気を液状になるまで具現化し、抽出して集めたモノだ

尤も其方の力量に合わせて濃度と量は調節したがな」

バーンの言葉を聞いて、ベルは先の一件の真相を知りその答えを知る

バーンが先程ベルに飲ませたグラスの正体、それはバーン自身の暗黒闘気の塊だった

嘗て自分の腹心が使用した物と同じだが、あの時とは違ってベルの闘気を目覚めさせる事を目的とした物なので、濃度もかなり薄めにした物である。

「そして其方は感じた筈だ、我が闘気に負けまいとする其方自身の闘気を」

「…っ!」

「思い出せ、そして再現してみろ。夢の中で感じた恐ろしい何かに必死に抵抗したその力を」

そしてベルは、あの夢の中を思い出す

確かに良く覚えていなかったが、その時に感じた事は覚えている

あの時の、あの感覚、恐ろしい何かに負けないとする、必死に飲まれまいと抵抗したあの感覚。

それを思い出す。

あの時のあの感覚を思い出し、力を練り上げる、それをバーンが実戦して見せた様に掌に集中させ

その集中状態を十秒、三十秒、一分と保ち続けて、もう直ぐ三分になろうとする時だった。

「――フム」

バーンが満足気に呟く

そしてベルも確かに感じ取る、掌に集中していくその力を

自分の意志と呼応して体の奥底から湧き上がる、その力を

そしてバーンは辺りを見渡して、手頃な石を拾い上げて

「砕いてみろ」

簡潔にベルに告げて、ベルもまたそれに対して無言で見つめる

昨日までのベルなら、「絶対に無理です!」と首を大げさに横に振っていただろう

だが今のベルは違った。

――多分、出来る――

右手の集中状態を切らさずに、バーンから石を受け取る

それを自分の前に置いて、狙いを定める。

腕を思いっきり振り上げて、一気に拳を打ち下ろす。

そして

「いったあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

盛大にのたうち回る

振り下ろした右拳に走る激痛に、ベルは思わず転げまわる。

「いたーい!イタイいたい痛い!痛あああぁぁぁい!」

「馬鹿者、幾ら強化したとはいえ基本は其方自身の肉体なのだぞ?痛みがあって当然であろう?」

「その通りですうううううううううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」

叫びながらベルはゴロゴロと転がり、必死に右拳をさする

そうしている内に痛みが引いてきたのか、やっと落ち着きを取り戻す。

「はあー、痛かったー」

「フム、多少腫れはしているが…それ以外は問題ない様だな、これなら数日で治る」

「…はい」

「まあ、それほど落ち込む事もあるまい。其方が闘気の力を感じ取り、扱えたのは紛れもない事実

――そして何より、その成果は出たのだからな」

その言葉を聞いて『え?』と、ベルは間の抜けた声を出す

次いでバーンに視線を向けると、スっとバーンは下を指差す

そしてベルはその指先に視線を向けると

「……あ」

割れていた

その掌大の大きさのその石は、真っ二つに割れていた。

「――や」

その事実を確認した瞬間、その成果を見た途端、ベルの中で感情が弾けた。

「やったああああああああああぁぁぁぁぁぁ!」

先程とは正に真逆の反応

その喜びと感情を抑えきれずに、ベルは兎のぴょんぴょんと跳ね回り、全身で喜びを表現する。

「馬鹿者、この程度ではしゃいでどうする。仮にも余の教えを受けたのだ、この程度も出来なかったら即刻破門を言い渡しておる所だ」

過剰な程にまで喜びはしゃぐベルを見て、バーンは呆れる様に呟く

ベルもまたそんなバーンの言葉を聞いて「はい、浮かれてごめんなさい!」と勢い良く謝るが、まだその感情は燻っているらしく、小さく跳ね回っていた

いい加減バーンの方もうんざりしたのか、「少しは落ち着け」と諌めてベルの方もそれでようやく落ち着いたのか

改めてバーンと向き合う

「さて、其方が体感した様にソレが闘気の力だ。だが其方の闘気はまだまだ貧弱であり、脆弱なものだ。小石を割る程度ならその辺のハンマーでも出来る上に、其方の様に数分も闘気を溜める必要もない訳だからな

つまり、今の其方の闘気は到底実戦では使えない代物…それこそ農具にも劣るという事になる」

「…うぐ」

 

 

「だが逆に言えば、幼い其方の拳ですらハンマーの一撃に成り得る訳だ」

 

 

そのバーンの言葉を聞いた瞬間、僅かに曇ったベルの表情が再び輝く。

そんなベルを見てバーンも『コロコロ表情が変わるヤツだ」心の中で息を吐いて

 

「だが先も言った様に今の其方の闘気はまだまだ弱い、質も量も全てが足りない状態だ…故に先ずは其処を補う」

「!!? つまり、修行ですね!!?」

「その通りだ、今までの様な下拵えとは違う…本格的な鍛錬に入る、覚悟は良いか?」

「はい!いつでもOKです!」

元気よく返事をするベルを見て、バーンもまた『よろしい』と呟いて自分の所持品の中から訓練用の木刀を取り出す

それはバーンが事前に村の商店で調達しておいたモノの一つだ、そしてその木刀をベルに握らせる

「受け取れ、其方の得物だ」

「はい!」

初めて手に持った木刀を、ベルは興味深く見つめる

刃渡りは大体ベルの片腕よりも少々長い位の木刀、木製のショートソードと言った所だろう。

「其方の体格を考えると、先ずはその辺りが妥当だろう

無論、今後も訓練を通して其方に適した獲物も順次選抜していく

短刀から長物まで武器の数だけ選択肢はあるだろう、先ずはその適正を見ていく」

「適正、ですか?」

「そうだ、そしてそれ以上に其方には足りないモノが多すぎる

先程の闘気は勿論、体力・精神力・技術・経験その他。コレ等の物が絶対的に不足している…故にそこから補っていく」

 

次いでバーンは「パチン」と指を鳴らす

次の瞬間、バーンの足元からソレは現れた

「っ! ほ、骨…っ!?」

「余の呪法で生まれし骸の兵だ、コレが其方の相手だ」

骨の剣士、ベルの眼前にいる物を一言で表せばそんな感じだろう

形こそは人型であるが、それはよくよく見れば大小様々な骨の集合体だ

体格は標準的な成人男性、その身は緑色のボロ切れを衣服替わりに纏い、その両手には同じく骨の集合体である剣と盾が握られている。

「ベル・クラネルよ、師として其方に課題を言い渡す」

バーンはベルに射抜く様な視線で見て、片手を静かに振り上げる。

次の瞬間、骸の剣士が前傾姿勢の構えを取る。

そして

「――闘え、そして生き延びよ――」

その言葉と共に、弾かれた様に骸の剣士はベルに飛び掛った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――それで、今に至ると?」

「まあ、そういう事だな」

 

その日の夕食終わり、バーンとベルの祖父はチェスをしながら会話していた。

テーブルを挟んで黒と白の駒をコトコトと動かし、ゲームを進めていく

そして二人がいる居間の隣の部屋、ベルとその祖父の寝室でベルは死んでいるかの様に熟睡している

満身創痍、疲労困憊、闘気過剰放出、等など…様々な原因により、ベルは夕食を食べた後にそのまま寝入ってしまったのだ。

 

「しっかし、お前さん…容赦ないのー。いくらベルの頼みとはいえ、初日からあそこまでボロ雑巾にするとはのー」

「止めるかね? 余は一向に構わぬが?」

「馬鹿言え。お前さんは予めベルにその事を話して、ベルもそれに了承したんじゃろ?

ならば外野がどうこう言うのは筋違いじゃ、それはベルとお前さんへの侮辱になる…ボケ爺でもそのくらい弁えておるわ」

「クク、成程」

「それに何より、お前さん…超強いじゃろ?」

「勇者に敗れた敗軍の将だがな」

 

確かに、とベルの祖父は豪快に笑って盤上の駒を動かして、バーンもそれに応酬していく。

次いでバーンも盤上の駒を手にとって

 

「余も一つ、其方に尋ねたい事がある」

「スリーサイズはひ・み・つ」

「冗談はさておき、なぜベルに其方の事を隠す?」

「だってあの本、成人指定だし」

「――まあ、余も無理には聞くつもりない。いずれ話せる時に話すといい」

「フッフッフ、ワシの心の扉を開けるには今少し『こーかんど』が足りぬな」

「生憎と、枯れた年寄りを口説く趣味は無い」

「侮るなよ大魔王!ワシは生涯現役!心はいつも純情少年!常時青春!常にビンビンに滾っておるわあぁ!」

「粗末な汚物を晒そうものなら焼き捨てるぞ?」

「…ちぇ、ノリが悪いのー」

 

心底残念そうに肩を落としながら、ベルの祖父は呟いて

 

 

「…大魔王よ、お前さんに頼みがある」

 

先程までとは打って変わっての、真面目な表情に切り替わる

その眼光に強い意志を纏わせて、真剣な表情と語気を纏わせてバーンを見る。

 

「ベルに対して、決して手を抜かんでやってくれ

あれが望む限り、諦めぬ限り、どこまでも厳しく、どこまでも容赦せず、どこまでも真剣に見てやって欲しい

アレが夢見た目標と理想に少しでも近づけるように、お前さんの手でベルの背を押し、首根っこを引っ張り、尻をぶっ叩いてやって欲しい」

「……其方に言われるまでもない、仮にも大魔王の弟子になったのだ

架空の勇者や創作の英雄程度に劣る様では、余の沽券に関わる」

 

そしてバーンは、盤上から駒を弾き落とす。

 

「余は決して手を抜かん、力量に合わせて多少の調節は行うが…それ以外は徹底してベルを鍛える

だから、余も其方に問う。引き止めるなら今の内だ…これからも修行は厳しさと苛烈さは増していくだろう

これから先、ベルは幾度と無く血を流す、痛みにのたうち回る、地獄の痛苦を味わう、最悪命を落とす…それでも余に孫を託すか?たった一人の孫をいつ何時に悪や邪の道に誘うかもしれん魔王に、其方は本当に孫の未来と将来を託す事ができるか?」

 

 

「――舐めるなよ大魔王、アレはワシの孫だぞ?――」

 

タン、と硬い音が盤上に響いてその駒が置かれる

黒い王の前に、白い兵士が置かれた状態になる

僅かな沈黙を置いて、バーンは城兵で兵士を落として、ゲームは続いていく。

「…ま、お前さんはそういうセコい事をこそこそとするタイプじゃなさそうだし

ベルは少々素直すぎるというか、優しすぎる気質じゃからなー…お前さんくらい腹黒い師匠の方が、かえって安心できるわい」

「成程、アレが妙な所で肝が据わっているのは…其方の教育の賜物という訳か」

「褒めてもとっておきの燻製くらいしか出ないぞ?」

「頂こう」

そんなやり取りをしながら、ベルの修行初日は終わるを告げる。

魔王と祖父の夜会も、チェスの終焉と共に終わりを告げる。

 

 

そして明けて次の日、バーンの言葉通りこの日から修行は苛烈さを増して行った。

 

 

 

「違う、散漫になるのではなく、全身に神経を張り巡らせるのだ

敵がいつも自分の正面だけとは限らん、伏兵、罠、奇襲、騙し討ち、あらゆる事態に備えよ」

「常に重心はやや低めに置いておけ、関節は柔らかく、即座にあらゆる方向に動ける様に心掛けよ」

そして時は流れる。

「この腕は斬られたいのか?この足は折られたいのか?

この体は貫かれたいのか?この首は切り落とされたいのか?」

「疲れたと言えば敵は待ってくれるのか?痛いと言えば止めてくれるのか?

血が出たからと言って躊躇ってくれるのか?倒れたからと言って追撃をしないと思うのか?」

時は流れる。

「苦しいからと言って表情に出すな、呼吸を乱すな、相手に自分の弱みを見せるな、悟らせるな

苦しい時こそニヤリと笑え、虚仮やハッタリも時には武器の一つになる

呼吸は小さく浅くするな、深く大きく、疲れた時こそ呼吸を整えよ」

「常に全力で動く必要はない、力を抜くべき所は抜き、込めるべき所で込める、力の緩急を身に付けよ。リラックス状態から瞬時に戦闘態勢に移行できる様に心がけよ」

時は流れる。

「如何なる困難でも思考は止めるな、如何なる危機でも冷静さを失うな、体は熱くとも頭の中は常に冷やしておけ

体力も闘気も、武器も道具も、味方さえも無くなったら、最後に頼れるのは己自身である事を忘れるな」

 

「リスクとリターンは常に天秤にかけよ、如何な巨万の富を得ても死しては無意味、如何な生物も死しては何も出来ん、先ずは己が生存する事を第一に考えよ」

時は流れる

「あらゆる可能性を考え、あらゆる可能性を疑え、あらゆる可能性を予測せよ

心構えが出来ていれば如何な奇襲や騙し討ちにも動じる事はない、少なくとも劇的に影響は少なくする事が出来る。この心構え一つで、生存率と生還率は跳ね上がる」

「人間とは時に想像以上の強さを見せるが、それと同時に想像以上に弱く脆い

一瞬の判断の遅れが、一回の選択ミスが、自軍の全滅を招く事も珍しくない

常に最悪の事態に対しての対処法と対応策を携帯せよ」

時は流れ続ける

その時の中でベルが受けた修行は、正に荒行だった。

幾度となく倒れ、幾度なく気絶し、幾度となく失神した

何度も激痛に悶え、何度も鈍痛にのたうち、何度も痛みで藻掻き苦しんだ。

手の皮が剥けて肉が裂けて、骨が見える事もあった

咄嗟の行動を誤って、指の爪のニ~三枚が一気に剥がれた事もあった。

灼熱の豪火や凍てつく吹雪を、実際に体で受けた

真空の刃や風の渦に飲み込まれた

炎とも閃光とも分からない、未知の魔法を喰らった事もあった。

体を蹂躙する様な激痛で一睡もできない日が続いた事もあった

痛みと疲れで何も食する気が起きず、吐き気に耐えながら無理やり口に捩じ込んだ事もあった

精根尽き果て倒れた状態で、あのグラスを不意打ちで口に注ぎ込まれた事もあった。

数え切れない位にゲロを吐いた、吐きすぎて何も吐けなくなる事もたくさんあった

血反吐を吐いた事もあった、骨が折れて肉を突き破った事もあった、時には大魔王が回復呪文を掛けねばならない事もあった。

ある時は何体もの骸の兵隊を一人で相手にした

ある時は村の外の魔物の巣に放り込まれた

ある時は見知らぬ森に一人残されて、一人で脱出しなければならない時もあった

ある時はファミリア同士の抗争に巻き込まれた事もあった

ある時は『王国』でも手を焼く悪党や山賊や賞金首の根城に、二人で乗り込んだ事もあった

バーンは一切容赦しなかった、どこまでも厳しく、どこまでも徹底的に鍛えた

それはベルの想像を遥かに超えた痛みと苦しみを伴う、まさに地獄の痛苦だった。

痛かったし、苦しかった。

とても痛かった、とても苦しかった。

凄く痛くて、凄く苦しかった。

「もう限界か?ならば止めるか?」

――だが

「…やれますっ!…まだまだ、やれます!」

だがそれ以上に、ベルは楽しかった

胸が沸き立つ程に、心が躍るほどに、大魔王との修行の日々は楽しかった

地獄の痛みと苦しみですら霞む程に、バーンとの修行は充実したものだった。

大魔王が操る骸の剣士と闘う、魔物と死闘を繰り広げ、悪党共から人々を守る

それは正にベルが夢見た英雄譚の一ページ、御伽噺の一幕だった

着実に目標に近づいている事が解った

確実に夢に近づいている事を実感した

故にベルは耐え切った

故にベルは乗り越えられた

骨を砕きながら、血を吐きながら、痛みと苦しみに歯を食いしばりながら

大魔王による地獄の荒行の日々を、糞真面目に全てこなして見せた。

そして時は流れる、少年は成長し大魔王も嘗ての力の大部分を取り戻していた

二人にとって、この始まりの村は狭く小さな場所になりつつあった。

 

故に、二人の冒険譚はその舞台を変える

始まりの村から、二人の冒険譚は外の世界へと舞台を変える。

 

 

数多の神が住まう場所、夢見る若者達が目指す場所、幾多の冒険者が集いし場所

 

 

――迷宮都市オラリオにて、二人の冒険譚の新しい幕が上がる――

 

 

 

 

 




信じられますか?もう五話になるのにまだ女の子が一人も出てきてないんですよ?
50件以上も感想を貰って、お気に入りも800人以上登録して貰ってるのに、未だにこの作品女の子が一人も出てきてないんですよ?


――つまり!ダンまち作品においてヒロインなんて必要なかったんですよ!(ドヤァ)


…とまあ、冗談は置いといてこの作品も五話目にしてようやくプロローグ的な話は終了です。
次回からはオラリオが舞台の話になるかと思います、進み具合によってはこの作品において初めて女の子が出てくるかもしれません。

さて今回は修行パートがメインだったんですが、かなり端折ってダイジェスト風になってしまいました
普通に描くと軽く5~6話は使ってしまいそうなので…(汗)
ちなみに多くの方が予想されていた通り、ベルくんが飲んだ中身は暗黒闘気です。作中でも述べてますが、ヒュンケルが飲んだヤツと比べるとかなり薄めになっております。濃さで言えば十分の一程度だと思って下さい。

ちなみにバーン様と爺ちゃんの年寄りコンビについてですが、この二人の間柄についても後々使っていきたいと思います
さて、次回からついに話の舞台はオラリオです。作者的には描きたいイベントがたくさん控えているので、何とか上手く書いていきたいと思います。


追伸 

ベルくんのオーラナックルもどき<超えるべき壁<<越えられない壁<<窮鼠文文拳

…闘気も魔力も使わないのに、チウのあの体格で大岩をも砕くって普通に考えたらかなり凄い事ですよね(真面目)



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旅立ち

そこは、深緑の森の中に存在する開けた空間だった

広さで言えば、ちょっとしたダンスホールにも匹敵するその面積

森林の香りが仄かに漂い、耳を澄ませば川の流れる音と鳥の鳴き声が聞こえてきた

もしも、この場にシート替わりの布切れ一枚、一食分の携帯食でもあれば、のどかな遠足気分を味わえただろう。

だがしかし、この場を支配する空気はそんなものとは性質が違った。

肌をピリピリと刺激する様な緊張感、首筋や背筋が凍るような緊迫感

近づく者全てを追い払う様な威圧、招かねざる客には容赦しない迫力

そんな空気の中に、少年は居た。

「―――っ――ふー…フー…」

静かに、だが深くゆっくりと、肺の中からゆっくりと全身に酸素を浸透させ、染み込ませる様に、少年は深呼吸をする

半身でショートソードとナイフを構え、白い前髪から見える紅い瞳は、目の前の相手に縫い止められている。

視線の先にはシルバーメタルの輝きを全身に纏う、馬面の騎士。

全身が超硬金属『アダマンタイト』で構成されている、大魔王の禁呪法で生まれた騎士。

チェスの駒であるナイトより生まれたその顔立ちは、魔物特有の醜悪さや不気味さを感じさせない

御伽噺の勇者が跨る様な、英雄譚に出てくる英雄が手綱を引くような、精悍さと勇敢さがにじみ出る様な顔質である。

首から下は引き締まった体の騎士そのもの、体と同じアダマンタイトの鎧を纏い、馬乗槍を思わせる中型のランスを構えている。

膠着は数秒、白銀のナイトが動く。

一瞬白銀の体がブレた様に見えた一瞬後に、既にナイトは少年を己の間合いに入れていた。

白銀のランスが、閃光の様に狂い咲く

白銀の閃光と白銀の刃が交差して、衝撃と金属音が咲き乱れる

放たれた閃光の連撃に、少年は両手の得物で対処するが…それも長くは続かない

得物越しに衝撃が全身を駆け巡る、威力を殺しきれず、一撃一撃を捌くだけで全身が揺れ動く。

――攻撃は速くて重く、尚且つ連射も効く――

――速度と力は完全に自分の上を行き、尚且つ防御力では話にならない――

――相討ちは論外、真っ向勝負では持って数秒――

――ならば、どうする?――

思考に意識が僅かに重く傾いたその一瞬、片手のナイフを弾き飛ばされ相手のランスが自分の肩口を捉える。

「――っ!!」

一瞬、肩から先が千切れ飛んだ様な錯覚に陥る

鈍痛と激痛が入り混じった、吐き気を催す痛みが意識を揺さぶる

僅かに足が地面から離れ、体勢が不安定になる。

そして、目の前のナイトはそれを見逃さない

白銀の足刀が、自分の腹部目掛けて放たれる。

「っ!ぅっ!?」

一瞬、視界と意識が上下に揺れて、体に杭を打ち込まれた様な錯覚に陥る

硬くて重い衝撃がズシンと腹部を貫通して、一気に肺の中の空気を吐き出しそうになる

内蔵が押し潰されるその感覚、腹の中身が堅く重い物に潰されていくその感触。

肩口の吐き気も相まって、即座に嘔吐したくなるがそれを飲み込む。

意識しての行動ではない、それは最早条件反射だった

連続の衝撃で白髪の少年の体は後方に飛ばされる、その勢いを利用して転がり込むように森林に逃げ込む。

相手との距離を取って、自分の状態を確かめる。

――死ぬほど痛いけど、肩と腕は動く――

――胃の中の昼ご飯とご対面しそうだけど、それだけだ――

超硬金属の一撃を連続で食らって尚、骨折をしてない自分の体に苦笑する

攻撃が直撃する瞬間、力と意識を防御に集中させて、なるべく衝撃に逆らわない様にしただけだ。

これも、最早少年にとっては条件反射の行動だった

大魔王曰く「其方には才能がない」「体も小柄で素質もない」「ではどうする?」

―――答え、『どうにかする』―――

 

―――方法、『どうにかなるまでやる』―――

―――結果、『どうにかなった』―――

「……ははっ」

思わず苦笑する

この数年間、徹底的に『体に教えられた』のだ。

『人には思考よりも意識よりも先に体が動く、反射的な行動がある』

 

『危機的状況に直面すると、人は反射的に目を瞑る』

 

『人は予想外の感触を感じると、反射的に手や足を引っ込める』

 

『それと同じ様に、人は長年の行動を無意識の状態で行う』

 

『言ってしまえば、武術や剣術や体術は型を体に教え込むための理由や目的がそれだ

効率的且つスムーズに技や型を繰り出せる様に、体に直接教え込むのだ』

『先ずは、其方の闘気の運用をその領域にまで引き上げる』

『生物であれば例外なく持ち合わせている闘気を、生物であれば例外なく組み込まれている反射的行動に組み込む』

 

『要は反射的な咄嗟の動きに、筋肉だけでなく闘気の運用も付け加えるだけだ。下手な型や技を組み込むよりも簡単で効果がある』

 

『安心するがいい。最後までやり遂げられれば才能の在る無しに関わらず、誰でも体得する事が出来る』

 

『――最後まで、やり遂げられたならば、な』

師の教えとは言え、よくもまあここまで無茶が出来たものだ

少年は少し昔の事を思い出して、再び戦闘に意識を切り替える。

――やはり、どう考えてもリーチの差が大き過ぎる――

――懐に飛び込もうとしても、速さと体捌きでもあちらが上――

――ならば、狙うのは敵ではなく得物そのもの――

簡潔に戦術を組み立てて、即座に行動に移す

上に着ていたレザージャケットを脱いで、片手に携帯させる

次いで、枝と葉の隙間から相手の位置とタイミングを伺う。

――今だ!――

相手の死角と隙を突いて、一気に飛びかかる

こちらが飛び込んで来たのを察知して、ナイトも即座に迎撃に出る。

だが!

『――っ!?』

白銀のランスに、レザージャケットが巻きつけて絡み取る

摩擦力の強い革製の防具で包まれたランスは、武器としての機能は瞬時に半減する。

そして更に、少年はランスの柄とナイトの手を蹴り上げる。

『っ!?』

アダマンタイトは確かに硬いが、表面は滑る

故に握りの部分さえ的確に蹴れば、得物を放させるのはそう難しい事ではない。

蹴りが決まった瞬間、掴みが緩んだ事を感じ取り…即座に得物をブン捕る

革製防具がここでも少年の有利に働く、力を込め易い取っ掛りがあり力関係はこの一瞬で逆転する。

「だあああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!」

ブン盗った得物を、思いっきり振り回す

甲高く重い金属音と衝撃音が鳴り響き、その衝撃に押されて白銀のナイトが後方に弾き飛ばされる。

――これで決める!――

ランスを森林の中に投げ捨ててショートソードを構える、瞬時に体勢を崩したナイトに飛び掛る

相手の得物は奪った、リーチの有利は既になく、相手はまだ体勢を整えていない。

このタイミングなら仕留められる!

絶好の勝機と判断して、少年は止めの一撃を放つ

――その直前だった。

少年の体に染み付いた、その『感覚』が働いたのは…

(……あ、これヤバい奴だ……)

どこか他人事にも思える客観的な思考

この数年の修行と鍛錬の間で培われた、動物的な直感

目の前には、自分の突進に対して構える白銀の掌

その瞬間、白銀のナイトは薄く微笑んた様に見えた。

『――ライトニング・バスター――』

青みを帯びた白い閃光が視界を埋め尽くし

その瞬間、勝敗は決した

 

 

「……生きてるって素晴らしい……」

「其方は何を言っている」

 

涙を流しながら、夕食用の燻製を噛み締めながら、ベル・クラネルは呟く

そんなベルを見て、バーンは呆れた様に呟いて。

 

「フム、この数年で頑丈さだけで言えばそれなりのレベルにはなったが…まだまだ詰めが甘いな

先の一戦にしても、気を抜かなければ避ける事も耐え凌ぐ事も、それ程難しくはなかった筈だ」

「ぅぐ、その通りです」

「そもそも、折角障害物のある森林に逃げ込めたにも関わらず、なぜ再び平地にやってきた?

相手と自分のリーチと得物を考えれば、あのまま森林の中に誘い込めば優勢に持ち込めた筈だが?」

「ぉ、仰る通りです」

「これが実戦なら、其方は今頃はこの燻製の仲間入りだな」

「うぅ~…」

 

 

「――だが、ランスを奪い取る時の機転と動きは悪くなかった」

 

 

ごくり、と燻製を飲み込みながらバーンは呟き

ベルも最後の師匠の言葉に、パアっと表情を輝かせる。

 

「…其方はまだ若く弱く未熟だ。まだまだ覚える事、身に着ける事も山積みだ…故に、有限の時を無駄に使うな

人の命など、長くて百年。下を向く暇があるのなら上を見ろ、後ろを見る位なら真っ直ぐ前を見ろ、ネガティブになって立ち止まるよりもポジティブになって走り抜け、ひたすら貪欲にあらゆる可能性を探求しあらゆるモノを吸収しろ、歩みを止めた者に開かれる道など無い事を忘れるな」

 

「……はい!」

 

威勢良く返事をして、ベルは目の前の食事に噛じりつく

数度口に食べ物を運んだ事で、遅れて食欲が沸いてきたのだろう

燻製にしてあった携帯食をニコニコと頬ばって、時折水筒で水を流し込む。

「ちなみにバーン様、街まで後どの位でしょうか?」

「もう目と鼻の先だ、このペースなら明日の夕方には着く」

バーンもまた、携帯していた酒瓶を開けてグイっと一口飲んで

 

 

「――かの迷宮都市まで、あと僅かだ――」

バーンのその言葉を聞いて、ベルも「はい」と勢い良く頷く

今二人が居るのは旅路の途中、慣れ親しんだ村から遠く離れた場所である。

ベルがバーンの下に弟子入りをしてから、早六年

この六年でベルの体も成長期を迎える事によって、平均的な体格よりも小柄だがそれなりに大きく成長していた

身長もやっと160Cを超える程だが、なんとか少年と青年の中間程の風貌に入れるくらいだろう。

ちなみに、師のバーンは全くと言っても外見や風貌が変わっておらず

寧ろ年々行動や雰囲気に言い表せぬ力強さや物静かな迫力や凄みが増して行き、故郷の村人からは名実ともに『魔王』の扱いであった。

そして二人はつい先日、本格的に迷宮都市オラリオに居を移す事を決めた

切っ掛けはやはり、ベルの祖父の一件だろう。

『――そろそろ、曾孫を抱きたいわぁ――』

祖父曰く、そろそろハーレムの一人目くらい見つけて来いとの事だった

近隣の村の所謂『お年頃』の女性陣は、既に良い人を見つけているか都会に転居しているかのどちらかだったので…必然と、その選択肢がやってきた。

『本格的に、村を出る』

ベル自身、今まで修行の一環で何度も村の外にも行ったことがあるし、滞在もした事ある

だがしかし最後に戻るのは祖父の待つ、生まれ育った家だった

つまりそれは、本格的に村の外で暮らす事を意味していた。

『確かに、もうそろそろ頃合だな』

祖父の言葉に、バーンが続ける

無論、祖父の言葉に全面同意…という訳でなく、ベルの修行を考えての事

戦闘の頻度やレベルもそうだが、それ以上にそろそろベルも本格的に己の世界を広げても良い頃合だったからだ。

故に、その目的地は自ずと定められる

大魔王が常々興味を持っており、冒険者を目指す若者たちが集い、屈強な強者が日々己の腕を磨く場所

迷宮都市・オラリオを目的地に定めた事は、大凡自然な成り行きだっただろう。

「そう言えば、バーン様。僕達はどこかの『ファミリア』に入るんですか?」

「…そうだな」

ベルの一言に、バーンもまた顎に手を置いて一考する所作をする

通常、冒険者は己の主神となる神から『恩恵』を授かる事によって、ファミリアに加わり冒険者となる。

『恩恵』は、ただの契約の証や身分証明の意味合いだけでなく、『恩恵』を受けた冒険者の潜在能力や可能性を引き出す

それは身体能力の向上だけでなく例えば魔法であったり、スキルであったり、アビリティであったりと、効果は人によって千差万別だが共通して言える事は『強力な武器になる』という事である。

だがしかし、それは完全に神の庇護下に入った事を意味する。

確かに『恩恵』の力は魅力的だ、また身分証の様なモノがあった方が確かに活動と行動の範囲は広まり、動きやすくなる

だがそれでも、バーンは神から『恩恵』という物を受けるには抵抗があった。

――やはり、受け容れがたいな――

息を吐きながら思う 。

バーンは嘗て居た世界において、『人間は脆弱だから』という理由だけで魔族を地下の奥深い魔界に幽閉した神達を敵視している

もしもあの最終決戦の場で勝利を収めていたら、その次は天界をターゲットにしても良いと思っていた程だ。

この世界の神と、自分達の世界の神が違う存在だという事は分かっている

しかし頭では理解しても、どうしても受け入れられないのもまた事実だった。

ベルの祖父の例もあるが、『アレの従属になれるか?』と言われればやはりNOだ。

 

 

『おーい大魔王ぉー、エロ本買いに行こうぜー!ルーラで!』

 

 

――等と、終始下らない事に付き合わされるのが目に見えている

恐らくこちらの神が如何に己好みの存在だったとしても、やはり受け入れられる物ではないだろう。

恐らく、自分が大魔王の地位にいなくてもソレは変わらないだろう

コレは完全な感情論だ、やはり自分はどうあっても『神の従属』にはなれない。

……我ながら、狭量だな……

我が事ながら、染みじみと思う。

だがしかし、それでも『神の恩恵』の力はやはり捨てるに惜しい

あちらに着いたら、独自に研究してみるのも良いかもしれない。

……明日には、迷宮都市に着く……

この数年、体を癒しながら情報収集を行っていたが…実際に足を踏み入れるのは、バーンもコレが初めてだ

先ずは治療と弟子の育成を優先したかった、というのもあるが…やはり不確定かつ未確定の要素が多かったからだ。

確かに、この数年の静養で嘗ての力の大部分は取り戻した。

だが、十全の力を取り戻した訳ではない

それにここに来てから、強敵と言える強敵とも戦っていない

恐らく自分は、勇者と一騎打ちを迎えた時よりも実力は衰えているだろう。

 

極端な話、もしも今この場で『竜魔人』クラスの強者と戦闘になったら…今の自分ではどうなるか分からない。

 

負けはしないだろうが、確実に勝てるとも言えない…そんな状態だ

やはり、最低でもそれ位の強者と戦わなければ、今の自分の現状を正確に把握できないだろう。

……着いたら先ずは、当面の宿を確保だな……

修行の副産物である『魔石』や『懸賞金』など、それなりに蓄えはある

今まで以上に収入は得易い環境にもなるし、当面は資金の心配はしなくてよいだろう。

……後はやはり、余自身の得物だな……

やはり無手での戦闘は、僅かばかりの懸念がある

魔力と闘気だけでも大凡の相手は問題ないだろうが、それでも不安要素は少ない方が良い

それに何より、異世界での武具や業物、魔剣に宝具、これらの物に大いに興味があるというのも大きかった。

「………」

バーンは手の中で転がしている、その駒を見る

シルバーメタルの輝きを持つチェスの駒だ

以前、旅の商隊が村に来た時に偶然バーンが見つけ買い取った物だ。

チェスの駒は通常の半分しかなく、何かの素材にするには量が少なすぎる、少量とは言え純正の『超硬金属』ゆえに値段もちょっとした宝石級だった故に、今まで買い手が付かなかったと言う。

それにこのアダマンタイトという物質が、大いにバーンの興味を引いた

アダマンタイトという金属は、嘗ての世界では存在しなかった

一部の伝承や書物にその存在が書かれているだけで、もはや空想の産物と言っても良い存在だった。

アダマンタイトも、こちらで得た知識の上では知っていたが…実際に手に取って見て、初めて解った

かのオリハルコンや鎧の魔剣等で使われていた金属とは異なり、またそれとは種類の違う『凄み』がある。

特殊な金属で出来た、チェスの駒

大魔王の脳裏に、とある『親衛隊』が頭に過ぎったのは想像に難くないだろう

バーンは大いに興味を惹かれ、このチェスの駒を買い取った。

そして今では、己の呪法によりベルの訓練の相手となっている

…ちなみに初めてアダマンタイト兵を見た時のベルのはしゃぎ振りが凄まじかったのは、また別の話である。

「しかし、そろそろ其方にも駒一つくらいには勝って欲しいものだな」

「うぐ…しょ、精進します…」

「やはりまだまだ闘気の運用が甘いな。仮にも余の弟子ならば、このレベルの金属は素手で砕いて欲しいものだ」

「いやいや!流石にそれは人間業じゃないです!」

「安心するがいい。正真正銘ただの人でありながら、コレよりも更に硬い金属を素手で砕いた男を知っておる」

「その人本当に人間ですか!? どんなに凄い武道家でも無理ですよ!?」

「いや、確か本来の得物は槍や剣だったな」

「何かもうスゴ!どこからどう言って良いか分からないけど凄っ!」

 

「…だがやはり、物事には順序があるか…最初は『斬鉄』辺りからこなしていくとしよう」

「さらっと言ってますけど、斬鉄って剣術で言う所の奥義レベルの技ですからね!」

「――何か問題でも?」

「そうだったああああぁぁぁ!こういう師匠だったああああぁぁぁ!!」

 

「というよりも、其方にはそれしか選択肢はなかろう? 呪文の契約も殆ど出来ぬその身では、元より武術や闘気を磨くしかあるまい?」

「そ、その通りです…」

師の言葉を聞いて、ベルはがっくりと項垂れる様に呟く

この規格外の考えと想定外の行動は、この数年で身に染みている。

今更すぎるその問題に、ベルは疲れた様に息を吐いて

「ちなみに今の僕って、昔の魔王軍や勇者一行で言うと…どの辺りですか?」

「フム…そうだな…」

ベルは不意に思った事を口にする、それはベルが兼ねてから疑問に思っていた事だ

確かに自分は未熟の身であるが、それでもこの数年間を死に物狂いで大魔王の修行をこなしてきたのだ

肩を並べられる…とは間違っても思わないが、腰元辺りには行っているんじゃないか?と思ったからだ。

「先の超硬金属兵を基準で考えよう、もしもあの兵と嘗ての余の部下や勇者一行が一対一で戦ったとすると――」

「すると?」

 

「最初の一手で、余の兵は粉々にされているな」

「――――」

「何だ?その珍妙な顔は?」

そのバーンの返答に、ベルは思わず言葉を失う。

恐らく簡単に勝つんだろうな…とは思っていたが、実際の答えはソレを遥かに超えていたからだ

その事から察するに、今の自分では嘗ての魔王軍や勇者一行の足元にも及ばないだろう。

「先も言ったであろう? 最低でもこのレベルの金属位は素手で砕いて欲しい…と」

顎が外れそうな程に、ガクンとベルはだらしなく大口を空ける。

点と点が繋がるとは、正にこの事だろう

先の大魔王の注文は、本当に弟子としてベルにこなして欲しい最低限度のレベルだったという事を悟る。

「――僕って、まだまだ弱いんですね」

「そうだ、まだまだ弱いな…ならばどうする?」

「なんとかします」

「なんとか出来なかったら?」

「どうにかします」

「どうにもならなかったら?」

「とりあえず、諦めはしません」

「――宜しい」

一通りの問答を終えて、バーンも満足げに頷く

今だ弱く幼く未熟で、才能も素質も無い少年を未だに『大魔王の弟子』として傍に置いている理由

 

――純粋と言って良い程の…どうしようもない位の諦めの悪さ、コレに尽きるだろう。

 

こればかりは、才能や素質でどうにかなるものではない

人がどうこう言って教えられるモノでも、どうにかなるものでもない

嘗ての『勇者』の様に、比類なき才能と実力を兼ね揃えながらも、どうしようもない現実、覆す事の出来ぬ絶対の結果に、膝を折り、頭を垂れて、心を砕かれる。

 

嘗ての『大魔道士』の様に、己で気づくしかない、知るしかない、掴むしかないのだ

誰でも掴む事が出来るものでありながら、誰もが掴む事ができないもの

もしもベル・クラネルが、嘗ての六軍団長や勇者一行に追いつき得るとしたら…正にその一点だろう。

 

 

(――まあ、かの『大魔道士』と比べたら…些か矮小であるのが否めないがな――)

 

 

そして改めて空を見て

「…さて、もう休むか。明日は早いぞ、なるべく陽が出ている内に迷宮都市に着きたいからな」

「はい、了解です!」

朱色から夕闇に染まる空を見て、二人はもう就寝する事を決める

暖をとっていた火を消して、二人は設営していたテントに入って就寝の準備をする

そして辺りは完全に夜闇に染まり、バーンの隣のテントからは既にベルが起きている雰囲気もなく、静かな夜だった。

そしてそんな静寂な夜闇の中で、大魔王は静かに闘志を燻らせていた。

――機は熟した、来るべき時が来た――

――もう、静養も療養も必要ない――

――もう、立ち止まっている必要もない――

――もう、過去の自分を追いかける事もない――

――故に、余も前に進もう――

――故に、余も『挑戦』しよう――

――最後の最後まで、余に挑み続けた勇者や大魔道士の様に――

――この数年で、どこかの鼻垂れ小僧がそこそこ頑丈な弟子になった様に――

――余もまた、己の戦いを始めよう――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――お、ぉ…おおぉー――」

ベルは眼前に広がる光景を直視しながら、そんな間の抜けた声を出していた。

視線を動かせば、様々な店や露店とそこに群がる人々

大小様々な建物が所狭しと並んでいて、遥か彼方には天まで届くほどの高い塔

周りの建物は廃屋や荒屋でもなければ、職人の手が行き届いた一級品の建築物

行き交う様々な人の群れ、男もいれば女もいる、子供がいれば老人もいる、ヒューマンもいればエルフもいる、ドワーフが居れば小人族や獣人族もいる

耳に意識を向ければ、そこかしこから威勢の良い誘い文句や、張り切った様なセールストークが聞こえてくる

鼻に意識を向ければ、香ばしい調理の匂いや甘い果実の匂い、装備品の鉄の匂いや革製品の匂いが一辺に鼻腔に入ってくる。

今までもベル自身も大きい都市や賑わった市場や活気のある港街を、何度か修行の一環で訪れた事があったが…此処は桁違いだった

そういうモノを全てひっくるめてスケールが違う、全てを纏め込んだ『エネルギー』が満ち溢れているのだ

そのスケールの違うエネルギーに晒されて、ベルはただただ圧倒されていた。

「成程、流石は世界の主要都市である迷宮都市。これほど栄え活気に満ちている都市を訪れるのは、余も久しいな」

バーンもまた、眼前に広がる光景を見て感心したかの様に呟く。

外見だけが見栄えの良い都市とは違って、此処には力強いエネルギーが充満している

人や建物、商いや物品、金に権力、そういう物が活発に行き交いしている証拠だ。

世界の中心であり主要都市の一つ、『迷宮都市オラリオ』…此処はその肩書きに恥じぬ都市だ。

「……フム」

そんな活気に満ちた街を静かに見据えて、バーンは少し一考する

この迷宮都市が己の想像よりも賑わい栄えている事を肌で感じ、本来の予定を少々変更しようと思ったからだ

「ベルよ。着いて早々だが、其方に課題を言い渡そう」

「っ! は、はい!」

師の言葉に、今まで我を忘れていたベルが反射的に答え、姿勢を正してバーンに向き直る

迷宮都市に来てからの、初めての課題、その事にベルは自然と体と心を身構える。

(……迷宮都市に着いて始めての課題か…何が来る?死ぬ半歩手前までダンジョンに潜って来いかな?目に付いた冒険者の人に片っ端から喧嘩売って来いとかかな?…… )

今までのパターンから察するに、迷宮都市特有の要素であるダンジョンや冒険者絡みの課題が来るだろう

そんな風に、ベルは腹の中で覚悟を決めていると

「――これより一週間、自由期間とする。余とは完全なる別行動を取れ、其方の好きに行動するが良い――」

「……へ?」

師の言葉に、ベルは再び間の抜けた声と表情をする

どんな厳しい課題が来るだろうと覚悟を決めていたら、完全なる想定外な課題が来たからだ。

「娯楽と観光に浸るもよし、ダンジョンに挑むのもよし、鍛錬するもよし、どこぞのファミリアに加入するもよし、体を休めるもよし

この一週間の行動において、余は一切其方の行動に口を出さぬ、手を出さぬ、其方の自由に行動をしろ」

「え、ぁ…その、僕としては大変嬉しい課題なんですけど…課題、なんですか?」

「そうだ。其方は少々、世間知らずの面があるからな。これも一つの社会勉強という奴だ、時にはこういうモノも悪くないだろう

其方が自分の目で見て、自分の耳で聞き、自分の肌で感じ、自分の考えで行動する…この迷宮都市という場所を、其方自身で感じるのだ…考え様によっては、ある意味今までで一番やっかいな課題かもしれぬぞ?」

バーンの言わんとしている事、この課題の意味、ベルも何となくだが理解する

よくよく考えれば、自分は完全な単独行動というは…今までの人生では驚く程少ない

修行で何度かある位で、それ以外は常に祖父やバーン、故郷の村の人々が傍にいた。

早い話、土地感のない見知らぬ街で、知っている人が殆どいない状況下で、一週間自分一人で行動する…例えば今晩の宿の確保や突発的なトラブルの対処なども、自分がやらなければならないのだ

確かにそう考えて見ると、これも立派な課題になるだろう。

バーンもベルが課題を飲み込み始めたのを確認して、言葉を続ける。

「ベルよ、持ち金は?」

「四万ヴァリスって所です」

「一週間程度なら十分だな、ならば良い。では一週間後の真昼にギルド本部の前に来い…良いか?」

「はい!分かりました!」

そう言って、ベルは頭を下げて早速自らの足で行動する

ほんの数歩進んだ所で、不意にバーンに呼び止められた

「ベルよ、一つ言い忘れていた事がある」

「はい? 何ですか?」

「――婚前交渉の際、避妊は怠るなよ?――」

ククっと、意地悪い笑みを浮かべ言うバーンの言葉を聞いて

次の瞬間、ベルは顔をトマトの様に真っ赤に染め上げて

「まだそういうのは大丈夫です!」と叫んで、ベルは勢いよく其処から走り去っていった。

「……さて……」

ベルの後ろ姿を見送った後、バーンもまた行動を始める

バーンがベルと別行動を取った理由は、実はもう一つある。

ベルと同様に、バーンもまたこの迷宮都市の空気にあてられたからだ

街中に溢れる活気やエネルギーが、大魔王の中に燻っていた火種を…完全に燃え盛る業火にしてしまったからだ。

故にバーンもまた己のために行動を始める

その目的地へと、バーンは歩みを進める。

本当は直ぐにでも件のダンジョンに挑みたかったが、その前にバーンにはやる事があった。

『備えあれば、憂いなし』

バーンにはまだ、ダンジョン攻略における備えがあった。

「…ここか」

バーンは以前から、このオラリオに訪れた際に会ってみたい神が一柱だけ存在した

今のバーンが欲して、また足りないもの、嘗ての自分が護身用に所持していたモノ。

己の手足となる武器、それがバーンが先ず手に入れたかったモノ

故にバーンはその神に会うために、その場所へとやってきた。

バーンはそのまま足を進める

一歩その建物の中に入ると、あらゆる武器や防具が所狭しと並べられていた

数度辺りを見回して、目に付いた店員を呼び止める。

「そこの者よ、少々良いか?」

「はーい、どうなさいましたか?」

呼び止めた女性店員が二つに縛ってある長い黒髪を揺らしながら駆け寄ってきて、バーンは自分の要件を伝えた。

「――神『ヘファイストス』にオーダーメイドを頼みたい。お目通り願えるかな?――」






あかん、一ヶ月も掛かってしまった…(汗)
どうも作者です。八月に入ってから作者の身の回りが殺人的に忙しくなって、更新に少々時間が掛かってしまいました
本当はお盆明けには投稿するつもりだったのですが、色々と書き直してたりしてて遅くなってしまいました。

さて、それでは今話より原作開始直前?くらいの時間軸です。
まず一つ目の改変ですが、ベルくんのお爺ちゃんは生きております。
そして二つ目の改変は、ベルくんがそこそこ強くなっております。

原作のベルくんのあの鬼畜スキルは、原作八巻を基準に考えると大体普通の数十倍の成長速度です。
ベルくんは様々なイベント戦があったとはいえ、三ヶ月もしない内にレベル3までいきました
という事はざっくり計算すると、本来のベルくんだったらレベル3になるのにおよそ数十ヶ月から百ヶ月
つまり数年から八年ほど程かかったかと思われます。

前話の終盤でも書いてあったと思いますが、ベルくんは闘気の訓練以外は基本実践主義の修行です
そこにバーン様のスペシャルハードコースの修行があったとはいえ、ベルくんは『恩恵無し』の状態なので成長速度は原作と比べるとガタ落ちです。

という訳で、素の戦闘力で言えば今のベルくんと原作ベルくん(八巻)はそれほど大きな差は無いと思って下さい
ちなみに両者の能力を比較すると

本作ベルくん
・闘気の力
・六年間、バーン様の修行を耐え切った経験値
・修羅場漬けで育んだ精神

原作ベルくん(八巻)
・憧憬一途
・英雄願望
・ファイアボルト

…という感じです。あまり多くの事を語るとネタバレになりそうなので、今回はこんなもんです。

さて、次回からいよいよバーン様サイドとベルくんサイドで、イベントをこそこそとやっていきたいと思います
それではまた次回にお会いしましょう!


追伸 最後に出てきた謎の黒髪ツインテールの店員さんについてですが、別に深い意味はないです
    ここのヘファイストス様が追い出す前に、社会復帰のチャンスを上げた程度に思ってくれて結構です(笑)


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武器

そこはとある武器屋にある、とある応接室だった

黒塗りのテーブルを挟んで横長の革張りのソファーが一対並んでおり、その片方には長い白髪と顎鬚を生やしたエルフを思わせる老人が座っている。

自分のテーブルの前には、つい先程この店の店員らしき女性が淹れてくれた紅茶が湯気を立てている

茶葉の匂いは仄かに心地よく香り、一口飲めばそれは安物の粗茶でなく、上質の茶葉を独自にブレンドしたものだと解る。

また部屋に備えられた家具やインテリアは簡素なデザインでありながら、よくよく見ればそれは職人が手間暇を掛けて作り上げた一級品の品々だというのが解る

また部屋の壁には商売道具のシンボルとも言える剣や槍、鎧や盾が飾られている

こちらもやはり超が付くほどの一級品、少しでも戦いに身を置いた者がソレを見れば、その造りの見事さに感嘆と感動の息を吐くだろう。

技術は紛れもない本物

後は自分の希望する品を、相手が作ってくれるかどうかだ。

……この様な商談をするのも、かの『名工』と交わした時以来だな……

もう何十年前になるかは分からない、その出来事を思い出す

あの時はかの名工を自軍の軍団長として迎えたかったが、あの時の自分は失敗し、その名工は『勇者側』に着いた。

「……今思えば、あの時に彼奴の引き入れに成功していれば…余の勝利は確定していたな」

恐らく、自分はどこかで『武器』の力というのを過小評価していたのだろう

どんなに強力な武器でも、どんな強靭な鎧でも、己に勝てるはずがない

あの時自分は、心の片隅でそんな風に思っていたのだろう。

だが、実際にはそれが後に大きな誤りだった。

名工が勇者側についた事によって、勇者側の戦力は爆発的に増した

勇者メンバーはそれぞれが超一流の戦士であり、またその戦力を十二分に発揮できる武器を得た

また単純な戦力だけでなく、それによって勇者軍の士気がこれ以上ない程に高まった。

『――私は強靭な肉体と精神を持った者は、敵味方問わず尊敬する――』

『――諸君らの活躍は永久に心に留めておく事を約束しよう――』

その奮戦たるや、嘗ての自分の忠臣がそう評価する程だ。

それに勇者との最終決戦を考えても、やはり最後の決め手は武器だった

素手での戦闘なら『鬼眼』の力を解放した自分の方が優勢だった

最後の決め手になったのは、やはり勇者が持つ剣だった。

故に、この商談が今後の自分に深く大きく関わってくる…そう言っても過言ではないだろう。

「さて、後は余の交渉次第か」

自分が使える手札を思い浮かべながら、バーンは大凡の考えを纏め上げる

そして待つ事数分、ついにお目当ての神がそこにやってきた

紅いロングヘアーを後ろで纏め、顔の半分を隠す黒い大きな三角形の眼帯、しかし露わにされている顔のもう半分は『女神』と呼ぶに相応しい美しさを宿している

上半身は薄地の白いブラウス、下半身は黒いタントジーンズという簡素でボーイッシュな格好だが、不思議と様になっている

そしてその女神もまた、バーンの対面につく

「待たせたわね。ようこそ我が『ヘファイストス・ファミリア』へ

自己紹介は必要ないかもしれないけど、私がここの主神のヘファイストスよ」

「バーンという者だ。急な来訪でありながら、こうして商談の席を設けて頂いた其方の寛大な心遣いに感謝する」

「気にしなくて良いわよ。それに名指しでのオーダーメイドなんて、随分久しぶりだったしね」

「そうか、ならば早速商談の方に移らせて貰おうか」

よろしく、と微笑えんでヘファイストスは軽く一礼する

次いでバーンが予め渡され記入しておいた注文書を提示して、二人本格的な商談に入る

 

「作って欲しい得物は魔法使い用の杖で、希望する仕様・付加能力・特性は……へぇ、中々変わったモノを希望するのね」

「難しいかな?」

「問題ないわよ。素材も確かストックがあった筈だから、時間を貰えれば製作の方に特に問題ないわ」

 

作る分には問題ない、その言葉を聞いてバーンも納得が言った様に頷く

そしてヘファイストスは、見積もり用の書類を出してバーンに尋ねる。

「先ずは基本的な確認なんだけど、支払いの方は大丈夫かしら?

ここに来るまでにウチの子達の武器があったとおもうのだけれど、結構な額になるわよ?

ましてや私のオーダーメイドになる訳だから、『マスター・スミス』級の値段よりも一桁上の額は覚悟して貰うわよ?」

そちらの予算は?とヘファイストスが尋ねる

やはり商売事である以上、先ずは金関係を明確にさせるのは当然の事だろう。

「手持ちの現金は53万ヴァリス、蓄えを含めて約500万ヴァリス

後は魔石とドロップアイテムが少々…と、言った所かな?」

「……その魔石とドロップアイテムを見せて貰えるかしら?」

「勿論」

そう言って、バーンは袖の中から幾つかの魔石とドロップアイテムを取り出す

ヘファイストスはそれを一つずつ、丁寧に見て取って

「へえー、中々良い物持ってるじゃない。結構なレア物揃い…是非ともウチで買取りたい品もあるわね」

「別に構わぬよ。それで、金額の方は届きそうかな?」

「…そうね」

粗方の品定めを終わって、ヘファイストスは瞼を閉じて少しの間沈黙する

そして答えが出たのか、再びバーンに向き合って

「私が自信を持って推薦できる子を紹介してあげるわ、それでどうかしら?」

その答えとその言葉

神の答えは恐らく、その意味の通りという事だろう

「…フム、少々桁が足りなかったかな?」

「そうね。ざっと見積もっても、ここにあるアイテム・魔石の総額は大体200万ヴァリス…貴方の蓄えを含めても、出せる額は大体500万ヴァリスって所ね

私がオーダーメイドで作るとなると、あと桁が一つか二つ必要ね」

「…成程、少々安く考え過ぎていた…という事かな?」

「頭金・手付け金で受け取って、後はローン払いって言うのも可能だけど…何か身分証明できる物は?」

「生憎、今日初めてこの街に来たものでな。商会やギルド、ファミリアの登録や加盟は愚か…まだ今日の宿すら取っていないのが現状だ」

「なら、現状で取れる選択肢は二つね、一つは額に合った相応の武器を購入する。

もう一つは然るべき機関で身分証明書の類を発行して貰って、どこかの信用の置ける商会もしくはファミリアに所属してからのローン払いね」

バーンの出せる額と粗方の見積もりを考えながら、ヘファイストスはその二つの案を提示する

次いで改めてより現実的な案を提示する

「でもこれだけの額が出せるのなら、かなりのモノが用意出来るわよ?

ウチの子達の作品は、『第一級冒険者』にも受けが良くてファンも多いわ。ここのフロアの品は見たかしら?あれと同等の出来と品質を保証するわ」

「うむ、確かに。どれもこれも実に素晴らしい一品だった。この老耄が思わず惚れ惚れする様な業物が揃っておったわ

特に『ツバキ』という鍛冶師の作品は、正に至高の一品と言うに相応しい出来栄えだった」

「お褒めの言葉ありがとう。あの娘はどちらかというと刀剣類の方が専門だから、今回の話には不向きだけれど」

 

でもそうね、と…ヘファイストスは顎に手を当てて少し考えるような所作をした後に、再びバーンと向き合って

 

「貴方の出せる金額で、貴方の希望する品を作ってくれそうな子を何人か紹介出来るわ…それでどうかしら?」

現実的に考えれば、このヘファイストスの出した案はベターなモノだろう

客と店の両者の希望を間を取った折衷案、『ファミリア』の主神が推す以上腕前や技術には問題ないだろう

ならば、普通であればこの辺りで妥協するのが無難と言える。

 

――しかし

 

 

「それは無理な話だ」

 

 

バーンは一言で切って捨てる

 

 

「恐らく、其方の品以外では余の力に耐えられぬ」

 

 

 

その一言で、ヘファイストスは押し黙る

ある意味自分のファミリアや団員に対する侮蔑にも思える言葉だが、不思議とヘファイストスは怒りが沸いてこなかった

この老人は、自分に対して一切の嘘は言っていないからだ

先の賛辞の言葉も、今の言葉も、この老人の言葉に嘘はない。

 

「随分と私の事を買ってくれているのね、でも私が作った物は売り場には置いてなかった筈よ?」

「そこの展示品、一番左の白い両刃剣」

「………」

「あれは其方が作った物、もしくは先の『ツバキ』という者を遥かに越える技量の鍛冶師が作り上げた物とお見受けするが?」

 

そのバーンの言葉を聞いて、ヘファイストスの眼が細く鋭い光を帯びる。

 

壁に掛かっている、十本余りの展示用の武具

竜の首すら容易く断ち切れる様な戦斧、城壁すらも簡単に貫けそうな長槍

金剛石すら両断できそうな大剣、如何に強大な魔物も屠れそうな双剣

そんな至高の宝具が収められている額縁の片隅にソレはあった。

 

それは一見、簡素な造りの片手剣だった

他の物とは違って、特別な装飾や付加能力の魔石などもついていないシンプルな造りの剣

一見すれば、それは他の物よりも地味で目立たない剣だった。

 

「銘もヒエログリフも刻んでいないのに、何故そう思ったのかしら?」

「分かるから解った、としか答えられぬな。少々昔に『伝説の名工』と言われる者の傑作の数々を実際に目で見て、触れる機会があったのでな」

 

バーンが思い出すのは嘗て自分の下に献上された武具の数々、最終決戦の場で勇者一行が使用した傑作揃いの武具。

 

「優れた武具とはそれ自体が人を魅了し惹きつける、ある種の魅力、迫力、凄味、オーラを纏っている。生半可な武具では決して纏い得ない、『本物』の輝きを放っているものだ…そしてソレ等は鍛冶師の技量に比例して強くなっていくものだ」

「…見る目は確かな様ね」

「まあ、伊達に歳は食っていないという事だ」

感心した様にヘファイストスは呟く

バーンの言う通り、その一振りだけは自分が打ち鍛え上げた剣だったからだ

今までも何度かオーダーメイド希望の客をこの部屋に招いたが、ここまで自信をもってあっさりと見極められたのは初めてだった。

「ちょっと待ってね」

そう言ってヘファイストスは立ち上がり、展示品が飾られている大型の額縁の前に立つ

次いでシャツのポケットから小さな鍵を取り出して、カチャカチャと音を立てて額を開錠する。

そして展示品の中にある一本の杖を取り出して、バーンに見せつける。

「ウチの『最上級鍛冶師』が鍛え上げた、杖としてはこの店でも最上級の代物よ」

淡い紫光を纏う、白銀の杖

長さはバーンの身長よりも頭一つほど長い杖だ

先端部分には二又の槍の穂先の様になっていて、リング上に六つの魔法石が取り付けられている

ヘファイストスはそれをバーンに手渡して、バーンもそれをじっくりと観察する。

「――見事だ。余が『伝説の名工』を知る前に出会っていたら、一目惚れをしていただろうな」

「その杖には、貴方が希望していた付加能力の一つである『魔力を吸収して打撃や斬撃・貫通・防壁等に変換する』という特性があるわ」

「…ふむ」

「さっきの貴方の言葉、私の目の前で証明できるかしら?」

バーンの瞳を見据えながら、ヘファイストスは言う

『自分以外が作った武器では、耐えられない』、その言葉の真偽を見極めるためだ

ある種の『試し斬り』『試し撃ち』の様なものだ。

そしてヘファイストスの言葉を聞いて、バーンは薄く小さく笑い

「無論、構わぬ」

 

静かに宣言する

次いでバーンは杖の握りの感触を確かめ、くるくると回転させて数度重さや振り幅を確認する

 

「場所は変えなくてもいいのかな?」

「ただ魔力を込めるだけなら問題ないわ。こっちは仮にも『鍛冶の神』よ?実際に魔法をブっ放して貰わなくても、目の前で魔力を込めて貰えれば大体は見極めができるわ」

「成程」

 

片手で杖を握り、もう片方の手で軽く魔法石を撫でる

ヒュンヒュンと、軽く振った後にバーンは杖を構える。

 

 

「――では鍛冶神よ、活目せよ――」

 

 

次の瞬間、『ソレ』は生まれた。

 

「っ!!」

 

その瞬間、鍛冶神の前で『ソレ』は産声を上げた

 

六つの魔法石が目を眩ます程の光を放ち、杖全体が紫電を帯びる

杖の先端の穂先から、光の刃が生まれる。

 

その光に、輝きに、刃に、ヘファイストスの紅瞳がその光刃に釘付けになり縫い止められる

瞳が、心が、魂が、大魔王の刃に抗う事無く惹きつけられる。

 

実体の無い光でありながら、それは研ぎ澄まされた業物だった

魔力で生まれた刃でありながら、それは鍛え抜かれた名刀だった

それは自分が辿り着いた領域とは異なる、もう一つの鍛冶師の究極だった。

 

バーンが持つ杖はこの店では最上級の一品

だがしかし、それでも自分の作品と比べればランクは落ちる。

 

鍛冶の極致に至る為に研鑽と修練を重ねた自分の武具と比べれば、遥かに質は落ちる杖の筈だ。

 

――だが、今は違う

――バーンが持つ事によって、大魔王が使う事によって、ソレは生まれ変わる

 

――鍛冶神が永い研鑽と修練の果てに辿り着いた領域に、大魔王の刃があっさりと踏み込み侵す

 

「…ここまで、だな」

 

その声が響いて、光は収まり刃は消える

杖の穂先には細かな罅が入り、幾つかの魔法石は小さな亀裂が入っていた。

 

「これ程の武具だ。再起不能にするのは惜しい」

 

見せるべきものを見せて、バーンはヘファイストスに杖を返す

やや呆然としながらもヘファイストスは杖を受け取り、損傷具合を確認する。

 

「…今の、本気だった?」

「やや本気、と言った所か」

 

バーンの言葉、その通りに受け取れば全力はまだまだ出していない…という事だろう

魔力を込めただけで杖が限界を迎えたのだ、もしもあのままで『武具』として使用していたら…結果は見るまでもないだろう。

 

そしてもう一つ、ヘファイストスの目の前で起こった事

この僅か数十秒の時において…自分の武具に並び超え得る武具が存在していた

今の自分ですら届かない領域にまで届き得る、最強の刃が存在していた。

 

 

「余は嘗て、一人の鍛冶師を手中に収めようとした事がある」

 

目の前で起きた事実を噛み締めているヘファイストスに、バーンが語る。

 

「その者の作る武具と防具は、正に至高の傑作揃いだった。またその者は鍛冶師としてだけでなく、剣士としても最強と呼べる実力も兼ね揃えていた。神業にも迫るその技量に余は惚れ込み、我が城へと招いた」

 

思い出すのは、『伝説の名工』と呼ばれた一人の鍛冶師。

 

「余はその者が望む全てのモノを与えた。絢爛豪華な屋敷、忠実な従者、軍団長としての地位、極上の酒と女…余は凡そ全ての物をその者に与えた。惜しいとは思わなかった、その者を傍におけるのなら、それこそ世界の半分をも用意していたかもしれん」

「………」

「だが、奴は余の申し出を断った」

 

 

――やはり俺は、ここに来るべきではなかった――

――あの程度の物を最高と言われては、俺の究極の武器への探求は完全に途絶えてしまう――

――俺は、腐りたくない――

 

「後にもう一度同じ話を持ちかけたが…やはり答えは同じだった」

 

――俺も何百年か生きてきたが、お前の下にいた時が最も恵まれていた、最も裕福だった――

――だが、一番退屈で一番自分が腐っていくのが実感できた時だった――

 

――あんな日々は、二度と御免だ――

 

「愚かな男だと思った。最高の評価と最上の褒美を約束されながらソレを断り、愚かにも敗軍に付いていたその男を…余には到底理解できぬ事だった」

 

自分の下に居れば、最高の至福と暮らしが約束される、望む物は全て手に入り、何一つ不自由する事無く、最上の人生が約束される

その誘いを躊躇い無く断ったあの男を、当時は愚かな男と自分は評した。

 

 

「だが、今は違う」

 

 

――この数週間は短いが、本当に充実した日々だった――

――俺の今までの生涯に匹敵する輝きがあった…!――

 

 

「余の誘いを断ったあの男の言葉を、今なら理解する事が出来る」

 

 

勇者との最終決戦に破れ、自分は未知の異世界であるこの世界にやってきた

天界とも違い魔界とも地上界とも異なる、全く別の世界

幾千年の時を生きた自分ですら知らなかった、異なる世界

 

自分が知る世界とは、完全なる別世界に来て

自分が知る歴史とは、全く異なる歴史を知って

自分が知る常識とは、かけ離れた常識に触れて

 

最初は驚き、その次に疑い、次いで困惑し、同じように動揺し

 

 

――そして、興奮した。

 

 

自分が今まで知らなかった異世界に、そこに実際にやってきた事実に

バーンは童心の様に心臓を激しく高鳴らせ、どうしようもない程に気分が昂揚した

食い入る様に貪る様にこの世界の事を調べ、弟子の修行にかこつけてあらゆる場所を巡り歩いた。

 

そこには、新しい世界があった

そこには、未知の世界が広がっていた。

 

未知なる書物の頁を一枚捲る毎に期待で心が揺さぶられた

異界の地に足を運び、新しい風景と光景を見て魂が震えた

自分が今まで全く知る由もなかった新しい『何か』を知る度に、そこには大いなる刺激に溢れていた

 

あの大魔王宮に居た時では、決して知りえなかった世界がそこにあった。

 

「今の余は、彼の者と同じ探求者…故に、今ならあの者が何故余の誘いを断ったのか理解できる」

「………」

「己が道を行く探求者が真に欲するものは、金でも富でも地位でもない…彼奴等が真に欲するのは未知の世界、新たな世界だ。

今まで己が見てきた事、聞いた事、知った事、感じた事…それ等を打ち破ってくれる己の殻を打ち破ってくれる刺激、衝撃、感動だ。

常に新しい世界を求め、新しい刺激を受けて、己が糧として血肉に変えて、己が行く道をただ只管に強欲に貪欲に突き進む…それが探求の道だ。

こと創作の道、創作の探求ともなれば、その欲望は一際大きいものだろう」

「………」

「そして、それは其方も例外ではあるまい。神ヘファイストス?」

 

バーンの瞳とヘファイストスの瞳が交わる

バーンの言葉をヘファイストスは否定しない、バーンの言葉は創作に携わる者の性の様なモノ

そしてソレが、バーンが異世界の暮らしで知った事実だった。

 

「確かに今の余は、其方の言う金を用意する事は出来ぬ…だが今の余であるからこそ、其方に用意する事が出来るモノがある」

 

故に、バーンはそれを利用する。

 

「余ならば其方に提供できる。まだ其方が見ぬ世界を、未知なる刺激を、新しい衝撃を、其方が知らない新しい『何か』を…!」

 

道を究め己が探求を極めようとする者が、千金を持ってしてでも得たいモノをバーンは利用する

 

「余にはソレが出来る、その力の証明は先程してみせたつもりだ…もしもまだ不服だと言うのなら…」

 

そしてバーンは袖の中からソレを取り出す、白銀の光を放つ六体のチェスの駒

 

「前金代わりだ、しかと見よ」

 

駒が光輝く、目も眩む程の閃光がヘファイストスの紅瞳に入り込み思わず目を閉じる

数秒ほどして光が止み、ヘファイストスはゆっくりと目を開ける。

 

――そして

 

「なっ!!」

 

ヘファイストスが驚愕の声を上げる

目の前の光景に、突如現れた六体の白銀の騎士に、その眼が見開かれる

 

細身でありながら筋肉質の格闘家を思わせる『兵士』

身の丈300Cを優に超える、巨大な全身甲冑に身を包んだ『城兵』

全身が鋭利な刃によって構成されている『僧侶』

細身の体を軽鎧で包み、中型のランスを構えた馬面の『騎士』

白銀の外套を纏い、女性を思わせる端正な顔質の『女王』

 

そして、五体の騎士を束ねる存在である『王』

 

「……触っても?」

「構わぬ」

 

バーンの了承をとって、ヘファイストスは騎士の体を注意深く観察し、軽く触り手の甲で軽く叩く

 

「…この光沢にこの感触…アダマンタイトね」

「流石だな。そしてコレ等は余の魔力によって生まれた騎士達だ…まあ、一種の手品だな」

「…手品、ね」

 

そのバーンの言葉を聞いて、これ程の力でもまだこの老人の力の一端でしかない事を悟る

次いで改めて、このバーンという老人を見る。

 

見た目はエルフの老人だが、純粋なエルフとは何処か違和感がある…恐らくエルフ寄りの混血だろう

この迷宮都市に始めてきたという話だから、少なくとも『冒険者』ではない

ではこの力の正体は?先程の桁外れの出鱈目な魔力は?

仮に都市外に拠点を置く神の『恩恵』を受けていたとしても、オラリオ以外の場所では碌に『経験値』が溜まらない筈

 

そして何より、このバーンという老人からは…一切『恩恵』の力を感じない

つまりこの老人は、神の力や恩恵に頼らずにあの魔力や此等の魔法を得たという事

神として永い間存在しているヘファイストスでさえ、今まで知る事のなかったイレギュラーが目の前にいる。

 

「一つ質問を良いかしら?…貴方は、何者?」

「神に成り損ねた大魔王…と言った所かな」

「…大きく出たわね」

 

くすり、とヘファイストスは小さく笑う

桁違いの魔力と出鱈目な魔法を見せ付けられて、極め付けに大魔王と来たものだ。

 

故に、興味が沸いた。

もしも自分が精魂込めて打ち、鍛えた杖をこの『大魔王』が手にしたら…一体どうなるのか

その時自分は何を見るのか、何を思うのか、何を感じるのか、何を得るのか…それを確かめたくなった。

永い間に薄れつつあった『娯楽』と『刺激』を求める心が、燻り始めた瞬間だった。

 

 

「――OK、乗って上げるわ。大魔王サマの取引にね」

ニヤリ、と楽しげな笑みを浮かべてヘファイストスはバーンの申し出を了承する

そのヘファイストスの返事を聞いて、バーンも満足げに頷く。

「…だけど、この場合でも一種の分割払い…つまり、ローンを組む事になる訳よね?細かい部分は追々決めるとして…

頭金は貴方のお金からある程度貰うとして、残りの支払いはそれなりに長期に渡る訳だから…やっぱり何処かの商会かファミリアに属して、支払いの保証先を用意してもらう必要があるわ。後はまあ…事情が事情だから、極力外部や他人にこの事を漏らさない事」

「ふむ、やはり其処は避けらぬな」

「でも逆に言えば、ソレさえ満たせば今すぐにでも製作に取り掛かれる訳よ」

そこで再び、ヘファイストスはニヤリと笑う

先程とは違って、それは悪戯心が透けて見える子供の様な笑みを浮かべて

 

「確かさっきの話だと、どこのファミリアにも属していないのよね?」

「うむ、その通りだが?」

「――なら一人、貴方に紹介したい神がいるのだけれど――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ギルド本部が存在するメインストリートである『冒険者通り』

その名が示す通り、冒険者を管理するギルドの本部がある事から、この街道は冒険者達が最も行き交う街道の一つである

またその冒険者たちをターゲットに定めた商売魂逞しい商人たちが店を構え、露店や移動販売等を行っているために、この街道の賑わいはオラリオでも屈指のものだった。

あらゆる人種、あらゆる者達が所狭しと行き交う雑多の中に…その男は居た。

男はこのオラリオの中でも、最も顔が知れ渡っている者の一人だった

クセのある白髪から覗かせる尖った耳、若さと野性味に溢れながら整った端正な美形と呼べる顔質、顔の左半分に刻まれた顳顬から顎下まで伸びるタトゥー

黒いアンダーウェアに黒いズボン、その上から纏っている白いジャケット、両手両足には白銀の徹甲とメタルブーツ

はだけたジャケットから見える体は鍛えられた胸筋と腹筋が見事な主張をしており、体は細身でありながら引き締め鍛えられている事が解る。

男の名はベート・ローガ。

この迷宮都市においても、数少ない『レベル5』に属する第一級冒険者であり

迷宮都市に数あるファミリアの中でも最強の一つに数えられる『ロキ・ファミリア』に所属する団員だった。

「……ちっ」

小さく舌打ちをする

ベートはその表情や雰囲気に不穏な気配を纏わせながら、人混みの中を歩く

人の洪水とも言える雑多の中、ベートの前だけは常に道が出来ていた。

第一級冒険者の中でも、ベートは特に好戦的な部類に入っていた

『狂狼』の二つ名を持ち、弱者を切り捨てる蔑ろにする発言や考えを常に周囲に言い放ち

純粋なまでの『実力至上主義』の第一級冒険者

そんな人物が不機嫌さを滲みませながら、人混みの中を歩く

意識してなのか無意識なのかは分からないが、自然と人が避けるのは当然とも言えた。

――事の起こりは、ほんの数十分前だった

そう遠くない内に行われるダンジョンへの『大規模遠征』の準備での事だった。

他の団員とちょっとした事から口論となり、ヒートアップし過ぎたのが原因だった

『思いやりがない』『弱者を顧みない傲慢な男』『仲間を何だと思っている』

最早お決まりとなった文句を、彼は嘲笑混じりで返し…今回は少々お互いに熱くなり過ぎたのが事の原因だ。

『少し外で頭を冷やして来い』

思い出すのは、自分のファミリアの中でも最古参のエルフの女

言う通りにするのは癪だが、それ以上その場にいてもイライラするだけだったので、こうして気分転換を兼ねて街を歩いている。

ベートは弱い者が嫌いだ

弱い者を擁護する者も等しく嫌いだ

別に弱い者全てが嫌いな訳ではない

だが『冒険者』である以上、弱くてはならない

ダンジョンという理不尽で不条理な場所に行く以上、弱くてはならない

どんな素晴らしい理想論を口にしようとも、どれだけ耳触りの良い事を言ったとしても

あの場所では、その全てが無意味だ

弱ければ死ぬ、至ってシンプルなルールだ…そしてソレが全てだ。

ソレを指摘して何が悪い?

確かにチームワークや連携は、ダンジョン攻略の上では必要不可欠だろう

その重要さは自分も重々理解している

だが『力不足』を指摘して何が悪い?『足手纏い』を指摘して何が悪い?

あの理不尽と不条理が溢れる空間で、いつも誰かが守ってくれると思っているのか?

あの理不尽と不条理がまかり通る空間で、いつも誰かが助けてくれると思っているのか?

仲間だからいつでもサポートできるのか?

信頼しているからいつも守れるのか? 同じファミリアだからいつも協力し合えるとでも思っているのか?

仲間だ信頼だの言うよりも、先ず必要なのは最低限の強さだろ?

いざともなれば、自分一人になっても生還できる最低限の実力だろ?

どんな理想論を掲げようとも、どんな綺麗事を並べようとも

それ等は全て『力』有ってのモノだろう?

それを指摘して何が悪い?

「……ちっ」

とは言って、もいつまでも宛てもなくブラブラしている訳にもいかない

適当な所でホームに戻ろう

ベートがそんな風に思い始めていた時だった。

――ベートの視界に、その老人が映りこんだのは。

「………」

見たままで判断すれば、エルフの老人

かなりの高齢の様だが、背筋はしっかりと伸びていてその足取りは力強い。

そしてお互いの進路方向は、対面するような直線上

どちらかが道を譲らなければ、正面からぶつかる事になるだろう。

「………」

ベートは特に気にしていなかった

別に自分は『年寄りを敬う』などの老人愛護という高尚な志は持っていない

いつもの様にあっちが勝手に避けていくだろう

そんな風に、歩みを止める事なくそのまま進み続けた

エルフの老人も、特に気にする事なく歩みを進めている。

「………」

「―――」

残す距離はもう十歩分もないだろう、既にお互いの顔が視認できる程の距離

ベートは構わずに歩みを進めて、次いで少し右に寄って老人と擦れ違う

そのままお互い何事もないままやり過ごし、ベートは変わらず歩みを進み続けて

――自分が今、何をしたのかに気付いた――

(……俺が、避けた?……)

思わず立ち止まる

(……俺が、道を譲った?……)

そのまま振り返る

既に老人の後ろ姿しか見えず、長い銀色を帯びた白髪が揺れているのが見えているだけだった。

ベートは、僅かばかりに疑問に思う

自分からあの老人に道を譲った事に対してではない

――まるで当たり前の様に、当然の事の様に、極当たり前な様に

何の疑問もなく、何の迷いもなく、何の躊躇いもなく、自然な動作であの老人に道を譲った事に、少しだけ疑問を感じた。

(……ま、気にする事でもねえか……)

だが、それだけだった

確かに少しばかり自分らしくない行動だったが、たまにはこんな事もあるだろう

そのまま特に気にする事なく、ベートもまた足を進めて人混みの中に消えていく。

――故に、この時ベートは知る由もなかった――

この一瞬のすれ違いが

この僅かな時の邂逅が

どこかの英雄を目指す少年の運命が大きく変わった様に

ベート・ローガの運命を大きく変えてしまう事を…まだ本人は気づいていなかった。

 

 

 

 

 

 

 




また更新に時間が掛かってしまった…(汗)
どうも作者です、前回の投稿から三週間ほど経っての投稿です。
色々見直したり書き直したりしている内に気が付けば三週間…えらい時間が掛かってしまった。次回からはもちっとスピーディーにやっていきたいと思います。

さて、今回はバーン様のターンです。
今回の内容は至ってシンプル、バーン様がヘファイストス様を口説いているだけです(笑)
感想でも多かった「お金大丈夫なの?」の作者なりに対する答えを書いてみました。
本文では少々端折っていますが、ヘファイストス様はある程度の金額はきちんと請求しております。本文では色々言っておりましたが、簡単に纏めるとバーン様がヘファイストス様に定期的に面白い物や刺激になる物を提供している間は料金が割引になる程度の認識でOKです。

そして、今回は更にもう一つ
作者の次の毒牙に掛かるであろう、もう一人の人物です。
ぶっちゃけこの人に関しては、ベルくんよりも先に扱いが決まっていました

――だってこの人、かなり魔王軍よりの人なんだもん(笑)

という訳で次回に続きます。



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火種

大魔王と別行動を開始してから早数時間、ベル・クラネルは迷宮都市の観光を楽しんでいた

武器屋にある長剣や大剣、双剣に短剣、それ等を見て目を輝かせた

防具屋にある全身甲冑に軽鎧、手甲に徹甲、ソレ等は纏う自分の姿を想像して頬を緩ませた

また多種多様に趣向品に日用雑貨、衣服やアクセサリー等も興味の対象だった。

 

田舎育ちのベルにとって、この迷宮都市は目に映る全ての物が興味を引くものであり、眩しく映る物であり、宝箱の中に入り込んだ様な気分だった

 

商店街にある一つ一つの店を覗き込み、足を止めて、目に映る一つ一つの品を食い入る様に見る

気に入った物を幾つか購入し、ベルは鼻歌交じりで街道を歩いていた

しかし、そうこうしている内に日も西に沈み始め、都市は夜闇に染まりつつあった。

 

「…そろそろ宿を確保しておこっかな」

 

観光ついでに幾つかの宿を探しておいたので、その中でも安全面に優れ自分が出せる宿代の場所を思い出して足を運ぶ

冒険者通りにある、中堅どころの宿に目標を定めてチェックを済ませる。

 

「とりあえず食事なしの二泊でお願いします」

「かしこまりました、それでは御代の方ですが――」

 

部屋の鍵を受け取って、荷物を置いて財布と得物を携帯して再び町に繰り出す

時間は夕食時、宿の食事を希望しなかったのもこのためだ。

 

「おぉー」

 

今日何度目になるかに分からない、感嘆の声を出す

故郷の村では夜とは全ての家や店から明かりが消える休みの時間だったが、ここではどうやら昼は昼、夜は夜で違う顔を見せる様だ。

 

色取り取りの明かりが都市全体を包み込み、夜の都市へと変貌する

恐らく、迷宮都市の本当の商売時はこの時間からなのだろう。

 

ダンジョン帰りの冒険者は元より、仕事帰りの職人や商人

両者ともに一日の疲れと解放感によって、財布の紐が緩む時間だ

そしてソレ等を逃がすまいと、商店街全体に活気が漲っている。

 

昼とはまた種類の違う活気と空気に当てられて、ベルの足取りも軽やかになる

また夕食時ともあって、何とも言えない鼻腔と空腹を刺激する匂いがそこかしこから漂ってくる。

 

「宿のお金を払ってもお金は十分あるし、ちょっと位贅沢してもいいかなー…うーん、でも、折角だから色々なモノも食べてみたいしなー」

 

と、そんな風に頭を悩ませながらベルは街道を歩く

考えた末に今日はどこかの店で食べて、明日は都市の散策も兼ねて食べ歩く事にした

そして一際良い匂いを漂わせている店を見つけて、その店で夕食を済ます事に決めた。

 

「豊饒の女主人…か、ここで良いかな」

 

カランカラン、とそんなお決まりの鈴の音が鳴響いて、ベルは入店をする

ドアを開けた瞬間、僅かに響く程度の活気ある声の数々が一気にボリュームを増す

店には数多くの冒険者たちやどこかの職人や商人達が、仕事疲れの心と体を酒と料理で労っていた

そしてベルの入店に気付いた店員の一人、メイド服に身を包んだ銀髪の見目麗しい美人がベルの下に小走りでよっていく。

「いらっしゃいませー!何名さまですか?」

「あ、はい、一人です」

「カウンター席でよろしいでしょうか?」

「お願いします」

そんなお決まりのやり取りをしながら、ベルは店員に連れられてカウンター席に着く。

(……見事に、男の人ばかりだな……)

 

店内をざっと見渡しながらベルは思う。

店のテーブルと席はその九割が埋まっており、その殆どが男性客であり女性は指で数えられる程しかいなかった

しかし、ベルはその事に特に疑問に思っていなかった

その疑問の答えは、入店と同時に解消されていたからだ。

店内を行き交うウェイトレス、ヒューマン、獣人、エルフ、種族の違いはあれどその全てが見目麗しい美人麗人の集まり

そしてそんな女性たちが、男心をくすぐるメイド服に身を包み給仕してくれる…この客層の偏り具合も納得だった

 

(……うーん、でもこの手の店は結構高いって爺ちゃん達が言っていたなー……)

前に故郷の村で、出稼ぎから帰省していた若者達を迎える飲み会でそんな会話があった事を思い出す

案内されたカウンター席について、メニューを渡されてウェイトレスは去っていく。

(……えーと、日替わりディナーが1、10、100…あ、結構するな……)

宿代をざっくり計算に入れてもそれなりに余裕はあるが、やはり初日から無駄遣いをするのも気が引ける

だがしかし、店中に充満している何とも言えない香ばしい匂い、空腹を誘う料理の香り

店に入るまでは別段大した事なかった空腹が、ここに来て一気にベルの心を支配していた。

(……バーン様も、僕自身で考えて決めろって言ってたなー……)

 

先の師の言葉を思い出す

腹は減ったし金にも余裕が有る、迷宮都市についた初日くらいちょっとした贅沢をしてもバチは当たらないだろう。

 

「ご注文はお決まりでしょうか?」

不意に隣から声を掛けられる

丁度良いと思って、ベルは注文を伝えようと思って声の方向に振り向き

「――っ」

思わず息を呑む

その人物を視界に入れた瞬間、思わず全身が硬直する

そのウェイトレスは、エルフの女性だった。

歳は大体二十歳前後くらいだろうか?艶のある金髪を肩口まで伸び、毛先が小さくカールしている

やはりこの女性も他の従業員同様に、十人いたら十人が振り返る様な美人

故郷の村ではおよそ目にする事のなかった、綺麗で美しい女性だった。

だが、ベルが息を呑んだ理由はそれではない。

その女性が纏う雰囲気、放つ空気

ソレ等があまりにも澄んでいて、透き通っていて、美しさを感じるほどに滑らかだった。

ベルはこの手の空気には覚えがある

以前、師匠である大魔王と共に『資金調達』として、お尋ね者や賞金首の根城に殴り込みを掛けていた時期があった。

その時、ベルは何度かこの雰囲気や空気を持っている者と遭遇した事がある

その者達は種族や性別、年齢も戦闘スタイルも全てがバラバラだったが…共通して言える事が一つだけあった。

自分よりも強い、格上の相手――それが、全員に共通で言える事だ。

ちなみにその全員が大魔王の一撃で沈んでいった事は、完全に余談である。

 

「あの、ご注文は?」

「あ、はい!日替わりディナーセットで!」

「かしこまりました、飲み物は何になさいますか?」

「アップルジュースでお願いします!」

「かしこまりました。それでは少々お待ちください…オーダー入ります!」

 

ベルの注文を聞いて、そのエルフの店員は厨房にオーダーを伝えに行った

そしてその背中を、ベルはずっと目で追っていた。

 

(……今の人、相当強いなー……)

この店の人達は何かしらの武芸を身につけている様だが、あのエルフの女性だけは別格だ

多分、ここに居る冒険者全てを含めて、あのエルフの女性に勝てる冒険者は一人か二人だろう。

 

(……流石は世界の中心とも言える迷宮都市、店員さん一人とってもこのレベルかー……)

 

と、ベルが一人納得していると

 

「…フムフム、どうやらお客さんはリューがお気に入りみたいだにゃー」

「リューも罪な女だにゃー、こんないたいけな純情少年を虜にしてしまうなんてー」

 

不意に声を掛けられて、改めて周囲を見る

気が付けば猫人の店員とヒューマンの店員が、楽しげで意地の悪い笑みを浮かべていた

 

「あの、なにか?」

「とぼけなくっていいニャ、リューに見惚れてたんじゃないかにゃー?」

「見るだけなら構わないけど、お触りはくれぐれもご遠慮願いますにゃー」

「……っ!」

 

その店員の言葉を聞いて、ベルの頬は真っ赤に染まる

確かに外野から見れば、自分はリューと呼ばれたあのエルフの女性に見惚れていた様に見えるだろう

少なくとも、目の前の店員二人にはそう思われているのは事実だった

 

「え、いや!その、確かに綺麗な人で、ついつい目で追っちゃってましたけど!別に見惚れていた訳じゃ!」

「むふーん、世間ではソレを見惚れてたって言うんじゃないかにゃー?」

「でも!いや…っ!その!」

「むっふっふー、お客様は本当に純情だにゃー」

 

と、ベルが弁明すればする程に、目の前の女性は楽し気に意地悪気な笑みを浮かべていく

このままずっと弄り倒されるのか?、そんな風にベルが思っていると不意に助け船が出された。

 

「ほらそこ!何油売ってるんだい!さっさとこっちに来て料理運びな!」

「んにゃ!? しまった!」

「ミア母さんごめん!すぐ行くにゃ!」

 

二人を一喝する声が響いて、ベルの前にいた二人は先程とは慌てた様に声の主の元に駆けていく

ベルの位置からでも、声の主はカウンター越しにその姿が見えた。

そしてその件の人物、『ミア母さん』と呼ばれたその大柄の女性は、出来上がった料理を持ってベルの眼前まで移動して

 

「はいよ。日替わりディナーセットとジュースお待ち! 注文は以上だね?」

「はい、そうです」

「それじゃ、ごゆっくり」

 

ミアはベルの前に手早く料理を並べていくと、再び調理の為に厨房を見る

ベルの前に置かれたのは、サラダとポタージュスープ、クリームパスタに付け合わせのパンとラスクだ

鼻腔をくすぐる何とも言えない匂いを嗅いで、ベルの腹は一際激しく空腹を訴えていく。

 

「それじゃ、いただきます」

 

フォークでパスタを巻いて、軽く一口食べる

 

「っ‼‼」

 

その瞬間、ベルの両目が驚愕に見開かれる

美味い、美味すぎる、今まで食べてきたどの料理よりも美味い

濃厚な生乳クリームとカリカリのベーコンを惜しみなく使ったソースに、アルデンテで茹でられたパスタの相性は最高だった。

 

そこから先は、フォークとスプーンが止まらなかった

削り取る様な勢いでパスタを喰らって、サラダもささっと食べ終わる

そしてここで、ベルは付け合わせのパンとラスクの食べ方に気づく。

 

「そっか、パンはパスタのクリームに、ラスクはポタージュスープで合わせるのか」

 

周囲に目を向ければ、似た様な食べ方をしている冒険者が何人かいた

恐らく、自分が今気づいた食べ方で合っているのだろう

 

パンをちぎって、更に残ったクリームソースをつけて食べてみる。

 

「…んー美味しい」

 

思わず顔が緩み綻ぶ、さっきのパスタは美味かったがコレはコレで違った旨味がある

次いでラスクもポタージュスープと合わせて食べてみる。

 

やはりこれも美味い。

 

ポタージュスープを単品で食べてもイケるが、スープの旨味と甘味にラスクのざくざくとした歯触りと歯応えとバター風味が加わると、その旨味さが変貌する

どうやら、この店の人気の秘密は女の子だけではない様だ

ベルはアップルジュースを飲みながら、そんな風に自分の意見を纏める。

 

(……よし、明日も晩御飯はここにしよう……)

 

最初は割高かと思っていたが、この味なら寧ろ割安だ

これからもご贔屓にさせて貰おう、そうベルが心の中で思っていると目の前に皿が置かれた。

 

「…あれ?」

 

目の前に置かれたのは、平皿に盛り付けられた軽食だった

ハムとチーズをレタスで巻いた物や、クラッカーの上にチーズと黒胡椒をふり掛けた物

他にもベーコンや揚げた芋に肉の燻製など、酒のつまみになりそうな物が盛り付けられていた。

 

だがしかし、ベルはコレ等を頼んだ覚えはない

恐らく店員さんが持ってくるテーブルを間違えたのだろう。

 

「あたしからのサービスだよ、見てるこっちが気持ち良くなる様な食べっぷりだったからね」

 

そんなベルの心中を察したかの様に、ベルにそんな言葉が掛けられる

目を向ければ、ミアと呼ばれた女店主らしき女性がこっちを見て楽しげに微笑んでいた。

 

ベルは最初は遠慮しようかとも思ったが――

 

(……こういう時は素直に受けておいて、追加で何か頼むのがマナー…だったかな?……)

 

祖父や師匠による、『いい男としての振る舞い』の授業を思い出す

無論、悪質な店やいわゆるボッタクリの店、趣味趣向が合わない店においてはその限りではないが

自分で『コレだ!』と思ったお店に対しては、そういう振る舞いを覚えておいて損はない…そんな事を教えられたのを思い出す。

 

「ありがとうございます。それじゃあグラスも乾いてきたので、ジュースおかわり」

「お、分かってるじゃないか。ちょいと待ってな」

 

ベルの返答に気を良くしたのか、ミアは上機嫌な笑みを浮かべて追加のジュースを持ってくる

ついでベルの顔に改めて視線を向けて

 

「…坊主はあまりここ等じゃみない顔だね?オラリオには来たばっかかい?」

「はい、師匠と一緒に今日着いたばかりです」

「師匠?冒険者…にはちょいと見えないね、商人か何かかい?」

「いえいえ、商人じゃないです。そうですねー…確かに、冒険者とも言えなくもないですね。

ここに来るまでの五~六年くらいは、モンスター相手に狩猟やアイテムドロップで生計を立てていましたから…あとは、まあ…そうですねー」

 

ベルは今までの大魔王との修行内容を思い出す

そして収入面においてもう一つ、自分達の大事な収入源を思い出す。

 

 

「――後は賞金首を捕らえたりして、生計を立てていました」

 

 

ベルは思い出したかの様に、ジュースをグビグビと飲みながらそんな事を言って

次の瞬間、『豊饒の女主人』にいる全ての店員の視線がベル・クラネルに向けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほぼ同時刻、オラリオにある酒場の一席にてバーンはいた。

賑やかな大衆向けの酒場ではなく、ここは静かな雰囲気でゆっくりと酒を楽しみたい高級志向の酒場であった

壁は大きなガラス張りになっており月と星空を堪能する事ができ、またテラスの席に着けば夜の喧騒と活気が程よく届く様になっている。

バーンは仕切りに分けられたテーブル席ではなく、カウンター席についていた

理由は特に無い、ただカウンター奥には大きなショーケースが配置され、あらゆる種類の酒が展示されたあったのがバーンの興味を引いたからだ

葡萄酒に蒸留酒、発泡酒に麦酒に清酒、中には大きな蛇が瓶ごと漬けられている薬酒もあった

またあらゆる果実からなる様々な飲料も置かれていて、どうやら各自の好みに合わせて混合酒も扱っている様だ。

 

バーンは店主に『値段は問わん、一番の上物を一杯』と注げて店主もそれに応じる

少し待つと店主はバーンの前にグラスを置いて、そこに並々と透明な酒を注いでいく。

 

バーンはソレを手にとって、グラスを手の中で転がし、続けて香りを吸い込み、グイっと飲む。

 

「――美味い」

 

透明なグラスに注ぎ込まれた清酒を一口飲んで、バーンは満足した様に呟く

舌を痺させる様な芳醇な甘み、鼻腔まで支配するような風味、それでいて全くしつこくなく爽やかな後味と清涼感が舌に残る

今まで自分が飲んできた酒の中でも、トップクラスに入る上質なモノだった。

 

「店主よ、コレの製造元を教えて貰えぬか?」

「気に入りましたか?お客様が今お飲みになられているのは、『ソーマ・ファミリア』の主神であるソーマ様が自らお作りになられたものですよ」

「フム、聞いた事がある。神ソーマ…酒を造る事を何よりの生き甲斐とし、その為にわざわざ『ファミリア』まで結成したとか…だが随分と気難しい神で、製造された酒は市場に出回る事は無いと聞いていたが…」

「ああ、それは『成功作』の話ですね。市場に出回っているのはほぼ全部が『失敗作』みたいですよ」

 

店主から告げられたその言葉、その思いもよらぬ情報を知ってバーンは感心した様に驚いた様に、楽しげに笑みを浮かべ

 

「――成程、コレ程の酒ですら失敗作か。噂に違わぬという訳か…是非とも成功した酒も味わってみたいものだ」

 

再び酒を飲む。到底失敗には思えない極上の味、極上の美酒

これで失敗作なら、本物は一体どれだけの美味なのだろうと知らず知らずの内に期待が大きくなる。

 

「…あー、それは無理じゃないですかね?ソーマ様の成功作はソーマ様自身かファミリアの一部の団員しか飲めないって話ですよ?」

「金や物では動かない…という事か」

 

店主の言葉を聞いて、バーンも似たような人物に心当たりがあった

確かにその手の人物はいくら金を積んでも動かないだろう。

 

「今までラブコールは全部撃沈しているって話ですよ、自分も何度か交渉してみたんですけどフラれてしまいました

他の店も軒並み同じみたいですね…まあ、つまりはそういう事です。どうしても成功作をお飲みなられたいのなら『ファミリア』に入団するか」

「――神ソーマそのものを、手中に収めなければならぬ…という事か」

「そういう事ですね」

 

「有益な情報、感謝する…もう一杯貰おうか」

「良いんですか? この酒、相当しますよ?」

「良い。今日は大事な商談が成立して気分が良いのだ、まあ妙なオマケもついてきたのだがな…」

「畏まりました、少々お待ちを」

 

そう言って、店主は再びカウンター奥に向かいバーンは月夜の酒を楽しむ

 

バーンは気分が良かった

あの『名工』に負けず劣らずの、もう一人の至高の鍛冶師に巡り合え商談を纏められた事

偶然見つけた店で偶然見つけた酒が極上の一品であり、またソレを遥かに超える美酒が存在する事

 

バーンは、とても気分が良かった

 

(……さて、あちらはどう出る……)

 

バーンは月と星空を眺めながら、バーンは思う

今日、武器の商談が成立した後に仕込んでおいた…自分が送った『招待状』

こちらの誘いは、バーン自身も成功率は殆ど無いと踏んでいる…当たれば儲け物、正にそんな感じだった

 

だがしかし、バーンは確信があった

理由も根拠も無いがバーンは確信していた…自分の仕込が、誘いが成功する事を

 

そして店主が次の一杯を持ってくるのと、ほぼ同じタイミングだった。

 

「すまぬな店主よ、同じ物をもう一つ頼む」

「はい?」

「待ち人が来た」

 

バーンの言葉につられて、店主は店の入り口を見る

そこには男が一人立っていた。

 

その男は冒険者だった

200Cを超える大柄な体、その筋骨隆々な肉体は正に強靭

鍛え抜かれた戦いよって磨かれたその肉体は、誰もが思い浮かべる様な『鋼の肉体』そのものだ。

 

その男を視界に入れた瞬間、店主は僅かに驚いた様に息を呑んだ

その男を視界に入れた瞬間、バーンは思わず口元が緩んだ

 

――強い、この男は間違いなく強い――

――噂に違わぬ強者、噂以上の『本物』の力を持つ者――

 

「やはり、今の余は中々運が向いている様だ」

 

満足げに呟く

緩んだ頬と口元を隠す事無く晒し、喜びの表情を露にする。

 

「ようこそ。突然の招待、突然の誘いでありながらこうして応じてくれた事を、余は誠に嬉しく思う」

「………」

「駆けつけ一杯という訳ではないが、先ずは一つ乾杯でも如何かな?」

 

その男は冒険者だった、その男は獣人だった、その男は武人だった

その男は、この迷宮都市オラリオにおいて『最強』と称される男だった。

 

 

「――フレイヤ・ファミリアの団長…『猛者』オッタルよ――」

 

 

夜は更け、闇が深まっていく、その日の終わりを告げていく

だがまだ終わらない、この夜はまだ終わらない

 

大魔王師弟の夜は、まだ終わらない――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




流石はベルくんだー!たった一言で店の女の子に視線を独り占めするなんて!
俺達に出来ない事を平然とやってのける!そこに痺れる憧れるうぅ!

――とまあ、最初からテンションがおかしい作者です。
また一ヶ月近く掛かってしまいました…スピードアップするのが中々難しいです。しかしそんなこんなでやっと更新できました!

今回はベルくんとサイドとバーン様サイド、今回はどちらかと言うとベルくんサイドがメインです
今回ベルくんは知らない内に、あの店で色々とやらかしてしまいました(笑)
作者的には少し前からちょいとい仕込んでおいた『賞金首』のネタを活かす事が出来たので大満足です!

そしてもう一つのバーン様サイド、なぜオッタルさんがバーン様の誘いにホイホイ乗ってしまったのかは次回に明かされるかと思います。
次回はちょいと話を動くと思うので、できるだけ早く更新したいと思います。


追伸  作者とその友人達が選ぶ(いい歳した野郎達がガチ議論)ダイ大において衝撃的だった必殺技

その1 ライディンストラッシュ
その2 ギガブレイク
その3 五指爆炎弾
その4 カイザーフェニックス
その5 メドローア

番外  集中アタック

幼心的に、ディン系>>超えられない壁>>メラ系だったのでこんな感じです(笑)
ちなみに集中アタックを知っている人、或いは覚えている人は殆どいない思います(笑)


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開幕

(……何か、やたら視線を感じるな……)

ミアからご馳走された軽食を摘みながら、ベルは思った。

少し前からやたら店内から視線を感じる、最初は気のせいかとも思ったがどうやら違う様だ

見られている、どういう訳か知らないが…自分はこの店にいる誰かに、確実に見られている。

(……さっきのミア母さんとの会話、アレが切っ掛けだったな……)

先程、ミアとの世間話の最中に一際強い視線を感じた

自分は今日この都市に着いたばかりだし、恨みを買われる様な理由も覚えもない

仮に金目当ての物取りだったしても、今の自分の格好を見て獲物にしようとは思わないだろう

となると、先ほどの会話そのものが自分が見られている理由…そう考えた方が良いだろう。

(……でも、別段特別な事は話していないしなー……)

幾ら思い返して見ても、先ほど自分たちがしていた会話は当たり障りのない世間話だ

特定な名詞や単語すらも殆ど出てこない、第三者にとっては気に止める程でもない雑談だった筈だ。

ひょいとベルはクラッカーのチーズ乗せを口に入れて、咀嚼しながら考える

せっかくの料理も、考え事をしながらでは味も半減だ

だがしかし、自分に向けられる確かな視線を感じる以上無視するのも出来なかった。

(……確かこういう時って、馬鹿正直に帰るのは悪手って言ってたなー……)

明らかに追跡されている、監視されている状況において、自分の根城を突き止められるのは絶対に避けなければならない事

もし仮に自分をつけ狙う悪意ある第三者に自分の根城を特定されたら、最悪その日に寝込みを襲われる危険があるからだ

今は仮宿暮らしと言えど、やはり寝る時くらいは安心して寝たい

もしもこの視線が店の外を出ても続くようなら、少々用心しなければならないだろう。

(……行動を起こすのなら、早い方がいいな……)

如何に夜の顔を持つ迷宮都市と言えど、流石に深夜になればなるほど人気は少なくなるだろう

万が一の事態が起きた事を考えると、やはりなるべく人気があったほうがやりやすい。

大体の算段はついた、後は行動するのみだ。

「ごちそうさま、会計お願いします」

「ったく、どうしてウチの連中はああも露骨なんだろうね。あれじゃ、どうぞ警戒して下さいって言ってる様なもんじゃないか」

「…申し訳ありません、私のせいで皆気が立ってしまって」

「アンタが気にする事じゃないよ。ポーカーフェイスも碌に出来てない連中に呆れているだけさ」

『豊饒の女主人』のバックヤードにて、ミアとリューはこっそりと食堂から抜けて此処まで来ていた

あそこでは少々人目についてしまうため、内緒話は不向きだったからだ

話は店の客の一人である、自分達にとって聞き逃す事のできない発言をしたベルの事だ。

「……で、アンタの方はどうだい?ここ最近何か変わった事はあったかい?」

「思い当たる事はありません。あの少年の顔にも覚えはないので、今日が恐らく初対面です」

「だろうね。あの坊主は今日オラリオに着いたばかりって言ってたし、雰囲気や仕草が都市に馴染んでいない…ありゃどっちかって言うと田舎生まれ田舎育ちだろうね。典型的なお登りさんだね雰囲気がそんな感じだ」

「…考えすぎ、という事でしょうか?」

 

やや伏し目になりながら、リューはどこか自信なさげな様子で答える

今も尚、彼女が背負い続けている過去

嘗て自分が引き起こし、犯した業

それにより、彼女はギルドのブラックリストに乗っており一時期は懸賞金も掛けられていた。

 

もしもあの少年が『賞金稼ぎ』としてこの都市に、この店に現れたのだとしたら…自分を狙ってきた可能性が高い。

 

「だけど、確かにあたしもちょいと気になる事がある。あの坊主はこの五~六年は賞金稼ぎとして生計を立てていたって言ってた

あの坊主は見たところ十四から十五って所だ…年の計算がちょいと合うとは思えないね」

 

言葉通りに受け取れば、あの白髪の少年は十歳にも満たない頃から賞金稼ぎや魔物狩猟で生活していた事になる

『剣姫』という前例もあるが、あれは例外中の例外だ。

 

「師匠がいるって言ってたけど、その師匠がよほど悪人なのか狂人なのか…まあ、よっぽど頭がいかれてるかブっ飛んでるかのどちらかだね…だが、もしもそうじゃないのだとしたら」

「揺さぶりかカマ掛けか、こちらの反応を見る為の言葉だった…という事ですか?」

 

リューは確認するように、ミアに尋ねる。

『五年前』というのは、自分がとある事件に巻き込まれ、ある惨劇を引き起こしてブラックリストに乗り、懸賞金を掛けられた時期だ

それに、あの白髪の少年は自分の事を驚いた様に見つめていた…今までの情報を整理するに、やはり無関係とは思えない。

 

「確証はないさ。それに、なんつーか…あの坊主は、そういう悪知恵とかを働かせるタイプじゃないと思うね」

「ですが、師匠なる人物がいるという話です。あの少年が仮に無害だとしても、やはり無視できるものではありません」

「かもね、だからと言ってこっちが何かアクションを起こしたらそれこそ藪蛇ってヤツだろう?

現状、いつも通りにしておくのが一番さ…だからアンタも、妙な気は起こすんじゃないよ?」

「…分かりました」

 

渋々、という面持ちでリューはミアの言葉を了承する。

確かに無視できないが、もしも相手がそれを見越しての事だったらミアの言うとおり薮蛇になってしまうだろう

ならばやはり、ここはいつも通りに振舞っているのが一番だろう。

 

そしてリューもミアに続いて食堂に戻る

それとほぼ同時だった。

 

「ごちそうさま、会計お願いします」

 

そんな声が響く、リューが視線を走らせると件の少年が伝票を持って会計待ちしていた

他の皆は給仕あるいは調理の最中だったので、手が空いているのは自分だけだった。

 

あまり疑惑の人物に関わりを持ちたくないが、先程もミアが言っていた様に自然体でいるのがベストだ

そう判断して、リューは会計に入る。

 

「お待たせしました。日替わりディナーセットが一つ、アップルジュースが一つ、合計で…」

 

手早く会計を終わらせる、少年から金を受け取ってお釣を渡す

「ありがとうございました」と、決まり文句を言ってお辞儀をする

まだ疑惑と疑念が晴れた訳ではないが、件の人物が店から出て行く事にリューはホッと一息ついて

 

 

 

「――あの、もしかして昔は冒険者をやってました?」

 

 

 

次の瞬間、心臓を鷲掴みにされた様な錯覚に陥った。

 

「…いえ、ただのウェイトレスです」

 

起伏の無い声で答える

動揺を顔に出すまいと、いつも通りに声を出さそうと、必死に表情と感情を制御する。

 

「そうですか、変な事を言ってすいません」

 

目の前の少年は小さく笑いながらそう言うが、その表情すらリューには酷く歪んだ様に見えた。

 

「美味しかったですよ。これからもご贔屓にさせて貰いますね、リューさん」

 

純粋な賛辞の言葉でありながら、その声すら酷く醜悪な響きに聞こえた。

 

 

「…………」

 

 

もしもリューがもう少し落ち着いていたら、もしもほんの少しだけ保っていたら

まだ話は違っていただろう

 

だが、もはや『もしも』の話は意味をなさない

最早、リューの中で『ソレ』は決定事項になった

 

もしも今この場で、同僚やミアが引き止めたとしても、それはもうリューの耳には入らなかっただろう

既にリューは決意を固めていた、覚悟を決めてしまっていた。

 

「シル、少々良いですか?」

「ん、どうしたの?」

 

同僚に声を掛ける、今は勤務中ゆえに勝手な行動は少々まずいからだ。

 

「急用が出来たので、もう上がります。ミア母さんにもそう伝えておいて下さい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――あの時、自分は…何も守れなかった――

 

思い出すのは後悔してもしきれない過去、どれだけ泣き叫んでも消せない過去。

 

――あの時は、全てが遅かった…全てが手遅れだった――

 

苦楽を共にした、何よりも大事だった仲間を、友を、家族を、自分は守れなかった。

生き延びた自分は悲しみ、嘆き、喚き、絶望にのた打ち回り

 

――そして、狂った――

 

怒りの業火に身を焼きながら、復讐の化身となりながら、自分は狂った

仲間の敵を殺し、葬り、それに組した者、関わった者も同様に襲い、死に追いやった

最早そこには何の正義も大義もない、ただの殺人鬼が犯す殺戮だった。

 

全ての仇を殺し尽くした後、自分には何も残されていなかった

このまま死ぬのも良い、そんな風に思っていた所をシルに救われて、今は『豊饒の女主人』のウェイトレスをやっている

今の生活は楽しい、偶に身に余ると感じてしまう程に穏やかで楽しい日々を送っている。

 

――だから、自分はもう迷わない――

――元々自分で蒔いた種、それで自分の命が刈り取られてもある意味仕方がない――

 

――だがシルを、ミア母さんを、店の皆を巻き込むのなら…自分はもう迷わない――

――手遅れになる前に動く、先手を打つ――

 

――ただの勘違いなら、それで良い――

――ミア母さんに説教されて、お店の皆に笑われて、ただそれだけで済む――

 

――だが、もしも自分の不安が的中していたら…最早迷いも容赦もない――

――相手が誰であろうとも、どんな魔物や神であろうとも…自分は全てを消し去る――

 

更衣室で手早くカチューシャを外して、エプロンドレスを脱ぐ

店のイベントで使ったウィッグが置いてあったので、そちらも利用させて貰う

部屋の奥に置いてある大掃除の時に使う作業用の衣服から、体のラインを隠せる物を選んで纏ってその上から灰色のマントとコートを着る

これならよほどの近距離で顔を見られなければ、先ずバレない

そして、店に置いてある得物を携帯する。

 

現役時代の『本来の得物』ではなく、店で悪質な不埒者を撃退するための物だ

だがこちらも迷宮都市製の武器、強度や攻撃力はちょっとした『業物』レベルだ。

 

「…………」

 

最終チェックをして、裏口から速やかに街道に出て追跡を開始する

恐らく、都市にきたばかりなら少なくとも近隣の店で立ち止まる事も多い、ならばそれほど店からは離れていない筈

手早く考えを纏めて、リューは白髪の少年を追い始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……やっぱり、尾行されてるなー……)

 

夜の人混みの中を歩きながら、ベルは少しウンザリした様に思う

途中の露店で買った『じゃが丸くん』という食べ物を咀嚼しながら、夜の街道を歩く。

 

(……店から出た少しの間は視線を感じなくなったけど、少し前からまた見られてる……)

 

恐らく会計を済ませた自分を追って、少し間を取って尾行を始めたのだろう

尾行者が居るのは確定したが、ただそれだけだ

まさかそんな状況で易々と宿に帰る訳にも行かず、宛てもなくベルは彷徨っている。

 

(……そもそも、どうして僕は尾行されているんだ?……)

 

オラリオに着いたばかりなので怨恨関係は先ずありえない、お世辞にも大金を持っている様にも見えない。

それこそ持っているのは、自分の体くらい――

 

(……待てよ……)

 

ここまで考えて、ベルの心の中で何か引っかかる物を感じた

もしも相手の狙いが怨恨や金でなく、『自分そのもの』だとしたら

 

「――人身売買――?」

 

そう口に出した瞬間、ベルの中で何かが噛み合った。

 

(……そうだ、確かミア母さんとの会話の途中から強い視線を感じた!――)

 

あの時自分は、『オラリオには今日着いたばかりだ』と言った

ならば、自分がいなくなっても気に留める人間はほぼ居ないという事だ。

 

(……師匠がいるとは言ったけど、そんなの幾らでも偽装工作ができる!――)

 

ここは迷宮都市オラリオ

例えば、自分の所持品をダンジョンに放置しておくだけで『興味本位でダンジョンに入り、モンスターの餌食になった哀れな少年』の構図が出来上がる

先の店でも「モンスター狩猟で生計を立てていた」と言っていたから、それなりに説得力もある。

 

こんな如何にも田舎上がりの少年がそんな事を話していたら、相手にとってはとても美味しそうな獲物に見えただろう。

 

(……だったら、尚更このまま素直に帰る訳にはいかない……)

 

宿の場所を教える事もそうだが、そんな輩を野放しにしておくはベルにはどうしても出来なかった。

 

(……多分、人気のある場所だと尻尾は出してこない……)

 

相手がもしかしたら複数人の可能性もあるから、誘い込むとしても上手く場所を選ばないと下手を打つだろう

大よその考えを纏めながら、ベルは再び足を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……中々、尻尾を出さない……)

 

雑多の中を縫う様に移動しながら、リューはややイラついた様に息を吐く。

あの少年がどこまでの事に気づいているのか、知っているのか

あの少年の師匠がそれを指示しているのかどうか

 

それらをある程度見極める為の尾行なのだが、中々本命にはありつけない

今の所はただ町を観光しているだけ、今の時点では何も判断できない。

 

(……自分の勘違いなら、それが最良だけど……)

 

だが、そこまで楽観的に今の状況を捉える事はできない。

仮にあの少年が、自分の懸賞金だけが目当てだとしても…それは店の皆に多大な迷惑を被る事になる

お尋ね者だと知りながら、ギルドにも報告せずに『ブラックリスト』の人物を数年間も匿っていたのだ。

 

店に対するギルドからの罰則や罰金は勿論、あらぬ噂や悪評が付き纏うのは確実

最悪それらが理由で、店が潰れる事も有り得るだろう

 

やはり、どこかで「落とし所」を考えておくべきだろう。

 

(……ん?……)

 

ここで、白髪の少年の動きが変わる

先程までの街道沿いのルートとは違って、やや裏道よりに入っていく。

 

「…………」

 

迷わず追跡を続行する

街道の明かりや活気と人気から徐々に離れていくが、寧ろそれはリューの追跡続行の後押しをする事になった。

 

幾つかの区間を渡り歩き、一際狭い建物と建物の間の路地の前で白髪の少年は立ち止まった

そこで少年は二三度、周囲の確認を取る様に見回す

勿論、既に死角に入っている自分の姿が見える事は無く、そのまま少年は路地に入っていく。

 

 

ついに『当たり』が来た

そんな風に覚悟を決めて、リューもまたその路地に入る

だがしかし、少年の姿は既にそこになかった。

 

(……いない、どこに行った?……)

 

路地は狭い一本道、見失うとすれば路地を抜けたか、この両脇にあるどこかの建物に入ったかのどちらかだ

先ずは路地を抜けていないか確認しよう、そうリューが判断して足を進めようとした時だった。

 

 

「――動かないで下さい――」

 

 

次の瞬間、背中に硬く尖った物が突きつけられた。

 

「…っ!」

「両腕を上げて下さい。こちらの指示に従ってくれれば、手荒な事をするつもりはありません」

 

――しくじった、リューはその事を痛感する

どうする?と、現状に対して自問自答する

街道に比べて人気と人目は少ないが、ゼロではない

ここで揉め事を起こせば、そう時間は掛からずに騒ぎは気づかれるだろう

そうなれば、追い詰められるのは自分の方だ。

 

だが、このまま大人しくしていても同じこと

この少年に素顔を見られたら、その瞬間もう引き返せなくなる。

しかし

 

「ミア母さんのお店に居た人ですよね?」

 

その瞬間、リューの心臓が一際激しく跳ねた。

 

「店を出てからも、僕の事をずっと尾けていましたよね?」

 

その瞬間、リューの思考が冷たく静かなモノになっていった。

 

 

 

「――大体の事は解っているので、ギルドまでご同行願います――」

 

 

 

 

その瞬間、リューの思考と意識を置いて体が先に動いた。

 

甲高い衝撃音が鳴り響く

その衝撃と共に、二つの人影が弾ける様なバックステップで距離を取る。

 

マントを靡かせながら、リューは携帯していた銀棍を構える

ザザっと地面を削りながら、白髪の少年…ベルは愛用のショートソードとナイフを構える。

 

互いに戦意が漲っている事を感じ取り、互いから視線を離さずに目標を定める。

これ以上の言葉のやり取りは、もはや無意味

ここから必要なのは相手を打ち倒し、捻じ伏せる力

 

既にお互いが、戦闘姿勢を整えていた。

 

――コイツを野放にしてはならない――

 

――コイツを逃がしてはならない――

 

――だから今ここで、確実に仕留める!――

 

 

互いに地面を蹴って、互いの得物を振り上げ、再び衝撃音が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「招待した側の礼儀として名乗っておこう、余の名はバーンだ

それでは、今日のこの出会いに…一つ乾杯と行こうか?」

「必要ない」

「…む、もしや飲めぬ口だったか? ならば別の物を頼もう…果汁系で良いかな?」

「要らん、長居をするつもりはない。さっさと用件を言え」

「おや、気を悪くさせてしまったかな?」

 

ククっと薄く笑いながら、バーンはグラスに注がれた清酒を口に含む

どうやら、呼び出した相手にはあまり気に入られていない様だ。

 

バーンは『ヘファイストス・ファミリア』での商談を済ませた後に、フレイヤ・ファミリアにオッタル宛の『招待状』を送っておいたのだ

特に変な事は記していなかった、この時間と場所と書いて『世間話でもしないか?』と記しておいただけだ。

 

だが、一つだけ招待状には『遊び』を施しておいた。

古代魔族が扱ったとされる、鏡を用いた通信術だ

『フレイヤ・ファミリア』がどの様な内装をしているのかは知らないが、確実に数枚は手頃な鏡がある筈

バーンはそう判断して、オッタル宛の『招待状』を送っておいた。

 

無論、それは『フレイヤ・ファミリア』で大いに警戒を抱かせた

見たことの無いスキル或いは魔法を用いた通信術、しかも内容はオッタルを誘い出す文

主力を主神フレイヤから離れさせて、ホームに奇襲…そんな危険性も考えられた。

 

――しかし、オッタルは気づいた。

 

鏡に映った文字に込められたバーンの力の残滓に、その異質さに、異常さに、異形さに

『この手紙の送り主を、放っておくのは危険だ』そう判断した

コレを自分に送った人物の風貌と真意を、確認しておく必要があったからだ。

 

無論、オッタルとてのこのこと相手の要求にしたがった訳ではない。

留守の間に主神フレイヤの護衛として、Lv6の者を数人置いてきてある

また予め決めておいた合図がなかったら、もしくは時間までに自分からの連絡がなかったら、直ぐにファミリアの者がココに乗り込む手筈になっている。

 

「何、用件というのは大した事ではない。手紙に書いてあった通り、其方と世間話がしたくて手紙を送ったのだ」

「………」

「迷宮都市オラリオに存在する数多の冒険者の中でも最強と名高い男、迷宮都市唯一の『Lv7』の冒険者、最強の一角と名高いフレイヤ・ファミリアの団長である猛者オッタル…出来ることなら、直にあって話してみたいと思うのが人情だと思わぬか?」

 

目で殺すとは、正に今のオッタルの様な目つきの事を示すのであろう

人の肉体くらいなら簡単に貫けそうなその眼力と迫力、それを真正面から受け止めながらも大魔王は言葉を続ける。

 

「…人に話をせがむ前に、先ずは己の事から語るのが礼儀ではないか?」

 

静かに重く、オッタルは言う

それを聞いて、バーンもまた『確かに』とククっと笑って

 

「余は嘗て魔王と名乗り魔王軍を結成し、地上世界を滅ぼそうとした。だが勇者に敗れて、その計画は失敗に終わった」

「…それで?」

「九死に一生を得た余は、新たに魔王軍を結成すべくこの迷宮都市に将来有望な人材を発掘しに来た訳だ…ここまで言えば、もう察しがついたかな?」

「断る」

「そうか、ならば仕方ないな」

 

バーンの誘いを間髪なくオッタルは切り捨てる

そしてバーンも特に気にする事無く、酒を飲んでいる

仮にも魔王と名乗った人物があっさり引き下がるのを見て、オッタルは改めて警戒しながら尋ねる。

 

「随分とあっさり引き下がるのだな」

「その気のない者を無理に引き入れるつもりはない。余に対して心から、魂から、真の忠誠を誓ってくれるものでなくては…あの者達には勝てぬ」

「ならば尚更無理な話だな、我が心と魂は女神フレイヤに捧げている」

「…で、あるだろうな。それでは仕方あるまい、潔く引き下がるとしよう」

 

オッタルは尚も警戒しながらバーンを見るが、目の前の老人からは戦意も悪意も感じない。

店内の気配にも絶えず注意を張り巡らせていたが、今店にいるのは自分たちや店員を含めて精々十人

それに時間は迷宮都市の稼ぎ時だ、何か揉め事が起きれば外の通行人の目に嫌でも止まる。

 

仮にそれが無かったとしても、自分に対して不埒な行いをすれば…それは即ち「フレイヤ・ファミリア」への宣戦布告になる。

 

(……現時点で、自分と揉め事を起こして得られるメリットはないな……)

 

となれば、このバーンが語った事は大よそ真実だろう

世間話がしたかった、あわよくば自分に引き入れたかった、だが無理強いをするつもりはない。

 

だがしかし、オッタルはどうしてもソレで終わりだとは思えなかった

まだこの老人は、自分に対して何かしらの目的があると踏んでいた。

 

そして、そのオッタルの心情を見透かした様に…バーンが再び口を開く。

 

「もう薄々察しがついていよう? ほんの少々、其方には余の戯れに付き合って欲しいのだ?」

「…戯れ?」

「うむ、迷宮都市最強の力を…余に教えて欲しい」

 

グイっと、グラスの中の清酒を飲み干す

空になったグラスをカウンターに置いて、バーンはオッタルに告げる。

 

「――猛者よ、余と一つ力比べをしてみぬか?――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




――日間ランキング、9位に入ってた…(驚愕)――

どうも作者です!まさかのランキング・ベスト10に入った事を知って、やばい位にテンションが上がりスピードアップに成功しました!
次回もこのペースを維持できたら良いなと思っております!

さて、今回は勘違いが勘違いを呼ぶ展開になってきました
ベルくんからするとリューさんは「人身売買クソ野郎」
リューさんからするとベルくんは「人の過去を穿りに来たハイエナ野郎」
という感じになっております。

作者的には、あまり他の人とネタ被りはしたくなかったので「いっその事、滅茶苦茶こじらせてみようかな?」という具合でこの展開になりました。
さて、次回はベルくんのオラリオでのデビュー戦です。多分この作品始まって以来のガチバトルになるかと思います(対アダマンタイト兵は別)

そして次回、バーンさまとオッタルさんの「力比べ」の方も書く予定です!それでは!


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夜戦

「…力比べ、だと?」

「ウム、迷宮都市最強の力をこの身で直接感じたいのだ」

 

バーンの誘いを聞いて、オッタルは更に周囲に対して警戒を強める。

相手が何か怪しい行動を起こせば、即座に行動に入れる様により意識を高めていく。

相手が言った事は、ある意味自分への宣戦布告だ。

今までの行動から察するに、このバーンという老人は絶対に警戒しなければならない相手

いつでも腰に携えている得物を抜ける様に、オッタルは構えて

 

「そう肩肘を張る出ない。言っただろう?其方と事を構えるつもりはない」

「………」

「だから、その物騒な物を使う必要も意味も無い。此処は酒場だ、酒を飲み、酒を楽しみ、酒を愛でるための場所だ

故に、余もこうして手ぶらで来ておる…常に警戒心を忘れないのは戦士として必要な事だが、それと同時に心のゆとりや遊び心も持っている事も必要な事だぞ」

「……戯言だ」

「違いない、良い酒に巡り合えて余も大分酔いが回っておる。これでは何処かの助平爺と一緒だな」

 

ククっと、バーンは口元を緩めて小さく笑う。

ある意味挑発的にも見えるその笑み、普段のオッタルなら付き合いきれぬと店から出るか、本当の事を語れと睨み付けて凄んでいる所だろう

だが、オッタルは何れもしなかった。

バーンという老人の笑みは、一切の嫌味や嫌悪を感じなかったからだ

それ以上に、オッタルはバーンに対してもっと広くて大きく深い『何か』を感じていた。

 

オッタルにとって、女神フレイヤは太陽であり大空であり風の様な存在だ

だがこのバーンに対しては、それとは違う『何か』を感じた。

 

何かとは?と聞かれれば…恐らくオッタル自身も応える事は出来なかっただろう。

だが様々な意味でこのバーンという男は、オッタルにとって無視できない存在となっていた。

 

「フム、落ち着いた様だな…では、ゲームと行こうかな?」

 

次いでバーンは店内を見回して、手頃な台座を見つける。

それを指差して店主に尋ねる。

 

「店主よ、その台座を少々借りても?」

「ぇ?ええ、構いませんが?」

「感謝する」

 

壁の脇に置いてあるテーブルと同じ高さの台座を、バーンは借り受ける。

次いでその台座をひょいとオッタルの目前まで運び、どかっとその台座の上に自分の肘と腕を乗せる。

 

「…シンプル・イズ・ベストと行こうか。ゲーム内容はアームレスリング、まあ腕相撲だな」

「……何?」

「ルールも同じだ。相手の手を台座に叩き付けた方が勝ち…負けても特にペナルティーやデメリットはない、これはあくまで純粋な力比べなのでな」

 

確かに、『力比べ』としてはこれ程までに単純明快なゲームは他にないだろう

ルールを教えれば幼子でも理解できる、力が強い者が勝つというそのルール。

 

「………」

 

確認を取る様にオッタルはバーンの腕を見る、目の前にある老人の腕は年の割には肉付きが良いが…それだけだ。

確かに言葉では言い現せない凄みと迫力があるが、それと腕力は別問題だ

まして自分はこの迷宮都市唯一の『Lv7』、戦闘では勿論の事、ただの腕力でもこの迷宮都市に並ぶ者などいない。

 

 

だがしかし、それなのにオッタルは台座に着いた。

 

 

こんな余興に付き合う義理はないが、オッタル自身が興味を抱いた。

目の前の老人に、このバーンという男に

果たして見たまま老人なのか、それともそうではない『何か』を秘めているのか

それを確認してみたくなったからだ。

 

「そうこなくては」

「怪我をしても、自己責任という事を忘れるな」

「無論」

 

台座の向こうでバーンが楽しげに笑う

そして両者の手が組み合って、台座の上で戦闘態勢をとる。

 

「店主よ、済まぬがジャッジを頼む」

「…承知しました」

 

軽く頷いて、店主はカウンターから台座の横に着く

次いで組み合った二人の手の上に、自らの手を置いて

 

「それでは、恐れながらジャッジを務めさせて頂きます。両者共にまだ力を入れない様に」

 

二人の手の力具合を確認し、二人に目配せする

二人が小さく頷くのを確認して、店主は開始を告げる。

 

「…レディー…ゴォー!」

 

その言葉を合図に

大魔王と猛者の戦いが幕を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

月明かりだけが照らす街道の中、二つの影が踊っていた。

荒く激しいステップを踏んで、手に持った得物で火花の演出をして、BGM代わりに硬い衝撃音と高い衝突音が鳴り響いていた。

 

二振りの刃が闇夜に、幾多の閃光のアーチを描く

白銀の鋼棍が漆黒の中で、数多の瞬光となって咲き乱れる。

 

一瞬一瞬の内に、眼前に閃光が横切って空気が切り裂かれる

切り裂かれた空気が頬を撫でて、肌をチリチリと刺激していく。

 

互いの得物と得物、一撃と一撃

それらが噛み合い衝突すると、得物を伝って衝撃が全身に駆け巡る。

 

白銀の軌道を描いて迫る棍の一撃が、ナイフの横腹を滑っていく

白髪が靡いて揺らしながら、ベルはそのまま相手の間合いをナイフで滑り込んでいく

次いでショートソードが三日月の軌道を描いて目の前の相手に迫るが、迫る一撃をリューは棍を反転させて抑え込む。

 

一撃を止められても、ベルは止まらない。

既に相手は自分の間合いの中、即座に体を捩じる様にその場で反転させてナイフで水平に薙ぐ

ナイフの横薙ぎをリューは再び銀棍で捌く、ナイフを捌くと同時に胴体目がけて刺突を放つ。

 

だが、止められる。

 

既にベルのショートソードは戦闘態勢に戻っていた、迫る一撃の横腹を斬り付けて互いの得物が大きく弾き合う

互いがその場で反転し回し蹴りへと繋げるが、互いの蹴りが激突する

互いがその衝撃に大きく仰け反って、その勢いに乗じて二人は再び距離を取った。

 

――強い――

 

互いが互いの姿を瞳に収めがら、そう評価する。

 

(……明らかに僕より格上の相手だ。バーン様の修行が無かったら、もう何度も敗けてる……)

(……低く見積もっても、Lv3以上の実力…それにステイタスに頼った戦いをしてない所を見るに、相当な熟練者……)

 

互いが互いに、目の前の相手が強敵だと判断する。

 

(……1対1でも苦戦するのに、援軍が来られたらマズい……)

(……戦いが長引く程、人の目に触れる可能性が高くなる……)

 

(……これ以上、時間を掛けるとまずいかも……)

(……長期戦だと、その分リスクが高くなる……)

 

故に二人は、ほぼ同じタイミングで同じ結果に至る。

 

――ならば、答えは一つ――

――全力を持って、速やかに目の前の相手を打倒する――

 

今までの様な様子見ではなく、本格的に心身共に戦闘状態に切り替える

より目の前の相手に集中し、より力と意識の照準と標準を強く定める。

 

ギリギリと、空気そのものが歪み軋んでいく様な錯覚が場を侵食していく

一呼吸分の静寂を挟んで、再び互いが動く。

 

「――シっ!」

 

灰色のコートと外套が大きく靡いて、リューはベルに全速を持って距離を詰める。

空間を跳躍した様に錯覚してしまう程の、爆発的な速度

だが、ベルの双眼はその動きをしっかりと捉えていた。

 

(……速い、でも見えない速さじゃない!……)

 

相手が自分の間合いに飛び込んで来たと同時に、ベルは迎撃の一撃を放つ

だがそれは空を切る、目の前の相手がベルの視界から『消えた』。

 

「…っ!」

 

瞬間、ベルは相手の行動に気づいたが…もう手遅れだった。

ベルの迎撃に合わせて、リューは前傾気味の体勢を更に下に沈めたのだ

瞬時にしてベルの視界から抜ける程の、地面スレスレを滑走する超低走法。

 

次いで吸い込まれる様に、銀棍がベルの脚にめり込んだ。

 

「っ!!」

 

肉に食い込み骨を砕こうとする、その衝撃その激痛

機動力の要である足に奔るダメージに、ベルの動きは一瞬硬直して

 

その絶対の隙を、リューは見逃さない。

 

獲物の顎を目掛けて、棍を思いっきり振り上げる

相手に狙いに気づいたベルが、咄嗟に両の刃でガードする。

 

刃越しでも、両腕が粉々になりそうな衝撃が伝う

その桁違いの威力に、ベルの体は一瞬持ち上げられ

 

ガラ空きになった腹部に、銀棍が突き込まれた。

 

「ごがあぁ!!」

 

ベルの喉から苦悶の声が吐き出される。

ズブリと肉に食い込む激痛、メキリと骨を破壊しようとする鈍痛、ゴリゴリと内臓を蹂躙する苦痛

己の体に風穴を作りかねない痛苦が、灼熱にも似た痛みが、一瞬でベルの脳髄を支配する様に駆け回る。

 

気づけば、ベルの体は宙に流れていた。

浮いた体に突きを叩き込まれたのだ、その衝撃で後ろに飛ばされるのは当然だった

数瞬の間宙を漂って、ベルの体は地面に肩口から着地してゴロゴロと転がる。

 

(――仕留めた――)

 

その必殺の手応えに、リューは勝敗が決した事を確信する。

一撃の感触から察するに、仕込み防具の類は無く確実に生身の肉体に入った

思わぬ強敵だった故に手加減できなかったが、相手の力量を察すれば気絶程度だろう。

 

(――まだ誰かが気づいた様子は無い、すぐに拘束してここから離れないと――)

 

先ずは相手がどの程度の動きをしているのか、確認する為に尋問する必要がある。

さっさと拘束してこの場から立ち去ろう、そう判断してリューは倒れたベルに歩み寄ろうとして

 

 

次の瞬間には、眼前に白刃が迫っていた。

 

 

「っ!!」

 

瞬時に棍で迎撃に出る、『ガキン』と硬く重い衝撃がビリビリとリューの全身を駆け抜ける

目の前には、揺れる白髪と戦意を滾らせた紅眼、戦の空気に当てられたその表情

ベルは一撃を喰らっても尚、リューに喰らいついていた。

 

(……おかしい……)

 

迫る二つの刃を捌いて弾きながら、リューは疑問に思う。

先の一撃は必殺の手応えだった、仮に気絶や失神はしなかったとしても、そのダメージで悶絶してのた打ち回っている筈

間違っても直ぐには起き上がったりは出来ない筈、だが相手は瞬時に飛び起きて尚も変わらず寧ろ一層苛烈に攻めてくる。

 

(……いや、効いている……)

 

得物越しに伝わる衝撃は、僅かだが先程よりも弱くなっている

それに相手の必死の形相も、痛みとダメージを堪えているモノだろう

だが、その事を含めて考えても…やはり警戒をしなければならないだろう。

 

(……頑丈さだけで言えば、Lv4クラスと判断した方が良い……)

 

一撃で仕留めるのではなく、ある種の流れを組み立てて攻めた方が良いだろう

『将を射んと欲すれば、先ずは馬から射よ』という言葉がある様に、先ずは相手の動きを奪う

それにこの後の事を考えると、先ずは機動力を奪っておいた方が良いだろう。

 

(……先ずは足から潰す……)

 

再び二つの銀閃が交わり、二つの得物が噛み合った。

 

 

 

 

 

 

 

――どういう、事だ?――

自分の身に起こっている事に対して、オッタルは信じられない様に独白する

オッタルの視線の先には、自分の手と組み合っているバーンの細腕

二人の手と腕は、ゲーム開始から今のこの時まで、一切動いていない。

そう、オッタルが力を込めても尚…バーンの腕は微動だにしていなかった。

「どうした猛者よ?既にゲームが始まっているぞ?」

「…っ!」

挑発にも似た声が響いて、オッタルは更に力を込める。

戦士系の『第一級冒険者』でも捩じ伏せられる程に力を込めるが、その老人の細腕は尚も動かない。

(……馬鹿な……)

単純な力において自分と渡り合える者などいない、精々が自分のファミリアの一部の団員か『ロキ・ファミリア』の精鋭位だ

だが、もし仮にそんな者達が相手でも…こんな事にはならない

自分の渾身の力と五分に渡り合う…ましてや、今の様に微動だにせず受け切れる者などいない筈。

「…フム、どうやらコレでほぼ全力の様だな…少々買い被っていたかな?」

「…っ!」

「迷宮都市最強の男、唯一のLv7、最強のファミリアの団長…どんな豪腕の持ち主かと思えば、よもや老耄の細腕一本にも劣るとは」

嘲笑にも似た笑みを形作って、バーンはオッタルをそう評する。

「其方がコレでは、程度が知れるな」

バーンは笑う。

「其方も、其方が所属するファミリアも、そして何より」

バーンは嗤う。

「――女神フレイヤとやらの程度も知れるというものだ――」

バーンは嘲う

そして次の瞬間、オッタルの感情が爆ぜた。

「貴様あああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

店中を揺るがすかの様な咆哮、その叫びと共にオッタルは腕力を爆発させる。

主神を嘲笑う目の前の相手に、そしてそんな相手に苦戦している自分自身に

オッタルは怒りの感情を滾らせて、更に腕に力を込める

目の前の細腕をヘシ折る勢いで、オッタルはその渾身の力をバーンの腕に注ぎ込む。

 

「ハッハッハ、威勢の良い事だ」

 

愉快気に楽しげにバーンは笑って、力の均衡が徐々に崩れる。

オッタルの腕が徐々に押していく、猛者の豪腕が大魔王の細腕を押していく。

 

「だがな、猛者よ」

 

次の瞬間、止まる。

 

「――魂だけでは、余を斃せぬぞ?――」

 

だが、それでも大魔王には届かない。

オッタルの全力を持っても、バーンの細腕はオッタルの全力を受け止めていた。

そして、徐々に大魔王の腕がオッタルの豪腕を押し戻していく。

 

「嘗めるなああああああああああぁぁあぁ!!」

 

だが、再び止まる

今度はオッタルが大魔王の力を受け止める。

 

「ほお、流石だな…っ!」

 

感心した様にバーンが呟く、オッタルの反撃を受けて尚も楽しげに笑う

両者の腕と力はそのまま拮抗し、ゲームは膠着状態に陥る

ゲームは再び振り出しに戻る

バーンは愉快と笑いながら、オッタルは睨み付けながら、そのゲームに興じる。

 

だがしかし、このゲームは間もなく終焉を迎える

次の瞬間、今まで二つの強者の力の土台となっていた台座が音を立てて崩れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぐぁ!」

 

苦悶の声と同時に、ベルは表情を歪める

ゴキリと、足から鈍い音と鈍く重い痛みが神経を伝って昇ってくる。

 

戦況は、徐々にベルが不利なものになって行った。

 

元々格上の相手というのもあったが、相手の狙いに気づくのが少し遅かった

相手は入念に確実に、自分の機動力を…足を潰しに来た

その事に気づいたのは、既に足に大きなダメージを抱えた後だった。

 

(……このままじゃ、マズい……)

 

攻撃・防御・移動、あらゆる面において足というのは要の部分だ

そこを潰されると、全てがなし崩しになっていく。

その証拠に、既にベルは幾度となくクリーンヒットを貰い、確実にダメージが蓄積されていた。

 

本格的に手遅れになる前に、撤退も視野に入れなければならないだろう。

しかし、目の前の相手がソレを許すはずもない。

 

再び白銀の閃光が、ベルに向けて放たれる。

一閃二閃三閃四閃と、絶え間なく連続で突きと横薙ぎが放たれる

足に踏ん張りを利かせると、その瞬間激痛が走り、どうしても対処が甘くなる。

 

故に、力の均衡は破れる。

 

「ぐぅ!」

 

振り上げた右手首に、カウンター気味に銀棍が食い込み

その瞬間、右手のショートソードが大きく弾き飛ばされた。

 

「しまっ!」

 

弾かれた得物を目で追ってしまう、そしてベルがその『失態』に気づいた時は既に手遅れだった

最初に感じたのは、頬に当たる硬く冷たい感触だった

頬に触れて、そのまま押し込まれ、食い込んで、視界ごと大きく顔面が真横に弾かれた。

 

「ご、がっ…!」

目の奥で火花が炸裂する、頭の奥底で爆発が起きた様な錯覚に陥る。

口の中が鉄の味で埋め尽くされる、視界の端で赤い飛沫が宙を舞っていた。

 

頭蓋が砕けた様に錯覚してしまう程の衝撃、遅れてやってくる痛み

顎にも大きく衝撃が来た事によって、平衡感覚も大きく乱れて足元が覚束なくなる

もはやベルの体は、糸の切れた傀儡と変わらなかった。

 

(……ま、負ける……)

 

既に相手は次のモーションに移ろうとしている

ソレを放たれたら、自分の負けは確定するだろう。

 

頭の奥で、誰かの声が響く。

ならばどうする?と、どうすればこの状況を打開できる?と

絶え間なく、ベルの脳内に疑問の声を投げかける。

 

そして、相手が止めの一撃を放つ…その直前だった。

 

 

 

――苦しい時こそ、ニヤリと笑え――

 

 

 

その声が頭の奥底で響いた

それはいつかの師の言葉であり、大魔王の教えだった

だから、ベルは笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……何て、頑丈……)

 

リューは呆れた様に、頭の中で呟いた。

この白髪の少年は既に何度か『決定打』を叩き込んだ筈なのに、まだ相手は二本の足で立って自分の攻撃を凌いでいる

脅威のタフネス、桁違いの耐久値だ

先程までの戦い振りを見るに、状況次第なら『Lv4』クラスの冒険者にも勝てる実力を持っている

この年齢でこの領域に辿り着くには、生半可な事では出来なかった筈だ。

 

(……だが、もう持たない筈……)

 

眼に見えて相手の力と速度がダウンしている、ダメージ自体も相当溜まっているだろう

念入りに足を狙った事で、一気に戦況が傾いた

攻守共に足の踏ん張りが利かなくなって、かなり体の軸がブレてきている。

 

(……これで決める!……)

 

相手の振り下ろしに合わせて、こちらも迎撃に出る

狙いは剣ではなく、それを支える手もしくは腕…相手の速度が落ちている今なら、狙うのは容易い。

 

確かな手応えと感触、棍を払うと共に少年の手から剣が弾かれ飛ぶ

これで攻撃力は半減、リーチに至っては半分以下だ

無論、この機を逃す筈もない。

 

ガラ空きになったその横顔に、渾身の一撃を放つ

その一撃は吸い込まれる様に、少年の頬に食い込んだ。

 

「ご、がっ…!」

 

紅い飛沫が舞う、頬を或いは口の中を切ったのだろう

少年の体はグラリと傾いて、力なく横に流れる

完全なる無防備、今ならどんな攻撃でも綺麗に入るだろう。

 

(……次で、止め!……)

 

狙いは鳩尾、この一撃で終わりにする

そう思って、リューが踏み込もうとした時だった。

 

 

――ニヤリ、と少年が笑ったのは。

 

 

「っ!」

 

思わず踏みとどまる、繰り出そうとした攻撃に一瞬ブレーキをかける

その絶対の勝機を前にして、リューは攻撃の手を一瞬止めてしまった

その不適な笑みを見て、薄れつつあった警戒心が蘇ったからだ。

 

数瞬の時間の空白。

 

そして、その数瞬の間が相手にとっての生命線となった。

その僅かな間で棍の先をナイフで強引に横薙で叩いて、そのまま体を横に逃がす

結果として、自分の攻撃は相手の脇腹を掠めただけで終わった。

 

(……今、確かに笑った……)

 

この状況で笑みを浮かべる理由などない。

だがもしも、それに足る理由があるとすれば…まだ相手には余裕や余力があるという事

今のこの状況から逆転し得る、勝機を持っている可能性があるという事だ。

 

(……援軍や伏兵の気配は無い……)

 

可能性があるとすればその辺りだが、今の少年の状況を考えると最早出し惜しみする理由はない筈

恐らくその方面はないだろうが、どうやらまだ油断はできないのは確かな様だ。

 

(……だけど、これ以上時間を掛けるのも愚策……)

 

ならば、取るべき行動は一つ

油断せず警戒しつつ、速やかに勝負をつける。

 

その事を頭に刻み込んで、リューは再び構えた。

 

 

(……どうして、この人は攻撃を一瞬止めたんだ?……)

荒く息を吐きながら、ベルは相手の不可思議な行動に疑問を覚えた。

今のは自分の視点から見ても、絶好の勝機だった筈だ

もしも先の一撃をそのまま放たれていたら、自分はもう為す術もなく道に転がっていただろう。

そして、相手がそんなチャンスを前に躊躇する筈がない

自分が出来た事と言えば、それこそ無意味に笑う事くらい――。

 

(……まさか、たったそれだけで?……)

馬鹿な、とベル自身も自分の考えを否定する。

たったそれだけで、絶好のチャンスを躊躇うものか…と、思わず否定するが

(……じゃあ、僕ならどうしてた?……)

今のこの立場が逆だとして、止めの一撃を放とうとして…もしも相手が笑ったら?

(……有り得ない、話じゃない?……)

自分でも、躊躇したかもしれない

警戒して、行動が半歩送れたかもしれない

本来なら存在し得ない『一瞬の空白』が存在していたかもしれない。

その事に思い至った瞬間、再びベルの頭にとある言葉が過ぎった。

――苦しい時こそニヤリと笑え――

――虚仮やハッタリも時には武器の一つになる――

――疲れた時こそ、呼吸を整えよ――

(……そうか……)

此処に来て、ベルは自分の思い違いに気付いた

自分は今日、念願の迷宮都市オラリオにやってきた

冒険者になるために、自分の夢と理想の新たな一歩としてやってきた。

そう、今までとは違う『特別』な場所にやってきた

冒険者という『特別』な職に就くのだから、何か新しい『特別』な事をしなければ

そんな風に、心の何処かで思っていた。

(……心の何処かで浮かれていた、浮ついていた……)

間違っていた、とは言わない…だがもっと早く気づくべきだった。

何も『特別』な事をする必要はない。

(……呼吸は深く大きく、体は熱くとも頭は冷やす、疲れた時こそ呼吸を整える……)

頭の熱を排出するように、ゆっくりと深呼吸をする。

(……如何なる困難でも思考は止めない、如何なる危機でも冷静さを失わない……)

師の教えを心の奥で反芻しながら、現状を確認する。

(……今の自分じゃ、この人の攻撃をもう避けられない……)

――ならば避けない――

(……この足じゃ、撤退ももうできない……)

――ならば逃げない――

(……この人は僕よりも早い、逆転するには相手の足を止める必要がある……)

――ならば止める――

 

相手が攻撃を再開する前に頭を冷やせたのは、幸運以外の何物でもないだろう

頭は冷えた、考えも纏まった、ならば後は実行するだけだ

残った得物であるナイフを構えながら、ベルは静かに決意を固めた。

 

 

 

 

 

僅かな静寂を挟んで、再びリューが動く。

相手がどんな余力や勝機を隠し持っているのか知らないが、もはや関係ない

相手が既に死に体なのは確実、迅速に確実に決着をつける。

路上を滑走して、一息に間合いを詰める。

それとほぼ同じタイミングでベルも動く。

リューが得物を振るい白銀の閃光が縦横無尽に駆け回り、ベルに唸りを上げて襲いかかる。

(……何とか、間合いに入らないと!……)

ナイフでの防御が間に合わず、二度三度と攻撃を受けるがベルは構わず距離を詰める

相手の得物と自分の得物では、リーチと間合いに絶対的な差がある

ならば被弾覚悟で飛び込む事しか、ベルには活路がない。

もとよりダメージを抱えた体では満足に回避をできない、残る手段は最短距離で突っ込む事だけ

そしてそれはリューも理解している。

(……やっぱり、防御力に物を言わせて突っ込んできた……)

故に自ずと狙うべき物が見えてくる。

リューの瞳が、ベルの手の中にある白刃に定められる

敵が持つ最後の得物、アレが失くなれば相手の攻撃力は皆無となる。

ベルが更に距離を詰める、その一歩を踏み込んで漸く己の間合いに入る

走りの勢いをナイフに伝わらせて、逆転の一手を図る。

そしてベルの一撃に合わせて、リューは銀棍を思いっきり振り抜いた。

「っつぅ!」

再び紅い飛沫が舞う、ベルの顔が苦痛と激痛で歪む。

カウンターの一撃、手首の先が粉々に吹き飛ぶ様な衝撃だった

ベルの手からナイフは弾かれ、次いで鮮血が吹き出して、何本かの指があらぬ方向に曲がっていた。

だが、それでもリューは止まらない

この絶好の勝機を、二度は見逃さない。

渾身の一撃を、相手の腹部目掛けて思いっきり突き込んだ。

「―――っ!」

声にならない悲痛な音が、ベルの喉から漏れ出る

その体が『く』の字に曲がり、その動きが止まる

肩まで走るような渾身の手応えに、リューは己の勝利を確信する。

(……やっと、終わった……)

思わず息を吐く、勝敗が決した事について一瞬だけ安堵する。

その時だった。

――やっと、止まってくれた――

ヌルリ、と紅い瞳がリューに照準を合わせていた

その眼光を見て、リューは相手の心がまだ折れていない事に気づいたが――既に遅かった。

ガシリと、ベルは腹に突き込まれた銀棍を堅く握る

次いで棍を体から外して、そのまま全力で棍ごと相手を引き寄せる。

「うおおおおおおおおおぉぉぉぉ!!」

ベルは獣の様に咆哮して、空いた片手…砕けた掌を相手の胸に思いっきり叩き込んだ

砕けているとはいえ、ベルが全力の闘気を込めた掌底

その一撃はリューの胸に食い込んで、衝撃が打ち抜き、奇襲にも近いダメージを与える

だが…

(……玉砕覚悟のカウンター、でもこの程度なら!……)

リューは倒れない、その一撃は決定打に成りえない

体術は否応なしに体重や筋力によって威力は増減する。

ベルは小柄で体重も軽く、足も踏ん張りが効いていない状態での、砕けた掌の打ち込み

如何に闘気で強化した一撃であっても、それは相手を倒す決定打にならなかった。

故に

 

 

「―――ライトニング―――」

 

 

ベルは更に咆吼した。

「バスタアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァ!!」

その瞬間、ベルの掌から闘気が射出される

零距離でリューの胸に食い込んだ掌から、ソレが撃ち込まれる

次の瞬間、リューの体は弾かれた様に後方に飛ばされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




作者の言い訳

リューさんの悪名時代とそれに関する事について
・リューさんは復讐対象として『疑わしい』者全員を襲った
・ヘルメス様が『疾風のリオン』の事をチラつかせただけで敵意を飛ばす
・リューさんの懸賞金は身内を殺されたギルド職員や冒険者や組織によって懸けられた

というのが、原作で明記されているので復讐時代のリューさんはかなり闇落ちしていた様子
仮にも神であるヘルメスにあからさまに敵意を飛ばしている時点で、今でもリューさんの中では根深い問題
ベルくんもかなり疑わしかったので、リューさんも過去の過ちを繰り返さない為に少し暴走しました

リューさんはベルくんに殺意があるのか?
少なくとも尾行当初の時点ではありません、ベルくんは「怪しい」だけでクロ確定ではなかったので
仮に黒だとしても、ベルくんに師匠がいる事や人間関係と現在の状況を知るために殺意はありませんでした。
戦闘中でも、できるだけ殺さない様にはしていました。殺し目的なら原作通り小太刀の様な刃物の方が確実です。

今回の戦闘は、色々な偶然が重なって発生した…という感じです。


とまあ、言い訳はこの位にして後書きです。
とりあえず、大魔王師弟の戦いはこれにて決着です。次回はCパート的な話を書く予定です。
ちなみにリューさんとベルくんの間柄において、ギスギスさせる予定はありません。

……だってベルくん、襲撃者の正体がリューさんって気づいていませんので(笑)

リューさんも正体ばれない様に念入りに準備をしたので、チラっと見られたくらいでは素顔バレはしてないです。
次回あたりの話で、リューさんの誤解が解けるためのネタも書く予定です…いつになったらダンジョンに潜るんだろう…(汗)

そしてバーン様の方も、余興は終了です。
オッタルさんに何か仕込んだ?というのも一切ありません。
あくまで純粋に『迷宮都市最強の力』を知りたかっただけです。
『バーン様ちょっと強すぎじゃない?』と思った方、この人は老人形態でもオリハルコンを紙の様にブチ抜く槍を指一本で止める人です。今回は指五本で腕一本です。

今回も割りと早く更新できたので、次回も早めに更新を目標にやっていきたいと思います。それでは!


追伸 知らない間にベルくんが師匠の行動をなぞっていた件について


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終夜

「…あ、が…っ!がほっ!ごほっ!」

リューの体は、弾かれた様に後方に飛ばされていた。

路上を豪快に転がり何とか膝を付きつつも体を起こすが、次の瞬間に噎せ返る様に咳き込んだ。

(……今、何をされた?……)

胸に走った衝撃と今尚疼いている痛みを抱えながら、リューは先の一撃について思い返した。

(……スキル?魔法?…いや、ちがう…アレはそういうモノではない!……)

分類できない、『力そのもの』を射出された…リューはその結論に至る。

カウンターを耐え凌いだと思ったら、まさかの追撃

その一撃は、リューに確かなダメージを与えていた。

(……まともに食らっていたら、危なかったかも……)

あの瞬間、リューは咄嗟に得物から手を離して強引に体を後ろに仰け反らせた。

そのお陰で、ある程度ダメージを緩和できた…だがしかし、その代償は大きい。

直撃こそは避けられたが、予期せぬ攻撃によってダメージを受けた事には変わりはない。

 

「…くっ」

 

壁に体を預けながら、揺れる体と足元を必死に制御して立ち上がる。

リューの手の中に、あるべき得物はない

視線を白髪の少年に向けると、その手には自分の銀棍が握られていた。

 

(……まずい……)

 

形勢逆転…とまでは行かないが、これで自分の優位はほぼ消えた。

衣服の下にはもう一つの得物である小太刀もあるが、やはり現状を考えるとこれ以上の戦闘は危うい。

あの少年が無手での戦闘も心得ているとなると、やはりダメージを抱えた体では先程までの様には戦うのは難しいだろう。

ならば魔法は…と一瞬考えるが、今の状況では詠唱を完成させる事自体が難しく、自分の魔法の性質上使ったら周囲に気づかれる。

 

そしてそんなリューの考えを後押しする様に、ベルは次の行動に移る。

奪った得物を自分の背後に放り投げて、即座に空いた片手で砕けた掌を握り

 

ボキ、ゴキ、ゴキリ、とそんな鈍い音が響いた。

 

「…っ!」

 

そのベルの行動に、リューは思わず目を見張る。

恐らく砕けて歪み曲がった指の骨を、無理矢理にもとの形に戻しているのだろう。

次いで懐から筒を取り出して口で蓋を外し、バシャバシャとその中身を砕けた手にかけていく。

 

そんな相手の一連の行動を見て、リューはギリっと奥歯を噛む。

 

(……決定的に、見誤っていた……)

 

自分はこの少年の事を、決定的に見誤っていた。

 

この少年は、恐ろしく修羅場慣れしている。

この少年は、恐ろしい程に逆境慣れている。

 

そして何より、その精神力。

 

普通なら砕けた片手を庇う所だが、あろう事かこの少年はその手で逆転の一手を打ってきた。

幾ら効果的な手段とはいえ、普通なら砕けた掌で逆転の一手を放とうとしない。

如何に後でポーションやエリクサーで治せると言っても、想像を絶する激痛とダメージは避けられないからだ。

 

頭では思いついても、ソレを実行できる者は少ない

『後でちゃんと治してやるから、砕けている手で全力で殴れ』…こんな事を言われて、果たして何人の者が実行できるだろうか?

 

(……そして現状でも、追撃よりも回復を優先させた……)

 

冷静に考えれば、それは当たり前の選択であり行動

つまりこの少年は、現状においても『冷静』に物事を判断しているという事だ。

それに何より自分は得物を失い、相手はポーションで怪我とダメージを治している、もはや短期決戦には持ち込めない。

 

「…あいつら、何やってるんだ?」

「喧嘩じゃね?なんか派手にやってるみたい」

 

不意に、リューの耳にそんな声が届いた

声の先に視線を向ければ、白髪の少年の背後の路地入口

そこにはダンジョン帰りと思われる数人の冒険者が、興味深げに自分たちを見ていた。

「…くっ!」

タイムリミット、リューはその事を悟る。

これ以上やれば、更に人目はつくし最悪自分は現行犯で取り押さえられる。

そうなれば、最早どうにもならない…故にリューの決断と行動は早かった。

 

 

 

 

「…はあぁー」

気が抜けた様に、ベルは溜め込んだ息を吐き出してその場に座り込んだ。

撤退した敵の背を見送って、そこそこ人気がある路地まで避難して、その瞬間に一気に気が緩んだからだ。

「あーあ、とっておきのポーションだったのに…」

ベルはいつ何時に来るか分からない師匠の『課題』に備えて、常に回復系ポーションを数本携帯している。ジャケットの内ポケットには冒険者御用達の耐衝ケースが仕舞っており、そこに回復薬や治療薬といった薬を常に用意してあった。

「流石に、戦っている最中じゃあ使えなかったしな…」

 

反省する様に一人で呟く

相手の実力を察するに、ポーションを取り出して使おうとした瞬間、確実にポーションの瓶ごと殴り飛ばされていただろう

その後はポーションをしまってあった部分を集中的に狙われて、手持ちのポーションは全て破壊されていただろう。

 

(……戦闘中、もっとスムーズにポーションを使えるようにしておかないと……)

 

砕けていた掌と五指を握って開く、鈍い痛みが走るがさっきまでの激痛に比べれば無いも同然だ

一瓶10万ヴァリス近くする秘蔵の高級回復薬、その効果は十分に働いている様だ。

 

ポーションは体力や魔力の回復においては即効性だが、怪我の治療においてはその品質に大きく左右される。例えばエリクサーや最上級回復薬は、『死なない限り治せる』とまで言われており半死人でも瞬時に完治してしまう程だ。

 

(……二~三日は無理できないかな?……)

 

ベルが今使ったのは高級回復薬だが、流石に治療速度においてはそこまで行かない

骨折程度なら無事に完治こそすれど、その回復には少々時間を要する

後は膏薬や包帯でしっかりと指を固定して安静にしておけば、数日の内に完治する。

 

(……宿についたらしっかりと処置しておかないと……)

 

大魔王の修行で得た経験を踏まえながら、ベルは大体の当たりをつける。

今までの修行生活において、外傷に関する処置の仕方は体で覚えていた。

「ついでに、足の方も治して置かないと…」

そしてベルは更にもう一本、ポーションを取り出す。

裾を捲りあげて、紫に変色して腫れ上がっている部分にかけていく

手に比べれば足の方は大した事はない、一晩寝れば治っているだろう。

「…浮かれてた、かなー」

自分を戒める様に呟く。

先の一戦、避けようと思えば簡単に避けられた筈だった。

路地裏で逃げ切る事も可能だったし、ギルド本部や憲兵の詰所に行っても良かった。

それをしなかったのは、自分が知らない内に驕っていたからだ。

もしもあの襲撃者が撤退しなかったら、あのまま戦闘を続けていたら…恐らくこの程度では済まなかった。確実に自分よりも強い格上だったし、自分の切り札をもってしても仕留められなかった。

(……今思うと、妙に感触が軽いというか…柔らかかったしなー……)

恐らく、胸部に緩衝系の防具でも仕込んであったのだろう。

玉砕覚悟のカウンターでも仕留められなかった以上、あのまま続けていたら恐らく負けていた。

(……あのリューさんといい、さっきの襲撃者といい…此処には僕よりも強い人が、あんな感じでそこら中にいるのかー……)

ベルはこの数年間、血反吐を吐いて骨を砕きながら、大魔王の課す荒行を乗り越えてきた

骸の兵隊や魔物の群れと戦い、野盗や悪賊や賞金首と命のやり取りをした事もある

未だ未熟な身ではあるが、それでも多少は強くなったという自信があった

だがしかし、ここにはそんな自分よりも強い人達がごろごろ居る。

 

(……バーン様も言ってたっけ、考え様によっては一番やっかいな課題だって……)

 

大きな都市になれば、それだけ沢山の人が集まる

故にそれだけ強者や実力者も集まる、単純明快な理屈だ

ベルも頭では理解していたが、ここに来てやっと実感が沸いてきた

ここは迷宮都市オラリオ、この世界において最も強い者達が集まる場所である…その事実とその意味を。

「………」

頭と心と魂で、ベルは今自分がそんな迷宮都市オラリオに来ている事を実感する

その瞬間、ベルは己の中で何かが猛烈に込上げてくるのを感じた。

「…よっし!」

気合の一声と共に立ち上がる、ベルは改めて決意を固める

強くなる、自分はもっと強くなる

祖父が語ってくれた英雄の様に、師匠が語ってくれた軍団長や勇者一行の様に

自分は、もっともっと強くなる…その事を改めて心に刻み込んだ。

「ただいま戻りました」

恭しく一礼して、オッタルは己の主神に帰還報告をしていた。

背中まで流れる様に伸びている、艶やかな銀髪。

ナイトドレスの上からでも解るスラリと伸びた手足、滑らかな曲線を描くくびれ、女性らしさに溢れた豊満な胸、この世の黄金比を思わせるプロポーション

そして銀の前髪から覗かせるその顔

異性は勿論の事、同性ですらも魅了し虜にしてしまう様な美貌

この世に存在するどんな女性や女神であっても、彼女の前では引き立て役にもならないだろう。

女神の名はフレイヤ

迷宮都市オラリオにおける、最強のファミリアと名高い『フレイヤ・ファミリア』の主神

そしてオッタルが絶対の忠誠を誓った女神である。

「おかえりなさい、無事に帰ってきてくれて何よりだわ」

「勿体無きお言葉、ありがとうございます」

主の労いの言葉を聞いて、オッタルは頭を上げて両者が期間後初めての対面をする。

フレイヤは改めて帰還した己の眷属の顔を見て、「あら?」と…何かに気付いた様に小さく声を上げた。

「? 如何がなさいました?」

「いいえ、ただ貴方を呼び出した子は…随分と面白い人みたいだった様ね」

フレイヤは少しだけ驚いた様な表情をして、次いで楽しげに口元に笑みを作ってオッタルに尋ねる。己の主神の突然の問いに、オッタルは少々不思議そうな顔をして

「…そうですね、色々な意味で興味がつきない人物だった事は確かです

当面は敵対する事はなさそうですが、かの者は決して油断のならない、警戒に値する人物でした」

「んもー、そういうお硬い答えじゃなくって、もっとあるでしょ?

顔が好みのタイプだったとか、思わず守ってあげたくなっちゃうタイプだったとか、そういうのが聞きたいの」

「…成程」

ここでオッタルは、己の主神の言わんとする内容を理解する。

それと同時に、二人の間にある決定的な見解の違いについても。

「生憎、件の人物はエルフの老人だったので…そういう対象で見るには些か無理があるかと」

「あら、そうだったの?てっきり貴方好みの娘が相手だったと思ったのに」

「お戯れを、何故そう思われたのですか?」

「……貴方もしかして、自覚ないの?」

「何がでしょうか?」

 

「今の貴方、すっごく楽しそうな…活き活きとした表情をしているわよ?」

 

主神のその言葉に、オッタルは思わず呆ける。

次いで口元に手を当てて、自分の頬を確かめるようにペタペタと触っていく。

その仕草が面白かったのか、或いは愛らしかったのか、フレイヤは小さく吹き出した。

「楽しそう…に、見えますか?」

「ええ、貴方のそんな表情を見るの…本当に、何年振りかしら?」

クスクスと笑いながら、フレイヤはオッタルに告げる

実際、オッタルも自身の表情を自覚していなかったが…その心当たりはあった。

 

「何にしても、貴方にとって良い出会いがあったみたいで何よりだわ

あーあ、私にも何か新しい…刺激的な出会いはないものかしら?」

 

と、悪戯っぽく笑いながらフレイヤは呟く。

その後、オッタルとフレイヤは軽く報告を済ませた後に雑談を交わして、オッタルは退室する。

 

鏡代わりに、窓ガラスに視線を移す。

そこに映る自分の顔はいつも通りに見えた、しかし主神の言う通り…己の胸の中に、種火の様な燻りがあるのを感じていた。

 

思い出すのは、酒場で出会ったとある老人

バーンと名乗り、底知れぬ力の一端を見せつけてきた魔王。

 

腕力一つとっても、己を超える存在

あの異質な迫力と雰囲気、底の見えない覇気と佇まい

深層に出現する竜や『迷宮の孤王』でさえ霞んで見える、その絶対的な存在感。

――あの様な遊びではなく、実際に手合わせしていたら…どうなっていただろう?――

――自分は果たして勝てていただろうか?――

――それとも完膚無きまでに、打ち負かされていただろうか?――

――あの『魔王』に全力の戦いを仕掛けたら、一体自分はその時何を見ただろうか?――

「楽しそう、か」

そんな存在を実際に目にして、直に対面して、確かにオッタルは自身の変化を感じ取っていた。

第一級冒険者になりLv6、Lv7に到達し、迷宮都市最強と言われる様になってから

いつの頃からか己の中で薄れて行き、消えかけていたその感覚、その感情、その激情

得体の知れない、未知なるモノに挑戦する…冒険者としての原点。

 

「――違いない」

 

主神に指摘されて、その実感が漸く追い着いて来た。

自分は楽しんでいる、期待している、熱くなっている。

 

得体の知れない強者の出現に

自分を遥かに超え得るかもしれない、未知なる存在に

自分の想像を遥かに超えていた、魔王と名乗ったあの老人に

こんな気分になるのは、一体いつ以来だろうか?

こんな昂揚感を抱くのは、一体どれほど久しぶりだろうか?

 

今のこの状況を、自分は間違いなく楽しんでいる

オッタルはその事実を噛み締めながら、自室へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふー、大分お客の方は落ち着いてきたね」

 

カウンター越しから客席を見渡して、ミアは呟いた。

繁盛時も過ぎて満員だった客も徐々に帰っていき、今店にいる客は全体の三割程だった。

残りの客も軽く酒や飲み物とつまみを頼む客が殆どで、店としてはやっと一息つける様な状態となっていた。

 

「私は休憩室にいるから、何かあったら呼びな」

 

店員の返事を聞いて、ミアは食堂を出て休憩室に入る。

手近の椅子に腰を下ろして、一息つくと其処に新たな客がやってきた。

 

「ミア母さん、お疲れ様です」

 

ミアが一息ついていると、従業員のシルが労いの言葉をかけてきた

ミアもシルに対して「お疲れ様」と返して

 

「お客さんの方も、大分落ち着いてきましたねー」

「そうだね。ったくリューの奴が早退なんかしなけりゃ、もう少し楽に回せたんだけどねー…何を気にしてるんだか」

「私はちらっとしか見ていないんですけど…あの人はこうー小動物系というか、何かあまり荒事には向いてなさそうでしたよ?」

「私も同意見だね。典型的な田舎上がりの純朴少年って感じだったさ

でも魔物狩猟をしてたってのも嘘じゃないと思うよ。都市外にも魔物は出現するし、冒険者を雇うにも此処までくるか仲介業者を通してクエストを出して、大金を用意して、あとはひたすら待たなきゃいけないからね。もちろん、全ての町や村がそういう対策を取れる訳じゃない」

 

ミアは備え付けのポットから冷水をカップに注いで、グビグビとそれを飲み干す

ついで口元を軽く拭いて言葉を続ける。

 

「だから、魔物狩猟自体は冒険者の専売特許って訳じゃない。上層あたりの魔物程度なら、猛獣や野獣とそれほど大差はないからね。大きな群れや毒持ちでもない限り、罠を張るなり人数で囲ったり、きちんと対策をとれば大体は何とかなる」

「でも賞金稼ぎだと…そういう風にはいきませんよね?」

「当然さ。何せ相手は人間だ、しかもただの人間じゃなくて文字通り札付きの悪…リューだってそうさ、アレも何の関係ない外野から見れば『堅気の人間にすら手をかけた殺人鬼』って所だからね」

「………」

「人間を相手に…増してやそういう連中を相手に商売をするには、生半可な精神じゃできない

それに何より厄介なのが、残党やら仲間身内やらによる報復行為、復讐の連鎖、もうこうなっちまえば後は泥沼一直線さ…勝っても負けても、大抵は碌な事にはならない」

 

何かを思い出すように、ミアはここで大きく息を吐き出して

 

「それはこの都市だって例外じゃない。シルだって知ってるだろ?ほんの五~六年前までは、この街も結構な荒れっぷりだった

でも今の様に落ち着いてきたのはルールの厳格化以上に、組織同士の抗争はリスクが大きいからさ…一時は熱くなって感情に流されても、時間が経てば頭が冷えて落ち着いてくる…要するに、皆疲れちまったのさ」

 

次いでミアは壁に軽く背を預けて、視線を上に向ける

ほんの数年前の出来事を思い返して、更に言葉を続けた。

「どこぞの狂信者や戦闘狂でもないかぎり、争う事に因るリスクとリターンの釣り合いが出来てなけりゃ、小競り合いこそあってもそうそう大事には至らないさ

組織と個人じゃ力が先ず違うからね。組織に喧嘩を売るのと個人に喧嘩を売るんじゃ、リスクやら手間暇が全て変わってくる

勿論リスクそのものが消える訳じゃないが、それでも安全面で言えば雲泥の差がある」

「…改めて考えると、此処も中々物騒ですよねー」

「当然さ。血気盛んな連中が得物もって集まってるんだ、揉め事が起きない方が不自然さ

いくらギルドやファミリアの掟やルールがあっても、やっぱり突発的な事態は起きるもんさ

おまけに、同じ都市内には魔物の巣窟があると来た…争いの火種は、この街じゃそこら中に燻ってる」

人が集まれば、やはりそれだけ争いや諍いの切っ掛けは増えていく

それが血の気の多い若者が集まりやすいオラリオでは、正に自然な成り行きとも言えるだろう。

「でもねこの世の物事は、五体満足な体さえ残っていれば案外何とかなるのさ

冒険者に限らず、金が無くても、職を失っても、家を失っても、仲間や家族を失っても、体さえ無事なら…本気で何とかしようと思えば、案外なんとかなるのさ

そういう意味じゃ、リューは正に典型的なパターンだね」

「確かに」

「だから冒険者やら賞金稼ぎやら、無駄に命を危険に曝す職業に就きたがる奴は総じて馬鹿なのさ

…死んじまったら、本当に何もかもが終わりだからね」

 

「それを言ったら、ミア母さんだってそうじゃないですか?」

「そうだね、元・馬鹿共の代表、そして今は馬鹿共のまとめ役って所さ」

 

小さく笑ってミアは答える

しかし、次の瞬間には笑みを止めて、少し眉間に皺がよった怪訝な表情となる。

「……ここで、話は最初に戻る。もしもあの坊主一味が本当にリュー目当ての賞金稼ぎだったら、さっき言った『碌でもない事』になりかねないからね」

「懸賞金の、出処ですか?」

「ああ、もしもそうならリューの懸賞金は消えていない。リューに懸賞金を掛けた人間の恨みは、消えてないって事だ

オラリオ外でもクエストを受け付けている所だってあるし、個人で腕の立つ者を雇う事も出来るだろう、やり方は幾らでもある」

シルの問いに、ミアは小さく頷く。

リューが嘗て殺めた人間の中には、敵対ファミリアは勿論の事商会の組員やギルド職員の身内も混じっていた

リューの懸賞金は、身内を殺された者達によって懸けられたものだった。

 

今ではその懸賞金もオラリオでは失効している

だが、それで彼ら身内のリューへの恨みが消えた…という訳でもない

ミアが言うように、取れる手段や方法は幾らでもあるのだ。

「身内を殺された憎しみ悲しみは、リューの奴自身が一番よく知っているからね

だからこそ、それによる『万が一』の可能性…嘗て自分が行った『凶行』を、相手がしてくる可能性も考えている筈さ…まあ、流石にいきなり今日リューが何かしでかすとは思わないけど…今の状況が続くと、それも分からないね」

「んー、でもまだ想像の範囲内ですよね。確定できる証拠も何もないし」

「…そうだね。少なくとも、先ずは其処を明らかにしないと…こっちとしては何もできないね」

あの少年が果たして白なのか黒なのか、先ずはそこを見極める必要がある。

だが下手に動いて最悪の事態を引き起こしたら、目も当てられなくなるだろう

動くとしても、よほど上手く動かないとダメだろう。

 

ミアがそんな風に考えていると、そこそこ長い間休憩している事に気づいた。

 

「っと、んじゃそろそろ仕事に戻るかね。とにかく今は仕事仕事」

「そうですね」

 

二人で休憩室から出て、食堂に戻る。

客の数はさっきよりも更に減っており、もう閉店までこんな感じだろう

そんな風に、二人が思っている時だった。

 

新たに一人の客が店にやってきた。

旅人風の帽子と衣服を身にまとった、黄橙色の髪が特徴の痩身の男神だった。

 

「いらっしゃー…って、ヘルメス様?」

「やーシルちゃん。ちょっと夕食を食べ逃しちゃってね、来ちゃったよ」

 

神ヘルメス

オラリオにおいて中堅かつ中立の位置に属する『ヘルメス・ファミリア』の主神

またそれと同時に、よくオラリオを飛び出して旅をする趣味を持つ『放浪神』としても有名であった。

ヘルメスはシルに案内されて、カウンター席につく

軽く摘める物と軽い酒を頼んで、店員やミアと談笑を交わしていき

「アレ?そういえばリューちゃんがいないみたいだけど、今日は休み?」

「ああー、ちょいと事情がありましてね。今日は早退してて――」

不意に気付いた様に、ヘルメスはそう尋ねる

その問いにミアが答えた直後だった、ミアがその考えを思いついたのは。

(……どうせ探りを入れるなら、確実な手段でやった方がいいかもね……)

 

思い返すのは、先の白髪の少年

どうせ動くのなら、確実な成果をだしてくれる方法を取るべきだろう

そう例えば、『絶対に嘘をつけない相手』に助力を頼むと言った方法等で

「ヘルメス様、物は相談なんだけさ――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――中々有意義な日だった――

バーンはオラリオの夜景を見ながら、改めてそう評価する。

あの酒場での一件の後、バーンは店主に代金と迷惑料を払った後に店を出た

流石に街についてまで野宿はしたくなかったので、手配しておいた宿にて腰を下ろしていた。

「収穫は上々、と言った所だな」

――鍛冶神ヘファイストス――

――酒神ソーマ――

――猛者オッタル――

今日という日だけで、これだけ自分を楽しめてくれそうな発見があった。

今日のこの出会いだけを見ても、オラリオにまで足を伸ばしたのは正解だったと言えよう。

そして、この街にはまだまだ自分を楽しませてくれる者が存在している。

最強のファミリアと名高い『フレイヤ・ファミリア』、『ロキ・ファミリア』

天界より降りてきた数多の神々、伝説の魔剣鍛冶師の末裔、本命とも言えるダンジョン

そして、未だ自分が知らぬ未知なるモノ。

此処には、そんなモノ達で溢れている…そんな場所だ。

期待で自然と口元が緩むのを感じながら、大魔王はまだ見ぬ出会いを思い描く。

「さて、一体あやつはどの様に過ごしているか…」

次に考えるのは、街で別れた弟子についてだった。

このオラリオに来る切っ掛けとなったベルの祖父の言葉、ベルには修行以外にも伴侶探しという目的もある事を思い出す。

 

「…まあ、あやつの事だ。今日いきなり女を口説こうとも、手を出そうともせぬだろう」

あの祖父とは対極とも言える性格を思い出しながら、バーンはベルに対してそう結論づける。

ベルは良くも悪くも純真無垢、それに生まれながらの生真面目な性格

例え好みの女を見つけても、アレは声をかける事すら躊躇うタイプだ。

だがしかし、『男子三日会わざれば、刮目して見よ』という言葉もある

恐らく、あっちはあっちでまだ知らぬ経験、思わぬ体験をしているだろう

もしかしたら約束の一週間後、予想外の結果や成果を持ってくるかもしれない。

「本当、退屈せぬわ」

オラリオの夜景を見渡しながら、バーンは静かに笑う。

こうして、大魔王師弟のオラリオでの初めての夜が終わりを告げた。

そこはオラリオの中心に位置する『バベル』の中にある、とある店の一室だった。

神ヘファイストスが経営する武器屋本店、その中にあるヘファイストスの私室の一つにその神はいた。

二つに結んだ、濡れているかの様な照りと艶を持つ黒髪

白いワンピースの服に包まれた少女と言える小柄な体、またそんな体には不釣合いな程に大きく膨らんだ胸

顔は幼さが残る少女そのもの、丸みを帯びた卵型の輪郭、眺めの睫毛に愛らしい大きな瞳

その顔は『女神』の名に恥じぬ造形であるが…綺麗や美しいという言葉よりも『可愛らしい』という言葉が合う。

 

その女神の名はヘスティア

女神ヘファイストスの無二の神友であり、現在はヘファイストスの下で厄介になっている神である。

 

「いやー!やっぱり持つべき物は神友だなー!」

 

彼女は自分の部屋に宛がわれたベッドの上で転がりながら、高らかにそう言う

普段の彼女なら、仕事が終わったこの時間は業務の疲労で寝静まっている頃だ

無論今も疲労が体に残っているが、今の彼女はそれ以上に喜びの方が大きかった。

 

始まりは、今日の仕事が終わった直後の事だった

ヘファイストスに業務終了の報告をしに行った時、ヘスティアは彼女からその話を持ちかけられたのだ。

 

 

――貴女のファミリアに入ってくれるかもしれない子がいるんだけど、会ってみない?――

 

「うふふふふ、ついに僕にも眷属が出来るのかー」

 

ニヤニヤと、その期待を隠せない笑みを浮かべて彼女はベッドの上で転がる

しかし不意に「いかんいかん」と首を振って

 

「いやいや、まだ油断しちゃダメだぞ!まだ紹介なんだ、入る事が確定した訳じゃない!」

 

自分を戒める様に表情を引き締めて、軽く両頬をパチンと叩く。

胸を張って「うむ」と頷くが、それも数秒後にはだらしなく緩んでいく。

 

「…一体どんな子だろうなー」

 

まだ見ぬ相手に想いを巡らせながら、ヘスティアは期待に満ちた笑みを浮かべて考える。

神友曰く、『中々に変わっているが、それ以上に興味深く面白い人』との事だ。

あの神友にそこまで言わせる相手、これで期待するなというのが無理な話だろう。

 

エルフの男性、というのは神友から聞かされているが、それ以外の情報は伏せられている。

これも神友曰く『会ってからのサプライズ』らしい、恐らく下手な先入観を持たせないための神友の配慮だろう。

 

「先ずは何にしても初めが肝心だ、絶対に引き入れて見せる!」

 

そう言って、ヘスティアは自分自身に喝を入れて奮い立たせる

今でこそ『穀潰し』『ただ飯喰らい』『ニート』という不名誉な肩書を背負っているが、彼女とて『未知』と『娯楽』を求めて下界にやってきた神の一柱

遠い昔に挫折し諦めた、自分の眷属とファミリアを持てるかもしれないという現状に、彼女は再び嘗ての熱意と気力を取り戻していた。

 

「よーし!どうせなら夢と目標はでっかくだ!いつかはロキの所なんか目じゃない位に、でっかいファミリアにしてやるぞおぉ!」

 

片手を勢いよく突き上げて、ヘスティアは改めてその夢と目標を自分自身に宣言した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




我らが紐神、満を持して参戦!…という訳で、少々時間が掛かりましたが、今回も無事に更新できました!
やっぱりダンまちと言えばヘスティア様は欠かせない存在なので、当初からメイン格にする予定でした。
ここ二三話でも、大小様々なフラグを立てているので、そちらの方も順次回収していきたいと思います。

ちなみに前回のライトニングバスターについて
感想でも色々な方が仰っていましたが、原作のライトニングバスターとは大分仕様が異なっております。前回のアレは言ってしまえば『ゼロ距離闘気弾』です、技名はベルくんの中でしっくりくる名前…という様な感じです。
…ちなみに原作のライトニングバスターは、イオナズン級の爆発力を体の『内部』に送り込むという死神も真っ青なえげつない仕様です。

さて、今話にて大魔王師弟の長いオラリオ初日は終わりです。
ぶっちゃけ長いの初日だけだと思うので、師弟合流まではサクサクと進めていく予定です。

…本当に、いつになったらダンジョンに潜るんだろう(汗)


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神と神

…修正しまくっていたら、一万文字を超えてしまった。


太陽が地平線から顔を出し終わり朝の陽射しが降り注ぐ頃、ベル・クラネルは目を覚ました。

寝ぼけた頭で、寝ぼけ眼を擦りながら上体を起こす。

 

「いっつ…っ!」

 

ベッドに付いた手から鈍痛が昇ってくる、その痛みでベルの意識は一気に覚醒する。

見知らぬ部屋にいる事に一瞬疑問を覚えるが、その数秒後にはベルは自分がオラリオにやってきた事を思い出す。

そして路地裏で不審者に襲われ、一方的に為す術も無くボッコボコにやられて、何とか凌いで宿に戻ってきた事も。

 

「………」

 

一晩寝て、ベルの頭の中の記憶と感情は整理されていた。

起床直後にベルが感じた事は、己自身に対する絶対的な力不足だった。

 

(……得物さえ握らなければ、大丈夫かな?……)

 

昨日砕けた掌を握る、痛みはあるが昨晩よりも格段に痛みは和らいでいる。

これなら片手と下半身主体の鍛錬なら出来る。

今日と明日は無理をしないつもりだったが、少々予定を変更しよう。

 

「先ずはご飯だな」

 

こういう都市なら、早朝から開店している食事処はある筈

そう当たりをつけてベルは手早く着替え洗顔・歯磨きを済ませて、朝の都市へと脚を運んだ。

 

朝の冷えた空気を吸い込みながら、ベルは朝の街道を歩いていた

ベルの予想通り、早朝出勤の行商人や職人をターゲットにした飲食店の出張販売店が多数あった。

ベルはその中で、ライスの上に自由な具材を乗せる事ができる『どんぶり』という店に狙いをつけた。

「おじさん、大盛り一杯。具材はチキンの照り焼きと生卵、付け合せは野菜スープ」

「はいよ!出来るまで右に寄ってな」

ドワーフの店主の指示に従って、ベルは支払いを済ませて右に寄る

次いで一分程で注文の品が出てきた、底が深めの陶器に山盛りのライスと照り輝く焼き色がついた鶏肉、そして付け合せのスープがお盆に乗せられていた

出来たての朝食からはホカホカの湯気が立ち上り、食欲を揺さぶる香りが鼻腔をくすぐる。

ジワジワと口の中には涎が溜まっていき、眠っていた空腹感が騒ぎ出してくる。

同じ区間には飲食用テーブルも設置されていて、ベルは空いた席で陣取って「いただきます」と一口食べる

――うん、美味しい。ベルは素直にそう思う。

昨日の『豊穣の女主人』の様な丁寧な味付けの料理も良いが、こういう素材の旨みを生かした料理もまた美味い。

ソイソースがベースになっているやや濃い目の甘タレ、歯触りの良い鶏モモ肉を噛むとジュワっと肉汁が溢れて舌を潤す。

鶏皮を噛めば、滑らかな脂とタレが一体となって舌を魅了する

鶏肉を噛めば、ジューシーな肉汁が一気に溢れて口の中が狂喜する

また解いた生卵と一緒にかき込むと、照り焼きの旨味に加えてコクが増し、より一層食欲を誘う。

これにライスが加わると、ガツンと胃にくるのだ。

鶏肉とライスが生卵に包まれる事に、スルスルと口にかき込む事ができる

照り焼きの旨みと生卵のコクとライスの食べ応え、口の中で噛み締める度に美味さが弾けて舌が喜び、それと同時に食欲が一気に揺り起こされて、後は豪快に食い尽くすのみだった。

食が進んでくると、口の中が生卵でベタつき、油でややくどくなるがそこでスープの出番だ。

緑黄色野菜がベースとなっている、コンソメ風味のスープ

これを口に流し込むと、口の中のベタつきや不快感が一気に洗い流される

また野菜ベースなだけあって、口当たりも良くて、胃が重くなる事もなく、爽やかな清涼感だけが残っていた。

看板に豪語されている『早い・安い・美味い』、この言葉に偽りは無いという事だろう。

ベルは綺麗に丼とスープを平らげて、店を後にする。

「…さて、どこを使わせて貰おうかな?」

次にベルは鍛錬に使う場所について考えた。

流石に街道は使えない、ダメージが癒えきっていない体で初めてのダンジョンはリスクが大きい。

都市外に出る、やや遠く時間も掛かるため出来れば無し。路地裏・裏通り、昨日の今日では流石に行く気になれない。

じゃあ、どこを使えばいいか?

ベルはそんな風に考えながら、何となく周囲を見渡した。

そしてその時、都市の城壁に備え付けられてる階段に気付いた。

「――城壁の、上か」

意外に良いかもしれないと、ベルは思う。

あまり人が来る事もないから迷惑も掛からないだろうし、憲兵の詰所もすぐ近くにあるので、異常があれば直ぐに周囲に知らせる事も出来る。ベルは早速城壁の上へと足を運んだ。

 

ベルは昨日の戦闘において、改めて考えてみる。

師匠曰く、自分は俊敏さと瞬発力を駆使して闘うスピード型との事だ。

自分の体格では近接戦と肉弾戦は不向き、よって基本は一撃離脱のヒット&アウェーとの事。

「今思うと、昨日はここで失敗しちゃってたな」

昨日は相手が複数人である事を考慮して、狭い路地裏を戦いの場所に選んだ。

それ自体は間違っていないとベルは思うが、それと同時に自分の長所が生かしきれない場所であるのも事実だと考える。

また相手が一人と解った時点で、闘う場所を移動するという選択もあった。

やはり、まだ自分は思考不足という事を実感する。

「…それに何より、相手の方が完全に格上だったしな」

速度では殆ど差はなかった、なのに自分が一方的にやられたのは相手が上手かったからだ。

自分の足を徹底的に潰して、戦力を削ぎ落とす…とにかく足を動かして闘う自分にとっては、これ以上にない有効的な戦術だった。

それに、無理に相手と打ち合ったのも不味かった。

狭い路地裏と言えど、それなりに横幅はあったし縦移動や高低差を駆使した走法をもっと活かせた筈だ。こうして考えてみると、やはりまだまだ未熟である事をベルは痛感する。

「…やっぱり、足が要になってくるな」

ベルは改めてその答えに辿り着く。

今回は相手の得物が打撃系だったから良かったもの、もしコレが刃物だったら自分はあっという間に両足を潰されていた。

闘気で防御力を上げても、やはりダメージは消しきれない。やはりここは防具の購入も検討すべきかもしれない。

「メタルブーツとか脚甲みたいな防具を買った方が良いかな? でもそれだと重くなるし速度が落ちちゃうしなー…バーン様は装甲系の防具は使わないタイプだし、そういうのに詳しい人にアドバイスを貰えたら良いけど――」

 

だが現状、ベルの周囲にその手の事に詳しい人間がいないのも事実だった。

これが体の出来上がった戦士系なら良かったのだが、生憎ベルの体は冒険者の中では小柄であり、装備品の重量の影響も大きくなる。

だがしかし、流石に今の装備のままでは不安が残るのも事実。

防御力が上がれば、その分だけ攻撃にも集中できる。

『速度を出来るだけ落とすことなく、防御力を確実に上げる』

となると、軽装の防具位なら購入を考えても良いかもしれない。

まだ他に考える点があるとすれば…

「やっぱり、闘気の使い方かな」

 

自分にとって最大の武器であり防具

師匠に教えを受けて六年程経つが、その使い方は実に単純なモノである。

・全身に軽く滾らせておいて、反射的或いは意識的に防御力を高める。

・得物に込めて振り回す。

・手足に込めてブン殴る、蹴り回す。

・密着状態でブっ放す。

「もう少し、手札を増やしておきたいな」

ベルは考える、例えば「闘気を弾丸の様に撃つ」これが出来れば、自分は遠距離戦闘も出来る様になるのだが…やはり物事はそう上手くいかない。

「全然飛ばないし、威力も凄く落ちるからなー」

大きくため息を吐く。

ベルとて、過去にその手の事を幾度なく試したのだが…結果は散々だった。

飛ばせて精々10M、狙った所には全然当たらず、またその時の威力は酒瓶すら割れない程度。

大凡実践では使い物にならないレベルである。

「んー、もっと他に使い方は無いかなー」

ベルは考える。

自分自身が更なるレベルアップをしたいのは当然だが、六日後に会うであろう師匠に新技の一つや二つをお披露目したい。

だが相手はあの大魔王、半端な技、程度の低い技、練度の足りない技、そんな物を披露しようものなら即座に呪文が飛んでくるだろう。

「まあ、どっちにしても…今日は片手と足しか使えないからなー」

と、そんな風にベルは自分の状態を思い出して溜息を吐くが…その瞬間、閃いた。

「足しか、使えない…闘気…」

ベルは自分の両足を見つめて、その閃きを脳内で形に変えていく。

基本自分の闘気の使い方は、『攻撃』か『防御』のどちらかであって…『移動』にはあまり意識して使っていなかった。

闘気の発動はそれ自体が身体能力強化に繋がる、それ故に基本速度も上がるから今まであまり意識していなかったのだ。

故に、ベルは思った。

攻撃や防御と同じように、『移動』にも集中して行えばどうなるのか?

「よっし!」

幸い今自分が居る城壁はほぼ直線、幅も十分広く人もいない

今自分が行う事を試す場としては、正に打って付けの場所だろう。

ベルは軽く足の筋肉をほぐして、アキレス健を伸ばして体勢を整える。

次いで体内で闘気を活性化させていく、十分に活性化させたらそれを両足に集中させていく。

十分に力が集まり、安定したのを確認してからベルはスタンディングスタートの姿勢を作る。

そして、一気に駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

女神ヘスティアは、近年稀に見る程に気合が入っていた。

早朝に起きて神々御用達の大浴場で念入りに身を清めて、昨夜からあらゆる状況を想定してイメージトレーニングもしていた。

弱くたっていい、未熟だっていい

そんな子供達と苦楽を共にし、共に困難を乗り越える。

共に笑い、共に泣き、共に喜び、共に怒る。

そんな一歩一歩を踏みしめて、家族を増やし、ファミリアをより強くしていく。

それこそが、下界に降りてきた神々が見出した『娯楽』だったからだ。

「フフン、今日の僕は一味違うぜ!」

鏡台の前で身だしなみをチェックして渾身のポーズを決める、磨いたばかりの歯がキラリと白く輝いた。『少しはお洒落でもしようかな?』とも考えたが、地に合っていない格好をしてもボロが出るだけだろう。

相手は自分の家族候補だ、ありのままの自分で相手と向かい合わねば意味はないだろう。

それに何より、今のヘスティアは乗りに乗っていた。

テンションMAX、モチベーションは最高潮、体中には血潮と共に熱意と気合が滾り巡っている。

どんな相手が立ち塞がろうとも、今の自分の敵ではない!そんな風にヘスティアは思っていた。

……そう、思って『いた』。

 

 

 

「――其方が、神ヘスティアか?」

 

 

 

結論から語ろう、なんか凄えのがいた。

「じゃあ、後は若い二人でごゆっくり――」

「まてマテ待てえええぇぇ!ちょっと待てえええええええええぇぇぇ!」

待ち合わせ場所のオープンカフェ

待ち合わせ場所までヘスティアを案内したヘファイストスはそのまま立ち去ろうとするが、その肩をガシリと掴まれて引き止められる。

目をこれでもかと見開き釣り上げて、喉を震わせ声を荒らげて、ヘスティアはその小さな体でヘファイストスを必死に引き止める。

「何よ、案内は終わったでしょ? 後は貴方のファミリアの問題なんだから、部外者は去るのが筋ってモノでしょ?」

「紹介した以上、君だって当事者だろ!? というか、コレはどういう事だい!?」

「昨日話したばかりじゃない? 流石に二度手間は嫌よ?」

「そういう意味じゃない! 色々と言いたい事はあるんだけど、とにかく一人にしないで!お願いだから一人にしないで下さい!」

顔面崩壊すら起こしそうな形相で、ヘスティアはヘファイストスに掴み寄る。

ヘファイストスの顔が妙に楽しげに見えるのは、恐らく気のせいではないだろう。

そのヘスティアのリアクションが期待通りだったのか、ヘファイストスはくすくすと笑って改めて二人を見る。

「はいはい。こうなる事は予想できてたから、この後の予定は調整しておいたわ

それにしても、貴女は仮にも神でしょ? 子供の前でそんなみっともない姿は見せちゃだめよ」

「案ずるな、余は気にしておらぬ。寧ろ神の新しい一面を見ることが出来て、感心しておる位だ」

「良かったわね、結構受けが良いみたいよ?」

「良くないよ! ていうか、どうしてヘファイストスはそんな普通にしてるんだ!」

 

「貴方ねえ、私が何で生計立てているのか忘れたの? 一癖も二癖もある冒険者相手に毎日商売しているんだから、今更この程度で動じないわよ」

「ハッハッハ言うではないか、この余を前に『この程度』と言い切るか。 余があと千年若かったら、口説いていたかもしれぬな」

「あら、大魔王さまに口説かれるなんて…私もまだまだ捨てたものじゃないわねー」

「偽りなき本心よ。如何に神が相手と言えど其方程の女なら、周りの男達も放っておかないだろう?」

「どうかしら?でもそういう貴方はどうなの? 大魔王って名乗る程ですものねー、色々な意味で今まで女の子を泣かせてきたんじゃないの?」

「数年前に十四の娘を口説こうとして、手酷く振られたのが最後だな」

「あははははは!何それ!? 近年の大魔王サマはジョークも嗜んでいらっしゃるのかしら?」

「ハッハッハ!あまり褒めるでない、照れるではないか」

「随分と盛り上がっているみたいじゃないか。それじゃあ、邪魔者はこの辺で――」

「勝手に帰ったら、貴女はその瞬間『家なき子』になる事を忘れずに」

「嫌だなー、君達の流れに乗っかっただけじゃないか!」

隙を見て退却しようとした体勢から一転、ヘスティアはくるりと転身して小粋に笑い飛ばす。

しかし笑みを作る顔とは反対に、心の中では『ちっくしょおおおおおおぉぉ!』と激しく慟哭していた。

神友に謀られた

よぼよぼの爺さんを紹介された

というか、昨日店に来た爺さんだった

そんな事がどうでも良くなってしまう程に、今のヘスティアは危機感と焦燥感に支配されていた。

例えばの話をしよう。

今まで碌に動物と触れ合った事のない子供が、羆や獅子などの野獣猛獣を手懐ける事ができるだろうか?

今まで男の手すら握った事のない田舎娘が、裏社会の組織のトップ相手に主導権を取れるだろうか?

今のヘスティアは、自分の境遇をそれ以上に厳しいモノに感じていた。

 

――やばい――

――コイツは超ヤバイ――

――この爺さんは間違いなくヤヴァイ――

そんな危険信号が、絶え間なく頭の中で発信され続けていた。

堕落しきった生活をしていたとはいえ、ヘスティアとて神の一柱

店で会った時は仕事に意識が向いていたので気付かなかったが、こうして対面するとその度合いが解る

目の前の相手がどれ程の相手なのか、どれだけの存在なのか、それなりに感じ取る事はできる。

ヘスティアはちらりとヘファイストスの顔を見る

その顔は特に緊張も緊迫もない、至って普通の顔をしている

確かに自分と神友では経験が違う、ヘファイストス・ファミリアと言えば今や商業系ファミリアでも最大手の一つと言われている

団員の中には『第一級冒険者』も居て、扱う顧客も自然とそれに準ずる者が多い

それに冒険者というのは良くも悪くも、癖の強い人間が多い

そんな連中相手を連日相手にしていれば、確かに今のヘファイストスの態度は自然なモノだろう

やはり今までの経験値の差というヤツだろう。

永い間神友の下で堕落しきった暮らしをしていた自分と、永い間研鑽と修練を積み上げて自分を高めて続けている神友

同じ神と言えど、明確な差が生じるのは当然の事だろう。

そして、その考えが正しければ…これは何もヘファイストスだけの話ではない。

上級冒険者を多く抱えるファミリアの主神、例えばフレイヤやガネーシャでも自分の様にならないという事だ。

つまり、あのいけ好かないロキも…自分の様にはならないという事だ。

「………」

ヘスティアは考える、もしも今この場にロキがいたらどうなっていただろう?

(――ええい!やってやる!やってやるさ!寧ろコレくらいじゃないと遣り甲斐もないってものさ!――)

 

パァンと、勢い良く自らの両頬を平手打つ。

多少面を食らったが、これが自分にとっても転機になるのは間違いない

ヘスティアは改めてそう思い直す。そして大きな胸ごと背筋をピンと張って、改めてヘスティアは老人と向かい合う。

「改めて初めまして!君の主神になるかもしれないヘスティアだ!よろしく!」

「バーンだ。成程、話に聞いていた通り…中々愉快な女神と見受ける」

 

無理矢理に考えを纏めて自らを奮い立たせて、ヘスティアはバーンに笑顔で挨拶をする。

そんなヘスティアに、バーンもまた静かな笑みと共に返す。

二人の自己紹介を終えた所で、ここでヘファイストスが幾つかの提案を出した。

「さて、いつまでも此処で喋っている訳にもいかないし、少し街を歩かない?

昨日聞いた話だと、オラリオは来たばかりなんでしょ?」

「ウム、昨日少々回ったがほんの一部だな。やはり自らの目で見て周り、土地勘を養いたい」

「でもこの街は無駄に広いからなー、バーン君は何処から見たい?服?食べ物?日用品?」

ヘスティアの言葉を聞いて、『フム』とバーンは考える。

確かにこの街はかなり広く、様々な店や露店・商いで溢れかえっている。

ある程度に目的を絞って回った方が、何かと効率が良いだろう。

「先ずは魔法薬を見たい、精神回復系や二属性回復薬を調達したいと思っていた所だ」

「ポーション、か。それならとっておきの神友を紹介するよ」

バーンの希望に合う神友の顔を思い浮かべて、ヘスティアは答える。

とりあえず目的地も決まり、大魔王と神二柱は街道に向けて足を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

――小物だな――

バーンは自分の前を歩くヘスティアに視線を置いて、そう評する。

初対面からこの時まで、それなりに注意深く観察していたが…小物以上の評価をする気にはなれなかった。

深みも凄みもない、覇気も迫力もない、知性も品性も足りない、感じるのは生まれ持った神性程度

だがそれも、隣のヘファイストスに比べれば塵芥も同然だった。

だがそれと同時に、もう一つ別の考えがバーンの頭の中で生まれていた。

(……だがしかし、ベルに宛てがう女としては都合が良いかもしれぬな……)

バーンは脳裏に、白髪紅眼の弟子の姿を思い浮かべる。

神というだけあって、ヘスティアの容姿は女神の名に恥じぬもの

小物と評したが、それと同時に下手な悪知恵や謀とは無縁の女神に思えた。

(……アレも今年で十五、そろそろ『女』というモノを体で知って良い年頃だろう……)

女を知るというのは、様々な意味で男に変化をもたらす物だ。

それに女を知らないままだと、『その筋』の詐欺やトラブルに巻き込まれたら無防備同然。

特にベルの様な性格だと、訳も分からずに有り金と身包みを剥がされて奴隷船直行…なんて可能性もある。

一種の免疫や抵抗力をつける意味でも、やはりこの辺で一つ弟子にちょっかいを出しても良いかもしれない。

――というのが、師匠としての大魔王の建前であり

(……それに何より、その方が面白い……)

というのが、バーンの素直な感想だった。

大魔王の弟子が、女神と深い仲になり、堕とし手篭にする…まるで何処かの喜劇の一幕だ。

別にバーン自身、ベルに対して何らかの指示や強制を行うつもりはない。

それでは折角の催しも、面白さが半減してしまう…あくまで舞台と環境と機会を作るだけだ。

仮にベルが自分とは違うファミリアに入ったとしても、自分を通して幾度と無く引き合わせる機会があるだろう。

折角オラリオにやってきたのだ、楽しみは多い方が遣り甲斐がある。

「着いたよ、ここが僕のイチ推しの店さ」

くるりと、ヘファイストスがバーンの方に向き直る。

どうやら件の店に着いた様だ。小さめの店だがそこには『ファミリア』のエンブレムが掲げられており、神自らが手がける店だろいうのが解る。

「…ミアハ・ファミリアか」

「店は小さいけど、腕は確かな神友だ。きっとバーン君の期待にも応えられると思うよ」

「ほう、それは楽しみだ」

ヘスティアの言葉にバーンは小さく笑い、三人は入店する。

呼び鈴の音が店内に響き渡り、会計席で書物を読んでいた長髪痩身の美丈夫が店の入口を見た。

「おお、ヘスティアにヘファイストスではないか。店に来るとは珍しいな」

「久しぶりねミアハ、店の方は順調?」

「火の車なりに、何とかやれているよ…して、そちらの老人は二人の知り合いかな?」

「紹介するよミアハ、昨日この街にやってきたバーン君だ。バーン君、この男がこの『ミアハ・ファミリア』の主神のミアハさ」

店内に所狭しと飾られている様々な魔法薬を見ているバーンに、ヘスティアが呼びかける。

バーンもまたミアハ視線を置いて、互いに名乗り出る。

「お初に目に掛かる、神ミアハ。余はバーンという者だ」

「ミアハだ、ようこそ我がホームへ。小さな店だが一通りの薬は揃えてある、何か気になる事があったら遠慮なく尋ねてくれ」

「フム、遠慮なく…か」

互いに握手を交わして、バーンは改めて店内を見渡す。

壁際にある回復薬、中央テーブルにある治療薬、カウンター下のショーケースにある魔法薬、店内奥に鎮座している万能薬

それらに一通り視線を巡らせて

「では早速、一つ質問を良いかな?神ミアハ」

「ウム、何でも聞いてくれ」

「――この店では、色の付いた水の事を『魔法薬』というのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあさあ、今日は全部俺の奢りだ!どんどん食べてくれ!」

「ど、どうも」

陽が西に沈み始める夕方、『豊穣の女主人』にてベルはいた。

事の起こりは、ほんの十数分前だった。

城壁の上で訓練を続けていたベルは、辺りが暗くなっているに気づいて一旦訓練を止めて街道に降りた。

そろそろ夕食にしようと思って街道を歩いていると、一人の男神と街角でぶつかったのだ。

黄橙色の髪が特徴的の、旅人の様な装いをした痩身の男神。

その時は互いに「申し訳ない」と謝ってやり過ごそうとしたのだが、ここでベルが先程の神が財布を落とした事に気付いた。

呼び止めて財布を落とした事を告げると、その神は大層喜んで『ぜひお礼をさせてくれ!』とベルを半ば強引にこの店に連れてきたのだ。

二人のテーブルの前には、様々な料理が並べられている。

料理の匂いを嗅いでいる内に、ベルの空腹もより一層刺激されたのでここは神の厚意に甘える事にした。

「優しき少年よ、君の優しさに俺は神として最大限の礼を尽くしたい!俺は神ヘルメス、君の名前は?」

「ベル・クラネルです、よろしくヘルメス様」

「では今日のこの出会いに、乾杯!」

「乾杯」

 

ヘルメスは泡立つエールで、ベルはジュースで互いのグラスで乾杯して今に至る。

 

二人は料理に舌鼓を打ちながら、雑談をして談笑していく

ヘルメスの気質や話術もあってか、最初はやや警戒気味だったベルもヘルメスとの会話を楽しむ様になっていき

ヘルメスが二杯目のグラスを空にした後、改めてベルに向き直った。

 

「フフフ、時にベルくん…君は気づいているかな?彼女の熱い視線に」

「彼女、ですか?」

 

ヘルメスが顔を近づけて、悪戯っぽく微笑みながらにベルに話しかける。

ベルはその言葉を聴いて『まさか、昨日取り逃がした相手なんじゃ!?』と、警戒を露にするがその考えは次の瞬間に霧散する。

ヘルメスの視線の先には、金髪のエルフの従業員。ベルにとっても印象深い相手だった。

 

「さっきから幾度と無く君の事を見てるよ…いやー君も中々やるねえ、どうやってあの堅物のリューちゃんを落としたんだい?」

「いやいやいや、誤解ですよ! この店、というかオラリオには昨日来たばかりなんですから…」

「男と女の仲に、時間の長さは関係ないものだよ?」

「それでも有り得ないですって、多分昨日少し変な事を尋ねてしまったので…それが原因だと思いますよ」

「フム、それだけかい?他には何かあったりはしなかったのかな?」

「他には何もないですよ…大体あんな綺麗な人が、僕みたいな子供なんかを相手にしませんよ」

「ふむ…相手になんか、しない…か」

 

ベルの言葉を反芻し、ヘルメスはふむふむと小さく頷く

そして改めてベルに尋ねた。

 

「…じゃあ、ぶっちゃけ君から見てどうかな? 正直な所リューちゃんの事を狙ってたりするんじゃないの?」

「すごく綺麗な人だと思いますけど、狙ってたりはしてませんよ…」

「フムフム、狙ってもいない…」

 

納得した様にヘルメスは頷いて、目の前の皿からツマミを取って口の中に放り込む

次いでグラスの酒をぐびぐびと飲む。

 

「そういえば、昨日オラリオに来たって言っていたね? やっぱり冒険者希望かな?」

「はい、師匠が何かと都合が良いからって事で。まだファミリアやギルドの登録はしていないですけど、師匠と合流したら正式に登録する予定です」

「フム、だが冒険者か…連日の様に、夢見る若者がこのオラリオにやってくるが…中々に厳しい世界だよ?それともその手の事は経験あるのかな?」

「ええ、大丈夫だと思います。オラリオに来る前は、魔物や賞金首の討伐で生計を立てていましたから」

「ほほー、その年で中々に経験を積んでいる様だね。だが賞金稼ぎなら冒険者と並行で出来そうだね、誰か狙っている賞金首はいるのかい?」

「いえ、今の所は特にいませんね。僕も師匠も、当面は冒険者一本でやっていくつもりです」

「成程ねー」

 

そう言って、ヘルメスは周囲に視線を送る。

ベルもその視線に釣られるが、そこに特に変わった様子ははない。

そして、改めてヘルメスはベルに尋ねる。

 

「実は今、ウチのファミリアで都市外の賞金首を何人か追っていてね…情報を集めているんだ

良かったら、君も協力してくれないか?何分、都市外の事だから情報が中々集まらないんだ…勿論、謝礼は弾むよ」

「? ええ、構いませんよ」

「今、ウチが追っているのはこいつ等だ」

 

ヘルメスは懐に手を入れて、数枚の折りたたまれた手配書をベルに手渡す。

ベルはその手配書一枚一枚に目を通していく。

 

「盗賊カンダタ、海賊クロウ、闇教徒オリヴァス、疾風のリオン…うーん、特に思い当たる事はないですね」

「些細な事でもいいんだ、何か思い当たる事は?」

「すいません、やっぱり思い当たることは無いです」

「――いや、知らないならそれで良いんだ。変な事を聞いてすまなかったね。それじゃあ、気分も入れ替えて飲み直すとしようか!」

 

ヘルメスはそう言って笑い、ベルに手配書を返して貰って再び懐にしまう。

そして追加の注文を頼み、二人は再び他愛も無い雑談に花を咲かせていった。

 

 

 

 

 

 

「ううー、お腹すいたー…」

「…空いた」

「あはは、確かに…かなり遅くなっちゃいましたしね」

 

夕暮れが本格的に夜闇に染まろうとしているオラリオの街道にて、三人の少女が歩いていた。

一人は褐色肌にややクセのある黒髪が特徴的の、露出度の高い服に身を包んだアマゾネスの少女。

もう一人は背中まで伸びる金髪、白いインナーの上から白い軽装を身に着けたヒューマンの少女。

最後の一人は長くボリュームのある髪を後ろで纏めた、魔法使い用の衣服を纏ったエルフの少女。

 

「もうこの時間だと、夕飯には間に合わないし…どこかで食べていかない? 遠征準備の手配で遅くなったんだから、リヴェリアだって怒らないでしょ?」

 

褐色の少女が二人の少女にそう提案する。

彼女たちの『ファミリア』のルールでは、可能な限り食事は団員皆で取るようにしている。

無論、可能な限りの話であって強制ではなく、何かペナルティーがあるという訳でもない

褐色の少女は今回は食欲を優先させた様だ。

 

「そうですねー、アイズさんが良いなら…」

「私も大丈夫、流石にお腹空いた」

「よーし、決まりね! じゃあ、お店の方は…ここからだと、ミア母さんの店が近いかな?」

 

褐色の少女が『それで良い?』と二人の少女に確認を取る、どうやら二人もそれで異論は無い様だ。そして三人の少女は、空腹を満たすべく『豊饒の女主人』へと足を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 




前回の更新から一ヶ月、やっと更新できました。
年末事情から始まり、年始でだらけて、今まで掛かってしまいました。

さてそれでは話は本編、今回は神回です(笑)
ベルくんは前回の反省を踏まえて新しい事に挑戦中、本人としては速度強化の方を検討中。
そしてヘルメス様がベルくんの任意取調べした事により、ベルくんは身の潔白を証明。神様に下界の子供達は嘘をつけないという設定ですが、原作を呼んでいると嘘をつけないだけであって、神の力を使わない限りは自白剤の様な強制力はない様だったのでこんな仕上がりになりました。

次回はリューさん視点での話があると思います、そして次回はベルくんとあの三人の間でイベント予定。
本当はここでベートくん投入の予定だったのですが、作者のあまりの遅筆ぶりに予定を変更しました。
バーン様がフレイヤ・ファミリアにちょっかいを出したので、弟子のベルくんにはロキ・ファミリアの方に…ゲフンゲフン。

そしてもう一つはバーン様、ナチュラルにゲスい事を考えております。
ある意味、ヘスティア様にとっては大魔王公認の相手になりました(笑)
師匠としては、やはり弟子のベルくんには一皮剥けて(物理)欲しいという事でしょう(真面目)
さて、そんなバーン様にロックオンされたのがダンまち界のモテ神ことミアハ様…こちらも次回描きたいと思います!

元日より二週間以上経ってしまいましたが、皆さんあけましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします!

追伸  
 仮面ライダードライブの脚本があの三条さんだと知って全話見ました…すごい面白かったです!特にハート様は『もしも最終決戦で、ハドラーがダイ達に協力していたら?』という感じで、そういう意味でもワクワクできました!敵味方共に登場キャラ皆に個性と見せ場があって、最初から最後まで楽しめました!
 そして新しい戦隊物は全員が獣王のジュウオウジャー、クロコダインファンとしてはやはり一度見ておくべきだろうか…。


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葛藤

食堂奥の休憩室にて、リューは頭を抱えていた。

頭の中は凍結する様に固まっていて、口の中はカサカサに乾ききり、胸の中では鉛の様に重くどんよりとした感情が沈殿して、その重さに比例する様に心臓が早鐘を打っていた。

その根源は、後悔と罪悪感

胸の奥から湧き上がってきている罪悪感に、リューの心と頭は完膚無きまでに打ちのめされていたからだ。

考えるのは、昨日の路地裏での一件。

自分への追手と思わしき少年と、一戦交えた昨夜の一件。

――やってしまった――

――とんでもない過ちを犯してしまった――

今のリューの心境を簡潔に表せば、正にこんな感じだろう。

全ては自分の勘違いだった。

あの少年は、自分の件とは全く関係のない人物だった。

たまたま偶然と誤解が重なっただけで、あの少年は本当に何も関係のない人物だった。

そして、その少年に対して自分は何をしてしまったのか?

夜道の中追いかけ回し、路地裏で襲い掛かり

相手を幾度となく得物で殴りまわし

相手が出血し骨がヘシ折れるまで、ただひたすら殴り続けた。

事の詳細を思い出す度に、胸を抉る様な後悔が押し寄せてくる。

殺すつもりはなかった、事実を確かめるのが目的だった…そんな事は、言い訳にもならない。

身勝手な理由で、あの少年に狼藉を働いた事実は変わらない。

――もっと冷静になっていれば――

――もっと周りと相談してたら――

――もっと考えてから行動していれば――

そんな風に、絶え間なく後悔が押し寄せてくる。

下手をすれば、本当に取り返しがつかない事をしていたかもしれないのだ。

その事を実感する度に、リューは自分の頭皮が剥げ落ちる程に掻き毟りたくなり、額が割れるまで頭を壁に打ち付けたくなった。

店の皆に迷惑を掛けられないと、息を巻いておきながらこの有様。

惨め無様を通り越してもはや道化…否、もはや自分と比べる事自体が道化にも失礼だ。

そんな状態が何分続いただろう?

気が付けば、対面の席に店主のミアが座っていた。

「――アンタの『一夜の過ち』には色々と言いたい事があるけど、アンタのその様子を見る限り必要なさそうだね…」

 

既に朝の時点でリューはミアを初めとする同僚達に、昨夜の一件を話してあった。

リューとしては、本当はソレを最後の挨拶にする予定だった。

しかしシル達に強く止められ、ヘルメスの探りの結果が出るまで『保留』となったのだ。

「…まあ、普通に考えて…夜中に得体の知れない輩に尾け回されりゃ、ギルドにしょっぴきたくなるのも当然だわね」

「…はい」

「店に居た時から視線を感じていたんなら、当然あの時店にいた誰かだとも思うわけだ」

「…その通りです」

 

結果、昨日の少年は完全なる白…自分の過去とは全くの無関係の人間だった。

 

「ミア母さん、私は――」

「店を辞めて出て行く、街から出て行く、その手の事を言うつもりなら聞かないよ」

「………」

「私の店はね、リューの過去一つでどうにかなるほどヤワじゃない。アンタを途中で放り出すくらいなら、初めて会ったあの日にそのままギルドに突き出してる。この店にいる奴らだって、大なり小なりワケありの連中だ。その事で今更どうこうしても仕方がない訳だしね」

「………」

「勿論、リューがその上で考えた事なら私ももう止めないさ…でもね、勝手に一人で暴走してただの誤解で無関係の坊主にしちまった事に、何のケジメをつけないままでいる事だけは絶対に許さない。場合によっちゃ、アンタをこの場でフン縛ってギルドに直行して、今までの事を洗いざらい白状してもいい」

「!? ちょっと待って下さい!そんな事したら――」

「二人揃って仲良く牢獄行きだろうね 、でもこのまま自己満足にすらならない事を黙認するよりは大分マシさ。

それにコレを放置しておいたら、アンタはいずれまた同じ事をしちまうかもしれない…そしてその時こそ、本当に取り返しのつかない事をやっちまうかもしれないしね」

 

射抜くようなミアの視線に晒されて、リューもまたじっとその視線を受け止める。

そのミアの言葉は虚仮やハッタリではなく、本気の言葉である事を悟る。

何よりミアは自分の事を心から案じている事を感じ取り、改めて自分のしでかした事の重さを悟る。そして場が再び静寂な空気に包まれかけた時、不意に休憩室のドアが開いた。

「立て込んでいる所、ちょっとお邪魔するよ」

 

ドアから現れたのは、黄橙色の髪の男神

ミアが事の詳細を探るために依頼した、神ヘルメスだった。

「ちょっとリューちゃんの様子が気になってね、『お花を摘んでくる』と言って抜けてきたんだ…その様子じゃあ、大分堪えているようだね?」

「言い訳はしません。自分がどれ程の事をしでかしたのかは、解っているつもりです」

「フム。店主としては今回の一件、どう考えているかな?」

「従業員が勝手にしでかした事…なんて、責任逃れをするつもりはありませんよ。何かしらの形で、しっかりあの坊主には侘びとケジメをつけるつもりです」

「フムフム、成程」

 

両者の言葉を聞いて、ヘルメスは頷いて顎に手を当てて考える。

少しの間、そのポーズを取り続けて再び二人に視線を置く。

 

「ここで一つ提案しよう。この一件、俺に預けてくれないかな?」

「「…はい?」」

 

不意の提案に、ミアとリューは同時に疑問の声が漏れる。

そんな二人のリアクションを受けて尚、ヘルメスは言葉を続ける。

 

「実は件の少年、ベルくんって言うんだけどね。この店の料理を大層気に入っているみたいなんだ」

「……?」

「二人がどういうケジメの取り方を選択するか、俺には解らない。ただ確実に言えるのは、ベルくんに事の詳細を告げるという事なんだ」

「――まあ、それがケジメって奴ですからね」

「恐らく事実を知れば、ベルくんはこの店に入りにくくなる…下手をすれば、店から圧力と脅しを受けていると誤解されかねないんじゃないかな?」

「いや、流石にそんな事は――」

「無いって言い切れるかな?」

 

そのヘルメスの言葉を聞いて、二人は押し黙る。

事の始まりは一つの誤解からだ。ならばもう一度同じ事が起きる可能性は、当然考慮しなければならない。 

 

「まあ結局の所、今のままだと誰も得をしないのさ。ベルくんは余計な心労を抱えて、お気に入りの店に来にくくなる。リューちゃんは自身の安全、ミアさんはお店の今後…他の従業員の娘やこの店のファンや常連客も、決して良い思いはしないだろうね…このままだと、この一件は皆が不幸になってお終いになっちゃうと思うんだよ」

「「………」」

「俺自身、この店はとても気に入っているし、あのベルくんも話していると中々素直で気持ちの良い子だったしね。出来れば不幸な結末は避けたい。ここまで関わった以上、俺だってもう部外者とは言えないだろうね。だから俺も少しお節介をさせて貰うよ」

「どういう意味、ですかい?」

「何、大した事ないさ。真実を告げても誰も得をしないのなら、告げる必要はないって事さ。

いずれ告げる事になるとしても、それは今じゃない。さっきも言った様に、きちんと筋道を立てて置かないと更なる誤解を誘発する危険があるからね…そしてその上で、しっかりとベルくんにお詫びをすればいい」

 

二人の視線がより一層強くなる中、更にヘルメスは言葉を続ける。

 

「ここで一つ、リューちゃんに確認しておきたい事がある。君から見てあのベル・クラネルはどういう存在だったかな?」

「どういう意味ですか?」

「俺は何も、考え無しでお節介している訳じゃないって事さ。その為には把握する必要があるんだ、君から見て彼がどういう風に映ったのかをね」

 

じっとリューを見据えて、ヘルメスは尋ねる。

そのヘルメスの態度に、ミアとリューは少なからず驚く。

普段は掴み処がない、どこか飄々とした態度をしているヘルメスがこの様に真剣な空気を纏うのは滅多にないからだ。

そしてリューもまた、昨夜の一戦を思い返して自分の印象を纏める。

 

「先ず思いつくのは、強いという印象です。

総合的な実力で言えばLv4クラス。また単なる肉体的な意味合いだけでなく、精神面でも並みの冒険者とは一線を画す屈強な精神力を持っている。それにあの少年は見た所まだ発展途上、体そのものが成長期に差し掛かっている年頃を考慮するに…将来的には『第一級冒険者』にも成り得る可能性もあると思います」

「ほほー、『第一級冒険者』とは大きく出たね。つまりはあのベル・クラネルは現時点で既に『千の妖精』や『剛拳闘士』に並ぶ実力を持ち、将来的にはかの『剣姫』や『九魔姫』『勇者』に届く器だと?」

「まあ、確かに。リューを返り討ち出来る程の実力なら、Lv3以下って事はないね」

リューの評価に、ヘルメスは驚きの声を、ミアは納得がいった様な声を上げる。

当然の事ながら、冒険者はレベルが上がれば上がるほどに強く、数が少なくなっていく。

オラリオ外の都市部では、冒険者を初めとする殆どの者達の実力がLv1であり、このオラリオでもLv2になれば『上級冒険者』の肩書きと、神会によって自身の冒険者としての『二つ名』が手に入る程だ。

それ故に、Lv2以上の冒険者の数はLv1の数に比べて劇的に少なくなり、それがLv4ともなれば上級冒険者の中でも『第二級冒険者』という位置に来る。

殆どの冒険者がLv1のまま挫折、或いは朽ち果てていく事実を考えるに、Lv4の実力とはそれだけでも驚異に値する物だ。

そして、リューの現役時代もLv4。嘗ては敵対ファミリアを単身で全滅させるという、偉業ならぬ『異業』も成し遂げている。

ステイタス更新こそ行っていないが未だその実力は健在であり、Lv3以下の相手なら軽くあしらえる実力を有している。

そんなリューと渡り合い、尚且つ撃退するに至ったベルの実力がLv4クラスというのも、ある意味妥当な評価だった。

「あくまで可能性の話です。それに可能性だけで言えば不安要素や危険要素もあります…例えば技術面、件の少年ベル・クラネルは恐らく今日まで『剣技』における教えを受けていません。

完全なる独学あるいは実戦で培ったモノ、肉体や精神に於いて強靭とも言える土台が出来上がっている事とは反面、技術がそれに追いついていない…実戦慣れと言えば聞こえは良いですが、やはり放置したままにするのは少々危険かと思われます」

「ん? でも師匠が居るって言ってた様な――」

「恐らく、戦士や魔法使いという型を超えた共通部分を鍛えていたのでしょう。先も言った様に、彼の肉体と精神の錬度は並みの冒険者を遥かに上回っている。恐らく件の師匠というのは、剣を得物としていないのでしょう」

「まあ確かに。最初に下手な型や自分に合っていない型をつけると、後で直す時に苦労するからね」

「成程成程、やっぱり直接ぶつかった人の意見は色々と参考になるね」

――流石はあの人の『義孫』であり、大魔王の『弟子』と言った所か――

 

「…ん? 何か言いましたか?」

「いいや、何も」

ミアが不思議そうな顔をしてヘルメスに尋ねるが、冗談っぽく肩を竦めながらヘルメスは否定する。

ミアもそれほど気にはならなかったので、「そうですか」と呟いて再び話が本題に戻ろうとした時だった。

不意にヘルメスはミアにその提案をした。

「少しの間、リューちゃんを借りてもいいかな?」

「…まあ、事情によりけりですけど」

「私も、別に構いませんが?」

 

二人のその言葉を聞いて、ヘルメスはニヤリと悪戯っぽく笑みを浮かべて

「――それじゃあリューちゃん、一緒にお食事会と洒落込もうか――」

 

 

(――どうしてこうなった?――)

ベル・クラネルは自分の現状を確認しながら、そんな風に心の中で呟いた。

自分を食事に誘ったヘルメスが『ちょっとお花を摘んでくるよ』と言って、一度席をたった。

待っている間は適当にテーブル上の料理を食べて、店の従業員の姿を見て目の保養をしたりと、そんな風に時間を潰していた。

体感時間で十数分程待っただろうか? ヘルメスが自分達のテーブルに戻ってきた。

――見目麗しい、金髪のエルフの美女を連れて。

そのエルフの顔にベルは覚えがあった、確かリューという従業員だった筈。

もしもこれが他の従業員と同じ様に、メイド服であったのならベルは特に驚いたりはしなかっただろう。

――リューが私服に着替えたりしていなければ。

これは後で聞かされる事だが、この店の従業員の仕事は基本的に『客と同席』まではしないらしい。そこまで客と従業員の距離が近いと、『色々』なトラブルが起きてしまうからだ。

故に、ミアの指示によってリューは一旦私服に着替えた。

私服姿ならそれはもう仕事でなくプライベート、プライベートで客として来店したなら例え男と同伴でも問題なし…それがミアの言葉だった。

仮にそれで何かしらトラブルが起きても『客同士』のトラブルなら店側の責任は軽い、また『客を守る』という名目で店員も遠慮なく介入できるからだ。

屁理屈の様に聞こえるが、この手の理屈はトラブル防止の効果が大きいとの事だった。

この時、口の中にあった食べ物を噴出さなかった事に、ベルは密かに自賛した。

半ば強引に水で口の中の食べ物を流し込んで、ヘルメスに事情を尋ねた所。

「ミアさんに頼んで、借りてきちゃった」

片目でウィンクして、小さく舌を出して『テヘペロ♪』等と言うヘルメスにベルは口を開けたまま呆けた様に固まった。

そんな固まっているベルを尻目に、ヘルメスは空いている椅子をベルの隣に寄せてリューに座るように促す。

「――失礼します」

流れる様な動作で一礼して、リューもその椅子に着席する。

先程のメイド服とは違って、今はの私服は至って普通の格好だ。

白い薄地の長袖のブラウスに、淡い水色のジーンズに茶系のパンプス。

恐らく、服自体は一般的な量販店のものだろう。しかし着る人間によっては、そんな安物の服でもブランド品に見えてくるのだから不思議である。

(……イイ、凄く良い……)

思わず呼吸を忘れてしまう程にベルの目が釘付けになるが、瞬時に頭をブンブン振って我を取り戻す。訳が分からない様子で、ヘルメスとリューに視線を交互させているベルにヘルメスはそっと近づいて

 

「――お持ち帰りできるかどうかは、ベルくん次第だぜ――」

 

などと囁き親指をグっと立ててヘルメスは席につく、その瞬間固まっていたベルの時間が動き始めた。

凍りついていた様に固まった状態から一転、ベルは瞬時に顔が熱を帯びていくのを感じた。

もしもベルがバーンに弟子入りする事がなく、どこにでもいる『普通の少年』として今まで過ごしていたら、もう少し異性に対して経験と免疫があっただろう。

しかし、そんな『もしも』は現実に意味を為さない。

 

大魔王に弟子入りして、早六年。特定の女性と親しい仲になる事はなく、年中無休で大魔王との修行に時間を費やしていたのだ。

故にそれ以降、ベルはこんな近い距離で若い女性と接した経験など殆どなく、精々が村祭りで一緒に鍋を囲んだり火を囲んで歌ったりした(バーンも参加)程度だ。

ましてやリューの様な十人いれば十人振り返る様な美人と、こんな近く接するのも人生初めての事だった。

「…ぁ、あ…あぅ…」

意味もなく訳も分からず、そんな力無い言葉が口から漏れ出る。

人生初のこの状況に、顔は紅潮して汗がじっとりと浮かび、頭は熱を帯びて脳が茹だっていく様な気分だった。

(…や、ヤバイ!い、いぃ一旦落ち着こう!――)

瞬時にその考えに至って、ベルは大きく深呼吸する。

師匠の教えの通り、窮地でこそ呼吸を整える――だがしかし、それはベルにとっての悪手となる。

肺に送り込むように呼吸をすると同時に、ふわりとその匂いがベルの鼻腔をくすぐったからだ。

(……何この人!すっごいイイ匂いがするんですけどおぉ!――)

 

アダマンタイトの拳で殴られた様な衝撃だった。

その不意打ちの衝動に、ベルの心臓が更なる早鐘を打ち脳に血が荒々しく駆け巡ってくる。

ベルの中で女の人の匂いとは、基本的に故郷の村の匂いでもあった。

それは農作業の土や草の匂い、季節ごとの作物の匂い、家畜の移り香や伐採された樹木の匂い、そんな匂いだった。

しかし、リューの匂いはそれとは根本的に違っていた。

爽やかで甘い、ふんわりとした柑橘系果物を思わせる様な匂い。

鼻腔から脳髄まで瞬時に浸透し、甘美な痺れが浸透していく様な酔い。

脳が奥から蕩けていき、体中の筋肉がだらしなく脱力していく快楽にも似た陶酔。

出来ることなら永遠に包まれていたくなる様な、そんな香りだ。

その効果たるや、田舎育ちの純情童貞少年にとっては正に猛毒、或いは劇薬そのものであった。

(……ま、マズい…何をどうマズいのかは分からないが、このままじゃ非常にマズい!……)

 

バクバクと心臓の音が聞こえてくる程に、激しく大きく鼓動している。

ベルの脳内に、訳も分からず危機感と焦燥感が充満してくる。

追い詰められた犯罪者はこんな気分になるのだろうか?

自分や師匠が狩ってきた悪党共もこんな気分だったのだろうか?

そういえば、昨日の襲撃者から奪ったあの銀棍は持ち帰ったままだけどどうしよう?

等など、意味不明な考えが浮かんでは消えていく。

(……そうだ、こんな時こそバーン様の言葉だ!……)

グルグルと回るベルの意識の中で、天啓にも近い考えが浮かぶ。

昨夜の戦闘においても、師の言葉を思い出したからこそ辛くも襲撃者を撃退できたのだ。

今までもこういう世間的なマナーや立ち振る舞いの授業も何度かあった、ベルはそんな師匠の教えと言葉を必死に思い出す。

そして、とある一つの教えを思い出した。

 

――婚前交渉の際、避妊は怠るなよ――

 

その瞬間、ドヤ顔をしているバーンの姿が脳裏を過ぎり『初めて師匠を殴りたいと思った』等と、つい考えてしまったのはベルだけの秘密である。

それとほぼ同時に周囲から『おい、剣姫だぜ』『大切断もいるぞ』等などの声が響いているが、ベルの耳には届いていなかった。

(……何というか、本当に絵に書いた様なお上りさんですね……)

自分の隣で顔を真っ赤にして、落ち着かない様にあたふたしているベルを見てリューは改めてそう評する。

ヘルメスの言葉に従って食事の席についたが、事態はリューの想像とは随分違う方向に傾いていた。

 

リューは自分の容姿がそれなりに目を引く、というのを自覚している。

冒険者時代は無用なトラブルを避ける為に、常に覆面かマスクで顔を隠していたが、この仕事をしてからはその事を一層強く実感する事になった。

『外見』も商売道具である以上、やはり男性特有の視線は毎日の様に感じていた。

あの全身を品評されているかの様な、粘ばつく様な視線。多少慣れたとはいえ、やはり露骨にそんな視線を向けられるのは気分が良いものではなかった。

――しかし、隣の少年からは一切そういう視線を感じない。

と言うよりも、それどころではない様だった。

恐らく若い女性との交流経験そのものが、この少年にはあまり無いのだろう。

この年頃ならそれなりに異性に興味が出始める頃だが、この少年はどうやら違う様だ。

目が合おうものなら瞬時に視線を逸らし、服の一部が当たろうものなら過剰なまでに反応し謝ってくる。

 

(……まあ、こちらはお蔭で大分落ち着けましたが……)

 

同席するまではリューもかなり緊張していたが、この少年の有様を見ている内に自然と落ち着いてきた。

昔読んだ書物で『どんなパニック状態に陥っても、よりパニックになっている相手を見ていると自然と冷静になる』という一文があったが、正に今の自分がそうだとリューは思った。

 

(……昨夜はあんなに勇ましかったのに……)

 

リューは心の中でそう評する。昨夜のこの少年は、正に戦士であり男だった。

あの戦気に満ちた眼光と覇気に彩られた表情、自分と幾度となく打ち合ったあの雄々しき勇姿はそう簡単に忘れられる物ではない。

しかし、今の少年は見ている此方が気の毒になる程に緊張し、動揺している。

 

――本当に昨夜と同一人物だったのか?

――本当は他人の空似ではないのか?

などとつい思わせてしまう程の初心な少年に、思わず苦笑してしまう。

同僚がこの少年を指して小動物と評していたが、確かに幼さが残る見た目も相まって震える様は兎の様だ。

そのあまりの落差。戦士の様に強く勇ましく、小動物の様に可愛らしい、二つの顔を持つ初心な少年。もしもこの少年の二つの姿を見る順番が逆だったら、胸を射止められてしまう女性もいるかもしれない。

だがリューにとってはその余りにも激しいギャップは、どこか可笑しく愛らしかった。

よく同僚が『ギャップ萌えが~』と言っているのを耳にする事があったが、恐らく今自分が感じている『コレ』がその手の感情なのかもしれない。

「………」

 

しかし、いつまでもこんな状況のままではいられないだろう。

ヘルメスにどんな思惑があるのかは知らないが、このままではやはり良くないだろう。

謝罪するにしてもケジメをつけるにしても、今のままでは少年の耳には何も届かないだろう。

ならば、この少年には最低限正気に戻ってもらう必要がある…そうリューは判断したのだが…。

 

「――――」

 

対面のヘルメスに何とかする様にリューはアイコンタクトを送るが、帰ってくるのは意地悪気な微笑のみ。

どうやら現状において、ヘルメスは傍観者で通す様だ。

 

二三度声を掛けるが、あまり効果がない。

さて、それじゃあどうしよう…と、リューがそう考えていると目の前に置かれているグラスが目に入った。

グラスの中身は何の変哲も無い氷水。グラスの表面には細かな水滴が付着し、ツツっと雫となっている。何となく、ソレを持ち上げて

 

「――てい」

 

わざとらしく呟いて、そのグラスをベルの真っ赤な頬に押し付ける。

湯気が出るのではないかと思ってしまう熱い頬に、冷えたグラスをピタリと当てる。

 

「ぅへぇあぁっ!!」

 

その瞬間、声にならない叫びを上げてベルの体がビクンと浮き上がり、弾かれた様にこちらを見る。

 

「ぇ?え…あ、その…」

「――くっ」

 

その想像以上のイイ反応に、思わず噴出しそうになるがリューは咄嗟に飲み込む。

自分でしておいてソレはあまりにも失礼だと、リューは思ったからだ。

こみ上げてくる笑いを飲み込んで、改めてリューはベルに向き直って

 

「別に取って食べやしません」

 

紅い瞳を見つめながら、リューは微笑んで言う。

 

「だから、そんなに緊張する必要はありませんよ」

「…ぁ、ハイ…」

 

先のやり取りが効いたのか、今の言葉が効いたのか。

ベルは一瞬呆けた様に固まったが、次の瞬間には硬直が溶けて照れた様に頭を掻いた。

 

「ベル・クラネルです。昨日は変な事を聞いてすいませんでした」

「申し遅れましたが、リューと言います。別に謝る必要はありませんよ…寧ろ謝るのは、私の方ですから」

「? どうしてです?」

「それは……後で改めて説明をします」

 

視線をヘルメスに向けると、小さく首を横に振っていたのでリューは言葉を濁す。

またベルはそんなリューを見て、昨夜の事を思い出す。

 

(……そう言えば、あの後お店の人にからかわれたっけ……)

 

と解釈し、『律儀な人だなー』等とベルは思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んー!美味しい! やっぱ良い味してるね」

「うん、美味しい」

「アイズさん、こっちも美味しいですよ。一口いかがですか」

「ありがとう、レフィーヤ」

「あー!アイズだけズルい! レフィーヤ、私も!」

 

女が三人いると姦しい、その言葉を体現する様にそのテーブルには女三人の声が行き交っていた。

三人共、まだ年齢で言えば『少女』の年齢だろう。

そしてその三人、種類や型は違えど何れも『美少女』と呼べる程に顔質が整っていた。

 

『豊饒の女主人』の様に男性密度の高い、尚且つ冒険者の様な気質な人間が集まる場所において

この様な少女たちが来店すれば色々とちょっかいを、下手をすれば揉め事やトラブルにまで発展するが、そんな気配は微塵もない。

皆が皆、遠巻きに視線を送って噂するくらいだ。

 

しかし、三人の素性からすればそれは当然の成り行きだった。

その正体はオラリオ最強のファミリアとして名高い『ロキ・ファミリア』の冒険者だった。

 

『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタイン

『大切断』ティオナ・ヒリュテ

『千の妖精』レフィーヤ・ウィリディス

 

彼女たちは、このオラリオにおいて最もその名前が知られている冒険者であった。

三人は来たる『大遠征』の準備帰りに、この店で夕食をとっていた。

 

「あ、そういえばさ。二人は『フレイヤ・ファミリア』の話は聞いた?」

「フレイヤ・ファミリアの、ですか? 私は特には…アイズさんは?」

「私も、特に聞いてないかな」

 

褐色肌の少女・ティオナが他の二人に尋ねるが、この二人は件の噂を知らない様だ。

 

「いやね、私もさっきの店で少し聞いただけなんだけどさ。昨日の夜、フレイヤ・ファミリアに喧嘩売った人がいるらしいよ」

 

ティオナのその言葉に、アイズとレフィーヤの表情に疑いの色が濃くなる。

『フレイヤ・ファミリア』と言えば、このオラリオで自分達のファミリアと対をなす最強のファミリアだ。

戦闘になったら、例え自分達のファミリアでもタダでは済まない。

そんなファミリアに喧嘩を売れば最後、自分達以外のファミリアでは跡形もなく容赦なく潰されるだろう。

アイズとレフィーヤはそう判断し、ティオナも同じ事を思っていた様だ。

 

「うん、私も流石に嘘くさいなーって思ってさ。だから二人に確かめようと思ったんだけど、やっぱり心当たりはないかー、やっぱガセネタかな?」

「そうだと思いますよ。多分何か揉め事かトラブルがあって、それに尾ヒレがついただけだと思いますよ?」

「うーん、そんな所かな?」

「他に何か聞いてないの?」

 

ティオナががっかりした様に言い、レフィーヤがあくまで現実的に考えた解釈をする。

しかし噂の内容が内容だけに、アイズもまたティオナに質問をする。

どうやらまだ情報があるらしく、ティオナは『うん』と頷いて更に言葉を続ける。

 

「その喧嘩を売った人の事なんだけどね」

「そういえば、どんな人だったんですか?」

「うん、私が聞いた話だと」

「聞いた話だと?」

 

 

 

 

 

「――髪と髭がすっごく長い、エルフのお爺さんだったらしいよ――」

 

 

 

 

 

 

そして次の瞬間

三人の隣のテーブルで、誰かが思いっきり噴き出す音が響いた。

 

 

 

 

 

 

 




約二ヶ月振りの更新です。
ちょいと最近作者のリアル事情の方が忙しくて、時間が掛かってしまいました。

さて、今回の話を簡単に纏めると

ベルくん=チョロイン
ヘルメス様=なんか企んでる
リューさん=良い匂い

という感じです…やべぇ、話があんまり進んでねえ(汗)
ベルくんは六年間、ほぼ女っ気がない生活だったので原作ベルくんよりも女性免疫がないです。
普通に会話したりは問題ないですが、作中の距離まで近くなると某こち亀のボルボみたいになります。
ですが意識が戦闘態勢に入っていれば、こんな醜態は晒しません。そこら辺はバーン様にきっちり調教されております。

どれくらい調教されているかと言うと、女の人の顔面にライトニング・バスターを叩き込めるレベルです。
原作ベルくんも戦闘においては、女性の腹にボディーブローかましてゼロ距離ファイアボルトを叩き込める位に容赦ない性格なので、そこら辺は原作と変わらない仕様です。

リューさんの私服について
これは原作でもあまり描写がなかったので、作者が勝手に決めました。
リューさんの性格だと、私服でブランドとかにはあまりこだわりとかなさそうだし、動きやすそうな服を普段着ていそうだったので
シンプルにブラウスとジーンズにしました。
本編での理屈は、作者がリューさんの私服姿を出したいが為に生まれたものです。

ちなみに、ベルくんとリューさんのイベントまとめ
一日目・一夜の過ち&ベルくん豪快にπタッチ
二日目・私服のリューさんとプライベートで食事

――やだ。うちのベルくんったら、とんだプレイボーイになってる。

ちなみに前回の投稿後に貰った感想で『ヘスティア様は結構すごいんだぜ!』という感想を多く貰いました。それについての補足。
原作におけるニート時のヘスティア様のまとめ。

・唯一無二の神友のヘファイストス様が、マジ切れして追い出す。
・唯一無二の神友のヘファイストス様が、本気で見限りそうになっていた。
・他の神様からも結構軽く見られている。
以上の事から察するに、ニート時のヘスティア様は相当堕落していた模様。
周囲の神様の反応を見る限り、天界での威厳はもはや残っていない様子。

以上の事から、独り立ち前のヘスティア様は『名門大学を卒業したけど、その後は働きもせず堕落しきったニート』みたいな立ち位置かと思われます。神様は下界においては、『神の威厳』みたいな力は無意識に発動できるという訳ではないので、バーン様の評価はあんな感じになりました。

それでは次回に続きます。







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運命の夜

今回はバーン様パートです。一部独自解釈を含めます。
あまり深く考えず「こんな解釈もあるんだー」程度に思ってくれれば幸いです。


「どういう事だナァーザ!?」

店ごと震わせる様な怒声が響く。

ミアハはその端正な顔立ちを怒りの表情で染め上げて、目の前にいる自分の眷属に問質す。

その怒声を投げ掛けられて、その犬人の少女はブルリと小さく身を震わせた。

ナァーザ・エリスイス…ミアハ・ファミリアの唯一の団員であり、薬師である。

事が起こってから、まだ十分程度しか経っていないだろう。

先刻のバーンの言葉、初めこそミアハも含めた神の三柱は首を傾げたたが…瞬時に顔色を変えた神がいた。

そう、店主でありファミリアの主神であるミアハである。

「まさか、そんな筈は…」と、小さく呟きながらショーケースや棚にある品物を手に取る。

そこからの行動は早かった。

中身を明かりで透かして見て、蓋を上げて匂いを嗅ぎ、指の腹に数滴ポーションを垂らして舌で舐める。

「――っ!」

その瞬間、ミアハの表情が変わった。

ミアハの中の疑惑が確信に切り替わった、その決定的瞬間だった。

――薄い。

ミアハは自分が手にした魔法薬が薄められているのに気づいた。

時間経過による品質の劣化などではなく、明らかに故意的に薄められたもの

しかも、ただ薄められていたのではなく染料や香料も混ぜる事によって、一見では気づかない様にされていたのだ。

幸い全ての商品ではなかった様だが、その数は決して少なくない。

では、一体誰がこんな事を――。

そこまで考えて、ミアハはそこから先の答えを思い描いて…瞬時に首を横に振った。

『そんな筈はない、あの娘はそんな事をする子ではない』

己の中に巣くう新たな疑惑を必死に否定するが、現実的に考えればそれが答えだった。

神とて下界にいる今は商売人、定期的な検品は欠かさない。

――ならば、擦り替えられたのは検品の後。

薬品に混じった染料と香料、これは素人ではできない細工だ。

――ならば、コレを行ったのは素人ではない。

そもそも部外者に、多数の薬品を入れ替える事は可能なのか?

――部外者にはおよそ不可能、ならば身内が行った事。

 

ミアハの脳裏に、一人の少女が頭を過る。

そして、知ってしまった以上見過ごす事はできない。

ミアハは店の奥で作業をしていたナァーザを呼び出し、先の事情について尋ねた。

その瞬間、ナァーザの顔は瞬時に青ざめ…やがて観念した様に頷いた。

そして今に至る。

「魔法薬とは冒険者を初めとする全ての者達の命綱だ!それを過度に薄めてしまったらどうなるのか、それによってどんな危険を招き入れて、どの様な惨事を引き起こすのか…冒険者であったお前自身が、その事を誰よりも理解している筈だろう!!?」

「………」

「幸いバーン殿が気づいてくれたから未然に防げたもの、一つ間違えれば取り返しのつかない事態になっていたかもしれんのだぞ!?何故この様な行いをした!答えよ!?」

店内の空気ごと震える様な怒声が響き渡る。

普段の温厚と柔和の塊が服を来て歩いている様な、ミアハの激昂。

その普段の姿から到底想像できないミアハの姿に、ヘスティアは完全に固まり言葉を失っている。

ヘファイストスも最初こそは動揺したものの、今はやや険しく鋭くなった視線で二人を見つめている…どうやら同じ商売人として、事の重大さを理解しているのだろう。

そして、事の切っ掛けとなったバーン。

切っ掛けが自分の言葉だっただけに、誰よりも熱心に二人のやり取りを見ている…という事は一切なく、ミアハ達の事の成り行きに特に目もくれず、店の商品の品定めをしている。

三者三様に事態の様子を見守る中、ナァーザは俯かせたまま呟く様に告白する。

 

「…お店の、経営のため。少しでも赤字を、少なくするため…」

その言葉が引き金になったのか、絞り出す様に事の経緯を話す。

「切り詰められる部分は全部切り詰めた、限界まで諸経費の削減もした…それでもダメ。

店の借金も、利子を返すだけで精一杯。今のままじゃ、利益を出すなんて無理…このままじゃ、近い内に破産する…」

「…しかし、それで肝心の魔法薬の質を落としては元も子もないだろう? それに金庫にもまだ幾らか予算が…」

「あのお金は、本当に最後の砦。アレすら無くなったら、材料費すら捻出できなくなる…そうなったら、もうおしまい。私達は路頭に迷う事になる」

「……っ」

「なのに、ミアハ様は無料で魔法薬を配る…店が破綻寸前って事くらい分かっている筈なのに、私が何度言っても無料で配るのを止めてくれない。

……こんな状況で、経営を立て直すのなんて無理。私だって薬師の端くれ、薬を薄めるなんて真似はしたくなかったけど…今破滅するかゆっくり破綻するかの、どちらかしか選択肢がなかった」

 

自分達の無力さを噛み締めるように、ナァーザは全てを告白する。

このまま行けば近い内に間違いなく、借金の支払いが滞り店を手放す事になる。

本拠地を失い、金もなく、団員も一人しかいないファミリアでは、到底オラリオではやっていく事できない。

少なくとも、『ミアハ・ファミリア』としての未来は閉ざされるだろう。

「――でも、こうなったのは…全部、私のせいだから」

次第にナァーザの表情が、くしゃりと歪み声に嗚咽が混じり始める。

体を小さく震わせて、ポロポロと涙が細く頬を伝っていく。

「そもそも、全部わたしの所為だから。私のせいでミアハ様は『ディアンケヒト・ファミリア』に頭を下げて借金を頼み込んで、そのせいで皆いなくなっちゃったから…」

ミアハ・ファミリアの転落、その経緯はミアハと交流のあるヘスティアとヘファイストスも大雑把な範囲で知っていた。

元々ミアハ・ファミリアはこのオラリオでも中堅レベルのファミリアで、このオラリオでも商業ファミリアとして中々の知名度を誇っていた。

しかし、ナァーザがダンジョンでの戦闘において、半死半生の様な重傷を負ってしまった。

ミアハの治療と当時の団員の助けもあって、一命は取り留めて千切れかけていた手足も無事にくっついた。

だが、完全に魔物に喰われてしまったナァーザの右腕だけは元に戻らなかった。

そこでミアハは、『ディアンケヒト・ファミリア』を頼る事にした。

ディアンケヒト・ファミリアは魔法薬だけでなく、治療系の道具や医療系のアイテムの製造もしており、そこでナァーザ用の義手を作って貰う事を考えた。

生来の肉体の様に動かせる、特注の銀義手。

しかし、その額は桁外れの額だった。

当時のミアハ・ファミリアでも支払いきれず、借金を背負う程の――。

借金覚悟で義手を購入しようとしたミアハを、当時の団員は止めた。

安定してきた店の経営を、地盤ごと叩き割ってしまう程の借金。

『いくら何でも軽率すぎる』『命が助かっただけでも儲け物の筈だ』『もっと店の経営が安定してからの購入でも遅くはない筈』

――だから、考え直してくれ――

彼らが薄情だった訳ではない、もしそうならナァーザの四肢は千切れたまま…そもそも、ダンジョンで命を落としていただろう。

借金にしても、きちんと返済計画が練られる範囲だったら、彼らも了承しただろう。

しかし、背負うであろう借金とそれによる利子があまりにも大きすぎたのだ。

商業系ファミリアとして経営と金回りの事を熟知していた当時の団員達は、ディアンケヒト・ファミリアに借金をすれば…経営そのものが破綻すると解っていた。

しかし、当時の団員たちの言葉を振り切って、ミアハは義手を購入して借金を背負った。

団員の言っている事は尤もな意見だったが、当時のナァーザは精神的にも深く傷ついていた。

魔物に殺されかけて、生きながら四肢を食い荒らされたのだ…その時の恐怖と絶望は、想像を絶するモノだっただろう。

これ以上、この状態が続けば…この娘は、取り返しのつかない事になる。

ミアハは当時のナァーザに対して、そう結論を出した。

今の状況が続けば精神的な死、もしくは『狂人』の類に傾いてしまうかもしれない…そう思ったからだ。

ナァーザの精神的な傷、その最大の原因は失った右腕だ。

ナァーザの精神を癒すには、失くなった右腕の代わりになる義手が最適…当時のミアハはそう判断した。

その甲斐あってか、ナァーザは精神面でも回復し、日常生活を送れるようになり、ダンジョン探索こそできないが薬師としては以前と同じように仕事が出来るようになった。

しかし、代償は当然あった。

金の切れ目は縁の切れ目、そのルールにおいては神も例外ではなかった様だ。

自身の言葉を聞いてくれなかった、団員の反発。

膨大な借金の背負った事に因って傾き始めた、ファミリアの経営。

一人、また一人と団員が去っていき…残ったのは、今のナァーザだけだった。

「…だから、私が何とかしなくちゃって思った。全部、私が招いた事だったから…私が解決しなくちゃって思ったから…」

「もう、いい」

ナァーザの言葉をミアハが遮る。

その顔は先程までの憤怒の色は完全に消えて、今はナァーザ以上に悲痛な表情をしていた。

「…すまなかった。全ては私の力不足と配慮無さが招いていた事だったのに、お前にだけ重荷を背負わせてしまっていた」

震えるナァーザの体をそっと抱きしめて、ゆっくりとその背を摩る。

そして己の過失と非を認めて謝罪する。自分の『家族』の苦しみに気づかず、知らぬ内に追い詰めて、その事に気づかず叱咤してしまった事に、ミアハはナァーザに心から謝罪する。

ナァーザの様子が落ち着くまで、ミアハはそんな所作を数度繰り返していき

「――惨めなモノだな、神ミアハよ――」

ここで、一つの声が響く。

その声の発信源に、神の三柱は視線を向ける

幾つかの小瓶を手の中で転がす大魔王が、ミアハに向かってそう言い捨てた。

「嘗ては人望を集め、富を築きながらも、たった一つの事で全てが崩れ落ち、残ったのは小さな店とたった一人の眷属」

コツコツと歩を進めて、バーンは対面する様にミアハの前に立つ。

「そして僅かに残ったその財産も、今やいつ消えるとも分からない風前の灯火

己の眷属達に見限られ、商売敵に頭を下げ、金を搾り取られ、そうまでして守った己の眷属の苦しみに気づかない」

「………」

「誠、神の身でありながら大した道化振りよ。だが喜劇としての出来は中々だった、正直言って笑いを堪えるのに苦労したぞ?」

「…そうだな、正に道化だ。返す言葉もない」

ククっと口元を楽しげに歪めて言うバーンに、ミアハは力なく微笑んで返す。

ミアハの腕からナァーザが射殺す様な視線でバーンを見ていたが、バーンはそれに目を向けず尚も楽しげに笑い、納得した様に嗤い、ミアハを指してバーンは嘲笑う。

その言葉に、流石にストップを掛け様とヘファイストスが前に出ようとして

 

「――だが、道化は道化なりに使い処があるのもまた事実よ――」

大魔王の微笑みがより深くなり、手に持っていた瓶を置いていく。

それはミアハの店の商品である魔法薬、薄められてはいないミアハ・ファミリア本来の商品だ。

 

「其方達の薬師としての腕、このまま腐らせるには惜しい」

 

バーンが嘗て居た世界において、殆ど存在しなかった魔力回復薬。

こちらの世界に来たその存在を知った時、バーンは勿論その事も調べた。

勇者との決戦において、下手をしていたらあの時点で死んでいたであろう…『竜闘気砲呪文』の連発。

竜闘気砲呪文は国を一つ、規模によっては大陸一つを消し飛ばす程の威力を持った、『竜の騎士』最強の呪文。

その消費魔力はその威力に見合う程に凄まじく大きく、歴代の竜の騎士であっても数える程しか使用された事がないものだ。

嘗ての世界でも多少は魔力回復の手段があったとはいえ、それは到底『竜闘気砲呪文』の魔力に満たない回復量だった。

故にそれはバーンの心の隙だった、『二発目はない、この一発を凌げは自分の勝ち』…それこそが、自分の心の中にあった油断だった。

現実として、勇者はかの超呪文をも撃てる程の魔力回復手段を持っていた。

呪文をメインにして闘う自分にとって、それは正に黄金以上の価値を持つ道具だったのは言うまでもないだろう。

故にこちらに来てからは、魔法薬の情報も集めていたのだが…如何せん、その回復量は物足りないものだった。

無論、相応の本数を飲めばある程度は回復するのだが…戦闘中にそんな時間がある筈も無い。

コンマ一秒の判断と行動が生死を分ける実戦に於いて、『飲む』という一行動ですら致命的な隙になるのだ。

 

故に、バーンの出した答えは非常にシンプルなモノだった。

――無いのなら、作ればいい――

 

しかし自分は魔王であって、薬師でも研究者でもなく新薬作りなど専門外。

――ならば、それに見合った人材を雇えば良い――

現状としては勿論の事、『これから先』の事を考えると大量の物資を蓄える必要がある。

独自の購入ルートを確保する事も重要だが、それとは別に新たな『研究職』の人間も必要になってくる。

嘗て己の部下であった『妖魔司教』の頭脳と発明は、魔王軍の軍事力拡大に貢献していたからだ。

目の前の薬師二人は、バーンの中で定めていた最低限度の技術力は満たしていた。

尚且つ解り易い弱みを持ち、自分はそれを満たす術を持ち、何より『神』をも掌に収めるという所業にも興味があった。

「神ミアハよ、其方に問おう」

故に、その言葉を放つのは大凡自然の成り行きだった。

『――余の配下にならないか?――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…は…」

「…配下?」

 

ヘスティアとヘファイストスの、唖然とした声が響く。

ミアハとナァーザに至っては、我が耳を疑っている様だった。

それは当然の反応だろう、神とは下界の存在からすれば絶対者であり超越者だ。

如何にミアハの様な零細ファミリアの主神でも、『邪神』という存在でも、それは絶対の律なのだ。

このオラリオに於いても神に反旗を翻した者、或いは神を殺めた者

そんな人物こそは存在しても、神を支配下に置いた存在は今までにない。

故にバーンの発した言葉は、正に前代未聞と言っていいだろう。

「…バーン殿、貴方は自分が何を言っているのか…解っているのか?」

「無論、十分に理解しておる。余は今一人の神を金で飼おうとしている、何か間違っているかね?」

悪びれもせず、薄く笑みを浮かべてバーンは告げる。

間違いしかない、そんな言葉をヘスティアは叫びたくなるがそれを堪える。

「…まあ、配下というのは物の例えに過ぎんよ。一種の専属契約と言っても良いだろう。

其方達は余の希望に見合った魔法薬や万能薬、或いはそれに準ずる物を開発・提供し、余はそれに対価を払う

しかし、これはビジネス。如何に相手が神といえど、契約において余は『雇う側』であり其方は『雇われる側』だ。

このオラリオにおけるギルドや商業組合が定めたルールを犯さない限り、またそれに於ける余との契約内容の範囲において、神ミアハを含めて『ミアハ・ファミリア』は余に対して完全服従をして貰う。

――簡単に言えば、契約を結んだその瞬間より『ミアハ・ファミリア』は余の私物となる」

一個のファミリアを主神ごと私物にする、その大胆不敵な発言

ミアハとて神、その無礼千万とも言える下界の者に対して、決して良い感情を抱くはずはない。

だがそのバーンの威風、堂々とした物言い、底知れぬ佇まい

一瞬でありながら、ミアハは完全に呑まれていた。

「要は今まで神ディアンケヒトに下げていた頭を余に下げるだけだ、何も難しい話ではあるまい

そして何より、其方達のファミリアに選択肢も時間も無いと見受ける」

続けてバーンは、同行者であるヘファイストスに視線を向ける。

 

「…神ヘファイストスよ、一人の商売人として、一人の経営者として答えて欲しい。この店はどれ位もつと思うかな?」

「――ここで私に振るの?」

「他に適任がいないものでな、それに其方はもう大体の察しがついているのであろう?

如何に神と言えど時には現実を突きつけてやるのも、友の役目だとは思わんかな?」

「はー…貴方、本当にイイ性格してるわね」

 

疲れた様に、ヘファイストスは大きく息を吐く。

店内を軽く見渡す、店の敷地面積や品数や値段をざっくり見渡して

 

「ミアハにとっては、かなり耳に痛い話になると思うけど?」

「…いや、構わない。寧ろここで有耶無耶にされる方が、精神的にきつい」

「――そう」

 

ここで再び溜息、ただの町案内の筈がどうしてこうなった?と内心一人で毒吐いて。

 

「ミアハ、ナァーザ、答えられる範囲で良いわ。

この一年における貴方たちのファミリアの業績、ディアンケヒト・ファミリアへの借金返済状況、その他諸々の経費、コレ等を教えて」

 

ヘファイストスの言葉を聞いて、二人はファミリアとしての重要機密に当たる部分以外の全ての状況をヘファイストスに伝えていく。

最初こそは乗り気な風ではなかったヘファイストスであったが、話を聞いていくにつれてその顔はどんどん曇り、引き攣っていき

 

「……マジ?」

 

頬をピクピクと振るわせて、顔を無理矢理な作り笑いにして、確認を取る様にヘファイストスは尋ねる。

目は口程に物を語る、もはやそれはミアハ・ファミリアの運命を現しているのと同じだった。

 

「…半年もったら上出来、一年もったら奇跡だと思って頂戴」

 

ヘファイストスが、苦々しい表情をしながらその評価を下す。

その評価を聞いて、ミアハとナァーザの表情はより一層強ばった。

やはり幾ら覚悟していた事とはいえ、実際に突き付けられると衝撃が大きい様だった。

「成程、大いに参考になった」

次いでその声が上がる。

バーンはバーンで、大まかなプランが出せた様だ。

そしてバーンは、店のカウンターに備え付けされているメモ帳とペンを取って

「其方達に課す当面の新薬、或いは道具における材料費を初めとする開発費及び研究費、そして定期的な生産・提供による対価…それ等を考えた月々の契約料は、こんなもので如何かな?」

「「っ!!?」」

サラサラと数字を書き綴って、バーンは二人にその金額を見せる。

バーンの出した金額を見て、二人は目を驚愕に見張った。

(…こ、これなら…店の維持費や薬の生産費、私たちの生活費、それに月々の借金返済…全部払っても貯金が出来る!…)

ナァーザは、その計算を弾き出す。

ミアハも同じ様な答えを得たらしく、それと同時にバーンに尋ねる。

「…ファミリアの私物化という話だが、今の店を続ける事は可能か?」

「既存の魔法薬であれば何も問題ない。だがこれから其方達に開発して貰う新薬及び新道具においてはその限りではない、恐らく殆どの物は余が独占させて貰う事になるだろう。だが逆を言えば、それ以外の新薬ならこの店の新商品として扱って良い」

「その際のロイヤリティーは?」

「それも商業組合の定めた範囲で行う。だが借金返済までは何かと金は入用だろう?当面の間は無視してよい」

「…材料費込みという話だが、その額は常に一定か?」

「確たる理由があれば、相応の額の上乗せを行う。だが事前に報告をしてもらう必要があるな」

「商業組合のルール内という話だが、それは新薬作りにおいても同様かな?」

「無論、郷に入っては郷に従おう。其方の取引に関係なく、余は今後において禁止薬物及び違法薬物を扱うつもりはない、アレ等は余の好みから著しく外れておるのでな。

其方に課す新薬とは、其方が今まで生業としている物。つまり回復薬や魔力回復薬といった魔法薬だ…そうだな、明日にでも商業組合に掛け合って契約内容を明記した正式な契約書を発行して貰おう」

――破格の条件だ――。

ミアハとナァーザは、その結論に瞬時に辿り着く。

バーンとの月々の契約料だけで経営は黒字になる。それに加えて店の売り上げが加算されれば、終わりがない様に思えた借金生活にも遠くない内に終止符が打てる。

また契約内容は商業組合のルールの範囲内であり、きちんとした契約書も作ってくれる。

『神の前では、下界の子供達は嘘をつけない』つまりコレはバーンの偽りざる本心。

また契約書に明記していない事を無理に強要すれば、それは即ち契約違反。

発覚した瞬間にバーンには罰則と違約金が課せられ、『前科持ち』になればオラリオにおいて行動は大きく制限される。

自分達の様な零細ファミリア対し、バーンがそこまでのリスクを負ってまで陥れるメリットは思いつかない。

そしてこの場には、神ヘファイストスが居て自分達の会話を聞いている。

ヘファイストス・ファミリアは商業系ファミリアの最大手であり、組合においてもその発言力は大きい。

そしてミアハはヘファイストスとヘスティアの神格を良く知っている、間違っても詐欺紛いの事に力を貸す神ではない。

自分たちにとってはメリットしかない、正に最高の契約だ。

これを逃す手はない。

――だが。

「………」

ナァーザは手を伸ばせない。

これを手にしてしまったら、自分達のファミリアは一個人の私物になるからだ。

自分だけなら良い、寧ろご禁制の物や違法薬物にさえ手を出さないのなら、それこそ犬の様に従順に従っただろう。

だが、そこにミアハが加わるというのなら話は別だ。

今までミアハは、自分の為に頭を下げ続けていた。

ディアンケヒトにどれだけ馬鹿にされようとも、どれだけ横暴な態度をとられても、どれだけ強引な取り立てにあおうとも、頭を下げ続けてきた。

だがこの契約を結べば、ミアハはついに『下界の子供』にまで頭を下げなければならなくなる。

実際に頭を下げる訳ではないが、『使われる』身になるというのはそういう事だ。

少なくとも、商業組合が定めたルール内において…バーンはミアハの上に立つ存在になる。

このオラリオにおいて、神とは全ての下界の存在の上に立つ者。

嘗て下界の者達に『恩恵』を与え、今の世界の基盤を作り上げた絶対の君臨者。

家族の様に親しくなろうとも、親友や恋人の様な間柄になろうとも、それは絶対なのだ。

 

ではもしも、そんな神がギルドやファミリアと言った組織ではなく、下界の『一個人』に服従してしまったら…果たしてどうなる?

しかも金銭を得る為という、世俗にまみれた理由で…そんなファミリアに、一体誰が入団したいと思うだろう?

 

 

仮にそれで借金を返済しても、ホームを死守できても、そこで終わりだ。

新規団員の獲得は絶望的になる…それは即ち、ファミリアとしての未来の終わりを意味する。

それ以上にこの事が他の神に知れ渡れば、あの『娯楽』に飢えた神々は決して放っておかないだろう。

特にあのディアンケヒトが放っておくはずない、『下界の者に飼われるとはなー。ついに神としての誇りも売ったかぁ、ミアハあぁ?』等と言って馬鹿笑いする光景が目に浮かぶ。

ミアハの背を指差し、嘲笑するだろう。

その笑いは彼らの眷属にも広がり、やがては一般市民にまで広がるかもしれない。

聞く人が聞けば『そんな大袈裟な』と笑う人もいるだろうが

オラリオでは『そんな大袈裟な』事は珍しくないのだ。

自分を助けるために頭を下げ続けたミアハが、オラリオ中の笑い者になる。

自分がこの世で一番尊敬する大好きな神が、オラリオ中で指をさされて馬鹿にされる。

そんな最悪の未来を想像して、ナァーザはギチリと奥歯を噛み締める。

(……ダメ、そんなの絶対ダメ!……)

未練がないと言えば大嘘になるだろう

正直に言うと、喉から手が出る程に欲しい契約だ

しかし、この契約はナァーザにとって受け入れられるものではなかった。

(……他に手段がない訳じゃない、移動販売の範囲とペースをもっと上げて…他の店での委託販売も、もう少し委託側の条件に寄り添えば取り扱ってくれる店も増える筈……)

だから、直ぐにでも断る

そう覚悟を決めて、バーンに告げようとした時だった。

「――解った、その契約を結ばせて貰おう」

ナァーザよりも早く、ミアハが動いた。

「フム、随分と思い切りが良いな神ミアハよ。正直な所、もっとごねるかと思ったぞ?」

「善は急げというしな。それに幾ら時間を掛けたとしても、この取引以上に良い考えが思いつきそうにない」

「悪魔の取引かもしれぬぞ?」

「悪魔は取引を守るものだ」

「ファミリアの未来が閉ざされるかもしれぬぞ?」

「今が終われば、未来もあるまいよ」

「神として、最低限の誇りを捨てる事になるぞ?」

「先程これ以上ない程に、恥を晒したばかりだ」

「神々共からの、嘲笑の的になるぞ?」

「なにせ道化だからな」

「――中々言うではないか」

大魔王の瞳と男神の視線が交わり、大魔王は小さく笑う。

「其方の思い切りの良さとその決断、余は評価するぞ。

今後の働きと成果によっては、一つの軍を授けても良いぞ」

「ハハハ、それは光栄な事だ」

「では明日にでも、正式な内容を決めて契約書を発行して貰うとしよう

出来れば組合までの同行を願えるか? 恐らくその方がスムーズに事が進む筈だ」

「ウム、了承した」

では明日と、互いに日時の確認をしてバーン達は店から出ていき、ミアハとナァーザはその背を見送っていた。

店に残るのは、耳に痛い程の静寂。

そんな状態がどれだけ続いただろう? ナァーザは小さく呟いた。

「…なんで、ですか」

掠れる様な小さな呟き、風が吹けばかき消される程の小さな声

その呟きを聞いて、ミアハは居心地が悪そうに表情を崩して髪を掻いて

「…そうだな。さっきも言った通りだ、あの契約以上に良い選択が思いつかなかった。

それにヘファイストスの見立て、あれは恐らく正しいだろう…今のままでは半年も持たない、良くて数ヶ月程度かもしれんな」

「でも、まだ出来る事はあった筈、です」

「そうだな。だがそれは、今以上にお前に負担を掛ける事になっていただろう…これ以上に肉体と精神に負担を掛けても、良い結果に繋がるとは思えなかった」

「………」

ミアハの言葉を聞いて、ナァーザは黙る。

自分でも解っていた、あれ以上の選択肢は自分たちにない。

自分が考えていたプランも、いつか何処かで無理が生じていた…という事も。

「まあディアンケヒトのお陰で、精神面ではタフになったという自信はある。

暫くの間は他の神達の話の種にされるだろうが、そこはまあ甘んじて受け入れるさ。

授業料の一つと思えば悪くない」

「………」

「見損なったか?」

「ええ、見損ないました」

「…そうか、だがお前まで私の我侭に付き合う必要はない。もしナァーザが望めば改宗も」

「――本当にミアハ様は、私がいないとダメだという事が良く分かりました!――」

深く息を吐いて、観念した様にナァーザは呟いて

ミアハの言葉を遮り、そして一気に言葉を噴出させた。

「大体、さっきの事もそうです!折角相手が契約書を作ってくると言っていたのですから、それを見てからでも遅くはなかった筈です!

あのバーンとか言う爺が、土壇場で条件を変えてきたらどうするつもりだったんですか!?」

「ぅっ…ま、まあそうなのだが、決断が鈍らない内にやっといた方が良いと思ってな。それに嘘はついていない訳だし、あのヘファイストスとヘスティアの前で堂々と詐欺行為を行う筈はないだろう?」

「その考え自体が甘いと言っているんです! 詐欺師はそういう『自分は大丈夫』という相手の心の隙を突いてくるものです!

それに合法の契約でも、法の隙間を突いた様な、幾らでも相手から金を搾り取れるケースだってあるんです! 良いですか!社会契約は疑って掛かって然るべし!注意はし過ぎるという事はないんです!」

「だ、だがしかし、そんな手間暇を掛けて我らの様な零細ファミリアを陥れるメリットはないだろう?」

「メリットはあります! 契約を盾にミアハ様を好きにできるというメリットが!」

「…はい?」

「どこぞの狡猾な女がミアハ様を手篭めにする為に、あの爺さんを自分の身代わりとして使ったという筋書きが考えられます!

…いいえ、もしかしたらあのバーンとか言う爺その人がミアハ様の肉体目当てで…!」

「落ち着けナァーザ! 幾らなんでも不敬が過ぎるぞ!?」

「とにかく!明日は私も同行しますからね!良いですか!?」

「う、うむ!」

ナァーザの剣幕に押されて、ミアハは頷く。

ナァーザも一通り思いの丈を吐き出して落ち着いたのか、荒れ気味の呼吸を整える。

――そういえば、こんなナァーザは久し振りに見るな。

ミアハは己の眷属の表情を眺めながら、そう感じる。

恐らく、今までは自分の気持ちを押し殺してずっと過ごしていたのだろう。

溜まりに溜まった感情というのは、却って吐き出す事が難しくなる。

恐らく金銭的な解決方法が出来た事で、ナァーザの緊張も緩んだのだろう。

己の眷属の表情を見る限り、どこか吹っ切れた様な表情だった。

(……この事だけでも、バーン殿には感謝しなくてはな……)

ナァーザの言う様に、恐らくあのバーンという老人は一癖も二癖もある人物だろう

油断は禁物。下手を打てば、あの者は神と言えど容易く食い物にするだろう。

神とて人を推し量る眼はある。

だが、あの者はそういう小狡い事をコソコソと行うタイプではないだろう。

今日初めて会った相手だが、ミアハには確信にも似た思いがあった。

(……だがしかし、あの老人は何者だろうか?……)

今更ながらにミアハは疑問に思う。

会話の節々から、つい先日この都市にやってきた事が読み取れたが…気になるのは、ソコではない。

(……下界の者には違いないが、あの存在感はどちらかと言えば我々に近いモノがある……)

尋常ならざる気配と迫力、見れば吸い込まれそうになる独特の雰囲気。

あそこまで言われたら、幾ら自分でも腹を立てただろうが…そんな気持ちは湧かなかった。

 

事実、自分は知らぬ内に『バーン殿』と呼び

自分達の薬師としての腕を認められた時、得も言わぬ充実感と誇らしさを感じた位だ。

(……神々が下界に降りてからの歴史は永い、神と人との間に子をなしたという話は聞いたことがないが……)

かの『魔剣鍛冶師』の血脈の様に、何らかのイレギュラーによって生まれた存在なのかもしれない。

ミアハにはどうしても、あのバーンという老人がただの下界の存在とは思えなかった。

(……だがまあ何にしても、先ずは目先の事だ……)

バーンの望む新薬の開発

あの契約料から察するに、生半可な物を献上しようものなら即時契約は解消されるだろう。

折角の取引で、最初から失敗して契約破棄にでもなったらそれこそ目も当てられない。

「さて、これからはより忙しくなるぞ」

 

 

「ウム、実に有意義な時間だった。褒めて遣わすぞ神ヘスティア」

「どこが有意義だあぁ!! 僕があの店にいる間どれだけ胃を締め付けられていたのか君に分かるのかぁ!!? ああぁぁぁ!これからどんな顔してミアハと会えば良いんだあぁ!!?」

バーンは満足そうに呟くが、ヘスティアは顔を思いっきり歪めながら叫ぶ。

どうやら先程の一件、その衝撃がまだ抜けきっていない様だった。

そしてもう一人の神であるヘファイストスも、呆れたように息を吐いて

「ったく、相変わらずぶっ飛んでるわね貴方」

「だが、刺激的だっただろう?」

「そうね、退屈じゃなかったのは確かだわ。お陰でミアハの店も持ち直しそうだし、悪くない時間だったわ」

未だ喚いているヘスティアとは正反対に、ヘファイストスの方は落ち着いていた。

昨日の一件で、バーンが何かしらの事を起こすのは予想できていたし

ミアハの店も、バーンの契約が無ければ恐らく半年も持たないだろうと思っていたからだ。

「でも貴方。私の店のローンもあるのに、ミアハの店にまで毎月あんな額を支払えるの?」

「金勘定を疎かにする程、耄碌していないつもりだ。それに神ミアハにはそれだけの価値がある。

これからはダンジョン探索を初めとする収入源もあるし、此処以外の拠点には隠し財産もある…まあ、いざとなったら適当にクエストでも受ければ問題ない」

「ダンジョンに潜るにしても、クエストを受けるにしても、ギルドの登録は必須よ?

それでどう?今日一日つきあって、ヘスティアの感想は?」

「個人的には悪くない。余計なしがらみもなく、他の団員がいないというのも余にとってはメリットだ。それに、どこぞの調停者気取りの神々よりはずっと好感が持てるぞ?

だがもう少し、神ヘスティアの神格を掴みたい」

 

「…と言うかもう、バーンくんは…ヘファイストスの所に入るのが一番いいんじゃないかな…?」

「そうね、個人的には歓迎するけど…他の団員の事を考えるとちょっとねー」

「ウム、賢明な判断だ。余は鍛冶師にとって『最高に白ける相手』らしいからな。未来の名工達の成長の妨げになるのは、余も望む処ではない」

――等など、バーンを含めた神御一行はその後も街を案内して回っていった。

その後も幾つかの店を回り、街を見て回り、他愛も無い雑談をかわしながら時間を過ごし、気が付けば陽は完全に沈んでいた。

粗方の目的も見て回り、三人はバベルの前まで来ていた。

 

「フム、中々に愉快な一時だった。礼を言うぞ神ヘファイストス、神ヘスティア」

「それはどうも、楽しんで貰えた様で何よりだわ」

「まあ、何だかんだで僕も結構楽しかったよ。明日は商会の方に出向くんだろ? ってことは、僕達も直接そっちに行った方が良いかい?」

「そうだな、そちらの方が何かと都合が良かろう」

「そうね、それじゃあまた明日」

 

そう言って、神二柱はバーンに軽く手を振って別れを告げる。

バーンもまた軽く手を振って、夜の都市の雑踏の中へと消えていった。

バーンの後姿を見送り、二人はバベルの中に戻って行く。

その途中、ヘファイストスが思い出したように声を上げた。

 

「ああそれと、明日は私は付き合えないからそのつもりで」

「ん?あー、そうか…今日一日、付き合せちゃったから」

「そう、お仕事が溜まってるの。それに貴方の方も最初こそは面食らってたけど、最後の方には随分自然に振舞えてたじゃない?」

「最初にあれだけかまされればねー、感覚も麻痺するさ」

「あはは、確かに」

「まあでも、確かにヘファイストスが面白いって言ってた意味は分かる気がする…バーン君は何と言うか、色々と刺激が強い」

「でしょ?」

 

そんな雑談をしている内に、二人はヘファイストス・ファミリアのフロアに着く。

ヘスティアは自分に宛がわれている客室に、ヘファイストスは自分の執務室に行く。

執務室に着いたヘファイストスは、昨日バーンが書いた注文書を取り出し、そのまま自分の工房に足を向ける。

 

(……今日一日、あの大魔王に張り付いていたお蔭で…大体のイメージは固まった……)

 

ヘファイストスは今日一日、神友の付き合いだけで過ごしていた訳ではない。

自分が請け負った仕事の為に、あの大魔王の人物像をより深く知っておきたかったからだ。

普段のヘファイストスは、オーダーメイドを受けたとしてもそこまではしない。

だが、そこまでやらなければ…恐らく自分の作品でも、あの大魔王の力に耐え切れないと思ったからだ。

 

(……さて、少ーしばかり…骨が折れる仕事になりそうね……)

 

工房に着き、作業着に着替え、道具や炉のチェックを行う。

まだ正式な注文を受け付けた訳ではないが、あの大魔王は近日中にローンの問題は何とかするだろう。

 

(……見せて貰うわよ大魔王……)

 

そしてそれ以上に、ヘファイストスは自身の熱が冷める前に行動をしたかった。

 

(……私が打った杖で貴方が此処で何を為すのか、貴方がオラリオに何を刻んでいくのか、その有様をね……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこは、オラリオの街道を外れた裏路地の一つだった。

街の喧騒と明かりは遠く人気は少ない、夜闇の中に申し訳程度の魔力灯の明かりがある、そんな路地だった。

 

「ぐっはあぁ!」

 

そんな路地で、金属音が鳴り響いて誰かの声が響く。

黒い外套に全身を包んだその男は、弾かれた様に地面に転がった。

男の周りには、男と同じ黒外套に身を包んだ男が四人ほど倒れ、蹲っている。

 

黒外套の男は次いで目深くかぶったフードから視線を動かす、其処には狼人の男が一人立っていた。

 

「ったく、情けねえな…テメェ等五人掛かりでこの様かよ」

 

手に持った剣を遊ばせながら、狼人の男…ベート・ローガは見下した様に相手を見た。

ダンジョンからの帰り、気まぐれでいつもと違う道を通ってみようとした所、ベートは奇襲を受けたのだ。

 

しかし、奇襲を受けただけだった。

ベートは奇襲を掛けた五人を容易く切り伏せ、捩じ伏せ、蹴り伏せていた。

ベートはオラリオが誇る『第一級冒険者』であり、格下の冒険者が徒党を組んだとしてもその絶対的な実力差だけは埋まらなかったのだ。

 

――まずい――と、襲撃者の一人は思う。

何かと目障りなベート・ローガを確実に仕留める為に、今日のこの日まで機会を伺い、絶好のチャンスに恵まれながら仕留められなかった。

このまま逃走しようにも、何人かの者は足にダメージを負っている。

分かれて逃走したとしても、確実に追いつかれ捕らわれる…そう判断したからだ。

 

だが、まだ運に見放されていなかった。

男は自分の目に飛び込んできたその光景を見て、そう思い笑みを零す。

 

男の視線の先には、一人の老人。

路地の角から、その老人が姿を見せたからだ。

 

「ボス!来てくれたんですね!?」

 

そのエルフの老人を見据えて、男は叫ぶ。

その老人は一瞬呆けた様な表情を浮かべて、ベートもまたその老人へと視線を向ける。

その瞬間を突いて、男は仲間たちにアイコンタクトを送る。

男の考えを汲み取って、仲間たちは頷いて声を上げた。

 

「ボス!手筈通りベート・ローガの足止めをしておきました!」

「どうかボスの力、見せつけてやって下さい!」

 

そう言って、黒外套の男達は四方に散って夜闇に姿を消す。

ベートは男達を追わなかった、と言うよりも追う気になれなかった。

胸の中は呆れの感情で埋め尽くされ、既に戦意は消失していた。あんな小物相手に、態々追いかけっこをする気にはなれなかったからだ。

 

それに、相手側の考えも読めてる。

 

恐らく、この爺さんは偶然居合わせただけだろう。

そうでなければ、自分の隙をつけるあの機会を見逃す理由はない。あの様に大声を上げる必要も無い。

あの連中は念入りに顔と姿を隠しておきながら、この老人は顔を隠すことなく堂々と晒している。

あの連中が自分達の逃走時間を稼ぐために、一芝居を打ったという所だろう。

 

(……ったく、雑魚の癖に下らねえ事は思いつくみてえだな……)

 

次に会ったら、足の一本でも折っておこう。

ベートはそう思い、件のエルフの老人に目を向ける。

 

「一応確認しとくが、爺さんが俺にアイツらを差し向けたっつうボスか?」

 

そんな事はないだろうが念の為、確認を取っておく。

その確認を終えたら予定どおりホームに帰ろう、ベートがそう思っていた時だった。

 

「うむ、その通りだ」

 

その老人は、あっさりとベートの言葉を肯定した。

 

 

 

 

「余こそが彼奴らに其方への襲撃を命じた、魔王だ」

 

 

 

 

――恐らくベート・ローガは、生涯この日を忘れる事はないだろう――

 

――ベート・ローガの記憶から、生涯この夜が消える事はないだろう――

 

――この日は彼が初めて大魔王と対面した日であり、ベート・ローガが大魔王を認識した日――

 

――それは、ベートにとっての運命の夜――

――これは、ベートにとっての始まりの夜――

 

 

この夜より、ベート・ローガの運命は大きく変わっていく事になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




<速報>バーン様、ミアハ・ファミリアを買収!

という訳で、今まで忙しかったその反動なのか、最近は結構時間が取れて早く更新できました。
今後もあまり間隔が開かない様にしたいと思います。

今回はバーン様パートです。
先ずは前半、ミアハ・ファミリア買収についてです。
ミアハ様はめでたく某ザボエラの後任となりました!(笑) ミアハ様もベルくんや紐神様と同様に、初期から立ち位置が確定していたキャラです。
対立候補として、この位置にはアスフィさんも考えていたのですが、作者的にミアハ様の方が扱い易いと判断しました。

そしてバーン様による、ファミリアの買収。
これも前から描きたいと思っていたネタです。ファミリアによらずバーン様個人で『ファミリア』を所有するネタを描きたかったので、今回ぶっこんでみました!
上記の理由もあって、今回のミアハ・ファミリアの買収の話になりました。

今後のバーン様とミアハ様の関係
現代風に言うとバーン様は社長で、ミアハ様は研究部(開発部)長、ナァーザは社員(部長補佐)、という感じです。

作中のミアハ・ファミリアの経営状態について。
本編は原作と違って、ベルくんというカモが存在していないので、原作よりも経営状態は悪いです。
ちなみに本編では、店の魔法薬は薄めているのがバレない様に香料や着色料を使っています。
流石に水で薄めているだけではミアハ様に速攻でバレます。
水で薄めるよりもコストは掛かりますが、原作の魔法薬の価格を考えると十分利益が出せます。

次回で大魔王師弟の、二日目の夜は終わるかと思います。
初日以外はサクサク進めるという話は、一体どこに消えてしまったのか…(汗)
今のペースだと師弟合流まで結構時間が掛かりそう、この辺りも今後検討中。

ちなみに、現時点での大魔王師弟のフラグスタイル。

ベルくん・美女と徐々にフラグを立てていくスタイル
バーン様・イケメンと積極的にフラグを立てていくスタイル

――ヤダ、この師弟ってばとんだ面食いだわ…(真実)

という訳で、次回に続きます。




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狂狼

 

「…魔王、だぁ?」

ベートはオウム返しで呟く。

ベート自身、その予想しなかった返答に少々驚いたからだ。

「ウム、其方も幼少の頃に一度は目にした事はないかな?

童話や御伽噺に英雄譚、それ等の物語にとって必要不可欠な存在、即ち魔王…それと同じ意味で受け取って貰って構わぬよ」

「で、その絵本から飛び出した魔王さまが、こんな寂れた路地裏でゴロツキの真似事か?

魔王サマってのも随分安っぽいもんなんだなぁ?」

「ハハハ、これは手厳しい。しかし安っぽいと言うのは少々語弊があるな。狙う獲物によっては、安い行いにも相応の価値が出てくると思わないかな? ロキ・ファミリアが誇る第一級冒険者、『狂狼』ベート・ローガよ」

バーンがベートの素性を口にして、ベートは改めてバーンを見る。

別に相手が自分の素性を知っていた事に、思う所があった訳ではない。

自分はこのオラリオではそこそこ顔と名前と素性が知られている、相手が知っていてもおかしい事はない。

 

(……この爺の顔、確か…どこかで……)

 

ベートが気になる点、それは相手の顔に自分が見覚えあるという事だ。

それがいつ、どこで、なのかは分からないが…ベートはその顔に覚えがあった。

その心の引っ掛かりこそが、ベートがバーンの言葉に耳を傾ける理由の一つだった。

その他大勢や有象無象の類ではなく、その老人の存在はベートの心の何かに引っ掛かっていたからだ。

そこまでベートは考えて、改めてバーンに尋ねる。

 

「物は言い様だな。まあ正直、そこはどうでも良いんだ…問題は、爺さんが俺に喧嘩を売ったっつぅ事だ」

「ウム、事実に相違ない。余が奴らを其方に差し向けた」

「…吐いた唾は飲み込めねえぞ、魔王さま?」

「ならば其方はどうする? 野良犬の様に背を向けるか?負け犬の様に平伏すか?飼い犬の様にお仲間を呼ぶか? 個人的には三番目をお勧めする。余の楽しみが増える」

バーンのその言葉で、ベートの表情が変わる。

先程までの疑いの表情が完全に消えて、目を鋭く細め、唇を一文字に締める。

相手の思惑こそ分からないが、目の前の相手は『そういうつもり』で自分と相対している。

ここまで言われた以上、ベートに引くと言う選択肢は最早無かった。

(……ヤっべえな、この爺……)

そして、それ以上にベートは興味が沸いていた。

目の前の老人から漂い感じる、その異質すぎる空気。

全てを飲む込み喰らい尽くす洪水の様な、あるいは全てを受け入れる大海の様な、個の枠を超える様な存在感。

 

(……この前『ウダイオス』の討伐があったが…この爺さんは、明らかにアレ以上だ……)

数週間前に、ロキ・ファミリア総出で討伐した魔物を思い出す。

ダンジョンの下層域にその根城がある、『階層主・ウダイオス』

その討伐レベルは『Lv.6』に相当し、高レベル冒険者が数十人掛かりでやっと対等に戦える階層主

その桁外れの戦闘力は、ベートの記憶に鮮明に焼き付いている。

そして目の前の老人から感じる迫力と威圧感は、明らかにウダイオスより上だ。

魔王というのも、もしかしたら冗談ではないのかもしれない。

何せ自分のファミリアの団長が『勇者』と名乗るくらいだ。

それと似た様な発想をする者が他にいても、何の不思議でもないだろう。

 

――しかし、ベートにとってそんな事は二の次になっていた。

 

既に戦気が体中に滾り、闘志が脳を染め上げていた。

重要なのは、この老人が強者である事。

自分は強者とやり合える機会に恵まれた事。この事実こそが、ベートにとって何より重要だった。

「そういや、その手の話は魔王サマの結末は大体決まってるよな?」

「フム、どの様な結末かな?」

「散々偉そうな事を言っておきながら、最後には負ける」

「ならば其方はなれるかな? 魔王を討ち滅ぼす勇者に」

「フハっ!俺が勇者サマって柄かよ!?」

そう言って、ベートの顔は戦気に歪む。

口の端をこれ以上ない程に釣り上げて、野獣の様な笑みを浮かべる。

そして腰に携える、もう一本の剣を抜いて構える。

双剣による二刀流こそが、ベート本来の戦闘スタイル。

夜闇の中に双剣の白銀光が瞬いて、ベートは前傾姿勢に双剣を構える。

「ほら、得物を出せよ。そんぐれえは待ってやるよ」

「気遣い無用、この肉体こそが我が刃であり我が鎧よ」

「そうかい、なら遠慮はいらねえよなぁ!」

 

狂狼が吼えて、大魔王は歓迎する様に両手を軽く広げる。

次の瞬間には、白い残光を残してベートは一気に大魔王の元へと翔る様に駆ける。

踏み込まれた路地が陥没する程の爆発的な脚力、それによって生まれる超速。

 

一瞬にして、ベートは大魔王を己の間合いの内に捉えて

その双剣を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当にすいませんでしたあぁ!」

 

『豊饒の女主人』の休憩室にて、ベルは頭を勢いよく深く下げて謝罪していた。

ベルに対面する位置に、仕事用のメイド服に着替えたリューがいた。

 

「気にしなくて結構です、どの道仕事に戻らなくてはならなかったので」

「じゃあ、せめて服代だけでも。もし染みが取れなかったら」

「それも大丈夫です。大量購入した安物ですから、お気になさらずに」

 

ベルは尚も謝罪を続けるが、リューは特に気にする事無く会話を続けていた。

そもそも、何故ベルがこんな下手に謝罪をしているのか? それはほんの数分前の事だった。

 

ベルはがちがちに緊張した状態から、リューのアシストもあって徐々に緊張が解けてきた。

最初は隣の リューの言葉すらまともに聞けなかったが、たどたどしくも会話が出来る様になった。

そんな時だった、ベル達の隣のテーブルからその声が聞こえてきたのは。

 

「あ、そういえばさ。二人は『フレイヤ・ファミリア』の話は聞いた?」

 

響いてきた声に、ベルの興味が刺激される。

フレイヤ・ファミリアと言えば、その勇名は都市外にも響くオラリオ最強のファミリアだ。

特にフレイヤ・ファミリアの団長である猛者オッタルには、師のバーンも興味を示していた程だ。

 

「いやね、私もさっきの店で少し聞いただけなんだけどさ。昨日の夜、フレイヤ・ファミリアに喧嘩売った人がいるらしいよ」

 

その言葉に、ベルの興味はより一層に刺激される。

オラリオに来たばかりのベルにとって、それは正に聞き逃せない情報だ。

迷宮都市最強に挑んだ相手がいる、コレを聞いて興味を示さない者などいないだろう。

ベルの密かに聞き耳を立てる。

 

「その喧嘩を売った人の事なんだけどね」

 

ついに噂の核心へと話が移る。

一体どんな輩がそんな命知らずの真似をしたのか、そんな風にベルは思いながら聞き耳を立てて

 

 

「――髪と髭がすっごく長い、エルフのお爺さんだったらしいよ――」

 

 

その言葉は、正に雷鳴の如くベルの脳髄に響き渡った。

髪と髭が長いエルフの老人であり

最強のファミリアに喧嘩を売る様な、ぶっ飛んだ行動と発想を持つ人物

 

ベルは瞬時にその答えに行き着き

 

(――なにやってんのバーン様ああああぁぁぁ!!?――)

 

口に含んでいたジュースを思いっきり噴出す。

そして、それはベルの隣に居たリューの全身に、思いっきりぶっかかった。

誇張表現なしに、リューの頭から腹部にかけて、これでもかという位にジュースが掛かった。

 

――ちなみにこの時、濡れて透けたブラウス越しに

リューのボディラインや浮かび上がった下着等の禁断の光景が、至近距離でベルの視界に飛び込んできたのは完全に余談である。

 

そして、時は現在に戻る。

 

「アレは事故の様なものですから、私としてはもう気にしていませんよ。それでも気に病むのでしたら、是非お店の方に売り上げという形でお願いします」

「はい!これからもご贔屓にさせて頂きます!」

 

改めて頭を下げて精一杯の謝罪をして、ベルは休憩室を後にする。

 

「――ヘルメス様。僕って、何年投獄になりますか?」

「うん、とりあえず落ち着こうか」

 

テーブルに着いて早々、ガックリと項垂れながら呟くベルにヘルメスは思わず苦笑する。

 

「それで、どうしたんだい? 平手打ちの一つでもされちゃった?」

「いいえ。そんな事は一切無く、許してくれました。せめて服の弁償だけでも、思ったのですが…それも叶わず」

「成程ねー。まあ本人がそれで良いって言うなら、良いんじゃないかな」

「…そういうものでしょうか?」

「過度に謝り過ぎるのも逆効果だよ。ベルくんだって気にしてない事にいつまでも謝られてたら、あまり良い気はしないでしょ?」

「あー。そう言われれば、そうかもしれないです」

 

ヘルメスに指摘されて、ベルもとりあえず納得する。

確かに自分とリューはまだ知り合って間もない間柄だ、そんな人間にいつまでも同じ事で謝られてもあまり良い気はしないだろう。

 

「まあ、生きてればそんな経験もあるもんさ。よし!そういう時は飲んで忘れよう!」

「あー、すいません。エールや葡萄酒は苦手で」

「大丈夫大丈夫。ジュースをアルコールで割るヤツだから、甘くて美味しいよ」

 

ヘルメスはそう言って、ジュースとアルコールを瓶ごと注文する。

程なくして瓶二本とグラスが運ばれて、二人のテーブルに置かれる。

 

「最初はジュースだけ注いで、アルコールは好みに合わせて足していった方が失敗しないよ」

 

ヘルメスのアドバイスに従って、ベルはグラスの半ば程までオレンジジュースを注いで少量のアルコールを混ぜて一口飲む。

 

「…おぉー、ジュースなのにお酒だ」

「混合酒みたいに、自分の好みで味を作れるのが良いよね。少し値が張るけど専門のお店もあるし、自分で色々と試す人もいるからね」

「成程ー、お酒って言っても色々あるんですね。お酒は苦いってイメージが強かったですけど、こういうジュースみたいなお酒なら大丈夫です」

「故郷ではこういうのは無かったのかい?」

「そうですね。酒は酒でジュースはジュースで、っていう考えの人が殆どでした。祖父や師匠はお酒が大好きですけど、こういうジュースと混ぜたりはしていなかったです。お陰で祖父や師匠からは、未だに『お子様舌』って言われてます」

「そこら辺は好みで分かれるね。人によっては全く飲めなかったり、一口だけで潰れちゃう人もいるからね」

「まあ、ジュースと混ぜてやっと飲めるくらいですから。お子様舌はまだ卒業できなさそうです」

「大丈夫じゃない?お酒は楽しく飲む、そして飲んでも呑まれない。これが万国共通のルールってものさ」

 

そう言って二人は改めて乾杯し、杯を交わしていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロキ・ファミリアが誇る第一級冒険者、『狂狼』ベート・ローガ。

オラリオ最強のファミリアと名高いロキ・ファミリアにおいて、ベートは他の団員の追随を許さない武器を一つ持っている。

 

それはスピード。

 

彼の両足から生まれる速度は、『Lv.6』の冒険者である『勇者』『九魔姫』『重傑』をも上回る俊足。

オラリオ最強のロキ・ファミリアにおいて、『最速』の冒険者。

これは即ち迷宮都市オラリオにおいて、最速のレベルを意味する。

 

彼が全速で相手を殲滅せんとすれば、同じ第一級冒険者を持ってしても苦戦は避けられない。

――故に、それは異常な光景だった。

 

(……な、に……)

 

両手の剣を相手目掛けて振り下ろす。

上から振り下ろし、下から斬り上げ、左右の薙ぎ払い。

ある時は蹴撃を交えて、ある時はフェイントを織り交ぜて、大魔王に襲い掛かる。

 

一度剣が振るわれれば、そこに白銀の閃光が軌道を描き、大気ごと切り裂いた。

一度蹴撃が繰り出されれば、それは正に断頭台の様な唸りを上げて、相手に襲い掛かった。

その一つ一つの威力は正に必殺、鋼鉄や業物すらも瞬断する超速の剣技。

 

――そして、その悉くを大魔王は避けきっていた。

 

「おぉっと、危ない危ない。もう少しで大事な髭が剃り落とされる所だったわ」

「ヤロオォ!!」

 

バーンの言葉に、ベートは怒声と共に剣を振り下ろす。

階層主の肉体すら切り裂くベートの斬撃を、大魔王は足を軽く数歩動かして、体勢を半身に切り替えるだけでソレを避ける。

しかし、ベートは尚も喰らい付く。返しの横薙ぎを大魔王に放つが、それを大魔王は後ろに軽く跳んでやり過ごす。

更にベートが追撃を掛ける、一気に踏み込んで蹴り掛かる。

大魔王の腹に蹴りが減り込む瞬間に、その体は風に舞う木の葉の様にするりと避ける。

 

「ウム。実に若さ溢れる力強い攻撃よ、まるで余の若い頃を見ている様だ」

「クソがっ!」

 

バーンが口の端を吊り上げて、愉快と笑う。

ベートが吼えて更にラッシュを掛けるが、先程の焼き直しとなる。

ベートが繰り出す全ての攻撃が、大魔王には届かない。

その切っ先が服の一部に擦る事すらなく、髪や髭に触れる事無く、何十という攻撃全てが空を切る。

 

(……何でだ、何で当たらねえ!?……)

 

野獣の様に吼えて、ベートは更に双剣を振り続ける。

それは正に烈火の如く激しさを持ち、旋風の様に鋭く速く絶え間ない、怒涛の斬撃。

最大速度で脚を駆けて、腕を振るい、二振りの剣を走らせるが、その悉くが大魔王に届かない。

 

(……確かにこのジジイは速えが、俺の方が速い…この程度の相手なら、今まで何匹も狩ってきた筈だ!?……)

 

仮にもベートは第一級冒険者、ファミリアの遠征で下層・深層に出現する難敵・強敵を幾度と無く討ち取ってきた。

その中には当然自分よりも早く動く敵もいた、自分よりも強い敵もいた。

今まで戦ってきた魔物の種類の豊富さは、このオラリオでもトップクラスというのが事実だ。

しかしそんなベートをしても、未だ目の前の大魔王に自分の攻撃が当たる気配すらなかった。

 

「――テメェ、マジで何者だ?」

「通りすがりの大魔王だ、別に忘れて構わんぞ?」

 

至近距離で睨みつけながらベートが問うが、バーンは軽く返す。

冗談なのか挑発なのか、それとも両方なのか、ベートは舌打ちをしつつ更にバーンへと肉薄し攻撃を仕掛ける。

 

後半歩もあれば届くのに、後一歩あれば大魔王を討ち取れるのに

その半歩が遠かった、その一歩がベートには絶望的に遠かった。

 

「其方はこう思っているだろう?何故自分の攻撃が当たらない…とな」

 

猛攻を避けながら、大魔王が語りかける。

 

「相手の動きは決して速い訳ではない、速度自体は自分の方が上の筈…ならば何故?とな」

 

ベートの頭上を飛び越える様に跳躍し、その背後に着地する。

 

「確かに其方は速い、確かに其方は強い。類稀なる天賦の才、それに驕る事無く己を磨き続けた修練。『神の恩恵』に依存し縋るのではなく、己の手足として、己の得物として、己の一部として使いこなしている…噂に違わぬと言った所かな」

「ハッ!遠回しの自慢か!?」

「そう噛み付くでない、褒めておるのだぞ?

かの『陸戦騎』にこそ及ばぬが、其方の領域に至れる者は万人に一人もいないだろう」

 

背中越しに大魔王が語り掛け、ベートは振り向きざまに斬り掛かるがソレは空を切る。

 

「しかし、其方は聊か感情の制御が不得手と見える」

 

大魔王はベートの直ぐ近くに居る、手を伸ばせば届く、一歩足を進めれば届く

そんな直ぐ傍に居ながら、ベートの攻撃は当たらない。

 

「感情とは、実に多くの情報を有している。感情の変化は心の変化、殺気や戦気の変化はそれ即ち行動の予兆。どんなに速い者でも、動く予兆さえ分かればそれに対して心構えが出来る、心構えが出来れば冷静に対処できる

其方の場合は特に酒の席には気をつけておくが良い、酒に飲まれて意中の相手に行き過ぎた言動をせぬ様にとな」

「ふざけた事をゴチャゴチャと…!」

「そしてもう一つは視線、目は口程に物を語るものだ。

故に視線から相手の狙いを見極めるのも、戦いの基本。如何に目線を用いたフェイント等の小細工を用いても、ここ一番で本命を見てしまうのが人の性よ

故に自分では隠しているつもりでも、意中の相手が周りには知れ渡っている…何て事になりかねんぞ?」

「さっきからおちょくってんのかクソジジイ!」

「おや? 思い当たる事でもあったかな?」

「ブっ殺す!!!」

 

ククっと悪戯っぽくバーンは笑い、そんなバーンにベートはより苛烈に攻める。

双剣が白銀の閃光となって夜闇に瞬き、暴風の様に大魔王に襲い掛かる。

 

「ウム、少々話が逸れたな」

 

だが、大魔王には決して届かない。

数多の魔物を屠った斬撃が、幾多の強敵を仕留めた一撃が、竜の首をも飛ばした剣が

大魔王バーンに、一度も届かない。

 

「余の様な枯れ木の如き老い耄れを捉えられない理由、それは其方の心の未熟さよ

感情の動きが攻撃の質と予兆を、視線の動きが攻撃箇所を、如実に語ってくれる

それでは折角の剣技と速度も威力半減。逆を言えば、ソレさえ治せば相手にとっての効果は倍になる」

 

悠然と構え、流麗に動き、気品すらも漂わせる体裁きで、バーンはベートの攻撃全てを避けていく。

 

「そして決定的な理由、言うまでも無いが余の力量だ」

 

迫る一撃を避けて、今度はバーンがベートに対して踏み込む。

ベートの脚に自分の足を引っ掛けて、その体勢を大きく崩す。

 

「チィっ!」

 

地面に転倒する直前に、瞬時に重心移動と体重移動を用いて踏み止まる。

即座に攻撃に転じようとするが、ベートの額にコツリと何かが当たる。

その正体はバーンの指先、バーンはベートの額を指先で征して

 

 

 

「――狂狼よ、世界は広いぞ――」

 

 

 

相対するベートの視線を大魔王は真正面から受け止めて

バーンは更にその言葉を続ける。

 

「余は見ての通り、他者よりも少々永く生きている。

故に人生経験において、余は他者よりも頭一つ抜きん出ていると自負している

そして、世界の広さというのも人一倍理解しておるつもりだ」

 

瞬間、額に衝撃が走ってベートの体は後方に弾かれた様に飛ぶ。

痛みとダメージはなく、額からは血の一滴すらも流れなかったが、大魔王の力の片鱗を感じさせるには充分すぎた。

 

「故に、不思議と転がっているのだ。余の積み重ねた経験の中に、余の魂に刻まれた闘いの歴史の中に、ソレはある

余は知っている、覚えがある。其方よりも更に速い者を、其方よりも遥かに強い者達を、余は直に戦い知っている

要は慣れているのだ、其方程度のレベルならな。老いたこの身でも、其方の一手一手を見極める程度は出来るのだ」

 

ベートは体勢を立て直すが、直ぐに飛び掛ったりはしなかった。

一度呼吸と体勢を整えて、仕切り直しする事を優先させた様だ。

そのベートの行動に、バーンは楽しげに笑い

 

「これも一つの縁、才能溢れる若者に道を示すのもまた一興

喜ぶが良いベート・ローガ。今宵の冒険譚の主役は、其方とこの大魔王だ」

「……」

 

「――世界の広さ、その一端を知っていけ狂狼よ」

「――上等だあぁ! 地べたに這い蹲らせてやるよクソ大魔王おぉ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それれれすねー…きーてますかーヘルメスさまー」

「ああ、うん。聞いてるよ」

 

あれからどれ程の時間が経過しただろう?

ベルは頬を紅潮させて、瞼が力なく半分ほど垂れ下がり、その目もやや焦点が合ってなく呂律も回らなくなってきていた。

意味も無く楽しげに笑い、アルコール交じりのジュースを飲む様は完全に「酔っ払い」そのものである。

初めて飲む酒にベルも杯が進んでいき、酔いが回った事で加減も効かず…完全にベルは呑まれていた。

 

「ほんっとうに、バーンさまはすげーんれすよ。指いっぽんれ、どんな相手もやっつけるし、てのひら一つれ建物や魔物がばーんってなるんですよ!バーンさまなだけに」

「ベルくん、完全に呑まれてるね」

 

初めて自分が飲める酒に、ベルもついつい酒が進んでしまい…気が付けばこの様な状態になっていた。

苦笑しながらヘルメスは言う。泣き上戸や愚痴を言うタイプに比べれば可愛い方だが、ここまで酔ってしまうと一人で帰れるのかと心配になってしまう。

 

(……まあ最悪、ウチのホームまで連れ帰ればいいか……)

 

ここで一つ、かの大魔王との繋がりを強くしておくのも悪くない…と、ヘルメスは考える。

店員を呼び止めて、酔い覚ましになりそうな物を幾つか注文する。

頃合を見計らって、今日はこの辺でお開きにしておこう…ヘルメスがそう思っている時だった。

 

 

「テメェ!今なんつったあぁ!」

 

 

その声が店内に響き渡る。

ベルとヘルメスを含む、店にいる多くの客の視線が声の発信源へと向けられる。

そこには皮装備を纏った冒険者らしき二人の男がテーブルから立ち上がって、睨み合い罵り合っていた。

 

「テメェ如きが随分調子に乗ってくれてんじゃねえか!あぁ!?」

「なんならヤるかあぁ!モンスターの糞になる前に豚の餌にでもしてやろうかぁ!」

 

二人の男は遠目で解る程に酒気を帯びていて、かなり酔いが回っているのが分かった。

直ぐにでも得物を抜きそうな二人に対し、二人の連れらしき者がウンザリした様な表情をして

 

「おい、お前ら止めとけって。ここミア母さんの店だぞ?」

「その辺にしとかねえと、とっちめられるぞ?」

 

そう言って二人を止めるが二人は止まる気配がなく、より一層雰囲気は物々しくなっている。

そしてその空気の変化に、周囲の従業員やミアの気配も鋭く尖ったものになっている。

やはり冒険者御用達の酒場なだけあって、この手のトラブルには慣れているらしく大事になる前に事の鎮圧を行うつもりだろう。

 

「上等だぁ!今の内に胴体とサヨナラしておけ!!」

「テメェこそ、最後の月にお別れでもしとけ!」

 

酔いを通り越して、薄く殺気すら放ちつつ二人は睨み合い、その手は得物を掴もうと伸ばしている。

ミアは疲れた様に溜息を吐く、この辺りで仲裁に入ろうと動こうとして…そのミアよりも、早く動いた者がいた。

 

「…うん?」

「…あん?」

 

二人の声が重なり、思わずその動作が止まる。自分達の間に割って入った、その白い影を見る。

見ず知らずの少年が急に自分達の間に入った事に、如何に酔っているとはいえ二人の動きは止まる。

そして間に入った少年…ベル・クラネルは、二人の顔を交互に見て両腕を大きく広げて

 

「ケンカ、良くない!」

 

やや呂律が回らない調子で、大声で言い

 

「お酒はぁー!楽しくぅー!飲み!ま!しょう!!」

 

なんとも気の抜けた調子で、そんな風に声を響かせる。

ムフっと軽く鼻から息を吐いて、酔いのせいで頬が紅潮しているがその表情は堂々としたモノである。

 

「…ガキが」

 

しかし気性が荒く酔いが回った冒険者にとって、今のベルがどの様に映ったのかは言うまでもないだろう。

そして酔いが回れば人は正常な判断が出来なくなり、また行動も短絡になる。

酔っていた冒険者の片割れ、その男の腕がテーブルの上にある酒瓶を掴む。

 

「ちょ!おまっ!ゲド!?」

「おい馬鹿!やめっ!」

「ガキが調子にのってんじゃねえぇ!!」

 

周りの制止の声が響くが、それでもゲドと呼ばれた冒険者は止まらない。

そのまま酒瓶を振り上げて、ベルに向けて振り下ろした。

ガラスの瓶とは言え、振り回せば人間相手には十分凶器になる。

怪我は勿論、打ち所によっては十分に致命傷になり得る。

 

その一瞬の光景に、周囲は息を呑む。

次の瞬間に起こるであろうその光景を想像して、その瞳が縫い付けられる。

振り下ろされた酒瓶が白髪の頭に直撃し、粉々に砕け散る――そうなるよりも早く、ソレが動いた。

 

 

 

意識と体がフワフワと浮遊している様だった。

視界は時折ぼやけ、ときおり乱視の様に線がブレる。

酒場の空気と喧騒は耳に響いているが、それは何処か遠いモノに聞こえる。

だがそんな意識の中、気分は悪くなかった。

もしもこの場で誰かが鼻歌でも口ずさめば、自分はその音頭に合わせて陽気に踊りの一つでも披露していただろう。

 

 

――そんな朧気な意識の中で、ベルは眼前で動くソレを見つめていた。

 

 

酔いの回った思考の中で、朧気な意識の中で、自分に迫るソレを見ていた。

本能的に、当たれば痛いと思った。

痛いのは嫌だとベルは思った。

今までの経験で、ソレは良くない事だと判断した。

 

――故にベルは、ソレを振り払った。

 

 

 

「……え……?」

 

間の抜けた声が響く。

ゲドは目に映るソレを、信じられない様に見る。

振り下ろした酒瓶、それは少年の頭に当たることは無く空を切る…なぜなら、その酒瓶は半ばから消失していたからだ。

 

「…へ、ぇ?」

 

そして、数瞬の間を置いてゲドは状況を理解する。

自分が殴ろうとした少年…ベルが宙を漂っていたソレを、キャッチするのを見て現状を把握する。

 

「…素手で、きった…?」

 

己で確認する様に呟く。

理解が追いついた瞬間に、ゲドの脳裏で先の光景がフラッシュバックする。

自分が振り上げた酒瓶に対して、ベルもまたそれに対して手刀を切り上げる様に放ち、酒瓶を瞬断したその光景を。

 

次いで、ベルは切上げられて宙に浮いた酒瓶が床に落ちて割れる前にキャッチする

そしてキャッチした酒瓶の底に残った酒を、ベルはグビグビっと飲み干して

 

「お酒はー楽しく、れすよ。おにーさん」

「…ぁ、あぁ…」

 

微笑みながら言うベルに、ゲドは思わず頷く。

次いで二人の間に、ヘルメスが割って入る。

 

「いやーすまない。自分の連れが迷惑をかけたね」

「…んぁれー?ヘルメスさま、いつから三人になったんれすかー?」

「この通り、少々酔いが回ってしまった様だ。元より酒の席での出来事だ、この場はこれで収めてくれないかな?」

 

ヘルメスの言葉に、ゲドもこくこくと頷いて席につく。

ヘルメスは足元が覚束なくなっているベルを連れて、店の会計を済ませて店から出て行く。

店内の客の視線を集めていたが、肝心のベルが店から出ていき客は再び各々の酒と宴に戻っていく。

 

当事者であったゲドも、先まで争っていた者も、既にお互い一触即発寸前だった事も忘れて酒を飲んでいる。

二人が店を出て十分も経つ頃には、既に客達の記憶からベル達の事は殆ど消え去っていた。

 

――何人かの、例外を除いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだ、若い者が情けない。よもや余の様な年寄りも先に膝をつくとはな」

「…う、るっせえ…!」

それから、どれだけ時間が流れただろうか?

滝の様に汗を流し、荒く呼吸を乱し、路地に座り込みながら睨みつけるベートに、大魔王は意地悪げな笑みを浮かべて見下ろしていた。

その大魔王の顔には汗一つなく、まだまだ体力に余裕がある事を物語っていた。

その事実を確認すると、ベートの顔は更に不機嫌に歪んでいき

「クソ、が…なめや、がって…何で、碌に攻撃、してこなかった?」

愚痴る様にベートは言う。

目の前の大魔王はただ自分の攻撃を避け続け、自分が手を止めれば体を謎の衝撃で吹き飛ばされた。

だがそれだけだった。

自分がダメージを傷を負う様な攻撃は一切せず、一貫して体力を削ってきたのだ。

そして先にベートの体力が尽きた、ただそれだけの話だった。

「フム、そうだな。例えばの話だが、道を歩いている時に仔犬がじゃれついて来たら、其方はどうする?」

「誰が!仔犬っだ!」

「言う必要があるかね? まあ余の様な年寄りから見れば、其方等は悪戯盛りの仔犬に過ぎんよ。ホレ、頭でも撫でてやろう」

「なっ! ジジイ!離しやがれ!!」

「む、中々良い艶をしているな。悪くない手触りだ、癖毛な様だがそれがまた心地よい」

「っるせえ! 良いから離せ!」

 

バーンはベートの頭を髪ごと掴む様に、わしゃわしゃクシャクシャと乱雑に撫でていく。

ベートはその事に激高するが、体力切れの体では思う様に手が動かず、バーンもベートの手を器用に避けながら楽しげに頭を撫でて品評する。

一通りベートの頭を撫で回して満足したのか、バーンはベートの頭から手を離して

 

「まあ、今宵の出会いはあくまで偶然の産物。言ってしまえば端役のアドリブから始まった寸劇の様なモノだ。

寸劇は所詮寸劇、劇の本筋を変えてはならんのだ。この様に寂れた舞台というのも減点だな」

 

バーンは懐から酒瓶を取り出して、一口飲む。

酒で舌と喉を潤した後に、再び言葉を続ける。

 

「其方と本当の意味で相見えるとすれば…それは然るべき舞台を整え、然るべき持成しを用意した、然るべき時だ。

断じてこの様な寂れた舞台での、おまけの様な寸劇であってはならんのだ」

「はっ、随分くだらねえ事を気にするんだな。やれりゃあ何所だって同じだろうが?」

「若者らしい意見だな。だがこの遊び心というのも、中々馬鹿に出来ぬぞ?

遊びとは即ち心と精神の余裕よ。余裕のない心、張り詰めきった精神は、硝子細工の様に呆気なく粉々になるものよ。

余裕をなくせば冷静ではいられない、冷静さを失った戦士の結末など例え世界が変わろうとも似通ったものだ」

「………」

「生命ある者、何時かは死ぬ。老若男女問わず、職業の貴賎問わず、奴隷であろうと王であろうと、勇者であっても大魔王であっても、死ぬ時は死ぬ。

終わりは必定、死は必ず訪れる。たった一度きりの人生だ、ならばトコトン楽しんだ方が得だと思わぬか?」

「は! 棺桶に片足つっ込んでるジジイが、まだ遊び足りねえってか?」

「無論、まだまだ遊び足りぬわ。余もそれなりに永く生きているが、余の人生はまだまだこれからだと思っているぞ?

誰もが恐れ平伏す魔王軍、難攻不落にして絢爛豪華な魔王城、一騎当千に値する大魔王直属の最強の軍団長、そして来るべき宿敵の決着。それ等を為すまでは、死んでも死にきれぬよ」

「…少しは歳考えて物を言えよ。その歳でまだガキ向けの絵本から卒業できてねえのかよ」

「どこぞの助平爺曰く、男というモノは生涯乳離れすら出来ない子供らしいぞ?」

 

不敵な笑みを浮べて、大魔王は心底楽しそうに己の野望を語る。

老人でありながら悪戯小僧を思わせるその笑みは、ベートが初めて目にする類のものであった。

 

「さて、そろそろ閉幕の時間だな。今宵の演目はこれまでだ…中々に楽しめた、愉快な一時であったぞ狂狼よ」

「…おい、クソ大魔王。最後に一つ答えろ」

「良い、申してみろ」

「テメェ、さっきの一戦…まるで本気を出しちゃいなかっただろ?」

「ウム、まるで本気を出していなかったぞ」

 

睨み付ける様にベートは尋ね、バーンはあっさりと肯定する。

その答えを聞いてベートは眉間に皺を寄せて、あからさまに舌打ちをする。その悔しさが滲み出る様なベートの所作にバーンは楽しげに笑い、更に言葉を続ける。

 

「悔しいか?ならば強くなれ。情けないか?ならばもっと強くなれ。惨めに思うか?ならば誰よりも強くなれ。

力をつけ、技を磨き、更なる高みへと昇り続けろ。いずれ然るべき時がくれば、余と其方達は再び相見えよう」

 

夜空を見上げながらバーンは語り、再びベートの頭に掌を置いて

 

 

 

「そしてその時こそ、其方を完膚なきまでに叩きのめしてやろう」

 

 

 

その言葉が夜闇に響いて、バーンはベートの頭を軽く数度叩いて帰路に着く。

ベートは離れていく大魔王の背を見つめる、徐々に遠ざかり小さくなっていくその背中をじっと見つめる。

 

言いたい事は、たくさんあった。

 

――ふざけるな――

――本気を出せ――

――全力でやれ――

 

あの大魔王に向かって、そう言いたかった。

だが出来なかった。

 

遠かった、大魔王の背中は…絶望的に遠かった。

天高く昇る太陽の様に、夜空を照らす星や月の様に。

ベートとバーンの間には絶対的な力の差があり、ベートはその事を痛感していたからだ。

 

ベート・ローガは、間違いなく強者に属する冒険者だ。

迷宮都市オラリオや冒険者という枠に限らず、この世界全体においても間違う事なき強者であり、それは自他共に認める事実だ。

だがこの日のこの夜、ベートの中でソレは崩れ去る。

 

ベート・ローガは大魔王に完敗した敗者であり、負け犬だった。

そして、ベートは弱者が大嫌いだった。

 

「…終わら、ねえ…」

 

小さく呟き、勢い良く顔を上げる、飛び上がる様に立ち上がる。

遠く夜闇に消えつつある、その背中に向かってベートは吠える。

 

「このままじゃ、終わらねえ!絶対に終わらねえからなああああああぁぁぁ!!」

 

大魔王の背中に向かって、ベートは吠える。

『負け犬の遠吠え』今の自分を表すのに、これ程適した言葉は無い…ベートはそんな風に思った。

だが、吠えずにはいられなかった。吠える事すら出来なかったら、それこそ負け犬以下に成り下がる。

どんなに惨めでも、どんなに情けなくても

一人の冒険者として、一人の男として、一匹の雄として、ベートは吠えずにはいられなかった。

 

大魔王の背中が夜闇に消える。その背中が消える直前、大魔王が小さく笑った様な気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…アレが『狂狼』、ベート・ローガか…」

 

バーンは月夜と星空を眺めながら、先程まで対峙していた狼人について考える。

偶然であったが、オッタル以外の第一級冒険者を知る事ができるまたと無い機会。

この機に便乗して、少々戯れに手合わせをしてみた。

 

(……素質・才覚共に一級品。実力は流石に『猛者』と比べると落ちるだろうが、アレはまだまだ伸び代がある……)

 

バーンが思い返すのは、あの鋭すぎる程の眼光を帯びた両目。

嘗ての魔剣戦士や若き日の己がそうであった様に、愚直に力を求める目だ。

 

(……随分と小生意気な目つきをしておったからな、叩き様によっては化けるかもしれん……)

 

出会ってまだ数時間程度だが、バーンはベートの事が手に取る様に解った。

弱さを憎み強さを望み、力に餓え力を望む、嘗て若き自分も通った道だ。

あの手の輩はちょっとした刺激で、思いがけない変貌をする時がある。今日のこの一件も、ベートにとっての糧となるだろう。

 

(……だがしかし、面白い偶然もあったものだ……)

 

バーンが考えるのは、ベートの戦闘スタイルについてだ。

ベートの長所、扱う得物、それは自分が良く知る少年と奇妙に重なる。

実力で言えばベートの方が完全に格上だが、中々に興味深い巡り会わせだ。

 

(……己の上位互換となる存在、アレにとっても刺激になるだろう……)

 

折角この世界で一番強者と実力者が集まる場所に来ているのだ、利用できる者は全て利用させて貰おう。

 

(……さて、武器と魔法薬、そしてファミリア…大体の案件は片付いたな……)

 

下準備として、大体の事は片付いた。

しかしそれとは逆に資金面の方に不安が出てくるのも事実、やはり先立つ物が無くてはこの先の事に支障をきたす。

ヘファイストス・ファミリアとミアハ・ファミリア、この二つのファミリアへの出費を考えると、今の自分の資産では数ヶ月もすれば底をついてしまう。

そろそろ資金調達の方にも手をつけなければならないだろう。

 

 

「――となると、そろそろ頃合か――」

 

 

前菜は楽しませて貰った、そろそろメインディッシュを頂くとしよう。

その思いを胸に燈して、大魔王の背中は闇夜の中に消えていった。

 

 

 

 

 




後書き
バーン様のナデポ炸裂!だがベートくんは何とか耐えた!
流石はベートくんだ!頭を撫でられただけで股を濡らす様な尻軽共とは違うのだよ!!?

…と言う訳で、最初からテンションがおかしい作者です。今回も更新まで一ヶ月以上かかってしまった。
GWは本当に魔境やで…ちなみに作者はGW中は友人達とコナンの映画を見に行きました。面白かったです!

さて、話は本編。今回で大魔王師弟のオラリオ二日目は終了です。
まずはベルくん、今回はベルくんはお酒にチャレンジ。作中ではベルくんの酒の耐性については明記されていなかったので、酒の強さは人並設定です。
ぶっちゃけベルくんサイドは今後の仕込みだけで展開としてはあまり動いてないです。ただ一部の方々に妙なフラグが立った程度です。

そしてバーン様サイドは、対ベートくんです。
ベートくんの、『バーン様のナデポに耐えた』というのは果たして偉業にカウントされるでしょうかね?
ちなみにベートくんはオラトリア2巻の時点ではロキ・ファミリア最速であるのが明記されております。
ベートくんは速さ強化のスキルを持っているので、元々の素質もあって速さに限って言えばレベル6以上なのだと思います。

そしてそんなベートくんの攻撃を、終始避けきったバーン様。
バーン様は老人形態でも双竜紋ダイと互角
ミストはラーハルトとヒムの同時攻撃をほぼ避けていました(クリーンヒットは数回程度)
万全に準備するならまだしも、今回は完全に突発的なイベントだったので本編の様な感じになりました。

ちなみに、バーン様の作中における戦闘相手
竜魔人ダイ、双竜紋ダイ、大魔道師ポップ
大勇者アバン、昇格ヒム、ラーハルト(竜の血)
超魔ハドラー、勇者パーティー

…化け物しかいないじゃないか(絶望)
そんなこんなで、作中でのベートくんに対するバーン様の評価と好感度は中々に高いです。
バーン様はヒュンケルが一番尖ってた時期や超魔ハドラーがお気に入りだったので、ベートくんは結構好みのタイプ(意味深)だと思います。
次回は大魔王師弟のオラリオ三日目以降に突入。
これからも更新は不定期になるかと思いますが、これからもシコシコとやっていく予定です。

それでは今回はこのあたりで。作者はこれからダンまち最新刊を読むと言う重要クエストをこなす予定です。
良い子のみんな!ネタバレは厳禁だぜ!それでは次回に続きます。


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魔導書

――目を覚ましたのは、まだ朝陽すら昇っていない時だった。

ベルは重い意識と体を起こして、周囲を見渡す。

いつもよりもかなり早い時間に起床した様だが、寝不足感というのものはない。

どうやら睡眠はきちんと取れていた様だ。

 

(……そういえば、昨日はヘルメス様とお酒飲んだんだっけ……)

 

昨日知り合ったヘルメスと食事をして、酒をご馳走して貰った事を思い出す。

昨夜の酒場に入り始めた辺りからの記憶が虫食い状態だが、ヘルメスの肩を借りてこの宿まで帰ってきた事はおぼろげながら覚えている。

得物を外さずにベッドに寝転んでいる事から察するに、部屋に入った瞬間寝入ってしまったのだろう。

 

――何やら途轍もなく衝撃的な事を忘れてしまった様に思えるが、恐らく気のせいだろう。

 

そしてベルは身の回りの確認を行う。

 

(……部屋の鍵は…良かった、ちゃんと掛かってるし鍵と財布も手元にある……)

 

酔いつぶれて施錠を怠り、その結果身包み剥がされていたら泣くにも泣けなかっただろう。

愛用の得物はあり、軍資金もある、特に無くなっている物は無い。

その事に、ベルは安堵の息を吐く。

 

(……反省しよう、次からはちゃんと抑えて飲もう……)

 

その事を肝に銘じておく。もう一度寝直そうかとも思ったが、存外に目は冴えている。

窓の外を見れば朝陽こそは出ていないが、やや夜空も白くなりつつある。

軽く運動でもしていれば、直ぐに朝食時にでもなるだろう。

ベルは洗面台で軽く顔を洗い、得物を持って部屋から退出する。

 

「うーん、やっぱりまだ完治はしてないかなー?」

 

都市城壁の上、ベルは包帯を巻いた片手を見つめながら呟く。

今日中には治っていると思っていたのだが、どうやらそう上手くは行っていない様だ。

 

「もしかして、酔ってる時にこっちの手で無理しちゃったかな?」

 

ベルの昨夜の記憶は、酒を飲んだ辺りから曖昧…もっと言うと虫食い状態の様になっている。

酔った足で転倒した等の事が、もしかしたらあったのかもしれない。

となると、出来る事は自然と決まってくる。

 

「よっし、それなら昨日のおさらいだな」

 

ベルは準備運動・柔軟体操をして、体中の闘気を活性化させて練り上げる。

練った闘気を両足に集中させて、速度強化に回す。

 

(……昨日はいきなり全開状態でやって、大分失敗しちゃったからな……)

 

昨夜は試運転でありながら、ベルは全力に近い闘気を足に込めて訓練を行った。

その結果、速度は爆発的に上がったがそれの制御ができなかった。

自分の速度にベル自身が振り回され、転倒と衝突を繰り返し結果は散々だった。

 

(……力を抜くべき所は抜き、込めるべき所で込める…だったな……)

 

師の教えを反芻する。

やはり慣れない内は加減して行った方がいいだろう、反省は活かしてこそ意味があるものだ。

ベルの感覚で、まずは二割三割程度の闘気から慣らしてみる。

 

(……いきなり走るんじゃなくて、最初は早歩きくらいからにしておこう……)

 

先ずは歩行、次に走行、それができたら跳躍や方向転換、それが終われば剣技や体術との併用。

最終的には、『使う』という感覚が無くなる位に自然な動作の一部になるのが理想的だろう

今後のステップを頭に思い浮かべて、ベルは城壁の上で一人散歩を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

迷宮都市オラリオにおいて、最も強いファミリアはどこか?

その質問において、常に名が上がる二つのファミリアがある。

『フレイヤ・ファミリア』と『ロキ・ファミリア』の二つである。

そしてその片割れであるロキ・ファミリアのホームである『黄昏の館』の中庭において、とある奇妙な光景が繰り返されていた。

 

「せりゃああああぁぁ!!!」

 

褐色の手刀が瓶を粉砕する。

 

「…セイッ!」

 

白い手刀が酒瓶を破壊する。

 

「てやぁ!!」

 

少女の手刀が硝子瓶を割る。

 

黄昏の館の中庭部において、三人の少女が素手で酒瓶を割るという中々に物騒な光景が繰り広げられていた。

割れた酒瓶の数は、周囲に散らばっている物を見るだけで軽く十本は超えている。

そしてこれを行った張本人こそが、ティオナ、アイズ、レフィーヤの三人である。

 

「ウガー! 何でスパっと切れないの!絶対私の方が速く腕を振ってるのに!!」

「…単純な速さだけじゃないのかも、キレと軽さ…かな?」

「でも、私は兎も角…お二人は明らかに昨日の人よりも、速さと切れがあると思いますよ?

…そう考えると、何かしらのスキルかマジックアイテムを使ったと思うんですけど?」

「でもさレフィーヤ。素面なら兎も角、昨日のあの男の子ってベロベロに酔ってたよ?

あんな状態じゃスキルもアイテムも碌に使えないだろうし、そういう素振りもなかったよ?」

「うーん、確かにそうですけど…アイズさんはどう思います?」

「…やっぱり、難しいと思う。仮に切れたとしても、素手でこんな風に破片一つ散らさずに切るのは無理だと思う」

 

アイズの言葉を聞いて、三人はアイズの手の中にあるソレに視線を向ける。

それは三人がこの奇妙な行動を取る切っ掛けになった物、昨夜酒場において白髪の少年が素手で切った酒瓶の片割れだった。

三人はあの騒ぎの後、こっそりとこの切れた酒瓶を回収しておいたのだ。

その切り口は真横から見れば完全に一直線であり、切り口周囲には硝子が欠けた様子もない。

 

仮に素手で切る事に成功したとしても、細かな破片が飛び散る事は回避できないだろう。

 

「…仮に何らかのスキルやアイテムで、手を鋼鉄の様に硬くしても鈍器になるだけ。

どんなに硬いハンマーやロッドであっても、それは刃物にはならない。だからこんな風に綺麗な切り口にはならない

仮に切れたとしても、さっきも言った様に絶対に破片は飛び散っちゃうと思う」

「実はナイフか何かで斬っていた…って事ですか?」

「でもそれだと、本気じゃなかったとはいえ私とアイズの目でも追いきれなかったって事だよね? それはそれで凄くない?」

「ぅ…確かに」

 

ティオナとアイズは両者共に『Lv.5』に属する第一級冒険者。

二人は常に最前線に立ち、下層・深層に出現する強大な魔物を幾度となく屠ってきた冒険者だ。

そんな二人の目ですら欺いたとすれば、それはそれで驚嘆すべき事だろう。

 

「でも実際、あの男の子は相当強いと思う。あのハンドスピードだけ見ても、Lv.2以下って事はないと思う」

「うーん…でも思い当たる情報が無いんだよねー。あの子多分、レフィーヤと同い年くらいでしょ?見た目も特徴がある子だったし、あの歳で上級冒険者になってれば、絶対に思い当たる名前が一つか二つありそうなんだけどなー」

「ヘルメス様のお連れって言ってましたよね?という事は、ヘルメス・ファミリアの団員という事でしょうか?」

「かなー?あそこってLv.2の団員は多いけど、Lv.3以上の団員って殆ど居なかったと思うよ?」

「それに、他のファミリアへの干渉は基本ご法度。もしもヘルメス・ファミリアの団員だったのなら、ヘルメス様はあの男の子を止めたと思う。ヘルメス様ならミア母さんのお店の事を良く知っているし、無理に止めなくても大丈夫って事は解っていたと思う」

 

犯罪紛いの行為やよほど悪質な行為、そんな事をしない限り他ファミリアへの干渉はしない…これがオラリオにある暗黙の了解である。

団員が起こしたトラブルはファミリアのトラブル、ファミリアのトラブルはそれ即ち主神のトラブル。

団員が勝手にした事、で済む事ではなく神同士がそのトラブルに対して対応する必要が出てくるからだ。

 

そして、それは『豊饒の女主人』の店主であるミアも熟知している。

ミアは元・上級冒険者。都市に存在する多くの冒険者及び第一級冒険者や主神と、面識と繋がりがある人物だ。

 

元・冒険者ゆえにその気性の荒さ、酒の席でのトラブルもミアは熟知している。

故にミアは店でのトラブルは火種の内に基本対処している。

ファミリアの強弱に関わらず、店でのトラブルの元になる冒険者達を『仲裁』する様は豪快そのものだ。

 

故に、店のファンは多くミアへの人望は厚い。

故に『豊饒の女主人』は、冒険者達の一種の『聖域』の様な扱いになっている。

例え酒の勢いで揉め事を起こしたとしても、それは大事になる前に仲裁が入るからだ。

 

「うーん。やっぱりどれだけ考えても、推測止まりですね」

「それは仕方ないと思う。仮に私達が正解に辿り着いても、相手がソレを教える訳はないし…そもそも、何所の誰かも分かっていない」

「でも気になるじゃん!ある意味、私の二つ名よりもそれっぽい事できてるんだよ!

ああん!もう!昨日名前だけでも聞いておけば良かったー!」

 

ちなみにこの後、中庭での出来事を聞いたとあるエルフがやってきて

『酒瓶を粗末に扱うな!』と、三人は盛大にお説教をされたのは別の話である。

 

 

 

 

 

 

 

『豊饒の女主人』の中庭にて、リューは木刀を振っていた。

冒険者時代から、リューは朝陽が昇るよりも早く起床し自己研鑽に励むのが日課になっていた。

それは冒険者を辞めて店で働く様になってからも変わる事無く、ダンジョンに行く事が無くなった分より一層鍛錬に力を入れる様になっていた。

『恩恵』の効果で基本アビリティが落ちる事はないが、やはり戦闘から離れていれば勘が鈍り、初手や初速に影響が出て実力は落ちる。

故にこうして最低限の実力は保てるように、リューは店の仕込が始まるまでの時間は鍛錬の時間に当てている。

 

「………」

 

リラックスする様に悠然と構えて、一呼吸入れると同時に木刀を振る。

ある時は速く鋭く、ある時強く激しく、ある時はしなやかに滑らかに、ある時は剣技の型にのっとり、木刀を振っていく。

体は十分に温まっているが、リューは更に心を静かに深く鎮めていく。

 

――そして、己の目の前に白髪の少年の姿を投影する。

 

自分の心から生まれたその少年も、自分と同じ様に得物を持って構える。

ショートソードとナイフの、小回り重視の近接型の構え。

 

少年が動く、その踏み込みに合わせて自分も動く。

少年の間合いに入らずに、自分の間合いに少年を入れる距離を保つ。

一度の接触の間に数合打ち合う。互いに速度重視の戦闘スタイル、ヒットアンドアウェイを繰り返し互いに機を伺う。

そしてリューが動く、少年が得物を振るタイミングに合わせて得物を振るい、その得物を大きく弾く。

 

その隙を見逃さない、大きく踏み込んで袈裟から打ち込み

――自分が後方に弾かれる姿を描いた。

 

「……やはり、身についた癖は中々消えるものではない、か」

 

反省する様にリューは呟き、イメージトレーニングを終える。

今までの自分は、その格好の隙を逃さずに数多の敵を討ち取ってきた。

自身の二つ名でもある『疾風』の速度、相手に僅かな隙さえ生まれればその相手に決定打を与える事ができた。

 

勝機を見逃さない、この方法が間違っている訳ではない。

ピンチはチャンスと言われる様に、チャンスは一転してピンチになる。

一昨日の様に一手が失すると、逆に自分が窮地に追い詰められる。

 

(……やはり、思ったよりも勘が鈍っている……)

 

現役時代の自分なら、あの時点で瞬時に二手・三手と行動に移れただろう。

それが出来なかったのは、やはりこの数年ダンジョンや実戦から遠ざかっている要因が大きい。

以前に、何度か店の同僚を誘って一緒に鍛錬を行った事があったのだが…残念ながら、二度目からは丁重に断られてしまった。

 

(……だが、今にして思えば…それは不幸中の幸いだった……)

 

もしもあの夜、自分があの少年を倒してしまったら…本当に取り返しのつかない過ちを犯してしまったかもしれない。

そうなっていれば、今頃自分は獄中にいる事だろう。

 

(……名前は確か、ベル・クラネル…さん、でしたか……)

 

昨夜、僅かな時間だけ同席した時の事を思い出す。

絵に描いた様に初心で、純朴な少年だった。

冒険者や賞金稼ぎの様な荒事をしているとはとても思えない、そんな少年だった。

あの夜の一件が無ければ、良い出会いがあったと思える程だ。

 

(……やはり、いつまでも黙っている訳にはいかない……)

 

誤解・勘違い、そんな言葉では到底許されない事を自分はしてしまったのだ。

ヘルメスの意見によって昨夜は有耶無耶になったが、やはりこのままでは良くない。

どちらにしろ、最低限のけじめをつけなくてはならないだろう。

 

そこまで考えてリューは仕込みの時間が迫っている事に気づき、手早く片付けをした後に店へと戻っていった。

 

 

 

 

 

「――フッ!ハァ!」

 

掛け声と共に両手の得物を振り脚を走らせる。

ベルが得物を振るうと、得物の刃が陽の光で煌いてベルの額から汗が飛沫となって飛ぶ。

既に昼時も大きく過ぎ、陽も高く昇っている。

ベルは朝の訓練後、朝食を済ませて宿のチェックアウトを済ませて宿を変えた。

今日まで泊まっていた宿よりも、市街地寄りの宿を見つけてチェックを済ませた。

その後は昼食を済ませて、また城壁の上にやってきた。

 

(……何となく、コツが分かってきた……)

 

体中に闘気を滾らせながら、ベルは思う。

 

(……結局、闘気は自分の力の一部。だったら普通に歩いたり走ったりするのと同じだ……)

 

踏み込む瞬間のその一瞬のみ、足の爪先に脚力と闘気を集中させる。

 

(……力を込めるのは、一瞬だけ。ほんの一瞬だけで良い、その一瞬に力を爆発させる!……)

 

基本は同じなのだ。

無闇矢鱈に力を込めても、無駄に体力を消費し体の負担も大きくなる。

ならば全力を込めるのは一瞬、より速く、より鋭く、力を集中させる。

 

(……今まで力の緩急の付け方が苦手だったけど、何でか知らないけど今日は妙にしっくりくる……)

 

ベルの中では既に朧気な記憶になっているが、昨日の酔っていた時の感覚は覚えている。

体力0の時とはまた違うもう一つの脱力状態、そこから瞬時に攻撃へと転じる流動的な闘気の活用。

 

ソレを、ベルの体がしっかりと覚えている。

 

そしてベルが大魔王に弟子入りし闘気の力を覚えて約六年、体の下地は出来上がっている。

だがそれはあくまで下地、一瞬だけとはいえ全力の闘気を完全制御しなくてはならない。

後はベルが実際にソレを正しく運用できるか、またソレを実戦レベルにまで引き上げられるかどうかだ。

 

(……完全に制御できる様になっても、一回二回で息切れになるんじゃ話にならない……)

 

闘気の流動を肩から腕へ、腕から肘へ、肘から手へ、手から得物へ

イメージとしては遠心力、力の流れと闘気の流れを完全に連動させる。

 

(……十回でも全然足りない、百回でも足りないかもしれない……)

 

力の連動と共に足が一瞬軋む、肘と肩が一瞬硬直する。

無茶な力を掛けて闘気と筋力のバランスが崩れれば、あっという間に自滅する。

 

(……今までと同じだ、少なくとも完全に動きの一部にしないと…実戦では使い物にならない……)

 

師匠と合流まで数日程度、それまでにどこまで体に馴染ませる事が出来るのか…そこに掛かってくる。

故にベルは一心不乱に得物を振るい、脚を奔らせる。

 

どれだけ時間が過ぎただろう?既に陽は西に傾き始め、空は朱色に染まりつつある。

だがベルは変わらず闘気を練り上げ、得物を振るい続けている。

荒い呼吸を整えつつ、流れる汗もそのままに、幾度も幾度も繰り返す。

 

明鏡止水の領域…とまでは行かないが、疲労こそは溜まっているが意識は澄み渡っていた。

その精神に雑念はなく、その意識に雑音はない

体力が無い現状において無駄な力みはなく、淀みなく滑らかに四肢が動いている。

リラックスする様に脱力した状態から、力み無く得物を振るう。

より集中し、より速く、より鋭く、得物を振るい続ける。

針の穴を通す様に集中し、風よりも速く、空を切り裂くように鋭く、剣を振るう。

 

 

――故に、その油断は致命的だった。

 

 

「…あ」

 

間の抜けた声が漏れる。

踏み込んだ足首から『グニ』と、嫌な感触が昇ってくる。

恐らく踏み込んだ床に窪みでもあったのだろう、そこに思いっきり踏み込めば足首に負担が集中する。

 

その瞬間、足への闘気の制御が綻んだ。

 

「ヤバっ!」

 

足首が曲がって体が横に流れる。体勢が崩れる。

普通なら精々転ぶ程度で済むだろうが、闘気で力と速度が増していた今はそのズレは致命的だった。

言ってしまえば、今のベルは暴れ馬から放り出された騎手の様なものだ。

 

頭から大きく体が傾き、横に弾かれた様に大きく体が投げ出される。

瞬時にベルは踏ん張りを利かせようとするが、その瞬間に足首から痛みが走りそのまま豪快に床上を転がる。

下手に力むよりも、勢いに任せて転がった方が良いとベルは判断したからだ。

体や手足に幾度か衝撃が走り、気づいた時にはベルは仰向けになって朱色の空を見上げていた。

 

「……うーん、失敗」

 

寝転がったまま呟く。

派手に転がったお陰で転倒のダメージこそは少ないが、ここに来て一気に疲労がベルの体から噴出してきた。

それに転倒の切っ掛けになった足の違和感、やはり無理に力が掛かったためか引き攣るような痛みが足首にある。

不幸中の幸い…という訳ではないが、両手に得物を持って転倒したのだがソレで付いた傷はなかった事だ。

 

(……陽が落ちきるまで、こうして休もうかな……)

 

体の疲労と火照りが徐々に抜けていくのを感じながら、ベルは呼吸を整えながらそんな風に考えて

 

 

「――随分と派手に転んだな、少年」

 

 

ベルの頭上から、そんな声が降って来た。

 

 

 

 

 

 

リヴェリア・リヨス・アールヴがその光景を見たのは、ただの偶然だった。

ファミリアの用事を済ませてホームに戻ろうとした時に、気まぐれでいつもとは違う道を通ってみようと思ったのだ。

彼女は所属するファミリアの副団長をしており、山積みの書類を相手にするデスクワークから部下や新人育成の為に実戦指導、大所帯故に生まれる人間関係に対するケアなど、多忙な毎日を送っていた。

 

そして彼女の人望、そんな彼女に対するファミリアの団員や主神の信頼は非常に大きかった。

 

王族としての生まれと教養もあって、彼女は団員一人一人と真摯に向き合い、厳しくも優しく団員達に接してきた。

真面目すぎる、堅物すぎる、そんな風に言われる事もあったが、そんな人柄も彼女の魅力と彼女を知る多くの人々は思うだろう。

彼女は団員から慕われ親しまれ敬われていた、故に彼女の周りにはいつも友や仲間、部下がいた。

それ故に、彼女には他者と比べて『一人でいる時間』というのが非常に少なかった。

 

別に彼女がその者達を疎ましく思っている訳ではない、自分を慕う者達を彼女は心から大切に思っている。

自分のファミリアも、団員も、主神も、ソレ等全てが彼女にとっての宝であり誇りであった。

しかしどんな聖人君子の様な者であっても、やはり一人の時間は欲しいものなのだ。

 

「まあ、この位の我侭なら許されるだろう」

 

誰に聞かせる訳でもなく呟く。

副団長としての責任、アクの強い団員同士の軋轢や衝突を防ぐための気遣いやフォロー。

『ママ』と悪戯っぽくからかってくる主神に、『ババア』と口汚く言う部下。

全く気にしていない…と言えば嘘になるだろう。

 

やはり、目に見えない所で溜まっている疲れもあるのだろう。

ただでさえ、遠征を前に皆が気を張っている時期だ。適度に息抜きやリラックスをするのも大切だ。

皆と集まり下らない会話をするのもいいが、やはり偶には一人物思いに浸りたくなるのが人情というものだ。

 

普段はあまり通らない、オラリオを一望できる道。

城壁からオラリオの街を見下ろして、空を見上げる。

思えばこの様な事をしたのも、随分と久しぶりな気がする。

 

「…ん?」

 

その時だった、彼女の視界の中に小さな影が映り込んだ。

緩やかなアーチを描く城壁沿いの50M程前方で、その白い影が豪快に転倒しそのまま路上に倒れこんだ。

 

「…アレは…大丈夫か?」

 

思わず呟く。

倒れこんだ影、体つきを見る限り少年だろう。

その白髪の少年は倒れたまま起き上がる素振りを見せない。

 

自分の見る限り頭を打ってはいなかったが、遠目で見てもかなりの勢いで転倒していた。

もしかしたら、起きるに起きれないのかもしれない。

そんな風に考えて、彼女はその少年にやや早足に歩み寄る。

 

癖毛が目立つ白髪、深紅の瞳、幼さが残る童顔。歳は十代半ばと言った所だろう。

服装は薄いブラウンのレザージャケットにダークブラウンのインナー、両手には白銀のナイフとショートソードが握られている。

少年の年頃と装備品を見る限り、恐らくは駆け出しの冒険者…と言った所だろう。

 

そして、彼女は少年の顔を見下ろせる位置までくる。

目立った外傷や出血等もなく、深紅の瞳はきちんと焦点が合っている。

その事を確認して、彼女は少し安堵して表情を緩めながら少年に声を掛けた。

 

「――随分と派手に転んだな、少年」

 

 

 

 

 

派手にこけたと思ったら、目の前に超がつく程の美女がいた。

自分でも何を言っているか分からないが、事実だからしょうがない。

ベルは突如目の前に現れたエルフの女性を見ながら、そんな風に思っていた。

 

翡翠色の長い髪、同じく翡翠色の瞳、優しさと鋭さを兼ね揃えた切れ長の目。

濡れているかの様に艶のある薄紅の唇、端正な顔質もあって絵画から飛び出た女神を思わす美しさだった。

正に絶世の美女、あの豊饒の女主人の店員達も見蕩れる程の美人揃いだが、この女性は桁違いの美女だ。

そしてそんな絶世の美女が、再びベルに声を掛ける。

 

「意識はしっかりしている様だな…どうだ、立てるか?」

「…ぁ、はい…大丈夫です」

 

そう言って。リヴェリアがベルに手を差し伸べる。

恐らく自力では起き上がれないと判断されたのだろう、実際の所自力で起き上がるのもかなりきつかったので、その手を借りようとしたのだが…。

 

(……待てよ、確かエルフの女性って……)

 

その瞬間、ベルはとある事を思い出す。

『エルフの女性は異性において、心から許した異性でなければ肌の接触を許さない』

エルフの女性程、貞操観念が強い種族はいない。

ベルはその事を思い出して、つい伸ばした手を止めてしまうが

 

「つまらない事は気にするな」

 

ベルの考えを察してかリヴェリアは小さく微笑んで、ベルの手を掴む。

白魚の様な指がベルの手をしっかり握って、そのまま引っ張ってベルの上体を起こす。

 

(……お、おかしい……)

 

そんな中、ベルは自身に対してとある異状を感じ取っていた。

 

(……こんな綺麗な人に手を握られたのに、あんまり緊張してないぞ?……)

 

昨晩のリューの一件において、自分は隣に座られただけで我を見失う程に緊張していた。

そして目の前の女性はそんなリューよりも美しく、また手を握られたにも関わらずそれほど緊張していない。

緊張するにはしているが、それは初対面の相手故に、或いは未知の強者との対面故に感じる程度のもの。

そしてそれ以上にどこか安心する様な、ホっとする様な、そんな心安らかになる様な、目の前のリヴェリアからはそんな不思議な印象を感じられた。

 

「ありがとうございます、お陰で助かりました」

「どういたしまして。それで、体の方は大丈夫かな?相当派手に転んだ様に見られたが?」

「あはは、恥ずかしい所を見られちゃいましたね。ですがご心配なく、お陰様で他に怪我はなさそうです」

「そうか、それは何よりだ。装備を見る限り、君も冒険者かな?鍛錬するのは感心だが、もう陽が落ちる。そろそろ切上げた方が良いぞ?」

 

そのリヴェリアの言葉に、ベルも『そうですね』と返して得物を鞘に収めて起き上がる。

次いで体中の埃を軽くはたいて、その女性に向き合って

 

「あの、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「フム、何かな?」

 

「――もしかして、お姉さんは冒険者の方ですか?」

 

確認する様に尋ねたベルの言葉。

その言葉を聞いて、リヴェリアはキョトンとした様子でベルを見つめて

 

 

次の瞬間、盛大に噴出した。

 

 

「っ!? あの、お姉さん?大丈夫ですか!?」

「ゥッ!ブっ!ぷっ…!!っ、くく…!…だ、っ大丈夫だ…!…くっく…だが、そうか…おねえさん…お姉さんか…っ!」

 

その突然の事態に、ベルは再度安否を気遣う様に声を掛けるが

リヴェリアは完全にベルから体ごと顔を背けて、肩を小刻みに震わせて、小さく噴出す音と何かを堪える様な、息苦しさを我慢している様な音が漏れ出ている。

そんな状態が数秒ほど続き、徐々にリヴェリアは落ち着きを取り戻し改めてベルと向き合う。

リヴェリアの頬は紅くなっており、うっすらと涙目になっている。

 

「…ウン、まあそうだな。もうお姉さんという歳でもないのだが…この場は、君の言葉を借りておこうかな」

 

そして数度咳を繰り返して、リヴェリアは喉の調子を取り戻して

 

「確かに私は、冒険者をしているお姉さんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

陽が南を大分過ぎた頃、バーンとヘスティアは商店街を歩いていた。

『ミアハ・ファミリア』との契約は、オラリオ商会の立会いの下に滞りなく正式に結ばれた。

両者に渡された契約内容を、バーンとミアハ・ナァーザは確認し互いのサインを明記した。

最後にバーンとミアハの握手を持って、契約完了となった。

その後、ミアハは早速作業の方に取り掛かりたいと申し出て、ミアハとナァーザとは商会で別れた。

そして現在に至る。

 

「はぁー、退屈だったなーもう。契約書作って貰ってサインするだけで終わりだと思ってたのに」

「安くない金が関わってくるからな、相応に時間が掛かるのは当然であろう?

両者間における認識の相違がないか、契約内容に違法がないか、等々の確認の場でもあるからな。

其方も詐欺被害に遭いたくなければ、あのナァーザという小娘の様にしっかりと確認し、少しでも不明瞭な点があれば直ぐに問い合わせる様にしておけ」

「凄かったよねー。目が血走って、ガンガンこっちに質問してたもんねー

…それに、バーンくんもそれ全部に懇切丁寧に説明してたもんねー。途中でイラついて舌打ちの一つでもするかと思ったけど、意外にバーンくんって付き合い良いんだね?」

「社会契約において、信頼関係を結ぶ程に重要な事はないからな。

信頼を築くには、些細な疑問や疑惑を解消しておく必要がある。たった一つの綻びから、組織が壊滅するというのも珍しい話ではないぞ?

ソレを考えればナァーザの行動も至極全うな物だ。それに神ミアハは少々人を信じすぎる気質の様だからな、あの二人はアレでバランスが取れている」

「んー、そういう物か。それでこの後はどうするの? ヘファイストスのとこに戻る?」

 

確認を取る様にヘスティアはバーンに尋ねる。

バーンはヘスティアの問いに、「いや」と顔を軽く横に振って

 

「その前に寄る所がある、『魔女の隠れ家』という店だ」

「魔女の隠れ家? あー、なんか聞いた事があるよ。確かヘファイストスの所の団員が魔法石を仕入れる時とかにその店の名前がちょくちょく出てきたな」

 

バーンの言葉に、ヘスティアは思い出した様に言葉を続ける。

魔法石とはその名の通り、魔導士が扱う杖やマジックアイテムの核に当たる部分だ。

魔力を高め魔法の威力を高めてくれる、魔術師しか作れない稀少品、オラリオにおいても扱っている店は数える程しか存在しない。

そんな場所にどうして?とヘスティアは疑問に思うが瞬時に答えに辿り着く。

 

「そういえば、バーンくんって魔法を使えるのに杖や魔法石を持っていないね。これから仕入れるつもりかい?だったらヘファイストスに頼んだ方が楽じゃない?」

「そちらは既に話は通してある。まあ、言ってしまえばただの興味よ。余も多少なりとも魔を扱う者だ、一度直に見ておきたいと思ってな」

「ふーん、なら僕も付き合うよ。行った事が無い店だし、ちょっと興味あるしね」

 

北西メインストリートを曲がった路地裏の奥深くに、地下への階段を下りるとその店はあった。

傷んだ木の扉、その扉を開けるとそこには文字通りの魔女の隠れ家あった。

室内は広く薄暗く、天井に吊るされている火の玉を模した魔力灯が室内を淡く照らしている。

 

店の中にある棚やショーウィンドウには、瓶詰めになった烏や蝙蝠に蠍や蛇。

店の奥では大きな黒鍋から赤黒い湯気が立ち上っていた。

それは正に、誰もが思い浮かべる魔女の隠れ家そのものだった。

 

「おやおや、いらっしゃい」

 

そしてカウンターの奥から、店の主である老婆がバーンとヘスティアに顔を向ける。

黒い三角帽子に黒いマントに黒いコート、首周りには怪しげな宝石を散りばめたネックレス。

長い白髪に皺だらけの顔、鉤鼻の鼻に皺枯れた声。

その店主の外見もまた、誰もが思い浮かべる『魔女』そのものだった。

 

バーンとヘスティアは店主に軽く会釈して、店の商品に目を向ける。

店に置かれている魔法石や杖のサンプル、マジックアイテムや儀式用アイテム等を興味深く品定めをしていき

ヘスティアはショーウィンドウにあるその本を見つけ、驚愕の声を上げた。

 

「んな!コレってもしかして魔導書(グリモア)かい!?」

「おや、お気づきになられましたか? 流石はお目が高い」

 

ヘスティアの驚いた形相を見て、店主の魔女は満足した様に笑う。

その言葉に釣られて、バーンもまた件の魔導書を見る。

 

「フム、これが噂に名高い『魔導書(グリモア)』か。現物を目にするのは余も初めてだ」

「僕も現物を見るのは久しぶりだけど、相変わらずぶっとんだ値段をしているな…1、10、100…ウワァーこれ1冊で一等地に豪邸が建てられそうなんだけど」

「そちらは競売の品となっております。もし購入を希望するのであれば、名前と金額を書いてこちらに提示を」

 

店主の言葉にヘスティアは「するか!」と即座に返すが、それも仕方の無い事だろう。

魔導書の値段は既に億に迫る額だ、現時点でこの額なら期日までに億超えするのは必至だろう。

 

そして何より、魔導書の価格としてそれは決して高い値段ではない。

 

魔導書、それは読んだ者に全てに例外なく魔法を強制的に発言させる『奇跡』が込められた貴重書の事だ。

最初に目を通した者だけ、という縛りこそあるものの読んだ者に等しく魔法の力を授ける本。

覚える魔法は魔導書によって千差万別だが、魔法使いとしての訓練や教養がなくても魔法を即座に習得できるのだ。

それは冒険者を初めとする戦闘を生業にする者からすれば、幾ら金を積んでも惜しくない一品だ。

 

「魔導書か、やはり魔道に身を置く者としては一度は読んでみたいが…流石に今の資金では無理があるな」

「ほほう。魔導書の中身に興味があると? でしたら使用済みの物で宜しければ、何冊かご用意できますが?」

「では是非お願いしたい」

 

バーンの答えを聞いて、店主は『ちょいとお待ちを』とカウンター奥の棚からソレを引っ張り出してカウンターに置く。

本と言うにはあまりにそれは大きかった。まるでスケッチブックを何冊も重ね上げて作った様なでかくて分厚い本だった。

表紙は厚めのハードカバータイプ、表紙の中心には魔の象徴の一つである五亡星のエンブレムが刻まれて、表紙全体にも奇妙な紋様が刻まれている。

 

バーンはソレを丁重に受け取り、目を通していく。

バーンが書物を読んでいる中、手持ち無沙汰となったヘスティアは店主の老婆に話しかけた。

 

「しっかし、良く使用済みの魔導書を手元に置いておくもんだね? 一回使えば場所を取るだけの、馬鹿でかいガラクタみたいなもんじゃないか?」

「まあ、確かにその通りでございますね可愛らしい神様。でもそんなガラクタでも、店の雰囲気造りに中々役立ってくれているものなのですよ。

それに冒険者なんていうクセのある人種と付き合っていくには、こういうハッタリや虚仮脅しが役に立つにものなんですよ」

「なるほどー、そういうものか。確かに使用済みでも、魔導書が置いてあるってだけ『ソレっぽい』感じがかなり出てるもんね」

「それにこんな物にも『コレクター』や『マニア』の様な連中がいましてね、そういう物好きな連中が欲しがったりするんですよ

寝酒を買う位の稼ぎにしかなりませんが、持ってて損はない物ですね」

 

ヘスティアと店主が会話している中、バーンは黙々と魔導書に目を通している。

流し読み等ではなく1ページ1ページに、しっかりと目を通して読み進めている。

そのバーンの様子を見て、店主は先の案を提案する。

 

「もし気に入ったのであれば、購入されていかれますかな? 1冊200ヴァリスでどうでしょう?」

「フム、そうだな。ちなみにコレ以外に使用済みの魔導書はあるかな?」

「そうですねー。カウンター奥に3冊、展示用が6冊、後は…確か物置に何冊か埃をかぶっている物があったと思います」

「…そうか」

 

バーンは小さく呟いて、パタンと魔導書を閉じる。

そして手に持った魔導書を改めてカウンターに置いて

 

「では、ソレ等全てを売って頂きたい。

それと他に使用済みの魔導書を売ってくれる者に心当たりがあれば、是非教えて頂きたい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




一ヶ月半ぶりの更新です。
最近一話の文字数が一万超えが普通になっているので、分割投稿とかも考えたのですが
自分の中で「ココだ!」という部分まで描かないと、投稿できない気質の様なのでもうちょい不定期更新にお付き合い下さい。

それでは話は本編、作者またもやフラグ乱立。
先ずはベルくん。ベルくんは知識の上では、リヴェリアの事は知っています。
ロキ・ファミリアの副団長で、レベル6で『九魔姫』の二つ名を持っているエルフという事も知っています。
そして勿論、リヴェリアの御歳がXX歳という事も知っています。
ですが、現時点ではまだリヴェリアの事には気づいていません。

そして、我らがBBAことリヴェリア。本作に参戦です。
ベルくんのまさかお姉さん発言によりご満悦の様子。
多分リヴェリアは、社交辞令としてはこの手の言葉は聞き慣れていると思います。
でも今回のベルくんは素の感想ですので、リヴェリアもにっこり…という感じです。

そして、我らが大魔王のバーン様!
どうやらまた碌でもない事を思いついた様子、バーン様の方はいい加減ダンジョンに潜らせたいのでそっち方面に話は進んでいくと思います。
それでは次回に続きます。


追伸
この作品もなんだかんだで、連載から一年経ちました!ビバ一周年!
……果たして連載一年以上経つのに、未だダンジョンに潜らないダンまちSSは他にあっただろうか…。


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女神

「…で、こんなに使用済みの魔導書を集めてどうするんだい?」

 

ヘスティアは結んだ二つの黒髪を揺らしながら、呆れた様に周囲を見る。

今バーンとヘスティアが居るのは、バーンが仮の拠点としている宿の一室だ。

広さは一般的なシングルルーム、窓際にはシングルベッド、その向かい側の壁には木製テーブルと木製チェアが備え付けられている。

クリーム色の壁紙には染み一つ無く、良く手入れがされているものと分かる。

また樹木系の香が炊いてあり仄かに鼻をくすぐている、視線をテーブルの端に向ければティーセットや茶葉も備え付けてある。

 

このオラリオにおいて、ちょっとした富裕層をターゲットにした宿。

そんな宿の一室、その一角を占拠する様に積み上げられた魔導書を見て、ヘスティアは呆れる様に溜息を吐いた。

 

「計22冊、使った額は約7000ヴァリス…7000ヴァリス、こんな無駄にでかいガラクタに7000…これでジャガ丸くんが、一体何個買えるか…」

「まあ、必要経費というヤツだ。それにガラクタと言うには少々語弊があるぞ? 千年の歴史に於ける名立たる魔術師達の『奇跡』と『神秘』が詰まっていた器だ。寧ろソレで済んだのは存外に安上がりな位だ」

「いやいやいや、白紙になっちゃあ奇跡も神秘もないでしょ?」

 

ヘスティアは積まれた魔導書を一冊手にとって開く。

そこには本として必ず記されているであろう、文字や挿絵そういう物が一切描かれていない白紙である。

最初から最後まで全てが白紙、その数百ページ全てが白紙。

一回使った魔導書は効果が消える、それと同時にその本の中身も全て白紙となるのである。

 

「まあ、普通に考えればそうなるであろうな…だからこそ、安上がりで済んだ訳だが」

「はぁー、もう何でも良いから夕飯食べに行こうよ」

「フム、確かに食事時か。事のついでだ、ヘファイストスにも声を掛けておくか」

 

そして二人は宿を出て、バベルにあるヘファイストス・ファミリアに向かった。

時刻は既に夕飯時、空は夜闇に包まれているが町自体は昼と見間違える程に明りに包まれている。

街道を通り二人はバベルに着くと、そこから更にヘファイストス・ファミリアへと向かう。

バベルに着いた時は既に店自体は閉店の時間だったなので、二人は関係者用の出入り口から店内に入る。

 

そこから二人が足を進めると、ヘファイストス・ファミリアの団員らしき二人の人間が目に入った。

一人は赤髪を短く切り上げた痩身の若者、黒い着流しに紺色のストールを身に付けたヒューマンの青年。

もう一人は長い黒髪で褐色肌の少々大柄な女性、主神のヘファイストスと同じ様に眼帯をし青年と似た様な着流し風の服を身に纏っているが、その着方は大きくはだけてサラシに巻かれた大きな胸が惜しみなく晒されている。

 

ヘスティアがその二人にヘファイストスの所在を尋ねようと、声を掛けようとしたその時だった。

赤髪の青年が褐色の女性に向かって怒声を上げた。

 

「分かった様な事を言うなあぁ!!」

 

ビリビリと、肌を振るわせる程に大きな怒声。

声の発信源である赤髪の青年の表情、眼と眉は大きく釣りあがり、口元も大きく歯を食いしばっている様に歪んでいる。

明らかな激高を見せている青年に、ヘスティアの動きは思わず止まってしまう。

 

「コラコラ、そう声を荒げるなヴェル吉。手前の言葉で誤解させてしまったのなら素直に謝ろう」

 

眼帯の女性は赤髪の青年を怒りを真っ向から受け止めて、直も飄々とした様子で返す。

その様子が気に入らないのか、ヴェル吉と呼ばれた青年は小さく舌打ちをして

 

「じゃあ、金輪際そんな下らねえ『誤解』が生まれねえ様にハッキリ言っておいてやる!

俺は魔剣を打たねえ!誰に何を言われたとしても絶対に打たねえ! 例えヘファイストス様に命令されたとしてもだ!これで満足か!」

「否、大いに不満だ。手前が持つ素質と才能、鍛冶師として珠玉と呼べる宝を使わずに腐らせていく様を、団長としても一鍛冶師としても黙って見過ごす訳にはいかん」

 

互いの言葉を切っ掛けに、更に二人を取り巻く空気が剣呑な物になる。

しかし赤髪の青年がヘスティアとバーンの存在に気づくと、『とにかく、二度と下らねえ事を言うなよ!』と眼帯の女性に釘を刺してその場から去っていった。

その青年の背中を見送り、眼帯の女性は小さく息を吐いて

 

「すまんの。少々恥ずかしい姿を見せた」

「またヴェルフを怒らせたのかい? あまり他のファミリアの事に口を出すのもどうかと思うけど、もうちょっと仲良くした方が良いと思うよ」

「ウーム。手前としてはフレンドリーに接しているつもりなのだが、中々に難しい物だな。

…して女神様よ、そちらのご老人が噂の『魔王さま』かな?」

「あ、そういえば顔を合わせるのは初めてか。そうだよ、この爺さんが噂の『大魔王』のバーンくんだ。バーンくん、この娘は椿。ヘファイストス・ファミリアが誇る第一級冒険者でファミリアの団長だよ」

 

ヘスティアの言葉を聴いて、椿は納得が言った様に笑みを浮かべてバーンに歩み寄り

 

「おおーやはりか! 主神様より色々と話は聞いておるぞ魔王殿!

手前は椿・コルブランド。主神様のファミリアの団長を任されておる者だ」

「バーンだ。此方も其方の事を神ヘファイストスや神ヘスティアより聞いているぞ、至高の鍛冶師にして第一級冒険者の腕前を持つ『最上級鍛冶師』。迷宮都市オラリオにおいても指折りの女傑という事をな」

「ハッハッハ、噂の大魔王殿に褒められると喜びも一入だな! 主神様共々、これからも良き付き合いをしていきたいものだ」

「ウム、此方こそ良い付き合いを頼む」

 

二人は軽く自己紹介を済ませて、握手を交わす。

そして話の矛先は、先の青年へと移る。

 

「そして先の血気盛んな赤髪の青年…もしやあの者が噂に聞く『クロッゾの末裔』かな?」

「…まあ、アレだけ大声で話していれば大体の察しがついてしまうか」

 

バーンの問いに、椿は苦笑しながら答える。

魔剣鍛冶師『クロッゾ』、その異名はクロッゾ一族が住まうラキア王国は勿論、この迷宮都市オラリオにおいても知らぬ者はいない名前だ。

魔剣とは読んで字の如く、『魔法を撃ち出す剣』の事だ。

魔導書同様に、その剣を振るえば込められた魔法を撃ち出す事が出来る刀剣。

使用限界回数こそあるが、例外なく誰にでも扱える武器故に質の悪い物でもその額は数十万ヴァリス。

 

そして『クロッゾの魔剣』は、『海を焼いた』と言われる程に強力無比な魔剣。

もしも『クロッゾの魔剣』が市場に出回れば、その額は並みの魔剣とは比べ物にならない程の値がつくだろう。

かの青年は、そのクロッゾの末裔にあたる人物だ。

 

「ヴェルフ・クロッゾ、それがヴェル吉の名だ。魔王殿の察しの通り、クロッゾの末裔にしてその力を宿す最後の血族だ」

 

クロッゾの一族の栄光、強力な魔剣を大量に打ち、王国に謙譲し世界に猛威を振るった時代があったが…それは既に過去の出来事だ。

何時の頃からか、クロッゾに宿る『魔剣を生み出す力』は消失してしまったのだ。

魔剣には使用限界がある、今までのクロッゾが打った魔剣は王国の『切り札』として未だ王国に残っているが、それでもその数は少なく『クロッゾの魔剣』は表舞台から姿を消して『クロッゾの魔剣』も『クロッゾの栄光』も既に過去の物となっている。

 

――その力を再び宿す血族、ヴェルフ・クロッゾが生まれるまでは。

 

「まあ、所謂御家の事情…という奴だな。ヴェル吉は生まれ故郷に居た時はラキア王家からは勿論、身内親族からも魔剣を打つ事を強要されておったらしい。そしてヴェル吉はソレに嫌気が差して故郷を飛び出し、このオラリオにやってきた…故にヴェル吉は自身に宿る『魔剣鍛冶師』としての才を毛嫌いしておる。

鍛冶師として珠玉とも呼べるその力、その才能、手前としてはこのまま腐らせるには何とも惜しいと思い、助言や忠告をしてみたのだが…結果はまあ、あの有様だ」

「成る程、例え国や世界が変わろうとも管理職というのは気を使う様だな」

「本当にな。手前も団長という柄ではないのを重々承知をしておるのだが、主神様直々の指名とあってはな」

「まあある種の税金だな、強者故の義務、有能であるが故の責務と納得するしかないだろう

しかしその気の無い相手を無理に口説くのは、あまり褒められたやり方ではないな

相手にその気が無い時は潔く引く。下手に問題が抉れると、其方個人は勿論、下手をすればファミリア全体に後々に悪影響が出るぞ?」

「はっはっは、噂の魔王殿からそんな言葉が聴けるとはこれまた意外。魔王と言うのも意外と俗な役所と見える」

「ウム、嘗ては余もよく頭を悩ませたものだ。特に余の場合は、どうにも部下に対して甘くなってしまってな…厳しく叱るというのが苦手であったものよ、それに当時は『ホウ・レン・ソウ』を守れぬ処か互いに足を引っ張り合う部下が多くてな、個性のぶつかり合いこそが組織を強固にすると余は考えていたが、散々手を焼かされたものだぞ?」

「あっはっは!魔王殿と言えど人間関係に頭を悩ませるものか!これは中々に衝撃の事実だな!」

「魔王と言えど組織の長、肩書きこそ違えど実態は似た様なものよ。それに魔王と名乗れど、所詮この身は神ならざる人の身よ。悩む事も、苦労する事も、失敗する事も当然ある。

何年も永い時を経て作り上げた組織であったが、ほんの数ヶ月の間に当時の幹部の半数以上が脱退してしまってな…いやはや、組織運営とは大魔王を以ってしても難しいものよ」

「くはははは!全くその通り。手前も『ですくわーく』や『人間関係』に良く頭を抱えるものよ」

 

そして二人は声を上げて互いに笑い合う。

思わぬ所で共通の話題が見つかり、バーンと椿の間に初対面故の緊張感はすっかり消えていた。

 

「ウム、気に入った!見た所、二人はまだ夕餉をとっておらぬのだろう?

今日の手前は実に気分がいい、今日は手前が二人に馳走しよう」

「本当!やったー!」

「クク、これはこれは。ヘファイストス・ファミリアの団長より直々にお誘いを頂けるとは、謹んでお受けするとしよう」

「よし、決まりだな!それでは早速、手前が贔屓にしている店に案内しよう!」

 

椿の誘いにバーンとヘスティアは快く了承し、その後ヘファイストスを誘うべく工房へと立ち寄ったのだが

『何人たりとも立ち入る事を禁ずる』

と、工房の戸に看板が掛けられていたため、そのまま三人は夜の街へと向かって行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んー、美味い!」

 

様々な匂いが溢れる飲食店街の一角にて、そんな声が跳ねる様に響く。

木串に刺さった肉汁したたる角切肉を、ベルは満面の笑みを浮かべながら口一杯に頬張っていた。

時刻は既に夜の帳が下りた夕食時、城壁の上でエルフの美女と遭遇した後ベルは露店が立ち並ぶ飲食店街にいた。

 

街道に設置された幾つものテーブル、その一つに席を取ってベルは一人の夕食を楽しんでいた。

テーブルの上には小麦の皮を使った肉巻き、蒸かし芋のバター乗せ、魚一匹使った塩焼き、ホカホカと湯気を放つジャガ丸くん、チーズとトマトソースとベーコンに彩られたピッツァ等など

ベルが興味を抱いた露店の料理が、所狭しと並べられていた。

 

『豊饒の女主人』の料理とは違い、どこか大味というかチープな味付けだが

夕飯時とあって祭りの様な賑わいを見せる露店街で食べると、景色の味や雰囲気の味が加わり舌を楽しませてくれる。

 

「夕餉の共にキンッキンに冷えた飲み物はどうですかー? 酒は勿論ジュースに冷茶、何でもありますよー」

「お兄さーん! こっちにジュースとお茶、一本ずつお願いします!」

「はい毎度!プラス5ヴァリスで量を1.5倍に出来ますけど如何します?」

「じゃあ、それでお願い」

「はい毎度!ありがとうございます!」

 

移動販売の台車を引いていた犬人の青年を呼び止めて、ベルは飲み物を購入する。

油ぎった口の中をお茶で洗い、味覚をリセットして再び味を堪能する。

端から見ればベルは金を湯水の様に使っている風に見えるだろうが、ベルが使った額は「豊饒の女主人」のディナーセットの半分以下である。

 

そしてベルはテーブルの上に所狭しと並べられた料理の数々を、次々に口の中に収めていく。

朝から晩まで城壁の上で訓練をしていたのだ、疲労が落ち着くとベルの胃が一気に食べ物を求めて暴れだしたのだ。

ただでさえベルは食欲旺盛な成長期なのだ、その食欲は一段と凄まじいものとなっていた。

もう一品もう一品と、ベルは料理を胃に収めていき粗方の料理を片付ける。

 

(……あんまり食べ過ぎると明日に響いちゃうな、少し抑えておかないと……)

 

先ほど頼んだミックスジュースを飲みながら、少々食べ過ぎた事を反省する。

ベルの感覚で腹八分越え…と言った所だ。あと二三品くらいなら食べられそうだが、この辺で止めておいた方が良いだろう。

次いでベルはテーブルの上を片付けて、使った皿やトレイを返却する。

 

食事も終わり、後は露店でも冷やかしながら宿に戻ろうかな?そんな風にベルが考えている時だった。

――ベルがその視線を感じたのは。

 

 

「っ!」

 

 

明らかに異質な視線、ベルが今まで感じた事のない未知の視線。

ベルの頭の中で警笛が鳴り響き、思わず視線の発信源へと振り向く。

だが

 

「…アレ?」

 

思わず呟く、自分の視線は遥か上方に向けられていた。

ベルの視線の先には遠く離れた白亜の塔、ただそれだけだ。

他の建築物には目もくれず、ベルの視線は天高くそびえる『バベル』に縫い止められている。

 

「…まさか、あそこから?」

 

自分で言って、心の中で否定する。

簡単に見積もって、バベルと自分の居る場所まで軽く数千Mは離れている。

バベルは神々の住まう場所であるが、神は下界に居る間は『恩恵』以外の力は使えない。

それに街灯で明るいとは言え今は夜、更にはベルの周囲にはベルと同じ食事中の客や移動販売の商人や露店の料理人、通行人が行き交っている。

あの距離でベル個人に狙いをつけて視線を送るなど、例え第一級冒険者でも不可能だろう。

 

だが、実際に今も自分は誰かの視線を感じている。

と言うよりも、この視線の主は恐らく自分の視線を隠す気がない。

嫌な感じも悪意も感じない。一言でいえば、この視線の主は堂々としているのだ。

 

だがしかし、それなのに相手の姿が見えない。

更に神経を尖らせてみると、その視線というのも妙な感覚だった。

 

(……なんだろう、この感覚。すごく遠い様にも思えるし、間近で見つめられている様にも感じる……)

 

まるで自分の目の前で誰かが立っていて、自分の顔を覗き込んでいる…そんな感覚だ。

何事にも例外はある、オラリオでは魔石を用いた様々な不思議で便利な道具が開発されていると聞く。

或いは、師と同じ様に何かしら索敵能力の効果なのかもしれない。

 

(……もしかして、本当に見えてるのかな?……)

 

ほんの少しだけ芽生える興味、その仮説を確かめるべくベルは行動に移してみる。

先ほど感じた視線の発信源へと向かって、微笑みながら軽く手を振ってみる。

もしも本当に誰かが何かしらの意図を持って自分を見ているのなら、何かしらのリアクションがあると思ったからだ。

白亜の塔に向かって…というよりもその間の空に向かって、ベルはそんな所作を繰り返すが…

 

「……うーん、やっぱ反応なしか」

 

少しの間周囲の反応を伺っていたが、何かが変わった様子はない。

自分の周囲も、白亜の塔にも、依然なにも変わった様子はない。

気が付けば、自分が感じていた奇妙な視線の感覚も消えていた。

 

「やっぱり気のせいかな?」

 

確認する様に呟く、以前の事もあって少し神経質になっていたのだろう。

念の為、人通りの多いメインストリートを使って回り道をして宿まで戻ろう。

ベルはそう結論づけて、その場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――退屈だ。

天高いバベルの一室。宮廷の客室を思わせるその部屋で、黒革のソファーに腰を下ろしながら女神フレイヤは呟いていた。

どうにも刺激が足りない、娯楽が足りない、胸の高鳴りが足りない。

別にコレ等の事は今に始まった事ではないが、今日はいつも傍に付き従っているオッタルもいない。

話相手が欲しければ、自分が一声かければ眷属達が来てくれるだろうが…今はそういう気分でもない。

 

(……街にでも下りてみようかしら?噂の大魔王さんにも興味があるし……)

 

ここ最近において、自分達ファミリアに一番の刺激と話題を提供してくれた人物に思いを馳せる。

先日の一件、自分達のホームにある鏡という鏡に突然『招待状』が送られてきた一件。

 

――大魔王バーン――

 

自称とは言えこのオラリオにおいて、初めて現れた魔王。

オッタルの反応を見る限り、『裸の王様』『名前負け』という事はないだろう。

寧ろオッタルがあれ程強い反応と興味を示したのは、自分を抜かせば初めての事かもしれない。

あの一件以来、オッタルは実に活き活きとしている。

それこそ『恩恵』を貰ったばかりの新米冒険者の様に、活気が溢れ力強く滾り、魂が澄んだ輝きを放っている。

自分の眷属があそこまで熱を入れる件の魔王、これで興味が沸かない方が嘘というものだ。

 

(……全く、無粋な魔王さまね。魔王が真っ先に狙うのは美しいお姫様…というのが、物語の鉄則ではなくて?……)

 

フレイヤは下界にある冒険譚や英雄譚を思い出しながら、可笑しそうに笑みを浮かべる。

オラリオに突如現れた、強大な力を持つ魔王。

魔王に攫われる自分、捕われた自分を救出すべく立ち上がる愛しい眷属達

強大な『魔王軍』と『英雄達』の戦い、『大魔王』と『勇者』の決戦

そして最後には、『魔王軍』を打ち倒し、『大魔王』を滅ぼし、最後に救われた女神は『勇者達』に大いなる祝福を授けて物語は幕を閉じる。

 

「…ッフフ」

 

思わず笑みが零れる。

大凡現実的な話ではないが、もし実現すればこれ程面白い事はない。

オッタルの話ではこのオラリオにおいて『魔王軍』を結成するため、人材集めの為にやってきたという。

もしかしたら、そんな御伽噺の様な出来事も近々起こるかもしれない。

 

(……でも、俄かには信じがたいわね。腕力だけでもオッタルより上だなんて……)

 

オッタルが自分に虚偽報告をする事は有り得ない。

仮に何かしらの魔法やアイテムで一時的に腕力を向上させていたとしても、それはそれで驚嘆と警戒に値する。

スキルや魔法で腕力を向上させたとしても、精々1レベル分強化ができるかどうかだ。

つまりどんなに低く見積もっても、噂の大魔王の戦闘力は『Lv.6』以上。

下手をすれば、実戦においてもオッタルを遥かに上回る可能性も有り得る。

 

そして更に警戒すべきは、そんな輩が独自の勢力を築こうとしている所だ。

 

(……ま、それはそれで楽しそうね……)

 

嘗て迷宮都市において最強のファミリアと言われた『ゼウス・ファミリア』と『ヘラ・ファミリア』

この二つのファミリアがオラリオから姿を消し、その後は迷宮都市最強の座は『フレイヤ・ファミリア』と『ロキ・ファミリア』が就いた。

そしてその位置は、十年以上の間不動のモノとなっている。

 

細々としたファミリアの上下変動は起きているが、その変動は自分達に影響する事は殆どない。

一番の椅子の座り心地は良いが、ずっと座っているとやはり飽きが来る。

噂の大魔王が今のオラリオに一石を投じてくれるのは、それはそれで楽しめる。

 

(……確か見た目は、白くて長い髪と髭が特徴のエルフの老人だったかしら?……)

 

どうせ暇を持て余していたのだ、少しそれらしい人物を探してみよう。

まあ退屈しのぎ位にはなるだろう。フレイヤはそう考えて、自分の目の前に遠見用の『鏡』を展開する。

『神の鏡』…大部分の力が封印されているフレイヤが使える、数少ない神としての能力だ。

 

無論、『恩恵』以外の神の力の私的な流用は固く禁じられている。

もしも勝手に使った事が他の神に『露見すれば』、即刻天界に強制送還される。

 

また、『神の窓』は使用の際に特定の力の波動が発生するため、使ったら周囲の神に察知される。つまり使えば最後、自滅する愚かな行為だ。

 

だが、『美の女神』であるフレイヤに限って言えばそれは当て嵌まらない。

フレイヤと『親しい』付き合いをしている神々に、それとなく話を通しておけば彼女はかなり限定的な条件がつく代わりに『神の鏡』を使う事ができるのだ。

仮に自分の息の掛かっていない神が気づいたとしても、それは『他の神』の証言と議論により『何故か』ソレは誤解や気のせい…という結果に落ち着くからだ。

 

今回の事も相応にリスクがあるが、それでも問答無用で強制送還という事にはならない。なぜならこういう時に備えて、普段から自分は周囲の神と『仲良く』しているからだ。

 

バベル周辺のメインストリートに辺りをつけて、その光景を窓に投影させる。

夜闇に輝く幾多の魔力灯、明かりに照らされる繁華街、昼間以上に賑わいを見せ街全体が活気づいている。

フレイヤはより近めの光景を窓に映す、そして目的の人物の捜索を始める。

 

メインストリート、繁華街、歓楽街、次々に鏡を走らせるがそれらしい人物は見つけられない。

フレイヤがそんな暇つぶしを始めて、一時間が経とうとする時だった。

一人の少年の姿を、フレイヤの鏡が捕らえた。

 

「……確か、この子は……」

 

鏡を操作して、その少年の顔をより近く捕らえる。

クセのある白髪、深紅の瞳、中性的な童顔、レザージャケットを着込んだ少年。

丁度食事が終わった所なのか、座っていたテーブルの上の後片付けをしている。

フレイヤはその少年に覚えがある、先日街に下りていた時に何度かその顔を見た事がある。

その少年が持つ魂、魂の彩と輝きがかなり特徴的で印象深かったから、フレイヤはその少年の顔を覚えていた。

フレイヤは、改めて鏡に映りこんだ少年を見る。

 

(……やっぱり、かなり珍しい魂をしているわね……)

 

その魂は光輝いている様に見えるし、闇に呑まれている様にも見える。

例えるなら、満天の星空。

夜の闇と星の光、光と闇の共存、対極の存在が反発することなく互いの存在を許している…そんな感じだ。

 

(……本命の大魔王さんは見つからないけど、これはこれでラッキーね……)

 

改めて見てもやはり興味深く、それでいて中々に自分好みの魂をしている。

もっとその少年を良く見てみよう、そう思ってフレイヤが視線を強め様としたその時だった。

鏡を通して、フレイヤの視線と深紅の視線が重なったのは。

 

 

 

「――え?」

 

 

 

信じられない様に呟く。

見ていた、その白髪の少年は此方を見ていた。

鏡を通して、その深紅の瞳は自分の姿を捉えている様に見えた。

 

「…私に気づいた? いや、でも…まさか…」

 

『神の鏡』は完全に一方通行、此方から見えてもあちらから見える事は絶対に有り得ない。

現に今まで何度か『第一級冒険者』を窓を通して観察した事があったが、こんな事は一度もなかった。

だから、恐らくコレは何かの偶然だ。この少年が自分に気づいている筈はない。

フレイヤがそう結論づけようとした時だった。

 

 

――その少年は微笑んで、挨拶する様にこちらに向かって手を振った。

 

 

「………」

フレイヤは、ただ呆然とその少年を見つめていた。

ただの一言も言葉を発せず、身じろぎ一つせず、ただ呆然と窓を通してその少年を見ていた。

気づけば既に自分が展開した鏡は解除され、フレイヤの目の前にはいつもの私室の光景があった。

しかし、フレイヤは尚も呆然とそのまま立ったままだった。

 

「……く、ふ……」

 

不意に、声が響く。

 

「……あ、は……!」

 

女神の口元から、声が漏れる。

そして僅かな間をおいて、その声が爆発した。

 

「あはッ!アはは!アハハハハハははははは!アハハハハハハハハハハハハハ!!

アーっハハハハハハハハハハハハハハハハハははははははははははははははは!!」

 

女神は笑う、笑い続ける。

喉を震わせ声を上げて、これ以上開かないという程に大口を開けて、腹を抱えて笑い続ける。

楽しくてたまらない、面白くてたまらない、愉快でたまらない、そんな風に笑い続ける。

その少年を祝福する様に、この出会いを祝福する様に、フレイヤはいつまでも笑い続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フム、中々に実りある宴だった」

 

先程まで行われていた酒宴を思い出して、バーンは満足げに呟く。

ヘファイストス・ファミリア団長が薦める店であって、酒や料理の味は大魔王も満足するものであった。

店主が極東の出身という事もあって、出た料理はバーンにとっても見知らぬ料理が多かったが美味い料理に古今東西は関係ない。

特に『焼き鳥』や『雑炊』と言った料理は、シンプルな調理法でありながら中々に奥深い料理だった。やはり世界の主要都市であって、料理一つとっても新しい出会いが多い。

それに何より、ヘファイストス・ファミリアの団長と予期せぬ形で親交を深められたのが大きかった。

冒険者、女神、そして大魔王。三者三様が集まった酒宴であったが、終始楽しい時間を過ごす事が出来た。

そしてバーンは二人をバベルにまで送り届けた後、宿へと戻ったのだ。

 

 

「……さて、そろそろ始めるか」

 

 

静かにバーンは呟く。

現在バーンが居る場所は、迷宮都市オラリオではない。

バーンが今居る場所は都市に来る前に、ベルとキャンプをした森林である。

とある『実験』を行うため、バーンはオラリオからこの森まで移動呪文を使ってやってきたのだ。

 

「念の為、結界を張っておくか」

 

次いでバーンは自分を中心に、半径数十M程度の結界を張る。

これで結界内部の出来事が外に漏れることは無く、外からの不安要素の侵入を防げる。

そしてバーンは次の作業に移る。地面に己の血と魔力を用いて魔法陣を描いていく、魔を司る六亡星の魔方陣。

六亡星は黒魔術や呪術を行う際に用いるものだが、バーンがこれから行う事はソレ等とは少々異なる。

 

『禁呪法』

 

魔道に身を置く者として、絶対に触れてはならない禁断の呪法。

ソレを犯したら最後、その者は魔道から外れ非道外道として扱われる禁忌だ。

そしてバーンは六星魔方陣を書き上げて、自身の荷物から『魔導書』を取り出す。

バーンは左手で書を持ち、空いた右手を書にかざす。

 

(……思った通りだ。確かに使われた事で魔導書から殆どの魔力は無くなっていたが…全て消えた訳ではない……)

 

バーンは昼間『魔女の隠れ家』でその事を直に確認していた、そしてバーンは使用済みの魔導書でも『使える』と判断した。

 

(……最初に見た者は例外なく誰でもできる契約?それも本人の意思に関係なく強制的に結ばれる契約?……)

 

バーンは魔導書の情報を頭の中で反芻し整理していく、そしてその結論に辿り着いていた。

 

 

 

(――それは正に、『呪い』そのものではないか――)

 

 

 

嘗ての世界でも存在した『呪いのアイテム』、この魔導書はソレ等と非常に似通っている部分がある。恐らく剣術や体術の様に、例え世界が変わろうとも根の部分は変わらないのだろう。

他の術に関しては分からないが、魔導書に限って言えば間違いなく『呪法』の領域だ。

――そしてそれは、バーンにとっての『得意分野』だ。

 

魔導書を魔方陣の中心に置き、己の魔力を注ぎ込んで魔方陣を起動させる。

六亡星が紫電と白雷を纏い、陣内部が淡く光を放ち始める。

そして、大魔王の詠唱が響いて陣の魔力がより活発な動きを見せる。

 

紫電と白雷が一層激しく荒ぶり、それが爆発する様に弾ける。

周囲の樹木がしなる程の爆風が吹き荒れ、陣から白光の柱が立つ。

そして陣の中央に設置された魔導書が、徐々に浮き上がっていく。

 

(……だがあくまで解ったのは技術体系のみ、呪法と一口に言ってもその種類は多種多様にある……)

 

如何に大魔王と言えど、この『器』から読み取れる情報はそこまでが限界だ。

流石に真っ白な本から呪法を再構築するのは、自分でも不可能だ。

それに自分が余計な手を入れては、本に残った僅かな魔力も傷物にしてしまう恐れがある。

 

(――まあ、後の事は本人に尋ねるとしよう――)

 

そして更なる詠唱を紡いで、より魔力を濃密により魔力を精密に操作していく。

魔導書の器と魔導書の魔力、この二つを素体にして新たな下僕を精製する。

 

魔方陣の中央で浮かぶ魔導書が、徐々に深紅の光を帯びていく。

光は魔導書の影を作り、影が魔導書を飲み込んでいく。

魔導書を完全に飲み込み、その紅い影が自らの姿を形づくっていく。

 

子供の影遊びの様に、頭が出来て両腕が生えて五指の両手が形成される。

影の背から蝙蝠の様な両翼が生える、頭部には小さい二つの角が生える。

そして影の顔に当たる部分に、鋭い眼光が宿る。

 

「大魔王が自ら手がけた影タイプのモンスター…名付ければ、『まおうのかげ』と言ったところかな?」

 

魔方陣の光が止み、これでバーンの呪法が完成する。

紅影の魔物はバーンの姿を少しだけ見つめて、恭しく一礼した。

 

「オ初ニオ目ニ掛カリマス。我ガ神、我ガ主君、我ハ貴方ノ矛ニシテ盾、影ニシテ手足、眼ニシテ耳、何ナリトゴ命令ヲ」

「よい、面を上げよ。我が分身、我が影よ、こうして無事に其方と相見えた事を余は誠に嬉しく思う」

「勿体無キオ言葉、我ガ身ニ余ル光栄ニゴザイマス」

 

一連のやり取りを終えて、バーンは『ウム』と頷いて出来上がった影を見る。

 

(……少々、堅物すぎてしまったかな?……)

 

ついそう漏らしてしまう、思えば魔王軍時代は自分はこの様な者達に囲まれていた筈だ。

『死神』の様な例外は居たものの、皆が皆自分に対しては頭を垂れて平伏したものだ。

 

(……フム、どうやら知らない所で余もあの者達の影響を受けている様だな……)

 

いつもちょこちょこと後をついて来る白髪の少年と、ふざけた言動でいつも自分を振り回し酒を酌み交わした老人。

こちらに来てから知り合った者達は、少々自分と接する距離が近かった事を自覚する。

そこまで考えて、バーンは改めて目の前の影と向かい合う。

 

「さて、我が分身よ。幾つか確認したい事がある」

「ハ!何ナリとお尋ネ下サイ」

「其方の素体となった魔導書、その魔導書を完全に再現する事は可能か?

或いは其方の素体となった魔導書、それに込められた魔法…それを扱う事が出来るか?」

「……申シ訳アリマセヌ。ドチラも不可能にゴザイマス」

「フム、やはり早々上手くはいかぬか」

 

魔導書の完全再現

もしもコレが可能だったら今後の軍事力拡大に大いに役立ったのだが、やはり物事はそう上手く運ばないという事だろう。

しかしこれは、バーンの中でも可能性が低いと思っていた。

この世界でも屈指の希少スキルで精製される魔導書、やはりそう容易く作れる物ではないと言う事だろう。

 

(……魔導書に残された魔力は小さいモノだったからな。それに比べて使い魔精製の際の、余の魔力が大きすぎたのかもしれない……)

 

だが、それも想定済みだ。

だからこそ自分は街中を歩き回って、魔導書の数を取り揃えておいたのだ。

それに、バーンとしては次の問いこそが本命。次の確認こそが最重要だった。

 

「では、素体の魔導書に残っていた魔力。これは再現できるか?」

「ソレナラバ再現スル必要もアリマセン。我ガ身ニ宿リ迸ル魔力ソノモノが、魔導書に込ラレタ魔力ソノモノにゴザイマス」

「うむ、ならば次の質問だ。先の魔導書の中身、白紙になる前の状態に再現する事は可能か?」

「表面上ダケ…文字や図式ノ再現ナラ、可能にゴザイマス」

「クク、そうかそうか」

 

思わず笑みが零れる。

本命の二つの条件が無事達成された事に、バーンは小さく笑みを浮かべる。

 

「よし、それでは最初の任を命じる。これより数体程、其方の兄弟を精製する。其方にはそのサポートを命じる」

「ハ!御心ノママに!」

 

そして、更に魔方陣が起動がし魔導書は紅影の魔物へと生まれ変わる。

先の反省を踏まえ、より精密により慎重に呪法を練り上げていく。

 

嘗ての世界とは異なる、もう一つの魔道。

己が極めた魔道とは異なる、もう一つの魔への探求。

大魔王はその真髄へ向かう。底知れない魔の根源へと、一歩また一歩と進み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




一ヶ月振りの更新です、お盆前に何とか更新できて一安心している作者です。
先日、夏風邪をひいて生まれて初めて39℃の向こう側に行ってきました…ひたすら寒かったです(笑)
皆さんも体には気をつけて下さい。

さて、話は本編。これにて大魔王師弟のオラリオ三日目は終了。
今話より、フレイヤ様も本格的に参戦予定。
ベルくんは原作でもレベル1の時からフレイヤ様の視線に度々気づいていたので、今回はソレの発展形の話にしてみました。
そしてヘファイストス・ファミリア側は椿とヴェルフが登場。
この二人の出番もちょいちょいある予定です。

そしてバーン様、バーン様は今回より魔影軍団(仮)を結成中。
魔影軍団の「まおうのかげ」達は、言ってしまえば裏方なのであまり表舞台には出ないと思います。
またどうして影タイプのモンスターを使ったかと言うと、ダイ大を読んでいる方ならうっすら勘付くかと思います。
バーン様としては、後に魔影軍団長に相応しい相手が見つかれば指揮権を渡す予定です。
ちなみにバーン様が作ったまおうのかげは生まれたてなので、まだそんなに強くないです。
今のベルくんでも勝てるレベルです。

次話よりオラリオ四日目、次回もできるだけ早く更新する予定です。

補足・フレイヤ様は一巻の時点で割りと『神の鏡』を使っている様な描写があったので、作者的な解釈を書いておきました。





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