不死人と蓬莱人【完結】 (溶けた氷砂糖)
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プロローグ:蓬莱人の現代入り
俺と彼女の出会い


 俺は不死身だ、なんていうと思春期によくある妄想癖か頭のおかしい人に思われそうだが、それ以外に自分の体質を説明する言葉は思いつかない。おそらく、俺は今までに五回は死んでいるだろう。火事、落下してきた鉄骨、飛び降り、海難、滑落。どれを取っても命を落とすには充分過ぎて、無傷であることなんてほぼ有り得ない。俺の両親も最初の火事で死んでしまったし、自らの意思でやった飛び下り自殺以外は必ず俺以外の死人が出ているのだ。しかし、俺はどれに巻き込まれたって怪我一つしたことがない。

 落ちてくる鉄骨を見上げて気を失ったかと思えば、気が付けば無傷のまま木陰で目を覚ましたなんてこともあった。俺がぐちゃぐちゃになって死んでいる姿を見た人が誰も居ないと言うのだから、もしかしたら、ただ単に運がいいだけというのも有り得なくはないが、そう考えるのには少し無理がある。ビルの五階から落下して、当たり所がよかったってだけで無傷で済む筈がない。俺が死なないのだと考えた方が自然だろう。

 しかし、不死身だからといって俺の生活が普通の人と変わっているところなんて一切無い。不死なんて死ななきゃ一般人と変わりやしないのだ。だから俺は他人との感じ方の違いに若干の違和感やストレスを持ちながらも、高校、大学そして社会人になって今に至るまでを何の変哲もなく生きてきたのだ。

 そうして、俺はあの少女と出会った。

 

 

 その日は春と呼ぶにもおこがましいくらいの熱気で、朝のニュース番組なんかでも真夏日予想が出されていた。そうそうに衣替えをしたいとは考えながらも、また平年並みに下がる可能性や気力が起きないのもあって未だに厚手のスーツを着ていた俺は、スクランブルの赤信号に時間を取られていた。大学生の頃からバイトで勤め、去年の春から晴れて正規雇用にしてもらった会社は横断歩道を渡った目と鼻の先にあり、腕時計を確認しても間違っても遅刻するような時刻ではない。しかし信号の赤色とは不思議なもので、どこか追われるような焦燥を感じながら、額を流れ落ちる汗を拭う。都心外れの住宅地ということもあって車通りは多く、もし赤信号を無視して交差路に身を乗り出そうとするなら、普通の人は瞬く間に撥ねられてミンチになることだろう。

 だから、最初は見間違いかと思ったんだ。車の往来の中を堂々と歩く、今時珍しいもんぺを履いた、普通ではまずない真っ白な長い髪の少女が見えたときは、中高生の見る幻想よりも馬鹿らしい錯覚だと思った。目を皿にして、手の甲で擦っていた時に、周りからざわめきの声が上がるのが聞こえて、ようやく見ているのは自分だけじゃない、つまり現実なんだということに気付いた。心配するような声や指示、怒号の対象になっていることがわからなかったのか、少女は特に気にすることもなくこちら側へ渡ってこようとする。余所見運転でもしていたのか、全くスピードを緩めようとしない大型トラックの目の前を横切ろうとしながら。

 危ない。頭の中がその単語だけに染まってからはスローモーションのようだった。考えるよりも先に体が動いて、少女を助けようと自分も交差点に足を踏み入れる。自分から死ぬと分かっていて飛び込むなんて、命が幾つあっても足りないが、幸いにしてというか命は腐るほどあったので、あまり怖さなんてものは感じなかった。だけど俺は超人じみた身体能力など持ち合わせていない一般人で、反応した時には既に手遅れだった。突き飛ばすには時間がない。少女を撥ね跳ばす筈だったトラックは俺もついでに巻き込んで飲み込んだ。

 ああ、助けられなかったなあ。痛みすらも感じないまま、俺の意識は奈落の底へと落ちていった。

 

 

 再び目を覚ましたのは、昼休憩の時によく座ってぼうっとしていた公園だった。どうやらベンチの上で横になっているようだけれど、頭の部分だけ妙に高いし、感覚が柔らかい。

「あ、目が覚めた」

 上からかかってきたのはまだ年端も行かぬ少女の声だ。視点を移すと、どこかで見たような白髪の少女が見えた。少しの間目が合って、それから現状を理解した俺が思わずその場から転げ落ちる。打った腰の痛みに顔をしかめながらスーツに付いた砂を払って立ち上がり、改めてベンチに座っている少女をまじまじと見つめる。間違いなく、俺が助けようとして、諸共に撥ねられた少女だ。しかし、怪我をしたり血を流しているような様子もないし、服も綺麗なままだ。まるで、今の俺みたいに。

「ぶ、無事でよかったよ。トラックに巻き込まれずに済んだんだね」

 震える声で俺は言った。ハッタリの類いだが、嘘をつくのは苦手だ。本心ではないことなんてすぐにばれるだろう。少女は訝しがるように俺を見ていた。俺と一回りは年が離れていそうだ。それなのに、何故か年上のようにも感じられる。

「なんで生きてるの」

 底冷えするような、平坦な声だった。それを聞いて、俺は少女に対して抱いて気味の悪い感覚の正体に思い当たった。身に纏った雰囲気とでもいえばいいのだろうか。せいぜいが高校生くらいの姿に似合わぬ老獪な立ち振る舞い。この御時世、政治家でもこれほどの威厳を持ち合わせてはいない。蛇に睨まれた蛙とはこのことか、脚がすくんで腰が抜けそうになる。どうにかこらえて、回らない口でどうにか説明をしようと試みるが、そんな馬鹿らしい体質なんていったい誰が信じるだろうか。

「不死身だから、と言っても信じてはくれないよね」

「え、貴方も死ねないの」

「えっ」

 今、この少女は何と言った。俺の言葉を信用したというのか、いやそうじゃない。大切なのは、聞き逃してはならないのはそこではない。

 もしかして「彼女も死なない」のか?

 当然のごとく、今まで同じ体質の人間にはあったことがない。しかし、俺自身という前例がある以上、荒唐無稽な話と笑うのには無理がある。

「もう少し、話を聞かせてくれないか」

 さっきまでの恐怖も忘れて、俺は少女に話しかけていた。

 

 

 少女は藤原妹紅と名乗った。最初は「ふじわら」と思ったのだが、どうやら「ふじわらの」が正しいらしい。彼女は自分の不死性を証明するために自らの腕を引きちぎった。驚いた俺を尻目に、切断面から吹き出した血が離れた腕を包み込み瞬く間に元の有様に戻っていく。俺も何か証明をするべきか迷ったが、妹紅の方から必要ないと言われた。そもそも俺をこの公園まで連れてきたのは妹紅で、その時には俺は確実に死んでいた。彼女がそう言ったのだ。

「死んだと思ったから埋めようとここまで持ってきたのに、ふと気付いたら怪我が治ってるなんて、流石に驚いたわ」

「死人を勝手に埋めようとするな」

 別にその場に放置してくれても良かったし、警察や救急にも電話せず埋めようとするなんてどういう思考回路をしているのだろう。妹紅は申し訳なさそうに目をそらした。

「し、仕方ないじゃない。外の世界の常識なんて知らないんだし」

「外の世界って・・・・・・箱入り娘でも警察くらい知っているだろう」

「警察? えっと、外の世界っていうのはそういうことじゃなくて」

 口ごもる姿は年相応の少女で、先程の威厳をまじまじと感じていたのに対して酷く幼く見えた。妹紅の言葉を待っていると、バッグの中からバイブレーションが響く。

「ちょっと失礼」

 取り出してメールの中身を確認すると、会社からだった。心配と怒りを込めた文言が綴られている。気付けば既に正午に差し掛かる辺り。同様のメールも既に数十件来ている。今更彼女を放って会社に行くなんて選択肢は俺の頭の中には無かった。素早く体調不良の旨を伝える。もう五年、それなりに真面目に努めてきたから不審には思われていないようだ。返ってきた労りのメールにはあえて返信せず、スマートフォンをバッグの中にしまう。

「すごいな、それ。まるで河童達の道具みたいだ」

 妹紅は言いたいことが纏まったのか、今度は目を輝かせてスマホを見ていた。

「河童? それって妖怪だっけか」

「ああ、うん。ちゃんと話すべきだよな」

 一つ大きな深呼吸をして彼女は言った。

「幻想郷って知ってるか?」

「幻想郷?」

 不思議と聞き馴染みがあった。はてなんだったかとしばらく頭を抱えて、幸運にも昔に聞いた噂を思い出す。噂、というよりは民俗伝承に近いのだろうが、幻想郷は俺がまだ小学生くらいの頃に住んでいた村で語られていたものだった。

 曰く、現世とは離れた幽世。曰く、魑魅魍魎の楽園。曰く、かつての暮らしの姿。どれを取っても眉唾物だったし、大人になってからインターネットで調べても何故か出てこなかったから今の今まで忘れていた。むしろ思い出せたことの方が奇跡だ。

「確か御伽話の類だったかな」

「御伽話、まあ間違ってはないかもな。でも一つ大きな間違いがある」

「間違い?」

「幻想郷は実在するの。だって私は幻想郷から来たんだから」

 鈍器か何かで頭を打たれた気がした。誰だって夢物語が現実だと言われればそんな気分にもなるだろう。法螺吹きが相手なら信じることはなかった。しかし、初めて会ったとはいえ、目の前で自らの異常性を証明せしめた彼女に言われたのなら、虚妄も小説より奇怪な事実になる。だいたい幻想郷なんて単語自体俺が住んでいたところ以外では誰も知らないようなマイナーな話だ。前述の通りネットにも上がっていないんだから、知っているのは相当なマニアックか、あの村の出身か、或いは本当に幻想郷からの来訪者だ。最初の一つ、マニアックだからというのでは知っている理由にはなっても、今ここで知らない相手に話す理由にはならない。そして一目見たら忘れられないような白髪、人口も三桁に遥か届かないあの村に居たのなら、俺が覚えていないというのは考えにくい。そうすると、消去法的に最後の一番現実的でない案が残ってしまう。だから、否応にも信じるしかなかった。

「本当は来たっていうより迷い込んできたって言う方が正しいんだけどね」

「普通、逆じゃないのか?」

「そうでもないわ。境界の管理者があれだし、割と迷い人って現れるのよ」

「管理者しっかりしろ」

 会ったことはないけれど、どうやら相当のぐうたららしい。責任者が仕事をしない現場にろくなことはない。学生時代から学び続けてきたことだ。管理の手間がいらないからさしたる問題にはなっていないらしいが、それでは大災害がいつ起こっても不思議ではない。

「話を続けてもいい?」

「あっ、ああ」

 妹紅は咳払いする。美男美女というものは本当に何をやっても絵になるものだ。

「私は今迷い込んだと言ったけれど、普通ならすぐにでも連れ戻されてなきゃいけない。なのにまだここに居るってことには何か意味があると思うの」

「まあ、それを否定する根拠は俺にはないさ」

「そこでずっと考えていたんだけど、一つだけ理由らしきものはあるの」

「ほう、そりゃ一体なんだ?」

「貴方よ」

「・・・・・・は?」

 どれくらいかの思考の空白。この間、物凄い速さで頭の中が回転していたような気がするが、何を考えていたのかはさっぱり覚えていない。とにかく、結論を出すことができなくて、間抜けな声をあげたことはわかる。

「俺は不死身なだけが取り柄の貧弱一般人だぜ」

「普通は不死身を取り柄とか言わないと思うけど」

「そんなことはどうでもいい。俺は平凡な暮らしを営んでいるだけだ」

「でも、貴方と同じ人に会ったことはある?」

「む」

 同じ、というのは体質のことか。目の前に居るといえば居るのだが、求められている答えはそれではないだろう。でないと、わざわざこんな質問はしない。だったら、一体何が言いたいのか。考え込むにはあまりにも簡単過ぎた。

「俺はここに居るべきでないと言いたいのか」

「少なくとも、普通居るはずのない人間じゃない。不死なんて、百害あって一利無しよ。外の世界は不思議を信じていないんでしょ」

 それに、と彼女は続けた。そこでようやく辺りを見渡して、舌打ちする。それに倣って俺も周りを見ると、幾ら平日の昼間だといっても、不自然なほどに人が居ない。いや、俺と妹紅以外誰もいないのだ、目に映る範囲には。こんな奇妙な話をしているのなら、むしろ都合がいいことの筈なのだが、彼女が舌打ちしたのは、これが意図的に引き起こされているものであるかららしい。大方、俺を引き込みたい誰かが、人払いしてお膳立てしているということか。

「貴方がこちらに居ると、私達にも悪いことが起こるかもしれない」

「どういうことだよ」

「幻想郷は外にとって不思議の世界。じゃあ不思議が解明されたら?」

「なくなるってか?」

「少なくとも、妖怪の力は弱まるでしょうね」

 しかし、それは相手の側の勝手な理由だ。俺には仕事だってあるし、今まで生きてきた世界に多少なりとも愛着がある。はい、そうですかと従いたくはない。そんな俺の心を見透かすかの如く、妹紅は笑った。

「それに貴方にとっても悪い話じゃないはずよ」

「その言い方はやけに不安感を煽られるんだが」

「そうなの? まあそれはどうでもいいんだけど」

「なんだよ」

「自分の不死の秘密、知りたくない?」

「なっ!?」

 爆弾発言に声を失う俺を妹紅が笑う。思い通りの反応だったのか。いや、こうでもならない方がおかしいさ。俺自身、具体的には自分がどういう体質なのかは知らない。ただ、死ぬ筈の出来事に巻き込まれて、気が付いたら無傷で目を覚ます。その繰り返しだ。知りたくないと言えば嘘になる。

「私のこれは薬に依る物なの」

「不老不死の妙薬か?」

 胡散臭いが事実だろう。

「それを作った人物なら、貴方の体質も解明できるかもしれない」

「俺のは薬じゃねえぞ多分」

「そうね、でもそいつは人並み外れた知識を持っている。これでもまだ気にならないというかしら」

 首筋に流れた汗は冷たい。春らしからぬ暑さに頭をやられてガンガンと嫌な音が響く。だけど、遥かに強い好奇心が全てを忘れさせていた。

「少し、考えさせてくれ」

 答えは既に決まっているようなものだった。

 人生は常に選択の連続だ。選ばなかった方がどんなに結果になるかなんて、たとえ神様でも分かりはしない。不死身だったとしても、選ぶことができるのは一つの答えのみだ。二つの人生を同時に歩むことなんてできない。だから、このとき俺は人生の大きな岐路に立っていて、重大な選択をあまりにもあっさりと決めてしまったのではないか。そう後で考えたって、時が巻き戻ることはないのだ。

 まったく、命が幾つあっても足りないものは足りないのだ。

 




初投稿


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懐かしくも新鮮な景色とカップ麺

「あんまりベタベタ触らないでくれよ」

「だって、面白そうじゃない。これは何て言うの?」

「おいこらLANケーブル引っこ抜こうとすんじゃねえ!」

 三日後に幻想郷へ行くことが決まり、荷造りをしている最中なのだが、妹紅はそんなことお構いなしに電子機器に触っては壊れかけさせている。幻想郷に行くと言っても、彼女の力では自由に戻ることはできないらしく、以前に話を聞いた管理者の力を使わなければならない。一応やり方と実力さえあれば自由に行き来出来るというのだが、実力はともかく、術式や何やらには疎いのだとか。どうせ呼べば来るだろうという彼女の楽観的思考に従って、俺は立つ鳥跡を濁さずの精神で会社への辞職願いやら契約の解除やらに追われているのだが、彼女はそれまでの間幻想郷に戻ることはできないといい、まさかこの世間知らずを一人で暮らさせるわけにも行かない(本人よりも他人が危ない)のでこうして俺が住んでいるアパートに連れてきている。が、この手の電子機器が殆ど無い場所から来た彼女は何を見るにも興味津々で、すぐに触りたがるのだ。流石に扇風機に手を突っ込んだ時はやばいと思ったが、再生能力持ちの彼女は全く懲りていない。俺なんかは、怪我とか普通に痛いしそのまま自然治癒なので間違ってもそんなことはできないから、多少羨ましくもある。本人に痛くないのか聞いたら慣れたとのこと。流石俺より千年以上も先輩なお方は言うことが違う。

 しかし、このような日用品もどれだけ持っていけばいいのか困るものだ。幻想郷では、妖怪の山と呼ばれる場所の更に一握りにしか電気は通ってないという。あちらの方に俺と同じようにこちらから来た少女と、新技術に興味津々な職人気質の河童が居る事がその理由らしいが、人里にまでその技術は行き届いていない。どうせネットにも繋げないだろうし、パソコンとか持っていく意味も薄いのだが、やや依存症気味の俺には辛い。悩んだ挙句、比較的嵩張らないタブレットだけは持っていくことにして、苦渋の決断だが他は捨てることにした。さてそうと決まれば真っ先にやらなければならないことが一つ。俺は昔親戚に貰ってから放置したままの工具箱の中から錆び付いたトンカチを取り出した。そして目の前のハードディスクに向かって思いっきり振り下ろす。

「わっ! いきなり何してんの危ないなあ」

「処分するためには必要な動作だ」

「そうなの?」

 嘘は言っていない。我が秘蔵フォルダを闇に葬り去るにはこの手が一番手っ取り早い。こういう時、普段から整理しておいて本当に良かったと思う。こんなときに必要なデータとそうでないデータを分別しようとしたならば十中八九妹紅に見つかって・・・・・・ああもう、一瞬でも蔑んだ目で見られるのも悪くないと思ったしまった自分が死ぬほど恥ずかしい。俺はマゾヒストじゃないんだ、多分。それなのに、見た目年下の女の子から罵倒されて喜ぶなんて人間としてどうかしてる。

「なんか変なこと考えてない?」

「いや別に」

 煩悩の欠片をちりとりで集めて、ポリ袋にまとめて入れる。パソコンも適当に解体してしまうと、ちょっと前までわりと散らかっていたとは思えないくらいにすっきりした部屋になり、同時にちょっとした寂しさも感じる。何分、大学の下宿時代からの付き合いだ。少しくらい感傷に耽ってもバチは当たらないだろう。カーテンを開けると西日が差し込んでくる。目の前の高層ビル群もこれで見納めか。

「でも、外の世界ってすごいよね」

 妹紅は俺の隣で同じようにコンクリートジャングルを眺めている。しかし、もう二度とは見れない景色に懐古の情を抱いている俺とは違ってその目に浮かぶのは未知への好奇心。観光スポットに行って荘厳な建造物に目を輝かせている時のものに近い。事実それであっているのだろう。自分で言ったように、幻想郷に行けばこの景色なんか無いのだから。

「なあ、幻想郷ってどんな場所なんだ?」

 掃除も一通り片付いて手持ち無沙汰になると、ようやく気になっていたことが聞ける。今までの話から、一般人の生活は明治頃の技術で占められていること、いわゆる妖怪が存在し、恐れられることで共存関係を保っていることまでは理解したが、住んでいる人々の話はまだ聞いていないのだ。それこそ物見遊山にもってこいな場所でもあれば是非ともご教授願いたい。

 質問の意味が良く分からなかったのか、妹紅は小首を傾げながら「昨日話したじゃない」と言う。

「そうじゃなくて、なんというかな。昨日教えてもらったのは外から見た幻想郷だろ? 俺が今知りたいのは内側から見た幻想郷の町並みというか、暮らしぶりなんだよ」

「えー?」

 やっぱり通じていないようだ。むう、俺が説明下手なのも理由の一つであることは間違いない。しかし彼女自身の理解力も乏しいというか、どっか天然入ってるところがある。そこで俺は微妙に質問を変えることにした。

「じゃあ、幻想郷にはどんな人が居るんだ?」

「人? 人間だと紅白巫女とか白黒魔法使いとか、あとは紅魔館のメイドとか」

「紅魔館?」

 全員気になるが、とりあえず場所名っぽいのが出たのでそれをまずはそれから聞いてみよう。西洋式の建物っぽい名前だ。教科書にあった鹿鳴館みたいなもんだろうか。

「吸血鬼の住処でね、まあ趣味悪いくらいに真っ赤なの」

「何それ凄く見たい」

 某漫画家の紅白ストライプの家くらい奇抜じゃないか。と言っても実際に見に行ったことはないので比べようがないのだが。

「で、なんだって」

「その吸血鬼のメイドで、時を止める程度の能力を持った人間が居るのよ」

「時を止めるって、超能力者かよ」

「そうなんじゃない? 詳しい原理とかは知らないけど。別に珍しくないわよ。紅白巫女は空を飛ぶ程度の能力を持っているし。まあ幻想郷だとだいたいの奴は飛べるんだけど」

「さっきから幻想郷へのイメージがどんどん書き変わっていくんだけど。それって妹紅も飛べるってことか?」

「そうだけど。弾幕ごっこができる奴は皆空飛べるし」

 さらに新しい単語が出てきてこんがらがりそうになる。弾幕ごっこ、ごっこというからには遊びの類いだろうけど、どんな遊びなのか想像もつかない。弾幕ってマシンガンでもぶっぱなすのか?

 俺がそう言うと、妹紅はまた可愛らしく首を傾げる。マシンガンなんてもんは幻想郷には無いんだろうな。

「弾幕ごっこは弾幕の綺麗さで勝敗を付けるんだよ」

「その弾幕が俺にはわからないんだよ」

「あ、そっか。じゃあ見せてあげよっか」

「ウチが壊れそうだからやめてくれ」

 出ることが決まった家を荒らすとか普通に警察呼ばれるぞ。

「そうそれは残念」

「ああ残念だが、見せてもらうのはあっちに無事辿りつけてからにするよ」

 会話に一区切りつけてから時計を見ると、朝早くから動いていたというのにもう針は十二時を指している。これで妹紅と会ってから丸一日が経過したわけだが、たった一日とは思えないくらいの濃密さだったような気がする。人生において重大な出来事が起きたときは、大抵光の早さで時が過ぎ去っていったというのに。何処か夢見心地で、何が起きていたのかも理解できないままに、俺は大人になってしまっていたのだ。

 ぽんぽん、と肩を叩かれて振り向くと、妹紅の顔がすぐ近くにまで迫っている。

「どうした」

「お腹空いた」

「そうかいじゃあ飯にするか」

 ご希望のメニューは聞かなくてもわかる。やかんに水道水を入れて火にかけ、好きなものを妹紅に選ばせる。しばらくして彼女が手にとったのは醤油味の、細麺が特徴的なカップラーメンだ。

 幻想郷にラーメンはないのか気になって調べてみれば、どうやらラーメンが流行ったのは明治から大正にかけてなので、未開の地だった幻想郷には伝わっていなかったらしい。朝から興味津々で、昼に食べようという俺の言葉をしっかり覚えていた辺り、余程食べてみたかったんだろう。俺は大手ショッピングセンターのブランド物のシーフードを選んで、沸いたお湯を流し込む。タイマーを三分でセットして、箸を重しにしたら後は待つだけだ。

「まだ出来ないのか?」

「あと三分間だけ待ってくれ」

「おう」

 三分間無言を貫き通すと、ピピッと完成を知らせる電子音が鳴る。適度に箸でかき混ぜて、席に座って待っている妹紅の前に置き、自分も向かいの席に座る。

「じゃあ頂きますか」

「いっただっきまーす!」

 威勢の良い掛け声とは裏腹に麺を口に運ぶさまは慎重だ。食ったことがないんだから当たり前といえば当たり前か。しかし、慎重だったのは一口食べるまでで、その後は喋ることも忘れて一心不乱に口の中にかきこんでいる。カップラーメンは旨いが、ここまでなるようなもんだったっけ?

 対照的にゆっくり食べている俺がようやく半分にたどり着こうかというときには、スープ含めて完食を達成していた。腹は満たされてくれたようで、食後のお茶をゆったりと啜っている。

「外の世界の人間は皆こんなに美味しいものを食べているのかしら」

「ご満足いただけたなら何より。どうせならあっちへの手土産に幾つか持っていくか?」

「いいの!?」

「まああっちでもお湯さえあれば作れるしな。このくらいなら大したこともないだろう」

「やった!」

 意気揚々と選別に乗り出す彼女を見ていると、どこか微笑ましい気持ちになり、同時になんだが餌付けしている気分にもなって、溜息が出る。一日経つと自分は随分と大それた決断をしてしまったものだと後悔に似たものが込み上げてくるが、後悔そのものは感じていなかった。どれだけ時間をかけようと同じ決断をするだろうと確信していたからだろうか。

 さて、改めて周りを見渡してみれば、僅か半日足らずの掃除で部屋の中は誰も住んでいないのではないかと錯覚させるほどに生活感のない殺風景な景色になってしまっている。まさかここまで早く終わるとは思わなかった。というのも、恥ずかしいことに、もっと私物整理に時間を取られると思っていたのだ。下手をすれば一日は潰れることも覚悟していたのだが、なんともはや、実は私物と呼べるものはほとんどなく、パソコン関連を除けば取捨選択に悩む物もなかったのだ。これには軽くショックを受けた。自分というのはここまで無機質な人間だったのかと自問自答を繰り返したくもなった。だが、幾ら心の中で考えようと、結果が目に見える形で出てしまったのだから受け容れる他ない。残っているのは自宅の引き払いと退職届の受理くらいで、三日という制限時間を設けたにも関わらず暇が出来てしまった。さあどうする。

 自由に最後の日を謳歌するのも悪くはない。妹紅から幻想郷の話を聞くのもいいだろう。逆に妹紅を何処か遊園地にでも連れていってやるのも彼女が楽しんでくれるならいい。

「妹紅」

 名前を呼ぶと彼女は両手に大量のカップ麺を持ったまま振り返った。どうやったのか、器用にも山積みになって手のひらの上に乗っている数は十じゃきかない。どうやっているのか全くわからないし分かろうとも思わないな、うん。

 だけどまあ、これだけこっちの文化に興味を持っているのならいいだろう。

「明日、ちょっと外に出かけないか?」

 幸い貯金には余裕がある。最後くらい散財してもいいだろう。

 




もう2、3話くらい現代編続きます


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ハロー、ジェットコースター

「すっごい! 何あれ!? 人が乗ってるよ!」

「あー、あれはジェットコースターと言ってだな」

 門の外からでも見えるアトラクションに妹紅が声を上げた。天気は快晴、最近の暑さも少し和らいでレジャーには絶好の日和だ。まったく運が良い。ここは、まもなく手放す予定の俺の家から電車で三駅の小さな遊園地。最近千葉の夢の国とかでかいところばかりになって、中小は淘汰されているから、ローカルな遊園地もなかなか珍しい。地域ということで規模はお察しなのだが、ジェットコースターに観覧車、お化け屋敷と遊ぶにはそれほど困らないと思う。

 見た目以上に幼くはしゃいでいる妹紅は、黒のタンクトップにデニムジーンズとラフな装いだ。これは、流石にもんぺばかりは如何がなものかと、昨日の午後に近くのショッピングモールに行って買ったものだ。適当に見繕うだけのつもりだったのに、やっぱり女の子なのか妹紅が悩み始めたためにかなり時間をかけることになってしまった。その結果が今の妹紅のあどけない笑顔だと考えると欠片も惜しくはないが。あとあれで案外胸が大きいとわかったのもグッド。本人の前では絶対に言えないけど、あの格好は予想以上に破壊力がある。その妹紅が一番お気に召しているのはどうやらジェットコースターらしい。本人曰く空を飛べるのに不思議なものだ。

 大人二人分のチケットを買って園内に入ると、平日だということもあってかなり空いている。いや、場末であることを考えれば混んでいると形容してもいいかもしれない。一応、人気のアトラクションには人が並んでいるのだから。

「早く乗ろうよー」

 妹紅は一目散にジェットコースターの列へ走っていく。こっちを見ながらなのに的確に人を避けていく様は最適化されたゲームの動きにどことなく似ていた。弾幕ごっことやらはもしかしたら特にゲーム的な要素が強いのかもしれない。ならば、今の動きはかなり熟練されたもの、なんて見たこともないのに勝手に思い込みそうになる自分に笑いながら、妹紅の元へ向かう。体力はないのでゆったり歩きながらだが。

「ヤツフサー、速くー!」

「わかったよ」

 そういえば、名前を呼ばれたのはこれが初めてかもしれない。ずっと貴方とかアンタとかばかりだったからな。そもそも名前も苗字も微妙に発音しにくいので、まともに名前で呼ばれることが滅多にない。一番多かったのはヤっちゃんで、後はフーちゃんだとかやけにちゃん付けで呼ばれていた記憶がある。呼んでいたのは周りの大人たちばかりだからそれも当たり前か。小学校の頃から友達は俺のことを苗字で呼んでいたからな。

 だけどそれももう昔のことだ。少しだけ過去を懐かしみながら、俺は妹紅に追いつくために足を早めた。

 列の近くで待っていた妹紅と合流して最後尾に並ぶ。前を伺い見ると、人はそこそこ並んでいて、立て看板には待ち時間十分と書かれている。頭上前方からは楽しむ叫び声が谺していて、ここのジェットコースターは特に絶叫系の面が強かったことを思い出す。杞憂だとは思うが、妹紅は大丈夫だろうか。ちなみに、俺は絶叫系に対して恐怖感はない。仮に落ちたとしても死なないと思えてしまうからだろう。一度飛び降りたことがあるのも理由の一つか。だから、絶叫アトラクションを楽しむことも苦手なのだ。スリルを感じることができないのだから。とは言っても単純に風を切るのを心地良く思ったりもするのだが。

 隣の妹紅は相変わらず未知の乗り物体験にはしゃいでいる。きっとどんな結果でも楽しめたことになるだろうな、と傍から見ても感じる程のハイテンションだ。というか小学生くらいの反応だ。楽しみか、と俺が聞くと目を爛々と輝かせて首をブンブンと振る。

「面白そうじゃない」

「そういうものかね」

 楽しんだ経験がないから俺には良く分からないな。

「風は気持ちいいけどさ」

「それも楽しみだよ」

「そうかい。ほら次、俺らの番だぞ」

「え? あ、ホントだ」

 都合良く目の前で列が切れる。空中旅行に行って帰って来たカートから乗客が降りると、当然最前列に案内された。二掛ける五の十人乗りだから、横にいるのは妹紅だけだ。係員の指示に従ってセーフティバーだとかいうものを引き降ろすと、妹紅が一瞬固まる。

「どうした?」

「いや、なんか動き縛られてない?」

「落ちたら危ないだろうが」

 高さや速さは怖くないが、身動きが取れなくなるのは嫌いなのは、やはり不死ゆえの感覚だろうか。気持ちは想像できる。が、そんなことを言っていては楽しめないアトラクションも数多い。それを妹紅にどう説明すればいいのか、全く思いつかなかったので、別の作戦に出てみる。

「でも腕は動かせるだろ」

「そうだけど」

「こっからしばらく昇るんだけどな、急降下するときには両腕をあげて万歳するって決まりがあるんだ」

「マジで!?」

「おう、ついでに声も上げると尚良し。ほら、前に乗ってた客も同じようなことしてたろ」

「そう言われると確かにやってたような・・・・・・」

 再び目が光を取り戻す。動けない怖さよりお約束のアクションをすることへの楽しみに意識が向いたからだ。ガコンと音を立てて、カートがローラーに巻かれて動き出す。目の前の大きな坂をチェーンに運ばれて昇りながら、頂上に辿り着く。落ちる直前一瞬の浮遊感。妹紅に言った手前、俺も両手を上げて叫ぶ。急降下した車体が右へ左へと俺たちの体を大きく揺らし、三百六十度縦ループがもう一度体を宙に浮かせようとする。小高い丘になっているところを思い切り駆け抜ける。風を切ったときの心地良い感覚が頬を撫でた。風圧にさらされながらも隣を見ると、妹紅が楽しそうに笑っている。それだけで俺が楽しむには十分だった。

 長いようで短い時間が終わり、カートはスピードを落としながら出発点に戻ってきた。さっきまで高速で走っていたせいで、ふわふわとして、地に足が着いてない気がする。

「楽しかったな!」

 興奮さめやらぬと言ったところか。長い髪の毛が風に煽られてボサボサになっていることにも構わずに、もう一度乗ろうと言い出さんばかりの剣幕で妹紅が言う。

「ああ、そうだな」

「なんか反応悪いー」

「いやいや楽しませてもらったさ」

 主に妹紅にだけど。自分と常識の違う人ってのは、一々行動が面白いんだよな。あと可愛い女の子と一緒に行くとなんか男の格が上がったような気になる。気の所為だ。

 ま、これだけ楽しんでもらえたなら重畳。俺にとってもいい一日になりそうだ。

 

 

「ごめんってば」

「・・・・・・」

「ヤツフサ、本当に怒ってる? なんか言ってよ」

「別に怒ってるわけじゃないさ」

 お通夜モードの妹紅になんと答えるか考えていたのと、園内のカフェで出されたジュースが予想外に美味しかったから堪能していただけだ。腕の火傷はひりひりと痛むが、大怪我というほどではない。数十分ほど中止になってしまった遊園地側の人達には申し訳ないことをしたが。

 どうしてこんなことになったのかと言うと、ジェットコースターの後にお化け屋敷に入ろうと提案されたのがきっかけだ。幽霊やお化けの類は見慣れていると自慢げな妹紅が、突然出てきたゾンビ(もちろん中身は人間)に驚いて、周りを燃やそうとしたのだ。俺が咄嗟に抑えて、飛び火することもなかったから実質的な被害は俺の火傷だけだが、慌てて集まってきた従業員にライターを見せながら謝って、俺の不注意ということにしてもらうのに結構な時間を費やした。その結果妹紅は意気消沈、とりあえず一旦休憩しようとカフェに入ったところで現在に至る。

「しかし、炎なんて出せたんだな」

「え? まあ、元々は私の力じゃないけどね」

「そうなのか?」

「幻想郷みたいな魔窟の生まれや、魔法使いの類でもなければ能力なんて持ってないよ。一応貴方みたいな例外は居るけどね」

「俺は例外扱いかよ」

「そりゃ博麗の巫女でも現人神でも半獣でもないのに能力を持っているなんて普通はないからね。そうね、私とは別に付けるなら、生き返る程度の能力といったところかしら」

「老いはするからな、たぶん」

 妹紅の老いることも死ぬこともない程度の能力は、俺の体質の上位互換みたいなものだ。不死に不老が加わって、さらに再生の条件も大きく緩和されている。右手に食われるなんてこともない。ここまで完璧な不老不死を作り出すとは、蓬莱の薬、そして月の薬師恐るべし。対して俺は、「生き返る程度の能力」の名の通り、死なない程度の傷には何の効果も発揮しない。一回心臓でも抉った方が回復は早いだろう。

「抉ってあげようか?」

「やめてくれ」

 そんなことをすればここはすぐにでも阿鼻叫喚の地獄絵図と化す。俺も生き返るとわかっていても殺されるのは怖い。

「殺され慣れといた方がいいと思うんだけどなあ」

「いいか、普通の人間には命は一つしかない。俺だって慣れるためだけに空費したいとは思わない」

「絶対あっちで失うことになるから変わらないと思うけど」

「だったら先延ばすさ。先延ばしは人間の特権だからな」

 ジュースのおかわりを頼みに手を上げる。俺はどうやら倹約家だったようで、社会人二年目とは思えないほどの金額が口座に残っていた。大学の頃のバイトが基本収入だったが、そういえば何か明確な理由が有ってバイトをしていたわけでもなし。無駄に貯まるのは自明の理であった。だから、懐を気にする必要もない。

 注がれたマンゴージュースを揺らすと、水よりもややとろみを持って動く。これが旨いんだこれが。

「随分お気に入りなのね」

「今時珍しい掘り出し物だよ」

 幻想郷で飲む可能性も低いしな。飲めるときに飲んでおこう。

 未だに昼前、閉園が六時だからまだまだ遊ぶには時間がある。バイキングにフリーフォール、メリーゴーランドにコーヒーカップと乗ってないアトラクションも盛り沢山だ。三杯目のお代わりには若干後ろ髪を引かれながらも、ナフキンで口を吹いて立ち上がる。

「さて妹紅、次はどこへ行こうか」

「腕は大丈夫なの?」

「このくらいなら最初から問題ないさ。さっ、早く決めないと回る時間が無くなるぞ?」

「うぇ!? えーと、あの船乗りたい!」

 そういって指さされたのはいわゆるバイキングと呼ばれる奴だ。確かに見た目は船だな。というかコンセプトが船か。どちらかといえばこれも絶叫系で、妹紅はその手のものが好きみたいだ。ゾンビは怖がったくせに。

「そうと決まれば早速行くか」

 支払いを済ませるべく、俺はもう一度店員を呼ぶことにした。

 

 

「はしゃぎ過ぎたか」

 閉園の鐘が鳴る黄昏時、引け目を感じるお化け屋敷以外の全アトラクションをはしごし、さらに三回ほどジェットコースターに乗り直したところで妹紅は疲れてしまったのか、安らかな寝息を立てている。起こすのもかわいそうだし、若干の下心もあっておんぶした状態で家路を辿っているのだが、いかんせん足腰が辛い。電車に乗るわけにもいかず、三駅というのは歩くには少々長い。これでもまだ、行きの時ならば余裕を持っていけただろうが、既に体力いっぱい遊園地内を歩き回った後だ。これならアウトドアの趣味でも持っとけばよかった。

「私が家まで運んであげましょうか?」

「いえいえ結構こちらの都合ですので」

 反射的に応対してから首をひねる。俺はいったい誰に声をかけられたんだ?

「あら、驚きはしないのね。少し悲しいわ」

 いつの間にか隣に美女が並んでいた。金色の髪に紫の瞳。日本らしからぬドレスを身にまとったその女性は、どこか幼げな部分もあるにしろ、大人のお姉さんと言って概ね差し支えない。

「驚いてますよ」

 これは本心だった。どこからか隣に人が現れて、驚かない筈がない。アドレナリンの分泌かなんかでちょっと麻痺しているだけだ。

 気が付けば人通りは無かった。俺と妹紅が初めて会ったときみたいに何らかの細工をしているのか。極道の偉い人なら能力なんか使わなくてもできるのだから、妖怪にとっては難しいことでもないのだろう。

「それで、俺に何か用ですか。八雲紫さん?」

「あら、藤原妹紅から私のことを聞いたのかしら。あと敬語じゃなくて構わないわよ」

「それじゃあ遠慮なく。半分は妹紅から聞いたけど、外見的な特徴については一つしか聞いてない」

「特徴?」

「一目で分かるほどに胡散臭い」

 聞いた時には理解できなかったが、こうして相対するとよく分かる。雰囲気も言葉遣いも声音も見た目も、胡散臭いという言葉で構成されているかのようだ。理由を言葉にすることもできない。説明するならば、百聞は一見に如かずと俺は言うだろう。それほどに鮮烈で、優美で、そして曖昧だった。

「随分と酷い言われようね」

「言い得て妙だと思うけどな」

 紫は気に入らなかったのか、少しムッとして差していた日傘を回す。もう日も沈むのに御苦労なことだ。そんなこと俺には関係なけどな。

「それで、何用か聞いたはずだけど」

「別に、歓迎する前に顔だけでも見ておこうかと思っただけよ。若丘八房という、幻想郷に来ようなんて酔狂な人間を」

「フルネームで呼ばれたのは大学の卒業式以来だ。それに、アンタは分かっていて妹紅を俺と引き合わせたんじゃないのか?」

「それは少し違うわね」

 日傘はもう必要ないと判断して畳み、代わりに扇子を口元に当てる。この動作が胡散臭さを倍増させている一因なのは考えるまでもない。

「とある吸血鬼の言葉を借りるならば、貴方と藤原妹紅は出会う運命だったのよ」

 私はそれを邪魔しなかっただけ、と紫は言う。つまり、あの時に俺が助けようとしなくても、いやそれ以前に妹紅がこちら側に来なかったとしても俺は彼女に出会っていたのか。たぶん嘘は言っていない。疑いたくなる気持ちで一杯にはなるけど、そんなことをしたって相手には何の得もないのだ。だったら信じた方がお互いのためになる。

「なるほど」

「案外すんなり納得するのね」

「駄々をこねても仕方が無い」

 日はすっかり落ち、妖怪の生きる夜の時間になる。紫に食われるかもしれないと思ったが、こちとら死なないだけの一般人。幻想郷屈指の大妖怪に抵抗しても無駄なので、もしそうなったら諦めるとしよう。

 何故か紫はずっと俺の隣を歩き続けている。取って食おうって雰囲気じゃないし、俺が家に帰るのを待つなら家に先に行って待っていればいい。先程から他愛もない会話ばかりを続けることに何の意味があるのだろう。少なくとも俺は、妹紅からじゃよくわからなかった幻想郷のことをより知ることができたのだから収穫はあったと言える。しかし、俺よりもはるかに長く生きている相手にメリットはない。なんてことも考えたが、正体がなんだったところで俺には関係ないし、どうせ答えに行き着かないこともわかっていたので、素知らぬ顔をして世間話を続ける。

「じゃあ、賢者様から俺はどう見える?」

「そうねえ、一言で言えば面白い、かしらね」

 それはちょっと不名誉な感想だ。

「褒め言葉よ。断言できるわ。貴方なら幻想郷に渡っても上手くやって行ける」

「それはどうも」

 あと数百メートル程で家に着こうかというとき、紫は唐突に時間が押していると言って去っていった。その直後に妹紅の目が覚めたのは決して偶然などではないのだろう。妹紅と話すのが面倒で逃げたに違いない。家に着いてシャワーを浴び、ビールを飲みながら、紫の想定していたよりも人間らしい行動原理に苦笑していると、同じように体を洗って出て来た妹紅が奇妙なものを見る目つきで首を傾げていた。

「何かあったの?」

「いいや何も」

 紫に会ったことはしばらく秘密にしておこう。驚いたリアクションはさぞ可愛らしいものだろうと、酔った影響か少しにやけている顔をビールを飲むことで誤魔化した。

 



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閑話:八雲紫から見た不死人

テンション上がって連日投稿。ついでに八房以外の視点にも挑戦。
この番外編の次から幻想入りします。


 最初は本当に会うだけのつもりだった。隣に現れて少しだけ驚かせて、反応を楽しむだけ楽しんだら、会話することもなくすぐに帰るつもりだった。

「あら、驚きはしないのね。少し悲しいわ」

「驚いていますよ」

 だけど目の前の男は驚かなかった。正確に言えば彼は嘘をついていたのではない。彼自身は本当に驚いていたのだ。「隣に人が居たこと」に対して。いったい誰だという問いも、どこからやってきたのかという疑問も、どうやって近付いたという恐怖もない。平穏な日常にあるありふれた驚きしか感じていなかったのだ。私は初めて会った時に同じような反応をした人間を知っている。いや、彼女の場合は驚きすら感じていなかったようだけれど。それともう一人、全くの無反応を決め込んだ妖怪も居たかしら。でもそのことは今関係ない。

 若丘八房、少し過去を遡れば面白い記録もあるものの、能力にさえ目を瞑れば至って普通の人間だ。人間が本来所有している微量の気を除けば、妖力も魔力も神通力も持ち合わせていない。典型的であると言っても問題ないほどの外界人。

 成程、レミリアもなかなか面白い運命を見せてくれる物だわ。心躍る感覚が湧き起こった。元々若丘八房などという取るに足らない人間の名前なんて知るはずもない。それでも私が知っていたのはあの生意気な吸血鬼がわざわざ私にコンタクトを取りに来たからだ。

 レミリア・スカーレット。彼女の「運命を操る程度の能力」がいったいどのようなものなのかは私でもわからない。ただいきなり呼び出して、若丘八房という人間に注意しろ。近々藤原妹紅と出会うはずだ、と言い放っただけなのである。しかして現実はそうなった。結界に穴はなかったのに藤原妹紅は幻想郷を抜け出し、本人にその自覚なかったとしても、目の前の男に会いに行ったのだから。

「それで、俺に何か用ですか。八雲紫さん?」

 一応突然現れた私に対して警戒はしているようだ。ここに来て危機感の一つも感じないのならば、冷静を通り越してただの阿呆でしかない。しかし私の名前を知っているとは。理由は一つしかない。

「あら、藤原妹紅から私のことを聞いたのかしら。あと敬語じゃなくて構わないわよ」

「それじゃあ遠慮なく」

 緊張していた空気が弛緩する。相手からの了承があるまで敬語を続けているのだから彼女達よりは良心的だ。しかし、やはりよく似ている。何処が、と言えば生き方がとしか答えられないのだけれど。

「半分は妹紅から聞いたけど、外見的な特徴については一つしか聞いてない」

「特徴?」

「一目で分かるほどに胡散臭い」

 また随分とストレートに来られたものだ。胡散臭さについては自覚しているし、むしろそう思われるように振舞っているのだから当たり前のことだ。嘘をつかぬと信用されるのは鬼くらいでいい。幻想郷の管理者として、信じられぬ恐れられる妖怪でなければならない。幻想郷において私より信用できぬものは数多く居ても、私より胡散臭い奴は片手で数えるほどもいない。って自慢するところではないわね。

「随分と酷い言われようね」

「言い得て妙だと思うけどな」

 悲しむ振りをしてみせたがこの男、思ったよりも口が悪い。顔色を窺わなくてもいいと判断したのだろうか。流石にここまでばっさりと言われてしまうと私だって気分の良いものではない。言葉にするのは負けた気がするので、不満さを傘を回すことで表現すると相手もすぐにそれを察した。それを悟らせた上で無視するのだから質が悪い。

「それで、何用か聞いたはずだけど」

「別に、歓迎する前に顔だけでも見ておこうかと思っただけよ。若丘八房という、幻想郷に来ようなんて酔狂な人間を」

 最後にはわざとキツめに言った。もちろん言い得て妙だと言われたことへの仕返しだ。自分の事を酔狂などと言われたくらいで怒るような人間ではないと思っていたが、返答は思わぬところから始まった。

「フルネームで呼ばれたのは大学の卒業式以来だ」

 気にするところはそこなのかしら、と口を挟みたくなったが咄嗟に我慢する。無視されることは想定していたが、気付かれないなんてことは思っていなかった。ああ、この男は自分が酔狂だと自覚しているのだとなんとなくわかった。外の世界で死にながら生きているのだから狂っていなければ生きていけないのかもしれない。だとするならば難儀な生き方だ。きっと幻想郷の方が気楽に暮らせることだろう。

「それに、アンタは分かっていて妹紅を俺と引き合わせたんじゃないのか?」

「それは少し違うわね」

 彼の次なる問には即答。回し続けるのも疲れたし、さしていた日傘を畳み、代わりにスキマから扇子を取り出して口元を隠す。言われてしまったのであえて胡散臭さは上げていく。

 私がわざわざ他人と他人を引き合わせるなんて真似をする筈がない。貴方と藤原妹紅が出会ったのは、あの小生意気な吸血鬼によれば運命。たとえ如何なる手段を使おうとも変わらない事実。

「私はそれを邪魔しなかっただけ」

 八房は言葉の真偽を確かめるために随分と長い間私の顔を見つめていた。扇子で顔の半分を隠していたから表情を読むのに苦労しているようだ。しばらく睨みつけてきて、私の言葉に偽りのないことを理解して溜息をつく。

「なるほど」

「案外すんなり納得するのね」

「駄々をこねても仕方が無い」

 たとえ嘘だったとしてもそれを証明することは困難である。懸命にもそれを悟ったらしい。だったら信じておいた方が都合が良い。実に理に適った判断だ。この辺りは彼女とは大きく違うところかもしれない。あの子なら「退治すればわかる」とか言って御札を投げてくるでしょうから。

 自分の体が軽くなるような感覚。私が声をかけた時にはまだ日も明るかったというのに、いつの間にやら星が夜空を瞬く時刻になっていた。それだけ私が八房との会話に夢中になっていたのだろう。妖怪をして面白いと思わせるとは、本当に酔狂な人間だ。

 私はもうしばらく帰るつもりはなかった。八房は私が帰らないことに困惑していたが、なんてことはない。もう少し話していたくなっただけだ。私は管理者から見た幻想郷の話、霊夢がぐうたらで困るとか、橙が相変わらず藍の言うことを聞かないだとか、その程度の他愛ない話だ。妹紅から詳しい説明を受けられなかった彼のために幻想郷の地域についても説明した。代わりに八房からは今日までの妹紅の様子を聞いたりもした。生死の境界も無くし、虚無主義にでもなっていたかと思ったが、話を聞けばまだ中身は少女真っ盛りのよう。彼女をからかうネタが増えたのは大きな収穫だ。なんてことを考えていると冷めた目で見られていた。

「じゃあ、賢者様から俺はどう見える?」

 八房からそんな言葉が飛び出したのは、お互い話のタネが無くなって自分の話でもしようかとなったときだ。ちなみに私がどう見えるか聞いたらば「胡散臭い」の一言で一蹴。酷い話だ。

「そうねえ、一言で言えば面白い、かしらね」

 彼は多分誰とでも上手くやっていける。幻想郷でも数少ない個性。それは他に混じることができるということ。どうしても我の強いのが集まってしまう幻想郷では彼のように他に合わせるなんて出来る者は少ない。霊夢とはまた違った解釈で幻想郷の理念を体現しているようにも見える。

 純粋な感想なのだが、どうやらお気に召さなかったようだ。唇をとがらせるのがわかる。普通は大の男がやっても可愛くないが、これはこれで愛嬌があった。思わず笑ってしまい、ついでにフォローも入れておく。

「褒め言葉よ。断言できるわ。貴方なら幻想郷に渡っても上手くやって行ける」

「それはどうも」

 納得はしていないが、言い返す言葉もない。そんな感じだ。残念なことにフォローだと受け取ってもらえなかったらしい。

 んん、と色っぽい寝息を立てながら、八房の背中で藤原妹紅が身じろぎした。それなりに長く寝ていたし、そろそろ目が覚める頃合だろう。別に男におんぶされている姿をからかってもいいのだけれど、彼女を怒らせたりして、間違って弾幕でも使われたら困る。気付かれないうちに早々にお暇してしまおう。

 八房に別れを告げて、スキマの中に潜り込む。幾つもの目がのぞき込む様は我ながら悪趣味だ。中を少し歩けばすぐに私の家に着く。冬眠から覚めてまだ十日ほどしか経っていないし、元気は有り余っている。

「お帰りなさいませ、紫様」

 藍が恭しく礼をする。癖なのだろうが、この時の他人行儀な喋り方が直らない。

「ご無事でなによりです」

「やあねぇ、私が外の世界で怪我でもすると思っているのかしら」

「いえ、そういうわけでは御座いませんが」

 私の気に障ったと感じた藍が慌てて訂正する。私はもっとフレンドリーに接してくれてもいいのだけれど、堅物なままでも面白い。だからしばらくからかっていると、藍が首を傾げた。

「紫様、なんだか今日はご機嫌ですね」

「あら、わかる?」

「ええ、ここまで楽しそうな紫様は久しぶりです。レミリア・スカーレットの言っていた男はそれほど興味深いのですか?」

「そうねえ、似ているのよ」

「似ている? 誰に?」

「霊夢によ」

 人も妖も分け隔てなく接する霊夢。他者を受け入れるという生き方は容易にできるものではない。全て受け入れ、篩い落すことのない彼の性格は幻想郷の面々も気に入ることだろう。結果、むしろ散々な目に遭う気もするが、それも含めて幻想郷というものだ。正しい世界で酔い狂っている彼ならすぐに馴染める。宴会をする時が楽しみだ。

 それにしても気分がいい。これも実は八房の持っている能力なのか。そんな筈は無いのだけれど、こんな気持ちになったのは久しぶりで、不思議だ。まあ、それもどうでもいいか。

「ねえ藍。まだ眠くもないし、どうしましょう」

 わざとらしく聞いてはみるが、何をするかは既に考えついていた。藍が何が言いかける前に、手を叩く。

「そうだわ、弾幕ごっこをしましょう。藍、久しぶりに相手しなさい」

「・・・・・・本気ですか」

 藍の呆れ声が聞こえる。確かに主と式神が戦うのだから勝敗は既に決まっているようなものだ。従者は主に逆らえない。

「私はいつだって本気よ」

 本気で言っているから質が悪い、とでも言いたげな顔だ。これで苛めるのもいいが、やはり体を動かしたくて仕方が無い。

「じゃあこうしましょう。八雲紫が命ずる、私との弾幕ごっこで全力を出しなさい」

 私が命じた途端、藍の妖気が濃く鋭くなる。式神は命令によって力を上げることができる。つまり、今私と戦う場合に限り全力以上を出せるのだ。ここまでやるか、藍が驚愕の表情を見せる。そして観念して溜息をついた。

「わかりましたよ、やればいいんでしょう。命令されましたし、加減しませんよ」

「あら、誰に向かって口を聞いているのかしら。私は八雲紫よ」

 あからさまな挑発にあえて乗ってあげる。

 家から外に出て、周りに被害が出ないよう空の上に行くと、私の小手調べから弾幕ごっこが始まった。強化された藍はけして楽な相手ではないが、格上というわけでもない。一番楽しめるくらいの強さだ。現にお互い紙一重で弾幕を避けている。

「境符『四重結界』」

「式神『十二神将の宴』」

 宣言されたスペルカードは以前よりも更に密度の高いものになっていた。藍もなかなか出来るようになったじゃない。それでいい、すぐに終わってしまってはつまらないわ。まだまだ夜は降りてきたばかり。日が昇るまでは思う存分体を動かすとしよう。

 

 



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不死人の幻想入り
ぶらり自由落下の旅


幻想入り初日のお話。別に紫さんは関係ないです。


「ここが、幻想郷」

 目の前に広がる景色に感嘆する。排気ガスに包まれた現代で見るのは難しい、あるがままの自然がそこにはあった。紫の力で森の中へ転送され、妹紅と二人でどうにか抜けたところ、そこは幻想郷の大半を見下ろせる高台になっていた。そびえ立つ山、活気のありそうな村に外れた場所にある神社。風景画みたいに綺麗な場所だ。話では聞いていても実際に見るのとは訳が違う。

 幻想入り(幻想郷に来ることをこう言うのだそうだ)した後は、一旦妹紅の家に行くことになっていた。誰も知り合いの居ない俺のために、しばらくはそちらに泊めてもらうことになっていて、荷物を置かなければならないからだ。荷物といっても嵩張るのは衣服くらいで持ち歩いても問題はない程度の量なのだが、ここは妹紅の提案に甘えておこう。

「じゃあ行こっか」

「おう・・・・・・って俺は空飛べねえぞ」

 余りにも自然な動作で浮くものだから流されそうになったが、ここから降りるのは無理だ。俺じゃあ落ちて地面とぶつかって良くて大怪我悪けりゃ以下略。命が幾つあっても足りない。

「頑張れば」

「いけない」

「能力は持ってるのになあ」

 能力を持っているからといって全員が飛べると思ってはいけない。特に俺なんかは不死身なだけの一般人で、喧嘩だってろくに勝てないのだから。仮に飛ぶだけの力があったとして、ぶっつけ本番で成功するとも思えないし、やる勇気もない。仕方なくても歩いていこう。

「でもなあ」

「そんなに歩くのが嫌か」

「嫌っていうか面倒臭いっていうか・・・・・・」

 世間ではそれを嫌がっていると言う。普段が飛び回っているから歩くのが嫌なのか、でもあっちでは嬉々として歩いていたし、そういうわけではないと思う。実際俺よりも足腰強いし。もしかしてここから妹紅の家まで遠いんだろうか。だったら気持ちは分からないでもないが。

「そうだ!」

 あ、なんか背筋に寒気が走った。妹紅は悪戯を思いついた子供の表情で手を握った。その手は女の子らしく柔らかいものだ、ってそうじゃない。今の俺にそちらに気を向ける余裕はあんまりない。

「私が連れていけばいいじゃない!」

 妹紅はとんでもない膂力で俺を引っ張って、高台から飛び降りる。そしてそのまま急上昇、俺をぶら下げた状態で飛び始めた。確かに飛べない俺を連れていくには妙案かもしれないが、もう少しこっちのことも考えろ。腕にかかる負担がすごい。ジェットコースター並の速さだし脱臼しそう。

「まっ、ちょ、もっとゆっくり」

「大丈夫もうちょっとで着くから」

「そういう問題じゃねえ」

 あとお前が掴んでる腕火傷してるから。まだ治りきってないから。そんなことお構いなしか、スピードが緩められるようには思えない。動転していた心が落ち着くと風の心地良さを感じるほどの余裕が出てきてしまうのは俺が馬鹿だからか。或いは受け入れてしまって楽になったからか。反対の手ではしっかり荷物を掴んでいた。よく落とさなかったものだと自分でも思う。タブレットが中に入っているからその執念は凄まじいものだ。自分の事だけれど。

 そうしてしばらく振り回されていると、速度がどんどんとゆっくりになり始める。俺のことを気にかけてくれた、というわけではなさそうだ。目的地に到着するのだろう。吊るされてた俺が先に着地して、妹紅が手を離して前に降りる。目の前にあるこのボロ屋が妹紅の家なのだろう。周りには大量の竹が生えている。竹の成長は早いというし、この量では迷い込んでしまったら出られそうにない。迷いの竹林とはよく言ったものだ。しばらくは妹紅から離れられないな、下心とか抜きにして外に出られる気も外から入れる気もしない。

「ここが私の家」

「掃除くらいはした方がいいんじゃないか」

 空き家か幽霊住みの廃屋にしか見えないぞ。立地は本人の自由だが屋内環境が悪いのは衛生的に悪い、って不老不死に言ってもあんまり意味はないか。病にもかからないという話だし。そもそも幻想郷というのはせいぜいが明治時代だ。衛生観念というのは推して知るべしなのかもしれない。

「寝る時くらいにしか使わないから問題ない」

「寝る時って。普段は何やってるんだ」

「この竹林案内してるか里で慧音と話してるか輝夜をぶっ殺しに行ってるか」

「さらっと物騒な単語が出るな」

 輝夜というのは竹取物語にもなっているなよ竹のかぐや姫のことなんだろうな。物語がほぼ真実なのも驚きだが、そんな傾城傾国の美女がこんなとこにいるという事実が一番驚きだ。あまつさえ不老不死で、妹紅と血を血で洗う戦いをしているなんて。本当は怖い日本昔話でも書けるんじゃないだろうか。

 蜘蛛が巣を張っている様な有様だが、今日のところは我慢するしかない。適当なところに荷物だけ置いてすぐに出る。今から掃除なんて気分じゃない。それに、今日の予定は来る前に妹紅と話して決めていた。

「それじゃあ博麗神社に行ってみようか」

 幻想郷を外の世界と断絶させる博麗大結界を守る巫女のいる神社。いきなり妖怪と会うのはさすがに心の準備が足りない。というか出来れば人間の方と仲良くしておきたい。人里とも迷ったが、俺がこっちにしようと決めた。けして巫女って単語に惹かれた訳ではない。

「手は離さないでよ」

 その警句は一番最初に言うもんだ。二度目のフライトは俺が腹くくっていたのもあって、怖さは感じなかった。相変わらず掴まれた腕は痛いが、風を感じていればそれ程苦にならない。風景を見る余裕も出来てきた。前方やや遠くに見える赤鳥居が博麗神社だろう。その奥には霧が立ち込めていてよく見えないが、湖のようなものと、霞がかってもなおはっきりと見ることのできる赤い館がある。あれが紅魔館なのだろう。俺と妹紅の出会いを予言した吸血鬼の根城。ちょっと空を見ればたぶん弾幕ごっこをであろう撃ち合いをやっている二人組も居る。遠いから良く見えないが二人とも金髪だ。外人さんだろうか。幻想郷はるつぼみたいな物だと紫は言っていた。一昔前は蠱毒だったというから平和になったんだろう。弾幕ごっこはここから見ても綺麗さがなんとなく分かる。

 しかし、本当に風が気持ちいい。目を閉じれば聞こえるのは澄んだ音。刺々しい心が癒されていく。まるで空に浮かんでいるみたいな、そんな感覚。

 ・・・・・・・・・・・・?

 いつのまにか腕の痛みが消えている。代わりに横殴りに吹き飛ばされるような、いや正に吹き飛ばされている。目を開くと俺の方に向かって手を伸ばしている妹紅の姿が見えた。事態に頭がついていかないけど、どうやら妹紅と手を離してしまったらしい。急いで元に戻らないと。

「あっ」

 妹紅と俺の間に極太のレーザーが差し込まれたことで、届かないことを確信する。誰か知らないけど、厄介なことをしてくれたものだ。衝撃に煽られて俺の体がさらに勢い付けて飛ぶ。これじゃあまるで濡れ雑巾みたいだな。飛び降り自殺した時よりも高いや。つまりどうあがいても絶望。助からない。いや生き返るけど。

「やっぱり命が幾つあっても足りない」

 死に慣れといた方が良かったかな。一昨日の妹紅との会話を思い返して後悔しながら俺は目を閉じた。

 

 

 時刻は午後三時。お嬢様が午後のティータイムを楽しんでいらっしゃる時に「それ」は落ちてきた。突如鳴り響く爆音と衝撃にお嬢様の顔が目に見えて不機嫌になる。

「咲夜、今のは何かしら」

「おそらくは、空から何か落ちてきたのかと」

「そんなことは分かってるわよ」

 お嬢様は口を尖らせる。何が落ちてきたのか知りたいのだろう。残念ながら私にも何が落ちてきたのかは分からない。音と衝撃の大きさからしてそれなりの質量を持った物体ということは確かなのだけれど。

「調べてまいります」

 お嬢様を待たせてはならない。許可を得ると同時に能力を発動して、屋敷の外を目指す。走っていきたいが、メイドとしてそんなはしたない真似は出来ない。逸る気持ちを抑えながら、私は元凶があると思われる紅魔館の裏に辿り着いた。そこでは倒れた人型の物体を見慣れた顔が覗き込んでいる。周囲の地面の状況から鑑みて、この男が落下物の正体で間違いないだろう。能力を解除し、後ろから話しかける。

「どうかしたのかしら、美鈴」

「あっ、咲夜さん」

 私の声に気付いた門番の紅美鈴が、いつも通りのどこか抜けた呑気な声で返す。こちらに門はないのだけれど、仕事を放置するとはいい度胸ね。なんて、あれだけの音がすれば来るのも当たり前のことか。紅魔館を守ることが彼女の仕事なのだから、有事の時には門からも離れるだろう。

「いやぁさっき凄い音したじゃないですか。だから何かなあって」

「で、それが原因なわけ?」

「んー、たぶん?」

「歯切りが悪いわね」

 美鈴ははっきりしない態度のまま考え込む。いったいどうしたのだろうと同じように顔を覗き込むと、どうして美鈴が判断に迷ったのかがすぐにわかった。

「人間?」

「だと思いますよ」

 人里の人間が着る和服とはまったく違う、どちらかといえば西洋風の服を着た若い男だ。妖力や魔力の類は感じないので、もしかしたら外の世界からの迷い人かもしれない。そこまでは別にいい。迷い人は珍しくとも居ないわけではないし、妖怪に襲われて高いところから落とされる可能性も十分にある。しかし、目の前にいるのが人間だとはにわかに信じられなかった。

「不思議ですよね。生きているんですよ、この人」

 美鈴が私が抱いたのと同じ疑問を口にした。へこんだ地面に塀にも衝撃波の跡が残っている。この惨状では、妖怪でも生きているか怪しいレベルだ。人間なんて原型を残しているかすら危うい。だというのに、目の前の男には傷一つ付いていない。一瞬頭に思い浮かんだのは永遠亭の蓬莱人達。彼女達の力をもってすればこの光景を作るのもそう難しいことではないだろう。

「ちょっと失礼しますね」

 聞こえてはいないだろうが一応断ってから、ナイフで腕を少し斬る。血管までは達していないから出てくる血も滲む程度だ。治る気配もない。つまり蓬莱人でもない。ついでに言えばナイフ一つで簡単に傷つけられる体であることもわかった。天人でもないそんな柔な体で落下の衝撃に耐えられるというのは無理があるし、どう考えても、一度死んでから生き返ったとしか考えられない。蓬莱人でもない、妖や神の力があるわけでもない、ただの人間が輪廻を壊すほどの能力を持っているとでも言うのだろうか。

 美鈴も深刻そうな顔で悩んでいる。ここまで真面目な顔の美鈴は見たことがない。いつもそんな表情をしていれば門番としての風格も付くだろうに。風格なんてものがついても、それはそれで美鈴らしくないので別に構わないけど。

「咲夜さん」

「何かしら」

「私の予想なんですけど。一度お嬢様に見せた方がいいと思います」

 確かに私達で結論を出すことは難しい。それならば、ここで二人で悩んでいるよりは主たるお嬢様の判断を仰いだ方がいいかもしれない。美鈴の意見はもっともだ。

「分かったわ。これは私の方から見せておくから貴女は門番業務に戻りなさい」

「はーい」

 男を肩で担ぐとやはり重い。心臓の鼓動も聞こえるし、いたって健康体で、気味が悪い。もう一度時を止めて、お嬢様のところに戻ると、不思議なことにカップをテーブルに置いたまま、私を待っていたかのように椅子を廊下側に向かせて座っていた。不機嫌そうだったさっきとは打って変わって楽しそうな顔だ。

「ただいま戻りました」

「それで、それが原因?」

「はい。人間ですが、何故かまだ息があります」

「へえ」

 お嬢様が口角を吊り上げた。紅霧異変や月へ行った時と同じ、心から楽しそうな笑顔。隠そうとしているのにまったく隠せていない顔。

「そいつは目覚めるまで何処か空き部屋にでも放り込んでおきなさい」

「畏まりました」

 放り出せとも八つ裂きにしろとも言わない、むしろ客人として歓迎するつもりだ。この男の何処に気に入る要素があったのだろうか。単純に落ちても死なない人間を面白いと思っただけなのか。

「ふふ、ねえ咲夜」

「なんでしょうか」

「やっぱり運命というのは面白いものだわ。こんなにも愉快な鍵を私にもたらしたのだから」

 お嬢様には、この男がいったい何者なのか分かっているらしい。運命の鍵。何の比喩だろうか。お嬢様の考えていることは私には分からない。意味のあることなのか、それともただ口から出任せなのか。それでも、私はその言葉を信じていた。それは一度救われたから。その尊大な物言いに私の人生は変わったから。

 そして何より、主の言葉を疑うなんて従者として失格でしょう?



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ようこそ紅魔館へ

東方二次創作の華、弾幕ごっこに挑戦してみました(書いたとは言っていない)


 迂闊だった。自分の間抜けさに反吐が出る。ヤツフサは死にはしないだろうけど、変な輩に絡まれればもっと酷い目に遭うかもしれない。そもそも文があんな速さで目の前を通り過ぎなければ、あいつを手放すこともなかったのだ。あの烏天狗今度出会ったら焼き鳥にしてやろう。だけど今はその前に、面倒臭い奴を相手にしなければならない。

「あーっ、と。なんつーか悪かった?」

 なんて言いながらほとんど悪びれてないのは、さっきまで宵闇妖怪と弾幕ごっこをしていた霧雨魔理沙だ。白黒の魔法使い衣装に箒に跨ったその姿は見間違えようがない。

 一応、間に割って入ったマスタースパークは流れ弾のようだが、はいそうですかと快く許せるのなら私はすぐにでもヤツフサを探しに行っているだろう。だけど今は出来ない。理由は、目の前の魔法使いがやる気満々だから、不幸に不幸が重なってこっちもイライラしているから、こんな状態でヤツフサに会えば傷つけてしまうかもしれないから。臨戦態勢を取ると、魔理沙もミニ八卦炉を構える。

「アンタと弾幕ごっこするのは随分と久しぶりだな。あの肝試しのとき以来か」

「そうね。でも悪いけど、即効で終わらせる!」

「おいおい、私が先に言おうしてたこと言うなよ。何をそんな慌ててるんだ?」

「アンタには関係ないわ」

「ふうん、蓬莱人が慌てるほどのもの。きっととんでもないお宝だな!」

 魔理沙が星の形をした弾幕を飛ばす。当てることは狙ってない、ばら撒いて足を止めさせるための弾幕。こちらも弾幕を張って応戦するが、

「初めっから全力で行くぜ。恋符『マスタースパーク』!」

 ミニ八卦炉を両手で押さえて構え、星の弾幕によって誘導された私の方を向いて魔理沙が高らかに宣言する。魔理沙の十八番であり、私とヤツフサを分断したスペルカード。極太の熱と光の奔流が私に向かって放たれる。完全に避けられそうな空間はない。どこへ動いても必ず掠り傷は負うように星型の弾幕は計算されていた。前に戦った時よりも随分強くなっているらしい。だけど、こちらも手を抜いている暇はない。避けることを諦めて、反対に放たれたレーザーに飛び込む。自分の体が飲み込まれて視界が消える。

「なんか呆気なく終わっちまったな。それだけ私が強くなったってこと・・・・・・」

 違和感に気付いたらしい魔理沙が動こうとするのが分かる。だけど遅い。私はむりやり遡ったマスタースパークから飛び出して体当たりする。『パゼストバイフェニックス』の応用。魔理沙のスペルカードも参考にした即興の大技。直撃こそしなかったが、魔理沙の体勢は大きく崩れ、落下しそうになるのを持ち直した。まだやるというのなら容赦はしない。

「やってくれるぜ! だったらこっちはこれだ!」

 今度は別のスペルカードを宣言した魔理沙の周囲に五つの光球が浮かび、それぞれからレーザーが不規則に動きながら発射される。さっきのマスタースパークとの大きさは比べるまでもないが、五つ全てに気を付けなければならないのは少し骨が折れる。

 恋符『ノンディレクショナルレーザー』。マスタースパーク程のド派手さや火力は無いけれど、魔理沙の視界が開けるせいで同じ手は使えない。面倒臭さはこっちの方が上かもしれないわね。だけど、変に反撃を狙わなければ避けるのは簡単だけれど。

「これで終わりと思うなよ!」

「増えた!?」

 光球が更に二つに分裂する。それに伴ってレーザーの量も倍に増えた。更に星型の弾幕も撒き散らして密度が一気に高くなる。前言撤回しよう。これは本気にならないと避けれない。隙を狙うどころか当たらないようにするだけで精一杯になる。

「くっ!」

 死角から星弾がぶつかってくる。レーザーに挟まれて、上手く身動きが取れない。このままでは押し切られる。こっちもスペルカードを宣言した。

「『インペリシャブルシューティング』」

 自分の体が燃えて灰になり、残った魂を限りなく自然に近づけることで相手の弾幕をすり抜ける。そして、魂だけの状態を保ったまま一方的に相手に撃つ。私のスペルカードの中でも最高峰のカードで、出来れば普段は使いたくないカードだ。一歩間違えれば自然に吸収されて脱出が酷く面倒になるし、何よりこっちから一方的に攻撃するなんて弾幕ごっことして美しくない。

「うわっ、ちょっと!」

 魔理沙はそれを見るやすぐにスペルカードの発動を中止して回避に専念し始める。そういえば初めて会った時に、夢想天生を使ってきた霊夢に対しても使ったっけ。魔理沙はその時に見ていたから覚えていたのだろう。だからといってそう簡単に攻略できるものじゃない。絶えず迫ってくる弾幕に目に見え動きが鈍くなっていく。

「す、ストップ! 待った! 降参!」

 撃とうとしていた弾幕を直前で掻き消す。避け疲れて肩で息をしている魔理沙にもう続行の意思はないようだった。体を元に戻して、魔理沙のとこまで降りていく。

「いきなり容赦が無さすぎるぜ。弾幕すり抜けて突撃とかありかよ」 

「こっちには時間がないの、ヤツフサを早く探さないと」

「ヤツフサ? ペットの名前か?」

 魔理沙が首を傾げる。そういえば私と八雲紫以外はまだヤツフサのことを知らないんだっけ。

「違うわよ。知り合い、さっき落ちていった」

「こっから? うへぇ、ミンチよりひでえや」

「生きていることは確かだから問題ないわ」

 問題は何処に居るのか分からないこと。この広い幻想郷じゃ手掛かりも無しに見つけることはほぼ不可能だ。それが出来そうな人間を私は一人しか知らない。

「博麗神社に行くなら付いてくぜ。どうせ私も寄るつもりだったしな」

「まだ何も言ってないわよ」

「落ちたって言っても、何処にいるのか見当もつかないんだろ? 私なら霊夢のとこに行くね」

 私と魔理沙で考えることはほとんど同じらしい。霊夢の勘は当たる。協力を漕ぎ着ければ格段に見つかる確率は高くなる。

「そうと決まれば善は急げだ!」

「本泥棒が良く言うわね」

「私は借りてるだけだぜ?」

 ここまで清々しく開き直られると、返す言葉もなくなる。私はそもそも本を持っていないから被害に遭ったことはないけど、紅魔館の司書なんかは可哀想だ。

 魔理沙は既に博麗神社の方へと箒を向けている。早くヤツフサを見つけないといけないな、と思いながら私も神社に向かって飛んだ。

 

 

 どうやらベッドの上に寝かされているらしい。腕の火傷が消えているということは、あの高さから落ちてしっかり死んでたみたいだ。で、復活して目が覚めない内に保護或いは誘拐されたと考えるのが妥当だろう。この待遇ならたぶん前者。部屋には俺以外だれも居ないが、拘束されているわけではないし。周りの調度品とかは結構高そうだから、金持ちが気紛れに助けてくれたといったところか。

「あら、お目覚めになりましたか」

 勝手に外に出るのも危ないし、起き上がったままぼうっとしていたら、丁寧に三回ノックされてドアが開いた。妹紅よりも銀色っぽい髪の女の子だ。メイド服を来ているってことはここの家主に仕えているのだろう。スカートが短いのは主人の趣味だろうか。長い派の俺とは趣味が合わなさそうだ。

「ええ、ここは?」

「お嬢様から貴方が目覚めたらお連れするようにと命じられています。この屋敷もお嬢様が自ら説明すると仰っています」

 フリーのホラーゲームの冒頭と勘違いしそうになるくらい凄い怪しい。本音を言えば付いていきたくはないのだけれど、行かないという選択肢は未実装のようだ。大人しく案内されることにしよう。

 廊下に出てまず驚いたのは、想像していたよりも広いことだ。幻想郷の建物であることは間違いないが、こんなに広そうな建物は見た覚えがない。そういえば、紅魔館というのはメイドの能力で見た目よりも広くなっているんだったか。目の前に人間っぽいメイドが居るし、もしかしたらここが紅魔館なのかもしれない。だとしたら、この屋敷の主人は吸血鬼。それも俺と妹紅が出会うことを予言した相手ということになる。俺の能力についても何か知っているかもしれない。妹紅の前で聞くのは難しいと感じていたからむしろ好都合だ。

 羽がついた子供メイドが飛んでいる横をミニスカメイドに先導されて進んでいく。どこの大広間に案内されるかと思ったが、目的地は案外小さな個室だった。小さな、といってもあくまで想定していたよりは、ってことなので俺の元家よりも大きな部屋だ。促されて部屋の中に入ると、水色の髪を持った、妹紅やメイドよりも一回り小さい女の子が豪華な椅子に座っていた。着ている服や雰囲気もあるのか、まったく違和感がない。女の子は威厳を持って口を開いた。

「ようこそ若丘八房。私がこの紅魔館の主、レミリア・スカーレットよ」

 椅子に足を組んだ威厳のある声の幼女。ミスマッチもいいとこなのにそれを封じ込めるだけの気迫が彼女にはある。だからちょっとからかってみたくなった。

「いえ、俺の名前は冴月麟ですけど」

「へ?」

 威厳が一瞬で崩壊した。漸く年相応(見た目)の表情になり、しばらく目を丸くしていたが、こっちがからかっていたことにすぐ気付いたようだ。

「貴方、麟って雰囲気じゃないわよ。名を騙るなんてどういうつもりかしら」

「いや、こっちだけ一方的に知られているのもアンフェアだなと思っただけだ」

 実際には知らないというわけじゃないけれど、吸血鬼であり、俺に関する予言をした、の二つしか知らないのだからあまり違いはないだろう。

「私も貴方のことは八雲紫から聞いた程度のことしか知らないわ」

「じゃあなんであんな予言が出来たんだ」

「予言じゃないわ。運命よ」

 メイドが一人だけ話についてこれずに眉を潜めている。むしろここまで顔に出すのを我慢できているのは凄い方だろうか。と思っていたら、レミリアがメイドに対して説明を始めた。意図して説明するように頼んでいたらしい。

「私にはこの男が外の世界から幻想郷にやってくる運命が見えた。だから八雲紫に教えた。それだけよ」

 俺が聞いた話とは少し違う。妹紅に関する部分だけ語られていないのだ。なぜ隠すのかは分からないが、わざわざ目配せまでされたので口裏を合わせておこう。メイドは完全に納得って訳じゃないみたいだが、主人の言葉は絶対って考えてるっぽいな。しかしそこまで顔に出していいのかよ。

「いいのよ。私にとっては咲夜は家族も同然だわ」

 レミリアが言った。俺も十分顔に出してしまっていたようだ。あとメイドの名前は咲夜っていうのか。咲夜もレミリアの言葉に「私は従者です」なんて言って否定こそしているものの満更では無さそうだ。最初の印象ほど恐ろしい場所でもないのかもしれない。しかし、今はとりあえず妹紅と合流するのが先決だろう。

「それじゃお世話になりました。お礼は後日持ってくるんで今日はこれで」

「待ちなさい」

 善は急げ。背を向けて帰ろうとした俺に後ろから声がかけられる。そういえば屋敷の構造分からないし見送ってくれるんだろうか。

「貴方のせいで私は今不機嫌なの。何事も無く返すわけにはいかないわね」

「俺のせいで?」

「貴方、空から落ちてきたでしょう。周りに音が響いてお嬢様のティータイムの邪魔になったのよ」

 訳の分からない俺に咲夜が耳打ちしてくれた。確かに申し訳ないとは思うが、じゃあどうしろと。

「難しいことじゃないわ。ちょっとの時間、私の妹の遊び相手になってくれればそれでいい」

「お嬢様!?」

 咲夜が何に驚いているのかは知らないが、俺は妹紅を探しに行かないとならないんだが。

「あの蓬莱人ならどうせ紅魔館に来るわ。それまでの間よ」

「それならまあ別に構わんか」

「・・・・・・はあ」

 なんで俺こんなに呆れられているのか。これがわからない。

 レミリアに案内されたのは下へと続く階段。感覚的には地下室っぽい感じの部屋。ドアを開けた瞬間俺だけが放り投げられて思い切り閉められた。鍵のかかる音もする。

「貴方はだあれ?」

 そして、地下室の中に居たのはレミリアとはまったく違う金色の髪の女の子。そう年の離れていない姉妹なのか。ていうか日本なのに金髪率高いな。少女は背中についた宝石の飾り物、たぶん翼をぱたぱたと振って首を傾げた。完全にロリコンホイホイである。別に俺はそこまでじゃないけど、どちらかっつーと巨乳派だし。

「君の姉に言われて遊び相手になりに来たんだよ」

 それを聞くと少女は無邪気に笑う。可愛らしい見た目だけど、どこかゾッとする。無邪気ゆえの残酷さが表面に出ているような錯覚。

「私フランドール。貴方は?」

「俺は若丘八房」

「そう。ヤツフサ」

 今の一言で部屋の空気が一気に下がったような気がする。どこかなんてもんじゃない。彼女の全てが狂っていると全身が教えてくれる。

「たくさん遊びましょ?」

 俺の体が破裂した。

 意識が戻ったときには既にフランドールの意識は別のぬいぐるみに移っていた。なるほど、咲夜に呆れられていたのはこれが原因か。原理なんてどうでもいいが、これでは命が幾つあっても足りない。痛みはないけど痛かったという感覚が残っていて気持ち悪い。やっぱり死に慣れといた方が良かった。完全に後悔している。だけど、一度引き受けた仕事を放り投げる訳にもいかないか。今なら突然の死押し売りセールだし。

「フランドール、あまり人に暴力しちゃいけないだろ」

 俺の復活に気付いたフランドールが振り返った。驚きプラス困惑、隠し味に狂気。そんな表情だ。

「なんで生きてるの?」

「その問をされたのは二度目だなあ。同じように返すなら、不死身だからってことになるけど」

「へえ、じゃあ沢山壊せるのね」

「暴力はダメだと言ったつもりなんだけどな」

「暴力じゃないよ。だって」

 手を俺の方に向けて、何かを掴むジェスチャーをする。そうすると、俺の体の中にも異物が入り込んであるような感覚がして。

「きゅっとしてドカーン」

 の合図と共に再び弾けた。不思議なことにまだ意思がある。視界は血で霞み、生きていることはできないけど死んでいく感覚が鋭敏に感じ取られる。二回とも破裂したことから、たぶん内側から壊す的な能力だろう。物騒なものだと思いながら、二回目の死の意識も途切れた。

 




フランちゃん可愛いよね


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狂った子猫のゆりかご

UA1000
お気に入り50を越えました。ものすごい恐縮です。


「ヤツフサってチェス弱いよねー」

「言うな。まともに指したのは初めてなんだから」

 定跡も何も知らない初心者狩りして楽しいか。白黒の盤の上には白の駒しか残っていない。わざわざ全部取られた上でチェックメイトされていた。

 フランが俺を壊し飽きて、チェスをやろうと言い始めたのは、だいたい五十回くらい殺されてからだった。チェスの合間には世間話も出来るようになり、愛称で呼ぶことができるくらいの仲にはなった。それで分かったのはフランは別に気が狂っているわけじゃないということ。言ってしまえば彼女は「壊したがり」なだけで、壊していいものとダメなものの区別はちゃんとついているし、力を制御できないわけでもない。ただフランの「遊び相手」というのは壊してもいいと教えられているらしい。あの幼女め、俺が生き返るからって無茶苦茶させやがったな。別に怒るようなことでもないけど。

 駒を最初の位置に並べ、四回目の対局を始める。とりあえず適当にポーンを動かすが、たぶんこれもすぐに俺の負けで終わるだろう。

「美鈴の方がまだ強いよー」

「美鈴って紅魔館の門番だっけか。俺はまだ会ってないんだけど」

 フランはしきりに美鈴を引き合いに出す。傍目からは実の姉よりも懐いている風に見えるけれど、実際のところはどうなのか。レミリアに聞いてみたくある。そんなこと言えば即座に肉塊にされてしまうだろうけど。

「えい」

 ビショップにナイトが倒される。捻くれた動き方をする桂馬とかナイトは好きな駒だけど、トリッキー過ぎて俺には上手く扱えない。すぐに自陣を崩されて詰んでしまう。これで四連敗。フランからここはこうすれば良かったと有難い講義を受けるけど、強くなれる気はしない。パソコンの奴も一番下のレベルに勝てなかったしな。フランもそろそろチェスに飽き始めている。俺みたいな弱者が相手だからつまらないだろうな。

「ヤツフサは何か面白い遊び知らないの?」

「そんな無茶ぶりされてもな」

 子供の頃は室内でゲームやってたか、外を走り回ってたから、家の中で出来る遊びなんてほとんど知らない。ああでもあやとりとかは時々やっていたな。それなら楽しんでくれるだろうか。

「輪になってる紐とかあるか?」

「輪になってる紐? 咲夜に言えば出してくれるかもしれないけど」

「そっか、そりゃそうだよなあ」

 日常生活じゃほとんど使わないものだし、ある方が珍しい。唯一の案も失敗に終わり、どうしようか悩んでいると地下室のドアがノックされる。

「妹様、お茶をお持ちしました」

「あっ、咲夜。グッドタイミング!」

「え? は、はあ」

 咲夜はまず俺を見て驚愕の表情を浮かべ、フランの反応に困惑している。俺が不死身だということは教えられていなかったのか。レミリアも人が悪いっつーか鬼だな。

「丸い紐ってある?」

「丸い?」

「両端が繋がって輪になっているような」

「ああ、あやとりの紐ですか」

「あやとり?」

 フランはあやとりを知らないのか。「出来るよー」なんて言われてたら俺の立つ瀬がないし、幸運なんだけど。

「少々お待ちください」

 言い終わった咲夜の手には既に二組の紐が握られている。少々の定義が乱れるなあ。数秒も経ってないぞ、流石は時を止められるメイド。

「フラン、ちょっと見てみ?」

 最後にやったのも中学生くらいの頃だが、当時はかなり難易度の高い物にも挑戦していたからなんとか出来るはずだ。せっかくだから格好付けたいし、吸血鬼にも関係のあるものに挑戦してみよう。

 まず基本形を作り、そこから紐を取り、指を抜き、地道に下準備を重ねる。フランは興味津々に俺の手の動きを観察していた。吸血鬼の動体視力なら何を作っているのかはすぐに分かるだろうか。しかし、表情を見るに理解は出来ていない様子だ。

「ほれ、太陽」

「凄い! どうやったの?」

 実際には中央が丸くなっているだけで太陽に似ているかと言われればそうでもないけど、れっきとした太陽という技だ。吸血鬼は日光に弱いというから見たことはないだろうけど、俺的にはそれは勿体無い。だったらあやとりで見せてやればいいじゃないかと考えたのだが、どうやら評価は上々のようだ。

「フランもやってみるか?」

 一度太陽を解くと、フランは名残惜しそうな表情でそれを見ていた。もう少し見ていたかったのかもしれない。それは悪いことをしたと思うが、あやとりは人のを見るより自分でやる方が面白い。初心者でもやりやすい物ならフランはすぐに出来るだろう。次に作ったのは箒。あの村で子供の世話をしていたときは、これが出来ればあやとりが出来たと考える子も居てよく笑ったものだ。

「箒だ、いつも魔理沙が乗ってる」

 魔理沙と言われても来たばかりの俺には分からない。いや、聞き覚えはあるから妹紅か紫のどっちかから聞いた話がある筈だ。えーと、そうだ、妹紅の言っていた白黒の泥棒魔法使い。妖怪から本を盗むのが趣味で、紅魔館もよく盗られているとか。それにしてはフランはそれほど嫌悪感を抱いてないようだし、むしろ友達のような言い方をしている。きっとトムとジェリーみたいな関係でもあるのだろう。

「魔理沙はよく箒に乗って遊びに来るのか?」

「うん、でも私と会うとすぐ逃げちゃうの。なんでかなあ?」

 悲しそうな顔をするフラン。そこに狂気は感じられず、遊び相手ではなく友達としてその魔理沙のことを考えているのだとわかる。

 なんというか、これは。

 メイドからの視線が痛い。大事な大事な妹様を傷つけるなよと釘を刺されている。確かに、まだ会ったばかりの、魔理沙と会話したこともない俺が口を挟むべきことではないかもしれないが、曖昧に誤魔化して先延ばしする方が問題があるのではないかと俺は思う。理由は俺でもすぐに当たりが付くほど簡単なのだから、フランに理解できない筈が無いのだ。周りが神経質なせいで、フランも悩んでいる。過保護が過ぎるとはお節介も甚だしい。

「フラン、それはきっと魔理沙が君に怯えているんだ」

「怯えているの、どうして?」

「そりゃまあ、能力のせいだろ」

 だからナイフをちらつかせるのはやめてください咲夜さん。たぶん、これが正解だろうし。フランの「ありとあらゆるものを破壊する程度の能力」は人間なんかいとも容易く殺してみせる。吸血鬼自体のスペックも高いことが自身を犠牲にした検証で証明されているし、本人にその気がなくても、最低限恐れられるのは当たり前だろう。

 そっか、と言って肩を落とす壊したがりで寂しがり屋の女の子。解決法がないわけじゃないけど、こればっかりはたった一つで即解決って訳にもいかない。それに、その方法は本人が一番良くわかっている。ヒントも与えたのだから直すなら自分で考えて直すべきだろう。

「といっても今考えることでもないか」

 箒を崩して、今度は鳥や魚に形を変えて、あやとりでフランを楽しませる。色々やって見せたら顔から暗いものが消えていった。それでいい。俺が帰った後に思い出して、そん時目一杯悩めばいい。

 咲夜は話をむりやり切ったのを見てからレミリアの元へ戻っていった。咲夜は俺のことをなんと主に話すのか。なんと言われてもあの吸血鬼ならそういうこともあると流しそうで面白い。

「できたー!」

 フランが紐で出来た亀を得意げに見せてくる。手先は器用だし、俺なんかすぐに抜かれてしまうな。そしたらチェスと同じようにあやとりもフランに教えてもらおうか。そんなことを考えて笑った。

「ねえねえヤツフサ、他にはどんなのがあるの?」

「んー、そうだな」

 しばらくして、幾つか出来るようになったフランから追加オーダーが来たが、どう答えたらいいものか。教えられる技がないわけではない。まだ半分も教えてないのだから、ストックには余裕がある。しかし、あやとりの楽しみは自分で新しい物を創ることにもあると俺は思う。

「今度は、フランが自分で好きなのを作ってみな?」

 そう言うと、フランは指先を唇に当てて考え込む。羽根の動きがちょっと挙動不審になっているから、咄嗟に思いつかないのか。口先から指を離すと、紐にくぐらせて、形を常に変えさせているが、明確な形にはまだなりそうもない。ああでもないこうでもないと首を捻る姿はとても俺より四百以上年上の吸血鬼には思えない。見た目は十歳前後くらいだし、精神年齢も同じくらいなのかね。そんなわけで愛らしい妹様を見ていたのだが、なかなか進展しない。

「うー、難しいよー」

 どうしようか、このままリタイアしてあやとりに苦手意識を持たれたくはないな。邪魔にならない程度にアドバイスでも送るか。

「フラン、まずはどんなものを作りたいかを考えるんだ」

「どんなもの?」

「そう、例えばこのぬいぐるみを作りたいと決めて、あやとりにするとどんな形になるか思い浮かべる。そしたらどう指を動かしたらその形になるか想像する」

 指をてきぱきと動かす。ぬいぐるみというよりは熊そのものだが、あやとりにしてしまえば違いはない。完成形を見たフランが感嘆の声をあげ、より一層深く取り組み始めた。どんなものが出来るか楽しみだ。四苦八苦するフランを眺めていると、こんこんこん、とドアをノックして咲夜が現れた。

「迎えがお見えになりました」

 妹紅が来たということか。残念ながらフランの作品を見るのはまた今度になってしまうようだ。

「帰っちゃうの?」

 上目遣いで見られると、その手の人でなくとも庇護欲をそそられる。寂しそうなフランの頭を撫でると、くすぐったそうに身をくねらせた。

「また遊びに来るよ。俺とフランは友達、だからな」

 友達という言葉にフランの顔が明るくなる。笑ってみせると、太陽のような笑顔を見せてくれた。名残惜しいと思いながら、手を振りあって地下室を後にする。

 階段を上っている途中、咲夜が急に口を開いた。

「あのように楽しそうな妹様は初めて見ました」

「そうなのか? 何にでも興味津々なんて感じだが」

「確かに妹様は色んなことに興味を持ちますが、友達と遊ぶ、なんて経験をしたことはありませんから」

 その言葉に込められている感情はなんだろう。嫉妬か感謝が両方のようでどちらでもない。本人にも分かってないのかもしれない。だったら俺に分かる筈もないか。特に気にしないことにする。

「それはあんたらが過保護だっただけなんじゃないのか?」

「そうかもしれませんね」

 そんなに悲しそうに笑うな。友達ってのは対等じゃないといけないが、従者が友達になっちゃいけないなんて決まりはない。そう言うと、咲夜はきょとんとした顔で立ち止まった。どうしたんだろうか。

「貴方は不思議な人ですね」

「そうか?」

「従者に友達になればいい、なんて普通は言いませんよ」

「人を雇ったことなんて無いからな。普通なんて分からねえよ」

 そもそも庶民にはメイドなんてメイド喫茶にでも行かなきゃ会えないし、俺的にはあれはメイドの姿をした別の物だと思ってるから元の世界でメイドになんて会ったことがない。だけど本物のメイドである咲夜が言うのならばそうなのかもな。俺には関係ないけど。

「宜しければ、これからも妹様の遊び相手になってあげてください」

「遊び相手じゃあ、命が幾つあっても足りねえな。友達としてなら大歓迎だが」

「ふふ、そうですね。そうと言えば、どうして妹様に壊されなかったんですか?」

 あれ、説明してなかったっけ。そういやレミリアも教えてなかったみたいだしそりゃ気になるよな。しかし、説明しようにも自分でも完全に理解できていないんだが。まあいいや、いつもの一言で事足りるだろう。

「不死身だから、かな。理屈は知らないけど生き返っちゃうんだよ。蓬莱人とも違うみたいだけど」

「なるほど、それで落ちてきたときも無傷だったのですね」

 相槌を打つ咲夜はそれほど驚いていないようだった。流石に能力の予想くらいはつくか。それ以降は会話もなく、ただ案内されるがままに歩を進める。今度辿り着いたのは、初めに予想していたような大きなホール。玄関口の辺りでレミリアと妹紅、そして如何にも魔女といった服装の少女が話し込んでいる。たぶんあれが魔理沙か。妹紅に連れられて空中散歩している時に見たな。弾幕ごっこ(仮)をやっていた金髪の片方だ。思い出せば確かに箒に跨っていたような気もする。声をかけると、三人とも同時に振り向いた。レミリアは相変わらず不遜なドヤ顔、魔理沙は興味深くこっちを見ていて、妹紅は目に見えて分かるほどに安堵している。いつの間にやら随分好かれたものだ。

「お客人、フランの相手をさせて悪かったな」

「自分からしろと言っておいて白々しいなおい」

 そうだったか、とレミリアはとぼけて無視した。妹紅の元へ向かうと怪我はないか痛くないかと散々に心配される。魔理沙は俺を見て興味津々から困惑顔に変わる。大方、フランと遊んで無事でいられる人間がどんなものかと想像していたのと違うのだろう。普通の人で悪かったな。

 紅魔館の主に見送られて門を出ると、寝ている中華服の女性の存在に気付く。この人がフランの言っていた美鈴か。熟睡してるけど門番としてこれはどうなのだろうか。失敗をすることはほとんどないと咲夜は褒めていたから問題はないんだろうけど。

 帰り道、また妹紅に吊るされるのかと思ったが、魔理沙が箒の後ろ側を貸してくれると言ってくれたおかげで格段に気楽になった。日が落ちようとしていてたくさんの星が空に瞬いている。ガスに汚れた外の世界ではこんなものは見られないし、慣れるまでは楽しめそうだ。

「なあ、あんたヤツフサって言うんだろ?」

 魔理沙から俺に話しかけてくるのは初めてだ。正しく言葉を交わしたのが今で初めてだから当たり前か。

「ああ。フルネームは若丘八房だ」

「そうか。私は霧雨魔理沙。普通の魔法使いだ。で、八房。フランの遊びに巻き込まれたんだって?」

「巻き込まれたって。一緒に遊びはしたけどさ」

「どっちでもいい。どうやって生き延びたんだ?」

 今日一日でこの質問は三回目か。そろそろ同じ返答を繰り返すのも嫌なので、適当にお茶をにごす。

「たぶんお前らが思ってるほどフランは凶悪じゃねえぞ」

「そうか? 私は見たらすぐに逃げるんだがな」

「フランが一緒に遊びたいのに魔理沙が逃げるって嘆いてた。偶には友達として遊んでやれよ」

「気が向いたらな」

 魔理沙はどうにも乗り気じゃない。当たり前か。俺みたいな残機無限チートじゃないんだ。命は惜しいに決まってる。

「遊んでたらパチュリーに見つかっちまうぜ」 

「そっちが理由かよ」

 俺は行くことがなかったが、紅魔館には膨大な本が収められた図書館があって、本物の魔女が住んでいるのだとか。魔理沙はいつもそこから本を盗んでいるから、見つかったら面倒なことになるのだろう。いや、表からは堂々と入ってくるのにな。

 鬱蒼と生い茂った森の近くで、俺の体はまた妹紅にぶら下がる形になる。魔法の森とかいうここに魔理沙の家があるというのだから、幻想郷ってのは益々不思議なところだ。別れを告げて魔理沙は森の中に消えていく。火傷も既に綺麗さっぱりなくなっているから痛みも特に感じないままぶらり幻想郷の空を行く。

「やっぱり殺されたのか?」

 今までずっと口を閉じていた妹紅は二人きりになってようやく俺に声をかけてきた。さっきからなにか話しかけようと、ちらちらこちらを見ていたから何事かと思えば、ある意味当たり前のことではあるけれど、答えるまでもない質問だ。

「殺されたっていうより壊されたって感じだ。別に不都合は感じてないけど」

「痛くはなかったの?」

「結構壊されたからな。途中で慣れた」

「そっか」

「妹紅。心配してくれてありがとな」

 返事はない。しかし妹紅の耳が真っ赤になっていたのを俺は見逃さなかった。人生の先輩なのにわりと分かり易い性格で面白い。

「明日こそ博麗神社行ってみような」

 竹林に隠されたボロ屋のすぐそばまで近付いている。予想外のことはあったが、幻想郷一日目はそこそこ楽しめたと思う。願わくば明日もそうなりますように。

 




八房の考えていた論理は幻想郷の少女には当てはまらない模様。


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巫女と鬼と不死人

博麗神社に参拝したい


 石段は長く、春の陽気に明るく照らされているが、妹紅と俺の二人以外に登っている人は居ない。季節も外れているし、そんなものかと思っていたが、なんでもここは年がら年中閑古鳥が鳴いているらしい。それでも大丈夫なのかと聞いてみたが、巫女も何の神様を祀っているのか知らないしいいんじゃないかと返ってきた。住んでいるのは巫女一人だけで、異変解決を生業にしているくせに妖怪と仲が良い。なるほど妖怪神社と言われるわけだ。

 ちなみに、本当なら昨日のように妹紅にぶら下がって来る予定だったのだが、せっかくなので、俺がこの石段を登ってみたいとお願いしたのだ。反対側には人里があるのだが、そちらにはまだ行ってない。妹紅が仲のいい知り合いも居るというし、後の楽しみにしておこう。

「しかし、長いなー」

「山上の神社よりは参拝しやすいと思うよ」

 そちらは妖怪の住み着く山の上に立ててしまったから、妖怪の信者は居ても人里からの参拝者は殆ど来ないのだとか。確かにその守矢神社とやらに比べればまだマシな方だろう。

 ようやく空から何度か眺めた赤鳥居が見えてきて、神社らしきそれなりに大きな和風の建物が見えてくる。幻想郷なら当たり前の風景だろうが、やってきてここまで妹紅のボロ屋と紅魔館しか見てないもので少し新鮮に感じる。それと同時にかつて住んでいたあの村にも、こんな神社があったなあと懐かしい感じもした。あっちは巫女も神主も居なくて、村からも離れていたから雑草が好き勝手に生えた子供達の秘密基地になっていた。大人たちは皆「あの神社に行くとお化けに食われるぞ」なんて言って脅かしたものだが、誰一人真に受けてなかったな。

 鳥居を抜けると、意外にも手入れが行き届いていることが分かる。紫からはぐうたら巫女だと聞いていたのに、身の回りのことはしっかりしているんだろうか。或いはやってきた妖怪に掃除をやらせているのかもしれない。そんな冗談を妹紅に言ったらそうだなと真顔で返されて、これから会う巫女が少し怖くなった。

「お、久々に参拝客じゃないか。霊夢ー、お客が来たぞ」

 礼儀に習って手水舎に向かおうとすると、どこからともなく声がして、神社の奥の賽銭箱の上に忽然と幼女が現れた。手には瓢箪こめかみからは角が生えていて、酔っ払いみたいにけらけら笑っている。顔も赤いし相当飲んでいるようだ。一気に呷る姿を見てこんな幼いのに酒浸りかと思ったが、幻想郷なら年齢と見た目はそれほど関係ないことは妹紅やフランの時に思い知った。

「参拝客!?」

 酔いどれ幼女の言葉に反応して飛び出してきたのはぱっと見妹紅くらいの歳の少女。お目出度い紅白の衣装は巫女っぽいと言えなくもないが、何故が二の腕の部分だけなかったり、派手だったりと余り神に仕える印象は受けない。というか脇の開いた巫女服ってなんだよ。少女は俺を見て目を輝かせ、次いで妹紅を見てがっくりと肩を落とす。

「なんだまたアンタか」

「客にその態度はないんじゃないの?」

「ヤツフサを探せー、って昨日いきなりやってきて賽銭も払わず逃げてった奴を客とは言わないわ」

 どうやら昨日も妹紅は博麗神社に来ていたらしい。失せもの探しのご利益でもあるんだろうか。失せものが俺だから恋愛的な意味を除いた縁結びかもしれない。角娘はいつの間にか姿を消していて、二人の間には何故か険悪な空気が流れていたので俺は逃げるようにこっそりと手水鉢の水で清めて賽銭箱に向かう。途中で紅白少女に睨まれたが、相手する価値もないと判断されたのか無視された。なんで神社に参拝しに来ただけでこんな心臓に悪い思いをしなければならないのか。

 財布を開いて小銭を適当に取り出す。通貨が違うから幾らでもいいが、げん担ぎに四十五円としておこう。五円玉を九枚取り出して一斉に放り込む。鐘を鳴らして二礼二拍手。詳しくは覚えてないが、確かこれで合ってたはずだ。

「本当に参拝に来たんだ」

 驚かれるようなことじゃないと思う。本人が一番参拝客が来ないと思っているんだからそりゃ来ないわけだ。紫が嘆くのもなんとなく分かる。本人に言っても何処吹く風って感じはするけど。

 あとは作法も分からないが奉納品ってことで、こっちに来る時に持ってきたカップ麺の蕎麦を一つ賽銭箱の手前に置いておく。

「何よこれ」

「外の世界の保存食でね。お湯を入れるだけで蕎麦が出来る」

 訝しげな紅白巫女は納得とは行かないまでも理解はしてくれたようだ。よくよく考えれば瞬間移動と思えるほどの速さでこっちに来ていたが、今まで出会った人も妖怪もだいたい神出鬼没だし、こういうものだろう。

「で、あんたは誰よ。見た覚えのない顔だけど」

 さっき自分でヤツフサって言ってたじゃないか。妹紅のことだから、ひたすらそれだけ言って詳細を教えなかったのか。彼女らしいといえば彼女らしいが。

「昨日探された落とし物だよ」

「落とし物? ああ、ヤツフサってあんたのことなのね。てっきりこいつの飼ってるペットかと思ってた。それともやっぱりペット?」

「ちげーよ。人間のペットてなんだよ」

「人型のペット飼ってる奴は居るわよ」

「なにそれ怖い」

 それなんて鬼畜妖怪だよ。絶対に出会いたくない。幾ら不死身だとはいえ、人間扱いされないことは恐ろしいものだ。それは相手が人間でも妖怪でも変わらない。

 妹紅との間に有った険悪な空気も和らぎ、参拝も済ませた。これで後は帰るだけだが、それでは少し物足りない。

 そんなことを考えていた時だった。巫女相手に世間話でもしようと振り返る瞬間、背には賽銭箱で誰も居ない筈なのに、確かに誰かに押された。せいぜいが子供くらいの軽い力だったが、不意を取られた俺はその場で踏ん張ることが出来ない。となれば、俺が倒れるのは必然のことで、前のめりにつんのめる。普通ならこれで石畳の厚い抱擁を受けて悶絶するところなのだが、何故か転んだ先は柔らかい。その意味を理解すると共に自分の全身から血の気が引いていくのがわかる。

「しっ・・・・・・」

 少女の上ずった声が聞こえる。慌てて起き上がろうとするが、慌てているせいで本来の地面が見つからず、むしろ更にアカンとこばかり触ってしまっているような気がする。

「死ねこの変態ー!」

 ガン、と鈍い音が響いて頭に衝撃が走る。起き上がろうとしたのは失敗だったなと今更にして思うが、焦った状態で正常な判断をするのは難しいと自己弁護した辺りで意識を保つのが危うくなってきた。

 ラッキースケベ? いいえどこぞの誰かの嫌がらせです。最後に考えたのはそんな馬鹿な文句だった。

 

 

 目が覚めるとノーマルな畳の上。覚めたと言っても瞼を開くほどの気力はまだ回復していない。布団も無しで体が痛いが、材質が石でないだけ有難いと思うことにしよう。丸い何かで強かに打ち据えられた頭にはたんこぶが出来ていて、その上に濡れたタオルと思しき物が乗っかっている。冷やされているから頭の痛みは感じないが、これならいっそ死んだ方が良かったかもしれない。こっち来て向こう二日でこんな考え方をするくらいには捻くれてしまった自分が怖い。

「目は覚めたかしら?」

 少女というにはちょっと無理がある胡散臭い声が上からした。そう考えたのがバレたのか脇腹の辺りをつねられたのですぐに訂正する。

「あんたの仕業かよ。他人を弄んで遊ぶとか意地が悪いな」

「第一声が決めつけだなんてそっちの方が酷くありません? 私はやっていませんわ。やったのは神社の裏に住む光の妖精達。妖精のことは説明したでしょう」

 力は弱いがどこにでも居る悪戯好きの自然の化身。自然であるから殺されても一回休みで済むとか、頭も弱いけど悪戯に関してのみ悪知恵が働くとか聞いていた気もする。

「そうだったのか」

「ええ、でも慌てる霊夢も可愛らしかったですわ」

「やっぱりあんたじゃねえか」

 ばれました? と紫は子供っぽく笑う。扇子で口を覆っている姿は容易に想像できた。騙しはしても嘘はめったにつかない妖怪だと思っているから、ただ唆しただけなのだろう。だからこそ質が悪い。

「霊夢にちゃんと謝っとけよ」

「てっきり怒りだすと思ったのに」

「一番被害を受けたのはあの子だろうが」

「そうですわね。やはり貴方は面白い。言ったでしょう、萃香。面白い人間だって」

 俺じゃない誰かに話しかけているらしい。他には誰も居ないように思えるが、萃香とはいったいどこの誰のことだろうか。

「確かに随分なお人好しだねえ」

 聞いた覚えのある声。神社の賽銭箱の上に忽然と現れて霧のように消えたあの角娘の声だ。まだ重い瞼をうっすらと開ければ、突き出した二本角のシルエットが見て取れたから間違いない。

「初めましてと言ったほうがいいのか? 一応さっき会ってるけど」

「そうだねえ、話すのは初めてだし自己紹介くらいはしておこうか」

 角娘はぐいっと瓢箪を掲げ、中身を一気に飲み干した。と思ったのだが、どれだけ入ってるのか酒が尽きることはない。

「私は伊吹萃香、鬼さね」

「鬼って桃太郎とかに出てくる鬼のことか?」

「そうそうそれそれ」

 言われてみれば鬼が角を持っているというのは外来人でも分かることだ。いつも英雄に退治される側の存在だが、目の前の幼女に悪とかそんなものは感じない。妖怪が丸くなったとは紫の言葉だったか。人を攫ったり食ったりすることはもうしていないのかもしれない。なんにせよ、自己紹介されたのだから返さないと失礼か。

「俺は若丘八房。不死身なだけの一般人だ」

 手を差し出されたので握り返す。子供特有の柔らかい手だが、物凄い握力でこっちの手が痛い。見た感じ軽く握っている程度でこれだ。鬼は力自慢の種族らしい。たぶん本気を出せばフランよりも力があるだろう。敵に回したくない相手がまた増えてしまった。そもそも意識的に誰かと敵対するつもりなんてないのだが。

「じゃ、そろそろ霊夢がこちらに向かってくるでしょうから私達はここでお暇させていただきますわね」

「何しに来たんだよあんたら」

 俺のツッコミには答えず、紫は境界を開いて、萃香は体を霧にしてそれぞれ消えていく。居なくなった直後に襖が開けられたことに流石に苦笑いしていると、紅白巫女から変な目で見られた。ついでに酒臭さでも感じ取ったのか鼻を寸と鳴らす。

「誰か居たの?」

「飲兵衛と胡散臭い妖怪」

「ああ、あいつらね」

 やはり胡散臭いのは共通認識なのか。後ろから妹紅が心配そうに入ってきた。死ななかったから心配されるというのもおかしな話だ。

「さっきは悪かったな」

「思い出させるな」

「・・・・・・すいませんでした」

 一応俺もさっきのことを謝ったら、妹紅と初めて会ったときみたいに冷たい声で返された。凄い怒ってるけど、わざわざ手拭いを絞って冷やしてくれる辺り根はいい子なんだろう。

「お、八房が霊夢を押し倒して返り討ちにあったって話は本当なのか」

「誤解を招くような言い方に全力で抗議したい」

 そのまた後ろから魔理沙がひょっこりと顔を出す。魔理沙もこっちに来ていたのか。というかそんな話を誰から聞いたんだ。

「紫が言ってたぜ」

「全てあいつの策略だ」

 微妙に嘘ではないのが腹が立つ。魔理沙はたまたま遊びにやってきただけのようで、どこからかくすねてきた煎餅を齧っている。立ち食いは行儀が悪いと言おうとしたらその前に巫女がスネ蹴りを放っていた。彼女から盗んだのか、命知らずな。魔理沙は軽業師みたいに飛んで避けたが、頭を柱にぶつけていた、自業自得だろう。

「いったい何処から鼠が入り込むのかしらね」

「鼠なんてどこにいるんだ?」

「私の目の前には白黒の大きな鼠が居るわよ」

「そりゃ大変だ。退治は私に任せてくれ」

 お前のことだろうが、本人も分かっててからかっているようだ。巫女のこめかみがぴくぴく震えだして青筋が浮かんでいる。角が生えるのも時間の問題か。

「魔理沙ねえ、もっと大人しく出来ないの?」

 妹紅が魔理沙を窘めるが、本人には何処吹く風。この程度で頭を下げる奴なら、紅魔館の本を盗もうなんて馬鹿なことを考える筈はない。

「私はあんたと違って老い先短いんだ。大人しくなんかしてられないぜ」

 まだ二十歳にも届いてない子供が何を言うか。既に大人になってしまった俺よりも、まだ成長する可能性を秘めているくせに。大人の俺よりも経験を積んでいるくせに。

 妹紅は老い先という言葉に反応して追撃を忘れていた。不老不死にとっては重い言葉だ。慣れているといっても直接言葉にされるのは気分が悪いのかもしれない。その感覚は俺にも分からない。

「ところで、八房達はなんでこんなところに来たんだ?」

「こんなとは何よ」

「だってよ霊夢、行事があるわけでもないのに参拝客が来るなんてこれはもう異変だぜ?」

「よし分かった表でろ」

 お前らお笑い芸人か。魔理沙は言われた通りに外に出ていく。素直に言うことを聞くとも思えないし、外で弾幕ごっことかでもやるんだろう。霊夢もそれ追いかけて行ったので、部屋の中に残ったのは俺と妹紅だけだ。

「慌ただしい奴らだな」

「私が初めて会ったときもあんな感じだったよ。まったく仲が良いんだか悪いんだか」

 精一杯呆れたふりをしてみせているが、妹紅の表情には憧れに似た感情が見え隠れしている。ああやって喧嘩する相手も居なかったのか、話に聞いたかぐや姫とかあの関係に近いんじゃないかと思うが、本人としては違うものなのだろう。出来心で頭を撫でてみた。

「な、何するんだよ!」

「んー、なんとなく」

 妹紅は驚きはするが、逃げようとはしない。さらさらの髪を手で梳いてやる。わざわざ俺がする必要も無いが触り心地がいいのだから仕方がない。

「妹紅にもきっとあんな友達が出来るさ」

「何の話よ?」

 顔を赤くして背けてしまう。惚けようとしているが隠せてないぞ。俺の方が年下だとかとても信じられないな。

 外では結構な爆音が響いている。楽しく宜しくやっているのだろう。弾幕ごっこはまだ見たことがないし、一度見てみたい。妹紅もそれを察して立ち上がった。

「早くしないと終わっちゃうよ?」

「そうだな」

 濡れ手拭いを左手で押さえながら右手で妹紅の手を握ると、やっぱり柔らかかった。

 



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掃除屋パパラッチ

ここらで一息お家の話でも


 相変わらずのボロ屋。時計は墜ちたときに壊れてしまったので正確な時刻は分からないがだいたい朝の七時といったところか。腐り落ちそうな床に俺と妹紅で正座している。さっきから目を合わせようとしないし、下手な口笛を吹いたりとこちらが笑いをこらえるのに必死になりそうだ。別に怒っているわけではないのだが、真面目な顔をしているとそう見られてしまうのは昔からだ。

「別に今日じゃなくたっていいじゃない。今日は人里に行こうよ」

「いや、今日じゃないとダメだ」

 今日と決めなければずるずると長引くことになる。先延ばしは人間の特権だが、今回ばかりはそうもいかない。人里に行く前にやらなければならないことだ。

 部屋の隅に張られた蜘蛛の巣はまだ使われているのだろうか。もしそうだったなら可哀想だが、追い出すしかない。虫も沢山いるだろうが、元の竹林に帰ってもらおう。

「掃除するぞ」

 二日間ここで寝泊まりして思ったことは第一印象を大きく上回るほどの、ここの余りの汚さだ。部屋の中を虫が闊歩しているのは自然豊かな幻想郷だと諦めもつくが、なんとこの家、家具が箪笥しかない。断捨離というレベルを軽く越えている。布団も無いし床もぼろぼろなので必然的に壁に寄っかかって寝るわけだが、これが痛い。だからせめて掃除だけでもしなければならないと俺は心に誓ったのである。出来ることなら後で人里に行って新しく床になる木板でも持ってこよう。

 それよりも、何故妹紅はここまで掃除することを嫌がるのだろうか、単に面倒臭いというわけでもないだろうに。別に何か捨てるわけでもないのだから。他に何か理由があるのか。

「いや、理由があるわけじゃないけどさ」

「なら問題ないじゃないか」

「でも、もう数十年このままなんだよ?」

 そういうことか。要するに掃除して出てくる埃やらなんやらが嫌なんだな。しかしこれで益々先延ばしが出来なくなった。放っておけば悪化することが目に見えている。ここらで年貢を納めないといけない。

 仕方ない。俺一人だけで掃除を敢行しようと立ち上がったときに、ボロ屋の扉がノックされた。妹紅が応対するより先に扉が開かれる。

「どうも清く正しい射命丸です取材に参りました!」

 赤い、帽子? パトカーの上に載ってる赤ランプみたいな何かを被り、立っていたのは黒髪の少女。カメラを首から掛け、メモと鉛筆を持っている姿は、制服みたいな服装のせいで敏腕記者というよりは高校の新聞部のようだ。背中にある黒い翼を除けば。

 レミリアの蝙蝠に似た翼やフランの飛べるかどうかも危うい宝石の羽根とはまるで違う鳥を連想させる黒翼。鴉の濡れ羽色という言葉がよく似合う。その少女はずんずんと妹紅を押しのけて俺の方へ向かってくる。目と鼻の先まで近付かれるといい匂いがしてちょっとやばい。

「外来人がなんと妹紅さんのところに住んでいるという匿名タレコミを受けて来た次第ですさあ取材を受けてください貴方はどこから何故来たのですか妹紅さんとはどういう関係で・・・・・・」

 句点くらい打って話せと言いたくなるくらい、清々しいまでのマシンガントーク。さらに迫って来る相手を上体を反らして避けているが、そろそろ体幹と足腰がやばいと思った辺りで妹紅が少女の首根っこを掴んで引き離してくれた。いろんな意味で危なかった。

「何その変な喋り方。燃やされたいのかしら」

「あやややや、いつにもまして妹紅さんが不機嫌です。愛の営みの邪魔でもしてしまったのでしょうか」

「愛って・・・・・・どうやら本気で焼き鳥にされたいようね」

「すいません私が悪かったですほら謝りますから」

 妹紅が掌から火の玉を作り出すのを見て慌てて謝る焼き鳥さん、じゃなかった鳥少女。いまいち事態を飲み込めないが、彼女の目的は俺へのインタビューってことでいいのだろうか。

「おや、改めて自己紹介をしなければなりませんね。私は射命丸文と言いまして、文々丸新聞を発行している烏天狗の射命丸文と申します。よかったら一部どうぞ」

 そういって無理矢理に手渡された新聞に目を通すと、あっちでもよくあったゴシップ記事に近いものだ。早口言葉も直っているしこっちに反応する暇を与えない取材術の一つだったのだろう。

「で、紫かレミリア辺りから俺のことを聞いて取材しに来たってわけか」

「おお、話が早い。私はレミリアさんから聞きましたが」

「そうかい。じゃあ帰ってくれ」

「そんなご無体な!」

 マスコミというのはどうしても好きになれない。原因は昔呪いの子だなんだと散々に書かれたからだろう。四回も人を巻き込んだ事故で生き残ってしまっているのだからそんな噂が立つのも仕方ないとはいえるが、理解は容易にできても納得することは難しい。三流ゴシップ雑誌だったから広まることもなかったが、まるで悪魔のことでも話すような書き方は今でも軽いトラウマになっている。

 射命丸文はまだ諦める様子がなく、あの手この手の手練手管で取材をしようと試みているが、甘言なら子供の頃にもう聞き飽きた。そもそも購読料半年無料とか言われたってころりと寝返るはずがないだろうが。こっちとしては掃除の邪魔だから早く帰ってほしいのだが。

「嫌だって言ってんだろうが」

「そこをなんとか」

「しつこいよ。ゴシップが書きたいなら捏造記事でも作ってればいいだろうが」

 俺がそう吐き捨てた瞬間、ずっと猫なで声の営業スマイルだったのに、いきなり真面目な顔に変わった。

「それじゃ意味がないでしょう」

「どういうことだ?」

「事実を報道するのがジャーナリストの仕事ってことですよ」

 おちゃらけた雰囲気はもう無い。どうやら俺は彼女の思想の根幹に触れてしまったらしい。普段はまったく感じさせないくせに、大切なところでは年季の違いを見せつけてくる。レミリアも紫も、幻想郷の住民は皆そうなのだろうか。

「自分の望むネタのために誘導する。言葉尻を取る。記者ですからそのくらいはします。マッチポンプじみたことも必要ならやってみせましょう。ですが、それは事実でないといけません。そうでないと意味がありません」

 あんたの報道精神はなんとなく分かった。言質を取れなきゃ新聞にできないとそう言いたいんだろう。字面だけ眺めるなら立派なお題目だ。

「俺が意地でも取材拒否するならどうするつもりなんだ?」

「粘りますよ。こっちは十年間張り込んでたこともあるんですよ?」

 それはおそらく本当なのだろう。天狗にとっての十年が人間換算するとどれくらいになるのか分からないが、これから十年俺の人生に張り付かれるなんてたまったもんじゃない。諦めるしかないか、溜め息を吐いてしまうのはごく自然な反応だと思う。

「分かったよ。俺が折れる」

「おお、では早速」

「だが条件がある」

 営業スマイルに戻って問答無用で取材を始められる前に口を挟む。そもそも俺が今からやりたいのは取材を受けることでもストーキングに遭うことでもない。

「掃除を手伝え」

「掃除、ですか?」

 自慢の営業スマイルがちょっとだけ引きつっていた。

 

 

「まったく、何年放置したらこうなるんですか」

 少し涙目になりながらはたきで天井の埃を落とす。能力で吹き飛ばしたい衝動に駆られるけど、風に煽られただけで崩れそうな小屋だ。せっかくのチャンスをふいにしたくない。

 貧乏くじ引いちゃったかな、と心の中で呟く。ここまで食い下がったのは、自分の信条もあるが、様子を見てこいとの組織の指示があったからだ。昨日紅魔館に行った時に若丘八房という外来人の話を聞いて、天魔様に報告したところ、調査しろとのお達しがあった。どちらにせよ取材はしに行くのだからと軽い気持ちで考えていたが、これがなかなかに手強かった。まさか記者に対してここまで苦手意識を向けられているとは思わないものだ。どうにか漕ぎ着けたものの、その代償がこれでは割に合わないかもしれない。

「妹紅曰く数十年だそうだ。俺よりも先輩だぜ」

 取材対象もスカーフで口元を覆って埃を取り除いている。妹紅さんだけは永遠亭に行くといって逃げてしまった。八房さんも何か言いたそうにその後ろ姿を眺めていたが、皮肉の一つも言わない辺り結構なお人好しなのだろう。

「妹紅さんも随分と貴方を信頼しているのですね」

「取材を受けるのは終わった後だと言った筈だが」

「いいじゃないですか身の上話くらい。ちゃんと言うことは聞いてるんですから」

 天井裏は結構掃除した筈なのに、まだまだ叩けば埃が出て嫌になる。会話も無しにこんなことをやり続けられるなんて余程のマゾヒストか潔癖症くらいだ。八房さんも同じことを考えていたようで、少し悩む素振りをしてこちらの提案に乗ってくれる。

「本当、会ってから数日しか経ってないのに不思議なもんだ」

「まだ数日ですか。そもそもなんで幻想郷に来て妹紅さんと仲良くなったのですか?」

「その手にゃ乗らんぞ」

 やはりバレてましたか。身の上話の延長で色々聞き出そうと思ったのだが失敗してしまった。口が固くて、身内だったら信頼出来る相手だ。

「アンタは俺のことをどこまで知っているんだ?」

「おや、記者が質問されるとは。どこまで、とは?」

「言葉通りの意味だ」

 わざわざこんなことを聞くなんて、秘密の多い人なのかしら。だとするなら私のジャーナリスト魂が疼く。

「外の世界からやってきた珍しい人間、ってところですかね」

「不死身なだけの一般人さ」

 八房さんの口から出たのはちょっと予想外の言葉。今までのやり取りで頭のおかしい人間ではない、むしろ切れ者であることは分かっていたし、冗談を言っているようにも見えない。ということは事実なのだろう。貴重な情報にも思えたが、自分から話すということは別に隠している事柄でもない。むしろ自己紹介で名乗るくらいの気安い情報なのだろう。身の上話には相変わらず付き合ってくれるようだ。私の感じた通りお人好しね。

「不死身とは、貴方も蓬莱人なのですか」

「知らんけどたぶん違う」

「知らないって」

「知らんものは知らん。怪我も病気もするし年も取るから蓬莱人でないことは確かだが」

「曖昧ですね。もしかして真相解明のために幻想郷へ?」

「さあな。あんたはなんでこんな辺鄙なところまで来たんだ?」

 あやややや、これは困った。他人の話を聞くのは得意だが、自分の話をするのは苦手だ。しかし身の上話だと銘打ってしまった以上、聞かれたならこちらもある程度答えないといけない。

「ただでさえ外来人なんて滅多にいないのに居着いた人なんてブン屋の血が騒ぐじゃないですか」

「それだけか?」

「それ以外に何があるんですか?」

 そう答えると、手を止めて考え込んでしまった。また失策、この人が相手だと調子が狂う。普通の相手と変わらないのにこのやりにくさはなんだろうか。

「変に小細工入れてくる意味がない」

「むう、これは盲点でしたね」

 こちらの意図を悟らせないためにまくし立てて、なし崩しに取材しようと考えたのが今になって裏目に出た。知られないに越したことはなかったが、躍起になって隠すメリットもないか。

「天狗ってのは組織社会なんですよ。未確認要素を何よりも嫌うんです」

「うん? どういうことだ?」

「私たちは、貴方が天狗を脅かす存在かもと恐れているんですよ」

「ただの人間を恐れるのか?」

「妖怪退治をするのは人間ですからね」

 あの鬼や土蜘蛛だって人間達に住処を追われたのだ。かつての妖刀使いや陰陽師、幻想郷でも博麗の巫女が居るのだから神経質になって当たり前のこと。それに八房さんは一つ勘違いしている。

「貴方も既に危険人物として数えていますし」

「おいおい、何もしてないのに殺されるのか」

「まさか、手を出しちゃいけない部類ですよ」

 手を振って否定する。藤原妹紅にあれだけ好かれている人間。変に手を出したならば不死鳥に山を燃やされてしまうかもしれない。八房さんは気付いていないようだし、私も腑に落ちないところがあるが、妹紅さんの彼への好意は予想以上である。八房さんもそこまでは辿りついて困り顔で頭を掻いた。

「分からないなあ」

「私にだって分かりませんよ」

 人の好悪とは分からないものだ。自分のことですら満足に分からないのだから他人のことなどなおさら理解出来ない。

 こんもりと溜まった床の埃を箒で外に追い出す。

「さて、これで掃除は終わりでよろしいですか?」

 どうにか小屋の中の埃を全て外にたたき出すことには成功した。性格を窺い知ることの出来る会話は少ししたが、これでようやく本格的な取材に入ることが出来る。

「仕方ない。そこに座れよ」

「では遠慮なく」

 胸ポケットから愛用している手帳と鉛筆を取り出して、八房さんとは向かい合うように座る。

「何から聞きたい」

「そうですね、では妹紅さんとの馴れ初めなんか・・・・・・冗談ですよ、そんな怖い顔しないでください」

「そうだなあ妹紅と初めて会ったのは」

「話すんですか!」

 いや首を傾げられても、貴方完全に怒った顔してたじゃないですか。やっぱりこの人と話すのは苦手だ。リズムが合わない。

 これは取材そのものも難しいかもしれないなあ。私は前途多難だと溜め息を吐いた。

 




あややは特に好きなキャラの一人ですね
ギャグ良しシリアス良しと使いやすく
実力者ともそこそことも取れるわりと曖昧なところが好みです。


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ちょっとした思いと違い

なんか急に伸びたと思ったら、不思議なことにランキングに乗ってました。
読んで下さる方々、お気に入り登録して下さる方々本当にありがとうございます。


 さてどんなゴシップが書かれるのかと半分憂鬱、半分期待の心持ちで投げ込まれた新聞を手に取ると、思っていたよりも真面目な記事が書かれていた。見出しは「外来人来たる」と無難に抑えられ、内容も俺が語ったことにだいぶ忠実だ。ところどころ面白おかしく脚色されてはいるが、この程度なら十分許容範囲内だ。不思議なのは、俺が不死身であることが書かれていないことだが、幻想郷では案外良くあることで記事にする程のものでもないのだろうか。どちらにせよ、あの烏天狗もまともな記事を書くことが出来たのか。仕事への態度は真摯だったし驚くことでもないのだろうが、なんか意外だ。

 普通の家庭ならこうやって新聞を読みながらトーストでも齧るものだが、残念なことに食料は缶詰食品くらいしかなく、それも底を尽き始めていた。というのも、妹紅は食事を基本的に取らない人間だ。腹が減ったら何処かへ食べに出かけたりはするらしいが、面倒臭がって餓死することも少なくなかったのだとか。餓死して生き返ってようやく食べに行く、なんてサイクルを繰り返していたから当然小屋の中には食料がない。外の世界でも、カップ麺を食う時以外は飯に興味が無い風だったので、嫌な予感がして保存食を幾らか持ってきたのだが、予想的中してしまった。缶詰ばかりじゃ栄養が偏ってしょうがない。他にも生活環境の改善も含めて色々と入り用なので、今日こそは人里に行こうと考えていた。

 本当は初日に博麗神社、翌日には人里に行く予定だったのだが、落下したりパパラッチに遭ったり掃除してたりする間に倍の日数が経っていた。予定通りに行かないとはよく言うが、流石にこれは限度を超えているのではなかろうか。俺のせいもないわけではないので仕方ないと言えば仕方ないのだが。

 妹紅の準備が終わった辺りで出発する。今回は飛ばずに歩いていくつもりだった。いつまでも妹紅に付いていてもらうわけにはいかないし、暮らしていれば俺一人で人里にくらい行くこともあるだろう。ならば歩き慣れておいた方が後のためだ。運が悪けりゃ妖怪にぶつかるかもしれないが、妹紅がなんとかしてくれるだろう。女の子の背中に隠れるとか恥ずかしいなんて言わないでくれ。客観的に考えてこれが一番安全なんだから。

「人里に行くのは久しぶりだなあ」

「仲の良い相手が居るんじゃなかったのか?」

「慧音は心配してウチに来ることの方が多いからね。一月くらいは行ってないんじゃないかな」

 自宅に居ない出不精というのも珍しいものだな。妹紅がそんな性格だから心配しているのだろう。

 お日様も登って昼になろうかといった頃。一応作られているとは言えるくらいの砂利道を無駄話しながら歩けば門らしきものが見えてくる。見張りが俺の顔を見て不思議そうな顔をしたが、妹紅が付いていたのもあって無事に通してもらうことが出来た。門をくぐると、活気に溢れた市場がまず目に入る。八百屋に魚屋(川魚ばかりだが)、甘味処というのだったか団子や餅を売っているような店。何故かやけに繁盛している蕎麦屋。人通りこそ外の世界の繁華街と比べれば少ないが、活気があるという点では引けを取らない。むしろ、店舗が全て通りから隔絶されたように感じられる外よりも、ここの方が物売りの元気のいい声がある分繁盛しているかもしれない。

 余裕があれば何か買ってもいいかもな。現代貨幣は使えないから、妹紅の金になってしまうが、普段からごく稀の食費にしか使ってない彼女もそれなりに持ち合わせはあるらしい。俺の金もどっかで早く換金でも何でもしないとな。紫の話では香霖堂という場所に行けばこちらでの通貨と売買してもらえるそうだ。魔法の森の入口にあって人里からも行けないことはないと言っていた。今度向かってみよう。

「お昼ご飯でも食べようか。慧音もこの時間ならいつもの店に居るはずだから」

「そうすることにするか」

 お腹がすいたんじゃなくて慧音とやらに会いたいんだろうな。別に反対する理由はない。俺としても妹紅の友人であり、人里の有力者でもある上白沢慧音には会っておきたかったところだ。手に職ないのも問題だし、働き口の伝手でももらえたらありがたい。寺子屋の授業もしているというから、子供に混じって受けてみても面白いかもしれない。俺のメンタルが持たないからやらないけど。

 妹紅に連れられて入ったのは丼物がメインの定食屋だ。米を食うなんて何日ぶりだろう。少なくとも幻想郷に来てからは一度も口にしてない。妹紅はきょろきょろと辺りを見渡している。たぶん慧音を探しているのだろう。そして一箇所を見つめて止まった。

 もしかして、あれか? 視線の先にいるのはへんてこりんな帽子をかぶった女性。妹紅の純白とは違う、青みがかった白い髪が特徴的だ。なんで幻想郷の住人は皆髪の色が不思議で、室内だろうと独特な帽子をかぶっている者が多いのだろう。気になるが、触れてはいけない気もする。

 妹紅はその女性の方へ近付いていくので俺も後ろからついて行く。

「相席いいかな?」

「構いません、ってその声は妹紅か!?」

 妹紅が声をかけると女性が慌てて振り返った。俺とも目が合ったのでとりあえず会釈しておく。改めて見ると、やはり小さい。百五十くらいしかないんじゃないかこの人。背の低い女教師、有りだと思います。そんなことを考えていたらジト目で見られた。考えていることはバレてないと思いたい。

「貴方が新聞に載っていた外来人ですか?」

「ええ、若丘八房と言います」

 敬語ではあるのだが、慇懃無礼というか、まるで品定めするような目で見るのはやめてくれ。

 促されるままに妹紅の隣、慧音と向かい合って座る。お品書きから山の幸丼を頼んでお冷やをもらった辺りで慧音が再び口を開いた。

「今、妹紅と同じ家に住んでいると聞きましたが」

「そうですね。居候させてもらってます」

「本人の前で言うのもあれですが、妹紅の家は人間によくありません。幸いにして人里の方にも空き家はありますし、そちらに住まわれては」

「あー、なるほど」

 やけに邪険にされてると思ったら、妹紅に悪い虫がついたと考えているらしい。露骨に離しにかかってきた。否定しても、悪い虫かどうかなんて他人からの評価でしか決まらないのだから意味が無いだろう。取り繕うよりも放っておいた方が楽だ。

 しかし、人里に住むというのは悪い案でもない。妹紅と一緒に居るに越したことはないが、男と女一つ屋根の下というのは結構辛い。外では親戚だと押し通したが、あっちでも下手すりゃ通報されていてもおかしくない。何より、あの家は住みにくい。妹紅一人とか俺一人ならそこまで気にもならないが、二人で住むには狭いのだ。私物と言えるものがほとんど無いから足の踏み場を探すなんて事態には陥らなかったが、気を付けないとぶつかってしまいそうになる。

「それもいいかもしれませんね」

「えっ」

「えっ」

 二人共に驚かれた。慧音の方は、俺が妹紅目当てで住んでいると考えていたからすんなり離れることに驚いたのだろうが、妹紅はなんで驚いてるんだ。狭いのはお前も分かっているだろうに。

「どうかしましたか?」

「ああいえ、少しぼうっとしてしまいました」

 俺も人のことは言えないけど、嘘をつくのが下手だな。相手によっては悪く思われるぞ。

「妹紅には色々と助けてもらってますが、つけ込むつもりはありませんよ」

「えっ、ああいやそういうわけでは」

 手を振って否定するが、すぐに項垂れて肩を落とす。妹紅と仲のいい人間からはそう思われるのは仕方ないだろうし俺も気にしてないんだけどな。対人関係ってのは難しい。

 気不味くなった空気を入れ替えるように、ちょうどいいタイミングで頼んでいた品物が置かれた。わざとやったのだとしたらいい店だ。贔屓にしたい。いただきます、と手を合わせて三人とも箸を持った。

 あらかた食べ終えて思ったのだが、この店美味い。椎茸の天ぷらがこんなに美味しいものだとは知らなかった。店はこじんまりとしているが繁盛してほしいものだ。慧音からの誤解も解けたことだし、無駄に敬語を使わなくてもいいようになった。妹紅からは二人とも似合わない敬語で気持ち悪かったとのこと、失礼な話だ。まあ席を立った慧音の頭突きを食らって悶絶していたから俺からは何も言わないでおこう。

「しかし驚いたな。蓬莱人でもないのに不死身の人間が居るなんて」

 牛丼を食べ終えて丁寧に口を吹いた慧音から驚かれたのは、もちろん俺の体質について。新聞で喧伝してくれれば楽だったのだが。人に説明しにくい訳じゃないが、会う人会う人に話すのは面倒臭い。そう言うと、慧音はそれも仕方のないことだと言った。

「不死の人間、それも戦う力が無いなんて知れれば、妖怪共はこぞってお前を襲うだろう」

「配慮してくれた、って訳じゃないよなあ」

 俺が襲われて、それが新聞のせいだと知れれば妹紅と敵対すると考えているのだろう。どうしてこんなキーポジションに居るのか分からない。俺を妹紅の何だと思っているのだろうか。妹紅は自覚が無いのか、訝しげに俺と慧音を見る。お前のことだよ、と言うのもなんだか気恥ずかしかったので適当に流すことにした。

「ま、私に出来ることがあれば言ってくれ。やれるだけやってみよう」

「それはありがたいな。なら、なんか仕事でもくれないか?」

 誤解が解けた瞬間に結構親身になってくれるのは負い目もあるのだろうが、本人がお節介焼きなんだろう。せっかくならとそれに甘えることにする。

「仕事か?」

「外から来たからさ、食い扶持稼ぐ伝手が無い。一応働いてたから、手に職ないと落ち着かなくてな」

「なるほど。しかし身元の不確かな人間を雇ってくれるところは少ないな」 

「そうか。ま、明日も行こうと思ってるところは有るし、無理言ってすまないな」

 いつまでも妹紅にぶら下がる紐になってたんじゃあ悪い虫になってしまうしな。しかし、明日の予定は本命中の大本命。蓬莱の薬とやらを作った月の頭脳、八意永琳さんとやらの居る永遠亭だ。しばらく待ってどっか当てがあればそれで良し、無ければ自力でどうにかしよう。

「いや。ところでお前、勉学は出来るか?」

「うん? まあそれなりには出来るが」

 自慢じゃないが、高校大学と進学校には通えている。その中での成績は良いものとは言えないが、出来る出来ないで言えば出来る方にはなるだろう。

「私は寺子屋で勉強しているんだが、里の会合も有って忙しくてな。臨時で教師をやってみるというのはどうだ? もちろん明日が忙しいなら別の日からでいい」

 教師か。人に物を教えるのは苦手だが、子供の相手をするのは嫌いじゃない。しかし、俺は理系だし外から来たから歴史を教えろなんて言われても無理だ。

「数学くらいならなんとかなるが、歴史とか無理だぞ」

「ああ、読み書きと計算だけでも構わない」

 それなら断る理由もない。俺自身の勉強も兼ねて、明後日から寺子屋に通い、一週間後から教鞭を取ってみるということで決まった。これでフリーターも卒業だ。慧音が出ていった後、話に絡むことができなかった妹紅が膨れていたのでこないだと同じように撫でたら怒られた。何故だ。

「ヤツフサは人里の方に住むの?」

「え?」

 なんで機嫌が悪いのかと思ったらそういう事か。昨日の取材の時に文にも言われた通り、かなり好かれているのか。でもたぶん本人は自覚していないし、何より俺はいつか消える人間だ。不死身だとしてそれは変わらない。「老兵は死なず、ただ消え行くのみ」というのは誰の言葉だったか、俺はたぶん老いには勝てない。だから、妹紅には気付かせないまま、その気持ちも忘れてもらった方がいい。

「物件の話はされなかったからな。まあもうしばらくは住むさ」

 そう言っただけで顔を綻ばせる妹紅を見て俺も何も思わないわけじゃない。だけど、その気持ちも建前の裏に隠してしまおう。

 勘定してもらって店を出る。あの家に調理器具なんてものはないから、まずら基本的な鍋とか包丁などを買って、妹紅に軽く人里の案内をしてもらった。一際でかい屋敷は稗田家といって妖怪について纏めた本を作っている家系らしい。あとは貸本屋とか霧雨道具店という大きな店とかも見た。霧雨ってことは魔理沙の実家だろうか。寺子屋で慧音が子供達相手に講義をしているのもそっと眺めてみたが、大学の偏屈教授なみに難解な授業だ。大半は眠っていたのも仕方ないと思う。

 そうやって人里を観光していると日も暮れてきて、帰らないと危険な時刻になったので、処理しやすい食材を適当に買って家路についた。

 その間、ずっと妹紅が御機嫌だったのを見て、心の奥が少しだけ痛んだ。

 



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六つ目の難題

妹紅をメインに据える以上、避けては通れない御方の登場


 永遠亭というのは迷いの竹林の更に奥深くにあるという。竹林の中には妖怪も住んでいるし、普通の人間ならまず辿り着けないだろう。俺も一人で行ったなら道に迷って野垂れ死にだ。それでも行くだけの価値はある。

 俺は何故死なないのか。もしかしたら分かるかもしれないと期待する気持ちがある。理由が分かったところで俺の人生に大きな変化があるわけではないし、知らなくても生きることに不自由はしない。だけど、自分が何者なのか知りたいという欲求はあって然るべきものだと思う。その為に幻想郷まで来たのだから。

 もはや慣れた飛行の仕方で上から竹林を見ると、地面から見るのとはまた違った風景。霧よりも上空から眺めているのだが、うん何も見えない。風景とか景色というもんじゃないなこれ。文から聞いた話ではこの霧の中に強大な妖怪が居ると言っていたのだが、俺が餌にされたりはしないだろうか。妹紅に聞いたら凄い変な顔された。

「それ、あの悪戯兎詐欺の嘘っぱちだよ」

 あの、って言われても会ったことがないから分からない。それに聞いたのは天狗だ、とそこまで考えてから天狗も信用ならない妖怪だと思い出した。すっかり騙された。

「と、だいたいこの辺かな」

 四方八方をうろうろしていたが、ようやく当たりを付けたようだ。俺には竹林の奥深くとしか認識できないが、妹紅は地形を完全に覚えているだろう。俺一人で歩ける日は来るのだろうか。

 降下すると、霧の中に突っ込むことになるが、衣服が濡れたりすることはない。霧に似ているけれど別の物なのか、前は見えないが、体には何も起こらない。しばらく不思議な感覚を楽しんでいたが、急に視界が開けた。どうやら目的地に到達したようだ。

 広い屋敷だ。人里で見た稗田邸と遜色ないくらいに大きい。こんなところに四人だけで住んでいるとはなんと豪勢か。床面積があの家の十倍以上あるんだぞ。

「あら妹紅。いったい何の用かしら」

 門に立っていた女性が妹紅に話しかける。かぐや姫だ。俺はすぐにその女が誰なのか理解した。大和撫子という言葉の良く似合う長い黒髪にこの世の物とは思えない容姿、傾国の美女とは正しい形容だと思う。だけど何故だろう。彼女の美しさは理解しているのに何故か惹かれない。現在進行形で見惚れてはいるのだが、美術館に飾られた壮大な西洋画を見せられている気分だ。芸術品ではあれど、人として見れない。

「そっちは何? 愛人?」

「余りふざけたこと抜かすとぶち殺すぞ」

 いつもの妹紅よりも数段煽り耐性が低い。聞いてはいたが本当に仲が悪いのだろう。手は既に赤く燃え上がり、動き出す機を待っている。対する相手は楽しそうにそれを眺めて次いで視線を俺に向ける。それは打って変わって少し憎々しげな顔なのだが俺、何かしたっけ。永遠亭の方とは関わりを持ったことが無いんだけどな。

 かぐや姫が、口を開く。改めて聞くと鈴のように綺麗な声音。

「貴方が、噂の外来人ね」

 そうだ、と答えることが出来なかった。喉から空気の漏れでる音が聞こえる。触ると、ちょうど中央に綺麗な穴が。血が流れ出て、焼け付くようは痛みが走る。かぐや姫は動いた様子がない。しかし、他に誰かが動いていたとも思えない。通り穴とかぐや姫は一直線上に居て、他人から俺だけを狙うことは素人でも無理だと分かる。最近、死ぬことが多くなったなあ。フランのあれを一回だと考えてもこっちに来てから既に三回も死んでいる。突然の落下、壊される遊び相手、今回は分からないけど理不尽な死のオンパレードだ。保険にでも入っておけばよかった。そんなもんないけど。

 そろそろ意識が薄らいできた。フランとの一件で死に慣れて以来、死んでも少しの間動くことが出来るのだが、これで時間切れのようだ。妹紅が何かを叫びながら女に飛び掛ったのを見て、意識は暗転した。

 

 

 目を覚ますとまた見慣れない天井。新世紀ロボットアニメじゃないんだからこう繰り返すのも如何なものかと思うが、自分の意識でコントロール出来るものでもないか。本当命が幾つあっても足りない世の中だ。今度は畳の上にちゃんと布団を敷かれた状態で寝かされている。敷布団だけでなく枕も掛け布団もあるとか、博麗神社とは比べ物にならないサービスの良さだ。流石は幻想郷随一の医療施設。技術なら現代よりも優れているというのだから驚きだ。月って凄い。

「あっ、生きてました」

 声のする方に首を動かすと、戸棚から何かを取り出そうとしている女の子が目に入る。ブレザーにミニスカか。中身を見えそうだったが、また死にたくはないので悟られぬように首を元に戻す。ウサミミまで付けるとあざと過ぎて逆によろしくない。いや、ファッションでやってるんじゃないと思うが。

 起き上がると、伝統的な和室であることはすぐに分かる。まあ永遠亭のどこかの部屋に入れられたんだろう。妹紅の姿が見えないのが気掛かりだが、俺が動いたって何にもならないので我慢する。

「本当に姫様みたいに生き返るんですね」

「あんな都合の良い能力じゃないさ。それよりも、事情を説明してくれると助かるのだが」

「ああ、すいません。ウチの姫様が迷惑かけちゃって」

 俺の言った事情というのはここが何処で、妹紅が何処に居て、貴女は誰なのか、という意味だったのだが、目の前のウサミミ少女は何故姫様が俺を殺したのか、と受け取ったらしい。そう勘違いされても仕方ない言い方だったし、それも気になるので黙って話は聞いておこう。

「姫様、妹紅さんと殺し合うのすっごい楽しみにしてたから。玩具を取られちゃった気分になってたんだと思います」

 つまりヤキモチ焼かれて殺されたのか。女の嫉妬って怖い。そんな話じゃなかった。

「普通なら我慢したんでしょうけど、不死身なら大丈夫だと思ったんですかね」

「不死身って誰に聞いたんだ?」

 俺が不死身だということは新聞には書かれなかった。だから必然的に誰かから聞いたということになる。一番可能性がありそうなのは紫だが、文の可能性もある。しかし、答えは予想外のものだった。

「妹紅さんからですよ?」

「妹紅が?」

「はい、二日前にやってきて、師匠とお話されてました」

 二日前と言えば文の取材が来てボロ屋を掃除していた時か。あれ本当に永遠亭に行ってたんだ。てっきり竹林のどこかで適当に時間潰しているのかと思っていた。ということは、話はだいたい伝わっているのだろうか。そう聞くとウサミミは首を縦に振った。聞けば俺が死んでいる間に採血したのだという。もう少しすれば結果が出るだろうということ。インフォームド・コンセントは何処へ行った。幻想郷に有るはずも無かった。ちなみに妹紅は現在進行形で殺し合いの最中だそうで、いつにもまして怒っていたとも聞いた。鈴仙・優曇華院・イナバというらしい(長いので鈴仙と呼ぼう)ウサミミが野次馬根性で恋人なんですか、と聞いてきたのでとりあえず違うと答えておいた。

 知らない屋敷を歩いても迷子になること請け合いになので、一人で待たされるよりはと鈴仙と談笑していたら、襖が開いて、また見たことのない女性が入ってきた。鈴仙が師匠と呼んでいたので、彼女が妹紅の言っていた月の頭脳、八意永琳か。幻想郷ではもはや常識なのか、室内であるにもかかわらず赤と青の奇抜な帽子をかぶっていて、服も同じ色合いだ。目に悪かったりはしないのだろうか。

「貴方が若丘八房ね」

「そうですよ」

 ちゃんと返事することが出来た。今度は眉間を撃ち抜かれるかもと考えていたから少し安心した。永琳は鈴仙に妹紅達の様子を見るよう命令して追い出し、残ったのは俺と永琳の二人。永琳が口を開く。

「まずは初めまして。医者の八意永琳です」

「どうも、若丘八房です。それで、血は既に検査されてると聞きましたが」

「世間話をするつもりはないのね」

「普段なら先延ばしにするんですけどね」

 待たされたまま放置されるのは辛い。それを汲んでくれて、彼女は結論から話してくれた。

「結論から言うと、分からないわ」

「分からない? 妹紅からは何でも知ってると聞いたのに」

「分からないものは分からないわ。というより説明出来ないと言った方が正しいかしらね。貴方の血そのものは普通ではないのよ」

 普通ではない。だったらそれが理由ではないのか? 俺の疑問に永琳は首を振った。

「貴方には人魚の血が流れてる。だけどそれは昔のことで、今では効果を発揮しないほどの薄さになっているわ」

 人魚ってのは不老不死になれるんじゃなかったか。それでも関係ないというのならば関係ないのか。他に理由があるに違いない。しかし、それがなんなのかは分からない。そういうことなのだろう。

「おそらくは身体ではなく魂に何かある。だけど貴方の魂は一般人のそれと変わらない」

「結局のところ分からず終いか」

「そうね、魂の専門家に見てもらえば何か分かるのかもしれないけれど、私は魂は管轄外だし、詳しいと思える相手もそう簡単に出会える相手ではないわ」

 分かりそうで分からない、ってのはモヤモヤするけど、じゃあどうしろと言われても何も思いつかない。今回は諦めるとするか。一番信頼出来るであろう相手に言われては仕方ない。その後は世間話だ。永琳からはせっかく不死性があるのだから姫様の相手になってやってくれと言われた。後、また妹紅との関係も邪推されたのでとりあえず恋人ではないと答えておいた。

「そういえば」

 鈴仙も妹紅達も帰ってこないし、ここまでずっと永琳と無駄話をしていた。おかげでまたタメ口で話せる相手が増えた。というより幻想郷の住民は余りそういうことを気にしないようだし、意識しなくてもいいかもしれない。と、話が逸れたが、妹紅からの前情報では、ここの住人は四人だ。つまりまだ一人出会っていない。

「悪戯兎詐欺ってのは誰のことなんだ?」

「てゐのこと? まだ会ってないのね」

 最後の一人の名前はてゐと言うのか。困ることなんてなさそうな永琳が溜め息を吐くとは、余程の問題児なのかもしれない。兎詐欺なんて呼ばれてるのだからそれは悪徳な詐欺師なんだろう。

「棺桶でここまで運ばれてきたからな」

「その言い方だとまるで吸血鬼みたいね。てゐはこの竹林に昔から住んでた兎よ。人を騙すか罠にかけるかばかりしているけれど。今の時間なら落とし穴でも掘り終わって、鈴仙が引っかかったのを見て笑ってるんじゃないかしら」

 そんなことを話している内に泥だらけになった鈴仙が妹紅とかぐや姫を連れて帰ってきたのには声を上げて笑ってしまった。かぐや姫はむすっと機嫌が悪そうで、妹紅はまだ怒りが収まっていない。挟まった鈴仙がぐったりと疲れた顔をしている。苦労人枠、なんてところだろう。俺も昔、仲の悪い二人と仲良くなってしまったがために似たような経験をしたことがある。強く生きてくれ。

 もう少し永琳と世間話するのも楽しそうだが、これ以上長居するとまた喉元を撃ち抜かれそうなのでお礼を言い、妹紅を連れて帰ることにする。そういえばどうやって俺が殺されたかについてだが、姫様には咲夜に似た時間を操る能力があって、正確には違えども時止めのような能力を行使することが出来るとのこと。そりゃ避けられんわ。

 帰りは歩きにした。ここずっと歩きっぱなしで足が痛いけど、常人の俺は何処へ行くにもそれなりに歩く必要がある。こんなもので悲鳴を上げる訳にもいかず、早く慣れなければいけないと思っての行動だ。

「輝夜の奴どういう神経してんだまったく」

 妹紅様のお怒りは未だ健在。幻覚じゃなく揺らめいて見えるので少しは落ち着いてほしい。宥めようとしたら逆に怒られた。死に対して無関心過ぎると言われた。いや、正論だけどさ。お前や俺が言うセリフでもないだろ。なんてことを考えていたら、踏みつけるはずの地面がなくなった。

 え、考える余裕も無いまま無様に穴の中に落ちる。こんな大きな落とし穴が自然にあるとも思えないし、悪戯兎の仕業だろう。その証拠に妹紅が「てゐぃぃぃ!」と叫びながら何処かへ走って行った。この状態で放置されても俺飛べないから脱出できないんだけど。いや、どうにかすれば脱出できるか? 無理だ、落ちた衝撃で足を挫いてる。立ち上がろうと力を入れただけで痛い。死なない方が不便する体ってのもおかしなもんだ。

 とにかく、妹紅が戻ってくるまでやることが無い。今日は厄日だ、肩を落としてそう思った。

「穴があったら入りたい気分だったのかしら」

 上からかぐや姫の声がした。顔を上げればその端正な目鼻立ちが見えるが、髪も落ちているせいで貞子にも見える。井戸はどちらかといえば俺の方なんだがなあ。

「空なんて飛べないから困っているだけですよ」

「イナバや永琳には気軽に話すのに私には敬語?」

「そっちがいいならそれでもいいけど」

 引き上げてはくれないのか。意地悪な姫様だ。妹紅ならここには居ないのだが、探しに行けばいいだろうにかぐや姫はまだ居座っている。

「貴方、なんで幻想郷に来たの?」

 俺で暇を潰すつもりかよ。することもないし、永琳にも頼まれたので受けはするが。その為だけにわざわざ付いてきたとは、姫様は随分と暇を持て余しているらしい。頭上で楽しそうに笑っている。

「俺が何者なのか知るためにだが」

「でも、別に知らなくても構わないのでしょう?」

「それはそうだが」

「だったら貴方は本当にそんな理由で来たのかしら」

「質問攻めは酷くないか?」

 一方的に痛いところを突かれ続けるのは気分が良くない。しかし姫様には無視された。妹紅と違って口笛上手いのな。舌戦ではこっちの方が数段強いんだろうな。

「私は隠すようなこともないわ」

「俺だってねえよ」

「貴方にはあるじゃないの。気付いてないのかしら」

 かぐや姫はすべて知ってるなんて顔で笑った。ろくに顔も合わせたことも無いのに俺の何が分かるのか。

「幻想郷で何の為に生きるのか。考えておきなさい」

 言いたいことだけ言って姫様は踵を返してしまう。引き止めようとは思わなかった。これ以上何か言うのは屁理屈の負け惜しみだと分かっていた。

 何の為に生きるのか。外の世界ならなんとなくでも済まされるのに、幻想郷ではそうもいかないらしい。答えは出せなくもないのだろうけど、今の俺には出来なかった。

 戻ってきた妹紅に引き上げてもらうときに、心配した様子で妹紅に何かあったのかと聞かれたのは、ずっと考えてしまっていたからだろう。しばらく黙ってから「難題を頂いた」とだけ答えた。

 




姫様は八房の心境を見ていく中でかなり重要なキャラクターです。
ストーリー的なキーキャラクターは他にも居ますけどね。


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秘めた心の胸算用

 一度歩いたことのある道なのに、今回はなんだか心許ない。普段なら周りの自然でも見て楽しんでいるのだが、今は何処からか襲われないかビクビクしながら歩いている。

 妹紅が居ないだけでこんなにも恐ろしい道に変わるのか。彼女は何処で何をやっているのか。一人で行くと言い出したのは俺だが、少し後悔し始めていた。

「あやややや、八房さんが一人で歩いているとは珍しいですね」

 後ろから声をかけてきたのは文だ。総毛立つ思いだったが、安全な相手で良かったと胸をなで下ろす。

「いつまでも妹紅に護られてる訳にいかないからな」

「なるほど、それで試しに一人で歩いていると。いやはや運のいい人だ。いや、霊夢さんの感が鋭いんですね」

「何のことだ?」

 並んで歩く烏天狗から手渡されたのは一枚の御札。霊夢の作った妖怪除けの札だという。俺には何も分からないが、紫は霊夢のことを天才だと言っていたし、効果は十分にあるのだろう。しかし、それを妖怪に持たせて来るとは、大丈夫なのかこれ。

「言葉も通じない、人型にもなれない低級妖怪相手の御札ですからね。私達天狗や紫さんみたいな妖怪には効きませんよ」

「人型の妖怪には効かないのか。今度頼んでパパラッチ撃退の御札でも作ってもらおうかな」

「本当、なんでそんなに記者に厳しいんですか」

「積年の恨みがあるからな」

 そういえば取材された時に話していなかったっけ。いいや、人に話すような話でもない。相手が同業者ならなおさらだ。

「しかし、人型以外の妖怪に会ったことないな」

「人里の近くには滅多に姿を現しませんからね。里には慧音さんも居ますし」

 文の言うことには、低級妖怪は獣と同じ扱いで、人里が危険であることを本能的に理解しているのだとか。理解してない奴は里の実力者か霊夢に退治されている。まあこの御札も保険みたいなものだろうか。

「人型じゃない妖怪って強くないのか?」

「例外はありますが、人間の姿になった方が楽ですからね。余程の好き者でない限り、人型でない実力者は居ませんよ」

「お前も本当は鴉なのか?」

「そうですよ、生まれた時はヒナでしたからね」

「マジかよ」

 ぴぎゃーと泣いてる手のひらサイズの文を想像したら少し和んだ。ヒナだから鴉の姿なんだろうけど。

 人里まではもう少しかかる。もうちょっと効率よく動ける手段はないものか。空も飛べない俺は足しかない。ウォークマンでもあればいいんだが、幻想郷にはそんな便利な物はないしなあ。

「でも、全員がそうという訳でもありません。人から妖怪になった者も居ますから。その場合は妖獣の姿になることができませんね」

「一方通行の進化形態か」

「そんなところですかね」

 文は今日はカメラを構えていない。取材予定がなくて暇なんだろうか。ここに来る前には博麗神社に行っていたってことはネタがないとかそんな感じだろう。

 そろそろ入口が見えてきた。文は人里の内部まで入るつもりはないようで、ご自慢の黒い翼でまた何処かへと飛び立っていく。妖怪と歩いていて里には入れるか心配だったが、衛士に聞けばあの烏天狗人里に堂々と出没しているから顔馴染みなのだとか。あれ妖怪だよな?

 器量が広いのか能天気なのか悩みながら、慧音の待っている寺子屋へ向かう。昼飯を食ってないが、昔は朝夜二食だったんだから問題ない。けしてお金が無いわけではない。寺子屋は昼までで終わり、昼過ぎ辺りの今からは、先生やるための前日授業みたいなものだ。

 寺子屋に足を踏み入れると、慧音と別の誰かが談笑しているのが聞こえた。裏口の玄関から靴を脱いで上がり、声のする方へ向かうと、慧音もそれに気付いて出迎えてくれる。一緒に居るのは誰だろうか。グラデーションのかかった髪に言葉ではうまく説明できないなんか強そうな服。どことなく聖母のような雰囲気の女性だ。幻想郷来てから本当に女の子にしか会ってないな。人里見る限り別に男が居ないわけでもないと思うんだけど。あれか、妹紅の知り合いだから女が多いのか。男の知り合いとか少なそうだしな。なんてひとりでに納得していると、慧音が間を取り持って紹介してくれる。

「よく来たな八房、こちらは人里にある命蓮寺の住職の聖白蓮さんだ。白蓮さん、こちらが先程話していた若丘八房です」

 ミョウレンジ、ジということは寺か。お寺の住職さんが寺子屋に用でもあったのか、あとさらっと俺の話してたのか。白蓮さんも丁寧な物腰でお辞儀をしてくれるので、俺も礼をする。

「初めまして八房さん。聖白蓮と言います。私も時折ここで子供たちにお話をさせてもらってます」

「ああなるほど。若丘八房って言います。一応講師として雇われることになっています」

 聖母と表現したけど、正しくは観音様だったようだ。今日ここに居るのはまったくの偶然のようで、寺子屋の近くで講演した後、どうせだからと帰る前に慧音のとこに来て雑談していたらしい。

「外から来たんでしたね」

「ええ、幻想郷に来たのは一週間くらい前になります」

 改めて言うと恐ろしいな。たった一週間の密度濃すぎるだろ。白蓮さんは俺がどう行動していたのか知らないから別段驚いた様子もないけど、慧音はまた驚いてんのか。

「外の世界はどうなってますか?」

「外の世界ですか。広すぎてなんとも言えませんけど。平和ですよ。便利にはなったけど、人の関わりは薄れてる」

 外に居たときは意識しなかったけど、幻想郷に来て、この人里の活気を見ているとそう思う。都会だなんだと随分殺風景な場所だ。紫に余り外の話をするなと釘を刺されているのでこれ以上は言わないが。それ以外には妹紅に助けてもらっていることを話したり、命蓮寺は珍しくも妖怪に対して門を開いてるという話を聞いた。

「では、私はこれで戻りますが、八房さんも何か困ったことが有ったら命蓮寺を頼ってくださいね」

「頼らなくて済むような事態になることを祈ってます」

 ちょうど帰り際だったので雑談もそこそこに切り上げて白蓮さんは帰っていく。俺の体質については話すタイミングを逸してしまったが、これから関わりを持つようになれば嫌でも知ってもらうことになるだろう。或いは慧音が既に説明していたかもしれないし。

 後は慧音先生の個人授業のお時間で、といっても数学の水準は現代とそれほど変わらないものだった。面倒なのは幻想郷風、というよりかは明治風の書き方を覚えるのと、算盤を使えるようになること。書き方はまだ覚えるだけで楽だが、算盤の方はそうも行かない。筆算とかがメインの現代数学では算盤を早く使うことができないのだ。慧音にも下手すりゃ子供たちよりも遅いと言われてしまった。こちとら算盤限定で小学一年生だっての。

 怒られながら練習していると、また誰かの近付いてくる足音。ここは案外人の集まる場所なんだろうか。今度は紫色のおかっぱ頭の女の子。寺子屋の生徒の一人だろうか。慧音がお茶を持ってきて少女にも着席を促す。

「阿求か、どうした?」

「文さんから外来人がここに来ていると聞きまして」

 外来人ってのは十中八九俺のことか。阿求、聞いたことのあるような名前だ。なんだったか、そうだあのでかいお屋敷の。妹紅に人里を案内してもらった時に言っていた、稗田の当主の名前じゃなかったか。なんだよすごい名士じゃねえか。

「外来人ってのは俺のことだが、何か用でもあるのか?」

「ああいえ、単純な興味本位です」

 阿求は俺の隣に座ってもらったお茶を啜る。俺の手元を見て「算盤?」と首を傾げていたが、教師になるため練習中だと話すと驚きながらも理解してくれた。

 阿求にも遅いと笑われたが、じゃあそういう本人はどうなのかと尋ねると、なんとほぼ全ての数式を暗記しているのだという。試しに練習に使った三桁掛ける三桁の計算を出してみると間髪入れずに答えが返ってくる。すげーなおい。

「八房は算盤さえどうにかなればすぐにでも教えられるようになるんだが」

「無茶言うなっての。算盤なんて触ったの初めてなんだぜ」

 淹れてもらったお茶を飲み込むと自覚していたより喉が渇いていた。熱中症には気をつけないといけないな。慧音の緑茶も渋くて美味いが、どちらかといえば咲夜の淹れる紅茶の方が好みだ。まあ実はコーヒー派なんだけど。

 阿求はどこから聞いたのか(どうせ文だろうが)、俺の体質についてしつこく色々聞いてきた。幻想郷縁起という本を書く以上、詳しく聞いておかないと気が済まないらしい。でも、俺の能力なんて自分でも把握出来てないからな。曖昧に答えてはぐらかして、それでも聞かなきゃ知らんときっぱり答える。算盤を練習する時間も貰えない。

 これは、借りて持ち帰って練習しないといけないかもしれないな。

 

 

「あら?」

 人里の皆さんに仏法を説き、慧音さんとしばらくお話した後に八房さんと会話を幾つか交わして帰ろうとしていたのですが、なんだか不思議な動きをしている人に出会ってしまいました。壁からこっそりと寺子屋を覗いているのは妹紅さんです。いったいどうしたのでしょうか。

「あっ」

 声をかけてみようと近付いたら、妹紅さんは足音で私に気付きました。何か後ろめたいことでもあるのでしょうか。背を向けて逃げようとするのですが、私もうっかり手を掴んでしまいます。動く物って捕まえたくなりません?

「人の顔を見て逃げるのは失礼ですよ」

「白蓮、あんた帰ったんじゃなかったのかよ」

 帰ったというのは、私が寺子屋に居たことを知っていたということでしょうか。ずっと盗み見していたのは何故なんでしょう。そういえば、八房さんは妹紅さんと一緒に暮らしていると慧音さんが話していましたね。八房さんは戦う力を持っていないそうですし、心配でついて来ていたのですね。でも、それなら堂々と隣で歩いていれば良いと思うのですが。

 妹紅さんは逃げることは諦めてくれましたが、ぷいっと顔を背けて目を合わせてくれません。どうやら嫌われてしまったようです。

「八房さんが心配で来たのですか」

「そ、そういうわけじゃ」

「違うのですか?」

 聞き直すと妹紅さんは顔を赤くして黙ってしまいました。でも、女の子らしくて可愛らしい反応です。もしかしたら八房さんのことが好きなのでしょうか。返事が来るのを待っていたら、妹紅さんは悲しそうに息を吐きました。

「・・・・・・私、そんなに分かりやすいのかな」

「そうですね。でも、分かりやすい方が良いと思いますよ。ひた隠しにして誰にも気付いてもらえないのは悲しいですから」

「私は、気付かれたくないのに」

 そう話す妹紅さんは切実な様子でした。自分の恋は実らないと考えているようです。八房には好きな人でもいるのでしょうか。それにしても、妹紅さんの落ち込み具合は普通じゃありません。

「良かったら相談相手になりましょうか?」

 妹紅さんは力なく頷きます。自分の心の中に押し込めていたものがあるのでしょう。私に解決法が見つけられるかは分かりませんが、彼女の中に溜まった物を吐き出させることくらいは出来るはずです。

 命蓮寺でお話を伺おうとも思ったのですが、あそこには響子ちゃんもぬえも居ますから、色恋の話はしない方がいいでしょう。悩んだ結果、例の蕎麦屋の向かいにある甘味処でお話を聞くことにしました。妹紅さんの分のお団子を頼んで、人目につかない奥の方の席を選んで座ります。妹紅さんはその間、落ち込んだままでした。これは重症です。

「それで、何故知られたくないのでしょうか」

「・・・・・・ヤツフサってさ、優しいんだ」

 確かに物腰柔らかな人だとは思いますが、どうかしたのでしょうか。妹紅さんにとってはそれが切実な問題なようです。

「でも、ヤツフサは私ほど永く生きられない。絶対に私を置いて逝ってしまう」

「確かに愛した人と別れるのは辛いことです」

「うん。だけどさ、それはまだ耐えられるんだ。今までも経験したことがあるから。私が耐えられないのは、こう考えていることがヤツフサに伝わってしまうことなんだ。あいつは優しいし、頭も悪くないからきっと苦しんでしまう。私はそれが嫌なんだ」

 堰を切ったように妹紅さんの口から言葉が溢れ出す。いつから我慢していたのでしょう。八房さんは幻想郷に来てから一週間と話していたのに、それまでの間に妹紅さんはここまで思いを八房さんに対して秘めていたのです。それも、自分勝手な心ではなく相手を思いやる心。

「妹紅さん」

 彼女な思いは本物ですし、心配ももっともな物です。だから私も本気で答えるべきでしょう。

「私から何をやれ、ということは言いません。むしろ私の言葉は助言にはならないでしょう。でも、これだけは言わせてください」

 妹紅さんは神妙な顔で私の言葉を待っています。一縷の望みをかけている、そんな風にも感じられます。ごめんなさい、私の言葉は貴女を楽には出来ません。それでも、私は貴女に言いたいのです。

「自分に正直になってください」

「・・・・・・でも」

「八房さんは、きっと貴女の思いに気付いています」

 目が見開く。八房さんが聡いのは少し話しただけでも十分に分かることで、妹紅さんもおそらくは気付いていたこと。自分のせいで好きな人が傷つくという事実を認めたくなくて気付かない振りをしたのでしょう。

「八房さんはきっと貴女を受け入れます。苦しむこともあるでしょう。悩むこともあるでしょう。それでいいのです。人も妖怪も、貴女のような輪廻を外れた人間にも違いはありません。悩み抜いて、一生をかけて答えを出してみてください」

 彼女は黙っていました。私が言ったことは行い難いものであることは分かっています。私も、口ではこう言っても、実際に出来るかと聞かれれば咄嗟に返事はできないでしょう。

「私にはまだ出来ないよ。でも、ありがとう。少し楽になった気がする」

「それはどういたしまして」

 彼女が出来ないと言ったのだから、私はもう何も言えません。ただ彼女が八房さんに話す覚悟が出来るのを祈るだけです。

 それでも、お団子を食べて帰る妹紅さんの後ろ姿は、心無しか足取りが軽いように思えました。

 




ひじりんマジ聖母


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傾奇者の宴 前編

「うぅむ」

 朝っぱらから唸ってはみるが、特に効果があるわけでもない。しかし、答えの出ない考え事をしていると、つい出てしまうのだ。

 妹紅は昨日夜遅くに酔っ払ったまま帰ってきた。どっかで飲んできたのだろうが、その様子が変だったのが気がかりなのだ。嫌われてる訳ではないと思いたいが、ちらちらとこっちを見てくるくせに俺が振り向くと目を逸らしてしまうのだ。何か言いたいことがあるんだとは思うが、何を言いたいのかは言ってもらわないと分からない。

「あら、何かお悩みかしら」

「相変わらず突拍子もなく出てくるのな」

 いつの間にか後ろに居た紫は、そういう妖怪ですもの、なんて言って扇子で口元を隠す。胡散臭くするためにわざとやってるんじゃないかと勘繰るくらいには様になっているな。初登場のときも幻想入りのときも神出鬼没な彼女の出現には驚かなくなった。というか、この人ほぼ毎日来てるんですが。

「野次馬根性は別にいいけど、余り人のプライバシーに触れてくれるなよ」

 最近はパパラッチや医者とか邪推してくる奴が多い。一緒に住んでいるから仕方ないとはいえど、邪推を超えて干渉してくるのは俺も好きじゃない。そう言うと笑われた。どうやら見当違いだったようだ。

「いやいや、今回はちょっとした招待状を渡しに来たのよ」

「招待状?」

 何か招待されるようなことでもしたっけか。紫が招待状を出すのを待つが、このスキマ妖怪はにたにた笑うだけで何もしない。招待するんじゃなかったのか。だったら手紙の一つくらい渡せよ。

 いや、紫が何も言わなくても場所が分かった気がする。もし予想があっているのならば、招待状が無いのも納得だ。

「もしかして、博麗神社?」

「正解よ、よく分かったわね」

 紫がわざわざやってくる。そのくせ、招待するというのに招待状の一つもない。大妖怪を顎で使えて、何かイベント起こしてそうで、手紙を出すのも億劫がるのは博麗霊夢の居る博麗神社くらいしか思い付かない、と言ったら流石に怒られるだろうか。

「今日の夜、博麗神社で宴会があるのだけれど、貴方達も来ないかしら?」

「宴会、ねえ」

 幻想郷では結構な頻度で宴会が開かれている。理由は花見でもいいし月見でもいい。ようするに酒飲みがしょっちゅう集まっているらしい。人間の年長者からすれば、霊夢や魔理沙みたいな年端もいかない女の子が酒を飲むのはどうかと思うが、郷に入っては郷に従え。口を出すことでもないだろう。お呼ばれしたなら行かない理由もない。

「紫? 何の用よ」

 起きてきた妹紅が目を擦りながらやってきた。べろんべろんに酔ってたから二日酔いを心配していたが、蓬莱人はアルコールにも強いようだ。眠そうにはしていても具合が悪そうには見えない。

「宴会のお誘いよ」

「宴会? ああなるほど。ヤツフサはまだ行ったことなかったわね」

 大きな欠伸を一つ。お前はまず顔を洗ってこい。どうせ行かないという選択肢は無いんだからさ。

 妹紅に目覚ましに顔を洗いに行かせた後、紫はまた帰らずに居座っている。こいつどんだけ暇人、じゃなくて暇妖怪なんだ。

「他になんか用でもあるのか?」

「いえ、貴方と藤原妹紅を見ていると、まるで家族みたいだと思っただけですわ」

 家族。俺を育ててくれた人は皆いい人ばかりだったが、家族と言えるかは微妙な距離感だった。今まで家族だと思ってきたのは俺が小さい頃に火事で死んでしまったあの二人しか居ないんだが、他人からは妹紅と俺もそう見えるのか。俺としてはただの居候だとしか考えてなかったのだが。

「からかったつもりだったのだけれど、そんな顔して悩むことだったかしら」

 紫は冗談のつもりだったらしい。俺が黙ってしまったので、地雷でも踏んでしまったのかと考えているようだ。この人は自分のことしか考えてないように見えて、他人の感情に敏感だ。付き合いの浅い俺でもそれくらいは分かる。

「いや、家族ってなんだろうなと」

「んー、自分の思ったことをきっぱりと言えるような関係?」

 適当に流すつもりで言ったのだが大妖怪様は律儀にも答えを返してくれた。なるほど、血の繋がりとか戸籍以外にもそんな考え方もあるのか。思ったことをきっぱりと言える、本音で言い合えるような間柄。

「それじゃあ、俺と妹紅は家族じゃないな」

 

 

 今宵の肴は朧月か。矛盾しているようにも聞こえるが、空気の汚れた都会ではこんなにはっきりとボヤけた月は見られない。こんないい夜に飲む酒は格別だろうと、幻想入りする時に持ち込んだ酒を片手に博麗神社の石段を登る。妹紅は先に行って危険がないか見てくるなんて言っていたが、おおかた歩いて登るのが面倒臭いだけだ。

 今日の宴会、誰がいるのかは分からないが普段は関わらないような奴らも居ると聞くし、見聞を広めるいい機会でもある。紫の言うことには紅魔館の連中も来るそうだし、話相手が居なくてぼっちになるということもないだろう。それを見聞を広めたと言えるのかは別として。

 博麗神社へ来たのは二度目だが、赤鳥居を抜けて、やっぱり広いと感じる。これだけ人が居るのにまだ余裕があるのか。縁日とか開いても大丈夫そうだな。ちらほらと見覚えがあるのも居るが、半分位は知らない顔だ。

「お、八房も来たのか」

 まだ準備中なのに一杯やっている魔理沙がこちらに気付いて手を振ってくる。こっちを向かずに隣で飲んでいるのも金髪だ。本当金髪多いな幻想郷。

「準備は手伝わなくていいのか?」

「おいおい、こっちはか弱い乙女だぜ? 私が何もしなくても力持ちの妖怪がやってくれるさ」

「それもそうか、じゃあ非力な人間も始まるのを待たせてもらうかな」

「大の男なんだから働けよ」

 今回はお呼ばれしたんだから動きたくないね。妹紅の姿は見えないし、魔理沙の隣に腰掛けて、一杯頂く。日本酒、それも結構度の強いものだ。始まる前からこんなの飲んでて潰れないだろうか。

「貴方が新聞に載ってた外来人かしら」

「そうだよ。若丘八房、不死身なだけの一般人だ」

「不死身?」

 話し掛けてきた金髪の少女と魔理沙も同時に首を捻る。そういえば魔理沙に聞かれた時ははぐらかしたっけな。

「生き返る程度の能力、って言うんだけど、まあ要するに死んでも生き返るだけだ」

「妹紅みたいなもんか」

「あんなに都合良くもないけどな」

 不老不死が都合の良い能力かどうかは置いといて。妹紅は自分の能力を快く思ってない節があるからな。他人から便利だなんだと口を挟むわけにもいかないだろう。

 ところで、今話しかけてきた少女は誰なのだろうか。自己紹介をまだしてもらっていない。魔理沙もそれに思い当たったのか、またそっぽを向こうとした少女の襟を引っ張ってぐいとこちらに引き寄せた。凄い嫌な顔をしているが、苦しくはないのだろうか。

「そうそう、こいつはアリス」

 魔理沙が説明してくれるのを待つが続きの言葉が来ない。俺と魔理沙、アリスと呼ばれた少女の間にしばらく沈黙が流れて、紹介がそれで終わりだとようやく気付いた。なんで誰も彼も会話を変なところで切るのか、これが分からない。少女も魔理沙の投げっぱなしジャーマンに頭を抱えながら自己紹介の続き、というより改めて自己紹介してくれる。

「アリス・マーガトロイドよ。魔法の森で人形を操る魔法の研究をしているわ。ときどき人里にも行くけど」

「人形?」

「あちこちで働いてるあの人形達、全部アリスが動かしてるんだぜ」

 俺の疑問に答えてくれたのはアリスではなく隣の魔理沙。言われてみると、確かにいろんな所でデフォルメされたような西洋人形が動き回っている。動きが余りにも自然過ぎて最初は妖精かと思ってた。今はある程度人形達に任せてあるが、本当は自分で操った方が早いのだとか。これでも十分すぎる程に手際が良いのだが、もっと上となるともう自分の体と大差なく操れるんじゃないだろうか。

「本当は全部自分で考える人形を作りたいのだけれど」

 アリスの声はそれでも不満気だ。まだまだ先を見据えているらしい。

 妹紅や紫、慧音から聞いた話を俺なりに置き換えると、魔法というのはいわゆるパソコンとプログラミングに近いものであるらしい。魔法陣とかで作った命令を魔力というパソコンを用いて作動させる。もちろん複雑であればあるだけ細かかったり強力な魔法になるが、その分パソコン(魔力)にも相応のスペックが要求される。身一つでは足りない魔法のためには外付けハードディスク代わりに科学的なアプローチを行うようで、魔理沙もそのためにキノコ集めをよくしているという。

 アリスのやっていることはパソコンでいう人工知能の域にまで達しているものだ。外の世界での電王戦よろしくフランにチェスで勝てるようになるのも後少しだろう。しかし、アリスの求めているのは人工知能よりも上の領域、人間を作り出すのにも等しいことではないだろうか。

「まるでピノキオだな」

「ピノキオ?」

「知らないか? 嘘つき人形が改心して人間になる話」

 俺が知ってるのもかの有名なアニメくらいだけどな。原作は確かイタリアの風刺小説だったと思うが読んだことはない。まあそこまで大きな違いはないと思おう。

「人形が、人間になるお話」

「へー、外の世界にはそんな話があるのか。なあアリス。アリス?」

 アリスは人形と人間をひたすら俯いて呟き続けている。魔理沙の声も聞こえていないみたいだ。まさか地雷でも踏んでしまったか?

「ちょっとあんたら何遊んでんのよ」

 怖い巫女も向こうからやってきた。どうやらアリスの操っていた人形が急に動かなくなったから様子を見に来たようだ。口は悪いが、アリスのことを心配しているのはよく分かる。少し話しただけでも、この少女が真面目な性格であることが窺える。そんな彼女が作業を止めるなんて余程のことがあったのだと考えたのだろう。

「ごめんなさい、ちょっと考え事をしていただけ」

 アリスは何事もなかったかのようにまたお酒を飲み始める。取り繕ったつもりかもしれないけど、俺や魔理沙はアリスの動きが止まったのを見てしまっているし、霊夢も勘がいいというから気付くだろう。しかし彼女は、それなら働けと一言だけ言って踵を返して行ってしまった。アリスは元に戻っているし、残された俺と魔理沙とで気不味い空気が流れる。

「じゃあ俺、他の奴らに挨拶しに行くわ」

 沈黙に耐えられなくなって席を後にする。魔理沙が一人で置いていくなと目で訴えてきたが無視した。

 準備も既に終わっていて、飲み始めている奴らも多い。見慣れた顔の居る場所に足を運べばいいのだが、どこに行くのが最善かわからない。既に見るだけで酔い潰れそうな量の酒をカッ食らっている萃香と文のとこは論外としても、ピンク色の髪の和服美人と話している紫のところには行きづらいし、他は知らない顔が多い。半分の知り合いと言っても殆ど紅魔館組だし、あっちにお邪魔するしかないか。なんて考えていたら胡散臭い妖怪に捕まった。

「こっちにも顔出しなさいな」

 呼び止められたので仕方なく声のする方へ向かう。勧められるがままにもらった盃を傾けると、これもまた度の強い酒。酒には強い方だがこの調子では終わるまで持たないかもしれない。紫は軽々と飲み干すし、ピンク姫はそんな知らんと言わんばかりに料理を平らげているしなんだこの空間。

「貴方は初めましてよね。彼女は西行寺幽々子、冥界の管理者よ」

「うぉうぉひふへえ、ふひひうぉひふへふはふ」

「こら、口の中に物を入れたまま喋らないの」

 紫が注意している姿は家族というか母親と子供みたいだ。本人に言ったら腕へし折られそうだけど。

「ふぁあひ」

 ピンクの暴食姫こと西行寺幽々子は注意された結果、喋ることをやめて食事に集中するつもりのようで、食べ物の減る速度が目に見えて上がっていく。どうしてこんなに料理が置いてあるのか不思議だったがこれが答えか。食料が尽きかけた頃、別のまた金髪の女性が料理が乗った大量の皿を軽々と運んできた。目が合ったら会釈されたのでし返しておく。幻想郷は美人美少女ばかりだが、その中でも特に蠱惑的な雰囲気を出す女性だ。もう一つ特徴的なのは背中にあるもふもふしてそうな尻尾。聡くない俺でも狐の妖怪なんだとはすぐに分かる。数えてみたら九本あるし九尾の狐ってやつか。俺でも聞き覚えのあるような妖怪なんだから有名なんだろうが、今は紫の従者になっているようだ。傾国の美女を従えるとか紫って凄いんだな。

「彼女は藍、私の式神よ。それにしても貴方って意外と見聞は広めてないのね」

「おいおい、こっち来て一週間しか経ってないということを忘れてもらっちゃ困る」

 むしろ一週間で紅魔館に博麗神社、人里に永遠亭と回っているのだからかなりハイペースだ。過労でそろそろ倒れてもいい頃合なんじゃないか。

「それもそうだったわね。じゃあ半分位は幻想郷を歩いた貴方から見て幻想郷(ここ)はどう見える?」

「えー? 人が人らしく生きられる場所、かな」

 白蓮さんとも話したが、外の世界は繋がりというものが希薄だ。知らない人に平気で暴言を吐けるような世界と言い換えてもいい。ネット上での会話が主流になっていた外と比べて、ここは言葉の重みが違う。実際に会う人の関係が何よりも大事で、だからこそ生きづらくも楽しい。

 まあ、それはそれとしてだ。

「俺、なんで斬られてるわけ?」

 喋ったせいか首がずれて視界がどんどん下に落ちていく。司令塔を失った体も同じように崩れ落ち、周りの人々が驚いた顔をこちらに向けているのが横目に分かる。後ろに誰か居たなら教えてくれても良かっただろうに、紫も人が悪い。

 首は刃物ですっぱりと斬られているようで一瞬何が起きたのか自分でもわからなかった。違和感的には紫の問い掛け辺には既に斬られていたと思うのだが、気付いたのは返答した後。なんか怨みでも買ったのか、それともフランの壊したがりならぬ斬りたがりの仕業か。どちらにしても迷惑なことだ。地面にぶつかって跳ねたのか視界がぐらぐら揺れて気持ち悪い。

 うん、命が幾つあっても足りないってことは相変わらず幻想郷の基本原理のようだ。

 




感想してくださった方に予言者(?)の方が居てわちき驚いた。


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傾奇者の宴 後編

 目が覚めれば相変わらず畳の上。布団を引いてくれるという優しさはないものか。勝手に殺されて運ばれてる時点で俺が何か言う権利はないんだけどな。外からはワイワイガヤガヤと宴を楽しむ声が聞こえてきて、逆に俺の居る部屋は他に誰も居ないせいで静かだ。みんな薄情者だ。なんて独り言を漏らしていると、襖が開いて銀髪のメイドが現れた。

「目が覚めてましたか」

「今さっきな」

 手には何も持ってないし単に様子を見に来ただけらしい。フランが楽しみに待っていると言われ、連れられて外に出ると天国なのか地獄なのかよく分からないごちゃまぜな酔っ払いどもの集団が酒瓶片手に暴れている。酔い潰れているのも既に何人か出ていて、踏みつけられて、ぐぇと蛙みたいに鳴いている少女も居た。

「お嬢様、妹様、若丘八房をお連れしました」

 とばっちりを受けないように慎重に咲夜の後ろを付いていると、博麗神社の桜の木の下で優雅にワインを飲んでいる二人の元に連れていかれる。見た目は完全に幼女だというのにほろ酔いという感じでもないし、まだまだ飲み足りなさそうだ。幻想郷の少女達は体の作りでも異なっているんじゃなかろうか、と思ったらそもそも目の前にいるのは人間ではないことに気付いて納得する。

「あら、貴方も来てたのね」

「ヤツフサー、乾杯しよ乾杯」

 レミリアとフランからそれぞれ歓迎(?)の言葉を賜って隣に座る。出来た従者が俺の分のワインも注いでくれたので、フランとグラスをぶつけ合って飲む。

 レミリアにフランに咲夜

、それとぐうすか寝ている門番の紅美鈴だっけ、が紅魔館からは来ているようで、動かない大図書館と名高いパチュリー・ノーレッジは来ていないようだ。俺まだ会ったことないから話してみたかったのだが、動かないのなら諦める他ない。

「それにしても、宴会も半ばなのにさっきまで何やってたのかしら」

「辻斬りに遭ったんだよ。誰だか知らないが、宴の席で人を斬るとか風情の無い奴だ」

「私としては人間のくせにそんな反応しているのが不思議だわ」

 人間のくせに、と言われても特に大きな害を被ったわけでもない。それで怒るってのは狭量じゃないか。苦りきった顔のレミリアにそう言ったら露骨に不快な表情を浮かべられた。解せぬ。フランは俺の話に興味が無いようで、何故か俺の背中にべったりと張り付いてグラスを傾けている。軽い子供とはいえ人一人分、ちょっと重い。

 咲夜は顎に手を当て、首をかしげてしばらく考え込んでいたが、何かに思い当たって、ああ、と声を上げた。

「それはたぶん妖夢の仕業ですわね」

「妖夢?」

「半人半霊の庭師ですわ」

「庭師がなんで辻斬りなんか」

 その質問に答えたのは人間の従者ではなく吸血鬼の主の方だ。レミリアは咲夜の言葉に疑問が氷解したと言わんばかりに頷いた。

「そういえば前にも斬れば分かるとかなんとか言って襲いかかってきたことがあったわね」

「やだ何その子怖い」

「ちなみに先程霊夢に引っ張られていきました」

 それは良かった。いつまた斬られるかと正直不安だったからな。出会う度に殺されてしまったのでは宴会を楽しむことが出来ない。

「だからフランも今日は壊しちゃ駄目だぞ。怖い巫女がやってくるから」

「はーい」

 流石に鬼巫女が怖いのか、元気よく返事をして俺の背中でバタバタ揺れる495歳児。信じられるか、ついさっきまでこの子に命握られてたんだぜ。以前、大量に壊されたときにフランの能力をなんとなくだけど感じ取れるようになっていた。だからといって避けられるわけもないのだが。

 グラスが空になる頃を見計らって咲夜がまたワインを注いでくれる。別に自分でやっても構わないのだが、進んでやってくれていることだし、甘えておこう。

「咲夜は飲まなくていいのか?」

「御心配なく、私もちゃんと頂いておりますわ」

 瀟洒ながらも自慢げに語るその手にはまた別のグラス。時を止めるメイドは自分の娯楽も完璧にこなすらしい。

「しかし、意外といえば意外ね」

「ん、何が?」

「てっきり藤原妹紅と一緒に居ると思っていたのだけれど」

「あー」

 レミリアは俺と妹紅をセットで考えていたのか。それは間違ってはいないのだが、一心同体というわけでもない。必ずしも一緒に居るとは考えないでもらいたい。ちなみに辺りを見渡しても妹紅はまだやってきていない。先に行くと言っておいて一体全体どこに飛んで行ったのか。方向音痴ではないだろうし、他に用事でもあるのか。

 ああ、レミリアが言いたいのはそういうことか。俺が宴会に来るのは初めてなんだから、一人で来るはずはない。妹紅が付き添っていて当たり前。それなのに影も形も見えないのを意外だと言ったのだ。俺もそう思う。というより妹紅がどこに行ったのかそろそろ心配になってきた。俺なんかよりも遥かに強いから問題無いとは思うけれど、やはり見た目は女の子なのだ。心配するなという方が無理な話だろう。

 酔いを覚ましてくると嘘を吐いて立ち上がる。咲夜とレミリアに礼を言い、紅美鈴に背中のフランを剥がしてもらって、博麗神社の外へ向かうと、霊夢をからかっている紫の後ろをすれ違った。博麗の巫女に目ざとく見つかって何処に行くのかと聞かれたので同じく酔い覚ましだと答える。腑に落ちないと顔に出ていたが、アリスの時と一緒で自分から干渉するつもりは無さそうだ。大した用事でもないし、その方が有難い。

紫は何が面白いのかいたずらを思いついた子供、じゃないな。どちらかというとクラスで集まって恋バナしてる女子みたいな表情で、霊夢に聞こえないように「湖の畔」と教えてくれた。女性というのは妖怪だろうとその手の噂は大好物らしい。

 鳥居をくぐって石段を降りる。神社が宴会で騒いでいたからこそ一歩外に出るといつもより静けさが耳に刺さる。紫の言っていた湖ってのは十中八九、紅魔館の近くにある霧の湖のことだろう。ここからだと少し遠いが、歩けない距離ではない。さあ歩こうと意気込んだら、道の先でスキマが開いた。嫌がらせじゃあるまいし、繋がっている先は妹紅の居場所の近くだろう。本当、お節介な妖怪だ。有り難く使わせてもらおう。スキマを抜けると湖のすぐ近くの森の中で、ここからでも一人で晩酌している妹紅が見える。相方は居ないのに猪口は二つ。

「俺にも一杯もらえるか?」

 後ろからこっそりと近付いて声を掛けると、妹紅は豆鉄砲食らったみたいに目を見開いて固まった。ずっと一人だと思っていたからか完全に思考停止状態だ。仕方ないので自分でなみなみ注いで妹紅の隣に腰を下ろす。静かに二人で酒を飲むのも乙なものだ。どんちゃん騒ぎの宴会とはまた違った風情がある。

「え、宴会に行ったんじゃなかったの?」

 フリーズものの異常事態から復旧した妹紅が、唐突過ぎて事情が飲み込めないながらも震える声で問いかけた。顔が赤くなっているのは酔っているせいだろうか。手も震えているし、相当飲んでいたようだ。なんて、それは流石に無理があるか。妹紅が酒に強いのは知っている。今朝こそ酔っぱらいの風体で帰ってきたが、あれこそ大量に飲まなければならない位に妹紅は、というか幻想郷の少女達は酒に強い。まだ冷酒も二本目だし、素面とそう変わらないはずなのだ。だとするならば、何故顔を赤くしているのか。自惚れでなければその理由は俺だろう。だから、あえて気付かないふりをする。

「酔いを覚ましに来たんだよ」

「ここまで歩いて?」

「いや、紫がここなら良いと連れてきてくれた」

 ほんの少しだけ嘘を混ぜる。バレていてもバレていなくてもどちらでもいい。俺が気恥ずかしかっただけだから。

「どうして宴会に行かないんだ?」

 本音の疑問。事情があることは察せても、心理学者じゃないんだからその事情が何なのかは教えてもらわないと分からない。無理強いするつもりは無いが、教えてもらえるまで戻るつもりは無い。強制はしていない、それでも。

 妹紅の顔は陰り、項垂れて沈黙を貫く。話したいけど話したくない。自信のないテストの点数でも開こうとしているみたいだ。聞かないでくれと暗黙のうちに頼まれたような気がするが、俺も諦めるつもりは無い。妹紅からすれば大きなお世話だろうけど俺の自己満足だ。嫌われたくはないけれど嫌われても仕方ない。

 それでもずっと待っていると、五分くらい経った後でようやく彼女は口を開いてくれる。叱っても怒ってもいないのに、なんだろうこの罪悪感は。

「まだ、気持ちの整理がついてないから」

「そうか」

 気持ちの整理ってなんだ? とは聞かなかった。妹紅にとって大切なことだろうし、俺が口を挟んでいい物事じゃないような気がしたから。それも言い訳で、妹紅の言いたいことが既に察しが付いていて、俺もその気持ちに整理をつけられていないから逃げただけに過ぎない。だけど、今この時につけなければならないものなのだろうか。これはもっと長い時をかけても答えが出ない可能性もある、元々百パーセントの正答なんて存在しない問題だ。一人だけで悩むものじゃない。二人で逃げてしまえばいい話だ。

「それじゃあ戻ろうか」

「うん、戻ってていいよ」

 ああそうですか、と帰るつもりは毛の先程も無く、居残るつもりの妹紅の手を取る。何度か繋いだことのある手はやはり少女らしい柔らかくて儚げな温もりある手だ。妹紅が驚いて振り払うといとも簡単に離れてしまう。それでも彼女の手を握る。俺がここに来たのは酔いを覚ます為でもまさか黄昏れる為でもない。

「お前も行くんだよ」

「私はいいよ」

「行かないと俺が嫌だ」

 手を握る力を強くする。綺麗な手を通して妹紅の鼓動が伝わってくる。かなり早くなっているけれど、俺もきっとそんなに変わらない。そのことは妹紅にも伝わっている。

「お前が何を悩んでるのか分かる。俺が悩んでいることと一緒だろうしな。二人で悩むのも非効率だろうし、考えても答えは出ないと思う。だったら、今は忘れてしまおう」

 妹紅は泣きそうな顔でこちらを見る。結論は出ないし共有することもできない。俺達の抱えている悩みはそういった類いの面倒臭いものだけれど、お互いが同じことで悩んでるって知るだけでほんのちょっぴり楽になれるものだ。

「忘れても、いつか決断しなきゃいけなくなるよ」

「だったらその時まで先延ばすさ。それは心ある者の特権だからな」

 そういえばつい最近にもこんな会話をしたな。あれは確か遊園地に行った時の話か。一週間ちょっと前のことなのに、俺には彼方昔のことに思える。今まで人生すべてと比較しても半々といったところ、俺にとっても予想以上に妹紅と過ごした日々が大切なものになっていたようだ。そして気付く。

 俺も藤原妹紅という少女に恋をしているということに。

 本当は分かっていたのだ。証拠はないと突っぱねて来たけれど、もう自分を偽れない程に想いが大きくなってしまっていた。俺が妹紅の気持ちを多少なりとも感じ取れたのだから、妹紅も俺の感情に気付いているのだろう。

「今は忘れよう。明日から答えが出るまで考えよう」

 俺の言葉に、躊躇うように妹紅は頷いた。二本目の徳利も空になっていて、もう酒は残ってない。

 俺達のこれは先延ばしではなくて、結論を出すために、無期限の期限を設けた。そんなところだ。

「戻ろうぜ」

「うん」

 待ちかねたぞとスキマが開く。この分だと俺の黒歴史待ったなしな恥ずかしい台詞も聞かれているんだろうな。拡散されていないことだけを祈ろう。広まっていたら妹紅に燃やしてもらおうか、どちらにしろ紫にはそろそろ何か仕返しでもしてやりたいものだ。

 スキマを抜けると三度登った博麗神社の石段。宴もたけなわ(締めの段階ではなく一番盛り上がっているという意味で)といったところで飲めや食えや遊べや騒げやの乱痴気騒ぎの地獄絵図。弾幕ごっこが始まったり、口喧嘩が勃発してたり死人のように酔い潰れた参加者が倒れてたりとめちゃくちゃな状況だが、それでもレミリアや紫、それと大食い姫様といったカリスマ勢はまだ優雅に盃を傾けている。あちらの方に辿り着けばまだちゃんとした酒盛りが楽しめるだろう。妹紅と顔を見合わせて頷いて、先ずは地雷地帯を抜けるために走り出した。

 その後のことは目が覚めた今でも詳しくは覚えていない。出来もしない弾幕ごっこに巻き込まれたり、泥酔したフランに壊されたような記憶はあるけれど、死んで酔いが覚めるとまた潰れる程に酒を飲んだので記憶もだいぶ点々としている。朝になった博麗神社は当然死人がごとく眠る人間と妖怪でいっぱいになっていて、目が覚めているのは俺を含めても数人くらいだ。妹紅は俺の膝を枕にして寝ている。そうだ、酔った妹紅が俺の膝で寝始めたから身動き取れなくなって酒を飲むことを断念したんだった。しかし、初めて会った時は膝枕されていた方なのに、と考えると少し面白いものを感じる。これも運命なのか、と一人呟くけれど、答えてくれそうだったレミリアは静かに寝息を立てるだけだ。咲夜は起きてくる奴らのためにとお粥を作っている。手伝おうかといったら大丈夫だと言われて、逆にそこから動くなと命令されてしまった。メイド長の命令ならば従う他ない。

 視線を下に落とすと、気持ち良さそうに眠っている妹紅がいて、顔がにやけてしまったのは防ぎようのないことだったと思う。いつも寝ていても何処か苦しそうだった寝顔が今日は安らかなのは偶然ではないと勘違いしてもいいだろうと自分に言い聞かせる。

 それにしても本当、嬉しそうな寝顔じゃないか。

 




とりあえず二章はここまで
新章に入るといってもそんなに内容も変わらないわけですが


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若丘八房の自分探し
古道具屋と現代人


更新少し遅くなりました。忙しくなるので今後もっと遅くなるかも


「これちゃんと営業してるんだよな?」

「私も滅多に来たことないけど。いつもこんなんだよ」

 妹紅の滅多に、は余り当てにならないのだが、今回はどうやら間違っていなさそうだ。うちのような断捨離小屋とは反対にゴミ屋敷のレッテルを貼りたくなるような家だが、廃屋みたいな形でも一応道具屋としては存続しているらしい。紫や魔理沙からの前評判が「閑古鳥が付喪神になっているような店」だったけど、タイトルに偽り無しとは恐れ入った。冷蔵庫やらテレビやら現代日本に生きていた俺としては琴線に触れるものが数多く投げ出されているが、残念なことに幻想郷に電線は通っていないし、地デジ電波も届かない。雷の妖怪にでも頼めれば良いのになんて魔理沙に言ったら苦い顔をされたが過去に何かあったのだろうか。向こう見ずな魔法使いのことだから、利用しようとして失敗したとかそんなところだろうけど。或いは山の上の神社に居る奇跡を起こす巫女にでも頼んでみようか。宴会の時にも居たらしいが全く話すことができなかったし、改めて参拝しに行くのも悪くない。

 閑話休題。俺がこの寂れた道具屋に足を運んだのは、いい加減邪魔になっている外の世界の通貨を換金してもらうためだ。ここの店主は外の世界フリークで、その手のものに目が無いらしく、ここに来れば高値で売れると言ったのは確か胡散臭い大妖怪。嘘吐きではないからまあ六割くらいは信用してもいいだろう。残りの四割は話してないだけの面倒臭い部分だと見た。

 立付けの悪い扉を開けると、外よりも物置感の増した室内と接客するつもりもない本を読んでいる伊達男がお出迎えしてくれる。開ける時に結構な音がしたので顔を上げてこちらを見向きはしてくれたのだが、すぐに興味も無いと読書に戻ってしまった。泥棒にでも入られたら防ぎようが無いなと思ったが、そもそもこんなニッチな店に物を盗みに来る輩もいないか。周りの多種多様なガラクタにも興味は惹かれるが、そらは無視してカウンターの前まで足を運び、財布の中身を全て広げる。しめて十五万円弱。

「これを換金してもらいたい」

「悪いけど、ガラクタをわざわざ買い取る趣味は無いんだ。冷やかしなら他所を当たって・・・・・・」

 気だるげに上げた視線が止まる。ずれた眼鏡を直すのも様になっているしかなりのイケメンだ。性格が良ければ引く手数多だろうな。

「君、これをどこで?」

「外から」

 眉間にしっかりと皺を寄せた疑惑の目がこちらに向くが、後ろに居る妹紅を見て理解してくれたようだ。納得したと本を閉じてカウンターの上に載せる。冷やかしではなくて、珍しくもちゃんとした客であると受け取ってもらえたようで有難い。

「君が新聞に載っていた外来人か」

「若丘八房だ。不死身なだけの一般人と覚えてくれればいい」

「不死身とは随分と自分を過大評価しているようだね」

「過大評価なら一般人なんて付けないさ」

「それもそうだ」

 すぐに意味を理解してくれて、更に軽口も返してくれる。悪くない話し相手じゃないか。椅子を勧められたので遠慮なく座らせてもらう。妹紅は暇だから外の珍品でも勝手に見て回ると言いながら店を出て行った。煙草でも吸いに行ったのだろう。

 店主は森近霖之助と名乗り、俺が置いた紙幣と硬貨を手に取った。興味深く観察しているが、そこまで珍しいものだろうか。お札ならともかく一円玉なんてよく自動販売機の下から幻想入りしてそうなものだが。

「これはお金に類する物で合ってるのかな」

「外の世界のお金その物だよ。幻想郷の価値で言うなら多分十五円くらいにはなるんじゃないか?」

 きっと、たぶん、メイビー。詳しい貨幣価値なんて時代どころか世界が違うようなもんだから比べられはしないけど、今までの買い物の値段から鑑みるに一円でだいたい一万円程度だろう。ただ、外の世界の紙幣ということはもちろん希少価値があるわけで。

「二十円で買わないか?」

「それは幾ら何でも高すぎだろう。吹っかけるのも大概にしてくれ」

 流石に言いすぎたか。本当に二十円で買ってもらおうなんて虫のいいことは考えてない。だけどまあ、こういう時は先に言った方が主導権を握れるものだ。無理に高値で売りつけようとする理由は無いが、せめて一対一レートには持っていきたいものだ。

「じゃあ十八円」

「十三円くらいでも構わないだろう?」

「十三円は低すぎるな。仮にも外の物品で、しかも忘れられにくいもんだ。十八円はするだろう」

「でもこんなものうち以外では引き取らないだろう」

「足元見られるくらいなら紫に渡すね」

 むむむ、と互いに睨み合う。霖之助の言うことは間違ってない。わざわざ使えないお金を買う物好きもそうは居ないだろう。折れるのも癪だが、高く売りつけられなくても無料よりはマシか。

「十五円で手を打つか」

「十五円で手を打たないか?」

 同時に言葉が出た。考えることは同じらしい。あちらも出来る限りこの価値もない紙を他人には渡したくなかったらしく、妥協点がちょうど良いところで見つかった。これで契約成立だ。霖之助が奥から取り出して来たこっちでのお金を指折り数えて確認し、財布の中に入れる。用事はこれで終わったし、折角だから何か見て帰ろうかと考えていたら扉がいきなり乱暴に開け放たれた。我が物顔で入って来たのは赤白のもんぺ少女ではなく紅白のお目出度い巫女。霊夢は真っ直ぐこっちに向かってきて、俺を押しのけてカウンターに何か乱暴に置いた。何かと思えばいつか俺が賽銭として入れた五円玉九枚だ。

「霖之助さん。これは高く売れるでしょ! 外の通貨よ」

 俺の方を一回見てから霖之助にまくし立てる貧乏巫女。先程までちょっとした商談をやっていた身としては言いづらいのだがそれでは文字通り一銭にもならない。さっきの会話で現代と幻想郷の為替レートを覚えた霖之助は穴の空いた硬貨の数字を見て苦笑いを浮かべている。

「あー、悪いけどそれは外の世界では一銭の価値もないんだ」

 しょうがないので俺が真実を教えてやると、一攫千金を考えていた霊夢の勢いが目に見えて萎む。

「えっ、あんたそんなちっぽけな賽銭寄越したの? 騙したわね!」

「騙したわけじゃないんだが、すまんな」

 お賽銭に十円より多く入れるのはむしろ大金を入れたほうなのだが、少女はそれでは納得してくれない。困ったな。あの国民的スナック菓子が四本も買えると言えば結構な金額に聞こえるが幻想郷にそんなものはないし、最低通貨は一銭。つまり換算して百円程度だ。そりゃゴミとも変わらんわな。どうやって怒りを収めさせるかと頭を悩ましていると、手に取って五円玉を鑑定していた霖之助から助け船が出る。

「お金はあったんだろう? どうして九枚なんて中途半端な数字を?」

「あ、確かにそうね。どうしてよ」

 霊夢の意識が少しだけ逸れた。グッジョブ霖之助、後で店の手伝いでもしよう。

「五円って書いてあるだろ。それを御縁と掛けて、九枚で始終御縁(四十五円)がありますように、って意味があるんだよ」

「へえ、そうなんだ」

 ちなみに一枚でも御縁がある。三枚で充分御縁があるという験担ぎもある。そういえば昔からあるものだと思っていたが、昔は一円の価値が違うからこの風習が出来たのももっと後のことになるんだよな。意外と歴史って浅いもんだ。

 これで霊夢の怒りから免れることが出来たかと言えばそれとこれとは全くの別問題で今度からはちゃんと幻想郷で価値のあるものを持って来いと怒られた。じゃあ今度は酒でも持ってきてやると言ったらそれは間に合ってるからいいとのこと。我が儘な巫女だ。結局あの無駄に多い五円玉も霖之助が五銭で買い取っていた。やれやれと言いながら霊夢には甘い姿は、近所のお兄さんみたいだったが彼の名誉のために言わないでおいた。後買い取ってもらえてホクホク顔の霊夢がお年玉を貰った子供のように見えたことも。

 霊夢は勝手にカウンター裏の居住スペースの方に入っていったので、俺は妹紅が帰ってくるまで店内の骨董品でも見て時間を潰すことにしよう。さっきは失敗したとはいえ助け舟を出してもらったことだし聞かれたことに出来るだけ答えてやるつもりだ。ゲーム機とか一昔前のプロ野球のユニフォームとか分かるものもあるが、理解出来ないししたくもない物もたくさん散らばっている。埴輪とか偽物臭い壺ならまだしも、謎の機械に変な紋様。邪神でも呼び出しそうな本まで置いてある。危ない本は焚書してしまった方がいいんじゃないのかと提案してみても希少なものだからと断られた。

「それにしても、よくもこんなに集めたもんだな」

 いや、忘れられたものだ。と言った方が俺の心境としては正しいな。大切そうな指輪とかも混ざっていて、物に対する執着というものが薄くなってしまったのか。外の世界で生きていた俺がどれだけ無駄な消費をしていたか考えるとなかなかに鬱いものがある。

「君は物を大事にする性格に見えるけどね」

「そうでもないさ」

 漏れるのは溜め息。溜めを吐くと幸せが逃げるというが、そんな理由で簡単に止められるものではない。あの夜、妹紅と誓ってから先延ばしにすることが許されなくなった。結論を出そうと模索する度に、どうしても思考は自分が如何に矮小か、というところに逸れてしまう。自虐に走ることで忘れてしまおうとしているのだろう。自覚できているから自分に腹が立つ。

 霖之助は読み直していた本の最後のページを捲ると、立ち上がって俺にその本を差し出してきた。貸してくれる、ということらしい。タイトルは読むのも億劫になるくらい分かりづらいものだったが、出会ったばかりの人間に勧めたくなるほど面白い本なのだろうか。

「君の悩み事はこの本で解決するかもしれない」

「いや、なんだよその予知みたいな言い草」

「予知じゃなくて推測だよ。それにもちろんタダというわけではない。君の知識を借りたいと思ったから現物で支払っただけさ」

 そう言う霖之助の反対の手には数世代昔の携帯ゲーム機が握られている。使い方を教えろ、というつもりのようだ。面倒臭そうな物もあるし、本一冊で足りるのかどうか甚だ疑問ではあるが、ここは騙されておこう。本を受け取って持ち寄った鞄に入れる。霖之助は部屋の奥に消えて行った霊夢に向かって湯呑みは五つ用意して欲しいと大声で言う。霖之助と霊夢と俺と、他は妹紅と誰だ。正体不明の後一人は考える暇もなく箒に乗ってやってきた。

「お、八房も本当にこんなとこにやって来てたのか」

「家主でもないのにこんなとこ、か。相変わらずだな魔理沙」

「だってよ香霖、こんな魔法の森の入口なんかに構えてる店に来るのは奇人変人の類いだぜ。ただし私は除く」

「こっちからしたら君も充分奇人だよ」

 そこに霊夢も戻ってきた。魔理沙を見て呆れて手を額に当てている。

「あんたも来たの? 本当に暇人ね」

「お前にだけは言われたくないな。お前もどうせ香霖堂のところに来ればただで茶を飲めると思ったから来たんだろ」

「何か文句でもあるの?」

「僕にはあるんだがね」

 霖之助も二人には逆らえないようだ。霊夢も魔理沙も歯に衣着せぬ物言いである。なんてそれは俺も人のこと言えないか。せっかくまともな客が来たのに冷やかし二人まで来てしまったと嘆きながらもこころなしか楽しそうな霖之助は放っておいて、霊夢がしっかり五人分淹れてきた煎茶を一つ貰い受ける。巫女と一緒に道具屋店主と普通の魔法使いの漫才を眺めていたら、少し遅れて妹紅も店に戻ってきた。店内の面子を見るなり「うわあ」とドン引いた一声。なお霖之助曰くこれでほぼ通常運転の模様。香霖堂の明日はどっちだ。

「ちょいと知識を売ってしまったからまだ時間がかかるんだが妹紅はどうする?」

「帰ってもすることないしここで待ってるよ」

「分かった」

 霖之助と魔理沙の兄弟みたいな掛け合いも終わり、霊夢と妹紅と魔理沙で今度は世間話でも始めそうだ。女三人寄れば姦しいとも言うし、この三人なら閑古鳥の鳴き声を超えるバックグラウンドミュージックになるかもしれない。そんなこと霖之助と軽口叩き合って笑いながら、連れられて店の裏にある倉庫に向かう。なんというか、信じられないくらいに大量の廃棄物だ。特に自転車が数え切れないくらいに積み上げられている。明治時代には自転車はなかったようで霖之助自身は速く移動することが出来る道具としか分からないらしい。試してみなかったのかと聞いたらどれもこれも壊れているようで、直せば使えそうだが肝心の直し方が分からないと返ってきた。もしかしたら一人で行動する時の移動時間の短縮に使えるかもと思い、使えそうな奴の修理を条件に一つ譲ってもらえることになった。ただ、自転車が多いといっても、それだけでは半分にも満たない。山になっている骨董品を整理するなんて、全部やってたら大掃除の時よりも何倍も時間がかかる。あの本にそれだけの価値があるのか。ちょっとした不安が頭をよぎって消えた。

 



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完全記憶の記憶違い

いつもより遅れての更新。忙しくて申し訳ないです。


「お疲れ様。初めての授業はどうだ?」

「おもっくそ疲れた」

 慧音に根気を振り絞ってなんとか簡潔に答え、ちゃぶ台に倒れ込むように突っ伏す。子供の持つエネルギーはやっぱり桁が違うと大人になってしみじみと思う。昔は下の子と一緒になって騒いでもなんともなかったのに今じゃ真面目な授業一つするだけでこのザマだ。元気がいいのはよろしいことだが、付き合うこっちは身が持たない。

 気を利かせてくれた慧音がお茶の入った湯呑みを机に置いてくれる。あー、疲れきった体に渋いお茶は癒される。毎日繰り返して習慣になれば楽になるんだろうか。俺にはとてもそう思えないし、いつの時代でも教師は根気強くないとなれないんだな。俺は恩師と呼べるような先生には会えなかったが、今までの担任全員に尊敬の念を抱かざるを得ない。

 授業中は部屋で眠りこけていた妹紅を起こすと、寝惚けた顔でここはどこだと言い出すものだから、俺と慧音の二人で顔を見合わせて笑った。目が覚めた妹紅が膨れていたので謝ると、後で仕返ししてやると言われた。おお怖い怖い。

「この後はどうするんだっけ」

「阿求のとこにお邪魔して幻想郷縁起を読ませてもらう」

 稗田家ってのは昔から幻想郷の妖怪に関して綴ってきた由緒ある家柄で、元を辿ればあの教科書にも出たりしている稗田阿礼の一族らしい。というか阿求自身が阿礼の生まれ変わりで本人みたいなものなのだとか。生まれ変わりが生まれるのが百年単位らしいのだが、幻想郷が出来たのは明治頃じゃないのか。と疑問を投げかけたら、幻想郷が今の形態になったのがその頃で、その前から妖怪の多く住まう土地としての幻想郷はここにあったのだという。藪蛇で幻想郷の成立を六百年くらい前の出来事から長ったらしく説明されたが重要そうな部分以外は聞き流した。こういう授業は霖之助とでもやってくれ。あいつなら喜んで考察に付き合ってくれるだろうから。

 そして、幻想郷縁起というのは先程も自己解説したように妖怪について書かれている書物なのだが、これを見たいと言ったのは俺である。何故かというと、一つは単純に幻想郷についての理解を深めるため。紫や慧音の話もタメになるのだが、それはあくまで妖怪であったり、管理者、観察者としての視点だ。人間の側から見た妖怪について調べてみたいと思ったのだ。もう一つは妹紅にも言っていないが、人魚を探すためである。永琳の説明によれば、俺には人魚の血が流れているらしい。人間の血に混じった不純物としか言いようがないくらいに僅かなものだが、手掛かりにならないと決まったわけではない。かぐや姫から頂いた難題にはまだ答えが出そうにないから、仮の回答として自分の起源を知ることを行動指針に決めた。だったら真面目に探して行こうと考えている。

 慧音のお茶で疲れた心と体は癒されたし、妹紅に襲いかかっていた睡魔も撃退されている。妹紅はまだムスッとしていたが、そろそろ行かないと日が暮れる頃に帰れないので、立ち上がって、慧音に別れの挨拶をしてから稗田の家に向かう。

「大きなお世話だとは思うが、無理はするなよ」

「なんで人里歩くのに無理しなきゃならないんだよ」

 慧音のお節介を軽く流して通りを歩くと、寺子屋からはそれ程離れていないからすぐに稗田邸に到着する。いつ見ても大きな屋敷だ。こんなところに住むのは誰もが一度は夢見たこともあるだろう。ただ使用人も雇わないと掃除がキツそうだから絶対に俺は住まないけど。

「阿求様にお目通り願いたい」

 屈強そうな二人の門番に声を掛け、次いで取り出すのは阿求直筆の紹介状。以前縁起を見たいと言ったら快く書いてくれた物だ。門番はそれをしばらく見つめ、待っていろと言って片方が屋敷に入っていく。阿求に確認を取りに行くのだろう。一度見たものは忘れないという阿求の言は他のどんな文言よりも信用出来る。戻ってきた門番から入っても良いと許可を頂いたので、多少緊張しながら屋敷の中に足を踏み入れると、待ち構えていた使用人に阿求のところまで案内される。なんだか入り組んだ建物だ。日本家屋がどのような構造になっているのかは詳しく知らないが、はぐれれば簡単に迷子になってしまいそうな道だ。紅魔館といい迷いの竹林といい、幻想郷はどうしてこうも迷路好きなのか。

 部屋に通されると、阿求が気品溢れる立ち振る舞いで待っていた。驚きを表に出さないようにこちらも恭しく一礼すると、阿求は俺達をここまで案内してくれていた使用人に部屋から出るよう促す。見も知らぬ他人と自分達の主人だけにすることに困ったような顔をしながらも、使用人は部屋を出て襖を閉じていった。それを見届けて阿求が大きく息を吐く。

「皆いい人なのですけど、少し過保護なんですよね」

「自分の立場考えたら当たり前のことじゃないのか?」

「そう言われると反論できませんが」

 里の名家の当主でまだ十代半ばのやや病弱な少女を心配するなという方が無理な話だ。それに、本人の前では言わないが寿命という物がある。

 稗田阿礼の生まれ変わり、御阿礼の子と呼ばれる人は、理由こそ不明だが誰しも寿命が短いのだという。だいたいが三十を待たずに死に、越えた者でも四十歳まで生きた人は居ない。つまり、阿求の寿命は後二十年あるかないか。自分より幼い相手が先に死んでしまうことを分かっているのだから、この屋敷の使用人達は主人を大切にしているのだろう。可哀想、なんて言葉にしてしまうのは語弊があるけれど、おそらくはそれに似た感情で。

「それはそれとして、縁起を読みに来たんでしたっけ」

「えっ、ああ。そうだ」

 俺が考え事をしていたせいか、重苦しくなっていた空気を壊すように阿求が明るい声で言う。持ってきてもらった本を捲ると、知った顔知らない顔、様々な妖怪について説明と講釈が書かれていて、霖之助から買った本よりも数段面白そうだ。人魚の頁を真っ先に探して読むつもりだったのだが、御丁寧に最初の頁から開いてしまったせいで、面白さと興味深さにパラパラと飛ばすことが出来なくなった。初めの方にあってくれれば楽ができるのだが、ただでさえ分厚い本でそんな幸運を願うことも馬鹿らしい。

「そういえば、どうして縁起が見たいと思ったんですか? 興味だけでは動かない人に見えますけど」

「地味に酷いこと言ってるのに気付いてくれ。これでも人並みに好奇心はあるんだから」

 余程のことでない限りは、まぁいっかで流しているだけだ。いや、これだと動いてないな。阿求の言い分はもっともなのか? 本人としては信じたくないな。人として底が知れそうだ。

 反論できなくなってしまいそうだったので幻想郷縁起を読み込む作業に慌てて戻る。紫とか萃香とか、序盤に書かれているのは大妖怪の類いが多い。阿求曰く、初めの方に書かれているのはそれだけ昔に書かれた妖怪、古い妖怪なので強いのは当たり前だとのこと。言われてみればそうだ、何百年も掛けて書き足され続けているんだから、新しいのは後ろに持ってくるものだな。そんなことを思いながら頁を捲っていると、何かに耐えかねたかのように妹紅が口を開いた。

「人魚は探さなくていいの?」

「・・・・・・ちょっと待て、なんでお前がそのことを知っているんだ」

 阿求は言っている意味を理解出来てないからあどけない顔付きで首を傾げているだけだが、その言わんとするところを分かってしまった俺は冷や汗が止まらない。別に知られたくなかったわけじゃないが、教える必要も余り無いと思ってそのことは妹紅には話さず、分からなかったとだけ伝えた筈だ。いったい誰からそれを聞いたのか。

「この前あいつを殺しに行った時に、永琳が教えてくれたんだよ」

 雷に打たれたように驚いてまともに頭を働かせていなかったが、言われてみれば当たり前のことだ。俺に伝えたのは永琳なんだから、広くとっても永遠亭の誰か以外に有り得ない。妹紅がずっと機嫌悪かったのは俺がそれを教えていなかったことに腹を立てていたのか。めちゃくちゃ分かるように怒っている。うん、これは全面的に俺が悪そうだ。言い訳も何も無い。

「えと、人魚でしたら幻想郷には一人しか確認されてませんよ?」

 二人の間の微妙な関係の悪化に気付いたのか、というか妹紅に気圧されたようで阿求は少し怯えながら人魚の情報について教えてくれる。むしろ幻想郷に居たのか人魚。あと一人で数えるのか、人という字が入って人型であるとはいえ妖怪だろう。まあレミリアを一鬼と呼んだり文を一匹と呼んだりするのには違和感しか感じられないから特に気にするところでもないけど。

 話に聞くと、その人魚の名前はわかさぎ姫というらしい。妖怪としての格は低く、余程のことがない限り人は襲わない善良な性格なのだとか。霧の湖に住んでいるということは、もしかしたらあの時の会話も聞かれてしまっている可能性があるわけだ。それは恥ずかしい。妹紅はわかさぎ姫の名前に聞き覚えがあったのか、頭に指を当てて考え込んでいる。放って縁起を読もうとすると多分また怒られて今度は燃やされそうなので、黙って妹紅が何か思い出すのを待つ。数分ほど待っていると心当たりが見つかって「そうだ」と嬉しそうに声を上げる。

「なんか知ってるのか?」

「そうそう、影狼って居るでしょ?」

「いや誰だよ知らねえよ」

 ごめん聞いたこともない名前だ。どこのどちら様だっけ。

「ほら、時々夜中に吠えてる奴」

「あー、あれか」

 妹紅の次の説明でなんとなく見当が付く。会った事はないけれど時折人間(本当は妖怪だろう)が狼のように吠えているのは聞いたことがある。たぶんそいつのことを言っているのだろう。

「で、そのカゲロウさんがどうしたって?」

「うん、草の根うんたらとかの話を聞いている時に名前を聞いたことがある」

「草の根妖怪ネットワークですね」

「そうそれ」

「なんだそれ」

「私も噂程度にしか聞いたことがないので詳しくは分かりませんが、低級の妖怪たちが生き残る為に相互扶助をしているそうです」

 阿求ですら噂でしか聞いたことがないとは、余程隠蔽するのが上手い集団なのか、それとも誰からも相手にされてないから伝わってないだけなのか。カゲロウとやらは別に隠してもないようだから後者の方が可能性は高そうだ。だからといって俺みたいな一般人には危ないことこの上ないが。兎にも角にも、わかさぎ姫にお会いするにはその前にカゲロウさんに話をつけて行った方がいいってことだな。

 気が付いたら日も暮れる時間帯になっていたので、そろそろお暇させて頂こう。縁起を閉じて部屋を退出しようとすると、俺だけが阿求に呼び止められた。妹紅には聞かせたくない話らしい。仕方ないので外で待っているよう妹紅に頼んで、先に出て行ってもらう。何の用だろうか、もしかして告白か。なんて自惚れ過ぎだ馬鹿野郎。

「八房さん」

「なんだ?」

「すごいお聞きしづらいことなんですけど」

 本当に何のことだ。全く身に覚えがない。質問される事柄も思い付かないし、ましてや人に聞かれたくないことなんて清廉潔白のこの身には無いと思っていたのだが。

「前にから思っていたんですけど、何処かで会ったことありませんか?」

「・・・・・・はい?」

 何かの冗談ではないらしい。阿求の表情は真剣そのものだ。しかし、俺は今まで外の世界に居たんだから会っているはずがない。頓智な答え方をするならば数日前に会ったと言えばいいけれど、そんなおちゃらけた雰囲気でも無さそうだ。一度見たものを忘れない程度の能力を持つ阿求がわざわざ質問する。不可解極まりない。

「意味が良く分からないんだけど」

「あ、そうですよね。突然こんな事言ったりしてごめんなさい」

 阿求は恥ずかしそうに俯いて、自分を恥じるようなことをぼそぼそと呟いている。俺としては早く説明が欲しいのだが焦るわけにもいかないだろう。少しして落ち着いた阿求は言いたいのことの整理が付いたようだ。

「貴方の顔を何処かで見たことがあるんです。でもそれが誰だか分からない」

「思い出せないってことじゃないんだろ?」

「それとは少し違います。見たことがある気がするのに、記憶の中に該当する相手が見つからないんですよ」

 ふむ、これ人魚云々よりも遥かに俺の体質に対する手掛かりにならないか? 阿求が思い出せない俺と同じ顔の人。それが誰なのか分かれば答えにぐっと近付けるかもしれない。

「俺は会ったこと無いと思うけど。まあ、俺の方でも調べておくよ」

「ありがとうございます。あ、じゃあもう一つお願いいいですか?」

「なんだ?」

「草の根妖怪ネットワークについても調べてきてくださいね」

 その屈託のない無邪気な笑顔を見るとうん、まあそのなんと言うか。幻想郷の女の子たちってやっぱり強いなと思った。

 




適当に伏線貼ってしゅーりょー


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道草を食う

「と、いうわけで」

「何がどういうわけなのよ!」

 カゲロウさん、すまん。どういうわけなのかは俺が聞きたいんだ。それに文句を言うなら妹紅に言ってくれ。

 わーきゃー騒いでるけもみみの彼女が今どんな状況になっているかというと、黒焦げになって紐で縛られてる。ただしエロいことには一切なっていない、というのが俺の理解出来る限りでの現状だ。妹紅は何故だがやり遂げたぜとでも言いたいかのようにドヤ顔でふんぞり返っているのでとりあえずチョップする。

「痛いっ!」

 偶然、不意打ちとして分け目の辺りにクリーンヒットしたので、目尻に涙を浮かべながら妹紅が抗議してくるが、今回は聞いてやる義理がない。

「さあ理由を説明しろ。何をどうやったら顔を合わせた瞬間逃げられて、なおかつこんな捕まえ方をしなくちゃならなくなるんだ」

 カゲロウさんとやらに会うために、妹紅の案内の元竹林を散策していたのだが、一時間ほどうろついて、ようやく会うことが出来たと思ったら、開口一番に女の子が出しちゃいけないような悲鳴を出して逃げ出された。俺も必死に追いかけたが、妖怪と人間の力量差、そして竹林歴で劣る俺が追いつけるわけもなく、すぐさま妹紅共々見失ってしまった。やっとの思いで二人を見つけたらこの状況。とりあえず、流石の俺も怒っている。

「なんで逃げたのかは知らないよ。でも逃げるなら追いかけないと」

「本当に胸を張って何もやってないと誓えるか?」

「うっ・・・・・・」

 最初よりも語気を強めて聞くと、やはり後ろめたいことがあるのか目を逸らす。それでも何も言わないということはどういうことだ? そんなに人に言えないようなことをしたのか。それだったらカゲロウさんに顔向けできねえぞ。

 だけどこのままにらめっこを続けるわけにもいかないので、じたばたもがいているカゲロウさんの方に質問を向けると、妹紅と違って非常にわかりやすく納得の出来る理由が返ってきた。つまり、屋台で酔っ払い妹紅に絡まれて燃やされかけたのだとか。

 全面的に俺達が悪いじゃねえか。妹紅の頭を掴んでむりやり下げて、とりあえず謝る。また悲鳴と抗議が聞こえた気がしたが気のせいだろう。

「それはすまなかった。後でよく言い聞かせておくのでどうか許してやってほしい」

「それはいいけど、早く縄ほどいてよ。食い込んで痛いのよ」

 かなり真剣な懇願である。字面だけ見てエロいと思った奴、実際に見ると真面目に痛々しいぞ。もっとも、それを尻目に長々と話している俺も相当な畜生みたいだが。

「ああ、分かった。だけど、俺達もあんたに用事があるから来たんだ。逃げないでくれると助かる」

「どうせ二の舞になるのは分かってるわよ」

「ありがたい」

 持参したカッターナイフで紐を切ると、カゲロウさんが観念したと姿勢を直して座り込んだ。この辺り、怒りを引き継がないのは幻想郷の少女達の美点だと思う。酒でも飲めば大事件であるらしい異変すらも全て水に流してしまうというのだから相当だ。

「で、私に用事って何よ。知らない相手に頼られるようなことなんてないと思うんだけど」

「ああ、それなんだけどな。わかさぎ姫に会ってみたいんだ」

「姫に? 人間がどうしてよ」

「ああ、えっと」

 そういえば理由を決めてなかったな。正直に話しても構わないのだが、「俺に人魚の血が流れてる」なんて言っても相手からの視線が一段階冷たくなって終わりだろう。御近所さんなんだし、これ以上関係を悪くしたくはないんだけど、どうしたものか。考えた挙句、当たり障りのない程度に事実を話すことにした。

「どうにも人魚に縁のある血筋らしくて、俺は会ったことがないから興味があるんだ」

「ふうん、変なの」

 凄い訝しげに見られたけど、単純に変な奴だと思われただけのようだ。そっちの方が傷ついたりする。カゲロウさんは悩む素振りを見せたが、一つの条件と共に了承してくれた。

 その条件は、俺には少々辛いものだったのだが。

 

 

 俺は飛べないし、影狼も飛んでいくよりも気が楽だと言ったので霧の湖までの獣道を()()で並んで歩いている。わかさぎ姫に会うにあたって出された条件というのは、藤原妹紅を同伴させないということだった。理由は友達を焼き魚にされては堪らないとのこと。実に理に叶っている。当然妹紅は反対したが、俺の方から頼み倒して納得してもらった。他に誰かついてきてもらうことも考えたが、よくよく考えれば霧の湖は紅魔館のすぐ近く。いざとなったら門番に助けを求めればいいだろうと、二人で行く次第になった。彼女が眠りこけていないことを願うのみである。

 徒歩で行くにはやはり少し時間が掛かるのでその間に何をして退屈をしのぐかと言えば、それはもちろん世間話でもするに限る。第一印象は良いものであるとは言えないので、せめて顔を見て逃げられない程度には修復しなければならないだろう。縁起に彼女の頁もおそらく有っただろうが、不幸にも俺はそこまで辿り着けなかったので、先ずは互いに軽い自己紹介から入った。彼女は正しく今泉影狼と言うらしい。陽炎でも蜻蛉でもなく、影に狼という字を使うのだから珍しいと漏らしてしまった俺は悪くない。そしたら俺の八房という名前も変な物だと返されたが、客観的に見て俺の方がまだマシだと思う。狼男ならぬ狼女である彼女は、だからといって別段人を襲うなんてこともしないようだ。以前、何かの異変に巻き込まれて人を襲ったときは見事に返り討ちにされてしまったのだとか。大量のナイフで全身を切り裂かれてから、少々人間に対して恐怖心もあるようだ。ナイフを使い、妖怪を退治できる人間なんて、俺には咲夜しか思いつかないのだが、彼女は友達のすぐ近くにその人間が居るという事実には気付いているのだろうか。俺は別に話すことでもないと感じたので黙っていたままだったのだが。

 と、様々な話を聞いたり話したりしている内に、林の中の獣道を抜け、霧の湖のすぐ近くに出る。紅魔館はちょうど向かい側の一番遠いところにあるようだ。改めて遠い所から眺めると、紅魔館の後ろにある山の大きさが際立つ。確か妖怪の山だったか、文とかの天狗、何故か技術力の高い河童、その他たくさんの妖怪が住んでいることから付けられた安直な名前。安直ではあるけれど、簡潔で分かりやすいし、そのセンスは嫌いじゃない。

 おっと、話が逸れた。霧の湖にようやく辿り着いて、影狼は湖中に向かってわかさぎ姫の名前を呼ぶ。すると直ぐに水中からどうやって出したのかも分からないが、女の子の声で返事が返ってきた。ぶくぶくと気泡が浮かび、多少の水飛沫を上げて出てきたのは、見るからに人魚ですよと主張している格好の少女。耳の辺に鰓があり、上半身には緑色の着物を着ているが、下は魚のヒレが堂々と出ている。そして初対面なのだが、不思議と親近感を感じさせる。いや、親近感というのは少し違うか。例えるなら、電車の中で面識も理由もないのにある人に視線が向くような感覚。これは人魚の血とやらが関係しているのだろうか。薄いと聞いていたが、それでも効果があるとは恐ろしい。

 呼び出されたわかさぎ姫もこちらを見て不思議そうな顔をしている。ただ一人何も分かってない影狼が、図らずも除け者にされていることに気付いたのか、大きく咳払いをして、俺と姫の意識を逸らした。

「こいつは八房って言って、人魚である姫に興味があるんだって」

「私に?」

「そ、悪意はなさそうだから連れてきてあげたけど、変な奴だよ」

「最初の説明がそれなのは割と酷いと思うんだ」

 否定はしないけどな。しようがないし。ただその変質者的な言い方は色々と誤解を招くからやめてほしい切実に。多少なりとも自己紹介で挽回する必要があるな。とりあえず高さを合わせるために腰を下ろして、話す体勢を取る。

「どうにも人魚に縁のある血筋でね。俺は会ったことがないから、人魚ってどんな人なのかと気になってたんだ」

「そうなんですか。でも人魚と言っても何かお話できるようなこともありませんよ?」

「そっか、そうだよなあ」

 いきなりに人間について教えてくださいと言われるようなものだ。霊長類だとか言語を用いるだとか月並みな説明くらいなら出来るけど、逆に言えば図鑑に載っている以上のことを確信を持って話すことは出来ない。出来ないから哲学という分野があるのだし、もし言えると豪語する奴は救世主か詐欺師か、或いは何処かから毒電波でも受信していやがる。当たり前のことにも気付けていなかったようだ。影狼に変人扱いされるのも致し方ない話だろう。

「ま、見聞を広めるって理由もあるんだけどな」

「でも、私達みたいな低級妖怪ならともかく、軽いノリで妖怪に近付くのは危険ですよ?」

「それなら大丈夫なんじゃない? こいつには怖い用心棒が付いてるから」

 嫌味な言い方だ。何だかんだ言ってまだ燃やされたことを根に持ってるのか。なんてことも考えたが、幻想郷の住民は皮肉が得意技だし、それの延長上かもしれない。ついでに怖い用心棒はさっき引っぺがされた。

「ああ、妹紅さんのことね」

「待って、姫がなんで知ってるの?」

 影狼が驚くのは当然だろう。俺と初対面の筈なのに、口にすら出していない妹紅の名前がポンと出てきたのだから。だけど俺には心当たりがある。

 あの宴会の夜のこと、観客はスキマ妖怪以外にも居たらしい。こそこそ隠れていたわけじゃないし、薄々予想も着いていたが見られていたと意識してしまうとなかなかに恥ずかしい。特に、紫みたいな覗き妖怪ではなく、偶然近くに住んでいて聞かれるとか、爆発しろとか言われそうだ。

「実は二回くらい八房さんを見かけたことがありまして」

「二回?」

 はて、もう一つはなんだっただろうか。霧の湖を訪ねたのは今回含めても二回だったと思うけど。それでは姫が何処かに行ったのかそれも少々考えづらい。うんうん頭を捻らせて、やっとのことで思い当たる。

「紅魔館から帰った時か」

「魔理沙の箒に乗ってましたね」

 思い出されるのは幻想入り初日、そんなに昔のことでもないはずなのだが、うっかりその可能性を失念していた。おそらく余りにも多くのことが起こり過ぎて結び付けられなくなっていたのだろう。湖を住処にしている氷の妖精にまだ出会ってないのが不思議な程だ。

「紅魔館って、ええ!?」

「見聞を広めるにはいい場所だよ。住人も優しいし」

「でも、あのメイドが」

「咲夜さんもいい人よ? ねえ八房さん」

「そうだねえ、姫」

「なんでそんなに息ぴったりなのよ!」

 流石に影狼が声を荒らげて吠える。ぐるるると唸っていると狼みたいで、本当に狼だった。わざとらしく視線を逸らすとわかさぎ姫と目が合う。二人で忍び笑うと、気付かれて怒った影狼がふんと鼻を鳴らした。

 ま、言われた通り息はわりと合ってるな。人魚に縁があるということなんだろう。と、おどけて言うと結構な力で小突かれた。女の子とはいえ妖怪の力は人間よりも遥かに高いのだから、思ったより大きな衝撃に背中から倒れてしまう。向きが向きなら湖にドボンしていた。そう抗議すると落ちればよかったと笑われた。

「人魚に縁があるなら泳ぎも得意なんじゃないの?」

「そういう問題じゃないんだよ」

 泳ぐのは苦手ではないが、調子に乗って波に流されたこともある。一度は命を落としているので、室内プール以外では余り泳ぎたくはないのだ。というかそれ以前に服がずぶ濡れになってしまうではないか。不死身だからといって風邪は普通に引くんだから勘弁願いたい。

「あら?」

 そんな馬鹿話をしていると、少し離れた場所から疑問の声が聞こえてきた。声のした方に顔を向けると誰も居ない。と思ったら背後から肩を叩かれた。ゆっくりと首を戻すと、影狼の顔が青ざめているのが見えて、大体予想のついていた相手に確信が持てる。

「咲夜か」

 振り返ると、やはりのメイド服。手提げ袋を持っていて、その中から葱が覗いているということは買い物帰りだろう。人間と人魚と人狼。足を止めるには十分な程に奇妙なメンツだ。特に俺が明らかにおかしい。

「いったい何の集まりなんですか?」

「妖怪の集まりに人間が首突っ込んだだけだ」

 集まらせたのもその人間なわけだが。その言葉に咲夜も納得したのか、それとも急ぎだったのかそそくさと、というか一礼した次の瞬間に消えた。本当に顔を出しに来ただけかい。それでも影狼はまだ震えているのだが。

「影狼、大丈夫?」

「う、うん」

「どうみてもトラウマなってるじゃねえか」

 ここまで怯えられるとおちょくることも憚られる。ここに呼び出した原因も俺だし、そもそもの目的はとうに終わっていて惰性で残っていただけなので、この辺で影狼を連れてさよならにしよう。

「悪いな、俺達はもうこれで帰るわ」

「あっ、はい。お気を付けて」

 見聞は広まったことだし、これもこれで成果があったものだと思うことにしよう。立つのもやっとの影狼を支えながら、元来た道を行く。ここまでにかるなんて、咲夜はいったい何をしたのだか。今度こっそりレミリアに聞きに行ってみようか。

 途中でどうにか持ち直した影狼と竹林の前で別れ、妹紅もまだ何処かに行っているようだし、これからどうしようか。

 そういえば、草の根妖怪ネットワークについて聞くのを忘れていたことに気付いたのは、影狼の姿が見えなくなってしばらく経ってからだった。

 




実は影狼さんもかなり好きなキャラです。そもそも東方で嫌いなキャラを上げろという方が難しい話ですけどね。
そしてわかさぎ姫、彼女は人魚なので八房に近い存在ではありますが、実は血縁関係が!とかはありません、たぶん。


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冥界いいとこ一度はおいで

 紫からのクイズ形式の招待状は二度目である。前回の答えは博麗神社だったのだが、今回は違っていた。誘われたのならある程度は何処にでも顔を出すが、まさか行くために死ぬ羽目になるとは思わなかった。呼ばれた先は空の上、妹紅が全力で飛ばすものだから酸欠とか気圧とかそこら辺の理由により死んでしまったのだ。行き先を考えるとまあ妥当と言えなくもないが。

「寒い」

「冥界なら仕方ないさ」

 心霊が冷たいのは当たり前で、まあ妹紅もお邪魔することはないだろうから心配することでもないだろう。並木道の周りには白玉みたいな形をした幽霊がふよふよ漂っている。ここに居るのは悪霊ではないから問題ないと紫は言っていたが、やはり怪奇現象を間近で見るというのは気分がいいものではない。既に妖怪やら何やらに会ってるだろうという突っ込みは置いといて。今日のホストは西行寺幽々子、前にも一度顔を合わせたことはあるが、わざわざ招待される程仲良くもなっていなかった筈だが、俺の首を落としてくれた庭師。魂魄妖夢だったけか、その子は幽々子の部下であるらしく、謝罪の意味も込めて招かれたのである。死なない二人が冥界のお世話になるというのもおかしな話だ。

「それにしても、斬られたんだったらちゃんと言ってよ」

「ぶっちゃけそんなに気にしてなかったからなあ。酒の席だったのもあるが」

「いや余計に怒りなよ」

 そんなことを言われたって。苦言の一つでも言おうかと考えなくなくもなかったが、霊夢に引っ張られていった挙句に俺の方から怒るのも酷だろう。減るもんではないんだからいいじゃないか。

「この間と言ってること逆じゃない」

 ジト目で睨むつけてくる妹紅に言われてから気付いた。自分で口にしても違和感はあったのだが、それが何かと思えば、遊園地に行った時の話だ。なんというか、あの宴会の夜にも思い出したが何故こんなにも後の会話に出てくるのだろうか。しかも、確かに反対のことを言っている。まるで俺が人間ではなくなってきてしまっているみたいだ。

 勘違いするな。俺は妖怪でも蓬莱人でもない。不死身なだけが取り柄の、何の変哲もない一般人だ。身の程を弁えろ。心中でそう言い聞かせる。妹紅もただならぬ雰囲気だと感じ取ってくれたのか、心配そうな顔をしながらも何も言わないでいてくれた。心を落ち着かせて、またあの会話から言葉を返す。

「殺され慣れちまったんだろ」

「・・・・・・そっか」

 会話はそれで終わり。気まずい雰囲気の中目的地に着くまで歩を進めると、稗田邸にも負けない大きな屋敷が見えてくる。扉は閉じられていて、幻想郷だから当たり前だがインターホンも見当たらない。とりあえずノックをすると、無言のまま扉が開かれた。開けてくれたのは、沈痛な面持ちの白髪の少女。この子が俺の首を撥ねた魂魄妖夢だろう。

「えっと、すいませんでした」

 第一声から謝られた。先程の妹紅との問答は別にしても、怒っているわけじゃないのだが、謝るくらいなら最初から斬らないで欲しい。タダより高いものはないのだ。妹紅に怒られるのも勘弁だし。

「それはいいから、案内してくれないか? 流石に歩き詰めで辛い」

「飛んで来なかったんですか?」

「飛べないんだよ。君達みたいな強い子と一緒にしないでくれ」

 ちょっと強く言うとまた真面目そうな少女はシュンとなって肩を落とす。少し面白いが、やり過ぎてまた斬られるわけにはいかないのでここまでにしておこう。

 もはや幻想入り恒例となった案内をされていると、通された宴会場にはまた信じられないくらいの食べ物がどっさりと乗っていて、さらにもの凄い勢いで数を減らしている。一度見た光景でも末恐ろしさに冷や汗が背筋を流れる。そしてちゃっかりその隣で酒を呷っている大妖怪様には溜め息が出る。

「来るなら連れて行ってくれれば良かったのに」

「二人の時間を邪魔しちゃいけないと思って」

「そのせいで残機一つ減ったんですが」

「えっ」

 えっ、てなんだよ。たいそう驚いた顔をしているが、演技派の彼女の場合嘘か本当か分からない。

「別にわざわざ死ななくても来れるわよ?」

「お前ならな」

「違うわよ。別に結界も直してないし、霊夢も魔理沙も普通に来てるのよ」

「んん?」

 言われてみれば昔に西行のお姫様が起こした異変のときに、博麗の巫女も普通の魔法使いも、ついでに紅魔館のメイドも解決にここまで出向いているのだ。幾ら彼女達が人間やめてるレベルの力を持っているからって、種族人間である以上何らかの手段で空気の壁を越えている筈だ。ただしどの時代の逸話を聞いても頭おかしいとしか思えない巫女は除く。

「何か裏技でもあったのか?」

「変な飛び方しなきゃ死なないわよ」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 目を逸らすな。嫌がらせじゃなかったとバレるぞ。そっちの方なら俺が悪かったと納得出来るけど、やっちまった系だと叱りたくなる。宴会の雰囲気を壊したくはないのでじっと我慢はするけども。

 そんな漫才やってる間に用意されていた料理が既になくなりかけているのだが、これは急ぎで食うべきかと聞いたら、妖夢が別皿に取ってきてくれるから大丈夫だと返ってきた。事実、案内してくれた後席には座らず姿を消した妖夢が皿に料理を盛り付けて持ってきてくれる。何処から持ってきたのか分からないが鯛の活けづくりとか豪華だな。紫が外から持ってきたんだろうか。それなら今度カップラーメンの追加でも頼んでみよう。

「それじゃあ私が音頭を取ろうかしら」

「もう食べ始めてるのにか?」

「こういうのは気分なのよ」

「それもそうか」

 目の前に置かれた盃になみなみと酒が注がれる。紫に方を叩かれた暴食姫も箸を止め、下がろうとしたのに捕まった妖夢も含めて全員が酒いっぱいの盃を持ち上げる。

「乾杯っ!」

 号令に乗ってから一気に飲み干す。外では全く手の届かない値段なのだろう酒は、こんなに乱雑にしていいのかと疑問に思うくらい、有り得ない速さでなくなっていく。いや、酒は嗜むものだろうに。などと思いながら小皿に分けられた刺身を醤油に付けて口に入れる。

「あ、美味い」

「そうですか? 良かったです」

 安堵したと妖夢が微笑む。この子に斬られたってのが未だに半信半疑なのだが、本人も俺に対して居心地悪そうにしているし本当なんだろうな。理由を聞きたいが、酒の席で話すことでもないだろう。そう思うことにして今度はサラダを頂く。

「それにしても、聞いても見ても面白い子ね」

「ん、なんでだ?」

 進んでいた箸を止める。この人と真面目に話したことはないから、どんな言葉が出てくるのか。

「人間離れしてるってことよ」

「おいおい、俺はただの人間だぜ?」

「妖夢に首を撥ねられた人間がここに居るわけないじゃない」

「それは居てもおかしくないだろ」

 冥界は死んだ人間の行くところじゃないか。そう言ったら、幽々子はおかしいことよ、と口いっぱいに食べ物を頬張った状態で言った。ここに居る人間に自我はない。あくまでも次の命を得るまでの魂であり、個人としての人格は保てないのだとか。紫が翻訳してくれた台詞を簡潔にするとそういうことらしい。

 まあ、それはそうなのだろうが、話が逸れて本題をまた聞けていない。まさか不死身である、なんてそれだけの理由ではないだろう。紫の友人ということは、彼女の意味深長な喋り方についてこれるということだ。そして、同じように煙に巻いた語りが出来る相手というわけだ。面白い、なんていうのが単純な理由な筈がない。幽々子がようやく自分の分を食べ終えて、そして口を開いた。

「貴方、自分の命をなんだと思ってるの?」

「何って・・・・・・そりゃ大切なもんだろ」

「本当に?」

「どういう意味だよ」

 どうにも口じゃ勝てない相手が多い。にやにやと悪い顔をしているから、単にからかっているだけなのだとは思うが、何をからかっているのか。命は尊ぶべきものに決まっているだろうに。

────人間のくせに

 そう言ったのはレミリアだったか。何故今そんな言葉を思い出したのか。いや、当然だ。妹紅ともこの話はしたばかりじゃないか。なんですぐに理解出来なかったんだ。

 追い打つように幽々子が口を開く。

「だったら、どうして貴方はそんなに死にたがっているのかしら」

「・・・・・・死にたがってはいねえよ」

「そう。じゃあ言い換えようかしら。どうしてそんなに死に無頓着なのかしら?」

「そうでも・・・・・・」

 どうにか反論しようとするが、言葉が見つからない。感情的に違う、と言ってしまうのは簡単だ。俺はそんなことこれっぽっちも考えていないんだから。だけど弱い犬ほどよく吠えるなんて言葉がある。理屈で話すには何も無い。だから黙るしかない。

「そこで怒らないところが面白いのよ」

「遊んでたのかよ」

「思ったことよ? だから人間離れしてると言ったんじゃない。随分理性的で、とてもお人好し。自分は不死身だから別にいいと、どんなことでも許してしまう。妖夢のことだって全然気にしてないんでしょう?」

「気にはしてる」

「なんで斬られたか分からないって?」

「・・・・・・そうやって若者いじめて楽しいかよ」

 逃げるように酒を飲む。こんな気持ちで飲む酒が美味いわけもないが、言い返せないのに言い詰められるのは心が痛い。助け舟を出してくれたのは今までずっと見ていた妹紅だった。彼女も同じことを考えているだろうに、俺の味方をしてくれた。

「ヤツフサは別に命を粗末にしてないわ。それに怒るときは怒るし」

「フォローするとこそこかよ」

 なんだかピントのずれた反論に、頭が痛くなりながらも少し嬉しくもなっていると、今度は幽々子に好き放題言わせていた紫が喋り出す。

「あら、妹紅はそっちの味方をするのね。意外だわ」

「うるさいよ紫。アンタもヤツフサで遊ぶつもりなんだろ」

「そんなに噛み付かないでよ。私も幽々子の考え方はちょっと間違ってると思うわ」

「そうなの?」

 てっきり紫も幽々子と同じことを考えていると俺も妹紅も思っていたのだが、それは幽々子も同じだったようだ。声のトーンは変えないままでも疑問の声をあげた。

「八房が度を超えてお人好しなのは、不死身だからが理由じゃないと思うわ。元から変人なのよ」

「酷い援誤射撃を見た」

「悪くない腕でしょ?」

「ああ。戦場なら絶対に出会いたくないね」

「お墨付きね。外で用心棒やっても生きていけそうだわ」

 言葉のニュアンスは理解してるんだから少しは悪びれろよ。子供みたいに笑うのがやけに似合う妖怪様を見ていると、ぐだぐだ考えていたのが馬鹿らしくなって、さっきよりも楽しんで酒を飲めた。もしかしてこれが狙いだったのか、たぶんそうなんだろうな。適当に見えて、本当に空気の読めるお方だ。重くなった場の雰囲気も俺と紫の漫才めいた掛け合いで緩んで、ことの初めである幽々子はまた新しい皿を重ねている。妹紅も毒気を抜かれて食事に戻ったし、一人だけよく理解出来ていなかった妖夢だけが納得がいかないと不服そうな顔をしていた。

「妖夢は食べなくていいのか?」

「いえ、私も作る手伝いをしなければならないので」

「そうか。俺も手伝えることがあるなら手伝うぞ」

 善意で言ったのだが、とんでもないと首をぶんぶん振られてしまった。

「客人にそんなことさせるわけにいきません。それに幽霊が多くて、連携が取れないと逆に邪魔になってしまうので」

「じゃあ仕方ないか。悪いな」

「いえ、八房さんは宴会を楽しんでいてください」

 そそくさと妖夢が部屋を出ていく。他に姿を見ないけど、幽霊さんも何人か居るんだよな。詳しいことは知らないが、頭のいい人は人格を保ったままここに来れるらしい。ということは、さっきはさらっと馬鹿にされてたんだな。そこまで考えていたのか分からんなあ。

「別に馬鹿にはしてと思うわよ」

「心を読むな心を」

 このスキマ妖怪は本当に油断ならん。

「悟り妖怪じゃあるまいし、心なんて読めませんわ。貴方が顔に書いていただけ」

「顔がでかいってか」

「小顔じゃないわね」

「アンタ達、さっきから変な会話してんじゃないわよ」

 怒られてしまった。ちょっとした言葉遊びで、深い意味なんてないんだけどな。紫は舌を出して、イライラしている妹紅をさらに煽っている。やめてくれ、後で被害に合うのは俺なんだから。

「意味はあるのだから考えてみなさいな」

 その一言で、矛先を逸らされて思考の海に入って行ってしまう妹紅の純粋さに心配を抱きながら、丸々一本になる酒の最後の一口を飲み干した。

 



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人間?達の小噺

あんまり日常していない気がする今日この頃。ほのぼのタグ外した方がいいかもですね。


 二度目の授業も疲れることには変わらないと愚痴をこぼして前回と同じようにちゃぶ台に倒れ込む。同じように慧音がお茶を入れてくれるのが本当に有難い。正直な話家に居るよりこちらの方が居心地がいい。単純に座ってても尻が痛くならないという理由なのだけれど。

 とはいえ、長居してしまうわけにもいかないし、偶には人里を一人で散策するかと思い立って、しかし疲れゆえになかなか動き出せないで居たのだが、いつまでも世話になっているとあらぬ噂が立ちそうだ。ただでさえ俺の人里での扱いは「安全だけど関わりたくない人」くらいなのだから、もっと人里全体と仲良くなっておきたいので、一念発起して慧音の家を出る。

「さて、出たところでどうするか」

 前と違って懐は別に寒くない。多少娯楽に走っても許されるだろうが、悲しいかな娯楽と呼べるものが何も無い。団子でも食べようかと道端をのろのろ歩いていると、人がやけに集まっているところに出くわした。老若男女問わずだが、強いて言うなら子供が多い。寺子屋に来ていて見覚えのある子も何人か見受けられるが、いったい何があったのだろうか。様子から見て楽しいことでこそあれ、悪いことではなさそうだが。

「あ、ヤッフー先生だ!」

 子供の一人が歩いている俺に気付いて声を上げた。ヤッフーという新しく甚だ不名誉なあだ名だが、子供というのは得てしてそういうものを付けたがるものだ。先生が付いているだけ尊敬されていると思っておこう。しばらくしたら飽きるだろうし。

「何やってんだ?」

「お人形!」

 人形? 聞き返そうとも思ったが、するまでもなかった。近寄ってみると、人だかりの奥でアリスが人形劇をやっているのが見えたからだ。話には聞いていたがこうやって見るのは初めてだ。ちょうどやっている最中で、盛況のようだしどんなものかと遠目に眺めることにした。

 アリスの指が細やかに動き、それに伴って台の上に乗った人形達が命を吹き込まれたかのように躍動している。話の内容は聞いたこともないものだったが、勧善懲悪の筈なのに、何処となく悲劇の様相を漂わせる、物語に引き込まれるくらいにレベルの高いものだった。劇が終わると共に歓声を上げる子供達とお捻りを投げる大人達の声が響く。俺も五銭程投げて、気分の良いままに去ろうとすると、アリスと目が合ったので軽い会釈だけしてその場を離れた。

 団子はやめて饅頭にしようと思い直して右に曲がるつもりだった道を左に曲がる。霧雨道具店の隣にひっそりと佇む店の暖簾を潜ると、人の良さそうなおっちゃんがいらっしゃいと優しく声をかけてくれる。時間帯もあって客は一人も来ていないが、子供が寺子屋に通っているのもあって店主とは顔見知りだからここに来た。奥さんを早くに亡くして男手一つで子供を育てているので遊んでやる時間が取れないと嘆いているのをよく聞いたりもする。

「おっちゃん、こし餡三つ」

「あいよ。二つは持ち帰りでいいかい?」

「おう」

 ここで食べるのに一つ。家に帰って妹紅と食べるので二つ。前にも同じ注文したのを覚えていてくれたらしい。この辺りは細かい気配りの出来る店が多くて凄いと思う。団子屋は流石に向かいが向かい、福の神来る蕎麦屋だから店主もピリピリしているところはあるが、それでも対応が悪くなるなんてこともない。それでも人が多ければ気が落ち着かないし、知っている人の少ない隠れた名店的な場所の方が好きだから、ついつい通りの外れに来てしまう。ここは一応大通りだけど、隣がでかすぎて影が薄い。普通なら道具屋隣の甘味処なんて繁盛しそうなもんだが、提携して霧雨道具店でもこの饅頭を売っているからこっちまで来る客は少ないのだ。安定した収入にもなっているからどちらがいいのかは決められない。

「あら?」

 饅頭が来るまでの間、出してもらったお茶を呑気に啜っていると、聞いた覚えのある若い女性の疑問声が聞こえる。ついさっき人形劇をやっているところに遭遇したアリスだ。あの後、もう一つ劇をやるのかと思ったが、あれで打ち止めだったらしい。大荷物を軽々抱えている。

「おおアリスちゃん。いつものでいいかい?」

「ええ、よろしく」

 どうやら彼女もここの常連のようだ。相席を許可した覚えはないのだが、勝手に向かいの席に座る。

「ここに私以外の客が居るなんて珍しいわね」

「店まで饅頭食べに来る人もなかなか居ないからな」

 俺も他によくここにいる客は、店主のお子さんの悪ガキ仲間くらいしか知らない。偶に一見さんが来たりもするけど、よせばいいのに道具店でも売ってることをおやっさんが明かしてしまうからリピーターにはならないのだ。

「確か、八房だったかしら」

「ん、そうだけど」

「貴方、人間なのよね」

「そうだけど、どうかしたのか?」

 面白いとか変とかは最近言われ続けているが、アリスにも同じことを言われるのだろうか。そうもなると、本当に俺の人間性について議論しなくてはいけなくなるな。そんな俺の期待とも不安とも取れない感情には全く気付かず、アリスは何でもないと言葉を濁した。止められると気になってくるんだが、本人が言いたくないのなら無理強いしてはいけない。

 おやっさんが持ってきてくれたこちらでお召し上がりの饅頭を齧って、アリスとの無言タイムを乗り切ろうと試みる。俺は話し上手というよりは聞き上手だから、相手から話しかけてもらわないと上手く反応できない。コミュニケーション障害とも言う。

「アリスはよくこの店に来るのか?」

「そうね、先代の時からの常連よ。彼は早くに亡くなってしまったけど、血族かしらね」

「遺伝なのかもな」

 俺の聞いた話じゃ今のおやっさんも婿養子だ。血が繋がってたのは奥さんの方で、息子も早死にしちまうのか、なんてしんみり言っていたことを覚えている。

「貴方は親と別れの挨拶くらいはしてきたのかしら」

「ん、こっちに来る時にってことか?」

「ええ」

「してないな」

「どうして?」

「死人に挨拶するほど暇じゃねえよ」

 ぶっきらぼうな言い方になってしまったのは何故だろう。今更になって行っとけばよかったと後悔しているのだろうか。流石に地方にある墓にまで行く余裕はなかった。まあわざわざ行くつもりもなかったけれど。

「それは、ごめんなさい」

 俺が怒ったと勘違いしたのか、アリスは申し訳なさそうにしている。饅頭は既に食べ終えていたが、どうやら席を立てる様子じゃなさそうだ。

「謝らなくていいさ。親のことなんてもう殆ど覚えてないし」

「そんなに早くに?」

「俺が五つくらいの時かな」

 聞いた話じゃ放火だったらしい。犯人は捕まらなかったし、俺は遠くの親戚に引き取られたのもあって詳しい話は知らないのだが、寝込みを狙ってガソリン撒いて火を付けて、怨恨じゃないかと言われていたが結局真相は闇の中。俺が生きた状態で発見されたのも当時は奇跡だなんだと騒がれていたらしいが、それを知ったのはもっと大人になってからだった。

「アリスには親は居るのか?」

「・・・・・・そうね、居ると言えば居るわ」

 生きているという意味で聞いたのだが、アリスもよく考えれば百年単位で生きている魔法使いだ。両親も同じ魔法使いで、長く生きているのか。

「若造が言えたことじゃないかもしれないけど、親は大切にした方がいいぜ」

「ろくな親じゃないわ」

「居なくなってからじゃ遅いってことだよ」

 返事はなかったけど、アリスは店を出ていってしまったので、気にしないことにしてぬるくなったお茶に口をつけた。

 

 

「貴方が噂の人間ですね!」

「何の噂だよ」

 反射的に突っ込んでしまった俺は悪くない。アリスと無駄話をした後、ぶらついて帰ろうかとしたら変な女の子に捕まった。緑色の髪、霊夢に似た腋出し巫女服、カエルと蛇の髪飾り。話に聞いていた守矢神社の巫女で相違ないようだ。宴会の時にも早早と酔い潰れていたのを記憶している。彼女も人里に居て何の問題もない相手だろうし、別に噂だって外来人云々は立っているだろうからおかしな事は無いはずだが、こうも自信満々に言われるといったいどんな風評被害を受けているのかと心配になってしまう。変な噂が流れてたら文を問い詰めて無かったことにしてもらおう。そういうことも出来ると言っていたはずだ。

「ふっふっふっ、とぼけなくともいいのですよ。貴方がこの間来たという外来人でしょう」

「そうだけどさ」

「さあ貴方の目的は何なのか、じっくり教えてもらいましょう!」

「おい待てどうしてそうなった」

 文の新聞が切っ掛けであることはなんとなく理解できる。噂というのも霊夢とかレミリアとかあの辺と世間話でもすれば聞くこともあるだろう。だが何をどういう考え方をしたらそんな結論に行き着くんだ。公式を教えてくれ。そんな俺の心の悲鳴を完全に無視して腋巫女二号はさらにドヤ顔でつらつら述べる。

「妹紅さんを利用して暗躍しているのは分かっています! 他の陣営とも関係を結んでいることも私達にはバレバレですよ!」

「そりゃ隠してないからな!」

 たぶん聞いた話がこいつの頭の中で俺を悪人にするように変換されてんだな。入れ知恵とかそんなんじゃないなこれ、本人が馬鹿だ。そうでも思わないと裏に誰かいると勘繰ってしまうわ。

 いきなり往来で叫び始めるもんだから何事かと人が寄ってくるが、守矢の巫女の姿を見て納得して引き返していく。これで平常運転だと里の方々も理解しているらしい。誰か助けてくれよと思うが、妖怪に近しい人間に出来れば近付きたくないのだろう。慧音みたいな完全人里サイドと違って確か守矢神社は妖怪の山の上で天狗からの信仰も得ているという。

「先程もアリスさんと密会しているのも見ていますよ」

「ただの世間話だそれは!」

「なんと、あくまでも自分の悪行を隠そうというのですね!」

「マジでなんなんだこの子・・・・・・」

 今まで会った中で一番面倒臭い部類だ。話が通じないんだけどどうしたらいい。

「さあ、大人しく私に退治されるのです悪しき妖怪・・・・・・」

 口上を上げていた少女がピタリと止まる。そして後ろから慧音がどしどしと俺の横を通り過ぎていく。がしりと少女の頭を両手で掴んで、

「面倒を起こすなと言っているだろうが!」

 頭突き一突き、痛そうな音が辺り一面に響き渡る。道行く人々も何事もなかったかのように歩き去っていく様から、これも人里の日常風景なんだなと半ば現実逃避的にそんなことを思った。

 慧音はしばらく電波巫女(名前は早苗と言う)に人里で叫び散らすなだとか、一般人に喧嘩を売るなだとか至極真っ当な説教をして無理矢理に帰らせた後、こっちに戻ってきた。

「八房、怪我はないか?」

「俺は大丈夫だけど、この子の頭大丈夫か?」

「大丈夫だ、加減した」

 微妙に意味がずれている。いっそ容赦なくやって直してやればいいのに、なんて言ったら俺も頭突かれてしまいそうなので言わないことにする。しかし、彼女のよく分からんテンションから考えると偶然慧音が通りかかってくれなければ一回くらいは殺されていたかもしれんな。そしたらまた妹紅に怒られちまう。

 慧音は俺が本当に何の怪我も負ってないと分かると、本人も気疲れしたのか思い切り大きな溜息を吐いた。

「アリスが呼んでくれなければ危なかったな」

「アリスが呼んでくれたのか?」

「ああ、早苗と会ったときに空回っていたから危ないのではないかと言われてな」

 薄々予想はしていたが、アリスにも絡んでたのか。おそらくは付き合いの長い彼女なら簡単に矛先を逸らしたんだろうが俺が相手では荷が重いと理解してくれたのか。慧音に忠告してくれた七色の人形使いに感謝しなければならない。

「いつまた来るか分からんし、妹紅の家まで送っていこうか?」

「いや、そこまでしてもらっちゃ悪い。子供じゃないんだから一人で帰れるさ」

「そうか、気をつけろよ?」

 日はそろそろ傾き始めている。慧音に別れを告げて、人里の入口にあるマイ自転車に跨った。落ちていく夕日と並ぶようにパンクしそうな獣道を騙し騙し乗り越えていく。霖之助の店から拝借した自転車は飛べない俺の移動手段として申し分無い。ありがたやと唐変木の伊達店主を拝みながら、家路を急ぐ。またあの話の通じない巫女に遭遇したらたまったもんじゃないからな。近い内に守矢神社に行こうとは妹紅とも話していたが、行く気力が一気になくなってしまった。あのテンションで襲ってくる彼女と関わりたくないのがその理由だ。あんなのとまともに話してたら命が幾つあっても足りない。

 まあ、家に帰ってきて妹紅に今日の顛末を話した時に「あれ、そんな奴だったっけ」と首を傾げながら言われてしばらく悩み続けたのだが、それはどうでもいい話だろう。

 




早苗さんはいつも通り
元人間説があるだけのアリスは別にしても、現人神の早苗さんや不死人の八房は人間と呼べるんでしょうかね?


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小さな発見大きな安心

「招待状はちゃんとお渡ししましたからね」

「受け取ったよ郵便屋さん」

「新聞記者ですってば!」

 お山の天狗から真面目な顔で手渡された封筒。差出人はお山の神社の神様からだ。長ったらしく尊大な文面だったのでだいぶ読み流したが、要約してしまえばなんてことのない、巫女が迷惑かけたからお詫びに招待しようって話だ。個人的にあの緑巫女にもう一度会うのは勘弁願いたいのだが、せっかくの誘いを無碍にするのもあれだ。妹紅も別段警戒している様子はないし、有り難く受けさせてもらおう。文もこの手紙を渡すためだけにわざわざこっちに来たのかと思うと健気で涙が出るな。さらっと取ってもいない新聞も置いていった辺り強かで同情の余地はないけれど。

 ホストの守矢神社は妖怪の山の上にある最近外から越してきたらしい神社だ。妖怪の山にも行ったことないし、参拝道ならまだ安全だとも聞いているから観光もついでにしていこう。それに外の知識を持っている相手と話すのも一興だ。

「今回も歩いていくの?」

「んー、そのつもり」

 山を登るのにママチャリは使えないし、飛んでいったら山の風景を十全に楽しめないからな。妹紅も最近は歩く楽しみを覚えたようで、飛ぶ姿を見るのも珍しくなってきた。もしかしたら俺に合わせてくれている部分もあるのかもしれないが、わりと本人も楽しそうなのでまあ気にしなくてもいいだろう。

 手紙に書いてある日時は今夜。まだ朝も早いとはいえ昨日の今日絡まれたばかりで、遠出する準備なんて全く出来ていない。まあ遠出と言っても日帰りできる程度だし、あちらで一晩泊めてくれるようだから、荷造りさえ終われば問題は無いし、そもそもその荷造りにも時間がかかる要素なんてないが。二人とも殆ど断捨離生活なのだから持ち物なんてないのだ。これは悲しむべきなのか、物を増やせば足の踏み場がなくなるからむしろ良いことなんだけどな。

「準備できたよー」

「おーう。こっから守矢神社までどれくらいかかるかね」

「歩いたことないから分かんないよ」

「それもそうか」

 相手の支度の出来ていない早くに行っても迷惑だろうし、かといって相手を長く待たせるのも失礼だ。今日の夜なんて不明瞭な時間帯も何時に出ればいいのか迷わせる。まあ山道登りながら時間も調整すればいいか。昼飯拵えたら出発しよう。

「ところで、守矢神社の神様ってどんな神なんだ」

「確か軍神と祟り神だよ」

「祟るのかよ」

 昔の日本では人に害なすものを敬うことで神様に変えたりもしていたらしいが、そういった類いなのかね。

「表立っては軍神だけだから問題ないでしょ」

「軍神様が幻想郷で何の必勝を祈るのやら」

「弾幕ごっこじゃない?」

「納得した」

 手持ち無沙汰のなんでもない会話。出発を昼飯食ってからにすると、この時間が暇になるな。なんて些細な危惧は来訪者のノックの音でかき消された。

 以前にわざわざここまで来たのは文くらいのものだが、あの烏天狗は先程帰っていったばかりだし、訪ねてきた変人は一体全体誰なのだろうかね。

 俺の方が入口に近かったので妹紅に促されて戸に手をかける。我が家なのに妹紅が臨戦態勢を取っているのはあえて無視することにして、俺自身は特に警戒もせずに開くと、これまた変な帽子をかぶった女の子が立っていた。しかもまた羽を生やしている。羽のシルエットだけで大半の見分けはつきそうだなこの幻想郷。

 ピンク色の髪に妹紅よりもさらに小柄な体、ヨーロッパの合唱団か何かが来てそうな服(あくまでも俺の偏見だが)と当然ながら見覚えはない。妹紅の知り合いだろうか。

「えっ、男の人? なんで妹紅さんとこに、え、え?」

 相手も俺が居ることは予想外だったのか目を回してえ、え、とひたすら繰り返してる。新聞とかは読んでいないのだろう。そもそも文の新聞がそんなに浸透しているとも思えないし。そして妹紅の知り合いで間違いなかったらしく、俺を押しのけて出てこようとしたので一歩引いて妹紅に正面を譲る。

「誰かと思えばミスティアか。炭が切れたの?」

「妹紅さん! そうなんですよ。炭が切れちゃって、でもなんで男の人が妹紅さんの家に、ってそれは深く聞いちゃいけなくてええと」

「少し落ち着け」

 余りにも驚いたのかで呂律も回らない程に困惑した様子で分かりづらい話し方をしているからついツッコミを入れてしまう。俺が言うと逆効果にしかならないだろうから我慢してたんだけど、抑えきれなかった。予想の通り少女は混迷を極め、パンクしたのかゆらゆら揺れ始めた。

「とりあえず、炭持ってくるね」

「おい逃げないでくれ」

 俺の懇願も余所に妹紅は裏手に隠れてしまう。そういえば確かに炭を作ったりしていたな。てっきり自分で使うためだと思っていたのだが、ちゃんと販売もしていたのか。まだこっちに来て日も浅いし、妹紅のこともよく知ってるわけじゃないんだよな。俺も自分の身の上なんて話したことないからお互い様だけどさ。

 下手に話しかけると更に混乱すること請け合いなので、相手が落ち着くまで心を押し殺して待っていると、深呼吸一つ二つとどうにかこうにか平静を取り戻したようだ。

「ええと、で。結局誰なんでしょう」

「妹紅の家に居候させてもらってる外来人だ。新聞で見なかったか?」

「ああそういえば文々丸新聞にそんなことが書いてあったような気も・・・・・・確か八橋さんでしたっけ」

「八房だよ」

 そんな本来よりも焼く前の方が人気のある京都の銘菓みたいな名前にされても困る。八橋なんて俺よりももっと有り得なさそうな名前じゃねえか。まあ霊夢だの阿求だの現代じゃまず聞かないような名前の多い幻想郷で常識に囚われると不都合もあるだろうし、もしかしたら八橋さんという方も何処かにいらっしゃるかもしれないから口に出しては言わないけどさ。居たら土下座待ったナシの暴言である。自覚してるだけマシだとは思いたいがはてさて。

「で、アンタは」

「あ、私ミスティア・ローレライっていう夜雀妖怪です。屋台とかバンドもやってるんで良かったら是非」

「妖怪バンドとは新しいな」

 妖怪女将も十分斬新か。ミスティアなんて名前だけれども一応は日本の妖怪なのだとか。焼き鳥撲滅の屋台とかわりとむちゃくちゃやってるのも妖怪だからだろうか。しかし屋台、なんか最近屋台の話を聞いたような気がするな。そうだ、影狼が屋台で妹紅に絡まれたって言ってたな。最近毎日が濃いせいか記憶力が上がってる気がする。気のせいでないなら便利だが、阿求みたいになんでも一発記憶とまではいかなくていいな。世の中忘れたいことだってあるんだから。

「ミスティア、はい頼まれてた竹炭」

 いったい何処にそれだけ隠していたのだと同居人の俺が勘繰ってしまうくらいに大量の竹炭を肩に抱えた妹紅が軽々とした足取りでやってくる。もしかして今焼いたか? まさか火を使えば気付くとは思うのだが。

「これで二十銭だっけ?」

「たぶんそうです」

「なんで多分」

 商売人が使っちゃいけない単語じゃないのか。そして妹紅の抱えた炭の総量から考えると二十銭(二千円)はいくら何でも安すぎる。あれか大量に仕入れることで安く仕上げる奴。或いは元手が掛かってないからか。元サラリーマンとしてはその辺が凄く気になるが、結局は妹紅に商売っ気が無いだけだという結論にたどり着いて萎えてしまった。

「じゃ、ありがとうございましたー!」

 お金を払ってミスティアが飛び去っていく。妹紅のどこに現金が眠っていたのか、その答えはこんなところにあったのだなあと一人感心していたが、気になることを一つ聞き忘れていたと思い出す。

「バンドって何やってんだ?」

「ん? 何のこと?」

「いや、ミスティアがバンドやってるなんて言ってたけど楽器があるのかなって」

 和楽器バンドなんて言葉もあるけど、まあ普通に考えたらギターとかドラムとかを使うのがバンドじゃないかと俺は思うのだが、幻想郷にそんなものがあったとは初耳だ。

「楽器? あー、命蓮寺の山彦となんかやってるって話は聞いたことある」

「命蓮寺か」

 白蓮さんのお寺の名前が確かそれだったはずだ。あの人とも軽い世間話をした程度で、社交辞令の会話はしたけれどその後結局寺には行ってない。

「なんだ、やることあったじゃないか」

 まだ行ってないところもある。暇だと嘆くのはまだ少し早かったようだ。

 

 

 八房はいつも唐突だ。思い立ったが吉日という言葉もあるけれど、私はいつもそれに振り回されている気がする。今回だってそうだ。守矢神社に向けて出発するまでの時間が暇なのは私も一緒だけど、だからっていきなり命蓮寺にお邪魔しようとは普通考えない。一人で行くのならともかく、二人で行こうだなんて白蓮に会った時にどんな顔をすればいいのか。八房には知られたくないし、無愛想にしているのも座りが悪い。何食わぬ顔で話せる程私は老獪していない。

 憂鬱な気分にはなりながらも、行きたくないと言えばどうしてかと理由を話さなきゃならなくなる。ヤツフサなら事情があると理解してくれて何も聞かずにいてくれるかもしれないけど、そうしたら今度は優しさに付け込んだ自分が嫌になる。だから拒否権なんてものは無い。自分から捨ててしまってる。

「おはよーございまーす!」

 命蓮寺の門前では箒で辺りを掃き清めている山彦が陰鬱とした私の神経を逆撫でするがごとくに声を張り上げて挨拶している。ふさふさの耳をピコピコと動かしながら挨拶の合間にぎゃーてーぎゃーてーと習わぬ経も読んでいるけれど、輪廻から外れた私には無縁のものだ。ヤツフサには必要かもしれないけれど、今は気にしなくてもいいはず。

「入門希望の方ですか!」

「いえ違います」

「そうですか!」

 ヤツフサは即答するが、山彦は特に落ち込んだ様子も無い。自分の言っている意味も理解出来ていないのではなかろうか。習わぬ経を読めても意味が分からないと効果は無いだろうに。

「あれ、お客さんかな?」

 山彦がいつもの大声でいつもとは違う言葉を喋るものだから、中から別の妖怪が不思議がってやってきた。セーラー服(というらしい。外でヤツフサに教えてもらった)に身を包み、穴の空いた柄杓を構える船幽霊。外世界の女の子はセーラー服の下にスカートを履いていたが、この幽霊は代わりにキュロットを履いている。何か意味があるのだろうか。

「見学希望の者ですが、寺に入るのに許可が必要ですかね」

「見るもんなんて特に無いと思うけど、ああもしかして噂の外来人? モジャ髪だし」

「それで区別付けないでほしい」

 ヤツフサは自分の髪型を余り好いていない。理由を聞いても教えてくれなかったが、本人も大したことじゃないと言っていた。嘘を言っているようではなかったので、きっと個人的な理由だろう。でも、見た目に特徴のあるわけではないので、比較的目を引く髪型で覚えられるのは仕方のないことじゃないかな。私も実は遠目に見つける時の目印にしてるし。

「じゃあ、聖を呼んでくるからちょっと待ってて」

 入口で待ちぼうけにされたままに、船幽霊は寺の中に戻ってしまう。山彦はこっちには興味を示さずまた箒で道端を掃いてはぎゃーてーと歌う仕事に戻ったようだ。ヤツフサは興味深そうに辺りを見渡して入るけれど、その場から動こうとはしない。しばらくするとやってきた白蓮は私の顔を見てちょっとだけ笑い、ヤツフサを向いて礼儀正しく一礼した。

「訪ねて来るなんて、何か困り事ですか?」

「時間の使い道に困りまして」

 怒られそうな言い方だけど、白蓮もこのくらいの冗談には寛容らしい。いや、彼女は私なんかよりもずっと鷹揚だろう。

「なるほど、ではうちのものに案内をさせましょう」

 そう言うと白蓮はまた別の尼僧を呼び出した。宗教戦争の時に見たことがある。名前は雲居一輪と言ってたっけ。後ろにいる雲山とかいう入道も覚えている。何か問題が起きることもないだろう。

「では、私はあちらの部屋に居ます」

 わざとらしい言い方は、きっと私へのメッセージかな。私も見学の前に白蓮ともう一度話がしたい。白蓮が笑ったのが何故なのか知りたかった。だから動き出してすぐに「厠に行く」と嘘をついてヤツフサ達から離れた。止まろうかと言われたけれどすぐに戻るから先に進んでてほしいと答えた。待っていたらたぶん時間がかかってしまうから。

 二人から離れるとすぐに白蓮が居ると言った部屋に向かう。音を立てないように襖を開けると、お茶を用意して待っていた。勧められて私も腰を下ろす。

「あれからどうですか?」

 前置き無しに本題から聞いてきた。正直な気持ちはまだ伝えられていない。だけど、いつかお互いに伝えられるようになろうと約束した。そう返すと、白蓮はまた笑う。

「道理で、前よりも表情が明るいと思いました」

「私はここに来るのちょっと憂鬱だったんだけどね」

「あら、どうしてです?」

 言わなくても分かるでしょうが、僧侶の癖にこういうところは意地が悪い。

 まだ与えてもらったアドバイスを活かしきれてない。それに、あんな相談をした後に当の本人と訪れるなんてなんだか座りが悪いじゃない。

「これからもっと悩むことになりますよ」

「・・・・・・分かってる」

 どちらを選んでもきっと後悔する。だから悩んで悩んで悩みすぎるくらいじゃないと重みが無い。後悔しても、自分の判断は間違ってなかったんだと胸を張って言える答えを見つけなきゃならないから。

 道を示してくれた白蓮には感謝をしてもしきれないくらいだ。ああしろこうしろといった上から目線で月並みのありふれた答えじゃなくて、仏教の模範のような理解することも困難な答え。でも、正直になれと言ってくれたからこそ私は一歩踏み出した場所で悩むことが出来るのだ。

「頑張ってください。これは貴方だからこそ取り組むことの出来る問題なのですから」

「ありがとう」

 感謝の言葉が素直に出る。

「ヤツフサには話さないでね」

「はい、分かりました」

 ヤツフサを待たせちゃいけない。話を終えた後は急いで二人の元に向かう。

「おう、随分と・・・・・・いや、何でもない」

 ヤツフサが途中で言葉を濁す。何と言いたかったのかはすぐに分かった。気が付けばたったあれだけの会話に結構な時間を費やしていた。禅問答みたいなことになっていたのだろうか。心配をかけてしまったかな。でも何をしていたのかは言わない。いつか、時が来たら一緒に打ち明けようと思う。

「ちょっとあったの。さ、見るなら早くしよう?」

 あいつみたいな言葉を使うのは好かないけれど、ヤツフサに合わせて言うならば、私も新しい難題を見つけたのだ。折角だから答えが出るまでは、或いはヤツフサが彼の難題を教えてくれるまでは秘密にしておこう。

 




守矢神社に行くと思ったか!騙されたな命蓮寺だよ!

はい、すいません。一度こんなノリでやってみたかったんです。本当はそのまま守矢に行く予定だったのですが時間おかしくね?ってなってこうなりました。

次回は本当に守矢神社です。


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神様と一献やりましょう

お待たせしました守矢神社です。
諏訪子様も可愛いですが私は神奈子様が好きです。
お父様とお呼びしたい。


「やあよく来たな。大したもてなしも出来んが寛いでいってくれ」

「・・・・・・お気遣いどうも」

 なんと言うか、その、反応に困る。堂々たる光景を前にして俺は素直にそう思った。海の無い幻想郷での刺身盛り合わせとか白玉楼に呼ばれていった時とも引けを取らない豪勢な料理。比べるとしたら、どちらかといえば質より量のあっちよりも豪華なのではないだろうか。一日でこれだけの準備を拵えて、神様に取ってはこれでもまだ足りなかったのか、それともただの謙遜なのか。片立て膝の胡座で待ち受けている、男よりも男らしいカリスマ全開の神様の表情からは伺いしれない。背中についたリングには意味があるのだろうか。

「心配せずとも毒なんかは入ってないよ。そもそも毒盛られたくらいじゃ死なないんだろう?」

「一応死ぬんですけどね」

 生き返るだけで。俺が警戒しているのは毒やらじゃないんだが、神様には通じなかったようだ。二人神様が居ると聞いたのだが、緑巫女すら居ない。いらっしゃるのは八坂神奈子様だけだ。特に信仰もしていないのに様付けなんて逆に不敬に当たりそうだがどうせバチが当たるなら敬って受けよう。

 宴が始まって少々、遠慮するのも失礼だと口にした料理はどれも美味しい。本人(本神?)が有り難くも注いでくださった焼酎もすぐさま飲み干してしまった。白玉楼にお邪魔したときみたいと違って他に誰かが入ってくる様子はない。

「早苗が居ないね。どうしたの?」

「ああ、早苗か。あいつはなあ・・・・・・」

 妹紅が聞きにくかったことを堂々と聞くと、神奈子様は心底困ったとでもいう風に頭を掻いた。その動作になんとなく親しみを覚えたのはたぶん早苗とかいう巫女に対して同じような感情を抱いているからな気がする。どのような感情であるかは一応秘しておくが。

「ちょいと反省させてるよ」

「いったい何を吹き込んだんです?」

「吹き込んだとは人聞きの悪い。とは言っても返す言葉もないか。私は多くの勢力と関係を結んでいる外来人がいるから様子を見てこいと言っただけなんだけどねえ」

 どうしてそれが退治の方に向いてしまうのか、と神奈子様は嘆いて手持ちの酒を呷った。神様でも苦労しているんだな。

「普段はあんなに暴走する子じゃないんだよ。ただ時々空回りしてああなるんだ。いや、それも言い訳くさいな」

 片膝から胡座をかいて唸る姿は祀られる神様というよりかは娘の心情が分からない父親に見える。幾ら男らしいとはいえ女神なのだから父親と言ったら失礼か。まあその部分を抜きにしても自分のところの巫女を大事に思ってることが伝わってきて、東風谷早苗が少しだけ羨ましいとも思った。

 俺も、親が生きていたらこう思われたりしたんだろうか。アリスに聞かれた時にはついぶっきらぼうな言い方をしてしまったが、たとえ挨拶に行ったところで親に話すことなんて何も無い。墓参りだって行っても何の感情も沸かなかった。好きだとか嫌いだとかそんなことを考えるようになる頃にはもう親戚に引き取られていて、自分の親がどんな人だったのかすら知らない。知りたいと思ったこともあるが、誰に聞いても「いい人だった」の一点張りで幼心に酷くがっかりしたのを覚えている。故人の息子に向かって、その人を悪く言うなんてことはしないから皆嘘付きなんだと考えて諦めた。当時の自分の中では両親は怨みを買った大悪党で放火は正当な復讐だった。これは親が嫌いだったというよりも理不尽に納得のいく説明を付けるためだったのだと今になって思う。子供の思考ってのは残酷だ。

「どうした御客人。箸が止まっているようだが」

 盃片手に考え込みすぎてたらしい。もう一度注いで頂いた酒に映るのはいつも怒ってると勘違いされる額に皺の寄った無表情。成程こんな時に見ると確かに怒っているようだと今更になって気が付く。

「いえ何でもありません。それよりも、厠を貸して頂けないでしょうか」

 トイレに行きたくなったのではなく、ちょっと一人になりたくなっただけ。それか、素直に思ったことを話せる相手が居るならば、そいつと会話したくなっただけだ。幻想郷でも外の世界でもそこまで仲良くなった奴は居ないから後者は実質嘘だけど。

 そんな思惑には目をつぶってくれたのか、神奈子様は快く厠の場所を教えてくれた。部屋を出て、外に面した廊下を軋ませながら歩いていると、頂上なのだから当然に妖怪の山が目に入る。春はすっかり終わり、夏に入った夜の月光に照らされて輝く若葉は目を見張る物がある。周りが静かだからどこに居るのかも分からない虫の声もよく聞こえるし、この辺りだけ絵の題材に切り取られているようだ。そんな柄にもない私的な表現に挑戦してしまうくらいには美しい。新緑満ち溢れる風景は一見の価値あり、なんて今朝に文が言っていたっけ。空は飛べなくても絶景は見ることが出来るらしい。守矢神社の神徳だろうか。流石にそれは都合が良すぎるか。

「何を見てるんだい?」

 虫の大合唱の隙間を縫って聞こえてきた声はどうやら俺に向けられたものであるらしい。麦わら帽子に目玉の付いたような帽子を被った女の子がこちらに歩いてきている。見た目はフランとかと同じくらいに見えるけど、そういえば萃香もそんなもんだった。見た目は年齢と関係ないと分かっていてもつい関連付けてしまう。フランと似た髪色だし、彼女の幼い性格が印象に残っているからそう考えてしまうのだろうか。

「あれ、聞こえなかったかな? 何を見てるの、って聞いたんだけど」

「ああ、風景を見ていました」

「風景、か。現代人らしい物の見方だよね」

 事前に聞いた話を統合すればこの金髪幼女が祟神の方の洩矢諏訪子様だろう。守矢神社は俺よりも少し前に外から幻想入りして来たらしいから、感覚はだいぶ近いものがあるだろうか。それとも人間と神様では物の考え方が違うのか。紫みたいに思考を読んだり、文みたいに人の顔色を伺うのは苦手なせいで、目の前の小さい神様が何を思っているのかはよく分からない。自分のことすらよく分かってないのに周りを理解しようとするのも馬鹿らしくなって、凝り固まってしまいそうな頭をほぐすために大きく息を吐いた。

「お、若人よ何か悩んでいるのかね?」

「悩むことに悩んだってことでお願いします」

「私に取ってはどっちでもいいけどね」

 じゃあ聞かないでくれよ。ってのは虫のいい話だろうな。聞こえよがしな溜息だったと自分でも思うから。

「神奈子の宴会はお気に召さなかったかい?」

「幻想郷の有力者って分かりきった質問ばかりですね」

「それは君が煙に巻いたような態度をとっているからじゃない」

「俺は自分らしくしてるだけですよ」

「その自分らしさが分からないから隠してるんでしょ」

 言葉に詰まる。当たらずとも遠からずどころかたぶん大正解だろう。それも自分じゃ確信が持てないけれど、周りからは案外分かりやすいのか。それともやはり年の功という奴か。紫辺りにこんな事言ったらスキマに埋められそうだけど。

「会ったばかりでなんでそこまで見抜かれてんですかね」

「そりゃ文がそう言ってたからね」

「俺の感心を返してください」

 廊下の手すりに手を組んでその上に顎を乗せる。満月はつい昨日か一昨日に過ぎたので微妙に欠けた月が空に浮かんでいた。諏訪子様は蛙座りで器用に手すりに乗っかっている。お互いに動くつもりは無かった。酒宴も静かだったから、宴会特有のふと感じる寂しさなどはない。むしろ一人で飲んでいる時みたいな落ち着いた雰囲気すらある。

「まだちゃんと自己紹介してなかったね。私は洩矢諏訪子。まあここの本当の神様ってとこかな」

「若尾八房です。貴女は行かないんですか?」

 余り表に出てはいけないとか縛りがあるわけでもないと聞いたけれど。答えは予想していたものとそう違わなかった。

「あんまり堅苦しいのは苦手でね。特に人を招くとなると神奈子が張り切っちゃうし。君も似たようなタイプなんじゃない?」

「どんちゃん騒ぎは嫌いじゃないですよ」

「私も大好きだけどね。招かれたなら喜んで行くけど招く側は気が重くてね」

「ホストのくせに客に準備させる人も居ますけどね」

「あれは例外、巫女なのに神様だって顎で使うじゃないのさ」

 よく言えば平等、悪く言うと唯我独尊(悪口じゃないかもしれないが)の皆知ってる腋巫女の話題に軽く笑う。神様が相手でも関係無しか。だから皆が集まってくるんだろうけど。

「そういえばこっちの巫女は」

「反省が終わった辺りだね。真面目な子だからからかうと面白くてね」

「もしかして、俺に関してある事無い事吹き込んだのって」

「半分正解。私も何か企んでるかもしれないから気を付けろって言っただけだもん」

 なんで幻想郷の有力者共はこうも人をおちょくるのが大好きなのか。レミリアに関してはどちらかと言うとおちょくられる方だが。

「さて、そろそろ戻らないと心配されるよ。早く戻りなさい」

「・・・・・・何でもお見通しって感じですね」

「神様だからね」

 可愛らしい声で言っていたが、俺には祟り神の恐ろしさってのがよく分かる怖い笑顔だった。

 結構な時間を過ごしていたので、一応本当にトイレで用を足してから戻ると、妹紅が既に酔い潰れていた。おかしい、こいつも酒強い筈なのにこの短時間で酔い潰れるとは思えない。一方でまだまだ呑んべぇさん真っ盛りの神奈子様はお猪口を掲げて「遅かったじゃないか」と全部知ったようににやつくだけだ。

「何か一服持ったんですか?」

「言っただろう、毒なんて盛ってないさ。ただ妹紅が驚きの飲みっぷりを見せつけて潰れただけさ」

 よく見ると酒瓶が幾つも転がっている。俺が席を離れている間に二桁を超えるほどの勢いで開けたのか。どう考えても普段のペースじゃない。だから何かがあったのは間違いないのだが、全くもって検討が付かないし神奈子も意味ありげに何かは言うが何も教えてはくれない。俺にいったいどうしろと。

「諏訪子と話してたのかい?」

「分かりますか、やはり」

「あいつがちょっかい掛けない筈が無いからな」

 完全に酔いが覚めてしまったから飲み直しにもう一本瓶を開ける。妹紅や人外連中みたいに十何本もは開けられないが、これでも霊夢や魔理沙よりも酒は強い。焼酎の一本くらいじゃ何ともない。初対面の相手というのは、俺の場合知り合いよりも話しやすいものだ。諏訪子様にしても、腹を割ってとまでは行かないが、妹紅よりも話していたのではないだろうか。特に妹紅に対しては大して価値も無い見栄が結構邪魔をしてくるのだ。

「顔が晴れ晴れとしているな」

「厠に行ってすっきりしてきたんですよ」

「そういうことにしておこう。私が踏み込む話題でもないからな」

 こちらも負けず劣らず優秀なお方のようだ。俺なんかで話し相手が務まるのか甚だ疑問ではあるが、せっかくの酒宴だ。楽しまないと損だろう。

 その後は飲んで、食べて、部屋を二つ借りて俺と妹紅で別々の部屋で寝た。酒臭くてこっちが寝られそうになかったからで他意は無い。けして赤くなった頬とか移動させる時に抱き上げた身体が火照っていたからとかではない。神奈子様に暖かい眼差しで見られたがきっと関係の無いことだろう。俺も随分と酔っ払ってしまったみたいだ。

 翌日はまた二日酔いとは無縁の彼女が起き上がってきて、自分が酔っ払った後に俺が宴を楽しんでいたことに不機嫌そうに目を細めていた。俺が宥めても機嫌は直してもらえなかったが、辛うじて許してはもらえたようだ。ぶっちゃけた話、お前が酔い潰れてただけだろうが、とは焼き殺されるので言わない。土産にこれまた酒を貰って守矢神社を後にした。整備されている参拝道を二人で今度は降りていく。

「秋はまた綺麗そうだよな」

「秋の神様が頑張るからね」

「そんな神様も居るのか」

 妹紅曰く、紅葉を一枚一枚丁寧に塗っていくのだそうだ。秋を彩ってくれる神様には足を向けて寝られないな。今は横に寝ることも出来ないのだが。姉妹で豊穣の神も居るのだとか、秋になれば人里の祭りにお呼ばれしているらしいからその時に見る機会もあるだろうな。

「さて、帰ったら飲み直すよ」

「まだ飲むのか。そういや宅飲みはやったことなかったな」

「宅飲み? よく分かんないけど肴買って帰ろ?」

 笑顔の妹紅に対して異議があろうはずが無い。それで御機嫌になってくれるのなら多少高いつまみでも構わないだろうな。そんなことを考えながら新緑満ち溢れる山道を下った。

 




最近思うことがあります。

もこたんの出番少なくねえ?
もこたんメインヒロインとして色んな話に出てもらっているのですがなんか影薄い感有りますよね。もっと可愛さを主張したい!

が、書き溜めを見直してみるとこの次ももこたんの出番ないです。悲しい(´;ω;`)


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悪魔の妹、人里に行く

タイトルから解る通り紅魔館組の話です。
なぜ、もこたんに出番が来ないのか。


「おや、これは確か」

 いつものようにフランに会いに紅魔館を訪れたのだが、今日は門をくぐる前に声を掛けられた。はて、一体誰だろうかと首を動かすと、見慣れた置物、もとい門番がこちらに手を振ってきた。

「若丘八房だ。まともに話すのは初めてな気がするな」

「奇遇ですね、私もです」

 紅美鈴は意識してるのかどうかやけに楽しそうに言った。事実、会話を交わしたのは初めてだろう。これまでも何度か紅魔館には訪れていたし、動かない大図書館殿とも挨拶くらいはした。その全ての回において門番である彼女はぐうすかと寝ていたのだ。怒った咲夜がナイフを刺しに行っていたのも一度や二度ではない。その度に帰り際額に刃物の突き刺さった緑色の置物を眺めて帰っていたのだが果たして彼女はそれに気付いているだろうか。幾ら相手が妖怪で、しかも吸血鬼の配下だからといって若い女が無防備に寝姿を晒しているのは如何なものかと思う。赤い髪に艶かしいチャイナドレス、存在感たっぷりのあれがどれだけの凶器か本人は気付いていないようだ。

「今日も妹様の遊び相手ですか?」

「友達と言え友達と。使い捨てられる相手にはなりたくない」

「ふふ、そうでしたね。貴方が来てから妹様も一層元気になられました」

「門番なのにフランと会ってるのか?」

「流石に日長一日ここに立ち尽くしているわけでは有りませんよ」

 門番が立ち寝してないのを今日まで見たことがないんだけどな。吸血鬼の本領発揮は夜で彼女の仕事はおそらく昼間だろうし、案外妖怪の時間になる夜は気楽なのかもしれない。どちらにせよ、珍しくも目を覚ましていた彼女と出会い、こうして話している。しかし、早く行かないとフランがまた膨れてしまうかもしれない。そうなった場合破裂するのは彼女じゃなくて俺だ。妹紅にもまた怒られてしまうし、フランの壊したがりも治したい。だから早々に切り上げて地下室へと行きたいのだが。

「大丈夫ですよ。妹様もこちらに向かってますから」

「こっちに向かってる?」

 何か打ち合わせでもしてあったのかと勘繰ったところで丁度紅魔館の扉が開く。可愛らしい青の日傘をさしたフランが手を振ってきて、恐ろしいスピードで突っ込んできた。

「ぐべらっ」

 本人としては壊さないよう精一杯手加減したのだろう。吸血鬼本来の速さでタックルされたら胴体が真っ二つにされてしまう。そうなってないということは単なるじゃれ合いだ。その事は分かっているのだが、こちらからすれば豪速球を腹のど真ん中に食らったようなものだ。何処か世紀末臭い声が出て、次いで咳き込む。吐かなかったのは偉いと褒められても構わないレベルだ。乗ってきた自転車を脇に置いといて良かった。ぶつかったら更に痛い。

「ヤツフサ! お姉様がいいって言ったの!」

 しかし、フランは興奮したまま俺の襟元をつかんで嬉しそうに揺さぶってくる。待ってやばいマジで吐きそう。

「妹様、八房さんが苦しそうにしてますよ」

 美鈴が間に入ってくれて引き離してくれなかったら意識がどこか遠い場所まで飛んでいってしまったことだろう。流石門番頼りになる。もう少し遅ければ吐いていた。

「ぐっ、げほ、ごほっ。何がいいって?」

「外に遊びに出てもいいって!」

「外に?」

 495年間一度も地下室から出たことのなかったフランが、俺が来るよりも前の紅霧異変とやらで屋敷内を歩くようになり、そして今日外に出る許可を得た。それは俺がわりと前からレミリアに相談していたことだ。フランに生きている人間を見せてやりたい。咲夜のような身近な人間ではなく、霊夢や魔理沙みたいな規格外ではなく、俺みたいな例外ではなく、人里で一生懸命生きている普通の人々を見せてやりたいと思っていた。

 もちろんレミリアも最初は渋った。フランは世間を知らない。加減だって上手くはない。そんな状態で人里に出せばいったい何が起こるか。それは能力を持たない俺でも容易に想像出来る。だから強く主張することはせず、あくまでも一意見としてのスタンスは崩さないようにしていたのだが、ようやく身を結んでくれたようだった。美鈴はそれを事前に知っていたからさっきみたいなことを言ったのだろう。

「ヤツフサ、美鈴、一緒に行こう」

「ええ、分かりました妹様」

「おう、人里観光しようか」

 ってあれ? なんか一人増えているような。増えたお方に視線を向けると、照れくさそうに笑いながら「お嬢様の指示です」と弁解した。確かにフラン一人、俺がついていても(レミリア)としては心配だろう。しかし、てっきり咲夜がついてくるかと思っていたのだが、美鈴は案外レミリアに信頼されているらしい。信頼がなければ門番なんて任せられないから当たり前のことではあるけれど。

「ねえ、早く行こう?」

 フランが上目遣いで袖を引いてきたので、頭を撫でてやりながら美鈴にも行くかと声を掛ける。紅魔館から人里への道は行く人皆が飛んでいるせいで整備されていない。二人とも俺に合わせて歩いてくれているから、外に出たのも初めてのフランは凄い歩きにくそうにしている。外はずっとこうなのかと聞かれたから、人里に近くなればもう少し歩きやすくなると答えてやるとじゃあそこまで飛ぼうとフランが体を浮かせた。やっぱり飛べるって羨ましいな。外の世界で言えば車を持っていないようなものだ。今度誰かしらから習ってみようか。妖力は無いから魔理沙みたいに魔力で飛ぶか人間は気力とかで飛ぶのが一般的らしい。どちらも俺は持ってない。

 強力な妖怪の気配のせいか、妖怪達の姿は見えない。俺の持つ霊夢特製の御札のおかげで襲ってくることはまずないのだがいつもならちらちらとこちらの隙を伺っているのが見てわかるのだが、今回は影もない。フランはまたしきりに何か聞いてくるが、それに答えるのは俺ではなく美鈴で、俺はきゃっきゃと騒ぐ見た目相応に可愛らしいフランを眺めながら、また別のことに思考を向けていた。

 妖怪が人里に来れば警戒されるのが当然だ。特に今まで見たことのない大妖怪なんて来たら、普通はまず村の代表者や実力者が出てくる。運良く慧音や阿求だったら上手く誤魔化すことも出来るだろう。何より俺が信用されている。しかし、それ以外、特に退治屋なんかが現れたら話が面倒になる。紅魔館に幽閉されていた狂気の妹。人里では不殺傷であることは理解しているだろうが、あまりいい空気にはならないに決まっている。フランに妖力を抑えられるか聞いてみると多少はできるとのこと。だけど彼女は力を隠すより使う方に長けている。力のある人間には見破られてしまうのではないだろうか。そうなれば相手の心象はさらに悪化する。それはよろしくない。子供というのはその手の空気に一番敏感だ。そして繊細である。ちょっとしたことでも彼女は大きな傷になってしまうだろう。せっかくの人里観光をそんな負の遺産にするわけにはいかない。

 二人はそれに気付いていないのか、会話を弾ませている。親子みたいに見えるのは、美鈴が長身だからだろう。俺と同じくらいの身長だからな。一応俺の方が高いけれども。

「ねえねえ美鈴、人里ってどんなところ?」

「申し訳ありません妹様。私も余り行ったことがないもので、八房さんの方が詳しいのではないでしょうか」

「そうなの? ヤツフサー、どんなところ?」

 どうしようもない問題に考えをぐるぐると巡らせていたところに、フランに話しかけられたことで我に帰る。フランがこちらに向けてくるキラキラした目が眩しい。人里をテーマパークか何かだと思っているのだろうか。いや、そう教えたのは俺か。だったらそこには責任が生じると言えなくもないな。

「人が生活しているだけだよ。ただ、色んな人が住んでるから色んな店がある」

「お店? お店なんて行くの初めて!」

「店がどんな場所か知ってるのか?」

 店という単語に物凄い食い付きを見せたフランに店を知っているのか聞いてみると「面白いものがある場所!」と元気な声が返ってきた。分かっているような分かっていないような、日用品よりも工芸品の店を見せた方が喜ばれるだろうな。

「というか、美鈴は人里に来たことないのか?」

「無いわけではありませんが、やっぱり買い出しなんかは咲夜さんの仕事ですからね。仕事中は門から離れられませんし」

「ま、それもそうか」

 門番に雑用なんかさせる家も無いだろう。そもそも門番が居る家自体そんなに多くは無いし。俺の知ってる限りだと紅魔館と稗田邸くらいのものだ。

 その後はまたフランの疑問は全部美鈴が答えてくれて、俺は思索にふけることが出来たのだが、結局たいした解決法は見つからないまま人里への多少は整備された道に足元が変わってしまった。ふわふわ浮いていたフランも地に足を着け、日傘をくるくる回しながら美鈴にべったりくっついて楽しそうに笑っていた。こんなに懐いていたのか、と正直少し驚いた。フランを普通に扱ってくれる相手は流石に紅魔館でも数少ないと思っていたのだが、それは間違いだったらしい。

 そして辿り着いた人里の入口。俺の一番の懸念材料だが、どうやらその心配は杞憂に終わりそうだ。

「誰だ? む、八房か。そちらは?」

 ぴりぴり警戒した慧音が入口で待っていて、俺の姿を見て敵意を収めた。こっちは別に隠せとも言っていなかったのでフランの妖気は丸分かりだ。敵意は消えても警戒心はむきだしたままの慧音に俺の方から説明する。全てを聞いた後、慧音が額にしわを寄せて腕を組む。彼女が判断に悩んでいる時のくせだと付き合いのある俺は知っている。これでも反応はいい方で、他の人間だったら門の内側から入るな帰れと言い続けるだけだろう。

「紅魔館の主の妹、か」

「そう。問題は起こさせないから入ってもいいだろ?」

「出来ないことは無いが、うーむ・・・・・・」

 この様子では二つ返事で通れるというわけにはいかなさそうだ。まあ前評判からすれば当たり前だ。危険な妖怪、しかもどう動くか分からないものを里に入れたくはないのだろう。しかも野良の妖怪ではなく紅魔館というビッグネーム付きだ。紅魔館は人里の人間もだいたいは知っている。咲夜がよく買い物に来るからだ。しかし、咲夜自体の評判は芳しいものではない。吸血鬼の従者というだけで、彼女が里から好かれることはほとんど無い。それには彼女自身の無愛想さもあるだろう。本人は公私の区別だなんて言っていたが、彼女は人見知りな部分があり、知人以外にはかなり無愛想になる。前に里の八百屋で見かけた時なんかは悪魔の手先かと思った、とそれは正解か。

 思考が逸れた。閑話休題。

 不安そうな顔で美鈴の後ろに隠れているフランを見て、慧音はまた困ったように唸る。お人好しだし、慧音としては入れてやりたいのだろう。だが、入れてしまった場合の懸念は拭いされない。彼女らと多く触れ合っていると忘れてしまいそうになるが、人里の人間に妖怪は相容れないものであると考えなきゃならない。例外はアリスと命蓮寺くらいのものだ。文? あれは別の意味で煙たがれる。

 いろいろ可能性を考えていたのだろうが、結局は親切心が勝ったのだろう、慧音が多少の条件と一緒に入門を許可してくれた。

「吸血鬼ということは隠してもらうぞ」

「言いふらすつもりは無いが、隠せるかね」

「私が歴史を食う」

 歴史を食う。慧音の能力の一つであるそれは、俺にはいまいちどういう能力だか分からない。なんとなく理解出来たのは、ようするに教科書のある箇所を黒ペンで塗りつぶしてしまうようなものらしい。知っている人には違いはないが、知らない人には分からない。そんな能力だというのだがいやはや。

 慧音が目を瞑ってちょっとの間色々呟いていたが、再び目を開けるともう入っていいと言った。いやマジで何やったんだ。フランのことを知っている俺には分からないと理解しているのに、対処法が身をもって実感できないと不安は解消されない。

「もう入っていいぞ」

「やった!」

 一転して大喜びするフランとは対照的に俺は今更になって心配事が肩に圧力をかけ始めた。それを見透かしたかのように美鈴が俺の肩を叩く。妖怪にやられるとちょっと痛いんだけど。

「では、行きましょうか」

 美鈴に促されて、詳しく聞けないまま俺達は門をくぐる。少し、どころではなく心配な部分はあるのだが、それも杞憂に終わってくれるといいのだが。フランに何かあったりしたら、レミリアに合わせる顔がない。

 




紅魔館が絡むと続き物になるというジンクス。これはもっと出たいとレミリアが運命を操っているのでしょうか。

ちなみに次回は幕間を挟みます。
妹についていけないおぜう様の話になると思います。


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閑話:当主の悩み、姉の悩み

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「やっぱり付いてけばよかったかしら」

 そんな言葉とともに私は溜息を吐いた。何度目になるか分からない、同じ行動を取り続けているというのに手元の本はさっきから同じページで止まっている。読書に集中出来なくて、私は周りを見渡した。

 紅一色に染めた家具で統一した部屋。招待した客は大抵趣味が悪いと嫌悪感を顕にするか、館の主の趣味だから仕方が無いと諦めるかのどちらだろう。相手を選ぶとは思うけれど、そんなに嫌う程悪いものでもないでしょうに、とその主である私は思うのだが、他の住民に言わせてもいいとは言えないとの一点張りである。咲夜にすら言われるとは思わなかった。昔は可愛かったのに随分とツンとしてしまって、なんていうと年寄り臭いからこれ以上はやめておこう。

 美鈴を付けたとはいえ、傷付きやすい妹のことが心配で気がそぞろになる。ページが進まない読みかけの本を閉じて、紅茶を飲もうとティーカップに手を伸ばしたら、中に何も入っていなかった。無意識のうちに飲み干してしまったようだ。仕方ない、咲夜を呼んで入れ直してもらおうと考えて、そういえば彼女に内緒で買ったコーヒー豆があったっけ。八房のことを教える代わりに八雲紫に外の世界から買ってきてもらった高級品だ。今の姿を咲夜に見られると主としての威厳に関わりそうだし、偶には珍しいものを飲むのも悪くは無いだろう。

 コーヒーを作り始めてちょうど完成しようかというころに、ドアがノックされる。私が応対する前に開けられたドアから現れたのは、濃い色と薄い色な紫縞模様のゆったりした服を着た私の親友。動かない大図書館、パチュリー・ノーレッジだった。といってもこんな無礼な真似をしてくれるのはフラン以外にはこいつしか居ないのだから私も予想はついていたので驚いたりはしなかった。席を勧めると一切の遠慮も無しに座る。いつも通りの無愛想。普段から図書館に座り続けている彼女がここまで来るのは珍しい。

「ねえレミィ、良かったの?」

「何がよパチェ」

「フランのことよ」

 開口一番に我が妹の話。久々に部屋に来たと思ったら、やっぱり気になるのはそこか。私の大親友様はいつも冷たいくせにこういう時は心配性だ。俗に言うクーデレという奴ね。チェスをするわけでもないのにこっちまで来るなんて、余程あいつのことが心配なのかしら。でも、こういう時に心配してくれるのが親友なのでしょうね。それにこの部屋に入ってくるというのは彼女なりの気遣いなのだろう。

 咲夜はこの部屋には入ってこない。主の自室に許可無く入るのは無礼だと幼い頃に教えたから。より正確に言うならば彼女には紅魔館当主としての私だけを見てほしかったから。ま、肩書きがあってもなくても私はそれほど変わらないんだけどね。でもこういう時には彼女が入ってこないのは大いに助かる。余り聞かせたくない話も多いから。咲夜は私のことを心配してくれているのにこちらはずっと謀ってばかり。バレた時には軽蔑されるのかしら。彼女ならそんなことはしないと分かっていても、隠し事をしている負い目は無くならない。

「聞いてる?」

「大丈夫よ。むしろこうするしか無かったわ。美鈴も連れていかせたし」

「・・・・・・視えたの?」

 再度問いかけてきたパチェに無言で頷く。口に出す気にはなれなかった。それを聞いたパチェがはっと息を呑んで、そのまま咳き込む。背中をさすってやるが、単純に喘息が出ただけだろう。体が弱いのに無茶をするからだ。私の献身的な介護で落ち着いたパチェは「それなら安心ね」と胸をなで下ろす。それは私の能力に対して、というよりも美鈴を護衛に付けた、という部分に対しての安堵だろう。彼女なら、フランも、八房とかいうあの人間も抑えることが出来る。

 私の能力について正しく知っているのは、パチェと美鈴だけ。逆に言えば知っている彼女が心配に思うことなどない。どう足掻いても、フランと八房が里に出るのは避けられない運命だった。そこに美鈴を入れたのは念のための安全装置。頭のいいパチェならそこまですぐに察することが出来るはずだ。

 用事は終わったとばかりに席を立とうとするパチェを留めて、私はコーヒーメイカーを持ってくる。これで帰るのはいくら何でも薄情過ぎないかしら。

「コーヒーでも飲むかしら?」

「珍しいわね。いつもなら紅茶なのに」

「偶には悪くないものよ。それに貴方も好きじゃない」

 せっかくいい豆が手に入ったんだから一人で飲み切ってしまうのも勿体ない。どうせなら美鈴も交えて飲みたかったが、彼女は彼女で中国の茶が好みだし、私も紅茶の方が好きだから本当に嗜好が合わない。コーヒーをカップ二つに注ぐと芳ばしい香りが広がる。パチェもすかさず結界を張って咲夜や妖精メイド達にバレないようにする。流石魔術はお手の物だ。咲夜には美鈴の代わりに門番をやらせているけれど、いつ戻って来るか分からないし、見つかると小言が五月蝿いもの。小言というより駄々を捏ねられると言った方が近いわね。無表情を装った悲しそうな顔で「私の紅茶はもう要りませんね」なんて言ってくるのだから。ちょっと甘く教育しすぎた。

 私は砂糖を一つ入れるが、パチェはブラック派だ。ちょい、と口を付けると微かな甘みとコーヒー特有の目の覚めるような苦さが口の中に広がる。飲むのは何年かぶりだったけど、案外まだいけるものね。パチェの方は黙々と飲んでいる。彼女、猫舌の筈なのに何故かこれだけは大丈夫なのよね。よく分からない体質だわ。そして、お互いにあらかた飲み終えた辺りで会話に上がるのは、愛しくも疎ましい妹のこと。

「フランは、治りそう?」

「私の知識じゃお手上げね。そもそも治るかどうかも分からないわ。彼女のアレは病気ではないもの」

「そう」

 淡々しているが、その言葉は私にとって何十年も前から死刑宣告に等しかった。絶望的なパチェの言葉に俯いて唇を噛み締める。拳に力が入る。カップを置いてなかったら握りしめた手が割ってしまっていたかもしれない。爪が掌にくい込んで血が流れ出す。それでも握りしめずにはいられない。自分への戒めのようなものだから。こんな部分、絶対に咲夜には見せられない。今ここに居るのは、紅魔館の当主などではなくレミリア・スカーレットというただの不出来な姉でしかないのだから。

「私は、なんでこんなに弱いのかしら」

 妹一人も守れない非力な人外。自分の不甲斐なさを考える度に涙が出る。何よりも、八房にフランのことを期待しているというのに、彼とあいつが一緒に居るのを見ると嫉妬の感情が湧き上がってくるのが自分で堪らなくなるほど嫌なのだ。私には出来なかったことをぽっと出てきただけの軟弱な男が何故、という思いが絶えず私の心を締め付けるのだ。私では力不足だったというのか。あのひょろひょろとした人間風情の方が私よりも妹のためになるというのか。私では、フランの孤独を癒すことは出来ないというのか。

 それは痛いくらいに事実

だった。私では、或いはパチェでは、美鈴ではフランを、救うことなんで不可能だった。だから若丘八房という男の運命に頼った。不死人(ノーライフ)であるというのは少し驚いたが、そんなことは気にしなかった。

 私を気遣ってくれたのか、パチェが私の仕事机の上に置いてあるチェス盤に手をかけた。それを私が置いた本をどけて、もう一つの机に乗せる。そしてイラついたように言った。

「久々にやるわよ」

 パチェはチェスが好きではない。嫌いであるというよりはその時間を研究に充てた方がいいと考えているのだろう。その彼女が自分からチェスを誘ってくれている。その意味は痛いほどに分かっていた。

 駒を並べて、私が黒で始まった。ポーンを動かして、パチェの動きを伺う。いつものムスッとした顔はこういう時にはポーカーフェイスに早変わり。なんて、一手目で顔色変える打ち手も居ないだろうけど。

 カツ、カツ、カツ、カツ。お互い言葉も交わさないまま、駒だけが音を立てて動いていく。私もチェスは弱くない筈なのに、フランとパチェにはほとんど勝てたことがない。パチェは魔法使いとして天才だ。科学的な思考も必要となる魔法での才能は、それ以外の頭脳を必要とする才能にも適用されるのか、彼女は私が教えた二日後には私を追い抜いた。フランよりも強いのだから、外の世界では世界チャンピオンも目指せるんじゃないだろうか。本人にはその気はないだろうけど。今回もその例に漏れず、チェスを今回も進むごとに追い詰められていく。頼みの綱のクイーンも取られて、いよいよ勝利は絶望的だ。

「弱い当主でごめんなさいね」

 つい、そんな言葉が口から零れでる。それは私がいつも変わらず思い続けている思いで、美鈴には口にする度に怒られている言葉。パチェも怒ってくれればいいのに、彼女の表情は変わらないまま。しかし、後一手でチェックメイトになろうかといったところで、突然パチェの打ち筋が変わった。普段の彼女からは考えられないような凡ミスから始まり、最善手とは言えない手の数々。わざととしか考えられない。

「別にレミィが弱いことなんて最初から知ってるわよ」

 ずっと黙っていたパチェが口を開く。辛辣な言葉だが、返す言葉もない。私は初めて彼女に会ったときから変わらず弱いままだ。

 でも、だからって諦めたままではいたくない。パチェがわざと下手な手を繰り返すなら容赦無く突いてやればいい。弱いのにプライドなんて持つ余裕なんてない。彼女は私にそう教えてくれているのだろう。パチェの打ちがまた本気に戻るが、彼女が費やした手はけして軽くなかった。今度は私の方が優勢になっていく。懸命に逃げるけれど、ついに私のルークが白のキングを捉えた。

「私の負けね」

「ええ、貴女にチェス教えた頃を除けば、私が勝ったのは初めてよ。これを勝ったと言えるのかは別だけど」

 今回は、パチェが手を間違え続けた、いわば手加減してもらったようなものだ。けして自身の力で打ち破ったとは言い難い。しかし、パチェの方はそうは考えていないようだった。

「私の油断を突いた、貴女の正当な勝利よ。なんならもう一回やる?」

「そうね、今度は油断してくれるとも限らないし」

 駒を揃え直してもう一局。今度はほとんどいい所もなく私の負けで終わった。それでももう一局私の方から頼み込む。三局目は善戦したものの、最終的にはまた負けてしまう。途中で二杯目も淹れ直したのだが、コーヒーメイカーの中身ははもう空になっていた。そして、十局程やってやっともう一度勝てた時にパチェがぼそりと呟いたのを私は聞き逃さなかった。

「レミィは私の友達なんだから、もっと頼ってくれていいのに」

 彼女にしてみれば思わず零した独り言だったのだろうけど、吸血鬼の聴覚を舐めてはいけない。一字一句ちゃんと聞こえている。正式に勝ったとはいえ幾つもの敗北の上に成り立ったまぐれ勝利で総合的にはボロ負けだ。これでは面白くない。私は何食わぬ顔でパチェの顔を覗く。

「何か言ったパチェ?」

「何も言ってないわよ。ちょっと、何をニヤニヤしてるの」

「べっつにー?」

 笑みを隠しきれなかったようだ。自分の言葉が聞かれてしまったことに気付いて、顔を赤くしてそっぽを向いてしまう七曜の魔法使いは、私にはもったいないくらいの親友だと、私は改めて確信するのだった。




うちのレミリアさんはカリスマ成分多めでお送りしていますので、ブレイクを期待している方にはちょっと物足りないかも知れません。
美鈴が紅魔館メンバーから信頼されているのには裏設定が有るのですが、作品内では語られるかは未定です。

あと何気にパチェさん初登場


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人と妖怪の暖かな交わり

フランちゃんウフフ


「わー、きれい!」

 八百屋に魚屋、貸本屋と見て回って思うのだが、フランが目を輝かせて喜んでいるのを見るのは気分がいい。彼女が見ているのは幾つか店を回った後に適当に入ったガラス細工の店で、杯や芸術品がクロスを引かれた机の上に所せましと置かれている。店主は工房だかどこかに引きこもっていて姿を表さず、フランが所せましとはしゃぎ回っているのだが、ぶつかりそうなフランの翼は折りたたみ収納ができたらしく、今は傍目には分からなくなっているし、慧音が歴史を食った影響で普通の女の子と見分けがつかない。この無邪気な子供を見て誰があの吸血鬼の妹だと気付けるだろうか。見た目に似合わず大人びた当主と違ってフランは見た目相応の精神年齢だ。知り合いに会うか、能力でも使わなければ分かりっこない。それにフランとは絶対に能力を使わないと約束した。守れなければすぐに帰ると脅したから彼女が能力を使うことはないだろう。子供であっても聞き分けのない子じゃない。それはよく分かっている。

 美鈴ははしゃぎっぱなしのフランを窘めながら、本人もギヤマンのグラスを見て感嘆を漏らしている。彼女は彼女で妖怪らしさが全くない。本人曰く気を操って妖怪であることを隠せるんだとか。随分と便利な能力だ。気とかなんとかは人間にも扱えるらしいから今度師事してみようか、なんてことも考えたが、彼女が師匠というのはなんとなく想像出来なかった。人にものを教えるなら彼女は弟子をとるというより放課後の学校とかで開かれてる道場の指南役の一人、くらいがそれっぽいだろう。厳しそうには見えないし、子供に人気が出てそうだ。でかいし。

 二人を観察しているのもそれはそれで面白そうだが、せっかくだし俺も何か面白いものがないか探してみよう。家で使うにはガラスは少し心許ないんだけど、見る分なら関係ない。馬の形をした置物や、誰が買うのかも分からない小型の壺、グラスとか使えるものも多いが、趣味と断言できるようなよく分からないものも多い。でかいビー玉みたいな奴は綺麗だとは思っても値段を見ては検討する気にもなれない。用途も分からない塊に五円は高すぎる。

 結局買えそうなものも見つからず、残りの二人が買う物を決めるかウィンドウショッピングに飽きるのを待っていると、美鈴も隣に寄ってきて品物を見ているのはフラン一人になった。

「ねえねえ見て見てー?」

 そこへフランが持ってきたのは緑がかったコップだった。彼女の琴線に触れたのだろう、確かに透き通ったガラスは外から差し込む光を受けて輝いているし、形もよく出来ている。俺的には実用性もあるし充分いい品物だった。フランは興奮気味に美鈴に買っていいか頼んでいる。紅魔館には似合うし、美鈴も別に反対するつもりは無いようだ。商談のために、店主を呼ぼうとした、その時だった。

────ピシッ

 フランの手元にあったコップにヒビが入り、その亀裂が広がって粉々に砕け散る。フランの顔の色が驚愕、そして悲痛な面持ちに変わる。能力を使ったわけではないことは直ぐに分かった。本人に能力を使いこなせないわけじゃないし、好き好んで帰りたいと思っているはずもない。ただ、ガラスは脆すぎた。人間でも割ろうと思えば握りつぶすだけで割れるのだ。吸血鬼の怪力を考えれば、少し興奮して力が篭った、それだけで簡単に割れてしまったのだろう。彼女に悪意はない、しかしどうしたものか。さっきの言葉を逆にすれば、人間には割ろうとしなきゃ壊せない。特に見た目にはフランはただの女の子だ。意図して割ったと思われかねない。或いは妖怪であるとバレかねない。それはどちらも好ましくない事態だった。どうすれば乗り切れるか。俺がそこに考えが至ったとき、既に美鈴は動き始めていた。

 バシッ、とフランの手を叩いたのだ。完全に不意を突かれたフランは手元に残っていた底の部分も取り落としてしまう。そういうことか、美鈴の意図を直ぐに察することが出来た俺は、自分なりに彼女に合わせることにした。

「すいませーん」

 店の奥にいるであろう店主に声をかける。しばらくすると頑固親父という言葉をそのまま擬人化したような怖い顔の白髪の爺さんが無愛想に出てきた。

「あの、こちらの品物を落としてしまいまして」

 頑固親父の店主殿は厳しい目付きで俺と美鈴を見て、そしてフランを見た。落ちた場所から落としたのは誰かを見極めているのだろう。

「嬢ちゃん。怪我はないか」

「・・・・・・うん」

 すっかり意気消沈したフランは俯いて店主と目を合わせようとしない。無理もない。自分が気に入っていた物を自分の手で壊してしまったのだ。気にするな、という方が酷だろう。それに、傍から見れば落としてしまってしょんぼりとしている少女にしか見えない。

「怪我がねえならいい。掃除するからどきな」

 頑固親父はそう言うと奥から箒を持ってきてガラスの破片を片付け始めた。美鈴が店を後にすることをアイコンタクトで相談してきたので賛成の頭を振る。フランはさっきまでの元気をまだ取り戻せていないようだし、ここに居てもいいことは無いだろう。

「ごめんなさい」

 かき消えそうな声は誰に向けられたものだったのか。しばらく出ていけと言われてその通りに店を出る。足取りは重く、このままでは帰ると言いかねない雰囲気だ。

「ヤツフサ」

「なんだ?」

「怒ってる?」

 上目遣いで見つめてくるフランは、本当に怒られて気を落としている普通の少女にしか見えない。そんなフランの頭をわしゃわしゃと撫でてやる。

「能力、使ったわけじゃないんだろ?」

「うん」

「だったら俺が言うことは無いさ。怪我しなくてよかったな」

 連れ戻されると思っていたのだろうか、フランは俺の言葉を聞いて表情を柔らかくする。能力を使ってはいけないとは言ったが物を壊すなとは言ってない。それに不慮の事故だし本人に悪気はないんだから起こることなんてできないさ。

「今度は気を付けろよ」

「分かった」

 同じ間違いはたぶんしないだろう。フランは頭が良い。おそらく出来で言えば俺の何倍もいいだろう。ガラス細工だってテンションが上がってついうっかりやってしまっただけなのだから。

 それでも一応フランの調子を戻すために、今度は甘いものでも食べに行こう。おやっさんのところが一番いいだろうか。あそこは妖怪にも多少の理解がある。人里に馴染んでいるとはいえ、アリスも贔屓にしているような店だ。そして何より俺の行きつけだ。知ってる店と知らない店とじゃ安心感が違う。

「饅頭でも食べようか」

「饅頭? 霊夢が食べてる奴?」

「そういやあいつもよく食ってたな」

 いったい誰から貰ったんだか。お金がなーいお金がなーいって嘆いているくせに食べ物甘い物には困ってないんだからな。俺の予想では紫か文辺りが甘やかしてるんじゃないだろうか。甘い方々だ。

 フランは饅頭については余り詳しくないのか興味津々に色々聞いてくる。好奇心旺盛なのはいいことだ。もしかしたら後で咲夜に作ってもらうつもりかもしれない。瀟洒なメイドなら饅頭くらい作れるだろう。

「八房さんも甘い物食べるんですね」

「どういう意味だこら」

「いや、趣味嗜好が年寄り臭いのではないかと疑っていたものですから」

「喧嘩売ってんの?」

 ナチュラルに暴言吐くのやめてくれ。結構酷いこと平然と言うよなこの中国人(人じゃないけど)は、咲夜に滅多刺しにされるのが可哀想に思えなくなってきた。そんなことは最初から思ってないけどさ。

「ヤツフサ、お爺さん?」

「違うからな。こっちはまだ青年で通る年齢だから」

 少年だとそろそろきついけど。まだおっさんにすらなっていない、と思う。大体妖怪だらけの幻想郷じゃ年齢なんて大した意味を持たないんだから若いとか年寄りだとか気にすることでもない。

「ほら、着いたぞ」

 話を逸らすように見えてきた饅頭屋の看板を指差す。相変わらずお客さんは入っていない模様、そっちの方が都合が良い。暖簾をくぐるとおやっさんがいつものように暖かい笑顔で迎えてくれる。客は他に誰も居ない。

 フランにこしあんと粒あんのどちらがいいか聞いてもよく分かっていなかったので美鈴と同じ粒あんを頼んで、俺はこしあんを頼む。テーブル席に座り、運ばれてきたお茶に口をつけると渇いていた喉がようやく癒される。

「他にお客さんが居ないんですね」

「隣に卸してるせいでこっちには来ないんだよ」

「では何故こちらを選んだんです? 霧雨道具店なら他にも妹様が喜びそうな物があったでしょうに」

「そうなの?」

「あー、こっちの方が気楽だったんだよ。落ち着けるからな」

 だって座れるし。人居ないし。そうですか、と美鈴は何か理解したような顔でうんうん頷いている。フランは出されたお茶と悪戦苦闘しはじめた。どうやら苦かったようだ。

「なんだい若丘君、家族でも連れてきたのかい」

「いやおやっさん、俺が外来人だって知ってるでしょうが。知り合いだよ、或いは友達と言ってもいい」

 饅頭を運んできながらそんなことを聞いてくるおやっさんを軽くあしらいながら、饅頭に興味津々のフランの前で、わざと豪快にかぶりついてやる。甘い、美味しい、熱い。美鈴も真似して同じことをやったのでフランも恐る恐る齧り付いて、美味しい! と顔を綻ばせる。何これ天使か、いや悪魔だ。

 饅頭一つでは足りなかったらしく、もう一つお代わりを頼んでそれもペロリと平らげる。三つ目は流石に自重したのか、まだ物足りなさそうだったがお腹いっぱいだと言っていた。別に気を使う必要も無いのにな。

 饅頭食べて、食後のお茶でのんびりしていたら、外からドタドタと走ってくる音が聞こえてきた。おやっさんの息子の寛太(かんた)が帰ってきたのだろう。

「ヤッフー先生が居るー! 浮気かー?」

「うっさいぞクソガキ」

 あらぬ事を言うガキに容赦なく拳骨を落とす。

「痛いぞー、訴えるぞー。懲役五年だぞー」

「なんでそんな無駄に長いんだよ」

 子供の戯言というにはちょっとリアルっぽい数字にするんじゃねえよ。有り得そうだと錯覚するじゃねえか。誰がそんなこと教えたんだ。

 フランは突然現れて騒ぎ散らす寛太に少し怯えているらしい。体を縮込ませて美鈴の陰に隠れるようにしている。もちろん隠れられているわけではない。寛太は失せ物探しは大の得意だ。

「そっちの子は誰?」

「えっ、えっと」

 見た目に同年代の子とは滅多に話さないのだろう。さっきのハプニングで落ち込んでいたのもあって引っ込み思案になっている。美鈴の裾を掴んで引っ張っているようだが、頼みの綱は何処吹く風とばかりにお茶を啜っている。頑張れフラン、普段なら出来るだろう。

「フ、フラン」

「フラン? フラン、遊ぼうぜ!」

「えっ!?」

 子供というのは恐ろしいものだ。怖いもの知らずと言い換えてもいい。けど、フランにも他の友達が増えてもいい頃だ。俺も目で行っていいぞと教えてやる。が、フランには通じなかったようだ。不安そうに美鈴の裾を摘んだまま動こうとしない。美鈴にはアイコンタクト通じるんだけどな。そこで美鈴に挑戦してみると、こちらは成功。立ち上がって「遊びましょうか」とフランと寛太を連れて店を出ていく。気をつけてくださいね、と返事まで返された。たぶん彼女に任せれば問題は起こらないだろう。そのためにレミリアが付けたんだろうから。

「すまないね。あの子の遊び相手になってもらっちゃって」

「友達、だよ。そうじゃないと早死するぞ」

「やっぱり、妖怪の子だね」

 おやっさんには気付かれていたらしい。まあバレているとは思っていたから特に驚くこともない。

 お代を払おうとしたらおやっさんが三つ分だけでいいと言ってきた。本人曰くサービスらしい。そんなんだから儲からないんだよ。とは言わないでおく。俺が行き付けにする理由もこんなところにあるからな。

 おやっさんとちょっと世間話をしてから外に出ると、日傘を差したままフランと寛太が楽しそうに遊んでいた。目を離したほんの少しの間にどうも打ち解けていたらしい。しかし残念なことに、人里に来たのがもう昼前だったのもあり、そろそろ日が落ちて来る頃になってしまった。そろそろ帰らないとシスコン姉が心配する頃だろう。咲夜を迎えに出してくるかもしれないな。メイドに無駄足踏ませるのも忍びないのでフランと美鈴に帰ろうと呼び掛ける。フランも満足したのか、打って変わって満面の笑みだ。寛太ともまた遊ぶ約束をしていたし、人里観光はアクシデントも有ったが概ね成功か。

「おい、待ちな」

 帰り道、ぶっきらぼうに呼び止められて振り返る。誰かと思えばガラス細工の店の頑固爺だ。その手には何かが握られているようだが、小さなものらしく何が入っているのかは分からない。爺さんはずかずかとこちらに向かってくる。フランを庇うために前に出ようとしたら、美鈴に手で制された。

「手ぇ出しな」

 言われるままにフランがおずおずと手のひらを出す。爺さんはその上に手に持っていた何かを置いた。それはビー玉だった。緑色の透き通った球体がフランの手の上で揺れている。

「次は壊すんじゃねえぞ、妖怪の嬢ちゃん」

「・・・・・・・・・・・・」

「返事は!」

「は、はい!」

 フランの返事を聞いて初めて爺さんが笑う。それは今までの昔気質なイメージを払拭するようなイタズラっ子みたいな笑顔だった。

 訂正、今回のフランとのピクニックはこれ以上ない大成功だった。

 



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花妖怪とティータイム

 夏、向日葵の咲く季節。自分の背丈に届くくらいに伸びている花に囲まれているとそれを強く実感する。咲き誇る、という言葉にこれ程似合う風景もそうは無いだろう。太陽の畑と呼ばれているのも肯ける。これで住んでいらっしゃる方も暖かい景色に違わぬ優しい方なら良かったんだけど、そこまで都合良くはないらしい。

 おでこを手で押さえてみる。額が痛むわけではない。既に一度殺されているのだから、痛み自体は持ち越されない。ただ、傘で思い切りド突かれたからな。やっぱりへこんでやしないかと気になるものだ。話くらい聞いてくれてもいいと思うのだが、随分と酷い扱いだ。しかし、これで一つ確信が取れた。どうやら俺は里の人々に騙されてしまったらしい。分かってて騙されたのだが、一縷の希望を掛けていた以上、騙されたのはちょっとショックだったりする。やはり妹紅にも着いてきてもらえば良かったか。いや、あれじゃ喧嘩になるに決まってる。そしたら周りへの被害がとんでもないことになるだろうから、連れてこないのが正解だったな。全く、難儀なものだ。

 俺が太陽の畑に足を運んだのは、ある商人から頼まれたからだった。花を受け取る約束をしているが、忙しいので取りに行く余裕が無い。勝手に持っていって構わないので太陽の畑から花を持ってきて欲しい。うん、この時点で怪しい。しかも周囲からの評判も良くない商人であることは知っていたので十中八九嘘であることは分かっていた。どうせ死なないんだから大丈夫だろう、ってそんな下心が見え見えだった。で、そんな裏が丸見えの依頼を俺が受けたのは、ひとえにこの花畑に来てみたかったからだ。前に妹紅と話したら全力で止められたのだ。ここの主である風見幽香は話の通じない危険な妖怪であると涙ながらに訴えられた。というのは誇張表現としても行くことを禁止されていたし、紫にも行くのはおすすめしないと言われてしまっていた。だから、行くには丁度いい機会だと軽い気持ちで請け負ってしまったのだ。

 その結果が残機-1であった。挨拶くらいしておくべきかと探していたら、逆に見つかってしまったのだ。緑色のウェーブがかった髪に赤のチェック柄と白のブラウスが特徴的な綺麗な妖怪だった。やっぱり妖怪は美人さんばかりだな。人を誑かすからそっちの方が多いのだろうか。なんてことを考えていたら眉間に傘の先端を突きつけられていた。

「何か用かしら?」

 思いの外優しい声音だった。優しかったのは声だけで目は全く笑ってなかったけど。視線だけで人を殺せるよ。というか死にそうだよ。息が詰まりそうだよ。返事を待つ前にぐりぐりと眉間を押される。耐えられるギリギリの絶妙な痛みに襲われながら、とりあえずは偽りなく理由を述べることにした。大丈夫、真面目に話せばきっと分かってくれる。

「里の商人に頼まれて、花を摘みに来ました」

 バァン! 音を立てて頭が吹き飛んだ。フランみたいに能力を使ったわけじゃなかった。弾幕ごっことかとたぶん同じ要領で消し炭にされた。流石に速射は酷くないだろうか。人里を出た人間に生命の保証なんてないけどな。ついでに言うなら完全に地雷を踏んでいたのは分かっていたから仕方ないとも思った。

 で、とりあえずは現在に戻る。もちろん一度砕かれたからといって額がへこんだりはしなかった。良かった良かった、整形で永遠亭を訪れるなんて恥ずかしいことはしたくない。命が無事に戻ってきたことも確認したので、このままこっそり花を摘み取って帰っても構わないのだが、礼儀知らずと呼ばれるのは余りよろしくない。誰が呼ぶってこともないだろうが。

 起き上がって再び直立する花の間を歩く。今度は無条件で殺されるだろうか。せめて話くらいは聞いてもらいたいところだがはてさて、そんなに上手く行くだろうか。

 宛もなく歩き回っていたのだが、今度は俺の方が風見幽香を発見した。ジョウロで花に水をやっているところだった。砂利を踏んだ音が聞こえたのか、俺をひとひねりで潰せる少女がこちらに向き直る。やはり知らない相手からは驚かれるか。さっきまで眠たそうな開き具合だったのに少しだけ開きが大きくなっている。が、そこは大妖怪。直ぐに冷静さを取り戻したようだ。

「貴方、生きてたのね」

「生き返ったんだよ」

「ふうん」

 俺の体質に興味は無いのか。返事はそっけないものだった。或いは俺の言葉を信じていないのか。どちらかというと後者だろうな。なんかめっちゃ殺る気満々だし。俺戦えないんだぞ。妖精よりも弱いんだから勘弁してくれ。あとで妹紅にしこたま怒られちまうじゃねえか。

「貴方、名前は?」

「若丘八房だよ」

「八房?」

 名前を聞いた瞬間、彼女が眉を顰める。逆に俺の方はというと両手を上げていた。いわゆるホールドアップ、お手上げの降参という奴だ。こういう時は変な行動したら即座にぶち抜かれる。敵意が無いことをどうにか証明したい。

「なるほど、ね」

「何かに得心でもいったのか?」

「とりあえず貴方に戦う意思と力がないことは分かったわ」

 それを理解してもらえるのは有り難い。出会う度に撃ち殺されたんじゃ怖くて外を出歩けないからな。風見幽香が花に水をやり終わるのを待ち続ける。逃げたら殺すぞと脅されているような気がした。

「お茶でも飲んでいくかしら?」

「毒でも入ってんじゃないだろうな」

「そんな面倒臭いことしなくてもいつでも殺せるわ」

「ですよねー」

 風見幽香は身を翻して、俺に背を向けたまま歩いていく。付いてこい、ということだろうか。別に断る理由も度胸もなかったのでそのままついていくことにした。

 後ろについて歩いていると、向日葵が一番目立つが、それ以外にも様々な花が咲いていることに気付く。四季のフラワーマスターなんていうくらいだから、どの花も能力の範囲内なのだろう。だが、花に詳しいわけでもないからはっきりとしたことは言えないが、季節外れの花、例えば春の蒲公英とか、秋に咲く金木犀や秋桜は咲いてないように思えた。きっと自然に咲くことが彼女にとって大切なことで、自然のサイクルを壊すのは嫌っているのだろう。自分本位な妖怪ではないようだ。

 たどり着いたのはログハウスと呼ぶのが相応しいような木製の小屋だった。とりあえずウチよりはしっかりした作りだ。丸太を組んでいてそれなりに災害にも強いだろう。何より中に入った時にちゃんとベッドがあるのが格差を圧倒的なものにしている。久々の寝床に飛び込みたくなるくらいだ。そんなことをすれば残機が減るなんてものじゃ済まないので当然自重するが。

 一人暮らしだと思っていたのだが、椅子は何故か二つあった。客人が来たりするのだろうか。紫でも行かない方がいいと忠告してくるような大妖怪の家に来る奴がそんなに多いとも思えないが。まあ勧められた以上はそこに腰を下ろす。ティーポッドからカップに注がれたのはいい匂いのするハーブティーだ。風見幽香が先に口をつける。その様はとても優雅で見蕩れてしまうような、なんてのはおいといて、毒がないことを主張しているのだろう。毒が入っていてもまあ生き返るだろうとたかをくくって、覚悟を決めて俺も口をつける。

「あ、美味い」

「お気に召してもらえて何よりだわ」

 強いて言うなら紅魔館で咲夜が入れてくれる紅茶に近いだろう。だけど、それとも慧音の煎茶とも全く違う味わい。本人の腕もあるのだろう、ハーブの香りと合わさって思わず美味いと口に出してしまった。彼女も満更ではないようで、口元を緩めながら席についた。ツッコミを入れるのは命知らずのすることなので、俺はそれには気付かないことにして、何か話が始まるのを待った。こちらから話しかけるのは流石に怖くて出来なかった。

 そして、風見幽香が口を開いた。

「貴方のことは影狼から聞いているわ」

「は? 影狼から?」

「ええ、力もないのに妖怪とつるみたがる、不思議な人間だって」

 影狼からそう思われているのはまあいいとして、むしろ第一印象からすればかなりの高評価を得ていると言えるだろう。しかし、今泉影狼というからかわれ体質の狼妖怪と目の前の賢者も一目置くような花の大妖怪がどうしても結びつかなかった。言っちゃ悪いかもしれないが、実力な大きな違いがあるのではないだろうか。

「影狼と知り合いなのか?」

「そうよ。ああ、確かに意外に思うかもしれないわね。彼女とは五十年来の親友よ」

「五十年が長いのか俺には分からねえ」

「人間で言えば長いでしょ」

「妖怪基準だと分かんねえな」

「あんまり変わらないわよ。妖怪だって一年の感じ方はそれほど変わらないわ」

「そういうもんなのか」

 妖怪にとっても一年はそれなりには長いものらしい。となれば五十年というのは妖怪の寿命を考えると、一生の友達とはならなくても仲の良い友人くらいにはなるのだろう。そのくらいの友人も出来ることならほしいものだ。

「影狼のことは納得いったかしら」

「納得はしてないけど理解は出来た」

「じゃあ、こっちからも質問させてもらうわね。お代わりいる?」

「お願いします」

 美味しいものは飲み干すのも早い。他の方々には悪いが幻想郷に来てから一番美味いかもしれない。

 もう一度注いでもらって、今度はこちらが質問をされる立場に変わる。言って間違えると殺されそうだ。だからといって保身に走るつもりは毛頭ない、というか走ったのもバレるからする意味が無い。

「で、貴方は結局なんでここに来たの?」

「それは最初に言ったと思うんだが」

「・・・・・・あれ、本当なの?」

 驚かれるのは結構だが、俺はバレない嘘はめったに吐かない。吐くのは直ぐにバレる嘘だけだ。そうじゃないと禍根が残るからな。前に紫にそう答えたら「同じですわね」なんて言われたが誠に遺憾である。あれは存在自体がそもそも胡散臭い。

「ふうん。それで、わざわざ私を探し回ったのは」

「一度挨拶しておかないと失礼だろ」

「貴方、馬鹿でしょ」

「頭おかしいとはよく言われる」

 主に妹紅とかレミリアに。まあ今回は風見幽香に会ってみたかった、てのも多分にあるんだが、そこまで口にするつもりはない。異常者扱いされるのは沢山だ。異常だと理解した上でやろうとしている時点で言い逃れのしようがないのかもしれないが。

「まあいいわ。馬鹿さに免じて今回は許してあげるわ」

「ということは次回は許さないと」

「そういうことになるわね」

 おお怖い怖い。けどまあ、今回は見逃してもらえるようだから、ってもう一回殺されてるから見逃してはもらえてないんだけど。それはたぶん彼女の中では見逃している部分に入るのだろう。

 幽香はバスケットに様々な種類の花を的確に摘んできてくれた。俺じゃこう上手くは摘めないだろう。さらにあの美味しいハーブティーのティーバッグまでおまけに付けてくれた。天使や、有り難や有り難や。

「そうそう」

 完全に聞くのを忘れていたというように風見幽香が声を上げた。

「結局どうやって生き延びたのかしら。確実に殺したと思っていたのに」

「あれ、影狼から聞いてないのか?」

「何を」

 あれ、そう言えば影狼に言ってなかったような気もするな。なんか知られているのが当たり前すぎて、説明するのを忘れがちになっているような気がする。勝手に思い込んで自己紹介を怠るのは余りよろしいこととは言えないな。とにかく、知らないのなら教えなければならない。

「不死身、なんだよ。それだけだけど」

「へえ、人間じゃないじゃない」

 よくそんなことを言われるが、それには反論しなければ。俺は人間で、それ以上でも以下でもないのだから。

「人間だよ。少なくとも妖怪でも神様でもない」

「ま、それもそうね。で、不死身ってことは今殺しても死ぬのかしら」

「やめてくれよ?」

「やらないわよ」

 サンドバッグになんてされたら敵わない。たぶん俺が自由に()させるのはフランくらいのものだろう。あの子は我慢し過ぎると良くなさそうだからな。それ以外にまでとなると、命が幾つあっても足りなくなってしまう。幽香もそれ以上の追求はしてこなかった。かなり怖いのは事実だが、ちゃんと誠実に対応すれば普通にいい人だ。けしてハーブティーで餌付けされたわけではない。

 その後はケーキまで出してもらって充分に太陽の畑を楽しませてもらったと言えることだろう。日は既に落ちて暗く、妖怪の時間に移り変わろうとしている。これ以上長居するのも問題ばかりだろう。礼を言って退散することにする。帰るときに幽香から遊びならまた来てもいいと許可を頂いたのでいつかまたハーブティーを頂きに来ようかね。

 ああそれと、俺を騙してくれた方々に今回限りだと言っておくのも忘れないようにしないとな。

 




更新遅れて申し訳ないです。リアルが忙しかったり別のネタに気を取られてスランプになりかけたりワールドトリガー全巻一気読みしたりしてたらこんなに間が空いてしまいました。

リアルの方がまだ忙しいので次の更新もだいぶ遅くなると思いますが、よろしければ気長にお待ちください。


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嘘つき兎とほら吹き人間

「毎度毎度、よく飽きないもんだ」

 夜空に光がちらちらと瞬く。目の前に広がる弾幕を綺麗と表現するべきか、それとも物騒と吐き捨てるべきか。もしそう聞かれたならば、俺は迷わず前者を選ぶだろう。俺じゃなくても答えはそうそう変わらない。弾幕ごっこは幻想郷の華だ。レベルの高い弾幕なら誰もが見とれて当たり前、重ねて言うなら今やっている二人の力量は申し分なく一流なのだろうが、俺には余り良いものには見えなかった。正確には見えなくなってきた。

「いい加減落ちろぉ!」

 妹紅が感情を高ぶらせて炎を放つ。対する姫様はゆらゆらとクラゲみたいに動いたかと思えばいつの間にかてんで違う場所にワープしている。お互いにスペルカードは使い切っているはずなのだが、通常弾幕だけでもう三時間も粘っている。負けず嫌いもいいとこだ。空になった皿の底を指で撫でながら思う。もうかれこれ半日近くも見せ続けられているこちらのことも考えてほしいものだ。

「弾幕ごっこをやった数は一万回もいってないわ。まだ飽きるには早いでしょう」

「元気だなあ。どこぞの廃人じゃあ無いんだから」

「貴方だって元気じゃないの」

「意味が違うよ」

 永遠亭の縁側に腰掛けて団子を口にしながら話すのは輝夜の従者で月の頭脳な八意永琳。中秋の名月にはまだ早いが弾幕ごっこを肴に月見というのも悪くない。なんていって鈴仙に団子を作らせていた。せっかくだからと俺もご相伴に預かって団子を頂いている。

「あら、もうなくなってしまったわね」

 最後の団子も永琳が手に取ると、台所まで聞こえるようにわざとらしい声で言う。

「今作ってますから待ってください!」

 永琳はまたくすくすと笑う。悲鳴を上げる鈴仙の反応が面白いようだ。暴食霊程ではないにしろ、イメージに反して健啖家な永琳は団子を平らげるペースも早い。このやり取りも五回目くらいだと思いながら、俺も割り当てられた小皿から団子を取ろうとして底に指が当たる。

「鈴仙、こっちもなくなったぞ」

「だから待ってくださいってば!」

 なるほど、これは面白い。打てば響くなんて言うけれど、ここまで予想通りの反応を返してくれる相手もそうは居ないだろう。少し永琳の言っていることが分かったような気がした。

 弾幕ごっこは妹紅が負けたようで、永遠亭では普段通りのムスッとした顔で戻ってくる。今までの戦績は三対七とかで負けてるそうだから気に病むなと言ってやりたいが、やはり悔しいものは悔しいのだろう。鈴仙に二人追加と伝えられて発狂しているのは放っておいて、隣に座った妹紅がずっと頬を膨らませているのを眺めていると、玄関の方から聞き慣れない声がした。

「師匠、居るー?」

 まだ幼い少女の声だ。幼いとは言っても見た目の年齢と実際の年齢は関係ないし、話し方はむしろ紫とかあの辺の腹に一物あるようなイメージを抱かせる。そんな少女の師匠とは誰のことだろうか、なんてことは考える必要も無い。

「縁側に居るわ」

 想像通り、永琳が声の主に呼びかける。ドタドタと大きな足音を立ててこちらにやってきたのは、また見たことない兎耳だった。鈴仙なんかはいかがわしい店の店員みたいな耳の付け方だが、こっちの少女は余り耳に違和感は無い。鈴仙の耳なんかはボタンがついてるから実は付け耳ではないのだろうかと密かに疑っているのだが、こちらはそんな疑問は全く思い浮かばない。その兎耳少女はこっちを見てゲッというような顔をする。初対面のはずなのだがいったい何かやらかしていただろうか。やばいな、記憶に無い。これでは妹紅のこと笑えないぞ。

「そういえば八房は会ったこと無かったかしら。彼女は因幡てゐ。この竹林の所有者よ」

「あー、まあよろしくウサ、人間」

 取り敢えず手を差し出されたので握り返しておく。因幡てゐという名前には聞き覚えがある。竹林の幸運の素兎だとか兎妖怪の親玉だとか様々な異名は耳にするが、一番多いのはやはりアレだろう。

 気の抜けない悪戯兎詐欺(うさぎ)。人里にも現れては詐欺を敢行しているらしい。実際に被害にあったという話は聞いたことがないけど。

「よろしくウサ?」

「なんでウサ付けるのよ」

「いやそういう礼儀なのかと思って」

 普通語尾にウサなんて付けないだろ。ぶりっ子したいならこんな態度じゃないだろうし、何か付ける必要でもあるのかと。しかし永琳が笑いをこらえているのを見るとそこまで重要な意味もなかったらしい。俺が恥かいただけじゃねえか。

「なんか調子狂う人間ね」

「あらそう? 素直で面白いじゃない」

「師匠から見て胡散臭い奴なんてそう居ないでしょ」

「少なくとも目の前に一羽居るわよ」

「俺から見たら二人とも胡散臭いけどな」

「薬の実験体になりたいのかしら」

「なんでもないですごめんなさい」

 条件反射で謝ってから二人程会話に入ってこないのが居るなと思って振り返ってみると、白と黒の蓬莱人が消えていた。団子まだ届いてないというのに。

「永琳、妹紅と輝夜は?」

「気が付いたら消えてたわ、おおかた姫様が能力を使ったんでしょう」

「なんで?」

「知らないわよ」

 月の頭脳でも分からないことがあるのか、と思ったがすぐに背後から爆音がしたので二人が争っているのだと分かった。

「どうやらじゃれてるだけのようね」

「そうみたいだな」

 なんでこのタイミングに、とは聞かなかった。どうせこの賢者様は胡散臭い方と違って聞けば教えてくれるんだろうが、聞かない方が良さそうな気がした。

「そういえば、貴方は死神に会ったことあったかしら」

「死神? 刀抜いて卍解でもするのか?」

「死神と聞いて鎌じゃなくて刀を連想するのは珍しいわね」

「外の世界でそんな漫画が流行ってるんだよ」

 今どうなってるのかは知らんオサレ漫画。俺はそんなに熱心に読んでいたわけじゃないが、死神と言われるとやはりそれか、林檎好きが出てくるのは元少年の悲しき性か。しかし死神、鎌。鎌を持っているのには一人会ったことがあるが、あれは死神だったんだろうか。

「死神って髪の毛は赤いのか?」

「そういう死神も見たことあるわ。質問するってことは会ったのね」

「たぶんな」

 確かわりと最近、数日前くらいだった筈だ。定食屋で世間話をした程度だが、目を離した隙に消えたので狐につままれたような思いをしたのを覚えている。よくよく考えれば、時を止めたりスキマ使ったりするような連中がいるんだし、妖精でも瞬間移動くらい出来るのだから大したことではなかったな。そんなことを考えている時点でかなり幻想郷に毒されている気はするがそれはおいといて。

「それがどうかしたのか」

「いえ、死神に連れ去られたら困ると思っただけよ」

「連れ去られるようなことしたっけ俺」

「普通ならあんたみたいな不死身なんてあの石頭の閻魔が黙っちゃいないね」

 石頭の閻魔ね、こちらの閻魔様はどうやら追加人員らしく幻想郷有力者の例に漏れず女性であるらしい。元が地蔵だというので石頭も仕方なしというところだろう。確かに俺みたいな死なない存在は面倒なのかもしれない。しかも月の民でも妹紅みたいな能力持ちでもない。それ以外はただの人間だからな。

「ま、連れ去られてないってことは大丈夫なんだろ」

「危機感の薄い人間だなあ」

 どうせ俺に対抗する術はない。その時が来たらその時だ。ようやくやってきた団子を食べながら俺はそう答えた。

 

 

「普段から逃げ回っている貴女にしては、素直に来た方だと言えるでしょう」

「情報を餌にされてしまっては、来る他ありませんわ」

 再思の道の奥深く、あと少し歩けばすぐに無縁塚の領域に入るだろう。しかも今居るのは本道から外れた人目につかない場所、邪魔な妖怪は追い払って、対面しているのは私と緑髪ときりりとした顔の良く似合う閻魔様。余り顔を合わせたくない相手なのだけれど、今回に限って提示された条件が少々、いやかなりこちらの興味を引くものだったので来てしまった。閻魔様が騙そうなどと考える筈はないし、情報を握っているのはほぼ間違いなく事実だろう。今目の前に立っている四季映姫とはそういうお方だ。

「それであの人間、若丘八房とはいったい何者なのです?」

 何の変哲もないはずの外来人、そういうには多くの語弊が生じてしまう。妖怪やその他超常現象に対しての反応の鈍さは個人差で説明が付くとしても、あの不死身は何の説明もつかない。そして驚く程に顕著な命への無関心さ。口では命が大事なものだと言いながら心の奥底ではおそらく何とも思っていない。本人も気付いていない闇。レミリア・スカーレットが私に対して忠告をする程の存在。余りにも人間というには逸脱しすぎている。

 しかし、私が幾ら手を尽くしても彼の不死身に関する由来を辿ることは出来なかった。強いてそれらしいものを上げるならば遠い先祖に人魚が混じっていたこと。だから多少の妖怪が入ったことによる副作用のようなものかと思ったが、血はとっくに薄まっていて、それにそれ以降の先祖に不死の力は宿っていないことが事故の記録で窺える。偶然の先祖返りか、それはそれでおかしい。だったら最初から妖怪的な特徴、例えば妖力なりを持っているはずだが、最初に会った彼はそんなものを持ち合わせていなかった。

「先ずは貴女への説教を先に済ましてしまいたいところですが、その前にしなければならない質問が幾つか有ります」

 閻魔様が口元に添えていた悔悟棒を下ろし左手のひらに軽く打ち付ける。彼女が苛立っている時の昔からの癖だ。付き合いだけは無駄に長いせいでこういう所はすぐに理解出来てしまう。

「何故、若丘八房を幻想郷に連れ込んだのです」

 その言葉には非難の色があった。彼女が個人の在り方以外で戒めるような態度を取るのは珍しい。八房にはそれだけの存在理由のあるということかしら。それは単に不死身だから? そんな陳腐な理由だろうか。ただ一人の例外にこれだけの反応を示すとは考えにくい。

「小生意気な吸血鬼に言わせれば、それが運命だったからですわ」

 そう、少なくとも彼に会うまで私自身に彼を連れ込むつもりはなかった。レミリアの言う運命とやらに導かれて二人が出会った時に、彼女達が幻想郷を選んだだけだ。自分に何か考えがあって攫ったわけじゃない。

「運命、ですか。貴女らしくない言い回しですが、だからこそ嘘ではないのでしょう」

「信じてくださって嬉しいわ」

 浄玻璃の鏡を使えば、或いは彼女の白黒つける程度の能力でも嘘か本当か見抜かれるだろう。しかしこの閻魔様はそんな必要も無いくらいに鋭い洞察力と考える頭がある。私が彼女を苦手としている理由の一つだ。

「しかし、その運命のおかげで幻想郷は危機に陥るかもしれない」

「どういう意味でしょうか」

「彼と一緒に面倒なものも引き寄せたということですよ」

 四季映姫・ヤマザナドゥをして面倒と言わせるほどの相手、何者なのか検討がつかなかった。不死身を狙うとか低い程度の相手ならば彼女が警戒などしない。それよりもさらに強力な、例えば神に類するような存在。

「何故彼のようなイレギュラーなだけの人間にそれ程の価値があるのか図りかねますわ」

「貴女はまだ彼を人間(・・)だと思っているのですか? いえ、人間だと思うしかありませんね。私から見ても今の彼は人間なのだから」

 まるで昔の彼は人間ではなかったかのような言い方。やはり魂に何かがあるのか。

 閻魔様は珍しくもったいぶった言い方をする。曖昧にぼかした、と言い換えてもいい。はっきりしない言い方だ。それでも私は待った。彼の存在についてもっと知りたい。それは彼に向けられたものでないことを自分でも理解していた。

「彼の正体は、───です」

「・・・・・・!?」

 やっとのことで閻魔様から告げられた正解は余りにも予想外で、しかし余りにも納得のしやすいものだった。それならば不死にも説明がつくというものだ。

「ですが、だからといって何故彼が狙われなければならないのかしら」

「正確には私にも分かりません。私は彼の話を聞いたわけではないので」

「では何故狙われてると」

「本人がそう仰ったからですよ」

 話を聞いたわけではないのにどうして本人の言だと言うのか。閻魔様が嘘を吐くはずがない。ということは誰かが他に彼の話を聞いた、ということだ。あの昼行灯な船頭か。少し考えて違うと首を振る。

「そうか、あの子ね」

「ええ、少なくとも彼に対しては私よりも適任でしたから」

 幾つかの疑問が氷解する。辻褄は合う、だとするならば、彼の存在は予想の何倍も面倒くさいものだったようだ。

 八房についての話はこれで終わり。これから先は本人が確かめるべき部分だろう。閻魔様の態度が説教モードに移行しつつあるのを感じてスキマで逃げようとしたが、次の言葉でスキマを操る手が止まる。

「しかし、貴女がここまで興味を示すとは思いませんでした」

「・・・・・・別に構わないでしょう」

「ええ、構いません。が」

 開きかけていたスキマか閉じる。しまった、と思った時には遅い。逃げようとした手が掴まれる。

「逃げられるとでも思っていたのですか?」

 やはり、今日ここに来たのはデメリットの方が大きかったかもしれない。

 




ちょっと八房の正体について伏線張りー。
もう感のいい人は予測ついてるような気もしますけどね。


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拠り所

現在旅行で京都に来ています。
家に居るよりホテルの方が筆が進む不具合。


「おー、ようやく戻ってきたか」

 ヤツフサは相変わらずの呑気な声で私を出迎えた。まだ怒りが収まらなかったので無愛想に返事をすると、煤で汚れてしまっているのも気にせずに頭をわしゃわしゃと撫でてくる。いつからだったか、ヤツフサは私の頭を撫でるのが気に入っているようで、余り人目もはばからずやってくるのは勘弁してもらいたい。ほら永琳とかに見られてるし、輝夜に見られてなくてよかった。そしたら撫でられたことで収まった怒りが再燃しそうだったから。馬鹿にしてきたときに、しばらく復活できないくらいに痛めつけといたのは正解だった。こんなところを見られたら弄りのネタにされるに決まっているから。てゐが居るのはそれはそれで厄介だけどあの兎だけなら問題は無い。いざとなれば焼いてしまえばいいだけだ。長生きとはいえ不老不死ではないのだから焼き殺せば食い物くらいにはなるだろう。

「姫様は?」

「埋めてきた」

 永琳からの質問に簡潔に答える。正確には骨まで溶かした後に土に混ぜてきた。蓬莱の薬の再生能力を持ってしてもあれから復活するのには数時間はかかるだろう。前にやられたことをやり返しただけなのだから私は悪くない。永琳も大体察知して、しかし咎めるようなことも言わなかった。前々から感じてはいたがなかなかにドライな主従関係だと思う。

 ほらよ、とヤツフサから手渡された皿の上には団子が乗っている。どうせ疲れて帰ってくるからと残しておいてくれたらしい。別に物を食べなくても問題は無いのだから食べてしまっても良かったのに、こういうところで無駄に気遣いの上手い人だ。というよりヤツフサは私に物を食べさせたがる節がある。私が今まであまり物を食べないのを心配してくれているようなのだが、持ってくるものが饅頭やら今回の団子やら甘い物ばかりなのは趣味なのだろうか。とにかく遠慮するのも勿体ないと思ったので一粒摘んで頂いている。あの兎が作ったにしてはなかなか美味しい。もう一つ摘んでから皿をヤツフサに返す。残りはあげるというつもりだったのだが、今はいいから持っていてくれと解釈されてしまったようで。落とさないように持ち直していた。

 お日様はもうだいぶ傾いてきている。夜にヤツフサを連れ回すつもりもないのだが。仕方がないのでヤツフサの袖を引っ張る。

「そろそろ帰ろうよ」

 私が言うとヤツフサも今の時刻にようやく気付いたのか間の抜けた声を上げた。

「ん? そうだな。もう日も暮れてるしお暇しようか」

「もう帰るの?」

 鈴仙が聞いてくるのは、団子作りに必死でほとんどヤツフサと会話してなかったからだろう。いやまさかこいつに気があるとか? 幾ら兎が万年発情期だとしても流石にそれは無い。と思いたい。

「また今度暇な時に来るさ」

 残念そうにする鈴仙。鼻の下でも伸ばしていれば殴ってやろうかとも思ったがヤツフサはいつも通りの表情だ。女の私から見ても鈴仙は可愛いし、かなり良い表情だったのに無反応とはやっぱりヤツフサの考えていることはよく分からない。そちらには興味が無いのだろうか。

「ん、どうした?」

「な、なんでもない。早く帰ろう」

 あの夜の話を思い出してしまって顔が赤くなる。ヤツフサはこっち方向に限っては気付かないことの方が多い。鈍感、という奴なのか。てゐがこちらを見てニヤニヤとしているのが気に食わないが今回は見逃してやろう。意地の悪い笑みを浮かべていた兎だが、突然真面目な表情に変わる。

「あ、ちょっと待った」

「なんだよ」

 今度こそ帰ろうとする私たちを今度はてゐが引き止めた。何をするのかと思いきやポケットから取り出した人参のネックレスを八房に手渡していた。顔をひきつらせていたヤツフサが幾らだって聞いていたけれど、あの兎詐欺に似合わず善意なのだそうだ。幸運の素兎が持っていたアクセサリー。幸運を与える効果でもあるのだろう。人間にしか効果が無いらしいが、ヤツフサには効果があるのだろうか。いや人間なのだから効果はあるか。そうでなければてゐが渡すはずもないのだから。

「お大事にね」

「え? ヤツフサ、なんか病気でもしてたの?」

「してねえよ」

 先のてゐのネックレスの件もあって思わず八房に聞いてしまう。何か悪いところでもあるんじゃないかと疑ったけれど本人の答えは否定。永琳からは何故か暖かい目で見られているが、本人が違うというのなら違うのだろう。嘘を吐くのが下手くそなのは知っている。この間はチルノにすら嘘を看破されていた。いやあれは看破というよりも問答無用で襲われたといった感じだったけど。

 だから問題無いと判断して永遠亭を去る。永琳だって何も言ってはこないのだ。少なくとも急を要するような体調ではないと考えられる。

 帰り道は今回も歩きだった。今日に限っては行きも歩いてきた。きっと私が歩くことを面倒だと思わなくなったから、飛ぶ機会が少なくなっているのだ。本人はそもそも歩きの方が好きみたいだし。こうも飛ばないと弾幕ごっこでの飛び方を忘れてしまいそうだが、そもそも弾幕ごっこをする相手も輝夜と慧音くらいしか居ないし、忘れてしまっても構わないか。

「そっちじゃないよ」

 どれだけ歩いても風景が変わらない竹林は私や鈴仙のように慣れていないと迷う。途中でも何度か道を間違えそうになったヤツフサを止めてはゆっくりと家にまで向かう。分かるようになってきた、と考えているのだろうか。今までは、はぐれそうになることなんてなかったのに、今日に限っては何回もやっている。

「本当に大丈夫なの?」

 だから違和感を覚えて、心配になって聞き直してしまうのも仕方のないことだと思う。ぼうっとしていたり、具合の悪そうな様子を見せたりはしていないけれど、ヤツフサの体質は病気と無縁になるものではない。そう本人が言っていた。いんふるえんざとやらには掛かりやすくて困ったとも言っていたし、今回もそれにかかっているのではないのか。

「いや、インフルエンザだったらもっと熱っぽいさ」

「本当に熱無いの?」

「触ってみるか?」

 おでこを突き出してきたので触れてみる。私の冷たい掌だから余計に感じるのだろうが、人間らしい肌の温かみがある。しかし熱を出しているという感じではない。いんふるえんざにはかかっていないようだ。少し安心して手をヤツフサのおでこから離す。

「だから大丈夫だって言ったろ」

「うん、うん?」

「どうした?」

「えーと、なんでもない」

「なんだよそれ」

 少し不満げになっても追求はしないでくれるのが有難かった。今の感覚を言葉にするのは凄い難しそうだったから。

 一言にすれば、嫌な予感を感じた。でもその予感が何に対してなのかが分からない。でもさっきまでそれに突き動かされていたんだと分かり、ヤツフサの身に何か起こるんじゃないかと不安になってしまう。虫の知らせというんだったか。リグルならこの予感のもっと詳しい部分まで分かったのだろうか。でも私には分からない。だから怖い。

「着いたな」

 ぐるぐると考えていても、気が付けばもううちの目の前だ。別に何事もない。杞憂だったのか。それならそれで良いと胸をなで下ろした私の隣で誰か()が崩れ落ちた。

「・・・・・・えっ?」

 間抜けな声しか出なかった。すぐには何が起きたのか理解出来ず。何も起きていないと納得するのにもまた幾らかの時間をかけた。前触れ、と呼べるものはあった。私だってあれだけ心配したのだ。だからといって、こんな光景が想像できるはずもない。

 ────ヤツフサが血を吐いて倒れ込むなんて。

「──、────」

 膝をつき、片手は口元を押さえ、もう片方は心臓の部分のシャツを強く掴んでいた。ヤツフサを助け起こすと、口元に当てていた手が力なく落ち、代わりに何か言おうとしているのか、血の止まらない口を開いてぱくぱくと動かす。そこからは空気の音が聞こえるだけで、本来発せられるはずの言葉が出ない。体全体が痙攣して、瞳孔も死人のように開ききっている。それでも口をもごもごと動かして私に何か伝えようとしている。気を動転させたまま揺さぶりたくなるのを理性で必死に抑えて、私は彼の言葉を聞いた。

「ふざっけんなよ!」

 こらえ切れず叫んでしまう。目から涙が止まらない。死なないはず。だってヤツフサは不死身なんだから。そう思わないと心が折れてしまいそうだ。

 ──心配するな。すぐに収まる。

 白かったシャツを自分が吐いた血で赤く染めて、痛みに顔を歪めながら、ヤツフサはそう言っていた。何度言えば分かるのだ。アンタの嘘なんて簡単に見抜けるって。そんな苦しそうな顔をしているのに笑おうとするなよ。そういう仕草が人を心配させてるのに、なんで気付かないかな。

「ヤツフサ!? ヤツフサ!?」

 呼びかけてももう返事が無い。意識が無いのではなさそうだ。ただ痛みで頭がいっぱいになっている。耐えようとするからこそ余計に苦しんでいる。何が原因なのか分からない。呪いにでもかけられたのか。誰にかけられなければならないというのだ。何にしても私は無力だ。どうすればいい。

「あぁ」

 そうだ、永琳を。永琳を呼べばなんとかなるかもしれない。彼女ならどんな病気だって治せるはずだ。永遠亭から離れているということもないだろう。だけど呼びに行っている間ヤツフサはどうなる。ここに置いていくのか。そんなわけには行かない。

 四方八方手詰まりで動きを止めてしまった、私の後ろからにゅっと手が伸びてきた。その手がヤツフサの心の臓を強く押すと、あれだけ苦しんでいたヤツフサの顔が静かなものになっていく。いつの間にか気は失ってしまっていたようだ。ともかく彼の身体に起こった苦痛は治まってくれたようだ。

 そこまで確認してから私は振り返った。おそらく紫辺りが何かやったんだろう。そう思って背後に立つ相手の顔を見たのだが、予想は外れた、それどころか全く想像もしていない者の顔がそこにはあった。

「間に合って良かったです。それで、妹紅さん。少しお時間よろしいですか?」

 なんてことのなかったような呑気な口調。話したことはほとんど無いが、ヤツフサが以前に話していたのを覚えている。だけどなんで今ここに。紫ならスキマでどこからか見ていたのだと納得出来るけれど。いや、でも運命とかいうわけの分からないモノを操る小娘が居たな。彼女も同様にヤツフサを気に入っていたはずだ。

「何の話だ」

「八房さんのことについて、ですかね」

 言葉が出ない。今彼女は何を言った。八房のことを知っているということか。何故彼女が知っているのだ。全てが謎だ。でも嘘をついているような様子はない。つく理由が無い。

 大陸風の服装特有のスリットからちらりと見えるすらりとした足。長く赤い髪を三つ編みにして、星の彩られた帽子をかぶった吸血鬼の配下。紅美鈴がそこに居た。

 

 

 星々が瞬く空。妖怪の楽園に落ちる妖怪のための夜の帳。一日の幕を降ろすのは神か科学か、それともやはり妖か。空は妖怪の独壇場であり、こんな夜には魔法使いも吸血鬼の従者飛んでいないのだ。博麗の巫女なんて宴会でも開いて酔いつぶれているような頃合だろう。だが人里に関しては夜は休息の時間だ。妖怪の飛び交う騒がしい空と比べて、静かな時の流れる隔絶された空間になる。

 そんな全てが曖昧なまま忘れられた土地に、また忘れ去られたものが誘われる。だが、西洋の悪魔、信仰を失った神。人を惑わす妖精。本当に忘れ去られたものなのか。そもそも存在しうるものなのか。それすらも白黒付けぬまま幻想郷は全てを受け入れる。自分の破滅を招くことも知らず、ただ淡々と。己が役割を果たすかのように。

 

 人里でも目を引く大きな建物。その内の一つは夜だというのに煌々と灯りを灯している。霧雨道具店と書かれた看板を掲げたその店は妖怪のために夜でも店を開いていた。その隣にひっそりと佇む小さな平屋。昼間ならば饅頭を売っている店は夜深くには既に店じまいを済ませている。その家の中では妻に先立たれた店主とその子供が明日に向けて準備をしているだけだ。

「寛太。もう夜遅いんだから寝ろよー」

「分かってるよ」

 布団に入ろうとしない子に厳しい口調で親が言う。妖怪の友人が出来た影響なのか子は昼よりも夜を楽しむようになった。空を見上げれば弾幕ごっこの綺麗な明かりが見えると教えてもらったからだ。だか彼らは人間であり、眠らないということは体に負担をかけてしまう。事実、寺子屋でも睡眠する様子を注意されていた。

「そうだ、お父さん、知ってる?」

「知ってるってぇ、何をだ?」

 唐突に思い出したのか急に親に問いかける子供。

 夜ふかししたがる子供と寝かせようとする親。どこにでもある普通の光景。仲の良い親子の普通の会話。それならば、内容も普通のものなのだろう。笑い話で済む話なのだ。現実と幻想に区別のない場所(幻想郷)でなかったのならば。

「友達から聞いた話なんだけどね──」

 

 幻想郷の夜は耽る。誰が言い出したのかも分からない、友達の友達が体験したような不思議な出来事。話半分で誰もが笑い飛ばすような噂話。しかし幻想郷では誰も不思議には思わない。

 誰もおかしいとは思わない。ただ龍神様の石像だけがその目を赤く輝かせていた。

 




というわけで割と急展開(?)になりましたかね。
この章はここで終わり。次回からは『藤原妹紅の異変解決』に進みます。タイトルだし妹紅の出番がかなり多くなりますかね。


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藤原妹紅の異変解決
燃える水、沈む炎


 体が燃えている。全身が火に飲み込まれて咀嚼でもされているのか。何処か一部なんてもんじゃなく体の全て、奥の奥まで焼けている。目もまともに開けられないのにそれだけはよく分かった。かつて妹紅に火傷させられたときとは比べ物にならない苦痛。全身の皮が剥がされているようだ。痛い、痛い、痛みが止まらない。どれだけの時間燃えているのか分からない。一息に死ねたらもっと楽なのに、なんで死なないんだ俺は。苦しい、熱い、頼むから死なせてくれ。もしくはこの燃える体を止めてくれ。

 願いが叶ったのか、今度は水の中に沈んていく錯覚が襲いかかる。火は消えたが、全身を走る火傷はさらに大きな痛みで存在を主張している。むしろ悪化したようにすら思える。そうかここは海なのだと唐突に悟った。塩が傷口に染みているんだ。どうにかその答えにたどり着くもすぐに思考が激痛にかき消される。痛い、逃げたい。どうにかして海の底から這い上がらなければならない。どうして、受け入れてしまえばいいのに、なんで俺はもがいている。誰かが居るからだ。誰だっけ。さっきまで隣に居たはずなのに。誰だったのか顔が思い出せない。でもそいつのために俺は沈むわけにはいかない。

 だって、泣いた顔なんて見たくないから。

「妹紅?」

 見覚えのある天井。だと思うのだけれどすぐには自分の場所が分からなかった。夢の中では思い出せなかった妹紅の姿は無い。あれだけ俺を苦しめていた全身の痛みは綺麗さっぱり夢だったかのように消え去っている。いや夢だったのだろうか。だとしたら随分悪趣味なものだ。何かの暗示であればまだ分かるのだが、暗示であってもどうせ良くないことなんだろうな。

 落ち着いて辺りを見渡すと、洋風の調度品からここが紅魔館だと理解する。だが紅魔館に来るような用事はしばらく無かったはずなのだ。それに普段のシャツではなく何故か甚兵衛を着ている。寝巻きでさえ持っていなかったのにどこから持ってきたんだろう。冷静になったら謎が増えてしまった。こんなときに頭の回る人間でないことは自覚しているので、ここでうだうだ悩むより咲夜なりレミリアなりに聞いてみた方が早い。適当に歩けば咲夜辺りは見つかるだろう。

 起き上がると足がふらついて倒れそうになった。まだ寝ぼけてるのだろうか、どうにも覚束無い。ベッドに手をかけて力の入らない体を支える。おかしい、幾ら何でも体が重過ぎる。いったい何があったって言うんだ。残っている記憶を探ってみると、永遠亭に遊びに行って日が暮れたから帰って。そこから先の記憶がない。靄がかかったように出てこないのだ。ただ

妹紅が隣に居たことだけはなんとなく思い出せる。

 ギィ、と軋む音を立てて部屋の扉が開いた。咲夜か、そう思ったが違った。珍しくも室内に居る中華門番だ。門の守りはどうしたのか。咲夜に任せてきたと返ってきた。何でもかんでもメイド任せにするんじゃないよ。時間が幾らあっても足りないだろうに。少しだけ同情する。

「思ったより早く目を覚ましましたね」

「俺になんかやったのか?」

 まるでもっと長く眠っているのが当たり前でいるかのような言い方。まさか何かするはずもないが、一応の確認で聞いてみると、案の定何もしてはいないと答えられた。レミリアのところに連れていってくれとも頼んでみたが、それは望むことはこちらで答えられると止められてしまった。行かせたくない理由があるのではなく、単に面倒臭いとかそんな感じの対応だった。解せぬ。

「でも、まる一日は寝ていましたからね」

「なんでだよ。酒にでも酔いつぶれていたのか?」

「覚えてないんですか?」

「心当たりは無いな」

「そうですか。でも貴方に取っては重要な話ですからちゃんと説明させてもらいますね。妹紅さんからも許可は頂いていますし」

 紅魔館で起きた理由になんでそこで妹紅が出てくるのか。俺には理解出来なかった。しかし、次の言葉でなくなっていた記憶が蘇る。

「貴方は血を吐いて倒れたんですよ」

 そうだ。あの焼けるような熱さと溺れた時のような息苦しさ。夢なんかじゃない、昔に俺が経験した出来事で、あの夜に同じく苦しめられた苦痛。力の入らない体を動かそうと試みる余裕すらない俺を抱えて泣きわめく妹紅の顔もはっきりと思い出せる。心配しなくていいと言ったのに心配性な奴だ、なんて妹紅を笑う気には到底なれなかった。もし妹紅が同じ状況になれば、俺だって取り乱さずにはいられないだろうから。だから妹紅があんな反応をしてくれたのは少し嬉しかった。と、その話は今は関係がない。

「それとここ(紅魔館)に何の関係がある?」

「ああ、それはですね。お嬢様が貴方の運命を見たことで先に気付くことができたんですよ。そして私は貴方の身に起きたことを知っている」

 つまりこうなることは運命で、その理由も知っている、か。病気の類なのだろうか。しかしそれなら美鈴よりも適任が居る。永琳と美鈴、名前が似てるから代わりになるというものでもない。だったら病気ではない。じゃあ呪いとかだろうか。美鈴が呪いの専門家ってのは想像出来ないが。どちらかといえばそれはパチュリーの分野の方がまだ近いだろう。それは美鈴に首を振って否定された。

「もっと単純で、でも分かりにくい話ですよ」

「だったら馬鹿な俺にも分かるように話してくれ」

「そうですね。一言で言ってしまえば、貴方の魂と身体に矛盾が発生した、ということです」

「言っている意味が分からんぞ」

 スキマ妖怪みたいな胡散臭いことを言わなくていい。あれにはいつも煙に巻かれてばかりなんだ。確かによくつるみはするが、ちょっと口が回るだけで同類扱いしないでもらいたい。あんなに胡散臭くないぞ。

 美鈴は机とセットになっていた椅子を手に取って腰掛けた。長話になるという合図なのだろう。俺もベッドに腰を下ろす。立っているのも実はわりと辛かったりするからな。まずは美鈴が口火を切る。

「ではまず、貴方の身体が妖怪に近づいていることには気付いていましたか?」

「なんだそりゃ」

 突拍子もない質問に首を傾げるとやはりみたいな顔で頷かれた。いきなり妖怪とか言われても困る。そもそも俺はただ不死身なだけが取り柄の一般人だぞ。元々は幻想郷の人間ですらない。ここのメイドみたいに空も飛べないんだから。

「でも、貴方はおそらく死ぬ度に妖力を増していってるんですよ。今なら小妖怪くらいの力はあるんではないでしょうか」

「そしたら誰かに指摘されてもおかしくないだろうに」

 そんな色眼鏡で見れば、永琳とか怪しい行動もなくはなかったが。でも何より妹紅が気付かなければおかしいだろう。一番長い時間を一緒に居たし、あいつも鈍感ってわけじゃないんだから。

「貴方が気付いていなかったからなかなか気付けなかったんでしょう」

「なんだよそのむちゃくちゃな論理」

「これで荒唐無稽な話でもないんですよ。そして今回の出来事の本質でもあります」

「すまん、どういうことだ?」

「人間から妖怪になるときに、最も大切なのは本人の意思です」

 またいきなり訳分からん話が始まった。頭が早くも頭がパンクしそうなんだが。俺の意思と今回のあの苦しみに関係があることだけは分かった。

「つまりどれだけ力があっても本人に意思がなければ人間をやめるのは難しいということです。霊夢さんや魔理沙さんがいい例でしょう」

 言われて紅白の目出度巫女と白黒の努力家魔法使いを思い描く。まあ人間離れした強さだよな。妖怪って言われてもおかしくない奴らだ。それでも人間の括りに入るのは本人に妖怪になる意思がないから、ということか。で、仮に俺にも妖力があるとして、俺が自分を人間だと認識しているから溶解に鳴らす人間のままである。それはなんとなく分かる。それがあの痛みと何の関係があるのだ。

「彼女達が人間であるのは人間としての力があるからです。霊夢さんは少々例外ですが、魔理沙さんはぴったしこのケースに当てはまりますね」

「ようやく何が言いたいのか分かってきた気がする」

「それは良かった。ええ、貴方には貴方の内にある妖力を抑えるだけの人としての力が無い、ということです」

 一言で言えば気力ですね、と美鈴は続ける。矛盾、というのは俺の人間であろうとする心が妖怪になろうとする身体と相容れないことによる拒絶反応のことらしい。しかし気力が足らないから身体にダメージを負うなんて、俺が無気力な人間だとでも言いたいのか。否定する要素に乏しいのが悲しくなる。

「で、今貴方が動けるのは私が気を貴方に与えたからです」

「それが切れたら?」

「また前に逆戻りですね」

 何でもないことのように言ってくれるな。何度も何度もあんな痛みに襲われるのでは命が幾つあっても足りない。

「そうならないために連れてきたんですよ」

「・・・・・・つまり?」

「貴方に修行をつけにきました」

「さ、さいですか」

 妹紅からの許可ってそういう意味かよ。なんか凄い嫌な予感がするんだけど。満面の笑みなのが逆に怖い。修行というと漫画みたいな死にそうな修行法を何より想像してしまう。主人公補正なんて俺には無いんだから死ぬぞ。生き返るけど。しかも死んだらまた元の木阿弥だろう。意味があるのかすら疑問だ。

 だけど、ここで俺が拒否すれば、またあの痛みに襲われることになる。それは嫌だった。誰だって痛いと分かって放置するのは嫌に決まっている。それに何よりも妹紅をまた泣かせるわけにはいかない。

「一応強制はしませんが」

「拒否権がないのは分かってるさ」

 拒否する理由がないってことも。

 決まりですね、と美鈴が手を叩く。修行は今日から早速始めるつもりだとのこと。素人の俺はまだ定期的に気を頂かなければならないから、しばらく紅魔館で過ごすことになるだろうとも言われた。部屋はここを自由に使っていいとのお達しだ。ボロ屋とは全く違う豪華な客室で、逆に寝られるかどうか心配だ。枕を変えると寝れない人の気分を理解したような気がする。

「そういえば妹紅は?」

「彼女はこちらには来ていませんよ」

「そうか」

「・・・・・・気持ちの整理がついてないし合わせる顔がないと、そう仰っていました」

「・・・・・・そうか」

 あいつが気にすることじゃないのに。なんて言ったらまた怒られるんだろうな。もっと自分を労れ、とかなんとか言って。お前が言うなって話だよ。本当は俺なんかよりもずっと脆いくせに。

「どうしました?」

「いや、なんでもない」

 なんでか知らないけど涙が出ていた。こんなに泣きそうなのってもう随分と久しぶりだ。最後にガチ泣きしたのっていつの頃だったかな。たぶん小学生の高学年くらいじゃないだろうか。そうすると俺も無感動な人間だな。

「そういえば、貴方が倒れた理由ですがもう一つあります。正確には理由を作った理由、ですけど」

「ややこしい言い方はやめてくれって言ってんだろ」

「あはは、すいませんね。ただ、今異変が起きているそうですよ」

 異変。確か幻想郷の性質上必ず起こる、誰かが起こすよく分からん暴走現象のことだったか。里が紅い霧に覆われたり、春が来なくなったり、あとは月が沈まなくなったり。それを解決するのは巫女の役目ではあるのだが、別に霊夢だけに与えられた特権ではなく、参加したければ誰でも参加できるのだったか。通り魔鬼巫女が怖くないのであれば、の話だが。美鈴が言うことにはそのせいで霊的な密度が濃くなったのも原因の一つにはなるのだとか。誰だよそんなに面倒臭いことしてくれたのは。

「もしかしたら妹紅さんも異変に参加しているかもしれませんね」

「あいつに限ってそれはない気がするけどな」

 普段は本当に動かない奴だからな。むしろ姫様の方が参戦してきそうだ。永琳が止めるような気もするが、命じられて鈴仙くらいなら参加しているかもな。

「原因の一つとして教えておきましたから」

「・・・・・・」

 いやまさか、そんな思い上がったことを考えるのは失礼だろう。誰に対して失礼なのか、その答えも出ないまま俺は美鈴に連れてかれるまま部屋を出た。

 




新章の第1話が訳の分からない話になってしまいました。
文章が拙い故に理解するのが難しいかもしれませんが、ストーリー的に書かざるを得なかった。設定厨の悲しき性でございます。


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蓬莱人、異変に参加する

久々の戦闘回。ちなみに弾幕ごっこでのもこたんの強さはわりと上位です。毎日のように姫様とやってるからね。


 鳥のさえずりで目を覚ます。いつもなら必要の無いご飯を作って待っていてくれる人も今は居ない。それでもお腹が空いてしまうのはそれにすっかり慣れてしまっていたからだろうか。でも食べるものはないから鳴る腹を我慢して身を起こす。普段は朝に弱いのだが、今日に限ってはやけに目が冴えている。顔を洗わないと怒られるな、なんてする必要も無い心配をしながら近くを流れる川へ向かう。慣れきったいつもの一日だったのに。どうして物足りないのか。理由は考えるまでもなく分かっている。ヤツフサが居ないからだ。今まで過ごしてきた千年よりもあいつと過ごしたこの数ヶ月の方が私の中では大きいから。だから大切なものを失ってしまったように思えるんだ。でも今は会うことは出来ない。ヤツフサのことは美鈴達、紅魔館に任せることにした。原因を彼女達が克服させてくれるのだそうだ。そこに私の出る幕は無い。

 無論、会いに行こうと思えば行けないわけではなかった。そもそも離れる理由すらありはしない。私が顔を合わせたくないと、そう思っているだけで、ヤツフサはきっと何も言わないだろう。自分が倒れたことも忘れたかのように振舞って、私を安心させてくれるだろう。簡単に騙されてしまうくらいに自分が馬鹿であれば良かったのに、と心から思う。もしそうであるならばヤツフサへの感情にこんなに悩むこともなかったし、健気に振る舞う姿を想像して心を痛めることも無いだろうに。いっそ死んでしまいたい。普段から考えないことではない。永く生きているのはそれだけで苦痛だ。だけど今回に限っては理由がいつもとは異なっていた。何よりも彼に迷惑をかけたくなかった。本人の前でそんなことを言ったら怒られてしまうだろうか。ヤツフサが本気で怒ったところを私は見たことがない。少し苛立っているとか、叱っているとかなら見たことがあるけれど、なりふり構わなくなっているような彼は想像しづらい。だけど、私が死にたいと口にしたなら本気で怒ってくれるかもしれないな。

 目が覚めてしまっているからか、何かを考えることもなくついているような川までもたどり着いていなかった。終わりがある道なのに、どうしてこんなに長く感じられるのか。私が普段どれだけ時間を無駄にしていたのか考えさせられる。物を考える必要すらなかったのだ。私はヤツフサに依存していた。あの夜から、思い悩むのはヤツフサの役目だと押し付けていたような気がする。何が難題を見つけただ。あいつの荷物の端っこの端っこを引っ張って得意になっていただけじゃないか。

「・・・・・・ん?」

 自己嫌悪に陥りながら歩いていると、ようやくいつもの川に着く。そこで顔を洗って、目が覚めたらすぐに戻ってくる、そんな当たり前の行動だけをしていたら気付かなかったかもしれないが、無駄な考えことで頭を覚醒させていた私は偶然それを目に留めた。

 ボールだろうか。川の対岸に転がっている。忘れ物かと思ったが、子供が入り込んでくるような場所ではない。何より、結構な妖気を放っている。

「しかしなんだこれは?」

 拾ってみるが、いったい何なのか調べてみようとすると益々わけがわからなくなる。誰かの所有物というわけでもなさそうだし。もしかして、美鈴の言っていた異変に関わっているのだろうか。その可能性は高そうだ。もしそれならば、ヤツフサのために異変解決に洒落込むというのも悪くない。今まで世話になりっぱなしだったし、恩返しもいいだろう。

 異変に乗り出すことは決まったが、何をするにも当てはないので取り敢えずは家に持ち帰ろうと身を翻す。何気なく上を見上げると、青い空にはよく映える紅白衣装が見えた。同時に飛んでくるありがたい御札。不意打ちのつもりだったのだろうが、察知しているなら軽々と避けられる。

「避けないでよ」

「無茶言うな」

 降り立ったお目出度い巫女は先の一発で倒せなかったのが不満らしく、理不尽な要求をしてくる。その手には私が今持っているのとよく似たボールが抱えられている。疑惑確定。このボールが現在進行形の異変と関わっているのは間違いなさそうだ。

「じゃあ避けなくていいからそのボールをこっちに寄越しなさい」

「このボールが欲しいのか? なんなんだこれは」

「アンタが知る必要は無いわ」

 臨戦態勢に入る博麗の巫女。寄越せなどと言いながら倒して奪い取る気満々じゃないか。まあこっちも渡す気は無いから正しい反応なんだけど。ボールを邪魔にならないように茂みに置き、炎で障壁を作る。かなりの熱さで外からは触れられないし、中は熱のこもらない安心設計。こういった使い方は余りした事が無いが、一度見たことがあったからか、予想よりうまく出来たみたいだった。向かいの霊夢が呆れ顔で首を振る。

「そう、力づくで手に入れるしかないのね」

「ま、そういうことね。欲しければ奪ってみな」

 私の生み出した炎と霊夢の投げた針が衝突する。それが弾幕ごっこ開始の合図だった。御札と針が視界を埋め尽くすように投げ込まれる。地面に立ったままでは避け切れない程の量に、身体を浮かせて空に逃げることで対処する。この間に霊夢がボールを狙いに行ったらどうしようかと不安になったが、お得意の直感で炎の壁を突破することが不可能だと理解したのか大人しく浮かんできた。牽制代わりにこちらも弾幕をばら撒くが、流石はベテラン。少し身を捻る程度の動きで全て避けきってみせた。再び、今度は追尾する御札(ホーミングアミュレット)を一面にばらまかれ、四方八方から霊力の込められた御札が飛んでくる。反撃をする余裕は無かったので出来る限り避けることに注意しながらそれでも当たりそうなものは焼き尽くして事なきを得る。ちょっとだけグレイズはしたけど。

「なんだ、案外弾幕ごっこにも慣れてるのね」

「これでもそれなりに数はこなしてるからね」

「へえ、元気なものね」

「あいにく体は弱いんだがな」

「不老不死の癖に体が弱いとかちゃんちゃらおかしいわね」

「そう言うなって」

 お返しにさっきよりも多くの火の玉を撃ち出す。細かい操作をするのも面倒だから量を多くするのが一番楽に難易度を上げられる。さっきの倍、三倍、十倍にまで数を増やす。しかし相手は博麗の巫女。こんなもので倒せるとは思っていない。もう一つ、予想外の攻撃を仕掛ける必要がある。普通の弾幕とは異なったスペル。元々封印するつもりだった奥の手(インペリシャブルシューティング)は使いたくない、となると残されたのはこの前新しく作ったスペルしか無いだろう。

「『不滅の発火人形』」

 スペルカードを頭上に掲げて宣言する。途端に自分の体が燃え上がり、火の玉も大量に出現する。霊夢に向かって火球を飛ばすと同時に私も体を燃やしたまま霊夢に向かって突進する。非殺傷にはしているがそれでも高威力の直接攻撃。すました顔の霊夢が珍しく驚いて口をあんぐりと開けていたが、元が魔理沙のブレイジングスターから来ているから、すぐに冷静さを取り戻した霊夢によって慣れた動きで距離を広げられる。そこへ更に増やした火球で襲う。

「ええい、面倒くさいスペル使うんじゃないわよ!」

 燃えたままの私に札や針なんかは効かない。霊夢が苛立ちをぶつけるように叫び、スペルカードを高だかと掲げた。

「『封魔陣』!」

 光の柱が私を取り囲むように発生する。私を閉じ込めてとどめを刺すつもりだろう。パッと見逃げ場の無い弾幕ごっこの反則技にも見えるスペルだが、縦に逃げれば避けられないことは無い。押し潰される前に端までたどり着くのは困難だが、以前やられた時もそうやって避けた。霊夢もそれを忘れているはずはないので、私を叩き落とすよりも邪魔な弾幕を蹴散らすのが主目的だろう。だけど、それは私の想定の範囲内だ。

 縦に逃げることはしない。もしかしたら避けて上ってきた所を狙い撃ちにしてくるかもしれないから。今の状態なら撃ち落とされることもないから、私はその場に立ち尽くす。また新たな火球を生み出しては霊夢の方へ投げ飛ばした。

「嘘でしょ!?」

 光の向こうから霊夢の今度は本気で驚き、焦っているような声がする。おそらく火球の対応に追われているのだろう。まさしく私の計算通り、自分の身を焦がす炎を更に大きくして飛ぶ。光の壁を突き破って一目散に霊夢の声がした場所へと突撃する。不意打ちのつもりだったが、すんでの所でグレイズされてしまった。それでも体勢が崩れた今が好機。火の玉をさらにさらに多くする。今まで残っていた、途中で追加した火球、最初(・・)に撃ち出した火球と合わせればかなりの密度になる。

 不滅とスペルカードに書いてあるようにこの炎は如何なる手段を用いろうと消えない。全てを溶かしてしまうほどの高熱で作られているからだ。その熱さたるや鉄すらも瞬く間に溶かしてしまうくらいだろう。自分でもここまで出力を上げることはめったにない。たとえこのスペルカードを使ったとしても、相手が博麗の巫女でなけれぼこれほどのエネルギーは使わないだろう。つまり博麗の巫女、いや博麗霊夢はそこまでしないと勝てないような相手だということだ。彼女を人間だと侮ることはしない。大妖怪だと考えないと、あの時と同じくらいの相手だと思わないとやられるのは私だ。

 追尾する火の玉と隙を狙った私の突進。さしもの博麗の巫女も回避で手一杯のようだ。だが、まだ落とすには足りない。他のスペルが通用する気もしないし、このスペルで終わらせないと奥の手を使わざるを得なくなる。だからここでケリを付けたいのだが、決定打が無い。このままではジリ貧だ。そうならないために、もう一つ仕掛けを施しておいた。

 全ての火球から四方に柱が伸びる。魔理沙のノンディレクショナルレーザーを参考にしたレーザーもどき。魔理沙のように細かな動かし方はできないが、代わりに量を増やすことで密度を維持する。魔理沙の弾幕は細かく向きを変化させることで動けるスペースを削っていく。だから私は様々な向きのレーザーを大量に生み出す。もちろんこれも封魔陣では壊せない。

「ふざけんじゃ、ないわよ!」

 私相手には役に立たないスペルを破棄して次のスペルを唱えようとカードを取り出す。そこが完全無欠に見える彼女の数少ない弱点。その隙を突かないわけはなかった。

 自身の速度をさらに上げる。初めて見るスペル、ずっと加減していたスピード、そして彼女らしからぬ隙。さしもの博麗の巫女でも避けることは出来ない。直接ぶつかって吹き飛ばす。スペルカードがひらひらと空中を舞うのが見えた。

 墜落していく彼女を空中で引っ捕まえる。まだ聞かなければならないことがあるからだ。それは勿論あのボールと異変との関係性である。霊夢は負けたからか珍しくシュンとしていた、ように見えたのは私だけかもしれない。少なくとも普段の態度と大きく変わったところはなかったから。

「このボールは黄泉比良坂、でこっちはなんだ? 三角形の建物?」

 巫女から奪い取ったボールと自分が拾ったボールを比べると微妙な差異があることがわかる。これを集めることで願いが叶えられるなんて霊夢は言っていたが、そんな大層なものだろうか。だけど黄泉比良坂、最初に考えたのは死ぬことが出来るかもしれないということだった。少し想像して、自分が過去と比べて死を望んでいないことに気付く。永遠の命なんていらない。だけれど今ヤツフサと離れるのはもっともっと悲しい。私にとっては彼はそれだけ大きな存在だった。ただ、願いが叶えられるというのならヤツフサの苦しみを取り除いてあげられるかもしれない。私にとって参加しない理由は完全になくなった。

「アンタも参加するの? 今回の異変に?」

 まだ諦めていなかったのか、近距離から不意打ちを喰らわそうとしてきた霊夢を適当に放り投げると、空中で綺麗にバランスをとって着地する。さながら猫みたいだ。

「ああ、ちょっと事情があるからな」

「まあいいけど。どうせ魔理沙からもぎ取るし。でもそれってあの八房とか言う人間のため?」

 猫のように思えるのは何も身のこなしの軽さだけではない。人を信用しないようでいてその実ほとんど疑わない。なんとなく、で生きている彼女にとって空気を読むなんて行動は最初から持ち合わせていなかった。だからこんな質問をしてくるのだろう。何だかヤツフサが悪く言われたような気がして眦が吊り上がる。

「だったらどうした」

「悪いことは言わないからやめておきなさい。どうせ面倒なことになるから」

 負け惜しみか、それとも博麗の巫女の直感か。おそらくは後者なのだろう。ヤツフサの異常性は充分ではないにしろ理解程度はしているつもりだ。人らしからぬ、ということも分かっている。だからと言ってそんなちっぽけな理由で私が歩みを止めることにはならなかった。

「言うことは聞けないね」

「あっそ、まあ私は別にいいけど」

 霊夢が私に背を向ける。飛んで帰ればいいのに何故か歩きで竹林から離れていくのは不可思議だった。

「そうそう」

 途中で霊夢が歩を止める。何事かと身構えた私に霊夢は振り返らないまま言った。

それ(オカルトボール)、妖怪の山にも落ちてたらしいわよ」

 どうしてそれを私に教えるのか、その答えはとうとう聞けずじまいだった。

 




オカルトボールゲットだぜ(白目)
今回は八房と妹紅の視点をできるだけ交互にやっていこうと思います。まあ八房の視点になったって死んでるか殺されてるかくらいしか見所無いですけど。


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感情論と八つ当たり

「さあ八房さん修行ですよ!」

「おい待てこら」

 溢れんばかりの笑顔を見せる美鈴。置かれている器具を見ると俺はどうも笑えないのだが、そもそもレミリアはこんなものを許可したのだろうか。というか効果があるのだろうか。俺は自分の身の丈よりも大きな物体を前にして大きく溜め息を吐いた。

 紅魔館の庭、広々とした空間にでかでかと存在主張しているのは、どう考えてもトレーニング器具ではなく処刑台である。しかも吸血鬼の嫌う十字架、聖人を殺した磔だ。本気で殺すつもりですか。殺す以外の利用方法があるのかと強く疑いたい。というか一体どこから持ってきたのかも気になるところだ。

「まあまあ落ち着いてくださいよ」

「これが落ち着けるものかね」

「いや、磔刑の死因が何だかご存知ですか」

「死因?」

 それが何か意味があるというのか。そもそも磔刑の死因ってなんだ。有名な話だから処刑としてのイメージは強く持っているがどうやって殺すのかと言われると、よく分からん。失血死とか餓死とかだろうか。そう答えると美鈴は首を横に振った。

「正解は窒息死です」

「窒息死?」

 窒息する要素なんて何処かにあっただろうか。

「呼吸をするためには腹筋を使う必要があります。そして、磔にされた時最も負担を強いられるのも腹筋なんです」

 重ねて言うことには気力を鍛えるのにも呼吸、腹筋が必要なのだとか。つまり──

「死ぬまで吊られていろと」

「死んでも吊られていてください」

 これは手厳しい、というよりも意気地無しと考えられているのだろうか。普通の筋トレでは足りないのか、それとも俺が音を上げると考えているのか。美鈴はいつもと変わらないにこやかな笑顔のままだ。最近はそれが本心を包み隠す仮面なのではないかと思えてくる。その中身は見えない。

 まあ逃げられるとも思えないので潔く処刑される、じゃなかった訓練するとしますかね。とにかく俺には彼女の言う通りにする以外の選択肢が無いんだ。

「っと、これは辛いな」

「口数が多いと長生きできませんよ」

「肝に銘じておく」

 少なくとも力持ちとは言えない俺には辛いな。美鈴は門の前で寝始めるし、まあ、死んでもすぐに生き返れるようにという配慮だろう。手足は釘を打ち付けられて動かない。肩は脱臼してしまったようだし、すぐに呼吸も苦しくなる。想像を絶するような痛み、なのだろう。実際息を整えることも出来ない。窒息させるつもりなのだから当たり前だけれど。それでも何故か冷静さを保てて居るのは、さっき見た夢が原因なのか。海の中で溺れているような感覚。どちらが辛いのかは分からないが、思い出しているとこっちがそんなに辛くないように思える。

「俺は、本当に人間なのか」

 喋るなと言われたが、それでも口から漏れてしまう。考えるだけならそれこそ思春期くらいの頃からずっと考え続けていたような陳腐な問題。だが、今と昔では議論の主題が違う。昔はただ自分の体質についてだけだった。不死身の人間なんて居るはずがないと、そう考えていた。でも心が人間ならいいじゃないかと、人間らしく生きるようにしていた。幻想郷(ここ)に来てからは霊夢とか咲夜とか、人間とは思えないくらい強い人間(しかもそれに何の葛藤もない)を見て、俺の体質なんてものは欠片も不思議なものではないのではないか、なんて考えが頭に浮かぶようになった。その代わりに心の奥に沈み込んで俺を思考の海に溺れさせようとしているのが、自分の心。人間らしく生きるようにしていたつもりだった。腹が立つことがあっても出来るだけ怒らないように、誰かの感情を読み取れるように、それすらも悟られないように。

 いつからだろう、何事にも本気で怒れなくなったのは。いつからだろう、知らなくていいことも分かってしまえるようになってしまったのは。いつからだろう、自分で自分が分からなくなってしまったのは。人間らしさをモットーにしていたのに人間らしくないと言われるようになったのは。妹紅に出会って恋愛と呼べるような感情を抱いた時、俺は何よりもその人間らしい感情に歓喜していたのだ。それすらも人間とはかけ離れた感情だってことに気付いたのはすぐだった。

 姫様に自分が何の為に生きるのか聞かれた時、俺は答えられなかった。人間らしい答えならいくつでも用意できただろうが。どれだけのことを言っても、それらに本音が含まれていたとしても、正しい答えで無ければ意味が無いように思えてしまった。妹紅に聞かれた時は何台と答えてしまったが、五つの難題の共通点とは何か。それは答えの無いこと。自分で自分に生きる理由が無いと言ってしまったようなものだ。事実今でも答えを出すことか出来ない。それがどうしようもなく悲しくて。妹紅が来なくて本当に助かったと言える。あいつの前でこんな顔を見せるわけにはいかないから。紫が相手ならはぐらかされるかそれっぽく叱られて終わりだろう。美鈴は、どうだろうか。なんとなくちゃんと叱ってくれるような気がする。だけど他人任せにしている時点でお駄目なんだ。頭の回転もどんどん遅くなっているらしい。

「どうして吊るされてるの?」

声がして思考が中断される。自分と同じ目線に自分よりも幼い少女がいた。そんなに自分は小さかったっけか。少し驚いて、すぐさま相手が浮いているのだと理解する。意識ももう虚ろになっているようだ。

「ねえねえ」

 答えられないでいたら少女が重ねて声をかけてくる。金色が目の前で揺れて、ああ金髪だったのかと思い至る。やはり幻想郷に金髪は多い。

「なんだ?」

「貴方は食べてもいい人間?」

 人間、と少女は俺のことをそう言ってくれた。それだけで嬉しくて、少女が妖怪なのだろうと分かっていながらも笑いかける。それでも返事はしなかった。自分が人間であるという確証を得ることは出来なかったから。俺は人間だ、胸を張って答えられなくなってきたから。

 それとは別に少女が自分と同じような格好をしているのが不思議に思われて、話を逸らすのも兼ねて聞いてみることにした。

「なんでそんなポーズしてるんだ?」

「えー?」

 くるくると回って少女が離れていく。目が霞んで来たのもあってもう顔もぼやけて見えない。それなのに、声だけはやけにはっきりと聞こえた。

「聖者は十字架に磔られましたって見える?」

「愚者が報いを受けましたって見えるな」

 咄嗟にそんな言葉が口をついて出た。

 

 

 彼の意識が朦朧としてきたのを確認してから門を離れて館の中へ向かう。形式だけの自分の部屋でも咲夜さんに会いに行くわけでもなく、目指すのは我が主の私室。ノックはするが、相手の返事は聞かないままドアを開けた。誰も居ない。一瞬入れ違いになったのかと慌てたが、ベッドの奥にうずくまる姿を視認して安心する。ドアの鍵を掛けてから、ベッドの上、膝を抱えてしゃがんでいる主の隣に腰掛ける。

「貴女の言う通り、磔にしておきましたよ」

「そう」

 普通の修行なんかに磔は使わない。誰が考えようと当たり前のことだ。それは相手が不死人だろうと如何なる違いもない。それなのに私があれを持ち出したのはこの主の命によるものだった。どうしてそんなことを言ったのか、私は分からないことにしておく。想像はつくが、彼女の断り無しに踏み入れていい話題ではない。

「私って本当に最低よね」

 うつむいたまま彼女が言う。普段ならどれだけ傲慢に振舞っているだろうか、想像出来ないくらいに今の彼女は弱々しく見える。自分の行いが間違っていると分かりながら、それでもしないでは居られない。彼女の気持ちは痛いほど理解出来た。何より、未だにフランに八房さんのことを教えていないのだ。彼女が八房さんのことを嫌いなのはよく伝わってくる。

「貴女がそういうのならそうなのでしょう」

「随分投げやりな返し方ね」

「主の味方をするのが従者の役目ですから」

「そういうところ、本当に変わらないわね。じゃあ従者面を止めてって頼んだら?」

「貴女がそう言うのなら」

 彼女が求めているのはイエスマンじゃなくて、きっと間違っていると諌めてくれる友人だろう。そうなるのは簡単だ。だけどそれは私には出来ない。

「私は貴女の行為を否定しませんよ」

「・・・・・・どうして?」

 彼女は驚いたようだった。私なら叱ってくれると考えていてくれたのだろうか。いつだって彼女に都合のいい話し相手だった私が、同じ意見であることを驚くなんておかしな話だ。

フラン(義妹)に付く悪い虫を叩くのは普通のことでしょう?」

「茶化さないで。いや本心なのでしょうけど」

「従者じゃないのですから、求められても困ります」

 ん、と彼女が言葉に詰まる。彼女を諌めるのは御親友の方にお任せしましょう。私は私らしく本当の気持ちをレミリア(義姉)に伝えるだけだ。そこにはもう敬意なんて邪魔なものは必要無い。

「フランに対して私達は余りにも無力だった」

「・・・・・・そうね」

「ありとあらゆる手段を尽くしても止められず、私達は彼女(フラン)を失った」

「そして生まれたのがあいつ(フラン)

 紅魔館の中でもたった三人しか知らない事実。永遠に秘されるであろう忌まわしき過去。あの時、あと一人の魔法使いは何を思っていたのだろう。私達の見ていたものが音を立てて崩れ落ちていくような、全身の力を奪い取られる感覚。

「だけど、あの子は霊夢さんや魔理沙さんに会って外を知った」

「・・・・・・」

「そして八房さんに会って友達を得た」

 最近は寛太くんに会いたいから人里に行きたいと駄々をこねていることも知っている。初めての同年代(・・・)の友達だ。私としても嬉しくないはずがない。相手が人間なのは心配することも多いがきっと彼女なら上手くやることだろう。ちゃんと人の暖かさを知ったのだから。

「私達がどれだけ頑張っても出来ないことを簡単なやってのけた、八房さんが妬ましいのでしょう?」

 フランの心を安定させる。本人は欠片も分かっていないだろうが、彼がやってきてから一度もフランは狂気に身を呑まれていないのだ。それは私達がついに出来なかった偉業。姉という役割に強い責任感を持っているレミリアにとってそれがどれだけ衝撃的なものだったか。自尊心を傷つけられたかは想像に難くない。私だって同じ気持ちなのだからなおさらだ。

「最近ね、フランが戻ってきているような気がするの」

 私の話を聞いてくれていたのか、唐突に話を別の方向に向ける。そう私には感じられた。しかしそれが間違いだったとすぐに悟る。その口調が昔によく聞いた、弱音を吐く時の口調と同じだったから。

「戻ってきた彼女ですら、私よりも八房を大事にしているように思えて。声が聞こえてくるのよ。なんで助けてくれなかったのって。なんであれだけのことが出来なかったのって。その度に自分がどうしようもなく矮小に思えて。恩人であるはずの彼を殺したいくらいに思ってしまって。姉失格よね。妹が治った喜びより治した男への嫌悪が先にたっているのだから。まだ地下室なんかに閉じ込めて。怖いのよ。あの子に面と向かって非難されるのが。あの子じゃないものを見ているのが。私が弱いだけなのに、それを全部他の誰かのせいにして」

 嗚咽が漏れる。見なくとも泣いているのはすぐに分かった。泣きじゃくる姿だけならば子供のようにも見えるなだろう。だけど、彼女は五百年間ずっと一人で生きてきたのだ。誰に相談することも出来ないまま。私にすらもこの気持ちを隠したままにしようとして。それを子供の駄々と一蹴するのは、それこそ子供のすることだろう。少なくとも私には出来ない。孤独だった私に居場所を与えてくれたこの義姉(あね)には。

「さっきも言ったけど、私は貴女と同意見です。私だって八房さんのことを嫌いですから」

 だから、自分を卑下することは無い。間違っていると理解しているのだから。誰もが誰も彼のような聖人君主にはなれないのだから。

「それでも自分のことが許せないのなら、後で謝ればいいんじゃない?」

「・・・・・・その時は貴女も一緒に謝ってくれるかしら」

「えー、嫌ですよ」

「なんで?」

「だって、私はまだ八房さんのこと嫌いですもん」

 これも紛れもない本心。レミリアも唖然として返事ができないようだった。だけどおかげで涙は止まったようだ。

「貴女のそういう所って本当に変わらないわね。そんなのだから咲夜に怒られるのよ」

「あはは。言い返せませんね。だからこれ以上言われる前に八房さんの様子を見に行きますよ」

 呆れられるのも悪くない。背中から姉に叱られる楽しみを感じながら私は部屋を後にした。

 彼はまだ生きているだろうか。一度死んで生き返ったあとだろうか。廊下を歩きながら考える。彼自身は気付いていないし、また認めようともしないだろうが、彼には才能がある。武術とか能力の類ではないが、何よりも最も大切な才能。同時に彼が最も必要としない才能。

「心ゆくまで鍛えてみるのも面白いかな」

 本人は嫌がるだろうが。頑張れば咲夜さんと同じくらいには強くなれるだろう。もしかしらそれ以上かもしれない。弟子を取ったことがないから加減は知らないが彼なら大丈夫、する必要も無い。

「案外楽しそうですね」

 足取りはなんとなく軽かった。

 




わりと紅魔館陣営から嫌われてる八房。
彼に悪いところなんてほとんど無いんですけどね。


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河童とボールと蓬莱人

掴もうぜオカルトボール


「貴方が異変解決に乗り出すとは思いませんでしたよ」

「私もこんな時じゃければ参加しないさ」

 妖怪の山の入口で見つかったのは例の烏天狗。いつもと同じ新聞記者の格好だけど、態度は天狗としてのもののようだ。葉団扇を構えているのは、私が山に引き起こす災害を警戒しているからだろう。何故かは知らないけど、天狗達には私が戦えば山火事が起こると考えられている。確かに一度迷いの竹林を火事にしてしまったことはあるけれど、幾ら何でもあんまりな扱いだ。

 別に押し通ってしまっても構わないのだが、まあ一応交渉でもしてみようかと今回の異変について霊夢から聞かされたことをこいつにも教えてやる。どうせどっかから嗅ぎつけて新聞にするんだろうから私が教えたって同じことだろう。全て聞き終えた文が難しい顔をして立ったまま足を組む。よくそんな器用なことが出来るものだと少し感心しながら私は次の言葉を待った。

「で、そのボールが妖怪の山にあると仰るんですか」

「そうよ。なんてったって霊夢が言ったからね。無いはずがない」

「そう言われてしまうと反論出来そうにありませんね」

 困ったような表情を浮かべる文。下手に出ているように見えるがその妖力は言外に帰れと威圧してきている。ヤツフサも同じようだったけど、私はこのカラスが好きではない。いつもおどけてばかりで、本当は強いはずなのにそれを見せようとしない。狡猾と言えば聞こえはいいけれど、実際は道化師を演じていたいだけだろう。自身の力を偽る利点が無いのだから。そんなのだから私は彼女が嫌いだった。

「とにかく、持ってる相手に心当たりがあるなら連れてきてよ。無いなら勝手に入って探すから」

「いやいや、妹紅さんの言いたいことも分かりますがこっちも部外者をはいそうですかと入れるわけにはいかないんですよ。もちろん仲間を売ることも」

「へえ、アンタに仲間意識なんてあったんだ」

 これは本心だった。彼女に協調性なんてものが欠片でもあるとは思っていなかった。他の天狗は基本的に自分たちの種族中心で他を馬鹿にしているのに対し彼女は全て平等に取材対象として見ているように思え、むしろ天狗を馬鹿にしているのではないかとすら思える。だから天狗の中でもまだ人里の人間達に親しまれているのだろう。自分を馬鹿にするような奴と仲良くなんてしたくないだろうし。

「そりゃまあ天狗ですから」

「ふーん。まあそんなのこっちには関係無いけどね」

「ですよねー」

 とほほ、と大仰に呆れて見せるバカ天狗を尻目に私は妖怪の山へ足を踏み入れようとする。問答している時間がなんとなく惜しかった。普段なら時間は幾らでもあると余裕を持てていただろうに、ヤツフサが居るとこんなに時間が早く感じられるのか。焦りが収まらない。この軽佻浮薄な烏天狗がこのまま見逃してくれればいいのだが、当然そうはいかず後ろから肩を掴まれた。

「だから困りますって」

「うるさいなあ」

「ここを通りたければ私を倒してからにしなさい」

「あっそう」

 煩かったのでデコピンをかますと呆気なく文は倒れた。もちろんこいつがそんなに弱いはずもなく、言ってみれば私を通すための大義名分という奴なのだろう。彼女が本気で私を止めるつもりがないのは、監視している他の天狗からもバレバレだろう。しかし、彼女に対しては口を出せないのか彼女がそれを苦にしているように見えたことは一度もない。

「くそー、河童の所に行かせるわけにはー」

「うっさいっての」

 なおも足首を掴み、ご丁寧にも棒読みでボールのある場所まで教えてくれる(ついでにカメラを構えてから落胆している)有能なバカ天狗を足蹴にしながら、私は教えられた通りに河童の集落がある場所へと歩を進めることにした。他の天狗達の妖力は遠巻きに感じられるが、近付いてこようとはしない。臆病者と罵ってやりたくなる。少なくとも見た目は良い歳したおっさんが文よりも根性が無いっていうんだから。そもそも私が今まで何度か妖怪の山に入っても、文と犬走椛とかいう白狼天狗以外に出会ったことが無い。そしてその両方共が本気で私と敵対する気がないのだからお笑いだ。まあ文はともかく椛に負ける気はしないんだけれども。

 舗装された参拝道とは全く違って歩きにくい獣道を行く。そういえば、ここはヤツフサと来たことが無い場所だったな。人間が立ち寄る場所じゃないと言ったらやけにあっさり引き下がったんだっけ。わりと好奇心のあるヤツフサにしては珍しいと思ったけれど、あいつも命が惜しいんだろうと思って流した記憶がある。

 それはそれ、今私がするべきは河童の集落とやらを探すことである。見つかったとしても誰かの手に渡っているのなら奪い取らなければならない。交渉や交換で済めば楽だけれど、絶対に手放さないだろうという確信もある。文に行って持ってこさせれば良かっただろうか。いやそれはそれで面倒な対価を要求されるに決まってるか。

「おや、人間かい?」

 声をかけられて振り向いてみると、私のそう変わらないくらいの女が居た。背中に背負ったどでかいバッグにどれも似たり寄ったりな青っぽい服装。間違いない、河童だ。ついでに緑の帽子と青い髪には見覚えがあった。宗教戦争の時に暴れていた、確か名前は「河城にとり」

「あれ、私のことを知ってるのか」

「前に見たからね」

「そうかいそうかい盟友に名前を覚えてもらえてるのは嬉しいことだよ。でも君らにこの山は危険過ぎる。早く降りな」

 それは本当に心配してくれているようで、珍しい妖怪だなと素直に思う。ここは妖怪の本拠地だ。襲われることこそあれど心配されることなんてそうそうないから。だけど、降りるわけには行かない理由がこちらにはある。私は黄泉比良坂のボールを取り出してにとりに見せる。もちろん取られないように細心の注意を払いながら。

「こんなのを探してるんだ。見てないか?」

 ボールをまじまじと見つめたにとりはしばらくうんと唸って、それから思い出したように手を叩いた。

「それならこないだ拾ったね」

「本当か!?」

 まさかこんなに早く見つかるとは。それも集落から離れた場所で。

「それが必要なのかい?」

「ああ、譲ってくれないかしら。出来ないなら無理矢理奪い取るしかないが」

 礼儀正しくしながら同時に脅しも兼ねて妖力と炎も出しておく。にとりは「ひゅい!?」と驚いて一歩二歩下がる。

「どうする?」

「むむむ、問答無用じゃないだけ霊夢や魔理沙よりマシだけどさ。人間ってのは皆こう(暴力的)なのかい?」

「さあね、でどうなの?」

「まあいいけどさ。タダは流石に勘弁だね」

「じゃあ何が欲しいんだ」

「そうだね、じゃあそっちのボールを・・・・・・っとと冗談だよ」

 炎の揺らめきを大きくするとにとりは慌てて訂正する。

「じゃあ、ちょっと手伝いをしてもらおうかね」

「手伝い?」

「そう、人間でも出来る、簡単なことさ」

 そう言って笑うにとりの顔を見てしまったと思ったが遅過ぎた。

 ──こいつは悪徳兎詐欺(てゐ)と同じタイプだ。

 

 

「で、何かと思えば落とした荷物探しか」

「そ、これは仲間には頼めないからね」

 足場が悪い道を苦闘しながらにとりについて歩く。背中には彼女のものにそっくりなリュックを背負わされて、さらにその中には外の世界でヤツフサが持っていたような訳の分からないコード類とやらが詰まっている。その他にもよく分からない円盤やよく分からない何か。一言で言えばよく分からないものでパンパンになっている。よくもまあこれだけ落としたものだ。全部を自分で把握しているのだろうか。

「仲間に頼めないって?」

「だって、掘り出し物を取られちまうだろ?」

「なるほど」

 河童も集まって仲良しこよしという訳では無いらしい。そう言えば以前守矢神社がだむ(・・)とかいうのを作ろうとして河童を集めた時も結局うまくいかなかったらしい。自分の興味の方が大切なのだろう。渡された鉄の箸で道端に落ちたそれらしい紐を引っ張り上げて背中のリュックに突っ込む。

「しかし、聞いてみれば今の異変に関わってるアイテムなんだって?」

「ボールのこと?」

「そ、さっき文が来て言ってたよ。そんなボールがあったら教えてくれって」

 文がそんなことを。思ったより情に厚いのか。それなら少しくらい新聞をとってやってもいいかも。

「痺れを切らした蓬莱人に山を焼かれたくないからだってさ」

 前言撤回。今度来たら本人ごと焼き切ってやる。

「蓬莱人ってのはアンタだろ。どうして異変に参加するんだ?」

「楽しそうだから、じゃダメか?」

「だったら交渉なんてしてこないだろ? 諦めるか、霊夢みたいに力づくで持ってくか。まあ圧倒的に後者の方が多いけど」

 自分の暇を潰すだけなら相手の都合なんて容赦しないのさ。と、にとりは言う。それは確かにそうかもしれない、と思いかけてからそれはあいつら規格外だけだということに気付く。でも異変に参加しようなんて酔狂者は軒並み規格外だということにも気付いて溜め息を吐く。私以外に常識人は居ないのか。

「きっと誰もがアンタに言われたくないって思ってるよ」

「なんでよ」

「さあねー? で、結局理由は何なんだい?」

「・・・・・・・・・・・・」

「嫌なら文に聞くけど」

「それだけはやめて」

 あいつに話されたらどんな尾ひれをつけられるか分かったものじゃない。しかもこいつは絶対それで後後いじってくるタイプだ。あのウサギみたいにギリギリのラインを見計らって。話すしかないか。とはいっても、誰かに話すような理由でもないのだが。

「知り合いが異変のせいでちょっと参っててさ。恩があるから返したいんだよね」

「ほほう、その知り合いって男? 女?」

「どっちでもいいでしょ」

「いや良くない。そういう反応をするってことは男だね。ってことはあの半獣の教師じゃないのか」

「なんで慧音が出てくるんだ」

「じゃああの一緒に暮らしてた人間の方か」

「なんでそこまで知って──」

 そういうことか。こいつ私のこと最初から知ってやがったな。本気で心配してくれた辺り私の強さまでは知らないようだけど。どうやってかそこまで知られてるなら隠すことは不可能だ。がっくりと項垂れて「そうだ」と答えてやる。それを聞いてにとりは顔をぱあっと輝かせて恋人かどうか執拗に聞いてくる。あの夜のことが未だに引っかかってる私ははいともいいえとも答えられず、恥ずかしさだけがこみ上げてくる。

「でもそいつのために動くってことは、そいつのことが好きなんだ」

「そ、それは・・・・・・」

「じゃないとアンタみたいに動かない奴が動くわけないじゃん。好きなんでしょ?」

 そう言われてしまっては返す言葉もない。どうにか話を逸らそうと試みるがにとりはそこから離れるつもりは無いようだ。どこまでいっただとか出歯亀のように口うるさい。

「むう、じゃあ嫌いなのかい」

「そういうわけじゃ!」

「じゃあ好きなんだね」

「ぐっ・・・・・・そうだよ、悪いかよ」

 猛攻に耐えきれずついに諦める。白蓮にもバレてたし、そんなに隠すのが苦手なのだろうか。にとりに聞くと「分からない方がおかしい」と返されてしまった。じゃああの烏天狗にも知られているのか。うおお、やっぱりあいつだけは焼かないといけない。生かしておけない。

「ほっといても文は何も言わないと思うけどなあ。あいつ、あれでピュアだし」

「ピュア? あの捏造烏天狗が?」

 むう、あの文を純粋だと言い張るような奴が居るとは。私の知り合いに聞けば十人のうち九人が嘘だと言うだろう。ちなみに残りの一人は目の前にいるこの河童。

「まあそんな事言うと文に追いかけ回されるから言わないけどね」

 今言っちゃってるじゃん。とは言わなかった。

 ゴミ拾いもようやく終わり、にとりが自分のバッグから私の持ってる二つによく似たボールを取り出す。これで三つ目。聞いた話じゃ七つあるらしいからだいたい半分が揃ったことになる。とはいえまだ四つもあるので道のりは長いけど。

「それじゃあ程々に頑張りなよー。噂じゃお山の仙人様も動いてるらしいからね」

「仙人?」

 山の仙人なんて聞いたこともないが、住人の河童が言うのなら住んでいるんだろう。ピンク髪のシニョンをつけた仙人だと聞かれて、そんな姿を人里で見たことがあるなとなんとなく思い出す。言われてみればなかなかに仙人らしいのに何故分からなかったのだろう。いや団子を如何にも美味しそうに頬張る仙人が居てたまるか。あれはもっと口うるさくて面倒くさいもんだ。

「で、その仙人サマが本当に異変解決してるの?」

「そ、魔理沙が通信で取られたって喚いてた」

「あらまそりゃ可哀想に」

 魔理沙を倒すのなら相当な手練だ。というか魔理沙と連絡を取っているのか。だったら魔理沙にボールを取られていそうなものだけど。そう言うと、八つ当たりされるのは面倒だからボールのことは話さなかったから、とにとりは悪びれる様子もない。そのあっけらかんとした表情を見て、やっぱり油断ならないタイプの妖怪だと私は改めて思うのだった。

 




書いててぴゅあやという謎の単語が浮かんだ。

にとりは最初容赦なく焼く予定だったんですが、どういうわけか上手くやり込められてしまいました。妹紅はボールが手に入ってにとりは燃やされずに済んで万々歳ということで


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無意識の妖怪から不死人へ

タイトルに書いてある通り今回はあの子が出ます。



「全くなんだかなあ」

 自分でも分かるくらい気だるげな声が出る。紅魔館に来てから数日、磔トレーニング法は結局俺が二回程死んだ辺りで止められてしまった。効果は一応あったらしいがどうにも腑に落ちない。腑に落ちないけれども何か言うことでも無いし、結局俺が修行中に死ぬことが変わるわけでもないのだから。

 腹筋を鍛えたら今度は呼吸法だ。と言ってもこれは言われた通りに息を吸って、吐いて、形が崩れたら美鈴に注意される。それの繰り返しで難しいところも何も無い。では何故ざんきがどんどんと減らされていくのか。それは追加で行われた筋トレと美鈴との組手のせいである。超回復という言葉があるが、筋トレが発揮されるのには筋肉を休ませる必要がある。しかし俺の場合死んでしまう度に時間を飛ばして強化されてしまうらしい。インターバルが必要ないのだ。そのせいか死ぬ程筋トレしたら殺されてまたやり直しというスタンド使いも真っ青のハードスケジュールである。そし美鈴との組手も困り物だ。何せ殺す気で来るのだから。初めは開始数秒で心臓を貫かれて死んだ。その後も手刀で首を撥ねられたり背骨折られて臓器かなんかに刺さったりと本気で容赦がない。俺になんかうらみでもあるのかと思いたくなる。

「どうしたの?」

「いや、大したことじゃない」

 ポーンの駒を動かしながら不思議そうにフランが首を捻った。なんだかんだで毎日のようにチェスに付き合わされた結果、最初の苦手意識も薄れてきた。勿論フランに勝つことは出来ないのだが、それなりに腕は上がって来たらしくやって来た美鈴には勝てた。その後の組手でフルボッコにされたけど。

 ちなみに今居るのは地下室ではない。先の人里観光の一件からフランがよく屋敷の中を動き回るようになったのだ。今までも彷徨く許可はもらっていたらしいのだが、彼女にも恐れがあったのだろう。それが改善された、ということだ。人里を自由に歩けるようになるのもそう遠くないかもしれない。その時俺が生きてるかは知らないが。

 そうして俺達がチェスを指しているのは大図書館である。図書館の主であるパチュリー・ノーレッジは煩くさえされなければ基本的に放任を決め込むつもりのようだ。フランも本来の気性としては大人しい方なので滅多に図書館内が煩くなることはない。俺とフランで対局のどこが悪かったのか話す声や司書らしい小悪魔(悪魔は名前を知られてはいけないため、種族名で押し通しているらしい)が慌てたような声を上げる程度。大きくても例の白黒魔法使いが本を盗み(借り)に来るくらいのものだ。

「あれ?」

「どうした?」

 未だ首を捻っていたフランが困ったような声を出す。何事かとその視線を辿るとチェス盤のある一箇所に止まっている。どうしたのか、しばらく同じようににらめっこしてみてようやく理解出来た。

 ナイトの位置がおかしい。黒のナイト、つまり俺が置いた駒がおそらく右に一つずれているのだ。たかが一つ、とは笑えない。これで戦局がひっくり返ってしまうレベルのズレだ。だが当然俺には動かした記憶がないし、そもそもそんなイカサマが出来るような技量なんて持ち合わせていない。フランも最初から俺がズルをしたとは考えていないようで「なんでズレてるんだろう」と考え込んでいる様子だ。

 二人して結論は出なかったのでとりあえずズルはいけないと駒を元の位置に戻してから対局を続ける。しかし今度は自分達から離れた場所のパチュリーが困惑した声を上げる。

「小悪魔、ここの本はどこにやったの?」

「えっ、ええ?」

 そんなところに本なんてありましたっけ。ええ有ったわよ貴女に持ってこさせたじゃない。遠くから聞こえる会話を要約するとパチュリーが小悪魔に持ってこさせた本がなくなったらしい。どっか行ったのかと俺もあたりを軽く見回すと何故か椅子に腰掛けた膝の上に見知らぬ本が一冊。チェスを始めてから席を立った記憶はないのだが、どうしてこんなところに本があるのだろう。まあ悩むのは後で出来るとしてとりあえずフランに一言断ってから本を持ってパチュリーの方へ向かう。

「本ってこれのことか?」

「え? ええそうよ、これよ。なんで貴方が持っているのかしら」

「知らん。気が付いたらあった」

 俺の返答はお気に召さなかったのか頭を抱えられるが、だからといって俺が動いていないのは彼女も知っているのだから特に何も言われなかった。ただ図書館から一旦出ましょうと提案してきたのはこの状況が明らかにおかしいと分かっていたからだろう。しかし動かない大図書館とまで呼ばれる彼女が簡単に決断するものだ。そう考えていたのが顔に出てたのか無愛想な顔で「外に出ないだけよ」と返された。紅魔館の中は割と自由に動き回っているらしい。

 埃っぽい部屋から出るとカーテンに覆われて日の差し込まない廊下に出る。天気の良さそうな日だから陽光でも浴びたいものだが吸血鬼の館でそれを言うのは無礼で無粋というものだろう。そもそも門に行けば浴びれるわけだし。というかそろそろ門に行かなければならない時間か。約束の時刻まではまだあるが、あの状況でチェスの続きをするというのも気が進まないし自己鍛錬もやっておいて損は無いものだ。紅魔館の暮らしが悪いという訳では無いが、普段と違う生活というのは違和感があって仕方が無い。いつもそこに居る者が居ないってのは想像以上に不安を掻き立てる。早く帰れるに越したことはないのだ。

「で、チェスは途中になっちゃったし。俺は美鈴のところに行くけどどうするんだ?」

 これは三人(人ではないが)全員に向けての問いである。パチュリーはレミリアをからかいに行くと答え、小悪魔は契約者、つまりパチュリーに付いていくと答える。フランはといえば俺の修行を見てみたいから門に着いてくると答えた。大丈夫かとパチュリーに目で問いかけると諦めたように首を振られた。こうなると止められない、ということらしい。まあ日傘さえ差していれば問題はないか。後でレミリアにこっ酷く絞られるかもしれないが。

 パチュリー達と別れ、フランも自分の地下室から日傘を取ってくると言って一旦離れていく。そういえば部屋は余っているのだから一階にフランの部屋を作らないのかと疑問になったが、彼女自身が地下室を気に入っている節もあるので案外自分の意志かもしれない。後でレミリアに聞いてみよう。またお節介焼きかと呆れられるのが目に見えているが。

 それにして先程から何だか肩が重い。美鈴から貰った気力が切れた、という感じではなく今朝から体調を崩しているわけでもない。しかしやけに重く感じられるのはなんだかんだで疲れているのかもしれない。早く家に帰りたいと、少しだけホームシックみたいなことを思ってしまった。

 フランが戻ってくるのを待って、それから一緒に屋敷の外へ歩く。気力を鍛えているのだが未だ飛べそうにはなかった。正確に言えば浮く事は出来るようになったのだが、そこが限界で動こうとしたら落ちる。舞空術的なあれをやれるようになるの結構楽しみなのだが、なかなか上手くはいかない。そしてフランも綺麗な羽は羽ばたかせず、水晶を揺らして歩いている。何故だか知らないが俺と関わると歩きに目覚めるものが多いらしい。俺が飛べないから合わせてくれているのだろう。

「はい、早かったですね。はやいのはいいことですよ。おや妹様?」

「修行ってのを見に来たの」

「なるほど。お嬢様の許可は、取ってないでしょうね」

 元気よくうんと答えるフラン。そこは胸を張る部分じゃないと言いたくなったが連れてきた俺も同罪なのでぐっと我慢。

「それで、そちらの方は?」

「ん? 誰のことだ」

「貴方の背中におぶさっている方ですよ」

「え? うおおっ」

 何を言っているのかと思ったが、本当に背中に人が張り付いていた。黒い帽子に黄緑と白の中間みたいな髪色をした見た目フランと同じくらいの女の子。誰だこの子。まさかいつの間にか俺は誘拐犯罪を起こしていたのだろうか。いや流石に無意識で誘拐するなんてことは有り得ないだろう。となると相手から勝手に引っ付いてきたのか。楽しそうに俺の背中で暴れるその子を引き剥がすとさっきまでの肩の重みはすっきりなくなっている。病でもとってくれたのか、それともすねこすり的なあれか。なんて何の怖さもない妖怪かと邪推していると、フランが今になってようやく思い出したかのようにあっ、と小さく声を立てた。

「こいし、来てたんだ」

「やっほーフラン。今日はいい天気だねー」

 知り合いなのか、こいしと呼ばれた少女はフランと仲睦まじそうに笑いあっている。少なくとも知らぬ仲ってことではないようだ。人見知りした反応じゃない。相手人じゃないだろうけど。

「で、君は誰なんだ。どうして俺の背中に乗っかってた」

 この二人だと話が進まなさそうなので俺からこいし(それが名前だろう)に話しかける。誰にも気付かれずに紅魔館に入れるのは魔理沙くらいしかいないと思っていたが、中に入っても気付かれないとは恐ろしいものだ。何者なのかくらいは知っておきたい。

「私はこいしだよ? 妖怪なの」

「まあ妖怪なのは分かる。問題は何の妖怪かってぐはっ」

 突然のタックルに身体が突き飛ばされる。見た目は年下に見えてもやはり力などはあちらの方が上のようだ。ただ本気じゃなかったのか、そもそもの力が弱いのか、勢いもそこまで強くはない。尻餅をつくことはなく、三歩程下がる程度で済んだ。

「な、なんでタックルした?」

「なんとなく?」

 なんとなくでするのは止めてくれ。そう言うとちょっとだけ悲しそうな顔をして無理と言われた。何か事情でもあるのか。しかしそれでなんとなくが済まされるとは全く思えない。

「お兄さんなんだか暖かいよね」

「話を逸らすな」

「お空みたい」

「誰だお空って」

「お姉ちゃんのペット!」

「俺はペット扱いかよ」

 酷い話もあったもんだ。しかも全くの悪意なく言っているようだからなお恐ろしい。悪意があれば一切の容赦もなく突き放せるんだが、こうなると価値観の相違と言う他ない。

「何してるの?」

 今度は驚いた様子もない美鈴に話しかける。

「彼に稽古をつけているんですよ」

「へー、フランー、遊ぼうよ」

「うん!」

 きゃぴきゃぴとはしゃいでいる様は見ていて微笑ましくなるが、どうにも会話のキャッチボールが成立していないのが気になる。会話を続けようという意識が欠けているのではないかと思えてならない。親(?)の教育は気になるが、でもそこまで気にすることでもないか。そもそも妖怪の礼儀を求めるのが本来間違ってる。心から生まれて思考のままに生きるのが妖怪なのだから。たぶん。

「じゃあお部屋で遊んでるね」

「おう、気をつけろよ」

「お兄さん、人間なのに妖怪に優しいね」

「妖怪嫌いならこんなとこに居ないからな」

「これあげるっ」

 だからドッジボールは止めてくれと言うことも出来ず、こいしはボールを投げつけてフランと一緒に館の中に入っていく。勝手に部外者を入れてもいいのかと不安になるが、フランの知り合いのようだし美鈴が止めなかったことからもきっと大丈夫なのだろう。俺知らねっと。逃避の意味合いも込めてキャッチしたボールに視線を落とす。美鈴もそれを見て首を傾げた。

「それで、そのボールは何でしょうね?」

「俺に聞かないでくれ・・・・・・月の都?」

 何のことだか分からない。月に都があるというのは永琳から聞いて知っているがその事を指しているとも考え難い。基本的に幻想郷に干渉してくるとは思えないからだ。

「もしかして異変に関係しているんじゃないか?」

 俺がそう言ったのは全くの適当である。異変がどんなものかなんて知らないし冗談半分で言ったのだが美鈴の反応は成程と真面目に受け取っているようだ。

「だったら妹紅さんに渡してあげればどうですか?」

「あいつ、やっぱ異変に参加してるのか?」

「ええ、鈴仙さんが言ってました」

「待て、お前いつ鈴仙と会ったんだ」

 俺の知る限りでは美鈴と鈴仙に接点は無い。そもそも永遠亭と紅魔館が関わることすら稀だろう。永琳輝夜もレミリア達とは異変の時以来会っていないと言っていた。

「昨日の夜ですね。御見舞い、だそうですよ。近い内にこうなることは分かっていたからって」

「そうなのか」

 永琳の言っていた言葉の意味はこれだったのか。分かってたなら早めに手を打ってくれても良いだろうに。文句を言う筋合いがないのは分かってるがスパルタ教育は確かに辛い。

「で、手渡しに行かないんですか」

 美鈴は俺を妹紅の元へ向かわせたいのか、再度聞いてくる。だけど俺は妹紅に合わせる顔がない。心配させてしまったからな。だから本人の元へは行けない。それが俺の我侭であったとしても。

 美鈴が仕方の無い人だと肩を竦める。何も言ってないのに俺を意思を汲み取ったのだろう。気を使うとは、こういう使い方もあるのだろうか。

「今夜も鈴仙さんが来るらしいですから直接頼んでください」

「分かったよ」

 出来ればやって欲しかったが、無理ばかり言うわけにもいかないか。鈴仙は、まあやってくれるだろう。問題は無い。

「じゃあ、今日の鍛錬を始めましょうか」

「・・・・・・おう」

 美鈴の無駄に健やかな笑顔を見て、またなぶり殺しにされるんだろうなと溜息を吐いた。

 



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茨の道を歩む

 床に並べたボールを見渡して指さして数える。一、二、三、四、五。これで七分の五、つまり大半が集まったことになる。異変解決もそろそろ大詰めか、霊夢は七つ集めれば何か起こるだろうと言っていた。あの巫女に限って外すことは無いだろう。

「ということは後二つだな!」

「なんでアンタはまだここに居るのよ」

 私の隣で心得たとばかりに鼻息荒く胸を張る無表情の妖怪。火男のお面を被った桃色の少女。秦こころだったか。鈴仙はボールを渡してすぐに帰ったのに、命蓮寺からやってきたという彼女は一向に帰ろうとしない。落ちていたボールを持ってきてくれたのは有難いのだが基本的に私は一人の方が気楽なのだ。勿論例外も居るけれど、少なくともろくに顔も合わせたことの無い相手と二人でいて気を抜ける程私は大雑把に出来ていない。だから出来れば早く帰ってほしいのだけど。

「せっかくだからついていく!」

「なんでよ」

「私の知らない感情を知ってそうだから」

 あっけらかんとした言葉に頭を抱えたくなる。彼女はお面の付喪神、面霊気なんて呼ばれる存在であることは知っている。そういえば宗教戦争の折も彼女が原因だったんだっけ。感情を操る程度の能力を持つ彼女は他人の感情に対してひどく敏感だ。それは空気が読めるとかではなく、無邪気で無慈悲な好奇心という奴なんだが。つまり私は今痛くないこともない腹を探られているのだ。それを分かってて送り込んでいるんだから白蓮も相当に質が悪い。理想だけで集団を作ることは出来ないのだから、腹芸みたいなことも多少はできるのだろう。人畜無害な顔してえげつない。

 その狙いは分かっている。私に嫌でも気持ちを固めさせたいのだろう。聖職者がそれでいいのか。なんて思うけれど私を救うことなんでどうせ出来ないのだから好きに生きさせようと考えているのかもしれない。大きなお世話だ。

「なんでそんなに嫌そうな顔をしている?」

 私が悪いのか、なんて聞いてくるこころ。無表情のままではあるが、能面が姥になっていることから多少落ち込んでいるのだろう。お前のせいだ。とも言いたいがこうも沈まれるとそれもはばかられる。成程命蓮寺からも聖徳太子からも可愛がられる訳だ。何よりも純粋な妖怪。無意識を操るあの悟り妖怪にも似ているが、あっちと違って壊れたのではなくまだ出来ていないだけなのだろう。宗教戦争の時私が見たあの妖怪はもっともっと異常だった。

「別にアンタが居てもそんなに変わらないんだけどね」

「なんと、でも私だって戦えるぞ」

「それは知ってる」

 曲がりなりにも異変を起こした妖怪だ。それなりの力は持っていて然るべきだろう。

「初めてなのに知っているとは、うむ?」

「ああもういいから黙ってて」

「分かった!」

 返事だけは元気よく、しかし本当に分かっているのかどうか不安になるような調子だ。こいつに付き合ってるとそれだけで日が暮れてしまいそう。私は全くの無視を決めて残り二つの在り処を考える。

 一つは桃色の仙人が持っていると見て間違いないだろう。魔理沙を倒すほどの相手だ。そう簡単に他の相手に取られるとも思い難い。霊夢とかなら有り得るかもしれないがだったら放っといてもこっちに来るだろう。私がまだボールを持っているってことはしっている筈だから。問題は残り一つだ。これは誰が持っているのか想像がつかない。少なくともボールを私にくれた永遠亭、命蓮寺には無いだろう。既に探った妖怪の山という線も薄い。紅魔館には行く気にならないから論外として、残るは聖徳太子の陣営と守矢神社、白玉楼の庭師。こんなところか。仙人サマが二つ持っていてくれれば気が楽なのだが。

「ところで妹紅」

「なんだよ」

 返してしまってからしまったと思う。無視しようと考えていたのに。

「ボール、持っていかれているぞ」

「それを早く言え!」

 ひどいっ、と叫ぶこころを無視してボールの数を確認、一つ足りないと慌てて周りを見渡すと、包帯で出来た腕がボールを持っていこうとしているのが見えた。しかもよりにも寄って黄泉比良坂だ。返事した私グッジョブ。危うくボールをただで取られるところだった。

「待てっ!」

 火球で包帯を燃やす。堪らないと言った様子で手はボールを離すが、振り払われて火はすぐに消えてしまう。燃えない包帯とは珍しい。っと今は関係ないか。私はすぐにボールを回収して、全部持ったまま手の飛んできた方向に走る。こころがついてこれてないがほっとけば来るだろう。

 手癖の悪い仙人はそれほど遠くから操っていた訳では無いようだった。すぐに道教の特徴的な服装とシニョンが見える。逃げる素振りも無かったのは不自然だが、まあ私を倒せると踏んでいるのだろう。それなら霊夢みたいに不意打ちでもした方がまだ可能性があったぞ。あの具合では当たったかもしれん。

「仙人サマが人の物を盗っていいのか?」

「馬鹿言わないで。私は貴女に危険が及ぶのを防ごうとしたのよ」

「それを泥棒って言うんだろ」

「そーだぞドロボー」

 後ろから遅れてやってきたこころも非難の声を上げる。アンタ何もやってないでしょうが。いやボール持ってきてはくれたか。ピンク仙人はあからさまに残念そうな溜息を吐いて包帯じゃない方の手の人差し指をピンと伸ばす。

「いいかしら、それは巷で騒がれているような願いを叶えるなんて代物じゃない。七つ集めた者を外の世界へ飛ばしてしまうという危険な代物です。貴女みたいな人間が持ってていいものじゃないのよ」

「へえ、そうかい。だからといって私が諦める理由にはならないけどね」

「分からず屋ね」

「卑怯者がよく言うよ」

「卑怯者ですって・・・・・・!?」

 単なる挑発だったのだが、随分と痛いところを突いてしまったようだ。全身をわなわなと震わせて怒りを表現する仙人サマ。こんなタイプの仙人には初めて会った。まるで人間か妖怪じゃないか。

「いいでしょう。説得するつもりならそこまで強情なら力づくで言うことを聞かせるしかありませんね。大丈夫、死ぬよりマシでしょう」

「死ぬよりマシ? はっ、何戯けたこと言ってんのさ。殺せるもんなら殺してみな!」

 ボールはこころに任せておけば大丈夫だろう。全力で地を踏みしめて相手の懐に一瞬で入る。相手の意識の死角、大口叩く割には隙だらけで攻撃を当てるのは全く難しくない。

「っらあ!」

 跳んだ勢いそのままに腹部に蹴りを叩き込む。完璧に入った、一撃で倒せなくともそれなりのダメージにはなるだろう。その考えが甘かったことをすぐに痛感させられる。

 脳が揺れる。一瞬何が起こったのか分からなかった。頭を掴んで叩き付けられたのだと理解したのは追撃を恐れてその場から飛び退いてからだった。頭がグラグラする。対する仙人サマは欠片もダメージを負ってない。何を馬鹿な、と思いたくなるが事実なのだから仕方が無い。隙だらけなのは自分の硬さに大層な自信があるからか。

「今ので倒せたと思ってたんですけどね」

「アンタ、なにもんだよ」

「茨華仙。しがない仙人ですよ」

 真っ直ぐに、注意を惹こうとか罠を張るとか全く考えずにそのまま突進してくる。踏みしめられた地面が抉れるほどの脚力だ。包帯の方の腕で殴り飛ばすつもりなのだろう。搦手も反撃も一切考えない戦い方はまるで仙人らしくない。それならば私は蓬莱人らしく戦おう。

 避けるつもりはない。腰を落として半身になり、迎え撃つために拳を構える。相手の拳が届こうかといった間際。私は自分の拳を繰り出した。包帯の手が当たって目の横から真一文字に擦り切れる。痛みを感じわけじゃないが輝夜と殺しあってる時に比べれば無傷のようなものだ。そして私の突きがカウンターの要領で相手の顔にぶち当たる。自分のスピードをそのまま喰らえ。持久戦に持ち込むつもりは無い。一刻も早く倒してしまうべきだ。私の直感がそう言っている。長引けば不老不死である私の方が有利であるだろうにも関わらず。殴った勢いが強く、今度は茨歌仙の身体を遠くに吹き飛ばす。自分の体が再生するいつ感じても気味の悪い感触を我慢しながら相手の様子を観察する。これで倒せる相手なのか。そんな筈はない。私は起き上がろうとした仙人に火球を大量に投げる。手を抜いて勝てる相手じゃない。全力でも勝てるかどうか分からない。輝夜以外でこんな相手は久し振りだ。

 ちらりと視界の端にこころが映る。まだ退避してなかったのか。彼女の実力がどれほどのものか知らないがここに居るのは危険だ。不死身でなけりゃやってられない相手。倒れるイメージが出来ない相手。

「こころ、下がってろ!」

「えっ、妹紅!?」

 しまった。一瞬でも気を離したのがまずかった。鳩尾にぶつけられた肘は鉄よりも重く、周りの景色と共に意識が遠のく。同時に腹の底から何かが込み上げてくる。それが吐き気だと気付いたのは胃の中身を全てぶちまけてからだった。膝が震える。目は眩み、立つことも覚束無い。もしかしたら臓腑が傷ついているかも。自分の吐瀉物を見て胃液以外のものがあることに驚き、今朝も握り飯を食べたのだと朦朧とした頭で思う。違う、今は意識を飛ばしていい時じゃない。根性だけで顔を上げ、向かってきている仙人に向かって苦し紛れの火球を撃ち出す。当たればただでは済まない高熱。これで足が止まってくれれば。

「嘘だろ!?」

 腕の一振りで火球全てが風に吹かれた灯火の如く呆気なく消える。何か力を使った様子もない。いったいどれだけの速さで振ればそんな芸当が出来るのか。

────やばい!

 足は動かない。もう一度あれを喰らえば三日はもう起き上がれないだろう。そうすれば私の異変はそこで終わりだ。

 だけど、別にそれでもいいのではないか、と誰かが囁きかける。自分が解決する必要などないのだろう。この仙人が強いのならそちらに任せてしまえばいいだけの話ではないか。そっちの方が解決される可能性は高い。別にヤツフサが元に戻れば、私が出る幕など最初からないのだから。そう意識を手放しかけたとき、私の前に別の影が立ちはだかった。

「こころ!?」

「む、私に任せきゃあ!」

 呆気なく吹き飛ばされるこころ。力をうまく受け流したおかげで大怪我には至ってなさそうだがそれでも無謀が過ぎる。どうしてそんな危険なことをしたのだ。だけど、そのおかけで私は間一髪構わず突っ込んでくるそれを避けることが出来た。ようやく身体も治ってきて、唯一痛みの惹かない頭を抱えながら立ち上がる。

「何無茶やってんだよ」

「私は妹紅の味方するって決めたから!」

 馬鹿か、と叫びたくなって気付く。少なくともここに一人、私が勝つことを願っている相手が居るのだと。いや、彼女だけではない。命蓮寺も、腹が立つが永遠亭の奴らも私にボールを持ってきてくれた。霊夢に渡したって構わないのに。色々手伝ってもらっているのだ。諦めるのはまだ早い。

「アンタ、ボールは今何個持ってるんだ」

「ここに七つ全部あるわ」

「なるほど、じゃあアンタを倒せばそれで全部ってわけだな」

「まだ諦めてないの? 人間の中では強い方なのは認めるけど。勝ち目があるとでも?」

「さあねえ」

 ここまで絶望的に倒せないと思えた相手はこれで二人目だ。だけど、あの時とは違う。あの時よりも私には力がある。あの時だってどうにかなったのだ。

 炎を作る。今度は丸ではなく、細く細く、霊夢の使う針のように。大きな塊を小さく圧縮していく。もちろん相手が完成を待ってくれるはずもない。むしろ作っている今を好機と見て攻めてくる。一撃一撃が必殺のような重さ。当たるわけにはいかない。掠っただけでも大怪我だ。体は治っても受けたダメージは消えない。もう一度でも喰らえば終わりだと分かっているいる。だがそれがどうした。一発当たれば終わりだなんて弾幕ごっこと同じじゃないか。怖がることなんて何も無い。

「先ずは一本」

 完成した炎の鎗とでも言うべきそれを掴む。掌が焼けて、蓬莱人の特性と相殺される。大ぶりに振り回された拳を避けて心臓目掛けて振り抜く。どうせこんな化け物が死ぬはずは無いのだ。やりすぎな位が丁度いい。事実、苦悶の表情を浮かべるだけで倒れそうにはない。

 ならば、倒れるまで突き刺してやるだけだ。すかさず私はもう一本の作成に入る。足払いを跳んで避け、視界を広く取るために距離を取る。今度は目を離さないままで、こころに呼びかける。

「こころ、下がってろ」

「でもっ」

「ちょっと巻き込んじゃいそうだから」

 しばらくして分かったと小さな声が聞こえた。これで憂いはない。これから試す技は周りにどれだけ被害が出るか分からない。私にコントロール出来るかどうかも曖昧だ。

「さあ鬼さんこちら、手のなる方へ!」

「き、さまぁ!」

 わざとらしく、相手を煽るように動いてみせる。こころから意識を離すため、私に注意を集めなければならない。炎の鎗二本目投擲するが、これは流石に避けられる。当たってくれれば有難かったのだがそう上手くは行かない。

 段々と乱雑になってくる攻撃を必死に避けながらこころが下がるだけの時間を稼ぐ。相手が疲れたというよりも面倒、苛立ってきているだけだ。相手はまだ崩れそうにない。

「三本目ぇ!」

 これは命中、肩口を切り裂いて地面に突き刺さって消える。だが、止まらない彼女の包帯が私の体を縛り付けた。そのまま振り下ろそうと引き上げられる。ここでやられては全てが水の泡。これで負けるわけには行かない。私は即座に炎で刀を作り出して包帯を切り刻む。

「隙ありぃ!」

 着地した瞬間、待っていた茨華仙の攻撃が私の体の芯を捉えた。完全に膝が動かない。だけど、まだだ、私はその腕を掴む。鬼のような怪力で振り回された拳に必死で食らいつき、胸元を掴んで引き寄せる。

「捕まえた!」

「なっ」

 そして私たちの周りを爆炎が包み込んだ。

 




だいぶ深秘録編も大詰めになってきました。


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ひねくれた回り道

終わりが見えてきた深秘録編。今回は当然あの子の登場です。


「おお、飛んだ飛んだ」

「いやー、やっぱり習得するの早いですねえ」

 地に足がつかない感覚が心地好い。飛ぶのってわりと楽しいな。妹紅達が歩きたがらないのも分かった気がする。ただ、だからといって普段から飛んで移動するかと言われるとそうする気は起きないんだけどな。例えるならアレだ、子供の頃によく乗った一輪車とか竹馬だ。乗るのは楽しいし移動手段に出来なくもないけど使おうとは思わない、そんな感じ。

「この調子ならそろそろ気力を分け与えなくても大丈夫そうですね」

「マジで?」

 これであの地獄のような修行からは開放されるのか。いや言うほど心折られたわけでもないけど。

「異変が終わったら妹紅さんに迎えに来てもらいましょうか」

「異変、まだ終わってないのか」

「ええ、そのようですよ」

 異変がどんなものなのかは未だに知らないが、妹紅が危険な目にあってなければいいな。不死身と分かっていても心配なものは心配なのだ。あいつは結構一人で抱え込んじまうからな。会いに行ってやりたいが、あいつの意思を無視するわけにもいかない。

「とりあえず、今日はこれで終わりにしましょう」

「やったぜ」

「自主練は」

「やりません」

 強くなりたいわけじゃないからな。飛べるようになっただけで儲けもんだ。それに他にやりたいこともある。

 何はともあれ先ずはシャワーでも浴びようか。門番に戻る美鈴に軽い挨拶をして俺は館に向かった。

 

 

「ん・・・・・・あれ?」

 視界がぼやけて何も見えない。えーと、何をしていたんだっけ。ヤツフサが倒れて、異変解決をしようとして、変な仙人と戦って。そうだ、確かその仙人がむちゃくちゃ強かったんだ。それで最後苦し紛れに自爆したんだっけ。たぶん今は目を覚ましたとこなのだろう。隣に誰かいるようだが誰か分からない。

「目を覚ましましたか?」

 声が聞こえて、ぼやけた視界のまま起き上がる。やっと目が治ってきて、あのピンク仙人の姿が目に入った。服は所々破れたり煤けたりしているが、本人にそこまで大きなダメージは入っていないようだった。つまり、私は負けたのか。最後の切り札も効かなかったのだ。敗北という他ないだろう。隣に居たのはこころ。逃げろと言ったのに逃げなかったのか。いや怪我はしてないから私が気絶してからやってきたのだろう。今は眠ってしまっている。

「本当なら私が行くべきなのですが。今回は貴方に譲りますよ」

「え?」

 急に言われて何のことだ、と少し考えて異変のことだと理解する。負けた私にチャンスをくれるというのだろうか。

「八雲紫が貴女を推したのよ。一度外の世界に行っている貴女の方が適任だと」

「紫が・・・・・・!?」

 あの胡散臭い妖怪が私の味方をしてくれたというのだろうか。それは非常に考えにくい。でも、私が外の世界に迷い込んだのを知っている相手はそう多くない。ヤツフサと紫と、後は酔った勢いで口走ってしまった神奈子、それくらいだろう。それに仙人が嘘をついているようにも見えない。

 私としては不本意なのだけれど、と茨華仙は目を逸らす。それはそうだ。私に勝ったのに権利を取られてしまったのだから。それはそれで申し訳なく思うけれど、でも譲られた権利を放棄するつもりは無い。

「それと、ご友人にも感謝しておきなさい」

「友人って、こころのことか」

「すぐに戻ってきて貴女のことを心配してたわよ」

「そっか・・・・・・」

 私の体質を知った上で心配してくれる奴なんてそう多くない。慧音でさえそれに関しては大丈夫だろうとたかをくくっているのだ。他の奴らは不死身なら痛みも感じないとでも思っているようだ。私のことを心配してくれたのも、ヤツフサと、こいつくらい。

「ありがとうな」

 まだ眠ったままのこころの頭を撫でてやる。最初は面倒くさいとも思ったが、なかなかどうしていい奴だ。命蓮寺も聖徳太子もこれに毒気を抜かれたのだろうか。まあ気持ちは分からなくもない。

 さて、と。私はこころを起こさないようにして起き上がる。身体はもう完全に治っていた。どれくらい寝てたのか、と聞くとせいぜい数時間程度だ、と返ってくる。思っていたよりも短い。止まったと思っていた私も成長しているのだろうか。それとも外傷はあまり無かったのが大きいのだろうか。まあいい、どちらにせよ問題なく動けるのだから。

「それじゃあちょっと行ってくるよ」

「気を付けてね。外の世界は危険だと聞くので。それとあまり暴れないように」

「あいよ。それに、言うほど危険でもないよ」

 ああでも、しんごうには気を付けないとくるまに轢かれるか。そこら辺の知識はヤツフサから教えてもらった。それ以外にも外で暮らす時に必要な知識はいろいろ教えてもらったと思う。

 ふと、戻ってきたらヤツフサに会いたいな、とそう思った。

 

 

「ヤツフサー、何読んでるの?」

「ちょっと借り物の本をな」

「パチュリーから?」

「いや、違う」

 俺の手にあるのは結構前に霖之助から借りた本。以前からちまちまと読み進めてはいたのだが、ここになって纏まって読む時間を持つことが出来たのだ。内容はややこしい理論が延々と説明されているもので半分も理解出来ないが、あの店主が役に立つだなんて言ったものだから騙し騙し読み続けている。これで何にもならなかったら角であの色男の頭をぶっ叩いてやろう。何、半妖だから心配ないだろう。

「悪いけどこっちに集中したいんだ。こあが遊んでくれるってよ」

「えっ八房さん」

「はーい、こあー遊ぼー」

「ええええ!?」

 フランのことを小悪魔に任せて俺は再び読書に戻る。数百ページの大作だがこれでようやく最後の章だ。それは他の章の半分位の薄さしかない。まとめということなのだろう。

 結局分からなかった結論がいったいどんな物だったのか。ページをめくる手が速くなる。ざっくばらんに読んでしまっているが仕方の無いことだろう。知りたいのだ。自分では分からなかった答えを見たい。そのために自分はこの本を読んでいるのだから。

「・・・・・・はっ?」

 めくる手が止まる。恐る恐る次のページを開いてみるが、そこにはもう何も書かれていない。本の奥付が乗っているだけで、筆者の意見も意図も何も無い。慌ててページを前に戻して書いてある文言に目を凝らす。間違いない。これが結論だ。

「はっ、ははは」

 乾いた笑いが止まらない。なんだよ。なんかもう全部馬鹿らしいじゃないか。そこに書いてあった結論はただ一言。『人は理屈では語れない』とだけ。それが答えなのか。俺が今まで幾ら考えても答えが出なかったのはそのせいか。考えようとしている時点で無駄だったのか。余りにも遠い回り道だ。だけど自分の生き方は、まるでこの本と同じ。ぐだぐだと訳の分からないことばかりつらまえて本質を全く見ようとしていなかったんだ。

 行かなきゃ、今すぐ妹紅に会いたい。結構我侭聞いてるんだから偶にはこっちの我侭も聞いてもらおう。本を置いて立ち上がる。図書館では小悪魔がまだフランに追いかけ回されていたが関係ない。大図書館を出て廊下ですれ違った咲夜にちょっと外出するとだけ告げる。屋敷から門を出ようとすると、目を瞑ったままの美鈴に話しかけられた。

「行くんですか?」

「お前はいつも見透かしたような言い方するよな」

 それこそレミリアみたいに、運命でも見透かしているかのように。

「八房さんがそれだけ分かりやすいんですよ」

「そうか、そうかもな」

 それ以上は何も話さない。言うだけ意味がないから。俺は行ってくるとだけ告げて紅魔館を後にした。

 

 

「っつう、やっぱ煩いなあ」

 くるまの鳴らす音に耳を押さえる。排気音だっけ、始めてきた時もやっぱり煩かった。しばらくしたら慣れたけど、やはり何度聞いても気持ちのいいものじゃない。ヤツフサが言うことには好んでこの音を大きくする人も居るようだけど理解不能だ。他人の趣味に文句を言うつもりもないけど。

 それでもヤツフサの住んでいた地域と比べるとくるまの量は少ないようだった。天に届くかという高い建物の数も少ない。つまりあそこと比べると人が少ない、ということか。きっとそういうことだろう。しかし人通りはけして少ないわけじゃない。じろじろと私の顔を見て通り過ぎていく人が多いのは、白い髪が珍しいのか。ここの辺りは髪を染めている奴が居ないのだろう、黒髪ばかりだ。

「さて、異変の張本人を探さないとな」

 残された時間はあまり多くないらしい。感傷に浸るのもこれまでにして、さったしと黒幕をぶちのめして帰ろう。その黒幕はどうやって見つけようか。あんなことやってのけるのだから当然近くにいるはずだが。

「釣れた釣れた、大量だー」

 行き交う人の話し声の中でその台詞だけやけに耳に残る。声がした方を向くと奇天烈な格好をした女が立っていた。紫の服に変な帽子。ってもだいたい幻想郷の連中も変なの被ってるからそれは別にいいか。慧音のに比べれば普通だ普通。

「で、アンタが異変の犯人か?」

「異変? ああオカルトボールの件か」

「そうだ、その件だ」

 あんまり驚いてないのねえ、と少女はつまらなさそうだ。そりゃ確かに願いが叶うなんて思ってたら驚くかもな。でも既に嘘っぱちだって気付かれてたぞ。まだまだだな。

「しかも幻想郷には何の変化も起きてないみたいだし」

「幻想郷を壊すのが目的だったのか?」

「ううん、私は幻想郷の秘密を暴くのが目的よ」

「秘密?」

「そう、そのために結界が邪魔だった」

「やっぱり壊そうとしてんじゃねえか」

 詳しくは知らないけれど、結界が破壊されれば幻想郷を維持することは出来なくなる。まあ多少は持つからその間に紫が何とかしてくれるだろうが、自分のしたことがどれだけ危険かも知らない奴だ。

「見ていて腹が立つな」

「おお怖い。幻想郷の奴らってのは好戦的なのね」

「そうだな。特にお前みたいにぬるま湯に浸かってそうな奴はな」

「ぬるま湯だなんて失礼ね」

 女が眉を顰める。ぬるま湯と呼ばれたのがお気に召さないようだ。だけど、こんな奴のせいでヤツフサがあんなに苦しんだのかと思うと殺意すら湧いてくる。暴れるなとは言われたけれど、少し異変の黒幕だ。少しくらい遊んでやってもいいだろう。

「問題抱えまくる現代社会の息詰まる学校生活。それを経験していない奴に何が分かる。幻想郷の奴はどうしてこう相手を侮るのかしらね」

「実力差って奴だな」

「人類の叡智か歪みが生んだ悪魔か。どちらが優れているのか試してみなさい!」

 そう言って女が懐から取り出したのは変な玩具。それを鈴仙みたいに私に向けて構える。となればその後も同じだろう。すぐさま攻撃が通るだろう場所から離れる。その直後に高速で何かが通過していった。鈴仙のと違って実体がありそうだ。当たらないように気をつけよう。こちらからも何か反撃をしたいのだが、殺してしまうのは寝覚めが悪い。というより絶対にヤツフサが怒る。どのくらいなら死なないかといった手加減は苦手なので、持っている武器を全部壊してしまおう。私は考えると同時に極小の火球を打ち出して弾を発射した玩具を破壊した。

「人類の叡智とやらはその程度か?」

「まさか!」

 今度はスカートのポケットから何か取り出す。あれは確かヤツフサも持っていたすまーとふぉんとか言うやつだ。それで何をするつもりなのか。少なくとも攻撃に使えるような機能はなかった筈だが。

「くらえ!」

 それを片手間に操ると、周りの物体が宙に浮き始める。それと忘れていたけど周りには関係無い人間が居るのだ。これはヤバい。ヤツフサと同じように、他人に知られて幻想でなくなってしまうのは避けたい。

 私は炎の壁でこの女と私を包んでしまう。そしてそのまま上空へ火を球体のようにして浮かび上がらせる。驚いた女も飛んで着いてくるが、浮かしていた物体は入ってこれない。まあこんな無粋なことをいつまでもするつもりはない。ある程度上昇したところで炎を解いてやる。

「何してくれんのよ」

「他人に見られると面倒だからな」

「ふーん、何よその余裕」

「余裕じゃないさ。この勝敗なんかよりよっぽど大切なことだ」

 挑発ではあるけれど、全くの嘘でもない。こいつを倒して幻想郷の崩壊を防いだところで、外の人間に周知されてしまっては本末転倒だ。

「馬鹿にして!」

 怒りをあらわにして女がこの上空にまで物体を浮かせてぶつけようと振り回してくる。凄い力だが、一つだけ言いたい。それすまーとふぉん関係無いだろ。ただの能力じゃないか。物を動かす程度の能力とかそんなのだろうか。この程度じゃ弾幕ごっこにもなりゃしない。上下左右から飛んでくる瓦礫をほいほいと避け続けるとさらにヒステリックになりながら叫んでくる。

「ちょこまかと!」

 ちょっと煽り耐性がなさ過ぎるんじゃないのか。私でももう少し耐えられるぞ。短気だということは理解しているがここまでじゃない。それに怒ったら狙いが甘くなってむしろ避けやすくなる。霊夢みたいにキレる程強くなるようなのもいるが、こいつはそうじゃないらしい。

「燃えろぉ!」

「私に対して燃えろってのはいい冗談だな」

 幾らぶつけてもキリがないと分かって今度は火の玉を飛ばしてくる。物を動かすだけじゃなくてそんなものを飛ばすことも出来るのか。でも、私に火で喧嘩するとはいい度胸だ。地獄鴉でもないなら、私に火で勝てる奴なんてそうは居ない。勝てそうな相手を知ってしまっている時点でかなりアレだけど。とにかく、そんな出力の低い炎なんて腕の一振りでかき消える。茨華仙みたいな力任せじゃない。能力を使った気軽な行為だが、相手には奇っ怪に映っているらしい。なんでよ、肩をわなわな震わせているのが見える。

 ああ、こいつは弱い。能力は強力だし戦い方も悪くないけど経験が足りないし、何よりこんな激情家じゃ勝てるものも勝てない。

「止めときなよ。そろそろアンタも疲れてきてんじゃないの。肩で息してるよ」

 降伏をうながすが、相手にそのつもりは全く無いようだ。そりゃそうか。ヤワだったらこんな異変起こさない。まあ力がなくなるまで待ってやりますか。破壊力も落ちている。持久戦になれば私の方が有利なのだから。

 




八房、ようやく腹を決める。


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「おかえり」「ただいま」

 ここ、か。話を聞いたらしい文に教えてもらった場所に全力で走って辿りついた。人里の道からも迷いの竹林からも離れた、誰も寄り付かないような場所。確かにあいつが好みそうな場所だ。しかしそこに妹紅は居ない。壁に寄り添って瞑目しているお団子頭の少女と、絶えず落ち着かなさそうに歩いている少女が居るだけだ。そわそわしている方の少女は見たことがあった。詳しくは知らないが命蓮寺に居た子だ。

「どちら様でしょうか」

 寄っかかってる方の少女から警戒の色を込めた質問が飛んでくる。いつの間にかじっとりとこちらを見据えていた。そりゃいきなりやってきたら警戒もされるか。俺は隠すことなんか無いから聞かれたままを全て答える。

「若丘八房という人間だ。妹紅は何処に居る?」

「貴方に教える義理があるでしょ・・・・・・」

「妹紅なら外の世界に行ってるぞ」

「・・・・・・こころさん」

 お団子頭の方が呆れ声で注意するけれど、そわそわしていた無表情の方は悪びれる様子もない。それより、

「外の世界?」

 外の世界、つまり俺が住んでいたあの世界ということか。何故そんなところに。異変解決をしていたのではないのか。いや、誰だかは知らなくともここで待ってくれているのだから、外の世界に異変の首謀者が居た、ということだろう。そしてこの二人は妹紅の協力者ということか。

「貴方は何者なのですか。ただの人間が何故このような所に」

「理由が無くちゃ来ちゃいけないのか」

「理由も無いのに来たのですか?」

「・・・・・・あると言えばある」

 だけどたいした理由じゃない。妹紅に会いたくなったから来た。それだけの話だ。そんな他の妖怪どもじゃないんだから企みごとなんて無理だ。

「それよりアンタは何者なんだ。妹紅の知り合いなのか?」

「私は茨華仙。妖怪の山に住む仙人です。妹紅さんが既に行っている状況でなければ、貴方みたいな無謀者を危険から遠ざけるのですが」

「危険?」

「ただの人間が異変に参加してもろくな事にならない」

「俺は別に異変に関わりに来たわけじゃないんだが」

「ならば何故ここに。来る必要が無いでしょう」

「妹紅に会いに来た。それだけだ」

「は?」

 茨華仙さんとやらの口が止まる。そんなに驚くことか。いや驚くことだな。そのためだけにここに来るなんてどうかしているのかもしれない。でも別にいいじゃないか。俺は妹紅が好きなんだから。理屈とか考えなくてもいいんだ。

「あいつはここに出てくるのか」

「え、ええ」

「じゃあ待たせてもらうか」

 茨華仙とは別の木の根元にどっかりと腰を下ろす。いったいどれくらい掛かるのか知らないが、ここから動くつもりは毛頭なかった。

「ほ、本当に妹紅さんに会いに来ただけなのですか?」

 慌てて茨華仙が聞いてくる。慌てたというより驚いたというか、感情では動かないだろうみたいなそんな顔だ。普段の俺ならそれでも間違ってないような気もするけど。

「それ以外に何か理由が必要か」

「何故妹紅さんに会いに」

 何故って、そりゃあ。

「あいつのことが好きだから」

「は?」

 なんだよさっきから鳩が豆鉄砲食らったような顔ばかりして。来る理由なんてそんなもんで充分じゃないか。あいつの顔が見たくなっただけだ。

「私も妹紅のことが大好きだぞ」

「そうなのか。愛されてんなあ妹紅も」

 うろうろしてた少女も賛同してくれる。なんかお面が浮かんでいるがそういう妖怪なのだろうか。こころと呼ばれた少女はそうやってくるくると回る。目が回らないのか、少女は楽しそうだ。

「そういえばお前見たことがある」

「お前じゃなくて八房な。名乗ったんだから名前で呼んでくれ」

「分かったぞ八房! そして私は秦こころだ」

「そうか、よろしくこころ」

「おう!」

 握手を求めてきたので握り返す。見たことがあるってのはやっぱり命蓮寺でのことだろう。まあもしかしたら人里でもすれ違っているかもしれないが、とにかく殆ど初対面の相手でも信頼してくれるらしい。

「前に妹紅と一緒に歩いてるのを見た」

「そうだったのか」

「妹紅さんと、なるほどそういうことですか」

 茨華仙は一人で勝手に得心がいったらしい。こっちに問題が飛び火しなけりゃ何考えてても構わないので、どういうことなのかは聞かないことにする。

「あいつは上手くやれてんのかねえ」

「やってもらわないと困ります」

「それもそうか」

 考え事をしていたのに、すぐ返事が返ってくる辺り茨華仙も心配してくれているのだろう。ただ俺達に出来ることは待つだけだった。

 

 

「私の、負けなのね」

「まあそういうこった」

 目を覚ました女が悔しそうに涙を滲ませる。私に一撃も与えられなかったんだから、本人も認めざるを得ないのだろう。疲労が限界まで達して、動くこともままならないようだ。普段あんなに能力を使うこともないんだろうし、あのペースで使い続ければそりゃ潰れるわな。だけど、私の仕事はこいつをとっちめることでもあるけれど、何より今起こっている異変を解決するのが一番大切だ。今言ったら逆上させそうなので言わないけれど、しばらくしたらやってもらわないといけない。結構時間を使ってしまったから足りるかどうか。いや別に私はこっちに残されても多少は大丈夫か。

「私がこんな何も知らなさそうな奴に負けるなんてね」

「何も知らないってなんだよ」

「そのままの意味よ。親に期待されて、友達なんて関係強要されて。自分のことを理解もしない奴と仲良くなんてなれないわ。でもアンタ達はそんな社会なんて関係無しに勝手気ままに暮らしてるじゃない」

「あのなあ」

 そんなわけないだろ、と言い返してやりたいがそれでは売り言葉に買い言葉だ。それに実際こいつの苦労なんて分からないのだから的外れって訳でもない。だから私は代わりに別の話をした。

「なあお前。名前は?」

「何よいきなり」

「いいから」

「・・・・・・宇佐見菫子よ」

「そうか。菫子、私の知り合いにも外の世界からやってきた奴が居てだな」

 そうして私はヤツフサの話をしてやる。といっても本人から聞いただけの受け売り話。私には分からないけれど、あいつだって似たようなことを何度か言っていたから。もしかしたら似ている存在なのかもしれない。だってどっちもただの人間じゃない。生まれ持った能力を持ってしまった人間なんだから。受験ってものの話も聞いた。危険なことをするなと理不尽に怒られた話とか、高校の時は学校の先生が無駄話ばかりするもんだからサボって図書館に行っていただとか。私にはいまいちよく分からなかったけど、こいつには共感出来るところもあるんじゃないだろうか。そしてヤツフサの体質も軽く説明した上で、本当に言いたかったことを言ってやる。そうやって昔の話をされた時に、あいつから言われた事で一番記憶に残っている話。あいつがどれくらいの年の頃だったのかは教えてもらってないけれど、ずっと感じ続けていたことなんじゃないかと思う。その時だけ凄い悲しそうに見えたから。

 友達と遊んでいると、唐突に自分と彼らは違うんだ、って気持ちが沸き起こってくることがある。それはもちろん体質によるものなのだけれど、それに感じるのは優越感なんかじゃなくて、むしろ劣等感と孤独感ばかりだって。一人だけ取り残されて、周りの奴らはそんなこと欠片も考えていないはずなのに自分のことを置き去りにしているように見えるんだって。だから、どんなに特別だからってそれはプラスにならない。群れなくていいんじゃなくて群れられないだけなんだって。その言葉は私にも突き刺さるものだった。そしてきっとこいつにも突き刺さる。

 ヤツフサがあんなにも簡単に幻想入りを決めたのは根底にそれがあったんじゃないかって思うから。こいつにも同じ感情があって、違いはただ誘いが来たか来てないかだけの違いなんだろうって。

「そんな人も居るのねえ」

「ちなみに受験は一番辛かったけど充実してたとも言ってた」

「マジで?」

 私は辛かったんだけどなあ、と愚痴る菫子にはさっきまでのような刺々しさはもう感じなかった。もしかしたら仲間が欲しかっただけで、自分と同じ境遇の相手が居たから納得したのだろうか。私としてはこれで異変が解決されるならいいのだけれど。

「さて、そろそろ私も戻らないと」

「幻想郷に?」

「そう。戻ったら会いたい人も居るし」

「ほほう」

 何気無く言った言葉に菫子が目を光らせる。なんだかにとりと似た雰囲気がして嫌な予感しかしないんだけど。

「恋人ですか」

「な、なんでそうなるのかな」

「いやー、幻想郷行ってこんな可愛い子と恋人なんてその男が羨ましいねー」

「なんでそこまで!?」

 そもそもヤツフサの名前も性別も言ってなかった筈なのに、どうしてそこまで言い当てられたのだろうか。やはり超能力を使う程度の能力、恐ろしい。そんなことまで読み取ってしまうなんて。

「いや能力なんて使わなくても分かるわ」

「えっ」

「だってその人のこと話してる時すごい楽しそうだったもん」

「た、楽しそう?」

「あー、これは恋しちゃってるんだなーって思いますよもう」

「え、えとあと、その」

 なんて返せばいいんだろうこの場合。違うって言うのは嫌だし、ああでもまだちゃんと話してもいないしだから恋人ではないけどいやそうなりたいとは思ってるしええとええと。

 そんな私の様子を見て菫子がちょっと声を潜める。

「もしかして、片思いの段階?」

「そ、そんな感じ」

「へーえ」

 ヤツフサが私のことをどう思ってくれているのか。まだちゃんと言葉で聞いたことないし。嫌われてはないと思うけど、まさか子供扱いされてたりしたら。いやそしたら怒るけど。

「それならもうアタックするのみよ! 帰ってきたら抱き着いて、耳元で愛を囁くの。それでもう殆どの男はイチコロよ!」

「いやいやいやいや無理だって!」

 そんなことしたら恥ずかしくて死んじゃう!

「アタックよアタック。聞いただけなら結構いい男だしいろんな所から狙われてるかもよ」

「そ、それは」

「否定出来ないでしょ」

「うぐっ」

 確かにヤツフサは色んな奴から好かれてるような、紫もお気に入りみたいだし私の知らない間にも色んな奴と会ってるみたいだし。いや駄目だ考えたら潰れる。話を変えなきゃ。

「そ、そういうお前はどうなんだよ」

「えっ私?」

 苦し紛れだったんだけど予想外に効果があったようだ。わざとらしく目を逸らすということは何かあるのかも。

「悲しいくらいに何もありません」

「あっ・・・・・・すまん」

 何も無かった。一気に場が暗くなってしまう。そういやそんな相手が居たらこんな異変起こしたりしないか。

「も、もう時間だ! 私はあっち(幻想郷)に帰るよ」

「えー、もう少し話してましょうよ」

「そういうわけにも行かないんだ」

 時間ギリギリ、これ以上居ると戻れなくなってしまう。しかもこれから冬になるのだ。紫に頼んで連れて帰ってもらうということも出来ない。

「今度幻想郷の管理者にあったらお前のこと話しておくよ。もしかしたら連れてきてくれるかもしれないしな」

「あっ、待って」

 呼び止められて振り返る。どうでもいい話だったら、無視して帰ろう。

「なんだ?」

「名前まだ聞いてない」

「ああそっか」

 こいつにだけ名乗らせて私が名乗らないも悪い。いつかまた会うかもしれないのだから。

「私は藤原妹紅。縁があったらまた会おうな」

 手を振ったその瞬間、周りの景色が目まぐるしく変わる。幻想郷に戻ろうという力が働いているのか、なんとなく気持ちが悪いけれど、嫌という程でもない。むしろ心地好い。前に乗ったジェットコースターのようだ。

 でかい建築物が消えていき、景色に木々が多くなってくる。ぐるぐるしていた視界が止まり、戻ってきた場所にはちゃんと茨華仙とこころ、そして────

「えっ?」

 ヤツフサが居る。どうして、紅魔館に居たはずじゃ、確かに会いたいとは思っていたけど、なんでここに、居るはずがない。混乱する私を元に、ヤツフサはゆっくりと私に近付いてくる。手を差し出すよりもなお近く、キスをするよりもなお近く。ヤツフサの腕が私を強く抱き締めた。暖かい、ちゃんとヤツフサだ。私の見ている幻覚じゃない、鼓動の音だってちゃんと聞こえる。はは、凄い早くなってる。それはきっと私も同じなのだろう。だって同じ気持ちなんだって分かるから。

 抱きしまえばイチコロだって菫子は言っていたっけ。確かにその通りだ。やられた私がこんなに嬉しいんだから間違いない。それでもキスの一つも出来ない辺り、私もヤツフサも結構な奥手なのだろう。

「・・・・・・おかえり」

「ただいま!」

 八房も何かに吹っ切れたのか、いつもより何倍も明るい声でこっち嬉しくなる。涙が出ているのも嬉しいからだ絶対に。

 この日初めて、私は八房にただいまと言った。

 



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夢の中でも今は今

異変は終わりましたがこの章はもうちょっとだけ続きます。


「痛たたた・・・・・・」

 目が覚めると同時に背中に痛みが襲ってくる。今まで紅魔館でのふかふかベッドに慣れてしまっていたから、久々の床は体に悪かったらしい。そういえば初めて来た時からずっと布団を手に入れようと画策していたのに結局買わずじまいだったな。やっぱり今度買いに行かなければ。

「えっへへー、珍しく私の方が早起きだな」

 どうにかスペースを取って作った台所では妹紅が炊き上がったご飯をよそっている所だった。時間はだいたい朝の五時半。こいつらしからぬ早起きだ。それに食べることに無頓着だったこいつが自分から料理を作るなんて、変わったものだ。俺も、あいつも何か切欠があったってことなんだろう。

 三日。異変解決から既にそれだけの日にちが経っていた。茨華仙とこころに見られてあることに気付いた妹紅に突き飛ばされて気絶したり、紅魔館に改めてお暇することを告げに行って、そのまま晩餐で酔い潰れたり。傍らにはいつも妹紅が居て、ようやく俺にとっての日常が戻ってきたと言える。ただ変わったことと言えば、俺と妹紅が恋人同士になったことだろう。

 この家に戻ってきた夜。俺の方から改めて妹紅に告白した。どんな言葉だったのかは思い出せるけれど余りしたくない。恥ずかしさで顔が熱くなってしまうから。同じ理由で妹紅の反応も、忘れることは無いけれど、思い出すことも滅多にしないだろう。一々顔に出てしまうのもつつかれてしまって心臓に悪い。自分達の心の中に仕舞っておくのが懸命だろう。関係自体は別に構わないのだから、当の出来事を紫が知っているのかどうか後で探りを入れなければ。あと文の方にも。

「筍ご飯か」

「この辺りはやっぱりたくさん筍取れるからね」

 毎食は流石に御免だけどね、と妹紅が笑う。こんな何気無いことで妹紅が笑うのを見るのは久し振りだった。ずっと思い詰めたような顔をしていたから。いや、それは俺も同じか。元から笑うのは少ない方だと自覚しているが、紅魔館に居る間は特に笑ってない。いつも心の片隅に妹紅に心配をかけさせてしまったって考えていたからだろう。

「頂きます」

 以前になんとか買い揃えた卓袱台に面を合わせるように腰を下ろして、両手のひらを合わせる。うん、朝に恋人に飯を作ってもらうのも良いものだ。特に自分で作る必要が無いというのも大きいが、まあそれはさておいても嬉しいものだろう。妹紅作の料理なんて食べたことなかったからちょっと一口目は警戒しながらだったが、普通に美味しかった。面倒臭がってるだけで料理出来ないわけじゃ無かったんだな。筍ご飯は滅多に食べない、ってのもあって珍しくお代わりまでしてしまった。

「今日はどうするの?」

 食べ終わってから妹紅が聞いてくる。今日は夜に異変解決の宴会を博麗神社でやるらしい。立役者である妹紅が呼ばれないはずもなく、ってかむしろ主賓としてお呼ばれしているのだから行かない選択肢はない。ノーの選択肢があったところで、宴会大好きな幻想郷の住民が選ぶはずもないけどな。

「ま、夜まで適当に時間を潰すか」

 妹紅もそれは分かっているので、どう答えようか悩む俺の返事を待たないで一人で勝手に決めてしまった。

「そうだな」

 そしてもちろん俺も特に反対することもない。時間を潰すなんて提案に反対も何も無いのだが、この場合は目処が立ってないという意味だと取ってもらおう。

「人里にでも顔出すかね」

 気軽に訪ねられて、なおかつ時間を潰すのに最適なのは慧音のところか。或いは紅魔館だけど、こないだお暇させていただいたのにすぐ遊びに顔を出すのもなんだかなあ、なんて考えていたら、乱暴にドアがノックされた。誰だろう、こんなノックをする相手には覚えが無い。慧音ならもっとゆっくりだし、文ならもっと丁寧だ。乱暴ではあるけれど焦っている様子もない。っていうかそれなら普通に入ってくるだろあいつらなら。全く思いあたりが無いが、無視するわけにもいかないので俺がドアを開ける。そこには見知らぬ少女が無駄に自信満々な様子で立っていた。

「おお! 知らない男の人が!」

「ええと、どちら様?」

「え、その声は」

 初っ端から文並みのハイテンションではしゃぐ少女と、覚えがあるのかあっと声を上げて二の句が告げない様子の妹紅。ふむ、知り合いか。見た目だけ見れば外の世界の制服みたいな服装に何故かマントと黒い帽子。歳は女子高生くらいか。外の世界、見覚えなく妹紅と知り合い。そして妹紅がこいつの来訪に驚いている。まさかとは思うが、こいつが異変の首謀者だったりするんだろうか。

「菫子! なんでこっちに!?」

「なんか知らないけど寝たら来れるようになったのよ。それより、この人がかのヤツフサさん?」

「俺がどうした。でお前は誰だ」

「ああ、八房。こいつは今回の異変の黒幕の」

「宇佐見菫子! 東深見高校の一年生です!」

 おうおうテンション高いな。ちょっと気圧されている。そしてやっぱり異変の黒幕か。外来人なのに御苦労なこった。俺だったら間違っても喧嘩売ろうなんて思わない。手を出しちゃいけない相手だって知ってるからかもしれないが。

「東深見っていうと、神奈川だっけか」

「お、知ってるんです?」

「まあ一般常識くらいには」

 といっても地名で推測しただけで、神奈川のどの辺りにあるのかも知らないけどな。行ったことない場所なんて分かるはずもない。

「とりあえず、立ち話もなんだ。この家は落ち着いて話せるような場所でもないし、観光も兼ねて人里にでも行くか」

「人が住んでる場所なら行ってみたい!」

「でも、ここからだと歩きで結構かからない?」

「え、歩くの?」

「そこで質問をしないでくれ」

 一般人は飛べないんだ。というかこの子は飛べるのか羨ましいなおい。俺も修行の結果飛べるようにはなったけど、それでもまだ苦手なんだぞ。

「一応飛べるようにはなったから飛んで行こう。俺が遅れたら置いてっていいから」

「飛べるようになったんだ」

「多大な犠牲を払ってな」

 およそ数十人の俺というな。

 結局飛んで行くことに決まった。時間も短縮できるし、俺も飛ぶのには慣れとかないと絶対に辛いからな。個人的には、歩きが好きなんだけどなあ。

 何処に行くかについてだが、朝飯食った直後だから腹は空いてないんだが落ち着いて話せるところとなるとやはり食べ物系になるか。かといって定食屋みたいなガッツリ系は合わないだろうし、甘味処以外の選択肢は無さそうだ。蕎麦屋の前の団子屋か、羊羹の店か。それともやっぱりおやっさんの所にお世話になろうか。決めきれないので行ってからまた考えようとそこで思考を打ち切った。

 

 

「ってことは八房さんは不死身なの?」

「まあな」

 目をキラキラさせながら、机を乗り上げて聞いてくる菫子にちょっとだけ仰け反る。ここまで食い付きが良いとは思わなかった。不死身という言葉に万能感でも感じているのだろうか、そんな都合の良いものではないのに。それに、そもそも俺の隣でお茶を飲んでいる妹紅だって蓬莱人なんだから立派な不老不死だ。しかも能力的には俺の完全上位互換。ま、現代人の能力だからってことの方が大きいのだろう。

 結局悩みに悩んだ末におやっさんの所へまた来ることになった。他の人が本当に来ないからな。おやっさんには悪いが、わりと都合が良い。そんなの気にしない人だし。ただ寛太を紅魔館へ遊びに行かせているのは気にしなさすぎるんじゃないだろうか。紅魔館の奴らは皆いい奴だし大丈夫だとは思うが、万が一ということもあるのではないか。と、そんなことは今は関係無く、俺は自分の体質について話すのを早々に切り上げて、菫子の能力に話を移す。

「しかし、超能力か。あれだろ? サイコキネシスだとかテレキネシスだとかだろ?」

「そうそう。だいたいのことは出来ますよ」

 不死身なんかよりある種そっちの方が羨ましいな。応用が色々と効きそうだし、見た目にド派手でかっこいい。ほら、ライトノベルとかでも現代異能力バトルって面白いからな。あとそんなイメージとは別に、頑張らなくても空を飛べるのも大きい。美鈴曰く、気を鍛えても飛べるのはおそらく幻想郷の中だけらしいが、超能力ならそんな問題は無い。空だろうと自由に飛べる。と、それはどちらかというと河童のガラクタだろうか。会ったことがないから実際どんなものか知らないが、文のカメラを作るだけの知識はあるんだろうし作れそうだ。

「使えるとかそんなもんじゃないですよ」

「そうなのか?」

「周りに話せるようなもんじゃないですし」

 饅頭を頬張りながらだというのに、やけに悲壮感を感じさせる口調だった。その感覚は俺にも理解出来る。人と違うってのはそれだけで酷く悲しいものだ。しかも俺と違って菫子は能力を自在に扱えたのだろう。他人からの目も相当に厳しかったはずだ。俺からはわりと素直に思えるが、きっと外の世界ではひねくれていて、そして孤独だったに違いない。そうでなければ異変なんて起こさない。こっちに来ようなんて思わない。俺もずっと孤独だったからな。起こせるだけの力と幻想郷に関する知識があったならば俺だって異変を起こしていたかもしれない。

 ええい、この話はやめよう。空気が重くなり過ぎる。それに俺も聞いてて気持ちの良いものじゃない。何か話題を変えるのに都合の良い話は無いだろうか。

「そうだ、お前は宴会には来るのか?」

「宴会?」

「異変が終わったら首謀者交えて宴会するのが通例なんだと。参加は自由だし、水に流す意味合いもあるんだろ」

 俺も実際に異変後の宴会に参加するのは初めてだが。首謀者無しの宴会になるかとも思ったが、今回はしっかり来てるからな。誘わないわけにもいかない。

「私未成年なんですけど、それでも良いんですか?」

「未成年って八房もなんか言ってたなそれ。なんだそれ」

 ああ、そうか。外の世界はまだ未成年は酒飲んじゃいけないんだったか。幻想郷に居るとそこら辺の知識を忘れてしまう。現代人として由々しき事態かもしれないが俺もうこっちの人間だし。

「子供が酒飲んだら危ないからな。数え年で二十一になるまで酒を飲むのは禁止されてるんだよ」

「へえ、誰がそんなこと決めたのよ」

 興味深そうに聞いている妹紅に唇を尖らせて菫子が答える。

「どっかのお偉いさんよ」

「ま、こっちで言うなら紫とかその辺りだな」

 だいたいこっちで例えた方が分かりやすく、妹紅も納得してくれたようだった。で、こっちで未成年が酒飲んでいいのか。凄い難しい問題だな。夢なんだし日本じゃないんだから構わないとも思うが、これで酒飲みになられても困るからな。影響が出るかもしれないし。とはいえ、俺がどうこう言うものでもない。来たら嫌でも飲まされるだろうからな。止めるのは無理だし無粋という奴だろう。となると、まあ飲むだろうな。

「お前が良ければ良いんじゃねえの?」

「じゃあ行くわ! 一度お酒って飲んでみたかったのよね」

「そうか」

「あ、でも待って。そろそろ起こされそうだから一旦帰ります。宴会って何時からなんですか?」

「まあだいたい九時ぐらいからだろうな」

「その数え方が良く分からないんだけど」

「戌の刻から亥の刻ってところだよ」

「なるほど」

 この呼び方って幻想郷でもそんなに使わないんだけどな。妹紅が人と関わろうとしなかったから馴染みがないのだろうな。そのくせに人の顔だけは良く覚えてるんだから何なのか。俺もそういった面はあるけれど、やはり人恋しいのだろうか。

 どれくらいかは分からないが、不老不死である以上、永遠亭の奴らを除いて誰も妹紅と一緒に生きることは出来ない。菫子なんてのはその筆頭で、もちろん俺も妹紅を置いて先に死ぬ。いや、蓬莱の薬を飲めば一緒に居られるかもしれないか。でも妹紅はそれを望まないだろうし、俺も人間を辞めたいとは思わない。

「あれ、菫子は?」

「もう消えたよ。目の前だったじゃん」

 そんなことを言われても気が付いたら消えていたのだから仕方が無い。別れの挨拶の一つも無いとは薄情な奴だ。まあ叩き起こされたのかもしれないけれど。今日は平日らしかったからそろそろ遅くともそろそろ起きないと遅刻だろう。時刻はもう七時近くだろうからな。我ながら正確な体内時計で大助かりだ。

 視線を下ろすとまだ手付かずの自分の分の饅頭が残っていた。流石におかしいと感じられたのか妹紅がまた心配そうな顔をする。まだあの時の記憶が良く残っているのだろう。

「なんか考え事でもしてたの?」

「ま、そんなとこ。結論は出たけど」

 寿命を無くして人間は生きていられない。それは妹紅のことを否定しているのかもしれない。だけど、俺は死ぬ人間でありたい。

 妹紅に向かってそんなことは口が裂けても言えないから、適当にお茶を濁すだけで逃げた。まだ出さなきゃいけない答えはたくさんあるようだ。

 いつものようにおやっさんに代金を払って店を出る。七時なのに親は店開くし子は遊びに行くし、本当に変な家族だ。だから俺とかアリスみたいなのが惹かれるんだろうけど。それよりもこれから宴会までの時間をどうやって過ごすか。他のどんな重たい問題よりも今はそれが一番の悩みだった。

 



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祝して粛々と

「それでは異変の収束を祝して、かんぱーい!」

 腰に手を当てて杯を持つ霊夢に合わせて、各々が自分の持っていた酒を掲げる。幻想郷の住民達は相も変わらず宴会好きで、今回そんなに関わってないらしい白玉楼の面々や守矢神社の神様までやってきてどんちゃん騒ぎやっている。俺も紅魔館から頂いたワインを傾けて心地よい気分で楽しむことにしていた。本来異変解決するはずの霊夢は今回早々にリタイアしてしまったらしいが、本人は「私が負けたのなら私の出番じゃなかったのよ」と気にしてないのか負け惜しみなのか曖昧な返しで他の奴らの煽りを受け流している。俺から見た限りでは本当に気にしてなさそうだ。気にしてたら全員一発入ってる。

 さて、妹紅と一緒にゆったりと嗜もうと画策していたのどが、今回の立役者たる妹紅はいろんな奴らに引っ張られ、逆に力の無い俺はその波に呑まれて端へ端へと追いやられてしまった。ぎゅうぎゅう詰めで俺みたいな普通の人間じゃ入ろうとするだけで死にそうだ。誰も俺の事は考えてくれないらしい、ってほとんどの奴らにはまだ話してないから当たり前か。もちろんいい気持ちはしないが、妹紅とならまた後でも呑めるだろうと切り替えて、同じように波に突き飛ばされたか、或いは元から入る気の無い相手でも居ないだろうかとぼうっとしながら眺めていると、見つけたのは余り一緒にいる風景を見ないお二人さん。なかなか楽しそうにしているのは種族が同じ魔法使いだからだろうか。それだと宴のど真ん中に居る魔理沙はどうなるんだと考えたら、そもそもアイツは人間だからちょいと違うか。七色と七曜で仲睦まじいので、八として俺もお邪魔してみよう。

「よう、お前らは中心行かなくていいのか?」

「分かってるでしょうに聞かないでちょうだい」

「私達はああいう雰囲気苦手だから」

「まあ確かにそう見えるわな」

 どうやら二人で魔法談義をしていたらしく、文字通り邪魔してしまったらしい。パチュリーはちょっとむすっとした顔で、アリスは対応に困った顔で出迎えてくれた。魔法についてはいまいちよく分からないものの、興味が無いかと言えば嘘になる。

「魔法ってのも便利そうだよな」

「あら、魔法に興味があるの?」

 まるで心底驚いたと言わんばかりに大仰な様子のパチュリー。わざとらしさが過ぎるのだが、紅魔館に居た頃からこういう小馬鹿にしたような態度には慣れている。どうも人間だからというより俺個人として嫌われているらしい。何かしでかしただろうかと頭を捻ったが答えが出ないので諦めることにしていた。

 よってパチュリーがそんな反応をするのは予想通りとも言えたが、意外だったのはアリスも同じような態度を取ったことだった。こちらは本当に驚いたようで、若干ながら目を見開かせている。

「魔法とかには興味が無いものだと思ってたわ」

「研究とかはよく分からないけどな。ほら、前にアリスが宴会の準備を人形を使ってやっていただろ? ああいうことが出来るのは便利だと思ったんだよ」

 あと人里で見せてもらった人形劇の印象も強く残っている。自分の思い通りに動かせるならさぞ気持ち良いだろう。

「それならやってみればいいじゃない」

 そう言ったのはパチュリーだった。てっきり怒られると思っていたのに、案外軽い口調で言われてしまった。彼女は俺が思っているほど高尚な考えを魔法に対して持っていないのかもしれない。というか幾らなんでもやってみれば、ってのは投げやり過ぎるだろう。魔法って才能とか必要なものじゃないのか。まあでも魔法を習ってみたいという気持ちはある。せっかくの宴だし、やってみるだけやってみるのもいいだろう。

 ちらりと妹紅の方を見るとまだまだもみくちゃにされているようだった。いつもああなのかとアリスに聞いたら別にそんなことはないとのお返事。どれだけ霊夢以外の異変解決者が珍しいものであるかがよく分かる。とにかくあっちはまだ続きそうだし、師事してみるのも乙なものだろう。

「それなら教えてくれるのか?」

「私は嫌だけど」

「なんだよそれ」

 あやとりとかするんだからアリスに教えてもらえばいいのよ、なんてやっぱり投げやりだ。アリスは話を振られてしばらく考え込んだ後、やってみるかと俺に聞いてきた。こっちはちゃんと教えてくれるらしい。

「魔法使いにはなりたいの?」

「いや、人間として出来ることを増やしておきたいだけだ」

「じゃあ糸の魔法だけ少し教えてあげるわ。貴方には少し借りが有るからね」

「借り、ってそんなものあったか?」

「気にしないでいいわ」

 何の話だか少し気になるところはあるが、教えてくれるというのなら願ったり叶ったりだ。少しでもいろんなことを覚えて、妹紅の役に立てるようになりたい。あいつにはなんだかんだで迷惑ばかりかけているからな。

 宴はまだ始まったばかりだった。

 

 

 まったく、あいつらは加減ってものを知らないのか。今日は八房とゆっくり飲もうって話をしていたのに取り囲まれて引き剥がされて何度も異変の話を聞かされた。同じように捕まって引きずられてきた菫子は早くもお酒に酔っ払って外の世界での武勇伝なんかを自信たっぷりに喋っている。まだまだ元気に飲んでいる辺りすぐ潰れるようなやわな臓腑じゃなかったようだ。私の方は語る話も無いし早々にここから離れたいのに。萃香なんかは茨華仙と張り合った話を聞いて私とも喧嘩しようなんて言い出してくるのだ。それは流石に断ったものの、やれ弾幕ごっこだの、やれ飲み比べだのかれこれ二、三時間は拘束されている。

「なあなあ、外の世界ってどんな感じなんだ!?」

「そんなの私より菫子や八房に聞きなよ。私に聞かれたってそんなに答えられないって」

 目を輝かせる魔理沙を手で押しのけながら、どうにかおしくら饅頭になっているこの集団から抜け出そうと試みるも失敗。全部焼き払ってやろうかとも思ったがそうしたら手加減無しの紅白巫女に退治されてお終いだろう。私だってせっかくの宴会を壊したくはない。

「あの二人からはもう聞いたんだよ。お前だって外の世界に行ったんだろ?」

「行ったけど、その二人とたいして変わらないわよ」

「そう言わずに、さぁ!」

「嫌だってば」

 ああもう面倒くさい。どうにかして飛んで逃げようか、さっき以上に真剣に考え始めたあたりで、地面が消えた。

 紫のスキマだ、と気付いた時には完全に落下していて、他の奴らを置き去りにして私だけ他の場所に連れていかれる。放り出された場所は博麗神社から少し離れた草むら。妖怪だろうとめったに寄り付かない場所だ。こんなところに連れてくるってことは何か話したいことがあるってことなんだろう。それも他の奴には聞かれたくない話。

「むりやり引っ張ってきてごめんなさいね」

「アンタが謝るなんて気色悪いな」

「あら酷い。私、礼節は弁えるようにしていますのに」

 いつも通り、いやいつもの何倍も胡散臭い喋り方。なんだか紫らしくない。

「何の用なの?」

「ちょっと貴女と真面目な話がしたいのですわ」

「真面目な話?」

「若丘八房について、ですわ」

 八房、その言葉を使われたら私が帰ることが出来ない。それを分かっているのか、分かっているんだろうな。でも、それを出しにした、というわけでも無さそうだ。

「彼の正体について私の方からも一応調べたのよ」

「そしたら分かったの?」

「ええ、まあ」

「何よ、煮えきらないわね」

 普段なら、ここで「ええとっても面白い答えでしたわ」くらいのことは言いそうなのに。それだけ茶化すことのできない話ってことのようだ。私はそこらへんの大きな石に腰掛ける。立ったままより座っていた方が話しやすい。紫も自分が作ったスキマに腰を下ろした。

「結論から言わせてもらうと、私から彼の正体について何も語らない。貴女にも彼自身にも」

「どうしてよ」

「私がそうするべきだと思ったから。ではいけない?」

 こいつがそんなこと言うなんて、八房にはどんな秘密が隠されているのか。いまさらになって少しだけ怖くなった。教えてくれないってことは知らない方がいいってことだ。少なくともここに八房を連れてこない時点であいつ自身には絶対に教えられない答え。

「だけど、答えを知っている相手を教えることは出来る。妹紅、貴女にだけ教えるわ。その意味が分かるわね?」

「・・・・・・あいつに教えるべきかどうか私が決めろってか」

「そうよ。正直なところ、私でも教える方がいいのか分からないの。もしかしたら思い違いかもしれないし」

「思い違い?」

「それは、私の方の問題ですわ。彼の正体には関係無い」

「随分変な言い方ね」

「貴女なら本当は気付いているのではなくて?」

 その声は鋭かった。私がわかるんだから貴女に分からないとは思えない。紫はそう言っているようにも聞こえた。実際のところ、思い当たる節がない訳では無い。まったくの想像だけれど、もし考えてることが全て正しければ、八房に教えるのはやめた方がいいかもしれないと私でも思えるからだ。でも八房はきっと知りたがる。私は、それを応援したいとも思っていた。

「教えて」

 だから聞く。そしてきっと八房に話す。後悔するかもしれないけどそうしなきゃいけない気がするから。ただ、いつ教えられるかは分からないけど。

「・・・・・・地底のさとり妖怪を訪ねなさい。書簡くらいなら送っておいてあげるわ」

「さとり? どうして地霊殿の主が出てくるのよ」

「行けば分かりますわ」

 紫はそれ以上は何も語るつもりはないようだった。だけどここから逃げる様子もない。分からない、何度考えてもこいつらしくない。そう、八房一人にここまで固執しているのがおかしいのだ。わざわざ本人に気を使うほどに、自分勝手な妖怪らしくないくらいに。

「どうしてそんなに八房が気になるのよ」

 紫はしばらく黙ってうつむいていたが、急に私の目をじっと見据えた。紫が驚いている以外で目を見開いているのを初めて見た。

「似ていると思わない?」

「え?」

 誰に、と聞こうとしたけれど、その前に頭の中にある顔が浮かんだ。ああなるほど確かに、こいつが気にかけるのがそういうわけなら何となく納得できる。でも────

「似てないよ」

 私は断言した。紫は思ったより驚いていないようだった。本人も本当は分かっていたのかもしれない。彼女は何も言わずにスキマを使って消えた。突然には見えなかった。言葉にしない中で会話が出来ていたと思ったから。

 とにかく神社に戻ろうと草むらから参拝道に戻ると、さっきまで静かだった耳に急に喧騒が入り込んでくる。まだまだ宴は終わらないのだろう。こっそり戻って八房を驚かせてやろう。私は石段を一段飛ばしで登る。飛んだらバレてしまう。弾幕ごっこをしているようで頭上がチカチカと光るのを感じながら赤鳥居をくぐり抜けると、神社の上で弾幕ごっこをしているのは菫子と霊夢だと分かった。道理で片方がまだ拙いわけだ。やったことないのに霊夢の弾幕を避けていることだけ凄いことだろう。

「お、どこ行ってたんだ?」

「あっ、八房」

 一人でワイングラスを傾けている八房に声をかけられてそっちの方に向かう。幸い他は弾幕ごっこに夢中で気が付いていないようだ。

「一人で飲んでたの?」

「いや、最初はアリスとパチュリーと一緒に居たんだが、魔理沙に連れていかれてな。お前探したけど居なかったし」

 ほら、アリスから魔法を教えてもらったんだぜ。八房はそういってグラスを持っていない方の手を振る。そうしたら糸がたらりと掌から垂れてきた。アリスの糸魔法同じようなものだろう。あの短時間で習得したのだろうか。

「教えてもらって、出すのは簡単なんだ。まだ全然動かせないけどな」

「八房は魔法使いになるの?」

 言ってしまってからしまったと思った。聞くつもりなんて無かったのに。八房はきょとんとした顔をした。何を言ってるのか分からないって顔だ。

「ならないけど。なんでそんなこと聞くんだ?」

「そうなんだ。いや、何でもないよ」

「なんだよそれ」

 それ以上何か聞くことは出来なかった。私も気付いてやってきた咲夜からワインをもらって、八房と一緒に木に背中を預けて弾幕ごっこを観戦する。やっぱり霊夢の勝利で終わったけれど、ぎりぎりまで逃げ続けた菫子にも賞賛の拍手が上がる。今度は魔理沙が菫子と対戦しようとして声を上げ、菫子の方も満更ではないようで再び空に上っていく。八房に話をするのには絶好のチャンスだったのに。私はとうとう紫から聞いた話を言うことが出来なかった。

 



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二人の僅かな日常
秋の暮れには酒をくれ


二話ほど間に挟んでから次章に行きます。


 たまには外にでも行くかと思い立った秋の暮れ。いつものシャツにジーパンなんて格好はそろそろ寒々しくなってきたのでもう一枚幻想入りのときに持ってきたジャンパーを羽織る。それでも手元が冷えるのは防ぎようが無いのだが、それはあまり気にしなくてもいいだろう。妹紅はいつもと変わらぬサスペンダーにもんぺ姿。寒くないのかと聞いたら寒いなんてめったに感じないと返ってきた。炎を操れる妹紅ならではの意見だろう。こないだあった咲夜はマフラーをしていたし、魔理沙も霊夢も冬服のようだったからな。ただ霊夢はなんでああも腋を出そうとするのかが分からない。

 外に出ると冷たい空気が頬を叩いた。白い息で掌を暖めながら妹紅と並んで獣道を歩く。この寒さはもう冬に近いだろう。元々外に比べれば寒冷な気候の幻想郷だが、暖房器具もほとんど無い分冬は特に過ごしにくそうだ。強いて言うなら炬燵くらいはあるだろうが、あれは悪魔の手先だ。使ったら最後逃げられない。妹紅も流石に手は冷えると見えて、もんぺのポケットの中に手を突っ込んでいる。そのせいでちょっと猫背気味になってしまっているが、蓬莱人なら骨格が歪むこともないし大丈夫だろう。もし悪化したら永琳に任せりゃいいし。

「ミスティアの屋台には行ったことないんだっけ」

「顔を合わせたのが一回しか無いからな」

 今回の目的地は以前会ったことのあるミスティアの妖怪屋台だ。たいていは人里の外に構えているらしいが、見た目には可愛い女将さんだし名物のヤツメウナギも美味しいらしいしで人間にも人気があるらしい。マッチポンプめいたことをやっているという噂もあったが誰も損してないので別にいいだろう。

 日はとっくに落ちる時間帯で、春夏のように夜道が明るいわけじゃない。一寸先は闇というが、こういうことなんだろうなと今さらに思わされる。街灯だらけ、夜まで仕事熱心なビルだらけの外の世界じゃこうはならない。田舎ならこうもなるのかもしれないが、俺が昔住んでいた田舎村でさえここよりはまだ明るかったからな。さらに田舎となると想像がつかない。

「おっと」

「大丈夫か?」

 妹紅が急にバランスを崩す。どうやら小石か何かに蹴躓いたらしい。転ぶことは無かったが、まだ歩き慣れていないようだ。歩き方がやけに慎重になっている。その様子も可愛らしいのだが歩くペースが落ちるのはいただけない。どうしたものかと考えて、俺は左手を妹紅の方に差し出した。

「危なっかしいし、ほら手を繋ぐぞ」

「え!? い、いや大丈夫だよ」

「いいから」

 妹紅の手をポッケからむりやり出して握る。妹紅の手は冷たかった。無理をしていたわけじゃないんだろうけど、自分の手より冷たいと少し心配になってしまう。

「あう」

 妹紅は耳まで真っ赤にしてまともに言葉も喋れなくなってしまっている。別に手を繋いだくらいで大げさな。恋人というのはこういうことくらいするものだろう。いや、妹紅はずっと一人だったのか。少なくとも今まで恋人が居たようには見えない。ま、俺も経験豊富ってわけじゃないし言えたもんじゃないか。

 さく、さく、さくと落ち葉を踏む音がする。俺達が言葉を交わさないから耳によく届くのだろう。そういえば秋の神様には結局出会わなかったな。どうも俺はこういう時に間が悪いらしい。もったいないと思わなくもないが、残念であるとは思わない。今の空間に勝る喜びはそうそう無いからな。なんて、のろけてる自分に少し驚いてしまう。俺も妹紅に影響を受けているのだろうか。最初はとても大人びて見えたのに、一緒に居るとどうにも幼くて、自分じゃ力不足だと分かっていても守りたくなる。自分ものぼせてしまっているのかもしれない。

 お互い無言のままたどり着いた夜雀屋台。芳ばしい香りはヤツメウナギを焼いているからだろうか。これは確かに美味しそうだ。暖簾のせいでよく見えないが、どうやら既にお客が来ているようで、耳の生えたシルエットと見覚えのあるスカートの端。まあ彼女なら遠慮することも無いだろうと入ろうとしたら、手を振り解いた妹紅がさっさと暖簾をくぐってしまった。仕方なく俺も続いて店に入る。

「邪魔するぜ、熱燗とヤツメウナギくれ。それと影狼もうちょっとそっち寄ってくれ。座れない」

「はいはい、ってアンタ何やったの? なんか妹紅の顔真っ赤になってるけど」

「手握っただけなんだけどな」

「あー、やっぱりあの新聞の話は本当なのね」

「新聞?」

 新聞と聞くと嫌な予感しかしないが、一応聞いてみると思った通りの返事が影狼以外の相手から返ってきた。

「この新聞のことですよ」

 そう言って見せられたのは、蓬莱人に恋人か、と大きく書かれた文々。新聞だ。号外と銘打たれていて、写真には俺が妹紅を抱きしめた時のものがくっきりと写っている。どっから撮ったのやら、妹紅と敵対したくない気持ちは何処へ行ったのやらとツッコミたいところは多々あるものの、個人的に一番恥ずかしい部分は知られていないようなので俺からは一発殴るだけで許してやろう。こん時も恥ずかしいけど、どうせ茨華仙やらこころやらに見られて宴会でも広まってたんだからもう諦める他ない。ところが妹紅はそうは思わなかったようで泡を吹きそうな勢いで慌てふためいている。危ないから落ち着けと言いたいところだが、俺が言えたことでもない。なんだかんだで鼓動が凄い早まって顔が赤くなってるのが解るから。

「なになにー、面白いことー?」

 知らない声がしたと思ったら影狼の膝に金色の幼女がきょとんと座っていた。なんとなく見た覚えがあると思って記憶を遡ってみると、磔にされたときにやってきた少女だということを思い出す。

「アンタは知らなくていいことよ」

「ずるい、影狼が教えてくれない」

 どうやら二人は仲が良いようで、少女もブーブー言いながらも楽しそうだし、影狼も少女とのやりとりに満更でもなさそうだ。なんて、観察していたら影狼から冷めた目で見られた。

「何よ」

「いや、何処で攫って来たのかな、と」

「誰がこいつを攫うのよ」

「影狼に攫われたー?」

「アンタは少し黙ってなさい」

 また二人できゃあきゃあと騒ぎ出したので、誰なのか聞こうとした俺は途方に暮れてしまった。やはり影狼相手に軽口を言うのは話が逸れていけないな。それを察した女将のミスティアが彼女のことを人喰い妖怪のルーミアだと教えてくれた。闇を操る程度の能力を持つ低級妖怪だと言っていたが、闇ってなんか強そうなイメージあるのに面白いな。影狼とよく一緒に居るのらしいのだが、仲の良い原因はミスティアも知らないらしい。そういえば幽香とも知り合いだったし、影狼の交友関係ってわりと不思議だな。というか、どうやって幽香と友人になったのだろうか。

「あ、そうだ。アンタ幽香のところに行ったんだって?」

「え、ああ結構前にな」

「え?」

 普通に答えたら妹紅が驚いてこちらを見た。しまった妹紅には内緒にしていたんだった。俺も忘れていたから気付かれずに済んだのは幸いだったが今になってバレてしまったか。これは後でまた説教を覚悟しなければならないかもしれない。だがまあそれは置いといて。知ってるってことはあの後影狼と幽香は会って話をしてるってことか。結構な頻度で会ってるみたいだな。こういうのは悪いがそれほど有名でもない狼妖怪と花の大妖怪のどこに共通点があるのか。

「本当に命が惜しくないのかしら」

 随分と呆れられてしまった。凶悪で有名な大妖怪のところに何の力も無い人間が行くなんて自殺志願も良いところだろう。俺も後悔した部分が無いわけでもないし。

「あれは浅薄な考えだったと思わないでもないが。それよりも影狼はどうして幽香と知り合いなんだ?」

「えっ、影狼さん幽香さんと知り合いだったの?」

「わはー?」

「あー、そういえば言ってなかったっけ。昔にちょっとあったのよ。でも誰にも言わないでちょうだいよ。あんまり知られたくないの」

 影狼はちょっと嫌そうな顔をしながら声をひそめた。そんなにバレて嫌なことが有るのだろうか。内容も隠しておきたいみたいだし、触れられたくない部分があるのだろう。でも大妖怪と対等な関係というだけで妖怪として誇らしいことにも思えるが。

「知り合いってだけで勘違いして襲われるのは嫌なのよ。アンタだって、妹紅の知り合いだからって殺されるのは勘弁でしょ?」

「納得した」

 確かにそれは勘弁願いたいな。俺だって好きで死にたいわけじゃない。それで避けられるのなら避けようと思うのは当然のことだ。

 やってきた熱燗を空けながら、ヤツメウナギが焼き上がるのを待つ。早く食べてみたいものだが、急かすのも風流がない。せっかくいい匂いがするんだからそれをめいっぱいに楽しもうか。

「うー、これなら家で飲んでた方が良かったかも」

「何よつれないわね」

 紅潮した頬を膨らませてぼやく妹紅に影狼が唇を尖らせる。さっきから薄々思ってはいたが、影狼は俺達よりも先に来ていたからだろうか、かなり出来上がっているようだ。しかも絡み酒の性質があるらしい。前に燃やされたのは既に忘れてしまったのだろうか。顔を見るなり逃げ回っていたことも有ったような気がするのだが、そんなことは全く気にせずがんがん妹紅に絡んでいってるな。絡むのは構わないが毛を逆立てないでくれ、鼻に入って擽ったい。妹紅も少々同じきらいがあるので絡み好きは絡み好き同士で放って置いて、仕方が無いので俺は普通に酒を楽しもうかね。と、もう一杯頂こうとしたらお猪口にも徳利にも中身が無い。

「すまん、もう一本貰えるか」

「はいはい、ちょっと待ってくださいね」

 しばらくして新しい徳利がテーブルの前に置かれる。ふと見れば影狼も妹紅も三本近く空けていた。お前ら飲みすぎだ、とも思ったが、俺も意外とハイペースなので人のことは言えない。何の銘柄か知らないが美味しいなこの酒。なんて酒なのか聞いてみるとミスティアは快く教えてくれた。

「雀酒って言うんですよ」

「へえ、夜雀の出す雀酒か」

「ええ、飲みすぎると踊り出すので注意してくださいね」

「どんな酒だよ」

 詳しく聞くと美味しさに踊り始めてしまうくらい、という意味らしいが、霊夢や魔理沙が踊ってたという事実を聞いて不安になる。というより飲んだ人ほとんど全員が踊ったらしい。幻想郷の住民が軒並み限界まで飲むような酒飲みだってことを踏まえても多すぎないか。これ変な薬とか入ってないよな、と聞いたらそれは真っ向から否定された。どうにも話を聞くと雀が孝行者だったから作れるようになったらしい。逸話は先祖を重んじる日本らしい話だな。

「お代わり!」

「私も!」

 ぐいぐいと俺を押しのけて、妹紅と影狼が二人してお代わりを要求する。お前ら少しは自重しろ。ルーミアとやらは疲れ切って眠ってしまっているし、見た目小さな子を膝に乗せたまま暴れるのは如何なものか。あ、落ちた。それでも寝続けているのは凄いことかもしれない。だが放置していると踏まれそうで危ないな。一旦暖簾から出て拾い上げ、ミスティアの居る屋台の裏側に寝かせておいてやるか。

「んー、グシャー?」

「ぐしゃ?」

 寝ぼけ眼で何か言われたが、何のことか。聞いた覚えがあると考えると、なんとなく思い浮かんできた。そうか、愚者か。会ったときにそんな話をしたような気がする。どうしてあんな話をしたのか当時の俺の考え方はよく分からないが、そのせいで俺のことを愚者で覚えられてしまうのは流石に酷い。訂正しなければならないだろう。

「若丘八房な」

「ヤ、ツフサ。焼き鳥は?」

「焼き鳥は無いって言ってるでしょ!」

 ミスティアに怒られてびくっと体を動かすルーミア。これは普段から何度もミスティアに焼き鳥と言っているな。怒られても仕方が無いだろう。とは言っても、本人がそれを覚えているようには思えないけどな。ごしごし目を擦ってはいるが、これはもうすぐに寝るだろう。裏から声を掛けてミスティアに預けると、ヤツメウナギが焼けたと言われた。ようやくまともに飯にありつける。ようやくと言ってもそんなに待ってたわけでもないのだが、あいつらがちょっと煩くて時間が長く感じられていたのだ。

 戻って来ると、妹紅と影狼の姿がない。何処へ行ったのだろうかと思いながらもやってきたヤツメウナギを食べることにする。あいつらなら大丈夫だろうし。一口食べてみると鰻の蒲焼みたいな食感とタレの旨みが口の中に広がって思わず美味いと声が出る。

「でしょ?」

「おう、これは食ってないのは損だったな。と、ところで、妹紅達は何処に行ったんだ?」

 ちょちょいとミスティアに教えてもらうと、自分の真後ろを指差された。なんだか嫌な予感がするけれど、振り返らないわけにはいかない。意を決して振り返ると、やけに御機嫌な妹紅と影狼の二人が腕を組んで下手な歌を歌いながら踊り回っていた。

「よいさよいさ!」

「よよいのよい!」

「・・・・・・何やってんだあいつら」

 雀酒のせいだとは分かっていても、呆れずにはいられない俺であった。

 



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不死人が生きる理由

なんかちょっと姫様アンチ風味になってるのがなあ・・・・・・って話に思われるかもしれませんが作者は輝夜大好きですしアンチでもないです。


「女性を待たせるなんて、殿方としてどうなのかしら」

「時間を決めてないのが悪い」

 挑発的に笑ってくる相手を軽く流して、俺は周りを見渡した。広い和室に雑多に広げられた様々なもの。外の世界で時代遅れになったゲーム機やら、見たこともない機械があったかと思えば、その辺に落ちているような石ころとか誰が彫ったのか分からない木彫りの熊が投げ捨てられている。ぱっと見た感じでは香霖堂と大して変わらないだろう。住んでいる相手のお陰で無駄に様になっているのも同じだ。

「それで、わざわざ俺だけ呼び出して何がしたいんだ」

 この部屋の主、かぐや姫と名高い蓬莱山輝夜に問いかける。一応のあらましは自分を呼びに来た鈴仙から聞いたが、本人の口から改めて聞きたかった。普段なら隣に居てくれるだろう妹紅も今は居ない。目の前の彼女が連れてくるなと言ったのだ。そうまでして何を、というのは聞くまでもない。聞きたいのはどうしてそこまでするのか、だ。だが、輝夜はおそらくそこまで分かっていてしらばっくれる。

「イナバにちゃんと答え合わせだって言われなかったの?」

「何の答え合わせだか聞かされてないからな。予想は付くが、間違っていたら恥ずかしいしな」

「そんなこと欠片も思ってないくせに」

 前から思っていたが、俺はこの姫様に随分と嫌われているらしい。特に隠そうともされていないから気付くも何も無いのだが。永遠亭にはそれなりに足を運んだがこいつと話したことは数えるくらいしかない。それはだいたい妹紅と輝夜で殺し合いだかじゃれ合いだかやってて、それを俺が永琳や鈴仙と眺めている。そんな構図のせいも多少はあるのだろうが、それを差し引いても俺は異常と感じるくらいに彼女と言葉を交わしていない。いや、まるで自分はそうじゃなかったみたいな言い方は止めるべきだな。俺もできるだけ話さないようにしていたんだから。俺の方からも避けてたんだ。彼女に対して答えられないものがあったから。気まぐれに問いかけられたくなかったから。

「貴方は幻想郷で何の為に生きるのか。答えは出たのかしら」

 月の姫様から頂いた難題。当時の俺は答えられなかった。答えがなかったという方が的確かもしれない。あの頃の俺にそんなもんがあったのかと聞かれると答えられないからな。それじゃあ今はあるのか。あると分かっているから俺を呼びつけたんだろうが、こう何でも分かってますみたいにやられると反発したくなるのが人間ってもんで。

「出てなかったらどうするつもりだったんだ」

「ペナルティ、かしらね」

 嫌な予感がした。咄嗟に体を捻るが肩の先が消し飛ぶ。こいつ本気で撃ってきやがった。しかも即死が効果薄いからって死なない所を狙いやがったようだ。僅かながらも反応したのがお気に召したのか輝夜の口角がにっと吊り上がる。

「戦う訓練でもしたのかしら」

「勝手に師匠をつけられてな」

 その師匠にもそれなりの数殺されてるわけだけど。容赦というものしらない人だからな。人じゃなくて妖怪だけど。

「じゃあもう少し虐めても大丈夫そうね」

「やめてくれ。言えばいいんだろ言えば」

 これ以上傷だらけにされるのはご勘弁だ。痛いのも嫌いだしな。俺の些細な反抗が肩の痛みになって帰ってきたところでそろそろまじめな話に戻りますか。

「俺は妹紅のために生きる」

 告白した夜に出た答え。自分が死ぬまでずっと妹紅と一緒に居ると決めたんだ。今はそれが俺の生きる理由だ。胸を張ってそう言うことが出来る。輝夜はその答えには不満足なのか口元をへの字に曲げているが、俺は答えを変えるつもりは無い。

「それはいつまで続くのかしら」

「そりゃあ俺が死ぬまでじゃないのか」

「だからそれが何年後か、それを聞いているのよ」

 何年後と言われても、俺は人間なんだからせいぜい後八十年も生きられればいい方だろう。そう答えると、輝夜は意地の悪い笑みを浮かべてこう言い放った。

「蓬莱の薬を飲めば、いつまでも一緒に居られるのに」

「・・・・・・・・・・・・」

 考えたことがないわけではなかった。妹紅と永遠に生きる。その選択肢も俺にはあるだろう。だけど、今それを選ぶつもりは俺には無い。どうして、と輝夜が聞いてくる。俺の中でもどう答えたらいいのか分からないが、それじゃダメな気もするんだ。だけどそんな答えじゃ目の前のじゃじゃ馬姫様は納得しないだろう。だからもっと手軽な答えを返す。

「妹紅がそれを望んでいるかどうか分からないから」

「妹紅のことなんてどうでもいいのよ。私が聞きたいのは貴方がどう考えているのか。不老不死になって妹紅とずっと一緒になりたいとは思わないのかしら。貴方が死んだ後も妹紅は生きていくのよ。死んでいくと言った方がいいかしら。それにも貴方は何も思わないの」

「だから妹紅次第だって言ってるだろ。あいつが一緒に居てほしいって言うんだったら俺はいつまでだって一緒に居てやるさ。自分のこととか言われてもな」

「貴方はどうしたいのよ」

 どうしたいのか、考えるまでもない話だ。

「俺は死ぬまで妹紅と居たいだけだ。寿命があろうが無かろうが関係無いだろうが」

 その答えに何故か輝夜は驚いたような顔をしてそれから、苦虫を噛み潰したような表情に変わる。何か地雷でも踏んでしまったのだろうか。俺はそんな覚え全くないのだが。強いて言えば我ながら臭い台詞を吐いてしまったことくらいだ。

「呆れたわ。もういい、この話は終わりにしましょう」

「そうかい、俺の答えはお気に召さなかったようで何よりだ」

 話が終わったなら長居する必要もない。帰ろうか、いや一度永琳達に顔を合わせていこうか。引き止める声もレーザーも、さよなら言葉も無かった。

 部屋を出て無駄に長い廊下を歩く。どうしようか悩んだが、痛む肩を何の治療もしないで放っておくのも破傷風かなんかにかかりそうで怖いから永琳に診てもらってから帰ろう。血はダラダラ流れてるけどまあ鈴仙が掃除してくれるだろう。永琳の私室、というか研究室のドアをノックするとはいはいと声が返ってきて、ちょっとの間と共にドアが開く。

「あら、話はもう終わったのね。怪我は、どうせ姫様にやられたんでしょ」

「大正解だって言っとくよ。軽くでいいから見てくれると有難い」

「分かったわ」

 手早く救急箱を取ってくると、永琳が俺に上を脱ぐように言ってくる。言われた通りに上半身裸になると永琳の感心した声が聞こえた。

「案外鍛えてるのね」

「嫌でもやらされたからな」

「まあ、気力を上げるには身体を鍛えるのが一番早いものね」

「分かってたんなら助けてくれても良かったのに」

「私も流石に予想外だったのよ。そろそろなんじゃないかとは思ってたけど、まさか私達の所に来た当日に限界が来るだなんて」

 自分の背後から手際良く治療をしてくれる永琳でも予想できないことがあったらしい。月の頭脳も完璧ではないようだ。首だけを後ろに回しながら雑談していたのだが、急に輝夜と何を話したのかと聞かれたので、しばらく考えてからちょっとしたなぞなぞの答え合わせだと話す。永琳は気付いているかも、というより知っているかもしれないが俺から話すのはなんとなく気が引けた。永琳は俺の言葉を聞いて悲しそうな顔を一瞬だけ見せる。どうしたのかと問いかける前に元の穏やかな笑みに戻り、静かにこう言った。

「出来ればの話なんだけれど、姫様を嫌いにならないでちょうだい」

「やけに唐突だな」

「そうかしら。貴方だって自分が嫌われていることくらい気付いているでしょ」

 包帯を巻き終わり、最後に軽く肩を叩いて終わったと教えてくれる赤青のお医者様。脱いだワイシャツを着直しながら、俺は彼女の方へ向き直る。

「貴方には意地悪な性格に見えるかもしれないけれど、あの子にもあの子なりの事情があるわ。それを忘れないでいてほしいの」

「どうしたんだよ本当に」

「後で彼女と話さなきゃいけないと思っただけよ」

 貴方が思っているよりもずっと傷付きやすい子なのよ、なんて言われても俺にはまったくそんなイメージがない。しかし、かぐや姫のお目付け役である永琳が言うのならそうなのだろう。傷付けるようなことを言った覚えはないが、これから気をつけることにしよう。

「それじゃ私は姫様のところに行くわ。貴方はどうするの?」

「俺もそろそろ帰らせてもらおうか。あまり長居すると妹紅が押しかけて来そうだからな」

「そしたらうどんげに応対を任せましょうか」

「流石にやめてやれよ」

 鈴仙の命が風前の灯のように扱われてることに苦笑しか出ない。幸あれ鈴仙。

 永琳に押されて部屋を出ると、てゐが廊下を走っていくのが見えた。何をやってるのかと気にならないでもなかったが、あの悪戯兎詐欺が何かやらかすのはいつものことらしいし、たいしたことでもないか。そんなことを気にするくらいならさっさと家に帰るべきだと俺は外に向けて足を踏み出した。

 

 

「どうしたんだ、そんなしけた顔して」

 帰ってきたら妹紅が沈痛な面持ちで家の前に立っていた。こういうときは大抵何か言いづらいことを言う時だろう。けして長くない付き合いでもそれくらいは分かる。

「あのさ、話したいことがあるんだ」

「なんだ? とにかく家に入ろうぜ。外は寒くて仕方が無い」

 妹紅を促して自分も部屋に入る。家の中も寒いことに変わりないがここには毛布が置いてあるから少しは暖を取ることが出来る。一つしかないので妹紅と一緒に包まりながら(俺がむりやり引き入れた)妹紅の言葉を待つ。

「この間紫から聞いたんだ」

 そうして妹紅は話し始めた。異変解決の宴会の時に他の奴らから隠れて話していたことを。俺の正体を知っている相手が地底とやらに居ることを。

 地底の話は聞いたことがある。人間と反りの合わない妖怪達が独自のコミュニティを築いているらしい。例えば鬼や土蜘蛛。外来人の俺でも知っていたような有名な妖怪も幻想郷ではマイナーになっていて、多くは地上に住んでいるのだとか。今は相互不可侵を結んでいるらしいが、かつて起きた異変からはわりと緩いものになっているらしい。

「八房はさ、自分のこと知りたいのか?」

 それはまるで俺に自分の正体を知ってもらいたくないかのような言い方だった。同時に俺が知りたいと答えるだろうって何処か理解していたような言い方でもあった。

「そりゃ、知りたいさ。妹紅は俺が何者なのか知っているのか」

「私も知らないよ。でも、知らなくてもいいことなんじゃないかとは思う」

「そうか。もしかしたら、そうなのかもしれない」

 妹紅のために生きるのだと決めたのだから、俺はもう自分のことを追い求める必要は無い。だけど、目の前に答えがぶら下がっているなら見ないふりすることも出来ない。

「でも俺は知りたいんだ。自分がどうしてこんな体質なのか」

 やっぱりね。と妹紅は言った。止められないことも分かっていたようだ。本当にこいつには迷惑ばかりかけるな。

「俺一人で地底に行くのは辛い。一緒に来てくれないか」

「分かってるよ。私だって八房と離れるのはもう嫌だから。それに絶対馬鹿やるしね」

 そんなに危なっかしいか。危なっかしいに決まってるじゃない。横に並んでそんな話をする。

 こんな時間がやはり一番大切に感じられる。輝夜と話したことをふと思い出すのは、この時間が有限だと知っているからだろう。そういえば、妹紅が輝夜を嫌っている理由はほんの少しだけ知っているが、輝夜が妹紅を嫌う理由は聞いたことがないな。嫌われてる俺は別として、鈴仙とかと話しているのを見た限りそこまで底意地の悪い相手でないのは知ってるけど、どうして妹紅とはあんなに仲が悪いんだろうか。

「なあ妹紅」

「なに?」

「話は変わるんだが、なんで輝夜はお前と仲が悪いんだ?」

「なんでって、前にちょっと話したでしょ」

「お前が輝夜に嫌われてるのがなんでか分からなくてな」

「そんなの私だって分からないよ。ただずっとあんなことを続けているんだから、大した理由でも無いんじゃない?」

「そうなんだろうか」

 なんとも腑に落ちないけれど、そういうのならそうなんだろう。

「それよりも問題はどうやって地底に行くかだよ」

「そんなに行きにくいのか。紫に頼めばどうにかなると思ってたんだが」

「だってあいつそろそろ冬眠の時期でしょ」

「ああそういやそんなことも言ってたな」

 冬眠とか熊じゃないんだからって思ったような記憶がある。

「待てよ、ってことは紫に頼めないじゃねえか」

「そうだよ。どうするか考えないと」

 妖怪の山に入口があるらしいから文に頼めば行けるだろうか。本人に止められるような気もするが、妹紅に任せればどうにかなるか。或いは萃香にどうにかしてもらうとか茨華仙に案内してもらうとか、まあ他にも手立てはあるだろう。

「地底には私も行ったことないんだよね」

「じゃあ誰か案内してくれそうなのを頼むか」

「でも行ったことある奴もそんなに居ないしなあ。霊夢と魔理沙くらいじゃないの」

「なんで人間が妖怪よりも行ってるんだか」

「知らないよそんなの」

 あの二人はつくづく規格外だと、話を聞いて思うのだった。

 



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地底と夢と不死
旅は道連れ旧地獄まで


閑話を入れようか迷いましたがとりあえず続きを投稿。というよりなかなか書けなかった。
閑話は出来次第投稿します。


 そういえば登るのは久しぶりだったなと博麗神社へと続く階段を歩いていると唐突にそう思った。そもそもあまり神社には行かないからな。普段は竹林の近くか人里、それから紅魔館辺りにばっか行っている。一つおかしい場所じゃないかと思わなくもないが、それは別に気にしないでもいいだろう。前回の宴会は飛んでいったし、ここを登ったのはあの夜以来のことだろう。気付けば半年くらい経っている。

「霊夢が引き受けてくれるとは思わないけどね」

「ダメで元々だからな。それに萃香が居ればそっちに頼んでみてもいいし」

 妹紅の悲観的でなおかつ現実的な予想に楽観的な答えを返す。俺達がなんで滅多に足を運ばない博麗神社に来ているのかと言うと、地底に行くにつれて、誰か詳しい奴に案内をしてほしいからだ。紫がまだ起きてないだろうかと希望を掛けて呼び出してみたのだが、代わりにやってきた藍が紫がもう冬眠の季節に入ってしまったことを教えてくれた。そして妖怪の巣窟に二人だけで足を踏み入れるつもりには流石になれないので、誰か旅の道連れを探しているのである。地底に行ったことがあるのは霊夢、魔理沙と伊吹萃香くらいのものらしい。三分の二は妖怪じゃないが異変解決のためだったようなのでおかしいところは何も無い。

 で、その中で先ずは博麗の巫女さんにお願いしに来たわけだ。理由は単純、一番暇そうだったから。というのは流石に冗談で、何処に居るのか目星が付けやすかったからだ。魔理沙は自宅を張ろうにも魔法の森はただの人間には辛いものがある。萃香は神社にいることが多いのだが、能力のせいもあって一番見つけにくい。そうすると、常に神社でお茶でも飲んでそうな霊夢がトップバッターになるのは自然の流れというやつだろう。歩いてるのはただの趣味だ。

「さあて、到着っと」

 相変わらず無駄に長い石段を登り終えてどでかい赤鳥居をくぐり抜ける。本当は一礼してから入るのが礼儀のようだが、巫女が守ってないので大丈夫だろう。霊夢は竹箒で参拝道を掃いていたが、こちらに気付くなり「素敵なお賽銭箱はあっちよ」と持ち前の賽銭欲を見せてくれる。別に食うに困ってるわけでもないし本人もそう使うわけじやないのにどうして賽銭ばかりは欲しがるのか。賽銭さえ手に入れれば巫女の仕事が果たせると思っているのかもしれない。そうしたら霊夢は巫女失格だが。

 それでも俺の方も頼みごとがあるので賽銭はあげておくべきだろう。物凄く打算的だが願掛けなんてどうせそんなもんだ。適当にばらりと賽銭箱に投げ入れてやると高速移動で確認しに行くがめつい巫女。これで笑顔でも見せてくれれば年頃の女の子らしくて愛嬌があるのだが(賽銭の時点でおかしい気もするが)振り向いた霊夢は怪訝そうな顔だ。

「何か、企んでない?」

 流石、博麗の巫女といったところか。霊夢の勘が良いだけかもしれないが、どっちにしろ打算的な感情は見破られてしまったらしい。別にそれで困るって話でもないから構わないけど。俺は肩をすくめてそれに返す。

「ちょっと頼みたいことがあってな」

「何? 賽銭入れてくれたし話くらいなら聞いてあげるけど」

 やはり賽銭効果は凄まじいな。これだけで相談料にはなるのか。でも全て直感でどうにかしてしまう巫女に相談って無意味な気がする。と、それは置いといて、話を聞いてくれるというのだから素直に話してみよう。

「ちょっと、地底に行く用事があってな」

「用事? 何をどうやったら地底に用事ができるのよ。あんたの事だからどうせ紫絡みでしょうけど」

「間違ってなくもないがそんなに関係無いな」

「どっちでもいいわそんなの」

 聞かれたから答えたのに、酷い扱いだ。と言っても霊夢にとってはどうでもいいことなのだろう。実際どっちでもいいしな。紫が絡んでいたところで話の胡散臭さが増すだけだ。あれ、結構致命的だ。

「地底に行ったことがあるっていうから、案内を頼みたいのよ」

「嫌よ面倒くさい」

 即答だった。取り付く島も無いとはこの事か。賽銭(わいろ)をもっと積めば揺らぐかもしれないが、それは最後の手段にしておこう。まだ万策尽きたわけじゃないし。

「そう言わずになんとか頼めないか」

「嫌だって言ってるじゃない。そもそも私だって地底のこと良く知らないわよ。異変の時に地霊殿とかいう屋敷まで飛んでっただけだし。萃香に頼めば? あいつ今は中で飲んだくれてるわよ」

「ああ、萃香が来てるのか」

 それはそれで好都合だ。ここは一旦引いて萃香に頼んでみるべきだろう。二回目の交渉の時も萃香に断られたからと言い訳がつく。ちなみにどうしても駄目だったら紫が目覚める春まで待つ。心が逸っているだけで、急ぎではないのだ。

 霊夢に許可を得て、萃香が飲んでいるという部屋まで向かう。まだ離れているというのに酒の匂いが漂ってくるところからすると能力は使ってないようだ。つまり、まだ居るってことだな。

「萃香ー、邪魔するぞー」

「邪魔するなら帰ってー」

「はいよー、ってそんな古典的なギャグやりにきた訳じゃないっての」

 妹紅に変な目で見られたじゃないか。こういうお約束ってついノッてしまう時あるよな。別に関西生まれでもないけど。ってか萃香はなんでこんなネタ知ってるんだか。紫か、紫なのか。

「あっはは。珍しいね、私に何か用かい?」

 愉快そうな萃香の声で、紫が大阪のオバチャンみたいな喋り方しているのを想像していた俺は我に返った。萃香の方は何だかんだで俺達が頼みごとをしに来たことに気付いているようだ。もしかしたら霧になってこっそり聞き耳立てていたのかもしれない。

「地底の案内を頼みたいんだよ。野暮用があって地霊殿ってとこに行きたいんだ」

「地霊殿? そりゃまた珍しい所に行きたがるものだね。さとりに会った所で何かあるとも思えないけど」

「そのさとり妖怪に聞きたいことがあるんだよ」

「へえ、詳しい話を聞かせてもらっても?」

 一瞬言葉に詰まる。別段隠す必要も無いが、話すのもなんとなく憚られる。私事以外の何者でもないからな。でも、頼み事をする以上黙りってのも悪いな。

「それはちょっと言えないんだけど・・・・・・」

「いや、妹紅」

 俺が話したくないのだと感じ取ってくれた妹紅がはぐらかそうとするのを止める。その気配りは本当に嬉しいけど、今は言わなきゃいけない時だろう。そう腹を決めて口を開く。

「俺の体質に関して、さとり妖怪が何か知ってるらしいんだ」

「ふうん、教えたのは紫かな?」

「御名答」

 俺が聞いたのは妹紅からだけどな。紫はどこから仕入れてきたのか。それは知らない。あれの情報網なんて俺に到底理解出来るとも思わないし、本人が俺に言わないってのは俺に知らせたくないってことなんだろうよ。皆俺のことを気にかけてくれていて涙が出る。それを全部無視してしまってるのが俺だが。

「成程ねえ。でも危険を冒してまで知りたいことなのかい?」

「喧嘩しなくても生きていけるけど、目の前に強そうな相手が居たら喧嘩ふっかけるだろ」

「それもそうだ」

 鬼にとってなら非常に分かりやすいだろう例えを持ち出してみれば、予想通り理解してもらえたようだ。これで分かるとか本当に鬼って種族は恐ろしいな。

「ま、暇だし付き合ってあげてもいいけどね。地底の連中とも久々に呑みたいし。でも、ただ働きってのは頂けないねえ」

 萃香の言葉にそれもそうだと気付く。霊夢だったら賽銭で靡かせようと思っていたが、鬼が相手だと何が喜ばれるだろうか。安直に考えるなら酒だろうが、鬼が満足するような酒なんて俺は知らない。そこらの安酒では対価にならないだろうしな。だからといって高い酒は手が届かないし、外の酒は持ち込んでいない。

「どうすりゃいいんだ?」

「特に思いつかなかったんだね。困った時は素直に聞く、そうやって誠意ある対応するの嫌いじゃないよ」

 萃香はまたぐびぐびと酒を呷りながら大きく息を吐く。酒気を散らしているのか酒臭いとは感じない。本人も素面ではないにしろ、悪酔いしている様子は見られないし、それ程の無理難題では無いだろう。

「っても私もあんたにしてもらいたいことって別に無いんだよね。喧嘩が強いわけでもないし」

「じゃあ残念ながらってことか?」

「うんにゃ。別にあんたにしてもらいことは無いけど、頼みごとしてるのはあんただけじゃないだろう」

 そう言って萃香は妹紅を見る。そういえば、萃香はやけに妹紅に興味を持っていたな。以前の宴会の時に遠目からでもはっきり分かるくらいご執心だった。異変の解決者だからだろうか。

「私は藤原妹紅と決闘を所望するよ。それが地底を案内する条件だ」

 妹紅が困った方にこっちを見てきた。どうすればいい、なんて表情だ。これは困ったな。俺は出来る限りのことをやるつもりでいたが、付き合ってくれてる妹紅にまで迷惑をかけるのは嫌だな。

「嫌なら断っていい。俺のわがままに付き合う必要なんか無いからな」

 どうすればいい、って悩むのは嫌だからだ。だったらそれを無理強いするつもりは無い、というか出来ない。妹紅はしばらく考えるように瞑目した後、一つ頷いて口を開いた。

「分かった。その決闘、受けるよ。でもやるのは案内が終わってからね」

「私はそれで構わないよ」

 良いのか、なんて言い掛けた口は萃香の満足そうな声に押し止められた。俺が口を挟もうとこの二人の間で成立してしまったらしい。それなら俺がとやかく言うのはお門違いだろう。

「それじゃあ詳しい予定が決まったら教えとくれ。しばらくはここ(博麗神社)に居るだろうからね」

「・・・・・・ああ、分かった」

 どことなく納得がいかないものの、素直に頷いて俺と妹紅は博麗神社を後にした。

 

 

「良かったのか?」

 帰り道、俺と妹紅の他に誰も居ないことを確認してから妹紅に話し掛ける。まだ日は暮れていないが、今日はもう家に帰ろうと二人で決めて、参拝道を歩いている最中だ。博麗神社だし他の誰かが歩いているとも思えないが、念のためなのか声が小さくなってしまった。

「何が?」

「萃香との決闘を受けたこと」

 好きでオーケーした訳じゃないことは分かっている。妹紅は輝夜という例外を除けば基本的に争いは好まないから、決闘なんて言われても嬉々として受けることはない。俺のせいで嫌々選んだならそれはとてもじゃないが案内人が決まったと喜べない。そういう意味で言ったのだが、何故か変な顔をされた。

「八房、私に喧嘩売ってるの?」

「なんでだよ」

「そうじゃないなら、馬鹿じゃないの。いや馬鹿にお人好しなのは知ってるけど」

「おい待て、結構酷いこと言ってるぞそれ」

 俺そんな怒られるような事言ったっけか。自分としてはそんなつもりは欠片も無いのだが。むしろ妹紅のことを心配していたと言うのに。

 そんな俺に対して妹紅はがっくりと肩を落として非難する。態度で示されても分からないものは分からない。紫とかみたいに頭の回転が早いわけでもジョークへの理解が深いわけでもないんだ。

「あのね、最初にさ。一緒に行くって言ったでしょ。だから私だって地底に行くのが目的だし、八房にむりやり引き連れられてるわけでもないんだから」

「そりゃ、そうなのかもしれないが」

「それに、こんな時に助けるために私が居るんでしょ」

 ハッとした顔になる俺を尻目にしてやったり、みたいな感じの妹紅の顔は俺より幼いようで。でも頭の上がらない年上のようにも見えて。どっちにしたって深く感謝したくなるような恋人の笑顔だった。

「本当、お前と一緒に居られて良かったと思うよ」

「また真顔で恥ずかしいこと言うなあ」

 そんな言葉を漏らすと妹紅が唇を尖らせる。確かにちょっと気取った台詞だったかもしれない。

「俺はもう告白ん時に吹っ切れたからな」

 まあ当然嘘で、言ってから悶えそうになってるんだけど。歯の浮くような台詞ってのはふと口をついて出てくるくせにその後に大ダメージを与えてくるから厄介なものだ。

「確かにあれより恥ずかしい事もないだろうけどさ」

「さて、地底に行くまでにちゃんと準備しなきゃな」

「あ、露骨に話逸らした」

 あれは今でも黒歴史なんだよ、放っといてくれ。妹紅も思い出したのか顔が赤くなってるしこれ以上は危険だ。地底の話題にすげ替えると、妹紅もなんだかんだすぐに乗ってきた。地霊殿には動物が沢山いるらしいとか、地底のアイドルとやらが居るらしいとか、妹紅は子供のように目を輝かせて話をしてくれる。そんな他愛も無い話をしていると、時間はあっという間に過ぎていってしまうもので、気が付けば家の目の前までたどり着いていた。ここもまたしばらく空けるのかと思うとやや感慨深いものがある。けして住み心地のいい家じゃないけどな。

 地底はどんな場所なのだろうか。話していて思ったよりも興味を持っている自分もなかなか子供っぽいのだなと気付いて思わず笑ってしまった。そんな一日だった。

 




おに の すいかが なかまに くわわった!

というわけで萃香さんも地底旅行にいらっしゃい。
最初は二人旅の予定だったのですがたどり着ける気がしなかったので案内役として序盤から出ておきながら影の薄い萃香さんを追加しました。


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蜘蛛の糸に掬われて

更新遅れて申し訳ないです。まあ待ってる人がいるかはさておいて自己嫌悪として。

今回はサブタイトルから分かる通りあのアイドルの登場です。少々短いですがどうぞ


「しかし、本当に地底への入口があるとは」

 自分の足元の先、うっかりすれば落ちてしまいそうな大穴を見下ろす。数メートル先まではまだ光が届いているけれども、それ以上は真っ暗闇だ。一般人が足を滑らせたら先ず命は無いだろう。ただの人間がここまでたどり着く事もそう無いだろうが。なんてったって俺達が今居るのは妖怪の山のさらに奥の方だ。俺も初めて来た。萃香と文が居なければそもそも入ることすら出来ないだろう。

 それにしても文はやけにあっさり通してくれたな。鬼はかつての上司だからとか何とか言っていたが、今の上司には報告しなくて良かったのだろうか。どうせ鬼には逆らえないということだろうか。

「おーい、何ぼーっとしてんのさ」

「ん、ただの考え事」

 当の元上司様に声を掛けられて逸れた思考を本筋に戻す。これからここに入るのだと考えるとちょっと憂鬱にもなろうというもの。飛べるようになったとはいえ、やっぱり不慣れなので落ちた時のことをつい想像してしまうのだ。妹紅に吊るされて遊覧飛行した時とそう大差はないと思うが。

「じゃあ八房は一番最後についてきてね」

「おう」

 最初に萃香、次に妹紅が降りていくのを見届けて、よし、と気合いを入れる。自分も早く降りないと置いてかれるな。こんな所で迷うなんて真っ平御免だ。意を決して俺も足を踏み入れた。

 

 下に二本角ともんぺ姿がはっきり見えるのを確認する。光が届かなくて最初は見失ってしまったかと焦ったが、目が慣れてくると辛うじて分かるようになってきた。どれくらい降りたのかは分からない。上を見れば遠くに光の点、下を見れば奈落の底と思わしき闇。周りを見渡すとごつごつした岩壁でここが何処だかまるで分かりゃしない。こんなに潜ったらマントルにでも到達してしまうのではないだろうか。実際にはそんなこと有り得ないと分かっていても距離感が無くなっている今ではまさかと思ってしまう。なんだか子供の頃に林の中で迷った時のような気分だ。幻想郷を初めて歩いた時にも似ている。ようするに何が出てくるか分からない恐怖という奴だろう。

 でも、萃香も、それに妹紅も居るし何かあれば何とかしてくれるだろう。その為にわざわざ後ろに居るんだし。ただの人間があれこれ悩むより本職に頼んだ方が賢明だ。

 そんなことより地底についてからどうするかについて考えた方が良いだろう。俺達の目指す地霊殿は地底でもこの入口から離れた所にあるらしい。そうなると地底をある程度歩くか、空を横切る必要があるのだが、そうすれば十中八九鬼と遭遇すると言う。一応鬼に絡まれたならば萃香がどうにかしてくれる手筈にはなっている。しかし、萃香でも手に負えないのが一人いるらしい。確か名前は星熊勇儀。かつて萃香と一緒に鬼の四天王として山を治めていた実力者らしい。後二人誰だよというツッコミはさておいて、その勇儀とやらも鬼の常として喧嘩好きの酒好き。出会ったら先ず喧嘩をふっかけられて、まあ死ぬだろうと言われてしまった。

 それに地霊殿に着いてからも問題は山積みだ。紫が手紙を出してくれているとはいえ、主の古明地さとりは嫌われ者の嫌い者で有名らしい。心を読むとは言うが、そこまで嫌われるものだろうか。鬼も嫌うってんだから能力より性格に問題があるのではないかと思う。まともに話を聞いてもらえるかどうかすら微妙だ。

 

────コォォォォォ

 

「なんだ?」

 聞こえてくる謎の音がまたも思考を中断させる。物を考える時間すらくれないのか。地底とは厳しいところだ。

 何処から音がしているのだろう。こんな風みたいな音がするような場所は見当たらないし、妹紅と萃香も俺よりもっと下で何事も無く降りている。二人が何も気にしてないなら俺の考えすぎか。やっぱり妖怪の世界というだけあって緊張しているらしい。もう少しリラックスしないといけないな。深く息を吸い込んで──その瞬間首が離れるような気がした。

 

 咄嗟に両腕を身体の前で交差させて首筋を守る。風切り音は一気に大きくなって音の主が俺の前に現れた。

「もぉぉらぁいぃぃぃ!」

 緑色の髪をツインテールにした女の子が鎌を持って桶に入って突進してきた。いや冗談ではなく。振り抜かれた鎌を気で強化した腕で防ごうと試みると、美鈴との修行の成果が出てくれたのか腕で鎌は止まり、首元までは刃が届かなかった。しかし、だからといって無傷でやり過ごせるわけでも衝撃を抑えられるわけでもなく、突進した勢いのまま思い切り壁に叩きつけられる。

 あ、やばい。後頭部を強く打ったせいで意識が朦朧とする。飛ばなければやばいのに力が入らない。体ががくんと崩れた。視界が逆さまになり、驚いた顔の妹紅と目が合う。突然の出来事に反応できなかったのか呆けた表情の彼女を通り過ぎて、俺は奈落の底へと落ちていき、意識を手放した。

 

 

「おっ、目覚めた?」

 見覚えの無い天井。腕が痛むということは死ななかったということだろう。あの高さからなんで生きてるのかは分からないが、女の子の声が聞こえたことと腕の痛みが思っていたよりは軽いことを考えると、地面に激突する寸前に助けてもらったとかそんな所だろう。腕にビブスらしきものが着けられているが、この子がやってくれたのだろうか。

「ああ、最悪な目覚めだ」

「まあそんな怪我してたらね。妖怪に襲われてつい逃げ込んだって感じかい」

「当たらずとも遠からずって所だ。っと、いてててて」

 起き上がろうとすると流石に腕に力が入らない。そんなに深くはないようだが、妖怪じゃないし、意識して我慢できるだけマシだ。仕方が無いので身体を浮かして寝ていた状態から胡座に体勢を変える。天井の岩しか見えなかった視界が、金色の髪の少女を捉える。また金髪か、幻想郷って実は外国にあるんじゃなかろうか。まさかそんなはずは無いと思うけどな。どっちにしろ今は無駄な思考に時間を割いている余裕は無いだろう。妹紅達とも合流しなきゃいけないし、妖怪に襲われたら一溜りも無い。目の前の女の子も妖怪なんだろうが、助けてくれたってことは話の分かる妖怪ってことだと信じよう。

「助けてくれてありがとうな。えっと・・・・・・」

「黒谷ヤマメだよ」

 ヤマメと名乗った少女は水の入った湯呑みにストローを差して持ってきてくれた。俺も自分の名前を名乗ってからそれを有り難く頂く。

「礼を言われるのも悪いもんじゃないね。人間がこんな所に来るなんて正気の沙汰じゃないよ? 送るくらいならしてあげるから早く帰りな」

「あー。心配してくれるのは有り難いが地底に用があってわざわざ来たんだ。そう簡単には帰れない」

「地底に? 人間が?」

 凄い怪訝な目で見られた。そりゃまあ普通はそうだよな。妖怪の巣窟に好き好んでやってくるなんて自殺志願者以外の何者でもない。

「ま、知り合いとはぐれちまってね。ゆっくり降りてたら緑髪の桶に入った女の子に叩き落とされたんだ」

「ふうん。そりゃキスメだね」

「キスメ?」

「そ、釣瓶落しのキスメ」

 釣瓶落としって妖怪なのか。秋の日は釣瓶落としなんて言うが、あれは確か釣瓶が井戸に落ちるのと秋の日が暮れるのが早いのを掛け合わせた言葉だったから、それを考えるとすとーんと落ちてくる妖怪だろうか。そのイメージとはちょっと違うような気がする鎌持ってたぞあれ。

「ああ、その釣瓶落としのイメージとはちょっと違うよ。そんな生易しいもんじゃない」

 ヤマメが何故か笑いをこらえながら間違いを訂正する。ヤマメ曰く、釣瓶落としとは木の上から急に落ちてきて人の首を刈り取ってしまう妖怪だという。怖い妖怪じゃねえか。あと釣瓶なのに井戸関係ねえ。で、俺が襲われたのはまあ人間が降りてきてたからだろうと。つまり妖怪の本分として俺を食おうとしたらしい。

「あんた美味そうだもんねえ」

「ヤマメは食おうと思わなかったのか?」

「ん、食べられたかった?」

「いや全く」

 だから食べられたい人間なんて居ないから。そういう分かりきった質問はやめてほしい。ちょっと出してる妖力増やすのはさらにやめてほしい。怖いから。

「ま、アンタを食う気にはなれないさ。毒キノコに当たったら嫌だからね」

「誰が毒キノコだよ」

「アンタのことだよ。まあそれなりに長く生きてると、襲っちゃあ駄目な奴ってのがなんとなく分かるもんなのさ。アンタはその中でも特別やばい匂いがする。源頼光クラスだ」

「頼光って妖怪退治で有名な人じゃねえか。そんなのと一緒にされても困る。というか会ったことあるのかよ」

「あるよ?」

「えっ」

 源頼光といえば酒呑童子、つまりは萃香を退治した人間だ。そんなのと関わりがある妖怪ってかなりの大物じゃねえのか。

「ま、仲間が斬り殺されたんでどんな奴かなって人の姿で二、三話をしたくらいだけどね」

「仲間が殺されたのか」

「知り合いじゃなかったから完全に興味本位だけど。ほら、有名な能にもなってるじゃん。土蜘蛛って」

「お前土蜘蛛だったのか」

 冗談抜きで大妖怪じゃないか。そうだよ、なんて手首の辺りからヤマメが糸を出す。腕のビブスもその糸で作ってくれたものらしい。

「数日は動かせないと思うけどね」

「やっぱそうか。困ったな」

 死ねばまた元通りなんだろうが、それは本当にどうしようもなくなった時だけにしたい。というか普通に死にたくない。

「連れが居るんだったら探してもいいけど、どっちにしろしばらくは安静にしておかないと駄目だよ」

「この状況で一人で彷徨く程馬鹿じゃないさ」

 早く妹紅達に合流したい気持ちはあるけどな。急がば回れなんて言うしな。

 それにしても、糸か。糸の魔法はアリスから習ったが、実用段階にはならなかったな。基礎しか習ってないから当たり前のことではあるが。

 試しに糸を出してみる。ぐにゃとした青色の糸が浮かび上がるけど、動かそうとするとすぐに消えてしまう。

「なんだ、アンタも糸使うのかい」

「使いたくても使えないんだよ。ま、気長に練習するしかないさ」

「へえ」

 俺が糸を改めて出すとヤマメが興味深そうに覗き込んでくる。彼女が糸を掴むとまた煙のように消えてしまった。

「これじゃいつまで経っても使えるようにはならないね。基礎がてんでなってない」

「一応習ったんだけどなあ」

 土蜘蛛は魔法の素養もあるのか。しかし、戻ったらアリスにもう一度習いに行くかな。基礎が出来てないと言われたらどうしようもない。

「よし、じゃあ動けるようになるまで私が糸の使い方をみっちり教えてやろうかね」

「妖怪の糸と魔法は違うんじゃないのか」

「本質はそんなに変わらないよ。それに私が教えるのは魔法じゃなくて糸その物。それが分からなくちゃ魔法だろうとなんだろうと役に立たないよ」

 糸を知ることが大切なことだとヤマメは言った。確かに糸について良く知ってるかなんてことは言えないな。アリスの魔法を見て使えたら楽そうだと思っただけだし。真面目に習ってみるのも悪くない。

「それじゃ頼む」

「任せたまえー」

 妹紅達に無事を伝えられないのは辛いけれど、今は今出来ることをやるしかない。

 

「ところで、ヤマメはなんでこんな良くしてくれるんだ?」

「んー、そりゃまあ愛想は良くしないとね。ほら私って地底のアイドルだし」

「えっそうなのか」

「えっ」

 




八房魔改造計画。
そしてまた引き離される妹紅と八房。この二人はどうしてこんなにバラバラになるんでしょうね。
次回はおそらく八房とはぐれた妹紅と萃香サイドの話になると思います。


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鬼に目を付けられる

気付けば早2ヶ月。申し訳ない……


「それで、こんな所にわざわざ聞きに来たの。全く大した色ボケ具合で妬ましいわね」

「萃香、こいつで大丈夫なのか?」

 

 なんだか最初の一言から馬鹿にされたような気がする。地底のほとんどの妖怪が住んでいる歓楽街、旧都と呼ばれる場所へ入る道、ちょうど入口になる橋の欄干にもたれ掛かって腕組みをする相手は、水橋パルスィと言って、橋姫という種族らしい。魔理沙よりも手入れがしっかりされていて、紫と比べても遜色無いくらいに綺麗な金髪と、吸い込まれそうな緑の眼。尖った耳も幻想的で、女の私から見ても整った顔立ちだと思えるが、それでいて他人の嫉妬心を煽って仲違いさせてしまうというのだから驚きだ。嫉妬を糧にする妖怪とはまた面倒そうなものに会ってしまったものだ。

 八房とはぐれてもう二、三日。あの桶妖怪を叩き落とした後、一歩も進まずに探したのにあいつは見つからなかった。慌てふためいていた私をここに連れてきた張本人は、私と彼女のやり取りの何が楽しいのか、大笑いしながら大丈夫大丈夫と酒を呷っている。

 

「なんだかんだで面倒見はいい奴だから」

「わたしみたいな妖怪を面倒見が良いなんて形容する能天気さも妬ましいわ。そしてそれを簡単に信じてしまう貴女のお気楽さも妬ましい。幾ら鬼だからって相手は妖怪、嘘は吐かなくても騙しはするかもしれないのよ」

 

 もしかして私のことを心配してくれているのだろうか。警告じみた言葉なんて言う必要はないのに。

 

「ほらな、言っただろ面倒見がいいって」

「うん、確かにそうみたい」

「そうやってすぐに信用してしまう素直さも妬ましい」

 

 呆れたように橋姫が首を振るけれど、どうにも格好がつかない。妬ましい、なんて口では言っているけれど、そんなに不機嫌そうでもないし。案外、根は良さそうな妖怪だ。妖怪に性根の話なんかしても意味は無いだろうけど。

 

「それで、どんな男だったかしら。その妬ましそうな男は」

「あ、やっぱりちゃんと聞いてくれるんだ」

「自分に都合のいい考え方をするところも妬ましいわ。早く言いなさい」

「うん、えっと」

 

 彼女に促されるままに、私は八房の特徴を説明する。ボサボサの鳥の巣みたいな頭で、目がちょっと怖くて普段は怒っているような顔をしていること。背はそこそこ高くて、白いシャツと青いズボンを履いていること。こうして見ると結構特徴的っていうか、あんまり同じ格好をしてる人って居ないような。人里で数回見かけたことがあるくらいか。きっとその人達も外来人だったのだろう。外の世界では結構見た覚えがある。菫子はこっち側っぽい服装だったけれど。

 パルスィは口元に手を当てていたけれど、やがて大きく肩をすくめた。

 

「残念、そんなお目出度い男が通るのなんて見てないわね」

「そっか」

 

 残念ながら当ては外れてしまったようだ。八房だったらずんずん進んで行ってしまうかと思ってたのに。いや、血を流してたからどこかで傷を治してるのかな。別に旧都に入る道はこれ以外にもあるし、最初の道はちび萃香がまだ探し回っている。私達は先に入ってしまった方が良いだろう。そう言ったのは萃香なんだけれど。

 

「じゃあ見かけたら教えてくれないか」

「すぐに次の思考に切り替わる前向きさも妬ましいわね。そんなことしなくてもその鬼の一欠片でもそこに置いていけばいいのに」

「私は見張りとか苦手なんだよね。それにもう分割しちゃってるし」

「はあ、貴女達が探してたことくらいは教えてあげるわよ。それ以上はしないわ」

「それだけでも充分だよ。ありがとう」

「礼を言うのに躊躇しない無邪気さも妬ましいわ。用が済んだならさっさと行って頂戴。私だって暇じゃないの」

 

 ぷいと顔を背けてしまうパルスィにもう一度礼を告げて、橋を通る。他人に感謝されるのは慣れていないのだろうか。耳がほんのり赤くなっているのが見えた。

 いい妖怪じゃないか、なんてことを思っていたら萃香が何か言いたそうにこちらを見ていることに気付いた。

 

「アンタもパルスィのこと言えないと思うよ」

「えっ、何が」

「そのくらい自分で気付きなよ」

「ちょっと、本当に何のことよ」

 

 萃香はそれ以上何も教えてくれなかった。

 

 

「怪我の治りも早いもんだねえ。不死身ってのはそういう部分にも効果があるのかい?」

「そういう訳じゃないと思うけどな」

 

 糸の操作を気力に任せていたのが原因だと思う。この世界の気力って死ぬ程便利だな。傷も治るし頑丈になれるし武器にもなる。どうして誰もが習わないのか疑問なくらいだ。

 ヤマメから糸の扱い方を習って三日目、結局のところ俺には魔力を扱うだけの技術がないことが良く理解出来た。才能がないわけじゃないが、経験不足と言うべきか。まあ何年も研究してようやく使える魔術を、ただの人間が一ヶ月かそこらで使えるようにはならないということだ。最初に糸を出せたことだけで充分凄いことだろう。

 そして、じゃあ糸を動かす原動力の代用品は何があるのかというと、気力、妖力の二択だ。もちろん妖力なんてけったいなものを使うつもりはさらさらないので気力を選んだ。使い慣れてる力の方が動かしやすいのは当たり前で、一気に難解な操作もできるようになった。と言っても、宙に浮かべたまま蝶々結びができるようになったくらいで、アリスやヤマメの様な動かし方はとてもじゃないが無理だ。

 

「当たり前でしょ。そう簡単にやられたらこっちの立つ瀬が無いわ」

「それもそうだけどな」

 ホームランに憧れて野球を始めたってゴロが打てれば良い方だ。地道に訓練でもするさ。

 

「それよりも、萃香が居たって本当なのか」

 

 この数日、ヤマメは手を上手く動かせない俺を手伝ってくれた。何より一番助かったのは食事のことだ。最初は食べさせてくれようとしたのだが、流石にそれはとこちらから丁重にお断りした。その代わりに、手を酷使しなくても食べられる握り飯などを作ってくれるよう要望してみると快く引き受けてくれたので、餓死することにはならなかった。さらには遠巻きながら妹紅達を探してくれたのだから本当に頭の下がる思いだ。

 こうも親切にしてもらうと、何か裏があるのではないかと疑ってしまうが、そもそも土蜘蛛という、力を持った妖怪がただの人間に恩を売る必要はどこにもない。

 

「遠目に見ただけだけどね。すぐに見失っちゃったし、あっちも気付いてくれなかったし」

「それなら、そろそろ合流しないといけないな」

 

 妹紅をこれ以上心配させるわけにもいかないしな。

 腕のビブスはもうとっくに外れていて、動かすことで痛みが走ることもない。

 

「旧都に入ったんなら、あいつに聞けば分かるだろうし、心配することもないさ」

「あいつって、前に話してたパルスィって奴か」

 

 橋に住んでいるなんて言うとホームレスみたいだが、橋姫っていう妖怪らしい。嫉妬深いのが特徴と言っていたが、入口に常に居座っているなら、人の出入りには敏感なのだろう。

 

「行こうか」

 

 ヤマメの言葉に俺は頷いた。

 

 

 水橋パルスィに会うのはそれほど難しくはなかった。話し方が独特なせいで多少面食らった部分もあるが、概ね良い妖怪(この言い方は随分語弊を招くが)だったと言えるだろう。そもそも妹紅達も既に彼女に捜索を依頼していたようで、開口一番「貴方が例の人間ね、全くもって妬ましそうなオーラだわ」と言われてしまった。良く分かったな、と返したが、見れば分かるとヤマメにまで言われてしまい黙らざるを得なくなる。そりゃ外の世界の服装はこっちにはわりと突飛に映るかもしれないが、それならこっちから見ても皆特徴的過ぎて分かりやすい。と、だから一発で分かられたんだった。

 それと、妹紅達は旧都にもう入っているらしい。残念ながら詳しい位置までは知らないとのことだったが、こちらとしてはこの街に居ると分かっただけでも大収穫だ。なんたって同じ広さでも人の集まる場所の予想が立てやすい。大通りを彷徨いていれば、見慣れた姿なのだからすぐに見つかるだろう。

 

「さあて、すぐに見つかるといいけどね」

「そうだな」

 

 ヤマメはなんだかんだ最後まで付き合ってくれるようだ。本人曰く、立ち会った方が面白そうだから、と言う事で、それにはパルスィも激しく同意していた。それどころか自分もついて行ったら面白いかもしれないとまで言い出す始末。冗談だったのか、本当に橋を離れることはなかったが。

 旧都は時代劇にでも出てきそうな装いだ。単純に昔の街並みならば、人里もそう変わりはないのだが、それよりも夜の街といった側面、とでも言うべきだろうか。都全体が歓楽街のように騒がしく、見栄えのする光景になっている。川がある、というのも大きな違いだろうか。人里は井戸から水を汲み上げているから、大きな川がない。年中夜のような街の、飲み屋の赤提灯に照らされてキラキラと輝く水面。実に良い。月明かりに照らされる霧の湖もなかなか乙な物だが、こっちは賑やかさがある。

 芳しい焼き魚の匂いが鼻腔を擽った。帰りには妹紅と飲みに行きたいものだ。萃香が居てもいいんだが、あいつが居ると潰れるまで飲まされるからな。ゆったり飲むのが好きなんだ俺は。飲んでは吐いてってのは俺のタイプじゃない。

 ほら、また酒臭い匂いがしてきた。周りにここまで漂っているとなると相当飲んでいるな。少しは抑えてくれないかね。

 

「おっ、ヤマメじゃないか」

 

 ふいと見た酒臭い集団の先頭、額の一本角についた星のマークが良く目立つ、屈強な男達を引き連れた女性が軽く盃を持った手を挙げてこちらに声をかけてきた。ヤマメの知り合いか。角があるということは鬼だろうな。紅い角、星マーク、どこかで聴いたことがあるような。

 

「おや、勇儀じゃないのさ」

「連れてるのはアンタのオトコ、って感じでもないみたいだね。どちら様だい?」

 

 ああ、思い出した。そういえば、来る前に萃香から聞いた名前だ。鬼の四天王に星熊勇儀という名前の鬼がいると。単純な力なら萃香よりも数段上らしい。鬼の中でも同じ四天王である萃香より、さらにランクアップしてるとか、想像するだけでも恐ろしい。目の前の相手は勝ち気な姉御肌なんて感じで、確かに腕っ節は強そうだが、傍目には流石に岩を砕くほどには思えない。まあ萃香がそもそもあの幼女っぷりだから、そんなのは欠片も当てにならないんだけれども。

 

「萃香がちょうどこっちに来てるらしくてね、一緒に来たけどはぐれちまったんだと」

「へえ」

 

 どうはぐらかそうかと考えていたものの、ヤマメがあっさりと答えてしまった。興味深そうに勇儀がこちらを見つめてくる。

 

「若丘八房だ。ただの人間だよ」

「そうかい、私は星熊勇儀。一応ここの顔役をやらしてもらってる。アンタのことは萃香から聞いたよ。何でも不死身なんだって?」

「死んでも生き返るだけだ」

 

 一番知られたくないことが既に知られてしまっているらしい。萃香から聞いた性格が本当ならば、かなり不味いことになったかもしれない。

 

「まあ死なないんならちょうどいい。こんな所に来るんだからそれなりにやるんだろ? ひと勝負しようじゃないか」

「俺は戦えないって言われなかったのか?」

「いやー、隠してるかもしれないし、生き返るんなら殺しても大丈夫だろう」

「大丈夫じゃねえよ」

 死ぬから。

 

 俺の否定などお構いなしであるかのように勇儀はパキポキと首を鳴らす。その間も盃を抱えたままだ。

 

「やってくれたら、さとりんとこまで連れてってやるよ。あいつは妖怪嫌いだからな、門前払いされるかもしれないだろ」

「書簡を既に送ってるよ」

「あれは手紙なんかじゃ動かないよ。どうせスキマ妖怪だろ? 中身も見ずに破り捨てられちまってる」

「それ、戦いたいからって出任せ言ってるんじゃないだろうな?」

「私は鬼だ。嘘なんかつかないよ。勘はちょっと入ってるけど」

 

 俺の言葉に勇儀は気分を悪くしたのか鼻をフンと鳴らす。鬼に対して失礼だったか。

 しかし、これは相手しないと離してくれそうにない。どうしたものか、と考えていると、ヤマメが「どうする」といった視線でこちらを見てきた。頼めば取りなしてくれるのだろうか。だが、どこまでお世話になるべきか。これ以上迷惑かけるのもはばかられるし、一度は身体張らなきゃな。一つ試してみたいこともあるし。

 

「一回だけならな」

「おっしそう来なくちゃ」

 

 勇儀が後ろの鬼に何かしら話し、それと同時に他の奴らがばらりと囲むようにばらけた。ヤマメも軽い応援の言葉を残してその人だかりに混じっていく。今から始まるのはたぶんリンチなのに、随分なはしゃぎようだ。人が人を読んでどんどん騒ぎが大きくなる。地上以上にお祭り好きとは、まさかここまでのものだったのか。喧嘩は江戸の華って言うし、これもよくある光景なんだろうな。

 

「アンタが死ぬか、私の盃から酒がこぼれたら終いだ」

「了解」

 

 これなら妹紅も騒ぎに気付いてくるかもしれないな。手間が省ければ良いのだが。

 何か言われてた鬼はスタートの合図をするよう言われていたようで、俺と勇儀の間に立っておそらく上に放り投げるのだろう石をお互いに見せる。

 

 石が空に舞い、地面に落ちる。こつり、という音と共に、目を瞑っていても分かるほどの濃密な()が眼前に迫ってきた。自由な方の手でのパンチ。目に見えない程の速さで、どう考えてもパワータイプの速さではない。これで掠れば死ぬんだから不条理甚だしい。

 しかし、()()()()()()()()()

 

「っ!」

 

 辛うじて体を捻り、強烈な一撃を避ける。大振りな攻撃で助かった。最短距離を進んでくるような軌道だったら避けられなかったかもしれない。しかし、これで一つ疑問が解消された。美鈴は強い。今の一撃、ちょっと前の俺なら当然ミンチにされている。今生きてるのは美鈴に扱かれたからだ。もっと速い攻撃が三、四発は連続で飛んでくる。その結果、俺はそれに目が慣れ、元々素質があったらしい死に対する敏感さで避けることが可能なまでになった。

 だからさらに飛んでくる蹴りも避けられる。

 

「なんだ、やるじゃないのさ!」

 

 楽しそうに叫ばれるが、こっちは全神経を回避に注いでるのだから返事をする余裕などない。死なない、というだけで勝てる可能性は万に一つもないのだ。

 

「ほらほらほらぁ!」

 

 スピードがさらに速くなっていく。それでもまだ何とか紙一重で無傷を貫いているが、そろそろ限界かもしれない。美鈴とやる時と違って、完璧に避けられなければそこでゲームオーバーなのだ。破壊力は比べるまでもない。

 

「よくもまあこれだけ避けるもんだ。だけど、それならこいつはどうだい?」

 

 勇儀が大きく足を踏み込む。それだけで地面が揺れたような錯覚に陥った。視界がぐらついて、足がもつれる。

 やばい、と思った時にはもう遅かった。いや、最初から手遅れだったのだが。二回目の踏み込みで間合いを一気に詰められる。これはそもそも離れた間合いでもなかったから不思議なことではない。それなのに、威圧感だけがより一層強まった気さえする。

 

 三歩目。無防備な身体を渾身の一撃が貫いた。

 




しばらく急展開が続きます(更新も早いとは言ってない)


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さとりと無意識

こいしちゃんは出て来ません


「また貴女は勝手な約束をして。私が意地でも会わないと言ったらどうするつもりだったんですか」

「そしたら会ってくれるまで頼みこむだけさ。それに、実際アンタは通してくれたじゃないか」

「だからそれは結果論じゃないですか」

 

 誰かと誰かが話している声が聞こえる。両方とも女の声、っても幻想郷で聞くのは女の方が多いんだが。それで片方は聞き覚えがあって、そういや星熊勇儀に殴り殺されたんだったと思い出す。また生き返って目が覚めたんだろうが、ここはいったい何処だろうか。ソファか何かに寝かされている状態のようだ。話している二人は傍らで立ったまま、誰かが勇儀に説教をしているらしい。

 

「おや、お目覚めになったんですね。ここは地霊殿。貴方がたの目的地ですよ」

「ど・・・・・・」

「どうしてここに、ですか。それはそこな鬼が連れてきたからに決まってるでしょう」

 

 言いたい事を先に言われてしまい黙るしか無くなる。俺は仕方なく起き上がってソファに腰掛けた。二人をはっきりと視界に収めると、ぼやっとする頭を働かせて地霊殿の記憶を引っ張り出してみる。そういえば、紫の話によると、地霊殿の主ってのは。

 

「ええ、人の心を読むさとり妖怪です。随分落ち着いていますね。それともまだ寝ぼけているのでしょうか」

「なんだかいつにもましてキツイけどどうしたんだい?」

「別に、何もありませんよ」

 

 勇儀が地霊殿の主に軽口を叩くと、地霊殿の主は、それをむっすりとした顔で返し、大きな書斎机に備え付けられた安楽椅子に体を預ける。刺のある言い方に勇儀は冗談交じりに怖がる素振りを見せ、素直に黙った。主の方も、まだ何か言いたそうに唇を尖らせていたが、開き直った相手に皮肉を言っても無駄だと喉元の言葉を押し込めたようだ。その代わりにより一層眉間の皺が深くなる。

 ピンク色の髪は華扇にも似ているが、気難しそうな顔はどちらかというとパチュリーに似ている。人を見た目で判断するのは良くないとは言われるが、偏屈者という評価はあながち間違いではなさそうだ。

 それよりも、彼女は今()()()()と言った。まさか勇儀のことをさしているわけでも無いだろうし、ヤマメも姿が見えないからおそらく違う。ということは、妹紅達もここに居るということだろうか。

 

「お察しの通りです。藤原妹紅と伊吹萃香。両者ともこちらにいらっしゃいますよ。随分気が立っているようなので、別室でお待ちするようお願いしましたが」

「あー」

「怒ってるでしょうね。何度言ってもまるで効果が無いのですから」

「勘弁してほしいもんだ」

 

 こっちだって好きで死んでいるわけじゃないのだから。

 

「死にたがりの言う台詞じゃありませんね」

「ほっとけ」

「それに、頭では理解していても、心では納得の出来ないことだってあるのですから」

 

 その一言だけやけに悲しそうだった。嫌味ではなく、心からそう思っているような、それはつまり、彼女にもそういう思い当たりがあると連想させる様な。そんな言われ方したらこっちだって反論できないじゃないか。俺は死にたがりなんかじゃないのに。まるで俺の思考の方が間違っているとさえ思えてくる。

 

「間違ってますよ。いえ、認めていないと言うべきでしょうか。心を読むまでもありません」

「人の心を読むな」

「さとり妖怪に死ねと?」

「そうは言ってない」

「自重なら十分していますよ。心を読む部分だけですけど」

 

 常に先手を打たれると口では勝てそうにない。どうしてこう突っ慳貪にされるのか。ピンク髪には初対面で悪印象を与える能力でも持ち合わせているのだろうか。いや、パチュリーは紫髪だし、こころはピンク髪でも普通に懐いてくれてたか。別にそんな無駄に使いづらい能力を持っている心配はしなくて良さそうだ。

 それよりも、世間話をするためにここに来たわけじゃない。俺は自分が何者なのかを知るためにここに来たんだ。

 

「そう、ですね。確かに少々無駄話が過ぎました。私としても貴方がたを歓迎するつもりはありませんし、手短に終わらせてしまいましょう」

「あいつらは連れてこなくて良いのかい?」

「どちらでもいいですよ」

 

 勇儀の質問に地霊殿の主は否定とも肯定とも付かない、曖昧な答えを返す。そして、同時に俺の方に視線を投げかけてきた。俺に決めろ、ということなのだろうか。微かに揺らされた頭が、そうだ、と後押しする。

 

「私の能力では、貴方の心を誰かに伝えることは出来ません。彼女達が居たところで、私がすることも、貴方が受け取ることも変わりませんから」

「それなら────」

「そばに居てほしい、ですか。随分と惚けた頭をしているのですね」

「そこまで言われる筋合いはねえぞ」

「いや、惚気てるのは間違いないだろ」

 

 勇儀にまで呆れられた。何故だ、とあらためて考えてみると、なるほどこれは確かに恥ずかしい。余りに人に聞かせられる話ではないな。いや、まだ酷いなんてレベルだが、あの時の恥ずかしさに比べれば、って駄目だ思い出しちゃ。顔から火が吹き出そうになる。しかも、つい忘れてしまいがちだが、目の前に居るのはさとり妖怪なわけで。

 

「・・・・・・流石にそれは、よくそんなこと言えましたね」

「頼むからやめてくれ」

 

 相手にまで顔を赤らめられるとは、この八房一生の不覚。というか、本当にやめてくれ。精神的に死んでしまうから。あの頃の俺はどうかしていたんだ。あんな黒歴史は早く忘れてしまいたくなる。忘れることも出来ないし、忘れてはいけないことも確かなんだけれど。

 それと勇儀、玩具を見つけたような顔をするのはやめろ。

 

「おっ、何かいやらしいことでも考えてんのかい」

「貴女には関係有りませんから、さっさとお二方を呼んで来てください」

「はいはい分かったよ。一応私が蒔いた種だしね」

 

 最初に会った時と同じように豪快に笑いながら、勇儀が部屋を出ていく。廊下はフローリングの床で、壁も木造ではなくどちらかというと大理石のようだ。部屋の時点で薄々分かってはいたがここも洋風の屋敷なんだな。木造のでかい家だと落ち着かないからまだ楽だが。洋風だとほら、紅魔館とかで多少慣れてるからな。

 

「紅魔館? 妹からその名前を何度か聞いたわね」

「あんたに妹なんていたのか」

「居ますよ。貴方だってあったことがあるじゃないですか。それと別に普段から敬語で話しているわけじゃありません。口調が崩れたくらいで驚かないでください」

「はいはい」

 

 しかし、あったことがあると言われても、俺に妖怪の知り合いなんて、一般に比べれば多い方か。しかし、誰か居ただろうか。ピンク色の髪、機嫌悪そうな目付き、なんか生えてる目玉。目玉? そんなもんを付けてるのが他にも誰かいたような。

 

「ああ、もしかして」

「ご名答。まだ名乗っていませんでしたね。古明地こいしの姉で、ここ地霊殿の主である古明地さとりと申します」

「種族名がそのまま本名なのか」

「珍しいことではないでしょう? 人間にだって名前に人と付けることは少なくないではないですか」

「それもそう、そうか?」

 

 なんだか違うような。まあ深入りすることでもないか。言われてみれば似ていないこともない。性格は正反対のようだけど。

 

「それは生来生まれ持ったものですから。それと、貴方はもっと妹に、こいしに感謝するべきなのです。彼女が居なければ貴方はここに居ないのだから」

「どういう意味だ?」

「そうやって考えることを放棄するのは如何なものかと、ええどうせ間違った思考を笑われるのだからどうでもいいと。随分捻くれた考え方ですね」

 

 どうせ笑われるのならどちらでも良かったか。これは失敗をした。笑われたならもうどうでもいい。考えてみるか。といっても、こいしが俺のことを話したってことくらいしか思い付かないが。

 

「半分は正解であると言っておきましょう。事実、あの子が貴方の話をしなければ私は貴方のことを知ることなど無かったでしょうし」

「紫が紹介状を送ってくれていた筈だけど」

「そんなもの、読むわけないじゃないですか。あれの紹介なんて胡散臭いし面倒事に決まっているのですから」

「それは流石に言い過ぎじゃないか」

「さとり妖怪に向かって心無いことをよく言えますね」

「本音と建前は大事なんだよ。後一応言い過ぎだとは思ってるぞ」

 あれはこっちの都合を考えないだけだ。

「貴方も大概だと思いますよ」

 

 さとりは大きく溜め息を吐いて、後ろにある本棚から、一つの厚い本を手に取った。英語はそれほど得意なわけじゃないが、アルファベットで書かれたタイトルは簡単に読み取れた。

 

──Alice's Adventures in Wonderland(不思議の国のアリス)

 

 誰でも知っている、ルイス・キャロルの有名な童話。アリスという少女が兎を追いかけて、不思議な体験をする話だ。キャラクターもアリス、ハートの女王、チェシャ猫、帽子屋。アニメ映画としても歴史に残る作品、だったはずだ。

 自信が無いのは、俺がそれ自体を読んだことも、見たことも無いからだ。童話自体滅多に読むものでもなかったのだが、これに関してはどうにも好きになれなくて、言ってしまえば敬遠していたのだ。

 

「どうして、と言われても、ただこれが読み途中だっただけですよ。お二方がいらっしゃるまでの暇潰し。それ以外に理由が必要ですかね」

「い、いや。無いけどさ」

「なんとなく嫌な気分がする、ですか。何を毛嫌いしているのかも分かっていないようですが、そうつまらないものでも無いですよ」

 

 そんなところじゃないんだがな。いや、自分でも分からないのだからとやかく言うことじゃない。

 ページを捲る音だけがしばらく鳴り響く。することも、考えることもないせいで、既に数時間は経過したようにすら感じられる。まさかそんな時間は経っていないのだろうが。

 俺が一体何者なのか。その答えが見つかると決まったのに、どうしてこんなにも肩が、頭が、腕が、それこそ心さえも重苦しくなってしまうのか。怖いもの見たさ、そんな感覚だ。踏み出せば戻れない崖の前で逡巡しているイメージが脳裏に浮かぶ。あと一歩踏み出せば落ちてしまうのだろうか。いや、それは無いだろうな。根拠はないのだけれど。

 

 足音が少しずつ近付いてくる。きっかり三人分、勇儀が萃香と妹紅を連れてきたのだろう。無遠慮に開け放たれた扉から焦ったように妹紅が走り寄ってくる。

 

「八房大丈夫!?」

「別に人体実験された訳でもないんだから、大丈夫だって」

「萃香はちょっと黙ってて」

「大丈夫だよ」

 

 萃香が言うと怒るようなので俺が自分で大丈夫だと伝えてやる。俺が言ってもよく大丈夫じゃないって怒られるけどな。でも、やっぱり妹紅の声を聞くと落ち着くな。ちょっとだけ重苦しさが取れたような気がした。

 

「さて、惚気けているところ申し訳無いのですが。手短に済ませたいので、始めてしまっても宜しいでしょうか」

 

 さとりがさっきまでの三倍くらいのジト目で言う。見てられない、と主張しているのがありありと分かった。しかし、早く終わらせるのは俺としても賛成なので、深く頷く。

 

「では皆さん。少し彼から離れてください」

 

 そのさとりの言葉に妹紅は渋々と、鬼共はつまらなさそうに従う。さとりが立ち上がり、俺の目の前までやってきて、小さな手のひらを俺に見せる。

 

「少し刺激が強いのでお気を付けください」

 

 その言葉と共に光が瞬き、俺の意識は薄れていった。

 

 

 再び目が覚めて視界に入って来たのは、雲一つも無い、透き通るような青空だった。さっきまで館の中に、それ以前に地底にいたはずなのに、これはどうしたことだろう。瞬間移動、って奴でも無さそうだ。

 

(うおっと)

 

 視界が揺れる。地面が動いたのかと思ったが、端をちらつく木に付いた枝は揺れていない。それどころか少しずつ目線が高くなっていき、最初は地面とそう変わらなかったのに、最後には普段と同じくらいの高さになっていた。体が勝手に動き、大きく伸びをする。自分の行動を客観的に見ているような不思議な感覚だ。

 ()が歩き出す。どうにも当てがある訳では無いらしい。あっちに行ったり、こっちに行ったり、それでも街や何かは見えない。

 

「おや」

 

 俺の声を少しだけ大人びさせた声が他人の声として鼓膜に届く。やはり俺以外の誰かが俺の体を動かしているらしい。二重人格、ではない。となれば、物語によくあるのは、前世の記憶という奴だろう。この()は俺が俺になる前の姿なんだ。

 そして、その()は何かを見つけたらしく、のんびりとした足取りで、さっきとは違い明確な目的を持って歩き始める。俺には何も見えなかったのだが、何かあったのだろうか。

 

(あれは、人か?)

 

 代わり映えのしない景色を歩かされていると、不意に目の前にうずくまっている少女が映った。金色の髪を揺らして泣いている、青い服の少女に気が付いたからここまで来たのか。()はゆったりとその少女に近づいて行く。

 

「そんなに泣いて、どうしたんだい?」

 

 声を掛けられた少女が振り返る。その顔立ちを見て、俺は、ハッと息を呑みそうになった。俺が体を自在に動かせていたら誤魔化すことは出来なかっただろう。

 

「お母さんが何処かに行っちゃったの」

 

 悲しそうに泣きじゃくりながら、掠れた声で話す少女は、歳の違いや、ちょっとした髪型、雰囲気の違いはあれど、間違いなく──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──アリス・マーガトロイドだった。

 




ひと段落着いた辺りで詳しい解説は改めてします。

そしてさとり様にもつんけんされる八房である。


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無垢な少女と闇の囁き

過去編が思ってたより短くなりそうな不具合。
でも結構伏線は回収できそうなので良きかな良きかな


「そうなのか。こんな所ではぐれるとは運が無い」

 

 運が無い。そう言った()に対して幼アリス(一応仮)が首を傾げる。生気の感じられない、お人形と表現する以外に、語彙の貧困な俺にはその姿を形容する言葉が思い付かない。途端に泣き止まれたせいで、泣きじゃくっていたのも演技なのではないかと勘繰ってしまいそうだ。今のアリスにも似た部分はあるが、まだ経験が足りないからか、より鮮明に、悪く言えば残酷に()られた笑顔が映る。

 声を掛けた方の()も彼女の在り方を気味悪く感じて眉を顰めた。見えた訳では無いが表情はなんとなく察することが出来る。だって俺自身なんだから。俺がしようとしている表情をしていると思ってまず間違いないだろうし、違っていたら、心と感覚の相違で分かる。

 そして、()も俺が行き着いたのとほぼ同じ結論にたどり着いたようだ。彼女は感情表現が乏しい(或いは激しい)だけで、腹に貯める様なものは何も持っていない。ただ純粋に、正しくキョトンとした顔を浮かべているだけだ。だから()はそのまま言葉を続けた。

 

「この辺りは怪物が良く出るからね。一人で居たら危ないよ」

「…………」

 

 半分は脅しだが、事実も幾分か混ざっている。今居る地域に怪物、もしかしたら妖怪かもしれないがたいした違いはないだろう。とにかく、幼い女の子が一人で居たら危険かもしれない。というより原っぱに幼女が一人ぼっちの時点でスリーストライクアウトだ。今の彼女からは魔力も妖力もほとんど感じられないのだから。襲われたらひとたまりもないだろう。

 

(おい、ちょっと待て)

 

 どうして俺は今自然に魔力と、妖力を感じ取った。別に感じ取れないわけでない。色んな妖怪達に稽古をつけてもらって、気、妖、魔の全てを持ち合わせてはいるのだから、多少は相手の力を測ることも出来る。だからといって、俺の本来はただの人間、たかだか数ヶ月の不思議体験を経たところで、無意識にそれらを感じ取るなんて出来やしない。そこまで俺は慣れていない。

 だったら()が慣れているってことなのか? まさか?

 

「……怪物ってなに?」

「あー、分からないか」

 

 子供だから分からないのも仕方が無い。俺だって昔はお化けだなんだって聞いたものだが、いまいちどういうものかは知らなかったからな。大人になっても映画の中の存在だし、本当に身近に感じるようになったのは幻想郷に来てからだ。

 しかし、このまま放置してしまうのは危険だし、寝覚めが悪い。それにまさかそのまま捨て置くなんて、()がするとは考えにくい。

 

「仕方無いな」

 

 ()が困ったようにそう呟いた。俺だったとしてもたぶん同じ台詞を吐くところだろうが、自分によく似た声で、外側から改めて聞いてみると随分と他人事みたいな声をしている。確かにこれはおかしいと、死にたがりと言われても納得してしまいそう声だ。当の本人はそんなこと欠片も思っていないのに。

 それはそれとして、()が幼アリスに向かって手を差し伸べる。場所が場所ならただの誘拐現場だろうが、こんな広い草っぱらの中では、頭を少しだけ混乱させながらも、おずおずと手を握り返すアリスの姿はどうも絵になってしまいそうだ。自分が似合うとは思わないがな。

 

「お母さんが見つかるまで俺の家に来るかい? あまり贅沢な暮らしはできないが、お母さんを一緒に探してあげよう」

(母親的にはお前が一番の危険人物だろうけどな)

 

 子供を部屋に連れ込む大の大人とか普通に事案だ。なんて言っても心の中なので、話してる当人達には届かない。

 

「お兄さん、優しいの?」

 

 少女の質問に()が頭を捻る。優しい、という言葉の定義が曖昧だとでも思っているのだろうか。しばらく悩んだ末、「薄情ではないと思っているよ」とだけ答える。怪物も知らない相手に、薄情なんて言葉が果たして通じるのだろうか、という俺の不安は見事的中し、少女は可愛らしく首を傾げながら、

 

「はくじょー?」

「うーん……まあ優しいと思ってもらえばいいよ」

 少なくともいたいけな子供を誑かすような悪漢ではない。どうかそうであってくれ。

 

 少女の手を引くと、()は背中に力を入れる。大きく羽撃き、雲ひとつ無い、自由な空に飛び立つ。自分に翼がある、と今になってようやく気付いた。それも、烏天狗とかと比べても全く劣らず立派で、妹紅と比べても遜色無い輝きを見せる、煌々と燃える赤い翼。後天的な能力とかそんなんじゃないことはすぐに分かる。()は、そして俺の正体はこれで間違いが無いのか。それはやはり予想していない訳ではなかったし、そうだったら格好いいと思う部分も男心に無いわけではなかったが、俺が一番望んでいたのはきっとこれではなかった。そう考えるとやるせなくなる。考えるのが嫌になって俺は意識を逸らした。

 ()も結構な速さで飛んでいるせいで、向かい襲って来る風も生半可なものではない。音にぶつかるほどは速くないけれど、人を吹き飛ばすには十分な、ましてや幼い少女などひとたまりもない暴風だ。想定よりもずっと軽い少女の体が攫われないよう抱き抱えながら、風切り音の中、俺がずっと聞きたかったことを()が聞く。

 

「君の名前はなんて言うのかな」

「……アリス。お兄さんは?」

「■■■■■■って言うんだ」

 

 風のせいか、それとも発音がやけに難しかったせいか。もしくは、自分自身が聞き取ることを望んでいなかったのかもしれない。ざーざーとテレビの砂嵐みたいにノイズがかった名前が頭の中で反響する。アリスにははっきりと聞こえたみたいだが、その名前を口に出そうとして噛んでしまう。数回繰り返したがついに呼び返すことは出来ず、彼女は不思議そうに笑った。

 

「呼び難いね」

「うん、だから知り合いには良く愛称で呼ばれるんだ」

 

 どんな愛称なのかは言わなかった。ただ、頬の筋肉がかなり引き攣っていたようだから、あまり人に呼ばれて喜ぶようなニックネームではないんだろうな。そうでなければ、教えそうなものだ。そうでないと相手にどう呼ばれたいのか分からない。

 アリスはそういった部分では既に感情の機微を理解出来るだけ成長していたらしい。子供は得てして変な部分だけ賢しかったりするものだが、彼女のそれは表情を読むことに長けていたようだ。

 

「じゃあお兄さんって読んでいい?」

「いいよ」

 

 変に呼ばれるよりはずっとマシだ。ヤッフーとかな。

 

 ()が辿り着いたのはファンタジーとかでよく見るようなあなぐらだった。ジメジメしてるかと思えばそうでもなく、住むのには苦労しなさそうだ。少なくとも初期の妹紅の家よりかはよっぽど良い。

 ベッドなんて高尚なものは当然ながら存在せず、代わりに藁が敷き詰められた、鳥の巣みたいな形にされていた。俺が手離すと、アリスが目を輝かせてその巣に飛び込んだ。もふもふして気持ち良さそうだ。俺も身体があったなら駄目になりたいくらいだ。

 

「お気に召したようで何よりだよ」

 

 ()のゆっくりする場所はなくなったけどな。しかし、大の男である俺と、まだ子供であるアリスを比べたら、どちらが体を休めるべきかは決まっている。

 ()は果実を絞ったジュースを、木を刳り貫いて作ったコップに淹れて出してやる。

 

「それで、君のお母さんはどんな姿をしているのかな」

「えーっとね、髪の毛がぶわぁってしててね。雪みたいに真っ白なの」

「ふむふむ」

「それでね、この辺りでこうしてるの」

 

 アリスは左上で髪の毛を括る真似をした。サイドテールのような髪型をしているらしい。()にはいまいち想像がつかなかったようだが、そんなに想像しがたいものだろうか。まあ、当時はサイドテールなんて言葉もきっと無かっただろうから仕方のない所もあるか。

 

「服は林檎みたいでね。とっても優しいんだよ」

「良いお母さんなんだね」

 

 母親のことをよく知らない俺には羨ましい。親のことをそんな楽しそうに話すことなんて無かったからな。ないものねだりとはよく言うが、こんな感覚は同じ境遇の人にしか分からないだろう。

 

(()には理解できるのだろうか。)

 

 そんな疑問が頭の中を過ぎった。

 

 

 アリスが疲れて眠った後、()はあなぐらから出て、入り口を隠して飛び立っていた。勿論、親を探すためである。こんな時間だろうと、もし本気で探しているのなら見つかるだろうという目算である。そもそも相手が空を飛んでいない可能性があることには全く気がついていないらしい。確かに、幾ら妖力魔力が無いからといって、あの不自然な幼女を人間と考えるのには無理がある。だからといってそこから飛んでいるはずと結論付けるのは早計ではなかろうか。

 

 それにしても上空から眺めれば流石に街の一つや二つ見つけることができるのだが、これはどうみても日本ではない。大理石っぽい感じで、大きな門が閉じられている街並みは西洋の在り方だ。少なくとも日本の都のような光景ではない。前世の俺はどうしてこんなところに住んでいるのだろうか。

 

「あまりジロジロと見るのはやめてくれ」

 

 唐突に()が呟いた。それは誰かに向けられた言葉で、しかし周りには誰もいない。カマをかけている風でもない。誰か隠れていたのか。全く気が付かなかった。俺の感覚も()に引き摺られて鋭敏になっていた筈なのに。

 

「あらバレてた。今回は上手く行ったと思ったのに」

 

 暗闇から女性が顔を出す。目も眩むような金色の髪は、紫のものと比べても美しいと断言できるもので、月の下に居るのが、まさしく正しい姿に見えた。こんな美人さんは初めて見ると、そう思ったのに、何処か見覚えがあるような気がした。

 

(そうか、輝夜に似ているのか)

 

 完成された美、とでも形容すれば良いのだろうか。完璧すぎて不完全に見える。そんな感じだ。あの当時は西洋の芸術品と形容したんだったか、我ながら上手い例えだと思う。人間らしさが欠片もないからな。

 そして、()は彼女と面識があるらしい。大きな溜め息を吐いて彼女の言に返す。

 

「あまり俺を舐めるな」

「舐めてないわよ。ただ、身を隠す練習にはうってつけだと思っただけ」

「そうかい」

 

 ぶっきらぼうに返してはいるが、そこまで悪印象があるわけでは無いらしい。俺と文のような会話だ。今みたいな時には絶対に出会いたくない相手であることは間違いないようだが、紫みたいなのに比べればだいぶマシだろう。あいつは見透かしたような言動ばかりするからな。

 

「貴方が幼い子供を連れ去ってるのが見えたから、わざわざ待っててあげたのに、つれないわね」

「誤解を与えるような言い方はやめてくれ。俺は保護しただけだ」

「どちらでもいいわ。あの子と関わるのはやめなさい」

 

 不自然な警告だった。紫の台詞よりも胡散臭い。()も彼女の意図が掴めずに眉間の皺を深くする。

 

「どういう意味だ」

「意味なんかないわ。ただ気まぐれで奈落に落ちるのは賢くない選択だと思っただけ」

 

 意味なんかない、という言葉を鼻で笑う。そんな虫の知らせにも劣るような理由では、()の心を揺らすことはできなかったようだ。当たり前だろう。それならまだレミリアに運命だと無い胸張って宣言された方が説得力がある。

 

「やるべきことを放っておくのが賢者なら、俺は愚者でいいさ」

「報いを受けなければいいけどね」

 

 本気の忠告でなかったからか、彼女は言葉を加えなかった。その代わりに皮肉を一つだけ言った。しかし、その言葉が、俺の心臓に矢を突き立てたような痛みを走らせた。何処かでこんな会話をした。思い出せそうで、しかし思い出してはいけないような気がする。()の方といえば薄く笑って、「焼き鳥にならないよう気を付けるさ」と冗談一つ。気にしていないようだ。

 

「そうね、貴方が焼き鳥だなんて良い冗談だわ。ねえ■■■」

「そういう呼び方はやめろって言ってるだろ」

「はいはい」

 

 それ以外に言うことはもう無いのか、彼女は再び闇に溶けていく。そうすれば再び彼女の姿を見つけることは出来なくなり、()の反応から彼女がもうこの場から立ち去ったことを知る。

 

「なんだってんだ。いきなりやってきて言いたいことだけ言って帰っていきやがった」

 

 ()は不機嫌そうに吐き捨てた。よほど言われたことが気に食わなかったらしい。そのまま、空を飛んでアリスの母親を探す作業に戻る。

 

 俺はあの暗闇みたいな彼女に言われた台詞がいつまでも頭の中でぐるぐる回るのを抑えることが出来なかった。

 

 報いを受けた愚者。なんだかその言葉は俺にぴったりであるような気がした。

 



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夢見る子の見る夢は

ひさびさに何とか更新。
ストックが無いので更新速度はどうしても落ちてしまいますね


「んん……まだ起きてるー」

「もう夜なんだから寝なさい」

「お話聞かせてよー」

「全く……もうちょっとだけだぞ」

 

 むかしむかし。そんな語り口調で始まるお話。聞いたこともない話だが、創作なのか、実話なのか、それとも何処かの国にある童話なのか。アリスは熱心に聞き入っていたが、ちょっとずつ瞼が降りてきていた。もうとっくに日は暮れているのだから子供は寝る時間だ。昼間はずっと遊んでいたのだから眠くないはずもない。それなのに、ぐっとこらえて()の話を聞いている。

 

「こうして、王子様とお姫様は末永く幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」

 

 定型句で締めくくると、アリスはぐっすりと眠っていた。物語の半分を過ぎたあたりで既に寝ていたけれど、一応最後まで話し切ったらしい。

 ぐずっていたアリスのお守りから開放されて、()はやっと一息ついた。保管してあったオレンジを一個取り出して、木のコップの上で握り潰す。果汁百パーセントの搾りたてジュースを飲み干すと、ちょっとだけ苦かった。

 あれから一ヶ月。アリスの母親は未だに見つからなかった。毎日のように聞いてくる彼女に、答えを持たない()は曖昧にはぐらかすか、他の事に意識を向かわせることしか出来ない。もちろん、鳥の巣みたいな住処にたいした娯楽があるわけでもなく、段々と逃れるのが難しくなってきていた。

 

 それでも彼女の寂しさを紛らわせられる遊びが無いわけではない。たとえば、さっきしていたような()が実際に経験した話を聞かせてやること。これは子守唄代わりに良く聞かせている。案外面白くて俺までその話に聞き入ってしまったりもするのだ。畑を耕していた村にたまたま降り立った時の話なんか痛快だった。人間の勘違いってのはこうもおかしい物なのかと思い出し笑いが止まらない。

 それと、ある国の王子様と姫様の話。何処かで聞き覚えがあると思ったら、前にアリスが人形劇でやっていた内容だ。ハッピーエンドなのに何処か物悲しい、一度聞いたらしばらくは忘れられないような話。事実は小説よりも奇なり、を体現したようなお話は、ちょうど彼女の琴線に触れたらしい。他の話はだいたい一回ポッキリなのに、その話だけは何度もせがまれた。

 

 もう一つ、彼女のお気に召した娯楽は、あやとりだった。()があやとりを出来たのもかなり驚いたが、それよりもアリスが意外にも不器用だったことの方が驚いた。

 ここは、こうする。こうなったら完成。手取り足取り教えてもなかなか上手くいかない。それが悔しいのか、彼女は躍起になって挑戦するようになり、ひどい時には一日中紐を指から外さないような日まであるようになった。天才肌のように見えて努力型だったようだ。

 

 あやとりと昔話で一日は終わり、食事は()が集めてきた果物で済ませる。わりと安定した生活のようだが、しかし、彼女はやっぱり親元が恋しいらしい。

 

「えぐ……ひっぐ……」

 

 夜泣きをするのだ。それはもうわんわんと大声を上げるわけではないが、その代わりに切実そうで、長い。寝ているのか起きているのかさっぱり見分けが付かない程だ。俺にはいまいち理解出来ない感覚だった(()もそうだろう)が、早く見つけてあげないといけないと、という焦りを持つのは当たり前だろう。彼女が泣く元気も使い切って完全な眠りについた後、()は日が昇るまでずっと空を飛んで探し続けている。頭を撫でてあやしていたのだが、今日は泣き止むのに時間がかかった。だから今夜はいつもより半刻ほど遅れてからのスタートだ。

 ネットでもあれば簡単に探せたのだろうか、今の時代はどうやら中世あたりのようでパソコンどころか電気すら無い。夜中はランタンの灯りが灯っている街もあるが、ほとんどは真っ暗だ。幻想郷の時もそうだが、月明かりだけで歩くのは人間にはなかなか厳しい。不可能ではないけどな。

 だからこのご時世、もし夜中に歩いたり飛んだりしているような人影があれば十中八九妖怪だ。どうも日本ではないので妖怪と呼ぶのが正しいかどうかは分からないが、まあレミリアとかと似たような感じ。しかし、それすらも滅多に見ることはない。その上、見つけたかと思ったら()を見るなり逃げ出すような始末だ。全くただの人間相手になんて態度だ。ああいや、今は俺じゃないんだったな。

 

 そんなもんだから()は真面目に探していても、俺は飽き始めていた。薄情と言われそうだが、どうせ俺が何かしらやっても何の意味も無い。そもそもこれは昔の話だしな。どういう結果になるのかは既に定まっている。俺は観客でしかないんだから、ぐだぐだ何か思う必要も無い。

 

 

 今夜も月が綺麗である。月が綺麗ですねと伝える相手は今この場所には居ない。勿体無いと思いつつも、俺は夜空を眺めていた。幻想郷よりも遥かに多くの星が瞬いていて、見ている分には面白い。()が下ばっかり探しているから落ち着いて見ることができないけどな。

 

「ん?」

 

 今日も収穫無しかと思っていたところ、()が何かに気が付いたような声を上げた。暗闇で良く目を凝らせば、ふらふらと飛んでいる人影がある。妖怪かと思ったが、どうにも違う。どっちかというと魔法使いに近い感じだ。俺の、というと比較対象になるのか不安だが、魔力の質がなんとなく違う。具体的にどう違うのか説明は出来ないのだが、アリスのに若干近い気がする。

 

「どうかしたのか」

 

 もしやアリスの関係者かと()が背後から声を掛けて近付くと、きょろきょろとあたりを見渡していた人影の動きが止まる。距離が縮まると服装もよく見えるのだが、咲夜が着ているようなメイド服だ。こんな夜更けに一人で空飛んでるメイドとか幻想郷でもなければ普通有り得ない。そしてここは幻想郷ではないので、彼女の姿は間違いなく普通の妖怪とは違う。

 

「おい?」

 

 もう一度()が声を掛けると、その姿がゆらりと歪んで消えた。また逃げられたか、なんて呑気なことを思う間もなく、背後から襲い来る殺気。恐ろしいくらいに速い。俺だったなら運が良くてかすり傷ってところか、勇儀の拳より全然速いし、美鈴の蹴りとも遜色無い。反応が遅れれば即死だ。

 

「突然斬りかかってくるのは感心しないな」

 

 しかし、()は平然と振り下ろされた剣を掴んでいた。人差し指と親指でしっかり剣の腹を押さえているので手が切れる心配は無い。もう片方の手でいつでも反撃出来ると挑発しているのは、追撃を防ぐ為だろう。

 あっさりと一撃を止められたメイドは驚いた顔で剣を手放して距離を取る。改めて顔を見るとアリスによく似ている。金色の髪もそうだが顔付きが姉のようだ。アリスと違って彼女にはもっとちゃんとした表情があるようだが。

 

「何か探しているようだったから親切心で声を掛けただけだったんだが」

「それは失礼。背後から呼ばれるのには慣れていないもので」

 

 慇懃無礼とはよく言ったもので、丁寧な言葉遣いだが殺気がザクザクとこちらを貫いている。俺なんかは受けててとても気持ちの良い物じゃないが、()は特に気にしてもいない。気が付いてないはずは無いのだが、慣れっこということだろうか。殺気に慣れるとかどんな人生送ってるんだよ()は。

 

「あなたも探しものなのでしょうか」

「そんなところだが、どうしてそう思った」

「あなたの姿は何度か見かけましたから」

「見かけた、ねえ」

 

 こっちは見かけた覚えは無い。かと言って口からデマカセにも思えなかった。話しかけたら攻撃してきたことといい、こちらを見つける度に隠れてやり過ごしていたのだろう。普段はだいたい同じ時間に動き始めるから、()を誤魔化すことが出来れば問題はない。こっちも真面目に探していたはずだが、範囲から外れてしまえば不可能じゃないだろう。

 

「子供を一人拾ってね、面倒ではあるが親探しだ」

「私ははぐれてしまった妹探しです」

「もう一ヶ月ほど探しているのだがとんと見つからなくて困っていたところだ」

「もう一ヶ月もはぐれたままで、何か良からぬことに巻き込まれたのではないかと危惧しているところです」

「その子は金色の髪なんだがな」

 

 目の前のメイドが目を更に鋭くして大きく息を吐く。溜め息というよりも武術家の呼吸法に近い短いものだ。そんなに臨戦態勢を取るもんじゃないよ。別にとって食いやしないんだから。()は知らないけど。

 

「一応念のためにその娘の名前を聞かせてもらってもよろしいでしょうか」

「確かアリスって言ってたはずだな」

「何が望みだ」

 

 急に言葉遣いが変わったのはこちらを敵だと認識し始めたからか。俺は降参するポーズと同じように両手を上げた。争いなんてしたくないから当たり前だ。

 

「別に何も望んでないさ。こっちだって成り行きだし」

 

 名残惜しいとは思っているようだが、親のもとに帰るのが一番だと考えているらしい。その考えには大賛成だ。

 しかし、一ヶ月も見つからないし、アリス自身が(現代で)親のことを随分嫌っていたからどんな薄情な親かと思ったら、少なくとも姉は姉バカと言っていいくらいにアリスを大切にしているらしい。

 

「今は寝入った後だから起こすのは忍びないが、まあ明日にでも連れて行ってくれればいいさ」

「本当に何も望んでいないのかしら。にわかには信じ難いのだけれど」

「なんでそんなに信頼が無いんだよ」

 

 そんなに幼女に興味のある変態に見えるか。幾らなんでもそいつは心外だ。()だってそうだろう。ふんと鼻を鳴らす。

 

「年端もいかない子供を打算で助けるほど器は小さくねえよ」

「えっ」

「お前さっきから失礼過ぎない? 泣くよ?」

 

 ガチで震え声になっていた。そんなにダメージを負ってたのか。お前そんなんじゃ幻想郷で生きていけないぞ。幽香やら紫やら輝夜やら軒並み心抉って来るからな。この程度で折れてちゃ話にならない。

 

「……ごめんなさい」

「謝るなよ」

 余計悲しくなるからな。

 

 チクチク刺さってた殺気が風船に針を刺したみたいにしゅんと萎む。逆にいたたまれない、とか思ってるのだろうか。かなり申し訳無さそうな顔だ。

 

「とりあえず、アリスの保護者ってんなら迎えに来い」

 

 膝から崩れ落ちそうになるのを必死に我慢しながら、()はメイド服のアリス姉に住処の方向を指差した。

 

 

 アリスを一人放置していては妖怪に襲われかねないし、だからといって子守を頼む相手も居ない。そのため、()はいつも入り口に厳重な罠を仕掛けてから探しに出る。夢子と名乗ったメイド服を手で制し、指をパチンと鳴らすと洞窟の入り口から大きな火柱が上がり、すぐに消えた。ちなみに、内側からはただ出れないだけのマジックミラーならぬマジックファイアー設計なので安心だ。

 

「心配性なのですね」

「そりゃ後味悪い思いはしたくないからな」

 

 自分の慢心が原因でアリスに被害がいくのは我慢ならないらしい。洞穴の奥を指差すと夢子は慌てて走っていった。足跡が結構響いているが、これでアリスが起きてしまったりしないだろうか。()その後ろをゆったりと着いていく。

 

 アリスはバチバチと燃えていた音にも、夢子のかんかん響く足音にも気付かずすやすやと眠っていた。夢子が抑えきれないといった様子でアリスに駆け寄った。部屋に入ってからは、起こさないようちゃんと足音は消してだなんてプロの犯行だ。何のプロかは言わないが。というか最初からやれよ、焦ってたんだろうけどさ。

 

「良かった……」

 

 その姿はまさしく妹の無事を喜ぶ姉で、言っちゃ悪いが今まで張り詰めていた気配が嘘に思えるほど無褒美だった。もちろん後ろから攻撃するような不埒な輩がいるはずもないのだが、ちょっとだけ心配になる。

 

「もう連れていくのか?」

 

 ()が問い掛けると、夢子は少しだけ悩んだ後、「はい」と静かに答えた。

 

「あまり長く居るとあなたの身も危ないので」

「なんだそりゃ、何かに狙われてもいるのか」

「少し違いますが、似たようなものです」

 

 それならうちに残ったほうがいいんじゃないか、とも思ったようだが人の決意を動かすのも良くないと悟ったらしい。()の曖昧な受け答えがそんな感情を隠し切れていない。

 

「ん……ん?」

 

 無駄話をしていたらアリスを起こしてしまった。焦点の合わない目で夢子を見つめ、ぼーっとしていた意識が覚醒するにつれ大きく目が開かれていく。

 

「夢子お姉ちゃん!?」

「ごめんね、心配したよね。もう大丈夫だから」

 

 ()に応対した時とは全く違う口調でありすの頭を撫でている夢子。姉妹愛というのは良いものだね。レミリアとフランを見ててもそう思う。別に他意があるわけではない。

 

「お家に帰ろう。神綺様も待ってるよ」

「……うん」

「どうしたの?」

 

 名残惜しいのは彼女も同じか。こっちをちらちらと見てうんだのと唸っている。

 

「また遊びに来いよ」

「……うん!」

 

 アリスは顔を輝かせた。夢子はちょっと複雑そうな表情をしていたが何も言わない。

 

 夢子に抱き上げられたアリスが手を差し出したので握ってやると彼女達は洞穴の外に出ていった。帰り際に夢子がこっそり「お気を付けて」と耳打ちしていったのだが、いったいどういう意味があったのだろうか。

 




次の話でこの訳の分からない過去編はおしまいになると思います。


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夢の終わり

話の都合上、あるキャラをかなり悪意あるように書いていますが、本人のそのキャラ嫌いとかそういうわけではありません。
気を悪くした人がいたらごめんなさい。


 甘く見ていた。あの黒い女の忠告をもっと真面目に聞いておくんだった。夢子の言葉の意味を考えるべきだった。()が後悔しているのが分かる。俺にとっては過去のことだから、何とかかんとか言うつもりは無いのだが、あえて言うなら「こんなこと予想出来る訳ない」と言ったところか。今にして思えば夢子との会話からこの状況を予測することは不可能ではなかったかもしれないが、流石に予想外に過ぎる。

 

「ぐっ……」

 

 痛みに顔を歪める。押さえたくとも押さえる場所がもう存在しない。ぶち抜かれたどてっ腹から絶え間なく流れ出る血を焼き止めて、それでも応急処置にならないことを理解した。気休めにでもなれば良い方だ。薄れそうな意識を必死に持ち直して飛ぶ。

 

 撃ち出された弾幕がもう既に動かない左腕を粉砕する。弾幕ごっこなんてお遊びじゃない、本気で殺す為の攻撃だ。唇を噛んで悲鳴を殺し、さらに飛んでくる弾幕を回転して避ける。反撃なんて出来ない。それだけの実力差があった。

 

「くそっ、こんなのあんまりじゃねえか」

 

 ()が舌打ちする。余りにも理不尽だ。アリスが何処か良い家の娘だってことは予想が付いていた。だからアリスを保護していた時には厳重な防御を施して、()自身も気を張り詰めていた。夢子に対してはしらを切ったが、それも警戒されないため。そしてアリスが帰っていったのなら彼女を狙う輩も居ない筈だ。捨てられたわけでもない。それなのになんで──

 

 

 

────どうしてアリスの母親に殺されなくちゃならないんだ。

 

 

 時間は少々遡る。アリスが居なければ()の日常なんてものは暇の一言で、外に散歩にでも出るか、洞穴の中であやとりでもやっているかのどちらかだ。そんなもんでも飽きるということはなく、日がな一日定年退職したおっさんのようにぼうっとしている日々。いや、どちらかというともう余生を楽しむお爺さんの域に達していたな。楽しみと言えばジュースにするための果物を取りに行くことくらい。黒女も他の妖怪も、当然アリスと夢子も訪ねてくることはなかった。

 そういうわけで、訪問者というのは()の生活にはかなり新鮮なイベントだった。

 

「ここで合ってるかしら」

「何が」

 

 突然洞穴に入ってきて、訳の分からないことを言う女性に対してもっと()は警戒心を持つべきだったのだ。少なくとも礼儀正しい相手ではないということくらいは。

 

 その女は白い髪をサイドテールにして、林檎みたいに真っ赤な服を着ていた。アリスや夢子に比べれば明らかに大人なのだが、にこにこと屈託のない笑みが見た目より印象を幼く見せていて、一挙一動がまるで子供みたいだった。

 

「あー。もしかして、アリスの母親か?」

 

 アリスからそんな格好を聞いていたからすぐにわかったらしい。彼女は「ええ、そうなの」と照れ臭そうに認めた。

 恐ろしかった。隠しているつもりがあるのか、無いのか。兎に角歯がガチガチと鳴るほどの殺意が()を貫いていた。人の心をキャンバスに例えるなら、ちょうど黒一色。純粋に()を殺そうとしていた。俺がそれに気付けたのは、それが輝夜が俺に対して持っている殺意に何処か似ていたからだろう。()は全く気が付くことができなかったようだ。

 

「この度はアリスちゃんがお世話になったようで」

「別にそんなこと気にしなくていいさ」

「あらそう?」

 

 殺気がさらに膨れ上がる。もはやキャンバスでも平面に膨らんでいそうな、今までにあった誰よりもどす黒い感情。

 

「それなら心置きなく殺せるわね」

 

 来る、とは思えなかった。あれだけ警戒していたはずなのに、理解できたのは通り抜けた後だった。()に至っては腹部に突き刺さる痛みで漸く気付いたことだろう。

 

「は……?」

 

 彼女の背中に翼のように生えていた禍々しい形状の刃。6つある内のその一つが()の脇腹を吹き飛ばしていた。本当の人間だったら助からないと一目で分かるほどに、というよりも生きていることが、即死でないことが不思議であるほどに致命傷だった。肝臓とかその辺りは潰れて原型も残していないだろう。刃が器用に傷口を抉る。脳みそを揺らす激痛でやっと、自分が殺されそうになっているのだと分かった。

 

 咄嗟に爆発を起こす。目くらましと攻撃の両方を兼ねたものだ。戦うにしても、逃げるにしても先ずは袋小路の洞穴から出なければならない。無理やり刃を引き抜いて、入り口へと翔ける。

 

 ぼとり、と嫌な音がして、地面と激突した。起き上がろうにも右足の長さが足りない。切り取られたのか。本気で殺される。そして、対抗できる相手ではない。

 炎の翼をはためかせて全速力で飛び立った。逃げなければ、何処か、見つからない所へ。()に速さで敵うものは居ない。確かにそうだった。だが、二つ合わされば超えることも出来る。

 

 翼を撃ち抜かれてバランスを崩す。すぐに作り直すも、その間に左腕が犠牲になった。炎を纏い、弾幕を防ごうとしたのだが、当たりどころが悪かったのか、威力が高すぎたのか、焼けるような痛みと共に動かなくなる。

 

「なんで俺が殺されなくちゃならねえんだよ!」

 

 叫ばずには居られない、意識を保つ意味でも頭を冷静にさせる意味でも、このままじゃ頭がおかしくなりそうだ。

 

「だってしょうがないじゃない」

「は?」

「だってアリスちゃんが貴方の話をするのよ。私の話よりも多く。そんなの許せないわ。アリスちゃんを誑かすなんて、最低な畜生よ。そんなの生きている価値が無いわ。居てはいけないのよ。アリスちゃんは私のものなのに。私よりアリスちゃんに懐かれてるなんて、許せないじゃない。それにアリスちゃんに感情を教えたのも。教えるのは私なのに、私だけなのに。アリスちゃんを汚した罪が一回殺したくらいで無くなると思ってるの? 何度でも何度でも殺して殺してボロ雑巾にしてもまだ足りないわ。ええ、許せない。本当に許せない。冒涜よ、私のアリスちゃんに対する。アリスちゃんは貴方如きが触れていい存在ではないのよ。それなのに、触れて、あまつさえアリスちゃんに頼られようとするなんて。何がまた遊びに来い、よ。一度目を合わせるだけでも許さないのに、こんな汚れた穢らわしい場所にアリスちゃんをまた連れ込もうだなんて。殺す、殺すわ。もう一度言ってあげる。死刑よ。分かったら大人しく殺されなさいよ」

「……なんだよその無茶苦茶な話は」

 

 そんなのそもそもアンタがアリスとはぐれたのが原因じゃねえか。自分のことを棚に上げて、相手だけ許せないってか。論理も何も通じないな。

 夢子の言っていた「気を付けて」はこういうことだったのだろう。彼女は自分の母親がどう動くか分かっていたのだ。アリスと関わったのなら必ず殺しに行くと。やってられるかよこんなの。

 

 かといって逃げられそうにはない。元々の実力がこれだけ離れている上に、こちとら動くのも必死なボロボロだ。傷を癒やすことすら許してもらえなさそうで、いっぺん死んだくらいじゃ許してくれそうにもない。

 

「そんなんで諦めるつもりもねえけどな」

 

 少しでも、どうにかしてでも生き残りたい。起死回生の手段はないものか。奴を撒けなくても良い。あれから自分を守ってくれるものは。

 そして、()は思い当たったらしい。自分を追い抜いて、女が向かう先に立ち塞がる。

 

「追いかけっこは終わりかしら?」

「だったらここらでお開きにしようぜ」

「ええ、そうね」

 

 女が背中の翼をより一層力強く広げる。見逃してくれるなんて甘い考えすら出来ない。

 

「死になさい、()()()

「……はは、やなこった」

 

 大切な何かが砕け散る音がした。

 

 

「暇ですねえ……だから仕事なんて早く終わらせるもんじゃないんですよ」

「貴女はいつもいつも怠け過ぎなのです。仕事が終わった後であれば多少は目も瞑りましょう。しかし自身の職務を放棄しての休息など百害あって一理なし。貴女は自分の役目に対する責任感が足りません」

 

 ボヤく部下に軽い説教をする。ただ仕事が少なくて暇なのは同意見だったので、あくまで軽く。

 早く船頭仕事に戻りたいと嘆く小町の頭をぴしりと叩いて、せめて格好くらいは正せともう一つ説教。彼女は間違いなく優秀で、真面目に働けば出世も夢ではないくせに、どうしようもなく態度が緩かった。あるべき欲も無い彼女のことをとやかく言っても仕方がないが、本当は船頭などという肉体労働ではなくこうして事務職として抱えたいくらいだ。サボり癖を矯正する意味を含めて。

 

「サボった罰の分は働いたし、あたしもう船頭の仕事に戻ってもいいですよねえ」

「ええ、明日からは戻っても良いですよ。ですが今日一日はこちらに居なさい」

「ええ……」

 

 せめてこの苦しみを私とともに味わいなさい。仕事すら無い苦しみを。

 

「そもそも、こちらでは貴女の仕事もないでしょう。ここは私達の言う地獄ではないのですよ」

「いやー、カロン様のお手伝いでもしようかと」

「全く、カロン様の邪魔になるでしょうが」

「はーい」

 

 普段の地獄とは違う光景、違うシステムは非常に興味をそそられるも、招かれた身としては迂闊に近付くことも出来ない。へカーティア様は「好きに動いていい」と仰っていたが額面通りに受け取るべきではないだろう。特に小町を自由にさせれば何をするか分かったものではない。冥界で一斉にストライキでも起きたらどうするのだ。私には責任が取れない。

 

 そうやって与えられた椅子に改めて腰掛けたまま時、急に風切り音が遠くが聞こえてきた。

 何事か、と考えるまでもなく音の主が窓を割って飛び込んでくる。鳥だ。ただし巨大で、燃えていて、血だらけの。

 

「え、え、なんですこれ」

 

 困惑する小町を制し、僅かな時間差で割れた窓から飛び込んでくる女性を視認。この鳥の命を狙っていることは明確だった。

 

「ぐっ……」

 

 元地蔵として止めない訳にはいかない。間に割って入るも、相手の力は上級の神にも匹敵するほどだ。鳥は助けられても私自身が吹き飛ばされる。

 

「貴女達、何者?」

「……こちらの冥界で厄介になっている者です」

「そう、邪魔するなら死んでもらうわ」

 

 気が付けば目の前にその女性が居た。振りかぶった翼がスローモーションに見える。やばい、と思ったとき、女性の姿が消える。

 

「いきなりやってきて迷惑この上ないねえ。あたしらにゃ関係のない事だけど、気に食わない」

 

 小町が能力を使って助けてくれたのだ。女性は最初にいた場所に戻されていた。二度に渡って邪魔をされたのが気に入らないようだ。女性がぎりっ、と歯を食いしばったのが分かる。

 

「もう全部、吹き飛ばしてやるわ」

 

「それは困るわよん」

 

 標的が三つに増えたからか、高火力で薙ぎ払おうと溜めていた彼女の手元が爆発する。

 

「一応この子達は私が預かった訳なのよ。それにそっちの鳥さんも一応知り合い。という訳で殺されると困るのよね、魔界神」

「ヘカーティア……まあいいわ、それはもう助からないでしょうし」

「うんうん、聞き分けの良い神様は大好き」

 

 どこからかやってきたのか、ヘカーティア様が立ちはだかって女性の動きを止めていた。知り合いらしく、二、三言葉を交わすと、かの女性は憎々しげに唇を噛みながら去っていった。助かったのか、ほんの一瞬の出来事だったのに、いやに長く感じた。

 

「大丈夫だった?」

「え、えぇまあ、はい」

「それは何より。大変なのはこいつの方ね」

 

 ヘカーティア様は私達の安否を確認すると、血だらけの巨鳥の方へ向かう。

 

「そちらは……?」

「私の古い知り合いよん。あら、これはもう駄目だわ。人型になる余力も残ってないのね。治療して数日持つか……ん、何か言いたいことがあるのならはっきり言いなさい、って言えないんだったわ」

 

 意思疎通を試みていたようだが、よく分からなかったようだ。ヘカーティア様が顎に手をかけて悩み込む。

 

「えーきちゃん、えーきちゃん」

「な、何でしょう」

「鳥語分かる知り合いって居たりしない?」

「え?」

 

 

「そして私が遠路はるばる呼ばれました。()は人間への転生を望んでいて、いえこの言い方は適切ではありませんね。自然の摂理に則った生まれ変わりを希望し、結果そうなった。それが私が読んだ彼の心と、四季映姫から聞いた話を合わせた全てです」

 

 さとりは無感動に話を終わらせた。対する私は返す言葉を持っていない。萃香と勇儀はとっくに酒盛りに行っていて、ここには居ない。空気を読んでくれたのかもしれないが、興味が無かっただけだろう。

 

 八房はさとりの光を浴びた後に倒れ、そのまま目を覚ましていない。フラッシュバックは一瞬で終わるけれど、情報量が多いせいで理解するのに時間がかかるのだそうだ。

 

 長々しい話だったけれど、八房と……それから私にとって大切な部分は一つしかない。分かりきっていて、それでも聞きたくなかった話。

 

「つまり、八房は人間ではないってことなんだよな」

「彼は不死鳥としての存在を保ったまま輪廻に組み込まれました。本来輪廻の外に居る存在ですが、無理矢理に。おそらく彼の魂は人間という枠には収まらないでしょう」

「そうだろうね」

「貴女達は確証があってここまでやってきたのでしょう?」

「そうかもな」

 

 だけど、違うんじゃないか。そう思っていたのも事実だ。願望と言い換えても良いかもしれない。

 

「八房は大丈夫かな」

「さあ? ただ、彼にとっては厳しい事実なのでしょうね」

 

 本人は気付いているのか分かりませんが。と、さとりは溜息を吐く。

 

「自分は人間だ、人間でないといけない。彼の()()はもはや呪いのようなものでしたからね」




過去編は終了。これよりまた現代の話へ

何話(たぶん、1話2話くらい)か挟んだら最終章に入ります。

よろしければ最後までお楽しみくださいませ。


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目覚め

鬱描写がございます。ご注意ください。


────お父さん。

 

 喉から出てくる幼い声に驚く。これは()じゃない。紛れも無く俺の記憶。俺の知らない俺の記憶だ

 写真でしか見たことのない父。まだ三十代前半だったらしいが、若白髪の目立つ苦労人そうな顔の人。

 短い足で駆け寄る。その人の腰と同じくらいの高さに自分の目線があった。見上げると困ったような表情をしている。後ろに目を向けると、気難しそうだけだけど優しそうな母の姿も見えた。

 それだけじゃない。二人が死んだ後に俺を引き取ってくれた叔父さんも、海に流されたときに助けようとしてくれた知らないお兄さんも。俺が幻想郷に来るまでに出会った人達が居た。幻想郷に来てから最初に仲良くなった門番の青年も、饅頭屋のおやっさんも、俺を騙して太陽の畑に行かせたあくどい商人も。俺が今まで会った(ニンゲン)が皆立っていた。

 

「えっ……?」

 

 肺から空気を全て押し出すような衝撃が走った。突然の出来事に踏ん張りが効かず尻もちをつく。父親に突き飛ばされたのだ。起き上がろうとしても手に上手く力が入らない。

 父親の顔が遠くなったのは、自分が倒されたからじゃなくて、あちらが離れていったから。それだけじゃない。皆が自分から離れていく。足音が重なり合って重苦しく響く。

 

「来るな化け物」

 

 初めて聞いた声だったが、すぐに父親の声だと分かった。俺の声とは似ていなかった。そして、恐ろしい声だった。優しげな顔はとっくに鳴りを潜めていた。恐怖と、怒りと。そんな顔だった。

 

「どうしてお前だけが」

「私達は死んだのに」

 

 続けたのは母親だった。人の物とは思えないくらいに歪んだ顔だった。視線は俺に向いていた。

 

 

────お前のせいだ

昔、遊んでいた友達が言う。鉄骨の落ちた時に巻き込まれて死んだ。

 

────お前が居なければ

俺を助けようとしてくれたお兄ちゃんが言う。見も知らぬ俺を助けようとしてくれた一緒に海に流された。

 

────なんで生きているんだ

登山家らしき重装備のおじさんが言う。山で滑落して遭難したときに二次被害にあったらしい。

 

────化け物め

「俺は人間だ」

────お前が居なければ、俺達は死ななかったんだ

「俺は人間だ」

────お前が私達を殺したんだ

「俺は人間だ」

────誰もお前を人間だと思わない

 

「ちっ……違う違う違うちがうちがうちがうちがうチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウ」

 

 もはや自分でも何を言ってるのか分からない。俺は人間だ。化け物なんかじゃない。だっておれは人間なんだから。そうだよ、おかしいのはみんなだ。みんなおかしくなっちゃったんだ。ちょっとつかれてるだけなんだ。おやつでもたべればみんなすぐにえがおになってまたわらうんだぼくはわるくないわるくないわるくない────

 

「いい加減認めちゃいなよ」

 あとずさったからだをだれかにつかまれる。

 

 だれ?

 

 みたことはある。でもこのひとはだれだろう。しらないけれど、にこにこしていて、きっとぼくをたすけてくれるのかな。

 

「君は呪われた悪魔の子なんだよ。君が居るだけで周りが不幸になる」

「なにを、いってるの」

「分からないかな」

 

 だれだったのかちょっとずつおもいだしたような────

 

「てめえが全員殺したんだよ化け物」

 

 ああ、そうだ。しんぶんやさんだ。

 

「人間なんて笑わせんな。殺して死なない人間なんか居ねえよ」

「やめて……」

「やめて? 人間様に口きこうってのか。怪物が随分思い上がってんな」

「やめて」

「うるっ、せえんだよ!」

 

 くるしい。どうして、どうしてぼくのくびをぎゅってするの。ぼくはなにもしてないくるしいたすけてたすけてたすけてたすけて────

 

────あついよ

 

 記者だった男が燃えている。それを見た瞬間なんだか冷静になって、はっとして辺りを見渡すと、皆みんな燃えていた。

 

「そうやって俺も殺すんだなバケモノ!」

 

 記者だったナニカが言う。人好きのしそうな笑顔が苦痛に歪んでいた。水ぶくれが目元を覆い隠した。皮膚が爛れて骨まで焼いて。溶け始めて、人間の形もしていない。あれだけたくさんの人が居たのに、いつの間にか一人だ。いつの間にか俺だ。今の俺になっていた。床が遠く感じられて、地に足の着かないような感覚だった。

 

 悲鳴が鳴り響く。頭の内から、頭痛のように。反響して大きくなっていく。おかしくなってしまいそうだ。正しかったのは父さん達で、認めたくなかった俺が殺してしまったのだと。そう考えたくなってしまう。そんなことは無いのに。全部ただの事故で、誰も何も悪くないのに。絶対に俺のせいなんかじゃないのに。

 

 我を忘れたくて、どこでもいいから走った。真っ白な世界で、果ても方向も分からなかった。ぐるぐる回っているだけのような気もした。ただ、どこかへ辿り着ければ救われるんじゃないか、って。蜘蛛の糸に縋る気持ちで。

 

 どれだけ走っただろうか。何時間とも何分とも、もしかしたらたったの三秒間だったかもしれない。頭を空っぽにしたくて、息苦しくて、体が熱くて。死にそうになるまで走った。

 

「妹紅!」

 

 その先に見付けた愛しい人。俺を認めてくれる人。彼女は俺を見て、怯えるように肩を震えさせた。

 一歩踏み出すと、一歩距離が離れる。

 

「妹紅?」

 

 どうしたんだ。何があったんだ。お前だけは俺の味方で居てくれるだろう。

 

「来ないで……化け物!」

 

 オマエダケハオレノミカタダロウ。

 

 気が付いたら妹紅の首を絞めていた。華奢な体が宙に浮いて、掠れた吐息が顔にかかる。ぎぃぎぃと音を立てたブランコのように彼女は暴れたけれど、俺の腕を外せない。何度も脛を蹴られたけれど、痛くも痒くもない。おかしな話だ。体格を考えれば当たり前の事なのに。

 

 彼女のか細い手から力が抜ける。必死に俺の手首を握っていたのに。手を離そうとしたら、するりと彼女の体が地に落ちた。まるで車に轢かれた蛙だな、と思った。首元には紫色の綺麗な花が咲いていた。彼女を彩る死化粧だ。蛙じゃないな。蛙はこんなに美しくない。

 

「おい、起きろよ」

 

 無駄に長い髪を掴んでむりやり引き起こす。蓬莱人ならこの程度で死ぬはず無いだろ。さっさと目覚めろよ。

 彼女はうんともすんとも言わない。冷たさだけが、やけに肌に突き刺さった。髪の毛しか触れていないのに、体温を手に取るように感じた。

 彼女は死んでいた。どうしようもなく、疑いようもなく、命を失っていた。魂を燃やし尽くしていた。だから目覚めない。もう生き返らない。俺が掴んでいるのはただの人形で、蓬莱も何も関係なかった。

 

────俺が殺した

 

 誰が言ったのか分からない。ズイブンと腹の立つ声だ。

 

 ああ、これは俺の声だ。

 

 いつの間にか妹紅は俺になっていた。生きていた。 そして笑う。

 

(お前)が殺したんだよ」

 

 叫んだ。

 

 叫んだ。

 

 叫んだ。

 

 叫んだ。

 

 叫んだ。

 

 叫んだ。

 

 叫んだ。

 

 叫んだ。

 

 叫んだ。

 

 叫んだ。

 

 叫んだ。

 

 

 喉がはち切れても。酸欠で意識が飛びそうになっても。ただ狂ったように、死ぬまで。気道が焼ける感覚すら心地よく感じてしまう。胸が苦しくなる。前を向くことすらできない。眼球が裏返って脳を痛めつける。声以外にせり上がってくる胃液がとっくに限界を迎えた俺を捕らえて離さない。胃の中を全てぶちまけてまだ収まらない。呼吸なんかしてないのに声が枯れる気配すらない。頭の中に響いていた悲鳴が霞むくらいに自分の声が五月蝿く感じられた。外から内からぶつかり合い、鼓膜が破れそうになる。だけど音は消えない。いっそ無くなってしまえば楽に慣れたのにそれを許してはくれない。それで良い。俺にはこんな仕打ちが丁度いい。許されなくて当たり前なのだ。自分に嘘をついていたのだから、そうしてみんなを殺したのだから。

 

 これが断末魔だったならどれだけ良かっただろうか。俺みたいな奴が死んでればどれだけ他の人が幸せだっただろうか。

 だけどこれは断末魔じゃない。むしろ産声だ。自分は死なないで、周りに死を振りまく怪物の咆哮。苦痛に塗れた悲鳴。全身を走る痛みが、地獄に落ちてもまだ生温い化け物を祝福し嘲笑う。痙攣した体が歓んで踊り出す。ただ俺の意識だけが絶望していた。俺の体は血の一滴に至るまで軽蔑こそすれど否定しなかった。

 

 いつの間にか一人ではなくなっていた。だけど一人だった。俺以外誰も居なかった。孤独だった。幸福だった。

 

 皆死んでいた。妹紅も、輝夜も、永琳も、鈴仙も。紫だってアリスだってレミリアだってフランだって美鈴だってだってみんなみんなみんな。血だらけになって倒れている。真っ白な世界が真っ赤になって、俺の足元までペンキみたいに染まっている。彼女達はぴくりとも動かない。生きていない。人間じゃないのに。化け物なのに。呆気なく死んでいる。人間だって死んでいる。霊夢も魔理沙も早苗も。笑えるのは、幽霊である筈の幽々子まで息絶えていることだ。死んでいる奴が死んだらどこへ向かうのか。虚無か、それとも更なる地獄か。考えるほどに愉快で愉快でたまらない。

 これほど愉快なことがあるか。こんなにも嬉しいことが他にあるか。

 

 だってこれでもう、俺は誰も殺さないんだから。

 

 

「ちょっと八房! 大丈夫!?」

「も……こう?」

 

 真っ白でも真っ赤でもない景色。俺の方を揺さぶる妹紅の髪の毛がちらちらと映って、ここが紛れもなく自分たちの家であったと思い出す。そういえばもう地底からは帰ってきたんだっけか。なんだか全部上の空で、夢だったんじゃないかとそんな気がする。

 

「大丈夫? また苦しくなったの?」

「いや、ちょっとうなされてただけだ。前のとは違うよ」

 

 異変のときみたいな苦しさとは違う。その証拠に起きた今が元気であることを伝えるとようやく妹紅は納得して安心したようだった。俺達が地底に行っている間にまた別の異変が起きていたらしいから、それとの関係を疑ったんだろう。だけどそっちはもう解決したんだから、今の俺には関係ない。

 

 俺は誰だっただろうか。若丘八房なのは分かっている。だけど、地底であの光景を見せられてから、■■■■■■の記憶が時々ふと蘇るようにやって来るんだ。視界が、音が、痛みが、感情が押し寄せてくる。単なる知識と呼ぶには他人事に思えなくて。実は八房という人間は居ないんじゃないかって。そんな気がしてきてしまう。

 

「ちょっと散歩してくる」

「ん、気を付けてね?」

「分かってるって」

 

 妹紅に聞いてしまえば簡単に納得できそうな気がした。だけど、それはなんだか違う気がして、まやかしで自分を誤魔化しているような気がした。何より怖かった。自分の望む答えが出なかったときが怖かった。杞憂なのだとは思うが、あんな夢を見せられた後ではな。

 

 冬はそろそろ終わりそうだと思わせる寒さと、やけによく見える星空の下で、川の方へと歩く。顔でも洗ってさっぱりとしたかった。頭を冷やしたかったた言っても良いかもしれない。

 

「俺は、不死身なだけの一般人だよ。不死鳥なんかじゃない」

 

 誰に聞かせるでもない呟きは、雲一つない夜空に吸い込まれていった。

 

 そう、思っていたんだ。

 

「あらあら、そうなのですか?」

 

 慌てて周りを見渡す。誰も居ない。空にも星が瞬いているだけだ。

 

「こちらですわ。こ、ち、ら」

 

 ちゃんと聞くと、声は地面から聞こえていた。視線を下ろすと、地面が丸く開き、そこから青い髪の美女が這い出してきた。

 

「こんばんは、今日も良い夜ね」

「誰だよアンタ」

 

 少なくとも見覚えはない。雰囲気は紫っぽいが、ちょっと違うような気もする。紫より性質の悪そうな相手だ。

 

「申し遅れましたわ。私、仙人をやっている霍青蛾と申しますの。気軽に娘々と呼んでくださいな」

「仙人、ねえ」

 

 茨歌仙と同じ種族か。だいぶ雰囲気は違うけれど、どちらも仙人という気はしない。

 

「散歩をしていたら偶然先の呟きを聞いてしまいまして。人の助けとなるのも仙人の仕事。良かったらお話いただけませんこと?」

「今さっき会ったばかりの相手に身の程話をするとでも?」

「気心知れてないからこそ出来る話もあるでしょう」

 

 それは一理ある。妹紅には絶対に話せないし、慧音や阿求に話すのも避けたい。守矢神社の二柱なら出来るだろうが、一人で妖怪の山に入るなんて以ての外だ。アリスにも今は顔を合わせづらいし紫は冬眠中。ともなれば、話したくとも話す相手は居ない。

 そして目の前の娘々とやらも性質は悪そうだが悪人という感じはしない。仙人というよりむしろ妖精のようだ。というのも俺の勝手な偏見だが。

 

「ま、話すだけならタダか。言い触らすのだけは止めてくれよ」

「勿論ですわ」

 信用はしてないが。

 

 そして俺は子供の頃のこと、地底であったこと。夢に見たこと。全ての事を彼女に話した。人に知られて困るものでも無し。

 

 話終わった後、娘々はずっと同じ笑顔のままこう切り出した。いつぞやの記者と同じ顔で少し怖かった。

 

「貴女は自分が何者なのか分からなくなっているのですね。人間かも、妖怪かもはっきりしていない。それならいっそ何かになってしまえば良いでしょう」

「何か?」

「例えば仙人とか! 今なら格安で修行を付けて差し上げますわ」

「それは遠慮しておく」

「あら即答。悲しいですわ」

 

 だけど、何かになる。それは悪くないかもしれない。

 

「自分が楽しそうって理由じゃないよな」

「バレました?」

 

 やっぱり話半分に聞いてるのが正解だった。悪びれない様子に肩を落とす。

 

「ただ、何か見えた気がするよ」

「それは良かった」

「……ありがとうな」

 

「……やっぱり仙人なってみません? 今なら無料で」

「やらないっての」

 

 幻想郷の夜は更けてゆく。

 




娘々に気に入られた八房。死ぬ予感しかしねえ。

そして八房の心境は実際にはもうちょっと複雑なんですが、語るかどうかは微妙ですね。作品終わった後には話すかもしれません。


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答え合わせ

タイトルが短くなっていく


「よう」

「ようって……待ってたの?」

「こっちにも考えるところがあってな」

 

 いつも通りおやっさんの店。当然の如く俺とアリス以外には誰も客が居ないし、寛太はまだ寺子屋だ。俺にとってはそれが好都合なので、アリスを手招いて向かいの席に座らせる。

 長ったらしい話は嫌いじゃないが、今回ばかりは人に聞かれたくない話なので手短に済ませよう。おやっさんにも協力してもらったのだから。ただ、先ずは確認からだ。

 

「■■■■■■」

「えっ……!?」

 

 アリスが身を強張らせる。やはり、あの少女とアリスは同一人物で間違いなかったようだ。目が泳いで明らかに挙動不審になっている。

 

「色々あって、俺が何者なのか調べていてな。どうやらそれが答えらしい。わざわざ地底まで行って確かめたんだ」

「そ、そうなのね」

「その様子から察するに、最初から分かっていたんだな」

 

 やけに良くしてくれてるとは思っていた。魔理沙は「アリスはなんだかんだおせっかい」だからと言っていたが、そんな理由で魔法まで教えてくれるわけがない。何より、彼女は借りがある、と言ったのだ。俺が■■■■■■であることを、知っていたんだ。

 

「話さなかったことを怒っているのかしら。それとも母親への報復でもするの?」

「別にそんなこと思ってねえよ」

 そもそも出来ないし

 

「ただ、俺の前世のことを知ってるかどうか確かめたかっただけだ」

「そう、てっきり恨み言でも言うのかと」

「あのなあ」

 

 自虐的になるのは勝手だが、根本的にアリスは勘違いをしている。

 

()()()()()()()。■■■■■■なんかじゃないし、お前に返されるような借りもない」

「でも……」

「それ以上言うと怒るぞ」

 

 何が悲しくて赤の他人の話を聞かされなきゃいけないんだと。俺は懺悔室の神父じゃない。

 

「それに、本題は別にある」

「本題?」

「ああ、先ずはアリスに話すのが一番早いかと思ってな」

 

 

「わざわざ天狗に頼んでまで、あの子にゃ知らせたくなかったのかい?」

「ま、そういうわけでそういう話です」

 

 神奈子様が呆れた声を上げる。文に無理言って守矢神社までの護衛(人目に付かない道を行くため)をしてもらったあと神奈子様と諏訪子様に話したい旨を伝えると、すぐに本殿の奥に通してもらえた。あの電波巫女が見違えたように清楚になっていたのは鉄拳制裁でも食らったか、それとも仕事は真面目にこなす性格なのか。

 

「ま、気持ちは分からなくもないけどね」

「でもその発想は、常識通りというか、常識に囚われないというか」

「分かりやすいでしょう?」

「そりゃそうだけどさ」

 

 諏訪子様が帽子を外して頭をかく。着脱式だったんだあれ。

 それからにやりとこっちを見て笑う。俺の質問に困っていたのではなく、むしろ楽しんでいたようだ。

 

「あまり嘘を言っちゃいけないよ。好きだってんなら尚更ね」

「嘘は言ってませんよ。これも偽り無く本心です」

「だろうね。でもお涙頂戴はできない」

 

 そう言って諏訪子様は舌を出す。

 本当に全部バレバレのようだ。流石神様。見た目幼女だけど。

 

「悩み事が解決したのはいいけど、面倒くさいとこと考えるよ本当に」

「そこまで言われますか」

「うん、暴走したときの早苗くらい面倒くさい」

 

 そこまで言われるのは酷い。あんな人の話を聞かずに人里で襲い掛かってくるようなのと一緒にしないでもらいたい。

 

「まったく、あんたら話が逸れてるよ」

 

 呆れっぱなしの神奈子様が口を挟んで俺と諏訪子様の無駄話を止める。

 

「結論だけどね、他の所当たりなさいな。それだと私達は味方出来ないし、たぶんすぐに駄目になる」

 

 そして総まとめをして、それなりに厳しい現実を突き付けてくる。といってもそんなことは最初から分かっていた。

 

「……ま、一応聞きに来ただけですしね」

「答えは出てるのね」

 

 そりゃあ、まあ。

 

 

「なるほど、不死鳥ですか。道理でまた覚えがあったわけです」

「会ったことがあるのか」

「うっすらとした記憶ですけどね。閻魔様のお手伝いをしている時に一度。そのときは同じ転生仲間だとかそんな話をしていたと思います」

 

 転生仲間と言ったって、阿求とはだいぶ状況が違う気もするけどな。人間から人間と、人外から人間とでは全く違う。

 

「それで、本題の方ですが、なんで私のところへ?」

「考えられるもんは全部考えようと思ったからだな。この後は茨歌仙でも探そうかと思ってるし」

「だからといってわざわざ私のところまで、それも数日前から待ってたんでしょう?」

 

 後悔はしたくないからな。そう言うと、阿求は大真面目な顔で「そういうものですか」と聞いた。

 

「そういうもんだ」

「そうですね。……オススメはしませんよ。八房さんなら尚更」

「どうして?」

「そこまで説明いります? もっと良い選択肢があるからですよ。それこそ選り取り見取りじゃないですか。わざわざ不便なことをする必要も意味もありません。私の場合が例外なんですよ」

 

 阿求の言葉には重みがあった。今代に於いては俺より年下なのに、同じ存在として転生で積み重ねた年月は伊達じゃないということか。幻想郷の見た目詐欺は実年齢相応でも起こるらしい。

 

「邪魔したな」

「いえ、私の方からも色々収穫はありましたし、喉に刺さった小骨が取れた気分です」

「そりゃ良かった」

「……では、幻想郷縁起への記述はまた今度ということで」

 

「ああ、それで頼む」

 

 

「私としては別に構いませんよ」

「そりゃまあありがたいこって。ただもしもの可能性だからな」

 

 それに団子口いっぱいに頬張っていても威厳も何もないしな。茨華仙がさっくりと見つかったのは良いのだが、こうも食い意地張った姿を見せられては相談したのは間違いだったんじゃないかと思えてくる。あんた一応仙人だろ。

 

「貴方は随分と失礼ですね。それに楽な道ではありませんよ。貴方ではすぐに力尽きるかもしれません」

「だからもしもの話だって」

「そう強調されると、最初からその気は無いようですね。分かってはいましたが」

 

 俺はそんなに分かりやすいもんだっただろうか。 

 

「分かりやすいですよ。……あら、霊夢じゃない」

 

 つられて俺も視線を向けると、そこにはいつも通り紅白衣装の霊夢が居た。あれ普段着なのか。霊夢は俺ら二人を見て、台所で虫でも見つけたかのような顔をする。

 

「何やってんのよあんたら」

「ただの世間話だよ」

「嘘ね。絶対に企みごとよ」

「企みごと、ってなんだよ」

「さあ?」

 

 さあ、って。博麗の巫女お得意の勘という奴なのだろうが、別に異変を起こすなんて大それた真似をする訳でもないのだから放っておいてほしい。

 

「とにかく、なんかやらかすにしてもこっちに迷惑かけないでね」

 

 霊夢はそれだけ言い含めて去っていく。釘を刺されただけなのに痛い所を突かれたように気味の悪さが腹の中に残っていた。

 

 

「すいません。案内は出来ないんです」

 

 鈴仙に永遠亭まで連れてってくれるよう頼んだのだが、にべもなく断られてしまった。自分で竹林を歩く自身は無いので、これでは永遠亭に行くことが出来ない。

 

「なんで駄目なんだ」

「そんなの分かりませんよ。ただ師匠が」

「永琳が?」

()()()()()()()()()()()()()()って。どうしてなのか分かりませんし」

「…………」

「そもそも八房さんなら妹紅さんと一緒に来ると思ってましたもん。なんで私に案内を……八房さん?」

 

 笑いをこらえるのに必死の姿が奇妙に思えたのだろう。鈴仙が首を傾げる。まあ鈴仙には分からないよな。俺だって永琳がそこまで気付いていただなんて思ってもいなかったし。発想もそうだがどうやって必要な知識を得たんだろうな。彼女には彼女なりの情報網があるということか。本来なら胡散臭く思えることも彼女だと「永琳だから」で済ませてしまう。

 

「妹紅と二人でなら、来ても良いって言ったんだろ」

「え、ええ。入口まで来たのを止める必要はないって」

 

 なるほど、ちゃんと答えを得てから来いってことか。話を聞くだけのつもりだったが、まあそういう可能性も捨て切れない。

 

 うん、今夜辺りだな。

 

「八房さん、悪いこと考えてません?」

「悪いことってなんだよ。俺が悪党に見えるのか」

「そういう訳じゃないですけど。なんだか危なっかしいなあって。ちょっと波長が乱れてますし」

 

 波長ってなんだ。そういえば鈴仙の狂気を操る程度の能力の説明を聞いたときにそんな話を聞いたな。波の長短がどうのこうの、っていまいた理解出来なかった覚えがあるが。

 

「大丈夫だって。ちょっと緊張してはいるが、俺は至って冷静だ」

「何に緊張しているんですか」

「帰ったら永琳にでも聞いてみろ。無理言って済まなかったな」

 

 薬売りの仕事の最中だったみたいだからな。鈴仙は腑に落ちない顔だったが、俺が離れても付いてくることも呼び止めることもなかった。

 

 鈴仙と別れて俺はなんだかんだまだ使ってる自転車に跨り、家までのけもの道を走る。久方ぶりに見た気がする夕日に少々センチメンタルな気持ちになるのは仕方の無いことだろう。

 

 

「改まって話って何?」

 

 夜、妹紅を外に連れ出して竹林からも離れた場所に出る。家では話せないし、竹林に近付いたままで居るわけにもいかない。

 

「ずっと、考えてたことがあるんだ」

 

 正直に言えば今でも迷っている。というより考えても答えは出ないことを理解したから、俺はここまで彼女を連れてきたんだ。

 彼女の決断なら俺は納得できると思ったから。或いは、彼女の決断なら踏みにじれると思ったから。本当にひどい話だ。なんと言われたって、俺が決めた立ち位置は変わらないのに。

 

「地底に行ってから、俺が俺だと感じられなくなって。いや、その前からずっと。俺は自分に自信が持てなかったんだ。分かりきっていたことから逃げて、自分を隠していた殻がどんどん剥がれていっても、俺はまだ認められなかった」

 

 だけど。ここで一度息を吐く。一言一言が重過ぎて、自分の意思に心が押し潰されてしまいそうだ。だけど。だけど、言うと決めたんだ。言わなきゃならないんじゃない。言う必要なんて何処にもない。だけど、言うと決めたんだ。

 

 俺の言いたい事に察しが付いたのか、妹紅の顔が青ざめるのを、他人事のように感じた。駄目だ、決意が鈍ってしまう。言われる前に言わなきゃ。

 

「八房もしかして────」

「俺は、蓬莱人になろうと思う」

 

 ずっと吹いていた風が止まった。そんなのは俺の錯覚で、ただ妹紅の答えを聞きたくなくて、自分で耳を塞いでしまっただけだ。逃げるな。そう自分に言い聞かせる。幸いにも妹紅の口は動いていなかった。だから、もう一度、ゆっくりと、宣言する。

 

「蓬莱人、になる。そう決めたんだ」

「……本気で言ってるの?」

 

 目を開けるのも難しくなるほど熱風が顔に当たる。熱い。だけどいつかの夢よりもずっと心地良い。

 一言一句、聞き漏らさないように耳を傾ける。妹紅の言葉を一つも逃さないように。

 

「誰がそんなことを吹き込んだの。輝夜か、まさか紫か。八房はそんなものを真に受けたの」

「違う。輝夜も紫も関係ない。俺が自分で考えて、自分で決めたんだ。色んな奴らから意見を聞いたりはしたが、誰に言い包められたわけでもない」

「そう、八房が自分で、本当にその結論を出したんだね」

「ああ」

「だったら」

 

 一層強い熱気が右足に当たった気がして、反射的に一歩後ずさる。火の玉がそこを通り抜けたのはけして偶然ではないだろう。掌に炎を浮かべて、妹紅が今までにない鋭い目付きで俺を睨む。

 

「あんたを殺してでも、私は止める」

 

 それは人の身のまま、長い間生きてきた重みがあった。そんなもので俺を止められると思ったのか。まだ足りない。

 

「やってみろよ」

 

 その言葉とともに極大の火災が襲い掛かってきた。咄嗟にそこから飛び退いて、間一髪事なきを得る。しかし、起き上がった隙に放たれた炎が俺の左腕を肩から燃やし尽くした。

 

 痛い。これは妹紅が俺のことを思ってくれている痛みだ。それが感じられる限り、俺は折れるわけにいかない。十分なのは分かっていたが、今更無しにするには決意を固め過ぎた。

 

 妹紅から許しが貰えるまで、何度でも言おう。死んだなら生き返った後で言い直そう。一度殺されたくらいでへこたれるなら最初から言ったりしない。

 

「俺は曲げないぞ」

「死んでも曲げてみせる。その性根を叩き直すよ」

 

 もう一度やってくる突進。左腕を失ったせいで体がぐらついて、避けることは不可能だ。まあ、まだ第一ラウンド。ノックアウトくらい覚悟の上だ。

 

 さあ、来いよ。

 

「はぁい、そこまで」

 

 懐かしくすら覚えるその胡散臭い声が響いたのと、目の前にあった猛烈な死の気配が無くなったのは、ほとんど同時のことだった。そして俺の背後に爆音が響く。

 

「邪魔するなよ紫」

 

 振り返ると、ちょうど閉じる所だったスキマと、地面に激突して砂埃を巻き上げた妹紅。そして優雅に扇子で口を隠した紫が居た。突然の出来事に言葉が見つからない。

 

「全く、気持ちの良い目覚めだと思ったら霊夢に呼び出されて、挙句の果てに痴話喧嘩の仲裁だなんて。不運も良いところですわ」

「だったら放っておいてよ」

「黙りなさい」

 

 たった一言であれだけ激昂していた妹紅が押し黙る。俺も開かない口がさらに縫い合わされて、ツバを飲み込むことも出来ないくらいの緊張に襲われた。

 これが、紫の本気なのか。

 

「八房の聞き分けの無さも、貴女の強さも分かっている。貴方達が本気で喧嘩したら、いつ終わるのかも、どれだけ被害が出るのかも分かりませんわ。管理者としてそれは認められない」

「……じゃあどうしろってのさ。話し合えって? そんなのでカタが付く訳ない。それとも丁半博打でもするか? 冗談じゃない!」

「紫。殴り合い以外で決着を付ける、お互いに納得できる案があるのか」

「お二人とも少し頭を冷やしなさい。ここは幻想郷よ」

 

 幻想郷? まさか────

 

「弾幕ごっこで決めれば良いのですわ」

 




とうとうここまでやって参りました。次話から最終章「不死人と蓬莱人」に入ります。

八房の決断。それがどのような結果へと行き着くのか。もう少しだけお付き合いください。


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エピローグ:不死人と蓬莱人
うさぎうさぎ何見て笑う


いつもよりちょっと長いです。
あと二次設定マシマシでお送りしています。


 私は何をしているのだろう。

 

 紫が決めた弾幕ごっこは、どこから見ていたのかも分からない烏天狗によって幻想郷中に広まった。八房が弾幕ごっこを出来ないことから、決着は一ヶ月になって、それまで私と八房は会わないようにされた。八房は紅魔館へ連れて行かれたらしい。

 

 八房はあんなこと言わないと信じていたのだ。最後まで人間で居てくれると、彼自身がそれを望んでいると。あいつは自分で決めたと言っていたけど、蓬莱人になるなんて馬鹿げた決断を一人でするはずがない。誰かが唆したに違いない。

 

「アンタが、八房に吹き込んだの?」

「さあねぇ。私には何のことだか分からないわ」

「ふざけないで」

「ふざけてなんか無いわよ。突然吹き込んだの何のって分かるはずないじゃないの」

 

 本当に何度会ってもどれだけ話しても嫌な奴だ。父上を辱めた、そんなのはもうどうでも良くなるくらいに長く生きてきたけど、こいつは好きになれそうもない。元々好きになる気なんか無いけど。

 

「蓬莱人になるなんて、八房を焚き付けたのはアンタなのかって聞いてんだよ」

「わざわざ私の部屋までやってきて、そんなことが聞きたかったの?」

「そんなことだって?」

「ばっかじゃないの。そんなことどうだって良いじゃない。せいぜい数十年の慰みが永遠になるのよ。少しくらい喜びなさいよ」

 

 怒りが頭のてっぺんを抜けてって、むしろ視界が開けた気がした。爆発しないまま、最高潮に留まったままの感情が口を動かす。すました顔の胸ぐらを掴む。輝夜の顔よりも、後ろの障子のほうがはっきりと見えた。

 

「喜べ、って何よ。喜べるわけがないじゃない。アンタが唆したんだろうが、八房は人間で居られたのに」

「人間で居たから何よ。あのクソ野郎自身のことならともかく、アンタには全く関係のないことでしょ」

「そうね、アンタには分からないのよね。永く生きることの辛さが。だって月のお姫様だもの。何一つ不自由なく好き勝手に暮らしてた箱入り娘には理解なんて出来やしないわよね」

「理解したくもないわ。弱虫の泣き言なんて。アンタが自分の理想を押し付けてるだけじゃない。どうせ、あいつが死んだら後悔するんでしょ。薬を飲ませときゃ良かったって」

「そんなこと……っ!」

 

 破裂しそうになった瞬間、輝夜の手が私の首に触れた。絞め殺す気か。こいつの力なら簡単だろう。それなのに、振り切ろうとしたらすぐに離れた。力なくその手が地面を叩く。睨みつけても、輝夜はもう私を見ていなかった。うわ言のように口を動かすだけ。

 

「言うわ。言うに決まってるのよ。絶対に。間違いなく。だってそうじゃなきゃおかしいじゃない。だって、だってだってだって!」

 

 彼女は泣いていた。私を見て、私ではない誰かを見て、否定するように。

 何も言えなかった。私にとってこいつはいつもいけ好かない奴で、人を馬鹿にしたような態度で。まさかこんなに取り乱すことがあるなんて思わなくて。

 いつか、八房に聞かれたことを思い出す。なんで私は輝夜に嫌われてるのかって。分からない。そん時は適当に答えた気がする。

 

「好きな人と永遠に一緒に居たい。そう思うのが普通でしょ! 愛しているなら離れたくない、自分が死ぬまで、死なないならいつまでも、愛し合っていたいに決まってるじゃない! そうじゃなきゃ……おかしいじゃないのよ……」

 

 子供みたいに泣きじゃくる彼女に、私の中にあった火は消されてしまった気がした。こんなに隙だらけで、弱々しい相手に、どうして自分の怒りをぶつけられるだろう。

 八房は自分で選んだと言った。それを私は信じなかった。輝夜なら私を苦しめるためにその程度のことはすると。なんで私にそんなことをする必要があるのか、考えもせずに。

 輝夜じゃない。それが分かってしまった。だけど私には彼女が分からない。なんで泣いてるのか分からない。ずっと私が怨んできた相手は、私のことをどうして呪っていたのか。

 

「そろそろかなー、って思ってたけど。うん、良いタイミングかな」

 

 がらりと障子が開かれて、信用ならない兎が顔を出す。いつもみたいにへらへら笑った顔で、輝夜の存在を無視して。輝夜もてゐに意識を向ける余裕は無さそうだった。ここに居るのは私とあの兎だけみたいだ。

 

「妹紅、師匠があんたをお呼びだよ。私も焼き兎にはされたくないからね、さっさと行ってちょうだい」

「てゐ、輝夜はいったい」

「お姫様はワガママなのさ。さあさあ、早く行かないと薬の実験台にするよ。質問なら私なんかよりよっぽど頭の良い師匠にでも聞くんだね」

 

 さっきまであいつの胸ぐらを掴んでいた手は、てゐに引っ張られた。廊下までむりやり押し出され、永琳の私室まで行くように注射器片手に脅される。

 

「知りたいことは聞くもんだ。だけど、聞く相手を間違えちゃいけないよ。私に聞く前に、もっと彼女に詳しい従者サマがいらっしゃるんだから」

「それはどういう」

「じゃ、私は姫様のご機嫌取りしなきゃならないから」

 

 バタンと障子を閉められ、私一人だけが取り残される。永琳の私室なんて案内されなくても分かる。この廊下の突き当りだ。行かなければならない、だけど足が踏み出せない。棒になったみたいに床にへばりついて、ここから動くことを邪魔する。それでも、壁を支えにして一歩ずつ廊下を進んでいく。薬品でもこぼしたのか、ところどころシミのある床に体重を乗せて、死に体のような足取りでようやく、彼女の部屋まで辿り着いた。

 

「永琳」

「入ってちょうだい」

 

 声を掛けると、間髪入れずに返事が返ってきた。唯一引き戸ではない部屋のドアを開けると、薬品やら何やらは全く置いてなかった。ツンとした臭いは残っているから、おそらくちょっと前にでも片付けたのだろう。代わりに座布団が一つ。彼女自身は普通に椅子に座っているので、私に座れ、ということだろう。

 

「まあ掛けなさいな」

「それよりも聞きたいことが」

「分かってるわ。だから、座ってちょうだい。立ち話もなんでしょう?」

 

 長い話になるかもしれないから、と永琳は、私の方を一切見ないまま言った。

 

 私が座ると、湯呑みを一つくれた。中身は緑茶ではないようだけど、なんだろう。訝しみながら一口飲んでみると、何処かで飲んだ覚えのある味だった。

 

「これって」

「八房から貰ったものよ。本人の何のハーブティーかは知らないと言っていたわね」

 

 そう、一時期八房がよく作っていた味だ。どこで手に入れたのか聞くのはぐらかされた代物。永琳に分けていたなんて知らなかった。

 

「あんたは八房のこと嫌わないのね」

「嫌う理由が無いもの」

 

 永琳はあっさりと、そしてきっぱりと言った。

 

「理由も無く誰かを嫌いになるなんて有り得ないわ。それは偏見よ。好き嫌いじゃない」

「それは、そうだけど」

「姫様だって、理由無く貴女を毛嫌いしているわけじゃない。貴女がそうであるようにね」

 

 言葉を返すことが出来なかった。永琳は視線をこちらに向ける。どんな表情をしているのか、自分でも分からなかったけど、彼女の期待する顔ではなかったようだ。

 

「ちょっと昔話をしましょう」

 

 手が震えていた。

 

「あるお姫様は、愛する人と引き離されてしまった。だけど、その時に姫様は彼に贈り物をしたの。それさえあればまたいつか会える。そう願って。言葉に出す事はできなかったけれど深く深く信じていたの」

 

 嫌だ、聞きたくない。

 

「だけど、実際にはそうならなかった。彼女は待ち続けたわ。愛する人が来るまでずっと。どれだけ日が昇っても、どれだけ月が昇っても。それでも、彼は来なかったわ。代わりにある女がやってきた」

 

 知りたくなかった。気付きたくなかった。

 

「その女は約束の品を持っていた。愛する人が持っているはずの贈り物を。

 さて、それを見たお姫様は何を思うでしょうね」

「私があいつを傷つけていたって言うの……?」

「そうね」

 

 彼女はこんな時でも淡白だ。

 

「貴女にとっては八つ当たりも良いところでしょう。私は会ったことがないけれど、蓬莱の薬を捨てたのは彼本人の意志。たとえ貴女が使わなくたって、彼女の前に姿を現すことは有り得ない。だから、貴女が気にする必要なんて何処にもない」

 

 だけど、と彼女は付け加えた。

 

「彼女が一方的に悪者なわけじゃないわ。人が人を嫌いになるのには、少なくとも当人にとってれっきとしてした理由があるということ。身勝手なことだけど、それだけは分かっていてほしいの」

「私は、どうすればいいんだろう」

「どうしようもないし、どうにでも出来る。貴女がどうしたいのか分からないから、私は何も言えない。ただ、貴方達の関係はフェアではなかったとだけ言える」

「私はさ、ずっとあいつを傷付けていたのかな」

「同じ質問をさっきもしたわ」

 

 湯呑みの中身は最初の一口から全然減っていなかった。

 

「姫様の視点で言うならそうなのでしょうね」

 

 

「ちょっとは落ち着いたかな?」

 

 てゐの声が聞こえて我に返る。喉がからからになっていて返事は出来ない。

 今の私はきっとみっともない姿をしているだろう。目も赤く泣き腫らして、髪もぐしゃぐしゃになっていて。何よりも妹紅の前でこんな醜態を晒してしまったのだ。あいつは私のことを馬鹿にするだろう。

 いっそ死んでしまいたい。何百年ぶりにそんなことを思った。

 

「妹紅もずるいっちゃずるいけど、姫様も大概だよね」

「……黙っててよ」

「相手の都合も考えず、自分の都合で敵だと決めつけたり。片や自分の都合を話さずに、知らないくせにって悲劇のヒロイン気取り。どっちが正しいのか分かりゃしない」

 

 てゐは意地の悪い性格だ。そんなこと分かってる。黙ってと言ったって聞いてくれないことも、分かってる。

 

「ま、一番の被害者はあの八房とかいう人間だよねぇ。何も知らないまま一方的に嫌われるんだから。あいつが気の良い通り越してお人好しな人間で良かったね。あいつに何か本気で言われたら、あんた立ち直れないだろう」

「何よそれ……」

「あんたがあの人間に惚れてるって話?」

「そんなこと絶対にない!」

 

 よりにもよって何を言っているのだこの兎は。怒鳴っても、今の自分には彼女を黙らせるだけの力は無かった。てゐは呆れたように首を振って、手慣れたニヤケ顔で話を続ける。

 

「惚れている。まあ、あいつにじゃなくてあいつを通して帝にってとこかね。妹紅とあいつの関係を、自分と例の帝に重ねてたんだろう? だから八房という人間が死ぬ程気に入らなかった。藤原妹紅が気に入らなかった。自分が手に入れられなかったものを、奪っていったような気がするから」

 

 てゐが私の背中に手を回す。小さな体が、暖かかった。私をあやすように、何度か背中をさする。 

 

「あんたが辛かったのは知ってる。私だって、あんたの塞ぎ込んでた頃を見ているからね。妹紅が嫌いなのも分かる。だけどそろそろ、そこから一歩踏み出しなよ」

「……無理よ」

「無理じゃない。あの異変の後だって、あんたは一歩踏み出せたじゃないの。外の世界を見る事ができたじゃない。自分の物語を進めることができた」

「もの、がたり?」

「そう、物語。他の誰でもないあんたの人生。不老不死だからって、止まってるわけじゃないんだ。失恋したところで止まってるから、憎んだその場所で止まってるからあんたは辛いのさ」

「じゃあどうしろって言うのよ! あいつを許せっての? 私が悪かったって、謝ればいいの!?」

「はいはい、論点がずれてるよ」

 

 強く抱きしめてしまったせいか、てゐはちょっと苦しそうだった。

 

「許す許さないの話じゃないのさ。妹紅が気に入らないなら気に入らないで良いの。好き嫌いなんて幾らでもある話だしね。

 でも、あいつに自分を重ねちゃいけないよ。同じ蓬莱人だからって、あんたとあいつは違う人間だ。そして、八房もあんたが好きだった人とは何の関係もない。だから、そこには別々の物語があるし、考え方だって千篇一律じゃない。あの二人にあんたの理想を押し付けちゃいけないんだ。あんたは自分の理想を話しもしないで、あの二人に理想を見て、こうじゃないって喚いてる。はっきり言うよ。今のあんたはずるい。自分の八つ当たりにあの二人を使ってるだけなんだから」

「だったら、どうすれば良いのよ……」

「そうねぇ」

 

 力の抜けた体をてゐが支えてくれる。自分より小さい体なのに、押し潰されそうになってるのに、ちゃんと抱き締めてくれている。

 

「妹紅と一回腹を割って話しなさい」

「それだけ?」

「うん、それだけ。でも簡単なことじゃない。今、あの二人だってそれが出来なかったから弾幕ごっこにまで発展したんだから」

 

 あの、腹が立つほど仲の良さそうな二人でも出来なかったことを、私が出来るのだろうか。すぐに喧嘩になってしまいそう。

 

「喧嘩になったっていいのさ。お互い殴り合ったって、罵りあったって。もしくは泣き喚いたって構わない。ただ、腹の底全部ぶちまけて、隠し事無しにすればいい。そこまで来て初めて本当に好きか嫌いか解るってもんさ。その結果やっぱり嫌いだったらそれでもいい。私はあんたの味方になる。だけど、もし分かり合えたなら……」

「分かり合えたなら?」

「あんた達は、離れることのない、本当の意味での親友になれる。……分かったかい? 妹紅」

 

 はっとして、後ろを振り返る。障子に仄かに浮かぶ影は、確かに妹紅のものだった。

 

「それじゃ、ここはお暇しようかね。竹林に埋めてた鈴仙の様子も見に行かなくちゃならないし」

「あ、待って……」

 

 てゐはするりと私の手を躱して部屋の外へ出ていってしまう。残されたのは私一人だけ。妹紅はまだ入ってこようとしない。

 

「入って来なさいよ」

「……ああ、入るぞ」

 

 浮かない顔をした彼女は私の前に座った。何かを抑えているような、苦しそうな表情だった。

 しばらくの沈黙の後、切り出したのは彼女からだった。

 

「永琳から聞いたよ。お前がどうして私のことを嫌うのか」

「そう、なのね。馬鹿げているでしょ。私もさっき、てゐに怒られちゃったもの」

「思わないよ。というより思えない。だって私だって同じような理由だもの」

 

 妹紅は頭を振った。張り詰めていたものを切らさないようにしているのだとすぐに分かった。

 

「父様は結局、自分の意志で挑んで、負けて。馬鹿にされたのだって自業自得だ。それを私はお前のせいにしたんだ。ただの八つ当たりだよ」

「私も、ただの八つ当たりだった。いえ、嫉妬ね。あの人の代わりに不死になった貴女が妬ましかった。私は報われなかったのに、彼を連れてきている貴女が憎かった」

「…………」

「一つ教えてあげる。以前、彼だけをここに呼んだ時、私は彼に()()()()()()()()()()聞いたわ。その答えは貴女のためだった」

「私のため?」

「ええ、そのとき私は聞いたの。蓬莱の薬を使えば永遠に彼女と一緒に居られるけどって。だけど彼は首を縦には振らなかったわ。妹紅が望まないなら自分はやらないって」

「それなのに」

「彼は死ぬまで貴女と一緒に居られればそれでいいって。だからね、彼が蓬莱人になると決めたのは彼の意志で、彼の理由で、だと思うわ」

「でも私は」

「私はそれをとても羨ましく思う」

 

 妹紅が一瞬カッとなったのが分かった。だけど、彼女は抑えた。ここで切れても、話はまだ最初からになってしまうから。

 

「私は、嫌なんだ。人間として、寿命よりも長く生きるのは、誰が思っていることよりもずっと辛いから」

「……そう」

「輝夜。お願いがあるの」

 

 妹紅は神妙な顔だった。

 

「私に力を貸して。あいつに、人間を辞めさせたくないの。たとえあいつが望んでいなくても、私のワガママで」

 

 真剣だった。私に頭を下げるなんて、今までの彼女なら絶対にあり得なかった。昨日までの私なら鼻で笑い飛ばしていただろう。でも、今は、私と彼女は違うと分かったから。

 

「一つだけ条件があるわ。けして後悔しないこと。後で、ああすれば良かったなんて思わないこと」

「……うん」

 

 その答えが聞ければそれでいい。

 

「良いわ。永遠亭総出で貴女の力になりましょう。絶対に勝つ。分かったわね」

 

 私達は、思っていたよりも近い存在なのかもしれない。泣いてもいないのに、笑っても怒っても、憎んでもいないのに押し込めていたものを全て吐き出せたのだから。

 




優しいよてゐかーさん!←
最初からてゐが姫様を慰めるシーンは想定してましたがまさか、ここまで母性あふれる(当社比)とは

次回は八房サイドのお話です


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我儘を突き通すために

ふっかーつ。ここから最終話まで、本当に短い間ですが毎日投稿していきたいと思います


 避ける、避ける、避ける。四方八方から迫りくる弾幕を死にものぐるいで避け続ける。一度に見られるのは頑張ってもせいぜい二方面か三方面。それ以外の部分は美鈴に鍛えられた勘で乗り切るしか無い。

 捉えきれなかった弾が背中に当たる。じゅうっ、と服を容易く溶かした熱に肉を焼かれ、激痛が走った。うずくまってしまいたいという感情を舌を噛んで黙らせる。これは弾幕ごっこじゃない。一回当たってハイおしまい、なんていう甘いルールじゃない。終わるのは俺が避け切った時のみで、死んだら最初からやり直し。セーブ出来ないクソゲーの世界に入った気分だ。

 

 虹色の綺麗な螺旋が目の前に立ち塞がる。これはおそらく美鈴の弾幕だろう。背後を見れば赤く禍々しい弾が、下には魔法陣、上にも魔法陣。四面楚歌って奴か。これら全てを避けるのは無理と言っていいだろう。そんなことが出来るのは霊夢くらいのものだ。

 だからこそ、避けきらなくちゃならない。

 

「……ふぅ」

 

 一旦止まる。呼吸を整え、目を瞑る。視覚はむしろ邪魔になる。全神経を勘に、死に対する危機感知能力に回す。途端に脳裏に浮かぶ網の目のような世界。

 大丈夫、イライラ棒みたいなものだ。当たらなければいいだけの話。言うは易し、行うは難し。それが一番難しいのだが。

 網は捉えた獲物を逃さないようにじわじわと、しかし考えるよりも早く近付いてくる。細かいことをごちゃごちゃと考えている暇はない。探せ、網の目を。ここから抜け出せる僅かでもいい、確かな隙間を。

 

 自然と体は動いていた。網の目は不規則に形を変えるが、実際はどうなっているのやら。目を閉じたまま動いていてはおちおち確認もできやしない。目で見るよりも感じた方が早く、正確であるはずだから問題はないのだけれど、やはり気にならないではいられない。開いてしまいたくなるのをぐっと堪えて、体はひたすらに頭の中の網の目をくぐり抜けていく。まるで自分以外の誰かが動かしているようで、どんな動きをしているかが手に取るように分かった。

 これだ、この感覚だ。経験で劣る俺が妹紅に勝つにはこれを磨くしかない。強い弾幕よりも、先ず倒されないこと。負けないことを意識しなければ互角どころか勝負にすらなりはしないだろう。逆に言えば、この感覚を完全に自分の物に出来たのならば妹紅にだって勝て────

 

「がっ……」

 

 しまった。気が逸れてしまった。

 一度動きが止まってしまったらあとは蜂の巣になるしかない。ほんの少しばかりの抵抗として気を固めて防御に回すも、焼け石に水だ。穴ボコになった体は到底生きてはいられないだろう。

 

「終わりね」

 

 聞き慣れた、それでいてここで聞くはずのない声が聞こえて目を開けてしまった。緑色の髪に少しだけ爬虫類っぽい目、いつも来ている赤い服にトレードマークの日傘。

 

「なんで」

 なんで幽香が 紅魔館(こんなところ)に来てるんだよ。

 

 その疑問は日傘の先端から放たれたビームで俺ごとかき消された。

 

 

「花の噂で聞いたのよ。あの蓬莱人と貴方が弾幕ごっこをするだなんて、面白そうじゃない。私も一枚噛ませてもらおうと思ったの」

「面白そうとか言っちゃってるし俺で遊ぶ気満々じゃねえか」

「ほら遠慮なく殺せるし」

「ダイレクトに言いやがったな」

 

 お土産だと持ってきた自前のハーブティーを咲夜に淹れさせて、自分は優雅に椅子に座っている花の大妖怪は悪びれる様子もなく言い放った。俺とこいつ、それから影狼と咲夜以外は別室に戻ってしまっている。というかここ自体いつかに俺が寝泊まりしていた部屋だ。それなのに幽香はここが自分の部屋だと言わんばかりの態度である。まあ、こいつらしいと言えばこいつらしいが。空気も読めるし頭も切れる。カッとなるような短絡的な性格でもない。それでも凶悪で凶暴なのが風見幽香という妖怪だ。俺も何回か会ってその事をよく思い知った。普通にしてれば良い人(妖怪?)なんだがなあ。

 

「それで、こっちは?」

「せっかくだから連れてきたわ」

「よく分からないまま連れてこられたわ」

 

 これまたらしいと言えばらしい。咲夜をちらりと横目で見る度に「ひっ」と縮こまってしまっている影狼はもう苦労の星にでも生まれついているのだろう。主に風見幽香と友人になってしまったという点について。紅魔館に連れてこられたのもそのせいだし。

 この二人が具体的にどういう関係なのか未だ分かっていない。それどころか一緒にいるのも初めて見たのだが、余りにも想像通りで笑いそうになってしまう。影狼には睨まれたが気付かなかったことにして。

 

「それに美鈴が良く入れてくれたな。止められたりしなかったのか?」

「ああ、彼女? 花の手入れを褒めたらあっさり入れてくれたわよ。だって私、貴方が金髪の方に引きちぎられて遊ばれてるの見てたもの」

「見てたなら助けてくれ。というか美鈴ざる警備過ぎないか」

「一重に私の優しさが成せる技ね」

それは無いわ(それはねぇよ)

「二人揃って酷いわね」

 

 反射的なものだ。気にするな。

 

「大体アンタはいつも自分の思い通りになるように全部ぶち壊してるじゃない。あの門番だってそうなるのが嫌だったんでしょ」

「そんなにはしたないことはしないわ。ドアが開かなかったらもうちょっと強くノックするだけよ」

「それだけでドアは粉微塵よ」

「弱いドアね」

「アンタが力入れ過ぎなんでしょうが」

 

 やれやれと首を振る幽香にこめかみをひくつかせる影狼。幻想郷の少女(?)達らしいやり取りだ。

 対等な相手だったんだな、とそれだけは少し意外だった。影狼のことだから半ば舎弟扱いされているかもしれないと失礼ながら思っていたのだが、ここまで悪口、もとい軽口が言える仲だったとは。振り回されてるのは予想通りだが影狼も実は大妖怪とタメはるほど強いのか? 影狼と幽香それぞれの性格から考えても、そうでもないとこんな関係にはなりようが無いと思うのだが。

 

 それにしては影狼には大妖怪らしいオーラが感じられないんだよなあ。強大さというか、一目見ただけで分かるような威厳が彼女には無い。それを言ったらレミリアだって、普段の行動の中にカリスマを感じることは出来ないけれど、あっちの場合はオンオフを切り替えてるみたいに思える。

 

 と、そんなことを考えても埒が明かない。

 

「で、結局手伝いに来てくれたってことで良いのか?」

「別にそれでも良いんだけどね」

 

 幽香は何故かはぐらかし、ことんと置かれたカップに口をつける。

 

「あら美味しい」

「自分で作ったもんだろ」

「淹れ方の問題よ。私じゃこうはいかないもの。習ってみようかしら」

「レミリアの心労がやばいからやめてやれ」

「本当に酷いわね。でも……」

 

 まだ飲み切っていないのにカップを置く。そして、何故か屋内にまで持ち込んだ日傘を手にとって、振り上げた。

 

「覗き見している方が数万倍腹が立つわ」

 

 ぴしり、と空中にヒビが入る。どういった仕掛けなのか、何も無いはずの空間がべりべりと破れ、暗闇が顔を出した。紫のスキマではない。学んだからなんとなく分かるが、これは魔法だ。

 幽香が日傘の先から妖力を魔理沙のマスタースパークのように撃ち込んだ。耳障りな音がして、真っ黒な異空間が広がっていく。最後には硝子のように崩れ去り、隠れていた誰かさんが姿を現した。

 

────なんでだ

 

 白い髪に一箇所だけ赤いゴムで留めた、林檎みたいに真っ赤な服の女。ああ、そうだ。間違いない。間違えようがないし、忘れようもない。実際に会うのは初めてのことだろうが、一度植え付けられた恐怖はそう簡単に言えば無くなるものではない。

 ■■■■■■を殺した、アリスの母親だ。

 

「あらあら、こうして会うのは久しぶりかしら。風見幽香。まさかこのまま気付いてもらえないんじゃないかと思ったわ」

「ただの覗き見なら知らない振りをしていようと思ったのだけれどね。 友人(おもちゃ)を壊されちゃたまらないわ」

 

 今、物騒な単語が聞こえたような。じゃない、大事なのはあの女と幽香がどうやら知り合いらしいということだ。それも、一気に空気が重苦しくなるような険悪な仲で、まさに一触即発の雰囲気。ここ、紅魔館で合ってたよな。どう見ても地獄絵図なんだが。

 

「貴女……いつからここに」

「最初からよ、瀟洒なメイドさん。門番さんと主さんは気付いていた上で無視していたみたいね」

「……っ何が目的ですか」

「ああ! その反応夢子みたいで可愛らしいわ。せっかくなら連れて帰っちゃいたいくらい」

「……!?」

 

 咲夜の姿が消える。おそらく自分で能力を使って、レミリア達を呼びに行ったのだろう。驚いた様子もなく肩をすくめる白髪の女と、殺意がどんどん高まっている幽香。口元そんな緩めるんじゃない。サイコパスかよこえーよ。

 

「貴女を今度こそ殺せる機会が来るなんてね、神綺。ここの吸血鬼の言う運命とやらを信じたくなったわ」

「たかが妖怪ごときが学ばないものね。もう一度その日傘へし折ってあげましょうか」

 

 どちらも好戦的で困る。影狼は戸惑った顔して二人の様子をうかがっているし、俺なんかじゃこの化物共を止められるわけがない。これはいよいよ紅魔館崩壊の危機か。今までフランの悪戯で何度か危ないことはあったが、まさか第三者に内部からぶち壊されるとはレミリアも予想していなかっただろう。

 ぎちぎちと引き絞った弓のように、二人の殺気とか妖力神通力が膨れ上がっていく。そろそろ逃げるか。紅魔館から出たくらいで生き残れるとも思えんが。

 

 そして限界を迎えた二人の力が、弾ける。

 

「あまり館の中で暴れないでもらえませんか。お嬢様に怒られるのは私なんですよ?」

 

 間延びした声が割って入った。肌を刺す感覚的な痛みが鳴りを潜め、静かな時間が流れる。ぶつかりかけた幽香の日傘と、神綺とやらの翼を美鈴が素手で受け止めていた。その隙に影狼が幽香の襟を引っ張り、レミリアがスピアザグングニルを神綺の喉元に突き付けている。どの動きも俺には全く見えなくて、把握するのにも若干時間が必要だったのだが、どうやらこの一瞬での衝突は避けられたようだ。間に入った美鈴大丈夫か。大妖怪と神様クラスの一撃を同時に受け流すって人間業じゃないだろう。妖怪でも頭おかしいレベルだ。

 

「招いてもない客人が私の館で好き勝手するんじゃないわ」

 

 いつになく本気モードのレミリアは、まさにカリスマといった感じだった。それでも霞んでしまうほどに二人の存在感は大き過ぎる。一度目は防いでも、二度目はやばいんじゃないか。

 そんな俺の危惧は、神綺が殺気を抑えたことで杞憂に終わった。

 

「そんなに怖い顔しないでよ吸血鬼さん。私も争いに来たわけじゃないんだから」

「こそこそ隠れてる輩を信用できるとでも?」

「あらまあ、信用されるために隠れてたのよ。潰すだけなら正面から来ればいいだけの話じゃない」

「魔界神様は余裕たっぷりってことかしらね」

「私のことを知ってるのねえ。そんなちっぽけな体で凄むなんて馬鹿かと思ったら、もっと馬鹿だったわ」

「挑発のつもりかしら」

「ちょっと待てなんでそっちで険悪になってんだよ」

 

 仲裁しに来たんじゃなかったのかよ。

 

「幻想郷は血の気の多い子ばかりで困るわあ。さっさと用だけ済ませて帰らせてもらお」

 

 神綺の指が俺の額に触れた。ちょうど輝夜に撃ち抜かれたことのある場所で、突然の動きに俺以外が一気に臨戦態勢に入る。俺は避ける事すらできなかった。あの時と同じだ。全く感じることができなかった。

 力が漲る。殺されそうになって火事場の馬鹿力が目覚めたとかそんなもんではない。全身に渡る魔力は、今までに感じたことない量だ。俺のものではない、と本能が警告を発している。

 

「これは……」

「私の方からプレゼント。貴方にはだんまくごっことやらに勝ってもらわないといけないもの」

「赤の他人に何の利益があるんだか」

「決まってるじゃない。あの忌々しい不死鳥風情を永遠に殺すためよ。貴方が死ななければまたわざわざ殺しに行く手間が省けるもの」

「何のことだかわかりゃしねえな」

「そのしらを切る態度は見ていて腹が立つわね。でもまあ許してあげるわ。私の目的は達成したことだし、こんな居心地悪いとこに長居してもしょうがないもの」

 

 幽香とレミリア、じゃない美鈴の方をちらりと見て、彼女は初めと同じような魔法を使ってこの場から去った。嵐のような出来事に、まだ帰ったのかどうか怯えてしまいそうだ。

 

「八房、貴方大丈夫なの?」

 

 やっと落ち着いたレミリアの質問には首をひねる事しかできない。俺自身、魔力を与えられたことくらいしか分かっていない。パチュリーか、或いはフランに調べてもらわなきゃな。

 

「どうしよう、追いかけようかしら」

「私の首を絞めながら言うのはやめて巻き込まれちゃたまんながががが」

「どうしましょうかねえ」

 

 影狼は幽香にヘッドロックを極められてもがもが足掻いている。何気にあの速さに反応していたんだよな。やっぱり化け物ばっかじゃないか、と妖怪の巣窟に言っても仕方がないか。

 

 変なとこから応援を頂いたものだ。絶対に勝たなきゃ、なんてスポ根めいた考えはしちゃいないが、大事になってしまった以上、不甲斐ないことはできないだろうな。なんだかとても他人事のように感じられた。




具体的にはこれ含めてあと四話(四日)


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鬼は外、心の内

「だからさ、何度も言ってるじゃないか。八房との弾幕ごっこが終わった後なら何時でも良いって」

「いーや、今じゃないと嫌だね。鬼の約束を反故にするつもりかい」

「だーかーらー」

 

 何度言っても聞く耳持たない目の前の小鬼に辟易としながら、私は誰か助太刀してくれないかと後ろを振り返る。入口からじゃ永遠亭の無駄に長い廊下しか見えないし、騒ぎを聞きつけてこったにやってくる人影も無い。永琳は数日前から部屋にこもったままで、鈴仙は人里へ薬売り。となれば頼れるのは輝夜とてゐくらいのものだけれど、トラブル大好きの二人が助けに来てくれるはずもなく(来たところでどうせ煽るのを優先するだろう)そうと言って大人しく萃香の言う事を聞くわけにもいかない。

 

 八房との決戦の日まで、弾幕ごっこ、その他あらゆる戦闘を禁止する。永琳からのアドバイスはそれだけだった。どういう意味があるのか全く分からない。だけど私があれこれ考えるよりも、永琳の策を鵜呑みにした方が良い結果をもたらすのは火を見るよりも明らかだ。

 

 それを説明したところで伊吹萃香という鬼は、傍若無人を絵に描いたような鬼畜は、そんなことは知ったことかと吐き捨てる。そして手持ちの酒瓢箪をぐいと一呑み。酔っ払いに話が通じると思った私が馬鹿だった。

 

 ああ、腹が立つ。

 

「案内の後って言ったんだから約束は守ってもらわなくちゃね。鬼は嘘が嫌いなんだ」

「だからちょっと予定が変わったんだって。受けないなんて一言も言ってないでしょ」

 

 どうしてこんなに長々と絡まれなければならないのか。腹の底に押し溜めていた苛々が沸々とせり上がってくる。ああでも抑えなきゃ。私は八房に人間を辞めてほしくないんだ。

 

「今じゃなきゃ駄目なんだってなんで分からないかな」

「今は駄目なんだってどうして分からないんだ」

 

 早く帰ってくれないかな。赤帽子の烏天狗を彷彿とさせる面倒くささだ。流石は元上司といったところか。

 怒っているのか酒のせいか真っ赤になった鬼の顔を睨みつけながら、早く鈴仙帰ってこいと祈る。目を離したら永遠亭が吹き飛ばされそうだ。或いは永琳が気付いてくれれば。

 

「埒が明かないね」

 

 周りの風景が置き去りになった。背中に突き刺さる衝撃と、それでも止まらない体に、殴られたのだと遅れて理解する。地面に打ち付けられ、のんびりしていた兎達が慌てて逃げていった。永遠亭の塀をぶち抜いてしまったらしい。お腹の辺りには物凄い熱が籠っている。既に治り始めてはいるけれど、綺麗に拳大の穴が出来ていた。

 

「何、すんのさ」

「口であれこれ言うよりも早いかと思ってさ。反撃しないならそれでも構わないけどさ!」

 

 喋りながら飛びかかってくる乱暴極まりない奴を蹴り飛ばす。顎にクリーンヒットした筈なのに全く効いた様子がない。まあ上位の妖怪なんてだいたいこんなもんだ。簡単に殺せるなら苦労はしない。

 

 それにしても、ああ腹が立つ。熱い何かがこみ上げてきているのは、怪我のせいだけではないようだ。ぶん殴ってやらなきゃ気が済まない。永琳の言いつけは守れないけれど、このままサンドバッグになってやる程私はお人好しではない。

 

「誰かが止めに来るまで」

「それで十分!」

 

 鬼が笑った。

 

 

「ほらよッ」

 

 ぶつかり合い、相手の拳が砕け散る。これで腕を飛ばしたのは何回目だろうか。首を刎ねた回数は両手ではもう数え切れない。それなのに藤原妹紅は止まる気配が無い。これが蓬莱人か。違う、これが藤原妹紅か。単純な力では勝っているはずなのに、倒れるイメージが思い浮かばない。

 こっちだって無傷じゃない。体のあちこちが焼け焦げているし、血だって多少は流れている。じわじわとだけど体力を削られている。

 

 どれくらい時間が経った、まだ誰も来るな。まだこの 喧嘩(愉しみ)を終わらせるな。それが出来るなら神様にでも祈ってやろう。

 

「強いなあ、藤原妹紅!」

「さっさと死ねこの糞鬼!」

 

 炎をまとった蹴りが飛んできたので、全力で殴りつける。妹紅の足は千切れたが、遅れて飛んできた火球をもろに受けて吹っ飛ばされた。追い打ちの弾幕を全部耐え切って、お返しとばかりに身の丈くらいの大きさまで萃めた妖力を球にして投げ飛ばす。治ったばかりの腕がまた飛んだようだ。代わりに足はもう元に戻っている。また生える前に畳み掛けようにも、至るところから飛んでくる炎に意識を散らされて上手くいかない。いつの間にか初めのときと同じ姿だ。

 

 キリがないねえ。不死身ってのはここまで強いものなのか。心が折れるまで 妹紅(こいつ)は倒れることがないな、と何処か冷静に考えている自分が居る。

 何度倒しても、何度消し炭にしても、次の瞬間には反撃してくる。これでどうだと気を抜いた瞬間にどでかい一撃が飛んでくる。華扇の奴が「もしかしたら死んでいた」と言っていたのも強ち言い過ぎでは無かったのだ。一度火が点いたら絶対に消えない。本当に強い相手だ。諦めることのない人間の強さだ。

 

 前評判通りの強さに口元が緩むのを抑えられない。こんなにも楽しく思えたのはいつ以来だろう。少なくともここ百年は命を懸けたやり取りなんてしていない。それに匹敵するだけの楽しい喧嘩はあったけど、自分が死ぬかも、なんて心の隅で思ってしまうような殺し合いなんて。望んだって手に入るようなもんじゃない。

 

「最高だよッ本当にさあ!」

 

 距離のとっての撃ち合いでは勝てない。普段弾幕ごっこをサボってるツケがこんなとこで出るなんてね。だから近づくしかない。足の筋肉が久々に全力で躍動している。三歩も要らない、一歩でいい。炎も霊力も全部力任せに弾き飛ばして妹紅の懐に潜り込む。そこから全力で顎をかち上げてやる。全身をいっぺんに塵にしてしまえば流石に死ぬか。いや、たぶんだけど死にやしないだろう。というかその程度のことで死んでもらったら困る。髪一本あれば復活できるとのたまっているんだから、灰があれば生き返るだろ。

 

「鬼に褒められても嬉しくないんだよ! さっさと燃え尽きろ!」

「まだまだ、まだまだ物足りないよッ」

「うっさい死ね!」

 

 罵声を浴びせてくる割には相手も冷静だ。すんでのところで一撃を避けられ、妹紅の抱きしめるかのような両手から一斉に炎が吹き出る。磨り潰してやろうという私の目論見は失敗し、ゼロ距離で爆発を受ける羽目に。炎の熱さがどこか懐かしい。こんなに使いこなしてるとは思わなかった。自分の体ごと燃やしているのならあっちも相当に痛い筈だろうに、怯んだ隙にさらに炎をぶつけてくる辺り全く気にした素振りがない。

 

 ああ、楽しい。とてもとても楽しい!

 

 正攻法ではなかなか崩せないなら、普段やらない戦い方をしてみよう。左手を振り抜いて、腕についた黄色分銅で鎖鎌のように殴ってみる。一瞬動きが止まったが流石は殺し合い慣れした蓬莱人即座に叩き落とそうと腕を振り上げた。

 

「かかった」

 

 ぶつかる瞬間、黄色の球体に押し込めていた疎の力を開放する。この分銅はその象徴。ピンポイントで使えばいつものように使うよりずっと威力が出る。吹き飛んだ妹紅が塀に叩きつけられて(今度は壊れはしなかった)くたっとなった瞬間に伊吹瓢を上から振り下ろす。めきり、と頭蓋の割れるいい音がした。これはいくら不死身と言ってもしばらく動けないだろう。

 

「────────ッ!」

「……はッ、マジか」

 

 止まらなかった。顔を潰されたまま声にならない声を上げて妹紅が燃えた手で掴みかかってくる。盲の一撃だったからすぐに払い除けてダメージにはならなかったけれど。完全に虚を突かれた。危ない危ない、これでもまだ動くのか。それですぐさま再生するのか。だったらどうしようか。考えなきゃならないなんて屈辱で、嬉しい。

 

「人の家で、何をやってるのかしら」

 

 別の誰かの声がした、そう思った瞬間には腹に痛みが走っていた。分裂してみようかどうか迷っていたせいで反応出来なかった。銀の鏃が刺さっている。矢の飛んできた方を向くとあまり話した事もない赤青の医者モドキ。次の矢はとっくに番え終えていて、まだ続けるならば容赦はしないと鏃の代わりに釘を刺してくる。妹紅はポカンとした顔で八意永琳を見つめていた。これ唾までつけてあるなあ。殺す気全開じゃないか。唾で死ぬのは大百足であって私みたいな鬼じゃないんだけど。

 

 うーん、残念だけどここまでか。

 

 このまま殴り合ってもいい。不老不死二人が相手なら、私が死ぬまで喧嘩できることだろう。もしくは一方的に殺されるかも。妹紅を相手にしても一進一退だったのに、そこから更に強そうな相手がやってきたんだ。勝つ可能性よりは負ける可能性の方が高い。永遠亭には他にも月の姫様や、腹立たしい嘘吐き兎もいた筈だ。全員を相手にして自分の限界を試すなんてなんて心惹かれる思いつきだろう。だけどそれはできない。

 紫や霊夢に迷惑かけるとかそんなことを抜きにしても、妹紅に誰かが止めに来るまでって約束してしまったからねえ。もっと殺り合っていたかったけれど嘘にしてしまうのは鬼としてのプライドが許さない。それにまあ、目的は果たした訳だし。

 

「ちょっと喧嘩していただけだよー」

「にしては周りの被害が尋常でないのよね」

 

 言われて周りを見渡してみると、塀は無事なところの方が少ないし、母屋も所々焦げた跡がある。あれ本気で燃える前に必死で消したんだろうな。気が付かない間に屋敷一つ消滅させてしまうところだった。というか彼女が止めに入らなければ絶対に燃え落ちていた。

 

「何か言うことは」

「すいませんでした」

 

 ここは素直に謝ろう。こんなになるまでやる気はなかったんです。いや初っ端に塀壊したの私だけど。うん、妹紅の強さが想像以上だったからつい嬉しくなっちゃったんだよね。

 

「あら、素直に謝るのね」

「鬼はいつだって素直さ」

 

 自分の欲望にもね

 

「なんか全然懲りたように見えないんだけど」

「妹紅、鬼は反省しない生き物なのよ。どうせ酒飲んだら怒られたことさえ忘れるわ」

「じゃあもう忘れてるね」

「自分で言うなよ」

 

 呆れられても私はこういう奴だから。

 

「邪魔も入ったし、私はこれで帰ろうか」

「待ちなさい」

 

 赤青賢者様なら私の事さっさと追い出しそうなものなのに、何故か呼び止められる。まさかバレたか。だとしても私は約束を守ってもらいに来ただけだから、後ろめたく思うことは何もない。何さ、と振り返ってみると青筋立てたお医者様が壊れた塀を指差して一言。

 

「鬼は大工仕事も得意らしいわね」

 

 ……逃げたら後が怖そうだ。

 

 

 

 

 

 

 

────そして、決戦の日────

 

 

 

 

 

 

 

「それで、今更になって何の用ですかね」

 

 けったいなバイクに乗った、争い嫌いの住職に聞いてみる。これから一世一代の大勝負だというのに、聖白蓮は俺の前からどくつもりは無いようだ。こんなとき、紅魔館の誰かが居てくれれば任せて先に進む事もできたのだが、皆は一足先に会場に行ってしまった。俺に「よく考えて決めろ」とそれだけ言って。

 

「貴方も分かっているはずでしょう」

「同じ轍は踏ませないってことでしょうか」

 

 白蓮さんの顔が驚愕の色に染まる。何故、と小さく呟くのが聞こえた。何故知っているのか、そう聞きたいのだろう。だから教える必要はないとだけ答える。

 

 彼女は俺を止めに来たのだろう。自分も辿った道であるにも関わらず。自分が後悔していないことを自覚しているにも関わらず。俺が人間を辞めることを良しとしなかったのだろう。お人好しな彼女の思考は驚くほど簡単に理解できた。偽善者だ、などと蔑むつもりはない。彼女の言っていることはほとんど正しくて、現実の重みを持った言葉なのだから。間違ってるとしたら十中八九俺の方なのだから。

 

「不老不死はけして恵まれたものではありませんよ。輪廻から外れることより恐ろしいことはありません」

「そうかもしれませんね」

「私は死ぬことなら出来ます。だけど蓬莱人は違う。どんなに望んだって死ぬことはできない」

 

 そうだ。俺とこの人は違う。思想も、経験も、何もかも。生まれた時代が違うのだから当たり前だ。俺は絶対にこの人の言う()()に勝てやしない。

 

「貴方は人間を辞めるべきではない」

「それはアンタの決めることじゃない」

 

 白蓮さんの言葉を否定する。人間であるべきかどうか、なんてことは俺の決めることだ。他の誰かしらに決定権を渡すつもりなんて、いやそうじゃない。間違ってるかもしれないと、半ば確信に近い感情があっても。分かっていても、頷くことはできない。

 

 白蓮さんの横を通り抜ける。腕でも掴まれるかと思ったが、反応は無い。俺はそのまま彼女を置き去りにして進む。彼女に構っている暇などないのだ。一秒でも早く、俺はその舞台に立たなければならない。その先に妹紅が待っているから。

 

「妹紅さんは、こんなことを望んではいませんよ」

 

 心が少しだけ痛んだ気がした。諦めの入った言葉に思えたのはきっと気のせいではない。白蓮さんの言っていることは真実で、だからこんな馬鹿げた決闘が起きたのだ。それを理解した上で俺はこんなことをしているのだ。それでもここで歩みを止める訳にはいかない。

 

「だから、俺は行かなきゃいけないんです」

 

 自分の我儘を押し通すために。妹紅の隣に並び立つために。何より────

 

────()()()()()()()()()



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不確実な存在証明

「これで役者は揃ったわね」

 

 最終確認として紫が聞いてくる。俺も、妹紅もそれに頷いた。周りにはござを敷いて呑む気満々の野次馬達。烏天狗の新聞は存外集客力もあるらしい。

 

「随分とギャラリーが多いんだな」

「それだけ、貴方達が気に入られている、ということよ」

 

 紅魔館の連中は分かる。それから永遠亭の蓬莱人達も来るの当たり前だろう。それからアリス、茨歌仙。予想外ではあったが幽香と影狼、ついでにルーミア。ここまでは来るかもしれないと思っていた。

 しかしなあ、まさか、命蓮寺や守矢神社から来るとは思わなかった。それから青い仙人と親しそうに話すどっかで見たことのあるヘッドホン付けた狐耳っぽい少女。そのお付きらしい青い烏帽子と大根足幽霊。果ては絶対来ないだろうとたかをくくっていた霊夢まで酒かっくらってる始末だ。

 

「こんな大事にするつもりなんて欠片も無かったんだけどな」

「本当にね。私が八房をぶん殴って、それで終わりだったのに」

「それで終わらないからこんな事態になったのよ」

 

 終わらなくしたのはお前だろうが、と悪態をつきたくなるが、すんでの所で我慢する。実際あのままだったらどうなるのか、全く予想がつかなかった。諦めたのはどちらなのか。そもそも諦めることができるのか。そういう意味では紫の提案は渡りに船だったとも言える。誰もが納得できる方法で、決着を付けることができるのだから。

 

「まあいいや、さっさと始めちまおう」

「ええ、私からとやかく言うことはもう無いわ。閻魔様じゃないけれど、白黒はっきり付けてしまいなさい」

「存在が曖昧なやつが言う台詞じゃないね」

 

 だけどそれが合図になったのは明らかで、どちらが何か口にするまでもなく、唐突に 撃ち合い(弾幕ごっこ)は始まった。お互いに距離を取りつつ弾幕をばら撒く。地上からおお、と歓声が聞こえた。今回のメインイベント。酒の肴にはピッタリだろう。

 

「外界『二十一世紀の幻想』」

 

 読み合いも何もかも無視して一枚目のスペルカードを切る。今回使えるスペルカードは五枚。レミリア達と話し合って決めた戦法は短期決戦。妹紅が慣れない弾幕に手間取っている間にゴリ押しで叩き落としてしまおう、というものだ。地力でも、経験で言ってもあいつの方が数段上。こちらが勝っている点は情報量だ。何十回と見たから、俺は妹紅のスペルカードを、ある一つを除いて知っている。そしてそのカードは基本的に無視していい手札の筈だ。だから、彼女の弾幕は目を瞑っていても避けられる。

 対して妹紅は俺に関する情報を何一つとして知らない。あいつにとって俺は非力な人間でしかなかったから。そもそも今使ってる弾幕もスペルカード合わせて紅魔館で作った急ごしらえだ。知っている筈がない。

 だが、適応されたらこちらには打つ手が無い。既存の弾幕が全て避けられたとて、即席の弾幕ならば条件は五分と五分だ。さらに言えば、こちらの弾幕に慣れられたら当たる見込みはない。

 

「悪いが、速攻で終わらせてもらう」

 

 左手に青、右手に赤。少し遅れて真ん中から黄色。信号機をモチーフにした弾幕で妹紅を追い込む。何故だが知らんが、外の世界を聞かれたときに信号機が最も記憶に残っていたのだ。

 赤はゆっくりと、相手の動きを止めるように。青は速い軌道で急かすように。身動きを止めてから黄色で仕留める。妹紅は最初こそ素直に避けようとしていたが、どうにも袋小路になり、彼女もスペルカードをかざした。

 

 時効『月のいはかさの呪い』

 

 自分の弾幕の基になったスペルカードだ。正面から来る青と、ぐるぐる回る緑。それと遠回りして背後から襲ってくる赤の弾。前者はこちらの弾幕で相殺できるとして、後者の方はどうにかしなければならない。もちろん背後に気を取られたままでは正面から殴られるので、結局二方面を気にしなくてはならない。

 

 どう避けるか。輝夜と妹紅の弾幕ごっこを見ていた限りでは、緑弾に沿って回って避けるか、 ギリギリを狙い(グレイズ)ながら正面に居座るかの二つが主なところだろう。一々場所を変えると自分のテンポまで崩れかねない。ここはグレイズだな。こんな所で呆気なく当たってしまったりしたら情けないことだが、まあどうにかなるだろう。

 

 大きく息を吸い込む。意識を集中させるのに最早目を瞑る必要はない。空を()()つもりで動き回れ、鳥としての動きなら体がまだ覚えてるかもしれないから。視界が冴え渡る。いつも以上に調子が良く、妹紅の弾幕が止まって見えるようだ。掠る必要すらない。十分な間合いを持って弾幕を躱す。

 

 そろそろ最初のスペルカードも効果が切れるころか。手始めだったから容赦無く撃破される可能性も考えていたのだが、結構残った。想定していた分を全部撃ち切るなんて。

 だが、まだ妹紅は沈んじゃいない。沈んでいないのなら攻撃の手を緩めるわけにはいかない。すかさず二枚目を切る。

 

 紐符『猫の揺り籠』

 

 フランと作った作品だ。一人で作ったさっきの弾幕とは完成度が違う。さあ、さっきよりも激しく行くぞ。

 

 

 おかしい。そう思い始めたのは四枚目のスペルカードを使った時だった。初めから引っかかってはいたのだ。妹紅の動きが普段よりも鈍い。最初は俺が強くなったせいかと思ったがそうではない。俺にはまだまだ余裕があるというのに、あいつは既に肩で息をしている。

 

 何故だ。やはり逃げ道だらけの弾幕を潜り抜けながら考える。直前で誰かと戦っていたからか。だとすれば誰と。何のために。

 いや、そうじゃない。少なくとも始まった当初に疲れは見えなかった。それにこの一戦を前にして誰かと戦うことなど有り得ない。

 

 だったら、わざと手を抜いているのか。それは無い。それだけは絶対に無い。そんなことをするくらいなら、さっさと認めてしまえば良かったのだ。わざわざ弾幕ごっこに手心加えることなどせずとも「やっぱり良いよ」とさえ言ってくれれば済む話のはずだ。だけど、もし。

 

 もし、彼女が()()()()()()()()()()()

 

 視界が赤く染まったような気がした。ぐつぐつと腸の中で音を立てているようだ。怒りが脳天まで突き抜けて、自分から乖離してしまったような気さえした。

 

 分かってる。理不尽だ。身勝手だ。俺は自分が人間であると、証明するためだけに妹紅を利用していたのだから。蓬莱人になることを彼女が受け入れたのなら、綺麗さっぱり人間であることを諦められた。彼女が人間であってくれと望むのなら、どちらが正しいのかぶつかって、与えられた答えで満足するつもりだった。

 そうであれば、俺は最初から妹紅に負けるつもりだったのかもしれない。勝ちたいと思いながら、負けたいと願っていたのかもしれない。ただ、選択権を自分の手から捨ててしまっただけで。

 

 だけど、彼女が迷っていたら前提が崩れてしまう。どちらにせよ茶番だが、人間であること、蓬莱人になること、その衝突は消え失せてしまう。俺にとっては、それは紛れもなく裏切りだった。

 

 勝手に期待しておいて、裏切りとは。お前は最低だな。

 

 何処か冷静な俺の声がする。本当は俺ではなく■■■■■■の声なのだろうか。分からない。自分で自分が分からなくなる。

 

 嫌な気分だった。反吐の出るようなそんな心だった。妹紅だけは、俺が人間であると信じてくれる。疑わずにいてくれる。人間を辞めようとしたら抑えてくれる。そう信じていたのだ。最低だ。本当に俺は最低だ。あいつの心なんて、俺がどうにかして良いものじゃないというのに。

 

 彼女を許せない気持ちを捨てるつもりが欠片もない。

 

 もう終わらせてしまおうか。あいつは、俺が人間であることを信じてくれなくなったんだ。俺の勝手な言い分だと分かってはいるけれど、心が、火が消えてしまった。さっきまでは何処かにあったような気がする感情が、蝋燭が溶けるようになくなっていってしまったんだ。

 

「なあ妹紅」

「な、によ」

「もう終わりにしよう」

 

 彼女も四枚目のスペルカードを使っていた。だけど、その勢いは変わらない。気分が気分なら鼻歌歌いながらでも避け切ってしまいそうだ。

 

 俺は最後のカードを取り出す。自分の全てを込めた、最も複雑で、あの幽香からも褒められた弾幕。全力である筈なのに、虚しさは埋まらない。

 

「『アウターオブ……」

 

 宣言しようとする声が止まる。何かされたわけじゃない。俺の感情は動いていない。それなら何故止まったのか。

 

 妹紅が吹き飛ばされていた。俺は何もやってない。下から飛んできた何かがぶつかったのだ。なんだありゃ。金色の、板?

 

「ふざけんじゃないわよ!」

 

 この声はあのいけ好かないかぐや姫のものだ。どうして彼女が割って入ったんだ。俺と妹紅の関係なんかどうなろうと、いつも通りの不機嫌で気にしなさそうな奴なのに。何をふざけるなと。

 

「アンタ、人間辞めてほしくないから戦ってるんじゃないの!?」

 

 叫ぶ、というよりは喝を入れてるような声は、何故か俺にも強く刺さった。

 

 

 前から時々夢に見ていた。八房がいつまでも私の隣にいる夢。私は嬉しかったけど、八房の表情はいつも分からなかった。写真に墨を塗りたくったかのように真っ黒だった。だから、それが良いことだったのか。目が覚めると不安になる。今生きている、現実だってそうだ。私は八房に人間でいて欲しいなんて言ったけれど、彼がどう思ってるのかなんて分からない。苦しいだとか何だとか理由をつけて自分の都合を押し付けているだけだ。彼が望まなくても? 本当にそう思えるの?

 

「ふざけんじゃないわよ!」

 

 輝夜の声が響く。弾幕ごっこの最中なのに一枚天井をぶつけてきたあいつは何を叫んでるのだろう。私は真面目なのに。

 

「アンタ、人間辞めてほしくないから戦ってるんじゃないの!?」

 

 辞めてほしくないから。そうだ。私は八房に人間でいて欲しいと思ってる。迷ってるけど、正しいかどうかなんて分からないけど、私自身がそう思ってるのだ。

 

 後悔するのか。私の決断を。そんなわけがない。八房が蓬莱人になる。嫌だ、絶対にさせたくない。

 

 ああ、そんなことなんだ。自分で言ったじゃないか。私が八房に人間でいてほしいのは私の我儘だ。だったら我儘を押し通せばいい。 八房(相手)の都合なんて知らない。身勝手で最低な自分の感情を押し付けてしまおう。

 

 そう思うだけで視界が一気に開けた。輝夜には感謝しなければ。あいつが活を入れてくれなかったら、私はこのままズルズルと押し切られて、負けて、そして後悔していた。

 

「八房」

「なんだ」

 

 八房は途中で弾幕を止めていた。輝夜に気を取られたのも理由だろうけど、私の準備ができるのを待ってくれていたのだろう。

 

「あんたは、たとえ蓬莱人になろうと、不死鳥だかなんだかになろうと、()()だよ」

「……そうか」

 

 表情は変わらないように見えるけれど、私は彼の口元が緩んでいるのを見逃さなかった。そもそも真剣な表情をしている時は怒っているように見えるのだ。普通の顔ってだけで彼の機嫌が良くなったことは分かる。

 

 八房も人間で居たいのだ。だからこんなことになった。あっちも我儘言っていただけだ。それがちょっとだけ嬉しい。八房が駄々をこねている所なんて見たことが無かったから。

 

「『アウターオブトランスミグレイション』」

 

 八房が最後のスペルカードを宣言する。虹の色をした七種類の弾幕が円を描きながら私に向かってくる。その更に外側からは輪の形をした弾が取り囲むように背後を襲い、正面からは小さな炎が等間隔に並んで放たれた。

 虹弾幕は見かけだけ、輪っかは他のスペルカードでも使われた、炸裂して水弾を撒き散らす奴だろう。炎については言うまでもない。あれは私の弾幕にそっくりだ。最高傑作、って奴なんだろう。

 

 私も手を抜くわけにはいかないな。何しろ今までずっと八房と、自分の感情すら裏切り続けてきたんだから。全力で、後悔の残らない選択を。

 

「『インペリシャブルシューティング』!」

 

 八房には見せたことのないとっておき。意地でも勝つと決めたとき以外には、たとえ輝夜が相手であったとしても使わなかったスペルカード。

 何よりも、蓬莱人という存在を最も強く表現しているカード。

 

 水も炎も、或いは魔力で作られた弾幕さえもすり抜ける。魂だけの状態になっている今は、そんなものは届かない。卑怯だとも思わない。勝つためには必要なことだから。

 

 八房の弾幕を押し返す。 アウターオブトランスミグレイション(輪廻から外れた人)では終わらせない。私は手を抜かない。

 

「ああ、くそ」

 

 弾幕に閉じ込められた八房が吐き捨てる。言葉に反して表情は穏やかだった。

 

「綺礼な弾幕だな」

 

 八房のスペルカードの効果が切れたのか、放たれる弾幕はもう無かった。



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人と人

これにて大団円


「本当に良かったのかしら?」

「良かったんだよ。こうなることを望んでたんだから」

 

 結局俺は妹紅に負けた。負けた以上蓬莱人になることは諦めなければならない。元々、人間であることを認められなかったから、人間を捨てようとしたんだ。あの最後の言葉でどうしようもないくらいに心を折られた。もう蓬莱の薬を飲もうなんて気はしない。

 

「萃香がせっかくちょっかいかけたのに、って嘆いてたわよ」

「なんだあいつ、何かやってたのか」

「永遠亭に行って妹紅に喧嘩仕掛けたらしいわね」

 

 それは空気の読めないことだ。地底の案内を頼むときにそんな約束をしていた記憶はあるが、なんでわざわざそんなタイミングで。

 

「開き直らないのなら、勢いに任せるしかないってことよ」

「よく分からん」

 

 よく分からんが、紫がそう言うのならきっとそうなんだろう。

 

 この場には俺と紫の二人だけ。弾幕ごっこの間に下で開かれていた宴は終わり、妹紅は永遠亭に行ったまままだ帰ってきてない。俺も誘われはしたのだが、まだ気持ちの整理がついてないからと言って断った。紅魔館からの誘いも全部蹴って家で一人でいたらこの隙間妖怪がやってきたのだ。開口一番「良かったのか」なんて、分かってていってるだろう所が性質が悪い。まあ文に手帳とカメラ持って押しかけられるよりはだいぶマシか。あれはたぶん永遠亭に行ったな。せいぜい射られて潰されて焼き鳥にされると良い。

 

「それだけを聞くためにわざわざやって来たのか」

「そうよ?」

 

 そいつはとんだ暇人だ。幽香も自由人だが、それに勝るとも劣らない。

 

「って言えたら楽なのだけどね」

 

 違ったようだ。

 

「貴方とどうやら関係のあるらしい話だけど、ちょっと伝言を頼まれてきたのよ」

「伝言って、一体どこの誰からだよ」

 

 当然ながら伝言をもらうような相手には覚えがない。だいたい幻想郷の住民は直接言ってくるからな。いや、守矢の神様や目の前の面倒臭い妖怪ならそういうこともするか。

 だけど守矢神社でも無さそうだ。そうなると本格的に心当たりが無い。誰だマジで。

 

「分からん」

「私も意外なところで意外な繋がりがあるものだと思ったものだわ」

「何の話だ」

「魔界神って言われて誰か思い浮かぶかしら?」

 

 魔界神、と言えば思い付くのはアリスの母親であるらしい神綺とかいうバイオレンス親バカくらいのものだ。

 

「そいつから伝言が?」

「違うわ」

 

 切って捨てられた。ふむ。神綺を知っていて、俺に伝言を送るような相手か。

 

「じゃあアリスか」

「それも違うわね。名前を言ったところで貴方が分かるのかどうかも知らない相手よ」

「一方的に俺を知っているということか」

「そうとも言えるしそうで無いとも言える。まあ、貴方が会ったことが無いのは確かよ」

「そんなのがなんで今更」

「今更知ったからじゃないかしらね」

 

 今更知った。俺が会ったことがはない、が俺を知っているし、俺が知っているとも言える。どういうことだ。まるで訳が分からんぞ。

 

「いいや、考えた所で分からないもんは分からない。何て伝言だったんだ?」

「『魔界神は抑えといてあげるわよん。二度目の短い人生楽しみなさい』だ、そうですわ」

「んー?」

 

 なんか聞き覚えのある口調なんだよな。誰かが思考の隅に引っかかっているような感じだ。もう少し頑張れば名前が出て来そうな。俺の記憶じゃないな。その前、 不死鳥(フェニックス)だった頃の記憶だ。たぶんそこから出てきそうな、わよん……

 

「あっ」

 

 思い付いた。確かに会ったことはないし、知っているといえば知っている。名前は何だったか、あの変な……って言うと怒るんだったか。怒らせたら平謝りするしかなかったはずだ。普段は付き合いやすいけど地雷踏むと面倒な奴。

 

「えーと、へカーティア、だったか」

「正解。つくづく貴方の交友関係は不思議ね。まさか異界の神様にまで知り合いが居るなんて」

「俺の知り合いじゃねえよ」

「前世の縁ってやつね」

「間違ってはないんだけどな」

 

 その言い方はなんか語弊を招く気がする。

 

「なんでこんな所まで来てるんだよ」

「ああ、貴方は地底に行って居なかったらしいわね。私も寝ていたから知ったのは後だったけれど」

「地底? 冬の話ってことか。冬ってことは」

「察しの通り、異変の折にこっちに来たらしいわ」

 

 俺が地底に行っていた間に起こった異変、永琳や鈴仙も関わっていらしいのだが、それについては誰も多くを語らないので、詳しいことは知らない。ただ、面倒臭い事態だったということはなんとなく分かる。

 

「ここはゴキブリホイホイでも仕掛けているのか」

「幻想郷事態ホイホイみたいなものよ」

「確かにそうだけどさ」

 

 それにしても物騒な伝言を残してくれたものだ。逆に言えば魔界神が何かしら行動を起こすってことじゃないか。しかもアレが行動を起こす理由は俺のせいか、アリスに何かあったかだ。というか俺が弾幕ごっこに負けたから何かしようとしていたのを、抑えてやった、という意味にしか受け取れない。

 

「貴方が来たのは良いことなのか悪いことなのか。綱渡りをさせられる方の気持ちにもなってほしいわ」

「綱渡りって何のことだ」

「何の事も何も、件の魔界神の話よ。そう言えば貴方には話してなかったわね。レミリア・スカーレットの予言には続きがあったの」

「なるほど、そりゃ初耳だ」

 

 俺と妹紅が出会うことを予知していた吸血鬼は他に何を観測していたのか。

 

「貴方は災いも共に連れてくる。だから()()()()()ってね」

「本当に、なんか申し訳無いな」

「彼女からすれば何もかも運命であったのだそうだけれど、そうであるのなら、彼女がなにか手を尽くしたということなのかしらね」

「運命を本当に操れるんだったら、俺に協力した時点で俺の蓬莱人化は決定していたさ」

 

 俺は以前にレミリアの能力がどういう物なのか聞いたことがある。確かに凄い能力ではあったが使いづらいしけして良い能力とは言えない。

 少なくとも、彼女が何も言わなかったということは、あの戦いの運命は決まっていなかったという事なのだから。

 

「神綺がもし幻想郷で暴れたのなら、少なくない被害が出るんだろうな」

「弾幕ごっこというルールが通用しなければ、幻想郷が残ることは有り得ないでしょうね」

「なんでどいつもこいつも本人の与り知らないところでゴタゴタしてるのか」

「こっちの台詞よ」

 

 寝ている間に魔界神ならぬ破壊神が襲来していたら言いたくなるのも分かるわ。へカーティアとやら会うことがあるのかどうか知らんが、あったら今度お礼を言っておこう。

 

「さて、用事は終わったし私もそろそろ帰ろうかしらね」

「おう、帰れ帰れ」

 

 胡散臭い妖怪と話してるとなかなか疲れるんだ。

 

「それと、ありがとな」

 

 スキマを開く紫に一言だけ声を掛ける。紫はこっちを振り向いて薄く笑い、「どういたしまして」と呟いて帰っていった。

 

 さて、祭りの後だか後の祭りだか知らないが、あれだけ騒いだ後に静かになると普段よりも身に沁みる。紫と話しているようならまだしも、これで完全な静寂だ。地底に降りて、戻ってからこっちそんなことを感じる心の余裕なんて無かったからな。ある意味一番平穏な時間だろう。だけど色々考えてしまって落ち着かない。こんな時は酒でも呑んで忘れてしまおうか。ヤケ酒は趣味じゃないんだけどな。

 あ、でもツマミがねえ。いくら飲み屋でもこんな夜更けに開いてる店も無いだろうし、こりゃ諦めるしかないかなと思った時、一人酒するには遅過ぎたと気付く。

 

「てっきり朝帰りだと思ってたんだけどな。というかこんなに短い間じゃまともに飲んでもないだろ。どうしたんだ」

「こんな日なのに、八房を置いて飲み潰れたりできないよ。永遠亭に行ったのはこれのため」

 

 帰ってきた妹紅は右手に焼酎の瓶と、何かしらの藤入ったのバスケット。

 

「ツマミか」

「鈴仙が作ってた奴を幾つか貰ってきたんだ」

「それなら宅飲みと行くか」

 

 愛着の湧いたボロ屋からお猪口を二つ取り出してくる。そしてちまちまと修繕していた床に座り、互いに注ぎ合う。ああ、動いた後に飲む酒は美味い。

 

「私はね、後悔してないし謝る気もないよ」

 

 妹紅がボソリとそう呟いた。俺は何も聞かずに、妹紅の次の言葉を待つ。

 

「八房が蓬莱人にならなくて、心の底から良かったと思ってるんだ」

 

「……俺もだ。最初の思いはあんなんだったえどさ、吹っ切れた今ではなんだかんだこれで良かったって思えるんだ」

 

 お前には散々迷惑かけたけどな。なんて言うとそんなことないと返された。

 

「いや、迷惑といえば迷惑だけどさ」

「どっちだよ」

 

 もう酔っ払っちまったのか。俺と飲む時はどうもペースが早いからな。そういうこともなくはない。

 

「ああやって、八房に我儘言われたとき嬉しかったんだ。私ってなんだかいつも気を使われてばかりだったから」

「何言ってんだ。俺はずっとお前に迷惑かけながら来てしまったって悩んでたんだぜ。ああまでいかないと我儘にはならないのか」

「そうかな、そうかもしれない。でもなんか今までと違ってたから」

 

 今までと違う。妹紅は真剣に悩み始めた。俺からすればずっと好き勝手言ってきていたような気もするんだが、人によって受け取り方というのは随分違うらしい。

 

 じっと猪口の中を覗き込む。酒の中に月は見えない。部屋の中に居るのだから当たり前だ。そもそも今日は月が出ていたっけか。思い出せないなあ。俺も酔いが回ってきているらしい。いや、酔いが醒めてきたと言った方が正しいか。今日までの熱狂はとっくに鳴りを潜めた。ここに居るのはただの人間二人だけ。不死身だとか蓬莱人だとか関係ない。若丘八房と藤原妹紅しか居ないのだ。

 

「ああそうだ」

 

 何かに得心がいったとばかりに妹紅が顔を上げた。俺は黙ったままで彼女の言葉に耳を傾ける。

 

「八房の本音を初めて聞いた気がするからだ」

「俺の本音って、そんなに建前だけで生きてるように見えたのか」

「違うよ。そういう意味じゃない」

「じゃあ何だ」

「八房がずっと心の底に押し込めていた、そんな感情に触れられた気がするんだ」

「……お前がそんな詩人だとは思わなかったな」

「からかわないでよう」

 

 言ってて自分で恥ずかしくなったのか、妹紅は誤魔化すように猪口を呷る。むせるなよ、水で割ったりもしてないんだから。

 

 そんな空気だからだろうか。ついうっかり口を滑らせてしまった。酔いが醒めたと言っておきながら、また別のものに酔っ払ってしまっていたらしい。

 

「なあ妹紅。一つ、俺からお願いをしてもいいか?」

「ん? 内容によるよ。聞くけどさ」

「ああ、ありがとう」

 

 これだけはどうしても言っておきたかったんだ。

 

「あと何十年か分からないけどさ、俺は人として生きていく。お前に言われて、俺が受け入れたただの人間として」

 

 だから。

 

「俺が生きてる間だけでも構わないからさ。お前も()()()()()()()()()()

「……それってさ、あのときの」

「やっぱり覚えてたか」

 

 はは、と笑うと妹紅が呆れながら「忘れるわけないじゃない」と頬を膨らませた。

 

 これは、俺が妹紅に告白したときの言葉だ。一字一句同じというわけじゃない。あの時は、俺が生きてる間なんて期限を設けたりしなかった。それは心の何処かで俺と妹紅が離れ離れになるのを恐れていたからだと今になって思う。

 

 俺は人間だ。妖怪でも魔法使いでも不死鳥でもない。ましてや蓬莱人にはなり得ない。俺はそのことを誇りに思おう。ほんの一瞬だけ散る火花のような短い命であることを喜ぼう。

 

「私に人間として生きてほしいって、そう言うんだったらさ」

「なんだ?」

「色んなとこに連れてってよ。色んなものを見せてよ。何千年、何万年経ったって忘れないような、八房がいつか死ぬその後も私が生きていられるような思い出を沢山作ってよ」

「それは難題だな」

「大丈夫だよ。だって、私と八房が初めて会ってから、まだ一年しか経ってないんだよ?」

 

 一年。そう言われて気付く。もう何年も連れ添ったような気がしていたが、あの蒸し暑い春の日からまだそれだけの時間しか経っていないのだ。あまりにも濃密で、いつの間にか過ぎ去ってしまったような日々。

 長いのやら、短いのやら、あんな生活がこれから先何十年も続くのかと思うと、少なくとも物足りない人生にはならないだろうと確信が持てる。

 

「そしてさ、誰かに聞かれた時に、『私には大好きな人が居る』ってそう言わせてよ」

 

 ああもう、そんな笑顔を見せられたら断ることなんて出来やしないじゃないか。最初から拒否するつもりなんてさらさら無いのだけれども。だけど、ちょっとだけ意地悪をしてみたくなった。

 

「そいつは、命が幾つあっても足りないな」

「また、そんなこと言う」

 

 酒を飲み過ぎた、ということにしておこう。

 

 顔を真っ赤にした二人を他所に、夜更けは過ぎていった。




拙作を最後まで読んでいただきありがとうございます。
不死身なだけの一般人のお話とりあえず一段落ということで、書き終えての感想など細かい自分語りについては活動報告でやろうと思いますので良かったらご覧になってください


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