魔法少女隊R-TYPEs (SanDMooN)
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第1章 蘇る黄昏
第1話 ―ESCORT TIME―


すべての始まり。修学旅行の日、突然の転校生。そして、最悪の災厄の襲来。
戦火の中の、出会い。


電界25次元。作戦目標であるセントラルボディが機能を停止し

すべてが終わったと思われた。その先で蠢く"歪み"

ワームホールの奥に潜む、ヒトを模した醜悪なる異形、すべてのバイドの親たる存在。

真に倒すべき敵――マザーバイド。

 

その顎から湧き出るイノチを躱し、屠り。

投げ掛けられる光弾を、その中でぎろりと目を剥く視線をすり抜け、撃ち続ける。

頭が砕け、身体が滅びても尚。高速で軌道を描く腕だけが執拗に迫る。

極彩色の世界の中で、ひたすらに無へと誘う腕を躱し、波動の光を撃ち込んでいく。

 

限界は唐突に訪れた。ワームホールが崩壊を始める。

極彩色に彩られた世界は崩れ、おぞましき異形を飲み込みすべてが消えていく。

終わったのか、と。ほんの僅かな安堵を抱いたその刹那。

空間を切り裂き突き出る腕、そしてその隙間から沸いて出た、砕いたはずの醜悪な頭部。

私を喰らおうと、その凶悪なる顎が迫る。

――その大きく開かれた顎に、私は容赦なくフォースを叩き込んだ。

 

今にも破裂せんほどにエネルギーを蓄えたフォースをその口に喰らい。飲み込み

内側から焼き尽くされていくマザーバイド。そしてついに、今度こそ。

その異形の体躯が、崩れ去っていく空間の中へと消えていった。

 

 

戦いは終わった。私は傷ついた機体を巡らせ、地球圏への岐路を辿る。

光を追い越し、時空を翔んで。どこまでも、果てなく長い道を……。

 

 

 

以上を以って、第3次バイドミッション-THE THIRD LIGHTNING-の全行程を終了する。

本作戦においてバイドの中枢を打ち払い、そしてついに戻ることは無かった我等が英雄の冥福を祈る。

――Operation THE THIRD LIGHTNING経過報告書より引用

 

 

2170年。

度重なるバイドとの戦闘を経て尚、地球は人類の故郷として健在である。

エバーグリーンの落下による傷跡は今尚痛々しく残っているが、それでも人類の大部分は平和を享受していた。

その裏で蠢く、敵の影を感じながら。

その敵に抗する手立てを、着々と整えながら。

 

これはそんな時代を駆け抜けた、少女たちの物語である。

 

 

 

「おっはよーう、まどかー、仁美ーっ」

と、先を歩く二人目掛けて元気な挨拶を投げかけた水色の髪の少女。

彼女の名前は美樹さやか。

「あ、さやかちゃん。おはよう」

それに答えて振り向いた、桃色の髪の少女。

名前は鹿目まどか。

「おはようございます、さやかさん」

そして丁寧に頭を下げて、さやかに挨拶をした緑色の髪の少女。

名前は志筑仁美。

 

彼女達三人は、いずれも見滝原中学の二年生。仲良しこよしなクラスメートである。

朝の通学路、彼女たちの交わす挨拶は何時もよりどこか弾んでいる。

「いやー、いよいよ今日は修学旅行だねー。あたしは昨日はもう楽しみで楽しみでさ」

そう、今日は修学旅行。一般的な学生諸君にとってはとても楽しいイベントだろう。

さやかの声が、気分が弾みだすのも無理はない。

「さやかちゃんってば、楽しみすぎて眠れなかったりしてたりして」

そんな様子に、まどかも仁美もおかしそうに笑って。

「あ、それはないからだいじょ~ぶ!むしろ気が急いちゃって、起きたの5時だったくらいだもん」

どん、と一つ胸を叩いてさやかが答えた。

「まあ、さやかさんったら。でしたら今日の準備は万全なのですわね」

「もちろんですとも!初めての宇宙!初めての無重力体験!人類最後のフロンティア、宇宙があたしを呼んでいる~ってね」

「さやかちゃん、ちょっとはしゃぎすぎなんじゃあ……あはは」

 

この修学旅行の行き先は、宇宙。

国際宇宙ステーション、ISPV-5が目的地となっている。

2170年の現在においては、宇宙旅行というのは海外旅行という意味合いとほとんど変わらない。

それほどまでに宇宙は近い場所である。そこに恐ろしい危険があると、あったということを除いては。

 

「あんまりはしゃぎすぎると危ないですわよ、さやかさん。地球と比べて、宇宙はまだまだ危ないところなのですから」

「そんなこと言って、いいよねー仁美は、いっぱい宇宙に行けてさ。なんだっけ、あの火星のぐ、ぐー…グランゾンだっけ?」

「グランゼーラ、ですわ。さやかさん。決して『造作もないことです』とか言い出したり、火星かと思ったら金沢だった、何てこともありませんわ」

「そっかそっか、グランゼーラね。あたしも行ってみたいな、グランゼーラ。っと、そろそろ急がないと遅刻しちゃうね。急ごうか!」

色々と危ない話はさておいて、さやかが道を走り出す。

 

「あ、待ってよさやかちゃん」

「もう、お一人で行ってしまうのですから。待ってください、さやかさん」

それを追いかけ二人が駆けて行く通学路、22世紀も半ばを過ぎた現在でも

その営みは、21世紀のそれから劇的に変わったとはいえない。

 

 

「ええと、急なことではありますが、修学旅行の前に転校生を紹介します」

朝のホームルーム、これから楽しい旅行ということもあって

完全に空気は浮ついている。そんな空気を更にざわめかせる一言が、担任の早乙女先生の口から飛び出した。

「……あ、暁美、ほむら……です。よろしく、お願いします」

現れたのは、黒い長髪を三つ編みにして、めがねをかけた気弱そうな少女。

ほむら、と名乗ったその少女は、クラス中から注がれる視線に耐えかね俯いてしまう。

「ほむらさんは、家の事情で急な転校ということになってしまったの。修学旅行の直前で、いきなり溶け込むのは少し難しいかもしれないけど、いい機会だとも思うわ。皆さん、仲良くしてあげてくださいね」

 

「うーむ、素材はなかなか。でもあの様子だといきなり溶け込むってのは大変そうだな」

なんて、値踏みするようなことを言い出すさやか。

「そうだね。なんだかすっごく緊張しちゃってるみたいだし。じゃあさ、さやかちゃん」

まどかがさやかに呼びかける。なにやら目配せ一つして。

「おっと、それ以上は言いっこなし。まどかの言いたいことはわかってるんだからはーいせんせーいっ!暁美さん、私たちと一緒の班にしてもいいですかー?」

相分かったと、そんなまどかの口元に人差し指を押し付けて。さやかが元気に手を挙げ立ち上がり、そして大きく声を出した。

「美樹さん?えーと、確か貴女の班はまだ三人だったわね。じゃあお願いしようかしら。じゃあ美樹さん、暁美さんのこと、よろしくね」

「まっかされました、よろしくねっ。暁美さん」

「え……あ、は、はいっ!」

上ずった声、たちまちクラスに笑いが溢れて。またしてもほむらが俯いた。

 

ホームルームの終了後、皆が移動を開始した。

その中に、まどか達四人の姿もあった。ほむらを囲うように三人が寄り添って。

「まさかの転校生さん、おまけにその転校生さんと一緒の班だなんて、これはちょっとしたサプライズですわね。なんだか楽しくなってきましたわ」

「でしょでしょ、それにあの子、なんかほっとけない感じだったし」

「本当、さやかちゃんは面倒見がいいっていうか、優しいんだね」

やいのやいのと賑やかにしている三人に、半ば面食らったような様子のほむら。

「……あの」

やっとのことで出したその声は、小さくか細い声だった。

「あ、暁美さん!これからよろしくね。あたし、美樹さやか」

「私は、志筑仁美と申します。よろしくお願いしますね」

「私、鹿目まどか。よろしくね、暁美さん」

三者三様に挨拶を重ねて、ほむらも応えて小さく頭を下げて。

「は、はい。あの、私学校のこととか何も知らなくて、だから色々教えてください。お願いしますね」

 

「あー、もうっ!いじらしいなぁ。大丈夫、あたしらがしっかり面倒みちゃうからね」

「そうだよ、暁美さん。何かあったらすぐ私たちに教えてね」

優しい言葉。新しい友達。

そしてこれから待っているのは楽しい楽しい修学旅行。

(美樹さん、志筑さん、鹿目さん。……皆優しそうな人だな。お友達になれたら、いいな。こんな私でも)

ほむらの心の中に、暖かいものが込み上げていた。

 

 

 

新しい仲間を加えて始まった修学旅行。

いつの時代も女三人寄れば姦しいのは変わらないらしく。さらにもう一人ともなれば、話は随分と盛り上がり、いつしかほむらも自分のことを話し始めるようになっていた。

心臓の病気でずっと入院していたこと、この街で一人暮らしを始めること。修学旅行のこと、沢山のことを話して。

軌道エレベーターに乗り込み宇宙港へ。

 

「うわーっ、すごいよ見て見てっ!地球青いなーっ!!」

眼下に地球の青を見据えてさやかが叫ぶ。

感動したように、窓に顔を張り付かせるかのごとく。

「本当……宇宙から見た地球って、こんなに青かったんだ。ほら、ほむらちゃんもみてごらんよ」

「………大丈夫、ちゃんと見てるから。……よかった。まだ、こんなにも地球は青かったのね」

その声に宿るのは、郷愁。はたまた安堵か。

「ほむらさん?……何か、とても懐かしいものを見るような目で地球を見つめてらしたけれど」

「懐かしい?……そうかも、知れない、な」

そう言うと、ほむらは嬉しそうとも寂しそうとも取れるような笑みを浮かべた。

そんな様子にまどかもさやかも不思議そうに首を傾げた。

 

そこからステーションへは小型の客船で向かう。

衛星軌道上を少し往復するだけの、何の危険もない旅路のはずだった。

……はずだった。

 

 

 

 

「進路上に何かが、そんな話は聞いてないが……っ!?これは、バイド反応!」

 

――悪意は、どこにでも潜んでいる。

 

「回避をっ!」

「間に合いません……っ!被弾しました!」

 

――悪意が形を成した様な、その異形の生命体を

 

「みなさん、落ち着いてください!班毎に分かれて、救命ポッドに避難してください」

 

――すべてを侵蝕し、取り込み、 進化するそれを

 

「何があったのかな…さやかちゃん」

「わからないよ……でも、何かすごくまずい感じはする」

 

――物質でありながら波動としての性質を持ち、あらゆる存在に伝播するそれを

 

「まさか……これは」

「奴らに攻撃を受けているの……まさか、また奴らが。……バイドが、現れたと言うの」

 

 

 

――――“バイド”と、人は呼ぶ。

 

 

 

 

 

宇宙のどこかで、交差する声。

 

「――、バイド反応だ!やっぱりさっきの撃ち漏らしがまだ隠れていたみたいだね」

「そう、それじゃあすぐに向かうわ。場所と数は?」

「数はそう多くない。場所は……まずいよ、――。旅客機の航路のすぐそばだ!」

「なんてこと!それじゃあ急がなくちゃいけないわね。全速力で行くわよ!」

「ああ、すぐに出られる準備をしておいて。……マミ!」

 

 

 

 

「船長!バイドを振り切れません!このままでは私たちだけではなく、乗客までも……」

「SOSは出しているんだろう?応答は!」

「直近のR部隊の到着まで、少なくとも5分は……と」

「状況は絶望的か。……しかたない、客船部分を切り離し、本船はバイドに突攻を仕掛ける!無駄かも知れんが、少しでもバイドの注意を乗客から逸らすぞ!」

「船長……わかりましたっ!私もお供します」

「いいや、君は残れ。乗員の避難を助けるんだ。これは命令だ」

「……っ。わかりました。船長、どうかご無事で」

 

救命ポッドの中にいても、爆音と振動が何度も伝わってくる。その度に散発的な悲鳴があがる。

今のところはまだ、致命的な被害は出ていないもののそれもいつまで持つのだろうか。

「あはは……なんか、とんでもない修学旅行になっちゃったね」

いつも元気なさやかの声も、流石にトーンは落ち気味で。

それでも必死に気持ちを奮い立てて、いつもどおりに振舞おうとしている。

「ええ……私たち、これからどうなるのででしょう」

「……ここはまだ衛星軌道上で、軍の基地やステーションも近い。すぐに救援は来ると思うわ……だけど、それまでもつかどうか」

その言葉の主はほむら。気弱そうな表情はなりを潜めて

落ち着き払った、静かな表情で。

 

「ほむらちゃん……なんだか、すごく落ち着いてるよね。私、もう怖くて怖くてしかたないのに……すごいな、ほむらちゃんは」

「ほんとだよ、最初はあんなにおどおどしてたのにさ。実はすごい子だったんだね、ほむらは」

「ええ、本当に。早速ほむらさんの意外な一面を発見ですわ」

仁美の言葉に、ほむらは一瞬言葉に詰まって、気まずそうに俯いた。

 

 

 

そして鳴り響く警報、状況は更に悪いほうへと向かっているのか。

「何これ……何の音っ?」

怯えたようにあたりを見回しながら、まどかが言う。

(アラート!?本格的にまずいわ、こうなったらアレを呼ぶしか……)

「お客様にお知らせします。本船はただいまバイドによる攻撃を受け、ステーションへの避難軌道を取っています。指示があるまで、救命ポッド内にてお待ちください。繰り返します……」

繰り返されるアナウンス、いよいよ持って騒然となる船内。

不安げな声、恐怖に震える声、こんなときだからこそと空元気を見せる声。

ひたひたと迫りくる姿の見えない死の影を振り払うように、声はいくつも響き渡って。

 

「どうしよう……私たち、死んじゃうのかな」

「何バカなこと言ってるの、まどか!大丈夫……大丈夫だって」

「ええ、きっと大丈夫ですわ……これだけ地球の近くなのですから、すぐに助けは来るはずですわ」

三人揃って寄り合って、震える身体を抱きしめあって。

避けられない死の恐怖を乗り越えようと、繋がり、声を掛け合うその姿。

ほむらはそれを目に焼き付けて。

(――初めてできた友達、見捨てられるわけない)

そして、駆け出した。

 

けれども、その手をまどかが握って止めた。

 

「ほむらちゃん!?どこ行くの、今外に出たら危ないよっ!!」

「逃げ出したくなる気持ちは分かるけどさ、逃げる場所なんてほかにないんだから……じっとしてようよ」

さやかも、ほむらの肩に手を乗せて。こんなときだと言うのに気丈に笑う。

やはり、失いたくないと思う。だからほむらは小さく笑って。

「……行くわ。あなたたちは、私が守ってみせる」

引き止める手を振り払い、走り去っていく。

呆然と見送って、最初に我に帰ったのは、さやか。

「守る…って、ほむらーっ!待ちなさいよもう……あー、もうっ!……あたしも行く!追いかけて、連れ戻してくるから」

「あ……わ、私もっ……行くよっ!」

「私も……行きますわっ」

駆け出そうとするさやかに、まどかと仁美が続いて。

 

「まったくもー、二人とも…声、震えてるよ?」

「さやかちゃんだって……えへへ」

「ええ、みんなそろって震えてますわ……くすっ」

何故だろう、こんなに怖くて仕方ないというのに、なにやら笑えてくる。

「ふふ……あはははっ」

死と隣り合わせの状況下、震える声を抑えて笑う。

一人なら耐えられない、動けない。けれど友達が、仲間がいれば踏み出す勇気は沸いてくる。

 

「じゃあ、あたしとまどかでほむらを探す。仁美は、ほむらとあたしらのこと、先生とか船の人に伝えといてよ」

「わかりましたわ。二人とも、どうかお気をつけて」

「任せなさい、って。すぐほむらを見つけて、戻ってくるから。さあ、行こうまどか!」

「……うん、さやかちゃん!」

震える膝に、指を噛み締め力を入れて

立ち上がる。走り出す。揺れる船内を走り抜ける。

だが、しかし。その足は通路の窓から見えた光景によって止められた。

 

星の海の向こうに、いくつも浮かんでは消える光。

その光の源には、この客船モジュールを牽引していたはずの輸送船と

それを執拗に攻撃する、バイドのものであろう無数の光点。

窓越しに、輪郭すらも捉えられない程に遠いというのに。

その禍々しさと恐ろしさ。そしてどうしようもないほどに捻じ曲がった悪意が、容易に彼女たちの足を止めた。

「……どうして、ねぇ。さやかちゃん。どうして、あんなところに船があるの?おかしいよね、こんなの」

「うん……これじゃ逃げられないじゃない。もしかしてあたしたち……見捨てられた……?」

 

「それは違うね。あの船は、バイドを引きつけようとしているんだよ」

突然の声。その正体を探ると、そこにいたのは白い小さな生き物。

半透明に透き通ったそれは、くりくりとした赤いクリスタルのような瞳で二人を見つめて。

「え……って、何この生き物、さっきまでこんなのいなかったよね」

「うん……もしかして、これが…バイド?」

驚いて声を上げる二人。

そんな二人を尻目に、その生き物はやれやれといった様子で首を振って。

 

「違うよ、ボクがどうしたらバイドに見えるっていうのかな。ボクの名前はキュゥべぇ。君たちを助けに来たんだ!」

そう言って、キュゥべぇと名乗った生き物は笑った。

「助ける……って、あんた。あの化け物をやっつけられるの?」

状況は未だに理解できない。それでももしかしたら助かるのかもしれない。

僅かな希望を篭めて、さやかが尋ねる。

「ボクには直接バイドをどうにかすることはできない。何せ、ボクには実体がない、ただのプログラムだからね。でも大丈夫。すぐに味方が来るよ。……ほら、来たよ」

 

 

キュゥべぇの言葉に振り向き、窓を覗き込んだ二人の目の前、一陣の黄色い流星が駆け抜けていった。

その流星は光の軌跡を散りばめながら、バイドの元へと飛んでいく。

 

 

それは、バイドを討つためのモノ。

 

人類の英知と希望、そして憎悪すらもが形を成したモノ。

 

放たれし矢、Rの系譜を紡ぐモノ。

 

――そして時として、酔狂な遊び心も混ざるモノ。

 

 

“R戦闘機”と呼ばれる、異層次元戦闘機の姿であった。

 

 

 

「キュゥべぇ、そっちの様子はどうかしら?」

突如空中に現れたモニター。

そこに映されていたのは、黄色い髪の少女。

まどか達よりは幾分か、いや随分と大人びているようにも見える。

「女の人……?私たちよりも、ちょっと年上くらいだけど」

「問題ないよ、特に損傷は見られないそれよりマミ、敵は少ないとは言え急だったからね。

 フォースなしでの戦闘になる十分に注意してくれ」

キュゥべえが、そのマミなる少女へ呼びかける。

「わかってるわ、キュゥべぇ。それじゃあ、船の人達をお願いねっ!」

声に応えて、そしてモニターも掻き消えた。

 

「あの、キュゥべぇ?今のは……?」

状況がどうにも把握できない。恐る恐るまどかが尋ねる。

「彼女は巴マミ、ボクと契約してR戦闘機のパイロットになった魔法少女だよ」

 

閃光煌く宇宙空間、その真っ只中をR戦闘機が往く。

巴マミが駆るその機体は、謎の技術提供者から持ち寄られた技術、ソウルジェムを搭載した試作機。

特殊な二種類の波動砲を備え持つ、バイドを縛り砕く浄化の光……とは彼女の言である。

――R-9MX“ROMANTIC SYNDROME”――

バイドを討つ意志と、そのための力を携えて。エーテルの波を受けてRが往く。

 

「敵影確認。小型……キャンサーが3に中型……なんてこと、ゲインズまで来ているなんて、他所の部隊は何をしてたのかしら。……愚痴っててもしかたないわね。一気に片付けるわよ!」

機体を一気に加速させる。瞬く間に機体は速度を上げてバイドへと肉薄していく。

おぞましいまでの加速。ザイオング慣性制御システムがなければ、人体など一瞬で挽肉へと変わってしまうだろう。

宿敵の接近に気付いたバイドが、客船の追撃を止め、迎撃に移るまでの僅かな時間。

その停滞をレールガンが引き裂いた。回避さえも追いつかず、キャンサー二機が蜂の巣となり爆炎を巻き上げる。

残ったバイドもすぐさま応戦を開始する。ゲインズが搭載された凝縮波動砲を放ち、キャンサーが体当たりを敢行。

後者はともかく、前者は直撃すればR戦闘機と言えどただではすまない。それだけの威力と速射性を持つゲインズは熟練のR戦闘機乗りにとっても恐ろしい相手なのである。

……少なくとも戦場が、何もない宇宙空間でなければ、だが。

 

「どんなに威力があったって、当たらなければ意味はないのよ。R戦闘機の機動性、甘く見ないで!」

縦横無尽に宙を駆けるマミに対して、ゲインズの波動砲はまったく意味を成さなかった。

むしろ、気がつけば巻き添えを食ったキャンサーが直撃を受けて爆沈している。

実に報われないキャンサーである。南無。

「とはいえあの重装甲、レールガンだけじゃ貫くのはかなり骨ね。そういうときは、こいつで勝負よ」

独特のチャージ音と共に、R戦闘機の最大の武器、波動砲がチャージされていく。

戦闘機に戦艦主砲並の火力を持たせることを念頭に開発された波動砲。

元は機体前方に形成された力場から、ベクトルを付与したエネルギーを開放するというものだった。

それが何をトチ狂ったか、なぜかバイドの形状をしていたり、パイルバンカーまで存在する始末である。

そんな英知と狂気と遊び心の詰まった波動砲、それも試作機とあらば何が出てきてもおかしくない。

 

「食らいなさい!リボン波動砲α……発射!!」

放たれたのは黄色の光弾、二対のそれは違わずゲインズへと向かっていく。

更にその光弾は、回避行動を取ろうとしたゲインズの目前でリボン状へと変化し、揺らめき

ゲインズの四肢に絡みついた。リボン状とはいえそれは超高エネルギーの塊である。

すぐさまゲインズの四肢は千切れて爆散し、もはやゲインズには戦闘能力は残されていない。

「私の意志で自由自在に形状を、動きを変える波動砲。それがこのロマンチック・シンドロームのリボン波動砲αよ……覚悟はいいかしら」

 

四肢をもがれ、最大の武器を失ったゲインズ。もはや撃墜されるのを待つだけなのか。

否。否である。バイドの恐ろしい攻撃本能は、どのような場合でもそれが衰えることはない。

四肢を失ったその機体そのものを武器へと変えて、恐ろしい突攻をしかけてきた。

――だが、遅い。次弾のチャージは既に完了していた。

「そしてこれがもう一つ、4本のリボン波動砲を一本に束ね。破壊力と持続性を増したリボン波動砲βよ」

機体の先端に再び波動の火が灯る、バイドを焼き尽くさんとする人類の意志を、憎悪を載せて。

 

「ティロ・フィナーレ!!」

 

4本のリボン波動砲を束ねたその一撃は、違わずゲインズを貫いた。

爆発、沈黙。バイド反応も一気に収束していく。

「ふぅ、ざっとこんなものかしらね」

 

 

 

「……どうやら、私の出番は無かったようね」

(助かった、というべきかしら。もし戦うことになっていたら……面倒なことになっていたでしょうし)

窓の外に幾筋も走る閃光をじっと見つめて。

それが全て消え去って、唯一残った黄色の光を眺めて呟く。

その表情には安堵と僅かな後悔が滲んでいた。

「ほむらちゃん!こんなところに居たんだ……よかった、無事で」

そんなところに駆け寄ってきたまどか、驚いてほむらはまどかの方を見て。

「っ!?……鹿目さん、美樹さん?どうしてここに」

「どーしてじゃないっての!ほむらが急に居なくなっちゃうから、探しに来たのよ。一体どこに行ってたのさ……まあ、でも無事でよかった」

更に続いてさやかも現れた。ようやくほむらも事態を悟ったようで。

「それは……ごめんなさい。気が動転してたみたいで」

 

 

 

「どうやら、お友達は見つかったみたいだね」

合流と再会を喜んでいるところに、キュゥべえが現れる。

「え?……これは、何?」

流石のほむらも、その異貌には驚きを隠せない。

「これ、呼ばわりは酷いな。ボクはキュゥべえ。R戦闘機に乗って戦う魔法少女を助けるために造られたプログラムさ」

ほむらの表情が、驚愕に歪む。

(おかしい。こんな話は聞いたことがない。魔法少女?キュゥべえ?何がどうなっていると言うの)

しかし、思考を廻らせる間もなく再びモニターが開き、マミの声が聞こえてきた。

「こっちは片付いたわ。キュゥべえ」

それもまた、ほむらにとっては驚愕に値するもので。

(それに何でこんな子供がR戦闘機を?まさか、幼体固定……?)

 

「お疲れ様、マミ。相変わらずいい腕だ」

「ありがとう。だけど、あの客船は損傷が激しいからこのまま航行を続けるのは無理ね。

 船をこちらに寄越して、そのまま客船モジュールごと牽引しちゃいましょう」

「わかった。すぐに船を向かわせるよ。それと一緒に、何人か回収していきたい人員も居るんだ」

「人員、って……もしかして、魔法少女の?」

「ああ、それも素質を持った子が三人もだ。思わぬ収穫だよ」

なにやら、話の雲行きが怪しくなってきた。

「何の話をしているの……あなた達?」

ほむらが、訝しげな表情で尋ねた。

何か嫌な予感がする。なにか、大変なことに巻き込まれてしまったような。

 

「大したことじゃない。このモジュールをボク達の母艦で牽引するそれと、キミ達にもボク達の母艦に一緒に来てもらうよ」

「来てもらう……って、どういうこと?あたし達、修学旅行の途中なんだけど」

「それに、皆に黙って出てきちゃったから。戻らないと怒られちゃうよ」

流石にこれには反感も多い。まどかもさやかも食って掛かるが。

「そんなことはどうでもいいんだ。重要なことじゃない。キミ達にはボクと一緒に来てもらう。そして……」

キュゥべえの言葉に、にべもなく一蹴されてしまう。

(機密保持のため拘束…かしら。どうやら修学旅行を楽しむどころじゃなくなりそう……少し、残念ね)

 

ほむらはそう見通しを立てて、少しだけ残念そうに肩を落とした。

けれどもキュゥべえから告げられたその言葉は、ほむらにとっても予想外のものだった。

「ボクと契約して、R戦闘機のパイロットになってほしいんだ!」

 

 

宇宙の闇は尚深く、人々は何も知らずにいる。

倒すべき敵も、抗う力もその闇も。

だが、少女達は知ってしまった。巻き込まれてしまった。

最後の舞踏の繰り手を求めて、彼女達の運命は廻りだす。

――もう、戻れない。




【次回予告】

「マミさんは、どうして戦ってるんですか」

「宇宙の平和のため、って言ったら。鹿目さんは信じてくれるかしら?」

「私は……信じるわ」

「小惑星帯に、正体不明のバイド反応が検出されたよ」

「な、なな、なななっ!なんじゃありゃぁ~っ!?」

「……改めてみると、卑猥」


「――見せてあげるわ、R戦闘機の、本当の戦いをね!」


魔法少女隊R-TYPEs 第2話 ―SEXY DYNAMITE―


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第2話 ―SEXY DYNAMITE―

少女達は魔法少女の真実を、そして人類の天敵の存在を知る。選択の時は迫る。けれど、奴らはそれすらも待ちはしない。
圧倒的な暴威が、卑猥なる衝撃が、哀れな少女に襲い来る。

見るがいい、これがバイドと呼ばれるモノだ!


 

客船モジュールを牽引し、ステーションへと向かう一隻の輸送艦。

宇宙の闇に映える白色に覆われて、桃色のラインや黄色のリボン状の彩色がどこか少女趣味的な印象を与えている。

その船の名は、ヨルムンガンド級M型装備試験運用艦“ティー・パーティー”

M型とは、魔法少女に関わる装備であることを示す符号であった。

そしてそれは魔法少女の駆るR戦闘機の試験運用を行うと同時に、彼女たちの生活空間ともなっていた。

そんな船の中で。

 

「いらっしゃい。私たちの船。ティー・パーティーへ。色々あって疲れたでしょうし、まずは一息ついて、それから色々とお話しましょうか」

まるで軍艦の中とは思えないような、とはいえ艦の外装に通じる感じも受けるような、可愛らしい彩りの部屋の中。先ほどまでバイドとの戦闘を繰り広げていた少女――巴マミが座っている。

「えっと…その、貴女はさっき戦ってた人……ですよね」

「確か、巴さん……って」

戸惑う二人。無理もない。

先ほどまでR戦闘機を駆ってバイドを殲滅していたその姿と、ティーポットを片手に微笑む今の姿は、まだ二人の中では繋がっていない。まるで、非現実的な何かを見るような表情で。

唯一人、ほむらだけは緊張でも理解し得ない様子でもなく、静かにマミへと視線を向けていた。

 

「そんなに緊張しないで、三人とも。巴マミよ。遠慮なくマミって呼んで欲しいわ。何せ、あなた達は私の仲間になるかもしれないんだから」

「そのことです!一体何がどうなってるんですか。魔法少女とか、R戦闘機のパイロットとか。いきなり過ぎて訳わからないですよ」

途端にさやかが食いついた。けれどもその言葉は遮られた。

 

「それについてはボクのほうから説明するよ」

三人をティー・パーティーへと導いたキュゥべえが、再びその半透明の姿を現し言葉を告げた。

相変わらず、この生き物についてもよくわからないことばかりである。

「長い話になると思うわ。お茶とケーキを用意したから、食べながらでも聞いて欲しいの」

紅茶とケーキを勧めながらマミが言う。部屋の中にふんわりと漂う、リンゴのようないい香りと甘くて美味しそうなケーキの誘惑も、心と身体を解すにはまだ、足りない。

これは長期戦になるかもしれない、とマミが考え始めたその矢先に。

 

「折角用意してもらったのだから……頂きます」

率先してほむらが動いた。立ちすくんでいた二人の間をすり抜けてお茶会のテーブルへついて、まだ不安そうに見つめる二人に振り向くと。

「……大丈夫よ、ちゃんと事情は説明してくれると言っているし。まずは、一度話を聞いてみましょう?」

戸惑う二人を安心させるように、小さく笑みかけた。

「ほむらちゃんが言うなら……うん、わかったよ」

「それに、いつまでもこうしてたって仕方ない……よね」

二人も続いてお茶会の席へつく。ひとまず始まってしまえばもう

楽しげなお茶会の雰囲気は三人を巻き込み飲み込んで、いつしか緊張の色も消えていた。

 

「~っ♪このケーキ、メチャうまっすよー!まさか修学旅行がこんなことになるとは思わなかったけど、これはこれでもしかしたらすっごい経験かもね」

「ほんとだね。最初はちょっとどころじゃなく驚いちゃったけど、それでもこんな経験普通じゃできないだろうし。紅茶も美味しいし」

甘くて美味しいケーキの誘惑。女の子にはなかなか抗いがたいもので、すっかりさやかはリラックスしてしまっているようで。まどかもかなり緊張は解れたようで、紅茶を片手に表情をほころばせている。

「とてもじゃないけど、ここが船の中だなんて思えないもの……ね」

ほむらもまた、少し釈然としない風はあるが大分寛いでいるようで。

 

「お茶もケーキもまだあるから、どんどん食べちゃっていいわよ」

「はーいっ。あ、それじゃケーキもう一つもらっちゃおうかなー」

「もう、さやかちゃんったら食べすぎだよー」

部屋の中に、明るい少女達の笑い声が響いた。

 

 

「……なんだか楽しそうだね、マミ」

そんな姦しい騒ぎの最中、キュゥべえがそっとマミに話しかける。

「ええ、実際楽しいんだもの。折角用意したお茶会の道具を無駄にせずに済んだし

 もしかしたら仲間ができるかもしれない、って考えたらね」

「そうなることを望んでいるよ、ボクも」

そう言うとキュゥべえはその耳を軽く揺らして、マミの傍らにちょんと座った。

 

 

「えーっ!?マミさんも、あたしたちと同じ中学生なんですか!?」

「ええ、歳はあなた達よりも上だから、三年生になるのかしら?もっとも今は通えてもいないけれど。ああ、でもちゃんと出席扱いにはなってるのよ。授業の内容だって、ちゃんとこっちで見られるようにしてあるし」

明かされた衝撃の事実に、思わずさやかはすっ飛んだ。何しろとても一つ上とは思えないのである。落ち着いた態度といい、どう見ても中学生とは思えないそのボディラインといい、である。

「むむむ……魔法少女ってのは、皆マミさんみたいに大人っぽくて素敵なのかな」

なにやら思い悩むさやか。

そんな素敵になれるなら、なんて考え始めているのかもしれない。

 

「それじゃあマミさんは、ずっとこの船で過ごしているんですか?」

そんなさやかをさておいて、まどかが疑問を口にする。

「ええ、そうね。今はまだ何かと予定が詰まっているから。次に地球に戻れるのは、ひょっとしたら卒業式の頃かもしれないわね」

そう話すマミの表情には、隠し切れない寂しそうな翳りも見えた。

慌ててそれをかき消したけれど、まどかにもほむらにも、それは確かに映っていた。

 

「寂しくはないの……その、ずっと一人で、巴さんは」

ほむらの言葉に、マミは寂しげな笑みを浮かべる。

「……寂しくない。って言ったら、きっと嘘になるわ。友達とも会えないし、恋とか青春とか、全部地球に置き去りにしてきてしまった。キュゥべえもいるし、この船には娯楽施設や図書室なんかもあるから、退屈はしないのだけど」

広い宇宙の只中で、一人戦い一人生きる。それがとても辛くて、やはり寂しいことだった。だからこそ仲間が欲しい。そのために、彼女達を誘い入れようとしている。

そんな自分の思考が、マミはあまり快くは思えなかった。それでもやはり、仲間ができるかも知れないという嬉しさが勝る。そんなマミの葛藤を想像することさえかなわずに、まどかもさやかも、静かに語るマミを見つめて。

 

「でも、誰かが戦わなければいけない。だから私はこのキュゥべえと契約して魔法少女、ひいてはR戦闘機のパイロットになったというわけ。…そろそろ、そっちの説明もしましょうか」

その言葉に、マミの膝の上で丸まっていたキュゥべえが身を起こす。

そのままぴょん、とテーブルの上に飛び乗って。

 

「少し長い話になるけど、まずは聞いて欲しい。魔法少女というのは、全ての生命体の敵バイドと戦うことができる唯一の希望、R戦闘機のパイロットのことを言うんだ」

「今までの話を聞いてると、それはなんとなくわかる。でも、何で魔法少女、なんて可愛らしいネーミングなわけ?それに、あたしたちはそのバイドのことも、R戦闘機っていうもののことも何も知らない。それなのに、いきなり戦って欲しいなんていわれても……無理だと思う」

浮かれながらも、なんだかんだでしっかりと考えていたのだろう。まずは当然の疑問をさやかが口にした。

「そう思うのももっともだ。それについては一つ一つ説明していくよ。魔法少女、というネーミングについてだけど、これはボクたちの昔からの慣習みたいなものかな」

「昔からの、って……。じゃあそんな昔から、魔法少女になって戦ってる人がいたの?」

そんな事は聞いたこともなくて、驚いたようにまどかが言う。

「ああそうさ、ずっと昔からボクたちは素質のある少女と契約して、彼女たちを魔法少女にしてきたんだ。とは言え、その頃はまだ彼女たちの敵はバイドじゃなかった。人の呪いが生み出す魔女と呼ばれる敵と、魔法少女たちは戦っていたんだ」

   

「ってことは、昔は魔女と戦っていた魔法少女が、今はバイドと戦ってる。それじゃあ、その魔女ってのは今は放置されてるってこと?」

「そうとも言えるし、そうでないとも言える。少なくともボクらが魔法少女をバイドと戦うためのものとしてから、魔女は出現していない。恐らくこれからも出現することはないだろう」

なぜか妙に確信めいた言葉でキュゥべえが言う。

そこまで自信を持っていうのだから、恐らくそういうことなのだろう。ただ、ほむらだけがなにやら怪訝そうな、考えこむような表情で。その表情に浮んでいるのは、半ば驚愕。半ば猜疑。

 

「話が逸れたね、本題に戻ろう。魔法少女の素質を持っている者は皆、R戦闘機のパイロットとしての素質も持ち合わせているんだ。その理由が……マミ、見せてあげてくれるかい?」

「ええ、三人とも、これを見てちょうだい」

言葉と同時に、マミがつけていた指輪が光る。

次の瞬間掌の上に、卵より二周りほども大きい、黄色く煌く宝石が乗せられていた。

「これ、何なんですか。……すごく、綺麗」

その輝きに見せられるように、ふらふらと吸い寄せられるさやか。慌ててまどかがそれを掴まえて。

「これはソウルジェムというの。キュゥべえと契約すると生み出される魔法少女の証、みたいなものかしらね」

「そう、そしてこのソウルジェムこそがあのR戦闘機を動かすのに必要なものなんだ。このソウルジェムを機体に接続することで、まるで自分の手足を動かすようにR戦闘機を操ることができるんだ」

キュゥべえの声は得意げだった。ひらりと軽く尻尾を跳ねさせて。テーブルの上で薄く笑む。

 

「なんとなくだけど、わかった……かな?ちょっと自信ないけど」

どうにも自信なさげに、曖昧に言うまどか。

「今はそれでいいと思うわ、その気があるならこれからいくらでも理解できるから。本当にすぐよ。私だって随分慣れているように見えるけど、初めてR戦闘機に触れてからまだ3ヶ月も経っていないくらいなんだから」

「3ヶ月……ですって?」

思わずほむらが身を乗り出した。その表情には、今度こそ驚愕が色濃く映し出されている。

「ほむらちゃん?どうかしたの?」

「あ……いえ、なんでもないの。ただ、3ヶ月であんなにすごく戦えるようになるなんて、ちょっと信じられなくて」

車の免許などとは訳が違うのだから。ありえない、何かの間違いではないのかとすら思ってしまう。

 

 

「その…魔法少女のこととかはわかったんですけど、これからあたしたち、どうなるんでしょうか?」

話がひと段落したところを見計らって、さやかが切り出した。

これからの自分たちの処遇について。非常に気になるところである。

「私たち、修学旅行の途中だし。ずっと戻らなかったら先生たちも心配するよね」

まどかも頷いて、そんなさやかの言葉に続く。

「少なくとも今すぐ戻ることはできない。それに心配することはないよ、君たちの船には事情は説明してある。キミたちは負傷していたため、こちらの船で保護してある、とね」

「そんな、勝手にそんなこと!」

随分と横暴だ、とさやかがキュゥべえに詰め寄った。

 

「ごめんなさい、美樹さん。でもこれは必要なことなの。貴女たちが魔法少女になるならないに関わらず、ね。新型のR戦闘機を目撃してしまった。それだけでも、私たちとしてはそのまま帰すことはできないのよ」

申し訳なさそうにマミが言う。

「何か……されるんですか。尋問とか軟禁とか、拷問とか」

流石に最後のは言いすぎな感が否めない。

それでも、ほむらの言葉は随分さやかとまどかにとっては衝撃的だったようで。

「ごっ、拷問!?う、うううウソですよね!ウソだと言ってよ、マミさん!」

「拷問なんて……そんな、そんなの絶対おかしいよ!」

 

「あー……ええと、ね。二人とも。ちょっと落ち着いて。それから暁美さんも、あんまり物騒なこと言わないでちょうだい」

あまりの剣幕にたじたじといった様子でマミが答えた。

「そうともさ、キミたちは魔法少女としてとても魅力的な人材だからね。ボクとしても出来る限りの優遇はする。今はただもうしばらくここに留まってもらって、魔法少女やバイドのことをもっとよく知ってもらいたいんだ。その上で判断して欲しい」

「うぅ、そこまで言うなら……仕方ないとは思うけど。っていうか、そもそも戻りようがないんでしょ、今のままだと」

この様子では、帰りの足を出してくれそうにもない。しかたないか、といった様子でさやかは覚悟を決めたようである。

 

「本当にごめんなさい。お詫びというわけではないけど、後で船の中を案内するわ。色々なものがあるから、一日二日くらいじゃ飽きることはないと思うから」

「ほんとですかっ!?うわ、これはこれでちょっと得がたい経験って奴じゃない?宇宙船の中、こんなあちこち見て回れるなんて滅多にあることじゃないでしょ!」

むしろ、逆に楽しみ始めてしまった。なんというか、流石の適応力である。

「さやかちゃん……切り替え早すぎ」

「でも、きっとこれくらいの方が長生きできると思うわ。……私もちょっと、船の中は気になるし」

 

ひとまず休憩、お茶とケーキも用意しなおして。お茶会は再開された。

話題はもっぱら、魔法少女のマミのことであったり、修学旅行の行き先の話であったり

特にマミは地球を離れて久しいからか、地球の流行のことなんかに随分と執心していたようだ。

「さて、じゃあそろそろ次の話に移ろうか。今度はボクたちの敵。バイドについての説明をするよ」

そうして再びキュゥべえがテーブルの上へと飛び乗った。

今度は一緒に、モニターも空中に浮んでいて。

「バイド……それって、あの時船を襲ったあの機械みたいなもののことですよね」

「それは正しいけれど、正確にバイドのことを表しているとは言えない。マミ、詳しい話をする前に紅茶とケーキは、片付けておいたほうがいいと思うな」

「………そうね。少し待っていて」

マミの表情は固い。実際問題、バイドのこと話す時、あまり周りに食べ物を置いておきたくはない。食欲が失せてしまうから。

 

「流石に敵のことを話す、となるとやっぱり緊張しちゃうね」

「うん、マミさんもやっぱり表情が固いし……ほむらちゃん?」

一気に張り詰めていく空気の中、ほむらだけがどこか違って見えた。

恐れているようでも、緊張しているようでもない。まるでそれが聞きなれたことであるかのように。

自然と耳を傾ける、そんな姿勢が出来ていた。

「なんだか……すごく落ち着いてるんだね、ほむらちゃんは。私なんか、これから敵の話をするって聞いただけで、こんなにドキドキしてるのに」

「ぁ……いいえ、そんなこと、ないわ。ただちょっと、人により顔に出づらいだけだと思う」

少し困ったようにほむらが答えた。そこへ、マミが片づけを済ませて戻ってきた。

 

「さあ、それじゃあ始めましょう。キュゥべえ、お願いね」

「ああ、わかったよ。じゃあ始めるよ。バイド、それは――」

キュゥべえ先生によるバイド講義、一時間目が開講した。

中空に映し出されたモニターは、バイドのその性質を、異形を、脅威を包み隠すことなく説明していく。

 

曰く、ありとあらゆるものに伝播し汚染する。

曰く、非常に強力な攻撃本能を持つ。

曰く、ヒトと同様の遺伝子構造を持つ。

曰く、その殲滅は容易ではない。

そして、そのバイドの姿を目の当たりにする。

機械を浸蝕し操るもの、バイドそのものが作り出した新たな生命体。

 

――そして、生命を蝕み異貌を象るモノ。

 

 

「……何、何なのよ“コレ”はっ!」

バイドに汚染された兵器が、人の営む街並みを焼き払っていく姿。

さやかはその不条理に怒り、叫ぶ。

 

「ぅあ、ぁ……ぃゃ、やぁ……っ、ぅぐっ」

ドプケラドプスと呼ばれるA級バイドの、その異形と凶暴性。

ついにまどかは正視に堪えず、床に蹲ってえずきはじめる。

マミがその身体を支えて背中を擦る。震えも嗚咽も収まらない。

 

「――バイド……っ」

そしてバイドによって引き起こされた、人類史上最悪の事件。

コロニー、エバーグリーンの地球への墜落。

それが引き起こした圧倒的な災厄に、ほむらは密かに歯噛みする。

 

 

「わかっただろう。これがバイドだ。これを放置しておけば人類は必ず滅亡する。それを防ぐために造られたのがR戦闘機で、それと戦うものが魔法少女なんだ」

「わかったよ。……よくわかった。あれが、バイド」

さやかの瞳に移る色は、怒り。圧倒的な暴虐と理不尽への、その象徴たるバイドへの、憎悪。

「ぅ……もう、大丈夫。ありがと、マミさん。でも、マミさんはあんなものと戦い続けてるんだね。……すごいや。私には、とてもできないよ」

まどかの記憶に焼きついているのはのは、恐怖。人知を超える醜悪なる異形、バイドそのものへの、拒絶。

「……戦う力があるのなら、戦わなくてはいけないのかしら」

ほむらの心で揺れていたのは、迷い。バイドを斃す力。それを持ち、振るうことへの逡巡。

三者が三様に心を揺さぶられていた。バイドという、終わらない悪夢を目の当たりにして。

 

「どうやらステーションについたようだ、客船はここで切り離していくとしよう」

「それで、この後はどうするのかしら、キュゥべえ?」

窓の外には宇宙ステーション。恐らく今頃、他の生徒達は無事に保護されたことだろう。

とんだ修学旅行になってしまったが、後は予定通りに進んでくれるはずだ。

「そうだね、さっきのバイドとの交戦で概ね今日の試験項目は終了したと言ってもいい。それに、今日はこれ以上彼女たちに事情を説明するのは難しそうだ。今日のところはここまでにしておこうか」

キュゥべえの言葉に、マミは嬉しそうに笑って。

「そう、それじゃあ私は彼女たちに船の中を案内することにするわ。禁止区画以外のロックを解除しておいてね」

「わかった。じゃあ後のことは任せるよ、マミ」

そして、小さな光の粒子と化してキュゥべえの姿が掻き消えた。

 

「さあ、それじゃあ行きましょうか。ティー・パーティーの中を案内するわ」

「待ってました!難しい話ばっかりでもううんざりだったけど、いよいよ船の中を探索できるってわけですね!くぅー、楽しみだなーっ!」

「一応機密ってことになっている区画もあるけれど、それ以外ならどこだって案内してあげるわ。まずは見取り図を出すわね」

浮かび上がるモニター、映し出される船内図。

「さっき話した通り、娯楽施設や図書室、他には食料プラントを兼ねた庭園やプールなんてのもあるわね」

「何それ!?ちょっと豪華すぎじゃない?家なんかよりずっとすごいよ」

「とても軍艦の中とは思えないわ」

驚いた表情のさやかとほむら。実際、この艦の設備はそこいらの住宅よりもはるかに充実している。

 

「そうね。でも一つだけ困ったことがあるのよ。地球の電波が届かないから、テレビが見られないの」

小さく肩を竦めて、苦笑しながらマミが言う。

「あー、確かにそれは辛いかも。テレ東とかも見られないんですよね」

テレ東。正式名称テレビ極東。主に日本を中心としたアジア各地を放送圏に持つ、アジア圏最大のテレビ局である。

色んな意味でジャパンライク溢れるその番組は、この22世紀も終盤を迎えた今でも高い人気を誇っている。

「でも、それ以外概ね快適よ。この船だけで5人くらいは生活できるようになっているわ」

船内図を眺めてはしゃぐさやか、半ばあっけに取られているようなほむら。

……唯一人俯いて、まだ立ち直れていない様子のまどか。

 

「……鹿目さん?まだ具合が悪いの?」

それに気付いて、ほむらが声をかけた。

「あ……ほむら、ちゃん。……うん、ちょっとさっきの、辛くて」

「無理もないわ。あんなもの、女の子が見て耐えられるものじゃないもの。ごめんなさいね、鹿目さん。部屋に案内するから、そこで少し横になっていたほうがいいわね」

「ごめん……なさい、そうするね」

ふらつくまどかを、マミが肩を支えて何とか立たせて。

「美樹さん、暁美さん。悪いけれど、二人で船の中を見てきてくれるかしら。私は、鹿目さんを介抱しているから」

「わかりました。……ごめんね、まどか」

ばつが悪そうな表情のさやかに、青ざめた顔に何とか笑みを浮かべてまどかが答えた。

そうして、そのまま部屋を出て行った。残された二人、さやかは少し苦い顔をして。

 

「また……やっちゃったな。一人で勝手に浮かれすぎて、まどかのこと全然見てなかった。友達なのに。……気をつけなきゃ」

迷いと後悔を振り払うように、一度大きく頭を振って、それから。

「まどかのことはマミさんに任せることにして、行こうよ、ほむら」

「……ええ、行きましょう。美樹さん」

二人連れ立って、部屋を後にするのだった。

 

 

ティー・パーティー内、マミの自室にて。

まどかを部屋のベッドに寝かせて、その枕元にマミが身を屈めて顔を寄せていた。

「本当はちゃんと部屋を用意できたらいいのだけど。

 急なことで、まだ整理とかが終わっていないの。ごめんなさい、鹿目さん」

「いいえ、気にしないでください。私のほうこそごめんなさい。……私、弱くて」

「それこそ気にすることないわ。あんなものを目にしたら当然よ。

 キュゥべえももう少し、配慮ってものを覚えてくれるといいのだけど」

ベッドに横たわり、マミの冗談染みた口調に力なくも笑みを浮かべるまどか。

恐らく大丈夫だろうと考えて、マミも立ち上がった。

 

「あの……マミさん。一つだけ、聞いてもいいですか?」

そんなマミを、まどかが呼び止めた。

「ええ、構わないわ。鹿目さんは何が聞きたいのかしら?」

振り向いて、まどかの言葉を待つマミ。

「……マミさんは、どうして戦っているんですか。こんなに怖いのに、あんなに危なくて、もしかしたら死んじゃうかもしれないのに」

その言葉に、弾かれたように目を見開いて、言葉に詰まるマミ。

僅かな逡巡。その顔はやがて、どこか諦観染みた笑みへと変わって。

 

「宇宙の平和のため、って言ったら。鹿目さんは信じてくれるかしら?」

「信じたい……信じたいんです。でも、だけどっ。あんなに怖くて、それだけで命を賭けられるのかなって、思っちゃって。マミさんも死んじゃうんじゃないかって思ったら、怖くて、怖くて……っ、ぐすっ」

またしても涙が、嗚咽が込み上げてきてしまう。

そんな顔を見せるのが嫌で、枕に顔を埋めてしまおうとしたけれど。

 

「鹿目さん………」

「ぁ……マミ、さ」

そんなまどかを、マミが抱きしめていた。

「私も怖いわ。戦わなくて済むのなら、戦いたくないって思うもの。格好つけて余裕ぶって、自分を奮い立たせて戦ってる」

その腕は震えていた。恐れないはずもない。どれだけの力があろうと彼女はまだ年若い少女なのだから。

バイドと戦うためのモノとなることも、戦いの宿命を受け入れることも、容易である筈がない。

 

「それでも私は、自ら望んで戦っているの。バイドは、誰かが戦わなければいけない敵だから。それに私は身寄りがないから、もし何かあっても誰かを悲しませることもないもの」

そう言って、マミは少し寂しげに笑う。

広い宇宙のその只中で、孤独一つを友にして、これからも戦い続けるのだろう。

その昏く重い道の果てで、いつか……。そんな姿が、まどかの脳裏に浮んで消えた。

「だめだよマミさん。そんなの……そんなの、悲しすぎるよ。一人で戦って、一人で死んじゃうなんて。私、私……っ」

抱きしめられた身体から、マミの孤独が伝わってくるようで。居た堪れなくて、どうにかしてあげたくて、か細い声で言葉を紡ぐ。

それをどうにかする手段が、孤独を打ち消す力がその手にある事を知っていても、どうしてもその決意は言葉にできなくて、それが悔しくて、怖くて。

 

「鹿目さん……貴女は優しい子ね。それこそ貴女には、戦いなんて似合わないわ。でも貴女がそう思ってくれるなら、覚えていてくれるなら、私はまだ戦えるわ。貴女に会えて良かった、鹿目さ――いいえ、まどかって呼んでいいかしら」

顔を上げればそこに映ったマミの顔には、もう孤独を憂う色は消えていた。

力強く、そして優しい笑みだけがそこに湛えられていた。

「はい……マミさん」

たとえ仮初でも、ほんの僅かだったとしても。自分の言葉はマミを救い得たのだろうか。

それが嬉しくて、まどかの表情も和らいでいたのだった。

 

「ありがとう、まどか」

そして、マミは静かに微笑んだ。

 

 

 

一方その頃、さやかとほむらは艦のシミュレーションルームにいた。

「すごいなー、ここ。シミュレーションルームだっけ。R戦闘機に乗って戦闘を体験できるーって言う奴でしょー?」

無数に並ぶシミュレーション装置。

R-11系列の機体のシミュレーション装置である『GALLOP』

OF系列の機体のシミュレーション装置である『イメージファイト』

R-13系列の機体のシミュレーション装置である『X-∞』

などなどと、その筋の人が見れば泣いて羨むような品揃えである。

ほかにも水中戦闘のシミュレーション装置である『海底大戦争』なども用意されていた。

 

「ちょっとやってみたいけど、動かないんだよねー、これ。後でマミさんに聞いてみようかな」

そんなシミュレーション装置の一つ一つを丹念に眺めているさやか。

「ねえ、美樹さん」

ひとしきり室内を眺め終えたほむらが、静かな声で話しかけた。

「ん、どうかした?」

「美樹さんは、バイドと戦うつもりなの?」

その言葉に、楽しそうに笑っていたさやかの表情も曇り。

 

「あー……そのこと、か。うん、正直バイドは憎いよ。あんな酷いことをして、その上まだ皆を苦しめようとしてる。許せない」

拳を握って、その拳を壁に撃ち付けながら。

「でも、戦えないよ。死ぬのは怖いし、もしあたしが死んだらみんな悲しむと思うから。悔しいけど、そこまで覚悟して立ち向かうことなんて……あたしにはできない」

悔しさに拳は震える。けれどそれでも戦えない。未知の敵への、死への恐怖は尚強い。

「……それが当然だと思う。こんな歳の子供が戦いに出るなんて、そんなの間違ってる。許されるはずがないわ」

ほむらは、少し安堵したような表情で言葉を漏らした。

 

「なんか……さ、ほむら。最初見たときから随分印象変わったよね。そっちが素なのかな?まああたしは、そういうちょっとクールなところも嫌いじゃないけどね」

「っ!?そう、かしら。……っていうか、からかわないで欲しいわ、美樹さん」

目を見開いて、すっかり取り乱しているほむら。けれどもそんなほむらに、さやかは更に追撃を加える。

「そうそう、その言い方も気になってたんだよね。美樹さん、っての。あたしだってほむらって呼んでるんだからさ、ほむらも、さやかって呼んでよ」

にっ、と口元を歪めて笑う。人懐っこい笑みが、ほむらの視線を捉えて離さなかった。

「え……でも。いいのかしら」

「あたしがいいって言ってるの!他の誰に許可取るのさ?」

びし、っと突きつけられた指先。

それを呆気にとられたように見つめて、それからくすりと笑みを零して。

 

「それもそうね。……ええと、さやか」

「ん、よしっ!改めてよろしく、ほむらっ!」

少女たちは手を取り笑いあう。

ここで終われば全ては、雨降って地固まる的ないいお話で済んでいたのだろう。

 

 

――だが、悪意(バイド)はそれを許しはしない。

 

 

部屋の中に奇妙な音が鳴り響く。

 

「アラート?何かあったの、キュゥべえ?」

「ああ、またバイドだ。今度はこの先の小惑星帯に反応が出た。このまま現地へ向かうから、出撃の準備をしておいてくれ」

「やれやれ、休ませてもくれないのね。まったく、やんなっちゃうわ」

軽く肩を竦めて笑う。その表情や口ぶりからは、幾分か力が抜けているようにも見えた。

 

「……頑張ってください、マミさん」

ベッドから身を起こし、手を差し伸べるまどか。

「ええ、行ってくるわ。すぐ片付けて戻ってくるから、待っててね」

手と手を合わせて、乾いた音が一つ鳴る。

そしてマミは戦士の顔を纏って部屋を出る。いつも震えていたはずの手は、もう震えていなかった。

「一人じゃない、誰かのために戦える。それだけで、こんなにも力が沸いてくるのね……知らなかったな」

閉まった扉に背を向けて、呟く。

そして彼女を想う者は一人ではない。アラートを聞きつけたさやかとほむらも駆けつけてきた。

 

「マミさんっ!……行くんですよね」

「ええ、バイドなんて全部やっつけてくるわ。見ていてね、美樹さん」

「はい!あたし、何もできないけど……マミさんのこと、応援してますから!」

さやかがマミの手を取り両手で握る。

想いを託して強く熱く。そこに篭っていたのは願いと敬意。

そして、隠せざるバイドへの憎悪。

 

「巴さん、どうか気をつけて」

「大丈夫よ、今の私はバイドになんて、負ける気がしないわ」

マミの顔に浮ぶのは自信。けれどもそれは、慢心のようにも映って。

「本当に、本当によ。お願いだから気をつけて。必ず戻ってきて」

「心配性なのね、暁美さんは。……でも大丈夫。油断はしないわ」

そして、少女たちに見送られ彼女は再び宇宙へと飛び立った。

眼前に臨む小惑星帯、そこに潜むバイドを討たんがために。

 

 

「小惑星帯に突入したわ、キュゥべえ。通信状態はどうかしら?」

無数の岩塊が漂う小惑星帯を縫うように、マミの機体が駆け抜けていく。

ザイオング慣性制御装置によって得られた機動性は、小惑星帯での飛行さえも容易に成し遂げた。

「通信状態は良好だ。カメラ・ビットの調子も問題ない」

カメラ・ビット、それは本来索敵機に搭載されているビットである。

情報収集の役割を果たすそのビットは、入手した情報を逐次ティー・パーティーへと送信している。

それは作戦室のモニターに映し出され、さやかとほむらが息を呑んでその動向を見守っていた。

 

「確かにバイド反応自体はあるようだけど、小惑星なんかと反応と混ざってしまっているわね。どうにもわかりづらいわ。一番大きな反応があったのはどこかしら?」

「一番大きな反応は小惑星帯のほぼ中央、岩塊の密度が薄まっているあたりからだ。恐らく、ここに住み着いたバイドの中枢だと思うな」

「じゃあ、ひとまずそれを目指してみましょうか……っ!?」

突如、機体を掠める敵弾。咄嗟に機首を巡らせていなければ恐らく直撃していただろう。

飛来した敵弾は、機首に装着されたフォースによって防がれていた。

 

フォース。それは最強の矛にして不朽の楯。

それは、R戦闘機がバイドを斃し得るモノにしているもう一つの理由。

“バイドをもってバイドを制す”その理念が形を成した姿。

このフォースを装着することで、R戦闘機はその真価を発揮する。

フォースを介した各種光学兵装や、機体後部にフォースを装着することによる後方への攻撃。

そしてフォースに蓄積されたエネルギー解放することにより、広域殲滅を可能とするΔウェポン。

フォースに加えて、人工的にフォースを生み出そうとした結果の副産物であるビットを装着した姿。

それこそがR戦闘機のフル装備であり、あらゆるバイドを殲滅する、究極の力の象徴なのだ。

 

「敵の攻撃ね。……なるほど、岩塊に偽装してたのね。道理で気付かないわけだわ」

岩塊が変貌し、リング状の機体に変わる。その中心から突き出した砲台。

岩塊に偽装したバイドの要撃生命体、リボーである。

武装も装甲も貧弱、所謂雑魚という奴である。偽装による不意打ちも敢え無く妨げられた。

そんな雑魚の辿る末路など、最早たかが知れている。

「狭いところに誘き寄せての騙まし討ち。それで勝ったつもりかしら?――見せてあげるわ、R戦闘機の、本当の戦い方をね!」

 

言葉と同時に放たれた、三筋の青い光線。

それはリボーを打ち砕き、焼き払う。それだけでは留まらない。

敵機や岩塊に接触、それを砕きながらも反射していく。そういう性質を持つ反射レーザーなのだ。

幾何学的な軌道を描いて放たれ続ける反射レーザーは、次々にリボーの群れを打ち砕いていく。

「負ける気はしないけど、これじゃ埒が明かないわね。このまま中心部へ突入するわ。キュゥべえ、ナビをお願いね」

「任せてよ、マミ。そのまま10時の方向だ」

「OK!それじゃあ一気に行くわよっ!!」

そしてまた、R戦闘機に火が灯る。

無数の光線をばら撒いて、無数の破壊を散りばめて。小惑星帯を駆け抜ける。

そもそも障害物の多い小惑星帯には、バイドも小型のものしか存在できなかったようで。

リボーやキャンサー程度の妨害しかなく。それは須らくR戦闘機に敵し得るものでもなかった。

 

「もうじき指定座標に到達するわ。……確かに比較的強いバイド反応だけど。本当に中枢かしら、中型程度の反応しか見られないわ」

小惑星帯中心部、比較的障害物の少ないその場所に“ソレ”はいた。

ソレは禍々しくも艶やかな色彩を持って漂っている。そしてソレは光を放ち……姿を変えた。

「っ!?どういうこと、バイド反応が急速に増大してる。これじゃまるでA級並みの反応よ。どうなっているの!?」

「こちらでも確認した、少なくともこの先に何かがいることは間違いないようだ。ただA級ともなると、マミでも手に余るかもしれない。敵の情報を可能な限り入手して、撃破が困難なら離脱してくれ。離脱ルートを検索するよ」

 

「いいえ、その必要はないわ。たかがA級バイドの一匹や二匹。R戦闘機ならやれるはずよ。……かつての英雄たちも、そうだったんでしょう」

マミの声は強く、自信に満ち溢れていた。

今だって苦戦することなく戦ってこれたのだ、例え相手がA級バイドであったとしてもきっと通用する。通してみせる。

「……それは否定しない、そしてマミの腕が確かなのも認める。それでも、無理だと思ったらすぐに引き返すんだ、いいね」

「わかったわ。……小惑星帯中心部へ、突入するわ」

そして機体は、小惑星帯の中心部へと向かって走り出す。

異貌の悪夢が蠢く、その坩堝と。

 

 

「マミさん……頑張って。お願い……勝って、帰ってきて」

モニターの前、さやかは両手を合わせて固唾を呑んで見守っている。

ほむらもまた、食い入るような視線でマミが描く戦闘の軌跡を追っている。

時折何かを呟いているが、その声は誰にも届かない。

「もうすぐ敵が視界に入るわ。……って、な、何なのよ…これはっ!!」

焦ったようなマミの声。そこに映し出されたものは。

「な、なな、なななっ!なんじゃありゃぁ~っ!?」

 

 

 

生理的嫌悪感を感じさせる醜悪に蠢く肉塊。

その肉体のところどころにくぱぁ、と開いた唇のような孔。

びくんびくんと脈動するたび、その孔からは体液が流れ出し

体液でぬらぬらと濡れそぼったそこから現れる、無数の節で構成された棒状の肉の塊。

もう正直やめたいがまだ続く。

 

その肉塊の名は、生命要塞ゴマンダー。間違えのないようにもう一度言っておく。

ゴマンダーである。決して濁点を取ったり順番を入れ替えたりしてはならない。

そして棒状の肉の塊の名は、防衛生命体インスルー。文字通り、くぱぁと開かれたゴマンダーの孔に

ずるずると蠢きながらインしていく。そしてまたぬるりと現れる。

蠢く肉の節からは、まさしく肉そのものといった弾が全方位へと放たれている。

その膨らんだ先端は超硬質の金属で形成され、黒光りさえ感じるような恐ろしい異形を備えている。

……まだ終わらない。

 

そして何より目を引くのは、ゴマンダーの頭頂部に聳える瞼のような器官。

瞬きの用に開かれては閉じるその奥には、綺麗にすらも見える青色が覗いている。

そしてそれを覆い隠すように、肉厚の瞼が包み込んでいるのだ。

状況説明をこれに終わる。

 

 

「え、何、これ?へ、えええっ!?」

マミは素っ頓狂な声を上げる。完全に気が動転している。

無理もない、いきなり目の前にこんな卑猥な物体が突きつけられたのだ。

熟練のRパイロットでさえ、正気を失い飛び込んでいく事例さえあるほどの代物である。

マミが受けた精神的ショックは、計り知れないものだろう。

 

「何よ、何なのこれ、こんな、こんな……ものがっ!!?」

それは恐らく、最悪に卑猥なファースト・コンタクトであっただろう。

この卑猥な物体のインパクトは、それまで考えていたことなど全て忘れさせてしまった。

あまりの異貌、あまりに卑猥。こんなものに欲情するようなものがいるとすればそれは異常である。

早急に入院の必要がある。病んでいるのは脳か精神だろう。

 

 

「……改めて見ると、また随分と卑猥ね」

だがしかし、暁美ほむらはうろたえない。

「巴さん、しっかりして。気を取り直して。敵が来るわ。その棒状の方、インスルーは胴体さえ破壊してしまえば脅威ではないわ。胴体部分を破壊すれば、そいつはゴ……げほその大型バイドの中に戻るはずよ。そこを狙って、あの露出している青い部分、コアに可能な限り接近して」

それどころか、これ以上なく適切な指示まで出し始めたのである。

 

「え?あ、暁美さんっ!?どうしてそんなことを、いきなり……?」

「いいから!死にたくなければ撃ちなさい、巴マミ!!」

語調も荒く、今まで感じたこともないような何か、覇気のようなものすら感じさせて。

「っ、は、はいっ!!」

それに気圧されてか、マミも正気を取り戻す。

インスルーが放つ肉弾をかいくぐり、反射レーザーでその胴体を焼き払う。

肉塊が焼けて崩れていくその光景は、やはり精神衛生上あまりにも悪いが、それは思考の端へと追いやって。

苛烈な攻撃に耐えかねたインスルーは、たまらずゴマンダーの中へと逃げていく。

すぐに再生されるはずだが、その隙を逃さずマミの機体がコアの直上に肉薄する。

 

「で、できたわっ!」

「上出来よ、もう大丈夫。ゴマ……その大型バイドの弱点は、その瞼の下のコアよ。そしてその周囲は、インスルーが攻撃できない絶対安全圏。そこにいる限り攻撃を受ける心配はない」

「それじゃあ、後はコアを破壊すれば……」

あまりの卑猥さ、そしてほむらの剣幕に圧倒されていたマミにも、やっと思考能力が戻ってくる。

ここは絶対安全圏。そして敵の弱点はすぐそこにある。なすべきことはただ一つ。

「そう、それで終わりよ。反射レーザーならそのままでも十分。だけど、その機体の波動砲ならもっと手っ取り早いと思うわ」

 

「……どういうことなの?」

「わけがわからないよ」

そして、置いてけぼりの一人と一匹であった。

 

 

「コアが開いたところを狙って……リボン波動砲、発射!」

くぱぁ、と開かれたその瞼に波動のリボンが突き刺さる。

閉ざすことを許されず、ぱっくりと開かれコアが曝け出されてしまう。青々と脈打ち、明滅するコア目掛けて。

「これで……終わりよっ!!」

ありったけの青い閃光が、放たれた。

声にならない断末魔を響かせながら、崩れ、爆散していくゴマンダー。

 

「やった…やったわ!A級バイドを倒したのよ!」

けれどそれは、ほとんどほむらの助け合ってのことである。

一体彼女は何者なのか、戻ったら尋ねてみようと考えていた。

 

時を同じくして、作戦室にまどかが入ってくる。

どうやらしばらく眠っていたらしい、髪に寝癖がついている。

「ごめん、さやかちゃん、ほむらちゃん。私寝ちゃってて……マミさんは?」

「マミさんなら、今丁度バイドの親玉をやっつけたところだよ!凄かったんだから、マミさんは勿論だけど、ほむらもさ」

興奮冷めやらぬ、といった様子のさやかである。

 

「ほむらちゃん?……何か、したの?」

「……それは、ええと」

やってしまったという顔で、言葉を濁すほむら。

驚きながらも、無事に終わったことを喜ぶさやか。

状況が飲み込めず、首を傾げて困惑顔のまどか。

そして一人、いや一匹、意味深げな視線をほむらに向けるキュゥべえ。

 

 

 

誰も気付けなかった。

 

 

マミの機体が機首を翻し、帰路を辿ろうとしたその背後。

崩れ去るゴマンダーの肉体が変貌し、禍々しくも艶やかな紫色の球体へと、姿を変えるのを。

勝利に浮かれるマミもまた、それに気付くことができなかった。

 

「あれは、ファントム・セル……だめよ、マミ、逃げてっ!!!」

ほむらが気付き、叫ぶ。全ては遅かった。

他のバイドに擬態する能力を持つバイド、ファントム・セル。

その肉体が発光し、姿を変えていく。

絶望の象徴たるその姿、まさに異形、まさにバイドたるその姿は。

先ほどまどかを打ちのめした、ドプケラドプスのそれだった。

 

そして、バイド反応の強烈な増大に気付いて機首を巡らせたマミの機体を

その胸部から生えたもう一つの頭が、その巨大な顎が。

 

 

 

 

――――飲み込んだ。

 

魔法少女隊R-TYPEs 第2話

       ―SEXY DYNAMITE―

          ―終―




【次回予告】

「私が……戦う!」

立ちふさがるは絶望。それを払わんがため。黄昏を齎すモノが再び宇宙を駆ける。

「ELIMINATE DEVICE……Wake Up!」

しかし、全ては遅すぎた。
躊躇いは犠牲を、犠牲は不和を生む。

「あんたのせいだ。あんたのせいでマミさんはっ!」

絶望は払われる。だがそれは救いではない。
絶望の向こうには、永く昏い灰色の道が広がっているだけで。

「………戦う。もう逃げないって決めたから」

――そして少女は、己が運命を選択する。

次回、魔法少女隊R-TYPEs 第3話
           ―RAGNAROK―


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第3話 ―RAGNAROK―

早すぎる離別。残酷な悪夢は更に少女達へと牙を剥く。立ち向かうは蘇る黄昏。
そして打ち砕かれた悪夢の向こう側で、少女達の運命は静かに廻り始めていた。


「ひぃっ……ぁ、そ、んな……」

目の前の現実を受け入れられないとでも言うかのように、目を見開いたまま何度も首を振るさやか。

「……ぁ、ぁぁ、ぁぁぁっ」

掠れた声を漏らし続けるまどか。それは間もなく悲鳴に変わるだろう。だが、悪夢はそれさえ待ちはしない。

 

「嫌っ!イヤァぁぁぁぁぁァァっ!!」

絶望に染まったマミの悲鳴が、衝撃に震える二人を打ち据えた。

「どうして!――ッで!?ナんで!?誰――助―ッ……ぃ゛や゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!」

音声さえも途切れてひび割れていく。それでもその叫びは留まることを知らず。飲み込まれなかったカメラビットは、マミの機体がドプケラドプスに喰らいつかれ、飲み込まれていく様を克明に映し出している。

「キュゥ――!!ほ―――さん!!誰か!誰カァっ!!――ヤダ、ワタシ……シニタく、ナ――」

ぐしゃりと何かが潰れるような、とてもとても嫌な音。バチバチと何かが爆ぜる音。

………もう、マミの声は聞こえない。

 

「いゃ……ああぁァっ!!マミさんっ!マミ……さんっ!」

さやかは必死に叫ぶ。届くはずもない、声を。

「マミさん!返事をしてよ、マミさんっ!!ウソだよ、こんなの絶対おかしいよっ!!」

まどかもまた、覆しようもない絶望を前に、叫ぶ。

「そんな……マミさん。マミ……っ」

一瞬の油断が招いた惨劇。その重さに、ほむらもまた戦慄に震えた。

 

「どうやら、絶望に暮れている暇もないようだ。……バイドがボクたちを探知したようだね。こちらに向かってくるよ」

そんな時でさえ、共に戦ってきた魔法少女の死を目の当たりにしてさえも、キュゥべえの声は揺らがない。そしてまだ辛うじて生きていたカメラ・ビットが、最後の映像を伝えた。

マミの機体を飲み込んだドプケラドプスがそのまま発光する。そしてその光は、再びファントム・セルの本来の姿である球状へと戻っていき、更なる変貌を遂げようとしていた。

けれどその全貌を伝えるより前に、カメラビットからの映像は途絶えてしまうのだった。

 

「この船には、バイドと戦えるような装備はない。……撤退して、近くの部隊に応援を頼めればいいんだけどな」

その様子を確認して、すぐさまティー・パーティーは転進した。戦う術がない以上、今は逃げるよりほかに術はない。

「……無理ね」

けれど、ほむらは冷たく言い放つ。

「なぜそう言い切れるんだい、暁美ほむら。キミはまるで、あのバイドのことを知っているようだ」

そんなキュゥべえの言葉に、僅かに押し黙り、やがて顔を上げると。

「ええ、知っているわ。あのバイドのことならば……きっと、誰よりもよく、ね」

どこか諦観を帯びた表情で、それでも何かを決意したような口ぶりでほむらは言った。

 

「じゃあどうするんだい、この船に他のR戦闘機は搭載されていない。例えあったとして、誰がそれでバイドと戦えるっていうんだい?」

確かにこのままでは状況は絶望的だ。ほむらは二人の泣き叫ぶ声が響く作戦室を、一度静かに見渡して。

「何の問題もないわ。――私が戦うから」

静かに、事も無げにほむらはそう言った。そして作戦室の扉を開き走り出そうとした。けれどその腕を掴む手があった。それはまどかの手で、まどかは涙をぽろぽろと零しながらほむらの手を掴んでいた。

「どこ……行くの、ほむらちゃん?ダメだよ、ほむらちゃんも……死んじゃうよっ」

その声はやはり涙混じりの声だった。きっと戦おうとするほむらの姿にマミの姿を重ねてしまったのだろう。ほむらはそんなまどかの手に自らの手を重ね、まっすぐまどかの瞳を見つめて。

 

「……大丈夫よ、もう誰も死なない。誰も死なせないから」

力強くそう言うと、眼を見開いたまどかの手から僅かに力が緩んだ隙に、扉の向こうへと駆けていくのだった。

 

 

「キュゥべえ、聞いているんでしょう」

船内を走りながら、ほむらは誰も居ない虚空に語りかける。応えるものなど居ないはずの声。だが、その声に応えるものがいた。

「ああ、聞いているよ。……気付いていたのかい?」

それは少し意外そうな調子の声。キュゥべえの姿は未だ作戦室にあるのだろうが、それでも声は届いていた。

「ええ、この規模の船を動かすのには、あまりにもこの船には人が居なさすぎる。そしてお前の存在。……お前がこの船を動かしているんでしょう?完全にプログラムに制御された船、だなんて。まるでSFね」

この時代においてすら、いかに小さな輸送艦とは言え、その航行にはやはりそれなりに多くの人手がいる。まさかマミが一人でそれを行っているとも思えなかった。

そしてこのキュゥべえという謎の生物の存在。実体を持たないその姿を見ては、それに思い至るのも無理からぬことだったのかも知れない。

 

「概ねキミの言っていることは正しい。ボクはこの船と魔法少女を運用するためのプログラムだ。……もっとも、プログラムという言い方は適切ではないけどね」

「今はそんなことを聞いている場合じゃないわ。急いでパイロットスーツを用意して、それから、格納庫のハッチを開けておいて頂戴」

事態は一刻を争う。ほむらは足早に格納庫を目指しながら告げる。

「一体何をするって言うんだい、キミは。だけどそうするより他に、この状況を乗り切る術もなさそうだ。……用意は済ませた、後は好きにするといいさ」

ほんの僅かに考えてその後、キュゥべえは艦内を操作する。

「ハッチは開放したよ。それとパイロットスーツはマミの予備を使ってくれ。サイズは少し大きいかもしれないけど、問題はないはずだよ」

「……ええ、それで十分よ」

 

 

そして、全ての用意は整った。

 

 

眼鏡を外して放り投げる。三つ編みに結んでいた髪飾りを解く。

ふんわりと、まるでその空間だけ重力が減じているかのようにその黒髪は広がって。その髪飾りを握って、囁く。

 

「ELIMINATE DEVICE……Wake Up!」

 

生体及び声紋認証によって、髪飾りから発せられた信号。その信号を辿って“それ”は現れた。主の呼び声を聞きつけ、異層次元を超えて。

パイロットスーツを着込み、格納庫の側に現れたそれをほむらは見つめ。

「もっと早く、私が決断していれば……ごめんなさい。マミ」

祈るように小さく呟いて、放たれた矢のように飛び出した。ハッチの外に覗いた宇宙空間、そこで待ち構える力を、黄昏を齎すものを目掛けて。

 

 

 

小惑星帯を無理やりこじ開けて、鋼の巨体が押し進む。かつて第2次バイドミッションにて遭遇した、高速起動戦車・ライオス。それがバイドの適応能力によって、宙間戦闘にも対応した形態。

『エアボーンアサルト』と呼ばれるそれが、小惑星の岩塊をものともせずに押し進み、ティー・パーティーへと迫っていた。

「まずいな、あれはボクの操縦じゃとてもじゃないけど振り切れない。ほむらが間に合ってくれればいいが……」

 

こんな状況下にあっても、一切キュゥべえの声にも表情にも焦りは見られない。もしやすると、端からそんなものは存在していないのかも知れない。

そしてそんな期待も空しく、エアボーンアサルトからの追尾ミサイルが放たれる。R戦闘機ならばともかく、輸送艦の機動性では回避など叶わない。

「まどか、さやか。急いでどこかに掴まるんだ!衝撃が来るよ!」

キュゥべえが告げる声にも、二人は動かないままだった。否、動けないのだ。絶望は未だ、二人の心と身体を縛り付けていた。

絶望は人の心を縛る。そしてそのまま時として、その命さえも奪ってしまう。だからこそ必要なのだ。その絶望を払うものが。

 

 

飛来したミサイルがレールガンに打ち抜かれて炸裂する。

更に続けて撃ち放たれたレールガンが、次々にエアボーンアサルトの装甲に直撃し、その動きを押し止めた。

そこに存在していたのは一機のR戦闘機。青いラウンドキャノピー、なだらかな曲線で構成されたその機体は、それは――。

 

「ラグナロック?……なぜ、そんなものがここに?」

――R-9Ø“RAGNAROK”――

それは第3次バイドミッションにおいて、バイド中枢の破壊という多大な戦果を挙げた機体。三種類のフォースに対応するコンダクターユニットを持ち、強力なメガ波動砲をも備えた、まさしくバイドを完全に排除するための除去装置とも言える機体であった。

現在でもデチューンを施されたものが一部量産されており、各所でバイドとの尚終わらざる戦いを繰り広げている。少なくともそれは、最前線に投入されているべき機体であったのだ。

 そしてラグナロックは、尚もエアボーンアサルトへと肉薄する。

「まさか…キミなのかい?暁美ほむら」

出現したその機体を見つめて、キュゥべえは小さく呟いた。

 

ラグナロックのキャノピーの下、迫る敵の巨体を睨みつけながら。暁美ほむらはそこにいた。

「ハイパードライブシステムが不安定ね。下手に撃ったら動けなくなるわ」

次々に放たれる迎撃用レーザーをこともなく掻い潜り、ラグナロックはエアボーンアサルトの唯一の弱点、装甲に包まれたコアの正面へと潜り込む。

波動砲ですらも防ぐその装甲の前では、攻撃するためにコアが開く瞬間を狙って攻撃を仕掛けるしかない。だが、ラグナロックの性能の前ではそれすらも無意味だった。

 

「メガ波動砲……食らいなさいっ!」

放たれた青白い波動の光、貫通力を極限まで強化されたメガ波動砲は、コアを守る装甲を貫きそのコアでさえも撃ち貫いて、焼き払う。

 エアボーンアサルトはその中枢を焼き払われ、活動を停止した。あれほどの巨体が、異形が、たったの一撃で沈黙したのである。

 

「あれに……ほむらちゃんが乗ってるの?でも、どうして?」

宇宙空間を舞うように飛び、光の矢を放つその姿。それを呆然と眺めながら、まどかが疑問の声を漏らす。

「それはボクにもわからない。そもそもあの機体は何なのか。暁美ほむらは何者なのか。わからないことだらけだよ」

それでも、少なくともこれで撃沈の憂き目は避けられそうだ、と。安堵の表情を浮かべてキュゥべえはそう答えた。

「何よ……それ。あいつは、最初から持ってたんじゃない。戦えたんじゃない。なのに、あんなこと……なんで」

けれど、さやかの心は穏やかではなかった。戦える力をほむらが持っていたこと、それを今まで隠していたこと。それは何故なのか、疑問と不信が降り積もっていた。

 

 

そして、エアボーンアサルトが再び発光し、ファントム・セルの姿に戻る。

「逃がしはしない。これで終わりよ」

再びメガ波動砲のチャージを開始する。このまま放てば、ファントム・セルがさらに姿を変える前に撃破することもできるだろう。

 

 

――ホムラ、サン?ドウシテ、ワタシヲウツノ?

「っ!?」

通信デバイスを介して、強制的に送り込まれた声。それは、まるで擦り切れかけたテープで再生したかのような、掠れてひび割れていて。

けれどもそれは、その声は……巴マミの、声だった。

 

ほむらの顔が驚愕で歪む。だがそれでも機体を操る手は止めない。止めてはいけないことを知っている。

だが、それでほんの僅かにタイミングがずれた。フルチャージの手前で放たれた波動砲はファントム・セルを貫通したが、その活動を停止させるには至らない。そして再び、ファントム・セルが姿を変えた。

 

 

ラグナロックとセンサーをリンクさせ、ティー・パーティーはようやく状況を知るための眼を得ることに成功していた。再び映像が映し出されたモニターには、対峙する二機のR戦闘機の姿が映し出されていた。

片やラグナロック。そして、もう片方は……。

「あれ……マミさんの」

愕然とした表情で、微かにまどかが声を漏らした。その視線の先に移っていたもの、それは――マミの乗機、ロマンチック・シンドロームの姿だった。

 

「まさか、R戦闘機にまで擬態を……っ!」

驚愕の連続、そして驚いている間もなくロマンチック・シンドロームがレールガンを放ちながら迫る。それをほむらは機体を翻して回避した。

フォースもミサイルもないR戦闘機同士の戦闘では、その武装はレールガンと波動砲に限られる。いずれも機首と直線上に並ばなければまず被弾しないようなもので、回避自体は容易ではあった。

 

――ホムラサン、アナタもワタシヲコろスノネ。ジャあアナたもワタシノてキ、タオスシカなイジゃナイ!

断ち切ることもできずに届く、聞こえるひび割れた声。耳を塞ごうにもそんな余裕すらもない。マミの声を放つその機体はバイドに心まで侵されたのか、攻撃本能を露に襲い掛かってくる。

「どうして……どうしてあの二人が戦ってるのさ!」

「キュゥべえ、どうにか止められないの?こんなのおかしいよ!マミさんが生きてたのに、なのに何で戦わなくちゃいけないのっ!」

さやかもまどかも、いずれも目の前で起こっていることが信じられなかった。自分たちを助けてくれたはずのマミが、なぜかほむらと戦っているという事実を、認めることができなかった。

「二人を止めるのはボクには無理だ。そもそもマミはもう、恐らく……」  

それに応えたキュゥべえの声は、多分に諦念交じりの声だった。

 

宇宙を切り裂き黄色の閃光が迫る。マミが放ったリボン波動砲、四方から囲い込むような軌道を取るそれを急減速でやり過ごす。そのまま錐揉み状に高度を下げて、レールガンの追撃を回避する。

その回避機動には、もはや余裕さえ見て取れた。

(狙いが甘い。反応も遅い。機動も雑そのもの。……コレはもう、巴マミじゃない)

ぎり、と歯を噛み締める。激しい感情が、怒りが胸の奥からこみ上げてくる。それは人の意思を弄ぶバイドに対するだけではなく、自分自身にも向いていた。

救えた筈なのに救わなかった、救えなかった自分自身に対しても。

 

「どこまで……どこまで人を弄べば気が済むの――バイドっ!!」

咆哮。そして回路を切り替え波動砲のチャージを開始する。メガ波動砲とは違う、もう一つの波動砲。この機体の最強の武装。

レールガンを掻い潜り、ぎりぎりまで機体を密着させてそれを放った。

ラグナロックから再び放たれる青白い光。それは機体周囲に展開し、ほぼ密着していたマミの機体を焼き払った。

爆発。吹き飛ばされて再びファントム・セルへと姿が戻る。

 

――ヤメて、ホムラさン。

「黙れ。喋るな。――ハイパードライブッ!」

機体周囲に展開した光が再び機体に吸い込まれていく。そして放たれる、数え切れないほどの波動の光。

ハイパードライブ。それは一撃必殺の威力を持つ波動砲に、連射という決して相容れるはずのない要素を付け加えた超兵器。

立て続けに叩き込まれる波動の光に飲み込まれて、ファントム・セルの姿が焼ききれていく。

 

――ヤ、め――た…ケテ。―――。

 

微かに聞こえるその声には、今は耳も心も閉ざして。そしてついに、“数多の影持つ悪夢”ファントム・セルは爆散、消滅した。

 

 

 

 

――ドウ、して?

「オヤスミ、ケダモノ」

 

二つの声が、交差した。

 

 

ハイパードライブは、既存の波動砲と比べても並ぶものがないほどの威力を誇る。だがそれは大きな代償も伴っていた。過剰なエネルギーの発生による熱暴走である。

これを回避するため、ラグナロックには緊急冷却を行うための機関が設けられている。だが、ラグナロックのそれは十分に作動していなかった。そんな機体でハイパードライブを使用すれば、どうなるか。

「オーバーヒート、機体内部の熱量が臨界点を突破。……動かなくなるくらいかと予想していたけど。このままではまずいわね」

機体内部に設置された計器の類はすべて、機体が異常加熱していることを示している。そして冷却を行うことも不可能。このままでは、辿る結果は唯一つ。内側からの熱に耐えかねて爆発。もちろん巻き込まれれば命はない。

 

「キュゥべえ、聞こえる?」

すぐさま回線を開き、ティー・パーティーへと通信を繋ぐ。

「ああ、見事な戦いぶりだったね、暁美ほむら。後でその機体のことだとか、いろいろと詳しく話を聞かせて欲しいな」

帰ってきた声にはまともに応えるつもりはない。こんな時ですらほとんど揺らぎを見せないその声は、どうにも不快だった。

「機体を破棄するわ。脱出するから回収して」

「えっ」

にべも無くそう告げて、ほむらは脱出の準備を始めた。

 

意外に思うことかも知れないが、R戦闘機には脱出機能が搭載されているものも存在する。

第2次バイドミッションにおいて、バイド帝星を破壊したウォー・ヘッドがそれを用いて地球に帰還したという例もある。

そんな脱出装置を使用して、ラウンドキャノピーを中心としたコクピットブロックが機体から分離した。

遠ざかっていくラグナロックを見つめるほむら。やがてその機体が、大きく膨らみ破裂した。

「……さようなら、ありがとう。ラグナロック」

静かに眼を伏せ、祈るように彼女は呟いた。

 

(結局、戦うことになってしまったわね。……どうしようかしら、これから)

思案に耽るほむら。その視界の端にちかちかと煌く何かが見えた。

「あれは……」

 

その後、ほむらはティー・パーティーに無事回収された。

悪夢を退けて、それでも尚船内に漂う雰囲気は、暗い。キャノピーを外してヘルメットを取り去り、束ねていた長い髪を揺らしてほむらが立ち上がる。その姿を、じっと見つめていた影があった。それは――。

「……さやか」

「気安く呼ばないでよ」

交わす言葉は冷たく、投げ掛けられたのは、拒絶。

「何よ、アレ。ほむら、あんた戦えたんじゃない。なのに、何で戦わなかったの?」

「それは……」

答えられず、口を噤んで俯くほむらに。

 

「あんたはマミさんを見捨てたんだ。あんたが戦っていればマミさんは死ななかった。あんたのせいだ。あんたのせいでマミさんはっ!」

続けざまに放たれる言葉の楔。それが次々にほむらの胸に突き刺さる。唇を噛み締めて、言葉の一つも返せずにただ、立ち尽くす。

「だめだよさやかちゃん。そんなこと言ったら……ほむらちゃん、私達を助けてくれたんだよ」

いつの間にやら追いついていたまどかが、さやかの手を取り制止する。けれどもさやかはそんな手すらも振り払って。

「……わかってる。わかってるんだよそんなこと。あいつがあたしたちを助けてくれた。あいつがいなかったらきっと、今頃あたしたちは死んでたってことくらい」

その手も、声も震えていた。さやかがどうしようもない葛藤を抱えているということが、まどかにもよく分かった。

 

「だったら、どうしてこんなひどいこと……」

「でも、だけど!それで納得できるわけないじゃない!マミさんは死んだんだ!助けられたかも知れないのに、あいつのせいで!!」

怒りに震える……否、それだけではない感情で、さやかの声も震えていた。分かっているのだ、何か事情があったのであろうことくらい。それでも納得できない。したくない。マミの命を奪ったバイドへの憎悪が何もできない自分へのふがいなさが、行き場所をなくして暴走しているだけで。

 

それに気づいて、ほむらも顔を上げる。噛み締めすぎた唇から滲んだ血を、ぐいと払って。

「ごめんなさい。本当に。本当に……っ。さやか。これを受け取って」

震えるさやかの手を取って、それを押し付けた。すぐにその手は払われたけれど、さやかの手にはそれが握られていて。

「なんだよ……え、これ、って」

それは――

 

「それ……マミさんの」

琥珀色の輝きを放つ、マミのソウルジェムだった。

「脱出したとき、漂っていたのを見つけたの。バイド汚染の反応もなかったわ。……私が持っているより、貴女たちが持っていたほうがいいと思うから。……本当に、ごめんなさい」

それだけを言い残し深く一度頭を下げて、ほむらは疲れた足取りで格納庫を後にした。後に残された、二人は。

 

「うぅ……本当に、本当にマミさんは……あぁ、ぁぁぁぁぁぁっ!!」

「さやかちゃん……マミさんは、あんなに優しくて、強くて。私たちに、いろんなことを教えてくれたのに……なのに、うぅ、うぁぁっ」

慟哭するさやか、そのさやかの肩を抱きながら、自らも嗚咽を漏らすまどか。その声はしばらく途絶えることはなく、ただ握り合った掌の中のソウルジェムだけが静かに、琥珀色の輝きを湛えていた。

 

 

 

「すごい活躍だったね、暁美ほむら」

格納庫を出て、パイロットスーツを脱ぎ捨てながら通路を歩くほむらの前にキュゥべえが現れた。

「……残念だけど、今はお前と話をしたい気分じゃないの。少し、休ませて」

それを無視して足早に通り過ぎようとしたほむらを、キュゥべえは呼び止めて。

「そうさせてあげたいのは山々なんだけど、ボクとしてもキミに話があるんだ。暁美ほむら。…………いいや、『スゥ=スラスター』」

その声に、ほむらの足は止まる。まるでさび付いたブリキ細工のように、軋むように緩慢に彼女――スゥと呼ばれた少女の首が巡る。

その視線の先では、相変わらず感情というものが一切見えないキュゥべえの顔があった。

 

「………なぜ、その名前を」

我ながら、愚かしいことを聞くものだとほむらは思う。Rに関わるものが、その秘密に触れるものが、その名前を知らないはずもないというのに。

「知っていて当然だろう?彼女は英雄だ。……まさか、こんなところで生き残っていたとは思わなかったけどね」

やはり迂闊だった、と。あの時戦ってしまったことをほむらは悔やむ。

だがどうすればよかったのだろうか、あそこで戦わなければ恐らく、自分は生きていなかっただろう。まどかやさやかもそうであっただろう。

「キミが乗っていたあのラグナロックは、正式に量産されていたものとは違う。あの波動砲を搭載していたのは、第3次バイドミッションに投入された一機だけだ」

初めから自分には、戦う運命しかなかったのだろうか。衝撃的な言葉は、まるで足元をぐらつかせるかのようで。スゥは壁に手をつき、もたれるように身を寄せた。

 

「それにあの情報が確かなら、キミのその姿にも納得がいく。ラグナロックのパイロットであるスゥ=スラスターは、幼体固定を受けてその身体を14歳の少女のそれに変えたというじゃないか」

フラッシュバック。

目が覚めてまず目に入った、やけに高い天井。手をかざすと見えた別人のそれ。やけにか細く小さくて。がやがやと騒ぎ立てる男たちの声がやけにうるさく感じられて。

そんな、今までに何度も味わってきた記憶の残滓を噛み締めて。胃の奥からせり上がってくるような苦い感触を飲み込んで。

「そこまで知っている。ということは、やはりお前は……」

 

「御察しの通り。ボクもまたTEAM R-TYPEの一員だ。ボクの場合はゲスト、という言い方の方が正しいけどね」

スゥの顔が苦々しく歪む。TEAM R-TYPE。それは、R戦闘機の開発全般に携わる研究チームのことである。人類最高峰の英知と狂気と遊び心が結集したそのチームは、数多くのR戦闘機を生み出し、今まで3度の対バイドミッションを成功に導いている。

それだけを聞けばまるで人類の救世主といったいでたちだが、その闇は底知れないほどに深い。

曰く、四肢切断やパッケージ化によるパイロットブロックの圧縮。

曰く、人命すら使い捨ての消耗品として扱うその設計思想。

曰く、ドリル、パイルバンカーを戦闘機に搭載しようとすらするその呆れ果てた思考回路

そしてついに近頃では、バイドそのものを素体とした機体すら生み出している、とも噂される。まさに、人類史上類を見ない、最強にして最凶、最悪のイカレ科学者集団である。

 

「……やはり、そうだったのね。お前は私をどうするつもり?」

「そうだね、妥当なところだと軍に引き渡すくらいだろうね。とは言え軍はキミの存在を公にはしていない。となるとその後はまた、彼らの管轄下ってところだろうね」

「なら、そうなるわけには行かない。もうあそこに戻るつもりはないわ」

そうなるのが嫌で逃げ出したのだ。戦いの終結を見届けて、自らの存在を無かったことにして。共に戦ってきたラグナロックも、異層次元の狭間に封印して。

 

「随分と嫌われたものだね、彼らも。……じゃあ提案だ」

感情のない笑みを浮かべて、キュゥべえは小さく飛び跳ねて。その拍子に、耳がふわりとスゥのほうを目掛けて揺れた。

「マミは優秀な魔法少女だった。キミが見殺しにしなければ、もっと沢山のデータをボクたちに齎してくれただろう。スゥ=スラスター。キミがマミの代わりに魔法少女になってくれるなら、ボクはキミを暁美ほむらとして扱おう」

それはつまり、軍に対してもTEAM R-TYPEに対しても、この生き残ってしまった英雄の存在を秘匿するということで。それだけの権限を、この目の前の生物は持っているということだった。

 

「結局どちらを選んでも、戦うことに変わりはないじゃない」

「そうだね、だが彼らの元で実験動物紛いの扱いを受けるのと、魔法少女として人間らしい生活を過ごすのでは随分と違うと思うけどな。これでもボクは、できる限り最大限の譲歩をしているつもりだよ」

   

どうにもならない状況、苛立ちを押さえきれず歯噛みすると、切れた唇から流れた血の味が口の中に広がって。

「……しかたない、か」

憧れていたもの、普通の人としてのささやかな暮らし。子供達の中に混ざるのは気がひけたけれど、それでもそれはきっと戦いの日々を忘れさせてくれるはずだった。

ほむらのそんな願いも、バイドと彼らの手によって敢え無く引き裂かれていった。

「やるわ。魔法少女だなんて、柄ではないけれど」

「それじゃあ契約は成立だ。キミは今日から、この船の魔法少女だ」

そして言葉と共に、キュゥべえの耳がスゥの胸元へと吸い込まれていった。

 

 

声も枯れよとばかりに泣いて、疲れ果て、一つのベッドで身を寄せ合うようにして眠るさやかとまどか。

一人部屋の中で俯いて。掌の中で煌くソウルジェムを眺め、眠れぬ夜をすごす……ほむら。

それぞれがその胸中に暗澹たる感情を抱えながら、夜と呼ばれる時間は過ぎて。そして、翌朝。

 

 

「決めたよ。あたし、魔法少女になる」

この船の食事は全て、マミが自分で用意していたらしく。しかたなく備え付けの携帯食料を齧りながら、さやかが唐突にそう切り出した。

「驚いたね。あれだけ戦えないと言っていたキミが、一体どういう心境の変化だい?」

そう尋ねたキュゥべえに、さやかは一瞬だけ躊躇うような顔をして。ぎゅっと、ポケットの中のマミソウルジェムを握り締めた。それからついに、覚悟を決めたような表情を浮かべて。

「マミさんは、ずっと一人で戦ってたんだ。みんなのために、バイドを倒すために。あたしは、そんなマミさんの想いを無駄にしたくない。あたしに戦うための力があるなら戦いたい。戦って、バイドを倒したい!」

キュゥべえの視線を受け止めて、その赤い瞳を真っ直ぐに見つめて、さやかは己が思いと決意を告げたのだった。

 

 

「……キミのその覚悟は本物かい?本当に、あのバイドと戦えるのかい?」

キュゥべえは、どこまでも無機質な顔でそう問いかけるだけで。

「………戦う。もう逃げないって決めたから」

さやかの覚悟は揺らがない。視線も同じ。そんなさやかの言葉に、まどかは隣で静かに耳を傾けながら。

「本当に戦うんだね。……さやかちゃんは」

「うん。ごめんまどか。あたしやっぱり、あいつらを放っておけない。それに悔しいんだ。このまま負けたまま、逃げたまま終わっちゃうのが」

そんな風に、迷い無く告げるさやかの姿は、今のまどかには眩しくも、けれどどこか遠い人であるかのように見えてしまった。

 

「さやかちゃん……私、ね。私も、戦えたらって思ってたんだ。マミさんみたいに、強く、格好良く戦うことが出来たら、皆を守れたらって」

ぎゅっと締め付けられるように痛む胸を押さえて、震える声でまどかの言葉は続いた。

「でも……だめだよ、できないよっ。あんな死に方なんて……私、いやだよ。怖くて怖くてどうしようもなくって。さやかちゃんが戦うって言ってるのに私、何の役にも立てないよ……ごめんね、さやかちゃん」

恐怖がまどかの心を支配していた。戦うことへの、死んでしまうことへの恐怖が。そして、それを拭い去れない自分自身へのふがいなさもまた、まどかを追い詰めていた。

 

「まどか……。ううん、まどかが気に病むようなことじゃないよ。それにさ、あたしだってそんな立派な理由だけで覚悟、決めたわけじゃないし」

色が白くなるほど強く、自分の手を握り締めて。

「憎いんだ。バイドも、力があるのにそれを使おうとしない奴も。だからあたしは戦う。そんな風には絶対にならない。バイドを倒してみんなも守る。そういう魔法少女にあたしはなってやるんだ、そして、見返してやるんだ」

ぎらぎらとさやかの目は輝いていた。

憎しみもまた、時としてとても強い力となり得る。さやかの中には、そんなドス黒い力もまた渦巻いていた。

 

 

「キミの覚悟はどうやら本物のようだね。……わかったよ」

そして再び、ほむらにそうしたようにキュゥべえの耳がさやかの胸元へと伸びて。光が、その中から零れ落ちるように生み出された。

「これがキミのソウルジェムだ。キミはこれを手にすると共に、戦いの宿命を受け入れることになる」

溢れ出る光は、青く煌く宝石の形となってさやかの手の中に納まった。その小さな宝石は見た目よりもずしりと重く、その手に圧し掛かる。

それはきっと、背負った定めの重さなのだ。さやかはこの瞬間、一人の少女が背負うには余りにも重い定めを、その身に背負うこととなるのだった。

 

 

そこへ、結局一睡もできず、疲れた表情を浮かべたほむらがやってきた。

「あ……おはよう、ほむらちゃん」

「おはよう、うわ、なんか酷い顔だね。でも、あれだけ戦ったら疲れもするよね」

まどかとさやかが声をかける。さやかも少しは落ち着いたのだろうか、随分と声は落ち着いているように見えたのだが。

ほむらは、さやかの掌に握られていたソウルジェムを見て、目を見開いた。自分のものともマミのものとも違うその色は、間違いなくさやかのものであることを示していた。

 

「さやか……貴女、まさかっ!」

「そう、そのまさかだよ。ほむら。あたしは魔法少女になった。――あたしはあんたみたいにはならない。全部守って、戦い抜いてみせる」

覚悟と、そして優越感のようなものを滲ませて。まるでほむらを見下すように、さやかは冷徹に言い放つのだった。

 

 

魔法少女隊R-TYPE 第3話

       『RAGNAROK』

         ―終―




【次回予告】
そして彼女たちは魔法少女となった。
辛い訓練や学習、時に補修に苦しめられながらも、魔法少女達は宇宙を往く。

「あたしはまだ、あんたのことを信用できない」
「それでも、私は貴女を信じる。貴女なら、やれる」

しかしまだ、彼女たちは魔法少女の持つ闇を、知らない。
その闇は、ついに形を為して襲い来る。

「愛は不滅だ。どれだけの距離も障害も、私たちを阻むことはできない」
「貴方方にもう未来はありません。さようなら、過去の魔法少女たち」

「――本物の、魔法少女?」

そして……奴らが、また。

「コロニー内部から、大量のバイド反応が!」
「うむっ、緊急連絡だ」

魔法少女隊R-TYPE 第4話
       『NO CHASER』


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第2章 永眠の都市の少女達
第4話 ―NO CHASER―


蒼く輝く新たなる力。それは誰よりも疾くこの宇宙を駆け抜ける。されどその眼前に迫り来る、異貌なる力を纏いし狂機。
狂気を孕んだ男は笑い、邪悪な狂機が牙を剥く。


死闘は続く。戦いの果てに生き残るものは誰か。
けれどそんな戦いの行方すらも嘲笑うかの様に、奴らは異形の胎動を始めていた。


「先日転校してきた暁美ほむらさんですが、手続き上の間違いがあったらしく、別の学校に通うこととなりました。暁美さんからは伝言を預かっています」

見滝原の朝。早乙女先生の声が教室に響いた。そこにざわめく喧騒は、どこかいつもと違う色に満ちていて。たった一日だけで、事件と一緒に去っていってしまった転校生のことを、何事かと噂する声がちらほらと聞こえてきた。

「それと、美樹さんがご家庭の都合で転校することとなりました。急なことで私も驚いています。まさか一度に二人もお友達が転校してしまうだなんて」

続く言葉に、教室のざわめきがさらに大きくなる。そしてそれと同時に、好奇心と疑惑の入れ混じったような、それでいてどこか腫れ物に触れるような視線が彼女の――一人、地球に戻ることとなったまどかへと突き刺さった。

 

結局、さやかとほむらは地球に戻ることはなく、そのまま宇宙で訓練や任務に就くのだと言っていた。まどかはこの件に関して口外しないことと、しばらく監視がつけられるということを説明されて、一人地球へと帰還することとなるのだった。

その道中、まどかは二度泣いた。一度目は地球に降り立ち地面を踏みしめた時。そして二度目は、無事に家まで帰り着き家族に抱きしめられた時だった。

そして今もまた、居た堪れなさや寂しさ、悲しさが混ざり合って零れ落ちそうな涙を、まどかは必死に堪えていた。

それまで当たり前だと思っていた平和が、日常が偽者であることを知って。大切な親友が、新しくできた友達が、その向こうへと行ってしまったことを実感して。まどかには、いつもの学校の景色やその喧騒が、なぜか色褪せたものに見えてしまうのだった。

 

 

 

そして、3ヶ月が過ぎた。

3ヶ月である。時間としては短すぎる。それでも、魔法少女とかつての英雄には十分過ぎるほどの時間であった。

「こちらサンデー・ストライク。リボー7、キャンサー6、タブロック2、後……なんだっけ?あのゴミ箱みたいなやつ。そいつを2つ撃破!周囲にバイド反応はないよ」

宇宙を駆けるR戦闘機。R-9K――“サンデー・ストライク”を駆って、さやかは飛んでいる。

「それはストロバルトだね、さやか。バイドに汚染された高機動清掃クラフトだ」

キュゥべえがその言葉に答える。バイドによって占拠された廃プラント。そこに巣食うバイドの殲滅が今回彼女に課せられた任務だった。

 

「高機動清掃クラフト……って、なんでたかだか掃除する機械にそんな性能つけるんだか」

半ば呆れ顔でさやかが言う。ひとまず周囲のバイドを殲滅、一息ついてまた戦いへ。

「よっしゃ!それじゃこのまま、一気に奥まで殲滅しちゃうよー!」

「その必要はないわ」

突如、割り込みの通信。見ればそこにはほむらの機体が。

「その必要はない、って……どういうことさ?」

「この先の敵は全て撃破したわ。一番奥には作りかけのノーザリーもいたから、それも一緒に破壊しておいたわ」

 

「な……っ」

絶句。さやかは未だ知らぬ事だが、さすがはかつての英雄というべきか。ほむらは極めて短時間に、極めて効率的にバイドの殲滅をやってのけたのだった。

この3ヶ月というもの、さやかは常にほむらの凄さを思い知らされていた。演習や模擬戦においても、そしてこと実戦に至っては尚更である。さやかはほむらがかつての英雄であることを知らない。ただ凄腕のR戦闘機乗りだという事実を見せ付けられているだけだった。

「まだまだね、美樹さやか。そんなことでは私には一生追いつけないわ」

そしてほむらも、それでいいと考えていた。あの日、マミが死んでしまったその日からずっと、二人の関係は刺々しいままだった。改善しようとも考えたけれども、さやかはまるで取り付く島を見せなくて。

だからほむらも、それでいいと考えてしまった。それならばそれで、憎むべき、そして追い越すべき先達としてさやかを鍛えるしかないのだろうと。そしてその目論見は見事に当たることとなる。

さやかの持つバイドへの、そしてほむらへの憎悪はさやかに生き抜く気力と、戦う力を与えていた。

 

ほむらの眼から、あえて贔屓目的な視線を外してみても、あの時のマミと同レベルまではもってくることができただろう。内心の寂寥感と満足感を同時に感じながら、ほむらは現在のさやかをそう評価する。

「んなこと言ったって、あんたの機体とあたしの機体じゃ、性能が違いすぎるんだってーの」

そう、さやかの言葉にも一理ある。ほむら現在駆る機体。それはR-13B――カロンと呼ばれる機体だった。それはフォースのバイド係数を極限まで高めた結果、非常に扱いづらくなってしまった機体でもある。

故に扱いには熟練が必要であり、ほむらにテストパイロットとしての白羽の矢が立った形であった。だが、たとえ扱いづらい機体と言えどそれはR-13A――“ケルベロス”や、名機と謳われるR-13A2――“ハーデス”の発展系、最終形とも言える機体であった。

それに比べてさやかが駆るサンデー・ストライクは、第2次バイドミッションに使用された機体であるR-9C――“ウォーヘッド”を元に量産された低コスト機であり、地球連合軍の中ですら既に型落ちの機体として認識されている、そんな機体である。

性能の差は歴然なのは事実。むしろそんな機体でこれだけの戦果を上げるさやかを、ほむらも内心では評価していた。

 

「機体の性能に頼るようでは3流ね。狙いも甘いしフォースの付け替えも遅い。そんなことではバイドに勝てはしないわ。無残に死ぬだけよ」

「ああそうですか!ったく覚えてなさいよ。戻ったらシミュレーションでボコボコにしてやるんだから!」

「そんなことを言って、一度でも私に勝てたことがあるの?貴女は」

「ぐぎぎ……」

心無い言葉を投げかけるたび、ほむらの胸がちくりと痛む。けれども必要なのだと割り切って、心を冷たい氷の底に沈めてほむらは憎まれ役を演じ続けた。

「……でも、そろそろあたしだって専用の機体をもらってもいい頃だと思うんだけどな。マミさんだって、あの時はもう……」

マミのことを思い出してしまう。美しくも力強くあの機体を駆って、単身バイドと戦っていた姿を。

(……まだ、追いつけないのかな。マミさん)

 

その姿は、さやかの中で一つの理想となっていた。ほむらがさやかをマミと同等と評価していても、さやか自身はそう思っていない。追いつこうとしても追いつけない。そんな憧れと未練をマミの姿に重ねていた。

「……実力が伴えば、嫌でもあいつらは機体を送り込んでくるわ。それがマトモな機体なら、いいのだけど」

ほむらの心配はそこだった。R戦闘機のテストパイロット。それは、正常な神経をしたパイロットなら決してやりたがらないことだからだ。理由は明快、全てはTEAM R-TYPEの仕業である。

日夜彼らによって生み出されている、人権や倫理を鼻で笑うかのような機体設計が為された試作機達。そんなものに乗らされるのだから、いつ命を落としても不思議ではない。

せめて、自分が守らなくても平気なくらいの実力を身につけるまでは身の丈にあった機体に乗るのがいいだろう。そう願い、キュゥべえに掛け合った結果がこのサンデー・ストライクであった。

 

(でも……もうこの分なら、心配いらないのかもしれない)

さやかは戦い抜いた、そして危なげなく生き残った。それほど厄介な敵は残していなかったとは言え、あれだけの敵を撃破して、だ。

「そんなキミにいい知らせだよ、さやか。キミの専用機がもうすぐ届くらしい」

そしてその思索は、キュゥべえの嬉しそうでもあり、やはりどこか無機質な声によってかき消された。

 

 

 

「これがキミの新しい機体。キミだけの為に造られた、専用機だよ」

格納庫には、全体に青いカラーリングの施された機体が眠っていた。

コクピットブロックの真下に一基、機体の背後二基のブースター。それだけに留まらず、機体の左右には旋回補助と思しいブースターが三基ずつも設置されている。異様なほどのブースターの数。それによってその機体は、一種歪とも言える形状を取っていた。

「これがあたしの、あたしだけの機体……でもこれ、なんかちょっとごつごつしてない?」

「その辺りは我慢してもらうよりほかないね、試作機だとどうしても、外観まで気を配れないことも多いんだ」

パイロットブロックのすぐ後ろに設置された砲身が特徴的なその機体。それはかつて、パトロールスピナーと呼ばれたもの。その系譜を継ぐもの。そして魔法少女に授けられる、新たな力の継承者。

 

「それでそれでっ、この子はなんて名前なの?」

その青に、すっかり心を奪われてしまったさやかが、興奮した声でキュゥべえに詰め寄る。

「R-11M3――“フォルセティ”だ」

「フォル……セティ?」

返されたその声は、あまり聞き覚えのない名前を告げた。

「“正義”と“平和”を司る神の名前らしいよ。キミの機体にはぴったりだと思うな」

「正義と平和か、へへ。何か照れちゃうな。まあ、正義と自由、なんて言われなくてよかったかな。よろしくね。フォルセティ」

親しみを込めて、むしろもう愛しさにも似た気持ちを込めて、さやかの手がフォルセティの表面をなぞる。その横顔は、まださやかが友人であった頃に見た表情とよく似ている気がして、ほむらはどこか懐かしい気分を堪えることができなかった。

 

「……よかったね、さやか」

祝福するのが正しいことか、それはわからない。この機体を手にしたということは、これからますます激しい戦いがさやかを待ち構えている。それでも今はさやかが見せたその表情が嬉しくて、聞こえないようにこっそりとほむらはそう呟いた。

「よーっし!そうと決まれば早速、乗ってみなくちゃねーっ」

「その前に、今日はこれからシミュレーターでさっきの戦闘の反省と模擬戦よ。忘れたわけじゃないでしょう?」

それとこれとは話が別、とばかりに、はしゃぐさやかにほむらは冷たく言い放つのだった。

 

 

そして、また少し時は過ぎる。

さやかは順調にフォルセティを乗りこなしていった。

フォルセティ、と名づけられたその機体。それはまさしくR-11S2――“ノー・チェイサー”の正当進化系であり、それは同時に異常な進化を遂げてしまった機体ということでもあった。

R-11系列の機体は、そもそもにして市街地などでの運用を想定し機動性や旋回性能の向上を目的に開発されたものである。その開発は武装警察などでの運用試験を経て進められ、パイロットへの耐G機構の不備などが指摘されながらも、ノー・チェイサーの開発をもって終了した。そのはずだった。

しかし、彼らの飽くなき探究心は、ソウルジェムを手にしたことによって更に暴走することとなる。更なる機動性を、更なる旋回性能を。……そして、殺人的な加速を。パイロットのことなどまるで考えていない、異常なほどの機動性と加速性能。

とどのつまり、フォルセティとはそういう機体であった。

 

そんな機体にさやかは乗り続けてる。今のところ、その身体に異常は見られない。ほむらは、逆にそれが不安だった。

「あたしも、もう大分この子の扱い方に慣れたよ。ねえ、ほむら」

「……何かしら?」

それは、突然の提案だった。一通りの訓練を終えたさやかが、ほむらに呼びかけたのだ。

「鬼ごっこ、しようよ?」

好戦的な笑みと、どこかぎらついた瞳を添えて。

 

 

「なるほど、なかなか面白いことを考えるね。ほむらがカロンで逃げ回り、さやかがフォルセティでそれを追いかける」

格納庫。装備変更と発進準備を進める機体を前にキュゥべえは、どこか面白がっているかのように呟いた。

「それで5分逃げ切ったらあんたの勝ち。あんたにペイント弾を当てられたらあたしの勝ち。そろそろ証明しようと思ってさ。機体性能さえ並べば、あたしはあんたになんか負けないって」

「随分とくだらないことを考えるのね。……でもいいわ。腕の違いって奴を教えてあげる」

そもそも、機動性という意味では今ではさやかの方が上なのだから、こんな勝負自体成り立たないのだが、だからと言って負けるつもりもない。性能だけで全てが決まるほど、この宇宙は甘くない。

それぞれが機体に乗り込んで、超高速の鬼ごっこの始まりに備えた。

「ふん、言ってろ。絶対見返してやるからねっ!」

 

「……じゃあ、先に行くわね」

そして、ティー・パーティーから放たれた信号弾を合図に、カロンが船を飛び出した。それからきっかり30秒後。

「さあ行くよーっ!フォルセティっ!!」

青い炎を撒き散らし、フォルセティが宇宙を舞った。最大出力で一気に加速すると、見る間にカロンの反応が近づいてくる。最大速度での急接近からの強襲。一撃で決める自信があった。

だからさやかは、キャノピー越しにカロンの姿を捉えて、速度を緩めることなく突撃していった。

 

「相変わらず、何も考えずに突っ込んでくるだけなのかしら」

突撃と共に放たれたペイント弾を、機体を僅かにずらしてかわす。そのまま機体を転進させ、すれ違いざまに今度はこちらからペイント弾を叩き込んだ。それは違わず命中し、フォルセティの青い機体に赤い花が咲く。

「な……っ!よくもっ!!」

思いがけない反撃に、さやかの声に怒りが混じる。

「別に、私から撃たないとは一言も言っていないわ」

平静そのもののほむらの様子が、さらにさやかの怒りを駆り立てた。

 

「くっそー……っ」

闇雲に突っ込んでいっても、ただやたらと弾をばら撒くだけでも、ほむらには届かない。ならどうすればいいのだろうかと、さやかは考える。

先ほどのほむらの機動。ほむらの機体の性能、それは自分の機体のそれよりも劣ってはいなかったか。だとしたら付け入る隙がないわけがない。例えどれだけ技量が劣っていても、足の速さと小回りならば負けはしない。

「……なら、そうするしかないよね。体力勝負だ、行くよほむらっ!!」

再びフォルセティが加速し接近してくる。

「そんながむしゃらな突撃、何度やっても……っ!?」

最小限の動きでそれをかわすほむら。しかしフォルセティは喰らい付いてきた。こちらが機体を廻らせるよりも早く転身し、再び狙いをつけてくる。

慌てて機体を加速させ、次の射撃から逃れる。しかしそれにも付いて来る。単純な足回りでの勝負なら、やはりフォルセティに分があった。故に細かな機動でかわしてやりすごす。それ自体は決して難しいことではないはずだった。

 

そんな勝負の見えているはずの追いかけっこは、意外なほどに続き。いつしか3分が過ぎていた。ほむらはまださやかを振り切れていない。

「どこまで……付いて来るっていうの?信じられない」

急旋回、急上昇、急降下。上も下もわからなくなるほどの激しい機動。その度に、ついてこられずフォルセティが離れていく。だが、次の動きに転じようとする前に既にフォルセティは背後に迫っている。

まるで息つく暇も与えないとでも言うかのように、それは執拗に迫っていた。あれだけの動きをこれだけの時間続けるなどとは、体力的にも身体への負担的にも普通では考えられない。

不安にも似た焦りが、ほむらの中で広がっていた。

 

「くそ……また追いつけない。また……でも、まだまだぁっ!!」

捉まえた!そう思った目前でカロンが急に軌道を変える。追いきれずに逸れた機体の進行方向を無理やり捻じ曲げ、尚カロンの後を追い続ける。我ながらがむしゃらなことをしていると思う。けれどこれくらいしか勝てる手立ては思いつかない。

少なくともこうしている間、一度もほむらに攻め手を許していないのだから。激しい軌道を繰り返す中で、さやかは自分の意識が研ぎ澄まされていくのを感じていた。

 

 

 

そして、そんな激しい交錯を遠めで見つめる機影が、二つ。

 

「あの二人、随分と楽しそうなことをやっているじゃないか。なあ、そろそろ私たちも混ざってもいいだろう?」

「そうね、彼女たちの動きは見せてもらったわ。あれならば私たちの敵ではないでしょう」

 

「ん、決まりだね。――さあ、行こうか。織莉子」

「――ええ、行きましょう。キリカ」

 

 

「まさかさやかがほむらにああまで喰らい付くとはね、ちょっと以外だったよ」

無人のティー・パーティー。二人のチェイスを眺めてキュゥべえが呟く。その耳がぴくんと小さく揺れて。

「……秘密通信?一体誰だい、今いいところなんだけどな」

モニターに映し出されたのは、なんともいえない奇妙な生き物。人の服を着てデフォルメされた猫、とでも言えばいいのだろうか。三毛猫のような柄に、科学者然とした白衣。それっぽい眼帯や機械風の義手まで装着している凝りようである。

「まあ、そう言うなインキュベーター。折角この私が、面白い出し物をもってきたんだぞ」

聞こえる声は、見た目とはある意味裏腹にまだ歳若い男性の声。やけにテンションは高い。

「その名前で呼ぶのは、出来ればやめてもらいたいな。誰が聞いているかわからない。それでどういうことなんだい、出し物っていうのは」

「旧式の粛清だよ。我々TEAM R-TYPEは、ついにソウルジェムの新たなる可能性を見出した。この力があれば最早今までのM型は必要ない。それどころか、バイドの殲滅すらも容易だろう」

 

どうやらこの男、あのTEAM R-TYPEの一員であるようだ。その声からは、圧倒的な狂気と自信が滲み出している。

「まあ見ていたまえ、我々の作り出したM型が、旧式の連中を粉々に打ち砕く瞬間をね」

それでも、キュゥべえの表情は変わらない。何を考えているのか、想像すらも付かないのである。

「君はもう少し驚くべきだ。君がもたらした技術が、ついに君の力を超えて進化するのだよ?少し位は感謝してしかるべきだと思うがねぇ?」

「……まあ、やってごらんよ」

ようやく呟いたその言葉は、なぜか酷くつまらなさそうな口調だった。まるで、これから起こることがわかっているかのように。

 

 

 

「ところで、その映像はなんだい?ボクとキャラが被るじゃないか」

「これかね?私の姿をそのまま映すと、君のような手合いはともかく皆がとにかく不気味がるものでね。仕方なくこの映像を映すことにしている。だがこの姿も悪くはないぞ。これはかつて日本の金沢に生息していたといわれる、ニホンカイハツヤマネコという生き物でな……」

以降、しばらくその生き物についてのまことしやかな噂が続く。何でも高度な知能を持つ生き物で、独自にゲームを開発していた、だとか。親会社の再編に際して住処を追われ、今では火星に住処を移している……だとか。眉唾もいいところである。

 

 

 

超高速の鬼ごっこは続く。追いかけ、追い縋り、その背に迫り。追いかけられ、突き放し、また追いかけられる。

制限時間の5分はもうすぐ過ぎようとしている。だが、ほむらはともかくさやかはそんなことにも気付けないほどに集中していた。そして二人の機体が激しい軌道を描き、再びぶつかり合おうとした、そのときである。

 

「「っ!?」」

二人の機体が、それぞれ間逆の軌道を描いて急旋回。そしてその二人の機体のすぐ横を、フォースが通り過ぎて行った。

 

「おやおや、避けられてしまったよ。当たったと思ったんだけどな」

「仕方ないわ、キリカ。当たらないのはわかっていたことだから」

現れたのは二機のR戦闘機。交わされたのは少女の声が二つ。

片やまさに戦闘機然としたシャープなフォルムを持つ純白。機体の左右に伸びた主翼と、その横に展開する黄色のビットが印象強い。

そしてもう一機は漆黒。装甲を強化されたキャノピーに加え機体後部に球状のレドームが設置された、所謂早期警戒機と呼ばれる類の代物で。

 

「早期警戒機に……軌道戦闘機?なぜこんなところに」

「ちょっと!一体どういうつもり、いきなり攻撃してくるなんて」

いきなりの攻撃に、警戒は緩めずに。けれど戸惑い気味に声を放つほむら。怒気の混じった声で、見知らぬ機体へと食って掛かるさやか。その声からは、さやかが消耗しているようには見えない。あれだけ激しく動いたというのにたいしたものだ、とほむらは思う。

 

「ひどいなぁ織莉子は、わかっていたのなら教えてくれればいいのに」

「あら、でもそれを言うならキリカだってわかっていたのではないかしら?」

「まあね、でもちゃんと織莉子に教えて欲しかった」

そんなさやかの声など無視して、なにやら話し込んでいる二人。その姿が、更にさやかの怒気を煽る。

「あんたたち……人の話ちゃんと聞きなさいよ!」

「さやか、あの二人は……」

「わかってる、攻撃してきたんだ、敵って言われてもおかしくない。でもなんで、バイドでもないR戦闘機があたしらを攻撃してくるの?」

混乱は拭えなくとも、さやかの思考は研ぎ澄まされたままである。だからこそ怒りに身を任せることが自殺行為であることも、この二人が敵である可能性もわかっていた。

 

「貴女たちのような古い魔法少女は、もう不要なのですよ」

「そうそうっ!これからはバイドは全部私たちが倒すから、キミたちは、安心してここでくたばっていってくれたまえ!」

問いかけに対する返事は与えられず、向けられたのは敵意のみ。そんな敵意を隠そうともせず、再び二機が迫る。

片やフォースにポッドの完全装備。片やこちらはレールガンのみ、それもペイント弾である。相手になるはずもない。

「さやか、ここは一度撤退を……」

せめてフォースでもなければ、まともに戦うことすら出来もしない。ティー・パーティーまで逃れることができれば、すぐにでも用意をしてくれるはず。だからこそここは退くべきだとほむらが言う。

 

「いいや……ここは、戦うっ!」

けれど、さやかは止まらない。迫る二機に、真正面から立ち向かおうというのだ。

「さやかっ!」

フォルセティに火が灯る。圧倒的な加速が、その機体を揺るがし突き抜けた。

「っ。キリカ!」

「OK、織莉子!」

何の合図も、ろくな通信の一つもなく。キリカの駆る黒い機体が、フォルセティの進路の前に立ちふさがっていた。

 

「ざんねん、キミの人生はここで終わってしまった!」

フォースを介して放たれる赤い光線。加速に入る一瞬の隙を突いた攻撃、こちらの動きのタイミングを把握していなければ出来るはずもない。

だが、それでも。

「邪魔……するなぁぁぁっ!!!」

さやかが吼える。そしてフォルセティは加速する。迫る光線をその身に掠め、更に速く突き進む。二機の機体が、ほぼ掠めあうように交差して、すぐさまフォルセティは機体を反転させた。

 

「予想以上に早い!?……“使う”暇も与えさせてくれないなんてね!」

「キリカ、来るわっ!」

その速度はさすがに予想外だったのか、驚くように声を上げる二人。そして、続けざまの声が飛ぶ。

「拙い、退避するよっ!!」

フォルセティのその機体の内から、静かに聞こえる共鳴音。波動砲のエネルギーがチャージされていく音だった。

「遅いよ。喰らえぇぇっ!!」

そして放たれたのは波動砲。その波動砲は無数の光弾の形を成して、二人を目掛けて飛んでいく。フォルセティには、ノー・チェイサーと同様のロックオン波動砲の強化型が搭載されている。

それは市街地などでの運用を前提とし、誤射を防ぐために敵をロックオンする機能を搭載された波動砲である。

 

「足の速い相手には、ぴったりだね……こりゃ」

キリカの機体だけでなく、織莉子の機体も同時にロック。無数の光弾を浴びせかけながら、その攻撃範囲に驚いたように声を漏らす。これで相手がただのR戦闘機ならば、それで終わっていただろう。

「いやぁ、今のは危なかったよ。でも今回はちゃんと“使う”ことができた」

「ええ、そうね。キリカのお陰で助かったわ」

そう、相手がただのR戦闘機であったのならば。

 

「な……っ」

無傷。あの無数の光弾を全てかわしきったとでも言うのだろうか。その事実に、さやかは驚いたように声を漏らした。

「でも参ったな。もう一人には逃げられてしまったよ」

「え……ほむら?」

いち早く離脱したのだろうか。ほむらの姿はどこにもなかった。愕然とした。そして何よりそう感じた自分に怒りがこみ上げてきた。ここに至っても、自分はほむらに頼っていたのか、と。

「ははは!キミ、見捨てられてしまったようだね!」

「はっ、冗談。あんな奴、端からあてにしてないっての」

嘲るように笑う声を、振り絞った強がりで跳ね返した。得体の知れない敵。そして2対1。状況は、悪いとしかいいようがなかった。

「強情で、真っ直ぐで……ですが、それだけに愚かね。人は一人では戦えない。その手を自ら振り払う貴女は……私たちには勝てません」

「言ってろ。あたしは……負けないっ!!」

それでも、さやかは諦めない。機動性ではこちらが上。もう一度あの二人を振り切って今度こそフルチャージの波動砲をお見舞いしてやる。

劣勢さえも振り切ろうと、フォルセティが再び駆け出した。

 

「なるほどね、つまりキミ達が作り出した魔法少女を、ボクの魔法少女にぶつけてきたというわけだ」

「そうとも、もっとも相手になるとは思わないがね。そう確信できるほどに我々が手にした力は大きい」

ティー・パーティー内、キュゥべえとニホンカイハツヤマネコことTEAM R-TYPEの男との通信は続いていた。

「確かに、あの二人の機体は普通じゃないね。一体何をしたんだい?」

「何のことはない。ソウルジェムを徹底的に解析した結果、その新たな可能性を見出しただけだ。それは人の精神エネルギーを変換し、科学や理論では説明できない事象を引き起こす。あえてその名を使うことを恐れないならば、それは十分“魔法”と呼ぶべき力だと思うよ。M型が扱うとすれば、随分とふさわしい名前だとは思わないかね!」

まるで自分の研究の成果を見せ付けるように捲くし立てる。その声は狂気と狂喜に震えているようであるが、それすらも受け流しているキュゥべえである。

 

「キミが我々にもたらしてくれたソウルジェムの技術は、魂を肉体から切り離すという今までにまるでなかった観点を与えてくれた。お陰でサイバーコネクトも更なる進化を遂げることができた」

「それは確かに興味深いね。一体今度は何をしでかしたのかな」

キュゥべえはひたすら聞き役に回る。この手の手合いは、適当に話を合わせていればいくらでも話を続けてくれる。色々と情報を引き出すには、とてもよい機会だった。

そしてキュゥべえは確信していた。暁美ほむらが何者であるかを知っていたから。こんなところで彼女は死ぬはずがない、と。

 

そして、その男はずいぶんに上機嫌で、さまざまなことを告げてきた。曰く、サイバーコネクト技術の進化によって生まれた新たなる技術。サイバーリンクと呼ばれたそれは、パイロット同士を電子的に接続することで互いの思考や感覚をリアルタイムで共有することができる、という確かに革新的なものだった。

とはいえ、それをそのまま用いれば搭乗者への負担が大きすぎる。故にこの技術は、ソウルジェム同士を介するという形で実現することとなった。

そうして生まれたのがあの2機であり、そのため調整を受けたパイロットが呉キリカ、美国織莉子の二人だった。

「あの二人が持つ魔法とサイバーリンク。この二つが組み合わされば最早敵などはいない。まずはキミのお抱えのM型を軽くひねって、その実力を証明してあげよう」

 

「……なるほどね、だがそう簡単にいくかな。おや、ほむらが戻ってきたね」

もう一つ開かれたモニターに、ほむらの姿が映し出されて。

「キュゥべえ、至急フォースを出して。さやかの分も一緒に牽引するわ」

切羽詰った声が一つ、ティー・パーティーに飛び込んできた。

 

「どうやら彼女たちは、徹底的に抗うようだね。……わかった、フォースを射出するよ」

(すぐ戻るから、お願いだから耐えていて、さやか)

たとえ2対1とは言え、あれだけの機動を見せたさやかならそうやすやすと落とされはしない。信じたかった。今までになく、焦りが身体を支配していた。

 

 

「随分頑張るねぇッ!でもほらほら、次行くよ。次次、次次次ぃッ!!」

「っとにもう……次次うるさいっての…ぅあっ!?」

黒い機体を駆る少女、呉キリカは次々に猛攻を繰り出し、さやかを追い詰めていく。その猛攻をどうにかやりすごし、かいくぐっていた横合いから放たれる追撃。機体を掠める黄色い光。それはレーザーではなく、実体を持つ物質で。

イエロー・ポッドと呼ばれる軌道戦闘機に搭載されたその武装は、それ自体を敵に体当たりさせる“ポッドシュート”と呼ばれる特殊な攻撃方法を持つものであった。

「そんなにキリカばかりに構っていると、私、拗ねてしまいますよ?」

白い機体を駆る少女、美国織莉子はその声色に余裕の笑みを消そうともせず。けれど的確に、冷酷にさやかを追い詰めていった。

「あーあ、織莉子が拗ねた。キミのせいだ、キミがさっさとくたばっていればよかったのにさぁ」

 

「く……っそ」

あまりに状況は悪かった。2対1という状況自体がよくない上に、こちらの攻撃はまるで当たらない。まるで撃つ前から、どこから攻撃が来るのかわかっているかのように軽々と避けていく。

速さでかき回そうにもそれがなぜか上手くいかない。あの黒の機体に近づいた時から、機体の速度が上がらない。

「どうして……動いてよ、フォルセティっ」

今のところまだ致命的な被弾は避けている。けれどもそれも、もういつまでもつかわからない。

「チャージ完了!じゃあ、これで終わりだ」

「何を……って、ロックオンされてる!?まさか……」

フォルセティに伝わる警告。それは、敵機からロックオンされていることを示していた。すぐさま回避しなくてはいけない。けれどその時間はもうなかった。

 

「察しの通り!私の機体の波動砲もキミのものと同じ、敵を捉えて逃がさないのさ。――じゃあ、さよならだ!」

放たれようとする光、思わず目を瞑り、すぐに来るであろう衝撃に身を竦ませたさやか。けれど、それは訪れることもなく。キリカの機体には、光学チェーンを備えたフォースが襲い掛かっていた。

「っとと、危ない危ない。……なんだ、キミ。わざわざ死にに戻ってきたんだ」

不意打ち気味に放たれたフォースですらも容易くかわし。キリカは、その新たな敵へと向き直る。

「……なんで、あんた。ほむら」

「どうやら……間に合ったようね」

そこには、ほむらの駆るカロンの姿があった。フォースを二つ、携えた姿で。

 

「逃げたんじゃ、なかったの?」

意外だったが、頼もしくもあった。少なくとも人格的にはいけ好かないが、それでもやはりほむらは強い。悔しいけれどこの状況をどうにか切り抜けるには、その力を借りるより他にすべはないことをさやかも良く分かっていた。

「逃げないわ。貴女が戦うというのならね。フォースを持ってきたから使いなさい。波動砲だけで戦える相手ではないわ」

「……ありがと」

牽引してきたフォースは、確かにフォルセティのものだった。すぐさま信号を送り機体を認証させ。フォースを機体前面へと呼び寄せた。

「それと、少し話しておきたいことがあるわ」

油断せず敵を見据えながら、ほむらはさやかに言葉をかける。

「話……って、今どういう状況かわかってんの?」

「わかってる。だから……そのための時間は作るわ」

一体どういうことなのか、怪訝そうにさやかは答えた。

 

「私たち相手に時間を作る?ははは、キミはジョークのセンスがあるね。……キミたちの時間は、ここで終わるんだよっ!!」

笑い声と共に迫る黒の狂機、だがその動きは急停止する。

「……なぜ止めるんだい、織莉子?」

「だめよキリカ。……やられたわ。下がりましょう」

迎撃のため放たれたアンカー・フォースを意にも介さず機体を翻す。その行動に、ほむらは違和感を感じる。それでも打つ手は変わらない。

「ドース開放……⊿ウェポン、起動」

「⊿ウェポン、って……まさかこんなとこでっ!?」

 

⊿ウェポン。フォース限界までエネルギーが蓄積された、ドースブレイク状態でのみ使用可能なフォースに搭載された最後の切り札。一度に広域を殲滅することも可能な超兵器である。

しかしそれはあくまで対バイド用の兵器であった。R戦闘機同士の戦闘では、すぐさま効果範囲から離脱されて十分な威力は発揮できない。

それでも、有無を言わさず敵を遠ざけることに成功した。

「今のうちに、さやか。ついてきて」

「……わかった」

その隙に、全速力で戦線を離脱。追っては来るだろうが時間は稼げるだろう。一目散に宇宙を駆ける二機。ほむらの機体に続いて、さやかは機体を進めていた。

 

「時間がないから、このまま逃げながら話すわ。落ち着いて聞いて。あの二人は、私たちと同じ魔法少女。……それも、どうやら本当に魔法じみた能力を持っているらしいわ」

「はぁ!?魔法って……そんなこと言われて信じると思う?」

いくら自分達が魔法少女だからといっても、それは所詮名前だけのことだと思っていた。だからこそ、そんなほむらの言葉は到底信じられるようなものではなくて。

「思わないわ。でもあの連中ならそれぐらいはやってもおかしくない。……さやか、貴女はあの二人と戦っていた。なら何か違和感を感じたんじゃない?普通ではありえない、起こりえないことを」

「………確かに、ある。でも、なんでいきなりそんなこと」

そう、確かに違和感は感じていた。けれど、それが魔法だと言われると、到底信じることはできない。ここは宇宙。R戦闘機同士が交差する、超高速の戦場なのだ。

そこにあるのは鋼の機体と交差する光。魔法なんてうわついた言葉は、あまりに似つかわしくなかった。

 

「キュゥべえが話しているのを聞いたわ」

その言葉には、ほむらが答えた。少なくともキュゥべえは、それをほむらに告げてはいない。所謂、盗聴という奴である。

「あいつ……帰ったら色々問い詰めてやらないと」

「そのためにも、あいつらを何とかしなくてはいけないわ。聞かせて、さやか。貴女があいつらと戦って感じたことを」

生き延びるためには、どうやらそうするしかなさそうだ。本当に魔法使いなんてものが相手だとしても、それでもどうにか生き延びなくてはならないのだから。

さやかは考える。

「まずあの白い方だけど、あいつはまったく攻撃が当たらないんだ。っていうか、あたしが撃つ前にもう回避してる。そんなこと、あんたできる?」

「……無理、ね。ある程度先読みで回避することはできるけど。確かにあの機体のパイロットは、さっきも私が⊿ウェポンを使うことを読んでいた」

それらの事実が推測させる事象。それはどうにも、ずいぶんと性質の悪いものだった。

 

「ってことは……もしかして」

「ええ、ということはあいつの能力は……読心だとか予知能力の類ね」

改めて聞くと、やはりそれはずいぶんとトンデモな代物だった。

「マジですか……って、そんなのどうやって戦うっていうのさ」

「方法がないわけでもないわ。わかっていても避けられない攻撃をすればいい」

「簡単に言うね、できるのそんなこと」

「流石に私も一人では難しいわ。でも二人がかりでかかれば、十分勝機は掴めるはずよ」

「二人がかり、ね。……じゃあ、あの黒い方はどうするってのさ。やりあった感じ、向こうの方ががんがん攻めて来る分面倒だよ」

それは違う。あの白い機体は攻めてこないのではなく攻めていないだけだ。攻め手を黒の方に任せているのか、それともまだ余裕があるのかわからないが。

そんな思考は今は振り切り、ほむらは言葉を続ける。

 

「では次よ。黒い方の機体。あっちはどうだった?」

「あっちは……よくわかんないんだよね。何か、あいつと戦ってると機体の動きが遅くなるんだ」

思い出しながらさやかは言う。あの感触は、どうにも言葉で説明するのは難しい。

それでも、思いつく限りの言葉でそう告げた。

「機体への干渉ね……今はどうなの?」

「今は……あ、元に戻ってる。でも本当に遅くなったんだ。そうなる前は、フォルセティなら余裕であいつら振り切れるくらいだったのにさ」

「となると、あの機体を中心に一定範囲、ということなのかしらね。……他に判断のしようもないし、そういう風に仮定しましょう」

少なくとも、今はこれ以上は考えようがない。後は、戦いの中で見定めるしかないだろう。

そうほむらは考えた。

 

「これだけ聞くと、とてもじゃないけどあたしらに勝ち目は見えないんだけど。なんとかできるの、あんた」

「……」

しばし、沈黙。

けれどそれは、すぐに言葉に取って代わる。

「やれるわ。貴女と私なら」

力強い、その言葉へと。

 

「この分ならば、もうすぐ追いつけそうね」

「まったくあいつら、あんな派手なことしといて尻尾巻いて逃げるだけか。やっぱり、私達の前に敵は居ないらしいね」

追いかける黒と白の狂機。勝利を確信して、キリカは声に愉悦を滲ませた。

「ええ、でも油断してはだめよ、キリカ。貴女に何かあったら悲しいもの」

「わかってるよ織莉子、あんな奴らになんて一発だってもらうもんか。……おや、あいつらが動きを止めたみたいだ。観念したのかな」

速度を上げて、二機一気に距離を詰めた。その向かう先には確かにカロンとフォルセティが待ち構えていた。攻撃に移ろうとしたその瞬間両機は散開。別々の方向へと飛んでいく。

 

「どうやらあちらは、一対一がお望みのようですね」

「いいよ、相手してやろうじゃないか。でもあっちのすばしっこいほうはちょっと面倒だ。織莉子、向こうは頼んでいいかい?」

「ええ、じゃああちらの相手はキリカに任せるわ。どうか気をつけてね」

「ああ、大丈夫さ。愛は不滅だ。どれだけの距離も障害も、私たちを阻むことはできない」

織莉子とキリカもそれを追い、散開する。データリンク機能を強化したR-9ER2――“アンチェインド・サイレンス”をベースとしたこの機体ならば、おおよそレーダーで捉えきれる範囲であればサイバーリンクが途切れることはない。

そして、それを超える範囲で距離を取るというのであれば、それは放置して、先に片方を片付ければいいだけのこと。負けるはずはないと確信を持って、二機はそれぞれの敵の追跡を開始した。

 

「やはり私を追ってきた。……どうか持ちこたえて、さやか」

祈るように呟いて、カロンの機首を巡らせ同時にフォースを放った。

「おおっと……危ないなぁ。キミはもう逃げるのはやめるのかい?」

キリカはこともなくそれをかわし、応じて赤いレーザーを放つ。当然、それに当たるほどほむらも易くはない。

「別に私は、逃げたつもりはないわ」

「へぇ、じゃあ今度こそ楽しませてくれるんだろうね。でもすぐに終わらせるよ。早く済ませて織莉子のところに帰りたいんだ」

向かい合い、互いに敵意を滾らせる。まさしくそれは、一触即発の状態で。

「ええ、じゃあ早く済ませましょう。……貴女の機体の残骸くらいは持って帰ってあげるわ」

「お前……ッ!!」

キリカの声が気色ばむ、その隙を縫うように再びフォースが放たれる。それをかわしたところに、フォースから伸びる光学チェーンの追撃が迫る。

 

「くっ……このっ、いい加減にっ……」

それもかわされたと見るやフォースを引き戻し背後からの攻撃。さらにフォースをつけてのレーザー照射、まさに怒涛の攻勢を仕掛けていく。

「まったく、喋る暇もくれないなん……って!キミは随分せっかちすぎる。ならば、時間は私が……創るっ!」

キリカの魔法が発動した。

牙を剥いて迫るフォースが、それに繋がる光学チェーンが、全ての動きが遅延する。幸いにも、その影響はカロン自身には及んでいない。それを見て、ほむらは自分の推測が確信に変わるのを感じていた。

 

「では、私のお相手は貴女ですか。あの子の手前、攻め手はあの子に任せていましたが……今度は私も、本気で行くわ」

そして、織莉子と対峙するさやか。ぞくりと、寒気にも似た感触が機体越しにも伝わってくる。だが気圧されてもいられない。負けられもしない。でもその前に。

「一つだけ、聞かせて」

「……いいでしょう。死に往く貴女への、せめてもの手向けです」

互いの間に流れる空気は、更に凍て付き凍っていく。そんな寒気を必死にこらえて、さやかは言葉を投げかける。

「なんで、魔法少女同士が戦わなくちゃいけないの。あたしたちの敵は、バイドなんじゃないの?」

「ええ、そうです。私たちの敵はバイドです。私達はバイドを倒すための存在です」

織莉子の声は、とても落ち着いていたもので。

    

「なら、何でこんなことっ!」

「バイドを倒すのは私たちです。だから、貴女達は必要ないのです」

「どうしてそうなるのよ。今だって沢山の人がバイドと戦ってる。協力する事だってできるはずじゃないっ!」

そんな織莉子の落ち着いた様子が、それと裏腹に容赦なく迫るその敵意と殺意が、さやかにはどうしても理解することができなかった。

「いいえ、それすらも必要がないのです。私たちがいればそだけでバイドは全て殲滅できる。それを認めさせるためにも、中途半端で古臭い魔法少女は消し去らなければいけないの」

望みはあるのではないかと思っていた。敵は圧倒的な悪意、バイド。そんな敵と戦うのに、同じ魔法少女同士で争う必要なんてない。それは正しい道理のはずだ、説得だって出来るはずだと思っていた。

けれど、彼女らは既に狂気の住人だった。ならばもう、無理やりにでも止めるしかない。

 

「……あんたら、狂ってるよ。そんなの、あたしが許さない」

迷いは消えた。絶対に止めるという覚悟と決意を載せて、正義と平和の神がその翼に火を灯す。

「っ……やはり、足回りでは勝てないようね」

圧倒的な加速と旋回性能を持って、まずは織莉子の背中を奪う。だが……撃たない。

「……撃ってこない?攻撃する未来が見えない。一体どういうこと?」

あくまで撃たず、どれだけ逃げても執拗に背中に張り付いてくるばかり。どれだけ先の未来を見ても、その景色は変わらない。それはつまり、このままでは振り切れないということも意味していた。

「私の後ろをいつまでも……退きなさいっ!」

 

R戦闘機はあらゆる角度への攻撃を可能とする性能を持っている。それは機体の背後であろうと関係ない。だがしかし、R戦闘機は機体背後への攻撃能力の大部分をフォースの存在に頼っていた。

これだけの機動をしながらでは、フォースを付け替えている余裕はない。それでもまだ、織莉子に打つ手はあった。

イエロー・ポッドが射出され、機体後方に迫るさやかを襲う。それこそが、さやかの待っていた瞬間だった。その軌道と交差するように放たれるフォルセティのロックオン波動砲。

攻撃と同時の大きな隙を突かれて、回避が一瞬遅れた。ロックオン波動砲は織莉子の機体を掠め、小さな爆発とともにその機体が吹き飛ばした。

 

「当たった!……っとぉ、危ない危ないっ」

それと同時に迫り来るポッドを何とかかわして、体勢を立て直した織莉子の背後へと

尚も執拗に張り付いた。

 

 

 

「やれる、って。何かいい作戦でも思いついたの?」

話は少し遡る。

逃げながら交わす会話。あの二機を、魔法を操る狂機を打倒しうる手段。それを求めてさやかは声を投げかける。

「ええ、貴女と私の能力、機体性能を考えると、これしか方法はないと思うわ」

曰くほむらの考えた作戦はこうである。予知、ないし読心能力を持つ織莉子に対して有効な攻撃。それは徹底的に後の先を取ること。相手の攻撃にあわせて攻撃し、相手の機動を常に追い続ける。

そしてそれができるのは、圧倒的な機動性を持つさやかのみ。それで倒せるならばよし、倒せなくとも時間は稼げる。その間に、ほむらがキリカを叩く。

 

「ようするに、あの鬼ごっこでさやかが私にしていたことをすればいい、それだけよ」

「それだけ、って……あれがどれだけ大変だったと思ってるわけ?ただでさえきついのに、攻撃避けながらなんて……できると思う?」

「やれるわ、貴女なら」

ほむらの声は、揺るがず。そして力強かった。

そして僅かな沈黙。

「それでもあたしは……あたしはまだ、あんたのことを信用できない。あんたがあいつに勝てるかどうかだってわからないし、今度もまた見捨てるんじゃないかって思ってる。……マミさんの時みたいに」

「っ!?」

さやかの言葉が、ほむらの胸を貫いた。

言い返せない。マミを見捨ててしまったのは事実。その事実が今になって殊更に重く圧し掛かってくる。けれど、それで思考を機動を止めてしまえば、待っているのはマミと同じ運命だけ。だから抗わなくてはいけない、立ち止まってはいけない。

 

「それでも、私は貴女を信じる。貴女なら、やれる」

「なんでそう言い切れるのさ、あんたはっ!」

怒鳴るようなさやかの声に、少しだけ笑みの混じった声で。

「知らなかった?さっきの鬼ごっこのとき、私は本気で逃げていたのよ」

敵が近い、もうこれ以上語ることもないだろう。それだけを告げ、ほむらは機首を巡らせ、敵を待つ。

「本気で……って、じゃあ、あの時……」

あの時確かに、自分はほむらに並んでいた。絶対的な壁だと思っていた、どうあがいても敵わなかったほむらに。

「……それ、ウソだったら承知しないからね」

なぜだか自信が満ちてきた。今なら、誰にだって負ける気がしない。そしてさやかも、迫る敵を迎え撃つ。

 

 

「何で、何で当たらないんだよっ!!」

交戦から数分。キリカの機体に被弾はない。というのも、迫る攻撃はフォースだろうとレーザーだろうと全てがその魔法によって遅くなる。そうなればかわすことなど容易にできる。

けれども、ほむらもまた被弾していない。フォースやレーザーによる攻撃を絶え間なく浴びせかけながら、返しの一手すらも撃たせない。

「まさか……見切ったって言うのかい。たったあれだけで、私の魔法の範囲を」

キリカの魔法である速度低下は、ことR戦闘機同士の戦闘においてはほぼ無敵とも言える。だがそれは完璧ではなく、効果範囲を過ぎればその効果は消滅してしまうものだった。

 

ほむらは既に、最初の交戦で光学チェーンの軌道からその範囲を見切っていた。そしてその距離から、つかず離れずの攻撃を繰り返していた。相手の集中力を削りミスを誘う。古典的な手ではあるが、相手の様子を見るにどうやらそれは有効なようだった。

「大したものだよ、キミは本当に。でも、私は負けないっ!」

急加速して迫るキリカを、その範囲に入らぬように急旋回でかわす。幾度となく繰り返されてきた光景。その中でほむらはまたしても見切る。魔法は特異。けれども腕自体は、自分には遠く及ばない、と。

ならば負けるはずはない。確実に削り、潰す。ただ、今もぎりぎりの戦いを続けているはずのさやかのことだけが気がかりだった。

 

 

 

「本当に、信じられないほどのしつこさね」

うんざりしたかのように織莉子は言う。こちらの状況は硬直していた。

撃てば撃たれるということがわかって、織莉子はそれ以降主だった攻撃を控えている。だがさやかも、振り切られることなくとことんその背中を追い続ける。

「このままでは埒が明かないわ。……キリカのことも心配だし」

サイバーリンクはキリカの焦りを克明に伝えてくる。早く行って助けなければと、焦りは募る。

「焦る必要なんてない、どれだけ時間をかけたっていい。……負けない。絶対に」

さやかは慌てない。焦らず静かに敵の背を追う。あのときほむらを追いかけたときに感じたような、精神が研ぎ澄まされていく感触。それを今もまた感じ始めていた。

 

織莉子は思う。

この機体が軌道戦闘機でよかった、と。それが可変機能を持っていることに感謝した。機体を急減速させる。フォルセティも遅れずそれに続き、機体に制動をかける。機体の動きが止まる。背後を取っている以上、それは絶好の好機。

だが、さやかはほんの一瞬だけ躊躇した。あまりにもあからさま過ぎる動きを、罠ではないかと疑ったのだ。その一瞬が、全てを決することになった。

 

軌道戦闘機と呼ばれる機体は、速度の変化に合わせた可変構造を持っている。そして、その際に生じる余剰エネルギーを機体後部に放出している。その放出されたエネルギーの炎は攻撃性を持ち、熟練パイロットの中にはそれを敵への攻撃に利用したものもいる、という記録が残されている。

「え……そん、なっ?」

視界を埋め尽くす青白い炎。反射的にそれを避けようとするも、避けきれずに炎はフォルセティのキャノピーを直撃した。

「きゃぁぁぁっ!?」

きりもみするように軌道を反らし、そして動きを止めるフォルセティ。その姿を確認し、それがこれ以上動かないことを確認してようやく、織莉子は深く安堵の吐息を漏らした。

 

「バックファイア……まさか、こんなぶっつけで使用することになるとは思わなかったわ。貴女は強敵だったわ。あと一瞬、貴女が撃つのが早ければきっと……やられていたのは私だったでしょう」

そして、彼方で戦うキリカの身を案じた。

「キリカは無事かしら……」

機能を停止したフォルセティを一顧だにせず、織莉子はキリカの元へと向かうのだった。

 

 

(そろそろね……仕掛けましょう)

こちらの戦闘はいよいよ佳境。ほむらは決着をつけようと決断する。フォースを回収。その軌道に沿うようにキリカに接近していく。

「やっと来る気になったようだね、今度こそ捉まえてあげるよっ!」

迎え撃つキリカ、それに対してほむらが切った札は。

「レールガン?今更こんなものが、通用すると思っているのかい?」

いままで使ってこなかったレールガン、しかしそれも速度低下に捉まって弾速が著しく低下する。狙い通りだった。

即座にフォースを装着、レーザーを放つ。それはキリカに届く前に、レールガンの弾丸を打ち抜いた。炸裂、その中から零れだしたものは……。

 

「なんだいこれは……まさか、ペイント弾っ!?」

先の鬼ごっこの時のまま、そこに装填されていたのはペイント弾。レーザーに炙られ、その中の特殊インクをばら撒いた。しかもそれは速度低下の範囲内。ゆっくりと広がり、拡散さえも緩慢なそれは

たとえ一瞬だとしても、キリカの動きを留めるには十分過ぎた。

「なんだ、こんなものっ!!」

それを振り払うように機首を廻らせると、そこには。

「これだけ近づけば、魔法も関係ないわ」

カロンの機首と、そこから打ち出されたアンカー・フォースが迫っていた。

 

「ッ、うあぁぁぁっ!!?」

アンカー・フォースは従来の弾幕を張るタイプのフォースとは異なり、敵に食いつき直接破壊するタイプのフォースとなっている。それはつまり、一度食いつくことさえ出来ればその後は、対象を破壊するまで逃さないということで。

「終わりよ」

「終わらない、終わらないよ……こんなことで、私の愛は…っぁぁぁぁ!!」

ぎりぎりと鉤爪状のコントロールロッドが機体に食い込んでいく。後はもう幾許もしない内に、この機体もフォースに焼かれて潰えるだろう。

(……厄介な相手だった。さやかは持ちこたえているかしら)

勝利を確信し、ほむらはさやかの元へと機首を向ける。その視線が凍りついた。

 

「その手を、離しなさい」

声と同時に、織莉子が放ったレーザーは、寸分違わずカロンを打ち抜いた。

 

 

「くっ……ぅぅ」

即座に機体の状態を確認、まだ動ける。だがそれでも、状況は絶望だった。

「ああ……織莉子、すまない。私は役に立てなくて」

「気にしなくていいのよ、キリカ。もう、これで終わりよ」

フォースの拘束から逃れ、黒煙を上げながらも敵意を向ける黒の狂機。全ての武装をこちらに向け、今にもその殺意を開放しようとする白の狂機。

「終わりだね。キミは強かったよ」

「そんな……さやかは」

「私がここにいる、ということは……語るべくもないことでしょう?」

「あぁ……そん、な」

また死なせてしまった。絶望が胸を支配する。抗いようのない絶望が、死が迫る。立ち向かう気力ももう失せていた。

 

「貴女にもう未来はありません。さようなら、過去の魔法少女」

そして……最後の一撃が。

 

 

 

「なかなか梃子摺りはしたが、どうやらそろそろ終わりのようだね」

ティー・パーティー内。

キリカの機体から送られてくるデータは、さやか、ほむらの機体が沈黙したことを示していた。ソレを声高に話しながら、彼は自らの成果に満足していた。

「そうだね、もう終わりだろう。二人とも限界みたいだ」

キュゥべえの声は揺るがない。

「おいおい、折角手塩にかけた魔法少女が今まさにつぶされようとしてるのにキミって奴は本当に薄情な奴なのだねぇ。ああ、そもそもキミに感情なんて存在していなかったのだったね」

「勘違いしないで欲しいな。終わりだと言ったのはあの二人のことじゃない。キミが用意した、あの二人のことさ」

 

 

織莉子の放ったレーザーは、明後日の方向へと飛んでいった。動けない敵を相手に外すような距離ではない。遊んでいるのだろうか。

「……?織莉子、どうしたんだ、外すなんて君らしくもない」

「ぁ……ぁぁっ。っぐ、か、ぁぁあぁっ!!」

聞こえてきたのは痛々しい苦悶の声。

「織莉子、織莉子っ!?……一体何が、っ。うぁ……っぐがぁぁぁ!!」

続けてキリカも苦しげな声を上げる。もはや機体操作すらもままならないようだ。

 

「何だこれは!?この反応は……一体どういうことだっ!!」

二機の状態をモニターしていた男は、そこから伝えられる異常に驚愕し、その原因が分からず困惑した声を上げた。

「当然の結果だよ。……ボク達は、キミが魔法と呼ぶ技術の存在を知らなかったわけじゃない。もともと、ソウルジェムを媒体として精神エネルギーを消費し魔法を行使する。それが、魔法少女の本来の姿なのだからね」

「なっ……では、なぜ最初からその技術を我々に示さなかった!我々には扱いきれないとでも思っていたのか、貴様はっ!!」

プライドを傷つけられたように、侮られたように感じて。激しい怒りを露に、男はキュゥべえに食って掛かった。

 

「それは違う。確かにキミ達ならば、魔法と呼ばれる超常の技術でさえ自分の物にしただろう。 事実、その結果キミたちは本物の魔法少女を作り出すことに成功しただろう?でもね、ソレは不安定だったのさ」

「どういう、ことだ」

「魔法を使えばそれだけソウルジェムに穢れが溜まる。そしてそれが限界を超えたとき、魔法少女はその存在を消失させる。簡単に言えば、死んでしまうんだよ」

「………そういうことか、だから貴……キミは、魔法を封印したソウルジェム技術を我々に提供した、と。そういうことか」

それでも、事実を知ればある程度の平静を取り戻したようで。幾分か落ち着いた様子で、男はキュゥべえに問いかける。

「その通りだ。魔法が使えない代わりに、安定した性能を持つ魔法少女。丁度、丈夫で消耗の少ないパイロットユニットを求めていた君たちには、まさにうってつけの存在だっただろう?」

「確かにソウルジェムは非常に有用だよ。エンジェルパックほど面倒な手入れが必要なわけでもないからね。それで、あの二人は回収できるのかい?まだ彼女たちからは回収したいデータが山ほどあるんだがね」

 

「無理だろうね。もう間に合わないだろう。そもそも彼女があの状況を放っておくとは思えないよ」

「……まったく、これでまた初めからやり直しか。あの二人はいい固体だったんだがな。サイバーリンクのテストベッドとしても、最高に近い出来だったんだぞ。まったく忌々しい」

忌々しい、と何度も未練がましく呟きながら通信は打ち切られた。

 

「どういうこと……でも、この機を逃す術はないわ」

二人の機体は完全に沈黙している。仕留めるのは容易い。……はずだったのだが。

「波動砲ユニットに損傷……撃てるのはレールガンだけ?……何の冗談かしら、これは」

そして当然、そのレールガンも中身はペイント弾である。どうやら先ほどの織莉子の攻撃は、機体に深刻な障害を及ぼしていたらしい。となると残る頼みの綱はフォースのみ。そのフォースはと言えば。

「……本当、悪い冗談ね」

暴走である。カロンの持つアンカー・フォースはバイド係数を極限まで高められている。そしてその弊害とも言うべきものが、この暴走であった。

アンカーフォースはコントロールを失って、好き勝手に暴れまわっているのである。どうしたものかと途方に暮れる。

 

微動だにしない二人の機体を一瞥。最早脅威ではないだろう。結局、また一人だけ生き残ってしまったのか。

「さやか……」

「あたしを呼んだ、ほむら?」

所在無く呟いた声に応えたのは、すこし途切れ気味ではあるが。それは確かにさやかの声だった。

「えっ……さやか、無事、だったの?」

「キャノピーに傷入って、おまけにちょっと気絶してただけ。生きてるよ、何そんな心配そうな声出してんのよ」

元気そうな声が聞こえて、本当にほむらは安堵した。かなりの苦戦、納得のいかない幕切れではあったが、勝ったのだ。

「それで、あの二人はどうしたの?ほむらがやっつけたの?」

「いいえ、むしろやられそうになったわ。でも突然二人とも苦しみだして、動かなくなった」

「何よそれ、一体どういうこと」

「わからない。……でも、推測はできる。R戦闘機は、必ずしもパイロットのことを考えて作られているわけじゃないわ。 むしろあいつらなら、パイロットの生存なんて度外視した機体を作っていても不思議はない」

 

動きを止めた二機を見つめて、ほむらは自分の考えを口にした。

「あいつら……って、あのTEAM R-TYPEって奴だっけ?」

さやかはまだ、Rの名を背負うその腐れ外道共の所業を知らない。わざわざ知ることもない。健全な精神を保ちたければ知らないほうがいい。知ってしまったものは、誰しもが口を揃えてそう言う。

それが少しだけ、さやかは気に入らなかった。

「じゃあ、あの二人はもう……」

「……まだ、一応生きてはいるようだけど」

二人の機体を見れば、まるで苦しみ悶えているかの用に不規則に機体が揺れていた。

「じゃあ、まだ生きてるんだ」

「仕留めようと思ったけど、私の機体もこのありさまよ」

武装と呼べるものはすべて失われていた。もはや反撃があるとは思えないが、とどめは刺しておくべきだろう。

 

「……ああ、そう。そりゃよかったよ」

さやかの声は微妙に冷たい。何を思ったか、さやかはフォルセティを二人の機体に近づけていく。

「あんたら、大人しくしてなさいよ。今から機体を牽引するからキュゥべえなら、きっと何とかする方法も知ってるはずだよ。……多分」

「さやかっ!貴女……自分が何をしてるかわかっているの?その二人は、私たちを殺そうとした敵なのよ?」

「何言ってんのさ、あたしの敵は……バイドだよ」

「貴女があの二人を哀れに思う気持ちも、助けたいと思う気持ちもわかる。でも、それは間違っているわ。貴女自身を危険に晒すことにもなる」

「そうやって、また拾える命を見捨てるんだ」

言外にマミのことを言っているのは火を見るよりも明らかで。ぎり、とほむらは歯噛みする。一体いつまで言われ続けるのか、責められ続けるのか。だがその恨み自体は間違いではない。責めるのは、そこじゃない。

 

「混同してはダメよ、さやか。あの二人はマミとは違う。例え今助けたところで、必ずまた貴女に牙を剥くわ」

「……あたしさ、バカだから。そういう先の難しいことまでわかんないんだよ。目の前に拾える命があって、あたしはそれに手を伸ばせる。だったら伸ばさない理由なんてない。言ったでしょ。全部守って戦い抜く、って」

静止も聞かずに、さやかは牽引の準備を進めていく。とはいえいかなフォルセティでも、二機を同時に牽引するのは困難で。

「あたしのやってることも言ってることも、間違ってるかもしれない。でも、これだけは曲げたくないんだ。これを曲げたら、あたしの戦う意味がなくなっちゃう」

それでもどうにか、不恰好に二機を後ろに括りつけてフォルセティは動き出す。速度はなかなか上がらない。

「ああ……くそ、やっぱり過積載かなー。全然スピード上がらないや。でも、お願いだから頑張ってよ。フォルセティ。今度こそ、あたしに誰かを助けさせてよ。………ねぇ、お願いだよ」

願うよう囁く。たとえどれだけ願ったところで、機械仕掛けの心は動かない。それでも、その言葉は人の心を揺らすことはできた。

 

「……さやか、貴女は本当に、バカね」

でも、それが羨ましくもあった。その有様は、やはり強情で、愚かではあった。それでもその姿は、まるでその機体が名乗る神のように気高いようにも思えてしまった。

そのひたむきさを、純粋さを守りたいと思った。でもそれは、とても難しいということもわかっていた。

「機体自体は動く。ペイロードも一機分くらいなら余裕はある。……偶には、お人好しにのってあげるわ」

勿論、そんな気持ちは素直に言えるわけもないけれど。

 

欠伸が出るほどのろのろと、宇宙を進むフォルセティ。その前にカロンが割り込んで。

「何?邪魔しないでよ。今急いでるんだ」

「急いでいるなら、せめてその大きな荷物の片方は落としていきなさい」

「冗談でしょ、あたしは命の取捨選択なんてできないってば」

はぁ、と小さなため息を一つついて。

「……捨てろなんて言ってないわ。そいつを拾っていけば、魔法とかいう奴の正体もわかる。そう、利用できるかも知れないと思っただけよ」

「へ?……あー、えっと。何言いたいのかわかんないんだけど」

「っぐぐ……」

前言撤回。やっぱりただの愚か者かもしれない。

「片方ぐらい、私が持つと言っているのよ。いいから早く下ろしなさい。……急ぐのでしょう?」

「あんた……へへ、じゃあこっち任せるよ。落とすんじゃないわよーっ」

そして、さやかが黒を、ほむらが白を背負って。二人並んで空を往く。なんだか少しだけ、ほむらへのわだかまりが、憎しみが薄れていくような気がした。

……ちょっとだけ、心が軽くなった。

やはり年頃の女の子である。誰かを憎んで生き続けるのは、何かと辛かったのだろう。

 

 

やがて二人はティー・パーティーに戻る。キュゥべえは、少しだけ意外な顔をしながらもキリカと織莉子を受け入れた。二人を救う方法も、一応ないこともないらしい。

今度こそ救えたのだと、さやかは喜んだ。ほむらも、今回は素直に喜んでもらおうと、それ以上何かを言うことはなかった。

「……ぎりぎりのところで、助けることができた。とは言えどうしたものかな、このまま素直に帰すというのも考え物だ」

キャノピーの開かれた二機の間に立って、静かに呟くキュゥべえ。その開かれたキャノピーの中には無数に蠢く機械や配線。そしてその中央に、僅かな握り拳ほどのスペースに。

 

 

――直接回路に接続された、ソウルジェムだけが煌いていた。

 

 

新米指揮官 ――の航海日誌より

 

地球連合艦隊の少将であり、偉大な提督であるジェイド・ロスが太陽系内のバイドを駆逐しバイド駆逐艦隊を率いて宇宙の彼方へ旅立ってより2年。太陽系内では、バイドによる大規模な活動は今までほとんど確認されてこなかった。

人々は、若き司令官の奮戦ぶりを想像し、平和が訪れる予感を共感していた。

……しかし近頃、太陽系内、それも地球近隣でバイドの活動が報告されるケースが増えてきている。これは何を意味しているのか、彼らはやはり、バイド中枢を討つことができなかったのだろうか。

だとすれば、バイドの攻勢はこれからますます強くなるのかもしれない。

私はそれを考えて……

 

 戦いを恐ろしいと感じた

 戦いを嬉しいと感じた

 バイドを倒せることを嬉しいと感じた

ニア英雄の身を案じた

 私は、誰も知らぬ異邦の地で戦っているのであろう英雄の身を案じた。

 どうか彼らが勝利することを、そしていつか、この星へと帰還することを願った。

 軍を辞めようかと思った

 

それはそれとして、私は太陽系内のバイドに対する対策を練らなければならない。意識を思索に沈めようとしたその時。バイド出現を告げるアラームが鳴り響いた。

「うむっ、緊急連絡だ」

 

その報せは、地球圏の全ての部隊に伝えられた。

「エバー・グリーン内部に、大型バイドの反応が確認されました。さらにコロニー周囲にも大量のバイド反応が確認されています。地球圏周辺の全ての部隊は、直ちにこの鎮圧に当たってください」

人類とバイドの最終戦争、“ラストダンス”は、今まさにその幕を開けようとしていた。

 

 

魔法少女隊R-TYPEs 第4話

        『NO CHASER』

          ―終―




【次回予告】
「じゃあ何?あたしら、とっくに死人だったってこと?」
少女はついに、一つの真実に辿りつく。
そしてそれは、もう一つの可能性を指し示す。

「何やってんのあいつ!あんなところでっ!!」
その可能性を噛み締める間もなく、新たな戦禍が地球を襲う。
出会ったのは、もう一人の少女。

「えっ……仁美っ!?」
「とにかく、作戦の内容を説明しますよ。よく聞いてくださいっ」
それと、彼女。 

「――食うかい?」

次回、魔法少女隊R-TYPEs 第5話
         『METALLIC DAWN』


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第5話 ―METALLIC DAWN―

ついに悪夢が人類に牙を剥く。されどそれに立ち向かう人類が帯びたるもまた狂気。
渦巻く悪夢と狂気の災禍、その只中で、少女は一つの選択をした。

かつての災厄の地、地球に降り注いだ悪夢の矢の成れの果て。
再び蠢き始めた悪意に、共に立ち向かうは少女達。そして一人の若き司令官。


茫洋たる大海原、その真っ只中を自由自在に駆け抜ける。

空はどこまでも澄んでいて、琥珀色の夕暮れに染まっていた。

その澄み切った空気の中、身体で風を切って進む。

照りつける太陽の光が、吹き抜ける風が心地よい。

眼下で波打つ水の煌きがとても美しい。

 

――見覚えのある場所

 

それは、とても幸せなことのはずなのに。

眼前に臨む幾つもの光、それはとても懐かしいはずの、光。

 

――見覚えのある仲間達

 

光が私の身体を焼いていく。

全てが、光の中に消えていく。

 

――だけど……なぜ?

 

 

 

 

 

 

 

「――さん、鹿目さんっ!」

「っ、はいっ!?」

見滝原、いつもの学校風景。それは授業中の一コマだった。

「今は授業中ですよ。居眠りしてちゃいけませんっ」

自分の名を呼ぶ早乙女の声に気付いて、まどかは思わず立ち上がってしまった。そんなまどかに、少しだけ咎めるような口調で早乙女は告げた。

「あ……ご、ごめんなさい」

教室が笑いで揺れる。それがとても恥ずかしくて、まどかは机に顔を伏せてしまうのだった。

 

「ふふ、まどかさんが居眠りだなんて。珍しいこともあるものですわね。 昨日は、夜更かしでもしていたんですの?」

そんなまどかに囁く声が一つ。それは仁美の声だった。

「あはは……そんなんじゃないよ、ちょっと考え事しちゃってただけ」

取り繕うように曖昧に笑んで、まどかも仁美に囁き返した。

気を取り直して授業は進む。けれどもまどかの心はどこか上の空だった。

(なんだったんだろう、あの夢……なんだかすごく、悲しい夢だった)

色褪せた日常は、いつしかまどかの中で普通になっていた。星の海の彼方で戦う二人のことを思い出し、思い悩むことは未だにあるけれどそれでもまどかはどうにか、日常に回帰することができていた。平和そうに見える日々。今日も明日も、それが続いていくのだと錯覚していた。

その裏で今日も明日も苛烈な戦いは続いているのだろう。それを知ってはいても、まどかにはどうしてもそれを実感することができなかったのだ。

 

ティー・パーティーの格納庫。そこはあたかも太陽の日の差さぬ宇宙空間のように、冷ややかな空気に包まれていた。

「どういうことよ、これ」

さやかの眼前には、先ほどまで死闘を繰り広げた二機の機体。キャノピーは開かれており、そこに見えたのは到底人が入れるとも思えないほどに、びっしりと機械や配線が張り巡らされたコックピット。

ただその中心にぽっかりと握り拳ほどの隙間があるだけで今はそこには何も収められていなかった。

 

「どういうことなのよ、これは。あいつら、一体このどこに乗ってたって言うの?」

信じられないものを見るかのように凍りついた表情で、さやかは、驚愕に張り詰めた言葉を放った。

「……ある程度予想はしていた、けれどこれは」

ほむらの声も、何処か痛みを堪えるように苦々しいもので。

「とうとう見てしまったんだね、君たちは」

驚愕すべき事実を前に立ち尽くす二人。そこへ相変わらずの無表情のまま、キュゥべえが現れたのだった。

「キュゥべえ!これは……これは一体どういうことなのよ!あんな……あんなの人が乗るようなもんじゃないよっ」

途端にさやかがキュゥべえに食ってかかる。ほむらもまた、問い詰めるような視線をキュゥべえに投げ掛けていた。

「パイロットのパッケージ化。……そういう黒い噂は聞いていた。でもまさか、実在していたなんて……」

自分自身が受けた幼体固定もまた、非人道的な所業である。そういうことをしていても何ら不思議はないと思っていた。けれどその実態を知ればどうしても、ほむらの胸中には暗澹たるものが湧き上がっていた。

 

「確かに、パイロットをパッケージ化して容量を圧縮していた事例は確認されている。でも、これはそんなものとは違うんだ。……キミたちはもう知ってしまったからね、話してあげるよ、ちょうどいい機会だ」

そうしてキュゥべえは淡々と魔法少女の真実を語り始めた。

ソウルジェムが魔法少女の魂そのものであることや、それを直接機体に接続することで操作性やパイロットの耐久性の向上を見られているということ。本来であれば魔法という条理によらない力を駆使して戦うのが魔法少女であるが、魔法を使えばソウルジェムが穢れ、最終的には死に至ってしまうということ。

 

それが全てとは言えないのだろうが、それでもキュゥべえは一通りの真実を語った。

 

「何よ……それ、それじゃああたしらの本体は、このソウルジェムって訳?じゃあ何?あたしらの身体は、とっくに死人だったってこと?」

「魂を持たない肉体を死体と呼ぶのなら、確かに魔法少女は既に死人なのかもしれない。でも考えてごらんよ、さやか。キミは生身の身体でバイドと戦い抜けると思うかい?フォルセティの機動に、生身の人間が耐えられると思うのかい?」

怒りと驚愕を露わに叫んださやかに、キュゥべえは極めて冷静に言葉を投げかける。

「っ……それは」

少しでも考えれば分かっていたことで、それは厳然たる事実であった。フォルセティのあれだけの加速性と機動性。それによって掛かるパイロットへの負荷。それに難なく耐えることができていたのは、魔法少女となったことが原因と考えれば極めて自然なことであった。

 

「でも、勝手にそんなことされて、納得できるわけないじゃない!」

「昔からずっとそうだ、事実をありのままに伝えるとキミたちは決まって同じ反応をする。訳が分からないよ。どうして人間はそんなに、魂の在処にこだわるんだい?」

さやかは何も言い返せない。ほむらもまた、黙って耳を傾ける。

「少なくとも、彼らが行っていた方法よりは随分と人道的だと思うよ。いくら魂を操る術がないからって、人の意思を司る器官だけをパッケージ化してそのまま機体と直結するなんて、随分野蛮な方法じゃないか」

「彼ら、って……そんなことまでしてたっての。TEAM R-TYPEは」

想像するだに恐ろしく、そして人道的な怒りが湧き上がってくる。その思いの赴くままに、さやかはほむらとキュゥべえを見やる。

 

「噂くらいにはなっていると思ったけどね、四肢切断を行ったパイロットを機体に直結している、と。……でも、実際はそれどころではなかったようだね」

「そんなの……狂ってる。間違ってるよ……」

許せなかった。たとえバイドと戦うためとは言え、そこまでしなければならないのだろうか。その表情にはどうしようもない怒りが滲んでいた。

「でも、そこまでしなければ人類はバイドに勝てなかった。……非人道的で許されざる所業だと思うわ。だけど私は、それを責める気にはなれない。責められたところで彼らが行動を改めるとは思わないけれど」

「ほむら……本当に、本当にそうまでしないと勝てない相手なの、バイドは」

「………ええ、それだけの敵よ。バイドは」

どこか強張ったような表情で、ほむらは静かに頷いた。そう語るほむらの脳裏には、かつてのバイドとの戦いが蘇る。

次元カタパルトで、朽ち行く幻獣の身体の中で、重金属の回廊で、おぞましき自動兵器工場で、機械と生命が入り混じる研究所で。そして、理解の範囲を超えた異次元の中で。彼女は常にバイドとの戦いを続けていた。

だからこそ、そう言えるのだ。

 

「そんな敵に……勝てるのかな、あたしたち」

「勝てない敵ではないよ。事実人類は、今までに三度バイド中枢の破壊に成功している。だけど、その度に奴らは復活を遂げている。以前より更に力を増してね」

聞くところによると第2次バイドミッションが一番の激戦であるという話も聞くが、バイドを全体として見れば、復活の度にその勢力は増していると言わざるを得ない。

バイド討伐艦隊により太陽系からバイドが駆逐された後も、人類は太陽系へ侵入を試みるバイドや、既に侵入を果たしていたバイド達との戦いを繰り広げ続けている。そのために、人類の叡智も暴走を続けているのである。

「じゃあ、本当にバイドを全部やっつけるのって、無理なのかな……」

改めて認識する、バイドという敵の強大さ。まるで打ちのめされたかのように、さやかの声にも力がない。

 

「……認めない」

「……?キュゥべえ、今、何か……?」

聞こえた呟き、そしてほんの一瞬だけキュゥべえの顔が曇ったような気がした。そんなところは見たことがなくて、ほむらは怪訝そうな表情を浮かべた。

「何でもないよ。確かにバイドは強大で、その殲滅は容易じゃない。それでもボクたちは戦い続けなければいけないんだ」

次の瞬間には、何時ものような感情の読めない表情で平然と言葉を継げていた。その変化に、ほむらも何か心に引っかかるものを感じないわけではなかったが、得体の知れない彼とてバイドに対する憎しみはあるのだろうと、そう納得しておくことにした。

 

「そうしなければ、人類に未来はないのよ。バイドを本当の意味で根絶するために、彼らは残虐非道と罵られようと異端の研究を続けているのだと思うから」

その行いの是非はともあれ、成果は認めなければならない。彼らの狂気こそがR戦闘機をバイドと戦うための力たらしめているのだから。

(実際のところ、知的好奇心の暴走としか言えないような連中ばっかりなんだけどね)

もちろん、それでも連中が人権や倫理をバイドに漬け込んで実験に使うようなロクデナシの狂人であることは事実であり、キュゥべえは内心でそうも呟いていた。

「………そっか。うん、まあ……そうだよね。たとえこの身体がもう死んでたって。それでも、あたしはバイドを倒す正義の魔法少女だ。それさえ変わらなければ、きっと、大丈夫」

胸中に渦巻く複雑な思い。理不尽な状況に対して怒る気持ちはもちろんある。けれども眼前で蠢くバイドという、悪意をもった理不尽の塊はそんなものを気にかけていられないほど、少なくとも今は忘れてしまえるほどに大きかった。

 

「それで、結局あの二人はどうなったわけ?助かったんでしょ?そこにソウルジェムがないってことは、どこかに保管してあるとか?」

「ああ、あの二人なら勝手に暴走して死なれても困るからね、とりあえず隔離してあるよ。魔法も一応封印しておいたから、別に心配はいらないと思うけどね」

「魔法、かぁ。……そんなとんでもない力があったら、バイドだって一気にやっつけられるのかな」

思い描くのは戦闘の最中、二機が見せた超常の力。負けてしまったことが悔しくて、バイドの強大さが恨めしくて。もっと力があればいいのに、そんな魔法が使えたらいいのに、と思ってしまっている自分をさやかは感じていた。

「お勧めはできないな。ソウルジェムの穢れは艦の設備を使わなければ除去できない。戦闘中に魔法を使い続ければ、あっという間にソウルジェムが穢れきって死んでしまうよ。たとえ魔法があったとしても、それでバイドを殲滅することができるかといえば、それもまた難しい話だ」

そんなさやかを制するように、静かに首を振りキュゥべえは答えるのだった。

 

「なんでよ……魔法ってのは何でもできちゃうから魔法なんじゃないの?」

少なくともさやかの抱くイメージはそういうものだった。そしてあの二機が繰り出した力の巨大さは、十分にバイドという敵に対しても有効なのではないかと思われた。

「魔法、という言葉を使ってはいるけどね、結局これはボクたちが生み出した技術なんだ。生物の精神エネルギーを変換して、物理法則に因らない現象を引き起こす技術。だから、どんな不可能だって可能にできるというわけじゃない」

ぴくり、とキュゥべえの耳が揺れて、その瞳がすぅ、と細められ。

 

「一体、どれほどの技術が詰め込まれているのだろうね。バイドには。魔法や超常の科学を持ってしても未だに殲滅し得ないほどの生命力と進化性。正直羨ましくもあるよ」

表情らしきものは見えないが、キュゥべえの口調にはどこか懐かしむような、それでいて悔やむような色が見えた。ほむらはそんなバイドの恐ろしさ、強大さを良く知っていた。

「バイドの持つ能力は、お前達のもつ力よりも勝っていた。そういうことなのね」

だからこそほむらはその言葉を放った。

 

「そういうことさ。……もっとも、そんな道理を捻じ曲げてしまうほど、膨大な魔力の持ち主ならば話は別なんだろうけどね。今のところ、それほどの魔力を持った魔法少女は見つけられていない。残念だけど」

結局、改めてバイドの強大さを知らされることとなり、誰もが言葉も告げないままで。

「……納得できないし、色々と許せないことはあるけどさ。今は飲み込んでおく。バイドを全部きれいさっぱり片付けてから、きっちり問い詰めてあげるからね。覚悟しときなさいよ、キュゥべえ」

語調は明るく、ちょっとおどけてさやかが言う。無理しているであろうことは容易にわかる。それでもその明るさは、不安が立ち込める艦内の雰囲気を少しでも晴らしてくれたのだろう。

「じゃあさ、あたしちょっと部屋戻ってるよ。なんか疲れたし。機体も傷つけちゃったし、こりゃ修理が必要かなー」

 

呟きながら、格納庫を後にするさやか。残されたほむらは、今はもう表情の読めないキュゥべえに問いかける。

「一つだけ、いいかしら」

「なんだい、ほむら?」

今の話を聞く限り、どうしてもこれは明らかにしなければならない。ほむらはその疑問をキュゥべえに投げかけた。

「R戦闘機にはソウルジェムだけが乗っていた。その間、私たちの肉体はどうなっているの?私たちの肉体は、ソウルジェムから少し離れただけでも死体に戻ってしまうのでしょう」

「ああ、そのことか。勿論その間身体はちゃんと保存してある。一種のコールドスリープって奴かな。大丈夫、心配することはないさ。百回繰り返しても人体への影響が出ないのは確認済みだよ」

それはつまり、そういうことをされた被験体がいたということで。相変わらず、彼らの抱える闇の深さにまず辟易、そして。

 

「なら、巴マミの肉体は」

「保存はしてある。なかなか陸に降りる機会がなかったからね。埋葬をする暇もない。仮死状態のまま、身体だけは綺麗に保たれているよ」

「そう……わかったわ」

目を伏せ、僅かに沈思。

すぐにそんな思索を打ち切って、ほむらも続けて格納庫を後にした。

 

 

「たとえどんな手を使っても、どれだけの犠牲を払っても、バイドは倒さなくちゃいけないんだ。この宇宙のためにも、ボクたちが使命を達成するためにも、ね」

一人残されたキュゥべえは扉に背を向けたまま呟いて、そしてその半透明の姿が掻き消えた。

 

 

 

小さく音を立てて、部屋の扉が開く。灯りのない部屋の中、小さく煌く小さな光。琥珀色の輝きを放つ、マミのソウルジェム。灯りをつけるのも忘れて、真っ直ぐにその灯りに手を伸ばして、さやかは。

「本当に、これがマミさんの魂だって言うの……?信じられない。だけど……これがマミさんだって言うなら……あたしは」

そのままベッドに横になり、掌の中の輝きをじっと見つめている。そこへ鳴り響くブザー音。

「私よ、入ってもいいかしら」

「っていうか、鳴らして入ってくるのなんてあんたくらいしかいないでしょ。……ほら、開けたよ」

枕元のパネルを弄って、扉を開けて灯りもつける。部屋が明るくなったと同時に、ほむらが中へと入ってきて。

 

「お邪魔するわ」

「珍しいね、あんたがあたしの部屋に来るなんてさ」

ベッドから身を起こし、縁に腰掛けさやかは軽く手を上げた。その表情には以前まで存在していたどこか冷たい雰囲気は存在していなかった。自然にほむらにそう接することができていたのが、さやかには少し不思議だった。

「……話しておきたいことがあったから」

「そっか。……実はさ、あたしもあんたに話したい事があったんだ」

二人はそのまま顔を見合わせた。どちらともなく小さな笑みが零れて。

「そう。じゃあ、貴女から先に」

「いやいや、ここはあんたから先に……ってやってたら、話は進まないか。んじゃ、あたしから先に話すよ。実はさ……」

 

言葉を切り出そうとした刹那、艦内に鳴り響くアラーム。そして続けて響く声、それは地球周辺宙域に強制的に流された音声通信によるもので。

「エバーグリーン内部に、大型バイドの反応が確認されました。さらにコロニー周囲に、大量のバイド反応が確認されています。地球圏周辺の全ての部隊は、直ちにこの鎮圧に当たってください」

その声は、新たな戦いの幕開けを告げていた。

 

「っ!?エバーグリーンから、バイドが……そんな」

「エバーグリーンって……地球に墜落したあれだよね。そんなところからバイドが……これ、どう見たって一大事でしょうがっ!!」

思わず愕然とするほむら、そして更なるバイドの暴虐に怒りを露わにしたさやか。

「どうやら、話をしていられる状況ではないようね」

「うん、とにかく一回、キュゥべえに事情を聞いてみよう。話の続きは……後で」

二人はもう一度顔を見合わせ、一つ頷くと連れ立って部屋を出て行くのだった。

 

 

「エバーグリーン……まさか、まだあそこにバイドが根付いていただなんてね。しかしこの位置はまずいな。こんなところからバイドが湧き出たら……」

「キュゥべえっ!!」

モニターに移る、めまぐるしく移り変わる地球の情勢。それをブリッジで眺めていたキュゥべえの元に、さやかとほむらが飛び込んできた。

「来たね、さやか。それにほむらも。見ての通りだよ。かつてバイドの手によって地球に墜落したコロニー、エバーグリーンから再びバイドが現れた」

「おかしな話ね、あのコロニーは事故以来、ずっと軍の管理下に置かれていたはずなのに」

「そうだね、確かにこんなこと普通じゃ考えられない。でも今は、そんなことを考えている場合じゃないようだ。大切なのはバイドが地球に出現した。それだけだよ」

モニターからは、かつて南太平洋上に墜落し今もそのままの姿が残るエバーグリーンから、無数の飛行物体が出現している姿が見て取れた。周囲に飛散していくそのバイドの群れを、駐留していた地球連合軍の部隊が必死に迎撃している。

しかしその数の差は圧倒的で、遠からぬ壊滅を免れないであろうことは誰の目にも明らかだった。

 

「地球にそんなやばいバイドが現れたってなら、あたしらだってすぐにでも駆けつけないと!行こうよ、地球に!」

「軍があれほど急な緊急通信を送るんだ。状況はかなりよくないんだろうね。きっとかなり大規模な作戦になる。ボクたち程度の部隊が参加したところで、どうなるとも思えないけどな」

それでも地球連合軍の部隊は必死に踏みとどまり、戦闘領域を離脱しようとするバイドを食い止めていた。この海洋上でバイドを逃せば、どれだけその汚染が広がるかは予想もつかない。それになにより、ここで耐えればいずれ必ず援軍は来る。そう信じていたのだろう。

「……私も、あまり大規模な部隊での行動は慣れてないわ」

というよりも、ほむらの心配は自分の素性が誰かに知れることだったのではある。けれど団体行動が向かないというのも事実だった。単機突攻による敵中枢の撃破。それこそが彼女の本来の戦い方だったのだから。

 

「それに、作戦に参加しようにも動かせる機体がない。カロンは武器系統がやられているし、フォルセティも万全とは言いがたい」

「っ……それは。で、でもっ!あの二人の乗ってた奴があるじゃん!あれに乗れば、行けるんじゃないの?」

「正気かいさやか?あれにはどんな改造がされているかボクにだってわからないだよ。そもそもあの二人以外に動かせるのかすら定かじゃない。命を粗末にするつもりがないならやめておくべきだよ。ボクもみすみす魔法少女を失いたくはない」

「そんな……じゃあどうしろってのさ!黙って見てろってわけ?出来るわけないでしょ!」

厳然たる事実がさやかを打ちのめした。無力に震えながらも、それでも何かできはしないかとさやかは訴える。声を限りに、これだけは譲れないと。

地球には守りたいものがある、守りたい人がいる。それを壊そうとする敵と戦うことが出来ないなんて、そんな事があっていいはずがない。

「……フォルセティで出るよ。キャノピーにちょっと損傷があるだけ、大したダメージはないはずだよ」

「さやかっ!まずは落ち着いて。そんな浮き足立った状態で出ても何にもならない。それに、フォルセティはこれ以上戦闘を続けられるような状態じゃないわ。自分の機体の状態くらい、わかっているはずでしょう」

今にも駆け出そうとするさやかを、ほむらは必死に引き止めた。このまま行けば間違いなく自殺行為である。これ以上、魔法少女を見殺しにすることはほむらにはできなかった。

「っ。わかってる、わかってるけど……でも、だからってどうしたらいいのよ!」

「今できることといえば、速やかにどこかのドックに寄港して機体を修理するしかない。その後で、できる限り速やかに地球に向かう。ボクに考えうる最善の方法だよ、これは」

 

「そんなの……そんなの認められない。何か方法があるはずだよ、何か……何か」

“どうやら、お困りのようだね”

それは突然に、艦の回線に割り込んでやってきた声だった。

「っ!?今の……何?」

「キミは……まだ居たのかい?」

その声は、先ほどの戦闘の最中キュゥべえと話していた男の声で。キュゥべえがその声に応じると同時に、モニターには再びあの猫のようなキャラクターが浮かび上がった。

「何、二人の反応がまだ消えていなかったのでね、しばらくそちらの様子を伺っていた。すると、なにやら面白そうな話が出てきたじゃあないか。なあ、そこのお嬢さん?」

「あ、あたしっ?」

声をかけられ驚いたようにさやかが答える。ほむらと言えば、その画面には目を合わせないように、部屋の隅からキュゥべえに恨みがましい視線を送っていた。

 

「そうだ、聞くところによると……キミは戦える機体が欲しいそうだね?」

「それは、欲しいけど……まさか、そっちにあるの、あたしに動かせる機体」

途端にさやかの顔が張り詰め、今にもモニターに食って掛かっていきそうで。

「もちろんだとも。我々の方で使えなかった試験機が、まだ残っているよ。キミがその試験運用もかねて地球へ向かってくれるというのなら……」

「彼女はボクの管轄だ。あまり、勝手な口出しはして欲しくないものだね」

彼の言葉を遮って、キュゥべえが告げる。

「ではどうするというのだね?他に方法なんてないはずだ。……選ぶのはキミだよ、美樹さやか」

その声は酷く楽しんでいるようで、あたかも笑っているかのようにさえ聞こえる。相変わらずテンションは高い。

 

「何で、あたしの名前……」

「魔法少女を扱う私が、そのパーソナルデータを知らないはずがないだろう?さあ、決断したまえ美樹さやか。我らと手を取り戦うか、それともその奇怪な生き物に踊らされて指をくわえて見ているか……だ」

 

「………っ」

見ていられない。とほむらは歯噛みする。このままならばさやかは間違いなくその手を取るだろう。その先には、あの二人に訪れたような破滅があるであろうことは想像できる。せっかくできた……そう、仲間と呼べるような相手をそんなことに巻き込ませるわけにはいかなかった。

「だめよさやかっ!……お願いだから落ち着いて。お願いだから……今は待って、さやか」

モニターを前に、悩むさやかのその手を取って。泣きそうにも見えるような表情で、ほむらはさやかに訴えかけた。

 

「キミは誰だね?今私は彼女と話をしているんだよ。邪魔はしないでもらいたいな」

「黙りなさいっ!……お前達のやろうとしていることなんてわかってる。さやかを、そんなことに巻き込ませるわけにはいかないのよ!」

そのままさやかとモニターの間に割って入り、ほむらは言葉を続けた。

「わかっている、だと?……笑わせる。キミに我々の何がわかるというのだ」

不意に、男の口調が低くなる。どこか底冷えのする声へと変わっていた。

「我々はバイドを倒し、人類を救うためにこうしているのだよ?それをそこまで悪し様に言うキミは、一体人類のために何ができているのだね。人類の存亡と、ちょっとした犠牲。天秤にかけるまでもないことじゃないか」

どこまでも傲慢に、そして嘲るような口調で男は言葉を続けた。

 

「戦った。……戦って、戦って戦って戦い抜いた!」

投げかけられる辛辣な言葉に、ほむらの思考は赤熱する。その言葉が自分の身を危うくするとわかっていても止められなかった。あの壮絶な戦いを。全てを背負って一人戦いぬいた日々を。それを背負っているからこそほむらは怒り、その言葉を止めることが出来なかったのだ。

「お前達のせいでふざけた身体にされて!最悪の戦地へ送り込まれて!一人で……一人で戦って。戦い抜いて……生き延びて……っ!!」

その剣幕に圧されたように、一瞬彼は押し黙り、それから。

「……面白いことを言う。キミは、一体何者だ?」

 

「っ!?」

そのやけに落ち着いた彼の声にほむらは我に返り、そうしてすぐに事態の拙さに気がついた。今の自分の言動は、間違いなくその存在を明らかにする、ひいてはその立場を危うくしかねないものであったのだから。

「彼女は暁美ほむら。……ボクが見つけた魔法少女だ。彼女は珍しい経歴を持っていてね。魔法少女になる以前にから、R戦闘機での実践経験があるようだ」

そこへキュゥべえが助け舟を出した。相変わらずの無表情が、このときばかりは頼もしく見えた。

 

「なるほど、暁美ほむら……こちらのデータにはないな。ふむ……まあいいだろう。ああ、話が逸れた。それで美樹さやか、キミの答えを聞いていなかったね」

「駄目よ……お願いさやか、行っちゃ駄目!」

ほむらはさやかに振り向いて、その手を掴んで懇願した。

「ほむら。……あはは、なんか、ほむらにそこまで心配されるとさ、ちょっと変な感じ。でも、なんだかんだでほむらは……ずっとあたしの身を案じてくれてたんだよね」

引き止めるほむらのその手を掴んで握る。さやかは少し照れくさそうに、どこか嬉しそうに笑って言った。

「さっき言おうとしてたこと。本当はさ、あたし、ほむらに謝ろうと思ってたんだ。いっぱい酷いこと言ったし、ずっとほむらのこと責めてたし、避けてた」

「さやか……何を、言ってるの?」

力なく首を左右に振りながら、ほむらはさやかの言葉の糸を理解できずにいた。

 

「マミさんのことはやっぱり引っかかってたけど、さっきの言葉聞いたらさ、なんかわかっちゃったんだ。あそこで戦えなかった気持ちとか。だからそのことも全部ひっくるめて、一回しっかりしっかり謝りたかったんだ」

困惑の表情を浮かべて目を瞬かせるほむらに、あくまで笑顔は崩さぬまま明るい調子でさやかは続けた。

「ごめんね、ほむら。今までありがとう。それと頼りない魔法少女で、ごめん。……あたし、行ってくるよ」

ぎゅ、っとほむらの手を強く握ってそれから離す。その手に残った温もりを少しだけ噛み締めて、さやかは再びモニターに向かい合う。

「どうして……そんなこと、言うの。こんな時にっ!まるで、まるで最後の言葉みたいじゃない。……いや、嫌よ、さやかぁっ!」

その背に縋ることも出来ずに、その場に崩れ落ちるほむら。可愛いところもあるじゃんなんて内心で小さく呟いてから、さやかは。

 

「あたしは行くよ。地球に。あそこにはあたしの家族が、まどかや仁美もいるんだ。助けに行かなくちゃ。バイドはやっつけてやらなきゃあいけないじゃない!」

モニターに指を突きつけ、力強くそう宣言した。

「……では、我々の元に来る、ということでいいのかね」

きっ、とさやかの目元が鋭く引き締められて。

「えぇえぇ!こうなりゃもう地球だろうと地獄だろうと、どこでも行ってやろうじゃないの!だからあんたは、さっさと最高の機体を用意して、このさやかちゃんを待ってなさいよっ!!」

軽く首を傾けて、とびきりの笑顔を貼り付けて。声を張り上げ向かい合う。きっと、一番格好いい自分をやれてるはずだ。満足げに決意を決めて、さやかはモニターに指を突きつけて続けていた。

 

 

小さなシャトルに乗り込み、さやかは一人宙を往く。自動操縦で動くシャトルなものだから、することなんて何もない。指定された座標に到達するまでの約一時間余り、何かを考えるには十分すぎるくらいの時間があった。

「思いっきり啖呵切ったはいいものの、あたし一体どうなっちゃうんだろうね」

頭の中に浮ぶのは、TEAM R-TYPEにまつわる無数の黒い噂。そして、狂機を駆っていた二人の魔法少女の末路。苦しむように機体を震わせ、声もなくしたその姿。それがさやかの脳裏をぐるぐると駆け回っていた。

「ああ……まいったなぁ。こんなんじゃ格好つかないってのに。でも、怖いな。……怖いよ、やっぱり。戦うのも、自分が自分じゃなくなるのも」

誰もいない、誰も聞いてなんていない。だからこそ言える。バイドへの憎悪と、宇宙の平和を守る、という大義名分。それに寄るところの大きい正義感。それに衝き動かされるように、さやかは戦い抜いてきた。

けれどそれだけではなかった、と気付く。常に憎まれ役を演じてきたほむらへの敵愾心と対抗心。それもまたさやかを衝き動かしていた。そしてそれが、今やすっかりなくなってしまった。

 

その心の穴に、すっぽりと収まってきたのが恐怖という感情だった。戦うことへの、死ぬことへの、そして非情な実験によって自分が自分でなくなることへの恐怖。

それがゆっくりと身体に染み渡っていくにつれ、指先や足先から身体が冷えていくような気がして。まるで凍えたように、さやかは自分の身体を抱きしめた。

「はは……っ、おかしいな。あんなに、大見得切って出てきたはずなのに……。怖い、怖いよ………まどか、仁美。……ほむらぁ」

座席に深く背を預けて、その眼からぽろぽろと涙を零しながら。それでもその口をついてほむらの名前が出てきたことに驚いて、それからさやかは小さく笑った。

自分でも気付かないうちに、随分とほむらのことを頼りにしていたらしい。ほむらに対する敵愾心は消えたけれど、今度は生来の負けん気が顔を覗かせてきたのだった。

 

「あはは……ほむら。ほむら……か。あいつはどんな気持ちで戦ってたんだろう。あたしよりもずっと長く、多分マミさんよりも長く戦ってきたんだよね」

もう一度会いたいと思った。そして、今度こそしっかり話がしたいと。

「だったら、さ。ちゃんと無事に帰って、聞いてやらなくちゃ。バイドなんてやっつけて、またティー・パーティーに戻って。聞いてやろう。どうして戦ってるんだ、って。教えてもらおう」

深く吸い込んだ息を、ゆっくりと吐き出した。身体の震えはまだ止まらない。零れる涙も止められない。それでも心は折れなかった。その身に降りかかる脅威とその恐怖に

まだ、さやかは負けてはいなかった。

 

「ここまで来たんだ、躊躇うことなんて何もない。バイドを倒して、あの船に帰ろう。――さあ、行くとしますかっ!」

胃袋の奥から湧き上がってくるような恐怖を、威勢と虚勢で飲み込んで。臨むは蒼き母の星、其処には家族が、友が、故郷が在る。胸に抱えた正義と怒り、ほんのちょっとの見得も加えて、それを心の芯として。

少女は立ち向かう。深淵たる闇の、その牙城へと。

 

 

「困るな、ほむら。余り正体がばれるようなことはして欲しくないな」

さやかが発った後、キュゥべえはまだブリッジの床に座り込んだままのほむらにそう言った。

「じゃあ、あのままさやかを見捨てていればよかったって言うの。それじゃまた同じでしょう。マミの時と同じ……私はもう、嫌なのよ」

ほむらはただがっくりと項垂れたまま、力なく言葉を返すだけだった。

「随分と、キミはそのことを気にかけているようだね。だけどキミは、マミ以上の働きをしてくれている。損失を気にしているというのなら、キミの働きは十分にそれを補っているよ」

「っ!……お前は、どうして。そういう考え方しかできないの。さやかは……仲間なのよ」

「仲間を失ったら、キミは憎しみを感じるのかい?それは仲間を奪った相手に対してかい?……それとも、それは自分自身になのかな?」

興味深い、とでも言うようにキュゥべえが尋ねる。その姿がまた腹立たしくて、ぎり、と小さく歯噛みして。

「お前には、絶対に理解できない。理解なんて……してほしくない」

そう言い捨てて、ほむらは萎えた足に力を入れて立ち上がり、そのまま足早に部屋を後にした。その背中を目線だけで追ってから、キュゥべえは溜息を一つ漏らして。

 

「憎しみ、憎悪、怨恨。ところによればオディオ、なんて言葉でも表される。人が持つその感情は、バイドに通用しうる強力な武器だ。……そしてその感情は、もしかしたら」

その声は誰にも聞かれることはなく、小さな煌きとともにその姿が掻き消えた。

 

 

 

さやかは現在、R戦闘機のコクピットである、ラウンドキャノピーを模した装置の中にいる。この装置自体はティー・パーティーにも設置されていた。もっともその頃のさやかは、それに乗り込んでから、このコクピットブロックをR戦闘機に装着するのだろうと考えていた。

事実、そう錯覚させるのがこのラウンドキャノピーを模した生命維持装置の実態なのだった。

 

指定座標に到着したさやかを待っていたのは、ティー・パーティーとほぼ同規模の、宇宙の闇に溶けるような黒い彩色を施された輸送艦だった。其処はまさしく軍艦というべき場所で、中にいたのは皆軍人だった。

その誰もが、さやかに哀れむような視線を送っていた。それがどうにも居た堪れなくて。そしてそこで初めてさやかは、自分が軍という組織に属していることを実感するのだった。その名前に課せられた、軍曹という役割と共に。

“彼”は結局、直接さやかの前に姿を見せることもなく、相変わらずの猫のマスコットから説明を受けた後、ついにさやかは新たな翼の前に立つのだった。

 

それはR-9Aに近しいフォルムを持ち、恐らくその直系機なのであろうことが推測できた。

「その機体は、新型ビットの運用試験のために設計された機体だ。あの二人はあの機体以外では運用できなくて持て余していたものでね。キミにはこれに乗ってもらおう」

ソウルジェムがさやかの身体を離れ、一度その意識が暗転した。すぐさまそれは機体のコクピットに収められ、サイバーコネクトがソウルジェムと機体を繋ぐ。そしてついに、その機体に新たな魂が宿り、機械仕掛けの神経に命を捧ぐ。

視界が開け、新たなR戦闘機がさやかの身体となった。

「具合はどうかね、美樹さやか」

「……悪くない、具合もそこまで今までのとは変わらないみたい。これなら、すぐにでも飛べるよ」

全身に漲る力を、データとしてではなく身体で感じる感覚として理解して、さやかは興奮気味に言葉を漏らした。

「頼もしい限りだ、ではすぐにでも地球へ飛んでもらおう。操作は途中で慣らすといい」

 

「随分あっさりだね。……まあ、そういうことならさっさと行かせてもらうよ」

「ただ一つ。今回エバーグリーン内部に現れたバイドは非常に興味深い。出来れば中に入ってデータを持ってきて欲しい。バイドの中枢を叩くなら、ついでにこなせる仕事のはずだ。その機体ならば、間違いなくやり遂げられるだろう」

「そりゃ本当に頼もしいな。それで、この子の名前は?」

「R-9Leo、レオと呼ぶといい」

「わかった。……じゃあレオ、行くよ」

そして、その黒い船から一機のR戦闘機が飛び出した。進路は地球。目指すは太平洋がインドネシア近海に墜落したコロニー、エバーグリーン。新たな翼をその身に纏い、さやかが、レオが往く。

 

 

エバーグリーンを遠巻きに囲むように、何隻もの戦艦が浮んでいる。その周りを取り囲む、無数のR戦闘機。正式採用されたR-9Wの他にも、いくつかの機種が見られている。

その包囲網の少し後ろに、一つ小さな輸送艦。そのブリッジで、まだ歳若い男が座っていた。

「さて、状況はどうなっているかな」

その男の言葉に、モニターを見つめていた女性が顔を上げ。

「はい提督っ。敵バイド群の攻勢は地球連合軍の反撃により停滞。しかしコロニー内部より散発的に敵増援が出現しており、こちらもまた攻めあぐねているようです」

提督、と呼ばれた男は戦場の概略図をモニターに映し、小さく唸る。

「なるほど、確かにこれは攻めあぐねているのもわかる。戦艦をそのまま突入させられるほど内部に広いスペースはないだろうし、R戦闘機を突入させるにしても、中にどれだけのバイドが巣食っているのかも未知数だ」

要するに、今のところ戦況は完全に硬直してしまっているということだった。とは言え敵はバイドである、いつまでも悠長に戦線を維持できるかといえば、それも危うい話であった。

「となると、しばらくはこのままバイドの攻勢を抑えつつ内部状況の把握。その後、小回りの効く輸送艦を旗艦に突入を行う……といった感じでしょうね、きっと」

「でしょうね、って……それではまるで、私たちがあの中に突入するかのような口ぶりだじゃないか」

「必ずしもそうだとは言いませんが……コロニーの内部構造や破損の具合を考えると駆逐艦や巡航艦でも突入は難しいと思います」

エバーグリーンは墜落の衝撃で大きな損傷を受けている。その上大部分が海中に没してしまっている。バイドからの奇襲を受けることも考慮するとなると、小回りの利かない艦で乗り込むのは自殺行為としか思えなかった。

 

「何となく、結局私たちにお鉢が回ってくる気がするよ。流石にこんな戦場に、輸送艦一つ引き連れてやってくるような部隊が他に居るとも思えない。一応各員に突入と戦闘の用意をさせておこう……中尉、ブリッジの方は任せるよ」

「はい、お任せください提督っ!」

元気よく、中尉と呼ばれたその女性は答えた。

 

散発的なバイドの攻撃は未だ止まない。金属生命体で構成された、R戦闘機を模した無数の敵バイド体。ただ弾幕を張ることしかできないそれは、R戦闘機にとってはさしたる脅威ではなかったが。とかく数が多い。

戦艦とは言え、何機も纏めて張り付かれては汚染が進む。最悪艦を破棄する羽目にもなる。そのため確実な迎撃が必要とされ、戦況は硬直していた。

 

そして、そんな戦況を遠くから眺める機影が一つ。

白をベースに塗られた機体。真っ赤な色のラウンドキャノピー。機体前面の盾のような装甲と、キャノピー下部から突き出た鏃のような部分が特徴的である。

「ったく、軍の連中は何やってんだか。あんなにスカスカならさっさと突っ込んじまえばいいのにさ。突入のドサクサにまぎれてあたしも突入してやろーと思ったのにさ。これじゃ立ち往生だ」

その声の主は、キャノピーの中から腕組みして戦況を睨みつけていた。

そこへ迫る機影が二つ。銀色の光沢を放つバイド体。メルトクラフトと呼ばれたそれがどうやら戦場を抜けてきたらしい。

「おまけに、こんなもんの後始末までしなけりゃなんないなんてね、やってらんないよ」

そのバイドが放つ弾丸を、ひょいと僅かに機首を廻らせ避ける。まるで遊んでいるかのように、巧みな機動を見せ、迫る二機を翻弄していく。そしてその機影が一直線に並んだ瞬間。フォースシュートで二機をまとめて打ち砕いた。

 

「こーなりゃしかたない、さっさとあたしが突っ込んで、バイドの親玉を蹴散らしてやるよ!」

二つまとめて湧き上がる爆発をバックに少女は一つ意気込んで、散発的な閃光がちらつく戦場へと、更にその奥を目指して機体を走らせた。

 

 

「提督っ!コロニーに近づく所属不明のR戦闘機がありますっ!それも反応が……ふ、二つですっ!」

「所属不明機?バイドではないのか?」

戦闘空域を飛び越え、そのままコロニーへと向かう二機の姿を、輸送艦の女性が捉えていた。少数ながらも何処からか援軍にでも来たのだろうかと想像しながら、男はその言葉に答えた。

「はい、R戦闘機のようですが、どの部隊の所属マークもついていません。もしかしたら、そこかで単独で作戦についていた機体が向かってきたのかもしれませんね」

女性の言葉に改めてその考えが恐らく正しいであろう事を確信し、そして。

「ということは、あの二機は現在の我々の状況を把握していないはずだ。そして敵の攻撃は散発的。……もしかすると、内部に突入してしまうかもしれないな。それは流石にまずい。中尉、あの二機に連絡を取ってくれ」

 

宇宙から飛来、そのままコロニー直上からの突撃を試みる機体。戦場の後方から突撃、そのままコロニー内部へと侵攻しようとする機体。バイドの部隊とぶつかる前に、まずはその二機の進路が交差した。

「っとと、危ないなー!何のつもりさいきなりっ!危うくぶつかるとこだったじゃん!」

片やさやかの操るレオ。大気圏を突破し直接エバーグリーン上空へと降下していたのだった。

「あんたこそ何なんだよ、いきなり人の進路に割り込んできやがって。あたしは急いでるんだ!」

そして片や先ほどの白い機体。その声はさやかと同じくらいの少女のそれだった。

「あたしだって急いでるっての!ああもう!こんなことしてるから囲まれちゃったじゃないの!」

気付けば、二機の周りを取り囲むのメルトクラフトの群れ。

「チィッ、流石にコロニーの周りは守りが厚いか。こいつを抜けるのは、ちょっと骨だな」

「こりゃちょっと面倒かも……でもこういうときこそ、レオの出番だねっ!」

 

迫る敵弾を割と余裕のある動きで避けながら、レオの波動砲をチャージする。レオの波動砲自体は通常の物と大差ない。むしろそれに劣る試作型のものでしかない。しかし、この機体の真価は波動砲ではなく、それはサイ・ビットと呼ばれる特殊ビットに存在していた。

サイ・ビットは異世界の技術を元に作られたとも言われ、フォースと連動した攻撃能力の強化だけでなく、波動砲の発射の際の余剰エネルギーを利用しビット自体がバイドを追尾し破壊する、サイ・ビット・サイファという強力な攻撃手段をも持ち合わせていた。

「行けっ!サイ・ビット!!」

そして放たれた波動砲が敵を飲み込むと同時に、縦横無尽に駆け巡るサイ・ビットが次々に敵を打ち砕いていった。一対のサイ・ビットがまさに旋風のように駆け抜けた後には、群がるメルトクラフトの全てが打ち砕かれていた。

 

「……改めて思うけど、すごいね、この子」

「一体今のは……また連中の新兵器かい?まあいいや、これでうざったい敵は蹴散らした。突入するなら、今だっ!」

「あ、ちょっと待ちなさいっての!あたしも行くっ!!」

そうして二機が、競い合うようにコロニー内部へと突入した、それと同時に。コロニーの内壁を覆っていた銀色の金属が蠢いて、コロニーの入り口を壁のように塞いでしまった。

「何っ!?……何だってんだこりゃあ」

「まさか、閉じ込められたっ!?」

突如として背後を塞ぎ、退路を断つ銀色の壁。それと同時に、その銀色の壁から無数のメルトクラフトがコロニーの外へと溢れ出るのだった。

「っ!?提督、あの二機がコロニー内部に突入したと同時に、コロニー入り口から大量のバイド反応が出現しましたっ!」

その異変は、すぐさま輸送艦の彼らにも知るところとなる。

「く……間に合わなかったか。敵もいよいよ本腰を入れてきたようだ、我々も前線に出るぞ。中尉、君は引き続きコロニー内部の二機に連絡を続けてくれ」

「わかりましたっ!」

戦況は、ますます持って激しいものへと変わっていた。

 

「まずいな、この状況。完全に閉じ込められたよ」

退路を塞ぐ銀の壁、レーザーも波動砲もその壁を破ることはできなかった。サイ・ビットも打ち出されて後、膨大なバイド反応を食い破るように壁の中へと潜り込みはしたものの、そのまま戻ってきてしまうのだった。

ただその壁から敵が出現することはなく、それはせめてもの救いであっただろうか。先に進むにせよここに留まるにせよ、次々に現れる敵の相手をしていては身が持たない。

「どうにもこの分だと、外に出るのは無理みたいだね。まあいいさ、一人でもバイドをぶっ潰すつもりだったしね」

同じく、随分色々と脱出のために奮闘していたもう一機の機体が機首を翻し。そのままコロニーの奥へと進んでいく。

「ちょっと、待ちなさいっての!まさか本当に一人で行くつもり?」

「ああ、あんたが余計な邪魔しなけりゃ、今頃とっくにコロニーの奥に突っ込んでるさ」

聞き捨てならない言葉を聞いて、さやかはレオでその機体を追いかけた。

「そんなのどう見ても自殺行為でしょ……わかった。あたしも行くよ。一人じゃきついかもしれないけど、二人ならなんとかなるでしょ!」

「いらねぇよ、足手まといは必要ない。あたし一人でやっつけるさ」

「んなっ!?だ、誰が足手まといですってぇ?」

たちまちさやかの声には怒気が混じる。確かに実力は十分とは言いがたいのかもしれない。それでもレオの力もある、戦えないことはないはずだと信じていたのだから。

「助けなんか借りない。あんたはそこで待ってりゃいいさ。――死ぬなら、一人で十分だろ」

子供じみた言い争いはばっさりと打ち切って、ぽつりと一言言葉を残して白い機体はコロニーの奥へと向かっていった。

「……っくぁ~!むっかつく!おまけに……なんだよアイツ。あれじゃまるで、死にたがってるみたいじゃん。それにどう聞いたって、あの声は女の子だったし」

その後姿をじっと見つめて、考える。もしかすると、あのR戦闘機に乗っているのも魔法少女なのかもしれない、と。

「だとしたら。っていうかそうじゃなくても、見捨てるなんてできないっての」

 

 

(それにしても、さっきのアイツはなんだったんだ?どう見ても乗ってるの子供だろ。そんな子供をこんなとこに送り込むってのか……っくそ、イカれてんだろそんなの)

内心の苛立ちを堪えつつコロニーを奥へと進むその目前に、迫る無数の銀の影。やはりコロニー内にもまだ、無数のメルトクラフトが存在しているようだった。

「さーて、一人でどこまで足掻けるかな……ただでやられちゃやれないね。……やってやろうじゃ「行っけぇぇ!サイ・ビット!!」……ってぇ!?」

その機体を追い越すように放たれた、波動の光とサイ・ビット。迫るメルトクラフトを撃ち払い、その数を半減させた。

「あっちゃー、流石にあんだけ数居ると討ち漏らすかー」

「何で来た!お前っ!!」

「ほっとけるわけないじゃん。それに言ったよね。一人じゃきついかもしれないけど、二人ならなんとかなる、ってさ」

怒声を浴びせた少女に向けて、さやかは笑ってそう言った。

一気に戦力を半減されて、浮き足立って敵の動きが乱れる。突っ切るなら、今だ。

 

二機が並んでコロニー内を駆け抜ける。メルトクラフトも追いすがろうとするが、その機動性には大きな差があった。追っ手を振り切り一息ついて、少女はさやかに通信を送った。

「……おい、あんた。ちょいと面貸しな」

言葉と同時に開かれる、映像付きの通信回線。ソウルジェム搭載機からは、本人の顔や表情まで模すことができ映像が流される。恐らく向こうの機体にも、さやかの顔が映っていることだろう。

そこに映っていたのは、気の強そうな面持ちに赤い髪を携えた……やはり、少女の姿であった。

「へっ、何だやっぱりガキじゃん」

どうやら向こうも、思っていたことは同じだったようで。

「あ、あんただって子供でしょーが、ふつー、子供がこんなことしないでしょ。もしかしてあんた……魔法少女なわけ?」

半ば確信めいた予感を載せて、さやかは尋ねた。けれど帰ってきた答えは、幾分か呆れを含んだもので。

「は?……魔法少女ぉ?何寝ぼけたこと言ってんだよ」

「えっ……?」

だとすれば、ここで戦っているのは本当にただの少女なのか。その事実にさやかは半ば呆け、半ば愕然としていた。

 

「あたしは佐倉杏子だ、あんたがあたしについて来れるってなら……ここの奥まで、着いて来させてやってもいいよ」

映像の少女、杏子と名乗ったその少女は不敵に笑い、新たに迫る敵へと機首を向けた。疑問を感じる余裕もない。敵は目の前まで迫っている。

「……可愛くないの、素直に手を貸してって言えばいいのにさ」

「へっ、死んでも助けないからね。死ぬ気で着いて来なっ!!」

「死んだら助からないっての!……それと、あたしは美樹さやかだよ。一応よろしく。んじゃ、行っくよーっ!!」

憎まれ口を叩きあい、R-9DP2――アサノガワと呼ばれた機体を杏子は駆って。それに続いてさやかのレオが駆け抜ける。二機は競い合うように波動の炎を巻き上げて、銀の機体の海へと立ち向かう。

交錯するサイ・ビット。そしてレーザーの軌跡。後を追うように数珠状の爆発が巻き起こる。そして、その中心を突っ切って駆け抜ける二機。

堅牢かつ汚染に対する抵抗力も高いシールドをもつアサノガワが、半ばごり押しするかのように道を拓き、拓かれたその道を、レオのサイ・ビットが押し広げる。メルトクラフトの群れを抜けたと同時にフォースを背後に回し、レーザーで追撃を阻む。特に示し合わせた訳でもなく、自然と機体がそう動いていた。

(乗ってる奴は気に入らないけど、一緒に戦う分には頼りになるじゃん、あいつ)

(武装だけかと思ったら、思ったよりやるみたいだね。……へへ、こういうのも悪くないな)

互いが互いの力量を知り、そして静かな信頼を寄せ始めていた。

 

メルトクラフトの群れを抜けた二人の前に、立ちはだかるのはストロバルトの小部隊。コンテナを開いて、バイドに汚染された廃棄物を撒き散らしてくる。迂闊に当たれば即汚染である。

「「邪魔だ、どっけぇぇぇっ!!」」

同時にフォースを撃ち放つ。それは撒き散らされた廃棄物を飲み込みながらストロバルトのコンテナに直撃。そのままコンテナを食い破り、機体も纏めて爆散させる。そうして出来た隙間を二人は同時にすり抜けた。

ある程度の機動性はあれど、R戦闘機には及ばないストロバルトにはそれを追う手段はもはやない。

 

「思ってたよりは、中の敵も大したことないね。この分ならすぐに奥まで行っちゃうんじゃない?」

「油断すんなってーの。……ほら、来るよっ!」

 

アラート、上方より迫る高エネルギー反応。咄嗟に左右に展開した二機が居た空間を、赤い光が薙いで行った。その元を辿れば、コロニーの外壁から突き出た砲身。それを抱えた赤い機影。

「ゲインズかっ!……それも何か妙に赤いね」

「バイドの人型兵器!やっつけ方は……一発撃った所に、突っ込む!!」

その姿を確認するや否や、レオの機首を廻らせ突撃する。波動砲のチャージを開始、一発撃たせてそいつを避けて、そのまま一気に反撃に転じる。

いつでも来いと身を引き締めて、さやかはレオを走らせる。

 

そして赤いゲインズが抱えた砲身から、凝縮波動砲の赤い光が放たれる。軸をずらして見事に避けて、更に速度を上げようとしたレオの目前には、第二、第三の光が迫っていた。

「んなっ!?う、うそでしょぉーっ!」

機体に急制動をかけ、そのまま半ば墜落するように距離を取る。これが生身のパイロットであれば、身体に少なくない負担がかかっていただろう。更にそんなレオを追いかけて、続けざまに赤い光が飛来する。

「連射式……改良型ってわけか。だけどね、そいつにばっかり構ってちゃあな。背中が……お留守だよっ!!」

大きく旋回して、ゲインズの背後にアサノガワが回りこむ。そして放たれた赤色のレーザー。一発当てれば動きを止めるくらいはできるだろう。

しかしそのレーザーを、ゲインズは機体を半回転させて回避する。それだけではなく回避と同時に今度は杏子に波動砲の赤い光が迫る。

「なんだとっ!?……っ、こいつ、エース仕様かっ!」

赤い色は伊達ではないようだ。その機動性は通常のものとは段違いであった。波動砲の閃光を機体を掠めるようにして辛うじてかわしはしたものの、流石に真正面からの撃ち合いは分が悪い。

溜まらず背を向け距離を取るが、ゲインズは執拗に杏子を追いかけ波動砲を浴びせかけてきた。

 

「くっ、後ろを取られた。このあたしが……」

高機動型ゲインズの機動性は、R戦闘機ですらも振り切るのは容易ではない。しかもこれだけ撃たれながらでは、回避すらも危うくなってくる。

「杏子から離れろ、サイ・ビットぉーッ!!」

波動砲とサイ・ビット・サイファの同時攻撃。波動砲を避けたゲインズに、¥サイ・ビットが襲い来る。しかしその攻撃は、強固な装甲に阻まれ十分な打撃とはならなかった。

「サイ・ビットでも全然ひるまないっての?こりゃ強敵だな」

「おい、お前。アイツをちょっとでも足止めできるか?」

引き続き放たれるゲインズの波動砲を回避しながら、通信でのやり取りは続く。

「お前、じゃなくてさやか。……何かやる気?まさか特攻なんてバカなことしないでしょうね?」

“――死ぬなら、一人で十分だろ”

あの時杏子が見せた、どこか投げやりな言葉がさやかの中で引っかかっていた。

「安心しな。とっておきがあるんだ。ただこいつは相手が足を止めてくれないと当てにくくてね」

少なくともその口調には、その切り札への自信が感じられた。無謀な特攻はしないだろうとも思われた。

「なるほどね、そーゆーことなら、このさやかちゃんに任せなさいっ!」

「調子乗ってしくじるんじゃねーぞ。……頼んだぜ、さやかっ!」

 

レオは機体を巡らせてゲインズへと肉薄する。ビットはいまいち効果が薄い、牽制気味にレーザーを放つ。フォースとサイ・ビットの両方から青いレーザーが放たれ、コロニーの外壁や建造物の残骸に反射し複雑な軌道を描いてゲインズへと迫る。それは圧倒的な攻撃範囲を誇り、いかな高機動型のゲインズといえどかわしきれるものではなかった。

身体をかばうように腕を構えたゲインズに、幾筋ものレーザーが直撃、小規模な爆発を巻き起こしていく。

「お、結構いい感じ。この子レーザーもいけるじゃない」

そう、レオが搭載するフォースはサイ・ビットにあわせて調整されたものであり、サイ・ビットの影に隠れはするが、その攻撃性能は既存のフォースよりも更に頭一つ抜けてたものであった。

けれどその爆発の中から、肩を突き出し所謂ショルダータックルの体でゲインズが突っ込んで来る。未だにその動きを止めるには至らない。

「うへ、まだ動くのかっ……ああもう、いい加減に……止まれっ!」

慌てず騒がず波動砲、サイ・ビット・サイファのおまけもつけて。今度はかわせず波動に焼かれ、サイ・ビットの追撃までもを受けてゲインズの動きが鈍る。

 

「今だよ、杏子っ!」

「待ってたよっ、粉微塵に……吹き飛びなっ!!」

そして突撃アサノガワ。一気にゲインズに肉薄し、その力を解き放つ。轟音と衝撃。少し離れたさやかの機体にさえ空気の震える振動が伝わってくる。

哀れにもゲインズはその圧倒的な一撃によってバラバラに引き裂かれ、火柱を巻き上げながら眼下の海中へと没していった。

「うわ、すっご……何、今の」

その威力には、流石のさやかも驚愕するより他になく。

「何、って。パイルバンカーだよ」

所謂杭打ち機である。どう考えても戦闘機に搭載するような代物ではない。その事実が更にさやかを愕然とさせていた。

 

「えぇぇ………」

「な、なんだよその冷たい声はよ。いいだろ、勝てたんだからっ。……仕方ないだろ、これしか空いてる機体がなかったんだから」

「ま、まあ……威力は抜群みたいだけどさ。と、とにかく先行こうかっ」

そこへ、唐突に通信が入る。

「やっと、やぁぁぁっと繋がりましたよっ!二人とも、聞こえていますかっ?」

その声は、さやかにとってはなぜか聞き覚えのある声だった。

「えっ……仁美っ!?」

「仁美?一体誰のことですか。私は地球連合軍のヒロコ・F・ガザロフ中尉ですっ」

仁美によく似た声で、その女性はその名と階級を告げるのだった。

 

「提督、コロニー内部の二機との連絡が繋がりました」

「そうか、ではこちらに通信をまわしてくれるかな。あー、こほん。私はこの艦の指揮官、カズマ・ナインライブス大佐だ。そちらの所属と、現在の状況が知りたい」

「ちょ、ちょっと。杏子。これってどういうこと?大佐、って……偉い人、だよね?」

「そりゃまあ偉いんだろうけどさ、この状況で大佐も何もあるかっての」

「また身も蓋もないことを……っていうか通信届いてるよ!杏子に何か用があったんじゃない?」

「あたしだって知らないっての、元の部隊を勝手に飛び出してきたんだか……ぁ」

なにやら話し込んでいる内にいきなり飛び出した失言である。この発言だけでも尋問にかける価値はある。というよりも、回線を開いて聞こえてきたのがどう見ても少女の声二つ。一体どういうことなんだ、とナインライブス大佐、面倒なので九条大佐は困り果てた。

 

「中尉……流石にこれは繋ぐところ間違えたんじゃないかな。……ほら、あれだ。君はたま~に、うっかりするじゃないか」

「そ、それはそうですけど、今回は間違いありませんっ!ちゃんとコロニー内のまだ生きている通信設備を経由して、コロニー内部の機体と通信が繋がっています」

しかしなあ、とどうにも渋い顔で九条は答えた。確かに彼女は信頼できる副官である。確かに微妙にうっかりなところはあるが、それでも作戦行動中にそれが発揮されることはまずないのである。

「だけど、いくらなんでもこれは……まあ、もう一回呼びかけてみるか。二人とも、まずは落ち着いてくれないかな。もう一度聞くよ。所属と現在の状況を教えてくれ」

少し疲れたその声に、ようやく二人は言い争いをやめて。

「あ、え……っと。試験艦ティー・パーティー所属の、美樹さやか……軍曹?です、多分?」

どうにも自信も実感もない声、ちょっと頼りない。

「なんだよその頼りない声はさ。あたしはデルタ試験小隊所属、佐倉杏子特務曹長だ。

バイド殲滅のためコロニー内に侵入、その後退路が絶たれたんでね仕方なくバイドを蹴散らしながら、コロニーの奥に進んでるよ」

対して杏子の声は落ち着いている。このことだけでも、杏子が軍という組織に慣れているのだということがわかる。恐らく、長らくその中に属しているのであろうということが。

「バイドを蹴散らしながら奥へ……。ふむ、ちょっとおかしな話だな」

九条が口元に手を当て、考える。外では未だ、大量のメルトクラフト群との大規模な戦闘が続けられている。敵が単一で、数で押すしか出来ないために、今のところ大きな被害は出ていない。

それでも地球連合軍は、完全に攻めあぐねているというのは事実なのだ。

 

「なるほど、そういうことか。美樹軍曹、佐倉特務曹長。まだ聞こえているかい?」

「いちいち階級を付けんな。まだるっこしいだろ」

「あー……あたしもそっちのほうがいいです。ちょっとまだ軍曹なんて呼ばれるの、慣れないし」

「……まあいいか。では美樹くん、佐倉くん。これからこちらの状況を説明する」

コロニーの入り口が液体金属の壁により閉ざされて以降、そこから大量のメルトクラフトが出現している。現在地球連合軍はその対応に手一杯、コロニー内部に侵攻する余裕はない。そんなことを手短に九条は告げる。

「ってことは、やっぱりあたしらがやるしかないってことだね。偶然って言や偶然だけど、中に入りこめたのは幸運だったね」

「でも、増援なしってのはちょっときついな。今までだって結構沢山バイドが居たし」

「そうだろうね、試験部隊なんてのにいるくらいだから、二人の実力は問題ないだろう。とはいえバイドの巣のような場所でいつまでも戦えるかといえば難しい。だが、状況はそこまで悪くないんだ」

「どういうことだ?」

訝しげに尋ねた杏子に、一つ頷いてから九条は言葉を続けた。

「外に居る敵の数に比べて、中の敵の数は圧倒的に少ない。つまりバイドは、外に居る我々をより脅威としてみているということだ」

「つまり、そっちに敵が沢山いるからコロニーの中には敵がそんなにいない、ってことですか?」

「その通り。そしてこの状況は、我々外でバイドを撃破し続ければそれだけ続くだろう。それだけ中は手薄になるはずだ。君たちには、その隙を突いてもらいたい」

事実、エバーグリーンに生じた液体金属の壁から無数のメルトクラフトが発生してはいるが、そのほとんどが外部の地球連合軍の部隊への攻撃に向かっており、コロニー内部の二人を挟撃することはなかったのである。

「悪くないね。でもさすがのあたしだってそれまでずっとコロニーの中を逃げ回ってるわけには行かない。せめてどこかでバイドをやり過ごして隠れられれば、まだ目はあるんだろうけどさ」

「それについては心配ないよ、ガザロフ中尉」

そしてまた、通信の音声が切り替わる。

 

「はい!時間がないので手短に説明しますね。そのコロニーエバーグリーンは現在バイドに占拠されるまで、長らく地球連合軍の監視下にありました。つまりバイドは、極めて短時間でこのコロニーを占拠したようなんです」

手元のコンソールのデータをあれこれと弄りながら、ガザロフ中尉が言葉を続ける。

「つまり、コロニー内部にはまだバイド汚染が見られていない区画も沢山あるんです。    その中のどこかに機体を隠すことが出来れば、中の敵をほとんど外におびき出すまで     隠れとおすことだってできるはずですっ」

コンソールを這う指の動きが早くなる。コロニー内部の見取り図と、現在のコロニー内部の状況を比較。それと同時にコロニー内部のまだ生きているシステムにアクセスし、内部の汚染状況を確認。

そのほかいくつかの作業を経て、R戦闘機を隠すことができるほどのスペースがあると思しき場所、その候補がいくつかに絞られた。

「座標が出ました!データをそちらに転送します。指定座標に到達後、無事R戦闘機を隠すことが出来たらそのまま通信を維持した状態で待機してください、こちらで状況が整い次第、再度通信を送ります」

 

「よくわからないけど、随分優秀だね。……こりゃあ、ひょっとするとひょっとするかもだ。了解、座標データは受け取ったよ。ひとまずこの地点を片っ端から当たってみるかねッ!」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ杏子っ!あたしも行くってば!!」

そして通信経路だけは確保したまま、音声が打ち切られた。

 

「しかし、あんな年端も行かなさそうな少女がR戦闘機に乗っているとは……世も末だな。間違いなく、関わっているのはあの連中、か。ああやだやだ、出来ることなら関わりたくないね」

「提督、変な事言ってると、うっかりどこで目を付けられるかわかりませんよ」

「おぉ、怖い怖い。……さて、それじゃああの二人を無駄死にさせないためにもね私たちも、そろそろ頑張るとしようか」

まだ歳若い司令官の瞳が、大きく開かれ深い色の輝きを放つ。

「さあ、行こうか」

その声は、艦を動かす号令。その声に突き動かされるように各員がそれぞれの役目を果たし、その艦を一つの兵器に変えていく。バイドを撃つための力として。

 

 

「で、結局どこ行けばいいわけ?地図っぽいのは送られてきたけどこのままじゃ全然わからないっての」

「ったく、地図の見方も習ってこなかったのかい。このトーシロは。……とりあえずこのまま都市ユニットのとこまで前進。後はどこかに穴を見つけて内部に入るよ」

たちまち気色ばむさやかの声を受け流して、一足先にアサノガワが走り出す。不平不満は零しながらも、レオが続いて後を追う。

今のところバイドの攻撃も散発的で、現れるのはメルトクラフトやストロバルトといった小型のみ。さほど弄せず、都市ユニットの外壁へと辿りついた。

「後は、どっかに穴を見つけるだけだけどね……っ、壁面にバイド反応があるね。ありゃあ何だい?……自走砲台?」

反り返った壁面に張り付き、もぞもぞと動く謎の機械。どうやらこちらを認識したらしく、砲弾を雨あられと打ち出してきた。

「こんなもんまでいやがんのか。こりゃ中も危ないんじゃないかねェ」

「とにかく行くんでしょ、さっさと蹴散らすよっ!」

次々に降り注ぐ砲弾をフォースで受け止め、レーザーで砲台を破壊する。それほど数も多くなく、すぐに周囲の反応は完全に沈黙した。

 

「確か、後は中に入れそうなところを探せばいいんだよね。どうする、少し手分けして探してみる?……と、こりゃそれどころじゃないかな?」

壁面、いや。その中から生じるバイド反応。かなり大きい。

「さーて、何が出てくるかね?」

それは、壁面をぶち破って現れた。機械のフレームに有機的な甲羅のような装甲を纏った、甲殻類のような巨体。壁面を食い破った爪を、そのまま壁面に食い込ませて残りの身体を引っ張り出した。

「何あれ?蟹?」

「海の上だしね、あーゆー生き物が生きててもおかしくないんじゃねーの?」

「いや、どう見てもそれはおかしい。まあいいや、丁度穴も開けてくれたし。あいつを倒して、中に突入しよう!」

それはギロニカと呼ばれる、地球連合軍が生み出した生物兵器。バイドの浸食を受けて暴走したそれは、壁面を這い回りながら敵の姿を捉えた。

 

「それじゃまずはお約束っ!波動砲!アーンド、サイ・ビット!!」

お約束染みた波動砲とサイ・ビットの波状攻撃。しかしギロニカの甲羅は堅固、ダメージはあるようだがひるんだ気配も見られない。

「また硬いなぁ。でも動きは全然遅いよ。これならおそるるに足らずってなもんよ!」

「気をつけなよ、何してくるかまだわかんないんだ。光線でも吐き出してくるかもよ」

「蟹が光線、だなんて。どっかの文学作品でもあるまいしっ!」

さらに追撃、波動砲を放つ。その光に照らされた甲羅から、オレンジ色の球体が放たれた。どうやら蟹光線ではないようだ。

「撃ってきた……けど、なんだろうねこりゃ。風船?」

その弾はふわふわと浮んで、まさしく風船のように宙に漂い浮んでいく。その正体はギロニカの体液である。この体液は、空気に触れると泡のように丸く固まり、化学反応で熱が発生、内部の空気が熱せられることで風船のように飛んでいくのだという。

これが兵器ではなく、子供向けのアミューズメント器具として開発されていたらそれなりの人気を博していたのではないか、などとも考えてしまう。

 

「ま、大した相手じゃないってことだけは確かそうだ。これでネタ切れみたいだしね。さやかっ!後はあたしに任せな。一発デカいのブチ込んでやるよっ!」

「おっ、またアレだね?よっしゃー、やっちゃえーっ!」

泡弾をサイ・ビットで弾き飛ばしてその隙に、再び突撃アサノガワ。極限までエネルギーが充填されたパイルバンカーの一撃が、ギロニカの甲羅に叩きつけられた。

いかな超硬度を誇るギロニカの甲殻と言えど、圧倒的な質量と速度で打ち出された金属杭には敵わない。貫かれ、打ち砕かれ。悶えるような悲鳴を上げながら砕け散っていく。

後に残されたのは、ギロニカが開けた大穴一つ。

 

 

 

「提督!コロニー内部の二人から連絡が入りましたっ!」

ガザロフが興奮気味に、さやかと杏子がやり遂げたのだということを九条に伝えた。

「やってくれたか!よし、こっちに回してくれ」

「こちら杏子。指定座標に到着。今のところ周囲にバイドの反応も汚染の兆候もない。この分なら、しばらくここでやり過ごせそうだ」

「よくやってくれた。しばらくそこで待機していてくれ。くれぐれも連中に尻尾をつかませないでくれよ」

「任せときな。いい具合になったらちゃんと連絡しとくれよ」

「ああ、では幸運を祈る」

通信が打ち切られた。杏子は計器を確認し、周囲にバイド汚染がないことを改めて確認しキャノピーを開いた。

「ん……ん~っ!流石にずっと飛びっぱなしだったからね。少しは身体伸ばさないと……っと」

ヘルメットを外して大きく深呼吸。海に沈んだコロニーだけに、潮の匂いが濃厚に混じる。久々に吸い込んだ新鮮……なはずの空気に、少し身体が軽くなったような気もして。

 

「今の内に、腹ごなしもすませとくか」

パイロットブロック内の収納スペースから取り出したのは、所謂携帯食料という奴で。杏子はこれが余り好きではなかった。けれど機体に備え付けてあるのはこれしかないのである。

中には自分の好きなものを機体に積み込んでおくようなパイロットもいるにはいるらしいが。そこまで余裕もなかったしな、と杏子は携帯食料を頬張りながら考えていた。

ふと、杏子は隣の機体を眺めた。キャノピーの下には何も見えない。安全だってことはわかっているだろうに、出てくる気配さえ見せない。

「休める時にゃ休んどかないと、身体持たなくなるぞ。――潮の匂いってのも、案外悪くないもんだぜ?」

「ぁ……っ、はは。うん、確かにそれは悪くないかも。でも遠慮しとくよ……っていうか、あたし降りられないんだよね、この機体から」

改めて、魔法少女という我が身を思い知らされるさやか。暗くなりそうな気分を堪えて、必死に明るい声で答えて。

 

「降りられない、って……ああ、そうかよ。そういうことか、許せねぇ。いくらなんだって許せることじゃねぇよ、こんなの」

がん、と握ったヘルメットでキャノピーを叩く。

「ちょ、ちょっと杏子?何そんな荒れてんのさ!?」

「何って、どう考えたっておかしいだろ、狂ってンだろ。一体さやかは何されたんだよ、両手両脚ちょん切られたのか?それともまさか……脳味噌だけ引っ張り出されて、接続されてるとかなのか?」

「うぁ……いや、そういう話は聞いてるだけでやっぱり引くわ」

扱いとしてはそれらと変わらない気はするけれど、ソウルジェムであるということは。少なくとも、精神衛生上の問題は少ないよね、なんて考えていたりもした。

「あたしはそこまでやばいことはされてないよ。ちゃんと身体だってある。ただ、これに乗ってる間だけはね、降りられないってだけなんだ」

「……本当かよ。なら、いいけどさ」

そして沈黙。杏子が黙々と携帯食料を平らげる音だけが聞こえる。

 

「そういえばさ」

そんな沈黙に耐えかねて、さやかが口を開く。

「ん?何だよ」

「杏子は、何でこんなとこまで来たの?どう考えたって一人で突っ込むのは自殺行為だ。それでも杏子はたぶん、一人で突っ込んでたでしょ?……なんか、死にたがってるように見えた」

「ぁ……それ、は」

食事をしていた手が止まる。杏子の言葉も一瞬途切れて。

「まあ、確かに間違っちゃいないかも、ね」

「何でそんなこと。そりゃ最初はあんたのこと気に入らなかったけど。なんだかんだで色々協力できたし、仲間……みたいなもんかなって思い始めてる。なのにそのあんたが、何で死にたがりの真似なんてするのさ!」

「……説明、してもいいけどさ。ちょいとばかり長い話になるよ」

「いいよ、どうせ時間はあるんだ。聞かせてよ」

僅かな沈黙。けれどやがて杏子は諦めたように口を開き始めた。

「しょうがねーな。あれはさ――」

そして杏子は語りだす。ある少女の、戦いと別れの物語を。

 

魔法少女隊R-TYPEs 第5話

       『METALLIC DAWN』

          ―終―

 




【次回予告】
「あの事故が、全ての始まりだったんだ」
少女が語る過去。
それは、少女の戦いの物語。

「私……戦いたい!お願い、戦わせてっ!」
そしてそれは、英雄になった男の物語。
「今日からここが君の家だ、そして我々が、君の家族だ」

そして……離別の物語。
「何でだよ!家族じゃなかったのかよ、ばかやろーっ!!」


「決めた。あたしはあんたと一緒に行くことにするよ」
「よろしくね、相棒」

次回、魔法少女隊R-TYPEs 第6話
          『SWEET MEMORIES』


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第6話 ―SWEET MEMORIES―

少女が語る在りし日の記憶。それは喪失と邂逅の記憶。生き抜こうと決めた時、戦う覚悟を決めた時。
そしてそれは、若かりし日の英雄への追憶。


かつて一人の男がいた。彼は戦い、戦い抜いてその果てに英雄となった。
これは、彼が英雄となるまでの物語。そしてその傍らで起きた、小さな別れの物語


彼女――佐倉杏子は、どこにでも居る普通の女の子だった。

豊かではなく、だが決して貧しているわけでもない。慎ましく穏やかな母と、厳格だが優しい父と、そして可愛い妹と共に、何不自由なく過ごしていた。

彼女が生まれた時代には、既に人類はバイドの存在を確認していた。だがそれは遠い星の海の向こうの話で、それを現実的な脅威として捉えていた人間など、軍や研究施設の一部の人間だけで、ほとんどの人間は今の平和がずっと続くものだと考えていた。

 

人類がそれを脅威として認識したのは、2163年。バイドに対して放たれた最初の矢、第1次バイドミッションの最中。バイドによって占拠されたコロニー、エバーグリーンが南太平洋に墜落したことがきっかけだった。

その被害は甚大で、多くの島が、国が沈み、数え切れない程のの命が水底へと潰えた。そして彼女の全ても……また。

 

 

 

「……酷いな、これは」

まだ歳若い軍人然とした格好のその男性は、目の前に広がる惨状に思わず声を漏らした。

エバーグリーンの墜落により生じた津波が全てを飲み込んで行った後。倒され、崩れ、流されて、ありとあらゆるものが大地に散らばる、まさに地獄絵図。一体この廃墟の下にどれだけの命が沈んでいるのか、それを考えるだけで気分が悪くなる。

 

「これが、バイドの脅威だというのか」

そこは小さな輸送艦のブリッジ。同じように外を眺める艦内の者達もみな、その凄惨な光景を目の当たりにしていた。ある者はその被害の大きさに絶句し。またある者はバイドへの憎悪に燃えた。

「艦長、やはりこの様子では、生存者の存在は絶望的かと……」

隣に控える副官が、沈痛な面持ちで男に告げた。男は苦々しく顔を顰め、それでも迷いを振り切って。

「それでも、探すんだ。それが我々のやるべきことだ」

 

この時人類は、バイドとの最初の大規模戦闘である第1次バイドミッションのため、その戦力の大部分を宇宙へと向けていた。その隙を縫う形でのこの事件であった。

被災者の救出にまわす人員さえも地球にはろくに残されていない。彼らは丁度この時、地球における輸送任務からの帰路についていた。そして事件に直面し、居ても立ってもいられずに駆けつけたのだった。

少しでも被災者を救出するために。たとえ一人でも、助けるために。

「各員は作業艇に乗り込み、生存者の発見と救出に向かってくれ。もしかしたら、まだ誰か生きているかもしれない。……頼む」

艦内放送で呼びかける男の声も、やはり深く沈んだもので。それでも艦内の者達は皆、命令に従い作業艇へと乗り込んでいく。見つかるはずなどないとは誰も言えなかった。

皆が皆、一握りでもいいからと、希望を求めていた。

 

「こちらD-3ブロック、生存者の姿は確認できない。引き続きD-6ブロックの捜索に移る」

都市部の捜索が始まって、既に5時間が経過していた。その間中ずっと、この惨劇の跡を直視し続けていたのである。そして希望は何一つ見えない。

当然のように誰の声にも疲労の色が濃い。これ以上続ければ、こちらの身も精神ももたなくなることは明白だった。

「艦長、これ以上はやはり……」

付き従う副官が、あくまでも冷静な意見を告げる。それが自分の仕事だとわかっているからこそ、例え辛くとも、誰かが言わなければならないことを知っているからこその言葉だった。

 

「わかっている。だが、もう少しだ。もう少しだけ……頼むよ」

副官である彼は、士官学校からの同期であり、友人でもあるこの男のこの言葉に弱かった。不思議と人を惹きつける、自分にはない魅力を持ったこの男がである。

その魅力を最も発揮するのが、人に何かを頼むときだった。

副官は10秒ほど沈思して、顔を上げ。

「後30分だ。それ以上は伸ばせないぞ。ロス」

軍人ではなく、友人としての言葉に男こと若き新米司令官――ジェイド・ロスは、その言葉に顔を上げ、目を見開いて。

「すまないアーサー。……捜索に戻ろう」

彼もまた、自ら作業艇を率いて都市部の捜索に赴いていたのだ。その顔は疲労と絶望で歪んでいる。副官ことアーサーは、それが何よりも心配だった。

 

時は無情に過ぎ行く。

生存者は今のところ見つかっていない。そして時の針は無情に半円を描こうとしたその時。

「生命反応だ!かなり弱いが……この瓦礫の下だっ!」

生命反応を示すモニターの画面を食い入るように見つめていたロスが、声を張り合げ叫ぶ。その声は、別のモニターを見つめていたアーサーの耳に届く。彼の行動は早かった。

「全作業艇に告ぐ。H-2ブロックにて生命反応あり。救助したいが手が足りない。周囲の作業艇は、至急H-2ブロックに集まれ」

召集された作業艇が、そのアームで次々に瓦礫を取り除いていく。

内部の生命反応をスキャンしつつ、別の作業艇が瓦礫内部の圧力が増さないように支えてながら、慎重にかつ迅速にその作業は進められた。既にその場所では、作業艇以外にも複数の人間が各々の役目を果たすために動いており、そして彼らの働きによりようやく全ての瓦礫が撤去された。

誰よりも早く、その中へと駆けて行くロス。慌ててそれを追う部下たちがそこで見たものは。

押しつぶされた建物の中で、最早肉塊としか呼べないほどに損壊した、男女の姿。

そしてそれに守られるように抱きしめられていた、一人の少女。その少女も損傷は激しく、今にも途切れそうに苦しげな吐息を漏らしていた。

「救護班!救護班ーッ!!」

 

 

 

――それが、佐倉杏子とジェイド・ロス。二人の出会いだった。

 

 

「あの事故が、全ての始まりだったんだ」

時折小規模な爆発音が響いてくる。それを尻目にに、杏子は静かに語っていた。

自らの過去、戦う理由。生き急ぐその訳を。

「そんなことが……あったなんて。じゃああんたは、その時の復讐のために戦ってるってこと?」

若干暗い声色で、さやかが問いかける。

「まあ……概ね間違っちゃいないよ。でも、あたしがバイドとやりあおうって思ったのはその時じゃなかった、もうちょっと先の話になるよ」

一度静かに息を吸い込んで、再び杏子は話を続けた。

 

佐倉杏子がジェイド・ロスの手によって救い出されてより、二ヶ月。ほぼ全ての部位に致命的な損傷を負っていた杏子の体は、そのほとんどを生体義肢で補うことが余儀なくされた。

技術自体は確立している、間違いなく杏子の体は元の通りに治る……はずであった。

「それは一体、どういうことなんです?」

ロスは、目の前の白衣の男に問いかけた。杏子には他に身寄りがない。病院に預けることが出来たはいいが、その後のことがどうにも気がかりで。彼はこうして、軍務の合間を縫って面会に訪れていた。

それを見止めた医者が、彼に話しかけたのだった。

 

「彼女の体は、そのほとんどが生体義肢によって補われています。手術自体は問題なく成功しましたが、どうやら問題は彼女の精神にあるようなのです」

医者は手元の資料を見つめながら、沈痛な面持ちで言葉を続ける。

「本来生体義肢は、術式終了後すぐに神経系が再結合を始めます。そして一ヶ月程度で元の体と同じように動かせるようになる。しかし彼女は、もう二ヶ月が経過したというのにいまだに神経系に不調が見られています」

話の意図がいまいち読めない。ただそれが、杏子にとってよいことではないのだろう。それだけは、彼にも理解できた。

「体を動かすことが出来ないどころか、臓器の働きにも異常が見られている。我々も必死のサポートを続けていますが……このままでは」

「遠からず死に至る……と」

「ええ、原因が彼女自身にある以上、これ以上は我々にもどうにも……」

 

そして、互いに押し黙る。それでもロスは考える。何故この医者はそんなことを聞かせるのだろうか。多少面識があるといっても、所詮自分は彼女にとって他人である。

そんな他人に、わざわざ絶望的な状況を報せる訳は。

「……それで、私は何をしたら?」

「っ?ああ……そうですね。そのお話をしようと思っていたのでした。彼女の問題は、彼女の精神にあります。彼女に生きる意志が見られない、生きようとしていない。それが、神経系の再結合に重大な障害を与える原因になっている」

「そんなことで、それだけの影響が出ていると?」

俄かには信じられないが、それでもある程度の説得力はある。

「精神医療も、ここ数十年で飛躍的な進歩を遂げました。けれども単に優れた技術だけでは人は救えない。それが、我々の結論でした」

医者の男は資料から視線を外し、ロスを真っ直ぐ見据えて告げた。

「彼女は、貴方にだけは心を開いているようだ。どうか彼女を救ってくれませんか。彼女に生きる意志を、取り戻させてあげてはもらえませんか」

 

「……少し、考える時間をもらっても?」

「出来ればすぐにでも。彼女の状態は、見た目以上に深刻です」

 

 

輸送艦の司令室。ジェイド・ロスは考えていた。

実際問題、杏子の下へ足繁く通うような余裕はない。第1次バイドミッションは成功に終わったが、それでも尚バイドの脅威は健在。やるべきことは山ほどもあった。

一人の少女のためと、全人類のため。秤にかけるまでもないことは明白。だが、しかし。

「――、艦長。艦長っ……おい、ロスっ!聞こえているのかっ!」

声に気付いてはっとする。顔を上げれば、そこには副官であり友の姿が。

「ああ、すまないアーサー。少し考え事をしていたよ」

「また考え事か。……何かと物事を考え込むのは、お前のよくない癖だ」

それは暗に、色々考え込むのは自分に任せておけばいいと言っているようで。そんなアーサーを、ロスは頼りにしていたし信頼もしていた。

(……いっそのこと、本当に任せてしまおうか)

 

「実はな、アーサー。ちょっと悩んでいることがあってな」

そうと決まれば後は早い。この思案の種を打ち明けた。話が進むにつれて、アーサーの顔が苦しげに歪んでいって、終いには呆れたような顔へと変わる。

「つまり何だ、お前はあの時の女の子を助けたいと言う訳だ。ああわかった、よくわかったからもう一回お前の肩書きを言ってみろ」

「地球連合宇宙軍、ジェイド・ロス少佐だ」

澱みなく、迷いなくそう言ってのける。

「そう、曲がりなりにも佐官だ。俺達皆を指揮、統率する必要がある。お前がいなけりゃこの船は動かん。……わからんわけでもないだろ」

そんな事は百も承知。どう考えたって無理なのはわかっている。

だからこそあえて打ち明けているのだ。最早それは、開き直りとも言えるような体である。

 

「だが、助けたいんだ」

「無茶を言うなこのバカっ!」

すぱん、とやけにいい音がした。平手を一発頭にもらったようだ。

「……なんだってあんな子供に拘る。気持ちはわからないでもないが。だからって、軍人としての地位と責務を秤にかけることじゃないだろ」

「わかっているさ、そんなこと。だけど……あの子は私にとっては大事な証拠なんだよ。バイドが起こした大破壊。それにたった一つの命でも、私たちが抗うことが出来たという、ね」

アーサーの顔が僅かに歪む。

杏子を救いえたその時は、その場に駆けつけた誰もが祈り、喜んだ。それは確かに、あの大破壊に対してほんの僅かでも抗いえた。その象徴とも言えた。

 

「それに、そこまでして助けた命だというのにだ。あの子はそれを自分で捨てようとしている。……ちょっとばかり、それは許せないと思わないか?」

「あぁ、それは……」

呆れたように、諦めたように力の抜けた笑みを漏らすアーサー。気付けばロスも、同じような表情を浮かべていて。

「「許せない、な(だろ?)」」

同時に声が重なって、それからなにやらおかしくなって。大の男が司令室の中、声を殺して笑い転げた。

「わかったわかった、じゃあちょっと怪我でもして、軽く半月くらい入院してこい。船の連中は、俺の方から説明しといてやるよ」

「いつも世話をかけるな、アーサー」

「いいからさっさと支度しろ。本当に腕の一本くらい折るぞ」

どうやらこれから先の面倒を考え始めたらしい。普段は随分理性的で落ち着いた雰囲気のアーサーも、抱え込んだ厄介事にやられているようだった。

 

「じゃあ、行ってくる」

そうして、歳若き司令官は己が職務をほっぽりだして、一路杏子の下へと向かうのであった。

 

 

 

暗い部屋の中、モニターには赤々と光るRの文字。その画面に向かって話している男。それはロスに杏子の状況を説明した、あの医者で。

「……はい、確かに彼は佐倉杏子の元に向かいました」

「そうかそうか、これで彼女が立ち直ってくれれば言うことはないのだがね」

モニターから返ってくるのは、しわがれた男の声。

「しかし、何故このようなことを?あんな子供一人、放っておいてもよさそうなものですが」

「君がそれを知る必要はない、が。……後輩の知的好奇心を満たしてやるのも先達の役目。いいとも、教えてあげよう。あの子供には素質があるのだそうだ。我々の研究に必要な……なんと言ったかな。魔法少女、とか言うらしい」

いきなりかつての恩師に頼まれ、なんとしても佐倉杏子を回復させて欲しいと頼まれた。無茶な願いだが断りきれず、ひとまず当たってみたあの男はこちらの目論見どおりに動いてくれた。

とはいえ、その結果がこれである。

(ついに耄碌したのか……この爺さんは)

 

この時代でも、痴呆につける薬はない。

(恩の一つも売れるかと思ったが、あてが外れたな……)

「まあ、どうなるかはわかりませんが。回復の兆しが見えたら連絡しますよ、先生」

投げやりにそう言って、男は通信を打ち切った。

 

 

殺風景な部屋、たった一人の病室の中で、呆然と真っ白な壁を見つめる少女。腕には何本も点滴が繋がれ、それでもなお顔色は悪い。まるで魂がどこかに抜けていってしまったかのように、虚ろに佇んでいる。

彼女――佐倉杏子は、あの痛ましい事故から二ヶ月が過ぎた今でも一歩として、ベッドの外へ出ることは叶わなかった。

(どうして、あたしは生きているんだろう)

眠れない夜はいつも思う。誰も何も教えてくれない。気を遣っているのはわかっていた。聞けばきっとショックを受ける、と。

それが逆に辛い。わかっているのだ。何かとても大変なことが起きたのだということは。きっとそれに巻き込まれて、大切な家族も、それまでの生活もすべてが消え去ったのだと。

 

(なのにどうして、あたしだけが生き残ってしまったんだろう)

生き残ってしまったからには、生きようとしなくてはならない。わかっているのに体は動かない。動いてくれない。動きたくない。

回りの優しい勘違いを訂正する気にもなれずに、ただ毎日を無為に過ごしていた。

(そろそろ、いつもの看護師が来る時間だ)

誰もが優しい言葉を、気遣いを見せてくれる。けれど、本当のことは何も教えてくれない。待っているのだろうか。時間が自分の傷を癒して、真実に耐えうるようになる日を。

(……だとしたら、それってとってもひどいなことだよ)

扉が開く音、陰鬱な気分でそちらに振り向くと、そこにいたのは。いつもの看護師の姿――ではなく、頭に包帯を巻きつけた男の姿だった。

 

「やあ、お邪魔するよ」

それは、杏子が消え行く意識の中で見たもの。死と瓦礫に塗れていた自分を掬い上げた、男の姿だった。

「………ぐんじん、さん」

声を出そうとして、喉がかすれて出なくって。やっとのことで話した声は、か細く弱々しいものだった。

 

(まさか、ここまで衰えているとは……)

その姿にロスは絶句していた。だがそれを決して表情に出さない程度の理性はあった。杏子の驚いたような顔は真っ白にやつれて、血の気が一切感じられない。何度か失敗してからようやく出たその声は、あまりにも弱々しくて。

(やはり、ここに来てよかった。……これは、あまりにもひどい)

「けが……したの?」

「っ……ああ、ちょっとお仕事で失敗してね。検査とかいろいろで、二週間くらいはこっちにいることになると思う」

短い時間だ。彼女を救うのに、こんな短い時間で足りるのだろうか。

「だい、じょうぶ……っぐ、けほ、けふ…っ」

苦しげに言葉をかけていた杏子が、突然苦しんで噎せはじめた。

 

「無理して話そうとするからだ。言わんこっちゃない。水くらいは飲めるかい?」

苦しげなまま、それでもかすかに杏子は頷いた。極力深刻そうな顔は見せずに、ロスは水差しを手に取った。

 

「少しは、落ち着いたかな?」

「……うん」

相変わらず力のない声。けれども幾分か掠れた調子は収まった。

「体の調子は、まだあまりよくないようだね」

「しゅじゅつ、は、うまくいったって」

それでもまだ、どうにも声は覚束ない。口が上手く動いていないのだろう。まあ、話を聞く分にはこれでも構わないだろう。

「なら、きっとよくなるだろうと思うよ。むしろ私の方が危ないかもね。何せやられたのが頭だ、しっかり検査してもらってくるとするよ」

「……ぐんじんさんも、しぬの?」

感情が何も見えない、凍りついたような表情で杏子は問いかける。

「死ぬかも知れないし、そうでないかもしれない。誰だって、死ぬときは死んでしまうものさ。こういう仕事をしていると、それを嫌というほど思い知らされるよ」

あの事故が巻き散らかした死は、目に見えない形で杏子に纏わりついている。果たしてどう払ったらいいものか。皆目検討もつかない。

 

「それとね、私はロスだ。ジェイド・ロス。少し長い付き合いになるかも知れない。まずは、自己紹介をしておこうと思ってね」

「ろす」

小さく、口の中でその言葉を転がすように杏子は呟いた。

「ああ、ロスだ。よろしく頼むよ、佐倉くん」

杏子は小さく頷くだけで。

その後は取りとめもないような話すらもろくに出来ずに、ようやくやってきた看護師に追い出されてしまったロスであった。

 

「なかなか強敵だ、参った」

健康な体で病院なんてところにいるのである。とかく退屈でたまらない。一通り事情は説明されているらしく、表向きは患者という扱いがされているようだが。

とにかく考える時間だけは山ほどもある、ロスはこれからのことを考える。

「考えていても仕方がない。とりあえず、色々話を聞かせてもらうことにしよう」

思考は回れど答えは出ない。こういう時は、別のことをしてみるのもいい。なかなか大変な仕事になりそうだが、ここまで来たからにはやるしかないのだ。

 

聞き込み、というか世間話というか、そういった類の話を一通り終えて。再び、ロスは考える。彼ら、彼女らの話から透けてきたもの。佐倉杏子を、どう扱っているのかということ。

「本当にかわいそうな子よね、あんな小さいのに」

 

「事故のことを聞いたら、きっとショックを受けるでしょうね」

 

「一体あの子、これからどうなるんだろうね」

……等々と、色んな話を聞いてきた。お陰で、どうやら少しだけ見えてきたものもあるようだ。そして、何をすべきかもわかった。

準備は、万全とまでは言うまいが、整ったと見てもいいだろう。

 

「さあ、行こうか」

 

 

 

体はほとんど動かない。そのままずっと寝ていては、体がおかしくなってしまう。だから、いつも誰かが定期的に体の向きを変えに来る。慣れはした、けれどそんなことすら誰かに頼らなければならない自分が情けなくて。そのたびに、杏子の気分は沈んでいった。

(あの人は、あたしを助けてくれた人だ。覚えてる)

ロスのことを思い出す。頭の怪我だと言っていた。心配だった。

(死んじゃうのかな……あの人も。嫌だな、そんなの)

断片的に蘇る死のイメージ。崩れて降りかかる重たい衝撃、体が押しつぶされる痛み。視界を赤く染めるナニカ……。

(あたしが、代わりに死ねたらいいのに。こんなになって、生きてたってしょうがないよ)

 

杏子が暗い思考に沈みかけていたその時に、再びロスが部屋を訪れた。

「やあ、お邪魔だったかな?」

「……ろす」

相変わらず、声は上手く出なかった。

 

「今度は君に話があってきた。とはいえ、聞くかどうかは君に任せる」

声の調子が変わった。それは子供に言って聞かすような口ぶりではなく。どちらかと言えば、同じ部隊の人間と話すような声色で。

「君の身に起こったこと。何故、君の家族が、君がこんなことになってしまったのか。……誰も、君をそれを話そうとはしなかっただろう?」

驚愕する。

その言葉に弾かれたように、目を見開いて杏子は顔を上げる。誰もが自分を子ども扱いする。誰もが自分を腫れ物の用に扱う。可哀想だと言う、何も教えてはくれない。……そう、それは確かに不満だったのだ。

「ほんとう、に。おしえてくれる……の?」

「君が望むのならね。あらかじめ言っておくが、気分のいい話じゃない。聞けば後悔するかもしれない。選ぶのは君だ。佐倉くん」

 

真っ直ぐに、真摯に。ただ答えを待つ。

佐倉杏子はまだ幼い子供だ。そんな子供が受け止めるには、これは重すぎる事実だ。だが、しかし、それでも。それを笠に着て、意志を示す機会さえ奪っている。それが正しいことだと言えるのだろうか。

いつか機会を見て話すこともあるのだろう。だが、自分が関わる事ができるのは今しかないのだ。

残酷な選択を強いる。心は痛む。ひょっとするとこれは、部下に危険な任務を命ずる時のその心境にも似ているのではないかと、若き司令官は考えていた。

 

「……きかせて。ろす。あたし、しりたい。だれも、おしえて……くれない。だから、おねがい。ろす」

その視線を受け止めて、杏子も真っ直ぐロスを見据える。その瞳にはもう空虚はない。

どんなもの、判別のつくようなものではないが、確かにその瞳には意志と呼べるものが宿っていた。

 

そして、ロスの口から語られるバイドという敵の存在。それが引き起こした大破壊、エバーグリーンの墜落。それでも尚続く戦い。

一気に話し過ぎたようで、杏子はかなり疲れた様子だった。

「……随分とざっくりだが、これが今の人類を取り巻く現状だよ」

理解が追いついていないのだろうか、杏子はどこか呆然とした顔をしていたが。それでも一つずつ、投げかけられた言葉を飲み込んで。

「どうして、どうして……そんなことをするの、ばいどは」

「それがわかれば、こんな苦労はしてのだろうけどね。……あいつらはただ、全てを攻撃している。そのために進化し、増殖している。それだけの存在だ」

だからこそ、ありとあらゆる手を尽くして抗わなければならない。でなければその先にあるのは、飲み込まれて果てる未来だけなのだから。

 

「どうして、それをおしえてくれたの?」

杏子の声には、いつしか力が篭り始めて。

「敵を知っておくことは、戦う上でも生きる上でも重要なことだからね。それに君のこれからの人生は、辛いものになるかもしれない。その時に誰かを恨むくらいなら、バイド連中を山ほど恨ませてやろう、ってね」

最後のところは冗談っぽく、笑みを混ぜて話していた。生きるための力というのは、必ずしも前向きなものばかりではない。何かを恨む、憎む。そういうものも人を突き動かす力になる。

出来ればこんな子供には、そんなものは背負って欲しくはないのだが……と、内心の考えはおくびにも出さずに、ロスはおどけたようにそう言った。

 

「たたかっているんだよね、ろすは。ばいどと」

「………まあ、ね」

実際のところ彼の部隊はただの輸送部隊。今のところほぼ実戦経験はない。というのはここだけの秘密。

とはいえ、今後も戦況が激化の一途を辿ればそうも言ってはいられないだろう。

「あたしも、たたかえないかな」

固くこわばった手を、無理やりぎゅっと握り締めて。引き攣れるような痛みに顔を顰めながら、搾り出すように呟いた。その言葉は、確かにロスにも届いている。

子供の言う事ではある、現実を知れば、恐らくそんな意識は吹き飛んでしまうだろう。だがそれでも、ロスは今、一人の人間として杏子と向き合っている。

「人に、特に子供になんてお勧めできる生き方じゃない。でもそれだけだ。その意志が本物で、どこまでも貫き通せるなら。不可能ではない」

ロスの言葉に杏子は押し黙る。何を考えているのか、その表情からは推し量れない。

それほどに、多くの複雑な感情が渦巻いていた。

 

「ろす、またきて。もっと、おはなしして。あたしは、しりたいんだ。あたしの、あたしたちの、てきのこと」

杏子の心には、確かに火がついたようだ。この日初めて、ロスはバイドという厄介者の存在に感謝した。絶対的な敵。その存在が、どうやら杏子を立ち直らせたようだから。

 

それから二週間、ロスは杏子と多くの時間を過ごした。バイドへの敵愾心が、死に掛けた杏子の心に再び火をつけた。

それからの杏子は劇的な回復を遂げた、もともと肉体的にはほとんど健常だったのだから、それはある意味当然とも言えたのだが。

「しかし、たった二週間だ。びっくりするくらい元気になったものだね、キョーコ」

「そりゃー当然だろ、あんな話聞かされ続けてたら、いつまでも寝てなんかいられるかっての」

ベッドに腰掛け、楽しそうに話す二人である。杏子なんかは随分キャラも変わった。というか、恐らくロスの影響だ。

幾分か……というか随分と、彼はフランク過ぎた。結果として、杏子はロスと対等に話し続けたばかりか、回りの大人にまでこの調子で接しているのである。

あんまりにもあんまりな急変に、周囲の人間は皆戸惑っていたのだとか。

 

「しっかし、ロスも明日で退院かー。つまんなくなるよなー」

「もともとはただの検査だからね、どうやらたいしたこともなかったようだし」

「あたしもさ、体はもう大分よくなってきたし、もうそろそろ退院ってのが見えてきそうなんだ」

「それは本当に何よりだ、私も色々話を聞かせた甲斐があったよ」

ここに来た目的は達成できた。十分満足できる成果だ。これなら、帰った後しこたま聞かされるであろうアーサーの愚痴にも耐えられる。

「なあ、ロス。……あたしも、一緒に行っちゃだめかな?そりゃ今はこんなナリだけど、体は鍛える、勉強だってする。どんな事だってするからさ……一緒に、ついて行っちゃだめかな?」

それでもまだ、杏子は時折歳相応の子供のような顔を見せることがある。どうやら杏子は、ロスに依存している部分も大きいようだ。そこがまだ少しだけ不安ではある、ただもうこれ以上時間は割けない。

 

「無理だ。第一私には、部隊の戦力増強に関する裁量権は持ち合わせていない。つまり、勝手に人を増やせないということだ」

杏子の自尊心のことも考えて、あえて杏子が子供であるという理由は使わない。勿論今言ったことは事実。今後の状況を鑑みると、ある程度の戦力増強は急務なのだが、それをするための権限がないというのが、目下一つの悩み事ではあった。

 

「そっか……残念だなー。ロスとだったら一緒にバイドと戦えたかもしれないのにさ」

「なら、ちゃんと体を鍛えて勉強することだ。一見遠回りだが、それが一番の近道だ」

「面倒なこと言ってくれるよね。一体何年かかると思ってんのさ」

「早くて10年、といったところかな」

「10年だろ?そんなに過ぎたら、ロスなんかもうおじさんじゃないかよ。……でも、本当に10年頑張ったら、ロスに追いつけるんだね?」

「私の地位まで上ってくるなら、そこから更に10年だな」

「そういうことじゃないっ!……一緒に、戦えるんだよな?」

「……その頃まで、戦うような相手が残っていればね」

バイドとの戦いが後10年続くだろうか、と考える。

人類は、未だかつてないほどの総力戦を強いられている。そうでもしなければ、バイドに抗い得ないのだから。バイドを根絶しない限り、そんな戦いを10年以上にわたって続けられるかといえば、厳しい。

だからこそバイド中枢の破壊を持ってバイドの根絶を為す、対バイドミッションが行われているのだ。

恐らく杏子がまっとうな手段で戦場に出るような時には人類は既に潰えているか、もしくはバイドが潰えていることだろう。そんな考えは思考の端にあったのは事実。

 

「わかった。なら、絶対に追いかけてやる。どんだけつらくたってきつくたって、あたしは絶対諦めないからね」

「まったく、二週間前のしおらしさが噓みたいだ。だが、頼もしいね。そろそろ行くよ。キョーコが退院する時には、また顔を出すとするさ」

「約束、だからな」

 

言葉と心を交わした短い時間。それでもそれは、杏子に新たな人生を与えることになった。そしてロスは再び、軍人の名前をその身に纏って艦へと戻る。

 

「その顔を見るに、どうやらうまくやったらしいな、ロス」

「そんなに顔に出てたかな、アーサー?」

「長い付き合いだからな、それくらいはわかるさ。……さて、俺からお前に渡しておくものがある」

ぱさり、と机の上に投げ出されたのは数枚の記憶ディスク。

「代理じゃ話にならん、っていう案件がいくつかあってな。どうにもならんから俺の手元で留めておいた。さっさと処理しといてくれよ、艦長」

「んなっ……こ、これは」

ざっと見る限り、一日二日でどうにかなる量ではない。

まあ、人一人助けた対価としては安いか、とロスも気合を入れなおす。

「片付けておくよ。本当に助かったよ、アーサー」

「こういうのは、もうこれっきりにしてくれ。色々と心臓に悪い」

今回のことで、やはりもつべきものは友だと実感したロスなのであった。……多分、同じこともう一回やったらただじゃ済まないだろうということもわかっていたのだが。

 

そして、年が変わって2164年。第1次バイドミッションの英雄の、その帰還に端を発した事件。後にサタニック・ラプソディ、デモンシード・クライシスとも呼ばれる事件が起きたのは、その年の初頭のことである。

その被害の規模自体は先のエバーグリーンと比して小さく、比較的早期に事件は鎮圧された。しかしそれは、地球圏に初めてバイドが侵攻したという事例であった。

それを重く見た地球連合軍はついに、各部隊の隊長に戦力増強の裁量権を与えることを決意したのであった。

 

そしてそれは、ロスの部隊においても例外ではない。

ロスは中空に浮かび上がったその書類を見ながら、ぼんやりと部隊の編成のことなどを考えていた。

今この部隊にあるのは、三機の戦闘機に早期警戒機と補給機が一機ずつ。戦力としては心もとない。工作機の一機は欲しいし、もう少し射程のある機体も欲しいところである。

とはいえ、戦力増強は全て自分の部隊の裁量で行わなければならない。それはつまり、機体の調達からパイロットの徴用まで、全て自分で行わなければならないということで。まだ年若く、コネやツテどころか実戦経験さえも少ないロスには、非常に頭痛の種だった。

 

「同期はあらかた当たって見たが全滅だ。それはそうだろうな。あの号令が出てからどこの部隊も戦力増強に躍起になっている、他所に回す分などありはしないか」

「またその話題か。ロス。別にそこまで急いで戦力を増強する必要もないんじゃないのか?今のところ、うちの部隊はこの人数で回せてる。無理に増やすといってもなぁ」

軽く手を振り、浮かんだ書類をかき消しながらロスは呻くように声を絞り出した。そんな憔悴しきったロスに、不安げにかつ不思議そうにアーサーは尋ねた。

「わかってはいるのだがね、この命令はかなり歪だ。裁量権だけ与えられてもね、それで部隊が強くなるわけじゃない。本来だったら待っていれば上から設備や人員は降りてくる。だが今後はそれも望み薄だ」

「つまり、篩ってことか?」

「可能性としてはある、ってところかな。この命令を機に部隊戦力を伸ばすことができれば、それはつまりその部隊が少なくとも使える部隊であることの証明にはなる。優秀な戦力が欲しいのはどこも同じだろうからな」

「って言ってもなぁ。質を無視して数だけ増してもしかたないと思うんだが」

「それは私も思う。……これが篩なのだとしたら、多分それはもう一段くらいあるのだと思うよ」

「数の次は質を問う、ってことか……上は何を考えているんだかな」

「流石に、そこまでは私もわからないよ。とにかく今は、少しでも戦力増強に努めることだ」

 

一通り話題も煮詰まった。少し気分転換でもしようかと思っていたところに。

「ああそうだ、お前宛に手紙が届いてたぞ。もしかしたらどこかからのいい返事かも知れんな」

手渡されたのは手紙。この時代にしては、手書きというのも珍しい。宛名を見るとどうやら、杏子の入院している病院のようだ。何かあったのかと、早速封を切ってみた。

それは杏子からの手紙だった。

どうやら近々退院するとのこと、その後の行き先もどうやら決まりそうなのだという。その字面や、貼り付けられた写真からはとても嬉しそうな杏子の様子が伝わってくる。

そういえば、見送りに行く約束もしていたことを思い出す。

「アーサー、私は有給を取る」

「は?」

「ここ数日というか丸一週間、あちこち駆けずり回って頭と体を酷使しすぎた。この辺りで一日くらい休暇を入れないとそろそろ仕事に支障を来たす。だから休む」

 

「……で、その手紙の中身は何だ」

アーサーはあくまで冷たく言い放つ。自分でなくともそうするだろう。腐れ縁の仲なら尚更遠慮はいらなくなって。

「いや、あの子が近々退院するらしくてね。見送りに行こうと思って」

「んなこったろうと思ったよ。……まあいい、ここ数日、お前の焦燥ぶりは見てるこっちが不安になる。陸に下りて、向こうの空気でも吸ってこい」

甘いとは思いつつも、この部隊が最大効率を発揮するためには結局、ロスの存在は欠かせない。そのロスがここまで参っているのだから多少の融通くらいは利かせてもいいか、なんて本人の前では絶対にいえないことを考えて。

「三日くらいで済ませる。ついでに母校の教官殿にあての一つもないかどうかを聞いてくるさ」

「そういうとこだけそつがないのな、お前」

かくしてロスは再び地球へ。まずは一路病院へ。

 

 

「本当に、本当にあんたと一緒に行けば、あたしは戦えるんだな?」

すっかり退院の支度を整えた杏子は、やや興奮気味に詰め寄った。

「ええ、そうですとも。我々の研究が形になれば、戦う意志と資質のある者は、歳など関係なく戦うことができるようになるのです」

その声に応えたのは、柔和な顔立ちをした初老の男性。後にKと呼ばれ、狂気の科学者集団の長となる男、その微妙に若かりし日の姿である。

「そのけんきゅー、ってのにあたしが協力すればいいんだろ?そうすりゃあたしは戦えるようになる」

(そうすれば、ロスと一緒にだって戦える)

「ええ、そうですとも。その戦おうとする強い意志、そしてあなたには資質もある。まさに我々の研究にとって、最高の協力者となってくれることでしょうとも」

Kもまた、感極まったような声で答えた。

 

 

「ちょっと待ったぁっ!!」

ドアを蹴破るような勢いで押し開けて、ロスがその場に現れたの。

「おや、君はどなたですか?」

「ロスっ!なんでここに!?」

同時に驚いたような声を上げる二人。

「いえ、何。ちょっと聞き捨てならない話を聞いたもので。ちょっと乱暴ですがお邪魔させてもらいましたよ」

乱れた服を軽く整え、ついでに息も整えながら。ロスは杏子とKを交互に見据えて。

「彼女の身柄は、私が引き受けることになっているんですよ。勝手に連れて行かれては、困りますね」

あえて軽妙な調子をつけて言う。Kは不思議そうに首をかしげ杏子は驚き眼を見開いた。

 

「それはおかしいじゃないですか。私は彼女にちゃんとお願いして、納得もしてもらっているんですよ。彼女の意志も固いのですから、それを無理やり曲げるのは感心できません」

Kの声はあくまでも穏やかで。

「そもそも、そのような話は何も届いてませんよ?一体どのような権限で、彼女の身柄を引き受けようというのですか」

杏子は不安げに、二人を交互に見つめるだけだった。

「これですよ、部隊裁量権の譲渡。私はゲルトルート特別連隊隊長、ジェイド・ロス中佐です。私の権限で、佐倉杏子を私の部隊に配属させてもらいます」

言葉と同時に突き出された電子書類。どうやら地味に出世していたらしい。流石のKも、それを見ては表情を変える。

 

「どうして、彼女にそこまで肩入れするのです。あなたは。……まあ、いいでしょう。しかたありません」

小さく肩を落として溜息をつくK、そのまま部屋を出て行こうとするが。

「ああ、ですか杏子さん。あなたがもし我々に協力する気になってくれるのでしたら、いつでも連絡してください。私達にはあなたの力が必要なのですから」

そんな言葉を残して、Kは去っていった。

「ロス、今の……あ?」

杏子はまたしても驚愕した。恐る恐る覗き込んだロスの表情は、ものすごく苦悶に歪んでいたからだ。

 

(やってしまった……つい勢いで言ってしまった。まずい、まずいったらまずいぞ)

普段は優秀なはずのロスの頭脳も、ことこの場においては何の意味もなさない。とにかくロスの頭の中には、やっちまったーという言葉が散乱していた。

 

「あのまま連れ去られていたら、恐らく実験動物扱いされていたと思うよ。あれはTEAM R-TYPE。最強最悪の科学者集団だ」

ようやく衝撃から立ち直ったロスが、酷く疲れた顔で杏子に事情を説明した。

「……じゃあ、あたしはどうなるのさ」

「どうするかな、あいつらの手の届かないところに逃げてもらうのが一番なんだが。流石にそんなあてはないしなぁ……」

「じゃあ本当に一緒につれてってくれればいいじゃん。それなら問題ないんでしょ」

「……子供の遊びじゃないんだ。いくらなんでも、そんなことさせられるわけがないだろう、キョーコ」

言ってしまってから、しまった、と気づく。杏子にとって、いつか一緒に戦えるということが希望だったのだ。それを自ら踏みにじるような言ってしまった。明らかな失敗だ。

 

「それでも、あたし……戦いたいんだ!お願いだよ、戦わせてよっ!ロスっ!」

それでも、杏子は訴えた。その瞳に涙を浮かべて。

「何でそんなに……普通に生きる道を選ぶことだってできるんだぞ。わざわざ苦しい生き方をする必要なんて……」

「あんたと一緒に居たいんだよ!あたしにはもう、あんたしかいないんだ!……だから、お願いだよ。一人に……しないでよ、ロス」

声を顕わに叫んで、必死に縋って、泣きじゃくって。そこにはいつも見せていた気丈な表情はなく。初めてであったときの、消え去りそうな空虚さもない。

本当の佐倉杏子の姿が、その想いがあるだけだった。

 

「とても、つらいことばかりだ」

 

「それでも、あんたがいれば、我慢できる」

 

「死ぬかもしれない」

 

「怖いよ、でも、もう会えないほうがもっと怖い」

 

「……人を、殺すかもしれない」

 

「あたしは……それでも、ロスと一緒にいたい」

 

見つめあい、しばしの間の沈黙の後。

「私の負けだ。本当に……とんでもないものを拾ってしまったよ、私は」

苦悶の顔が、諦めと呆れの混じった顔へと変わった。

「こうなったら仕方ない。一緒に行こう。キョーコ」

「……うん、ロスっ!」

涙を拭って、飛び切りの笑顔で杏子は応えたのだった。

 

「大変だったんだね、あんたも」

エバーグリーン、その名前は誰もが知っている。それが引き起こした事件が、恐ろしいものであることもまたそうだ。

ただ、さやかには実感が湧かなかったのだ。自分の知らないどこかで、何か恐ろしいことが起こっている。そのくらいにしか思っていなかった。

それが今では、バイドという敵の仕業であることを知った。その傷痕を身に刻んで生きている、杏子のことを知った。同情もある。それ以上にさやかは考える。それが、杏子の戦う理由なのだろうか、と。

「まあ、この体は半分以上がもう作り物だからね。それでも何の問題もなく動ける、生きてる。最近の医療技術ってーのは恐ろしいよ。それこそ、魔法みたいだ」

(作り物の、体……アイツも、これくらい大変だったのかな)

そんな杏子の言葉に、さやかの脳裏に思いがよぎる。幼馴染だった少年のこと。かつて不幸な事故があった、その少年のことを。

けれども、すぐにまた杏子が話を続けたので、ひとまずそれは打ち切ることにして。

 

「ま、そーゆーわけであたしは軍に入った。って言ってもまだガキでさ。出来ることなんて、それこそ雑用みたいなもんだったけどさ」

 

 

 

 

「まあ、何というか。諸君らにとっては非常に理解しがたいことだと思うのだが」

輸送艦の中の格納庫、クルーが一同集まるその前で。

杏子とロスが並び立ち、少し離れてアーサーが非常に渋い顔をして声を放った。こんな態度を取っていては、周りに示しがつかなくなるとも思いはするが、この状況ではどうにもならない。

「本日より、この部隊に新たな人員が配属されることとなった。なんとも驚くべきことに、かつてエバーグリーンが堕ちたときに、我々が救った少女が帰ってきた。……佐倉杏子二等兵だ」

クルー達は言葉もなく、押し黙ってその様子を見つめている。正直に言って、信じられないといった風だ。そんな視線の真っ只中において、杏子は少し緊張した面持ちで立っている。

 

ロスは何も言わない。杏子の意志が本物であることはわかっていた。

ならば、納得のいくまでぶつからせてみよう。きっとどこかで挫折もするだろう。そこで終わるようならそれでいい、今度こそ、平穏な日常へ戻してあげよう。

もしも戦い続けることが出来たというのなら、その時は……。

「何か、言うことはあるかね?佐倉二等兵」

アーサーは、さっさとこんなことは切り上げたいと内心考えながらそれでも一応通例どおりに杏子に尋ねた。

その言葉に、杏子は頷き前に出る。そして、大きく息を吸い込んで。

 

「あたしは、ここにいる皆に命を救われた」

子供そのものの、まだ少し高い声で話し始めた。

「最初は、どうして自分だけが助かったんだなんて思った。でもロス艦長は教えてくれた。あたしが巻き込まれた事故のこと、皆が戦っている敵のこと」

それを聞くクルー達の間に、静かなどよめきが起こり始める。普段ならそれをとどめる立場のアーサーは、黙って耳を傾けている。

「だからあたしは、皆から助けてもらった命を皆のために使いたい。もっと、多くの人を助けるために使いたいんだ!」

軍人とは、必要があれば命を奪うことも辞さない職業だ。

それが多くの命を守るためとは言え、命を守ったのだということを直接実感する機会など、そうはない。けれど今、彼らが救った命が目の前にある。彼らと同じ志を持って。

 

「あたしは子供で、すぐに大人になんかなれないけど。それでも出来ることはなんだってする。だから、皆と一緒に……一緒に、戦わせてください。お願いしますっ!!」

声を張り上げ、深く頭を下げる。子供がするには、それはあまりにも壮絶な覚悟だろうと思う。いつしか、どよめきは納まっていて。

ぱちぱち、と。乾いた音が一つ。それに続いてもう一つ、また一つ。それは誰かが手を打つ音で、次々に広がっていく。

 

「俺達が救った命だ、俺達がちゃーんと面倒見てやりますよ」

拍手をしながら、列に並んだ男が言う。その言葉に顔を上げ、きっとその男を睨んで杏子は。

「あたしは面倒を見てもらいに来たんじゃない、皆と一緒に戦うために来たんだっ!」

と、やや興奮気味に食って掛かった。その剣幕が、大人たちには微笑ましい。

「はっはっは、こりゃ頼りになりそうだ」

「期待してるぞー、二等兵殿ー」

「気の強さだけは一人前じゃない?」

なんて、随分と賑やかになってきた。ぱん、と一つ手を打つ音。見れば少し怖い顔をしたアーサーが。

「静かにしろ、お前達。それと佐倉二等兵。お前ももう軍と組織の一員だ。言動には気をつけるように。……では解散だ、各自持ち場に戻れ」

 

「じゃあ、最後に一つ」

そんな様子を黙って見つめていたロスが、静かに声を上げて。

「佐倉二等兵、どんな事情があったにせよ君はもうこの艦の一員だ。この艦は私たちにとって家であり、私たちは皆家族とも言える。だから今日からここが君の家だ、そして我々が、君の家族だ」

それが、杏子の新たな人生の始まりだった。

 

結論から言ってしまえば、軍隊なんていう組織は子供のいられる場所ではない。

ロスも極力、彼女を特別扱いはしないようにしてはいた。ただ、問題はその他のクルー達だった。自分たちが救った命ということで、気にかけることも多かった。

そしてそれは幼い少女で、まるで自分や親戚の子供のようにも見えた。おまけに杏子は、非常に努力家だったのである。周囲が驚くほどに。

その結果どうなったかといえば、所謂一種の偶像、アイドル的なものとして杏子は受け入れられていた。勿論そんな扱いは大いに不服、と杏子は対抗心を顕わにし、更に職務に励む。

そんな姿を見て、周りの大人たちも触発されて頑張り始めた。なんだかどうも、当初の予想とは違った具合になってきて。これにはロスも困惑するのであった。

それでもこの時期のゲルトルート特別連隊は、かつてないほどの士気の高さであったのは事実である。

 

もう一つ周りの誰もが驚いたのは、杏子がR戦闘機乗りとなることを望んだことである。事実として、R戦闘機のパイロットは小柄であることが望ましいとされる。急激な機動によるGに耐えるためにも、コクピットブロックの容量を圧迫するためにもである。

そのため、パイロットの四肢の切断やパッケージ化、幼体固定といった黒い噂も絶えない。

それをどこから聞きつけたのか、ともかく杏子はそれを望んだ。

最早この時期になると、杏子の無茶を止めることのできる人間はロスかアーサーくらいのもので。挙句止めるつもりもなかったようで、結局杏子はR戦闘機乗りとしての訓練も受けることとなる。

 

そこまでで、二年である。

 

バイドとの戦闘は熾烈を極め、第2次バイドミッションが発令された。ただの輸送部隊であったはずのロス率いるゲルトルート特別連隊もそして杏子もまた、その中で戦っていくこととなる。死と隣合わせの戦いが続く日々。杏子自身も死に掛けたことは何度もあった。

それでも、幸せだったのだ。皆と助け合って、戦い抜いていける。ロスと一緒にいられる。これからもずっと。……ただそれだけが、純粋に幸せだったのだ。

 

「篩、ってのはこういうことか、ロス?」

「だろうね、地球圏の全部隊による合同演習、それも実戦にかなり近い模擬戦形式と来た。……果たして、お偉いさんはそうまでして何をしたいんだろうか」

ロスとアーサーの二人が眺めるモニターの中で、閃光をばら撒きながら交錯する二機のR戦闘機。

方や、杏子が駆る赤いカラーリングのアロー・ヘッド。対峙するのは模擬戦の相手となる部隊のエース、ピンクのキャノピーやハートのマークが目に残る機体R-9A3――レディ・ラヴ。

機体性能でも、パイロットとしての技量でも追いつけない。それでも必死に杏子は敵機に喰らいつく。そうすれば、必ずロスがどうにかしてくれる。そう信じていたから。

 

「しかし本当に、キョーコも成長したもんだな。背も随分伸びた」

「まさか彼女に、パイロットとしての適性があるなんて思わなかったよ。……ひどい話だとは思うが、彼女ももう立派な戦力だ」

艦を進ませながら、杏子の成長振りを改めて噛み締める。今やロスも新米の肩書きは取れている。いっぱしの指揮官として艦の指揮を執る。

「艦長。敵艦との距離、8000まで近づきました」

オペレーターからの声が届く。

「よし、いい距離だ。ここまで邪魔されずに来られるとはね。パイロット達も皆、いい仕事をしてくれたようだ」

その言葉に、満足そうにロスはほくそ笑み。

 

「では船速そのまま!シューティング・スターを発進させろ!」

R戦闘機同士の戦闘で敵の目を惹き、その間に敵旗艦に接近。超射程の波動砲をもつ狙撃機、シューティング・スターの突撃で一気に敵艦を沈める。たとえ護衛の機体がいたとしても、それが駆けつける前にシューティングスターの波動砲は敵へと届く。

敵と比べて戦力に劣るロスの部隊が、勝利の為に考えた作戦だった。そしてそれは間違いなく成功し、敵艦は行動不能と判定、模擬戦はロスの勝利に終わった。

「やったぜ!ロスが勝った!……でも、パイロットとしちゃああたしの負けだ。もっと、強くならなくちゃね」

杏子もまた、その模擬戦の結果に満足すると同時に、超えるべき壁に対して意欲を燃やした。こんな模擬戦が何度も繰り返され、驚くべきことにロスの部隊は、寡兵ながら兵員の質と見事な戦略によって次々に勝利を収めていく。

 

恐らく、それが当初からの軍の目的だったのだろう。そうして勝利を収め続けたロスの元に、新たな命令が下された。

木星軌道上にある軍事施設――ミーミル。バイドに占拠されたその施設を奪還する。それがロスに課せられた任務であった。

 

「じゃあ、あんたは木星までいって戦ってたんだ」

もう随分長いこと話を聞いていた。外から流れる戦闘の音は未だ止まない。九条からの通信もない。内心の焦りは抱えつつ、さやかは杏子に尋ねた。

「途中であちこち寄りはしたけど、あたしの知る限り、一番規模のでかい戦いだったと思うよ」

「それで……まさか、みんなやられちゃって、一人だけ生き残った……とか、そういう話?」

恐る恐る、といった感じでさやかが尋ねる。

「ははっ、んなわけねーだろっ。ロスがバイドなんかに負けるもんかよ。っつーか、あんたも軍にいるなら知ってるんじゃないのかよ、ロスのこと」

「いや……あたしは軍人……なのかなこれって。全然実感湧かないってゆーか。そもそもバイドと戦ってるだけで、軍人っぽいことなんて何も知らないしさ」

がん、とまた杏子が何かをぶつけるような音。苛立ちを紛らわすように、機体の外壁を蹴飛ばしていた。

 

「ンだよ、それ。ますますもっておかしいじゃんかよ。あんたみたいな子供がさ何も知らされずに戦わされてるってのかよ……機体から降りられないような体にされてさ」

「まあ、おかしいのはわかってるよ。でもさ、あたしはあんたみたいにずっと戦ってきたわけじゃない。そんなあたしが戦うためには、そうなる必要があった。そういうことなんだよ」

杏子の人生を聞けばそれだけ、今の自分が恵まれていることがわかる。どれほどの努力と苦労を重ねて、今の戦う術を得たのだろう。

それとほとんど同じような力を、こんな僅かな時間で得てしまっている。それがなんだか、さやかには恥ずべきことのような気もしていた。

「案外割り切ってんのな。あんたの話も、もうちょっといろいろ聞いてみたい気がするよ」

「じゃあ、杏子の話が終わったら、ね」

 

「……わーったよ。続きだ。……命令を受けて、そりゃあ戸惑いもしたし驚きもした。それでもあたしらはミーミルに向かったよ。途中で戦力も補充しながらね」

そして、杏子は再び語りだす。彼女の最大の戦いの記憶。そして、ロスとの最後の戦いの記憶を。

 

「――本当に、地獄みたいなとこだったよ」

 

 

 

「周囲のバイド体の殲滅を確認、この調子ならこのまま奥へ向かえそうだな」

ミーミルの内部は、まだ比較的施設としての機能を残していた。中でもまだ使えそうなドッグを急遽改修し前線基地として仕立て上げ、ミーミル攻略戦は比較的順調に進んでいるようだった。

「とはいえ油断は禁物だ、アーサー。最奥にある巨大なバイド反応。あれはまだ不気味に沈黙を保っている。奇襲でも仕掛けられたら大変だ。早く偵察機からの報告が欲しいところだね」

ロスの声にも緊張の色が混じる。指揮官となってより初めての、バイドとの大規模戦闘である。今のところは上手く行っているが、この先どうなるか。

 

「っ!通信です。先行したミッドナイト・アイからですっ!」

オペレーターの声も、緊張と興奮で震えている。

「すぐモニターへ。さあ本番だぞ。皆、気を引き締めろ!」

映し出されたモニター。カメラ・ビットからの映像が映し出されて、そこに映っていたものは。

「提督っ!とんでもないのが潜んでいやがった!ドプケラドプスですっ!くそっ、撃ってきやがった……これ以上は近づけない、このまま後退しますっ」

バイドの象徴たるその異形。四肢をもがれた異星人のようなその姿。そして胸部から突き出た、もう一つのバイド体。ドプケラドプスはまたしても人類の前に立ちはだかるのであった。

 

「ドプケラ……ドプス」

その名を聞いて、さやかの声が一気に曇る。思い出すのはマミの最後。あんなに綺麗で強かったマミを、いともあっけなく喰らったその姿。

目にした時間は僅かでも、その異形はあまりにも強くさやかの脳裏に焼き付けられていた。

「ああ、ドプケラドプスさ。ミーミルの奥にはとんでもないのが巣食ってやがった。あの時初めて実感した。バイドってのがどういうものか。初めて怖いと思った」

「でも……倒したんだ。あのドプケラドプスを。すごいな、杏子は」

「あたしだけの力じゃない。っていうか、あたしの力なんて全然役に立たなかったさ」

 

「さて、状況を整理しようか」

絶望的な状況下、それでも勤めて落ち着いた声を出してロスが言う。クルー達の表情にも絶望の色が見て取れる。けれども彼らはまだ諦めていない。

それが、ロスの落ち着いた様子と、ロスが今まで見せてきた実力によるものであるとロスは知っている。だから誰よりも自分がまず絶望してはならないこともまた、よく知っていた。

「ミーミル最奥に潜むドプケラドプス。一応ここは射程外だが、これ以上近づけば容赦なく攻撃が仕掛けられるだろう。まともにもらえばR戦闘機では耐えられない」

考えれば考えるだけ、状況は絶望的だ。

「この艦なら何発かは耐えられるだろう。艦を囮にR戦闘機を突入させて敵胸部に潜むコアを破壊できれば私たちの勝利。しかしそうやすやすとも行かせてはくれない」

奥に潜むはドプケラドプス。そしてそれを守るゲインズにタブロック。今までの交戦で相当数は減らしたが、まだ特に厄介な敵が残っている。

 

「この艦も、ドプケラドプスに加えてゲインズとタブロックを同時に相手にすれば流石に持たない。つまり、何とか先にこいつらを始末する必要がある。……参ったね、どうも」

距離を置いての撃ち合いでは、どうしても敵に分がある。こちらにも射程の長い機体はいたのだ、だが。

「シューティング・スターが落とされたのは痛かったね。このままだと撃ち合いにすらならない」

そう、こちらの長距離射程をもつ機体はすでに、最初の交戦において落とされていた。パイロットのことを悼む気持ちはあるが、今はそれに足を取られている暇はない。

皆それがわかっているからこそ、動きを止めるつもりはない。

「……よし、となればこれしかないな。総員、再突入に備えろっ!」

 

バイドに汚染され、澱む空間の中を艦が往く。それを盾にするかのように後ろに続くR戦闘機。すぐに接近を察知し、バイドが攻撃を開始する。ドプケラドプスより吐き出された体液が。ゲインズの凝縮波動砲が、タブロックのミサイルが艦を直撃する。

それでも艦の足は止まらず、ぼろぼろになりながらも敵へと接近していく。

「今だ!各機散開っ!!」

合図と同時にR戦闘機たちが各方向に散開していく。その直後。

「デコイ爆破っ!」

デコイ。一部の機体や補給機に搭載されている機能である。それは波動エネルギーを特殊な力場に納め、自機と同じ形の物体を生成する文字通りの囮である。ただしそれは波動エネルギーの塊である。

力場を開放すれば、それこそ波動砲と同等のエネルギーを発生させることとなるのである。そしてその機能は、この輸送艦にも搭載されていた。

 

激しい爆発、それにゲインズやタブロック、ドプケラドプスでさえも巻き込まれていく。

だがその閃光の中から現れた敵は、どれもまだ健在。そこに、爆発の範囲から逃れていたR戦闘機たちが飛来する。

「タブロック撃破だっ!道は開けたよっ」

杏子のアロー・ヘッドが波動砲を放ち、タブロックを撃破する。さらに続いて波動砲が斉射され、ほかのゲインズたちも次々に撃ち落されていく。

だが、それでも尚ドプケラドプスは健在。デコイの爆発も有効打とは言いがたい。

「道が開いたっ!ならこれで……っ」

そこへ飛び込む機体がもう一つ。本来は航行距離を重視した機体であるがそのペイロードの多さから、爆撃機として改修されることとなった機体。R-9B――ストライダー。

それにたった一発だけ搭載された、波動砲にも匹敵する威力を持つ切り札。バルムンクと呼ばれる大型ミサイルが、ドプケラドプスの胸部を直撃した。

 

艦の司令室に歓声で沸き立った。……しかし。

 

「バイド反応……健在っ!ドプケラドプスはまだ生きていますっ!!」

爆炎の中で吼えるドプケラドプス。ミサイルの直撃を受けて尚。その凶暴性は失われていなかった。ぶん、と力任せに振られた尾がストライダーを直撃、粉々に打ち砕く。

「そんな……ばかなっ、うわぁぁぁっ!」

放射された体液がデルタの機体を溶かし、墜落させる。

「くっ……機体のコントロールが効かない……不時着するっ」

まさに墜落といった感じで、それでもどうにか外壁に下りたデルタ。気がつけば、その場で戦闘を続けられるのは杏子だけになっていた。

「な……み、皆が、こんな一瞬でっ!?」

改めてバイドの脅威、その異貌に立ち向かう。一人で戦わなければならない。そう考えると恐ろしくて、操縦桿を握る手が震えていた。

 

「キョーコっ!今すぐ撤退しろ!それ以上は持たない、撤退するんだっ!!」

ロスが叫ぶ。仕留め切れなかった。バイドの生命力を侮っていた。そのミスが仲間の命を奪い、今まさに杏子の命までも奪おうとしている。声を限りに通信を伝える。届いているはずなのに。

「ぁ……あぁっ。ぅぁぁ………」

(死ぬ……あたし、死…こんな、噓……っ)

眼前に迫る、まさしく死を体言するかのような異形。それを前に、その恐怖を前に。杏子は動くことができなかった。逃げることも、立ち向かうことも叶わずに。最早ただ死を待つだけだった。

「ごめん、ロス。あたし、もう……」

最後まで言葉を告げる、その前に。ドプケラドプスの凶悪なる尾が、杏子の機体に迫っていた。

 

 

「ヒーローは……遅れてやってくるってなぁっ!!」

閃光が、一閃。

それは違うことなくドプケラドプスのコアを撃ち抜き、更に照射を続ける。撃ち抜き、そして焼き払い。ドプケラドプスの動きを停止させる。

「今の攻撃は?」

「後方……距離4000!波動砲ですっ!」

その閃光に僅かに目を見開いて、続くオペレーターの言葉にロスは小さく笑みを浮かべると。

「……間に合ったか、アーサー」

安堵の表情を浮かべて、呟いた。

 

それは淡いアイスグリーンのカラーリングを纏った機体。その機体の上部には、巨大な砲身を掲げている。その名はR-9DH――グレース・ノート。

シューティングスターの派生機であり、ほぼ同程度の長射程を持ち、長時間の照射を可能とする機体である。そして、その射手は。

「よう、キョーコ。危ないところだったな」

「アーサー……副長。どうしてっ?」

「こいつがドックに打ち捨てられてたんでな。まだ動かせるから借りてきた。ほかにパイロットもいなかったからな」

そう、この機体は彼らが前線基地としたドックに存在していた。

恐らくは、戦闘に備えて整備をしていたのだろう。だが、結局乗り手はいずことも知れず果てたのか。まるで乗り手を待ち続けるかのように、整備された状態でドックの奥に佇んでいたのだ。

 

「副長……パイロットもできたんですね」

オペレーターが驚いたような声を上げる。無理もない。この艦におけるアーサーの立ち位置は、艦長以上に怖い人。まさしく艦のまとめ役だった。そこにパイロットとしての姿を重ねることはどうにも出来ず。

「彼はもともとパイロット上がりだからね。向こうでは随分名を馳せていたらしいよ」

ロスは困惑するオペレーターに事も無げにそう言うと、ようやく少し表情を和らげた。

(いや、なんでそんな人を副官にしてるんですか、貴方は……)

なんていうオペレーターの疑問ももっともである。だが、それを語る余裕は今はない。ここは戦場である。

 

「……ま、無事でなによりだ。アイツもこれでぶっ潰れた」

バイド反応は消失しつつある。最早この場に脅威はない。犠牲は大きいが、それでも勝利は勝利である。

「勝った……のか、あたしたち」

「ああ、そうだよ。……家に帰るぞ、キョーコ」

アーサーの落ち着いた声が、杏子の胸に染み入ってくる。こわばった手で握り締めていた操縦桿から、するりと力が抜けていく。勝ったんだ。この地獄みたいな戦場から、生きて帰ることが出来るんだ。

杏子の心が安堵で満ちていく。自然に笑みが零れて、それでも涙は零さないようにして。

「……ああっ!」

 

機首を翻して去っていく二機に、ソレは恨みがましい視線を向けていた。

程なく自分は尽きる。消える。それがよくわかる。それゆえに憎い。どこまでも果てしなく沸きあがる憎悪と攻撃本能に、最後の命の全てを乗せて。

ドプケラドプスは最後の一撃を放った。自らを葬った、あの忌まわしき砲身へと。

「バイド反応……後ろから、っ!?」

「心配すんな。……“見えんだよ”バイド」

その放たれた体液を、どこから飛んでくるのかも確認すらせずに。まるで後ろに目があるかのようにグレース・ノートは機体をスライドさせて回避する。更に空中で機体の向きを変える。

機体性能に頼った機動ではなく、単純に卓越した技量によって為されたそれは、自然とその砲身を敵の方へと向かせていた。

「デッドエンド……シュート!」

そして再び放たれる閃光。

それは違わず今度こそ、ドプケラドプスのコアを打ち抜きその存在を消滅させた。

 

「今度こそ……今度こそ、バイド反応消失。我々の勝利ですっ!!」

今度こそ、という言葉に気合を込めてオペレーターが叫ぶ。その声に続いて、艦内に歓声が轟いた。

「さっきのアレ、なんだったんだ。アーサー」

「アレ?デッドエンドシュートか?」

今度こそ、並び立って帰路を辿る二機。

「いや、それも気にはなるけどさ。……さっきの動き。まるで敵が見えてるみたいだった」

「ああ、そっちか。……まあ、見えてるって言えば見えてるのかもな。何となくだがわかるんだ、どっから敵が、攻撃が来るかってのがな。後はその方向に機体を向けて、撃つ」

信じられないような才能である。それこそ、こんな小さな部隊の副長に納まっているのがおかしい程に。

「なんだよそれ、わけわかんねぇ」

「だろうな。お前にゃ無理だ。誰にも出来ない。これは俺だけの必殺技って奴だ」

誇るような声を聞きながら、杏子はそれを羨んだ。自分にもそんな力が、才能があれば。もっとみんなの役に立てるだろうに。

 

「……あたしも、そんくらい戦えるようになりたいよ。どうやったら、そんな風になれるのさ、アーサー」

その言葉に、少しだけ困ったようにアーサーは口を噤み。

「精神論ってのは好かないんだけどな。とにかく自分の感覚を信じろ。R戦闘機を自分のもう一つの体みたいに感じることができりゃあ……あー、やっぱり自分で言ってても胡散臭ぇや」

「なんだよ、それ」

こんな説明でわかるはずがない、と杏子が食って掛かるもアーサーはそれ以上は誤魔化してはぐらかすだけだった。

 

かくして、ロスは英雄となった。寡兵ながらもミーミルを奪還。ドプケラドプスの撃破を成し遂げた。それだけの成果を上げた人間など、軍の中にもほとんどいない。

白羽の矢が立つのは、必然といえた。

 

―――曰く。

 

貴官および貴官の部隊は、帰投せずにバイド討伐艦隊を編成し

速やかにバイド中枢を討て。

健闘を祈る。

                               統合作戦本部

 

と―――。

 

 

「――思い、出した」

愕然とした声で、さやかは声を上げる。バイドとの戦いの歴史。R戦闘機の歴史を習ったときにその名前を聞いていた。ジェイド・ロス。それは太陽系内のバイドを駆逐し、バイド討伐艦隊を率いて外宇宙へと旅立っていった、若き英雄の名であった。

「そうだよ、ジェイド・ロス。二年だかそこら前に、バイドをやっつけたって言う英雄!……そっか、杏子はそのジェイド・ロスと一緒に戦ってたんだ。あ、でもバイド討伐艦隊は今外宇宙にいるんだよね。杏子は……一緒に、行かなかったの?」

がご、とまた一つ大きな音。外壁がへこむのではないかというほどの勢いで、杏子の足が外壁を蹴りつけていた。

「行けなかったのさ、あたしは。……置いていかれたんだっ!」

苛立ちも顕わに、杏子が叫ぶ。そしてまた語りだす。最後の、別離の物語を。

 

「それじゃあ、これからはパイロットでやって行くのかい?」

バイド討伐艦隊の編成が始まった。ロスは大佐へと昇進し、更に討伐艦隊の完成をもって少将に任じられるらしい。この輸送艦で指揮を執るのも、恐らく今日が最後だろう。

名残惜しい気持ちも抱えつつ、ロスとアーサーが司令室で話していた。

「ここから先はきつい戦いも多いだろうからな。優秀なパイロットは多いほうがいい。……まあ、仕官の真似事も楽しかったけどな」

「真似事だなんて、君は優秀な副官だったよ、アーサー」

理由はそれだけではない。ここから先、艦隊は大規模なものとなるだろう。ともなれば、今までのように一つの家族として艦を捉えることはできなくなる。事務的に、冷徹に任務を遂行していく必要がある。それをするには、自分はロスに近すぎる。

それが理由だった。

 

「そりゃどうも。今後はパイロットとしてお前を支えてやるよ、ロス」

「頼むよ、アーサー。……それと、もう一つ話があるんだったね」

「ああ、こっちもまた重要な話だぞ」

一呼吸おいて、ロスのほうから切り出した。

「キョーコのこと、だね」

相変わらずの察しの早さだ、と僅かに目を細めて。すぐにアーサーは言葉を続けた。

「ああそうだ。俺はアイツを連れて行くのは反対だ。他の隊との折り合いもある。……そしてなにより、帰り道のない旅に付き合わせるには……アイツはガキ過ぎる」

「……実はね。他のクルーからも同じ意見が出てる。ほとんど全員だ」

その言葉に、アーサーも流石に驚いたようで。目を見開いて、改めてロスを見る。

「大体理由は君と同じ。キョーコを戦わせたくない。死なせたくないってね。どうやら私たちは、思った以上に彼女に思い入れがあったようだね」

困ったように、呆れたようにロスが苦笑する。それに応えるように、アーサーも同じ笑みを浮かべて。

「違いない。あんな可愛げのないガキだってのにな」

くく、と低くくぐもったような声で笑いあい。それもいつしか堪えきれずに、弾けるような大きな笑い声に代わって。

 

「で、どうするんだ?俺個人としちゃあ連れて行きたくないが、キョーコはもう、十分戦力になってると思うぜ」

ひとしきり笑って、やがてゆっくりと顔を上げてアーサーが問う。ロスもまた、笑い疲れて顔を手で覆い。そんな手でゆっくりと、髪をくしゃ、とかき上げて。

「置いていくさ。あの子を任せられる所ももう見つけてある」

その声を聞いて、部屋の外で何かが動く音が響いて。咄嗟に二人は部屋の外へと飛び出した。見れば暗い廊下の奥へ、走って消える赤い髪が見えた。

「聞かれたな。……聞かせてたのか?」

「まさか、流石に予想外だ。……ちゃんと話をしてくるよ。これも大人の責任って奴だ」

「一緒に行こうか?」

「いいや、私がちゃんと話しておくよ」

そして、ロスも部屋を飛び出した。

 

「キョーコ!待ちなさいっての、キョーコっ!」

廊下の奥で、所在無さげに佇んでいた杏子に声をかけた。すると杏子はすぐさま走って逃げ出した。ここは止まって話を聞いてくれるところだろうに。慌てて走って追いかける。しかし杏子の足は随分速い。

司令室や艦橋で座っていることが多く、体が鈍ってしまったのだろうか。少し鍛えた方がよさそうだと、ロスは苦笑しながら杏子を追いかける。追いつけない。呼びかけても返事はない。

「ぜ……は、はぁ。いや……うん、手強い。ほんっとーに、手強いっ!」

走りつかれて、おまけにどうも脇腹の辺りが痛い。たまらず壁にもたれかかって、荒い息を整えようとしていたところに。

 

「そんなザマで、バイドに勝てんのかよ。……あたし抜きで、勝てると思ってんのかよ」

もう随分と見慣れた赤い髪を揺らして、杏子が歩み寄ってきた。

「っ、はぁ。なんとかなるし、なんとかする。それが私の仕事だよ」

隣にどさりと腰を下ろして、そっぽを向いて杏子は答える。

「それでも……あんただけは、ロスだけはわかってくれるって思ってたのに!ロスだけは、それでも一緒に戦おうって……言ってくれるって思ってたのに!!」

声には涙が混ざる。杏子はただ信じていたのだ。彼女を置いていこうとする声も聞こえていた。それでもただ、信じていた。ロスだけは、ロスだけは自分を受け入れてくれると、一緒に戦わせてくれる、と。

「それについてはすまない。だが、これはもう結論だ。キョーコ、君を連れてはいけない。たとえクルー達がなんと言おうと、私は君をこれ以上連れて行くつもりはない」

ようやく呼吸を整えて、一息にロスは杏子に言い放つ。その事実は、酷く杏子を打ちのめした。

 

「……嫌だ。嫌だよ、ロス。お願いだよ、あたしを連れて行って」

ぎゅっとロスの腕に縋って、泣き顔は見せないようにその顔を埋めてしまって。杏子は必死に訴える。

「あたしには、ここしかないんだよ。他に何もないんだ。ここにいられなくなったら、あたしはどうやって生きていけばいいのさっ!」

「……君を預けられる場所は用意してある。信頼できる人物だ。退役して、学校にも通えるように手配してもらった。蓄えだってある、君は元の日常に戻れるんだ」

諭すように話しかける。それでもロスは、杏子に一人の人間として向かい合うことを忘れない。こんなときだからこそ、一人の人間として納得して欲しい。その上で、道を選んで欲しいと思うから。

「そんなのいらないっ!あたしは、あたしはロスと一緒にいられればいいんだ!仲間だって家族だってどうでもいい、遠い星の彼方に行ったって構わない。あんたと、ロスと一緒にいられれば、あたしはそれだけでいいんだ。……だから、お願いだよ、ロス」

軍服に濡れた感触が広がる。泣いているのだろうか。その時の杏子の声は、その雰囲気は。あの時杏子を軍に招き入れてしまったときのそれと、同じだった。

 

「正直に言うよ。私は今でも、あの時君を軍に入れたことを後悔している。たとえあの研究者達の手から救うためとはいえ、私は君の未来を奪ってしまった。普通の子供のように、毎日笑って、友達と一緒に遊ぶような、そんな未来を」

「いらない、いらないっ!そんな未来、考えたこともないっ!!」

「それは、君が何も知らないからだ。平和に生きる日常の価値も、その意味も。私たちは君に何も教えることが出来ないままに君を戦わせてしまった。これはとても罪深いことだ」

「知らなくていい!あたしは戦える。ロスと一緒に生きていけるっ!」

いつしか杏子のその声は、嗚咽交じりになっていて。それでもロスは根気強く、一つ一つ説いていく。

「君がちゃんと自分の人生を過ごして、その上でまだ戦いたいというのなら私は止めない。でも、今は駄目だ。君はまだ、自分の人生を生きていない。自分のために生きようとしていない」

「じゃあロスのために生きる!それがあたしの生き方でいい、だから、だからぁっ!!」

「……それじゃあ、だめだよ。杏子。戦闘、戦争なんてしょうもないことをやるような奴はね。どこかで自分の為に、利己的に生きてなくちゃいけないんだ。でなければ生き残れない」

続けて投げかけられた言葉が、杏子の胸を貫いた。

 

「そんな風に死ぬ奴は、必ず誰かを道連れにする。だから、君は連れて行けない」

弾かれたように顔を上げる杏子。涙をぽろぽろと零しながらも、その顔は愕然としていた。まるで信じられないようなものを見るような目で、ロスを見つめて。

「なんだよ、それ……。じゃああたし、まるで邪魔者じゃないかよ」

「……今の君では、ただの邪魔者だよ。例えば途中で私が死んだら、君はそこで戦えなくなるのかい?そんな兵士は、いくら優秀でもただの役立たずだよ。……わかるんだ、杏子」

「何でだよ……何でだよ!家族じゃなかったのかよ、ばかやろーっ!」

ロスの手を振り切って、再び弾かれたように杏子は走り出した。それが、ロスと杏子の交わした最後の会話となった。そしてロスは誓う。必ず彼女の元に戻ろう。そして謝ろう。

そのためならば、自分はどれだけ冷徹になっても構わない――と。

 

英雄は、一つの離別を経て英雄たる精神を身に宿す。そして星の海の彼方へと旅立っていった。

残された少女は、岐路に立っていた。日常へと回帰するか、それとも先の見えぬ道で戦い続けるか。彼女は戦うことを選んだ。あらゆる希望を失って、ただ生きることは出来なかった。

離別の悲しさを、ただ胸を埋める喪失感を、バイドへの憎悪に変えて戦い続ける。それしかもう、彼女に出来ることはなかったのだから。

だがしかし、残酷にもその願いは叶わない。彼女は子供だった。普通の神経をしていれば、戦場になど出ることも叶わないほどに。それでもR戦闘機のパイロットとしての腕を買われて、辺境の輸送部隊に回されることとなる。

周りからは奇異の目で見られ、戦う敵などありもせず。ただ空しく過ぎる日々。それは、壊れかけた杏子の心に静かに皹を入れていく。いつか壊れる。

そう感じていながらも、それを変える気にもならない。自ら命を絶つほどの意志もなく、いつしか、バイドへの憎しみ自体も忘れることが多くなった。それが許せなかった。戦うことが、憎むことが唯一、自分とロスとを繋ぐものだと考えていたから、だから。

 

「だからあたしは……あのエバーグリーンからまたバイドが出てきたって聞いてさ。居ても立ってもいられなくなった。今戦わなかったら、あたしはもうあたしでいられなくなる。 そうなる前に、まだあたしがあたしでいられるうちに、戦って……死のうと思ったんだ」

どこか投げやりに、杏子は全てを語り終えた。いつしかさやかも言葉もなく、ただ聞き入ってしまっていて。

「まあ、そんなとこだよ。だからさ、別にあんたはあたしを追いかけてくる必要なんてなかったんだ。ただの死にたがり一人、放っときゃよかったんだよ」

「……何かさ、それってすごくずるいんじゃない?」

可哀想だな、と思う気持ちもある。でも今はそれ以上に、放っておけない、何とかしたいという気持ちが強い。

「そうだよ、あたしはずるくて自分勝手な奴なんだよ。だから勝手に戦って、勝手に死ぬんだ」

「そういうことじゃないよ。あんたは何も自分で決めてない。状況に流されて、誰かに縋って。一度だって、自分で何かを決めてない。何も選ばないまま自分の命まで捨てようとしてる。ずるいよ、そんなの」

小さく歯噛み、そしてまた外壁を蹴り上げ杏子は叫ぶ。苛立ちを感じているのは、それを自分でも自覚しているからだろうか。それとも、それを言っているのが自分と年の変わらぬ少女だからだろうか。

 

「そういうテメェは、自分で覚悟して戦ってんのかよ!こんなガキが、何もかも全部背負って戦えるわけがないだろっ!」

「あたしは戦ってる。バイドが憎いし、皆を守りたい。自分で選んで戦ってるんだ。

甘いっていわれるかもしれないし、この覚悟だって揺らいじゃうかもしれない。それでもあたしは自分で決めたんだ。だから言い訳なんかしない。死ぬなら死ぬで、それまで精一杯生きる」

さやかの脳裏によぎるのは、今のさやかに生き方を示したマミの姿。それはきっと随分と脚色されている気もするが、それは憧れで、目標で。あんなふうに強く凛としていられたら、おまけにもうちょっとくらい大人びていれたらいい、と願う。

「あんたは選べなくて、選ばなくて。それで納得のいかない結果になって。嫌になって全部放り投げようとしてるだけだ。そんなの、あたしが許さない」

「じゃあどうしろってんだよ!戦えもしない。今更日常になんて戻れない。このままずっと、腐り続けてろとでも言うのかよ、テメェはっ!!」

わかってる。わかっている。それでもほかに何も選べなかった。誰も道を与えてくれなかった。……でもそれはもしかしたら、自分で選ぼうとしなかった、道を探そうとしなかった。

流されるのは楽だったから、誰かに道を委ねるのは楽だったから。それだけのことだったのかもしれない。それも薄々は気付いていたから。それでもそれを認めたくなくて、杏子は声を張り上げる。

 

「……なら、一緒に来る?一人じゃ色々煮詰まっちゃうでしょ」

「は?ってぇ、何でそーなるんだよ!バカかお前!バっカじゃねぇのか!?またはアホか!」

あまりに急な申し出に、きょとんとしてしまう杏子。その顔からは、先ほどまでの強張りは吹き飛んでいて。

「……いや、そこまで言うことないんじゃないの。さやかちゃんもちょっと傷つくわ」

なんだかずきり、と胸が痛む気がして。ひとまずそれは放っておいて、言葉は続く。

「だってあんた、自分じゃ道も選べないんでしょ?だったらさやかちゃんが一緒にいてあげるよ。自分でちゃんと選べるようになるまで、あたしが一緒に選んであげるよ。それが嫌なら今この場でちゃんと選びなさいよ。どう生きるか。簡単に死んで逃げようとするなんて、だめだ」

「だから、あたしは別に……自分の生き方くらい、自分で……っ」

言葉が出ない。あのときからずっと一人で生きてきた。仲間は、家族はロスたちだけだから。もうずっと一人ぼっちだと思っていた。そこへ差し伸べられた手。それは、同じ女の子の手で。

どうしたらいいんだろう。わからない、選べない。

 

「あぁもうまだるっこしい!あたしについてくるのがそんなに嫌なわけ?じゃあ決めた。あたしはあんたと一緒に行くことにするよ。それなら文句ないでしょ」

「大有りだっ!第一……ここを出られたってあたしにゃ帰る場所なんて、ないし」

「あ……そっか、そういやあんた勝手に出撃してるんだっけ。道理でそんな妙な機体に乗ってるわけだ。じゃあやっぱり、尚のこと一緒に来なよ。あたしの船さ、乗ってるの皆あたしくらいの女の子なんだ」

「……どういう船だよ、そりゃあ」

なんとなく捨て置けなくて、もしかしたらそれは興味なのかもしれなくて。ぽつりと杏子が漏らす。

 

「そういう船なんだよ。とはいえ、乗ってるのはあたしを含めて二人だけ。二人きりってのはちょっと寂しくてさ。もう一人くらい、減らず口の減らない生意気な奴がいると……いー感じに生活色づくんじゃないか、ってさ」

冗談交じりに、からかいも混ぜて軽い口調でさやかが話す。思わずかちん、ときた。大人に言われるのには慣れたが、歳の近い子供に言われるのにはまだ慣れない。

「減らず口も生意気も、全部テメェのことじゃねぇかっ!……それに、そんな簡単に逃げた奴を受け入れるなんてできねーだろ」

「あ、それはキュゥべえに任せておけばおっけー。アイツ妙に何でもやっちゃうからね」

「誰だよ、キュゥべえって」

なんだか話が一緒に行く方向でまとまっている。けれどもそれを覆せない。次から次へと訳のわからないことが出てくるのだ。

「よくわかんないけど、あたしらの船を動かしてる変な生き物だよ。見てみればわかるって。ほら問題なんかないよ。とにかく一回来てみなさいな。それで嫌なら他所行けばいいじゃん?」

「……行くだけだからな。ちょっとだけ見て、すぐ帰るからな」

 

「よし、決まりっ!よろしくね、相棒」

「誰が相棒だ、誰がっ!」

 

ひとしきり話もまとまった。これ以上はしょうもない口論になりそうだ。タイミングでも見計らっていたかのように、二人の機体に通信が入る。

 

「さてと、二人ともー。まだ生きてるかね?」

九条の声。口論をしていた二人の顔が引き締まる。

「っと、どうやらその調子なら無事なようだね。こっちも概ね準備は整ったよ。ある程度敵の数も減ってきた、そろそろ突入できそうだ」

「え、突入って……敵減らすだけじゃなかったっけ?」

不思議そうにさやかが尋ねる。

「ははは、いくら君達が優秀でも、二人で戦えなんて酷な事は言わないさ。君たちにはそのまま奥へ向かってもらい、内部構造や敵の偵察を行ってもらいたい。その情報を受けて、我々が奥へと突入する。合流したら敵中枢を攻撃しよう」

どうやら状況は、思った以上によい方向に傾いているようだ。

「我々もすぐに駆けつける。だから君達も、もう少しだけ頑張ってくれ。大丈夫、君たちは二人きりなんかじゃない」

その声を聞いていると、少しずつ体に力と気力が戻ってくるようで。杏子は髪を束ねてヘルメットを被り、キャノピーを閉ざす。

「いいさ、こうなったらとことんどこまでも行ってやろーじゃないか。一緒にバイドぶったおして、あんたの船に連れて行きやがれっ!」

「おっけー、それじゃどーにかこーにか生き残ろうじゃないっ!」

さやかの声も、応えて弾む。

 

「……おーい、何の話だねー?」

なんだか置いてけぼりで、ちょっと空しい九条の声。

「あ、いやいやこっちの話。よーっし、そうと決まれば早速行っちゃうよーっ!」

「勝手に突っ走って死ぬんじゃねーぞ。よし、あたしも出るよっ!!」

そして再び、二機のRが空を往く。青い軌跡を描きながら、交錯し、縦横無尽に駆けて行く。

 

臨むはバイドの中枢。目指すは生還。

エバーグリーンを巡る攻防は、ついに最終局面を迎えるのであった。

 

 

魔法少女隊R-TYPEs 第6話

      『SWEET MEMORIES』

          ―終―




【次回予告】

「さやか……そんなっ!」

エバーグリーン攻防戦、最終局面。
ついに姿を見せるバイドの中枢。その脅威の力に少女たちは戦慄する。

「ヒロインは……遅れてやってくるっ!……なーんてねっ」

けれど希望は捨てはしない。負けはしない。
少女たちは希望を、未来を胸に戦い続ける。そして訪れたものは。




「休暇だ」

「「「は?」」」

次回、魔法少女隊R-TYPEs 第7話
         『METALLIC DAWN Ⅱ』


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第7話 ―METALLIC DAWN Ⅱ―

エバーグリーン攻略戦、最終局面。コロニー最奥に潜む、形無き悪夢が少女達に襲い来る。
絶体絶命の危機の中、彼女達は何を願うのか。


「ほむら、何をしているんだい?」

さやかを送り出し、ティー・パーティーは近隣の宇宙港に寄航していた。機体の修理には専門の修理班が必要とのことで、今のところどうにも身動きがとれずにいたのだ。

そんな中で、ほむらは静かに動き出す。絶望に打ちひしがれた心を奮い立たせて歩き出す。向かった先は、さやかの部屋の前。

そんなほむらに、キュゥべえが声をかけた。

「……ちょうどよかったわ、キュゥべえ。部屋のロックを開けてくれないかしら」

何かを考え込むように佇んでいたほむらの前に、半透明のキュゥべえの姿が現れる。それを一瞥して、すぐにほむらは言葉を告げた。

 

「どうしてそんなことを?何か欲しいものでもあるのかい」

「ええ、とても必要なものよ。……さやかは何も持たずに出て行ったから。多分まだ、この部屋においてあるんじゃないかしら」

胸の奥には罪悪感。こんな空き巣まがいなことをしてしまっている。それを堪えて、今はやらなければならないことをやるしかないのだから。

「……やれやれ、一体何をするつもりなんだろうね。もしこれでキミがさやかと何かあっても、ボクは責任は取れないよ」

「構わないわ。……開けてちょうだい」

 

扉が開かれる。部屋の間取り自体はほむらの部屋と変わらない。壁のパネルに触れようとして、気付く。明かりの差さない暗い部屋の中。その部屋を仄かに照らす光があった。

それは机の上にそっと置かれていた、琥珀色の輝きを放つマミのソウルジェムだった。

「それは……マミのソウルジェムかい。……回収していたとはね。なるほど」

それを見つめて軽く目を見開いて、納得したようにキュゥべえが頷く。

「……マミの体を出しなさい」

「言うと思ったよ。安置室のロックを開けてある。……上手くいくといいけどね」

「試す価値は、あるわ」

そしてマミのソウルジェムを手に、ほむらは部屋を後にする。

 

 

 

居住ブロックの影から飛び出て、二機のR戦闘機が空を往く。立ち塞がるのは散発的に現れるストロバルトやメルトクラフト程度なもので、道を阻むものは何もない。

「却って不気味だね。本当に全部外に追い出されっちまったのかねぇ」

杏子はそう呟いて、不気味な沈黙を切って飛んでいく。

コロニー最深部、バイドの中枢がいると思しき場所までは、もうそれほど距離もない。

「この調子なら、このままあたしらで敵の親玉やっつけちゃったりしてねー」

「だといいがね。……っ!?奥から高エネルギー反応、こいつはっ!?」

「え……っ?」

奥から湧き出てきたのは、巨大な光の柱。それは膨大なエネルギーと、絶大な破壊を伴って全てを薙ぎ払っていく。そしてそれは、容易くレオを飲み込んだ。

 

「さや、か?」

 

何が起こったのか、一瞬信じられなかった。次の瞬間杏子が見たものは、火花を散らしながら墜落していくレオの姿。

そして着水、キャノピー部分を深く水に沈めて微動だにしない。

「さ……や、か?」

もう一度、恐る恐る呼びかけてみた。返事は、ない。

「何だ今の攻撃はっ!美樹くん、佐倉くんっ!コロニー内部より大出力のレーザー攻撃を受けた。そちらの状況はどうなっている?無事なのか、二人ともっ!」

焦りの混じる九条の声。何ということか、レオを打ち落としたあの閃光は、あまつさえコロニーの外に届いていた。そして、外周を取り囲む艦隊に損害を与えていたのである。

 

「さやかが……やられた。今のを喰らっちまった」

「何、それは本当かね!?それは……気の毒に……。とにかく、こんな攻撃があるようならこちらも行動を考え直さないといけない。すぐに突入するのは厳しい。佐倉くん、何とか脱出できるかい?」

「脱出……か」

出来ないことではないかも知れない。今は敵の守りも薄い。一人だけ、逃げ延びるだけならば、何とかなるかもしれなかった。さやかを見捨てて、一人で。

「……できるわけ、ねぇだろーが」

「佐倉くん?」

「できるわけねーよ。そんなこと。あいつはさやかをやりやがった。……相棒だって、仲間だって言ってたのに、あいつがやりやがったんだ」

ぎち、と力を込めて操縦桿を握り締める。頭の中がぐつぐつと煮えたぎる。また奪うのか。人生を、家族を。そしてまた今仲間を。バイドはどこまでも奪っていくというのか。

許せない、許せるわけがない。

 

「佐倉くん、落ち着くんだ。奥にはまだ大型バイドの反応がある。このまま一人で先走ってもやられるだけだ。引き返すんだ」

わかっている、それが道理だ。二人がかりでこのザマだ。一人で、それもさっきまで死にたがっていた奴が。一人で、一体どれだけ戦えるというのか。

「はは……死にたがりが生き残って、生きろって言ったあんたが死ぬのか。笑っちまうよな。……そんな道理があるかよ。なあ、さやか」

「落ち着くんだ。ここは引くも勇気だよ。一度戻って体勢を……」

その通信を途中で打ち切って、杏子は操縦桿を握り締め。

「ああ、知るかよそんな道理。道理を破ってくれやがったのは向こうだ。だったらあたしが……こんな道理に乗ってたまるかよ」

目を見開いて、向かう先を睨み付ける。

コロニー最奥まではあと少し、再び奥には大出力のエネルギー反応。わかっていれば、避けられるかもしれない。

 

「元々死にたがり一人だ。教えてやる、見せてやる!人間が何処までやれるのかってのをさ……待ってろよ、バイドっ!!」

波動の炎を巻き上げて、アサノガワが速度を上げる。この距離では奥からの攻撃に巻き込まれるからだろうか、その行く手を妨げる敵はもういない。

放たれる、閃光。眼が眩みそうになるそれを見据えて、機体を急旋回させる。回避成功。光は遥か向こうへと消えていく。外の艦隊にも被害は出ているのだろう。

ならばなおのこと、すぐにでも倒さなければならない。

 

「見えてきた。あれが……バイドの親玉かっ!!」

コロニーの最奥に押し込められたようにとどまる液体金属の塊。一体あの何処から、あれだけの高出力レーザーが発射されるというのか。理解できない。もとより、バイドのことなど理解する必要もない。

一気に機体をめぐらせて、フルチャージのパイルバンカーを叩き込む。それで終わりだ。終わらせるだけの威力はあると、そう確信していた。

 

直後、液体金属の塊が瘤のように隆起する。

変化は立て続けに生じる。さらに全周囲を覆うように液体金属は広がって行き、まるで枝や根が張るように、機体の周囲を包み込んでいく。

「動き出しやがったか!こりゃあ……まるで檻だな。逃がさない、とでも言うつもりかい?へっ、誰が逃げるかっての!」

変化自体はめまぐるしい。だがそれは攻撃と呼ぶにはあまりにも緩慢で。故に杏子は機体を巡らせ、用意にそのその中枢と思しき瘤の前へとアサノガワを運ばせた。

「挨拶代わりだ。早速だけど、こいつで終わりだよっ!」

超硬度を誇る金属杭が、波動エネルギーによって恐るべき速度を持って射出される。その圧倒的な射速で放たれたその杭は、周囲の物質と衝突し電気を発生させる。それを纏って放たれる一撃必殺の一撃、パイルバンカー帯電式。

ゲインズの装甲を撃ち抜き、ギロニカの甲殻を砕いたその一撃は。

 

 

――その瘤を僅かにへこませていた、ただそれだけだった。

 

「な……っ」

それはXelf-16と呼ばれる、無数の極小バイド体によって構成されたバイド生命体。

その特性はまさに液体金属のそれに等しく、自由自在に姿を変える。さらには与えられた衝撃に対して、それを分散して無効化する。パイルバンカーによる攻撃も、その特性の前には無力であった。

そして、周囲を取り囲む檻が脈動を始める。ところどころに突き出した突起が蠢いて、杏子めがけて伸びてくる。

一本、二本。続けてまた二本。R戦闘機の機動性であれば労せずかわせる攻撃ではあるが、狭い檻の中では動ける範囲も限られる。

 

「く……っそ、邪魔だ、退けろぉぉっ!!」

パイルバンカーのチャージをキャンセル、レーザーで焼き払おうとするも。それすらも、衝撃や熱を分散する液体金属の前には無力。

「これも駄目かっ!……負ける、かよっ!!」

逃げるという選択肢もあった。この檻はまだ退路までは塞いでいない。だが逃げられるものか。ここまで来たのだ。たとえ刺し違えてでも、倒す。

次々に繰り出される液体金属の枝を掻い潜り、それでもどうにか中枢と思しき瘤へと迫る。しかし、さらにその道を阻む敵がいる。枝からこぼれた銀の雫、それがすぐさま姿を変えた。

ここまでの道中、いやと言うほどに撃墜してきたあの機体、メルトクラフトであった。

 

「こいつがあれを生み出してやがったのか。野郎……これ以上、これ以上やらせるかぁッ!」

フォースを叩きつけ、レーザーで焼き払い。群がるメルトクラフトたちを撃ち払っていく。しかし、突如としてその攻勢が止んだ。群がる機体は外へと逃げ出し、迫る枝はなりを潜める。

それと同時に、アサノガワに警告が走る。先ほどと同じ高エネルギー反応。あのレーザーが撃たれれば、この密閉空間である。逃げる場所などありはしない。

 

「……ここまで、かな」

操縦桿を握るその手から力が抜けた。

思えば、初撃で仕留め切れなかった時点で勝負は付いていたのかもしれない。有効な攻撃手段は一切ない。出来ることといえば逃げ回ることばかり。そしてもはや、それすらも出来ない。

諦念が杏子の体を支配し始める。

 

「元々惰性で生きてたんだ。今終わったって……っ」

手が震えた。なぜか涙がこぼれた。死ぬのが恐いのか?負けるのが悔しいのか?……いいや、違う。

 

――なら、一緒に来る?一人じゃ色々煮詰まっちゃうでしょ――

 

           ――あたしは別に……自分の生き方くらい、自分で……っ――         

 

――じゃあやっぱり、尚のこと一緒に来なよ――

 

        ――行くだけだからな。ちょっとだけ見て、すぐ帰るからな――

 

――よし、決まりっ!よろしくね、相棒――

 

 

 

「はは……なんだ、なんだよ。あたしはさ……」

走馬灯のようによみがえる記憶。震えて掠れる声。理解した。けれどももう遅すぎた。

「あたしは、悲しいんだな。……あいつと、一緒に行けないってことが」

もうちょっと生きてみたら、一緒に行ってみたら。もしかしたら今までよりももっと楽しい人生が待っていたかもしれないのに。新しい仲間を見つけることが出来たかもしれないのに。

さやかはもういない。そして自分も、もうすぐいなくなる。嫌だと思う。こんなところで終わりたくない。まだ終わりにしたくない。

 

「……死にたく、ないよ」

放たれた極太の閃光が、その空間のすべてを焼き払っていった。プラズマ混じりの熱風が大気を揺らし、迸り、駆け抜ける。

その後にはもう、何も残ってはいなかった。

 

「子供が戦いそして死ぬ、だなんて。……まったく、これだから戦争ってのは嫌なんだ」

さやかと杏子からの通信が途絶えた。手で目を覆って小さく首を振って。九条はなんとも忌々しげに呟いた。

エバーグリーンを取り囲む艦隊は、コロニーからのレーザーを避けるためコロニー側面へと移動している。そうすると必然的にコロニーの正面が空くことになる。そこを狙ってメルトクラフトが突破を仕掛けてくる。

R戦闘機がそれを阻むも、戦艦からの援護射撃は受けられない。必然的に乱戦となっていく。そしてその乱戦の最中を、敵も味方もお構いなしにレーザーがその空域を貫いていく。

 

「状況は非常にまずい。このままだと、数で勝る向こうにいつかは突破される可能性が高い」

「これ以上この状態が続けば、一時間以内に彼我の戦力比が逆転する恐れがあります。それももちろん、バイドの増殖がいまのままのペースで居てくれれば、ですが」

副官として並び立つガザロフの声も、やはりトーンはやや低い。ショックがないわけがない。それでもここは戦場で、自分の判断に多くの人の命が懸かっている。

それに打ちひしがれている余裕などありはしない。死を想い、死者を悼む時間なら、生き延びてからいくらでも作ればいいのだから。

「……二人のお陰で、バイドの中枢がコロニー最奥部に存在していることはほぼ確定しました。それならば、コロニー底部に対しての飽和射撃で、コロニーごとバイドを破壊することは可能かもしれません」

「こうなってはもう、そうするより他に術はない……か」

 

飽和攻撃。コロニーごとバイドの巣窟を破壊しようという、ひどく乱暴な作戦である。あまりにもスマートとは言えないやり方。周囲への汚染の拡散も懸念される。

「とはいえ、この方法にも問題があります。ほとんどの戦艦をコロニー背後に回らせるとそれだけ正面の守りは薄くなってしまいます。突破される危険も増加すると思います」

包囲網を突破されるということは、すなわちバイドの被害が周辺地域に拡大するということで。どちらをとっても、地球にとっては少なからず傷を残すことになる。

たとえこのバイドを倒すことができたとしても、しばらく忙しい日々が続くのだろう。そのことを考えると、九条は気が重くなるのを感じた。

「……提督、指示を……お願いします」

「バイド中枢の殲滅を優先しよう。もしかしたらそれで、他のバイドの動きも鈍るかもしれない。各艦に通達。本艦はこのままこの場に留まり、敵バイドの突破を阻止する」

厳しい戦いになりそうだ。九条は思考を絞り込んでいく。大局から一点へ。ただ、敵の突破を阻止することにその思考を注ぎ込む。頭の中で何かが目まぐるしく動き始めるのを感じながら、九条は作戦の開始を号令する。

その直前に、それは訪れた。

 

 

生きる。生きるということ。それは、もがきあがくことで勝ち取るもの。生と死を分かつその線を、無理を抱えて貫き通す。その為の力。それはかつて彼女が失ったもの。そして今、彼女が取り戻したものだった。

「はは……なんだ。案外、なんとかなるもんじゃないか」

液体金属の檻の中、その壁ぎりぎりの場所に。アサノガワが浮いていた。

「生きてるぞ。あたしはまだ……死んじゃいねぇ」

極大レーザーが貫く直前。杏子は壁とレーザーとの間の、わずかな隙間に活路を見出していた。生きようと強く願わなければ、生きるためにもがかなければ、見つけることさえ叶わなかった活路であった。

それでも、その代償は安くはない。

 

「機体温度が限界を超えてる。表面が融解してやがんのかよ……道理で暑いわけだ」

直撃は避けたとは言え、レーザーに擦過したことにより機体は異常加熱を引き起こしていた。表面は赤く焼け爛れ、その熱は耐熱加工を施されたパイロットブロックにも容赦なく襲い来る。

瞬く間に目の前の大気が歪む、特殊素材でできたはずのパイロットシートが溶け始めている。パイロットスーツも焦げはじめ、焦げ臭い嫌な臭いが充満していた。

「このままじゃ蒸し焼きだ。……冷却機構が生きててくれただけでも儲けものだけどさ」

それでも、重要な機関部にはなんら支障はない。まだ動ける。まだ戦える。希望は、ある。自然と口元が吊りあがる。

 

「……お陰で見えたぜ、本体っ!」

いかな強固な液体金属生命体と言えど、これだけの大出力のレーザーには耐えられないのか。その照射の瞬間だけはその防御を解かざるを得ない。

あの瘤の中に隠されたレーザーの発射装置も、その時だけは露出する。つまり、そこを狙うことができれば。

「あのバイドの親玉に、一発ブチかましてやれる……今度こそだ!」

機体の中で渦巻く熱は、容赦なく体力と水分を奪う。視界が歪んでいるのは、大気が熱せられているからなのか、それとも自分の身体が限界なのか。どちらにしてももう長くは戦えない。次の一撃に、すべてを賭けるしかない。

それを阻むかのように襲い来る金属の枝、そしてメルトクラフトの群れ。パイルバンカーのチャージを始めれば、後はフォースシュートによる迎撃しか行えない。とはいえそうしてしまえば、敵弾から身を守る術が無くなってしまう。

 

「ったく、数だけは無駄に多いなぁ、ヤロウっ!!」

迫る枝をかわし、メルトクラフトをフォースで焼き払う。チャージは順調に進んではいるが、如何せん数が多い。枝に敵弾、メルトクラフトはとにかく数で空間を押し潰し、段々と逃げ場を奪っていく。

逃げるだけでは勝てはしない。どうにか前に出なくては。わかっているのに、ただただ圧倒的な物量が前に進むことを許さない。

 

「負けるか、負けられるか……死ねるか、こんなところでぇっ!あたしは……さやかと一緒に、帰るんだぁぁぁっ!!」

さやかはもういない。それでもせめて、一緒に帰ることが出来れば咆哮、敵機の隙間に僅かに空いた空間。抜けるならばここしかない。

そこを抜けてもまだ敵はいる。それでも今行かなければ。これ以上は下がれない。機体を赤熱させながら駆け抜けるアサノガワ。その背後から、二筋の光が迫っていた。

 

 

その閃光は煌く軌跡を描いて飛び交い、メルトクラフトを打ち払う。ひとしきり敵を薙ぎ払い、戻って行ったその先には。

「ヒロインは……遅れてやってくるっ!……なーんてねっ」

機体背部から黒煙を上げながら、熱で溶けたキャノピーを晒しながら、それでも宙を舞いサイ・ビットを放った、レオの姿だった。

 

それは、九条の艦へと伝えられた通信だった。

「あー……こちらレオ。ちょっと一発いいのをもらって気を失ってたみたい」

艦へと入ってきたその言葉に、九条も流石に驚いて。

「美樹くん……かい?やられたと聞いていたが、無事だったのか」

「機体はかなりめちゃくちゃ。でもまだ動けるしあたしは大丈夫。でも状況が全然わからないんだ。計器の類がかなり派手にやられてる。杏子はどうしたの?脱出したならいいんだけど」

「……佐倉くんは、恐らく君が死んだと思って逆上したのだろう。単独で敵中枢に乗り込んで行ったよ。先程から通信も届かない」

「んなっ!?……あんのバカ、何やってんのよっ」

言葉を遮り、さやかの頭上を迸る極大レーザー。

 

「っ……レーザーがそっち行った!そっちは無事!?」

しばし間を置いて、雑音交じりの通信が帰ってくる。

 

「艦隊は既にコロニー――に移動している。問――ない。それよりも佐倉奪取奪取が心配だ。向かってくれ――」

「あったりまえだっての!あのバカ。勝手に死んだら承知しないんだから!」

かくして、レオは杏子の危機に駆けつけた。

通常のパイロットであれば死んでいた。今更ながらに、魔法少女の体に感謝する。この体も捨てたものないじゃないか、と。

体の動きは鈍いが、それでも気分はそれほど悪くない。

 

「さやかっ!あんた、あんた……っ、どうして!?」

「普通の体じゃないんだよ。普通のことじゃ死なないっての。……それはそうと、やっと言ってくれたね。一緒に帰るってさ」

きっと顔が見えていたなら、その表情はずいぶんとにやついていただろう。そう思えるほどに、さやかの声は弾んでいた。

「お前っ!?あれ、聞いてた……あ、あれは別にそういう意味で言ったわけじゃ……」

「はいはい、そういうツンデレ行動は後で聞いてあげるからさ。今はあいつを……でしょ?」

「うぐ……わかったよ、ったくよぉ!あいつにゃ攻撃は全然通らない。 多分攻撃が通るのは、あのレーザーを撃つ直前だ、その時だけ本体が露出する。あたしはそこを狙う。露払い。任せるよっ!!」

 

三度突撃アサノガワ。さやかが生きていた。それがわかったそれだけで心の曇りが晴れていく。今なら負ける気がしない。何だって出来そうな気がする。

そこまで考えて、一度大きく深呼吸。舞い上がった心を落ち着ける。敵は途方もない憎悪と悪意を振りまくバイド。油断も慢心もしてはいけない。

臨むならば万全に、心を機体に静かに熱く。燃える闘志の内側に、凍てつく殲滅の意思を込めて。今こそ――。

 

「任されたっ!!さあ行くよレオ。最後の大盤振る舞いだっ!」

サイ・ビット。波動砲、レーザーにレールガン。ありとあらゆるレオの武装が、群がる敵を打ち砕き、焼き尽くし、そして薙ぎ払う。

道は開けた。今にも放たれようとする高出力のレーザー砲。液体金属の瘤の中から顔を出したその砲身に。

「随分短い付き合いだったね。……クタバレ、バケモノっ!!」

衝突、炸裂。そして轟音。その衝撃は砲身を砕き、枝の一つ一つにまで浸透していく。そして、小さな光の粒子になって消えていく。

統率するものを失って、極小の液体金属郡は形を失い散っていく。

もう油断も慢心もしない。その反応が完全に停止するまでは、殲滅の意思を絶やさない。いつでも撃てる。そういう体制で待ち構える二機の眼前で。とうとう全ての液体金属が崩れて消えた。

 

「やったね、杏子」

誇るようにさやかが呼びかける。それに答えようとして、視界が揺らぐ。ぐらりと、機体も揺らいで。

「杏子……杏子?杏子っ!!ちょっと、返事しなさいよ、杏子っ!」

(わかってるよ。大丈夫だからさ。あたしは……無事だから)

答えようとしても声が出ない。

(参ったな。これじゃあまるで死んだみたいじゃないか)

 

「美樹くん、佐倉くん、無事かい?バイド反応が消失したようだ。恐らく上手く行ったのではないかと思うのだが」

少し興奮気味の声で、九条が通信を入れてくる。

「杏子が!杏子が返事をしてないっ!生命反応があるかどうかはわかんないし。九条さんっ!早く収容して、杏子が、杏子がっ!!」

「何だって!?それは本当かい?わかった、医療スタッフを乗せた艦をすぐ向かわせよう」

「お願い、急いで。このままじゃ杏子が……杏子が、死んじゃうっ!!」

中枢を討たれたことで、外のバイドの動きも鈍る。増援もない。そうなればもう掃討は容易であった。そうして空いた隙間を縫って、九条の艦がコロニーの内部へと突入した。

 

かくして、エバーグリーン攻略戦は終局を迎えた。

しかしこの事件は、長らくバイドの脅威を忘れていた人々に、再びその脅威を思い出させるものであった。それでも危機は去った。地球を脅かしていたバイドは滅びたのだ。

 

 

「それで、本当に戻ってもいいのかね?直接元居た艦に届けることも出来るのだよ?」

宇宙。艦を進めつつ九条がさやかに尋ねる。もうじきTEAM R-TYPEの男の艦との合流地点である。

レオは損傷は激しいが、それでも動けないわけではなく。ここから先はレオ単独で戻ることとなったのである。

「大丈夫、後はあたしがなんとかします。色々、ありがとうございました。九条提督、また会えるかどうかはわかりませんけど、その時にはまた、一緒に戦いましょう!」

その身を案じる九条の声に対して、さやかの声はあくまで明るい。

この艦はいい艦だった。九条提督は明らかに普通の体ではない自分に、何も聞かずにいてくれた。副官の女性、仁美によく似た声のその人は、どうやら自分のことを案じてくれているようだった。

それがなんだか嬉しくて。守れてよかったと思う。

 

「じゃあ、行きます。レオ、出るよっ」

片方のエンジンがいかれている、出力が安定しない。それでもどうにか進むことは出来るだろう。ふらつきながらも飛んでいく。

さほど飛ばない内に、岩塊の陰に黒い艦影が現れた。

 

「随分ぼろぼろだが、なんとか戻ってきたようじゃないか。美樹さやか」

相変わらずの、低い嫌な感じの声。

「ええ、えぇ。戻ってきましたとも。何回も死にそうになったけどね」

死線を潜り抜けた後では、この艦に、その中身に感じていた恐怖も幾分か和らいでいた。というか感覚が麻痺してしまったのかもしれない。

「あまり傷つけてくれるな、とはいったが……まあ機体の限界性能を示すという意味でもレオの戦闘データ取りとしても申し分ない。随分いい働きをしてくれたね、君は」

「そりゃどーも、それじゃこの機体を返して、さっさとあたしは帰るとするよ」

「……帰る?何を言っているんだね、君は」

また一段と、男の声が低くなる。

 

「帰る。そう言ったんだよ。あたしは戦うための機体を借りるのにこっちに来たんだ。用事が済んだらティー・パーティーに帰る。何か文句ある?」

応じるさやかの声は相変わらず強い。先ほどまで相手をしていた敵が敵である、今更こんなものが恐いものか。

「君は、当にそれでいいのかね?君は優秀なR戦闘機乗りだ。我々ならば、君に最強の機体を用意することができる。バイドを殲滅するのが君の望みなのだろう? ならば、あそこにいるよりも我々と共に来るべきだとは思わないかね?」

「そりゃあ、確かに思わないわけじゃないよ。このレオだって凄い機体だ。あたしが生き延びられたのは、間違いなくレオのおかげだよ」

それは間違いない。レオの攻撃性能は今までの機体とは比較にならないほどに高い。これよりももっと強い機体。そんなものが手に入るとするならば。それはいいのかもしれない。バイドと戦うためならば、それが最善なのかもしれない。だけど、約束したのだ。一緒に戦う、と。

 

「それでも、あたしは仲間と一緒に戦いたい。それがあたしの答えだよ。だからあたしは戻る。絶対に戻らせてもらうよ!」

しばし、男は押し黙る。それでもやがて口を開いて。

「そんなにあのインキュベーターの元が気に入ったのか、利用されているとも知らないで」

忌々しそうに、そう呟いた。インキュベーター。聞きなれない名前だった。

「インキュベーター?何それ?外人?歌?」

「一体なんだと思っているのだね、君は。……あの宇宙人のことだよ。確か、君たちの前ではキュゥべえ。とか名乗っているようだがね」

「はぁ?キュゥべえが、宇宙人?……まあ、確かにアレが人間って言われても困るんだけどさ」

「気になるのなら自分で聞いてみろ。私はこれでも忙しいんだ。ああ、それと向こうに戻ったら、織莉子とキリカを返すように伝えろ。……あの二人だけでも持って帰れなければ、帰るに帰れん」

 

「……わかったよ。一応話してみる」

「迎えを用意させる。さっさと帰るといい」

後はもう、今更語ることもない。ふらつきながらもレオは無事に着艦し。随分久しぶりな気がする本当の体。

その感覚に少し戸惑いながらも、迎えの船で再び宇宙へ。

行きはあれだけ不安だったというのに、今はこんなに落ち着いている。不安なことはないわけではない。杏子は果たして無事なのか。ほむらはどうしているのだろうか。キュゥべえは何者なのか。

それでも星の海の向こうに、懐かしい気さえもするティー・パーティーの姿が見えると。

「……帰って来られたんだな。本当に」

さやかはただ、嬉しそうに呟いた。そして着艦、帰投。降り立ってまず見えたのは、ほむらとキュゥべえの姿。

 

「へへ……ただいま。ほむら。キュゥべえ」

「お帰りなさい、さやか」

「お帰り、さやか」

声を掛け合い、そのまま寄り合って。キュゥべえには色々聞きたいことはあるけど、今は大分疲れた。少し休んで、というか丸一日くらい眠って過ごして。それから聞けばいいだろう。

「あたしがいない間、どうだった?寂しくて泣いたりしてなかった」

「っ!?……そ、そんなわけないでしょう。バカ言わないで」

冗談のつもりが、思わぬ反応が返ってきて困惑。妙に顔まで赤くして、目元を押さえて俯いている。

 

「とにかく、さやか。貴女に見せたいものがあるの。……ついてきて」

そう言うと、有無を言わさずその手を取って引っ張っていく。格納庫を出て、通路を渡って。今まで入ったことのない部屋へ。

「ちょ、ちょっとちょっと!?いきなり何なのほむらっ!?」

開かれた扉。そこにはまるで棺のように横たわったコクピットブロック。映し出されたバイタルは、そこに入っている人物がまだ生きていることを示していた。胸に琥珀色のソウルジェムを乗せたまま、静かに延命装置の中で眠っているのは。

 

「……マミ、さん」

――巴マミの姿だった。

 

「どういうこと、なの。……ほむら。何で、マミさんが」

震える手で、マミの眠る装置に触れるさやか。その中でマミは昏々と眠っている。装置の明かりと、ソウルジェムの灯りに照らされて。

「マミもまた、ソウルジェムだけを機体に接続して戦っていた。彼女の肉体は保存されていたのよ。仮死状態のまま。……だから、もしかしたらと思って」

「じゃあ……どういうこと?マミさんは、まだ……生きてる?」

すとん、と足から力が抜けた。張り詰めていたものが緩んでしまったように。そのままその場に膝を突いて、マミが眠る装置にすがるように身を預ける。

 

「……ええ、生きてはいるわ。少なくとも肉体は」

「どういうことよ、ほむら」

「マミの意識が戻らない、ということさ」

部屋の中へとキュゥべえが現れた。恐らくは何かしらの事情は知っているはずだ。マミは本当に生きているのか、何故意識が戻らないのか。

「少なくともマミの肉体も魂も無事だ。だが意識は戻らない。バイドの精神汚染を受けている可能性もある。……専門の医療機関で調べないことには、今のところボクにはなんとも言えないけどね」

「じゃあ、すぐにでもそうしなくちゃ。マミさんが助かるかも知れないんだ!キュゥべえ。艦を向かわせてよっ!」

萎え掛けた足に力を篭めて立ち上がる。そのままキュゥべえに詰め寄って、一気呵成に言いつけた。

 

「そのつもりだよ。準備を済ませればすぐにでもマミを搬送するよ」

その言葉で、とうとう張り詰めていたものが全て解けてしまったのだろう。さやかから、魔法少女の、戦士としての表情は消えた。

後に残っているのは、ただの一人の女の子。

 

「よかった……マミさん。生きてたんだよね。本当に、よかった」

そしてまた、すがるように装置に身を預けて。

「よかっ……た。っぐ、ぅぁ。っ……ひぐ、ぅぁぁ」

そのままキャノピーに額を預けるようにして、静かに嗚咽を漏らす。本当によかった。生きていてくれてよかった。そして思っていた。これで今度は、マミと一緒に戦えるのかもしれない、と。

それが身勝手な願いだということはわかっていた。そもそも助かるのかさえわからない。マミがまた戦おうなんて思うかどうかもわからない。ただ今は、とにかく助かってくれてよかったと思う。

そう思うことで、いろんな後ろ暗さからも逃れられた。ただただ溢れる感情を嗚咽に変えて、声を堪えることも出来ずに、さやかは泣き続けていた。

 

「……さやか」

そんなさやかの姿を見ると、彼女がまだ少女なのだということを改めて思い知らされる。

ほむらは思う。これで少しは救われたのだろうか、と。さやかが、そして自分自身が。マミを失った、失わせてしまったという重責から。

その肩に触れようとして、思いとどまる。何かを伝えたいと思う。けれども、何を伝えればいいのだろうかと思う。

そんな風に逡巡している内に、さやかがそっと振り向いて。

「ねえ、ほむら。……やっぱり、辛いね。悲しいね。戦うのってさ」

「……そうね」

思い出しそうになる。辛く長い戦いの記憶。ほむらは軽く目を伏せて、そのまま伏し目がちにさやかを見つめて。

 

「マミさんが死んじゃったと思って、それが辛くて、悔しくてあたしは戦ってきた。マミさんに負けないようにって、頑張った。……でもさ、これからはそうじゃないんだよね。あたしが守りたいもののために、戦っていかなくちゃいけないんだよね」

わかりやすい理由があれば、それが動機になってくれる。ただ、さやかにとって一番大きな戦う理由。バイドへの復讐と、マミに対する負い目。

それはもしかしたら、このまま消えてしまうのかもしれない。そうなれば後はもう、戦う理由は自分で見つけていくしかない。それが少しだけ不安だった。

 

「戦う理由なんて、どんなものでもいいと思うわ。……さやか。私はあなたを死なせたくない。あなたと一緒に戦いたい。今はそれが、私の戦う理由よ」

きっとそれは、さやかのような少女が背負い込むには重過ぎる悩みで。それを思い悩むさやかの姿は、いつもよりも小さく見えたから。

思わずその肩に手を乗せていた。先ほどまでの逡巡も頭のどこかに消えていて。

「ほむら……うん、ありがと。そうだね、あたしには仲間がいるんだ。それに、もしかしたらもう一人仲間が増えるかもしれないんだよね。仲間と一緒に戦いたい。そんなのが理由でいいのかな、もしかしたら」

「仲間が……増える?」

誰か新しい魔法少女がいるのだろうか。それはそれで、まだこんな戦う運命を課せられた少女がいるのか。

そう思うと、ほむらは少しだけ気が重くなった。

 

「エバーグリーンで戦ってる時にさ、一緒に戦ったやつがいるんだよ。なんかほっとけない奴でさ。……多分、一緒に来てくれると思うんだよね」

「それは、魔法少女が増えるということかい?それならボクは歓迎だけどね」

今まで沈黙を保っていたキュゥべえは、こんなときばかり口を突っ込んでくる。ぴょん、と装置の上に飛び乗ってさやかと目線を合わせて問いかけた。

 

「って、キュゥべえっ!そこはマミさんが寝てるんだから、足乗せるんじゃないわよっ。ああ、そうだった。そのこともキュゥべえに頼もうと思ってたんだ。もしかしたらだけどさ。佐倉杏子、ってのがあたしらの仲間に加わるかもしれない。魔法少女じゃないけどね」

「佐倉……杏子?ああ、そうか、そういうことか」

「知ってるの?キュゥべえ」

キュゥべえの声はどこか意外そうで、それでも僅かに楽しげで。そんな言葉がとても意外で、驚いたようにさやかも声を上げる。

「ああ、彼女も魔法少女としての素質を持っていたからね。前に誘ったことがあるようだ。……随分前のことだし、そのときには断られたようだけどね」

 

「じゃあ、杏子は……」

「もし彼女が望むなら、ボクはすぐにでも受け入れるつもりだよ。マミが戻ってきてくれれば、これでいよいよ魔法少女が4人。これは楽しくなりそうだね」

気分は少し複雑だった。

杏子が仲間になってくれるのは嬉しい。だがそれでも、魔法少女という運命に、人ではない体にしてしまうのは少し気が引ける。

「……だが、それはもう少し先になるだろうね」

少し残念そうに、キュゥべえが言葉を続けた。

「何か問題でもあったの、キュゥべえ?」

「問題は山積みよ、魔法少女が増えたとしても、乗る機体がないんだもの」

「あ、そっか」

 

ほむらに言われて今更気付く。今この艦にあるR戦闘機はほむらのカロンとさやかのフォルセティのみ。予備の機体なんてありもしない。そしてどちらも大破している。

新調するにしても修理をするにしても、どちらも魔法少女仕様の特注品。すぐに直せるものでもない。少なくとも今しばらくは、身動きが取れないことは明らかだった。

「まあ、今後の事はこれから考えるとするよ。さやか、君は特に戦い詰めで疲れただろう。今日はもう休むといい。大丈夫、マミのことはボクに任せておいて」

「いや、微妙に不安なんだけど。……しょうがないか、任せたよ。キュゥべえ」

ひらひら、と軽く手を振って。もう一度だけ眠るマミを見つめて。

「マミさん。あなたとはもっとたくさん話がしたかったんだ。……だから、さ。お願いだよ。戻ってきて、マミさん。……じゃあ、あたしは部屋に戻るよ。お休み、ほむら、キュゥべえ」

今度こそ、さやかは部屋を出て行った。

 

「お休み、さやか。……後は任せるわ。キュゥべえ」

ほむらもそれに続いて部屋を出る。長い一日だったな、と思う。それでも今度こそ終わりだ。これ以上何かあってたまるものか、と。

 

 

「ボクと契約して魔法少女になってよ!」

「あぁ?んなもんするわけねーだろ」

すぐ翌日のことである。杏子がティー・パーティーへとやってきたのは。どうやら症状は脱水や熱中症、後は軽い火傷程度でしかなかったらしい。

 

「まあ、約束しちまったしな。一緒に戦おうぜ」

なんて言って、少し照れくさそうに杏子は笑っていた。さやかは抱きつくように飛びついて、嬉しそうに話しかけ。ほむらは少しだけ引いた場所から、簡単に自己紹介をした。

「だーからっ!これからあたしらは一緒に戦う仲間、なんだから!もっと仲良くしなくちゃダメでしょっ!ほむらも、こっち来るっ!」

なんて言って、一緒にほむらまで引き込んで抱きしめた。

「ちょ、ちょっとさやか」

「おい、さやかっ!?……ま、まあ。よろしくたのむぜ、ほむら」

「……ええ、一緒に戦いましょう。杏子」

まるで円陣でも組むかのように、手を取り合って輪になって。触れ合う手や肩の暖かさが、一緒に戦えることが嬉しくて、頼もしくて。

きっとこれなら、どれだけだって戦える。そう信じられた。

 

そんな和やかな雰囲気に割って入ったのがキュゥべえであった。最初は驚いていたようだが、杏子もすぐにそれにも慣れて。

そしていよいよキュゥべえが杏子に告げた魔法少女への勧誘。それを受けての杏子の言葉が、これである。

 

「え?キミはここで一緒に戦うんだろう?なら魔法少女にならなくちゃいけない。ここは魔法少女のための船、なんだよ?」

一瞬呆気に取られたようで。すぐにいつもの調子を取り戻してキュゥべえが詰め寄る。それに対して、杏子は不敵に微笑んで。

「それでも嫌だ。魂をこんなわけのわからないものに変えられるなんて、あたしは御免だ。でもさ、別に魔法少女じゃなくてもバイドとは戦えるだろ?少なくともあたしはそうだ」

理由はともかく、とにかく嫌だった。面倒だから、理由は今はあまり考えるのはやめておいた。

「あたしはさやかに誘われてここに来たんだ。さやかと一緒に戦いたい。パイロットの仕事はしっかりやってやる。どんな機体だって乗りこなしてやる。……あんたにとっても、悪い話じゃあないだろう?」

どうする、と挑発的な目つきでキュゥべえを見つめる。

断られたって行くところなんてありはしない。最悪さやかを抱きこんで立て籠もるかな。なんてちょっと物騒なことまで考えていたようで。

 

「……やれやれ、キミは随分とイイ性格に育ったようだね、佐倉杏子。わかったよ、確かに通常のR戦闘機と組んでの運用試験もできれば申し分ない。ついでに他所から試験機を回してもらうことも出来そうだしね」

やがて、観念したかのようにキュゥべえがため息を吐き出して。そして小さく首をかしげて、杏子を見つめて目を細め。

「いいだろう。佐倉杏子。キミを受け入れよう。魔法少女ではないけどね、キミも今日から、このティー・パーティーの一員だ」

その言葉を聞くや否や、再びさやかが飛びついた。

「やったね杏子っ!これであたしたち、本当に仲間だっ!」

「っとと、おい、さやかっ!あんまりべたべたひっつくなっての……ん、まあ、よろしくな」

 

 

「さて、それじゃあ早速キミたち三人の次の予定を伝えるよ」

ひとしきり歓迎ムードも落ち着いたところでキュゥべえが切り出した。その言葉に、途端に三人の顔も固くなる。

 

「休暇だ」

「「「は?」」」

緊張した様子から一変、どうも気の抜けたような声が三つ続いて。さやかなんかはずっこけかけている。

「どういうことだよ、やってきていきなり休暇ってのはさ」

流石に杏子もくってかかる。対するキュゥべえはさも当然、といった顔で。

「仕方ないだろう。新しい機体を用意するにも機体の修理を行うにも時間がかかる。それにボクにも何かと用事があるからね、しばらくはまともに行動できなくなるんだ。この艦自体も色々手を加えるからね、ざっと見積もって半月くらいは何もすることがないんだよ」

キュゥべえの言葉を聴くにつれ、さやかの表情が活き活きとしはじめた。休暇、長いお休み。そんな言葉がだんだんと現実味を帯びてきたようで。

「ってことはなになに?この後半月くらいはずっとお休み、ってこと!?」

「その通りさ、休暇だよ。とはいえここにはいられないからね。どこかで過ごしてもらうことになる。場所さえ決めてくれれば、宿泊先くらいはボクの方で手配を済ませておくよ」

言い切るかどうかの内に、さやかがキュゥべえに詰め寄った。

 

「ねえねえキュゥべえ。ってことは、地球に戻ってもいいってこと!?うわー、楽しみだなっ!最近ずっと訓練とか戦闘ばっかりだったし、休暇さまさま、さいっこーじゃないのっ!」

「って言われても、あたしは行くとこなんかねーっての」

「私も……どうしようかしら」

対して、ちょっと渋い様子の二人である。肩透かし、といった様子の杏子。内心すでにいくつかあてを探し始めていた。

問題は完全に困惑しているほむらである。地球に知り合いがいるでもなし。いたとして、今の姿でわかってもらえるはずもなく。どうやって時間を潰したものかと考えていたが。

 

「ありゃりゃ、二人とも行く所ないわけ?……あ」

それを見かねてさやかが割って入った途端である。なにやら思いついたようで、にんまりとその頬を緩めて。

「じゃあさ、こうしようよ――」

 

 

 

空は何処までも青かった。久々に吸い込む街の空気を、肺一杯に吸い込んで。遠くに見える町並みを手で透かして眺めて、変わってないなと安堵する。

そして。

 

「ただいま、見滝原――」

 

一人にとっては故郷、一人にとっては異郷、一人にとっては新たな住処であった場所。

見滝原の街外れに、二人の魔法少女と一人の少女が立っていた。

 

 

魔法少女隊R-TYPEs 第7話

      『METALLIC DAWN Ⅱ』

          ―終―




【次回予告】
「やっぱりまどかはあたしの嫁だねーっ!」
「さやかちゃんってば……ふふっ」
兎にも角にも休暇は休暇、キボウも今回ばかりはお休みで
少女たちは、ひと時の安らぎを謳歌する。

「あなたは……さやかのそばにいてあげて」
「何バカ言ってんだよ。……あんたも、一緒に来るんだよ」
懐かしい友との出会い、新たな友との出会い。
楽しくもおかしな出来事、短い休みは楽しさで満ちていた。




―――多分。
「ひぃっ!?」
「うへぇっ!?」
「な、なんじゃこりゃーっ!?」
「……卑猥」

次回、魔法少女隊R-TYPEs 第8話
           『HAPPY DAYS』


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幕間①
比翼連理の紅翼


彼女達の始まりの、そして終わりの物語。すでに終わってしまった物語。
そして今に至るまでの、物語。悪魔に魅入られた彼女達の未来は、どこまでも昏い。


「――皆さんには、愛する人がいますか?」

宇宙の只中を、編隊を組んでR戦闘機が往く。その先陣を切って飛ぶ、純白のR戦闘機。

「家族、恋人、友人。心から慈しみ、自らを投げ打ってでも守りたい人がいますか?」

そのキャノピーは濃い蒼に包まれて、中の様子は覗けない。それでも声は、高く強くと響き渡る。

「そして、その人達を守るに至らぬ自分の無力を嘆いたことはありますか?」

その向かう先には、同じく隊列を組むR戦闘機。その背後に艦隊を抱えているのはどちらも同じ。一触即発。

「確かに人類は、一つの大きな危機を乗り越えました。ですが、その危機は未だ完全に払拭されたわけではありません。私たちには、力が必要なのです」

向かい合う機体群。どちらの機体にも波動の火が灯る。

「だからこそ、私は戦う」

その光が互いに放たれて。それを合図に激しい戦闘が始まった。

 

ジェイド・ロス少将率いるバイド討伐艦隊の働きと、立て続けに行われた第3次バイドミッションにより、バイドが太陽系から駆逐されてより幾許かの時が過ぎていた。バイドとの戦争は終わったのだと、多くの人間が思っていた。

そして安寧を求める人々の声は、ついにバイドを討つべき兵器の、その意義を問うようになっていた。特に、バイドを利用して作られた“悪魔の兵器”ことフォースは、多くの人々からその存在意義を問われることととなった。

その開発を軍が継続していたこともまた、民衆の感情を煽る結果となっていた。

 

そうして鬱積した不満が原因となったのか、火星の一都市が太陽系解放同盟を組織し、地球連合軍に対してバイド兵器の即時撤廃を求め、武力の行使も辞さないという強硬な姿勢を見せていた。

バイド軍との戦いで疲弊し、戦力が不足していた地球軍は、これに迅速に対応することが出来ず、戦況は泥沼の様相を見せていた。

「しかし、流石は美国参謀次官のお嬢様ですな。あれならばプロバガンダとしても申し分ない」

そうしてついに開かれた、本格的な地球軍と太陽系開放同盟との戦闘。その中でも一際激しく立ち回る白い機体をモニターに映して、二人の男が眺めている。

「眉目秀麗、聡明叡智にしてパイロットとしても一流。まさに現代のヴァルキュリア……とでも言った所でしょうかな。素晴らしい逸材だ」

その二人は太陽系開放同盟の艦隊を攻撃する任務を受け、派遣された艦隊の司令官。そしてその副官であった。どちらもその白い機体の動きに見入っていたようで。やがて白い機体に率いられた部隊が、太陽系解放同盟の部隊を蹴散らしたのを確認し。

「このままでは我々の仕事もなくなってしまいそうだ。そうなる前に、後始末をしに行くとしよう」

後詰めの艦隊が動き出し、総崩れになって逃げ出した太陽系開放同盟の部隊の追討を開始した。

 

 

結局、太陽系解放同盟は局地的な勝利や成果は収めたものの。フォースに対抗する十分な兵器体系を確立するには至らず、早期に地球連合軍に鎮圧されることとなる。せめてもう何年か戦力を蓄え、フォースに抗する力を生み出すことができていれば恐らく、地球連合軍に対応できる戦力となっていたことだろう。

とにかく、彼らは急ぎすぎたのだ。

そしてその戦闘の中で目覚しい活躍を見せ、年若いながら将来を嘱望された少女。

――それが、彼女。美国織莉子であった。

 

「ほら、あの人だ。解同との紛争で大活躍したっていう英雄。参謀次官の娘さんの、美国織莉子さん」

誰もが彼女を、憧れと賞賛の目で見つめていた。

「素晴らしい女性だ。あの方ならきっと将来は、お父上の後を継がれることだろう」

誰もが、輝かしいであろう彼女の将来を祝福した。

「あの若さであれほどの戦果、まさに我が軍の誇りというべき人物だろうね」

人々の羨む声を耳に挟みながら、織莉子は一人道を歩く。その指には輝く指輪が一つ。それはソウルジェムが変化したもので。そう――彼女は魔法少女だった。

「お父様、織莉子です……失礼します」

セキュリティチェックを顔パスで通過して、辿りついたのは父である地球連合宇宙軍参謀次官、美国久臣の執務室であった。

 

「……ああ、入りなさい」

輝かしい栄光を手にしたはずの親子の会話は、なぜか冷たいもので。久臣は知っていた。自分の娘が、既に人間ではなくなってしまったということに。

それでも、娘への愛は変わらないと信じていた。しかし、どうしても拭えなかった。目の前に居る娘の身体は魂のないただの肉の塊で、その本体は指に煌く小さな指輪でしかない。

その事実が彼の心を苛んでいた。それでも表向きは、仲睦まじい親子を演じるだけの分別はあった。それが更に、彼の心を荒ませていた。いつしか親子の会話などというものは、冷たく事務的なものに変わってしまって。

「今回はご苦労だった、織莉子。今後はどうするのだね?」

「はい、ありがとうございます。……当分は実戦に出ることはないと思います。これからはしばらく、いつもどおりの任務をこなすこととなるでしょう」

「そうか。話は変わるが、近々お前に勲章を授与しようという話も上がってきている。私としても鼻が高いよ」

そう言いながらも、久臣は娘に背を向ける。向き合っているとそれだけ辛くなる。堪えられなくなる。出世のため、自らの地位のための生贄として、娘を捧げてしまった事への自責の念もきっとそこにはあったのだろう。

「ありがとうございます、お父様。……お母様も、喜んでくださるでしょうか」

呟いた織莉子の言葉に、久臣はぎり、と歯噛みし、目を固く伏せて身を震わせる。自分の娘のようなナニカが、自分の娘のようなことを話すたび、堪えきれない何かを抱えた自分を自覚する。

もう、たくさんだ。

 

「……織莉子。もう下がっていい」

「っ……お父、様。……わかりました、失礼します」

織莉子が部屋を出て行く。その足音が遠ざかるのを確認して。久臣は、その拳を壁に打ちつけた。その余りの勢いに、壁にかかった額が外れてがたりと落ちた。

「何故、何故私はあんな事を……っ、織莉子」

あまりにも深すぎる、Rという名が抱える闇。そこに踏み込んでしまった代償がこれなのか。久臣は、自分がその闇と狂気に飲み込まれていくのを感じていた。

それでも戻ることは出来ない。いつか全てが飲み込まれ、自分がなくなるその日まで。最早止まることすらできないということも、彼は理解してしまっていた。

 

 

父親と話すたび、織莉子の心は凍りつくように冷たくなる。父が自分を拒むようになった原因はわかる。けれどもその理由がわからなくて。気持ちはどんよりと沈みこむ。

また母親の墓参りのことを切り出せなかった。

けれども、そんな彼女の気持ちを晴らしてくれるものが現れた。それは、通路の端に所在無さげに立ち尽くしている少女の姿。

「あら、待っていてくれたの?キリカ」

織莉子は沈んだ顔を振り払って、柔らかい笑みを浮かべてその少女に話しかけた。

「あ……織莉子っ。うん、こっちに来るのが見えたから。私じゃここまでしか入れなかったし」

キリカと呼ばれたその少女は、織莉子の姿を見つけると、それまで浮かべていた不安げな顔をぱぁぁ、と明るく輝かせて、織莉子の傍へと駆け寄った。

「くす、ありがとう。キリカ。ずっと待っていて疲れたでしょう?どこかに座って、お茶でも飲みましょう?」

「うんっ、行くよ。私、織莉子と一緒ならどこだって行く」

そして二人は手を取り合って歩き出す。彼女――呉キリカもまた、魔法少女。二人は共に戦う仲間であり、友人でもあった。

 

約束された将来。充実した生活。そして傍には一番の友人が居る。父のことは気がかりだが、自分の為すべき役目を果たし続けていれば、いつか時が解決してくれるだろう。

最早バイドの脅威はなく、太陽系解放同盟も潰えた。戦う必要もないはずだから。胸の奥に一抹の不安は抱えつつも、織莉子は今の生活に幸せを感じていた。

 

 

それが、脆くも崩れ去ってしまうものであると知らずに。

 

 

「本日未明、地球連合宇宙軍参謀次官、美国久臣氏が自室で亡くなっているのが発見されました。美国氏には銃撃を受けた痕跡があり、太陽系解放同盟によるテロ行為の可能性が高いと見られています」

 

そう、崩れ去っていくのだ。美しく幸せな日常は。醜悪で辛辣な暴力は、容易くそれを消し去ってしまったのだ。

 

 

 

暗い闇の中、そこには立体映像で映された男の姿が、円卓を囲んで映されていた。

「それで、美国参謀次官の件については処理できたのかね?」

上座に映された男が、低くよく通る声で尋ねる。

「はい、問題はありません。解同の連中の仕業に仕立て上げました。根回しも済んでおります」

「よろしい。彼はもとより解同の殲滅に積極的だった。娘のこともある。そのことを考えても、下手人に仕立て上げるには連中はうってつけだろう」

自分たちの成果に納得するように、映し出された男たちが小さく頷く。

「そして、後は彼の娘の件だ。彼女はある意味父親以上に存在感のある女性だ。現場の兵士からの支持も高い。あまり捨て置くのは得策とは思えないな」

その言葉に、一人の男が小さく声を上げる。柔和な顔立ちに紳士然とした格好の、初老の男である。

「あのー、でしたら彼女の身柄、よければ私に預けていただけませんか?」

その言葉に、男たちがざわめく。

 

「Mr.K。貴方が興味を示されるとは……珍しい。いや、ですが彼女の素質を考えると。確かに、貴方の所に預けるには相応しいかもしれませんな」

K、と呼ばれたその男性。彼はあの狂気の科学者集団、TEAM R-TYPEの主任。彼は既に軍の中でも大きな権限を持っており、このような秘密裏の集まりにも顔を出していた。

研究を進めることには余念がないが、政治的なことにはほとんど口を出さない。このような集まりで発言すること事態、滅多に無いことではあった。

「ええ、彼女の素質はとても素晴らしい。魔法少女というのも、それはそれで素晴らしい。私のチームの若者たちが、その新たな可能性を見出したようで、出来れば彼女にはそれに協力して欲しいのです」

その声色は穏やかで、TEAM R-TYPEに属するものには必ず見て取れる、何らかの狂気はまるで感じられはしない。それが逆に底冷えのする恐ろしさを醸し出している。

 

「……私は、構わないと思うが。優秀なパイロットとして出向、という形ならば兵士たちからも不平は出にくいだろう」

「私も賛成だ。最悪試験機にでも乗せておけばいいだろう」

彼らの言葉には、言外に織莉子の死を望む意図が見え隠れしている。政敵の暗殺、そしてその後始末。今も昔もどこの世でも、変わらず行われている政争の一幕であった。

 

 

 

「はぁ、はっ、はっ……はぁっ」

キリカは走っていた。気がついたら走り出していた。織莉子の父の悲報を聞いて、すぐに。

「織莉子、織莉子……織莉子、織莉子織莉子織莉子っ!」

きっと悲しんでいるはずだ。もしかしたら泣いているかもしれない。放ってなんておけない。おけるはずがない。行って助けなくては。そうでなければ、何が友達か。

息を切らせてキリカは走る。そして、織莉子の部屋へと辿りついた。

「織莉子っ!開けて!私……キリカだよっ!開けて……っ」

扉を叩いて呼びかける。さほど間を置かずに織莉子の部屋の扉は開いて。

「キリカ……どう、したの?」

キリカを出迎えた織莉子の表情は青ざめていて、目は大きく見開かれたままで。あまりにも痛々しいその姿を見るに堪えかねて、キリカは織莉子を抱きしめた。

「ニュースを見て、それで心配になって……駆けつけた。こんな姿の織莉子、放っておけないよ」

抱きしめたその身体はやはり冷え切っていた。そんな織莉子を暖めるように、織莉子まで冷え切ってしまわないように。キリカは強く強く織莉子を抱きしめた。

「キリカ……ありがとう。私、私……っ、う、ぅぅ……っ」

キリカの肩に顔を埋めて、声を殺して咽び泣く。そんな織莉子が泣き疲れて眠るまで、そして眠って夜が明けてもずっとキリカは、織莉子を抱きしめたままだった。

 

一度崩れてしまった日常は、平穏は容易く戻りはしない。

友人の支えで、どうにか心の平静を保っていた織莉子の元に、更なる絶望への誘いが訪れる。それは、TEAM R-TYPE付きの試験小隊への配属だった。

 

「行っちゃ駄目だ、織莉子。………嫌だよ、行かないでよ」

転属の前日。荷物はもう全て運んでしまったがらんとした部屋の中。キリカは最後の望みをかけて、織莉子に詰め寄っていた。

「……それでも、行かなければならないわ。そういう命令なのだから。それに、もうなんだかどうでもよくなってしまったの」

それに対して、織莉子は全てを諦めたような冷たい瞳でキリカを見据えていた。その表情は笑んでいるけれど、その奥には感情らしきものは一切見られない。

きっと織莉子は、全て凍りついてしまったのだ。あまりにも悲しいことが多すぎて、辛いことが多すぎて。自分の心を凍りつかせて何も感じないようにする以外、逃れる術がなかったのだろう。

「そんな……嫌だっ!嫌だ嫌だ嫌だイヤだっ!!織莉子が死んじゃう!あんなところに行ったら、織莉子……死んじゃうよぉっ!」

泣きながら織莉子に縋り、必死に引き止めるキリカ。織莉子はそんな姿にほんの僅かでも心を揺らされたのか、少しだけ彼女本来の笑みを浮かべてキリカの頭を優しく撫でた。

「ありがとうキリカ。私は、貴女に会えて良かった。貴女が居なければ、私はとっくに壊れていたでしょうね。ずっと一緒にいられたら、きっと幸せだったのでしょうけれど」

 

「ひぐ……えぐっ。やぁ、やだよぉ、おりこぉ……」

「こんなものしか貴女に残して行けないけれど、どうか……これを私だと思って」

キリカの頭を撫でながら、一つだけ残した小さな包みを手渡して。そして、織莉子は立ち上がる。

「本当にありがとう。キリカ。……さようなら」

別れの言葉を告げたその表情には、最早感情といえるものはなく。織莉子は、静かに狂気の地への歩を進めていくのであった。

 

そして、響き渡る慟哭。

 

 

「喜んでください皆さん。本日、新しい魔法少女が、私たちの元に訪れます」

Kが、彼のチームの仲間達に告げる。そこはTEAM R-TYPEの研究所。その中でも最高の機密レベルをもつ区画。最早人知の及ぶ場所ではない。その最奥で。

「彼女の力を借りて、今度こそ新たな可能性を実現させましょう」

その狂気の最中にあって、Kの声は似合わぬほどに穏やかに響いていた。

「私たちの夢のため。ひいては、人類と宇宙の未来のためにです」

そしてそこに集った狂気の科学者たちは、彼の演説に狂喜の声をあげた。

 

「主任、一つお耳に入れたいことがあるのですが」

「ええ、いいですとも。是非聞かせてください」

皆が歓喜に沸く中、一人の研究員がKに話しかけてきた。

「実は私のチームで、サイバーコネクトの新たな活用法を見出しました。そのテストヘッドとして、一組の魔法少女が必要なのですが……」

「なるほど、それは素晴らしいことです。是非データを見せてください」

「はい、ここに」

小型のモニターに流れるように映し出される情報の羅列。一見するだけでは内容などさっぱり理解できないようなそれを、Kは瞬時に理解して。

「素晴らしい!君の技術は、間違いなく人類に新たな可能性をもたらしてくれるでしょう!」

感極まったように震え、その研究員を抱きしめるK。研究員の肩口を、その手で深く抱きしめるようにして。

「ああ、すいません。ついいつもの癖が出てしまいました。それで魔法少女の件でしたね。いいですとも、私の方で心当たりをあたって見ましょう」

「ありがとうございます、主任」

 

それからの日々は、キリカにとって暗黒だった。織莉子という太陽のない、一片の光も差さぬ日々。息絶えればその暗闇からも逃れられるのだろうかと、一心不乱に戦いに明け暮れた。

それが彼女の素質を目覚めさせることとなる。そしてそれは、狂気の科学者たちの目に留まることとなる。

 

「美国織莉子に、会いたくはないかね?」

ある時、キリカの元を訪れた男はそう告げた。

「おり……こ?」

一瞬、その言葉の意味が理解できずに呆然とする。しかしすぐに、キリカの頭でその言葉が形のあるものとして成り立って。

「会えるのかい、織莉子に!?」

「君が望めば、すぐにでも会える」

男の言葉に、キリカは二つ返事で答えていた。

「勿論、望むとも」

そしてキリカは、織莉子と同じく狂気の地へと道を往く。

 

 

「やあ君、例の件の経過はどうなっているかな」

「主任。ええ、素晴らしい経過ですよ。あの二人は実に素晴らしい」

再び狂気の中心地、狂気の住人同士が言葉を交わす。

「パイロットとしての腕もさることながら、あの二人は調整を施さなくとも重度の共依存状態にあります。まさに、サイバーリンクシステムのテストヘッドとしては理想的な固体ですよ」

「あぁ、それは素晴らしいことです。では私からも一つ、お願いしてもいいでしょうか?」

「なんでしょうか?」

「ええ、実は私たちの研究も大詰めを迎えました。いよいよ魔法少女を新たなステージに引き上げることができる。その第一号として、あの二人に協力してもらいたいのです」

Kはとても嬉しそうに、その柔和な顔を更に柔らかにほころばせて言う。

「そういうことでしたらお任せください、同時に処置を行いましょう」

「ええ、よろしくお願いしますね」

 

 

「織莉子はここに居る。確かに見かけた。でもまだ会えない。会えてない。……会いたい、織莉子。織莉子」

あてがわれた自室、明かりの一つもない漆黒の部屋の中にキリカは居た。

「……溢れてしまうんだ、止まらないんだ。会いたい気持ちが。織莉子に会いたい、織莉子と話がしたい。織莉子に触れたい……あぁ、織莉子」

がくがくと触れる身体を抱きしめて、溢れ出そうな何かを必死に押さえつけている。その時、不意に扉が開かれた。

「相変わらず暗い部屋だ。キリカ、いい知らせがあるぞ」

「……何だ?」

「織莉子に会えるぞ、これからある処置を受けたらな」

「本当か、それは」

ぎろりと闇の中で光っていたのは、眼。見開かれたキリカの瞳が、射抜くような視線を送り続けていた。

 

「ああ、約束しよう」

 

 

 

「ではこれより、美国織莉子及び呉キリカへのサイバーリンク埋め込み術、及び精神エネルギー変換システムの搭載及び固定術を施行する」

そして、狂気の科学者による悪夢の実験は始まった。全身の感覚を奪われてもわかる、頭蓋を割かれ、脳の中身を弄られる感触。そして何より強く感じる、魂を攪拌され、どろどろとした何かを注がれていくような感覚。

とてもイヤだ。全身に感じる掻痒感。魂さえも掻き毟りたいほどに疼いている。そしてそんな感覚さえも意識から遠ざかっていき気がつけば、いしキが、キエ―――――。

 

 

 

 

 

 

「織莉子?」

キリカは目覚めた。真っ白な部屋の中、真っ白な服を着て。

「居ない、織莉子」

胸にはぽっかりと穴が空いたような喪失感。まるで、自分そのものを失ってしまったかのような。

「どこ、織莉子、織莉子」

身体が上手く動かなくて、それでも必死に織莉子を探す。手探りで、あちこちを這い回る。

「いない、居ない。いないぞ、織莉子、織莉子織莉子織莉子」

その手が、何かに触れた。

「ぁ……」

その手に触れたのは、別離の際に織莉子がくれたもの。小さな動物のぬいぐるみ。ここまで大切に持ってきたものだった。

「見つけた、織莉子」

それはキリカにとって、唯一織莉子を思い出させるものだった。そしてそれを握った瞬間、弾けた。

織莉子と過ごした日々の記憶が、織莉子を抱きしめたときの柔らかさが。耳に心地よい織莉子の声が、織莉子と飲んだ紅茶の味が。

記憶も意識も全てが織莉子で埋め尽くされて、キリカは気付いてしまった。

 

それが、恋だということに。

 

 

「うあぁっ!あぁぁっ!!あぁぁぁぁぁーっ!!!織莉子、愛してるっ!きみに夢中だーっ!!織莉子ぉぉぉぉっ!!!」

蟠り続けた感情は、出口を見つけて迸る。澱みなく迸るその感情の圧倒的なエネルギーは、彼女の新たな力を引き出した。

「会いに行くよ、織莉子。今からきみのところに行く」

その手に黒い爪を携え、キリカは部屋のドアを切り裂いた。

 

 

施設中に鳴り響くアラート。それは最大の危機よりワンランク下の危機的状況であることを示していた。

「何だ、何が起こった!?」

「被験体Bが部屋を破壊し脱走!その後も施設を破壊しながら逃走中!現在警備隊が交戦中です!」

「早速暴走か……とにかく早急に鎮圧したまえ。ただし殺すな、麻酔弾を使え」

 

立ち塞がるものを、全てその爪で切り裂きながらキリカは進む。

「ははは、あはははははッ!止められない、止まるわけがない!私の愛は止まらないっ!!」

しかし、その行く手を阻む武装した警備兵たち。これだけの重要施設を守るのだ、彼らは正規の軍人並みの錬度を持っていた。

「そこで止まれ!直ちに破壊行為をやめて投降しろ。それ以上施設を破壊するつもりなら我々は発砲も辞さない」

その姿を睨みつけ、にぃと口元を歪めてゆっくり首を廻らせ、キリカは。

「ああ、好きにすればいい。撃ちたければ撃て。殺したければ殺せばいい。でもね、キミたちには無理だ。誰にも出来ない。私と織莉子を離すことだけは!」

高らかに、誇らしげにそう言い放つ。

 

「……撃て、捕獲しろ」

言葉と同時に、無数の麻酔弾が撃ち放たれた。しかし、それは一発として当たらない。

「これだ!わかった!愛に理由なんて要らない!考える必要さえもないっ!愛は無敵だっ!――愛は、全てを凌駕する」

速度低下という、自分の力の本質をキリカは理解した。晴れ晴れとした顔で次々に迫る麻酔弾をすり抜け、迫る。

「当たらないだと……これが次世代魔法少女の、“魔法”の力だとでも言うのかっ!」

警備兵たちにも緊張が走る。未知の相手との遭遇。それはまるで、新種のバイドに退治したときのそれにも似て。

「へえ、この力は魔法だったんだ。……教えてくれてありがとう。キミは案外、いい奴なのかもね」

「茶化すな、餓鬼がっ!!」

銃声と何かが切り裂かれるような音、そして小規模な爆発音が立て続けに響く。それが収まると、白かったキリカの服は真っ赤な血の色に染まっていた。

「さあ、織莉子に会いに行こう。……どこかな、織莉子」

 

「警備兵、全滅です。……は、早く応援を呼ばないとっ!」

恐るべきその力に、彼らの中にも戦慄が走る。しかしそれは、恐怖の類ではなく。己が生み出した力の大きさに喜び、打ち震えるものだった。

「素晴らしい!これは実に素晴らしい力だ!生身のままでもあれだけの戦闘力、あれをR戦闘機に転用できれば、どれだけ強力な力となる……がぺっ?」

狂喜と歓喜に打ち震えていた男の、口から上が吹き飛んでいた。飛び散る血飛沫に脳漿、そしてそれ以外のナニカ。その凶弾の先を見据えると。

 

―sanctions charge―

「制  裁  突  撃」

 

氷の微笑を張り付かせ、大型の銃を抱えるようにして持つ織莉子の姿があった。

「被験体W……どうしてここに、どうやって監視を抜け…ぎゃっ!」

狙いをよく定めて、発砲。

「まさかこれが、被験体Wの能力だと…ぐぶ」

続けて狙いを定めて、発砲。

「ま、まずい……た、退避を……」

もういちいち狙いを定める必要もない。フルオートで銃弾をばら撒いた。バイドすらも研究する彼らとてその身体はただの人間。撃ち抜かれれば息絶える。

「許さない。……貴方たちはキリカを巻き込んだ。絶対に、許さない」

その服が真っ赤に濡れても、顔面に血潮を被ってもその表情は何一つ変わらない。ただただ冷たい微笑を浮かべて、残酷な女神のようにひたすらに、ひたむきに死をばら撒き続けた。

そして誰一人、何一つ動くもののなくなったその部屋に、一面の赤で染められたその部屋に、ついにキリカが辿りついた。

 

「………………」

何も言わず、声もなく駆け寄る二人。どちらも身体中が赤いナニカで汚れきっていたが、それでも固く抱き合って。

「やっと出会えた。やっと触れられた。織莉子。私はもう、きみを離さない」

「ええ、ずっと捉まえていて。キリカ。もう絶対に離さない、離れないわ」

抱きしめあい、再開を喜び合い。そのまま口づけを交わす。鉄の味しかしないそれは、それでも甘く切なく胸を焼いた。

 

 

 

12時間後、脱出した研究員によって要請された部隊がその施設を訪れた。そこには血と死肉のベッドの上で、一糸纏わぬ姿で眠る二人の姿があった。赤く汚れたその顔は、幸せそうに微笑んでいたのだという。

 

この事件で、多くの貴重な頭脳が失われた。これにより、R戦闘機の開発にどれだけの遅延が出るのだろうか。それでも、そんな痛ましい事件さえも飲み込んで、彼らの狂気は進化を続けていく。

施設に残されたデータから、次世代魔法少女のことを知り。二人を秘密裏に回収、入念な調整を施して、ついに二人を兵器として従えることに成功した。

 

「今日はキミたち二人での初めての作戦となる。その内容は……古い魔法少女の粛清だ。

 キミたちならば難なくやってのけるはずだ。しっかりやってくれたまえ」

 

「ああ、私たちが負けるはずがない。そうだろう、織莉子」

「ええ、私と貴女が負けることなんて、ある筈がないわ。キリカ」

「じゃあ、行こう」

「ええ、一緒に行きましょう」

 

「「ずっと、ずっと一緒に」」

 

そして、魔法少女達は出会う。



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第3章 一時の安らぎ
第8話 ―HAPPY DAYS―


少女達に訪れた一時の安らぎ。けれど彼女は直面する。残してきたものの大きさと、残されたものの辛さを。

長い休暇は、まだ終わらない。


「――で、どうすんのさ、これから?」

遠目に街を眺めて杏子が尋ねる。

「そーだね、まずは宿に向かって荷物を置いて、それから街でも案内しよっか。その後はちょっと自由行動、ってことで。あたしも家に顔出しときたいし」

そう言うさやかの胸中は少しだけ複雑であった。家族にだけはしっかりと事情は話した。納得はしてもらえた……と思いたかった。

それでも、こうしてまた顔を合わせるのはちょっと気まずいな、なんて思っていたりもしたのだった。

「そういうことなら、早く宿へ向かいましょう。このままじゃちょっと寒いわ。……もうこんなに寒かったのね。やはりずっと宇宙にいると季節感がなくなるわ」

掌に息を吐きかけながらほむらが言う。吐き出す息は白い。2170年ももう残り僅か。まだ雪は降っていないようだけど。

それでもその季節に似合った服はどうやら、持ち合わせがなかったようで。急揃えのコートの下は、流石に半袖ではないが冬には辛いもので。

 

「それもそうだね。よく考えたらあたしら、ちゃんと地球に降りるのなんて三ヶ月ぶりくらいじゃない。そりゃあ季節も巡るってもんだよね。よし!それじゃー荷物置いたらさ、服買いに行こうよ!」

「賛成よ、何せ給料だけはいいものね、この仕事は」

ちょっとおどけた様子のさやかに、冗談交じりにほむらが答え。

「そういや試験小隊、ってゆーくらいだもんな。そりゃ実入りもいいってもんか。それでなくともあたしは、特に使うあてもなかったから随分溜め込んでるんだ。この機会に、ぱーっと買い物……ってのも、悪かないね」

大きなバッグを背負いなおして、杏子がにやりと笑って言った。そんな話をしていると、バスが空からやってきた。

 

「え……何これ?」

「R-9……よね、これは」

「アロー・ヘッド、だよな」

 

三者三様に唖然である。それも当然、彼女らの前に降り立ったそれは、まさに初代R-9――アロー・ヘッドの外観をしていたのだから。

本当にこれがバスなのか、と呆気に取られている三人の前で壁面のハッチが開き、さらに階段がせり出してきて。どうやら内装をほとんど取り払って、座るスペースを取り付けているようだった。通常席は市内200円、外が見えるラウンドキャノピー席は+100円也、だそうだ。

 

「……型落ちしたR戦闘機が民間で使われてるって話は聞くけどよ。流石にこりゃ予想外だろ。……まあ、ある意味落ち着けそうだけどさ」

「おーい、乗らないのかい?」

呆気に取られている三人に、運転手が声をかけてきた。慌てて乗り込む三人。折角だからとキャノピー席に座ることにして。

 

「なんていうか、こうやってゆっくりキャノピーから外眺めるのって、ちょっと新鮮だね」

もはや懐かしさすら感じる街並みを、キャノピー越しに眺めながらさやかが嬉しそうに言う。ビル街や商店、公園なんかも通り過ぎていく。

2170年、さぞや近未来的な街並みなのであろうと思われたそれは、概ね21世紀初頭のそれと比べて、さほどの変化は見られなかったのである。

 

理由としてはいくつか挙げられる。一つに21世紀初頭の建築技術、建築様式が非常に利便性が高かったことであろう。

それ以降の年代は、とかく手間や技巧を凝らす建築様式が増え、いつ壊れるかもわからない、戦時といえるこの時代にはそぐわなかった。

そして恐らくもう一つは、回顧主義的なものもあったのだろう。発展と栄華を極めた人類の街並みは、酷く明るく派手な、所謂サイバーチックな物へと姿を変えていた。

予想以上に、そういう街並みに拒否感を抱く市民は多かったのだろう。災害を想定した都市設計を行う際に、以外にも21世紀初頭の建築様式を望む声は多かったのである。

 

長々と色々理由は並べたが、そうしなければ非常にイメージし辛くてしかたないのだからしょうがない。漫画の神様だって似たようなことをやっている。名も無い物書きの仕業一つ、ご容赦いただきたいところである。

 

「……なんか今、話が飛んでいたわね。何の話だったかしら?」

と、何事も無いかのようにほむらが言う。

「景色のことだろ。あたしは割りと地球の景色は見慣れてたけどな。でもこういう日本風の街並みってのはちょっと久々かもね」

包み紙を外したチョコレートを口の中に放り込んで杏子が応える。これもまた随分歴史が長い。チロルチョコレートは未だ健在であった。

「そうそう、景色だよ景色。あ、あそこ見てよほむらっ!あたしらの学校だ」

「ええ、本当ね。って言ってもあそこにいた時間なんてほんの僅かだったけど」

さやかは懐かしさと嬉しさを覗かせて、対してほむらはわずかな寂寥感も抱えたままで。

「あー……そういえばそっか。でも、全部終わったら学校にだって通えるでしょ!でも、その時はもしかしたらまどかや仁美と一緒には居られないのかなー」

「そもそも、もしかしたらもう退学扱いかもしれないわ。せめて休学ってことにしてくれていればいいけど」

「うへ……それじゃなに、あたしの最終学歴中学校になっちゃうわけ?そりゃちょっとやーな感じ」

と、思いっきりしかめっ面をしているさやかの横で。もっと居た堪れなさそうな表情で杏子が遠くを見つめていた。

(それ言ったらあたしはどうなるんだっての。小学中退レベルだぜ。笑えねぇ……)

 

学校前のバス停でバスが止まる。しばらく学校の中の景色を覗くことが出来た。

「……平和そうだね。守れたんだよね、あたしたち」

教室の中で座っている、校庭を走っている生徒達。そんな姿を感慨深げに眺めながら、さやかが呟いた。その言葉を杏子が繋いで。

「エバーグリーンがあのままだったら、今頃学校なんて言ってられなかっただろうさ。あたしらが守った日常がアレだ。ちったぁ誇ってもいいと思うけどね」

さやかにとっては、かつて自分もそこにあった場所。杏子にとっては、今ではもうはるかに遠い場所。見つめる視線はどこか違って。

 

「しかし、まどかも仁美も見えないや。後でちゃんと連絡……しても、いいんだよね?」

「……守秘義務はあるけれど、面会の自由がないわけじゃないわ。そうでなければ、私たちがここに来るなんて許されるわけがないもの」

「そっか、うんうん。なら俄然楽しくなってきちゃったね」

ぎゅっと両の拳を握って、意気込みも新たににやりと笑うさやか。そんな様子に、ほむらも顔をほころばせる。ほんのわずかな時間でも、休息といえる時間がここにある。今はそれを楽しもう、そう心に決めていた。

そしてバスが動き出す。二つ先のバス停で降りて、5分も歩けば宿泊先が見えてくる。程なくバスは目的地に到着する。後はしばらく歩くだけ。人工重力の発達した今でこそ、宇宙暮らしの長い今でも地球の重力に悩まされることはないのだが。

 

「しっかしまー。またこの重い荷物担いで行かなきゃならないとはね、うんざりだよ」

肩にずしりと圧し掛かる重荷をまた背負いなおして、忌々しげに杏子が呟く。その視線はさやかとほむらに送られていた。どちらも変わらず重荷を背負っているはずである。その割には、二人ともさほど堪えている風ではなかった。

「にしても、あんたら随分平気そうな顔してんのな。重くねーのかよ」

「いや、別にそうでもないけど?ほむらは?」

「……特に、重いとは感じないわね」

二人して不思議そうに荷物を背負いなおして、やはり重さはそれほどでもない。そう再確認する、直ぐにさやかがにやりと口元を歪めて。

 

「ふふーん?杏子、もしかして体、鈍ってるんじゃなーい?そんなんじゃこの先やってけないぞー」

「うぐ……負けるかっての、こんな重さがなんだぁっ!」

「そんなに張り切って、後でばててもしらないぞー」

荷物を抱えなおして、足早に歩いていく杏子。くすくすと笑いながらそれを負うさやか。ほむらも後に続いた。

そんな三人の背後に迫る影。その主は、信じられないものを見るかのように息を詰まらせて。仲良さげに歩いていく三人を見送って一度、地面に視線を下ろす。躊躇うように視線を地面と三人へと交互に移して、やがて意を決したようで。

 

「さやかちゃ……ひゃぅっ!?」

走り出す。するとどうやら随分体は強張っていたようで、足がもつれて転んでしまった。咄嗟に顔を庇って倒れ込む、腕にじんじんとする痛み。少しすりむいたかもしれない。服もちょっと汚れてしまったかもしれない。じんわり涙がこみ上げてきた。

立ち上がろうと伸ばした手を、誰がそっと掴んだようで。

「大丈夫?……って、まどかっ!?」

その手を取ったのは、さやか。手を取られたのは、まどか。

まったくの偶然に、こんな昼間の街中で、彼女たちは出会ったのであった。

 

「ほんと、すっごい偶然だよね。まさか帰ってきた矢先にまどかに会えるなんてさ」

「うん、私も驚いちゃった。でもさやかちゃん、帰ってきたんだ。お帰り、さやかちゃん」

再会からほんの数分、手を取り合って今にも飛び上がりそうにはしゃいでいる二人である。三ヶ月、それよりもうちょっと時間は過ぎているが。随分と久しぶりの再会であれば無理もない。

さやかにとっては、久々に聞くまどかの声が、触れ合う手の暖かさがとにかく嬉しかったのだった。

 

「ただいま、まどか。でもまあ、今はただの休暇なんだけどね。……あ、で、でもほら。半月くらいはこっちにいるから。その間、ずっとまどかと一緒に居られるよ」

再会もほんのひと時のことだと知らされて、まどかの顔が僅かに曇る。それにあわてて取り繕うように、さやかが続けて言葉を告げた。

「………さやかー、誰なんだこいつ。友達?」

なぜだかそんな様子を見ていると、ちょっと面白くない。自然と目つきが睨むようなそれになって、まどかを見据えて問いかけた。

そんな視線を向けられて、萎縮してしまうまどかを庇ってさやかが割って入って。

「鹿目まどか。あたしの親友。むしろもう嫁って言ってもいいくらいだね!」

ぎゅっとまどかの肩を抱き寄せながら。再会にテンションもすこぶる鰻上りのようで。……どうも、なんだか面白くない。でもそんなことを顕わにするのも子供染みている。

実際子供なのだけど、それは認めたくなくて。

 

「……そうかい。あたしは佐倉杏子だ。さやかの……一応相棒ってのになるのかね?まあよろしく頼むよ、多分短い付き合いだろうけどね、まどか」

ずい、と無造作に手を突き出した。少しだけ躊躇って、おずおずとまどかも手を差し出した。

「うん、よろしくね。えっと……佐倉さん、でいいのかな」

「めんどくせぇ、杏子でいいよ」

「そっか。それじゃあ杏子ちゃん。よろしくね」

ん、と小さく応えて交わした手をきゅっと握る。その手は女の子らしい、小さくて柔らかなそれで。自分の手とは大違いだった。

度重なる戦いで、女の子らしい柔らかさの大部分を失ってしまった手とはやはり違う。何となくそこに相容れないものを感じて、適当に握手も打ち切ってしまった。

 

「ほむらちゃんも久しぶりだね。元気そうでよかったな」

「ええ、あなたも変わりはないようね。鹿目さん。……そういえば、今日は学校ではなかったかしら?」

思い出したように、ほむらがまどかに尋ねる。その言葉に、僅かに目を見開くようにして、なにやら戸惑う仕草を見せて。

「えと……今日は、お休みなんだ。学校。だからちょっと街を来ようって思ったんだ」

まどかの言葉に、三人の表情がぴくりと動く。誰かが、何かを口に出そうとしたその前に。さやかがぴたりと口元に指を寄せていた。

 

「そっか、じゃあ今日はこの後目いっぱい一緒に遊んじゃえるわけだね?あたしらも今こっちばっかりだからさ、荷物だけ預けたら、一緒に街に行こうよ。二人にも街を案内したいんだ。ね、いいでしょまどかっ」

そのまま追求の言葉は告げさせない。誰より先に言葉を放ってさやかがまどかの手を取った。まどかは、酷く困惑したような表情を浮かべていた。

「そう、だね……あ、えっと。でも、ごめんっ。私、用事思い出したから。だから、これで。さやかちゃん、また後で会おうね、絶対だよっ!」

辛い何かを押し込めているような、そんな切なげな表情を浮かべて。それでも必死に笑うようにして、まどかは走り去っていく。

道の向こうで手を振って。そのまま姿が消えていった。

 

「さやか」

ほむらが声をかける。

「わかってる。二人とも、荷物お願いしていいかな。場所はわかるよね」

どさりと、さやかは両肩の重荷をその場において。

「……追いかけんのかよ」

渋々とその荷物の一つを背負って杏子が。やはり荷物は重い。二つともなるとかなりぎりぎりだった。

「行くよ。明らかにまどかの様子はおかしかった。きっと何かあったんだ。まどかはあたしの親友だから、放ってなんか置けないよ」

「部屋に荷物を入れて待ってるわ。長くなるようなら、連絡をちょうだい」

もう一つの荷物をほむらが背負う。恐らくこの問題は、自分よりもさやかの方が適任だろう。友達を見捨てて置けない、そんなさやかの性格を好ましく思っているところもある。

できる限りは協力してあげたかった。

 

「ありがと、ほむら。杏子。……じゃあ行ってくる」

ぎゅっとコートの裾を掴んで引き締めて、まどかの走り去っていった方を目掛けて、さやかは走り出したのであった。

 

走って、走って、走って。息が続かなくなるまで走ってから。まどかはその足を止めて、壁によりかかった。

「はぁ、はぁ……っ、はぁ」

思いがけない偶然で、さやか達と出会えたのは嬉しかった。けれども、ほむらや杏子と話している姿を見ていると、なぜか胸がぎゅっと痛くなって。

学校のことを聞かれると、もうどうしていいのかわからないくらいに、居た堪れなさに襲われて。思わずこうして逃げ出してしまった。いまさらながらに、後悔が押し寄せてくる。

「どうしよう……さやかちゃん、しばらく居るって言ってたよね。でも、どうしたらいいんだろう。こんなんじゃあ、話をすることだってできないよ」

会いたくて会いたくて仕方がなかった。話がしたくて仕方がなかった。そのはずなのに、いざこうして出会ってみると言葉が何も出てこない。あんな風に逃げ出してしまって、明日から普通に顔をあわせることなんてできるんだろうか。

そんなことを考えながらとぼとぼと歩いていると、急に現れた人影とぶつかって。

 

「きゃっ……」

「うぁっ…っ痛てーなぁ。気をつけろよーっ!」

帰ってきたのは、無理やり低くしたような感じの女性の声。わずかばかりに怒気を孕んだようなその声に、まどかは相手の顔を確認する間もなく頭を下げた。

「ご、ごめんなさいっ。ちゃんと前見てなかったみたいで……」

最悪だ、と思う。頭を下げたそのままで、じんわりと胸の中に悲しさが広がってくる。こぼれそうになる涙を、ぎゅっと目を瞑って堪えていると、不意に。

ぽん、とまどかの頭に手が載せられて。驚いてまどかが顔を上げると、そこには。

「なーんてね、怖い人かと思った?さやかちゃんでしたー」

いつもと変わらない、友人の笑顔があった。そしてそれが、まどかの堪えていたものを断ち切ってしまった。

 

「さや……か、ちゃ……ぁ、ぁぁ、うぁぁぁぁあぁっ!!」

「え、ちょ、ちょっと。まどかぁーっ!?」

さやかに縋るように抱きついて、そのまま声を抑えようともせずに泣き出した。平日昼間、人通りなんてほとんどないとは言え、である。さすがにこの往来でこうしているのは恥ずかしい。

「一体どうしちゃったのさ、まどか……と、とにかくちょっと場所変えよっ!ほら、こっち行くよ」

半ばしがみつかれたような格好のまま、路地へと何とか移動して。

 

「ほら、ここならそうそう人も来ないからさ。……何があったのか、聞かせてよ」

「……ぁ、うん。ごめん、ね。さやかちゃん」

そんないつもと変わらない様子のさやかで居てくれるのが嬉しくて。それなのに、自分はこんなに弱くって。それがまた情けなくて。涙がずっと止まらなくて、止められなくて。まどかの瞳からは、ぽろぽろと涙がこぼれ続けていた。

 

「あー、くっそ。一つでも重いってのに二つだぞ。そりゃ疲れもするってーの」

どすん、と荷物を降ろして杏子が愚痴っていた。ようやくたどり着いた宿泊先。そこは大きな一軒家のようなもので。どうやら新築らしく、外観や周囲も綺麗なものだ。

「それにしても、なぜさやかはこんな場所を選んだのかしら。半月くらい、ホテル暮らしでもよさそうなものだけど」

住む分にはここも悪いところではなさそうだが、と荷物を降ろしながらほむらが言う。にぃ、と小さく口元をほころばせて振り向くと、杏子が。

「さてね、それはさやかの奴に聞いてみなけりゃわからねーけどさ。みんなで一つ屋根の下、同じ釜の飯を食ったりして仲良くなろう。とか、そんなところじゃねーの?」

それはそれで悪くないな、なんて考えながら。 

 

「それはそれで悪くないわね。となるとなにをするか考えないといけないわ」

「………。くくっ」

軽く目をぱちくりとやってから、小さく笑いを漏らした杏子。怪訝な顔でほむらが尋ねると。

「いや何、あたしもあんたと似たようなこと考えてたから、おかしくってね」

「そう、あなたもそんなことを考えてたのね。……じゃあ、目いっぱい楽しまなくちゃ。こんな休み、次はいつ取れるかわかったものではないもの」

「……だな、折角拾った命だ。たまにゃぱーっと遊んでみるのも悪くねぇ」

荷物をひとまず居間に並べて、家の中を見て回る。家具もしっかり揃っているし、部屋も沢山ある。中も綺麗なものだ。3人で住むには、ちょっとばかり広すぎる気もするくらいのものだった。

 

「ふー、やっと一息つけるな。って言ってもさやかが帰ってくるまで下手に動けないし。しばらくこのまま休んでよーぜ?あんたも疲れただろ」

勝手知ったるなんとやら、早速居間のソファーに飛びついて。片手にリモコン片手にお菓子、完全にくつろぎモードの杏子である。

「そうするわ。隣、いいかしら?」

「おう、そーしろそーしろ」

伸ばした脚をひょいと組ませて、空いた隙間にほむらが腰掛けた。テレビはよくわからないドラマを映し出していた。如何せん平日の昼間である、そういうものが流れるのは今も昔も変わらないようで。

 

「そういえば……ええと、杏子」

「ん、どーしたんだよ?」

さやかは未だ戻らず、10分かそこらは過ぎただろうか。おもむろにほむらが杏子に呼びかけた。

「一つ、聞いてもいいかしら。……あなたがなぜさやかと一緒に戦うことを決めたのか。エバーグリーンにいたというのは聞いていたけど、そこで何が起こったの?」

「あー……そのことか。単に向こうで一緒に戦っただけ……ってのでもないか、あれは」

思い出しては小さく苦笑して、なんとも照れくさそうに軽く頬を掻き、少しだけ迷う。それから真っ直ぐほむらを見つめて。

「あたしらはさ、これから仲間になるわけだ。……あんまり面白い話でもないけどさ。でも、仲間ってならやっぱりこういうことも話すべきだと思う。ちょっと長い話だけど、聞いてくれるかい?」

「さやかが戻るまでは何もすることなんてないもの、是非聞かせて欲しいわ」

そんなほむらの言葉に、一体さやかは何をやってるんだか、なんて小さく愚痴ってから。杏子は静かに話し出す。エバーグリーンとの因縁を、ロス提督との出会いと別れを。そして一度捨てた命を、さやかに拾われてしまったことを。

 

「――ま、んなとこさ。ほんとにあいつは面倒で、おまけに大した奴だよ。お陰でうっかり命まで拾われっちまった。……今はまあ、あいつと一緒に戦えたら楽しいんじゃないかなって、そう思ってるよ。出来ればほむら、あんたともそんな感じでうまくやりたいもんだ」

話し疲れた、といった様子でソファーに深く背を預けて。ほむらも、杏子の言葉を受け止めて。

「私も、そうできればいいと思う。……でも驚いたわ。まさかあのロス提督と一緒にいただなんて」

「結局、ロス達が旅立ってからもうすぐ3年だ。ダメ押しの第3次バイドミッションがあってもまだ、エバーグリーンみたいなバイドの大量発生が起きるんだ。……それでもさ、あたしはいつか帰ってきてくれるって信じてるんだ」

 

第3次バイドミッション。人類がバイドに対するために放った三度目の矢。

この頃になると、人類のバイドに対する術もさまざまなノウハウを溜め込んでいた。様々な手段の中で、バイドに対して如何なる戦闘形態が有効なのか。それを確かめたのがバイド討伐艦隊と、それに続いて行われた第3次バイドミッションであった。

曰く、ワンオフ機とエースパイロットにおける敵中枢への電撃戦。そしてもう一つが、従来通りの部隊を率いてバイド中枢への道筋を立て、侵攻して行くという作戦。

前者はバイド中枢の撃破を成し遂げたという記録が残されており、後者には太陽系からバイドを駆逐したという実績があった。結局どちらと絞れたわけではないのが現状である。

 

「……杏子。あなたが私を信じて話してくれたのなら、私もあなたを信じて話したいことがある」

知らせるべきだ、と考えた。杏子はさやかと違い、軍やTEAM R-TYPEがどういうものかを知っている。ならば知らせたとしてもきっと、悪いことにはならないはずだ、と。

「なんだよ、今度はほむらの身の上話でも聞かせてくれるっての?」

「それに近いものだと思うわ。でもお願い、絶対にこのことは口外しないで」

「……随分深刻そうだな。そんなに話したらまずいことなら、別に話さなくてもいいんだぜ?」

そういう気遣いは嬉しいと思う。きっと彼女は、仲間を思える人だ。任せられると思った。

 

「……いいえ、それでもやはりあなたには知っていてもらうべき事だと思うの。杏子、貴女は第3次バイドミッションで、バイド中枢を討ったパイロットの名前を知っているかしら?」

「パイロット……って、確かスゥ=スラスターだっけ。幼体固定されたとか危ない噂も聞くけどよ。結局、バイド中枢を討った後は未帰還だ、って話だと思ったけど?」

「ええ、その噂は本当だったのよ。……スゥ=スラスターは幼体固定を受け、14歳の少女の体に加工された。そして彼女はバイドを倒し、地球へと帰還したのよ。誰にも気付かれないように」

杏子が怪訝そうな表情を浮かべる。けれどもその表情は、ほむらの言葉が続くに連れてだんだんと変わっていく。

 

「彼女は、あの肉体や精神を、正気すら削り取られるような戦いはもう嫌だったのよ。だから密かに地球圏に戻り、機体を隠して普通の少女としての生活を送っていたの」

 

――驚愕する。

 

「ほとんど今の彼女の姿を知るものは居なかったから、そのまま彼女は軍から逃げることにしたの。心臓病で亡くなった少女――暁美ほむらに成り代わって、ね」

「ははっ、冗談にしちゃ笑えねーし、第一おかしいだろ。じゃあどうして戦うのが嫌になった英雄が、あんなところで試験機のパイロットなんかやってんだよ」

当然の疑問だ、とほむらは自嘲気味に笑って、天井を見上げながら。

「あのキュゥべえに正体が露見したのよ。それで軍に知らされたくなければ……という訳。実際、軍やTEAM R-TYPEの元に居るよりは随分と人間らしい暮らしはしてると思うわ」

ほむらは言葉を告げてから、少しだけ頬を緩ませて。

「それに、さやかが戦うと言ったから。あの子を放っておけない。守りたい。……そう思っていたのだけどね。今では素直に、一緒に戦いたいと思うわ」

大切なもの、守りたいものはどうやら同じだったらしい。杏子が何となくほむらに感じていた壁、その原因がわかったと同時に、目的は同じなんだと思うとそんな壁も消え去ってしまったような気がして。

 

「なら、やっぱりあたしらは仲間だ。目的が一緒で、倒す敵も同じ。これが仲間じゃねぇってなら何なんだ。……で、なんだってそんなことを話すつもりになったんだよ」

そんな壁がなくなると、実際の距離も少し近づいてしまうのかずい、と身を乗り出してほむらに迫る。ついでに食べていたお菓子の袋も一緒に差し出して。

「食うかい?」

嬉しそうに笑って言うのである。

「ええ、頂くわ。……こんなことを話したのはね、杏子。あなたにさやかを任せたいからよ」

「どういうことだよそりゃあ。そもそもいきなり任せられても困るっての。それにあいつは、誰かに助けてもらわなけりゃ何も出来ないような奴じゃないと思うぜ?」

思わずきょとんとした顔で杏子が尋ねる。なんだかんだでさやかのことを評価しているのは二人とも同じであった。それはほむらもわかっているのだ、それでも。

 

「私もそう思うわ。でもほんの三ヶ月前まではさやかは普通の女の子だったのよ。バイドと戦うなんてことがそう簡単に割り切れるとは思えない。いざというときには支えてあげて欲しい」

「三ヶ月、って……改めて聞くとやっぱり信じられねぇよ。魔法少女ってのは、皆そうなのか?」

流石の杏子もこればかりは訝しげに首を傾げるばかりで。

無理もないことである。今まで短くない時間をかけて必死になって覚えてきた戦い方を、魔法少女はほんの僅かな時間で覚えてしまうことになる。多少なりとも気持ちは複雑だった。

 

「私の見る限り、魔法少女は皆そうだったわ」

とはいえ、それもさやかとマミに限ってのことではあったのだが。

「っつーか何?あんなこと言っといて、あたしに全部押し付けるつもりかい?」

「そのつもりは無いわ。でも私はこんな体だから、さやかとは違う時間を生きているようなものよ。ならきっと、さやかのそばに居るのはあなたのほうが似合っていると思う。だから杏子、あなたは……さやかのそばにいてあげて」

そう言われると言葉に詰まる。

そもそもにして、まだ目の前のほむらと第3次バイドミッションの英雄の姿が結びつかない。むしろ、そんなことを気にしているのかとすら思う。

対してほむらは、これでいいのだと考えていた。なんだかんだで自分はさやかとは違うのだと、一緒に戦うのならきっと杏子との方が何かと気が合うだろう、と。

 

さて、どうしたものかと杏子が考えていたその時に、丁度。

「ほむらー、杏子ーっ!どっちでもいいから手を貸してーっ!ちょっと手が塞がってるんだーっ!」

元気よく、でもどこか戸惑いがちなさやかの声が聞こえてきたのだった。

「何かあったのかしら。……杏子、早速だけどお願いする…っ!?」

最後まで言葉を言いきる前に、杏子がほむらの手を掴んで立ち上がらせて。そのまま出入り口の方に親指を突き立てた。

「あたしはあんたが何者だろうと関係ない。それが仲間だろ。きっとさやかだって、同じ事を言うと思うぜ。ったく、何バカなこと言ってんのさ……あんたも、一緒に来るんだよ」

「っ……でも、私は」

「あー面倒くせーな。もう。今はとにかくさやかのとこに行くのが先だろ。ほら、行くぞ行くぞーっ」

「あ、杏子……っ、まったく」

ぐいぐいと引かれるその手に抗い切れず、ほむらもさやかの元へと向かうのであった。

 

 

「……そろそろ落ち着いた、まどか?」

「うん……ありがと。ごめんね、さやかちゃん」

時は少々遡る。路地裏、人通りの少ない場所で。それでもまださやかに抱きついたまま離さずに、まどかは申し訳なさそうに謝った。

「それで、まどかは一体どうしちゃったのさ……まさか、あたしに会えないのが寂しかったとか?」

おどけた調子で話してみると、涙の潤んだ瞳でさやかを見上げてそのまま、ぎゅっと抱きつく腕に力を込めた。そんな仕草が可愛らしくて、思わずふらっときてしまいそうなのをぐっと堪えて。

 

「あはは……もしかして大正解って奴?もー、まどかは本っ当に可愛いんだからさ。やっぱり、まどかはあたしの嫁だねーっ!」

「さやかちゃんってば……ふふっ。……でも、本当にそうだったらずっと一緒にいられる、かな」

やはりどうにも様子がおかしい。いくらなんでもここまで甘えてくるような子ではなかったはずだ。困惑半分、実はちょっぴり嬉しい気持ちも混ぜ込んで。

それでもなんとか、そっとまどかの体を押しのけて。

「……ね、まどか。そろそろ聞かせてよ。何があったのか。学校、休みなんかじゃないよね」

びくりと、まどかの体が震えた。

「あ、別に怒ろうとかそういうんじゃないんだよ。そもそもあたしだって今は学校なんて行ける状況じゃあないし、まどかのことなんて全然言えない。だから心配しないで……」

 

「やっぱり、まだ戦ってるんだね。さやかちゃんは」

その言葉が、どうやらまどかの傷に触れてしまったらしい。震える身体を自分で抱きしめるようにして、か細い声を放って。

「そりゃ……まあ、ね。だってあたしが戦わないと、誰かがバイドの犠牲になる。でも、大丈夫だよ。一人で戦ってるわけじゃない。ほむらもあの杏子も一緒だから」

「……そっか。仲直りできたんだね。ほむらちゃんと」

「仲直りっていうか、あたしが勝手にムキになってただけなんだけどね。そうだ!そうそう忘れてた!マミさんが生きてたんだよ!」

「本当に!?……マミさんが、よかった。……よかったよぉ」

またしても泣き崩れそうになってしまって、慌ててさやかがまどかの体を支えた。どうやらまどかはあまり話したくないようで、ひとまず今は別の話をしよう、と。

さやかはこの三ヶ月間のことを、ほむらのことや杏子のこと、バイドとの戦いのことを話し続けた。

 

「――でさ、そういうわけで今は休暇ってわけ。しばらくこっちに居るからさ、沢山遊ぼうよ。あ……でも、まどかは普通に学校か。それじゃ学校終わってから、いいよねっ!」

「うん。……なんかさやかちゃん、生き生きしてるね」

「そう、かな?こう見えても結構危なかったんだけど……でも、確かに充実してるといえばそうかも」

思いがけない言葉に、ふと首を傾げて考え込んで。そんな合間に、まどかの呟きが耳に届いた。

「あの時私も戦うって言ってたら。そしたら、私も一緒だったのかな……」

「っ!まどかっ!!」

聞き逃すことは出来ないその言葉。すかさず手が出て、まどかの手を掴んでしまって。

「何言い出すの、まどか……ダメだよ。そんなの絶対にダメだっ!」

思わず語勢が強くなる。手を握る力も少し強かったのか、顔を顰めてまどかが手を振り払い、そして。

 

「どうして?どうして私だけなの?……さやかちゃんだって戦ってるんでしょ?私だって戦えるんでしょ?そうしたら、さやかちゃんやほむらちゃんと一緒に……」

きっとまどかは、受け入れてもらえると思っていたのだろう。驚いたように顔を上げて、胸元に手を当てて必死に訴える。

「どうしてそんなこと言うのさ、まどか。やっぱりおかしいよまどかっ!」

「おかしいよ、おかしくもなるよっ!だって私、私……っ」

さやかを見つめる瞳からは、とめどなく涙が零れて服に染みを残していって。震える声で、やっとの思いで打ち明けた言葉は。

「私……ずっと一人なんだよ。嫌だよ、そんなの……っ」

「一人、って。……どういう、こと?」

 

「さやかちゃんとほむらちゃんが居なくなって、私だけが戻ったんだよ。みんな不思議そうにしてた、私も、誰にも打ち明けられなかったから……誰とも話せなくなっちゃって。それに、さやかちゃんやほむらちゃんが死んじゃうんじゃないかって思ったら、私……どうしたらいいかわからなくなって。怖くて、怖くて……もう、嫌だよこんなの。耐えられないよ……」

足の力がするりと抜けて、辛うじてさやかに支えられながらまどかは思いの丈を打ち明けた。巻き込まれてしまった時から三ヶ月余り。決して短くはない時間、友達にも親にも打ち明けられず、ずっと心の奥底で閉じ込めてきた秘密と、恐怖。それが溢れ出していた。

さやかもそれを理解した。それがどれだけの苦悩であるか、そしてそれはきっとこれからも続くのだ。

確かにそれは辛いだろう、でも。

 

「……でも、ダメだよまどか。そんな気持ちで魔法少女になんてなっちゃダメだ。まどかは今、辛い状況から逃げるために戦おうとしてる。そんなんじゃ、いい方向になんて行きっこないよ」

戦うのなら、自分の意志で道を決めなくてはならない。周りの状況に流されて決断してしまえば、いつか必ず後悔する。その時にはもう、誰も、何も恨むことすらできないのだから。

それでも親友であるまどかにそんな事実を告げるということは、さやかの心をきりきりと痛ませていた。

「そんなの嫌だよ。お願い、さやかちゃん。一緒に居させて。さやかちゃんと……一緒に、居させてよ」

決心が揺らぐ。まどかが一緒に来てくれたら。まどかと一緒に戦えたら。戦いの重圧が、死への恐怖がどれだけ和らぐことだろう。まどかがさやかを必要としているように、さやかにとってもまどかは大切な親友なのだ。

 

「じゃあ、まどかは……死人になる覚悟、ある?」

「っ……死ぬのは、怖いけど……頑張るから、だからっ!」

「違うよ、死ぬんじゃない。死人になるんだ。……まどか、これを見て」

指から引き抜いた指輪は、青い煌きと共にソウルジェムへと変わる。かつて見たその輝きは、今はどこかくすんでいるようにも見えた。

そしてさやかは語る。魔法少女の真実。ソウルジェムの正体を。魔法少女のこの体はもう人のそれではなく、ただの抜け殻でしかないということを。

「人間じゃなくなって、こんな宝石が本体になって。それでも戦える、まどかは?」

完全に足が萎えてしまったまどかを、ゆっくりと床に座らせて。隣に座って、ソウルジェムを掌に載せたままもう一度尋ねた。

まどかはしばらく、ソウルジェムとさやかを、そして自分を互い違いに眺めてから。随分と長い時間を空けて。静かに首を横に振った。

 

「……私、ダメだね。戦いたいって言ったのに、そんな風になるって考えたら。どんどん怖くなってきちゃって、マミさんがやられた時のこと、思い出しちゃって」

膝を抱えてそのまま蹲る。さやかはそんなまどかの肩にそっと手を乗せて。

「大丈夫だよ、まどか。あたしは絶対に死なない。ほむらや杏子もいるんだ。……学校とかのことは、さ。ここにいる内になんとか考えようよ。協力するから」

俯いたまま、まどかは小さく頷いた。

「よし、じゃあそういうことだよ。……流石にまどかをこのままにしとけないよね。まどか、あたしら近くに泊まるとこがあるんだ。一緒に行こうよ」

「私なんかが行っても、いいのかな……」

「だいじょーぶですっての。あたしは今お休みでこっちに来てるんだもん。まどかが来るなら大歓迎、だよっ!」

「そっか、ありがと……さやかちゃ…っ?」

立ち上がろうと地面に手をついて、けれども体が持ち上がらない。仕方ないな、とその体を抱き上げて背負う。

 

「さ、さやかちゃっ!?……これはちょっと恥ずかしいよ」

「大丈夫大丈夫、それにしてもまどか、ちょっと痩せたんじゃないの?すごい軽いよ?」

「……最近、あんまりご飯食べてなかったから、かな」

「あー、やっぱり。じゃあ今日からはしっかり食べなよ。具合でも悪くしたら大変でしょ。じゃあ行くよ、まどかっ!」

そうして歩き出し、やがてたどり着く。しかし両手は塞がっていて、ドアを開けるに開けられない。そうしてさやかが呼びかけたのであった。

 

「しかし、結局ロクに街も見ない内に暗くなっちまったな。この分だと、外に出るのは明日から、ってことになるかね」

この時期はもう日が落ちるのも早い。気がつけばもう夕暮れ時。今から動くとなれば、きっと相当冷えることだろう。

窓から外を眺めて、暗がりに沈む街を眺めて杏子が呟いた。

「まあいいじゃないの。結構長旅だったんだしさ、今日一日くらいはゆっくり休んで明日はまず、冬服の用意を済ませちゃわないとね。それから街を案内して……と」

「ごめんね、さやかちゃん……ほむらちゃん、杏子ちゃんも」

ソファーに座ったさやかが、そしてその隣で寄りかかるように座るまどかがそれに答えた。

「別に気にすることではないわ。久しぶりの再会だもの。話が弾んでしまうのは無理もないわ。……とはいえ、担ぎ込まれてきた時はさすがに何事かと思ってしまったけれど」

そんな二人を遠目に眺めて、小さく笑ってほむらが言った。

「まあ、その辺は気にしないってことで。ね?」

「詮索するつもりはねーけどさ。もし何か困ってるってなら言えよ。仲間なんだ。助け合わなきゃな?」

窓から外を眺めていた杏子が振り向いて、にっと笑って呼びかけた。そんな気持ちは嬉しいけれど、ことこの問題だけはちょっと頼りづらい。

何より、まどかが杏子に頼れないだろう。

 

「大丈夫だよ、まどかのことはあたしが何とかするから」

「まあ、そういうことならいいけどさ。じゃあとりあえず飯にしようぜ。腹も減ったし、飯食いながら話すってのも悪かないだろ?」

確かに、言われてみると今日は昼に軽く食べたきり。いろいろあって、少しお腹も空いていた。久々の地球は寒かったし、なにか温かいものをお腹一杯食べたいものだな、と。

「そーだね。……よし、じゃあこうしようじゃない!鍋しようよ鍋!みんなで食材買い込んでさ、きっと暖かくて美味しいと思うしさ」

「そりゃ悪くないね。となると食材の買出しに行かないとな。さやか、この辺によさそうな店ってあんのか?」

「まっかせなさい!ちゃーんと案内するから、準備して行こうよ。まどかもほむらも一緒に来なよ。自分の食べたいものは自分で選ぶんだよ」

こうやって話していると、だんだん乗り気になってくる。ただ一つだけ気がかりなこと、それは。

 

「だからさ、まどか。その前に一回ちゃんと家に電話しなよ。きっとみんな心配してると思うしさ。あたしも一緒に説明するからさ」

「……うん」

やはりどうしても、まどかはどこか元気がない。それが気がかりで、でもどうすればいいのかが分からなくて。まずは今できることを、問題に一つ一つあたって解決していくしかないのだろうか。そんな風にしか、考えることができなかった。

 

「しかし驚いちゃったね。まさかまどかがあんなことを言うなんてさ」

暗い夜道を四人そろって歩いていく。電灯に照らされた道を、白い息を吐きながら両手に袋をぶら下げて歩く。空気はひんやりと冷たくて、そろそろ雪でも降りそうであった。

あのすぐ後に、まどかは家に連絡をとった。まだ詢子は帰ってきていなかったようで、電話に出たのは知久だった。学校から登校していないと連絡を受けていたらしく、電話に出た知久の声は心配そうなもので。

そんな知久に、まどかは言い放ったのである。さやかと一緒にいるのだと、今はまだ帰れない、帰らないのだと。帰ったら必ず説明するから、とさらに語勢を強めて詰め寄ったのだ。今までに見たこともないまどかの様子に、知久も戸惑った。

けれどもさやかが間に入り、ようやくどうにか知久もそれを認めたのだった。なんとか詢子を説得してみると、だから必ず帰ってくるんだよと念を押した。さやかにも、相変わらずの優しげな声でまどかをお願いするよと頼むのだった。

こうなってしまうと、さやかとしても無理にまどかを帰すわけにも行かなくなって。結局こうして、4人並んで買出しへと出かけてしまったわけである。

 

携帯用波動コンロが青い炎を吹き上げる。調理器具に流用されるほど波動科学は普及しているようで。そんな炎に煽られて、ぐつぐつと煮える鍋。どうにもこの時期は冷えるから、野菜をふんだんに盛り込んで。

味付けは少し濃い目塩味ベース、野菜から出た水分でちょうどいい味になることだろう。

「んー、いい匂いっ!やっぱ鍋はこうでなくちゃね」

箸とお茶碗完全装備で、すちゃっと自分の席を確保して。さやかが嬉しそうにはしゃいでいる。

「そろそろいい具合に煮えてきたんじゃねーか?もうそろそろ食おうぜ」

と、こちらはちょっとそわそわしている感じの杏子。もう待ち切れないといった様子である。

「おおっと!まだまだだよ。大根にしっかり味が染みるまでぐつぐつするのがあたしの正義だからね!っていうかほむらとまどかがまだなんだから、せめてそれくらいは待ちなさいっての」

「ええい、これ以上待ってられるか。あたしは腹が減ってるんだーっ!」

鍋の前での取っ組み合い、実に危険なことこの上ない。そんなところへ、エプロン姿のまどかとほむらが現れた。

 

「お野菜用意できたよ。でも、ちょっと多すぎる気もするんだけどな」

その手に抱えた大きめのボール、中にはハクサn、否、白菜だとか牛蒡だとか大根人参もやしに白滝豆腐、お鍋の定番野菜がどっさりと。

既に一つ鍋が出来上がりそうだというのに、まだこれだけ食べるのか。ちょっと苦笑がこみ上げてくるのを堪えきれずに。

「多ければその分は二人に食べてもらえばいいわ。……そろそろいいわね」

今度は肉を用意してきたほむらが席に着く。鍋の蓋を開けると湯気が沸き立ち、視界がほんのり白く染まった。

「っしゃ!それじゃ食おうぜ食おうぜっ!」

「よーっし、それじゃ食べちゃいますかーっ。まどかも、ちゃんと食べるんだぞーっ」

「あはは、大丈夫だよさやかちゃん。……じゃあ、いただきますっ」

「「「いただきます」」」

 

モノを食べる時は、独りで静かで豊かであれ。なんていうか、救われていなければならない。そういうのはとある男の言である。けれどもそれはきっと男の食事なのだろう。

女の子達の食事時、箸は動くが口はもっと動く。

普通の女の子が二人、ちょっと普通ではない女の子が二人。見方を変えれば人二人、魔法少女が二人である。それでもにぎやかなことには変わりはない。まどかも、ずいぶん元気を取り戻していたようで。

「なんか、よーやく休暇って感じがしてきたよ。明日から何しようかなー」

鍋の中身はほぼ空っぽ。新たに肉や具材を投入してまた一煮立ち。腹具合もだいぶ落ち着いて、後はゆっくり話でもしながら食べるだけである。

「とりあえず冬服は新調しなくてはね。さっきだってかなり寒かったもの」

「ってかほむら、結構寒がりだったんだね。あんまりそうは見えなかったけど」

「ははっ、そんなひょろい身体してっからだろ。もっとしっかり食って、身体を丈夫にしねーとな」

「そうね、これからは気をつけることにするわ」

 

「まどかはどうする?本当は学校とかもあるんだろうけどさ。さすがにこうなっちゃったらしょうがないし、一緒に来るよね、まどかも」

「私はさやかちゃんと一緒に行くよ。ほむらちゃんと杏子ちゃんにも街を案内してあげたいし」

「そっか、じゃあそうだねー、明日は見滝原の名所紹介ってな具合にしてさ、明後日はそれぞれ自由行動ってことにしよう。その後のことは、また明日にでも考えるとしてね」

「ん、いいんじゃねーかな。あたしも久々に色々遊んできたいし」

「ええ、私も構わないわ。でも普通に街に出るのなんて久しぶりだから。もしかしたら、色々迷惑をかけてしまうかもしれないわね」

「そんなの気にしなさんなっての。ここにいる間くらいはゆっくり羽を伸ばそうじゃないの」

話は弾む、これからの楽しい日々を色々と考えてはそれを話し合い。そんな楽しい気分を、鍋から漂ういい匂いが後押ししてくれた。これで酒でも入れば本当にいい気分になってしまいそうだが、彼女達はまだ未成年である。

一応、一人を除いては。

 

「やあ、みんな休暇を楽しんでいるようだね」

「「ぎゃーっ!?」」

突然である。鍋の中からキュゥべえが現れた。実体のない半透明生物である、まあ問題があるわけではないのだが。

「っ!?テメェっ!一体どこから出てきやがるんだっ!」

「どこからって?この家の中ならどこにだってボクは出られるようになっているんだよ」

「そういうこと聞いてるんじゃないんだってば、鍋の中からにゅっと出てきたら誰だって驚くって」

さやかの言葉にキュゥべえは改めて自分の姿を眺める。鍋に半ば埋まっていて、鍋から顔と尻尾が突き出ているだけの状態。はっきり言ってしまえば、気味が悪い。

「……別に今のボクは実体があるわけでもないから、構わないとは思うんだけどな」

「いいから出ろっての、食欲が失せる」

「やれやれ、しかたないな」

ぴょん、と鍋から躍り出た。所詮はただのホログラム、いい感じで煮えていたり色づいていたりはしなかった。

 

「キミもここに居たんだね。やあ、久しぶり。鹿目まどか」

「あ……うん、久しぶりだね、キュゥべえ」

あまりの衝撃に面食らっていたまどかも、ようやく正気を取り戻したようで。キュゥべえに向かってなんとも曖昧に微笑んで。

「それにしても、こうしてみんなで食卓を囲んでいるというのもなかなかによさそうなものだね」

「あんたも参加すりゃいいんじゃねーの?まあ、その身体で飯が食えるとは思わないけどさ」

「そうでもないよ、さすがにこの身体では食べられないけどね。職場で一緒に食事を取るときなんかは、色々食べたりしているよ」

やけに所帯染みた言葉が飛び出して、キュゥべえの正体を知るほむらは噴出してしまった。どう見ても怪しい白衣集団と、どうみても只者ではない白い半透明生物が一緒に食卓を囲んでいる。

なんとも奇妙でシュールな光景である。想像するだけで疲れてきそうだ。

 

「職場って、キュゥべえはずっとティー・パーティーにいるんじゃないの?」

「ここやティー・パーティーにいるボクはあくまでもプログラム、本体から切り離された一部分なんだ。ボクの本体は、もっと別の場所でR戦闘機の開発に携わっているよ」

「へー、そうだったんだ。っていうか今更なんだけどさ。キュゥべえって一体何なの?ただのプログラムじゃない、ってことはわかったけど」

そこそこ付き合いも長いこの生き物に、今更ながらに疑問が湧いてくる。そうすると、先日TEAM R-TYPEの男が言っていた言葉が蘇ってくる。曰く、インキュベーター、宇宙人。

宇宙人ならインベーダーじゃないのかな、なんてレトロでタイトーな考えは放り投げて。

「ボクはボクだ、魔法少女をサポートするための存在だよ。それじゃ不満かい?」

「大いに不満ね、それだけじゃ説明のつかないことが多すぎるわ」

「おう、あたしも気になるぞ。いまだにこんな妙な生き物が目の前で動いてるのが不思議なくらいだし」

矢継ぎ早に二人が言葉を放つ。気になっているのはどうやら二人も同じようで。流石に、こんなキュゥべえの言葉一つで誤魔化されるわけにもいかない。

 

「ほらほら、みんな気になってるんだよ。キュゥべえ。そろそろ正体を白状しちゃってもいいんじゃない?実は宇宙人だった、とかさ」

ぴく、とキュゥべえの耳が跳ねた。

「……おかしなことを言うね、本当にそんなことがあると思うかい?」

「そうだよさやかちゃん、いくらキュゥべえが不思議な生き物だからって、宇宙人はないと思うよ」

「そーだよなぁ、いくらなんでも宇宙人はねーよ。まだ生物兵器って方が納得できるぜ」

「でも……あたしは聞いたんだ。キュゥべえ。あんたが宇宙人だって。インキュベーターって呼ばれてたのも、聞いたんだ」

さやかの言葉に、沈黙が部屋に満ちる。ぐつぐつと煮える鍋の音だけが聞こえて……。

「あっ!?鍋、吹き零れてるよっ!」

「うわととっ!……ふぅ、危ない危ない」

慌てて鍋の火を止めた。このまま食事を再開するには、ちょっと空気が深刻すぎる。

 

 

「……一体、どこでそれを聞いたんだい、さやか。いや、大体想像はつくか。あの男から聞いたんだね」

キュゥべえは軽く目を伏せて、少しだけ思考を廻らせ言葉を告げる。少なくとも今のところ、さやかの行動のほぼ全ては監視下にある。わからないことがあるとすれば、ティー・パーティーを離れていた時のことだけだった。

「その通り、このまま向こうで戦わないかって誘われてさ。流石に断ったんだけど、その時にね。……さっき思い出した。キュゥべえ。そろそろ聞かせてくれない?今更どんなこと言われたってあたしは驚かないよ。……た、多分」

いまいち最後が締まらないのはご愛嬌、といったところであろうか。キュゥべえはぐるりと部屋の中を見渡して、それからまどかに目を留めた。

「そこまで知っているのなら、ボクとしては話をするのも吝かじゃない。でも、キミはいいのかい、鹿目まどか。ボクとしてはキミはこれ以上秘密を抱え込むべきではない、と思うけど」

胸中の悩みを見透かすようなキュゥべえの言葉。まどかは思わず息を詰まらせた。

 

「あー……確かに、今のままでもまどかにはかなり負担になってるもんね。となると、まどかはあんまり知らないほうがいいのかな」

申し訳なさそうにさやかが言う。けれども仕方ないことだと思う。今のままでさえまどかは抱えた秘密に押しつぶされそうになっている。これ以上の何かを押し付けるのは、流石に酷だと思ってしまう。

「わ、私……知りたい。秘密を抱え込むのは辛いけど、でも……。私だけが何も知らないのは、もっと嫌だから」

胸元をぎゅっと押さえて、痛みを堪えるような顔でまどかが告げる。でも、知ってどうするというのだろう。さやかの脳裏には先ほどのまどかの言葉が蘇っていた。

一緒に戦いたい――と。その気持ちは本当なのだろう。けれど、魔法少女の真実を知って思いとどまった。そう思いたい。それでも、まるで今にもまどかがキュゥべえと契約を交わしてしまいそうで、どうしようもなく不安だった。

その時は、止めようとも思った。

 

「わかったよまどか。じゃあキミにも話そう。もちろんこれは重大な秘密だ、口外はしないで欲しい」

キュゥべえの言葉に、皆が静かに頷いた。それを確認して、キュゥべえがぴょんとテーブルに飛び乗った。

「だーかーらー、飯食うところに足乗っけるんじゃねーっての」

払いのけられた。

「だからボクには実体がないって言っているのに。わけがわからないよ」

仕方なく、食卓からは少し離れた床に座って。

 

「まず最初に、ボクが宇宙人だというのは間違いじゃない。インキュベーターというのも、ボク達の本当の名前だ。ボク達インキュベーターはね、ずっと昔からキミ達人類と関わってきたんだ。それこそ、キミ達がまだ文明というものをもたなかったような時代からね」

なにやら、にわかに話のスケールが大きくなってきた。そしてキュゥべえは静かに話し始める。

曰く、この宇宙はエントロピーの問題に直面している。

「だからボク達は、エントロピーに囚われないエネルギーを探していたんだ」

そしてそれを解決する術が、人の感情をエネルギーに変える技術。すなわち魔法少女のことである、と。

「魔法少女が魔女を倒す。そうすることで生み出されたエネルギーが、ボク達の宇宙を救っていたんだ」

その為に彼らインキュベーターは、遥か昔から人類と共に寄り添ってきたのだ、と。

「だからボク達は、人類がより発展するように陰ながら力を貸してきたんだ。それがボク達にとっても、エネルギー問題を解決する手段になっていたからね」

だが、その関係はあっけなく壊滅した。悪夢の存在によって、とてもあっけなく。

 

「そんなボク達の前に、バイドは容赦なく襲い掛かってきたんだ。ちょうどあれは、こちらの年代で21世紀の初頭のことだと思う。それ以降はそれにかかりきりになってね。ボク達は地球に干渉することができなくなってしまった」

彼らインキュベーターは感情を持たない文化を形成していた。そしてそれは、個というものを必要としない文化であった。だからこそ彼らは、全員が意識を共有する群体として存在していた。

それが、対バイドにおける最大の弱点となったのだった。

「最初はね、ボク達の内のほんの僅かな部分だけが取り込まれただけだった。でも彼らは、その僅かな部分を通して、ボク達全体の精神を蝕み始めたんだ。個を持たないボクらは、皆まとめて浸食されてしまうところだった」

それでも彼らは、その進んだ技術力をもってバイドに抗った。汚染された精神領域を排除し、さまざまな兵器を、時には魔法少女の力さえ使ってバイドの根絶を図ったのだ。

 

「結果は惨敗だ。技術的に劣っていたのかもしれないが、問題はもっと深刻なところにあったんだよ」

感情を持たない彼らが持ち得なかったもの。バイドを、全生命の天敵たらしめているもの。

「奴らが持つ底知れないほどの憎悪と悪意。それが奴らをどこまでも進化させ、次第にボク達は追い詰められていった」

そして、宇宙を救うという使命を果たすこともままならず、インキュベーターという種はバイドに飲まれて果てることとなる。

「……ボクは、僅かに残った最後の精神領域をかき集めて、母星を脱出した。そして、随分長い旅路の果てにかつて交流のあった星、地球へとたどり着いたんだ」

そこで、彼は驚愕することになる。

「驚いたよ。ボク達がまるで敵わなかったバイドに対して、彼らは抗う術を持ち得ていたんだ。だからボクは、何とか星から持ち出した技術を彼らに、TEAM R-TYPEに提供した。それが今キミ達を魔法少女として戦わせている、ソウルジェムシステムというわけさ」

 

一通り話も終えて、あまりに壮大な話に、まだ理解が追いつかない。誰もが黙っている中で、ようやくほむらが口を開いた。

「もしその話が本当だとするのなら……私は、あなたへの接し方を改めなければならないわ。今までは、あの連中が少女をパイロットに引き込むためのマスコットか何かだと思っていたから」

そういう側面があるのは間違っては居ないのだろうが、それでも随分と酷いことを言うものである。

「今でも、子供を魔法少女に仕立てて戦わせるなんてことが、正しいとは思えない。それでも、理解はできる……と思うわ」

もしかしたらこのインキュベーターという得体の知れない生き物も、油断ならない相手としてではなく、仲間として接することができるかもしれない。少なくともほむらは、そう思い始めていた。

 

「……まあ、大体はわかったけどさ、一つだけ不思議なんだよな」

長い話に、うっかり気が鍋の方に向いたりもしながらも、杏子が言葉を次いでいく。

「何であんたは、バイドと戦おうって、人類に協力しようって思ったんだ?逃げるつもりなら、バイドの相手なんて人類に任せちまえばよかったのにさ」

そんな言葉に、意外そうにキュゥべえが目を見開いて。すぐにそれは、自嘲気味な笑みへと変わった。そんな表情を見るのは初めてで、皆が驚いてキュゥべえを見つめた。

「……ボクはきっと、欠陥品なんだと思うよ。ボク達にとって、感情とは特殊な精神疾患に過ぎない。でも、バイドとの遭遇は非常に原始的な感情をボクに抱かせた」

すぅ、とその目が細められ、深い赤を湛えた瞳が小さく光る。

「憎いのさ、バイドが。ボク達の使命を、そして全てを奪ったバイドがね、憎くてたまらないんだ。……復讐してやりたい。ボクが奴らと戦うことを選んだ理由は、それだけだよ」

「……なんか納得したわ。まだ微妙にわかんないとこはあるけど、一応信じといてやるよ、キュゥべえ」

バイドへの憎しみ。それはきっとこの場にいるほとんどのものが共有している感情だろう。少なくともそれは理解できた。同じ敵を持っている。分かり合う、協力しあう余地はある。

 

「なーんか、スケールが大きすぎていまいち実感湧かないや」

「あはは、私もそうかな。……秘密っていうけど、こんな秘密、誰も信じてくれないよね」

そして、微妙に蚊帳の外なさやかとまどかの二人であった。

「よし、話も終わったし食おうぜ。冷めちまってるだろうし、火ぃつけるぞ」

「それもそーだね、よっしゃ、じゃあ食べようっ!」

そして始まる楽しい鍋祭り。そんな光景をじっと見ていたキュゥべえが。

「そういえば、職場でよく食べていた鍋の道具があるんだ。もしよかったら、キミ達も使ってみるかい?」

「……あんたって、普通に鍋も食べるの?」

「人間が食べるようなものなら大体食べられるよ。別に食事を取らなくても問題はないけどね」

「というか、あなたの職場ってTEAM R-TYPEでしょう?……恐ろしく嫌な予感がするのだけど」

「まーいいじゃねーか。一体何食ってりゃあんな外道集団が生まれるのか、ちょっと見てみたい気もするしさ」

「いくらなんでも、鍋っていうくらいだしそんなにおかしなものはないと……思うんだけど、な」

「うん、じゃあ映像を出すよ。なかなか興味深いものだったよ」

ぴん、と小さな音と共に映し出された、それは。

 

「ひぃっ!?」

 

「うへぇっ!?」

 

「な、なんじゃこりゃーっ!?」

 

「……卑猥」

 

なんというかもうゴマンダーだった。鍋に入ったゴマンダー、汁に浸かってぐらぐらと煮立てられてる。どう見ても正気を疑う光景である。

「おい、こら腐れ小動物。アレは食いもんじゃねーだろ。どういう神経してたらアレを煮詰められるんだよ」

流石に杏子もツッコんだ。

「何を言っているんだい?あれはゴマンダーじゃない。似たような形をした鍋の道具だよ」

キュゥべえ曰く、そのゴマンダーの上の口、というかコアっぽい部分に肉や何かを大雑把に投入するらしい。

その後、くぱぁ、と空いた口の中にぐにゅぐにゅと箸を突っ込むと、ずるずるとインスルーのような何かが出てくるらしい。その体に、肉塊よろしく大量のつみれをくっつけて。

それが尽きればまた自動で中に戻り、引っ張り出せばまた出来ている。そういう道具らしい。おまけによく火が通れば本体自身も食べられる素敵仕様だそうな。

「何でも食材研究科の新商品らしいね。彼らはこれを量販店とかで販売しようともくろんでいるらしいよ」

「oh……」

なんというか、常軌を全力で逸している。衝撃もあまりに大きすぎると、最早リアクションを取ることもできないらしい。

 

「まあ、古来からこの星には、敵を食べ物に見立てて食べることで願掛けをするようなものもあると聞く。これもある意味、そういった類の儀式には使えるのかも知れないね」

「……いや、頼む。もういいから消してくれ。あたしが悪かった」

流石に食事の最中に拝むにはあまりにショッキングな内容過ぎた。気付けば皆、箸が止まっている。

「そうかい、あまり好評ではないようだね。彼らにもそう伝えておくよ。

 ……それじゃあ本題に移ろうか。マミのことだ」

その言葉に、杏子以外の全員の顔が強張った。

「マミさん……そうだよ、マミさん、生きてるんだよね」

まどかがはっとしたように顔を上げて、キュゥべえに縋るような視線を向ける。生きてはいる。生きてはいるのだ。問題は意識が戻らないということだけで。

「……で、結局マミさんは今どういう状態なの?詳しく調べてもらったんでしょ?」

目覚めて欲しいと願う。今度は一緒に戦いたいと、祈る。

 

「っつーか、そのマミってのは誰なんだよ?昔の仲間か何かか?」

げんなりした気持ちも多少は回復したようで。鍋をちょいちょいとつまみながら、杏子が尋ねた。

「マミさんは、あたしらがバイドに襲われた時に助けてくれたんだ。そしてあたしらに、魔法少女のことを教えてくれた。……そして、バイドに殺された」

「……その、はずだったのだけど。マミは生きていたのよ。少なくともその身体は」

発見されたソウルジェム自体は、バイドによる汚染は見られなかった。ファントム・セルに撃墜され、その中に取り込まれていたというのに、である。

おそらくかなり強力なバイドに対する耐性を持っていたのだろう。けれども問題はその中に宿る魂、精神だった。

バイドは全てに侵食する。生物も、機械も、プログラムでさえ。そして、精神にさえも侵食するのである。バイドに精神を冒されれば、もはやそれはバイドも同じである。

魂そのものであるソウルジェムを取り込まれたマミが、バイドによる汚染を受けていないとは考えにくかった。

 

「ああ、マミは今も生きているよ。バイドによる精神汚染の兆候は見られるようだけど

 それもほとんど影響はないようだ……今のところはね」

それ自体は喜ばしいことだ、だが最後の言葉が引っかかる。

「これはキミ達人類の概念では説明が難しいことだ、それでもどうにか説明するとなると

マミの精神は現在活動性を失っている。精神領域の一番奥の部分に癒着してしまっているんだ。それを剥離して回収するためにボク達も干渉してみたんだけどね、効果はほとんどなかった」

どうもさっきから、理解の範疇を超えるような難しいことばかり説明されている。お腹も膨れて頭の回転も鈍っている状態では、なかなか理解が捗らない。

「……ねえほむら。今の話、わかった?」

「なんとなく、分かったような分からないような……ってところね。杏子、あなたは?」

「いや、ぜんっぜんわかんねぇ。なあまどか、あんたはわかるか?」

「私も、よく分かんないや。……あはは」

このざまである。そもそもソウルジェムだの魂だのという事自体、非現実的な代物なのだ。それに直面し、実感しているとは言え、いまだに理解したとは言いがたい。

そんな彼女らの様子に、困ったようにキュゥべえは一つため息をついて。

 

「仕方ないね、そういうことならもっと分かりやすくしようか。正確には違うんだけどね。マミの意識はソウルジェムの中に閉じ込められていて、彼女の中に戻っていない。マミのソウルジェムに干渉して、意識を目覚めさせる必要があるんだ」

「あ、それならなんとかわかるかも。要するにアレでしょ」

ぽん、とさやかが軽く手を打って。

「要するにマミさんは眠り姫ってことよ。わるーい魔女に眠らされちゃった。でもって助けるためには王子様のキス、みたいなものが必要だってことでしょ」

やけに得意げな顔でさやかが言う。戦いに染まっていても少女は少女、こういう話は食いつきもいいようだ。

「なるほどな、それなら確かに納得だ」

「それなら差し詰め私達は、バイドと言う名の魔女と戦う騎兵隊、ね」

「なんか、ちょっとそういうのも格好いいかもね。でも……王子様のキスなんて言っても、一体どうしたらいいんだろう」

「その方法は、あんたが知ってるんだろ?な、キュゥべえ?」

4人の視線がキュゥべえに向かう。ようやく話もまとまったかな、とキュゥべえも少し澄ました顔をして。

 

「ソウルジェムを介して、直接マミの精神世界に干渉する。ボク達の干渉は拒絶されたが、もしかしたらキミ達ならばマミも心を開いてくれるかもしれないからね」

「ってことはやっぱり、あたしとほむらの出番ってわけだね」

ばしっと拳を掌に撃ち付けて、さやかが気合を入れなおす。ほむらも口には出さないけれど、幾分か顔を引き締めて。

「そのための準備を、今ボク達で進めている。準備が出来たら知らせに来るよ。今日はそれを伝えに来たんだ」

「よっしゃ!燃えて来たよーっ!絶対、マミさんを助けて見せるんだ。あ、何か準備することとかってあるかな?」

「いや、準備は全てこっちで済ませるよ。キミ達はこちらの整うまで、休暇を楽しんでいてくれればいい」

そうと決まれば、今は休暇を楽しむだけである。マミのことは気がかりだが、それでもキュゥべえに任せるよりほかに術もない。なんとかなると自信を胸に、目の前のロングバケーションをどうするか、ということに意識を向けた。

 

「そういうことなら明日はとりあえず街を案内しなくちゃね。あー、でもさ、あたしちょっと行きたい場所があるんだ。だから、案内は午前中で済ませることにしてさ、午後からは自由行動ってことでいい?」

「別に、行きたい場所があるのなら一緒に行っても構わないのだけど」

「あはは……いや、さ。一回実家に顔出しておこうと思って。多分長くなりそうだし、一人で行っておきたいから。……だから、ごめんほむら」

一応両親とは話をつけている。とは言えそれは、電話越しに会話を交わしただけのことで。実際に会うのは修学旅行の日の朝以来。何を言われるのかと考えると、少し怖い。

それでも顔は見せておきたい。考えたくもないけれど、いつ死んでもおかしくない戦いだから。

「まあ、そーゆーことならしかたねーだろ。家族は大事だからな、しっかり顔出してこいよ」

二度も家族を失って、家族というものには憧れと同時に複雑な感情を抱かざるを得ない。そんな杏子は、帰る場所のあるさやかが少しだけ羨ましかった。

 

「それじゃあ、午後からは私が皆を案内するね。それでいいかな、ほむらちゃん、杏子ちゃん」

「ええ、お願いするわ。鹿目さん」

「おう、頼むぜまどかー」

概ね話もまとまった、実はこっそり鍋の中身も概ね片付いていたりして。

「しかし、さすがに食いすぎたー」

なんだか少しだけ膨らんでいる……ような気もするお腹を擦りながら杏子はソファーに身を横たえた。なんとも横着なものではあるが。

「食べてすぐ寝たら牛になるぞー」

「いーんだよ、あたしは太らない体質だから」

「うぐっ、いいなぁ杏子は……艦の中だとなかなか運動とかしないからさあたしなんて体重がえらいことに……うぅぅ」

思い出してはよよよ、と手で目を覆って泣く様な仕草を見せる。

「っつーか、パイロットってのは体も鍛えて何ぼだと思うんだけどな。結構激務だろ、あれ」

「普通は鍛えなければやっていけないわ。体にかかるGだけでも相当だもの。……そういう面では魔法少女は便利ね、そういうことを考慮しなくてもいいから」

「……ああ、なるほど。そりゃあ便利だろうな」

やはりそういう、人ではないものという魔法少女の側面を見せつけられると嫌な気分になってしまう。どうしても言葉が荒くなるのを、杏子は止められなかった。

 

「気になる気持ちもわかるけどさ、そのお陰で私なんかでも戦えてるんだもん。これで文句なんて言ったら、それこそ罰が当たっちゃうよ。別に特に何か体がおかしいってこともないしさ」

ちょっとおどけたさやかの言葉に、渋々矛を収めた杏子。けれどもその言葉を聞いて、まどかの胸中は複雑であった。魔法少女だからこそ戦える。さやかがそうなら、自分もそうなのではないか、と。

けれどもそう考えてまた、あの時さやかが告げた魔法少女の真実が圧し掛かる。死人になって、それでも戦う覚悟はあるか。……考えてしまうと、胸の奥がずきりと痛む。手足の感覚が消えて、冷たくなっていくような錯覚さえも覚えてしまう。

「……やっぱり、ダメだな、私」

小さく首を振って、呟いた。その言葉は誰の耳にも届くことはなくて。

 

片付けも終えて、お風呂も済ませて時間は夜ももう遅い。部屋の割り振りも決めて、荷物もあらかた仕舞い終えた。

着替えも持たずにやってきてしまったまどかは、さやかのパジャマを貸してもらって。ちょっと大きいね、なんて袖の余った手を振りながら、浮かれた様子だった。

 

そんな夜である。さやかの部屋に、ほむらと杏子が集まっていた。

 

「ん、まどかはいいのか?」

後で話がある、と呼び出されてきてみれば、まどかの姿だけがない。訝しがって杏子が尋ねた。

「うん、いいんだ。まどかのことで話がしたかったからさ」

「鹿目さん……何かあったの?」

「あったも何も、もうとっくに何かある気はするんだけどな、あいつは」

流石に気付くよね、とさやかも苦笑して。一度目を伏せる。瞼の裏に映るのは、一緒に戦いたいと願った親友の姿。嬉しい、と思う。けど巻き込みたくない。きっとまどかには戦いなんて似合わないと思うから。

「実は、さ。今日、まどかが言ったんだ。一緒に戦いたい、魔法少女になりたいってさ」

ほむらも杏子も、その言葉に表情を変える。忌々しげに顔を歪めて、やりきれないような表情で。

「……それで、どうしたんだよ」

「もちろん止めたよ。まどかには戦いは似合わないし、きっと耐えられない。一応納得もしてくれたと思うんだけど、多分まだ、まどかの中で整理がついてないんだと思う」

「大人しそうで、優しそうな奴なのにな。何で戦おうだなんて言ったんだか」

バイドと、そしてそれに抗う人類の狂気。それはあんな少女までもを衝き動かすのか。我が事でもある、だからこそその業の深さに気が滅入る。

 

「あー……それは、さ。あたしのせいってのもあるんだよね。実はさ……」

話しづらいことではある。それでも話さなければ始まらない。そしてさやかは話し始めた。まどかの抱える孤独を。ただ一緒にありたいというだけで、戦いにさえ身を投じようとした、その孤独を。

「……鹿目さんが、そんなことに」

「あたしも、まどかに言われるまで考えもしなかったんだ。残されたまどかが、どんな気持ちだったのかってさ。友達失格だよね、こんなんじゃあさ」

勤めて明るく振舞ってきた。周りが不安にならないように。自分自身が、押しつぶされてしまわぬように。でもその結果がこれである。巡り巡って、大切な友達を苦しめてしまった。

それが辛くて、悲しくて。乾いた笑みがただ零れていって。そんな無情に打ちひしがれていたさやかの肩に、そっとほむらの手が触れた。

「さやかは、間違ってない。間違ってなんかいない。だから、そんなに自分を責めないで」

小さく鼻を鳴らして、反対側の肩に杏子が手を置いた。

「どんだけ頑張ったってさ、人と人との間なんてのはなかなか上手くいかねーんだよ。辛いなら頼れよ。仲間だろ?……っつーか、頼りたくて呼んだんじゃないのかよ」

その手はとても頼もしく、暖かかった。ひび割れていく心に、そんな優しさが染み入っていくようで。

 

「ほんとありがと、二人とも。……うん。実を言うとさ、まどかのこと、二人にも見ててもらいたいんだ。もしかしたら何かのきっかけでまた魔法少女になる、なんて言い出しちゃうかもしれない。あたしだけじゃどうにもできないかもしれない、出来たら二人にも、まどかを説得して欲しいんだ」

「そーゆーことなら任せろよ。あたしも、まどかの奴に言ってやりたいことが出来たからね」

「私も、出来るだけ鹿目さんのことは気にかけるようにするわ。……大丈夫よ、鹿目さんは私にとっても友達だもの。友達を戦わせるようなことは、もうたくさんだもの」

「……あはは、そうだね。じゃあ頼んだよ、二人とも」

「なんだかんだで、ゆっくり休むって感じじゃねーよな、これ」

「っはは、ほんとだよもう。バイドと戦うより疲れちゃうっての、精神的にさ」

ようやく調子も取り戻せたようで、冗談交じりに笑いあう。宇宙に居る間は、敵と仲間だけを見ていられた。けれども今、地球に降り立てばどうしてもさまざまなしがらみが、重く圧し掛かってくるのであった。

 

「じゃあ、そろそろ今日は寝よっか。明日からまた、よろしく頼むよっ!」

「ああ、じゃあまた明日な、お休み、さやか」

「お休みなさい、さやか」

そうして、少女達の夜は過ぎていく。

彼女達に、せめてひと時の安息を。ひと時の休息を。

その翼と、心を休めるための時間を。

 

最早この先、彼女らに安息が訪れることは――ない。

 

 

魔法少女隊R-TYPEs 第8話

       『HAPPY DAYS』

         ―終―




【次回予告】
「だからさ……練習、しようぜ」
訪れたひと時の安息。
「会いに来たのでしょう?上条くんに」
それはきっと、とても幸せな時間。
「戻ってきてよ、マミさんっ!」
戦いの予感を感じつつも、その日々を少女たちは謳歌していた。
それはきっとほろ苦くて、甘酸っぱい思い出。

「――あたしさ、あんたの事、好きだったんだ」
そして号砲は鳴り響き、最後の舞踏の開幕を――告げた。


次回、魔法少女隊R-TYPEs 第9話
          『PLATONIC LOVE』


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第9話 ―PLATONIC LOVE―①

休暇は尚続く。迷いを抱えながらも少女は戦いの場に立った。
そこで待ち受けていたのは、再来せし狂機の駆り手達。
その再会は、出会いは、彼女達に何をもたらすのだろうか。


淡い光があちこちから漏れている。

静かに、雪のようにその光は漂い、降り積もっていく。

幻想的な光景、戦いに疲れた心さえ、和ませてくれるような。

 

 

――どれくらい眠っていたのか…?

 

眠さを堪えて顔を上げる。

美しい光が織り成す光景が、一面に広がっていた。

 

 

――いつからここにいるのか?

 

辺りを見渡せば、そこにはここまで共に戦ってきた仲間が居る。

そのことに、私はとても安堵した。

 

 

――そして………私は誰なのか…?

 

そうだ、私は―――だ。

長い戦いの果てに、私はここまで来たのだ。

 

 

――ひどく眠いが、そろそろ帰ろうじゃないか。

 

 

 

 

 

 

       我々の故郷、地球へ…。

 

 

 

 

「っ!?」

あてがわれた部屋のなか、眠っていたまどかは飛び起きた。

「……また、変な夢。何だったんだろう」

目が覚めると、夢の内容は急速にぼやけて消えていく。

目が冴えてしまって、まどかはカーテンを開けた。差し込んでくる朝の光。まだ早朝と言えるような時間帯で、少し外は暗い。

「目が冴えちゃったし、朝ごはんでも作ってようかな」

今日は休日。それでなくともまだゆっくり寝ていてもいいような時間だけれど。どうやら皆まだ寝ているのだろうか、物音一つ無い家の中。朝の空気はまだひんやりと冷たくて。パジャマ姿のまま上着を一枚羽織って、まどかは部屋を出た。

 

この共同生活ももう3日目。昨日はみんなで街をあちこち回って。そして午後からは、さやかは自分の家へ向かった。そしてまだ、そのまま帰ってきていない。

きっといろいろと揉めているのだろう。心配はいらないと連絡はきていたから、きっと大丈夫なはずだと信じたかった。

はやく帰ってこないかな、だとか。やっぱり大変なのかな、だとか。今日は何をするんだろう、だとか色々考えながら、まどかは一階へと降りていった。一階はみんなの共有空間、二階はそれぞれの部屋となっていた。

「やっぱり、朝は寒いな。もう暖房が必要な時期だね」

部屋の暖房を入れて、冷蔵庫の中を覗き込む。食材は色々買い込んできたから、まだしばらくは余裕がありそうだ。あまり悠長にしていると二人が起きてくるかもしれないから、手早く作ってしまおう、と。

誰が言い出したわけでも、決めたわけでもないのだが。いつしかまどかが家事全般を担当し始めていた。もしかしたら、自分だけ何も出来ないことへの引け目があったのかもしれない。

さやかやほむらは何かとそれを気にかけているようだが、杏子なんかは割と快適そうだった。

 

「できあがり、っと。うん、いい感じ」

ハムエッグにサラダを添えて。後は皆が起きてきたら、ご飯かトーストを選んでもらえばいいだろう。割と上手くできたかな、なんて考えていると、誰かが降りてくる気配がした。

「ん……ぁふ。よー、相変わらず早いな。まどか」

欠伸をかみ殺しながら階段を下りてきたのは、杏子だった。

「あ、おはよう杏子ちゃん。ご飯できてるよ」

「おー、食う食う。でも、その前に顔洗ってくるわ」

二人で向かい合っての朝食、ほむらはまだ起きていない。二人揃ってトーストを齧りながら、何となく静かな朝食の時間が流れていく。

なんだかんだで、二人きりでこうして向き合ったことは無い。いつも間にさやかやほむらが入っていたのだから。だから何となく話すきっかけを見つけられなくて、まどかは静かに食事を続けていた。

「……なあ、まどか?」

「えっ?どうしたの、杏子ちゃん?」

だから、こうして急に話しかけられてしまうと、少し慌ててしまうのだった。

 

「あんた、今日は暇か?」

「あ……うん、特に用事は無いけど、どうしたの?」

「ふーん、そっか。じゃあさ、まどか。今日はあたしに付き合いな」

「いいけど、どうかしたのかな?」

「ちょっとあんたと話がしたくてね。いいだろ、今までちゃんと話してなかったしさ」

そんな言葉に、杏子もやっぱり同じように感じていたのかと、そしてそれでも歩み寄ろうとしてくれているのだと感じて、まどかは嬉しくなって微笑んだ。

「そうだね、じゃあ今日は一緒にお出かけしようね、杏子ちゃんっ!」

「おう、今日はしっかり付き合ってもらうぜ?」

 

「それじゃあ私がまるでのけ者みたいね」

いつの間にか目を覚ましていたのだろうか、ほむらが降りてきてそう言った。椅子に背を預けたまま、杏子が背を反らすようにほむらの方を向いて。

「よー、ほむら。別に来たけりゃ来てもいいんだぜ?どーする」

「あ、おはようほむらちゃん。ほむらちゃんも一緒に行こうよ、ね?」

肩にかかった髪を払いながら、食事の用意された席へつく。そして小さく笑って。

「ええ、それじゃあ私も一緒に行かせてもらうわ。よろしく」

「ん、そうと決まればさっさと食っちまおうぜ」

言うやいなや、杏子はトーストを一気に頬張って。そのまま牛乳と一緒に飲み込んでしまった。あまりお行儀はよくない気もするが。それほど急いでいたのだろうか。

 

「ほむらちゃんはトーストとご飯、どっちがいいかな?すぐに用意できるよ」

まどかが問いかけると、ほむらは少しだけ考えてから。

「ご飯にするわ。それと、卵とお醤油をちょうだい」

真顔でそう言い放つのだった。

 

 

「さーって、んじゃ行くか」

空は晴れて澄み渡っていた。途切れ途切れの雲が漂う、どこまでも青い空。悲しみや絶望の色にも、燃える炎の赤にも染まっていない色。

それはつまり、戦って勝ち得たひと時の平穏。その証明たるもので。それを存分に噛み締めるように、大きく息を吸い込んで。少女たちは歩き始めたのだった。

 

「はぁ~、まさか泊り掛けになっちゃうなんてなぁ。まあ、それでも何とか納得してもらえたから、いいかな」

そんな澄み渡った空の下、さやかが一人で歩いていた。

昨日のこと、家に帰ってまず出迎えてくれたのは、ちょっときついくらいの抱擁と、溢れんばかりの涙だった。さやかの家族は、全てではないがある程度の真実は知っている。曰く、彼女は自ら望んでバイドとの戦いに身を投じたのだ、と。その程度ではあるが。

だからこそ、無事に戻ったさやかを見て、両親は酷く安堵した。そしていよいよ、このままずっとここにいてほしいとまで言い出した。正直心は惹かれたけれど、さやかの意識はもう既に宙を、その先に見据える敵に向いていた。

だから何度も何度も、根気強く説き伏せた。その結果、丸々一晩使い切ってしまったというわけである。

それでもどうにかさやかの両親も納得したようで、涙は未だに消えないけれど、それでも最後は笑顔で、彼女を送り出してくれたのだった。一つ大きな仕事を成し遂げたような達成感。

自然と、足取りも軽くなっていた、そんな矢先にである。

 

「あら……あの方は。っ!さやかさん、さやかさーんっ!」

呼びかけられた、聞き覚えのある声。振り向くとそこには、最早懐かしさすら感じる友人の姿があった。

「仁美……うっわー、久しぶりー、仁美ーっ!!」

道の向こうから、呼びかけながら駆けてくるのは仁美の姿。それに応えて手を振って、さやかもそちらに駆け寄った。

「ほんと、久しぶりだねー、仁美っ。元気してた?」

「さやかさんこそ、お久しぶりです。私は相変わらずですわ」

道の真ん中で手を取り合って、ただただ再会を喜び合うのであった。

 

「見滝原に帰ってきていたのですね、さやかさん」

小洒落た喫茶店。紅茶とケーキを並べて向かいあう二人。折角だから、と少し話し込んでいくことにしたようだ。

「そうなんだ、しばらくゆっくりできそうでさ。多分あと半月くらいはこっちに居ると思う」

「まあ、そうでしたの。……ふふ、もしかしたらと思っていましたが、やっぱり戻ってきたのですね」

と、なにやらしたり顔で微笑む仁美。意図が読めずに首をかしげるさやか。

「何かあったっけ、この時期?」

「またまた、そんな風に隠さなくてもよろしいんですのよ。会いに来たのでしょう?上条くんに」

「ぶっ!?な、なんで恭介がそこで出てくるのさっ!?第一恭介は……今外国でしょ?」

上条恭介。さやかの幼馴染で、今は天才少年バイオリニストとして世界中を駆け回っている。まさに時の人である。けれどとある事件があってから、さやかと恭介の間は疎遠になっていた。

 

それは、さやかが中学二年生になった直後に起こったことだった。一言で言えば交通事故。一命は取り留めたが、既にバイオリニストとして知られていた彼の腕は最早使い物にならないほどに、酷い損傷を受けていた。

勿論この時代である、生体義肢の技術で腕は問題なく動くようにはなった。生体義肢は日常生活を送る程度の動作であれば、問題なく保障はできた。しかし、天才バイオリニストの指、その繊細な動きを全て元通りに治すことは出来なかったのだ。

その事実は、彼を酷く打ちのめした。それでも負けずに訓練を続ける日々。そんな彼を放って置けなくて、一時期さやかは足繁く彼の元へと通い、励ます日々を送っていたのだった。

けれどもそれは、他ならぬ彼の言葉によって断ち切られることとなる。一向に戻らない自分の腕が、指が腹立たしくて。その怒りの矛先がただ向いてしまっただけであった。そのはずなのに、その日彼が放った言葉は、さやかの胸を深く抉った。

そしてそれ以来、さやかは恭介に会うことが出来ずにいたのだ。

ただしばらくしてから、奇跡的な復活を遂げた天才少年、という触れ込みでニュースに取り上げられていた彼の姿を見たきりで、それもここしばらくは、魔法少女のことにかかりきりで忘れていた。

 

「まあ、本当にご存じないんですの?……あれを見てくださいな」

仁美が指差したのは、喫茶店の壁に張ってあったポスター。そこに書かれていた内容は。

――見滝原が生んだ天才少年、上条恭介。堂々の凱旋公演――

そんな見出しが、バイオリンを携えた恭介の画とともに並べられていた。

「恭介……見滝原に来るんだ」

「来週の日曜日ですわ。てっきり私はこのために、さやかさんが帰ってきたのだと思っていたのですけど」

さも意外、といった風な表情の仁美。さやかの気持ちは複雑だった。会いたいとは思う。でも、どんな顔をして会えばいいのかわからない。

そもそも、それ以前の問題もまだあるのだ。

「見に行きたいとは思うけどさ、多分もうチケット取れないでしょ。……それに、やっぱり今更どんな顔して会えばいいのかわからないよ」

「けれど、今会えなかったらもう、なかなか上条くんに会う機会はなくなってしまうのではありませんか?さやかさんは、遠いところに引っ越されてしまったのでしょう?」

「……そりゃあ、そうだけどさぁ。無理なものは無理じゃん。いつまでも気にしてたってしょうがないよ、だからこの休みの間は、みんなと一杯遊んで過ごせればいいんだよ」

 

不意に、仁美の表情が変わった。真っ直ぐにさやかの顔を見つめて、声のトーンもやや落として。

「それが、本当のさやかさんの気持ちですの?私はずっと、さやかさんが上条くんの心配をしているところを見ていましたわ。その気持ちを、そう簡単に諦めてしまっていいんですの?喧嘩別れのままで、本当に?」

「ひ、仁美?でもそんなこと言われたって、あたしはもう……」

「まだ、間に合いますわ」

毅然とした表情で、仁美は一つの封筒を取り出した。その中から取り出したのは、一枚のチケット。

「これって、もしかして……」

「ええ、家の伝手で一枚だけ分けてもらいましたの。上条くんの公演のチケットです。そしてこれは、公演の後の懇談会の入場パスにもなっていますわ。これがあれば、上条くんとお話をする機会もできるはずですの」

もう一度会える、話ができる。その事実にさやかの心が揺らぐ。会いたい、会えるわけがない。会って何を話せばいい。そもそももう、自分の体は普通の人間じゃない。ぐるぐると巡る思いで、差し出されたチケットを眺めていた。

 

「でもこれは、仁美がもらったもの。だったら、仁美が行くのが筋ってもんでしょ。第一あたしは……」

それでもやはり、諦めが心を支配する。少しだけ寂しげな表情で、チケットをつき返そうとして。その手を仁美が掴んで止めた。真っ直ぐに見つめる視線はそのままで。

「それが本当の貴女の気持ちですの?さやかさん。もう会えないかもしれないのでしょう?さやかさんだって、どこか遠くへ行ってしまう。会えなくなるのは、とても寂しいのですのよ」

「仁美……」

言葉を告げる仁美の目には、じんわりと涙も滲んでいて。そんな姿に胸を打たれて、さやかは何もいえなくなってしまった。

「何も言えないまま、もう会えなくなってしまうのなんて辛すぎますわ。お別れをしてしまうにしても、きちんと自分の思いと向き合って、しっかりと伝えるべきですわ。さやかさん。どうかもう一度、しっかりと自分の気持ちと向かいってください」

チケットの入った封筒はそのままに、代金を置いて仁美は席を立つ。

 

「考えて考えて、それでも会えないと思うのでしたら返してくだされば結構です。まだ時間はあるのですから、それまでよく考えて結論を出してくださいな、さやかさん」

「ちょっと、待ってよ仁美!何で、何でこんなことするのさっ!……恭介のこと好きなのは、仁美も同じだったじゃない!」

そう、二人は共に同じ人に恋心を抱いてしまっていた。お互いに打ち明けあって、それでも友達でいようと約束しあって。結局はその恋心が何らかの形となる前に、恭介は異国へと旅立って行ってしまったのだが。

少しだけ振り向いて、仁美は。

「友人からの、せめてものお節介ですわ。……きっと、上条くんもさやかさんに辛く当たってしまったこと、後悔していると思いますもの。それではまた、さやかさん」

最後に一つ、深くお辞儀をして。仁美は店を出て行った。後に残されたのは、悩める少女が唯一人。

「どうすればいいのよ……こんなの」

頭を抱えて、しばらく一人思い悩んでいるのであった。

 

「さぁーて、到着だ」

他愛ないお喋りをしながら冬の道を行く。街中、人通りも多いアーケード街を抜けてまだ歩く。そうしてようやく辿りついた、その場所は。

「ここって……」

「ゲームセンター、よね」

今も昔も、子供や暇な大人たちの遊び場として知られる場所である。休日ということもあり、なかなかの賑わいを見せている。

「もしかして、みんなで遊ぼうってことなのかな?」

「ま、それもあるけどな。……こっち来いよ」

「わわ、あんまり引っ張らないでよ、てへへ」

手を引かれて、まどかが杏子と店の中へと消えていく。そんな様子に目を寄せて、ほむらは軽く目を伏せてから。

「一体何をするつもりなのかしら。……見せてもらうわ」

長い髪を軽く払って、その後を追うのだった。

 

「杏子ちゃんは、よくこういうところに来るのかな。私、あんまり来ないからよくわからないんだ」

「陸のこういう場所にはあんまり来なかったけどな、宙じゃあ結構な」

華々しいイルミネーションに照らされているゲームや、光学チェーンでコンテナを絡め取るクレーンゲーム。全世界で1000人以上が同時に参加可能な、主人公の弱さに定評のある洞窟探索ゲーム、そんな筐体の間をすり抜けて。

やってきたのは、ラウンドキャノピーがいくつも並んでいる場所だった。

「これは……R戦闘機のコクピットよね。なんでこんなところに」

二人の後ろを歩いていたほむらが、少し驚いたように声を上げる。

「なんだほむら、あんたも知らなかったのか?こいつはR-Type dimensions。R戦闘機での戦闘を体感できるゲーム、ってわけだ。多人数プレイもできるんだぜ」

「そんなものがいつの間に……でも、何故そんなところに連れてきたの?」

ほむらの視線はまどかに向いて、それから杏子へと移る。その目は何故、と。何故まどかを連れてきたのかと問いかけていた。そんな視線に応えるように、まどかへ視線を向けて杏子は。

 

「一緒に戦いたいんだろ。さやかから聞いたよ。単に話を聞くだけじゃわかんねぇこともあるさ。だからさ……練習、しようぜ?」

片目を軽く伏せて、まどかに向けて手を差し伸べた。まどかも目を輝かせてその手を取るのだった。

「杏子っ!あなたは……っ!」

「わかってる。でも、もし本気で戦いたいってならあたしは止める気は無い。そのためにも、まずは一回体験してもらわなけりゃならない。どれだけ大変かってことをさ」

「それは確かに、間違ってはいないかもしれないけれど……でも、さやかは鹿目さんに戦って欲しくないって言ってたじゃない。なのになんでこんなこと……っ!」

思わず口をついて言葉が出てきた。そしてすぐに、自分の過ちに気付いてしまう。まどかがすぐ側で聞いている。

 

「さやかちゃん……ほむらちゃんや杏子ちゃんにまでそんなこと、言ってたんだね。……どうして、どうしてそんなこと言うのかな。私はただ、みんなと一緒に居たいだけなのに」

服の裾をぎゅっと握って立ち尽くすまどか。気分はどんよりと沈んでしまって、今にも涙すら零れてしまいそう。

ほむらはしまったというような表情で、なんとか声をかけようとするけれど、かける言葉が見つからない。

「だからだよ。そんなんだから、さやかはあんたを連れて行くことはできないんだ。

「どういう……こと?」

「……誰かのためにしか戦えない、そんな奴は生き残れないんだよ。いつか必ず死んじまう。それも、誰かを道連れにしてな」

自重めいた笑みと共に投げかけた言葉は、かつての杏子自身に投げかけられた言葉。ロス提督が、杏子に残した言葉だった。その言葉に対する答えは、未だに自分の中では固まっていない。

同じ悩みを抱えたまどかを放っておけなかった。それにもしかしたら、何かの答えを見せてくれるかもしれない。そんな気持ちは確かにあった。未だに杏子自身、その言葉への答えを出せていないのだ。

ただ今は仲間と共に、仲間の為に戦うだけで。

 

「そんな……じゃあ、どうしたらいいのかな、私」

「さあね、そう簡単に答えが見つかるようなことじゃねーよ。これは。でも戦いたいってなら、まずそれがどういうことなのかを知っておく必要はあるだろ?だから練習だ」

「……うん、私、やってみるよ!」

「よっしゃ、じゃあやろうぜ。ほむら、あんたも一緒にやろうよ?腕を見せてくれよ、英雄さん?」

「ばっ……馬鹿っ!まどかがいるのよ!?」

からかうような言葉に、ほむらの表情が一変した。実際杏子もまだ半信半疑なのだ、ほむらの話は。だからこそ確かめたい。もし本物なら、見てみたくもあった。第3次バイドミッションを戦い抜いた、英雄の腕前というものを。

「英雄?」

「はは、気にすんなよ。ほら、最初はあたしが手伝ってやるから」

訝しがるまどかをキャノピーの中へと押し込んで、杏子もそれに続いた。キャノピー内部はタンデムとなっていた。これは本来のR戦闘機も同じである。

流石に最近の機体はインターフェーズの進化やパイロットスペースの圧縮もあり、その限りではないのだが。初期の機体や、それ以前の作業艇として使われていたR機は皆、タンデム式だったのだ。

この筐体もそれが流用されており、二人乗りで行うモードも実装されていた。

 

「……しかたないわね、そこまで言うのならば」

小さく吐息を漏らして、まさかこんなところでまでR戦闘機に乗ることになるとは、と。ほんのわずかにうんざりしながら、ほむらもまたキャノピーの中に身を滑らした。

「さて、それじゃまずは登録からだな。あたしはもう登録してあるから、あんたも登録しときな」

「杏子ちゃん……なんか、すごい慣れてるね」

「……まあ、輸送艦ってのは割と暇だからね。こっそり筐体を持ち込んでる奴がいたのさ」

なんて言葉を交わしながら、まどかは目の前のコンソールに情報を打ち込んでいく。パイロットネーム。何にしようかと迷う。

「杏子ちゃんはなんて名前にしたのかな?」

「ん?あたしか、あたしはこれ」

まどかのコンソールの端を示す。

そこには“パートナー:ROSSO PHANTASMA”と示されていた。

「ろっそ……ふぁんたずま?なんだか格好よさそうな名前だね」

「……ま、若気の至りって奴だよ」

「……?何言ってるの杏子ちゃん?」

流石に、こんな名前を人に見せるのはちょっと恥ずかしかったらしい。

 

「いいから、さっさと登録しちまえよ。出撃できねーだろ?」

「あ、うん。ごめんね」

さてどうしよう、と悩む。そんな時、ふと頭をよぎったのはいつかの夢。

美しい夕暮れの海を、海鳥たちと駆け抜けていく夢。とても綺麗で、どこか悲しい夢。

「……うん、これでいいかな」

ぴっぴっとコンソールに指を走らせて、入力を終える。映し出されたその名前は――夏の夕暮れ。

「今は冬だろ?なのになんだってこんな名前?」

「あはは……ちょっと、気になっちゃってさ」

「ふーん、まあいいけど。んじゃとりあえず練習ミッション行くぞ!」

このゲームには、いくつかのモードが搭載されている。一人、もしくはパートナーと一緒に戦うシングルモード。店内や全世界の人と、協力しあい、時に敵対しあうコンバットモードそして、初心者向けのトレイラーモード。

 

杏子にとっては最早手ぬるいものではあるが、まどかにとっては相当辛いものとなるだろう。慣れない仕草で操縦桿を握るまどかの表情は、固く緊張しきっている。

「まあ、ミスったって死ぬこたないんだ。ちったぁ気ぃ抜けよ」

「う……うん。わかってるんだけど……」

「大丈夫よ、鹿目さん。私も一緒についていくから」

突然、視界の端にモニターが現れた。そこに移るのはほむらの姿。一緒に言葉も聞こえてきて。

「お、さすがほむら。もう通信も使いこなしてんのな」

通信機能も完備である。あくまでお互いの認証あってのことではあるが。

「当然よ……というよりも、再現度の高さに驚かざるを得ないわ。確かにこれなら、本当に乗っているのに近い感覚で戦える」

「だろ?現役パイロットからの人気も高いんだぜ、こいつは。……さて、そろそろ出発だ、行くぜっ!」

一度画面が暗転、そして暗い画面に眩く映し出されたその文字は

――BLAST OFF AND STRIKE THE EVIL BYDO EMPIRE!――

 

 

           ――READY――

 

そして、電子の宙へとR-9A、アロー・ヘッドが飛び出していった。まずは操作に慣れるための演習。それが終われば、いよいよバイドとの実戦である。

 

 

その、結果はどうかというと。

 

「はぅぅ……」

「おいおい、大丈夫かよ……まさか最初の練習でへばっちまうなんてな」

R戦闘機は元来、ザイオング完成制御装置によって高い機体の制御能力を持つ。それでも、被弾時の衝撃や急な機動を取ったときにかかるGなどは精密に再現されていた。

そんな衝撃で、ただでさえ慣れない動きに揺さぶられ続けて。どうやらまどかは酔ってしまったらしく、すっかりやられて側のベンチで横になっていた。

「……こんなに、辛かったんだね。杏子ちゃんもほむらちゃんも。……さやかちゃんも」

青い顔で、か細い声で呟くまどか。心配そうに、杏子もほむらをそれを見つめていた。

「まあ、慣れりゃこんくらい大したこたないよ。……でも、流石にきつそうだな、大丈夫か?」

実際のところ、その手の問題はソウルジェムが全て解決してくれる。けれどもそんな事は言い出せるはずもなく、ほむらは押し黙ったままで。

「……ちょっと、だめみたい。少しだけ休んでいいかな。ごめんね、杏子ちゃん、ほむらちゃん」

「しゃーねぇ。じゃああたしはもう少し乗ってくるぜ。ほむら、あんたはどうする?」

「私はまどかの側にいるわ」

「そーかい。折角あんたとやりあえると思ったんだがね」

 

ちょっとだけ残念そうに、ほむらを一瞥して筐体へと向かう杏子。そんなほむらに、よろよろと身を起こしてまどかが言った。

「私は大丈夫だから……ほむらちゃんも行ってきてよ」

「でも、放っておけないわ」

「……大丈夫だよ、少し休んだらよくなるから。それに、ほむらちゃんや杏子ちゃんの戦ってるところ、見てみたいから」

戦闘の様子が映し出される大型スクリーン、それに軽く視線をやって。

「……わかったわ。でも、辛いようならすぐに呼ぶのよ、まどか」

そっとその手に触れて。まだ血の気の戻らない冷たい手。それを暖めるようにそっと握りこんでから、ほむらも筐体へと向かった。

 

「お、きやがったなほむらの奴。へへっ、こりゃ楽しくなりそうだぜ」

エントリー欄にほむらのパイロットネーム“ELIMINATE DEVICE”が表示されたのを見て、杏子が好戦的な笑みを浮かべる。いよいよ英雄の腕前が拝める。なんならその仮面も剥がしてやってもいい。久々に、気の向くままに暴れてやろう。

あえて選んだ機体はアロー・ヘッド。

戦果を上げ、階級を上げれば使える機体の増えるこのゲーム。機体性能の差で勝負がつくのは面白くないと、杏子はあえて初期配備のアロー・ヘッドで挑むのであった。

全機体が敵となる、クロスコンバットモード。その開幕を告げる、オペレーターの声が響いた。

 

――所属不明の機体が接近中。Destroy Them All!!――

 

そして再び、総勢8機のR戦闘機たちが電子の宙へと飛び出した。

 

「おいおい、冗談じゃねぇぞ……」

電脳空間、そこに広がる小惑星帯。障害物が多いだけに、自由自在なドッグファイトは難しい。上手く物陰に隠れながら、もしくは敵の逃げ場を奪いながら攻撃を加える。それが定石のはずだった。少なくともこのフィールドにおいては。

杏子の機体は黒煙を上げ、今にも機能を停止してしまいそうなほどに損傷が激しい。ここで落とされればもう残機は0、ゲームオーバーである。そして他の敵機は既に沈黙している。

杏子とて小惑星帯を利用して、何機かは撃墜することができた。だというのに、である。ほむらは未だ一度として撃墜されることなく戦闘を続けていた。機動を制限されるはずの小惑星帯を、まるで何も無いかのようにすいすいと飛び回る。

そして最大加速で肉薄、すれ違いざまにフォースを切り替え後方射撃で次々に敵機を撃破していった。圧倒的過ぎる。これが英雄の力だとでもいうのか。

 

「このまま負けたらとんだ笑い者だろ……せめて一発かましてやるぜ」

波動砲のチャージを開始。どこからでも来いと言わんばかりに周囲へと目を配る。まだ索敵範囲内に反応は……来た!

「来やがれ、英雄っ!!」

 

「ほむらちゃん……すごい」

そんな戦いの様子は克明に映し出されたスクリーンを、まどかは呆然と眺めていた。気分は大分落ち着いてきて、ようやく余裕を持ってみることが出来た。

次元が違う。杏子の動きだって、やはりただのゲーマーとは比べ物にならないくらい上手いとは思う。それでも、ほむらのそれはあまりにも次元が違いすぎた。

開戦直後から一方的に攻め続け、ロクに被弾もせず黙々と敵を墜としていく。何をしているのかすら理解できないほどに、卓越した機動だった。その尋常ではない戦果に、いつしか人だかりができていて。

 

「おい……あいつ、すごくね?」

「どっかのランカー?」

「いや、全然見たことない名前だぜ。ランクも最下位だし」

「一体何者なんだ……」

スクリーンでは、真正面から最後の突撃を仕掛けた杏子の機体が

ほむらによって真正面から撃墜される様子が映し出されていた。

戦闘は終了、各筐体の動きも止まったようで。

 

「あ、終わったんだ……本当に、すごかったな……ほむらちゃん」

周りが歓声を上げる中、筐体が開いてほむらがその姿を現した。謎の天才パイロット。おまけに出てきたのが美少女とあって、周りの歓声は更に一つ、ボリュームを上げた。

「え……な、何かしら、これは」

当の本人はまったく想像もしていなかったようで、困惑して目を見開いていた。そんなほむらの背後から、杏子が軽く肩を叩いて。

「どうやら、腕は本物みたいだね。全然歯が立たなかった。流石だな、ほむら」

悔しい気持ちもあるにはあるが、あそこまで完膚なきまでにやられては最早感心するより他に無い。間違いなくほむらは強い、桁違いに強い。

最後まで戦い抜いた杏子にも、惜しみなく賞賛と拍手が浴びせかけられた。ほむらと同じように、杏子もちょっとだけ驚いて。それから。

「こういうときは、素直に応えとくもんだろ。な、ほむら?」

言うや否や杏子はほむらの手を取り、皆の賞賛に応えるようにその手を高く掲げさせた。ほむらは少し恥ずかしそうにしていたけれど、それでもその顔はどこか誇らしげで。

 

それと同時に、少しだけ寂しげでもあった。

 

(私がただの英雄だったのなら、みながこんな視線で見つめてくれていたのかしら)

それはきっと、羨望だとか憧憬だとか、そういう感情だったのだろう。

そんな喧騒を、遠めで見つめる二つの影。

 

「凄かったね、あいつ」

「あら、あの子のことが気になったの?」

「そんなこと無いさ、私が気にしているのはいつでもキミだけだよ。ただ、戦ってみたいなって思っただけさ」

「まあ、まだ戦い足りないの?あんなことがあったのに」

「足りないな、力を振るうのは気分がいい。キミと一緒ならもっといい!」

「……仕方ないわね。それじゃあお願いしてみましょうか、キリカ」

「やったあ!……大好きだよ、織莉子」

「私もよ、キリカ」

 

 

「そこの方、ちょっといいかしら」

話しかけてきたのは、白と黒の少女。

白一色の服に白い長髪が印象的で穏やかな印象を受ける少女と、黒を貴重にした服に黒い短髪、快活な表情を浮かべた少女。互いに寄り添ったまま歩み寄ってきた。

「ん、なんだよ?」

歓声に応えながら振り向いて、杏子が答えた。目的は彼女ではないけれど、どうやら二人も連れ合いのようだと彼女は判断して。

「よければ、次は私達とも遊んでいただけませんか?」

白い少女の言葉は、その大人しそうな外見からは似つかない言葉ではあった。僅かに杏子も目を丸くして、すぐに交戦的な笑みを浮かべて。

「おいほむら、挑戦者だぜ?こりゃあ受けて立たないては無い、よな?」

「でも、鹿目さんが待っているわ」

ほむらはまどかが心配なようで、気忙しそうに視線を送る。そんな視線にまどかも気付いて、がんばって、とぎゅっと小さくガッツポーズ。いつの間にか随分元気になっていて、あの分なら心配は要らなさそうだ。

 

「……わかったわ。じゃあやりましょう」

「よし決まりだ!ふふ、私と織莉子の力を見せてあげよう」

「ほー、言ったな。あたしらだって強いぜ?甘く見んなよ」

ばちばちと、黒い少女と杏子の間で火花が散っているのが見える気がする。

そんなことよりも、どうにもほむらは気がかりだった。どうも聞き覚えのある声、織莉子という名前。

(……偶然、よね)

勿論、そんな事はないのではあるが。お互いに気付かぬまま、再戦の火蓋は切って落とされようとしていた。

 

「次はあたしとチームだ。ま……これから背中預けて戦うことになるんだ。よろしく頼むよ、ほむら」

「そうね……勝ちましょう。杏子」

機体選択。先ほどは勝負に拘っての選択だったが、今度は勝つための選択をしなければならない。チームのパートナーは機体を共有できる、ということで今回ばかりは、ほむらも機体選びに余念がなかった。

「さて、どうするかね。悔しいけど腕ならほむらの方が上だ、あたしが陽動。ほむらが遊撃って感じでいいかい?」

「構わないわ。……じゃあ、私はこれで行くわ」

ほむらが選んだのは、R-9S――ストライク・ボマー。

かつての愛機、ラグナロックと同じく貫通力の高いメガ波動砲を搭載した機体である。その分レーザーの攻撃力は初期の機体と同レベルとなっているが、波動砲の性能はそれを補って余りある。

地球連合軍に正式採用されている機体の一つであった。

 

「ふーん、じゃああたしは……こいつだな、陽動ならこれでいいだろ」

杏子が選んだのは、R-9AD――エスコート・タイム。

自機を模したデコイを生成するデコイユニットを搭載した試作機である。デコイ自身は波動エネルギーの塊であり、接触によってダメージを与えるだけではなく、デコイそのものを波動砲として発射することも可能である。

更にある程度の遠隔操作も可能な、まさに陽動にはうってつけの機体であった。

 

機体の選択は完了、あとは出撃を待つばかり。

そして、再び流れるオペレーターの声。だが、その前に警告が鳴り響く。

 

    WARNING!!

A HUGE BATTLE SHIP

  GREEN INFERNO

IS APPROACHING FAST

 

 

「なっ……割り込みミッションだとっ!?」

割り込みミッション。それはこのゲームの要素の一つで、特定の条件を満たすと次のミッションが強制的に全員参加の異なるミッションへと変更されるというものであった。

ほとんどの割り込みミッションは、強大な敵バイド体との戦いであり、その難易度は非常に高く、今までにほとんどクリアできた人間はほとんどいないのだという。

 

「ちぇ、ついてねーな。どうするほむら?一旦やめて仕切りなおすかい?」

「……それも、悪くはないけれど。目の前にバイドがいるのよ。見逃す選択肢があるかしら」

「言うね。案外熱いとこあるじゃん」

「別に、誓っただけよ。私の目の前では、どんなバイドだって生かしてはおかない、とね」

マミを見殺しにしたことへの後悔と、さやかを見送るしかなかった苦悩。それを踏み越えて、新たに打ち立てた誓い。目の前にバイドがいるのなら、その全てを殲滅する。

まさしくバイドの除去装置―ELIMINATE DEVICE―となろう、と。

「ちょっと律儀すぎねーか?……ま、ほむらなら本当にやっちまいそうだけどな。じゃあ、行くぜっ!」

「ええ、油断はしないでね、杏子。……行きましょう」

 

「なんだ、あいつらと戦えないのか。残念だなー」

「仕方ないわ、そういうことになってしまったんだもの」

「ま、これはこれで面白そうだけどね。バイドの巨大戦艦なんて、私と織莉子の手にかかればイチコロだ」

「あまり無理をしてはだめよ、キリカ。これは実戦とは違うんだから」

「違わないさ、織莉子と一緒に戦うのなら、いつだってどこだってなんだって、私にとっては価値ある闘いだ」

「もう、キリカったらしかたないわね。……じゃあ、行きましょう」

「ああ、行こう織莉子っ!」

 

8機の機体はそれぞれに飛び立って、迫るバイドの巨大戦艦へと立ち向かっていく。

無数に設置された砲門が一斉にその顎を開き、宙を埋め尽くさんばかりの砲火が撃ち放たれた。

宙が赤く染まる。その中をすり抜けていく機体群。対応できずに、早くも2機の機体が火ダルマになって潰えた。割り込みミッションには残機はない。やり直しの効かない状況で、この難敵に立ち向かうことになるのだ。

 

それは、まるで本当の戦闘のようだった。

 

 

「かなりやばいな、こりゃあ」

砲台を破壊して確保した安全領域。その中に二機が佇んでいた。

戦闘は既に終盤、砲火をかいくぐり、砲台を叩き潰し。押し寄せる敵の増援を焼き払い。そうしていよいよ、艦首付近にまで肉薄することができた。

しかし、艦首に備え付けられた無数の砲台が濃密な弾幕を形成しており、さらにはその砲台の再生速度は極めて速い。このままではまず抜けられない。何とか砲火の壁に穴を開けて、そこをすり抜けるしかないのだが。

「残っているのはもうあたしらとあいつらだけだ、ちょっと手数が足りないな」

早々に撃墜された二機。そして戦闘の半ばまでは粘っていたが。

急激に増え始めた敵の増援に対抗しきれずパイロットネーム“ガンズアンドローゼズ”“アイスブランド”の二機も砲火の中に消えていった。

 

「おいそっちの二人っ!こっちの援護に入れないかっ!」

ここを突破すれば、後は敵のコア部分を残すのみ。

別ルートから攻略しているはずのパイロットネーム“正義さす左指”と“自由なる右指”に呼びかけた。

「まったく、キミは無茶を言ってくれる……ねっ!!」

「残念ですが、敵増援の出現が想像以上に激しいようです。援護に向かうどころか、このままではこちらも持たないかもしれません」

艦尾方面からコアを目指したその二人こと織莉子とキリカのチームも、大量の増援に阻まれているようで。向こうは向こうで、状況は非常に悪いと言わざるを得ない。

 

「だとさ。どうするほむら?」

「一点突破、これしかないと思うわ」

「なるほど、Rにゃ相応しいやり方だ。だがどこを抜ける?完全に砲撃で上を押さえられちまってる、側面から回り込むのか?」

わずかに沈黙、やがて意を決したようにほむらが言葉を放つ。

「デコイを含む波動砲の面斉射。これで敵の砲火に穴を開ける。その隙間に潜り込めば、後はコアまで一直線に向かっていけるはずよ」

「簡単に言ってくれるけどよ、未だに砲台は復活しやがるし、敵だってわんさか出てきやがる。二人揃って波動砲をチャージする余裕なんて、作れるのか?」

「作るわ。幸い私はビットを拾うことができた。これで上方からの攻撃は防ぐことができる。私が上になるから、できるだけ寄り添ってフォースとビットで耐える」

「まったく無茶苦茶だ、だがまあ、他にやりようもねーか。いいぜ、こうなったらとことん付き合ってやろうじゃねーの」

二機がそれぞれ波動砲のチャージを開始する。それを阻もうと迫る、砲撃やレーザーの雨あられ。迫り来るリボーの群れ。放たれる敵弾。

その全てをかわしすりぬけ、フォースやビットで受け流しながら。チャージは順調に進んでいく。蓄積された波動エネルギーによってエスコート・タイムの隣にデコイ機が生成される。

 

だが、状況は尚悪化する。

こちらからの攻撃が止まったことで、破壊し続けていた砲台までもが再生を始めた。それにより、降り注ぐ砲火はさらに勢いを増す。フォースの間を擦り抜けて機体を掠めた。

そしてもう一機、波動エネルギーによってデコイが生成された。チャージは完了、後は頭上の火線へ飛び込むだけ、なのだが。

(くっそ……あんなとこ、どうやって飛び込んで行けってんだよ)

 

「杏子、行くわよ」

「っ!…ええい、こうなりゃ行ってやらぁっ!」

砲火の中を、踊るように進んでいくほむらの機体に続いて杏子もその機体を躍らせた。たちまちその身を焦がす砲火が機体を擦り、掠め。それでも直撃だけは避けながら、艦首正面へと辿り着いた。

「食らいやがれ……バケモノっ!!」

本体と、そして二機のデコイから同時に放たれる三門の波動砲。そして続けざまに放たれたメガ波動砲が、戦艦の艦首部を直撃した。表面を薙ぎ払われ、さらに深部までもを波動に焼かれて、一瞬だけ艦首の砲台が沈黙する。

それでもそのおぞましいほどの再生能力は、即座に焼き尽くされた内部を破壊された砲台を再生させて砲火を放つ。けれどもそのわずかな時間で十分だった。

「穴が開いた。このまま抜ける……っ」

「案外なんとかなるもんだ。……でも、悪ぃ、こっちはここまでみたいだ」

ストライク・ボマーは無事に砲火の壁を潜り抜けた。しかし、エスコート・タイムは破壊された砲台が最後に放った砲弾をかわしきれずに直撃、黒煙を上げながら高度を落としていく。

 

「後、任せたっ!一発かましてやれほむらっ!!」

直後、降り注ぐ砲火の雨に杏子の機体が消えた。通信もそのまま途絶する。ゲームであると分かっていてもいい気はしない。それほどの臨場感を感じていた。

「杏子……ええ、後はこのままコアを破壊するだけよ」

そしてストライク・ボマーが駆ける。巨大戦艦も艦の上部、特にコア周辺には砲台を展開できないのか他の場所と異なりここだけが、極端に砲火の密度が薄い。

悠々とそれをかいくぐり、有機的に蠢きながらピストン運動を繰り返す、戦艦のコアへと辿り着く。

後はここに波動砲を叩き込めば、それで片は付く。ゲームの割には、あんまりにもあんまりな強敵だった。それこそこれだけ戦えるのならば、そのまま実戦でも通用しそうなほどに――

 

そこまで考えて、ほむらの表情が固まった。

 

 

そしてほむらのストライク・ボマーは、砲台からの砲撃であっけなく被弾し、撃墜していった。その後も暫く抵抗を続けていた織莉子とキリカだが、次々に押し寄せる増援に対抗しきれず、やがて撃墜されてしまった。

かくして全機撃墜。ミッションは失敗となったのであった。

 

「なんだ、結局全機撃墜かよ」

「でも、コアのとこまで行ったの初めて見たぜ、俺」

「すげーよな、やっぱりあいつどっかのランカーじゃないのか?」

「録画しといたから、後で研究しようぜ」

興奮冷めやらぬ、といった感じでギャラリー達が騒いでいた。それでもミッションも終了ということで、三々五々に散っていく。

そうしてようやく、筐体からほむらと杏子が姿を現した。

「……一体どうしたんだよ、ほむら」

杏子の顔はやや険しい。対するほむらの表情はやや沈んだもので。

「どうもしないわ。油断して撃墜された。それだけのことよ」

「んなわけねーだろ。どれだけあたしがあんたと一緒に飛んでたと思ってる。あんな密度の低い弾幕で、あんたが撃墜されるもんかよ」

どうやらそれが気がかりなようだった。わざと撃墜されたのではないか、とほむらに詰め寄っていく。

そんな杏子の様子に、少しだけ考えるような仕草をしてからほむらは杏子の手を引いて、筐体の影に隠れた。

 

「恐らくこのゲームには、軍ないしTEAM R-TYPEが絡んでいるわ。間違いなく」

「な、何言い出すんだよいきなり、頭でも打ったか?」

いきなり出てきた言葉は、陰謀論めいたもの。さすがの杏子も驚いて、目を丸くしてしまったが。

「考えたことはないの?あのゲームの機体達はどれもみな、本物と変わらない操作性を持っていた」

「そりゃあ、作ってる奴らがよっぽどのマニアだったんじゃねーの?」

「軍にとっては機密であるはずのR戦闘機よ。それをあれだけの数のデータを揃えるなんて、どう考えても直接軍やTEAM R-TYPEが開発に携わっているとしか考えられない」

そう言われると、確かに杏子にも思い当たる節はある。このゲームに出てくる機体は、そしてバイドはあまりにもリアルなのだ。

それこそ、訓練用のシミュレーターと大差がないほどに。

 

「だとして、何が問題あるんだよ?単に機体のデータ取りとかかもしれないだろ?」

「いいえ。このゲームの目的はきっと、もっと別のところにあるはずよ。特に割り込みミッションのあれは、まさに実戦さながらだった。その中で成果を出せるということは。それはすなわち、優秀なパイロットになり得るということだとは思わない?」

「……つまり、このゲームは民間人からパイロットを発掘するために作られてる、ってことか?確かにまあ考えられない話じゃないけどよ。何か問題でもあるのか?そもそもあたしらはもう軍属だろ?だったらいまさら目をつけられたって……」

「あなたはそうでも、私は違う。言ったはずよ」

名を捨てた英雄。暁美ほむらにとっては、軍に存在が露見する可能性のある行為は避けたいのだろう。そう考えると、ほむらの言葉も納得できた。

 

「……なるほど、そういうことでしたか」

言葉は、唐突に投げ掛けられた。はっとして振り向く二人。その視線の先には。筐体の影に寄りかかるようにして、話に耳を傾けていた黒と白の少女達の姿があった。

「盗み聞きたぁ、ずいぶん結構な趣味してんじゃねーか」

「何を言う、キミ達が勝手に話をしていただけだろう。場所を選ばなかったキミ達が悪い」

「んだと!?生意気言ってくれるね、なんならここで決着つけてもいいんだよ?」

「いいとも、さっきつけられなかった決着、ここでつけようか!」

勝手に一触即発になっている。杏子をほむらが、キリカを織莉子が取り押さえて。

「落ち着きなさい、杏子。こんなところで争ってもしかたないわ」

「そうよキリカ、ここではダメよ。人目があるもの」

人目がなかったら何をするつもりだったのか、ジト目で杏子が織莉子を眺めて。

「先ほどの話を聞く限り、やはりあなた方も軍属のR戦闘機乗りだったのですね」

「……その言い草からするに、あんたらも同じ手合いかよ」

まったく持って、奇妙な偶然もあるものである。

 

「ということは、もしかしてあなた達は」

「そして、恐らくあなた方は」

ほむらの声と、織莉子の声が重なった。

 

「「魔法少女」」

 

お互いを見据える眼光が、より鋭い物となる。

恐らくほむらも織莉子も、確信めいたものを既に感じていたのだろう。目の前の相手が、かつて激しい戦いを繰り広げた相手である、と。

「なんだ、こいつらも魔法少女だったんだ。道理で強いわけだね」

「ええ、それに彼女は前に宇宙で戦った相手よ、間違いなくね」

言葉と同時にキリカが駆け出した、一足飛びにほむらの懐へ。そしてその腕を振りかざし、打ち下ろす。

ほむらは咄嗟に腕を交差させそれを受け止める。骨まで響くような強い衝撃が伝わった。

さらに追撃。首を狙って掌が伸びる。締めようとでもいうのか。否、喉笛を掻っ切ろうとしているのだ。腕をかざしてその掌を止める。腕が強く握られて、さらに爪が突きたてられて。肉に食い込み血が滲む。

唐突に向けられた殺意と狂気。咄嗟に身を守っていなければ、今頃頭か喉をやられていただろう。

 

「……っ!テメェ何やってやがるっ!」

呆気にとられていたのも一瞬、目の前で繰り広げられているのが殺し合いであると悟る。そして割って入ろうとした杏子にも、容赦なくキリカは蹴りを繰り出した。

受け止めた腕ごと吹き飛ばされ杏子の体が一瞬浮き、そのまま筐体に叩きつけられる。

「がふ……」

その衝撃に、肺から空気が漏れて出た。それでも懐を手で探り、護身用の銃を取り出そうとした。騒ぎを起こすのは勘弁だが、身を守る手段を持たないほど呑気でもない。

撃ってしまった後のリスクは考えないではないが、殺しに来ている相手を迎え撃たない道理もない。

「キミは織莉子を殺そうとした!ならばキミは今すぐ死ぬべきだ。ああ死ぬべきだ。織莉子を傷つけようとするやつは、誰であろうと私が殺すっ!!」

同じくキリカも懐を探り、何かを取り出そうとしている。間違いなく武器の類だろう。正気を疑う。いや、疑うまでもない。彼女は、キリカは狂っている。ならばそれを止めるにはもう殺すしかない。

ほむらも戦いの覚悟を決めた。騒動を聞きつけ人が集まり始めている。

長居は無用、一気に二人とも始末をつけて脱出する。

まどかも一緒に連れて行くと、何かと問題になるだろう。ひとまずは杏子だけを連れて脱出。後のことは、軍やキュゥべえに任せておけばいい。

まずは目の前の障害を確実に排除するだけだ。ほむらの瞳に冷酷な光が宿った。

 

「やめなさい、キリカっ!」

凄絶な殺し合いが始まろうとしたその寸前に、織莉子の声が駆け抜けた。懐からぎらりと光る刃物を取り出そうとしていたキリカは、その手を止めて。

「何故だい織莉子?こいつは織莉子を殺そうとしたんだ。なら殺さなくちゃ。ダメじゃないか!お前らは…お前らは死んでなきゃあああ!!」

「ダメよキリカ。今の私は彼女達と戦うつもりはないわ。それに彼女は、私たちの命を助けてくれた恩人でもあるのよ」

そういえばそんなこともあった。あの時はさやかに説得されてしまったが、こうなると分かっていればあそこで見殺しにしていたというのに。

「そうなのか?本当にキミが、私たちを助けてくれたのかい?」

先ほどまでの殺気に満ち溢れていた表情が一変。やけに人懐っこそうな笑みを浮かべて近寄ってきた。

その急変が恐ろしい。今にもまた様子を一変させて、殺しにかかってくるのではないか。そんな危惧から、間合いから離れるように一歩距離をとる。

 

「……礼ならさやかに言うことね。彼女が助けると言わなければ、私は確実に止めを刺していたわ」

「そうか、つまりキミは私たちを、織莉子を助けてくれたのか!つまりキミは恩人だ。さっきはすまなかった、恩人!」

深く深く頭を下げて、さらに距離を詰めてくる。敵意が一切見られない。それが何より恐ろしいのだ。

さらにほむらは一歩退いた。

「何なんだよ、お前ら……訳わかんねぇことばっかり言いやがって」

懐に手を差し入れたまま、いつでも撃てるような体勢で杏子が間に割って入る。

「なあ織莉子、私は恩人に恩返しがしたいと思うんだけど、どうかな?」

そんな杏子を意にも介さず、キリカは織莉子に問いかける。それが気に食わなくて、杏子はぎり、と歯噛みする。

「いいと思うわ。でも、そろそろ騒がしくなってきたようだし、場所を変えた方がいいと思うわ」

これだけの事態が起きたにもかかわらず、織莉子は何事もなかったかのようにふんわりと笑みを浮かべて。

 

「そういう訳ですので、場所を変えてゆっくりとお話しませんか?大丈夫ですよ、キリカをけしかけたりはしませんから」

「ああ、私だってキミが恩人だと知っていたら、こんなことはしなかったさ」

確かに辺りを見渡すと、既に人だかりができていた。騒ぎを聞きつけて、店員までもがこっちへ向かってきている。これ以上ここに留まるのは得策ではない。彼女達と話をするにせよしないにせよ、である。

「……ええ、そうさせてもらうわ。杏子、私は二人を見ているから、まどかを呼んできて」

「大丈夫なのかよ、お前一人で」

「大丈夫だと思うわ、今のところは」

そんな言葉に杏子は表情を曇らせて、織莉子とキリカをかわるがわる睨み付けていたが、やがて早足でまどかの元へと向かっていった。

「あの妙な力は、今日は使わなかったのね」

魔法、と呼ばれたその力。今使われていたら流石に打つ手がなかったろうと思う。キュゥべえは封印した、と言っているようだったが、それもどうかは怪しいもので。

 

「ええ、今は使いたくても使えませんから」

「そう、それなら一応安心ね。とにかく移動しましょう。このままでは騒ぎになるわ」

髪を払おうとしたその手は、血でぬらりと濡れていた。腕を掴んだその腕は、本当に喉を掻っ切るつもりで突き出されたのだろう。

腕に食い込んだ爪は厚手の冬服を食い破り、肉をそぎ落としていた。そこからはだらだらと赤い血が流れていて。

自覚すると、今更ながらに痛みがこみ上げてくる。どこかで治療も済ませたい。

 

「ほむらちゃん!……っ。手、血だらけだよ。何があったの?」

「後で説明するわ。今はまずここを離れましょう」

杏子に連れられやってきたまどかが、ほむらの怪我に声を上げる。けれど今は、そんなことを気にしている場合ではない。躊躇うまどかを半ば担ぎ上げるようにして、少女達は店を抜け出した。

騒動になる前には、どうにか抜け出すことが出来た。

 

「これで大丈夫だよ、ほむらちゃん」

「ありがとう、鹿目さん。随分手馴れていたわね。よくこういうことをしていたの?」

少女達が5人、何故だか身を潜めるようにして雪崩れ込んだ路地裏。ちょっと窮屈なその場所で、まどかがほむらの手当てをしていた。

「うん、私、学校で保険委員だったから」

「そうだったのね。……鹿目さんには、戦いよりもこっちの方がよく似合ってると思うわ」

「ありがと、ほむらちゃん……てへへ」

一通りの手当ても済んだ、少し離れたところでは、杏子とキリカが睨みあっている。織莉子が抑えているようだから、一触即発というわけではないが。如何せん険悪な雰囲気は拭えない。

 

「杏子、少し落ち着きなさい。今のところはまだ彼女達は敵じゃないわ」

「今は、な。5秒後にはどうなってるかわかんないぜ?」

確かに、とほむらも考える。あまりにも目の前の少女、キリカは危うい。

何の前触れも無く殺意を顕わに襲い掛かってきたかと思えば、急に恩人だなんだといって纏わりつこうとする。その、あまりの繋がりの無さがやはり恐ろしい。

ただ、キリカは織莉子という少女に絶対の信頼を置いている。彼女が戦うつもりでないのなら、そうそうキリカも動かないはず。そう推察して、今のところは停戦状態を保っているのだった。

「そろそろいいでしょうか、お話しても?」

「ええ、構わないわ」

正直なところを言えば、まどかはこの場にいない方がいいのでは、と思う。けれどもこの状況下、目を放してしまう方が不安である。

致し方なし。もしこの状況で再び戦闘となれば、最優先するべきはまどかの安全。そしてその次に敵の殲滅。恐らく杏子は一人でも大丈夫だろう。

心構えは済ませた、後は何が出るか待ち構えるだけ、である。

 

「まずは自己紹介を、私は美国織莉子」

「私は呉キリカだ。よろしく頼むよ恩人!」

「佐倉杏子。別によろしくしたかないけどな」

「暁美ほむらよ。……それと、その恩人というのやめてもらえるかしら」

どうも落ち着かないのである。

「えと、私……鹿目まどか。その、よろしくね」

最後に、どうにも殺伐とした空気に慣れないまどかが戸惑い気味に言葉を告げて一応の自己紹介は済んだこととなる。

「それで、貴女方は一体あんなところで何をしていたのです?魔法少女のお仕事か何かかしら?」

「あたしらはただ休暇を楽しんでただけだよ。っつーか、同じ質問をそのまま返してやるぜ」

つっけんどんに杏子が返した。

「それなら私の答えも同じだ。私は織莉子と楽しい楽しい休暇を楽しんでいたんだ。なのにまさかこんなことに巻き込まれるだなんてね、やはり楽しい時間には障害が多いものだよ」

「いや、思いっきり巻き込んだのはお前らだろ。っつーかそういう趣味かよ」

うんざり、げんなり。そんな言葉がとてもよく似合う表情を浮かべて。杏子が軽く突っ込みを入れる。当の本人たちは意に介した様子もなく。

 

「ということは、私たちは単に偶然出会って、偶然戦うことになった。そういうことなのでしょうか。……いくらなんでも話が出来すぎてるわ。こんな話を書いた脚本家は、きっと三流ね」

「誰かの意図がある、と考えたいところだけど、流石にそれもありえないわね。私たちが今日ここに来たのは、単なる偶然なのだから」

結局、不運なのかそうでないのかよくわからない偶然。

それが引き合わせたあまりよくない出会い。というのが、今回の出来事の概要といったところだろう。

 

「それで、あなた達はまだ私達を狙っているというの?」

次いで、ほむらは早速本題を切り出した。もしもまだ彼女達の任務が古い魔法少女の粛清なるものであったとしたら。今こうして生身で相対しているうちに始末しておくべき相手だろう。

もう一度、あの厄介な狂機を相手にはしたくない。魔法が使えないというのであれば話は別だろうが。それでも、敵は始末できる時に始末しておくに越したことは無いのだ。

そんな意図も含んだほむらの言葉に、織莉子は軽く俯いて。

「実際のところ、私にもこれからどうなるのかはわからないのです。あの時だって、命令に従って貴女方と戦っただけ。そして今のところ、私達に新たに下された命令はない。休暇というのも、その間に私達の今後の処遇を決めようということなのでしょうね」

少なくとも、織莉子の方はまともに話が通じるようだ。それなりに頭も切れるようにも見える。

「それなら今のところ、戦う必要はないということかしら」

「ええ、先ほどはキリカが先走ってしまったみたいで、ごめんなさい」

「すまないね、恩人」

人を殺そうとしておいて、しれっとごめんなさい、である。織莉子は織莉子でなかなか食わせ物でもあるようだ。

 

「……そう、ならもうこれ以上話すことは無いわ。行きましょう、杏子、鹿目さん」

これ以上この場にいるべきではない。ほむらは踵を返してその場を後にする。

「へっ、もう二度と会いたくないもんだな」

杏子も言葉を吐き残して、ほむらの後に続いていく。そして、まどかが一人その場に残る。

「……貴女は一緒に行かないのかしら?」

訝しげに尋ねた織莉子に、少しだけ迷ってからまどかは切り出した。

「私、二人に聞きたいことがあるんだ」

「何かしら。あまり私に答えられることがあるとは思わないのだけれど」

織莉子もまた、まどかを観察している。見たところ戦えるようにはまるで見えない、普通の少女のようだ。

そんな少女が何故あの二人と一緒にいたのかというのは、少なからず気にはなる。

「二人は……魔法少女、なんだよね?それで、バイドと戦ってる」

「ああ、その通りさ。キミは違ったのかい?」

「あ……うん。私は魔法少女じゃないんだけど、魔法少女になろうかどうか迷ってて。でも、私の戦う理由って何なのかなって考えたら、迷っちゃって、怖くて」

ゲームセンターで皆の戦う姿を見ながら、たとえゲームでもそこで戦っている皆は真剣だった。自分も同じように真剣になれる何かがあるのだろうか、と考える。

誰かの為じゃなくて、自分だけの戦う理由が。

 

「迷っているのですね、鹿目さんは。……それで、私達に何が聞きたいのかしら?」

「二人の戦ってる理由を、教えて欲しいんだ。もしかしたら、何かの参考にできるかも知れないから」

だから、聞いてみたいと思った。すでに戦っている人達が何を考え、何のために戦っているのか。そうすればもしかしたら、自分にも何かがつかめるかもしれない、と。

「私は織莉子のためっ!織莉子が戦うから、私も戦う!私は織莉子のために生き、織莉子のために戦い、織莉子のために死ぬんだっ!」

臆面もなく、一切の迷いもなく、キリカはそう言い放つ。そこまで言い切れるのは純粋に凄いとまどかは思う。

けれどもそれでは、まどかの迷いへの答えとはならない。

「そうね、キリカ。貴女はいつも私のために戦ってくれる。私も、貴女のために戦うわ」

「織莉子さんも……同じ理由なんですか?」

戸惑い気味に尋ねたまどかの言葉に、織莉子は一度目を伏せて。

ほんの僅かに躊躇った後に。

 

「戦えば世界がよくなると思った。誰もが私を見てくれる、認めてくれると思ったわ。けれど、そんな事はなかった。もがけばもがくほど暗闇へと堕ちていくだけ。戦うことを選んだ時点で、未来なんてありはしないわ」

そうまどかに告げる織莉子の瞳には、先ほどまでのどこか冷たい輝きはなく。思い悩み、揺らぎ続けた歳相応の少女のそれがあった。

突然の言葉に呆然と立ちすくむまどか。キリカも、織莉子の変化に気付いて不安そうな視線を織莉子に送る。

「だから、戦わなくてもいいという選択肢のある貴女は幸せ者よ。それがどれだけ幸せなことか、貴女は知らないだけ。だから、貴女は戦うべきではない」

その言葉を最後に、揺らいだ瞳は冷たい輝きへと変わる。不安そうに見つめるキリカに微笑んで、その頭を軽く撫でて。

「行きましょう、キリカ。まだまだ見たい場所は沢山あるわ」

「っ!あ、ああっ!行くよ、織莉子が行くならどこへでもっ♪」

たったそれだけで、けろりと機嫌を直してキリカは織莉子に付いて歩いていく。そんな織莉子が、最後に一度だけ振り返って。

 

「それでももし戦うというのなら、平和だとか未来のために戦うようなことだけはやめておくべきね。どこまでも自分のために。そうでなければ自分よりも大切な誰かのために、そうするといいわ」

言葉を残して、後はもうまどかには一瞥もせずに。二人の少女は路地の奥へと歩いていく。その姿がだんだんと暗がりに消えていく。

それがまるで、二人の未来を暗示しているような気がして、まどかは目を離すことが出来なかった。

 

「まどかーっ、何やってんだ。早く来いよーっ」

しかし、そんな感傷に浸る間もなく杏子の声が呼ぶ。

「あ、うん。今行くよっ」

声に答えて。最後に暗がりの路地を一瞥して、まどかは二人の元へと歩き出した。

待ち構えていたのは、どこか固い表情の二人。どうしたのかと口を開くより前に、ほむらが口火を切った。

「鹿目さん。……キュゥべえから連絡があったわ。マミの治療の準備が出来たそうよ」

とくん、と小さくまどかの鼓動が跳ねた。



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第9話 ―PLATONIC LOVE―②

かつての戦士は眠る、悪夢と恐怖、そして死に心を閉ざし。
新たな戦士は挑む、深く硬く閉ざされたその城門に。

目覚めを願い、贖罪を願い、少女達は戦う。


「ごめん遅れたっ!マミさんはどうなったの!?」

空港に停泊しているティー・パーティーに到着し、さやかは開口一番そう言った。部屋の中には、既に皆が揃っていた。

「治療はこれからだよ、さやか。キミを待っていたんだ」

ふわりと、白い尻尾を揺らしてキュゥべえが告げる。

「大体の説明はもう済んでいるわ。後はあなたの準備ができればすぐにでも始められる。それよりも、あなたの方は大丈夫なの、さやか?」

相当走ってきたのだろうが、さほど息を荒げた風もないさやかにほむらはそう問いかけた。

「家のことは大丈夫、一晩たっぷり話あってきたからさ。まあ、問題はそれだけじゃないんだけど。とりあえずそっちは後で考えればよし!今はマミさんを助けるのが先決でしょう!」

仁美と恭介のことは、今尚さやかの脳裏にこびりつき、彼女を悩ませていた。けれど結局自分ひとりで考えても答えは出なかった。まどかに相談してみようか、とも考えていた矢先の召集であった。

 

 

「さあ、それじゃあいよいよ始めるよ」

これで役者は全員揃った。いよいよ眠り姫の救出が始まろうとしている。

ティー・パーティーのパイロットルーム、というより戦っている間の体を安置しておく場所。いくつか並ぶコクピットブロックを模した生命維持装置。その中の一つにマミが眠っている。

魂が自分を死んだと思い込んでいるこの状況、マミの体は刻一刻と死に向かっている。それ故に生命維持装置は必要不可欠であった。

「それで、あたしらはどうしたらいいんだっけ?どーにかこーにかマミさんの魂を起こせばいいってのはわかったんだけどさ」

「簡単に言ってしまえば、私達が直接マミの精神の中に入って、そこでマミに接触。自分が死んではいないということを認識させて、意識を覚醒させる。そういうことらしいわ」

「なるほどね、って。やることはわかったけど、結局どうやってマミさんの精神の中に入るのさ?いくらなんでもちょっとやってることがマンガチック過ぎない?これ」

「魔法少女、なんてもんがある時点でお察しだろ。もう何が起ころうと驚きゃしねーぜ」

壁にもたれて、冗談交じりに杏子が笑う。正直なところ未だに信じ切れていないところはあるが、目の前で事が起こっているなら見届けるしかない。いずれにせよ、ただの人間の自分には手出しの出来ないもののようだし、と。割と蚊帳の外気味な様子である。

 

「それに関しては手はある。サイバーリンクシステムを応用させてもらうんだ」

「サイバーリンクシステム?」

聞き覚えのない名前。また何かろくでもないものを開発したのかと、ほむらと杏子は怪訝そうな表情を浮かべた。

「人の精神を直結させ、情報、思考、記憶その他ありとあらゆるもの共有することができるシステムだ。TEAM R-TYPEから開発中のシステムを借りてきた。これでマミとキミ達を接続し、マミの精神に侵入させる」

「……また、随分トンデモな代物が出てきたもんだぜ。どう見ても危なさそうなんだけどな、それ」

驚かないと言った矢先ではあるが、流石にこれは驚かざるを得ない。人の精神を直結する、などと。まるで前時代的なSF物にでも出てきそうな話ではないか。とうとう現実がフィクションに追いついたのか、と杏子は気の遠くなるような思いすらしていた。

「危険がないとは言いがたい、今のところ実際に運用されている例は三つだけ。それも魔法少女同士でしか運用されていないからね」

ますますもって不安になる。これでは体のいい実験台ではないのか、とすら思ってしまう。

「だが、悪い話ばかりじゃない。魔法少女同士での運用で、今のところ何らかの問題は見られていない。それどころか一部のケースでは、戦闘においての運用実績もあるようだね」

とは言うものの、それは先のキリカと織莉子のケースのみ。結果はサイバーリンクシステムの問題ではなく、ソウルジェムシステムの暴走であったのだからサイバーリンクに問題があるとは言えない。敢えてそれを話すことも無い。

そういう大事なところはわざわざ包み隠して、キュゥべえは告げる。

 

「不安って言えば不安だけど、それしかないならやるしかないよね。キュゥべえ、お願い」

「……ここまで来たからには、絶対に救って見せるわ。マミ」

それでも二人の意気込みは十分。これは二人にとっては贖いなのだ。戦うことを選べなかった罪、そして戦うことを選ばなかった罪。それが本当に罪なのか、それを問える人間など誰もいない。

だが彼女達がそれを罪だと思い、それに責を感じる以上、それは彼女達の罪。

 

贖罪の時が――来た。

 

「さやか、ほむら。これからサイバーリンクの接続を開始する。キミ達がマミの精神に突入次第、ボクの方で感覚プログラムとサポートプログラムを展開するよ」

サイバーリンクシステムを搭載した生命維持装置の中で、ほむらとさやかが身を横たえている。マミの精神に突入すれば、その間ほむらとさやかの魂はマミの中に移る。その間は、それこそソウルジェムを失った状態同様、死んでいるも同じな状況である。

その状態の二人を守る。その為の装置である。

「……任せるわ、キュゥべえ」

 

「さやかちゃん、ほむらちゃん。……マミさんのこと、お願いね」

キャノピー越しにまどかが声をかける。やはりここでも、自分は何も出来ない。実際キュゥべえの話している事だってほとんど理解できていない。何も出来ないのがもどかしくて、でもそれだけでは現実は何も変わらなくて。

悔しくて、でも零れる涙だけは堪えて。必死に呼びかけた。

「任せてよ、まどか。絶対にマミさんを連れて帰るから。……だから、まどかも祈ってて」

「サイバーリンクの構築開始。さやか、ほむら。意識をしっかり持つんだ。飛ばされないように――」

言葉の途中で、さやかとほむらの意識は途切れた。

 

目が覚める。目を開く。広がっているのはどこまでも暗いだけの空間。何も無い、誰もいない。何も聞こえない、何も感じない。絶対の虚空。ここはどこなのか。本当にここが、マミの精神世界だというのか。

感覚など無いはずなのに、ただただ何も無い暗闇は底冷えのする寒さを感じさせる。身が凍える。否、凍えているのは精神、魂なのかもしれない。

がたがたと震えが全身に広がる。冷たい、寒い。凍り付いてしまいそうだ――。

「接続……確保!感覚プログラム展開、マミの精神領域に突入する――」

途端、世界に光が溢れた。展開したプログラムによって、マミの精神領域が視覚化される。そしてその世界に、0と1の狭間に魂を宿し、身体を構成したさやかとほむらが舞い降りた。

 

「……ここが、マミさんの精神の中?あ、ほむら」

あたりを見回せば、すぐ隣にほむらがいた。

「きっとそうなんでしょうね。あなたも無事に来られたのね、さやか」

長い髪を払って、ほむらもさやかに並び立つ。私服姿のほむらに対して、なぜかさやかは制服姿。

「格好が違うのは、なぜかしらね」

「恐らくそれはプログラムの都合だ」

疑問を口にした途端、いきなり聞こえてきたキュゥべえの声。まるで直接頭の中に語りかけられているような感じである。流石にそれには驚いた。

「うわっ!?きゅ、キュゥべえっ!?え、どこから話してんのさ?」

「プログラムを介して直接キミ達の精神に言葉を送っている。それとさっきの質問の答えだ。プログラムはキミ達の魂を解析してもっとも自然な姿を構成した。それがほむらにとってはその格好でさやかにとっては制服姿、ということだったんだろうね」

「納得したようなしないような……まあいいや、それであたしらは何をしたらいいの、キュゥべえ?」

「そうだね、本題に入ろう。ここはマミの自我境界面、簡単に言えばマミの精神への入り口みたいなところだ。多分近くに扉のようなものがあると思う、それを開けばマミの精神領域に突入できる。探してみてくれ」

キュゥべえの言葉に頷いて、さやかとほむらがあたりを見渡す。あちらこちらに光が見えるその空間、そこに浮んでいるのは、輪。その輪はなにやら扉のようなもので覆われている。もしやするとこれがそうなのかもしれない。

そしてその巨大な扉のあちこちに、黒ずんだ鎖のようなものが巻きつき絡み付いている。

中心には、これ見よがしに仕掛けられた錠前。

 

「門……っぽいものはあったよ、でも、鍵がかかってる」

「鍵、か……きっとマミは自分が死んだと思って精神を閉ざしているんだろう。何とかこじ開けられるかい?」

「やってみるわ」

ほむらがその輪に近づいて、巻きつく鎖を掴んで引っ張る。手に伝わるのは冷たい感触、まるで体温を失った身体のようにそれは冷たい。鎖は、とても解けない。砕けない。やはり見た目通りには硬いようだ。

「ふんにゅ~っ!」

さやかもなにやら奇声を上げながら、必死に鎖と格闘している。そこまでやるか、と思わないでもないが、必死になる気持ちもわかる。

「さやか、ここは協力しましょう。キュゥべえ、流石に素手では無理だわ。何か道具なりを用意できないかしら?」

「やってみるよ」

僅かな間、そして光と共に現れたものは。――斧。

小ぶりなハンドアックスである。

 

「は?」

「えっ?」

 

「いや、確かに使えそうな道具ではあるけどさ。ここってマミさんの精神の中なんだよね?そこを斧でがっつんがっつんやるって、大丈夫なの?」

「……やるしか、ないわ」

ほむらは片手に斧を構えて。

「マミさん、ごめん」

さやかも同じく斧をその手に。そして一気に振り下ろす。

ガツン、と固い感触が二人の手に伝わった。

 

「ぜ……は、はぁっ。お、おかしいんじゃないのこれ。硬すぎでしょっ!?」

疲労困憊、と言った様子でぐったりしているさやか。辺りには砕けた斧、ぽっきりと折れたサーベル、刃の吹き飛んだチェーンソー。

「……まさか、ゴリアスランチャーでも駄目だなんて」

なぜかあちこち煤まみれなほむら。周りには薬莢や手榴弾のピン、携帯ロケットランチャーなんかが散らばっている。

いくら何でもやりすぎである。何より恐ろしいのが、それでもヒビ一つ入っていないその鎖。最初の内こそ、壊れるのではないかと戦々恐々だった二人だがどれだけやっても鎖は無傷。

だんだんと二人も意地になり始め、次々に強力な兵器を登場させたというわけである。もっとも、用意したのは全てキュゥべえなのだが。

 

「ここまでやって駄目となると、何か破壊以外の方法を考える必要があるんじゃないかしら」

「あたしも賛成、さすがにこれ以上はマミさんに悪いわ」

今更な気がするのは気のせいということにしておいて、さやかもそれに賛同した。

「他の方法、といっても。何かいい方法なんてあるかしら?」

「そりゃあ、こういう時は定番で攻めるのが一番じゃない?」

「定番?」

「そ、定番。王子様のキスってわけじゃないけど、熱い願いと叫びで、マミさんの心を開くんだ」

自信満々といった顔でさやかが言ってのけた。

「……それはどうかと思うのだけど」

「いいからやるの、他に何もないでしょ、出来ること」

再びさやかが扉の前に立つ。大きく、大きく息を吸い込んで。

 

「マミさぁぁぁーーーんっ!!迎えに来たよーーーっ!!!」

声も限りに、どこまでも響けとばかりに声を張り上げる。ほむらは呆気にとられたようにそれを見つめるだけだった。

「何やってんのほむら、あんたも言うの。叫ぶの!マミさんに届けるんだよ、あたし達の声」

ほむらに呼びかけ、見つめるさやか。その声は、その目は必死だった。そこでようやくほむらも理解する。決してさやかは、おどけてふざけているわけではない。

他にどうすることも出来ないのだ。それでもなんとかしたくて、どうにか助けたくてもがいている。それが、その気持ちが伝わってきたから。

「マミ……起きて。……起きなさい、マミっ!あなたはまだ死んでない、生きているのよ、マミっ!!」

ほむらも呼びかける。何度も何度も叫び続ける。実際の体じゃないはずなのに、喉が枯れる。声が掠れる。それでも、まだ。

 

「マミ…げほ、ごほっ。マミさん、起きて……起きてよ」

さやかが鎖を掴んでがちゃがちゃと鳴らす。必死に叩く。声は小さくなっていて、いつしか力も萎えてくる。諦めが足元から這い寄って、心を絡め取ろうとする。

身体が重い、力が出ない。それでも諦めずに何度も、何度でも。

「さやか……もう、やめて」

それはあまりにも痛々しい姿。掠れた声はいつしか涙に変わっていて、縋るように鎖を掴んで扉を叩く。諦めない。さやかは諦めない。しかしそれでも扉は開かない。マミは本当に心を閉ざしてしまったのか、それを開かせることはできないのか。

そしていよいよ、鎖を掴んでいることも出来なくなったのか。するりとさやかの手が離れ、その身体がぐらりと傾いた。

「っ、さやか!」

咄嗟に動いてその身体を受け止めるほむら。さやかはほむらに身を預けたまま、悔しさに打ち震えて涙を流す。

「………悔しいな。あたし、マミさんを助けられない。何も出来ない。マミさん……戻ってきてよ、マミさんっ!」

「一度戻りましょう、さやか。それから何か対策を考えましょう」

対策なんて何も思いつかない。そもそも何をどうすればいいのかもわからない。それでも今は、これ以上傷つき悲しむさやかを見ていたくない。

まるでこちらまで身を切られたような気分になってしまう。放ってはおけない。

 

「キュゥべえ、一旦戻るわ。どうすればいい?」

「いいや、まだ。まだ……戻らないよ」

キュゥべえに呼びかけたほむらのその手をさやかが振り払う。けれども最早立ち上がる力もなくて、そのままその場に崩れ落ちてしまう。

「もう無理よ、さやか。こんなにぼろぼろじゃない。……一旦戻ろう。お願い、さやか。これ以上、あなたが傷つくところを見たくないのよ……っ」

立ち上がろうとしても立ち上がれない、そんなさやかに手を貸しながら。

「どうだっていいよ、そんなこと……あたしはマミさんを助けるんだ。そのためだったら、あたしの身体なんてどうなったって……」

「っ!!」

さやかの意志はあくまで固い。きっとそれは覆らない。さやかのそういう性格をほむらもよく知っていた、どうしようもない。思わずぎり、と歯噛みする。もう手段は選んでいられない。

 

「さやか」

「何?戻るならほむら、一人で戻りなよ。あたしは……マミさんを」

半ば抱き起こすようにしてさやかの身を起こし、ほむらは少し悲しげに。

「ごめんなさい」

さやかの首筋に、鋭く手刀を打ち込んだ。はたしてこの状況で気絶するのかどうかは不安もあったが、疲労しきったさやかにはそれが止めとなったのか。

「な……っぁ」

信じられないものを見るような目でほむらを見つめて、そのままがくりと倒れ伏した。その身体を抱きかかえたまま、罪の意識に胸を焼かれるほむら。

「話は済んだかい?撤退の準備は終わったよ」

「……ええ、お願いするわ」

そして二人の身体はさらさらと光の粒になって消えていく。その途中でほむらの意識も途切れ、無事に二人の精神は帰還した。

扉は重く冷たい鎖の向こう、それは今だもって閉ざされたままであった。

 

「さやかちゃん……大丈夫かな」

マミの精神から戻って後、さやかは目を覚まさなかった。とはいえ、マミのようになったというわけではなく、単に衰弱して寝込んでしまっているだけだったのだが。

ベッドで昏々と眠るさやか。その額にクールパッドを貼り付けて、まどかは心配そうに見つめていた。

「さやかの身体には何の問題もないよ。もしあったらあのままあそこに寝かせていただろうしね」

その隣で同じくさやかを見つめるキュゥべえの姿。

「けれど、心は違う。さやかの心は疲れきっているわ。今は休息が必要よ」

ほむらもまた、少し疲れた表情でさやかを見つめている。精神領域への突入は、やはり負担が大きかったようで。さやかほどではないが、ほむらも少し顔色が悪い。

「にしても、何がいけなかったんだ?何でマミは目覚めねぇ?何でさやかがこんなになっちまうんだ」

システムに問題があったんじゃないか、とキュゥべえを睨みつける杏子。

 

「相当気負っていたのよ。さやかが戦う理由の一旦を担っているのがマミだから」

そしてほむら自身もまた、やはりこの罪は重く圧し掛かっている。何しろマミを最後に手にかけてしまったのは、その精神に止めを刺してしまったのは。――他ならぬ、ほむら自身なのだから。

「システムに問題が無かったとは言えない。とにかく問題点を改善してみるよ。マミの精神領域に突入する方法もね」

恐らくまださやかは諦めないだろう。目が覚めればまた、マミを助けに向かうはずだ。

その度にまた、こんなにぼろぼろになってしまうのか。このままではいつか、さやかが壊れてしまいそうで。ほむらはそれが心配でならなかった。

「部屋の中は弄っていないから、そのまま今日は休んでいくといいよ。今日のところはこれまでだね、後は明日だ」

そう言い残して、キュゥべえの姿が掻き消えた。それを見届けてから、ほむらは身体を壁に預けて。

「……私も、今日は休むことにするわ。明日こそ、なんとかマミを救いましょう」

実はかなり体調は厳しかったようだ。壁に手をつきながらほむらは部屋を出て行った。残されたのは、まどかと杏子。そして眠り続けるさやか。

 

「こういうとき、何も出来ないのって……辛いね」

「ああ、そうだな。……なあ、まどか」

「どうしたの?」

「マミって、どんな奴だったんだ?よく考えたら、あたしはそいつのことを全然知らない。よかったら話してくれないか?まあ、話しづらいってならいいけどさ」

杏子もまた、何か力になれればと考えていた。ただ今のままでは、何も出来ることは無い。純粋にマミのことは知りたかったし。まどかの話相手にくらいはなってやれると思った。

「うん。マミさんはね、私達が初めてバイドに出会ったとき、助けてくれた人なんだ……」

思い出すように、一つ一つマミとの思い出を語っていく。とはいえ、さほど長い時間を共にしたわけではないのだ。ほんの一日程度、あまりにも短すぎる時間。

それでもその出会いをまどかは忘れない。忘れないと、覚えていると約束した。恐怖に震えていた時抱きしめてくれた、まどかと、呼んでくれた。

短い思い出を語る間に、ぽろぽろとまどかの瞳からは涙が零れ始めていた。

まだ話したいことが沢山あった。もっとマミのことを知りたかった。友達になりたかった、仲間になれるかもしれなかった。だから、またマミに会いたい。そんな思いが胸いっぱいに広がって、涙になって零れだしてしまったのだ。

 

「ひく、えぐっ……うぅ、ごめんね、杏子ちゃん。私……私っ。マミさんがあんなことになって、さやかちゃんがこんなにぼろぼろになるまで頑張ってるのに、私、何も出来ない。何も出来ないよ……っ」

無力さと悲しさと、きっと恐らく寂しさも。沢山の感情が混ぜこぜになってまどかの瞳から溢れてくる。ぽたりぽたりと、涙がさやかの眠るベッドに染みていく。止まらない、止めようも無い。

「そんなに気負うこたないと思うんだけどな、あたしは」

杏子は少し冷めたような感じで、軽く鼻を鳴らして言った。

「確かに、マミのことは気の毒だとは思うけどさ、自分が戦わなかったから死んだとか、そこまで気負う必要なんて無いだろ。その分まで戦うとか、そいつを助けるために自分を犠牲にするとか。そこまで背負い込んだってしょうがないだろ」

「杏子ちゃん……。どうして、どうしてそんなこというの?さやかちゃんは、マミさんのために……」

「五月蝿ぇッ!死んじまった奴の為に、生きてる奴が犠牲になるなんておかしいだろ。そんな道理があるかよ」

「違うよ!マミさんはまだ生きてるっ!」

食って掛かって杏子に詰め寄ったまどか、けれども杏子はそれを振り払い。

 

「違わないね、死んでるようなもんじゃないか!そんなもんの為に、さやかを犠牲になんてしてたまるかよっ!」

何故こんなに怒りが込み上げてくるのだろう。激昂する頭の片隅で杏子は考える。きっとそれは失望なのだろう。

自分に生きる道を示してくれた、死にたがりから救い上げてくれたさやかが。結局はマミの為に、その跡を継ぐために生きているようなもので。その為に命すら投げ出そうとしている。

それがきっとこの怒りの原因で、裏切られたような気分なのだ。それをまどかにぶつけたところでどうにもならないことはわかっていた。だからこそ、これ以上ここにいるべきではない。

無言で立ち上がり、部屋の扉を開けて。去り際に。

「もしもさやかが、本当にマミの為に死んじまうかも知れなくなったら……その時は、あたしが止めてやる。絶対に」

言葉だけを残して、杏子は部屋を後にした。

一人残されて、まどかは。

「どうしたらいいの、私……私、わからないよ……」

そして静かに時は過ぎ、日は暮れ夜も更けていく。それぞれの思惑と、渦巻く不安を抱えたまま。

 

次の日も、そして次の日も、さやかとほむらはマミの救出に向かう。その度にさやかは立ち上がれなくなるほどに衰弱し、ほむらの表情にも疲労の色が濃くなっていった。

それでも未だマミは帰らない。二人は諦めそうになる心を必死に奮い立たせていた。

杏子はそんな二人とマミを、苦々しく見つめ続けていた。自分には何もできないという歯がゆさ、心の奥で燻り続ける失望。それに駆られてしまわないように、自分を抑えるので必死になっていた。

そしてさらにその翌日の朝、ついにさやかは目を覚まさなかった。

あまりの疲労が祟ったのだろう。とにかく今日一日は、安静にしておくより他なかった。ほむらも疲労が強く、今日の突入は見送られることとなった。

 

そしてその日の昼過ぎに、杏子は自分の部屋を出た。さやかとほむら、それぞれの部屋を眺めて。そこで眠る二人に思いを馳せて。痛みを堪えるように顔を歪めて、ぎゅっと胸元を手で押さえた。

やがて、何か意を決したように歩き始める。

まどかは、それを影から見つめていた。否、最初の日からずっと杏子のことを見つめていたのだ。別れ際の杏子の言葉が気になっていたから。あれはまるで、さやかを救うためにマミを殺す。そんな風にも聞こえてしまっていたから。

杏子の歩みは、マミの眠るパイロットルームの前で止まった。扉の前のパネルに触れて、扉を開けてその中へ。

一つだけ、今も煌々と明かりの灯された生命維持装置。その中で眠るマミ。傍から見れば眠っているようにしか見えないその姿をじっと見つめて。

そして、そのキャノピーに手をかけた。

 

「……なあ、マミ。いい加減起きろよ。さやかもほむらも、あんなにお前を助けようとしてるんだぞ」

床にぺたんと腰を落として、眠るマミと目線を合わせて呟く。

「特にさやかなんてさ、すごいんだぜ?死んでもあんたを助ける、ってさ」

マミは静かに目を伏せたまま、何も答えはしない。

「あんたに助けられた命だから、あんたを助けられなかった自分だから。だから今度は助けるんだ、って」

独白のような、杏子の言葉が静かに響く。

「笑っちゃうよな、折角助けてもらった命を、わざわざ投げ捨てようってんだぜ?」

乾いた笑い、苦しげな声。

「あたしにはどうすることもできない。あいつを止められない、助けてやることもできないんだ」

その肩を、静かに震わせて。

「それができるとしたら、多分あんただ。マミ」

縋るような、頼るような声で。

「なあ、だから頼むよ。マミ。もう一度あいつを……さやかを助けてくれよ、なぁ」

声は空しく吸い込まれていって、返る言葉は何もない。

静かで、ただ空虚で。その沈黙に耐えかねたように杏子は、一つ大きく吐息を漏らして。おもむろに立ち上がると、足音を殺して壁に寄る、そして壁のパネルに触れた。

 

「きゃっ!?」

扉が開くと、それまで扉に寄りかかっていたまどかが、支えを失って部屋の中へと転がり込んできた。

「盗み聞きたぁ感心しないね」

怒っているような表情で、まどかを見下ろし杏子は言う。すっかり萎縮してしまって、まどかは小さく震えて。

「ご、ごめん……でも、気になっちゃって」

「あたしが、マミを殺すとでも思ったのか?」

杏子の声は、あくまで冷たい。自分の思いを言い当てられて、まどかはどきりとしたように目を見開いて。そんな様子に、さらに杏子の表情は険しくなる。

「だって……あんなこと言うから、私、心配で心配で。さやかちゃんはどんどん弱っているし。ほむらちゃんだって、ちゃんと話せるような状態じゃないし……なのに杏子ちゃんがあんなことを言って。私、不安で不安で……どうしようもなくなっちゃって」

またしても涙が零れてくる。堪えようとして、両手で顔を覆おうとした。その刹那、杏子の手が伸びて、まどかの服の襟首を掴んで無理やり引き寄せた。

「いつまでも泣いてんじゃねぇ。それに、それは最後の手段だ。どうしようもなくなって、さやかが死ぬかもしれなくなった時の、本当に最後の最後の手段だ」

間近でまどかの顔を睨みつけながら、吐き捨てるように杏子が言う。まどかの考えを否定はしない。それでも誰が好き好んで仲間になるかも知れない相手を手にかけるものか。

覚悟はしておく必要がある、でもその時は今じゃない。

 

「どんだけ泣いてたって、無力さに打ちひしがれてたって何も解決しちゃくれないんだ!考えろよ!あたしが、あんたがッ。マミやさやかに何をしてやれるか、どうしたら助けられるかをさ!!」

少し感情的になりすぎてしまったと我に返る。ぎりぎりと襟首を締め上げていた手を離すと、まどかはそのままふらふらと後ろに下がってそのまま壁に背を預け、糸が切れた人形のように床にへたり込んだ。

感情をぶつけて、今更ながらに冷静さが戻ってきた。考えてみれば相手はただの女の子だ。

すこし、きつく当たりすぎたかもしれない。

「……悪い。あたしもちょっとカリカリしすぎてたよ。……ごめん」

これ以上ここにいるべきではない。少し散歩でもしてくるか、と部屋を後にしようとした。そんな杏子の背中に、まどかのか細い声が突き刺さる。

「考えてる……考えてるよっ。でも、何も思いつかないよ……っ。マミさんを、さやかちゃんを助けられるようなこと、何も出来ないよぉ……う、くっ」

その言葉が、嗚咽が。またしても杏子の胸をざわめかせる。やはりこれ以上、話を続けるべきじゃない。杏子は足早に部屋を飛び出した。

 

そして再び、まどかは一人取り残されて。

 

「どうしたんだい、まどか」

さやかもほむらも、昏々と眠り続けている。ご飯くらいは食べて欲しいものだと、食事の用意だけは済ませて部屋においてあった。

そうして夜が更けていく。日付も変わろうかというころ、静まりかえった艦内でまどかは、キュゥべえを呼び出していた。

キュゥべえは、相変わらず感情の見えない瞳でまどかを見つめている。本当にその瞳には感情がないのだろうか。バイドに対する憎悪はあると言っていたけれど、本当にそれだけなのか、と。

「あのね、キュゥべえ。私……ずっと考えてたんだ。二人の為に何ができるかって」

まどかは胸元に手を寄せて、静かに語り始める。キュゥべえはその言葉に耳を傾けて、静かにその耳を揺らした。

「それで、キミはどうすることにしたんだい、まどか?」

言葉を返そうとしても、その口から出てきたのは掠れた言葉だけ。言葉を出すのが、決断をするのが恐ろしくて。身体が小さく震えてしまう。

指を折り、それをぎゅっと噛み締めて。無理やり震えを押さえつけて。

「……私にも、できないかな。マミさんを助けに行くこと。さやかちゃんや、ほむらちゃんみたいに」

考えて、考えて考えて。今自分に出来ること。マミを助ける。この手で、自分の力で。できるかどうかなんてわからない。それでもやりたい、助けたいと思った。きっとそれが、今自分にできるせめてものことだから。

そんなまどかの言葉を受け止めて、意外そうにキュゥべえは目を見開いて。それからすぐに、どこか笑みのような表情を浮かべた。

「まさか、キミまで杏子と同じようなことを言うなんてね」

面白そうに、そう言った。

 

「え……杏子ちゃん、が?」

驚く間もなく、その声は飛び込んできた。

「まあ、そういうこった。あいつらで駄目なもんがあたしにどうにかなるとも思えないけどさ」

パイロットルームから出てきた杏子が、少しだけ疲れた表情で話す。

「それでも、あいつらが苦労してるってなら少し位はあたしが代わりに受け持ってやる。そうすりゃ、死ぬようなことにはならないかもしれない。……自己満足かもしれないけどな」

と、照れ隠しのように髪を弄りながら言う。

「杏子に頼まれてね、今普通の人間でも接続できるように、サイバーリンクシステムを改良していたんだ。とは言え前例があるわけじゃない。危険なことではあると思う。それでもやるかい、まどか?」

危険なんて百も承知。わかっていたって怖いものは怖い。けれど、それで足を竦ませ震え、立ち止まっていい時じゃない。今だけは。

「……私、やるよ。マミさんを助けに行く。怖いけど頑張るから」

「一人で気負うんじゃねぇっての、あたしも一緒に行くよ。強情な眠り姫を叩き起こしに、ね」

まどかの肩に杏子が触れる。片目を軽くぱちりと伏せて。杏子も考えていたのだ。考えて考えて考え抜いて、同じ答えに辿り着いた。

仲間が戦っている。自分だけ蚊帳の外で、無関係でいられるはずがなかった。

 

「準備は済んだよ、まどか、杏子」

キュゥべえが二人に告げる。

まどかも杏子も、一度お互いの顔を見つめ合い。それから一度、力強く頷いた。

「じゃあ行くぜ、まどか」

「うん、行こう。杏子ちゃん」

少女が二人、並び立つ。そして部屋へと入っていく。そこで未だその身を横たえ、眠り続けるマミを一度見つめて、それから二人も同じく装置の中に身を委ねた。

「二人とも、よく聞いてくれ。魂をソウルジェムに移した魔法少女と異なり、キミ達の魂は肉体と密接に結びついている。もしキミ達の魂に何らかの損傷が生じた場合、それはそのままキミ達の身体にも与えられることになるだろう」

「そういうの、入る前に言ってくれないもんかね」

いまさら決意は変わらない。けれどもその恐ろしさは理解できる。ソウルジェムを持つ魔法少女でさえ、あれだけボロボロになって戻ってくるのだ。

それと同じようになってしまうと考えると、これはかなり深刻なことだ。

「聞かれなかったからね。とはいえ注意はしてもらわなくちゃいけない。ボクだって無駄にキミ達を死なせたくはない」

「わかったよ、キュゥべえ。気をつけて行ってくるね」

「ま、精々サポート頼むぜ」

「任せておいてくれ。それじゃあ突入を開始するよ。深く深呼吸して意識をしっかり保つようにするんだ、ちゃんとマミの中に入っていけるようにね」

そして装置は稼働した。若干の不安と、恐ろしさも乗せたまま。

マミを救うため、二人の意識がマミの精神世界へと送り込まれるのだった。

 

「で、もって。ここがマミの精神世界……ってわけか。なんだか殺風景なところだな」

そして今、まどかと杏子の二人が精神世界で並び立つ。さやかとほむらが見た景色。それと同じ景色の中に。

「そして、あれが扉なんだね。本当にがっちり閉じちゃってる」

まどかはふわりと浮いた輪を見つめて言う。相変わらず黒い鎖が絡みついて、その戸は一向に開きはしない。

「まずは一通り試してみるか。おいキュゥべえ。何か武器を寄越しな」

声に応えて現れたのは、一振りの突撃槍。

大振りの刃の平面部、その中央にギザ状のラインが刻み込まれ、刃の後部には真っ赤な飾り布。随分と凝ったデザインである。

「なんだこりゃあ、また随分と派手なものを造ったじゃないか」

「キミのデータと合わせた結果、この武器がキミには適しているということらしいよ。残念ながら布がエネルギー化したり、心臓の代わりになったりはしないようだけどね」

「何言ってんだよ、お前」

「そういう風な説明が書いてあるんだよ」

そんなキュゥべえの説明に、納得したようなしないような、そんな曖昧な声で答えて。杏子はその突撃槍を手に取った。重さはそれほどでもない、割と手にはしっくりとくる。

ぶん、と一度槍を軽く振って感触を確かめて、それからその柄の部分を肩にかけ。

「まあ、いいか。でもそんなもん振り回して、マミがどうなっても知らないよ?」

「リスクは承知の上だ、どの道あの扉が開けられなければ同じことだからね」

それもそうだ、と納得したように杏子は槍を構える。

「それじゃあ、まずは一発あの扉にかましてやるとするかっ」

勢い込んで、槍を構えて扉に向かう。その背後でごとりと、何か重いものが落ちるような音がした。

 

「え……っ?」

「な……っ!?」

落ちたのは、扉に絡まる鎖を繋いでいた、錠前。重い音を立てて、落ちたそれは、床に当たるとそのまま砕け散った。

「え……なんで、どうしてこんな……」

扉の前に立つまどか。予想だにしない出来事に困惑している。そうしている間にも、錠前がなくなったことで緩んだ鎖が解けて落ちていく。そして、落ちた側から砕け散っていく。

「まどか……お前、何やらかしやがった!?」

驚いて詰め寄った杏子。けれどもまどかはもっと驚いた顔をして。

「わ、わかんない……私、ちょっと扉に触ってみただけで、何もしてないのに……」

「あんだけさやかとほむらが色々やって、全然開かなかったんだぜ?それがなんでこんな簡単に……訳わかんねぇ」

呆れたように、お手上げだといった風に首を振る杏子。けれども扉を縛る鎖は、全て解けて砕け散った。もはや扉を塞ぐものは何もない。

「理由は分からないけど、まあ好都合だな。このままマミを助けに行くぞっ!」

「……うんっ!」

まどかと杏子が、それぞれ左右の扉に手をかけて。ぎしぎしと軋むような音を立てながら、ゆっくりとその大きな扉が押し開かれていく。限界まで押し開かれた扉は、そのまま溶けるように消えていく。

 

その、刹那。殺風景な景色は一変した。

いつ変わったのか知覚することもできない。むしろはじめからこうだったのではないか。そんな錯覚すら抱いてしまう。

そこはおそらくその輪の中。輪切りにされた巨大な円筒の内側のような場所。足元は、まるで上質の布のようにすべすべとした黄色い何かでできていた。

そしてその円筒の奥、渦巻くように回る何から、光の粒子が降り注ぐ。幻想的で、状況が状況でなければ見入ってしまうほどに美しい。そんな幻想的な光の雪舞う円環の中、その中心たる中空に。

マミの姿が、まるで胎児か何かのような格好で。膝を抱えて漂っていた。

「マミさんっ!……よかった、やっと見つけた」

感極まって、まどかの声が震える。

「後はあそこから引きずり下ろして、叩き起こしてやるだけだな」

今ひとつ釈然としないが、それでも助けられるのなら言うことはない。杏子も僅かに表情を緩めて、マミを見つめた。

「ああ、何とかマミのところへ行けるようにするから、後はキミ達が直接マミと接触して……っ!?この反応、これは……まずい、二人ともすぐに離れるんだっ!」

キュゥべえの警告と同時に、美しく輝く黄色の円環。その端から何かが染み出してきた。それは白い色をしたスライムのような何か。それは円環のあちこちから染み出して、そのまま円環の中央へと向かう。

呆気に取られ、動けずにいる二人の目の前で。それはマミの身体を取り込んで、一つの繭のような形状をとった。

 

「何が……どうなってやがる」

「バイドの精神汚染だ。マミは、汚染を受けなかったわけじゃなかったんだ。マミの閉じた精神が開かれるまで、自分の手が届くようになるまでバイドは待っていたんだ。マミの精神の中でずっと」

絶望的な事実がキュゥべえの口から告げられる。中空で蠢いていた繭は、ぼたりと円環の上に落ちた。そしてその場所から円環の色が変わっていく。

鮮やかな黄色は、透き通るような白へと、そしてその表面がざわめきだした。

「すぐに離脱するんだ、まどか、杏子。キミ達までバイドに汚染されてしまう」

「……ここまで来て、逃げろってか?ざけんなっ!あいつをぶっ潰して、マミを取り返す!」

槍を構えて、うぞうぞと蠢く繭へと向き直る杏子。

「いくらなんでも無謀すぎる、生身でバイドに立ち向かうようなものだよ、それじゃあ」

「ならさっさと、武器なりR戦闘機なりを持って来いっての。そうすりゃバイド相手だって戦えるだろ」

ざわめき、蠢く円環の表面、そこに何か文字のような模様が浮かび上がってくる。

「……ダメだ、バイドがシステムに干渉してる。こちらからのサポートが届かない。

 すぐ……を……離れ………脱を…………」

聞こえる声も途切れ途切れになってきた。

「キュゥべえ!おい、キュゥべえっ!?」

「まず……バイド………妨害を………………」

そして、声は完全に途切れてしまった。

 

「どうしちゃったの……まさか、キュゥべえも」

震えて、萎えそうになる足を必死に支えてまどかが言う。

「多分、通信妨害とかその辺だろう。……まどか、覚悟決めろ。こうなりゃ、あたしらであいつを倒して、マミを助け出すぞっ!」

蠢く繭の中には、まだ眠るマミの姿が透けて見えている。まだ助けられる、まだ間に合うはずだ。まどかも、大きく頭を振って恐れと竦みを追い出した。

「うん!私も……マミさんを助けたいっ!」

 

それは円環を汚すもの。それは異変と忘却の主。

波打つようにして、円環に刻まれたその文字は。

 

 

 

 

 

 

――NOMEMAYER――

 

 

 

 

 

「ノーメ……マイヤー?」

「へっ、自己紹介でもしたつもりかよ。バイドにしちゃあ礼儀ってもんを知ってるじゃないか。なら、人の精神の中に勝手に入りこんで来てるんじゃねぇ!礼儀正しく出て行きやがれっ!!」

槍を一度大きく振り回し、飾り布をたなびかせて杏子が突撃する。しかしあろうことか、ノーメマイヤーはそれから逃れるように蠢いて、円環の上を走り始めた。

それを追いかけ走り続ける杏子。まどかの目からは、円環のどんどん急になる勾配を走っていく姿が見えた。だというのに、杏子の走りは変わらない。いつのまにやらオーバーハングな急傾斜を留まることなく駆け抜けていく。目を疑うような光景である。

その異常さには、まどかの方を振り向いた杏子も気づいた。

「こりゃあ……どうなってやがる。重力がおかしいのか?」

杏子の目には、どれだけ走っても目の前は平坦な道にしか見えない。おそらくそれは、コロニーの外壁と同じような感じなのだろう。ただその円環がコロニーに比して小さすぎ、違和感を感じさせるというだけで。

「そもそも、精神世界だってんだろ。何があっても不思議じゃないって事か」

納得しておくことにして、杏子は走る速度を上げる。まどかも今は驚いている場合じゃない、と杏子を追いかける。

蠢きながら円環を這うノーメマイヤーの姿がすぐそこに迫る。切り裂こうと槍を振り上げた、その時。

 

「っ、んなっ!?」

ノーメマイヤーの中から、青色に輝く結晶体が吐き出された。杏子目掛けて飛んできたそれを、盾のように槍の腹を掲げて防ぐ。結晶体は砕けて割れた。けれども、その勢いと威力に圧されて杏子も吹き飛ばされていた。

槍を手放さなかったのはおそらく幸運だったのだろう。

「っ痛……くっそ、流石にただ逃げるだけじゃねぇってことか」

「大丈夫、杏子ちゃん?」

「ああ、このくらいなんともないさ」

しかし、足を止めている間にノーメマイヤーはどんどんと円環を這っていく。青や白の結晶体を次々に生み出しながら、その姿はもう円環の対極付近にまで到達していた。

そして生み出された結晶体は、重力に逆らって打ち上げられる。その結晶体が、円環の中央を通り過ぎた途端、急激に加速し飛来してきた。

「うわっ、とと。危なっ!……やっぱ、問題は重力かぁ?」

「このままじゃ、潰されちゃうよっ!」

流石に落下の加速度まで加わって、次々落ちてくるのだからたまらない。ノーメマイヤーを追いかけながら、結晶体をかわして走る。

 

「まどかっ!っく、とにかくあいつに向かって走れっ!真下にさえいなけりゃそうそうアレも当たらないはずだ!」

息を切らして駆け抜けながら、杏子がまどかに向かって叫ぶ。

「でも……っ、杏子ちゃんは、どうするの?」

ノーメマイヤーの動きはそれほど速くはない。だからこそ走り続けることで降り注ぐ結晶体をかわすことはできるし、常に全力で走り続けなければならないというわけではない、もうしばらくは持つだろう。

「心配すんな。……あたしにいい考えがある」

走りながら、槍を構えて杏子が言う。一気に速度を上げて、まどかを大きく引き離す。そしてそこから一気に逆走。やはり逆走でも、体感の勾配に変化は見られない。

「行くぜ、マミ……うっかり当たっても、恨むんじゃねぇぞっ!」

行く手には、落下しては砕けて散りゆく結晶体。丁度ノーメマイヤーの姿が円環の対極にあるような位置取り。上空からはいくつも飛来する結晶体。まともに当たればただではすまない。そして走る杏子の眼前にも、青い結晶体の影が迫る。

 

「でぇぇぇりゃぁぁぁっ!!」

跳躍、ありったけの加速を乗せて跳ぶ。その身体が歪んだ重力を振り切り、浮ぶ。その身体の向かう先には、降り来る結晶体。その結晶体を、杏子は思い切り蹴飛ばして、更に跳ぶ。

バランスを崩して、空中で身体がぐらりと傾く。それでも問題はない。少しでも、高く飛ぶことができたなら。

「い・ま・だぁぁぁぁっ!!」

槍を投擲。重さはさほどないとは言え、円環の対極まで槍を投擲するような力は杏子にはない。それでも十分だった。槍は真っ直ぐに飛び、重力に絡め取られて速度を落としていく。

だが、円環の中央を越えた。そして、急激に加速した。常に中から外へと重力のかかるこの円環の中、中央を越えればそれはつまりそれまで槍を地面に縛り付けようとしていたその力は、そのまま槍を大地に投げつける力へ変わる。

打ち上げられて、そして急加速したその槍は、一筋光る軌跡になってノーメマイヤーに突き刺さる。そしてそのまま楔となって、深々と円環にその身体を縫いつけた。

 

「っぐぁぁ……ぁ、ぐふ、ざまーみやがれっ」

そして杏子もまた、墜落するように円環に落ちる。咄嗟に頭だけは守るような姿勢は取ったが、それでも強かに背中を打ちつけた。その衝撃に顔を歪めて、激しく咳き込みながら。それでも満足げに笑って言ってのける。

「杏子ちゃんっ!!」

まどかが血相を変えて呼びかける。けれど、今は自分の心配をしている場合ではないとばかりに杏子が叫ぶ。

「行け、まどか!あいつがまた動き出す前に、マミを助け出しちまえっ!!」

その言葉に、弾かれたようにまどかが走り出した。

見ればまだノーメマイヤーは動こうとしている。身体を貫かれたショックで、一時的に動きが止まってる。恐らくそれだけのことで、すぐに楔を引き抜いて動き出すだろう。

チャンスがあるとすれば今しかない。今の内に止めを刺して、マミを救い出す。

痛みを堪えて杏子も立ち上がり、よろけながらも敵へ向かう。いち早く、その場に辿りついたまどかは。

「……怖くない、怖くなんか、ない」

串刺しにされ、びくびくと震えるノーメマイヤー。生理的嫌悪感を覚えるような光景に、竦みそうになる身体に力を篭めて。震える腕で、槍の柄を掴む。まどかの手にでもそれはやはりそう重くは感じない。

けれどもその手に伝わる冷たい感触は、それが武器だということを認識させる。

 

「マミさん……お願いっ!!」

怖くて怖くて、どうしようもなくて祈る。誰に祈る。信じる神がいるわけでもない。縋れる誰かがいるわけでもない。だからこそ、一緒に居たいと思う人に。一緒に立ち向かう仲間に。今まで戦ってきた友人達に、祈る。

祈りを篭めて、突き立てられた槍の刃を引き、眉を引き裂いた。

 

引き裂かれた繭の中には、眠るようにマミの姿が横たわっていた。

 

「マミさん、まだ大丈夫だよっ!バイドになんてなってないよ、杏子ちゃんっ!」

まだ助けられる、きっと助かる。声の限りに呼びかけながら、繭の中からマミを引きずり出す。こんな繭の中に手を突っ込むのは怖くて、意識のない人の身体は重くて。

なかなかマミの身体は引きずり出せない。そんなまどかの震える手を、杏子の手が取った。

「一気に引っ張り出すぞ、いいな、まどかっ!!」

「うんっ!!」

二人がかりで引きずり出した。ブチブチとマミを絡め取る繭が引きちぎられて。ついには二人の手の中に、マミの身体が帰ってきた。

「マミさん!マミさんっ!マミさん……っ!!」

感極まって、マミの身体にすがり付いて呼びかけるまどか。一仕事は終えたが、本当に大変なのはこれからだとばかりに、表情を引き締める杏子。

事実、マミを救いえたとしてもまだ、ここから帰還する方法がわからない。そもそも、あのバイドだってこれで倒れたとは思いにくい。

「とにかく一回逃げるぞ。あいつをやるにしても、マミを目覚めさせるにしてもここにこのまま留まってるのはやばい」

「っ、うん。わかったよ杏子ちゃん」

二人でマミの身体を抱えて、ノーメマイヤーから距離を取る。この円環から抜け出せば、ひとまず逃れることはできるだろうか。そう思って、そこで初めて外に意識を向けた。

 

「何だよ、こりゃあ」

そこには、何もありはしなかった。この重力の歪んだ円環。それがこの精神世界の全てだったのだ。何もない、存在しない絶対の虚空。足を踏み外しでもすれば、それだけで全てが終わってしまいそうな。

これが人の精神世界だというのなら、本気で彼女の心の狭さを疑いたくなる。

何より重要なことは、そう。

「逃げられない、ってことかよ。冗談だろ?」

いかに現実とは違う場所とは言え、装備もなしに身一つでバイドに立ち向かうなんて。バイドのことを知っていればいるほど、自殺行為としか思えない。

それでも、やるしかない。チャンスがあるとすれば今だけだ。

「まどか、マミのこと頼む。……ちょっと行ってくるわ」

まだ身体は痛む。それでも動く。魂だけのはずなのに、身体が痛むってのもおかしな話だよな、なんて思った。

……少しだけ、痛みが和らいだような気がした。

いまだびくびくと蠢くばかりのノーメマイヤーへ向かって、走る。突き刺さったままの槍を引き抜こうと手を伸ばした、その腕を。

繭の中から飛び出した、緑の結晶体が撃ち抜いた。

 

「っ!?ぐ、っ」

今までのよりも小さく、そして速いその結晶体は、伸ばした杏子の腕を撃ち抜いた。千切れて飛んでいく、くるくると回って、そして落ちる。まるで自分のそれだとは信じられないかのように、呆然と杏子はそれを見つめて。

最初に感じたのは衝撃。次に感じたのは、焼け付くような熱さ。それはすぐに、激しい痛みへと転じた。

「あああああぁぁぁぁぁあッ!!!?」

吹き飛ばされた腕を、その断面を押さえながら杏子がもんどりうって転がり、叫ぶ。その断面からは血は流れない、けれども焼け付く熱さも痛みも本物で。

「そんな、杏子ちゃん……杏子ちゃんっ!」

マミの身体を抱えて、まどかが叫ぶ。どうすればいい。どうしたら助けられる。考える。考える。答えは、出ない。それが絶望だというのか。

「どうしたらいいの、どうしたら………助けて、助けてよぉ、誰か……」

絶望に瀕して人の出来ること。諦めるか、それとも祈るか。全ての希望を捨てて、終わりを受け入れるか。希望に縋り、願い、心を繋ごうとするか。

そして希望は須く裏切られ、心は砕け身は折れる。抗いがたい絶望の象徴、バイド。それと戦う人類が、今まで嫌というほどに見せ付けられてきた末路だった。

 

「っはは、はははっ。ざまぁねぇや。こんなんじゃ、さやか達に合わす顔がないな」

杏子の顔にも諦めの色が浮ぶ。それを後押しするかのように、ノーメマイヤーが動き始めた。その身を食い止める槍を抜き払い、勝ち誇るようにゆっくりと、円環を這い回る。

そして、杏子の真上で停止した。そして、降り注ぐ結晶体。

せめて、苦しまずに済むように。せめて痛みが一瞬で済むように。全身の力を抜いて横たわり。諦め混じりに囁いた。

「ごめん、さやか」

 

須く、という言葉は全てを意味する言葉ではない。

希望が全て裏切られるなら、どうして人は命を、意志を紡いでゆけるのだ。

希望を繋ぐもの、誰かを救うもの、救いえるもの。それは必ず存在する。ただ、望まれる数よりは酷く少ないというだけで。

それと出会えることこそが、まさに奇跡と呼べるほどの出来事だというだけで。

 

奇跡を起こすのは、誰か。伝説に謳われた英雄か、それとも偉大な魔法使いか。

それは恐らくどちらもフィクションの存在でしかない。それでも、魔法の名を持つものは居る。その名がたとえ唯のお飾りであったとしても、彼女は魔法少女なのだ。

 

だから今、今こそ声を大にして言おう。奇跡も、魔法もあるのだ、と―――。

 

 

 

 

甲高い音を立てて、降り来る結晶体が打ち砕かれる。それを打ち砕いたのは、一発の銃弾。その射手はまどかの腕のなか。

横たわるマミが急にその手を動かして、その手に生じた銃を構え、放ったのだ。

「えっ……」

「な……っ?」

その射手は、ゆっくりと身を起こす。結晶体はまだ降り注ぐ、それを確認してまた、放つ。

その手にあるのはマスケット銃である。本来であれば一発撃てばそれで終わり。だがそれがどうしたというのか、尋常ならざるその魔銃には、弾切れを案じる必要などはない。

的確に、冷静に降り注ぐ結晶体を打ち抜き砕きながら、彼女は。

――巴 マミは、目覚めた心を走らせた。

 

「ずっと、ずっと聞こえていたのよ」

視線は敵から逸らさない。放たれた魔弾は過たない。

「美樹さんが、暁美さんが、そして……杏子さん。まどかが呼んでいてくれたこと」

降り注ぐ結晶体の量が増える。中には杏子の腕を食い破ったあの緑のものも混じっている。速い。

もう片方の手にも魔銃を生み出し、構える間もなく放つ。打ち抜かれてまた、砕け散る。

「怖かったの。私は死んだんだって思い込んでた。何も考えずに居られると思ってた。でも、届いたから。聞こえたから。助けてっていう声が。助けてあげたいって思ったの」

いつしか、杏子のみならずマミの頭上にも結晶体が迫る。それを軽くステップを踏むようにかわしながら、射手は放ち続ける。

「そうしたら、身体が動いたの。もう一度戦う力が湧いてきた。……だから私は、もう一度戦うわ。絶望を齎す絶対の悪意。バイド。あなた達とっ!」

マミが両手を大きく広げる。そこから現れたのは、同じく無数のマスケット銃。それらは誰にも触れられることなく敵の方を向き、そして。

 

「食らいなさいっ!!」

一斉にその魔弾を吐き出した。斉射、次々に銃弾がノーメマイヤーを穿つ。更に2秒、次弾の装填に費やしてまた斉射。迫る水晶体を穿ち、更にその奥の敵を撃つ。

「すっげぇ、なんだこりゃあ」

「マミさん……すごい」

その姿は、まさに言葉通り本物の魔法少女のようで。いつしかマミの姿もまた、魔法少女のそれへと変容と遂げていた。

 

穴だらけにされ、打ち抜かれ。今度こそ動きを止めたノーマメイヤー。それを一瞥し、マミがまどかに振り向いた。

「マミさん……本当に、マミさんなんですかっ!?」

「ええ、勿論よ。なんだか久しぶりね、まどか」

かつて出会った時と変わらない、力強さと優しさを秘めた笑みを湛えてマミはまどかに言葉をかけた。

帰ってきたのだ、マミが。本当に。色々と理解できないことの連続、けれどそれだけは事実。感極まって、まどかの瞳から涙が零れた。

「そんなに泣いてちゃだめじゃない、まどか。……今は、泣くより先にやることがある、でしょう?」

そっとまどかの頭を撫でて、マミは静かに、優雅にさえ見える足取りで歩きだす。その先には、呆気にとられたような表情で、腕を押さえて横たわる杏子の姿。

 

「あなたも、私を助けてくれたのね。ありがとう……杏子さん、でいいのよね」

少なくとも、敵である風には見えない。というよりも、これに縋るしか生き延びる手はなさそうだ。杏子はまだ動くほうの腕を差し出して。

「佐倉杏子だ。まあ、助けに来たつもりで助けられてりゃ世話ないけどね」

呆れたような口ぶりに、マミも小さく笑みを零して。

「本当、手間をかけさせてしまったわね。ちょっと待っていて」

マミがその手を握る。いつの間にか黄色に戻っていた円環から、リボン状の何かがするりと零れ出て。それは、打ち抜かれた杏子の腕を絡めとり、引き寄せた。

そのまま腕を杏子のちぎれた腕に添えて、リボンでぐるりと縛って巻いた。

「お、おいっ!何するつもり……ぁ痛っ!?!」

ぱん、と軽くリボンの上から腕に触れる。黄色い輝きが煌いて、気がつけば腕に巻かれたリボンは消えていた。

そして、腕もまた元通り、継ぎ目すらなく繋がっていた。

 

「これで大丈夫のはずよ。安心して」

「あんた……神様か何かかよ」

流石にこれには驚いて、目を見開いてマミを見る杏子。マミは、そんな視線を受けて得意げに、もともと豊かな胸を更に張って。

「ええ、そうとも言えるわ。少なくとも今は」

大きく両手を広げて、まるで先刻でもするかのように。

「ここは私の精神世界。つまり、私が私である以上、私が私と知る以上!この世界の全ては私の思うまま。まさしく全知全能よ。ふふ、驚いたかしら」

つまりは、そういうことであるようだ。

「……なんか、納得いかねーけど。治してもらったのも事実だ。認めるよ」

「ふふ、ありがとう。それじゃあ速攻で片付けちゃいましょうか!」

そして再び敵を見据える。散々に打ち抜かれ、ボロボロになったノーメマイヤー。

既にその身は黒く変色し、結晶体を生み出すことすらままならない。

最早狙いを定める必要すらもないほどに、その動きは鈍重。それでも油断はしない。バイドとの戦いではそれは命取りとなる。身をもって、命をもってそれを知ったマミに、最早油断も慢心もない。

 

無数に出現した銃を束ねて、一つの巨大な銃口と変える。突きつけるのは殲滅の意志。放つのは必殺の一撃。

まさにそれは最終射撃。止めるものなど、止められるものなどありはしない。

「これで終わりよ。……ティロ・フィナーレっ!!」

放たれた最後の魔弾。それは波動砲とも見まごう程に眩く、力強く、バイドを打ち抜き焼き払う。苦悶の悲鳴のような声をあげ、ノーメマイヤーが光の中に消えていく。

その姿が完全に消滅し、世界からバイドの残滓が全て消えたことを確認して、マミは銃口を下げた。

そして振り向いて、軽く首を傾げて最高の笑顔を浮かべて。

 

「……さあ、帰りましょうか」

 

 

 

 

暗闇の中、ぼんやりと沈み込んでいた意識が覚醒していくのをさやかは感じていた。意識は覚醒しても、疲れきった魂は身体を動かしてはくれない。

それでも、頭だけは回ってくれる。だから考える。どうすれば助けられるのかを。けれどもさやかは何か違和感を感じていた。暖かいのだ。

疲れきった身体は、ベッドで布団に包まっていてもどこか体の芯に寒さを感じていた。だが、今は違う。暖かい。暖かな毛布にでも包まれているような感じがする。

事実、何かに包まれている。いや、抱かれている。何だろう、わからないけれど心地よい。気になってしまう。動かない身体に喝を入れて、何とか目だけはうっすらと開いた。

そこに居たのは、さやかを抱きしめて眠っているマミの姿だった。

これは夢だ。あんまりにもマミのことばかり考えているから、夢にまで出てきてしまったのだ。でもせめて夢の中で位、もう一度マミと話がしたい。

「………ま、み……さん」

やっとのことで、掠れた声が一つだけ転げ出た。夢の中でくらい、もう少しちゃんと身体が動いてほしいものだ。

するとどうしたことか、目の前で眠るマミがその目を開いて笑いかけているではないか。

 

「美樹さん。起きたのね?……無理はしなくていいわ。今はゆっくり休んで」

いい夢だ。こんな夢ならずっと見続けていたい。さやかの胸が安堵で一杯になる。するとまた、疲れきった身体は休息を求めはじめる。

視界がぼんやりと霞み、意識さえ沈んでいく。嫌だ、たとえ夢でももっと話したい。もっとマミと一緒にいたい。願いとは裏腹に、どんどん意識は闇へ沈んでいく。

「大丈夫よ、ずっと、ずっと側にいるから」

静かに囁くマミの声を最後に、再びさやかの意識は途切れた。

 

 

翌日、本当に隣で寝ているマミに気付いて。喉も枯れよと言わんばかりに泣きついて、縋りついたのは言うまでもない。

何はさておき、ともかく。巴マミは再び舞い戻ったのである。

 

 

 

 

「で……えーっと、どうして私はこうなっちゃってるのかなー……なんて」

さやかは、はにかむような、ちょっと困ったような表情でそう呟いた。椅子に座って、背筋をぴんと伸ばして落ち着かなさそうに。

「もう、いい加減観念しちゃいなよ、さやかちゃん」

そんなさやかの髪を梳き、前髪にすっと紺碧色の髪留めをさして、まどかが笑う。

「そうよ美樹さん、今日はとことんおめかしさせてあげちゃうんだから」

ぽんぽんとさやかの頬に軽くパフを当てながら、とても楽しそうにマミが言う。

 

「くくっ、さやかの奴たじたじじゃないか。……でも、ま。満更でもなさそうか」

そんな様子を、少し離れて眺めている杏子。思わず綻びそうになる顔を、きゅっと引き締めて。けれどもまた緩みそうになってしまって。

「いいものね、ああやっておめかしするっていうのも。きっと見違えると思う」

微笑ましげに、そんな姦しい様子を眺めているほむら。雰囲気に当てられているだけで、どこか気分が浮かれてきてしまう。

 

「ほんと、参っちゃうよなー。もう」

どうしても、表情がにやけてくるのを抑えきれない。鏡をみると、ちょっとにやけたさやかの顔が映っている。薄めのお化粧施して。唇には、薄桃色のリップを指して。濃紺のワンピース、胸元にはワンポイントのネックレス。

本当に何時もとは違う、しっかりばっちりおめかし決めた姿で座っていた。

 

何故こんなことになっているのかといえば、マミが目覚めた日の翌日まで遡る。マミは目覚めた後、船の設備で検査を受けたが、後遺症らしきものは見られることなく、すぐに動き回れるようになるほどに回復した。

流石に三ヶ月以上も時間が過ぎていたということには驚いたようだったが、それもすぐに慣れたようだった。

ほむらはその日のうちに、マミに全てを告白した。自分の正体。助けられたのに助けなかったこと。それが結果として、さやかを戦いへと投じさせてしまったこと。

そして謝った。許してもらえるとは思えなくても、それでもやはり伝えておきたかったから。マミは、そんなほむらに少しだけ困ったように笑って。

ほむらの正体には少しだけ驚いた、それでも必死に助けようとしてくれていたのを知っていたから。だからいいのだと、むしろこちらこそありがとう、と静かに頭を垂れるのだった。

涙を零しながら、嗚咽交じりの謝罪の言葉を漏らすほむらを、マミはそっと抱きしめていた。

 

マミが戻ってきて、もう一ついいことがあった。まどかが明るくなったのだ。マミを助けられたことがきっと、まどかにとっても自信となったのだろう。

何も出来ない自分じゃない、助けられた。その確かな成果は、本当に見違えるようまどかを明るくさせていた。さやかも一気に気負うものがなくなったようで、今まで見たことがないほど楽しそうに笑っていた。

そんな中、つい口が緩んで恭介のコンサートのことを話してしまったのだ。

そうなれば後は勿論、恋する乙女の話すこと、である。もとより恭介とさやかの間のことは知っていて、心のどこかに引っかかっていたまどかは絶対に行くべきだ、と渋るさやかに詰め寄った。

なによりさやかの心を決めさせたのはきっと、マミの言葉だったのだろう。

いつ死ぬかもわからない、そんな戦いに身を投じるのなら、そんな生き方だからこそ心残りは作るべきじゃない、と。自分の想いに正直になるべきだ、と。

最早尊敬に近い思いを抱いていたマミの言葉に、流石のさやかも抗い切れなかったようで。

それからはコンサートに行くための服を用意したり、皆でおめかしを考えたりと、なかなかに忙しい休暇となった。けれども、マミを交えたその休暇の日々はとても楽しくて。

今までのなかなか心の休まらない日々とは違う、本当に心から休まることのできる日々だった。

 

そしてコンサートの当日。皆で精一杯に着飾らせて、こんな姿に至ったわけである。会場時間はもうすぐだ、否が応でも緊張は高まってくる。鏡に映った自分の姿に、それを改めて思い知らされる。自然とにやけた顔も緊張で強張ってくる。

そんなさやかの気持ちを察して、マミがその肩に手を置いて。

「……どんな選択をしたって、それはあなたの自由よ。美樹さん。でも、後悔だけはしちゃだめよ?」

そして最後に、しゅっと香水を一吹き。その触れる手の感触が、改めてマミがここにいるのだということを思い知らせてくれる。

胸の中に、じんわりと暖かなものが込み上げてくるのを感じながら、さやかは小さく頷いた。

 

「そろそろ時間だね、さやかちゃん。……えっと、上条くんにもよろしくね」

「あはは、ちゃんと会えるかどうかもわかんないけどね。……うん、ここまで来ちゃったんだ。こうなったら、しっかりどうにかこうにか顔突き合わせて、話してくるよ」

沢山の友達が、仲間が力を貸してくれる。心配してくれる。なんだかそれが嬉しくて。だからこそもう一度向き合おうと思えた。

まどかににっこりと笑いかけて、さやかは一つ大きく頷いた。

「足の準備は出来てる。さやか、さっさと行こうぜ」

掌の中の鍵をぎゅっと握って、杏子が扉の前で促す。慌ててさやかは立ち上がり、小さなバッグを一つ携えそれに続く。

「うん、悪いね、送ってもらっちゃうなんてさ。って言うか、本当に運転できるの?」

特例だけど免許はちゃんと取っている、と言い張る杏子。杏子の腕を疑うわけではないのだが、本当なんだろうかとちょっと不安になる。

「安心しな。ちゃんとあたしらに相応しいものを借りてきたからさ」

「……あー、もしかして」

何となく、待っているものが何かわかったような気がして苦笑。

 

外に出たさやかを出迎えていたものは。

「……ま、こんなんだよねぇ」

見るからにR戦闘機、それもどこかさやかの乗機と形が似ている。恐らくR-11系列のフレームが流用されているのだろうが、その大きさ自体は非常に小さいものだった。概ね軽乗用車を一回り大きくした程度、だろうか。

「ちゃんと民生用の再開発もされてんのな。レンタカーの隣に並んでたよ。まあ専用の免許いるからね、なかなか乗る奴なんざいなかったみたいだけど」

現に、杏子がそれを借りた時にも相当揉めたのだ。免許はある、でもいくらなんでも子供すぎる、といった感じで。

「さあ乗りな、一気に飛ばして送っていってやるぜ」

「うん、それじゃ任せちゃうとしますかね。頼むよ、杏子」

後部座席はなかなか広い、これなら同時に三人くらいは座れる気がする。そして操縦席に杏子が乗り込んで、個人用小型飛行機、エア・ランナーは走り出した。

青く輝く尾を引いて、住宅街の空の上を。

 

「いやー、見滝原もこうして上から眺めてみると、綺麗なもんだねー」

眼下には街の明かりが、人々の営みが、流れるように走っていく。街を空から眺めるという、滅多にない経験に少しはしゃぎ気味のさやか。飛ばせばものの5分くらいで着いてしまいそうだが、この分ならもう少しゆっくりしていてもいいかもしれない。

街の上空を飛ばしながら、杏子は口を開いた。

「なあ、さやか……あんたは、さ。これからどうするんだ?」

「ん?これからって、そりゃあ恭介に会って……話、して。かな」

「いや、そーゆーことじゃなくてさ。この先……まだ、戦っていくのかってこと」

何となく言い辛そうに、軽く片手で髪を弄びながら杏子が言う。何故そんなことを聞くのか、とさやかは不思議そうに首を傾げた。

「さやかは、マミを助けられなかったのが悔しくて、その代わりに戦ってやろうと思ったんだろ?でも、そのマミはもう助かった、あんたとほむらと、あたしとまどかが助けた」

ああ、そうか。とさやかは思い出したように顔を上げて。

「だからもしかしたら、あんたにはもう戦う理由も必要もないんじゃないかな、ってさ。……いや、悪い。変なこと聞いたな」

なんだか、こういうことを言うのはらしくない。こういうときはさっさと打ち切ってしまうに限るとばかりに言い切って、機体の速度を上げた。

 

「そっか、それが気になってたんだ。杏子は。……もしかして、あたしと一緒に戦えなくなるのが寂しいとか?」

冗談半分、からかい半分といった感じでさやかが言う。

「お前なー……。まあ、今は二人きりだし正直に言ってやるよ。あたしはあんたと一緒に戦いたい。でも、さやかが降りたいって言うなら止めるつもりはない。……ま、そんなとこだよ」

機体は空を駆ける。コンサートホールはすぐそこだ。

「あたしは……どうしたいのかな。今更魔法少女止められるもわからないんだけどさ」

葛藤。確かにさやかの戦う理由はマミの存在に依存していたところが大きい。

マミを失ってしまった、助けられなかったからその代わりに戦う。それが理由だった。けれど、そうして走り続けて、戦い続けて随分時間も過ぎた。

果たして今もまだ、その理由だけで戦い続けているのだろうか。けれど、その理由の最たる部分は失われてしまった。

 

「ついたぜ、さやか。……しっかり決めてきな」

考え込む間もなく杏子の声。気付けばそこはもう、コンサートホールの駐車場。流石にこんなもので降りてくると、周りの人々の目を引くようで。驚いたようにその機体を見上げていた。

「……ありがと、杏子。あたしもちょっと考えてみるよ。これからあたしがどうしたいのかをさ」

機体を飛び降り、地面に降り立つ。

恭介のいるであろうコンサートホールをじっと眺めて。一つ大きく深呼吸。

「さあ、行ってやろうじゃないの!」

大きく、力強く頷いて。さやかは歩き出した。過去に置き忘れてきた、自分の想いと向き合うために。そこからどう進むのか、自分の意思で決めるために。

決別なのか、帰還なのか。全てを決めるは自分自身。さやかの足は、未来へ向けても歩き出していたのだ。

 

「さやかさん、来てくださったんですね」

コンサートホールに入って、受付を済ませて会場へ。

その途中でさやかを呼び止めたのは、黒のロングドレスを身に纏った仁美だった。

「仁美!?え……あ、あれっ?どうしてっ?」

「あの時さやかさんに渡したチケット。あれは知り合いの伝手でもらったものですの。けれど、自分の分のチケットはちゃんと予約しておいたのですわ」

「な、なるほど……そっか」

よく考えればそれもそうか、と納得したように頷いて。一人きりじゃないと思うと、それはそれでちょっと嬉しいさやかなのだった。

 

「さやかさん」

「え、どうしたの仁美?」

「まだ、始まるまではしばらく時間がありますわ。……少し、お話しませんか?」

仁美の表情は、少しだけ憂いを帯びたようなもので。その表情を見て改めて気付く。こうしてちゃんと仁美と話ができるのはもしかしたら、これが最後かも知れない、と。

「うん、そうだね。前は全然話してる余裕なかったし、少し話そっか」

そして長椅子に腰掛けながら、行き交う人々を眺めて二人、佇んで。

とはいえ、何から話せばいいのやらと言葉に詰まってしまって。

「さやかさん……教えてくださいませんか?」

ぽつりと、仁美が切り出した。

「教えるって、何を?」

「一体、さやかさんとほむらさんに何があったのか。あの修学旅行の日、宇宙で何を見てしまったのか」

 

さやかの目が見開かれる。

気付いていたのだ、仁美も。すべての始まりはあの日だと。あの日あの時何かを見て、そしてさやかとほむらは帰ることができなかった。原因は、その時見てしまった何かなのだろうと。

「……それ、は」

掠れた様な声でさやかが呟く。言える訳がない。けれどこれだけ真剣な仁美を、誤魔化しきれるものだろうか。

ただでさえ隠し事なんてのは得意ではないのだ、さやかは。そもそもにして、こんな反応を返す時点で何かあるのは明白なのだ。

「何もなければそれでいいんです。でも、お二人何かあったんじゃないかって。何か、大変なことに巻き込まれているんじゃないかって、心配で……」

俯いて、言葉を続ける仁美の声は震えていた。

さやかが戦うことに悩んできたように、まどかが抱えた秘密に押しつぶされそうになったように。仁美もまた、友人達の行方が気がかりでならなかったのだ。

「仁美。……ごめん。心配かけちゃって。でも、やっぱり話せないよ」

「話せないようなこと、なのですわね」

静かにさやかは仁美を見つめて。仁美も、さやかに真っ直ぐ視線を向けて。

「うん。ごめん。仁美は大事な友達だけど……ううん。友達だからこそ、話せないんだ」

仁美は何も返さない。ただ、痛みを堪えるように目を伏せて。

「あ、でもさ。あたしは一人じゃないんだ。ほむらだって一緒だし、マミさんっていう素敵な先輩もいる。杏子っていう、ちょっと生意気だけどすごい仲間思いな奴だっている」

そんな仁美を安心させるように、少しおどけた調子で言葉を続ける。

「それに、今やってることだってきっといつか全部片付けて、帰ってくるから。だからさ、仁美。……もう少しだけ、待っててくれないかな」

そのいつかはきっと、今すぐではない。人類が長らく続けてきたバイドとの戦いが、そう簡単に終わってくれる訳はない。

それでもさやかはそう言った。それは、いつか全てを終わらせて帰るためでもあったのかもしれない。

 

仁美も、静かにさやかの言葉に耳を傾けていたが、やがて顔を上げて。

「……信じますわよ、さやかさん。必ず、必ず帰ってきてくださいね」

静かにそう言って、にこりと小さく笑ったのだった。聞きたいことは沢山あった。それでもさやかが話せないと言っていた。そして、必ず帰ってくると言っていた。信じよう。仁美はそう思った。

「さあ、そろそろ始まりますわね。行きましょう、さやかさん」

仁美はさやかに手を差し出して。

「うん。……あの、さ。色々とありがと、仁美」

軽く笑って、さやかはその手をとった。

 

コンサートホールはやはり満員、故郷へ戻った天才少年を、誰もが迎えていた。

そんな人の山の中、客席の中列左側。さやかは一人座っていた。仁美は少し離れて中央寄りの場所。指定席なのだから仕方ないのだけど。

もうじき開演、さやかはなにやら心臓が高鳴るのを感じていた。

一年以上。もうすぐ二年。会えない時間はそれなりに長かったのだ。その間、恭介は何をしていたのだろう。どんな風に過ごしてきたのだろう。

思いを、戸惑いを詰め込んで、コンサートホールに開演を告げるブザーが鳴り響く。そしてついに舞台の上に、恭介の姿が現れた。

その手に己が愛器を携えて、迎える人々の視線を真っ直ぐに受け止めて。一つ、小さくお辞儀して。バイオリンを構えた。

 

流れ始めたその音楽は、静かに、優しく。けれど力強くホールを揺らしていく。それはさやかにとっては懐かしく、それでいて新鮮な調べ。

いつも聞かせてくれていた、恭介が奏でていた曲だった。

本当に久しぶりだった。こうして恭介が奏でる曲を聴くことが出来たのは。自分には助けてあげることができなかった。けれど、恭介は今こうして、立派に復活を遂げている。

多くの人に、その手が奏でる曲を聞かせることができた。これだけ多くの人に迎えられている。

それが嬉しかった。ただただ、嬉しかったのだ。

 

「さやかの奴。今頃よろしくやってんのかな」

街の上空に浮かべたまま、器用に足先で操縦桿を操りながら。両手を頭の後ろで重ねて、杏子が小さく呟いた。

迎えに行く時間まではまだしばらくある。けれど何故だか家に戻る気にはなれなくて。流れていく街の明かりを眺めながら、静かに一人考えていた。

「はぁ……ほんと、あたしはどうしたいんだろうな。さやかと一緒に戦いたい。それだけなんだけどさ。………もしもあいつが降りるって言ったら、もう戦わないって言ったら。あたしは……まだ戦えるのかな。ほむらや、マミと一緒に、か」

仲間がいるというのは、悪い気はしない。けれども自分の今の戦う理由は、そのほとんどがさやかに依存しきっているのは事実なのだ。

「駄目だよなぁ。こんなんじゃ。……ロスに顔向けできないよ」

自分は何も変わっていない。誰かのためにしか戦えていない。ロスの為だったのが、今はさやかの為になっているだけだ。

こんなことで、本当に見つけられるのだろうか。自分だけの、自分の為だけの戦う理由。

 

「何か、考えてると気が滅入ってくるね。……少し飛ばすか」

エア・ランナーは、小型なだけに性能もそれなりだ。速度は普通の自動車程度。どれだけ飛ばしても時速100kmを少し超えるくらいでしかない。それだけに、流れる景色も空気も、R戦闘機に乗っていた時と比べるとどこか物足りない。

あまり気は晴れない。

「ん……通信?」

借りてきた機体だけに、通信機能は最低限。

返却期限を告げるような時にくらいしか使われないもののはずなのだが。一体誰が、と訝しがりながら通信のチャンネルを開く。

 

飛び込んで来た、声は。

 

「杏子、聞こえている?さやかを連れてすぐにティー・パーティーに向かって」

ほむらの声だった。切羽詰ったような声。

「……随分穏やかじゃないね。何があった?」

概ね想像はついている。家ではなく、ティー・パーティーに戻るように告げたこと。そして、さやかを呼び戻したこと。恐らく、それは間違いなく。

「バイドよ。こちらに接近しているわ」

「やっぱり、な。まあいいじゃんかよ。今日はさやかにとって大事な日なんだ。バイドくらい、あたしらで蹴散らして……」

「そんなことを言っている状況じゃないの!さやかを連れて早く戻って!!」

ほむらのあまりの剣幕に、杏子の言葉は遮られた。

「接近しているのはただのバイドじゃないわ。……バイドに乗っ取られた、巨大戦艦なのよ」

「なっ……」

 

 

「な、なんじゃそりゃぁぁーっ!!」

公演の途中、奏でられる曲を遮って告げられたバイド出現の警報。一気に騒然となるホールの中で、一際大きな声が響く。

両手をわなわなと震わせながら、さやかが立ち上がり叫んだ。何でわざわざこんな時に、どうして邪魔をするのだと。やるせない思いを篭めて叫んだ。

するとそれは思いのほか大きく響いてしまったらしく、周りの視線が集まっていた。

恭介もまた、さやかを見つめて目を見開いた。

騒然となって、人々が争いあうように外へと駆け出していく。言葉も掻き消されてしまうような喧騒の中で、恭介とさやかは確かに見つめ合っていた。

その二人の間だけが、まるで音が消えてしまったかのように。

少しだけ躊躇うようなそぶりを見せて。恭介はその手のバイオリンを床に置いた。そして、人ごみの中を掻き分けるようにして進み始めた。こちらへ向かってきている。

 

「恭介……あたし、あたしは……」

けれどもどうしても人が多い。その上に半ばパニック状態にもなっている。なかなか進めるものではない。それでも少しずつ、少しずつこちらに向かってきている。

「あたしは、もう一度会いたい。会って、話がしたいんだ。恭介っ!!」

さやかもまた、人ごみを掻き分けて恭介のもとへと向かう。人の海に揉まれ、流されそうになりながら。手を挙げ声を高く響かせて、互いの場所を知らせあって。

そしてそんな人々の最中で、正面からぶつかり合うようにして、二人は出会った。

決して短くない時間の果て、再会は果たされた。

 

「さやか、さやかっ!!」

「恭介……恭介っ!!」

勢いづいていたからか、思いがけなく互いに抱きしめるようになってしまう。離れようにも、逃げ惑う人々はそれを許してはくれないようで。

「ご、ごめんさやか……っく、動けない、っ」

そんな風に抱きしめられて、あふれ出してしまった。

止められなくなってしまった。今までずっと押し殺して、隠してきた本当の気持ちが。

「……ううん、恭介。お願いだから、もう少しこのままにしてて」

こちらからも腕を回して、抱きしめて。恭介の胸に顔を埋めてさやかは囁いた。ずっと一緒にいたかった、もっと一杯話したいことがある。

なのに言葉は何も出てこなくて、抱きしめあう感触だけで、胸が一杯になってしまった。

今だけは、魔法少女のことも、自分の戦う理由のことも、迫り来るバイドのことも。全てを忘れてその感触に酔いしれていた。それはまるで甘美な夢のようで。

重く冷たい現実は、さやかの中に入り込む余地すらも与えられなかった。

 

「さやか……来てくれてたんだね。本当に久しぶりだね」

お互いの体温が感じられる程に身を寄せ合って、抱きしめあって。このまま時間が止まってしまえばいいのに、とさえ思う。

「うん……ほんと久しぶりだよ、恭介。元気してた?」

「ああ、この通りさ。でもやっぱり海外は慣れなかったけどね」

かつて見たときと同じように、柔らかく恭介は笑う。さやかも笑う。喧騒の中、かき消されそうになりながらも囁きあって。

「ずっと、さやかに謝ろうって思ってたんだ。あの時はひどいことを言っちゃったよね。そのままずっと謝れなくて、気になってたんだ。だから……また会えてよかった。ごめん、さやか」

「いいよ、そんなの気にしなくなって。恭介がまた演奏できるようになったんだって、わかったから。あたしは、それだけで凄く嬉しい……いや、そうじゃない、かな」

そう言い切ろうとして、思いとどまって言葉を止めて。訝しげに尋ねる恭介の顔を、抱きしめる力を強めてさやかは上目遣いに見上げると。

 

「実は、さ。あたしもずっと言えなくて、後悔してたことがあるんだ」

そこで一度言葉を切ると、さやかは高鳴る胸を押さえて、一つ大きく息を吸い込んだ。

そして、意を決したように口を開いた。

「――あたしさ、あんたの事、好きだったんだ」

「え………っ」

打ち明けた、一度打ち明けてしまった心はもう止められない。

「ずっと、ずっと好きだったんだ。でもさ、あたし達って幼馴染だったじゃん。ずっと、親友?みたいな感じだったじゃない。そこから更に踏み込むのが、怖くてさ」

言葉にすれば驚くほど自然に、隠してきた思いは零れ落ちて。胸の中に痞えていた、とても大きな何かがすっと消えていくようだった。

「でも、今言えなかったらきっとあたしは後悔する。だから、もう一度言うよ。あたしはずっと、恭介の事が好きだったんだ。……ちゃんと伝えられて、よかった」

 

そう告げて、さやかは身を離した。答えは聞きたくなかった。それは我侭だってわかっていた。言いたいことだけ言って、勝手にいなくなってしまう。酷いことをしているのもわかっていた。

甘い幻想は、もうお終い。

大きく息を吸い込むと、空気と一緒に重く冷たい現実が、さやかの中へと染み込んできた。

「あたし行くね、恭介。また会えたら、その時に答え、聞かせてよ」

「待って、さやか!どこへ行くんだ!避難するなら一緒に……」

「違うよ」

人ごみに消えるさやかを追いかけようとした恭介に、手を突き出して告げる。

「あたしは逃げるんじゃない。戦うんだ。友達を、好きな人を、仲間を。皆を守るために、あたしは戦うんだ」

今まで過ごしてきた日常が、一緒の時を過ごしてきた友人が、ずっと恋焦がれていた人が。そして、これから共に戦う仲間達が、今危機に直面している。

ならばどうする?助けるより他に選ぶ道などありはしない。覚悟は決まった。戦う理由も見つかった。もう、躊躇うことなど何もない。

 

「何言ってるんだ、さやか。……さやかッ!!」

呼び声を背中に受けて、さやかは走り出す。人ごみを掻き分けて、シェルターへ避難する人の列から外れて。人気のない、開けた場所に出るとそのまま通信を繋いで。

「さやかっ!……ティー・パーティーで皆待ってるとさ、機体の準備も済ませてある。……戦えるのか、さやか」

不安げに、戸惑いながら問いかける杏子に向かって。思いっきりの笑顔を浮かべて、びしっと親指を立てて。

「勿論っ!見つけたよ、あたしの戦う理由っ!」

夜空を見据える。空の彼方には迫るバイドの巨大戦艦。ここからはまだ見えないが、戦火の音は聞こえてくるようで。

 

 

 

「――行こう、杏子。バイドから皆を守るんだ!」

力強く、そう叫んだ。

 

 

魔法少女隊R-TYPEs 第9話

       『PLATONIC LOVE』

          ―終―




【次回予告】
街を脅かす巨大な影。

「なんてもん積んでやがる、あの野郎……ッ」

かつてそれは我々を護る盾となるはずだった。

「あんなの撃たれたら、見滝原は……」

けれど今、それは我々の頭上に立ち塞がっている。

「間に合わない……っ!」

悪夢と、悪意に取り憑かれたまま。


悪夢を払うのはそう、いつだって人の意思と力。
新たな力を手に、少女たちは強大なる悪夢に立ち向かう。

「――ティロ・フィナーレ!」


そして、悪夢を超えて尚続く、悪夢。

「ここは、一体……」


次回、魔法少女隊R-TYPEs 第10話
          『DISASTER REPORT』


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第10話 ―DISASTER REPORT―

巨大戦艦襲来。大切な家族を、友を、そして見知らぬ人々の平和を背負い、少女達は新たな翼を身に纏う。
強大な敵を前に、戦士達は力を合わせて立ち向かう。

戦いの最中、一条の閃光が闇を引き裂き駆け抜けた。
引き裂かれた闇の向こうに、彼女は何を見るのだろうか。


「それで、キュゥべえ。状況は?」

ブリーフィングルームには、三人の魔法少女と二人の少女の姿。今更まどかを除け者にするわけにも行かず、こうして今もまどかはそこに居た。緊迫した空気に、半ば飲まれてしまいながら。

そしてさやかはコンサートホールから戻った姿のままで、ブリーフィングルームに立っている。正直、どうにも違和感は拭いきれない。けれども気にはしない、どうせ戦う時には体なんてここに置いていくのだから。

「かなりまずいことになっているよ。あの巨大戦艦は、もともとは土星周辺の基地で開発されていたものらしい。それがバイドに乗っ取られて、そのまま地球を目指して侵攻を進めている」

何故そんなことになったのか、事情はわからないが状況はやはりよくないようだ。皆の顔にも緊張の色が濃い。

 

「とにかく土星というのがまずかった。あの位置じゃあ太陽系外周の防衛艦隊からも距離がある。火星あたりで食い止められればよかったんだけどね。向こうもバイドの研究施設がバイドに乗っ取られて、かなりの混乱に陥っているようだ。正直救援は期待できない」

「ってことは、地球周辺の戦力だけでそいつを迎え撃たないと行けない、ってことかい」

いつの間に調達していたのか、ハンバーガー片手に杏子が尋ねる

「けれど、地球周辺にだって相当数の防衛戦力はあるはずだわ。突破されてしまったのかしら」

ほむらの表情も硬い、真正面から防衛艦隊を蹴散らすような相手ならかなりの激戦が予想される、街への被害も大きくなることだろう。

「どうやらその巨大戦艦は、異層次元潜行が可能なようでね。それを使って地球周辺の防衛艦隊を素通りしたんだろう。今は成層圏を抜けて、追い縋る部隊を迎撃しながら降下中だ。直に近くのエリアに降下してくるだろう。地球上の戦力の多くはセントラルアイランドへ向かっているから、迎撃も難しいのだろうね」

セントラルアイランド。海洋に浮ぶ巨大な人工都市である。

しかしその構造には欠陥があり、先の大地震によってその大部分が崩壊、海中に没していた。水没し、打ち捨てられたその人工都市に、どうやらバイドが潜んでいたらしい。

湾岸ユニットを占拠したそのバイドは、周辺地域の気候を操作する能力を持っていた。“ネスグオシーム”と呼ばれたそれを掃討するため、秘密裏に多くの戦力がセントラルアイランドへと投入されていたのだった。

しかしそれが仇となり、ここまでの巨大戦艦の接近を許してしまったのである。

 

「つまり、今その巨大戦艦と戦えるのはあたし達だけ、ってこと?」

状況はますますもって悪い。その事実を噛み締めるかのように、さやかが尋ねた。

「今のところはね、一応直近の部隊も少なからず向かってきてはいるようだけど。それもあまり期待は出来そうにない。当面の間は、ボク達で巨大戦艦の相手をするしかないみたいだね」

「まさか復帰第一戦がこんなハードな状況だなんてね。本当にバイドは容赦がないわ」

こんなときでも紅茶は欠かさず、全員分を用意してマミが言う。とは言えマミはまだ病み上がりのようなもので、ブランクもある。戦場に出るのは恐らく無理だろう。そもそもにして、彼女が乗るべき機体も無いのである。

 

「それならセオリー通りに行きましょう。まずは私達で巨大戦艦の足を止める。その上で、できる限り奴の武装を剥がしていくわ。そして、増援が来たら一気に勝負をつける」

この戦力で正面からぶつかるのは無謀の一言。ブースターが設置されており、武装の少ないと思われる背面から接近し、距離を保ちつつブースターを破壊。その後は各武装の破壊に移る。

火力に勝る敵戦艦との戦闘におけるセオリーを、淡々とほむらが述べた。

「……だな、流石に三人でアレを落とそうってのは無謀だ。あたしもそれに賛成」

杏子がそれに賛同する。

「あたしも賛成。とにかくあいつが街に入る前に何とかしないとね」

さやかも、顔を引き締めて頷いた。

「ボクからは以上だ。何もなければ出撃準備に入ってくれ。それと、全員機体が新しくなっているからそれの確認も頼むよ。極端に操作性が違うことはないから、問題はないと思うけどね」

その言葉に、それぞれ頷く三人。揃って大破した三人の機体も、既に新調されているようだ。

 

「じゃあ行ってくるよ、まどか、マミさん」

「気をつけてね。……頑張って、さやかちゃん」

友達を、あんな戦火の中へと送り出すのはやはりまどかにとっては気が気ではない。それでもさやかの決断を、戦う意志をまどかは知った。だからこそ止められない。

なら今は、自分にできることをしよう。戦場に出ることだけが全てじゃない。まどかも、前向きに自分の置かれた状況を受け入れ始めていた。

 

「ちゃちゃっと片付けて戻ってくるから、旨い飯でも用意しといてくれよ」

「あら、もしかして私、ご飯係になっちゃうのかしら?……まあいいわ。私の分まで、あいつらに思い知らせてきて、佐倉さん」

軽く肩を竦めて笑って、マミが杏子を送り出す。

戦えないのは歯がゆいけれど、仲間がいるというのはこんなにも嬉しい。だからこそ、早く戦えるようになりたい。仲間と背中を預けて、一緒に戦いたい。マミもまた、次なる戦いへの意気込みを強めていた。

 

「鹿目さん。この戦いが終わったら聞かせてもらえるかしら。あなたがこの先どうするのか、どう生きていくのか。……もしも答えが出たのなら、ね」

ほむらがまどかに声をかける。

迷いが吹っ切れたかのように、まどかの様子は一変している。今なら聞けるかもしれない、まどかがどう自分の道を選ぶのか。それはさやかのためでもあるし、自分自身のためでもあるのだとほむらは思う。

もし戦うことを願うなら、仲間としてまどかを守り、育て上げていこうと。

「わかったよ、ほむらちゃん。……そうだ、じゃあさ、私も聞かせて欲しいな。ほむらちゃんが本当は誰なのかって、話せなかったら無理には聞かないけど、教えてくれたら嬉しいな」

答えてまどかも小さく笑う。なんだかんだで気になっていたのだ。

まるでまどかとさやかを戦いの運命に導く使者のように、突然現れた暁美ほむらという少女のことを。だからもっと知りたいと思う。そしてもっと仲良くなれたら。

そんなことを考えて、まどかは笑ったのである。

 

格納庫には、確かに新造品を思わせる機体が二機、そしてどこか見覚えのある機体が一機並んでいた。

「何か、フォルセティに似てるね。でもちょっと形は格好良くなったかな」

さやかが青い機体を眺めて言う。

確かにその姿はフォルセティのそれに似てるが、幾分かシャープになった印象を受ける。少なくとも以前のフォルセティのように、無理やりブースターやスラスターを増設したような感じは見て取れない。

その機体の名はR-11M4――フォルセティⅡ。

機体性能を重視するあまり、外観のバランスが崩れていたフォルセティを改修。空力学的にも優れた形状を取り戻すことに成功した機体である。

これにより、大気圏内での操作性も大幅に向上。更に針状の貫通能力に優れたレーザーを放つ新型フォース、フレシェット・フォースを搭載することで、火力の更なる増加も図られていた。

それはまさしく一点突破の強襲機であった。

「また、一緒に戦えるね。フォルセティ」

嬉しげに、さやかはその青い装甲をそっと撫でた。

 

「で、こりゃなんだよ。……嫌な予感しかしねぇ」

杏子は半ば呆然と、目の前に並ぶ一回り大き目の機体を眺めた。

赤いカラーリングを黒くラインが縁取って、キャノピーの色は黒。機体下部にはでかでかと、アサノガワのそれを思わせる突起のようなものがくっついている。

R-9DP3。パイルバンカー搭載型としては最終形となる機体。まさに男の浪漫、最強最終の決戦兵器――ケンロクエンの姿であった。

「なんであたしだけこんなイロモノなんだよ、オイ」

「キミの交戦データを見た開発者がね、えらくキミを気に入ったんだよ」

呆然と呟く杏子に、キュゥべえが答えた。

「パイルバンカーでこれだけの戦果を上げたのなら、もっとすごいパイルバンカーならきっともっとすごい戦果を上げてくれるはずだ、ってね」

「……いや、普通の機体をよこせよ。まあ、しょうがないか。しっかり頼むよ」

呆れたように一つ息を吐き出して、その赤い機体を軽く小突いた。

 

「これは……ラグナロック?」

ほむらの目の前に鎮座していたのは、まさしく見覚えのある機体。ラグナロックとほぼ同じ姿の機体がそこにあった。

その機体はR-9OX―ラグナロック・ダッシュ。

かつてほむらが乗っていたオリジナルのラグナロックをベースに、更なる波動砲の開発の為に生み出された試作機であった。

チャージ容量を増加したメガ波動砲Ⅱが搭載された以外は、ベースとなったラグナロックと性能は変わらず、三種類のフォースに対応したコンダクター・ユニットを持ち、その他の全ての性能が高水準にまとめられた機体である。

「……まさか、また乗ることになんて。どういう偶然かしら」

偶然と思いたい。そういう思いを胸に、ほむらはそっと機体に触れた。

 

そして出撃準備は完了し、三機のR戦闘機が迫り来る巨大戦艦を迎撃するため、ティー・パーティーを飛び出したのだった。

 

「こうして近くで見ると、すごいね……これは」

三機のR戦闘機が、編隊を組んで空を往く。さやかの声は、がちがちに強張ってしまっていた。

「ああ……やっぱり、ゲームとは段違いだな」

杏子の声にも焦りの色が混じる。

眼下に望むはすでにビル街。避難は遅れに遅れているようで。いまだに車や人の姿が見て取れる。こんなところを戦場とするなんて。どうしようもなく心が痛む。

だがここで止めなければ、次は市街地や住宅地へと被害はさらに拡大していくことだろう多少の犠牲は目を瞑るしかない。

それこそ相手がいかに巨大とは言え、R戦闘機は単機でそれに立ち向かいうる性能はある。ただそれは、それに要する時間や周囲への被害を度外視した場合である。ここまで侵入を許した時点で、半ば負けているようなものなのだ。

「……これ以上進ませる訳には行かない。ここで食い止める、さやか、杏子!」

ほむらもまた、すでに思考を戦士のそれへと変えている。

後はいかに効率的に敵を殲滅するか。これ以上の侵攻を食い止めるか。それだけである。その機体に火を灯し、一気に巨大戦艦の後方へと接近しようとしたところで、通信が割り込んできた。

 

「三人とも、良い報せと悪い報せがある」

「……何かしら?」

キュゥべえからの通信。答える声も緊張の度合いが強まる。

「まずは良い報せからだ。直近のR部隊と、見滝原を訪れていた他の試験小隊がもうすぐこちらに到着するらしい。少なくとも三人で戦うことにはならなさそうだよ」

「……他の、って。まさかあいつらか?」

杏子とほむらが同時に思い浮かべた姿。

美国織莉子と、呉キリカの二人。特にほむらには、狂機を駆って襲い来るあの時の姿と、その末路がありありと思い浮かんでいた。

「恐らくは、ね。……それでも増援があるというのはいいことよ。それでキュゥべえ、悪い報せというのは?」

良い報せですらこれなのだ、悪い知らせというのはきっと相当に悪いことなのだろう。心構えだけは済ませて、ほむらが問いかける。それに答えた、声は。

 

「……土星基地から、巨大戦艦のデータが送られてきた。あの巨大戦艦の艦首には、超巨大な波動砲が搭載されているらしい」

告げるキュゥべえの声も重い。

「最大出力で発射すれば、惑星破壊級の威力を持つとも言われる強力な波動砲だ。ハードの都合上、最大出力での発射は不可能なようだけどね、通常発射でも街一つを消滅させるくらいは容易いだろう」

後方から接近しているだけに、敵艦前方の様子は伺い知れない。ただ、今もその惑星破壊波動砲のチャージは進められているのだとしたら。

時間的猶予は一気に無くなってくる。

「なんてもん積んでやがる、あの野郎……ッ」

あまりにも悪い知らせに、杏子の声も戦慄に震える。

「いくらなんでも、ここまで状況が悪いとは思っていなかった。……波動砲を撃たれても、市街地への侵攻を許しても。どちらにしても見滝原は壊滅よ」

あまりに状況は絶望的。

悠々とビル街の頭上を覆う敵の影。どう立ち向かえばいいと言うのか。苦々しくほむらが言い放つ。たとえ状況が絶望的でも、戦わねばならないのだ。

当然、避難は間に合いそうも無い。かなり大きな犠牲を余儀なくされることだろう。見滝原、まどかやさやかの家族や、学友達が今も避難を続けているはずなのだ。

それを犠牲にしろと言うのか。

 

「あたしは、そんなの認めない」

さやかの力強い声が、ほむらの暗く沈み込んでいく思考を掬い上げた。

「あいつの足は止めてやる。波動砲だって撃たせない。両方やって見せる。そして見滝原を守るんだ。あたし達の手でね!」

「でもさやか、それは……」

あまりにも無謀。足止めのためのブースターの破壊だけでも大仕事だというのに。更に敵の砲火を掻い潜って艦首へと辿り着き、波動砲の破壊も行わなければならない。

「やるって言ったらやってやるのよ!そのくらいできなくて、何がR戦闘機だっ!」

実際、さやかの胸中を埋めているのはほぼ虚勢。それでも、その虚勢を頼りに声を張り上げ戦意を保つ。そうしなければ押しつぶされてしまいそうだから。

「やるっきゃねーだろ。こうなったらさ。あたしはどこまでも付き合ってやるさ」

さやかの強がりは相変わらずだ、と杏子も笑ってそれに答えた。実際どれだけ無謀と言われようと、それに挑む以外に術はないのだから。

 

「……それもそうね。じゃあこうしましょう。私とさやかで波動砲を叩きに行く。杏子はその間に、ブースターの破壊をお願い。同時並行で一気に叩くわ」

「ははっ、冗談抜きで一人で立ち向かえってーのかよ。ま、上等じゃねーか。そっちこそミスんなよ?」

非情で、それでいて絶望的な提案だとは思う。他に方法がない以上、そうするより他に術は無い。仲間を信じて、任せるより他に無いのだ。

「あんたこそ、また死にたがりをぶり返したりしたら承知しないんだからね?

 見滝原を守る。あたしらも生き残る。それで完全勝利なんだからさ」

まったく持って、無謀なことを実に容易く言ってくれる。上等だ、と今一度杏子の心身に気合が満ちる。

「……それじゃあ、作戦を開始するわ。各機散開、その後は打ち合わせ通りに!」

「「了解っ!」」

ほむらの声に、二つ続いて声が答えた。

 

 

「おっと、こんな楽しそうな舞台を独り占め……じゃないか。

 三人だけで楽しんでしまうつもりなのかい、恩人達は」

だが、そこに割り込んできた通信。その主は、やはり。

「昨日の敵は……などと言うつもりはありませんが、折角共通の敵が出てきてくれたのです。今だけでも、共同戦線を張るというのはどうかしら?」

現れたかつての敵。黒と白の狂機。

 

「あーっ!?あ、あんた達はあの時の……」

半ば予想していた二人とは違い、さやかは驚いて素っ頓狂な声を上げる。それでもすぐに立ち直り、回線を開いてこちらからの通信を繋げた。

「……ちゃんと助かっててくれたんだ。よかった。っていうか、随分ひどくやられてたみたいだけど、もう戦っても大丈夫なの、あんた達?」

あまつさえ、自分を殺そうとした相手のことを心配している始末である。危うい考えではあるが、やはりそういうところがさやからしくも好ましい。

いきなりこんなところで、R戦闘機同士が衝突する羽目にもならずに済みそうだ。

「貴女もいらしたのですね。その節は、本当にお世話になりました。恩返しというわけではありませんが、一緒に戦いませんか?」

「事情、後でしっかり聞かせてもらうからね」

少しだけ考えて、それからにっと笑ってさやかが応じた。

これで戦力はR戦闘機が5機、分が悪いのは相変わらずだが、それでも絶望的な状況とは言えなくなった。

「ええ、この戦いが終わったら存分に」

織莉子もそれに答えて、機体を一緒に横に並べる。

魔法の力は未だに使えないままだけれど、それでもパイロットとして戦えないわけではない。織莉子は己が白き機体奪取―スクルドを駆り、並び立って巨大戦艦へと立ち向かう。。

 

「私も織莉子と一緒に戦うぞ。二人きりの休暇を邪魔するバイドは実に罪深いからねっ!」

「……正直、あたしはあんたが一番不安なんだけどね」

意気込むキリカをジト目で見つめる杏子。

キリカもまた、黒の機体――クロックダウンを駆ってゆく。

ただ、ほむらだけがどうにも不安そうにその様子を見つめていた。

「そういうことなら、5人であの巨大戦艦をどうにかすることを考えるのだけれど一つだけ聞かせて。呉キリカ、あなたは美国織莉子と離れて戦うことができる?」

そう、懸念といえばそこである。

軌道戦闘機として高い機動性を持つ織莉子の機体とは異なり、索敵機ベースのキリカの機体では、砲火を掻い潜っていくための機動性にはいささか不安が残る。

織莉子は波動砲を攻撃するチームに加え、キリカには杏子と共に敵の足を潰してもらう。それが恐らく現時点で取りうる最善の策ではあるのだが、問題はやはり織莉子とキリカ。途中で勝手に行動をされては、こちらの行動にまで支障が出る可能性が高い。

「ああ、大丈夫だとも。離れていたって私と織莉子は繋がっているからね」

自信たっぷり、ついでに余裕も上乗せされたキリカの声。果たして本当に大丈夫なのか、と疑わしくもなるが、疑っている余裕もない。

最悪、勝手にふらふら飛んでいくようなら見捨てるだけだ。

「それじゃあ早速攻撃に移りましょう。織莉子は私とさやかと一緒に波動砲を潰す。キリカ、あなたは杏子と一緒に戦艦のブースターを潰して。これ以上の侵攻を食い止めて」

「了解だ、恩人」

「ええ、任されました」

 

殊の外こんなところで時間を食った。これ以上は時間は費やせない。後は各自突入するだけだ。もうじき、巨大戦艦の砲台の射程内に入る。そんな空域で。

「それじゃあ作戦開始よ。作戦名は……そうね、オペーレーション・ホースズストンプ。とでも言っておくわ」

ちょっとだけ冗談交じりの口調で、ほむらが作戦開始の宣言をした。

「馬の……踏みつけ?妙な名前を付けるのだね、恩人は」

訝しげに尋ねたキリカ。

そんなキリカの言葉になにやら思い当たるところがあったのか、したり顔で杏子が笑う。

「なーるほど、馬に蹴られろって訳だ。いいね、それ。それじゃ先に行くぜっ!!」

「何がなるほどだ、もう。じゃあ私も行くよっ!」

そのまま一気にケンロクエンを加速させ、砲火の中へと飛び込んでいく。なにやら納得のいかない口ぶりで、キリカもそれに続いた。

 

「馬に蹴られろ、って……まあ、確かにぴったりではあるんだけどさぁ」

「あらあら、何か恋路の邪魔でもされたのかしら?あのバイドに」

苦笑気味にさやかが言葉を次いで。くすりと笑って織莉子が続く。それぞれ機体を廻らせ戦艦の底部から突入を開始する。

「ええ、無粋なバイドは思い切り蹴飛ばして、退場してもらう!」

ほむらもそれに続く。頭上からは降り注ぐ砲弾と火線の雨。その火線を、砲弾をかわし、すり抜け、時にフォースで受け止めて。目指すは艦首、波動砲ユニット。

 

かくして、少女達の戦いの幕は上がった。

 

そして戦火は遠く離れて、ティー・パーティーの艦内。戦いの行方をモニターで見守りながら、まどかとマミが寄り添って。

「わかってはいたけれど、待っているだけというのはもどかしいわね」

「マミさん……でも、信じなくちゃね。さやかちゃんやほむらちゃん、杏子ちゃんを」

その手は祈るように握られて、視線はじっとモニターに注がれて。彼女達があの巨大戦艦を阻止できなければ、見滝原は壊滅してしまう。

まどかにとっては家族が、友達が、そして今まで過ごしてきた全てがあるあの街が。無慈悲な戦火によって潰えてしまうのだ。冷静でなんていられるわけがない。

それでも、ただ信じて待ち続ける。かならず何とかしてくれる、と。

「……待っているだけに耐えられないのなら、せめてキミも少しでも足掻いてみるかい?」

突然聞こえたキュゥべえの声。

そして現れるその姿。いつもどおりの半透明、白く透き通ったプログラム。

 

「足掻く、ってどういうことかしら、キュゥべえ?」

何かまだ奥の手があるのかと、期待を込めてキュゥべえを見つめるマミ。その視線に、揺らがない赤い瞳が応えて。

「状況があまりにも悪すぎる。このままだと、まず見滝原は壊滅するだろう。それを防ぐためにも、マミ。キミにも戦ってもらいたい。……やれるかい?」

キュゥべえの言葉を受けて、マミは考え込むように押し黙る。今の状態で戦えるのかという不安、そして何より、心の奥底で蠢く死の恐怖。まさに身をもって体感したそれに、囚われることなく戦えるのだろうか。

自然と手が震え、顔を伏せてしまう。それでもマミは、静かに呟いた。

「まどか……手を、握っていてくれないかしら」

改めて目覚めてみると、呼び捨てにするのは些か恥ずかしかったらしい。人前でこそ鹿目さんと呼ぶけれど、二人きりの時にはまどか、とそう呼んでいた。

「はい……マミさんっ」

その手にそっと手を寄せて、そのままぎゅっと両手で握る。震えている。マミの感じている恐怖が伝わってきて、まどかまで体が震えそうになる。

 

「怖い……ですよね、マミさん」

それがよくわかるから、少しでもそれを和らげようと手を握る。声をかける。

「ええ、怖いわ。まどか。……でもね。私、負けたくないの。バイドに、自分に」

握った手を胸元に引き寄せて、大きく一つ息を吸い。そして吐き出す。恐怖も纏めて吐き出すように。ゆっくりと、その手の震えは引いていった。

「もう少しだけ、このままでいさせて。なんだか手を離したら、また震えちゃいそうだから。……格好悪いよね、私。でも、格好悪くたっていいの。お願い、私を支えていて」

人を包み込むように優しく、大きく見えていたマミの姿も今はとても小さく、か細く見えてしまう。そんなマミが今、必死に心を奮い立たせようとしている。

励ましてあげたくて、少しでも力になりたくて、まどかはマミに身を寄せて、囁く。

「マミさんは格好悪くなんかないです。さやかちゃんもそうだけど、マミさんは私にとっても憧れなんです。だから……いくらだって支えます。一緒に居ます」

気がついたときには、暖かなものに抱きしめられていた。それが、マミの体だというのに気付いたのは数秒過ぎてからのことで。

抱きしめてきたマミの身体は、柔らかくて暖かで、すごく女の子の匂いがして。同じ女の子だというのに、顔が紅潮してしまうのをまどかは止められなかった。

けれど、抱きしめたその腕がまだかすかに震えていたことに気付いてそっと手を回して抱きしめて、優しくマミの背を撫でた。

 

「もう一度、もう一度立ち向かってみるわ。だから見守っていて、まどか」

囁くように微かなマミの声。それに応えて、まどかは小さく頷いた。

 

 

「覚悟は決まったかい、マミ」

答えを求めて、キュゥべえが声をかける。抱きしめていた手を離して、その暖かさには一時の離別を告げて。伏した顔を上げて、マミが覚悟と言葉を告げた。

「ええ。戦ってみせるわ。もう一度、あの悪夢に立ち向かってみせる」

もう声は震えていない。恐れは、心の奥底に閉じ込めた。後は戦うだけだ。

「それはよかった。丁度迎えも来たようだ」

「迎え?」

不思議そうに尋ねる声に、キュゥべえは得意げな笑みを浮ばせて。

「ああ、届いたのさ。“魔法使いの箒”がね」

 

 

「くっそ……これはきつい、ねっ!!」

機体を掠めるようにして襲い来る砲弾をかわして、さやかが悪態をついた。

上空から無数に降り注ぐ砲弾。それを掻い潜り、フォースで受け止め。立ち塞がる砲台を叩き潰し、強引に道を切り開いて進む三機のR戦闘機。

「ゲームとは大違いですね。……今ですらぎりぎりだというのに、まだ半分以上」

頭上の砲台を対地レーザーで潰しながら、織莉子もまた焦りの混じった声を放つ。突入から10分弱。侵攻速度はあまりにも遅い。いつ波動砲のチャージが完了するかもわからない状況、このままではまずい。

とはいえ、降り注ぐ砲火はこれ以上の侵攻を許してはくれない。

「何より厄介なのは……来たっ!」

そう、所詮はいくら数が多いとはいえ固定砲台からの砲撃、R戦闘機の機動性をもってすればかいくぐるのは無理な話ではない。だが、問題は別にあった。巨大戦艦のハッチから現れた自走砲台である。

この自走砲台の放つ迫撃砲の弾幕は厚く、さらに機動性もそれなりに高く、多少の被弾ではびくともしないほどの耐久性も持っていた。

それを確実に、一撃で破壊しうる攻撃。それはほむらのラグナロック・ダッシュが持つメガ波動砲Ⅱだけであって。故に、ほむらはいつ出現するかわからない自走砲台に備え、常時波動砲のチャージを進めておく必要があった。

すなわち、通常兵器による敵弾の相殺や砲台の破壊の手が減る、ということで。

 

とにかく出現した自走砲台を、その奥の砲台ごと纏めてメガ波動砲Ⅱで打ち抜いた。射線上の敵弾も纏めて巻き込んで、一筋激しい閃光が走る。最強最終の波動砲を開発するためのテストヘッドではあるが、メガ波動砲ですら十分な威力を誇るのである。

チャージ容量を増加し威力を増したその一撃は、最早防ぐ術などありはしない。閃光が駆け抜けた後には、波動の粒子が煌く空間だけが残された。

道は、開かれた。

「さやか、織莉子。今の内に突入を」

「おっけー、じゃあダメ押しでもう一発っ!」

開けたその空間を埋めようと押し寄せる砲火、それを遮り打ち砕く閃光。低チャージで放たれた、フォルセティⅡのロックオン波動砲である。

敵を自動捕捉する波動砲が、機体に近い砲弾を的確にロックオンして撃墜していく。打ち落とされた砲台や砲弾は、爆散しながら眼下のビル街へと落ちていく。

ビルが砕け、押しつぶされた車が火を噴いた。間違いなくその一つ一つに、人の命が存在している。

 

「……ごめん」

けれど、心を痛めている余裕はない。心の痛みに歩みが止まれば、もっと多くの人が死ぬ。

今出来ることは、ただ進むことだけだった。

わずかにこじ開けた隙間に、無理やり機体を捻じ込んで。爆炎と焦熱に身を焦がしながら、R戦闘機が破壊と死の森を進んでいく。身を休める暇などありはしない。まだまだ先は長く、巨大戦艦はその真価のほとんどを見せていない。

戦いはまだ、始まったばかりだ。

 

「ったく、超ウゼェ!どんだけ落とせば気が済むんだっての!」

自走砲台からの攻撃をフォースで受け止め、そのまま肉薄。交差気味にパイルバンカーを叩き込む。

強固な装甲も、パイルバンカーの前ではほぼ無力。一撃で外装から内部にいたるまでをグシャグシャに破壊され、火だるまになって墜落していく。

しかしそれでもまだその向こうには、次の自走砲台の姿が見えていた。

「キリがないね、ったく。……キリカ、そっちはどうなってるっ!」

捕捉追尾波動砲が、巨大戦艦の後部に無数に設置されたブースターへ向けて放たれた。分岐し、誘導を受けて飛んでいく青白い閃光。衝突と同時に炸裂、衝撃が走る。

しかしそれでも、破壊できたのはわずかに二基、今尚無数のブースターが稼動している。

「こいつら、なかなか手間取らせてくれるよっ!いやはやまったく、無駄に丈夫で困ってしまうね」

その様子を見ても、どこか面白そうにキリカが言う。ブースターから放出される推進剤が、レーザーや波動砲ですらも遮蔽する壁として機能している。

貫通力の高いメガ波動砲でもないかぎり、一気にブースターを破壊するのは難しい。うまいこと推進剤の放出が収まったところを的確に狙ってはいるが、それでは到底手が足りない。

ケンロクエンのパイルバンカーは推進剤放出の間を縫って攻撃するには射程が足りず、仕方なく次々に迫る自走砲台の相手をしているのだが、それすらも絶え間なく襲い来る。

とてもではないが、ブースターの方に取り掛かる余裕は無い。

 

「困ってる場合かっ!何とかしろ、もう時間が無いんだぞ!」

一人では立ち向かうことすらできなかっただろう。とはいえ、キリカの手を借りたところで状況は絶望的。何より最大の破壊目標、巨大戦艦のメインブースターは未だ健在なのである。

あれを破壊しない限り、巨大戦艦は前進を続けるだろう。そしていずれ、市街地までも到達する。問題は、そのメインブースターもまた恐るべき勢いで推進剤を吐き出し続けているということで。

レーザーも波動砲も、真正面からではまず通らない。放出が弱まったわずかな隙を狙うしかないのだが、偵察機をベースとしたキリカのクロックダウンではそのための火力が欠けていた。

「私は私の為すべきことを為している。キミが勝手に焦りすぎてるだけじゃないのかい?」

あくまでキリカの声は涼やか。実際問題、キリカにとっては見滝原などどうでもいいのだ。命令だから、織莉子が戦えと言うから戦っているだけで。

そしてキリカは、織莉子が死ぬようなことは微塵も疑っていない。心の持ちようとしてはともかく、絶望的な状況を前にしてもキリカは平静を保っていた。

 

「っ!危ない危ない、っていうかこの期に及んで炸裂弾?いくらなんでもトンデモすぎるでしょーっての、この弾幕の量!」

前方を飛ぶフォルセティⅡが、頭上から飛来する敵弾を回避した直後である。その敵弾が炸裂し、周囲に弾をばら撒いた。咄嗟に回避機動を取って直撃は避ける。

しかしその頭上には、続けざまに炸裂弾が投下されていた。

「かわしきれない、破壊するしか……っ!」

一筋走るメガ波動砲Ⅱの閃光。炸裂弾も敵弾も、一気にまとめて飲み込んだ。だが、その発射のタイミングを見計らっていたかのように自走砲台が現れる。さらに後方からも小型バイドの群れが迫る。一気に敵の攻勢は激化した。

「弾幕が濃すぎるわ。これ以上は進めない」

後方からのバイドの攻撃、さらに頭上から降り注ぐ砲撃、炸裂弾。前方からは自走砲台からの迫撃砲。切り開く一撃はすでに無く、次弾のチャージまではしばし時間がかかる。

進路はもはやなく、退路すらも失われつつあった。

 

「Δウェポンは?」

「さっき使ったっての。ドースはまだ全然だ!」

「こちらも、後一押しと言ったところだけど……まだ足りないわ」

焦っている余裕すらも与えないと言わんばかりに、空間を埋め尽くすように押し寄せる弾幕。ほむら自身も突入の際にΔウェポンは使用済み。この危機を回避するためには使えない。

客観的に見ればこれ以上の侵攻は不可能。脱出するより他に術はない。ほむらもそれを理解している、恐らく織莉子も、そしてさやかも。

「さやか。これ以上は……もう」

諦念交じりの声でほむらが告げる。今決断しなければ、もう脱出もままならない。さやかだってそれはわかっている。フォルセティⅡの機動性をもってしても、この物量差は埋めがたい。

 

「……嫌だ」

「美樹さん。無駄死にしたくなければ、ここは退くべきだと思うわ」

完全に足は止まった。もはや迫る敵に応戦する為だけにレーザーやポッドを放ちながら織莉子がさやかに告げる。

織莉子もまた、街にさほど未練があるわけではない。だからこそ、自分達を助けた恩人を無碍に死なせたくはないという気持ちはあったのだろう。

「嫌だね」

さやかも同じく足を止め、フレシェット・フォースから針状のレーザーを続けざまに放つ。そして尚強情に、退くことを拒む。

貫通力を高めた針状レーザーは、敵弾を貫き、その先に砲台までもを串刺しにして四散させる。咄嗟の隙間にほむらがフォースを後ろに付け替えて後退。迫るバイドの小型兵器群を攻撃した。

「お願いだから聞いて、さやかっ!このままじゃ……本当に無駄死にになる」

残る脅威は眼前の自走砲台、いつしか数も二つに増えて。その放つ迫撃砲自体はフォースでいくらでも受け止められるのだが。砲撃は効果が薄いと判断したのか、自走砲台はその強固な機体そのものを弾丸に変えてこちらに迫ってきた。

回避している余裕はない。三機分のレールガンとレーザーがそれを迎撃する。さすがに三機分の火線を集中すれば、いかに強固な自走砲台といえど耐えられはしない。

爆散、そして撃沈。しかしその後にはもう一機、迫撃砲を連射しながら迫る自走砲台の姿。

 

「嫌だっ!」

「さやかっ!!……お願いだから退いて。このままじゃ、本当に死んでしまう」

火線を自走砲台に集中させた分だけ、敵弾への対処が遅れてしまう。ついに、頭上から降り注ぐ砲弾がフォルセティⅡを掠めて火花を上げた。

「っ、きゃぁぁぁっ!?」

「さやかっ!今、助けに……っ!!」

直撃ではないものの、大質量の砲弾である。その衝撃は大きい。錐揉みするように機体は弾き飛ばされ、砲火の雨に晒される。

助けに向かおうにも、ほむらもまたろくに動ける状況ではなかった。

 

目まぐるしく急速回転する視界。目が回りはしないけれど、機体の制動が取れない。定まらない視界。その一面を染める敵弾。こんな状況でかわせるはずがない。

「あたし、死ぬの?……こんなところで、誰も守れないまま」

そんなことが許されるわけがない。なぜなら、ここで自分が死ねばどうなるか、それをよく知っているからだ。今ここで戦う自分の背中には見滝原がある。

そこには家族が、友達が、好きな人が居る。守ると誓ったはずなのだ。その誓いを、想いを。こんなところで諦められるものか。

 

 

「生きてやる、足掻いてやるッ!こんな奴に、やらせるもんかぁぁぁっっ!!」

 

 

吼える。吼えたところで状況は絶望的なまま変わらない。

それでも絶対に諦めない。たとえ死んでも、否、絶対に死んでなどやるものか。こんな悪夢に、これ以上何一つ奪わせていいはずがない。

 

 

 

――決して諦めるな。自分の感覚を信じろ!

 

ただそれだけを願い、望むさやかの鼓膜を、力強い声が揺るがした。

 

信じろ、そう声は言う。だが何を信じればいい。信じるべき感覚、それを感じる体はここにはない。今ここにあるのは、鋼の機体と魂一つ。ただそれだけだというのに。

 

――本当にそうなのか?

なら今感じているこの焦りは何だ。生きようともがく意志は何だ。生と死の狭間に感じる、この激しい感情は何だ。信じるべき感覚、それはこの機体を伝わるものではないのか。

だとすれば、血潮の代わりにオイルが流れ、神経の代わりに電気信号が這い回るこの機体。それすらも、自分の体そのもの足りえるのではないか――

 

 

 

「うぅぅぅああぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 

ロックオン波動砲をチャージ、その間にも無数に飛来する敵弾。被弾。衝撃が走る。それでも致命傷にはまだ遠い。まだ飛べる。

発射可能ギリギリのレベルで波動砲を放つ。それでも放たれたロックオン波動砲は過たず、迫る敵弾を打ち砕く。ほんの僅か。コンマ数秒弾幕の雨に隙間ができた。

その隙間をすり抜ける。錐揉みする機体。散らばる力のベクトルを支配して駆け抜ける。この機体が自分の体なら、動くべき時、タイミングは自分の体が知っている。

後はただそれに身を任せるだけだった。気がついたときには、弾幕の雨は後方にあった。

 

「あははは、そうか、こうすればよかったんだ」

その声はまるで、機体そのものが話しているように感じる。機体の表面を激しく吹き荒れる、熱風混じりの夜風がどこか心地よい。

冷たい鋼の塊でしかないその機体が、今ならはっきりと言える。これが自分の姿だと、もう一つの自分の体なのだと。

後方から風を切る気配。炸裂弾が飛んでくる。わかる。機体を翻して避ける。後方で炸裂、拡散した敵弾がまた、迫る。

これもまたひらりと身をかわす。弾を見る必要なんてない。ただ、風が流れる通りに行けばいい。

「なんだ、やり方さえ分かっちゃえば簡単なもんだね」

この体に漲る力。どこまでも飛んでいけそうな万能感はなんだろう。とても幸せで、気分がいい。体の内側から笑みがこみ上げてくるような。

「……これなら、負ける気がしない」

さやかが辿り着いたのは、恐らくパイロットとしては一つの境地。

我は機、機は我。鋼の機体に魂を預け、その意志をもって突き動かす。まさにそれは人機一体。ソウルジェムとサイバー・コネクタの助けがあったとはいえこの境地に辿り着くものが、一体どれだけいるのだろうか。

 

「ここからが本当の勝負、負けないよ。バイド……って、うわわっ!?」

頭上、いきなり開いたハッチから飛び出してきた自走砲台。流石にこれには驚いて、急遽回避機動を取ろうとした。その瞬間に。

横合いから飛び込んできた大型ミサイルが、自走砲台を直撃し爆散させた。

後方を見やれば、炸裂弾を放ち続ける砲台にもミサイルが直撃、その活動を停止させる。更にその爆風の余波で、周囲の砲台もまた破壊されていく。

弾幕の雨に僅かな隙間が出来た。そこに割り込む二つの影が。

 

「どうやら、援軍には間に合ったようだ」

「急いできて正解だったぞ。パーティーには遅れずに済んだようだからな」

そして聞こえる、いずれも男の声。その片方は、先ほど聞こえた声に似ていた。

二機のデザインはいずれも同じく、白と青を基調に緑のキャノピー。そして翼の生えた赤いキツネのシンボルマークが映える。

それはR-9B3――スレイプニル。

爆撃機として運用されるストライダーの系譜を継いだ、最後の機体である。

「こちらフォックスファイア小隊、ジェームズ・マクラウドだ。キミ達を援護するっ!」

「同じく、ペッピー・ヘアだ。よく頑張ったなお嬢さん方。援護するぞっ!」

そして二機の機体はそれぞれ散開。降り注ぐ砲弾を苦もなくすり抜けながら、的確に砲台を打ち抜き、道を切り開いていく。

 

「あの二人。かなりの凄腕ね。なんにせよ助かったわ。このまま一気に突破する」

この機を逃す手はない。ほむらは一気に機体を走らせる。

「まさかこんな時に増援だなんて、なかなか人生捨てたものじゃありませんね」

織莉子もまた、それに続いて砲火の中をすり抜けていく。

「ありがと、ジェームズさん、ペッピーさんっ!……今度こそやっつけてる。覚悟しなさいよ、バイドっ!!」

さやかも、傷ついた機体に鞭を入れ、砲火の中を走り出す。機体は既に万全とは言えない。それでも今は、まるで敵の攻撃が当たる気がしない。今なら、勝てる。

 

絶望を払う。その兆しが見え始めていた。

 

「杏子、そっちの状況はどうだい?」

今尚巨大戦艦の侵攻は止まらない。未だメインブースターの破壊には至らない。焦燥が募る中、キュゥべえからの通信が入る。

「どうもこうもあるかっ!正直かなり悪い、ぶっ壊そうにも手が足りねぇ!」

「それは参ったな。こっちの方でも切り札は用意したんだけどね。どうにも敵の足を止めてもらわないと使えそうに無いんだ。何とか破壊してくれないかい?」

「お前なぁ、今の話聞いてたのか?」

実際問題、キュゥべえが言うのだからそれは事実なのだろう。

ここで敵の足を止めることができれば、恐らくその切り札とやらが使えるのだろう。とはいえ、この絶望的な状況を少しは考慮してほしいものである。

「確かに、キミ達二人だけでは難しいだろうね」

「……まあ、やらなきゃまずいってなら、無理を通してみるけどさ」

とはいえ、こんな時に都合よく手が増えるようなこともない。ならば、今あるものでどうにかするより他にない。

幸い、一撃必殺の力はこの手の中にある。問題はそれがえらく短いということと、今尚自走砲台による迎撃が終わらないということくらいか。

 

可能性があるとすれば、何とか自走砲台を振り切ってメインブースターに接近、パイルバンカーで破壊する。これだけだろう。

言うのは易いが、問題は山盛りだ。自走砲台は存外機動性がある。それに、メインブースターは未だに多量の推進剤を吐き出し続けている。

掻い潜るとすれば、直下からの急上昇。もしくは上空からの急降下しか術はない。

一歩間違えば衝突。いつもの機体に比べてやや鈍重なこのケンロクエンで、それだけの精密機動が行えるだろうか。

「そう一人で抱える必要はないさ、杏子」

覚悟を決めた杏子に向けて、続けて告げられた言葉。

「どうやら、増援が間に合ったようだ」

その言葉と同時に、ケンロクエンに響く警告音。高エネルギー体の接近を告げる警報に、半ば反射的に回避機動をとった。

その回避を確認し、後方より接近していたその機体は、蓄えられたエネルギーを解き放った。機体前方より稲妻が迸り、ブースターの噴射の間に吸い込まれていく。

そして巨大戦艦の表面を這い回り、一気に三つのブースターを叩き落した。

ライトニング波動砲。波動エネルギーを稲妻状に変換し、追尾性を持たせることに成功した兵器である。その一撃が、戦場の中を駆け抜けたのだった。

 

「警告鳴らせて、無理やり射線を空けさせた。……随分無茶する奴じゃないか。どこのどいつだっ!!」

確かに熟練のパイロット同士なら、いちいち連絡で伝えるよりも早くはあるが。それにしても随分乱暴なやり方である。悪態交じりに杏子が吼えた。

 

「トゥルーグレイヴ小隊、ブランドン・ヒートだ。……援護する」

漆黒の機体を縁取る紅。前方に構えた凶悪な牙たるアンカーフォース。そして機体側面には、髑髏を描かれた棺桶のようなエンブレム。

R-13A――ケルベロス。比較的初期に開発された機体ではあるが、改修を加えられ現在でも十分使用に足る機体となっている。

それを駆っていたのは、青年といえるような歳の男の声だった。

「援軍、というのはありがたいが、たった一機というのは少々心許ないね」

同じく波動砲を回避したキリカが言う。一機増えたくらいでは、状況はそう簡単には覆らない。特に早急にブースターを破壊する必要がある今は、とにかく多くの攻め手が必要だった。

愚痴っていても仕方はないと、再びブースターの破壊に取り掛かる。如何せん巨大戦艦相手である。巨大なメインブースター以外にも、補助ブースターの数はかなり多い。

 

「いや、一機だけじゃないようだぜ。なるほど、これは希望が見えてきたかもな」

後方を眺めて、杏子が薄く笑む。そこに映っていたのは、さらに接近する3機のケルベロス。恐らくは同じ小隊の一員、といったところだろう。

 

「あんた一人を行かせやしませんぜ、アニキ」

「ハッ、図体だけは立派だなァ。逝きさらせっ!」

「こりゃあ熱い夜になりそうだ。いいぜ、痺れるくらい熱いギグを聞かせてやるっ!」

 

言葉と同時に、続く三機はメインブースターへとライトニング波動砲を発射した。正面からの攻撃に対しては推進剤の噴射が防ぐ。しかしライトニング波動砲は違うのだ。

側面から回り込むようにしてメインブースターを捉え、一つ大きな爆発が起こる。その煙さえ吹き飛ばして、推進剤の噴射は止まらない。しかし、その勢いは目に見えて弱った。

 

「……ったく、なんだか濃そうな連中ばっかり連れてきやがって。でも、今がチャンスだな。おい、誰か砲台の相手を頼む!あたしはブースターを潰すっ!」

パイルバンカーのチャージは継続、迫る自走砲台から逃れるように進路を逸らす。当然追い縋る自走砲台。しかしそれを真紅のカラーのケルベロスが阻む。

「レディの頼みとあっちゃあ断るわけには行かないな。ここは任せなっ!」

「ありがとよ、優男っ!」

通信を交し合い、そして杏子はケンロクエンを走らせる。垂直上昇。重力に逆らって空に舞う、少なからず機体が揺れる。追い縋る敵弾を振り切り、雲海の中にその身を預け。

そして、舞い降りる。

狙うは一撃、最強のパイルバンかーの力をとくと見よ。まるでそれは曲芸飛行。成功すれば、拍手喝采雨あられ、である。

 

「見えたっ!あれが波動砲だな。……チャージが始まってる、早く止めないとっ!」

砲火の雨を抜け、フォルセティⅡがいよいよ砲台に肉薄する。その機動性は群を抜き、それを余すことなく発揮することに成功したさやかの前では、隙間すらないはずの砲火の海ですら、すり抜けることを可能とさせていた。

そして、ついに惑星破壊波動砲の存在する艦首へと肉薄したのである。

「ええ、後は手はずどおりに。行くわ、さやか」

そしてそれに続くほむらのラグナロック・ダッシュ。ほむらもまた優れた操縦技術で砲火の雨を潜り抜け、さやかに並んでいた。

フォックスファイア隊と織莉子は今も一丸となって、巨大戦艦の底部を進んでいる。その歩みは先ほどまでと比べて非常に速い、恐らくそう間もなく到達するだろう。スレイプニルが搭載する波動兵器、バリア弾がその力を惜しみなく発揮していたのである。

光学兵器が相手ならばいざ知らず、波動エネルギーによって生み出されたその防壁は質量兵器に対する圧倒的な防御性能を誇っていた。それが図らずも、今回の対巨大戦艦には非常に効果的だったのである。

それを見るに、三機でも十分進行は可能であると判断し、単独で突出できるさやかとほむらの機体が先行したのである。

 

 

「おっけー、じゃあまずはレーザー砲台からっ!」

艦首砲の周りを埋め尽くすように配置された、大量の迎撃用のレーザー砲台。その攻撃を掻い潜り、背部につけたフォースからのレーザーで、次々と砲台を落としていく。

敵の攻撃は単調。数は多くとも、それでは相手にもならない。すぐに砲台は沈黙するだろう。

直接艦首砲を攻撃できないのには理由があった。

データによると、艦首砲はそのチャージの間、強力な引力を発生させるのだという。それには、いかなR戦闘機であろうと抗うのは難しい。

波動砲を撃つために機首を敵艦首へ向けてしまえば間違いなく、その引力に囚われ引き寄せられてしまうだろう。実に利に適った防衛設計と言える。

ならばどうするか。その引力を逆に利用してやればいい。幸いこちらにはフォックスファイア隊が持参した大型ミサイル、バルムンクがある。二発纏めて叩き込み、それで波動砲を破壊する。その為にも、道を開いておく必要があった。

可能な限り速やかにレーザー砲台を沈黙させた。そこへ通信が入る。

 

「こちらジェームズ。敵艦底部を突破した、これから艦首砲ユニットの攻撃に移る!」

「同じくペッピーだ。ちゃんと道は開けておいてくれただろうな?」

接近する二機のスレイプニル。爆撃機としての能力は申し分ないが武装はそれなりである。故にそれを護衛するような形で織莉子のスクルドが付き添っていた。

「相変わらず自走砲台が追いかけてくるわ。私はこちらの相手をするから、後はよろしく頼むわ」

だが、それももう不要。織莉子は追撃する自走砲台へと向き直る。

「残念。あなたはここで行き止まりよ」

 

「道は開けたよっ!後はばっちり決めちゃってちょーだいなっ!」

ロックオン波動砲でレーザー砲台と同時に艦首波動砲を攻撃。しかし、やはりその装甲は堅固。ダメージがあるとは思えない。やはり破壊するのならば内部から。バルムンクに任せるより他にない。

「よし、行くぞペッピー!」

「ああ、しくじるんじゃないぞ、ジェームズ!」

そして二機のスレイプニルが走る。

その身を絡め取ろうとする引力に逆らって、最大出力で艦首砲から離脱するような機動を取る。そして、バルムンクを投下。わざわざ発射する必要もない。引力に任せれば、後は勝手に波動砲の中へと吸い込まれていく。

一番奥まで飲み込まれてしまえば、波動エネルギーに焼き払われて効果は発揮しない、だが。

「いまだ。バルムンク、爆破っ!!」

吸い込まれたのを見計らって、リモートでバルムンクを爆破する。艦首砲の中で、膨大な熱とエネルギーが吹き荒れる。激しい閃光が溢れ、艦首砲ユニットが赤熱する。

 

「やった……のかな?」

ああ、だがしかしその言葉は。

「いや、まだよ。艦首波動砲はまだ生きてるっ!」

やはりフラグだったようだ。

 

「な……バルムンク二発でも潰れないっての!?どんだけ丈夫なのよ、その波動砲」

「でもダメージはあるはずよ。なんとか追撃を……」

「ああもう!こうなりゃフォースでもレーザーでもミサイルでも、全部くれてやろうじゃあないのっ!」

こうなれば、自分たちが果てるか敵が沈黙するかの二つに一つ。死力を尽くして戦うのみだ。と覚悟を決めたその時に。

「さやか、ほむら。二人とも無事かい?」

キュゥべえからの通信が入るのだった。

「キュゥべえ?悪い、ちょっと今忙しいんだ。波動砲を破壊しないとっ!」

答える声は余裕の欠片もない。そんな様子に、大体の事情を察したようにでキュゥべえが答えた。

「なるほどね。でもまずはいい報せだ。杏子達がメインブースターの破壊に成功した。これで市街地への侵入は防げるだろう。それと、ボクも切り札を切ることができる」

「切り札?何をするつもり?」

「というより、もう準備は済んでいる。そこは危ない、すぐに離れてくれ」

有無を言わさぬキュゥべえの声。向こうは向こうで余裕はないのかもしれない。

「……信じるわよ。各機離脱してっ!何か……来るわ」

 

 

 

 

――デモリッション・モードへ移行――

 

 

――エネルギーライン、全段直結――

 

 

――波動エネルギー、チャージ完了――

 

 

――誤差修正、ピッチアップ0.003度――

 

 

――ライフリング回転開始――

 

 

「撃てるよ、マミっ!」

「ええ、決めるわよ。――ティロ・フィナーレッ!」

 

 

 

 

 

遥か彼方、地平線の向こうから、極大の閃光が飛来した。雲を切り裂き、夜空を明るく染め上げて。その閃光は艦首波動砲を飲み込んだ。

ロックオン波動砲ではロクに損傷すら与えられないほどに堅固な装甲。それを容易く飲み込み、融解させ。貫いて。

 

――艦首波動砲が、巨大な火柱を上げて爆発、墜落した。

 

その一撃は遥かな彼方、太平洋上空より放たれた。その力を宿した機体。機体の倍はあろうかという巨大な砲台を、機体上部に携えて。さらに姿勢制御や発射の反動に抗するため、直接砲台に巨大なブースターが搭載されている。

それは、R-9D――シューティング・スターの系譜を継ぐ機体。

最大の特徴たる、異常とも言えるほどの射程距離。すなわち地球から優に月まで届くかというそれを再現し、さらに戦略兵器クラスの破壊力と攻撃範囲さえも併せ持つことに成功した、まさに最強の射手たる機体であった。

それでもやはり冷却機構の不十分により、最大出力での射撃は機体の異常加熱を招き、それに耐えうるのはソウルジェムのみだった。故にそれは、魔法少女専用機として運用される。

そして、その砲身とブースターの形状があたかも箒のように見えることから、この機体はこう名付けられた。

R-9DX――ガンナーズ・ブルーム――と。

 

そしてそのコクピットから、その一撃が齎した成果を眺めて。

「……フフ、最高の気分ね。まるで神の雷だわ」

抱えた恐怖はどこへやら、実に上機嫌でマミが呟いた。

 

 

 

「……ったく、あんなとんでもないものがあるなら先に言っとけっての。キュゥべえの奴、いい性格してるぜ」

戦場を離れて低空で飛ぶケンロクエン。特徴的なシールドは歪んでへこみ、片方はちぎれて飛んでいる。

パイルバンカーは違わず巨大戦艦のメインブースターを破壊した。しかし、ケンロクエンが負った損傷も大きかった。砕けたブースターから溢れた推進剤に身を焼かれ、更に巨大戦艦に強かにその身を打ちつけてしまった。

お陰でこのザマ、よく撃墜されずにもっているものだと思ってしまう。

「とはいえ、これ以上こいつで戦うのは無理だな。どっかで機体を調達しないと」

低空を飛ぶケンロクエン。その機動はふらふらと頼りない。

「お、丁度よく輸送艦があるな。通信がまだ生きてるといいけど」

レーダーの反応を頼りに進んでいく。ようやく見えてきたその艦は、トゥルーグレイヴ小隊の母艦、センターヘッド。その姿を確認して、杏子は通信のチャンネルを開いた。

 

波動砲およびブースターを破壊され、巨大戦艦の脅威はほぼ失われたと見てもよい。ただ、いまだに巨大戦艦内部からは無数の機動兵器が出現している。それらを市街地へと逃さないようにする必要もある。いまだビル街を焼き続ける砲台も健在。これらを確実に破壊する必要がある、だがそれほど急ぐ必要はない、

敵の足が止まった以上、後は確実に破壊するだけなのだから。

「んじゃ、ここからは別行動だね。助かったよ、ジェームズさん、ペッピーさん」

さやかとほむらはそのままコアを目指す。

「ああ、お嬢さん方も無茶はするなよ、生きてたらまた会おうっ!」

ファイアフォックス隊は砲台の破壊に向かう。砲台だけならフォースとバリア弾で事足りる。

「では、私は戻ります。そろそろキリカが心配ですからね」

これ以上行動を共にする必要はない。織莉子はキリカの元へと向かう。その後のことはそれから考えればいい。

それぞれが三方に分かれて飛ぶ。目標はそれぞれ同じ。後はただ、互いの無事を祈って戦うのみだ。

「よっしゃぁっ!それじゃみんな、ぬかるんじゃないわよーっ!!」

高らかに、さやかが一つ号令をかける。各々がその速度を上げて、なすべきことをなす為に、走る。

 

巨大戦艦攻略戦は、ついに最大の山場を越え、終盤戦へと突入しようとしていた。

そこに集うは、いずれ劣らぬエース達。そして、同じく劣らぬ魔法少女達。巨大戦艦も必死の応戦空しく、その戦力を次々に奪われていった。

さらには、天から降り注ぐガンナーズ・ブルームの波動砲が巨大戦艦を焼いていく。

戦況は一気に覆った。最早、巨大戦艦の撃沈は時間の問題かと思われた。

だが、しかし。

 

「この反応……まさか、異層次元に逃げるつもりね」

恐るべきはバイドの修復能力。浮上用のブースターを修復し、高度をとる。さらにはその姿が揺らぎ始める。それは異層次元への突入の予兆であった。異層次元に逃げられれば、こちらからの干渉はできない。

もちろん、向こうからの干渉もまた不可能にはなるが、敵はそれを利用して戦場から離脱するつもりなのだろう。

「やらせるもんか、逃がすもんかっ!!」

さやかがそれに追い縋る、青い光の尾を引いて駆けるフォルセティⅡの姿も揺らぎ始める。

「追いかけるつもり?さやか」

それに続くほむらのラグナロック・ダッシュ。確かにR戦闘機には異層次元での航行機能は搭載されている。だが、異層次元での戦闘は通常空間とは勝手が違う。

バイドによって空間そのものが汚染されている可能性もある、危険はかなり大きい。

「そりゃ勿論、ここで追いかけて叩き潰さないと、またやってくるかもしれないじゃない!……それにさ、向こうで叩き落せば、こいつを街に落とさずに済むじゃない?」

「……それもそうね。きっと他の部隊も一緒に追いかけるはずだわ。けれど、異層次元での戦闘は勝手が違う。無理はしないで、さやか」

「おっけー、ここまでやったんだ。お互い無事に帰ろうじゃない、ほむら」

そして二機は、同時に機首を廻らせ敵を追う。途中でその機影が揺らぎ、そして完全に消失する。フォックスファイア隊、トゥルーグレイヴ隊、そして織莉子とキリカもまたそれに続き、異層次元へと突入していく。

もはや人知では捉えることもかなわない異層次元の真っ只中で、巨大戦艦との最後の戦いが始まった。

 

「大分遅れちまったな。まだあたしの獲物が残ってるといいけど」

センターヘッド内に、予備機として残されていた機体。RX-12――クロス・ザ・ルビコンを駆って杏子が一人空を往く。

機体の調整に随分手間取っていたお陰で、最早敵の姿はどこにも見えない。眼下には、戦いの傷痕が色濃く残るビル街の残骸が散らばっているだけである。

それを苦々しく眺めながら、クロス・ザ・ルビコンは上昇しはじめる。異層次元に突入した巨大戦艦は、どうやらそのまま地球から離れる心積もりなようで、すでにかなりの高度へと到達していた。今尚異層次元では激しい戦闘が繰り広げられているのだろう。

追いかけなくては、と杏子は機体を走らせた。

だが、その眼前にそれは現れた。

 

「……これは、バイド反応か?にしちゃあやけに弱いけど」

機体が伝えるその警告は、周囲にバイド反応があることを示していた。しかし、その反応はどうにも弱い。おまけに周囲にそれらしき存在は見当たらない。

「ってことは異層次元か。撃ち漏らした奴が隠れてるのかね。まあいいや、あたしに見つかったのが運の尽きだね。このまま殲滅してやるよっ!」

恐らく今行ったところで、上でやっているパーティーには間に合いそうもない。ならば今は、こんなところに隠れたバイドを潰すだけだ。

クロス・ザ・ルビコンの機体が揺らぎ、そして異層次元へと突入して行った。

 

「ここは、一体……」

そこは、酷く暗い場所。奥には、まるで木のような何か。その中で、ぼんやりとコアのようなものが輝いている。

異層次元に突入し、そこに潜む敵を討った。しかしバイド反応は消えなかった。それをそのまま追いかけて、突き進み。辿り着いたのが、この暗黒の森だった。

「辺り一面バイドだらけだ。……まさか、こんなとこにこんな隠れ家があるとはな」

辺りを這い回る蔦のようなものも、奥でぼんやりと光る木も、全てがバイド反応を見せている。全て潰して、後顧の憂いを断つべきだろう。

 

「……こちら、………ス。………聞こえ………誰、か」

掠れながら、途切れながらも機体に入った通信。通信のチャンネルが合っていない。ノイズが酷い。一体誰の通信だろうか。

「何だ、先に侵入してる奴がいたのか?」

チャンネルを切り替え、通信を繋ぐ。

随分古い回線を使っているものだ、今時こんなものを使っているのは珍しい。そして通信は確かに繋がれて、幾分かは鮮明になった声が飛び込んできた。

 

 

 

 

「こちら、ケルベロス。千歳ゆま。聞こえますか……誰か」

 

ひび割れて、ノイズ交じりの。けれどもそれは、幼い少女の声だった。

 

 

 

 

魔法少女隊R-TYPEs 第10話

       『DISASTER REPORT』

          ―終―




【次回予告】

ゆまは、ずっとたたかってたんだ。
たたかって、たたかって。わるいてきはぜんぶやっつけた。
でも、つかれちゃったんだ。きっとだれかがむかえにきてくれるはずだから
それまで、すこしねむってまってることにしたんだ。

「今すぐそっちに行く。少しだけ待ってろよっ!」

キョーコは、わたしをむかえにきてくれたんだ。
キョーコは、いっしょにいてくれるっていったんだ。
だから……もうすこしだけ、がんばってみるね。キョーコ。


「あたしは……お前だったんだな」



次回、魔法少女隊R-TYPEs 第11話
           『CERBERUS』


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第11話 ―CERBERUS―

二人の少女は出会ってしまった。どちらもまた、悪夢に全てを奪われた少女。
かつて悪夢と戦っていた少女、そして今尚悪夢に抗う少女。

二人の少女の運命が、暗黒の森で交錯する。


「……まどか?どうしたんだい、具合でも悪いのかい?」

マミを送り出し、一人モニターで戦況を眺めていたまどかが、急にソファーにその身を横たえた。その顔色はどうにも青かった。

「うん……なんだか、ちょっと気分が悪いのかも。……何か、変な声が聞こえるんだ」

まどかは耳元に手を当てて、その声に耳を澄ます。一体誰の声なのか、よくわからないくらいにその声はかすかで。けれどそれは、まだ幼い少女の声で。

――助けて。

そう、言っていたような気がした。

 

「なるほどね、そういうことは今までにあったかい?」

興味深げに、その瞳をくりくりと輝かせてまどかに問うキュゥべえ。まどかは、そっと手で目を覆って答えた。

「多分、ないと思うけど……変な夢を見ることはあったかな」

「どんな夢なんだい、それは」

「………よくわからないんだ。でも、誰かが帰ってこようとしてる。そんな夢みたいだった。ちょっと悲しい夢なんだ。……最近になって、見るようになったんだよね」

夢の内容は、あまりよくは覚えていない。それでも断片的な記憶を繋いでそれを伝えた。

キュゥべえは、静かにまどかの言葉に耳を傾けて。それから耳を軽く揺らして。

 

「……なかなか、興味深い話だね。ボクにも思い当たる節はある。まどか、ちょっと調べてみるかい?」

「原因がわかるの、キュゥべえ?」

「もしかしたら、ね」

薄く笑って、キュゥべえはその言葉に答えた。

 

 

 

 

 

(ケルベロス……さっきの連中の一員か?にしても、またガキが戦ってんのかよ)

どうしてこう行く先々で、子供が戦わされているところに出くわすのか。あまり気分のいい話ではないな、と杏子は内心で毒づいた。

「ああ、聞こえてるよ。こちらクロス・ザ・ルビコン。佐倉杏子だ」

「じゃあキョーコだねっ!よかった……本当にゆまのこと、むかえに来てくれたんだっ!」

すぐさま聞こえてきたその声は、嬉しそうな子供の声。それこそ戦場にいるのは似合わないほどに、無邪気な子供の声だった。

戦士にしてはあまりにも不釣合いで、一体どういうことなのか理解が追いつかない。とはいえ助けを求められているのなら、助けるよりしかたがなかった。それを捨て置くことなど、杏子にはできなかったのだ。

「別に助けに来たって訳じゃないんだけどな……まあいいや、ピックアップしてやる、場所を教えろ」

「場所……わからないんだ。真っ暗で、何も見えなくて。どうしたらいいかな、キョーコ」

確かにここは暗い。奥で灯る明かりがなければ、ほとんど何も見えない程に暗いのである。もしもゆまのケルベロスが機能を停止し、どこかに墜落しているのだとしたらそれこそ、現在地がわからなくなっている可能性もあるだろう。

 

「……とりあえず、手当たり次第に探ってやる。救難信号でも出せたら出しとけよ」

言い残して、杏子は機体を走らせる。レーダーには他の機体の反応はない。ひとまず先へ進むしかないだろう。

そうして先に進み始めた杏子の前に、バイドの反応が迫っていた。その元凶は光の球としか表現しようのない何かで、それはゆっくりとクロス・ザ・ルビコンへと迫っていた。

「ま、バイドの森の中だ。何が出てきたって不思議はないよな。……とりあえず、蹴散らすぜっ!」

触手装備型フォースの一つである、フレキシブル・フォース。その最大の武器である、触手先端より生じる黄色のレーザーネイル、ダブルスネイルレーザーが敵の光球を焼き払い、弾けさせる。

それと同時に、半ばカウンター気味に光弾が撃ち放たれた。そのエネルギー量はかなりのもので、フォースで相殺するのは難しい。しかたなく放たれた弾の間をすり抜けた。

 

「うぁぁっ!」

「っ!?ゆま、どうした、何があった!?」

唐突に聞こえた声は苦しげで、痛みを堪えるような声。

「わかんない……でも、なんだか急に体が痛くなって……っ、でも、だいじょーぶだよ、キョーコ」

(攻撃でも受けてるってのか?……急がねぇとまずいな。こりゃあ)

奥へと機体を進めようとしたその眼前に、更に迫る光球が二つ。だが、波動砲のチャージは既に済んでいる。

二つまとめて巻き込むように圧縮炸裂波動砲を放つ。撃ち出された波動エネルギーが着弾と同時に炸裂し、二つの球を纏めて破裂させた。そのままエネルギーの破片は飛散して、周囲の木や蔦にも食い込んでいく。

 

「きゃぁぁぁっ!!」

「ゆまっ!やられてんのか……くっそ、すぐ行く。もう少しだけ頑張れっ!」

杏子の顔にも焦りが浮ぶ。このままでは、ゆまがもたないかもしれない。

「ねぇ……キョーコ」

少し苦しそうな声で、息も絶え絶えにゆまからの通信が杏子の機体に届く。まだ生きているようだと、杏子も一応安堵したのだが。

「なんだよ、無駄口叩いてる暇あったら、何とかそっちの位置を教えろっての」

「ごめん、キョーコ。……でも何もわからないんだ。本当に、全然、わからなくって……」

無力感に苛まれてか、ゆまの声に泣き声が混じる。こんな所で泣き出されてはかなわない。

「あーもう、泣くなっての!とにかくすぐ駆けつけてやる。何か言いたいことがあるなら言えっ!」

奥にそびえる木が、波動砲の衝撃で折れて倒れた。機体を押しつぶそうと迫るそれを、紙一重で回避して杏子が叫ぶ。

 

「ありがと、キョーコ。………あの、ね。キョーコ。なんだか、すごく眠いんだ」

今までずっと眠っていたはずなのに、なんでこんなに眠いのだろう。絡み付いてくるような、抗いがたい眠気を堪えるようにゆまが言う。

「おい、馬鹿っ!寝るんじゃない!死んじまうぞっ!!」

ますますもって状況は悪化していく。何が起こっているのかはさっぱりわからないが、ゆまの状態は間違いなく危険だ。早く、一刻も早く助けに向かわなければ。

「だから、キョーコ。……何か、おはなしして?そうしたら、ゆま、がんばるから」

「お話……つっても、子供に聞かせるような話なんて知らないぞ」

「じゃあ、キョーコのこと聞かせて。……キョーコのこと、教えて欲しいな」

その声はか細くて、今にも途切れてしまいそうで。その願いに応えられなければ、それは本当に途切れてしまいそうだった。

「……わかったよ。聞かせてやるから、最後まで眠らず聞いてろよ」

(さやかの次はゆま、か。最近どうもこういう機会が多いな)

あまり思い出したくない記憶ではあるけれど、最近一度話したばかり。口から零れ出る言葉は随分と滑らかで。全てを失った日のことを。

ロスとの出会いを、そして別れを。そしてまた、新たな仲間と出会ったことを。暗黒の森を駆けながら、群がるバイドを打ち滅ぼしながら、ぽつりぽつりと話し始めた。

ゆまもまたそんな話に耳を傾けては、悲しそうに頷いたり、嬉しそうに笑ったり、けれどもやはり時折苦しそうに声を漏らしながら、それでも最後まで、眠ることなくちゃんと聞いていた。

 

随分時間は過ぎた。けれどまだ、ゆまのケルベロスは発見できない。

ただただ散発的に光の球による攻撃が、そして地面を這う蛇のようなバイドからの攻撃が

また、折れた倒れた木が襲い掛かってくる。それくらいのもので。

「そっか。……いいなぁ、キョーコは」

「そんな、いいもんでもないぞ。仲間って言っても、なんか妙な連中ばっかりだしさ。……まあ、退屈はしないけどな」

話を終えて一息ついた。ゆまが、笑っているような声で言葉を返した。

「キョーコは、なんだかゆまと似てるね」

「……お前も、そうやって戦いに巻き込まれた口かよ」

ゆまは少しだけためらった後に、その問いを肯定して答えた。

「うん。ねえ、キョーコ。……今度は、ゆまのおはなしを聞いてくれないかな」

「ああ、聞いててやるから。勝手に話してろよ」

またしても敵が迫る。この空間はなんなのだろう。どうして地球のすぐ側に、こんなバイドの森が存在しているのか。今まで、誰にも気付かれてこなかったのか。

疑問を抱えながら敵を撃つ。苦しげな声を上げながら、ぽつりぽつりとゆまが話し始めた。

 

「……ゆまも、ね。パパとママがバイドにやられちゃったんだ。すごくかなしくて、どうしていいのかわからなくて、ひとりぼっちで、すっごくさみしかったんだ」

この世界には、少なからずある話である。だけれども、それがありふれているからと言って、当事者にとってそれが悲劇でないはずはない。

(なるほどな、だから似てる、か)

まるでその空間そのものが迎撃の意志をもっているのか、次々に倒れ来るバイドの樹木。その間をすり抜けながら、杏子はゆまの言葉に耳を傾ける。

「でも、ね。ゆまが入院してた病院に来た人が、教えてくれたんだ。ゆまにはバイドと戦えるそしつがあったんだって。魔法少女になって、バイドと戦えるんだって。 そうすれば、もう一人じゃないんだって。だからね、ゆまは魔法少女で、R戦闘機のパイロットなんだ」

「っ……」

思わず、機体を進める手が止まる。こんなところにも、魔法少女がいるというのか。こんなところにまで、こんな子供にまで、奴らはその魔手を伸ばしたというのか。

そして、その状況はまるで……。

 

(まるで、ロスに出会う前のあたしじゃないかよ。ってことは何だ?あの時そのまま着いて行ったら、あたしも同じく魔法少女に……っ)

思わず機体を殴りつけた。何もかも失ってしまった子供を利用して、兵器に仕立て上げようとする。そんな非道に、そうまでしなければならないバイドという敵の、Rという兵器の闇の深さに怒りが込み上げてくる。

その怒りに任せて、迫る光球を押しつぶす。フォースをたたきつけ、更にそこから無数の弾丸を放つ。押しつぶされ、弾けた光球から敵弾が生じる。それをすり抜け、かわしていく。

 

「っ……ぁ。それで、ね。キョーコ。ゆまは、開発基地ってところで、パイロットをしてたんだ。いっぱいがんばったら、エバやみんながほめてくれたんだ。ゆま、やくたたずなんかじゃなかったんだ」

「辛くなかったのかよ。戦うのは、いやじゃなかったのかよ」

またしても苦しげな声。猶予はない。急いで見つけなければ。

けれどもどうしても、ゆまの身の上は杏子自身のそれと被ってしまう。理解者を得て、戦うことの意味や恐ろしさを知って、曲がりなりにもそれと向き合った杏子。

それに対して果たしてゆまは、どれだけ戦うことの意味を知っていたのだろう。

「こわかった、かな。つらかったかも。でも、がんばったらほめてもらえたからだいじょうぶだったの。……でもね、ある日、事件がおこっちゃったんだ」

一体この空間はどこまで続いているのか。ただただ、木々の間を抜けて突き進んでいるだけで。本当にこちらが正しいのかすらもわからない。

焦りと、怒りが杏子の心を澱ませていく。

 

「アイギスっていうところから、わるい機械が地球に落ちてきたんだ。それをやっつけるために、ゆまはケルベロスで地球にむかったんだよ。たいへんだったなぁ」

(アイギス?それに、地球に向かった……って、どういうことだ?)

何か、おかしなずれがある。ゆまはトゥルーグレイヴの一員ではないのか。だとしたら、何故こんなところにいる。何かがおかしい。

けれど、その違和感を決定付ける言葉はすぐに、ゆまの口から語られることとなる。

「それでね、キョーコ。ゆまはいっぱいいっぱい戦って、アイギスの中にいる、わるい機械をやっつけたんだ。でもね、その中からアロー・ヘッドが出てきたんだ。……あれ、どうしたんだろう」

思い出しながら、どこか楽しそうに話をしていたゆまの言葉が止まる。

「アロー・ヘッドが出てきて、それが。一番わるいやつで。ゆまは、それを追いかけて……追いかけて……?」

呆然と、震えた声でなにか、信じられないようなものを見てしまったような様子。

「何がどうしたってんだ、ゆまっ!……っとにもう、わけがわからないことだらけだっての!」

 

アイギス、アロー・ヘッド。断片的な言葉は一つの記憶を蘇らせる。少しでもバイドとの戦いの歴史を齧っていれば、忘れようもないその事件。

サタニック・ラプソディーと呼ばれた、事件のことを。

 

「いやぁぁぁ……ァァぁ――ッ!!」

突然の悲鳴。ノイズも混じって、酷く聞き取りづらいけれど。

「おい、ゆま!しっかりしろっての、ゆまっ!!」

「いや、いやぁ……エバが、みんなが……ぁぁ、ァァァァァっ!!」

フラッシュバック。蘇る記憶。あまりにも赤い、赤すぎる世界。視界。

幼い子供が受け入れるには、あまりにも辛すぎる記憶。

「キョーコ!キョーコっ!助けて、助けて……みんなが、いなくなっちゃったよぉっ!!イヤぁ……やだ、また、ひとりになっちゃうよぉ。だれも、いなくなって……うぐ」

その声は、泣きじゃくる様子は。あまりにも幼い子供のそのまますぎて。それはとてもではないが、戦う力を持つものの言葉とは思えない。

「ピーチク鳴いてんじゃねぇ!……すぐ駆けつけてやる。だから、安心して待ってろ」

あまりにも引っかかることが多すぎる。ゆまという少女が何者なのか。サタニック・ラプソディに関係があるとしてもその事件はもう6年も前の話だというのに。

 

「キョーコ……助けに、きてくれる?そうしたらゆま、ひとりじゃなくなる、かな」

「……ああ、さっさと助けて連れ出してやる。仲間だって待ってるはずだろ」

「いないよ、仲間なんて。……みんな、いなくなっちゃった」

 

こうして、また奪われていく。

無慈悲な悪夢が、大切なものを、家族を、仲間を次々に奪っていく。

奪われた物はどうすればいい。その悲しみに頭を垂れ、足を止めて動けなくなるだけなのか。

(誰かが、救ってやらなきゃぁ……な)

その悲しみがわかるから、辛さが、寂しさがわかるから。そんなときには、助けてくれる誰かが必要なのだ。

杏子にとってのロスや、さやかがそうであったように。

「……なら、あたしと一緒に来い。助けてやるから、こんなとこ一緒に出るぞ。魔法少女の仲間だっているんだ、こっちにはさ。だから、きっとお前だってうまくやってけるさ」

「ほんと……に?」

「ああ、必ず助けに行く」

(ったく、さやかの真似事か。後で知られたら笑われそうだな)

けれど、その手に機体にかかる重さは確かに増した。今のこの手は、自分のためだけのものじゃない。もう一つ、救うべき命がかけられている。

もしかしたら、それが……。

 

 

 

 

 

 

「うん。待ってるから。……ヤクソク、だよ。キョーコ」

「――ああ、約束だ」

 

 

 

 

 

新たな決意を手に胸に、そして機体にクロス・ザ・ルビコンが森を往く。森の様子は相変わらずで、折れて倒れる樹木の合間に、光の球が迫り来る。

眼下を望めば渦巻く蛇が、その節から無数の光弾を吐き出してきている。

「今さら当たるか、こんなもんっ!!」

かわし、壊し、かいくぐりながら森を駆ける。今もまだ、ケルベロスの反応は見つからない。

「キョーコ。私、ね。ゆまはね。ゆるせなかったんだ。みんなにひどいことをした、あのアロー・ヘッドが。だから、やっつけてやろうって思ったんだ」

途切れ途切れになりながら、ゆまは必死に言葉をつなぐ。戦って戦って、戦い続けた記憶のことを。思い出していく、尽きて、果てて。それでもなお留まらぬ戦いの記憶を。

「あいつは仲間をつれてきてたんだ。3対1で、ひっしに戦ったんだ」

「きっと、バイドに乗っ取られてたんだろうな。……嫌な話だ、ったく」

「でも、ふり切れなくって。……あれはきっと、波動砲だったのかな。すごく熱くて苦しくて、息もできなくなっちゃって。………そして、ゆまは、ゆまは」

声の調子が静かに沈んでいく。認めたくない事実が、記憶として蘇ってくる。

 

「ねえ、キョーコ」

沈みきった声が、静かに震えて。

機体の回線を通じて、杏子の鼓膜を揺さぶった。

 

 

 

「ゆまは――もう、死んでるのかな」

 

 

「な――っに、馬鹿なこと言ってやがるっ!死人と話す趣味はないぞ、あたしはっ!!」

呆気にとられたのは、一瞬。すぐに気を取り直して杏子が叫ぶ。そのゆまの声があまりに儚げで、本当に今にも消えてしまいそうで。助けなくては、と思いが募る。

(しかし、なんだってここまで入れ込んじまうかね……さやかの奴に当てられたか?)

自嘲気味に笑う。けれど、不思議と気分は悪くない。

もしかしたら自分だったかもしれないゆま、もしかしたらゆまだったかもしれない自分。

それをもし、助けることが出来たなら。

(邪魔者だって言われたあの時の自分に、少しは顔向けできるかもしれないしな)

別離の際に、ロスに言われたあの言葉。それは今尚杏子を縛っていた。そうじゃないと証明するために、戦った。けれどその思いはずっと晴れずにいた。心の奥底に、澱むように積もっていたのだ。

もしかしたら、それを少しは晴らすことができるかもしれない、と。

 

「キョーコ……ゆまは、ゆまは……死んでないよね?生きてるよねっ!」

「生きてなけりゃ、どうやってあたしと話せるんだよ。……待ってろって、言ったろ」

こんな優しい声が出るもんだと、杏子は改めて驚いた。けれどゆまは、酷く錯乱している様子で、声の震えは収まらない。どうしたらいい。

「でも、でもっ!ゆま、思い出したんだよ。アロー・ヘッドの波動砲が、ケルベロスの……キャノピーを熱くて、苦しくて、息ができなくなって……」

確かに、それが事実だとするのなら生きている道理はない。だからと言って、幽霊なんてものをそう簡単に信じるほど幼くもない。

とにかく今は、すぐさま駆けつけ助けるのみだ。後のことは後で考える。

 

「……怖いか、ゆま?」

「うん……ひくっ。怖いよ、キョーコ。わからないよ、怖いよ……」

一気に機体を加速させれば、前方には迫る無数の光球。最早いちいち構っている余裕もない。

「怖いなら、あたしに祈りな」

「キョーコに……祈る?」

「今すぐ速攻駆けつけて、お前を助け出してやる。怖いなら、あたしを信じて祈って待ってろ」

ほんの僅かな沈黙の後、ゆっくりゆまは口を開いて。

「そうだね、キョーコ。ヤクソクしたもんね。……早く来て、お願い。キョーコ」

「――任せとけ」

 

機体に反応。所属も正体も不明だが、間違いなくR戦闘機の反応だ。

「見つけたぞ、ゆまっ!」

自然と笑みが浮ぶ。後は駆けつけて、助けるだけだ。

「っ!?キョーコっ!早く来てっ!敵が近くに来てるっ!!」

ゆまの声は、途端に切羽詰ったものに変わった。

「敵?近くまで来てるってのか!?わかった、すぐに行くからな!なんとか持たせろよっ!」

反応のあった方向へ、一気に機体を進ませる。迫るは無数の光の球。どうやら敵もこの先へは行かせたくないらしい。

猛攻とでもいわんばかりの勢いで、迫る光球、吐き出される敵弾。倒れ来る木々。

 

「失・せ・ろぉぉぉぉッ!!!」

ドース解放、Δウェポンで一気に敵を殲滅する。解放された破壊のエネルギーが、敵を、敵弾をかき消し消滅させていく。

道は開けた。後は突き進むだけだ。

「うあぁぁっ!!」

「ゆまっ!?どうした、攻撃を受けてるのかっ!!」

「……う、ん。すごく、痛いよ……助けて、キョーコ」

「もうすぐだ、もうすぐ到着するからなっ!」

木々の間をすり抜けて、全速力で機体を飛ばす。もうすぐだ。もうすぐ機体の反応のある場所へと着く。

「キョーコっ!敵が……近づいて、来たっ!」

 

 

開けた場所に、一際明るく光る木が一本。

光を放つその声の中に、黒い機体が眠るように佇んでいた。蔦のようなものが、向こうの木にまで伸びている。

「………なんだよ、こりゃあ。どうなってやがる」

呆然として、思わず声が漏れた。

それは完全に木と同化してしていて、傍から見ても相当な時間が経過していることがわかる。

「ゆま……そこにいるのか、ゆま」

信じられない、信じたくない。まさか……そんな。すぐに返事は返ってきた。今までよりもはっきりとした声で。

どこか、冷たい調子の声で。

 

「敵が来た。……ゆま、戦うよ。フォースと波動砲はまだ生きてるんだっ!」

直後、閃光が走った。絡みついた蔦が、それが伸びた先の木が。光と共に弾けとんだ。

そして、現れたものは……。

「フォースに、光学チェーン……だと!?」

そう、それはケルベロスのフォースであるアンカー・フォース。

その攻撃能力はフォースのみに留まらず、それを制御するための光学チェーンにもまた存在し、従来のフォースに比べて非常に攻撃的な性質を持つフォースであった。

「ゆま……敵が、いるのか?一体どこに……っ!?」

更に続けて行われる、波動砲のチャージ音。さらにはその照準は、確実にこちらに向いている。

「何考えてる、ゆまっ!あたしだ!杏子だっ!」

「キョーコ。すぐそこまで来てるんだ……うん、待ってるよ。ゆまも、敵をゼンぶやっツけるかラ」

ライトニング波動砲が、来る。

 

「どうなってるんだよ、本当に……っ!!」

状況は狂っていく。地獄の番犬が牙を剥く。

破壊衝動を剥き出しにした凶悪な雷撃が、河を越えて来る者へと突き刺さった。

 

「ぐ……っ!!」

機体が激しく揺れる。とっさに回避機動は取ったもののライトニング波動砲は疾く、さらには追尾性能まで兼ね備えていた。

この距離で放たれれば、到底かわしきれるものではない。機体後部に直撃。小規模な爆発が起こる。

エンジン出力が低下、オートバランサーを起動させ必死に機体を立て直す。

「まだ、生きテる。敵は、敵ハすベてたおサなくっチャあァァぁッ!!」

それでもまだ足らぬとばかりに地獄の番犬が吼え猛り、そしてその腕を伸ばした。迫る敵を引き千切らんがため、アンカー・フォースが迫る。

「ゆまっ!何やってんだっ!聞こえてないのか、あたしだ、杏子だっ!!」

「聞こえてるよ、キョーコ。でも、こいツはゆまを攻撃シてきたンだ。だかラ、敵なンだよ。敵はゼんぶたおさなクちゃ。そシて、ほめてモらうンだ」

アンカー・フォースの軌道はあくまで直線的、機体を翻してそれをかわしさらに続けて迫る光学チェーンを掻い潜り、杏子は叫び続ける。

声は届いているのに、なぜ撃ってくる。なぜ分からない。

 

「キョーコは、ゆまを助けてくれるんだよね。でモ、こイつはゆまの敵だッ!

だかラやっつケるっ!死ネ、死ねェェェっ!!」

その攻撃はさらに苛烈なものとなり、殺意をあらわにゆまが、地獄の番犬が吼える。アンカー・フォースが掴んで投げ飛ばした塊を回避して、杏子は静かに覚悟を決めた。

「……ゆま」

この状況はあまりにもおかしい。このゆまの豹変も、おそらくバイドの仕業なのだろう。

ならばまず、あの機体を絡め取るバイドを切り離す。

「少し手荒になるぞ。でも、絶対に助けてやるからなっ」

そして重なり合って響く、波動砲のチャージ音。

ライトニング波動砲が、圧縮炸裂波動砲が、明確なる破壊の意思の元、互いの機体に蓄えられる。

R戦闘機同士の戦闘では、比較的よく見られる光景。その膨大な破壊が振りまかれる予兆に、空気は静かに震えた。倒すため、そして救うため。力は放たれようとしていた。

 

放たれたアンカー・フォースが引き戻される。引き戻されて撓み、歪んだ光学チェーンが刃と化して迫る。けれど、この位置から逃れるわけにはいかない。

ケルベロスの真正面。この位置でなければならない。

機首はケルベロスから逸らさないように。先端に構えたフレキシブル・フォースは離してしまわないように。慎重に、その刃を潜り抜ける。光学チェーンが擦過し、機体が揺れる。

出力の上がらない機体を必死で立て直す。ついに、チャージは完了した。

「こいツをタおせば、キョーコに会える……だカラ。死ぃぃィぃネぇェぇっ!」

放たれた地獄の雷。勝負するのは、今だ。

機体前方に据えたフレキシブル・フォースを回転させる。さらに機体を急加速、ケルベロスに向けて突撃。

フレキシブル・フォースが持つ金属触手はX-マルチプル構造を備え、テンタクル・フォースが持つそれよりも高い柔軟性を持っていた。

故に、その触手は機体の動きに合わせて揺れ動く。急加速によって生じた慣性が、フレキシブル・フォースの触手を揺らす。

機体を覆うようにその形状を変化させ、さらに回転するその触手はまさしく機体を覆う鎧のように、迫るライトニング波動砲を受け止めた。

だが、それだけではまだ足りない。ライトニング波動砲は追尾性を備えた上に回り込み、迫ってくるのだ。

故にその雷撃を防ぐにはもう一手必要だった。

 

機体を急停止させる。するとまた触手は形状を変える。前方に突き出されるような形状を取った触手の上を、放たれた雷撃が跳ね回る。

そのエネルギーが逃げ出す前に、さらにこちらへ迫る前に。フレキシブル・フォースを、ケルベロスを捉えるバイドの木へとめがけて射出した。

放たれれば即座に、その触手は収納されて飛んでいく。そこに蓄えられた雷撃もまた。雷を纏ったフォースが木の根元に喰らい付き、焼き払い、そして打ち砕く。

まさにそれは一瞬の交錯。杏子はフレキシブル・フォースの特性を最大限に利用して、辛くもライトニング波動砲を凌ぎ、さらに反撃までもをやってのけた。

もはやケルベロスに迎撃の手段はない。後はただ撃ち放ち、そして解き放つだけだ。この悪夢と言う名の鎖から。

 

圧縮炸裂波動砲が、ケルベロスを捉える木をさらに打ち砕く。もはやケルベロスを捕らえるものは何もない。ゆっくりと、その機体がコアの中から滑り出た。

「どうだ、ちゃんと助けてやったぜ。ゆま」

「………うん、動けるようになったよ、キョーコ」

静かに、ケルベロスはその機首を傾けて。

「これで、ちゃんと戦える。今度こそ、たおセるね。敵ヲ」

「なっ……!?」

再び放たれたアンカー・フォースが、クロス・ザ・ルビコンのキャノピーに喰らいついた。その爪がキャノピーを食い破り、さらにエネルギー体が全てを焼き尽くさんと迫る。

砕けたキャノピーの欠片が、コクピット内に降り注ぐ。

「っの……離れろぉぉっ!!」

咄嗟に波動砲をチャージ、即座に発射。低チャージの波動砲ではあったが、炸裂の勢いで食い込んでいた爪を引き剥がすことには成功した。

しかし、その反動で投げ出される機体。制動をかけることもかなわずに、クロス・ザ・ルビコンは暗黒の森に打ち捨てられてしまった。

 

全身に衝撃、そして、焼け付くような痛みが走る。この衝撃で壊れたのだろうか、パイロットスーツを突き破り、さらには柔らかな体を食い破って赤く濡れた何かが、その腹部から突き出していた。

砕けて折れた機械の破片。見るからに痛々しいその様を前に。

「ぁ……」

半ば呆けたように、杏子は声を上げた。

(やばい、これ……死ぬ)

視界がぶれる。意識が揺らいでいく。体が力を失って、機体を動かすことすら出来ない。揺らぐ視界のその先で、ケルベロスはその機首をゆっくりと巡らせていた。

 

「やっつケた。……キョーコ。ゆまは、やったよ。キョーコ」

通信はまだ届いていた。嬉しそうな、ゆまの声が聞こえてくる。

「キョーコ?どこに行ったの?キョーコ……ねえ、返事してよ」

(自分でやっといて、無茶言うなっての……)

応えようにも声が出ない。出血が止まらない。体から力が抜けていく。死が、近い。

(今度こそ、潮時かな。ははっ、死にたがりが随分生き延びたよな)

諦めが体を、意識を絡め取る。

「キョーコ……キョーコ。やだよ、おいてかないでよ」

(助けられるかもって、思ったんだけどな……。らしくないことは、するもんじゃなかったな)

「キョーコ……どうして、ゆまを、ひとりにしないでよ。キョーコ……」

(あぁ、泣いてるなぁ。そうだよな。独りぼっちは、寂しいもんな……)

意識が、暗黒の森に落ちていく。もうじき自分も、悪夢の鎖に絡め取られて、ここを漂う存在となるのだろうか。

(ごめん、ゆま、さやか。あたしは……もう)

 

「ヤクソク……したのに」

(約束。……ああ、そうだな。助けるって、約束した。約束……ヤク、ソ――)

 

 

 

 

「そう――だよなぁ。げふ、ごほっ」

搾り出すようにした声、喉の奥から鉄の味がこみ上げてくる。

「約束、したんだ。助けるって」

抗いがたい眠気を捻じ伏せて、その目を見開いた。

 

 

「分かるよな……今は、死んでる場合じゃないんだよっ!!」

 

ダン、と機体のパネルを叩く。飛び出したのは緊急時用の医療キット。浸透圧式の注射を、ヘルメットの隙間から首筋に打ち込んだ。

吐き気を催す程の痛みを、強すぎる麻酔で押し殺して。流れ続ける血液を、薄れてゆく意識を、強心剤で無理やり叩き起こして。

「動け、動け……動けっ!今動かなけりゃ、意味がないんだよっ!!」

願いが、ボロボロの体を衝き動かした。果たして人の意思は、機械の心を揺るがしうるのか。機械は機械、人は人。決して相容らざるものであるはずなのに。

条理はここに破られる。完全に機能を停止したはずのクロス・ザ・ルビコンに再び光が灯る。

 

戦いは、まだこれからだ。

そして、命を張るのはここからだ。

 

 

「キョーコ?キョーコっ!だいじょうぶなの?キョーコっ!」

「ああ、あたしがこれくらいでくたばるもんか。ピンピンしてるよ」

「よかった……でも、キョーコ。今どこにいるの?」

「すぐ近くにいる。今行くから、待ってろよ」

考える。なぜ、ゆまは攻撃を仕掛けてきたのか。ゆまは、まるでこちらを敵だと考えているようだった。これを何とかしなければ、ゆまを助け出すことも出来ない。

いくら呼びかけても、その声の主がこの機体だと分かっていない。

もしかしたら、機体の識別が出来ていないのかもしれない。ただ、近づくものを敵として捉えて攻撃している。それだけなのかもしれない。

ならばどうする。どうすれば、この機体が自分なのだと伝えることができる。

 

「ゆま……っ、あたしを、信じろ」

「キョーコ?どうしたの。なんだかすごく辛そうだよ?」

「いいから。五秒だけ、そこをそのまま動くな。攻撃もするな。そうしたら、あたしはあんたの側に駆けつけてやる」

「五秒って……あ、でも、また敵が来るよっ!敵が……まタ、動きハじめタもん」

ケルベロスも、ゆまもまたこちらの動きに気づいたようだ。相変わらず敵として認識し、再びその牙を向けようとしている。

「いいからっ!……敵は、あたしが一緒に倒してやるから。だから…な、ゆま。五秒だけでいい。……そのまま、そうしてろっ!!」

クロス・ザ・ルビコンが走る。ケルベロスを目指して、ふらふらと飛ぶ。フォースは撃ち捨てた。ゆまを、ケルベロスを撃つ必要なんてもうないのだから。

後はもう、ゆまが信じてくれることを祈るのみ。

(それで駄目なら……二人仲良くあの世行き、だな)

 

ゆまは、撃たなかった。

身の内から湧き上がる、攻撃しろ、敵を殺せという衝動。撃たなければ、殺されるという恐怖。それを、杏子の言葉にすがって押さえつけた。信じているから。

信じられるから、大丈夫なんだと。

そして、半ばぶつかるような形でケルベロスとクロス・ザ・ルビコンの機体同士が触れ合った。

届いた、通じた。そして機体に響く、声。

「――聞こえるか、ゆま。迎えに来たぞ」

通信を介した声ではなく、その声は直接機体を振るわせた。機体同士を接触させ、振動によって音声を伝える接触通信である。

通常の状態ではまず使われる方法ではない。だが空間そのものがバイドに汚染され、通常の通信が困難な状況下では、導線などを使った接触通信は周囲の状況によって阻害されることのない確かな通信手段として確立していたのだ。

 

「キョーコ……聞こえる、聞こえるよっ!そこにいるんだね、キョーコっ!」

そして、それは確かにゆまに届いた。接触通信。それは間違いなく杏子がそこにいるという証拠。

「ああ、助けに来た。さっさとこんなとこ抜け出して、地球に帰るぞ」

このまま乗せておくには、ケルベロスはさすがにバイド汚染が危ぶまれる。このコクピットの中を見せるのは忍びないが、ゆまにさえ乗ってもらえれば。

――最悪、自分が死んでもゆまは帰ることが出来る。

「……でも、今近づいてきたのは敵で、でも、敵かと思ったらキョーコで。キョーコは敵じゃない、敵じゃないけど、これは敵で、敵は、敵が……」

「落ち着けっ!……敵なんか、どこにもいやしない。お前の側にいるのは、あたしだけだ……ゆま」

錯乱している場合じゃない。一刻も早く脱出しなければならないのだから。その声に、ゆまも驚いたように声を漏らして。それでも助かったという安堵が、冷たく張り詰めた心を溶かしていったのか。

 

「……うん、そっか。敵はいなかったんだ。もう、いないんだ。よかった……ずっと戦ってたんだ。でも、もう敵はいないんだよね、キョーコ」

本当に、本当に安心したようなゆまの声。

今はその声が、とても尊いものだと思える。失ってはならないと。

「大変だったな、ゆま。……よし、じゃあ帰ろう。キャノピーを開けてくれ」

「うん、ちゃんと開いてくれるかな……ちょっと心配かも」

「安心しろよ、開かなかったら抉じ開けてやるからさ」

 

そして、悪夢の蓋が開く。二人の少女に、本当の悪夢が襲い来る。

それは二人を打ちのめし、その意志を、全てを断ち切ろうとしている。ここは異層次元の吹き溜まり、積もって澱んだ何かが溜まり、最後に流れ着く場所。

――暗黒の、森なのだ。

 

 

 

キャノピーが開かれると、中から溢れ出てきたもの。それは赤黒く、それは艶やかで、それはぬらぬらと濡れていた。

おおよそこの世の物とは思えぬほどに醜悪で、今なお蠢くソレは。ヒトの言葉を以ってしても、こう表すより他に術はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――肉隗、と。

 

 

 

 

「――んだよ、なんなんだよ、これはッ!!」

一瞬、杏子の思考が停止した。立ち直れば、困惑が口をついて出る。なぜケルベロスのキャノピーの中にこんなものが。

ゆまはどこへ行ってしまったのか。それとも、まさかこれが……。

(そんなはずが、そんなはずがあるかよっ!)

「な、なぁ……ゆま、お前は本当に、本当にそこにいるのか?」

認めたくない。認められるわけがない。震える声で尋ねた杏子に帰ってきたのは、静かなゆまの声だった。

「……そうか、そうだったんだ。全部思い出しちゃった」

確かに声は聞こえる。接触した機体を通して、声は伝わってくる。

それはつまり、そこにゆまがいるということで。

「何を思い出したってんだ。……帰る場所か?」

「それもあるけど、全部。もう、ゆまには帰るところはないみたいなんだ」

「ないならあたしが作ってやる!いいから、一緒に帰るぞ、ゆまっ!」

そのゆまの声は、まるで全てを諦めてしまったかのような声で。子供がそんな声を出すことが、何よりも許せなくて杏子が叫ぶ。

諦めてたまるものかと。ゆまだって、マミのように助けることはきっとできると信じて、杏子は声を張り上げた。

 

「……キョーコは、どうしてそこまでしてくれるの?ゆまは、キョーコを撃ったんだよ。ひどいこと、しちゃったんだよ?」

「っ……わかってた、のか?」

「今、わかったの。それなのに、どうしてキョーコは」

何故、なんて問われても答えはとっくに出ていたのだから、迷う必要なんてない。

ただ、それを告げるだけでよかった。……少しだけ、恥ずかしいような気もしたけれど。

 

「きっと、さ。あたしは……お前だったんだな」

そして、静かに言葉を紡ぐ。

「あたしとお前はよく似てる。きっと、何かが一つ違ってたら、あたしらの境遇はまるで逆だったんじゃないかと思う。あたしがロスに助けられてなかったら。きっとあたしは魔法少女ってのになって、あんたの代わりに戦ってた」

「キョーコ……」

「だからあたしは、あたしがなってたかもしれないあたしを、お前を助けてやりたいって思う。……初めてなんだよ。誰かを助けるために、守るために戦いたいって思えたのは」

今まではずっと誰かのために、例えばそれがロスで、さやかで。そんな誰かのために、その誰かの目的のために戦ってきた。

自分自身の意志で戦う理由と、守るものを掲げることができた。それは初めてのことだったのだ。

「だからあたしは、どうなったってお前を助ける。あたしがそうしたいからそうするんだ。そんな、身勝手でどうしようもない理由さ。あたしがお前を助けたい理由なんてのは」

少しだけ、心が晴れたような気がした。胸の奥でずっと痞えていた何かが取れたような気がした。

これが理由でもいいのかもしれない。戦う理由。自分だけの、どこか身勝手な理由。そこに守りたい人がいるから、助けたいと思う人がいるから。

それを偽善と笑わば笑え、そう思ってしまったのだから仕方がない。ならばまず、どんな手を使ってでも目の前の少女を、ゆまを助ける。

そこから始まるんだ、と。改めて杏子は決意を固めた。

 

「そんなに言ってくれるなんて、うれしいな、キョーコっ」

ゆまは笑ってそう言った。ああ、じゃあ後は助けるだけだ。

「でも、ごめんね。キョーコ。……やっぱり、ゆまはもう死んじゃったみたい」

そしてゆまは、閉ざされていた記憶を紐解いていく。軍の記録にすら残らない、ゆまの最期の戦いの記憶。

「あのとき、基地でアロー・ヘッドと戦ったとき。波動砲がキャノピーをかすっちゃったんだ。その時に、ゆまの身体はふり落とされちゃった。すごくボロボロになっちゃったんだ」

記憶が、心が目覚めていく。自分が何であるのか、どうしてここにいるのか。

全てを思い出していく。暗黒の森の中で。

「ケルベロスも、ゆまといっしょに落ちていったんだ。でも、負けたくないって思った。やっつけてやりたいって、願ったんだ。気がついたらゆまは、ケルベロスの中で下に落ちていくゆまの身体を見つめてた。きっと、そのときにはもう、ゆまは死んじゃってたんだね」

なのに、何故戦えたのか。何故機体が動いたのか。そんなことはゆまにはわからない。

サイバーコネクタとソウルジェムの可能性。その一端がそこに示されていたこと。そしてそれが、現在の魔法少女のシステムの雛形となっていたことを。ゆまも杏子も知らずにいた。

知る必要は、恐らくなかった。

 

「それがどうした。ゆま、お前は今そこにいる。あたしと話ができる。死んでるってなら、あたしが今話してるお前は何なんだっ!例え幽霊みたいなもんだとしても、あたしはお前を連れて帰るぞっ」

杏子の意思は固い。きっと、連れて帰ればなんとかなるはずなのだ。キュゥべえ辺りが何とかしてくれる、訳も理屈もわからないような、不思議な方法で。

そんな淡い希望も、そこにはあったから。だから杏子は呼びかけ続けた。

 

「キョーコ、聞いて。ゆまが何をしたのか、何と戦ったのか。きっと誰も知らないと思うから、伝えて」

その声は届いていたのか、それとも。

それでもゆまの言葉は止まらない。今伝えなければ、きっと誰も知らないままになってしまうから。

「アロー・ヘッドをやっつけて、基地のいちばんおくまで進んだんだ。そこには、ドプケラドプスがいた。きっとそいつが、基地を、みんなをめちゃくちゃにしちゃったんだと思う」

絶望の象徴ともいえる、強大な敵。ドプケラドプス。

ゆまの言う事が事実なのだとしたら、かつて仲間と共に死力を尽くして立ち向かったその敵に、ゆまは単身で立ち向かっていったことになる。一体どれほどの死闘だったのだろう。

「すごくこわかった。すごく強かった。でも、ゆまは勝ったんだよ。そして聞いたんだ。いちばんわるくて、いちばん大きいバイドがいる場所のことを。……その場所が、ここ。この暗くてさむい森の中だったんだ」

そして、それを倒して尚悪夢の蹂躙は終わらないという。バイドの中枢。それはこの暗黒の森にあって、暴威を振るい続けていたのだという。

 

「そこであったことは、ゆまにはよくわからなかったんだ。たくさんのこわいバイドがいた。 全部、全部やっつけた。……でも、フォースが、敵にとられちゃって」

ゆまの声は震えている。思い出したのだ。あの恐ろしくも荘厳な戦いを。

まさしく生命の本質そのもの。互いの存在ただそれのみをかけて、本能のままに戦った記憶を。

「帰ろうとした、もどろうとした。……でも、だめだったんだ。ゆまは地球に帰れなかった。そして、バイドが追いついてきて……」

杏子も、ゆまの言葉の真実を理解し始めていた。

バイドコアの謎の消滅をもって終わりを告げた、サタニック・ラプソディー。その真実が今、それを戦い抜いたゆまの口から語られているのだ、と。

「それからは、ずっと眠ってた。とにかく眠くて、ここはずっと静かだったから。キョーコが来て、ゆまを起こしてくれたんだね。……でも、ゆま。ちょっと寝ぼけてたみたい」

静かに、ケルベロスの機体が離れていった。追うことも出来ず、見守るだけの杏子。

 

 

 

「だから、今ならわかる。……きっと、ゆまはもう」

聞きたくない。認めたくない。わかっているのに、わかりきったことなのに。

今、こうして言葉を交わせる現実を否定したくないのに。

 

「バイドに、なっちゃったんだ、って」

その言葉と同時に、ケルベロスのあちこちから何かが湧き出した。

それは恐らく、キャノピーの中を埋めていたものと同じ、赤黒い肉のようなもので。それは瞬く間に、ケルベロスの全身へと絡み付いていった。

そして脈動し、ゆっくりと、まるでキャノピーの名残のような結晶体がその表面に浮かんだ。

 

 

ソレを、人類は知っていた。

それが何であるのかも、人類は知ってしまっていた。

バイドに汚染され、変貌を遂げてしまったソレを、狂気の科学者たちはこう呼んでいた。

 

B-1D――バイド・システムα、と。

 

 

「そう、だったんだな。ゆま」

理解はできた。むしろよく今まで、機体の姿を保っていたものだと思う。6年だ。それほどの長い間、ゆまはこんなところで一人で眠り続けていた。

バイドの侵食に抗いながら、待ち続けていたのだ。

「キョーコ。今なら、わかるよ」

まだ、通信は届いている。内部まで完全にバイド化したというわけではないのだろうか。

「ゆまは、もうすぐ心までバイドになっちゃう。さっきは、そうなりかけてた」

バイドは、その圧倒的な攻撃本能に従って行動している。攻撃するために増殖し、攻撃するために進化し、攻撃するために侵食する。

敵を見つけて、攻撃する。それがバイドの全てだというのなら、確かに今までのゆまの行動も納得はできた。

「……お願い、キョーコ。ゆまは、人間でいたい。バイドになんて、なりたくない。だから、ゆまが人間のままでいられる内に……止めて」

「できるか、そんなことっ!!」

ゆまの言葉は理解できた。だからこそ力を篭めてそう答える。助ける。そう決めたのだ。それを覆してたまるものか。

連れて帰る。そして取り戻す。絶望的なのはわかっていても、それだけは貫き通したかった。

 

「あたしはお前を連れて帰るって決めたんだ!助けるって決めたんだ!そりゃあ、今すぐってのは難しいかもしれないけど、お前を元に戻す方法だって見つかる!だから、あたしと一緒に帰るぞ、ゆまッ!!」

もう、声も途切れ始めた。

「キョーコは、ゆまを助けてくれたよ。眠ったまま、なにもわからないままバイドになりそうだったゆまをキョーコは助けてくれた。……だから、お願い。ゆまを、バイドになんてさせないで」

「諦めるなよ!今まで頑張ってきたんだろ!一緒に帰って、いつか元に戻れる日まで待ってくれよ。助けたいんだ。……頼むよ、ゆま」

それはきっとできはしない。わかっていた。けれど認めたくなくて。自分の無力さを見つめるのが辛くて。零れる涙を止められなくて、杏子は叫び続ける。

「時間なんてもうないんだよ。いつかじゃなくて、いまなんだ。いま、キョーコがゆまを助けてくれなかったら、とめてくれなかったら。ゆまは、もっとたくさんのものをこわしちゃう。まもりたかったものも、ぜんぶ」

バイド・システムαが、ゆっくりとその機首を巡らせた。そこに宿っているのは、間違いなく攻撃の意思。

もはや直にそれは、ゆまの意思とは関係なく動き始めるのだろう。きっとゆまの意思は、もうすぐなくなってしまうのだろう。

 

 

「まも、りた、い、ものが、たくさ、ん。たく、さん、あったん、だ。 でも、ゆま、は、まもれ、なか、った。きょー、こ。まも、って。わたし、まもり、たかった……もの」

バイド・システムαの波動砲。優れた追尾性能を持つデビルウェーブ砲のチャージが、始まった。もう、迷っている時間はない。

このまま共に尽き果てて、悪夢の虜囚となってしまうのか。

それとも、身を切るような。文字通り自分の半身を失うような痛みを負って尚、戦いを続けるのか。

 

杏子は、気付く。

クロス・ザ・ルビコンが既に、波動砲のチャージを終えていたことを。迷い続ける意思と言葉とは裏腹に、その手は、機体は、為すべきことを知っていた。

 

「わかった」

波動砲の照準を、バイド・システムαに定める。

外しはしない。避けもしないだろう。涙で歪む視界。それでもきっと、外れはしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――オヤスミ、ゆま

 

――アリ ガト オヤ スミ

 

 

 

 

 

 

 

「あたしは、戦うよ。生きられなかったお前のために。あたしになれなかったお前のために。あたしが、なっていたかもしれないお前のために。……忘れないよ、ゆま」

それは、杏子が心を決めたとき。コアを失い、崩れゆく暗黒の森の只中で。炸裂する光の中で、静かに存在を失っていく機体を見送りながら。

「だから、今はちょっとだけ泣かせてくれ。休ませてくれ。ゆま、ゆま」

その光の中で、幼い少女が、うっすらと笑ったような、そんな気が……した。

 

 

 

 

 

慟哭。

 

 

 

 

5時間後、救難信号を察知したセンター・ヘッドによって、クロス・ザ・ルビコンは回収された。

パイロットは重症を負っており、すぐさま病院へと搬送された。命に、別状はないとのことである。

 

 

「なんだ、元気そうじゃん」

地球、病院。杏子の個室。

容態も安定して、ようやく面会が許可されることとなった後のことである。寝てばかりじゃ身体が鈍ると、ベッドの上で少しずつ身体を動かしていたところに、さやかが面会にやってきたのだった。

「まあな、腹に一発もらっただけだ。大したことないさ、こんなもん」

「そっか。重態で病院に運び込まれたって聞いたときは、どうなることかと思ったけどさ。あ、これお見舞い」

果物の入った籠を床頭台に乗せて、椅子を引き寄せベッドの側に座る。

「へへ、丁度腹減ってたところだ。どうも病院食ってのは味気なくてさ」

さっそくその中に手を突っ込んで、赤くて大きな林檎を掴んでそのまま、大きく一口齧り付いた。

「ちゃんと剥いて食べなさいな、汚れちゃうでしょーが」

「いーじゃんかよ、別にさ」

どうやらかなりいいものだったらしい。齧り付けば、口の中にみずみずしい甘さが広がって、思わず顔が綻んだ。

 

「……それでさ、杏子。一体何があったの、あたしらが分かれた後」

巨大戦艦は異層次元で無事に撃墜され、見滝原はひとまずの危機を逃れたこととなる。それでも被害は大きかった。ビル街だけとはいえ、死傷者は優に三千人を超えたらしい。地球におけるバイドの被害としては、エバーグリーン、サタニック・ラプソディに次ぐ規模であるらしかった。

ビル街には無数の痛々しい傷痕が刻まれ、復興にはかなりの時間が必要となるだろう。あまりにも、あまりにも大きな犠牲であった。それでも、当面の危機は去ったのだ。

 

「別の場所で、バイドと戦ってたんだよ。それでちょっとヘマ打ってさ、このザマだ」

「ほんとにそれだけ?」

「それだけ、って。あの状況でそれ以外に何があるんだっての」

「いや、それはそうなんだけどさ……なんか、様子変わったな、って」

妙なところで鋭い奴だ、と杏子は苦笑した。

「……まあ、色々あったよ。でも、悪い。これは、あたしの中に留めておきたいことなんだ」

穏やかに笑って、杏子はさやかに答えた。そしてまた、しゃく、と林檎を一口。

まだ胸の中で燻っている、無念。けれど杏子の胸の中には、それとは別に燃え滾るものがあった。死にたがりの影はもうどこにもない。強く生きようとする意志が、闘志が燃えていた。

けれどそれは、口にするにはちょっと恥ずかしくて。言葉にすれば、また泣いてしまいそうだったから。だから杏子は、静かに笑ってそう言った。

 

「っていうかさ、さやか。あんたもなんか変わったんじゃない?……なんていうかさ、前みたいな張り詰めてる感じがなくなったっていうか」

杏子の目から見るさやかは、今はとても落ち着いているように見える。

戦うことに、守ることに命を燃やして、とにかく突き進み続けていたさやかとは違う。それはそれで確かな力強さを持っていたが、同時に危うさも感じていた。けれど今は、そんな影はどこにもない。

こんな自然体のさやかを見たのは始めてかもしれないと、杏子も少し驚いていた。

「あー……まあ、あたしも色々あったんだよ。マミさんのこととか、恭介のこととか。なんかさ、悩んでたことが全部綺麗さっぱり解決しちゃって、自分がどうすればいいのかわかっちゃったんだ。そうしたら、そんなに急ぎ過ぎなくてもいいかなって、そう思うようになっちゃったんだよね」

そう言って笑うさやかの横顔は、思わずどきりとしてしまうほど大人びていた。

「……ま、お互い色々あって変わった、ってことかね?」

「そうだね。あたしらもしかして、ちょっと大人になったのかもね」

自信たっぷりにさやかが言った。思わず、杏子はその顔を見合わせて、それから噴出した。

「くくっ。何を言い出すかと思えば、大人ってなぁ」

「なによ、笑うことないじゃないのさーっ」

そして、さやかも笑った。

 

辛くて痛くて、大きな戦いが一つ、終わった。

戦火を越えて、少女たちは一つ大きく成長した。人として、戦士として。それがわかるから、今は笑う。互いを讃えるように、傷を埋め合うように、時を過ごして心を交わして、共にあるのだ。

 

 

 

 

 

「ママ、具合はどうかな?」

「おう、この通りピンピンしてるよ。早く退院できないと、身体が鈍っちゃうね」

まどかは病室のドアを開けると、ベッドから身を起こして彼女の母、鹿目詢子は軽く手を上げた。

「っ、痛たた……流石にまだ無茶か」

「もう、ママ。怪我してるんだから、あんまり無茶しちゃだめだよ」

その手には巻かれた包帯。一朝一夕に直る怪我ではないようで。

「まあね、折角拾った命だ。大事にしなくちゃな」

ビル街がバイドの砲撃を受けた際、詢子は丁度そのビル街にいた。バイドの接近を知るや否や的確に避難の指示を出し、自らも避難を開始した。

そしてなんとか、多少の怪我負ったものの生き延びることが出来ていた。

それを知り、真っ先にまどかは駆けつけた。流石の詢子も、まだバイドの襲来が終わってすぐ、情報も錯綜し放題のその時期にまさか家を離れていた娘が、誰よりも早く駆けつけるとは思っていなかったようで、随分と驚いていた。

 

そして数日が過ぎた。

詢子の怪我はそれほど重くないようで、数日中には退院できるようだった。詢子はむしろ、そんな怪我よりも会社のことの方が気がかりだったようだが、社屋も何もかも綺麗さっぱりなくなってしまったビル街の様子を見ると、吹っ切れたように大笑いして。

「ああ、これは帰ったら忙しくなりそうだ」

なんて言いだした。本当に、本当に強い。そんな詢子の強さが、真っ直ぐさが、まどかにはとても頼もしかった。

 

「ねえ、ママ。私……ママに話さなくちゃいけないことがあるんだ」

「ああ、やっと話す気になってくれたか。……何抱え込んでたんだい、まどか」

まどかはもう迷わない。進むべき道は決めたのだから、後はその意思を示すだけだ。

「……すごく大変な話なんだ。だから、ここじゃ話せないの。外に行ってもいいかな」

「わかった。車椅子、持ってきてもらっていいかい?」

「うん、ちょっと待っててね」

まどかが部屋を出て行った。それを見送って、詢子はベッドに背を預け。

「あの子があんなに言うなんて、一体どれだけすごい秘密なんだろうね。ちょっと見ないうちに、すっかり大人びた顔しちゃってさ。なんか、親としては複雑な気分」

娘の成長が嬉しいと思う反面、その瞬間を見逃してしまったのが悔しい。切羽詰ったような様子をしていたかと思えば、突然の家出紛いのことである。

正直不安もあったけれど、まどかの様子を見るに、それはまどかを大きく成長させたのだろう。再び扉が開く音を聞きながら、詢子は満足げに笑みを浮かべていた。

 

 

そして、日が暮れて。

 

「もういいの、鹿目さん?」

病院から出てきたまどかを、ほむらが出迎えた。街はまだ混乱から完全に立ち直ったとは言えない。交通機関の復興も十分ではなく、病院へと通うための足として、ほむらがエア・ランナーを飛ばしていた。

「……うん、ママともしっかり話できたし、元気だったし」

「そう、よかったわ。……ちゃんと話は出来たのかしら」

まどかの表情を見る限り、きっと悪いほうには転がりはしなかったのだろうと思う。多少疲れた様子はあるも、前に見たときよりはずっと前向きな表情になっていた。

「……うん、ちゃんと伝えたよ。信じてくれたよ」

機密的な問題はあるけれど、誤魔化しきれることでもない。キュゥべえにも相談をした上で、まどかは詢子に全てを打ち明けたのだった。

魔法少女というのはいささか語弊があるので、バイドと戦う素質を持った少女としてその存在を打ち明けて、そしてバイドと戦う友達のことを、その秘密をずっと抱えていたことを、まどかは静かに語った。

あまりに突飛な話である。けれども詢子はそれを確かに聞き届けた。そして、まどかを信じて信じると、そう言ったのだ。

 

「よかったわね、鹿目さん」

「うん、ほむらちゃんもありがと。それで、さやかちゃんは?」

さやかもまた、ほむらに送られ病院へと来ていた。杏子の下へと行くために。

「まだ戻ってきてないわ。随分話し込んでるみたいね」

「そっか、じゃあ私もちょっと行ってこようかな」

「待って、鹿目さん」

再び病院に戻ろうとしたまどかを、ほむらが呼び止めた。

「どうかしたかな、ほむらちゃん」

「丁度いいか、今聞かせてもらってもいいかしら。あの時の答え」

これからどうするのか、どう生きるのかと、戦いに赴く前に投げかけた、問い。聞くのなら、きっと今だろうと思う。

「うん、そうだね。ママにも同じことを聞かれたんだ」

当然だろう。大事な娘の行き先を気にしない親がいるだろうか。

「それで、貴女はどう答えたの?」

真っ直ぐに見つめるほむらの視線を受け止めて。まどかも真っ直ぐほむらを見つめて、小さく息を吸い込んで、それから。

「……私は、魔法少女にはならないよ」

自分の意思を、選び取った答えを、告げた。

 

「そう、私も、それがいいと思う」

安心なのか、それとも少し残念なのか。ほむらは軽く目を伏せて、小さく吐息と共に言葉を吐き出した。

「……私ね、前から自分には何も出来ないって思ってたんだ。何か得意なことがあるわけじゃないし。自分に自信も持てない。さやかちゃんみたいに戦うことを決意することもできなかった」

それが、まどかがずっと抱えていた悩みの大元。自分に何ができるのかがわからずに、自信がもてずにずっと思い悩んでいた。

「でも、そんな私にでもマミさんを助けることができた。できることがあった。戦えなくても、私にはできることがある。助けることができる人がいるかもしれない。だから私はここで頑張る。この場所で、見滝原で」

もはや、まどかの表情に迷いはない。これならきっと大丈夫だろう。これから先、どれだけ辛いことがあっても立ち向かっていけるだろう。

そう確信めいたものを抱えて、ほむらはまどかに微笑んだ。

 

「……それを聞けてよかった。私も安心したわ。鹿目さん、これからはもう離れ離れだけど、私は貴女のことを忘れない。さやかや杏子と一緒に戦って、必ず帰ってくるわ」

「うん、私はここで待ってるね。ほむらちゃん」

手を取り合って、二人は静かに言葉を交わした。

「ねえ、鹿目さん。貴女に聞いて欲しいことがあるの。……私の、本当の私のこと」

「……うん、私も知りたいなって思ってたから。聞かせて欲しいな、ほむらちゃん」

そして、ほむらは静かに語り始めた。自分の正体、かつての英雄であるということを。

それには流石にまどかも驚いたけれど、それでもまどかは変わらなかった。変わらず友達でいたいと、そう言った。ほむらにはそれが嬉しかった。

 

そして、別れの時はすぐそこまで迫っていた。

 

 

休暇は終わった。

まどかは日常に帰り、さやかは、杏子は、ほむらは、そしてマミもまた、再び戦いの中へと身を投じていくことになる。

「まさか、マミさんがあのまま戻ってくるなんて思いませんでしたよ」

嬉しそうなさやかの声。

そこは空港。停泊しているティー・パーティーの前で。

「思い出しちゃったのよね、私も。戦う理由とか、爽快感とか。……それに、今は貴女達がいるじゃない?」

その隣で、マミもまた嬉しそうに笑う。

どうやらあのガンナーズ・ブルームの一撃は、マミの心に巣食う恐怖をも払ってしまったらしい。どちらかといえば、トリガーハッピーに近いものかもしれないが、それはそれで戦う理由には十分で。

「けど、あんたはブランク長いんだろ?あたしらについて来られるかね」

にっ、と不敵に笑って杏子が言葉を投げかける。

「魔法少女としては先輩なのだから、負けてられないわ。もちろんあなたにもね、佐倉さん」

それに応えて、ちょっと澄ました様子のマミが答えた。

「これは、一気に賑やかになりそうね」

そんな様子を一歩離れて、楽しそうに眺めているほむら。

 

「だーかーら、ほむらも来るっ!みんな仲間でしょ、一人だけ輪から外れようとしなーい」

そんなほむらの手を取って、さやかが輪の中へと招く。

「そうよ、暁美さん。むしろあなたには私達を引っ張っていってもらわないといけないんだから」

マミもまた、その手を取った。

「そーだそーだ、あんたが何でそんな強いのか、それも教えてもらいたいしな」

杏子も、また。

四人の手が、ぎゅっと固く結ばれて。

 

「頑張ろうね、みんな。バイドをやっつけるその日まで」

さやかが静かに覚悟を告げる。

「ああ、あたしは絶対に死なない。バイドを全滅させるまでな」

脳裏にゆまの姿を映しながら、杏子がそれに続く。

「ええ、もうバイドに遅れを取ったりはしないわ」

苦い敗北と死の記憶。もうそれに縛られることはない。闘志を顕わにマミが言う。

「……戦いましょう。みんなで、力を合わせて」

そしてほむらが、最後に強く頷いた。

 

 

魔法少女隊R-TYPEs 第11話

        『CERBERUS』

          ―終―




【次回予告】

「終わりだ、No.8ッ!!」

空は彼女の戦場だった。
撃ち落されて、流れ着き、失ったものは何なのか。

「……そんな、嘘、嘘だ」

最後の舞い手を決める宴は、少女の闇を飲み込んでその姿を広げる。
闇を喰らうか、闇に喰われるか。向き合うのは――自分。

「行ってきなよ。そして確かめてきな」

「貴女は、あの子の分まで生きてください。そして、人生を楽しんでください」




「私は――暁美ほむらだっ!!」




――そして、日が沈む。



次回、魔法少女隊R-TYPEs 第12話
       『本当の自分と向き合えますか?』


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幕間②
そして幼き番犬は


それは一つの事件の裏側、一人の少女の生きた記憶。かつてあった物語。もうすでに、終わってしまった物語。
その終着を未だ誰も知ることはない。知られることは無い。

彼女は、静かに眠り続ける。


わたし、千歳ゆま。ゆまは今、宇宙でくらしてるんだ。

お父さんもお母さんもいないけど、みんなやさしくしてくれるから、大丈夫なんだよ。

でも、ゆまにはみんなには言っちゃいけない大事なひみつがあるんだ。

ひみつだから、誰にも話しちゃいけないんだ。

 

ゆまはね……魔法少女なんだ。

 

 

「ゆま、今日もお疲れ様。もう戻ってもいいよ」

 

ゆまは宇宙を飛んでいたんだ。流れる星がきれいで、ずっと飛んでいたいなって思ったけど、通信でエバが呼んでいるから、基地へと戻ることにしたんだ。

エバは、ゆまの今の親代わりみたいな人。ご飯も作ってくれるし、一緒に遊んでくれる。それにゆまが宇宙に居るときは、色々助けてくれるんだ。

前のお父さんやお母さんとは全然ちがう、とてもやさしいいい人なんだ。

 

「はーい、それじゃ千歳ゆま!これからきとーしますっ!」

 

エバに会うのが楽しみで、ゆまは機体を基地へと向けた。アロー・ヘッドってみんなが呼んでいるこの機体は、とってもかっこう良くて速いんだ。

だからちょっとだけ急いだら、すぐに基地の姿が見えてきちゃった。今日のおしごとはこれでお終い。ちょっと疲れたな。お腹もすいちゃったしお風呂も入りたい。

 

実は、ひみつはもう一つあってね。ゆまは魔法少女で。このR戦闘機っていう乗り物の、パイロットなんだ。

 

 

ゆまのお父さんとお母さんは、バイドっていう悪い生き物にやられて死んじゃった。そのままだったらゆまも、きっと家も全部なくなっちゃって、すごく困ったんだと思う。でも、ゆまには才能があったんだって。魔法少女になって、R戦闘機に乗る才能が。

だからゆまは今こうして、R戦闘機に乗るおしごとをしているの。おしごとは疲れるし、戦うのは大変だけど。みんなゆまに優しくしてくれる。頑張ったら、いっぱいほめてくれる。悪いバイドを全部やっつけたら、もっとほめてくれるのかな?

とにかく私は、そんな風に過ごしてるんだ。お昼は学校に行って、夜はR戦闘機に乗って。忙しいけど、とっても楽しい毎日だよ。

 

 

「それで、エバンス君。サイバーコネクタの試験運用の状況はどうだね?」

「……今のところ、被験者にさしたる身体的影響は無いようです。それに、機体の操作性も30%程度の向上が見られています。開発を続ければ、40%程度までは底上げができるかと」

「悪くない成果だ。この分ならば、サイバーコネクタを搭載した次世代機の開発も、順調に進むことだろう。……む?一つだけ、違うデータが混ざっているようだが、これはなんだね?」

「これは今こちらで受け持っている例の少女のデータです。M型被験体、魔法少女と呼んでいるものです」

「なるほど、そのM型に対しては、サイバーコネクタは常人以上の効果を発揮しているようだな」

「とはいえ彼女はまだ子供です。試験機ならともかく、実戦に耐えうるかどうかは未知数ですね」

「我々は、結果さえ出ていればなんであろうと構わない。……このデータは持ち帰らせてもらうよ。何を採用するかは、上が決めることだ」

 

「たっだいまー、エバっ!」

仕事を終えて、きゅうくつなパイロットスーツって奴も脱いじゃって。部屋に飛び込んだら、そこには知らない大人の人がいた。

「あれ、エバ?この人だれ?」

「こんなところに子供?もしや彼女が、例のM型かな?」

「ゆまはM型なんて名前じゃないよ!ゆまだよ」

「……ああ、それは失礼、ゆま」

その大人の人は、なんだかいやな感じに笑ってゆまを見た。じーっと、まるで値段でもつけるみたいな見方、ちょっと気持ち悪い。

「ああ、ゆま。お帰り。この人とは今仕事の話をしていたんだ。すぐ戻るから、ちょっとだけ外で待っててくれないかな?」

エバもなんだか慌ててる。この人はなんなんだろ。なんかいやな感じ。きっとエバを困らせているんだ。そうに違いない。

だからゆまは、その人の足をけっとばして、それからいーって舌を出してやった。ちょっと痛そうにしてる。でも仕事の人って言ってたし、もしかしたらエバは怒るかも。

怒られるのがいやだから、ゆまはすぐに走って部屋から逃げ出したんだ。

 

「いや……まったく、子供というのはわからん」

「すいません、後で言って聞かせますよ」

「……しかし、あんな子供が最先端技術の塊のようなR戦闘機を乗り回しているとはどうも思えん。本当にアレがM型なのか?」

「ええ、彼女はテストパイロットとしては申し分ない働きをしていますよ。子供の順応力なのか、それともサイバーコネクタの為せる業かはわかりませんが」

「俄かには信じられんが、一応データはもらっていく。子供の世話は大変だな。エバンス君」

「いいえ、私も娘が出来たような気分で新鮮ですよ」

「はははは、その娘を戦う道具にしておいてよくも言う」

「そこに可能性があるのです、仕方ないでしょう?貴方ならよくお分かりのはずだ」

 

 

部屋の前で待っていると、急に部屋のドアが開いた。エバが出てくるかな、と思ってたのに、出てきたのはさっきの大人の人だった。

その人がまたゆまのほうを見てたから、いーって顔をしてやった。

でも、すぐにエバが出てきたから、ゆまはかけ出した。そしてそのまま、エバにぴょんと飛びついたんだ。

「エバっ!お仕事はもうお終い?」

「ああ、もうお終いだよ。帰ってご飯にしようか、ゆま。今日は何が食べたい?」

エバがやさしく話しかけてきてくれて、ちょっとだけ考えてから。

「オムライスっ!」

 

これが、ゆまの日常。

普通の人とは違うみたいだけど、ゆまは毎日頑張ってるよ。学校でみんなと一緒に遊ぶのは楽しいし、宇宙をR戦闘機で泳ぐのも楽しい。

だからゆまは、こんな毎日がずっと続いてくれたらいいな、って思ってたんだ。

 

 

いつもと同じように今日のおしごとが終わって、後はエバと一緒に帰るだけ。でも今日はなんだかいつもとちょっと違う。エバと一緒にいつもは行かないような、基地の奥まで行くことになったんだ。

「ゆま、見てごらん。これが次にキミが乗る機体だよ」

エバがそう言って見せてくれたのは、黒くて赤くて、ぴかぴかしているR戦闘機。ちょっと怖いかなって気もするけど、こんなカッコイイのに乗れるんだって思ったら、なんだかすっごくわくわくしてきちゃった。

 

「わぁ……カッコイイ!ねえねえエバっ!これってなんていう名前なの!?」

「できたばかりだからね、まだ名前はないんだ。キミがこれに乗るようになる頃には、きっと名前もついていることだろうとは思うけどね」

「そうなんだ。楽しみ。早く乗りたいなーっ」

「もうすぐ完成するはずさ。そうしたらきっと乗れるよ。今日はゆまにこれを見せたかったんだ。さあ、それじゃあ戻ろうか」

「うんっ!」

エバと手をつないで、いっしょに家に帰るんだ。帰って一緒にご飯を食べて、お風呂に入ってぐっすり眠って。

明日も楽しい日になるといいな。

 

「おやすみ、エバ」

「ああ、おやすみ、ゆま」

 

 

「やあ、エバンス君。お姫様はもうおねむかね?」

「ええ、ぐっすりと眠っていますよ」

「それは結構。私はどうもあの子には嫌われているようだからね。では本題だ。彼女、千歳ゆまが残したここ数ヶ月のデータを精査した結果、やはり彼女を次世代機のテストパイロットに据えることが決定したよ」

「そうですか。ああ、そういえば今日はゆまにR-13を見せたのですよ。えらく喜んでいました。この分なら、テストパイロットの件も問題なくこなすでしょう」

「それは結構、マイナーチェンジや航空機の出来損ないを弄り回している連中に見せ付けてやろうじゃないか。我々が生み出した新技術。その結晶たるR-13の力をね」

 

「引き続きこのプロジェクトは君に任せる。是非とも成功させてくれたまえ」

「お任せください」

 

 

――天文台――

 

「これは……」

「どうした、何か見つけたのか?」

「はい、大気圏に突入する隕石群の中に、形を変えることなく落下する物体が確認されました」

「何だとっ!?落下する物体の解析及び落下予測ポイントの推定、急げっ!」

「は、はいっ!!」

 

――宇宙――

「こちらメリダ14、こちらメリダ14!アイギス駐留部隊応答せよ!アイギス駐留部隊っ!応答せよっ!!」

「駄目です、アイギスは依然としてこちらのアクセスを受け付けませんっ!」

「駐留部隊とも交信が途絶……一体何があったというんだ」

「あ……アイギス内部より、地球に向けて降下する物体を確認!これは……」

 

――地球――

「どうなってんだ!?いきなり兵器が暴走を……ぐあぁっ!」

「電子制御兵器が、何者かによってジャックされた模様!その規模は、地球上のほぼすべての都市に及んでいますっ!」

「一体どこの誰だこんなことをしやがったのは!R部隊に出動を要請しろっ!現地の武装警察とも協力して、このバカ騒ぎを鎮圧するんだ!」

「っ!大気圏外より飛来する物体を確認!」

「この上更にまだ何かあるってのか!一体なんだっ!?」

「監視衛星からの映像が来ました。これは……投下型局地殲滅ユニット、モリッツGです」

「なん……だと……」

 

 

「ふぁぁ……あれ、何だろうこの音」

なんだかとってもうるさい音で、ねむかったのに目がさめちゃった。音もうるさいけど、外もなんだかいそがしそう。どうしたのかな。

「ゆま、ああ。もう起きていたのかい?」

エバも、なんだかすごく大変そうな顔をしてた。

「今起きたんだよ。だってこんなにうるさいんだもん。おはよう、エバ」

「ああ、おはようゆま。……ゆま、早速だけど急なお仕事が入ったんだ。今すぐ着替えて、基地に行くよ」

「え~、でも今日は学校だよ。ユウリちゃんと一緒に学校に行くって約束が」

「そんなことはどうだっていい!今は重要なことじゃないっ!!」

 

「ひっ!?……え、エバ?」

エバの怒った顔。今まで見たことなんてない。すごく怖い。ゆま、何かいけないことしちゃったのかな。

だからみんな、こんなにいそがしそうにしてるのかな。

「っ……ぁ、すまない、ゆま。とにかく緊急事態なんだ。とにかくすぐに出撃だ、準備をしておくんだよ、ゆま」

そして、エバは行っちゃった。

「うん……わかった、エバ」

エバはまだ何か怒ってるみたい。怖くて、なんだかいやな感じがする。今日は何だか、おしごとに行きたくないな。

でも、行かなかったらエバ、もっと怒るよね。きっと。

 

 

パイロットスーツにきがえて、いつものように基地に行ったんだ。そしたら、そこには今まで見たことがないくらい沢山の人がいた。

みんなとってもいそがしそうで、この中に入っていってもいいのかなってちょっと怖くなった。でも、ゆまだっておしごとなんだから。行かなくちゃ。

「ゆまちゃんが来たよ、あんたら、準備はできてるかいっ!」

ゆまを迎えてくれたのは、せいびはんちょうのクレータさん。

R戦闘機のことを色々教えてくれたり、ゆまがこわしちゃったおもちゃを直してくれたりした。女の人なのにせいびはんちょうになるなんて、すごい人だってみんなも言ってる。

とってもやさしい人なんだよ。でも今日はなんだか、ちょっと怖い顔をしてる。

「おはようございます、クレータさん」

いつもみたいに、クレータさんに挨拶したんだ。いっしょに働いている人たちにも、大きくおじぎしたんだ。

そうしたら、なぜかクレータさんは泣きそうな顔をしてる。

 

「どうしたのクレータさん?どこか痛いの?」

「いいや違う、違うんだよゆまちゃん……っ。なんでも、ないよ。さあ、機体の仕上げは済ませておいたからね、あれに乗るんだよ、ゆまちゃん」

クレータさんの声はふるえてた。本当に泣いてるのかな。だからゆまは、そんなクレータさんを元気付けてあげたいなって思って。

「うん、ありがとクレータさん。ゆま、がんばるからねっ!」

だから、めいっぱい元気にそう言って、ぎゅってクレータさんに飛びついたんだ。

クレータさんは、やさしく頭をなでてくれた。

「頑張るんだよ。あたしらは最高の機体を仕上げたからさ。絶対に負けるんじゃないよ」

そうだ、思い出した。今日からゆまの乗るR戦闘機は、あの黒くて赤いカッコイイのなんだ。

思い出したらちょっと楽しくなってきちゃった。新しい服を買ってもらった時みたい。早く乗ってみたいな。

 

「行ってくるね!クレータさん、みんなっ!」

みんなに大きく手を振って、ゆまはカッコイイ機体に向かって走ったんだ。近くで見ると、やっぱりちょっと怖いけど、それでもやっぱりかっこうよくて。

早速乗り込んで見ると、中は今まで乗ってたアロー・ヘッドとそんなに変わらなかった。

さいばー・こねくたっていうのが使われているから、ゆまみたいな子供でもこんなすごい機械を動かせるんだって、クレータさんは教えてくれた。

やっぱりこの戦闘機にも、さいばー・こねくたってのがついてるのかな。

 

「おはよう、ゆまちゃん。準備はできてるかな?」

「あ、ココさんっ!おはようっ。ゆまはいつでも準備おーけーだよっ」

ココさん。オペレーターっていうおしごとをしてる人。ゆまや他の人たちが宇宙に出ているとき、どうしたらいいのかを教えてくれる人。初めてこの基地に来たとき、迷子になっていたゆまを案内してくれたりもしたんだ。

ココさんも、いつもとってもやさしくしてくれた。だからココさんの声が聞こえてきて、ココさんの声はいつもどおりだったからちょっとほっとした。

「ふふ、そう。ゆまちゃんはいつも元気ね。……ゆまちゃん、よく聞いてね」

でも、そんなココさんの声もなんだかちょっと低くなっちゃった。

やっぱり、何かあるのかな。

「今日これからゆまちゃんにしてもらうのは、今まで見たいな訓練じゃないの。バイドとの実戦になるわ」

「えっ……実戦?それにバイドって、あの悪い生き物のことだよね」

「ええ、そうよ。バイドがついに地球に攻めてきたの。だからゆまちゃんには、これから他の部隊と一緒にバイドと戦ってもらいます」

ちょっと怖い。でも、みんなと一緒だし、新しいぴかぴかの機体だってある。バイドのことだって、怖かったしいやだったけど、いままでたくさん勉強してきたんだ。

大丈夫、きっと戦えるよ。

 

「きっとつらい戦いになると思うわ。ゆまちゃん、頑張れるかな」

「うん、もちろん頑張るよ!だからココさん、案内おねがいしますっ」

「っ……ええ、まかせて。ゆまちゃん。さあ、もうすぐ発進よ。まずはこのまま地球に降下して、暴走した兵器の鎮圧を行ってもらうわね」

「わかったよ!ゆまに任せてっ!」

 

「ゆま、聞こえているかい?」

次に聞こえてきたのはエバの声。前と同じ優しい声だ、よかった。

「聞こえてるよ、エバ」

「そうか、こんな時に急だけれど、その機体の名前が決まったよ」

「本当に!?よかった、このままだったら名無しさん、って言わなくちゃいけなかったもん」

「本当だ、その機体の名前はR-13、ケルベロスだ」

「けるべろす?」

聞いたことない名前。でもなんだか強そう。

「とっても大きくて、とっても強い犬の名前さ」

「えー、ゆま、猫がよかったなー」

だって、猫の方が好きなんだもん。

「じゃあ、帰ってきたら今度は猫の名前をつけた機体を作ってみようかな。……ゆま、しっかりやるんだよ」

「……うん、行ってくるね。エバ」

だんだん胸がドキドキしてきた。本当にバイドと戦うなんて、うまくやれるかな。

負けたら死んじゃうのかな。

 

「ケルベロス、発進してください!」

考えるひまなんてなかった。ココさんの声だ。ぎゅっとそうじゅうかんを握って、発進の用意をした。

「ケルベロス、千歳ゆまっ!出ますっ!!」

そしてケルベロスに乗って、ゆまは基地を飛び出したんだ。

ぐん、って体が押し付けられるような感じ。もう慣れたけど、いつもよりちょっと強いかも。目の前には丸くて青くて、きれいな地球。

こんなきれいな地球をこわそうとするなんて、やっぱりバイドは悪い生き物なんだ。やっつけてやらなくちゃ。

だからケルベロスを地球に向けて、一気に基地を飛び出したんだ。

 

 

それからずっと、ずっと戦いつづけてきたんだ。

地球のどこかの街で、街をこわしつづける悪い機械をやっつけた。水の中に落っこちちゃったエネルギー炉で、くっついたりはなれたりするバイドをやっつけた。

オペレーターの人は、CEROがどうとか言ってたけど、ゆまにはよくわからなかったんだ。

そして、山の中に作られた基地の中でも、ゆまはバイドと戦ったんだ。山の中には雪が降ってて、すごくきれいだったんだよ。

でも、暴走したトレーラーはすっごく危なくて、オペレーターの人も驚いてたみたい。

こんなトレーラーがあるかー!って、すごいびっくりしてたもん。

でも、ゆまは負けなかったよ。ケルベロスといっしょに戦いぬいてきたんだ。ケルベロスはすごく強くて、ゆまでもなんとかバイドと戦うことができたんだよ。

だけど、倒しても倒してもバイドは押し寄せてくるから、少し疲れちゃったんだ。

地球の中のバイドはみんなやっつけたって聞いて、これでおしごとも終わりなのかなって思った。やっと帰れるのかなって、また、エバやみんなに会えるのかなって思ったんだ。

でも、まだ終わりじゃなかった。次の敵は宇宙にいたんだ。

ぐんじようさい、アイギス。この事件は、この場所から始まったんだって言ってた。だから、ここにいるバイドをやっつければそれでおしまい。がんばらなきゃいけないな。

 

他の人たちもきっと、別の場所でがんばってるんだろうな。だから、ゆまも負けてられない。とうとうアイギスが見えてきた。

きっとまた、たくさんバイドがいるんだろうな。でも、ぜったいに負けない。そしてゆまは、アイビスの中へと飛び込んだんだ。

 

「ケルベロスは実に優秀だね、エバンス君。いや、それとも彼女が優秀なのかな?」

「恐らく両方でしょう。まさか、初めての実戦であれだけの戦果を上げるとは」

「なんにせよ、これでサイバー・コネクタ技術の有効性は十二分に示されたと言ってもいいだろう」

「後は、ゆまが無事に戻ってきてくれれば……ですが」

「心配かね?データは逐次基地へと送信されている。最悪未帰還でも開発は続けられるだろうに」

「……もしやすると、情が移ったのかもしれませんね。あの子は優秀で、とても愛らしいから」

「くくっ、あの娘の世話をするようになってから、キミは随分と優しくなったよ、エバンス君。……そうだな、事件の後始末が済んだら、しばらく休暇でも取るといいのではないかな」

「なぜそんな時期に?戦闘記録の解析にも人手が要るでしょう?」

「やれやれ、キミもわからん奴だ。あの娘を労ってやれと言っているのだよ。勝者には栄華と褒章を、ということさ」

「……貴方も、随分と人が変わりましたね」

「これでも人の親だった時期があったものでね。……さあ、見届けようじゃないか。私達の娘の戦いをね」

 

―――侵食―――

「R戦闘機が一機、こちらに接近してきます。着陸許可を求めているようです」

「一体どこのどいつだ?ここは開発基地だぞ、補給なら他所に頼んでもらいたいもんだがな」

「所属は不明ですが……どうやら被弾しているようです。救難信号も出ています」

「命からがら逃げてきた、ってとこか。しょうがない、3番ドックを空けておけ。あいつを回収する」

 

 

―――邪悪―――

「一体何が起こったんだ!?」

「わかりませんっ!突如として基地内の全機能が、制御不能に……」

「そんな……これはっ!?」

「今度は何だっ!!」

 

 

「基地中心部にバイド反応。この大きさ……え、A級バイドですっ!?」

「な……っ」

 

 

―――覚醒―――

 

 

 

アイギスの一番奥、ロケットみたいなバイドを倒したら、中からアロー・ヘッドが出てきたんだ。

もしかしたら、バイドにつかまってたのかなって思って、助けてあげようとしたんだ。でも、そのアロー・ヘッドはゆまを攻撃してきたんだ。

オペレーターの人が教えてくれた。このアロー・ヘッドが、すべての事件の原因なんだ、って。だから、やっつけなくちゃいけないんだって。

 

敵のアロー・ヘッドは、もうボロボロで、飛んでるのが不思議なくらいだったんだ。

オペレーターの人が言うには、初めてバイドと戦ったR戦闘機なんだって。修理もされないまま、アイギスに置き去りにされちゃったんだって。

かわいそうだなって思ったんだ。バイドと戦ってがんばったのに、こんな風にバイドにのっとられちゃうなんて、やっぱりかわいそうだよ。

だから、早く止めてあげたくて。がんばって戦ったんだけど、だめだったんだ。後ちょっとの所まで追いつめたのに、逃げられちゃった。もちろんゆまは追いかけたんだ。でも、ずっと戦いつづけてたからかな。

追いかけているうちに、だんだん眠くなってきて。目を開けているのも辛くなっちゃって。

 

気がついたら、不思議な場所にいたんだ。周りを見ると、まるで生きてるみたいにうぞうぞって動いてる。そして、そのあちこちから変なバイドがどんどん湧き出してくる。

たくさん浮かんでるカプセルみたいなものの中には……人の脳みそみたいなものが詰まってた。

「どこなの、ここは。ねえ、誰か教えてよ」

必死に呼びかけてみるけど、通信はどこにもつながらない。どうしてなのかな。みんな、やられちゃったのかな。

「怖い、怖いよ……誰か、助けてよっ」

今までは、ずっと誰かといっしょに戦ってたから分からなかったんだ。一人は、怖い。一人きりは怖くて、寂しいよ。

そんな風に考えたら、泣きたくなってきちゃうけど、そんな余裕もなかったんだ。バイドが来る。戦わなかったら本当に死んじゃう。もう誰にも会えなくなっちゃう。

だから、戦うしかないんだって。そうじゅうかんをぎゅってにぎったんだ。押しよせてくるバイドの群れを倒して、押しつぶそうとして近づいてくるカプセルをかわして、こわして。

ブドウみたいな丸いものがいっぱい集まった敵も、すごい速さでぶつかってくるコンテナも、柱も。全部こわした、全部かわせた。ゆまはまだ、生きてるよ。

 

まだ生きてる、死んでない。敵を全部たおせば、ゆまは死なない。

死ななかったらみんなに会える。基地に帰れば、クレータさんやココさん、そしてエバにまた会えるんだ。

だから、だかラ……ゼンブ、タオさナクチャ。

 

 

 

「こちらミッドナイト・アイ02、こちらミッドナイト・アイ02!ケルベロス、応答しろ。ケルベロスッ!」

声が聞こえる。ケルベロスって。ああ、そうだった。ケルベロスって、ゆまのことだ。

ってことは、誰かがゆまを呼んでいるんだ。誰かが近くにいるんだ。

生きてるんだ、ゆまは。

「……帰らなくちゃ。みんなが待ってるんだ」

「っ!?反応があった。ケルベロス!こちらミッドナイト・アイ02。無事なのか、ケルベロス?」

もう、疲れちゃった。とにかく今は、早く帰りたい。まだ敵がいるのかもしれないけど、もう戦えない。戦いたくない。

くたくたに疲れちゃったんだから。少しくらい休ませてくれたっていいよね。

「こちらケルベロス。千歳ゆま。ゆまは無事だよ。だから、これから基地に戻るんだ」

きっとあのアロー・ヘッドだって、もうすこしでやっつけられそうだったんだから、誰かがやっつけてくれてるよ。もうきっと、戦いだって終わってるはずだよ。

「基地……R戦闘機の開発基地のことか?」

「そうだよ、ゆまは帰るんだ。みんな、待っててくれるといいな」

ここからだと、基地はそんなに遠くないみたい。ちょっと飛ばせばすぐに帰れる。でも疲れちゃったから、少しゆっくり帰ろうかな。

 

「……ケルベロス。落ち着いて聞いてほしい」

何を言ってるんだろ。なんだかすごく大変そうな感じ。でももうゆまは気にしないんだ。だってもうすぐ家に帰れるんだもん。

「開発基地は――」

さあ、機体を基地の方へと向けて、後は飛び出すだけ。

 

 

 

「――バイドの奇襲を受け、壊滅した」

 

 

 

「え……っ?」

 

 

「ウソだよ、そんなの」

うん、ウソに決まってる。きっとみんなそんなことを言って、ゆまをおどろかせようとしてるんだ。きっと基地に帰ったら、みんな笑ってむかえてくれるに決まってるんだ。

こんなウソまでつくなんて、ちょっとひどいや。帰ったらちゃんともんく言わなくちゃ。

「ケルベロス。信じられない気持ちはわか「ウソだッ!!」」

ウソだ、ウソだ。ウソだ。そんなことあるわけない。こうなったら自分の眼で確かめてやるんだ。基地は無事だって、みんな元気にしてるんだって。

「ウソだ、ウソだ。ウソだ……そんなの、ぜったいウソだっ!!!」

ケルベロスを一気に加速させる。最高速度、限界なんて知らない。いっきに加速しすぎてちょっと体がいたい。それでももっと速く。もっと、もっと、もっと。

「落ち着け、ケルベロスっ!一人で突っ込むのは無謀だっ!」

「う・る・さぁぁぁぁぁいッ!!」

聞きたくない。何も聞きたくない。基地が見えてきた。ハッチは全部あいてる。あそこに入れば、エバたちに会える。家に帰れる。戦いは終わる。速度を落とすのも忘れて、ハッチの中へ突入したんだ。

 

 

「おかえり、ゆまちゃん。大活躍だったわね」

 

「沢山バイドをやっつけたんだって?さすがはゆまちゃんと、あたしらのケルベロスだ」

 

「うん、ただいま。ココさん、クレータさんっ!」

 

「おかえり、ゆま。いっぱい戦って疲れただろう?ゆまの大好きなオムライスを作って待ってたんだ。それを食べて、ゆっくりお休み。ゆま」

 

「へへ、ありがと。エバ。それと……ただいまっ」

 

 

 

むかえてくれるはずだったのに。待っていてくれるはずだったのに。

なのに、どうして?どうして…………

 

 

 

      コノセカイハ――コンナニモアカイノダロウ

 

 

「―――――――――ッ!!!」

それが自分の声だって、ゆまにはわからなかった。目の前も、頭の中も、何もかもが真っ赤で。

基地のかべにはりついた、赤黒いナニカ。そこから飛び出したのは。よく分からない肉のかたまり。

 

お前が、お前達がみんなを……コロシタ。

 

アンカー・フォースでその肉のかたまりを引きちぎった。飛びちる赤いナニカ。見なれない赤さ。まるで血の色みたい。

「………死ね」

道をふさぐ敵を、全てこわして先へ。

「死ね……死んじゃえ……」

それがナニか、ナニであったかなんて気にしない。こいつらは、人なんかじゃない。仲間なんかじゃない。攻撃してきた。だから仲間であるはずがない。殺すしかない。

こいつらを全部やっつけたら、きっとみんなのところに帰れるんだ。みんな、どこかでゆまを待っててくれているはずなんだ。

だから、こいつらは違うんだ。みんなみんな敵なんだ。倒さなきゃ、殺さなくちゃいけないのに。

 

なのに、なのにどうしてこのバイドは、まるでヒトのような悲鳴をあげるのかな。

なのにどうして、こんなに赤い、赤い………。

 

 

「ひ、ひぐ……っ。ぅ、ぅあ……あぁぁァァぁっッ!!!」

真っ赤な世界。その何もかもがもういやで。全部吹き飛ばしてしまいたかったんだ。だから、Δウェポンであたり一面を全部やき尽くした。

もう、動いているものは何もなくなった。きっとこの先に、みんなが待ってるんだ。きっとそうに決まってる。

 

 

帰ってきた。基地のドックが見えてきた。

あそこから、今までの長くてつらい戦いは始まったんだ。ドックの周りには、あのいやな赤い色は見えない。だからきっと、みんなあそこにいるんだ。

 

「何か……来る」

ドックから、何かが発進しようとしてる。きっと、ゆまを迎えに来てくれたんだ。こっちに向かってくる。

見たことのないR戦闘機が二つ、そして、見覚えのあるのが一つ。

あれは……。

「アロー・ヘッド。………そうか、そうだったんだね」

こいつは、あの時逃がした奴だ。それがここにいる、しかも仲間まで連れてる。

あいつが、あいつが基地にこんなひどいことをしたんだ。

 

――ユルサナイ。

 

真っ赤な頭の中が、真っ赤を通り越して真っ白になった。何も考えられない。とにかくあいつが許せなくて、滅茶苦茶にこわしてやりたくて。

そんな真っ黒な気持ちにまかせて、ケルベロスを動かしたんだ。

 

 

 

そして、そして………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




・要確認事項、ケース6

この事件の後期、R戦闘機開発プロジェクト基地がバイドに侵食され、多くの貴重なデータと人員が失われるという事態が発生した。
被害の詳細を求めることすら困難ではあるが、唯一形を保っていたR戦闘機の発進ドック内からR-13――ケルベロスの搭乗者であった、千歳ゆまの遺体が半ば炭化した状態で発見された。

しかし、ドックからはケルベロス本体の残骸は発見されておらず、複数のパイロットから、開発基地を飛び出し異層次元に突入するケルベロスの姿が目撃されている。
異層次元に突入したR戦闘機はこのケルベロスのみであり、バイドコア消滅との関連があると推測される。
無人となったはずのケルベロスが何故動いたのか。異層次元内で何が起こったのか。これらを要確認事項として提出する。

また、ケルベロス及びパイロットの処遇については、単独で異層次元に突入。バイドコアを撃破するも未帰還となる。以上を公式見解とし、搭乗者のパーソナルデータ及び戦闘経過は最重要機密として扱うこととする。



―――サタニック・ラプソディ、経過報告書より引用


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宣誓の儀

彼女は過去の残滓に出会う。今一度、それに向かい合う。
輝ける白銀、それに等しき輝く心を携えて、彼女は言葉を放った。


R戦闘機。それは人類に残された最後の希望。

それはバイドに抗う唯一の力。

その設計思想、運用方法は多岐に渡り、それに伴い不可解なほどに多様な進化を遂げてきた。しかしその中にはまるで進化の袋小路、もしくは吹き溜まりに流れ着いてしまったようなよく分からないものも数多く存在する。

 

 

これは、そんな機体ととある一人の少女の物語である。

 

 

 

 

 

「で、なんであたしにこんな仕事が回ってくるんだっての」

杏子は一人、機体を空に走らせながら愚痴った。

その機体は、小型移動コンテナであるTP-2――パウ・アーマーを元にした機体で、全身に追加装甲が施され、まるでぶくぶくと膨れ上がったような印象すら受けるものだった。

それ故に、TP-2FA――パッチワークと名づけられたその機体は歪な外見から“ファットボーイ”などという不名誉な愛称さえも受けていた。

 

「仕方ないさ。キミに是非、っていうことだったからね。ボクとしても、余り向こうの要望を突っぱねることはしたくないからね」

その愚痴を聞き届け、キュゥべえが通信を返す。

「それがわからねぇんだっての。仕事ってのはこいつを届けるだけなんだろ?進路に敵が出そうな様子もないし。……何か裏でもあんのか?」

「それはボクにも分からない。とはいえ危険なことはないと思うよ。それについては確認済みさ」

「……ま、そーゆーことならいいけどさ」

そうとだけ言い残して、再び海上をパッチワークが往く。日差しが波に反射して、きらきらと美しく輝いている。

激戦に次ぐ激戦を経ても尚、地球は美しかった。

 

時間まではまだ随分と余裕がある。少し速度を落として、ゆっくりと景色を眺めながら飛ぶ。海鳥達の編隊をそっと横切って飛ぶ。驚いたのだろうか、一瞬その編隊がふわりと膨らんで、すぐにまた元の形に戻った。

外部音声の回線を開くとまるで警戒しているか、それとも歓迎してくれているのか、けたたましく海鳥達の声が飛び込んでくる。

「まだまだ寒い時期だってのにな、無茶すんなよー」

コクピットの中から手を振って、海鳥達に別れを告げた。応えるように響く鳴き声をその背に受けて、速度を上げる。

目的の場所までは、もうすぐだ。

 

 

「――我々は、多くの犠牲を払いながらバイドとの戦いを続けてきた」

壮齢の男が、壇上から声を高らかに響かせた。それを聞いているのは、たくさんの人々。男の背には、大きな一つのモニュメント。布を被され、その正体は伺えない。

「中でもエバーグリーンの墜落は、我々から多くのものを奪い去って行った。それは、今尚忘れもしないことであろう」

先の戦いによって、エバーグリーン内部のバイドが殲滅された。そのことを受け、犠牲者を弔う慰霊碑が作られることとなった。

エバーグリーンの惨劇から6年の時を経て、慰霊碑はここに完成することとなったのである。その落成式典が、今日この日、この場所で行われていた。

 

「平和を、家族を、恋人を、仲間を。我々が奪われたものは、余りにも大きい」

軍の基地の一般公開エリアを使い企画されたその落成式は、遺族やあの惨劇を生き残ったもののみならず、多くの人々に対してその門戸が開かれていた。

皆静かに口を閉ざし、響くその声と、未だ姿の見えない慰霊碑に視線を送っていた。

「我々はこの痛みを忘れない。この痛みを、犠牲を決して忘れてはならない」

モニュメントを覆った布が、ゆっくりと取り払われていく。

「この慰霊碑はその象徴であり、無念の内に無くなった数多くの市民への追悼の意を示すものである。そして我々はこの慰霊碑に誓う。この痛みを、怒りを力に変えて、必ずやバイドを打ち倒すと!」

現れたのは、黒く大きな立方体。黒く大きな立方体には、無数の文字のようなものが刻まれていた。それは、把握しうる限り全てのエバーグリーンの墜落時の犠牲者の名前だった。

 

ざわめきが、人々の間で広がった。

「この惨劇の犠牲者達に、一同、黙祷を」

そのざわめきが、静かに収まっていく。

静かに、静かに。無数の人が集まった会場が、完全に沈黙に沈んだ。

 

「しかし、こいつはどうも妙な機体なんだよなぁ」

大海原をかっ飛ばし、杏子は一人呟いた。

正直敵も脅威も無い、海は綺麗だがさすがに飽きる。どうにも退屈が過ぎて、考え事でもしてなければやってられないのだ。

「補給用の自走コンテナだろうに、装甲を増設する意味なんてあんのか?」

一応、戦闘用に装備を増設されたパウ・アーマー系列の機体も存在はしている。しかし外見から見るに、このパッチワークはどう見ても装甲を増しただけであり、武装の類はほとんど見当たらない。

有人機として運用するなら武装は必要のはずで、無人機として運用するのなら耐久性の向上などは意味の無いことである。おまけに追加装甲のおかげで自重や体積は大幅に増加、機動性、機体バランスにも難がある代物へと仕上がってしまっているのである。

 

「……しかも、そんなもんがなんだってあたしのとこに回ってくるかね」

どう考えても不可解で、そう思えば思うほど思考は廻る。まともに考えれば、こんなものを開発する理由は無い。なら何故こんなものにわざわざ人を乗せて、何処かへ向かわせようとしているのか。

運ぶだけならティー・パーティーにそのまま積んで行ってもよさそうなのだが、あえて人を乗せて移動させている。それに、わざわざ杏子を指名して、である。

「なんか、嫌な予感がするね」

危惧するのも、勘繰りたくなるのも無理はない。一瞬たりとも油断ならない相手というのは、敵にも身内にも居るのだから。

もちろん前者はバイド、そして後者は忌まわしきTEAM R-TYPEである。

 

「考えててもしょうがないか、さっさと済ませっちまおう」

速度を上げて機体を走らせる。

目的地まではあと少し、さっさとこのお荷物を置いて帰ることにしよう。

「こちらヒューライム基地、佐倉少尉、応答せよ」

どうやら、迎えも来たようだ。

 

 

「そして、我らが作り上げたのはこれだけではない!もう一つ、諸君らにお見せしたいものがある」

黙祷が終わり、俄かにざわめき始めた人々の間に、再び声が響く。

「これはバイドの脅威を根絶せんとする、我々の決意の象徴である。それが……これだ」

男は大きく手を振り上げ、そして振り下ろした。

 

 

「では、佐倉少尉。後は指示の通りに」

「……りょーかい」

基地との通信が切れた。基地のオペレーター曰く、このまま基地へ向け直進し、指定された地点に着陸されたし。ただし、周囲に十分に注意すること、と。

ますます持って不可解。とはいえ最早気にしている場合でもない。杏子はそのままパッチワークを駆り、基地上空へと侵入した。

 

 

人々は頭上を走る影に驚き、頭上を見上げた。

頭上を飛んでいくのはパッチワーク。通常のパウ・アーマーよりも二周りは大きいかというその巨躯に、異貌に人々は戸惑いの声をあげ、好奇と不安の目でそれを眺めていた。

そしてパッチワークは、慎重に、丁寧に指定された場所に着陸。それは丁度、慰霊碑であるモニュメントの隣であった。

「式典の賑やかし、ってとこか。……ったく、結局下らない用事なんじゃねーか。で、着陸したらこのレバーを引くんだっけか?」

呆れ半分に、杏子はそのレバーを強く引っ張った。

ぱしゅ、と何か空気が抜けるような音。それに続いて、何かが剥がれていくような、音。

見れば、パッチワークの全面を覆っていた追加装甲の継ぎ目が広がって、剥がれていく。

そして剥がれた装甲が、次々に落ちていく。当然振動は伝わるはずだ。僅かながらに振動と轟音が響き、人々の混乱は更に高まった。

しかしそれも、すぐさま歓声へと変わる。

 

「見るがいいっ!これが我らの力と意志の象徴、プラチナ・ハートだっ!!」

男は大きく手を広げ、機体の方へと振り向いた。その表情に、満面の喜色を浮かべて、半ば狂喜ともとれるソレを振りかざしながら。

「うおっ、まぶしっ」

照り返す光に、思いっきり目をやられた。

 

 

それもそのはずである。その機体は、太陽の日差しを受けて眩く輝いていた。それはまさしく、研ぎ澄まされた硬質の金属の輝きだった。

パッチワークは文字通りただの継ぎ接ぎ、真の姿はその内にあった。

B-5C――プラチナ・ハート。回収されたメルトクラフトのデータを元にして開発が開始された、特殊な金属をフレームに用いた機体である。

この機体に用いられた金属はまさしくその名の通り、原子番号78番、元素記号Pt、白金ことプラチナである。

貴金属としても知られるプラチナを全身の装甲にコーティングしたその機体は、よく晴れた空の下その輝きで人々の目を眩ませ、一部の人間を魅了した。

 

「………どうしてこうなった」

がつん、とコクピットの壁に頭をぶつけて遠くに聞こえる人々の喧騒を聞き流しながら、呆然と杏子は呟いた。

「やっぱり面倒事じゃねーか。ったく、長引きそうだな、こいつは」

この分だと、しばらくは戻れそうにない。勝手に出て行くわけにも行かないだろうし、随分と退屈しそうだ。そう考えていた矢先、通信が入る。

 

「やあ佐倉少尉。届け物ご苦労」

通信で届いた声は、そしてその男の顔は、先ほどまで壇上で話していた男のものだった。そしてそれは、杏子にとっても見覚えのある男だった。

「……大佐」

「いいや、今は准将だ」

「……ああ、昇進したのか、准将」

モニター越しの視線に、僅かに表情を固くして杏子は答えた。准将、とそう呼ばれた男性はその返事に唇の端を吊り上げて笑うと。

「その口の利き方も相変わらず。元気そうでなによりだな、佐倉少尉」

ロスの元を離れた杏子の身柄を引き受け、そしてしばらくその面倒を見ていたのがこの男だった。杏子からすれば、そのころはまさしく全てに絶望していたころ。

別段待遇が悪かった気もしないが、いい思い出もない。正直なところ、どんな顔をして会えばいいのかわからない相手だった。

「あんたが居るってことは、わざわざあたしを呼んだのはあんたの差し金か、准将?」

「勿論、久々に顔を見てやりたくなったんだ。あの死んだような目をした子供が、どう育ったかをな」

モニター越しにでも、まるで覗き込んでくるような視線を向けられる。思わず、コクピットの中でじり、と僅かに身を退いてしまった。

 

「で、これで満足かよ。用が済んだならあたしは帰るぞ」

昔の知り合いに会うのは、正直言って気が進まない。あの頃の自分はあまりにも子供で、未熟で、死にたがりだったから。正直なところ、恥ずかしさが先に来てしまった。

「それはないだろう?お前はこの式典が何のためのものかを知らないのか?」

「知るわけねーだろ、何も聞かされずに飛んできたんだからな」

その返事に男は、少し意外そうな顔をして、ふむと小さく頷いて。

「ならば教えてやる。佐倉少尉。この式典はな……エバーグリーンの墜落によって失われた人命を追悼するための記念式典なのだよ。だから、お前を呼んだんだ」

「……っ」

思わず目を見開いて、息が詰まったような声を上げる杏子。

そんな話は確かに聞いていた気がする。気にはなっていたが、参加できるはずもないと思っていたのに。

「お前も祈っていけ。お前を残して逝ってしまった奴らに、そしてお前を助けたロス達にな」

その男は、かつて士官学校において、ロス達相手に教鞭を取っていた男だった。それゆえに、ロスとの交流も深く、こうして杏子の後見人を任されていたのである。

もっともそれは、ある日突然杏子が飛び出していってしまうまでのことではあったのだが。

 

「わかった、じゃあ……ちゃんと祈っていくことにするよ。……その、ありがと。わざわざ、呼んでくれて」

照れくささもある、恥ずかしさもある。申し訳なさもきっとある。勝手に出て行ってしまった自分に、ここまでしてくれるだなんて。

果たしてこの男は、こんなに優しい奴だったろうか。かつての記憶ではそれほどでもなかった気はするのだが。年月がこの男を変えたのか、それとも、自分自身がその優しさに気付けなかっただけなのか。

そんな自分を恥じて、躊躇いがちに感謝の言葉を口にした。

それを聞き届けて、男は。

「ああ、気にするな。代わりにもう一仕事やってもらうぞ」

「……まあ、それくらいならいいけどさ。こいつをまた動かせばいいのか?」

「いいや、違う。お前にはエバーグリーンの生き残りとして、皆の前で演説をしてもらう」

にたり、と意地が悪そうに男は笑って、そう告げた。

 

「はぁぁぁっ!!?」

困惑である。そんな話は端からまるで聞いていない。

「ちょっと待てオイっ!?どういうこった、ふざけんじゃねぇっ!!」

「ふざけてなどいない。お前はエバーグリーンの生き残りで、おまけにバイドと戦うパイロットだ。演説台に立つには十分すぎる資格はあると思うのだがね」

「……まさか、このためにわざわざ呼びつけたってのか」

「もちろん、でなければ勝手に出て行った子供をわざわざ呼び寄せたりするものか」

「……ッの野郎、ふざけやがって。滅茶苦茶出鱈目言ってやろうか!」

思わずコクピットを殴りつける。わざわざこんな偽装までして、全てはこの場に呼び寄せるためだったのだ。きっと、困った顔を見てやろうとかそういう策略なのだろう。

前言撤回。こいつは、間違いなく性格が悪い。

 

「そりゃ困る。一応台本も用意してある……のだが」

途中で男は一度言葉を切って、それからまたその顔に喜色を浮かべて。

「……今日この場所には、あの事故で死んだ人達の遺族も来ている。もしお前が、本当に彼らに何かを伝えたいのなら、自分の言葉で彼らに話してやっても構わん。どうする?」

再び、杏子は押し黙る。

そう、この式典はあの忌まわしき事故で亡くなった人達を追悼するためのものなのだ。あの事故で全てを失ってしまった杏子が、それを台無しにできるはずもない。

そして確かに、話してやりたい気持ちもあった。あの事故があって、それでも自分は生きていると、戦っていると。今ならそんな自分を、自信を持って示せるような、そんな気がした。

 

「………いいのか、本当に」

確認するように、静かに杏子が問いかけた。

「あの時の死んだような目をしたままだったら、すぐさま台本を渡していただろうがね。……どうやら、少しはマシになったようだ。任せてもよさそうだな」

その答えに満足そうに男は笑う、そして。

「行ってこい。そして、聞かせてやれ。お前の今まで生きてきた証をな」

 

「――ああ」

杏子は、静かに頷いた。

 

 

 

 

ざわめきもひとしきり収まってから、男は再び呼びかける。

「そしてもう一つ、諸君らに紹介するべき者がいる。あの大災害の中を生き残り、そして尚バイドと戦うことを選んだ我らが敬愛なる戦友、佐倉杏子少尉を諸君らに紹介しよう」

声と同時に、プラチナ・ハートのコクピットが開く。せり出してきたタラップを降りて、杏子は壇上へと歩く。ヘルメットを脱ぎ去ると、束ねられていた髪が溢れて流れ出した。

その赤い髪が流れていくのと同時に、人々のどよめきが更に強くなった。人々の前に立ったのは、まだ子供といえるような歳の少女であったから。

そして杏子は壇上に上がり、自分に注がれる何万という視線を、きっちりと受け止めた。それから一つ、大きく息を吐き出して。

 

「あたしは、エバーグリーンの墜落で全てを失った。家族を、生活を、友人を。それまでの全てを失った。ここにいる人の中にも、きっと同じような人がいるんじゃないかと思う」

どよめきは、杏子が放つ凛然とした声に飲み込まれていく。

「全てに絶望して、死んでしまいたいと思ったことが何度もある。そしてその時も普通に生きている人達を、何度羨ましく思ったか」

自分でも思いがけないほどに強く、言葉は次から次へと溢れてきた。

「そんなあたしが、ここまで生きてこられたのは――バイドがいたからだ。皮肉なことにね。バイドが憎かったから、戦う術を、理由を教えてくれる人がいたから、あたしは戦って、生き延びてこれた」

静まり返る中、声が響く。

「一緒に戦うことの頼もしさを知ることができたけど、それは同時に別れの辛さもあたしに叩き付けてくれたよ。戦いの分だけ、沢山の出会いと別れがあった。助けたくても、助けられなかった人もいたさ」

ロスの顔が、ゆまの声が脳裏に蘇る。涙が零れそうになって。それを堪えて、言葉を続けた。

 

「でもあたしは、今まで戦い抜いてきてよかったと思ってる。仲間に出会えたからね」

視線は真っ直ぐ前を向いて。潤んで歪む目を、しっかりと見開いて。

「そしてあたし達は、これからもバイドと戦っていく。確かに、バイドと戦うことは誰にでもできることじゃないさ。でも、例え戦うことじゃなくても、誰にだって出来ることはあるはずだ」

それは、この地球に残してきた友人の言葉。

戦うことだけが全てじゃない。ここにいる1人1人にだって、できることはきっとある。

「世界を救うのは、たった1人の英雄だけじゃない。あたし達1人1人の思いが積み重なって世界を守るんだ。皆で一緒に守っていくんだ!」

脳裏によぎる、かつての英雄の姿。

戦うことに疲れ果て、それでもまだ仲間のために戦うことを選んだ。そんな少女に、いつまでも英雄という枷を負わせ続けていいはずがない。

「だから生き抜こうぜ!生きてさえいれば、あたしたちにはできることがきっとある。無くすな!世界を!諦めるな!自分をっ!!」

大きく、一際大きく息を吸い込んで。

 

「――勝利は、あたし達の手にっ!!」

言葉と共に、大きな。とてもとても大きな歓声が上がった。そして、鳴り響く拍手も共に。

 

汗の浮んだ顔で、髪を頬に張り付かせたまま。すっかり紅潮した表情で、杏子はその光景を眺めていた。なんだか、気分は悪くない。

そして、静かに頭を垂れて。杏子は壇上を後にした。拍手は、歓声は止まない。

もしかしたらすごいことをしたのかもしれない、そんな実感が込み上げてくる。

自然と、笑みが零れた。

 

 

「軍の仕事が終わったら、演説家で食って行けるかもな、お前は」

舞台を去った杏子の肩を叩いて、男――准将がそう言った。

「――肝が震えたよ。二度とゴメンだ」

紅潮した面持ちで、どこかはにかんだような表情で杏子は答えた。

「あれだけ言えれば大したものだよ。式典の後には人を招いて食事会もあるんだがどうだ、そっちにも参加してみるか?上に行こうって考えるなら、出てみるのも悪くないぞ?」

意外な申し出に目を丸くして、それから小さく苦笑して。

「いいや、今日はもう帰ることにする。仲間が待ってるんでね」

「見つかったんだな、今度こそ、仲間が」

ロス達と杏子との関係はやはり、詰まるところは保護者と子供に近かった。その殻を脱ぎ捨てて、共に背中を預けあえる仲間を得られたのだということは、杏子のことを見守ってきたこの男にとっても、やはり嬉しいことだったのだろう。

「ああ、おかしな奴らだけど、最高の仲間さ」

だから、杏子が仲間の事を話して、その表情をほころばせる姿に知れず、男も笑みを零してしまっていた。

 

「それは何よりだ、小型機を用立てよう、それに乗って戻るといい」

目と目が合う。お互いに、相手を認め合ったその視線が交差する。

「……色々世話になったね。ありがとう、准将」

「気にすることはない。だが、今度は行き場所が無くなっても拾ってやりはしないからな?」

「へっ、言ってろーッ!」

最後まで、まるで友人のように軽口を叩き合って。そして二人は分かれた。まだ式典は終わらない。しかしそれでも、杏子の役目は終わった。仲間の下へと帰ろう。

やけに晴れ晴れとした気分で、杏子は帰路を辿るのであった。



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第4章 英雄の帰還
第12話 ―本当の自分と向き合えますか?―①


そして、少女達は再び戦いの宇宙で舞い踊る。迫り来るは異形の戦闘機群。
少女達は、そのおぞましき容貌に刻まれた真実を知る。


波動砲のチャージを終えた人型兵器が、敵の旗艦に迫る。護衛の部隊はそのほとんどが叩き落され、僅かに残った部隊もおびき出され、完全に立ち往生してしまっている。

もはや、この攻撃を阻むものは何もありはしない。

私は冷酷に攻撃を告げ、まとめて3本放たれた波動の光が敵の旗艦を直撃した。閃光、そして爆散していく戦艦を眺めながら、私は残存する敵部隊を掃討するよう指示を出した。

 

線と面で構成された、幾何学的なこの逆流空間。かつてあの星を旅立ったときも、ここを通っていたことを思い出す。ここを抜ければ、私の故郷はもうすぐだ。

そう考えると、無機質なこの空間もどこか懐かしいものに思えてしまうから不思議なものだ。

 

――敵の掃討が完了したという報せが入った。

 

何故彼らは私達を攻撃してくるのだろう。分からないが、攻撃してくるのならば応戦するしかない。この先にもきっと、敵は待ち構えているのだろう。

 

沈みそうになる気持ちを堪えて、太陽系に向けて、移動を継続する。

 

 

 

 

2171年。

年が明け、冬の盛りも過ぎた頃。見滝原を襲ったバイドの脅威も、その傷跡も少しずつ癒えてきた、そんな頃。

「………また、夢かぁ」

頭の中に広がったその光景と、誰かの思考。それを改めて噛み締めながら、まどかは呆然と呟いた。

「これは、誰かの記憶、なんだよね」

寝ぼけ眼をこすりながら、抱きかかえていたぬいぐるみをそっとベッドに寝かせて。まどかは思い出していた。ティー・パーティーから戻る前に、キュゥべえと話していたことを。

 

 

「まどか。キミはどうやら珍しい能力を持っているようだね」

「能力?……それってどういうこと、キュゥべえ」

少し緊張した面持ちで、巨大な円筒のような装置から身を起こしてまどかが尋ねた。それに応えた声は、どこか興味深そうなもので。

「説明するのは難しいな。今の人類の科学では、解析できないことだろうから」

「そんなに凄いことなの、その……能力って」

そんなことを言われては、どうしたって不安にもなってしまう。そんな不安が滲んだ顔で、まどかはキュゥべえに尋ねた。

「いや、それほどたいしたことじゃない。少なくとも、ボクの同僚が欲しがるようなものじゃないことだけは確かだよ」

もちろん同僚とはTEAM R-TYPEのことである。目をつけられたら一巻の終わりと、全方位から恐れられているその集団である。

 

「……聞かせてよ、分からないかもしれないけど、何も知らないままなのもやっぱり嫌だから、聞かせて欲しいな。キュゥべえ」

「また秘密を抱え込むことになるかもしれないけど、それでもいいのかい、キミは?」

そんな言葉にも躊躇うことなく、力強くまどかは頷いた。

「あまり知らせるべきではない、とは思うけどね。キミが望むのなら仕方ない」

相変わらずの、感情を一切見せない表情で、そして口調でキュゥべえは言う。

「鹿目まどか。キミの精神領域には、通常の人間に比べて遥かに高度な精神ネットワークが構築されている。キミが何処かの誰かの記憶を夢に見てしまうのも、キミだけがマミの心を開くことが出来たのもきっとその所為だろうね」

と、一気に捲くし立てた。当然、まどかは何も理解できずに困惑めいた表情を浮かべたままで。

 

「えっと、つまり……どういうこと、なのかな?」

「これでも相当砕いた表現だったんだけどな。要約するとね、まどか。キミには潜在的に人の意思を感じ取り、自分の意思を人に伝える能力があるということなんだ。使いこなせるようになれば、従来の原始的な意思疎通手段に頼る必要なんてなくなってしまうくらいにね」

さすがにこれでも理解できなければもうお手上げだ、とばかりにゆっくりと頭を振って、耳と尻尾をゆらりと揺らしてキュゥべえはまどかを見やる。

当のまどかは、何度もその言葉を繰り返して、何とかその言葉を理解しようと考えているようだった。

「テレパシー……みたいなものなのかな。それがあったから、私はマミさんを助けることができてそして、誰かの記憶を夢に見てる。そういうこと、なんだよね」

「そういう解釈で問題ないと思うよ。今のところ、キミは無意識的にその力を使っているようだね。力を制御できずに、無作為に周囲の思考を集積し続けたり、周囲に思考を拡散したりはしていないようだ。……今のところはね」

前者であれば、無尽蔵に他者の思考を集積し、自我の境界を失ってしまう。そして後者であれば、それはいわゆるサトラレという奴か。どちらにしても、普通に生活など出来るはずがない。

これだけの能力を持ちながら、それが今までほとんど発揮されてこなかったというのは、それはそれで異例なことだとキュゥべえは考える。

 

「今のところ……って、じゃあ、いつかそうなっちゃうってこと……なの、かな」

それが一体どういうことなのか、まどか自身がまだ十分に理解できていない。けれど、それがきっとよくないことなのだろうということだけは、よくわかった。

「可能性はゼロじゃない。でも、心配することはないと思うよ」

そんなまどかに、キュゥべえは笑みを浮かべて声をかける。

「その精神ネットワークがもしも暴走したとしたら、まずキミの身体が持たないだろうからね」

事も無げに言い放ったその一言は、当然の様にまどかを打ち据えた。

「どういうことなの、キュゥべえっ!?私の身体が持たないって……どうなっちゃうの、私」

「簡単なことだよ、まどか。その高度な精神ネットワークを最大限に活用するには、人の身体、もっと言えば人の脳というハードウェアはあまりにも脆弱で処理能力も未熟なんだ。もしもキミの能力を暴走を始めたとしても、すぐに精神が焼き切れてしまうだろう」

「そんな……じゃあ、私、どうしたら」

それはまさしく死の宣告にも等しい。装置から身を起こしていた身体から、一気に力が抜けていく。そのまますとんと、再び装置に腰を下ろしてしまって。

「今までキミは、自分の能力のことなんてまるで知らずに生きてきた。このままそれが目覚めることなく、後数年過ごすことが出れば問題はないと思う」

そんなまどかにあくまで淡々と、キュゥべえは事実を告げていく。

「この地球の歴史の中では、そういう能力を持った個体は少なからず散見されているんだ。だけど、誰もが皆精神的な揺らぎの最も大きい第二次性徴期を過ぎると、それ以降その能力は発現しなくなっている。最も、能力が発現した固体の最期は言うまでもないことだけどね」

ただ、事実だけなのだ。それが尚更に、まどかを強く打ちのめす。

 

第二次性徴期。所謂思春期というものが終わるまで、あと何年あるだろう。高校が終わるころには終わっているのだろうか。だとしても後3年以上はある。

そんな長い間、いつ爆発するかも知れない爆弾を抱えて生き続けなければならないのだろうか。

 

「だけど、ボクならそんなキミを助けてあげることができるんだ、まどか」

暗い思いに沈んでいたまどかに、続くキュゥべえの言葉が飛び込んできた。その言葉に、はっとしたように顔を上げてキュゥべえを見るまどか。

「助けられるって、本当、なの?キュゥべえ」

「ああ、方法は簡単だよ」

突然の絶望と、そこに齎された希望。まるでそれに縋るように、まどかはキュゥべえを見つめた。キュゥべえはその視線を受け止めて、うっすらと笑みを浮かべて、まどかに告げた。

「――ボクと契約して、魔法少女になればいいんだ」

予想だにしないその言葉に、まどかは言葉を失った。驚愕に塗りつぶされたような表情で、震える視線は辛うじて、キュゥべえの姿を捉えていた。

 

「ソウルジェムは、ただ魂を手に取れる形に変えるだけじゃないんだ。通常の人間の身体よりも、ずっと高度な処理能力や耐久性を与えてくれる。彼女達は気付いていないかもしれないけど、魔法少女は少なからずその恩恵を受けているんだ」

まどかが座ったままの装置の縁へとその身を預けて、再びキュゥべえはまどかを見定める。

「そしてそれに引きずられて、彼女達の身体能力も強化されている。もしかしたら、魔法少女になることでキミは、その能力を自由に操ることだってできるかもしれない」

まるで、今触れている足元がとても不確かなものになってしまって。今にも地面に沈み込んでしまいそうな、そんな不可思議な感触に囚われて、まどかの心も視界も揺れていた。

その揺らぎの中に、静かにキュゥべえの言葉が入り込んでくる。

 

「……でも、私。魔法少女に、ならないって。ほむらちゃんに、言ったんだよ。それに、例えそうだったとしても……戦えないよ。私には」

気を抜いてしまえば泣き出してしまいそうだったから。ぎり、と歯をかみ締めて、そんな気持ちを辛うじて堪えて、その誘いを拒む。約束したのだから。戦えないけど、それでも出来ることをすると。

ほむらは望んでいなかったのだから、自分が戦うということを。

死の恐怖と、友との約束との間で板挟みになって悩むまどかに対して、キュゥべえは少し意外そうな顔をしていた。

「キミはそんなことを心配していたのかい?……それならそれで構わないよ。もし戦いたくないというのならそれでもいい。今はただ、キミを助けるために言っているんだからね」

思いもよらない言葉、それは確かにまどかにとっては救いと言えた。

 

「え……っ、本当、なの?」

気が抜けてしまったのか、少し抜けた調子で漏れるようにして流れ出た声に、キュゥべえは答えて。

「ボクだって、こんなところでキミに死なれるのは本意じゃない。これでキミが助かるのならそれでもいいと思っているよ。……信用できないかい?」

「そういうわけじゃないよ……でも、本当にいいのかな、って。だってキュゥべえは、魔法少女のパイロットを見つけるのが仕事……なんだよね?」

希望は見えた。けれどそこにはまだ、得体の知れないものへの不安もあった。魔法少女になってしまったら自分はどうなるのか。そうなってしまったものを、随分身近で見ていたはずなのに、やはり不安は拭えなかった。

「もちろんそうさ。だけど、ボクの目的はそれだけじゃない。もしかしたらいつかキミの力を借りることになるかもしれない。そうなった時に、キミに死なれていたら困る。そう思ったんだよ。所謂保険という奴かな」

さらにキュゥべえが跳ねる。半透明の身体が、まどかの膝の上からまどかを見上げている。

 

 

 

「どうするか、選ぶのはキミだ。鹿目まどか」

 

 

 

 

 

思い出すと、否応なしに気が重くなってくる。

ずっと気がかりだったいろいろなことに、納得のいく結論が出たのはいいことなのだけど。それでも、これでよかったのだろうかという後悔は残る。

「はぁ……そろそろ起きなくちゃ」

溜息一つ。ベッドから身を起こして部屋のカーテンを開ける。カーテンの裾に触れたその指には、きらりと輝く指輪がはめられていた。

 

 

「さやかっ!そっちに敵が行ったぞ」

黒を基調とした機体。悪名高いR-9W系統最終機、R-9WZ――ディザスター・レポートを駆って杏子が叫ぶ。

もはやどういう理屈で放たれているのかすらわからない、この機体が持つ波動砲こと災害波動砲が放たれ、赤熱した隕石状の波動エネルギーが目の前のバイドを押し潰そうと迫り、そのまま炸裂する。

しかしその爆発の中から現れ、さらに奥へと突き進む敵戦闘機型バイド、B-1B2――マッド・フォレストⅡ。

禍々しくも、どこか植物のような有機的なフォルムを持つその機体が、ディザスター・レポートの隣をすり抜け駆けて行く。どうやら直撃は避けていたらしく、バイドの癖にやけに腕がいいものだと関心してしまう。

そして敵の数はそこそこに多い、総勢7機の戦闘機型バイドが、所狭しと宇宙の海を飛び回っている。

 

「まだ来るってわけ?……ああもう、なんなのさこいつらはーっ!?」

同じく二機の戦闘機型バイド、バイド・システムαの最終進化型にして、バイドらしさを追求して生まれた機体。あまりにもその容貌は邪悪、醜悪な肉塊の中に、辛うじて機器の類が見て取れる、B-1D3――バイド・システムγ。

そしてマッド・フォレストⅡ同様に植物様のフォルムを持つ、B-1A2――ジギタリウスⅡ。その二機をフォルセティⅡの機動性で翻弄しながら、さやかが一つ悪態をついた。

今のところ負ける気はしない。空戦の腕では負けはしない。けれど、流石に2対1では分が悪い。

マッドフォレストⅡが加われば、さらに状況は悪化する。

「こいつら……やけに連携が取れてやがるっ!」

援護に向かおうとした杏子の前にも、さらなる敵バイド機が立ち塞がる。緑色の霧のようなものでその身を覆っている以外は、通常のR戦闘機と違いはないようにも見える。

ただそれでも、身に纏う霧状の物体からは高レベルのバイド反応が検出されている。ミスティ・レディーと名づけられたその機体は、果たして通常のR戦闘機に霧状のバイド体が取り憑いたものなのか。

それとも……元よりこういう機体として、開発を進められていたのだろうか。

 

(……嫌なこと思い出させるね)

杏子の脳裏に否応なしに思い出されるのは、ゆまのこと。もしかするとこれらの機体にも同じ様に、元は誰かが乗っていたのかもしれない、と。

「邪魔すんな……落ちろぉっ!!」

ハニカム状の対空レーザーを放ち、立ち塞がる敵を迎撃する。けれどもその一撃は、霧状の幕に触れた途端に乱反射し、あらぬ方向へと逸れていった。

ミスティ・レディーの持つその霧状の物体は防護壁であり、ビーム攻撃を乱反射させる性能を持っていた。

さらにミスティ・レディーから高エネルギー反応。恐らく波動兵器をチャージし始めているのだろう。

「っ……なら、こいつでっ!」

誘導性能を持つ追尾ミサイル。高機動戦闘を行うR戦闘機同士の戦闘においても十分に効果を発揮するはずのそれは、放たれた途端にまるで見当違いの向へと飛んでいってしまった。

「これは……ジャミングかよ、どうなってやがるんだ」

さらに、その霧状の防護壁はジャミング機能すらも備えていた。レーザーでも、ミサイルでも破壊は困難。手があるとすれば、フォースシュートか波動砲。波動砲のチャージを始めるも、当然向こうの方がチャージの完了は早い。

 

「なんとか、一発凌いでやらないとな」

機体を急旋回させる。さやかの援護に向かいたいところだが、その前にこいつを片付けなければしょうがない。

その刹那、機体に警告が走る。その詳細を確認し、杏子はにやりと笑みを浮かべた。

そのまま機体下方に垂直降下。ザイオング慣性制御システムですら減殺しきれない衝撃が身体を襲う。その衝撃に堪えながらも、視線は敵を捉えて逸らさない。

当然のように機体を制御し、それを追って波動砲を放とうとするミスティ・レディーを、飛来した閃光が貫いた。

その射手はシューティング・スター。放たれた圧縮波動砲はミスティ・レディーの防護壁を切り裂いて、さらにはその機体をも焼き払う。回避行動も取れずに、ミスティ・レディーが撃沈、爆散した。

 

「意外と便利だな、それ。……助かったぜ、マミっ!」

「ええ、本当ね。……敵はまだまだいるわ。油断せず行きましょう!」

ディザスター・レポートとシューティング・スター。二機の軌道が交差する。杏子はさやかの援護へ、そしてマミは迫る敵を迎撃に向かう。

マミの眼前には、まるで爬虫類のような鱗を持ち、鋭い牙を剥いて迫る龍のような機体の姿があった。BX-4――アーヴァンクと呼ばれたそれは、まるで鱗の塊のようなスケイル・フォースを携えマミへと迫る。

方や最初期に生産された機体であるシューティング・スター。波動砲の性能は今でも申し分ないが、機体性能自体はアーヴァンクに比べ、やはり劣る。

回避するので精一杯なシューティング・スターを、拡散する鱗状のレーザーが掠めていった。

機体に走る衝撃。そして、変貌。

 

「やっぱり、この機体ではちょっと厳しかったわね。……でも、ここからが本番よ?」

変貌を遂げたマミの機体。それは人型機であった。そして、変貌という言葉は適切ではない。それはただ、元の姿に戻っただけだったのだから。

「お楽しみはここからよ。行くわよ、ナルキッソス!」

TL-3N――ナルキッソス。

それは既存の地球軍の機体とはまったく異なるコンセプト、バイドに頼らない兵器を目指して作られた機体であった。それゆえにこの機体にフォースはなく、右腕のヒートロッドを介して多用なレーザー兵器を操っている。

そしてその最大の特徴は、今まで見せていた別の機体への擬態能力である。

どうなっているのかを考えるのすら恐ろしいことに、擬態によって変化した機体は元の機体と同様の性能を持っていたのだ。

 

方や異質なる人型兵器。方や異貌なる龍を模した生物兵器。光の剣を掲げて人が邪龍に挑む。それはまさしく、御伽噺のファンタジー。

どうせならそんな勇者よりも、囚われのお姫様の方がよかったな、なんて思いは飲み込んで、マミは邪龍に立ち向かう。光の剣を振りかざし。

周囲を旋回するアーヴァンクから放たれる、鱗状のレーザーをかわしながら距離を測る。フォースという盾を持たないからこそ慎重に、放たれたミサイルは、ビームソードで切り払う。

やがて、業を煮やしたアーヴァンクが一気に突撃を仕掛けてきた。それはまさに好機。人でいう上段、火の構えのように大きくその剣を掲げて、マミもまた邪龍に迫る。

「アブソリュート・リ・フュートっ!」

声と同時に一閃。機械の腕が振りぬいた刃は、強固な鱗を物ともせずに切り裂いた。最早この距離ならば、フォースの有無は致命的な差にもなり得ない。

流石にフォースそのものは切れないが、表面を覆う鱗を切り裂き、さらにはアーヴァンク自身にも傷を刻み込んだ。切り裂かれた鱗の下には、やはりフォースの色が見て取れる。

ナルキッソスもまた、フォースとの接触で機体を焼かれる。それでも、動けなくなるほどのダメージではない。アーヴァンクは今のダメージで動きが鈍っている。

止めを刺すのは、今だ。

 

「続けてもう一撃……サクレッド・サンクションっ!」

横薙ぎに一閃。鱗が切り裂かれ、有機物で構成された機体の内容物が焼け焦げ、蒸発していく。最早アーヴァンクに脅威はなかった。後は違わず止めを刺すだけだ。

「終わりよ、ニーサリー・サンクションッ!!」

縦一閃。完全に機能を失い、アーヴァンクは果てた。ビームソードを引き抜き、アーヴァンクを蹴り飛ばす。

打ち捨てられた邪龍は、炎と光を巻き上げ爆発の中へと潰えていった。

「まさかバイドと切り結ぶなんて思わなかったけど……これはこれで、悪くないわね」

満足げに呟いて、マミは味方の援護へと向かうのだった。

 

本来はただ、この先の宙域にあるはずの研究施設・グローリアへ次の試験機を取りに行くだけの任務であった。その為に宇宙の海を渡っていたティー・パーティーの前に、バイド機が立ち塞がってきたのだ。

施設からの通信は途絶している。まず間違いなく、あのバイド達によって陥落したのだろう。もしくはあれが、あの機体達が本来受け取るべき機体の、成れの果てなのかもしれない。

そんな思考を廻らせる間も無く、続けざまに迫るレーザーを回避してほむらは、迫る二機の狂機へと意識を集中させた。

白く、硬質な三本の爪が特徴的で、さらにはアンカー・フォースを模したクロー・フォースを持つ機体。バイド生命体の牙状部位と同様の構造のフレームで構成されたその機体はB-5A――クロー・クロー。

その攻撃的な形状に違わず、放つレーザーもフォースも、いずれも非常に攻撃的なものだった。

そしてもう一機、もっとも手強い敵が居た。

その全身をゼリー状のバイド物質で覆った機体。バイド係数は計り知れないほどに高い。四本の触手を備えたセクシー・フォースは非常に強力で、その触手全体からレーザーを振りまいてくる。その機体はB-3C――セクシー・ダイナマイト。名前はなんとも残念だが、その脅威は本物だった。

 

あの時編隊を組んで迫って来た7機の中で、最も手強いと踏んだこの二機を真っ先に相手取り、残りを任せたほむらの判断は間違っては居なかった。ただ、この二機は腕も悪くない。バイドにしておくには惜しいほどだ。

それだけに攻撃に転じる隙が見出せない。ほむらをもってしても、防戦一方であった。

とはいえ敵は数で勝る。ここで二機を同時に引きつけたとしても、まだ敵の方が多い。援軍はそうそう期待できそうにないのなら、ここは何とか切り抜けなければならない。

交差するようにして放たれたレーザーの間をすり抜け、クロー・クローにフォースを放つ。

通常の橙色とは異なり水色のそのフォースは、バイド生命体をゲル状に加工し、制御コアを埋め込むことで制御可能とした、現在人類が誇る最強にして最高のバイド係数を持つフォース、サイクロン・フォースであった。

サイクロン・フォースはフォース自身も高い攻撃、防御能力を持つのみならずそのレーザーも、多少の障壁をものともしないほどの出力を持ち、メガ波動砲と併せてラグナロックの突破性能を更に高めるものであった。

そしてその最大の武器にして盾であるフォースは、クロー・クロー目掛けて放たれた。しかしそれは空しくかわされ空を切る。武器を失ったほむらのラグナロック・ダッシュにバイド機が迫る。

狙い通りだ、と。ほむらは勝利を確信した。

今にもその凶悪な外観そのものの攻撃を繰り出そうとしていたクロー・クローが、背後からの攻撃を受けて動きを止めた。その背面には、先ほどやり過ごしたはずのサイクロン・フォースが喰らいついていた。

 

サイクロン・フォースの特性は、その基本性能の高さだけではない。アクティブコントローラーを埋め込まれたことで操作性能が非常に向上しており、切り離しと呼び戻しを自由自在に行い、フォースを操作することが可能となっていた。

まさにそれは、ありとあらゆる意味で革新的な、最強のフォースの名に恥じない性能なのである。

 

「動きが乱れた……仕掛ける」

ラグナロック・ダッシュがクロー・クローに機首を向ける。チャージは既に完了していた。ただ、今まで放つ余裕がなかったというだけで。

なにせこの一撃は、まさしく戦況を変えるだけの力を持っている。だがしかし、代償もそれなりに大きかったのだ。

連携を乱しても尚、攻撃の手を緩めないセクシー・ダイナマイトの乗り手は、やはり腕はいいのだろう。けれども相手が悪かった。

一瞬でも1対1で戦える状況が出来てしまえば、それで十分なのだ。

「もう一度、力を見せて。……ラグナロック」

放たれ続けるレーザーを、機体の限界ギリギリの機動で回避、更にそのまま機首を敵へと向ける。動きを止めたクロー・クローと、尚も追い縋るセクシー・ダイナマイトが、一直線上に並んだ。

 

「ハイパードライブ……っ!」

それはかつての乗機、オリジナルのラグナロックが持つ、連射可能な波動砲。ラグナロック・ダッシュは、その再現すらも成し遂げていた。

現在量産されているラグナロックにも、ハイパードライブシステムは搭載されている。しかしそれは、オリジナル機のそれがオーバーヒートによる強制冷却と、その間の波動砲使用が不可能になるという代償を孕んでいた事を受け、威力が大幅に制限されていた。

だが、このラグナロック・ダッシュは違うのだ。波動砲が改良されている事以外、全てがオリジナルのラグナロックそのままなのである。ほむらにとっては懐かしくもあり、少し複雑な気分でもあった。

 

そして放たれる波動の光。それが明らかに脅威であると見て取ったセクシー・ダイナマイトは、すぐさま機体を翻す。一発限りの波動砲ならば、それで十分回避可能だっただろう。

立て続けに放たれるハイパードライブからは、その程度では逃げることは出来なかった。動けないクロー・クローを叩き落し、そのままセクシー・ダイナマイトも片付ける。

だが、そのときセクシー・ダイナマイトの取った行動は、ほむらを驚愕させた。推進部をサイクロン・フォースに破壊され、未だ再生の追いつかないクロー・クロー。迫る波動の光に焼かれるのを待つだけであったその機体に、セクシー・ダイナマイトは向かっていった。

そして、その勢いを消さぬままに体当たり。弾き飛ばされたクロー・クローは、ハイパードライブの射線から逃れた。

けれど、そこまでだった。

立て続けに放たれる波動の光に焼かれ、セクシー・ダイナマイトのジェル状の機体が焦げていく。そして、内部の機械部分にまでその威力は浸透し、そして爆散した。

 

「……バイドが、味方を……庇った?」

信じられないことだった。確かにバイドの中には、複数のバイド体が寄り集まって活動するものや他の固体と協力して攻撃を行うものはいた。しかしそれはあくまでも習性、本能のままに行われる行為のはずだった。

だが、今の機体が見せた行動は。我が身を呈して味方を庇うという行動はあまりにも、バイドのそれとはかけ離れていた。

「バイドに、感情なんてあるわけが……だとしたら、これは」

ほむらの中で、疑問は最早確信に変わりつつあった。

 

やはりこれは、この機体達に乗っているのは……否、乗っていたのは人間なのだ。機体ごとバイドに取り込まれ、その攻撃本能のままに襲い掛かってきているだけなのだ。けれど、まだ意識は残っている。だとしたら、今倒した敵の中にも、また。

あまりにやりきれない。そして何よりこの機体の存在が信じられなかった。こんなところに偶然に、フォースを装着し波動砲を使いこなす、明らかにR戦闘機の成れの果てのようなバイドがそれもこれだけの数と種類が、存在するなんていうことがありえるだろうか。

そしてこの先にあるのは研究施設。

最早疑う余地はない。行き過ぎた狂気の科学は、バイドにさえもその手を伸ばしていたのだ。バイドの性質を利用したR戦闘機、噂くらいは聞いたことがあったが、まさかこんなところで開発が進められていたとは。

 

通信を繋いでみようかとも考えた、けれど無駄だろう。たとえ意志があったとして、自分は彼もしくは彼女の仲間を撃った。バイドに思考を犯された状態で、説得などできるはずがないのだ。

「……貴方達に何があったのか、私にはわからない。でも、もう幕を引きましょう。こんな悪夢には」

推進部の修復が終わったのだろう。恐らくは仲間を失った怒りで震える機体を駆って、クロー・クロー、そして打ち出されたクロー・フォースが迫る。

 

「――オヤスミ、ケダモノ」

 

まずは難なくフォースをかわす。アンカー・フォ-スに似てはいるが、そこに光学チェーンは存在しない。ただ打ち出されただけならば、かわすことは容易だった。

そして呼び戻したサイクロン・フォースから、矢印状のスルーレーザーが放たれた。貫通力を高めたそのレーザーは、硬質のクロー・クローの機体を難なく貫き、切り裂いていく。

その爪が砕かれ、翼は折れ、恐らくコクピット部の成れの果てであろう赤い水晶体もまた、打ち砕かれた。

 

最後まで、どこまでも真っ直ぐにその爪は迫り。そして、決して届くことなく炎の中に消えていくのだった。

それを確認して、ゆっくりとほむらは機体を廻らせる。まだ、皆が戦っている。早く助けに行かなくては。

 

 

「ああもう、このままじゃ持たないっての!」

絡みつくように迫る三機の敵、その間を掻い潜り、すり抜け。何度も死を覚悟するような危機を迎えながらも、さやかは尚も健在だった。

フォルセティⅡの過剰ともいえる運動性、それを常時フル稼働させてようやくの成果である。とはいえまさしく避けるだけが精一杯。連携を取りながら襲い来るバイドの部隊に、逃げ回るだけで必死の状況だった。

「やばっ!?またあれが来るっ」

背後から追い縋るバイド・システムγの背部に光が宿る。バイド・システムαのデビルウェーブ砲を更に強化させ、威力や持続性を増したデビルウェーブ砲Ⅲ。その追尾性能は恐ろしく、フォルセティⅡでも回避は容易でない。

まともにもらえば、それこそ逃げ回ることもできなくなってしまう。

機体を加速させとにかく距離を取る。

そうするより他逃げる術はないのだが、どうやら敵はついに、その対策を立ててきたようで。フォルセティⅡの進行方向に、突如として割り込んできた機体、マッド・フォレストⅡがその波動砲を解放した。

蔦状のエネルギー体から、更に無数の棘が伸びるスパイクアイビー。決してフリント地獄突きではない。

 

「っ、きゃぁぁぁッ!」

真正面から衝突するかの勢いでの突撃に加えて、スパイクアイビーでの攻撃である。回避など取れようはずもない。それで必死に進路を逸らした結果、スパイクアイビーはフォルセティⅡの機体を深く抉った程度で、その機動を止めるまでは至らなかった。

だが、それで十分だった。

デビルウェーブ砲Ⅲが、更にフォルセティⅡに迫る。衝撃に機体を激しく揺さぶられながら、それでも必死に逃れようと機体を走らせた。

だが悲しいかな、今の一撃は、フォルセティⅡのブースターを深く傷つけていた。機体の出力は思った以上に上がらなかった。

直撃とまでは行かなかったが、それでも被弾。フォルセティⅡは小規模の爆発と共に吹き飛ばされ、完全にその戦闘能力を失ってしまった。

 

(このままじゃ死んじゃうね、仕方ない。使うしか……ないよね)

後は止めを刺されるのを待つばかりの機体の中で。それでもやけに落ち着いた風に、さやかは決意した。

火花を散らすフォルセティⅡの青い機体が、青い光に煌いた。

 

 

「さやか、助けに来たぞっ!」

「美樹さん、無事でいてっ!」

「さやか、どうか持ち堪えて……っ!」

各々の敵を下し、三機のR戦闘機が駆ける。目的は一つ、単独で三機の敵を相手取っているはずのさやかを救うため。そうして今尚交戦が続く宙域へと雪崩れ込んだ3人が見た、ものは。

 

「やっほーっ!あたしって、やっぱ最ッ高ーっ!!」

三叉に分かれたロックオン波動砲で、逃げるように散らばった三機の敵を纏めて撃墜した――まるで無傷の、フォルセティⅡの姿だった。

「オイ、さやか……無事、なのか?」

その光景に、驚いたように杏子が声を上げる。あの巨大戦艦との戦い経て以降、確かにさやかは見違えるように強くなった。だとしても、あれほどの敵を三機同時に相手をしてあれほど余裕で居られるのだろうか、無傷で勝利し得るのだろうか。

信じられないという気持ちは、杏子の中で強いものになりつつあった。

「当ったり前でしょ!あたしを誰だと思ってるのさ」

けれど、そんな疑問もさやかの力強い言葉にかき消されてしまった。

「本当に、すっかり置いてけぼりにされてしまったわね。すごいわ、美樹さん」

マミもこの戦果には、驚きながらも賞賛の言葉をかけるより他になく。

「……ええ、これは私もうかうかしていられないわね」

ほむらもまた、そんなさやかを頼もしく思っていた。本当にこのままでは、遠からぬ内に追いつかれてしまうかもしれない。いや、今やりあったとして果たして勝てるだろうか、そんな風にすら思ってしまっていた。

最早一流の乗り手と言ってもまったく過言ではないさやかのそんな姿に、頼もしさと同時に少しばかりの寂しさも感じていたのだった。

 

「周囲に敵の反応なし……これで終わり、かな?」

こうして駆けつけてきたということは、皆もそれぞれの敵を片付けたのだろう。確実に敵の全滅が確認できるまでは、決して気を緩めてはいけない。バイドとの戦いでは、一瞬の油断が死に直結することを痛いほどよくさやかは知っていた。

やがて現れたティー・パーティーから敵の全滅を告げられて、ようやく皆も緊張を解いたのだった。

 

地球のみならず、太陽系ありとあらゆる場所に存在するR戦闘機の開発、研究のための施設。今向かっていた場所は、その内の一つであった。

グローリアと呼ばれていたその場所は、恐らく先ほど襲撃してきたバイドによるものであろう損傷が無数に刻まれ、最早施設としての機能はほとんど残っていないようにも見えた。

「施設内部のスキャンが完了した。どうやらもう内部にはバイドの反応は無いようだね」

ティー・パーティーの会議室。戦闘を終えて戻った一同に、キュゥべえが告げた。

「なら、これでひとまずは安心ってことだな。でもどーするんだ?これじゃ、とても機体なんて持って帰れるような状況じゃあねーよな?」

グローリアの無残な有様をモニター越しに眺めながら、まずは杏子が切り出した。

「そうね、それに敵は倒したといっても、アレをあのまま放置しておいてもいいのかしら?」

不安げな表情でマミがそれに続く。

「……そうだね、施設の内部の状況は気になるし、調査してみることにしようか」

「しようか、って簡単に言うけどよ。結局調査するのはあたしらなんだろ?……ま、いいけどさ。敵も居ないんだ、さっさと済ませちまおうぜ」

相変わらず視線はモニターへ向けたまま杏子が言う。グローリアは崩壊も激しく、R戦闘機では内部へと進入することは難しい。つまりは、人の手で直接調査を行わなければならないということで。

 

「探査艇や工作機の一つも積んでりゃ話は違うんだけどねぇ」

と、杏子が愚痴るのも当然であった。

「そもそもこの船は装備試験艦なのだから、そこまで望むのは行きすぎね。けれど、これだけ色々させられるのだから、確かにそれくらいは欲しいと思うわ」

ほむらもそれに同意した。とはいえ、無い物ねだりをしたところでどうなるというものでもない。結局はグローリアの調査を行うしかないのだ。敵は居ないのだし、そこまで心配することは無いはずなのだが。

「じゃあ、さっさと行こうぜ。四人で手分けすればそうそう時間もかからないだろ」

すぐにでも出発しようとする杏子を、マミが呼び止めて。

「待って佐倉さん。いくら敵の反応が無いからって、皆で乗り込むのは危険だわ。……そうね、誰か一人がR戦闘機で待機。残りの皆で内部の調査をするっていうのはどうかしら?」

少し考えてから、マミはそう提案した。完全に実戦能力に特化してしまったさやかや、経験に基づく考え方をする杏子やほむらと異なり、マミは一歩引いた視点から状況を判断していた。

言い方を変えれば、大局的とも言えた。

まだ年若いマミである。断言できるほどのものではないが、もしやすると彼女には指揮官としての資質があるのかもしれない。純粋な戦力の増強に加え、マミというブレインを加えたことで、ティー・パーティーはその戦力を飛躍的に向上させていた。

 

「相手はバイド、どれだけ警戒しても過ぎることはないわね」

と、ほむらが賛同し。

「……と、なると。残るのはあたしだな。あたしの機体なら、詰め込めば何人かは乗せられるだろ」

そう杏子が続けた。他の機体は皆ソウルジェム搭載機、パイロットブロックの余剰スペースは限りなく削減されているのだから仕方がない。

「ってことは、あたしら三人で内部の調査だね。一体何があったんだろ、あそこで」

モニター越しの惨状を眺めて、さやかも言葉を放つ。後はもう、出撃の準備を整えるだけだった。

 

「ちょっと待ってくれないかな、さやか。キミにはここに残って欲しいんだ」

それを遮ったのはキュゥべえの声。

「え、あたしっ?……何かやらかしちゃったっけ、あたし?」

驚いたように、けれどちょっとおどけた様子で笑いながら、キュゥべえを、そして皆を見渡すさやか。

「……それは、キミが一番よく知っているんじゃないかい、さやか?」

そしてキュゥべえはいつも通り、揺るがない視線と口調でさやかを射抜く。いい加減付き合いも長いのだが、この目にだけはどうにも慣れないさやかだった。思い当たるところがあったのか、さやかの顔から笑みが消えて。

「なんだよさやか、今度は何やらかしたんだ?」

からかうような杏子の言葉にも、困った様子で微妙な表情を浮かべるしかないさやかであった。

「あー……ごめん、皆っ!向こうのこと、任せちゃってもいいかな?」

「……仕方ないわね。敵も居ないようだし、3人でもきっと大丈夫よね」

マミがそう言い、ほむらもそれに頷いて。

「ま、そーゆーことならこれは貸しにしといてやるよ」

今一つ納得は行かないものの、杏子もそれに頷いた。

 

「じゃあ決まりね、準備を済ませて出発しましょう」

パン、と一つマミが手を打った。作戦会議はこれにて終了。皆がそれぞれに準備を始める。マミとほむらは船外活動用のスーツを装着し、杏子は機体の発進準備を始める。コクピット内の機材を一部取り外し、何とか三人が入れる程度のスペースを確保して。

そしてティー・パーティーはグローリアに接舷、マミとほむらは内部への侵入を開始した。

杏子はティー・パーティー内にて待機。いつでも出撃できるように、ディザスター・レポートに乗り込んでいる。

 

「さて、さやか。話というのは他でもない」

残された一人と一匹、早速キュゥべえが切り出した。さやかも、覚悟を決めたような表情でそれを迎え撃つ。

「――キミは、魔法を使っているね、さやか」

ビクリと、一度大きく身を震わせて。さやかはキュゥべえを見据えて。

「……やっぱり、アレって魔法だったんだ」

まるで悪戯がばれた子供のような表情で、さやかは笑って見せた。これには流石のキュゥべえも、少なからず呆れるしかないようで。

「キミのソウルジェムを見て驚いたよ。一回の出撃では考えられないほどに多くの穢れが溜まっていた」

そのまま続けてキュゥべえが語る。たとえ魔法を使わずとも、ソウルジェムには少しずつ穢れが溜まっていく。戦闘の度に、もしくは日々の生活を経る中で。

とはいえそれは微々たるもの。機体にソウルジェムを移す際に取り除かれて、問題になることはまずなかった。だがしかし、そうして穢れを取り除く際に気付いてしまったのだ。

さやかのソウルジェムには、致命的な程ではないが非常に多くの穢れが溜まっていたことに。原因があるとすれば、魔法を使ってるとしか考えられなかった。

今回の戦闘の様子を見て、それを確信したのだとキュゥべえは話すのだった。

 

「キミは、損傷を受けた機体を魔法で修復したんだね。キミがそれを魔法と認識していなかったとしても、だ」

「あはは……流石はキュゥべえ。何でもお見通しだね。……そうなんだよね、うん。これは魔法だったんだ」

微かに笑って、確かめるようにさやかは呟いた。

その脳裏に蘇るのは、魔法を操る魔法少女の姿。かつて凶機を駆って襲撃してきた二人。織莉子とキリカ。その二人の姿、そして戦いの最中に見せたその末路までもが蘇ってきた。

「……ねえ、教えてキュゥべえ。魔法少女って何なの?何でソウルジェムがあると、こんな力が使えるようになるのよ」

そんな疑問を抱いてしまうのも当然で、切実なさやかのその声にキュゥべえは一度軽く目を伏せて、それから言葉を続けた。

 

「しかし、機内で待機ってのも随分と暇なもんだな」

いまだグローリア内部からは連絡が無い。二人の生命反応も健在。特に問題は無いのだろう。このまま待っているのが任務なのだから、それを投げ出すつもりは無いが、どうにも退屈だった。

「そういや、さやかの奴は一体何言われてやがるんだろうな。……へへ、ちょっと聞いてやるか」

にぃ、と笑って艦内の音声を受信するようにチャンネルを設定する。気付かれないようにこっそりと。この手の細工は、ロスのところに居た頃からの十八番であった。……どうやら、上手く行ったようだ。

さやかとキュゥべえの話す声が聞こえてきた。

 

「魔法少女が本来、魔法を使って戦う存在だったということは、以前に話したね」

「あー……確か、聞いた気がする」

「どうにも頼りないね、キミは。……話を続けるよ。魔法少女は本来魔法を使って戦う。その魔法は、魔法少女の願いから生まれたものなんだ」

「願いって……どういうことなわけ?」

「本来の魔法少女というのはね、ボクと契約する時に、一つだけどんな願いでも叶える事ができたんだ」

「どんな願いでもって、じゃあ億万長者とか、不老不死とかってのでもおっけーなわけ?」

「うん、ある程度はその人の素質も寄るけどね、そういう考え方でいいと思う」

「うわ、それは凄いな……っていうか、そういうのがあるんだったら、それでバイドをやっつけちゃえばよかったんじゃない?」

「……できないからこそ、こうやって魔法少女をバイドと戦うために作り変えたんだよ」

「……そっか、なんかごめん、キュゥべえ」

 

 

「いいさ、話を戻すよ。願いと引き換えに魔法少女は生み出される。そうして生まれた魔法少女はその願いに応じた魔法の力を手に入れるんだ。例えば傷や病気を治すことを願えば、癒しの魔法を扱うことができるようになる。キミが使っている魔法は、本来そうして生み出されるはずのものだったんだ」

「……じゃあ、なんであたしは魔法が使えちゃうわけ?願いなんて叶えてないよね、あたし」

「それはこっちが聞きたいよ。キミ達のソウルジェムはバイドと戦うために作り変えられている。願いと魔法はオミットされたはずなんだ。それなのにキミのソウルジェムは魔法の力を手に入れてしまっている。まったく、わけがわからないよ」

「ってことは、あたしがこのまま魔法を使い続けたら」

「ある程度の穢れは、ボクが何とかすることはできる。けれど限界を超えてしまえば、キミは死に至るだろうね、さやか」

 

 

「……なんて話だよ、こりゃあ」

コクピットの中で、二人の話に耳を傾けていた杏子は呆然と呟いた。

「さやかの奴、妙に調子がいいと思ったら……なんだよ、そういうことだったのかよ」

それはまさしく、命を削って戦っているようなものだ。このままにはしておけない。止めなければならない。だがどうすればいいのだろう。

やるせない思いが、胸中に渦巻いていた。

 

「どういうことかしらね、これは」

マミは静かに呟いた。グローリアに侵入し、まだ辛うじて生きていた予備電源を起動させ、その後はほむらと別れ、それぞれ施設内の探索に当たっていたのだが。

非常灯でぼんやりと赤く照らされた通路の中には、破壊されつくした施設の残骸が散らばっている。それに混ざって見えている、元は綺麗な色をしていたのであろう布の切れ端や、ひしゃげてしまった調理器具。

千切れて綿の飛び出たぬいぐるみ、ハートマークが表紙の本の切れ端。

「女の子でも住んでいたのかしら」

どうにも研究施設には似つかわしくない代物が、あちこちに散らばっていた。この辺りは損傷が特に激しいようで、部屋の内部はほとんど確認できなかった。

見取り図を見るに、この辺りは居住区だったようなのだが、この惨状を見るにこれ以上の情報を入手するのは困難だった。

研究区域に向かったほむらと合流するべきか。マミが考え始めたその矢先、なにやらプレートのようなものが奥から流れてきた。

 

「何か書いてあるわね……かすれていてよく読めないけど、これは……」

そのプレートを掴んで、表面に書かれた文字を見て。

「プレイ……アデス?」

辛うじて、そう読み取ることが出来た。

 

「――まさか、こんなことが」

研究区画。壊れた機器の中でどうにか生きているものを見つけて、残るデータを改修した。この手の仕事は専門外だが、キュゥべえから貸し与えられた端末と権限を駆使してどうにか主要な情報を回収することができた。

そうして示された、この施設で行われていた研究の正体。それはあまりにも衝撃的なものだった。

――ソウルジェムが持つ、バイドに対する強い抵抗力。それを利用して、ソウルジェムをコアとしたバイド機体の運用を行うバイデロイド計画。そして、その中でも特にバイドに対する抵抗力の強い者を選別し、ソウルジェムに直接バイドを配合。更なるインターフェーズの強化を図った、恐るべき、忌むべき計画。

 

――バイドジェム計画。

 

そう、この施設はソウルジェムを、つまりは魔法少女を運用し、バイドを用いた機体の開発を行う施設だったのだ。

 

真実を知り、戦慄に震える視線。全ては終わってしまったこと。……いや、違う。こうして今回収したデータによって恐らくまた、バイデロイド計画は続行されることだろう。

「この端末を破壊してしまえば……いえ、それでも結果は変わらないでしょうね」

この施設のデータがあろうと無かろうと、あの研究者達の狂気は止まらない。いずれ必ずこれと同じ。むしろそれ以上の悪夢を生み出し、おぞましい研究を続けるのだろう。

 

「そして、バイドを倒すためと言ってそれを容認している。……私も、あいつらと変わらないわ」

自重めいた言葉は、誰の耳にも届くことは無かった。

その手に握られた端末に映し出されたのは、さやか達とさほど歳も変わらぬであろう少女たちの姿。

「彼女達が……バイドジェム計画の被験体」

その数は、七人。

 

「私達が戦っていたのは……彼女達、だったのね」

胸の内に、嫌なものが込み上げてくる。ソウルジェム、つまりは魂そのものにバイドを植えつけられて、完全にそれに侵されてしまったのだろう。

そして施設を破壊し、そこに迫る敵に攻撃を仕掛けた。それがきっと、ここで起こった真実。それでも仲間を守るという意思だけは失わずに、最後まで戦い続けたのだろう。

「もしかしたら、私達の立場は逆だったのかもしれない」

彼らにその身体を、魂までも弄ばれて、戦いへと送り込まれて。何が違うものか、何かが一つ変わっていれば、ここにいたのは自分だったのかもしれないのだ。どうしようもなく、胸が締め付けられるような切なさを感じた。

 

「暁美さん、そっちは何かわかったかしら?」

悲嘆に暮れるほむらの元に、マミからの通信が入った。

「ええ、大体のことはわかったわ。そちらはどう、マミ?」

「こっちは全然ね、損傷が酷くて何も分からないわ。……そちらに合流してもいいかしら?」

「……了解よ。気をつけてね、マミ」

この事実は、自分の中に伏しておこう。ほむらはそう思う。

自分が倒した、否、殺してしまった相手が同じ魔法少女であると知れば、皆はきっとショックを受けるだろう。それはきっと、バイドと戦う上では負う必要などないはずの痛みなのだ。

特に、マミとさやかはバイドと戦う魔法少女としてしかR戦闘機に、そして軍というものに関わっていない。もしかしたら自分達がなっていたかもしれない結末を、悲しい末路を。

少なくとも今は、知らせるべきではないと思った。

 

けれど、ならばいつ知らせればいいというのか。

(……キュゥべえは彼女達を大切にしているはず。そこまで滅多なことはしない……はずよ)

その考えは、結局結論を放棄しているだけなのだ。知らせる必要は無いと。ただ、ほむらはそれを認められずにいた。

この施設に来た目的と、この施設で開発が進められていたモノ。それを考えれば、それはあまりにも甘い見通しだったのだが。

 

「暁美さん、待たせたわね」

一人、思索に耽るほむらの元へとマミがやってきた。

「問題ないわ。……目的のものは回収できたはずよ。戻りましょう」

「そう、わかったわ。……それで、敵の正体は分かったのかしら?」

そのマミの言葉に、表情一つ変えずにほむらは言う。

「これを解析してみないことには、なんとも言えないところね」

「……そっか、何だかちょっと拍子抜けね。それじゃ戻りましょう。暁美さん」

そして、二人はグローリアを脱出する。ほむらはその胸中に蠢く澱みを抱えて、マミもまた、言い知れぬ不安を抱えたままで。

 

「ねえ、暁美さん。ここは、一体どういう場所だったのかしらね」

脱出経路を辿りながら、マミは静かにほむらに問いかけた。

「……その答えもきっと、この端末の情報を見ればわかるはずよ」

内心の胸の痛みを堪えながら、ほむらはそう答えるのだった。そう、答えることしかできなかったのだ。

マミはふと立ち止まり。ほむらの背中をじっと見つめた。それに気づいて、訝しげに振り向いたほむらに、マミは。

「ここには、女の子が住んでいたわ。それも、一人や二人じゃない。不思議な話よね、研究施設のはずなのに、女の子が住んでいる、だなんて」

ほむらは何も答えない。けれど振り向いたその表情は、その唇は硬く噛み締められていて。

「もしかしたら、この施設は……彼女達は」

「……て」

か細い声が、二人の間に繋がれた通信回線を揺るがした。

「暁美さん?」

「やめて……お願い、それ以上……言わないで」

ほむらはその肩を震わせ、声を震わせようやく言葉を紡ぐのだった。

 

「……暁美さん、貴女は」

マミは、それ以上言葉を続けることができなかった。

手で顔を覆い、嘆くように言葉を漏らすほむらの様子はまるでかつての英雄の姿には見えなかった。それはむしろ、自分達と同じような少女のようにしか、見えなかったのだ。

 

「とにかく、これからはできる限り魔法は使わないほうがいいと思う。

 さやか、キミにとっても危険なことだし、ボクの同僚の目に留まったら、きっと厄介なことになるからね」

「わかった。できるだけ気をつけるようにはするけど……でもさ、もし使っちゃったときには、よろしく頼むよっ!」

ひとしきりの話を終えて、一つ念を押すように言ったキュゥべえの言葉にさえ何時もの様に調子よく返すさやか。キュゥべえもこれには流石に呆れたようで。

「まあ、キミほどの戦力は貴重だからね。できる限りのサポートはするよ」

そう告げた側から、マミとほむらの帰還を告げる通信が送られてきたのだった。

 

「それじゃあ二人はそのまま帰還してくれ。杏子ももう戻ってきても大丈夫だよ」

簡単な経過報告のやり取りを済ませ、キュゥべえは三人に指示を出す。それを最後に通信は打ち切られ、それを確認してから杏子は、ヘルメットを外して放り投げた。

それはコクピットの壁に跳ね返って、奥のほうへと飛んでいく。頭の中には、先ほど聞いてしまったさやかとキュゥべえの話の内容が渦巻いていた。

キュゥべえは、それを進化と呼んだ。ソウルジェムは、人の意志や感情にとても左右されやすいものなのだという。そしてさやかのソウルジェムは、その強い意志を受けて、進化としか言いようの無いような変化を遂げたのではないか。

それが今現在推測し得る限りの、さやかが魔法を使えるようになった理由なのだ、と。

「道理でね、あんな自信たっぷりだったわけだよ。……さやかの奴、無茶しやがって」

死にたがりに生きろと言った張本人が、命を削るような戦いを進んでしているというのだ。

「許せねーな、そんなの。そんなに一人で無茶するほど、あたしらが信じられないってのか。こりゃあ、ちゃんと言ってやらなくちゃあな」

にぃ、と歯を見せて笑う。投げ飛ばしたヘルメットを引っつかみ、杏子はコクピットを飛び降りた。

 

「もっと頼れよ、ってさ!」

 

また一つ、戦いを越えて少女たちは時を重ねる。一人の少女は禁断の力に手を伸ばし、一人の少女は秘密を抱いた。闇は尚、深い。



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第12話 ―本当の自分と向き合えますか?―②

深く昏い闇の底、胎動を続ける最強の力。けれど、その繰り手は尚不在。
最後の踊り手を決めんがために、真実を纏った陰謀が動き出す。

ついに彼女は、自らの存在の意味を知る。


「……では、定例会議を始めようか」

闇の中、男の声を受けていくつもの映像が円卓の上に現れた。

そのほとんどが人のそれ、この会議に出席する者のほとんどが軍や政府の高官、そして研究者達。皆一様に、纏う空気はどこか張り詰めていた。

「では最初の議題を。究極互換機の進捗状況はどうなっている?」:

言葉に応じて一つの映像が浮かび上がる。アロー・ヘッドやラグナロックに代表される、曲線で構成された機体の外観。現在開発されている数々の機体からすれば、一見貧弱とも取れるような機体であった。

 

「R-99、ラストダンサーは既に武装の試験運用段階に入っています。その工程も8割ほどは完了しており、平行して各種武装を運用するためのコンダクターユニットの開発も進んでおります」

主に高官達の間から感嘆の声が漏れる。

――究極互換機。バイドを根絶するための最終兵器。その完成の時が近づいていた。

「ただ、グローリアが開発中のバイド機の暴走により壊滅しました。これにより、バイド系列機の試験運用はしばらく停滞することになるでしょう」

「……計画に支障は?」

「問題はありません。現在のラストダンサーの性能でも、十分にオペレーション・ラストダンスは遂行可能です。それよりも、むしろ問題となるのはパイロットです。計画の遂行には、最高のパイロットが必要不可欠です」

そう切り返されて、今度は高官達が言葉に詰まる。

 

「……軍人、民間人を問わず素質のある人材を集めてはいる。だが……」

「過去の英雄たちに並び立つ実力の者はいない、と?」

言葉に対して帰ってきたのは沈黙。それはそのまま、研究者の言葉に対して肯定の意を唱えているようなもので。

オペレーション・ラストダンス。

人類がバイドに対して放つ最後の矢。その作戦を遂行するためには、今まで以上の実力を持ったまさしく英雄が必要だったのだ。

「だが、それを言うならあのM型とやらはどうなっている?そこから用意はできなかったのか?」

「ええ、やはりM型は年齢の問題もあり、精神的に未熟なものが多い。局所的な戦闘でなら問題はありませんがオペレーション・ラストダンスを遂行できるレベルのものとなると……」

重い沈黙が、再び場を閉ざす。

 

「ならばやはり、アレを実行するしかないか」

それまで押し黙っていた一人の研究者が、静かに口を開いた。

「私に一つ、優れたパイロットのあてがある。それを当たってみてもよろしいかな?」

その言葉に、期待の眼差しが静かに寄せられているのを研究者は感じて。

「……構わんとも。次の定例会議までに出せそうかね?」

「ええ、ですがその為には皆さんにいくつか協力してもらいたいことがあります。特にインキュベーター。貴方にも協力してもらいますよ」

インキュベーター。そう呼ばれて、映像に浮んでいたキュゥべえはその赤い瞳を輝かせた。彼もまた、この会議に参加していたのである。

 

 

 

逆流空間の航海を始めて、もうどれくらいになるだろうか。ここを抜ければ太陽系なのだと思うと、どうしようもなく待ちきれない気持ちが込み上げてくる。

かつてここを抜けて、バイドの本拠地へと向かう長い旅が始まった時、私は何を思っていたのだろう。きっと、不安と戦意を胸に燻らせていたのではないだろうか。

あの時も、逆流空間の中で幾度となくバイドと戦っていたものだと懐かしさを覚えてしまう。その私が、今は彼らと戦っている。何故彼らは襲い掛かってくるのか。理由はまったく分からない。けれど、黙ってやられるわけには行かない。

地球に帰るのだ。そして、地球に残してきてしまったあの子に会いに行こう。あの時は仕方ないとは言え、酷く彼女を突き放してしまった。

きっと悲しんでただろう、苦しんでいたことだろう。戦いは終わったのだ、きっとあの子も平和に暮らしているはずだ。だから今度こそ、あの子の元に帰って謝ろう。

 

あの子は……あの子の名前は。……なぜか記憶が曖昧だ。どこかに写真をしまってあったはずなのだが。

まさか、長く宇宙を漂う日々が、あまりに激しい戦いの日々が、そんな大切な記憶までもを奪ってしまったというのだろうか。必死に記憶の残滓をかき集める。あの子の顔を、名前を思い出そうとする。

 

赤く流れる髪が印象的だった。負けず嫌いで威勢がよくて、それでいてとても、寂しがりやだった。あの子は決してそれを認めなかったけれど。

必死になって、私達に喰らいついてきたのだ。戦い抜いてきたのだ。

思い出してきた。あの子は……あの子は、そう。

 

――サクラ キョーコ。

 

 

『杏子、ちゃん……?』

――っ!?

驚愕した。

まるで私の頭の中に直接語りかけてくるかのように、声が響いてきたのだから。

『どうして、杏子ちゃんが……』

あまりに疲れ果てて、とうとう幻聴が聞こえるようになってしまったのか。その声は、恐らくあの子とさほど歳も変わらないであろう少女の声で。あの子のそれよりも、随分と柔らかな印象を受けた。

そしてその声は、キョーコの名前を呼んでいる。それがどうにも気になった。幻聴と会話をするなんて、まるで狂人の真似事だ。だがそれがどうしたというのだ。今この場所には、私以外誰もいない。見ているものなどいないのだから。

 

――君は、キョーコのことを知っているのかい?

『ひぁっ!?』

できるだけ優しい声でそう呼びかけてみたのだが、どうやら酷く驚かせてしまったようだ。おかしな声を一つ上げたきり、返事は返ってこない。

 

『もしかして……聞こえてるの?』

随分と長い時間を空けて、そろそろ私も諦めが混じってきたころに。か細いそんな声が返ってきた。

――ああ、聞こえている。先ほどはいきなり話しかけてすまなかったね。

こうして誰かと話したことなど、随分と久しぶりな気がする。いつからだろう。もうここ最近ずっと、アーサーとも話をしていない。

戦闘が忙しいのだろう。仕方ない、敵は全て倒さなければいけないのだから。

逸れかかった思考をなんとか立て直し、私は少女の言葉を待った。

 

『わ、本当に話せちゃってる。……ええと、貴方は誰なんですか?私は、鹿目まどかって言います』

 

 

カナメマドカ。少女はそう名乗った。名乗られたからには、こちらも名乗らなければならないだろう。私は……そう、私は。

――私は地球連合軍少将、バイド討伐艦隊司令官のジェイド・ロス提督だ。

少女が息を呑むのが分かった。無理もないかもしれない。どういう理屈かは分からないが、こんなところで会話をしている相手がよもやこんな人物だとは思いもすまい。

『じゃあ……ロスさんで、いいですか?』

――構わないとも。私もマドカと呼ばせてもらっていいかね?

『はい、大丈夫です』

幾分かはっきりとした調子で、マドカが答えた。

 

『それで……その、ロスさんはバイドと戦っている……んですよね?』

マドカが恐る恐る尋ねてきた。やはりマドカのような少女でも、バイドのことは気になるのだろうか。だが心配することはない。バイドの中枢は既に打倒したのだ。

現に今までの旅の中で、我々の脅威になるようなバイドは存在しなかったのだから。

――ああ、だが心配することはない。バイドの中枢は我々が倒した。もう君たちがバイドに悩まされることはないだろう。

『……本当、なんですか?』

不安げなマドカを元気付けようと、我々の戦果を簡単に説明したのだが。マドカの声は更にどこか張り詰めたような調子だった。

 

――本当だ、今バイドの本星から地球へと帰還しているところだ。もうすぐだ、もうすぐ地球に帰ることができる。我々の故郷、地球に。

しかし、どれだけ待っても少女の返事が返ってくることはなかった。やはりこれは、私の人恋しさが生み出した幻聴だったのだろうか。

あまりいい傾向ではない。このままでは、指揮に影響を来たすかもしれない。

 

っ!その時、敵の接近を告げる警報が鳴った。考えるのは後にするしかないだろう。

今はまず、この逆流空間に潜む敵を撃破することを考えなければ。

攻撃態勢に入る。

 

→出撃する

 

 

「……夢、じゃないよね」

朝。ベッドの上で目覚めたまどかは、妙に脈打つ胸を押さえて頭の中に反響する声をずっと聞いていた。

バイドの中枢はもう倒れた。もう、バイドに悩まされることはない。

だとしたら、さやかもほむらも。もしかしたらマミや杏子も、帰ってくるかもしれない。

その事実がゆっくりと現実味を持ってまどかの中に染み入ってくると。まどかは、思わずベッドの上で飛び跳ねたくなってしまうような気分になってしまっていた。

 

 

眼下に海を眺めつつ、ラグナロック・ダッシュが駆け抜ける。今は共にあるべき仲間の姿はない。マミは機体との相性の良さが見出され、ガンナーズ・ブルームの運用試験に駆りだされている。

さやかと杏子はティー・パーティーにて待機中。ほむら一人がラグナロック・ダッシュを駆り、指定された座標へと向かっていた。そこに何があるのかは相変わらず知らされていない。

それでも機体前方にサイクロン・フォースを携え、臨戦態勢で備えていた。

 

「……今日は何が出てくるのかしら」

不可解なのはいつものこと。警戒は怠らない。指定された座標に辿りついた瞬間に、ラグナロック・ダッシュのセンサーがそれを捉えた。

「っ!!」

機体を急停止させる。するとその鼻先を掠めるように、強烈な光が駆け抜けていった。

その光はどこか懐かしく、見覚えのある光。それはメガ波動砲。それもチャージ容量の増加により、着弾部のみならず周囲にも余波によるダメージを与えることを可能にしたメガ波動砲Ⅱの光だった。

その余波は激しく機体を揺さぶる。必死に制動をかけ、機体を立て直しながらその射手を見る。

そこにあったのは、ほむらのそれと同様にサイクロン・フォースをその機首に据えた、黒いカラーリングのラグナロック・ダッシュの姿だった。

 

「何なのこれは、一体どういうこと」

今の一撃は威嚇でもなんでもない。明確な敵意を持って放たれたものだった。けれどあの機体からは、バイド反応は見られない。だとしたら、何故。

「そうね、それくらいはかわしてもらわなければ……面白くない」

通信が入る。それは少女の声。聞き覚えのある声。どこで聞いたのだったか、それは思い出せなかった。

「何のつもり?いきなり撃たれるような心当たりは無いはずだけど」

油断せずに問いかける。だが、返ってきたのは冷笑だけで。

「銃を突きつけた相手に戦意を問う。腕は確かでも……戦士としては、未熟ね」

そして黒のラグナロック・ダッシュは機首を向ける。同時に放たれたのは、着弾と同時に炸裂するスプラッシュレーザー。サイクロンフォースが放つレーザーの中でも、カプセルレーザーに次いで威力の高い攻撃である。

小刻みに機体を上下させ、放たれ続けるレーザーを避ける。着弾時に巻き起こる炸裂は脅威だが、それ以外は反射レーザーと変わらない。むしろ反射をしない分、回避は容易だった。

せめてここが閉所であるならば話は違ったのだろうけど。

向こうが本気というのなら、こちらも立ち向かうより他に術はない。相手の動きを見るに、やすやすと逃がしてくれそうな相手でもない。

 

「キュゥべえ、聞こえる?所属不明機から攻撃を受けているわ。状況が把握できない。出来れば増援をお願い」

海洋上で激しい戦いは続く。スルーレーザー同士がぶつかり合って、小規模な炸裂が次々に巻き起こる。スプラッシュレーザーが空を切り、海に落ちては炸裂し、海は激しい歓声を上げる。

カプセルレーザーによって相手を遠ざけ、稼いだ時間にチャージした波動の光が空間を薙ぐ。

赤青黄色のレーザーが、波動の光が交錯していく。海という名のキャンパスに、激しい波動の絵具がぶちまけられて、沸きあがる。

決着は未だ着かない。これほどの腕のパイロットがいたのかという驚きと、それほどのエースが襲ってくるという状況への困惑もあった。恐らくこのままでは、長期戦となるだろう。

とはいえ、今のほむらは一人で戦っているわけではない。一人ではすぐに決着が着かないというのら、仲間の力を借りるだけだ。

そう考えて送った通信は。

 

「残念だけどそれはできないよ、ほむら。あれにはキミが一人で立ち向かわなければならないんだ」

そんな、そっけない返事と共に打ち切られてしまった。

 

「誰にも出来ない。誰にもさせない。私達の戦いを邪魔することは」

そんな最中にも、黒の機体は迫り来る。

メガ波動砲が放たれる。更に情報へと逃げる道は、カプセルレーザーが塞いでいた。道は下しかない。ほむらは機体を海中へと躍らせた。

「……逃がさない」

貫通性の高いスルーレーザーは、海中でもその威力をそれほど損ねることは無い。続けざまに放たれたレーザーが、海中のほむらにも迫る。機動性を削がれる海中で、それを回避し続けるのは難しい。

 

「……まったく、嫌な相手」

そう呟きたくもなる。あそこまであの機体を熟知していることにも驚くが、それ以上にあの声がどうにも気になってしまう。別段不快な声という訳ではないのになんとなく、生理的な嫌悪感を感じてしまうほむらであった。

幸い、この辺りの海深はそこそこに深い。深く機体を沈めて、できる限りレーザーを減殺させる。威力を失ったスルーレーザーを、サイクロン・フォースで受け止める。

大丈夫、機体にまでは届いていない。

 

今の内に、波動砲のチャージを開始する。ハイパードライブで、一気に勝負をつける。

敵もスルーレーザーでは効果がないことに気付いたのだろう。攻撃が止んでいる。恐らく敵も波動砲のチャージを開始しているはずだ。だが、それならばこちらの方が早い。

チャージが溜まり切る直前で、海中から一気に浮上する。陽動に追尾ミサイルを放ち、機体が海中が飛び出そうとしたその瞬間に。

「させないっ!」

「何……っ、く!!」

海中から飛び出したその眼前に、サイクロン・フォースが迫っていた。反射的にフォースシュートで迎撃。フォース同士がぶつかり合って、エネルギーの火花を散らす。

これで一手、遅れた。

すぐさま敵の姿を捉えて、ハイパードライブの発射体勢に移る。過剰なエネルギーが機体前方へと放出され、再び機体へと逆流する。

だが、それは敵機も同様だった。僅かなチャージ開始の遅れを、サイクロン・フォースによる奇襲で稼ぎ、チャージの完了と同時にそれを撃ち放った。

 

ほぼ同時に放たれるハイパードライブ。ほむらも、その敵も。続けざまに波動砲を撃ち放ちながら一気に距離を詰める。放たれた波動の光は、互いにぶつかり合って相殺され、大気を揺るがしプラズマを煌かせて霧散していく。

このままでは、届かない。

まるで衝突するのではないかという勢いで迫った二機は、その直前で左右に分かれる。機首は常に相手に向け、波動の光をブチ撒きながら。相殺仕切れなかった攻撃が、互いに迫る。それをかわすように、機体を水平に移動させながら尚も撃つ。二機の動きはまるで対照。その機動はまさしく円を描いているようで。

その円の中心では、ひたすらに高レベルのエネルギーの衝突が巻き起こる。

回避と攻撃、その二つを同時に為そうとした結果に生み出された美しくもあるこの軌道。まさしくそれは、円環の理とも言えようか。

だが、それは永遠ではない。ハイパードライブの持続時間は約10秒。そう、この永遠とも思えるような円環の舞踊も、ほんの10秒に満たない時間に起こった出来事に過ぎないのだ。

けれど、それを永遠と感じてしまうほどに、二人の知覚は研ぎ澄まされていた。

 

「……強い」

「やはり、強い」

二人の声が交差する。

「「でもっ!」」

そして、重なる。

「「負けないっ!!」」

 

「……お前に、だけは」

黒い機体を揺るがしたのは、激しい怒りの感情だった。

「お前にだけは、お前にだけは負けない、負けられないんだっ!!」

サーチレーザーの連射の合間に、低チャージの波動砲が突っ込んでくる。サーチレーザー同士なら相殺もできるが、波動砲には蹴散らされてしまう。それを回避し、お返しとばかりにこちらからも波動砲をお見舞いしながら、ほむらはその激しい感情に向き合った。

何故、そこまで自分に拘るのかがわからなかった。

「何も知らずに、のうのうと戦っていられるお前にだけは……っ!!」

ほむらの機体が上を取る。カプセルレーザーで敵の上昇を抑え。さらに続けて波動砲でゴリ押しし、敵を海面近くまで押しやってスプラッシュレーザーを斉射、海面で炸裂する光に機体を煽られ、その余波で黒い機体が焼かれていく。

続けざまにスプラッシュレーザーを放ちながら接近する。海中に逃げたとしてもすぐに追いかけてみせる。しかし、敵は海中へは向かわない。

光に煽られ焼かれる機体を、必死にその体勢を保ち、スプラッシュレーザーの合間を縫って急旋回。今度は逆に、海面へと近づいていたほむらの機体が頭上を取られる結果となった。

ほむらはすぐさまカプセルレーザーで牽制しながら海中へと潜る。

 

「貴女は……何なの。一体」

敵の怒りは、間違いなくほむら自身に向いている。身に覚えなどあるはずも無い。だとしたら一体何故なのか。それが分からない。

「知りたいか、暁美ほむら……スゥ=スラスター」

「何故、その名前を……っ!?」

ますますもって疑問は深まるばかりだった。自分の名前を知っていたこともさておきながら、何よりもスゥ=スラスターの名と正体を知っていたことが、あまりにも気がかりで。

「ならば教えてやる、お前が死ぬ時にっ!」

そんな疑問を抱く余裕すらも与えまいと、海中にまで敵が追いかけてきた。

戦いの舞台は海中へと移る。

 

水中での戦闘を想定して調整されたのならばともかく、通常の状態で海中に潜ればレーザーの威力は激しく減殺される。射程も短くなり、必然的にその戦いはショートレンジでの打ち合いとなる。

互いに機首を突き合わせ、レーザーを打ち合っては離れ。交差しながらフォースを付け替え、後方への攻撃を行うと同時に向かってくる敵の攻撃を回避する。そして海中でもメガ波動砲の威力だけは変わらず、その光で海中を染めていく。

ハイパードライブは、発射後の急速冷却を海中で行うのは機体への負荷が大きすぎるために使えない。

機体の性能も、搭乗者の実力にもほとんど差は見られない。このままでは、決着は当分着きそうに無い。そもそもにして、そんな勝負に決着を着けうるものとは何なのか。

単に運の良し悪しなのか。こんな極限の域にまで達したドッグファイトの終着を、天に委ねてしまってもいいのか。

 

「お前は、本当に自分が英雄だと思っているの?」

再び戦場は空に移る。敵の少女は、激しい戦闘の最中に不意にそう呼びかけてきた。

「……随分と、事情を知っているのね」

英雄。それは間違いなくかつての自分のことだ。名前のことも合わせて、よく知っているものだと思う。

「お前が、仮に本物の英雄だったとして。……いつまでかつての英雄でいられると思う?」

そして、続けて放たれた言葉がほむらの胸を抉る。確かにそうだと考えていた。人類は、バイドに対して絶望的な戦いを続けることを強いられている。

文字通り、ありとあらゆる力を集結させなければ太刀打ちできない戦いだ。その最中で、一体いつまで自分はただのパイロットで、魔法少女でいられるのだろうと、そう考えたことは何度もあった。その度にきっと大丈夫だと不安な想像を振り切ってきたのだ。

 

「答えられない?ならいいことを教えてあげるわ。……私を倒せば、お前はまた英雄に逆戻りよ」

「っ……!」

ほむらが小さく息を呑む。まさか、そんな。そして更に、続けざまに放たれた一言。

「TEAM R-TYPEは、既にお前の存在に気付いている」

「な……っ、ふざけないでっ!!」

「むしろ、泳がされていたと言うべきかしら?」

落ち着け、冷静になれ。相手の言葉に流されるな。今にも弾け飛びそうなほどに張り詰めた心を必死で押し留めて飛ぶ。間違いなく、これはこちらの集中を乱すために言っているだけだ。

そう考えようとしても、どうしても先ほどの言葉が絡み付いてくる。

ここでこの敵を倒したとして、その先に待っているのは再びバイドとの戦いの最前線なのではないか。だとしたら、ここで勝っても負けても、行く先は地獄。そもそもにして、あいつは何なのか。一体どれだけの事情を知っているというのか。

考えが渦を巻き、どうしようもなく機体の動きを鈍らせる。

 

「見るからに動きが衰えた。こんなことではやはり、お前は英雄にはなれない」

スプラッシュレーザーが機体を掠める。そして炸裂。激しい衝撃に揺さぶられ、機体がそのまま海面に墜ちる。海中へと潜る間もなく、追撃のスプラッシュレーザーが海面で炸裂する。

最早、ほむらにそれを防ぐ術はない。

光線と炸裂の、破壊の雨が降り注いだその後には。機体を酷く破壊され、最早飛ぶことすらかなわず浮んでいるだけの、ほむらのラグナロック・ダッシュの姿があった。

 

「終わりよ。……だから、教えてあげるわ」

映像回線。サイバーコネクタが意思を読み取りそれを受信する。映し出されたのは、コクピットに座る少女の姿。その少女が装着していたヘルメットが、遮光から透過へとモードを切り替える。

映し出されていた、その顔は。

 

 

「………わた、し?」

暁美ほむらの、スゥ=スラスターの顔が、そこにあった。

「そんな……貴女、は」

呆然とした表情でそれを見つめて、掠れた様な声が零れた。

「スゥ=スラスターのクローン体。そういう存在なのよ、私も、お前もね」

その言葉は、まるでほむらから世界の全てを奪い去るように残酷に、響いた。

 

「終わりだ、暁美ほむら。いや……No.8ッ!!」

「……そんな、嘘、嘘だ」

絶望に震え、か細い声で呟くほむらへと、今、最後の一撃が放たれようとしていた。

 

「では、彼女は本物のスゥ=スラスターではなかったということかい?」

ティー・パーティー内司令室。司令室とは名ばかりで、キュゥべえの個室のようになっている場所で。モニター越しにその会話は行われていた。

「ああ、極秘裏に進めていたことだからね、どこで拾われたのかと思っていたがまさか君のところで拾われて、あまつさえM型の被験体になっていたとは驚いた」

「ボクも驚いたよ。まさかクローン体が、魔法少女になれるだけの自我を確立していたなんてね。……それで、一体何のために彼女は…いや、彼女達は作られたんだい?」

キュゥべえの言葉に、モニターの向こうの男は僅かに考え込むような仕草をしたが。それでもやがて、再び声を放ち。

「まあ、君には8号が世話になっていたようだし、そろそろ公表しようと思っていた頃だ。前回の定例会議で、優秀なパイロットのあてがある、と話しただろう?あれがそうさ」

「確かに、スゥ=スラスターのクローン体ならば優秀なパイロットだろうね。けれど、あまりにも回りくどいような気がするな」

優秀なパイロットを育てるだけなら、クローン体を作ってそのまま使えばいい。だというのに、わざわざ一度野に放つような真似をして、運よくこうして戦っているからいいものの。もしかしたら、あのまま戦うことなく普通の人間として過ごしていたかもしれないというのに。

そんな非合理さが、キュゥべえにはどうにも理解することができなかった。

 

「まあ、こちらが用意していたクローンはあれだけではないということだ。 8号、と言っただろう?少なくともあれの前に7体。そしてあれの後にも何体かのクローン体を作成している」

そこで、男の顔が僅かに曇る。

「とはいえ、あのスゥ=スラスターに並ぶほどの実力を発揮できたものは極少数でね。それに、バイドと戦うとなれば、ただの兵器のような人間では困るのだ。ある程度の人間性を確立させるために、試験的に8号には戦いからの逃亡の記憶を植え付け、野へと放った」

「理解できないな。優れた兵器に人間性なんて不要だと思うけど」

キュゥべえは呆れたようにそう言った。けれど、返ってきたのは冷笑で。

「……そんなことだから、君の文明はバイドに敗れたんだ。バイドをもってバイドを制し、人の意志をもってバイドを討つ。それが、対バイド作戦においてとても重要なことなんだよ」

「……まったく、キミ達のすることは訳が分からないよ。だとしても、何故彼女達を戦わせるんだい?それだけの手間をかけたのだから、そのまま回収してもよさそうなものだけどね」

もう一つのモニターには、二人のクローン体の戦いの様子が映し出されている。まさしく空戦の極地とも言うべき激しい戦い、見ごたえは十分だった。

 

「選別だよ。十分な研究と調整の結果、オリジナルに近い能力を持ったクローン体を複数作成することに成功した。だが、結局必要なのはたった一人の英雄なんだ。それ以外は不要だ。だから選別する」

「勿体無いことをするね、たとえ選ばれなかったにせよ、十分に実力はあるんだろう?有効に活用するべきじゃないか」

人間という生き物は随分と非効率的だ。それでもこのTEAM R-TYPEに属する者達は、かなり効率的な考え方をするものだと思っていた。それこそ、どちらかといえば人間というよりも我々の側に近い、と思うほどに。

ただ、その評価もやはり考え直す必要があるかと、キュゥべえは考えていた。

 

「もっとも、全部が全部ぶつけ合って壊してしまうわけじゃない。失敗作でも優秀なパイロットであることに変わりはない。……それこそ、有効に活用しているよ」

クローン体、何の人権も持たず、いくらでも作り出せる存在など、それこそ普通の人間と同じように扱う必要は無い、その末路は、容易に想像できた。

「だけど、あの2人は別というわけだね」

「ああ、あの2体、8号と13号は、今まで作った固体の中でも最高レベルの能力を持っている。それをぶつけ合い、もう1人の自分とでも言うべき存在に勝利したものだけが、英雄となる資格を得る。……そういうことだ、さあ、見守ろうじゃないか」

そして、再び1人と1匹の視線が戦いの様子を眺める。どうやら、とうとうその戦いも決着を迎えようとしていた。

 

 

ほむらの駆るラグナロック・ダッシュが攻撃を受け、海中に無力に漂った。13号と呼ばれたクローン体は、ついにほむらに止めの一撃のためのチャージを開始する。

メガ波動砲の光が、いよいよ放たれようとした瞬間に。

 

遥か高空より舞い降りた光が、黒いラグナロック・ダッシュの後部を貫いた。小規模な爆発が巻き起こり、一気に機体の高度が下がる。

「っ……何、今のはっ!一体、どこから……っ」

推進部の損傷が激しく、機体を立て直すことすらままならない。ふらふらと揺らめきながら高度を下げる、一体どこから撃たれたというのか。攻撃の来た方向をラグナロックのセンサーで探る。

だがしかし、敵の姿は見当たらない。遥か上空、一体どこに敵は潜んでいるというのか。

 

その一撃は、戦いの様子を眺めていた1人と1匹にとっても予想外だったようで。

「なんだこれは、どういうことだ」

「ボクにも分からないな。ただ、これで勝負どころじゃなくなったようだけど。……どうやら、通信が来たみたいだ」

ティー・パーティーへの直通通信。この回線を知っているものはそう多くない。一体誰からだろうか。

 

「キュゥべえ、聞こえるかしら?私よ」

「何だ、マミか。今宇宙に居るんじゃなかったのかい?」

聞こえてきたのはマミの声、どこか切羽詰った調子もあって。

「ええ、宇宙から通信衛星にリンクして通信を繋いでいるの。宇宙でのガンナーズ・ブルームの射撃試験中に、正体不明の敵と交戦している暁美さんの姿を見つけたわ。彼女は撃墜されてしまったみたい。その敵は、私が宇宙からの高高度射撃で撃墜したのだけど、暁美さんのことが気になるわ。キュゥべえ、救助に向かってくれないかしら」

どうやら、あの一撃の射手はマミだったようだ。まさか宇宙から海洋上のR戦闘機を狙撃するとは、最早人間離れした腕前と言ってもいいだろう。

「……どうやら、とんでもない物言いがついたようだな」

その通信を聞いていた男は、呆れ半分感心半分に呟いた。

「どうやら仕切りなおしにした方がよさそうだね。機体の修理が終わったら連絡をするよ」

「ああ、頼む。生命反応は消えていないことだし、私もアレを回収することにしよう」

 

「マミ、わかったよ。すぐにほむらを回収する。そちらも引き続き試験の方を頼んだよ」

戦闘は一時中断。すぐにティー・パーティーを走らせながらマミへと通信を繋いだ。

「ええ、何か分かったら後で教えてちょうだい。あの暁美さんがやられるような相手なんて、普通じゃ考えられないけれど……」

不安げな声を残して、マミとの通信は打ち切られた。それを確認してから、キュゥべえは艦内通信の回線を開いた。

「さやか、杏子、聞こえているかい?どうやら先ほど出撃したほむらが敵に撃墜されたらしい。出撃して、ほむらと機体を回収してくれ」

すぐさま、艦内は慌しく動き始めた。

 

「あたしらが行くまで、ちゃーんと死なずに待ってなさいよ、ほむらっ!」

「っ、さやかの奴また飛ばしやがって。あの機動性バカについていけるかっての。まあいいか、ったく、何がどうなってるんだかな」

青い光を棚引かせ、海を裂くような勢いで海上を駆け抜けるフォルセティⅡ。そのかなり後方、可能な限り速度を上げて喰らいつく、ディザスター・レポート。撃墜されたというほむらを救出するため、二機のRが海を駆けた。

二人とも、ほむらの実力はよく分かっていた。かつての英雄。その名に恥じない圧倒的な技量、そして操縦のセンス。それを兼ね備えたほむらが撃墜されたのだという。一体どんな相手が待ち構えているのか。

不安がじりじりと二人の胸を焦がす。それでも、急がなければならない。助けなければならない。思いを胸に、二人は機体を走らせた。

 

「ほむらぁぁぁーーっ!!」

海中に浮ぶラグナロック・ダッシュ。その姿を見つけて、半ば衝動的にさやかは機体を走らせ駆け寄った。

「ほむら、大丈夫?生きてる、返事しなさいよ、ほむらっ!」

機体を牽引しようにも、大気圏下では宇宙とは勝手が違う。機体の損傷も激しいこともあり、万全を期して二人がかりで牽引するしかない。おまけに随分と飛ばして来てしまった様で、杏子の機体はまだ遥か後方にあった。

「……さ、やか」

「っ、ほむら、大丈夫なの?聞こえる、助けに来てやったわよ!ちゃんとしなさいよっ!」

大丈夫、まだ通信は生きている。見たところ、キャノピー部分にそれほど派手な損傷は見られない。きっと、ソウルジェムも無事なはずだ。

「私は……わ、たしは」

震えるか細い声。それは、今までさやかが聞いたこともない、弱弱しい声で。

 

 

「私は――ダレ?」

 

 

 

「何があったんだよ、一体」

「……わかんないけど、ほむらは今、めちゃくちゃ落ち込んでる。まるで、マミさんがやられた時のあたしみたいだ」

閉ざされたほむらの部屋の前で、顔を突き合わせ、声を潜めてさやかと杏子の二人が話していた。

その後、さやかと杏子の二人でほむらの機体を牽引し、ティー・パーティーへと回収した。収容され、目を覚ましたほむらはそのまま虚ろな足取りで部屋へと戻っていった。

心配そうに話しかけたさやかにも、一切反応を見せぬまま。

「あそこで何かが起こったのは間違いないんだろうけど、あいつがあそこまでやられるなんて。本当に……訳わかんねぇよ」

「だからこそ、こうして聞きに来たんでしょーが」

「……素直に話してくれるかねぇ、あいつが」

「どーにかこーにか聞き出すの!あのまま放ってなんて、置けるわけないじゃない」

「バカっ、ほむらに聞こえちまうだろーが」

思わず声を荒げたさやかの口許を押さえて杏子が囁く。きっとさやかならそうするだろうな、とは分かっていた。まだ付き合いは短いが、それでもさやかはいろんな意味で分かりやすい相手であった。

そして、そういうところを好ましく思っている杏子であった。

 

「……じゃあ、ま。行ってみるとするか」

「……だね、どーにかこーにか聞き出してやりましょー」

そして、パネルの呼び出しボタンを押した。

「ほむらー、あー、えっと。中、入ってもいいか?」

杏子が尋ねるも、返事は無い。モニターのパネルは暗いまま、声は届いているはずなのに。

「開けてよ、ほむら。……そりゃ、きっと何か色々あってしんどいんだろうなってのは分かるけど。そんな状態のほむら、放っておけないんだよ。……だから、お願いっ」

さやかの声にも、ほむらの反応は返ってこない。どうする?とでも言うように、杏子がさやかに視線を向ける。

それに答えて、さやかはしっかりと一つ頷いた。当然答えは、押しの一手。

ダン、と扉に拳を打ち付けて。

「答えてよ、ほむら。あたしは仲間で、そして友達なんだ。だから、友達が辛そうにしてたら気になるし、心配する。でも、それだけじゃあたしには何も出来ないんだよ。ほむらが、あんた頼ってくれないと、あたしは何もしてあげられないんだっ」

何度も、何度も拳を打ち付けて、呼びかける。届いていないはずは無い、響いていないはずは無いと、信じて。

 

そして、扉が開かれた。

 

 

「ほむらっ。よかった、出てきてくれた……」

部屋の中は暗く、外から差し込む灯りに照らされぼんやりと、ほむらの姿が扉の前に映し出されていた。その姿はどこか儚げで、危うげで。目元が赤く、腫れているように見えた。

「あんた……泣いてたのか?」

そんな様子を見て取って、杏子がほむらに声をかけた、しかし。

「部屋の前で、あまり騒がないで。うるさくてかなわないわ」

二人の視線から逃れるように、俯きながら。ほむらは冷たくそう言い放った。

「あ……そりゃ、ごめんほむら。ちょっとあたしも無神経だった。でもさ、ほむらのこと心配して来たんだよ、そんな邪険にしなくてもいいじゃないの」

「だれも、心配してなんて頼んでない。……放っておいて。私の事は気にしないで」

本当に、一体何が起こったというのか。ほむらの声はどこまでも冷たくて、今までのほむらの様子とはまるで違っていた。

 

かちん、と来た。

そんな表現がまったく持って相応しい。そんな気持ちと同時に、さやかの胸中には何か懐かしさのようなものも込み上げてきていた。頑なにこちらの歩み寄りを拒むその態度は、まるで少し前の自分を見ているようだったから。

マミがバイドにやられ、その責任をほむらに押し付けて。どこまでも勝手に目の敵にして、反発して。何となく、それと似たような感じがしていた。だからこそ尚のこと、放っておけるわけが無かった。

 

「そんなこと言われて、気にしないで居られるわけないでしょうがっ!そのくらい、ほむらだって分かるでしょ。……あたしがそうだったんだから」

小さく、俯いたままのほむらの肩が震えた。

「そりゃそうだよな。こんなお人よしが人の皮被って歩いてるような奴が、あんな分かりやすい態度取られて、放っておける訳がねぇ。ほむらはほむらで、自分を隠すのが下手な奴だな」

杏子もどこかニヤつきながら、そんなほむらの様子を眺めて。

「だから、観念して話しちまえよ。……でないとこのお人よしは、いつまでたってもここに居座るぞ?」

「……なんかちょっと言い方酷くない?」

あんまりにもあんまりな言い草に、ちょっとジト目なさやかであった。

 

「…………」

ほむらは押し黙ったまま俯いて、小さく身体を震わせていた。何か溢れそうになるものを、必死に堪えているようにも見えた。

「分からないのよ、どうしたらいいのか……私が、何なのか」

「ほむら?……っ」

その場に崩れ落ちそうになるほむらの身体を二人で支えて、ベッドに横たわらせる。二人で抱えていることを差し引いても、ほむらの身体はとても軽かった。

「何があったのかわからないけどさ。やっぱり今のほむらは放っておけない。……話して、くれないかな」

枕元に座って、ほむらの手を握ってさやかが優しく言う。その手を弱弱しく握り返して、ほむらは、静かに話し始めた。

自分が英雄などではなく、ただの作られた人間でしかなかったこと。偽りの記憶を与えられて、偽りの名前と立場に縋って、何も知らずに今まで生き続けてきたこと。

そして、もう1人の自分が去り際に残した、最後の言葉。

――必ずもう一度、私達は戦うことになる。そして、生き残ったほうが……英雄としてバイドと戦うことになる。

怖いと言って、弱弱しく手を握って涙を流した。戦うのが怖い。死ぬのが怖い。そしてなにより、そう思う気持ち自体が自分のものではないのではないかということが、怖くて仕方なかった。

 

さやかも、杏子も。何も言えずに立ち竦む。あまりにも思い事実。今まで共に戦ってきた、仲間だと思ってきたほむらが英雄でもなんでもなく、ただの作られた命でしかなかったのだと、知らされて。

 

「とんでもない、胸糞の悪くなるような話だな」

胸の奥に蓄積されていく鬱屈とした感情。それを吐き出す術がわからなくて、杏子が小さく悪態を付いた。

「……それだけじゃない、私は、貴女達を信用していなかった。……信用できなかった」

「……どうして、ほむら?」

一度零れてしまった言葉は、もう自分の意志でも止められない。ぽろぽろと涙を零しながら、静かにほむらは言葉を紡いでいく。

R戦闘機の、その開発に携わるモノ達が抱えた闇を。明らかになってしまった、異端の実験の成果を。その犠牲となった、プレイアデスと呼ばれた魔法少女達の末路を。

全てを自分1人で抱え込んで、知らなくてもいいと思い込んで、隠していた事実を。

それはきっと、本当に皆のことを考えていたわけじゃない。受け止められないだろうと、耐えられないだろうと、勝手に仲間のことを判断してしまったのだ。

仲間のことを信じられなかった、信じようとすることが出来なかったから、だから。

 

「こんな私じゃ……仲間としても、失格よね。ごめんなさい。……本当に、ごめんなさい」

いつしかさやかの手に縋るように、両手でしっかりと握り締めて。ほむらは、胸の奥に澱んだ思いの全てを吐き出した。それは余りにも重く、辛く、衝撃的で。

戦士としてどれほど成長したといえ、魔法少女であるといえ。それを受け止めた二人は、その精神はまだ、年若い少女のものでしかなかった。受け止めきれないのは、致し方ないことなのだろう。

(それでも、受け止めてやらなくちゃならないじゃない。ここまで聞いて、打ち明けられて、今更投げ出せる訳がないじゃない)

衝撃的な事実に怯む心に鞭を入れ。理解の範疇を超えそうな出来事を何とか頭の中に叩き込んで。さやかは、力強くほむらの手を握った。

 

「ほむらは、さ。……きっと、自分が誰がか分からなくなっちゃったんだよね。今まで思ってた自分が偽者で、この名前だって、誰かの借り物だって言ってたっけ。……それでもさ、やっぱりあたし達にとっては、ほむらはほむらなんだよ」

「例え貴女達がそう思っていても、やっぱり私には、分からないの。私はスゥ=スラスターじゃない。暁美ほむらでもない。何でもないただの作り物。そんな私が、これからどうすればいいの?何のために、生きていたらいいの?」

力なく、ほむらは首を振るばかりで。

「少なくともあたしは……ほむらでいて欲しいって思うよ。あたし達の仲間で、友達で。そんな暁美ほむらでいて欲しいって思う」

「そんなこと……できるわけないじゃない。私は何も知らないのよ。暁美ほむらのことを。もしかしたら、スゥ=スラスターのことだって分からないのかも知れない。私はもう、誰であることもできない……どうにも、ならない」

どうしたらいいのだろう。今のほむらは全てを見失っている。生きる理由も戦う理由も、自分自身でさえも。取り戻させてあげたいと思うけれど、初めから無かったものは取り戻しようが無いのではないか。

そうとすらも思えてしまう。どうしたらいいのかわからずに、さやかは押し黙ってしまう。

 

「……なら、向き合ってみりゃいいんじゃないの」

その時、今まで口を閉ざしていた杏子が口を開いた。

「あたしも、ロスと別れたときはそんな感じだったよ。それまでの自分を全部否定されて、生きる理由も戦う理由もなくなっちまった。さやかと出会うまでは、あたしもそれをずっと引きずりながら生きてた」

生きて来られた分だけ、ほむらよりはマシかもしれないと小さく付け加えて。そして杏子は言葉を繋ぐ。

「でも、こうしてこいつらと出会って、もう一度戦う理由を取り戻せた。生きてる理由を取り戻せた。それでさ、ロスの事を色々と調べてみたんだ。あたしがずっと一緒に過ごしてきた奴は、一体どんな奴だったんだろうってさ。そうしたら、何か分かってきた。ロスが何を守ろうとしてたのか、何のために戦ってたのか」

バイドを討つための矢となって、人類全ての希望を載せて戦った男が居た。その男が戦い抜いた軌跡を、太陽系を飛び立ち消息を絶つまでの戦いの記録を、その目で確かめて。そうして分かったことがあった。

守ろうとしていたのだ。自分のことも、そしてどこかの誰かのことも。この星に息づく営み全てを、守るために戦い抜いていたのだ。

 

その気高さを、力強さを、少しでも受け継いで戦おう。

それが、今の自分がロスにできるせめてもの事だと、杏子は信じていた。

 

「だから、もしかしたらあんたも向き合ってみたら、見つかるんじゃないか?

 自分が何なのかとか、生きる理由、戦う理由とか」

「……向き合う、何と向き合えばいいの。私は、私には……何も」

「スゥ=スラスター。暁美ほむら。あんたには二人分の名前がのっかかってるんだろ?だったら、両方向き合って来りゃぁいいじゃないか」

少しだけ考え込むようにしてから、それでも相変わらずの調子でほむらは呟いた。

「……生きているとは、思えないわ」

「ロスだって、あたしが向き合った時には地球にゃいなかった。……いくらでも手はあるさ。どうだ、一つ騙されたと思ってやってみないか?」

また、ほむらは静かに口を閉ざした。興味は無いわけではなかった。自分がなろうとしていた英雄が、一体どういう人物だったのか。そして、自分がなってしまった人間が、一体どのように生き、そして死んでいったのか。

ただ純粋に、知りたい。そう思えた。

 

「それも、いいかも知れないわね」

「よし、じゃあ決まりだ。……聞いてんだろ、キュゥべえ。さっさと手配しな」

にぃ、と八重歯を見せて杏子が笑う。そして呼びかける。返事はすぐさま返ってきた。

「……それが今のほむらに必要なことなら、ボクは構わないよ。どうするんだい、ほむら?」

ほむらは一度、静かに目を伏せて。それから静かに目を開くと、口を開いた。

 

 

 

「――頼むわ。キュゥべえ」



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第12話 ―本当の自分と向き合えますか?―③

これは彼女の物語。
偽りの仮面を打ち捨てられた彼女が、その仮面の意味を知るまでの物語。
己にあらざる二つの過去に、彼女が見たものは。

そして再び戦いの空に、人工の英雄、仮初の少女達が舞う。
その感情が、想いが、存在その物が。熾烈な光の渦の中で激突する。



「オリジナルのことを知りたい、か。何を言い出すかと思えば……まあ、いいだろう。

こちらも機体の修理にはまだしばらくかかる。そうすることで8号のコンディションが回復するというのなら、私が拒む理由は無い。彼女が保管されている場所の座標を送る。8号を1人でそこに向かわせるといい」

 

「――と、言うわけだ。スゥ=スラスターのオリジナルの方は話がついたよ」

「――行ってくるわ」

そして、ほむらは1人歩き出す。あの口ぶりからするに、オリジナルのスゥ=スラスターは今もまだ生きているのだろうか。だとしても、恐らく戦える身体ではないのだろう

そうでなければ、自分達が生み出されるはずもないのだから。それでも会いたかった。会って、話がしてみたかった。一体彼女は何のために戦ったのか、知りたかった。

 

シャトルに乗り込み、宇宙の海を一人で渡る。指定された座標は、火星の衛星―フォボスに建築された研究施設。その研究施設の最奥部に、スゥ=スラスターのオリジナルは居るのだという。

オートパイロットで約半日、それまでは、特に何をするでもない。仮眠を取るためのスペースもあることだから、少し眠ることにした。

仮設のベッドに身を預け、目を閉ざす。

寝つきは悪い方ではないのだが、今日だけはどうにも眠気がやってこなかった。代わりに現れたのは、いくつもの苦悩。

自分の存在が徹底的に破壊されて、自分が何なのか分からなくなった。仲間に支えられて、それを見つけるために動き出した。

けれど、だとしたら。今の自分が持っている記憶は、スゥ=スラスターとしての記憶はなんだったのだろう。全てが作り物なのだとしたら、何故その記憶の中の英雄は、ああも必死に戦っていたのだろう。

その記憶は、やはりどうしてもリアルで、思い出すたび原始的な恐怖を抱かせるものだった。

記憶は、思考は更に遡る。幼体固定を受ける以前の記憶はどうだったのだろう。今まで考えたことも無かった。考える必要も無かったのだけれど、そこに思考を向けた途端。

――意識が、ぽっかりと抜け落ちた。

 

「……そう、か」

そんな記憶は、どこにもありはしないのだ。そもそもにして与えられてもいないのだろう。きっと以前の自分であれば、それを不思議に思うことすらできなかった。

そういう風に、自分の記憶は作られていたのだろう。

「本当に、愕然とするわね。……だからこそ、確かめないと」

静かに、自分の心の中を打ちのめしていったその記憶の欠落。それを静かに受け止めて、ひび割れた心を繋ぎとめて、ほむらは目を閉じた。

今度は、静かに眠ることが出来た。

 

「ん……」

電子音声が、目的地に到着したことを告げる。その声に目を覚まし、軽く寝癖のついた髪を払う。そして、操縦室へと入る。

そこからは手動で船を進ませ、管制官の誘導に従って基地へと着艦させた。待っていたのは、研究者然とした男の姿。その男に促されるまま、施設の奥へと導かれていく。

何重にも張り巡らされた通路を抜けて、厳重なロックをいくつも超えて。たどり着いたのは、壁一面に巨大な水槽が作られた部屋だった。

 

その場所で、その水槽の中で不思議な色をした液体に浸かり、その全身にいくつも管を通されて、たゆとうように1人の少女が浮かんでいた。

「スゥ=スラスターのオリジナルは、電界25次元においてマザーバイドを撃破した後、地球へ帰還した。ここまでは、お前も知っている事実だ。その後、帰還を果たしたスゥ=スラスターはこの基地へと収容され、そこで戦闘データの解析を行っていた。その時はまだ元気だったのだがね」

目を見開いたまま、溶液の中にたゆとうスゥ=スラスターの姿を眺めるほむら。聞こえているのか居ないのか、構うことなく男は言葉を続けた。

「人知を超えた異層次元での戦闘と、幼体固定手術の副作用が重なったんだろう。彼女の身体は、急激に崩壊を始めた。それを防ぐためにさまざまな処置を施した結果、これだけ大きな入れ物が必要になった。今の彼女は、少しでも身体が外気に触れれば崩壊してしまう。それほどに不安定な状態だ」

 

意識などとうになくなっているのだろう。縦しんばあったとして、自分の身体がこんな有様になることに、耐えられるはずが無い。

人類の未来のために戦って、戦って、戦い続けた英雄の末路がこれか。余りの事実に愕然として、ほむらはその場に崩れ落ちるように膝を付いてしまった。

「そして、崩壊する前の彼女の体細胞をベースにお前たちは作られた。この事実は、極々一部の人間にしか知らされていない。まあ、知らせられるはずもないがな」

「なんて……むごい、ことを」

生きていれば、もしかしたら話くらいはできるのではないかと思っていた。死んでいたのならそれはそれで、その生きてきた軌跡を知るくらいはできるのではないかと考えていた。

けれどこれは、余りにも惨かった。自分の意志で生きることも出来ず、死ぬことも許されず。肥大した生命維持装置に繋がれて、今なお実験台としてその命を弄ばれている。

 

男は、呆然と佇むほむらを一瞥してから、踵を返し。

「この部屋には、知りうる限りの彼女に関するデータも蓄積されている。見たければ閲覧しても構わない。……くれぐれも壊すことだけはないように」

言い残して、部屋を出て行った。そして取り残されたほむらが、1人打ちひしがれたまま佇んでいた。けれど、いつまでもそうしても居られない。

向き合うと決めたのだから。余りにむごい事実からも、目を背けてはいけないのだ、と。

水槽に浮ぶ英雄の姿を一瞥。それは確かに、ほむらと同じ姿形をしていた。本当に自分がスゥ=スラスターのクローン体なのだということを実感させられた。

水槽から視線を外して、並んだ端末の一つに触れる。いくつも積み重ねられた、スゥ=スラスターに関するデータを一つ一つ閲覧していく。

 

スゥ=スラスター。A.D.2146生。

学生時代にパイロットとしての素質を見出され、16歳の時に地球連合空軍に入隊。その後、R戦闘機のテストパイロットを経て太陽系外周防衛部隊に配属となる。5年の任期を経て地球圏へと帰還、その直後、バイドの襲来によって太陽系外周防衛部隊は壊滅。

彼女自身の強い希望もあり、第3次バイドミッション、作戦名-THE THIRD LIGHTNING-のメインパイロットとして選定され、R-9Ø――ラグナロックを駆り、空間座標――3681119:銀河系中心域、マザーバイド・セントラルボディの破壊に成功した。

 

その後、漂流していたところを回収され当基地に収容され、データ回収と研究を行っていたが、高々次元における異層次元航行による影響と、幼体固定処置の副作用によって身体の崩壊が始まる。崩壊は精神領域にも及び、被験体の生命が危ぶまれるため生命維持装置に接続。これ以上の実験の続行は困難と推測されたため、クローン体を作成しこれを用いて実験を継続する。

 

A.D.2170/01/14追記

作成したクローン体にパイロット適性が確認された。中でも特に能力の高かったクローン体8号及び13号を、オペレーション・ラストダンスのパイロット候補として推薦する。

 

A.D.2170/02/02追記

最終候補選定に際し、クローン体における自由意志の必要性の有無が再検討されることとなった。その事例を検討するため、8号にオリジナルの記憶を一部与え、自由意志による行動を一定期間観察することとする。

期間についてはオペレーション・ラストダンスの進行状況に合わせ、期間経過後に8号と13号による戦闘を行い、勝利したものをオペレーション・ラストダンスの候補として推薦することとする。

 

 

「……そういうこと、だったのね」

ある程度予想は出来ていた。そして示されたデータは、それを確信へと変えるものだった。

「そう、それがお前と私の全てよ。No.8」

もう一つの声。聞き覚えのある声。それは自分と同じ声。弾かれるように振り向くと、そこにはもう1人の同じ顔が立っていた。

思わず身構えるほむらを手で制して、彼女――13番目のクローンである少女は告げる。

「ここでお前と戦うつもりはない。私達の戦いは、空でつけなくてはいけないものだから」

「……そう」

信用はできないが、それでもここは間違いなく監視下。何かあればすぐに止めに来るはずだろうと、一応の警戒は解いた。

「それで、貴女は何をしに来たの?……13号?」

資料で見たとおりならそれであっているはずだと、皮肉交じりに呼びかけた。その言葉に、目を見開いて怒りを顕わにする、彼女。

 

「その名前で呼ばないで。お前に呼ばれると……イラつきが抑えきれなくなる」

「なら、他に名前は無いのかしら?」

更に目を見開いて、歯を食いしばる彼女。どうやらほむらの言葉は、彼女の逆鱗に触れてしまったようで。

「そんなもの……あるわけがないじゃないっ!お前が名前を身分を与えられて、仲間とぬくぬく過ごしている間も、私はこの場所でイカれた実験の毎日だったんだ。物扱いされて、名前すら与えられずにッ!」

少女は怒りを顕わに歩み寄り、力任せにほむらの胸倉を掴んで引き寄せた。怒りに震える自分の顔、初めて見たその姿にほむらは半ば圧倒されて。

「お前を殺せば私は英雄になれる。もう物扱いされることだって無くなる。……だから、私はお前にだけは絶対に負けない」

ぎらぎらと、怒りと恨みに燃える瞳を近づけ睨みつけてくる。澱み、濁り、それでもなお真っ直ぐで力強いその瞳、その圧力に耐えかねて、ほむらは目を逸らしてしまった。

 

「……ふん」

そんな弱弱しいほむらの姿に気勢を削がれたのか、掴みあげたほむらを投げ捨てるように突き放して。

「それでも、お前の状況にも一応同情はできる。……今の今まで、何も知らされなかったんだもの」

突き放されて、膝を突いて座り込むほむらの耳元で、彼女が囁いた。

「聞くところによると、お前は戦うのが嫌で逃げ出したそうね。それがどこまで本心かは分からないけど。そして私は英雄になりたい。お前を倒して、私は英雄になってみせる」

彼女は更に顔をほむらの耳元に近づけて、声を潜めて囁いた。

「……わざと負けるつもりはない?そうすれば、貴女を生かしてあげる。貴女は仲間と一緒に戦い続けることができる。私は英雄になれる。……どちらにとっても、いい取引のはずよ」

囁かれた言葉に、ほむらは目を見開いた。確かにそれは魅力的な提案だった。

ここで負けて、そして生還することができたのならば、英雄の身代わりとして過酷な戦いに駆り出されることも無いだろう。

 

「答えは空で聞く。……これ以上お前と一緒にいると、うっかり殺してしまいそうだから」

再び彼女は冷たい口調でそう告げて、足早に部屋を後にした。残されたほむらは、何も答えることが出来なかった。心の中で渦巻く迷いに、答えを見つけることが出来なかったのだ。

 

「やあ、ほむら。オリジナルには会えたかい?」

研究施設を発ち、シャトルで宇宙空間を駆けていたほむらに通信が入る。声の主はキュゥべえで。

「……ええ、一応は」

「歯切れの悪い返事だね。まあいいさ、暁美ほむらの親族の住所がわかった。そちらに転送するから、そのまま向かってくれても構わないよ」

送られてきたのは、地球上の座標。都市部から離れた、今尚自然が多く残る地域であった。それを眺めて、ほむらは軽く目を伏せて。

「行ってくるわ。……長くなるかもしれないと伝えておいて」

「できれば早く戻って欲しいところだけどね、わかったよ」

そしてシャトルは火星を発ち、地球へと舞い戻る。その帰路の最中、ほむらはずっと考えていた。

スゥ=スラスターは、何を思って戦っていたのだろう。順当に考えれば、太陽系外周防衛部隊の仲間を殺された復讐なのだろう、とは思う。もしそれだけが理由なら、きっと自分はそうはあれないだろうと思う。

激しく身を焦がす憎悪、それが最大の力になるというのなら、それをきっと持ち得ないものだろう、と。

そもそも死んでしまった人間が何を思っていたのかなど、分かるわけがないのだが。ただそれでも分かったことは、得られたことは多かった。

まず第一に、自分の記憶はオリジナルのものであるということ。きっと、妙な記憶を植えつけられたりはしていないのだろう。それはすなわち、戦うことを拒んだのも、それでも戦おうと思ったのも全て自分の意志であるということ。

 

それが分かっただけでも、少し胸のつかえが取れたような気分だった。

 

シャトルは空港に着陸し、そこから目的地へと向かう。

都市部からは外れた場所で、まずは空港に併設された駅から列車に乗って最寄の駅へ。更にそこから歩いて30分程はかかるのだという。

この時勢に、随分と不便な場所に居を構えているものだ。

エア・ランナーを借りていこうかと思ったが、返すのが面倒なので止めておいた。外を眺めると、雪が降っていた。寒い盛りは過ぎたはずだが、雪の勢いはかなり強い。

日もまだ短い時分、夕暮れ時はすぐに夜へと変わるだろう。

「……宇宙には、季節はなかったものね」

空港の中はまだ暖かいが、この薄着では外に出るのは恐らく堪える。手近なところで、コートの一着も用立てることにしよう。

荷物らしい荷物なんて、初めから持ってはいない。買い物もクレジット一つで事足りる。それだけをポケットの中に突っ込んでそそくさとほむらは用意を始めた。急がなければ、着く頃には夜になってしまう。

 

白い厚手のコートを着込んで、ついでに暖かな手袋と帽子も一緒につけて。口の上手い店員に押し切られて、うっかりとマフラーまで巻いてしまって。まさしく防寒具の完全装備といった出で立ちで、ほむらは列車に揺られていた。

列車自体が、この時代の移動手段としては既に時代遅れなものとなっていたこともあり乗客はまばら。ほむらは1人、静かに窓の外を流れる雪景色を眺めていた。

ガタンゴトン、なんて音を立ててレールを走る列車はもう一世紀以上も前の遺物でしかない。この時代の列車は全て、とっくにリニアカーへと挿げ替えられてた。

もっとも、本当に急ぐというのであれば高高度旅客機がある。太陽系全域に生活圏を広げた人類にとっては、地球という場所はすっかり狭いものとなってしまっていたのだ。

 

「それでも、人の足にはまだ、世界は広い」

足元に積もった雪に足を取られそうになりながら、白く染まる空の下をほむらは歩く。30分程といったが、この悪路ではもう少しかかってしまいそうだ。

大自然の驚異すら克服したはずの超科学も、人々の生活の場に下りてくるまでは今しばらくの時間を必要とするようで。都市部に設置されているような波動エンジン直結の融雪用ヒーターや、無人稼動式除雪装置などはまだこの辺りには普及していない。

だからきっと、こうして辛うじて用意されている道は、誰かが雪を退けて作ってくれたものなのだろう。

どこまで歩いても、真っ白な景色は終わらないように見える。普段広い宇宙を縦横無尽に駆けているはずなのに、こうして自分の足で地球を歩いてみると、やはり地球は広いと感じてしまう。

宇宙で生まれ、宇宙しか知らない人々はこんな景色を見ることなく、地球の広さを知ることもないのだろうか。

なんだか、それはとても勿体無いことのようにほむらは感じた。

きっとこうして仮初にでも身分と存在を与えられなければ、自分も一生それを知ることはなかったのだろう。そう思えば尚のことだった。

 

 

「……ここ、ね」

日本様式の建物の前で、指定された住所と間違いが無いことを確認してほむらは呟いた。このような建築物はこの時代では珍しい、とはいえ存在しないわけではない。

技術継承はしっかりと行われ、おまけに最新の技術さえ貪欲に取り込んだ結果。古来よりの景観を損なうことはなく、居住性を高めた新古式住宅などというよくわからないものが今も建築されており、そこそこの人気を誇っているのだという。

「緊張するわ。……まったく、参ったものね」

はぁ、と白い溜息を一つ吐き出した。表札には、確かに暁美と書かれている。事前に渡された資料によれば、この家には暁美ほむらの母親が1人で住んでいるらしい。

呼び鈴を鳴らすと、インターフォン越しに女性の声が聞こえてきた。見慣れない来訪者に訝しげに尋ねる調子のその声に、ほむらは静かに脈打つ胸を押さえて、静かに言葉を告げた。

 

暁美ほむらと病院で親しくしていたのだが、彼女が亡くなったと聞いてやってきた。せめて、お参りだけでもさせてもらいたい、と。

そんなほむらの言葉を信じて、その女性はほむらを家に招き入れた。出てきたのは、線の細く、どこか弱弱しい印象を受けるような女性の姿だった。

「……お邪魔します」

こんな寒い中、大変だったでしょうと言うその女性に小さく頷いてほむらは家の中へと足を踏み入れた。広い家だった。たった一人で暮らすには、あまりにも広すぎる家だった。

掃除は行き届いているようだが、あまり物もなく、どこか殺風景な印象も受けた。

「まさか、あの子にこんな可愛いお友達がいたなんて。きっと、ほむらも喜んでくれていると思うわ。……お名前は、なんて言ったかしら」

言葉に詰まる。その女性の言葉が胸に突き刺さる。死んでしまった暁美ほむらと、今ここにいる暁美ほむらは本来何の関係もないのだ。ただ、その名を騙って存在しているというだけで。

「……スゥ。スゥ=スラスターです」

暁美ほむらを名乗るわけにも行かず、ほむらはその名を名乗った。自分がそうだと思い込んでいた者の名前を。

胸の奥が、ズキリと痛んだ。

「そう、スゥちゃん。どうぞ、上がってちょうだい」

促されるまま、家の奥へと進んでいった。

「失礼……します」

暗澹たる気持ちを心の底に抱えたまま、ほむらは進んでいく。自分を、理由を、すべてを偽ってここに居るのだ。果たしてそれが、本当に暁美ほむらに向き合うことになるのだろうか。

 

「ほむら、お友達が来てくれたわよ」

案内された一室は、しんとした静けさと冷たさが同居する部屋だった。子供用の学習机や、教科書の収められた本棚。小さな箪笥が壁に二段に積み重ねられていた。

おそらくそこが、暁美ほむらの部屋だったのだろうとわかる。丁寧に掃除がされていたのだろう。埃や汚れの類は見られない。もとより病床にあったこの部屋の主がここ居たことは少なかったのだろう。

更に部屋の主を失って久しく、その部屋は人が存在することが似つかわしくないほどに冷え切っていた。

 

その部屋の中に、ほむらはゆっくりと足を踏み入れた。

もはや用を為すこともないのであろう机の上には、小さな仏壇が置かれている。額に映し出されていた映像は、おそらく生前の暁美ほむらのものだったのだろう。中学校のものなのであろう制服を着て、嬉しそうに笑う少女の姿がそこにあった。

黒い髪を肩ほどまで伸ばして、その肌はまさしく病的に青白かった。目元に刻まれた小さな皺は、彼女が長きに渡って苦痛と戦い続けたのであろうことを暗に示していた。

やはりそれは、ほむらとは似ても似つかぬ少女の姿で。

 

「ここは、ほむらさんの部屋……だったんですね」

「そうよ。あの子は生まれつき体が弱くて、ほとんどここに居ることはなかったのだけれど」

女性の声は懐かしむようで。それでいてまるで瘡蓋を剥がすような、ひりつく痛みを堪えているような、そんな声だった。

「私は奥にいるから、しばらく好きにしていて。何かあったら呼んでちょうだいね」

「……はい」

静かに、どこまでも静かに言葉を告げて、扉は閉ざされた。

明かりに照らされた部屋の中。線香の匂いが静かに漂っていた。

 

机の椅子を引いて、そこに腰掛ける。目の前の仏壇には、この世を去った暁美ほむらの名と姿が映し出されていた。線香を焚き上げ、鉢をそっと鳴らして手を合わせ、黙礼。

「ごめんなさい、暁美ほむら」

伏していた目を開き、ほむらは本当のほむらに向けて静かに口を開いた。

「私は、死んでしまった貴女の名前を、身分を借りて存在している。そんな私がのうのうとこんなところに来るなんて、貴女からすればひどく不愉快かもしれないわ」

映し出された、暁美ほむらであった少女は何も言わない。その姿は何も変わらない。

「貴女と向き合えば何かが変わるかも知れないって思ったわ。けれど、全然ダメね。単に自分の罪深さを改めて認識してしまっただけ。……それでも、貴女には謝っておきたかったの。本当に、ごめんなさい」

死者は、何も答えない。いっそ責め立ててくれでもしたら、少しでもその罪と向き合ったことになるのかもしれないけれど。

やはり、死者は何も答えてはくれなかった。それが自分の罪と向き合うことになるのかどうかすら、ほむらにはわからなかった。

 

仏壇から視線を移すと、机の上に置かれた一冊のノートが目に留まった。花柄の描かれた、女の子が使うようなノート。

暁美ほむらの持ち物だったのだろうか。手にとって、それを眺めてみた。小さな、丸い文字で綴られていたそれは、暁美ほむらが遺した日記だった。

「………」

知りたい。そう思った。暁美ほむらという人間がどういう人物であったのか。

病に冒され病床で過ごす日々に、何を思って生き、そして自らの死に何を思ったのか。

気がつけば、ほむらは静かに頁を捲り始めていた。

 

「スゥ……ちゃん?」

部屋から出てこないほむらを案じて部屋を覗き込んだ女性が見たものは。ノートの頁を開いたまま、嗚咽とともにぽろぽろと、涙をこぼすほむらの姿だった。

「っ……どうしたの、スゥちゃん」

駆け寄って肩を抱く女性に、ほむらは涙を流しながら振り向いて。

「ごめ……なさい。っぐ。……っぅ、ぁぁ。私、私っ……」

「落ち着いて、スゥちゃん。何があったの。落ち着いて話してごらんなさい」

堪えようとしても涙は止まらない。そんなほむらの背をそっと支えて、優しく女性は言葉をかけた。そんな言葉がまた、ほむらの胸に突き刺さっていく。

「私は……っ、ひく、っ。謝らなく……っちゃ。いけないんです。私は」

胸の痛みはますます強くなって。まるで、きりきりと締め付けられているようで。

立っていられなくなって、体を丸めて蹲る。

口を開けば嗚咽ばかりが漏れてしまう。必死に言葉を探して、繋いだ。

「違うんです。……私は、ほむらさんの友達なんかじゃなかったんです。っ……私、は。……私は、ほむらさんの名前を、借りていただけ……それだけ、なんです」

途切れ途切れに語る言葉。見るからにおかしいほむらの様子に、女性も戸惑っているようだった。

「……とにかく落ち着いて。ここに居たら体が冷えてしまうわ。暖かい部屋で、少し落ち着いてから……ゆっくり話を聞かせてくれないかしら?」

それでもあくまで声色は優しくて。ほむらは、静かにそれに頷いた。

 

そのノートは、暁美ほむらの日記だった。小学校の中学年頃、病状が悪化しほとんどの時間を病院で過ごすようになってからの、病気と闘う日々を綴った、日記だった。

ひらがな交じりの丸文字で、書かれていたのは不平や不満。普通の子供と同じように生きられないことへの鬱屈とした感情が、切々と綴られていた。

それが変わり始めたのは、暁美ほむらが中学校へと入学する頃からで。おそらく何かのきっかけで、自分の体が不治の病に侵されていることを知ったのだろう。

その命が、それほど長くは持たないであろうということも。

だんだんと字が綺麗になり、漢字も多く使われるようになり始め。この頃から、日記自体も大分長くなっていた。検査や治療の事の合間に、こっそりと書かれていたのは絶望と、死への恐怖。涙らしきものが滲んだ頁もいくつもあった。

 

あくる日、ついに暁美ほむらはその余命を宣告された。そして厳正で残酷な医療は、彼女に一つの選択を強いたのだった。

曰く、出来る限りの延命を行い、病魔と闘い続けていくか。それとも、本人が望むところまで生き、そのまま苦しまぬよう命を絶つか。

それは中学生の子供が背負うには、あまりにも重い。重すぎる選択だった。

 

その日からしばらく、日記は書かれることはなかった。ようやく次に書かれた日記が、彼女の最後の日記となった。

 

 

11月21日。

 

今日、主治医の先生とお話をした。

延命はしないで欲しいと、先生にそう言った。

 

理由を聞かれた。

先生は、ずっと私のことを診てきてくれたから、話そうと思った。

 

私は生まれつき体が弱くて、お父さんもお母さんも、すごく苦労したって言ってた。

お父さんは、そんな私を育てながら生活していくことは出来ないって言って、家を出て行ってしまったって聞いた。

学校でも、病院でも、たくさんの人のお世話になりながら、私はなんとか生きてこられた。

それはつまり、同じだけたくさんの人に迷惑をかけながら生きてきたってことで。

何よりも、お見舞いに来るたびに疲れた顔で笑うお母さんがつらそうで、そんな顔は見たくなかったから、早く楽にしてあげたいって思った。

お母さんが、お父さんが、病院や学校の人たちが、みんなが大好きだから。

だから、これ以上私のことでみんなを悲しませたり、苦しませたくなかったから。

だから、私は無理に生き延びようとしないことにした。

 

先生は泣いていた。

きっとお母さんも泣くと思うから、このことは秘密にしておいて欲しいと言った。

 

どうか、私のことを心配してくれた優しい人たちが幸せになりますように。

お母さんが、いつか心から笑ってくれますように。

世界中のみんなが幸せになってくれたらいいなって思うけど、きっとそれはとても難しいから。

だから、私がこれから背負う分の苦しみは全部、私が向こうへもって行きます。

その分くらいは、世界が幸せになってくれますように。

 

大好きなみんなへ、さようなら。

 

 

 

 

その前のページは破り捨てられていた。

けれど、おそらくよほど筆圧をかけてその頁には何かが書かれていたのだろう。

後ろの頁にも、その文字の跡が残っていた。

 

『死にたくない』

 

――と。

 

 

 

そして、とにかくほむらは涙をこぼし続けた。優しく背をさする女性の手が暖かで、心の中に染み入っていくようで。涙が止まらず、いつしか嗚咽は慟哭へと変わって。

その激しい感情が通り過ぎてしまってから、ほむらは赤く腫れた目元を擦って。

溢れ出した、言葉にならない感情に押し流されるままに、静かにほむらは話し始めた。

 

心に被せた鎧は剥がれて、剥き出しの心はとても柔くて脆かった。隠すことなどできなかった。理解されようはずもない、暁美ほむらとスゥ=スラスター。そしてそこから生み出されたモノ達の事を、ほむらは静かに語り続けた。

「……すごい話ね。本当に、信じられないくらい」

その全てを受け止めて、女性は呆然と息を吐き出した。

「信じられないのは、当然だと思います。……でも、それでも私は自分の罪に向き合いたかった。そして、貴女達に謝らなければならないと思って……それで」

「大変だったのね、貴女も」

優しい声は変わらなくて。その女性は、ほむらの言葉を受け入れた。確かに信じられない上に、理解もできないことばかりだけれど。

それでも、ほむらが自分の過去と向き合おうとしていることを知りそして、暁美ほむらの最期の願いを知ったのだということを聞いて、優しく言葉を告げるのだった。

 

「……あの子は、誰かに助けられてばかりだったから。だからきっと、誰かを助けてあげたかったんだと、そう思うの」

ほむらの肩にそっと手を触れ、静かに説く。

「だからきっと、あの子は喜んでいるんじゃないかしら。あの子の名前を使うことで、助かっている人がいるということに」

間近で合わせた女性の瞳は。潤んで揺らいでいるようだった。そこに湛えられていたのは、やはり憂いでもあったのだろうけれど。

「死んでしまった人の気持ちなんて、きっと誰にもわかりはしないわ。だからこそ、そう考えて少しでも、前向きに生きてくれたほうがいいと思うの」

ぎゅっと、肩に触れる手に力が篭った。

「けれど、もし貴女があの子の名前を名乗るなら、一つだけ約束してくれないかしら。貴女は、あの子の分まで生きてください。そして、人生を楽しんでください。戦えなんて言わない。もしも貴女が普通の人のように暮らしていけるのなら、 あの子が生きられなかった分まで、どうか平和に生きていてください」

その言葉に、跳ね上がるようにほむらは顔を上げて。再びその瞳が潤んで、涙がぽろぽろとこぼれてくる。

 

 

「うぐ……っ、うぁ、ぁぁ……うあああぁぁぁぁーーーっっっ!!!」

 

 

そしてまた、慟哭の音が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

そして、少女は再び空に舞う。

 

眼下に海を眺める決戦場。

空を翔る、白い機体は彼女の身体。

日の光に輝く機体。そこに己が魂を載せて、少女は一つの機械となった。

 

 

「答えは見つかった?No.8」

 

再び向かい合う、黒と白の力。

 

「……ええ、見つかったわ」

 

それが、開戦の合図となった。

 

 

 

「そうか、それがお前の答えか……くく、くくっ」

言葉の端に隠しきれない狂気と狂喜を滲ませて、黒の機体を駆る少女、13号が微かに笑う。

激しい機動を交差させ、互いが互いを振り切ろうと、そして追い縋ろうと機体を走らせる。その様はまるで踊っているかのようで。様子を伺っているのか、まだどちらも本格的な攻撃を始めてはいない。

 

それでもこれから始まるであろう激しい戦闘を、さやか達は固唾を飲んで見守っていた。

「……どうなるんだろうね、ほむらは」

一時もモニターから目を離さずに、静かにさやかは呟いた。

「さあな。でも、帰ってきたあいつはやけに吹っ切れてた様子だったぜ」

やはり同じように、視線はモニターから移さないまま杏子が答え。

「負けて欲しくはないけれど、勝てば暁美さんは……きっと、ここには居られなくなってしまうのよね」

複雑な心境を抱えたまま、宇宙から戻ったマミが言った。

勝てば英雄。その言葉の意味はすなわち、バイドと戦うための旗印となるということ。まず間違いなく、今までのままではいられなくなってしまうということで。

そこはティー・パーティーの作戦室、今はもう、一人戦うほむらを見守ることしか出来なくて。

 

「……ほむらは、もしかしたらわざと負けるつもりなのかもしれないね」

椅子の上にちょんと座って、同じように戦闘の様子を見守っていたキュゥべえがそう切り出した。

「なんでそう思うわけ、キュゥべえ」

視線は逸らさないまま、さやかは尋ねる。

「ほむらは今回選択したフォースは、ただのスタンダード・フォースだ。戦闘力に特化するなら当然サイクロン・フォースを選ぶだろうし、そうでないにしても意表を突く、という意味でならシャドウ・フォースを選ぶだろう」

そう、モニターに移る白い機体が携えたフォース、それはラグナロックが装着しうる3種のフォースの内、最も古いもの。全てのフォースの祖である、スタンダード・フォースであった。

バイド係数も、放たれるレーザーの威力もこの時代に使用されているものと比べれば低く、この戦闘に持ち込むにはあまりにも力不足としか言いようのない代物だった。

「ほむらが何を思ってそれを選択したのかはわからない。けれど、わざと負けようとしていると考えるのが自然なんじゃないかな。彼女は元々、戦うことを望んでいなかったわけだからね」

もう一度激しく交錯する二機のラグナロック・ダッシュに視線を移して、キュゥべえは静かに言葉をつげた。

 

「お前の選択はわかった。なら、たっぷりと付き合ってあげる」

一見寄り添うようにすら見える機動を描いて飛び交っていた二機が、急にその機動を変える。機首を突き合い、ついに相手を撃ち落すための攻撃を開始した。

「存分に抵抗しなさい。そうでなければ、連中も納得しないだろうから。抵抗して、抗って、足掻いて、それで万策尽きた後に……撃ち落してあげるわ」

黒い機体がサイクロン・フォースを携え、鏃のようなスルーレーザーを放つ。対する白い機体は、スタンダード・フォースからリング状の対空レーザーを放つ。

互いに、正面への威力と突破力に優れたレーザー同士がぶつかり合って。

それは、間違いなく当然の結果だった。対空レーザーのリングは、鋭く強いスルーレーザーに切り裂かれ、空間にエネルギーを放出して消失。更に勢いを消さぬまま、スルーレーザーがほむらの機体に迫る。

フォースで受け止めるも、相殺しきれなかったレーザーが機体の下部を掠めて火花を散らした。

 

「約束は守る。殺しはしない。……だけど、お前には山ほど恨みがある。それをたっぷりと晴らさせてもらうわ、No.8ッ!!」

執拗に追い縋り、その背中にレーザーを叩き付けながら黒の機体が駆ける。ほむらはそれを交わしながら逃げ惑い、背後につけたフォースでそれを迎撃する。

しかしそれはいずれも有効な攻撃にはならず、ほむらの機体は小さなダメージをいくつも蓄積していった。

「ほら、どうしたのNo.8、仮にも私と同じなのならもう少し抵抗して欲しいわ。そんなことじゃあ物足りないもの、あまりにもつまらなさ過ぎて、本当に殺してしまいそうよ?」

ほむらは何も答えない。ただ黙って、静かに機体を巡らせるだけで。

 

「やはり一方的な展開だね、無理もない。ほとんど同じ力量を持つ者同士で戦えば、それは装備で上回るほうが勝つに決まってる。やはりほむらは……」

戦況は決した、とばかりにモニターから視線を外したキュゥべえに向かって、さやかは。

「いいや、絶対にそんなことない。だから、あんたも最後まで見てなさいよ」

疑いも揺るぎもない言葉で、まっすぐにモニターを見つめてそう言った。

「……なぜそう言い切れるんだい?客観的に見て、今のほむらに勝機があるとは思えないよ」

「なぜって、そりゃあ……なぁ?」

「そりゃー、ねぇ?」

呆れたように問うキュゥべえに、ちらりと互いの顔を見合わせてそしてなにやら目配せしあうさやかと杏子。

「まったく、わけがわからないよ」

なにやら勝手に得心している二人。ますますもって呆れるように、肩らしきものを竦めたキュゥべえに。

 

「信じているのよ、暁美さんのことをね」

隣に座っていたマミが、そう答えた。

「出撃するときの暁美さんの顔、見なかったのかしら?」

「出撃前のメディカルチェックでは、特に問題は見られなかったはずだよ」

これだから、とさすがにマミも呆れ気味に眉を顰めて。

「もう、どうして貴方はそう無粋なのかしら。……暁美さんは、すごく真剣な顔をしていたわ。きっと悩んで悩んで悩みぬいて、その末に何かを見つけたんだと思う。……もしも単に負けるだけのつもりなら、きっとあんな表情はしていないわ」

「表情なんて、単なる筋肉と皮膚の動きで出来たものに過ぎないじゃないか。そんなものが、一体どこまで信用できるっていうんだい?」

「できるんだよ、特にあいつの場合はな」

そこに杏子が割り込んで、言葉を次いで。

「あいつはな、隠し事なんて向いてる奴じゃないんだよ。特に、自分の気持ちを覆い隠そうとするってことには、徹底的に向いてない」

とても楽しいものを見るかのように、くすくすと笑いながら。

「だからきっと、ほむらは何かを見つけたんだ。……あたしがそうだったみたいに」

そして最後に、さやかが静かに呟いて。

 

「やっぱりボクにはわけがわからないよ。ほむらが勝てるわけがないとも思うしね」

不可解だ、と言わんばかりに小さく首を振りながら。

「ならせめて、ここで一緒に信じて祈ってなさい。……ほむらは、必ず帰ってくるよ」

モニターを見つめたまま、さやかは自然に手を合わせていた。祈るように、必ず勝って戻ってくるように。

「……ああ、どうせ今のあたしらに出来ることなんて、祈って待つくらいしかないんだからな」

杏子も、同じく手を合わせ、祈る。

「ほら、キュゥべえ。貴方も」

マミも、また。

 

「………祈ってどうにかなるものじゃない、現実はずっと非情だよ。キミ達だってわかっているはずじゃないか。……本当に、わけがわからないよ」

未だ理解できないという姿勢は崩さないものの、それに倣ってキュゥべえもその半透明の手を合わせて、モニターへと視線を移した。

 

「……一つ、聞いてもいいかしら」

「戦いながら口を開くなんて、随分と余裕ね」

海上を舞台に激しくぶつかり合う二機。レーザーが飛び交い、再び戦いの色に海を染め、湧き上がらせていく。

やはりほむらは劣勢。大きな損傷はないものの、機体へのダメージは蓄積している。

 

そんな戦いの最中、ほむらはようやく口を開いて尋ねた。

 

 

「スゥ=スラスターは、何故戦っていたのだと思う?」

「っ……何故、そんなことを聞く」

自分達のオリジナルである英雄、スゥ=スラスターの事について尋ねた。13号は、わずかに困惑の混じった声で返した。

「貴女はきっと、私よりもずっと彼女のことを知っているはず。貴女が彼女に対して、何の感情も持たなかったはずはないから。……だから、聞いてみたかった」

攻撃の手は一切緩めないまま、攻撃の意思も、剥き出しの牙も逸らさぬままに。13号はその問いかけに答えた。

「復讐よ。仲間をバイドに殺された事への復讐。きっとそれが彼女を戦いに駆り立てたはず。力を与えたはずなのよ。だから私も復讐してやる……見せ付けてやるわ。私を道具として扱ってきた連中に、私の事を見ようともしなかった連中にッ!」

激しい怒りと憎しみが込められた言葉は、まるでそれ自体が刃のように降り注ぐ。

 

「……本当に、それだけだと思う?」

「他に何があると言うの。そもそも、そんな事を考えて何の意味があるっ!」

激しい怒りに煽られて、攻め手が更に加速する。カプセルレーザーとスプラッシュレーザーを交互に使い分け、まさしく弾幕としか言いようのない程に恐ろしい攻撃を仕掛け続ける13号。

ほむらはひたすらに回避に徹する。対空レーザーも反射レーザーも、この状況では有効打にはなり得ない。

 

 

「私は、そうは思わない」

機体を急降下させ、そのまま水面ぎりぎりを走らせる。水面ごと吹き飛ばそうと打ち放たれるスプラッシュレーザーを、最大加速で振り切って。

「私は見てきた。スゥ=スラスターがどう生きたのか、私達がどう生まれたのか」

「私もそうよ。お前よりもずっと前から、ずっと長く、私はその事実と直面していたのよ!お前を倒せば英雄になれる。それが、私に残された最後の道しるべなんだっ!」

激しい感情が叩き付けられる。それがそのまま攻撃に転じたかのように、破壊の意思を込められたレーザーが執拗に降り注ぐ。

スプラッシュレーザーの爆風が機体を煽る。表面を焼き焦がし、機体が一瞬浮かび上がる。

「私は、オリジナルの記憶を一部だけれど与えられている。だとしたら、もしかしたら私が考えていることと同じ事を、彼女も考えていたのかもしれない」

浮かび上がった機体に更に迫る追撃を冷静にかわし。反射レーザーを放つ。発射角度を調節し、海面を透過するのではなく反射させ、13号の機体へと撃ち放つ。

「だから私は、彼女がただの復讐のためだけに戦ったとは思わない。そう信じることにするわ。……死んでしまった人の気持ちは、もう誰にもわかりはしないから」

相手もそれをやすやすと受けはしない。レーザーの間をすり抜けるようにかわし、そしてさらに迫り来る。

 

「だとしたら、それが何だと言うの。……他に、一体何の理由がある」

「……守りたかったんじゃないかしら」

双方の機体の動きが止まった。

「そう、守りたかったのよ。そして守るための力があった。だから、守るために戦ったのよ」

「守るものなんて、ある訳がないじゃない。それまでの生活も、自分の身体も全て塗り替えられて。まるで戦うための機械のようなものにされてしまったのよ!」

いつしか、撃ち合うその手も止まっていた。聞くべきだと、話すべきだと思ったのだろうか。交わされるのはただ、言葉だけで。

「見知らぬどこかの誰かを、その営みを、小さな幸せを……守ることは、できるわ。――暁美ほむらが、そう願っていたように」

「何を、ふざけたことを……っ」

再び満ち満ちる激情。それに身を任せて機体を突撃させる。これ以上、そんな言葉を聞いていたくなかったのかもしれない。

 

「暁美ほむらも、いずれ死ぬ運命にあったわ。けれど彼女はその運命に向き合った。きっと沢山苦しんで、嘆いたのだと思うわ」

再び激しく交錯する二機。やはり追い詰められていくほむら。またしても被弾し、ついに機体が黒煙を上げはじめる。

それでも、声は途切れない。

「そしてその末に、死すべき自分の運命さえも、誰かの為に使いたいと願った。そして私も願われたのよ。彼女の分も生きて欲しいと」

その願いは、ほむらが戦う運命を背負う事を望まなかった。それでも、ほむらは戦うことを選ぶ。その戦いが、多くの人を救い得るものだと知っているから。

きっとかつての英雄達も、それを望んで戦っていったと信じているから。それがきっと、暁美ほむらの願いを叶えることになるはずだから。

「仲間を、大切な人を、そして見知らぬどこかの誰かを。一人一人の営みを。その小さな幸せを。全てを、私は守ってみせる。そのために戦う。そのために……私は英雄になる」

それは、ありふれた結論なのかもしれない。英雄と呼ばれるものが背負った役割としては、あまりにもありきたりなものだったのかもしれない。

けれど、それはその意思が、言葉が軽んじられる理由には足りるはずもない。

 

「だからこそ、自分の為にしか戦えない貴女には……負けない」

そしてほむらもまた、覚悟を決めた。

 

 

「……ふざけるな。英雄になるのは、私だ。私が、私こそがっ!もういい、お前はここで死ね。殺してやる、私が、今すぐにっ!!」

「負けない。絶対に」

そして、双方の機体に火が灯る。ハイパードライブで、最後の決着を付けようというのだ。

「そんなぼろぼろの機体で、ハイパードライブの負荷に耐えられるかどうか。それに例え耐えたとしても、お前は絶対に私には勝てないのよ!」

「勝つわ。……その為に、私はここに来たのだから」

双方の機体に、溢れんばかりの力が満ちる。

損傷を受けたほむらの機体は、ハイパードライブの発射に際して警告を伝えてくる。機体耐久度の低下、機体温度上昇、ハイパードライブモードに移行すれば、オーバーロードすることさえ危ぶまれる。

機体の内で、見る間に膨れ上がっていく熱量。圧倒的な波動の奔流を溜め込んで、ほむらの機体は今にも弾け飛びそうになっていた。

 

「話にならない。そのまま爆散して……終わりよ」

「問題は、ない……わ」

機体表面が赤熱する。当然内部も灼熱に震え、コクピット内部の温度も急上昇する。恐らく、ほむらが常人のままであれば耐えられなかっただろう。こんな身体にされてしまったが、だからこそまだ戦うことができるのだ。

垂直降下。機体下部を海に沈めた。膨大な熱量を受け渡された海水が、驚いたように悲鳴を上げる。そしてその身を沸き立たせて、膨大な水蒸気となって舞い上がる。

「海水による強制冷却……愚かね。そんなことをして、無事で済むと思っているの?」

「問題ない。そう言ったはずよ」

海水による強制冷却、確かにそれならば内部の熱を逃がすこともできる。ハイパードライブを放つこともできるだろう。

だが、それはすなわち内部機関への海水の流入を意味する。万全の状態であればともかく、傷ついた機体では海水の流入を阻むことは出来ない。間違いなく、遠からずほむらの機体は潰れるだろう。

 

それでも、その一撃に懸けたのだ。

 

 

「今度こそ、終わりにしてやる。No.8ッ!!」

「……ええ、これで終わりよ」

 

 

 

「「ハイパードライブッ!!」

水蒸気の中から飛び出して、白い機体が波動の光を叩き込む。それを待ち構えていたかのように、黒い機体も迎え撃つ。機首を向け合い、円環を描いて波動を放つ。

前回と同じ光景。唯一つ違うことは、ほむらの機体が黒煙を上げ続けていることだけで。

チャージを終え、オーバーロードの危険性はなくなったとはいえ、ほむらの機体は既に限界だった。今もこうして飛んでいることが、ほとんど奇跡と思えるほどに。

円環の中央で、幾度も弾けるエネルギーの奔流。その余波もまた、傷ついた機体に追い討ちをかけていく。ザイオングスタビライザーに損傷、制動を失った機体が激しく揺れる。

それを純粋な操縦技術で立て直しながら、円環を保ち波動を放ち続ける。

しかし、やはりそれだけでは決着には至らない。波動の光は相殺しあうばかりで、決定的な一撃は届かないのだ。

「結果は同じ。もうすぐハイパードライブも終わる。その後で、ゆっくりお前を始末してやる。No.8」

 

「……違う」

「何……?」

ハイパードライブが終わる、ぶつかり合う膨大なエネルギーの奔流がいまだに視界を白く染め続ける。このまま終わらせようと、その奔流が収まると同時に突撃していく黒の機体。

その音声回線を震わせて、声は轟いた。

 

 

 

 

「私は、No.8でも、8号でもない。私は――暁美ほむらだっ!」

 

 

 

光の壁を乗り越えた黒い機体の眼前に、立て続けに放たれる波動の光が迫っていた。

「なっ……何故、ハイパードライブが、まだっ!?」

チャージされたエネルギーは全て吐き出したはず。最早これ以上、ハイパードライブを継続することなど不可能なはずなのに。

だというのに、目の前に迫る光は本物で。回避することすら能わず、光の中に黒い機体は飲み込まれていった。

「仕様書にも存在しない、バグのようなものよ。これを知っていたのはきっと……スゥ=スラスターだけでしょうね」

爆発、そして火の玉になりながら海面へと墜落していく機体を眺めながら、ほむらは呟いた。

 

そう、それはラグナロックに隠されたバグのようなものだった。スタンダードフォースを装着した時にのみ現れる、ハイパードライブの発射時間が遅延するという現象。

それを、ほむらはオリジナルの知識から知っていた。それゆえに、スタンダードフォースを選んだのだった。

「たった、それだけの差だったのよ。貴女と私を分けたものは。おやすみなさい……13号」

燃え盛る火の玉を、その中に居るであろうもう1人の自分を想い、ほむらは呟いた。

 

ほむらの機体も限界だった。

ハイパードライブを終えた途端、高度を維持することすら困難になる。制御を失い、激しく揺さぶられながら海面へと落ちていく。

それでも勝ちは勝ち。ティー・パーティーに回収を頼むことにしよう。

ほむらが、一つ安堵の吐息を漏らしたその時。

 

「まだよ。お前だけは……お前だけはぁぁぁっ!!!」

火達磨となり、墜落していたはずの黒い機体が唸りを上げる。推進部からも炎を吹き上げながら、その勢いを持ってほむらの機体へと迫っていた。

最早心中としか言いようのないその突攻に、ほむらは為す術がなかった。炎を纏って迫る機体が、やけにゆっくりに見えた。

 

「死ぃぃねぇぇぇぇぇっッ!!」

(何か、何か回避する術は………っ!)

 

死ぬわけにはいかない。ゆっくりと流れているようにも見える時間の中、ほむらは必死に思考を廻らせる。

(駄目なの?そんな……みんな。――っ!?)

どうにもならず、ただ眼前まで迫った炎を見つめることしかできないほむら。死に瀕し、引き伸ばされた感覚はその動きをどんどんと遅延させていく。

 

 

そして、世界は静止した――。

 

 

 

ほむらは、まるで色を失ったような世界の中でゆっくりと自分の身体が落ちていくのを感じた。

見上げれば、微動だにしない炎を纏った機体。見下ろせば、波の一つ一つに至るまでもが静止した、まさしく静寂の海。

重力に絡め取られるがままにほむらの身体は落下していき、そして海面に打ち付けられた。

 

世界は色を取り戻し、海は騒がしい波音を取り戻す。空を駆ける炎は、喰らうべき対象を見失い。

「な……にが、っ、ぎああああぁァァぁぁっっッ!!!」

断末魔の叫びと共に、その身を炎に焼き尽くされて消えていった。ばらばらと、その破片が海に降り注ぐ、そして。

「……まったく、訳のわからないことばかりね」

今度こそ、ほむらはその勝利を確信した。

 

「では、暁美ほむら。君をオペレーション・ラストダンスのパイロットとして推薦させてもらう。上も他に優秀なパイロットのあてが無いようだからね、恐らく君が選ばれるだろう」

ティー・パーティーに戻ったほむらを待っていたのは、モニター越しに言葉を告げる科学者然とした男の姿だった。

「わかったわ。それで、私はこの後どうなるのかしら?」

その視線をまっすぐに受け止めて、ほむらは問う。

「……機密情報なのだがね、もうじき、オペレーション・ラストダンス遂行のため第二次バイド討伐艦隊が編成される予定だ。これには、太陽系内の全戦力の約30%が投入される。 君にはその艦隊に随行してもらい、我々が開発した究極互換機をもって作戦目標の破壊を行ってもらう」

第二次バイド討伐艦隊。その言葉に、その場に居合わせた全ての者の表情が硬くなる。

いよいよ近づくバイドとの最終決戦。それを実感し身震いしているさやか。そして、ジェイド・ロスが指揮を執った先のバイド討伐艦隊のことを思い出す杏子。全戦力の約3割。その途方も無い数字に戦慄するマミ。そして。

 

「それだけの戦力を投入して、太陽系内の守りに支障が出るのではないの?」

揺るがない表情で、既に覚悟を決めたほむら。

「それについては既に手を打ってあるそうだ。グリトニル及びゲイルロズ両基地の戦力増強、ウートガルザ・ロキ、アテナイエなどの広域殲滅兵器の改修及び建設が既に秘密裏に完了している。オペレーション・ラストダンスが完了するまでの間くらいは、バイドの侵攻を抑えることが出来るだろう」

さすがにこれにはほむらも驚いた。今まで地球圏で戦いを続けてきた間にも、太陽系内部では着々と最終決戦の準備が進められていたのだ。

 

太陽系最外周に位置し、準惑星である冥王星に建築された長距離ワープ施設を備えた軍事基地グリトニル。

木星-土星間に存在し、強固な外壁と大量の人員や資材、戦力を保持する要塞ゲイルロズ。

海王星外側、カイパーベルト宙域に存在する、1天文学単位の射程距離を誇る光線兵器、ウートガルザ・ロキ。

そして木星の公転軌道上に秘密裏に建造された、全身に無数の武器を構える人工天体アテナイエ。

 

いずれも常軌を逸する規模の軍事施設であり、超兵器でもある。これだけのものを用意したからには、間違いなく今度こそ地球連合軍は本気でバイドを掃討するつもりなのだろう。

そして何よりも、これだけの兵器をもってしても防衛ラインを維持するのがやっとであろうと推測されている。その事実が重くもあり、恐ろしくもある。

そして何より、負けるわけには行かないという使命感が胸中に渦巻いた。

 

これだけの大規模作戦。失敗すれば間違いなく、太陽系に未来はない。

 

「究極互換機の完成を持って、全ての装備試験艦の任務は完了となる。恐らくこの艦も解散となり、その人員はバイド討伐艦隊もしくは太陽系防衛部隊へと振り分けられることだろう」

「……それは、後どれくらいで完成するの」

「さてね、開発は順調に進んでいるはずだ、後はいくつか残った武装の運用試験が終われば、恐らくすぐにでも組み立ては開始されるだろう」

つまりそれは、この部隊に残された時間はそう多くはないということで。時が来ればほむらは英雄として、スゥ=スラスターとしてオペレーション・ラストダンスに駆り出されることとなる。

他の者達も皆、それぞれの場所でバイドとの戦いに身を投じていくことになる。もう、一緒に戦うことはなくなってしまうのだ。

「さしあたり君達に伝えられる事項はこのくらいだな。もちろんこれは機密情報だ、漏洩があれば我々としてもそれ相応の処置をとらなければならない。……では、作戦の詳細などについてはまた追って連絡があることだろう」

そして、通信は打ち切られた。

 

 

「ほむら……また、戦いに行くんだね」

通信の終了を確認してから、さやかは静かに呼びかけた。ほむらは振り向いて、うっすらと笑みを浮かべて。

「ええ、戦うわ。……そう決めたの」

「戦う理由は見つかったか、英雄?」

冗談交じりに、ほむらに軽く拳を押し当て杏子が問う。静かに視線を向けて、ほむらは小さく頷いて。

「守りたいなって思ったのよ。仲間を、友達を、そして見知らぬ何処かの誰かの幸せを。暁美ほむらは、それを願ったの。……ちょっと、青臭いかしら?」

何処か誇らしげに、少しだけ恥ずかしそうにそう笑っていた。

「青臭くて何が悪いんだよ。いいじゃんか、格好いいよ」

少し眩しそうにそんなほむらを見つめて、八重歯を見せて杏子は笑った。

 

「なんだか、長いようで短い付き合いだったわね。……やっぱり寂しいものね。でも、これが最後のお別れって訳じゃないものね」

仲間と戦えることの心強さ、心地よさを知ったマミは少し寂しげでそれでも、そんな寂しさを振り払って強く笑う。

「全部綺麗に片付けて、また会いましょう。そして素敵なティーパーティーをしましょう。……どうかしら?」

「……楽しみにしてるわ、マミ」

生きて帰れる保障なんて、あるはずがない。オリジナルでさえ、まともな身体で戻ることは出来なかったのだ。

それでも力強く頷いて、ほむらはマミの手をとって。その手に、さやかと杏子の手も重なって。

 

 

「ここまで来たんだ、ためらうことなんてあるわけない」

 

力強く杏子が宣誓する。

 

「ただ、みんなのために進み、目の前にバイドがいれば破壊するだけよ」

 

戦う意思を、守る意思をマミが継いで。

 

「バイドを倒して、世界を救うわ」

 

握ったその手に力を込めて、ほむらが言う。

 

「さあ――行ってやろうじゃない!」

 

さやかが一際高く声をあげ、ぐっと握り合った手を押し込んで。

皆の手に、確かな力と暖かさが伝わってきた。

 

 

「さあ、そうと決まればパーティーの準備をしましょうか。ティー・パーティーのお別れ会と、必ずいつか再会することを誓って、ね」

「いいですねーそれっ!あたしも手伝っちゃいますよーっ!」

「こんな時だしね、派手に騒ぐのも悪くないさ。ほむら、お前も手伝えよな?」

「ええ、当然よ」

これが最後、そう口に出せば何かが溢れてしまいそうだから。誓うのは再会で、考えるのは目先のパーティーのことだけで。姦しく騒ぎながら部屋を後にする四人、その背中を見つめる視線が一つ。

押し黙ったまま、ずっと通信や彼女達の話に耳を傾けていたキュゥべえが。

 

「……順調だね。ああ、これ以上ないほどに順調だ」

その唇の端を吊り上げて、とても嬉しそうに笑っていた。

その姿を見たものは、誰も居なかった。

 

 

 

 

 

地球軍の新型艦が此方に接近していた。

護衛の機体を叩き落され、その全身に無数の損傷を刻み込まれながらも、尚もその艦体を保持し、最後の突撃と言わんばかりの攻撃を仕掛けてきた。

その重量と速度、そしてばら撒かれる光学兵器やミサイル砲の前にその進路を阻もうとした味方の機体群が押しつぶされていく。

 

だが、此方も迎撃の準備は既に整っている。

最大の脅威である敵艦艦首の陽電子砲は既に沈黙しており、此方の艦首砲は既にチャージを終えている。爆炎を巻き上げながら迫る敵艦に向けて、私は艦主砲の発射を指示した。

放たれたフラガラッハ砲は確実に敵艦の中枢部を貫き、敵艦はようやくその機能を停止した。

爆散し、エネルギー反応が消失していくのを確認してから、私は残存する敵部隊を追討するよう指示を出した。

 

冥王星周辺の艦隊に勝利した。

現れた艦隊は歓迎するわけでなく、我々に対して攻撃を仕掛けてきた。

 

確かに我々は、バイドの本拠地へ乗り込み、バイドの息の根を止めたはずなのに。

それなのに地球の人々は我々を認めてくれない。

それに地球軍の中心に居たのは新型の宇宙船間のようだった。

 

しかしなぜか、今までの地球軍の艦艇としては違和感を感じる。

 

 

いずれにしろ、我々は太陽系に足を踏み入れたのだ。

 

地球に向かって出発しよう。

 

→帰還する

 

 

 

 

「こちら地球連合宇宙軍、第三方面軍旗艦、エンケラドス。グリトニル基地、応答せよ。繰り返す、グリトニル基地、応答せよっ!!」

 

 

魔法少女隊R-TYPEs 第12話

    『本当の自分と向き合えますか?』

          ―終―




【次回予告】
「グリトニルに続き、ウートガルザ・ロキまでも……」
英雄は、ついに現れた。
「そんな……それじゃああの人は、まさかっ!」
バイドとの最終決戦、オペレーション・ラストダンス。その火蓋が、ついに切って落とされようとしていた。

――我々は、帰ってきたのだ。

だが、その前に。

「後は任せて。大丈夫、必ず戻るから」


“彼”は、我々の元へと帰還した。


「ごめんなさい。……さよなら」


次回、魔法少女隊R-TYPEs 第13話
           『英雄は再び』


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第13話 ―英雄は再び―

屍山を築き、宇宙を閃光で染め上げて、彼らの行軍は止まらない。
抗う全てを打ち砕き、彼らはついに帰還する。

立ち向かうは遍く力。少女達もまた、最大の戦いへと挑む。
残された少女もまた決意を胸に宿し、その身を戦場へと投じる。
そんな少女の願いとは裏腹に、戦いは激化の一途を辿る。

哀しき戦いの幕が、開く。


ノーザリー及びデコイ機をフル動員し、デコイ群を目標宙域へと侵攻させた。恐らく敵の偵察機も、その動きに気付いたことだろう。

この宙域には、かつて太陽系を旅立つ前に使用した脅威の太陽兵器、ウートガルザ・ロキがある。まともに喰らえば助かる余地はないだろう、とはいえそれ以外のコースは敵軍や氷塊によって封鎖されている。

ウートガルザ・ロキの射線から離れるように高度を下げた我々の前に、地球軍の艦隊が迫っている。それを適度に牽制しつつ、じりじりと後退する。敵は完全に形勢はこちらにありと踏んだのだろう。後方の部隊も引き連れ一気呵成に追いかけてくる。

 

 

機は熟した。

 

 

予め氷塊群を破壊して作っておいたルートへと、一気に艦隊を走らせた。それと同時に、デコイ部隊をウートガルザ・ロキへ向けて発進させる。以前のデータと変わらなければ、恐らくもうチャージは完了しているだろう。

道を塞ぐ氷塊を、無理やり艦体でこじ開けながら突き進む。追討しようと迫る地球軍の部隊が、氷塊の無数に散らばる地帯へと踏み込もうとしたその瞬間に。

 

まさしく太陽の如く眩い閃光が、その空間にある全てを薙ぎ払っていった。

 

発生する熱だけでも、周囲の氷塊が一瞬で蒸発していく。直撃は避けたとは言え、膨大な熱量の余波は我々の機体にまで少なからずダメージを与えていた。

しかし、それでも今の一撃で我々の進路を塞ぐ敵は全て消滅した。後はウートガルザ・ロキが再度チャージを完了させる前に、砲身もしくは集光ミラーを破壊すればいい。

全機に号令をかけ、私も同じく艦を急がせるよう指示を出した。

 

 

どうやら、先行していたアーサーの部隊がウートガルザ・ロキの破壊に成功したようだ。戦力の大半を失った敵軍はそのまま後退を始めた。どうやらひとまず戦闘は終わりのようだ。

撤退した地球軍が更なる増援を引き連れてやってくる前に、ここを離れたほうがいいだろう。

戦闘機を回収し、我々はカイパーベルトを抜けるために艦を走らせた。

 

『……また、戦ってたんですか?』

意識が戦闘から戻ってくると、またあの少女の声が聞こえてきた。逆流空間を抜けた頃から、この妙な少女の声は私に付きまとっている。幻聴なのだろうかと思うが、それにしてはやけにこの少女は女の子らしい言動をしている。

そんな言葉を生み出せるような思考回路が、私に備わっているとは思えない。もしかしたら本当に、その少女――カナメマドカの言うように、テレパシーという奴なのかもしれない。

我ながらおかしなことを考えると思う。

だが、私は嬉しかったのだ。こうして敵意と戦意ばかりを向けられる日々の中。唯一マドカだけが、戸惑いながらも親しげに言葉をかけてくれる。ただそれだけで、もっとマドカと話をしたいと思ってしまう。

 

――ああ、だが大丈夫だ。戦いは今終わったところだからね。

『そう……ですか。よかった。怪我とかしてませんか?』

――心配はいらない。我々は今、海王星の近くを航行している。早く地球に戻りたいものだが、なかなか敵が多くてね。まだしばらくかかりそうだ。

『バイドは……倒したんですよね?なのに、まだ敵がいるなんて』

マドカには、我々の戦っている相手が地球軍であるということは伏せてある。どういう理由で彼らが攻撃を仕掛けてくるのかはわからないが、それをマドカに知らせる必要は無いだろう。

無意味に不安にさせることはない、折角の話し相手なのだから、仲良くしたいものだ。

いつか地球に戻れたら、マドカに会いに行くのもいいかも知れない。土産話を聞かせる相手位は欲しいものだ。それにマドカは、キョーコのことを知っていると言う。キョーコも交えて、三人で話が出来たらいいだろうと思う。

 

――中枢を倒したといっても、まだ太陽系内にはバイドが残っているようだ。その後始末をしながら、地球へ戻ることにするさ。

『わかりました。じゃあ、地球で待ってますね。ロスさん』

――ああ、地球で会える日を楽しみにしているよ。できれば、キョーコにもまた会いたいからね。

『きっと、杏子ちゃんも喜ぶと思います。杏子ちゃんのお話の続き、しますね』

――頼むよ、マドカ。

どうやら私と話をしている間、マドカの身体は眠っているのだという。だから、目が覚めてしまえば唐突にこの対話は打ち切られてしまう。せめてそれまでは、こうしてゆっくりと誰かと話していられる時間を大切にしたかった。

 

マドカは、キョーコのことを色々と話してくれた。

我々と別れてからの数年間、一体何があったのかということまではマドカも知らないようだったが、それでも杏子は尚R戦闘機に乗って戦っているということを聞いた。

何よりも嬉しかったのは、キョーコが既に仲間を得ていたということだ。それも、R戦闘機のパイロットである同年代の少女達なのだという。

俄かには信じられない事実ではあるが、マドカの言葉ではキョーコは今も力強く生きているようだ。嬉しくもあるが、親代わりとしては少し複雑な気分もあったのかもしれない。

だが、間違いなく概ねそれは喜ぶべきことだ。きっとアーサーや他のクルー達もそれを聞けば喜ぶことだろう。

そして、しばらく話をしていると唐突にマドカの返事が途切れた。恐らく地球でマドカが目覚めたのだろう。またしばらくは、孤独の旅路が続くようだ。

そうと決まれば、早く地球へ還ろう。

 

カイパーベルトの出口はすぐそこに迫っていた。恐らく、次に地球軍が仕掛けてくるとすればこの位置だろう。

私はゆっくりと意識を戦闘に沈めてゆく、ここで負けるわけには行かない。

 

さあ、とにかく行こうか。

 

 

 

「ロスさん……もうすぐ、地球にやってくるんだ」

夢の中の会話の余韻を確かめながら、まどかは静かに目を開けた。どこか胸が躍るような、そんな気分だった。

「早く会いたいな。そうしたら、杏子ちゃんにも教えてあげなくちゃ」

指にはまった指輪を眺めて、にっこりとまどかは微笑んだ。その指輪には、淡い桃色の宝石のようなものが埋め込まれている。朝の日差しを受けて小さく煌くそれを見て、まどかはそれを宝物のように大事に握りこんだ。

キュゥべえは、できるだけ肌身離さず持っているようにと言っていた。流石に学校に持っていくことは出来ないけれど、それ以外の時は常にこうして身に着けているのだ。

そんな指輪をゆるく握り締めながら、まどかは伏せた瞼の裏に、夢で見た最後の光景を思い浮かべていた。無数の氷塊が散らばる宇宙空間の中を、青い光をたなびかせて走る戦艦の姿。赤い巨躯から無数の突起を生やし、ぼんやりと緑の光が機体前方に浮んでいた。

素人目に見ても、格好いい艦なんじゃないかとまどかは思う。けれど何故だろう。その姿はどこか、物悲しげにも見えてしまっていた。

 

「グリトニルに続き、ウートガルザ・ロキまでも……」

中空に浮ぶ無数のモニター、そこに描かれたさまざまな映像を眺めながら、円卓を囲む者達の一人が静かに呟いた。言葉は静かでも、その表情にはありありと驚愕の色が見て取れる。

そこでは地球連合軍の高官達による緊急会議が行われていた。

その議題は、逆流空間を抜け太陽系に進入。グリトニル及びウートガルザ・ロキを破壊し尚も地球に迫る、正体不明のバイドの艦隊のことであった。

「まさか、バイドにここまでしてやられるとは……オペレーション・ラストダンスへの影響は大きいですな」

オペレーション・ラストダンス。

今まで行われてきた数多くの対バイド作戦。第二次バイド討伐艦隊及び究極互換機を投入してのバイドとの最終決戦。その間、地球を守るための盾であり矛である重要拠点が、既に二つも破壊されているのだ。

尚もバイドの艦隊は地球へ向けて侵攻を続けている。これ以上の被害を出す前に、どうにかこれを掃討しなければならない。

 

「しかし、グリトニルとウートガルザ・ロキを陥落せしむるとは……。敵艦隊の勢力はそれほどまでに大きいということか。そうなると対応も難しくなるが」

「いえ、偵察機が持ち帰ったデータによると、敵艦隊の規模はそれほど大きくはないとのことです。今までの交戦データと比べてみても、恐らく一個艦隊程度の戦力かと」

そう、数は決して多くはない。その事実がまた、会議を紛糾させる原因となっていた。

「では何故ここまでの侵攻を許しているというのだ!いつの間に太陽系外周部防衛部隊は、質ですらもバイドに劣るようになっていたんだ?」

嫌味っぽい口調で噛み付く男。

「太陽系外周部防衛部隊は、各地から選別された精鋭揃いであることは貴方も知っているはずでしょう?」

不快さを隠そうともせず、返す言葉を投げかける女。

「だとして、それこそ納得のいかないことばかりだ。何故数で遅れを取っているわけでもない敵を相手にあの太陽系外周防衛部隊が破れたのか、何故ここまでの侵攻を許しているのか」

皆、薄々は感じづいているのだ。ただ、その事実を認めたくないというだけで。きっと何か、不幸な事故が重なったのだと信じたいのだ。

 

「……先のカイパーベルト宙域での戦闘データを見させてもらった」

一同の中で、一際豪華な椅子に座った男が静かに言葉を放つ。地球連合軍総司令官の言葉に、皆が一様に静まり返る。

「データを見る限り、敵部隊を追い詰めていた我が軍は敵を深追いする余りウートガルザ・ロキの射線へと進入してしまい、纏めて消滅の憂き目を見ることとなった」

味方機の戦闘記録を見る限り、恐らくそうであったのだろうと推測はできる。

「だが、我が軍が敵の追撃を開始したのと時を同じくして敵軍がウートガルザ・ロキの射線内に部隊を移動させている。……偶然にしては、余りにも出来すぎているな」

重い沈黙が、その場を支配した。次に放たれるであろう言葉を、誰もが固唾を飲んで待っていた。

「認めようじゃないか。今回のバイドは、今までのものとは違う。生態としての擬態や侵食、単純な奇襲を行ってくるような敵とは違う。確たる意思と戦術を持ち、部隊の運用を行っている。我々と同様、いや、それ以上に巧みにだ」

それは誰にとっても信じられない言葉で。特に今尚バイドとの戦いにおいて指揮を執る者にとっては、最早屈辱的とすらもいえるような言葉だった。

攻撃本能のままに、全てを侵食するだけのはずのバイドが戦術を習得している。それも、自分たちよりも上手なのだという。そんなことがあっていいはずがない。

 

「それが事実であるならば、我々は戦い方を変えなければならない。それぞれ独自の裁量で運用されてきた各方面軍の指令系統を一新し、全部隊が身軽に動けるようにする必要もある。優れた戦術を持つ敵に対抗するためには、こちらも優れた指揮官を用意する必要がある」

暗に現在の指揮官達が無能であるかのような言い草に、主に若い将校からは不満げな視線も向けられていた。それを意にも介さず受け流しながら、総司令官は言葉を続ける。

「いずれにせよ、これ以上奴らに太陽系を荒らされる訳にも行かん。敵は海王星方面から地球へと向かっている。第三から第五までの全方面軍の力をもって、これを撃滅する!」

それはすなわち、各方面軍が常時行っている多方面からのバイドの侵入に対する警戒。それを緩めてまで、今迫りつつある敵への対処に充てるということで。それほどまでに、地球連合軍はそのバイドの艦隊を脅威であると捉えているということだった。

「人員の選別は現場に一任する。とにかく戦力をかき集めることだ。……他に、何か意見はあるかね」

語勢も強く放たれた言葉に、異を唱える声など表れるはずもなく。会議は終わり、人類はついにその恐るべき敵と直面する。幾重にも張り巡らされた地球軍の防衛網を突き破り、地球へ迫るその敵と。

 

ティー・パーティーへと、新たな機体が搬入されてきた。

オペレーション・ラストダンスのパイロット候補を抱え、それ以外にも優秀な乗り手を擁するこの艦を、軍上層部や研究者達も優秀な部隊であると認識したのだろう。今回搬入された機体達は、そんな期待を裏付けるようなものだった。

 

「……どうにも、私とこの機体は切っても切れない関係のようね」

ほむらの眼前で、格納庫に眠るその機体。外観はラグナロックと変わらない。

仕様書によれば、ラグナロック・ダッシュの運用データを元に、更なる波動砲の威力の追求及び機体の安定性の向上を図って開発された機体なのだという。

現存するすべての波動砲の中でも最大の威力と攻撃範囲、そしてチャージ容量を備え持つギガ波動砲が搭載され、機体の安定性を向上させるためハイパードライブはオミット、フォースもサイクロン・フォースのみとなっている。

そう言うと波動砲以外さして変わっていないようだが、この機体は正真正銘のエース仕様であり、安定性を可能な限り高めた上で機体性能も従来の機体とは一線を画すものとなっていた。

その機体に与えられた名前はR-9Ø2――ラグナロックⅡ。

アローヘッドより連なるR-9直系機の、まさしく最終最後、そして最強の機体であった。

 

「やっと、あたしにもまともな機体が回ってきたって感じだな」

にっ、と満足そうな笑みを浮かべて杏子はその機体を眺めた。

もともとは青かったはずの機体は、彼女のパーソナルカラーである赤に塗りなおされている。それがまたちょっと嬉しくて、まだぴかぴかの機体の表面に軽く触れて。

それはR-9AD3――キングス・マインド。

デコイユニット装備型機体の最終機であり、最大6機ものデコイ生成を可能とするデコイ波動砲による高い制圧力を持つ機体である。もちろん最新鋭の機体ということもあり、基本性能も決して低くはない。

その性能から、牙持つ影を操る狂王、ドンマイ(笑)などと揶揄……ではなく一応呼び名は高いらしい。

今まで癖の強い期待ばかりが回ってきた杏子からすれば、それは相当にマシな機体であるように思えた。

「さっさと慣らしてやりたいもんだね。楽しみだ」

期待を胸に、杏子はそう呟いた。

 

「あたしはあの子のままでいいんだけどなー」

ちょぴり憮然とした表情で、搬送されてきた機体を見つめるさやか。鮮やかな青に染め上げられた機体に濃紺のキャノピー。機体の形状自体はラグナロックに似通っている。

「……まあ、でもこの子も強かったから、いいかな」

手元の仕様書に書かれた名前に目を通して、自分を納得させるように笑った。その機体は、かつてエバーグリーンを攻略する際にさやかが使用した機体。R-9Leoことレオの発展進化機。R-9Leo2――レオⅡであった。

レオの特徴であるサイビットの強化による、サイビット・サイファの持続時間の増加。さらに専用フォースであるLeo・フォースもLeo・フォース改となり、各種レーザーの威力も飛躍的に上昇している。

唯一の弱点であった波動砲の容量不足についても解決しており、標準的なスタンダード波動砲を搭載可能となっていた。まさしく攻防の双方において最強クラスの能力を持つ、光学兵器を主とするタイプのR戦闘機としては一つの完成系と言ってもよいほどの名機であった。

 

「ふふ……ついに、ついにやってきたわね」

ひときわ大きく物々しい、そして見覚えのある機体を、マミは溢れんばかりの喜びを持って迎え入れた。その機体は二つの部位からなり、R戦闘機としての機能を集約した部位と、巨大な砲身とに分かれて搬入された。

R-9DX――ガンナーズブルームのコンセプトである単機による戦略級砲撃と、戦闘機としての戦闘能力の両立を図り開発されたその機体は、長大な砲身から放たれる超絶圧縮波動砲によるの戦略級攻撃と、それをパージしての通常戦闘の両方を可能としていた。

その通常戦闘においても通常の圧縮波動砲を発射可能であり、超絶圧縮波動砲の反動を支えるブースター出力を持って、高い突破力を誇っていた。

その機体の名はR-9DX2――ババ・ヤガー。

古い伝承の魔女の名を持つ機体が、マミに授けられたのだった。

 

「流石に、随分と場所を食ってしまうわね」

苦笑交じりにマミが言う。

その言葉の通り、その長大な砲身はそれだけで優に二機分の搭載スペースを必要としていた。それに加えてR戦闘機が4機である。

ティー・パーティーの格納庫は、今や完全にバイドを滅ぼすための力で埋め尽くされていた。

 

「受領の手続きが終わったら、早速試運転と行こう。太陽系内に侵攻してきたバイドのこともある、もしかしたら、ボク達の出番が来るかもしれないからね」

新しい機体、恐らくティー・パーティーで運用される最後の機体になるであろうそれらを眺めて、なんだかんでで少しはしゃいでいる様子の少女達。そんな彼女達の様子を一通り眺めて、キュゥべえが口を開いた。

「やっぱり、大分攻め込まれてるの?」

キュゥべえの言葉に、皆の表情が一様に固くなる。さやかが、確認するように尋ねた。

「第三方面軍は壊滅、ゲイルロズも陥落したようだ。現在第四及び第五方面軍が、アテナイエを擁して木星軌道上での決戦に備えているようだね」

敵の勢いは止まらず、尚も地球を目指して侵攻を続けている。堅牢を誇っていたはずの要塞ゲイルロズは既に陥落。事実上、アテナイエが地球を守る最終防衛ラインとなっていた。

万が一ここを抜けられたのならば、最早地球へ迫る敵を阻むものは何もなくなってしまう。

「しかし、信じられないよな。戦術を駆使するバイドだなんて」

認めたくはない。けれど認めるしかない事実を苦々しげに杏子が語る。

もしもこれから遭遇する全てのバイドがこれだけの戦術を持ちうるというのならば、それは人類がバイドに対して持ちうる、数少ない優位が失われてしまうことになる。そうなれば量で劣る人類に、バイドに抗し得る手段はなくなってしまう。

 

「……木星宙域には、優秀なパイロットも集められているわ。それに、第四、第五方面部隊も含めれば彼我の戦力比は5倍相当と推定されているはず。たとえ敵がどれほどの優秀だとしても、ここで終わるはず」

努めて冷静にほむらが言う。けれどそれだけ性格に事態を把握しているということは、それだけ情報を入手しているということで。それはすなわち、それだけ敵を警戒しているということでもある。

 

「……大丈夫よ。それに、もしここまで近づいてくるようなことがあったら。

 そうなる前に、私が残らず撃ち落としてあげるわ」

自信げに、それでもどこか余裕を持って、冗談まで交えてマミが言う。確かにあのババ・ヤガーの異貌とマミの能力があれば、本当にそれが出来てしまいそうだから恐ろしい。

R戦闘機同士のドックファイトでは遅れを取るマミではあるが、その狙撃の素質は群を抜いていた。本来は監視衛星などのバックアップを受けなければ、とても運用することが出来ないはずの最大射程での狙撃を、純粋に機体に搭載された光学望遠のみでやってのける。

それは最早、魔弾の射手としか言いようのないほどで。

「ええ、頼りにしてるわ。マミ」

そんな様子に、内心張り詰めていたものが少し薄れたように、くす、と小さくほむらは笑った。

 

 

どれくらい眠っていたのだろう。目を覚ますと、そこには激しい戦闘によって傷ついた機体と、同様に激しく傷ついた宇宙が広がっていた。視線を巡らせれば、巨大な木星の姿がすぐそこに見える。

 

そうだ、思い出した。

要塞ゲイルロズを攻略した後、木星へ向けて出発した我々の前に見たことのない巨大な人工天体が現れたのだ。無数の攻撃衛星と大量の艦隊を率いるその人工天体に、我々はかつてないほどの苦戦を強いられた。

周囲に展開されていた攻撃衛星のコントロールを奪うことに成功していなければ、今頃我々は宇宙の藻屑となっていただろう。

攻撃衛星との挟撃により敵艦隊を撃破し、人工天体への攻撃を開始した。しかし、敵艦隊の戦力はこちらの予想をはるかに上回っていた。

艦隊を撃破して穴を開けた防衛ラインはすぐさま増援の艦隊によって塞がれて、我々は人工天体の攻略と同時に、敵増援の迎撃も行う必要に迫られた。

どちらか片方だけでも総力戦、間違いなくまともにぶつかれば全滅は必須だった。

 

苦しい選択を強いられることになった。最低限の部隊を足止めに残し、総力を挙げて人工天体の攻略へと乗り出したのだ。人工天体の中枢部さえ押さえることが出来れば、ここを拠点に敵の増援に立ち向かうこともできる。

足止めに残った部隊は、間違いなく全滅することだろう。彼らの死を無駄にしないためにも、こんなところで負けるわけにはいかなかった。

そして、足止めの部隊が全滅し、追撃する艦隊が我々のすぐ後方にまで迫ったその時に。我々はどうにか、人工天体の中枢を押さえることに成功した。すぐさま人工天体内部へ負傷した艦隊を収容し、その火力を持って地球軍を迎撃する。

当初は浮き足立っていた地球軍も、すぐに人工天体を攻撃目標と設定し熾烈な艦砲射撃を浴びせかけてきた。

このままでは長くは持ちはしないだろう。負傷した部隊の修理ももうしばらくかかる、しかし敵はそんな余裕すらも与えてはくれないようだった。

打って出るより他に、術はなかった。

 

人工天体を盾にするかのように前進、持ちうる全ての火力を持って、敵陣の中央へと突攻を仕掛けた。敵陣深くまで食い込み、宇宙を光の色に染めるほどの砲撃を叩き込まれ、ついに人工天体が沈黙する。

巨大な爆発。肉薄していた地球軍の部隊が煽りを受けて撃沈していく。その隙を突いて、私は全部隊に総攻撃の命令をかけた。

隊列を乱した地球軍の艦隊と、我々の艦隊がついに真正面から撃ち合うこととなったのだ。人工天体を犠牲にしたことで数の上での不利こそは解消されたものの、艦隊の損傷具合は激しく、次々に味方が墜とされていく。

まさしくそれは乱戦としか言いようのないもので、私も旗艦を手ずから前進させ、敵艦への砲撃を開始した。

 

どれほど戦っていたのか、分からないほどに長い時間が過ぎていた。ここまでとにかく戦い続けていたから、もう休みたかった。

気がつけば、遥か彼方に撤退していく敵の部隊の姿があった。敵の旗艦も、どうやら不利を悟って部隊を引き上げさせたようだ。

なかなかに見事な引き際だった。地球軍の中にも、まだまだ優秀な士官は居るということなのだろう。とはいえ、それはすなわち我々の前に強敵として現れるということなのだから、喜んでもいられないのだが。

そうだ、私は戦闘の終了を確認して、そのまま倒れるように眠ってしまっていたのだ。一体どれくらいそうしていたのか、最早時間の感覚すらも曖昧になってしまった。ようやく状況が飲み込めてきた、まずは部隊の被害を確認しなければ。

余りにも被害が大きいようなら、どこかで修理を済ませなければならない。

 

………どうやら、思いの外被害は少なかったようだ。まさか、勝手に機体が損傷を修復するはずもないのだから、きっとそれほど被害は多くなかったいうことなのだろう。

もうじき地球が見えてくるかもしれない。そう思うと、自然に胸の鼓動が早くなるのを感じた。

 

地球軍の防衛施設を破壊した。

 

次はいよいよ火星だ。

 

 

→帰還する

 

 

 

 

「ふぅ、まったく。なんてザマだ」

テュール級5番艦、スキタリスのブリッジで、その男は静かに毒づいた。

「あれだけの大部隊に加え、アテナイエまでもが陥落するとは。……まったく、バイドにしておくには惜しいほどに優秀だな、敵の指揮官は」

万全は尽くした。それでもあの敗戦である。それはどういうことかといえば、敵の戦術がこちらのそれを上回っていたということに他ならない。

“攻撃衛星”アイギスに加え、方面軍の1/3を囮にして、敵を懐深くまで引き寄せた。そして残りの部隊で敵を包囲し、アテナイエとの挟撃で敵を撃破するという作戦自体は成功していた。

ただ予想外だったのは、敵があれほど早急にアテナイエを陥落せしめたことだけだろう。改めて実感する。敵は、かつてないほどに手強い。

敵の損害も少なくはないだろうが、かといってあの程度で止まってくれるほど容易い相手ではないだろう。今度こそ、負けるわけには行かない。

 

「提督、地球連合軍本部より通信が入っています」

副官の女性が、思索に耽る男に呼びかける。

「ああ、繋いでくれ。ガザロフ中尉」

深刻な表情でガザロフ中尉に言葉を告げたその男は、そう。かつてエバーグリーン攻略戦においてさやか、杏子の両名と協力し、バイドの掃討に尽力した九条提督であった。

 

地球圏は、いまだかつて無い未曾有の危機に直面していた。太陽系内部へのバイドの侵攻自体は今までに例が無かったわけではない。しかし、それはいずれも奇襲の類に分類されるものであった。

今回は、今までとはまるで状況が違う。

真正面から攻め込んできたバイドの艦隊は、十重二十重に張り巡らされた防衛ラインをすべてその力で捻じ伏せ、いまや火星基地をも突破しているのだ。

この状況に焦り、地球連合軍は全方面軍の投入を決定。しかし、太陽系内の各所に展開している各方面軍が地球に集結する前に、敵が地球に到達するであろうことは確実とされていた。

木星軌道上での決戦から逃げ延びた艦隊を再編成し、月軌道上において地球圏最終防衛ラインの配備が進められている。

もしこれで敵を止めることが出来なければ、そうなれば。後はもはや、地球上での本土決戦を余儀なくされていた。

 

そんな慌しい軍の動きは、自然と人々の知るところとなっていた。木星決戦での敗北以降、地球連合軍は民間人の地球外への渡航を制限した。さらに民間用星間ネットワークの一時凍結を宣言。

徹底的な情報封鎖により、地球住民のパニックの発生を防ごうとしていた。

けれど、その急な動きが逆に人々の不安を煽っていく。既に多くの人間は感じ取っていた。地球は、かつて無いほどの危機に直面しているのではないか、と。

一般放送されるようなニュースでは、軍の情報統制は行き届いているようだったが、アングラでは既にさまざまな憶測が飛び交っていた。何しろ、バイドの艦隊は既に火星を通過しているのだ。下手をすれば望遠鏡でも覗ける距離である。

事実、ちらほらとそういう話も出てきてはいた。

 

それでもまだ、幸か不幸かまどかはその事実を知ることなく、見滝原で夢と現を行き来する日々を過ごしていた。

 

「何であたしらは月に行っちゃだめなのよっ!!」

ティー・パーティーのブリッジで、さやかがキュゥべえに詰め寄った。

優秀なパイロットに、最強クラスの機体を抱え。間違いなくティー・パーティーは巨大な戦力である。それこそ戦局を左右しうるほどの。

だからこそ、その自分達がこれから月での決戦が始まろうとしている時に、地球で待機せよという命令しか与えられていない事実に、さやかは憤慨していたのだ。

「こうしている間にも、あのバイドのせいでたくさんの人が死んでるんだよ?なのに、何であたしらは戦いに行っちゃだめなのよ、キュゥべえっ!!」

「戦死者はそれほど多くは無いよ。さやか。今回のバイドはなぜか市街地や都市部への直接攻撃はしていない。立ちふさがる軍だけを蹴散らし、ひたすら地球へ向かっているんだ」

キュゥべえは、こんな時にでも表情の読めない顔で淡々と言葉を返す。その落ち着きぶりが、またしてもさやかを苛立たせた。

「たかだか10万人程度じゃないか、太陽系の全人口200億人と比べれば取るに足らない数字だよ」

「ふざけないでよ。……人が、人がこんなに沢山死んでるんだよ……なのに、どうしてよ」

今にも掴み掛からんばかりの勢いで、激しい怒りをその瞳に燃やしてさやかが迫る。

「……それは、ボクが決定した事じゃない。連合軍上層部の決定だ。ボクが何を言っても、いまさら覆るものじゃない事だけは確かだね」

キュゥべえの言葉に、さやかも怒りの矛先を間違えていたことに気づく。膨れ上がっていた怒気はひとまず静まったものの、それでも到底納得などはできるはずがない。

けれど、さやか一人が文句を言ったところでどうにもならないほどに、地球連合軍という組織は巨大だった。

 

「少し……頭冷やしてくる」

「それが賢明だね」

最後にそうとだけ言葉を交わして、さやかはブリッジを後にした。

向かった先は、ティー・パーティーの甲板部。

白い船体のカラーリング同様、その甲板も白く染め上げられていた。甲板といっても、旧来の船のようにマストが必要なわけでもなく、砲台なども設置されていない輸送船である。

ただただ、何も無いだだっ広い平面が広がっていて、申し訳程度に転落防止の柵が付いているくらいだった。

 

その、一面の白の中に一つだけ、鮮やかな赤を放つものがあった。

 

「……杏子」

「よう」

柵に身を預けてその先に見える無数の艦影を眺めていた杏子は、さやかの声に振り向いて軽くその手を上げた。

ここは、北米に存在するティアット基地。ティー・パーティーは現在、他の艦隊とともにこの基地にて待機するよう命令を受けていたのである。

いつでも艦を出せるように準備をしろとは言われているものの、ティー・パーティーがこの基地を出撃する予定時刻は、基地に停泊している艦隊の中でも一番最後。

まともに戦わせるつもりなどないことは、もはや明白と言わざるを得なかった。

「何、してんだ。わざわざこんなとこまで来て」

「……はは、そりゃこっちの台詞だっての」

いつものように交わす軽口も、どこか空回りしているようで。

「……少し、頭冷やそうと思ってさ。あのままじっとしてたら、おかしくなっちゃいそうで」

「ああ、わかるよ、その気持ち。……あたしもさ、似たような感じなんだ。バイドはもう地球のすぐそばにまで迫ってる。なのに、あたしらはこんなところでじっと待っていることしか出来ない。……正直、歯痒いよな」

隣、いい?と小さく尋ねたさやかに、杏子は静かに頷いた。

並びあって二人、杏子は、片手に持っていたボトルをさやかに投げ渡した。無言でそれを受けとって、蓋を開けて口をつけた。

甘さと、その後にわずかな酸味を感じる。飲みなれたスポーツドリンクの味だった。

 

「もうそろそろ、月では戦いが始まる頃だな」

そう言うと、杏子は視線を空に投げる。まだ昼の明るさに負けて、そこにあるはずの月の姿は見て取れない。

「……勝てるの、かな」

同じように空を眺めて、さやかが静かに呟いた。

わかっているのだ。木星宙域での決戦は、間違いなく人類にとって総力戦と言うべき戦いだった。その後の火星での戦いを経て、ついに敵は月へと迫っている。

人類は、各戦闘における敗残兵を集めて、かろうじて月軌道上に艦隊を展開しているに過ぎない。勝てるはずなど、ないのだ。

「勝ってもらわなくちゃ、困るだろ。……でも、もしあいつらが地球にまで近づいてきたら。その時は……いつまでもこんなとこで燻ってるつもりはねぇさ」

それは、暗に命令を無視してでも戦いに往こうという覚悟であったのだろう。いずれ戦いの色に染まるかもしれない、けれど今はただ青く平和な空を見上げて杏子はそう呟いた。

 

「……いいの?ばれたら営倉行きだよー?」

そんな杏子に、少しおどけた調子でさやかが答えた。けれどさやかも心の内は同じ。もしも地球が戦火に晒される日が来たのなら、それを黙っていて居られるはずなどなかった。

バイドの脅威を払うため、それに脅かされている人々を、一人でも多くの命を救うため。それがさやかの信じる正義で、彼女の絶対に揺るがない戦う理由だった。

「構うもんかよ。第一、勝手に出撃すんのはあたしの十八番だ」

うっすらと唇を歪めて、歯を見せて杏子が笑う。

「そういや、あたしらが最初に出会ったときもそうだったっけね」

答える声は、どこか懐かしげで。

エバーグリーン攻略戦の最中、二人は出会い、仲違いをしながらも共闘し。そして、今もこうして二人一緒に戦っている。つい最近のことなのに、さやかにも杏子にも今の関係が随分と長い付き合いであるかのように感じていた。

 

「……なら、あたしも行くよ。あんた一人を行かせたりしない」

「言うと思ったよ。……なら、一緒に行こうぜ。さやか」

その声はどこか嬉しげで。杏子はそのまま、さやかに手を差し出した。当然、さやかはその手を取った。そして気付く。その手が、微かに震えていることに。

「っ……はは、実はさ。……何か、震えが止まらないんだよな」

手を取り合ったまま、苦笑交じりに杏子が言う。けれど、その笑みも静かに消えて行き。後に残ったのはどこか辛そうな杏子の表情だけで。

「……実を言うとさ、怖いんだ。笑っちゃうよな。死ぬのも、正直言って怖い。けど……それだけじゃないんだ」

さやかは静かに耳を傾けて、その手をぎゅっと握った。杏子の何時もの強がりが、内心の恐れや弱さを隠すためのものであると、さやかも薄々は分かっていた。

けれど、それをこうして直に打ち明けられるのは初めてで。

 

「月の連中がやられたら、ついに敵の艦隊が地球にやってくる。あたしらがそれを倒せなかったら、地球は、人類はそれで終わりだ。……今まで、考えたこともなかったんだ。自分の戦いが、本当に人類の存亡なんてとんでもないことに関わってくるなんて」

その手の震えは止まらない。恐ろしいのだ。死ぬことよりも、その手に肩に圧し掛かる重圧が。背中に地球を抱えて戦う、そのことの重さが、意味が、常に自分と身近な誰かのために戦い続けた杏子にはとてつもなく重く、恐ろしいものに感じられてしまうのだった。

「でも、まあ……大丈夫さ。きっと戦う時になりゃあ、そんな怖さなんてどっかにい――っ!」

言葉の途中でその手が引き寄せられて、柵に預けたその身が揺れた。不意のことにバランスを崩して倒れこむ身体を、何かとても柔らかで、暖かなものが支えていた。

仄かに甘い、どこか心地よさを感じるような匂いに包まれて、その背を優しい手が撫でていた。驚く気持ちよりも先に、それを心地よいと感じてしまって吐息が漏れる。

震える手さえも、その恐怖さえも一緒に包み込まれてしまうような安らぎを感じながら。

 

隠し通すことの出来なくなった弱音を吐き出す杏子の表情は、とても儚いものに見えた。それこそ、今にも霞んで消えてしまいそうなほどに。

触れ合う手の感触は残っているのに、それだけでは足りなくて、頼りなくて。気がつけばさやかは、その手を強く引いていた。

倒れこむようにバランスを崩した杏子の身体を、しっかりと受け止めて抱きとめる。思っていたよりもずっとその身体は柔らかで、小さくて、そして暖かかった。

自然とその手は背中に回り、優しくその背を撫でていた。胸元に顔を埋めるように抱きしめてしまったから、その表情は見えない。けれど、嫌がるそぶりも跳ね除けるような様子もない。

身じろぎもせず、ただ抱きしめられて身を預けるままの杏子。さやかもまた何も言わずにその身体を抱きしめて、ただただ互いの熱を伝え合っていた。

やがて、どちらからともなくその身を離し。

 

「……いきなり、何すんだよ」

俯いていた顔をゆっくりと上げて、震える声で杏子が呟く。

頬は朱に染まり、瞳の端には涙を湛えて、ほろりと零れてしまいそうに潤んでいた。その手はまだ互いに握り合ったままで、もう片方の手は所在なさげに長い髪を弄びながら。

「……いや、なんとなく」

まさか、今にも杏子が消えてしまいそうだったから、なんて言えようはずもなく。そして、もしかしたら照れているのかも知れないそんな杏子の姿が、どうにも可愛らしく見えて。

同じように頬に朱を差して、視線をどこかに泳がせながらさやかが答えた。

「なんだよ、そりゃあ」

呆れたように杏子が言う。

その手は、もう震えてはいなかった。

 

「正直、あたしだって怖いよ。誰だって怖いはずだよ。そんな重いものを背負わされたら」

もう一度身体を柵に預けて、再び空を見上げてさやかが言葉を紡いでいく。

「だから、それはきっと……みんなで背負うものなんだ。みんなで、一緒に。……でなきゃ、立ち向かえないよ。バイドにだって勝てやしない」

倣って、杏子も再び柵に身を預け。

「みんな同じ、か。……身も蓋もない言い方だけど、それもそうかもな。……なんか、気にしすぎてた自分がバカみたいだ」

「実際そうなんじゃない?さっきのあんた、まるで自分が世界を救う英雄みたいな言い方だったよ?」

ようやく少し調子が戻ってきたのか、さやかも冗談を飛ばし始めたけれど。

「……あー、くそ。らしくないこと言っちまった。ほむらじゃあるまし、な」

本当に英雄になってしまった仲間のことを想い、笑う。

彼女は自分が誰かもわからないような暗闇の中、彼女は英雄になることを選んだのだ。その背に圧し掛かる重圧は、きっと今感じてるものとは比較にならないほど重い。

それを受け止めて、立ち向かい。人類の希望の全てを背負って。やがていつかほむらは往くのだろう。だとしたら、その前に立ちはだかる最大の障害がこれだ。

負けるわけには行かない、負けられるはずがない。

 

杏子の瞳に、再び力強い光が宿る。

それを見て取って、満足そうにさやかが笑う。

「ふふ、どうやらさやかちゃんのハグは効果覿面だったみたいだね~♪」

おどけるように言うさやかに、いつもの軽口で返してやろうかと考えたけれど、それは止めにすることにした。きっと、さやかにはこっちの方が効果があるだろうから。

 

先ほどの余韻で朱の抜けない頬と、潤む瞳をさやかに向けて。

「ああ、すごく助かった。だから……全部終わったら、もう一回……してくれないか?」

「んなっ!?」

それこそ効果は覿面で、音が聞こえてくるような勢いで顔を紅潮させてうろたえるさやか。

「……くくっ、なんてな。たまにはこういうのも効くだろ?」

十分に効果を発揮してくれた冗談を、そしてちょっとだけ混ざった本心を労って。さもおかしそうに杏子が笑って言う。

さやかはいまだにその衝撃から立ち直れていないようで、らしくないところを見せてしまったことへの意趣返しとしては、これくらいで十分だろうと考えていた。

「あ、あんたねぇ……ったく、本当にいい性格してるんだから」

してやられた、と言った顔でさやかが返す。頬を軽く指先で掻きながら、つま先を甲板に押し付けながら。俯きがちに、囁くような微かな声で。

 

「……でも、いいよ。全部終わったら……もう一回、しよ」

 

 

押し寄せる戦いの気配を知ってか知らずか、蒼穹の空はどこまでも広く澄み渡っていた。

 

 

 

「何をしているの、マミ?」

機体の準備をやや丁寧すぎるほどに済ませると、いよいよ何もすることがなくなってしまった。新たな機体であるラグナロックⅡは、確かに常軌を逸した性能を持っている。そして、それを用いて立ち向かうべき相手はすぐそこにまで迫っていたはずなのに。

未だにティー・パーティーに出撃の許可は出されていない。それどころか、本当に出撃させるつもりがあるのかすらも怪しい状況である。

そんな中、手持ち無沙汰に艦内を歩き回っていたほむらは、電算室でコンソールと向き合うマミの姿を見つけた。真剣な面持ちでコンソールの画面を見つめて、何か呟いてはまたデータを打ち込んでいく。

そんな様子が気になって、ほむらは声をかけたのだった。

 

「ああ、暁美さん。いえ、大したことじゃないのよ。ただ、ババ・ヤガーの運用の仕方について色々と考えていたのよ」

確かに、そのコンソールの画面に映し出されていたのはババ・ヤガーの姿。そして無数の戦況のシミュレーションが同時に表示されていた。

「少し、見せてもらってもいい?」

「もちろん構わないわ。一緒に戦うことになるんだもの、知っておいても損はないはずよ」

マミの許可を得て、ほむらはそのデータに目を通していく。

監視衛星からのリンクなしでの最大狙撃可能距離、チャージ途中での発射時の容量と射程距離、威力の変動図。敵の予想侵攻ルートから推測される、この機体が陣取るべき待機地点。超絶圧縮波動砲が、どこまで連射に耐えうるか。

ガンナーズ・ブルームにおける運用実績と、ババ・ヤガーの性能を擦りあわせて作られたそのデータは、とてもではないが中学生の少女に作成し得るレベルのものではなかった。

 

「……いつの間に、これだけのデータを」

これには、ほむらも驚くより他になく。驚くほむらに、マミはこともなげに笑いながら言う。

「習慣だったのよ。どうしたらもっと効率よく戦えるか。どうしたら……いつか仲間が出来たとき、協力し合って戦っていけるか、って」

そう、マミはさやかとほむらが宇宙に上がるよりも前から一人で戦い続けていたのだ。一人で戦い抜いていくために、そしていつか仲間と一緒に戦える日のために。ずっと、その力と知識を磨いてきたのだ。

それは間違いなくマミの力になっていて、稀有な才能であるとも言えた。

「……でも、多分今回の戦いに、私達の出番は無いでしょうけどね」

苦笑めいて、半ば自嘲するような雰囲気さえも垣間見せて、マミが言う。

「確かに、私達の出撃は一番最後よ。でも、出番が無いとは思えないのだけど」

そんなマミの様子に、ほむらは不思議そうに尋ねる。

この艦の戦力は、恐らく一つの艦が持ちうる戦力としては最強クラスのものであろう。強大な敵が目の前に迫っている今、その力が使われない理由は無いと思うのだが。

 

「私達だけならそうでしょうけど、今は状況が違うのよ。暁美さん、貴女はきっともうすぐ英雄になる。きっと軍の上層部は思っているはずよ。こんなところで、うっかりその英雄に死なれでもしたら困る、とね」

座っていた椅子を回して、コンソールからほむらへと視線を移して。マミは静かにその考えを打ち明けた。間違いなくそうだと言える訳ではないが、これだけの戦力を保有した部隊を飼い殺しにしておく理由は他に見つからなかった。

「そんな……それじゃあ、私達はずっとここで待っているしかないっていうの!?」

考えもしなかったことを突きつけられて、ほむらは感情を顕にマミにに食って掛かる。英雄になるということは、単にバイドと戦い続ける事だと思っていたほむらには、それはとても意外な事実だった。

「……戦況が悪化すればその限りではないと思うけれどそれでも、私達が戦う事になるのは相当先のことになると思うわ」

「この期に及んで、戦力を出し惜しむなんて……どうかしてる」

間違いなく、今回の敵は人類が今まで遭遇してきたバイドの中でも最も手強い。それを打倒するのにはもはや、手段など選んでいられるはずもないのに。

ほむらの心はじりじりと焦燥に焦がされる。その手は硬く握り締められていて。

 

「……なら、勝手に出撃しちゃいましょうか」

「えっ……」

そんなほむらにマミが言う。冗談めいた声にも聞こえるが、その瞳は静かな光を湛えたままで。

「できると思うの?たとえ出来たとして、間違いなく軍法会議ものよ。下手をすればそのまま撃墜されてもおかしくない」

「それは恐らくないわ。やがて英雄になる貴女は、実際人質みたいなものだもの。キュゥべえがどう動くかはわからないけれど、私達全員が力を合わせれば、恐らくこの艦くらいは動かすことは出来ると思うわ」

あくまでマミの口調は軽い。重大な規律違反を勧めているようにはとても聞こえない。そんな腹芸までしてみせるマミが、心強くもあり恐ろしくもあった。

自分とはまた別の意味で、マミは歳不相応な才覚を持つ人間なのだと。ほむらはそれを悟った。

 

「マミ。……貴女の意見を聞かせて。それから判断したい」

ほむらの言葉に、マミは軽く口元に手を当てて、考えるような仕草を始める。本当に考えているのか、それとも既に心は決まっているのかはわからない。

それでも、マミは話し始めた。

「そうね、ここに留まるのも勝手に出撃してしまうのも、どちらもメリットとデメリットがあるわ。勝手に出撃してしまうメリットとしては、ティー・パーティーの戦力を加えることで、局地的な戦闘における有利はかなり確立できると思う。けれど、デメリットとしては他の地球軍の部隊との連携が取りづらいってことかしら。それに、間違いなく私たちの立場も悪くなる」

一頻り考えを述べてから、小さく一息ついて。時折頷きながら聞き入っているほむらを見つめて、再び口を開く。

「ここに留まるメリットとしては、地球軍にとっての最後の切り札になることができる。他の方面軍が来るまで耐えることが出来れば、それと連携して戦う事も出来るはずよ。デメリットとしては、初動が遅れて地球や軍に被害が出るであろうこと。そして――」

そこで一度言葉を切って、困ったように、半ば呆れたようにマミは笑って。その表情には、確かに呆れや困惑は浮かんでいたけれど、決して嫌悪の色はなく。

 

「間違いなく、美樹さんと佐倉さんは勝手に出撃してしまうってことかしら」

ちょっとお茶目に片目を閉ざして、冗談めかしてマミは言う。それを聞いてほむらは、鳩が豆鉄砲食らったような顔で、目を見開いて。

「……あの二人も困ったものね」

「ええ、本当に」

そして、二人は顔を見合わせ小さく笑う。先ほどまでの、どこか張り詰めた雰囲気は一気に消え去っていた。確かにあの二人ならそうするだろう。そんな奇妙な確信があった。

「……まったく、意外といい性格してるわね、マミは」

殺しきれない笑みを唇の端に浮かべたまま、ほむらは一つ言葉を投げかけ。

「そうよ、それくらい強かじゃないと、一人でなんか生きていけなかったもの」

ふんわりと髪を揺らして、マミが軽く首を傾げて笑む。

「……決まりね」

やがて、決意したような表情でほむらが言う。

「ええ、決まりよ」

マミもそれに応えた。互いの顔を見据えて、そして一瞬沈黙。

その後に。

 

「「――行きましょう」」

二つの声が、重なって。

 

 

時を同じくして、見滝原。時差の都合で時間は夜。まどかは夢の中。

呼びかける。何度も何度も呼びかける。けれどその声は、月軌道上を舞台に激しく戦うロスの元へは届かなかった。

なんとしても届けたかった、話したかったのに。意識の底で、声も枯れんばかりに呼びかけ続けて、それすら返事はないと悟って。そして、まどかは目を覚ました。

「やっぱり……繋がらないよ。ロスさん。どうしてロスさんは……こんな事を」

目を覚ましたまどかの掌には、携帯端末が握り締められていた。そこには、ついに軍が公表した地球へと迫るバイドの艦隊の姿があった。

異形の行進その只中で、一際目を引く赤い戦艦。コンバイラ、と呼ばれたそれは。

まどかが夢の中で見た、ロスの駆る艦と同じ形をしていたのだった。

 

ジェイド・ロスは、英雄は、確かに地球に帰ってきたのだ。バイドを討つため地球を旅立ち、長く苦しい旅路の末に、多くの犠牲を払った末についに、その中枢を破壊したのだ。けれど、その果てに何が起こったのだろう。

 

気が付くと、彼らはバイドになっていた。

 

それでも彼らは地球に帰ろうとした。

 

けれど、地球の人々は彼らに銃を向けるだけだった。

 

それでも彼らは宇宙をさまよい続けた。

 

いつの日にか、地球に戻れると信じて。

 

 

――そして、今。

 

 

「地球上の全部隊に通達。月軌道上の防衛艦隊が、敵バイド艦隊と交戦。

 防衛艦隊は甚大な被害を受け撤退。バイド艦隊は、現在地球へ向け侵攻中。

 総員直ちにこれを迎撃せよ。

 繰り返す、バイド艦隊が地球へ向け侵攻中、地球上の全部隊は直ちにこれを迎撃せよ!」

 

 

――我々は、帰ってきたのだ。

「始まったね。まさか、ここまで侵攻されるとは予想外だったけど」

順々に動き出す艦隊の動きを眺めつつ、キュゥべえは呟いた。その口ぶりは、この期に及んでもどこか他人事のようで。

――否、事実他人事なのだ、この生き物にとってこの戦いは。

キュゥべえは、この戦いにティー・パーティーを駆りだすつもりはなかった。ラストダンサーたるほむらにここで戦ってもらっては困るはずだと、出撃を迫る上層部を説き伏せた。

だから、この戦いはキュゥべえにとってはどこまでも他人事。それに、たかだか輸送艦一つ程度の戦力があったところで、大局は決して変わりはしない。

「……上手くやってくれると良いけどね、地球軍は」

そう言って、耳をふわりと揺らす。その姿が小さく光り、消失しようとしたその瞬間に。

「これは……こんな時に、どうしたんだろうね」

常に一つ確保しておいた緊急用の回線にその本来の用途で通信が入った。独立した回線とはいえ、大量の通信がやり取りされている中で、ノイズ交じりの声だった。

「一体どうしたんだい、まどか?」

その声の主は、見滝原にいるはずの鹿目まどかの声だった。

 

「よかった、キュゥべえ。繋がってくれたみたいだね」

既に見滝原にも避難警報が出されていた。とはいえ、どこに襲ってくるかも分からないバイドが相手である。いつでも避難を開始できる準備だけは済ませておいて、各自指示があるまで待機せよというもので。

それ故に、部屋の中からまどかはキュゥべえに呼びかけていた。その通信を繋いでいたのは、その指に輝く小さな指輪。

 

そう、キュゥべえから与えられたその指輪はソウルジェムではなかったのだ。

まどかはあの時、魔法少女となることを望まなかった。とはいえ、能力の暴走の危険性はやはりある。そこで、いつでもキュゥべえに連絡が取れるように、専用の通信装置を搭載したその指輪が与えられていたのだ。

「まさか、こんな時に連絡をしてくるなんて思わなかったよ、どうしたんだ、まどか?」

キュゥべえの声が返ってくる。やはりノイズ交じりで、音質はかなり悪い。それでも辛うじて聞き取れるその声に、まどかは意を決して答える。

「迎えに来て欲しいんだ。できればすぐに」

「……理由を聞かせてもらってもいいかい?」

わずかな沈黙の後に返ってきた声は、どこか不思議そうな感じを受ける声で。まどかは一つ深呼吸をして、自分の決意を改めて確かめた。

そして、一際強くはっきりとした声で伝えた。

 

「今地球に攻めて来てるバイドを、止められるかもしれないんだ」

 

「本気で言っているのかい?まどか。だとして、一体どうやって……」

「私は聞いたの。あのバイドの声を。あの人は……私達の敵じゃないんだよ」

そう、まどかももう悟っていた。ジェイド・ロスはバイドと化した。そして恐るべき敵として地球に迫っている。

けれど、ロスの意識はまだ残っている。説得する余地は、必ずあるはずなのだ。

「まさか、あのバイド相手に能力が発動したのかい?」

「うん。最初は分からなかったけど、今なら分かる。あの人は、ジェイド・ロスは……地球に、帰りたかっただけなんだ」

「ジェイド・ロス……だって?」

キュゥべえの声に、純粋な驚愕の色が混ざる。その名前は知っている。知らないはずがない。地球を旅立ち、未だ帰らざる英雄である。

まさか、本当にその英雄がバイドと化していたとしたら。その意思、指揮能力を保ったまま戦闘を続けているのだとしたら。

 

「確かに、そう考えれば納得もできる」

「私は、ロスさんを止めたいんだ。きっとわかってくれる。こんな戦いなんて、する必要はないはずだよっ!」

決意の言葉を言い切って、まどかが大きく息を吐き出した。

僅かな沈黙、そして。

「わかった、すぐに迎えを寄越す。家で待っていてくれるかい?」

根負けしたかのように、半ば諦め気味にキュゥべえは答えるのだった。

「ありがとう、キュゥべえ」

 

「まどかっ、そろそろシェルターに避難するよ。準備はできてるかっ!」

通信を終えて、静かに目を伏せたまどか。その部屋の中に、詢子が声と同時に飛び込んできた。その背には、一通りの貴重品や着替えを納めたバッグを背負って。

どうやら本格的に避難が開始となったらしい。こういう時の詢子の行動の速さを、まどかはよく知っていた。

だからこそ、今言うしかない。まどかは、詢子の顔を真っ直ぐに見つめると。

「ごめん、ママ。私……行けないよ。ここに居なくちゃいけないんだ」

 

「何バカなこと言ってんだっ!!」

避難の用意を済ませて、バッグとまだ幼い息子のタツヤを抱えてまどかの父、知久は二人を待っていた。

けれども聞こえてきたのは詢子の怒声で、何かあったのだろうかと慌てて部屋に駆け込んだ。

「何か、あったのかい?まどか、ママ?」

知久が見たものは、まどかの両肩を掴んだ詢子の姿。

「……まどかが、ここに残るって言ったのさ」

二人をちらと一瞥して、詢子は再びまどかに視線を移して。

「ママ、ちょっと落ち着こう。まどかも、どうしてここに残りたいんだい?」

「ねーちゃ、ママー、けんかしてるー?」

問い詰めるような雰囲気ではなくて、詢子はまどかの肩から手を離して。それから、一度顔に手を当てて、髪をがしっとかきあげて。

「向こうで話そう、まどか。今回ばかりは、ちゃんと聞かせてもらうぞ」

まどかも、小さくそれに頷いた。

 

物も大分整理され、少し殺風景なリビングで。テーブルを囲んで座る四人。落ち着いて話せるようにと、知久が紅茶を淹れていた。

青リンゴのような匂いがリビングを満たして、どこか気分が落ち着くような気がした。タツヤだけは、甘めに仕立てたホットミルクを嬉しそうに飲んでいた。

「さあ、聞かせてもらうぞ。まどか。……もしかして、魔法少女とかって奴の関係なのか?」

そう、詢子だけはまどかからその存在を、まどかがそれに関わってしまったことを知らされていた。恐らくそれが理由なのだろうとは思っていたが、それでもまどかが残ることには納得が出来なかった。

「ゆっくりで良いから、話してごらんよ。まどか」

聞きなれない、そしてどうにもこの場にはそぐわないその単語に、少し不思議そうな顔の知久。そして、真っ直ぐまどかを見つめる詢子。そしてタツヤ。

三人の顔をかわるがわる見つめて、まどかはついに口を開いた。

 

「……確かに、その関係のことなんだ。私、行かなきゃいけないところがあるんだ。そこに行くために、もうすぐここに迎えが来るんだ」

「それは、絶対にお前じゃなくちゃ駄目なのか?危険な事なんだろ?」

「……うん、私でないと駄目なんだ。今、私が行かなきゃ駄目なんだよ」

ぎり、と歯噛みする音が聞こえたような気がした。だん、と強くテーブルを叩いて、詢子は身を乗り出した。

「っざけんなっ!!そんな勝手やらかして、周りがどれだけ心配すると思ってんだ!」

「ママ、落ち着いて。……だけどね、まどか。今回はパパもママと同じ意見だよ。危険だと分かってるところに、大事な大事なまどかを送り出すことなんてできない。まどか一人の命じゃないんだ。……それでも、どうしても行かなくちゃいけないのかい?」

そんな詢子を制して、知久が言う。その瞳には、何時もの優しげな光とともに、厳しげな視線も混じっていた。

 

「わかってるよ、みんながどれだけ心配するかってことも、私一人の命じゃないってことも。でも、やっぱり行かなくちゃいけないんだ。もっと沢山の命を、大切な人を、守るために。 これは……私にしか出来ないことなんだ」

二人の視線を真っ直ぐに受け止めて、それでもまどかの視線と決意は揺るがない。そこにはもう、自分に自身を持てない、弱気な少女の顔はない。

一人の人間として、自分のできることを、やらなければならないことをしっかりと自覚して。まどかは、言葉と同時に強い意志の光をもつ瞳で、二人をじっと見つめていた。

「今行かなかったら、行けなかったら。きっと私は一生後悔する。今じゃなくちゃ駄目なの。ママ、パパ。お願い……信じて」

「……なんで、そんな顔してそんなこと言うんだよ。子供の言う事じゃないだろ……そんなのっ」

詢子の声は震えていた。

「ママ、泣いてるー……?」

タツヤの声で、詢子は自分が泣いている事に気がついた。親として、止めなければいけないのに。行かせてはいけないのに。

止められないことを悟ってしまったから、もう逢えなくなる気がして、悲しくて。

 

「ママ……」

まどかも、詢子のこんな姿を見るのは初めてだった。どこまでも、どこまでも強い人だと思っていたから。どんなことでも受け止めて、前向きに突き進んでいける人だと思っていたから。

その詢子が、自分のために泣いてくれている。愛されているんだと、その愛の大きさを、深さを知った。

「ママ。……僕達の知らない内に、まどかは随分と大人になっていたんだね」

そんな詢子の肩に手を置いて、知久はまどかに優しく問いかける。

「誰かに、騙されたりはしていないんだね?」

まどかは、静かに頷いた。

「本当に危なくなったら、すぐに逃げるんだよ」

もう一度、小さく頷いて。

「……必ず、帰ってくるんだよ」

それは、知久もまどかの言葉を認めた瞬間で。

 

「うん。ありがとう。パパ、ママ、タツヤ」

まどかは、零れ出しそうになる涙を堪えて笑った。

 

「じゃあ、パパ達はシェルターに避難しているから。本当に危なくなったら、絶対にまどかも避難するんだよ」

タツヤと荷物を抱えて、知久が家の扉を開いた。外にはもう、避難を始める人々の列が出来ていた。

「ねーちゃ、ねーちゃっ!」

縋るように呼びかけるタツヤの側に近づいて。

「大丈夫。必ずまた逢えるから」

まどかは、その小さな手をぎゅっと握った。それがとても尊くて、守らなければいけないものだと感じた。

 

「待ってるからな、まどか」

言葉と同時に、詢子は手を上げた。まどかもそれに応じて手を上げて、手と手を軽く合わせて打ち鳴らす。ハイタッチ。出かけるときの、朝のしばしの別れの時の、何時もの家族の習慣だった。

知久も、なんとか塞がった両手を上げて、まどかのその手とあわせて打った。

そして人ごみの雑踏の中に消えていく家族の姿を、まどかは静かに見送っていた。

 

 

 

 

「キュゥべえ、ちょっといいかしら」

誰もいないブリッジへ、マミが訪れ声をかける。その声に応えて、キュゥべえの姿がブリッジに現れた。

「どうしたんだい、マミ」

相変わらずの無表情。それに向かって、マミはにっこりと笑うと。

「艦を出してちょうだい。今すぐによ」

「そんなこと、できるわけないじゃないか。ボク達の出撃する順番はまだまだずっと先だよ」

内心では、そんな順番は来ることはないだろうけど、と呟きながらキュゥべえは。

「無理でもなんでも、今すぐ出してもらうわよ。この状況、黙って見ているなんてできないもの」

マミの笑みは消えない。一体どこにそんな余裕があるというのか。訝しがりながらも、半ば呆れ気味にキュゥべえは言う。

「気持ちは分かるけど、無理な話だ。マミ、キミはもっと落ち着きのある人間だと思っていたんだけどな」

「この状況で落ち着けって言うほうが、よっぽど無理な話よ?」

その笑みをより深めて、キュゥべえに顔を近づけて。

「……特に、佐倉さんにとってはね。今すぐ艦を出さないと、大変なことになるわよ」

 

「そーゆこった、こっちはもうすぐにでも出撃したくてうずうずしてるんだ」

ブリッジへ、杏子からの通信が入ってくる。その発信源は、格納庫内のキングス・マインド。既に杏子は機体へ搭乗を済ませていたのだ。

杏子が魔法少女ではないが故に、キュゥべえにもその行動を抑えることはできなかった。

「あんたがこのままあたしらを閉じ込めておくつもりなら、こっちにも考えがあるぜ。格納庫ブチ破って、あたし一人だけでも出撃してやる」

そう、その機体はもう既に発進の準備を済ませている。後は波動砲でも一発撃てば、格納庫の壁を食い破ることくらいは容易にできてしまうのだ。

「正気かい?杏子、そんなことをして、ただで済むわけがないじゃないか」

驚愕の表情を浮かべてキュゥべえが問う。けれど、帰ってくる声はどこか楽しげで。

「知ってるさ。だがこのままだとあんたもただじゃ済まないぜ?……お互い痛い目見たくなかったら、さっさと艦を出しな」

「バカげてるよ。たかだか輸送船一隻程度の戦力で、一体何が変わるって言うんだい」

 

「変えるんだよ、あたし達みんなでさ」

気付けばブリッジには更に人の姿。

「それだけの力を、私達は持っている」

さやかとほむらが立っていて。

「さやかにほむらまで……なんといわれても、これだけは駄目だ。キミ達を今行かせる訳には行かない。杏子も、今は抑えるんだ」

存外に、キュゥべえのその意志は固い。そんな様子に、マミは一つ諦めたように息を吐き出し、そして。

「仕方ないわね。……じゃあ、勝手にやらせてもらうわ」

言うや否や、三人はブリッジの各所へと歩いていく。ほむらは操舵、さやかがその補助を、そしてマミが手早く遠隔操作で艦のエンジンに火を入れ、離陸シークエンスを開始し始める。

 

「本当に三人だけで動かすつもりかい?そもそもそんなこと、ボクが黙ってみていると――。なんだ――干渉、いや――妨害……っ」

途中でその声が途切れる、そしてその姿にもノイズが混じり、やがて掻き消える。そして、それと同時に通信が入ってきた。

「指示された回線とのリンクのカットを行いました。……これでよろしいですか?」

それは、基地のオペレーターの声で。

「ええ、十分よ。すぐに発進するから。出来れば進路を空けてもらいたいのだけど」

全ては予め計画されていたことだった。秘密裏に基地と接触を図り、出撃させて欲しいという意図は伝えておいた。

どうやら基地側でも、有数の戦力を持つこの艦がこの期に及んで動かないことを不信に思っていたらしく、割とあっさりとその要望は聞き届けられることとなった。

当然キュゥべえはそれを止めるだろうから、一時的にでもその干渉を退ける必要があった。その為、基地の設備を使って強制的に、キュゥべえがこの艦へと干渉するための回線をカットしたのだ。

恐らくすぐに別の回線から戻っては来るだろうが、それでも出撃するまでの時間は十分に稼ぐことはできるだろう。

 

「了解。こちらで指示を出します。それに従い発進してください」

「……だ、そうよ。いけるかしら……さやか、ほむら」

この時、マミは初めて二人を名前で呼んだ。マミだけが、どこかしら皆と距離を感じていたから。一人だけ、違うと考えてしまっていたから。

他の三人があれだけ仲良くしていれば、それも仕方ないのかもしれないけれど。そんな思いすら振り切って、ようやくそう呼ぶことが出来たのだ。

「マミさん……ええ、勿論行けますよっ!」

「ええ、なんとか動かすくらいはできそうよ。マミ」

それを知って、二人も力強く答えた。

「おっと、あたしも忘れんなよ?」

一人だけ仲間外れか、と冗談めかして不服そうな杏子の声。

「ふふ、そうだったわね。……ばっちり決めるわよ、杏子っ!」

「当ったり前だっ!!」

 

「敵の予測降下位置のデータを送信しました。それに従って進んでください。進路クリア。ティー・パーティー、発進どうぞ!」

オペレーターの声。三人が一度顔を見合わせて。

「座標軸固定、エンジン出力上昇、航行補助システム、正常稼働中」

ほむらが艦の発進準備が整ったことを淡々と知らせる。

「うわ、なんか今の本格的に軍人っぽい。格好いい。……こっちも、色々もろもろスタンバイ完了!いつでも行けるよ。艦長っ!」

そんな姿を羨みながら、自分にはそれは出来ないと理解。あくまで自分らしく、ちょっぴり冗談を混ぜてさやかが言う。

「艦長、って。……ふふ。それもいいかもしれないわね。それじゃあ……ティー・パーティー、イグニッション!!」

ティー・パーティーの艦体が浮上する。ゆっくりとその身を空に浮べ、高度を取り。そして本格的にその機関に火が入る。波動エンジンから湧き上がる膨大な波動の粒子が、背部のブースターへと熱を伝える。

光が吐き出され、絡みつく重力を食い破るための力と変わる。

 

そしてティー・パーティーは動き出す。

少女達の運命を乗せて、今。

 

 

 

 

 

南半球、オーストラリア大陸。

この大陸の南端部分へと降下したバイド艦隊は、大陸北部に位置する南半球第一基地を目指し、進軍を開始した。

地球上の各部隊は連携を取り合い、彼らに激しい攻撃を繰り返した。戦いの度に傷つき、その戦力を損ないながら。それでもついに彼らは辿りついたのだ。

南半球における、地球軍の拠点とも言うべき南半球第一基地。その基地を擁する、高層ビル群が立ち並ぶ湾岸都市へと。

都市を守る部隊を蹴散らし、さほどの抵抗もなく彼らは都市部へと侵攻したのであった。人々は皆シェルターに避難を済ませている。誰もいない街並み、そしてその営みの残骸を眺めようとする間もなく、更なる敵が襲来した。

地球軍の部隊は、都市部を囲むように展開を進めていた。地球上に残存する戦力の約半数をそこに配置し、待機している。都市部を占拠され、大量の市民がそこに居る以上。攻撃をするのは躊躇われるはずだったのだが。

 

「全部隊に通達。現時点を持って、敵バイド艦隊を最優先破壊対象と認定。……都市部を占拠するバイド艦隊への、艦砲射撃を許可する。どんな犠牲を払っても構わない。奴らを、破壊せよ」

非常な命令が、下された。

 

 

一体これはどういうことなのだろう。我々は、ついにこの地球へと帰ってきた。どこまでも追い縋る地球軍の艦隊を打ち倒し、ついにこの基地のある都市へと戻って来たのだ

だというのに、我々を出迎えてくれる人は誰もいない。都市は不気味に静まり返り、人々の営みの跡だけが残されている。

なんにせよ、地球軍も都市に砲撃を仕掛けるようなことはないだろう。今しばらくはここで身を休め、基地の設備を使って何とか知らせることにしよう。

――我々の、帰還を。

 

っ!?艦が激しく揺れる。

なんということだろう。地球軍の戦艦が、こちらへ向けて砲撃を開始したのだ。我々を、都市ごと焼き払おうというつもりなのだろうか。許されることではない。止めなければならない。

撃って出よう。これ以上ここに留まれば、都市部への被害は広がるだけだ。

 

 

 

「……まさか、キミたちがここまで用意周到だったとはね」

三人だけのブリッジで、慌しく艦を操作している中へ。予備の回線を使って、ようやくキュゥべえが現れた。

「あら、お帰り。キュゥべえ」

しれっとした顔で、事も無げに言うマミ。さやかとほむらも、それを一瞥して。

「私達もそろそろ出撃の準備をしたいの。キュゥべえ。艦の操縦、代わって貰える?」

「………キミのその行動力にはびっくりだよ。本当に。もう何があっても知らないよ。仕方ない……後は任せるといい」

どことなく疲れたような表情で、諦め混じりの声で言う。その言葉を聞くや否や、三人揃って艦を支える手を放り出し。

「じゃ、後よろしくっ!」

さやかは急ぎ足でブリッジを出て行く。ほむらも無言で、けれどどこか面白そうに笑って後に続く。

「……大丈夫よ、必ず皆で戻ってくるから」

優しく笑って、マミもブリッジを後にした。残されたキュゥべえは、再び艦にその手を巡らせた。このままこっそりと戻るという選択もできなくはない。

けれど、向こうにはまだ杏子もいる。

「仕方ないな。まったく……頼んだよ」

そして再び、先ほどよりかは幾分か安定した調子でティー・パーティーは動き出した。

 

戦闘は激化していた。

全方位から浴びせかけられる艦砲射撃。闇雲に前進すれば蜂の巣だ。高層ビルを盾にして、少しずつ敵の数を減らしていく。

業を煮やして前進してきた敵の部隊に、亜空間機で奇襲をかけた。敵に手痛い打撃を与え、撤退する敵を追討。その勢いを持って敵の包囲網の突破を図る。

巨大な生物兵器を全面に押し出し、その後ろから戦闘機群を前進させる。ある程度まで接近してしまえば、誤射を恐れて艦砲射撃の脅威は減じる。

とにかく一点を突破し敵を分断、その後各個撃破を図った。

 

たちまち前方で乱戦が始まる。だが問題はない。地球軍は統率の取れた動きは得意なのだろう。だが、R戦闘機同士の乱戦の経験は余りないようだった。

それに引き換え、こちらはバイドとの乱戦を山ほど経験してきたのだ。負けるはずがない。

各自の判断で戦闘を行うよう指示し、私も艦を前進させた。

 

「っ……随分酷いね、街がめちゃくちゃだ」

機体のコクピットに、現在の都市部の状況が映し出される。そのほとんどが地球軍の砲撃によるものであるとは知らず、さやかが歯噛みする。

「戦闘はまだ続いてる。相当押されているみたいね」

既に都市部の包囲網は破られ、各所で乱戦が始まっていた。更に敵の中央突破を許してしまっており、後方で待機する部隊までもが攻撃に晒されている。

最早一刻の猶予もない。ほむらはそう判断した。

「戦闘経過の略歴を見たけど、それだけでも相手の手強さが分かるわ。……油断せず行きましょう」

砲台を搭載し、戦闘形態をとったババ・ヤガー。そのコクピットの中で、マミは各機に通信を送る。

「待ちくたびれたぜ。……ああ、これ以上やらせるもんかよ」

赤い機体に力を漲らせ、杏子もまた戦場を見据えて言う。

 

「各機発進、そのまま後方の部隊に攻撃を仕掛けるバイドを一掃するわ。ティー・パーティーはそのままその部隊と合流。中央の敵部隊を押し返すわよっ!」

最早すっかり部隊のリーダーが板についたマミの声が飛ぶ。

「「「了解っ!!」」」

声が三つ、重なって返る。

「キュゥべえ、進路は?」

「問題ないよ、発進してくれ」

僅かな間が空いて、そして。

 

 

「各機出撃!」

その号令と共に、四つの光がティー・パーティーより飛び出した。

 

 

ラグナロックⅡ、レオⅡ、キングス・マインド。その三機が、前方に広がる戦場。その光の渦の中へと飛び込んでいく。

敵も味方もあちこちに散らばって、迂闊な攻撃は誤射にも繋がる。後方の艦隊に群がる敵を早々に排除した三人は、更に奥。乱戦の広がる前線までも到達した。

「こっちは前線に到着した、後は手はず通り頼むぜ、マミっ!」

杏子が言葉と共に編隊を離脱。同時にデコイ波動砲のチャージを開始する。

「任せておいて。杏子、そっちも頼むわよっ!」

その通信を受け取ったマミのババ・ヤガーは遥か後方。水平線の上に辛うじて戦場を捉えるような位置で待機していた。

「私達も、このまま前線を押し返すわ。各機、誤射には気をつけて」

新たに迫る敵機に反応し、その機首をこちらに向けた異形の戦闘機。ジギタリウスと呼ばれたそれを迷うことなくスルーレーザーで引き千切り、ほむらは戦場の最中へと飛び込んで行った。

 

「レオⅡは攻撃範囲が広いから、誤射には気をつけないとねっ」

レオⅡの持つ光学兵器は圧倒的な制圧力を誇る。それはすなわち誤射の危険性も高いということで。元より、敵味方が入り混じっての乱戦向きの機体ではないのかもしれない。

だが、レオの武装はそれだけではない。

「行けっ!サイビットっ!!」

前方に迫る敵機に向けて、すれ違いざまに波動砲を叩き込む。それと同時に打ち出されたサイ・ビットが、友軍機を追い回していた敵機を叩き落した。

サイビット・サイファには、敵を識別する能力がある。それ故に、乱戦においてもレオⅡはその威力を損ねることはなかったのだ。

「何だ…今のは。誰が撃った!?」

背後に付かれた敵を振り切れず、このまま撃墜を待つばかりであったそのR戦闘機のパイロットは、突然撃墜された敵機と、それを撃ち落した謎の攻撃に対する疑問を回線上にぶちまけた。

 

「――援軍、よ」

「何……たった三機で、か?」

「ええ、奴らを倒すには……十分すぎる数よ――それに、三機だけじゃない」

通信を交わしながら、ほむらは接近する敵機に意識を向ける。三機。こちらを取り囲むように接近してくる。

やはりこの乱戦の最中にあっても、敵は組織だった、そして明確な戦術を持って攻撃を仕掛けてくる。もちろん厄介ではあるが、所詮はそれだけだ。

三機の敵が同時に放ったレーザーの隙間をすり抜けながら、フォースを背後に付け替える。そして敵機とすれ違うと同時に、スプラッシュレーザーを叩き込んだ。

光と同時に炸裂が巻き起こり、三機の内二機を撃墜する。もう一機も被弾し、高度が落ちる。それを打ち出されたサイクロン・フォースが叩き落した。

僅か一瞬の間に三機撃墜である。さやかもサイビットを駆使し、広域の敵に同時に打撃を与えていく。

 

そんな最中、杏子は六機のデコイ全てを散開させ、敵陣の奥へと侵攻させる。デコイはっ所詮オートパイロット、敵に敵うはずもなく次々に撃ち落されていく。

しかし、その散り際の炸裂が敵を巻き込み消滅させる。それでも六機の内の一機は、後方に位置する前線部隊の旗艦。無数の肉塊で構成された生物兵器である、ベルメイトの姿を捉えたていた。

「見つけた、敵のデカブツだっ!……座標を送る、後頼むっ、マミっ!」

ベルメイトが打ち出す衝撃波が、デコイの最後の一機を破壊する。その直前に、ベルメイトの位置座標が後方で待機するババ・ヤガーへと送信された。

 

「データリンク完了。光学望遠起動。――ターゲット、ロックオン」

すぐさま指定座標を光学望遠で捉え、その敵の姿を確認する。位置を知られたとあって、すぐさま場所を変えるつもりなのだろう。移動を始めるベルメイトだったが。既にその姿はババ・ヤガーのサイトの中であった。

すでに、超絶圧縮波動砲には限界までエネルギーがチャージされている。

ババ・ヤガーがガンナーズ・ブルームと比して改良された点。それは従来の機体同様、波動エネルギーの最大チャージでの保持が可能となったことである。

煩雑な発射シークエンスを必要としていたガンナーズ・ブルームと異なり、ババ・ヤガーは予めチャージを済ませておけば、後は即座に発射することができる。浪漫的要素と引き換えに、兵器としての有効性は更に高められていた。

「射線上の全友軍機の退避を確認。さあ、切り開かせて貰うわよ。――ティロ・フィナーレっ!」

そして、閃光が放たれる。

空を切り裂き海を灼き、破壊が散らばる戦場を、更に圧倒的な破壊と光で食い破り。避難する間もなく射線上の敵機が蒸発。避難したはずの友軍機ですら、光に煽られ吹き飛ばされた。

それほどの威力を持った超絶圧縮波動砲の光が、後方で待機したベルメイトを貫いた。全身を盾の様に覆う肉塊を一瞬で炭化させ、その奥にある本体さえも貫き、焼き払う。

駆け抜ける閃光と、それに一瞬遅れて巻き起こる数珠状の炸裂。ベルメイトもまた消失し、前線の拠点たる旗艦を失い、敵軍の動きに乱れが生じた。

「……敵艦の撃墜を確認。砲身を冷却しつつ、次の狙撃ポイントへ移るわ。後始末を、お願いね」

随伴する戦艦にそう告げて、蒸気を吐き出す砲身を抱えてマミは移動を開始する。今の一撃で、恐らくこちらの位置は知られたことだろう。だからこそ、後始末はしっかりとすませなければならないのだ。

 

両翼の部隊は敵の艦隊を適度に相手にしつつ、じりじりと後退していく。その隙に敵陣の中央を突破し、敵両翼部隊を挟撃。更に後方の艦隊も同時に攻撃する。

予想したとおりに戦況は進み、後方の艦隊への攻撃も開始され、敵陣の中央もほぼ総崩れとなった。

このまま押し切れるかと思っていた、だが、唐突に戦況は一変する。後方の艦隊を攻撃していた部隊が、一瞬で全滅させられたのだ。何が起こったというのか。更にこちらが優勢であったはずの前線までもが押し返されようかとしている。

仕方なく、こちらも攻撃を支援させるため、前線部隊の旗艦を前進させようとした。その時だ。眩い光が空を貫き、こちらの艦を一撃で撃沈させたのだ。

一体何が起こったのか。敵の新兵器だろうか。完全に索敵範囲外からの、更に戦艦を一撃で撃沈しうるほどの威力の兵器。周囲に波動粒子が残留していることから、恐らく波動砲の類であろうことは予測できた。

こんなものを撃ち続けられれば、戦線を維持することなどできようはずもない。

まずは敵の正体を確かめなければならない。私は艦を護衛していた一部隊を亜空間へと突入させ、敵波動兵器の索敵及び破壊を命じた。

 

 

「……再度発射可能になるまで3分。そろそろ、敵も来る頃かしら」

次の狙撃ポイントへと移動を済ませ、後始末を任せた戦艦が待機しているであろう空域へと視線を廻らせる。上手く行くはずだ。と自分に言い聞かせて、マミは次の攻撃目標の報告を待ち続けた。

 

亜空間に突入した敵機は、高度を取り戦場を迂回した。そうして敵に気取られることなく、敵波動兵器があるであろう空域へと接近していた。だが、突如としてその空間が炸裂する。

通常空間での攻撃は、亜空間に影響を及ぼすことは一切ない。けれどその一撃は、通常空間に一切影響を及ぼすことなく、亜空間に存在するもののみを打ち砕いた。

 

マミが後始末のために残した戦艦、フレースヴェルグ級と呼ばれるその戦艦は、亜空間バスターが的確に効果を発揮し、迫る敵が全滅したことを確認した。

亜空間バスター。それは通常兵器、波動兵器すらも一切影響を及ぼすことの出来ない亜空間に対して、唯一影響を及ぼすことのできる兵器であった。

ただそれも、亜空間に存在する敵を認識することが出来ない以上、ある程度当たりをつけて放つか、数を集めて薙ぎ払う用途でしか使用出来ないものだった。

それを変えたのが、この艦に随伴する機体。早期警戒機の発展系である、R-9E2――アウル・ライトだった。常時展開できるものではないが、広域に亜空間潜行している機体を索敵可能な亜空間ソナーをこの機体は備えていた。

亜空間ソナー、そして亜空間バスターの二つを用いることで、亜空間から攻め寄る敵に対して十分に有効な対抗手段を既に人類は持ちえていたのである

前線を掻い潜りこちらの動きを探るには、亜空間機を使うより他に術はない。亜空間機といえど、場所と座標さえ分かってしまえば、最早その迎撃は不可能ではなくなっていたのだ。

ババ・ヤガー、そして亜空間バスター及び亜空間ソナー。この三つの兵器の連携によって、前線が崩壊しない限りは超絶圧縮波動砲による狙撃を続けることができる。

マミはこの連携に、ピットアンブッシュという作戦名をつけていた。

「さあ、この調子で一気に押し返すわよっ!」

超絶圧縮波動砲のチャージを再開し、マミは尚続く戦場に意識を集中させた。

 

亜空間に突入させた機体からの信号が途絶えた。亜空間より出ることなくそれが消失したところを見るに、亜空間バスターによる攻撃だろう。

厄介なことになった。

遥か後方から攻撃可能な波動兵器に、それを守る亜空間バスター。亜空間を経由しなければ前線を通過することは出来ないが、亜空間に留まっていては狙い撃ちにされる。

途中で亜空間を脱出したところで、敵の制空権下でどれだけこちらの機体が動けるだろうか。状況は最悪に近いといえるだろう。

こちらも切り札を切ることにしよう。

後方で待機させていたアーサーの部隊を出撃させ、同じく亜空間を経由して、敵後方の兵器の索敵と攻撃を任せた。きっと、アーサーならば上手くやってくれることだろう。

 

前線における乱戦は、ほぼ決着が着きつつあった。旗艦を失い、浮き足立った敵の部隊を数で勝る地球軍がじりじりと追い詰めていく。中でもやはり、さやか達三人の活躍は目覚しかった。

無数の機体と攻撃が行き交う戦場で、まるで何の制約もないかのように自由に飛び交い、すれ違う敵を叩き落していくほむら。

デコイの編隊で敵を翻弄し、ある程度まとまったところで一斉射撃。そして撃破、ある程度前線の敵の密度が低下したことを確認し、杏子は前線を離れる。後方で待機する敵艦を索敵するため、再びデコイ波動砲のチャージを開始した。

レオⅡが一気に前線を突き抜ける。降り来る大量のレーザーを掻い潜り、追い縋るのは敵ばかり。宙返りするかのように機体を廻らせ、背後の敵へと機首を向け。ついにレオⅡが誇る光学兵器、リフレクトレーザー改がその本領を発揮した。

一筋放たれる大型レーザーに加え、同時に放たれる反射レーザー。陸に敵に、そして建築物にも反射して、その軌道上に数珠状に爆発を巻き起こしていく。

その性質自体は通常の反射レーザーと大差ないものの、圧倒的出力を持つリフレクトレーザー改はまさしく圧倒的な破壊を、その空間へとばら撒いていた。

「このままなら、いける……勝てるよ、あたし達っ!」

もうじき敵の前線は崩壊するだろう。そうすればこの戦いの大勢はほぼ決する。

勝利は目前、そう思われた。

「マミ、敵のボルド級を見つけた。やけにでかい。撃てるか?……マミ、おい、マミっ!?」

敵の戦艦であるボルド、それもやけに巨大なそれを発見し、杏子がマミへと通信を送る。しかし、その返事はなかった。

 

「……っ、何なの、あれは」

狙撃ポイント付近の建築物の陰に身を隠し、マミはそれを見ていた。それは、亜空間から現れた。亜空間バスターが放たれる直前に現れたその機体は、一瞬でアウル・ライトを撃破。

フレースヴェルグ級から放たれた迎撃用のミサイルをこともなく掻い潜り、そのブリッジを機体から生えた植物の蔦の様なもので串刺しにした。

主要部を潰され、艦としての戦闘力を失ったフレースヴェルグ級には目もくれずその機体は周囲を探るかの様に飛び交い、やがて再び亜空間へと消えていった。

恐らく、杏子との通信を繋いでいればそれを察知されて居ただろう。余りに迅速で、余りに的確な一撃。まさしく亜空間からの強襲とでも言うべき一撃だった。

「あんなのをまともに相手にしていたら……とてもじゃないけど太刀打ちできないわね」

声が震えた。あの一瞬だけでも、勝てないと悟る。この鈍重な機体では無理だ。否、たとえ砲身をパージしたとしても無理だろう。そんな敵が、これからもこちらに追い縋ってくるというのか。

そう考えると、恐怖で身が震えるのをマミは感じた。

「……なんて、何を恐れていたのかしらね。一度死んだ身よ。恐れる必要なんて、ない。私は……やるべきことをやるだけだもの」

少なくとも今は、先ほどの敵の気配ない。それを確認して、マミは杏子の通信に答えた。

 

「ごめんなさい、杏子。遅れたわね」

「っ、マミ……無事なのか?」

「随行していた艦はやられたけど、私はまだ大丈夫よ。ボルド級……は多分もう移動してるでしょうね。次の目標を教えて」

ひとまず、マミが無事だったことに安堵した。そして再び、杏子は敵艦の索敵へと動き出すのだった。

 

アーサーが敵艦の破壊に成功したようだ。しかし、敵の波動兵器らしきものは確認できなかったという。どういうことなのだろうか。

引き続きアーサーには亜空間から周辺空域の索敵を命じた。

いよいよ敵軍は前線を突破し、都市内部へと迫っていた。都市内部は無数の高層ビルやその残骸で入り組んでおり、どちらの部隊も大型艦を自由に動かすことは困難だった。

自然と、都市内部での戦いはR戦闘機同士の空戦となる。そうなれば、こちらにもまだ分はあると思っていたのだが。

敵戦闘機部隊の中に、どうやらかなり腕のいいパイロットが混ざっているようだ。こちらの部隊は押されに押されている。気がつけば、敵部隊は都市部中央、我々の本隊のある位置にまで迫っていた。

……窮地ではあるが、いい頃合だろう。私は、もう一つの部隊へと攻撃開始の指示を出した。

 

都市部を大きく離れて後方、地球軍の艦隊が待機している。ティー・パーティーもその隊列に加わり、その白い艦隊を晒していた。そしてその只中に、もっとも大きく見える戦艦。地球軍の旗艦にして最強の新造艦、ニブルヘイム級の姿があった。

「多少てこずった様だが、これで終わりだろうな。流石に奴らもこれ以上の抵抗は出来まい」

戦局は完全に地球軍側へと傾いている。局地的には苦戦を強いられているところもあるが、それも直に数で押し切ることができるだろう。ようやく、この苦しい戦いにも終止符が打てる、と。

わずかばかりの安堵と、その先の事を思うと感じる暗澹たる不安。その二つが混ぜ合わさったような思いを抱きながら、ニブルヘイム級の艦長はそう言葉を放った。

 

だが、その直後。

 

「高エネルギー反応、急速接近っ!方角は……なっ!?」

オペレーターからの報告が、驚愕によって打ち切られる。勿論それはすぐさま告げられる。絶望を持って。

「真下ですっ!!」

「何ぃっ!?」

直後、艦隊の真下から無数の閃光が迸る。地中より放たれたそれは、地表を食い破り、待機していた艦隊を襲った。

艦が激しく揺れる。どうやら撃沈の憂き目は避けたようだが。一体何が起こったというのだ。各部に通達し、ダメージコントロールと状況確認を急がせる。

並び立っていた艦もまた大きなダメージを受け、その内一機は完全に機関部をやられて轟沈。爆炎を巻き上げながら沈んでいった。

 

ゲインズ隊による敵部隊への奇襲は成功したようだ。この湾岸都市には、広大な地下空間が広がっている。都市の一部として活用されるのみならず、軍事施設として使われていた区画もあるのだという。

都市部を占拠した最中、その構造図を入手できたのは僥倖だった。敵艦隊が待機している地点まで、地下道を通って機動兵器部隊を侵攻させたのだ。まともに戦えば勝ち目は薄い。こういう奇襲に頼らざるを得ないのは心苦しいが、仕方のないことだろう。

現にゲインズ隊の一斉射撃で、敵の艦隊は甚大な被害を受けたようだ。この機を逃す手はない。引き続き機動兵器部隊に敵艦隊を攻撃するよう指示を出した。

 

都市部を駆けるR戦闘機部隊。敵の抵抗は最早ほとんど存在しない。このまま、敵の旗艦が居ると思われる都市中心部へと侵攻し、敵旗艦を撃墜する。そうすれば恐らくこの戦いは終わる。

敵に優秀な指揮官がいるというのであれば、それさえ討てば終わるはずなのだ。

――だが、しかし。

 

「さやか、杏子、ほむら。聞こえるかい」

ノイズ交じりに、焦りを孕んだキュゥべえの声が聞こえてくる。

「こんな時になんだってんだ、キュゥべえっ!」

こんな時になんだ、と半ば叫ぶように杏子が答えた。

「今すぐ戻ってくれ。大変なんだ」

続けて伝えられた言葉は、やはり驚愕するに値する言葉で。今まで見たこともないほど焦りを浮かべたキュゥべえの声も、またその焦燥を煽るものだった。

「後方の艦隊が奇襲を受けた。このままじゃ全滅するかもしれない。そうなったら、艦と一緒にキミたちの身体まで消滅してしまう。マミにも知らせてある。キミ達もすぐに戻って。でないと……」

声は途中で雑音にかき消された。まさか、と嫌な想像が三人の胸に去来する。

 

「戻らないと、やばいな。こりゃあ」

すぐさま機体を翻す杏子。

「一体何だって後ろの艦隊が奇襲されてんのよ!ったく、あたしの身体に何かあったら、承知しないからねっ!!」

それに続き、機体を走らせるさやか。共に続いた機体達も、自軍の旗艦に迫る危機を悟ったのだろう。すぐさま踵を返して救援に向かう。

だが、その退路を断つかのように敵の部隊は迫っていた。

「くそ……こんな時にっ!!」

「邪魔、するなぁぁぁっ!!」

杏子とさやかが同時に吼える。そして敵に向かおうとしたその時に。

 

「各機、高度を限界まで下げてっ!」

ほむらの声が飛ぶ。半ば反射的に、続く全機が高度を下げた。そうして開けた空間を。ギガ波動砲がなぎ払っていった。

フルチャージには程遠い。それでも未だかつてないほどの威力を伴って放たれた一撃は、立ち塞がる敵軍を薙ぎ払い、障害物として立ちはだかるビル群さえもぶち抜いていた。

「道は出来た。敵も払った。……駆け抜けるなら今、ね」

その威力に、驚くように動きを止めていた機体が動き出す。先を急ぎ、争うように駆け出していった。

「ほむら、あんたも早くっ!」

「……いいえ、私は残る」

脱出を急かすさやかに、ほむらは静かに答えた。

「な、何言ってんのほむらっ!急がないと……」

「急いでいるからこそよ。……殿は必要だもの」

そう、脱出途中での敵の追撃を防ぐために、ほむらは一人ここに踏みとどまろうというのだ。そして、追い縋る敵を討とうというのだ。

「いくらなんでも無茶だ。まだどれだけ敵が残ってるかわからないんだぞ!」

続けて杏子も叫ぶが、ほむらの意思は変わらない。

「……後は任せて。大丈夫、必ず戻るから」

 

「分かってんだろうな。……こんなとこで死にやがったら、全人類から恨まれるんだぜ」

「上等よ。これくらいできなくて、何が英雄かしら」

「ちゃっちゃと後ろの敵を片付けて、すぐ迎えに行くから。待ってなさいよ」

「それまで、敵が残っていてくれればいいけれどね」

後方に敵の反応。これ以上、悠長に話している余裕はない。

「……行こう」

「ああ」

そして、二つの光が去っていく。

 

それを追おうと、無数の気配が忍び寄る。追わせる訳にはいかない。ここを通させる訳にはいかない。

機体を廻らせ、立ちはだかるようにそこに立ち。

「通さない。この先へは……誰もっ!」

叫びと共に、ラグナロックⅡは波動の光を唸らせた。

 

そして空で、マミはついにそれと対峙していた。

後方の艦隊が地中からの攻撃を受けている。その報せを受けて、マミはババ・ヤガーの砲身を地中へと向けた。艦隊に被害を与えることなく、地中の敵を超絶圧縮波動砲で焼き払う。難しい仕事だが、出来ないはずはない。

波動兵器に加えて、タブロックによるミサイル攻撃までもが地中より始まっていた。艦隊には可能な限り高度を取るように伝え、超絶圧縮波動砲の照準を合わせた。

そこに、それは現れたのだった。亜空間から現れたその異形の機体は、先ほどアウル・ライトとフレースヴェルグ級を撃沈させたもの。超絶圧縮波動砲のトリガーを引くよりも僅かに早く、その機体から放たれた蔦がババ・ヤガーの砲身を貫いた。

砲身に溜め込まれた膨大なエネルギーが奔流となって溢れ出す。エネルギーが逆流し、ババ・ヤガーの機体そのものが弾け飛びそうになっていた。

「っ……砲身解放っ!!」

その敵機へ向けて撃ち放つように、砲身をパージし全力で離脱。その直後、内部で膨れ上がるエネルギーの圧力に耐え切れず、砲身が炸裂する。膨大な熱を辺りにばら撒き、大気さえも歪める熱気の中から再び、その敵機は襲い掛かってきた。

 

明確な死のイメージが、マミの脳裏に纏わり付く。乗り越えたはずの恐れが、堰を切った様にあふれ出てくる。それを振り払うように、機体を突き動かして敵を撃つ。

けれど、何一つとして届かない。まるで自分がどこに撃つのかが分かっているのかのように、ことごとく敵はこちらの攻撃を回避してくるのだ。

そして、回避と同時に痛烈な反撃を叩き込んでくる。撃てば撃つほど自分の機体が傷ついていく。それが何よりマミには恐ろしかった。

「このままじゃ、あいつには勝てない……わね」

こうしている間にも、今にもティー・パーティーが撃墜されるかもしれないのだ。そうなってしまえば、自分の身体を失ってしまうことになる。死ぬのも同じだ。なによりも、あの場所を失いたくない。そんな思いが強かった。

けれど、それだけに焦燥が身を焦がす。意識がぶれる。それでもマミは、迫る敵機へ照準を合わせた。

 

 

 

 

「……そろそろ、足止めも十分かしらね」

高層ビルの陰に身を寄せて、ほむらは呟いた。たった一機でどれだけの敵を相手にしてきたのだろうか。守るために、敵を一匹残らず掃討するという戦いは、ほむらにとって思いがけず大きな負担となっていた。

それを証明するかのように、ほむらのラグナロックⅡには無数の損傷が刻まれている。まだ致命的なものではないが、それでも決して軽くはないダメージが。

恐らく敵も、脱出した部隊の追討よりもほむらの方を脅威として認識したのだろう。やはり組織立った動きで包囲し攻撃を仕掛けてきた。それでもその包囲を破り、数十機以上の敵を打ち倒し。ようやく敵の攻撃を退けたのだった。

「普通に考えれば、ここで退くべきだけれど」

逆に考えれば、これは好機なのだ。これだけの部隊を送ってきたということは、敵本陣の守りは手薄になっているはず。今このまま進み、敵旗艦を打ち倒す。敵の司令部さえ落とせば、これほど苦戦するはずもないのだ。

「今が好機、と見るべきね。これは」

元来、単機で敵の中枢に突入しそれを討つ。これが、R戦闘機の本来の戦い方なのだ。そして、それができるだけの性能をラグナロックⅡは、暁美ほむらは持っている。

切り札はこの手の中にある。やれる。いや、やらなければならない。ほむらは傷だらけの機体を駆って、都市中枢部へと向かった。

 

英雄は帰還した。

けれど、誰もそれを迎えてはくれない。

向けられたのは敵意、そして無慈悲な波動の光。

戦い、戦い。そして戦い。

その果てに、今、英雄たちは出会った。

 

 

魔法少女隊R-TYPEs 第13話

        『英雄は再び』

          ―終―

 

 




【次回予告】

命を賭して、大切なものを守り抜こうとした少女達がいた。

「あたし達……勝ったんだよね?」

「……知るかよ」

そして、守られ、遺された少女達がいた。

それは勝利と言えるのだろうか。


「なんだ、これは。……どういうことだっ!?」

失ったものは、余りにも大きすぎた。


「なんとなく、そんな気はしてたんだ」

真実を知った者。


「私は、行くよ」

為すべきことを為す者。


「大丈夫、何があっても、絶対に送り届けるから」

そして、覚悟を決めた者。

生きるため、守るため、戦うために、遺された者達は再びその命を燃やす。


「……なんだ。結局、こうなっちゃうんだ」

そして――審判の時が来る。


次回、魔法少女隊R-TYPEs 第14話
           『沈む夕日』



全人類の悪夢は、まだ終わらない。


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第14話 ―沈む夕日―①

それは勝利と言えるのだろうか。戦いの空の果て、少女達は失ったものの重さを噛み締める。
それは追憶。災厄の翼舞う戦場で、彼女が放った最後の一撃の記憶。


「あたし達……勝ったんだよね」

ティー・パーティー内、格納庫。戦いに傷つき、そして収容された機体を眺めながら。

「……知るかよ」

呆然と呟いたさやかの言葉に、どこか投げやりに杏子は答えた。

「なんにせよ、これで終わりだよ。……こんな馬鹿げたことはもう終わりだ」

下手に口を開けば、そのまま嗚咽になってしまいそうで。ぎゅっと口許を引き締めたまま、漏らすようにそう言った。

ティー・パーティーの格納庫に並んでいるのは、レオⅡにキングス・マインド。その二機だけで、他には何も存在していない。

激しい戦場となっていた都市は既に遠く、ティー・パーティーは損傷の激しい艦と共に後方で待機することを余儀なくされていた。

ニヴルヘイム級を筆頭に、損傷の少ない艦を率いて、艦隊は都市中枢部へと向かっている。最早、敵部隊に脅威はない。そう判断して、一気に掃討を始めたのだ。

 

そう。敵部隊は既に組織的な抵抗力を失っている。

戦いは、既に終わっていたのだ。

 

ティー・パーティーの格納庫に、もう一つ新たな機影が現れた。

そこに居た二人は、一瞬だけ何かを期待するような目で見つめて、それがただのシャトルだと分かると、途端にその表情を落胆の色に染めた。

けれど、そのシャトルから降りてきたのは、二人にとって予想外の人物だった。

 

「……まど、か?」

さやかが、まるで信じられないものを見ているかのように、掠れた声を漏らす。

「お前、どうして……」

杏子もまた、その姿そこにあることが信じられない。いくら戦局は決したといえ、ここはまだ戦場なのだ。

「さやかちゃん、杏子ちゃんっ!!」

二人の姿を見るや否や、まどかは駆け寄り抱きついた。その手を大きく広げて、二人纏めて抱きかかえるように飛びついたのだ。

「よかった!二人とも……無事だったんだ。よかった……よかったよ……」

そのまま今にも泣き崩れそうになってしまうまどか。それを制して、身体を引き離して。杏子は問いかける。

「お前、何でこんなとこに来たんだ。ここはまだ戦場なんだぞ」

どちらかといえば、咎めるような色も強いその杏子の言葉を、まどかは真っ直ぐ受け止めて。決意を固めた、ともすれば気負いすぎているような表情で答える。

「分かってる。でも、私にもできることがあったから、ここに来たんだ」

「出来ること、って。……まどか、何するつもり?それに……それに」

戦いは、もう終わったのだと。その事実を告げることは、その事実を受け入れてしまうことは、さやかにはどうしてもできず、結局言葉を濁してしまうのだった。

 

「……戦いはもう、終わったんだ。敵の旗艦が墜ちた。これでもう敵はまともに抵抗できない。後はそれを掃討して終わりさ」

そんなさやかの苦悩を継いで、杏子がその事実を告げた。

「え……終わり、って?……嘘、そんな……っ」

「……一応、あたし達の勝ちってことだよ。まどか。正直、ちっともそんな気はしないんだけどさ」

力無く笑みを零して、さやかがまどかに声をかけた。けれどまどかは、そんな声すら耳に入っていないようで、目を見開いてその身を震わせて。

「まどか。どうしたのさ。……何か、やることがあるんでしょ。言ってごらんよ。……何か、力になれるかも知れないしさ」

さやかがまどかの手を取ると、まどかはその手に手を重ねて縋るように握る。震える視線でさやかを捉え、どうにかこうにか、掠れた声を口にした。

「私……止めに来たんだ。戦うのを、ロスさんを止めに来たんだよ。なのに、なのに……間に合わなかった、なんて…っ」

そのまま、声は嗚咽に変わっていった。けれど、それよりもそのまどかの言葉が引っかかった。ロスという名前は、当然気にならないわけが無い。

 

「まどか……あんた、何言ってんだ……?」

聞いてはいけない。胸の奥に、何かとても嫌なものがよぎった。それでもその疑問を押さえきれずに、杏子は尋ねた。

尋ねてしまった。

「あのバイドは、あの艦は……敵なんかじゃなかったんだよ。あれに乗っていたのは……」

喉元まで出かかって、それでもそこから先へが出てこない。言葉にしようとするだけで、胸の奥が締め付けられるように痛くなる。喉がからからにかれているみたいで、声が声になってくれない。

頭の奥が冷たくなって、踏みしめているはずの地面が、急に頼りなく歪んでいるようにも感じた。それでもありったけの力を振り絞って、まどかは、その名前を口にした。

 

 

 

――ジェイド・ロス。

 

 

 

「っ……ッざ、けんなァァッ!!」

その言葉が聞こえた瞬間に、杏子の頭の中は真っ赤に染まった。認めない、信じない。ありえない、ありえるわけが無い。朱一面の頭の中を、思いつく限りの否定の言葉が駆け巡っていく。

「くぁ……っ、ぁ、ぎ……ぎぁ……っ」

半ば反射的に杏子をまどかの首下を掴んだ。そして、そのままぎりぎりと片手でその身体を持ち上げる。激しすぎる怒りが、肉体の限界をも超えさせているのか、その手は揺るがず、ひたすらにまどかの首を締め上げている。

気道を塞がれ、苦しげに声をあげるまどか。全ては一瞬の出来事で。

「……っ!?な、何やってんのさ!杏子っ!!」

呆気に取られ、一瞬だけ反応が遅れたさやか。すぐさま杏子に呼びかけて、その手を無理やり引き剥がす。

「げほっ……う、っぐ。ごほ……ぅぅ」

解放されて、そのまま床に横たわるまどか。その首筋には、赤々と手の跡が残っていた。そんなまどかと杏子の間に、立ち塞がるようにさやかが割り込んで。

 

「まどかを殺す気?」

「……そいつが、イカれた事を言うからだろ。それも、こんな時にッ!」

それでも尚収まることを知らない怒りと、少なからぬ悲しみの色でその瞳を心を染め上げて。今にも再び掴みかかりそうな形相で、杏子はまどかを睨み続けている。

「お前は、わざわざそんな事を言うためにここに来たのか?どこまであたしらを追い詰めりゃ気が済むんだ、お前はっ!!」

「杏子っ!……気持ちは分かるけど、落ち着きなさいって」

そんな杏子を制して、さやかはまどかに向き直り。

「でもさ、まどか。何で?何でまどかがそんなことを言うわけ?」

そんなさやかの言葉にも、深い悲しみと共にどこかまどかを責めるような声色が混ざっていた。

「……例えそれが事実だとしても、そんなの聞きたくないよ。それじゃ杏子は、仲間と一緒に家族まで失ったことになっちゃうじゃない」

込み上げるものを堪えることが出来なくて、さやかがその場に崩れ落ちる。ぽろぽろと、とめどなく涙を零しながら、床に手を付き嗚咽を漏らす。

 

「え……仲間、って」

その言葉に、血が上っていたまどかの顔から一気に血の気が引いていく。そして気付く。格納庫にある機体は二機のみ。本来そこにあるはずの機体はない。そして、共に戦っているはずの仲間の姿もまた、なかった。

 

「さやかちゃん。杏子ちゃん」

きっと、二人はまだ戦っているだけなんだ。もうすぐ戻ってくるに決まってる。そんなこと、あるわけがない。

「……何処に、行ったの」

けれどどうして、どうしてこんなに涙が零れるのだろう。こんなに、胸が痛くなるのだろう。目の奥が熱くなるのだろう。

 

「マミさんと、ほむらちゃんは」

言ってしまった。びくり、と小さく嗚咽を漏らしていたさやかの身体が震えた。いつの間にやら、杏子の顔からも怒りの色が消えていて。

沈黙が、余りにも重く痛々しい沈黙が、その場を支配した。口を開くものは誰もいない。

 

それでも、たっぷり秒針の一回りの半分ほどの時間をかけて、杏子がその口を開いた。

「……死んじまったよ。ほむらも、マミも」

そして杏子もまた、全ての力を使い果たしたかのようにその場に崩れ落ちてしまった。

 

 

 

 

その時さやかと杏子が見たものは、異形の機体から伸びた蔦に貫かれたマミの機体だった。ほむらに殿を任せ、都市部から脱出し、まっすぐに後方の艦隊へと戻るその道の途中のことだった。

 

「な……マミっ!?」

「マミさんっ!?」

二人が驚愕の声を上げる間にも、貫かれた機体は火花を散らす。そしてそのまま、撃ち捨てられて地上へと落ちていく。新たな敵を認識したのだろう。異形の機体が、その機首を二人に向けていた。

「おい、さやか。……あいつは、あたしらで仕留めるぞ」

怒りに満ち、微かに震える低い声で杏子が言う。さやかは即応し、すぐさま機体を巡らせ突っ込んでいく。波動の光とサイビットの軌道が交差していく。

 

「あいつはあたしらで引き受ける。そっちは艦隊の援護を頼むっ!!」

後続のR戦闘機部隊にそういい残し、杏子もまたデコイを駆って敵機に挑む。墜落したマミの機体を一瞥。コクピットブロックへの直撃は避けている。今すぐ機体が爆発するような様子もない、ソウルジェムさえ回収できれば、きっと大丈夫だ。

自分に言い聞かせるように願い、デコイを全機散開させる。デコイ及び自機による包囲網で敵の動きを塞ぎ、レオⅡの広域攻撃で殲滅する。

二人のコンビネーション攻撃。かわせるはずなどない。そう思っていた。

 

その敵機の中に潜む意志は、新たに迫る敵の姿を捉えていた。数はそこそこに多い。どうにかこの敵を仕留めるのが間に合ってよかった。恐らく砲手と思われるこの敵は、なかなかに強敵だったのだ。

新たに迫る敵軍の中から、抜きん出て迫る赤と青の二機。新型だ。どうやら自分の相手をしようというのだろう。他の機体が、敵の艦隊の元へと戻っていく。

艦隊を攻撃中の機動兵器部隊が攻撃を受ける恐れがある。さっさとそちらも止めなければならないと、そう思うのだが。

 

――手強い、な。

 

無数に放たれる光。執拗に追い縋る新型ビット。そしてこちらの進路を塞ぐようにじりじりと包囲を狭めてくる敵のデコイ群。これは他の事を気にして立ち向かえる相手ではない。

だからこそ、まずはその二機を叩き落すことを優先させることにした。

 

「何なのよ、こいつはっ!」

背後から迫るサイビットを、敵機はわずかに機体をずらして回避する。それと同時にその蔦でサイビットを絡め取り、そのまま破壊してしまった。

フォースもビットも、どちらも基本的には堅牢を誇る無敵の盾である。だがしかし、それも物質である以上、破壊できないものではなかった。

特に強力なバイドならば、単体でもフォースに干渉し、それを破壊し得る。そうでなくとも、フォースやビットをコントロールするデバイス部分は、破壊することは不可能ではないのだ。

ただ、超高速で展開する戦闘の中、それを狙えるようなものなどほとんど存在し得ないというだけで。

自動で敵を追尾するサイビット。それは兵器としては優秀だが、動きが読まれやすいという欠点も存在した。

それを的確に突いて、さらにサイビットを破壊し得るようなものなどほとんど存在せず、今まで欠点としては認識されていなかっただけなのだ。

かくして、レオⅡはその最大の武器であるサイビットを早々に失ってしまっていた。

 

「ちょこまかと……逃げるな、野郎ッ!!」

苦戦を強いられているのは杏子も同様だった。まるでこちらの動きが読まれているかのように、デコイ達の攻撃は掠りもしない。それどころか、僅かでも隙を見せれば敵機からの攻撃を撃ち込まれ撃墜される。

前方に構えたフォースから放たれる、鞭のようにしなるレーザー。その独特の動きに、AI操作のデコイはまったく対応できていなかった。

隙を突き、背後から迫るデコイさえ、青い光が貫いた。誘導性があるわけでもない、ただそのレーザーは、発射と同時に緩やかなカーブを描いて後方へと向かい、デコイを撃破していた。

機体性能もさることながら、まるで後ろにも目があるのかのように自由自在の攻撃を仕掛けてくる。恐ろしい強敵だった。それこそほむらに並ぶほどに。

散らば諸共、とばかりにデコイによる突攻を仕掛けさせる。とにかく近づいてさえしまえば、デコイ内部に蓄えられた波動エネルギーを開放することでダメージを与えることもできるのだ。

そのデコイを、敵機はその波動兵器であるスパイクアイビーを突き出し迎え撃つ。接触するかと思われたその直前に、敵機はその機首を大きく振った。

「何やろうってんだ……とにかく、一緒に弾け飛べっ!」

不可解な動作。けれどそんなものは関係ないとばかりに、杏子はデコイに自爆命令を送った。

デコイが波動エネルギーを開放しようとした、その瞬間に。大きく横に一回転した敵機が、その機首に据えた波動の蔦がまるで野球でもしているかのように、デコイを激しく打ち返したのだった。

 

「んなっ、馬鹿なっ!?」

驚く間もなく、デコイは打ち返された勢いのままこちらに迫る。自爆命令を取り消すこともかなわずに、そのままデコイは空中で激しい光を放って四散する。

その光の中から、再び波動の蔦を携え敵機が迫る。

「なめるなぁぁっ!!」

杏子もそれに立ち向かい、波動砲の狙いを定める。波動の光が放たれ、そして二機は交差した。

 

「……嘘だろ、おい」

交差して直後。機体を切り返して互いに向かい合おうとする二機。その瞬間、キングス・マインドの機体が火花を散らして火を吹いた。

「相打ちすら、取れないってのかよ」

まさしく相打ち覚悟の一撃は、敵機の表面を僅かに焦がしたに過ぎず。キングス・マインドは、ブースターの一つが完全にその機能を失っていた。機動性の低下。この状況下におけるそれは、まさしく致命的な損傷だった。

バランスを崩し、ふら付きながら高度を落とすキングス・マインド。追撃しようとした敵機の進路を、レオⅡが阻んでいた。

「杏子っ!……くっ。お前なんかにやられるもんか、やらせるもんかぁぁっ!!」

恐ろしい威力と攻撃範囲を持つその光学兵器を容赦なく放ちながら、杏子を守るかのように、さやかの機体が敵機に迫る。

それでもなお、敵は視界一面を埋め尽くす光を悠々と回避し、的確に攻撃を仕掛けてくる。下手に避ければ隙が出来る。隙が出来れば、あの敵は決して杏子を見逃さないだろう。

退くわけには行かない。どれだけ傷ついたとしても、どれだけの犠牲を伴うとしてもここで倒さなければならない。

覚悟を決めたさやか。その機体の輪郭を、青い光が覆い始めた。

「さやか、お前っ……駄目だ、やめろーッ!!」

必死に機体を建て直しながら、青く輝くレオⅡに向けて、杏子は叫んでいた。

 

 

 

「ん……っ。どうやら、まだ生きているみたいね」

墜落した機体の中、マミは途切れた意識が目覚めたのを感じた。

結局、あの敵機にはまるで歯が立たなかった。それでもどうにか追い縋り、喰らい付いて。きっと来るであろうはずの援軍を待ち続けた。

それがどうだろう。やっとその援軍が来たと思ったその瞬間に、一瞬の気の緩みに付け入られた結果がこれだ。自分の未熟さを見せ付けられて、気が沈む。

どうやら機体の損傷は特に駆動部にひどいようだ。機体はほとんど動かせないが、それでもその他の各機関は生きている。今すぐ機体が爆発するような危険もない。

ならば、このまま待っていればいつかは回収してもらえるだろう。

「これは……さやかと杏子ね。まだ、二人が戦っている」

ババ・ヤガーのセンサーには未だ激しくぶつかり合う二機と、それを少し離れた場所から見ている機体の姿が捉えられていた。

「苦戦しているわね。………きっと、このままじゃ勝てない」

直接ぶつかり合ったからこそ分かる。恐らく、あの二人が同時にかかって行ったとしても勝てはしない。既に恐らく杏子は戦闘力を奪われたのだろう、機体の動きは鈍い。

「なんとか、しないと……っ」

このままでは間違いなく、二人とも自分と同じ末路を辿ってしまう。何か出来ることはないだろうかと、機体にまだ残された機能を片っ端から漁っていく。

程なくして、それは見つかった。

 

「波動砲ユニットが、まだ生きてる……でも、これは」

通常の圧縮波動砲は放てる状態ではなかった。けれど、まだ超絶圧縮波動砲用の波動砲ユニットは残されている。二つの波動砲を運用するために造られたシステムが、思いがけないところで役に立っていた。

「……こんなものを撃ったら、砲身どころか機体まで一緒に潰れてしまうわ」

そう、それはあくまで超絶圧縮波動砲を撃つためのもので。それを通常の砲身から放つということは、拳銃から大砲の弾を放つような行為だった。

間違いなく、砲身も機体ももたないだろう。

「奴の不意をつけるとしたら、これしかない。でも、これを撃ったら……私は」

ずしりと、体が重くなったような気がした。何か、とても重たい嫌なものが体に絡み付いてくるような。それはまさしく、純粋な死への恐怖というものだった。

 

「……嫌。嫌よ。もう、死ぬのは嫌」

怖くないはずがない。死を乗り越えたということは、即ち一度死に瀕しているということ。その恐怖を、誰よりもよく知っていることに他ならないのだ。

「無理よ、こんなの……できっこない。死にたくない。死にたくないのよ、私はっ!……当然じゃない、仕方ないじゃない!死にたく……ない、っ」

機体の中で、さらに狭いコクピットの中で。そこに収まるソウルジェムの中に、マミの叫びがこだまする。それは間違いなく、彼女の偽らざる感情だった。

思い出されるのは、自分が死んでいくあの感触。そこに存在していないはずの体さえ、ばらばらに引き千切られて消えていく。自己が散逸し、自我が虚空に溶けていく。

ただそこにあるのは純粋な恐怖だけで、それは物理的な死よりも先に完全にマミの心の全てを殺しきっていたのだ。

「このままこうしていれば、私は死ななくて済む。生きていられる。きっと、誰かが助けてくれるわ。ごめんなさい、さやか、杏子。でも、でも私は……もう、嫌なのよ。生きたい。生きていたい……ぁぁ」

恐怖と罪悪感が鬩ぎ合う。けれど、そんなものは勝負にもならない。圧倒的な死の恐怖、そして生きたいと願う意志が、マミの思考の全てを埋め尽くした。

 

 

 

そして、ババ・ヤガーは再びその身に破壊の力を蓄え始めた。

 

「……ふふ、なんだか凄く、不思議な気持ちね」

なんとか通信を繋ごうとした。回線が完全に断線している。ならばそれを繋ごう。途切れた回線に、鮮やかな黄色のリボンが巻きつくイメージ。

回線が復旧。不安定ながらも、通信が回復した。

「さや――、杏――。聞――える?」

「マミ!?」

「マミさんっ!?」

たちまち、驚愕と安堵に満ちた二人の声が聞こえてくる。

 

私の、大切な大好きな仲間達。

お願いだから、最期まで見守っていてね。

最期まで、格好をつけさせてね。

 

回線が不安定だ。ノイズがひどい。安定させるにはどうしたらいいだろう。

直接伝えるのが、きっと一番いいはずだ。解いたリボンを二人の機体へと伸ばす。届いた。これできっと、声は伝わってくれるはず。

 

――二人とも、よく聞いて。私が何とかして、奴の隙を作るわ。

「何だ、マミの声が……頭の中」

「なんでこんな……マミ、さん?」

 

――だから、その隙に必ず奴を倒して。お願い、さやか、杏子。

声を繋げるイメージ。結んだリボンは早くも解けてしまいそうで。特に、激しく動き回るさやかの機体に声を届け続けるのは、思いがけなく力を使ってしまう。

「なんだかわかんないけど……とにかくわかった!マミさん、期待してますよっ!」

「……あんまり、無茶すんなよ。でも、頼むっ!」

 

――ええ、任せ――っ。

限界が来たらしい。結んだリボンは解けてしまった。でも、もういい。伝えなければならないことは伝えられたから。

 

機体が異常を伝えてくる。それをなんとかなだめて、超絶圧縮波動砲の発射シークエンスを遂行していく。

砲身がなければ撃てないと、機体のコンピューターがひどく文句をつけてきて仕方がないので、見せ掛けだけでもそこに立派な砲身を拵えた。

不機嫌な機体のご機嫌を取ることはできた。発射手順も完了。後は、狙いをつけて放つだけ。

「……これを撃てば、全てがお終い。本当に、震えてしまうわ。怖くて仕方がない。私は生きたい。……けれど、何も持たずに生きるのは空しいだけよね。だから」

敵を狙うには角度が足りない。これ以上は、どうにか機体を動かす必要がある。潰れかけた駆動系が悲鳴を上げた。がんばってと声をかけて、何とか機体の向きを変えた。

「さやか、杏子、ほむら。……まどか。貴女達を、私に護らせてね」

どうやら、敵もその動きに気づいたらしい。この機体に蓄えられたエネルギーにも気づいたようだ。けれど、もう遅い。どれだけ逃げ回ろうとこの一撃だけは、決して外さない。

 

「恐怖も、怒りも、憎しみも全て。私が一緒に持っていくから。……あなたたちはどうか……生きて」

心の中の引き金を引き絞るイメージ。

私の孤独、私の不安、私の後悔、私の苦痛。

そして、幸せだった思い出も全て、その引き金の上に乗せて。

 

「これが、本当に最期の――」

 

 

 

 

 

 

 

“ティロ・フィナーレ”

 

 

 

 

 

 

 

ババ・ヤガーの砲身が内側から弾け飛ぶ。機体すらも一瞬で消滅させるほどの、膨大なエネルギーがその内側から漏れ出した。

それは途方もない規模の波動粒子の本流で、砲撃としての用を為してはいなかった。

 

「マミ……さん。そんなっ!?」

「暴発……か。ちきしょうっ!!」

それは、無駄死にだったのだろうか。決して、そうではない。

迸る光が、一瞬で黄色く染め上げられる。無秩序にばら撒かれていた光の渦が、一つの形を取り始める。

まるで、その光そのものが意志を持っているかのように。そしてその光は、敵機へ向けて撃ち放たれた。

光の尾を引き突き進み、無数に枝分かれしながらなお迫る。それは通常の光学兵器のような無機質な分岐ではなくまるで木々が芽吹き、枝分かれしていく様を早送りで見ているような、とても有機的で、それゆえに予測困難な軌道を描いて敵へと迫った。

 

「どう、なってるの……これ」

呆気に取られて呆然と、それを見守るさやかと杏子。けれど、いち早くその衝撃から立ち直り、杏子が吼える。

「マミだ!マミが……命を懸けてまで、あいつを倒そうとしてるんだ!さやか、行けっ!!マミを無駄死にさせるなっ!!」

その檄を受けて、さやかははっと我に返る。見れば、無数の光に取り囲まれながらも、敵は執拗に回避軌道を取り続けている。あの光がマミそのものだというのなら、その意志を、この力を無駄にすることなんてできない。

全身に纏う青い光をさらに強めて、さやかはその光の渦の中へとレオⅡを走らせた。逃げるように軌道を取り続ける敵機を、同じく光の渦の中で追いかける。

レオⅡの通る先全て、光の枝は道を開けていた。

「……やっぱり、これはマミさんなんだ。……マミさん、マミさんっ!!」

涙がこぼれそうになる。涙をこぼす体なんてないはずなのに、視界がぼやけそうになる。それを必死に堪えて、ついに敵機がレオⅡの射程に入った。

ゆっくりと照準を合わせ、そして。

 

「行っ……けぇぇぇぇッ!!!」

リフレクトレーザー改をばら撒きながら、レオⅡがついに敵機へと迫る。けれど、敵はそれを待っていたのだろう。光の枝がレオⅡを避けている事を悟っていた。そしてそれが接近するこの時こそが、反撃にも脱出にも最大の好機である、と。

突如として敵機が反転。レオⅡへと突撃を仕掛けた。閉所でこそ最大の力を発揮するリフレクトレーザー改が、迫り来る敵機を迎え撃ち貫いていく。

どれほどの神がかった技量でも、この閉塞空間内での斉射に耐えられるはずもない。それを分かっているからこそ、敵もその一撃に懸けたのだ。

降り注ぐレーザーの雨を受けながらも敵はレオⅡを真正面に捉え、その機首からスパイクアイビーを突き出した。その一撃は、深々とレオⅡの機体を貫いていた。

「さやかっ!!」

激しい光の彼方に透けるその姿に、杏子が悲鳴交じりの声を上げた。これでもまだ届かないというのか。マミに加え、さやかを犠牲にしてもなお、勝てないというのか。絶望と、それを超えるほどの怒りが心の中に満ちた。

 

「……まだだ、まだ。終っちゃいない」

けれど、さやかの声は尚強く響き渡る。レオⅡが纏う青い光が、さらにその強さを増して。機体全てを包み込む。

 

彼女が望んだ願い。それは不朽の正義。

ソウルジェムはその願いに反応し、彼女に不朽の力を授けた。即ちそれは、バイドの持つそれを遥かに超える自己修復能力。波動の蔦が虚空に消えると。その下にはもう、真新しい装甲が再生されていた。

理解不能な出来事に、敵の動きが一瞬止まる。それを、さやかは見逃さなかった。

「い・ま・だぁぁぁぁっ!!!」

フォースのデバイスを切り替え、レオⅡの武装の中でも最大の威力を誇るクロスレーザー改が放たれた。それは、確実に敵機を捉え。打ち抜き、その身の全てを焼き尽くしていく。

爆炎を上げて弾き飛ばされ。そのまま光の渦に巻き込まれていく敵機。

 

 

 

そして、全ての光が弾けた。

 

 

「……それで、気が付いたときには敵の姿はどこにもなかった。

 多分、やっつけたんだと思いたいな」

さやかは、隣に座ったまどかにそう呟いた。結局、敵機がどうなったのかは分からずじまい。マミの機体も完全に消滅しており、その残骸すらも見つけることは出来なかった。

そんな悲しみを胸の内に押し込めて、二人が後方の艦隊の援護に向かおうとしたその時に、敵機動兵器部隊の撤退と敵旗艦の撃沈の報せが届けられたのだった。

 

 

――暁美ほむらが死亡したという、事実と共に。



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第14話 ―沈む夕日―②

かつての英雄と、英雄になってしまった少女がついに対峙する。
彼は、彼女は、何を想い何を願い、死線の向こうへ飛び逝くのだろうか。

緋と火に染まる世界で、その魂は散華する。


「敵の抵抗が思ったよりも少ない。……それだけ、攻め手に軍を裂いているということね」

立ちふさがる敵軍を薙ぎ倒し、時にやり過ごしてからまた薙ぎ倒し。目の前に現れる敵には一切の容赦をすることもなく、ほむらはひたすら機体を進めていた。

敵を先に進ませない為の戦いはもう必要ない。今必要なのは、ただ進み、全ての敵を殲滅することだけだった。それは、ほむらがもっとも得意とする戦闘で。

「……このまま、敵旗艦を墜とす」

崩れかけのビル街を駆けていくラグナロックⅡ。崩落したビルの上を通過した時、その中からバイド軍の自走砲台、ピスタフが現れた。

立て続けに誘導ミサイルが放たれる。数をそろえて待ち伏せしていたのだろう。弾幕はそこそこに厚く。各自に誘導性を持ちこちらに迫る。

「無駄よ」

ぎりぎりまで迫るミサイルを引き付け、そのまま機体をビルの陰に隠す。誘導しきれずに次々にミサイルがビルを直撃、小規模の爆発が巻き起こる。

その爆炎を貫いて迸る、低チャージのギガ波動砲。高い貫通力を持つそれは、ビルを貫き、ピスタフ達を焼き払った。

 

「……やはり、これは」

敵性反応の消失を確認し、ラグナロックⅡは再び都市部を駆ける。その中で、ほむらは半ば確信を抱きつつあった。

今回の敵バイドは、非常に高度な戦術を持っている。けれど、それにしても不自然だったのだ。

このバイドが駆使する戦術は、あまりにも人のそれに近い。部隊としての思考を、行動を熟知して、巧みにその裏をかいてくる。

敵の配置にも、バイドらしい数を持っての力押しではなく、人の油断やミスを誘い、一瞬の隙すらも見逃さないという明確な意志が見て取れた。

これは、単なるバイドではないと確信する。あまりにもそれは、人間らしさに溢れていたのだから。

「人がバイドを操るなんて、考えたくはないけれど」

恐らく今立ちふさがっているであろう敵の指揮官は、たまたま戦術を持ったバイドなどではない。明確な意思と、それを行使する力と知識を持った、人間に違いない。

ほむらの脳裏を、そんな思考が占めていった。

 

「だとしたら、何故」

何故、人がその意志を保ったまま、バイドを操るようなことが出来るのだろうか。バイドを操る新兵器が完成したのかもしれない。だとしても、この部隊は太陽系外からやってきたのだ。

そもそも、それが何かしらの技術の産物であると言うのなら、それをもってここまで地球を侵攻する理由がない。これが外宇宙からの侵略者だとでも言うのなら、それにしてはあまりに人間を熟知しすぎている。

あまりにも、その事実は不可解だった。どうしても人がその意思や知識を保ったまま、バイドを率いて人類に立ち向かっている。そういう風にしか考えられなかった。けれど、何をどうすればそうなるのかがほむらには想像もできずにいた。

 

「……考えるのは、あれを片付けてからで十分ね」

都市中心部が近づいてきた。恐らく、近くに敵の旗艦がいるはずだ。

けれど、唐突に機体が警報を鳴らす。

「熱源……真下から!?」

直下より熱源が急速に接近していることを告げられる。反射的に機体を旋回させ、地下から突き出したその光の柱を回避する。地表を貫き、薙ぎ払うようにして光の柱はほむらへ迫る。それを十分に引き付けて回避、反撃とばかりに波動砲のチャージを開始する。

地下から湧き出た破壊の光が、倒壊し、ビルとビルの間にもたれたビルを打ち砕く。無数の破片が、さらに頭上より降り注ぎ、ほむらへと襲い掛かった。

ほむらは即座に機首を地表に向けて急降下。光の柱を、錐揉みするように回転しながらすりぬけて。地下に潜む敵をめがけてギガ波動砲を叩き込んだ。光の柱を飲み込んで、さらに強い光が地表を灼いた。

その攻撃の成果を確認することもなく、機首を地表に水平に向け無理やり機体に制動をかける。そして一直線に駆け抜けていったラグナロックⅡの背後に、無数のビルの破片が降り注いでいった。

 

並み居る敵を捻じ伏せて、幾重にも仕掛けられた罠をかいくぐり。もはや、それを阻むものはない。

 

 

敵がこちらに接近している。単機とは言え油断をしたつもりはなかった。出来うる限りの兵員を割いて、迎撃は十分可能なはずだった。

だが、突破された。認めるしかないのだろう。今こちらに迫ってきている敵は、間違いなく一騎当千の技量の持ち主だと。

そんなものがいるのかと疑わしく思う気持ちもないこともないが、こちらの軍にも同様にアーサーという切り札がいるのだ。敵にそれがいない道理はないだろう。

これほどの力は恐らく、過去の対バイドミッションを遂行した英雄たちにも引けを取らないほどのもの。そんなものが、こうして我々を倒すために向けられているという事実がとても悲しかった。バイドの脅威が去ったというのに、尚も人類はこうして同士討ちを続けるしかないのだろうか、と。

 

そもそも、何故彼らは我々をこうも目の仇にしてくるのだろう。それこそ最初は、地球軍内での権力争いの末、英雄として帰還する我々が邪魔なのではないかとも考えた。

けれど、それでも我々は戦い抜き、勝利し。こうして地球までやってきたというのに。それでも彼らはこちらを攻撃するのをやめようとはしない。あまつさえ、都市ごと我々に砲撃を仕掛けてきたのだ。もはや、市街や市民への被害すらも構わずに我々を撃破しようとしているのだ。

何故なのだろう。思考は巡る。

戦いの最中だというのに、そんな思考が頭の中に纏わりついて離れない。

我々は確かにバイドの中枢を討った。だから、もうバイドはいないはずなのだ。だとしたら、今の地球軍にとっての敵とはなんなのだろう。

 

もしかすると、人類は非常に重大な決断をしてしまったのではないだろうか。

バイドという、外宇宙からの恐るべき脅威。それを恐れ、そしてまたバイドに変わる脅威の出現を恐れ。ついに人類は、完全に太陽系の中に篭る事を決めてしまったのではないだろうか。外より来る物を、全て敵と認識してしまうようになってしまったのではないだろうか。

馬鹿げた考えだとは思う。けれど、逆にそれでいいのではないかとも思う。かつて、ワープ空間を行く最中、人類について考えていたことを思い出す。

非常に好戦的でありながら、被害者意識を持つ人類。戦いの歴史の中でその文明を発展させ、そして今、バイドという未知なる敵を、侵食されることを恐れながらも利用し兵器へと変えている。

その恐ろしい所業を、かつて私は身勝手と断じたことを思い出す。もしもその考えが、人類の中で共通のものとなったのだとしたら。そしてそれ故に、人類はその版図を星の海の向こうへ広げることなく太陽系に閉じこもり、外から来るもの全てを拒むことを決めたのだとしたら。

鎖国という、昔の歴史書か何かで見たような言葉が私の脳裏に去来した。そして、それは案外悪い考えではないようにも思えた。人類がその好戦的な本能を制御することが出来ない生き物なのだとしたら、それを太陽系という十分な広さの箱庭に納めることは、理に適っているのではないだろうかと。

我ながら行き過ぎた考えだと思う。けれど、そう考えれば様々なことに合点が行くのだ。一度太陽系を出てしまった我々も、もはや彼らにとっては敵なのだ。理不尽さを感じないでもないが、それが人類の答えだと言うのなら、受け入れるべきなのだろうか。

 

 

 

 

だからこそ、ふざけるなと言ってやろう。我々もまた、好戦的で傲慢な人類の一員なのだ。

 

我々は、バイド中枢の討伐などという無理難題をいきなり押し付けられたのだ。そしてそのまま、半ば追い立てられるようにして太陽系を旅立つことを余儀なくされた。そして長い戦いの果てに、ようやくバイドの中枢を討ったのだ。

そうして長い時間をかけて帰ってきた太陽系に、地球に、帰還を拒まれる謂れなどはない。

我々には帰るべき場所があるのだ。そして今、万難を排してここに帰ってきたのだ。それを、たとえそれが全人類の意思だとしても否定などさせてたまるものか。

改めて今、私は覚悟を決めた。たとえこの先、どれほど多くの犠牲と被害を生むとしても我々は、必ず帰還を果たして見せようと。

 

そして、会いに行くのだ。キョーコとマドカに。

 

長い長い戦いに疲れ果て、萎えかけた闘志が再び蘇る。思考が再び戦闘へと没入していく。敵は一機。たとえどれだけ強力とは言え、一機なのだ。持ちうる限りの力を持って、これを撃滅しよう。

 

ビルの陰に隠れて、都市の概略図を開く。都市中心部はビルに囲まれ、そこには公園が広がっている。敵旗艦はそこそこに大きい。恐らくビル街に陣取ることは難しいだろう。

そうなれば、この公園に敵旗艦がいると推測できる。そして、残る敵艦も全てそこにいるのだろうということも。

間違いなく激戦が予想される。だが、スウ=スラスターは間違いなくこれ以上の数の敵を相手に戦っていたはずなのだ。だとしたら、その名を受け継ぐ自分がこの程度の敵に遅れを取るはずがない。遅れをとっていいはずがない。

敵旗艦の発見、及び撃破を最優先。目的を新たに再確認し、ほむらのラグナロックⅡは都市中心部への侵攻を開始した。

 

敵の反応が近づいている。恐らく敵はまだこちらの位置には気がついていないはずだ。どれだけ性能が強化されたとはいえ、戦艦ほどの索敵能力があるとも思えない。

こちらで戦力になるのは、私自身の旗艦とその艦載機、そして随行している戦艦が一機のみ。あの恐るべき敵を相手取るにはやはり不十分。とにかく一瞬でも、相手の虚を突き隙を作ることが出来ればいいのだが。

一つ、危険な賭けではあるが策がある。あれほどの相手にどれだけ通用するかは分からないが、今はそれに懸けるより他ないだろう。

 

ラグナロックⅡは、破壊されたビル街を抜け、空の広く見える公園区画へと突入した。公園区画に突入したほむらが最初に見たものは、視界一面を埋めるレーザーとミサイルの群れだった。

完全な待ち伏せ。けれどそれは、ほむらにとっても予想通りのものでしかなかった。公園区画は空が広い。空間を制限されたビル街と比べ、遥かに自由に戦うことが出来る。わざわざそんなところを主戦場には、自分ならしない。

「やはり、貴方は優秀ね」

逃げ場などないほどの飽和射撃。後方のビル街に戻ろうにも、間違いなくその前に撃墜されるだろう。

恐らく敵は、こちらの動きを早々に察していたのだろう。目の良さでは、R戦闘機といえど戦艦には敵わない。

侵攻ルートを察知して、その姿が現れた瞬間に持ちうる全ての火力を叩き込む。実に優秀な作戦で、いかなほむらと言えど、それが放たれてしまえば抗し得る手立ては持ち得なかった。

 

「……けれど、貴方には一つだけ誤算がある」

ほむらの機体が、淡い光に包まれた。それは、さやかの機体と同じように。

「私が……魔法少女だということよっ!」

 

そして、再び世界は静止した。

 

「……自分で使って何だけれど、冗談のような力よね。これって」

レーザーもミサイルも、奥でそれを放っている敵機も敵艦も。その全てが静止していた。それどころか背後で崩れるビル郡も、街を流れる熱気混じりの風さえも、ありとあらゆる全てのものが停止していた。

「時間停止。……これが、魔法少女の本当の力、なのかしら」

使いこなせるかどうかは不安もあった。けれど、現にこうしてその力は発現していた。それどころか、体に更なる力が沸いてくるような気までしてくる。どんなことでも出来てしまいそうな全能感が、体中を駆け巡っている。

 

それは、ほむらの願いが生み出した魔法。

その願いは全人類の守護。その身を賭して、全てを護ろうとする覚悟。与えられた力は、時を操ることの出来る力。たとえそれがほんの数秒であったとしても、超高速の戦闘の中ではそれは絶対的なアドバンテージと言えた。

「この力で……決着を付けてやる!」

ラグナロックⅡは、止まった時の中を駆け抜ける。視界を埋め尽くす死と破壊の光の中、落ち着いて道を見つけてすり抜けた。次の瞬間、時が再び動き出す。

直前までラグナロックⅡがいたはずの空間を、無数の光と爆発が薙いで行く。巻き起こる熱と、エネルギーの余波を背中に感じながら、ほむらは敵軍の中へと突入していった。たちまち無数の光と炸裂が湧き上がり、都市中央部を舞台に乱戦が巻き起こる。

立ち向かうはラグナロックⅡ。迎え撃つは、ボルド級の大型艦、ボルドガング。そして周囲に展開している旗艦直属の護衛部隊。数の上での差は圧倒的。

けれども、英雄を止めるには明らかに不十分。更なる力を手に入れた英雄が相手とあれば尚の事である。既に艦載機部隊はその半数を叩き落され、ボルドガングもレーザー砲台を破壊されている。

艦首砲を受けるような位置取りをするはずもなく、フォースを備えたラグナロックⅡの前に、小型機であるファットを無数に発射するファットミサイル砲は、ほとんど意味を成す事もなく。

 

もはやラグナロックⅡにとっての脅威はほとんど存在していない。戦線をそのまま突破し、敵軍旗艦、コンバイラの姿を探す。追い縋ろうとする敵を、秒針の一つも動かすことなく叩き落して高度を取った。

哀れにもボルドガングはその巨体が仇となり、満足に艦体を動かすことも出来ないようで。

もはや、邪魔をするものは何もない。ギガ波動砲のチャージを開始。高空より公園区画の索敵を続行した。

コンバイラの姿は見つからない。敵の方が広い索敵範囲を持つ以上、こちらの動きは常に筒抜けと思うべきだろう。とはいえ、機動性と攻撃力でならば間違いなくこちらが上なのだ。最初の一撃さえ防ぐことが出来たのならば、負けはしない。

 

「見つけた」

ビルの陰に、日の光を受けて赤く輝く色が見えた。それは、公園の花々の色ともビル街の装飾とも似つかない。派手やかで、どこか美しさすらも感じる赤だった。

間違いなく、コンバイラの装甲だ。

さらに高度を取り、上空からの雷撃で仕留める。ギガ波動砲、フルチャージ。

R戦闘機が誇る、まさしく最強の威力を持つ波動砲。その照準を、コンバイラが潜むビルへと合わせて、そして。

 

「消し……飛べぇぇぇッ!!」

撃ち放つ。視界一面を青い光が染め上げ、コンバイラが潜むビルのみならず周囲の空間に存在するもの全てを削り取り、分解し、無へと還していく。

射程距離を加味すれば、ババ・ヤガーのそれと並び立つであろうが純粋な威力と攻撃範囲で言えば、並ぶもののない最強最後の波動砲。

その膨大な威力の奔流が、一瞬ほむらの視界を奪う。

 

その、瞬間に。二股に分かれた巨大な光線が、ラグナロックⅡへと向けて放たれた。

 

――かかった!

私は思わず叫びだしていた。敵がこちらの仕掛けた罠にかかったのだ。それはすなわち、攻撃の最大の好機というわけだ。

あの敵機の持つ波動砲は、その威力も攻撃範囲も恐ろしいものがあった。あれとまともに打ち合えば、この艦といえど消滅は免れない。何らかの策を考える必要があったのだ。

どれほど強力とは言え敵は単機。狙うとすれば、敵の旗艦となるはずだ。その障害となっている、鈍重だが堅牢なこの戦艦。それを、わざわざ破壊していくとは思えない。

その目論見が、見事に当たったのだ。

 

艦を分離させ、艦下部のみをビルの陰に隠した。そして武装の集中している艦上部は、戦艦内部に無理やりに押し込めたのだ。そして敵は、その分離した艦下部へと向けて波動砲を放とうとしている。

あれだけの威力と攻撃範囲をもつ波動砲、そう易々と連射はできまい。それにあの広大な攻撃範囲はそのまま、敵の視界を塞ぐことにも繋がる。

発射の瞬間は、こちらにとってまさしく最高の好機だった。

 

――緊急発進!各機関最大出力っ!

戦艦の内部から、その甲板を半ば食い破るように艦を発進させた。照準は既に合わせてある。艦首砲のチャージも完了している。

最早、躊躇うことなど何もない。

――艦首フラガラッハ砲、放てっ!!

指示と同時に閃光が走る。直進し、そのすぐ先で二股に分かれ、フラガラッハ砲の光は確実に敵機を捉えた。

そうしてようやく、私は勝利を確信した。

 

そして、再び世界は止まる。

「……っ。は、はぁっ。……危な、かった。一秒遅れていたら……消滅ね」

フラガラッハ砲は、ラグナロックⅡに触れるか否かというところで止まっていた。安堵の声が、小さく漏れた。

「まさか、こんな罠を仕掛けてくるなんて……本当に、恐ろしい相手だった」

機体を廻らせ、フラガラッハ砲の射線より離れる。そして同時に、波動砲のチャージを開始した。砲身が必要なものとは異なり、力場解放式の波動砲には冷却時間は必要ない。すぐさま内部機関が波動の粒子を震わせて、その身の内に圧倒的な力を蓄えていく。

「今度こそ、これで終わりよ」

確信を篭めて、ほむらはそう告げた。そして世界は動き出す。

 

――な、ん……だと。

確かに直撃したはずだった。だというのに、敵機は健在。敵機は一瞬で離れた場所へと移動し、フラガラッハ砲を回避していたのだ。何が起こったというのか、理解が出来ない。

ただ一つだけ分かること、それは。

 

戦いはまダ、終わっテはいなイというコとだけダ。

 

敵機は再ビ波動砲のチャージを開始シている。それガどれだけノ時間ヲ要すルのかはわかラなイ。だガ、それが放たレれば終ワりだ。その前ニ、奴ヲ倒サなけれバ。

艦ヲ前進さセる。全武装を解放シ、敵機を捕捉スル。撃つ、撃ツ、ウツ。当たラなイ。マダ遠いのダ。モット近くヘ。モット、モット。死ぬワケにはイカナイ。負ケるワケにハいカナイ。

帰ルのダ。帰る。カエ、る……ル。

 

 

――ヒーローは……遅れてやってくるってなぁっ!!

その声が、戦いの狂気に堕ちかけていた私の心を救い上げた。アーサーだ。だが様子がおかしい。明らかに機体限界を超える速度で、更にその全身に白い光を纏わせている。

R戦闘機としても異常で変則的なジグザク軌道を描きながら、敵機へと向かっていく。

――何をする気だ、アーサーっ!?

――生きて、そして帰るんだろ。まあ、任せろ。

その軽妙な声も、こうして聞いたのは随分と久しぶりな気がした。ちょっと買い物にでも出てくるとでも言うような、相変わらずの軽口で。

もはや光そのものとなったアーサーの機体が、敵機を貫いた。

 

ほむらは狂ったかのように敵艦からばら撒かれるレーザーとミサイルを、辛うじてかわし続ながら波動砲のチャージを続行していた。機体の損傷は無視できないレベルまで深刻化しており、これ以上の戦闘の継続は困難だった。

だからこそ、次の一撃で確実に決める必要があった。

そう思ったその瞬間に、横合いから白い光が駆け抜けてきた。それは余りにも疾く、こちらに対する攻撃の意図があると知り、時を止めようとした時にはもう遅かった。

一秒にも満たない一瞬の内に、その光はラグナロックⅡを貫き後方へと駆け抜けていく。

 

「なっ!?……これは、一体」

それは一体なんだったというのか、後方で小規模な爆発が巻き起こる。その直後に機体が警報を告げた。機体各部に、一気に無数の損傷が生じている。間違いなくそれは、先ほどの光の影響なのだろう。

「そん、な。何で……こんな」

波動砲ユニットへのエネルギー供給も途絶え、蓄積されたエネルギーが解放されていく。何が起こったというのか、理解が出来ない。ただ一つだけ分かること、それは。

 

まだ、戦いは終わっていないということだけだ。

 

まだこの機体には、今まで蓄積された波動エネルギーが詰まっている。それを蓄えた機体ごと弾丸に変えて、敵へぶつけてやろう。

「そうよ。このまま死んでたまるものか。それじゃ、ただの犬死じゃない?……負けない、私は、絶対に」

再び機体が光を放つ。機体各所に、魔法の力が浸透していく。それは解放され、拡散していく波動粒子の活動を停止させ、機体各部で今も広がり続ける損傷の全てを停止させた。

各機関部の働きを一切損ねることなく成し遂げられたそれは、ほんの一瞬だけほむらとその機体に時間を与えた。

「さやか、杏子。マミ……後を、頼むわね」

祈るように、機械仕掛けの唇は静かに言葉を紡いだ。そして、激しく機体を輝かせ。その光を纏ったまま。ラグナロックⅡは、コンバイラにその存在の全てを叩き付けた。

 

その直前、電脳に直結されたほむらの脳裏によぎったもの、それは。

 

 

――――F-W-C mode Activate―――

 

 

激しい光が吹き荒れ、湧き上がり。

そして、そして――彼も、彼女も。何も分からなくなった。

 

ただ、その後には砕け散り、焼け焦げ、溶けてひしゃげた赤い装甲が無数に散らばっているだけだった。

 

 

 

「実際のとこ、何があったのかはわからねぇ。でも、ほむらの機体と敵艦の反応が一緒に消失した。それと同時に、敵部隊は撤退を始めた。それだけは、事実だ」

苦々しげな表情を隠すこともなく、杏子はそう告げた。

「あの馬鹿野郎っ!……言ったじゃねぇかよ。死んだら恨む、ってよ」

戦友の死と、そしてまどかが告げた衝撃的な言葉。それは酷く杏子を打ちのめし、込み上げる涙と嗚咽を隠すように杏子はそのまま、壁に身を預けて蹲ってしまった。

 

「そん、な。……じゃあ、どうなっちゃうの、これから」

力なく、茫然自失とした表情のまどかが呟いた。その声に応えたのは、そこに唐突に現れたキュゥべえだった。

「……残念ながら、遅かったようだね、まどか。これから残存部隊の掃討のため、防衛艦隊を再編成して市街地へ侵攻するとのことだよ。ボクらは艦も機体も損傷が激しいからね、他の負傷した艦隊と一緒に後方で待機だ」

「ぁ……ぁぁ」

そのキュゥべえの、いつもとまるで変わらぬ調子の声が、ついにまどかを追い落とした。目の前が真っ暗になるような感覚。足元の地面がなくなるような感覚。ぐらりとその視線が、そして体が傾いて。

そして、ぷつりとまどかの意識は途絶えてしまった。

 

 

ニヴルヘイム級は、高空より都市を見下ろしていた。敵機動兵器部隊による奇襲を受けた折、その艦底部にはぽっかりと大きな空洞が出来ていた。今も艦内部では、クルー達がダメージコントロールに追われている。

本来であれば、とても前線に出られるような状態ではなかった。

それでも、この艦は地球軍の旗艦にして最新鋭の艦。いわば、地球軍が掲げる力と正義の象徴だった。だからこそ、敵を掃討するこの戦いの場に、それは存在していなければならなかったのだ。

「実に大変な戦いだった。まさか、ここまでの苦戦を強いられるとは」

ニヴルヘイム級の艦長は静かにそう言った。その表情には、拭いきれない安堵の表情。けれど、油断と言えるようなものは一切見て取れなかった。

彼はよく知っている。敵の手並みは、完全にこちらを上回っていたことを。多くの人員と装備、そして一人の英雄の命をもってようやく、それを討つ事ができたのだということを。その重大な犠牲を、自分の下らない慢心でふいになどしてはいけない。

そのことを、彼は身をもって実感していた。

 

「状況を報告せよ」

眼下にいるであろう敵軍を見つめて、艦長はクルーに命じる。オペレーターの一人が、コンソールに手を這わせ。すぐに報告を返す。

「敵部隊は、残されたボルド級の大型戦艦を中心に集結しているようです。数は戦闘機が10機前後、それ以外にも機動兵器が多少存在しているようですが、詳細は不明です」

「……ふむ。それで、こちらの残存戦力は?」

その言葉に、またすぐに別のオペレーターが答えた。

「ほとんどの艦船及び戦闘機に負傷は見られますが、それでも巡航艦3、駆逐艦2、戦艦1、R戦闘機は52機が既に臨戦態勢で待機中です」

この艦が動けないことを差し引いても、純粋な戦力比は5倍。敵もまた手負いで、指揮官は既にない。……負けはすまい。

それでも十分な警戒を保ち、思考を廻らせ艦長はついに指示を出す。

「本艦は上空にて待機、艦砲射撃で敵ボルド級を狙う。それ以外の艦は降下を開始。一斉射撃の後、艦載機を発進させろ」

 

そしてついに、敵軍の掃討を開始するよう支持を出した。

 

「敵は乱戦に慣れている。必ず五機編成を保ち、一機ずつ確実に仕留めていけ」

「了解だ。隊長。さあ、敗残兵どものお出ましだぜっ!」

艦砲射撃が降り注ぎ、街に破壊の雨を降らせた。そしてその雨が上がると、虹の代わりに戦闘機部隊が降下を開始した。

パイロット達の間では、既に戦勝ムードは流れているようだ。それでもこれだけの苦戦を強いられてきた相手、油断だけはしてはならないと気を引き締めて、最初の敵に照準を合わせるのだった。

 

 

『ロスさん。返事をしてください、ロスさん』

気がつけば、というのはおかしいのかもしれません。気を失って、目が覚めたのはこの夢の中だったから。何もない、何も見えない、何も聞こえない。どこまでも広がる真っ暗闇で私は、ロスさんの名前を呼んでいました。

『本当に、死んじゃったんですか。ロスさん』

地球のみんなを守るために戦って、遠い遠い宇宙の果てで、バイドの中枢を倒したはずなのに。なのに、帰ってきたロスさんはバイドになってしまっていて、けれどロスさんはそれに気付いていなくて。

 

ただ、地球に帰りたかっただけなのに。

ただ、故郷に帰りたかっただけなのに。

 

バイドになってしまったロスさんを迎えたのは、地球軍の容赦のない攻撃だけで。

『ひどいよね、こんなのって、あんまりだよね……』

自分がバイドになってしまったことに気付けないまま、仲間だったはずの人達と戦い続けていたなんて。ようやく地球に戻ってきても、誰に迎えられることもなく、戦うしかなっただなんて。

そして、その戦いの果てに大切な友達が、マミさんが、ほむらが死んでしまっただなんて。その事実の全てが、私の心に重たくのしかかってきたのでした。

 

悲しくて、辛くて、苦しくて。心の中がとにかくぐしゃぐしゃになってしまったみたいで、頭の中は真っ白でした。

私は、夢の中でずっと泣いていました。もうロスさんはいないから、この声を聞いている人なんて誰もいないはずだから。だから、声を押さえようともせずにわんわんと、子供のように泣きじゃくっていました。

『うくっ……えく、ひぐっ……ぅ。ごめ…っ、なさい。ロスさん、マミさん、ほむらちゃん。私、誰も助けられなくって……こんなとこまで来たのに、何も、何もできないよっ』

私の瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ続けていました。

涙が枯れてしまうんじゃないかと思ったけれど、夢の中だからなのかそれとも、あまりにも悲しすぎて、涙の蛇口が壊れてしまったんでしょうか。涙は、ずっとずっと収まりませんでした。

 

泣いて泣いて、泣き疲れてしまって。

いつしか私は、夢の中だというのに、疲れて眠ってしまっていたのでした。

 

 

 

泣いている。カナメマドカが、泣いている。

私の死を悼んで、泣いていてくれているのだろうか。私の事を悼んでくれる人がまだこの世界にいたのだと思うと、何か安らぐような気持ちを感じる。戦いの日々の中では、感じることのなかった幸せな感情だった。

 

私は、とにかく寂しかったのだ。とにかく、寂しくて仕方がなかった。それを埋めてくれる彼女が、私と言葉を交わしてくれる彼女が、尊く思えて仕方がなかった。

何処に行っても敵意を向けられ、宇宙を追われ彷徨う日々。ただ彼女だけが、私の言葉を聞いてくれた。私に言葉をかけてくれた。

彼女は、もしかしたらこの宇宙でただ一人の、私の味方になってくれる人だったのかもしれない。

会いたい。会って、心行くまで話がしたい。誰かに思いを伝えたい。誰かの言葉を聞きたい。

誤解を恐れずに正直に言おう。私は、カナメマドカに狂おしい程の慕情を抱いている。

彼女の声を聞くと、長旅の疲れも癒されるような気がしていたのだ。

 

会いたい、会いたい、会いたい。

その思いはどんどんと膨らんでいく。膨らんでいく。何処までも膨らんでいく。その思いはついに私の身体よりも大きく膨れ上がり、私の身体もそれに応じて膨れ上がっていった。

 

 

身体が――動く。

 

 

それに最初に気付いたのは、逃げるようにビル街へと飛び込んでいった敵機を撃破した、R戦闘機の部隊だった。

「なあ、あれは……敵旗艦の破片、だよな」

「だろうな。色彩や組成データからも、コンバイラのもので間違いないだろう」

「……今、動かなかったか、あれ」

「何バカなことを言ってる。あそこまでバラバラに破壊されて、今更動くわけがないだろう。……敵の掃討に移るぞ」

「了解。……気のせい、だったのか?」

再度編隊を組みなおし、R戦闘機が再び戦場へと舞い戻る。その背後で、眼下で。確かにそれは蠢いていた。

砕け散ったはずのコンバイラ、その破片が、まるで意志をもつかのように集まり始めた。

そして、一つの大きな塊へと変わる。そのままゆっくりと、空へと浮んでいった。

 

次に気付いたのは、ガルム級巡航艦のオペレーターだった。

「艦長、戦闘エリア後方に、新たなバイド反応が出現しました」

「敵の伏兵か。向こうの戦線も大分落ち着いてきた頃だろう。R戦闘機部隊を回せ、バイド共を根絶やしにしろ」

「了解。プロコ、リーガの両隊は指定座標へ前進、出現したバイド体を撃破してください」

命令を受け、R戦闘機部隊が指定されたエリアへと向かう。そこにあるのは、集結し融合したコンバイラの破片。

それは球状を取り、静かに宙に浮んでいた。

 

 

それは、進化というには余りにもいびつすぎた。

R戦闘機ほどの大きさの塊でしかなかったそれは、内側から弾け飛ぶように膨れ上がった。

 

それは、人類の希望を打ち砕くように。

 

それは、質量保存と呼ばれた法則を否定するように。

 

何処までも大きく膨れ上がり、新たな形を取ったのだった。

 

まるで、人の上半身のような形状。顔に相当するであろう部位には、牙状の突起物が無数に連なり、その胸部には更に進化した破壊の力を備えた砲台が鎮座している。両肩からは鋭い棘が突き出し、腕のような巨大な両翼を備えていた。

 

 

 

コンバイラベーラ。

 

 

彼の悲しみが、彼の妄執が、そして彼の願いが。

その身体に、異形の進化をもたらしたのだった。

 

 

その機体の頭部に近づく機影。それは、まるで影のようなおぼろげな姿をしていたが、彼に近づくにつれ一つの形を取り始めた。最早、人の言葉では形容もし難い異形。植物を模したその姿は、かつてそうであった姿よりも更に禍々しく変貌を遂げていた。

B-1B――マッド・フォレスト。そう呼ばれた機体が、ついに究極的な進化を遂げたその姿。形式通りに名づけるのならば、B-1B3――マッド・フォレストⅢとでも言うべきか。

 

――よう、随分早いお目覚めだな、ロス。

――お前こそ、もうとっくに眠ったのかと思ったよ、アーサー。

 

見た目がどれだけ変わっても、二人の関係は変わらない。稀代の指揮官、そして稀代のパイロット。

もっと簡単に言ってしまえば、こんなときでも二人は仲間で、親友で、悪友だった。

 

――仲間達が攻撃されている。アーサー。ちょっと行って蹴散らしてきてくれ。

――あの数をか?相変わらず、無茶を言うのは変わらないな。

――はは、流石に数が多すぎるか。

 

そんなロスの言葉に、アーサーは少しだけ笑って答えた。

 

――お前がやれと言うことなら、俺はなんだってやってみせるよ。

 

いつものアーサーだった。それが、ロスには頼もしい。

 

――味方の援護を、そして道を開いてくれ。

――後ろの艦隊はどうする?

――私が相手をする。……頼む、アーサー。

――了解だ、提督。

 

そして、新たな力を宿した悪夢が――動き出す。



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第14話 ―沈む夕日―③

蘇る英雄、立ち向かうは孤軍。
力尽き、魂さえも擦り切れるほどの激戦と絶望の末。少女達は、最後の希望に手を伸ばす。

今一度、少女達に立ち上がるための力を。


「敵旗艦が復活しただと!?」

その報告を受け、ニヴルヘイム級のブリッジは混乱に包まれた。

「信じられません!バイド反応が出現後、急速に増大。新たな艦の形状を取りました。該当データなし、新型ですっ!!」

オペレーターの声にも、純粋な驚愕が混じる。

「うろたえるなっ!数の上での有利は我々にある。それにいくら復活したとて、あそこまで破壊されたのだ。無事であるはずがない。全艦砲撃用意!本艦も降下を開始しろ。全艦による艦砲射撃で、敵艦を破壊せよ!」

内心の驚愕を抑えて、男は攻撃の指令を出した。

どちらにせよ、ここまで距離を詰めてしまえば最早小細工は通用しない。戦闘機による白兵戦と、艦砲射撃の打ち合い。純粋な戦闘力をもって勝負をつけるより、他に術はないのだ。

そうなれば、戦力で勝るものが勝つのが道理。その男も、その道理を信じた。唯一誤算があるとすれば、その道理を曲げ得るものがいることを知らなかっただけで。

道理を曲げ得るに足る者を、人は“英雄”と呼ぶことを知らなかっただけで。

 

 

「っはは。……ははは。どういうことだよ、こりゃあ」

思わず、杏子の口から乾いた笑みが漏れた。

ティー・パーティーのブリッジで、そのモニターに写された映像は。

「なんで、まだあいつが生きてやがるんだ」

その艦首砲であるフラガラッハ砲Ⅱでニヴルヘイム級を撃沈させた、コンバイラベーラの禍々しい姿だった。

敵の残存部隊を掃討するはずだった艦隊はすでに壊滅し、最後まで抵抗を続けていたニヴルヘイム級も、ついに爆炎と光の中へ没していった。

そして、敵の全滅を確認したコンバイラベーラの禍々しい異貌が、確かにこちらを捉えていた。

 

敵旗艦の撃沈を確認した。

策を弄する余裕もないほどの、真正面からの潰しあい。非常に苦しい戦いではあったが、この新たな艦の力は予想以上だった。

こちらの受けた被害も大きい。致命傷とまではいかないが、今しばらくは艦を動かすことは出来ないだろう。

後方に敵の部隊が確認できる。恐らくは負傷した艦や機体を後方で待機させていたのだろう。放置しても、戦局に影響はないとは思うのだが……。

 

いや、やはりここは奴らを追討しよう。とにかくこちらは戦力も資材も残り少ない。ひとまず迫る脅威を打ち払い、敵の増援が来る前に再度部隊を編成しなおすべきだろう。

とはいえ、今はこの艦は動けない。私は、残存する部隊に後方の敵艦隊を攻撃するよう命じた。ああして後方に待機しているといいうことは、恐らく戦力にはなり得ないほどに損傷は大きいはず。

残された戦力でも、十分に打倒しうるはずなのだ。

 

 

「……敵部隊が動き出しました。こちらへ向かってきます」

ついに推進部にまで損傷は拡大し、そのまま地表に身を寄せていた戦艦が、その索敵範囲に新たな敵影を感知したことを伝えた。

それこそ後方の艦隊は、どれもが皆損傷が激しく、戦闘には耐え得ないものばかり。たとえ敵は少数とは言え、戦況は絶望的と言えた。

 

「もう一働き、しないと……ね」

それを見て、オペレーターシートに座っていたさやかがゆっくりと立ち上がった。その動きはひどく気だるげで、よろよろとふらついていた。

「……そうだな、行こうぜ。さやか」

その肩を支えて、杏子も共に立ち上がる。敵が迫っている。恐らくこの艦隊で、まともに戦えるのは自分たちだけだ。

そんな杏子を、さやかはまるで全てを諦めてしまったような、とても虚ろな目で見つめて。

「あたし一人でいい。……それに、あんたの機体も、もうボロボロじゃない。……一人で、全部やれるよ。大丈夫」

そう言って、さやかは虚ろに、儚げに笑った。そしてその掌を広げ、小さな光と共にソウルジェムが現れた。

 

「おい、さやか……なんだよ、それはっ!?」

驚くのも無理はない。

その手に乗せられていたソウルジェムは、本来の澄んだ青い色ではなく、ともすれば黒とも見えてしまうような、深く澱んだ紺色だったのだから。

「……さやか、キミはまた魔法の力を使ってしまったんだね」

いつしかそこにいたキュゥべえが、どこか咎めるような口調でさやかに告げた。

「やっぱり、そういうことかよ……おかしいと思ったんだ。あれだけ激しく戦ったのに傷一つない機体。いつのまにか復活してたサイビット。さやか、お前これ以上こんなこと続けたら、どうなるか分かってるんだろ!?」

さやかが知らないはずもない、さやかは全てを告げられていたのだ。そして杏子もそれを知っている。ソウルジェムが濁ることの、その先にある死という末路を。

「ボクからも止めさせてもらうよ。今のキミの状態では、とてもじゃないが戦わせることはできない。これ以上力を使えば、ソウルジェムの穢れは取り返しのつかないことになってしまう」

「なら、さっさとそんな穢れは取っちゃってよ。……できるんでしょ、キュゥべえ」

もうこんな話は沢山だ、とばかりにさやかがキュゥべえに言い捨てる。これだけの犠牲を生んで、尚足りないと言わんばかりに迫る敵。

倒さなければ、この犠牲は広がるばかり。ここで止められなければ、誰も守れない。さやかは、既に半ば覚悟を決めているようだった。

 

「……できるのなら、とっくにやっているよ。艦の設備が損傷を受けている。その影響で、ソウルジェムの浄化が進まない」

そんな答えすらも、半ば予想していたのかもしれない。いつも機体を降りて目覚めた時には、ソウルジェムは綺麗な輝きを放っていた。それが今は違う。それがどういうことかを推測するのは、そう難しくなかった。

「だから、今出撃するのは自殺行為だ。さやか」

「……じゃあ、どうしろって言うのよ。この艦が落とされたら、どっちみちあたしら死ぬんだよ?」

さやかが告げた厳然たる事実には、誰一人、キュゥべえでさえも反論を述べることができなかった。

「……大丈夫、さやかちゃんにまっかせなさい!必ず、無事に戻ってくるから」

どう見ても空元気。それでもにっ、と顔に笑みを張り付かせてさやかは駆け出した。けれど駆け出したその一歩目を、杏子はさやかの腕を掴んで止めていた。

 

「……行くな、さやか」

腕を掴む手は小さく震えていて。軽く払えば、それで離れてしまいそうなほどに弱弱しかった。

「大丈夫だって。あたしを信じなさいよ、杏子」

その手に自分の手を重ねて、杏子を見つめてさやかが言う。その姿があまりに痛々しくて、杏子はぎり、と小さく歯噛みして。

「マミも、ほむらも……そう言って死んだんだぞ。あたしは、これ以上仲間に死なれるのは……嫌なんだ」

腕を掴んだまま、杏子は俯いた。その表情は分からない。けれど頬には、涙の雫がつぅと伝っていた。

杏子の気持ちは痛いほどよくわかった。それが分かるからこそ、そんな思いをする人をこれ以上増やさないために、それを願ってさやかは。

「杏子、ちょっと顔上げてよ」

「ん……っ、なんだ、よ。さやか――ぬぁっ!?」

顔を上げた杏子が見たのは、突き出された手。折り曲げた中指の爪先に引っかかった親指。そして、それが杏子の額目掛けて撃ち放たれた。

 

――要するに、デコピンという奴だった。

 

「な……何、すんだよっ」

思いがけず痛い。額を押さえて、杏子は半歩後ろに下がった。

「泣き言言ってる暇があったら、どうにかこうにか生き残る方法を探しなさいっての!あたしは諦めたりしない。最後の最後まで、絶対に足掻いて足掻いて生き延びて見せる!!」

その力強い瞳に見据えられ、射止められ。杏子は息が詰まったように、返す言葉も紡げなくなってしまった。

「だから、一緒に足掻こう。こんなふざけた運命なんて、思いっきりぶん殴ってぶっ壊してやろうよ」

相変わらずの調子の言葉。その言葉は共に戦う仲間達を、そして何より自分自身を鼓舞し続けてきた。そしてその言葉は、また。萎えかけた杏子の闘志を蘇らせるのだった。

まるで、その言葉自体が魔法のようだった。

「……ったくよ。何も考えないでぽんぽんと軽口叩きやがって。危なっかしくて、おちおち落ち込んでも居られないっての」

額を押さえていた手で、そのままぐい、と目元を拭う。額も、そして目の周りも少し赤くなっていた。そんな事は気にもせず、意にも介さず杏子は笑う。不敵に、力強く。

 

「とにかく、あたしはなんとか機体を動かす方法を探してみるさ。あいつが動いてくれなきゃ、どうしようもないからな」

「じゃあ、その間はあたしに任せて。でも、早く来ないとあんたの分の敵までやっつけちゃうからね」

 

「無茶だけは…・・・するんじゃねーぞ」

「……行ってくる」

その手にソウルジェムを握り締め、今度こそさやかは駆け出した。

濁った光は変わらない。けれど、放たれる光の明るさだけは、少し明るくなっていたような気がした。

 

 

やはりこの艦隊には、もう戦力といえるものは何も残されていないようだった。故にレオⅡは、たった一機で迫る敵を迎え撃たなければならない。

青い空の向こうから、ほんの数分の後に敵の戦闘機部隊がやってくるだろう。新たな戦いの予感に俄かにざわめき始めた空に、さやかは唯一人立ちはだかった。

ゆっくりと、一つ大きく深呼吸。機械の身体のその肺に、澄んだ空の空気が染み渡ってきた。

「さあ……かかってきなさいっ!!」

地平線の彼方に、敵機の姿が見えた。それを見据えてさやかが叫ぶ。その声と同時に。

 

遥か頭上から、地平線の彼方へと幾筋もの閃光が走った。直後、地平線に重なるように巻き起こる爆発。

「えっ!?艦砲射撃?でも、どこから……っ」

「どうやら、ささやかな援軍は間に合ったようだね」

さやかの機体に繋がる通信。聞き覚えのある声、その主は。

 

「九条提督っ!?でも、一体どうして」

「やあ、久しぶりだね、美樹くん。月面での戦闘の後、部隊を再編成して駆けつけたんだ。戦いは終わったのかと思ったが、状況を見るに……そうでもないようだね」

アテナイエにおける決戦に敗れ、月面上での戦闘にも敗れ。それでも九条は、敗残兵をかき集めどうにか部隊を再編し、乗艦であるスキタリスを旗艦に地球へと部隊を降下させていたのだった。

はるか上空より降下を始めるスキタリス。そのドックから、R戦闘機が出撃した。

「まだ敵は残っている。こちらもR戦闘機部隊を出して敵を迎撃する。美樹くん、君も手を貸してくれるかな?」

その声に、さやかは力強く答えた。

「もちろんっ!美樹さやか、先行するよっ!!」

どうやら無事に帰れそうだ、そう胸中で呟いて。さやかは迫る敵機へと、レオⅡを突入させた。

 

ティー・パーティー内、さやかの自室のベッドの上で、まどかは目覚めた。

「……ん、ぅ。あ…れ?私、どうしてこんなところに」

寝ぼけた頭が自分の置かれた状況を理解するまでに、かかった時間は十数秒程度。その位の時間を置いて、衝撃的な事実は再びまどかを打ちのめした。

マミの、ほむらの、そしてロスの死。夢であってくれたらどれだけよかっただろうか。けれどまどかが今こうしてティー・パーティー内にいるというその事実が、何よりも鮮明にそれが夢などではないことを物語っていた。

「どうしたらいいんだろう、私……」

その事実が、改めて心を打ちのめす。自分がしようとしていたことが、守ろうとしていたものが根こそぎ失われてしまった。ここにいる理由も、目的も何も存在しなくなってしまった。

「このまま、帰ったほうがいいのかな。ここに居たって、邪魔になっちゃうだけだよね」

ここに来た時の決意も、覚悟も。大切な人の死が。その衝撃が全て奪い去っていった。できることがあるはずだと、そう思い込んでここへ来た。

もしかしたらそれは、自分の勝手な思い込みに過ぎなかったのではないだろうか。

 

自分を責める思いがあった。

もっと早く駆けつけていれば、もしかしたらどうにかなっていたのかもしれないと。そうすれば、マミもほむらも死ななかったのではないかと。

仕方なかったんだという思いもあった。

できる限りのことはした。それで間に合わなかったのだ。きっと誰もそれを責めはしない。気に病む必要なんて、ないはずだと。

 

「……さやかちゃんと杏子ちゃんは、どうしてるかな」

ここに残るにせよ、ここを去るにせよちゃんと二人と話をしなければならないだろう。まどかはそう考えて、部屋を出た。

ブリッジに出たまどかを迎えたものは、真剣な表情でモニターを眺める杏子とキュゥべえの姿。そしてモニターには、尚も戦い続けるさやかのレオⅡの姿。

そしてもう一つ、恐らく撮影された映像なのだろう。遠く離れてぼやけているが以前よりも倍以上もの大きさに膨れ上がり、完全にビル街からその身を突き出した巨大な戦艦。

コンバイラベーラの姿が、映し出されていた。

 

「あれは……ロス、さん」

半ば直感的に、まどかはそれがそうなのだと気付いた。そんなまどかの姿を、呟きを捉えて杏子が振り向くと。

「まどか……目が覚めたのか。見ろよ、あの敵艦だ。ほむらが命がけで倒したってのにさ。……あんなに膨れ上がって、蘇りやがった。今はさやかがこっちに迫ってる敵と戦ってる」

未だまどかに対して抱いた複雑な感情は拭いきれない。僅かに顔を顰めたままで、杏子が低い声でそう言った。

「ロスさん……生きてたんだ」

まどかはそのモニターから目を離すことが出来なかった。それを見つめたまま、呆然と呟いた。

 

「なあ、まどか。……あれは、本当にロスなのか?」

そんなまどかを一度睨むように見つめて、それから大きく息を吐き出して。意を決したように、杏子はそう尋ねた。

「……うん。あれは、ロスさんなんだ」

その事実を告げた時の、怒り狂った杏子の姿。それがまだ忘れられなくて、僅かに怯えた様子でまどかは言った。

やはり、改めてそれを告げられると頭の中が赤く染まっていく。怒りが満ちる。それをぶつけてやりたくなる。そんな暴力的な衝動をどうにか押さえつけて、杏子は続く言葉を口ずさむ。

「なんで、お前にそんなことが分かるんだ」

「……話したから。見たからだよ。ロスさんと、ロスさんを」

「どういうことだよ、訳がわかんねぇよ!」

握った拳を壁に打ちつけ、杏子は叫ぶ。叫ばなければ、何かにその衝動をぶつけなければ、自分が内側から弾け飛んでしまいそうだったから。

 

「その説明で理解しろというのは、流石に無理があるんじゃないかな、まどか」

そこに助け舟を出したのはキュゥべえだった。ふわりと耳を揺らしながら、二人の前に歩み寄り。

「このままじゃ埒が明かない。仕方がないからね、ボクの方から説明してあげるよ」

そして、キュゥべえは語り始めた。

まどかの持つ能力のこと、それがロスとまどかを繋げたのだろうこと。そしてその能力が、かつて死に瀕したマミを救っていたのだということ。

余りに突拍子もない話で、最初は杏子もそれを信じられずにいた。それでも根気強く話すキュゥべえの言葉を、どうにか噛み砕きながら理解はしていったようで。

「……じゃあ、あれは本当にロスなのか」

その全てを聞き終えて、もう一度確かめるようにまどかに向けて言葉を放った。

 

まどかは、静かに頷いた。

 

 

「まったく、冗談じゃねぇよな。……じゃあ、何だよ。今まであたしらは、身内同士で殺し合いをやってたってのか」

手で目を覆って、杏子はそのまま壁に身を預けた。自嘲めいた笑みが、くつくつと零れていた。

 

「なんとなく、そんな気はしてたんだ」

やがて、それは静かに呟きに変わっていって。

「なんだか知らないけど、あいつらと戦ってる間中、ずっと胸がざわめいてたんだ。そっか。きっと……そういうことなんだろうな」

胸元に手を当てて、そのままぐっと手を握りこんで。ぎゅっと目を伏せ、何かを堪えるようにして。たっぷりと十秒ほどそうしてから、杏子は静かに目を開いた。

「それで、まどかはどうするんだ?あれがロスだって分かって、あんたは何をしに来たんだ?」

吹き荒れていた怒りは、どこかに消え去っていた。ただ静かに、まどかを見つめて杏子は問いかけた。

「……止めようと思ったんだ、説得して、何とか分かってもらおうと思ったんだ。そうすれば、もしかしたら戦わなくて済むんじゃないかって思ったから。直接呼びかけたら、伝わるんじゃないかなって……思ってたんだ」

その言葉に、杏子ははっとしたように目を見開いた。それから、少しだけ何かを考え込むような顔をして、やがて。

 

「なあ、まどか。……今からでも、伝えてみる気はあるか?」

もう一度、まどかに問いかけた。杏子は知っていたのだ。

たとえバイドであれど、人の意志をもったものがいることを。どうにか意志を伝える方法さえあれば、それを交わすこともできるのだということを。千歳ゆまとの出会いが、杏子にそれを教えてくれたのだ。

だからこそ伝わると、止められると杏子は信じた。今度こそ、助けてみせると杏子は決意した。

まどかは一度杏子の顔を見て、それからモニターへと視線を移す。そこにおぼろげに写るコンバイラベーラの姿を見つめて、それからもう一度杏子へと視線を移して。

「私は、行くよ」

まだ、できることがある。まだ、助けられる人がいる。

それは、まどかにとって十分な理由だった。

 

「わかった。じゃあまどか、力を貸してくれ。あたしは……ロスに会いに行く」

言葉と共に、杏子はその手を差し出して。

「うんっ!」

まどかもまた、力強く答えてその手を取るのだった。

 

 

「敵部隊の撤退を確認。提督、我々の勝利です」

「よし、負傷したR戦闘機部隊を収容し、後方の艦隊と合流する」

敵の部隊を何とか撃退し、九条提督はようやく安堵の吐息を漏らした。敵の数はそれほど多くはなかったとは言え、こちらも連れてくることが出来た戦力は九条提督の乗艦であるテュール級が一隻、そしてそれに搭載できる限りのR戦闘機部隊のみだった。

元々が月面戦の生き残りを集めた部隊、戦力的には敵とほぼ差は無い。ほとんど被害を出さずに撃退することが出来たのは、やはり。

「美樹くん、ご苦労だった。機体を収容するかい?」

そう、さやかの活躍の占めるところは少なくなかった。

 

「なんとかなったー、かな。大丈夫ですよ、このまま自分の艦に戻っちゃいますからっ」

戦闘の終了を確認し、さやかは機体を巡らせた。思わぬ援軍もあって、魔法の力に頼ることなく勝利することが出来た。それには素直に安堵を覚える、けれどまだ終わりではない。

コンバイラベーラは未だ健在。敵戦闘機部隊も全滅させた訳ではない。

「でも、あいつは来なかった。……よかった、ちゃんと倒せてたんだ」

何より気がかりだったのが、先の戦闘でさやかと杏子を追い詰め、マミが犠牲になることでようやく破る事のできたあの敵機のことだった。この戦場に姿を見せなかったということは、あの時の攻撃で撃破することが出来たということなのだろう。

となれば、残る敵はあと僅か。決着の時は近い。さやかはそれを確信し、ティー・パーティーへと機体を走らせた。

「美樹くん、我々もすぐそちらに合流する。その後今後の行動を協議する予定だ。直接敵と戦った君たちの意見も聞きたい、出来れば考えておいてくれ」

「了解です、あたしはまだまだいくらでも戦えちゃいますから。手が必要なら言ってください」

ティー・パーティーへと向かう途中。通信で交わす声は、出来るだけ力強く元気に。

「わかった、期待しているよ、美樹くん」

 

「さやかちゃんっ!」

「さやかっ!……よかった、無事に戻ってきたか」

ティー・パーティーに戻ったさやかを、まどかと杏子が出迎えた。

「まどか、起きてたんだね。よかったよかった。……それと、ただいま、杏子」

そんな二人に嬉しそうに笑みかけ、さやかは軽く手を上げた。

「とりあえずこっちに近づいてきた敵は撃退することが出来たよ。でも、まだあのデカブツが残ってる。これから九条提督が作戦会議をするんだってさ」

「九条って、あの時の九条か?」

同じくエバーグリーンの戦いを超えた杏子が、驚いたように答えた。まさかこんなところで再会することになるとは、思ってもいなかっただろう。

「月での戦闘に参加してたんだってさ。それで、残った部隊を引き連れて援軍に駆けつけてくれたんだ。」

「そうか。……おかげで助かったな」

「ほんとだよ、さすがのあたしもあの数相手じゃ危なかったかも知れないからね」

実際のところ、一人でも負ける気はしなかった。けれど、魔法に頼らず戦える気もまたしていなかったのは事実で。冗談めかして言いながらも、その表情は確かに安堵を感じていた。

 

「で、九条の奴は何か言ってたのか?これからどうする、とか」

「いや、特にそういうことは言ってないね。まずは作戦会議からなんじゃないかな」

それを聞いて、なにやら杏子とまどかは考え込むような仕草をして。

「そういうことなら、今のうちに話しちまうのが得策かもな。本格的に攻撃が始まったら、こんなことしてる場合じゃなくなっちまう」

「そうだね、どっちにしろ協力してもらわないと、難しそうだし」

互いに顔を見合わせて、小さく頷く杏子とまどか。その意図が読めずに、さやかは思わず首を傾げて。

「ちょっとちょっとー、二人とも、あたしそっちのけで何話してるのさー?」

なんて突っ込むのだった。

 

「もちろんさやかちゃんにも説明するよ。……でも、ちょっと大変な話になっちゃうかな」

「この状況以上に大変な話なんて、ありゃしないでしょーよ。ほらほら、さやかちゃんに話してみなさいなー」

「……いや、これはあたしから話す。さやか、信じられないかも知れないけど、よく聞け」

「なによ、そんな急に改まった顔しちゃってさ」

そうして、杏子は静かに口火を切った。

ジェイド・ロスの帰還を。口に出すだけで、それこそ身を切られるほどに痛む。古傷を改めて抉りなおすようなその行為を、ただただ切々と杏子は遂行していったのだ。

「信じられる訳ないとは、自分でも思うさ。でも、あたしは信じる。ロスは、どんな風になっても地球へ帰ろうとしたはずだ。そして、こうして帰ってきたんだ」

手の色が白く見えるほど硬く拳を握り締めて、杏子はさやかに言葉を告げた。隣では、まどかも同じように深刻な眼差しでさやかを見つめていた。

 

「もし、もしだよ。仮にあれがジェイド・ロスだったとして、一体どうしろってのさ。あれは、もうバイドなんだよ。それに、ほむらとマミが死んだのはあれのせいだっ!……倒さないわけには、行かないでしょうが」

たとえかつての英雄と言えど、今はただの人類の敵なのだ。杏子には悪いが、倒すより他に術はない。これほど多くの犠牲を生み出した敵を、いまさら見逃すことなんて出来るはずが無かった。

さやかの掲げた正義は、それを決して許そうとはしなかった。

 

「それでも、あたしはあいつを、ロスを止めに行く。……まだ意識は残ってる。呼びかければ、届くかもしれない」

「届いたからって、一体どうするってのさ!止まるわけないじゃない。だって、だってバイドなんだよ!?」

さやかにとって、バイドはどこまでも敵だった。けれど、杏子にとってはそうではない。バイドに侵されたとしても、意思が通じ合えないわけじゃない。止められないと、完全に決まったわけじゃない。

「……教えてやるんだ、ロスに。もう、あんたはバイドなんだってさ」

それは、恐らく引導を渡すにも等しい行為だった。

耐えられるわけが無い、耐えられるはずが無い。自分がバイドであるなどと、そんな事実を受け入れられるとはさやかにはとても思えなかった。

「いくらなんでも無茶ってもんでしょ。そんなの……残酷すぎるじゃない」

もし仮に、彼が自分がバイドであると知らずにここまで来たのだとしたら。それを教えるということは、今までの戦いが、地球へと戻るための戦い全てがバイドの本能のままに行われたことに他ならないということで。

例え彼がどのような人物であろうと、その事実に耐えることなどできるわけがない。

そう、さやかは考えた。

 

「それでも、ほんの僅かでも望みがあるかもしれない。だからさ、さやか。あんたも協力してくれないか?」

「お願い、さやかちゃん。私たちをロスさんの所へ行かせて」

二人に詰め寄られ、さやかは言葉に詰まる。助けられるものなら助けたいとも思う。けれど、それはどう見ても自殺行為に他ならない。

「今度こそ助けたいんだ。もう一度会いたい。話が出来るならしてみたいんだ。ロスは、ロスはあたしの……家族なんだよ」

ずっと、押し殺してきた思いを。杏子は打ち明け、そして静かに俯いた。

らしくないと思うけれど、一度吐き出してしまえばもう止められなかった。ただただ、胸の中には会いたいと、助けたいという気持ちだけが渦巻いていた。

「誰がなんと言おうと、あたしはロスを助けに行く。今行かないと、あたしは一生後悔する。たとえ無駄でも、死んじまうとしてもだ」

歯を食いしばって顔を上げる。少しでも気が緩んでしまえば、泣き出してしまいそうだったから。

 

杏子の意思は、もはやどうあっても揺るがないほどに硬い。

きっといつもの自分は、杏子にとってこんな風に見えていたんだろうな、と。さやかはそんな杏子の姿を見て、思う。

そしてまどかの方へと向き直ると。

「まどかはいいの?ジェイド・ロスの所に行くってことは、あの戦艦に突っ込むってことだよ。凄く危険だし。死んじゃうかもしれないんだよ?」

そう問いかけた。まどかは、その言葉に小さく身を振るわせた。

死という言葉がひどく身近にあるこの戦場で、その真っ只中へと飛び込もうというのだ。恐怖を抱かないはずがなかった。

それでもまどかは、まっすぐにさやかを見つめて、そして言う。

「さやかちゃん。……私ね、思うんだ。どんなに危なくたって、怖くたって。人にはどうしてもやらなくちゃいけない事と、それをどうしてもやらなくちゃいけない時があるんだって」

「まどか……」

途切れてしまいそうになる声を必死に繋いで。胸に手を当て、必死に声を絞り出して。

「やらなくちゃいけないことが、ロスさんを助けることなんだ。そして、その時が今なんだ。だから……私は、行くよ」

 

「まったく、杏子だけじゃなくまどかにまでそんな顔をさせちゃうなんてさ。ジェイド・ロスって人は、随分モテモテみたいだね~」

不意に、その重苦しい雰囲気を吹き飛ばすようにさやかは笑って言う。けれどその瞳には、どこか落ち着き払った光が宿っていて。

「わかったよ。その話、あたしも乗った!っていうか、あたしも会ってみたくなっちゃったし、ジェイド・ロスにさ」

にっこりと笑って親指を立てた。まどかも、杏子も、その仕草を見て嬉しそうに笑ったのだ。

 

「九条提督にも、協力してもらえないかどうか聞いてみるよ。さすがにこんな突拍子もない話、そうそう信じてもらえないとは思うけどさ」

作戦会議が、もうじき始まろうとしていた。その前に、さやかは九条提督の下を尋ねるつもりだった。最後の攻撃へと移る前に、ジェイド・ロスへの接触を図るためにどうにか、九条提督の力を借りようとしたのだ。

「あたしも行くぞ。ついでに工作機の無心でもしてみるさ」

十分な設備を持たないティー・パーティーでは、キングス・マインドの負った損傷を修復することは困難だった。せめてそれが修理できれば、杏子とさやかの二人で乗り込んでいくことが出来る。

少しでも成功の可能性を高めるためには、どうしてもそれが必要だった。そのための工作機を、どうにか調達しようとしていたのだ。

「私も、一緒に行くよ。……何の役にも立てないかも知れないけどもう待ってるだけなのは嫌だから。お願い、一緒に行かせて、さやかちゃん」

「まったく、しっかたないな二人とも。いいよ、みんなで行こう。三人分の力で、どうにか九条提督を説き伏せてやるのだーっ!」

ぐっと握り拳を高く掲げるさやか。続いてまどかも、杏子も。

 

かくして英雄の帰還を巡る戦いがが生み出す大きなうねりは、多くの命を飲み込みながら少女たちの運命さえも飲み込んで、ついに最終局面へと突入していくのであった。

 



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第14話 ―沈む夕日―④

空で、地の底で、残された者たちは死力を尽くして戦い続ける。
希望をその手に硬く強く握り締め、少女達は呼び続ける。

その声は、想いは“彼”に届くのだろうか。


「こちらさやか、ポイントJ-102を通過。敵影なし、進んでもおっけーだよ」

「了解だ、このまま前進する」

やけにノイズ交じりで音質の悪い通信が、さやかと杏子の機体の間で交わされていた。

それは、この時代ではほとんど使われることのない極超短波による通信だった。交信を行える距離も短く、その質もあまりよくはない。それでも、あえてそれを使っているのには理由があった。

「まどか、次はどっちだ?」

「えっと……うん、次はそのまま直進、突き当たりを右に曲がって」

タンデム仕様のコクピットの中、後ろに座るまどかに杏子は尋ねた。まどかは画面に表示されているマップを頼りに、何とか杏子とさやかに指示を送った。

 

そこは、都市部の地下に広がる広大な地下空間。

その中を、二機のR戦闘機がゆっくりと進んでいた。

 

さやか達が九条提督に協力を求めたその時に、既に彼は半ば今後の方針を決めていた。

現在の戦力では、敵戦闘機群はともかく敵戦艦の撃墜は困難だった。なにせ、真正面からの撃ち合いで6対1のハンデをひっくり返した相手である。いかなテュール級戦艦と言えど、単機での撃破は難しい。

とはいえ、敵の戦力は最早ほとんど残っていないのも事実。だからこそ、彼は待とうとしていたのだ。今はともかく、もうじき地球の各方面から援軍が到着するはずだった。

今無理に攻めるよりも、援軍を待った方が勝利は確実なものとなる。それまでの間、敵が逃走しないように適度にプレッシャーをかけていけばいい。そう、彼は考えていたのだ。

そこにもたらされた衝撃的な事実。驚くべき事に、敵はかつての英雄ジェイド・ロスの成れの果てだと言うのである。成れの果て、なんて言い方には杏子は渋い顔をしていたが、それは今は問題ではない。

俄かには信じがたいが、敵の手並みを見るとそれも納得はできる。少なくとも、その突拍子もない言葉に説得力を持たせる程に、敵の指揮能力はずば抜けていた。

 

だとすれば、待ちなどという生ぬるい手を使うわけにはいかなかった。

英雄と称され、望むがままに戦局を塗り替えたとまで言われ、ついには戦慄の魔術師などという大仰な呼び名まで付いてしまった男が立ちはだかっているのだ。時間を与えれば、間違いなくこちらに不利になる。

すぐさま何らかの手を打つ必要があると、九条提督がその知能を廻らせるよりも一瞬早く、さやかがやけに大仰な様子で言い出した。曰く――我に策有り、と。

まんまその調子で言ったものだから、辺り一同脱力したのは言うまでもない。

当初、九条提督はバイドに意思疎通を図るなどという自殺行為を、決して認めようとはしなかった。それでもさやか達は食い下がり、ついには魔法少女のことも、まどかの能力のことまでもを明かしてしまった。

それこそ信じられない話だと、取り付く島もない九条提督。助け舟を出したのは、傍らに立つガザロフ中尉だった。

一体どういう情報網によるものか、彼女は魔法少女というものが存在することを知っていた。噂の範疇を出ず、随分と誇張された風もある魔法少女の能力を述べた上で、改めて彼女は提案した。

その提案こそが、今行われている作戦であった。

 

九条提督の部隊が真正面から敵の注意をひきつけている間に、さやかと杏子が秘密裏に敵艦に肉薄しこれを撃破する。その際に何かしらの出来事があったとしても、その対処は現場に一任する。

縦しんば説得できればよし、例え無理でも、十分にそれは奇襲足りえる。それは双方にとって、最善の落とし所と言えた。

問題はいかにして彼の元へと接近するか。その方法は、彼自身が示してくれていた。都市部の地下に広がる広大な空間。これは郊外から都市中心部までにかけてありとあらゆる場所に、迷路のように広がっていた。

先の戦闘で彼がそうしたように、今度はこちらがそれを利用してやろうと言うのだ。

 

かくして、今に至るというわけである。

至急工作機を総動員し、杏子の機体の修復を済ませ。さらにはまどかが同乗できるように、パイロットユニットをタンデム仕様に換装した。

かくして三人は地下に潜り、敵から察知されるのを防ぐため極超短波による短距離通信に頼り、広大な地下空間を突き進んでいたのであった。

 

「敵、戦闘機部隊、来ます!」

ガザロフ中尉の声に、九条提督は意識を思考から戦闘へとシフトさせた。ビル街に迫るR戦闘機部隊を迎撃するかのように、敵の戦闘機部隊が現れたのだった。

「まずは敵の出鼻を挫く、射線上のR戦闘機部隊を退避させろ!退避確認後、主砲及びグレイプニル砲発射!」

撃ち放たれた陽電子砲が、開戦を告げる合図となった。

 

「上じゃどうやら始まったようだな」

艦砲射撃の轟音が、地響きとなって地下に伝わってくる。

「そうだね、あたしらも急がないとまずいね」

敵が一度使った経路である。何処にバイドの残党が居てもおかしくない。慎重に、かつ可能な限り迅速に、さやか達三人は地下を突き進んでいた。

自由に動けるさやかが偵察を行い、まどかがタンデムシートからナビゲートを行った。地下空間のマップは入手しているが、バイド軍の侵攻の際に破壊されたり、R戦闘機では通れないような区画もある。

通れる場所を探すだけでも、随分と手間のかかる仕事だった。

「次は左かな。その先は道が狭くなってるから、一旦もう一つ下のエリアに降りてから進んでね、さやかちゃん」

「おっけー、まどか。杏子、先に行ってるけど、遅れないように付いてきなさいよっ」

「任せとけ。さやかこそ、うっかりぶつけて機体をダメにするんじゃねぇぞ」

救いを求めて、少女達が地の底を行く。その行軍は、どこか楽しげにさえ見えた。そんな風に振舞わなければ、この場に立ってもいられない。ただそれだけのことなのだけれど。

 

「っ……ストップ!杏子……やっぱりいたよ、しかも、ゲインズだ」

レオⅡのセンサーが、前方のバイド反応を捉えていた。その反応はゲインズの存在を示している。動いている様子はない、既に戦闘不能ならばいいが、そうでないとすれば拙い。

「どうする、仕留めるか?」

「いや、下手に暴れられたらあたしら生き埋めになっちゃうっての。……なんとかやり過ごすなり、上手く撒いてやるなりしたいところだけど」

こんなところに居ることを知られては、折角の奇襲が台無しになってしまう。接近するチャンスも失われるだろう。

「まどか、この先のルートってどうなってる?」

「この先は……十字路を右に、それから上のエリアに出れば、あとはしばらく真っ直ぐかな」

マップの扱いにも大分慣れたようで、まどかの声にももう迷いは見られない。その声を受けて、杏子とさやかは考え込んだ。

「十字路ってことは、別の場所から道が繋がってる、ってことだよね」

「……だろうな。上手いこと迂回路を見つければ、あいつに引っかからずに進める、か」

「そうだね、道がないかどうか探してみるよ」

その間は、前方の敵を刺激しないよう待機。緊迫した時間。張り詰めた空気と沈黙の中に、R戦闘機の駆動音とモニターを操作する音だけが響いていた。

 

「……見つけたよっ!一旦戻って、さっきの通路を左!」

「よっしゃあ!それじゃあ急いで行っちゃうよぉーっ!!」

「わっ、バカ、さやか、急に動くんじゃ……っ」

一気に通路へ向けて駆け出そうとしたさやか。まずは一度機体の向きを変えようとした杏子。なんとも運の悪いことに、その二機の軌道は交差してしまった。

「きゃぁっ!?」

「うっわわわっ!」

「くっ……こんの、バカさやかっ!!」

機体同士が軽く接触。キングス・マインドはそのまま弾かれ、あわや壁に衝突するかというところで辛うじて機体に制動をかけることに成功した。したの、だが。

「……げげ、やばいよ。今のでゲインズが動き出した!」

「んな……ったく、何やってんだこんな時に。とにかく、見つかったら終わりだ。さっさとその迂回路を抜けるぞ。まどか、ナビを続けろっ!」

「う、うんっ!」

先ほどまでの、張り詰めていながらもどこか余裕のある雰囲気が一変。死と隣合わせの戦場が、ついにこの地下空間にまでも押し寄せてきた。

後方より迫る敵の反応を感じつつ、二人はできる限りの速度で地下空間を駆け抜けていくのだった。

 

「戦況はほぼ硬直状態……いや、こちらがやや不利か」

前線の戦況を眺めて、重々しく九条提督は呟いた。R戦闘機部隊には、敵の撃破よりも戦線の維持と撃墜されないことを優先して命じてある。そのお陰か、今のところ多少の被弾はあれど撃墜されたものは居ない。

だがそれは敵も同じことで、戦況は一進一退であった。しかし向こうには、まだ切り札たる戦艦がある。戦況はやはり不利と言わざるを得なかった。

ただ、時間が稼げればいい。その方面から考えれば、この結果はまずまずと言えた。

「敵艦の動きは?」

「今のところ静観しているようです。彼女達も、まだ到着してはいないようです」

即座に帰ってきた報告に、九条提督は帽子を目深に被りなおして。

「……急いでくれよ。持たせるのにも限度がある」

再び戦場へと意識を向ける。散発的に巻き起こる閃光と爆発。傷つけられていく都市。避難は済んでいるとは言うが、これでは被害は出ないはずも無い。

ましてや、これが実は人類同士の争いなのだと言う。そう考えると、えもいわれぬような空しさを、九条提督は感じていた。

何処までも孤独に戦い抜き、そして今尚ああして立っている彼がどうしようもなく、憐れに思えてしかたがなかった。

 

「敵艦に動きあり!こちらへ向かってきますっ!!」

そして、ついに彼は動き始めた。もしや彼女達が気取られたかと、不安を抱いた九条提督だったが敵が直接こちらを目指していると知り、まずは一つ安堵した。

「R戦闘機部隊を後退させろ、敵の艦砲射撃の範囲に入れさせるなっ!間に合ってくれよ……」

敵が動き出した以上、こちらも動かなければならない。恐らくこのタイミングで仕掛けることが出来なければ、最早彼女達は地下で立ち往生するしかない。

「敵、艦首砲に高エネルギー反応。撃ってきます!」

後退が遅れた部隊が、敵艦の攻撃範囲内から逃れることに失敗したようだ。それに狙いを定め、コンバイラベーラの艦首砲、フラガラッハ砲Ⅱが放たれようとしていた。

「く……敵艦首砲の発射と同時に前進!グレイプニル砲で敵艦を直接叩くっ!」

こうなれば、後は艦砲射撃の撃ち合いに任せるしかないと九条提督は判断した。少なくとも一度撃ってしまえば、艦首砲の再度発射まではチャージが必要となる。先手は取れるはずだと、九条提督は前進を命じながら考えていた。

そして、ビル街を薙ぎ払って放たれるフラガラッハ砲Ⅱ。二股に分かれたその閃光は、広い範囲を焼き払っていった。回避をし損ねた味方機が、光に飲み込まれて潰えていく。

その、激しい光の炸裂と同時に。

 

「行くぞ、さやか、まどかぁっ!!」

「おっけー!任せなさいっ!!」

「うん、行こうっ!!」

地表を吹き飛ばし、放たれた波動砲の一撃。そしてそれが穿った穴の奥底から、赤と青の機体が飛び出した。

 

「来たかっ!!」

その反応を察知して、スキタリスのブリッジで九条提督が声を上げる。

「確かにレオⅡとキングス・マインドの反応です。二機は健在ですっ!敵艦に向けて接近中っ!」

奇襲は成功した。ついにあの英雄に、一矢報いることが出来たのだ。後は彼女達が上手くやってくれるのを祈るだけだと、九条提督は湧き上がる笑みを隠そうともせずに叫ぶのだった。

 

ちょうど彼女達が地下を駆け抜けていた頃。それはコンバイラベーラが移動を開始したその時で。頭上を移動するコンバイラベーラの反応を、二人の機体は確かに捉えていた。

すぐさま波動砲をチャージし直上へ向けて放つと共に、降り注ぐ破片や土砂を振り切って、赤と青の光が地表へと駆け上がっていった。

場所はほぼコンバイラベーラの直下。呼びかけるにも、接触通信を図るにも絶好のポジションだった。

「行くぞ、外部通信チャンネル解放。届けるぞ、あたしらの声をっ!まどかっ!!」

「うんっ!全力で、思いっきり呼ぶよ、ロスさんをっ!!」

二人が息を吸い込んだ。目前に迫るは禍々しくも美しい、紅。その紅に触れようとして、声を放とうとして。その、直前に。

 

激しい光を巻き上げながら、それは割り込んできた。

 

「ロス……っぐあぁぁっ!」

「ロスさ……きゃぁぁっ」

呼びかけようとした声は、途中で悲鳴に変わっていた。割り込んだのは、禍々しい異形の機体。マッド・フォレストⅢ。

先の戦闘でさやかと杏子を苦しめ、マミが命がけで撃退したその姿をどうしても連想させる、禍々しい姿だった。

割り込んだ光と交差して、弾き飛ばされ進路がずれる。さらには火花と爆発を巻き起こすキングス・マインド。あの一瞬の間に、敵はしっかりと攻撃を入れていたらしい。

「間違いない、こいつは……」

その恐ろしいまでの技量を、容赦ない攻撃を目の当たりにして、理解する。

さやかはその敵機へと機体を走らせながら。

「やっぱりそうかよ、あんたならここに居ると思ったよ」

杏子は、錐揉みする機体に制動をかけ、更に迫る敵機に迎撃の意思を向けながら。

 

「マミさんの、仇ぃぃィっ!!」

「アーサァァァァっッ!!!」

二人の怒号が、戦いの空に交差した。

 

「さやか、こっちにゃまどかが居る、あんまり無茶はできねえ。あいつの……アーサーの相手を頼むっ!」

「任されたっ!やっつけちゃっても、恨むんじゃないわよっ!!」

奇襲は防がれた。けれど、まだ終わりと決まったわけではない。

再び機首をこちらに向けて、突撃してくるアーサー機。それを真正面から迎え撃ち、立ち向かうさやか。

「今度こそ、行くぞ。まどかっ!!」

「今度こそ、伝えるよ。杏子ちゃんっ!!」

そして、杏子とまどかは再びコンバイラベーラへと接近する。しかしもはやそれは奇襲ではない。その進路を、無数の追尾レーザーとファットミサイルが塞いでいる。

「ったく、下にも死角なしかよ。……掻い潜って接近する。舌ァ噛むんじゃねーぞっ!!」

「うんっ!お願い……気づいて、ロスさんっ!!」

迫る追尾レーザーを、十分に引き寄せてから回避。そこへ殺到するファットミサイルを、レーザーで打ち砕き、フォースで受け止め接近する。再び外部通信をオンに、そして叫ぶ。

「ロス、私だ。杏子だっ!気づけよっ!ここまで、会いに来たんだぞッ!!」

「ロスさん、私だよ、まどかだよっ。お願い、話を聞いて……ロスさんっ!!」

外部スピーカーで拡大された声が、戦場に響く。降り注ぐ攻撃の雨と、巻き起こる爆発の嵐の中でも、それは確かに響いた。そして、僅かな間をおいて。

コンバイラベーラは再び、追尾レーザーによる攻撃を開始した。

 

「駄目かっ!こうなりゃ仕方ねぇ。あいつに接触して、直接伝えに行く。……お前はそのまま呼び続けろ、まどかっ!!」

「分かってる。お願い、答えて!もう一度私の話を聞いて!ロスさんっ!!」

帰ってくるのは、無慈悲な破壊の光だけだった。

 

「杏子とまどかがうまくやってくれれば、それで戦いは終る。……でも、その前に。お前だけは、お前だけはあたしが倒してやるっ!!」

青い光を纏ったまま、アーサー機へと突撃を仕掛けるさやかのレオⅡ。レオⅡの放つリフレクトレーザー改を掻い潜り、そのままマッド・フォレストⅢが接近。そして交錯。

すれ違いざまに一撃を叩き込まれ、レオⅡの機体から火花が散った。

「まだだっ!負けるもんか、負ける……もんかぁぁぁっ!!!」

それを即座に、さやかの魔法が修復していく。即座に機体を旋回。再びアーサー機へと向かっていく。

アウトレンジからの撃ち合いでは決着はつかない。どれだけ攻撃を受けてもいい、白兵戦で確実に一撃を叩き込む。アーサー機もそれに応じ、再び二機が交錯する。

自らの被弾を度外視したさやかの攻勢は、あまりの気迫は、アーサーですらもその全てを受け流すことは困難で。次の瞬間には、互いの機体が同時に火花を散らしていた。

空に輝くは電流火花、激しくぶつかり合う度にどちらの機体からも、それが何度も散りばめられた。

 

「もう少し……もう少しだけ頑張れ、あたしの体……ッ」

ソウルジェムの穢れは恐らくもう限界に近い。体の奥に、じくじくとした疼きが芽生えていた。そしてそれが、じわじわと全体に広がっていくような嫌な感触。

それが全身に広まったときどうなるか、それは考えるまでもないことだった。

そんな恐れも全て飲み込んで、さやかはさらに戦いへと没入していく。壊されたサイビットを即座に再構成、機体をそのままぶつけるような勢いで接近し、サイビット・サイファとレーザーによる波状攻撃を展開する。

サイビットが、マッド・フォレストⅢの前方より生える蔦状組織をへし折った。回転しながら後方へ吹き飛ばされるも、すぐさま機体を制御し迫り来る。その先端から生じた蔦状のエネルギーが、さやかの機体を掠めた。

「いい加減それも見飽きたっての、そうそういつまでも、当たってなんか……っ!?」

その発射の瞬間を見切り、回避に成功したさやかであったが、伸ばされた蔦からさらに生じたその花がレオⅡの装甲を食い破っていた。

進化を遂げたマッド・フォレストⅢは、その波動兵器もまた更なる進化を遂げていた。異形の花を咲かせた刃が、レオⅡに深刻な損傷を与えたのだった。

 

「こんな……ことで…やられて、たまるもんですかぁぁーっ!!!」

直後、まるで吹き上げるかのようにレオⅡから奔流する青い光。その光は、装甲を食い破る花弁を吹き飛ばし、さらにその機体を修復させる。

バイドすらも超える異様な再生能力、そしてその恐ろしいまでの気迫。それに圧されて、ついにアーサー機が背を向けた。

敵の正体が分からない以上、単独で立ち向かうのは危険だと考えたのかもしれない。だが、とにかく彼は背を向けたのだ。急速に離れ、距離をとる。

そのアーサー機に、直下から現れたサイビットが強烈な一撃を叩き込んだ。

「かかった!今度こそ、今度こそ……これで、終わりだぁぁぁっ!!」

それは先に破壊され、そのまま破棄されたはずのサイビット。さやかはなんとそれを遠隔で再生させ、三つ目のサイビットとして起動させたのだ。本来想定されていない運用方法に、機体がエラーを吐き出した。それすらも魔法で強制的に黙らせる。

 

そして今、ついに最高のチャンスが訪れた。

明確な撃墜の意思を持って、最後の一撃が放たれようとしていた。

 

「ったく、厄介な弾幕だ。ちったぁ休めっての!」

敵の砲台は実に勤勉で有能だった。

休む暇も与えずに迫り来る追尾レーザーとファットミサイル。それを回避するのが精一杯。これ以上距離を詰めれば、それすらも敵わなくなる。とはいえこれ以上時間をかけ続ければ、前線の部隊もさやかのことも心配だ。

「覚悟決めるか……まどか、とにかく体を固定しとけ。相当暴れるぜ」

「っ……うんっ!」

既に今までの機動ですらも、激しく機体は揺さぶられ続けて。慣れないまどかにとっては、もはや酔うどころの話ではなかった。それでも今だけは、と必死にシートにしがみついた。

(ロスさん、ロスさん……ロスさんっ!!)

言葉を放つ余裕がなくなっても、それでも必死に心の中で呼びかけながら。

 

敵機の地中からの奇襲。それを予想していないわけではなかった。こちらが取った手を、敵が取れない訳はないからだ。とは言え、敵には先ほど我々がそうしたように、地下からの奇襲部隊に多くの戦力を割く余裕はないだろう。

だからこそ、恐らく少数精鋭で向かってくるであろう敵の奇襲に備えて、アーサーを艦の護衛につかせていた。

その読みは当たり、敵機の地中からの奇襲を見事にアーサーは阻んでくれた。だが、状況はまだ決していない。

どうやら突入してきた敵は相当の手練のようだった。一機はアーサーと激しい空戦に突入し、未だにそれを続けている。そして艦に迫ったもう一機。接近は阻んでいるが、撃破には至らない。

前方の戦線も気にはなるが、どうやらこちらを先にどうにかしなければそちらを気にしている余裕もなさそうだ。まずは艦に接近しようとする敵機を叩き落すため、私は艦を旋回させた。

既にフラガラッハ砲Ⅱのチャージは完了している。全砲座による一斉射撃で、敵を叩き落してやろう。

 

いよいよ突撃しようと意思を固めた杏子の前に、コンバイラベーラはその艦首を向けた。既にチャージを完了させた艦首砲が、その照準をキングス・マインドに合わせていた。

進化し、より広域を攻撃可能となったフラガラッハ砲Ⅱ。そして今尚降り注ぐ砲撃と合わせて、もはや杏子に逃げ場と言えるものは何一つ存在していなかった。

 

――これで、終わりだ。

フラガラッハ砲Ⅱの照準が敵を捉え、後は発射の命を出すだけだった。この位置ならば外しはしない。十分な確信を持って、私はその命令を出した。

――フラガラッハ砲Ⅱ、発『やめて、ロスさんっ!!』

――っ!?緊急回頭っ!!

 

艦首砲が放たれる直前、突如としてコンバイラベーラの艦体が錐揉みするかのように旋回した。艦体の制動などまったく考えないその動きは、艦のコントロールを一時的に失わせた。

コンバイラベーラは、明後日の方向にその艦首砲を撃ち放ちながら並び立つビルの残骸に、その身を強く撃ちつけていた。

「な……っ」

放たれようとした艦首砲、それをどうにか回避しようとしていた杏子は、その突然の挙動に思わず驚愕の声を上げていた。

艦首砲は明後日の方角を貫き、敵の迎撃兵器もその一切の攻撃を止めている。ビルの残骸に身を預けたコンバイラベーラは、まるでこちらを見つめているようで。どこか、戸惑っているようにも見えた。

そんな様子に呆けたように動けずに居た杏子は。

「杏子ちゃんっ!今だよ、届いたんだよ!ロスさんに、私達の声がっ!!」

まどかの声に、我に返ったように目を見開いて。

「……そう、だな。何だっていい、ロスに接触するチャンスだっ!」

そして杏子はキングス・マインドを走らせ動きを止めたコンバイラベーラの艦首部分に、自らの機体を接触させた。

 

「終わりだぁぁぁぁぁ……あ、あれっ?」

気がついた時には、さやかは奇妙な空間に立っていた。

足元には奇妙な靄のようなものが垂れ込んでいて、見える空はどこまでも琥珀色に美しくて。どこまでもただ広いその場所は、靄の向こうの地平線の彼方まで、その視線を遮るものは何も無かった。

「え、ちょっと。どーなっちゃってるわけ?これは」

その荘厳ともいえる景色に半ば圧倒されながら、それでもさやかは自分が置かれている状況を思い出し、騒ぎ出した。

そう、つい先ほどまで自分は戦っていたはずなのだ。まさに捨て身の猛攻で、ついにあの敵機を追い詰めたはずだったのだ。なのに、なぜか今こんなところでこうしている。

さっぱり訳が分からなかった。

「いつのまにやら天国行き……なんてわけ、ないよねぇ?いくらなんでも天国にしちゃ殺風景過ぎるし」

「そうだな、そもそも本当に天国なら、そんなところに俺は居ないはずだ」

「え?」

そんなさやかの声に答えて、一つ、男の声がした。気がつくとさやかの隣には、長身の男性の姿があった。軍服姿で銀髪の、随分整った容姿の男性だった。

 

「だ、だだっ!?誰なのよあんたはーっ!?」

余りの動揺に口調を取り繕うことも忘れて叫ぶさやか。そんなさやかに、男はやかましいな、とでも言うかのように顔を顰めて。

「やかましいっ!」

と、まさにそのまま一喝した。それから、一つ小さな咳払いをして。

「状況が分からないのは俺も同じだ。まあ、まずはそこから確認していくことにしよう。俺は地球連合軍バイド討伐艦隊所属、第一機動部隊隊長の、アーサー・ライアット中佐だ。お前の所属と階級は?」

一気に、そう捲くし立てるのだった。

 

「ん……あ、れ。どうなってんだ、こりゃあ」

杏子も同じく、その不思議な空間で目を覚ました。

コンバイラベーラに接触した瞬間に、急に意識が途絶えてしまった。そして目が覚めるとこんな場所にいた。やはりその場所の荘厳さに半ば心を奪われつつも、杏子は辺りを見渡した。

まどかは、さやかは、そしてロスはどうなったのだろうか。

 

人影を見つけた。

とにかく何かが分かるかもしれないと、杏子はそれをめがけて駆け出した。だんだんと、その人影がはっきりと見えてくる。どうやら一人ではないようだ。

さらに駆け寄る、ついに見えたその姿は。

 

「…………お前ら、何やってんだ」

まどかをその両手で抱きしめる英雄、ジェイド・ロスの姿と。思いっきり困惑した表情で、抱きしめられているまどかの姿だった。色々な感情が一気に去来して、まず最初に口火を切って出たのはそんな言葉だった。

なんだか、途方も無く脱力感を感じて杏子はその場にへたり込んでしまった。

「っ、杏子ちゃんっ!違うんだよ、これは……ちょっと、離してくださいっ!」

途端に大慌てでそれを振りほどいて、まどかは杏子の元へと駆け寄った。

「ああっ!?待ってくれマドカ、もうちょっと話を……って、キョーコ?」

追い縋ろうとしたロスは、そこでようやく杏子のことに気づいたようで。何とか衝撃から立ち直った杏子は、ゆっくりと立ち上がる。

そして、完全に目の据わった様子でロスを睨み付けた。

 

「もしかして、本当にキョーコなのか?……まさかまた会えるなんて。随分背も伸び…っぎゃっ!?」

途端にその表情を輝かせて、杏子に歩み寄るロス。杏子は、その嬉しそうな笑みを湛える頬に、全体重を乗せた渾身の拳を打ち放った。

驚いて目を見開いたまどかの前で、ロスの体がぐるんと回る。そしてそのまま、ばたりと倒れた。

「な……いきなり、何をするんだキョー、げふぁっ!」

起き上がろうとしたロスに、杏子はさらに容赦の無い前蹴りを叩き込む。

「今のは……あたしを置き去りにしてくれやがった分だ」

燃え上がるような怒気を孕んだ声で杏子はそう言うと、そのまま再び倒れこんだロスの上に馬乗りになって、更なる殴打を続けた。

「これは散々あたしを子ども扱いしてくれた分っ!これは、こんなふざけた騒ぎを巻き起こしてくれた分っ!!」

思いがけなく思い拳がロスのレバーを捉えて、鈍い痛みにロスは顔を顰める。

「そしてこれは、まどかにセクハラしやがった分だぁぁぁっ!!」

「まて、それは誤か……ぎゃっはぁ!?」

問答無用の一撃で、またしてもロスは悶絶し。

「そしてこれは、これは……」

それでも尚止まらず、杏子は拳を撃ち付ける。けれど、だんだんとその力は弱くなっていき、だんだんと声も弱弱しくなっていき。

 

ようやくお互いの状況をそれなりに把握し、人影を見つけて駆けつけたさやかとアーサー。

その二人が見たものは。

声を限りに泣きながら、横たわったロスに抱きつく杏子の姿。そしてそんな杏子を受け止め、そっと髪を撫でるロスの姿。

そしてそんな二人を、優しい笑みを浮かべて見つめるまどかの姿だった。

 

「――で、結局そっちでも、ここがどこなのかはわからなかったわけだ」

座り込んで、さやかとまどか、そしてアーサーが顔を見合わせている。

口火を切ったのはアーサーだった。

未だにこの場所がどういう場所なのかは分からない。足元の靄をかきわけてみたが、どこまでもそれは広がっているようで。けれど足元はしっかりしていて、どうにもおかしな感じだった。

「あたしらは、ついさっきまで戦ってたはずなのにさ。なんでこうなってるんだろ」

その言葉を次いで、さやかが言う。

アーサーが先ほどまで戦っていた相手だと言うことはわかっていた。それが人類に多大な破壊をもたらしたことも、マミを殺したのだということも分かっていた。

けれど、どうしてもその責をアーサーに問うことはできなかった。このどこまでも綺麗な琥珀色の世界を見ていると、そんな怒りさえもが薄れていくような気がした。

「これも、もしかしたら誰かの魔法なのかもしれないね。話がしたいって、分かり合いたいって。そんな願いが叶ったのかも」

視線の向こうに、今尚何かを話し込んでる杏子とロスを見据えて。柔らかな笑みを浮かべてまどかはそう言った。

本当の所は何もわからない。けれど今は、今だけはこうして、戦いの狂気や脅威から逃れることができている。そして、ずっと会いたかった人とこうして言葉を交わすことが出来ているのだ。

 

「そもそも、俺はその魔法とかいうものがまず信じられん。……まあ、ここの所戦い詰めで、こんな穏やかな気分を感じたのは久々だけどな」

理解できない。そんな様子ではあるが、満更でもなさそうなアーサーが。

「あんたは、さ。自分が今まで何をしてたのか、わかってるの?」

そんなアーサーを横目で見ながら、複雑な心境を抱えてさやかが問いかけた。

彼らはまだ、自らがバイドであることを知らずに居る。だからこそ聞きたかった。何故彼らは、仲間であるはずの地球軍と戦いを続けていたのかを。

「ずっと戦っていたな。何せ地球軍の連中がどこまでも俺たちに立ちふさがってくるんだ。ただ、俺たちは地球に帰ろうとしただけなのにな。……正直、訳がわからなかった」

それでも不思議と、今は落ち着いているな、と付け加えて。

「本当に、何も思いつかないの?自分が攻撃される理由」

「……さて、ね。そこそこ恨みは買ってたはずだが。それでもここまでこっ酷く歓迎される謂れはないな」

お手上げだ、といった様子のアーサー。

 

「じゃあ、あたしが教えてあげるよ」

そんなアーサーに、さやかはどこか底冷えのする声で言い放つ。

「さやかちゃんっ!」

「……言わなきゃ、しょうがないでしょ。あたしらはそのために来たんだから」

 

「何の話をしているのかね。出来れば私にも聞かせてもらいたいな」

そんな話を遮ったのは、ロスの声だった。いつの間にやらこちらまで来ていたようで、隣には泣きはらして俯き顔の杏子の姿も。

「いいよ、まとめて聞かせてあげるよ。あんた達が追われていた理由をさ」

「さやかちゃん、お願いだから待ってよ!……今は、今だけは、ね?」

ロスの前に立つさやか、それを止めようとするまどか。その二人を制したのは、突き出された杏子の手だった。

「……あたしが、伝えるよ。これは、あたしが言わなきゃならねぇ事だ」

「杏子ちゃん……」

「できるの、杏子?」

気忙しげに杏子を見つめる二人。

杏子は顔を上げて、今にもまた泣いてしまいそうな顔をして。

「……ここで言えなきゃ、何のために来たんだかわからねぇだろ」

いつしか、琥珀色の世界に風が吹き込んでいた。

 

杏子は、ロスとアーサー、二人の前に立つ。

「ロス、アーサー。あんた達は、もう地球には居られない」

静かに、その言葉を紡いでいく。

「折角帰ってきたってのに、キョーコまでそれを言うのかよ。ったく、どうなってやがる」

アーサーは一つ悪態をつく。ロスは、黙して何も答えない。

「あたしだって、あんたらとずっと一緒に居たいよ。できることなら、ここでずっとこうしてたいって思う。っていうか、前のあたしなら間違いなくそうしてた。他の事なんか気にしないで、あんたらと居ることを選んだと思う」

声が震える。泣くな、ここは絶対に泣いちゃいけないんだと、杏子は自分に言い聞かせる。

「でも、今のあたしには仲間が居るんだ。一緒に戦いたい、生きていきたいって思える仲間がいる。あたしはもう、一人ぼっちの子供じゃない。だから、あんたらと一緒には居られない」

さやかが、まどかが。その言葉に小さくその身を震わせた。

「そして、この星を、太陽系を守ってやりたいって気もする。あんたらがそう願ったみたいに、あたしも守ってみせる。……だから、そのためにも、駄目なんだ。だって……だって」

 

嗚呼、とロスの口から小さな声が漏れた。

必死に言葉を紡ごうとする姿は、やはりまだ震える子供のそれで。今すぐにでも駆け寄って、その肩を抱いてあげたくなる。けれど、それは出来ないのだと知っていた。

自分と杏子との関係を、親子と言うことが許されるのならば。どんな子にも、どんな親にも、決別の時がなければならないのだ。

それを、ロスは知っていた。

 

 

「――あんたらは、もう……バイドになっちまったんだからさ」

風が、一際強く吹き荒れる。足元の靄が吹き消され、そして消えていく。

靄の下に、一面に広がっていたものは。まるで澄んだ鏡のような水面で。各々の足元からは、どこかの光に照らされて、その姿を映し出していた。

ロスとアーサーの足元から伸びるそれが映していた姿は。

 

 

――コンバイラベーラと、マッド・フォレストⅢのそれだった。

 

 

 

「な……んだ、これは。何だ、これはぁぁァッ!!?」

アーサーの絶叫が響く。それを、まるで身を切られるかの様な悲痛な表情で杏子は見つめていた。それ以上、声をかけることも出来なかった。

「そうか、もう。既に我々は……」

震える手を、じっと見つめてロスは呟く。足元に伸びる異形の戦艦は、まるでこちらを見ているようで。

「我々はもう、人間ではなくなっていたのか」

さほど取り乱すこともなく、ただ淡々と事実を受け止めていた。

「何を落ち着いてやがる、ロスっ!!」

アーサーが、そんなロスの胸倉を掴んで。

「俺達は人間じゃなくなっちまった、バイドになっちまったんだぞ!もう誰も俺達を迎えてくれない、どこにも俺達の帰る場所なんてない!なのに、なのになんだってお前はそんなに落ち着いやがるんだっ!!」

「落ち着いているわけじゃないさ。アーサー。……ただ、ようやく納得がいっただけさ。我々が拒まれ続けた理由。我々が攻撃を受け続けてきた理由。全て、全てに納得がいった。すっきりしたような気分だよ」

ぎりぎりと締め上げられて、その体が僅かに浮いた。それでもロスは構わずに、静かに言葉を続けるばかりで。

 

「……地球を発とう。アーサー。これが分かった以上、我々はもうこの星には居られない」

「っ……何を、言ってやがる。俺は御免だっ!行くならお前一人で行け!俺は、俺は帰るんだ!でなけりゃ、何のためにここまで来たんだか分からないだろうがっ!お前は、お前は本当にそれでいいのかよ、ロスっ!!」

いつしか締め上げるその手は、縋るように掴むだけになっていて。悲痛なアーサーの声は、涙すら混じるようになっていた。

大の大人が、こうして涙を流して叫ぶ姿。少女達にとって、それは生まれて初めて見る光景だった。

「……頼むよ、アーサー。私も一人で旅をするのは御免だ。お前が居てくれると、私もすごく助かるんだ」

そんなアーサーに、ロスはそう頼んだ。アーサーは、ゆっくりとロスの服から手を離す。体が震えて、それでもやがてゆっくりと、アーサーも顔を上げた。

「いまさらだけどな、士官学校を出る時の、お前の頼みなんて聞かなければいいと思ったよ。でもな、そいつを飲んじまったんだよな、俺は。……ったく、わかったよ。付き合ってやる。地獄の底だろうと、宇宙の果てだろうとな」

少年のように服の裾で目元を拭って。アーサーは、どこか不貞腐れたようにそう言った。

かつてのロスの言葉を、“この先も、私についてきてくれないか?”という、全ての始まりの言葉を思い出し、噛み締めながらアーサーは頷いて。

「すまない、アーサー」

そしてロスも、いつかのようにそう答えるのだった。

 

「行くのか、ロス」

おもむろに、杏子がロスに声をかけた。

「ああ、この星には我々の居場所はない。だから、どこかに探しに行くことにするよ。我々が、安心して暮らすことの出来る星をね」

ロスは、そう言って小さく笑った。

「……こいつ一人じゃ不安だからな、俺もついていってやることにするさ」

アーサーも、とうとう覚悟を決めたようで。どちらかといえば開き直ったような調子で、そう答えた。

 

「ロスさん……行っちゃうんですね」

まどかもまた、静かにロスに言う。

「ああ、正直君とはもうちょっとゆっくり話がしたかったのだけどね。まあ、もしまた前のように話すことが出来るのなら、落ち着いた頃にでもまた連絡をくれると助かるよ」

そんなまどかに、ロスは柔らかく笑みを向けて。

 

「あたしは、あんたらのしたことを許すつもりも忘れるつもりもない。……だから、あんたらが戦い抜いたことも、ここに帰ってきたこともそして、宇宙のどこかにあんたらがいることも、絶対に忘れないよ」

泣きたいような、怒り出したいような不思議な感情。それを押し殺して、なんとかさやかが口を開いた。

「まあ、誰にも見送られないまま行くよりはマシか。……ありがとな、それとすまない。さやか」

アーサーは一度、深く頭を下げた。

 

「じゃあ、そろそろ行こうか」

琥珀色の世界が崩れていく。

この世界が何故生まれたのか、誰が望んだのか、そんなことは誰にもわからなかった。そして、知る必要すらもないことだった。

崩れ往く世界の中で、二人は最後に少女達の方を向き。

 

「……達者でな」

「いつか……星の海で」

 

――世界は、消失した。

 

気がつけば、さやかはレオⅡを駆って空を飛んでいた。隣には、併走するマッド・フォレストⅢ。

どれだけの時間が過ぎていたのだろうと思ったが、時計の上ではほんの一分に満たないような時間だったらしい。その事実が、さやかにとってはまた不可解だった。

アーサーにもさやかにも、もはや戦意は欠片もなく。アーサーは、そのままコンバイラベーラへと戻っていった。

 

キングス・マインドの中で、杏子とまどかは目を覚ました。眼前には、巨大なコンバイラベーラの姿があって。

それはまるで眠っているかのように佇んでいたが、急に光を放ち、飛び起きるかのように浮かび上がった。

そんな姿が妙におかしくて、二人は笑う。

そこへアーサーが戻ってきた。そしてまたしばらくすると、残りの戦闘機部隊もまた、コンバイラベーラの中へと収容されていった。

 

「……やった、のか」

突如として抵抗をやめ、まるで逃げるように撤退していく敵部隊。R戦闘機部隊に、それ以上の追討はしないよう命じ、九条提督はその姿を見つめていた。

戦闘機部隊を収容し、都市部を離脱。都市上空でゆっくりと機体を巡らせて、まるでその姿を目に焼き付けるようにするコンバイラベーラの、英雄の姿を。九条提督は目に焼き付けるようにして見つめていた。

 

その、悲しくも美しい姿に、自然と彼は敬礼をしていた。

 

無残に破壊された都市。これも全て、我々がここに来てしまったからなのだ。

それを考えると、胸が痛くなる。それでも、この地球の、人々の営みをしっかりと私は目に焼き付けた。これが最後となるであろう、美しい地球の光景を。

視線を空へ移す。そこにはもう夜の帳が迫っていた。夕日がゆっくりと沈んで行き、その背を追うように夜が来る。

――さあ、行こうか。

自分に言い聞かせるようにしてそう言うと、私は自らの機関に火を入れた。

 

沈む夕日を見ながら思う。よかった、と。

かつて私が考えたような、人類が星の海への扉を自ら閉ざしてしまうようなことが、それが杞憂に終ったことに、私はとにかく安堵を感じていた。

いつか人がその版図を星の海の向こうにまで広げていけば。もしかしたら、どこか安住の地を見つけることに成功した我々と、また出会うことが出来るかもしれない。そう思ったからだ。

その時にはきっと、我々は彼らの同胞としてではなく、星の海を越えた友人としてまた触れ合うことが出来るのかもしれない。そう思ったからだ。

 

遥かな未来への、一欠けらの期待。

それがあるだけでも、私達はどこまでも、この星の海を渡っていける。

エーテルの海を越えて、どこまでも、いつまでも……。

 

 

 

「全艦、一斉射撃!!」

浮上する敵艦を眺めて、ニヴルヘイム級二番艦、アルキオネスのブリッジで、第一方面軍を率いる提督は指示を出した。

20を超える軍艦が、その艦首砲の照準を一点に定め、そして撃ち放った。

暗がりに沈む空を、真昼より明るく染め上げる閃光。

 

それは、遥かな旅への第一歩を踏み出そうとした彼の体に突き刺さり。圧倒的な光が、その場にある全てのものを蒸発させ、焼き尽くしていった。

 

そこにはもう何も、本当に、何も。

残されては、いなかった。

 

 

「……なんだ。結局、こうなっちゃうんだ」

人類の為に戦い、バイドと化し。それでも尚、地球へと還ろうとした。ただ還ろうとしただけの英雄。

その末路を、誰からも受け入れられず、最後の希望を手にした瞬間の終末を見届けて。

 

さやかは、そう呟いた。

 

人類の為に戦ったものの結末。

その存在を受け入れようともせずに、ただ滅ぼすことしかできない人間達。

誰のための正義、何のための正義。不朽のはずの正義は、潰えて消えた。

 

「あはは……みんなの為に戦って、誰にも理解されずに死んで。……バカみたい。あたしって、ほんとバカ」

レオⅡが、内側から膨れ上がるように弾け飛んだ。

それを間近で見ていた杏子とまどかは、そこに現れた異形を見た。

 

それは、まるで甲冑を着込んだ騎士のようで。

異形の頭部と、無数の手を携えて。その手には剣、そして盾。バイドとも違う、それは、明らかに異質な存在だった。

 

 

 

Oktavia von Seckendorff

 

その性質は正義。

決して尽きぬ不朽の正義を求め、それを折られ、尽きる。

それでも尚彼女は正義を求め、それに至らぬ全てを断罪する。

力なき正義を、正義なき力を、戦うことしか知らぬ者を、戦うことを知らぬ者を。

怯懦を、怠慢を、不正を、不義を。

ありとあらゆるものを断罪し、彼女は、常に一人。

 

 

――それは、実に百余年ぶりに人類が直面した“魔女”という名の、魔法少女の本当の敵だった。

 

「さやかぁぁぁァッ!!!」

杏子は叫ぶ。それは、新たな戦いの開始を告げるだけだった。




【次回予告】

魔法少女とは、

「なんなんだよ、あれは一体!!」

彼らが生み出した悪夢

「もう、何もかもお終いだね」

やがて魔女に至る悪夢

「全て、彼女の責任さ」

……魔法少女とは……


「――私を、魔法少女にしてっ!」


次回、魔法少女隊R-TYPEs 第15話
             『魔法少女とは……』


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第15話 ―魔法少女とは……―①

夕暮れが世界を塗り潰していく。漆黒の死兵が、遍く生者を深淵へと引きずり込む。
そこは最早、人智を逸した魔なる死地。

そんな世界に在りて、少女は何を願うのか。


「さやか……ちゃん。ねえ、杏子ちゃん、今何が起こったの?さやかちゃんは、どうなっちゃったの?ねえ、杏子ちゃんっ!?」

まどかの声が聞こえてきた。その声は、未だに目の前の現実を受け入れられていないようで。

「……あたしにだって、わからねぇよ。何がどうなってるんだよ、オイっ!!」

コンバイラベーラの消滅、それに続けて生じたさやかの変容。それはもはや、杏子にとっても理解の範疇を超えた出来事で、杏子もまた何も出来ず、ただその巨大な魔女の姿を呆然と眺めているだけだった。

そう、その魔女は余りにも巨大だった。コンバイラベーラに比肩するほどの巨躯を携え、無数の手に握った剣を、盾を掲げて。まるで周囲を見回すように、その異形の頭部を廻らせたまま、不気味な沈黙を保っていた。

「なんなんだよ、あれは。さやかはどうなっちまったんだよ。……誰か、答えろよ。なあ、誰かっ!答えやがれってんだよぉぉォォっ!!」

 

何もかもが不可解で、それでもただ、嫌な予感だけは拭えない。

 

 

 

「佐倉くん、一体そっちで何が起こったんだ?突然美樹くんの機体が消失した!状況が把握できない。美樹くんは無事なのか、佐倉くんっ!?」

驚愕と焦燥に駆られた、九条提督の声が聞こえてくる。

「状況?見りゃわかんだろ。さやかが、さやかが……あいつが!さやかの機体を食い破って、出てきやがったんだ」

衝撃が通り過ぎると、後に湧き出てきたのは憎悪。正体不明の化け物。バイド反応はない。それ一体何なのかなど分かりもしないが、とにかくそれがさやかの機体の中から出てきた事だけは確かだった。

さやかが生きているかどうかもわからない。けれども今は何よりも、その惨状を引き起こしたあの忌むべき異貌を、許すわけにはいかなかった。

 

「あいつ?何を言っているんだ、佐倉くん。我々には何もいるようには見えない。そちらには何かがいるのか?」

「何……あんたら、あんなデカブツが見えてないってのか?」

そう、それは本来は魔法少女の敵である、魔女。故にその姿は素質を持つ者にしか捉えることはできない。不幸なことに、その事実を知るものもこの場には存在していなかったのだ。

 

「まどか、杏子!聞こえるかい、すぐに戻るんだ!」

そう、唯一人キュゥべえを除いては。

 

「キュゥべえっ!?お前、何か知ってんのか!答えろ、さやかはどうなったんだっ!!」

「答えてキュゥべえ、さやかちゃんは、さやかちゃんはどうしちゃったの!」

たちまち二人分の追及の声が飛ぶ。けれど、そんなものは意にも介さずキュゥべえは、焦った様子で言葉を飛ばす。

「今は説明している場合じゃない。早く艦に戻るんだ!早くしないと、魔女が動き出してしまうよ!」

「魔女……だと?」

聞きなれない言葉、けれど魔法少女から連想はされるその言葉。どこかで聞いたような気がすると、杏子は思索を廻らせようとした。

しかし、魔女の行動はそれより更に先んじていて。

 

世界が、塗り替えられていく。破壊されたはずの都市部が別の空間へと変わっていく。

闇に染まったはずの空は、目に痛いほどの夕焼け色で。空かと思われたその空間は、頭上にドームのような形状をなして埋め尽くす何かだった。

それは、刃。触れるもの全てを傷つけるほどに鋭い無数の刃が、全天球を多い尽くして煌いている。

その世界の中心で、世界の全てを照らす光を放つ魔女。その光は夕暮れ色で、無数の刃に照り返し。世界を更に深い夕暮れに染めていた。

足元を見れば、そこに散らばっていたのは無数の残骸。古くは錆付き折れた刀剣の類から、そして先の戦闘で潰えた戦闘機まで。ありとあらゆる、武器と呼ばれたものの残骸が散らばっていた。

その、武器の亡骸の山の只中で美樹さやかの成れの果て。一人の魔女が佇んでいる。

 

「なんなんだよ、これは」

「どこなの、ここは……」

それが目の前の魔女の仕業だと推測はできても、驚愕を抑えることは出来ない二人だった。

 

「なんだこれは、突然辺りの風景が変わった……?ガザロフ中尉、周囲の状況を報告せよっ!」

「はい、提督……って、何なんですか、これはっ!?」

「何事だ、正確に報告してくれ!」

「わかりませんっ!バイド汚染反応なし、恐らく異層次元が発生したものと思われますが、原因は不明ですっ!」

その世界の中には、九条提督の部隊も含まれていた。突然の変貌、それが魔女の結界であるなどとは思いもよらず、ただただ戸惑うばかりだった。

「とにかく、何が起こるかわからん。動ける機体を全て臨戦態勢で待機させておけっ!」

更なる戦いの気配を肌で感じ、油断なくそれに備えていた。だが、その結界の範囲はそれだけに留まらない。

 

「まさか、この距離にまで結界を広げてくるなんてね。……R戦闘機を核とした、魔女。やはりその能力は恐ろしいね」

その魔女の異貌を遠目に捉えて、ティー・パーティーのブリッジでキュゥべえは呟いた。その口ぶりには、半ば諦めにも似た声が混ざり、キュゥべえはその言葉を続けた。

「魔法少女が魔女になり、その魔女を魔法少女が倒す。その関係が維持されるためには、魔女は魔法少女が倒し得る相手でなくてはならなかった。……だからこそ、人体という不完全なデバイスを元に、魔女の能力を制限していたんだ。そのデバイスが、人体とは比べ物にならない力を持つR戦闘機へと変わった。当然、そこから産まれてくる魔女の力も桁外れのものになるのは当然だよね」

かつてこの星で行われていた、魔法少女と魔女の戦い。それは、魔法少女が魔女となり、その魔女を魔法少女が討つという、終わりのない不毛なものだった。

そしてその戦いこそが、彼らインキュベーターの本来の目的、宇宙維持のためのエネルギー回収には必要だった。いまや魔女の誕生は、彼らにとってすら無意味なもので。更にその打倒は恐らく容易ではない。

人体に比べてはるかに強力なR戦闘機を、自身の身体のように扱っていたさやかである。それが魔女になった時、それはR戦闘機が持っていた力をもとにして生み出されてしまった。

その結果が、あのコンバイラベーラほどもある巨体。そしてこの広大な結界だった。

 

「こんな魔女が野放しにされていたら、バイドに滅ぼされる前に人類の危機が訪れるかもしれないね。美樹さやか。キミは本当にとんでもないことをしてくれたよ」

そう呟くキュゥべえの瞳には、ありありと落胆の色が見て取れたのだった。

 

「な、何なんですか……あれは、っ!?」

ロスを撃墜した、ニヴルヘイム級率いる第一方面軍もまた、その結界に取り込まれていた。随行する駆逐艦のブリッジで、オペレーターの女性が声を上げた。

彼女もまた、素質のある稀有な人間だったのだろう。第一方面軍の中で彼女だけが唯一人、魔女の存在を知覚していた。

「レーダーに反応なし?バイド反応もない、じゃあ、じゃああれは何なの!?」

戸惑い、必死にその正体を探ろうとする彼女の視線の先で、魔女は大きくその無数の手を振り上げた。

その手の先から、無数の黒い歯車が生じる。そして、放たれる。

「っ!正体不明の敵から、攻撃が……え、来ない?」

その歯車は、艦隊目掛けて飛んでくることはなく。その全てが地表へ向けて放たれた。その先に、あったものは。

「大破した機体に……攻撃をしている?何をしているの、あれは」

先の戦闘において大破した、人類の、そしてバイドの戦闘機群。黒い歯車が、その一つ一つに潜り込み、そして埋め込まれた。

 

「何を……しやがったんだ。今のは」

正体不明の存在からの、恐らく攻撃と見られるその歯車。回避行動を取ろうとしたキングス・マインドの横をすり抜け、地表に眠る機体へと潜り込んでいった。

その目的は、すぐに明らかになった。

 

「っ!?撃墜された機体が、動き出しやがった……だと?」

歯車を埋め込まれた機体が、ゆっくりと光を取り戻して宙に浮く。辛うじて機体の形を保っているものも、キャノピー部分が完全に吹き飛んでしまったものもいる。そしてついには、艦隊の半分を失った巡航艦さえもが浮かび上がる。

そして、その全ての機体の内側から黒い何かが噴き出した。機体を包み込む、黒い流体のような物質。それはまるで、エバーグリーンで遭遇した金属生命体のバイドを思い出させた。

そして宙に浮いた機体群は全て、その欠損部分を黒い流体で補うことで、機体としての能力を再び取り戻していたのだった。

モニター上に、友軍敵軍を問わず次々に出現する反応、熱源。その無機質かつ不気味な姿は、まさしく不死の兵。神話に語られるエインヘリヤルのようで。

それを見るものに、畏怖と同時に純粋な恐怖を与えるに、十分なものだった。

 

「これも、全部……あいつがやりやがった、ってのか」

そうして産まれた、異形なる死兵の連合軍。地球軍、バイド軍を問わず、死の淵より蘇った全ての機体が魔女の元へ集う。そして、あたかも忠誠を誓うかのようにその機首を下げ、地に伏した。

その姿はまさしく、主君の号令を待つ騎士団のようで。

魔女は剣を掲げた一本の腕を振り上げて、忠実なる、絶対正義を掲げる彼女の騎士団へと向けて、命を下した。

曰く、正義に至らぬ全てを……断罪せよ、と。

 

「正体不明の機体群、転進。こちらへ向かってきます」

ざわめきに満ちたニヴルヘイム級のブリッジ。一連の出来事は、あまりにも人智を、理解の範疇を超える出来事ばかりで。

「こちらの通信への反応は?」

「……ありません。というよりも、あの機体群には全て、生命反応が見られません」バイド反応も、ほとんど存在していません」

「どういうことだ。バイドによる攻撃ではないのか」

不可解な出来事に、艦長は部隊全体の行動を決めかねていた。そしてそれは、致命的な遅れへと繋がってしまった。

「機体群、接近してきます!」

「……っ、呼びかけを続けろ。波動砲の射程圏内まで反応がなければ、攻撃を開始する。全艦第一種戦闘体勢!R戦闘機部隊は、波動砲のチャージを続行しつつ待機を……っ!!?」

言葉を遮り、巨大な閃光が駆け抜けた。その閃光は、ニヴルヘイム級に随行していたテュール級戦艦を貫き、更に後方へと伸びる。進路上にある全てのものを飲み込み、破壊し、その光は駆け抜けた。それから一瞬遅れて、数珠状の爆発が連鎖する。

機関部を打ち抜かれたテュール級もまた、大きな爆発と共に墜落。そのまま、巻き上がる爆炎の中へと没した。

 

「一体何が、状況を報告せよっ!!」

直撃は免れたものの、その一撃の余波で各所に損傷を負ったニヴルヘイム級。その程度で沈みはしないとばかりに、どうにか艦のバランスを保ちながら、今の一撃の射手を探り、そして見つけ出した。

「発見しました!今の砲撃は……R戦闘機です!データ照合、出ましたっ!あの機体は……」

 

「嘘だろ、どういうことだよ……ありゃあ」

杏子が、呆然と呟いた。夕暮れの世界を貫いたその閃光、それはとても見覚えのある光。

「あれは、あの機体は……マミの」

 

「あの機体は、R-9DX2、超長距離射撃仕様機の、ババ・ヤガーですっ!!」

そう、マミがかつて操っていたその乗機すらも、死兵が織り成す葬列のその一翼を担っていたのである。

 

「どういうこと、杏子ちゃん。あれに……マミさんが乗ってるの!?」

「いや、それは……ねぇ、はずだ。マミは、あの時……死んだんだ。キュゥべえっ!一体どうなってんだ、これはっ!!」

まどかの戸惑い、杏子の怒り。二つの声が飛んでいく。

「ああ、あれはマミじゃない。恐らくさやかの魔法である機体の修復。それが魔女になったことで、他の機体にまでその範囲を広げたんだろうね。そして、恐らくあれを操縦しているのはあの魔女の使い魔だ」

「使い魔、だぁ?だから、そもそもアレはなんなんだよっ!!」

「さっきも言ったじゃないか。あれは魔女だ。美樹さやかは魔法の力を使いすぎたんだよ。ソウルジェムが完全に濁ってしまえば、魔法少女は魔女になる。……元々は、魔法少女はそういう存在だったのさ」

「それ、どういうことなの……キュゥべえ」

明かされた、魔法少女の真実。だが、それを詳しく説明している余裕は、当然のごとく存在しなかった。

 

「……まどか、一旦ティー・パーティーに戻るぞ。奴らがこっちにも近づいてきやがった。流石にあんな数は相手にできねぇ、一旦戻って、キュゥべえの奴から全部聞き出してやるぞ!」

「う、うんっ!気をつけてね、杏子ちゃんっ!」

迫り来る異形の群れ。杏子とまどかはそこから逃れるように機首を翻し、一目散に逃げ帰る。その背後では、死兵達と第一方面軍の戦いが始まっていた。

 

「キュゥべえっ!!戻ってきたぞ、とっとと何が起こったのか説明しやがれっ!!」

「キュゥべえ、さやかちゃんは、さやかちゃんはどうなっちゃったの!?」

無事にティー・パーティーに戻った二人を、すぐさまキュゥべえが迎えた。怒りの色を隠すことなく、そんなキュゥべえに詰め寄る杏子。まどかもまた、泣き出してしまいそうな表情でそれに迫っていた。

「随分といきなりだね。まあいい、改めて説明してあげるよ。魔女が、魔法少女の本来の敵であったことは前に説明したよね。そして、魔法少女はやがて魔女になる。魔法少女が魔女になるためには、そのソウルジェムに穢れを溜め込むことと、深い絶望に陥ること。その二つが必要なんだ」

杏子は、キュゥべえの言葉に目を見開いた。さやかが魔女になったということは、すなわちさやかが深く絶望したということで。

その引き金となったものがあるとすれば、それは……。

 

「なんだよ、そりゃあ。なんだってんだよっ!ロスは最後まで信じて疑わなかったはずなんだぜ。希望を、守りたいと思ったものを。なのに……なんでお前がそんなもんに負けてんだよ、絶望しちまったんだよ」

ロスの死、英雄として、皆を守ろうとした男の余りに悲しい末路。それはきっと、さやかの信じる正義を打ち砕いてしまったのだ。

皆のため、自分の信じる正義のために戦えば、いつか必ず報われる日が来るとそう信じて戦い抜いてきたさやかには、同じく仲間であるはずの人類に討たれるという最後はまるで自分の末路を暗示しているかのようで、許容できるものではなかったのだろう。

「じゃあ、そもそも魔法少女って何なの?どうして、魔女になんてなっちゃうの?どうしたらさやかちゃんを助けられるの?教えてよ、キュゥべえっ!」

まどかの問いに、キュゥべえは重々しく口を開く。魔法少女の正体。宇宙延命のためのシステム、その実態を。魔法少女が魔女と化し、その際に生じるエネルギーが、宇宙を永らえさせていたのだと。

「かつての魔法少女達が、その事実を知って怒るのもまあ、無理はないことだと思うよ。見解の相違、利益と代償の等価性。それを見誤った自分の判断の甘さを分かりやすい敵であるボクらにぶつけていたんだろうね。……今なら、少しは理解できるよ」

バイドと出会い、敵を憎む心を知ったキュゥべえがそう言うと、続けて最後にもう一つ付け加えた。

「だからこそ、今の魔法少女達はバイド戦うための力としてしか運用していない。願いを叶えることもなければ、魔法の力を使うこともない。だから、魔女になることもない。……はずだったんだけどね」

 

「……さやかが、魔法の力に目覚めちまった。そして、それを使いすぎちまったってことか」

「そういうことだね。そうならないように言い聞かせたつもりだったんだけど。こんなことになってしまったのも、全て彼女の責任さ」

そのキュゥべえの言葉は、暗にこれ以上何も打つ手がないということを示していた。

「そんな……さやかちゃんを助ける方法はないの、キュゥべえ?」

「ボクの知る限り、一度魔女になってしまった魔法少女を助ける方法はない。美樹さやかの魂はもう既に消滅し、魔女のそれとなってしまった。そしてボク達は、魔女の結界に捕らわれてしまった。ここから脱出するためには、魔女を倒すしかない」

 

「……なんてこった、さやか」

救う術はない。絶望的な事実に、杏子の身体が萎える。壁に背を預けたまま、ずるずるとその身体が崩れ落ちていく。床に腰を付き、そのままがっくりと項垂れた。

「さやか、ちゃん……嘘だよ、そんなの……そんな」

そんな杏子に手を貸すこともできずに、まどかも同じく崩れ落ち、項垂れて。まるで全ての力を失ってしまった二人を一瞥して、キュゥべえは外の戦場へと意識を向けた。

 

「第一方面軍が魔女の率いる軍勢と戦っている。勝ってくれればいいけど、望み薄だろうね」

「そんなに強いのかよ、あの魔女は」

虚ろな声で、杏子が尋ねた。

「それもある。あの魔女の能力は、ボクの予想を遥かに超えている。けれど問題はもっと別のところにあるんだ。……魔女は、魔法少女とその素質のあるものにしか知覚できない。通常のレーダーの類でも探知はできないだろうね。知覚できない敵が相手じゃ、戦いようがないだろう?」

「なんだよそれ、ますます滅茶苦茶じゃねぇか」

 

「見届けようじゃないか。普通の人間達が、魔女に何処まで立ち向かえるのかをね」

絶望に満ちた杏子の声を聞き流し、その横顔にどこか面白がっているような笑みを湛えて、キュゥべえはそう呟いくのだった。

 

ババ・ヤガーの形を模したどす黒い塊に、二筋の閃光が突き刺さる。それは第一方面軍のR戦闘機部隊から放たれた波動砲。違わずその閃光はババ・ヤガーを貫き、爆散させた。

「敵の超長距離射撃機を撃破、これで狙撃の心配はなくなりました。他方面でも、我々が敵を圧倒しています」

オペレーターからの通信に、ニヴルヘイム級の艦長は満足そうに頷いた。

「状況は不明だが、敵は恐れるに足らんな。恐らく敵はオートパイロットか何かなのだろう。そんなものでは、我々の敵ではないということだ。このまま敵部隊を掃討し、この空間からの脱出を図る」

最初の一撃、続く攻撃まではまだ浮き足立っていた第一方面軍だが、すぐに統率を取り戻し、バラバラに襲い掛かってくる敵に対して組織的な反撃を開始した。

敵は皆ただのオートパイロットであるのかと思い込むほどに、質はそれほど高くない。このまま行けば、直に敵の掃討は完了するはずであった。

 

その魔女は、その戦況を苦々しく見つめていた。敵を殲滅することが出来ない。正義を行うことが出来ない。ならばどうするか。自ら動くより、他に術はなかった。

 

駆逐艦のオペレーターは、異形の姿を為す魔女が近づいてくるのを見つめていた。

「正体不明の、巨大な敵性体が接近しています!接近しているのに……なんで、何で誰もわからないんですかっ!」

必死に呼ぶ声に応えるものは誰もなく。それどころか、彼女の方が正気を疑われ、ブリッジを追い出されてしまった。

「どうして、どうして誰にも見えていないの……どうして……よぉ」

閉じ込められた個室の中、窓から外を眺めて彼女は嘆く。その視線の先で、ついに魔女は艦隊のすぐ側へと近づいた。その剣を握る手を、高々と振り上げて。

「何を……するつもり?嫌、嫌……イヤぁぁぁッ!!」

その剣を、駆逐艦に深々と突き刺した。艦に激しい衝撃が走る。

艦の機関部を貫いた剣は、機関部に深刻な損傷を与えていた。剣が引き抜かれ、貫かれた機関部から波動粒子が流出していく。艦体の異常加熱、内側から膨れ上がる熱、その内圧で艦が膨れ上がった。

一瞬遅れて、内側から炎が吹き荒れる。それは一瞬で艦内部を火焔地獄へと変え、全てを焼き払っていった。

そして、巡航艦はゆっくりと墜落し。地表に触れると、大きな爆発を巻き起こした。

 

「っ!?被害報告急げっ」

「左翼に展開していた巡航艦が、突如として炎上、墜落後爆発しました。恐らく何らかの攻撃を受けたものと思われますが……正体が分かりません」

「何をやってるんだっ!解析急げ、これ以上敵に好き勝手を許させるなっ!!」

未だかつて遭遇したことのない、魔女という強敵。その正体を掴む事が出来ずに、再び艦隊が浮き足立つ。

「とにかく敵の迎撃を続けろ。敵の攻撃の正体が分かるまでは、艦を一所に留めるなっ!」

そして戦況は廻る。魔女は、更なる攻め手を用意していた。

かざした手に、再び無数の歯車が宿る。それが放たれ、撃墜された機体や艦体に喰らい付いていく。そして再び、魔女の尖兵となって人類に牙を剥く。

艦体を黒く染め上げられたテュール級が、その主砲をニヴルヘイム級へと向けていた。

魔女の剣を受けた駆逐艦もまた、頭上を飛び交う戦闘機群へ向けて、砲撃を開始した。

 

「倒しても倒しても、すぐに復活しちまう。それどころか、こっちの機体がやられても、それもあいつに操られっちまう。どうすりゃいいんだ、あんなの……」

 

そんな戦況を遠巻きに見つめて、更に深い絶望を目の当たりにして。呆然と杏子が呟く。未だ第一方面軍は、魔女の姿を認識できていない。その証拠に、何一つとして有効な打撃を魔女に与えられていないのだ。

「もう、何もかもお終いだね。ほむらちゃんもマミさんも、さやかちゃんも死んじゃった。私達も、もうすぐそうなっちゃうのかな」

すっかり気力が萎え果て、まどかもすっかり絶望にその身を染めている。

「やはり、魔法少女でなければ魔女を倒すことはできないのかな」

キュゥべえも、どこか諦め顔でそれを見つめていた。このままでは遠からず第一方面軍も、そして自分たちも全滅だろう。そうなればこの魔女は、この広大な結界の中で解き放たれることになる。

もしそれがそのまま広がっていけば、いずれそれは人類を脅かすことになるだろう。

 

「魔法少女なら、あれをどうにかできるのかよ」

静かに、けれど何かを決意したような面持ちで、不意に杏子が言葉を放った。

「本人の素質にもよるだろうし、やはりあれを打倒するにはR戦闘機クラスの力がいる。 R戦闘機と魔法。その双方を使いこなせる魔法少女がいれば……もしかしたら」

「それに、魔法を使える魔法少女として契約すれば……一つ、どんな願いでも叶えられるんだったよな」

「その通り。その願いをもっても、もしかしたらこの状況を打破できるかもしれないね」

その言葉に、まどかは俯いていた顔を上げる。その顔には、驚愕と何か希望を見つけたような色が浮んでいて。

 

「本当に、魔法少女になったらどんな願いでも叶えてくれるの?」

「あくまで本人の素質によるよ。余りにも大きすぎる願いや、漠然とした願いを叶えようとすると、何が起こるかはボクにもわからないな。それでも大抵の人が望む願いなら、何でも叶うはずだよ」

そんなキュゥべえの言葉を受け止めて、まどかは小さく頷くと。

「じゃあ、キュゥべえ。――私を、魔法少女にしてっ!」

ぎゅっと、その服の胸元を握り締めて。まどかは、キュゥべえの姿を真っ直ぐに見つめて、そう言葉を放った。

 

ゆっくりと、杏子は立ち上がった。

「……やめとけよ、まどか。お前じゃ無理だ」

そして、キュゥべえに迫るまどかの肩にそっと手を乗せた。

「そんなことないよ、杏子ちゃん。私が契約すれば、魔法少女になれば皆を助けられる。ほむらちゃんやマミさん、さやかちゃんだって生き返るかもしれないんだよ!」

杏子は、静かに首を振る。

「それで、お前はどうする?魔法少女になって、生身のままであれに立ち向かうのか?R戦闘機での戦いは、一朝一夕にできることじゃない。例えあいつらが生き返ったとして、戦うための機体がない。どうしようもないさ」

「じゃあ、それじゃあ私はどうしたらいいの?このままじゃ何も出来ないまま終わっちゃう。そんなの、私は嫌だよっ!」

必死に詰め寄るまどかを、杏子は軽く手で制して。そのままキュゥべえに向き直り、告げる。

 

「おい、キュゥべえ。そういうことだからさ……だから、あたしを魔法少女にしな」

「杏子ちゃん……」

「いいのかい、杏子?キミは魔法少女にならないんじゃなかったのかい?」

不思議そうにキュゥべえが問いかけた。その言葉に、杏子は答えて不敵に笑う。

「さあな、そんなこともあった気がするが、覚えてねーな。……それに、まだあたしには戦える機体がある。できることがあるんだ。よく考えりゃ、あのまま絶望してる暇なんざなかったのさ」

再び、杏子の瞳に強い光が宿った。真っ直ぐにキュゥべえを見据えて、不敵な笑みは消さぬまま。

「いいのかい?魔法を使いすぎれば、キミもさやかのようになるかもしれない」

「そうなる前に、生きて戻りゃあいいんだろ?……大丈夫さ、なんとかなる」

 

不安も恐怖も、全部纏めて笑い飛ばして虚勢を張って。そんな杏子にまどかが縋りつく。そして。

「杏子ちゃん。……やっぱり、私も」

「あたしがダメだったら、その時は頼む。ここまでとことん絶望見せられてるんだ、こうなりゃ徹底的に足掻いてやろうぜ、まどか。こんな絶望にも、バイドにも負けてやらねぇ人間様の意地って奴をさ、見せ付けてやろうぜ」

力強く言い切って、杏子はまどかの肩を叩いた。思いがけなく強い力で、まどかは軽く身体を揺らめかせ。

「契約だキュゥべえ。あたしの願いは……あたしの仲間を、大切な人を取り戻したい。さあ、叶えて見せろよ、インキュベーターっ!!」

声に応えて、キュゥべえの耳が杏子の胸元へと伸びる。激しい光が、視界一杯を埋め尽くし、広がっていく。

 

光が弾ける。そして、その後に立っていたものは。

 

魔法少女の衣装を纏った、佐倉杏子の姿だった。

 

 

 

「それが、キミの新しい力だ。杏子」

「杏子ちゃん……姿まで変わっちゃった」

二人の反応を受けて、改めてまじまじと自分の姿を見つめる杏子。赤を基調にした服は、無骨なパイロットスーツとは違い、機能性と同時に何処となく優雅ささえも感じさせる姿。それは少なくとも、魔法少女という言葉に似つかわしいものだった。

「……なるほど、確かに力が漲ってくるような感じだ。さやかの奴も、こんな感じだったのかね」

感触を確かめるかのように、杏子はぐ、と拳を握り締めた。その手にも、全身にも、まるで内側から溢れ出てくるような強い力を感じていた。今までにないほどの、どんなことでも出来てしまいそうなほどの全能感。

今はまだ、その力は確かな形をとっていない。けれどそうあることを望むなら、その力を振るうことを躊躇しないなら、きっとすぐにでもそれは発揮されるだろう。そう確信できるほどにその力は明確で、そして強大だった。

 

「それ以上さ、願いを引き換えにして得た力は、完全な魔法少女の力だ。間違いなく、さやかやほむらが得た以上の力になっているはずだ」

「なるほど、そりゃ頼もしいね。じゃあ、行ってくる」

それを確信して、すぐさま杏子は機体へ向かう。戦いは既に始まっている。一刻の猶予も惜しいといったところだが。

「確認していかないのかい、キミの願いがもたらしたものを」

「見ちまったら、戦えなくなる気がするから……さ。まどか、あんたが見といてくれよ」

「……うん。でも、必ず帰ってきてね、杏子ちゃん」

まどかは戸惑いながら頷いて。それを見届け、ひらひらと小さく手を振って。杏子は今度こそ歩き出した。去り往く背中を、まどかはじっと見つめていた。

 

その姿が見えなくなると、すぐに。

「確かめなきゃ」

そう言って、まどかは駆け出していくのだった。

 

 

 

 

「じゃあ……一暴れしてこようじゃねーか」

キングス・マインドのコクピット。換装するような余裕があるわけもなく、タンデム席は空席のまま、杏子は魔法少女の姿のままでシートに座っていた。

パイロットスーツは必要ない。今のこの身体は、それくらいの性能は持ち合わせているという確信があった。

急ピッチで発進の準備を進める。鋼の心臓が脈打ち始め、波動の血液が全身へと廻っていく。無数の機関が唸りを上げて、杏子のもう一つの身体に恐るべき破壊の力を漲らせていく。

「杏子、出撃の前にこれだけは聞いておいてくれ」

既に発進の準備を終えたキングス・マインドに、キュゥべえからの通信が届く。

「なんだ、手短にしろよ。すぐに出るんだからな」

「本来、魔法少女はソウルジェムを媒体に機体と接続している。それにより、機体を自分の身体のように扱うことができたし、魔法も機体に対して発動することができた。だけど、キミの場合は違う。調整をする余裕もなかったからね」

「それで、結局何が言いたいんだよ」

「端的に言えば……何時もと違うかもしれないけど、気にせずに自分の感覚を信じるんだ。そんなところだよ。頑張ってくれ、杏子」

まさかキュゥべえにそんな人間臭いことを言われるとは。随分とおかしなこともあるものだと、杏子は薄く笑った。

「言われるまでもないね。今のあたしは、間違いなく絶好調だ。……まあ、見てなって。出るぞ、ハッチを開けな」

返事の代わりに解放されるハッチ。外の冷たい風が流れ込んでくる。機体の肌に触れる。冷たさを感じる。

 

「さぁて……行っくぜぇぇぇっ!!!」

溢れる波動の粒子すら、彼女の赤に染まっていく。赤い尾を引き、キングス・マインドは戦場へと飛び立っていった。

 



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第15話 ―魔法少女とは……―②

少女の願いは奇跡を起こす。されどその奇跡すらも届かぬほどに、運命の壁は厚く高い。
翼折れ、力尽き、朽ち果てんとしていた少女の御許に、最後の奇跡が舞い降りる。


「みんなっ!!」

 

そう叫び、まどかは安置室の扉を開け放った。そこにはラウンドキャノピー型の生命維持装置がいくつも並んでいる。そこにはもはや魂のない、ただの亡骸となった三人が眠っていた。

部屋の中は、痛いほどの静寂が満ちていた。空調は変わらないはずなのに、部屋の中からはひんやりとした空気が流れ込んでくる。それがまた、まどかが中へと踏み入ることを躊躇させていた。

「大丈夫……みんな、無事だよ。絶対に」

足が震える。本当に願いが叶ったのかなんて分からない。もしかしたら、皆死んだままかも知れないのだ。かつてマミを助けたときとは違う、本当の死人となってしまっている。

その事実と直面するのが、とにかくまどかには恐ろしかった。

 

それでも恐怖を乗り越え一歩、まどかは部屋の中へと足を踏み入れた。

「さやかちゃん、ほむらちゃん、マミさん……聞こえる?」

震えそうになる歯の根を食いしばって、どうにか声を絞り出した。けれど返ってくる言葉はなくて。

「……返事、してよ。ねえ、みんな……お願い」

一歩、一歩と踏みしめるように部屋の中へと歩みを進めて。ついには、さやかの眠る装置の前に辿りついた。そこには眠っているかのようなさやかの姿があるだけで。

「さやか、ちゃん……どうして、どうして目が覚めないの、ねえ?」

こみ上げて来る感情を抑え切れなくて、瞳に涙を浮かべて、まどかは呼びかけた。

 

 

「それは、まだ彼女達がコールドスリープ中だからに決まってるじゃないか」

「うわっ!?きゅ、キュゥべえっ!」

嘆くまどかの眼前に、杏子との通信を終えたキュゥべえが現れた。咄嗟のことでまどかも随分慌ててしまったようで、そのまま尻餅をついて立ち上がれなくなってしまった。

「……何をしてるんだい、まどか?」

訝しげに問いかけるキュゥべえに。

「腰、抜けちゃったみたい……」

なんとも頼りない、泣きそうな様子でまどかはそう答えるしかなかった。立ち上がろうともがくけれど、どうにも腰が萎えてしまったようで。

「なんだか知らないけど、大変なようだね。まあいいさ。それじゃあコールドスリープを解除するよ。彼女達が生き返ったのなら、それで目が覚めるはずだ」

「う……うんっ」

それぞれの装置から、電子音が一つ鳴り響く。そして、静かにキャノピーが開かれていく。

目覚めて欲しい。けれど、本当に死んでしまっている姿も見たくはない。そんな相反する思いが、まどかの瞳を閉ざしていた。床に座り込んだまま、まどかは手を合わせて祈るように、彼女達の目覚めを待っていた。

 

 

「全く、今度の敵はどうなってるんだ。いくら落としても蘇ってくるぞ」

疲れと焦り、それをどうにか表面に出すのだけは堪えて。それでも随分とうんざりした調子で、九条提督は愚痴っていた。

押し寄せる死兵の葬列は、九条提督の部隊にも迫っていた。ここを通せば背後にあるのは損傷の激しい艦ばかり、第一方面軍も向こうの敵の相手にかかりきりで、こちらまでは来られない。

逃げるわけにも行かないと、踏みとどまって戦っていた。

幸いにして、敵の質は極端に低い。数とてそれほどではない。けれど、何度となく押し寄せる。倒したはずの敵ですら、いつの間には再び襲い掛かってくる。

戦いに戦いを重ねた九条提督の部隊もまた、既に疲弊しきっており、限界は近かった。

 

「提督、敵の増援です」

「まだ来るかっ!いい加減こっちも限界だぞ……とにかくR戦闘機部隊を向かわせろっ!」

勝算は薄い。仮にこの場を凌げたとしても、次はどうなるか。英雄との雌雄を決したというのに、なぜこんなことになっているのか。思わず九条提督は宙を仰いで手で目を覆った。それでも、どれだけ嘆いたところで戦うしかないのだ。

その時だった。艦を発進させようとした九条提督の下に、その通信が飛び込んできたのは。

「騎兵隊の……到着だぜっ!!」

その声の主は杏子。そしてその機体は、真紅に塗られたキングス・マインド。ただ違うところがあるとすれば、それは。

その数が、総勢七機であるということだけだろう。

 

「キングス・マインドの編隊?佐倉くんかっ!援軍は助かったが、一体どこにそんな戦力が?」

なんにせよ、これで少しは生き延びる目が出てきたかと僅かに安堵。それにしてもこれだけの戦力。いかにして揃えたのかは疑問だった。

「編隊は編隊だな。だが操縦してるのはあたし一人だ。……まあ、見てな。あいつらくらい、あたしが一人で蹴散らしてやるさ」

スキタリスの横を駆け抜ける、杏子率いるキングス・マインドの編隊。先頭の一機だけはフォースを携え、それに六機が続いていく。赤い光の尾を引いて、前方の戦場へと駆け抜ける。

「食い破るぜ……行っけぇぇぇッ!!」

散開。七機全てが散開し、戦場の中へとその身を躍らせていく。直後、あちこちで巻き起こる炸裂、爆炎。それはいずれも、真紅の機体が黒の死兵を打ち砕いたもので。

七機全てが、まるで熟練したパイロットのような機動を取り互いに自在に連携を取り、死兵の群れを翻弄し、瞬く間に追い詰めていく。やがて敵機の群れは追い詰められ、一所に押し込められた。

 

「こいつで、終わりだよっ!!」

杏子は、共に引き連れた六機に命じた。その命に従って、真紅の機体はその形状を失っていく。後に残されたのは、赤く煌く純然たる波動エネルギーの塊。

それはまさしく波動砲のそれに相違なく、そのまま六条の閃光となって敵軍に降り注ぐ。逃げ場を失った敵を撃ち抜き、徹底的に焼き払う。そしてその光は舞い戻り、杏子の機体の側へと並び立つ。

光が再び、真紅の機体の形状へと変わって行った。

 

「なんだって言うんだ、あれは。新兵器か何かなのか?」

その光景に、まさしく理解できないといった様子で九条提督は驚愕し、唸り声と共にその疑問を口にした。

 

そう、変幻自在の動きを見せた、波動エネルギーの塊たるあの六機。その正体はキングス・マインドの生み出したデコイに他ならない。ただ、魔法がその性質を変容させていただけで。

まさしく自分の複製のような技量を持ち、波動エネルギーへと自在にその身を変換できる。デコイと呼ぶには余りにも強力すぎる力を、それは宿していた。

「っはは、とんでもない力だね、こいつは」

そしてその力は、それを操る杏子をもってしても驚愕するほどの力だった。

「一人で七人分。やりようによっちゃあそれ以上だ。……待ってろよ、魔女だかなんだか知らねぇけど、あたしが速攻駆けつけて、この手でぶっ殺してやる!」

手に入れた力が、どんな力なのかを知った。その使い方も、戦いに行使する術も理解した。最早、躊躇うことなど何もない。後はただ駆けつけて、全ての元凶、あの魔女を倒すだけ。

 

「待つんだ、佐倉くん。一体今何が起こってるんだ、キミは、何か知っているのか?」

そんな杏子を、九条提督が呼び止めた。杏子はほんのわずかに、機首をスキタリスの方へ向けると。

「ヤバイことが起こってるのは事実だ。でも、あたしがなんとかする。絶対になんとかしてみせる。だから、それまでの間。後ろの艦を守ってやってくれ。頼む」

そう言い残し、デコイを率いて再度機体を走らせた。目指すは魔女の空域。夕暮れ色に染まりきった空を、一人で七人の杏子が駆け抜けた。

 

第一方面軍は、未だ魔女という未知なる敵、その正体を捕捉できずにいた。質は低いとは言え数で迫る敵、それもいくら叩き落しても蘇り、撃墜された味方さえ取り込む敵が相手

被害は、じわじわと増え始めていた。それはそのまま敵が増えていくということで。

どこかで一度でもパワーバランスが崩れてしまえば、そのまま総崩れになることは明白だった。

そうなる前に、どうにかしてこの異常事態を解決する必要があった。けれどそれをなし得る者は、第一方面軍には誰一人として存在していなかったのだ。無理もない。魔女の脅威に対抗できるのは、魔法少女のみなのだから。

魔法少女足りえるのはまさしく少女のみ、成人のみで構成されるであろう軍には、その素質者が居ないのも無理はない。魔女の存在を知覚し得た数少ない素質者でさえ、先だっての魔女の攻撃によって潰えたのだ。

絶体絶命。この状況を表すのに、それ以上に相応しい言葉は存在しなかった。

 

「どうしたちゃったのさ、立てる?まどか」

祈るように組み合わせていた手。力が篭りすぎて、血の気の失せた白い色の手に、暖かな手が重なった。

「ぁ……さやか、ちゃん?」

声が聞こえて、その手に暖かさが触れて。ゆっくりとまどかは目を開けた。そこに映っていたのは、とてもよく見慣れた、一番大切な友人の姿だった。

「ほんとに、どーしたってのよ。まどかは。そんな泣きそうな顔しちゃってさ」

「さやか……ちゃ、う………ぁ、ぁぁぁっ」

確かに生きている。暖かさを感じる。死んでしまったことなんて、まるで嘘のようにさやかは生きている。それだけで、ただそれだけで、まどかの心は一杯になってしまった。

とにかく嬉しくて、ずっと張り詰め続けていたものが、ぷつりと切れてしまったようで。感情の受け皿なんて一瞬で埋まってしまって、ひたすら零れて溢れ続けた。

「さやかちゃん、っ、ひくっ。さやっ、か、ちゃん……っ」

萎えた腰を、足を無理やり動かして。押し倒すように抱きついて、そして泣く。その暖かさが嬉しくて、涙は止まることなく流れ続けた。

 

「まど、か……本当に、なにがあったってのさ」

そのただならぬ様子、そして蘇り始める記憶。徐々にさやかの表情も曇っていく。それでもさやかは泣きじゃくり、縋るまどかの身体を受け止めて、まどかが泣き止むまでそっと抱きしめあっていたのだ。

 

「そろそろ落ち着いた、まどか?」

「うん……うんっ」

どれほど泣き続けていたのだろうか、ようやくまどかも落ち着いたようで。さやかは、まどかを抱き返していた手を解くと、間近でその顔をじっと見つめた。

「じゃあ聞かせて、まどか。あたしは一体どうなっちゃったの?どうして、あたしは今ここにいるの?」

「それは……っく」

思い出すと、また涙が零れて来そうになって、まどかはぎゅっと目を閉ざして。それでも、やがて意を決したように話し始めた。

ロスを説得した後、ロスはそのまま宇宙に出ようとしたこと。けれど、それは地球軍の攻撃によって阻まれ、彼らは撃墜されてしまったということ。そして、それに絶望したさやかが魔女となり、今尚地球軍に牙を剥いているということ。

そんなさやかを、そして同じく散っていった仲間を助けるために杏子が、魔法少女になってしまったということ。

 

その全てを話し終えて、ようやくまどかは気づいた。今この場で、目覚めていたのはさやかだけだということに。

「っ!そうだ、マミさん、ほむらちゃんはっ!!」

抱きしめあっていた手を振り払い、マミのキャノピーを覗き込む。そこには、変わらぬ姿で眠るマミの姿。装置に付属されたバイタルモニターは、残酷な事実を告げていた。

 

そこに眠る巴マミの体は、すでに死んでいる――と。

装置によってもたらされた仮死状態から目覚めることなく魂を手放し、抜け殻となった体がそこにあるだけだった。

「そんな……嘘だよ、マミさん……ほむらちゃんも……っ」

ほむらの装置もまた、同じ事実を告げていた。それを知り、再び力なく崩れ落ちるまどか。

「なんで……あたしだけなんだ」

自分だけが助けられて、マミもほむらも助けられなかった。杏子の願いは、なぜそんな結果をもたらしてしまったのだろう。その事実が、さやかの心をも打ちのめす。

けれど、今はただ悲しみに暮れている場合ではない。さやかは、それを知っている。

 

「まどか、立って。今は泣いてる場合じゃない。杏子が……戦ってるんでしょ。それなら、あたしだけがここで見ているわけには行かないっての」

残酷な事実。容赦なく立て続けに襲い来る悪夢。それでもまだ抗う術が力があるのなら、その膝を折るわけには行かない。血が滲むほどその唇を噛み締めて、さやかは立ち上がった。

「行こう、まどか。まだあたし達には出来ることがきっとある。杏子を、一人で戦わせていい訳がないじゃない。あいつは、あたし達の為に戦ってるんだ。あたし達だって、一緒に戦わなくちゃさぁっ!」

決意を新たに拳を握る。まどかの話によると、あの魔女は自分の絶望が生み出したのだと言う。なら、それを止めるのもきっと自分でなくてはならない。さやかはそう思う。

戦うための力、レオⅡは失われてしまったが、きっと何か術があるはずだ。決意を胸中に滾らせて、さやかはその名を呼んだ。

 

「出てきなさい、キュゥべえっ!!」

 

 

「ったく、よぉ。こいつは冗談きついぜ」

迫り来る敵を片っ端から叩き落して、ついに魔女の空域へと迫った杏子。その杏子を待ち構えていたのは。

「この数を相手にしろってのかよ。はは……百人斬りってのはこんな感じなのかね」

無数に浮かぶ漆黒の機体。そしてその後方にそびえる艦隊。そしてその無数の死兵に取り囲まれて、剣を掲げて佇む魔女の姿。そこにはもはや、黒に染まった死兵以外の影はない。

第一方面軍は、既に壊滅していたのだ。

「魔女さえ倒せばそれで終わる。いいぜ。突っ切ってやるよ。そして、てめぇのとこまで辿り着いてやる」

機体に力を、赤い光を携えて、杏子が死兵の葬列に飛び込んでいく。その、直前に。

 

「杏子、聞こえるっ!?聞こえてたら返事しなさいっ!」

「この声は……さやかかっ!?」

さやかの大きな声が、通信を介して飛び込んできた。

 

 

「ボクならずっとここにいたさ、さやか」

そんな通信よりも少し前、さやかがキュゥべえを呼んだ直後。キュゥべえはすぐ傍にいたようで、すぐに返事は返ってきた。

「ああ、そう。キュゥべえ。杏子が一人で戦ってるんだよね?だったら、あたしも一緒に戦わせてほしい。あんたの力でなんとかならないの?」

きっと何とかしてくれるはずだと、さやかはキュゥべえに頼む。それだけの権限や力を持ち合わせて、今までなんだかんだで力になってくれていた。だからこそ、表面上はともかく内心では、さやかもキュゥべえのことを信頼していたのだ。

けれど。

「……残念だけど、ボクにもどうする事も出来ない。後は杏子に任せるしかない」

静かに首を振り、キュゥべえはそう答えるだけだった。

「本当に、本当にどうにもならないの!?機体がないなら、どっかから持ってくればいいはずじゃない。普通の機体じゃソウルジェムは使えないけど、普通の機体を動かす練習だってしてたんだ」

そう言って、キュゥべえに食って掛かるさやか。けれど気付く。自分の言葉で思い出す。

「確かに、戦えないことはないかもしれないね。それでも無理だよ、さやか。もうキミは魔法少女じゃない。ただの人間だ。ちょっと訓練を受けただけのただの少女が、あの戦場で戦えると思うかい?折角生き返った命を、キミはむざむざ投げ捨てるつもりかい?」

そう、さやかの手にはソウルジェムがない。魔法少女の証でありその本体、R戦闘機を魔法少女の手足たらしめているデバイス、ソウルジェムは、忽然と姿を消してしまっていた。

 

「何で……どうしてソウルジェムが無くなってるの?」

今まで持っていた戦うための力の喪失。それは、ひどい喪失感をさやかにもたらした。

 

「杏子の願いがそうさせたんだ。さやか、キミの魂はキミが魔女と化した際にすでに消滅していた。杏子の願いは、そんなキミの魂を再構成し、キミの体に固定させたに過ぎないんだ。だからもうキミはソウルジェムを失い、魔法少女ではなくなった」

そんなさやかの状態を見て、キュゥべえはようやく何か納得が行ったように頷いた。

「そういうことだったんだね、杏子の願いは。魂の再構成。それが彼女の願いだとするならば、彼女が使う魔法は……」

その確信を、静かに言葉に変えていくキュゥべえ。その言葉を遮って、さやかはキュゥべえに詰め寄った。

「それなら、もう一度あたしを魔法少女にして!杏子と同じように、あたしの願いを叶えてよ、キュゥべえっ!!」

迷うことなく、さやかはそう言った。魔法少女の背負う戦いの宿命も、魔法を使い続けた末の末路さえも全て自分の身で知って、それでも尚。

不朽の正義は折れて砕けた。けれどまだ、それでも守りたい者がいる。だから戦えるのだと、さやかは信じていた。深く考え込んでしまえば、そこでまた絶望してしまいそうだったから。

さやかは、自分の思いの向くままに、ただそうしたいという純粋な思いだけで、再び戦いの運命に身を投じることを決めたのだ。

 

「それは、できないよ。さやか」

けれど――

帰ってきたのは、冷ややかなキュゥべえの言葉だけだった。

「キミの魂は、杏子の願いによってその体に固定されている、それ故に、その繋がりはとても強いものになってしまっている。もはやボクの手に負えないほどにね。つまり、キミの魂を取り出してソウルジェムに作り変えることが出来ない。だから、もうキミは魔法少女にはなれないんだ、さやか」

さやかの表情が驚愕と絶望の色に歪む。

一歩、二歩。押し下げられるようにその足が後退して。そのまま、壁にぶつかりずるりとさやかの体が崩れ落ちた。

それを、まどかはただ見ていることしか出来なかった。さやかがもう戦えないのだという事を、頭の中でだけは理解していた。そしてれは、もはやこの場に杏子を助ける事が出来るものが存在しないということで。

 

(じゃあ……さやかちゃんはもう、戦わなくて済むんだ。……っ!?)

そんな思いがまどかの脳裏をよぎる。それに安堵していた自分に、まどかは驚愕した。

 

「なによ、それ……なんで、なんでなのよっ!こんな事になったのは、全部あたしのせいなのに。なのに……なんで、あたしは何も出来ないのよ……っ」

自分が無力だという事実を突きつけられて、心が折れそうになる。一度折れてしまった心、再構成されたそれにもくっきりとその折れ目は残っていて。それは間違いなく、さやかの心の弱みとなっていた。

「今は信じるしかないね。杏子があの魔女を倒してくれることを」

「……キュゥべえ」

たとえどれだけ心の弱さを負ってでも、痛切なる状況が彼女の胸を貫いたとしても。それでも、さやかは再び立ち上がる。壁に手を突き、萎えそうになる足に喝を入れ。

それでもまだ、尚立ち上がるのだ。今立ち止まれば、本当に心が死んでしまう。絶望という、心を蝕む致死の毒。それに絡め取られる前に。

 

「杏子に、通信を飛ばして」

一歩でも、前へ進むために。

そして、さやかの言葉は杏子に届いた。

 

「さやか……助かったのか、よかった。本当に、よかった……」

聞こえたその声は、相変わらずの元気な声。それは確かな願いの成果で、その結果にまず、杏子は安堵し喜んだ。

「杏子、あんた……あたし達を助けるために、魔法少女になったんだってね。どうして、って思うけどさ、今はそんな事は聞かない。でも一つだけ言わせてよ」

「な、なんだよ……急に改まった風によ」

音声通信のみではあるが、どこか改まった調子の口調なのはわかる。思わず、ぎゅっと操縦桿を握る手に力が篭る。

「杏子。あんたには、山ほど言いたいことがあるんだ。お礼も文句も山ほどあるし、まだまだあんたと一緒にしたいことだってある。だから、だから……絶対に勝って、そして戻ってきなさいっ!!」

さやかはそう言い放つ。内心の弱音も、救われなかった二人のことも、全てを覆い隠して。伝えるのはただ、相変わらずな様子と一方的な約束だけ。重荷ではあるのかもしれない。それでも、伝えずにはいられなかったのだ。

 

「……ったく。目が覚めた側からうるさい奴だぜ。安心しな。必ず帰るからさ。今度こそ、こんな馬鹿げた悪夢は終わりにしようぜ」

「……あたし、待ってるから」

「ああ、待ってろ」

言葉は軽く、そして強く。通信は途切れ。死兵の葬列が杏子を飲み込もうと迫る。

「来やがれ――残らず灼いてやるよ」」

不敵に笑って、杏子はそれに立ち向かう。

 

 

「こいつら全員相手にする必要なんざねぇ。狙うは中枢、魔女を叩けばそれで終わるっ!」

殺到する死兵群、取り囲まれれば集中砲火で蜂の巣は免れない。既に射程の長い波動砲がいくつか接近している。けれど、狙いはあまりにも甘い。飄々とかわして、六機のデコイを敵陣へと突入させた。

たちまちそれに群がる敵群、全方位からの集中砲火、全神経を回避することに集中させる。考え無しに群がりすぎて、敵は自らの攻撃で誘爆を巻き起こす。互いが互いに傷つけあう混沌とした火線の中を、デコイ達はかろうじて掻い潜っていく。

だが、やはり数の上での差は圧倒的で。取り囲まれて潰されて、全方位からの波動砲で消失するもの。包囲されたその空間ごとを、戦艦の艦首砲で吹き飛ばされたもの。圧倒的な質量に空間を制され、そのまま押しつぶされていくもの。

黒い雲のようにも見える死兵の群れの中、次々にデコイが散っていく。

だが、それも杏子の狙い通り。少し離れた場所からデコイに群がる敵群を眺めて、唇の端を喜色に歪めて杏子が笑う。

「ちったぁ頭使えっての、馬鹿野郎ども」

直後、その黒い雲の中心で巨大な爆発が巻き起こった。

 

「杏子の願いは、魂の再構成という結果を生んだ。それによって生じた魔法は、それもまた魂を生み出すものだったんだね」

杏子の戦いぶりをはるか後方で眺めながら、キュゥべえは静かに呟いた。

「もっとわかりやすく言いなさいっての」

当然、そんな言葉一つで全てが理解できるわけがない。さやかはふてくされたような顔で、軽くキュゥべえの半透明な体に指を突き刺した。

「要するに、魂を複製してるんだよ。キングス・マインドの生み出したデコイに、杏子が魔法で複製した魂が宿っている。つまり今、あのデコイはただのデコイじゃない。杏子と同じ技量と同じ考えをもつ、もう一人の杏子そのものだ」

「……杏子が合計七人、ってこと?まあ、頼りになりそうと言えばなりそうだけどさ」

いまいち理解しかねる、といった感じだが、それでもどうにか把握した様子のさやか。

「でも、たった七人で戦ってるってことなんだよね。あんなに沢山敵がいるのに……大丈夫かな、杏子ちゃんは」

心配そうに、遥か彼方の戦いを見つめるまどか。直後、ここからでも見えるほどに巨大な爆発が巻き起こった。

 

「爆発!?杏子は、杏子は無事なのっ!?」

「反応は消えていないよ。でも、これは……」

巨大な爆発、湧き上がる炎が渦を巻く。その凄惨な状況を遠目に眺めながら、キュゥべえはその耳をぴくりと動かした。

「杏子は、本当に自分の魂の複製を作ったようだね。あの爆発は……恐らく、ソウルジェムに溜め込まれたエネルギーと、デコイの波動エネルギーの同時開放。杏子はソウルジェムそのものを複製して、あのデコイに搭載したんだろう」

それが一体どれだけの魔力を消耗する行為であるか、それを試算して、すぐにキュゥべえはその表情を顰めた。とてもではないが、二度と出来るような芸当ではない。恐らくあれは、一発勝負の切り札なのだろう。

「これで魔女を倒せればよし、もしもだめなら……」

果たしてどうなるのだろう。固唾を飲んで、さやかとまどかは戦いの趨勢を見つめていた。

 

「道は開けた。……さあ、行くぜ」

六つの爆発は、そこに群がっていた敵のほとんどを吹き飛ばした。たとえ修復できるにしても、一度に全てが修復されるわけではない。後ろからどれだけ敵が押し寄せようと、たった一つ、魔女を倒せればそれで終わる。

 

道は開かれた。今こそ、最後の好機。

 

「……っ、ぐ。流石に、無茶しすぎたかな」

だが、それは突然訪れた。体の節々に感じる、気だるさをこれ以上ないほどに重くしたような感覚。限界が近づいているのが分かる。

それが限界を超えた時、自分も同じ物になるのだろう。あの、魔女と。

「まあ、ここが無茶のしどころだよ、なぁ?」

唇の端を歪めて不敵に笑う。何故だろう、これほど困難な状況に追い込まれてしまったというのに、それでも次から次へと笑みが漏れてくる。

確実に自分の限界を超える力。それを行使することの愉悦、戦いの高揚。そして、たった一人で戦うという逆境。その背に負うものの重さ。全てが、杏子の精神を限界にまで引き絞らせていた。

赤い機体が、より赤い炎の渦を駆け抜ける。今尚荒れ狂い、収まらぬ破壊を振り撒く灼熱。太陽とも見紛うその紅に身を焦がし、一直線に駆け抜ける。

 

「見えたぜ、魔女っ!!」

炎の海を突き抜けて、機体のあちこちから未だ炎を噴き出しながら。杏子はついに、魔女の居城へと辿りついた。無数の死兵の屍を、やがて蘇るそれを踏み越えて。

「デコイ全機スタンバイ完了。さあ、今度こそ、今度こそこれで終わりだ」

再び蘇る七機の編隊。姿は先ほどと同じ、キングス・マインドその物の姿。けれど今回はただのデコイ。先ほどのような仕込みをする余裕はなかった。それでもそれは七門の砲門。一斉にそれを解き放ち、魔女を打ち抜く刃となる。

だが、その前に立ちはだかる二機。砲身をパージした姿のババ・ヤガー。そして、ラグナロックⅡ。それは、かつての仲間の機体。

対峙していたのは一瞬。杏子は、無言。無言のまま、互いに破壊の力を携えすれ違う。波動の光が飛び交い、一瞬だけ空を破壊の色に染めた。

デコイが二機、すれ違った直後に弾けて消える。その背後では漆黒の二機が、かつての僚機が砕けて割れて墜ちていった。

 

「……本物は、もっと強かったさ」

それからようやく、自嘲気味に杏子は笑った。最早邪魔するものは何もない。

ついに眼前に迫った魔女。剣を携え盾を構えるその姿はまさしく異貌の騎士だろう。その剣が届くより遠い距離で、杏子はその盾すらも容易く打ち破る波動の一撃を解き放った。

計五発、纏めて撃ち放たれた波動砲。明確な破壊の力と、絶望を払う人の意思をもってそれは放たれ、構えた盾ごと魔女の身体を貫いた。

その胴を、頭部に波動の光が突き刺さり、徹底的に破壊を振りまいていく。その一撃を受け、ついに絶望の化身たる魔女はその動きを止めた。

「それで、油断すると思うかよ。こっちは嫌って程バイドの相手をしてたんだぜ。今更、頭を吹き飛ばした位で安心するかよっ!!」

フォースシュート。更に波動砲のチャージを開始。フォースは魔女の体内に食い込み、青い体液を流すその身体を焼き払っていく。更にもう一撃、放たれた波動砲は――。

「な……っ!?」

直下より割り込んできた巨大な艦体に阻まれて、魔女へと届くことはなかった。

 

「地球軍の新造艦……?ったく、こんなもんまでポンポン落とされてんじゃねぇっ!!」

立ちはだかるは漆黒の巨艦。それがまだ人の手によって動かされていた頃は、ニヴルヘイム級と呼ばれていた艦だった。

恐らく魔女はまだ生きている。それでも深手は負わせたはずだ。後一撃。とどめの一撃を叩き込むことさえできれば。

だが魔女へと至るその道は、ニヴルヘイム級が塞いでいる。

「掻い潜ってやる。ここで死んだら無駄死にじゃねぇかっ!!」

ニヴルヘイム級に備えられた、無数の武装が唸りをあげる。レーザーにミサイル、立て続けに放たれるそれをギリギリで掻い潜り、最短コースでニヴルヘイム級の外壁に沿って回るように通過した。

けれど、そこで待ち構えていたものは。

 

十隻を越える、軍艦の姿だった。

 

「う……ぁ」

放たれる、隙間すら見えないほどの火線。圧倒的物量による飽和攻撃。明確な形を持って迫るその死に。

「な、める……なぁぁぁァッッ!!!」

杏子は、立ち向かった。退路を塞ぐように迫り、最早面を為すレーザーの群れ。そのほんの僅かな隙間を、機体に火花を散らしながらすり抜けた。

息もつかせぬほどに迫り、互いに誘爆しあいながらもその向こうに更に迫るミサイル群を、かわしてかわして掻い潜る。

背後で爆発。機体が煽られ、一瞬その動きが止まる。その一瞬が、全てを決してしまった。降り注ぐレーザーの雨が、キングス・マインドの全身を貫いていく。爆発の嵐が吹き荒れ、さらにその機体を焼いていく。

レールガンが、スラスターが、バーニアが、砕けて割れて吹き飛ばされて、全てが爆発の彼方に消えていく。杏子が最後に見たものは、キャノピーから見える視界一杯に広がる大型ミサイルの姿だった。

直撃、そして衝撃、そして、熱。そして、全てが真っ白になった。

 

火だるまになった機体が、やけにゆっくり地表へと墜落していった。

 

「……杏子の機体の反応が消えた。どうやら、だめだったようだね」

「嘘……でしょ。そんなの、嘘だっ!!」

ゆっくりと頭を振るキュゥべえ。さやかは、通信を開いて呼びかけた。何度も、何度も呼びかけた。まどかも、一緒に呼びかけた。

 

返事は、一つとして返ることはなかった。

 

 

 

「ぁ……ぅ、ぐ」

搾り出すように声を出すと、熱にまみれた喉が引き攣れて痛む。体中が焼き尽くされていて、身じろぎするだけでも全身に激痛が走る。それでもまだ、燃え盛る機体の中で杏子は生きていた。

ソウルジェムに本体を移し、本物の魔法少女となったことで、杏子の身体は強化されていた。それ故に、杏子はこれほど激しい炎に包まれ、尚生きていた。

 

(……だめ、か)

機体は完全に炎に没した。動かそうとしても、反応は何一つ返ってこない。けれど、それでも不思議と気分は落ち着いていた。

 

(やるだけやったもんな。……あたし一人で、よくあそこまでやったもんだよ)

達成感が胸中を満たす。確かに目的を達することは出来なかった。誰も救われない、皆このまま果てるだろう。それでも、自分のやり遂げたことはその瞬間を、一瞬とはいえ遅らせたのだろう。

 

(このまま死ねば、あたしだって魔女にならずに済むさ。それでいいだろう?)

それは十分に成果と言える。誰もそれを残すことも伝えることも出来ないが、せめて最後は誇らしげに逝ける。

 

(……仕方ないだろ。方面軍一個分の戦力だぞ?一体一人で何が出来たって言うんだよ)

じり、と胸の奥を嫌なものがよぎる。焼かれる痛みとは別に、締め付けられるように胸の奥が痛くなる。

 

(これが、あたしの限界だよ。……恨んでくれるなよ、まどか、さやか)

誰かが耳元で囁いているような違和感。煩い。喋るな。もういい、もう疲れた。もう沢山だ。

 

(……マミ、ほむら。すぐそっちに行くぜ。ロス、アーサー。案外早い再会になりそうだな)

仲間達の顔が、脳裏に浮んでいく。その生き様を、戦う様を、その心を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふ・ざ・け・る・なぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」

 

 

激昂。そして絶叫。焼けた喉から血の蒸気が噴き出した。身体中を焼き尽くされる灼熱地獄の中で、杏子は全身全霊の叫び声を上げた。諦めを殴り飛ばし、弱気を蹴飛ばし、迫り来る死に舌を突き出した。

マミは、ほむらは、そしてロス達も、その命の最後の一片までもを燃やし尽くして戦い抜いたのだ。そんな命の炎を継いで今を戦うこの自分が、それを勝手に諦められるわけがない。そんなことをしてしまえば、向こうへ行っても合わせる顔があるはずがない。

戦うんだ、抗うんだ。その存在の最後の一片までも。

 

燃え上がる炎を吹き飛ばし、それより尚赤い光が吹き上がる。

何ができるのかなんて分からない。もしかしたら10秒後には生きていないのかもしれない。だとして、それがどうしたというのだ。ならばその10秒の間に、全ての敵を喰らい尽くせばいい。

「この力が魔法ってなら、それ位の奇跡は起こしてみせろってんだっ!」

迸る光が、魔力が何か形を成していく。それと同時に、何かがバキバキと砕けていく音が。ソウルジェムの変化した胸飾り、既に黒に染まったその宝玉がひび割れ始めた。

限界なのだ。最早これ以上、魔法を行使することもままならない。迸る光が、静かに収まっていく。

「限界……なんてのはなァ。越えるためにあるんだよ……ッ」

再び、今まで以上の勢いで迸る光。それは、夕暮れ色の世界を塗り替えていく。その存在に気付いた死兵が、その光を囲むように展開していく。まるで、これから産まれてくるものを迎えるように。

死兵達は、それが自らに敵するものではないことを知っていた。

 

世界が光に染め上げられていく。そして、世界は一変した。

 

「結界の中に、別の結界が発生している。……これは、恐らく杏子だろうね」

突如として出現した真紅のドーム。それは敵軍全てを飲み込んで、九条提督や他の地球軍、そしてティー・パーティーを飲み込む直前でその拡大を押し留めた。

「杏子?杏子は生きてるの?ねえ、キュゥべえっ!?」

「……杏子は、いや。杏子だったものは、結界を作って全てを閉じ込めた。結界を作り得たということは、彼女もまた、なってしまったのだろうね、魔女に」

「……そんな、そんなっ」

希望尽き。あとはいずれ訪れる死を待つしかないのだろうか。膝を突き、床に拳を突き立てて。自らの無力を嘆く。そんなさやかの姿を見つめて、まどかは一歩前に出た。

 

「キュゥべえ。私、契約するよ」

「まどか……本気、なの?」

まどかはさやかの顔を見て、それから小さく微笑んで。すぐにその表情を引き締めて、キュゥべえの姿をじっと見つめた。

「杏子ちゃんと約束したんだ。杏子ちゃんがだめだったら、次は私だって。さあ、キュゥべえ。私の願いを言うよ」

「そうだね、もしかしたらキミなら、まだ少しは望みがあるのかもしれない。さあ、願いを言ってごらん、まどか」

目を閉じて、小さく深呼吸をして。そしてその目を開く。

 

「私の、願いは――」

――その必要はないぜ、まどか。

 

「っ?!杏子……ちゃんっ!?」

声は、届けられた。まどかの心にその声は、確かに届いたのだ。

――あたしはまだ、大丈夫。だから任せろ。それと……さやかを、頼む。

「待ってよ杏子ちゃんっ!何するの、ねえ、杏子ちゃんっ!!」

それきりで、声は途切れた。もう、何も聞こえない。

「まどか……どうしちゃったの?」

そんな様子に、不可解なものを見るようにさやかが尋ねた。まどかは、そんなさやかに振り向いて。

「杏子ちゃん……まだ、生きてる。生きて、戦ってる」

「っ、まさか、声が聞こえたのかい?」

驚いたように、キュゥべえはまどかに声をかける。キュゥべえにすらそれを知覚することは出来ないが、まどかの反応からはそうとしか推測できない。事実、まどかもそれに小さく頷いた。

「杏子ちゃんは、まだ戦ってるんだ」

そして確信を篭めて、まどかはそう言った。

 

復元された、キングス・マインドのコクピットの中。赤く燃え上がるような、否。最早炎そのもので出来た衣を纏って、杏子はそこにいた。

その胸飾りは既に砕け散り、砕けた後には何か黒いものが覗いている。

「もう少しだけ、待ってくれるみたいだな。あたしの運命は」

その瞳にも炎を宿して、杏子は操縦桿を握り締めた。

今の杏子は最早ほとんど魔女になりかけている。それこそ、結界を作れるほどにそちら側に引きずり込まれていたのだ。最早、それを留める方法はない。

ならば、そうなる前に全てを終わらせるだけだ。

眼前に臨む死兵。全部纏めて結界の中に取り込んだ。一緒に潰して、ここで全てを終わらせる。死兵の群れもそこにいるのが敵だと気付いたようで、機首を向け、震える波動を蓄え始めた。

「正真正銘、これで最後の最後だ。……行くぜ」

そんな杏子の眼前を、巨大な影が覆いつくした。

 

「……おいおい、あんたまで来たのかよ。死に損ない」

それはかつての悪夢の象徴。英雄が振るった力。禍々しき赤を携え、その異貌をまざまざと見せ付けていた。

 

――コンバイラベーラ。

 

彼は、既にチャージを完了させていた艦首砲。フラガラッハ砲Ⅱを――迫る死兵の群れへと向けて、叩き込んだ。

 

「な……」

二股に分かれ、更に拡散するその一撃が、無数の敵を巻き込み蹴散らしていく。その成果に、彼は満足そうに頷いてから。

「――援軍の到着だ」

彼――ジェイド・ロスは、杏子にそう告げた。

 

「ロス、どうしてっ!?」

疑問が頭の中を支配する。だが、彼は考える余裕を与えない。

「ぼーっとしている場合か、キョーコ。敵が来る。君のやらなければならないことは何だ?」

「っ……そうだったな。ロス。あいつらを蹴散らす。盾になってくれ」

状況はさっぱり分からない。けれどその力強い声は、記憶の中のロスの姿そのもので。また共に戦える。その事実だけで、杏子は胸が一杯になっていた。

「ああ、このまま中央を突破するぞ。……皆も来ている。戦力的には、十分だ」

「皆……って、っ!?」

無数の機体の反応。

その正体を確かめて、杏子の顔にはこれ以上ないほどの驚愕が張り付いた。

 

「あまりもたもたしていると、置いていくわよ。杏子」

「周りの敵は任せてね。全て私が狙い打ってあげるわ。杏子」

 

嗚呼、その姿は。

「ま、やっぱりヒーローは遅れて、だが絶妙のタイミングでやってくる。そういうこった。行こうぜ、キョーコ」

 

「ほむら、マミっ。アーサーっ」

それだけではない。新たに表れた黒と赤、凶暴なシルエット。その機体は。

「それだけじゃないよっ、私も助けに来たんだ、キョーコっ!!」

「ゆま……お前まで、どうしてっ」

更に、その後ろに次々と現れる機影。それはどれも、かつて杏子と共に戦った仲間達。その誰もが、口々に杏子に声をかけ、戦う力を繋いでいく。

「なんで、どうして……こんな」

会いたかった人達が、もう会えなくなってしまった人達が。全てが一同に会し、戦う為に力を合わせている。

R戦闘機が、バイドの戦闘機が、それは余りに異様な光景。杏子には、それがこの世のものとは思えなかった。実は自分は、一足先にあの世とやらへ行ってしまったのではないかと、そう思ってしまうほどに。

 

「迷うのも無理はないわ。杏子。……でも、これは貴女の力が生み出した現実なのよ」

戸惑う杏子に、マミが声をかける。

「貴女の魔法が、貴女の記憶が、私達の魂を作り出した。そしてこの世界が、私達の魂に基づく形。戦う為の力を作り出したの」

「あたしの、魔法が……?」

その言葉を、ほむらが次いだ。

「そう、杏子が私達を覚えていてくれたから、私達の事を想っていてくれたから。だから貴女は、私達を作ることができた。だからこそ私達は、杏子と共に戦うことができる」

「要するに、お前が今まで必死に生き抜いてきた、戦い抜いてきた人生は無駄なんかじゃなかった。今こうして、お前の仲間を救うことができるってこった。キョーコ」

アーサーが。そして。

「ゆま達は、杏子の記憶から生み出された存在なんだ。でも、そんな形でも呼んでくれたから。ゆま達はもう一度杏子に会えた。例え今だけでも、キョーコと一緒に戦えるんだよ。だからありがとっ、キョーコ」

元気な声で、ゆまがその言葉を締めた。

 

「ぁぁ……ぁぁぁっ」

その両手で目を覆って、杏子は零れ落ちる涙を隠そうともせずに嗚咽を漏らした。

嬉しかった。会いたいと思っていた人に会えた。今までの人生の全てが、この事実を持って肯定された。それだけでも、今までの辛い戦いの日々が報われた。嬉しい。そんな気持ちが、胸いっぱいに溢れてくる。

「キョーコ。君がもうすぐ魔女になるなら……我々は差し詰めその使い魔といったところだ。我々に命を下すのは君だ。――さあ、命令を」

炎を宿した杏子の機体。それを先頭に並ぶ機体群。

その全てが、杏子の命を待っていた。

「っ……ぐずっ。あ、ああ。分かってるっ!全軍、敵を突破し魔女を討つっ!あたしに……続けぇぇぇっ!!!」

続くのは、怒号。赤い炎を旗印とし、杏子の騎士団は迫る敵へと立ち向かう。

 

真紅の世界の中で、杏子の最後の戦いが始まった。



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第15話 ―魔法少女とは……―③

少女達は、その命を燃やして戦い続ける。
ある者は再び戦う力を望み、またある者は彼女の願った仲間と共に、その魂に火を灯す。

そして遂に、終結の時は訪れる。



「戦ってる。……杏子ちゃんが、戦ってるよ」

真紅の結界。それは戦う力を持つ者だけを受け入れそれに能わざる者を、そして杏子が戦わせたくないと思ったものを排斥した。

故にその結界の外側で、その中で始まった壮絶な戦いを感じながらまどかは、手で目を覆って蹲った。

その杏子の戦いが、まさしく命を燃やしたものであると、それが彼女の最後の戦いになるだろうということが、まどかには痛いほどよく分ってしまうのだった。

「驚いたな。結界が張れるほどに魔女に引き寄せられながら、それでもまだ自我を保つか。……佐倉杏子。キミは本当に優秀な魔法少女だったね」

そんなまどかの様子に、杏子の現状を何となく察したのかキュゥべえが、感心したように呟いた。そのキュゥべえを睨みつけ、さやかが言う。

「――違う。杏子はまだ戦ってる。まだ生きてる。必死に生き抜いてるはずなんだ。だから……“だった”なんて。まるでもう終わっちゃったような言い方、しないでよ」

「いずれそうなるのは明らかじゃないか。やっぱり、そういう人間の感情は理解できないよ。それともさやか。キミはもしかして、何か不思議な奇跡が起こって杏子が帰ってくる――なんて、思ってるわけじゃないだろうね?」

 

「っ……」

返す言葉がない。さやかはぎゅっと拳を握り締め、俯いて何かを堪えるように震えていた。それでも、すぐにその顔を上げて。

「……思ってるよ。思って何が悪いのさっ!思ってるに決まってるでしょっ!!」

その表情には、激しい怒りを漲らせてさやかは叫んだ。けれど、その怒りのやり場を見つけることができなくて、それをただ振りかざしているだけだった。

 

「今だって思ってるよっ!何かもの凄く最高に都合のいい奇跡が起こって、杏子もほむらもマミさんも、みんな無事に帰ってきて!朝目が覚めたらバイドなんか全部いなくなってて、まどかと仁美と一緒に学校に行って、マミさんやほむらとも一緒にお昼ご飯を食べて、学校が終わったらみんなで一緒に遊びに行って。沢山遊んで家に帰ったら、家で家族が待っててくれる!今日も、明日も明後日も、ずっとずっと平和で楽しい日が続いてくれるようなそんな世界っ!それを全部叶えてくれるくらい、最ッ高にご都合主義な奇跡が、起こって欲しいって思ってるよ、ずっと!!」

 

ただただ、ひたすらに言葉を思いを、そして願いをぶつけて叫ぶ。長い言葉を告げて、荒げた息もそのままにさやかは更に続ける。

「わかってるんだよ。世界はそんなに優しくないってことくらい。でも、あたしはどうしたらいいのよ。みんなを助けられるって、こんな不条理な世界を変えられるってそう信じて戦ってたのに、みんなあたしを置いていくんだ。どうして、どうしてあたしだけが助かるの。どうして、あたしだけが戦えないの?ねえ、どうしてよっ!!」

ぽたぽたと、大粒の涙が落ちていく。頬を伝い、二筋の流れが顎の先で混じって落ちる。ぽたりと垂れた涙は、ブリッジの床に零れて広がっていく。

「戦えるなら、今すぐにでも杏子のところに行くのに……あいつを、一人ぼっちになんてさせないのに」

ただただ憎かった。無力な自分が、戦うことを許さない状況を。そんなことを願った杏子にまで、その憎しみが向いてしまいそうになって。

そんな自分の心を、さやかはまるで抑えることができなかった。

 

「もう一度言うよ、さやか。今のキミは無力だ。キミは、今の自分にも何かができると思っているのかもしれないね。事実、ついさっきまでキミは特別な存在だった。でも、今は違う。今のキミが行ったところで無駄死にするだけだ。分かるだろう、さやか」

キュゥべえの声は、どこか呆れたような様子であった。その言葉はまさしく事実で、それが分かっているからこそ、それは酷くさやかの心を傷つけた。そして、ぶつりと何かが切れてしまった。

「……そこまで言うなら、見せてやろうじゃない。本当にあたしにはもう何も出来ないのか、見せてあげようじゃないのっ!!」

涙をぐい、と袖で拭ってさやかはブリッジを飛び出した。まどかにも、キュゥべえにも振り向くことなく、真っ直ぐに。

 

「さやかちゃん……っ」

「放っておくといい。どうせ、彼女には何もできはしないんだ」

去っていくさやかの後姿を見つめ、キュゥべえが事も無げにそう言った。まどかは、そんなキュウべえを僅かに睨むようにして。

「放っておけないよ。さやかちゃんは、私の……仲間だもん」

そう一言だけ言い放って、まどかはさやかを追いかけ駆け出した。そんなまどかに、キュゥべえは黙して何も答えなかった。

 

さやかは走る、走る。息が切れる、足が、身体が重くなる。

「どうして、こんなに……疲れるってのよ」

壁に身を預けて、どうにか息を整えようとした。果たしてここまで身体が衰えていたのだろうか。以前ならば、どれだけ艦内を走り回っても疲れもしなかったというのに。

「……魔法少女じゃ、なくなったからってこと?」

肺が酸素を求めてズキズキと痛む。口の中が粘つく。何度も何度も荒く息を吐き出して、それでもよろよろと進もうとした。

認めたくなかった。魔法少女ではなくなってしまったことが自分から、ありとあらゆる戦う力を奪ってしまったのだということを。

けれど、それは事実。魔法少女であれば、コールドスリープによる身体への負担も即座に修復される。肉体も、ある程度には強化される。それがなくなり、それでもその時の感覚のまま、コールドスリープ直後の身体を走らせたのだから、これは当然の結果と言えた。

「負けるか……あたしは、あたしはっ!!」

それでもさやかは足を進める。歯を食いしばり、荒い呼吸を繰り返し、その目をギラギラと血走らせながら、一歩ずつ着実にさやかの足は格納庫へと向かっていた。

 

「さやか、ちゃん。……何してるの?」

それから幾許かの時が過ぎ、ようやく格納庫についたまどかが見たものは。

「何、って。出撃の準備だよ。こいつはまだ動くからさ」

パイロットスーツを身に付け、工作機の起動を行っているさやかの姿だった。キングス・マインドの修理に使われ、そのまま格納庫内に放置されて工作機を、動かそうとしていたのだった。

「無茶だよ、だってそれ。R戦闘機ですらないんだよ」

それはあくまで工作機。その仕事は補給や修理、施設の占領などで、戦力といえるものは大凡戦闘には役に立つとは思えない機銃が一つ。

「無茶かどうかなんて、やってみないとわからないでしょ」

まどかの方を振り向くことなく、さやかは工作機を起動させた。その機体が僅かに振動し、後は乗り込み動かすだけの待機状態となる。

 

「……駄目だよ、今のさやかちゃん、見ていられないよ。行っちゃ駄目だよ、死んじゃうよ、さやかちゃんっ!」

それは明らかに自殺行為だと、まどかは理解していた。一心不乱にそれに乗り込もうとするさやかは、まるで死に急いでいるかのようで。止めなければならないと、まどかは直感していた。

だからこそまどかはさやかの側に駆け寄って、その手を強く握り締めた。

 

「離してよ、まどか」

まどかの顔を見ようともせず、乱暴に言い放つさやか。

「離さないよ。絶対に」

そんな言葉に、心の奥が冷たく震えるのを感じながら。それでも絶対に離さないとばかりに、まどかはその手に力を篭めた。

「どうして、どうして行かせてくれないの。杏子が、一人で戦ってるのに」

振り向いて、まどかを見つめるさやかの手は震えていて。その手の震えは、確かにまどかにも伝わっていた。

「さやかちゃんの手、震えてるよ。……怖いんだよね、私も一緒だよ。でも今行ったって、さやかちゃんは死んじゃうだけだよ。私は、さやかちゃんに死んで欲しくないんだよ。何よりも、さやかちゃんが死んじゃうのが怖いよ」

その言葉に、さやかの手の震えは止まった。そんなさやかの様子に、ほんの僅かに表情を緩めて、まどかはさやかの顔を見た。

その表情は、まるで凍りついたかのように冷たくて、碧く澄んでいたはずの、希望と力に満ちたその瞳は、深い闇色に染まっていた。

それが何処までも恐ろしくて、ぞくりと背筋に怖気が走るのをまどかは感じた。握っていた手すらも、氷のように冷たく感じてしまった。手の力が緩んだ隙に、さやかはその手を振り切った。

 

「……あたしは、人を殺したんだ」

「っ!?」

そんな闇色で虚ろな目をまどかに向けて、さやかは静かに話し始めた。

「ロスと一緒に戦ってたあの人達は、皆ロスの仲間達だったんだ。中には人が乗ってたんだ……あたしは、それを沢山殺した」

「でも、それは……」

バイドになってしまったのだから、仕方がなかった。そうしなければ、自分が殺されていた。それは間違いなく、納得するには十分な理由。

けれど、さやかの芯の一番大切な部分に残った高潔さが、それを許さなかった。

「無理なんだ。耐えられないんだ。そんな事実を背負って、普通の人間として生きていくなんてさ。魔法少女なら、戦うことが出来ればそれを償うことだってできるかもしれないのに、もうそれもできない。この先一生、あたしはそれを背負って生きていかなくちゃいけないんだ。……耐えられないよ、そんなの」

 

――だから、戦って死にたいんだ。

――自分がまだ、戦場にいられるうちに。

 

さやかの言葉は、暗にそんな心情を示唆していた。確かにそれは、余りにも重過ぎる事実。敵はバイドである、それは苛烈な生存戦争である、誰もさやかを責めはしないだろう。

だからこそさやかは、それを抱えてこの先を生き続けなければならない。誰かに打ち明けることも出来ず、一人で、誰にも責められる事も、理解されることもなく。

かつて抱えた秘密の重さに押しつぶされそうになったまどかには、そんなさやかの気持ちが痛いほどによくわかった。それでも、止めなければならない。行かせるわけにはいかない。死なせるわけにはいかない。

まどかは半ば衝動的に、再びさやかの手を掴んでいた。

「駄目、駄目だよ、さやかちゃんっ!!」

今止めなければ、今行かせてしまえば、大切な仲間を、友達を失うことになる。それが分かりきっていたからまどかは止めた。

きっとそこには、さやかが行ってしまえば、またしてもまどかは一人取り残される。それが耐えられないというのも、偽らざるまどかの気持ちではあったのだろう。

 

「離してよ、まどかっ!!」

さやかは、その手を力いっぱい振り払う。その拍子に、振り払われた手は工作機の外部操作用コンソールを強く叩いてしまった。待機状態だった工作機は、強制的に叩き込まれた命令に飛び起き、そして従った。

全くの不本意に叩き込まれたその命令“右アーム急速旋回”を命じられるままに。

 

「さやかちゃん、危ないっ!?」

「え……っ」

背後で響く駆動音。それに気付いて振り向いたさやかの眼前には、工作機のアームが唸りを上げて迫ってくるのが映っていた。

 

 

衝撃が、さやかの身体を貫いた。

 

 

「ぅ……っ、痛っつ……」

背中を強く打ちつけた痛みに、さやかは一瞬息が詰まった。目の前が暗い。視界がぶれる。それでも自分の身体のことだけはすぐにわかる。思ったほどには、怪我は酷くはないようだった。というよりも、打ち付けた背中のほうがよほど痛い。

恐らく壁にでも吹き飛ばされたのだろう。けれどそこでふと違和感に気付く。

工作機のアームはかなりの速度で迫っていた。それと衝突して、なぜこれだけの怪我で済んでいるのだろうか。パイロットスーツはそれほどまでに優秀だっただろうか。

 

ゆっくりと壁から身体を起こそうとして、さやかはやけに身体が重いことに気付いた。それはまるで、重たい何かが身体の上に圧し掛かっているようで、それでも無理やりに身体を起こすと、その重さはどさりと横にずれて落ちた。

ようやく開けた視界は、やけに赤かった。手を付いた床は、何かでぬらぬらと濡れていた。

「ひっ!?」

さやかは、気付く。

さやかの上に圧し掛かっていたのは、まどかの身体だった。やけに重かった理由も、視界が赤い理由もすぐにわかった。

それは、まどかの頭から流れ出る赤いナニカ。ぴちゃぴちゃと床へと溢れて流れていく、ヘルメットも、パイロットスーツさえも赤く染め上げて。

 

「まどか、まどかっ!?どうして、なんで、なんでこんなことにっ!?」

震える手で、横たわるまどかを抱き起こした。その手も真っ赤に染まっていて、まどかの服を更に朱に染める。赤く染まったその顔で、まどかはうっすらと目を開けて。

「さや、か、ちゃん。……無事、だったんだ、ね。よ、かっ……た。頼まれ、て……たん、だ。きょ、こ…ちゃんに。さや…ちゃん、事。頼む、って」

搾り出すように、か細い声でそうとだけ言って。まどかの首が、がくりと垂れた。

さやかは理解した、あの時何が起こったのか。まどかは工作機のアームに打ち据えられようとしていたさやかを、その身を挺して庇ったのだ。そしてまどかはこれほどの重症を負ってしまったのだ。

「……あたしの、せいだ。あたしの、あたしの」

自責の念が、さやかの全てを埋め尽くす。

キュゥべえの言うことを聞いて、大人しく待っていれば。まどかに止められた時に、その言葉を聞き入れていれば。杏子を信じていれば、こんな衝動的な自殺願望に、身を委ねてしまわなければ。

そうすれば、まどかがこんなことにならずに済んだのに。

 

 

 

「あたしの、あたしの……あたし、の。ああぁぁぁぁぁぁぁ………っっ」

赤々と広がる血の池の中で、まどかの身体を抱きかかえて。さやかは叫ぶ。自責の念に、心の全てを押し潰されて。

 

報せを受け、九条提督率いる部隊の医療班が、即座にまどかを搬送した。壁の隅で、全身を血の赤に染め“あたしのせいだ”と壊れたように呟く少女、さやかもまた同様に搬送され、スキタリスへと収容された。

 

 

そんな悲劇も露知らず、真紅の結界内部の戦いは激化していた。

「敵左翼が崩れた。そのまま攻撃を続行しつつ中央に向け前進!。中央の敵がある程度薄くなったら、本艦を前面に押し出し一気に中央を突破する」

全身の武装から絶え間なく攻撃を続け、じりじりと前線を押し上げながらコンバイラベーラは、ロスは各隊にそう告げる。

「右翼部隊の抑えは完了よ。しっかりと頭を叩いておいたから、しばらくはあのまま留まらざるを得ないはずよ」

味方機の退避を確認し、フルチャージのギガ波動砲を敵右翼部隊に向けて叩き込む。激しい光の奔流。物質としての限界にまで分解されて、無数の死兵が消えていく。

そうしてできた巨大な穴を、埋めさせることなく立て続けに攻撃を仕掛けながら、ほむらがその声に応えた。

「こっちも了解だ。このまま左翼の連中を蹴散らしつつ、中央の敵を誘い出すぜっ!」

戦場を激しく飛び交う機体群。その中で一機、その軌道の先々で数珠上の爆発を巻き起こす機体、アーサーが駆るマッド・フォレストⅢが、まさに自由自在に戦場を駆け、迫る敵機を引き裂き続けていた。

激しい戦闘。けれどそれは、もはや一方的な蹂躙でしかなかった。

どれだけ数は多くとも、敵は一山幾らの使い魔部隊。対するこちらに揃うのは、皆が皆歴戦の勇士たち。この戦場においては、完全に質が物量を凌駕していた。

さらに、その大局を決定付けていたことは。

 

「この場所じゃあ、これ以上復活は出来ないらしいねっ。なら構う事なんてないさ。このまま、一気にぶっ潰してやるよっ!!」

赤い光の尾はもはや、たなびく炎そのもので。燃え盛る火炎もそのままに、杏子の機体が宙を駆ける。それを阻めるものなど何もなく、近づく端からその炎に焼かれ、打ち落とされていく。

ここは真紅の結界の中。もはや杏子の世界であるからか、落とされた機体は再び蘇ることなく、そのまま朽ち果てていく。

状況の全てが、杏子達の勝利を確たるものとさせていた。事実彼女達の力の前に、敵は抵抗らしい抵抗を見せることもできず、ただただ蹂躙されるのみであった。

そして、ついに中央を守る分厚い壁が破られようとしていた。

 

「敵部隊が左右の守りを固め始めた。今がチャンスだ。敵中央を突破するぞっ!」

とにかく敵は数を頼りに守りにかかっていた。真正面からぶつかれば、負けはしないにせよその守りを貫くのは至難の業だろう。だからこそ、またしてもロスは一計を案じた。

正面には少数の部隊のみを配し防戦に徹するよう仕向け、その分両翼への攻めを重視、敵が両翼の守りに戦力を割くのを待ったのだ。相手が単純な思考しか持ち得ない使い魔であれば、それを気取られるわけもなく。

まんまと敵は策に嵌り、中央を守る死兵の数は極端に減じた。

「マミ!頼むっ!」

機体を転進。炎を纏って中央に迫る杏子が、マミに通信を送る。

「待ってたわよ。こっちのチャージはとっくに完了。……さあ、派手に叩き込んであげるわ」

マミのババ・ヤガーが敵陣の中央、敵が薄れたことで姿が望む中央を守る艦隊の姿を捕捉していた。超絶圧縮波動砲のチャージは、既に完了している。

 

「……どうしようかしら。ティロ・フィナーレは、あれで最後って言っちゃったのよね」

発射シークエンスを迅速に済ませながら、冗談混じりにそう言ってマミは笑った。

「ならいいのがあるぞ。使ってみるか?」

その呟きに、アーサーが答えた。なにやら二言三言言葉を交わして、それから。

「なるほど、それじゃあ今回はそれでやってみましょうか」

「ああ、ばっちりやれよ」

 

 

――デモリッション・モードへ移行――

 

 

――エネルギーライン、全段直結――

 

 

――波動エネルギー、圧縮率最大にて保持中――

 

 

――誤差修正、ピッチダウン0.2度――

 

 

――ライフリング回転開始――

 

 

 

 

「デッドエンド……シュートっ!!」

 

 

 

超絶圧縮波動砲が放たれた。死兵の壁をそのまま飲み込み、消滅させて更に奥の艦を貫いた。

「更に、このまま……斬……り、裂くっ!!」

ババ・ヤガーが機首を大きく振る。尚も放たれ続ける超絶圧縮波動砲。その軌道が大きく撓み、歪む。けれどそれは途切れずに、ひたすらに圧倒的な破壊の力を打ち放ち続けた。

それはまさしく巨大な波動の刃となって、横薙ぎに一閃し貫く。そして駆け抜けた波動の刃が、敵陣の奥深くに並び立つ艦隊を、纏めて両断した。

まさしく超巨大な刃で一刀両断されたように、死兵の群れも二つに割れる。圧倒的な力によって、無理やり隙間はこじ開けられた。

「機は熟した。ここで決めるぞ。キョーコっ!」

ロスが叫ぶ。同時にコンバイラベーラが動き出し、その隙間に無理やり艦体を突入させる。全武装一斉開放、レーザー、ミサイル、艦首砲。渦巻く破壊の嵐が、閉じようとする隙間を維持させる。

 

「任せろっ!ほむら、アーサー。一緒に来いっ!」

「了解よ」

「了解だ」

一つの炎と二つの機体。三つの力が、その隙間を抜けて飛ぶ。

押し留めようと追いすがる敵を押しのけ、打ち砕き。閉じようとする壁は、コンバイラベーラの艦砲射撃が蹴散らした。

 

「艦隊の残りか、あいつを抜ければ……魔女はすぐ、そこだっ!!」

死兵の壁を貫いて、空白の空域を飛ぶ三機。その行く手にはまだ、生き残りの艦隊が立ちふさがっている。先ほど杏子の行く手を阻んだ、巨大な壁。

だが、それすらも。

 

「ここは、俺達に……」

「任せて、先に行きなさい、杏子っ!」

波動の光が艦を灼く。波動の蔦が艦を貫く。

ラグナロックⅡとマッド・フォレストⅢが、立ちふさがる艦隊へと立ち向かっていく。

「頼むぜ、二人とも」

そうしてできた隙を縫い、杏子は一人魔女を目指す。

その、最中。

 

「っ……ったく、あたしも、大分向こう側に引っ張られてるってのかな」

炎を纏う機体、その内側から装甲を食い破り、何かが生えてきた。それは、炎で出来た翼。あたかも不死鳥のそれのように雄雄しく、その翼は広げられた。

それはまさしく、杏子が魔女そのものに近づいている証に他ならなかった。

「まあ、そうなる前にケリをつければいいだけのことだよな。……行くぜ」

機体が炎を巻き上げる。その翼もまた大きく開かれて、激しく空を打った。その羽ばたきに、更に機体は速度を上げる。

幾重にも及ぶ死兵の壁。身の内に宿した英雄の、仲間達の力を借りて、ついに杏子はその全てを突破した。そして今、再び。魔女と対面する。

 

そこはまさしく深淵の海。

波動砲を浴び、全身に負った傷から噴出し続ける青い体液。それは止め処なく流れ続け、まるで海のように眼下を染めていた。赤い空間に淀み、溜まり続ける青。そしてその中心で、一人、その身を休めている魔女の姿。見間違えるはずもない。

杏子の接近を悟り、魔女が剣を振り上げた。だが、もう遅い。

「ぶッ……潰れろォォォっ!!」

一切速度を落とすことなく魔女へと迫る杏子の機体。その機体が、内側から膨れ上がるようにして爆ぜていく。その装甲の下には、膨れ上がって赤熱する熱の塊が眠っていた。

開放されたそれは、更にその熱量を増し、荒れ狂い、全てを消し去る灼熱をばら撒いた。

そして、そのまま。

 

――二人の魔女が、激しく衝突した。

 

世界を消滅させんほどに、激しく、強い光が沸き上がった。

 

 

杏子は見た。激しい光の中、魔女がその存在を失っていく様を。そして知る。自らも、やがてそうなると言う事を。

このまま生きていればすぐに本物の魔女へと変わってしまう。それを避けるためにはそうするしかなかったのだ、と。

 

(今度こそ、本当に終いだな。……あたし、頑張ったよな)

 

熱さも、苦しさもない。不思議な安らぎと、達成感を感じながら。

 

(皆を、守れたんだよな。だから、今度こそ会いにいけるよな)

 

ソウルジェムは、もう完全に砕けてしまっていた。後に残っていたのは、それと良く似た意匠の施された、黒い宝石を携えた飾りが一つ。

それが一体何なのか、そんな事は考えもしなかった。

 

(ほむら、マミ、ゆま、アーサー。……ロス)

 

自分と言う存在が消えていく。四肢の端から、ゆっくりと。

恐怖はない。少しずつ消失していく自分を、やけに冷静に杏子は眺めていた。

 

 

 

――ああ、そうだね。

 

(っ!?あ……ぁ、あんたは…っ)

 

――よく、頑張ったね。キョーコ。

 

(……っ。認めて、くれるのか?一緒に、行ってもいいのか?)

 

――行こう。これからは、もうずっと一緒だ。

 

 

 

杏子の意識が、存在が消失する。その、直前に。

 

 

――お帰り、キョーコ。

 

――ただいま、ロス。

 

 

 

 

光が、溢れた。

黒の死兵を、杏子の騎士達を、光は全てを消し去っていく。そして結界もまた、弾けて消えた。

 

「正体不明の異層次元、崩壊を始めました。内部より閃光が……っきゃぁぁっ!?」

「中尉っ!?ぐ……っ!?」

崩壊した真紅の結界より漏れ出たその光は、スキタリスのブリッジを埋め尽くしていった。

 

「なんだ……一体、何がっ!?」

閃光に眩んだ目をどうにか開く。まだじんじんと痛む目を眇めて、九条提督は辺りの様子を確かめた。そこは不思議な空間だった。

魔女の結界内を埋め尽くしていた、容赦なく目に付き刺さる夕暮れ色。それとは違う、どこか優しく哀愁を誘うような、夜へと変わり行く沈む夕日の色だった。

「ここは、一体…・・・」

見れば、そこにはついさっきまで一緒だったガザロフ中尉の姿も見当たらない。バイドによる精神攻撃の類か、と。そう考え始めた瞬間に。

「やあ、まずははじめましてと言っておこうか」

そこには、軍服を纏った男の姿があった。九条提督にとっては、見覚えのある男の顔だった。

 

「貴方は……まさか、ジェイド・ロス?……だとすれば、やはりこれはバイドの精神干渉か?」

そこに立っていたのはジェイド・ロスの姿。九条提督にとっては、先ほどまで激しく戦っていた敵である。すぐさま警戒し、懐の銃へと手を伸ばした。

「そう警戒しなくてもいいさ。私は君には何もできやしない。ただ、少しだけ話がしたかったんだ。……名前を、聞いてもいいかな?」

その口ぶりからは、確かに敵意があるようには見られない。まどか達から、和解したのだということも聞いていた。信じられるかもしれないと、九条提督は考えた。

「第三方面軍を預かっていた九条だ。木星で、そして月で、二度も貴方に敗れた男だよ」

状況がさっぱり飲み込めない。恐らく、何が起こっているのかなんて理解も出来ないだろう。あまりにもこの戦いは、理解の範疇を超えることが起こりすぎている。

今更何が起こったところで驚くものかと、九条提督は既に腹を据えていた。だからこそそうして、どちらかといえば自嘲気味に言葉を放つのだった。

 

「……なるほど、そうか。やはり君があの時の」

そんな言葉に、ロスはなにやらしきりに頷いて。やがて顔を上げると、その表情をまさしく軍人のそれへと切り替えて。

「九条提督。君に頼みたいことがある」

「いきなり改まって、一体何を?」

 

「……地球を、いや太陽系を、バイドの手から守ってくれ」

何を言い出すのかと、九条提督は顔を歪めた。この目の前にいる英雄も、もはや今はバイドではないか。だというのにそのバイドから、太陽系を守れと言われるとは、どういうことだろう。

「人類が必死に作り上げた防衛ラインを、全て粉々に破壊してくれた貴方が今更そんな事を言うとは、憤慨も通り過ぎて最早滑稽だ」

不快感を隠そうともせず、半ば怒りの混じった声で九条提督は答えた。

そもそもこの英雄が地球に帰ろうとさえしなければ、まだ人類は安泰だったはずなのだ。バイドとの最終決戦も近かったと言うのにである。

「……それについては否定しない。私も、まさか自分がバイドだとは気付きもしなかった。だが、それでも託さなければならない。この戦いを生き残った者に、真実を知り得た者に」

「それに、貴方に言われなくとも必死で守るさ。これ以上負ければ、人類に後はない」

「だからこそだ。恐らく、この戦いを生き残った君は、これから大変な任に就くことだろう。だからこそ今言っておく。人類の希望を背負って、絶望的な敵に立ち向かった先達としてね」

 

一つ、ロスは大きく息を吸い込んだ。

 

「負けるな。何があっても、君はもう負けてはならない。勝ち続けるんだ。君の命は最早君一人の者じゃない。この太陽系の、全人類の存亡を背負った物だと自覚しろ。私達は駄目だった。だから、君は必ずやり遂げてくれ」

勝手な事を。無責任な事を。そう内心で毒づく気持ちもあった。

けれど、彼はジェイド・ロスなのだ。彼もまた、絶望的な任を負い、遥か宇宙の彼方で戦い続けたのだ。それがどれだけの苦悩だっただろうかを考えると、どこか胸が熱くなるのを感じた。

「もし今すぐ戻って、地球の皆と共に戦えるのなら私はそうもしよう。だが、駄目なんだ。私達はもう行かなければならない。だから、誰かに託していくしかないんだ。頼む……誓ってくれ。勝ち続けると、人類の未来を……守ると」

そして、ロスはその手を差し伸べた。それはあまりにも重く苦しい苦悩が刻み込まれた、ひどく疲れた手であった。

死して尚、人類を守りたかったのだろう。そのために、何かを残したかったのだろう。その苦悩を、精神を、自分は受け継ぐに足りうるのだろうか。九条提督は逡巡する。

そこまで自分に自信が持てるわけでもない、けれど。

 

「……私も、守りたいから戦っていたのだったな、そういえば」

思い出したのは戦う理由。危機に瀕するこの世界を、自分を信じてくれる仲間を、家族を守りたかったのだ。もっと多くのものを守れると、そう信じてこの道を歩んできたのだ。

忘れかけていたその想いを、自分の芯たる戦う理由を、九条は強く想起した。だからもう、迷う事はない。

「誓おう。貴方に代わって。……いや、貴方以上に、全ての人類を守ってみせる」

九条提督は、その手を取った。

交わした手から、何かが伝わってくるような感覚。それは冷たく重い何かで、心の芯の外側に、枷のようにしっかりとはめ込まれた。

 

それはきっと、英雄たる資格。

 

「迷うな。躊躇うな。間違えるな。君のそれは、君が守りたい物全てを傷つけると思え。―――人類を、頼む」

そして、再び視界が歪む。意識が途切れ、そしてまたどこかへ繋げられていくような。

それは、不思議な感覚だった。

 

 

「――提督っ!九条提督っ」

「ん……ああ、すまない。ガザロフ中尉」

呼びかけられる声に、九条提督は意識を取り戻した。どれだけ時間が過ぎていたのだろうかと思ったが、どうやらそれは一分の半分にも満たない時間だったようだ。

九条提督は、まだ僅かに眩む視界をどうにか前方へと向かわせる。そこには、砕けて消えていく結界という名の異層次元の姿。それを見て、改めて九条提督は実感した。

今度こそ、確実に。――戦いは、終わったのだと。そしてそれが、次なるバイドとの激戦の前触れに過ぎないことも理解して、それでも。

「提督、周囲に敵の反応はありません。指示を」

「負傷者を後方の艦に預け、本艦は前進。内部の状況を確認する。反応がないとは言え、何が出てくるかわからん。敵の接近には十分警戒しろ」

そう指示を出し、もう一度深く椅子に腰掛け背を預け。それから、隣に並ぶガザロフ中尉に視線を向けて。

「ガザロフ中尉。……これから、恐らく激しい戦いが始まるだろう。決して負ける事を許されない、激しく長い戦いだ。……それでも、私についてきてくれるか?」

突然の言葉に、呆気に取られたような表情を向けるガザロフ中尉。けれど、すぐにその顔には明るい笑顔が浮かんだ。

「もちろんです、提督っ!私はどこまでもお供します!」

「……そうか、じゃあ頼む」

その答えに、九条提督は満足げに小さく頷いた。

 

 

 

 

かくして、かつての英雄、ジェイド・ロスの帰還に端を発する一連の事件は終わりを告げた。

地球軍に、そして多くの人々に、魔法少女達に、その事件はあまりにも大きな傷跡を残していった。

 

だがそれすらもまだ、ラストダンスの序曲に過ぎない。

いくつもの悲劇と悪夢を超えて、人類とバイドの戦いは、ついに最終局面を迎えようとしていた。

 

 

魔法少女隊R-TYPEs 第15話

       『魔法少女とは……』

          ―終―




【次回予告】

人類は、あまりに多くのものを失ってしまった。
喪失は、人類を更なる狂気へと駆り立てる。
全てそれは、人類が生き延びるため。
全てそれは、バイドを撃滅するため。
だが、それほどの狂気を帯びながら、尚。
人類は今だ取り戻せざるものがあった。


――その者の名は“英雄”。


――光を失った少女と、心を持たない少女が出会う時
――最後の希望が、目を覚ます。


次回、魔法少女隊R-TYPEs 第16話
             『わたしの、初めての友達』


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第16話 ―わたしの、初めての友達―①

英雄を失い、あまりにも多くの犠牲を払い、人類が勝ち得た僅かな休息。
けれどその行く手には、更なる悪夢が迫り来る。
その脅威に抗うために、彼らは更なる業に手を染める。嬉々として。

その最中、二人の少女は出会ってしまった。
光を無くした少女と心を無くした少女、二人の出会いは運命なのか。
その運命は、彼女達を何処へと導いていくのだろうか。


「では……状況を整理しようか」

重々しい沈黙が垂れ込めた円卓の中、男が口火を切った。

そこで行われていたのは、対バイド戦における最高の意思決定機関である、地球連合軍最高機関会議。その会議は、開始早々に暗礁に乗り上げ、暗い沈黙に包まれてしまっていた。その沈黙を切り裂いたのが、その議長であり地球連合軍最高指揮官でもあるこの男だった。

 

「……では、私の方から説明をさせていただきます」

その声に答えたのは地球連合軍の参謀次官である男だった。前任者を蹴落とし、その地位を磐石の物としたのはいいものの、それからさほど間を置かずしてこの一大事である。元より政治の方面に明るかったこの男にとっては、叩き上げの軍人や狂気の科学者を相手取るこの会議は、主な胃痛の種となっているのだった。

故に彼は今日も胃腸薬を飲み下し、やや青白い顔で眼前の文章を読み上げるのだった。

「先のバイド艦隊襲撃により、太陽系内の対バイド防衛戦力は、その約60%を失いました。これだけならば、予備役の部隊やオペレーション・ラストダンス用に温存していた戦力を投入すれば、何とか太陽系内の防衛体制を整えることはできると予測されています」

その言葉に、並び立つものたちの間から次々に嘆息が漏れる。

ジェイド・ロス率いるバイド艦隊は、寡兵ながらも太陽系に多大なる被害をもたらしていた。勿論それがかつての英雄の所業であるということを彼らは知らない、知る由もない。だからこそ、その被害の大きさに純粋に驚愕と落胆を感じていたのである。

そして、続く言葉は更に深い絶望をもたらした。

「ですが、天文台からの報告がありました。あのバイド艦隊が開いた道を通って、バイドの大部隊が太陽系へと接近しています。概算ですが、早く見積もっても三ヶ月後には太陽系に到着するかと思われます」

余りの驚愕に、最早声を漏らす者すらもいなかった。

 

「……大部隊、とは。具体的にどの程度の数か把握はしているのかね」

将校の一人が、重々しく口を開いた。その表情には、驚愕と僅かな希望に縋るような色が映されていて。

「観測の結果によれば、今回襲撃してきた敵部隊と同程度の規模かと。その程度の部隊が、現在確認されているもので計7つ。現在も、続々と地球へ向けて近づいているとのことです」

「な……っ」

まさしく絶句。二の句を継げずに、その男は深く椅子に腰を落とした。会議の空気に諦めの色が濃く映し出されていく。戦力の大部分を失った人類に、かつてない規模を持ってバイドの大部隊が襲い掛かってくるのである。

絶望するには、十分すぎるほどの状況だった。

 

「っ!そうだ、オペレーション・ラストダンスはどうなった!?あれを今すぐ発令させて、敵が来る前にバイドの中枢を討てばっ!」

そんな絶望に陥りそうになる心を奮い立たせて、僅かな希望を探して政府高官が切り出した。けれど、そんな言葉も予想通りだったのだろう、参謀次官は首を小さく振って。

「先のバイド艦隊との戦いの最中、オペレーション・ラストダンスのパイロットとして選定されていた暁美ほむらが死亡しました。今すぐにオペレーション・ラストダンスを遂行することは不可能です」

「だ、だが優秀なパイロットなら他にいるはずだっ!究極互換機が完成しているなら、他のパイロットを乗せて……」

尚も、諦めきれずに詰め寄るその言葉を、一人の老人の声が遮った。

 

「無理だ。究極互換機はまさしく究極のワンオフ機。設計の段階からパイロットとなる人物の全生体データを参照し、常にその人物にとって最適なレスポンスを返すように作られておる。それをするためには、長期間に渡る機体とのマッチング作業が必要だ。既に完成した究極互換機は暁美ほむらとのマッチングを完了している。今から別の人物にするとなるとそれこそ、一から作り直すに等しい手間がかかるだろうな」

「ぐっ……なら、一体どうしろと言うのだっ!まさか、このまま座して人類の滅亡を待つわけでもあるまいっ!!」

激昂した男が、円卓にその手を叩き付ける。またしても、痛いほどの沈黙が場を支配する。そんな沈黙の中、また別の男が静かに口を開いた。

 

「本当に、アークに頼るより他無いと言うのか……」

「……そちらの作業は順調です。建造自体は一月後には完成するでしょう。人員の選定についても秘密裏に遂行中です。最短で二ヶ月後には全工程が完了することでしょう」

アーク。それはまさしくその名の通りの箱舟である。激化するバイドとの戦い。その中で万が一人類がその種の存亡に関わるような事態に陥った時、それでも尚その種を保つ為に作り出した最後の手段。それが、今語られているアークだった。

アテナイエと同程度のサイズの人口天体に、地球上に存在するありとあらゆる動植物の遺伝子データを保存。それと同時に、全人類200億人の中から10万人程度を選別し収容する。

それだけの人類を生存させ得る食料プラントや各種生産施設、コールドスリープ装置さえも搭載して、遂に人類の存亡の急となった場合には、バイドの難を逃れて太陽系を脱出し、人類が生存し得る新天地を求めて、果てない宇宙の旅を始める。

アークは、その為の巨大な宇宙船だった。その建造は、オペレーション・ラストダンスの片隅で極秘裏に行われている。当然、そんなものの存在が知れれば途方もないパニックが生じることが予測されたため、その存在は徹底的に秘匿されたまま現在まで経過していたのである。

 

「唯一の救いだな、アークが間に合いそうだというのは。とは言え、このまま手をこまねいているわけにも行かん。なんとか迫り来る敵を打破し、オペレーション・ラストダンスの遂行にこぎつけなければな」

いよいよ持って、人類には絶望的な状況が突きつけられていた。それでもこの男、地球連合軍最高指揮官の表情は揺るがない。絶望的な状況であろうとも、否、絶望的な状況だからこそ、それに打ちひしがれて足を止めるような余裕は、人類にはありはしないのだ。

「……策は、ないこともないがな」

先ほどの老人、TEAM R-TYPEの研究者が再び口を開いた。その言葉に、俄かに会議にざわめきが蘇る。

「聞かせてもらおう」

そのざわめきを制して司令が続きを促した。

「まあ、その為にはお前さん方の力も必要なんだがな。M型の適合者を集めてもらいたいのだよ。それこそ大量にな」

再び、ざわめきが大きくなった。

 

「M型、というと……確か、特殊な素質を持った少女のことだったな。それも、第二次性長期前後の」

「然り。ざっと3000人程度用意できれば、今地球に接近しているバイドの部隊を殲滅することも容易いだろうな」

「なっ……無茶を言うな、無茶をっ!今ですら、M型の調達は非常に手間がかかる仕事なんだぞ」

たちまち、一人の男が食って掛かる。軍内部の人事を統括するその男は、M型適合者、つまるところの魔法少女を集めることの大変さをよく知っていた。

 

「そもそも素質のある人間を探すのだって大仕事なんだぞ。それにそんな少女を戦わせるようなことが表沙汰になってみろ、それこそ大問題だ。おおっぴらに人を集められないからこそこんなに我々は苦労していると言うのに、随分と簡単に言ってくれるなっ!」

こんな戦時にあって尚、むしろこのような戦時だからこそ非道な実験というのは最早憚ることなく行われている。その急進こそがTEAM R-TYPEなのである。

しかしそれはいずれも秘密のベールの向こうに包まれ、余人の知る由もないところであった。大量の魔法少女を集めるということは、最早その存在を、年端も行かない少女を戦わせているという事実を公表するということに他ならない。間違いなく、激しい非難を受けることは避けられなかった。

「心中は察するがね。そうしなければ人類は滅ぶ。たかだか数千人の少女の命を取るか、それとも皆揃って仲良く滅亡するかだ。……選択の余地、迷う時間があると本当に思っているのかね?」

そんな怒りを浮かべる男の言葉に、さも愉快そうに老人は笑い、そして告げる。

「期限はギリギリで二月、といったところかな。用意できた側から送ってくれればいい。後はこちらで処理をするでな。くく……」

 

「……一応聞いておくが、今度はどんな悪趣味なことをするつもりだね?」

そんな愉悦を隠そうともしない老人。あからさまに見せ付けられる狂気に、円卓を囲む者たちは困惑や嫌悪感を隠しきれずにいた。その中で一人、司令が静かに問いかけた。

「リサイクル、という奴だ。魔法についての研究も進められるし、残りカスまで有効に活用できる。まったく、M型というのは本当に面白い玩具だよ。バイドとの戦争が終わったら、次はその研究をすることにしようか」

そう言って、老人は耳障りな声で笑った。最早円卓の中に、それを留められるものは誰もいない。

「……では、対バイドのことはそちらに一任することにしよう。経過報告だけは欠かさぬように。後はオペレーション・ラストダンスに関わる新たなパイロット候補の選定だが……」

 

かくして、尚も会議は踊るのであった。

 

 

 

「鹿目まどかさん、どうぞ」

名前を呼ばれて、まどかは立ち上がった。その手を誰かの手が取った。そして、ゆっくりと歩き出す。

 

――こんな歳の子なのに、可哀想に。

 

手を引かれてゆっくりと歩き、扉を一つくぐる。

「さあ、ここに座ってください」

促されるまま手探りに、まどかは椅子を探り当てた。そのまま、そこに腰を下ろした。

 

――一体、この子に何が起こっているのだろうな。

 

「それじゃあ診察しますよ、鹿目さん。目を開けてくださいね」

今まで目を閉じていたのかとまどかは気付く。そしてその目を静かに開いた。そこにある景色は、今までのものと何も変わりはしない。

病院の診察室。看護師に身体を支えられ、医師がまどかの目を診ている。その目は虚ろに開かれて、まるで何も映されていないようだった。

 

ティー・パーティーのブリッジで、工作機のアームによって重症を負ったまどかは戦闘が終わり、結界が消失してすぐに病院へと搬送された。幸いなことに命に別状はなく、脳などの重要器官にも目立った損傷は見られなかった。

だが唯一つ変わってしまったもの、それがまどかの視力だった。まどかは事故の後、視力を完全に失ってしまっていたのだった。すぐさま精密検査が行われたが、いずれも異常は見られなかった。

なぜ視力が失われてしまったのか、この時代の進んだ医療でさえもその原因を見つけることはできなかったのだ。かくしてまどかは今なお光の無い、暗闇の世界の中で生き続けている。

 

「……明るくなったような感じはするかい?」

「いいえ。……何も、見えません」

医師が開かれたその目にさっとライトを当てる。反射的な瞳孔の変化さえ見られず、まどかもその明るさを知覚することが出来なかった。

 

――相変わらず、か。やはり原因は精神的なものなの……か。

 

「それじゃあ、今日はこれでお終いだ。気をつけて部屋に戻るんだよ」

ひとしきり検査を行って得られた結果は、何も変わらない現状と、相変わらず暗闇の世界に囚われたままのまどかだけだった。それに内心の落胆を抱えつつも、医師は勤めて明るくまどかを送り出した。

 

再び、看護師に手を引かれてまどかは部屋への道を辿る。

「もう今日は夕方の検査まで何も予定がないから、お散歩でもしよっか、まどかちゃん」

 

――ずっと部屋の中に閉じこもってばかりだもの、少しは身体を動かしてあげないと。

 

「いいんです。迷惑になっちゃうし。……動きたくないから」

まどかは、静かに首を振った。

 

――そんな顔して言われちゃったら、無理に言えないじゃない。

 

「……そう、わかったわ。それじゃあもし何かあったら、すぐに呼んでちょうだいね」

自分にあてがわれた部屋に着く。誰かが用意してくれたのだろうか、広い個室にまどかが一人。呼べばすぐにでも人は来てくれるのだろうけれど、どうにも寂しい気分を感じていた。

ベッドの上に座ると、握っていた手の感触が遠のいていく。まどかには、それが少し心細くもあった。そして扉が閉まり、まどかはまた一人きりになった。

 

「どんな顔、してるんだろうな。私」

まどかは静かに呟いて、枕元のイヤホンに手を伸ばした。手探りで掴んだそれを耳につけると、ラジオの音が聞こえてくる。

特に聞きたくて聞いている訳ではない。けれど、そうしなければ静かさに、そして聞こえてくる声に耐えられなかった。

 

 

そう、まどかに起こったもう一つの変化、それは。

 

「やっぱり、これって……その人の思ってること……なんだよね」

遂に、まどかの能力が本格的に覚醒を遂げていた。周囲の人間の心の声、思考が、無作為にまどかの中へと流れ込んできたのだった。それはとても辛く、まどかの心に大きな枷として圧し掛かっていた。

目が覚めて、最初に感じたのは暗闇。暗闇の世界に戸惑う内に、いつしか聞こえ始めた心の声。そして、落ち着いて改めて振り返り感じる、余りにも大きすぎる喪失。

ほむらが、マミが、杏子が死んだ。そしてさやかはどうしているのだろう。それを問うてみても、病院の人間からは何一つ答えは得られなかった。今のまどかが答えを得られないということは、つまり、本当に知らないということなのだろう。

 

「どうなるんだろ、私、これから。……どう、したのかな。さやかちゃん」

ベッドの上で膝を抱えて、そのままころんと横になる。どうしようもなく悲しいはずなのに、どうしようもなく苦しいはずなのに、心はほとんど動かなかった。

胸にぽっかりと大きな穴が開いてしまったかのように、まどかの心は途方もないほどの虚無感によってからっぽにされてしまっていた。

 

 

されど日は、また廻る。

人類はその種の存亡を懸け、さらなる狂気へとその身を投げ出していく。

M型適合者、つまるところの魔法少女を確保するため、若年者に対する適性調査が行われることとなった。そしてその中で素質のあるものは、有無を言わさずTEAM R-TYPEの元へと連行されていった。

最早体裁を気にすることすらもなく、その狂気はありとあらゆる場所へと振りかざされている。当然のように民衆の中に膨れ上がる、軍やその研究機関への不信。それすらも無視を決め込んで、迫る決戦に、種の存亡に、人類は邁進しているのだった。

 

そして、それでもまどかの生活は変わることはなかった。近くにいればそれだけで、聞きたくもない人の心を聞いてしまう。だからこそまどかは常に孤独を好み、静かな日々を過ごしていた。

さやかの現状は杳として知れず、キュゥべえからの接触もなく何も変わらぬ現状に、何も分からぬ現状に、まどかの精神は少しずつ追い詰められていった。

「……もう、無理だよ」

自室のベッドの上で、呆然とまどかは呟いた。どうにもならない現状は、酷くその心を打ち砕いていた。

押し寄せる絶対の孤独。耐えかねて誰かに接触すれば、容赦なくその本音が流れ込んでくる。それが本音であることがよくわかるからこそ、自分が接することがほんの僅かでも相手の負担となることが、まどかにはどうしても耐えられなかった。

孤独に耐えかね誰かを求め、心の声に耐えかね距離を取る。それは決して埋められない針鼠のジレンマ。けれどまどかに針はなく、その周囲を取り囲む全てが無数の針で覆われていた。

触れようとすれば突き刺さり、心を痛め傷を深める。まどかの精神は日に日に疲弊していった。そして、限界を迎えた。

 

「キュゥべえが言ってたのは、こういうことだったんだね」

まどかは立ち上がった。手を突き出して、手探りしながら。

 

「確かにそうだよ。こんなんじゃ、生きていけるわけないよ」

部屋の扉を開く。病院内はそこそこに静かだけれど、そこには多くの人がいる。病に苦しみ、鬱屈とした感情を抱え続ける者。死の恐怖に怯え、どうにかそれを内心に押し込めている者。その心の声の全てが針となって、まどかの心に突き刺さっていた。

 

「……静かな場所に、行かなきゃ」

まどかは、ゆっくりと歩き出した。壁に手をつき手すりを伝い、ゆっくり、ゆっくりと。

最近ほとんど食事も摂れていない。余り動いてもいない。萎えた身体に、足に鞭打って、無理やりどうにか歩を進める。上へ、上へ。

 

「はぁ……っ、階段、上るだけなのに。こんなに……辛いなん、てっ」

このまま力尽きて座り込んでしまえたら、どれだけ楽だろうか。そうすれば、誰かが見つけて部屋へと連れ戻されることになるだろう。きっと、誰も嫌な顔はしないはず。けれどその心の内はどうだろう。

それまで思っていた以上に、人の心は素直だった。いいことがあれば喜ぶし、嫌な事や面倒事があれば、少なからず嫌な言葉が混ざる。そんな声を聞くのが、まどかには耐えられなかった。

 

重い扉を開くと、まだ少し肌寒い風が病衣の下の肌を撫でた。暦の上ではもうじき春。けれど、まだまだ空気は肌寒かった。

「ここは、静かだな。……よかった」

ここには、風の吹き込む音しか聞こえてこなかった。誰の心の声もない。誰もいないということだろう。少しだけ、心が落ち着いた。

「ずっとここにいられたら……あはは、風邪引いちゃうよね」

手探りに、壁伝いにゆっくりと歩く。かしゃん、とその手に金網の感触が触れた。手を伸ばしてみるけれど、やはりかなり高い。乗り越えられるだろうかと考えてみたけれど、萎えた手足ではとてもそんな事は叶わなかった。

 

「やっぱり、だめ……かな」

かしゃん、ともう一度金網を揺らしてまどかは呟いた。限界だと、これ以上は耐えられないと、そう思ってここに来た。

自ら命を絶つということを、半ば本気で考えてしまっていた。けれどこうしていざ事に及ぶとなると、この場所で静かに風の音に耳を傾けていると。そんな澱んだ感情が、少しだけ和らいだような気がした。

「……もうちょっとだけ、頑張ろう。頑張れるよね、私」

ぎゅっと胸元を押さえて深呼吸。冷たく澄んだ空気が肺の中一杯に広がった。

そして息を吐き出す。澱んだ雰囲気と一緒に、大きく大きく。

 

 

 

 

 

 

 

「どうかしたの、貴女?」

 

 

 

 

 

その声は、突然横から投げかけられた。

女の子の、声だった。

 

「え……っ!?だ、誰っ!?」

誰もいないはずだった、声なんて何も聞こえてこなかった。けれどもその声は聞こえてきて、まどかは酷く困惑した。そして、声のするほうに必死に手を突き出した。

「……貴女、目が見えないの?」

そんな様子にまどかの現状を察したのだろうか、少女がそう尋ねた。そして突き出されたまどかの手をそっと握る。不意に手に触れた柔らかな感触、ぴくりとまどかは身を震わせた。

「落ち着いて。わたしは……ここにいる」

「ぁ……っ」

その手が、ぎゅっと両手で包まれた。暖かで柔らかな手が、ふんわりとまどかの手を包んでいた。それでも尚、まどかの心に声は響いてこない。

それが何を意味するのか、まどかにはわからない。ただ、その本心を気にすることなく共にいられる人がいる。

「ぁ……貴女、は。誰なの?」

その手に、更に自分の手を重ねて、震える声でまどかは尋ねた。

 

「……分からないの、自分が誰なのか。何も覚えていない。気がついたら、この病院にいたの」

帰ってきた言葉はどこか寂しげで、そんな声色から人の気持ちを推し測る、それ自体がまどかには新鮮なことだった。

「そう、なんだ。……えと、私、鹿目まどか。その、えっと……もう少し一緒に、お話しててもいいかな?」

「……いいけれど、何も覚えていない人間と話をして、楽しいの?」

どこか、その少女は困惑していたようだった。何も覚えていない状態でこんなところで一人で佇んでいるのだから、もしかしたら一人で居たいのかもしれないと、まどかは思う。

けれど、その本心を知ることはできないのだ。ならば今は、今だけは自分の判断を信じて話してみようと、まどかは考えた。

「楽しいよっ、こうやって一緒にお話できるだけで、私は楽しいんだ」

「ぁ……っ。変わってる、ね。まどかは」

その少女は笑ったのだろうか、まどかにはわからなかったけれど、それでもどこか少女の声の調子が柔らかくなるのはわかった。

「うん、そうなんだ。私、変わってるみたい」

人の心の声が聞こえるのだから、それは飛び切りおかしなことだろう。十分に変わり者だよね、なんて自分に言い聞かせたりして、まどかは答えた。

 

「……ほんと、不思議な人だね。まどかは。でも……話し相手になってくれたら、わたしも寂しくなくて済む、かな」

声に冗談っぽさが混ざったのを感じて、まどかもにっこりと笑った。繋いだ手を、もう一度強く結んだ。

「じゃあ、よろしくねっ!……えっと、なんて呼んだらいいんだろ」

少女は自分の名前を知らない。まどかは少女の名前を知らない。誰も、少女をどう呼ぶべきなのかは分からない。

「まどかが、考えてくれないかな」

少女の言葉にまどかは一瞬きょとんとした顔をして、それからすぐに考え込むように首を傾げた。

「私が、かぁ。……うーん、どうしようかなぁ」

まどかは何度も考える。まさか適当な名前なんて付けられない。

その少女の存在は、まるでまどかにとっては果ての見えない暗闇の中で見つけた一筋の光。見つけてしまえばそれに縋るより他なく、その光はまどかの心の支えとなる。まどかにとってその光は、暗闇を払ってくれたもの。言うならばそれはまどかにとっての英雄だろう。

英雄。その言葉を背負った名前を、まどかは知っていた。

可愛らしい名前だし、いいよね。と。

 

「……スゥちゃん、って。呼んでもいいかな?」

「スゥ……?うん、わかった。じゃあ、わたしはスゥ。よろしくね、まどか」

「うん、よろしくねっ、スゥちゃんっ!」

手を取り合って、まどかは明るくそう言った。光の差さない世界の中が、俄かに明るくなったような気がしていた。

 

「ほら、こっちだよまどかっ!」

「んー……どこだろ、こっちかなー?」

まどかの右後方、少し離れたところでスゥが声をかけた。まどかは耳を澄ませてその声を聞いて、きょろきょろと首を廻らせた。そして。

「そこだーっ!」

と、声のする方に向かって飛びついた。その身体をスゥは力強く受け止めて、そのまま抱きしめた。

 

そこは病院内のレクリエーションルーム。他に人影はなく、部屋の中には二人きりで。まだまだ日は高く、窓から差し込む日差しは柔らかだった。

「ふふ、正解だよ、まどか」

スゥに抱きしめられて、自分からも手を回して抱き返してまどかは笑った。確かに受け止められたのを感じて、嬉しそうに笑っていた。そしてそのままぺたぺたと、スゥの顔のあちこちに手のひらを這わせた。

「くすぐったいよ、もう。……まどかってば」

まどかは目が見えない。だからこうして触れて確かめている。それがよくわかっているからスゥは抵抗しようともしない。そんな風にじゃれあっていると、段々とその手が目から鼻、鼻から頬へ、頬から顎へと降りてきて、そのまま首筋にまでぺたぺたと手が迫る。

「ちょ、ちょっと、まどかっ!?」

背筋にぞくり、と妙な感覚が走って、スゥはその手を掴んで引き剥がした。

 

「あはは、やっぱりだめかな……私は、もっと一杯スゥちゃんのこと知りたいって思うんだけどな」

手を掴まれたまま、照れたようにまどかは笑った。触れることでしか形が分からない。それがどうにも寂しくて、ついつい手が伸びてしまう。まどかにとってスゥは、そうして確かめることの出来る唯一の人なのだから、確かめたくなってしまうのも当然と言えた。

「そう言われると……その、あぅ」

そしてスゥにとってのまどかもまた、たった一人の友達なのだ。何も知らない、覚えていない自分にそんなことなど意にも介さず接してくれる、たった一人の大切な友達。

だからこそスゥもまた、できるだけまどかと一緒に居たいと思った。確かめたいというのなら、そうさせてあげたい、と。

 

「だめ……かな?」

もう一押し、とばかりに小さく首を傾げて見るまどか。その仕草はどうにも可愛らしくて、主に恥ずかしさで築かれた牙城がぐらり、と揺らぐのをスゥは感じていた。

「………ま、まどかがそうしたいなら……いい」

「わーいっ!ありがとっ、スゥちゃんっ!」

ぴょん、と再びまどかが飛びついてきた。不意を突かれて、今度はスゥの体も揺らぐ。そのまま二人、折り重なるようにしてレクリエーションルームの床に倒れこんでしまった。

 

スゥとの出会いから数日。お互いがまるでお互いを求め合うようにして出会った二人は、すぐさま仲良くなった。

相変わらずまどかの世界は暗闇で、スゥの記憶は忘却に塗れている。けれど、どちらもそんなことは気にしなかった。ただ重く圧し掛かる絶望を忘れさせる術として、そしていつしか大切な、唯一無二の友達として。お互いが、そう思いあうようになっていた。

「それじゃっ、スゥちゃんはどんな子なのかなー、確かめてみようっと」

そして再び、押し倒したような姿勢のままでまどかの手がスゥに伸び、もう一度その鼻先から、顔立ちに沿ってすっと手のひらでなぞっていく。まだ少女の顔つき。艶のある頬の感触は、触れているだけですべすべぷにぷにと心地よかった。

「うぅ……なんだかくすぐったい」

もぞ、とスゥは小さく身を捩る。その間にもまどかの手はうなじをくすぐるように撫でて、そのまま短い髪をくしゃくしゃと弄り回した。スゥが言うには黒髪なのだという。もしかしたら日本人なのかもしれない。

 

「スゥちゃんの髪は、短いけどさらさらなんだよね。これはきっと、伸ばしたりしたらすっごく綺麗になると思うな」

満足げに髪を指で梳く。確かにその髪は短かったけれど、指の間をさらさらと流れていった。髪を梳くだけではちょっと物足りなくなって、今度は耳元に指を這わせて。

「ひゃっ!?ま……まどかぁ」

ぴく、と小さく身を震わせて、同じく震えた声を上げるスゥ。

「ふふ、逃げちゃだめだよスゥちゃ~ん」

耳たぶに指を添え、指先でくすぐるように軽く擦る。くすぐったくて逃げようとするスゥの体に圧し掛かって、逃げられないように押さえつけた。

指が這うたびに小さく震えるスゥの反応が可愛らしくて、きっと真っ赤に染まっているであろう顔を想像するだけで、まどかの頬は知らず知らずの内に緩んでいた。

「本当に、顔が見られないのが残念だな。きっと今のスゥちゃん、すごく可愛い顔してると思うんだけどなー♪」

「は……恥ずかしいよ、まどかっ」

やはりそんな反応が可愛くて、もっといじめてみたくなる。こんなに意地悪になっちゃうなんて、それがまたまどかには可笑しくてしかたがなかった。

 

「それじゃ、次は……っと」

再びまどかの手が首筋を這う。これがもし何らかの疚しい気持ちの下に行われていたのだとしたら、スゥもさっくりと抜け出すこともできたのだろうが、今回ばかりは状況が違う。

まどかは純粋にスゥの姿形を確かめようとしているだけで、どちらかといえばじゃれ付いているような雰囲気なのだ。それに、なにやらとても楽しそう。

そんなに楽しそうにされてしまうと、スゥとしてもあまり無碍にはできないもので。結局はくすぐったさに身悶えしながら、堪え切れずに笑い出してしまいながらひたすらに、まどかの指の餌食とされ続けるしかなかったのだ。

そしてその手は首筋を通り越して肩口へ。病衣はずいぶんゆったりとしていたから、まどかの手はするりと容易に肩口へと潜り込んだ。

 

「まど……か。まだ、続ける……の?」

「もちろん続けるよ、まだまだ始まったばかりじゃない」

躊躇いがちに問いかけるスゥに、まどかはにんまりと笑ってそう答えた。言葉と同時に潜り込んできたまどかの手は、少し冷たくて。ひんやりとした手がシャツ越しに肩に触れると、スゥは思わず飛び上がりそうになってしまった。

「う……ひぅっ!ま、まどか……やっぱり、くすぐったい…よぉ」

「ふふ、スゥちゃんってば本当に身体が細いんだねー。ちょっと羨ましいくらい……あ、でも結構がっしりしてるのかな」

ふにふに、と肩口から差し入れた手でスゥの二の腕を軽く揉む。

無駄な肉などは一切付いていない、細さと柔らかさを兼ね備えながらもしなやかな身体。それは肉体工学的な知識が皆無なまどかからしても、ちょっと惚れ惚れしてしまうような体付きだった。

「~っ!?ひぁ、ふゃぁっ?!ま、まどかぁ……」

そんな風に感嘆している間にも、スゥは恥ずかしいやらこそばゆいやらですっかり顔を紅潮させて、抵抗らしい抵抗も全く出来なくなっていて。ただただ小さく身を震わせるだけだった。

 

「っ、はぁ……ぁ、ふぁぁ~……ッ」

それでもまどかの手は止まらない。

なんだか怪しげな雰囲気に、半ば暴走しているのだろうか。さらには脇腹のあたりに指先を細かく這わせて、スゥをくすぐったさで悶絶させてみたり。

足の先から、股の付け根の際どいところにまでゆっくりと揉み解すように、感触を確かめるようにその手を這わせてみたり。

実にやりたい放題で、全く持ってけしからんことであった。

「ひゃひぃっ!?りゃ……りゃめぇ、まろかぁ~……っ」

くすぐったさの中に混じる奇妙な感触、それをじっくり考える間もなくまどかの手は這い回る。言葉さえ上手く出せなくなって、身体はどんどんと熱さを帯びてくる。

仰向けにされ、背筋がなぞられる。それは、ぴんと背筋からつま先までも伸びてしまうほどに強い刺激で。スゥの全身からすっかり力を奪ってしまった。

まあ、語弊の類を恐れない言い方をするならば……骨抜きにされてしまったと言うべきか。

 

「はぁぁ……スゥちゃんは、本当に可愛いなぁ。 どこを触っても、柔らかくてすべすべだし……可愛い声だし」

まどかも、すっかり雰囲気に流されてしまったのだろう。光を失ったはずの目を、なにやら違う光でぎらぎらと輝かせて、その指をわきわきと動かしながら、尚もスゥに迫る。

次の目的は、まだ一切触れてもいないお腹。きっと引き締まった身体をしているスゥのことだから、たるみなんて一切ないのだろう。その後はそのまま上に登って、そのささやかな膨らみを……。

 

 

「こほん。あー、そういう取っ組み合いは、余り感心したことではないね」

 

――なにこれエロい。

 

二つの声が、なにやら奇妙な愉悦に浸っていたまどかの精神を正気へと引き戻した。一つは実際に放たれた声。もう一つは心の声……要するに本音ということで。

声をかけた人物は、病院のスタッフらしい若い男だった。

 

――折角いいところだったのに、空気読めよな。

 

更に、別の誰かの声。

誰かに、見られている。その事実を認識した途端、まどかの顔は一気に朱に染まった。

 

――折角のお楽しみを邪魔するとは。拷問だ!とにかく拷問にかけろ!

――私はあの少女達に狂おしいほどの劣情を抱いている。

――そんなことよりおなかがすいたよ。

 

声、声、声。その声は口々にまどかの心に飛び込んでくる。今すぐにでもこの場を逃げ出したかった。けれど、暗闇の世界の中ではそこまで自由には動けない。

何よりも、見られていたという事実がまどかの足を竦ませていた。

 

そんなまどかの震える手を、力強く引く手があった。

「行こう、まどかっ!」

「ぁ……スゥ、ちゃん。……うんっ!」

くすぐりの余韻から即座に立ち直り、スゥはまどかの窮地を救うために立ち上がったのだった。そんなスゥに手を引かれ、逃げるようにまどかもその場を後にした。

手を引かれ、導かれるままに走る内に、いつしか手の震えは消えていて。自分の進むべき道をスゥが導いていてくれること、それがたまらなく嬉しかった。

(やっぱり、スゥちゃんは私の英雄なのかもしれないな。……ね、スゥちゃん)

静かに微笑み、手を引かれて走りながら。まどかは、幸せな想像を廻らせていた。

 

逃げ出し逃げ延び、たどり着いたのはまどかの病室。ベッドに二人で腰掛けて、ようやくまどかの息も落ち着いてきた頃に。

「……落ち着いた、まどか?」

「うん、ありがと、スゥちゃん。……でも、ちょっと惜しかったな。もうちょっとで、スゥちゃんを全部確かめられたのに」

恐怖の余波も、走った疲れもようやく幾分か抜けたようで、少しだけ冗談めかしてまどかは笑った。そんなまどかに、スゥは少しだけ躊躇ってから、やがて覚悟を決めたかの様に呟いた。

 

「……もっと、触って…みる?」

「いいの、スゥちゃんっ!」

ぱぁ、と途端にまどかの表情が明るくなった。その変わり身の早さに、スゥは驚き少しだけ苦笑して、それからまどかの手を取った。

「まどかがそうしたいなら、わたしは…構わないよ。それにここなら、きっとしばらく誰も来ないから」

「じゃ、遠慮なくっ!」

言うや否や、まどかはスゥに覆いかぶさるようにベッドに倒れこんだ。その勢いにひるむ間もなく、まどかの手が肌が、スゥの身体のあちこちを這い回るのだった。

 

優に一時間ほどの時間の後、すっかりくたくたになってしまったスゥが、よろよろとまどかの部屋を出て行くのだった。ほんのりと、その頬を朱に染めて。

 

そして夜。二人一緒の時間も終わり、まどかは部屋の中で一人佇んでいた。物音も、誰かの声も聞こえないほどの静寂。

スゥがいる間は周囲の雑踏や心の声も、そんな静寂さえも気にはならなかった。けれどスゥがいない今、完全なる静寂が訪れる夜が、まどかは逆に恐ろしいとさえ感じてしまっていた。

思い出してしまうからだ。失ってしまった多くのものを。マミを、ほむらを、杏子を。

考えてしまうからだ。これから先の自分のことを。果たしてこれから自分はどうなるのだろうか、と。果たして、さやかは今一体どうしているのだろうか、と。

果てない夜の静寂は、耳が痛くなってしまうほどで。夜毎、それはまどかを苦しめていた。

そんな、静かな苦痛の病室に。

 

「まどか、まだ……起きてる?」

救いの声が、飛び込んだ。その声の主を部屋の中へと招きいれて、まどかは。

「スゥちゃん。どうして、一体どうやってここに来たの?」

「……色々。でも大丈夫。何も問題はないから」

力強くそう言ったスゥの顔は、笑っているような気がした。

たとえ目が見えていたとしても、何も見えないような暗がりの部屋の中。孤独であることに、そして自分が背負った罪の重さに押しつぶされそうになっていたまどかには、その力強いスゥの言葉は、そしてその存在は何よりも救いとなるものだったのだろう。

「でも、どうして……」

「今朝、まどかの目が腫れてたから。……もしかしたら、夜に泣いていたんじゃないかな、って思ったの」

「スゥ……ちゃん」

そんなところまで見ていてくれたのか、とまどかの胸に暖かなものがこみ上げてきた。先ほどまでその胸中を埋めていた、孤独と苦痛はその暖かなものに押し流されて。

後に残されていたのは、とても幸せなものだけだった。

隣に、大切な友達がいてくれること。それが何よりも、今のまどかには嬉しかったのだ。

 

「一人が寂しいなら、わたしはずっとまどかの側にいる。まどかは、わたしが守るから」

暗闇の中でもまっすぐに手を伸ばして、スゥはまどかの手を取った。

まどかにとってスゥがかけがえのない友達であるのと同じようにスゥにとっても、まどかはとても大切な友達だった。何も覚えていない自分に、こんなにも優しくしてくれる、接してくれる、話してくれる。

けれどまどかはとてもか弱くて、孤独に震えて怯えている。ならばどうする。記憶を持たない体でも、心は答えを知っていた。

 

守りたい。いや、守る。

だからそのためにずっと、まどかの側にあり続ける。この先の事を考えると、それは果てしなくて不安になる。だからそんなことは何一つ考えようともせずに、ただ一番大切な人と共にあり続けることだけを、スゥは考え望んでいた。

「スゥちゃん……うん、私も、スゥちゃんとずっと一緒にいるよ」

そんなスゥの思いはただスゥの中を力強く渦巻くだけで、まどかの心に声となって届きはしない。けれどその触れる手が、交わす声が、強い思いを伝えてくれていた。だからこそまどかも、正直な気持ちを告げた。

ずっと一緒にいたい、と。

けれどもう一つ。もう二度と、友達を失いたくないとそう思う気持ちだけは、どうしても打ち明けることができなかった。

 

「……そんなに悲しそうな顔をしないで、まどか」

「もしかして、明かりをつけてるのかな?」

病室の中は、お互いの顔も見えないような暗がりのはず。なのにスゥはそう言った。間違いなく、こちらの顔が見えているのだ。

「ううん、暗いまま。でも、まどかの顔はちゃんと見えるから、大丈夫」

「……そっか、スゥちゃんは、いつも私を見ててくれるんだね」

「うん。わたしはずっとまどかを見てる。まどかの側にいる。まどかを……守る」

握り合う手に力が篭る。その手を握り返して、まどかはおそらく笑顔であろう表情を浮かべた。これでもう、一人じゃない。孤独に苛まれることもなくなる。

そんな幸せな感情が、まどかの胸を埋め尽くしていた。

「ありがとう、スゥちゃん。私、すっごい幸せだよ」

それでよかったのか、と。心の中で呼びかける、静かな声には耳を閉ざした。守られていれば、何もできない、無力で可哀想な子供でいればきっともう、これ以上辛い目にあうこともなくなる。

きっとこの先、ずっと平和でいられるはずだから。

 

一つのベッドを分け合って、スゥとまどかが横になる。眠気は、まだどうにもやってこないようだった。だから。

「ね、スゥちゃん。まだ起きてる?」

「うん、起きてるよ。まどか」

「なんだか、まだ眠れないんだ。……眠くなるまで、お話ししない?」

ベッドの中で囁く声。返る言葉もまた囁きで。

スゥは、少しだけ考えてから答えた。

「わたしは構わない、けど。わたしは話せることが何もない。だから、まどかのことを聞かせてくれたら、嬉しい」

「……うん。じゃあ聞いて、スゥちゃん。私の話を」

 

まどかは静かに話し始めた。

両親の事、優しくて、家の事は何でもこなしてくれる父のこと。どんな仕事もバリバリこなす、働き者で厳しいけれど、よくまどかのことを理解している母のこと。

小学校のころ、見滝原へと転校してきたこと。そこで出会った……初めての、友達。

「……さやか、ちゃん」

思い出してしまった。それだけで胸が締め付けられるように痛くなる。

思い出してしまった。こうして身を寄せ合って夜を過ごした事を。初めてバイドと出会ってしまった時。全ての始まりの時。マミがバイドによって撃墜されてしまったあの時。

あの時もこんな痛みを堪えるように、同じ痛みを共有しあうように身を寄せ合っていたのだ。今はもう、生きているのかすらも知れないさやかと共に。

考えまいとしてきた。考えれば、向き合ってしまえばきっと受け止めきれない。罪と自責と、一人残されてしまったことの重さ。それに押しつぶされてしまいそうだったから。

 

堪えきれずに、その瞳からぽろぽろと零れる涙。

「ごめんね、スゥちゃん……私。泣き虫で、弱い子で……ごめん、ね」

その姿はどこまでも儚くて。声はただか細くて、闇にぼんやりと移るまどかの輪郭は、今にも闇に溶けて消えてしまいそうだった。

行かせるわけにはいかないと、そちら側へ行かせてはならないと、スゥは気づけばその手を伸ばし、まどかを強く抱きしめていた。

「まどかは悪くない。まどかは何も悪くない。何があったのかなんて知らない。でも、まどかが悪いことなんてあるはずない。まどかは何も心配しなくてもいい。まどかの側には、いつもわたしがいるから」

耳元でぶつけるように投げかけられたその囁きは、無残にもまどかの心を打ち据えていた暴力を、より強力な力で打ち払った。

間近で見詰め合う顔と顔。ようやく、まどかはうっすらと笑みを浮かべた。

「私、本当にスゥちゃんに頼って、守られてばっかりだね。……私も、スゥちゃんを助けてあげられたらいいんだけどな」

「わたしは、まどかがいてくれるだけで救われてるんだよ。だから、まどかが元気で笑っていてくれるのが、わたしには一番の幸せ」

二人の関係。それは一見、スゥがまどかを助けてばかり。まどかはスゥに依存している。そんな風にも見て取れる。

けれど、それと同じようにスゥもまどかを必要としていた。ただそこにいてくれることが、笑ってくれることが、言葉を交わし他愛ない戯れに興じることが、スゥにとってはただただ尊いことだったのだ。

 

それからは、ただひたすらに他愛ないおしゃべりをして。もっぱらスゥは聞き役に回るばかりだったけれど、それでも楽しんでいたようだった。そして気づけば、まどかは静かな寝息を立てていた。

非常に不安定な精神と、不完全な肉体を抱えて、心身共に疲弊しきっていたのだろう。まどかはそのまま、深い深い眠りの底へと落ちていく。

「…………」

寝息を立てるまどかを、スゥはしばらく優しく見つめて、やがてまどかの隣で静かに眠りにつこうとした。けれど。

 

「……う、ぅぐ。っぁ」

突如として聞こえる嗚咽。当然、その声の主は腕の中のまどか。困惑するスゥを尻目に、まどかはその身を激しく捩り、嗚咽を漏らし続ける。

「ぅぁぁぁ……ぁぁ、うあああぁぁあっ」

「まど、か……まどか、まどかっ!?」

そしてスゥは気付く。

夜毎、まどかはこうして泣いているのだと。朝、目元が腫れていた理由はこれなのだと。

「ごめんなさい、ごめんなさいっ……私、何も、何も……うぁぁぁっ」

嗚咽の声は大きく、謝罪の言葉も混じって響く。暴れるように、まるで駄々をこねる子供のように振り回される手足が、何度もスゥの体を打った。

一体何が、そこまでまどかを苦しめているというのか。スゥにはそれが分からない。故に苦しく、その原因となったものが憎くもあった。

「マミさん、ほむらちゃん、杏子ちゃん……ロスさん、さやかちゃん。みんな、みんな……ぁぁ、あぁぁァああぁッ!」

まどかの言葉に、びくりとスゥの腕が強張った。それがまどかを苦しめているものの名前なのだと、そう確認したのだろう。

けれどなぜかそれだけではない、頭の奥で何かがざわめくような、ひどくぼけた映像がちらつくような不思議な感覚だった。そしてその感覚は、すぐさまその顔も知らない者たちへの恨みへと取って代わった。

 

「……大丈夫だよ、まどか。まどかを苦しめる奴は、全部わたしがやっつける。誰一人だって、許したりなんかしないから……まどか」

暴れようとする手足を、ぎゅっと抱きしめ押しとどめた。間近に近づく顔と顔。いやいやというように、激しく首を振りながら嗚咽を漏らすまどか。そんな姿を見ても尚、身の内に湧き上がるこの感情は何だろう。

たった一人の友達で、今のところ唯一の心を許せる人。誰よりも、何よりも大切な人。

まどかの笑っている顔を見ると、それだけで心が温かくなる。まどかの悲しんでいる顔を見ると、それだけで胸が痛くなる。

ずっと一緒にいたいと思う。ずっと笑っていてほしいと思う。ずっと、幸せでいてほしいと思う。……その気持ちは、なんなのだろう。

ある仮説がスゥ自身の中で立てられた時、スゥは、ひどく赤面した。記憶はなくとも知識はある。そんな不思議な彼女の頭脳は、必死にそれを払拭できる解を求めた。

友人としての好意。まだ足りない。彼女の全人格の肯定。どうにも無機質だ。共にありたい、一緒に幸せになりたいという思い。それがどこまでも昇華し取りうる形は。

 

「……恋?」

口に出すと、その言葉は不思議なほどに甘美な響きをしていた。わけも分からず胸がどきどきとして、腕の中で嗚咽をもらし続けるまどかがたまらなく愛しく思えてしまった。

どう見てもおかしい。女性同士だ、馬鹿げている。スゥの中の理性が、ありったけの理性が必死に弁解の言葉を並べ立てる。

「好き、なんだ。私……まどかのことが、好き」

けれどそんなものは、口から零れる明確な真理によって打ち砕かれた。吸い寄せられるように、まどかの顔にスゥの顔が近づいていく。その身を強く、硬く抱きしめたまま。

そしてスゥは、尚首を振り続けるまどかの額に、自分の額を触れさせた。

 

 

 

びり、と。

 

身体の奥よりもっと奥、心と言えるような場所で何かが生まれたような、芽生えたようなそんな気がした。気がつけば、まどかの手足も動きを止めて、嗚咽の声も止まっていた。

安らかに寝息をたてるまどかの顔は、殊更に輝いて見えて。触れ合った額から伝わる熱で、スゥの身体は燃えるように熱かった。その心臓は、早鐘のように打ちなされていた。

その衝動に導かれるままに、触れ合う額同士が離されて。代わりに近づくのは、ピンク色した小さな唇。視線は、寝息の度に微かに動く、まどかの唇に釘付けで。

ゆっくりとその距離が詰められていく。5センチが3センチ、それが2センチになり、そして。

 

「……ぷしゅー」

ぷつり、と何かが切れた感触。緊張の糸なのやら、我慢の限界なのやら知れぬそれがぷつりと切れて。もう、スゥは何も分からなくなってしまった。

ただ、その意識が途切れるや否やの直前に少しだけ、柔らかな何かに触れるのを唇が伝えてきたような、そんな気がしただけで。



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第16話 ―わたしの、初めての友達―②

甘き日々は終わりを告げ、ささやかな平穏は破られる。
世界を席巻する狂気は、遂に少女達にその牙を剥く。

ただ大切な人のため。少女は再び、運命の輪にその身を投じる。


――成長段階、最終固定完了。

 

 

(何、これ……。夢?)

 

 

            ――全神経回路接続。インプリンティング、第五領域まで到達。

 

 

               (でも、誰の……?)

 

 

     ――精神領域に欠損、固体への影響は軽微。

 

 

       (何かを、創ってる)

 

 

 

     ――CS2 No.013、全精製工程完了。生体電流通電開始。……起動します。

 

 

             (あれは、あれは………っ)

 

 

 

「やあ、まどか。久しぶりだね」

そんな、どこか歪なおかしな、けれど平和で幸せな日々。やはり今回も、その終わりを告げるのはこの声だった。

戦場から遠のき、平和と呼べるような日々を過ごしていたまどかには、それはもはや懐かしいとすら言えるようなもので。珍しく一人、病室に佇んでいたまどかの元に、遂にその声が飛び込んできたのだ。

「……キュゥべえ」

そのキュゥべえの声は、まどかに新たな波乱の幕開けを予感させるに十分過ぎるものだった。

 

「すまなかったね、今まで顔を見せることが出来なくて。本当はもう少し早く来るつもりだったんだけど、ボクも何かと忙しかったんだよ」

「そっか、そうだったんだ……でも、いいの?こんなところに来て。誰かに見られたりとか、しないのかな」

視覚を失ったことで鋭敏化されたまどかの感覚は、確かにそこに何かがいることに気付いていた。けれど、それが本当にキュゥべえなのかは分からない。今までに感じたことがないような感覚を、そこにある何かに感じていた。

「問題はないよ。今日のボクは本体で来たからね。素質のある人間以外にはボクを知覚することはできない。魔女の時と同じようにね」

そっか、とまどかは小さく答えた。だとすれば、この妙な気配はキュゥべえ本体のものなのだろう。宇宙人だとか、そんな突拍子もない話を前にしていたのを覚えている。

もしかしたら目の前にいるはずのキュゥべえは、いつも見ているあの小さな姿ではないのかもしれないな、とそんな風に考えて、小さくまどかは笑った。

 

「……ねえ、キュゥべえ。聞かせて。さやかちゃんは、どうなったの?」

そんな小さな笑みもかき消して、どこか深刻そうな顔をして。それから小さな深呼吸をして、ようやくまどかは問いかけた。キュゥべえなら、その答えを知っているはずだから。

「キミならそれを聞いてくると思っていたよ。結論から言うと、美樹さやかは生きている。ただ、そうだね。敢えてキミ達の言葉に直すなら、さやかは心を病んでしまっている」

え、とまどかの口から小さな言葉が漏れた。

「どういうことなの、キュゥべえ。さやかちゃんは無事なんだよね?心を……って、一体、どういうことなのっ!?」

努めて考え込まないようにしてきたこと。けれど、その事実が告げられてしまえばまどかは考えざるを得ない。さやかの身を、その現状を案じてしまうのは、無理もないことだった。

「さやかは今は病院で療養中のようだ。とはいえ、あれからボクもさやかに会いに行ったわけではないからね。今どうなっているのかどうか、詳しくは分からないのだけどね」

そんな必死に言葉を繋ぐまどかにも、静かにキュゥべえは首を振るだけだった。

 

「……会わせて、キュゥべえ」

「ボクに頼まずとも、普通に面会を申し込むことはできるはずだ。でも、さやかがいるのは別の病院だからね。その為にはまず、キミがここを出る必要がある」

「っ……それ、は」

ただ淡々と事実を告げるキュゥべえの言葉に、まどかは言葉に詰まってしまう。そもそもここを退院できるのだろうかという疑問。スゥと、ここでの平和で安らかな日々と決別しなければならないことへの逡巡。

外に出るということは、もっと沢山の人の中に揉まれて行くということでそれだけの人の心の声を聞きながら生きていけるのだろうかという、恐怖。

 

胸中に渦巻く感情を整理できず、押し黙ってしまったまどか。そんなまどかを見かねて、キュゥべえが静かに声をかけた。

「一応、キミの現状も把握しているよ。視力の喪失。そして恐らくそれがきっかけなのか、それともこれがきっかけで視力が失われたのかは分からないけれど、キミは他者の精神を、その思念を読み取ることが出来るようになっている。そうだろう、まどか?」

「えっ……キュゥべえ。どうしてそれを……?」

誰にも打ち明けられない悩みの種を、いきなりキュゥべえは言い当てたのだ。これにはまどかも驚いて、けれど何かいい対処法が見つかるのではないかというほんの僅かな期待も同時に抱いていた。

「当然だよ、まどか。これは自覚してやっていることではないのかもしれないけどね、キミは常に、周囲に全ての知的生命体の精神領域に対して干渉を行っている状態なんだよ。勿論、この星の文明レベルではそれを知覚することはできないだろうけどね」

「それじゃわからないよっ!……本当に、すごく困ってるんだから。お願い、キュゥべえ。一体何が起こっているのか教えて」

相変わらずの分かりづらい説明。常にその心の声に悩まされ続けてきたまどかには、それはどうにも耐え難いもので。思わず声を荒げて、キュゥべえのいるであろう方へと詰め寄った。

「簡単に、というのは難しいな。前にキミの能力の話をしただろう?高度に発達した精神ネットワーク。それが遂に、キミの自我領域を超越したのだろうね。拡散する精神ネットワークは他者の精神に干渉し、そこに伝達する思考をキミに伝えるに至った。そしてそれを、どうやらキミはまったく制御できずにいる」

無理もない、とキュゥべえは続けた。そんな説明は、やはりまどかにはどうにも理解しがたいことではあった。それでも一番大切なことは理解できた。

以前説明された能力、ロスや杏子と言葉を繋ぐ事ができたあの能力が、今は自分を苦しめているのだ、と。

 

「そうして拡大と進化を始めたキミの精神は、遂に人間の身体というハードの限界を超えたんだ。それほど強大な、限界を超えるような負荷に耐えるために、キミの身体は他の機能を失うことを選んだ。もしくは、視力が失われたことで能力がそれを補うために進化したのかもしれない」

「それじゃあ、私はずっとこのままなのかな。キュゥべえ」

「それを解決する方法を、ボクは既に示しておいたはずだよ。まどか」

そう、確かにそれは既に示されていた。契約し、魔法少女となり、その本体をキュゥべえの言うところのより優れたハードである、ソウルジェムへと移すこと。

あの時はまだ、自分の身に降りかかる災禍は現実のものではなかったから、それを決めることはできなかった。けれど今、能力の拡大と視力の喪失。その二重苦がまどかの心身を蝕んでいる。

そこへ差し伸べられた希望。それは、ぐらりとまどかの心を揺さぶった。

 

「一応誤解のないように言っておくよ。もし仮にキミがボクと契約したとしても、ボクはキミを戦わせるつもりはない。今までどおりの暮らしができるようにも取り計らうつもりだ」

そんな迷いを、揺らぎをさらに助長するかのように、キュゥべえの静かな声が届く。けれど聞こえるのは実際に口に出された声だけで、その本心は伺い知ることはできなかった。スゥと同様に、キュゥべえの心の声は聞こえてこなかったのだ。

「……契約して、そうすれば治るのかもしれないんだよね。私も、キュゥべえの言ってる事、信じたいよ。でも……でも、私は見ちゃったんだよ」

そう、まどかは見てしまった。全てを見届けてしまったのだ。さやかの、杏子の、魔法少女となった者の末路。魔女と化して、そしてその身が潰えていく様を。

それはキュゥべえにとっても本意ではないのだと言うけれど、そうはならないようにはずだとキュゥべえは言うけれど、恐れずにいられるわけがなかった。

「キュゥべえの考えてることも聞こえてきたらよかったんだけどな。……どうして、キュゥべえのだけは聞こえないのかな」

確かめられたら、その本心が分かればどれだけまどかの悩みも晴れるだろう。そう願いながらも、まどかの持つ能力はなぜかキュゥべえにだけは届かない。思うようにならないその力が、今更にまた忌々しく思ってしまった。

 

「ボクの記憶の中には、秘匿するべき情報も多く詰まっているからね。一応の防衛策は取らせてもらっているんだ。ボクの精神ネットワークは、ボクと言う固体の中で完結している。だからまどか、キミの能力を持ってしても、ボクの精神を覗き見ることはできない」

やはり、キュゥべえの言っていることは難しい。十分に理解できたとは言えないけれど、それでもキュゥべえの本心を知ることはできない。その事実だけはよくわかった。

「ボクとしては、キミは契約するべきだと思う。けれど、これはボクの方から強要できることじゃない。まどか、キミが自分の意思で決めるしかないことなんだ」

「……そう、なんだよね」

結局、これ以上の判断材料は何も存在しない。後はただ、まどかが自分で心を決めるしかなかった。

「少しだけ、考えさせてくれないかな」

「ボクはそれでも構わない。けれどボクも今はなかなか忙しいんだ。恐らく、次にここに顔を出せるのは一週間は後のことになる。それでも大丈夫かい?」

「……うん、きっと待てると思う」

少なくとも、今ここにはスゥがいる。さやかが生きていることもわかった、助かる方法も示されている。希望は、潰えてはいない。

 

「それじゃあ、一週間後にまた返事を聞きにくるよ」

「……じゃあ、それまでに私も考えておくね。自分がどうしたいのかを」

それだけを言い残し、キュゥべえの気配が遠ざかっていく。その気配が遠ざかるにつれて、まどかの胸中に暗いものが立ち込めていった。

キュゥべえの言葉は、告げられた事実は、どうしてもまどかにそれを思い出させてしまう。ここでの幸せな記憶が忘れさせていた、辛い戦いと喪失の記憶。忘れられるものなら、そのまま忘れてしまいたかった。

「……違うよ、わかってるよ。忘れちゃだめなんだってことくらい」

心の内にこだまするのは、紛れもないまどかの本心。口をついて出たのもまた、偽らざるまどかの想い。

夜毎まどかを苛む辛い記憶。忘れられるものなら忘れてしまいたい。けれど、そうやすやすと忘れられるほどにその記憶は、思い出は軽いものではなかった。

今までさやかと共に過ごしてきた日々は、とても長くて楽しかった。ほむらや杏子、マミが駆け抜けた戦場の記憶は、そして彼女達の生き様はあまりにも鮮明にまどかの記憶に焼きついていた。故にそれは、今なおまどかを縛り、苦しめていた。

一人で抱えて生きていくには重過ぎる、けれど、それを分かち合える人などいるはずもない。今のまどかには、あの時さやかが死に急ぐように出撃しようとした理由があの時よりもさらに鮮明に、痛みすら感じるほどよく理解できた。理解できてしまっていた。

 

「一人ぼっちって、寂しいんだね。辛かったんだね。だから、さやかちゃんは……」

掠れた呟きが、一つ。ぽつりと小さく漏れたのだった。

 

「……あの様子を見る限り、まどかはもうすぐ契約するだろうね。まさか、この状況でまだ考えようとするとは思わなかったけど」

まどかの病室を出たキュゥべえは、我が物顔で廊下を歩く。普通の人間にはその姿は知覚できない。たとえそれを知覚できる人間がいたとして、特に問題があるとは思えなかった。

ここが病院であるならば、そのようなものが見える精神疾患に罹患したと、周囲の人間はそう考えることだろう。だからこそ何も心配することはなく、キュゥべえは悠然と廊下を歩いているのだった。

「まさかあそこで暁美ほむらを失うことになるとは思わなかった。魔女の存在も、まさかこんなところで露見するとはね」

思考を言語化するという行動。それ自体にはなんら意味はない。けれどその言葉は、まるで誰かに聞かせるようで。

「おかげで、魔法少女の運用そのものが見直されるかもしれないところだった。……けれど、彼らの狂気はそれすらも飲み込んだ。恐ろしいね、人間は」

その口調は驚愕というよりも、敬意すら見て取れるようなもので。静かにその耳を揺らしながら、歩みを言葉を進めていく。

 

「大量の魔法少女を使って、魔法という感情エネルギー転用技術の研究を進める。

そしてその副産物として生まれた魔女を、兵器として運用する。まったく、素晴らしい発想をするものだよ。人類は」

その姿を見るものは誰もいない。だから、その唇が邪悪に歪むのを知りえたものも、当然誰もいなかった。

 

「ついにここまで来てしまった。腹立たしいまでに彼らは優秀だ。でも、もっとも望ましい形に進んできているのはとても愉快だ。ボクの世界改変計画は、彼らの狂気を以ってついに完遂されることとなる」

そして、また、キュゥべえは笑う。嬉しそうに、とても楽しそうに。待ちきれないといった様子で。

そんなキュゥべえの横を、当然それを一顧だにせず足早に通り過ぎていく少女の姿。それはそのまま速度を落とさず、まどかの部屋へと向かっているようだった。その最中一瞬垣間見えた少女の顔に、キュゥべえの目が見開かれた。

「……まさか、あれは」

その顔に浮かぶのは、疑問。けれどそれは、すぐに愉悦に取って代わった。けれどもやはり、そんな姿を見ているものは、その場には誰一人としていなかったのだ。

 

 

 

――まどか。

 

――あ……スゥちゃん、いらっしゃい

 

――どうかしたの?なんだか、顔色がよくないよ

 

――ちょっと、ね。考え事してただけ

 

そして、また日は廻る。

 

 

 

 

 

スゥは走っていた。まどかの部屋へと走っていた。朝食を済ませてすぐのことである。

どうやらスゥと出会う前のまどかは、相当に塞ぎこみ落ち込んでいたようで、スゥと接触することでそれが解消されている。そしてスゥ自体も初めて他者に興味を持った。もしかしたらそれが、記憶を取り戻す手がかりになるかもしれない。

大体そんな理由で、スゥのその行動は容認されていた。

だから、今日もスゥは走る。まどかもそれを待っていてくれる。一緒にそこにいられる限り、二人は常に一緒だった。そうしていることがまどかにとっては安らぎで、スゥにとっては喜びだった。

記憶を失ったからなのか、それとも今までずっとそうだったのか。とにかく、誰にも興味を持つことが出来なかったスゥ自身。けれど、そんな彼女にとってまさしく初めての興味の対象。純粋な好意を、それ以上の感情を向け得る相手。それがまどかだった。

その胸に産まれた、ちょっと歪んだ恋心。それはまるで、産まれたばかりの木の芽のようにスゥの心のあちこちに根を張って、その心を外へ外へと押し広げていたのだった。

 

だからこそ、変化は多く訪れる。

何故だろう。差し込む朝日がこんなにも眩しいのは。春先の柔らかな日差しに包まれて、その息吹を芽生えさせる草木があんなに瑞々しく見えるのは。日の光の差さない影に、冬の名残のように溶け残るあの雪が、どこか寂しげなのは。

見る物すべてが何故か新鮮で、興味が絶えない。きっと今までも自分は、そんな些細な一つ一つの事に、まるで気付けていなかったのだと思う。

そんな世界が素晴らしい。そして、そんな世界に気付くきっかけを与えてくれたまどかが愛おしい。スゥの目に映る全てが、まどかを中心に広がっていく世界の全てが、まるで輝いているかのようだった。

 

それにしても、とスゥは思う。今日はやけに人がいない。いつもならば他の入院患者や病院のスタッフが少なからず行き来しているはず。だけどその姿は全く今は見られない。

静まり返った病棟の中、少しだけ嫌な予感がした。それでも、スゥはまどかの部屋へと走る。咎める者もいない様だから、速度を上げて尚走る。

辿りついたまどかの部屋の前。それでも尚、ここに至るまで誰一人として人影はなかった。何かあったのだろうか。けれど、そんな話は何も聞いていない。まどかも何も言ってはいなかった。訝しがりながらも、スゥはその部屋の扉を開けた。

「まどか……一体、どこに」

がらんどうの病室。綺麗に整えられたベッド。何一つ物の存在しない戸棚に床頭台。

そこに、つい昨日までまどかがいたとは信じられないほどにこの病室からは、生活感というものが一切排除されていた。

何かがあったことは、最早間違いない。それが何かは分からないが、自分がここまで来れたという事は、人の出入りを禁じるようなことではないはず。だとすればなんだろう。急に病棟ごと全ての人員を移動させるような事情とは。

兎にも角にも、誰かに事情を聞くことから始めた方がいいだろう。そう考えて、スゥはその部屋を出た。

 

「こんなところで何をしているの、そこの貴女?」

そんなスゥを見とめて、呼び止めた声が一つ。声に振り向いたスゥの視線の先にいたのは一人の女性。白衣を纏い、それに似合う知的な、けれどどこか危うげな雰囲気も湛えた女性の姿だった。

恐らくここの医師だろう。それにしては見慣れない顔ではあるけれど。

「友達に会いに来た。……でも、居なくなった」

やはりどうしても、まどか以外の人間には態度が冷たくなるスゥだった。それでも、こうして一応会話が成立している辺りは進歩の跡が見て取れる。

「ああ、なるほど。そういうことだったのね。知らなかったのかしら。この病棟は、電気設備の点検でしばらく電力が落とされることになったのよ。作業に二日くらいかかるから、その間は全ての患者は別の病棟に移されることになったの」

そうだったのか、と納得すると同時に一つ、スゥは安堵の吐息を漏らした。

確かに電子機器の類は一切稼動していない。非常灯すらついていないのだから、そういうことなのだろうと思う。

けれどそれはそれでおかしな話だった。少なくともスゥは、まどかからそんな話を一切聞いていない。まどかは知らなかったのだろうか。

「この部屋の患者なら、恐らく別棟に移されたはずよ。よければ案内するけど、どうかしら?」

軽く組んでいた腕を解いて、その女性はスゥに指先を向けた。

色々と気になることはあるが、まどかに会えると言うのならそれがまずは先決だ。気になることは、その後にでも調べてみればいい。

「お願いするわ」

だから、スゥは頷いた。

 

「こっちよ、付いて来て」

そう言うと、女性は思いがけないほどに足早に歩いていく。そしてすぐさま、その姿が曲がり角の向こうに消えた。

一瞬だけ呆けたようになっていたが、すぐにスゥは我に帰るとその女性の後を追い、曲がり角を曲がった。否、曲がろうとして、できなかった。

視界が曲がり角の向こうを捉えた瞬間に、その視界一面に先ほどの女性の姿が飛び込んできたからだ。

 

「うぁっ!?」

最初にやってきたのは衝撃。次にやってきたのは熱さ。それから痛みが、痺れが全身に広がって。意識はもやがかかったかのように、急速に遠ざかっていく。

 

がくりと、スゥの身体が崩れ落ちたのを確認してからその女性は、手に持っていた電気銃の安全装置を作動させた。

「……随分とあっけないわね。本当にこれが、あいつらの自信作なのかしら。こっちは完了よ、すぐに運び出して頂戴」

そしてどこかへと通信を取り、女性は倒れ伏すスゥへと近づいた。

「随分と整った顔してるわね。……出来損ないのくせに」

その髪をぐいと掴んで持ち上げて、値踏みするかのようにその顔を見つめる。どこか狂気を感じさせるその視線には、酷く嗜虐的な色が宿っていた。

「抵抗されたってことにして、鼻の骨を折ってやるくらいはしてもいいわよね。あいつらには、五体満足のこれを引き渡しさえすればいいんだもの」

ぐぐ、と更に髪を引っ張る力を強める。高々と、スゥの頭が持ち上げられていく。

「人を治すはずの病院で、人の顔をぐしゃぐしゃにしてあげる、だなんて。……すごく背徳的で、ゾクゾクするわね♪」

その声色は、本当に、本当に楽しそうで。それはその背徳的な行為こそを嗜好とし、それに酷く慣れ切っている者の声だった。

 

髪を無理やり引っ張られる痛み。幸いなことに、その傷みが沈みかけていたスゥの意識を目覚めさせた。至近距離で、更にかなり出力の電気銃である。

普通ならばそれだけで即昏倒。下手をすれば後遺症も懸念されるレベルである。それだけの攻撃を受けて、それでもスゥは目覚めたのだった。

不鮮明な意識。その奥底で何かが叫んでいる。敵が来る、と。

敵が来る。ならばどうしたらいい、敵はどうするべきだ。その問いに対する答えを、為すべき手段を、スゥの記憶は知っていた。霞む意識の向こうで、その答えは激しい衝動を伴いスゥの身体を衝き動かした。

 

「はーい、これで顔面潰れ饅頭の出来上がりぃ♪」

高々と持ち上げたスゥの頭を、そのまま顔面を下にして、全力で床に叩き付けた。床は硬質のタイル。間違いなくその顔面は悲惨なことになるだろう。

仮に視覚辺りに障害が出たとして、より高機能なな生体義眼に取り替えればいい。この程度では人は死なないということを、人は壊れないということをその女性は、実体験をもってよく知っていた。

 

「……え?」

けれど、その通りにはならない。叩き付けようとした勢いを、スゥは床に手を付いて殺しきっていた。女性が驚愕の表情を浮かべた一瞬の隙に、スゥはその衝撃を受け止めた両腕を解き放った。

ばねのように跳ね上がる身体。髪を掴んだ手が離れていく。ぶちぶちと、髪の束が引き抜かれて痛む。そんな痛みを意にも介さず、スゥはその身を跳ね上げた。

 

「っの……大人しく寝てろッ!!」

ワンタッチで電気銃の安全装置を解除。至近距離、照準を合わせる必要もない。即座に、迷いもなくトリガーを引き絞る。

「がぁぁッ!!」

けれどそれより一瞬早く、跳ね起きようとした体勢のまま放たれた、スゥの鋭い蹴りが電気銃を弾き飛ばしていた。

「っ……このっ、出来損ないの分際でッ!!」

弾き飛ばされからからと、遠くへ飛んでいく電気銃にちらと目をやる女性。拾いに行くには遠すぎる、そもそもそんな隙を与えれば、目の前の相手が何をしでかすかも分からない。

懐に手を差し入れ、取り出したのは手のひらサイズのレーザー銃。小型でも十分な威力を誇るそれは、電気銃とは違い十分な殺傷性を持ち合わせていた。

ほんの一瞬だけ、嗜虐意識と殺意に塗れた頭の中に本来の目的がよぎる。この少女の確保が目的なのだ、殺していいわけがない。だとしても、ここは幸いなことに病院だ。即死しなければいくらでも命を繋ぐ手はある。

そう考えて、女性は銃を向けた。けれど、その一瞬の隙は余りにも致命的で。

 

銃口と同時に視線を向けた、そのすぐ先には唸りを上げる拳と、それを放ったスゥの姿。

抉りこむようにして放たれた、とてもよく体重の乗った拳はそのまま女性の頬に突き刺さり、その頬骨にひびを入れ、小柄とは言えないようなその身体を吹き飛ばした。

女性の手から銃が落ちる。倒れ伏したまま、ヒクヒクと身体を痙攣させるのみの女性。スゥもまた、未だに電撃のショックは抜けず、そのままがくりと床に膝を付いた。

 

(敵は……倒し、た?)

 

起き上がってくるような様子はない。朦朧とする意識の中に、僅かな安堵が入り混じる。けれど、霞の向こうで彼女の記憶は叫び続ける。

あれは敵だ、敵は――なければならない。

 

(そうだ……敵だ。あれは…敵なんだ、だから)

 

ふらつく身体をどうにか立ち上がらせる。気絶しているのだろうか、地に伏したまま時折身じろぎするだけの女性。その元へ、ゆっくりと近づいていく。

 

(敵だ。あれは、敵だ……)

 

「敵は、確実に……殺す」

 

そして、スゥの身体が女性の身体に覆いかぶさった。

 

 

 

硬い何かを殴打するような、鈍い打撲音。

飛び散る赤い何か、混ざって流れ出る白い何か。

打撲音と共に、びちゃびちゃと、何か嫌な感じのする水音が。

何度も振り下ろす拳に、全身に、赤いものが纏わりついていく。

 

ぐちゃり、ぐちゃりと何かを押しつぶすような音が断続的に響く。

もう、既に彼女の生命活動は失われている。

けれど、未だ死にきらぬ身体が、その反射が女性の身体をひくひくと痙攣させていた。

故に、まだ動いている。生きていると、スゥが信じ込むには十分な理由で。

 

「死ね!死ねッ!死ねェェっ!!」

 

頭部と呼ばれていたその肉塊を、執拗に殴り続けるスゥ。

その拳は、どちらのものか分からないほどに血に塗れていた。

 

 

首筋に衝撃。

朦朧としていた意識は、一瞬で途切れた。

 

びしゃり、と。血の海に倒れ伏すスゥ。

 

 

「あー、こちら鳶。5階病棟にてターゲットを確保。死者一名有り。早急な搬送と後処理を要請する。以上」

そう言って通信を切った男は、同僚である女性の死にも、その凄惨な惨状にも一つも動じた風もなく、静かにその状況を眺めて。

「容赦ない奴だな、こいつは。……にしても、もうちっとくらいスマートにやれないもんかね」

と、誰にいう風でもなく呟いて。それから懐に手を差し込むと、この時代では珍しい煙草の箱を取り出した。

喫煙という行為自体が既に前時代的な物となりつつある中で、わざわざ個人輸入までしてそれを楽しんでいるこの男は、世間一般の価値観に比すればやはり、奇人変人の類としか言いようのない者だった。

静かにたなびく白煙。完全にこのエリアの電気系統は沈黙している。故に、普段なら即座に口うるさく怒鳴り込んでくる警報装置も今は就寝中だった。

静かに煙を楽しみながら、男は命令したスタッフの到着を優雅に待っていた。血の海に沈む女性と少女。その姿を眺めながら。何をするでもなく。

 

 

「……う、ぅん」

目を覚ましたスゥが最初に見たものは、白。

真っ白な天井。辺りを見渡せば、どこか無機質な部屋の中。

意識がゆっくりと覚醒していく。身体中に満ちる倦怠感、それに抗うようにスゥはゆっくりと身体を起こした。

「おはよう、スゥ。大した大暴れだったな」

起き抜けにかけられた、声。その声はどこか聞き覚えのある声で、それがいつの記憶だったかを思い出すよりも早く、スゥは自分の置かれている状況を理解していた。

突然の襲撃。連れ去られた場所がここ。そうなれば、ここにいるのは間違いなく――敵。

即座にベッドから飛び起き、四方に視界を廻らせようとした。脱出経路の有無は、もしくは何か武器になるものはないかどうか。けれど、その身体は動かなかった。

その四肢はベッドに拘束されて、動きようがなかったのだ。

「……そう、無駄にはしゃごうとするな。前のお前は、もう少し落ち着いていたぞ」

手にした本を傍らに置いて、拘束されながらももがくスゥに話しかけたのは、白髪交じりの壮年の男の姿だった。

「お前は……誰だ」

「うっかりショックで思い出すかと思ったが、そう都合よくも行かんか。まあいい、方法はいくらでもある。先に処置を済ませておくか」

傍らの本をぱたんと閉ざして、男はゆっくりと立ち上がる。

「しかし、スゥ。とはな……一部的に記憶の混濁が存在しているのか。一回その辺りも纏めて調べてやりたいところだが、そう時間もない。始めろ」

男の言葉に、その部屋の中に新たな人影が現れた。それはどれも皆、同じような白衣を着込んでいる姿で。

「一体、何を……ゃ、やめろぉっ!?」

「……すぐに思い出す。お前が何者であるのかを。その時、お前は我々に感謝することだろうさ。何せ、お前はお前がなりたがっていたものになることができるのだからな」

淡々と。ただ淡々と男は言う。そして、その作業が続けられるのをじっと見届けていた。

 

それは、まるで早回しに流れる映像のように。その映像が、記憶がまるで直接頭の中に流し込まれているようで。その映像に映し出されていたのは、髪の長い姿のスゥ自身。

彼女は、何かの映像を熱心に見つめているようだった。映し出されていたものは、どうやら、同じ姿をしているもので――。

目まぐるしく移り変わる映像。そしてそれ以上に、無数の情報が直接頭の中へと流し込まれていく。

それがスゥ自身の過去であるということを、スゥは理解し始めていた。けれど、その内容はやはり信じられないものだった。余りにも、信じがたいものだった。

「アップロード、完了しました。記憶領域への損傷はみられません」

「精神領域再固定。……おや、これは」

映像が途切れる。ベッドの上で、大きな機械を隣に携え、その頭に奇妙な装置を付けられたまま、スゥは昏々と眠り続けている。

そんなスゥを尻目に、記憶転送装置の最終行程を行っていた研究員の一人が、スゥの精神データに生じた変化に気付き、怪訝そうな声を放った。

「問題か?」

「いいえ、そうではありませんが……この固体の精神領域が、精製時と比べて拡大しています。……この値は、M型にも適合し得るラインですね」

装置を眺めて告げられた声に、ふむ、と男は一つ頷いて。

「なるほど、それは面白い。……成長したのかも知れないな、この固体も。前任者もM型だったと聞く、この固体もM型に加工した方が、アレへの搭載も楽かも知れん」

 

「ぁ……私は、わたし……は」

「目を覚ましたか。……思い出したろう。全てを」

再び目覚めたスゥの視界に広がっていたのは、先ほどと同じ景色だけ。先程と同じように、隣に座っている男がスゥに話しかけた。

スゥは、まだ整理のつかない頭の中をどうにか落ち着かせながら、ゆっくりと身を起こした。今度はもう、拘束はされていなかった。

「これでようやく、落ち着いて話が出来そうだな」

「………わたし、は」

新たに叩き込まれたそれは、記憶なのか、それともただの知識なのか。自分が本当に経験し、忘れてしまったことなのか。それとも、単に誰かの経験を受け継いでしまっただけなのか。

スゥは静かに首を振る。どうにもそれらは渾然一体となっていて、まだスゥの中で判別できずにいたのだった。

「本当に、これがわたしなのか」

呆然と、呆けたような顔で、静かにスゥは呟いた。

「……まだ、足りない。か」

そんな様子のスゥに、男は静かに首を横に振る。完全なる記憶を、過去の彼女の姿を取り戻すには、純粋な記憶の移植では無理だった。となれば、次はどうするか。

男の中で、さまざまな思考が渦巻き始めた。

 

スゥもまた考える。自分がもしそういう存在だとして、今の自分の為すべきことは何か。今の自分に、一番大切なことはなんなのか。

けれどそれは、尋ねるまでもないことだった。

 

 

「……来ないなぁ、スゥちゃん」

キュゥべえの訪れより数日。唐突に病棟が変わったあの日から、スゥはまどかの元へと姿を見せていなかった。

「ここが、わからなくなっちゃったのかな」

まどか自身、ようやく人に尋ねてここが別棟の8階であるということを知ったくらいである。もしかしたら迷っているのかもしれないと思い、待ち続けた。

それが一日、二日と経つ内に、まどかの中の不安はどんどんと大きくなっていくのだった。

 

「スゥ……ちゃん。どうして、どうして来てくれないの」

環境の変化。そして孤独。それは再び、まどかの心を蝕み始めた。元より、スゥの存在に完全に依存して精神の安定を保っていたまどかである。それが失われれば、再び不安定になってしまうのは当然と言えた。

それに、孤独と静寂はまた再びまどかの耳に声を届けてしまうのだ。周囲の人間の、心の奥底に秘めた本音を。優しく患者に接する看護師の、秘めて語らぬ悪態を。明るく元気に周囲の人々と話す患者の、内心の死の恐怖や寂寥感を。

そんな心の弱さや闇は、きっと誰もが持っているもの。それをその心の一番奥に押し込めて、誰もが日々を生きている。けれどまどかの能力は、そんな後ろ暗い感情さえ暴き出し、その知る所としてしまう。

中学生の少女が受け止めるには、それはあまりにも重過ぎる人の闇。

孤独と暗黒の世界に、再びまどかは囚われてしまっていた。もう、耐えられないとか投げてしまった。

 

 

「契約したら、魔法少女になったら、こんな風に苦しまなくて済むんだよね。……キュゥべえ」

だからこそ、日は流れ再び現れたキュゥべえに、まどかがそう言うのは無理からぬことだった。

「そうだね。ソウルジェムにその身を移し変えれば、キミの身体機能は正常に戻るだろう。そして、拡大し続けるキミの精神を十分に受け止め、コントロールできるようにもなるはずだ。今現在、キミが抱えている悩みは全て解消されるはずだよ」

「悩みが、全て……」

ぽつりと、まどかは呟いた。確かにそれならば、今抱えてるこの苦しみがどれほど楽になることだろう。

けれど、だけれども。今、一番苦しいことは何なのだろうと考えると、答えはすぐに出た。

「……じゃあ、私が契約したら、またスゥちゃんに会えるのかな」

暗黒の世界に生き続けることよりも、人の心の闇を暴き続けることよりもまどかには、それがただただ苦痛でならなかったのだ。

互いに互いを必要としあえる、求め合える存在の喪失。会えないというただそれだけで、そんな孤独を突きつけられることが何よりも、まどかには苦痛だったのだ。

 

「それは、キミが最近よく一緒にいるという少女のことかい?」

その言葉に、キュゥべえが僅かに視線を背けて。

「そうだよ。スゥちゃんは私の大切な友達なんだ。いつも私を助けてくれるんだ。……でも、最近は来てくれない。何か、あったのかな」

心配そうに、心細そうにまどかがか細く呟いた。その呟きを聞き届けて、尚揺るがないキュゥべえの視線がまどかを捉えていた。

「もしかしたら、退院してしまったのかも知れないね。ここを出られるようになったら、会いに行けばいいんじゃないかな。行方ならボクの方で調べておくことにするよ」

「……でも、会えなくなる日の前まで、スゥちゃんは何も言わなかった。それがいきなり退院だなんて、やっぱりおかしいよ。そんなの」

違う、と。まどかの頭の中をそんな言葉が埋め尽くしていた。いなくなる筈がない、自分を置いていくはずがないと信じていた。信じたかった。

けれど事実、スゥはまどかの元に訪れる事はなく。まどかの心は、そんな矛盾する感情でいっぱいになってしまいそうだった。

 

「それに、彼女は記憶喪失だったと言うじゃないか。しかしたら、記憶を取り戻してしまったのかもしれないね。そして、自分のいるべき場所に戻ったのかもしれない」

「どうして。どうしてキュゥべえが、そんなことを知ってるの」

「……彼女はキミと頻繁に接触を持っていた。彼女どういう人物であるのか、そういうことくらいは調べていたよ」

なんだか、言い知れない嫌な感じがした。けれど、それを明確にあらわす言葉を、まどかはまだ知らなくて。

 

「それじゃあまどか。結論を聞こう。……魔法少女に、なるつもりはあるかい?」

そして未だ迷いを抱え続けるまどかに、その声は告げられた。

 

「私……は」

ぐるぐると、まどかの脳裏に纏わりつく迷い。苦悩、恐怖、そして躊躇い。契約すると言うことは、魔法少女になるということは、あの恐ろしい魔女へとその身を変えてしまうかも知れないという事で。

キュゥべえはそれは有り得ないことだと言っていた。けれどさやかもそうだったはずなのだ。同じように契約して、魔法少女と化して。戦って、戦って。そして、その果てに彼女は尽きた。

その身は魔女と化し、人に仇為す異形となった。

戦うことはないと言われた。けれど、逆にそれが気になってしまう。なぜ自分だけがそうなのか。

本当に自分を救おうとして、助けようとしてくれているのかもしれない。けれど、だとしたらそれは何故なのだろうか。戦わせるつもりもない人間を、そこまで大事に保護する理由はなんなのだろう。

純粋な好意という線も考えられないわけではなかったけれど、キュゥべえのどこか無機質ささえ感じさせるような佇まいは、誰かに好意を寄せるだとか、そういった感情があるようには思えなかったのだ。

 

けれど、それでもやはり。そんな迷いを抱えながらも尚、この現状は秤にかけるまでもなく重く苦しいものだった。

差し伸べられた救いの手に、もはや縋るより他に術はないほどに。

「決めたよ、キュゥべえ」

まどかは、その救いの手を掴み――

 

 

 

――まどかっ!!

 

とてもとても大きく、そして強いその声が、まどかの心を揺るがした。その声は、ずっとまどかが待ち侘びていた声で。

 

「スゥ……ちゃん?」

今もまだ心の奥底で聞こえる、無数の心が放つ声。その中でも一際力強く聞こえるそれは、その思いがとにかく強いのか。それとも、まどかに伝えたいという意思が、それに指向性を与えていたのだろうか。

とにかく、その声は届けられたのだ。

 

「どうしたんだい、まどか?聞かせてくれるんだろう。キミの決断を」

突如として驚いたように、そして呆けたように動きを止めるまどか。そんな様子に、訝しげにキュゥべえが尋ねた。それでもまどかは答えずに、ベッドを降りるとそのままふらふらと歩き出した。

心の中に響く声。それに導かれるように。

扉を開くと、同時に飛び込んできた何か。それは、人の形をしていた。

「まどか、まどかっ!まどかぁっ!!」

――まどか、まどかっ!まどかぁっ!!

その声も、心の内より響く声もどちらも同じ声で、声色で。二重の声がまどかを揺らし、まどかはそれに酷く安堵した。そして、答えた。

「うん……うん。私はここにいるよ。スゥちゃん」

何事かと、部屋を覗き込む視線をいくつか受け止めて。それでも二人は固く強く、互いの身体を抱きしめあっていた。

 

「……何故、彼女がここにいるんだ」

何か、とても不可解なものを見るような目で、キュゥべえはスゥを見ていた。

「彼らが、彼女を解放するとは思えない……一体、どうして」

まどかと抱き合っていたスゥには、その呟きが届いていた。以前は聞こえなかった、見えなかったキュゥべえの声を、姿を知覚する事ができるようになっていた。

だからこそ、スゥは名残惜しそうにまどかの身体を離して。

「……お前が、インキュベーター」

その視線からは明確な敵意が滲ませて、棘のある声でそう言った。

「っ!ボクが見えるのかい。……そんな、ありえない。前にキミを見かけたときには、キミにはそんな素質はなかったはずだ。……まさか、彼らが?」

その事実に驚愕するキュゥべえに、スゥは更なる言葉を投げかけた。

「お前が……わたしを売ったんだな。インキュベーター!」

その言葉に、初めてキュゥべえの顔に焦りの色が浮んだ。その表情に、更にスゥは怒りの色を強めて詰め寄った。

 

「キュゥべえが……スゥちゃんを売った?一体、どういうことなの?」

「こいつが、わたしの存在をあの連中に報せたのよ、まどか。あのイカレ科学者共……TEAM R-TYPEにね!」

声を荒げるスゥ。それと同時に、強い怒りの感情がまどかに伝わってきた。

 

(でも……どうして急にスゥちゃんのことが分かるようになっちゃったんだろう)

そう、それはまどかにとっては不思議なことだった。そして、恐ろしいことだった。スゥの本心がわかったとして、これでもしその本心がまどかを拒んでいるのだとしたら。もしそうなってしまえばきっと、まどかの心は耐えられない。

魔法少女となっていれば、それはすぐさま魔女と化してもおかしくないほどの絶望となることだろう。

それでも、今は純粋に驚きが勝る。TEAM R-TYPE。それがR戦闘機を開発する狂気の科学者集団であることは、まどかも既に知っていた。だからこそ何故、と思う。

なぜそんな恐ろしい集団が、スゥに接触したのだろうか。

「でも、お陰でわたしは自分が何者かを知ることが出来たわ。……正直、信じられないことだけど」

「え……じゃあ、スゥちゃん。……記憶が、戻ったの?」

恐る恐る問いかけたまどかに、スゥは静かに首を横に振った。

「単に、過去のわたしがどういう存在だったかを知っただけ。今でも、それが自分の過去だなんて信じられない」

 

「それを知って尚、彼らがキミを手放すとは思えないな。……一体、どういう風の吹き回しだい?」

訝しげに問うキュゥべえの言葉に、スゥは軽く鼻を鳴らして。

「わたしの知ったことじゃない。知りたければあいつらに聞いてみればいい。ただ、わたしは言ってやっただけよ。お前たちの為に戦うつもりはない、とね」

「……彼らがそこまで甘いとは思えない。だけど、キミが解放されているのも事実。……ラストダンサーの代役に、これほどの適任はいないというのに」

「ラストダンサー?代役?それが、一体スゥちゃんと何の関係があるのっ!教えてよ、ねえ。訳が分からないよっ!!」

まるで自分の知らないところで、スゥとキュゥべえの話が続いていく。それがまどかには耐えられなかった。だからこそ、その言葉はすぐにまどかの心の中へと飛び込んできた。

 

――まどかには、知られたくない。

「まどかは……知らないほうがいいと思う」

「ボクもそれは同意見だ。ことこのことだけに関しては、余りにも機密レベルが高すぎる。迂闊に知ってしまえば、まどか。キミにとってもよくないことに繋がってしまうよ」

 

――わたしが、スゥ=スラスターのクローン体だということは。

「っ!?」

びくり、と。まどかの身体が大きく跳ねた。

 

「まどか、大丈夫?」

心配そうに近寄るスゥ。驚いたように強張った表情で、まどかはその顔を見つめて。

 

 

 

「スゥ……ちゃん。ううん。……スゥ=スラスター」

それは、奇しくもまどかの英雄として名づけられた名で。それはそのまま、本物の英雄の名で。彼女にとっては、自らのオリジナルの名であった。

その名前を、思いがけずまどかは口にしてしまった。

 

「っ……ま、どか。どうし、て?」

そんなまどかの言葉に、スゥは思わず後ずさる。

「そうか、彼女の心を読んだんだね。……迂闊だったな。そうなると、隠しても仕方ないのかもしれないね。確かに彼女はスゥ=スラスターのクローン体だ。優れたパイロットを作るという目的で生み出された、クローン体の内の一体だよ」

遂に明かされてしまった事実。その事実に、まどかはさらにその目を見開いて、驚愕する。

まどかは、ほむらが同じくスゥ=スラスターのクローンであることを知らずにいた。今も尚、ほむらは本物のスゥ=スラスターであると思い込んでいた。だから、スゥがほむらのクローンなのだと考えてしまった。

「じゃあ、スゥちゃんは……」

「まどかには、知られたくなかったな。……きっと、巻き込んじゃうから。でも、心を読むってどういうこと?」

「それは……」

途端に口を噤むまどか。まどかにとっても、それは知られたくないことだった。

知られたとしても信じられないだろう。もし仮に信じられとしても、こんな能力を持ってしまっている自分を、スゥはきっと疎むだろう。それが、まどかには恐ろしい。

スゥに拒絶されてしまうことが、ただただ恐ろしかった。

 

「まどかは、人の心の声を聞くことができるようになっていたのさ。つまり、スゥ。キミの考えていることも筒抜けだったというわけだ」

「……本当なの、まどか」

呆然と……というよりも、なぜかどこか恥ずかしそうにスゥは尋ねた。

 

――それじゃあ、わたしがまどかのことが好きだってこともばれちゃう……。

――って、こうやって考えてることもばれちゃうんじゃないの!?

――まずい、これは非常にまずいわ。考えるな、考えるな、考えるな、感じろ……。

 

「あ……えと。スゥちゃん。全部……筒抜け」

溢れるように流れ込んでくるスゥの思考に、思わず目をぱちくりとさせてから、はにかんだような表情でまどかは呟いた。

「ひゃわぁぁっ!!」

スゥもまた、酷く驚愕したのだった。

 

――どうしよう、どうしようどうしよう。これじゃまどかに嫌われちゃう。

――そうなったらわたし、わたし……うぅぅ。

 

「えと、ね。スゥちゃん。……違うんだよ」

「……」

耳まで顔を真っ赤にさせて、スゥは俯いていることしか出来ずにいる。

 

――違うってどういうこと、やっぱり、まどかはこんなわたしは迷惑なのかな。

 

「いや、そうじゃないんだってば。……その、そっちは、嬉しかったから」

軽く頬を朱に染めて、はにかんだような表情のまま、まどかはスゥの心の声に答えた。

純粋に嬉しかった。スゥが自分を好いていてくれたことが、こんな自分でも好いていてくれていたことが。

「……ほんとはね、ついさっき、スゥちゃんが部屋に来てくれるまで、私はスゥちゃんの心だけは読めなかったんだ。他の人は読めたのに。だからスゥちゃんとは安心して一緒にいられたんだ」

そして、まどかもそれを打ち明けた。そしてさらに言葉を続けた。

「でも、今はスゥちゃんの心の声が聞こえる。聞こえてよかったって思うんだ。……だって、本当にスゥちゃんが私の事、好きでいてくれるんだって、わかるから」

「まど、か……っ、あ、ぅ」

すっかり赤面し、感極まったように震えるスゥを、まどかはそっと抱きしめた。

 

そんなやり取りを尻目に、キュゥべえは何やら納得したように頷いて、そして言った。

「なるほど。確かスゥ、キミの精製時に精神領域に欠損が生じたという報告があった。その為に、一部の精神活動が抑制されている、ということもね。“他固体との精神的交流”それが……そうか」

「キュゥべえ。何度も私は言ってるよね。……分かりやすく、説明して欲しいんだけどな」

スゥを抱きしめたまま、まどかは少し厳しい声で言った。だがそんな言葉に耳を貸すことなく、キュゥべえは言葉を続けた。自分の中で生まれた仮定を証明させるように、つらつらと。

「その欠損した精神領域が、まどかの高度に発達した精神ネットワークに接触した。まどかにとっては、外へと溢れ出る精神干渉をスゥだけに注ぎ、外部への影響を軽減することができる。スゥにとっては、それを受けて損傷を負った精神領域を発達させ、修復することができる。……そしてその修復が十分になされた結果。キミは魔法少女になれるほどの素質を有することとなった」

「……それは、結局どういうことなのかしら」

相変わらず要領を得ないキュゥべえの言葉。苛立ちを隠しきれずに、スゥはキュゥべえに尋ねた。

「一言で言うとね、まどか、スゥ。キミ達二人は、出会うべくして出会ったんだ。お互いがお互いを必要とし、そして出会った。これはまるで運命と言ってもいい邂逅だよ」

そんなキュゥべえの言葉に、まどかとスゥはお互いを見やる。なんとなく、恥ずかしいような嬉しいような、不思議な気持ちだった。

 

「なるほど、そういうことだったのか」

もう一つ、声が飛び込んだ。いつからそこにいたのか。一体いつからその話を聞いていたのか。そこには、先立ってスゥが出会った壮年の男の姿があった。

「お前は……何故ここにっ!?」

その姿に、スゥは警戒を顕わにした。

「不思議はないさ。お前を監視していたら、面白い場面に出くわした。だからこうして、直接出向いてきたということだ」

少し、迂闊過ぎたのかもしれない。彼らは、スゥが戦う意思はないことを告げると、それでそのままスゥを開放してしまっていた。それは何故、と考える間もなく、スゥはまどかの元へと戻っていた。

自分の動向が監視されているなどとは、思いもしなかった。顔を歪めて、スゥは男を睨みつけていた。

「やはり、彼女を泳がせていたわけか。……抜け目がないね。キミ達は」

「そうでなければ、この仕事は続けていられんさ。おかげで、色々と面白い話を聞くことができたよ」

わずかばかりに顔を顰めたキュゥべえに、くく、と男はくぐもった笑みを漏らした。

 

「今度こそ、わたしを捕まえようというつもり?」

警戒心を隠そうともせず、今にも逃げ出しそうなスゥ。そんなスゥに一瞥をくれてやると、男はさもおかしそうに話し始めた。

「いらんよ、お前なんぞ。ことオペレーション・ラストダンスだけにはな。記憶も、戦う意思もない。そんな奴を連れて帰ったところで、何の役に立つものか」

そう言うと、男は大仰にその肩を竦めた。

「私が用があるのは君だ、鹿目まどか」

まどかが、スゥが、そしてキュゥべえまでもが、その言葉に身を震わせた。

「え……私?」

「まどかは関係ないっ!どういうつもりっ!」

驚いたように声を上げるまどか。その前に、まどかを守るようにして立ち塞がるスゥ。

「関係なくはないさ。彼女の持つ能力には、色々と使い手がありそうだ。少なくとも、研究してみる価値はある。……今はいい時代だ」

唇の端を引き攣ったように歪めて、男は言葉を続ける。

「人類のための研究、更なる技術の開発。そんなお題目が平気で罷り通る。どれほどの外道も横暴も、全てがその名の下に許される。つまり、それだけのことができるだけの権限が、私にはあるということだ」

この男の行動を、意思を止める術はない。そんな意味が、男の言葉からはありありと伝わってきた。まどかにとっては絶体絶命の危機。

もしこのまま連れ去られれば、まどかは凄惨な実験の餌食となってしまうことだろう。それを止める方法があるとすれば、それは……。

 

「彼女には、ボクが先に目を付けていたんだけどな」

キュゥべえが一歩、向かい合うスゥと男との間に割り込んで言った。

「にしては、随分と悠長なやり方をしているじゃないか、インキュベーター。それに、M型の運用方針が変わった時点で、君の持つ権限は大幅に削減されている。今更、君に私を邪魔する事はできないさ」

返す言葉もない、と言った風に押し黙るキュゥべえ。その表情には、明確な焦りの色が浮かんでいた。

「キュゥべえ……どういうこと、なの?」

「TEAM R-TYPEの中にも、色々と派閥というものがあってね。今まではM型、つまりは魔法少女を運用するノウハウは、そのほとんどをボクが一手に握っていた。だからこそ、彼らに対しても強気に出ることができたし、多くの権限を有していたんだ」

「だが、事情は変わった」

話を遮って告げられる男の声。それは、とても喜色に満ち満ちたもので。

「ちまちまとM型の適合者を集めるのはもう終わりだ。今は大々的に、そして強制的に適合者を徴用し、一切の容赦なく研究を推し進めている。もはや、このわけの分からん異星人の力を借りる必要は、まるでなくなったというわけだ」

やはり止められないのか、とスゥは密かに歯噛みする。となればもはやできることはただ一つ。この男を倒して、まどかを連れて逃げだすしか――。

「下手なことは考えるな。この病室の周囲には既に私の手の者が配備されている。お前一人ならともかく、目の見えない病人を連れて逃げおおせるものではない」

「……っ」

それすらも見通されていた。もはや、万策尽きてしまったのだろうか。

「そういうわけだ、さあ。行くぞ」

スゥとキュゥべえの間をすり抜けて、男はまどかに手を伸ばす。まどかは、とにかくそれが恐ろしい。何よりも、なぜかその男の心が読めないことが恐ろしかった。

 

まどかは知る由もないことだが、TEAM R-TYPEの構成員は皆、その精神や身体に特殊な処置を受けている。

敵性組織による情報の漏洩を防ぐため、精神への干渉に対しても、薬物に対しても強固な耐性を得ることができるように、既に処置が加えられていたのだ。それがまどかに心の声を伝えることを阻んでいた。

それは、恐らく幸いだったのだろう。もしも直接その男の意思を覗き込んでいたのなら、きっとそれはまどかの精神には耐えられないほどに重く、凄惨な狂気に満ちていただろうから。

 

「……待って」

それでも、スゥは男の前に立ち塞がった。

「退け。もうお前に用はないと言ったはずだ」

冷徹に言い放つその男に向かい、スゥは震える手で胸を押さえて、それから。

「……わたしが戦う。英雄にでも、なんでもなってやる。だから、お願い。……まどかには、手を出さないで」

痛切なる願いが、部屋の空気を振るわせた。

「本気で、言っているのかね」

まどかに伸ばした手を止めて、男はスゥに視線を向けた。その視線を受け止めて、身震いしてしまいそうになる身体を必死に抑えつけて。

「まどかのためなら、わたしは……戦える、だから」

「だめだよ、スゥちゃんっ!!」

まどかは叫び、手を伸ばした。けれど手探りに伸ばしたその手は、スゥを見つけることが出来なくて。

 

「……ま、いいだろう。お前が本気で我々の元で戦うというのなら、鹿目まどかの身の安全くらいは保障してもいい」

男は満足げに、そして予想通りとでも言うかのように笑って、そして頷いた。

けれど、それも何処まで信じられるのだろう。自らの身を挺してまで、まどかを守ろうとしたスゥの胸中には、まだ大きな不安が渦巻いていた。

それがありありと表情に見て取れて、またしてもおかしそうに男は笑って。

「確実に彼女を守りたいと思うのなら、精々力を尽くして戦い抜くことだ。腕が衰えていなければ、お前はラストダンサーとなるのだからな」

そう、告げた。

 

その言葉を受け止めたのかそうでないのか、探るように伸ばされたまどかの手を、スゥはそっと掴んだ。

「大丈夫、必ず戻ってくるから。待ってて。……心配なんていらない。わたし、実は強かったみたいなんだ。今度は、本当の英雄になるんだって。……だから、大丈夫」

 

――必ず生きて帰るんだ。そして、また必ずまどかのところに戻る。

――絶対死なない。死ねない。死にたく……ないっ。

 

言葉が、思いが。まどかには痛いほど伝わってきた。

「だめだよ……だって、みんなそう言って死んじゃうんだよ。ほむらちゃんも、マミさんも、さやかちゃんも杏子ちゃんも。……みんな、死にたくなんてなかった、死ねないって思ってたはずなんだよ」

ひとり取り残されて、余りにも多くの死を見続けてきたまどかには、その言葉はどうしようもなく危うくて、恐ろしくて。思わずスゥの手を掴んで、ぎゅっと握ってしまっていた・

「私なら、大丈夫だから。どんな酷い事されたって、頑張るから。……だから、言っちゃやだよ、スゥちゃん」

離さない、とばかりに強くその手を握る。そして、涙混じりに訴えた。

 

「……と、彼女は言っているようだが、どうするね?別に我々はそっちでも構わない。まずはどう弄ってみようか。そう簡単に使い潰しても困る。まずは脳髄を引き抜いて複製するところから始めるとするか……」

楽しげに、男の声はそう告げていた。まるで新しい玩具を前にしたような、ある意味無邪気で、それゆえに底知れない狂気を孕んだ声。まどかの手が震える。それは間違いなく、スゥにも伝わって。

「……わたしは、行くよ。まどか」

手を離し、スゥは男に向き直り。

「条件が三つある。それを聞いてくれるなら、わたしはどうなったって構わない」

その言葉に、男は興味深いと言った様子で笑みを深くする。

「聞こう」

そして、続く言葉に耳を傾けた。

 

「お前達の実験で、まどかに危害を加えないこと。そしてまどかの身の安全を守ること。そして……まどかの目を治してあげて。それが出来れば、わたしはそれでいい」

男は、スゥの言葉に少しだけ考え込むような仕草をして。それから、まどかに再び視線を移した。

「……大した献身ぶりだ。まったく。以前の姿からすると全く信じられん。だが、まあいいだろう。そういう風に取り計らっておく」

今のスゥには、その言葉を信じるより他に術はない。そのまま静かに頷いて。

「では行こうか。スゥ。……いや、13号」

その言葉は、ただの少女としてのスゥの終焉を告げた。そして再び、狂気の科学の産物となって。おぞましき敵に立ち向かっていく。そんな戦いの日々の再開を、告げていた。

 

「ちょっと、待ってくれないかな」

そうして行こうとする二人を遮ったのは今まで沈黙を保ち続けてきた、キュゥべえの声だった。

「まだ何か?もう既に、これは君の口出しできる領分ではないのだが」

「止める気はないさ。でも、ボクからも一つ提案があるんだ」

そう言うと、キュゥべえはスゥの元へと歩み寄り、そして。

「今のまどかの状況は、非常に厄介だ。この星の医療技術も大分進んではいるが、それでもそう易々と治りはしないだろうね」

「……何が言いたいの、お前は」

その声に、スゥはキュゥべえを睨みつける。まどかもまた、不安げにそれを見ているだけで。

「今すぐまどかを救う手段を、ボクならキミに提供できる。そういうことさ。ボクと契約して、魔法少女になればいいんだ。そうすれば、キミは願いを一つかなえることができる。まどかを助けるという願いなら、十分叶えられる願いのはずだよ」

「まあ、我々としても手間は省けるし、もとよりM型の処置は行うつもりだった。ソウルジェムの汚染の件についても、ある程度手は打ってある。問題はなさそうだが、何故今こいつにそこまで肩入れするのか、というのが気になるな」

「ボクはただ、彼女の意思を尊重しているだけさ。助けたいのなら、その方法を提供しているだけだ。キミ達にとっても悪い話じゃない」

言葉は回る。まるでお互いの腹の内を探り合うかのように。けれど、そんな頭上で飛び交う言葉が、まるで自分などいないかのように、大事なことが次々に決まっていってしまうことが、まどかには酷く耐え難い事だった。

もうこれ以上、この場所にはいたくなかった。このままスゥを連れて、逃げ出してしまいたかった。再び押しつぶされそうになるまどかの心に、声が響いた。

 

「いいわ。契約する。……私の願いはまどかを助けること。まどかが無事に暮らしてくれること。ただ、それだけよ」

「嫌……だめだよ、スゥちゃんっ!!」

 

「契約は……成立だ」

激しい光が、部屋の中に渦巻いた。

 

不意に、まどかの眼に激しい痛みが走った。

事実を言えば、それは痛みではない。突如として回復した視力。暗闇に閉ざされ、それに慣れきっていた眼には、今部屋の中に渦巻く光は余りにも眩しすぎ、強すぎた。

その光の中心から飛び出した一つの影、それはそのまま、まどかをぎゅっと抱きしめた。

 

「行ってくるね」

そして、優しい声が一つ。

だめだ、行かせちゃいけない。

必死に眼を開けて、眩しさに痛む視界が捉えたものは。

 

 

「……ほむら、ちゃん」

魔法少女の衣装に身を包み、短く揃えたはずの髪すらも長いものとなっていた、まさしくその姿は、まどかがよく知る少女の姿。

 

 

――暁美ほむらの姿だった。

 

 

おぼろげな視界の中で、スゥは小さくまどかに微笑んで。抱きしめる手を、離した。

 

 

「もう済んだのか」

「ああ、ボクに出来ることはここまでだ」

「なるほど、では行こうか。13号」

「……ええ」

 

 

 

まどかが全てを知ったのは、それから数日後のことだった。退院前夜、キュゥべえから告げられた。スゥが、かつてほむらと戦っていたということ。

そして撃墜された後、機体が流れ着き救助されたのだろうということ。

ほむらのために作られたラストダンサーは、同じ英雄を元にして作られたスゥならば、簡単な調整を行うだけで使用可能となる。だからこそ、スゥは選ばれてしまったということ。

恐らく初めから、まどかを連れ去る気などはなかったのだろう。それは全て、スゥを戦わせるためのことでしかなかった、と。

機密だけど、今更隠しても仕方がないと。そう言って、キュゥべえは全てを話したのだった。

そして、最後に尋ねた。

 

「彼女を助けたいかい、まどか?」

間髪置かずに頷くまどか。それを見て、満足そうにキュゥべえは頷くと。

「……じゃあ、ボクに協力して欲しいんだ、まどか」

そう、告げた。

 

 

 

人類は、再び英雄を、その力を手に入れた。

迫るバイドの大部隊。それに対抗するために

全ての力を集めて、ついに。

 

 

バイドに対する最終作戦。

オペレーション・ラストダンスが発令された。

 

 

魔法少女隊R-TYPEs 第16話

     『わたしの、初めての友達』

          ―終―




【次回予告】

長きに渡るバイドとの戦い。
その戦いに、遂に終止符が打たれるときが来た。
ありとあらゆる道理を撃ち捨てて、彼らは遂にここまで辿りついた。
人類の存亡を懸けた、最後の戦いが始まる。

最後の一矢。
最後の舞踊が、今。

「M式特殊弾、発射。――展開確認」

「……撃ち抜く」

「なんだこれは、空間が……歪むっ!?」

「敵艦内部に、巨大な熱源反応!……これは、巨大な機動兵器!?」

「……このまま出るわ、後をお願い」

「手こずってるようだね、手を貸そう」

次回、魔法少女隊R-TYPEs 第17話
      『オペレーション・ラストダンス(前編)』


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幕間③
戦乙女達の黄昏


魔法少女。かつては異星の徒により生み出されたモノ。
そして今は、人類の狂気が生み出してしまったモノ。
運命という名の地獄の機械が、容赦なく少女達を押し潰す。
けれどそんな災禍の中心で、抗い、生き抜こうとする者たちがいた。

これは、そんな彼女達の物語。


「っ……は、ぁっ。どこから、どこから来るの……っ」

暗い宇宙を、一機のR戦闘機が飛んでいる。その声は恐怖と焦燥に塗れた声で、戦場には似つかわしくない少女の声だった。

「来るな……来ないで……っ」

編隊飛行の訓練をしていた彼女の部隊は、突如強襲を仕掛けてきた敵機により、彼女一人を除き既に全員が撃墜されていた。ファーストコンタクトで二機、さらにこちらが反撃の態勢に入るより前に続けて二機が撃墜され、残されたのは彼女だけだった。

辛うじて敵の強襲をやり過ごしたが、彼女には反撃など望むべくもなかった。恐怖に駆られ、ひたすらに逃げまわることしかできなかった。

レーダーに反応はない。振り切ったのだろうかと岩塊の影に身を隠し、正体不明の敵の様子を伺いながら彼女は一つ安堵の吐息を漏らした。

 

「どうして、どうして私が……こんなこと、しなきゃいけないのよっ」

その答えはわかりきっている。けれどそれは、当然納得できるような答えではない。

ある日突然、戦いの運命を強制させられた。拒めば即、死が待っていた。受け入れたところで、待っているのは遠からぬ死だった。

それでも生きたいと足掻くものだけが、未だこうして生きながらえる事が出来ていたのである。

「やってやる……私は生き残るんだ、絶対に」

心身を蝕む恐怖を、その臓腑の奥底へと押し込めて。一つ意気込み、鋼の身体に波動を満たし、戦うための力を充填していく。けれど。

「け、警報っ!?これは……きゃあぁぁぁっ!?」

彼女の機体が潜む岩塊ごと、無情な波動の光が薙ぎ払っていった。視界が暗転し、すぐさま赤いランプがそれを満たす。その中で一つ、『You Dead』という文字だけが煌々と照らされ、示されていた。

 

暗い視界に、光が満ちた。

 

「はぁ……また死んじゃったよ」

「ほんと、隊長は容赦なさすぎだよね」

「……いつまで、こんなことしなくちゃいけないのかな」

「あ、全部終わったみたい。……やっぱり全滅かぁ」

開けた視界の先、シミュレーションルームの中に設置されている、R戦闘機のパイロットブロックを模した装置の中で彼女が見たものは、先程までともに訓練を受けていた僚機のパイロット達。

いずれもまた、歳のほとんど変わらないような少女達だった。

「お疲れ様、マコト」

開けた視界の眩しさに目を細めていた彼女に、少女の一人がそう呼びかけた。マコトと呼ばれた少女はその声に曖昧に答えると、座席に座ったままヘルメットを脱ぎ捨てた。

ふらつく頭を押さえながら、ゆっくりと顔を上げる。そこには気の強そうな、けれどまだどこか幼さの残る顔つきで、小柄な身体に黒の短髪の、簡単に言えば典型的な日本人の顔つきの、そんな少女の姿があった。

 

彼女の名前はマカゼ・マコト。ゲルヒルデ中隊に所属する、R戦闘機のパイロット。

そして――魔法少女。

 

「襲撃から全滅まで僅か三分。これではとてもじゃないけれど、実戦には出せないわね」

訓練を終えて、少し張り詰めていた緊張の和らいだ少女達にかけられた声。その声もまた、同じく少女のものだった。けれどその声はどこか硬質で、冷酷とも取れるような響きを滲ませていた。

ゲルヒルデ中隊の指揮官であり、呼び名もそのままゲルヒルデ。そんな彼女が、訓練を終えた少女達へとスピーカーを通じて言葉を告げていた。

投げられる言葉は辛辣に、彼女達の不備や失策を告げていく。特に隊列の先頭を飛んでいたセラは、散開の判断が遅れたことについてみっちりと絞られていた。

彼女達とてほんの一月前まではただの少女だったのだ、これだけ色々言われれば反論の一つもしたくもなる。事実、そういうこともないわけではなかった。その時は即座にその倍近い正論という名の説教をもらって、閉口するより他になかったのではあるが。

 

「最後に、マコト。身を隠すなら熱源はできるだけ減らしておくことね。目のいい敵が相手だと、隠れることも出来ずに撃ちぬかれる羽目になるわ」

「………」

マコトは答えない。何も答えられない。まだ、自分が死んだという実感が身体の中に渦巻いていて、それがどうにも抜けてくれないのだ。身体が震える。口の中がやけに粘つく、呼吸が荒くなる。

コクピットブロックを模した装置の中で、マコトは座ったままで動けずにいた。

「マコト、返事をなさいっ!」

「っ!?……ぁ、はい」

「何を呆けているのかしら。体調が悪いのなら早いうちに医務室に行っておきなさい。次の訓練は二時間後よ。それまでに少しでも身体を休めておきなさい」

ぶっ続けで6時間近く飛び続け、その締めくくりに先ほどの奇襲染みた戦闘演習である。すっかり参ってしまっていた少女達には、その声はまさしく救いの声だった。

 

「それじゃあ、各自解散よ」

待ってましたというかのように、三々五々に少女達は散っていくのであった。

 

 

「ボク達、いつまでこんなことを続けるんだろうね」

シャワーを浴びて部屋に戻ったマコトに話しかけたのは、マコトよりも頭一つ背の高い、褐色の肌の少女だった。半ば呆けたようにベッドに腰掛け佇む彼女に、マコトは伏目がちに答えた。

「……死ぬまで、かしらね。休んでなくていいの?ファリーナ」

「休んでられないよ、こんな状況で」

こんなに疲れきっているのにね、と。ファリーナと呼ばれた少女は力無く笑みを浮かべた。マコトも、それに疲れた笑みを浮かべて答えた。

ここに来てしまった以上、最早逃れる術はない。その命が尽きる日まで、戦い続けることしかできないのだ。

残酷な運命が、人類の狂気が、少女達をこの場所に縛り付けていた。

 

 

ここは太陽系最外周部。準惑星冥王星宙域に浮ぶ軍事基地、グリトニル。

先のジェイド・ロスの帰還に際してバイドの襲撃を受け、一度は陥落したものの、想像していた以上に基地そのものへの被害や汚染は軽微であった。

それが、人類の施設を破壊したくないというロスの心情によるものだとは誰も知らない。だが、それでも目立った損傷のなかったグリトニルは、再び人類の基地として使われていた。

外宇宙より続々と殺到するバイド軍。それに対抗するための橋頭堡として。そして魔法少女を利用した悪夢の実験場として、魔法少女を戦場に送り込むための訓練場として。

 

 

「こちらヴァシュタール。ゲルヒルデ、状況を報告せよ」

「ゲルヒルデ。状況を報告するわ。機体の受領は予定通り完了。配備が完了次第、実機を用いた演習へと移行する予定よ。……それと、汚染限界に達した者が二名。指示通り彼らに引き渡したわ」

「なるほど、報告ご苦労。……実戦まであと一月だ。それまでに、なんとか彼女達を鍛え上げてやってくれ。以上だ」

地球からの通信が打ち切られ、ゲルヒルデは重々しく息を吐き出した。彼女の隊に預けられた魔法少女達は、誰も皆戦闘経験など無い一般人ばかり。いかにソウルジェムというデバイスが優れていたとしても、そんな少女達をほんの二月程度で、一端の兵士に仕立て上げることなど、とてもではないができるはずが無い。

それでも、やらなければならなかった。人類の存亡のため。そして何より、彼女達自身がこの地獄を生き延びることが出来るようにするために。

 

他の隊でも、これと同様のことが行われているのだという。茶番だ、と彼女は思う。

今日現在までに、この基地へと運ばれた魔法少女は3000人近くを数える。その半数以上が戦うことを拒み、そのまま処理されていった。生き延びるために戦うことを決意した少女達も、適性の無さや訓練についてこれずに脱落していった。

最後まで残り、実戦に耐え得るようになるものがどれだけいるだろうか。一割も残れば上出来だろう。実際は、その半分も残るまい。彼女はそう見立てを立てていた。

それでも構わないのだろう。少女を攫い人体実験紛いの、否。まさしく人体実験そのものとしか言えない、非道な実験を繰り返している。その事実を覆い隠すために、兵士としての運用を行っているという成果が欲しいだけなのだ。

そうでもなければ、これだけの犠牲を出しながらも突き進めるわけがない。これほどの数の少女を犠牲にして、尚もそれを続けられるはずが無い。

「……惨すぎるわ、こんなの」

声は震える。けれど、涙は零れなかった。彼女にはもう、涙を零すような身体もなかったのだ。

 

人類の生活圏を遠く離れて、逃げ場など無い太陽系の最果て。見えるのは深遠の宇宙と、間近に見える冥王星。それは人類にとっては橋頭堡。けれど少女達にとっては牢獄、もしくは地獄でしかなかった。

迫るはバイドの大部隊。激化していく演習の日々の中で戦い抜き、生き残ればまた帰れると、そんなか細い希望に縋り。少女達は、若い命を次々に散らせていった。

世界各地から集められた3000人の魔法少女達は、たった二月の間に、295人にまで減っていた。残された少女達は9つの中隊へと分けられた。そして。

 

 

――遂に、太陽系にバイドが襲来した。

 

 

それに対して配備された正規の地球軍と共に、魔法少女達はバイドへと立ち向かうこととなる。

 

 

 

「いよいよ実戦ね。貴女達は二ヶ月間、ここでの訓練に耐え抜いた。自信を持って言わせてもらうわ。今の貴女達なら、そんじょそこらのバイドになんて負けはしない。……みんなで太陽系を守って、そして生きて帰りましょう」

基地の格納庫に魔法少女達が並んでいる。出撃の時間までもう間はない。

そんな少女達に告げられた声は、何時もの厳しい声とは違い、どこか優しい声だった。

二ヶ月という短い間に、少女達は多くのものを失った。家族を、友人を、人生を。そして新たに得た仲間でさえも。多くのものを投げ捨てて、少女達は戦士と化す。この地獄で踊るための、衣装と業を身に纏う。ゲルヒルデの言葉を聞く彼女達も、思い思いにその声に頷いて。その一番先頭にマコトがいた。

あの時共に戦った少女達は、皆途中で脱落していった。戦うことに、この地獄に耐え切れず、施設の奥。底すら見えない暗黒の中へと消えていった。

マコトは思う。きっと自分は、そんな彼女達の命を喰らって生きてきたのだろうと。その命と引き換えに、この力を手にしたのだと。

その想いがマコトを変えたのだろうか、いつしかマコトは中隊の中でもトップの腕前を誇るようになっていた。五機編成の小隊を一つ、預かることができるほどに。

 

「出撃は30分後よ。それまでに各自装備を確認して、機内にて待機。マコト。貴女が先頭をお願い」

「了解」

「後は各自指示に従って出撃よ。初めての実戦が、こんな大規模戦闘だなんて滅多にあることじゃないわ。緊張するなって方が無理な話よ。……生きて帰ったら、飛び切り美味しい紅茶とケーキを用意するわ。各自解散!」

その言葉に、少女達は自分のもう一つの身体であるR戦闘機へ向かって歩いていく。格納庫の中は、機体が巻き上げる熱気混じりの風が吹き荒れている。その中を、吹き飛ばされないように必死に少女達は歩く。

けれどその中で、一人の少女がバランスを崩して倒れた。マコトはすぐさまその少女の下に駆け寄って、その身体を支えた。

「グエン?どうしたの。出撃前で足が竦んだの?」

からかうような、心配交じりの口調で問いかけた。グエンと呼ばれた少女は、どこか虚ろな調子で答える。

「変なのよ、マコト。風に煽られそうになったから、私は少し機首を下げただけなの。なのに、いきなり地面に接触するなんて……」

困惑気味に告げられる言葉に、驚いたようにマコトはグエンを見つめる。それは余りにも長期に、長時間に渡ってソウルジェムを介してR戦闘機に乗り続けたが故に起こった事だった。

 

「……何言ってるの、グエン。貴女はまだ地面に足をついて歩いてるじゃない。ほら、早く立って。出撃はこれからよ」

ソウルジェムを介して操るR戦闘機は、まさしく魔法少女の身体そのものとなる。それを余りにも長く続けるうちに、魂に機体の動かし方が染み付いてしまったのだろう。人の身体の動かし方を忘れてしまう者が出始めたのだ。

ある程度機体から離れて生活できれば、それはすぐに治るようなものだったのだろう。けれどこの状況は、そんな余裕を与えはしない。

それでも尚訓練を繰り返す内に、遂に人の身体に魂が戻らなくなる者が出始めた。そうなった者はみなそれに絶望し、遠からず脱落していく定めにあった。恐らく、このグエンという少女もまた、遠からず同じ定めを辿る事だろう。

マコトは、そんなグエンの手を引き立ち上がらせながらそんなことを考えていた。

そして恐らく、指揮官であり教官でもあるゲルヒルデもまた、そんな風にして自分の身体を失ってしまったのだろうとマコトは推測していた。それでも尚戦う理由は何なのだろう。何を願ってこんな事をしているのだろう。

無性に、それを尋ねてみたくなった。生きて帰ることが出来たら、尋ねてみようかと思った。

 

 

「ロセヴァイセからゲルヒルデまで、進路クリア、発進どうぞ!」

管制官より発進の許可が下りる。少女達の魂を乗せた機体が、次々に発進準備を済ませていく。

「各機手筈通りに!指定宙域到達までは編隊を維持!ゲルヒルデ中隊!出撃よっ!」

そして、ついに少女達は戦いの宇宙へと向かう。恐るべきバイドに、更なる狂気を以って立ち向かうために。その業の重さを、彼女達はまだ知らずにいた。

 

 

「いやぁ、思いがけなく結構な数が残りましたねぇ」

次々に基地を発っていく少女達。窓越しに遠ざかっていく青い光を眺めながら、この施設の研究員である若い男は妙に感慨深げにそう、呟いた。

「一割弱、といったところかね。すごいよねぇ、見てよ。あのドミニオンに乗ってる子なんてまだ小学生だよ。素質がある女の子はみんな連れて来いって言ったけどさまさかあんな子まで兵士に仕立て上げちゃうってんだから、あいつらの勤勉ぶりったらないね」

答えたのは女性。こちらもまだ若い。赤みがかった茶色の長髪は、随分手入れもしていなかったのだろう。ずいぶんとぼさぼさになってしまっていた。

目にはサングラス。その下の表情は窺い知れない。そんな女の声には、感心すると同時に嘲るような色も見て取れた。

「別に、兵士にするために連れてきたわけじゃないんだけどね。一応体裁ってのもあるし、使い物になりそうなら鍛えてもいいって言ったけどさ。これでうっかり戦果でもあげようもんだったら、うっかりほんとに徴兵されちゃったりしてね」

「かもしれませんがねぇ。上も相当人手不足に悩んでいるようですし。こんな人買いまがいのことをしているという痛手さえ気にしなければ、思いのほかM型ってのは優秀な兵士なのかもしれませんねぇ」

窓の外の宇宙を、次々に飛び立っていく光を眺めながら。男と女が面白そうに話に花を咲かせている。

「それで、弾頭処置の方はどの程度完了してるんです?」

「えーっとねぇ。凍結状態で搭載を完了したのは300発。後は汚染作業が完了してないのが2000発ってとこかな。残りは大分派手に実験に使っちゃったからねー。まあ、これだけ今回の襲撃くらいは十分でしょ。これで運用データが取れれば、あたしらもやりやすくなるし」

「そうですかぁ。早く見てみたいものですねー。M型兵器って奴を」

にこにこと、どうにも臨戦の場にはそぐわない笑みを浮かべる男に苦笑交じりに女は

「だーかーら、普通じゃ見えないんだってば。それ」

と、言葉を投げかけた。

 

「そうでした。いいですねぇ姐さんは。見れるようにしたんでしょ?僕も受けてみましょうかねぇ、移植手術って奴を」

「やってやってもいいんだけど、どうも女以外にゃ定着率が悪いんだよね男に移植したら、どいつも半月以内に拒絶反応起こしちゃってさ。ぐずぐずの肉の塊になっちゃうわけ。 そこんとこ承知で、やってみる?」

どうにも面白くなさそうな声色を隠そうともせずにそう言うと男は、それは残念といった様子で肩を竦めた。それから女は、ゆっくりとサングラスに手をかけ、それを外した。そこに映し出された瞳は、その強膜は、まるでルビーのような紅い色に染まっていた。

それは、魔女の姿を知覚できるようにするために施された処置。さまざまな物が考えられ、実行され、失敗し。唯一安定して魔女を知覚させることに成功した手段。それが、インキュベーターの体組織を人体に移植することだった。

今のところ、女性に移植したケースにおいて身体への影響は、強膜の変色を除いて見られていない。男性に移植したケースは、言うに及ばずである。

 

「まったくー、随分と破廉恥な遺伝子ですねぇ。とはいえ、何とかもっと安定した方法を探さなくては。姐さんも、実験の度に視神経に出力装置を繋げられるのは面倒でしょうしねぇ」

「まぁねー。今のところ、そうするしかないんだけどさ」

呟く女の紅に染まった瞳が映すのは、どこか赤みがかった宇宙だった。それがまるで、戦士たちの血で出来た海のようにも見えて、女は小さく鼻を鳴らす。何しろ、本当にこの宇宙が人とバイドの血潮に染まるのは、全てこれからなのだから。

 

 

自分の身体が鋼の鳥になるイメージ。そしてそのまま、イメージの赴くままに宇宙を往く。

マコトは、戦うのはやはり好きにはなれなかった。慣れることもできない。けれど、こうしてR戦闘機を駆って飛ぶのは好きだった。

波動を宿した鋼の翼を手足に換えて、優れたセンサーを目鼻に換えて。自由に飛び交うその時だけは、あらゆるしがらみから自分が開放されたような、そんな気がしていた。

編隊の先頭を飛びながら、浮遊感と万能感、そして拭い難い恐怖を抱えて。マコトの駆るOF-3、軌道戦闘機であるガルーダは、波動の尾を引きながら、編隊の先頭を指定された座標へと向けて飛んでいた。

「指定座標に到着。全機異常なしです、隊長」

移動を完了させ、まず一仕事終えたといった感じでマコトは通信を送った。

「それじゃあ作戦を第二段階に移すわ。中隊はその場に待機。 セクションブルーに進入する敵のみを迎撃。なるべく多くの敵を中央のセクションレッドへと向かわせて頂戴」

グリトニルを出撃し、太陽系を出てすぐの場所。まるで太陽系への侵入者を迎える道を作るかのように、小惑星帯が左右を塞いでいる。

敵がここを通る限り、一度に全てのバイドを相手にするような愚策を犯さずにすむ。太陽系に迫るバイドに対して、人類が見出しておいた合戦場の一つであった。

 

ゲルヒルデ中隊及び、他の魔法少女隊に課せられた任務は、小惑星帯外則部に部隊を展開させ、小惑星帯を迂回して地球に向かおうとするバイドを撃退する、というものだった。

ほとんどのバイドは中央を通るだろうと予測されているため、激戦区となる中央は、正規の地球軍がしっかりと守りを固めていた。けれど、それでも雲霞のごとく押し寄せるバイドの大軍団を相手にするのにはどうしても力不足なのではないかと、そう思われた。

 

「本当に大丈夫なんですか?……バイドは、もの凄い数だって聞きましたよ」

やはり少しでも、正面に戦力を回すべきなのではないか。マコトはそれを正直に告げた。

「……大丈夫よ。私たちはここで敵を撃退していればいいの」

「それは、私たちが未熟だからですか?正面きってバイドと戦う力が、私たちにはないから、ですか?」

通信に割り込んできたのはTL-2B、人型変形機能を持つ機体であるヘラクレスを駆る少女。ここにいる少女達の中では年上な方で、部隊のまとめ役のような役を担っている、ソーリャの声だった。

「そうは言ってないわ、ソーリャ。貴女達の腕は、正規の地球軍にも負けないくらいなのは保障する。……けれど、駄目よ。私たちは中央に行ってはいけない。これは命令よ」

隊長の命令は絶対。それが、この中隊に配属された彼女達が一番最初に学んだことだった。そしてそれと同時に、自分の意見を述べることも躊躇ってはいけない。

矛盾を抱えたその指示を、戸惑いながらも少女達は理解しつつあった。命令と言う言葉が線を引くまでは、各自がその最善を尽くせばいい。ただその言葉が出れば、その命令のために全力を尽くせばいい。難しく考えすぎれば潰れてしまうから。

 

機体の調整に手間取り、出撃の遅れたゲルヒルデの機体がようやく中隊に合流した。Wの文字を模した雷のパーソナルマークをつけ、巨大な砲身を掲げた機体、R-9DH3―コンサートマスターが中隊の最前列へと躍り出た。

それと時を同じくして、ついに広域レーダーにバイド反応が検出された。小惑星帯の左辺を任されていたゲルヒルデ中隊の元にも、ついにバイドが迫る。

「各機、波動砲のチャージを開始。一斉射撃でまずは敵の頭を叩くわ。その後、アサルトチームは前進。攻撃開始よ。敵を全滅させようなんて思わなくていいわ」

言葉に続いて、無数の波動砲のチャージ音が鳴り響く。甲高い音が機械の鼓膜を振るわせる。

「レンジャーチームは、前衛を抜けてくる敵の相手をお願い。もしここでも敵に抜かされてしまったら、その時はすぐに報告するのよ」

各々の機体に警報が走る。バイド反応の接近を告げ、それは本当の戦いの幕開けを告げる。

「ノーチェイサー部隊は私に続いて敵を遊撃よ。後方に抜けそうな敵、味方を攻撃している敵を優先的に狙って。訓練どおりにやれば、誤射なんてしないわ」

敵味方識別可能なロックオン波動砲は、乱戦においても十分に効果を発揮してくれる。それを備え、更に機動性に優れるノーチェイサー部隊に加えて自らを遊撃に据え、広域に攻撃可能な機体を前線に、後方には迎撃能力に優れた人型機を据えた。

 

できる限り、皆が生き残れるように策は練った。

後はもはや、生きて帰れるかどうかはどこまで自らの力を、そして仲間を信じられるかにかかっている。

 

敵機体郡が、後30秒ほどで射程距離内に接近する。それを告げると同時に、各機は機首を迫る敵へと向けて。

「各機、座標軸合わせ!合図と同時に発射、アサルトチームは突撃っ!」

唸りを上げる波動の光。中隊に並び立つ全機が、一斉にその震える波動を解き放つ。眩い光が宇宙を照らし、遥かより飛来する敵軍へと次々に突き刺さり、爆発を巻き起こした。

訓練でも演習でもない、これは本当の戦闘。今放った波動の光は、間違いなく本当に敵を殲滅するための力なのだと、少女達は知った。

けれど、何故だろう。

全ての物を、塵も残さず消滅させるその光は。その中で次々に巻き起こる爆発は、とても、とても美しく見えた。

(こんなに綺麗なのに、これは、敵を殺すための兵器だなんて……)

「アサルトチーム、行きなさいっ!」

「っ……アサルトチーム、攻撃開始(アタック)ッ!」

破壊の光に魅入られていたマコトは、ゲルヒルデの声にすぐさま我に返ると、味方の部隊に突撃の合図を告げ、同時に機体を発進させた。破壊の光の中からも、さらに這い出ようとするバイドの群れの只中へと。

それに一拍遅れて、彼女の僚機達が発進した。

 

 

太陽系絶対防衛艦隊として、グリトニルに配備された地球軍。ついにバイドとの大規模戦闘に突入した部隊を指揮しながら、旗艦のブリッジに立つ男の姿。傍らには女性の副官。

そう、それは九条提督であった。

ジェイド・ロスの帰還に端を発した事件。あの激しい戦闘で、彼の部隊のみがかろうじて戦力と言えるものを保有したまま戦闘を終えた。その成果からも、そしてその交戦記録からも、多くの人員を失った地球連合軍内において、彼に日の目が当たるのは無理からぬことだった。

彼には昇進と共に更なる重大な任務が課された。太陽系の絶対防衛艦隊を指揮し、オペレーション・ラストダンスの発令まで、太陽系を死守するという大任に。

そして九条は、もう一つ確信していることがあった。恐らくこのまま戦い抜けば、オペレーション・ラストダンスの実行部隊である第二次バイド討伐艦隊は、間違いなくこのグリトニルの長距離ワープ施設を使うことになる。

その時に恐らく、その艦隊の指揮権を譲渡されることになるだろう。そうでなければ、こんな辺境にいる者にわざわざ、第二次バイド討伐艦隊の全容を知らせはしない。

 

今までになく長く、苦しい戦いになりそうだ。それでもかつての英雄との誓いを思い出し、自らを奮い立たせる。そして九条は、戦場へと意識を移した。

「戦況は?」

「まだ始まったばかりですが、今のところは順調です。正面の部隊は敵の足止めに成功していますし、側面のM型部隊も回りこもうとする敵を、上手く撃退しています」

出だしはまずまず。だが、まともに当たれば間違いなく押し切られるレベルの物量差であることは言うまでもない。縦しんばここを乗り切ったとして、敵は途切れることなく続々と押しかけてくるのだ。

緒戦で躓いていては、この先とてもやっていけはしない。

「結構だ。それで、件の新兵器とやらはどうなっている?」

「既に特務機10機に搭載済みです。投下は、敵戦艦が宙域に侵入するまで待てとのことです」

「それまで持たせろ、ということか」

軽く目を伏せ、考える。今のところまだ敵の侵攻もそれほどではない。地の利もこちらにある。この場所で敵を食い止められる限り食い止め、十分に敵を引きつけた後に、新兵器とやらで敵を殲滅する。

そうする上で考えるべきことは、敵の侵攻を防ぐことと、味方の被害を防ぐこと。

「補給艦を前線近くまで押し出せ。そこを負傷した機体は無理せず戻るよう伝えろ。後は各機、孤立しないように連携を取り合え、決して敵に囲まれるな。とにかく近づいてくる敵を片っ端から叩き落し続けろ!耐え続ければどうにかなる!」

九条の声に、ブリッジが俄かに騒がしくなる。各方面での戦闘も、徐々にその激しさを増していく。その身の内に静かな闘志を昂ぶらせ、そして。

「さあ――バイド狩りの始まりだ」

静かに、けれどよく通る声で、そう宣言した。

 

「はははっ!はははははっ!そうだ、これだよっ!やはり“戦う”というのはこうでなくちゃぁっ!!」

戦場を、漆黒の刃が駆け抜ける。暗黒の宇宙より尚その刃は昏く鋭く、その進む先にあるありとあらゆるものを切り刻んでいく。

武装を変更し、ショートレンジでの白兵戦に特化したその機体はまさしく禍々しき異形。その全身から敵意と殺意、そしてそれが具体化した破壊をばら撒き、視界に映るバイドを片っ端から切り刻んでいく。

鉤爪の食い込んだ時計のパーソナルマークが、異貌なる機体の一際突き出た牙に刻み込まれていた。

B-5A――クロー・クローのカスタム機であり、ダンシング・エッジと名付けられたその刃は、遂にバイド機の制御を可能とした人類の手によって、そしてそれを駆るオルトリンデ中隊隊長、オルトリンデによって、恐るべき災禍をバイドにもたらしていた。

彼女の、人の名で呼ばれていた頃の名前は――呉キリカ。彼女もまた、魔法少女として長らく実戦を経験してきたものであり、この中隊を預かる隊長であった。

 

魔法少女のみで構成されたこの9つの中隊は、それぞれに戦乙女の名を冠し、その指揮官にして教官には、魔法少女としての実戦経験を長く積んだものが任命されていた。選ばれる条件はただそれだけで、そこに一切の適性や人間性を考慮した様子はなかったのである。

「すごい、すごいすごい!どれだけ殺しても終わりがないっ!尽きないっ!まるで私の愛のようだ。……これは、殺しつくして見せ付けなくちゃぁ。私の愛は、無限を越えて無限だって、ねぇ?」

その機首に掲げたフォースから、血の色の如く赤々と輝くレーザーの刃が飛び出した。左右に5対、それはまさしく死神の手と化して、道を阻む全ての物を切り裂いていった。

 

「恐ろしい戦果だが、あれではどちらが化け物なのだかわからないな。……とにかく、隊長が好き勝手に暴れてくれている。我々はその撃ち漏らしを仕留めればいい」

当然、そんな彼女に部隊の運営などがまともに勤まるわけもない。流石にそれで部隊が立ち行かないということで、この中隊には副長として、グリトニル所属の仕官が一人配置されていた。

気難しい思春期の少女達を纏め上げ、更に兵士としての訓練を施す。それはどちらにとっても過酷過ぎる任務である。当然上手くいくはずもなく、隊の士気はどうにも上がらなかった。

故に今の尚、彼女達はただただ前方で暴れるキリカを眺めていることしかできなかった。

 

「どうやら、キリカは上手くやっているみたいね。……そろそろ、こちらも動き出しましょうか」

そんな派手な騒ぎを後方に眺め、一の戦乙女の名を冠するロセヴァイセこと美国織莉子と、彼女の率いるロセヴァイセ中隊が戦闘を開始した。

謀略によって地位を追われるより以前は、彼女は英雄にも等しい活躍をしていた。当然、それに見合うだけの人望も、能力も持ち合わせていた。人々を統率し、指揮するに足る素質は、やはり父親譲りのものだったのかもしれない。

瞬く間に彼女は自らの中隊を統率し、高い指揮の下に効率的な訓練を実施した。結果、一の戦乙女の名に恥じぬ、最高の錬度を誇る魔法少女隊が完成していたのである。落伍者の数も、ロセヴァイセ中隊が飛びぬけて低かった。

「ロセヴァイセ中隊、全53名!総員所定の配置につきました!」

どこか熱に浮かされたような、戦いの狂気に駆り立てられたような声で、副官を任せていた少女が織莉子に告げた。

「結構ね。……それじゃあ、始めるわよ」

多くの魔法少女を擁するロセヴァイセ中隊は、中央に最も近い場所にて脇に逸れようとするバイド群の頭を叩くという、危険の多い任務に就いている。けれど、隊員である魔法少女達の表情に恐れはない。

その理由の半分は、美国織莉子の実力に裏付けられた信頼。そしてもう半分は、彼女の持つカリスマ性による狂信。

兎にも角にも、ロセヴァイセ中隊は始めての実戦に臆することなく、迫るバイドへと立ち向かっていくのだった。

 

(早く終わらせて戻らないと、きっとキリカは拗ねてしまうわね。だから、早く片付けてもらわなければならないわ)

それだけの信頼を受け、それだけの想いを寄せられて尚。彼女の頭の中を占めるのは、離れたエリアで戦うキリカのことだけだった。

 

同じような戦闘が、小惑星帯のあちこちで起こっている。とはいえ、今のところこちらに来ているのは小型のバイドばかり。少なくともそれは、その性能を十分に発揮したR戦闘機の敵となりうるものではなかった。

迂闊な操縦ミスや、戦場の狂気に駆られた誤射など、少々の不運な事故が初期に発生した以外は、ほとんどと言っていいほど魔法少女達に被害は見られなかった。

「……は、ははっ。こんなもの、なのね。……戦闘、実戦って言っても」

まばらに降り注ぐ敵弾を掻い潜り、時にフォースで受け止めて。マコトは未だ被弾することなく戦場にあり続けていた。小隊の僚機も、皆損傷は軽微もしくは皆無。十分に戦える。今までの訓練は決して無駄ではない。

確かな戦果に裏づけされた自信がマコトの中に、そして他の魔法少女達の間にも芽生え始めていた。

 

それは、戦士としての目覚めに他ならない。戦う能力を持っただけの少女から、一人の戦士へと。柔らかな肉の蛹を破り、鋼の翅を抱えた蝶へと羽化を遂げる。戦場に、色とりどりの鋼の蝶が舞っていく。波動の粒子を振り撒きながら。

けれど、彼女達は知らない。羽化したての蝶の翅は、脆く弱いものであることを。

 

「周辺の敵は征圧したね。次行くよっ!」

散開していた小隊を呼び戻し、更に敵陣深くへと突き進む。編隊飛行も手馴れたもので、5機の機体が綺麗にデルタの形を描く。編隊飛行の隊形の一つ一つを仕込むほどの時間はなく、習得できたのは基本となるデルタのみ。

それでも間違いなく、十分に合格点といえる編隊だった。

先頭を走るマコトの機体に警報が走る。熱源の接近警報。それもかなりの熱量を持っている。

「散開(ブレイク)ッ!!」

ソウルジェムを介した機体接続は、各種警報を目視や音による認識よりも遥かに早く乗り手へと伝達することができる。訓練で叩き込まれた危機回避のための行動が、すぐさま形となって現れた。

即座に小隊は散開し、その直後にマコトの機体が存在していた空間を、機体とほぼ同じ太さのレーザーが貫いていった。

「回避成功……このまま反撃を…っ!?」

無事に攻撃を回避し、そのまま反撃のための索敵を開始しようとした小隊の背後で。打ち抜かれ、ただ通り過ぎていくだけのはずだったレーザーが、大きく真上に薙ぎ払われた。

それは恐らく持続圧縮波動砲同様、照射時間の非常に長いレーザーだったのだろう。回避直後の隙を突かれた僚機が、薙ぎ払われたレーザーに直撃、機体は焼き払われ、分断され。そして、小さな爆発と共に潰えた。

 

「そん……な」

ここまで無事に戦い抜いてきたというのに。一瞬の油断が、判断ミスが、こうも容易く命を奪う。それは、彼女達にとって始めての、戦友を失うという体験だった。

こんな歳の少女が背負うには、余りにも重く辛い、体験だった。

「くそっ!ティナが食われたっ!誰だ、どこのどいつがやったってのよっ!!」

悲しみと同時に、マコトの胸中に湧き上がったのは激しい怒りだった。目の前が真っ赤に染め上がるほどに、それは激しくマコトの中を駆け巡った。その怒りに駆られるように、マコトのガルーダは速度を上げ、今の一撃の射手の下へと機体を走らせる。

恐らく僚機を駆る少女達も、心の内は同じだったのだろう。遅れぬように速度を上げて、マコトに続いていく。

「マコトっ!先行しすぎてるわ。下がりなさいっ!」

その突出を見咎めて、ゲルヒルデの声が飛ぶ。

「ティナがやられたんだ!その敵がこの先にいる。仇を取るんだ、私はっ!!」

語勢を荒げるマコトの言葉に、ゲルヒルデの脳裏に苦い記憶が蘇る。捨て去ろうとしても捨てきれない、苦くも懐かしい記憶が。そんな逡巡は一瞬。すぐに彼女も我に返る。

行かせてはならない。彼女達は戦いの狂気に駆られて、正常な判断が出来ずにいる。

随行していたノーチェイサー部隊に遊撃の続行を命じると、ゲルヒルデはコンサートマスターを駆り、敵陣へと突入していく。巨大な砲身を掲げた、比較的小回りの効かない部類のはずの機体が、滑るように敵陣に分け入っていった。

 

「危険すぎるわ。いいから戻りなさい。これは命令よっ!」

と、援護に向かいながらゲルヒルデが叫んだのと。

「見つけた。あいつだ、あいつがティナをやったんだ!」

射手を発見したマコト率いる小隊が、突撃をかけたのはほぼ同時だった。ゲルヒルデの声は、戦場の怒号に飲まれて届くことはなく。

(さっきの一撃、チャージもなしに撃てるものじゃない。このまま懐に潜り込めば、一気に片付けられる!)

遂に見えた敵の姿。それは緑色の人型兵器。その片手に巨大な銃のようなものを抱え、周囲にはなにかが浮遊している。

「散開して4方向からの同時攻撃を仕掛ける。一斉射撃で、確実に破壊するのよ!」

了解、と声が三つ重なって。直後、四つの光が分かれて迫る。

 

そのバイドの名はガイダッカー。複数の兵器が組み合わさって出来た、バイドの人型兵器。

確かにマコトの読みは当たっていた。驚異的な威力と照射時間を誇る粒子砲は、連射の効かない、チャージが必要な兵器だった。けれど、チャージ中はほぼ無防備となるゲインズと違い、ガイダッカーにはもう一つの武器があった。

「ティナの仇……っ!」

「逃げ場はないよっ!」

「終わりですわ!」

「ぶッ…潰れろぉ!」

四方向から取り囲んだ少女達の機体のすぐ眼前に、ガイダッカーの周囲に浮遊していた物体が迫っていた。それはアタックビット。粒子砲のチャージ中の隙を補うため、ガイダッカーが有するもう一つの武器だった。

半ば本能的に、マコトは機体を急旋回させた。機体限界に近い急な機動が、機体をみしりと軋ませた。

そして回避が遅れた三機のR戦闘機は、その威力を発揮することなくアタックビットの攻撃によって潰え、その命を巻き上がる炎の中に散らしていった。

 

「ぁ……ぁぁっ」

セラが、フィヨンが、リョウコが、ついさっきまで共に戦っていた戦友たちが、一瞬でその命を落としたのだ。その事実は、今度こそマコトの心を打ちのめした。ここに及んで初めて、彼女は自らの死と直面した。

身体は完全に死の恐怖に飲まれ、動けない。動かない。戦わなければならないのに、敵を討たなければならないのに。ただただ、敵が、死が恐ろしかった。

そうしてマコトが竦んでいる間に、ガイダッカーは悠々とチャージを完了させると、再びその粒子砲の銃口を、マコトのガルーダへと向けた。

(駄目だ、私。死……)

閃光が、駆け抜けた。

 

それは、ガイダッカーの粒子砲ではなかった。

マコトの背後から迫り来るその閃光は、持続式圧縮波動砲のそれ。激しい光を撒き散らしながら迫るそれは、まるで意志があるかのようにその身を曲げてマコトの機体の横を通り過ぎ、今にも粒子砲を放とうとしていたガイダッカーを貫いた。

尚も照射は続く。ガイダッカーの装甲が、照射され続ける波動の光に赤熱し、膨れ上がっていく。そして、一際大きな爆発ともに弾けて消えた。

「……運がよかったわね。それとも、死にそびれたというべきかしら?」

「隊……長」

その一撃。まさしく魔弾というべき閃光の射手は、ゲルヒルデの駆るコンサートマスターだった。

「覚えておきなさい。隊を預かる者が選択を誤れば、もっと多くの人が死ぬ。だからこそ、私達は慎重にならなくてはいけないの。間違ってはいけないのよ」

ゲルヒルデは戦場を一瞥し、マコト以外の機体が完全にロストしたことを確認すると。

「まだ戦いは終わっていないわ。ついてきなさい。貴女は自分の身勝手で四人の命を奪った。その分の働きをするまでは、死ぬことは許さないわ」

冷酷に告げられる声は、つけられたばかりのマコトの心の傷を容赦なく抉る。死の恐怖がゆっくりと引いていくと、後に残ったのは、途方もない程の後悔と自責。

自分のミスのせいで、今まで共に戦ってきた仲間を死なせてしまった。否、ゲルヒルデの言うとおり、この命は自分が奪ってしまったも同然ではないか。その後悔と罪悪感で、マコトの心は押し潰されそうになっていた。

 

「……もう、無理だよ。隊長。こんなの、耐えられない。お願いです……私を、殺してください」

機首を廻らせ、味方の元へ戻ろうとしたゲルヒルデに、マコトは涙交じりの声で訴えた。これ以上は耐えられなかった。戦うことも失うことも。それを背負い続けることも、全てが耐えられないほどに苦痛だった。

「死ぬことは許さないと言ったはずよ。戦いなさい。貴女にできるのはそれだけよ。……それに、貴女は本当に死にたいとは思っていないわ」

「っ……ぁ」

まるで心の奥を見透かされたような言葉に、マコトは返す言葉もなくなってしまった。確かに、死にたくないという思いもあるのだ。生きていたい。帰りたい。けれど、こんな重荷を背負ってまで、これから先の果てしない戦いの日々を生きていけというのか。

それは、死ぬよりも惨い仕打ちだと感じた。……だからこそ、自分に相応しいのだろうか、と。

「どうするの?死にたければここで寝ていれば、バイドが綺麗に片付けてくれるでしょうけど。そうしたら、貴女の亡骸が新たなバイドになって、もっと多くの犠牲を生むでしょうね」

沈黙は一瞬。掠れ震え、か細い声でマコトは答えた。

 

「……い、きます。戦い……ます」

「そう。なら遅れずについてきなさい」

まるで何の感情も見せずに、ゲルヒルデはそのまま機体を走らせた。その姿はまさに、戦士を死地へと誘う戦乙女のそれだった。

 

「偵察機からの報告です。敵の艦隊が指定されたエリアに侵入したとのことです」

戦端が開かれてより一時間余り。どうにか地球連合軍も、魔法少女隊も敵を食い止めることに成功している。今のところ、どちらにも大きな被害は出ていない。それは人類にも、バイドにも言えたことではあるのだが。

停滞した前線に、続々と敵が殺到している。今すぐ押し切られるものではないが、いつまでも耐えられるものでも勿論ない。

「連中に連絡だ。見せてもらおうじゃないか。TEAM R-TYPEの新兵器とやらの威力をね」

「……大丈夫なんでしょうか。得体の知れない新兵器頼みの作戦、だなんて」

オペレーターの一人が、不安げに言葉を漏らした。無理もない。もしもそれがしくじれば、後はじわじわと押し潰されるのを待つしかないのだから。

だが、不思議と九条は落ち着いていた。

「いくら連中でも、この状況下でそこまで酷い博打は打たんはずさ。……あの連中を信じろ、というのもおぞましい話だがね、ここまで来たんだ。一つ、悪魔に魂を売ってみることにしようじゃないか」

少なくとも九条は、既にそれを覚悟していた。これから何が起こるのかはわからないが、それでもそれはこの圧倒的な戦力差を覆しうる“何か”だ。

もしそうでなければ、どの道人類は滅亡なのだ。死ぬのが遅いか早いかの違いでしかない。

 

「……勿論、黙って死ぬつもりもないがね」

「提督、何かおっしゃいましたか?」

「いいや、ただの独り言さ。中尉」

こんな辺境の地にあっても、それでも副官として随行していたガザロフ中尉が、九条の言葉に小さな疑問を投げかけた。

 

「合図が出たぞ、ミッキー」

その男は、R戦闘機のコクピットの中で僚機に呼びかけた。

今回の作戦に備えて編成された、TEAM R-TYPE直属の特務部隊。フォー・ループと名づけられたその部隊は、総勢10機のR戦闘機によって構成されていた。彼らは皆あちこちから集められた、一騎当千の兵揃いだった。

「オッケーだ。それじゃあ一つ、地獄を届けに行くとしようか。……クソったれのバイドどもにな」

ペイロードを更に増加した、特務仕様のスレイプニル。

その機体には、バルムンクよりも遥かに大型のミサイルが一基、搭載されているだけだった。そんな機体が、小惑星帯の影に隠れて三機。同じように小惑星帯のあちこちで、機を伺って潜む者達がいる。

「ケン、ウォーレン!手はずどおりに行くぞ。このお姫様達を、敵陣までエスコートするぜ!」

「お姫様にしちゃ随分と寸胴じゃないかね、こいつらは?」

「違いねぇ。これならまだ酒瓶でも抱いてたほうがマシってもんだ」

男の声が三つ、冗談交じりに交差した。たった三機で敵陣へ突入するというのに、その声には一切の緊張も恐怖も見られない。それどころか、そんな戦いを楽しんでいる風にすらも見て取れた。

「よし、じゃあ行くぜ。こんなところで死ぬんじゃねぇぞっ!フォー・ループ。出撃だっ!」

 

小惑星帯の中、無数の岩塊の間を縫うように三つの機体が飛び出した。卓越した操縦技術を持って、複雑に行き交う宇宙の迷宮を突き抜ける。けれど、それを抜けるとすぐそこには、次の地獄が待っていた。

「――さあ、バイドとダンスだっ!」

新たな敵の接近に気付いたバイドが、すぐさま容赦ない攻撃を浴びせかけてくる。それをまるで舞うように掻い潜り、三機は敵陣に迫り、そして。

「よし、ここいらでいいだろう。M式特殊弾、発射だっ」

搭載していた大型ミサイル、M式特殊弾と呼ばれたそれを発射した。それと同時にすぐさま機体を反転。迫る敵陣から逃れ、再び小惑星帯へと身を躍らせた。追い縋ろうとするバイド達も、狭い小惑星帯の中では満足に動くことも出来ず、岩塊に、そして機体同士で接触し、次々に爆散していった。

「はっ、ヘタクソ共がっ!」

各方面からも通信が入る。どうやら、全機確かにやり遂げたようだ。

 

「……よし、全機無事だな。ここまで離れりゃ大丈夫だろ。さてどうなるやらね、開けてびっくり玉手箱、って奴だ」

敵陣に向け投下されたミサイルは、無人パウアーマーにも搭載されているものと同様のレーザークリスタルが内部に充填されている。これによりM式特殊弾は、無人パウアーマー同様バイドの攻撃対象となることなく、敵陣の奥深くへと投下されていった。

しかし、このミサイルには通常のミサイルに期待されている物理的な破壊力というものは存在していない。そう、これはただの運搬装置に過ぎないのだ。

敵陣の奥深くで、M式特殊弾はまるで内側から弾け飛んだかのように炸裂した。とはいえ規模は小さく、それが外のバイドに与える影響は極めて軽微。だが、すぐに異変は起こる。

その爆発を中心として、まるで空間そのものが削り取られたかのように、その場に存在していたバイド群が消滅した。傍から見れば、それは綺麗な球状だった。

 

「ヒューッ。ありゃぁすげぇや」

放たれた10の弾頭が全て、違うことなく球状にバイドの群れを抉り取っていた。限定された空間内に押し込められていただけに、それによってバイドが受けた被害は甚大で、展開した球同士の隙間に見える僅かな空間に、ほんの僅かな残党が残っているだけだった。

「とんでもねぇぜ……どん詰まりになってた敵の9割以上が壊滅だ」

この特務のために集められた精鋭達でさえ、手ずから運んだその兵器がもたらした、おぞましいほどの戦果に身震いしていた。何よりも、その正体が一切分からないということにである。

 

「敵後方に動きあり!こ、これは……っ」

「何があった。正確に報告しろ」

当然、敵に生じたその大きな動きは、九条率いる艦にもすぐに知るところとなる。

「わかりませんっ!わかりませんが……敵が、後方で待機していた敵が、消滅しました」

「何?……ああ、なるほど。そういうことか。恐らく、それが奴らの新兵器ということだ」

すぐさまそう自分を納得させた。後方の敵が一気に消滅したことで、前線の敵バイドも浮き足立っているようだった。突き崩すのならば、今しかない。

「総員に通達。このまま一気に攻勢に移る。前線を押し上げろ!両翼に展開している部隊は、そのまま回り込んで逃げる敵を挟撃しろ!一匹たりともバイドを生かして帰すなっ!!」

九条の言葉に、敢えて停滞させていた前線部隊が歓喜に沸いた。撃って出て、敵を押しつぶすのではなく。敵の侵攻を防ぎ押し留めるのみという作戦に、どうやら相当にフラストレーションだのエネルギーだのを溜め込んでいたのだろう。

撤退を始めたバイドの背中に立て続けに波動砲を浴びせかけ、それを追討するために無数のR戦闘機が、青い尾を背負って飛び出した。

 

「隊長っ!敵が……撤退していきます!」

随行していたノーチェイサーから、ゲルヒルデのホットコンダクターに通信が入った。

「どうやら、向こうが上手くやってくれたみたいね。……逃げる敵を追討するわ。後衛も一緒に突撃させて。あらかた追い散らしたら、そのまま周囲の警戒を続けなさい」

味方機の背後を取り、今にも波動砲を発射しようとしていたバイド戦闘機を持続式圧縮波動砲で焼き払いながら、ゲルヒルデは次なる指示を部隊に伝えた。

新兵器は間違いなくその威力を発揮し、戦いの趨勢は一気に地球軍の有利に傾いた。だというのに、ゲルヒルデの声はどこか沈んでいた。

「……ここはもう大丈夫ね。私は中央に向かうわ。被弾した機体は、まとめて護衛をつけて後退させなさい。しばらく通信を切るから、ここのことは任せるわね」

ノーチェイサー小隊の隊長にゲルヒルデはそう告げて、一人、機体を中央区画へと走らせた。

 

通信を切り、最早ほとんど敵のいない静かな宇宙を飛んでいく。

「成功してしまったわね。……もう、これで後戻りは出来ない。それでも私は……生き抜いてみせるわ。どれだけ、この手を血に染めてでも」

その呟きは、誰の耳にも届かない。

 

 

「やあ、君も来ていたんだね」

中央に突入したゲルヒルデを待っていたのは

「そちらも無事に手が空いたようで、何よりですね」

キリカの駆るダンシング・エッジと。織莉子の駆る純白の人型機。ヘラクレスよりも尚大きいそれはヘラクレスの後継機にして、人型機の最終系。

わずか二機のみが生産され、実際に運用されたのはこの一機のみと言われているTL-2B2――ヒュロスの姿だった。

「来ているのは貴女達だけなの?」

その二人の機体を見つけて、短距離通信を交わす。

「かも知れないね。だらしない奴らばっかりだ。まあ、私は織莉子に会いたかったからね。邪魔な敵を蹴散らして突き進んできただけなのだけどね」

「あらあら、キリカったら。それじゃあ、キリカの部下たちが困ったんじゃないかしら」

「構いやしないさ。君に会えるならね」

 

「……あまり、関心はしないわね」

どうにも二人の世界を築き上げてしまっている様子に軽く釘を刺してゲルヒルデは、中央へと視線を移す。追い散らされ、包み込まれ。次々にバイドが撃破されていく。そんな戦場の最中に、いくつも見えるちらつく影。

それを認識できるのは、魔法少女だけだった。なぜならそれは、魔女の結界だったのだから。

「まったく、魔女を兵器に使うだなんて、すごいこと考えるよねぇ」

その様を遠目に眺めながら、どこか楽しそうにキリカが言う。

「……貴女も、いつかああなるのかもしれないのよ。笑ってみていられるようなことじゃないと思うのだけど」

「私も織莉子も、そんなヘマをやりはしないさ。それに、どんな顔してみていればいいんだい?尊い犠牲に胸を打たれて泣き叫べばいいのかな?」

どこまでも自信過剰でおどけた調子のキリカの声に、ついにはゲルヒルデも閉口するより他になかった。

 

魔女の展開する結界。そして、結界内で発揮される魔女の恐ろしいほどの戦闘力。何よりも、それがすべて外部から完全に隔絶された空間で行われるという性質。その魔女の性質は、そのまま兵器として転用するに十分すぎるほどに強力だった。

TEAM R-TYPEは、無数の魔法少女の犠牲の上でついに、魔女を兵器として転用することに成功した。限界まで穢れを溜め込んだソウルジェムを凍結状態にし、エネルギー源たるレーザークリスタルと共に弾頭処理を行いミサイルに格納する。

後は敵陣の只中で凍結を解除、魔女の発生に伴い生じた結界にバイドを閉じ込める。後は結界の内部で、魔女が勝手にバイドを殲滅してくれる。シミュレーションの結果では、ほぼ100%魔女はバイドを殲滅すると予測されていた。

魔女の性質そのものにも手が加えられており、展開時以外には結界内に外部のものを取り込めないようにするのに加え、時限式で自壊するようにも加工されていた。

人類にとって未知の敵であるはずの魔女を、これほどの短期間で兵器として運用するまでに至る。それは、TEAM R-TYPEの抱える業の深さの証明であり、魔女がどこまでも人の成れの果てであるが故のことでもあったのだ。

 

その事実を知るのは、各魔法少女隊の隊長とそして、一部の研究者のみであった。そう、魔法少女隊を纏める戦乙女達は皆、その事実を知って尚魔法少女達を戦いへと駆り立て、必要なだけの落伍者を生み出し、実験台としてTEAM R-TYPEに提供していたのだ。

どれほどの狂気、年端も行かない少女が抱え込むには、あまりにも重過ぎる闇。それを抱えて尚翼の折れぬ戦士だけが、この地獄に魔法少女達を誘う戦乙女となることができたのだ。

バイドとの戦いが終結するまで生き延びることができれば、いかなる願いでも一つ、叶えられるという契約の元に。悪魔に魂を売り渡してでも、叶えたい願いのために。

 

「……やれやれ、終わったか」

各方面より、敵の掃討が完了したという報告が上がってくる。どんどんと色が塗り替えられていく戦局図を眺めながら、一仕事終えたといった風に九条は呟いた。

「この調子でずっと行けるなら、存外持たせられるかもしれないがね。いかんせん相手はバイドだ、次も油断せずに行こう。掃討を完了させた部隊から、撤収するように伝えてくれ」

ひとまずはどうにか、迫るバイドの軍勢を押し返すことができた。この調子で行けば、今後もしばらくは優位に事を進められるだろう。

その間に第二次バイド討伐艦隊の編成を完了させ、オペレーション・ラストダンスを遂行することができれば言うことはないのだが、果たしてそこまでうまくいくのだろうか。

 

とにかく、大一番であった初戦は無事越えたのだ。ひとまずは兵達を労うことにしよう。

九条は、ゆっくりと自分の思考が臨戦状態から、戦後の処理を行うための段階に切り替わっていくのを感じていた。

 

 

かくして、人類とバイドの最終決戦の火蓋は切って落とされた。英雄の帰還によって多大な被害をもたらされた人類が、第二次バイド討伐艦隊を再編するためには、少なく見積もっても半年以上の時間が必要とされた。

それはすなわち、魔法少女達の地獄は未だ4ヶ月以上は続くということで、その日々は、戦いは、そして起こるであろう死は確実に、彼女達の精神を蝕んでいくこととなる。

だがそれでも、今この時だけは勝利者達に祝福を。次なる戦いの時までの、ささやかな休息を。

「皆、ご苦労様。任務完了よ。さあ、帰ってお茶にしましょう」

中央区画で猛威を振るい続けた魔女兵器。その性能を見届け、後始末を終えて隊に戻ったゲルヒルデが、敵を蹴散らし周囲の警戒を続けていた中隊の魔法少女達に、そう告げた。

告げられるまま、ある者は意気揚々と。そしてある者は憔悴しきった様子で次々に、グリトニルへと帰投していく魔法少女達。そんな彼女達の姿が、ゲルヒルデには愛おしくもあり、悲しくもあった。

バイドと戦うことができるように、無事に生きて戻れるようにと手塩にかけて育ててきたのだ。そしてその甲斐あって、少女達はすくすくと腕を上げていった。一人でも多く生き残ってほしいから、誰にも死んで欲しくはないから。

だからこそ厳しく執拗に、戦う術を、生き残る術を教え込んできた。けれど、それでもどうしても死者が出る。落伍者も今後は増えていくことだろう。それが、とても悲しかったのだ。

そんな悲しみを、できる限り負わずにいられるように。少女達にその悲しみを、絶望を背負わせることのないように。訓練は、尚も厳しく続けられていく。戦う業だけでなく、その心までも鍛えるために。

 

撤収の指示を出し終え、帰投する機体達を見送って。それからゲルヒルデもまた、コンサートマスターをグリトニルへと向かわせる。その最中。プライベート通信の回線を一つ開いて呼びかける。

「マコト。今、少し話をしても大丈夫かしら?」

「隊長……はい」

返ってきた声は、すっかり暗く沈みこんでしまっている。無理もない。今回の戦闘で、一番多くの被害を出したのはマコトの小隊なのだから。そしてその責任は、マコトの判断ミスによるところが大きい。

マコト自身もそれをよく分かっている。それを背負ってしまっている。今回は生き延びることができたけれど、このままでは次はない。むしろ次の出撃までの間に、絶望に飲まれて潰れてしまうかもしれない。

それだけは避けたくて、ゲルヒルデは静かに言葉をかけた。

「……中隊全40名、被撃墜者5名。その内4名が、貴女の小隊からね」

交わされる通信波の中に、僅かに息を飲むような音が混じった。

「敵陣深くまで独断で先行した挙句、小隊はほぼ全滅。この損失は、とても大きなものよ。その責任もとても大きい」

「……こんなことを、ずっと続けなくちゃいけないんですか。こんな辛い戦いを、この先も、ずっと」

帰ってきたのは、まだ震えたままの声。その声はどこか虚ろに、問いを投げかけていた。

「そうね、少なくとも後四ヶ月。その間に、どれだけバイドの襲撃があるかはわからないけれど。 最低でもそれだけの期間は、ここで戦い続けなければならないわ」

ぎり、と。歯噛みするような音が聞こえてきた。そして一拍の間を置いて。

「もう嫌だ!こんなの、もう沢山だっ!自分一人生き残るのでさえ必死なのに、人の命まで預かってられないよっ!こんなの……もう、無理だよ」

無機質な喉から溢れ出す痛切な叫び。それはそのまま、鋼の鼓膜を振るわせた。

「……辛いでしょうね、残されてしまうというのも」

ゲルヒルデの言葉にはどこか悔いているような、何かを懐かしんでいるかのような、そんな色が混じっていた。その声色にマコトは思い出す。尋ねてみようと思ったことを。彼女の戦う理由、生き続けようとする理由を。

 

「そういう経験があるんですか……隊長は?」

ゲルヒルデは、マコトの言葉に少しだけ考え込むようにして、それから静かに口を開いた。

「私はむしろ逆ね。……遺してしまった、先に逝ってしまった側だもの。あまり面白い話じゃないわよ。それでも、聞きたいかしら?」

「聞かせてください。……じっとしてると、耐えられそうにないんです」

「聞くのはいいけど、うっかり他の機体とぶつからないようにね。……私はね、もう二回死んでいるのよ」

静かに耳を傾けるマコトに、一つ一つ思い出すようにしてゲルヒルデは言葉を繋いでいった。時間的にはそれほど前のことではないはずなのにここに来る前の日々は、どこか記憶の彼方にぼやけてしまっていたから。

「舞い上がって、油断して。そのまま撃墜されて。一緒に戦えるかもしれない仲間まで、そのまま危険に晒してしまったの。それでもまだ、その時はどうにか九死に一生を得ることができた。……そしてまた、戦い続けていたのだけどね」

一度言葉を切る。脳裏に浮かぶ記憶も、随分とおぼろげになってしまった。このまま戦い続けていたら、いつしかそれすらも忘れ去って、完全に戦うためだけの機械になってしまうのではないだろうか、と。そんな不安を胸の奥底に押し込めながら、人間であった自分を確かめるようにゲルヒルデは言葉を続けた。

 

「信頼できる仲間を得た。このまま、どこまでも戦っていけると思ったわ。けれどある時、かつてないほど強力なバイドが私達の前に立ち塞がったの。後にも先にも、あれほど恐ろしい敵と対峙することはもうないと思うわ」

思い出すだけで、胸の奥に苦いものが込み上げてくる。それをぐっと堪えて、ゲルヒルデは言葉を続けた。

「たった一機の敵に、完全に翻弄されて撃墜された。手も足も出なかったわ。それでもここで倒せなければ、他の仲間が死ぬ。だから、命をかけてでも倒そうとした。……それで、今度こそ死んでしまったと思ったのだけどね」

言葉の端に、どこか自重めいた笑みを浮かべて。

「気がついたら、奇妙な装置にソウルジェムだけが繋がれていたわ。そして知った、私が守ろうとした人は皆、死んでしまったということを」

いつの間にか、ずいぶんと接近していたのだろう。ガルーダとコンサートマスターが、並んで宇宙の闇を往く。その背に、青い光の尾を引きながら。

 

「嘆きもした、悔やみもした。世界がひっくり返ってしまうような、ひどい喪失感だったわ。けれど、それに浸る間も落ち込む間もなく、私はここで戦うことを命じられた。拒む事なんてできなかった。私にはもう、生身の身体なんてどこにも残っていなかったから」

「だから、その復讐のために戦っているんですか?」

問いかけた言葉に、ゲルヒルデは答える。その口ぶりには、どこか自嘲めいた笑みが見え隠れしていた。

「勿論、それもあるでしょうけどね。でも、今生きているからこそ分かるの。死んだ人間には、もう辛いも何もないけれど。きっと……残された人は、とても辛いんだろうな、って」

何も答えないマコトに、言い聞かせるように静かに言葉を続けた。

「だから、戦わなくちゃいけない。生き抜かなきゃいけない。そうしなければ、自分だけじゃなくてもっと沢山の人が死ぬ。そしてそれよりもっと沢山の人が、残された悲しみを背負うことになる。それがずっとずっと、世界中に広まってしまったらどうなるかしら」

深く考えるまでもない。悲しみの輪が広がって、それはそのまま絶望と破壊に変わる。人類が辿るのはそのまま滅びだけだ。でも、それを食い止める力はここにある。後は、それをどこまでも振るい抜ける意志があるかどうかというだけで。

 

「でも、それがなんだって言うのよ……。いまさら私が死んだところで、一体誰が、誰がが悲しむって言うんですかっ!」

「じゃあ貴女は、ティナを、セラを、フィヨンを、リョーコを。彼女達を失って今、まったく悲しくもないのかしら?」

静かに突きつけられたその言葉は、確かにマコトの胸を打つ。そう、何も感じないはずがない。激しい怒りを感じたその理由は何だ。

それはとても簡単だった。共に戦ってきた仲間を失ったことが、自分のミスが彼女達を死なせてしまったことが、とにかく悲しかったのだ。それこそその重さに、マコト自身が耐え切れないほどに。

「……違うわよね。きっと、貴女が死んでもそうなると思うわ。私も、折角育てた貴女に死なれるのは辛いわ。こんなことを言うのは不本意かもしれないけれど、こうして教えた戦う術はとても貴重な技術なのよ。誰にでも覚えられるものでも、ましてやお金なんかで代えられるものじゃない」

「でも……私にはもう、やっていける自信がないんです。本当に……背負って飛ぶには、仲間の命は重すぎるんです」

一つ、小さな吐息の音が漏れた。続けて叩き付けられたのは、ゲルヒルデの、いつも通りの強い声。

 

「自惚れないで頂戴。それは、貴女だけが背負っているものじゃないのよ。この隊の皆が、仲間の命を背中に乗せて飛んでいるの」

けれどそれから、すぐに声は優しい調子に変わる。

「……だからそれは貴女一人で背負うものでもない。重すぎるなら頼ってもいいの。一緒に背負って、それで戦って行けるならそれでいいのよ。だからこそ、私達はチームなんだもの」

それは、生き延びるためには必要なことなのだ。自分の力を知り、仲間の力を知り、依存することなく背負いすぎることなく共に背中を預けあい、常に生きるための最善策を探し続ける。

ここがどれほど地獄でも、生きて明日を見るのだという強い意志が、その命を、意思を預けて死地へと飛べる仲間の存在が、これほどの地獄で生き抜いていくためには、どうしても必要不可欠なのだ。

それはきっと、今までの訓練ではどうしても得られない。戦いの中で、死に直面する戦場で、それぞれが手に入れていくしかないものだった。

「もちろん、貴女にも頼られるに足る腕前のパイロットであってほしい。その素質はあると思うの。だから……また、貴女に仲間を預けてもいいかしら?私の、貴女の、皆の大切な仲間を、ね?」

前方に、グリトニルの姿が見えてきた。離れていたのは四半日ほどだというのに、マコトにはそれがやけに懐かしく見えた。無事に帰ってくることができたのだと、少なからぬ安堵が満ちた。そして。

 

「全部終わるまで生き延びれば、帰れるんですよね」

「……ええ、きっと帰れるわ」

残酷だけれど、その確証はなかった。もしやすると軍は、そしてTEAM R-TYPEは、魔法少女隊そのものの存在を消し去ろうとするかもしれない。

間違いなくこんな部隊が、これほど多くの犠牲が生まれたという事実は、明らかにできるものではない。バイドの戦いを生き延びることができたとしても、その先に待っているのは尚暗闇で。

胸中に広がるドス黒い何かを押し殺すように、ゲルヒルデはマコトに告げた。

「じゃあ、生き抜いてみます。それまで……みんなで」

「……そう、じゃあ帰りましょう。グリトニルへ」

そして、グリトニルの灯に導かれ、二人の機体が収容された。

 

バイドとの初戦はここに終わりを告げた。けれど、それはまだ長い戦いの始まりに過ぎない。人類がバイドに抗し得る牙を育てあげるその日まで、魔法少女隊の戦いは、この地獄は、果てしなく続いていくのだ。

宇宙という名の杯を、人とバイドの、そして魔女と魔法少女の血でひたひたと満たしながら。

 

 

 

幕間 戦乙女達の黄昏

    ―終―



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第5章 オペレーション・ラストダンス
第17話 ―オペレーション・ラストダンス(前編)―①


オペレーション・ラストダンスの発令が迫っていた。
それを前に、今一度迫る恐るべき悪夢。英雄はそれをねじ伏せ、その力と存在を証明した。

そして、運命の歯車に踊らされ続けた少女達に今、決断の時が訪れようとしていた。


月日は巡る。

人類存亡の急を迎えた宇宙でも、それでも尚時の流れは変わらない。歩みを速めることも、緩めることも、留めることさえもなく続いていく。変わらず流れる時の河は、確実に人類を滅亡の坩堝へと誘っていく。それに抗うために、人類はもはやその狂気を隠そうともせず、けれど淡々と滅亡に抗う力を作り上げていく。

そして、その為の時間を作り出している最前線。グリトニルで、そしてそこから旅立つ太陽系の外で、少女達の戦いはまだ続いていた。

 

バイドの大部隊は、何度も何度も押し寄せてくる。

数え切れないほどの戦いがあった。その中で、多くの別れがあった。多くの魔法少女の、そして人の死があった。

三ヶ月。最前線における戦いは続き、三つの月が過ぎ去った後には、魔法少女達はその数を半減させていた。9人の戦乙女達も、その半数以上たる5人が戦いの最中に費え、残った4人の部隊に残る全ての魔法少女達が集められていた。

もはやそれでは、当初の通りに左右から迫るバイドを防ぎきることはできない。故に正規軍の部隊も交え、少女達の戦いは尚も続いていた……の、だが。

 

「まったく、こうも数が多いんじゃやってられないな」

ため息交じりに、ダンシング・エッジを駆るオルトリンデことキリカは呟いた。どうやら今度という今度は、バイドは本格的にこちらを叩き潰すつもりなのだろう。

第一波、第二波をいつも通りに退けていた。今頃中央の戦線では魔女が暴威を振るってくれていることだろう。改良を重ねられるたび、その威力はさらに禍々しく、精密になっていく。留まることのないその追求が、狂気が、彼女達と人類を、未だ生き永らえさせてた。

だが、今回ばかりは状況が違う。立て続けの第三波。おまけに左右に割り振られた数も相当に多い。これをどうにか受け止め、中央へとなだれ込ませるためにはどうしてもこの場所に踏みとどまり、死守する必要があった。

「この分だと、織莉子の方も大変だろうなぁ」

考えるのは織莉子のことで。士気も高く、その錬度もまた高い織莉子の部隊であれど、立て続けの敵襲を捌き切れるかどうかは危ういものだった。

「今すぐ駆けつけて、織莉子を助けるべきだ。私の心はそう言ってる。私の愛はそう言ってるね。分かってる。そうするべき、なんだけどな」

一直線に駆け抜け、その刃で立ちふさがる敵を切り伏せながらむしろ無謀とも思えるほどの勢いで、キリカのダンシング・エッジは突き進む。

当然のように、その背後を突いて敵が迫る。けれど、それはさらに背後より放たれたレーザーによって打ち抜かれ、爆炎の中に没した。

 

 

「後ろは任せてくださいね、隊長っ」

「隊長はいつも通り、ガンガン突っ込んでってくださいよっ!」

キリカの機体に伝わる通信が、二つ。今の攻撃の射手と、それと並んでもう一機。

「隊長が敵を分断したら、そのまま私達で各個撃破。いつも通り、しっかりやろうね、みんな」

「まっかせっなさーいっ!さぁ、悪いバイドは蹴散らしっちまうぜーっ!」

続く、いくつもの声。そう、繰り返す戦いの中で、キリカは生き延び続けた。そして戦い続け、その刃で立ちふさがる敵をねじ伏せ続けた。

この狂気の戦場では力こそが、生き残る術を持っていることこそが、何者にも勝る信頼を勝ち取るための手段だったのだ。そして、彼女は十分にそれに足るものを見せ付けた。

慣れぬ戦いに戸惑い。生きる術を必死に探し出そうとしていた彼女達にはそれは、十分に信頼と尊敬を寄せるに足るものだったのだ。

故に、いつしか彼女は少女達から隊長と呼ばれ、そして慕われるようになっていた。

 

「どうしてしまったのだろうね、私は。……見捨てておけないと思ってしまっているんだ。彼女達を。私の仲間達を、だ」

戦いの衝動に身を任せ、激しい破壊をばら撒きながら、キリカは思い出していた。自分が戦いに身を投じようと思った理由。魔法少女になろうとした理由を。

誰からも必要とされない自分。誰にも優しくされない自分。凡庸で、軽薄で、関わる価値の見出せない隣人達。自分を卑下する一方で、同時に自分の周囲の全てを見下していた。

それをどうにかして変えたくて、その為の何かを探し続けて、あてもない放浪の果てに出会ったのが織莉子だった。

才色に溢れ、戦う力を持ち、自らのためにそれを振るうことを躊躇しない。そんな強さを持った彼女は、常に人々の中心にいた。そんな彼女に惹かれた。彼女と一緒に居たいと思った。

そして、彼女との出会いは自分に教えてくれた。自分にも戦う力があることを、だからこそ彼女と共にあるために、キリカは戦いの運命にその身を投じたのだ。

 

けれど。

 

戦いの果てに流れ着いたこの場所で、キリカは。部下を、仲間と呼べる存在を得てしまったのだ。一度深淵に転げ落ち、織莉子という光に縋って生き延びたキリカは、長い、あまりに長い戦いの果てに、彼女が望んだ物を手に入れていたのだ。

誰かに必要とされる自分、誰かのために、その力を振るうことのできる自分。そしてそんな自分を認めてくれる、並び立って戦い得る仲間達。

皮肉なことに、明日さえ分からぬ戦いの日々が、戦火の果てに積み上げられた信頼が、キリカにとっては新たな安らぎとなっていたのだ。

だからこそ、迷う。自分にとって本当に大切なものは何なのか、と。

以前であれば、一も二もなく織莉子であると言っていただろう。けれどキリカは自覚していた。こうして得ることのできた仲間に対して抱いたもの、それもまた、彼女達を失いたくないという、共に戦っていきたいという気持ちだったのだと。

 

決断を下すのは今しかない。今ならば、新たな敵が殺到する前に織莉子の側へと飛ぶことができるだろう。けれどそうすれば、おそらくここで戦う少女達は敵の軍勢に飲み込まれてしまう。

けれど、織莉子に依存しきっていた心の中に目覚めた、新たな暖かな感情。それをこんなところで消し去ってしまってもいいのだろうかとも、迷う。

 

「……行ってくださいよ、隊長」

ひとまず敵の先触れを斬り捨て、鋼の羽を休めていたキリカに一人の少女が近づいて、そう言葉を告げた。

「行け、って。……私の戦場はここだよ、どこに行けって言うんだい?」

「恋人のとこッスよ。いるんでしょ、向こうに」

どきりと跳ねた心を抑えて、いつもの調子で告げたキリカにまた、別の少女が声をかけた。

「行ってよ。ここは、私達だけで十分なんだからさ」

そしてまた、声。

「………人の恋路に投げ捨てられるほど、キミ達の命は安っぽいものだったかい?」

その言葉に素直に頷けるほど、今のキリカは単純ではなかった。どう見ても強がりが見え見えの少女達の言葉に、そう言葉を返した。けれどもやはり、迷いは晴れない。

「別に安っぽくもないし、死ぬつもりもないッスよ。でも言ったじゃないスか、隊長は。愛はすべてだ、って。だったら、その為に生きればいいじゃないスか。……これが、最後かもしれないんだしさ」

少女達も、それを悟っていたのだ。恐らくこの波を、自分達は乗り切ることができないだろうと。

「隊長は、今までに何度も私達を救ってくれました。最後くらい、自分の心に素直になってもいいと思いますよ。迷っているんでしょう、隊長」

少女達の言葉を聞いて、キリカの口から参ったなぁ、という呟きが漏れた。

 

「まったく、そこまで心を見抜かれるような真似をしたつもりはないんだけどな」

「分かるよ。だって……あたしらだって、女の子だもん」

少しだけ寂しそうに投げかけられたその言葉は、とくんとキリカの胸を打った。もしも表情が見えていたのだとしたら、今の自分は笑っているのだろうとキリカは思う。

「そう、だね。私達はみんな、女の子なんだっけね」

微笑交じりにキリカは呟く。今の今まで、完全にそんなことは忘れてしまっていた。自分達は戦士なのだと、戦うことしかないのだと、そう思い込んではいたけれど。

「忘れてたんですか?ひっどいなぁ、もう」

「ほんとほんと、あんなに恋する乙女してるのに、いまさらそれを言いますかっての」

くすくすと、面白がっているような声が少女達から漏れる。それにつられて、キリカも小さな笑い声を立てた。

「……いいさ。私はここに残るよ。心配なんていらないよ。織莉子は、私よりもずっとずっと強いんだ。負けやしないさ。絶対にね」

心の中で、収まりきらない何かが声をあげている。バカなことを言うな、今すぐ織莉子のところへ行けと。その声を押し退け蹴り飛ばして、キリカはそう言った。

 

「いいんスか?ほんとに」

「ここを無事に生き延びればいいだけのことだよ。それとも、キミ達は私の力が信じられないのかい?」

一瞬、わずかな沈黙。まさか本当に信用されてなかったのか、なんてちょっと不安も覚えたころに。誰からともなく、笑い声が漏れてきた。

「それもそうですよね。本当に隊長は、信じられないくらい強いんですから」

「まったく、どっちが化け物なんだかわかりゃしないくらいに、ね」

「そういうことなら、さっさと敵を蹴散らすことにしましょうかっ」

こうでなくては、とキリカは心中の笑みを深める。これでこそ、自分の仲間達だ、と。

「それでこそ私の部下だ。そういうことなら……さっさと連中を蹴散らして、ばっちり生き延びて帰ろうじゃないかっ!」

時を同じくして、ついに迫る敵の反応をレーダーが捉えた。それへと向けて、無数の光が飛んでいく。黒の機体を先頭に、後に続いて飛んでいく。

 

 

 

 

愛は無限だ。

それを捧ぐに値する相手がいるならば、その愛はその全てに捧げられるだろう。

けれど、それでも愛は有限だ。

その愛を行使する自分は、どう足掻いても有限でしかない。

願う者全てに愛を注ぎ、その形を示すには、あまりにも自分はちっぽけ過ぎた。

だけど、だからこそ。その無限に注がれ、有限にしか示されぬ愛を、今の自分が差し伸べられる者に、差し伸べるべき者に捧げよう。

「だから、愛は無限に有限なんだ。……そうだろう、織莉子。そうだろう、私の愛しい仲間達」

 

目前に迫る敵。数は未だかつてないほど多い。対するこちらは連戦の疲れも抜けず、戦況はかなりの不利。それを知りつつ、それでも尚。愛と希望をその身に滾らせ、キリカは群れなす敵へと向かった。

運命の女神は彼女達に過酷な戦いの運命を押し付けた。その残酷な女神は、どうやら彼女達にまだ、死すべき定めを与えるつもりはないようだった。

 

「後方から機体が接近してくるね。……なんだい、この速さは」

接近するそれの反応に、キリカが気づいて声を上げた。それはあまりに速すぎた。カスタム機であるこのダンシング・エッジですら、その速度にははるか遠く及ばない程に。

敵陣へと向かう少女達を追い抜いたその機体は、そのフォルムからR-9系列の機体だと見て取れた。けれど、その細部は今までに見たことのない形状をしたもので。

「またもや驚き新兵器、ってとこかな?」

立った一機でも、増援が来たのはありがたい。足の速さは恐ろしいが、果たして腕はどれほどのものか。その機体は一気に距離を詰め、キリカの隣で停止した。通信が伝えた声は、驚く事に少女のそれだった。

「ここは私に任せなさい。あいつらは、私が始末するわ」

その声は、キリカにとっては忘れようもない声。ただ一度だけ、彼女に苦い敗北の味を刻み付けた敵。今はもう敵ではないのだろうが。それでもその声は忘れられないものだった。

「暁美ほむら……まさか、キミがこっちに来ていたとはね」

声が届くと、相手の少女は、キリカがほむらと呼んだその少女は、小さく息を飲んだ。

「私はそんな名前じゃない。……私はスゥ。スゥ=スラスターだ。右翼の敵は私が殲滅する。貴女達は左翼の敵に向かいなさい」

スゥと名乗った少女は、そう言い残して再び機体を走らせた。瞬く間に、その姿は宇宙の彼方へ消えていく。

 

 

「どうします、隊長?……さすがに、単騎駆けできるような数じゃないでしょ、アレ」

「……いや、大丈夫さ。私達は左翼に回ろうじゃないか」

確信を持ってそう言うと、キリカは機首を巡らせる。色々悩む手間が省けた。この様子なら、仲間も織莉子も、どちらも救うことができそうだ。

「そんなに凄い奴なんスか?あの機体」

「そうだとも、古今無双の英雄様だよ。……ということは、恐らくあの機体は噂の究極互換機。完成していたんだね。ということはいよいよ、オペレーション・ラストダンスも開幕という訳だ」

少なからずの事情を知るキリカは、困惑したままの仲間に一つ声をかけ。そのまま、未だ敵の殺到している左翼へと機体を走らせるのだった。

 

R-99――ラストダンサー。

全てはバイドを打ち滅ぼさんが為、人類が積み重ねてきた狂気の結晶。

すべてのR戦闘機のデータが集約されたそれは、状況に応じて、ありとあらゆる武装を選択することができる。それゆえに、それは究極互換機と呼ばれた。

そして既存の機体を完全に凌駕する機体性能と、R-9直系機が積み上げてきた安定性をも兼ね備え、ついに今、最後の舞い手が目を覚ましたのだった。

 

「……小型機300、中型機が20。後は、戦艦クラスの大型バイドが2ってところね」

ラストダンサーのコクピット内、そこに自らの魂を宿し、スゥは今まさに本物の英雄の名を借りて戦っている。

表向きは、本物のスゥ=スラスターが出撃したということにされているらしい。名実共に、今の彼女は英雄なのだ。

ラストダンサーがもたらした敵の情報を頭に叩き込み、スゥは僅かに考える。数は多い。けれどやることはたった一つでいい。

――殲滅だ。

明確な破壊の意思と、その為の力を携えてラストダンサーは今、迫る敵へと突入していくのだった。

 

限界まで力を蓄えられたギガ波動砲が、敵陣の中央を薙ぎ払う。更に同時に放たれたサイビット改が、横から回り込もうとする敵を打ち砕く。

波動砲の光が収まるよりも早く、打ち放たれたフォースが高速回転を始める。そして、同時に全方位に放たれ始める弾幕の嵐。最早職人技の域にまで達したフォースコントロール技術が生み出した、分離攻撃の能力に特化したフォース。全身に無数のコントロールロッドを持つニードルフォース改が、その性能を如何なく発揮していた。

敵の中型機は、無数に降り注ぐ弾幕に動きを遮られ、その足が止まる。それでも抜けてきた小型機は、半壊したものまでもを引き連れて次々に粒子弾を打ち込んでくる。だが、その狙いは甘く、弾幕と呼ぶにはあまりにも密度の薄いものだった。

こともなく、ラストダンサーはその隙間を抜けていく。そして再び、低チャージで放たれたギガ波動砲が敵陣を貫き、サイビット改が敵を打ち砕いていった。

最早戦いにすらもなりはしない。そう言わしめるほどに、ラストダンサーの性能は圧倒的だった。その機動性と操作性は完全にバイドの軍団を翻弄し、圧倒的な攻撃力で、瞬く間に敵を殲滅していった。

業を煮やして現れた、戦艦級の大型バイド。それでさえもギガ波動砲の一撃と、艦内部に叩き込まれたニードル・フォース改の弾幕によって瞬く間に火達磨となり、宇宙の海に潰えたのだった。

 

いかなバイドであれど、これほどまでに絶望的な力を見せ付けられて恐れをなしたのか、残ったバイドの群れが撤退を始めた。とはいえ、それをただ黙ってみている理由はない。

「教えてやる。今までお前達が与えてきた痛みを、絶望をっ!!」

ラストダンサーは再び駆ける、逃げる敵には波動の光を。立ち向かう敵には、超高速のサイビット・サイファを。

横合いから割り込んできたタブロックが、追尾性の高いミサイルを放ち進路を塞ぐ。

「邪魔よっ!!」

応じてミサイルを発射。六発のミサイルが同時に打ち込まれ、迫る敵のミサイルを迎撃。

更にそのままタブロックを打ち抜き、いくつも爆発を巻き起こす。その爆発の中で、ニードルフォース改から放たれた心電図状のレーザーがタブロックを貫き、その身体を微塵に引き裂いた。

 

そしてそれからほぼ間を置かずして、わずか十数分の交戦で数百を数えるバイドの、そのすべてが宇宙の藻屑と消えたのだった。

 

「……まだ敵が居る。叩き潰しにいかないと」

中央はまだ正規軍がしっかりと抑えてくれているようだが戦力の少ない左翼部分は未だ苦戦も続いているようだ。

「それに、あそこには貴女の知り合いも居るらしいから。……さっさと助けに行きましょう」

誰かに伝えるようにそう言うと、それに答えるかのようにラストダンサーは、小さな唸りを上げた。そして光の尾を引いて、未だ敵の殺到する左翼部分へとラストダンサーは駆け出すのだった。

 

 

「ついに来たか」

そんなラストダンサーの戦闘経過をモニターさせ、その恐ろしい程の戦果を目の当たりにして。九条提督は感慨深げに呟いた。

もうじき四ヶ月になろうか、随分と長い時間をバイドとの最前線で過ごし続けてきた。数多の敵を、数多の苦境を、数多の死を。そのすべてを乗り越えて今、尚も九条はこの場にありて、太陽系絶対防衛艦隊の指揮を執り続けていた。

「じゃあ、あの機体が……」

「そうだとも、中尉。あれが究極互換機、という奴だろう」

その存在は、すでに軍内部でもまことしやかに噂されていた。その実情はともかくとして、すべてのバイドを殲滅するための、究極のR戦闘機が開発されている、と。

そして今、瞬く間にバイドの大部隊を殲滅したこの機体。これこそが、噂の究極のR戦闘機なのだということを、九条の隣に立つガザロフ中尉も実感していた。

「これからはもっと忙しくなるぞ。アレが来たということは、第二次バイド討伐艦隊の本隊もそう遠からずここへとやってくることだろう。部隊の再編と指揮系統の再構築、その後は実戦で慣らしつつ、だな」

九条はこの先の戦いに思いを馳せる。第二次バイド討伐艦隊を率いて、バイドの中枢を討つ。その為の切り札である、究極互換機をその元へと届ける。とにかく方法などはどうでもいい、とにかくバイドの中枢を討つことができれば、それでいい。

だが、その前には課題が山積みであることもまた事実だった。

第二次バイド討伐艦隊の指揮権を譲渡されたとして、まずは部隊の戦力と人員を把握する必要がある。その上で、バイド中枢へ向かう侵攻方法を確認し、最適な部隊の振り分けを考えなければならない。

その間のグリトニルの防衛も必要となるだろうし、そんなところで無駄に戦力を失うわけにも行かない。

やはり、どうにも課題は多い。

「……まあ、案じてばかりでもどうにもなるまい。ひとまずは、目の前のバイドを倒すことに集中することにしよう」

一つ、小さく息を吐き出してから。九条は、左翼へと向かうラストダンサーを一瞥し、こちらは問題ないだろうと確信する。そして残るは中央、相変わらず暴威を振るう魔女兵器と、その間を縫って迫る敵を迎撃する地球軍の部隊へと、その視線と思考を移していった。

 

「……周辺に敵の気配はなし、どうやら凌いだようね」

完全に敵の反応が消滅したのを確認して、スゥは戦うことで一色になっていた思考を切り替えた。

「こちらも概ね片付いたようだ。協力感謝するよ」

そんなスゥの元へ、九条からの通信が届いた。

「見たところ、オペレーション・ラストダンスに関連する機体と推測するが……間違いないかな?」

「私はスゥ=スラスター。そしてこの機体はラストダンサー。察しの通り、オペレーション・ラストダンス遂行の為に、そして貴方達を援護するためにここに来た。一人で先行してきたけれど、第二次バイド討伐艦隊も一両日中には到着するはずよ」

スゥは、九条に手短に事情を説明した。その説明に、九条は一つなるほど、と頷いて。

「それは結構。我々もここで耐え凌いできた甲斐があったというものだ。来て貰ってすぐで悪いが、どうやら正面の部隊も少なからず押されてきているようだ。新兵器に頼りすぎて、手勢を少なくしたのが仇となったな。……手を借りてもいいかな?」

「……ええ、すぐに向かうわ」

「期待しているよ」

そして通信は打ち切られ、スゥは一人中央へと向かう。魔女の暴れる宙域をすり抜け、前線に襲い掛かるバイドの群れを背後から強襲した。

 

「乱戦状態ね。ギガ波動砲は危なっかしくて使えたものじゃない。……パターンチェンジ、広域殲滅形態から乱戦形態へ」

その言葉に応じて、ラストダンサーが光を放つ。機体の内部では急速にその武装が作り変えられていく。

今まで開発されたすべてのR戦闘機の武装を使用可能な究極互換機、ラストダンサー。積み上げられてきた人類の狂気と力、その結晶たるこの機体は、更に魔法の力すらもその身に取り込んでいた。

機体の根幹部に仕組まれた魔法の力は、機体の武装を自在に作り変えることに成功した。武装データの中にある、その状況に即した武装へと。

人の生み出した兵器と、異星人よりもたらされた魔法。その二つが今ついに完全に一つとなり、ラストダンサーを究極の機体として完成させたのである。

 

一瞬の発光の後、ラストダンサーは姿こそ変わらぬものの、その武装はまるで異なるものとなっていた。

乱戦においても敵を的確に撃つことのできるロックオン波動砲を携え、そのフォースもまた接近戦用に特化した、ビームサーベル・フォースへと変化を遂げていた。

そして、新たな力を携えラストダンサーが戦場へと飛び込んだ。その後に続いて、無数の爆発が巻き起こり、多くのバイドの存在が消滅していく。

この広大な戦場において、ラストダンサーはその力を十二分に発揮していた。初陣としては、この上ないほどの成果であった。

かくしてまた今日も、グリトニルと魔法少女隊は大きな危機を乗り越えた。翌日にはグリトニルに、第二次バイド討伐艦隊の本隊が到着した。

今やこの場所には、今現在人類が保有するほぼすべての戦力が存在している。まさしくそのすべてが、人類がバイドに放つ最後の矢であり、人類をバイドから守る最後の盾であった。

 

「……では、本時刻を持って、第二次バイド討伐艦隊の指揮権を、貴官に譲渡します。人類を、頼みます。……九条提督」

ここまで第二次バイド討伐艦隊を指揮してきた将校が、九条にその指揮権を預けた。やはり九条の読み通り、この大任は彼の手に任されることとなったようだ。

ずしりと、とても重たいものが圧し掛かってくる。それは、全人類の存亡に他ならない。

「……謹んで拝命しよう。今後の作戦経過は、先に渡されたデータの通りでいいのだね」

「はい、ですが遂行に際しては全権を提督に一任します。それが地球連合軍総司令部の決定です。太陽系の、人類の未来を貴官に託すとのことです」

みしり、とまたその身に心にかかる重さが増す。気を緩めれば、すぐにも押しつぶされてしまいそうだけれど、それに立ち向かう力は、心はすでに彼の身の内にある。

ジェイド・ロスの遺した遺志を、散っていった多くの者達の無念を、それを力に変えて。

「この身を、力を尽くし。必ず勝利すると誓おう。……そして、必ず戻ってくるさ」

 

そして、九条は英雄となった。

 

俄かにグリトニルは慌しくなった。ジェイド・ロスの遠征、以来一度も使われることのなかったグリトニルの長距離ワープ装置の再起動や、グリトニル駐留部隊と、第二次バイド討伐艦隊との混成による再編成。

この地獄を戦い抜き、生き延びたのならば間違いなくそれは一流のR戦闘機の乗り手であることの証明である。だからこそその力を持つ者に、共に往かんと望む者に、第二次バイド討伐艦隊への志願を募ったのだった。

 

「……やあ、織莉子。なんだかここも急に騒がしくなったね」

そして、そんな騒がしい日々のある夜。敵襲もなく、隊を預かる隊長としての簡単な事務仕事を済ませて部屋で休んでいた織莉子の元へ、キリカがいつもの調子で現れたのだった。

「あら、キリカ。来るなら知らせてくれればよかったのに。困ったわ。今日は何も用意していなかったもの」

突然の来客に、出迎える用意もできず。口元に手を当てて、少し困ったような表情の織莉子。

「そんな表情をしないでくれ、織莉子。それに私はそんなことは気にはしないよ。……今日は、織莉子に話があってきたんだ」

いつも通りに部屋の中、いつも通りに椅子に腰掛けキリカは、織莉子の顔を真正面から見つめて言った。けれどその表情はどこかいつもとは違う。落ち着いた感じのする様子だった。

「何かしら、キリカ。……そんなに思いつめた顔をしているなんて」

その表情に、織莉子の胸がちくりと痛んだ。キリカはその通りに、どこか思いつめたような表情で一つ、小さく息を吐き出した。

そして、織莉子を見つめる視線は逸らさぬまま、静かに問いかけた。

 

「織莉子は、どうするのかな、と思ってさ。……行くのかい。第二次バイド討伐艦隊へ。」

「………そう、そのことだったのね、キリカ」

魔法少女隊の中でも、正規の地球軍の中でも、その話題で持ちきりだった。第二次バイド討伐艦隊へ参加するにしても、ここに留まるにしても、どちらにせよ危険であることに変わりはない。

守るためにここに踏みとどまるか。それとも、敵を殲滅せんがため、帰り道すら定かではない旅へと出るか。織莉子もまた、そのことを考えていたのだった。

 

辛い決断を強いられていた。けれど、そうすることがお互いの為だと思った。そして、それは偽らざる自分の気持ちだった。故に織莉子は静かに口を開いた。

「私は、行くつもりよ。……私も、思い出してしまったの。私の戦う理由。私が、魔法少女になった理由を、ね」

ぽつり、ぽつりと零すように呟いて、そして。

「でも、キリカ。貴女はここに残っていて」

「っ!?何を言い出すんだ、織莉子は!私がきみから離れられるわけがないだろうっ!」

当然のように食って掛かるキリカ。その反応も、織莉子にとっては予想通りのものだった。

「お願い、言うことを聞いて。キリカ。きっとこの戦いはかつてないほど辛いものになるわ。私は、キリカに生きていて欲しい」

「なら尚更残れるわけがないじゃないかっ!織莉子にだって、私の力が必要なはずだっ!絶対に嫌だ、織莉子と離れるなんて、私は、絶対にそんなことは認めないっ!私だって、織莉子に生きていて欲しいっ!どうせ死ぬなら、同じ場所で死ねなきゃぁ、ダメだっ!!」

駄々をこねるように、いやだいやだと首を振るキリカ。そう、分かっているのだ。織莉子には。きっとキリカならばそういうだろうということが。魔法の力をもってするまでもなく、彼女の洞察力は非常に優れたものだった。

もっとも、キリカが分かりやすいからというのも多分にあったのだろうが。

 

「聞いて、キリカ。……これは私の我侭なの。私は守りたかったの。私の世界を、私の正義を、その為に幼い頃から父の教えを受けて来たわ。そして、戦う力を得るために私は魔法少女になった。……その結果どうなったかは、キリカもよく知っているわね」

キリカは頷いた。

もちろん知らないはずがない。その裏に潜む真相を知る由もないが、それでも織莉子の父の死を発端として起こったその事件は、魔法少女とR戦闘機に関わる深い闇へと、織莉子とキリカを誘うこととなったその事件は、今でも忘れることのできない記憶だった。

それは、織莉子にとっても当然同じはずだったのだが。

「あの時、私の正義は完全に折れて潰えてしまったわ。後はただ、生きているだけだった。だけどここで戦っている内に、彼女達を率いて共に戦っている内に、あの時の思いが蘇ってきたの。……もう一度、私の正義の為に戦ってみたい、って。その場所が、きっとあの討伐艦隊の行く先にあるはずだから」

「……でも、だけど。それなら私が一緒に行ったっていいはずじゃないか!何の問題があるっていうんだ。織莉子は、織莉子は私が助けるんだっ!きみは私の全てだっ!……きみと離れ離れになりたくない」

声は高鳴る。いやいやと何度も頭を振りながら、キリカは必死に訴えた。そして身を乗り出して、織莉子の身体を抱きしめた。

「違うわ、キリカ。貴女はもう、私に依存しなくても生きていける。貴女はこの地獄のような場所で、それでも共に戦う仲間を見つけることができたじゃない」

織莉子は変わらず、優しげな表情で笑う。そして、抱きしめたキリカの髪を優しく撫でながら。

「大丈夫。貴女はもう、一人じゃない。私に頼らなくても、きっと生きていけるわ。私もきっと、貴女に頼ることなく生きていける。戦っていける。……別れは辛いわ。でも、私達はもう二人きりじゃないもの。お願いよキリカ。私を行かせて。そして貴女は、貴女の仲間を守って」

 

「それは……。でも、それでも私は、織莉子に側に居て欲しい。織莉子の側に、居たいんだ」

織莉子の言葉は、キリカの心に染みていく。その言葉は間違いなく、キリカの本心を言い当てていた。けれど、だけど、それでもどうしても納得できない。

愛は無限で、それを行使する自分は有限。そしてキリカを突き動かすのはいつも愛。それが全てで、今まではただそれを捧ぐ相手が唯一、織莉子だけだったから迷わなかった。

けれど今、キリカには織莉子以外にもその愛を捧ぐべき相手が居た。戦場で、死と隣り合わせの状況が作り上げた信頼と、絆。それもまたキリカが愛を捧ぐに足る、そして彼女の生きる意味となりうるものだったのだ。

言葉の端には、隠しきれない迷いが見て取れる。迷うということは、選択肢があるということだ。以前のキリカであれば決して迷わなかった。それは織莉子以外に選ぶものがなかったからだ。

それがよく分かっていたから、迷いを見せたキリカの様子が織莉子には嬉しかった。きっと、もう自分がいなくとも大丈夫だろうと、そう思うには十分すぎるほどだった。

例え今、自分がキリカの側からいなくなったとしても、きっとキリカは絶望に沈む事はないだろうと、確信した。

 

「必ず帰ってくるとは言わない。でも、できる限り帰ってこられるように力を尽くすわ。……お願いよ、キリカ。貴女はここで、私達の帰る場所を守っていて」

「………いや、だ」

「キリカ……」

どんなに説得しても、願っても、キリカは首を縦に振ろうとはしない。どれほど選択肢が用意されていたとしても、やはり選ぶのはキリカなのだ。そしてキリカはどうしても、織莉子と離れることができなかった。

その理由を、キリカ自身が気づけずにいた。

 

「いや、そりゃ行かないでしょうよー」

声は、扉の外から聞こえてきた。

「っ!?誰かいるの!?」

それに気づいて、織莉子が声を飛ばす。

「やばっ!?気づかれたっ!」

「だから、アンタは喋る声がでかいんスよっ。あれで気づかれないわけないっスよ!」

「とにかく逃げましょうっ!……ぁ」

そんな算段をしている間に、織莉子は手元の装置を動かしていた。すぐさま扉が開かれると、そこに立っていたのは少女達。キリカには見覚えのあるその姿は、まさしく彼女の部下であり仲間である少女達だった。

 

「……何を、しているんだい。君達は」

そんな少女達を、キリカは呆れたような顔で睨み付けていた。

「あはは……いや、その。そ、そんな怖い顔しないでくださいよ、隊長」

その剣幕に、思わずたじろぐ少女達。

「ほら、なんだか昨日から隊長、元気なかったじゃないスか。だから何かあったのかなーって」

「そ、そうですよっ!決して隊長の彼女が気になったとかそういうわけじゃなくってですね……」

慌てふためき、語るに落ちると言う様な状況で。そんな様子を見ていた織莉子も、思わず目を丸くしていた。そして、それからすぐにその表情は柔らかに笑みに変わった。

「ととっ、とにかくそういうわけなので、失礼しましたぁーっ!」

「ずらかれーぃっ!」

「後はごゆっくりどうぞッスーっ!」

まさしく脱兎、とでも言うかのような勢いで駆けていく少女達。が、しかし。その機先を制して一つ、言葉が飛び出した。

 

「待ちなさい」

声を放ったのは、織莉子だった。

「見たところ……キリカの部下。いいえ、仲間のようだけど、違ったかしら。……もしそうなら、キリカの仲間は私の仲間よ。お茶でも飲んでいかないかしら」

ぴた、と音でも立てるかのように、三人の少女の動きが止まった。きり、と踵を返すとそのまま部屋の中へと入ってきた。

何せ娯楽の少ないこの場所である。こういう浮ついた話だとか、美味しいお茶はまさしく少女達にとって、数少ない楽しみの一つであった。

それが同時に頂けるとなれば、当然断る理由はない。こんな場所だからこそ、そこに適応して生きることのできた少女達はとても力強く、そしてしたたかだった。

「そゆわけなんで、お邪魔しますね、隊長っ♪」

少女の一人がにぃ、っと口元を歪めてキリカにそう言った。

「むぅ……ぅ、勝手にしたまえ」

ちょっと拗ねたような口調で、キリカはそう答えた。

 

「皆さん、紅茶にお砂糖は入れますか?」

部屋の中にはなんともいえないいい香りが漂っている。血と死の匂いがこびりついた少女達も、今ばかりは年相応にそんなお茶会を楽しんでいた。

「じゃあ、一つだけ」

「あたしはいらないです。ぁ……でも、ジャムを一杯だけ入れてもらおうかな」

「お砂糖二つにジャム一杯。へへ、私は甘党なんでスよね~」

思い思いに希望を告げて、その通りにてきぱきと用意を進めていく織莉子。その後ろ姿を見ながら、なにやら少女達は囁きあっていた。

「他所の隊長なんて見ることなかったけど……凄いキレイな人ですね」

「ほんとほんと、その上隊長ってんだから、めちゃくちゃ強いんでしょ?はぁ……天は二物を与えちゃってるよね、思いっきり」

「そして、うちの隊長とちょっとイイ仲、って訳でスもんねぇ。こりゃまた、なんとも面白くなってきたッスねぇ。こういう話は大好物ッスよ~♪」

 

「……丸聞こえなんだよ、君達」

どうにもいたたまれない様子で、ひそひそと聞こえてくる声に耳を傾けて。というよりは、否が応にも耳に飛び込んでくるその声に思い切り顔をしかめながら、キリカは少女達に釘を刺そうとしたのだけど、けれど。

「キリカは、お砂糖は何個にする?」

振り向いた織莉子がそう尋ねたものだから、続く言葉は言えないままで。

 

「っ、さん……」

言葉を途中で止めて。一度、じろりと少女達の方を眺めてから。そして、キリカは唇をまるでへの字のように捻じ曲げて。

「……いらない。そんなものを入れなきゃいけないほど、私はもう子供じゃないんだ」

「え、キリカ……?」

戸惑うように目を瞬かせる織莉子。キリカはとても甘党で、いつもであれば紅茶をまるでシロップか何かになるまで甘くしてから飲んでいた。だからこそ、今日のキリカの様子はどうにもおかしい。

数秒考えてから、先ほどのキリカの視線の意味を察して、織莉子は突然くすりと小さく笑みを漏らしたのだった。

「なっ、何がおかしいんだい、織莉子っ!私だって、いつまでも子供じゃないんだ!」

どうにもやり取りの意図が掴めず、少女達は不思議そうにそんなやり取りを見守っている。

「いえ、だって……ふふ。本当にキリカは貴女達の前では隊長をしているのね。いつもはとっても甘えんぼで甘党なキリカが、大人ぶって見せるくらいに……ね?」

面白がっているような視線を送る織莉子。当然その視線の先には、うろたえてどこか引きつったような顔のキリカの姿。言葉につられて、少女達の視線もキリカに注がれる。

にんまり。そんな言葉がしっくり来るかのように、少女達の表情が歪んだ。

 

「な、ななっ……何がおかしいんだぁーっ!!」

顔を真っ赤にさせて、手をぶんぶんと振り回して。必死にそれを否定しようとするキリカ。

その姿は、なんと言うか。

 

(……可愛いなぁ、隊長)

(慌てるところも可愛いのだから、キリカ)

 

そんなわけで、どうにも生暖かな視線がキリカに注がれ続けていた。それがどうにも落ち着かなくて、むずがゆくて。すっかりキリカは大人しくなってしまった。

 

そんな微笑ましい時も過ぎ、お茶会もいよいよ終わるかという頃に。

「……で、えっと。ここまでご馳走になっといて何なんですけど、織莉子さん、だよね。あたしら、織莉子さんに言わなきゃいけないことがあるんだ」

かちりと、飲み干した紅茶のカップを下ろして少女が言う。同じく、二人の少女も頷いて。

「聞かせてもらうわ。……何かしら」

お茶会のほのぼのとした雰囲気が一瞬で消え去ったことを悟り、織莉子もまた、凛然とした光をその眼差しに宿らせて少女達の視線を受け止める。

「色々と、言いたいことはあるんです。でもあんまり沢山すぎると、ちゃんと伝わらない気がして」

「そういうわけだから、簡潔に一言だけ言わせてもらうッスよ」

三人が、すぅ、と大きく息を吸い込んで、そして。

 

「「「ふざけんなっ!!!」」」

 

同時に放った大声が、部屋を揺らした。その声を叩き付けられた織莉子は、驚いたように目を見開いた。

少女達三人は、ひとまず顔を見合わせて。

「じゃあ、まずはあたしから。織莉子さん。あんたとかうちの隊長とかはさ、きっとあたしらよりずっと長いこと戦ってたんだろうね。そこにゃ色々と事情はあるだろうし、そこまで詮索するつもりはないけどさ」

まずは一人が、驚いたままの織莉子に向けて話し始めた。

「でも、あたしらだって今までずっと戦い抜いてきた。もう、無理やりつれてこられて戦ってるだけの子供じゃないんだ。多分今帰っていいって言われたって、あたしらは戦うと思う。戦う理由も、その意味もよく分かったからさ」

うんうん、と頷く残りの二人。一体何が言いたいのだろう、と不思議顔のキリカ。

それはさておき言葉は続いた。

「だから、あたしらはもう隊長が居なくちゃ何もできない訳じゃないんだ。まあ……そりゃあ、やっぱり隊長の強さは化け物染みてるけどさ、でもそれがなくたって戦える。 あんたが言ったみたいに、この人に守って貰わなくちゃ行けない、なんて風に言われるのは心外だね」

その言葉からは、自惚れているような様子は見て取れなかった。彼女達もまた命がけで恐ろしいバイドと対峙し、その生と死の行き交う宇宙の中で生きるための術を、戦うための力を勝ち得てきたのだ。

その力は、決して軽んじられていいものではない。

 

「……でも、分かっているのでしょう?貴女達だけでは、今までのようにバイドの軍勢を退けるのはとても厳しいということは」

そんな少女達に、織莉子は面持ちを正し、静かにそう告げた。分からないわけではもちろんない。つい先日の襲撃の時でさえ、英雄の助けがなければどうなっていたか。

だからこそ隊長として彼女達をまとめ、その力でひっぱっていくことのできるキリカの存在は、必要でないはずがない。

 

織莉子の言葉を受けて、もう一人の少女が顔を上げた。まっすぐに、織莉子に視線を向けたまま言葉を告げる。

「確かにそうですね。でも、それは結局隊長が居たって変わらないことなんです。言ってしまえば、この人がここにいようがいまいが、ここに残ろうが討伐艦隊へ行こうが結局、私達は明日の命も知れぬ立場であることには、何の変わりもないんです」

そして、たとえ自分達が敗れたとしてもそれで終わりではない事も知っている。思いがけずグリトニルの防衛部隊が敵の侵攻を食い止め続けたおかげで、地球軍も余裕を持ってこの事態に対応することができていた

討伐艦隊に混じって、防衛部隊への援軍もまたこのグリトニルへと送り込まれていたのだ。少なくともそれで、彼女達が敗れれば即、人類の危機となることはなくなった。

「もちろん、だからって死にたいわけでもわざわざ死にに行くわけでもありません。でも、明日をも知れぬ命なら、尚のことその身の振り方はちゃんと選ぶべきだと思うんです。選択肢があるなら尚更です。その選択肢を、私達をだしにして奪うような真似は……許せません、絶対に」

どちらかといえば、この三人の中では気弱そうな方だと、織莉子はその少女を見抜いていた。けれどその時向けられた言葉と眼差しは思いがけないほどに力強く、そしてまっすぐに織莉子に向けられていた。

それこそ、ほんのわずかに言葉に詰まってしまうほどに。

 

「帰る場所がちゃんとあるかどうか、それが定かじゃないのは……ここにいたって一緒なんです。……もしもバイドを倒すことができたって、帰れる保障なんてないじゃないですか」

「……どうして、そう思うのかしら」

流れていたのは、どこか冷ややかな空気。織莉子の口調もまた冷たさを帯びていた。

「少し考えれば、分かることだと思いますよ。だって、私達は無理やりここに拉致されてきたわけですし。そんな人達を、バイドとの戦いが終わったからって素直に帰してくれるでしょうか。無事に帰ってみんながそれを誰かに話したりしたら……まずいことになる人が、いますよね」

少女の言葉に、織莉子は僅かに目を見開いた

 

確かにこの地獄たるグリトニルにおいて、終戦後の待遇が保障されているのは隊長格の9名のみ。願いを叶える権利と、身分の保証。そんなものと引き換えに、何百人という少女達を地獄に叩き落していた。

人類が生き残るためとはいえ、それはあまりに重い業。以前ならば、キリカと生きるためという名目でそんな業の重さも誤魔化してしまえたのだろうが、自分の中に残った正義の燃え殻に気がついた今の織莉子には、そうすることはできなかった。

だからこそ、その業は重く圧し掛かる。逃れられはしない。贖えるとしたら、それこそ世界を救って見せるしかない。英雄ならぬこの身でも、その為にこの命を、捧げるしかない、と。

そんな葛藤をおくびにも出さず、織莉子は静かな表情で言葉を受け止めた。キリカもそれを察していたのだろうか、どこか沈みがちな視線で少女達を見ていた。

キリカは仲間である少女達の先行きが不安で、そして気になってしまっていた。だからこそ、キリカはここに残るべきだと織莉子は考えていた。バイドに共に立ち向かうというだけではなく、キリカの存在は少女達の身柄を保証することにもなるだろう――と。

 

「だから、私達のことを案じてくれるのは嬉しいです。だけど……。その為に、隊長をここに縛り付ける必要は……無いと思うんです。私達は私達で、何とか生き延びる方法を考えてみますから」

「そう簡単に逃げられるほど、甘くは無いと思うわ」

「ま、何とかなるッスよ。最悪機体を奪って逃げるとか、さ。……ぁ、これ内緒なんで、チクったりとかは勘弁スよ」

織莉子の言葉を遮って、最後の少女が口を挟んできた。

始終おどけたような口調の彼女は、これほどの戦場においてもその調子は変わらない。そんな少女に、織莉子はどこかキリカに近しいものを感じていた。恐らくその源は、性格だとか強さだとか、そういうものによるところではない。

――壊れているのだろう、きっとどこかが。

 

「好きにさせてやりゃあいいじゃないスか。全人類が生きるか死ぬかって時くらい好きな人の側で最後まで戦えたほうが、どーなったって本望だと思うッスよ、きっと」

「……好き、だとかそういう言葉で愛を表すのは嫌いだ。私にとっては、愛はすべてなのだから言葉で表しきれるようなものじゃないんだ」

ぶす、と小さく頬を膨らませて、キリカが横から口を挟んだ。そんなキリカに、少女はびしっと視線を向けて。

「隊長も隊長ッスよ。そうやって気取った言葉で飾ってないで、ちゃんと想いは伝えたらいいじゃないスか。好きなんでしょ。大事なんでしょ。それこそ、自分の命よりも大事にしちゃうほど」

「だから、私の愛は……」

詰め寄られると、キリカも言葉に詰まってしまう。迷いは生まれ始めているのだ、彼女自身の心の中で。愛を注ぐべき、大事な相手が一人だけならば迷うことは無かったのだろう。

けれど今、キリカにとって大事な相手はただ一人ではない。仲間も織莉子も大切だった。だからこそ迷ってしまう。

愛がすべてと言うのなら、それを捧ぐべき相手が複数であるのなら捧げられるその愛は、すべてをいくつかに分割してしまったものなのだろうか。それは本当に、綺麗に分割されるのだろうか。

 

「いい加減、観念しなさいよ。どう見たって今の隊長は恋する乙女なんだから。好きで好きでたまらなくて、だから一緒に居たくて仕方が無い、一人で行かせたくない。……そんなとこでしょ、一緒に行きたいって理由は」

見るに見かねて、横から更に言葉が飛んできた。

「うぐ……ぅ」

たじたじにじりじりと、壁際に追い詰められて。そのまま少女達と織莉子を交互に見やる。それは確かに偽らざる本心。でも愛すべきものに愛を捧ぐなら、それをたった一人に捧げうるのか。

彼女達を守りたいという気持ちも、やはりキリカの中では渦巻いていた。二つの思いがぶつかり合って、答えはなかなか出てはくれない。困った、本当に困った。

「隊長が、私達のことを気にかけていてくれているのはよく分かります。……でも、やっぱり好きな人を優先するべきだと思いますよ。ほら、私たちは大丈夫ですから」

ずい、と追い詰められたキリカに更に詰め寄る少女。どちらかといえば好色そうな色をその目に宿して、じっとうろたえるキリカを覗き込み、そして。

「だから、観念して認めちゃってください。好きなんでしょう、一緒に行きたいんでしょう?私達よりも、織莉子さんと一緒に居たい、そうでしょう?」

一際大きく、キリカの瞳が見開かれた。うぅ、と小さな呻きが漏れる。潤んだ瞳からは、ともすれば涙まで零れてしまいそうで。さすがにそれはまずいとばかりに、ごしごしと目元を拭って、それから。

 

「……ああ、そうだね。どうして、こんな簡単なことに気づけなかったのかなぁ」

と、静かに呟いた。

ここまでお膳立てして貰って、気づけなければどうかしている。結局、愛はすべてというけれど、その中でもやはり順位のようなものはある。大事にしたいと思うものが一つだから、今までそれに気づけなかっただけで。

大事なものが沢山ある中、その中でも本当に大事なものを選ばなければならないということ、その為に、それ以外のものを捨てる決断をしなければならないということ。

それに、ようやくこの段に至って気付くことができたのだ。それに伴う痛みを、知ることができたのだ。

「うん、そうだ。やっぱり私の気持ちはそうなんだ」

そうと分かれば、もう何かを偽る必要も隠す必要も無い。自分の望むことを、望む相手に伝えるだけだ。

 

「織莉子」

呼びかけ、見つめる。織莉子も応じて視線を返す。それだけで、とくんと胸が高鳴る。

そうだ、それがきっと恋をしてるっていうことなんだ。

「私は、織莉子と一緒に行く。誰がなんと言おうときみの側に居る、離れたくない。……織莉子、きみが――好きだ」

言った。言ってしまった。言葉を終えると、急に顔が熱くなってきた。きっと真っ赤になっていることだろう、だけど隠す必要なんて無いはずだ。

まっすぐ視線と言葉と思い、すべてまとめて叩き付けられて、織莉子は。

「……本当に、困った子ね。キリカ」

困ったような顔をして、けれどその表情には、どこか嬉しそうな笑みが隠しきれなくて。

「私からもお願いするわ。お願いキリカ、私についてきて。一緒にバイドを倒して、帰ってきましょう。――好きよ、キリカ」

観念したように、ちょっとだけ困ったように笑いながら、織莉子は思いを告げた。思いっきりニヤニヤとしながら眺めていた少女達の間から、歓声があがった。

 

「……と、それじゃ後は恋人同士でごゆっくり。邪魔者は早々に退散しましょうかねー」

「ふふ、そうですね。隊長、今までありがとうございました」

「ごちそうさまでした、ッス」

とてもとても楽しそうに、口元には笑みを絶やさずに。けれど静かに速やかに、少女達は立ち去って行った。

 

 

「……ふぅ、一仕事終えたって感じだね。でも、これでオルトリンデ小隊もお開きかぁ。なんか、やっぱりちょっと残念って感じだな」

遠ざかっていく背中。少女達は思いを語り。最早中隊ではなく、小隊という規模しか保つことができなかった、織莉子率いるオルトリンデ小隊。

隊長を失えば、最早隊としての形は保てまい。

「恐らく、別の隊に編入されることになるでしょうね。しばらくは、肩身の狭い日々が続きそうです」

それまで仲間としてしっかりやっていたところに、今更飛び込んでいくのである。状況はあまりいいとは言えない。それを覆すことができるとすればやはり、実力を見せ付けるしかない。

「……まあいいじゃないスか。これであの二人はうまくいってくれそうだし。っていうか、ロセヴァイセ中隊まで離散したら、それどころじゃなくなりそうッスよ?」

「ああ、そういやそれもそっか。二人まとめて行っちまうんだもんな。となるの、残ってるのは二人だっけ」

実際は、討伐艦隊や増援との編成のゴタゴタで、恐らくそれどころではないだろう。そこまで心配をしているわけではなかった。

「ええ、残りの二人が残るかどうかは微妙なとこですけれど、そればかりは知る由もありませんからね」

「結局、あたしらのやることは変わらないんスよ。気にしたってしょうがないスね」

「それもそうか。……さて、それじゃどうしようか。何か食べてく」

その提案に、賛成、と声が二つ続いて。そのまま少女達は並び立って、食堂へと向かっていった。

 

その中で一人が、途中で足を止めて。

「ま、これでよかったッスよね。……大事なものを持ってるのに、それをちゃんと抱えてられない奴なんて、そんなの見てられなかったッスからね。大事なものが無い人間には、目に毒だったんだよねぇ」

言葉の端に、どこか冷ややかな響きを乗せて。その眼差しには、どこまでも冷たい色を移して。不思議そうに少女達が振り返ったときには、そこにはいつも通りのおどけた色が映っていた。

彼女がいかにしてこの地獄へと誘われ、いかにして戦い、生き延び。そして何が彼女の心を凍て付かせていたのか、それはきっと、語られるまでも無い些事に過ぎないことなのだろう――。



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第17話 ―オペレーション・ラストダンス(前編)―②

オペレーション・ラストダンスが発令された。
全人類の希望と、ありとあらゆる力を乗せて、彼ら、そして彼女らは遥か深淵の宇宙へと旅立っていく。
待ち受けていたのは絶対の虚空。

その虚空に英雄達は、そして妖花は艶やかに舞う。


「さすがに、整備まで全自動とは行かなかったのかしらね、この機体も」

ラストダンサーのコクピット内で、うんざりしたようにスゥは呟いていた。

この機体はまさしく機密の塊のようなもので、整備にすらも特殊な設備を必要とした。その為の設備の移動が遅れているらしく、ラストダンサーは討伐艦隊旗艦の格納庫にぽつんと安置されていた。

 

「……退屈ね」

憂鬱そうなため息が一つ漏れた。

スゥの身体は今地球にある。バイドを倒して生還しなければ、彼女に帰るべき身体はないのだ。つまるところは、機体から出ることができないということでもあり。

人々があわただしく動き回る格納庫の中で、好奇だとか奇異だとか、あるいは畏怖にも似た視線を一身に浴びながら、スゥはただただ佇んでいることしかできなかった。

何せこの身体は、機体に直結された精神は、睡眠すらも必要としないのだから。

 

「なら、話し相手にくらいはなってあげましょうか?」

と、そんな退屈に苛まれる中、一つの声が飛び込んだ。

 

「……一般の機体から、この機体に回線をつなぐことはできないはずだったけれど」

「つまりはそういうことよ、私の機体も普通じゃないってこと。秘匿回線搭載機、大体意味は分かるでしょう?」

普通の機体ではないのはお互い様ということらしい。そして、この回線を使えるということはすなわち、奴らに関わりの深い機体である、ということで。

「そういうことね。それで、何の用かしら」

「退屈なんでしょう。だったら、話し相手にくらいはなれると思うのだけど、どうかしら」

柔らかな調子の声が、スゥの機体に伝えられてきた。その声の主は、今尚生き延びていた数少ない隊長機。スゥと同じく、今は戻るべき身体を失った、ゲルヒルデの声だった。

 

「その必要はないわ。別に、貴女と馴れ合う必要があるとは思わない」

けれど、そんな優しげな声に対して投げかけられたのは、冷たい拒絶の声だけで。その言葉に少なからず気分を害したのだろう。ゲルヒルデの声もどこか冷たいものとなる。

「……そう、それなら先に本題を済ませることにするわ」

ため息を一つ。それから、更にその口調を冷たくさせてゲルヒルデは告げた。

 

「貴女は誰?スゥ=スラスターは、戦うことができる状態じゃないはずよ」

一瞬、息を呑む声が聞こえた。

「……随分と事情通なのね、貴女は。確かに私はスゥ=スラスターではないわ。でも、何も問題は無いでしょう?バイドを倒すことが出来るならそれでいいはずよ」

それでも、声が乱れたのはほんのわずか。すぐさま、冷たい調子の言葉が投げつけられてきた。確かに、士気を高めるために英雄の名を借りた何者かに、バイド討伐の任を託す。

それ自体は予想できないことではないし、ありえないことでもないだろう。

「それ自体は何の問題も無いわ。でも、なぜ貴女が、という疑問は残るわ。そう思わせるほど、貴女の声はよく似ているのよ……暁美ほむらに」

今度こそ、はっきりと見て取れるほどにスゥの言葉は乱れていた。なぜ、と。そんな言葉が頭の中に渦巻いてもいた。

 

「……随分と有名だったのね、暁美ほむらは。ここでその名前を聞くのは二度目よ」

それとも、事情を知る側の人間からすれば、彼女は有名だったのだろうか、と。もう一人の自分の、今はもういない彼女の事を、うっすらとスゥは考えていた。

「……そう、それじゃあ貴女は暁美ほむらではないのね」

その言葉は、どこか残念がっているような口調だった。もし自分が暁美ほむらだったのならどうだというのだろう。そう考えると、あまり面白くは無かった。

結局、自分を自分として見てくれる相手など、この世界にはいないのではないか、とスゥは思う。

 

ただ一人、鹿目まどかを除いては。

 

「ええ、私と彼女は違うわ。非常によく似ているでしょうけど」

少なからぬ感傷を篭めて、スゥはそう答えると。

「……もういいでしょう。話はこれで終わりよ」

そう言って、一方的に通信を打ち切ろうとした。けれどその手は止まった。続けて放たれたゲルヒルデの呟きが、彼女のその手を止めたのだった。

 

「じゃあ、まさか……他に複製体がいたというの?」

「――どこまで、知っているというの。貴女は」

ついにスゥの声が震えた。まるで信じられないものを目の当たりにするかのように。驚愕と、不信と。そして隠し切れない恐怖。言葉からはそんな感情がにじみ出ていた。

「思いがけず随分と沢山の事を知る羽目になったわ、私は。でも、その全てを話す必要はないでしょう?貴女が話すつもりが無いのなら、私もそうさせて貰うもの」

もうこれ以上知るべきことは無い、とばかりにゲルヒルデは言い放つ。

「待って!一体貴女は……っ」

そこまで知っている相手を、捨て置けるはずも無い、と。スゥは態度を豹変させて、必死に食い下がろうとした、けれど。

「後はお互い、生き残れるといいわね。……それじゃあ、失礼するわ」

通信は、ひどくあっさりと打ち切られた。後にはただ、呆然と佇むスゥの言葉だけが、誰の耳も届かぬ虚空に吸い込まれて行くだけだった。

 

「……なんだって言うのよ、貴女は、一体……なんなのよっ!」

苛立ち紛れに何かを殴りたかった。けれどそうするための身体を、彼女は地球に置き去りにしてしまっていたのだ。

 

そしてそれが、彼女達が会話を交わした最初で最後の時となるのだった。

 

 

時は流れる。決して長くは無い時が。誰にとっても、最後の安らぎたる時が。

そしてそれが変わらず過ぎ去って行った後、オペレーション・ラストダンスは、ついに発令されることとなる。

 

「諸君等に告ぐ。我々は、これよりバイド中枢への総攻撃を開始する」

全帯域に、非常に強力な通信波をもって、地球からの通信がグリトニルへ、そして討伐艦隊の元へと送信されていた。声の主は、地球連合軍総司令部の司令官。彼は自ら直々に、死地へと赴く戦士達に、人類の最後の希望達に、言葉をかけようとしていたのだった。

 

「我々は、過去3度に渡る対バイドミッションを発令し、バイドの中枢を討ち果たしてきた。だが、奴らはその度により勢力を増し、復活を遂げてきた」

そう、それはバイドとの戦いの歴史そのもので。どれだけ倒せど倒せど、いつしかバイドは復活を遂げていた。その度に、更なる強さと禍々しさをその身に帯びて。

「だが、今回の対バイドミッション。『オペレーション・ラストダンス』は、今までとは違う。今度こそ、確実にバイドを撃滅し、根絶せしむる術を我々は手に入れたのだ!」

恐らく誰しもが、バイドとの戦いの歴史を知る誰しもが抱いていた不安。

それは、たとえ今回の作戦が成功したとしても、いずれまたバイドは復活するのではないかという不安。完全なるバイドの根絶。それを成しうる術などあるのかと、心の奥底で感じ続けていた不安だった。

 

「バイドの全ての行動は、その根底に根ざした攻撃本能によって為されている。奴らは全て他者を攻撃するために増殖し、進化し、侵食する」

それは数多のバイドを研究し、その異端の研究を突き進めた先に見つけた事実だった。

攻撃本能に支配され、ありとあらゆるものを取り込み、破壊しながら増殖し続ける。異形の生命体、バイド。その性質が明らかになったことで、人類はバイドに抗する新たな術を手にしていた。

「そのバイドの攻撃本能を司る存在。それこそが、オペレーション・ラストダンスの攻撃目標。奴が潜むは異層次元の遥か彼方、26次元!我々は跳躍空間を越え、ありとあらゆる術をもってこれを討つ!」

今までただ名前だけを聞かされて、その真実を知ることの無かったオペレーション・ラストダンス。ついにその真相が明らかにされた。そして自分達の倒すべき敵もまた、ついに明らかにされたのだった。

 

「人類の存亡はこの一戦にある。諸君らの力を、命を、その全てをこの作戦のために賭して欲しい。そして諸君らが敵を討ち果たし、無事に太陽系に帰還してくれることを祈っている」

作戦が成功したとして、それでも彼らのほとんどは無事に戻ることはできないだろう。元より帰り道など想定されていない、遥かな地獄の深淵への片道切符である。

それでも言わずにはいられなかった。バイドとの戦いのために、あまりにも多くの人命が、まるで物であるかのように費やされてきた。

だからこそせめて、一人でも多くの者にその犠牲の上にできた、バイドなき世界を見せてやりたいと思っていた。そして、それは非常に難しいであろう事も分かっていた。

それでも、せめて……と、祈る。

「今更神や仏に祈るつもりはない。我々が今まで培ってきた力が、君達の手に委ねられた力が、その意思が。必ずやバイドを討ち果たしてくれることを信じている」

最早、言うべきことは何も無い。後は……ただ。

 

「現時刻をもって、対バイド最終作戦、オペレーション・ラストダンスの発令を宣言するっ!!」

力強い声が、全ての兵に振りかざされた。それに続くは幾千幾万、それを遥かに超える怒号。

そして最後の希望を胸に、ついに彼らは旅立つのだった。遥か彼方、異層次元の深淵へと。

 

 

 

「グリトニル、長距離ワープ装置起動」

優に方面軍三つ分ほどの戦力に膨れ上がった、第二次バイド討伐艦隊。その前方に、グリトニルの長距離ワープ装置によって、跳躍空間への入り口が開かれた。

ここをくぐれば、もはやこの先は人智の及ばぬ未知の空間。恐らくバイドもまた、大軍を率いて待ち構えていることだろう。その大軍を打ち破り、バイド中枢へとたどり着かねばならない。

勝算は、限りなく低い。

「だが、勝たなければならない。そうでなければ、人類に未来はない」

この作戦の遂行の為にたった一艦のみ建造された、第二次バイド討伐艦隊旗艦。最先端の科学と、いまだ開発途上である魔法の力。その二つを併せ持つ、アスガルド級という型式を与えられた戦艦の中で、彼はそう呟いた。

アスガルド級は、今までの地球郡の艦とは大きく異なるものであった。なだらかな曲線をメインに構成された艦体に、艦首砲らしきものは見当たらない。その代わりに、艦体両翼に接続されるように巨大な砲台が各一門ずつ設置されていた。

グラズヘイム砲、そしてヴィンゴルブ砲と呼ばれたその砲門は、その片翼さえもがニヴルヘイム級の艦首砲である、ギンヌンガガプ砲と同程度の威力を誇っていた。

それ以外の武装も艦内部に収容された状態であり、無数の追尾ビームに誘導ミサイルを備え、更に魔法の力を応用した、秘密兵器と呼ばれるものまで搭載されている。

旗艦である。基本的には後方に構え、戦局を見据え指揮を飛ばす。そういう艦である。これだけの大部隊であれば、直接戦うことなどありえないというのに。だというのに、この艦はこれほどまでの恐ろしい戦闘能力を誇っていた。

間違いなく、旗艦でさえも手ずから敵を討たねばならない。それほどまでに、激しい戦いが起こることを想定して建造された艦なのだ。

 

 

先行していた偵察機から、跳躍空間内部の様子が伝えられた。バイドの反応はなし。突入直後の不意打ちの心配は無いだろう。

「よし、艦隊を順次、跳躍空間へ突入させよう。……第二次バイド討伐艦隊、出陣だ」

オペレーション・ラストダンス。

その第一段階、跳躍空間の突破。それが今、ついに始まろうとしていた。

 

 

「始まった。……勝つ。勝って、必ず帰る。だから、待っててね。まどか」

ラストダンサーの機中。遠からず、激しい戦闘へと巻き込まれていくその機体の中で、一人。スゥは呟き、思いを馳せた。

ここまでの日々でさえ、地獄のような日々だった。自分が戦うための存在なのだということを教え込まれ、その為に戦い続ける日々。

その中で、確かに彼女は変わって行った。ただ、戦うための存在へと。この恐ろしき力を振るうための、否、むしろその力の化身のように。

恐らくここからは、これまでの地獄すらも霞むほどに恐ろしい戦いがl筆舌に尽くしがたい地獄が待ち受けていることだろう。だが、それでも生きて帰らなければならない。負けるわけにはいかない。たった一つの大切なものが――まどかが、待っているのだから。

生きて帰る。そして自分の身体を、命を、人生を、全てを取り戻す。そして再び、まどかと共に生きる。それが、それだけがスゥの戦う理由。

人類の未来など、太陽系の平和などどうでもいい。酷く個人的な、身勝手な。けれどそれは、とても強い願いだった。

 

 

「いよいよね、キリカ」

「そうだね、織莉子。……ふふ、声が震えているね。緊張してるのかい?」

迫る戦いに備え、整備を済ませた機体を前に、織莉子とキリカは寄り添うように立っていた。

「どうしても、緊張してしまうわ。……こんな激しい戦いの前だもの。武者震いなのかしら、それとも……怖いのかしら」

どうしても震えてしまう声。織莉子自身にも、それが恐怖なのかどうかは定かではなかった。

戸惑うように声を上げた織莉子の腰に、キリカはするりと手を回して。そのまま、引き寄せるようにして抱き寄せた。

「ぁ……っ、キリカ」

「何も心配はいらない。私が側にいる。きみが側にいてくれる。一緒に戦おう。……一緒に、生き延びよう」

引き寄せられて触れ合う身体からは、柔らかさと暖かさがそして、言い知れない安らぎが、静かに全身に満ちてくる。

「……そうね、きっと大丈夫よ。私達なら……キリカ」

織莉子も手を伸ばし、キリカの肩に手を触れた。そのまま、うなじをそっと撫で、髪を優しく手で梳いた。

「ぁぁ……ん。織莉子……へへ、もっと……触って」

うっとりと声と吐息を漏らして、全身の力を抜いて織莉子に身を預けるキリカ。その姿が愛おしいと、織莉子は思う。

地獄の底からこんなところまで、ずっと一緒に居てくれた。一緒に居てくれなければ、自分はとっくに壊れていただろう。辛すぎる現実に、戦いの定めに、たった一人では立ち向かえなかっただろう。

引き締まっているけれど、それでも女の子らしい柔らかなキリカの身体。触れる度に、甘い声と吐息が漏れる。もっと、聞いていたいと思う。願う。

願うことなら全てに触れたい、互いの境界が溶けて消えるほどに愛し合いたい。衝動にも近い、そんな思いを今だけは堪えて。キリカの額に唇を触れさせて、織莉子は静かに身を離した。

 

「……や、織莉子、もっと触れて欲しい」

甘えるように擦り寄ってくるキリカ。成長したように見えても、自分を取り繕うことを覚えても。それでも、こうして甘える時のキリカはまるで子供で。それが、やはり自分の知るキリカの姿で。織莉子は嬉しそうに笑う。

変わることが嬉しいと思う。変わらないことが嬉しいと思う。相反する感情も、答えはすぐに見つかった。キリカと一緒に居られることが、ただ嬉しいのだから。

「続きは、帰ってからにしましょう」

「……じゃあ、必ず帰らなくちゃあいけないね」

にぃ、と。そう笑うキリカの顔は、やはりどうにも子供っぽかった。

 

「流石に、これ以上隊長が減ったのでは、きっと彼女達も困るでしょうしね」

跳躍空間に消えていく艦隊を遠目に眺めながら、機体の中でゲルヒルデは呟いた。同行しようかどうかと、迷ったのは事実だった。けれど、これ以上魔法少女隊を率いる隊長が減るのはよろしくないだろう。

「もしも、本当にあれがほむらだったのなら……迷いもしなかったのでしょうけど」

その声には、幾分か残念そうな響きも混じっていた。どこか、過去を懐かしむような声で。

「私達がみんな行っちゃったら、魔法少女のみんなは困っちゃうよ。……大丈夫だよ、きっとみんなが、悪いバイドをやっつけてきてくれるよ」

ゲルヒルデの駆るコンサートマスター。その隣に並んだ機体、カロンの中から声が届いた。その声は、本当に幼い少女のそれで。それほど幼いというのに、その少女は魔法少女隊の隊長だった。

「ジーグルーネ。……そうね、今はそう信じるしかないのよね」

幼いながらも数多の戦いを越えて。尚も生き延びていたことからも、その実力は疑うまでもない。

幼い少女ということで、その力を疑われることは多かったがそれでも彼女は、魔法少女達からの信頼を、その実力で勝ち取っていった。そして何より、彼女は随分と愛らしかったのだ。無邪気であったのだ。

守ってやりたいと、そう思わせるほどに。守るためには強くなるしかなかった。守るためには、生き延びるしかなかった。だからこそ、彼女の隊もまた多くの生存者を残していた。

 

「きっと大丈夫だよ。わたしも頑張るから、お姉ちゃんも……一緒に頑張ろうね!」

「……もう、きっと途方もなく頑張らなくてはいけないと思うわよ?行く人も残された人も、辛いことは一緒でしょうけどね」

あれほどの戦いを経ても、尚も彼女は少女らしく無邪気であった。それはきっと、この地獄に首を突っ込むより以前から、この少女はそういう生き方をしてきたのだろう。

日の光の代わりに波動の光を浴びて育ち、土の代わりにバイドと仲間の亡骸を踏みしめ、その身を通り抜ける風は、血と炎の匂いを纏った風だったのだろう。

過去を聞こうとは思わなかった、話そうともしなかった。だから、それでよかった。

 

「突入部隊の邪魔をさせるわけにも行かないわね。……ルネちゃん」

「そうだね、お姉ちゃん。悪いバイドは、全部やっつけてやるんだ」

まるで突入を阻もうとでもするかのように、グリトニルへと迫るバイドの軍勢。それを押し留め、撃滅するのが残された者たちの任務だった。

「魔法少女隊、全機発進!!」

「行くよみんな!討伐艦隊とグリトニルを守るんだっ!!」

号令と同時に、無数の光が飛んでいく。彼女達が新たに率いる魔法少女達。戦いが始まったときには総勢300を数えたそれも、今では半数ほどに減っていた。

それでも、二人の少女が率いるにはそれは随分と大部隊だった。だからこそ、今は彼女達は一人で隊長仕事をしているわけではない。魔法少女達の中でも優れたものを、副長として任じていた。

 

「隊長。私は左翼に回ります」

言葉一つ告げて、駆け抜けていったのはガルーダ。それを駆るのは、ゲルヒルデ大隊の副長となったマコトだった。

「こっちも行くぜ、隊長。……手はずどおりにな」

火炎を用いた攻撃を行う灼熱波動砲を携えた機体、R-9Sk2――ドミニオンズが前方へ駆ける。それを駆るのはシーグルーネ大隊の副長である少女。

「うん。頼んだよ、リョーコっ!」

言葉を掛け合い、迫る敵へと立ち向かう。

太陽系外周部、グリトニル。

これまでも、そして今も、これからも。この場所はずっと、バイドとの戦いの最前線である。戦いは、尚も続いていく。

 

 

「……参ったな。本当に参った。これがバイドの策なのだとすれば、向こうには随分と出来のいい参謀が居るようだな」

跳躍空間。不可思議な宇宙。実際に目の当たりにするのは初めてで、戸惑いもしたものだったが、グリトニルを旅立ち大凡半月が過ぎた今では、星の姿も見えず、何一つ代わり映えの無いこの跳躍空間は、やはりというか当然というか、酷く退屈なものだった。

何せこの半月、跳躍空間を旅立つ彼らの前には全く、バイドはその姿を見せることが無かったからだ。

退屈ではあるが、いつ敵が出てきてもおかしくない状況ではある。だからこそ、気を抜くわけには行かない……のだが。

あまりにも動きが無い、変化が無い。だが気を張り続けるより他にない。それは、確実に兵員に緊張と不安を生んでいた。

一応はシフトを組み、兵を休ませながら跳躍空間の航行を続けてはいた。しかし、いざ決戦と気勢を上げて飛び出してきたのである。いくら身を休めることができたとは言え、張り詰めた精神は休まることは無い。

せめて前哨戦の一つもあれば、そこで一つ兵の士気を高めると共に張り詰めた精神を落ち着けることも出来たのだが、そもそも戦いが無いのではどうにもならない。

不気味なほどの沈黙。それが彼らを、知らず知らずの内に追い詰めていた。

「休ませればどうにかなる、という話でもなし……さて、どうにか張り詰めた気を抜いてやらんとな」

それが目下唯一の、九条提督の悩みの種であった。

 

「何か、いい方法は無いものかね。ガザロフ少佐」

その傍らには、いつものように副官が。第二次バイド討伐艦隊の副官となったことを機に、少佐へと特進したガザロフの姿があった。

いい加減に付き合いも長く、戦果を見れば文句なしの提督と副官である。最早その二人には、まるで夫婦でもあるかのような雰囲気すら漂ってもいた。

「そうですね……普段なら、演習や模擬戦の一つもするんでしょうけど。今は作戦行動中ですしね。何かしらのレクリエーションができればいいんですけど」

「演習、模擬戦。レクリエーション……か。何せこの跳躍空間には、娯楽の一つも無いのだからね。……いや、だがそれもそうだ。ふむ、悪くはないかも知れない」

「何か思いついたんですか、提督」

「模擬戦だ。艦隊を停止させずに、そのまま模擬戦を一つ打ち上げることにしよう」

口元に、何かを面白がっているかのような笑みを浮かべて九条は笑う。その口元に手を添えて、これから始まる戦いの舞台を見守ろうと、九条は考えていた。

「英雄の力とやらを、確かめさせて貰うだけさ」

その笑みと、言葉が含む意味を察して、ガザロフの表情にも、何かを楽しみにしているような表情が浮かんだ。

 

 

「やれやれ、まさかこんな楽しいことになるなんて……ねぇ?」

ダンシング・エッジが。

 

「けれど、これでは流石に勝負にならないと思うのだけど」

ヒュロスが。

 

「6対1、これで負けたら俺達道化だぜ?」

「でも、相手はかの英雄だそうな。油断は禁物よ」

軽妙な男の声が、R-9Aシリーズの最終機体たるR-9A4――ウェーブ・マスターから。そして落ち着いた感じの女性の声が、強化仕様のエクリプスから。

正式な地球軍の機体ではなく、その出所を地球軍ですら把握はしていない。だが、パイロットを含めその実力は折り紙つきだった。恐らくどこかの勢力が、この一大作戦に戦力を貸与したのだろう。

 

「……くく、こりゃあとんでもない前哨戦だ」

「英雄と手合わせできるとは、光栄だ」

なんともこの場には不似合いではあるが、有人機として戦闘に耐えうる性能と武装を施されたパウ・アーマー改が。そして一機、あからさまに異形なる機体、アーヴァンクが。

 

そしてその六機に取り囲まれて、ただ一機。

「そういう趣向ね。……暇つぶしには、まあ丁度いいのかもしれないけど」

ラストダンサーが、英雄を乗せ佇んでいた。

 

 

「あー、兵士諸君。お楽しみのところすまないが、少しだけ話をさせてもらおう」

九条の声が、各艦に伝えられる。その声は、やはりどこか楽しんでいるようだった。

模擬戦とは言うが、その戦いはほとんど実戦にも等しい。艦隊の中から選りすぐられた、6人のエースパイロット達。ラストダンサーを駆るスゥが、たった一人でそれに立ち向かう。

武装が非殺傷であるという事以外には、それは実際の戦いと変わらない。

「よく見ておいて欲しい。バイドを討つための力を。その戦いを。だが、我々は艦を進めることを止めるつもりは無い。つまりは、この大艦隊の只中で7機のR戦闘機が、激しく入り乱れて戦うこととなる。さぞや見ごたえのあることだろうな」

一歩間違えば衝突。そのまま死の危険すらもある。だが、そんな危機すらも楽しめるほどの腕と度量の持ち主達である。結果はどうあれ、やり遂げてくれることには間違いないだろう。

「だが覚えておいて欲しい。この力の本質は、その本当の使い方はこんなことではない。これは全て、バイドを討つための力なのだ。こんなお遊びに使うこと自体、褒められたことではない。褒められたことではない……が」

にぃ、と九条は口元を歪めて笑う。

「が!ここに我等を咎める者など何も無い!精々派手に、思いっきり楽しませて貰おうじゃないかっ!!さあ踊れ!精鋭達よっ!その力で、波動で。この跳躍空間を染め上げろっ!!」

九条の言葉と同時に、7機のR戦闘機が一気に速度を上げて動き出した。艦隊の間を縫い、その姿と業を見せ付けるように飛び交っていく。

通りすぎる艦の全てから、囃し立てるような歓声が沸きあがる。そして、一通りその飛行が終わったところで、ついに。

 

7筋の光が、交差した。

 

「あの時の機体も早かったが……こいつも相当だっ!」

ラストダンサーを追いながら、ダンシングエッジを駆るキリカは唸った。やはりその速度には大きな差がある。まるでいつかの戦いの時に出会った、あの青い機体に比肩するほどの速さだった。

「確かに速いわね。でも、速度ならこの子も負けてはいないのよ?」

追いすがる機体の中の一機、強化仕様のエクリプスがその姿を変えた。それと同時に、機体背部で波動の光が大きく膨れ上がった。そしてその速度が、ラストダンサーに追いすがるほどに跳ね上がる。

「さあ、追いかけっこは終わりよ。英雄さん。遊びましょう、たっぷりと!」

ラストダンサーが射程距離に入った。

すでに波動砲のチャージは完了している。後はそれを叩き込むだけだ。機械は照準を定めてくれるが、それはどうにも不確かで。最後に大切なのは勘と腕。相手の回避運動を予測して、波動砲の照準を定めた。

 

だが。

 

「え……っ、き、消えた?っ!?」

直前まで照準に捉えていたラストダンサーの姿が、消えた。そして背後に機体の反応。気がついて振り向いたときには、もう。ラストダンサーが放ったライトニング波動砲が、エクリプスの背部に突き刺さっていた。

ダメージ最大、撃墜判定を確認。

「……どんな魔法を使ったのかしらね、本当に」

エクリプスのコクピットの中で、パイロットの女性は呆れたように呟いた。何をされたのか、全く分からなかったのだ。敵の背後を取ったはずなのに、気がつけば背後を取られていた。

魔法とでも言われなければ、到底信じられるものでもない。

 

まず、一人。

あっという間の早業に、観客からは歓声が上がる。だが、敵を迎え撃ったことでラストダンサーの足は止まった。そこをすかさず、残る5機がラストダンサーを囲みこもうと迫る。囲まれてしまっては、脱出も反撃もままならない。

切り離されたパウ・アーマー改のニードル・フォース改から、無数の弾幕が放たれた。全方位に恐ろしい密度の弾幕を放つその攻撃をラストダンサーはかいくぐり、機体を急旋回させた。

その背後には、マーナガルム級の艦体があった。その外壁に擦るかのように滑り、ラストダンサーは機体を走らせる。マーナガルム級は、流石に焦って艦体を停止させようとしたが。

「艦はそのまま進行させろ!……それで死ぬならそこまでだっ!」

九条が、激しい声を浴びせてそれを制した。元より全ての武装が非殺傷に設定されている。だからこそ、艦体に阻まれればその攻撃は届かない。だが、それでもすぐに追撃の手は伸びる。

同様に艦を回りこみダンシング・エッジとヒュロスが。そして高度を取り、艦を飛び越すようにして頭上からの攻撃を目論むウェーブ・マスターとアーヴァンクが。艦底部からは、パウ・アーマー改が迫っていた。

 

三方から敵が迫る。だが、侵攻ルートが分かれたことでそれには時間差が生じた。

まず先に到着したヒュロスが、6連装の追尾ミサイルを放つ。そしてその軌道に沿うように、刃そのもののように鋭くダンシング・エッジが迫る。

ラストダンサーは、真正面からそれに立ち向かう。迫るミサイル、そして凶刃。臆することなく真っ直ぐに突き進む。

「私の刃と織莉子の攻撃、かわせるもんかっ!!」

展開される5対の光刃。それに先んじて、ミサイルがラストダンサーに殺到する。それが着弾するか否かといった瞬間に。

「な……こ、これはっ!?」

展開したバリア弾が、ミサイルを受け止め叩き落していた。

一瞬の驚愕。だがそれに驚く余裕も無く、衝撃がダンシング・エッジを揺るがした。

 

「私が……撃ち負けた?」

ダンシング・エッジは撃墜判定を出していた。非殺傷に設定されていても尚、機体を揺さぶるほどの威力を誇る、雷を纏って放たれたパイルバンカーが、キリカの機体に突き刺さっていた。

強力な5対の光刃ですら、全てを打ち砕く鋼撃の前では無力だったのだ。

 

「キリカ……まったく、随分強敵ね」

ヒュロスもまた、その武装はミサイル以外は近接攻撃に特化している。あの恐ろしい兵器を相手に、接近戦を挑むのは少々分が悪かった。恐ろしいほどの勢いでこちらに迫るラストダンサー。

まともにぶつかれば、不利なのは否めない。レールガンとレーザーが行き交い、機体が交差する。けれど、どちらも無傷。

すぐさまラストダンサーは逃げる。しかしここはもう、艦隊の密集地。自由に飛びまわれるほど広くはない。一旦動きを止めたヒュロスに代わり、アーヴァンクとウェーブ・マスターが迫る。

堅牢で優秀な(バイド機であることを除けば)アーヴァンクと、全ての性能が最高水準で纏められ、非常に信頼性の高い機体であるウェーブ・マスター。そしてどちらのパイロットも随一の手練。

一度に相手にするのは、やはり厳しい。

今までこそ、速さで撹乱し、障害物を用いて敵を分断し。どうにか各個撃破の体を成すことには成功してきた。だがここからはそうは行かない。尚も4対1。まともに当たれば非常に厳しい。

 

「……ラストダンサーの性能限界を引き出すことが出来れば。負けはしない」

狙うは乱戦。いかな相手が一騎当千のエース揃いと言えど、即席のチームである。訓練を積み、コンビネーションを磨いた部隊と異なり、その連携には穴がある。

乱戦に持ち込み、その中で隙を見つけて敵を落とす。そうするより他に、ここを切り抜ける術は無いだろう。

「来いっ!!」

綺麗な三角を描くように機体を旋回させ、迫る敵を向かい撃つ。軌道が交差し、光が走る。まさしく光に近い速さで、激しい戦闘が始まった。そこにはすぐさまヒュロスとパウ・アーマー改が加わり、更に戦いは激化していった。

 

跳躍空間の遥か彼方。歪んだ時空の只中にそれは存在した。激しく繰り広げられた戦闘の波動は、跳躍空間を揺るがし、“ソレ”を目覚めさせた。

目覚めた“ソレ”は、迫るものが敵であると知った。敵に対して成すべきことなど“ソレ”は、たった一つしか知らなかった。

 

鋼の殻を割り開き、華のようにそれは咲く。時空に咲いた鋼の妖花。それは、静かに回り始めた。

 

廻る、廻る。

廻る花弁が波を生む。波は、波紋となって広がっていく。その高さを損なうことなく、どこまでも。その速度を損なうことなく、どこまでも。

やがてその閉ざされた空間の端で、波は打ち当たり、また返すように流れる。次々に放たれるその波も、同じく壁に当たっては跳ね返る。

不思議なことに、行く波も跳ね返る波も、互いに干渉しあうことはなく。ただただ、無数の波紋が空間を揺らし、埋め尽くしていく。

上にも下にも、前後左右もあらゆる場所を、波が全てを埋めていく。揺るがし、跳ね返り、その力を増してまた揺れる。

その波の中心で、尚も妖花は廻る。何度も、何度も、何度も、何度も。生み出された波は、ついにはちきれんばかりに膨れ上がった。

空間そのものを歪めるほどに、その力と勢力を増した、波。妖花が生み出す波は、ついに閉ざされた空間から解き放たれようとしていた。

卵が、内圧に耐えかねて内側から弾け飛ぶように。そして、卵の中身が撒き散らされるように、跳躍空間にそれは広がっていく。

 

その波を、人はバイドによる空間汚染と、そう呼んでいた。

 

 

乱戦は更に激化していた。

機体性能に劣るパウ・アーマー改は早々に撃墜されて戦場を離れ。アーヴァンクもまた機体は半壊。戦闘を続けるのは困難な状況であった。ヒュロスもその片腕は消失したと認定され、ウェーブ・マスターは推進部にダメージを受けていた。

そして、ラストダンサーは。

 

「機体損傷率75%オーバー。……なのに、よく動くわ」

あからさまな被弾が5、それ以外にも無数の損傷が刻み込まれている。そしてブースター出力は既に半減。辛うじてフォースはまだ制御下にあったが、それもいつ失われるか分からない。

有り体に言えば、それはもう満身創痍。撃墜判定が出ていないのが不思議なほどだった。既存の機体を更に上回るサバイバビリティ。その存在の、最後の一片までもを賭してバイドを討つ。

この事実は、ラストダンサーがそういう機体であることを、誰しもに知らしめていた。ついには歓声も止み、誰もがその戦いの終結を、固唾を飲んで見守っていた。

次に機体が交錯する時、恐らく勝負はつく。戦っている者達も、それを見守る者達も、それを感じていた。

 

「……すごいな、彼らは」

テュール級を預かる艦長は、艦をたゆまず進ませながら、その戦いに見入っていた。

今までに見たことも無いほどの、激しいR戦闘機同士の戦闘だった。それらの力を、戦う姿を知るからこそ、彼らにはその凄さが身に染みてよくわかっていた。

「艦長、ニーズヘッグ級がこちらに接近してきます」

戦いに見入る最中、オペレーターが駆逐艦が規定のコースを外れ、こちらに接近してくるのを知らせてきた。

「何をやっているんだ。見入りすぎて舵を取り間違えたか。向こうに通信を入れろ。それと、こっちもコースを変更だ。道を開けてやれ」

「了解です、進路を変更します」

指示に従い、艦体がその進路を変える。他の艦の軌道に入らぬように、ニーズヘッグ級と衝突しないように。だが、その直後。艦に衝撃が走り、それは激しく感を揺さぶった。

 

「な……何が起こったっ!?」

「これは……そんなバカなっ!?」

浮き足立つ艦内。損傷は、思わぬ程に激しかった。艦に衝突したそれは、艦の後部を食い破り、内部にまで突き抜けていた。艦の各所に火災が発生している。ダメージコントロールをしようにも、あまりにもそれは巨大すぎた。

そう、艦に突き刺さっていたもの、それは。

「正確に報告しろっ!」

「信じられません……本艦の右後方を航行していたガルム級が、本艦と接触!損傷は艦後部の広域に渡り、推進部にも重大な損傷が見られます!」

「どういうことだ!ガルム級の進路には割り込んでいなかったはずだぞ!」

「分かりません!ですが先ほどまで右後方を航行していたはずなのに突然本艦の背後に現れ、回避も間に合わず……うぁぁっ!?」

更にもう一つ、艦を激しい衝撃が揺さぶった。ダメージレベル最大、最早艦を捨てて脱出せざるをえないほどに、その衝撃は大きかった。

「今度は……なんだっ」

その衝撃に揺さぶられ、したたかにその身を打ち付けてしまい。よろめきながら、艦長は言葉を放った。

「……ニーズヘッグ級が、本艦の側面に接触、艦体に重大な損傷。これ以上の航行は……不可能です」

その顔面を蒼白に染め、まるで信じられない悪夢を見るかのように、オペレーターは報告を返した。

「何だ、これは……どうなっているんだ」

まるで状況がつかめぬまま、テュール級はその戦闘力を失おうとしていた。

 

時を同じくして、同様の報告が艦隊の各所から伝えられていた。

「どういうことだ、これは……」

突然に頻発しだした艦同士の衝突事故。状況が把握できずに、九条も一瞬思考が停止する。だがそれはほんの数秒。すぐさま事態を収拾するための指示を出した。

「全艦停止!追って指示があるまでその場で待機っ!原因を突き止めろ!解析班、急げっ!!」

九条の声が艦隊に響く。それでも、すぐに艦隊全体の動きが止まるわけも無い。尚も衝突事故は続き、それから数分をおいてようやく、全ての艦の動きが停止した。

「……なんとか止まってくれたか。とにかく、状況を調べないとな」

だが、落ち着くような余裕を、敵は与えてくれはしなかった。

「提督!周囲にバイド反応あり、かなりの大部隊です。……こちらに向かってきます!」

「この期に及んでバイドまでかっ!……いや、今だからこそ、か」

この異変がバイドの仕業によるものであることを、九条は直感していた。とんでもない不意打ちを食らったものだが、それで潰えるわけにもいかない。

「バイドを迎え撃つ。R戦闘機部隊を発進させろ!とにかく、敵を近づけさせるなっ!!」

模擬戦に皆の視線は釘付けだった。そのタイミングでこの不意打ちに加えて襲撃、最悪すぎるほどに最悪の状態だった。

 

「……やってくれるじゃないか、バイド。だが、負けてはやれんぞ」

それでも、負けぬと闘志を振り絞る。知れず、九条はその口元に笑みを浮かべていた。

 

 

「どうやら、模擬戦のつもりがとんだ実戦になってしまったみたいね」

「全くだ、決着をつけ損なったな」

この様子では、最早模擬戦がどうのという場合ではないだろう。バイドの襲来。それは、ついにバイドとの最終戦争。その初戦が始まったことを現していた。

「エース諸君。とまあ状況はそういうわけだ。正直未だに状況が分からん。艦隊はかなりの被害を受け、R戦闘機もすぐには出撃できない状況だ」

戦いの気配を察して集うエース達。そこに九条からの通信が飛んだ。

「バイドが来ているのね?」

手短に、スゥが状況を確認した。

「その通りだ、もしかすると敵も、このタイミングを見計らっていたのかもしれないな。……まあそういうわけだ、偵察も兼ねて連中の相手をしてくれ」

「了解よ」

受け答えも手短に、スゥはラストダンサーを走らせた。模擬戦モードは即座に解除。損傷認識された部分がすぐさま正常に戻る。

どうやら、敵はほぼ全周囲より接近していることが分かった。まずは艦隊前方より迫る敵。これを片付け進路を空ける。その為に、英雄たる矢は放たれた。

 

「また随分と頼もしいものだ。あれなら存分に埒を明けてくれそうだ」

そんな姿に九条も一つ頷いて。続いて各方面に散るエース達の動きを捉えながら。

「引き続き解析を急がせろ。状況が分からないことには、迂闊に身動きが取れん。接近するバイドの詳細は?」

彼らばかりに任せておけるわけもなし、九条もまた手負いの艦隊を率いて敵を迎え撃つ。この異変の元凶を突き止めないことには、これ以上艦隊を動かすことはできない。足の止まった艦隊など、敵からすれば格好の標的だ。

R戦闘機部隊に敵の足止めを任せ、その間にこの異変を止め、敵を撃破する。月並みではあるが、状況がさっぱり分からない以上は慎重にならざるを得なかった。

「はい、どうやら機動兵器を中心とした部隊のようです。ですが、大型の艦船の反応もあります。かなりの大部隊ですね、提督」

ふむ、と小さく唸る。どうやら敵は、真正面から艦隊戦を仕掛けてくるようだ。確かに奇策でこちらの出鼻を挫いたのだから、後は正攻法で叩き潰せばよいのかもしれない。

だが、逆に今はそれがありがたい。

 

「敵が正々堂々しかけてきてくれるなら、敵の動きからこの異変の元凶を知ることもできるだろう。前線の兵に通達。敵と交戦しながら、敵機や敵艦の挙動をできる限り報告せよ!」

さあ、鬼が出るか蛇が出るか。いよいよ始まる戦いの気配に、皆の戦意は高まっていく。張り詰めていた心は、そのまま引き絞られた弦のよう。それが放たれる時、その矢は激しい威力を持って戦場を駆けるのだ。

 

その力を、バイドは今こそ思い知ることとなるだろう。

 

 

 

ラストダンサーが、敵の只中を突き抜ける。

彼女の前にあるのはバイドのみ。彼女と共に飛ぶものは無く。彼女の後ろには、撃たれて潰えるバイドの姿のみがあった。

敵はキャンサーや、コンテナをミサイルキャリアーに換装した爆撃機であるストロバルトボマーといった、小型バイドばかり。

展開される弾幕は、ラストダンサーの機動性の前ではまるで無意味。容易く掻い潜り、フォースで受け止め。レーザーや波動砲によって叩き落されていく。

「このあたりの敵は、概ね蹴散らしたようね。……このまま敵陣へ突っ込むことにしましょう」

ラストダンサーが速度を上げる。敵艦の反応は近い。まずは敵艦を叩き落して、後方の艦隊が艦砲射撃に晒されるのを防ぐ必要があるだろう。見る見るうちに彼我の距離は縮まり、ついにラストダンサーは敵艦の射程距離内へと飛び込んだ。

その艦はいわゆるボルドやコンバイラといった、バイドらしい戦艦ではない。地球軍のそれに酷似したその戦艦は、全身に無数の砲台を備えていた。艦首砲らしきものは見て取れない。それに、砲台は小型のものばかり。

「どうやらあの戦艦は、対艦ではなくR戦闘機と戦うための艦のようね。……でも、そんなものでこのラストダンサーは止められない!」

一斉に照準を合わせ、弾幕を展開する砲台。速度を上げて、それを掻い潜ろうとした、その刹那。

 

「っ!?敵弾が、曲がって……」

迫り来る敵弾が、突如としてその軌道を変えたのだった。放たれる弾幕の一つ一つが、不規則に軌道を変えて迫り来る。機体を急停止してやり過ごすと、敵弾は元の通りの軌道を描いて後方へと消えていった。

尚も続々と迫り来る敵弾を見極めながら掻い潜る。先ほどの敵弾、その軌道の変化は一体なんだったのか。敵艦から距離を取り、速度を落としてよける限りには敵弾の軌道に変化は見られない。

 

 

スゥは考える。

恐らく、この変化こそが艦隊に起こった異変を突き止めるためのヒントとなるはずだ、と。だが、ここでこうして回避を続けていても、一切変化は見られない。やはりここは再び敵に肉薄し、その正体を探るしかないのだろう。

「曲がる弾でもなんでも、もってくればいい。……私を、止められるものか!」

再び速度を上げて、ラストダンサーが敵艦に肉薄する。そうして速度を上げた途端、やはり敵弾は曲がりその軌道を変える。

 

否、違う。曲がっているのは――。

 

「これは、宇宙が。空間そのものが、歪んでいるというの?」

そう、目に映る全てが。宇宙が、敵艦が、そして自分の機体そのものが、歪んで映っているようだった。

「空間が歪んでいる。そして、何らかのきっかけでそれが発現する。恐らく……速度が原因ね。でも、それさえ掴むことができればっ!」

武装変更。フォースをアンカーフォースへと切り替える。そしてそのまま砲台の並ぶ敵艦の上を通り過ぎながら、アンカーフォースが持つ広域に攻撃可能な攻撃兵器、ターミネイト・γを発射した。

撃ち放たれ、180度の広域を薙ぎ払った光線は、敵艦表面に立ち並ぶ砲台を焼き払う。

対空砲火を失った戦艦に、ラストダンサーを悠々を機首を向け。R-11系列機が備えるギャロップ・フォース改へと変更させたフォースから、最大収束のビームレーザーSを叩き込んだ。それは敵艦に突き刺さり、容易く艦中枢部を破壊し尽くした。

爆発と共に潰えていく敵艦。やはり、その姿は歪んではいないようだった。

 

「……なるほどね、だいたいわかったわ」

その交錯に、推測が確信に変わったのを感じ。スゥは、後方の艦隊へと通信を送るのだった。

 

「ラストダンサーよりアスガルド。どうやらこの異変の正体がわかったわ」

「何だって、それは本当か!?報告を頼む」

依然、遅々として進まぬ解析に頭を抱えていた九条にはそれは、まさしく救いの手とも呼べるようなものだったのだろう。彼は、すぐさまそれに飛びついた。

「どうやら、この跳躍空間そのものがバイドによる汚染を受けているようね。空間そのものが歪んで、真っ直ぐ進んでいるはずの機体の軌道さえもずれてしまう。恐らく、速度を上げるとそれに比例して歪みも大きくなるのだと思うわ」

「ふむ、確かにそれならば艦隊行動中の部隊が進路を誤るのも分からないではない。その結果があの追突というわけか。……確かに筋は通る」

九条は再び戦況に目を移す。敵の軍勢についにR戦闘機部隊が接触、激しい戦いが繰り広げられていた。その最中、兵の間からは同様の異変を知らせる報告が次々に上げられてきた。

「……どうやら間違いは無いようだ。恐らく異変の元凶がどこかにいることだろう。我々はこのまま元凶を探る。ラストダンサーはそのまま、敵艦を撃破してくれ」

「その必要はないわ」

九条の言葉に即座に続いて、スゥはそんな言葉を返した。

「どういうことかな?」

「敵陣の奥に、巨大なバイド反応を検知したわ。恐らく、それがこの敵部隊の中枢。そして、この異変を生み出した元凶のはずよ。……このまま撃破に向かうわ」

その言葉に確証はない。しかし、今までの戦いではその多くが、最奥に潜むバイド中枢。それを討つことで、戦況が好転してきたことも事実。元よりラストダンサーは、単騎特攻用の決戦兵器。その力を発揮するのに、これほどうってつけの状況もないだろう。

 

 

「……では、任せよう。せめて護衛をつけさせようか?」

だが、あれほどの軍勢に単騎で挑む。それが、どれほど自殺行為に等しい行為であるかを、九条もよく知っている。

「必要ないわ。どうせ、私には誰もついて来られない」

「……頼もしいな。必ずやり遂げてくれるね?」

孤高の英雄と言えば聞こえはいいがここまでスタンドプレーも過ぎると、流石に扱いようが無い。結局、好きにやらせるより他にないのかと、九条は一つ嘆息し。

「こんなところで、貴方達を死なせるつもりは無いわ」

それを最後に、ラストダンサーは通信可能範囲の外へと飛び出したようで、通信は唐突に打ち切られるのだった。

「まあ、上手いことやってくれるのを祈ろう」

一抹の不安を抱えながら、九条も意識を迫り来る敵へと向けた。速度を上げさえしなければ、それほど空間の歪みは深刻ではないのかもしれない。それならば、負傷艦を後方に下げ、動ける艦は前面に押し出し援護をさせたいところだが。

「まずは、状況を確認しよう。解析班。ラストダンサーからの報告を元に現在起こっている異変の解析を続けてくれ。どうにか艦を動かさなければ話にならん」

手短に指示を飛ばし、そして。

 

「解析が終了次第、艦を前進させ、艦砲射撃で敵艦隊を攻撃する。動ける艦は、それに備えて待機せよ!」

時を追うごとに苛烈に膨れ上がる戦場。それをすぐ前方に眺めながら、九条は艦隊へと指示を与えた。

 

 

「……だ、そうだね。織莉子。どうしようか」

その通信を、密かに傍受していた機影が二つ。

「決まっているわ。倒さなくちゃいけない敵はそこにいる。ここの守りは、彼らに任せることにしましょう」

周囲の敵を殲滅したダンシング・エッジとヒュロス。その二機が、ラストダンサーの向かった先へと機体を走らせる。

「そうこなくっちゃ。こんな雑魚の相手ばっかりじゃあ物足りないよ。やっぱり私と織莉子の相手は、大物じゃなくちゃあねっ!」

「そのバイドを倒せば、きっと皆も助かるはずよ。いくら英雄だって、一人では辛いはずだもの」

模擬戦の直後、そのままに突き進む二人である。他の機体より先んじて、敵陣に食い込むことができていた。恐らく、ラストダンサーを追うこともできるだろう。だが、敵も容易く行かせはしない。

英雄を追うということは、それと同じ道を行くということで。その前には、無数の敵がひしめく長い道があった。

 

戦況は、一進一退の様相を見せていた。敵は機動兵器と戦艦が主。しかし敵艦は対空砲火に重点を置いたものであり、そこから放たれる弾幕は、時空の歪みと相まって次々にR戦闘機に食らいついていた。

とは言え、キャンサーやストロバルトボマーでは真正面からR戦闘機に立ち向かうには力不足。障害物の一切無い跳躍空間においては、不意を突くような術もない。

英雄も未だ敵陣深くあり、通信さえも届かない。敵も味方も、この状況に埒を明ける術を持たずにいた。

痺れを切らしたのだろうか、敵艦の中でも一際大きなものが一隻、無数に被弾しながらも

艦隊へと向けて突撃を仕掛けてきたのだった。

「対艦装備を持たない艦が、何故……とにかく迎撃だ。敵は一隻。艦首砲は温存しろ。一般兵装の集中砲火で、奴を撃沈させる!」

前面にて待機していた艦隊が、その兵装を敵艦に向ける。追尾レーザーやミサイル、そして主砲が次々に敵艦に突き刺さり、損傷を与えていく。

全身から爆炎と黒煙を巻き上げながらも、敵艦は尚も艦隊を目指し突き進んでいたが、ついに機関部に主砲が直撃、炎の中にその艦体は没した。

「流石にこれだけの艦での一斉射撃だ。耐えられるわけが無いさ」

敵陣の動きに注視しつつ、九条は沈む敵艦を眺めた。

丁度、その時に。沈む艦のその奥から、何かが這い出してきた。

 

それは、それは――。

 

 

「敵艦内部に巨大なバイド反応!これは……巨大な機動兵器!?」

そう、まさにそれは機械でできた異形の魔人。それはかつて、朽ちた神殿の奥で人類が邂逅した、恐るべき悪夢。その、冷たい鎧の奥で微笑むその悪魔は。

「該当データ、有りっ!これは……ザブトムですっ!」

第二次バイドミッション当時、出撃したR-9C――ウォー・ヘッドの前に立ちふさがった最初の大型バイド。ドプケラドプスの残骸から作られた、惑星破壊兵器と呼ばれるバイドだった。

しかも、ウォー・ヘッドが遭遇したそれは未だ未完成。四肢をもがれた姿であったのだが、第二次バイド討伐艦隊の前に立ちふさがったそれは。

その禍々しき手に、死神の鎌がごとき巨大な武器を掲げ、その下半身は、まるで蟲の腹部を思わせる無数の節に分かれた機械で構成されていた。

これがまさしく、ザブトムの完成した姿。

最早人型すらも失った、まさしく真なる異形の機械。オージザブトム。そう呼ばれたその悪魔は、炎に潰えた鉄の子宮を食い破り、食らうべき敵をその眼に捉えた。

 

 

 

「ユ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ォォォォォ!!!」

 

この世のものとは思えないおぞましくも恐ろしい産声が、跳躍空間に響き渡った。

 



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第17話 ―オペレーション・ラストダンス(前編)―③

襲い来る鋼鉄の巨人。
その大鎌を振り上げ、希望を、未来を断ち切るために振り下ろす。
立ち向かうは人の意思、意地、そして覚悟。

遍く狂気と叡智を乗せて、白亜の戦船が往く。


「まさか、艦内部にあんなデカブツが眠っていたとはな」

ビリビリと、おぞましい産声が跳躍空間を揺らし、その振動が艦にすらも伝わる。震えているかのように微かに揺れる艦内で、それでも動じず九条は呟いた。

 

「だが、出てきた場所が悪かったな。艦砲射撃で蜂の巣にしてくれるっ!艦首砲の使用を許可する。敵に反撃の余裕を与えるなっ!!」

おぞましい産声が止み、オージザブトムは眼前に存在する敵の姿を知覚した。それとほぼ同時に、数十門の陽電子砲が火を噴いた。

それはあまりに眩く、あまりに力強く、オージザブトムの巨体を飲み込んだ。あらゆる物体を消滅させる、圧倒的な破壊の波。それは間違いなく、オージザブトムの鋼の巨体を押し潰した。

「十隻以上の艦による、陽電子砲の一斉射撃だ。敵が何であれ、耐えられるはが……」

だが、ああ。なんということだろうか。

 

「バイド反応は健在です!これは……何か、反応が」

オペレーターがバイドの生存を報せる。だが、その言葉が最後まで告げられるよりも前に、艦隊の一角に無数の光の刃が突き刺さった。その光の刃は艦の装甲をものともせずに打ち砕き、多くの艦に深刻な損傷を与えていた。

 

艦隊に驚愕が走る。その一撃の主は、それは。

陽電子砲の雨を物ともせずに受け止め、まるで無傷でそこにいる、オージザブトムの姿だった。

 

「な……っ。あれほどの陽電子砲を受けて、無傷……だと」

さしもの九条も、バイドの恐るべき堅牢さには驚愕を隠すことができなかった。

「今の攻撃は……恐らく超振動波です。ザブトムは、その体内で超振動波を発生させそれを放出することで攻撃を行うことができるようです」

第二次バイドミッションのデータを参照し、アスガルド級のオペレーターが九条に告げた。

「なるほどな。それで、ウォー・ヘッドはあの化け物をどのように撃破していたんだ?」

そう、ザブトム自体は人類にとっては既知の敵。第二次バイドミッションの際に、既に交戦データは得られており、更にその後の残骸を回収、解析することによってその行動や弱点についてのデータも既に得られていた。

「はい、敵の超振動波は敵中枢部より発生していることが確認されています。さらに、その発射の直前にのみ開かれる発射口を攻撃することで、敵中枢部を撃破することができる……とのことです」

「ふむ。ではR戦闘機部隊をいくつか戻らせろ。敵をこちらに近づけさせるな!艦隊は艦首砲のチャージを続行しつつ待機だ。発射口が開いた瞬間に、一斉射撃を行う!」

「了解、各員に通達します」

 

「見えたぜ。あれがザブトムか。……資料で見たものよりも随分デケェな」

前線を離脱し、艦隊に迫るザブトムの元に辿りついたR戦闘機。先の模擬戦でラストダンサーと激しく競り合った機体である、ウェーブマスターとアーヴァンクがいち早く後方へと戻り、オージザブトムの前に立ちはだかった。

「かつて英雄が戦ったという相手。相手にとって不足は……ないっ!」

二機はそのまま絡み合うように軌道を描き、オージザブトムへと肉迫する。オージザブトムもまた、迫り来る敵の姿を察して、迎撃体制へと移る。

背部のハッチが開き、そこから無数の球体が吐き出された。吐き出されたその球体は、R戦闘機に匹敵するほどのサイズを持ち、ふわふわと漂うように二機へと迫る。

超高速の戦闘の最中では、追尾性能をもつ兵器を掻い潜るのはさほど難しくはない。むしろこの球体のように、ふわふわと低速で漂う弾幕の方が、回避は困難であった。

それでも彼らはエースである。不規則に浮動する敵弾を掻い潜り、距離を詰めていく。できる限りこちらに敵の意識を向けさせて、艦隊への攻撃を阻止するために。まさしくそれは、死と隣り合わせの、命がけの舞だった。

 

「くっ……回避しきれねぇか。……だが、なめるんじゃぁ、ねェッ!!」

不規則な敵弾の動きに知らずの内に追い詰められて、周囲を敵弾に囲まれたアーヴァンク。あわや被弾するかと思われたその直前に、アーヴァンクの放ったスケイル波動砲が敵弾を打ち砕いた。

着弾後、分離する性質を持つスケイル波動砲は、敵弾を打ち砕くと共に四散。周囲に浮遊している敵弾を、まとめて打ち砕いた。

「さァて……そろそろかますぜ。デカブツさんよォ……」

どうやら、スケイル波動砲は都合よく、オージザブトムの元へいたる道さえも切り開いていた。これが好機とばかりに、一気に出力を上げ、敵へと向かうアーヴァンク。機体の調子は万全。アーヴァンクはその全身に力を漲らせ、オージザブトムへと迫る。

だが……。

 

 

「何だ、こりゃア……出力が、どんどん上がっていきやがる……ッ!?」

そう、漲る力は天井知らずに膨れ上がっていく。本来機体に想定されていた限界さえも超え、更に。

「どうなってやがるってんだよ……こいつはヨォ!?」

更に、機体はコントロールを失ってしまう。驚愕を抱えながらも、必死にコントロールを取り戻すための操作を続ける最中、唐突に鳴り響く警報。

「今度はなんだァ!?んなっ……バイド汚染が、ゾーンBだと」

アーヴァンクがバイド機である以上、少なからずバイド係数が検出されるのは当然だった。しかし今、アーヴァンクが示しているバイド汚染は、安全圏であるゾーンS(SAFETY)を、そして戦闘を中止し、除染が必要なレベルであるゾーンC(CAUTION)さえも超えていた。

現在のアーヴァンクのバイド汚染は、即座に機体を破棄する必要がある、ゾーンB(BYDIC)にまで到達していた。

 

その直後、アーヴァンクは全ての機能を停止した。

モニターは一切の映像を映すこともなく、外部の様子を知る術は何一つとしてなくなってしまった。あれほどやかましく鳴っていた警報さえも、ぷつりと途切れてしまっていた。

「クソッ!何が一体どうなってやがるんだ!誰か、誰か応答しろオッ!!」

必死に呼びかけるものの、通信すらも死んでいるのだろうか。一切応答は得られなかった。

「ハッ……ハァッ……何だよ。何だっテンダヨォォォォッ!!」

何も見えない。何も聞こえない。誰もいない。絶対の静寂と孤独。そしてここは戦場。その最前線なのだ。何一つ分からないまま、次の瞬間には自分が死んでいるのかも知れないという恐怖。

それは、確実に彼の精神を蝕み、破壊していった。

 

傍から見ると、それは不可解な光景だった。

オージザブトムに肉迫したアーヴァンクは、一切の攻撃を放つ事もなくその横を通り過ぎ。失速しながら、そのまま漂うように流れていったのである。

そしてアーヴァンクは、オージザブトムに攻撃を仕掛けるために後方へと戻ったR戦闘機部隊の元へと流れ着いたのだった。

「アーヴァンク。一体どうしたんだ。応答しろ、アーヴァンクっ!」

呼びかけても返事は何も帰ってこない。何かが起こったということは確実だろう。だが、その原因に誰一人として思い至るものはいなかったのだ。

「ステイヤーはアーヴァンクを牽引し、一旦帰投しろ。我々はザブトムへの攻撃を続行する」

それでもアーヴァンクを捨て置くこともできずに、部隊の隊長はそう命令を残し、R戦闘機部隊は再び、オージザブトムの元へと向かうのだった。

 

だが、その時。沈黙を守り続けてきたアーヴァンクが目を覚ました。

 

「っ!?アーヴァンク?無事なのか、応答しろ、アーヴァンクっ!」

再起動したアーヴァンクに、随行していたステイヤーが通信を送った。

だが、それを駆る彼は。

「敵だ、敵ハドコから来ルっ!敵は、敵はブッ殺サナクッチャナァァァッ!!」

バイドの精神汚染か、それとも死の恐怖に晒され続けていたが故か。彼の精神は既に崩壊してしまっていた。それ故に。

彼の目に映るものは全て……敵だった。

 

スケイル・フォースより放たれた、鱗状のレーザー、スケイルブラスターがすぐ側に居たステイヤーを貫き、炎の中へと消し去った。更に彼は視線を向ける。オージザブトムの元へと向かう、R戦闘機の部隊へと。

「アソコニモ、敵ガアンナニタクサァァン!皆殺シダァァァッ!!」

最早その狂気は収まることを知らず、全てを飲み込もうと膨れ上がる。膨れ上がった狂気につられ、その機体までもが膨れ上がっていく。鱗が内側から弾け飛び、赤黒い肉が沸きだした。

更にその上を這うように、波打つ鱗が広がっていく。ついにはスケイル・フォースによく似た巨大な球状となり、アーヴァンクであったモノは、今やただのバイドと成り果ててしまったモノは、R戦闘機部隊へと攻撃を開始するのだった。

 

「……これだから、バイド機は信用できないんだ」

変貌、そして奇襲。そして甚大な被害を出した上の撃破。その報告を受けて、九条は忌々しげに呟いた。

「いえいえ、あの機体は完璧ですとも。不備なんてあるはずがないでしょう」

そんな九条に、横合いからの女性の声。その通信の主は、解析班の一員で、バイド機の開発と保守にも携わる研究者。言わずもがな、TEAM R-TYPEの人間であった。

「信用できるか!現に、ああして暴走しているじゃないか」

「あれは機体に原因があるのではありませんよ。恐らく敵の攻撃によるものです」

尚も疑わしいといった態度を崩さない九条。それを気に留めることもなく、女は言葉を続けるのだった。

「あのザブトムが放った巨大な弾は、恐らくバイド粒子の塊なんでしょうね。アーヴァンクがあれを破壊したことでその粒子が飛散し、機体を汚染したのでしょう」

「だが、R戦闘機には耐バイドコーティングが施されている。飛散した粒子程度でそこまで汚染されるものなのか?」

「……それだけ高濃度のバイド粒子なのでしょう。もしかしたら、バイドを利用した生体機なので、干渉されやすかったのかも知れませんが」

「やっぱり機体が原因じゃないか」

どうにも、疑わしさが拭いきれない九条であった。

 

「と、とにかく、あの敵弾はなるべく破壊しないようにさせたほうがいいでしょう。通常の機体でも、もしかすると影響が出ないとも限りませんし」

「……わかった。それで、解析のほうはどうなっている?」

敵の事は気がかりだったが、それ以上に今艦隊の足を止めているこの空間汚染もまた気がかりで、深刻なことだった。

「ええ、そうですね。その件で連絡しようと思っていたのです。やはりこの時空の歪みの原因は、バイドによる空間汚染で間違いはないようです」

「そうか。それで対処法は見つかったのか?」

「この手のものは、汚染の原因となるバイドを倒せば収まるはずです。それと、速度に比例して歪みが大きくなるというのも間違いはないようです」

それはそれでありがたい情報ではあるのだが、結局状況を確認できただけなのか、と。九条は、わずかに落胆したような様子を見せた。

だが、どうやら解析にて判明したことは、それだけではないようだった。

「通常の航行速度では、進路に影響が出るほどに歪みは大きくなるでしょうが、艦が戦闘行動を取る程度の速度ならば、歪みはほとんど影響は出ないでしょう」

「それを先に言えっ!よし、それならばこちらからも打って出ることができるぞ」

思いがけない収穫に、九条の表情が明るくなった。どうやらこれで、いつまでも後方で縮こまっているような羽目にはならずに済みそうだ、と。

 

「では早速打って出よう。まずは負傷した艦を後方に下げるぞ、それから……」

矢継ぎ早に指示を飛ばす九条に、女は最後に一言を告げた。

「九条提督。あの暴走したアーヴァンクですが、どうにか残骸を回収できませんか?いい研究サンプルになりそうなんですが……」

「無茶を言うなっ!」

鋭く一言だけ返し、九条は通信を切った。

「何を言い出すかと思えば、こんなときにまであんな事を。……これだから科学者共は」

忌々しげに呟いて、そして。

「まあ、この戦いが終わればもうバイドの研究も必要なくなるんだ。早いとこ、そうしてしまわなくては」

小さく嘆息し、そして再び、九条は意識を戦場へと向けた。

 

 

「超振動波発生の予兆を確認!発射口が露出した瞬間、艦首砲による一斉射撃を行います!」

アスガルド級より、随行する艦隊へと指示が伝えられた。先ほどの超振動波は、陽電子砲の余波にまぎれて発射の瞬間を捉えられなかった。だからこそ今度は確実に、超振動波の発射に先んじて陽電子砲を叩き込む。

そうでなければ、間違いなく更に被害は広がることは容易に予想できた。これ以上の被害を出さないためにも、一瞬の隙間に勝負をかけるしかなかったのだ。

そして何より、R戦闘機の攻撃を受け続けて尚、オージザブトムに目立った損傷は見られない。無数のレーザーやミサイル、波動砲が叩き込まれたというのに、その動きは一切止まらなかったのだ。

やはりこれは、弱点を狙い打たなければ撃破することはできない。そう誰しもに直感させるほどに、オージザブトムはその堅牢さを誇っていた。

 

「第二次バイドミッションの時のザブトムは、確か腹部に超振動波の発生器官があったのだったな」

確認するように、九条が呟いた。今回も同じであるとは限らないが、その可能性も低くはない。アスガルド級は未だ自陣の奥にあり、直接オージザブトムを狙うことはできないが、それでも敵の動きを見逃さぬよう、じっと目を凝らして待っていた。

「超振動波検出!……来ますっ!」

「艦首砲の発射準備はいいか?あいつが超振動波を撃つ前に、ケリをつけるぞ!」

後はただ、その時を待つだけだった。敵の攻撃に先んじて、最大の一撃を叩き込む。

その瞬間を、ただ待つだけだったのだ。

 

次の瞬間。オージザブトムの巨体から光が放たれた。けれどそれは腹部からではなく、その後頭部より伸びたいくつかの節に分かれた器官、そこから突き出た突起の先端から、超振動波は放たれようとしていたのだ。

「撃てぇーっ!!」

多少の差異は想定の範囲内。放たれる場所が違おうと、それを放つ際には弱点が露出するだろう。そう踏んで、九条は艦首砲の一斉発射を支持した。

再び、無数の光が空間を焼き尽くす。たとえ狙いが定まっていなかろうと、これだけの威力と照射面積を誇る攻撃である。逃れる術など、何もないと思われた。

だが、彼らは見誤っていたのだ。バイドの持つ進化能力を、より効率よく敵を倒すという、より永く生存するという本能を。

 

あれだけの砲火にも関わらず、超振動波は放たれた。そしてその超振動波は、やはり無数の光の刃のように拡散し、艦首砲を放った艦隊へと次々に突き刺さっていった。

「な……にぃィっ!?」

撃沈1、大破2、中破4。被害は更に甚大だった。そして何よりもあれだけの陽電子砲の雨を、超振動波の発射にあわせて放たれた一撃を完全に無傷で凌ぎきった、オージザブトムの信じられないほどの堅牢さ。

それは今度こそ完璧に、第二次バイド討伐艦隊を驚愕と恐慌に陥れていた。

 

「む、無理だっ!あんなの、倒せっこねぇ!」

恐怖に駆られて。誰かが叫ぶ。

「戦艦を一撃で落とす攻撃力、陽電子砲を物ともしない防御力。流石にこれは、ちょっと不味いな」

九条もまた、その表情はどうにも渋い。今のところ、オージザブトムに有効なダメージを与える術は何もないのだ。敵が無敵だとは考えない。だが、有効打が何一つとしてないのもまた事実。

「とにかく攻撃を続けろ!どこか……どこかに必ず弱点はあるはずだ!」

今までどおりの戦い方が通用しない以上やはり、まずは敵の弱点を探るしかない。そしてその間、これ以上艦を敵の超振動波の脅威に晒し続ける訳には行かなかった。

さらに、状況は尚も悪化する。

「前方のR戦闘機部隊より入電!敵は対R戦闘機に特化した部隊でありR戦闘機部隊の被害は甚大。早急に艦砲射撃による援護を求む、とのことです!」

「なるほどな、これは一杯食わされたようだ」

報告を受け、九条の表情も青ざめる。あまりにも、あまりにも状況は悪かった。

空間の歪みによって、小回りの利かない艦の足を止める。その上で艦とR戦闘機を分断し、鈍重だが堅牢、そして対艦クラスの攻撃力を持つ機動兵器を後方の艦にあてる。

そして対R戦闘機用の装備を持つ艦や機動兵器を、前線に送られるR戦闘機へとぶつけさせる。

これは敵の意図するところなのかどうかはわからない。それでも、今第二次バイド討伐艦隊は、まさしく絶体絶命とも言うべき状況であった。

状況を切り開く術があるとすれば、何とか眼前のオージザブトムを撃破するか、もしくは英雄あたりが時空の歪みの原因を断ち切ってくれるか、であろう。

 

「そして、人任せにできるほど暢気な状況では、ない」

どうにか、活路を切り開かなければ、待っているのは全滅だ。それはそのまま、人類の黄昏をも意味する。

「第三から第六部隊までで、動ける艦はなんとかザブトムを回避して前方に向かってくれ。代わりに、前線からはR戦闘機を三部隊ほど戻らせろ。ザブトムの足止めに回させるんだ」

そう、たとえどんな状況であれ、あきらめるわけにはいかないのだ。それが、かつての英雄との誓い。人類を守るという誓いと共に、背負った重荷なのだ。

「アスガルド級も前に出すぞ。負傷艦の後退した穴を埋める」

「危険です、いくら本艦でも、あの超振動波を受けては……」

「分かっている。だが、負傷艦をそのまま留めておくわけにも行かん。どの道、死中に活を見出すような仕事さ、これは」

「……了解しました」

そしてついに、アスガルド級も動き出した。交代する艦を守りながら、敵のこれ以上の侵攻を押し留めるように艦砲射撃を繰り返す。

損傷は与えられなくとも、足止め程度にはなるようだった。

 

「好き放題にやってくれるな……だが、これ以上はやらせるものかっ!!」

オージザブトムに肉薄し、幾度かの交錯を経て尚健在であったウェーヴ・マスター。超振動波の発射口は確認できた。陽電子砲の広域斉射では損傷を与えることはできなかったが、波動砲による精密射撃でなら、発射口を狙い打つことができるかもしれない。

そう考え、再びウェーヴ・マスターは砲火渦巻く空間へと飛び込んでいった。

ともすれば誤射の危険もある中を、ウェーヴ・マスターは自由自在に飛んでいく。そして更に放たれるバイド粒子弾。巨大な弾が漂いながらウェーヴ・マスターの元へと迫る。

「これ以上は、これ以上は……っ」

ひたすらにかわし、掻い潜り。機体性能の限界を、あからさまに一歩超えた軌道を描いて、ウェーヴ・マスターがついにオージザブトムに迫る。ザイオング慣性制御装置ですらも軽減しきれない慣性が、機体内部のパイロットを揺さぶる。

軋む体、喉の奥に広がる血の味。自分の体が壊れていくのを自覚しながら、それでも敵を討つために、彼は機体を突き進ませた。

 

「見えたぞ!こいつを、食らえぇっ!!」

そしてついに、オージザブトムの後頭部に備えられた超振動波の発射口に、ウェーヴ・マスターの波動砲が炸裂した。

全ての波動砲の、ひいてはバイドを討たんという人類の意思の、その祖となったスタンダード波動砲。その出力を極限にまで引き上げ、威力及び弾体サイズの向上しただけではなく、放射されたエネルギーが再収束することにより、より効率的な攻撃を可能としたもの。

ウェーヴ・マスター。波動をきわめた者との異名を持つ機体の放つ、スタンダード波動砲Ⅲであった。

 

「そんな……これでもまだ、無傷……なのか」

それでも、やはりオージザブトムの堅牢さの前ではそれも無力。叩きつけられた波動砲も、そして再収束する細かな波動の粒子でさえ、オージザブトムの表面を焼くばかりで、有効打とは成り得なかったのだ。

「まだだ、まだ、もう一発……っ!?」

それでも諦めず、再度波動砲のチャージを始めたウェーヴ・マスター。しかし、その頭上を覆う、影。それは、オージザブトムがその手に掲げた大鎌だった。

鎌自体がブースターを備え、それは恐るべき速度でウェーヴ・マスターへと振り下ろされた。最早、斬撃などと言う生易しいものではなかった。

振り下ろされたのは、圧倒的な破壊。それを為す異形の大鎌はあまりに大きく、あまりに無慈悲。その一撃は、線ではなく面を為して、ウェーヴ・マスターを寸断した。

必死に回避するもあたわず、大鎌の側面がウェーヴ・マスターを叩き切り、爆発が巻き起こる。

「そんな、そんな……っ。ならば、死なば諸共ぉぉぉっ!!」

機体の損傷は重大。だが、まだ推進部は生きている。ならばせめて、この身を弾丸と化して。

まさしくその一撃は、突攻としか言いようのない行動だった。そして陽電子砲ですら無傷である敵に対して、その行動はさしたる意味もない。

そう、思われた。

 

「く……まっすぐ、飛んでくれよ……ぉ」

辛うじて推進部が動くとは言え、最早機体のコントロールは完全に失われている。ウェーヴ・マスターはふらふらと漂い、超振動波の発射口へは向かわない。湧き上がるバイド粒子弾にぶち当たり、それを突き抜ける。

バイド粒子による汚染は脅威だが、直接的な破壊力には乏しいようで、ウェーヴ・マスターはそのまま、バイド粒子弾を吐き出すハッチへと吸い込まれていった。

そして、そのまま爆散する。

 

「……また一人、エースが逝ったか」

腕のいいパイロットといのは、非常に得がたいものなのだ。戦いで失われるのは仕方のないことだが、それでも心苦しくはある。九条は、苦々しい思いで未だに暴威を振るい続けるオージザブトムを睨んだ、だが。

「敵に変化あり。……これは、ウェーヴ・マスターが突入した箇所より、炎が噴き出しています!」

そう、今まで無敵の堅牢さを誇っていたオージザブトム。だがしかし、今。ウェーヴ・マスターの突攻が状況を変えた。

彼がその機体を突入させた、バイド粒子弾を吐き出すハッチ。そこから噴き出す炎は、ウェーヴ・マスターの爆発によるものだけではない。それを裏付けるように、オージザブトムが苦悶の声を上げた。

「効いてます!あのハッチです!バイド粒子弾を吐き出すあのハッチが、どうやら敵の弱点のようです!」

「……流石はエースだ。ただでは死なないということか。敵の弱点が分かった。そこに攻撃を集中させろ!なんとしても、奴を破壊するんだっ!」

彼の死を無駄にするわけには行かない。すぐさま九条は、各員に指示を飛ばした。

 

「しかし、厳しいな……これは」

敵の弱点を知り、攻撃を開始してより数分。既に無数のR戦闘機が、そして艦が敵弱点への攻撃を開始していた。だが、未だオージザブトムは健在。

というのも、弱点である場所に問題があった。バイド粒子弾を吐き出し続けるハッチは、そのバイド粒子弾そのものが防護幕となっている。

否応なくバイド粒子弾を破壊せざるを得なくもなり、バイド粒子の飛散も深刻であった。ハッチ自体はそれほど大きくもなく、艦砲射撃で狙うのも困難だった。

「汚染を覚悟で機体を突入させるか、汚染圏外から地道に攻撃するか……でしょうか」

傍らのガザロフもまた、困ったような表情で戦況を見つめていた。

「……いや、奴には超振動波がある。持久戦となれば、こちらが不利だ。一つ、博打を打つとしようか」

「何か策があるんですか、提督?」

信頼と、そして期待を込めてガザロフが問う。それに大して、九条はにぃ、とその笑みを深めた。

「あれを使う。パターンDからP。総員に通達!3分以内に準備を済ませろっ!」

「パターンDからPって……提督。それは……」

その意図を理解すると、今まで九条と共に数多の作戦を共に潜り抜けてきた彼女も流石に顔色を変えて、信じられないものを見るような目で九条を見つめた。

「……ああ、無茶な博打だろう?」

「無茶苦茶です。……でも、アスガルド級の性能なら、いけますよ!」

数多の戦場を経て築き上げた信頼と、その手腕への期待。そして、まるで新しいおもちゃを使いまわす子供のような純粋な好奇。

そんな感情を込めて、その眼をきらきらと輝かせながら。ガザロフは、九条に一つ、力強く頷いた。

 

「っ、ちきしょう。どんだけぶち込めば止まるんだ、こいつはっ!」

オージザブトムに攻撃を仕掛けたR戦闘機部隊。その隊長である男は、どれほど攻撃を加えても全くひるむ様子のない敵に、忌々しげに呟いた。

拡散して放射されるようになった超振動波は、R戦闘機の機動性をもってしても脅威。そして次々に放たれ、波動砲やレーザーを受けてバイド粒子弾が破壊されることで広がるバイド汚染。

それはついに、耐バイドコーティングを施された機体でさえも無視できないレベルにまで高まっていた。

「隊長……こちらドイル4、汚染レベルがゾーンBに突入。これ以上は……戦闘不能です」

「くっ……機体を破棄して脱出しろ。こんなところで死ぬなっ!」

ゾーンB、それは最早機体がバイド化するか否かというレベル。最早除染など望めるべくもない。できることといえば、即座に機体を破棄して、自分が汚染されていないことを祈るばかりなのだが。

「いえ、隊長……どうやら、脱出は無理なようです。……先に行きます。御武運を!」

ボコボコと、汚染された機体の表面から赤黒い肉塊が噴き出した。恐らく機体のバイド化が始まりだしたのだろう。それに伴い通信さえも途切れてしまう、そして。

バイド化し始めた機体は、そのままオージザブトムの後部ハッチへ向けて突撃する。まだ機体が動いてくれる内に、せめて一矢報いてやろう、と。

しかし高濃度の汚染を受け、コントロールを失った機体は狙った通りに飛ぶことはなく。無残にもオージザブトムの装甲に衝突し、そのまま弾けて潰えるのだった。

 

「どこまで……どこまで奪えば気が済むんだ、お前らはッ!!」

これだけの犠牲を払っても尚、敵は健在。あまりに多くの仲間が、たった一度の戦いで失われてしまった。隊を預かるものとして、それがまず許せない。

そして共に戦ってきた仲間達がこうして、無残に散っていくことが悔しくてならない。そして何より、何もかもを無常に奪い去っていくバイドが、憎い。

「ふざけるな、バイドっ!貴様が、貴様らがぁぁッ!!」

波動砲は既にフルチャージ。怒りに駆られ、彼は半ば衝動的にオージザブトムの元へと突き進む。

彼の乗機であるR-9DV2――ノーザン・ライツが持つ波動兵器、光子バルカン弾Ⅱは対多数における戦闘においては一定の優位性を誇ってはいたが、大型バイドを相手にするには力不足だった。

だからこそ、その突撃は最早自殺行為に他ならない。それでも止まらないのは、止められないのは、彼もまた戦いの狂気に駆られてしまったからなのだろう。

そんな彼に待ち受けていたのは、無意味なる死。その運命を押し留めたのは、彼の機体へと伝えられた一つの通信だった。

 

「こちらアスガルド級。ドイル1、無駄に死ぬような真似はするな」

九条の声が、突撃しようとしていたノーザン・ライツの動きを止めた。最早オージザブトムと交戦中のR戦闘機部隊でまともに戦えるのは、彼の率いるドイル小隊ともう一つ、既に隊長機を失ったエドガー小隊しか残っていなかった。

これから行う大博打を成功させるには、どうしても彼らの強力が必要不可欠だったのだ。

「これからアスガルド級で直接敵を攻撃する。ドイル1、エドガー小隊と共に敵の足止めを頼む」

「旗艦自ら攻撃!?血迷ったんですか、提督?」

旗艦が自ら、それもあれほどの巨大バイドに攻撃を仕掛ける。あまりにも危険。もし撃墜されてしまえば、そこで第二次バイド討伐艦隊は総崩れになってしまう。

「あんな敵が相手ともなれば、こちらも多少は無茶をせざるを得ないさ。だが、必ず成功させる。その為にも君達の援護が必要なんだ」

沈黙はわずか一瞬。答えはすぐに出た。どうせ命を懸けるなら、無駄に死ぬよりもわずかでも可能性のある方に懸けたい。散っていった部下達の無念を、奪われた多くの命の重さを、奴に思い知らせてやらねばならない。

「……我々は、何をしたらいいのです、提督?」

「アスガルド級を敵の背後に回らせる。 君達には、敵がこちらに向かないように敵をひきつけて貰う」

「いくらなんでも、あの大きさの艦が旋回するほどの時間を稼ぐのは無理です!それに背後に回ったところで、艦首砲ではハッチを狙うのは困難ですっ!」

隊長が述べたことは、まさしく道理である。アスガルド級ほどの大きさの艦である。普通に考えればその大きさに順ずるほどに、足回りは重いはず。

それも艦を動かしながらの旋回ともなれば、どう贔屓目に見ても数分は必要となるだろう。

それほどの時間を稼ぐというのは、やはり非常に難しい仕事だった。

 

「必ずやれる。せめて一分でいい、時間を稼いでくれ。……頼む」

「………本当に、やれるんですね」

無条件に九条を信用できるほど、彼は九条の手腕を知らない。グリトニルで共に戦い抜いてきたのならばともかく、彼の部隊は、第二次バイド討伐艦隊として地球で編成されたものであったから。

「君の部下達の命を、多くの者達の犠牲を、決して無駄にはしないさ」

「……分かりました。俺達の命、預けますよ。提督」

「任せて貰うっ!!」

これで必要な手は揃った。艦内の準備も全て整ったようだった。

 

「ではこれより、マニューバ・パターンDtoPへ移行する!アスガルド級を前進させるぞ、機関最大!進路上の艦は退避しろっ!!」

そしてついに、アスガルド級が動き出す。最新の、そして未だ未知の技術でさえも精力的に取り込んだ、まさしく人類最強の艦であるアスガルド級が、立ちはだかる脅威を、オージザブトムを破壊するため、一大作戦へと乗り込むのだった。

「ザブトムまで距離5000!交戦宙域突入まで60秒!」

順調にその艦体に速度を乗せ、アスガルド級はオージザブトム目指して突き進む。巨大な敵の接近を、オージザブトムもまた察知していた。そして、迎撃の為の力を放つ。

「超振動波の発生を検知!撃ってきますっ!」

ここからが大勝負だ、と。九条は一つ、ごくりと喉を鳴らした。超振動波発生のタイミングは、今までの交戦で既に把握している。後は、その機を逃さずやり通すのみ。

「タイミングを誤るなよ。第二艦橋、用意はいいかっ!!」

九条の傍らに常に付き従ってるガザロフの姿は、今は無い。だが、九条の声に答えて彼女の言葉が返ってきた。

「こちら第二艦橋、いつでもいけます、提督っ!」

 

オージザブトムの後頭部に光が宿る。超振動波が、直撃すればアスガルド級ですらもただではすまないその一撃が、放たれる。

改良され、広域に攻撃可能となったその超振動波はある程度の距離を直進した後分裂し、広域に破壊をもたらす攻撃として威力を発揮する。それは言い換えれば、発射直後はただ直進することしかできないということで。

「超振動波、来ますっ!!」

「よしっ!総員、ディバイドシーケンスへ移行っ!」

放たれる超振動波。既にアスガルド級は、オージザブトムのすぐ側にまで近づいている。放たれたその超振動波を、回避する術などないと思われた。

だが……。

 

アスガルド級が、その巨大な艦体が、上下に割れる。そしてその後、すぐさま別々の方向に急加速。放たれた超振動波は、その隙間をただ通り抜けていくだけだった。

アスガルド級が無数に抱える秘密兵器。その一つが、この分離、合体機能である。

両翼と武装の大半を備え、耐久性と攻撃力に優れる主翼部と、全五基の波動エンジンの内三基を持ち、機動性と加速力に優れる艦艇部。分離と合体を自在に使い分け、より効果的に敵を攻撃する。

それが、アスガルド級の本来の戦い方なのだ。

 

「超振動波、回避に成功!艦艇部、主翼部共に損傷なし!」

「引き続きピンサーシーケンスへ移行!主翼部部はこのまま敵を攻撃する!決して敵に背を向けさせるなっ!!」

「了解っ!!」

オージザブトムの周囲は、既に高濃度のバイド粒子で汚染されている。アスガルド級とて、長時間居座れば汚染の危険は否めない。すぐさま汚染圏外へと離れ、艦上部はそのままオージザブトムへの攻撃を開始した。

無数の追尾レーザーとミサイルがその巨大を灼く。しかし、それもダメージを与えているとは言えなかった。

本命は主翼部である。艦艇部とR戦闘機部隊が敵の注意を引き付けている間に、主翼部が後方から一撃を叩き込む。

グラムヘイズ砲、ヴィンゴルブ砲。それぞれが一撃必殺の威力を持つ陽電子砲であり、従来の艦首砲とはまた異なる性質を持つ兵器であった。

だが、それは本来合体状態でなければ放つことのできない代物で、予めチャージを済ませた状態であっても、双門の同時発射を行えば一時的にではあるが、主翼部はその機関を停止してしまう。

 

一発勝負である。外せば最後、最早主翼部は動くこともままならない。

 

「主翼部180度旋回!旋回と同時に主砲の照準を合わせて。M式慣性制御装置、稼動開始してくださいっ!」

主翼部に備えられた第二艦橋。九条の指揮する第一艦橋と比べて、やや砲手の数は多い。その第二艦橋にて、ガザロフは九条の命の通りに指揮を執る。

最大船速における急旋回。

R戦闘機ならばいざ知らず、サイズの大きい戦艦である。それによって発生する慣性の衝撃は、最早艦船用のザイオング慣性制御装置でさえも制御しきれない。急旋回に伴い発生するGに、人体も艦自体も、耐えることはできない。

だからこそ、更なる慣性制御を可能とする術が必要だった。

 

そしてそれは、魔法の力によって成し遂げられた。

慣性制御、あるいは重力制御を可能とする魔法を持つ魔法少女、そのソウルジェムを艦中枢部に搭載し、艦の設備でその魔力を増幅すると同時に、処理された魔女が残した物質によって発生する穢れを除去する。

それにより、アスガルド級は一時的にではあるが、R戦闘機に匹敵する機動性を持つことが可能であった。

M式慣性制御装置の力により、ついに主翼部はその巨大な艦体を旋回させた。照準は既に、オージザブトムの背部、上下に二つ設置されたハッチを捉えていた。

だが、収束する膨大なエネルギー。それがもたらす脅威に気づいたのだろう。オージザブトムは、前方より迫る敵に構うことなく姿勢制御用のバーニアに火を入れた。

 

「まずいな、後ろに気づかれたか」

必死に艦艇部の武装でオージザブトムを攻撃しながら、九条が苦々しく呟く。このまま振り向かれてしまえば、ハッチを狙うことはできなくなる。

「なんとか奴の足を止めろっ!振り向かせるなっ!!」

既に艦艇部の他にもドイル小隊、エドガー小隊がオージザブトムへの攻撃を続けている。だが、それを意にも介さずオージザブトムは背後の主翼部へと攻撃を仕掛けようとしている。

止められない。九条の胸中にも絶望が宿った。

 

「……提督」

それは、ドイル小隊の隊長からの通信だった。

「どうした、何かあったのか!」

焦燥を隠し切れない九条の言葉、それを受け止めて、彼は覚悟を決めた。

「奴の足を止めます。だから、必ず奴を倒してください。俺達の無念を、どうか晴らしてください」

「っ!?何をする気だ!」

その言葉に、何か尋常ならざるものを感じて九条が叫ぶ。だが、そのときにはもう通信は打ち切られてしまっていた。

 

「我らの死は無駄ではない!必ずや、人類の未来の為にっ!!」

ノーザン・ライツが、オージザブトムへ向けて突撃する。だが、その胸に宿るのは最早怒りと衝動ではない。人類の未来の為に、自らの為すべき事を為すのだという、誇り高き意志だった。

それに続いて、ドイル小隊とエドガー小隊の機体もオージザブトムへと向かう。そして彼らは、放たれるバイド粒子弾を次々に打ち砕き、その身をバイド粒子に汚染されながらもオージザブトムの機体各所に設置された、姿勢制御用のバーニア内部に突っ込んでいった。

「そうか……奴を、止めるためにっ」

その姿を、彼らの覚悟に思わず九条の声が揺れた。零れそうになる涙と嗚咽を堪えて、九条は戦況を見据える。

姿勢制御用のバーニアは、R戦闘機の突撃でさえ壊れることはない。だが、吐き出される推進剤がその機体を焼き尽くすまでの僅かな時間、その身の動きを留める事に成功していた。

その一瞬の時間が、全ての命運を分けたのだった。

 

「照準よし!グラムヘイズ砲、ヴィンゴルブ砲、放てぇぇぇーっ!!」

主翼部、その双翼に先端に備え付けられた双門の砲台。そこから、眩い光を放って二筋の閃光が放たれた。

それは、従来の艦首砲のように一撃で放たれるものではなく、あたかもシューティング・スターの圧縮波動砲のように、長時間の照射を可能とするもので、さらに砲台自体が可動性を持ち、照射後に続けて照準を変更することが可能であった。

だからこそ放たれた二筋の閃光は、オージザブトムの装甲を焼き、更にそのまま弱点である背部のハッチを、貫いた。

オージザブトムは、かつてないほどに大きな苦悶の声を上げる。その堅牢な装甲の隙間から、激しい光が噴き出している。やがて、一度その身体が膨らんだかと思うと、次の瞬間。

 

鋼の巨体が、異貌なる魔人が、眩い光を放って消滅した。

 

 

艦内が歓声に沸き立った。

「……こっちはどうにかなったか。後は、時空の歪みの原因だな」

機関を停止した主翼部とのドッキングを命じ、ようやく九条は一つ息をついた。後は英雄に任せるしかない。こちらにできることはもう、残りの敵の掃討だけだ。



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第17話 ―オペレーション・ラストダンス(前編)―④

跳躍空間の果ての果て、捩れた時空の中枢に、鋼の妖花が舞っている。
共に立ち向かうは英雄と、死すべき定めを超えた少女達。

織り成す魔法と破壊が交わる果てに、一つの戦いが決着する。


「反応が近い、もうすぐ着くはずね」

再び立ちはだかる敵艦やゲインズを、そして宇宙の闇に混ざって迫り来る、ブラックカラーのキャンサー達を次々に打ち砕いて、ラストダンサーは戦場を駆け抜ける。

その眼前に存在するのは敵のみで、その後ろにあるのもただ敵だけだった。唯一違うこととすれば、彼女の背後に存在する全ての敵は、無残にも打ち砕かれているというだけで。

時空の歪みの原因だと思われる、一際大きなバイド反応。その存在する場所へと、もうすぐ到着するだろう。このまま潰して、それで終わりだ。

だが、それを阻むように立ちはだかる敵艦。上下から挟み込むように迫り、その全身に設置された砲台から、濃密な弾幕を展開しようとしていた。

 

「その程度……」

ラストダンサーの前には恐るるに足らず。すぐさま対処しようとし、フォースを変化させた。

丁度、その時に。

『頑張っているようだね、スゥ』

頭の中に響いたその声。それは、彼女にとっては忌まわしい声。だからこそ何故、と。戸惑いは一瞬、彼女の動きを遅らせた。

機体を掠める敵弾。衝撃と損傷報告を受け、すぐさまスゥは意識を戻す。

 

『どうやら、取り込み中だったようだね』

「煩い、黙れぇッ!!」

自分の声が届くのかどうかも分からない、けれど今は話している場合でもない。一声鋭く叫んでそして、スゥは機首を翻す。次々に放たれる弾幕。そのもっとも濃密な地点へと、フォースを掲げて突っ込んでいく。

そのフォースは、TL-1B――アスクレピオスに装着されていたもので、他のフォースにはない、唯一無二の性能を持っていた。

次々に放たれ続ける敵弾が、そのフォースによって受け止められる。通常ならばそのままフォースに吸収され、ドースとしてフォースのエネルギーと化すはずだった。

だが、違う。

そのフォースの名はミラーシールド・フォース。施された鏡面処理により、敵弾を跳ね返すことのできる能力を持った、非常に稀有なフォースである。

だからこそ放たれた敵弾はそのままフォースに跳ね返され、次々に敵艦へと突き刺さっていく。まずは艦表面に無数に設置された砲台が蜂の巣となり、更には艦の装甲までもがボロボロにされていく。

砲台の多くがそれで沈黙し、ラストダンサーを囲っていた弾幕にも隙間ができる。その隙に、ラストダンサーは一気に後退。上下から挟み込む艦の後方へと回り込む。

そして。

 

「沈めっ!」

フルチャージの波動砲が放たれる。解き放たれた波動エネルギーの塊は、僅かに直進した後に弾けた。そして無数の光へと分裂し、敵艦へと食らい突いた。

拡散波動砲。波動砲の中では極めて初期に開発されたものであるが、デルタやウォー・ヘッドという、過去に対バイドミッションに投入された機体に採用されている、非常に信頼性の高い波動砲である。

そしてその拡散波動砲は、期待された通りに上下を塞ぐ敵艦に食らいつき、それを破壊した。

 

「……なんだったの、今のは」

あの時の声は、本来こんなところで聞こえるはずのないもの。ついに幻聴でも聞こえてきたのだろうか、と。一つため息を吐こうとしてその為の肺も、喉も口も、自分にはないことを思い出した。

こんなことが続くようでは、とてもではないが戦ってはいられない。気をしっかり持たなければ、うっかりとこんなことで死んでしまっては笑えない。

『どうやら落ち着いたようだね、スゥ』

「っ!?……何故、お前が。インキュベーターっ!!」

そう、その声の主はキュゥべえだった。スゥにとっては、まどかと自分を引き離した憎い相手。いうなれば、最早敵である。

そんな奴が、何故。

『まどかの力を借りて、キミにボク達の意思を伝えているんだよ』

答えは、すぐに与えられた。ただその答えはスゥを激昂させた。

「まどかに……まどかに、何をした、貴ッ様ァァァっ!!」

『きゃっ……お、落ち着いて。スゥちゃん。私は大丈夫だからっ』

「ま、まどかっ!?でも、どうして……」

続けて聞こえてきたのはまどかの声。ずっと聞きたいと思っていた声。その声が直接頭の中に響いてきた。それだけで、激しい怒りはスゥの中から消え去っていた。

そして残ったのは、純粋な疑問。

 

『キュゥべえの力を借りて、スゥちゃんとこうしてお話できるようにして貰ったんだ』

まどかの声は、どこか嬉しそうに弾んでいた。

『その通りさ、まどかの持つ能力と、それを増幅するためのハード。これを用意するのはなかなかの手間だったけど、おかげでこうしてキミのサポートができる。そういうわけだから、これからはボク達もキミのサポートに回らせてもらうよ』

『私も、何もできないかもしれないけど……一杯応援するからね、スゥちゃんっ!』

キュゥべえのサポートは、正直言って疑わしい。けれど、頼りにならないわけではないだろう。そして何より、まどかの声が聞こえるのが嬉しい。あの日病室で別れて以来、一度としてまどかの声を聞くことができなかったのだから。

「うん。……すごく嬉しいよ。これで百人力だ。ありがとう、まどか」

けれど、唯一つだけ引っかかる。

「でも、大丈夫なの?まどか……詳しいことは分からないけど、凄く大変なんじゃないかな。こんなところまで……声を届けるっていうのは」

能力を増幅するためのハード。それが一体なんなのかは分からないが、それがまどかの負担になっているのではないか。だとしたら、すぐにでも止めさせなければならない。

それでなくとも、スゥはまどかほどキュゥべえの事を信じてはいないのだから。

 

『問題はないよ。このハードの有用性とまどかの安全は保障されている。キミがラストダンサーとのマッチングをしていた間、ボク達もこれの調整と実験を進めていたんだからね』

まどかは柔らかなクッションの敷かれた椅子に座り、その頭に奇妙な装置をつけている。そしてそんなまどかの隣には、生身の身体のキュゥべえが座っている。

木星の衛星であるカリスト。その公転周期に寄り添うように存在する、巨大な人口天体。その中で、まどかとキュゥべえはスゥに言葉を伝えていた。

それは対バイド戦が敗色濃厚となったとき、人類という種を守るため外宇宙への逃亡を行うための箱舟。まさしくその名の通りにアークと呼ばれ、秘密裏に建造されていたものだった。

まどかとキュゥべえは病院を退院した後、すぐにこのアークへと移動していた。そして、オペレーション・ラストダンスを遂行するスゥを助けるため、直接彼女と通信を取る術を、その為にまどかの能力を増幅する装置を、ずっと開発し続けていたのだ。

アークには、既に全世界から選別された10万人の人間が収容されている。生殖可能な年齢の男女を同比率で。そして箱舟を維持するためのできる技能を持った者達が、アーク中枢部のコールドスリープ装置の中で、目覚めの時を待ち続けていた。

バイドが討伐されればそう遠からず目覚めるだろう。だがもしそうならなければ、目覚めの時は遠い。

 

まどかの能力を増幅するためのハード。それは、このアークに眠る10万人の脳そのもの。仮死状態にある脳の領域の一部を使用し、電脳として連結している。もちろん負担はあるだろうが、10万という数を集めることでそれは飛躍的に軽減されていた。

まどかもその事実を知り、心を痛めているようではあったが、それでもスゥを救うためとその事実を受け入れていた。

「それで、サポートと言うけれど……何をするつもり?もちろん、私はまどかの声だけでも十分すぎるほどに十分なのだけど」

まどかの名前がこぼれ出る度、スゥの口調は優しくなった。

『キミの機体とのリンクも完了してあるからね。キミの機体が入手した敵データは、自動でこちらにも送信される。それを解析して、キミを助けることくらいはできるだろう』

「そう、それはありがたいかもしれないわね」

そしてキュゥべえに話しかける時には、すぐにその口調は固く冷たいものとなる。自分の心を包み隠して生きられるほど、スゥの心は大人ではない。幼い、まさしく生まれたばかりの心が宿るのは、史上最強のR戦闘機という身体。

あまりにもちぐはぐな最終兵器。それがスゥで、偽りの英雄で、ラストダンサーだった。

 

「そろそろ敵の中枢が近いわ。……必ず勝つ。だから、見守っていて。まどか」

『うん、信じてるから。スゥちゃんが勝って帰ってくるって。見てるから、全部!』

どれだけ距離は離れても、異なる次元に別たれても。心は常に共にある。それを、実感することができる。身体が軽い。こんな気持ちで戦うのは初めてだ。

「……もう、何も怖くない」

そしてついに、時空の歪みの元凶。巨大なバイド反応が、スゥの眼前へと現れた。

 

それは、機械仕掛けの種のよう。もしくはカプセル、あるいはラグビーボールのような。くるくると錐揉みしながら、それはスゥの元へと迫る。

その動き自体は非常に緩やか。何一つとして、攻撃を仕掛けてくるような様子はない。それはあくまでただの外皮。それが弾けたとき、ついに本領が発揮されるのだ。

まるで蕾が開くように、その種は四つの花弁に分かれて開く。その中枢には、コアと思しき二つの物体。

『ファインモーション、防衛用の無人攻撃兵器だね』

「データがあるの?……でも、必要ないわ」

問答無用、とばかりに開いた花弁の内部へと突入。4枚の花弁の内2枚が、ちぎれてラストダンサーの上下に展開された。

何のために。そんなことを考える必要も無い。ギガ波動砲は、既にフルチャージで完了済みなのだ。どれほど敵が強力だろうと、これを防ぎうるものなど存在しない。

 

「消し飛べっ!!」

ギガ波動砲のフルチャージが、花弁に包まれた空間内部で炸裂した。だが、その閃光は不可思議に捩れ、歪む。そして花弁やその中央のコアを一切傷つけることなく、花の隙間をすり抜けていった。

後には、無傷のファインモーションだけが残されている。

「な……っ」

思わず我が目を疑う光景。だが、奇襲が失敗したというのは事実。

ならばどうする、敵の能力が分からない上に、敵はギガ波動砲すらも無力化する。このまま正面切って戦い続けるのは些か不利だと考えた。

 

『どうやらファインモーションは、時空を歪めて攻撃が届かないようにしたんだろうね。 恐るべき空間干渉能力だ、これは一筋縄ではいかないだろうね』

「っ……データがあるなら教えなさい。どうすれば、あれを倒すことができる」

結局頼らざるを得ない。

その事実をかみ締めながら、苦々しくスゥはキュゥべえに言葉を投げつけた。

『……わからない。ファインモーションの武器は、内壁部に搭載された大出力のレーザー砲だ。それを内壁に反射させて攻撃するのが主な攻撃方法のはずなんだ。恐らく、空間干渉自体はバイド汚染を受けた事で備わった能力なのだろうね』

「……役立たず。っ、来るわね」

展開した花弁から、赤いレーザーが放たれた。角度を変え、回転しながら連続して放たれるレーザー。数はかなり多い。だが、ラストダンサーの機動性の前ではほぼ無意味。

しかし、後方へと抜けたレーザーはそのまま展開された花弁の内壁に反射し、更にラストダンサーに牙を剥く。

 

だが、それ自体は予想の範疇。

キュゥべえから与えられた情報だけで、十分に対処できるものだった。だが、ファインモーションにはバイドの侵食によって与えられた空間干渉能力があった。

それが効果を発揮し、空間が歪む。そして。

 

「な……くぅっ?!」

その歪みによって、レーザーの軌道さえもが歪んでいく。一面を埋め尽くすほどに放たれ、さらに不規則に歪んだレーザーにはラストダンサーですら回避はかなわず、その背部ブースターに赤い光が食らいついていた。

小規模な爆発が起こり、ラストダンサーの機体が弾き飛ばされる。損傷は軽微。抜群の生存能力を持つラストダンサーならば、まだ十分に戦いを続けることは可能だった。

だが、状況は極めて悪い。攻撃は通用しない。そして敵の攻撃は、プログラムに則ったレーザーの反射による攻撃ならば、ラストダンサーにとっては脅威とはならない。

だが不規則に生じる空間の歪みは、その攻撃を回避困難なものへと変えていた。

『このままでは勝ち目はないよ。一旦距離を取って、解析が完了するまで時間を稼ぐんだ』

「悔しいけれど、そうするしかないようね。一旦撤退するわ」

続けてレーザーが放たれる前に、ラストダンサーは離脱する。花弁の間をすりぬけて、外へ。

 

 

「な……っ?!」

その直後。ラストダンサーの動きが止まる。外へと飛び出そうとしていた機体は、まるで見えない壁に遮られるかのようにその動きを止めていた。

「どういうことなの、これは」

理解が追いつかない。わかるのはただ、ここから逃れることすらできないということだけで。

『まずいよ、空間を封鎖された。このままじゃあ逃げることもできない』

「どうすればいい?」

流石のスゥにも、言葉の端に焦りが混じる。

『とにかく解析を急ぐよ、それまで何とか耐えてくれ』

「……やっぱり役立たず。もういいわ」

結局、どうにか耐えるしかないということか。

 

『大丈夫、スゥちゃんっ!』

それでも何故だろう。この声を聞くだけで、まったく負ける気がしないのだ。きっと表情があったなら、スゥはニヤリと不敵に笑っていただろう。

「大丈夫よ、私は負けない。まどかが見守っていてくれるなら……絶対に!」

再びレーザーが放たれようとしていた。だが、その直前に。外から飛び込んできたミサイルが、レーザーの発射口を破壊した。

その一撃に敵はたじろいだのだろうか、次なる攻撃は放たれることは無く。一瞬の隙を突き、この閉鎖空間に飛び込んできた機影が、二つ。

 

「手こずっているようだね、手を貸そう」

「助けにきたわよ、英雄さん」

黒と白の機体。

ダンシング・エッジとヒュロスが。呉キリカと、美国織莉子の姿がそこにあった。

「ここまで追いかけてくるのは、随分と大変だったよ。おまけにこんなデカブツがいたなんてね」

「それに、随分苦戦しているようだもの。やっぱり、助けに来て正解だったわ」

互いに言葉を交わしながら、二機は閉鎖空間内に舞う。

 

「……何をしたの、どうやってここに入ってきた。どうやって奴に攻撃を当てたの?」

けれどそんなことよりも、スゥにはそれが疑問だった。この空間は、ファインモーションによって閉鎖されているはずなのである。そこに、この二人は事も無く進入を果たした。更にはギガ波動砲でさえ受け流した敵に攻撃を当てて見せたのである。

前者については、出るのは困難だが入るのは容易い、そういう空間なのかもしれないと推測はできる。だが、後者についてだけはどうしても説明がつかなかったのだ。

「織莉子が示してくれるんだ。いつ撃てばいいか、どう撃てばいいか!全部織莉子が教えてくれる、だから私達は負けないんだっ!」

「詳しい説明をしている時間はありませんが、敵を攻撃するべきタイミングは分かるわ。そして、敵の攻撃のタイミングも。……来るわ。キリカ、お願いね」

言葉を交わすも、事情はさっぱり分からない。だが、確かにファインモーションも先ほどの攻撃から立ち直り、すぐさま次のレーザーを放とうとしている。

またしても、反射と時空の歪みが合わさり、回避困難なレーザー攻撃となる。今度こそ回避を、と意識を絞り込んでいくスゥに、再び通信が届いた。

 

「座標を指定するわ。そこに移動して。……大丈夫よ、そこなら攻撃を受ける心配はないわ」

「……了解よ」

あまりに不可解。けれど、キュゥべえも頼りにならない今、それに縋るしかない。指定された通りの座標に機体を移動させた。

「そのままそこを動かないでいて。そうすれば、無事にやり過ごせるわ」

言葉と同時に、ファインモーションからの攻撃が放たれる。キリカの機体が先頭に、そしてその後方に織莉子とスゥの機体が並ぶ。前方の花弁より放たれたレーザーは、後方に開いた花弁に反射して

さらに時空の歪みでその進路を歪め、恐るべき攻撃と化して迫り来る。動くなといわれても、動かなければかわせるような攻撃ではない。今度こそ見切ると、そう意気込んだ。

だが、放たれたレーザーは後方の花弁に当たることなく、そのまま遥か後方へと消えていく。僅かに一本、花弁の端を掠めて反射したレーザーも、空間内を跳ね回るだけで、結局、誰の機体をも掠めることなく消えていった。

「ね、言ったでしょう?じっとしてれば当たりはしない、と」

少しだけ得意げな声で、織莉子がスゥにそう告げた。

「何をしたの、一体?」

あれほどの恐ろしい攻撃を、微動だにせず回避してしまう。一体何をしたのだろうか、スゥには全く理解することができなかった。

 

「魔法……なんてものがあるとしたら、キミは信じるかい?」

同じく得意げな声のキリカが、スゥに話しかける。

「魔法……まさか、お前達は」

その言葉と、戦う声は少女の声。思い当たることなど、たった一つしかなかった。

「どうやら、心当たりはあるようね」

「察しの通り!私達は、本物の魔法の使える魔法少女だっ!」

得意げなキリカの声。それが、スゥには面白くない。

彼女達が魔法少女なら、スゥもまた魔法少女である。歪んだ実験の成果として魔法を得た彼女達よりも、願いと引き換えに魔法少女と化したスゥの方がよほど真っ当な魔法少女であるとも言えた。

けれど、スゥは未だその魔法の力を使えずにいた。TEAM R-TYPEの元でさまざまな処置を受けもしたが、それでも尚、スゥの魔法の力が目覚めることは無かったのである。

もっとも、魔法が使えるということはそのまま魔女化の危険があるということで、優れたパイロットユニットとしてのソウルジェムだけを求めていた彼らにとって、それは好都合なことだった。

それでも、目の前にこうして魔法を駆使する本物の魔法少女が現れてその力が、あれほど苦戦していた敵をこうも容易く御しえている。

やはり、その力が欲しいと感じてしまう。強力無比な魔法の力さえあれば、こんな敵に遅れを取る事もないのではないかと、どんなバイドでも負けはしないのではないかと思う。

だからこそ、その二人が魔法を駆使して戦う姿は不愉快で、そして羨ましくもあった。

 

「あのバイドの攻撃は、発射されるレーザーとその反射。そして空間の歪みからなるわ。恐らく、それは寸分の誤差も無いほど精密に計算されて放たれているのでしょうね」

次なる攻撃と、更なる反撃に備えて、波動砲のチャージを進めながら織莉子が言う。

「だからこそ、私の魔法で敵のレーザーの速度を少しでも落としてやれば、もうまともな攻撃なんてできない。多少は跳ね返ってくるかも知れないけど、それは当たらない場所を織莉子が教えてくれるっ!」

同じく波動砲のチャージを進め、敵を狙いつつキリカが言葉を継いだ。

織莉子の持つ未来予知、そしてキリカの持つ速度低下。その二つの力が、ファインモーションの攻撃を完全に封じ込めていた。

「……それなら、敵に撃たれる心配はなくなりそうね」

面白くは無いが、それでもこの状況は実にありがたい。

「それで、攻撃のタイミングまで教えてくれるのかしら?」

同じく波動砲のチャージを進めながら、スゥが問う。守りはひとまずよし、となれば次は攻め手が必要となる。先ほどのミサイルの一撃は十分に効果を与えたようだが、それ以降一切攻撃を行っていない。

攻撃のタイミングが分かると言うのなら、こちらもそれにあわせて攻撃を行うしかないのだ。

 

「……今のところはまだ、ね。しばらくはこのままやり過ごすしかないわ」

「そう、任せるわ」

今のところ、ファインモーションからはレーザー以外の攻撃は見られない。それだけならば、十分にやり過ごすことは可能なのだ。後はどうにか攻撃できるタイミングを見極めるか、キュゥべえの解析が終了するまで耐えるだけだ。

 

『どうやら、状況は大分改善したようだね』

「ええ、後はそっちが頑張ってくれると助かるのだけど」

『一応解析は進んでいるよ。どうやらファインモーションは、時空の歪みを攻守に利用しているようだ。その威力はさっき見た通りだね。フルチャージのギガ波動砲すらも無効にする防御力は、恐ろしいものがある』

どこか感心している風もあるキュゥべえの口調、それがまたスゥの苛立ちを煽る。

「こっちは命がけで戦っているのよ。あいつを倒す術があるなら、さっさと話しなさいっ!」

どうにも募る苛立ちは、その口調の棘をより鋭くさせた。こんなところで、止まってなどいられないと言うのに。思うようにならない状況が、スゥには非常に苛立たしかった。

『そう言えばそうだったね。それじゃあ話すよ。ファインモーションを撃破する方法を』

言葉の途中で、再びレーザーが放たれた。再度、織莉子とキリカの魔法がその攻撃力を奪う。

 

「……結構、きついな」

「ええ、確かにこれはちょっと、辛いわね」

実際なところ、この二人にもあまり余裕は無かった。

織莉子は常時予知を続けなければならない。キリカは、広域に魔法を展開させなければならない。そのどちらも、二人にかかる負担は大きい。

ソウルジェムの穢れも、直に深刻なレベルに到達することだろう。だからこそ、早く攻め手に移らなければならないというのに。

 

「織莉子っ、まだかい、まだ撃てないのかいっ!」

「ええ、駄目よ。今撃っても、あいつには届かないわ」

二人の声にも焦りが混じる。どれだけの未来を見ても、今の二人にはファインモーションを撃破しうる未来は見えてこないのだ。

「まったく、英雄って言うのは名ばかりなのかいっ!?」

悪態交じりにキリカがスゥに言う。けれど、スゥは何も言葉を返すことなくただ、キュゥべえの言葉を聞いていた。

状況は動かない。そう思われた。けれど、更なる敵の攻め手が現れる。

「織莉子、次が来るっ!どうすればいい?」

「これは……機体を上昇させて、すぐに……っ!?」

言葉を遮り、機体が揺れる。上昇しようとする機体さえ、何かに阻まれている。その元凶は、後方に展開した花弁より放たれる謎の光。その光を浴びた瞬間、急速に機体が花弁へ向かって引き寄せられたのである。

「な、なんだいこれはっ!?機体が、引き寄せられる……っ」

「トラクタービームよ、こんなものまで持っていたなんて……。レーザーも来るわ、何とか離脱して回避を……っ!」

前方に展開していたキリカは、そのまま前方に引き寄せられていく。織莉子とスゥの機体は後方へ。いずれも必死に出力を上げて抗った。

 

「ラストダンサーの出力なら問題はないけれど……このままじゃ、まずい」

動きが乱れ、回避する動きも遅れてしまう。そしてそんな窮地にある三機を更に追い詰めるように、ファインモーションはレーザーを放った。赤い光が跳ね返り、そして複雑に歪む。動きを制限された状態で、どこまで回避しきれるか。

「このままじゃ皆仲良く撃墜だ。やるしか……ないッ!」

「キリカ、駄目よっ!」

ダンシング・エッジが、その機体表面が光を放つ。

宇宙の闇の中ではきっと見えなかっただろう。赤い閃光に埋め尽くされた空間でこそ初めて見えるその光は、黒く輝く光であった。

そして、時の針はその歩みを留めた。空間を埋め尽くしながら、ゆっくりと迫る赤い光。触れれば焼ける無数の死線が、閉鎖空間内を跳ね回り、そして外へと飛び出していった。

 

「……無事、乗り切ったようだね」

「また無茶をして……大丈夫なの、キリカ」

「今のが、魔法」

スゥも、織莉子も、キリカも。その死線を潜り抜け尚健在だった。だが、被害は0ではない。即座にトラクタービームを抜け出したスゥは無傷であったが、抜け出すことのできなかった織莉子とキリカは、交わしきれずにいくつも被弾していた。

損傷はかなり大きい。キリカの機体などは、キャノピーまでもが熱でひしゃげてしまっている。

「はは、普通の人間だったら死んでたね。大丈夫……まだ、“私”は保ってくれるようだ」

どこか面白がっているようなキリカの声。速度低下の魔法を最大限に引き出し、致命的な攻撃の速度を緩めた。その結果、どうにかまだ動ける程度の損傷で済ませることができたのだ。

もちろん代償は大きい。恐らく、ソウルジェムの限界は近い。

「よかった、キリカ……」

たとえそれがやせ我慢でも、元気そうな声が聞こえて織莉子も安堵した。けれど、これ以上は時間は無い。そんな二人にスゥは言葉を投げかけた。

 

「どうやら生き延びたようね。じゃあ、反撃よ」

ファインモーションは、自分に向けられた攻撃の全てを時空を歪めて防御している。その防御は非常に堅牢で、通常の方法で撃破することは難しい。

だが、それを貫く方法がないわけではない。空間そのものに干渉することができれば、ファインモーションの防護を破り、直接ダメージを与えることができるようになる。

その為の術は、確実にR戦闘機に存在していた。それが、キュゥべえから告げられたファインモーションの攻略法であった。

 

「Δウェポンを使って、それで敵の防御を破る。恐らく敵は再び空間を歪めようとするでしょうけど、あれだけのことを即座にできるとは思えない」

「でしたら、その瞬間に一斉に波動砲を浴びせれれば」

「奴を倒すことができるはずよ。必ず」

無数の敵を、そして敵弾を掻い潜ってきたことで、既にドースは最大限に溜まっている。すぐにでもΔウェポンは打ち込める。波動砲のチャージも、直にフルチャージとなるだろう。

「それはなかなかよさそうだ。波動砲のチャージは完了してるし、いつでもいけるさ」

「私もよ、準備はできているわ」

準備は万全。後はギガ波動砲のチャージの完了を待つばかり。

「タイミングはこちらに合わせて。ギガ波動砲のチャージ完了と同時に仕掛けるわ」

「了解だ、任せるよっ」

「了解よ、こちらでもできる限り支援するわ」

まだ二人が戦える内に、敵が更なる手を打つ前に。一気にケリをつける。ギガ波動砲のチャージを進めながら、スゥはファインモーションへとその機首を向けた。

 

「仕掛けるわ。歪みが消えたら、一斉に波動砲を叩き込む!」

フォースシュート。時空の壁に衝突し、動きを止めたフォース。そしてスゥは、フォースに蓄えられたエネルギーを開放した。

広がるエネルギーのフィールド。フォースに蓄えられたエネルギーが、この捻じ曲げられた空間に更なる時空歪曲を発生させた。ネガティブコリドーと呼ばれたそのΔウェポンは、跳躍空間を限界を超えて捻じ曲げ、そして破壊した。

まるでガラスが砕けるように、湾曲した時空がひび割れて砕ける。後に残されたのは、その身を守る盾を失った、哀れな妖花ただ一つ。

 

「砕けろ、バケモノっ!」

クロー波動砲が。

 

「退きなさいっ!」

バウンドライトニング波動砲が。

 

「い・ま・だぁぁぁっ!!」

そしてその二つの光を飲み込んで、圧倒的な破壊をばら撒くギガ波動砲が。

ファインモーションの中心に存在するコアを、貫いた。

 

光が止むと、その後には。コアを失い、爆発の中へと没していく妖花の姿があった。

「バイド反応急速低下……これで終わりね」

『やったね、スゥちゃん!』

「ええ、貴女のおかげよ、まどか」

戦いの高揚が静かに収まっていき、その後に柔らかで、暖かなものが満ちてくるのを

スゥは感じていた。

 

だが、そんなスゥの機体に。同じく並ぶ織莉子とキリカの機体にも、警報が走った。

「何だい何だい、今度は何なんだい!?」

「これは……まずいわね。さっきのΔウェポンのせいで、周囲の跳躍空間そのものが破壊されてしまったわ」

敵は倒したはずなのに、まだ窮地は終わっていない。

「それは……どうまずいんだい、織莉子っ」

「このままだと、跳躍空間が崩壊して、どことも知れない異層次元に放り出されてしまう。即座にこの宙域から脱出しないと……っ!?」

その時織莉子の意識に飛び込んできた、一つのビジョン。それはすぐさま現実に変わる。

爆発しながら潰えていくだけのはずだったファインモーション。その花弁が、まるで少女達を逃さないとでもいうかのように、狭まり始めたのだ。

このまま包まれてしまえば、共に爆発するか、それとも異層次元に放り出されるかだ。

 

「脱出を!……く、機体がっ」

やはりファインモーションは、少女達を道連れに潰えるつもりなのだろう。最後の最後に一際強力なトラクタービームが放たれ、三人の機体を捕らえた。そうする内にも、少女達を閉じ込めようと花弁は迫る。

 

それはまさしく、絶対絶命の危機。

 

 

「……英雄一人と兵士二人、比べるまでもないわね」

織莉子が、どこか諦めたような声を放つ。

「キリカ。いいわね?」

「織莉子が決めたのなら、私はいいとも」

キリカも何かを察したようで、同じくどこか諦めたように言う。

 

「何をするつもり、二人とも」

何か、その二人の言葉に危ういものを感じて、スゥが問う。

 

「貴女を助けるのよ。英雄さん」

「織莉子が助けると言ったなら助けるさ。……それに、私もキミにバイドを倒して欲しいと思っている」

少し笑って、二人は答えた。そして、二人の機体が同時に動く。キリカの機体が一際強く輝いて、狭まる花弁の動きが遅くなる。

「もう少しだけ、もう少しだけ頑張れ、私……っ」

そして織莉子は、人型に変形させた機体を、トラクタービームを発射する花弁に張り付かせた。そのままその手で、妖花の外壁をしっかりと掴まえて。

「これで動けるはずよ。……だから、行って」

確かにヒュロスの機体に遮られ、ラストダンサーを拘束するトラクタービームは弱くなる。

今なら、脱出できる筈だ。

 

スゥは、ラストダンサーを走らせる。けれどその胸中には戸惑う気持ちもあった。

ほんの一瞬とは言えど、彼女達は共に戦った仲間なのだ。その仲間が、命を賭して自分を救おうとしている。バイドを討つという願いを、託そうとしているのだ。

それがなんだか悲しくて、身を切られるように辛くて。そしてそれ以上に、更なる闘志が身を焦がして。

「必ず、必ずバイドを倒すわ。……貴女達の思いを、無駄にはしない」

それは、スゥにとっては初めての戦友ともいえる存在だったのだ。それを失ってしまうことが、悲しかったのだ。

今の今まで、スゥにとって大切なのはまどかだけだった。けれど今、スゥの中には確かに、仲間の事を思う気持ちが存在していた。

 

「……ええ、人類を。お願いするわ、ね」

「頼むよ。私達の分まで……思い知らせて、やって……くれ」

そして、ラストダンサーは狭まる花弁をすり抜けた。直後、完全に花弁は狭まり、ファインモーションは元の種の形を取り戻した。更に爆発。炎を噴き出しながらその姿が薄れて消えていく。

空間が完全に崩壊し、異層次元の彼方へと消え去っていくのだ。そして恐らく、何処とも知れない時空の彼方で潰えて消えるのだろう。

 

二人の、少女の命と共に。

 

 

「バイド……よくも、よくもっ!!」

スゥの胸に宿ったのは、新たなる闘志。今まではただ、まどかと共にあるために。まどかを守るために戦っていた。けれど仲間の、戦友の死が、そしてその思いを託されたことで、新たに戦う理由を得た。

バイドへの憎しみ。そして、その遺志を継ぐ。バイドを倒し、平和を取り戻す。その願いを、ついにスゥもまた背負うこととなったのだ。

 

 

 

「あーあ、ついに私達もここまでか」

崩れ行く妖花。その種の只中で。二人はついに最後の時を迎えていた。

 

「そうね、残念だけど……きっと、彼女なら大丈夫よ」

「そうだよね。私と織莉子が身をなげうって助けたんだ。やり遂げてくれなくちゃ恨むよ」

こんなときだからこそ、交わされる会話は軽やかで。

 

「……続き、できなくなってしまったね」

「そうね。本当に……もっと、貴女と触れ合いたかったわ。貴女と一緒に居たかった、貴女を感じたかった。……キリカ」

「織莉子……私も、私もっ。……好きだよ、愛してるんだ。だから、よかった。最後まで織莉子と一緒で、一緒に……最後を迎えられて」

爆発に煽られ、機体が激しく揺さぶられる。もう、幾許も持たないだろう。

 

「……私達はずっと一緒よ、キリカ」

「うん、一緒だ。ずっと……ずっと」

異層次元の遥か彼方で。妖花の種が。弾けて消えた。

 

 

「こちらラストダンサー。敵バイド中枢を撃破。跳躍空間の出口を発見。このまま先行し、敵バイドを殲滅する」

空間の歪みが消失し、艦隊との通信が回復すると、即座にスゥは通信を送った。そして、前方に広がる空間へと飛び込んでいく。そこは跳躍空間を越えた先。26次元の彼方。宇宙墓標群と呼ばれる、宇宙の墓場にしてバイドの巣窟。

ここを抜ければ、敵バイドの中枢はそこにある。

 

 

 

――オペレーション・ラストダンスが最期の行程に入った。

 

――まだ宇宙酔いも醒めないまま、私は、最初のターゲットに狙いを定めた。

 

 

魔法少女隊R-TYPEs 第17話

   『オペレーション・ラストダンス(前編)』

          ―終―

 




【次回予告】

多くの犠牲を払いながら、ついに人類はここまで辿りついた。

「ここが……バイドの中枢」

黄昏に沈む人類が、バイドに放った最後の一矢。

「ここまでかしら、私達も」

それが今、バイドを狙い、食い破る。

「ここで終わらせる!お前を倒して、私は帰るんだっ!!」

少女の祈りは、願いは、そしてその刃は今。
人類を救うために、振り下ろされる。

『今だよ、スゥちゃんっ!』

そして人類は、勝利を………。


次回、魔法少女隊R-TYPEs 第18話
     『オペレーション・ラストダンス(後編)』





――これでお別れだ、人類。


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第18話 ―オペレーション・ラストダンス(後編)―①

英雄は、ついにバイドとの最後の決戦の地に降り立つ。
そこで待ち受けていたのは、圧倒的な異貌。そして人を模す最小たる異形。
それを捻じ伏せ、蹴散らし。英雄はその命を燃やす。

一方、太陽系で戦う少女達の元にも最大の危機が訪れようとしていた。


赤く染まる異貌の宇宙。寄り集まった岩塊、や機械の残骸が作り出す複雑な地形。ここはバイドの巣窟。バイド中枢の前に立ちはだかる最後の壁、宇宙墓標群。

その只中を、ラストダンサーは駆け抜ける。

岩場の影や機械の隙間から次々に現れる小型バイド、アステロイドタランやバイドに汚染された歩行戦車、アレンをその弾幕を掻い潜りながら焼き払い、時にやり過ごす。

前部に堅牢な装甲を持ちつナスルエルを、ギガ波動砲の貫通力で打ち抜いて、数を頼りに押し寄せるキャンサーやリボーを片っ端から叩き落して。ラストダンサーの歩みは、未だ止まらない。

多くの犠牲と願いを背負い、少女は戦う。その犠牲が生んだ痛みを、憎しみを。そして平和への願いを、人類の種としての生存という根源的な欲求を。

その全てを糧に、力に変えて。それが生み出す歪んだ狂気の産物を、抵抗と復讐の産物たるR戦闘機を駆って、人類はバイドとの戦いを続けてきた。

それは人類の歴史の中から見ればほんの一時の、けれど、あまりに激しく苛烈な戦い。

 

その終止符を、討つために。

26次元の彼方で、少女は、偽りの英雄は、スゥは死と閃光の舞を踊り続けていた。彼女はまさしく最後の舞い手。その体たるラストダンサーもまた、遍くバイドの撃滅という断固たる意志を持って生み出され、正確にそれを為し続けていた。

 

敵の猛攻をやり過ごし、更に奥へと突き進む。この先にも巨大なバイド反応がある。ここでこれを潰して後方からの追撃を断ち、さらに討伐艦隊の進軍を助ける。

未だ討伐艦隊は跳躍空間の中にあり、通信は届かない。それでも、必ず来ているはずだと信じて、スゥは往く。

そんなスゥの眼前に、新たな敵が現れた。直接見るのは初めてだが、スゥはそれをよく知っていた。忘れようも無い異貌。けれどそれは、資料で見たものよりもずっと大きい。

「これは、アウトスルー……よね?」

そう、大きかったのだ。アウトスルーはインスルー同様全身に無数の節を持ち、そこから弾幕を展開する。けれどその節の一つ一つが、R戦闘機の倍はあろうかという大きさであったのだ。

ちなみに、インスルーとアウトスルーは名前も姿もよく似ている。実際、どちらも果たす役割は同様。わざわざ区別する必要があったのだろうかと思うほどである。

けれど、バイドに詳しい者からすれば、インスルーとアウトスルーにはバイド生物学上大きな差があるのだという。バイドについての講習を受ける中で、そのようなことを聞いたことを覚えていた。

もっとも、どこがどう違うのかなど、スゥには何も関係のないことだったのだが。

 

重要なのは、アウトスルーは常にゴマンダーと共にあるということなのだ。生命要塞ゴマンダー。この期に及んでその卑猥さをもって、その異貌と脅威をもってスゥの前に立ちはだかろうとしていた。

「……けれど、ゴマンダー程度、負けはしない」

もちろんゴマンダーはA級バイド。恐ろしい相手ではある。だが、それはあくまで通常戦力での打倒を目指した場合の話。対処法さえ覚えておけば、そしてラストダンサーの性能を持ってすれば、恐れるに足らない相手なのだ。

宇宙墓標群の中枢たるバイド。それがゴマンダーだというのならば、打倒は恐らく容易であろう。油断も慢心もしない。ただ、それでも倒すべき敵が明確になり、スゥは更なる闘志を燃やした。

節から放たれる弾幕を掻い潜り、フォースで受け止め。カウンターと言わんばかりに放つレーザーが、次々にその節を破壊していく。すぐさまアウトスルーは戦闘力を失って、逃げるように奥へと消えていく。

その後を追えば、間違いなくゴマンダーの元へとたどり着けるだろう。だが、敵もそうやすやすと追わせてはくれない。

スゥの行く手を塞ぐように、前後から大量のリボーが。そして地上には無数のアレンが展開し、一際激しい弾幕を展開した。

 

「わざわざ広いところに追い込んだのは、このためだったのね」

前後左右、そして上下も見える全てが、敵と弾幕に埋め尽くされる。地形を活かしただまし討ちの後は、ひたすらに物量による力押し。

確かにそれは脅威ではある、けれどそれは、受け手が並であればこそ。

 

「今更こんなもので、私が止められるかっ!!」

一瞬で、その場に展開する敵と放たれた弾幕を頭に叩き込む。レーザーで敵を薙ぎ払いながら急降下。追いすがる敵弾をぎりぎりまで引き寄せて急上昇。急に座標を変えた敵に、放たれる弾幕に隙間が生まれる。その隙間を縫って突き進み、対地レーザーが地上のアレンを一掃する。

けれど中には、耐久性の高いミサイル砲台、レリックも混ざっていたようで。レリックは対地レーザーの波を受け止め、そのまま対空ミサイルをばら撒いた。

スゥは波動砲をチャージしながら、対空ミサイルをフォースで防いでレリックに肉薄。猛攻を受けきる中で再度ドースを蓄えたフォースで、レリックを押し潰して焼き払う。

けれどすぐ後方に、もう一つレリックの反応がある。頭上には一瞬で大量のリボーが展開し、制空権を確保するため弾幕を放ち、頭上を押さえている。更に、天井の裂け目からはアステロイドタランにキャンサーが湧き出し、押し寄せる。

逃げ場の無いほどの濃密な弾幕。けれどもう、逃げる必要もない。

 

「ハイパー……ドライブっ!」

放たれる無数の波動の光。そしてそれと同時に、光の軌道を描いて廻るビット。

ハイパードライブは、それと同時に機体を守るためにビットによる防御を行う攻防一体の攻撃であり、機体の周囲を回転するビットは、次々に迫り来る敵弾をかき消していった。

 

ハイパードライブ発射と同時に浮上、敵弾を強引に掻き分けながら、連続して放たれる波動の光が、頭上に展開していたリボーやキャンサーを薙ぎ払う。

続けて即座にフォースを変更。R-9Sk――プリンシパリティーズの持つファイヤー・フォースへと変更され、そこから放たれた青い炎の塊、接触と同時に炸裂し、持続して炎によるダメージを与えるファイヤーボムが、天井を這うアステロイドタランを次々に焼き払っていく。

二重の表皮構造を持ち、耐久性に優れるアステロイドタランだが、その堅牢な表皮もまた生体組織。生体系バイドに対して絶大な威力を誇る火炎兵器の前には、抵抗することも許されず、超高温のプラズマ炎の中へと消えていった。

敵の猛攻を退け、道は開けた。

 

次に見えたその空間は、巨大な円筒のようだった。遥かに深く、底さえ見えないその空間。その暗い闇の底から、ラストダンサーを目指して再びアウトスルーが這い出してきた。

一度ゴマンダーの中へと戻ったのだろう。既に破壊された節は再生を遂げている。ゆっくりとその身をうねらせながら、節々から弾幕を放って迫る。更には暗い円筒の中で、保護色めいた漆黒を纏ってキャンサーが攻撃を仕掛けてくる。

けれど、そう。それさえもラストダンサーの前には無力。すり抜け、かわし、打ち砕き。ついにその円筒の底が見えてきた。

 

そこに見えたそれは、まさしく醜悪なる肉塊だった。

 

 

ゴマンダーは、あらゆるものをエネルギーとして吸収しどこまでも成長する。けれど、そのままでは無限に成長する自らを制御しきれず自壊してしまう。それを防ぐため、インスルーやアウトスルーに自らのエネルギーを消費させ、成長を抑制している。

そんな性質があればこそ、人類がかつて遭遇してきたゴマンダーは、どれも同じような大きさであった。

けれど、今この円筒の底を埋め尽くしたゴマンダーは違う。従来のそれの数倍にも値する巨躯。そして変わらず蠢く醜悪さ。これほどの大きさの物と遭遇したのは、人類史上初めてのことであった。

もっとも、ゴマンダーほどの大型バイドと遭遇したものなど、そうはいないのであるが。

 

『っ、あれは……』

脳裏に響くまどかの声は、どこか怯えの色を含んでいた。

「……心配ないよ、まどか。どれだけ敵が大きくたって、私は負けない」

その醜悪さに、異形に、巨躯に、もちろん怯えている所はあるのだろう。けれど、まどかの知るゴマンダーとの記憶。それは初めてバイドとの邂逅を果たした後のこと。頼もしい戦士であり、頼れる先輩であったマミが、小惑星帯の中で戦った相手。

勝利こそしたものの、その正体は擬態能力を持ったファントム・セル。その能力が次に生み出したドプケラドプスは、マミの命を一度は奪っていたのだ。

その時の記憶が、まどかの中で蘇る。

思えばあれが、彼女がバイドによって受けた初めての犠牲だった。

 

バイドとの戦いは、多くの命を奪っていった。まどかにとっても、その喪失の記憶は思い出せば胸がずきりと痛む傷だった。だからこそ、これ以上奪わせないために。これ以上失わないために、スゥはここにいるのだ。

その願いを託して、送り出したのだ。

『……頑張って。スゥちゃん。お願いだから勝って。……そして帰ってきて』

恐れに震え、記憶に傷つき。震えるようなまどかの声が伝わってきた。

まどかを悲しませるバイド。それは倒さなければならない。人の未来を閉ざすバイド。全て倒さなければならない。その為の力を手に、ラストダンサーは円筒を急降下していく。

ゴマンダーの弱点は、本体頭頂部に存在するコア。呼吸でもしているのだろうか、戦闘の最中であっても時折そのコアは露出される。その瞬間を狙って狙い打つことができれば、撃破はそう難しいことではない。

ギガ波動砲のチャージはまだ半分程度だが、それでも十分なダメージを与えるだけの威力はある。コアが開く瞬間を狙って、ギガ波動砲は放たれた。

コアの直上から、一直線に放たれた閃光がゴマンダーに突き刺さる。激しい光が、暗い円筒の中を一瞬明るく染め上げた。

 

その閃光が過ぎ去った後――ゴマンダーは、尚も健在であった。

 

「な……っ」

ギガ波動砲は、確実にゴマンダーのコアを貫いた。その閃光は敵を飲み込み、焼き尽くしたはずだった。だが、焼かれた表面には即座に新しい肉がぶくぶくと膨れ上がり、焼け爛れた痕を塞ぐ。

本来綺麗な青色をしているはずのそのコアは、どこかくすんだ色をしていた。

「インキュベーター。どうやら奴の弱点は露出しているコアではないらしいわ。解析はできているの?他の弱点があるなら教えなさい」

『どうやらあの固体は、通常のゴマンダーよりも遥かに進化した固体のようだね。体が大きいだけではなく、外部にコアを露出しないようにしたようだ。外側に見えているあのコアからは、ほとんどバイド反応は出ていないんだ』

ラストダンサーの情報を逐次受け取りながら、解析を進めていたキュゥべえが答えた。その言が正しいのなら、やはりあのコアは弱点ではないということなのだろう。

「そんなことはどうでもいいのよ。いいから早く、奴の弱点を教えなさい」

そう、そんな事実はどうでもいいのだ。必要なのは、敵を倒すための術ただ一つ。それさえ分かれば、それを実行するだけでいいのだから。

 

『あの固体のバイド反応は、内部からのものが強い。もしかすると、弱点のコアを体の中に隠したのかもしれないね』

「……試してみるわ。駄目ならその時よ」

 

 

すぐさまアウトスルーやキャンサーが、迎撃のために迫り来る。それ自体の回避は難しいことではなく、スゥは再びギガ波動砲のチャージを再開しながら回避を続けた。

狙うはアウトスルーの出入りする開口部。そこが開いた瞬間に、ギガ波動砲を叩き込む。それで駄目なら、流石に後がない。

 

チャージ中のR戦闘機は、その武装のほとんどを封印されてしまう。ほとんど唯一の攻撃手段であるフォースも、それで敵を攻撃するには接近せざるを得ない。アウトスルーの節は無数の弾幕を放ってくる厄介な相手だが、近づいて潰すのは危険すぎる。

だんだんと放たれる弾幕の密度が濃くなっていき、キャンサーもじりじりと追いすがる。少しずつ逃げ道を塞がれていく。神経を研ぎ澄ませ、臨死の舞を踊り続ける。

ギガ波動砲のフルチャージまでの、一分にも満たないその時間がやけに長く感じた。研ぎ澄まされた神経が、感覚を引き伸ばしているのだろうか。まるで周囲を飛び交う弾幕さえも、ゆっくりと流れているような気がする。

 

「っ、しまった!?」

かわし続けて追い詰められて、気がつくととぐろを巻くアウトスルーの身の内に、ラストダンサーは囚われていた。アウトスルーの節が発光する。それは、敵弾の放たれる予兆。取り囲まれた状況での一斉射撃。もはや、逃げ場はない。

完全に退路が閉ざされる前の一瞬。ほんの僅かに開いた活路。この空間を敵弾が埋め尽くす前に、駆け抜けることができれば。

だが、間に合わない。敵弾が放たれる……。

 

死に臨し、その死までの一秒が引き伸ばされていく。どこまでも引き伸ばされていく一秒がその時、不意に停止した。

 

世界が、全てが静止していた。

それに気付いたのは、見出した活路を駆け抜け、アウトスルーの囲みを抜け出した後。

 

「……敵が、止まっている?」

それは、かつて暁美ほむらが手にした力。僅かな時間ではあるが、時の流れを遮る力。一秒の時間が命運を分ける超高速の戦闘においては、それは圧倒的なアドバンテージ。その力が今この時、ラストダンサーに宿っていた。

呆気に取られる間もなく、即座に世界は動き始めた。再び動き出す弾幕を、スゥは慌てて回避した。

『魔力反応検知。……このパターンは、兵装の変更とは違うね』

「っ。どういうこと、インキュベーター」

キュゥべえが、何かを察したように言葉を放つ。

『ラストダンサーに搭載された切り札のが発動したようだ。ラストダンサーには、兵装の変更以外にもいくつかの魔法を使えるソウルジェムが搭載されているからね。結局、兵装の変更以外のソウルジェムは機体に馴染ませることができずに発動しなかったんだが』

「それが、今発動した……ということ?」

『そうだね、特に問題はないからそのまま搭載されていたようだけど。何かのきっかけで、それが発動したんだろうね。驚いたよ。ラストダンサーは今も進化を続けているようだ』

 

その力自体は悪いことではない。けれど、結局借り物の力なのかと嘆息したい気持ちもあった。この期に及んで、まだスゥ自身の持つ魔法は発現していなかったのだから。

「何だっていいわ。奴を倒すチャンスね」

そんな暗い気持ちを、言葉と同時に吐き捨てて。ギガ波動砲のチャージを完了させ、スゥは機首をゴマンダーの開口部へと向けた。口が開き、中からアウトスルーが出てくるより前に。

再び、ギガ波動砲の閃光がゴマンダーを貫いた。

 

「……冗談でしょう」

その閃光の中から突き出たアウトスルー。そして開口部の周囲は同じく焼け爛れてはいるものの、すぐさま噴き出した肉がその傷を塞ぐ。恐らく内部の損傷は軽微、もしくは皆無。

これですら駄目となると、最早打つ手はないのだろうか。

『これは想像以上だね。一旦撤退したほうが良いんじゃないかな。討伐艦隊の到着を待って、飽和攻撃で破壊するべきだと思うな』

確かに、敵がラストダンサーの力をもってしても破壊しえないというのなら、それ以上の火力を用意するためには、やはり討伐艦隊を集めての飽和攻撃しかないだろう。

だが、討伐艦隊は未だ跳躍空間の中にある。先の戦いで被った被害も大きい。すぐに到着してはくれないだろう。それまでの間、奴が大人しくしているのだろうか。

そしてなにより、こんなところで負けていいのか、逃げていいのか。ラストダンサーが討つべき本当の敵は、間違いなく更に強大な敵なのだ。こんな相手に、いつまでも手間取っていられるものか。

 

「……あいつの弱点は、内部にあるのよね?」

不意に、スゥはそう問いかけた。

『100%確実というわけじゃないけどね、大型バイドには須らく全体を統制するコアが存在している。それが外部にないというのなら、まず内部にあるだろうとは推測できるよ』

「……試してみるわ。次の一撃で仕掛ける」

 

三度、ギガ波動砲のチャージを開始する。他の波動砲を選ぶこともできたが、やはり威力という面ではこれに並ぶものは無い。長時間のチャージが必要だが、その程度の時間を稼ぐことは、無理なわけではない。

先ほどは巧みに退路を誘導され、アウトスルーの包囲を受けてしまったが、それすらも二度目は通用しない。

時間停止という強力な魔法は、どうやら自らの意志では発動できないらしい。きっと必要な時になれば、勝手に発動してくれるのだろうと割り切った。もとより、そんなものに頼りすぎるつもりは無い。

バイドは、この手で叩き潰して見せるのだ、と。

 

ラストダンサーのフォースが、更にその姿を変える。円錐状の先端部に無数の突起を構えたその姿。一言で言えばドリルである。まさしくその名もドリル・フォース。

ドリルは浪漫と言うには言うが、その浪漫を本当に形にしてしまった、困ったフォースである。とはいえ、その形状からなる突破力の高さは折り紙つきであった。

スゥは、そんなドリルフォースを閉ざされたままのゴマンダーの開口部に撃ち込んだ。閉ざされた肉の割れ目に分け入って、高速で回転するドリル・フォースが開口部をこじ開ける。更にフォースが周囲の肉を焼き払い、再生が始まる僅かな間にラストダンサーが飛び込んだ。

外からの攻撃では埒が明かない。ならば、直接内部から叩くのみ。勝負は一撃。そこでしとめ損なえば、ラストダンサーといえど汚染は免れない。

 

ラストダンサーが飛び込んだ直後、再生した肉が開口部をぴっちりと閉ざした。

最早、内部の様子は伺えない。

 

 

『そんな……スゥちゃんっ!』

傍から見れば、それは無謀な突攻にしか見えない。少なくともまどかにはそうとしか見えず、思わず心が悲鳴を上げた。

『それがキミの選択なんだね、スゥ。キミはもう少し賢いかと思っていたよ。……残念だ』

そしてそれは、キュゥべえにとっても同じだったようだ。あれではまず助かるまい、押し潰されるか汚染されて、それで終わりだ。

『キミなら、バイド中枢までたどり着いてくれるかと思ったんだけどな』

多分にその声に落胆を交えて、キュゥべえが言葉を放り投げた。

確かに苦境の連続ではあった。けれど、かつての英雄達と同様に、きっとやり遂げてくれると、そう期待していたのだがそれも裏切られてしまった。

『無念の内に、非業の死を遂げた英雄、か。……少し、弱いね』

なにやら意味深な呟きが、答えるものの無い虚空を揺るがした。

けれど、その声は届いた。そして言葉を返すものがいた。

 

「………勝手に、人を殺さないでもらいたいものね」

スゥの声が、それに答えた。

 

『スゥちゃんっ!?』

『驚いたな、まだ生きているのかい?』

ゴマンダーの体内に突入し、それで尚生きているというのか。まどかにとってもキュゥべえにとっても、それは驚愕に値することだった。

「ええ、そしてこれで……終わりよ」

直後、ゴマンダーの巨体が、その各所から激しい光が噴出した。ギガ波動砲が、ゴマンダー内部という逃げ場の無い閉鎖空間で、存分にその暴威を発揮しているのである。

コアを、そしてその体内を徹底的に焼き払われ、その巨体が崩れていく。更に本来コアのあるべき頭頂部から、一際強く光が噴き出して。その光に続いて、ラストダンサーが飛び出した。

 

この三度のギガ波動砲の衝撃に、円筒状の空間そのものが耐え切れなかったのだろう。崩れ落ちていくゴマンダーと同じく、その円筒も崩壊を始める。

この空間自体が、宇宙墓標群の中枢である。中枢を失い、岩塊と機械の残骸が複雑に絡み合った宇宙墓標群は、急速に崩壊を始めていた。

「……巻き込まれてはかなわないわ。このまま前進する。ここを抜ければ、バイド中枢にたどり着けるはずよ」

機体への損傷も、バイド汚染もまだ許容範囲内。ラストダンサーがその性能を十分に発揮するには、何一つ問題は無い。そしてラストダンサーはその身を翻す。崩れゆくバイドの巣窟を後にし、更に奥へと突き進む。

後続の艦隊も、この状況を見れば何があったのかを知ることができるはず。後詰めは彼らに任せることにした。

 

そしてスゥは、ラストダンサーはついに、作戦目標であるバイド中枢の存在する人智を超えた空間へと、その歩みを進めるのだった。

 

 

時を同じくして、太陽系でも最大の決戦が始まっていた。

今までの襲撃を遥かに上回る規模のバイド群が、太陽系内へと侵入を目論んでいる。だが例えどれほど敵の数が増えようと、迎え撃つ者の行動は変わらない。グリトニルを擁する太陽系絶対防衛部隊、そして魔法少女隊はそれを迎え撃った。

小惑星帯を舞台に、魔女兵器と正規軍をもって中央を抑え。さらにその両翼を、魔法少女隊と非正規部隊との混成部隊をもって抑えつける。それさえ崩れなければ、どれほど敵が現れようと問題は無いはずだった。

当初はその目論見どおり、次々と押し寄せる敵を中央へと誘い込み、撃破していくことに成功していた。だが、今回の敵はあまりにも多勢だったのだ。

開戦から30時間が経過した現在にあっても、敵の攻勢は一時として緩むことは無い。戦力的に余裕のある中央の部隊ならばともかく、両翼の部隊はろくに補給も受けられず、どんどんと消耗していった。

そして、ついに左翼が破られた。立て直そうにも、そちらへ差し向ける戦力もなく、仕方なく左翼への魔女兵器の投入が決定されたが、それすらも時既に遅く。左翼を破ったバイド群はそのまま、小惑星帯を迂回し、中央の部隊の背後を突いたのだった。

中央の部隊は必死の抵抗を行い、戦力の半数を失いながらもそれを撃退。しかし、戦力の半減した部隊では中央の戦線を保つことさえ困難だった。

尚もバイド群は続々と押し寄せる。そしてあまりに長く、そして激しく続いた戦闘は、小惑星帯にすらもおびただしい破壊を振りまき、そうしてできた間隙から敵の侵入を許してしまっていた。

 

 

 

「……何機、ついてきているかしら?」

ひしゃげて曲がった砲身を抱えたコンサートマスターが、ゲルヒルデが通信を送る。

「わかりませんが、最後の接触の中で、3機やられたのは確認しました」

隣に並んだガルーダが、マコトが通信に応えた。最早その機体にフォースはなく、軌道戦闘機の特徴たるポッドさえも片方が失われていた。

彼女達の部隊は、崩壊した左翼に展開していた。敵のあまりの多勢に、これ以上の防衛が不可能であり、このまま留まれば全滅は免れない。それを察し、ゲルヒルデは全部隊に撤退を指示した。

何とかこの死地を切り抜け、他の部隊と合流するようにとの命を下したのである。

 

だが、こうしてその戦場を切り抜け、ゲルヒルデと共にあるのはマコトの機影のみ。戦場の中で散り散りとなってしまい、他のメンバーの状況は杳として知れない。

もしやすると皆、敵に討たれて潰えてしまったのかもしれない。暗い不安が胸中によぎる。それでも戦わなければならない。まだ彼女達は生きているのだから。

「波動砲は……だめね。レールガンも弾切れとなると、フォースに頼むしかないわね」

少し余裕ができたところでようやく自機の状況を確認し、半ば嘆息するかのようにゲルヒルデが呟く。

「そっちはまだマシですよ、こっちはフォースもポッドもどこかに行ってしまいましたし」

同じく、溜息交じりに言葉を返すマコト。どちらの機体もいくつも被弾の痕があり、まさしく満身創痍といった状態だった。

 

「せめて、どこかで補給と修理を受けたいところだけど……前方の部隊はそんな余裕はなさそうね」

「一度、グリトニルに戻りませんか?補給を受けるなら、それが一番確実なはずです」

それも悪くない、と。マコトの言葉にゲルヒルデも心の中で頷いた。状況を見るに、他の場所もかなりの大混戦となっているはずである。あの死地を切り抜け、傷ついたままの機体で飛び込んでいくには分が悪すぎる。

となれば、一度補給を受けに戻る必要があるのは誰しも同じなのだ。それに、この状況をどうにかするには今展開している戦力だけでは足りない。グリトニルの防衛部隊にも出撃を要請するために、一度戻ったほうがいいのかもしれない。

「……そうしましょうか。でも、なるべく急いで戻ってきましょう」

もたもたしているとバイドの追撃を受けることにもなりかねない。即座に二機は機首を巡らせ、グリトニルへと進路をとった。

往復と補給でかかる時間は、決して短くはない。その間、皆が無事でいてくれることを祈りながら。

 

「どれだけ策を練って、入念に準備をして、腕を磨いても。全てを数と力で押し潰していくのね、奴らは」

無力さと悔しさをその言葉に滲ませて、ゲルヒルデは呟いた。通信にも乗ることのないその呟きには、応える者は誰もいなかった。

 

「グリトニル・コントロール。グリトニル・コントロール。こちらゲルヒルデ。補給のため一時帰投したわ。……グリトニル・コントロール?」

グリトニルとの通信可能圏内へと入ると同時に、グリトニルへと通信を飛ばす。だが、グリトニルからの返事はなかった。

代わりに飛び込んできたのは、全帯域通信で強制的に投げかけられた声だけだった。

 

「こちら、グリトニル駐留部隊。現在グリトニルは襲撃を受けている!バイドが基地内部に侵入している!誰でもいいっ!救援を……っ!!」

 

それは、助けを求める声だったのだろう。けれど同時に、断末魔の声でもあったのだ。

その声を最後に、全帯域に流され続けていたその声は、ぷつりと途切れてしまったのだから。

 

「……隊長。今の…は」

「認めたくはないけれど……どうやら、敵には別働隊がいたようね」

どちらも、声が震えていた。最悪の予想が正しければ、恐らくグリトニルは既に陥落したのだろう。太陽系外周を守る防衛ラインは、バイドに突破されてしまったということなのだ。

「そんな……そんなっ!?じゃあ……私達の、身体は」

魔法少女は、R戦闘機にソウルジェムのみを搭載している。戦闘中、その身体はグリトニルに安置されていた。そのグリトニルが、バイドによって陥落した。それはすなわち。

「……全滅、ね」

マコトのガルーダが、その動きを止めた。

今尚戦う魔法少女達、その数は尚も200を超える。その彼女達の帰るべき身体が、共に戦い、散ってきた仲間達の眠る墓標が、その全てが失われてしまったのだ。

あまりのショックに、言葉もなく立ち尽くすマコト。けれど、立ち尽くし、絶望に沈む余裕をバイドは与えてくれなかった。奴らがもたらすのは、常に死と破壊の中に激しく吹き荒れる、絶望の嵐だけだった。

 

「これは……バイド反応!?どうやら先ほどの通信を嗅ぎ付けられたようね。数はそう多くないけれど……まずいわね」

そして、状況は更に悪化する。

接近する敵は戦闘機型バイドで構成された部隊なのだろう。かなり足も速い。そう遠からず接敵するのは確実である。

「……マコト。貴女は今すぐ戻って、そして向こうで戦っている部隊にグリトニルの陥落を報せて。グリトニルが陥落してしまった以上、彼らは孤立無援になるわ。できれば撤退するように伝えて」

「……隊長は、どうするつもりですか」

暗く、沈んだ声でマコトは言葉を返した。

「ここで奴らの相手をするわ。片付けたら合流するから……行ってちょうだい」

そう、二人の機体は先の戦闘で推進系にも多少のダメージを受けている。この状態では接近する敵機を振り切ることは難しいだろう。だからこそ、足止めは必要なのだとわかった。

「じゃあ、私が残ります……帰る場所、無くなっちゃいましたから」

言葉に深い絶望を込めて、迫る敵機にマコトは静かに機首を向けた。絶望に浸りきった心に、沸いてきたのは更なる怒り。奪われてしまったものへの、復讐。

 

「隊長は……帰れるじゃないですか。だから生きてくださいよ」

マコトは知っていた。ゲルヒルデが、この戦いの後に望んだ願いを。そしてそれと引き換えに背負った闇もまた、知ってしまっていた。

ゲルヒルデの願いは、自らの身体と人生を取り戻すこと。だから彼女には、まだ生きる望みはあるはずなのだ。そして、自分のそれは今失われた。

「生きる望みのある人間が、生き延びるべきでしょう?」

「……確かにそれは道理ね。だから、貴女が行きなさい」

けれどそれに応える声は、微笑み混じりの優しい声で。

「隊長。貴女が私達の事を大事に思ってくれているのは分かります。でも、私達はもう死人なんですよ。だから、死んだ人間にいつまでも構わないでください」

マコトは投げやりに言葉を放つ。けれど、その胸はずきずきと痛んだ。痛む身体は失ってしまったはずなのに、きっと心が痛いのだ。

「違うわ。貴女達はまだ生きている。そして、これからも生きられる」

「生きてはいけるでしょうね。一生をこんな機体や装置の中で過ごすつもりなら。私は……そんなのは嫌だ。そうまでして、生きていたくなんか……ない」

 

「よく聞いて、マコト。私がこの望みを叶えることができるということはね、そうする方法が必ずあるということなのよ。それを使えば、貴女達も救うことができるかもしれない」

絶望に沈み、今にもその身を投げ捨てようとしているマコトに、静かに落ち着いた声でゲルヒルデは告げた。

「でも、それができるのは隊長だけでしょう?私達には、もう……」

「方法があるなら、私はどんな手を使っても貴女達を助けてみせる」

不意に、とても力強い声でゲルヒルデが言う。そこには、強い決意が色濃く滲んでいた。自分の人生を、命を賭してでも仲間達を救ってみせるという、覚悟が。

「信用できないのなら、一つ賭けをしましょう」

「賭け……ですか?」

その言葉には、何か悪戯っぽい響きも混じった。

「貴女はこのまま戻って、グリトニル陥落を報せて。私はここで敵を食い止める。……そして、私は必ず生きて帰ってみせる。それができたら、私を信じてちょうだい。それを、向こうで戦っている私達の仲間にも伝えて」

「え……っ」

その言葉は、マコトにとっては意外なものだった。

ここで足止めに残るということは、間違いなく死と同義だと思っていた。

「ふふ、足止めとはいったけれど、刺し違えるとまで言ったつもりはないわよ、私は?」

その笑みと、力強い言葉に送り出されて。マコトのガルーダは、急速に宙域を離脱していった。「信じています」と、一言小さな願いを残して。

 

「……さて、と。これで簡単には死ねなくなっちゃったわね」

その背に背負う命の重さ、最初はそれが重かった。いつからだろう、その重さが心地よく感じられるようになったのは。誰かのために、守るために、その力を振るうことができるようになったのは。

それもきっと、素晴らしい仲間達のおかげだろう。生きて戻ってまた会いたいなと、そう思う。

「生きるために、生かすために戦いましょう。……行くわよ、コンサートマスター」

その声に答えるように、コンサートマスターは光を纏う。柔らかで力強い強い黄色の光を。そして、ついに太陽系への侵入を果たしたバイドへとその意識と力を向けた。

 

深淵へと続く洞窟。その只中をラストダンサーが行く。

宇宙墓標群を抜け、バイド中枢へと向かうこの道は、まるでどこまでも続いているかのように長かった。だが、そこにはバイドの姿は一切存在していなかった。

けれど、本当にこの先がバイドの中枢であることは、疑うべくもなかった。その空間そのものなのか、それともその奥にある何かなのか、それが非常に強大のバイド反応を放っていたのだから。

いつどこから敵が襲ってきてもおかしくはない。それでもその洞窟の中は静かで、ラストダンサーもまた静かにその空間を突き進んでいた。長らく静かで、少なからぬ退屈をスゥが覚え始めたその時に、前方に何かが見えてきた。

それは……。

 

「……これは、液面?」

得体の知れない液体が、洞窟内部をひたひたと満たしていた。洞窟の岩肌の色とも違う、それは琥珀色の液体だった。

『無重力の宇宙空間だというのに、バイドのやることはわからないね』

同じく状況を確認したキュゥべえが、不思議そうに呟いた。

「なんだっていいわ、そんなこと。この先にバイドの中枢があるのなら、突入して破壊するだけよ」

その液体自体からは、バイド反応はほとんど検知されない。突入したからといって、それで汚染される心配は無いだろう。それを確認した後、ラストダンサーは謎の液体の内部へと侵入を開始した。

 

「特に、何も無いようだけど」

液体内部に突入するも、やはりバイドの反応はない。多少機体にかかる抵抗は増すが、その程度で動きを阻まれるほどR戦闘機は柔ではない。

辺りを警戒しつつ、ラストダンサーは奥へ奥へと進んでいく。

『解析のほうは問題なく進んでいる。驚いたよ』

「何か分かったのなら、勿体つけずに言いなさい」

やはり、スゥのキュゥべえに対する反応にはどこか棘がある。今までのことを考えれば、当然と言えば当然なのだろうが。

『不思議なことにね、この液体の構成物質はキミ達にとっても馴染み深いものだ。構造自体は多少異なるが、それはアミノ酸と塩基に近い』

『それって……普通に人にもある物質、だよね』

こんな異層次元の深淵で、バイドの巣窟を抜けた先で。まさか、こんなものに出くわすことになろうとは。まどかの声も、少なからず驚きを含んだものだった。

『ああ、まさしく人の身体を構成する主要物質だろうね。……バイドは人とよく似た遺伝子構造を持っている。別に不思議じゃないさ』

バイドも人も、同じようなものだと言うのだろうか。学術的に言えばその通りであるという。

人類とバイド。決して相容れないはずの存在なのに、とても近しいというパラドックス。もしかするとそれは、似ているからこそお互いを排斥しあう、近親憎悪にも近しいものなのだろうか、とも思ってしまう。

 

 

 

『でも、この塩基構造は……』

何かをキュゥべえが言いかけたその時、突然に洞窟が消え去った。洞窟の壁面が消失し、後にはひたすらに琥珀色の空間が残されている。いつしか、液体さえも消えていた。

眼下に、背後に、頭上に。全方位に琥珀色の液体が広がっている。それは周囲を液体に囲まれた円筒。恐らくそれが、ラストダンサーの進むべき道。

「どうやら、連中は私を招待してくれているようね」

スゥは、それを察していた。

洞窟が消え、液体が道を開ける。その瞬間、今まで感じていたバイド反応が、より強く大きくなったのだ。その存在する場所は、この道の先。恐らく最奥。

「後は、このまま突き進んで破壊するだけよ」

『スゥちゃん……これで、最後なんだよね』

そこにいるのがバイドの中枢だというのなら、それを破壊すれば全てが終わる。けれど、本当にこんなにあっけなくていいのだろうか。まどかの声は、どこかそんな不安を感じ取っているようだった。

「……終わりにするのよ、私が、この手で!」

そんなまどかの不安を払拭するように、スゥは力強く応えた。そしてラストダンサーは駆ける。人とバイドの戦いの歴史。それに終止符を打つために。大切な人のため、共に戦ってきた仲間のため。そして全ての未来のために。

 

そしてついに、バイドもその脅威を認識した。自らを滅ぼしうる脅威。幾度と無く戦いを続けてきた、恐ろしい敵。

そう、人類にとってバイドがそうであるように、バイドにとっても人類は恐ろしい敵だったのだ。だからこそバイドもまた全力をもって、その脅威を排除するための行動を開始した。

 

ラストダンサーのセンサーが、バイド反応の出現を捉えた。だが、それとほぼ同時に何かがラストダンサーの眼前に飛び出してきた。

「これは……一体っ」

それは無数の棘を持つ球体。そして、その前面には大きな眼のような器官を持っていた。赤が一つに肌色が六つ。凸状の編隊を組んでいる。七匹のバイドの、七つの眼がラストダンサーを見つめていた。

それはまるで、背後の液面から湧き出るようにして現れた。それこそまさしく、今この瞬間に生み出されたかのように。

「……でも、動きは遅い。この程度ならっ」

サイクロン・フォースから放たれたスルーレーザーが、球状バイドを切り裂いていく。耐久性は低い。動きも遅い。攻撃らしい攻撃もない。ラストダンサーにとって、それは恐れるに足らない相手だった。

さらに続けて現れた敵の編隊を、スルーレーザーで引き裂いて、そこでスゥは気付く。恐らく敵は、赤い個体を中心に構成されているのだろう。赤い個体が撃破されると、他の個体も共に潰えてしまっている。

「戦う分には、これだけ分かれば十分ね」

進路を塞ぐように上下から迫る敵を破壊して、更にラストダンサーは突き進んでいく。

 

『これはデータにない、新種のバイドだね。 恐らくこの液体から生まれたものだろう。塩基構造を元に構成され、バイドによって変質した生命体。これは、生命体と呼んでいいのかすらも危ういところだ』

キュゥべえの声は、どこか面白がっているような声だった。

『わかるかい?このバイドの構造は、バイドによって変質はしているが、人の遺伝子を構成するそれに非常に酷似しているんだよ。そうだね、あの赤い個体はチムス。あの肌色の個体はシュトムと名づけようか』

「名前なんてどうでもいいのよ。他に何か分かったことはあるの?」

散発的に襲い来るチムスとシュトムの群れを薙ぎ払いながら、スゥが問う。

『そうだね、特に言うことはないよ。あのバイドは攻撃手段に乏しく、耐久性も低い。ラストダンサーの戦闘力の前では、恐れるに足らない相手のはずさ』

「……それだけ聞ければ十分よ、このまま殲滅する!」

再び破壊の力を宿して、ラストダンサーが――

 

 

――それは、男の姿をしていた。

 

――距離を置いて向かい合う、女がいた。

 

――二人はゆっくりと距離を詰めていく。やがてそのシルエットが、抱き合うように一つになった。

 

 

「っ!?」

突き進もうとした刹那、スゥの頭の中に飛び込んできたそのビジョン。バイドの精神汚染だろうかと、気を引き締める間すらもなく、スゥとラストダンサーの前に、新たなる敵が現れた。

それはまさしく壁。藍色と、そして黒色の球状バイドが壁のように立ちはだかっている。その壁はそのまま、ラストダンサーを押し潰そうと迫っていた。

すぐさまスルーレーザーが、壁の前面を覆う藍色のバイドを引き裂いた。だが、その背後に立ち並ぶ黒色のバイドは一切の損傷を負ってはいない。

敵はかなり堅い。ならばこちらも手を変えるまでだと、フォースをギャロップ・フォースに変更し、最大収束のレーザービームが黒色バイドを撃つ。しかし、それでさえ敵は無傷。

ならばと次の手を考えている最中、藍色のバイドの眼に光が宿った。内部に熱源。そして次の瞬間、無数に並んだ藍色バイドの眼から光弾が放たれた。

ラストダンサーを狙って放たれる光弾。敵は統率の取れた動きでもって、一斉に同じタイミングで光弾を放った。

狙いは悪くない。けれど、所詮はそれだけだった。タイミングをずらすことも、こちらの動きを予測して射撃することもしない。ラストダンサーはゆっくりと機体を後退させ、敵弾を全てフォースで受け止めた。

敵の攻撃は恐れるに足らない。だが、こちらの攻撃も十分に効果を及ぼしているとは考えづらい。

どうするか、と考える。

 

『あの藍色バイドはアデン、黒色バイドはグアニムと言った所かな。やはり同じく、人の遺伝子を構成する塩基とよく似た構造を持っているよ』

「名前なんてどうでもいい。そう言ったでしょう。……グアニムと言ったかしら?奴には攻撃が効かない。何か奴を倒す方法はあるの?」

名前など知らぬとは言うものの、それでもやはり個体を識別する名称の存在はありがたい。グアニムの堅牢さをいかに破るか、その術をスゥは求めていた。

『どうやらこれら四種のバイドは、一つの群れを作って生息することが多いようだ。そして、その中枢には必ずチムスがいる。チムスはどうやらその群れを統率する役割を持っているようだから、それを破壊してしまえば』

「そうすれば、奴らを倒すことができる。そういうわけね」

『可能性は高いと思うな。チムス、シュトム、アデン、グアニム。これらのバイドの寄り集まる様は、まるでまさしく人の遺伝子構造のようだ。そうだ、この群れをゲノンとでも名付けることにしよう』

TEAM R-TYPEに毒されて、キュゥべえにも研究者気質が感染してしまったのだろうか。未知のバイドを前に、半ば感心したように解説や命名を行うその様子は、どこかあの狂気の科学者集団のそれを彷彿とさせていた。

 

「もう、勝手にしなさい。とにかく、チムスを探して破壊するわ」

アデン。どうやら内部にエネルギーを生成する器官を持ち、そのエネルギーを光弾として発射するバイド。そのアデンが打ち出す光弾を、こともなくかわし、時にフォースで受け止め。スゥはチムスを探して飛ぶ。そしてそれはすぐに見つかった。

アデンの群れの只中、一匹だけ赤いチムスの姿があった。

「……これで崩れてくれればいいのだけど」

近距離まで近づいて、ショットガンレーザーを一発。チムスの脆弱な身体を破壊するには十分な破壊力が炸裂し、そのままチムスは砕け散る。

次の瞬間。その崩壊をトリガーとして、アデンが、グアニムが続けざまに崩壊を始め、数秒もかけることなく、恨みがましい視線だけを残して全てのバイドが消え去っていった。

だが、それで終わりというわけではないようだ。アデンとチムスで構成されたゲノンが、前後から次々に湧き出してくる。そして周囲を取り囲むように展開し、光弾による攻撃を開始したのだ。

 

「……これは、長くなりそうね」

その攻撃をかわし、更に反撃で敵を焼き払う。正確にラストダンサーを狙い来る弾幕は、スゥに足をとどめる余裕を与えてはくれなかった。

そして更に、チムスとシュトムで構成されたゲノンが四方から迫る。チムスを中心に、棒状に構成されたゲノンは回転しながらラストダンサーへと迫っている。降り注ぐ弾幕、そして自らを武器として迫り来るゲノンの群れ。

ついにバイドも、その威力の全てをもってラストダンサーを排そうとしていた。最早、疑いようも無い。

『バイド反応多数出現!すごい数だ、そっちに向かっているよ!』

これだ、この戦いこそが。バイドと人類の命運を分ける戦いなのだ。

『スゥちゃんっ!負けないでっ!』

空間を埋め尽くさんばかりに、数を頼りに攻め立てるシュトムの群れ。

 

――ここまで来て、躊躇うことは何も無い。

 

――ただ目の前のバイドを破壊し、この先へと突き進むだけだ。

 

――バイドを倒して、地球へ帰ろう。

 

「――さあ、行くわよ。ラストダンサー」

 

そして光を放ち、纏い。

ラストダンサーは、シュトムの群れへと食らいついていった。



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第18話 ―オペレーション・ラストダンス(後編)―②

一人残され心折れ、朽ちた少女の燃え殻があった。
かつての戦友の残影は、そんな彼女に火を灯す。
一方、英雄は遂にバイドの中枢と対峙する。

その圧倒的な力に対し、英雄は、魔法の力をもって立ち向かう。


「みんなが戦ってるのに。……何してるんだろうな、あたしは」

テレビに映し出された映像は、太陽系外周絶対防衛部隊の戦いの様子だった。それを見ているのは、誰もみな病衣を纏った人々だった。

そこは地球のとある病院。まだ戦火は遠く、映し出された映像は地球軍の華々しい勝利だけを映している。それを見て彼らは自分達の勝利を思い描き、今この平和が続いていくのだろうと確信していた。

その中に彼女は、美樹さやかはいた。

 

華々しい勝利の映像。その影には必ず、多くの犠牲と死が付きまとっている。実際の戦況すらも、あれほど華々しく勝利ばかりを飾っているわけではないのかもしれない。

さやかは知っていた。戦うことの恐ろしさを。そして、バイドという敵の強大さを。

だからこそ悔しいと思う。自分が戦えないことが。そして何より、大切な人たちを守れなかったことが。

けれどもう、さやかは戦う力を持っていない。新たに与えられた命は、それと引き換えに彼女の持っていた戦う力を奪い去っていった。

大切な仲間の死が、自ら傷つけてしまった親友が。そして、何もできない自分自身。そんな無力感が、彼女の心を苛んでいた。それは、彼女をむしばむ病みとなっていた。

 

 

じっと手を見た。随分と細く、弱弱しくなっている。無理も無い。ここに来てからあまり食事も取れていない。夜も、そう眠れてはいない。夜毎後悔が募って、心を苛みうなされてしまう。日々自分が磨り減っていくのがよく分かった。

かつての、ほんの半年前の自分は、こうではなかったはずなのに。そんな自分が情けなくて、また溜息が零れた。

これでもまだ、ここに来たばかりの時よりは大分マシなのだ。来たばかりの頃は、日がな一日自らを嘆いてばかりだったから。今にして思えば、よくあの頃に自ら命を絶ってしまわなかったものだと思った。

英雄の帰還より半年余り。定期的な投薬やカウンセリングが功を奏して、さやかの状態はかなり安定していた。少し落ち着いた思考で、ようやく色々なことを考えることができるようになった。

その頃にはもう、人類とバイドの戦争は佳境を迎えてしまっていた。

きっともう、あの戦場に戻れたとして、できることは何もない。ここでこうして、悔やみながらも皆の勝利を祈ること。それだけが、自分にできる唯一のことなのだろうと、そう考えていた。

 

無言でさやかは立ち上がった。

これ以上見ていると、思い出してしまう。精一杯生きて、精一杯戦い続けた日々を。命をかけて、仲間と共に駆け抜けてきた日々を。

心から信じられた、恐らく生涯に二度と得ることの無いであろう、仲間達のことを。救えなかった、守れなかった、一人だけ生き残ってしまった、自分のことを。

 

「もう、見ないの?」

立ち上がったさやかに、隣に座った少女が話しかけた。

「うん、もう部屋に戻るよ。また後でね、サーシャ」

さやかよりも幾分かはっきりとした青色の髪の少女だった。状態の安定したさやかが個室から普通の病室に移された後、隣のベッドにいたのがサーシャだった。

年の頃も近く、サーシャ自身もまだ割と話の通じる少女であったこともあり、さやかにとっては数少ない話し相手となっていた。そういう存在がいたことが、少しは救いになっていたのかもしれない。

「そう。じゃあ私は、もう少しこのまま見てることにするわ」

そう言って、サーシャは再びテレビの画面に視線を移した。編隊を組み、華麗に宇宙を飛び回るR戦闘機の姿。それを、どこかきらきらした目で見つめて、サーシャは。

「あんな風に宇宙を飛び回れたら、きっと楽しいでしょうね。でも、私はあんな無骨な機械よりも、綺麗なペガサスがいいな。……ふふ」

誰に言うでもなく、少し空想めいたことを言うサーシャ。要するに、そういう空想癖があるらしい。それも、随分と根深い。恐らく彼女がここにいる理由も、それに類するものなのではないだろうかと推測できた。

「鋼の翼も悪くないよ。……命を乗せて飛ぶには、丁度いい重さなんだ」

「……さやか?」

一言だけを残して、さやかは部屋へと戻っていった。

 

まだ日は高い。一日中寝ているような趣味がなければ、病室にずっといるようなことは無い。だから病室には、さやかが一人。

「まるで燃えカスみたいだ。今のあたし」

力なくベッドに腰掛け、項垂れて。自嘲めいてさやかは呟いた。命を、その身体を、燃やし尽くして戦い抜いて。そして燃え尽きた。今ここにいる自分は、その燃え殻でしかない。そう思うと無性に自分が情けない。自分の無力さがたまらない。

「どうなるんだろうな、あたし……これから」

一時期、ここに着たばかりの頃と比べれば相当回復はしていた。このまま行けば、そう遠からずここを出られるだろう。けれど出てどうする。そのまま、日常に回帰するのだろうか。

巨大戦艦襲来の後、見滝原はバイドの襲撃を受けていない。となれば、きっと家族は無事だろう。無事に帰ってきた自分達の娘を、両親はきっと喜んで迎えてくれるだろう。そしてそのまま、きっと帰る事ができるのだろう。

見滝原に、自分の家に。……かつて尊いと思った、日常へ。けれどもう今は、かつてのような日常に戻れる気は、まるでしなかった。

あの日常は、平和に見えた日々は、多くの犠牲の果てに生み出されていたのだ。その一翼を自ら担うことになって、その尊さを知った。けれど、そのために余りに多くの犠牲を払ってしまった。

今更もう、元の通りに日常を過ごすことなど、できるはずがない。もしかしたら、本当にバイドがいなくなってしまったとしても無理かもしれない。

「……楽しかったのかなぁ、あんなことが」

戦う事が楽しいだなんて、思いたくはなかった。だから、きっとそれは違う。

楽しかったのは、仲間と共にいられた日々。命を賭けて、文字通り駆け抜けていった戦いの中で築いた、絆。

そして、自分にできることがあるのだという、それを為しているのだという。それが、多くの人を守っているのだという充足感。きっとそれは、この先一生薄れることの無い記憶だろう。

「楽しかったんだよ。ほむらと、杏子と、マミさんと、キュゥべえと。死ぬかもしれないって分かってたのに、でも、楽しかったんだよ。……一緒に居られて。ただ、それが嬉しかったんだよ。あたしは……あたしはっ」

視界が潤んだ。枕に顔を埋めて、零れる涙は見えないようにした。

完全に思い出されてしまった。孤独な英雄で、クールなようで誰よりも仲間思いだったほむらの姿が。皆の切り込み隊長で、けれど、一緒なら誰にも負けないと思えた杏子の姿が。頼れるリーダーで、自分に戦う定めと生き方を示したマミの姿が。

ありありと、彼女達の姿が脳裏に焼きついていた。

 

嗚呼、嗚呼。

涙を流すのは、寝ている時だけで十分なのに。これ以上涙を流していたら、心が乾いて割れてしまいそうなのに。それでも、涙は留まることを知らずに零れた。

枕を濡らして、嗚咽が漏れた。

 

 

 

『あたしは、エバーグリーンの墜落で全てを失った。家族を、生活を、友人を。それまでの全てを失った。ここにいる人の中にも、きっと同じような人がいるんじゃないかと思う』

泣き疲れて、眠っていたのだろう。まどろむ意識の中に、声が聞こえてきた。

その、声の主は。

 

「杏子っ!!」

さやかは飛び起きた。飛び起きていきなり、ありえないと頭の中でそれを否定した。杏子は死んだ。自分が生み出した魔女と刺し違えて、死んだのだ。

「……どうしたの、さやか?」

急に飛び起きたさやかに、不思議そうにサーシャが問いかけた。部屋に戻ってきていたのだろう。その手には、携帯端末が握られていた。どうやらその声は、この携帯端末から漏れていたようだった。

「サーシャ。それ……は?」

起き抜けで、まだどこかぼんやりとした調子でさやかはサーシャに問いかけた。

「これ?ケイトから借りたの。バイドと戦う兵士が、式典で話したスピーチなんだけど。その兵士は、私達と同い年くらいの女の子なんだって。さやかも一緒に見てみる?」

兵士。式典。スピーチ。聞き覚えがある。いつか、杏子が気恥ずかしそうに話していた。そんなことがあったんだ、と。でも、具体的なことは教えてくれなかった。きっと、知り合いに聞かれるのは恥ずかしかったのだろう。

そこには、パイロットスーツを着て、何万という観衆の視線を一身に受けて立つ、杏子の姿があった。

 

『全てに絶望して、死んでしまいたいと思ったことが何度もある。そしてその時も普通に生きている人達を、何度羨ましく思ったか』

あの時最後に分かれて以来、自分の脳裏でしか描くことのできなかったその姿が今、とてもはっきりとそこには映し出されていた。それだけで、さやかの瞳からは再び涙が零れだしていた。

「さやか?どうしたの、やっぱりこんな女の子が戦っているなんて、考えるだけでも辛いかしら?私もそう思うわ。やっぱりこれはケイトに返しておいたほうがいいかしら」

それに慌てて、映像を停止させようとしたサーシャ。その手を抑えて、さやかは静かに首を振る。

「いいんだ。そのまま……聞かせて。お願い」

「……そう?わかったわ」

そして言葉は続く。その言葉が続けられるたび、ざわめいていた観衆が、次第に静かになっていく。

『そんなあたしが、ここまで生きてこられたのは――バイドがいたからだ。皮肉なことにね。バイドが憎かったから、戦う術を、理由を教えてくれる人がいたから、あたしは戦って、生き延びてこれた』

「杏子……そっか。あんたも……そうなんだよね」

全て失って、燃え尽きてしまったのは同じなのだ。そこから、杏子は立ち直った。その原因は、自分だ。そんな自分が、今こうして燃え尽きてしまい、その膝を折ってしまっている。

それはきっと、随分と滑稽な話だろう。

 

『一緒に戦うことの頼もしさを知ることができたけど、それは同時に別れの辛さもあたしに叩き付けてくれたよ。戦いの分だけ、沢山の出会いと別れがあった。助けたくても、助けられなかった人もいたさ』

その言葉は、ロスとの再会の前に告げた言葉だろう。その言葉を告げた杏子は、それでも最後は助けることができたのだろう。ロスを、アーサーを。そしてさやかを。

だから、満足して逝くことができたのだろうかと、心の中で問いかけた。

『でもあたしは、今まで戦い抜いてきてよかったと思ってる。仲間に出会えたからね』

仲間と呼んでくれたことを、そしてその仲間が、杏子を救っていたことを。嬉しいと思う、けれどもう、どうすることもできなかった。杏子の意志を継ぐこともできない。何もできない。戦う力は失われてしまったのだ。

再び、無力感がこみ上げてくる。

「ごめん、杏子。やっぱり、あたし……ダメみたいだ」

押し潰される。これほど堂々と自分の生き方を誇る杏子が眩しくて。それに比べて、今の自分が情けなくて。もう、さやかには謝ることしかできなかった。

自責の念と無力感に押し潰され、絶望の淵にどっぷりと沈んださやかの心。きっと、杏子が見たら笑うだろうな、と。弱弱しい笑みを、さやかは浮かべていた。

 

けれど、杏子はそんな絶望に沈んださやかを許さない。自らの命を賭して救ったさやかが、そんな無為の中に沈む姿を、許しはしない。だからこそ、続く言葉はさやかの心を打ちのめした。

乾いてひび割れ傷だらけのその心を、ばらばらに打ち砕くような衝撃だった。

『そしてあたし達は、これからもバイドと戦っていく。確かに、バイドと戦うことは誰にでもできることじゃないさ。でも、例え戦うことじゃなくても、誰にだって出来ることはあるはずだ』

 

『世界を救うのは、たった1人の英雄だけじゃない。あたし達1人1人の思いが積み重なって世界を守るんだ。皆で一緒に守っていくんだ!』

びくりと、さやかの身体と心が震えた。想いを込めて叩きつけられた言葉は、絶望の色に染まった心を打ち砕く。砕けて割れて、残った破片はまさに燃え殻。

けれど、その燃え殻の中から蘇るものがあるとするならば。それはなんだろう。

 

『だから生き抜こうぜ!生きてさえいれば、あたしたちにはできることがきっとある。無くすな!世界を!諦めるな!自分をっ!!』

涙が零れる。乾いた冷たい涙ではなく、それは暖かかった。心がその傷口から流す、血のような涙ではない。乾いた心を潤して、暖めていく柔らかな雫。

きっとその言葉は心から、精一杯の想いを込めて発せられたのだろう。こうして映像として残されただけのものでも、その想いは伝わってくる。声が生み出すその震えはそのままさやかの心に響き、そしてそれを震わせた。

 

『――勝利は、あたし達の手にっ!!』

ぎゅっと、拳を握った。胸が熱い。衝動のような、強い気持ちが沸き起こってきた。何かをしなければならないと、衝き動かされるような感情だった。

 

「……格好いいわ。本当に憧れちゃう。私もこんな風になれたらなぁ。きっと英雄よ、バイドなんて、全部やっつけちゃうわ」

映像が途切れて、言葉を失っていたサーシャが、感極まったように言う。

「英雄なんて、そんないいもんじゃないよ。サーシャ。……ごめん、杏子。あたし、すっごいバカやってた」

拳を握ったまま、さやかは立ち上がった。その瞳には、もう絶望に沈んだ色はない。力強い、宝石のように美しい光が彼女の瞳に宿っていた。

 

「さやか?……今の人、知ってるの?」

訝しげに尋ねたサーシャに振り向いて、力強く頷いて、さやかは。

「知ってるよ。あたしの大事な仲間だったんだ。……サーシャ、あたし行くね」

「行くって、どこに行くんです?」

にぃ、と不敵にその顔を歪めて。どこか、悪戯っぽい笑みを浮かべて。

「もちろん、あたしのできることをしに行くんだ!」

力強く、そう告げた。

 

 

 

――抱きしめ合い、重なる男女のシルエット。

 

――男が、女を押し倒す。そのまま重なり、一つの陰になる。

 

――緩やかに、艶かしく動く二つの身体。

 

――一際近く、二人の身体が近づいて……。

 

「っぁぁぁっ!!」

何故だか脳裏に浮かぶ、生々しいそのイメージを振り払うように、ラストダンサーの放った炸裂波動砲が、渦を巻くグアニムの中央に守られたチムスを破壊した。

チムスを失い、急速に形を失っていくゲノン。その崩壊の中をすり抜けて、尚もラストダンサーは駆け抜ける。

この空間に入って、一体どれほどの時が過ぎたのだろう。討伐艦隊は、そして太陽系は無事なのだろうか。それを不安に思う気持ちも、間違いなくスゥの中には存在していた。

けれど、それでもスゥは知っている。

この先にバイドの中枢がいる。それを倒せば、全てにケリがつくということを。

「まだ来る……でも、こんなものでっ!」

背後の液面からせり上がってきたのは、車輪のようなゲノン。シュトムとアデンに作られた輪の中心で、グアニムに守られて存在するチムス。

次々に放たれる光弾をすりぬけ、受け止め。ラストダンサーは車輪の中へと侵入した。いかなる攻撃に対しても無敵を誇るグアニムであっても、受けた衝撃を完全に吸収することはかなわない。

だからこそ放たれた炸裂波動砲は、グアニムの防御をものともせずにチムスを破壊するのだった。

 

統率を失い、消失していく車輪のゲノム。だが、背後にもう一つ。車輪のゲノムが現れた。今度は位置が悪い。悠長に回頭していては狙い撃ちになる。

そう、敵は背後の液面から次々に現れてくるのである。そして出現するまでは、一切センサーで捉えることができない。厄介な敵であることは間違いなかった。

それでも出現してしまえば耐久力も低く、攻撃らしい攻撃はアデンの放つ光弾のみである。ただただ出現時の不意打ちに気をつければ、遅れを取ることなどありえない相手なのだが。

「こうも簡単に背後を取られるっていうのは、気分のいいものではないわ」

一つ、静かに呟いて。

降り注ぐ光弾の雨を、背部の様子を伝えるモニターだけを頼りに回避する。そして一瞬の隙を縫ってフォースを切り離し、背後へと付け替える。そのフォースが姿を変える。

その色は白金。戦う慰霊碑ことB-5C――プラチナ・ハート用に設計された、プラチナ・フォースである。

だが、狙うべきチムスはグアニムに守られている。余裕があれば、一箇所だけ配置されたアデンを破壊し、その隙間からチムスを狙えたのだろうが、生憎と今はそんな余裕は無い。だからこそ。

「……そこだっ!」

プラチナ・フォースから放たれたのは極細の青いレーザー。フォースから水平に放たれたそれは、ホリゾンタルレーザーと呼ばれるプラチナ・フォースの持つレーザーである。

その特徴は細さ。熟練したパイロットであれば、文字通り針の穴を通すような射撃が可能とするほどのものであり、そして彼女は英雄だった。

背後へ向けて放たれたホリゾンタルレーザーは、グアニムの間の僅かな隙間をすり抜けて、そのまま群れの統率者であるチムスを打ち砕いていた。

再び崩れていくゲノン。どうやら、敵の襲撃もひとまずは落ち着いたようだった。

 

「やってみるものね。……そろそろ、近い」

奥から感じるかつて無いほどに大きなバイド反応。確かに近づいているのだろう。バイドの中枢たるそのバイドの元へ、もうじきたどり着くことができるだろう。

 

 

――重なり合ったシルエットが、震えた。

 

――女のものだろう。細い足が、そのつま先がぴん、と張った。

 

――女は、男の背に手を回し。そして。

 

「……ふざけた真似を。何のつもりだ、バイドっ!!」

再び現れる、男女のイメージ。間違いなくそれは生の、そして性の営みで。何故バイドがそんなものを見せようというのか、スゥにはそれが理解できなかった。

そんなもので頬を赤らめ戦意を喪失するほど、子供でもない。ましてや、バイドの考えを理解する必要などは、端から無いのだが。

『スゥ、ちゃん?どうしたの、大丈夫っ?』

まどかの心配そうな声。声を届けることしかできないというのは、歯がゆいのかもしれない。例えここで自分が撃墜されてしまったとして、それを見ていることしか、声を届けることしかできないのだ。

きっと、それはとても辛いのだろうと思った。だからこそ、そんな辛い思いはさせてはならない、と。

「大丈夫よ、まどか。……何の問題も無い。もうすぐ終わるわ」

『本当に?……絶対、絶対に帰ってきてね、スゥちゃ――っ。私、待って――から』

「っ、……まどか?」

 

グアニムの群れが作り出した壁。その真ん中に、細く作られた道。その中を進み、道を塞ごうと迫り来るシュトムを次々に打ち砕きながら進む。

だが、そんなスゥの元に届いたまどかの声は、なぜか途切れ途切れのものだった。

『あ――、どうし――だろ。声――届――ない――』

「まどかっ!?なにがあったの、まどかっ!?」

『どうやら、バイドの空間干渉によってボク達の声も届かなくなってしまうみたいだ。これほどの力をもったバイド、だなんてね。……驚いたよ』

「どういうこと、インキュベーター」

まさかまどかの身に何かがあったのでは、と。そう考えると気が気ではないスゥ。そんなスゥに、続けざまにキュゥべえは言葉を投げかけた。

『何も問題は無いよ。キミはそのままバイドを倒せば―――』

その声も、途中で途切れてしまった。もう、何も聞こえない。

「……どうか、無事でいて。まどか」

何があっても、ここにいる自分にできることは何もない。できることといえば、たった一つだけだ。

「私は、バイドを倒すから」

 

広く、暗い空間に出た。思考の端を掠めていた、睦みあう男女のイメージが途切れた。

何かが、来る。

 

「どうしたの。ねえ、キュゥべえ。一体何が起こったの!?」

アーク内部。アークは既に木星を離れ、バイドの襲撃からの安全圏へと逃れていた。まどかは椅子に座ったまま、目の前のモニターに移るスゥの姿を見つめていた。

ラストダンサーは、異形のバイドと向き合っている。上下の液面にその蔦を浸し、その中心にはなにやら心臓のような器官を持っている。そのバイドは、接近するラストダンサーを、敵を見つけたかのように、大きく脈打った。

「……バイドによる干渉だよ。幸い映像は残っているようだけどね。多分、もうボク達の言葉を彼女に伝えることはできないだろう」

「そんな……スゥちゃん、あんなバイドと戦ってるのに」

大きさだけで言えば先に戦ったゴマンダーのほうが上。けれど、その異形さと映像越しにでも感じるこの威圧感は、身の内から湧き上がる恐怖とも畏怖とも言えるような原始的な感情は、あのバイドが、恐るべき強敵であるということをまどかにも実感させていた。

「信じるしかないだろうね。見届けてあげるといい。彼女が、スゥがどこまでやれるのか」

「そんな……もう、私にできることは何もないのかな。ねぇ、キュゥべえ。本当にもう何もできないの?」

ただ見ていることしかできないだなんて。そんな無力感に耐えかねて、まどかは縋るようにキュゥべえに問いかけた。

 

「……彼女に対して何かをするのは不可能だ。でも、できることがないわけじゃない。多分それは、まどかにとっても少なからず辛いことだと思う。それでも……やってみるかい?」

キュゥべえの言葉に、まどかはほんの一瞬だけ躊躇って。

「……やるよ。皆が戦ってるんだもん、私だって頑張るよ」

力強く、頷いた。

「キミの気持ちはわかった。……じゃあ、見せてあげることにしよう。世界中の人々に、彼女の、英雄の戦う様を」

まどかの頭に取り付けられた装置から、微かな音が漏れる。それと同時に、モニターに映されていた映像が一瞬揺らぎ、そして再び映像が映し出された。

「何を……したの、キュゥべえ」

「すぐに分かるさ」

その言葉よりも早く、まどかの視界にそれが飛び込んできた。

 

「それで、戦況は?」

会議室にて、地球連合軍司令が重々しく放った言葉に、一人の男が答えた。

「オペレーション・ラストダンスは最終段階に入りました。討伐艦隊及びラストダンサーは跳躍空間を突破。それより先のことはわかりませんが、恐らくバイド中枢において敵と交戦しているものと思われます」

「それは結構。だが、問題は太陽系の守りだ」

そこには、重苦しい雰囲気がたちこめていた。大型モニターに映された映像は、中心部を覗いた多くの部分が赤く染めあげられた太陽系の姿が映し出されていた。

「木星のエウロパ基地からの交信が途絶えました。……恐らく、バイドによって陥落したものと思われます」

奇襲によってグリトニルを陥落せしめたバイド軍は、そのまま太陽系内部へと侵攻を開始していた。

討伐艦隊と太陽系外周の防衛のほぼ全ての戦力を割いていたため、太陽系内部にはそれに抗う戦力はなく、バイド軍は次々に基地を襲い、その勢力を拡大しながら太陽系全土への侵攻を続けているのだった。

そして今、その毒牙は木星圏にまで及んでいた。

 

「外周防衛部隊も、残存勢力を率いて反転、敵の追撃を開始しましたが……」

「到着する頃には、地球もバイドの星になっている、か」

それは、まさしく絶望的な状況だった。

「最早これまでか。木星にまで来られる前にアークを出発させよう」

半ば諦め顔で、司令はそれを告げた。諦めと動揺の混じった感情が広がる会議室。その時、戦況を映し出していたモニターが突然に別の映像を映し出した。

 

「なんだ、これは……」

その、映像は。

 

「それで、君は私の所へ来たのかね。まったく、呆れた行動力だ」

男は、かつて織莉子とキリカをけしかけ、さやかとほむらを排しようとしたその男は、驚きと呆れの入り混じったような表情で、目の前の少女に告げた。とは言え、その顔の半分以上はよく分からない機械に挿げ替えられていて、表情などはわからないのだが。

「他にそういう知り合いもいなかったしね。それにあんたなら、なんとかしてくれるんじゃないかって思ったから」

その声に少女は、美樹さやかは答えた。力強く、真っ直ぐにらみつけるかのように。

エバーグリーンの事件の後、ティー・パーティーに帰還する前に、さやかはこの男への直通の連絡方法を教えられていた。

もしインキュベーターのところが気に食わなければ来るといい、ということで。結局それのお世話になることは無かったが、思わぬところで役に立つものである。

さやかはそれを用いて男に連絡を取り、病院を退院し合流する手はずまで整えてしまったのだった。

「子供のたわごとだ、別に聞き流してやってもよかったのだがな」

「じゃあ、なんだってあたしをここまで連れてきてくれたわけ。何かあるんでしょ、きっと」

弱気になるな、と。思わず竦みそうになる足や声を、必死に奮い立たせてさやかは食い下がる。

「別に何も無い。どの道人類は負ける。辛気臭い病院で最後を迎えさせることもない。そう思っただけのことだ」

「ちょっと、それってどういう……え、何よこれ?」

聞き捨てなら無い言葉に、更に食い下がろうとしたさやかの目の前で。ずっと宇宙を映していたそのモニターに、新たな映像が映し出されていた。

 

「これは……はは、ひゃははははッ!そうか、そういうことかっ!!」

その映像を見て、男は狂気すら滲ませて笑う。いきなり笑い出した姿に、流石にさやかもおののいた。ひとしきり笑って、男はゆっくりとさやかの方に振り向いて。

「いいだろう美樹さやか。お前に仕事をくれてやる」

その顔に、狂気と狂喜をたっぷりと滲ませて。男は、唇の端を吊り上げながらそう言った。

 

 

 

「うあぁぁぁっ!!」

ガルーダの放ったポッドが、バイドの巡航艦、ボルドの横っ腹に食いついた。まさしく聖鳥の爪がごとく、ポッドはボルドの内部を掻き毟り、引き裂いた。ポッドが戻ると、その背後でボルドは二つに割れて爆発する。

背後を見れば、味方機がタブロックに追われている。射程の長いミサイルからは逃げ切れず、今にも撃墜されてしまいそうだった。

すぐさま機体を翻し、タブロックに波動砲を叩き込む。窮地を救われた機体から、通信が届いた。

「マコトさん……助かりました。でも、もう限界ですよ。それに、たとえここで勝ったって……私達は」

その声は少女のそれで。彼女もまた魔法少女だった。ゲルヒルデを残し、後方の討伐艦隊の元へと逃れたマコトは、前後から迫り来る敵を退け、太陽系へと帰還していた太陽系外周部隊と合流した。

彼らはグリトニル陥落を、そして太陽系内部へのバイドの侵入を知り、誰もがショックを隠せずにいた。

魔法少女達にとっては、それはまさしく大きなショックであった。自分の身体を失ってしまったのだから、それは無理からぬことではあったのだが。

それでもマコトは彼女達にゲルヒルデの言葉を伝え、どうにか彼女達を奮い立たせた。そして、残存部隊を率いて太陽系内のバイドの追撃を開始したのだった。

 

けれど、魔法少女隊の士気は低く、出撃を拒む者も多くいた。仕方なくマコトは、出撃を拒む者達にはゲルヒルデの捜索という任を与えて放った。そして今、行く手を阻むバイドとの遭遇戦が始まっていたのだ。

「……隊長は必ず戻ってくる。だから、貴女も諦めないで」

何とか元気付けようとしてかけた言葉だが、そんなマコトの言葉にも、疲弊している様子は隠すことができなかった。

正規の地球軍を主とする部隊は、地球へと迫るバイドの追撃に向かっている。その進路を阻むバイドの相手は、単独でのサバイバビリティに優れた魔法少女隊が請け負っていた。

 

「マコト!まずいよ、敵の増援だよっ!」

絶望的な状況を告げる言葉が、共に戦うジーグルーネから投げかけられた。流石のマコトも、その胸中に諦めがよぎる。

「……もう、会えないかもしれませんね。隊長。……お父さん、お母さん」

静かに呟いて。彼女もまた遠からず訪れる死に対面した。その時、機体に無数に浮かぶモニターの中に、その映像が映し出されたのだった。

 

 

そう、その映像はまさしく英雄の戦う姿。ついにバイドの中枢の元へとたどり着き、それとの戦闘を開始した様子が映し出されていたのだった。

そしてまどかの視界にも、そんな風に太陽系のあちこちで戦う人々の姿が。そしてそれ以外にも、多くの人の見つめる視線が映っていた。

あまりにも膨大な情報量に、頭がずきりと痛みを感じた。

「キミの能力を拡大して、彼女の戦う姿を全太陽系に配信している。きっとこれは、苦境に瀕した人類にとっての希望になるはずだよ」

「そういうこと……なんだね」

頭痛を堪えながら、納得したようにまどかが言う。確かに見た限りでは、人類はまさしく最大の危機にある。そんな中には、スゥの戦う姿は。スゥが敵を倒せば全てが終わるという状況はまさしく救いに、唯一の希望になるだろう。

「……ね、キュゥべえ」

「なんだい、まどか」

「みんなに、これを見ているみんなに……声を、伝えられないかな」

「キミがそう望むなら、できないことじゃないはずだよ」

その言葉に、まどかは少しだけ笑って。

「わかったよ。じゃあ、話してみるね」

そして目を閉じ、深く息を吸い込んでから。

 

 

――みんな、この映像を見ているみんな。ちょっとだけ、私の声を聞いてください。

 

 

――あそこで戦っているのは、スゥちゃん。みんなの英雄で、私の一番大事な人なんです。

 

 

――スゥちゃんは、みんなのために戦ってます。そして今、バイドの中枢にまでたどり着いたんです。

 

 

――スゥちゃんは必ず勝ちます。勝って、世界を守ってくれます。だから、だから……。

 

声を伝えることは大変だった。頭痛が、もっと酷くなる。それを堪えて、声を。

 

 

――諦めないでください。負けないでください。希望を、捨てないで……っ。

 

 

 

「……っ、は、ぁッ」

限界だった。声を届けるのをやめても、まだキリキリと頭が痛む。けれど耐えなければならない。スゥがバイドを倒すまでは。全人類に、最後の希望を届けるために。耐えなければならないのだ、と。

まどかは、ぎり、と歯を食いしばった。

 

 

「……どう見る、今の映像を」

口元に笑みを浮かべて、司令は周囲に尋ねた。

「信じられませんが、あれがラストダンサーであることは間違いありませんね」

「ということは、英雄はたどり着いたということなのでしょう。あの声の少女のことも気になりますが」

口々に答える人々の表情にも、希望が戻っていた。まだ終わりではない。今この時を耐えれば、まだ勝機はあるかもしれない。

「そうと決まれば、ただ黙って死ぬわけにも行かん。使えるものは、なんでも使ってやることにしようじゃないか」

そして、司令はどこかへと通信を取り始めた。

 

「……まどか。なんだってこんなことになってるのよ。全く」

さっぱり訳が分からない、といった風にさやかは呟いた。そこはR戦闘機のコクピットの中。けれど不思議と懐かしい気はしない。

それも当然だった。今まで、生身でここに入ったことなど無いのだから。

「この期に及んで完成したのはいいが、今更こいつを預けられるパイロットもいなくてな。このままバイドの餌にするのも癪だ。お前にくれてやる」

それは、既存のR戦闘機とは全く異なる形状をとっていた。キャノピーはV字型で、その下に砲門を携えている。そして背後には、無数に突き出した突起物やバーニア、スラスター。

なんでもこの突起物の中に、今までのR戦闘機のデータが搭載されているのだという。それ以外にも、機体各部にこれまで開発されてきた機体に用いられた技術が凝縮されている。

まさしくこの機体そのものが、R戦闘機の開発の歴史そのものと言えるような、そんな機体だった。

「時間と金さえあれば、これを量産するのも悪くはなかったんだがな。一応、人間が乗れるようにも調整はしてある。その分性能もそれなりだがな」

そんなR戦闘機を眺めて、男は満足そうに言い放った。

「……ありがと。なんだかんで結構、あんたには世話になってるよね。それで、この子の名前はなんていうの?」

少し神妙な様子で、操縦桿をぎゅっと握ってさやかは言った。

「R-100。究極互換機二号機。……カーテンコールだ」

「カーテンコール、ね。まだ終わっちゃいないのに、ちょっと気が早すぎるんじゃない?」

「くく、違いない。ほら、行ってこい」

静かに笑みを交わして、そして。

「美樹さやか、カーテンコール。行くよっ!!」

そして今、ただの少女が再び宇宙に、舞う。

 

「……そっか、たどり着いたんだ。あの英雄は」

迫るバイドの機動兵器。それを眺めながら、マコトは視界の端に移ったモニターを眺めた。英雄は、尚も果敢にバイドと戦っている。

「どうやら、ここが命の張り所……みたいだな」

きっと同じものを見ていたのだろう。マコトの機体に寄り添うように、いくつも機体が並んでいた。皆、その身に闘志を滾らせて。

「少なくとも、バイドに思い知らせてやるくらいはできそうじゃない」

「今ここで死んだら、英雄がバイドをやっつけるところ、見れなくなっちゃうもんね。まだ死ねないや」

どうやらあの英雄の姿が、少女達にもまだ残っていた戦う力を引き出したようだった。

 

たとえ未来が暗くても、死ぬべき時は今じゃない。

たとえ未来が暗くても、それが覆らない保証も無い。

 

「さあみんな。もう一波、凌いで見せるよっ!」

マコトが檄を飛ばす。その、力強い声に。

「了解っ!!」

同じく、力強い声が答えていた。

 

 

「やれやれ、あの英雄もまだ生きていたのかい?大したものだね、彼女も」

「あら。それを言ったら私達だって大したものよ?まだ生きているんだもの」

「……そうだね。まさか、生き残れるなんて思ってなかった。嬉しいんだ」

そんな少女達を眺めて、声が二つ。

「はいはい、いちゃつくのはここを切り抜けてからにしてちょうだい。彼女達の援護に回るわよ。……まだ戦えるでしょう?」

そして、呆れ気味な声が、一つ。

「ああ、当然だっ!」

「ええ、人間の力、思い知らせてあげまなくてはね」

そして、三つの光が少女達の元へと飛来した。その光の中の一つが、静かに呟いていた。

 

「あの声は……生きていてくれたのね、まどか」

嬉しそうな、声だった。

 

 

 

不可思議な異層次元。

バイドを生み出す液体に満ちた空間。

人の遺伝子構造を模したバイドの群れ。

 

全てを下し、ついに彼女はここへ来た。

 

立ち向かうは、魔人の心臓を掲げた樹木がごときバイド。バイドの中枢にして、その攻撃本能を司る物。

これを倒せば、全てが終わる。人類は、バイドに悩まされることは無くなる。バイドが振りまく、多くの死と絶望は根絶される。

戦いは、終わるのだ。

 

ラストダンサーは、スゥは。ついに今、最後の戦いに挑む。

 

「……決着をつけてやる」

ラストダンサーは、その全ての力を持ってバイドに立ち向かう。その機首から放たれたのは、プラズマ化した超高温の炎。R-9Sk系列機に搭載されている、灼熱波動砲である。

見たところ、どうやら敵は生体系のバイド。ならばそれに対して特攻を持つ灼熱波動砲であれば、有効打となるのではないか。

 

そして放たれた灼熱のプラズマ炎は、敵バイドの表面にぶち当たり。そのまま拡散し、周囲の空間へと散っていく。間違いなく直撃はしている。回避をする様子もなければ、そんな芸当ができる敵とも思えない。

だがこのバイドは、灼熱波動砲の直撃を受けて尚平然としているのである。熱に対する耐性が強いのか、それともそもそもにして、熱量による攻撃は通用しないのか。いずれにしても、灼熱波動砲では効果が見込めないことが分かった。

「まだまだ、この程度でっ!」

そして明確な敵意を向けたラストダンサーに対して、ついにバイドも反撃の牙を剥いた。その根を下ろした液面から、どくどくと何かを吸い上げた。そして、それを生み出した。

リボーが、ファットが、背後の液面から現れたのである。

 

「機械系バイドすらも生産する能力……攻撃本能を司る個体と言ってもやはり、バイドを生み出す能力は持っているということね」

そして、その異形の創造はそれだけに留まらない。ゲインズなどの中型バイドすら、その液体の中から次々に生み出されてきたのである。

「無尽蔵に呼び出されたのでは、まともに戦っていてはキリが無いわ」

生み出されたバイド達は、それを生み出したバイドの周りを渦を巻くようにして取り囲み、そして渦を巻き、廻る。まずはそれを蹴散らさないことには、更なる追撃の手は届かない。

「サイビット。行きなさいっ!」

波動砲と同時に放たれたサイビットがその渦に食いつき、次々に生み出されるバイドを食い破っていく。そして再び、バイドへと攻撃するための道が開けた。

 

その道に飛び込み、次なる攻撃を叩き込もうとして、スゥは違和感に気付いた。敵のバイドは、液体から何かを取り込んでいた。それは、今生み出されているバイドの材料なのだろうと考えていた。

だが、だとしたら何故バイドは『液面』から生まれてくるのだろうか。むしろそれならば、樹木のようなバイドから液面へと何か信号のようなものが伝えられるはずなのに。

もし今までのバイドの行動が、何かをするための準備なのだとしたら……。

 

「っ……っ、のぉっ!!」

機体を急旋回させる。背後に再び生み出され、退路を絶とうとしていたバイド群の隙間をすり抜けて離脱する。

その直後、恐らくスゥの予想したとおりに、それはバイドの身の内より放たれた。

「これは……一体、どうして」

それは、R戦闘機の姿をしていた。大量のR戦闘機の形をした何かが、その空間へ向けて吐き出されたのだった。

その色は、R戦闘機本来の色ではなく、どこか金属質な光沢を伴った色。けれどそのフォルムは、メルトクラフトやメタリックドーンとは違う。

ばら撒かれたR戦闘機の形をした何かは、そのまま戦闘軌道を取ることもなくただただ四方にばら撒かれ、それ自体を弾幕と化して窮地を逃れたラストダンサーへと襲い掛かってきた。

恐らく脱出が遅れていれば、背後をバイドに塞がれ、前方には壁がごときRの群れ。逃れることなど、叶わなかっただろう。

 

「……考えても仕方ない、か」

どれほど考えたところで、バイドのことなど理解できようはずもない。倒せばいい。その存在を消滅させればそれでいい。持続式圧縮波動砲で迫り来るR戦闘機を薙ぎ払い、更に後方に渦巻くバイドに閃光の一撃を叩き込む。

そして考える。

倒すべきあのバイドは、かなりの堅牢さを誇っている。そして、今現在のラストダンサーが保有する最強の武装。それは間違いなくフルチャージのギガ波動砲である。

だとすればそれを叩き込むしかないが、その為には長大なチャージ時間が必要であった。

「もう一度、力を貸して」

その時間を稼ぐための方法を、ラストダンサーは所有している。時間停止という、非常に強力な魔法。だが未だ持って、スゥはそれを自らの意思で使うことができずにいた。

「この機体は、ラストダンサーはあいつを倒すために作られた。今その力を見せずに、いつ使うと言うんだっ!力を寄越せっ、ラストダンサーっ!!」

光を蓄えた魔人の心臓が、再びR戦闘機をばら撒いてきた。ギガ波動砲のチャージは既に開始してしまっている。レーザーでの迎撃はできない。

そしてバイドによって生み出されたR戦闘機は、耐久性も向上しているようだった。フォースのエネルギーでそれを防ぐことはできなくはないが、この耐久性とあの数である。

まず間違いなく押し切られてしまう。

チャージを中止し、ギガ波動砲で敵を蹴散らすことはできるだろう。だが、それでは埒が明かない。やはり今、最大の一撃を放つためには、時間停止という魔法の力が必要なのだ。

 

 

――貴女に力を貸すのは気に食わない。でも……。

誰かの、声。それが誰なのかを理解するよりも前に、世界は、再び停止した。

自分の意思でなのか、それとも今の声の主が。このラストダンサーに搭載された、誰かの魂がそうしているのだろうか。それを考えるのは、今じゃない。

とにかく、こうして時間は止まった。迫るR戦闘機群も、渦まくバイドの群れも、脈打つ光や波打つ液面も、全てが止まっている。

「これで終わりだ、バイド」

ギガ波動砲のチャージゲージが、STRONGからGREATへと変わる。まだチャージは半分程度。今しばらくは、このまま時を止めている必要がある。

 

――チャージ終了までは持たせる。後は、貴女が決めなさい。

また、声が。一体誰なのだろう。聞き覚えのある声だった。その声を聞いていると、何かが胸の内からこみ上げてくる。その感情は怒りのような、それでいて羨望じみたもので。

そんな感情を他所に、チャージはGREATからSPECIALへと移行する。

「まさか、貴女は……」

何か直感のような、確信めいたものを感じて、スゥは。

 

時の流れの止まった26次元。だが、それとは時流を別にする次元では、その停止した世界をそのまま眺めることができた。だから、全人類にはそれが見えていた。

全てが停止した時間の中で、唯一その身に光を纏い、そしてだんだんとその光を強めていくラストダンサーの姿が。

「とうとう、時間停止さえも自由に扱えるようになったようだね。これで、ラストダンサーはまさに究極とも言うべき力を手にすることになった」

感心するかのように、キュゥべえが呟く。

「これで、終わるんだよね……スゥちゃん。勝って、そして帰ってきて」

全人類の元に、英雄の戦う姿を流しながら。それがもたらす苦痛を堪えて、まどかは静かに祈っていた。

 

「しかし、まさか本当に生きて戻ってくるとは思いませんでしたよ」

ガルーダが。

「……思わぬ援軍が来たのよ。そうでなければ、きっと危なかったわ」

そして、それに背を預けて敵を狙い撃つコンサートマスターが。

波動の光が織り成す大合唱。その指揮者を操る者の名は。

「向こうももうすぐケリがつきそうですし。もうひと踏ん張り……ですね、隊長っ!」

希望を、力を取り戻したガルーダが駆ける。最早、その瞳に絶望の色は無い。

「そうね、このままバイドを倒して、みんなで生きて帰りましょうっ!」

それとは逆に、コンサートマスターが駆ける。周囲では尚も激しい戦闘が続いていた。その只中へと、二つの光が飛び込んでいく。

その、刹那。

 

「そうしたら、きっとまた会えるわよね。……まどか」

その者の名は。魔法少女隊隊長、ゲルヒルデ。

 

かつて、巴マミと呼ばれていた――魔法少女。

 

 

チャージは、SPECIALからDEVILへ。

 

「なんだか、凄く不思議な気分だわ」

フォースから放たれた光の刃が、迫るバイドを両断した。

「確かにそうだね。死んだはずの私達がこうして生きていて。もうすぐバイドとの戦いも終わる。そうしたら、きっとずっと一緒に居られるんだろう?」

もう一つの機体のフォースが放つ光の刃、5対のそれも半分以上が欠けていた。けれどそれでも、その刃は本来の目的を忘れず過たず、バイドの身体に食い込み、そのまま引き裂いていく。

「そもそも、あの空間はなんだったのかしら。フレームワークのような空間だったわね」

ついにフォースコンダクターが限界を迎えた。フォースを敵に叩きつけ、そのまま破棄する。後残された武装は、ミサイルとレールガン、そして波動砲だけだ。

「本当に不思議だ。爆発に巻き込まれた筈の私達なのにね。気がつけばあんなところにいて。それでも戦って、戦って。気がつけばここにいた」

左翼のスラスターは、先ほどから一切の動きを見せていない。機動性は大幅に減じられているが、それでもまだ、戦える。何せ、今は二人きりで戦っているわけではないのだから。

 

そう、彼女達の周囲では、今も複数の魔法少女達が戦っている。皆が皆、ほとんどボロボロの機体を駆って。互いに支えあい、もうじき終わるこの戦いを、どうにか乗り越えようとしているのだ。

「泣いても笑っても、これで最後だ!行こう……織莉子っ!」

「ええ、今は大義も正義も関係ないわ。ただ、生き延びるために戦いましょう……キリカっ!」

ダンシング・エッジが、そしてヒュロスが。呉キリカが、美国織莉子が。死を乗り越え、はるかな次元の彼方より帰還した二人が。今はただ、その生と存在のために最後の戦いへと挑むのであった。

 

そして、太陽系内に侵入し、今尚地球に向かうバイド群。それを追撃せんがため、太陽系をひた走る部隊。太陽系外周絶対防衛部隊の生き残り達は、ひたすらに最大速度でもってバイド群へと向かっていた。

もうじき、きっともうじき英雄がバイドを倒す。だがその時、皆の帰るべき場所が無いのでは目も当てられないではないか、と。

「今頃、バイド群は火星周辺にまで侵攻しているはずだ。火星にも、最早ほとんど戦力は残されていない。ここを突破されれば……後は地球だけだ」

その部隊を率いる男は、焦燥と不安がない交ぜになったような口調で呟いた。火星をそのまま素通りされてしまえば、最早地球への侵攻を防ぐことはできない。

そうなれば、まず間に合わない。

とにかく急いでくれと願いながら、その男は広がる宇宙を睨み付けていた。

「艦長、火星方面より電文です」

「電文だと?今時随分レトロなものを。こっちに回せ」

もしやすると、通常の通信を送る余裕も無いほどの窮地に立たされているのかもしれない。胸中に垂れ込める暗い不安を拭いきれずに、その電文に目を通し。

男は、驚愕した。

 

“人類存亡ノ急ニ際シ、我等ハ地球連合軍トノ共闘ヲ善シトスルモノナリ。

 現在我等ハ火星宙域ニオイテ地球連合軍、火星駐留部隊ト共ニバイド群ト交戦中。

 至急救援ニ来ラレタシ。

                             グランゼーラ革命軍”

 

「どうにか彼らとも共闘の約束を取り付けることができた。さあ、ここからが正念場だ」

火星の戦況を睨みながら、司令が静かに言葉を放つ。

グランゼーラ革命軍。先の太陽系開放同盟の流れを汲む一派であり、彼らはバイドと地球連合軍の戦いの影で、密かに兵器開発や戦力の増強を続けている。そう、まことしやかに噂されていた。そして恐らく、それは事実だったのだろう。

この人類存亡の急に、地球連合軍からの共闘の申し出を受け。いくつかの条件と引き換えに今、グランゼーラ革命軍が、火星に迫るバイドとの戦いを開始したのであった。

 

そして、ついにチャージは最大を示す、BYDOへと到達した。

停止した世界に、再び時の流れが戻る。押し寄せるように迫るR戦闘機。その奥にそびえる、魔人の心臓抱える大樹。だが、もう遅い。

これで、全てが終わる。

 

「行け……」

その戦況を眺める誰かが。

 

「行けっ!」

名もなき人々が。今尚失われ続ける。それでも200億に近い命が。意思が。

 

「やっちまえっ!」

その全ての希望が、ラストダンサーに預けられた。

 

「ぶちかませっ!!」

そしてカーテンコールを駆るさやかもまた、その光景を目の当たりにして叫ぶ。

 

 

「スゥちゃん……やっちゃえっ!!」

そしてまどかも、叫ぶ。

その希望を、願いをスゥは知らない。知りようが無い。

それでもそれを確かに背負い、ついにラストダンサーは、最大の一撃を――。

 

「クタバレ、ケダモノォォォっ!!」

撃ち放った。圧倒的な光の本流が、R戦闘機を、そしてバイドの群れを飲み干し。その奥にそびえる大樹を、その全貌を飲み込み、貫いた。



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第18話 ―オペレーション・ラストダンス(後編)―③

荒れ狂う光の奔流。その中から這い出たのは更なる絶望の影。
けれど少女は怯まず、諦めることもなく立ち向かう。
英雄を望まれ、それを棄てた少女の願いが戦況に一筋の光を照らす。

残された少女達は集い、最後の時を越えんが為に、宙を舞う。


誰もが、言葉を失っていた。

誰もが、信じられないものを見るかのようにその光景を眺めていた。そしてそれは、それをもっとも身近で見てしまった彼女にとっても、信じられない光景で。

「……そん、な。バカな」

全ての物を飲み込み砕く、最強のギガ波動砲。その奔流に飲み込まれ、完全にバイドの姿は光の中へと没していた。そして、その奔流が駆け抜け、過ぎ去った後には。

 

――傷一つない姿の、バイドの姿があった。

 

 

「ギガ波動砲すらも通用しない。一体、一体どうすればっ!」

ギガ波動砲は間違いなく、現行の人類が生み出した最高の攻撃手段である。R戦闘機という一個の戦力が持ちうる戦力としては、これ以上のものは存在しない。これ以上ともなれば、ウートガルザ・ロキや超絶圧縮波動砲のような戦略兵器クラスの代物しかない。

そして、いかなラストダンサーといえど、そんな戦略兵器を搭載することは不可能であった。つまりそれは、ラストダンサーにはもはや、あのバイドを撃滅する手段が存在しないということを示していた。

ギガ波動砲の一撃を受け止めて尚、傷一つ負うことなくバイドはそこにあり、再び眼前の敵を破壊するための行動を開始した。

 

「そんな……あれでもダメだなんて。やっぱり……ダメなの?バイドを倒すことは、できないのかな」

震える手で、震える声で。それでも尚、と足掻き続ける英雄の、友の姿を見つめてまどかが言う。

「……最後まで彼女は戦うだろうね。例え敗れて死ぬとしても、その最後まで」

隣に並ぶキュゥべえの、声。けれどその声は、まどかの知るどこか無機質で感情の色の見えない声ではなかった。まるで、何かを待ち焦がれているかのような、隠しきれない愉悦が漏れているような声で。

「ねえ、キュゥべえ。どうして……どうしてあなたは笑ってるの?」

そして、その口元には笑みすら浮かんでいた。まどかが恐る恐ると尋ねると、キュゥべえは驚いたように顔を上げて。

「……笑っていたかい、ボクが?」

「うん、なんだか……すごく楽しそうに笑ってる。ねえ、どうして。スゥちゃんがあんなに必死に戦っているのに。どうしてキュゥべえは、そんな風に笑っていられるの。……私には、わからないよ」

「そうか、ボクは笑っていたのか。バイドがボク達に与えた憎悪という名の感情は、巡り巡ってさまざまな感情を今のボクにもたらしているらしい。……きっとこの感情は、こう言うのだろうね」

そう言うと、キュゥべえは静かにその目を細めた。軽く、その耳が揺れて。

「“感慨深い”そういう感情なのだと思う、これは。長かった、本当に……ここまで辿りつくのに、どれだけの時間を費やしただろうか」

そして、キュゥべえはまどかに振り向くと。さらにその表情の笑みを深めて、こう言った。

 

「心配はいらないよ、まどか。全人類のバイドとの戦いの歴史は、今日、この日のためにあったんだ」

 

「勝てますかね、あの英雄は」

「勝つわ。そう信じて私達は戦うしかないのよ」

周囲の敵はあらかた掃討することができた。ようやく少しだけ落ち着いた、その戦いの宇宙の片隅で。ゲルヒルデこと巴マミと、彼女が得た新たな仲間であったマコトが、鋼の身体で寄り添って、一時の静寂の中を飛んでいた。

「そっちもあらかた片付いたようだね。こっちもようやく落ち着いたよ」

「とはいえ、私達の機体も身体ももう限界よ。これ以上戦うのは……厳しいわね」

横合いから、ダンシング・エッジとヒュロスが合流した。

見れば確かに、どちらの機体もボロボロだった。そしてボロボロなのは機体だけではなく、積み重なる戦いの中で幾度も魔法を行使したのだろう。そのソウルジェムに溜まった穢れもまた、相当深刻なレベルに達していた。

 

「限界なのは他の皆も同じよ。……なにせ、グリトニルからこっち、ずっと戦い詰めだもの」

「せめて、どこかで補給が受けられればいいのですが……」

続々と、この戦いを生き残った魔法少女達が集まってきた。戦って戦って、戦い抜いて生き延びた少女達である。誰もが皆、最早歴戦の兵と呼んで差し支えないほどの力量を持っていた。

だからこそこうして、この戦いを誰一人欠けることなく生き延びることができたのだ。

「おねえちゃん!よかった、無事に帰ってきてくれたんだっ!」

そしてその一群から一機。カロンが抜けてきた。そのままマミのコンサートマスターに接近し、嬉しそうな声をあげた。

「ルネちゃん。……よかった。貴女も生きていてくれたのね」

「私だけじゃないよっ。みんな一緒に待ってたんだ」

ジーグルーネの駆るカロンは、まだ比較的損傷は軽いほうだった。そんな機体が、嬉しそうにコンサートマスターの周りを飛びまわる。

 

「ねえ、ルネちゃん。……今戦っている英雄。彼女はどうしたら勝てるかしらね」

そんな嬉しそうな様子を見せるジーグルーネに、直通の回線を通じてマミは尋ねた。その言葉に驚いたかのように、機体の動きを止めて、ジーグルーネは。

「え……おねえちゃん、どうして……そんなこと、聞くの?」

戸惑いがちに言葉を返したジーグルーネに、マミは小さく笑みを浮かべて答えた。

「さあ、どうしてかしらね。……多分、ルネちゃんは知ってるんじゃないかな、って。あんな、途方もなく強大なバイドを倒す方法を」

ジーグルーネは、その言葉に息を呑む。まるで、そんな風に言われることなど予想だにしていなかったのだろう。

 

「あれは、いつのことだったかしらね。……私がまだ、ここに来る前のことよ」

そんなジーグルーネをよそに、マミは静かに記憶を辿る。辿れば記憶は手繰られて、明確な映像として脳裏に浮かぶ。大丈夫、まだ、忘れていない。

「あの頃の私にも、今の貴女達に負けないくらい、大切な仲間達がいたわ。その中のある少女が、私にいつか話してくれたのよ。……暗黒の森の番犬のことを、ね」

それは、もう随分と昔の話。グローリアにて、バイドと化した少女達との交戦を終えた後のこと。その時ほむらは、その事実を彼女達に伏せていた。そして結局、誰にもそのことを告げることなく彼女は散った。

けれど、どこかでその少女はそれを知ったのだろう。人がバイドとなり得ることを、その少女は知っていたから。グローリアで対峙した敵機達が、その元は人であったということを察してしまったのだろう。

 

そして、その少女から伝え聞くようにしてマミもまたそれを知った。一人孤独に戦い、強大な敵に打ち勝ち。そして帰ることなく消えた。暗黒の森に眠る番犬たる、幼い少女のその末路を。

「……おねえ、ちゃん。その……仲間、って」

呆然とした声で、ジーグルーネがマミに問う。その幼い心に浮かんだ疑念を、確信へと変える言葉をマミは告げた。

「佐倉杏子。……私の、大切な仲間だった女の子よ」

「……キョーコの、仲間だったんだ」

懐かしむように。何かを堪えるように、幼い声が震えていた。

「だから、貴女の事も話に聞いていたわ。……千歳ゆまちゃん」

その名を呼ばれて、かつての英雄は、暗黒の森の番犬であった少女は、今はジーグルーネであった少女は。

――千歳ゆまは、小さく息を呑んだ。

 

「そっか……おねえちゃんは、キョーコの仲間だったんだね。でも、どうして私のことが分かったのかな。私は、死んじゃったはずなのに」

その衝撃が過ぎ去って、ようやく少し心も落ち着くと。今度は逆に不思議になってくる。今こうして生きていること自体が不思議だが、千歳ゆまは既に6年も前に死んだことになっている。そしてあの暗黒の森の中で、遂に本当の死を迎えていたはずなのだ。

そんな自分のことを、知っている人がいるとは思えなかった。

「そうね。普通だったら私だってそんな風には思いもしなかったわ。でも、ゆまちゃんはあの杏子の演説の映像を、何度も何度も見ていたでしょう。彼女が死んだことを聞いたとき、ずっと泣いていたじゃない」

肉体を持たないマミやゆまは、グリトニルに待機している間はソウルジェムを機械に接続し、半ばグリトニルの一部のようになっていた。その状態でできることは、思った以上に多岐に渡っていた。

肉体の代わりに得た機能をさまざまに試す内、マミはいつしかそんなゆまの姿を知るに至り。

 

「佐倉さんの生死にそこまで執着する人物なんて、そうはいないわ。きっと私達と、ジェイド・ロスとその仲間達くらいのものよ。そして幼い女の子ともなれば……ね?」

それだけ条件が揃えば、おのずと相手の正体は見えてくる。後は唯一つ、その相手である人物は既に死んでいる。そのことさえ除けば答えは出る。

「……そして最後に、私も多分。ゆまちゃんと同じくもう死んだはずの人間なのよ。それが生き返ったということは……貴女が蘇っていてもおかしくない。そう思ったの」

蘇ったという事実。その事にだけは未だに説明がつけられない。あの超絶圧縮波動砲の炸裂の中で、ソウルジェムが無事だったとも思えない。かと言って杏子から聞いた限りのゆまの状況は、彼女が無事でいられるとも思えなかった。

そして何より何故、肉体と一緒にではなくソウルジェムだけが蘇ったのか。

杏子の願いが引き起こしたその現象は、今の彼女にとっても全く持って、不可解な事象であったのだ。

 

「おねえちゃんも……私と同じだったんだ」

ようやくその事実が飲み込めたようで、けれどもやはりどこか呆然とした口調でゆまが言う。

「そう、案外境遇としては似ているのよ。死んだはずなのに蘇って。腕を買われて、こうして魔法少女隊を率いて戦っている。……不思議な巡り合わせね」

どちらとも無く苦笑めいた笑い声が聞こえて、そして。

「だからこそ、ゆまちゃんに聞きたいの。サタニック・ラプソディーの元凶を倒した貴女に、一体どうすればあのバイドを倒すことができるのかを、ね」

そういうことだったのか、と。ようやくゆまも納得したようだった。それから少し考えて、どこか自信なさげに、頼りなくだが呟いた。

「あの時。レーザーもミサイルも全部あの敵には通用しなくて。それでも必死に戦ってたんだ。そうしたら、フォースが敵に乗っ取られちゃって。それでも必死に戦って……」

忌まわしい戦いの記憶。思い出すだけでおぞましく、心の奥の古傷が掻き毟られる。それ故にその戦いは、長い暗黒の森での眠りを経ても尚、忘れようのない記憶として刻まれていた。

だからこそ、ゆまはそれに思い至るのだった。

 

「そうだよ。フォースだ。フォースは乗っ取られちゃったけど、それでもまだ生きてて。フォースに溜まったエネルギーを中から開放させて、それであいつをやっつけたんだ!」

どこか興奮したような口調で、ゆまが戦いの記憶を語る。どんどんと思い出されていくそれは、ゆまの人間としての最後の瞬間にまで続いていて。

「それで敵はやっつけたんだ!でも、まだあの光は生きてて、追いかけてきて。それでゆまは逃げようとして、でも逃げ切れなくて、地球が見えてきて……それで、それで……っ」

「ゆまちゃんっ!もういいわ。もういいから……だから、落ち着いて」

やはりその記憶は、幼いゆまにとってはトラウマ以外の何者でもない。震える声で、恐らく顔が見られたのならそれを蒼白にさせて言葉を放ち続けるゆまを、慌てた様子でマミが制した。

「……ぁ、ごめんね。おねえちゃん。……でも、ゆまは思い出したよ。フォースが必要なんだと思う。あの敵を倒すためには、きっと」

落ち着かない呼吸を堪えて、なんとかゆまはそう告げた。人の身体を捨てたとて、人として生きてきた時間の記憶は拭えない。鋼の身に宿した心臓は激しく脈打って、金属質の肺はやけに呼吸を荒げてしまっていた。

それでも、答えを得ることはできた。その答えが正しいのかどうかは分からない。それでも、報せる価値はある。

今尚全太陽系に発進し続けられているこの強力な通信波。これほど強力であれば、その元を辿ることは容易い。そこに赴き、それを伝える。向こうの状況を把握しているのなら、声を伝える事だってできるはずだ。

確実ではないが、きっと今はそれが自分のなすべきことだとマミは考えていた。

 

「隊長っ!高速でこの宙域に接近する機体があります」

思索にふけるマミと、呆然としたままのゆま。その二人に向けて、その声は投げかけられた。

「っ。機体って、バイドのものなの?それとも味方かしら?」

いち早く我に帰ると、マミはすぐに詳細を問いただした。

「わかりません。所属不明。データにもない機体のようです。凄い速度で向かってきてますっ」

判別はつかないということは、概ね敵と見て間違いはない。相手は一機だが、こちらは皆ボロボロの状態である。油断はできない。

「損傷の少ない機体は前面に出て頂戴。正体不明機の姿が見えたら一応コンタクトを。応答がないようなら、そのまま各自散開して攻撃をしかけて。相手が行動する前に勝負をつけるわ」

指示を飛ばせば、すぐさま各所から了解の返事が届く。

「ゆ……ルネちゃんも、前に出てくれるかしら」

「うん、わかったよ。お姉ちゃん」

ようやく我に返ったゆまが、前線へと進む部隊の中に加わっていった。

 

「正体不明機、交戦圏内に入りますっ!」

「さあ、かかって来なさい。誰だか知らないけれど、私達はそう簡単にはやられないわよ」

ついに所属不明機の姿がモニターに映し出される。姿を現したその機体は、R戦闘機のようにも見えたが、こちらの呼びかけに対する返事はなかった。となれば敵だろう。

まずは一斉射撃とばかりに、それぞれの機体が所属不明機へとその照準を合わせた。

 

「こらーっ!やめなさいっての、撃つんじゃなーいっ!!」

突然、所属不明機から飛び込んでできたその声は、少女の物だった。人が乗っている。流石にそれを撃つことはできずに、ギリギリのところで少女達は踏みとどまることができた。

「ふーっ、危ない危ない。通信チャンネルの設定が、ギリギリ間に合ってよかったよ」

所属不明機を駆る少女は、ほっとしたように一つ声を上げた。ついに機体のセンサーが捉えたその機体。その姿はやはりデータにないものだった。

それも当然。その機体は、R戦闘機の開発基地を飛び出したばかりのカーテンコール。故に当然、それを駆る少女は……。

「そんな……貴女、美樹さんっ!?」

「え……そんな、この声って。嘘!?ま……マミさんっ?!」

こんな宇宙の只中で、二人は再会を果たしたのだった。

 

「……私は彼女と話をするから、皆は先行していて。後で追いつくわ。場所は指定したとおり。この通信波の発信源よ」

付き従う魔法少女隊にそう告げ、マミは一人、さやかのカーテンコールに向き合った。

「生きているとは聞いていたけれど……こんなところで出会えるなんて、思わなかったわ」

マミにとってもさやかにとっても、それは思わぬ再会だった。英雄の帰還の際に、戦いの最中に死に分かれてそれきりで、まさか再び出会うことになろうとは。最早感慨深くすらもある、と。マミは深い喜びを込めて呟いた。

「い、いやいやいやいやっ。そんな普通にしみじみ再会喜ぶ場面ですかっ、マミさんっ。って言うか本当にマミさんなんですか!?だって、マミさんはあのときに……」

だが、そんな純粋な懐かしさや喜びに浸ることは、さやかには不可能だった。なにせ、さやかにとってはマミは既に死人なのだ。戦いの中で失われた命。それに再びこうして出会ってしまった。

自分の頭が、自分ですら自覚できないうちにおかしくなってしまったのか。それともほむらのようなクローンでもできていたのか、そんなことまで考えてしまっていた。

「……そうね。確かに私はあの時死んだはずなのよ。バイドの戦闘機を倒すために超絶圧縮波動砲を使って。けれど、なぜか私は生きていた。そして、今もまだバイドと戦っているの。さやか。貴女も……同じみたいね。一度戦いの運命に巻き込まれたら、なかなか抜け出せないものよね」

そう言ってマミは笑った。何度死にかけても、その度にその淵から蘇り、尚も戦いの運命に飲み込まれていく。歳若い少女が背負うには、それはあまりに重く、暗い運命だ。

「そっか、そういえばそうですね、本当に。あたしだって、もう戦わなくてもいいはずなのに。魔法少女でもなくなっちゃったのに、まだこんなのに乗ってるんですから」

そして、同じようにさやかも笑った。けれどその言葉は、マミにとっては聞き捨てならない言葉だった。

 

「えっ?さやか、魔法少女じゃないって、どういうことなの?」

「あ、そっか。マミさんはその時にはもう……いなかったんですもんね。あ……でも、これはなんて説明したらいいんだろうな」

知らないのも当然で。けれどマミが機体と共に消えた後、さやかと杏子に一体何が起こったのか。それを具体的に説明することは、きっと少なからずマミにとってもショックな事だろうと考えていた。

「えっと、あの後も……私と杏子はずっと戦ってたんです。でも、その中であたしは……ちょっと魔法とか言うのを使いすぎちゃったみたいで。……それで、あたしは」

あの時のことを思い出すと、今でも胸がずきりと痛む。きっとそれをそのまま伝えれば、マミも同じような痛みを抱えてしまう。だからこそ、どうにか魔女の話はぼかして話そうかと考えた。けれど。

「……魔女に、なってしまったというの。さやか?」

マミは、魔法少女隊の隊長であるゲルヒルデは、そんなことなどとうに知っていた。そして人類が、魔法少女を生贄に魔女を兵器として運用してしまっている事さえも、既に知っていた。

 

「知ってたんですか、魔女のこと」

「ここで戦うようになってから、なのだけどね」

だとすれば、もう隠す必要もないのかもしれない。

「魔女になったのに、貴女はまだ人間として生きているのね。一体どうして、まさか、魔女を人間に戻す方法が見つかったのだとしたら……」

そしてマミにとっては、今のさやかの存在こそが衝撃的な事実であった。魔女となって尚、人の身体に戻りえたということ。

それはすなわち、自らの身体に戻ることができるのかどうかすら分からない、魔法少女隊の皆にとって、一つの希望になるのではないかと、そう考えていたのだ。

「あたしが人間に戻れたのは、杏子のおかげなんです。杏子が、願いと引き換えに魔法少女になったから。その願いのおかげで、あたしは人間に戻ることができたんです」

「……そういうこと、だったのね」

魔法少女と魔女。そしてその願いと魔法。真実を知りえる立場にあれば、少し調べるだけでその関係を見出すことはできた。

だからこそマミは、既に契約と願いによって生まれる魔法少女と、魔法を使った末に訪れる魔女化という末路を既に知っていた。さやかを救った方法が、他の魔法少女達を救う術にはなりえないことを知り、少しだけ落胆もしていた。

 

「それじゃあ杏子は、貴女に生き返って欲しいと。そう願ったのね」

「それが……ちょっと、違うんですよね。あれは……そう、魂の再構成だって。キュゥべえが言ってました。それで、身体から離れちゃったあたしの魂を作り直して、身体に戻したんだって」

「魂の、再構成……そう、そういうことなのね」

さやかの言葉を聞いて、なにやら納得するかのように、マミは小さく声を漏らして。そして、再び問いかけた。

「……さやか。例えばもし貴女が、杏子と同じ立場だったとしたら。貴女は、杏子だけを助けることを望むかしら」

「マミさん?……え、っと。そりゃあ、あたしだったら皆助かって欲しいって思いますよ。当然でしょ。皆、あたしの大事な仲間だったんだから」

質問の意図を掴みきれずに、戸惑いがちに答えを返したさやかに、マミは小さく笑ってこう言った。

「きっと、杏子も同じだったんだと思うわ。だから、私もこうして生きているんだと思う」

「っ。マミさん、それって……」

驚いたように息を呑むさやかに、マミは続けて言葉を告げる。

 

「確証があるわけでもないわ。でも、きっとそうしたんだとおもうの。さやかの魂が蘇ったように、私の魂も蘇った。きっとさやかはもう魔法少女ではなくなっていたから普通の人間として蘇ることができたのね。けれど、私はそうじゃなかった」

「……ってことは、マミさんもあの時、実は生き返っていて」

「けれど、ソウルジェムのまま残されて、それが後で発見された。そういうことなんじゃないかしら。だとしたら、きっと」

そう、それは一つの答えを示していた。

「きっと、ほむらも生きてるっ!」

さやかにとっても、マミにとっても。まさしくそれは希望だった。

 

そう。ほむらは確かに生きていた。

マミと同じくソウルジェムのみが再構成され、後にそれが発見された。しかしその頃には既に、スゥが英雄の後釜として決定されていた。今は英雄であるスゥの正体を知るほむらは、通常のパイロットとして運用するのも難しい。

だからこそ、彼らは別の方法でほむらのソウルジェムを利用していた。暁美ほむらは、その意識を封印されたまま、ラストダンサーに組み込まれていたのだ。彼女が持つ魔法。時間停止を発生させるためのユニットとして。

 

「きっと、ゆまちゃんもそれで生き返ったのね」

「ゆまちゃん?誰なんですか、それって」

一通り納得することができた。自分が今どうしてここに存在しているのか、答えを得た。事実であるかどうかはわからなくとも、それは二人にとって納得のできる答えだった。

「新しい仲間よ。彼女のことも後で紹介するわ。……でも、今は先にやることがあるわ」

そう、今は悠長に話をしている場合ではないのだ。こうしている間にも、再びバイドが襲撃をしかけてくるかもしれない。

既にバイドは太陽系内部に広く領土を伸ばし、侵略と増殖を始めている。一度は撃退したとは言え、またすぐに勢いを取り戻して戻ってくるだろうことは用意に想像できた。

「そうでしたそうでしたっ!あたしもそれできたんだ。マミさんに会えたなら丁度よかった。あたしも、また一緒に戦わせてくださいよ、ね。マミさんっ!」

「さやか……でも、もう貴女は魔法少女じゃないんでしょう?」

それはすなわち、魔法少女の特性であるサイバーコネクトを介した機体操縦が不可能だということで。まるで自分の身体であるかのように、機体を動かすことはできないという意味であった。

「それでも、戦えます。機体の動かし方は忘れてない。戦い方だって、覚えてる」

「……死ぬかも、しれないわよ」

「人類皆が生きるか死ぬかの瀬戸際なんですから。今命を張らないで、いつ張るって言うんですか!」

そう、これが美樹さやかだった。どれほどの絶望に打ちひしがれても、戦う力を失っても。それでも諦めない。戦う意思と覚悟は挫けない。折れない。そんなさやかを、マミは懐かしくも、そして頼もしくも思っていた。

 

「じゃあ、もう一度一緒に戦いましょう。太陽系のあちこちにバイドが侵入しているわ。英雄が勝てば、それでバイドの活動は止まるそうだけど、それまでバイドを放ってもおけないわ。それとは別に、やらなきゃいけないこともあるし」

防衛部隊の本隊は、バイドの本軍を迎え撃つため火星宙域に向かっている。となれば、恐らくそれ以外の場所の守りは薄いだろう。周辺施設へもバイドが侵攻している可能性が高い。その相手をする必要もあるだろう。

恐らく、他の星にも既にバイドは押し寄せているはずだが、流石にそれは遠すぎる。R戦闘機の最大速度をもってしても、惑星間航行は時間がかかってしまうのだ。

「やらなきゃいけないこと、ですか?」

「ええ、全太陽系に発進されているこの通信波。その発信源へ向かうの。恐らくそこへ行けば、バイドと戦っている英雄と通信がとれるはず。そして、伝えないといけないの。あのバイドを倒せるかもしれない方法をね」

「倒せるかもしれないって、どういうことなんです、マミさん」

「話は道すがらするわ。とにかく行きましょう。仲間が先に向かっているはずだから」

「わっかりました。そういうことなら、行きましょうっ!」

そして再び、カーテンコールとコンサートマスターが、宇宙を駆ける。傷ついたコンサートマスターは、それでも機体性能ギリギリの速度で。カーテンコールもそれに続くが、それでも出力にはまだ大分余裕があるようだった。

耐G機構も強化されているようで、生身の身体であってもほとんどGの影響は受けていない。とはいえ、それも通常機動でもってこそ、戦闘機動ともなるとどうなるか。

それはまだ、さやかにも分からない。

 

「……マミさんの機体、あんなにボロボロだ。あんなになるまで、どれだけ戦ってきたんだろう。……私も、頑張らなきゃな」

コンサートマスターの後姿を追いかけながら、その姿を見つめて。自分の知らない巴マミが過ごしてきた時間と、乗り越えてきた戦いの大きさをさやかは思う。

そして、これが最後の戦いなのだということを知る。

「そして、あの時聞こえた声はまどかの声だった。……ってことはきっと、これから行くところにまどかがいる。ちゃんと会って、謝らないとな。まどかに」

そして、遥かな友のことを思った。

 

「諦めるか。諦めて……たまるかぁっ!」

頭上から、そして真下から次々にバイドが現れては、再び液面に沈む。その身体そのものを武器にして、迫る。更にはバイドから放たれるもの。今度のそれはパウ・アーマーの形をしていた。

全てを纏めて、持続式圧縮波動砲で押し潰す。その一撃はそのままバイドさえもを貫いた。激しく光、バイドを焼き尽くす破壊の光。

けれど、その全てが駆け抜けたその後にはまたしても、無傷のバイドの姿があった。

 

交戦を開始して、随分と長い時間が過ぎ去っていた。幾度となくレーザーが、ミサイルが。そして波動の光がバイドを焼き尽くした。それだけの攻撃を繰り返しても、尚。バイドは無傷のままであった。

どれだけの力をもってしても、科学の粋と、未知の魔術を合わせたとしても。それでも尚、バイドに傷一つつけることができないのである。

敵の攻撃自体は、さほど苛烈というわけではない。むしろ本当にそれは攻撃なのだろうかと思うほどだった。何せ敵はただ、無作為にバイドを生み出し続けるだけだったのだから。

もしもそうでなければ、これほど長い時間を戦い抜くことはできなかっただろうが。

そして、一見どちらも無傷に見える戦いにも、変化はやがて訪れる。それは間違いなく、人類にとって不利な形で。

 

「っ……ついに、魔法も限界ってわけね」

魔法によるラストダンサーの装備変更。それは、魔法少女の魔法によって為されている。そういう魔法を持ったソウルジェムが、ラストダンサーには搭載されている。けれど、それが魔法である以上、代償にソウルジェムには穢れが蓄積されていく。

それを取り除くための材料。魔女の死骸から採取されることのあるグリーフシードがついに、底をついてしまったのだ。

装備を変更できるのも、恐らく次が最後だろう。

 

「……こんな時、貴女ならどうしますか。スゥ=スラスター」

待っているのは、遠からぬ破滅。今のままではそれは確実で。そしてそれを防ぐための手段は、未だ持って存在しない。

こんな時、本物の英雄だったならどうしたのだろう。

スゥは、限りなく近く。そして果てしなく遠い英雄のことを思う。そしてラストダンサーの中にある、もう一人の自分のことを、思った。

「そして、貴女ならどうするの?いるんでしょう、8号。……いいえ、暁美ほむら」

一瞬だけ聞こえた声。その声は誰の声なのかと考えて、たどり着いたその答え。それは、自分の声だということで。自分と同じ声を持つ者。自分と同じ姿を持つ者。そして、魔法少女。

それが当てはまるものはただ一人。英雄、スゥ=スラスターのクローンで、もう一人の自分で。そして、かつてスゥが13号であったころの怨敵。

それが、暁美ほむらだった。

 

――フォースを、使いなさい。

 

「っ!?貴女は……暁美ほむら、そうでしょ。応えて、暁美ほむらっ!」

再び、声が聞こえてきた。けれど今度の声は、どこか途切れ途切れの声で。

 

――あまり、長くは話せない。……もう、限界だから。

ソウルジェムに眠るほむらの意識は、封印されてしまっている。ほむらは、自らの魔法でその封印を破り言葉を伝え、更に魔法を行使していた。

それは、非常に大きな魔力を消費する行為だった。

穢れを取り除く術を失ったラストダンサーでは、もはやそれだけの魔力を消費することは困難で、ほむらには、こうして途切れ途切れの言葉を繋ぐことすらやっとのことだった。

 

――今までの戦いで、フォースが、全てに決着をつけてきたの。

 

――だから、きっと、今回も……。

 

「フォース?そんなもの、とっくに使ってる!いくらレーザーを当てても、⊿ウェポンさえもあいつには通用しなかったんだぞ!」

そう、考えうる限りの武装は既に試した後だった。⊿ウェポンですら傷一つつけることができなかったのだ。

 

――直接、奴に……フォース、を。

 

限界が来たのだろうか。声が、ぷつりと途切れた。

「暁美ほむら?暁美ほむらっ!……結局、何が言いたかったのよ、貴女はっ!」

忌々しげに、スゥは一つ吐き捨てた。

 

「直接、奴にフォースを?……フォースシュートをしろってこと?でも、奴には波動砲もレーザーも通用しなかった。そんな相手に、フォースが通用するとは思えないわ」

それでも、必死に考える。暁美ほむらはスゥ=スラスター本人の記憶を受け継いでいるらしい。だとすれば、ほむらにはかつての対バイドミッションの記憶が残されている。

その時も、きっとこれほど強大なバイドと交戦したのだろう。

「……守りが手薄になるのは不安だけれど、試さない理由は……ない」

だとしたら、本当にその戦いの終止符をフォースが撃ったのだとしたら。もしかしたら、何かが変わるかもしれない。

「これが最後なら、全力で行くわ」

最後の装備変更。ギガ波動砲。サイクロン・フォース。サイ・ビット改。追尾ミサイル改間違いなく、殲滅力でも突破力でも最高の組み合わせだった。

そして限界を向かえ、ついに魔女を孕むほどに穢れを溜め込んだソウルジェム。見知らぬ魔法少女の魂の宿るそれが、ラストダンサーから排出された。

そのソウルジェムを、そしてバイドより生み出されたR戦闘機群を。まとめて低チャージのギガ波動砲が打ち抜き、砕いた。

悲鳴の一つもあげることなく、きっと恐らく恐怖すらも感じる間もなく。一人の少女の魂が、光の中へと消えていく。

 

自分が行った行為の意味が分からないわけではない。それでも、それで道は開けた。

そうしてできた一本の道。バイドへと通じるその道に。スゥは、サイクロン・フォースを叩き込んだ。

バイドの、その異形の大樹の中枢。今も液体から光を吸い上げ、脈打つその心臓にサイクロン・フォースがめり込み、その周囲を回転するイオン体と、フォースそのものが持つ攻性エネルギーによる攻撃を行った。

けれど、やはり効果はない。

 

「……やはり、無駄ね」

フォースを手放してしまった状態では、防御能力に不安が残る。すぐさまスゥは、サイクロン・フォースを呼び戻そうとした。

だが。

「フォースが、戻らない?」

呼び戻せばすぐさま戻るはずのフォースが、バイドの表面に食いついたまま戻らないのだ。

そして、バイドの様子にも変化が訪れた。まるでフォースを捉えるかのように、バイドが伸ばしたその蔦は、フォースをしっかりと捕らえていた。その蔦もまた、フォースによって焼き払われることもなく。

「フォースまで、取り込むつもりなの」

フォースは、人工培養によって生み出された純粋なバイド体である。そしてこの目の前にいるバイドもまた、限りなく純粋に近いバイドなのだろう。

だからこそ反応しあっているのか、融和してしまっているのか。蔦に捕らわれたサイクロン・フォースは、そのままバイドの中へと引き込まれていく。ラストダンサーの元へ戻ろうとする動きを押さえつけて、ゆっくりと。

 

「させないっ!」

それを阻止するために、フォースに内包されたエネルギーが解放された。⊿ウェポンにも近いそれは、バイドを中心として荒れ狂う。

だが、そのエネルギーでさえも、バイドは吸収してしまった。

解放されたエネルギーの奔流が収まると、やはり無傷のバイドがあって。そして更に、サイクロン・フォースはずぶずぶとバイドの中へと沈みこんでいく。

だが、変化は起こっていた。

 

大樹の中で光を吸い上げ、静かに脈打っているだけのはずの心臓が。今は激しく脈打っている。はち切れそうに膨れている。

それは一体、何を意味するのだろうか。

 

考える。

あのバイドの大樹の為す役割を。

考える。

それはきっと、木々が大地から養分を吸い上げるように、あの液面からエネルギーを吸い上げ、そしてバイドやR戦闘機という形にして放出するということなのだろう。

放出に間が空くのは、きっとその為のエネルギーを蓄積しているからに違いない。

考える。

だとしたら、今の状態はなんなのだろう。バイドの心臓ははち切れそうなほどに膨らんでいる。

考える。

奴は、いったい何をした。

奴は、フォースを、そしてそこに蓄積された、膨大なエネルギーを取り込んだ。もしもあれが、一気に大量のエネルギーを注ぎ込まれて、はち切れそうに膨らんでいるだけなのだとしたら。

 

「……奴がエネルギーを放出する前に、更なるエネルギーをぶつけてやれば」

奴を、バイドをパンクさせることができるかもしれない。

希望が、見えた。

 

フォースからエネルギーを吸い上げているというのなら、フォースに更なるエネルギーを加えればいい。その方法は何だ。すぐに、それに思い当たった。

ラストダンサーが、ギガ波動砲のチャージを開始する。蓄積させたエネルギーが放出される前に、更なる一撃を奴に叩き込む。淡い期待と可能性。それでも、それは初めて勝機を垣間見ることのできた瞬間。

「これでダメなら、別の方法を考えるまでよ」

そしてスゥは、その脈打つ心臓にギガ波動砲を叩き込んだ。

着弾。本来ならば全てを貫通するはずのその光は、サイクロン・フォースを介してバイドの中へと消えていく。そして、それはついに限界容量を超えた。

激しい光が、バイドの内側から溢れる。それは文字通り、膨大な量のエネルギーの奔流。ギガ波動砲のそれより遥かに大きなエネルギーが、その空間の中に轟き、荒れ狂い。

バイドも、ラストダンサーも、全てを等しく飲み込んでいった。

 

「どうやら、私達が報せる必要もなかったみたいね。さすが英雄といったところかしら」

激しい光の炸裂。その中に消えていくバイドの姿を、マミはコンサートマスターのコクピットから眺めていた。

「……じゃあ、他にバイドがいそうなところに行きます?マミさん」

それに併走するカーテンコールから、さやかが問いかけた。確かにフォースによって活路は開かれた。これで決着がついたのなら、もうバイドの脅威はないはずだ。それを確かめるためにも、バイドの動きを調べる必要はあった。

「そうね。とにかく先行している皆に合流して、それから考えましょう。……とは言え、この通信波の出所にはきっとまどかがいるのよね」

「……確かに、まどかのことは気になるんですよね。一体なんであんなことになってるのか」

まどかの元へ向かいたいという、そういう気持ちも確かにあった。けれどそれは、目の前のバイドを倒すことと天秤にかけられるのだろうか。

 

「仕方ないわね。それじゃあこうしましょう」

まどかの安否とバイドの殲滅。その二つの間で揺れるさやかの姿をみて、マミは一つ頷いて。

「私は仲間を率いて近隣のバイドの討伐を続けるわ。さやか、貴女はまどかの下へと向かって」

「えっ。でも、いいんですか。マミさん」

「大丈夫よ。私達は負けないわ。それにもしかしたらまどかの所にもバイドが近づいているかもしれない。その時は、すぐに私達を呼んで頂戴。急いで駆けつけるから」

少なくとも、今のところはまどかは無事のようである。となれば、全員でまどかの元へと向かう必要は恐らく無い。けれど、安否を確認したいというのもまた事実なのだ。

だからこそ、その役目をさやかに託したのだった。

きっとそこには、生身のさやかを戦わせたくはないという気持ちも、少なからずあったのだろう。

 

「……わかりました!それじゃまどかの様子を確認したらすぐに駆けつけます。それまで、どうか無事でいてください、マミさんっ!」

そしてカーテンコールが速度を上げた。まずは先行している部隊に合流し、進路の変更を伝えなければならない。そしてそのまま、まどかの元へと向かう。

カーテンコールを最大速度で飛ばせば、そう遠からず追いつくことはできるはずだった。ラストダンサーほどではないものの、このカーテンコールも常識的なR戦闘機の範疇において、十分に革新的ともいえるほどの性能を有していたのだから。

「ええ、私もできる限り急ぐわ。……必ずまた会いましょう、さやか」

再会は、思いがけず短い時間で終わってしまう。けれど、これを最後にするつもりはない。

必ずまた出会うために。全人類が生きて明日を迎えるために。今は敢えて、別々の道を行くのだ。

そして、二つの光はそれぞれの道を往く。さやかはまどかの下へ、そしてマミは新たな合流場所を目指して。

新たな合流場所は、既にさやかに報せてあった。さやかなら必ずやり遂げてくれると信じて、マミは新たな合流場所へと目指して飛んだ。

 

現在地球連合軍及びグランゼーラ革命軍による連合軍は、火星周辺宙域にてバイドと交戦を行っている。グランゼーラ革命軍が保有していた戦力は、地球連合軍の予想を遥かに上回っており。その力もあり、今のところ戦況は優位に進んでいた。

だが、バイドは今も太陽系の各所にて増殖を続けている。その大量のバイドが一斉に襲い掛かってくる前に、英雄が全ての決着をつけてくれることを祈るしかなかった。

その時までただ耐え続けること。押し寄せるバイドを倒し続けること。それが、人類に許された最後の抵抗だった。

 

全てを押し流す光の、そして破壊の本流。長く激しく続いたそれは、ラストダンサーにすらその牙を剥く。激しく揺さぶられ、ただ飛んでいることすらも困難なその最中を、スゥ必死に機体を立て直しながらやり過ごしていく。

そして長すぎるとも思える光が過ぎ去った後、一瞬の静寂が戻った。光に焼かれた視界が戻ってくると、衝撃の余波に未だに揺らめく液面が間近にあった。高度を下げすぎたかと、スゥはラストダンサーを浮上させる。

そして、敵の姿を視認した。

あれだけ浮遊していたバイドの群れも、R戦闘機やパウ・アーマーも、全てが破壊の波に飲まれて消えていた。だが、それでも尚。それほどの破壊と力をその身に注がれて尚、バイドは健在であった。

 

「……」

けれど、スゥの心は揺らがない。

そう、今までどれほどの攻撃を浴びせても傷一つつかなかったバイドが。今、堅牢を誇るその巨躯はひび割れて砕け、その奥に覗く脈打つ心臓は完全に露出してしまっていたのだ。

「今度こそ、終わりよ」

最早、その心臓を守る壁はない。となれば、通常兵器でも十分にバイドの打倒は可能である。先ほどの炸裂の中で、どうやらフォースは消失してしまったようだが、それでも問題はなかった。

波動砲を叩き込めば、それで終わるのだ。

「お前を倒して、私はまどかのところへ帰るっ!」

動きを止めたままの心臓をめがけ、ラストダンサーは駆ける。そして同時に、ギガ波動砲のチャージを開始した。

……だが。

 

「チャージが進まない……一体、これは」

それは、先の炸裂の余波の影響なのか。それともついに、度重なる酷使にラストダンサーでさえも限界を迎えてしまったのか。波動砲のチャージを示すゲージは割れて砕け、一切のチャージができなくなってしまっていた。

どれだけチャージを続けようとも、割れたゲージは一切の変化を見せなかった。

 

「どうやら、まだ終わりじゃないみたいだね、織莉子」

異層次元の彼方で、そして見知らぬ空間で、そして太陽系で。ありとあらゆる場所で激しい戦いを繰り広げ、そしてそれを越え。ついに、彼女達の機体は、そして彼女達自身もまた限界を迎えていた。

「そうね。……大分苦戦しているみたい」

寄り添うようにして漂う、ダンシング・エッジとヒュロス。最早、その機体からは波動の光が放たれることはなく。ただ、辛うじて機体の中枢部が生きていることを示して、弱弱しい光が零れているだけだった。

そう、キリカと織莉子の二人は、もう動かない機体の中で、宇宙を漂っていたのだ。

 

それは、魔法少女隊がマミとさやかを残して通信波の発信源へ向かってすぐのことであった。あまりにも長く、熾烈な戦いを繰り広げ続けた二人の機体は、ついに限界を迎えてしまったのだ。

けれど、傷ついた機体を預けられる場所など、この混乱の宇宙ですぐにみつけられるはずもない。かといって二人を見捨てておくわけにも行かず、魔法少女達は迷っていた。

だが、今は迷っている場合ではない。今行かなければ、今戦わなければ、多くの物が失われてしまう。彼女達には、それを止めるための力がある。

だから、二人は少女達に告げた。自分達のことは気にせずに、行け、と。

 

便宜上、魔法少女隊の指揮を執り続けていたマコトは、そしてゆまは悩み、苦しみ。それでもすぐに答えを出した。

それは身を切られるような、辛い決断だった。

 

そして、二人は宇宙の只中に残されることとなる。

 

 

「ねぇ、織莉子。もうちょっと……そっちに行っていいかい?」

「いいけれど、機体は大丈夫なの?」

「大丈夫さ、もう少しくらい、動いてくれるよ」

そう言って、キリカはダンシング・エッジを織莉子のヒュロスへと近づけた。ゆっくりと、酷く緩慢な動きで。静かに、二人の鋼の身体が触れ合った。

「あーぁ。できればもう一度、生身の身体で織莉子を抱きしめたかったなぁ」

恐らくもう、元の身体に戻ることはできまい。キリカはそれを悟っていた。けれどそれでも、その口調には絶望の色は一切見られることはなく。

 

「……そうね。でも、もしかしたらなんとかなるかもしれないわよ」

付近にまだ、バイドの部隊が展開している可能性は少なくない。自分からわざわざ気付かれるような真似はできないから、救難信号は出せずにいた。

「っ、何か、いい方法でもあるのかな。あるなら是非とも聞かせて欲しいな」

面白がっているようなキリカの声。

「いいえ、何も無いわ。もう完全にお手上げよ。……でも、何とかなるような気がするの」

そんなキリカに、同じくどこか楽しそうに、笑みすら含んで織莉子は答えた。

「何とか、って。何かいいことが視えたの?」

「いいえ、これ以上視たら、私も魔女になってしまうわ。だから、これは私の勘なの」

 

青い不可思議な空間。そこに這い回るフレームワーク。ファインモーションに飲み込まれ、共に潰えたはずの二人が吐き出されたのは、そんな見知らぬ空間だった。

そこにもバイドがいて、二人は戦った。たった二人で、押し寄せるバイドの群れを撃ち続けたのだ。だから、二人のソウルジェムはもう既に限界に近い。

いつ魔女化してもおかしくない、そんなレベルだった。

機体性能を、魔法を含めたそれを最大限に引き出した戦いは、その次元を作り出していた中枢に存在していた、得体の知れない一対のバイドを倒したことにより、終わりを迎えた。

崩壊する空間、それを潜り抜けた先は見知らぬ異次元でも、遥か遠い宇宙の彼方でもなく、驚くべきことに太陽系だったのである。

そうして、二人は思わぬ帰還を遂げたのである。

そう、それは誰も知らないこと。全てが終わった後にでも、十分に調べればようやく誰かが気付けるであろうこと。彼女達が戦いを繰り広げたその場所は、太陽系への真正面からの侵攻が停滞していたバイドが作り出したもの。

直接太陽系内部への侵攻を果たすための、迂回路だったのだ。その道を使い、バイドはグリトニルへの奇襲を成し遂げていた。もちろん、その事実は未だ持って余人の知るところではなかった。

だからこそ織莉子もそれを知らず、そして言葉を続ける。

 

「今まで、私達は何度も死に掛けてきたわ。いつどこで死んでしまってもおかしくはなかった。でも、今まで生きてこられた。首の皮一枚のような状態でも、生き抜いてこられたでしょう?だからね、きっと今回もなんとかなってしまうんじゃないかなって、そう思うの」

そして、なにやら呆れたように織莉子は笑う。

死線など、もう飽きるほどに越えすぎてしまった。そんな自分達の命を、一体今更誰が奪えるというのか。それは虚勢かも知れない。意味のない慢心かもしれない。けれど、何故だか奇妙な確信があった。

この先もずっと、一生二人で生きていけるという確信が。

「……参ったなぁ。そんな風に言われてしまうと、私までそんな気がしてくるよ。確かに、今までの私達は危ない事と死にそうな目にあってばっかりだ。そろそろ、二人でのんびりと過ごしたいものだね」

一瞬だけ呆気に取られて、それからキリカもまた、こみ上げる笑みを隠し切れないように漏らしながら、答えた。

 

 

しばしの静寂、そして。

 

「……そろそろ、通信も繋げられなくなるわね」

サイバーコネクタを通じて、弱弱しく伝わる機体からの警告を受け取って、織莉子が言った。既にどちらの機体も限界で、これが普通のパイロットであればとっくに生命維持が不可能になって死んでいる。

そしてついに、互いの間に通信を繋ぐことすらも困難になり始めていた。

「そう、だね。……ああ、もう。どうしたんだろうな」

そうなれば、その後に待っているのは絶対の孤独。センサーの類も死んでしまった機体は、人にすれば植物状態のようなもので。たとえ敵が来たとしても気付けない。次の瞬間には死んでしまうかもしれない。

孤独と恐怖が、キリカの声を震えさせていた。それは間違いなく、絶望へと彼女を導いてしまう。そうなればどうなるか、想像するのは容易だった。

 

そんなキリカの声を聞き、織莉子もまた自分の身の内に巣食い始めた恐怖を自覚しながら。それでも、静かな声で言葉を告げた。

「大丈夫よ。たとえ言葉が聞こえなくて、姿が見えなくても。私は貴女の側に居る。だからお願い、キリカ。貴女もずっと私の側にいて。……私を、一人にしないで頂戴ね」

けれど、ほんの一瞬。最後のその一言だけは、どうしても声が震えてしまった。その声に、キリカも織莉子の恐怖を、孤独を知って。

「……ふふ。織莉子は私のことを散々言うが、織莉子だって随分と寂しがりやじゃないか。ああ……でも、うん。わかった。私はずっと、織莉子の側にいる。これからもずっとだ」

笑いながら、キリカは声を返した。けれど、織莉子の声は返ってこなかった。どれだけ待っても、そこにあるのは暗闇と静寂だけだった。

 

「……織莉子。必ず……また」

そして、キリカの意識も闇へと沈んでいった。

 



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第18話 ―オペレーション・ラストダンス(後編)―④

遂に訪れた決着の時。傷ついた翼を振るい、英雄は悪夢を打ち払う。
これで全ての戦いは終わる。臨んだ平和が、夢見た未来が、すぐ手の届く場所にある。
後はただ、その手を伸ばすのみだった。


………だが。


「波動砲が使えなくても……っ!」

スゥは尚も戦いを続ける。フォースを奪われ、波動砲を失ってもまだ、R戦闘機には武装が残っている。

レールガン。R戦闘機ならばどれにでも標準装備されている武装である。巨大なバイドに抗する手立てとしては、どうしようもなく頼りない。それでもまだ、戦う術が全て失われたわけではない

ラストダンサーはその機首をバイドへと向け、露出した心臓をめがけてレールガンを発射した。超音速で射出されたレールガンは、次々にその心臓に突き刺さる。その肉を食い破り、破壊の意志と力を奥へ奥へとめり込ませていく。

途端に、今まで動きを止めていたバイドが激しく脈打ち始めた。まるでその姿は、苦しんでいるかのようで。

 

「手ごたえあり!なら……このままっ!!」

まるでその一撃で驚いて飛び起きたかのように、バイドは激しく脈打ち光り始めた。バイドはついに、自らに危機が迫りつつあることを知ったのだ。その危機を、脅威を払拭するための行動を再開させた。

続けざまに放たれたレールガンが、バイドの心臓から吐き出された何かによって阻まれた。それはレールガンの弾丸を受け止め、そのまま事もなくラストダンサーへと迫る。それは無敵の盾にして、最強の矛。あまりにも見慣れたその姿は。

 

フォース、それそのものだった。

 

次々に吐き出されるフォースは、まさしく無敵の盾となってレールガンを防ぐ。

そして恐るべき矛と化して、ラストダンサーへと降り注ぐ。

 

「―――るな」

 

だが、それは。

 

「なめるなぁぁぁっ!!」

 

ラストダンサーにとっては、なんら障害となりはしなかった。

ただ無作為にばら撒かれ、降り注ぐだけのフォース。そんなものが、何故今更恐ろしいというのだろうか。ラストダンサーは、まるで何も無い空間を行くかのように悠々と、降り注ぐフォースを掻い潜る。

そして、一瞬の隙間を狙って精密にレールガンの弾丸を浴びせていく。その度にバイドの心臓には新たな弾痕が生まれ、ダメージを蓄積させていく。

ついに無数の弾痕を刻まれた心臓の、その一部が千切れて飛んだ。その後からは、なにやら得体の知れないどろどろとしたものが溢れ出している。

形勢は決した。後はこのまま、押し潰すだけだ。

 

 

誰しもが、英雄の戦いぶりを眺めていた。そして誰しもが、戦いの終わりを予感していた。遠からずバイドは倒れると、宇宙に平和が戻るのだと。太陽系の全ての人々が、同じ感情をその胸に抱えていた。

 

その感情の名は、希望。

 

 

「……もうすぐだね、もうすぐ、スゥちゃんが勝つよ」

アークの中で、スゥの戦いを見つめるまどか。勝利を確信して、嬉しそうな声で言う。鈍い頭痛は消えないまでも、さほど気にならないようになっていた。

もうすぐ戦いが終わる。戦いが終われば、スゥが戻ってくる。また会える、一緒にいられる。まどかの心の中にもまた、暖かな希望の灯が点っていた。

「彼女の戦いが、太陽系の全人類に希望を与えている。とても大きな希望だね」

そんな希望が渦巻く太陽系。希望の未来をその手におさめようとしている人類。その全てを俯瞰して、キュゥべえは静かに呟いた。

 

 

 

「これならば、きっと途方もないエネルギーが生まれてくれるだろうね」

その唇が、静かに吊り上げられた。

抑えきれない感情が、その表情を愉悦の色に染め上げていた。

 

「キュゥ……べえ?」

様子がおかしい。訝しがって尋ねたまどかに、愉悦の表情のままキュゥべえは振り向いて、告げた。

「鹿目まどか。キミの協力がなければ、ここまでうまく事を進めることはできなかっただろうね。感謝しているよ。そして、キミには最後にもう一仕事してもらうよ」

無機質な声ではなく、むしろそれは冷徹と表現するのがふさわしい声。そして、その声と表情はなぜか、まどかの心を無性に恐怖へと駆り立てた。

半ば本能的にまどかは立ち上がろうとして、腕が、足が動かないことに気がついた。まどかの身体は、今まで座っていた椅子へと拘束されていた。

 

「え……な、なんで。なんでこんなことするの、キュゥべえっ!」

困惑、戸惑い。まどかは叫ぶ。けれどキュゥべえはそんな声を一顧だにすることなく。

 

「さあ、始めよう。宇宙の再生をね」

ただ一言、声を告げるのだった。

 

 

「このまま削りきる。……何時間だって付き合ってやるわ」

乱れ散るフォースの隙間を縫って、再びラストダンサーが迫る。隙間を見つけてレールガンを放ち、即座にその場を離脱する。ダメージは通っている。けれどやはり敵はかなり頑強で、まだまだ倒れる気配は見えない。

それでも、こちらの攻撃は通用するのだ。ならばどれだけ時間をかけても、削りきるまでだ。

一旦安全圏へと避難して、再突入のタイミングを図る。

バイドも迎撃の意思はあるのだろう、追いすがるようにフォースを生み出しては吐き出してくる。だが、その程度では通用しない。

 

『善戦しているようだね、スゥ』

「っ!インキュベーター。通信が回復したの?」

突然の声にも動じることなく、回避行動を続けながら鋭く答えた。

『ああ。もともとバイドの空間干渉なんて大したことはないんだ。すこしこちらの出力を上げれば、簡単に突破できるものなんだ』

「……そう、それでわざわざそんなことをしてまで、一体何の用?」

その口調と言葉に、訝しげにスゥは尋ねた。

『何のことは無い。キミには、ここで死んでもらうよ。普通に戦って負けてくれればそれで済んだのだけどね。キミは予想以上に善戦してくれたから、仕方なくボクが直接手を下すことにしたんだ』

「どういうつもりかは知らないけれど、一体、今のお前に何ができるの。こんな異層次元の彼方にいる私に、どうやって干渉できるのかしら?」

キュゥべえの言葉の意味は、そのほとんどが理解できなかった。けれどただ、自分の敗北を望んでいるということだけはスゥにも理解ができた。そして、その為に何かをしようとしている。

だが、ここはあまりにも遠い異層次元の彼方である。何をするにしても、ここまで影響を与えることなどできるはずがない。

 

 

『そうだね、ボクの力だけではキミに直接なにかができるわけじゃない。……でも、ここには鹿目まどかがいる』

「っ!?」

そう、この会話自体がまどかの能力を介したものなのだ。となれば、まどかがそこにいるのは確実。

「まどかに、まどかに何をしたぁぁぁっ!!!」

そしてまどかは、スゥにとっては絶対の存在。それがキュゥべえの手に落ちているとするのなら、下手な行動はできない。今すぐ踵を返して助けに行くことさえできないのだ。ここは異層次元の遥か彼方、26次元。

太陽系からは、あまりにも遠い場所だった。

『何もしてはいないさ。鹿目まどかはボクにとっても大切な道具だからね。鹿目まどかの力があれば、26次元にいるキミにも干渉することができる。……こんな風にね』

「何を……っ?!」

その言葉と同時に、ラストダンサーのエンジン出力が急速に低下を始めた。それだけではない。各種センサーの働きも、機体を制御するさまざまなシステムの全てが、一度に変調をきたしているのである。

 

「何なの……一体、一体何をしたっ!インキュベーターっ!!」

困惑し、驚愕し。それでも満足に動かない機体で必死に迫り来るフォースを掻い潜りながら。スゥは、怒りと戸惑いが交じり合った声で叫んだ。

『もともと、ソウルジェムはボクがキミ達にもたらした技術だ。そこに細工をすることくらい造作もないことだよ。単に、キミのソウルジェムとラストダンサーとのシンクロレートを75%ほど引き下げただけのことだよ。ほら、まるで自分の身体じゃないかのように身動きが取れなくなってきただろう?』

魔法少女は、サイバーコネクトを介してソウルジェムを機体に接続している。そうすることで、機体を自らの手足のように扱うことができた。

けれど今、機体との接続、融合の度合いを示すシンクロレートが、キュゥべえのもたらした細工によって急速に、そして大幅に低下しつつあった。それはすなわち、満足に機体を動かすことすら困難になってしまったということで。

 

「何故、何故こんなことをするの。バイドを倒すんじゃなかったの!?」

シンクロレートの低下は、機体の動作のみならず通信系統にも影響を及ぼす。必死の叫びに答えたキュゥべえの声は、やけに遠くスゥの視神経に伝わってきた。

『もちろんバイドには消えて貰うよ。ボクらの文明を破壊してくれた憎きバイドにはね。でも、それだけじゃ足りないんだ。失ったボクらの文明を、歴史を、そして栄華を取り戻す。その為には、どうしてもこうする必要があったんだ』

「くっ……何を、わけのわからない……ことをっ!」

『理解できないのも無理はないさ。けれど、キミのおかげでボクも本懐を遂げることができる。キミはこの戦いの中で、太陽系全ての人類にとっての希望となった。とても大きな希望だ。だからこそそれが打ち砕かれたとき、太陽系の全人類は、深い絶望に陥る事だろう。太陽系の全人類の希望と絶望の相転移。これが生み出す感情エネルギーは、宇宙の開闢にすら匹敵するはずだ』

ずらずらと、理解できない言葉が並ぶ。そもそも、ロクに聞いている余裕すらもスゥには存在しない。一瞬でも気を抜けば、機体操作を誤れば、すぐさまフォースと衝突してしまう。

先ほどまでの余裕のある機動は既に失せ。ラストダンサーは、ふらふらとフォースが飛び交う空間を飛んでいた。

 

そして、自慢げに。嬉しげに。饒舌にキュゥべえの言葉は続いた。

 

『このエネルギーを使って、ボクはこの宇宙の歴史を一からやり直すんだ。バイドなんて生み出させない。ボクらが永久の繁栄を謳歌できる。そういう宇宙を、一から作り出すんだ。……もっとも、キミや他の人類がそれを見ることは無いけどね』

「黙れっ!もう何も喋るな。私は……私は、勝って。そしてまどかの所へ帰るんだっ!!」

声を張り上げ、気勢を上げて。必死にラストダンサーを立て直そうとするスゥ。しかし、どれだけ必死に身体を動かそうとしても、その動きはあまりにも緩慢だった。

『無理だよ。キミはここで死ぬ。そして人類も全て滅ぶ。ボクが創る新たな宇宙には、キミ達のような未発達で不完全で、その上愚かで野蛮な種族は一切存在させるつもりは無い。キミ達は、自らの愚行の報いを受けて滅ぶんだ』

まるで神か何かのような口ぶり。今までの無機質な様子からは想像もできないほどにその口調は尊大で、傲慢だった。そしてとことんまでの愉悦に、その声は歪んでいた。

『バイドは元々、26世紀の人類が生み出した兵器だ。それを暴発させ、あまつさえこの時代に追放したのもキミ達だ。そしてバイドは時を越え、宇宙を越え。ボク達の文明を滅ぼした。その報いを受けるんだよ、キミ達はね』

そして今度は、その口調に冷徹な色が混じる。そこには、隠し切れない憎悪も滲んでいて。

 

『……キミは、そこでそのまま死ぬがいい。さようなら』

そして、一方的な言葉は打ち切られ。翼をもがれた英雄に、ラストダンサーに、バイドの魔の手が迫っていた。

 

「……ひどいよ、キュゥべえ。どうして、どうしてこんなことっ」

通信を終えたキュゥべえに、まどかの声が響く。涙交じりの声。事実、その瞳からはとめどなく涙が零れている。

まどか自身、キュゥべえの言葉の意味をほとんど理解できてはいなかった。けれど、キュゥべえが全人類を絶望させて、そして滅亡させようとしていることだけは理解することができた。

「どうして、か。……いいだろう、鹿目まどか。どの道スゥはもうしばらく粘ることだろう。その間、少しだけ話をしてあげよう。言っておくけれど、ボクらを最初に裏切ったのは、キミ達人類なんだよ」

振り向いたキュゥべえはその瞳に冷たい光を宿したまま、椅子に拘束されたまどかを睨む。そして、静かに冷たい。どこか苛立っている風もある声で、話し始めた。

 

曰く、いずれ寿命を迎える宇宙。それを延命させるために彼らは、エントロピーに囚われないエネルギーを探していた。そうして生み出したのが、魔法少女が持つ魔法の源となる、知的生命体の感情をエネルギーに変換する技術。

とりわけ、第二次性徴期前後の少女の希望と絶望の相転移は、最も効率よくエネルギーを生み出していた。だからこそ彼らインキュベーターは、有史以前より人類に関わり、願いと引き換えに魔法少女を生み出してきた。

魔法少女が絶望し、魔女と化すその時。そこから生まれるエネルギーを、宇宙延命のために利用していたのだという。

そうして彼らは魔法少女に願いを、そして絶望を与え、魔女を生み出しエネルギーを得ていた。けれど、バイドの無慈悲な蹂躙は、彼らの持つ文明全てを滅ぼしてしまった。

辛うじて逃げ延びた最後の個体。それが自分なのだと。それは過去にまどかも聞かされていた。だから、彼は憎しみという感情を得た。彼らの全てを、宇宙の未来を奪ったバイドに対して。

……そして、それを生み出した人類に対しても。

 

「バイドが生み出された理由を知ったとき、ボクは愕然としたよ。当然だろう?今まで持ちつ持たれつの関係でやってきたというのに、キミ達の不始末がボク達の文明を滅ぼした。これは許されざる裏切りだよ。だからボクも決めたんだ。キミ達には死をもって贖ってもらうとね。その為の宇宙再生、その為の世界改変計画だ」

 

「そして鹿目まどか。キミには最後に働いて貰う。全人類の絶望をエネルギーに変換するには、キミの能力が必要だからね」

希望と絶望の相転移。それをエネルギーに変換するとして、今までのそれは魔法少女と魔女、ソウルジェムとグリーフシードというシステムによって為されていた。

その範囲を太陽系全域に、全人類へと拡大させる。その為には、まどかの持つ能力が必要だった。

「キミはこれから心から絶望し、そして死ぬ。その死の間際には、強烈な絶望を孕んだ精神波が発せられるだろう。それは太陽系の全人類に伝播し、底知れないほどの絶望を伝えるだろう。その瞬間にこの太陽系を丸ごと、そこに住まう200億の人類の魂ごとソウルジェム化させる。それは即座に絶望に沈み、グリーフシードへと変わるだろう。そのエネルギーで、ボクは宇宙を再生させる」

そう、それこそがキュゥべえの本当の目的、世界改変計画であった。それは、今にも遂行されようとしていた。

「鹿目まどか。キミには感謝しているよ。キミほどの強力な能力を持った存在がいなければきっとこの計画の遂行はもっと困難になっていただろうからね。でも、ついにここまでたどり着いた。地球軍はバイドの相手に追われている。誰もボクの邪魔はできない」

このままでは、バイドの手による滅びを待つまでもなく、人類は全て滅亡してしまう。それをどうにかできるとすれば、きっと自分しかいない。

飽和するほどの情報を叩き込まれて、さらには強制的に能力を行使させられて。既にまどかの精神は限界に近い。それでも、今この計画を止められるのは自分だけなのだ。

そのことを、まどかは理解していた。だから。

 

(お願い、誰か……助けてください。私はここにいます。だから、お願い……誰か)

 

願う。その言葉が誰かに届いてくれるよう強く念じた。今の自分なら、きっと願いを届けられるから。誰かに届いてくれるからと、信じて。

だが、言葉を伝えるために外側へと拡大されたまどかの精神に、それは飛び込んできた。

 

 

それは、苦悶。

それは、悲鳴。

そして、恐らく断末魔の声。

まさしく絶望そのものとしか言いようの無い、無数の。何万もの声が、まどかの精神に飛び込んできた。

 

「―――っ!?っ、ひ、ぃゃあぁぁぁぁっ!?!」

今までに聞いたことが無い程に恐ろしい声。そして、叩きつけられるのは圧倒的なまでの死の恐怖と、そして絶望に沈む何万もの精神の悲鳴。

「嫌……何なの、これ。嫌だ、いやだいやだイヤだっ!!」

常人ならば、きっと気が触れてしまうほどのその衝撃にも、高度に発達していたまどかの精神は耐えていた。それはすなわち、正気のままでこのおぞましい声を聞かなければならないということで。

まどかは必死に首を振って、その悲鳴の大合唱を振り払った。

 

「……何だ、自分で見てしまったんだね」

そんなまどかの様子を、面白そうに見つめてキュゥべえが言う。

「何なの、今の……皆、皆死んじゃう。一体誰なの、あの人達はっ!?」

「このアークに眠るおおよそ10万人の人間達だよ。彼らの意識を目覚めさせていたんだ。そして、さっきまでの話を全て聞いて貰った。もちろん彼らの脳は、キミの能力を拡大させるために使用したままでね。意識のある状態でシステムに直結される苦痛は、想像を絶する程だろうね」

それこそ、自我が崩壊し、そのまま死に至るほどの苦痛である。それを受けた人々の苦痛を、恐怖を、まどかは味わってしまったのだ。

「彼らの受けた絶望も、キミの死と共に太陽系に開放される。これほどの絶望と狂気がまともに浴びせられれば、間違いなく人類には耐える術はないだろうね」

 

「ぁ………ぁぁっ、そん、な」

おぞましい悲鳴の大合唱に、そして絶望的な事実に打ちのめされて。ついに、まどかの心も絶望に沈む。その瞳から光が失われたのを見て、キュゥべえは嬉しそうにほくそ笑み。

「それじゃあ最後の仕上げと行こう。死んでもらうよ、鹿目まどか。そして――これでお別れだ、人類」

 

最後の言葉を、告げた。

 

 

 

魔法少女隊R-TYPEs 第18話

    『オペレーション・ラストダンス(後編)』

          ―終―

 

 




【次回予告】

全ての希望は打ち砕かれた。
人の歴史が閉ざされようとしている。
黄昏が、全てを昏く染めていく。

人の、バイドの、そしてインキュベーターの。
戦いの歴史は、今日、ここに終結する。



 「今更、キミに何ができるっていうんだ」



                         「後は勇気だけだっ!」



           「ったく、死んでる暇もくれやしないんだな」



                「命ある限り戦いなさい、例え孤独でも」



     「奴らの悪意が、ボクに全てを教えてくれた」



                        「貴女に出会えて、本当によかった」






          「さあ、叶えてよ!インキュベーター!!!」



次回、魔法少女隊R-TYPEs 第19話
          『終わる、一つの物語』


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第19話 ―終わる、一つの物語―①

英雄は朽ち果て、祈る少女の命は尽きる。
もう一つの究極の翼もまた、恐怖に絡め取られて潰える。
全ての希望が絶望に塗りつぶされ、宇宙の全てが終わろうとしている。

終わり行く世界のその全てを抱えて、ついに彼女の最後の戦いが始まろうとしていた。


何故、どうして。理解不能な状況に対して、ひたすらにこみ上げるのは疑念。

よくもこんなことを、今まで、ずっと私達を欺いてきたのか。あまりにも手酷い裏切りには、ただひたすらに沸きあがる憎悪。

そして。

「……ここで、死ぬのかな。私」

スゥの心をじわじわと蝕んでいたのは、絶望。

 

ラストダンサーは、ふらふらとおぼつかない足取りでフォースの隙間をすり抜けている。その軌道はあまりにも頼りなく、今にも打ち落とされてしまいそうなほどに危うい。それでもまだ、スゥは必死の抵抗を続けていた。

だが、その胸中を絶望が埋めていく。いくら粘ったところでどうなるというのだ。もはや、攻撃に転じる余裕は欠片も存在しない。バイドを倒す手段は全て失われ、今していることはただの悪あがきに過ぎない。

 

――やめろ、考えるな。

 

まどかは奴の、インキュベーターの手に落ちた。何をするつもりかは知らないが、今の自分に助ける手立ては、ない。

誰かが彼女を助けてくれるだろうか。誰かがインキュベーターの企みを打ち砕いてくれるのだろうか。

それは、あまりにも望み薄な希望。

 

――認めてしまえば、動けなくなる。

 

人類の命運は、既に決した。今していることは、ただ決まりきった運命を先延ばしにしようとしているだけなのではないか。

そこに意味はあるのか。これ以上、戦い続ける理由はあるのか。

 

――諦めるな、諦めないで。諦めさせないで……。

 

 

 

「もう、いいや」

その言葉を口にした途端。まるで重い枷から解き放たれたかのようにスゥの身体は軽くなった。そして、ラストダンサーは。人類の最後の希望は、その動きを止めた。絶望に沈み、戦う意思を見失ったスゥの魂はついに、最後の希望を手放してしまったのだ。

諦めてしまった。絶望を、受け入れてしまった。スゥを苦しめ続けた、重く苦しいラストダンサーという名の希望と重責。その重すぎる役目から、スゥは逃げ出した。

最早スゥを縛るものは何も無かった。

重苦しい機体から、希望から、責務から。彼女は解放されたのだった。

だが、誰が彼女を責められるだろう。その生まれさえ自ら選ぶことを許されず、生まれた時から戦いの定めを強制され。実験動物として扱われ、唯一自由への可能性を信じて戦い、果て。

そうして一度まっさらになった心に、全てを与えてくれたのがまどか。それすらも失って、戦う意味も、帰る理由も失って。どうしてこれ以上戦えるというのだろう。誰も、彼女を責められない。責められようはずがない。

 

 

ラストダンサーが、人類の希望が押し寄せるフォースの波に飲まれる。そしてそのまま、小規模な爆発と共に墜落していく。その機体が、液面に飲まれ、消えた。

 

 

――人類の希望は、潰えた。

 

ラストダンサーからの信号の消失により、全太陽系に伝えられていたその映像も掻き消えた。希望の消失、すぐさま絶望へと転じる未来を、全人類へと投げつけたまま。

それは、運命に弄ばれ続けたスゥにとっては、全人類のための生贄とされた彼女にとっては、自らの痛みを分け与えようという、一種の意趣返しのようなものだったのかもしれない。

 

「英雄が、負けた……」

最後の映像を見届け、自然と彼女の足は止まっていた。

呆然と、力なく声を漏らした。英雄の敗北。それが一体何を意味しているのか。彼女は一瞬理解することができなかった。それでも数秒の後。彼女はそれを理解した。

「負けた。負けちゃった。もう終わりだ。私達も、人類も、みんなっ!」

ずきりと胸が疼いた。

いいや、この疼きは今に始まったことではない。ずっと前から、この疼きは感じ続けていたのだ。それはこの戦いが激化し始めた頃から。

それを、誰かは穢れと呼んでいた。その穢れが限界にまで溜まりきったとき、魔法少女は死を迎えるのだという。世界を、自らを呪い。それを振りまく存在

――魔女へとその姿を変えて。

 

今この時自らに訪れるであろうその定めを、彼女は――マコトは、自覚した。

 

「……隊長」

見れば、周りの機体達も同じように動きを止めていた。きっと皆、同じく衝撃に打ちのめされているのだろう。

「ええ、どうやら英雄は失敗したようね。……でも、まだ私達は負けてはいないわ」

あの映像を見ても尚、彼女は希望を失ってはいないのだろうか。その強さが羨ましいと思った。けれど同時に哀れだとも思った。既に運命は決しているというのに、抗い続ければ、それだけ傷つくだけだというのに。

「こうなった以上、バイドが活動を停止するまで待つなんてことはできないわ。現在地球連合軍とグランゼーラ革命軍が、火星周辺宙域でバイドを食い止めているはず。急いでこれに加勢しましょう。地球さえ守れれば、まだ望みは……」

今だからこそ分かる。彼女は、私達がいるからこそ頑張っているのだと。隊長という立場の自分を誇っているからこそ、そういう自分であろうとしているからこそこれほどまでに強く、気高くあれるのだろうと。

でも、その姿はあまりにも痛々しい。これ以上、見ていたくはなかった。

 

「隊長。……もう、諦めましょう。そんなに頑張らなくたって、いいじゃないですか」

だから、言ってあげなくちゃいけない。もう、頑張らなくていいのだと。無駄に傷つく必要なんてないのだと。

「マコト?……貴女、何を言っているの?」

「負けたんですよ、あたしたちは。人類はバイドに負けた。どれだけ頑張ったって、苦しいのが長引くだけだ。……もう、諦めましょうよ。そして、諦めて楽になりましょうよ、隊長」

誰かが私と同じく言葉を告げた。きっとここにいるほとんどの魔法少女達も、考えていることは同じなのだろう。誰もが自分の、そして人類の未来を悟って諦めた。絶望した。

そしてきっと、そんな彼女達は皆遠からず魔女になる。せめてまだ、自分が人でいられる内に。

 

――今のうちに、死んでおくべきなんだ。

 

 

「ここでどれだけ戦ったって、どうせ押し寄せてくるバイドにやられるだけですよ。……いえ、もしかしたらきっと、私達が生み出した魔女によって滅ぼされる方が早いんじゃないでしょうか」

「マコト。貴女……知っていたの?」

知らないとでも思っていたのだろうか、この人は。まるで自分一人が全てを知っているかのような口ぶりで。

誰にも知らせず、その重荷を分かち合おうともせずに。きっとこのまま戦い続けることができたとしてもこの人は、その重荷に押し潰されるまで戦い続けるのだろう。仲間達に囲まれて、たった一人で戦い続けるのだ。本当に心から分かち合おうともせずに。

「知っていましたよ。全部。もしバイドを倒したとして、私達がどういう扱いをされるだろうかということも。……それでも、私はここまでついてきたんですよ。それがどういう意味か、分からないわけじゃないでしょう?」

それはあまりにも重過ぎる事実だから。きっと受け止められないだろうと思っていたのだろう。知らせないほうがいいと、そう思っていたのだろう。どうして信じてくれなかったのだろう。

それが、悲しい。きっと私が絶望する本当の理由は、それなのだろう。結局彼女は、ゲルヒルデは。あの時やってきた少女が、マミと呼んでいた女性は。最後まで、私を信じてはくれなかったのだ。認めてはくれなかったのだ。

 

――仲間として。

 

「貴女が全てを打ち明けてくれていたら、こんな結末にはならなかった。尊敬する貴女を、私の手にかけることにはならなかったのに」

認めてしまった。否定してしまった。仲間という、命を預けて戦いあう、この最悪の戦場で、唯一信じられるものを。縋れるものなんて、何もなくなってしまった。もう、耐えられない。

「何を……マコト。貴女、まさかっ!?」

 

わたシは、たダ。

「あなタに、ミトめてホしかッただけ、ナノに」

そして、絶望と滅亡に瀕する宇宙に、新たな魔女が、顕現した。

 

 

 

Morgana eine Wustenfata

 

背信の魔女。その性質は“終わらぬ戦い”。

望まぬ戦いに巻き込まれ、いつしかその戦いが日常と化した。

戦いの中で得た、かけがえのない仲間と心地よい信頼。

けれど彼女は絶望に膝をつき、自らそれを手放してしまう。

彼女は手放した仲間を、信頼を取り戻すため、幾度も戦いを繰り広げる。

この結界の中では、誰も死ぬことはできない。絶望することもできない。

ただただ、彼女の望むままに戦い続けるしかないのだ。

 

 

そこは、変わらず宇宙の只中。

けれど違うものはある。彼方を覗けば、そこに見える見慣れた光景。

あれは……。

 

「グリトニル……だよね」

誰かがそう呟いた。そう、それは魔法少女隊にとっては最早家も同じ存在。

彼女達の体が眠っている場所、彼女達の帰るべき場所。そしてバイドの奇襲によって失われたはずのその場所が、変わらぬ姿でそこに佇んでいた。

 

「グリトニル……バイドにやられたんじゃなかったの?」

少女達の中に、戸惑いと動揺が走る。けれどそれは、淡い期待に取って代わる。

「っていうことは、あそこにはまだあたしらの身体があるってことじゃないのか!」

「そうだよ!グリトニルに帰れば、元の身体に戻れるんだ!」

少女達の声に希望が宿る。けれど、マミはそれが偽者であることを悟っていた。

「皆落ち着いて。グリトニルはもう陥落したのよ、それにここは冥王星宙域じゃないわ。これは魔女の作った結界よ、惑わされないで、ここから脱出を……」

けれど、その必死の呼びかけを遮って、声が。

 

「こちらグリトニル・コントロール。魔法少女隊、応答せよっ!グリトニルは現在、バイドの攻撃を受けている。魔法少女隊は至急帰投し、バイドを迎撃せよ!」

それは、グリトニルのオペレーター。魔法少女達にとっては、聞きなれた声色をしていた。そしてそれは、魔法少女達を更に駆り立てた。

 

「皆、私達の手でグリトニルを守ろう!」

「よっしゃぁ!今度こそ守って見せるよ、バイドになんてやらせるもんかっ!」

「私達の身体を、帰るべき場所を、皆で守りませんとね!」

魔女の作り出す、終わらぬ戦いという名の劇場へと。迫り来るバイドの形をした使い魔の群れへ、次々に魔法少女達は立ち向かっていく。誰しもがその表情に希望を宿して、いつしか修復されていた機体に力を漲らせて。死ぬことも、絶望して果てることもない、永遠の戦いへと。

絶望に染まる宇宙で、彼女達だけが希望を抱いて戦っていた。それが、偽りの希望だとも知らずに。

「皆を止めないと。このままじゃあ、永遠にここで戦い続ける羽目になるわ。……どうにか、しないと」

唯一、その状況を理解していたマミの元へとそれは現れた。

 

「何してるんですか、隊長!バイドはすぐそこまで来てるんですよ。私達も、早く出撃しましょうっ!」

その機体はガルーダ。通信が伝えるその声は、その姿は。

「……そん、な。貴女は……マコト?」

「そうですよ、なに人を幽霊でも見るかのように見てるんですか。敵はすぐそこです。さあ、ご命令を」

魔女と化したはずのマコトが、そこにいた。マミの記憶の中のマコトと、まったく変わらぬ姿と声で。

 

一体何が現実なのか、何が虚実なのか。その境界が、確かに揺らぎ始めた。

大事な仲間が、マコトが失われてしまったという現実。自分が彼女を信じられなかったから、失われてしまったのだという現実。

そして、マコトが今ここにいる事実。グリトニルという帰るべき場所があって、そこを守るために戦えるという事実。

守るためには戦い続けなければならない。例えそんな世界でも、バイドのについ終わりゆく世界よりは、ずっといいのではないだろうか。この戦いが永遠に続くとしても。

「……そうね、バイドが来るなら迎え撃たなければいけないわ。マコト、私はバックスに回るから、フォワードは貴女がお願いね」

だとしたら、何を迷うことがあるだろう。

「わかりました。……それじゃあ先に行ってますね、隊長」

 

ここが、マミにとっての現実となった。戦い続ける世界でも、大切な仲間と共に、こうして生きていられるだけで。それだけでいいと、マミは願ってしまった。

 

 

「……隊長」

 

「何かしら、マコト?」

 

「私、隊長と一緒に戦えてよかったです。辛いことも嫌なことも一杯あったけど。それでも、隊長と一緒に戦えてよかったです。これからも、一緒に戦っていきたいです」

 

「……そうね。私もそう思うわ、マコト。このままずっと一緒に戦っていきましょう。いつか、バイドがいなくなる日までね。さあ、魔法少女隊、出撃よっ!」

 

そして偽りの宇宙(ソラ)に、魔法少女達が、舞う。

 

 

 

「ずっとこっちに繋がってた映像が切れた。マミさんとも連絡が取れなくなった。……何が起こったんだろ、一体。何か、すごく嫌な予感がする」

さやかの駆るカーテンコールは、尚もまどかの元へと急いでいた。けれど、それがたどり着くまでには後幾許かの時を必要とすることだろう。その時の過ぎる間に英雄は果て、魔法少女達は偽りの希望に沈んだ。

希望は失われた。それでも、それを知らず、さやかはただ宇宙を駆ける。

 

「待っててよ、まどか。……まあ、行って何をするって訳でもないんだけどさ。やっぱり、無事なとこ見ないと気が済まないし。ちゃんと謝りたいし。これって、自己満足だよね。分かってる、分かってるんだけどさ……それでも、これだけは譲れないんだ」

そう、最後にさやかが見たまどかの姿は赤い血にまみれた姿。自分の失敗によって、酷く傷つけられてしまったまどかの姿。それはさやかが背負った罪。今尚心に刺さった棘。

それを引き抜くために、その痛みを乗り越えるために。そしてただ、無事なまどかの姿が見たくて。さやかは、駆けていた。

だが、絶望の魔の手はそこにも訪れる。

 

「バイド反応?こんなとこにもまだいたなんてね」

本隊を離れて行動していたバイド群。その索敵範囲に、カーテンコールは突入していた。バイド反応の接近を示す警告が鳴り響き、知れずさやかは操縦桿を握りこんでいた。

「カーテンコールの性能なら、まともにやりあわないで逃げることもできそうだけど」

どうやら敵の足は遅い。となれば、振り切ることはできるかもしれない。今は一刻も早くまどかのところへ向かわなければならないのだから、それもいいかと考えた。

 

「……でも、ここでこいつらを倒さなかったら、こいつらはあたしを追ってくる。 うしたら、まどかのとこに来ちゃうかもしれないってことだよね」

恐怖は、さやかの心の中に当然のように存在した。究極と呼ばれる機体を持ってしても、その恐怖は拭えない。魔法少女ではないからなのだろうかと、震えるその手に聞いてみた。

答えは帰ってこない。けれどこれだけは分かる。

逃走は、逃げたいと思うその気持ちは、きっと恐怖の表れだから。

 

「だとしたら……逃げて、たまるかっ!!あんたらは絶対に、まどかのとこには行かせないよっ!」

立ち向かうんだ。人の身でも戦えるのだと証明するんだ。その意思に呼応して、カーテンコールの速度が上がる。間もなく、交戦圏内へと突入する。

カーテンコールは、ロールアウト直後の状態のまま発進している。それゆえに、装備は最低限のものしか装備されていなかった。

それでも、あらゆる武装に対応したコンダクターユニットを有するカーテンコールは、魔法少女隊の機体から、ディフェンシヴ・フォース改を借り受けていた。フォース自体の性能としてはそこまで高いわけではないが、それでも通常のバイドを相手取るには十分な性能である。

ディフェンシヴ・フォース改に加えてスタンダード波動砲とレールガンを携え、ひとまずカーテンコールは、最低限バイドと戦いうる性能となっていた。

 

「かかって来なさいっての、バイドどもっ!!」

波動砲のチャージを済ませ、ついにカーテンコールは、迫り来るバイドを迎え撃つ。キャノピー越しに見る宇宙。珍しさすら感じるその光景の中に、幾つかの光点が混ざる。

敵は小型ばかり。形状はさまざまだが、恐らくリボーの群れだろう。R戦闘機にとっては、恐れるに足らない相手ではある。

もちろんそれは、乗り手がそれなりの乗り手であればこそなのだが。

 

「へへっ、なんだよ。ただのリボーじゃない。あ、あんなの……怖くなんかないよ。楽勝じゃん、今まで何回戦ってきたと思ってるんだ。……怖くなんて、ないっ」

戦いが始まる。今まで何度と無く経験してきたはずのことなのに、身体が震えた。もしかしたら今までもずっと震えていたのかもしれない。さやかはそう思う。ただ今までは、震える身体がなかっただけで。

怖い、怖い。怖くて仕方が無い。死ぬかもしれない、上手くよけられなかったら、すごく痛いのかも知れない。

 

「魔法少女じゃなくなるって、こういうことなんだね。……どうして、どうしてこんなに怖いのよ。っ、きゃぁっ!?」

リボーから放たれた弾丸を、思い切り大げさに飛びのくようにして避けた。まるで自分のそれだとは思えないほどに、大げさで隙のある動きだった。

「しっかりしなさいよ、あたし。まどかの所に行くんでしょ。こんなところで、あんな奴らに負けてられないんだよ…うあぁぁっ」

立て続けに放たれる弾丸を、逃げるように大きく弧を描いて交わす。カーテンコールの機動性は、敵のそれを完全に上回っている。肉体に負荷がかからないレベルの機動でさえ、敵は全くついてくることができない。

負ける要素など、どこにもないはずなのに。

「くそ……ぉ、どうして、どうしてこんなに……っ。お前らなんかに、お前らなんかにぃぃッ!!」

機首を翻し、狙いも定めずツインレーザーWを放つ。落ち着いて照準を定める余裕すらもなく放たれたレーザーは、リボーの群れから離れたところを通り過ぎていった。

 

「何で、何で当たらないのよっ!……やっぱりダメなの?魔法少女じゃないから。魔法少女じゃなくなったら、あたしはもう戦えないのかな。……こんなんじゃ、杏子に笑われちゃうよ」

思い出すのは戦友の顔。大切な仲間のために戦い続け、その身を燃やし尽くして果てた戦友の姿。同じくらいの歳の少女でありながら、魔法少女としてではなく、自らの力で戦いぬいた少女。

「よく考えたら、当然なんだよね。杏子が戦う力を手に入れるのに、どれだけ時間がかかったか。あたしはそれを、一気に追い越しちゃってたんだ。……魔法少女になって」

その操縦技術が、戦う力が、一体どれだけの時間をかけて培われてきたものなのか。それを、さやかはよく知っていた。そして自分が魔法少女だからこそ、それと同等以上に渡り合えたのだということを知った。

 

「うあぁッ……そりゃ、当然だよね。いきなりなんて、戦えるわけないっての。……やっぱり、調子乗りすぎてたかなぁ、あたし」

リボーの群れは、じわじわと包囲を狭めながら弾幕を展開してくる。性能では圧倒的に勝っていても、戦う術を持たないさやかは、次第に追い詰められていく。

「情けないよね、あれだけ啖呵切って出てきてさ。このざまだよ。……でも、やっぱりダメだったよ。ごめんなさい、マミさん。まどか。……杏子」

そしてついに、カーテンコールは完全にリボーの群れに取り囲まれた。もう、逃げ場はどこにも、ない。

 

「覚悟はできたかい、鹿目まどか」

「………ねぇ、キュゥべえ。一つだけ聞いてもいいかな」

英雄が尽き果て、その映像も途絶え。ついにまどかにも、最後の時が訪れようとしていた。

どこかサディスティックにも取れる笑みを浮かべて、キュゥべえはまどかに問いかけた。その声に、絶望に沈んだままの暗い声で、まどかは答えた。

「いいだろう。ボクもそこまで急ぐわけじゃない。これで人類の顔も見納めだ。最後に一つ位話を聞いてあげるよ」

その言葉に、まどかは一つ静かに頷いて。

「キュゥべえは、仲間をバイドにやられて……バイドのことが憎いって思ったんだよね」

暗く沈んだ調子の声で、淡々と言葉を告いだ。

 

「そうだよ、何度も言っているじゃないか。……ボクはボクらの文明を破壊したバイドを許さない。それを生み出した、キミ達人類も許しはしない。それがボクの答えだ」

「……だとしたら、今のキュゥべえには、感情があるんだよね」

「そうだね。酷く不本意だが、今のボクは感情という精神疾患に冒されているよ。それも酷く重度だ。感情に自分の行動を左右されてしまう恐れさえある、最悪の気分だよ」

吐き捨てるかのようにキュゥべえは言う。その言葉には、そんな自分自身への隠しきれない嫌悪感がありありと滲み出ていた。

 

「……そうなんだね。でも、キュゥべえは私達とずっと一緒に戦ってきたんだよね。ずっと、バイドと一緒に戦ってくれてたんだよね。……仲間だって、思ってくれなかったの?私は、キュゥべえのこと、一緒にバイドと戦う仲間だって思ってたよ。きっとさやかちゃんもマミさんも、ほむらちゃんも杏子ちゃんだって、そう思ってたはずだよ」

絶望に沈んだまどかの瞳に、静かな感情の色が揺らぐ。それは悲しみ。ただただ悲しいのだ。今までずっと仲間だと思っていたのに、それが全て嘘だったなんて。

「みんながどれだけ必死にバイドと戦ってきたか。その為に、どれだけの犠牲を払ってきたのか。キュゥべえは全部見てたんだよね。それなのに、あなたは何も感じなかったの?それを全部、無駄にしてしまうつもりなの?ねえ、キュゥべえ」

けれど、心のどこかにまだ信じたいと思う気持ちが残っていた。バイドを憎み、それに抗おうとする思いが同じなら、分かり合えるはずなのだと信じたかった。

 

「……わかっているさ。人類が、どれだけ必死にバイドと抗ってきたのかくらい」

何かを押し殺したような声で、キュゥべえは答えた。

「ボクだって、バイドと戦うために魔法少女の力を人類に提供した。それを実戦に活かせるようにさまざまな技術開発に協力もしたし、キミ達と共にバイドとも直接戦った」

その声は、かすかに震えていた。

「ボク達の開発した兵器が、バイドを次々に駆逐していった。魔法少女も驚くべき成果をあげた。……あの時感じた感情は、きっと嬉しさだとか喜びだとか、そういう類のものだったんだ。そして、それを分かち合うことのできる相手がいた。……きっと、それも嬉しかったんだろうね」

背を向けていたキュゥべえが振り向くと、その瞳は複雑な感情を湛えて揺れていた。その瞳の赤は、躊躇いと戸惑いを孕んだ色で。 

 

「だったら、一緒に戦えるはずだよ。人類を全部滅ぼすなんて、そんなことする必要なんてないよ。キュゥべえ。まだ間に合うよ、今ならまだ、皆を助けられるはずだよっ」

「それでバイドを倒したとして、ボクはどうしたらいいんだい?」

身を乗り出そうとして、その身を縛る拘束具に止められて。それでも必死に叫ぶまどかに、冷たくキュゥべえは言い放つ。

「キミ達人類は、腹立たしいほどに優秀だったよ。ボクがもたらした技術も、そのほとんどが既に解析されてしまっている。バイドとの戦いが終われば、もうボクには実験動物としての利用価値くらいしかないだろうね」

「そんなことしないよ。だって、キュゥべえは一緒に戦ってきた仲間なんだよ!」

「……彼らはそうは思っていないさ。それに、どうやって生きていけって言うんだい。こんな宇宙の片隅で、使命を果たすこともできずにただ生きていけというのかい。孤独や無為な時間が辛いものであるということくらい、ボクも学習しているんだ」

キュゥべえの声に、苛立ちの色が混じった。

 

「聞きたかったのはそれだけかい。……じゃあ、もうこの話は終わりだね」

「信じてたんだよ、キュゥべえのこと。仲間だって信じてたんだ。きっとさやかちゃんやマミさんも、ほむらちゃんや杏子ちゃんもそう思ってたはずだよ。……キュゥべえは、そう思ってはくれなかったの?」

ついに死が目前に迫って、絶望に打ちひしがれながら。嘆きと共に、まどかは静かに言葉を告げた。

「……っ」

息を呑む、小さな音が聞こえた。

「ボクの仲間はもういない。キミ達は、ボクの仲間じゃない」

押し殺したような声。その声はもう、人間のそれと変わらない。

「種族が違ったって、分かり合うことはできるよ。だから、キュゥべえと私達だって……」

「五月蝿いんだよ、キミはっ!!」

怒鳴り声が響いて、そして続いて機械の作動音が、一つ。

 

「あぐッ……」

まどかの身体を、重い衝撃が貫いた。拘束されている椅子から突き出したのだろう、鋭く太い鉄の針が、まどかの腹部を貫いていた。

痛みと衝撃、そしてどくどくと流れ出る、赤い血液。

「ぁぎ、ッ。きゅ、べ……ぇ」

逃れようのない痛みに、身体がびくびくと震えた。見開かれた目からは、ぽろぽろと涙が零れた。ぽっかりと開いた口からは、掠れ気味の嗚咽が、そしてそれはすぐに。

「っ、ぅぁ、やぁぁぁぁぁァッ!!」

絶叫に、変わった。

 

「キミに、一体ボクの何が分かるっていうんだ。全てを失ったあの苦しみを、絶望を。一体どうして理解できるっていうんだ。ボクは躊躇わない。ボクは必ず、全てを取り戻してみせるんだ」

続けざまに、いくつも鉄の針が飛び出していく。その度にびくびくとまどかの身体が震え、それすらも弱弱しくなっていく。

「だから、キミはここで死ぬんだ。鹿目まどか」

 

 

 

――そしてついに、まどかの生命活動は……停止した。

 

 

 

「鹿目まどかは死んだ。そして今、その死の恐怖と絶望が、太陽系にばら撒かれる。希望が絶望に完全に塗り替えられたその瞬間……そのエネルギーを使って、宇宙を作り変える」

椅子に拘束されたまどかの身体は、最早動くことはない。ただ時折、まだ残る肉体の反射がひく、とその指先を震わせていただけで。

流れ出る血液はまだ収まることはなく、床一面にその赤を広げていた。その赤の只中に、ちゃぷ、とキュゥべえはその足を浸して。

「……やはり、キミも所詮は人間だったんだね。肉体の生命活動が停止すれば、その魂も消失する。もうじき、キミの全てが消えてなくなるんだ。お別れだね、鹿目まどか」

キュゥべえが言葉を告げると同時に、アーク内部で死に向かう10万人が抱いた苦痛と絶望が、そしてその絶望を束ね、鹿目まどかのそれによって累乗された絶望の精神波が。まどかの亡骸を中心として、太陽系全土へ向けて発信された。

物質の法則によらないそれは、光さえも遥かに越えた速度で、即座に全ての人類へと伝えられていく。伝播される感情は、恐怖と絶望。それは強制的にその意識を染めてしまうほどに強力だった。

 

 

 

希望を抱いた宇宙は、大いなる絶望に塗り替えられる。

 

けれど、その絶望は大いなる救いへと変わるだろう。

 

傷つき、穢れた世界を癒すため。

 

失われた世界を取り戻すため。

 

絶望に塗りつぶされた世界は、やがてあるべき姿を取り戻すだろう。

 

だが、その前に。

 

 

 

――全ての世界が、死ぬ。

 

 

それは、等しく全ての人類に降り注ぐ。

 

あるいは、娘の帰りを待つ家族。

 

 

「……ママ。今のは」

「そんな……信じられるわけないだろ。なのに、何で……何で」

我が身を抱きしめ、顔を蒼白に染めて震える詢子を同じ様に震える手で、隣に佇む知久が必死に支えていた。

「っく、ひくっ……ぇぅ、まろか……まろかぁ」

そんな二人のズボンの裾をぎゅっと掴んで、タツヤが泣いていた。

「……まどかが、あたしたちの娘が。死んじまった」

突然に心の中を吹き荒れた、訳も分からぬ恐怖と絶望。けれど彼女は、その中に違うものを感じ取っていた。それは、とても大切なものを失ってしまったのだという、喪失感。

その喪失感に打ちのめされて、詢子の足から力が抜けた。支えようとした知久にも力はなく、共に崩れ落ちるように倒れこみ。

 

「どうして、どうしてあの時……あの子を連れて行かなかったんだ。引っ張ってでも連れて行ってやればよかったのに。……ぁぁ」

詢子は強い女性だった。常に強くあろうとして、誰にも弱みを見せないような。そんな彼女が、声を殺して泣いている。胸が張り裂けそうなほどの悲しみに、完全に打ちのめされていた。

そんな詢子を支え続けた知久も、決して弱い人間ではない。それでも押し寄せる絶望は、喪失の悲しみは、あまりにも大きく辛すぎた。あまりに暗く、黒く。その心は染め上げられていった。

 

 

あるいは、守るものを背負い戦う者達。

 

 

「ひっ、ひぁあぁぁぁっ!?!」

火星宙域。地球連合軍とグランゼーラ革命軍による混成部隊が、押し寄せるバイドを相手に必死の抵抗を続けている。そこで戦い続ける兵士達の元へも、その底知れない恐怖と絶望は押し寄せていた。

その強烈な感情の波は、一瞬で戦う意味と理由を押し流した。バイドを撃滅せんとする意思と、その為に力を振るう覚悟を奪い去っていった。

 

「もう駄目だ。俺達はこのまま死んじまうんだぁっ!」

「い、イヤだ……死にたくない、死にたくない死にたくないっ。俺は、俺はぁぁぁッ!」

有り体に言えば、それは恐慌という奴だろうか。誰しもが恐怖に怯え、絶望に立ち尽くし。戦う力を失っていた。そして、その隙に容赦なくバイドは喰らいついてくる。

 

一切の抵抗を失った人類の部隊が迫るバイドの群れに押し潰されるのも、時間の問題であった。

 

 

「し、司令っ!バイドが、バイドが、とにかく沢山来ますっ!どうにか、どうにかしないと……」

それでも必死に自らの使命を見失わず、地球軍のオペレーターが告げた。

「……ひひ、ッく、クヒヒっ。終わりさ。奴らが来る。絶望の化身が、災厄の死者が。もう終わりさ、人類に、逃げ場なんてどこにもないんだ」

けれど、それを受け取り司令を出すべきその男は。すでに、絶望の生み出す狂気に飲まれ、狂っていた。

 

 

そして、蹂躙は始まった。

 

 

あるいは、偽りの希望に縋り続ける少女。

 

 

「隊長、グリトニルに接近していたバイド群は撤退を始めました。追撃しますか?……隊長?」

コンサートマスターに寄り添って飛んでいた、ガルーダが。その中に存在するマコトの姿をした何かが、マミに問いかけた。けれど、マミはそれには答えない。答えられない。

「……今のは、なんで、どうして」

マミはただ、静かに。そして茫然自失としたまま呟いた。この結界に絶望は存在しない。与えられるのは、永遠の戦いと偽りの希望。

だからこそ魔法少女達は皆それに飲まれ、取り込まれ。永遠に終わらぬ戦いを構成する、一つの部品となってしまっていた。その戦いは何も生み出しはしない。

どれだけバイドを討ち果たしても、それは全てただの使い魔。いずれまた姿形を取り戻し、再び迫る。そんな世界だからこそ、魔法少女達は絶望に飲まれることはなかった。

ただ何かが失われてしまったような、そんな不思議な感じがしただけで。その失われてしまったものが、マミにとってはとても大切なものだった。ただ、それだけのことなのだ。

 

「まどか……何故、どうして?」

胸を締め付けるような、痛くて苦しいこの感情。あまりにも大きな喪失感。何故そんなものを感じてしまうのか、それがマミには分からない。

けれど、その喪失感の意味はとても重要なのではないかと、そう思ってしまう。

 

「貴女はもう、いなくなってしまったと言うの……まどか、まどか?」

終わらぬ戦いだけが繰り広げられるこの世界。いつしか、それを疑問に思う心すらも失われてしまう世界。そんな世界の只中で、まどかを失った心の痛みは、同時に自分の本当にしなければならないことを思い出させていた。

それがマミの脳裏で、明確な形を描き出そうとしていた。

 

「隊長っ!バイドはすぐそこなんですよ、何をぼーっとしてるんですか!急がないと、逃げられてしまいますよ!」

けれど、彼女はそれを許そうとはしない。叩きつけられた厳しい声が、気付き始めていたマミの心を再び縛る。

その声の主は、常にマミの側にあるマコト。その姿をした魔女。“終結なき戦争の指揮者”モルガナ。

「ぁ……ええ、そうだったわね。……ごめんなさい、マコト。すぐに追撃を始めましょう。他のみんなにもそう伝えて」

魔女の言葉を受けて、我に返ったかのように。けれど、その実まるで真逆のように。

マミは再び戦いの世界へと囚われた。

 

 

この戦場に果てはない。この戦いに終わりはない。

この戦いが終わるより先に、全ての世界が終わるのだろう。

そうなれば、魔法少女達も、そして魔女も、全てが消え去るのだ。

 

 

あるいは、かつて戦士であった少女。

 

 

「嘘、でしょ。……まどか」

宇宙の只中、まどかの待つアークを間近にして一人。無数のリボーに取り囲まれ、終わりの時を待つばかりだったさやかの心を絶望と共に、まどかの死という事実が貫いた。

「間に合わなかった。また、何もできなかった。あたしは……あたしは……ぁぁ」

絶望が、そして後悔が。一度振り払ったはずの恐ろしいほどの無力感が。再び、さやかの身体を捕らえる。どうしようもないほどの衝撃が、視界を真白に染め上げる。

カーテンコールを取り囲んだリボーが、一斉に弾幕を展開した。それは違わず、カーテンコールを貫く。そのはずだった。だが、カーテンコールは即座にその身を翻す。一斉射撃の僅かな隙間を縫って、弾幕の雨をすり抜ける。

そして放たれるレーザーは、今度こそリボーを打ち砕く。その動きは今までの恐怖に震えて怯えるさやかのそれとは、あまりにも違う。まるでそれは、彼女が魔法少女であったときと変わらぬほどに、見事な機動だった。

 

「まどか……まどか、まどか。あたしは、あたしが……無力だったから」

嘆きの言葉は口から零れ、とめどなくその目からは涙が零れる。食いしばった唇は破れ、唇の端から血が垂れる。

それでもその腕は、まるで精密な機械であるかのように動き、敵弾をすり抜け、的確にリボーの殲滅を遂行していく。その機動には、一切の情もなく。

そう、真っ白になってしまったのだ。さやかは。恐怖に張り詰めていた、いっぱいいっぱいの心に叩きつけられた、親友の死。その事実は、彼女の心の容量をあっさりと飛び越えた。

そして、心は身体と切り離された。深く悲しみ絶望し、後悔に打ち震える心はそのままに。ただその表情の幾つかを支配するだけで。その身体は、身体にそして魂に染み付いた、戦士としての習性を淀みなく発揮していた。

それは、バイドと戦う戦士としての。R戦闘機の乗り手としての業。皮肉なことに、世界を終わらせる絶望こそが、さやかの命を救ったのだった。

 

「なんで、あたしだけが生きてるんだ。ほむらが死んだのに。杏子が死んだのに。……まどかが死んだのに。なんで、あたしは生きてるんだ。だめだよね、あたしだけが、生きてちゃあ。うん、そうだよね。……あたしも、一緒に行かなくちゃ。――いなくならなくちゃ、あたしも」

最早動くことも叶わぬほどに粉砕されたリボー達。その残骸を背に、さやかは真っ白な心で呟いた。

戦いの時が過ぎ、戦士であった自分が消えて。後に残っていたのはやはりか弱い少女。その心は、あまりにも大きすぎる喪失に耐えられず、自ら命を絶つことを選んだ。けれど、その場所くらいは選びたい。

そう思うのは、最期に残った心の気まぐれ。

 

「……まどか。あたしも、そっちに行くね。まどかがいなくなった場所に、あたしも行くよ。そこで、あたしも……みんなと、一緒に」

呆然と、虚ろに言葉が漏れ出した。その言葉をどこか他人の声のように聞きながら、さやかの手はカーテンコールを動かしていた。向かう先は、まどかの命の果てた場所。アーク。

 

 

幾千幾万を飛び越して、幾億もの絶望が宇宙に咲いては散っていく。

人々の心が絶望に堕ち、引きずられるようにその命が消えていく。

嘆きの色に染まる宇宙。絶望に染まる世界。その全てを、一つ残らずその全てを、彼女は見つめていた。

 

誰かが涙を流す時、彼女の心もその悲しみに胸を痛めた。

誰かが嘆く声を聞くと、彼女は優しい慰めの言葉を捜した。

誰かの心が絶望に沈む時、彼女はそれを救おうとした。

 

だけど、彼女には何もできない。

彼女には、涙を流す瞳はない。

彼女には、言葉をかける唇はない。

彼女には、救いを差し伸べる手はない。

 

だからといって、彼女は何もせずにただ見ていたのだろうか。己の無力さに打ちひしがれ、同じく絶望したのだろうか。

そんなことはありえない。決して、そんなことはありえない。

 

数え切れないほどの苦痛を、絶望を、嘆きを、悲しみを受け止めて。

――彼女は、決意した。

 

 

 

――大丈夫だよ。

 

それは声ではなく、心に直接伝わる何か。死に瀕した誰かの側に、悲しみに暮れる誰かの側に、絶望に打ちひしがれる誰かの側に。彼女は、全てそこにいた。

そして、伝えた。

 

――あなた達のこれまでは、決して無駄じゃない。無駄になんかさせない。

 

それは恐怖と絶望の波と共に、太陽系全土に拡散されたもの。肉体という枷から開放された、全にして一なる彼女の精神。

 

――希望は、まだ途切れてなんかいない。

 

彼女は――。

 

――私が、みんなの希望になるから。

 

鹿目まどかは、それを告げた。

 

 

 

 

「太陽系には、順調に絶望が満ちてきているようだね。もうじき、完全にこの星系は絶望に沈むだろう。……それで、全て終わりだ」

数多の希望が絶望に塗りつぶされていく。それが生み出す感情エネルギーの唸り。常人では気付くことのできないその力強さに、キュゥべえは僅かに顔を歪めながらもそう言った。

その表情に浮かんでいたのは、確かな歓喜。

「けれど、たった200億の知的生命体の感情エネルギーだけで宇宙一つを新生させるほどのエネルギーになるなんてね。もっとも、これだけの数の知的生命体に一度に希望を抱かせ、そして絶望させるなんてこと、そうそうできることじゃない」

だが、と思考は巡る。もしも新しく作り出した宇宙で、これと同じ状況を再現することができたなら。人為的に知的生命体が繁栄した宇宙を作り出し、そこに大いなる外敵を与え、抗わせ。最期の最期、勝敗が決するその瞬間に介入する。

そしてそこに生息する全ての知的生命体の、その生命の断末魔の叫びを、絶望をエネルギーに変換する。

確かに準備には、恐ろしいほどの時間と労力を費やすことになるだろう。だが、折角宇宙を思いのままに新生することができるのだ。宇宙の熱的死だけは避け得ないとしても、それをないものとするシステムは構築することができるはずなのだ。

「……試してみようか。宇宙の開闢から介入を始めれば、十分過ぎる程に時間はあるはずだ」

そう、時間はありすぎるのだ。宇宙の開闢から現在まで、概算でも46億年程度。感情を得てしまったキュゥべえにとって、その長すぎる時は、長すぎる孤独は間違いなく苦痛。

だとすれば、それを紛らわすための何かが必要だった。どれだけ遠大で、どれだけ途方もなくとも、時間だけはうんざりするほどに存在しているのだから。

 

「このシステムが完成すれば、もう次の宇宙では魔法少女なんていう不確かなものに頼る必要は無い。そうだね、試してみることにしよう。……早く始まらないかな」

はち切れそうなほどに膨れ上がったその感情エネルギー。ついにその余波は、宇宙を揺るがしこのアークにまで到達していた。

それはまだ、この次元へとシフトしていない。人類が知覚し得るより遥かに遠い異層次元の彼方で、激しく荒れ狂っている。太陽系全域を覆うソウルジェム、それを介してその高次次元へとアクセスし、そのエネルギーを我が物とする。

そして、それをもって宇宙を再生する。もうすぐ、もうすぐ。それが為されようとしている。人類とバイドの戦いの、その結末さえも待つことはなく。これまでの余りに凄惨な戦いの歴史。その全てを嘲笑うかのように、無慈悲な再生が降り注ぐのだ。

 

それは、全人類の意思の、そして今まで生きてきた、戦い抜いてきた意味への、絶対的な否定。

全ての生を、その希望と絶望を見届けた彼女には、それは到底許しえるものではなかった。

だから。

 

――そうはさせないよ、キュゥべえ。

 

「っ!?何だ、これは……まさか、キミなのか!?」

そう、そんな無慈悲で身勝手な振る舞いを。

「――鹿目、まどか」

鹿目まどかは、許しはしない。

 

「何故だい。キミの精神は肉体の死と同時に喪失したはずだ。それがこうしてボクに接触している。そんなことが、できるはずがないじゃないかっ!キミは一体何をしたんだ、鹿目まどかっ!!」

死したはずの者。その声が聞こえる。それは恐らく、全く異なる倫理観を持つ異星人にとっても、恐怖し驚愕すべきことだったのだろう。その表情は、まさにその二色に染め上げられていた。

 

――私は、全部見てきたんだ。キュゥべえ。あなたがみんなに振りまいた絶望と一緒に。

 

――みんながどれだけ必死に戦ってきたか、そして、どれだけ必死に生きているかを。

 

「まさか、そんなことできるわけがない。そんなことができるのだとしたら、キミの精神は……」

やはりそれは、インキュベーターをしても信じることのできない事実。もしもまどかの言うことが真実で、あの絶望と恐怖の精神波の拡散と同時に、まどかがその精神を太陽系全土に拡散させていたのだとしたら。

それはすなわち、まどかの精神自体が、太陽系全土を覆い尽くすほどの広大な領域を持つということになる。

群体として、多くの個を集約して拡大させた精神であればいざしらず、それほど広大な精神領域を一個の個体が持ちうることなど、インキュベーターが今まで見てきたありとあらゆる歴史の中にも、一切存在しないことだった。

 

「ありえないよ。そんなことは、あってはいけないことだ。あっていい訳がないんだよ!」

認められるわけがなかった。それを認めてしまうということはすなわち、鹿目まどかという一個体が、インキュベーターという種よりも更に進化した、より高次な能力を持つ個体となってしまったことに他ならないのだから。

それはインキュベーターという種であることに、その崇高な使命に、大きな誇りと自負を持つようになっていたキュゥべえには、耐えられるものではなかった。

 

――何が起こっているのかなんて、私には分からない。でも、私のやらなきゃいけないことはわかる。だから。

 

「今更、キミに何ができるっていうんだ。キミにはもう、この世界に干渉するための器はない。今ここにあるのは、キミの魂だけだ。どれほど拡散しようがそれだけなんだよ」

そう、例えまどかの魂が、その精神がどれだけ進化を遂げたとしても。結局今のまどかは魂だけの存在でしかない。それは虚に限りなく近い存在。今この太陽系という、圧倒的な現実に干渉するための器を彼女は有していないのだ。

 

――方法なら、あるよ。私の魂は今、ここにある。だとしたら、まだ方法はあるんだよ。

 

キュゥべえは気付く。太陽系全土を覆うほどに広大なそのまどかの精神が、今のまどかの存在が。その全てが自分を取り囲んでいることを。

だからその声という名の精神波は、まるで四方から投げかけられるかのように反響していた。

 

――契約するよ、キュゥべえ。私を、魔法少女にして。

 

今まで幾度か告げようとして、そしてその度に誰かが、何かがそれを押し留めてきた。今なら分かる。それは、今この瞬間の為にあったのだと。

絶望と滅亡、それは迫り来る条理。それを覆すことが、この期に及んで全てをひっくり返すことができるものは。それはきっと、魔法少女の願いに他ならないのだから。

 

「確かに、魂があるならソウルジェムは生まれる。キミほどの能力を持つ少女ならば、かなりの力を持つ魔法少女になれるだろう。その願いも、大きな力を生み出すだろう」

けれど、キュゥべえの表情は平静を取り戻していた。その答えが、予想していた通りだったからである。

たとえまどかがここで契約し、その願いを持ってこの状況を改善することを願ったとしても、それは叶えられることはない。まどかが背負った因果では、それを覆すほどの願いは叶わない。

それどころか、大きすぎる願いの代償で、魔女と化すのが関の山である。確信と共に、キュゥべえは告げる。

「いいだろう、鹿目まどか。キミの最期の抵抗。ボクはそれをねじ伏せて宇宙を新生させる。さあ、言ってごらん。キミの願いを。太陽系を救うことかい?それともバイドを駆逐することかい?それとも、スゥを助けることかい?」

最初のそれは叶わない。間違いなくまどかの因果は不足している。そして二つ目は叶うかもしれない。少なくとも、太陽系内のバイドを駆逐することはできるかもしれない。けれど、絶望は消えない。絶望が生み出すエネルギーも消えはしない。

そして三つ目、これは叶うだろう。けれど今更バイドが死滅したところで何が変わるというのか。結局、何を願ったところで世界の命運は変わらない。

 

――私の、願いは。

 

――みんなの絶望が生み出した力。それを、みんなに返してあげて。

 

――そして、戦う事を願う全ての人に、もう一度立ち上がり、戦うための力を与えて。

 

――それが私の願い。私が見つけた、最後の希望だよ。

 

「何を考えているんだ、キミはっ!!」

その願いは、とても受け入れられるものではなかった。そんなものが叶うはずがない。叶えられるはずがない。

「そんなことをして一体なにになるんだ!絶望に沈んだ人類がもう一度戦えるはずがない。宇宙も救われない、人類も滅ぶ。キミは自分のわがままで宇宙と心中するつもりなのかい!?」

正気を疑う。信じられない。だから問う。言葉を放つ。その行為の無意味さを知らしめるために、願いを反故にさせるために。

 

――違うよ。私は見てきたんだ。みんなの希望と絶望を。

 

それでもまどかは退かず、怯まず、凛とした声で突き返す。

 

――みんなが希望を抱いていたのは、未来を信じていたから。

 

戦いの終結を信じて、未来を信じて。バイドなき、正しい宇宙を信じて。

 

――みんなが絶望に沈んだのは、最後まで生きたいと望んでいたから。それを諦めなくちゃいけなかったから。

 

ありとあらゆる力を、狂気を。それらをつぎ込み、抗い続けたその理由。それはただ、ただ。生きようともがきあがき続けた結果。その結果に他ならない。

 

――だから、きっと立ち上がれるはずなんだ。もう一度力を手に入れることができれば。

 

――もう一度、生きるために戦うことができれば。

 

「それでどうなる。例えそれで今バイドを退けたとしても、スゥは敗れた。もう死んだ!人類がバイドを根絶する見込みはない、滅亡を先送りにするだけじゃないか。無駄なことはやめるんだ、鹿目まどか!」

インキュベーターからすれば、それは狂信、妄信としか受け取れない。死の淵に沈み、絶望に堕ちたものがもう一度立ち上がれるだろうか。そんなことはありえない。

彼らの歴史が知る限り、それはありえないことだった。その条理に、真正面からまどかは挑もうとしていたのだ。弱く脆く、短い命と不完全な心しか持たない人類を、信じて。その為に、この最大の宇宙再生の機会をふいにしようというのだ。

 

――違うよ、キュゥべえ。スゥちゃんはまだ死んでない。きっと生きてる。

 

「何故言い切れるんだい。今のキミに、26次元の彼方を知覚できるとでも言うのかい?」

 

――キュゥべえが言ったことだよ。私達は出会うべくして出会ったって。

 

――それが運命だなんて言うんだったらきっと、スゥちゃんがいなくなっちゃったら分かると思う。

 

――きっと、胸が張り裂けそうなくらい辛くなる。だから、まだ……大丈夫。

 

それは余りに不条理、そして弱弱しすぎる根拠。誰一人肯定できない、鹿目まどかだけの論理。誰もそれを肯定できない。けれど、誰もそれを否定することもできなかった。

それほどにまどかがスゥに寄せた信頼は厚く、強く、堅い。

「何故、何故なんだい。ボクはただ失ったものを取り戻そうとしているだけなんだ。なのに、どうしてキミはボクの邪魔をするんだい。訳が分からないよ。本当に、本当に訳が分からないよ!」

 

――失いたくないから。その為に、できる精一杯のことをしてるんだ。みんなが。

 

――だから、私もそうする。ただ、私には普通の人よりちょっとできることが多かった。それだけなんだよ。

 

その意志は固く、揺るがない。そしてキュゥべえは、インキュベーターという種は、魔法少女となる少女が契約を望むなら、それを拒むことはできない。

どれほどの感情が、憎悪が、悪意がその性質を歪めても、根本に根付いたそれだけは、決して揺らぐことはなかったのだった。

だから。

 

 

――さあ、叶えてよ!インキュベーター!!!

 

その言葉が、引き金だった。突如としてその空間に光の渦が巻き起こる。余りにも広大、余りにも壮大な光が渦を巻き、一点に収束する。そしてそれが、小さな種のような形にまで収束したその瞬間に。

光は、弾けた。

 

弾けた無数の光には、比類するものないほどに大きな力が宿る。宇宙再生を行うプログラム。それを遂行するためのエネルギー。それが別の形に変換させたもの。その力が、太陽系全土へと放出されていく。

無数の光と化して、遍く宇宙へ。戦う人々の元へ。

 

それは一体、人類に、宇宙に何をもたらすのだろう。

それは、全人類がその身をもって知ることとなる。



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第19話 ―終わる、一つの物語―②

英雄であり、英雄ではない英雄。
恐るべき魔弾の射手。
折れた翼で羽ばたく少女。
彼方より此方へと至る戦士。
絶望に沈む宇宙の中で、誰もが奇跡を望んでいた。

彼女は、その声に応えた。



これは、全ての人々の物語。


人生というものが一篇の物語だとするならば、その物語は、始まりからして既に運命によって翻弄され続ける物語であった。

彼女は運命という嵐の只中に生まれ、それに飲まれるように日々を刻む。昏き暗黒の日々、それは長らくと彼女の心を蝕んだ。唯一の希望は、英雄という幻想。

幻想に手を伸ばし、一度彼女は燃え尽きた。その燃え殻から蘇った、空虚で真白な心。一人の少女との出会いが、その心を新たな色に染めた。

それはあるいは瑠璃色で、それはあるいは蒼穹の空の色で。それは幸せだった。それはきっと恋だった。乾いてひび割れる心には、唯一の救いだった。

 

けれど、それは奪い去られた。取り戻すために、彼女は英雄の仮面を被り死地に立つ。なのに、嗚呼。何故だというのか。無慈悲な悪意が、壮大な謀が、全てを無に帰そうとしている。

そしてそれは、英雄の仮面を被った少女の心をも打ち砕いた。

心は昏く、静やかに水面に消えてゆく。希望を、未来を抱えて。その重さに耐えかねて、沈む。

 

 

これは英雄という運命に弄ばれ続けた少女の、終着を語る物語。

 

 

その少女、スゥはまだ自らが存在していることに気がついた。

ラストダンサーは、バイドの攻撃を受けて水面へと沈んだはずだった。それ以前にスゥは自ら機体との接続を切断していた。最早、ラストダンサーがいかなる状況であろうとそれを察する術はスゥには存在していない。

それでもその辿るべき遠からぬ未来。破壊と死であるそれは容易に想像できた。だが幾許かの時が過ぎて尚、その死の定めは彼女に振り下ろされることはなかった。

訝しく思う気持ちが、心の奥底にこみ上げてくる。けれどそれを確認する術は、最早スゥには存在していない。

ほんの僅か、そんな気持ちが心を揺らして。けれどすぐにそれを放り投げた。全てを諦めてしまった少女には、来るべき死が遅いか早いかなどさしたる問題ではないのだから。

 

けれど、空虚な時は過ぎ去っていく。

身体を失った魂だけの存在でさえ、流れる時を知覚することはできた。けれど、それがどれだけの時間なのかが分からない。いかにそれまで自分が生きてきた全てが、肉体というものに依存していたのかがよく分かる。

故にそれを失って今、何も聞こえず何も見えず、何にも触れられない絶対の孤独にスゥは佇んでいる。だからその空虚な時が、ほんの数秒のことなのかそれとも数時間さえも過ぎているのか、それを理解することを、スゥはできずにいた。

 

 

まどか。

 

 

声にならない、音として発せられないその声がその名を呼んだ。スゥにとっては最初で最後の希望。自分が生きる、戦う理由。今、彼女はどうしているのだろう。インキュベーターの手に落ちた彼女は、まだ生きているのだろうか。

 

 

会いたい。

 

 

このままここで尽き果てるのならば、せめて、せめてその前にもう一度会いたかった。言葉を交わしたかった、心を交わしたかった。できることならその身を重ねて、互いが互いに溶け合うまでに。

その想いは半ば偏執的とも言えるほどのそれで。

 

 

会いたいよ。

 

 

音ならぬ声は、空虚な時空に幾度も響く。どれだけ声を張り上げたところで、それが届くはずもなく。余りにもその場所は、26次元というその場所は遠く。

 

 

ずっと、ずっと一緒にいたかったよ。

 

 

嗚呼、嗚呼。だがそれは叶わぬ願い。願い焦がれ、言葉は空しく響くだけ。それを聞くものがどこにいるというのか。この絶対の孤独に踏み入れること、それが叶うものなど、この世界のどこに。

 

 

 

 

――それならば、もう一度立ちなさい。そして戦いなさい。

 

それは、自らの身の内に存在した。もう一人の自分。恐らくかつて忌避すべき存在であった、その声は。

「暁美……ほむら」

その声を聞き、帰すべき言葉を見つけたときに。スゥの見る世界は、再び音と言葉を取り戻していた。

 

「戦えだなんて、気安く言わないでよ。……もう、私には戦う力なんて残っていない。仮に残っていたとしても、もう……私には戦う理由が、ない」

空虚だった心を揺り動かしたのは、恐らく怒りと呼ばれる感情で。何故まだ戦わせようとするのか、もう嫌だ。もう沢山だとスゥはその声を拒んだ。

 

――それは違う。貴女はまだ戦える。

 

「わかったようなことを言うなっ!何もできないくせに、なにも分からないくせに。同じ作り物の癖に、えらそうに指図をするなっ!!」

湧き上がる激情、激昂たるそれは口をついてあふれ出た。

 

――何もできなくなんてない。私も、貴女も。まだ、私達にはできることがある。

 

何を勝手な、訳の分からないことを。燃え盛る怒りは、ますますもってその勢いを増した。死へと導かれながら、それでもその心は赤々とした怒りの火を灯されていたのだ。

「戦ったところで何になるって言うんだ。この状況で、勝てるわけがない。死ぬまでの時間を無駄に引き伸ばすだけじゃない。終わったのよ、もう、全部」

 

――終わってなんかいない。私が、終わらせはしない。

 

言葉と同時に、強烈な眩さがスゥの感覚を貫いた。まるで深い暗がりから、真昼の日の下へと連れ出されたような、目をつく眩しさが襲い掛かってきた。

光と視界を取り戻した世界で、スゥが見つめたものは、今尚その翼を、羽ばたく力を失わずに飛ぶラストダンサーの姿だった。

けれどその姿はやはり弱弱しく、ふらふらと荒れ狂うフォースの嵐の中を飛んでいた。それでも迫るフォースをかわし、必死に機体を建て直し、迫り来る死への抵抗を続けていた。

「どうして、何故ラストダンサーが。……暁美ほむら、まさか貴女が?」

スゥがいくら機体を動かそうとしても、もうそれが動くことはない。自らの身体が、自らの意志を離れて動き出すという得体の知れない感触。戸惑いと驚きを隠せずにいたスゥは、やがて察したかのようにそう問いかけた。

 

――ええ、貴女がラストダンサーを放棄したから、今は私が動かしている。

 

――貴女と私は限りなく近い。貴女が動かせるものを、私が動かせない道理はないわ。

 

そう、確かにそれは道理なのかもしれない。だが、暁美ほむらのソウルジェムはあくまで魔法を生み出す機関として接続されている。その機械が示す道理を捻じ曲げ、その場にあって尚このラストダンサーを動かしている。

それは間違いなく、魔法と呼ばれる力が示した事象。既に限界に近いほど穢れを貯めきっていたほむらのソウルジェムにとって、それは自殺行為に他ならない。自ら死へと、自己の喪失へと近づくような行為だった。

それでもほむらは力を振り絞り、その魂を燃やし、迫り来る死という名の運命を、その魔手を振り払い続けていた。

 

「……何故、戦うの。無駄だと分かっているのでしょう?いくら苦しんでも、結果は変わらない。私達に訪れる死が、遅いか早いかの違いでしかない。なのに、どうして」

今のラストダンサーはもはや、攻撃をかわすことで精一杯。もはやフォースの隙間を縫って攻撃を仕掛けることなど、全く叶わない。だというのに、もう運命は決まってしまったというのに、何故抗うのか。

スゥには、それが分からない。

 

――っ、それでも、私は……抗う、最後まで。私の、最後の一片まで抗い続けるわ。

 

ラストダンサーをフォースが掠める。バランスを崩し、機体が水面すれすれに触れる。それでも尚ほむらは機体を立て直し、その機首を忌むべきバイドへと向ける。

魂だけの存在であれ、機械の身体にそれを宿してさえ、疲労と呼べるものは感じるのだろうか。荒く息を吐き、辛く苦しげな声でほむらはスゥの問いに答える。

 

――それが、私の選んだ道だから。そうでなければ、私を救ってくれた人達に顔向けができないわ。

 

ほむらがその名を借りた少女。重い病に苦しみ続け、その生の最後まで生きぬいた少女。そして、見知らぬ誰かの幸せを願い不帰の道へと旅立った少女。

そして二人にとっての始まりである英雄。今は崩れ行く身体がこの世界に縛り付けられている英雄。

暁美ほむらと、スゥ=スラスター。その命と遺志を受け継ぐほむらには、自身の存在の最後の一片までもを賭して、迫り来る滅びと死に抗い続けるしか術はない。逃げることなど、投げ出すことなど許されない。何よりほむらは、それを許せない。

 

――貴女にもいるのでしょう。貴女を救ってくれた人が。

 

「でも、もうまどかには会えない!声を交わすこともできない。私は、私は……」

どれほどの言葉を投げかけられても、喪失の痛みは拭えない。その傷は埋められようもない。スゥは嘆き、そして哭く。

 

――でも、嬉しかったでしょう。貴女が、私が救われたとき。

 

「っ……それ、は」

そう、それは幸せな記憶。とても幸せで、満ち足りた記憶。

 

――心が一杯になって、あふれ出してしまいそうだったでしょう。救われたこと、それは幸せだったでしょう。

 

静かな声で、ほむらは囁く。スゥもほむらも、元を辿れば同じ存在より分かたれた同胞。生まれながらにして抱えたその重荷は、いずれも同じであったのだ。

自分がただの作り物ではなく、一つの存在として肯定されるという救い。それを与えてくれたのは、ほむらにとっては暁美ほむらやかつての仲間達。そして、スゥにとってはまどかだった。

だからこそ、救われる喜びもまた同じ。はち切れんばかりに、心の奥底から湧き上がるその感情と衝動。確かにそれは、二人の間に共感し得るものだったのだ。

 

――それがどれほど素晴らしいか、私達は知っている。そしてそれは、これから生まれていくものよ。

 

――私達の中で、そして私達ではない誰かの中で。

 

――それは生まれていく、続いていく。ここで全てが終わらなければ。

 

その救いは、ほむらには新たな自分を。スゥにはまさしく心そのものを与えていた。それは、とても素晴らしいこと。スゥはそれを知っている。そして見知らぬ誰かであったとしても、それを得ることはきっと素晴らしいだろう。

そう、思ってしまった。

 

「だから、それを守るために戦う。いつか誰かに生まれる救いをその素晴らしさを……守る、為に」

呟くように、けれど謡う様に、スゥはその言葉を告げる。それを聞き届けて、ほむらは静かに笑ったような気がした。

 

――命ある限り戦いなさい、例え孤独でも。それが英雄として望まれた者の義務なのだから。

 

「例え、この先に待ち受けているのが死と絶望だけだとしても。それでも戦えと、お前はそう言うのね。……それが、英雄だと」

その肩書きは、紛い物の複製品。それでも、英雄として望まれてしまった。その義務を負うべき資格は、十分に存在した。

 

――ええ。最後まで抗いぬくのが、きっと私達のするべきことだから。

 

「私は、英雄になんてなりたくなかった。ただ、まどかの側に居られればよかった。……でも、きっとまどかなら最後まで抗うでしょうね」

静かに、感覚が蘇ってくる。解き放たれた精神が、再び鋼の身体に宿る。シンクロレートが低下したその身体は、やはり尚も重い。それでも、抗うことを決めたから。

「抗ってやる。どこまでだって、何度だって。……だからかかって来なさい、私の運命」

もう一度、少女は戦いの宇宙に舞う。迫り来る運命に、全力で中指を立ててやるために。舌を突き出し、その背に蹴りを入れてやるために。

 

――それでこそ貴女よ。……後を、お願いするわ。

 

「暁美ほむら……まさか、もう」

限界を超えるほどの戦いを続けてきた。今こうして話をしていられること自体が、恐らく奇跡と呼ばれるもので。

 

――先に往くわ。……できれば、こっちには来ないでね。

 

ほむらの声が、途切れた。小さな音と共に、限界を超えて穢れを溜め込んだほむらのソウルジェムが排出された。

そしてすぐさま、荒れ狂う破壊の嵐に呑まれ、潰えた。

 

「……さよなら。もう一人の私」

機体の支配が、ほむらからスゥの魂へと移る。

尚もラストダンサーは満身創痍。迎える敵は強大。勝機は見えず、現状を打開する術もない。それでも、その心が再び絶望に沈むことはない。苛烈なる運命の重圧に、再び膝を折ることはない。

 

その身に宿った気高き心。

そしてスゥは、目覚めた心を走らせる。

 

 

再び目覚めた英雄。けれどそれを知るものはどこにもいない。

それでも今尚絶望に沈む太陽系には、最後の希望を作り出すための力が降り注いでいた。それは、遍く人の下へと降り注ぐ。一つの意志をそこに宿して。

 

――これは、みんなの絶望が生んだ力。

 

――もしかしたらこのまま、この世界は終わってしまうかもしれないけれど。

 

戦う者に、戦わざる者に。絶望に抗う者に、絶望に沈む者に。かつて彼女が見た、遍く全ての人にその声は伝播した。

 

――もしも、そんな運命に立ち向かう意志が、ほんの少しでもあるのなら。

 

――もしも、もう一度戦う意志があるのなら。

 

それは、絶望に沈む人類を救うための声ではない。

けれど、安易な絶望と死という逃げ道へと誘うものでもない。

 

――その為の力を、みんなにあげるから。

 

――だから、望むのなら……願って。そして、戦って。

 

それは、更なる戦いへの誘い。迫る絶望に対して、もう一度立ち向かう力を与えんが為に。

きっとその誘いを受けてしまえば、その力を借りてしまえば。どれほどの苦境、どれほどの絶望の渦中にあっても、絶望に膝を折ることは許されない。その最後の瞬間にまで抗い、立ち向かわなければならなくなる。

それは間違いなく、座して絶望と死を受け入れるよりも遥かに辛い、戦いの未来を予想させた。

 

 

――ずっと思ってたんだ。私にできることはこれだけだから。

 

――この力で、みんなを救ってあげたいって。でも、それじゃだめなんだ。わかったんだ。

 

それでもその声は優しく、そして力強く呼びかけた。

その声は選択を強いる声。けれどあくまで最後に選択するのは全ての人類で。

 

――本当の希望は、誰かに与えられるものじゃないんだ。

 

――たった一人の英雄に、押し付けていいものでもないんだよ。

 

ただ与えられただけの希望は、また奪われてしまうから。誰かに押し付けた希望は、誰かを押し潰してしまうから。だから、本当の希望は。本当の未来は。

 

――希望は、未来は。私達一人一人の手で掴み取るものなんだ。

 

――だから、お願い。みんなの力を……貸して。

 

その声は、願いは、遍く人の心へと染み渡る。

けれど、人々が沈んだ絶望は深い。そして多くの人は、それに抗う力を持たない。そんな彼らが、どうして目の前の絶望に立ち向かえるというのか。

そんなことが、できるはずもない。広がっていくその願いと意志は、ただただ人々の心を駆けていくだけで。

 

けれどそう。そんな得体の知れない、信用もできない力でさえも。そんなものにでさえも、縋ってみせたものがいた。

 

 

それは、戦い続ける者達。

 

「一体どうなっているんだ。誰なんだろうな、こんなことを言う奴は」

その男は、少しだけ戸惑ったように口を開いた。彼は名も無き戦士。彼に並び立ち、絶望に沈み。そして今にも潰えようとしていた無数の戦士たち。彼らもまた、名も無き戦士達。

誰の機体も損傷は大きく、絶望がその足を止めている。さらなる絶望の形を為して、彼らの元へもバイドが迫る。

確実な死が、じきに訪れる。

 

だが、と男は思う。まだ自分は戦えたはずだ。得体の知れない絶望が、戦う力を奪い去っていなければ。まだ抗えたはずなのだ。迫り来る、バイドという名のもう一つの絶望に。

悔しかった。何よりバイドが憎かった。だから男は得体の知れないその声を、その力を、受け入れた。

「誰だっていいさ。力をくれるってならもらってやる。……俺はまだ、戦いたい」

再び胸に宿ったその闘志。それが引き金だったのか、強い光が男の駆るR-9AF――モーニング・グローリーに宿る。

機体に深々と刻まれた傷跡を、その光は癒していく。度重なる戦いによって消耗していたエネルギーさえも、光の中から蘇る。

一瞬の閃光が目の前を照らしたその後には、まるで完全に整備されたかのように万全の

モーニング・グローリーが、男の命令を待っていた。

曰く再び戦えと、力を振るって見せろと、希望を掴んで見せろと男の命を待っていた。

そしてそれを、間違いなくその場にいた全ての戦士達が見届けていた。男はゆっくりと機体を翻し、共に戦い続けた戦士達へと振り向いた。

彼らもまた、深い絶望に沈んでいるはずである。だが、それを払うための力を再び手にすることはできる。

 

男が何かを話しかけようとしたその時に、ついにバイドの接近を知らせる警報が鳴り響く。もはや、幾許の猶予もない。男はすぐさま機首を迫るバイドへと向けた。そして、口元で静かに、力強く一言を告げた。

「さあ、どうする?」

――と。

 

答えはすぐに示された。

バイドの群れへと立ち向かうモーニング・グローリー。その背後で、無数の光が舞い踊る。光の中から次々と、蘇った力と翼達が沸きあがる。誰しもがその言葉に激しい闘志と、身の内より湧き上がる希望を乗せて。

そして再び、数多の戦士達がバイドに挑む。

宇宙を再び閃光が染め上げ、激しい戦闘が始まった。

 

それは、名も無き戦士たちの詩。

そしてそれは、遍く宇宙で紡がれていく詩。

 

 

 

「さて、なんだったのだろうな。今のは」

地球軍総司令部。ここもまた絶望に沈み、緊急会議という名目集められた高官達は皆希望を失い、絶望に沈み、中には自ら死を選んだものもいた。その中で聞こえた言葉、希望を掴むために、戦えという言葉。

それを聞き、司令の男は不思議そうに呟いた。

「まあ、言っていることにはある程度納得はできる。生きるためには戦わねばならん。それを誰かに押し付けて、事がすべて片付いたような顔をしていられるわけもあるまい」

ゆっくりと立ち上がる男、高官達は虚ろな目でそれを見ていた。

「何をしている、貴様らっ!聞いただろう、この最悪最低の状況を、どうにかするのは私達自身だ」

男は椅子を蹴り飛ばす。豪華で重い椅子が、蹴り飛ばされて床に転がる。だん、と床を蹴って飛び上がる。彼らが囲んでいた円卓をその足で踏みつける。そのままつかつかと円卓の上を歩き、それを囲む高官達の顔をぎろりと鋭く睨みつけ、そして。

「手勢を集めろ!駐留部隊を全て集結させろ!私自ら出るっ!!ついて来られる者だけついて来いっ!」

そのまま円卓を飛び降り、扉を蹴破った。じっとしていられないほどの強い衝動が、男の身体を駆け巡っていた。それは前線を退き、いつしか戦士からそれを統率するものへと変わっていた男が、いつしか失っていたもの。

激しく燃え盛り、荒れ狂う戦いへの欲求。激しい闘志。

 

そうだとも、ここで負ければ後がないのだ。そんな時に、どうして自分だけが偉そうにふんぞり返っていられるというのか。その衝動に衝き動かされ、歩みはいつしか早足に、そしてやがては駆け出して。

「何をやっているんです、司令っ!」

当然のように、それを止めようとする言葉は投げかけられた。

 

「今だけは止めるな。今行かなくてどうするというんだね!?」

生き生きとした、張りのある声で男は答える。その通信を送っていたのは彼の部下、付き合いもそう短いものではなかったが、それでも彼がこんな人物だとは思いもしていなかったようだ。

だが、止めなくてはならない。戦線に立ち並び、戦う戦士が必要であるのと同じく。彼らの後ろに立ち、彼らが余すことなく力を振るえるようにすることも必要なのだ。

「いいえ、止めます。戻ってください。……信じられないことが起こっているんです」

どうやら、司令としての役目を放り投げたことを咎めるつもりではないらしい。となれば話は別だと、男は足を止めて問う。

「何かあったのか?いや、あれで何も無いほうがおかしいとは思うが」

「はい……信じられないことですが、通信の途絶していた火星以降の惑星圏に存在する基地から続々と通信が届いているんです」

バイドの侵攻は火星にまで及び、すなわちそこまでに存在する全ての人類の施設は飲み込まれて潰えた。そのはずであったのに、そうして潰えた多くの施設から、通信が続々と届いているのだという。

 

「確かにそれは信じられないな。……それで、内容は?」

「内容はどれも同じです。バイドを倒すために舞い戻ったと。そして現在、火星に向けて全速力で駆けつけているとのことです!」

「潰されたはずの施設から、死人の声がする。……まさか」

そう、その通信を伝えた施設は、そこにいる戦士達は、間違いなく既に潰えている。そんな者達がどうして、通信をこちらに伝え得たのだろうか。

「彼らも戦う事を望んでいた……そういうこと、なのかなるほど、確かにこれはもうしばらくここに踏ん反り返っている必要がありそうだ」

男は笑い、そして言う。

それは余りに荒唐無稽、そして信じがたいほどに壮大で。まどかが与えたその力は、無念の内に散っていき、未だこの宇宙に残る戦士達の魂にまで及んでいた。そして彼らは戦いを願い、再起した。

だとすれば、誰かがそれを助けなければならない。それができるのは、自分だ。

 

絶望をもたらされた全ての人に、同じようにその光は降り注ぐ。その声は、現世より隔絶された異界にすらも響き、その光を届けようとしていた。

けれど、そこにいる少女達に絶望の色はない。ただ、偽りの希望に踊らされているだけの少女達だった。

 

だからこそ考える。

それが偽りであれ、希望を抱いて戦えるのは幸せなのだろうか。そんな事があっていいものか、それでは、誰かに与えられた希望も同じ。それもいつか必ず奪い去られることが約束されたまやかしの希望。

本当の希望を掴むのは、確たる意志と自ら戦う覚悟が作る。

 

だからまどかの願いは、モルガナの結界の中へさえも飛び込んでいく。

そして、声を届けた。

 

「……まど、か」

その声は、まどかの絶望がその結界を揺るがした時と同じように、マミの意識へも届いていた。偽りの希望、終わらぬ戦いに意識を奪われていたマミの、その瞳に自我の色が揺らいで見えた。

 

それは結界に生じた綻びで、魔女はその存在を許さない。

 

呆けたように動きを止めたマミのコンサートマスターに、マコトのガルーダが接近した。

「隊長、敵が接近しています。……すぐに迎撃しないと、命令をください、隊長」

それは従順な部下の仮面を被って、マミをこの世界に捕らえようとしている。決して逃がすまいと、この世界を守ろうとしている。

「……そう、だったのね。マコト、確かに敵はすぐそこにいたわ」

ゆっくりと機首を翻したコンサートマスターは、その砲塔をガルーダへと向けていた。

 

違和感は、ずっと胸の中にあった。迫り来る戦いは、それを考える余裕を与えてはくれなかっただけで。けれど今、まどかの言葉を聞いて、マミの心は戦いの狂気から掬い上げられた。

幾分か冷静になった頭で考えれば、答えはとても簡単だった。

「何をするんです、隊長。敵はこっちにはいませんよ、隊長っ!」

「いいえ、敵はここにいるわ。マコト……貴女がそうなのよね」

機首を突き合わせたまま、向かい合って動かない二機。マコトは言葉を返さない。だからマミは言葉を続けた。

「違和感はずっとあったの。貴女も、他の魔法少女達も、皆あの地獄のような戦場を生き抜いてきたわ。だから、自分がどう戦うべきかを迷ったりはしない。いちいち指示を求めることなんてない。ただ私は、必要な時に指示を出すだけでよかった。……それが違和感」

ガルーダは、その鋼の翼は小さく震えているような気がした。

「そして、認めたくないけれど。……マコト、貴女はもう死んでいる。絶望し、魔女となった。……無理もないことだとは思うけれど、だとしたら今、ここに貴女がいるはずはない」

息を呑む音が、聞こえた。

 

「それ以上、言わないでください。隊長。それ以上言われてしまったら、私は……私はっ」

声は震えていた。まるで何かを恐れるように、涙すら混じっているような声で。

「いいじゃないですか、ここにいれば、みんなずっと一緒に居られるんですよ。ずっと一緒に戦って、それでも生きていけるんですよ。あんな絶望に身を晒す必要もない!」

そのままの声で、マコトであった魔女は、まだマコトでもある魔女は叫ぶ。マミは、そんなマコトと魔女に諭すようにして言った。

「でも、それじゃあ私達は本当の希望を手にすることはできない。例え敗れて死ぬとしても、偽りの希望に踊らされ続けるよりは、ずっといいわ」

その言葉がもたらすのは別離。余りにも辛い別離。その痛みを噛み締め、漏れそうになる嗚咽を堪えてマミは告げた。

 

「だから私達を開放しなさい、マコト。……いいえ、魔女」

みしり、と。何かがきしむ音。それはあちこちから聞こえる音。ガルーダが、背後に映る宇宙が、守るべきグリトニルが。全てにひびが入り、崩れ落ちようとしていく。

 

「嫌だ、嫌だいやだイヤダっ!私は私で居たい、なのに、なのになノになノニナノニィィィッ!」

叫ぶ声が、宇宙を揺るがしていく。全てが崩れ去り、張りぼての宇宙は消え去ろうとしていた。そこに現れる、本当の姿は。

 

「イ、ナナ、ナナァァァ……サ、ッガァ………ニィィィィィィ!?」

最後に残った心は壊れて、魔女モルガナは、その真の姿を現した。

 

魔法少女達は、夢から覚めたかのように、はっとして辺りを見回していた。グリトニルを背負い、押し寄せるバイドと戦うという世界は既にない。そこは最早、宇宙ですらもない。

そこは砂漠、天に輝く太陽が、遍く物を照りつける灼熱の地。そしてその砂中に身を埋め、日に照らされる異形のオブジェが無数に並ぶ。それは例えばR戦闘機、それは例えばバイドの兵器。

そんな歪なオブジェをいくつも砂中に並べて、生命を感じさせない死の砂漠は広がっていた。

そして、そんな砂漠に立つ一際大きなオブジェ。黒々とした、天を衝く巨人。見ればその身体は、砂中に埋まる無数の機械群と同じもので構成されていた。

言うなればくず鉄の巨人。言うなれば鋼鉄の墓標群。そしてその巨人が唐突に動き始めた。その巨人こそ、その墓標こそが魔女モルガナの本当の姿であった。

 

「お姉ちゃん。どうなってるの、これは……一体何なの」

いち早く異変を察し、ゆまのカロンがマミの元へと戻ってきた。

「魔女の結界よ。私達は今まで、そこに囚われていたのよ。……だから、あの魔女を倒さなくてはいけないわ」

痛みを堪えるような声で、マミは答えた。けれど、それと同時に異変に気付く。

先ほどまで一切の支障なく動いていた機体が、今はほとんどその動きを止めている。そう、それはまるでこの結界に取り込まれる前の状態に戻ってしまったかのように。

魔女の加護を受けて動いていた魔法少女達の翼は、それを自ら振り払ったことにより、再び傷ついた状態へと戻ってしまっていた。

 

更に、状況は悪化する。

巨人が僅かに身じろぎすると、そこから無数の機械がこぼれて落ちる。そしてその全てが、こちらへと向けて攻撃の意志を示していた。恐らくそれが、魔女モルガナの使い魔なのだろう。

 

「それじゃあ……誰かがなっちゃったんだね。魔女に……」

ゆまの声も沈んでいる。魔法少女と魔女の事実。そして魔女を兵器として使う人の所業。その全てを知っているゆまですら共に戦ってきた仲間が魔女となってしまったとなれば、気にせずにはいられなかった。

「ええ、でも、今はそれを悲しんでいる余裕はないわ。……早く戻って、バイドと戦わなければならない」

「……うん、そうだよね。じゃあ、私も頑張るよ!だから、お姉ちゃんは下がってて、その状態じゃ戦えないよ」

比較的損傷の少ない、とは言え十分中破といえる状態のカロンが、コンサートマスターの前に出た。

 

けれど、マミには分かっていた。マコトが魔女となってしまったのは、自分のせいだ。だとしたらその罪を贖うのは、自分がやらねばならないことだ。自分が、背負わなければならない痛みなのだと、わかっていた。だから。

「ルネちゃん。貴女は他の子達と使い魔の相手をしていてちょうだい。あの魔女は……私が倒すわ」

「そんなの無理だよ、だって、お姉ちゃんの機体はもうぼろぼろなんだよっ!」

「……大丈夫、だから信じて、お願いだから。必ずあの魔女は、私が止めてみせるから」

「わかったよ。……でも、でもっ!危なくなったら、すぐに助けに行くからね!」

僅かな沈黙の後、ゆまは根負けしたようにそう答えると、カロンの機首を魔法少女隊の下へと向けた。

そしてようやく、ふらふらと、ゆっくりと、コンサートマスターはモルガナと対峙した。

 

「まどか。……貴女が今どうしているのか、私にはわからない。けれど、私は貴女を信じるわ。だからお願い、力を貸して。私にもう一度戦う力を。私の罪を、贖うための力を」

ついに願ったマミの元に、まどかの願いは降り注ぐ。その機体にもその光が宿る。

だが、それは魔女の察するところとなったのだろう。魔女はその腕を振り上げ、そして振り下ろした。

無数の機械が織り成す鋼の腕が、コンサートマスターを、マミを飲み込みその空間ごとを根こそぎ薙ぎ払っていった。

 

「お姉ちゃんっ!」

ゆまが叫んだ。ボロボロのコンサートマスターでは、あれほどの攻撃を最早よける術はない。そしてあんな大質量による攻撃を受けてしまえば、撃墜は免れない。

やはり無理やりにでも下がらせて、自分が魔女の相手をするべきだったんだと。後悔が、ゆまの胸中にこみ上げてきた。けれど。

 

「心配はいらないわ。この程度じゃ、私は負けない」

それはマミの声。あの大質量による攻撃の最中にあっても、マミは健在だった。振り下ろされた腕の、その先端が内側から弾け飛ぶ。その中にあったのは、眩い輝きを放つ黄色の光。

そしてその中心には、光に全身を包まれて立つ一人の少女、巴マミの姿があった。その姿はまさしく魔法少女のそれで、マミにとっては遥かな懐かしい記憶だった。

かつてマミ自身の精神の内で、そこに巣食うバイドを倒すためにとった姿。あの時は、マミはまどかと杏子に助けられて目覚め、そして力を行使した。その記憶が今も残り、明確な力のイメージとしてマミの中に存在していた。

それがまどかが与えた力によって再現され、マミに身体と、力を与えていたのだった。

 

「ごめんなさい、マコト。……私はこれから、貴女を殺すわ」

目を伏せ、自らに言い聞かせるかのようにそう呟いて。マミは、魔法少女の身体で単身、魔女モルガナへと立ち向かった。

されど相手は巨大な魔女、魔法少女と、さらにR戦闘機の力をもってしてようやく打倒し得る存在。本物の魔法少女の力を得たとはいえ、R戦闘機の力を持たないマミには些か荷が重い。

 

「ならその力を借りればいいだけよ。私は覚えている、今まで振るってきた力達を」

宙に浮かんだそのままで、静かにマミが手を上げた。けれど、敵はまだそこにいると知り、モルガナが再びその鋼の拳を振り上げる。そして再び振り下ろされる。圧倒的な質量と破壊が、牙を剥く。

その破壊めがけて、マミは静かにその手を下ろした。

 

振り上げた拳は、圧倒的な破壊を振りまくより前にその途中で動きを止める。その拳を留めていたのは、黄色に輝く光のリボン。

それは波動の粒子の結晶体。モルガナの拳を縛るのみに飽き足らず、更にそのまま切り裂き焼き払う。無数の機械の残骸が、切られて焼かれて地に落ちていく。

そしてそのリボンを放った射手は、かつてのマミの乗機。まどかとさやかとほむらを救い、彼女達を戦いの運命へと導いたもの。R-9MX――ロマンチック・シンドロームの姿だった。

まどかの願いがマミに与えた力、それが更に形を変えて今、かつてのマミの乗機として現れていた。それは虚空から現れ、それが持つ力であるリボン波動砲を放ったのだった。

 

「懐かしいわね。……あなたがいたから、私は彼女達を助けることができた。仲間を得ることができた。……ありがとう、もう一度だけ、一緒に戦ってね」

再びロマンチック・シンドロームに力が宿る。同じくして、モルガナもまた次なる攻撃を仕掛けていた。その全身から零れ落ちる機械群が、使い魔と化してマミに迫る。

その群れを静かに見つめながら、マミは静かにその手を上げて。

 

「無駄よっ!」

再び放たれたリボン波動砲は、そのままリボンの形を為した波動エネルギーの塊である。それは縦横無尽に空間を駆け抜け、迫る使い魔の群れを次々に打ち砕く。

一瞬の閃光が駆け抜けた後には、数珠状にいくつもの炸裂が巻き起こった。

 

「あの魔女を倒すためには、もう少し時間が必要ね。……それじゃあ、足を止めましょう」

まるで剣を鞘から引き抜くような動作で、マミは静かにその手を振り上げた。その動きに呼応するかのように現れたのは、剣。かつてマミがその手にしていた光の刃。

「あなたのことも、結構好きだったのよ。本当はもうちょっと乗っていたかったくらい。……お願いね、ナルキッソス」

TL-3N――ナルキッソス。かつてマミが駆り、バイドと化した魔法少女達と戦った機体。擬態機能と、右腕のヒートロッドを介した強力なレーザーソードを持つ機体。

そのナルキッソスが、マミが剣を振りかざす動きに応じてモルガナへと立ち向かう。

最中、ナルキッソスの姿が歪み、変わる。ナルキッソスの持つ擬態機能が、その姿と能力をストライダーのそれへと変えていた。

そして即座に、ストライダーに搭載されたバルムンクが放たれ、モルガナの左脚を直撃した。大きな爆発が巻き起こり、モルガナの左脚の半分ほどが消失する。

 

さらに追い討ちと言わんばかりに、元の姿に戻ったナルキッソスが、レーザーソードを振りかざし、追い打ちと言わんばかりに左脚部に切り込んだ。

この苛烈な攻撃には遂にモルガナも耐えかねて、左脚がばっさりと両断される。バランスを失ったモルガナの巨体が、ぐらりと揺らいだ。だがまだ倒れない。切り裂かれた脚部同士が再び融合し、堪えようとしている。

「なら、もう一撃ね。食らいなさいっ!」

放たれたのは、ロマンチック・シンドロームのリボン波動砲。だが今放たれたそれはリボンの形状を取ることはなく、それらを一つに束ねることで威力を増した、もう一つのリボン波動砲、リボン波動砲βだった。

その一撃は、再生を始めていたモルガナの左脚に更なる損傷を与え、ついには完全に体勢を崩したモルガナの巨体が、轟音と共に砂中に没した。

 

あれだけの巨体である、すぐに起き上がることなどできはしない。とどめの一撃を叩き込むための時間は、十分に稼ぐことができる。

 

「……これで終わりよ。マコト」

豊かな胸元から引きずり出すようにして、一本のマスケット銃がマミの掌中に生まれる。そしてその銃口を、モルガナへと向けた。

もちろん、それが敵に止めをさせるほどの威力があるわけではない。これはあくまで引き金、そしてその引き金が撃ち放つ砲身は別にあった。

 

それは、一対の巨大な砲身。それはその砲身に比すれば、あまりにも小さなR戦闘機に接続されていた。ゆっくりと、まるで虚空から引きずり出されていくかのように、二機のR戦闘機の姿が具現化される。

いずれもが、その巨大な砲身に似合った破壊力を持つ戦略級の決戦兵器。そしてそのいずれもが、かつてのマミの乗機であったもので。

 

R-9DX――ガンナーズ・ブルーム。そしてR-9DX2――ババ・ヤガー。

その二機が今、マミの手によって再現され、その巨大な砲身をモルガナへと向けていた。いずれの砲身にも、既に限界までエネルギーが蓄えられている。

後は、その引き金を引くだけだった。

 

マミは静かにその引き金を引いた。引き絞られた引き金、それを合図に、二つの砲身はその力を解放する。

地球から月の間に等しい隔たり。おおよそ38万kmという長射程と、それを実現させる威力。その力が全て、双発の超絶圧縮波動砲の威力の全てが、目の前の魔女モルガナへと叩きつけられた。

激しく迸る二条の閃光。それは魔女の身体を飲み込み、それを構成する全てを焼き払い、打ち砕いていく。全てを消し去る閃光が駆け抜けて行った後、残されていたものは。

魔女モルガナの核とも言える存在、人の形を模した、歪な人形が一つ。焼け残ってしまったそれは、恨めしげにマミを睨み、その手を伸ばした。

彼女を害そうというのか、それともそれは救いを求めて伸ばされた手だったのか。それは、誰にも分からない。ただ今大切なことは、ここを出なければならないということ。

 

だからマミは、その人形の手をマスケット銃の銃身で払いそのまま流れるような動きで、人形の額に銃口を突きつけた。

人形は動かない。ただ、まるで泣いているかのような顔でマミを見つめていただけで。

 

「……ティロ・フィナーレ」

静かに呟き、マミは引き金を引いた。

 

結界の核たる魔女を失ったことで、結界は急速にその形を失いつつあった。無数の墓標の立ち並ぶ砂漠はその姿を消していき、じきに元の宇宙空間が戻ってくることだろう。

その時、宇宙は、人類はどうなっているのだろうか。不安は拭いきれないが、それでも今は戦うしかない。

だから、再び手にしなければならない。戦うための力を。

マミは一瞬だけ悩んだ後に、変わらずそこに佇むババ・ヤガーのキャノピーに触れた。触れた指先は、そのままババ・ヤガーの中へと沈み込んでいく。

きっと、このままいけるはずだ。そんな根拠のない確信を抱いて、マミはその身体をババ・ヤガーの中へと躍らせた。

 

肉体が、まるで解けるように失われていく感触。気がついたときには、マミの身体は重く冷たい鋼のそれに変わっていた。曰く、ババ・ヤガーそのものへと。

そしてそれを見届けたかのように、ロマンチック・シンドロームが、ナルキッソスが

ガンナーズブルームが消えていく。

残されたのは、実体を得たババ・ヤガーだけ。その中で、最早懐かしいとも言えるような感覚に浸りながら、マミは仲間達に呼びかける。

「気がついたかしら、皆。どうやら私達は、魔女の結界の中に囚われていたようね」

戦いの狂気から抜け出し、半ば呆然とした様子で魔法少女達がぱらぱらと返事を返してきた。どうやら、まだみんな無事なようだ。

「でも、まだ私達の戦いは終わってはいないわ。いいえ、本当の戦いはこれからよ。……だから、もう一度貴女達に戦う力をあげるわ。ここで朽ち果てるつもりがないのなら、願いなさい」

とはいえ、魔女の加護を失った機体はどれもボロボロのものばかり。けれど、それを助けるための力は確かにこの宇宙にあるのだ。

「もう一度、戦いたいと願いなさい。希望を途絶えさせはしないと、最後まで戦い抜いて見せると」

戸惑いながらも、少女達は口々にその言葉を口にした。果たしてこんな状況で、縋れる希望などあるのだろうか、きっとありはしない。

だから、少女達も気付いたのだろう。本当の希望はきっと、自らの手で勝ち取っていくものなのだと。だからこそその為に、少女達は力を求めた。

 

そして、それは叶えられた。

 

 

遍く宇宙で、力を与える一つの声が響く。

遍く宇宙で、力を求める無数の声が響く。

たとえ戦う力を持たない者であれ、それを願った者には力が与えられた。それは直接に敵を討つための力ではない。

それは隣にいる誰かを、今も絶望に沈んでいる誰かを助けるための、手を差し伸べる為の力。その力の名は、恐らく勇気と呼ばれる何かで。

人類はその声と力、そして勇気に導かれ、急速に死の恐怖と絶望から抜け出していく。太陽系を満たす絶望が、ひっくり返ろうとしていた。

力強く輝く、希望へと。

 

けれどそう、その少女の深く絶望に沈んだ心は、まどかの声を持ってしても立ち直ることはできなかった。そして彼女の周りには誰もいなかった、だから誰も彼女を助けられず、誰も彼女を止められなかった。

どうしようもなく死に惹かれ、死すべき場所を求めて宇宙を駆けるその機体。カーテンコール、美樹さやかを、誰も止められなかったのだ。

遍く場所へと広がり続けて、薄れていくまどかの自我。ただ、願う者に力を与えるだけの存在となろうとしていたまどかは、それでもさやかを救いたかった。

薄れきった自我を振り絞り、その手に一つの光を握り締めた。それは太陽系のいたるところに振りまかれた力そのもの、その欠片の一つを、大事にぎゅっと握り締めて。今尚死に惹かれている大切な友を、美樹さやかを助けるために、その欠片を解き放った。

 

たった一つの願いを込めて。誰か彼女を止めて、彼女を助けてと。

強い願いを込めて、その欠片は解き放たれた。

 

その願いは、世の理さえも越えて届く。その願いを受け止めたのは、いなくなってしまった一人の少女だった。

 

 

――行くのかい。

 

ここではない場所で、いずれ誰しもが訪れるその場所で、その片隅で、男が少女に問いかけた。

 

――ああ、あいつが呼んでる。助けて欲しいって呼んでるんだ。

 

少女は、その胸に飛び込んできた欠片を、力と願いのたっぷりと篭った欠片を抱きしめて。そして、真っ直ぐに男を見つめて言った。

 

――本当にいいんだね、一度ここを出てしまえば、もう戻ってはこられない。君はそのまま永遠に、向こうを彷徨い続けるだけの存在になってしまうかもしれないんだぞ。

 

男は再び問いかけた。だが、それを問う男にも答えはわかりきっていたのだろう。少女の答えは、男が望んだとおりのものだったのだから。

 

――今行かなかったら、あたしは死んでも死にきれねぇ。まあ、もう死んでるんだけどさ。

 

少女は、苦笑交じりにそう笑い、赤い髪を揺らした。

 

――そう、か。ならもう止めないさ。行ってきなさい、そして戦ってきなさい。

 

男は笑って言葉を返し、ふとその表情に懐かしむような色を浮かべて言った。

 

――そしてどうか、私達が守れなかったものを、守ってくれ。

 

その言葉に頷いて、少女は手にした欠片を飲み込んだ。熱い感触が、喉元を過ぎて胸の中へと伝わってくる。

その熱さがやがて脈打つ何かになった。触れてみれば、そこには脈々と命を伝える心臓があった。

死する者だけの場所において、少女は再び命の源を得て、そしてそれに引きずられるように、少女の身体が消えていく。彼岸を越えて、現へと再構成されていく。

 

全てが消失してしまう刹那。

 

――君に幸運を、キョーコ。

 

――ああ、目にもの見せてやるさ、ロス。

 

 

絶望に沈んだ機体が宙を往く。自分が死ぬべき場所だと選んだ場所へ赴くために。その場所で、自ら命を絶つために。

さやかは一人、絶望と希望が渦巻きせめぎ合う宇宙を駆けていた。

 

「……まどか。あたし、まどかに謝りに行くから。まどかのいるところに、行くからさ」

力無く、虚ろにさやかは呟いた。誰にもその声は届くことは無く、ただただ虚ろな呟きだけが響いた。

「そうしたら許してくれるかな、まどか。……あたし、本当にバカだったね」

心は真っ黒な絶望に埋め尽くされ、身体は経験に衝き動かされるかのように機体を動かしていた。自分の死すべき場所を求めて、ひたすらに。

「また、まどかの声が聞けるかな。会えるかな。まどかに、杏子に、ほむらに。……みんな死んじゃったら、また向こうでマミさんにも会えるかな」

乾いた笑みが唇の端から漏れる。涙はとめどなく頬を伝い、そして落ちていく。ぽたり、ぽたりとヘルメットのシールドに涙が伝い、綺麗に二つの跡を残していた。

そんなものすら意に介さず、さやかは静かに宇宙を駆ける。

「死ぬのって、辛いんだろうな。……でも、今生きてるのだってこんなに辛いんだよ。自分が生きてるってことが、たまらなく辛くて、苦しくて、情けなくてさ。……いいよね、もう。全部、諦めちゃっても……いいよね」

もうすぐだ、もうすぐまどかのいた場所に着く。そこが、さやかの終着点。長く苦しいこの生を、その全てを終わらせる場所。

 

「……んなもん、会えるわけねーだろーが」

その声は、どこからともなく聞こえてきた。さやかにとっては懐かしく、そしてとても愛おしい声だった。

 

「え……今の声、どうして、何で?」

その声に、弾かれたかのようにさやかは顔を上げ、辺りを見渡した。けれど、そこには誰の姿もなかった。当然だ、ここは広く孤独な宇宙空間。誰もいるはずが無い。

通信だって入ってはいない。だとしたら、ついに幻聴でも聞こえ始めてしまったのだろうか。

「あはは……本格的におかしくなってきちゃったかな、あたし。いきなり声が聞こえてくるなんて、さ」

こんなんじゃだめだなぁ、と苦笑して。再び死ぬべき場所を目指して走る。そんなさやかを押し留めるかのように、もう一度その声は響いた。

今度こそ、力強く。

 

「確かにおかしくなってるよな。あたしが知ってるあんたは、そんな弱くは無かったはずだろ」

疑いようも無いほどにはっきりと、その声はさやかの鼓膜を振るわせた。

「そんな、何で……本当に聞こえる。……杏子?」

信じられないといった風に、震えた声で名前を呼んだ。

「ああ、そうだよ。わざわざ帰ってきてやったんだぞ」

声はすれども姿は見えず、しきりに辺りを見回しながら、さやかは答えた。

「何で、どうしてっ!?だって、杏子はもう……死んだんだよ、なのに声が聞こえるなんて。そんなのおかしいでしょ。声は聞こえるのに姿は全然見えないし、一体どうなってるのよ」

「お前があんまりにもふがいないから、見てられなくなって帰ってきたんだよ。……ったく、お前って奴はあたしに死んでる暇もくれやしないんだな」

更に震えを増したさやかのその声に、杏子はうんざりしたように答えた。

 

「じゃあ、近くにいるの?杏子?ほんとに……帰ってきてくれたの?」

「ああ、でもお前がそんなんじゃ、あたしはあんたに会ってもやれないね っつーか、さやか。お前今何しようとしてたんだよ?」

問い詰める声は、如何せん冷たいもので。どうにも再会を喜ぶといった雰囲気ではまるでない。

「え……そ、それは」

まさか、まどかの側で死ぬためにまどかのいるところへ向かっていましただなんて、そんなことが言えるはずもなく、さやかは思わず口ごもってしまう。

「言えないならあたしが言ってやる。死のうとしてたんだろ。それで向こうであたしらに会おうとでもしてたんだろ。でも残念だったね。このまま死んだって、あんたは絶対に誰にも会えない。あたしにもほむらにも、マミにもまどかにもだ」

そうして挙げた仲間達も、そのほとんどが本当に死んだわけではないのだが、それを杏子が知る由もなく、さらに語勢を強めて詰め寄った。

 

「当然だろ?あたしらはみんな最後の最後まで戦い抜いて、そして死んだんだ。そんな奴らと、自分の命を途中で投げ捨てるような奴が、同じところに逝けるわけがないだろうが」

その言葉は、冷たく鋭くさやかの胸を貫いた。死の先に抱いていた、儚くも破滅的な希望。それが無残にも打ち砕かれて。もう何をどうすればいいのか、さやかにはわからなくなってしまった。

「……じゃあ、どうしたらいいのよ。どうすればいいのよっ!あたしにはもう何も残ってないんだよ、戦う力も、守りたい人も、全部無くなっちゃったんだよ。もう、生きてたって辛いだけだよ。……もういいでしょ、諦めたっていいでしょうが!」

一度口をついて出てしまえば、その言葉は止まらなかった。ずっと心の奥底に抱えていた弱音、全てを失って初めて表に出てきたそれは、止まることなく口からあふれ出た。

「ずっと、ずっとずっと戦ってたんだよ!何度も何度も死にそうになって、傷ついて。その結果がこれだよ?大切なものも全部なくして、何もできなくなって。結局そうなっちゃうんだよ。どんなに頑張ったって、あたしに待ってるのは絶望だけなんだ。……だから、もういいじゃない。諦めさせて、楽にさせてよ……ねえ、ねえってばぁっ!」

その言葉の向かう先は、果たして誰なのだろう。状況的には、その言葉は杏子に投げかけられているのだろう。

けれどその言葉は、誰より先にまずさやか自身に投げかけられていた。自分自身を諦めさせるために、そう言い聞かせるために。

 

「さやか、あんたが本当にそれでいいってなら、本当にそうしたいってなら別に、あたしはそれを止めるつもりはないよ。でも、それじゃあんたは絶対に救われない。絶望して諦めたままじゃあ、向こうには行けない。死んでもずっと、暗い所で自分を悔やみ続けるだけだ。あんたはそれでいいのか、最後まで胸を張って生きてたくないのかよ!」

例え敗れて果てるとしても、自分の無力を悔やんで、全てを諦めて死んでいくのか。

それとも最後の最後まで、例え惨めと言われようとも生にしがみついて、生き抜いてから死ぬのか。

どちらも同じく生命の終焉。けれどきっと、それが持つ意味は大きく異なるものであるはずだから。きっと迷っているのであろうさやかに、必死に杏子は呼びかけた。

「あたしだって、そうやってできるならそうしたいよ。でも……もうだめなんだよ。あたしはもう戦えない。戦おうとしても、怖くて怖くてしょうがないんだよ。……体が動いてくれないんだ。杏子達と一緒に戦ってたときは、こんなことはなかったのに。そんな怖さになんて、負けなかったはずなのにさ」

そんな自分が悔しくて、けれどどうすることもできなくて。そしてさやかは諦めてしまったのだ、何もできはしないと、自分を決め付けてしまったのだ。

 

「あたしだって怖かったさ。……戦うのは怖かったよ。だから、分かるよ……さやか」

杏子もまた、生身の身体で戦い続けていたのだ。それが恐ろしくないわけがない、それでもそれを堪えて戦い続けた。それは何故か、答えは簡単だった。

「でも、あたしはわかったんだ。戦えない事のほうが、大切なものを守れないことのほうが、戦うことよりも、自分が死んじまうことよりもずっとずっと怖いんだってさ」

だからそれを避けたくて、幼き日の杏子は戦う事を選んだ。普通の少女として生きられる未来があっただろうに、それでも戦う事を選んだのだ。

バイドが奪うものの余りの大きさを知っていたから、もう二度と、奴らには何も奪わせたくはなかったから。

「でも、現実ってのは非情だよ。そう願って戦っても、あたしは多くのものを失っちまった」

ロスやアーサーの、そしてゆまの顔が脳裏に浮かぶ。どれもまた痛々しくも苦しい喪失の記憶。けれど、それでもと杏子は言葉を続けて。

「それでもさ、あたしは逃げずに立ち向かったんだ。きっとそうしてなかったら、あたしはもっと後悔してたと思うから。……だからさ、さやか。あたしはあんたにそんな後悔はして欲しくないんだよ」

あれほど大きな喪失の記憶を、日常の中に埋没させて、忘却させて生きること。それは難しいけれど、きっとできないことではない。

それでも杏子は立ち向かうことを選んだ。その選択が正しいのかは分からない。それでもその選択をしたのだという事実が、杏子の中では誇りだったから。

 

「杏子……あんたはそんなに強いから、だからそんなことが言えるんだよ。あたしはもう魔法少女じゃない。戦う力なんてないんだ。だから、もう立ち向かえないよ。後悔なんてしたくないよ。でも……でも、もう無理なんだよ」

それでも、さやかの心は変わらない。たとえどれほど強力な機体を得ても、最早今のさやかではそれを満足に操れない。恐怖に駆られ、バイドとまともに戦うこともできはしないのだから。

まどかを助けることすら、できなかったのだから。

「無理なもんかよ。なあ、さやか。あたしらはずっと一緒に戦ってきたじゃないか。だから分かるんだよ。あんたはきっと戦える、戦うことができるんだ。ただ、むやみやたらに怖がって力が出せないだけでさ。だからさ、もう一度立ち向かってくれよ。……あたしはもう一度、あんたと一緒に戦いたいんだよ、なあ、さやか。頼むよ」

いつしか、杏子の声も震えていた。それはまさしく懇願するような、縋るような声で。

「後は勇気だけだ!あんたの勇気だけが頼りなんだ。あんたが勇気を出してもう一度戦ってくれるなら。あたしはあんたの側にいてやれる。一緒に戦えるんだ」

「え……一緒に、って。どういうことよ、杏子?」

その言葉が気がかりで、さやかは杏子に尋ねた。今こうして言葉を交わすことはできても、杏子の姿はどこにもない。

これでは一緒に戦うどころではないだろうと、そう思っていたのだが。

 

「あたしはまどかの願いで、今あんたの側にいるんだ。でもそれだけじゃ足りないんだよ。さやかと一緒に戦うためには、まだあたしには力が足りない。こっちに帰ってくるのが精一杯だった。だから、あんたがもう一度戦うって決めてくれたら、願ってくれたら、あたしは戻ってこられるんだ」

「ちょ、ちょちょちょっと待ってよ!いきなりそんなこと言われてもわけわかんないっての。もっと分かるように説明しなさいよ、あんたは時々そうやって勝手に突っ走るんだからさ」

言葉はどうにも交錯し、状況はさっぱり好転しない。杏子のさほど大きくない堪忍袋は、すっかりはちきれそうになっていた。というか、弾けた。

「うるさいうるさいっ!あんたはただ戦うって決めて、あたしに戻って来いって願えばいいんだよ。そうすりゃ何の面倒もなくあたしは戻れる。一緒に戦えるんだっての。そのくらい分かれよ、バカさやかっ!」

「なっ!?ば、バカとは何よっ!元はといえばあんたが全然説明しないのが悪いんでしょうが。願って欲しかったら、もっとしっかりばっちり懇切丁寧に説明して、お願いしなさいっての。アホ杏子っ!」

なにやら、いつしか随分と露骨な感情のぶつけ合いになってしまっている。どちらの声にも、随分と怒気が満ちている。

けれどそんな怒気に満ちたさやかの声は、今までになく生き生きとした声だった。

 

「うるせーっての、どうせどんだけ説明したってわかりゃしないんだ。だったら、さっさとやっちまえばいいんだよ。そうすりゃ全部上手く行くんだっての。あーもうっ!いい加減に面倒になってきたぞ、もうお前のことなんざ知るかっ!バァァァーカっ!!」

より一層の怒気を込めて、杏子が言葉を叩きつけた。その言葉が、ますますさやかの怒りを煽る。思わずぎりぎりと歯軋りしてしまうほど、その怒りは強く激しく燃え上がる。

そんな感情の動きは、まさしくさやかが生きていることの証明で。どこまでも深く死に惹かれていたさやかの魂は今、怒りの炎で赤々と染め上げられていた。

 

「ムっ……カァァァーッ!そこまで言うか!バカにしてくれちゃってさ。いいよ、そこまで言うなら見てなさいっての。戦ってやるわよ!ここまでバカにされて、引き下がれるもんですか。上等じゃない、願ってやろうじゃない。戦うわよ!どう、どうなのよっ!なんとか言いなさいってのーっ!!」

半ばヤケクソ気味にだが、さやかの心に闘志が宿る。そして戦う願いも共に。それはすぐさま、この宇宙に遍在するその意志の知るところとなって。

まどかは、すぐさまさやかの願いに力を与えたのだった。さやかの機体に光が宿る。けれどその光は、すぐさまカーテンコールから離れてしまい、そして。

「悪いけどさ、この力はあたしがもらうよ。見ればさやかの機体は全然消耗してないじゃん。なのに、こんな力は勿体無いよ。うん、決まり。これはあたしのもんだっ!」

その光が真紅に染まり、一際強く輝いて。そして弾ける。激しい光の奔流が、一瞬さやかの視界を焼いた。眩しさが過ぎ去り、再び静寂を取り戻したその宇宙には。

 

真紅の影を操る女王、真紅に染め上げられた懐かしい姿。かつて杏子が乗機とし、思うが侭に威力を振るったその機体。

R-9AD3――キングス・マインドが、記憶の中の姿と寸分違わぬ姿形でそこに存在していた。

 

「……これで、一緒に戦えるな。さやか」

そのキャノピーの中で、不敵に笑って杏子は言った。確かにまどかの願いは、死者の国より杏子の魂を呼び戻した。

けれど、それが限界だったのだ。

呼び戻された魂に、更なる戦う器を与えるためには、もう一人分の願いと力が必要だった。そして今、怒りに震えるさやかの願いが生んだ力を奪い、杏子は現世に実体を持って再臨したのだった。

 

「な……ちょ、っと。これ、どーゆーこと?」

目の前で起こった、あまりにも衝撃的な光景。理解がどうにも追いつかず、吹き荒れていた怒りまでもが驚愕に追いやられてしまう。

「理解なんざしなくてもいい。今大事なことは一つだけだ。あたしらは、もう一度一緒に戦える。さやかが戦うのが怖いってなら、あたしも一緒に戦ってやる。だから一緒に行こうぜ。な、さやか?」

キングス・マインドがカーテンコールへ機首を向け、そして問う。もう一度戦うその意志を。恐怖を乗り越え希望を掴むために、その手を伸ばす勇気を。

呆気にとられていたさやかも、だんだんと何が起こったのかを理解した。自然とその口元には、何かを堪えるような笑みが浮かんでいて。

「まったくもう、どうしてこう、あんたはそうなのかな……死んだはずなのに、帰ってきちゃってさぁ。どうしてそんなに頑張るのさ。……まったく、もう。そんなんじゃ、あたしだって頑張らないわけには行かないじゃない。……杏子の、ばか」

声は震えて、けれどそれは恐怖ではなくて。嬉しくて、どうしようもないほどに嬉しくて。

こみ上げる涙と一緒に、さやかはどうにかそれを口にして。

 

「じゃあ、行こうぜ。さやか」

「行くって、どこに行くのさ。バイドを倒すにしても、どこにいるかなんてわからないじゃない?」

不思議なほど、さやかの心を埋め尽くしていた恐怖はどこかへと消え去っていた。

不思議なほど、さやかの心は落ち着いていた。

とはいえ今こうして落ち着いて、力と自信を取り戻して、さて何をするのか。

「バイドを倒すのも重要だけどな、あたしらにはもっと大事なことがあるんだ。まどかの所に行くぜ」

「まどかの、って。でも……まどかはもう」

そう、あの時絶望と共に強烈に叩きつけられたまどかの死のイメージ。それは未だにさやかの中で拭い去れていない。思い出すと挫けてしまいそうになる。

 

「確かに、まどかは死んじまった。でもあいつは諦めてない。まだ何かをやろうとしてる。だったら、あたしらはそれを助けに行かなくちゃいけないだろ?」

そんなさやかに杏子はそう言うと、機首をアークへと向ける。まどかの願いを聞き届け、その力受け入れた杏子は今のまどかの状態を理解していたのだ。

「……わかんないけど、まどかが何かしようとしてるなら助けに行くよ。こんどこそ、あたしがまどかを助けて見せるんだ。……でも、何したらいいわけ?」

「さあな、行ってから考えようぜ、そんなのはさ」

あっけらかんと杏子は答える。久方ぶりの現世でさえも、その性格まるで変わらないらしい。

「ま……った行き当たりばったりな。でも、あたしもそう言うのは嫌いじゃないよ。まず動いて、後のことはその時に考えればいいんだ。……よし、行こう杏子っ!」

「……へっ、やっと調子が出てきたじゃねぇか、さやか。じゃあ、いっくぜーっ!!」

そして二機は寄り添って飛ぶ。

 

宇宙に渦巻く希望と絶望、その趨勢がぐらりと傾き始めた。

絶望を屠り、しぶとくしたたかな希望が、ぐいぐいとその芽を出し始めていた。



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第19話 ―終わる、一つの物語―③

戦いの趨勢は絶え間なく揺れ動く。絶望は尚も押し迫り、天秤は傾き続けている。
それに抗う者達は、始まりの英雄。そして、壊れた心を紡いだ少女達。

最後の希望を、最後の奇跡を取り戻すため、少女達は死の星へと挑む。


彼女は一人の女性だった。そして、一人の戦士でもあった。彼女は、非凡な才を持つ戦士だった。それゆえに、世界は彼女に英雄となることを望んだ。

そして彼女はそれを受け入れ、英雄となり、少女となった。

戦い、戦い、そして尚戦い。孤独な戦いの果てに、彼女は勝利し、帰還した。けれど、激しい戦いの後遺症は確実に彼女の身体を、そして精神を蝕んでいた。かくして彼女は人知れず封印されることとなり、今この時も生かされ続けている。

人類を救った英雄に対して、それはあんまりな仕打ちと言えた。けれど誰がそれを知りえただろう。知ったとして、誰がそれを糾弾できただろう。最早そこに眠る英雄は、自ら声を上げることすらできなかったのだから。

 

もし再び、彼女が自らの意志を取り戻したとして、彼女は何を願うのだろう。押し付けられた運命を呪うか、自らに降りかかる死を恨むか。

それとも……。

 

 

それは、一筋の流れ星。流星は闇を切り裂いて飛ぶ。もっと疾く、もっと輝けと、願いを込めて駆け抜ける。

 

それに最初に気付いたのは、迫り来るバイド群を迎撃していた、地球連合軍の一部隊であった。

火星の衛星の一つから、激しい光を放つ物体がこちらへ接近していた。バイドによる攻撃かと身構え、迎撃準備を始めた彼らを尻目に、その光は彼らを通り越し、迫り来るバイドの群れの中へと突っ込んでいった。

て直後、湧き上がる無数の爆炎。ほんの僅かな交錯で、正面から迫り来るバイドの約半数が破壊され、消滅した。

 

「なんだったんだ、今のは……また得体の知れない新兵器か」

迎え撃とうとした敵の大半を撃破され、その部隊の指揮官は驚愕交じりの声を上げた。なんにせよ、この徹底的に悪い形勢を少しでも覆しうるのならそれはありがたい。暴れる分には、精一杯暴れて貰うことにしようかと、そんな風にも考えていた矢先。

目の前に移る敵を全て屠り、ようやく一つ落ち着いたその光、今はR戦闘機の姿をしたものからの通信が入ってきたのだった。

 

「誰かは知らんが絶好調だな、その調子で、さっさとバイドどもを蹴散らしたいもんだ」

通信を入れてくるということは、恐らく味方であることに間違いはない。所属はどうにも不明だが、今はそれよりもっと案ずることがある。

そう考えてその男は、通信を繋ぎ軽快にそう言った。

 

「そんな軽口を叩ける程度には余裕があるのね。でも、まさかここまでバイドに侵攻されているなんて。私が眠っている間に、一体何があったのだか。まあいいわ、私がやるべきことはいつだって変わりはしない」

そんな男の言葉に、少女のような声が答えた。けれどその返答はどこか上の空で、やがて何かに納得したかのように頷いて。

 

「何を言ってるんだ、お前?バイドは太陽系中にとっくに侵攻してるぜ。おまけに眠ってたって、実験台にでもされてぷかぷか水槽にでも浮かんでたのか?」

冗談交じりの笑い声。だから少女もそれに笑って答えた。

「まさしくその通り、随分と長いこと妙な液体に漬けられてたわ。でも、もうその必要は無い。誰かは知らないけれど、随分と味な真似をしてくれたものよ」

ぎらりと好戦的に歯を剥いて、その少女は笑う。

「おいおい……いくら何でも笑えねぇ冗談だな。一体何なんだよ、あんたは」

その勢いに僅かに気圧されたかのように、男の顔から笑みが消えた。それでも尚も、少女の気勢は止まず失せずに。

 

 

「別に、単なるバイドと戦う戦士のつもりだけど。かつての英雄だとか、そういうことは全くないんだから」

「は?」

返答に窮し、男の言葉が一瞬止まる。

「なんでもないわ。正面のバイドはあらかた蹴散らしたから、後は貴方達で十分やれるでしょう。私はこのまま他所へ行くわ。どうやらまだ他にもバイドはわんさかいるようだから」

「あー……まあ、わかった。一応協力は感謝しとく。周囲の部隊の展開状況を送るから、それを見ながらよろしくやってくれ」

一つ小さな返事を返して、少女の機体は翻る。そして、そのまま青い光と共に消えていく。

その機体はR-9Ø――ラグナロック。

そしてそれを駆る少女は。再び戦う力を求め、その願いに力を与えられ、今蘇ったその少女の名は。

 

“スゥ=スラスター”

 

かつての英雄が、それと変わらぬ力を宿して蘇った。そして、再び彼女は戦いの宙に舞う。

かつてのそれと変わらぬ力を宿し、遍くバイドを打ち砕くために。

けれど彼女は、今の自分は英雄ではないこともまた分かっていた。身体、精神共に生と死の狭間に揺らぎ、意識さえも薄れていたあの日々。

それでも断片的な記憶は残っていた。そして知っていた。自分という存在から生み出され、そして英雄となってしまった少女達のことを。

自らの同胞たる、8号と13号、暁美ほむらとスゥのことを。

 

「私は、貴女達に謝らなくちゃいけないから。英雄っていう役目を押し付けてしまった。そしてその為に生み出されてしまった貴女達に。……だから、必ず帰ってきなさいよ」

願いを、祈りをその身に篭めて、彼女はついに目前に迫ったバイドに立ち向かう。孤独を恐れはしない。戦う事も、死ぬことも恐れはしない。

恐ろしいのはただ、自分が敗れたことで守れなくなること。

確かにその英雄たる資格と精神を持って、スゥ=スラスターは再びバイドとの戦いにその身を投じていった。

 

時間を、距離を、ありとあらゆる隔たりを越えて、まどかの願いは全ての人類へと伝えられた。その願いが、それに呼応して与えられた力が。多くの人々に伝播していく。

そして人々は再び立ち上がる。今度こそ未来を手にするために。バイドの脅威を打ち払うために。人々が心に抱くその強い感情は、間違いなく希望と、そう呼べるものだった。

そうして自らの身を投げ打って、全ての人々に希望の種をばら撒いて。

 

まどかの魂は、再び収束した。

 

アーク内部、力なく項垂れ、一切の生命活動を停止したまどかの身体の上に、全太陽系から収束したまどかの魂を宿したソウルジェムが生じて、そして重力に引かれて落ちた。まどかの身体にぶつかって、そのまま小さく跳ねて、赤い血で濡れた床へと転がった。

小さな水音と、金属音を残して。

 

「……本当に、キミの行動は随分と予想外だったよ」

その一部始終を見届けて、キュゥべえはゆっくりとその血の池の中へと足を踏み入れた。純白の身体が、地を染める赤に触れて同じく赤く染まる。その足先が、跳ね返った飛沫が触れた場所が。

「でも、もうこれまでだね、鹿目まどか。確かにキミは願いを叶え、その魂はソウルジェムになった。確かによくやったよ、キミの願いは人類に再び戦う力を与えた。この分なら、もう少し人類は頑張ってくれるだろう。それでも、この宇宙と人類が滅ぶことに変わりはない。そしてもう、キミには何もすることはできない」

まどかのソウルジェムを咥えて、キュゥべえは血の池から抜け出した。感情を得た今の彼には、自分の身体が血で汚れるということは嫌なことだったから。

 

「バイドはもう既に太陽系内で増殖を開始している。たとえどれだけ人類が抵抗したところで、再びそれを根絶することなんて、できるわけないじゃないか。キミがやったことは無駄に終わるんだ。どの道遠からず人類は滅ぶ。ボクはそれまで待つことにするよ。宇宙再生計画は、まだ潰えていないからね」

果たしてその声は、今のまどかに届いているのかいないのか。そんなことはどうでもいいのだろうか、キュゥべえは言葉を続けた。恐らく、答えなど最初から求めてはいないのだろう。

 

――まだ、終わりじゃないんだよ。

だから、その言葉はキュゥべえを驚愕させた。

 

「鹿目まどか!?どうしてまだ話ができるんだい。キミの魂は、完全にソウルジェムへと変わったはずだ。ソウルジェム単体で他者に干渉するなんて。そんなことができるはずがない。それができるとすれば……キミの魂は」

驚愕。そして同時に、キュゥべえの中に一つの可能性が浮かび上がってきた。

「キミの魂は、キミの精神は、通常ではありえないほどの速度で進化をしている。その進化は、通常では起こりえないことだ。例えキミに類稀なる能力があったとしてもそれが、これだけ急激な進化をするということは、普通には起こりえないんだよ」

何故今までその可能性に思い至らなかったのだろうか。それをもっと早く思い至っていれば、やりようはあったのではないだろうか。

そんな後悔も含みながら、キュゥべえの言葉は止まらない。

 

「そんなありえないことを実現させる方法は、ボクの知る限り一つだけだ。きっとそれは、魔法少女の持つ魔法が、もしくはその願いが関わっているはずだ。……いや、過ぎた話をしても仕方ないだろうね」

キュゥべえは、床に置いたまどかのソウルジェムに触れる。これ以上話を続ける必要はないと、そう判断した。

「例えキミに意志を伝える手段があるとしても、現実に何かを行使する術はない。鹿目まどか、キミにはここで死んでもらうよ。キミの存在はもう、ボクにとっては邪魔なだけだからね」

もっと非道に徹するべきだったのだ。芽生えたばかりの感情に振り回されて、適切な行動を選ぶことができなくなっていた。今度こそその感情を支配して、その上で正しい行動を取ってみせる。

感情という、行動にまで影響してくる強大な力。それに対抗しうるものは、確かにキュゥべえの中にも存在していたのだ。

 

「バイドの存在は、ボクに感情だけでなく思わぬものを与えてくれたよ。悪意さ。敵対するものをなんとしても打ち滅ぼそうとする、絶対的な悪意だ。……もっとも、その悪意を教えてくれたのは、キミ達人類でもあるのだけどね」

 

――私達、人類が?

 

「そうだよ。バイドが持ち、そして人類がバイドに対して持った悪意。それはボクに全てを教えてくれたよ。感情を、更なる悪意を持って押し殺す。そうすることで、ボクはキミ達を理解し、そしてより効率的に目的を果たすことができるんだ」

まどかのソウルジェムにかけられたキュゥべえの足に力が篭められた。ソウルジェムが、みし、と小さく軋んだ。

 

――く……っ、キュゥべえ。

魂だけとなっても、それでも自らの身を砕かれる苦痛はやはりあるのだろう。

苦悶の声は、隠しようもなく漏れて出た。

「終わりだよ、まどか。キミはここで死ぬ。そして人類も滅ぶ。その屍の上に、ボクは新たな宇宙を作ってみせる。キミがそれを見ることは、ない」

 

――まだだよ、まだ……終わってなんかいない。

 

「何度も言わせないで欲しいな。終わりなんだよ、キミも、人類もっ!!」

更に、その足に力が篭った。

このまま踏み砕けば、手に取れる形となったまどかの魂は確実に消失する。

 

――終わらない。終わらせない……絶対に、絶対にっ!!

 

「ああ、そうさ。まだ終わりなんかじゃないぜっ!」

その声は、外部から届いた声だった。それと同時に、アークを衝撃が揺さぶった。それに投げ出され、キュゥべえの身体が宙に浮く。まどかのソウルジェムもまた同じく、澄んだ音を立てて転がっていく。

空中で体勢を整え着地したキュゥべえは、その声に向けて言葉を返す。

 

「その声は……まさか、佐倉杏子っ!?キミは死んだはずだっ!」

「ああ死んださ。でもな、てめぇがこんなわけのわからねえ企み事」をやってるって聞いて。あの世の果てから戻ってきたんだぜ。くだらねぇ企みをぶっ壊して、お前をぶっ飛ばしてやるためにな!」

見れば、アーク表面には巨大な穴が開いていた。

杏子のキングス・マインドによる、デコイ波動砲の一斉発射がアークを深々と貫き揺るがしていた。先ほどの衝撃は、それが原因だった。

 

「キミまでボクの邪魔をするのかっ!佐倉杏子っ!!でも、邪魔はさせない。アークには何重もの防衛機構が備わっているんだ。R戦闘機一機で、キミ一人で一体何ができるって言うんだ!」

キュゥべえの叫びに対して、杏子の声はどこまでも余裕ぶった声で。

「できるさ。あんたの相手くらい、あたし一人で十分だよ。悔しいかい?悔しいだろ、だったらかかってきなよ。ほら、防衛機構が山ほどあるんだろう?」

そして、どこまでも煽る。非常に煽る。生まれたばかりの感情。それを悪意を持って制するというキュゥべえの方法は間違ってはいないのだろう。

けれど感情の向く方向が、その悪意を存分に振るえる方向に向いた場合。その感情を制することは、今のキュゥべえには酷く困難なことだった。

 

「そこまでいうなら、相手をしてあげようじゃないか。人類の希望たるこのアークでキミ達の、ひいては人類の希望の全てを打ち砕いてあげようじゃないかっ!」

そして、アークの各部に光が宿る。アークはただの箱舟ではない。人類にとっての最後の希望にして、それを守る要塞でもある。故に自らを守るための力も、アークには搭載されていた。

アーク全身に搭載された迎撃装置が起動する、無数のレーザー、ミサイル砲台が起動する。更には無人兵器の群れが、杏子へと向けて殺到していた。

 

「……やれやれ、これはちょっと面倒だね。まあ、時間は稼いでやるさ。だから、後は任せたぜ……さやか」

そんな圧倒的な戦力差を前にしても、杏子はにやりと不敵に笑う。キュゥべえの注意を自分に向けさせるため。まどかを救出するために、単身アークに乗り込んださやかを助けるために。

杏子は一人、アークに立ち向かう。

 

「さーてと、無事に侵入は成功したわけだけど。あんまりぐずぐずもしてられないんだよね」

アーク内部。杏子の陽動に合わせて密かに侵入を果たしたさやかは、きょろきょろと辺りを見渡しながら呟いた。

内部の構造を把握しなければならないし、その上でまどかを救出しなければならない。キュゥべえが何を企んでいるのか、それはさやかの知り及ぶところではなかった。それでもまどかをこのままにはしておけない。さやかはそう考えていた。

 

「とにかく、まどかのいる場所さえ分かればいいんだ。そうすれば後は、最短距離を抜けられる」

それでもどれだけ時間がかかるか怪しいものだ。何せアークは直径にして30km以上を誇る巨大な人口天体である。普通に歩き回っていては、目指す場所にたどり着く前に全てが終わってしまう。

兎にも角にもアーク内部の構造を把握することが、さやかにとっての急務だった。

 

「始まった……杏子、あたしが行くまで持たせなさいよ」

爆発の衝撃が、アークをかすかに揺るがした。恐らく外では激しい戦いが始まっているのだろう。これほどの巨体に無数の兵器を搭載したアーク。立ち向かうはたった一機のR戦闘機。

杏子の力を疑うわけではないが、あまりにも状況は不利。

ただ一つだけ幸運だったのは、キュゥべえは杏子の迎撃に持てるすべての力を使っているのだろう。こうして侵入を果たしたさやかに対して、未だ持って何の干渉や妨害もなされていない。

楽観視できる状況ではないが、おっかなびっくりに進む必要もない。

 

「とにかく急いでソッコーまどかを助けて脱出。後は野となれ山となれ、だ」

一つ、力強く頷いて。そしてさやかはアーク内部に延々と続く通路を駆け出した。

 

「へっ!どうした下手くそっ!あたしは……ここだぜっ!!」

次々に降り注ぐミサイルを、加速や減速、そして急旋回を駆使してすり抜けていく。その性能を十分に、それ以上に発揮したR戦闘機に対して、ミサイルは何ら脅威たり得ない。どれほど誘導性が高かろうと、R戦闘機の機動性や旋回性能を超えることなどできないのだ。

そうしてミサイルの雨をすり抜けた杏子に、更なる攻撃が迫る。それは無数のレーザー砲台から放たれる破壊の光。宇宙を閃光に染めて、触れる全てを破壊する光の大波が打ち寄せる。

だが、それさえも今の杏子を止めるには至らない。

 

「R戦闘機を、あたしを……なめるんじゃ、ねぇぇっ!!」

キングス・マインドは、その大波に真正面から立ち向かう。そう、アークには無数の兵器が搭載されている。それを十分に支えることのできる高出力の波動機関も備えられている。

けれど、それとて万能ではない。数を増やせば個々の力が衰えるのは道理。故にアークに搭載された一つ一つのレーザー砲台の出力は、戦艦の主砲などには遠く及ばない。よくてR戦闘機がフォースを介して放つレーザーと同程度。無論それは非力とは言えない。

けれど、R戦闘機が携える盾を食い破るには、やはり非力と言わざるを得なかった。

 

押し寄せる破壊の光を、先端に携えたフォースで切り裂く。そうして作った僅かな隙間に、キングス・マインドは躊躇なく飛び込んでいった。

そして破壊の光が過ぎ去った後、残されていたのは無傷のキングス・マインドが一機。

「これなら、ロスやアーサーの方がよっぽど手ごわかったぜ?どうしたよ、キュゥべえ?あんたのいう力ってのはその程度かい?」

不敵に笑い、挑発するかのように杏子は言い放つ。

 

「ボクを侮るな。佐倉杏子。キミがそこまで頑張るの予想外だけどね、それでもボクは負けない。現に、キミは攻撃をよけるばかりで攻撃に転じる余裕すらないじゃないか。このままじっくりと押し潰してあげるよ。誰も、誰にもボクの邪魔はさせないさ!」

そんな言葉に煽られて、最早怒りという感情を抑えることができずに。キュゥべえは怒気を孕んだ口調でそう叫ぶ。

確かに杏子は防戦一方。不意打ちの初撃以外、一切アークに攻撃を仕掛けられていない。だが、それも杏子にとっては想定通りのことで。

 

(さやかが中にいるんだぜ、撃てるわけねーだろうがっての。……ま、ああ言うってことはまだ、さやかは気づかれてないみたいだな)

内心で思い、杏子は静かにほくそ笑む。その表情には余裕すら見て取れる。

そう、この程度では物足りないのだ。かつて彼女が戦った敵は、更に強大で邪悪。かつて彼女が乗り越えた戦いは、更に苛烈で悲しかったから。

生まれたばかりの感情に振り回されて、身の丈に合わないおもちゃを振り回すような、そんな無様な戦いをするキュゥべえに、遅れを取るはずがない。

取っていいはずがない。

 

「負けらんねぇ、な」

そう呟いて、何かに気付いたように小さく笑って。

「はは、そんなのいつものこと、か」

R戦闘機にその身を、魂を預けてしまった以上。それを背負って飛ぶ空は、それを携え挑む戦いは、決して敗北を許されないものばかり。

相手が人類の敵である以上、負けることなど許されない。そういう人生だったなと、ほんの僅かに自分の生涯を振り返り。

「……でも、悪くなかった。だからさ、これからもあたしは負けねぇ。何もかもぶっ壊そうとするバイド共にも、あたしらの世界を奪おうとするお前にも、負けない」

好戦的に、歯を剥いて。飛び切り獰猛な笑みを浮かべて、杏子は。

 

「負けてやらねぇっ!!」

更なる力を蓄えて、真紅の影を操る女王が駆け抜ける。

 

「っ、見つけた。生体反応だ。……でも、やけに弱い。まさか、まどか!?」

片手に握り締めた端末。アークへの接続や、周囲の状況を探るセンサーの役割を果たしていたその端末が、周囲に生体反応が存在していることを示していた。そして、それが酷く弱っているということも。

「場所は……こっちか。待ってて、まどかっ!」

位置情報を取得して、すぐさまさやかは駆け出した。幸いなことに、その場所はそう遠くはないようだ。

痛いほどの静寂と、時折その静寂の中に響く振動。それだけが支配するアークの内部。その中を足音を響かせて駆けていくさやか。

走って走って、走って。息が切れそうになった頃。ようやくさやかは、その部屋にたどり着くことができた。

 

「っ……は、ふぅ。……っせい!まどか、いるのっ!!」

息切れしながら扉を開くと、そこは一面の暗闇だった。その部屋は余りにも大きく、暗闇に満ちていたがため、その全貌を窺い知ることすらもできなかった。

「……はぁ、っ。なんなの、この部屋」

必死に走っていたからか、ずきずきと肺が酸素を求めて痛んでいた。壁にもたれかかるようにして、さやかは外から漏れる明かりを頼りに部屋の中を見渡した。

やはり闇は深く、その全貌は捉えきれない。けれど目が闇に慣れてくると、見えてくるものがあった。それは無数の装置。およそ人が一人入れそうなほどの大きさの装置だった。

そしてそれは、さやかにとってはどこか見覚えのあるものだった。

 

「これは……まさか。コールドスリープ装置?」

そう、その装置はかつてさやか達が機体に搭乗する際に、その身体を保存していたもの。ラウンドキャノピーを模した、コールドスリープ装置。それとよく似た構造をしていたのだった。

「なんで、こんなものがこんなところに……それも、沢山」

アーク。その本来の目的は、存亡の急に瀕した人類が太陽系から脱出し、種の保存を行うための箱舟。だが、民衆や他勢力からの反発を恐れ。その存在は徹底的に秘匿されていた。それゆえに、さやかでさえも未だもってアークの本当の役目を知らずにいたのだ。

ただ、その役目は果たされることはない。アークは皮肉なことに、インキュベーターという種を復活させるための苗床として利用されていたのである。そこに眠る10万という膨大な数の人命と、鹿目まどかの命と共に。

 

「何だろう……この部屋、凄く嫌な感じがする。……でも、生体反応はここから、出てるんだよね」

怖気のような感覚を覚えて、さやかはぎゅっとパイロットスーツの胸元を押さえた。確認しなければならない。分かっているのだが、足が動いてくれない。

この感覚を、さやかは知っていた。それは恐怖。死の恐怖。けれどそれは、自分が死ぬという恐怖ではない。そしてさやかは、その恐怖をどうにか克服することができていた。

だから、さやかは足を踏み入れた。その部屋の中へと。壁に埋め込まれるようにして設置されたコンソール。まずはそれを見つけて触ってみると、部屋の照明を作動させることができるようだった。

一体、この部屋には何があるのだろう。これほどの数のコールドスリープ装置の中に、一体何が眠っているのだろうか。ごく、と喉を鳴らして。それでもさやかは意を決して部屋の照明を作動させた。

 

中に詰まっていたものが、例えばおぞましい蟲の群れだったのなら、まだ悲鳴の一つも上げるくらいで済んだのだろう。

いっそそこに詰まっていたものが、禍々しくも毒々しいバイドの肉塊であったのなら、さやかは何も考えずに、即座にその部屋を脱出していたことだろう。

だが、そうではなかった。そうではなかったのだ。

「……ぁ。っ、ひ、ひぃっ!?」

そこに横たわっていたのは、人。人。人。コールドスリープ装置は、既にその機能を失っていた。けれどそこにいるのは眠っている人ばかり。

否、それは眠っているのではない。もし眠っているのだとしたら、何故。――何故。

 

「ゃ……嫌……ぁ、ぁぁぁっ」

何故、彼らは皆一様に苦悶の表情を浮かべているのだろうか。

まるでこの世のありとあらゆる苦痛を体感させられたかのように、歪みきった人々の顔、顔、顔。そんなものが、見渡す限りに広がったコールドスリープ装置の中に、一面に広がっていたのである。

 

それは最早狂気の沙汰。

少女から正気を奪うには、十分すぎるほどのイカれた光景だった。

 

「イヤァァァぁぁぁッ!!!」

まどかの能力を増幅させるハードとして利用されていた、アークに眠る10万の人類。彼らはキュゥべえにより強制的にコールドスリープから目覚めさせられていた。生きながらにして装置に接続され、限界を超えて脳を酷使される感触。

それは最早、死に至るほどの痛苦。そして彼らに追い討ちをかけたのは、まどかの死と共に放たれた絶望の精神波だった。

 

遥か彼方の全人類を深い絶望に陥れるほどの絶望である。その爆心地たるアーク、その直下にいた彼らが感じたのは、どれほどの絶望だっただろうか。人の精神の枠を超えてぶつけられたその絶望の波は、彼らの精神を容易く破壊した。

精神の破綻。自我の崩壊。それに伴う苦痛。更に無理やり彼らの脳を用いてその絶望は増幅され、太陽系へと放たれていた。その負荷は余りにも大きく、アークに眠る10万の人類の遍くその脳髄を焼き切り、死へと追いやっていたのだ。

それが果たしてどれほどの痛苦だったのだろう。それは最早筆舌に尽くしがたく、ただ死せる彼らの相貌をもってのみ表現されていた。

 

そんな無数の死が、その痛苦を示した無数の顔が、さやかの眼前にどこまでも広がっていたのだった。

 

「ぅ……ぅぐ、っ!えほ、げほ……ぅ、ぐ」

正気をごりごりと削られるようなその光景から、ありったけの気力でもってさやかは目を背けた。そうするとすぐさま襲ってきたのは、激しい悪寒と吐き気。

思わず床に蹲り、さやかは激しく咳き込んだ。頭の片隅に、宇宙に上がって以降ほとんど食事を摂っていないことを思い出し、さやかはほんの僅かに安堵した。

 

「誰か……そこにいるのか」

それは、非常に弱弱しい声だった。正気と狂気がせめぎ合うさやかの精神は、それが今尚脳裏にがんがんと響く幻聴との区別がつかなかった。

その幻聴は、無数の断末魔の声で。蹲るさやかの精神を更に追い詰めていた。

「……いるなら、答えてくれ。頼む」

その声は、男の声だった。もう一度、力を振り絞って出したその声はやはりか細く掠れたもので。それでも二度目に放たれた声は、さやかの耳に確かな現実として響いた。

 

「誰?誰か……生きてるの?誰かっ!」

その声に、そして生存者がいるという事実に、さやかは自分のやるべきことを思い出していた。そう、今自分がやらなければならないことは、まどかを助けることなのだ。

まどかは確かに死んでしまったのかもしれない、けれどその精神はまだ生きている。だから、その精神を助け出す。キュゥべえの手から取り戻す。それだけを、ただその思いだけを心の中に満たし、さやかはどうにか立ち上がることができた。

「ここだ、私は……ここにいる。頼む、どうか……ここに、来てくれ」

今にも途絶えてしまいそうな声。それでも今は唯一の手がかりだから、さやかは必死にその声の元を探った。コールドスリープ装置の中には、あらゆる地獄を体感したかのような苦悶を張り付かせた顔と顔。

それを見ないように、心のどこかを凍りつかせて自我を保って、さやかは声の出所にたどり着くことができた。

 

そこには、内側からこじ開けられたコールドスリープ装置が。そして、そこから半分ほど身を投げ出して、そのまま力無く倒れている軍服姿の男の姿があった。

 

「ちょっと、大丈夫!?まだ生きてるんでしょうね!」

ぱっと見では死んでいるようにしか見えない。さやかは慌てて駆け寄り、男の身体を支えた。やはり重かった。

「子供が……なんで、こんなところに。いや、だがこうなってしまえば……止むを得まい」

男はやっとのことで視線を巡らせ、さやかを視界に捉えた。その目は真っ赤に血走り。表情は憔悴しきっていた。

「私は、アーク直属防衛部隊長、アーヴァン=クトラップ大佐だ。頼む。名も知らぬ少女よ……私の頼みを、聞いてくれ」

「……へ?え、アーヴァンク、とらっぷ?」

「何度も言わせるな。アーヴァン=クトラップだ。……二度と間違えるな」

酷く辛そうに、それでも突っ込まずにはいられないといった風に男は念を押した。見るからに痛々しいその姿に、これ以上とぼけるつもりにもなれずに、さやかは。

 

「わかったよ。クトラップ大佐。……でも、あたしも今急いでるんだ。頼みごとが聞けるかどうかは分からないよ。早く、まどかの所に行かないと」

静かに首を振り、さやかはそう答えた。

「まどか?……それは、カナメマドカのことか?」

キュゥべえとまどかの会話。それをアークに眠る人々は強制的に聞かされていた。鹿目まどかという名前にも、聞き覚えがあるのは当然のことだった。

「まどかのこと、知ってるの!?あたしはまどかの所に行きたいんだ、まどかを助けたい。クトラップ大佐。もし場所を知ってるなら教えてよ、まどかが危ないんだ!」

たちまちさやかは食いつき、そのまま詰め寄った。

 

「そうか……君は、カナメマドカを助けにきたのか。だが……彼女は、もう」

「知ってるよ。まどかは死んじゃったってこと。でもあたしはまどかの所に行かなくちゃいけないんだ!だから……お願いだよ、急がないといけないんだ!」

必死に食い下がるさやか。そんなさやかに、クトラップ大佐は静かに笑って言葉を告げた。

「それならば好都合だ。私の頼みも同じだからな。……奴は、カナメマドカと共に司令室にいる。そう、だな。……その端末に、場所を記録させておこう。少女よ、頼む……奴のところへ行ってくれ。そして、奴を………止めて、くれ」

言葉を告げる気力さえ尽き果て、それでも男は必死にその指先を動かして。アーク内部の構造と、目指すべき司令室の場所をさやかの持つ端末にインプットさせた。

為すべき事を為し終え、その手から、身体から力が失われていく。

 

「クトラップ大佐!?……ちょっと、大丈夫なの?」

「私は………もう、ダメだ。頼む、少女よ…………奴を、止め……」

そして、ついに声は途絶えてしまった。もう、どれだけ声をかけようと、どれだけ揺さぶろうと。彼が再び動き出すことは、無い。

 

「……一体、何をやったってのさ、キュゥべえ」

端末を握り締め、込み上げる感情を必死に堪えてさやかは呟いた。まださやか自身、心のどこかでキュゥべえを信じたがっているのだ。ずっと一緒に戦ってきた、仲間だと思っていた。

だというのに、そのキュゥべえの行動が、これだけの人を無惨に死に至らしめている。信じられなくとも、もはや疑うべくも無い。

「待ってなさいよ。今すぐ、駆けつけてやるんだからさ」

ぎゅっと唇を結んで、ぎり、と歯を食いしばり。さやかは、その地獄と化した部屋を飛び出していった。

 

「しかし、やっぱ……きついな、ったく」

キングス・マインドはその機体を反転させ、更に急加速させる。青い光と共に駆け巡る機体。慣性制御のシステムを飽和した衝撃が身体を揺さぶる。

その機動に対応しきれず、無数のミサイル群は次々にコースを逸れ、誘爆していく。それでもまだアークからの攻勢は一向に止まず、レーザーの雨が降り注ぐ。

僅かな隙間を見つけてやり過ごしたキングス・マインドの元へ、無数の無人兵器が迫っていた。圧倒的な物量。一瞬たりとも気を抜くことができない。

それでも尚も、キングス・マインドは孤独に宙を舞っていた。

さやかからの連絡は未だ無い。こちらから通信を取りたいとも思ったが、それでさやかの存在を気取られていては意味が無い。とにかく今は耐え続けるしかないのだと、杏子は再び覚悟を決めた。

 

「呆れるほどのしぶとさだね、佐倉杏子。このアークを相手に、攻撃に転じる余裕すらないというのに一体、いつまで粘り続けるつもりなんだい、キミは?」

絶対的な優位にあるという余裕と、けれど杏子が尚も屈しないことへの不快。それを同時に言葉の端に滲ませながら、キュゥべえが言う。

「さあな。でも、あたしは絶対に諦めねぇ。ここで諦めたら、何のために戻ってきたんだって話だしね」

不敵に笑い、杏子は答えた。その姿には恐怖も絶望もまるで見て取れない。

それが、キュゥべえにとっては不快でならなかった。疎ましくてならなかったのだ。

「何もできないんだよ。キミはここで無惨に潰されて死ぬんだ。何もできやしない、何もさせやしないっ!これ以上ボクの邪魔をするな、佐倉杏子っ!!」

最早、その言葉は人のそれと変わらない。自らに仇なすものを排除しようと、その力と悪意を振りかざす。

 

芽生えてしまった感情と悪意、それは彼の精神を歪めていく。

それは変貌。けれど見方を変えれば進化とも言えた。

 

「まだまだ、こんなもんじゃ……届かないっての!」

ぎりぎりで、それでもまだ幾分かは余裕のある様子で杏子はアークからの攻撃を回避する。自爆を恐れてか、キュゥべえはミサイルとレーザー、そして無人兵器をそれぞれ分けて運用している。

それだけに攻撃は単調となり、辛うじてそれが杏子に回避の余地を与えていた。

確かに効率的に考えれば、彼我の戦力差は圧倒的。余計な被害を生むような行為は避けたい。急がずとも遠からず勝利することはできるのだ。

そう自分を納得させようとしていたキュゥべえであったが。

「……いや、それじゃあ納得できないよね。癪なんだよ、いつまでも目の前を飛び回られているとさ」

増大していく悪意は、それを許しはしなかった。

 

降り注ぐレーザーの雨をすり抜けたキングス・マインド。しかしそのレーザーの雨の向こうから、その光に自らを焼かれながらも突撃を敢行する無人兵器。虚を突かれ、杏子の回避が一瞬遅れた。

「ち……いぃっ!」

回避しきれず、無人兵器から放たれたレールガンがキングス・マインドの胴体部に直撃する。その衝撃に、一瞬機体の動きが止まった。

それはアークを前にしては、まさしく致命的な隙だった。そしてその隙を見逃すほど、キュゥべえは甘くはなかった。

 

続けざまに放たれたレーザーが、キングス・マインドを焼き尽くしていく。一瞬の眩い閃光の後、キングス・マインドの存在していた場所で大きな爆発が巻き起こった。

 

「なかなか手こずらせてくれたが、これで終わりだ。佐倉杏子。結局無駄死にだったね。たかだかR戦闘機一機で、このアークに立ち向かうだなんて。まったく、正気を疑うよ」

吐き捨てるようにそう言って、キュゥべえは戦いの狂気から思考を引き戻した。

「待たせたね、鹿目まどか。これでようやくキミを処分できるよ。佐倉杏子は無駄死にだったね、折角キミの願いが呼び戻したというのに、またつまらない死に方をしたものだよ」

まどかは黙し、何も答えない。心が張り裂けそうな苦痛に、身を引き裂かれようとしているのか。それとも、じきに訪れるであろう死に恐怖し、声も出せないのだろうか。

 

「おいおい、勝手に人を殺してくれるなよ。あたしはもう死ぬのはこりごりなんだよっ!!」

そんなことは決してありえない。まどかはまだ、希望を捨ててはいない。そしてそれが潰えていないことも知っていた。

だからただ待っているのだ。口を閉ざし、静かに祈りながら。

そして飛び込んできた杏子の声。更にアークに走る衝撃。再び放たれた波動砲が、アークの砲台の密集地点を打ち抜いていた。

(って、思わず勢いで撃っちまったけど……さやかの奴、大丈夫だろうな)

けれども内心、僅かに焦っていたりもして。

 

「佐倉杏子。なぜ生きているんだい。まさか、これもまどかの願いの力だっていうのか」

「いいや、いくらなんでもそこまで万能じゃないさ。まどかの願いは、あたしに片道切符をくれただけだ」

「じゃあ、何故っ!」

声を荒げ、再び攻撃を開始したキュゥべえ。そんなキュゥべえを鼻で笑って、杏子は再び戦闘を開始した。

「お前は、あたしの機体が何かも忘れちまったのかよ。ほら、まだ終わっちゃいないぜっ!!」

そう、キングス・マインドはデコイ機能を搭載している。先の攻撃もそれを受ける直前に、デコイに攻撃を受けさせて本体は離脱していたのだった。

巻き起こった爆発も、デコイの爆破によるもので。咄嗟の機転があってこそのことで、そうそう何度も使える技でもない。それでも尚、杏子は抵抗を続ける。

さやかを信じ、まどかを信じ。悪意と絶望を振りまく死の箱舟に立ち向かっていった。

 

けれど、たとえどれほどの強い意志と力を持っていたとしてもそれでも、たった一人で立ち向かうには、余りにもアークは強大だった。

先に放った波動砲も、まるで意に介さぬかのようにアークは攻撃を再開していた。

「ったく。空元気もそろそろ限界……だぜ」

アークからの攻撃は更に激しさを増した。最早キュゥべえの悪意は留まることを知らず、ありとあらゆる方法を持って杏子の存在をこの世から抹消しようとしていたのだ。

 

そう、それは余りにも分の悪い戦いだった。単身での拠点攻略。英雄ならぬ杏子には、それは余りにも荷が重い戦いでもあったのだ。

そう、たった一人では。それは余りにも辛すぎた。

 

「随分と面白そうなことをしてるじゃないか。私も……混ぜて貰うよっ!」

舞い込んだ黒い閃光が、キングス・マインドに迫るミサイルを叩き落した。

 

「どうやら間に合ったようですね。……手を貸すわ。一緒に戦いましょう」

そして同じく白い閃光が、そのフォースが放つ光の刃が、無人兵器を切り裂いた。

 

「お前ら……あの時の。へっ、どういうことだか知らねぇが、ありがたいねっ!!」

その二筋の閃光は、ダンシング・エッジ。そしてヒュロス。まどかの願いによって再起した、呉キリカと三国織莉子の姿だった。

 

「今更二人増えたところで、一体何だって言うんだ。何も変わりはしないよ。まとめて押し潰してやる。圧倒的な力の差を思い知るといいっ!」

増援の登場に、更に苛立ちを募らせて。その心に更なる悪意を滾らせて。キュゥべえはアークを駆る。

立ち向かう三つの光はそれぞれに散らばり、攻撃を分散させる。集中砲火を受ければ回避は困難だが、的が三つに散ってくれれば問題は無い。

それでも回避が不可能に近いというレベルから、困難という表現ができるレベルに落ちただけで。それを為し続けていたのは、偏に彼女達の卓越した技量によるものだった。

 

「しかし、よくここが分かったな。それもこんなタイミングよくさ」

レーザーをすり抜け、その隙を縫って放たれる弾幕をフォースで受け止め。杏子は二人に呼びかけた。

「ああ、あの子の声はここから聞こえていたからね。助けに行かなきゃいけないと思ったんだ。あの子は私と織莉子を助けてくれた、命の恩人だからね」

駆け抜ける側からありとあらゆる敵を切り裂き、キリカがその言葉に答えた。確かにまどかの願いは、キリカと織莉子の二人さえも救っていたのだ。

完全に機能を失った二人の身体に戦うための力を。完全な孤独に陥った二人に、再び光を。それはまさしく救いだったのだ。

「あの子は私達を救ってくれた。だから私も、命を賭けてあの子を救うんだっ!!」

力を意志を、鋼の機体に漲らせ。キリカは再び駆け抜ける。誰かに依存してではなく、自らの意志でその力を振るう。

 

「鹿目まどかは、私達を救ってくれたわ。その恩に報いたいというのは本当よ。でもそれだけじゃないの。この戦いを終わらせるためには、彼女の力が必要なのよ。絶望が渦巻くこの宇宙で、それだけははっきりと見えたわ」

宇宙は既に混沌に沈んでいる。織莉子の予知をもってしても、正しくその行方を定めることは困難だった。けれどそんな暗雲を引き裂いて、確実な未来を指し示す一つの指標。

それこそが、鹿目まどかの存在だった。

「だから私は彼女を助けるわ。協力……してくれるかしら」

「当たり前だろ。今は猫の手でも借りたい時だ。……それに、まどかを助けたいのはあたしも同じだ。手を貸してくれ、頼む」

そして、三人はその力を合わせてアークに立ち向かう。かつて巨大戦艦に相対した時のように。そして今もまた、強大な敵を相手取って。

 

「任せたまえっ!それで、私達は何をしたらいいっ!」

勝機が見えてきた。杏子は僅かにその顔に笑みを浮かべた。

「さやかが中に侵入してる。あいつがまどかを助けて戻ってくるまで、あたしらはこのまま耐えていればいい」

一人では厳しい。けれど、三人でなら不可能ではない。後どれだけの時間が必要になるかもわからない。それでも、怯む気持ちは欠片もない。

「そういうことなら話は簡単ね。ひたすらよけ続けて、奴の注意をこちらに向けさせればいい」

「直接あいつをぶちのめせないのは残念だけど、仕方ないね」

「じゃあ頼むぜ。勝手にくたばるんじゃねぇぞっ!!」

そして、三つの光が散らばって。舞う。それはまさしく舞だった。光と爆発が彩る死の演舞。一瞬でも気を抜けば即座に死が待っている。けれどその状況が、彼女達の心を昂ぶらせる。

ひどく原始的な、闘争の愉悦。知れず、少女達はその顔に獰猛な笑みを湛え、更なる死地へと機体を駆り立てていく。

 

「よくも粘るものだ。……でも、何故なんだい」

アーク内部、司令室。そこで引き続き少女達への攻撃を続行しながら、キュゥべえは疑問を抱いていた。敵は数も増え、こちらの攻撃も万全とは言えなくなってきた。

恐らくは少なからず、反撃に転じる余裕も生まれているはずなのである。だが、少女達は一向にアークに攻撃を仕掛けてはこない。仮に仕掛けたとして、狙うのは無人兵器の発進用ハッチや砲台ばかり。

そんな行動に、ついにキュゥべえも違和感を抱き始めていた。

「彼女達の行動は余りにも不可解だ。時間稼ぎでもしているのだろうか。だとしても、何故そんなことを……」

そもそもにして、アークを撃破するつもりがないのなら何故ここに来たのか。その答えは、考え込むまでも無く分かることだった。

「そうだ、彼女達の目的は恐らく……鹿目まどかの救出。でも、それも外からできることじゃない。ああしていくら耐えていたって何も……っ。まさか、既に内部に侵入を!?」

今まで外部の敵に集中する余り、内部の状況に気を払っては居なかった。どうせ皆死んでいるだろうと、そう高をくくっていた。

攻撃に回していたアークの機能を、内部のスキャンに回そうとしたその刹那。激しい衝撃が、アーク内部を揺るがした。

 

それは外部からではなく、内部に生じた衝撃。ゆえにそれは激しく司令室を揺るがし、キュゥべえの身体は壁へと投げ出された。まどかのソウルジェムも、澄んだ音を立てて転がり、そして跳ねる。

更に衝撃、爆発音までもが混ざる。またしても、何度も。だんだんとそれが近づいてくる。

 

「くっ……一体、何なんだこれはっ!!」

その衝撃に翻弄され、キュゥべえはなすすべもない。アークを操ることすら困難となり、アークの動きが停止した。

状況はまるで飲み込めないが、狙いがまどかのソウルジェムだというのなら、それだけは確保しなければならない。

衝撃に揺さぶられ、司令室の中を飛び跳ねるまどかのソウルジェム。それを狙って飛びつこうとしたキュゥべえを、更なる衝撃が弾き飛ばす。

そして、司令室の壁を突き破って生じた何か。それはラウンドキャノピー。R戦闘機の機首。突き破った壁に干渉されながらも、無理やりにそのキャノピーは開かれて。その中から、飛び出してきたものは。

 

「キミは……」

「助けに来たよ、まどかっ!」

司令室の位置を特定した後に、そのままカーテンコールを駆り。邪魔する全てを破壊して、最短距離を駆け抜けた。美樹さやかの姿だった。

 

「まさか、こんな無茶をするとはね。……美樹さやか」

「……キュゥべえ。久しぶりだね」

さやかはまず司令室の中を一瞥した。衝撃に揺さぶられ、荒れ狂った室内。その中に、椅子にくくりつけられたまどかの死体があった。無理やりに拘束され、更に衝撃に揺さぶられ。その腕は、曲がる筈のない方向に曲げられていた。

ぎり、と。さやかは歯噛みした。溢れそうになる感情を、必死に押し留めて。大丈夫、心配ない。まどかはまだ生きている。そう自分に言い聞かせて。

「一体、何をしに来たんだい。魔法少女でもないキミが、そんなものを駆って」

ようやく収まった衝撃から立ち直り、よろよろと身体を起こしてキュゥべえが問う。司令室にも、侵入してきた敵を迎撃するための装置は存在している。

けれど、カーテンコールの突入によってそれは全てだめになってしまった。それでもどうにかして、キュゥべえはさやかを阻もうとしていた。

 

「もちろん、まどかを助けに来たんだ。まどかを返してもらうよ。……それと、あんたと話をしに来たんだよ。キュゥべえ」

そんなキュゥべえに、さやかは静かに語りかけた。心の中に渦巻く激情を必死に堪えて、唇が破れるほどに噛み締めて。

確かめたかったのだ、信じたかったのだ。キュゥべえの事を。

「話だって?この状況で、一体何を話すつもりだい?」

投げつけられたキュゥべえの声は、そんなさやかを嘲るようで。

「キミは随分とお人よしだと思っていたけど、こんな状況でまだ対話の余地があるとでも本当にそう思っているのだとしたら、それは最早愚かとしか言いようが無いよ」

その赤い瞳は細められ、さやかを睨むように見つめている。そんな視線を受け止めて、それでもさやかは一歩として引かず。

 

「……それでも、あたしはまだあんたを信じたい気持ちはあるんだ。 まどかを殺したことは許せないし、みんなを絶望させようとしてるなんて、許せるわけないけど。れでもさ、あたし達はいままでずっと一緒に戦ってきたんだよ?なのに、何でこんなことをするのさ」

ただただ不思議だったのだ。何故、と。同じくバイドの脅威に脅かされて、それと戦う事を余儀なくされた。同じ敵を掲げる以上、一緒に戦えると信じていた。

だからこそ今、人類がバイドによって最大の危機を迎えているこの時に、なぜキュゥべえがこんな裏切りとも取れる行為をしているのか、それがさやかには分からなかった。

「美樹さやか。キミも鹿目まどかと同じようなことを言うんだね。ボクはただ取り戻したいだけなんだよ。ボク達の使命を、かつての栄光を。その為には、キミ達人類に犠牲になってもらうしかない。だからそうするだけのことだよ」

「そんな、何か、何か他に方法はなかったの!こんな人類全部を滅ぼさなくちゃいけないような方法じゃなくてさ!」

「無理だね、どの道人類はもうすぐバイドによって滅ぶ。なら、その前にボクが滅ぼしたって変わりは無いじゃないか。それどころか、キミ達程度のほんの僅かな犠牲を払うだけで、宇宙そのものを再生させることができるんだ」

「だから……あたしらを裏切るってわけ?あたしは、あんたの事だって仲間だって思ってたのに」

言葉を交わせば交わすほど、心は離れていく。ただひたすらに、キュゥべえが人類とはまるで別の価値観をもつ存在であることを思い知らされて。さやかは静かに肩を震わせた。

 

 

「仲間だって?笑えない冗談だね。キミ達だって、家畜相手に情をかけることはあっても まさか、それを自分と対等の存在として扱おうとはしないだろう?ボクにとってキミ達人類は、飼い主を食い殺してしまう程に愚かで凶暴な家畜に過ぎない。そんなものは、駆除してしまうしかないだろう」

ついにさやかもそれを悟った。もはやわかりあうことなどできない。余りにも二つの種は違いすぎた。

今目の前に居るのは、共に多くの戦場を戦い抜いてきた戦友、キュゥべえではなくバイドと等しい全人類の天敵、インキュベーターという種の尖兵なのだと。

「……わかった、もう何も聞かない。あんたがそうするなら、あたしは全力で止めてみせる」

それが何を意味しているのか、考えるまでも無いことだった。さやかはパイロットスーツの腰から銃を引き抜き、インキュベーターへと向けた。

「確かに、ボクを殺せば止められるかも知れないね。でも、本当にキミにそれができるのかい?例えできたとして……撃てばどうなるか、わからないでもないだろう?」

事実、さやかのその手は震えていた。相手は人間ではない。それでもバイドならぬ命をこの手で絶つという事実に、その手の震えはどうしても止まらなかった。

そんなさやかの隙を突き、インキュベーターは部屋の隅へと飛び込んだ。慌ててそちらへさやかは銃口を向けて、その動きが完全に硬直した。

 

「……まさか、それは」

そう、インキュベーターがその手に抱えていたものは。先の衝撃で投げ出され、部屋の隅へと転がっていたまどかのソウルジェムだった。

「ボクがちょっとソウルジェムに細工をすれば、一瞬でまどかの魂を死滅させることができる。少なくとも、キミが引き金を引くよりは早くね」

「く……インキュベーター。あんた……よくもっ!」

形勢逆転。インキュベーター自身は、人に対して殺傷能力は持ち得ない。それでも、ソウルジェムと化したまどかの魂に干渉するだけの能力は持っていた。

まどかを助けるために乗り込んださやかには、当然こんなリスクを犯してまで撃つことはできなかった。

「武器を捨てて投降するんだ、美樹さやか。それともまどかを殺すつもりでボクを撃ってみるかい?それも悪くない選択だとは思うよ。まどか一人の命と、全人類のほんの僅かな未来。天秤にかけたとしても、そこそこ釣り合いは取れてくれそうだね」

その表情に、悪意に満ちた笑みを浮かべて。インキュベーターは、さやかに決断を迫った。

 

「そんな……そんなこと、できるわけないでしょうが」

悔しさがさやかの胸を満たした。けれど、悔やんだところでもうどうにもならない。まどかという切り札が敵の手に渡ってしまった以上、もはやどうすることもできなかったのだ。

そしてさやかは、その手に構えていた銃を落とした。

 

「それじゃあ、そのまま壁のところまでゆっくり下がるんだ。両手は挙げたままでね」

その様子に、満足そうにインキュベーターは頷いて。更なる命令をさやかに投げつける。

当然、さやかはそれに従うより他に術はない。ゆっくりと後ずさり、さやかの背が部屋の壁に触れた。

それを確認して、インキュベーターはまどかのソウルジェムを咥えたまま歩を進めそして、さやかが落とした銃をその手に掴んだ。実弾を必要としない小型のレーザー銃ではあるが、それでもインキュベーターの身体には大きい。

そんな銃をインキュベーターは両手で抱えるようにして持ち、さやかに狙いを定めた。

 

一瞬、放たれた赤い閃光。

 

 

「ぁ……ぁぐっ、ウあぁぁァッ!」

さやかの左足に、焼けつくような痛みが走った。放たれた閃光はさやかの左腿を貫き、そこにぽっかりと痛々しい孔を作り出していた。

足から力が抜けて、さやかは壁にもたれるようにして倒れこんだ。高熱のレーザーによって焼き払われたからだろうか、創部からの出血はさほど多くはない。それでもそれは、さやかの一切の行動を封じるには十分すぎるほどのダメージだった。

「キミが魔法少女だったら、この程度の怪我で動けなくなったりはしなかったんだろうけどね。大丈夫だよ、まだ殺しはしない。キミみたいな使えない道具にも、まだ役目は残ってるからね」

「ぅぐ……お前、よくも、よ、くもぉぉォッ!!」

その瞳には激しい憎悪が宿る。壁を頼りに必死に立ち上がろうとして、足から生じる焼け付く痛みは容易くその為の力を奪った。

無様に地に付し、それでもさやかは必死にインキュベーターの姿を見上げて睨みつけていた。裏切られたことが悔しくて、憎くて。銃創は熱くて痛くて、さやかの脳内が灼熱していく。

ぎりぎりと歯を食いしばり、唇の端からは血が一筋零れた。

「無駄に吼えているといい、その方がボクとしても手間が省けるからね」

酷薄に笑って、インキュベーターはそう答えると。再び、アークの機能を行使することに意識を集中させた。

 

「さて、さやかの奴は上手くやったんだろうかね」

アークからの苛烈な攻撃が突如として止み、不気味なほどの静寂が宇宙に戻る。恐らく、中で何か動きがあったのだろう。杏子達はそう推測した。無事にさやかがやり遂げてくれたのなら、遠からずカーテンコールは帰還するだろう。

そうなれば、これ以上こんな敵を相手にする必要はない。さっさと逃げ出して、本当に戦うべき敵であるバイドを迎え撃ってやらなければならない。

「……なあ、織莉子。今のうちに攻撃しておいてもいいと思うんだけど」

「悪くはないけれど、うっかり何があるも分からないわ。……それにあれは、元は人類の施設なのだから。正直なところ、余り傷つけたくは無いのよ。わかってくれるかしら、キリカ」

「織莉子がそういうなら、もう少し待つことするさ」

キリカと織莉子も、同じくアークを囲んで待機していた。果たして状況はどう転ぶのか、混迷した宇宙において、正確な未来を図り知ることは、織莉子の能力をもってしても尚も困難であったようで。

動きようも無く三機は再び集結し、これから起こるであろう何かを待っていた。

 

「そもそもこのアークって奴は、一体何なんだよ。なんだってこんなところに、こんな巨大な人口天体が存在してるんだ。おまけに、なぜかキュゥべえの奴がそれを牛耳ってやがる。あいつの秘密基地にしちゃあ、規模がでかすぎると思うんだけどな」

アークの存在を知らない杏子にしてみれば、それは当然の疑問だった。これほどの規模の人口天体を建造するのに、一体どれだけの資材と時間が必要だったのだろう。

そんなものを、しかも極秘裏に建造する理由とは何なのか。どうにも疑問は尽きなかった。

そしてその答えは、意外な人物によってもたらされることとなった。

 

「アークは、太陽系脱出計画を遂行するための箱舟よ。……実物を見るのは初めてだけれど」

織莉子のその声は、どこか感慨じみたものを帯びた声だった。

「太陽系、脱出計画?……ああ、なるほど。なんとなく納得いったぜ。……確かに、負けた時の事考えないで戦争やるってのも、馬鹿げた話だしな」

察しのいい杏子は、その一言だけでアークの存在理由を悟っていた。人類という種を保存するための箱舟としての、アークの存在を。

「しかし、あたしらが今の今までまったく知らなかったってことは、相当厳重に秘匿されてたんだろうね。……なんで、あんたはその存在を知ってたんだ?」

当然の疑問を、杏子は織莉子に投げかけた。織莉子はしばし逡巡し、躊躇いがちに口を開いた。

 

「……お父様がね、アークの建造に関わっていたの。その頃には私もお父様の仕事をお手伝いすることが多かったから、それでアークの事を知るに至ったわ」

織莉子にとっては苦い記憶、痛々しい過去を、少しずつ話し始めたのだった。

「織莉子……そうか。織莉子のお父様は」

キリカもそれを思い出す。

織莉子の父は、権謀術数の渦に飲まれ、この世を去ったその人は。地球連合宇宙軍参謀次官という肩書きを持っていた。それは確かに、人類の存亡に関わるこのアークの存在に

何らかの関係を持っていたとしても、何ら不思議ではない人物であった。

「……ってことは、あんたはどっかのご令嬢だった、ってわけかい。となるわかんないね。なんでそんな奴が、こんなところで魔法少女をやってるんだ」

それは純粋な興味からの言葉。けれど、織莉子にとっては余りに大きく深く痛い、喪失の記憶。塞がっていた、塞がっていたと思っていたその傷跡を、痛々しく抉るような言葉だった。

 

「それは……話さなければいけないことかしら」

当然、返す言葉は重く苦しいものとなってしまった。そんな過去は全て捨て去ったはずなのに、今はただ、魔法少女として戦いの運命の中に生きているはずなのに。

思い出してしまえば、古傷を抉る痛みが胸をつく。

「……答えたくないなら別にいいさ。誰にだって、話したくない過去くらいあるだろうさ」

その言葉にどこか自分と似たようなものを感じて、杏子は言葉を打ち切った。

「それは、まるでキミにも話したくない過去があるような言い草だね」

通信に割り込むように、キリカの声が飛び込んできた。織莉子を庇おうとする気持ちも、きっとどこかにはあったのだろう。

「……まあな。ま、あたしが詮索しないんだ。あんたらも詮索するのは勘弁してくれ」

「気にはなるけど、そういうことなら詮索はやめておこうか」

冗談めかして杏子は答え、同じく冗談めかしてキリカも答えた。けれど、それでは一人古傷を抉られた織莉子は気が済まない。

 

「いいえ、最初に聞き出そうとしたのは貴女なのですから。今度は私が詮索させて貰う番じゃないかしら」

くす、と小さな笑みを漏らして、織莉子は杏子にそう告げた。胸の奥に込み上げる痛みを隠すように、どうにか余裕を保って。

「あんまり面白い話じゃないし、長い話になるぜ。……勘弁してくれよ」

「それじゃあ、全部終わったら話すことにしましょう。お互いにね」

「ま、それが打倒なところかね。楽しみにしとくよ。……織莉子」

「ええ、私も楽しみにしているわ。……杏子さん」

そして、二人は不敵に笑った。もちろん織莉子のそれは、鋼の機体に隠れて分かりはしなかったのだけど。杏子には、確かに笑っているように感じられたのだ。

 

「話は済んだかい。ボクはそろそろ、こんなふざけた茶番は終わりにしようと思うんだ」

アークが再起動した。そして、キュゥべえからの通信が届く。それが意味するところを察して、杏子は表情を固くした。

「へっ、ついさっきまであたしら三人相手に大苦戦してたお前が、よく言うぜ」

「もちろん言うともさ。これを見れば、キミ達も嫌でも思い知ると思うよ。絶望というものをね」

映し出された映像は、司令室内部の状況を示していた。足を打ちぬかれ、蹲ったまま動けずに居るさやか。そして、キュゥべえの足に踏みつけられて転がっているまどかのソウルジェム。

その光景を見るだけで、失敗したのだということがよくわかった。

「まったく、魔法少女でもないただの人間を送り込んでくるなんてキミ達も随分無茶な策を打ったものだね。でも結局はこのザマだ。残念だったね」

 

「さやか……っ、くそ」

確かにそれはか細い希望だった。あれほど広大なアークの中に、さやか一人が乗り込んでまどかを救出するような大それた真似が、本当にできるかと言われればやはり危うい。

それでもさやかは言ったのだ、必ず助けて見せると。そして杏子も、その言葉を信じて送り出したのだ。だが、結果はこれである。

「分かっただろう?これでキミ達のくだらない小細工も終わりだ。これ以上無駄な抵抗を続けるようなら、ボクは鹿目まどかと美樹さやかを殺す。抵抗をやめて、すぐに投降するんだ」

 

「……投降したところで、奴が私達を生かしておいてくれるとは思えないんだけどな」

キリカの声にも焦りが混じる。キリカにとっては、まどかを助ける道理は無い。さやかに対しては多少なりとも恩人としての義理はあった。だがそれでも、織莉子の身の安全と引き換えにできるものではない。

「当たり前じゃないか。投降すればそのまま殺す。抵抗すれば二人を殺してそれから殺す。別に逃げたければ逃げても構わないよ。どの道、死ぬのが少し遅くなるだけだ。もう、キミ達人類に未来なんて存在しないんだからね」

インキュベーターの声には、圧倒的優位に立ったことで生まれた余裕と愉悦が、ありありと見て取れた。

「そういうことならさっさとおさらばするとしよう。……こんなところで死ぬつもりじゃないだろう?」

本当に逃がしてくれるのかは分からないが、それでも逃げるだけならば、アークを相手どっても逃げきることはできるだろう。そう推測し、キリカは早くも脱出の手はずを整えていた。

 

「悪い、あたしはここまでだ。どうやら、あたしはさやかを見捨てられないみたいだ」

けれど、杏子は続かない。そんな自分に呆れたように呟いて、それでも杏子は動かなかった。それでもその目から闘志は消えず、アークをぎらぎらとした目で睨みつけながら。

自ら死を選ぶのかと、そんな杏子を一瞬キリカも怪訝そうに見つめた。けれど、すぐに理解した。もし織莉子が同じ状況であれば、キリカもそうしただろう。

大切な人の為に、自らの身を捧げる行為。それに意味があろうと無かろうと、キリカにとってそれは尊ぶべきことだった。

「……すまないね、杏子。それでも私は、織莉子を死なせたくないんだ」

だからキリカはすまなさそうに、友に殉じようとする杏子に告げた。

 

「いいさ、元からこんなことに付き合わせるつもりはなかったんだ。あたしは、あたしの大事なものの為に行く。あんたも、自分の一番大事なものを守ってやりゃあいいさ。……それに、まだ諦めたわけじゃないからさ。運がよければ、後で追いかけるよ」

これほど絶望的な状況においても、杏子はまだその絶望に負けてはいない。知っていたからだ。どれほどの深い絶望の中にも、希望を見出すことはできると。

その希望がこうして杏子の命を呼び戻し、更なる戦いの渦中へと誘ったのだから。

「何があっても諦めてやるもんかよ。たとえあたしが死んだって、世界の終わりが訪れたって、あたしは絶対に諦めない……絶対に」

それは一つの精神の境地。不撓不屈なる精神。たとえ自分が、人類が、そして世界が終わりに瀕していくとしても、それでも決して諦めない。その胸を貫き、決して抜けることの無い意志という名の一つの矢。

その強さはまさしく呪いにも似て、杏子の全てに浸透していた。そんな杏子の、無意味であって尚強固で曲げざる意志だった。

 

「佐倉、杏子。キミは……凄いんだね。キミの事は忘れずにちゃんと覚えておくから。だから……生きていたら、また会おう」

そんな杏子を見捨てることを心苦しく思いながら、キリカは機首を翻す。

「……行こう、織莉子。……織莉子?」

そう促したキリカの言葉に、織莉子は答えなかった。怪訝そうにもう一度呼びかけて、それでも返事は無かった。何かあったのかと、キリカの胸中に黒い不安が宿る。

そんな心配をよそに、織莉子は唐突にその口を開き、言葉を放った。けれどその言葉は、キリカにも杏子にも向けられては居なかった。

その言葉は、インキュベーターに向けて投げかけられていたのだ。

 

「全てを滅ぼそうとする、余りにも強大な悪意がこの宇宙に降りかかっている。貴方はその悪意が生み出す絶望を使って、宇宙の再生を為そうとしているのね」

織莉子の静かな声が響く。

「そうか、美国織莉子。キミは気付いたんだね。……いや、“視て”しまったんだね」

織莉子の能力を持ってすれば、確かにこの宇宙が辿る未来の一片を覗くことは可能だろう。宇宙が辿る顛末の全てを理解するには、織莉子の能力は全くもって不足している。

それでも、こうして断片としてインキュベーターの目的を推し量ることができた、それはすなわち。

「つまり、未来はそういう風に動いていくというわけだ。……これは、ボクにとっては嬉しい話だね。わかっただろう、美国織莉子。キミ達がこれ以上何をしようが、この宇宙が辿る結末は変えられないのさ」

「……そうね、確かにこの宇宙の辿る結末は絶望に満ちているわ。余りにも痛々しいほどの絶望よ、胸が押し潰されしまいそうなほどの」

それほどの未来を見据えて、織莉子は何を感じたのだろうか。その口調には、不思議なほど絶望の色に染まった様子は見られなかった。

そしてなぜか、その言葉の端にはうっすらと笑みが混じった。

 

「貴方は、自分だけがその絶望から逃れることができると思っているのね。けれど、すぐに思い知ることになるわ。……それが愚かな思い違いだと」

その声と同時に、アークの表面で爆発が巻き起こった。その衝撃はアーク内部に吸収され、司令室まで届くことは無かったのだが。

「なっ!?……くっ、まさか二人もろともこのアークを破壊するつもりなのかい?なんて愚かなことをするんだ、いいさ。それならキミ達もこの二人同様、宇宙のチリに……」

「ちょっと待てっ!あたしらは撃ってないぞっ!……って、じゃあ何で」

困惑するインキュベーター。そして杏子。どちらにとっても、アークが攻撃を受けたことは予想外だった。

けれど、それすらも分かっていたかのように織莉子の声は落ち着いていた。

 

「――絶対なる悪意が、来るわ」

そして、未来という形で訪れるであろうそれを、迎え入れた。

 

「この反応……まさか、そんな馬鹿なッ!?」

それを知り、インキュベーターの声が焦燥と驚愕に歪む。

「……そうか、奴らがもうこんなところまで」

それを悟り、キリカは驚いたように声を上げた。

「確かに悪意の塊みたいな連中だ。絶望感もたっぷりだ。――だが、あたしらにとってはとんだ希望かもしれないなぁっ!」

そして、杏子が。

 

アーク目掛けて殺到する、バイドの大軍勢を前にそう叫ぶのだった。



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第19話 ―終わる、一つの物語―④

死の星を、新たな宇宙を育む胚を、吹き荒れる戦乱が取り囲む。
片や全てを飲み込む悪夢。
片や全てを塗りつぶす悪意。
その挟間を少女達は往く。

最後の奇跡を、円環の導きを越えて。彼女達が見たものは。


「そんなこと、ありえるはずがないっ!ここはバイドの侵攻ルートからは遠く離れた場所なんだよっ!」

現状を認められずにインキュベーターは叫んだ。けれど、眼前に迫り来るバイドの姿は消えはしない。それは絶望的な現実。

バイドが人類にとって恐るべき敵であるのと同じように、インキュベーターにとっても、バイドは憎むべき敵でしかないのだ。そしてバイドにとっては、人類もインキュベーターも変わらない。

どちらもただ、喰らい尽くすだけの敵なのだ。

 

「あたしらが後をつけられてたのかね。それとも随分派手にドンパチやったからね。それでうっかり連中を呼び寄せちまったかな」

状況はたちまち混沌と化していくことだろう。少なくともそれは、先ほどまでの圧倒的な劣勢よりは遥かにマシである。敵が増えたことに変わりはないし、絶望的な状況であることも変わりはない。

それでもまだ足掻くことができる、戦う事ができる。好戦的で、そして危険な笑みが杏子の表情に宿る。ぎらりと、その目は輝いた。

 

「私が視る未来は、このまま進んだ世界の未来。だからそれは、現在を動かすことで変容しうるものなのよ。容易くはないけれど、未来は変えられる。私が視た未来ですらも、変えられるのよ」

織莉子は静かに呟いて、混迷を深める戦場に再び意識を向ける。

「――だから、私は戦う。これが運命だというのなら、その運命と戦って、勝利して見せるわ」

 

そして織莉子は更なる未来の姿を得る。

それは無残な敗北の未来。けれどそれは、たった一人の行動で覆る未来。

 

 

「さやかさん、聞こえていますか?」

そんな未来を覆すため、織莉子は行動を開始した。司令室との回線は繋がっている。恐らくその声は、今も壁際で蹲っているさやかにも届いている。

そして恐らく、彼女はまだ死んでいない。だとしたら、まだ可能性は潰えていない。

そして織莉子が願ったとおり、声に答えてさやかはゆっくりとその顔を上げた。血の気の無い、苦痛に歪んだ顔だった。

それでもまだ、生きている。

 

「話せないのならそのまま聞いて。そして、覚悟を決めて欲しいの」

その言葉は、まだ希望が途絶えていないことを示した。希望がそこにあるのなら、さやかは必死にそれにしがみつく。だからさやかは、そんな織莉子の言葉に弱弱しくも頷いた。

その目から、死に堕ちていくだけの弱弱しい光は消えうせた。

「もうすぐ、バイドの攻撃でアークに激しい衝撃が与えられるわ。その時、まどかさんのソウルジェムが貴女の手元に落ちてくる。それを拾えば、貴女はそのままアークを脱出することができるはずよ」

織莉子の言葉に、さやかの目が見開かれた。それは確かに希望と呼べた、けれど何故そんなことがいえるのかという疑問もあった。そしてようやく、さやかは織莉子がもっていた能力のことを思い出した。

それはかつての戦いの中で、ただ推測として考えただけのものではあったけれど。今この状況に及んで、それは十分に信じるに足るものだと思えた。

 

「貴女が動けば未来は変わる。お願い、もう一度だけ――」

声は途切れた。通信が打ち切られたのだ。

「キミ達に未来なんて与えない。未来は、ボク達のものだっ!」

激昂を露わにインキュベーターが叫ぶ。

既にアークは迫るバイドに対する迎撃を開始していた。杏子達さえもまとめて葬り去ろうと、全身に備え付けられた武装が再び起動する。

けれどそれは一歩遅かった。アークの迎撃装置が作動するより一瞬早く、バイドの放った大型ミサイルがアークを直撃し、激しい衝撃がアークを貫いた。

 

司令室にまで、その激しい衝撃は浸透する。

振動が部屋を揺さぶり、そこにあるもの全てが投げ出された。

 

「これを離さなければボクの勝ちだ。これがボクの運命だというのなら、ボクは絶対にそれを手放さないっ!」

当然、インキュベーターの小さな身体はその衝撃に翻弄され、宙に浮く。それでもインキュベーターは、まどかのソウルジェムを握ったその手を離さなかった。

これさえ握っていられれば、これさえ砕いてしまえれば、それで運命に決着をつけられる。今すぐ宇宙を再生することはできないだろうが、どの道遠からず人類は滅ぶ。その絶望を使えば、きっと今度こそ上手くいくはず。

だからこそ、その手を離すわけには行かなかった。

 

手段はどうあれ、その思いは強い。

失われた文明を、同胞を、使命を夢を取り戻そうというその思いは、インキュベーター自身にとっても思いがけないほどに、強いものになっていた。それもきっと、感情というものを得たからなのだろう。

けれど、そんなインキュベーターに運命は問いかける。

 

――命を取るか、夢を守るか――と。

 

「っ!?」

衝撃に弄ばれ、宙に浮くインキュベーターの身体。その身体が落ち行く先には、椅子に縛られたままのまどかの身体があった。

最早命の無いその身体は、その四肢は衝撃に揺さぶられ、その顔は宙を向いていた。目を見開いて、その表情には思い苦悶を浮かべたままで。

それは偶然なのだろう。だがそれでも、インキュベーターには感じられたのだ。事切れたまどかの表情が、その見開かれた眼差しが、彼を見つめているかのように。

そして、まどかの腹部を食い破って突き出た固い金属の杭。血に濡れたそれが、作られた重力によって落下するインキュベーターを待ち受けていた。

恐らくそれも偶然。けれどそれは確実に、インキュベーターを貫かんとしていた。

 

待ち受けるのは冷たい杭、貫かれれば死ぬかもしれない。回避する術はある。けれどその為には手が必要だった。

まどかのソウルジェムを固く抱きしめたその手が、どうしても必要だった。

運命は問いかけていたのだ。自らの命を守るために、夢を手放すのか。それとも自らの夢に殉じ、死をもたらす杭に立ち向かうのか。

インキュベーターがかつてのままの存在であるのなら、間違いなく手を離さなかっただろう。けれど彼は感情を得た。さらに、彼はたった一つの存在だった。

死に対する恐怖が、その身体を支配する。そして恐怖を乗り越える術を、彼はまだ知らずに居た。

 

「う……っ、わぁぁぁっ!!」

インキュベーターの中の冷静な部分は、その声をまるで他人の声のように聞いていた。そして残った全ての部分が、恐怖に駆られた悲鳴を上げていた。必死に手を伸ばし、椅子の縁に手をかける。そのまま渾身の力でその小さな身体を引き上げた。

そして辛うじて、インキュベーターの身体は椅子の縁にしがみつくことに成功した。冷たく恐ろしい杭から、どうにかその身を遠ざけることができたのだ。

けれどそれは手放されてしまった。まどかのソウルジェムは、キュゥべえの手を離れて再び宙に舞う。

それは定められた運命に従い、再びその身を壁に打ち付けたさやかの元へと舞い降りた。

 

(来た……っ)

さやかもそれを待ち受ける。

足は動いてくれそうも無い、だから手を伸ばす。その手が届けば、後は這ってでもカーテンコールへ戻るだけなのだから。

されど運命は尚も過酷。まどかのソウルジェムはくるくると回りながら、さやかの元へと落ちてくる。けれどその軌道は、その手の届く範囲とは重ならなかった。

せめて後一歩、後一歩動くことができたら。その為にはどうしても、この傷ついた足に働いて貰わなければならなかった。

 

「……ったくもぉ、覚悟を決めろって、こういうことね」

青ざめた顔でさやかは笑った。運命もまた、さやかを嘲笑っていた。

 

――変えられるものなら変えてみろ、と。

 

まだ無事な右足を踏ん張り、身を起こしながら手を伸ばす。

覚悟を決めて、左足でもう一歩。

「っ、ぎ……ぁっ」

激痛が走り、左足から力が抜ける。そのままがくりと膝をつく。このままでは、伸ばしたその手は届かない。

 

「と……ど、けぇぇぇっ!!」

右足に、そして左足にも力を篭める。激痛が再びさやかの意志と力を奪おうと迫る。余りにも痛すぎる、左足どころか頭まで痛くなってきた。吐き気がする。それでもさやかは、その両足に力を振り絞り、そして。

 

さやかは、跳んだ。

 

不安定な姿勢での跳躍、更に足が片方潰れているとあっては、もはや着地なんてできよう筈もない。ごろごろと無様に地面を転がりながら着地する。そうしてさやかが降り立った場所は、カーテンコールのすぐ側で。

そしてさやかの掌の中には、かすかに輝くまどかのソウルジェムが握られていた。

 

「なるほどね、そのまま脱出できるって、そういうことなわけ。ったくもう、もっとしっかり説明しなさいよね。帰ったら問い詰めてやる」

「待てっ!逃げられると思うのか……美樹さやかっ!!」

さやかを追いかけ、インキュベーターが吼える。そんなインキュベーターに、さやかは僅かに振り向いて。

「結構、長い付き合いだったね。……さよなら、キュゥべえ」

ほんの少しの感傷を篭めて、さやかはカーテンコールに飛び乗った。足はおろか体中が痛い、まるでばらばらになってしまいそうだった。それでもどうにか身体を動かし、カーテンコールは再び主を受け入れた。

 

「オートパイロット、コードイプシロンっ!!」

音声認証によって、カーテンコールは既に入力されていた命令を実行する。予め指示された脱出経路を辿り、アークを脱出するという命令を。

この状況、最早躊躇うことなど何も無い。脱出の妨げになっている周囲の構造物を、レールガンで薙ぎ払う。

そしてカーテンコールは後退、まどかの身体とインキュベーターを残したまま、アークからの脱出を開始した。

 

それを阻む余力は、バイドの迎撃に負われるインキュベーターには残されていなかった。

 

 

「やれやれ、見境なしかっ!!」

バイドとアーク、そして魔法少女の三つ巴。誰しもにとって全てが敵、戦況はますますもって混沌に沈んでいく。そんな大混戦の最中、杏子は叫ぶ

「右も左も敵ばかりだ、バイドまで来ると……流石に勝手が違うね」

大部分のバイドはアークへと向かっているが、それでもかなりの数のバイドが殺到している。それにまださやかが脱出していない以上、あまりアークを傷つけさせるわけにも行かない。

そして当のアークは、バイドも魔法少女もお構いなしの無差別攻撃を続けている。奇しくも少女達は、自らの命を狙う敵を守りながら戦うという、奇妙な行動を強いられていた。

 

「……来るわ」

そして織莉子は呟き、その言葉が示す運命は訪れる。アーク表面に穿たれた穴から、カーテンコールが飛び出した。

「さやかっ!無事か、返事しろっ!!」

すぐさま杏子が通信を飛ばした。怪我をしている、無事なはずは無い。それでもここまで来られたのだからきっと、大丈夫なはずだ。

「……なんとか、生きてるよ。ごめん、色々面倒かけたね」

弱弱しくも、それでもさやかの返事が聞こえて。杏子は、ひどく安堵した。

 

「ったく、よく帰ってきたもんだよ。よし、じゃあさっさと脱出するぞ!キリカ、織莉子っ!近場のバイドを蹴散らして脱出しようぜ!」

「ああっ!そうと決まれば長居は無用だ、行こう、織莉子っ!」

キングス・マインドはいち早く、カーテンコールの元へと駆けつける。そんな二人を横目に、キリカは織莉子を促した。

「………そう、ね」

けれど、それに答えた織莉子の声はどこか沈んでいた。

「織莉子?何か……気になることでもあるのかい?」

「アークは既に発進している。ということは……計画通りなら、あそこには10万人の人間が眠っている。それを見捨てるのは……悲しいわね」

それを、織莉子は守りたいと思った。けれど、それが叶わないであろうことも知っていた。そんな余裕は、今の彼女達には存在しない。前後を敵に囲まれて、その敵を守りながら戦い通すことができるほど、彼女達は器用ではない。その上、どう見ても戦力が足りない。

 

それに、アークに眠る彼らは……もう。

 

「……無駄だよ。あそこに眠ってた人達はみんなもう、死んじゃってた。何をしたのかわかんないけど、あいつが……インキュベーターが、殺したんだ」

思い出すだけで吐き気がするようなおぞましい光景。それがフラッシュバックして、さやかの言葉が震えてしまった。

「マジ……かよ。キュゥべえ……何考えてやがるんだ、あいつは!」

それが意味することを知り、杏子の声も震えていた。恐らく、それは怒りによるものであろうが。

 

「なんて、ことを……っ」

ぎり、と織莉子が歯噛みした。それだけの命を、こうも容易く奪い去る敵に怒り。それを守ることができなかった自分に、怒っていた。

けれど、彼女はその怒りに身を任せはしない。怒りが熱く燃え盛るほど、その心は冷たく沈んでいく。その頭脳は、心は。既に自分のやらなければならないことを知っていた。

 

「織莉子……っ、くそっ!あいつ、やっぱり叩き潰してやる。織莉子を悲しませる奴は、許すもんかっ!!」

その衝撃に、呆然と立ち尽くすヒュロス。そして、怒りを露わにアークに立ち向かおうとするダンシング・エッジ。このまま放っておけば、きっと無謀に突っ込んでいってしまうだろう。

そんなことはさせられない、させられるはずがなかった。

 

「キリカ、私なら大丈夫だから。だから……このまま脱出しましょう。これ以上、ここに留まる理由は無いわ」

込み上げそうになる嗚咽を噛み殺し、いつもと変わらぬ調子で織莉子は告げた。

「織莉子がいいなら……いいけど、でも、本当にいいのかい?」

「守るなら、今生きている人を……よ。敵の包囲を抜けるわ、暴れて貰うわよ、キリカ」

今やらなければならないことは、戦う事。そして生き延びることだった。

「っ、ああ。任せておくれよ、織莉子っ!!」

キリカは鋭く一つ答えて、脱出経路を確保するため敵陣へと飛び込んでいった。

 

「なんにしても、無事に帰ってきてくれてよかった、さやか。……それで、まどかは助けられたのか?」

怪我をして、十分に動けないであろうさやかを守るように、杏子は周囲を警戒しながら飛ぶ。

「まどかの身体は死んじゃってたけど……それでも、ソウルジェムは助けられたよ。とりあえず、よかったかな……ぁ、くぅっ!」

さやかの声は弱弱しくて、更に声には苦悶が混じる。機体はオートパイロットに任せてあるが、この先の戦場を越えるのはそれでは不可能だ。

かといって、今の状態のさやかには任せられない。どうにかする必要があった。

 

「さやか、まどかのソウルジェムと一緒に、機体を捨ててこっちに移れ。その傷じゃあ、それ以上は無理だ」

「……そうだね、残念だけど……そうするしか、ないか。折角託して貰ったのに、ごめんね、カーテンコール。ここまでありがとう」

(こんなふがいない乗り手で、ごめんね)

キャノピーを開放。キングス・マインドに乗り移ると同時に、機体の自爆コードを作動させる。

カーテンコールは人類の英知の結晶。それをバイドやインキュベーターの手に与えることだけは、避けなければならなかった。

 

――待って、さやかちゃん。

 

けれど、それを止めたのはまどかの声だった。

「まどか……?」

その声はさやかだけにではなく、杏子にも聞こえていた。

「どうしたんだ、まどか?何かいい考えでもあるのか?」

 

――うん、でもゆっくり説明はしてられないんだ。

 

いかにまどかの能力が優れていようと、それを行使する身体が存在しない。その為に、魔法によってその能力を行使するための器官をその都度作り出していた。

それは目には見えない特殊な精神網で、それで直接相手の精神に触れることで意志を伝えていたのだった。それゆえに、ソウルジェムのみで意志を伝えるのは、まどかにとって多くの負担を強いる行為だった。

 

――お願い、さやかちゃん。杏子ちゃん。私にこの機体を使わせて。

 

「使わせて、って……まどか。カーテンコールは、魔法少女が乗れる機体じゃあ……」

そう、確かにカーテンコールは普通の人間が乗るための機体。少なくともさやかにとってはそうであったし、コクピットブロックは明らかに人間が乗ることを意図して作られていた。

 

――大丈夫、なんとかできるから。今は必要なんだ、私にも戦うための力が。

 

「……まぁ、まどかなら確かになんとかできちまいそうだな。ほら、こっち来いよ、さやか。それに、あんたが戦えるってなら文句はねぇ。……しくじらないだろな、まどか」

どうにか開いたキャノピーから身を乗り出したさやかを、杏子が引っ張りあげた。

キングス・マインドのコクピットブロックは、杏子の最後の戦いの時のまま、タンデム仕様であった。

その後部座席にどうにかさやかを座らせた。応急処置をしている暇もない。しかたなく、医療キットに入った痛み止め用の麻酔だけを打っておいた。

 

――うん。それに、もうすぐだから。

 

「もうすぐ?……どういうことだ、まどか?」

訝しげに杏子がそう問いかけた時、突如としてカーテンコールから音声が発せられた。

 

【ソウルジェムユニットの搭乗を確認。M.M.I.をTYPE-Mに換装します】

 

その音声が発せられると同時に、まどかのソウルジェムのみを残したコクピットブロックはその様子を大きく変更させていた。

コクピットブロックの壁面より生じたマニュピレーターがまどかのソウルジェムを固定する。さらに、サイバーコネクトの接続口から湧き出した有機回線が、ソウルジェムに接続された。

長らく闇に閉ざされていたまどかの視界に、久方ぶりの光が宿った。

 

それはカーテンコールが見ていた光景。まどかが右を向くと、カーテンコールも右を向く。左を向けばそれもまた叱り。そしてまどかの身体の中に満ち溢れている力。それは波動を操りバイドを討つための……力。

そう、カーテンコールは完全なるワンオフ機であるラストダンサーとは違っていた。全てのR戦闘機のデータを集約した機体であると同時に、誰でも乗ることのできる究極互換機としての側面も持っていた。それは、たとえ魔法少女であろうとも例外ではなかったのだ。

カーテンコールはソウルジェムユニットの搭載を感知し、自動でパイロットブロックを魔法少女仕様へと換装した。そして今、ついにまどかは力を手にしたのだった。

 

敵を倒すための、自らの手で運命を切り開くための、力を。

 

 

「……まさか、ここまで予想してたってのかよ、まどか」

だとすれば驚愕するよりないといった感じで、呆然と杏子は呟いた。

「あはは……流石にここまでは予想外だったかな、なんて」

そんな杏子に、かなり困惑気味にまどかは答えていた。

「ってこたなんだい?まだ何か隠し種があるってわけかよ。……でも、その前に脱出しようぜ。あの二人にばっかり頑張らせるのは不味いだろ?」

「うんっ!」

そして脱出の為に、再び戦火の中に飛び出すキングス・マインド。それを追い、少し頼りなくも飛んでいくカーテンコール。

初めてのR戦闘機、初めての戦場で、それでもまどかはどうにか機体を動かすことができていた。それは恐らく、まどかが既に人としての身体を失っていたからであろう。

人としての身体を失ったまどかの魂は、新たな身体である鋼の戦闘機に、実に容易く適応していた。

早く走ることや、派手な体操を何の練習もせずにできる人間はそうはいないだろう。だが、わざわざ方法を教えられなければ手足を動かすこともできない人間もいない。

すなわち、今のまどかにとって機体を動かすことは、その手足を動かすことも同義だった。飛ぶことはできる。ただ、恐らくそれは戦闘には耐えられないであろうというだけで。

 

「道はあたしが切り開くっ!まどか、あんたは後からついて来いっ!」

「わかったよ、杏子ちゃんっ!」

そして二人は、ますます混迷を深めてゆく宙に、舞う。

 

「よう、待たせたねお二人さん」

「随分遅かったじゃないか。それで、無事囚われのお姫様達は救出できたのかい?」

「お姫様、なんて柄じゃないんだけどな。うん、でも大丈夫だよ」

「さやかさんは、大丈夫なのですか?」

「ああ、麻酔が効き始めたみたいでね、大分落ち着いてる」

戦場の片隅、周辺の敵を蹴散らし一時に猶予を得て。ようやく少女達の描く軌道は、近しく触れ合えるほどの軌道を取った。手短に言葉を交わし、お互いの状況を確認しあう。

「それでは、そろそろ脱出の算段を立てなくてはね」

いよいよ脱出、尚も激しく追撃するアーク。そしてそれすらも飲み込み、全てを塗りつぶさんと迫るバイド。

脱出するにしても、どちらの動きも予想できない。下手に動けば、双方の間に挟まれ潰されてしまうかもしれないのだ。

 

「とりあえず、まどかを中心にする。それで織莉子、あんたはまどかを守ってやってくれ。あんたの能力と、その機体の迎撃能力ならきっとなんとかなるだろ」

「ええ、しっかりと守り抜かせてもらうわ。まどかさん、どうにかついてきてくださいね」

「うん、わかったよ。織莉子さん。……えっと、ごめんね。私、守ってもらってばっかりで」

折角力を得たというのに、それを振るう能力をまどかはまだ持っていない。それがどうしてももどかしくて、すまなそうにまどかは告げた。

そんなまどかに、織莉子は柔らかに笑って答えるのだった。

「いいのよ、私も貴女を守りたいのだから。貴女はきっと、この絶望に沈んだ世界を変えてくれる。……随分と頼りない未来だけど、それでも信じてみたいの。だから、私は貴女を守るわ。まどかさん」

 

「……織莉子」

そんな様子を見て、ちょっとしょんぼりしてしまったキリカだった。そんなキリカの首根っこを引っつかむかのように、杏子の声が飛ぶのだった。

「お前は前衛、あたしは殿。あたしらが頑張れば、織莉子もまどかも守れるさ。それともあんたは、始終織莉子を独占してなきゃ気がすまないってかい?それじゃ、まるで子供だな」

そう言って、杏子はからかうように笑った。

「だれが子供だっ!……見ているといい、織莉子もまどかも、ばっちり私が守ってやるさ。だからキミも、つまらないミスで勝手に死んでくれるなよ」

少しふてくされながら、それでもそんな自分に少なからず恥じ入るところはあったのか。幾分か落ち着いた様子で、キリカもそう答えるのだった。

「へっ、言ってくれるね。……その調子なら、まあ心配はいらないだろうな。ここまで来たんだ。最後まで生き延びて、見届けようぜ、キリカ」

「言われなくともそのつもりさ。私はこんなところで潰えるつもりは無い」

しばしの沈黙、互いに機首をつき合わせて睨みあい。

 

「……へっ」

「……くす」

そして、どちらとも無く小さく笑った。

「さあ、蹴散らしてあげよう。私達の道を塞ぐ不届き物は、みんな纏めて微塵切りだっ!!」

「あたしの前を通りたけりゃあ通してやるよ。ただし、五体満足に通して貰えると思うなよっ!!」

二人は同時に咆哮し、そして4機のR戦闘機は希望への脱出を開始した。

 

どこで間違えたのか、何が間違っていたのか。人類に比しても遥かに高度であるはずの頭脳は、そんな簡単な問いにすらも答えを見つけられずにいた。

ただただ迫り来る敵を迎え撃つことと、逃げてゆく者を追い縋る事だけに注力していたのだ。そしてそれ以上に彼は焦っていた。思うようにならない状況に

長らく待ち続けた、この千載一遇のチャンス。世界再生を行う最高の機会が失われようとしていることに。彼は、ひどく焦りを抱いていた

そして彼は恐れていた。自らの死を、その存在の終焉を。孤独が怖かった。失敗を認めるのが怖かった。その感情を、恐怖と認めることが怖かった。

 

「何故だ。何故……どうして理解してくれないんだ。キミ達が犠牲になるだけで、この宇宙は正しい姿を取り戻すのに。バイドも居ない、宇宙の寿命に悩まされることも無い。素晴らしい世界が生み出されるというのに」

半ば呆然と、インキュベーターは、キュゥべえは呟いた。

「これからあのバイドによって失われていく命と、今この場所で消えるたった200億の命。比べ物になんかなるわけが無いじゃないか。なのに何故、何故キミ達は分かってくれないんだ」

アークは尚も、インキュベーターの手によって存分に破壊を振りまき続けていた。けれど、それは恐らく人の手によって操られるそれには及ばなかった。

いかなインキュベーターが優れた種であろうとも、それはあくまでも個。知識と技術、そして経験に裏づけされた人が操る兵器には、やはりどうしても及ばなかったのである。それゆえにアークはバイドによる猛攻に晒され続け、その被害は甚大なものとなっていた。

衝撃が幾度もアークを揺るがし、内部各所に火災が発生する。ついに火の気は司令室の存在するブロックにまで至り、内部の温度は急速に上昇を始めた。

そして気がつけば、まどか達が操る機体の姿が消えていた。恐らく離脱されたのだろう。バイドへの対応に追われるインキュベーターにはそれを追跡する余裕すらも残されては居なかった。

 

恐ろしかった。恐怖という感情を自覚してしまうと、それは更に強くなった。かつてインキュベーターという種を滅ぼしたバイドが、今再び彼の命を絶とうとしている。避けがたい死が、その存在の終焉が今まさに、彼の頭上で振りかぶられていた。

「……ああ、そうか。なんで、こんな簡単なことに気付かなかったのだろう」

死を眼前に向かえ、ようやくインキュベーターは自身の内に宿ったその感情を自覚した。

「死にたくなかったんだね。キミ達人類は。自分が死ぬのが嫌だから、だからどれだけ非合理的でもどれだけ非効率的だったとしても、自分達が生存できる可能性を必死に模索していたんだね」

それは酷く簡単な真理。飽くなきまでの生への欲求。ありとあらゆる生命が、生まれながらにして持っていなければならないその本能にも近しい感情を、高度な理性と知性を持ち、そして個を否定する意識を持っていた彼らは、いつしか忘れかけていたのだった。

けれど今、彼は人類と同じようにその感情を抱いている。自身すら気付かぬ内に、いつしか彼はその感情に支配されていたのだろう。

 

「なんで気付けなかったんだろう。……ボクは、死にたくないんだ」

呆然と呟いたその時、一際大きな衝撃がアークを貫いた。小さなインキュベーターの身体は衝撃に投げ出され、壁に打ち付けられた。

痛い。痛みを感じるということが、これほど恐ろしいとは知らなかった。否、それは忘れ去っていただけなのかもしれない。

「嫌だ……こんなところで終わるのは、嫌だ」

その赤い瞳が揺らぐ、焦り、恐れ、悲しみ、後悔。様々な感情が、その瞳を揺るがしていた。

 

「誰かっ!誰か……助けてっ!嫌だ、ボクは死にたくない、こんなところで死にたくなんかないっ!バイドに、殺されたくなんかない……お願いだ、誰か……誰か、助けてっ!」

悲痛な叫びを音に乗せ、通信に乗せてありったけの力で放つ。けれどもう、それに応えるものなど誰もいない。居るはずがない。彼はたった一つのインキュベーターで、彼は人類を敵と断じた。

そんな人類の敵を助けるほど、人類という種はお人よしではなかった。

 

「嫌だ。嫌だ……死にたくない、死にたくない……っ!ぁぁ……………うあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁっ!!」

錯乱し、叫び散らすその声は誰にも届かない。ついにバイドがアーク内部に侵入し始めた。

最早どうにもならない。絶望に打ちひしがれ、全ての力が抜けたように横たわるインキュベーター。

 

虚ろに見開かれた瞳に最後に見えたのは、宇宙を流れる一つの星だった。

 

 

「どうなってやがるんだか、今度はさ」

今度こそ本当に訳が分からない。そんな様子で、これでもかというほどにあきれ返った様子で杏子は言葉を口にしていた。

そのキャノピーの外に広がる光景。電子的に処理をされ、キャノピーの内側に映像として映し出された世界。その光景は、青々と輝くその星の姿を映し出していた。

 

そこは太陽系第三惑星、地球。その衛星軌道上に設置された国際宇宙ステーション、ISPV-5。

かつて修学旅行の折、まどか達が目指していた場所。そして、とうとう辿り着くことのできなかった場所だった。

「本当に地球ね。……いつ以来かしら。本当に……美しいわ」

信じられないという驚きと、久方ぶりに目にしたその青き星への感慨を篭めて、織莉子は呟いた。

「……これも、キミに仕業だということかい?まどか」

機体に備え付けられた計器の類。それが指し示す全てのデータはその場所が間違いなく、地球の衛星軌道上であることを示していた。その事実に、最早納得するよりほかないといった様子でキリカが言葉を放った。

そう、少女と魔法少女達が操るその機体は、まさに地球の衛星軌道上。ISPV-5のすぐ側に存在していたのだった。

 

アーク周辺宙域から地球まで、そこにあるのは遠大にして遥かな距離。当然彼女達は、その遥かなる距離をえっちらおっちらと乗り越えて来たわけではない。

アークを脱出した後この場所に至った今にまで、過ぎ去った時はさほど長くはないのだ。純粋な速度にして表すのならば、それは恐らく光の速度すら超える程で。

もちろん、いかな優れたR戦闘機であろうと光に近い速度などが出せるはずもない。

だとすれば、一体何が起こったのであろうか。

 

それは、少女達がアークを脱出してすぐのこと。

 

「どっちを向いても敵、敵!敵っ!!いい加減にして貰いたいものだねっ!」

激化する戦いの宙。バイドの群れは、アークにも魔法少女にも、どちらにも等しく迫り来る。そしてまたアークに無数に搭載された砲台や無人兵器は、動く物全てが敵であるかのように荒れ狂う。

それは余りに混沌としていて、余りにも苛烈で壮絶だった。

「いいからさっさと道を開けろっ!ここに留まってりゃ、それこそ挟まれて潰されっちまうぞっ!」

長く留まれば、いつか必ず御しきれず囲まれ、そして潰される。覚悟を決めて飛び出したはずだった。けれどそんな少女達を待ち受けていた戦場は余りにも最悪だったのだ。

「だめだっ!こっちも自分の身を守るのでやっとだ。……織莉子っ!どうすればいい、どうすればいいんだいっ?」

迫り来るミサイルを振り切り、喰らいつくバイドを切り払い、キリカは叫ぶ。このままでは脱出するための道を作ることさえもできない。

だからキリカは、織莉子に頼った。織莉子が持つ予知能力であれば、きっと状況を打開する術が見つけられるはずだと信じて。

 

けれど。

 

「…………」

織莉子は応えない。痛々しくも沈黙を保つだけで。その沈黙は、暗に一つの事実を示す。

そこに未来はないのだということを、この地獄から逃れる為の道など存在しないということを。その沈黙は、ありありと思い知らせていたのだった。

「……それでも、覆して見せるわ。何か、何か方法はあるはずなのよ」

それでも、織莉子は諦めなかった。予知を続けることで織莉子にかかる負担は、決して軽いものではない。それでも織莉子は、まどかによってもたらされた力を糧に未来を視続ける。

前後の二人が捌ききれなかった敵を相手取り、必死にそれを迎撃しながら視続ける。必ず希望が見えるはずだと、残酷な未来にも、必ず綻びが生まれるはずだと信じ続けて。

けれど悲しいかな、押し寄せる悪夢の尖兵も全てを迎え撃つ死の箱舟も、そのいずれもが余りにも強大すぎるものだったのだ。たった五人の少女では、立ち向かうことなどできないほどに。

それでも少女達は、いずれ潰えるその体を必死に駆り、戦いの宙で必死の抵抗を続けているのだった。

 

「また、私だけ何もできないのかな」

カーテンコールの鋼の身体を駆って、どうにか織莉子に追随しながらまどかは、自分の無力さを噛み締めながら自問する。こうして手に入れた力も、戦う術を知らないまどかにとっては余りに過ぎた力で

それをまともに振るうことなど敵わない。ただ守られているだけで、それは酷く無力感を煽り立てる。

「……それは、違うよね。今の私にはできることがある。ううん、私にしか……できないことがある」

きっと、かつてのまどかであればその無力感に心を苛まれ、それに屈し。膝をついていただろう。けれど、今は違うのだ。今のまどかは、自分にできることを知っていた。

それはR戦闘機を駆って戦うための力ではないけれど、この逆境を打開することのできる力であるはずだと。

 

解き放ってみよう。

その力はきっと、今も戦う人々を救うことができる。

その力はきっと、苦境に喘ぐ仲間達を救うことができる。

その力はきっと、遥か彼方で一人戦う彼女を、救うことができる。

信じて、まどかはそれを解き放つ。絶望に沈んだ宇宙に、力強く脈打ち始めていたその力を。

 

「これが奇跡なら、魔法なら……きっと、皆を助けられるはずなんだ」

 

 

突如として、まどかのカーテンコールが激しい光を放ち始めた。その光は、魔法を行使しうる魔法少女であれば、見覚えのある光だった。

魔法を行使する際に発生する、機体の発光現象。

具体例はさほど多くもなく、その現象の生じる理由は解明されていない。それでもその光は、ついにまどかがその魔法を行使したのだということを示していた。

 

「キリカ!杏子さんっ!今すぐ戻ってっ!!」

その光は、一つの光景を織莉子に与えるのだった。その声を待っていたとばかりに、ダンシング・エッジは踵を返して織莉子の元へ。杏子もそれにほんの一瞬だけ遅れ、追従した。

カーテンコールが放つ光は、更に強く激しくなった。そしてそれは周囲へと広がり膨らんでいき、すぐ側に戻っていた三機さえ包み込んだ。

その光に誘われるように、バイドや無人兵器の群れが迫る。それらが殺到し、光の内側へと入らんとするその直前に。

 

膨れ上がった光は、内側から弾けるようにして消失した。

その光が弾け飛んだ後には、何も残されては居なかった。

 

鹿目まどかの、もはや異常とも呼べるような進化を遂げた精神は、全太陽系に伝播していた。そしてその願いと、それが生み出した力もまた同じ。

要するにまどかの願いは、自分自身の存在を等しくこの太陽系に遍在させるものだった。例えその意識がソウルジェムの中に収束したとしても、かつてそこに存在していたことは事実。

そしてまどかの魔法は、呆れるほどの魔力を注ぎ込むことで、自身の存在の可能性を変動させるものだった。今いる存在をいなかったことにする。かつてそこにあった存在を、今そこにある存在に書き換える。

そうして起こる存在の変換。事象を正確かつ厳密に捉えるのならば、鹿目まどかとその周辺の一定範囲に存在しているものはその瞬間に、この宇宙から消滅している。

そして同一時間軸の別の座標に、全く同一の物として、質量保存の法則を侵すことなく再構成され出現していた。

そしてその現象を、非常に簡潔かつ的確な言葉で表すこともできた。

 

「ワープ……って、いうんだよね、こう言うの」

地球の青さを目に焼きつけ、そうして仲間ともども帰還を果たしたまどかは、自らの能力を非常に簡潔かつ的確な言葉で表現したのだった。空間転移。それがまどかの願いが生み出した、まどかの魔法であった。

 

「そこのR戦闘機っ!貴方達はISPV-5の周回軌道上に侵入しているわ。直ちに軌道を離れなさいっ!」

純粋な驚きに呆然と立ちすくむ三人と、自らの能力を確信し、同じく呆然としている一人。そしてもう一人、麻酔によって朦朧とする意識の端に、地球の姿を焼き付けていた少女。

そんな少女達に、殴りかかるような乱暴な通信が投げかけられるのだった。それはISPV-5の管制室から投げかけられたもので、その女性の声は直ちに現在の座標から移動することを求めてきた。

「っと、こりゃあ不味いな。とにかく一回離脱してあそこに寄航しよう。……あそこなら、さやかを預けても大丈夫そうだしさ」

杏子は後部座席を心配そうに眺めた。さやかの状態は安定しているように見えて杏子は、ほんの少しだけ安堵したような表情を浮かべた。そして、一芝居打つかと唇の端に笑みを浮かべた。

 

「っ……く、こちら、デルタ試験小隊所属の、佐倉杏子特務曹長だ。作戦遂行中にバイドの襲撃を受け、どうにか脱出してきた。負傷者もいる!機体の補給と、負傷者の収容を頼むっ?」

酷く焦燥しきった……ような声色で、杏子はその女性の声に答えた。答えながらも、四機はISPV-5の周回軌道から離脱して。

そんな杏子の迫真の演技に、通信を送っていた女性も小さく息を呑んだ。負傷者が居るのは事実だが、杏子は恐らく身分としてはすでに死んだ身だ。恐らくキリカや織莉子も状況はそう変わらない。まどかなんて論外だ。

とにかくさっさと収容してもらうためには、多少の方便は通してみるしかないだろう。

 

「……分かりました。合流地点の座標を送ります、7番ハッチを空けておきますので、そこで収容します」

「了解した。……協力感謝するよ」

色よい返事はすぐに返ってきた。バイドの侵攻に慌てふためく地球圏である、すぐに許可が下りたのは僥倖という他ない。

 

「さやかさんを預けて補給を済ませたら、すぐに火星に向かいましょう」

合流地点へと機体を向かわせながら、織莉子は既にこの先のことを考える。戦火を逃れることはできたが、それでは根本的な解決にはならない。やはり、人類そのものが生き延びるためには戦うしかないのだ。

「そうだね、火星ではきっとまだ、バイドと激しくやりあっているはずだ。多分、私達の仲間たちももうついている頃だろうからね」

キリカもそれに頷いた。もっとも、魔法少女隊はつい先ほどまでモルガナの結界に囚われており、彼女達が火星の戦場に到着するまでには、まだ幾許かの時が必要とされていたのだが。

 

「ああ、まだあたしらの戦いは終わっちゃ居ない。だけどまどか、あんたはここに残れ」

それに並んで杏子が言う。確かにまどかは力を得た。けれどそれは、戦うにはまだ足りないものだった。だからここにおいていく。それにまどかの能力はきっと、ただ戦うよりももっと大きな仕事をしてくれるはずだと、杏子はそう考えていた。

けれど、まどかからの返事はなかった。見れば、カーテンコールはISPV-5の周回軌道を離れたところで止まっていた。

「おい、まどか?……まさかっ!?」

そして今になって、杏子はそれに思い至った。魔法の行使は代償を必要とする。それはソウルジェムに穢れという形で現れる。

あれほどの広大な距離を、それも四機にして五人を同時に転移させるという所業。それは果たしてどれほどの魔力を必要とすることであろうか、値を求めることなどできないが、間違いなくそれは、膨大なものであろうことは杏子にも容易に推測することができたのだ。

 

「おい!返事しろ、まどかっ!!」

杏子は必死に呼びかけた。まさかあの転移は、文字通り命がけで行ったものだったのかもしれない。だとすれば、それほどの魔力を行使したまどかに待っている結末は何だ?

忘れもしない、かつてさやかが辿った末路と同じ。魔女となり、破壊と絶望をもたらす権化と化す。そんな最悪の悪夢が、杏子の脳裏でありありと再生されていた。

 

「大丈夫だよ、杏子ちゃん。このくらい、全然平気だよっ」

けれどその心配は、まどかの元気そうな声によって杞憂に終わることになる。

「……ンだよ。心配させやがって。ったく、じゃあさっさと行こうぜ、まどかっ」

ほっと胸を撫で下ろして、杏子はまどかに呼びかけた。けれど、カーテンコールは動かない。

「まどか、お前……本当に大丈夫なのか。実はもう、ギリギリなんじゃないのか?」

そんなまどかに、やはり訝しがって杏子は尋ねた。あれほどの途方もない魔法を行使して、平然としていられるとは信じられなかったのだ。

それは、杏子もまた魔法を行使する魔法少女であったからこそ分かること。

「違うよ、本当に大丈夫なんだ……でも、私は行けない。私には、行かなくちゃいけないところがあるんだ」

杏子の声に、まどかはどこか覚悟を決めたような様子で、そう答えるのだった。

 

「私はきっと大丈夫。あのね、杏子ちゃん。私が一度死んだとき、この宇宙の人たちは皆絶望しちゃったんだよ。その絶望が、とても大きな力を生んだ。私はその力を皆に返してあげて、それで杏子ちゃんを呼び戻したんだ」

「……ああ、未だに信じられねぇけど、そういうことなんだってのはあたしにも分かるよ」

それは独白にも似た言葉。杏子は到底信じられないようなまどかの言葉にそれを信じざるを得ない自らの状態を重ねて、そう相槌を打った。

「それで、みんなは希望を取り戻した。死んでしまいそうな深い絶望から、力を手にしてそれを乗り越えたんだ。私ね、思うんだ。希望が絶望に変わる、それが力を生み出すっていうのなら……その逆もあるんじゃないかな、って」

「それは……じゃあ、まさかっ!?」

希望と絶望の相転移。それが生み出すエネルギー。それがエントロピーを凌駕し得るというのだとしたら。そのエネルギーの発生は、恐らくエネルギー保存の法則さえも無視するのだろう。

だとすれば、エネルギーを生み出す行為と真逆の行為は何をもたらすのだろうか。そのいずれもがベクトルを逆にしただけの、同じく強い感情の相転移なのだ。それは何を生み出すのだろう。

 

「全ての人類が希望を取り戻したわけじゃないから、その力はさっきと比べて全然弱いけど。けれど、それでも凄く大きな力が生み出されたんだよ。……私の魔法は、それを使っているみたいなんだ」

生み出されるのはやはり同じく膨大なエネルギー。それを宇宙の延命に役立てるためのシステムは既になく、生み出されたエネルギーは必然的に、まどかの身の内にはち切れんばかりに蓄えられていた。

「そっか……なんか、よくわからねぇけど凄いな。それでその力を使って今度は何をやる気なんだ、まどか?」

理解はできない。それでも、信じるには十分すぎた。だから杏子は、きっとまどかが何かをしてくれるのだろうと信じた。

 

「多分、この力があればいろんな事ができると思う。マミさんや、他の魔法少女達を助けることができる。火星に住んでる人たちを、地球に避難させることだってできるかもしれない。でも……私には、この力でやらなくちゃいけないことがあるんだ」

そのいずれも、まどかの今の能力をもってすれば不可能なことではないのかもしれない。この太陽系で今尚苦境に喘ぎ、バイドと戦う人々を助けるためにこの能力は確実にその力を発揮してくれるだろう。

けれど、まどかはそうしない。そうできない理由があった。

 

「大切な、とっても大切な友達を助けに行きたいんだ。その子は、とってもとっても遠いところで、今も一人で戦ってる。私は、その子を見捨ててなんて置けない。助けてあげたい。……だから、行くんだ」

「その友達ってのは、あんたが救えるかもしれない沢山の命やあたしと天秤にかけてもそれでも助けなけりゃならない、そういうものなのかい?」

まどかの決意は固い。けれどそれほどの希望が目の前にあって。杏子はどうしても、それを問いかけずにはいられなかった。その問いに、まどかは少しだけ躊躇って。それでも。

「……うん。あの子は、ずっと一人で戦ってたんだ。あの子を助けられるのは、私しか居ないから。それにね、きっとあの子を助けることが、人類皆を助けることに繋がるはずなんだ。……だから私、行くね」

力強く、そう答えるのだった。

「やれやれ、あんたにそこまで思われてる子は随分と幸せもんだね。……わかったよ。もともと何があろうと戦ってやるつもりだったんだ。行ってこいよ。あんたが帰ってくる場所は、あたしらが守っててやるよ」

そして杏子も、そんなまどかに力強く笑って答えた。

 

「貴女も見つけたのね。自分より大切な誰か。……本当に譲れない、戦う理由を」

気付けば、織莉子のヒュロスが隣に並んでいた。かつて織莉子が見たまどかは、戦うことの意味を知らず、その苦痛を知らず。ただ孤独に耐えかね、戦いという名の逃避を選ぼうとしていただけの少女だった。

けれどどうだろう、今こうして再び相見えることとなったまどかは、驚くほどの成長を遂げていたのだった。

「織莉子さん……うん、今なら分かる気がするんだ。あの時言われたことの意味。でもね、織莉子さん。もしかしたらもう織莉子さんも分かってるかも知れないけど。戦う先に未来がないなんてことはないんだ。戦って、勝ち取らなくちゃいけない未来だってあるんだよ」

それは、かつて戦う理由を問われた織莉子がまどかに答えた言葉。

“戦うことを選んだ時点で、その先に未来などありはしない。”その言葉から時を経て、織莉子も戦いの先に描く未来を知った。

まどかもまた同じく、戦うことで勝ち取る未来をその胸に描いていたのだった。

 

「……ええ、今ならはっきりと言えるわ。あの時の私の言葉は間違っていた。だからまどかさん。あなたにもそれを証明してもらえるかしら。私達の未来を、一緒に作りましょう」

「おおっと!そんな素敵な未来なら、私のことを忘れてもらっちゃ困るな。当然織莉子の素敵な未来の側には、いつもいつでも私が居る。それで完璧素敵な未来だ。そうだろう、織莉子?……そして私は、そんな未来をキミ達とも見られたらいいと思うよ」

付け加えるようにそう言って、キリカは照れくさそうに笑った。

「うん、織莉子さん、キリカさん。……私、行ってくるね。皆が手にした希望を、絶望なんかで終わらせないために。皆が未来を勝ち取るために。そして、必ず帰ってくるから。……あの子と、スゥちゃんと一緒に」

そして、カーテンコールが再び光に包まれる。今度はその光は膨らむことはなく、カーテンコールのみを包み込む。かつてまどかの意志は、その能力は26次元の彼方、スゥの元へも届けられていた。だからこそ、その場所にもまどかの存在は残されていた。

それを辿れば、転移することができる。

 

(行ってくるね、さやかちゃん)

昏々と眠り続け、一切の反応を見せないさやか。その横顔を僅かに眺めて、そっと心の中で言葉を告げた。

 

 

 

そして、再び光は弾け。

カーテンコールは、太陽系から消失した。



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第19話 ―終わる、一つの物語―⑤

最後に残ったたった一つの尊い奇跡。
折れざる意志が、繋がれた希望が導いた本当の奇跡。
それは一人の少女の為に。ひいては遍く人類の為に。

――そして、全てのRの名の下に、大団円は舞い降りる。




悪夢を吐き出す魔人の心臓に、今、とどめの一撃を。


英雄であることを望まれた少女は、戦い続けた。人知れず、遥かな次元の彼方で。

悪しき異星人の謀に、その翼を引きちぎられて尚。千切れた翼ももげよとばかりに、死に挑んで羽ばたき続けた。戦い続けた。

だが、それは最早無意味な抵抗。反撃に移る余裕などなく、ただ迫り来るフォースの間をすり抜け続けることしかできなくて。そうしている内にバイドは既に体勢を立て直し、砕けた外殻を修復してしまっていた。

ギガ波動砲の直撃すらも退けるそれは、先のフォースの暴走の攻撃のデータを既に学習し、その攻撃にすらも耐えうるほどの、更なる頑丈さを獲得していたのだった。

 

そんな更なる力を得たバイドに対して、抗う少女は余りに無力。力を振り絞り、魂を燃やし尽くし。その命の最後の一片までもを輝かせんばかりに飛び続ける。

けれどその身体には無数の傷が刻まれ、メインブースターも一基を残して沈黙している。

その姿は最早、動いているのが不思議なほどで。

 

まさにその状況が指し示すのは絶望。遠からぬ敗北と死。

けれど、少女は。

 

「……負けない、負けないっ!負け……なぃっ!!」

スゥは咆哮する。その意志は挫けることはなく、それはラストダンサーへと伝播する。まだ抗う。それでも戦う。未来は分かりきっているはずなのに。未来はもう、決まってしまったはずなのに。覆せるはずなどないのに。

きっとスゥ自身、希望を信じていたわけではないのだろう。それでもただ、負けられない。負けたくないという思いだけが頭の中を埋め尽くす。負けたくない。目の前の敵に、忌まわしき企みに。そして避けようもなく襲い来る、過酷なる運命に。

 

 

それはただの意地。けれど強く途切れざる意志。

きっとこの世界に本物の奇跡というものがあるとするのならば、それは。

そんな意志を、最期の最期まで貫き通し得た者の元に、舞い降りるものなのかもしれない。

 

カーテンコールは、鹿目まどかは遥かな距離を、23の次元を一足飛びに跳躍した。そして、少女の戦場に。琥珀色の空間の只中に、その姿を現したのだった。

 

「R戦闘機……一体、誰が」

機体機能の低下に伴い、スゥの身体たるラストダンサーは感覚さえも衰えていた。けれど、最新鋭の機器によってもたらされていたその感覚を補うほどにスゥの感覚は研ぎ澄まされていた。

その研ぎ澄まされた感覚は、その空間に新たに現れたR戦闘機の姿を即座に知覚していた。そして、続けざまに飛び込んできた声はスゥを驚愕させた。

 

 

「助けに来たよ、スゥちゃんっ!!」

「…………まどか?」

その声に、スゥは驚愕した。何故ここにまどかがいるのか、それが理解できなかった。

その声に、スゥは困惑した。こんなところにまどかが居るはずがないと、インキュベーターの手に落ちていたはずなのにと。

その声に、スゥは安堵した。けれど、まどかは今ここにいる。聞き間違えるはずがない。

 

そしてその声に、スゥは憤慨した。何故、まどかがR戦闘機に乗っているのかと。一体誰が、彼女をこんなところへ追いやったのかと。

 

「ぁ……っ」

そしてそんな激しい感情の大波は、容易に張り詰めていたスゥの心を乱した。

動きを止めたラストダンサーに迫り来るフォース。回避行動を取るも、その動きは哀れなほどに緩慢だった。そしてフォースは、ラストダンサーの機体後部をごっそりと抉り取り、ついにラストダンサーは、その身を保つ術の全てを失った。

 

火花を撒き散らし、爆炎と共に墜落していくラストダンサー。

熱に歪んだスゥの視界には、それでもまどかのカーテンコールが映し出されていた。

 

「こんなところで、終わり?……嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だッ!まどかが居るんだ!あそこにっ!!死にたくない、まどかっ!もう一度会いたい、触れたい。話したい……まどか、まどか…まどかぁぁぁっ!!」

叫ぶ。けれどその声を外部に伝える機能は、もうラストダンサーには残されていない。湧き上がる炎に包まれ、火だるまになりながら、ラストダンサーは琥珀色の湖面へと落ちていく。

 

そして、まどかは。

 

「っ!スゥちゃんっ!今、助けに行くからっ!!」

叫び、そして再びカーテンコールは光に包まれ消える。

 

 

 

 

そして、奇跡は起こった。

 

 

 

カーテンコールが消失したその刹那、炎の中に消えていくラストダンサーが光を放つ。それは余りに眩く強く、あらゆるものを塗りつぶしていく光。

そしてその光の中心で、とても大きな力を宿した何かが一つ、力強く脈打った。

 

それは奇跡、されど必然。

まどかはスゥの元へと行こうとした。ただそれだけを考え、自らの魔法を行使した。それは触れ合う距離よりももっと近く。完全なる同一座標上に、その身体を転移させた。

当然そこにはラストダンサーがいる。カーテンコールはラストダンサーに重なるように

まるで二つが一つの機体であるかのように、現れたのだった。

 

 

 

それは、先のアークでの出来事の最中。インキュベーターが思い至った一つの事実。鹿目まどかの特異性。

彼女の持つ能力は、余りに広大かつ強力。それを自在に操るに足る精神は、とても人間という未熟な生物の枠には収まりきらないものだった。そう確実に断ずることができるほどに、恐ろしい進化をまどかの精神は遂げていたのだ。

それほどの恐るべき進化が、突如として一個体に現れることなどあるだろうか?可能性は0ではなかろう。それでもそれは、何らかの外的要因を疑わせずにはいられない。

 

考えれば、それはすぐにでも思い至る。

その能力に身体を精神を苛まれ、苦しんでいたまどか。彼女を救ったのは、スゥの存在とその願い。スゥに出会い、まどかの精神は均衡を取り戻し。そしてスゥが魔法少女となった願いによって

まどかの身体は、その能力を受け止めるに足るものへと変わった。だとすれば、まどかにその恐るべき進化をもたらしたのは、スゥの願いに他ならない。

進化を促す願い。その願いが生み出す魔法とは何か。恐らくそれもまた、進化を促す力だったのだろう。だが、その魔法は今まで一度として発現することはなかった。

それも当然である。その願いは、まどかの為にあったのだから。その魔法も、まどかがいて初めて力を発揮するものだったのだ。

そして今、まどかがそこに現れた。全てのR戦闘機のデータを内包したカーテンコールを携えて。

 

戦うために生み出された究極の力――ラストダンサー。

そして、ラストダンサーすら持ちえぬバイドの因子。それすらも飲み込み組み上げられた、人類の英知、そして狂気の結晶――カーテンコール。

その力をもってしても尚足らざる巨大な外的要因、そしてもたらされた更なる英知。積み上げられた戦いの経験値。そして、進化を促す魔法。

 

 

そう、それは必然とも言うべき奇跡だったのだ。

 

 

光が薄れ、そこに佇んでいたのは一機のR戦闘機。

ラストダンサーではない、カーテンコールでもない。今までのR戦闘機とは、全く異なる姿をしていた。

 

「これ……は」

その機体の中で、驚いたように周囲を見渡しながらスゥは呟いた。

「スゥちゃんの機体と、私の機体が……一つになっちゃった」

そしてその声に答えて、まどかもまた呆然と呟いていた。

 

「っ!?まどか?……そこに、いるの?」

声が聞こえて、さらに驚きスゥが問う。

「うん、私はここにいる。きっと今は、スゥちゃんと一緒にいるはずなんだ。だからスゥちゃん、手を伸ばして。きっと届くから」

まどかは答え、言葉を返し。そして手を伸ばす。それは現実には在らざる手。けれどまどかは手を伸ばす。そして、スゥもその手を伸ばした。

 

在らざる手と手は、結ばれた。

 

 

 

「本当に……まどかを感じる。まどか……ぁぁ、まどかっ」

 

 

 

――次元を越えて差し伸べられた手と手は。

 

 

 

「私も感じるよ、スゥちゃんの手を。スゥちゃんの暖かさを。……そこに居るんだね、スゥちゃん」

 

 

 

――もう放される事は無い。

 

 

 

「もう、絶対に離さない。絶対に」

 

 

 

――もう解ける事は無い。

 

 

 

 

それは、ラストダンサーがカーテンコールを取り込み進化した姿。まさしく最終最後の、そして究極のRの姿がそこにあった。

 

手を握り合い、身を寄せ合い、生まれ変わった機体に二人の魂を宿す。

結ばれたその手が、そのまま操縦桿を握るイメージ。体中に、はち切れそうなほどの力が渦巻いていた。

 

「あの時から、ずっと考えてたんだ」

驚いた様に動きを止めていたバイドが、その活動を再開した。再び吐き出されるフォース。それを尻目にまどかは囁く。

「私は、このまま守られ続けてるだけでいいのかなって。マミさんやさやかちゃん、ほむらちゃんや杏子ちゃんに、スゥちゃんにも。私は、守られてるだけでいいのかな、って。考えて、考えて……そして分かったんだ」

動かない二人に、フォースが再び降り注ぐ。それを真っ直ぐ見据え、まどかは力強くそう告げた。

 

「未来は、希望は、皆で一緒に掴むものなんだ!だからもう、スゥちゃん一人を戦わせたりしない。私も……一緒に戦うからっ!!」

言葉と同時に、二人の機体が掻き消えた。次の瞬間、降り注ぐフォースから離れた場所に機体の姿が現れた。まどかの魔法は、その身体を新たな機体としてさえも尚、その力を誇っていたである。

 

「……まどか」

涙が零れてしまいそうだった。胸がいっぱいだった。涙を零す瞳など無いのに、視界は何かで揺らいでいた。

ずっと一人で辛かった、誰かに一緒にいて欲しかった。この辛さを、生きる事、戦う事の苦痛を分かち合える、仲間が欲しかった。それが最高の形で叶った喜びが、スゥの胸中を埋め尽くしていた。

 

「行こう、今ここで、全てを終わらせようよ!」

そんなスゥに、まどかは力強くも優しく促した。

どこか笑ってもいるような、そんなまどかの姿に導かれるようにして。

「行こう、まどか。これで終わりにするんだ。今度こそっ!」

スゥもまた、力強く決意の言葉を放ち、そして。

 

「もう一度だけ力を貸して。ラストダンサー……いいえ」

僅かな、ほんの僅かな沈黙の後に。

 

 

 

 

「――グランドフィナーレっ!!」

 

 

 

 

それは、まさしく終焉を告げるもの。人とバイドの戦いの歴史に終止符を討つもの。その終わりの姿の望むべき形が、そのまま機体の名前となった。

そう、願わくば最高の大団円を……と。

 

そして今、誰一人知らぬこの次元の彼方で、人類の未来を賭けた最後の最大の戦いが、始まろうとしていた。

 

 

波動砲のチャージを開始しながら、グランドフィナーレがバイドへ向けて突き進む。行くフォースの群れが次々に吐き出され、グランドフィナーレを叩き落そうと迫る。

けれど、そんな攻撃に今更何の意味があると言うのか。最強の乗り手にして英雄たるスゥの前に、究極のRたるグランドフィナーレの前に、そんな攻撃などは、もはやあってないようなものでしかなく。

グランドフィナーレは一切速度を落とすことなく、迫り来るフォースをすり抜け突き進む。

だが、追い詰められたバイドもまた、抵抗を諦めるつもりはないらしい。琥珀色の液面から、グランドフィナーレの侵攻を阻むかのように何かが突き出してきた。

それは巨大な塊。無数の機械が寄り集まってできた壁。それがそのまま、グランドフィナーレを押し潰そうと押し寄せる。バイドはこれほどの巨大な物質を生み出す能力さえも備えていたのかと、ほんの僅かに驚愕した。

 

だが、それでもグランドフィナーレを止めることはできない。

 

「まどか。お願い」

「任せて、スゥちゃんっ!」

機械の塊がグランドフィナーレの存在していた空間を押し潰す。それが通り過ぎていった後、まどかの魔法が転移させたグランドフィナーレが再び姿を現し、バイドへと向けて突き進んでいく。

グランドフィナーレの性能と、スゥの卓越した技量。更に緊急回避的に用いられるまどかの魔法が合わさり、最早彼女達を止められるものは何も無い。グランドフィナーレは悠々と波動砲のチャージを完了させ、バイドへ向けて打ち放った。

 

放たれるのは光の奔流。最大最強のギガ波動砲。

波動砲そのものが強化されたわけではなかったが、それでもグランドフィナーレは、ギガ波動砲の最大の弱点たる長大なチャージ時間を短縮させ、通常の波動砲程度までそれを縮める事に成功していた。

だが、その威力はギガ波動砲のそれと変わらない。つまりは、激しい光の奔流を受けて尚、バイドは傷一つ負うことなく健在だったのである。

 

「やはり……駄目ね」

そしてそれは、スゥにとっては予想の範疇。先ほどバイドの装甲を破った時とて、フォースのエネルギーを最大開放し、更にギガ波動砲のフルチャージをあわせて、それでどうにか破ることができた程の相手である。ギガ波動砲が通用しないことは十分に予想していた。

では、どうすればいいのだろうか。。

 

「もう一回、試してみようよ。スゥちゃん」

「何かいい手があるの?まどか」

「うん。大丈夫、きっと上手くいくから。だから、私に任せてくれないかな」

戦いの場に臨み、まどかは自らの力をどう使うべきかを考える。最早そこには、無力に嘆き、戦いを恐れていた少女の姿は欠片もなかった。そんなまどかが、今や頼もしくすらも感じられるスゥだった。

 

「わかったよ、まどか。タイミングはまどかに合わせるから!」

スゥはまどかに力強く答え、再びバイドへと肉薄する。

迎撃は更に苛烈になり、ついには生み出されたバイドがそのままグランドフィナーレに襲い来る。迫り来るフォースが逃げ場を奪い、その隙を縫ってバイド群が生み出す弾幕がグランドフィナーレに降り注ぐ。

 

だが、それすらも無意味。

ほんの僅か、機体一つ分の隙間を見つけてはそこに機体を滑り込ませ。、時には放たれるフォースすら盾にして、グランドフィナーレは飛び続けた。

どれほど濃密な弾幕も、どれほど大量の敵でさえも、それを止めることはできなかった。。

 

「どうしてかな。こんなに敵だらけで、すごく怖いはずなのに。……今、すごく嬉しいんだ。私」

ほんの少しの戸惑いと、隠しきれない喜びをその言葉に滲ませて、まどかが言った。その思いはきっと、自分が感じているものと同じなんだろうとスゥは思った。

「私も、まどかと一緒に居られることが嬉しい。一緒に戦えるのが嬉しい。まどか……もう、絶対にこの手は離さないから」

それは在らざる手と手。けれど固く強く結ばれた手と手。その繋がりが確かに強く感じられて、それだけでいくらでも羽ばたくことができる。いくらでも、身体に力が湧いてくる。

全身に漲るこの全能感は、それが決して過信ではないことを教えてくれる。

 

「波動砲チャージ完了、いつでも行けるよ。まどか」

「私もいつでも大丈夫だから。行こう、スゥちゃんっ!」

どちらとも知れず頷きあって、そして。

「食らえ……っ!」

カーテンコールが光を放つ。その光がそのまま機首へと収束する。けれど、放たれるはずであったギガ波動砲の光は放たれず。収束したその光も掻き消えた。

次の瞬間。脈打ちながらバイドを吐き出し続けていたその心臓が、更に激しい光に包まれた。脈打ちも更に激しくなり、それはまるで苦しんでいるかのようだった。

 

「一体何が……まさか、まどか?」

「きっとあのバイドは、外からの攻撃は全然通用しないんよね。だから中から攻撃したら、効果があるんじゃないかなって思ったんだ」

そう、まどかの能力は機体にのみ発揮されるものではなかった。

放たれようとするギガ波動砲を、解放されて荒れ狂う力そのものを、直接バイドの体内へと転移させていたのである。

原理で言えば、それは炸裂波動砲に近いものであっただろう。バイドによる空間干渉さえもものともしないまどかの魔法は、その上位互換とも言えた。

いかなその装甲が強力だとは言え、それが守るものまでもがそうかと言えば、違う。逃げ場のない閉鎖空間内で荒れ狂うエネルギーは、長時間に渡りバイドにダメージを与え続けていた。

 

「効いてるわ。……これなら、勝てるっ!でもまどか、貴女は大丈夫なの……魔法は」

勝機を目前に、スゥの思考に一抹の不安が宿る。

魔法少女の魔法がいかなるものか、それを使いすぎたときに辿る末路がなんであるのか。スゥもそれを知っていた。まどかは絶対にそうさせるわけには行かなかった。

「……大丈夫だよ」

まどかの力の源は、人類の絶望から希望への相転移によって生まれたエネルギー。それは確かに膨大なものではあったけれど、26次元への転移もまた多くのエネルギーを必要としていた。

恐らく、そうして生み出された力は全て使い切ってしまったのだろう。となれば後は、まどか本人が持てる力でバイドに立ち向かうしかなかった。

今すぐどうなるとは思わない。けれど、そういつまでも戦い続けられるものでもないだろう。

 

「私なら大丈夫だから。今はバイドをっ!」

「どっちにしても、急いで片付けないと。……もう一撃、次で決めるわ」

「任せて、私はいつでもいけるからっ!」

なんにせよ今、バイドにダメージを与える術はこれしか考えられない。そしていかなバイドが強大であれど、逃げ場のない空間で荒れ狂うギガ波動砲に、そう何発も耐えられるはずなどない。

今度こそ終わらせるのだ。そう覚悟を決めた。

 

ギガ波動砲のチャージを再度開始する。

敵もダメージは大きいらしく、バイドやフォースの生産が停止している。絶好の好機。今度こそ、これで全てを終わらせることができる。

 

バイドとの戦いに終止符を。全ての人類に、平和な未来と希望を。そしてせめて、戦い抜いた少女達にささやかな平穏を。

願いを乗せた引き金を、二人のその手を重ねて握る。狙いを定め、引き絞る。

 

「これで……」

「終わりだよっ!」

再び輝くグランドフィナーレ。そして放たれたギガ波動砲。直接中枢にその一撃を叩き込まれ、異形の心臓が激しく明滅する。そして、ついにそれが弾けた。

異形の心臓が纏う光は途切れ、堅牢であった装甲にも次々にひびが入っていく。ひび割れた隙間から、荒れ狂うエネルギーの奔流があふれ出していた。

 

そして、ついに。

激しい光を全身から撒き散らしながら、異形の心臓を抱えた大樹が弾け飛ぶ。高まる内圧に耐えかね、激しく吹き荒れる光の中に、その全身が粉々に砕け散っていった。

 

 

 

「……終わったの、かな」

砕けた破片が、次々に琥珀の液面に散らばっていく。その光景を見つめながら、呆然とまどかは呟いた。思いがけなく呆気ないと、ちょっとだけそんな風にも考えながら。

そう、事実バイドという敵はそこまで甘くはない。そのことを、スゥはしっかりとその心に焼き付けていた。

「バイド反応増大……まだ終わりじゃない、まどか!気をつけてっ!!」

言葉と同時に、琥珀色の液面が揺らぐ。その液面を突き破り、現れたのはバイドの大樹。先ほどと変わらぬ異形が、再びグランドフィナーレの前に立ちはだかっていた。。

 

「そんな……確かに倒したはずなのに!」

「きっと再生したのね。さすがバイドの中枢。まさかこれほどの再生能力を持っているなんて」

それは恐ろしいまでの再生能力。打ち砕かれ、完全に粉砕されたはずのその大樹がすぐさま復活を遂げている。

「どうしよう、スゥちゃん。何回でも倒せばいいのかな……でも」

持久戦を挑むには、この方法は余りにも消費が大きすぎた。グランドフィナーレ自体は問題ないだろう。けれど、まどかの魔力は有限なのだ。

 

「それじゃ無理だと思うよ、まどか。あいつはきっと、この空間そのものからエネルギーを取り込んでる。そして、自分さえも再生させている。だとしたら……その元を断つしかない」

今まで繰り返してきた戦いから、スゥは一つの推測を得ていた。恐らくこの琥珀色の液体は、バイドにとっての重要なエネルギー源なのだろう。それを取り込むことであのバイドは、バイドの生産や自らの再生を為しえている。

それを遮るためにはどうするべきか。そのエネルギー源自体を断ち切るしかない。すなわち、破壊しなければならないのはこの空間そのものなのだ。

 

「……じゃあ、私は何をしたらいいの、スゥちゃん」

スゥは、ほんの少しだけ考える。グランドフィナーレが持つ可能性を、そしてまどかのことを。まどかを危険に晒したくはない。けれど、それでもまどかは戦うと言ってくれたのだ。一緒に戦ってくれるのだと。だから、それを信じようと思った。

「最低限の機体維持以外の全てのエネルギーを、波動砲ユニットに回す。グランドフィナーレの全エネルギーを放出して、この空間に叩き込んでやるの」

実際問題、どれほどの余剰エネルギーがあろうとも、ギガ波動砲というデバイスの限界を超えて多量のエネルギーを放出することは難しい。というよりも不可能だ。だが、その不可能を可能にする術ならばこの手の中にある。

 

「だからまどかは、その間グランドフィナーレを守っていて欲しいの。多分、ほとんど身動きが取れなくなると思うから。……大丈夫かな、まどかは」

ためらいがちに尋ねたスゥに、まどかは力強く応えるのだった。

「任せてよ!絶対に、スゥちゃんを守り抜いてみせるから」

自分はもう無力ではないと、できることがあるのだと。自分のこの手で、大切な人を守ることができるのだと。そんな自信に満ちた声で。

そんなまどかの声に、スゥは自らを恥じた。今のまどかは、守ってもらわなければならないただの女の子ではないのだと。今のまどかは、命を共にし戦いあう戦友なのだということを、実感した。

 

「ありがとう、まどか。……ねぇ、まどか」

そんなまどかの力強い姿に、スゥの胸がどきりと跳ねた。鋼の機体に宿した心臓が、その鼓動が一つ、上がったような気がして。溢れ出る感情を、抑えることができなくなった。

在らざるものの、それでも繋がるその手の暖かさが、胸の内に染み入って、戦いの最中だというのにスゥはもう、そうせずにはいられなかった。

その思いは、まどかとの再会を果たしたそのときからずっと、はち切れそうに膨らんでいたのだ。それが今、胸中を埋め尽くした思いが、溢れ出してしまった。

 

「こんなこと言ったら、変だって思われるかもしれない。でも、抑えきれないんだ。好きなの。……まどかのことが、大好き」

胸の中に宿った小さな思い。打ち明けることもなく、理解されることもないであろう小さな思い。けれどそれは、長い別離の時を経て、どんどんとスゥの中で大きくなっていった。

会えないからこそ会いたくて、会えないからこそ恋焦がれて。

その思いは、どこまでも途絶えることがなくて。ついにそれは、スゥの心から溢れ出してしまった。それはそのまま口をつき、素直な言葉になって表れてしまうのだった。

 

「助けに来てくれて、会いに来てくれて……本当に、本当に嬉しかったの」

きっとその瞳からは、ぽろぽろと涙が零れていたことだろう。それを知ってか知らずか、その涙を拭う手があった。その手は優しくて柔らかくて、そして暖かかった。

スゥはその手を知っていた。それは、まどかの手の感触で。触れ合うほどに近しい魂だからこそ、在らざるその手は在らざる者に。スゥの心に触れることができていた。

 

「嬉しいな、スゥちゃんがそんな風に思っててくれたなんて。……スゥちゃんはね、みんなの英雄になるより前に、わたしの英雄だったんだよ」

仲間の死に、親友との離別に、失われた光に、世界の全てがまどかを打ちのめし、その心が壊れてしまいそうなとき。スゥはそんなまどかを助けてくれた。壊れかけた心を支えてくれた。

迫り来る悪魔の手から、まどかを守ってくれた。その世界に再び光を取り戻してくれた。まさしくスゥは、まどかにとっての英雄だったのだ。

「だから私は……もしかしたら、そんなスゥちゃんに一目惚れしちゃったのかもしれないな。……大好きだよ、スゥちゃん」

照れくさそうに、けれど嬉しそうにまどかは笑った。そして、スゥの手にその手をそっと重ねて。一つになるほどに近く、その魂を触れ合わせて。

 

「行こうよ、スゥちゃん。それで、さ。……帰ったらデート、しよ?」

「えっ!?……ぁ、ぇと」

悪戯っぽく言うまどか。スゥはすっかり呆気にとられて。けれど、それでも。

 

「………うん」

嬉しげに、けれど泣いているかのように、スゥは小さく頷くのだった。

 

 

「来るよ、まどかっ!!」

「任せて、スゥちゃんっ!!」

ついにバイドが完全なる再生を遂げる。敗北から学び、バイドは更に凶悪なる進化を遂げていた。

無数のフォースを、バイドを生み出し。更にはその身体からも無数のレーザーが放たれる。それは有機的に、ランダムに枝分かれしながらグランドフィナーレに迫る。

更に苛烈さを増すその攻勢。けれど、最早それは何の意味も持たなかった。グランドフィナーレは、攻撃を回避するつもりもなかったのだから。

 

「3番以降の全バイパスを波動砲ユニットへ接続。波動砲ユニット、全リミッター解除」

膨大なエネルギーを生み出し続ける、グランドフィナーレの全機関が唸りをあげる。そのエネルギーの大部分が、波動砲ユニットへと注ぎ込まれていた。

膨大すぎるエネルギーを一点に注がれ、グランドフィナーレが唸りをあげる。激しく振動する機体。それを制御するためのエネルギーですらも、波動砲ユニットへと注ぎ込まれていた。

故にグランドフィナーレは、完全に動きを止めていた。そこには敵の攻撃を回避する術は、全く持って存在していない。けれど何も問題もない。

グランドフィナーレが発光し、その光が広がり球となる。そうして生まれた球体へと、空間ごと埋め尽くすかのような攻撃が降り注ぐ。

けれどその全てが、まるで何も無かったかのようにその空間を通り過ぎていった。その後には、変わらず光球と化したグランドフィナーレの姿があるのみで。

 

まどかの魔法が生み出したその光球、それに与えられた役割はたった一つ。それに触れる全てのものを、球の向こうへと転移させること。

それはすなわち、まどかの魔力が持つ限りいかな攻撃もいかな干渉も、グランドフィナーレには届かない。全てを受け流す絶対なる守護の方陣。それが、押し寄せるバイドの攻撃の全てを無効化していた。

「すごい力……でも、大丈夫なの、まどか?」

「大丈夫だよ、信じて。……それに、私の心配をするなら、早くバイドをやっつけちゃおうよ!」

どうしてもスゥはまどかを心配してしまう。心配しなくてもいいようにするためには、やはりバイドを倒してしまうしかないのだ。

 

「……そうだね。まどか、もう少しだけ頑張って!」

覚悟を決めた。スゥは更なる力を波動砲ユニットへと注ぎ込む。内側で荒れ狂い、解放される時を待ち望むその力。それが更に激しく機体を揺さぶり続けた。

小規模な爆発が起こる。それはグランドフィナーレの内部から。制御可能な領域を超えたエネルギーに、ギガ波動砲のデバイスがオーバーロードしている。制御を失ったエネルギーは、ついにグランドフィナーレにすらも牙を剥き始めた。

「く……ぅ、暴れ、ないでっ……っ!」

必死に機体を制御する。けれどその為のエネルギーすらも波動砲ユニットに回されている。ろくに制御することもできず、衝撃に翻弄されてふらふらと飛び交うグランドフィナーレ。

ただそれでも、まだまどかの魔法がその身を守ってくれている。それ故に、グランドフィナーレは一切の制御を失って尚、健在であった。

 

「やっぱりダメなの……このままの波動砲デバイスじゃあ、グランドフィナーレの全力に対応できない」

焦燥を滲ませ、スゥが言葉を放つ。

人類が持ちうる最強の波動砲。それを制御するためのデバイスでさえも、グランドフィナーレが持つ、余りにも強大すぎるエネルギーを制御することはできずにいた。

波動砲のチャージを示すゲージは、既に最大容量を突破していることを告げている。それでも尚止むことなく注がれ続けるエネルギーに、ゲージは激しい振動と明滅を繰り返す。

そしてついに、ゲージに大きな亀裂が走った。これが完全に砕けてしまえば、それは波動エネルギーの一切の制御が失われてしまうということで。これだけ膨大なエネルギーが制御を失ってしまえば、確実に暴走を引き起こす。

 

「いっそ暴走させて奴ごと道連れに……ううん、それじゃあ私達だって死んでしまう。それに、それで倒しきれるとも限らない……っ」

どれほど足掻いても、どれほど悩んでも事態は好転しない。その為の手段は、今のグランドフィナーレには存在していないのだ。だからどれほど手を尽くしても、今のままでは無為なこと。

「……もう一度、試してやる」

その不条理を無理やりにでも押し通す力を、少女達は持っていた。それは魔法と呼ばれた力。条理に寄らない事象を引き起こす、力。

けれどそれだけではなかった。人類の怒りと憎しみと絶望が、それに駆り立てられて生み出された英知が。余りにも最悪な復讐のための刃を、グランドフィナーレに用意していたのである。

 

「これは……何か、プログラムが……」

起動するプログラム。それは、遍くR戦闘機の根幹に組み込まれていたプログラム。少女達の脳裏に浮かぶ、プログラムの起動文。

 

 

―――F-W-C mode Activate―――

 

 

「何だ、これは……一体、何がっ!?」

困惑するスゥ、けれどそれを尻目に、走り出したプログラムは即座にグランドフィナーレを変貌させていく。

今にも暴走しそうなエネルギー。それを生み出し続ける機関が更に唸りを上げる。まさしく暴走としか言えないほどに膨大に、がむしゃらにその機関はエネルギーを生み出し始めた。

間違いなくこれほどのエネルギーに、グランドフィナーレの機体は耐えられない。

 

―――Final Wave Canon Ready―――

 

「ファイナル……ウェーブ、キャノン?」

浮かび上がった文字を、不思議そうにまどかが読み上げた。

機体の根幹に埋め込まれたロックが解除され、ファイナルウェーブキャノンの、最終波動砲の封印が解除された。封印が解かれたことにより、最終波動砲の情報が明らかになる。

それはまさしく、驚愕の事実であった。

 

最終波動砲。それは波動砲デバイスが損傷したR戦闘機に残された、まさしく最後の波動砲だった。けれどそれは波動砲と銘打ってはいるものの、その実まるで異なる性質を持った兵器だったのである。

全機関から最大限のエネルギーを発生させ、それをそのまま機体内部で波動エネルギーの炸裂という形で出力する。それに伴い、機体は対象となる敵へと突撃し、機体そのものを波動砲と化して敵を粉砕する。

まさしくそれは、兵士に特攻を強いる悪夢の兵器。そんなものが全てのR戦闘機の根幹に埋め込まれている。その事実の恐ろしさにスゥは戦慄した。R戦闘機はそれほどまでに、敵を殲滅するための兵器として完成されていたのだ。

 

「って!このままじゃあ私達、あれに突っ込んじゃうってこと!?」

「そうなるわ。……このままじゃ、良くて相打ちじゃない」

そんな事実は認められない。認めていいはずがない。それでもグランドフィナーレは、敵と認めたバイドへと機首を向け、自身を波動砲と化して突き進む。

機体の制御は失われている。そしてまどかの防御も健在。結果として何一つグランドフィナーレを阻むものはなく、最終波動砲の発動を迎えようとしていた。

 

「そんなこと……させないっ!!」

そして、まどかはそれを拒んだ。光が弾け、グランドフィナーレの姿が消える。次の瞬間には、再び離れた場所へとその姿が出現していた。だがしかし、再びグランドフィナーレは敵を認めて突き進む。

このままでは同じことの繰り返しである。いずれまどかの魔力が切れれば、その時は本当に終わってしまう。

 

「くっ……スゥちゃん、お願いっ!」

まどかの力では、訪れる最後を引き伸ばすことしかできない。だからまどかはスゥを頼った。きっとどうにかしてくれると、そう信じていたから。

「ええ、やってみるわ」

スゥは、全人類の、そしてまどかだけの英雄は、その言葉に答えた。

「これがわたしの魔法なら……もう一度、わたしに力を貸してっ!あいつを倒す為の力を、まどかと一緒に生きていく為の、力をっ!!」

強い意志を込めて願う。その願いは、意志は、再び彼女の魔法を発現させた。その魔法が導くのは進化。窮地を好機に変え、困難を乗り越える為の、力。

 

まどかの魔法が輝くグランドフィナーレに、更なる光が加わった。それは黒く艶のある輝きで、グランドフィナーレを包み込む。それは闇にも似た光。そんな漆黒の繭の中で、グランドフィナーレは更なる進化を遂げていく。

その身が宿した膨大なエネルギーと、暴走しているプログラムの全てを飲み込み、新たな形に作り変えていく。

そしてついに漆黒の繭が割け、新たなる力を得たグランドフィナーレがその姿を現した。

 

「……やはり、消耗が激しい」

その機体の中で、スゥは苦々しく呟いた。

進化を促す魔法。それはやはり、スゥにとっては大きな負担となっていた。二度の魔法の行使の後、そのソウルジェムには多量の穢れが溜め込まれてしまった。恐らく、これ以上魔法を行使することはできない。

これで決めるしかない。

「すぅ……うんっ!」

ゆっくりと息を吸い、何かを自分の中に取り込んでいく。

そして、スゥは覚悟を決めた。

 

「これで本当に、最後の最後。……まどか、一緒に飛ぼう!」

再びその手は差し伸べられて、まどかはその手を強く握った。

「うん、一緒に世界を救おうよ、スゥちゃんっ!」

そして、グランドフィナーレは動き出す。

 

暴走する最終波動砲のプログラムは改変され、スゥは機体の制御を取り戻していた。けれどそのプログラムは消失したわけではない。あるべき姿へと、進化を遂げていただけで。

それは真なる最終波動砲。そのデバイスは、ギガ波動砲のそれよりも遥かに多くのエネルギーの制御を可能としていた。更には今討つべき目標、この空間そのものを破壊できるように、その攻撃範囲もまた広大なものへと化していた。

目に見える空間のみではなく、それに隣接する異層次元にまでも破壊の嵐を巻き起こす力を持つ、最強最後の波動砲がついに完成を遂げたのである。

 

最終波動砲は、機体の物質としての限界さえも超えたエネルギーを放出させる。間違いなく、撃てるのは一発が限度。

この一撃で、全てが決まる。

そして自らに終焉をもたらし得るものの存在に、バイドも気付いてしまったのだろうか。発狂したかのように、無数のレーザーやバイド、そしてフォースをばら撒いてきた。

その姿はまるで、何かを恐れているようにも見えた。けれど、それは全てグランドフィナーレの機動に、まどかの魔法に遮られる。

 

「恐ろしいかしら、バイド?これはわたし達がお前達に与えられ続けてきた恐怖よ。その恐怖の重さを知れ、その罪深さを知れ。お前は今、その報いを受けるんだ!」

「これは私達の希望と絶望が生み出した力なんだ。あなた達バイドが人類に与えた絶望がそれでも必死に抗い続けた人類が、苦しい戦いの果てに見つけた希望が、全てを終わらせるんだっ!」

最早、躊躇うことなど何も無い。ただありったけの力と意志を込めて、撃ち放つ。

 

「「最終波動砲……発射っ!!」」

 

 

放たれたそれは、まるで一つの太陽のように眩く輝きながら突き進み、その進行上にあったバイドを一瞬の内に消滅させた。更にその暴威は留まらず続き、炸裂し無数の光の雨と化した。

光の雨は琥珀色の海に降り注ぎ、その熱に海が沸き立ち蒸発していく。全てを消滅させる破壊の雨がとめどなく世界に降り注ぎ、全てを壊して掻き消していく。それはまさしく、この世の地獄とも言えるような光景だった。

その威力に、バイドの中枢たる、バイドそのものたるこの空間すらもついに消滅を始めた。

裂けてゆく空、砕けていく世界。その隙間からは星空が見える。最早バイドにもその空間を維持する能力はなく、その空間に蓄えられていた大量のエネルギーが解放されていく。それは空間の消失と同時に解放され、凄絶なる破壊をばら撒くだろう。

 

そしてそれでもまだ、最終波動砲の威力は衰えることを知らずに荒れ狂う。ついに解放されたバイドの空間に蓄えられたエネルギーと、最終波動砲のエネルギーが混ざり合い、琥珀色の海を、そこに存在するあらゆるものを薙ぎ払って、原子一つ残さず消滅させていく。

それは恐らくこの宇宙の歴史上、その開闢以来類を見ない規模のエネルギーの放出。その全てが過ぎ去り、全てが通常空間へと帰還したその時。そこには何も残されてはいなかった。

 

 

バイドも、グランドフィナーレも、何一つ残されてはいなかったのである。



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第19話 ―終わる、一つの物語―⑥

バイドの悪夢は終わりを告げた。人類は、新たな歴史を歩み始める。
生き残った全ての者達が、その一歩を踏み出した。

これはそう、終わる一つの物語。そして、始まる新たな物語。


太陽系のいたるところで、人類の必死の抵抗は続いていた。逝ってしまったはずの者達が、願いによって帰還したとは言え、それでも本格的に太陽系内へと侵入し、既に増殖を開始していたバイドとの戦力差は、既に覆しがたいほどに広がっていた。人類の敗北は、そう遠くない未来として誰しもの脳裏に浮かんでいた。

それでも、人類は決して諦めはしない。最後まで戦いぬくと願ったのだから、その願いと引き換えに、再び戦う力を得たのだから。

 

それは、あるいは呪いにも似て。

 

けれどそうして戦い続けていたからこそ、人類はその瞬間を迎えることができた。長きに渡って人類を苦しめ続けたバイドとの、決着の瞬間を。

 

 

それに最初に気付いたのは、きっと名もなき兵士だったのだろう。群れを成し、全てを押し潰さんとばかりに迫るバイドの群れ。必死に戦い、多くの仲間達が散っていった。

最早残るは彼一人。それでも彼は立ち向かった。けれど現実はかくも過酷、ついには彼の機体はバイドの凶刃によって貫かれ、その動きを停止した。後は蹂躙され、喰らい尽くされるのみ。

すぐに訪れる死を、固く目を伏せて迎えようとした。けれど、その死が訪れることはなく。恐る恐る目を開くと、その視界に広がる全てのバイドが、動きを止めていた。

 

「何が、どうなってるんだ……これは」

恐る恐る呟くも、バイドは一切の活動を停止したままだった。信じられないといった顔で、それでも震える手で機体の各部に再起動をかけた。損傷した回路をバイパスし、どうにか機体のコントロールを取り戻す。

おっかなびっくりとバイドから離れ、ようやく少し落ち着いて。

 

「まさか、これは……」

 

 

それと同じ光景が、太陽系のいたるところで見られていた。

あるものは戸惑い、あるものはそれを好機とばかりにバイドを打ち砕いていった。

 

「これはつまり、そういうことなのだろうな」

あちこちでばらばらに展開されていた戦線をどうにか取りまとめ、反撃の用意を進めていた地球連合軍の司令は、その光景が意味することをいち早く察し。

 

「英雄はやられたようにも見えたが、そうではなかったのか?」

「バイドの動きが止まったのなら、今のうちに部隊を再集結させるべきなのではないか」

「だが、一体何故……」

高官達の間にも、戸惑いと希望がない交ぜになったような表情が浮かぶ。

「なんにせよ、バイドの動きが止まったのは事実だ!今こそ最大の好機だ!全部隊に、周辺バイドの掃討及び再集結の指示を伝えろ!ここで終わりにするんだ、長々と続けてきたバイドとの戦いをなっ!」

そんな戸惑いをかき消し、司令は力強く叫んだ。

 

「今まで散々やってくれたじゃないか、バイド共。今度はこっちが蹂躙する番だ。……我々の苦痛と絶望が生み出した力、その身をもって知るがいい」

その瞳には、ぎらぎらとした強い光が灯されていた。

自ら敵を討つ事ができないことが悔しいとすら思えるほどに、激しい怒りと喜びに満ち満ちた表情であった。

 

その言葉と意志を受け、各地で人類の反撃が開始された。反撃とは言うものの、バイドはその攻撃本能を司る器官を失っている。攻撃本能のみに衝き動かされて活動を行っていたバイドにとって、それは最早死も同義。

それゆえに人類は、最早死骸にも等しいバイドをひたすらに、ただひたすらに蹂躙し始めたのだった。バイドに対する激しい怒りがそのまま形になったかのような、あまりにも苛烈な蹂躙であった。

そんな蹂躙の最中、無数のバイドの死骸の中に佇む一機のR戦闘機があった。そこに築かれていた死骸の山は、バイドが活動を停止するより前に築かれていたもので。それを築き上げたたった一機のR戦闘機、それは蘇りしかつての英雄、スゥ=スラスターの駆るラグナロックだった。

 

「バイドの動きが止まった。……やり遂げたのね、あの子達は」

彼女は自身の経験から、そして半ば直感的にもそれを悟った。

それはすなわち、最早バイドは脅威ではなくなったということで。

「だとすれば、先にこっちを片付けることにしよう」

ラグナロックがその眼前に捉えていた巨大な物体へと近づいていく。それはバイドの猛攻に晒され、かなりの損傷を受けていた。最早元の姿を推測することすら困難だが、その残骸からそれが巨大な人口天体であることは伺える。

 

それはかつてアークと呼ばれた人類の箱舟であり、無数の死と絶望を内包する世界新生のための種子。

そして今は、無残にも打ち砕かれた異星人の夢の亡骸。

スゥ=スラスターはバイドの群れを千切っては投げ、追い回しているうちにいつしかこんなところへ辿りついていたのだった。

 

「……通信に応答はなし。生命反応は……これだけ巨大だとどうにもわからないな。生き残りがいるとは思えないけど、一応調べておくとしよう」

ほんの少し考えて、ラグナロックはアーク内部へと侵入を開始した。それを阻むものは誰もいない。そしてそのことを知るものもまた、誰もいなかったのである。

 

 

夢を見ていた。

夢など見るはずもないのに、それはまるで夢のように彼の脳裏に浮かんでいた。

 

それは、果たして作り変えられた世界なのだろうか。

それとも、この世界とは別の可能性の世界なのだろうか。

いずれにしても、彼が夢見たその世界は、今この世界とは近しくも遠い姿をした世界であった。

 

契約と願いが魔法少女を生み、それが魔女を生む。

そうして生み出されたエネルギーが、宇宙を存続させるための糧となる。

非常に効率的で、それでいて完成されたシステムだった。

そのシステムを維持させることこそが、彼の、否彼らの存在意義であったのだ。

夢の中の世界では、非常にそのシステムは上手くいっているように見えた。

それはまるで、バイドという脅威に晒される以前のこの世界のように。

 

その時彼の胸中に浮かんだ感情は何だったのだろう。

憧憬じみたものだったのだろうか、それともそれは後悔、あるいは悔恨のようなものだったのか。

とにかくそこには、悲しみじみた感情が薄暗く広がっていた。

 

その世界にも同じように、彼らが生み出した無数の魔法少女と魔女がいた。

そしてこの世界にも、彼にとっては忘れることのできない魔法少女達がいた。

彼女達は魔法少女の運命に抗うことなく、次々にその身を散らせていく。

けれど、全てが終わろうとしていたその最後の最後で、またしても彼女が、鹿目まどかが全ての条理を覆すのだった。

 

それは最早、宇宙の再生にも等しい行為。

彼がどこまでも望み、そして決して果たすことのできなかった夢。

その夢を、彼の夢を阻んだ当の鹿目まどかが実現させていた。それが、余りにも悔しくて、悲しくて。

彼は、思わず叫んだ。

 

 

「どうしてキミはこうもボクの邪魔ばかりするんだ、鹿目まどかっ!!」

その叫びが声として発せられたことに気付いて、彼――キュゥべえは、自分がまだ生きているということを知った。

「ボクは……まだ生きているのか?でも、何故……?」

呆然と声を放ち、辺りを静かに見渡した。明晰な頭脳も高度な知性も、今は空しく空回りをするだけで。視覚から取り込まれる無数の情報も、その一切が形になることはなかった。

故にそれを補うように、聴覚はその情報を伝えるのだった。

 

「人の言葉を話せるとは、驚いたわね」

その声は、とても聞き覚えのある声。けれど、どこか調子の違う声。彼の知っているはずのそれよりも、随分と人間味のある声だった。

そこでようやくキュゥべえは気付く。自分のいる場所が、R戦闘機のコクピット内であるということに。そしてその声の主は、暁美ほむらやスゥと同じ顔をしているということに。

 

「キミは……一体何者なんだい。まさか、暁美ほむらがこんなところにいるはずがない」

キュゥべえの声に、スゥ=スラスターはあからさまに怪訝そうな表情を浮かべて、ぐい、とキュゥべえに顔を近づけた。不思議そうに歪んだ表情が、困惑に揺れる赤い瞳をじっと見据えて。

「それはこっちの質問だ。お前こそ一体何者なの?妙なナリをしているくせに人の言葉を喋る。それどころか、随分と色々と知っているようじゃない。……私達は、もう少しお近づきになる必要があるとは思わない?」

不思議そうに歪んだ表情が、どこか好奇の色を帯びる。その唇は不敵に歪められ、僅かに犬歯が覗いて見えた。そのままずい、と更に彼女は顔を近づけた。

 

どうにもその口ぶりは暁美ほむらのそれではない、かといってスゥのそれでもない。だとすれば、残る可能性はなんだ。その事実に思い当たると、それは随分と馬鹿げた話に思えた。

けれど、それはありえないとは言い切れないことであった。

「まさかキミは……スゥ=スラスター?」

「……勝手にあれこれと話を進められるのは、あんまり気分がいいものじゃないんだけど。具体的な説明を要求するわ。お前は何者?何故私や暁美ほむらのことを知ってるわけ?」

ますます訝しげな表情になって、スゥ=スラスターはぎろりとキュゥべえを睨んだ。

 

「……答える必要は無い、と言いたいところだけどね。別にいいさ、もうどうだっていい。ちょっと長い話になるけど、それでもいいかい?」

恐らく自分は、復活した英雄ことスゥ=スラスターによって助けられたのだろう。その事実にはすぐに思い至った。けれどそれは、最早彼の計画は完全に失敗してしまったということを示していて。

失敗した。全ては無為に終わってしまった。今更に大きな虚無感が胸を満たして。諦め混じりに、キュゥべえはスゥ=スラスターにそう答えるのだった。

 

そしてキュゥべえは静かに、まるで自分自身が思い出すかのようにゆっくりと話し始めた。

インキュベーターという種のこと、魔法少女とR戦闘機のこと、暁美ほむらやスゥ、鹿目まどかのことを。思い返して話してみれば、魔法少女達と過ごした日々は思いがけず悪くないと、そう思わせるような思い出だった。

いつしかその口調が、何かを懐かしむようなものになるのをキュゥべえは感じていた。

 

そしてようやく、キュゥべえは全てを話し終えた。

 

 

「俄かには信じがたい話ね。というか、その話を聞く限り思いっきりお前は私達の敵じゃない。まあ、失敗したようで何よりだけれど」

些か信じがたい。けれど、こうして自分が生きていること自体が不可思議。だとすれば、このくらいの不可思議が起こったとしても不思議はないのかもしれない。

とりあえずは、そう納得しておくことにした。

「そうさ、ボクは負けたんだ。バイドに、そしてキミ達人類に。……全く、笑えない話さ。ボクがしたことが結局鹿目まどかを、ひいては人類を助けることになってしまったのだからね」

自嘲気味にキュゥべえは笑って、仰ぎ見るようにスゥ=スラスターを見た。

「キミはどうするんだい、スゥ=スラスター。ボクをここで始末しておくかい。多分そうするべきだと思うよ、ボクは人類に敵対したんだからね」

 

「それでもいいけど、どうせならもっとはっきりと報いを受けてもらうわ」

にたりと、スゥ=スラスターはキュゥべえに笑みを向けた。

なにやら、とても楽しそうな顔だった。

「お前の身柄は軍に引き渡す。ついでにお前の悪事も纏めて暴露してあげる。さて、どうなるかしらね。……とりあえずTEAM R-TYPE送りからかな?」

「………大人しく死なせてくれないかな」

「だが断る」

非常に冷たい空気が、ラグナロックのコクピット内に漂った。確たる感情を得て改めて彼らの所業を省みると、それはもはや筆舌に尽くしがたい所業であるという事を、この期に及んで、キュゥべえでさえも理解していた。理解してしまっていた。

なんと不幸なことか。

 

「そんなことより、キミはこんなところで油を売っていていいのかい?バイドの相手をしなくていいのかい、まだまだバイドの脅威は消えていないはずだ」

「多分、それはもう終わったわ。……あの子達のおかげでね」

その言葉に、キュゥべえは絶句した。まさかそんなことが起こりうるとは、信じられなかった。信じることができなかった。

彼らの優れた技術でさえ及ばなかった絶大なる強敵、バイド。それを、遥かに劣る種として見下していた人類が打倒するなどということは、絶対に認めることができなかった。

けれど、この状況は彼にその事実をまざまざと示していた。

「はは……ははは、ますます滑稽じゃないか。とんだお笑いだ。ボクのやろうとしたことが、結局巡り巡ってどこまでも人類に利することしかできないなんてさ」

どこまでも暗い感情が、胸の奥底から込み上げてきた。それはかつて彼らの道具でもあった感情。絶望と呼ばれるそれだった。

全身の力が抜けた、そのまま、倒れこむように地に身を伏して。

 

「お蔭様で、人類は救われるわ。おまけに私も救われて、随分とご都合主義な結果に終わるみたいね。さあ、それじゃあ残りのバイドを蹴散らして……っ?」

そう、人類は救われ、バイドは消える。失われた命は蘇り、かつての英雄さえもその翼を取り返す。それは、余りにもご都合主義な展開だった。

確かに奇跡は世界を救った。だが救われたその世界は今、ついに奇跡の対価を求めた。それは当然の帰結であり、必然として起こってしまうことだった。

 

それは降り注いだ奇跡に等しく、太陽系のあらゆる場所で起こり始めた。

奇跡の対価。修復された機体や、新たに再構成された物質達が消え去るわけではなかった。それらは既に、この世界に存在している物質なのだから。

けれど、呼び戻された命は違う。彼らは今も、在る者と在らざる者との狭間にいた。その狭間に彼らを繋ぎとめていた力が、奇跡の対価として奪い去られていった。

 

蘇り、太陽系のいたるところで戦いを繰り広げていた戦士達。彼らの命が、あるべき姿へと戻る。在るべき者は在るべきままに、在らざる者は、再び在らざる姿へと。

彼らに悔いがないはずはない。それでも、彼らは笑って往くだろう。ついに悲願が叶ったのだから。バイドを倒す、平和を取り戻すという、人類最大の願いがついに、叶う時がきたのだから。

 

「あばよ、戦友」

だから彼らは、どこか寂しく笑って逝った。

満面の笑みと、どうしようもない涙でくしゃくしゃになった顔で、泣いて、笑って。消えていった。

 

そしてそれは、かつての英雄にとっても同じことだったのだ。なぜなら彼女もまた、在る者と在らざる者との中間に生きていたのだから。死すべき定めを負いながら、無理やりに生かされているだけの存在だったのだから。

 

「何……これは、身体が……」

スゥ=スラスターの操縦桿を握った手が、不意に動きを失った。それだけではない。全身の感覚が急速に失われていく。奇跡が消失し、その代わりに本来あるべき死が彼女の全身を蝕んでいた。

「どうやら、キミも限界のようだね。……助かりたいかい、スゥ=スラスター。ボクと契約すれば、その願いでキミは助かるかもしれないよ」

そんな彼女を、まるでかつての姿のように、感情の無い瞳で見つめながらキュゥべえは問いかけた。

「……何を、企んでいるのかしらね」

「今更何を企めるって言うんだ。キミには、一応助けられた借りがある。それくらいは返しておこうと思っただけさ。……信じるも信じないもキミの好きにすればいいさ」

その瞳が無表情に見えたのは、本当に感情が無いからというわけではなく。ただ単に、全てを諦めてしまったからというだけで。どこまでも、虚ろになってしまったというだけで。

それでもそんなことを持ちかけたのは、一体どういう気まぐれなのだろうか。もしやすると、本当に恩返しのつもりなのかもしれない。

 

「そう、ね。じゃあ……私の願いは」

急速に死に近づく身体をどうにか動かして笑い、スゥ=スラスターは願った。

 

 

「契約は成立だ。……本当に、キミ達人間はわけが分からないよ」

その願いを聞き届け、呆れたように笑ってキュゥべえは静かに言葉を吐き出すのだった。そして閃光とともに、澄んだ金属音が一つ。コクピットの中に転がった。

 

 

バイドの能力によって生み出されていた、遥かなる異層次元―26次元は、その核を為していたバイドの消失と最終波動砲の威力によって崩壊した。崩壊した空間はそのまま通常空間へと回帰したが、そこは太陽系からは遥かに遠い場所だった。

それは恐らく距離という意味でも、時間という意味でも、遥かな隔たりの果てにある場所だった。

26次元を破壊しつくし荒れ狂い、ついには通常空間にまで放たれた最終波動砲の光。それは尚も荒れ狂い。星より輝く光と化して広がって。それはあたかも宇宙に広がる花火のようで。けれど、それが飲み干した星々の数はまさしく天文学的な数であった。

それだけの破壊を、光を超える速度でばら撒き続け、ようやくそれは内包するエネルギーを放出しつくし、最終波動砲はその猛威たる牙を収めるのだった。

 

そして生まれた星一つ無い、ちり一つ残らない完全なる虚空。その只中に、突如としてそれは現れた。

それは壊れかけた機械の残骸。宇宙の風に静かに揺れているそれは。辛うじて原型を留めている、グランドフィナーレの姿だった。

 

「……生きて……る?」

全てのエネルギーを放出したグランドフィナーレ。その機関は完全にその役目を終え、最早動くことは無い。動かそうとしても動かない身体、ただ流されるだけのそれに戸惑いながら、スゥは呟いた。

「うん、私達……生きてるんだよ、スゥちゃん」

そしてそんなスゥの戸惑いを、言葉を。まどかが次いだ。

「まどかが……助けてくれたの?」

「ちょっと頑張っちゃった。……でもよかった、助かって」

戦闘の気配どころか、何一つ存在しない宇宙。寂しさすら感じるほどの虚空でも、こうしてゆっくりと、まどかと言葉を交わしているだけで。スゥの胸には安堵と喜びが込み上げてきた。

 

「じゃあ……勝ったんだ、私達」

「そうだよ、バイドはもういないんだ。スゥちゃん」

嗚呼。掠れた声が漏れるのを、スゥは堪えられなかった。

バイドを倒す。ただそのために、一体どれほどの犠牲を、苦痛を人類は強いられてきたのだろうか。自分自身の存在こそがその象徴たるもので。そして今、その悲願が果たされた。全ての人類が、スゥ=スラスターが、暁美ほむらが望んだことが、ついに果たされたのだ。

余りにもその事実は、強く強くスゥの心を揺さぶった。

 

(私は……きっと、報われたんだ。よかった、本当によかった……っ)

グランドフィナーレは完全に停止している。故にに視界は暗い。けれどもしその視界が光を取り戻していたのなら、きっとそれはぼろぼろと零れ落ちる涙で歪んでいただろう。

「ぅ……っく、えぐ……っ、あぁ。よかった、よかったよぉ……」

いつしかそれは嗚咽に変わる。胸の中にははち切れそうな達成感。そしてこれからも続いていく世界への、はち切れそうな喜びがあった。

「うん……そうだよ。全部終わったんだよ、スゥちゃん。……大変だったね、本当に」

ここに来るまで、どれほどの苦痛の朝を、嘆きの夜を越えてきたのだろう。その多くを知らず、大部分をただ巻き込まれる形で関わり続けていたまどかの胸中にも、言い知れぬほどの感情が溢れ、それは静かな雫になってまどかの頬を零れ落ちていた。

 

「まどかがいてくれたからだよ。貴女がいてくれたから、私は頑張れた。戦えた。勝つことができた。ああ、ああ……まどか、まどか……っ!」

在らざるその手はまどかの身体を抱きしめる。一つに混ざりあうほどに、二人の心は近づいた。その心地よさが、今は手放すのが惜しくて。二人はずっとそうして、静かに宇宙に揺られていた。

宇宙もまた、完全なる静寂でもって戦いを終えた少女達を見守っていた。

 

「……終わったのね」

戦いの終結。それを実感し、マミは一つ大きく吐息を漏らした。

つい先ほどまでバイドとの激しい戦いを繰り広げていたのだろう、マミの駆るババ・ヤガーの全身には無数の弾痕が刻まれ、その巨大な砲身は中ほどでひしゃげて折れていた。

けれど、それでも生き延びた。生きて、戦いの終わりを迎えることができたのだ。

「やったね、お姉ちゃん」

同じようにボロボロになりながら、ゆまの駆るカロンがババ・ヤガーに近づいてきた。その後方からも、いくつも無数の光が近づいている。魔法少女隊の仲間たちは、誰一人欠けることなく生存していた。

誰もが皆例外なくボロボロで、今にも朽ち果ててしまいそうであったけど。それでも最後まで諦めず、抗い続けた少女達はついに、未来を勝ち取ったのである。

 

「本当に、随分と長い戦いだったわね、ゆまちゃん。……流石に疲れちゃったわ。帰ってケーキでも食べたい気分」

「ゆまはイチゴのショートケーキがいいなっ!中にもイチゴが入ってる奴!」

明るく声を掛け合って、静かにくすりと笑いあう。

戦いは終わった。それでも忘れてはいけないことがある。魔法少女となってしまった少女達。自分達も含めた少女達が辿るであろう未来は、決して明るくは無いということを。

「いつか皆で、またお茶会がしたいわね。……その時は、私達も一緒に」

だからマミの言葉が少し遠いところを見ているようなものになってしまうのも、仕方ないといえば仕方のないことだった。

けれどそれも一瞬。バイドという余りにも大きすぎる脅威を。魔法少女の宿命を、魔女という末路を乗り越えここまでやってきたのだから。だからこそマミは、こんなところで諦めるつもりも嘆くつもりも、足踏みをするつもりもなかった。

 

見据えていたのは、魔法少女が生きるべき、未来。

 

随分と時間をかけて集結を果たした魔法少女隊の面々へ向けて、再びマミが語りかけた。

「どうやら私達の知らないところで、バイドとの戦いは既に終わっていたようね。それ自体はいいことよ。散っていった仲間たちも喜んでくれると思う。……でも、私達の戦いはまだ終わりじゃない」

その言葉を予期していたもの、そうでないもの。魔法少女達の反応はまるっきり違う二色の色に分かれた。

「ここで降りるというのならそれでも構わないわ。……でも、言いたくはないけれどその場合の未来はあまり明るいものじゃないと思うの。きっと軍は、私達の存在を秘匿、もしくは抹消しようと思っているはずだから」

それは推測。けれどやはり容易に予想できてしまう未来。重苦しい沈黙が垂れ込めるなか、マミは更に言葉を続けた。

「これ以上奪わせないための戦いは今日でお終い。これからは、私達が奪われたものを取り戻すために戦うのよ。もしかしたらそれはバイドと戦うよりも辛い戦いかもしれない。だから、選択は委ねるわ。このまま私と一緒に、とことん運命っていう奴に喧嘩を売ってやるか、それともここで降りるか、どちらかを選んで欲しいの」

沈黙は、やはり続いた。マミの言葉は、最悪軍に対して敵対するという意味すらも孕んでいる。それはすなわち、人間同士で殺し合いをやらなければならないかもしれないということで。

その事実を認識すれば、それは少女達には余りにも重すぎた。

 

最初に口火を切ったのは、一人の少女。

「私は……取り戻したいです。だって許せないじゃないですか!いきなり何もかも奪われて、魔法少女にさせられて。嫌になるほど戦わされて……友達だって仲間だって沢山死んでしまって。それなのに、戦いが終われば用済みだなんて。そんなこと、私は絶対に許せませんっ!」

怒りを露わにした、震える声。その少女は大人しい少女だった。ここまで生き延びた以上、十分したたかな戦士ではあったが、それでもその性格としては、やはり大人しく優しい少女だったのだ。

そんな彼女が、こうも怒りを露わにしていることは、魔法少女達にとっては大きな衝撃だった。そして同時に、少女達の胸中にも沸々と怒りが湧き上がってきた。

そもそもにして、こんなところに自ら望んで来ているものなどほとんどいない。誰もがその素質を見出され、強制的に徴兵されたような少女達ばかりなのだ。その横暴に、その事実すら認めようとしない傲慢さに、黙っていられるはずなどが無い。

最早この場には、運命に翻弄されて膝を抱える少女などは一人もいない。誰しもがもう、熟練の戦士達なのだから。

 

「確かに、このまま引き下がるってのはちょっと舐められすぎだよね、私達」

「折角こうして素敵な牙を頂いたのですから、思い知らせてあげませんとね。私達は狗ではない、ということを」

膨れ上がっていく怒気、敵意。それは激しく燃え上がり、少女達に新たな気力を与えていった。

けれどそう、この先の敵はバイドではない。絶対なる敵性種ではなく、血の通った人間かもしれないのだ。その事実をどうしても受け入れることのできない者も、当然存在していた。

 

それぞれが気炎を上げ、怒りの声を高らかに響かせる中。それでも沈黙を保つ少女の姿も、多少であるが存在した。

「……貴女達は、どうするのかしら?」

それに気付いて問いかけたマミに、少しだけ躊躇ってやがて、一人の少女が答えた。

「私は……行けません。確かにこんな境遇は嫌だけど、ムカついてますけど。……それでも、私の力はバイドと戦うためのもので、人を守るための力だと思うから」

戸惑い、躊躇い。けれど最後には迷いを捨てて力強く。その声は、少女の声で発せられた。

「だから、私は行きません。……ごめんなさい」

「謝る必要なんか無いわ。……貴女達のその選択は間違ってない。きっと、それも勇気ある決断だと思うから」

どうしようもない不条理を、やるせない憤りを、吐き出しぶつけるのではなく、ぐっと堪えて飲み込んだ。それはある意味、戦いを選ぶ少女達よりもずっと大人な選択であるかもしれない。

少女達には運命に抗う権利も、それを堪える権利も等しく与えられていたのだから。

 

「もう会えないかもしれないけど、貴女達のことは忘れないわ。できれば、敵としてだけは会いたくないわね」

寂しさも辛さもぐっと飲み込んで、マミは少女達に笑って言った。同じように戦いを選んだ少女達もまた、思い思いの別れの言葉を告げていた。

死別ではなく交わされた別れなど、少女達にとっては随分と久方ぶりのことで。ここが運命の分岐路なのだと、改めて少女達に思い知らせるのだった。

「さよなら、私の戦友たち。……幸運を祈るわ」

ふらふらと頼りなく、けれど確かに動き始め、魔法少女隊を離れていく少女達の機体を見送って。マミは静かに別れの言葉を告げた。

 

 

「さあ、行きましょう。……私達の戦いを始めるわよ」

見送りを終えて、少女達にそう告げる。新たな気合を纏わせて、少女達はそれに続いた。

誰のためでもない、ただ自分を取り戻すための戦いが、一つの戦いの終結と共に静かに始まろうとしていた。

 

 

 

「……あのね、スゥちゃん」

虚空を漂う二人。二人きりの時間はに無限にあった。だからこそ、まどかにはスゥに話さなければならないことがあった。とても大切なこと、けれどどうにもならない事実を。

「分かってるよ、まどか。……帰れないんだよね」

スゥは穏やかな口調でまどかに答えた。その言葉に、思わず息を飲むまどか。

「あはは……お見通しだったのかな。凄いや、スゥちゃんは」

「多分ここは、太陽系から遠く離れた宇宙のどこか。そもそも同じ次元なのかどうかもわからない。普通に考えたら、とてもじゃないけど帰れない。……それにまどかは、最終波動砲から逃れるために沢山力を使ってしまったから。多分、太陽系に戻るだけの力はないと思ったんだ」

驚いたように、けれどすぐに笑ってまどかは答えた。

「凄いや、本当に何でもお見通しなんだね、スゥちゃんは」

「まどかのことだもん、分かるよ」

そう、もはやグランドフィナーレは動かない。そしてまどかも、最終波動砲の余波から逃れるためにその能力を酷使してしまい、太陽系に帰還するための余力は残されていない。

最早二人に帰還する術は何一つ残されていない。二人に残された運命は、このままただただ虚空を漂い続けることだけだった。

 

「ごめんね、スゥちゃんだけでもどうにか返してあげたかったんだけど……無理みたいなんだ」

「いいよ。まどかとずっと一緒に居られるんだから。それに人類はもう救われた。だったらもう、私はまどかが居てくれればそれだけでいいから」

全エネルギーを放出したグランドフィナーレは、最早暴走する心配すらもない。後はただ物質としてのグランドフィナーレが、二人の魂が朽ち果てるまで、それこそ永遠にも近い時間を、ただただ二人きりで過ごし続けるしかないのだ。

この宙域の半径数光年にも渡る距離が、最終波動砲によってちりも残さず破壊されている。グランドフィナーレに衝突するような宙間物質など、向こう数千年は訪れないだろう。

「……まどかはよかったの?私はまどかが居ればいい、でもまどかはきっと、会いたい人がいるんだよね。家族とか、友達とか。……もう、会えなくなっちゃったんだよね」

それがスゥには少し悲しい。まどかまで、この永遠の二人ぼっちに巻き込んでしまったことが悲しくも嬉しい。

 

「ぁ……うん。やっぱり、寂しいし辛いんだろうな。もう誰にも会えないって。……だから辛くないように、ずっと……側にいてくれないかな、スゥちゃん?」

きゅ、と。柔らかな手がスゥの手に触れた。その手を握って、掌の中の柔らかさを感じながら。

「絶対に離さない。まどかを一人になんて絶対にしないよ」

「ありがとう……スゥちゃん」

それは、二人で永遠を生きるという誓い。あるいはそれは婚礼にも似て、その手は柔らかに強く結ばれていた。

 

けれど、その手は無情にも断ち切られる。願いという名の刃が、その手を断ち切ったのだ。

 

 

繋いだ手と手が分かたれる。そして急速に、スゥの存在と身体が消失していく。

「何なの……まどか。まどかなの?」

それはまどかの魔法にも似ていた。けれど二人の間を引き裂いて、一体スゥをどこへ導こうというのか。困惑と驚愕を滲ませた声で、スゥは疑問を投げかけた。

まどかはほんの少しだけ考えて、やがて何かを悟ったかのように話し始めた。

「……ううん、私じゃないみたい。でも、誰かがスゥちゃんを呼んでるんだと思う」

どこか嬉しそうな声。けれど隠し切れない寂しさも滲んだ声だった。どうにか必死にそれを隠そうとしても、どうしてもまどかの声は震えてしまっている。

「多分、私も似たような力を持ってるからなのかな。なんとなく分かるんだ。誰かが、スゥちゃんを呼んでるって。そしてその行き先は、太陽系みたいだよ。……帰れるんだよ、スゥちゃんは」

それが悪いことであるはずが無い。喜んで送り出してあげなければならない。

まどかは、その力が自分も一緒に連れて行ってはくれないことを知っていた。それでもきっと、ここで永遠の二人ぼっちを過ごすよりずっといいはずだ。スゥにはもう、自分の人生を生きる権利があるはずなのだ。

だから、笑って送り出してあげなければならなかったのだ。

 

「そんなっ!嫌!嫌だっ!行きたくなんかない、私はまどかと一緒に居るんだっ!やめろ、私を連れて行くなーっ!離せ、離せぇぇっ!!」

必死に叫び、もがき足掻く。けれど抵抗などできよう筈もない。それは無情なる願い。そこに意志の介在する余地は無く。それに抗うには、余りにも今のスゥは無防備だった。

「どうして!どうして……折角一緒になれたのに、またお別れなんて嫌だよ!お願い、神様でも何でもいいから……私をまどかの側に居させてよ、お願いだからっ!」

その叫びは、まどかの胸をきりきりと締め付けた。離別の苦痛。永遠の孤独。待ち受けるそれがまどかを苛んだ。引き止めたい。一人は嫌だ。もう一度手を伸ばしてスゥを掴まえたい。側にいてほしい。思いはどんどん募っていった。

けれどそれはできない。それは間違いなく、スゥの人間としての未来を奪ってしまうことだから。漏れそうになる嗚咽を、呼び止めたくなる心を必死に押さえつけて。それでも隠し切れない涙を、ぽろぽろとその瞳から零しながら、まどかは。

 

「……スゥちゃん。帰ったら、伝えてくれないかな。私の家族に、友達に。私、世界を守ったんだよって。頑張ったんだよ、って」

「そんな……嫌だよ、お別れみたいなこと言わないでよっ!」

「お別れ、だよ。これでお別れ。……ごめんね、スゥちゃん。デートの約束守れなくて」

だんだんと、スゥの存在が消えていく。グランドフィナーレも、その輪郭がぼやけていった。互いの声が遠くなる。もう、ほとんど聞こえない。

 

「でも……もし、スゥちゃんが…………そうしたら、いつか……えに、来て」

「何……聞こえない、聞こえないよ……まどか、まどかぁ…………」

 

そしてついに、グランドフィナーレの姿が消滅した。小さく煌くまどかのソウルジェムだけが、置き去りにされて残っていた。

 

「まどかぁぁぁぁぁぁ!!……ああ、あ……ぁぁ」

慟哭の声も、もう届かない。

 

 

 

目が覚めると、そこには宇宙が広がっていた。

そよぐ風が頬を撫でる。よく見れはそれは宇宙ではなく、星空だった。虚ろに伸ばしたその手は、確かに星空に向かって伸ばされていた。

呆然と辺りを見渡すと、そこは静かな草原だった。沈黙したグランドフィナーレがそこに佇み、その傍らにスゥは寝転んでいた。その身体が人のそれであることに気付くのに、少なからぬ時を要した。

 

「………どうして、私だけが」

再び草原に身を伏した。ちくちくと刺さる草がどうにもくすぐったい。けれど今は、そんなことも気にならないほどにスゥの心は虚ろだった。

何故、どうして。疑問ばかりが脳裏を駆け巡る。

「まどか。貴女は最後に……なんて言おうとしたの」

星空に手を伸ばし、問いかける。当然、星空は何も答えてはくれなかった。

風がそよぐ音。それがただ虚ろにスゥの耳に響き渡る。そんな中、たった一つだけそうではない声が聞こえてきたのだった。

 

「……随分と腑抜けたものね。一体何があったというの」

それは、聞き覚えのある声だった。ぼんやりと目を開くと、そこには自分と同じ顔があった。

「暁美、ほむら」

最早今となっては、その存在にも何の疑問も感情も抱けない。空っぽのスゥは、虚ろにその名を口にするだけだった。

 

 

「私の存在が生み出した少女達を助けたい、か。……本当におかしなことを願ったのだね、キミは。スゥ=スラスター」

死を迎えた肉体から離れ、弱弱しく輝くスゥ=スラスターのソウルジェム。その輝きを見つめながら、キュゥべえは呟いていた。

「本当に、キミ達人類はわけがわからないよ。あそこまで生に執着し、恐るべき力を見せたかと思えば、今度は逆に作られた命の為に、わざわざその生を投げ打とうとする。何故そんな価値観が生まれたのか。……今のボクにも、それを理解することはできないな」

それは呆れたようで、それでいてどこか感心したような口ぶりで。

「結局、キミの肉体は死を免れることはできなかった。だが、その魂はまだ生きている。……結局その願いは、キミ自身を永らえることにも繋がったようだね」

当然、その声はスゥ=スラスターに届きはしない。それを知ってなお、キュゥべえは言葉を続けたのだった。

 

「バイドが倒れてしまった。けれど、ボクの計画も失敗に終わった。……一体、これからどうすればいいのだろうね、ボクは」

ラグナロックのプログラムに介入し、その機体を操作し飛び始める。行き先のあてもない。それはまるで逃避行のようで。

「それでも、ボクもまたこうして生に執着してしまっているんだ。何故と聞かれればきっと、生きるために生きる。そんな風にしか答えられないだろうね」

静かな光の尾を引いて、ラグナロックは飛び去っていった。

 

 

「……そう、そんなことが」

グランドフィナーレに身を預けて、スゥとほむらが並んで座る。

もはやそのどちらにもかつての確執などは存在していない。ただほむらは静かに、スゥの独白に耳を傾けていた。

「もう、私はまどかに会えない。……まどかのいない世界になんて、意味が無い。笑えるよね。必死に守った世界なのに、守り通した途端に無意味なものになるだなんて」

込み上げる笑みは力なく、零れ落ちる涙はとめどなく。壊れたように笑いながら、スゥはほむらに話し続けた。

「でも、頼まれたことは果たさないとな。まどかの家族や仲間に会わないと。丁度いいや。ねえ、暁美ほむら。頼んでいいかな。まどかの家族と仲間に、まどかの最後を伝えてあげて」

ほむらは黙して答えない。

その表情は、ぎゅっと痛みを堪えるように顰められていたのだから。

 

「……でも、まどかは最後になんて言ったのかな。気になるなぁ……ねえ、まどか」

ほむらにとっても、まどかは大切な仲間だった。自分が死して後、まどかがどれほどの苦境を乗り越えあの場所へと至ったのか。それを知る術はほむらには無い、だがそれが並ならぬ苦痛であることは容易に想像できた。

その末路が、永遠の孤独を一人で漂うだけなのか。余りにも、それでは救いがないではないか。

救えるとしたら、誰だ。救いを与えられるものは。

 

「なら、確かめに行きましょう」

いつしかほむらは、スゥの眼前に立っていた。その表情にはもう、苦痛に歪んだ色はない。

「確かめる……何を、どう確かめろって言うんだ」

「直接まどかを迎えにいって、そして確かめて。連れ戻す」

「そんなこと、できるわけない。……第一、まどかがどこにいるのかすらわからないのに」

虚ろに投げやりに首を振るスゥ。その胸倉を掴んで、ほむらは。

「探すのよ、何が何でも見つけるの。あの機体を解析すれば、何か分かるかもしれない。そうすればそれを辿ってまどかのいる場所へとたどり着けるかもしれない。私達にはまだできることがある。こんなところで諦めるつもり?それほど、貴女のまどかへの想いは軽くない。そうでしょうっ!」

その剣幕に弾かれたように、スゥは視線を上げてほむらを見つめた。久方ぶりにその顔に浮かんだ表情は、驚愕の色をしていた。

 

「……何故、お前がそんなに私とまどかを助けようとするんだ」

「決まってるじゃない。まどかは私の大事な仲間だから」

それから僅かに躊躇って、ほむらは続く言葉を口にした。

「……それに、もう一人の私がやっと手にできたかもしれない幸せだもの。応援してあげたいなって、そう思っただけよ」

そして、照れくさそうにふい、と顔を逸らした。

 

「協力、してくれる?」

「私にできることなら、なんだって」

そして差し伸べられた手。それを掴んだ手。

どちらも同じ姿の手、違ってしまった心を宿したその手とその手が今、結ばれた。

 

 

 

バイドの沈黙から48時間後、地球圏及び火星圏のバイドの掃討が確認される。

引き続き太陽系内のバイドの掃討を継続すると共に、地球連合軍はオペレーション・ラストダンスの終了を宣言。

人類とバイドの長きに渡る死闘がついにその日、終わりを告げるのだった。

 

そして人類は、新たな時代を歩み始めた。

 

 

 

 

魔法少女隊R-TYPEs 第19話

      『終わる、一つの物語』

          ―終―

 




【次回予告】

バイドとの戦いは終わった。
最大の敵を退けた人類は、ついに輝かしい繁栄を手にする。
その戦いを生き延びた者達は、平和を手にした世界で何を見、何をなすのだろうか。

これは、そんな時代の過渡期を駆け抜けた少女達の記録。
誰が遺したのかも知れぬ、事実かどうかも分からぬ記録達。

その一端を紐解いて、終わる物語への手向けとしよう。
願わくば、少女達の未来が輝かしいものであらんことを。


次回、魔法少女隊R-TYPEs 最終回
         『そして、繰り返す』


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エピローグ
最終話 ―そして、繰り返す―


バイドとの戦いは終わった。けれど人は戦いを繰り返す。
それは人の宿命なのか。


流れ行く日々は、その速さを緩めることも早めることもなく流れていった。けれど、それを実感する人々にとっては、それは恐らく相当に早く流れていったことだろう。

“バイド戦役”と後に呼ばれることになる、人類史上最大の決戦から、既に半年もの時が流れていた。バイドとの戦いが太陽系に与えた傷跡は深く、半年を経た今も尚その復興は十全とは言えなかった。

もっとも、それは単純にその被害が甚大であったというだけの理由ではなかった。バイドとの戦いに勝利した人類は、尚も歴史を繰り返していたのである。

曰く、戦いの歴史と呼ばれるそれを。

 

これは、戦い続ける人類の歴史。その一瞬を駆け抜けた、少女達の記録である。

 

 

 

 

 

 

 

 

半年。わずか半年である。時間としては長いかもしれない。だが、歴史が動くにはそれはあまりに短すぎる時間だった。たったその半年という時間の間に、地球を、そして太陽系を取り巻く情勢は、急速に悪化の一途を辿っていた。

誰がそれを言い出したのかは未だ持って不明であるが、バイド戦役終結直後からそれは人々の間で囁かれていた。地球至上主義。そう呼ばれたそれは、熾烈を極めたバイド戦役において地球のみが被害を免れたという事実にまず起因した。

地球こそが人類の永遠の繁栄の象徴、不滅にして神聖なる母星である、と。そんな思想を持った者達が、俄かに現れ始めたのである。

彼らは世界を救った奇跡すら、それを引き起こした少女の願いすら、地球が生んだ偉業などだと言い放ち、彼らの言葉は急速に世界中に広まっていった。いっそ不可思議なほどにその広まりは急速だった。

 

それだけならば、まだ一種の流行り病のようなものとして捉えられていただろう。動乱する時代の狭間の、一種の仇花として見られることもあったのだろう。だが、軍事政権の解体と共に発足した新政権により、この思想が世界を新たな狂気へと駆り立てていくこととなる。

地球至上主義者がそのほとんどを占める新政権は、まず先だっての軍事政権の行いを徹底的に批判した。かつては地球連合軍の司令として、存分に采配を振るっていたあの男も、戦時中の数々の非道な行いの責を問われ、後に処刑された。

軍の要職についていた多くの者達も同様に、あるものは処刑され、あるものは僻地へと左遷されていた。そして、その後釜には続々と地球至上主義者達があてがわれていったのである。

不満を抱く者も少なくはなかった。旧体制を支持する者達は、こぞってその動きに反発した。けれど多くのシンパを抱え、地球至上主義というイデオロギーの元に結託していた彼らの前に、その動きは敢え無く潰えることとなる。

 

それらは全て粛々と、秘密裏に行われ。人々が知らぬうちに、時の権力は地球至上主義を掲げる者達の手に渡ってしまっていたのである。

そして、ついに彼らの狂気は顕現する。

人類の生活圏は、既に太陽系のいたるところに広まっている。火星には既にいくつもの都市が成立しており、コロニーの建設は尚も盛んに行われている。地球を見ることなく育った人というのも、最早今では珍しくもない。

そんな彼らに、地球至上主義者達は容赦なく牙を剥くのだった。

 

事の起こりは、バイド戦役によって甚大なる被害を受けた火星や、その他のコロニーへの地球連合軍からの通達であった。

戦災復興という名目での地球軍の受け入れ及び既存の軍の解体。そして現政権の解体と地球軍による臨時政権の受け入れ。

それは言うなれば、地球の植民地になれとでもいうかのようなもので。当然そんな事を受け入れられるはずも無く。地球と各都市との間の緊張は高まっていた。

 

 

そして、事件は起こる。

 

 

火星や各コロニー内において、竜巻や落雷、隕石といった無数の災害が発生するようになっていた。それにより、そこに住まう人々の暮らしは困窮していく。民衆の間でも、地球連合軍の受け入れを望む声は日増しに強くなっていた。

だが、とある部隊が人為的に災害を発生させるR戦闘機の存在を突き止め、それを鹵獲し公表した。これを火星及びコロニー群は、地球軍による侵略行為であると判断。彼らは反地球至上主義の元に結託し、太陽系同盟軍を結成。地球軍に対する対決姿勢を露わにした。

そしてバイド戦役終結から僅か四ヶ月の後、人類は再び戦乱の災禍へと突入することとなる。フォボス周辺宙域において、地球連合軍と太陽系同盟軍の一大開戦が行われたのである。

 

その結果は、太陽系同盟軍の惨敗であった。

ほとんどの部隊がバイドとの交戦で疲弊しきっており、十分に戦力を集めることができなかったことや、地球連合軍はバイド戦役終結直後から、既に無人兵器の量産を始めていたことが大きな要因であったのだろう。

バイドに対してはコントロール奪われる危険が高く、軽視されていた無人兵器も、今では死を恐れぬ機動とその量産性を持って、恐るべき兵器として同じく人類である太陽系同盟軍に牙を剥いたのだった。

戦いは始終地球連合軍の優勢で進み、太陽系同盟軍の壊滅は間近かと思われた。

しかし、それまで沈黙を保っていたグランゼーラ革命軍が突如として火星を脱出。両軍の注意が火星宙域に集中している隙を突き、外惑星に点在する鉱物資源採掘所をことごく接収。更にはバイドによって陥落していた軍事要塞ゲイルロズを改修し、地球連合軍に対して対決の姿勢を示したのである。

瓦解し、壊走する太陽系同盟軍もグランゼーラ革命軍に吸収される形となり、途端に戦力は拮抗した。地球連合軍もまた、木星圏まで広げた領土の統治を安定させる必要に駆られており、更なる戦闘の継続は困難であった。

 

かくして地球連合軍とグランゼーラ革命軍との間に休戦協定が結ばれ、戦乱はひとまずの終結を迎えるのだった。

これが、後に第一次太陽系戦争と呼ばれる戦乱の顛末である。尚、この大決戦によりフォボスの質量の58%が失われたことは特筆すべき事実であろう。

そして、誰しもが遠からず起こるであろう新たな戦乱を予測していた。それが間違いなく、先の戦乱よりも遥かに大きな規模のものとなるであろうことを。

 

 

そして、更に二ヶ月の時が流れる。

少女達の軌跡も、再びここから動き出すのである。



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―Epilogue of Mami Tomoe―

運命に翻弄され続けた少女は、ついにその運命に牙を剥く。
新たなる戦いの幕が開き、宇宙は更なる混迷に沈む。

これは、常にその先陣を切り続けた少女が放つ、叛逆の号砲。


「なるほど……よく生き延びていたものだ。半年の間も宇宙を彷徨い続けて。流石はM型……と言ったところか」

感心したように、けれどどこか嘲るような調子に言う男に、その少女――巴マミは、どこか憮然とした声で答えた。

「別に彷徨っていたわけじゃないわ。機体の推進部が壊れてしまったから軌道を計算して、慣性飛行でここまで飛んできただけよ。……確かに、こんなに時間がかかるとは思わなかったわね。その間生き延びることができたのも、こんな身体になったお陰ではあるのだけど」

 

そこは月面上に建設された軍事基地、ルナベース6。月の重力に引かれ、基地の近くへと墜落する物体が察知され、解析の結果それがR戦闘機であることがわかった。

回収されたR戦闘機は、魔法少女が乗るそれで。その中にはマミのソウルジェムが搭載されていた。そして、それはまだ生きていた。

彼女の言によればバイド戦役終結直後、帰投しようとしたところで機体の推進部が変調を来たし、機能を停止してしまった。仕方なく推進部へのエネルギー供給をカットし慣性飛行のみで近隣の施設へと向かうこととなった。

しかし、交差軌道に入ることのできる施設は民間のものしか存在せず、今の自分の身をそんなところに晒すわけには行かない。故にマミは、火星周辺宙域からこのルナベース6まで、半年もの長い旅路を越えてきたのであった。

 

「バイドとの戦いが終わった後、どんな願いでも叶えられる。それが、私が魔法少女隊を率いることになったときの契約だったはずよ。こうして無事に帰ってきたのだから、その契約を果たしてもらえないかしら」

そんな長すぎる孤独を感じさせないような力強い口調で、マミは自らの尋問を担当するルナベース6の司令官である男に向けて言い放った。

「確かに、そのような話であったことは聞いているよ。……それで君は一体何を願うというんだね、ゲルヒルデ。いいや、巴マミ」

そう促され、マミは答える。その口調はどこか楽しげで、けれど辛辣な調子すらも含んだものだった。

 

「そうね、あれだけ地獄を見せてくれたんだもの、色々要求させて貰うわ。まずは私を含む全ての魔法少女を日常に復帰させること。身体を失ったものはその復活もお願いするわ。 そしてもう一つ。沢山の少女達を犠牲にした上で生まれた魔法少女隊や魔女兵器。その存在を公表すること。私からの要求はそれだけよ。できればすぐにでもお願いしたいところね」

一通りの要求を叩きつけ、どこか満足げにマミは笑った。一瞬呆気に取られたような様子をしていた司令官も、すぐに乾いた笑みを漏らして。

「なるほど、なるほど。それは実に大それた望みだな。本当にそんな要求が通るとでも思っているのかね?」

「通して貰うわ、それが私達と貴方達との契約だもの」

マミは臆せず言葉を返す。

「通らんさ。君と契約を交わしたのは、戦時中の軍事政府だ。知らなかっただろうね。君が宇宙を漂流していた間に軍事政府は解体され、新たな統合政府が成立していたのだよ。故に我々には、君達と契約を交わした事実などは存在しない。それを履行する義務もまた、発生しないわけだ」

酷薄に、その口元に薄く笑みを浮かべて男は笑う。

 

バカな女だ。どれだけ兵士としては優秀でも、所詮は子供ということか。たとえ軍事政府がそのまま残っていたとして、そんな要求が受け入れられるはずが無いだろうに。こうして自分の命すら握られている状況で、よくもそんなことが吐けるものだ。

そう内心で嘲笑いながら、言葉に愉悦をたっぷりと滲ませて続く言葉を投げかけた。

「そして我々は、前政権の行っていた非人道的行為の全てを否定する。当然、君を含め全ての魔法少女の存在を我々は認めない。……君もつくづく運がない。このルナベース6には、君の他にも無数のソウルジェムが保管されている。それが何故だか分かるかね?……もうじき、彼女達は処分されることになるからだ。そして君もそうなるのだよ」

 

その衝撃的な事実、さらに続けざまに投げかけられる残酷な言葉。そんな言葉に心砕け、気力は萎え。そして屈してしまうのだろうか。そんなはずがない。この程度の絶望など、バイドに比べれば余りにも矮小なのだから。

むしろその男の言葉は、マミの懸念に明確な答えを与える結果となっていたのだから。

「貴方達はそう言って、グランゼーラ革命軍との盟約も反故にしたのね。……なんにせよ、その事実がわかっただけで十分よ。これで、私達も目的を果たすことができる」

「何を、言っている?」

くす、と小さな笑みが零れた。

恐らく人としての身体があったのなら、その規格外な胸を十全と張っていたことだろう。それほどに自信に満ち溢れた様子で、マミはさらに言葉を続けた。

 

「直に分かるわ。さあ皆、初めて頂戴っ!」

その言葉と同時に、基地内に無数の衝撃が走った。激しい衝撃に揺さぶられ、どうにか壁に手をついて男は、焦燥交じりの言葉を発した。

「何だ!何が起こっている!?状況を報告しろっ!」

「わ、わかりませんっ!突如として、基地の周りに無数のR戦闘機が出現、基地に攻撃を仕掛けていますっ!」

「なんだとっ!?く……っ、とにかく無人兵器を出撃させろっ!付近の基地に救援を要請しろっ!」

口早にオペレーターに指示を伝え、ようやく男はマミを睨みつけた。その片手には銃を。その銃口をマミのソウルジェムを突きつけて。

 

「これも貴様の差し金か。だとしたら、今すぐ止めさせろ」

「お断りよ。貴方達も思い知りなさい。私達の痛みと怒りを」

一閃。放たれたレーザーがマミのすぐ隣を掠めた。

「下らないお喋りに付き合うつもりはない。今すぐ奴らを下がらせろ。でなければ殺す」

「どうぞ、ご自由に」

けれどマミの言葉は、一切揺るがない。どこまでも静かで冷静で、けれどその奥底には深い怒りを秘めて。ぎり、と男は歯噛みした。状況が掴めない以上、マミの存在は人質になりえる。

そんなものを、まさかここで殺すわけには行かない。

 

「司令、敵機より通信がありました」

苛立ちと戸惑いを抱えた男に、オペレーターからの通信が届く。

「奴らはなんと言っている!さっさと知らせろっ!!」

「ただ一言、魔法少女隊と。……そう、名乗っています」

「な………っ」

魔法少女隊。魔女兵器の製作に際してできた副産物。バイド戦役の最中に全滅し、一機として帰投したものはない。そうされていたはずの部隊だった。

それが今、巴マミと共に帰還した。かつては人類の守り手として。今は地球連合軍の敵として。

 

「奴らに伝えろっ!巴マミの身柄はこちらにある、攻撃を続ければこいつを殺すと伝えろっ!!」

信じられない事態の連続。完全に平静を失った男は、怒鳴り散らすようにしてそう言った。それをそのままオペレーターが伝えた。けれど、帰ってきたのは更なる攻撃で、衝撃が基地を貫いた。

ようやく出撃を始めた無人兵器群も、次々に魔法少女隊の前に撃ち落されていく。無人兵器は確かに恐ろしい兵器であった。けれどそれは、十分な数を揃えて始めてそう言えるのである。

奇襲を受け、発進口自体が幾つか塞がれてしまった上、発進した側から的確に叩き落されているこの状況では、無人兵器はなんら脅威たりえなかったのである。

魔法少女は一人の例外もなく、あの地獄のような戦場で半年近くの時を戦い抜いた、まさしく、歴戦の勇者達だったのだから。故にその戦力差は圧倒的で、繰り広げられるのは一方的な蹂躙だった。

 

「……敵機より返答、ありません」

「……最初から、捨て石だったということか」

その事実は、少なからず男を愕然とさせた。それほどの覚悟を持って迫っているということは、恐らく完全にこの基地を陥落せしめんとしているのだろう。

「まさか、そんなわけないじゃない」

どういうことなのだろうか、何か恐ろしいものを見るかのように男はマミを見た。間違いなく殺されることが分かっているであろうに。その声はどこまでも平然としていた。

 

「ガキが……我々地球連合軍を、舐めてくれるなよ」

「侮るつもりはないわ。ただ、私達の全力を持って叩き潰す。それだけよ」

どこまでも平然と、それどころか余裕すら滲ませるマミの言動がついに男を激昂させた。撃ち放たれた閃光。銃口から放たれた光は、マミのソウルジェムを貫いていた。

「……とにかく、他の基地からの救援が来るまで持ちこたえるぞ。無理やりにでも無人兵器を発進させろ。基地を破壊しても構わん」

撃ち抜かれ、砕けていくマミのソウルジェム。だが、その姿が突如として掻き消えた。まるで、最初からそこには何も無かったかのように。

 

 

「一体、何がどうなっているというんだ」

するりとその手から力が抜ける。からん、と。乾いた音を立てて銃身が床に転がった。

 

 

「……ふぅ、ここまで上手くいくと、気分がいいわね」

後方にて待機していたババ・ヤガー。その機体の中で、マミは意識を取り戻した。

先ほどまでルナベース6において、軍の虜囚となっていたマミのソウルジェム。それは、とある魔法少女の魔法によって複製されたものだった。意志を宿した複製を造り出し、それが砕かれれば元となった場所へと意識が戻る。いわば、自分自身の予備を作り出すようなものなのだろうか。

そのような魔法を生み出しえたこと自体が、一つの奇跡のようなものだった。

「長かったわね、ここまで来るのに」

たっぷりと感慨を込めて、マミは静かに呟いた。

 

バイド戦役の終結直後、魔法少女隊はグランゼーラ革命軍にその身柄を委ねていた。地球連合軍にいたままでは、恐らく少女達の未来を勝ち取ることはできない。

グランゼーラ革命軍とて、正直得体の知れない相手ではあった。けれど彼らは非人道的なバイド兵器、フォースに対する排斥感情を強く抱いている。同じく非人道的な技術の産物である魔法少女の境遇にも、一定の理解を示してくれるのではないかと考えた。

その目論見どおり、グランゼーラ革命軍は魔法少女達を快く受け入れた。それはやはり非人道的な技術の犠牲者である魔法少女達への同情もあったのだろうが、兵士としても非常に優秀であった魔法少女達を、自らの戦力にしたいという思いもあったのだろう。

ことこの一点においては、常日頃から意見の対立の見られていたグランゼーラ革命軍上層部の意見も一致していた。

 

かくして魔法少女隊はその所属をグランゼーラ革命軍へと移すこととなる。その後、新政府によって盟約を反故にされたグランゼーラ革命軍は、反抗の時までじっと牙を潜めて待ち続けていた。

魔法少女隊はその間も、災害発生兵器たるR-9WZ――ディザスターレポートの捕獲や、外惑星における採掘拠点の確保において目覚しい働きを見せ、革命軍内での地位を確たるものとしていた。

そして、今。グランゼーラ革命軍の力を借りて、本格的な反抗作戦が行われる。その初戦たる、地球連合軍に囚われた魔法少女達の救出が敢行されたのだった。

 

魔法少女隊は、マミの突入と同時に密かにルナベース6の周囲に展開していた。それを可能にしたのが、グランゼーラ革命軍が生み出した新技術、ジャミングであった。

既存のレーダーに対して完全なる隠蔽を可能にした、その最新技術を惜しみなく投入し得るほどに、魔法少女隊は革命軍内においての信頼を勝ち得ていたのである。

 

「隊長、管制塔を押さえました。無人兵器もほとんどが沈黙したようです」

隊長の帰還を察知し、随行していた機体から状況の報告が行われた。

「さすがは私の仲間たち、手際がいいわね。それじゃあ上陸班は、魔法少女達の救出に向かって頂戴。それが済み次第、後始末を済ませて撤退するわ」

そう、月面には無数の基地が設置されている。完全にこの基地を押さえようと思えば、他の基地からやってくる増援も全て叩き落さなければならない。不可能ではないかもしれないが、やはり分は悪い。

もとよりそんなつもりもない、目的はあくまで魔法少女の救出なのだから。

 

「上陸班がソウルジェムを押さえたようです。内部の抵抗もほぼ収まっています」

「さすがはあの二人ね。みんなは引き続き周囲の警戒をお願い。こちらも準備を始めるわ」

言葉を交わし、ついにババ・ヤガーが動き出す。超絶圧縮波動砲が、それを撃ち放つためのエネルギーを蓄え始める。既に入手していた基地内部の構造から、照準をルナベース6内部、兵器格納庫へと定めた。

 

「おいおい、始めるのは勝手だが、ちゃんと私達の脱出まで待っておくれよ」

唐突に舞い込んできた通信。それは上陸班からのもので。

「大丈夫よ、彼女の腕は私達が一番良く知っているでしょう?巴さん、ソウルジェムは全て確保したわ。後はこのまま脱出するから、それまで待っていてね」

上陸したのは二人。敵地へ乗り込むには心許ない数ではあったが。

「了解よ。ごめんなさい、キリカさん、織莉子さん。貴女達にだけ危険な任務を押し付けてしまって」

そう、その二人は呉キリカに美国織莉子。いずれも魔法を扱う魔法少女。その魔法は白兵戦においても効果を発揮する。

「気にすることはないさ。これは、私達にしかできないことだからね」

「そういうことです。それに、道なら全て私が示すから。問題なんて何もありません」

何せ少女達の中で、生身の身体を持っていたのはこの二人だけなのだから

それを良く分かっているからこそ、二人は静かに笑って答えた。そして、脱出を急いだ。

 

「全機脱出したわね?射線上からの退避も済んでいるかしら?」

マミの問いかけに全機が答える。発射準備は完了していた。後はただ、撃ち放つのみ。

「じゃあ、始めるわよ。私達の戦いを……未来を手に入れるための、戦いをね」

マミはその意識を、超絶圧縮波動砲の引き金へと向ける。この一撃は、恐らく歴史を変える一撃となるだろう。身震いすらする心を抑えて、静かに狙いを定めた。

 

「――ティロ・フィナーレ!」

そして、引き金は引かれた――。

 

その日、ルナベース6は設備の大半と搭載した無人兵器の全てを失い、基地としての機能を完全に失った。しかし、その人的被害は基地が被った被害と比べれば非常に少ないものだったと言われている。

そしてその事件と同時に、地球と月の全域に向けて一つの映像が放送された。浮き足立った地球連合軍の隙間を縫って放送されたそれは、多くの人々の目に止まることとなった。

それはマミの言葉による、魔法少女の存在とその現状の訴え。そして、魔法少女の存在を隠蔽しようとする地球連合軍に対する宣戦布告であった。

 

その日から、巴マミ率いる魔法少女隊の新たな戦いが始まるのだった。

そして、彼女はそれからも戦い続けた。第二次太陽系戦争、グッバイ・マイ・アース作戦等、多くの戦いにおいて常に彼女はその先頭に立ち戦い続けた。それ故にその名は高く、そして長らく人々に語られることとなる。



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―Epilogue of Kirika Kure & Oriko Mikuni―

二人の少女に突きつけられた、残酷な裁きと姦計の尾。
死地に臨みし少女達に、運命は再度問いかける。

その答えは既に決まっていた。


「静粛に。美国織莉子及び呉キリカへの判決を言い渡す。――両名は求刑通り、懲役300年の刑に処す」

 

それは、バイド戦役終結の三ヵ月後。

無事に異層次元より帰還した第二次バイド討伐艦隊から、保存されていた身体を取り戻した美国織莉子と呉キリカの両名は、かつての罪に問われ軍事裁判にかけられていた。

二人の罪。それはかつてのTEAM R-TYPEの研究所にて行われた虐殺。その罪は余りにも重く、されどその事情を鑑みれば、十分に情状酌量の余地はあるものだと思われた。

けれど、その罪を裁く者達はそのような事情を考えもしなかったのである。

彼らが属する新政府は、先の軍事政府の最大級の汚点とも言える魔法少女に対して、徹底的な隠蔽工作を行っていた。全ての研究データの破棄や、現存している魔法少女の処分も検討されており、そう言った事情が織莉子とキリカの二人に、重過ぎる罪を言い渡していたのだった。

 

かくして裁きは下され、二人の身柄は火星にある収容施設へと護送されることとなった。

 

 

「どうにも解せないね」

護送船の中、特殊合金の檻の中。枷をはめられたキリカが呟いた。どうやら新政府は、魔法少女の存在自体は否定的だが、その力を制御することには精力的らしく。その枷は、魔法少女の力を抑制する機能も備えていた。

そうなってしまえばいかなキリカもただの少女、逃げる術など何もない。例えこの檻を抜け出したとして、自動操縦の護送船は収容施設まで一直線に飛ぶことしかできない。

結局のところ、できることは何もなかった。

 

「……何か気になることでもあるの、キリカ?」

同様に檻に囚われた織莉子も、それは同様だった。

「どうにもね。連中が私達のことを始末したいってのはよく分かるんだ。でも、それにしては随分悠長なことをするじゃないか、連中はさ。さっさと極刑にしておけばよかったのに」

自分の事であるはずなのに、どこか他人事のようにキリカが毒づく。

そう、確かに始末するだけならばそのまま極刑に処してしまえばよかったのだ。事実として、既に幾度かの暗殺をくぐりぬけて生き延びていたキリカには、その手ぬるさがどうにも解せなかったのだ。

 

「そういうわけにもいかなかったのでしょうね。極刑にするのならばそれ相応の手続きが必要になる。そうなれば、自然と多くの人の目に触れる。人の数が増えるほど、秘密を守るのは困難になるわ。だから、裁判自体は正当に行うことにしたんじゃないかしら。……あくまで、その判決自体は」

最後の一言だけ、織莉子の声のトーンが下がる。そう、あくまで行われたのは正当なる裁き。織莉子自身は、自分のやったことに罪の意識は欠片もない。恐らくキリカも同様だろうと思っている。少なくともあの時あの場所に居た連中は、殺されても文句の言えないようなことをしていたのだから。

それでもその行為は、社会通念上では間違いなく重罪だった。

 

「……なるほど、ね。なんだかちょっとだけ織莉子の気分が分かったような感じだよ。つまり、こういうことだろう?これからこの船にある不幸な事故が起こる。それは隕石との衝突かもしれないし、テロリストによる犯行かもしれない。そして護送船は撃沈。護送中の凶悪犯二名も、その爆発の中に消えた。きっとそんなところだろう?」

「ええ、きっと視えていればそんな光景だと思うわ。……いいものじゃないわよね、自分が死ぬところが見えるなんて」

軽くウインクして見せて、そんな事を言うキリカに、織莉子は苦笑混じりに答えた。そう、あくまで対外的には正当な裁きを下したように見せているのだろう。そうして送り出してしまえば、後はいくらでも好きなようにできるのだから。

 

「そう考えると、いろいろと不自然だったのにも納得がいくね。凶悪犯の護送にR戦闘機の一機もつけない理由。そしてついさっき、この船の乗組員が全員シャトルで出て行った理由。全部納得がいくよ」

乾いた笑いが、その口元から零れた。低く、掠れたような笑い声が。

「まったく、滑稽な話だよね。織莉子。あれだけ織莉子がみんなの為に頑張ってたのにさ。何度も何度も死にそうになって、それでも頑張って戦い抜いて、生き延びたって言うのにさぁ」

声が、震えた。それを押し隠すように強気な言葉を紡ごうとして。けれど、できなくて。震える声だけが、次々に押し出されていった。

「なのに……それなのに、さぁ。何でこんなことになっちゃうんだよ。私達が守り抜いた相手に、こんな風に舌を突き出されてさ。……はは、はははっ。これじゃあ一体何のために戦ってたのかわかりもしないよ。ねぇ……織莉子」

震える声を隠し切れずに、キリカは縋るように織莉子を見つめた。

その時、激しい衝撃が船を揺らした。

 

「うぁっ?!」

「きゃっ……!」

その衝撃に二人の身体は投げ出され、壁に繋がれた枷によって引き止められた。恐らく推進部に何らかの攻撃を受けたのだろう。衝撃に揺さぶられ、そのまま護送船は一切の動きを止めていた。

「とうとう……来たか。ああ、来てしまった。本当に……こんなものが私達の最後なのかいっ!?」

胸の内で芽生えた絶望が、じくじくと心に侵食していた。何か手はないのか、生き延びる術はないのかと必死に辺りを見回した。けれどそこにあるのは檻と枷。そして織莉子の姿だけで。一切脱出の役に立ちそうなものはない。

まして外は宇宙空間。宇宙服の一つもない今では、投げ出されれば即、死が待っている。

 

「死線を幾度も乗り越えて。……けれど、その最後は思っていたよりもずっと呆気ないものだったわね。ごめんなさい、キリカ。元々これは私だけの問題のはずだったのに、貴女まで巻き込んでしまったわ」

今こうしている自分。その全ての発端は、織莉子が魔法少女となったことからだろう。そしてそれを追い、キリカもまた魔法少女となり。そして闇へと転げ落ちた。逃げ出す場所などどこにもない、深い絶望の袋小路へと、転げ落ちていったのだ。

織莉子の頬を、暖かな雫が伝った。それは涙と呼ばれたもので、全てが絶望に沈んだあの日から、ずっと忘れていたものだった。

「でもね、キリカ。これは私の我侭よ。それに貴女を巻き込んで、こんなことになってしまったのも事実なの。……でも、それでも私は。貴女に出会えてよかった。貴女と一緒に生きられて、貴女と一緒に戦えて。幸せだったわ。本当に……愛してるわ、キリカ」

感極まって伏した目から、とめどなく涙が溢れた。

闇に堕ちた織莉子にとって、キリカの存在は光だったのだ。それは闇よりも黒く、織莉子の側で彼女の進むべき道を照らす漆黒の光。それがたまらなく愛おしくて、一緒に居られる時間は甘美で。それが失われることが、ただただ悲しかった。

 

「私だって!織莉子のことは大好きだ、愛してる。愛してるんだっ!……嫌だ!嫌だ嫌だイヤだっ!こんなところで終わりたくない。まだ死にたくないっ!もっと織莉子と一緒に居たい、もっと一緒に話がしたい。もっと、もっと織莉子に触れたい。嫌だ、嫌だよ……死にたく、ない……よぉ」

例えどれほどの絶望を乗り越えたとて、幾度もの死線を乗り越えたとて、彼女達はまだ少女なのだ。呆れるほどの苦境の末に手にした平和。その平和からさえも舌を突き出されて、気丈で居られるはずがなかった。

止め処ない嗚咽が、キリカの口から漏れた。

「キリカ……あぁ、キリカ。私も同じよ。貴女と一緒に居たい。貴女と生きていたい。なのに、どうして……こんなっ」

ぽろぽろと、零れるのは涙ばかりではなくて。零れるのは嗚咽。それはやがて慟哭。二つの泣き声が、死を待つばかりの箱舟の中に響いた。

 

けれど、その死は一向に訪れなかった。

 

泣きはらし、すっかり目元も腫れてしまった二人。溢れる激情は、涙になって流れてしまった。

されど訪れぬ最後の時。

「……これは、もしかすると」

それは、二人の脳裏に何かを予感させた。

「ええ、もしかしたら……」

それはあまりにかすかな希望。状況は変わったのではないか。最後をもたらすその一撃は、未だ持って放たれていないのだ。もしやすると、死の定めは覆されるのかもしれない。

それはもちろんかすかな希望。けれど今まで希望のきの字も見えなかったのだ。そしてほんの僅かでも希望があれば、それはきっと現実足りえることを二人は知っていた。

 

「……ええと、その。そういうこと、なんです。ハイ」

艦の通信をジャックして流れ込んできたその声は、やけに気まずそうな少女の声だった。

「え……貴女、は?」

「な……っ、君はっ!?」

その声は、二人にとっては聞き覚えのある声だった。その声に織莉子は疑問を、キリカは驚愕をその表情に浮かべた。

「まあ……要するに、っスね。刺客かと思った?残念、魔法少女隊でしたっ!!……ってなわけで」

もう一つ、別の少女の声。なんだかもう開き直っているような声。それもまた、二人にとっては聞き覚えのある声で。

とうとう二人は互いに同じく、驚愕の表情を浮かべるのみとなり。

「助けに来たんです。……隊長、織莉子さん」

そしてもう一人の声。それもまた同じく聞き覚えのある、忘れようもない声。

少女達は、かつてのキリカの戦友達。バイド戦役を生き延びた、魔法少女隊の戦士達だったのだ。

 

「生きて……いたのかい、君達は」

愕然と、そして呆然とキリカは呟いた。安堵、驚愕、そして今更になって込み上げてきた、たまらないほどの嬉しさと。

「あー、ひっどいなぁ隊長ってば、会っていきなり生きてたのかーって。死ぬわけないじゃないスか。私らは隊長の部下で、魔法少女隊なんでスよ?」

「先ほどはごめんなさい、どうしても船を止めるためには推進部を破壊するしかなかったので。お怪我とかなされてませんか?とにかくすぐに助けに行きますから」

「……まあ、本当は結構前から通信は繋がってたんだけどね。あんなわんわん泣かれてたら、話すことも話せないってわけでねぇ」

そして最後の一言が、たまらなく二人の羞恥を煽るのだった。当然、途端にその顔は朱に染まった。

 

「き~み~た~ち~は~~っ!何をやってるんだぁぁぁっ!!」

キリカは絶叫した。恐らくそれは照れ隠しと言ってもいい。けれどその声はとてもとても嬉しそうに、少女達へと怒りを発散していた。

「うわわ、隊長が怒ったっスー」

「ですからそれについてもごめんなさいということで……その、正直驚いてました隊長があんなにわんわん泣いてるなんて……くくっ」

「いや、状況が状況だから笑っていいのかわからなかったんだけどね、やっぱり笑うってこれ」

詫びているのだか煽っているのだか、なんだか暢気なやり取りで。そんなやり取りを遮って、響く一つの笑い声。

 

「くくっ……ふふ、あはは。あははははっ!」

「……お、織莉、子?」

それは織莉子の放った声で。今までの様子が嘘のように笑い出す。それには少女達も絶句。キリカすら、どこか心配そうに顔を覗き込むばかりで。

「あはは……はは、はぁ。っ、もう」

目じりに浮かんだ涙を払おうとして、枷に遮られそれも叶わずに。さりとて気にすることなく、織莉子はそのまま言葉を次いだ。

「本当にもう、一体どれだけ波乱万丈なのかしらね、私達の人生は。多分もう、一生どころじゃすまないほどの生き死にを越えてきたんじゃないかと思うくらい。思わず笑ってしまったわ。……そろそろ隠居でも考えようかしら。ねぇ、キリカ」

「え、いや。織莉子がそうしたいなら……私もいい、けど」

キリカですら見たことのない織莉子の姿。目を見開いて戸惑うキリカ。まさか極度の緊張で何かがぷっつりといってしまったのではと、そんなことすら考え始めてしまったところに、更なる声が飛び込んだ。

「輸送艦が来たんで、船ごと積み込んじゃいますよ。……それと、織莉子さん。隠居は……まだできそうにないかもしれないスよ」

少し申し訳なさそうにその少女は告げた。それは予想されいたことかのように、織莉子の答えはすぐさま返ってくるのだった。

 

「分かっているわ。バイド戦役が終わった今、存在しないはずの魔法少女隊を名乗る理由。そして重罪人である私達を助ける理由。それを考えれば、新たな魔法少女隊の目的も分かるわ」

「……相変わらず、驚くほど察しがいいですね」

その答えが、自分の推測を肯定しているのだと理解して、織莉子は更に笑みを深めた。

「戦うつもりなのね、地球連合軍と」

「……ああ、ここまで好き勝手にやられっぱなしで、泣き寝入りじゃあ気がすまないからね。だから二人にも付き合って欲しい。そのためにわざわざ革命軍に救出作戦への協力をさせたんだからさ」

そう、今回の救出作戦にはグランゼーラ革命軍も一枚噛んでいたのだ。政治犯収容施設が火星にあることから、そこへの護送の日時や航路を革命軍を通じて手に入れていたのである。

 

「織莉子、私は戦う。私や織莉子をここまでコケにしたんだ。あいつらはその報いを受けるべきだ。織莉子はどうするんだい?やっぱり人間相手は……」

織莉子の戦う理由は、正義のため。世のため人のため。だとすれば、その力を同じく人に向けるのは恐らく大いに躊躇うべきことだろう。

キリカの言葉も、今一つ歯切れが悪い。

「戦うわ。ここまで死にそうになったり生かされたりしていたのでは、身の休まる暇もないもの。だから、そろそろそんな最悪な運命の後ろ髪を、思い切り引き抜いてあげてもいい頃だと思うのよ。もう二度と私達にそんな運命を与えられなくなるくらい、徹底的に叩き潰してあげましょう」

そして織莉子は不敵に、力強く、どこか邪悪さすら感じるような笑みを浮かべた。

 

かくしてその日、魔法少女隊に美国織莉子・呉キリカの両名が復帰することとなった。二人のその後の活躍は目覚しく、後の戦乱の最中にも多くの戦果を挙げたといわれている。



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―Epilogue of Kyoko Sakura―

戦火を逃れ、落ち延びた少女。けれど運命は尚も彼女を責め立てる。

いずれ途切れる道の途中で、彼女は何を思うのか。


「あとどれだけの時間が、あたしには残されてるんだろうな」

土星圏の辺境に存在する居住コロニー“リリシアン”。その主たる居住区画から離れた、自然の多い公園区画。その片隅に寝転んで、映し出された夜空を眺めて杏子は呟いた。

 

バイド戦役の終結後、奇跡によって帰還した命たちがあるべき場所へと帰る中、杏子だけが一人、その存在を失うことなく生き長らえていた。後にそのことを知り杏子自身もひどく驚いた。

けれど、大事なのは今自分が生きているということ。これからも、そうして生きて行けるということなのだと、自分を納得させていた。そしてバイド戦役が終結し、世界が戦後の混乱に沈んでいる最中。こっそりと機体や資材、財産などを持ち出して、こんな辺境のコロニーにまで逃げ延びてきたのである。

当然既に杏子は死んだ身で、素直に軍に戻れるかどうかもわからない。何よりもうこれでバイドとの戦いは終わった。杏子にとってはこれ以上戦う理由もなかった。

だから、全てを捨てて逃げ出したのだった。

たった一つ以外だったのは、その逃避行には連れ合いが居たことだけだった。さやかが、そんな杏子に着いて行くと言ったのだ。

当然最初は反対した。既に死人の杏子と違い、さやかにはれっきとした地球人としての身分がある。家族の元にだって戻ることができるはずだと説得したのだが、さやかの意思は固かった。

 

さやかは言ったのだ。

「あたしはこれからも、あんたと一緒に生きていきたいんだ。だから、一緒に行くよ。そして、いつか色々ほとぼりが冷めたらさ、一緒に帰ろうよ、ね?杏子」

それがどれほどの時を要するかもわからないというのに、それでも不敵に笑って。自信げに、希望の色を絶やさずに。そう言ったのだ。

時杏子は、少し泣きそうになりながらそれに答えたのだった。今でも時折、さやかはそのことをからかってくる。それがちょっとした悩みの種だった。

 

宇宙の片隅、それなりに蓄えはあったにせよ、年端も行かない少女が二人で生きていくにはやはり世間は厳しかった。目減りしていく蓄えが、日々の不安を募らせて。ついに杏子は再び戦うことを選んだ。それは仲間を守るためでも、バイドを討つ為でもなく。ただ彼女とさやかが生き延びるための戦いだった。

丁度その折、地球連合軍から各コロニーへの干渉が始まっていたこともあり、リリシアンもまた自衛の為の戦力を必要としていた。杏子はリリシアン自警団の一員として、再び戦場に舞い戻ることとなる。

今度の敵はバイドではなく同じく人間。躊躇いはあったはずなのに、その身に染み付いた戦士としての本能は容易くその引き金を引かせ、心の痛みすらもどこかへと遠ざけていたのだった。

 

そんな再び戦う日々の中、それは唐突に発覚した。自警団で行われたメディカルチェック。それが杏子に示したデータは、その身体が既に死人のそれに近づいていることを示していた。

驚愕、そして困惑。逃げるようにリリシアンを飛び出した杏子の足は、気付けば忌まわしき場所へと舞い戻っていた。

かつての地球連合軍において、魔法少女と魔法の研究を一手に担っていた研究機関。すなわち、かつても今も変わらぬ狂気の科学者集団、TEAM R-TYPEの元に。

 

「……まあ、見ての通りだ。佐倉杏子。お前さんの身体は、もうとっくに死んでおる」

その初老の男性は、杏子の身体を舐めるようにジロジロと見回してそれからさぞ興味深いとでも言った風に、杏子にそう告げるのだった。

「それで、じゃあ何であたしはこうやって生きてるんだよ。ゾンビにでもなっちまったってのか?」

そんな視線、そして言葉に込み上げてくる嫌悪感を隠そうともせずに、苦々しい表情で杏子は言葉を返した。

「ある意味、それに近いといえば近いかもしれんな。お前さんの身体を動かしているのは今や脳や神経からの電気信号ではない。あまりこういう言い方はしたくないが、魔法といったほうが理解はしやすかろう」

「魔法で身体が動いてる、って。……そりゃあ、まるで」

「そう、今のお前さんの身体は、M型被験体。いわゆる魔法少女という奴とよく似ておる。ただ、ソウルジェムができている風でもない、なんとも不思議な状況だの」

だとすれば、この身体がある意味死体のようなことにも納得はいく。そもそもこの身体自体が、まどかの願い。いうなれば魔法によって生み出されたものなのだから、ある意味当然のことだとも言えた。だが、だとすれば気がかりなこともある。

 

「じゃあ……あたしはこのまま、ずっと普通に生きていけるってことなのか?」

「それは分からん。お前さんの話によれば、恐らくお前さんの身体を動かしている魔法の力はお前さんが生み出しているものではなく、願いによって与えられたものなのじゃろう。となれば当然、それが尽きてしまえば……どうなるかは、言うまでもあるまい」

「時間は、どれくらいあるんだ」

ぎり、と歯噛みして。男を睨んで杏子は詰め寄った。どれだけの時間があるというのか、ある日突然動けなくなって、そのまま死んでしまうのではないか。

「それも分からん。お前さんがこの世界に舞い戻り、更に身体を得るにいたるまでそこには二つ分の願いが介在しておる。その分余計に魔法の力が残っておる、という解釈もできるが。実際それがどの程度のペースで目減りし、一体今どれだけ蓄えられているのか。それを知る術はない」

彼らの科学技術をもってしても、異星の技術たる魔法を完全に解析するのはまだ不可能であった。

その技術をもたらしたインキュベーターは、バイド戦役の末期から行方が知れていない。そもそも新政府の方針により、魔法少女に関する全ての技術や情報が封印されてしまっている。これ以上はどうにもなるまいというのが、男の考えではあった。

 

「明日か明後日か、それとも五分後か十年後か。それは我々にもわからん。……だがまあ、そう気に病むことでもあるまい」

まるで何事もないかのように、男は杏子にそう告げるのであった。当然人事ではない杏子は、男に掴みかかった。

「っざけんじゃねぇッ!人事だと思って、好き勝手言いやがって!」

それでも、男の笑みは崩れない。多少締まっているのだろうか、その語る声はどこか苦しげではあるが。

「変わらん……さ。お前さんも、あの戦場を見てきただろう。五秒後、十秒後。自分が確実に生きていられる保障があったか?絶対に自分が死なないと……言い切れた、か?」

杏子ははっとなったように目を見開き、自然とその手から力が抜けた。

「ま、要するにそういうことだよ。別に戦場に限った話でもない。普通に暮らしていたとて、ふとしたことで人は死ぬ。それが今日かも知れんし、明日かも知れん。十年後かも五分後かも分からん。今のお前さんと、何が違うというのだね?」

 

「……そりゃあ、そうだけどよ」

いつしか杏子の手はだらりと垂れ下がり。その視線は、浮ついて虚空をなぞっていた。

「問題なのは、その限られたいつ終わるとも知れぬ生で、一体何を為すかと言うことだ。私とて、まだまだやりたいことは山ほどもある。だがそれでもいつ死ぬかも分からん。その時になって悔やまんよう、自分のやりたいことにはひたむきに、真摯に取り組んできたつもりだ。………ま、それもこれでお仕舞いだがな」

そう言って笑う男の横顔には、隠し切れない寂寥の念が滲んでいた。

 

「……なんだよ、ついに今までの悪行の報いを受ける日が来たか?」

そんな表情がどうにも意外で、けれど素直に心配できるほど相手の日ごろの行いは良くない。だからこそからかうように、どこか嘲笑う風も込めて杏子は言った。

「新政府は、近々TEAM R-TYPEの解散を宣言するつもりらしくてな。今後は無人兵器を主とした兵器体系にシフトしていくらしい。TEAM R-TYPEはそのための組織に作り変えられる。組織としての形も大きく変わろう。今までどおりのやりたい放題、とはもういかんのだよ」

「ってことは、もうR戦闘機はなくなっちまうのか」

今まで様々なRと共に、多くの戦場を駆け抜けてきた。その日々が終わり、ついにRのその名も潰えてしまうのか。そう思うと、杏子はどうにもやるせないものを感じてしまった。

「しばらくはR戦闘機のデータを流用した無人兵器の開発が行われるだろうが、あくまでR戦闘機は有人機。いずれは違う形に取って代わられるだろうな。……今更だが、なんだか寂しいものだ」

「にしても、いいのかよ。そんな機密をあたしなんかにべらべらと」

「構うまい。どうせ近々なくなる組織だ。それにもしTEAM R-TYPEが健在なら、お前さんのような最高の実験台を、みすみす放っておくという話もないからの」

もの悲しさなどどこへやら、呵呵と笑うその姿はこんな状況ですら楽しんでいるような、そんな風にも見えた。

 

「それに今、TEAM R-TYPEはその全能力を投入して最後の大仕事に挑んでおる。それさえ終わらせることができれば、別に解散してしまってもかまわんのだよ」

「今度は何企んでんだよ、あんたらはさ」

「言うまでもあるまい。究極のR戦闘機の開発だ。……いや、流石にそれに関してはまだ秘密だ。ほれ、話は済んだんだ。私も忙しい、さっさと帰ってやるがいい」

話は終わった。すぐさま席を立ち、男は杏子に背を向ける。究極のR戦闘機。それが一体何なのか。気にならないわけでもなかったが。そんなこと、知ったところでどうにもなるまい。杏子もまた踵を返し、リリシアンへの帰路を辿った。

帰還した日の夜のことである。公園区画で、星を眺めて寝転ぶ杏子の姿があったのは。

 

「さて、そろそろ戻るかね。さやかの奴も心配してるだろうし」

結局、どれだけ生きられるかなどは心配しても仕方がない。だとすれば、大切なのは何を為すか。男の言葉が杏子の頭の中を渦巻いていた。

どう生きるべきなのか、何を為すべきなのか。その答えはまだ、見つかっていない。

 

そして今日も杏子は、家路を辿る。



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―Epilogue of Sayaka Miki―

死線を越え、地獄を踏み越え、少女は遥か遠くへと至る。
されど地獄の残滓は、悪夢の記憶は少女に尚も追いすがる。

一人では乗り越えられない、だから少女は共に往く。
身を寄せ、心を寄せ合って。


「う……ぅ、ぅあぁぁぁっ!」

そこは地獄だった。

見渡す限りに広がるのは、まるでこの世に存在するありとあらゆる苦痛をその一身に受け、その身と魂を焼き尽くされて朽ち果てた、亡骸の群れ。

彼らの無残にも歪められたその表情は、まさに正視に堪えぬほどの惨状であり、あるいは歪みあるいは崩れ、そしてあるいは焼け爛れたその口から漏れる声は、断末魔の声と身の毛もよだつほどのおぞましい怨嗟の声だけであった。

 

さやかは、じっとその光景を見つめていた。目を逸らすことはできなかった。そして例え目を逸らそうとも、おぞましきその声は容赦なく彼女の鼓膜をすり抜け、その体の奥底に存在するであろう精神を傷つけ続けていたのである。

それは間違いなく夢だと、さやかは知っていた。なぜならその光景は、彼女にとっては忘れようもない光景であったのだから。

それはかつてのアークにおいて、希望が転じて絶望となり、多くの人間の死を孕んだ箱舟となった場所において。単身まどかを助けるために乗り込んださやかを待ち受けていた、まさしくこの世の地獄のような光景だったのだから。

 

そう、それは既に起こってしまった過去の出来事。けれどその時心に深く刻まれたその傷は、約半年の時を経た今でも、さやかを苦しめ続けていたのだった。

 

彼らは望まぬ死を押し付けられたその表情で、口々に怨嗟の声を漏らす。けれどその声は、確かな意味のある言葉としてさやかの元へは届かなかった。

それも当然と言うもの、彼女は彼らの声などまるで知らぬ。彼女がアークを訪れたとき、彼らのほとんどは既に事切れてしまっていたのだから。だとすればその声は一体何なのか、そんなことは誰にも分かりはしなかった。

それでもその声ならぬ声は、ひしひしと耳に心に響くその感情は、否応なくさやかを追い詰めた。亡者の一人が起き上がる。それにつられるようにまた一人、そしてまた一人。

 

「ひ……ぃっ」

それはあまりに恐ろしい光景で。恐怖に縮こまったさやかの喉は引き攣れ、震える声を一つ漏らすだけであった。けれどその間にも、亡者達は次々に起き上がりさやかへと迫ってくる。

逃げ出そうとして始めて、さやかは自分が床に座り込んでいることに気がついた。立ち上がって逃げようにも、恐怖は完全にその四肢から力を奪い去っている。何よりも腰がすっかりと抜けてしまっている。

仕方なく手足を動かし、必死に這うようにして後ずさる。けれどすぐにその背は壁へとぶつかった。

もう逃げ場などどこにもない、亡者達の手はすぐそこにまで迫っていた。彼らの手に囚われれば、一体どうなってしまうのか。その生をこれでもかと言うほどに啜られ、さやかもまた同じく亡者の仲間入りとなってしまうのか。

それともその生を激しく憎む亡者達の手によって、到底筆舌に尽くしがたいほどの陵辱の憂き目を見てしまうのか。いずれにせよその未来は決して明るくはない。

そしてついに伸ばされた亡者の手が、さやかの身体を掴み上げ――

 

 

「さやかっ!おい、しっかりしろ、さやかっ!」

力強く身体を揺さぶる手、そして自分の名を呼ぶ声。飛び起きたさやかの意識が最初に感じたのはその二つだった。

そして目を開けると、そこには。

「……杏子?」

そこには、必死の形相でさやかに呼びかける杏子の姿があった。

 

それは丁度杏子が忌まわしき場所からの帰還を遂げ、リリシアンへの戻った日の夜である。杏子がようやく我が家へと戻ることができた時には、時刻はもう既に深夜であった。当然さやかも寝ているだろうと、杏子は密かに帰宅を果たすのだった。

いつ戻るとも知らせずに飛び出してきたのだ、明日の朝にでも起こしてやって驚かせてやろう。そしてそれから謝ろうと、そんな殊勝かつ諧謔なことを考えていたのだが、それは唐突に打ち切られることとなる。

自室へと戻る前に、少しだけさやかの部屋を覗き込んだ杏子が見たものは、まるで目に見えない何かに怯えるかのように身を丸め、全身に汗をびっしりと浮かべながら、苦悶の表情とそれに負けぬほど苦しげな声を上げるさやかの姿だった。

当然杏子はそれを放っておけない。思わずその身を抱き起こし、身体を揺さぶり声をかけた。恐らくそれがさやかを悪夢の淵から引きずり起こしたのだろう。かくしてさやかの悪夢の幕は閉じられたのである。

 

「あんた……一体今までどこほっつき歩いてたってのさ!勝手にいなくなったりしてっ!」

途端に飛んできたのは怒声である。土星に近しいこのリリシアンにおいても、その怒声はやはり変わることなく杏子の鼓膜を振るわせた。何故だかはわからないが、その声が杏子にはなにやら愛おしく感じられた。

込み上げるその感情はあるいは感慨、あるいは思慕のようでもあったりして。それに駆られるように、杏子はさやかの手をとって。そしてじっとさやかの顔を見つめて。

 

「それは……ほんとに悪いと思ってる。でも、おかげで問題は解決した。もう大丈夫だ、どこにも行かない。……ほんとごめん、さやか」

どうやらさやかのたった一言で、杏子の胸中の諧謔たる思いは一片に消し飛んでしまったらしい。珍しく素直に自分の非を詫び、頭を下げる杏子の姿に、逆に困惑してしまうさやかでもあった。

「……ったくもう。そんな風に言われたら怒るに怒れないでしょうが。それで、本当にもう大丈夫なんでしょうね。だったら、ちゃんと事情を聞かせなさいよ」

「分かってる。……ちょっと衝撃的な話かも知れないけどさ、とりあえず最後まで聞いてくれよな」

真夜中深夜、うなされているところを叩き起こして。話しているのはそれとは全く関係のないことである。けれどそうして話をしている間に、蒼白とでも表現できそうなさやかの表情には僅かに赤みが戻ってきていて、全身にびっしょりと浮かんでいた汗も、幾分かは引いたようだった。

 

「まあ、そういうわけらしくてさ。……要するに、今のあたしはいつ死んでもおかしくないんだってさ」

ようやく全てを語り終えると、当然のようにばつが悪そうに杏子は佇んでいた。結ばれた手と手は、なんとなく別れる機を逸したかのように今でも繋がったままである。

「……それで、杏子はどうするのさ」

最悪の夢に続いての衝撃の告白。それにどうにも心のどこかが完全に麻痺してしまったらしく、さやかは完全に据わった目つきで杏子に問いかけた。

 

「まあ、色々考えたんだけどな」

一つ息を吐き出して、杏子はさやかの問いに答える。そんな杏子を、さやかは相変わらず据わったままの目つきで睨みつけているのである。

「どうもしないことにした。別にそれが分かったからって、生き急いだり死に急いだりはしねぇよ。あたしは今まで通り普通に生きる。いつか死ぬかも知れないのだって誰だってそうだろ。変わりゃしないさ」

そして驚いたように目を見開いたさやかの手を引いて、自分の元へと引き寄せて。

「だから、さ。さやかも一緒にいてくれ。先に行っちまうかもしれないってのは心苦しいけどさ。それでもあたしは、限られた時間だからこそあんたと一緒に居たいんだ。……ダメ、かな」

今度こそ杏子から、さやかの身体を抱きとめて。その耳元に囁くように、そんな思いを打ち明けた。

 

「なーんか……さ。それって、プロポーズみたいじゃない?」

照れくさそうにはにかみながら、少しだけ困ったようにさやかは答えた。杏子もどこか恥ずかしげにそっぽを向いて、それでも。

「好きでも大切でもない奴を、こんな土星くんだりまで連れて来るわけねーだろ、ばか」

確かに、そう答えたのだった。

 

 

そんな言葉に、さやかは一つ大きく溜息を吐き出して、そして。

「……あたしの答えはもう伝えてあるはずでしょ。あたしはあんたと一緒に生きていきたい。だから、一緒に行くってさ。……あんなに泣きながら喜んでた癖して、またそんなこと尋ねますかねこいつは」

親指を中に、柔らかく握りこんだその拳でこつんと、杏子の胸を打つのだった。

「なっ、泣いてねーだろうがっ!勝手なこと言うな、バカっ!」

「はいはい、過ぎた話はいいからまずは今流れてる涙をどうにかしなさいな、杏子」

「っ!?……だ、だから泣いてなんか、ねぇって」

恐らくその光景を誰かが見ていたのなら、その反応は二つくらいに大別されていたことだろう。素晴らしい、と頬を緩めて見つめるものと、ご馳走様、と顔を歪めて目を背けるものにだ。

 

「ほんとは、ちょっと怖かったんだ。……いつまで生きられるか分からないからそんな自分とは一緒にいられないって言って、そのまま居なくなっちゃうんじゃないかって」

柔らかに打ち付けた拳さえ、引き寄せられて投げ出した身体さえ、杏子の身体に受け止められて。そのまま杏子の顔を見上げて、そこからぽたぽたと垂れる雨を受け止めながらさやかは囁いた。

「ばーか。だったらそもそもここに帰って来たりなんかしねぇよ」

「……それもそっか。でも、もし勝手にいなくなってたりしたらどんな手を使ったってあんたを探し出してたと思うよ、あたしはさ」

見詰め合っている二人。不意に杏子がひょいと身を屈め、顔を突き出した。その意するところを察して、さやかも僅かに背を逸らして顔を突き出し、目を伏せた。

小さな灯りだけが照らす部屋の中、二つの顔はゆっくりと近づいていく。部屋の灯りに映し出された曖昧な影も、浮かび上がった二つが一つになろうとしていた。

 

ごくりと、どちらともなく小さく喉が鳴った。

尚も止まらず静かに二つの顔は距離を詰めていく。

震える唇同士が、静かに重なろうとしていたその時に。

 

 

部屋の壁に埋め込まれた端末が、けたたましい音を鳴らし始めるのだった。

 

 

これはたまらぬと目を開くさやか、すると目前には杏子の顔があって。最高潮にまで高まっていたその羞恥やらなんやらが、一気にぱちんと弾けてしまった。

まさしく弾かれるかのように仰け反り、そのままベッドから転げ落ちてしまったのである。

 

「あ……さや、か」

「痛……つつ、なんなのよ、こんな時間にっ」

どうにもならない衝撃に、呆然と立ち尽くす杏子。どうやらしたたかに床に打ち付けてしまったらしく、しくしくと痛むお尻を押さえてさやか。

そしていまだに鳴り響く端末である。

 

「ったく!時間を考えやがれ、馬鹿野郎がっ!」

いいところに水を差され、この調子では続きどころでもない。苛立ち紛れに端末の側へと駆け寄り、起動ボタンに指を叩きつける杏子であった。

 

「ああ、やっと繋がったわ。って、キョーコじゃない!?貴女いつの間に戻ってきてたのよ?」

その端末が映し出した顔は、杏子の良く知る顔だった。彼女は杏子と同じくリリシアン自警団で戦う兵士であり、ひょんなことからさやかとも交友を持っていた人物であった。

「ついさっきだよ。っつーか何だよ、何の用があったらこんな時間に連絡して来るんだっての」

非常にいいところを邪魔された苛立ちを、まるで隠そうともせず杏子はその女性に向けて吐き出した。なんとなく不味いことをしたかなというの察して、彼女はとにかく口早に用件だけを伝えてしまうのだった。

「それについては明日にでも、隊長もカンカンっていうよりマジ心配してるから、後でちゃんと弁解しておくこと。それはそうとあんた達、今すぐテレビをつけてみなさい。凄いのやってるから。じゃ、またねー」

言いたいことだけ言ってしまって、ぷつりと通信は途切れてしまったのであった。

 

「……なんだってんだよ。ったく、はた迷惑な奴だ」

果てしない脱力感に苛まれながら、杏子も端末から視線を背け、振り返った。そこにはどうにか起き上がったさやかの姿。先ほどよりも随分と距離を置いて、再び見つめ合う二人。

けれどどちらともなく漏れたのは、なんとも言えない疲労感たっぷりのため息だった。

「なんか……白けちゃったね」

「……ああ、ほんとにな」

本格的に続きなどと言える空気ではない。どうしようもない脱力感と徒労感が、二人を苛んでいた。

 

「っと、それよりテレビだよ。何かやってるらしいけど」

「まあ、見るだけ見てみるか。これでまた下らない通販番組だったら、後でブン殴ってやる」

何はさておき二人は居間へ。灯りをつけて、早速テレビを眺めてみると。そこに現れた光景は、随分と衝撃的なものだった。二人にとっては尚のことである。

 

 

「現時刻を持って、私達は魔法少女隊として地球連合軍の非人道的行為に対して反抗を開始するわ」

それは、ルナベース6襲撃に対する対応に追われる地球連合軍の間隙を縫って放送されたものであり、魔法少女と言う地球連合軍が抱えた闇を知らしめると同時に、魔法少女隊による地球連合軍への宣戦布告でもあった。

その声の主は、やはり二人にとってもよく知った声。まさしくマミのそれであった。

 

「マミ……さん」

「こりゃあ……随分派手にやらかしたな、マミの奴」

二人は呆然と、その画面を眺めていた。呆然と見つめている二人の目の前で、テレビの画面が唐突に砂嵐へと変わった。

浮き足立ってていたとはいえ、いつまでもこのような電波ジャックを許しておけるほど地球連合軍も甘くはなかった。それでもその放送は広く太陽系全土へと流され、少なからぬ時差を経た後に二人の下へも届けられることとなったのである。

「そっか、マミさん……まだ戦ってるんだ、他の魔法少女達も」

その胸中に湧き上がる感情はいかなるものだろうか。こうして今尚戦い続ける魔法少女達を尻目に、自分達はこうして一応自由な生活を過ごしている。魔法少女と言う運命からも、いち早く抜け出してしまっている。

彼女達が今の自分たちと同じように生きられるようになるまでには、一体どれほどの困難があるのだろう。現実問題として、それは可能なのだろうか。

戦いはまだ終わっていないことは知っていた。そしてそれが人間同士の戦いであることも分かっていた。けれどまさかその渦中で、魔法少女達は今も戦い続けていただなんて。

その事実は二人の心を打ちのめした。

 

「この分だとあいつら、本気で地球連合軍に喧嘩を売るつもりなんだろうな。……いくらなんでも馬鹿げてるぜ。勝てるもんかよ」

地球連合軍という組織の巨大さを、かつてそこに所属していた杏子は良く知っていた。確かに魔法少女達は皆歴戦の猛者揃いなのだろう。

けれども地球連合軍が総力を挙げて叩き潰そうと思えば、それこそまるで羽虫か何かのように容易く叩き潰されてしまうことだろう。

 

「あたしは、もうマミさんにも他の魔法少女達にも死んで欲しくない。……でもあれじゃあ、きっと戦わなくちゃ生き残れないんだよね、魔法少女達は」

砂嵐の画面をじっと見つめて、さやかは呻くようにして呟いた。その心に渦巻いていたのは、恐らく義憤と呼ばれるものだったのだろう。

もとより自分が魔法少女であったこともある。これから苦境に立たされることとなる少女達は、もしかしたら自分がなっていたかもしれない未来なのである。その未来が理不尽にも奪われそうになっている。

許せるはずがなかった。

 

「……お前の考えてること、当ててやろうか?何かできることはないか、何か助けられることはないかってそう考えてるんだろ」

杏子の言葉に、さやかは静かに頷いた。

「やめとけよ。今更言うけどさ……お前はやっぱり戦うのは向いてないと思う。相手がバイドだから何とかやれてたってだけだ。今度戦わなくちゃいけない敵は、同じ人間なんだぞ」

続く言葉に、さやかは何も答えない。答えられない。

「もうあれから半年になるってのに、未だにあんな風にうなされてるんだ。人間相手に殺し合いをするなんて、お前にゃ無理だよ……さやか。あたしは、お前の死ぬところなんて見たくないんだ」

きっとここで止めなければ、さやかは再び戦いに臨んでしまう。バイドと戦うことすらあれほど恐れたさやかが、今更人間同士の殺し合いに耐えられるとは思えなかった。

例え身を挺してでも、止めなければならないと考えていた。

 

「……ごめん、杏子。でもやっぱり、あたしは行かなきゃいけないんだ。マミさんは私の大切な仲間だし、今戦ってる魔法少女達は……もしかしたら私がなってたかもしれない私なんだ。何かできることがあるなら、助けてあげたいって思うんだ」

杏子の言葉をしっかりと受け止めて、それでもやはりさやかの意思は固かった。そしてそんなさやかの言葉は、杏子にも同じく降りかかってくる。

杏子にとってもマミは大切な仲間で、魔法少女達はもしかしたら自分がなっていたかもしれない姿なのだ。

「それにさ、うなされてたのだって別に戦うのが怖いとかそういうんじゃないんだ。……多分あれは、まだ私の中でけじめがついてないだけだと思うから。そのためにも、この戦いは終わらせなくちゃいけないんだ。……だから、行くんだ」

そう、夜毎さやかを苛むあの夢。それを生み出していたのはさやか自身の自責の念でもあったのだ。救えなかった、何もできなかったという無力感や、そんな自分への自罰的な意識。

それが今尚自分を苛んでいるのだと、さやかはそれを自覚していた。恐らくそれはこれから長い時間をかけて向き合っていくものなのだろうと、そう考えていた

けれど今、本当の意味での魔法少女の戦いが終わっていないことを知った。だとすれば今こそが、そんな自分の過去の負債を取り払うときだとさやかは感じていた。

 

そして杏子は、こうなったさやかを止めるのはまず無理だということを良く知っていた。

 

「……ったく、相変わらずだな。最近ちっとは大人しくなったかと思えばこれだ。まともに戦えもしねぇくせに、口ばっかりは達者でさ」

「戦い方は覚えてるんだ。身体にも、魂にも。だからきっとやれるよ。だから、さ。杏子も協力してくれないかな」

どうにも困った。と今更ながらに杏子は顔を歪めた。本当に、こういう風に頼まれると弱いのである。

「ったく、本当に言い出したら聞かねぇんだもんな、お前は。……とりあえず明日、自警団の方に話をつけてくるさ」

仕方ないといった感じで、けれどどこか悪しからず思いながら杏子は答え、そしてそのままベッドに潜り込んだ。

「そうと決まれば、今日はさっさと寝ようぜ。明日から忙しくなるんだからさ」

「……いや、ここあたしの部屋なんだけど」

「またあんな風にうめかれたら寝覚めが悪いだろ。だから、ほら……朝まで、一緒にいてやるよ」

 

「………っ」

さやかは酷く赤面した。そして、静かにベッドに潜り込むのだった。

今度は、悪夢は見なかった。



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―Epilogue of Yuma Chitose―

新たな戦端は開かれた。
懐かしくも忌まわしい戦場で、木星圏突破に挑む少女の前に降り注いだのは

一つの再会、新たな仲間達。


「まずいわね、すっかり囲まれてしまったわ」

 

続々と集結し、周りを取り囲んでいる無数の無人兵器群をレーダーに捉えて、マミはそう呟いた。

ルナベース6への奇襲を成功させた魔法少女隊は、そのままグランゼーラ革命軍の拠点であるゲイルロズへと向かっていた。しかしその最中、火星から木星への航路を辿る途中でついに、地球連合軍の追撃部隊に補足されてしまった。

いかな魔法少女隊とて、おおよそ一個艦隊に匹敵しようかと言う戦力と、無数の無人兵器を相手取ってはまともに勝負になるはずもなく、たまらず小惑星帯へと身を潜め、開発されたばかりの基地建造システムを用い、比較的大きな小惑星にどうにか拠点を構えたのだった。

 

いかな地球連合軍といえども、これほど広大な小惑星帯の中から基地の場所を特定するのは困難であろう。しかし、地球連合軍の艦隊は木星への進路を塞ぐように小惑星帯の前に立ちふさがり、無人兵器群を小惑星帯へと送り込み続けていた。

既に無人兵器との小競り合いも散見されており、このままでは直に発見されてしまうだろう。位置を特定されれば、そのまま艦砲射撃で基地ごと焼き払われてしまう。早急に何らかの行動に移る必要があった。

だからこそ魔法少女隊は、基地から離れたエリアで無人兵器群を迎え撃つこととなったのである。

 

「無人兵器が基地に接近してるみたい。急がなきゃ大変だよ、お姉ちゃん」

マミの元に、ゆまの駆るカロンが近づいてきた。他の魔法少女達は今もそれぞれ小惑星帯のあちこちに散らばって無人兵器群の迎撃を行っている。

「合流もしなきゃいけない、けれどできるだけ速やかにこの窮地を逃れなくてもいけない。 ……参ったわね。まさかこんなに地球連合軍の動きが早いだなんて、想像以上だわ」

そう、よもやこれほどまでに地球連合軍の動きが早いということは、魔法少女隊にとって予想外のことだったのである。

襲撃計画が漏れていたとは考えにくい。もしそうならそもそもルナベース6襲撃の時点で既に手は打ってあるはずなのだ。となれば恐らく、敵の司令官が相当に優秀だということなのだろう。バイド戦役を経て優秀な軍人のほとんどが処断された今において尚、これほど優秀な人材が地球連合軍にいようとは。

それもまた、大きな誤算の一つではあった。

 

「これ以上篭城を続けるのは不可能ね。そろそろどうにか逃げ出す算段を考えないと」

何か策はないかと、マミは必死に考える。たとえここで無人兵器群を撃退したとしても、どうせまたすぐ次が来る。それに今尚いくらかの無人兵器群は、基地の場所を特定するために動いているはずなのである。

はや幾許の猶予もない。今すぐここを打って出てゲイルロズに向かわなければならない。だが、その前にどこかに補給にも寄らなければならなかった。

魔法少女であれば搭乗者は全くの無補給でも、機体が持つ限りいつまでも飛び続けることはできた。しかしグランゼーラ革命軍と行動を共にする以上、彼らには補給と休息が必要だった。

なんにせよ、このままここで篭城を続けるわけには行かないのである。ここにこれ以上留まり続けたところで、じわじわと戦力を失っていくばかり。あの放送を見た誰かが手を貸してくれたりすればよいのだが、それもあまりに望み薄である。

ルナベース6の襲撃より、まだたった10日しか過ぎていないのだから。

 

「決めたわ。今接近している無人兵器群を撃退したら、そのまま小惑星帯を離れましょう。どこか近くの施設を押さえて、そこで速やかに補給を済ませるわ」

ルナベース6から強奪した資材や、小惑星帯で回収した資源は既に基地の建設や維持の為に使い果たしている。補給を受けるにしても、それに見合った対価などは払えまい。

これではまるで海賊である。しかしそうでもしなければ、これからゲイルロズへと向かう長い旅路は越えられない。最短距離で突き進むにしても、どうしても木星が邪魔になる。迂回するとなるとそれはかなりの距離であった。

「お姉ちゃん。もっといい方法があるよ。きっとこれなら上手くいくと思う」

進むべき進路、立ち寄るべき施設を手早く探し始めるマミに、意を決してゆまが声を放った。

「何か考えがあるの?ゆまちゃん」

恐らく目があったならそれを丸くしてマミは答えた。ゆまはR戦闘機の乗り手としては実に優秀であった。けれどそれでもやはり子供である。局地的な判断はともかく、隊全体の方針についてはあまり考えることはなかった。

もちろんゆまの判断が間違いばかりというわけでもなく、それは十分に信頼に値しており、マミとしては、もっと広い視野で隊全体に関わってくれればもっと魔法少女隊はよくなるだろうとも考えていた。

しかしゆまの実際の年齢を考えると、それは些か難しいだろうとも、そう思っていたのである。それ故この苦境を打破するために、勇気を出して自らの考えを打ち明けようとするゆまのありようは頼もしくもあった。

 

「木星の中を突っ切っちゃおうよ!それなら最短距離で木星を抜けられる、無人兵器だって追って来れないはずだよ!」

「木星の、中を?……でもゆまちゃん、木星の大気の中を突っ切るなら、どうしたって速度は落ちてしまうわ」

木星の大気が持つ圧力は地球のそれの約十倍。まともに突っ切ろうと思えば、どうしてもその進行速度は落ちてしまうだろう。さらに木星の大気の状況も気がかりである。大赤斑に代表されるような無数の嵐が、大気の内外を問わず発生しているのである。それに巻き込まれればR戦闘機とて無事では済むまい。

だが、それでもである。もしも巡航速度で木星の大気を駆け抜け、地球連合軍の艦隊と大きく距離を取ることができれば、そのまま悠々と合流と補給を済ませるだけの時間を生み出すことは想像に難くなかった。

 

「R戦闘機ならやれるよ。R戦闘機は、どんな過酷な異層次元でだって戦えるように作られてるんだ!木星くらい突っ切れるよ。絶対に大丈夫なんだ!」

マミにとっても不思議なことであったが、ゆまはR戦闘機に並ならぬ信頼を寄せていた。それは最早愛しているといっても過言ではないほどに。自分の身体たる兵器である。信頼を寄せるのは当然ではあろうが、それは些か情熱的で、ともすれば感傷めいていた。

ゆまにとっては、R戦闘機とはただ自分の身体であるだけではないのだ。共に過ごし、信頼を寄せていた者たちが、その力の限りを尽くして作り上げた叡智の結晶。そして戦いの最中に散った彼らの、その生の証であるとも言えた。

だからこそゆまは、恐らく誰よりもR戦闘機の可能性を信じていた。さりとてそれは盲目的というほど愚かではなく、確かな性能の裏づけからなる信頼であった。

そこにいかなる感傷があるのだろうか、それはマミにとっても知るところではない。けれどそのゆまの姿は、R戦闘機を信じて戦い続けた名も知れぬ英雄の姿は、マミの心にも暖かく力強い勇気を与えるに足るものだった。

 

無人兵器群の第一波が文字通り蹴散らされ、魔法少女隊はさしたる損傷を負う事もなく基地へと帰投した。

そしていよいよ彼女達の、小惑星帯脱出作戦が始動する。

 

 

一陣の閃光が、小惑星帯を貫き迸る。それはババ・ヤガーの放った超絶圧縮波動砲の光。その一撃は宙を裂き、破壊の渦を振りまいた。

撤退し、遠巻きに交戦宙域を囲んでいた無人兵器群の一角をその光が薙ぎ払い、次々に喰らい尽くしていく。

 

「何事だ?」

艦隊を率いていた司令官の男は、微塵も慌てたそぶりを見せずに副官の女性に尋ねた。その女性はコンソールに手を這わせ、すぐさま望まれた答えを返すのだった。

「データ照合出ました、エネルギー放射のパターンと距離から、超絶圧縮波動砲によるものだと思われます」

「ふむ……だが射線的にこちらの位置を特定して撃ってきたわけではなさそうだな」

「ええ、ですが超絶圧縮波動砲による攻撃がある以上、もう少し陣を下げたほうがいいかもしれません。まず当たることはありえませんが、念のためです」

「やたら滅法に撃ってこられては面倒だ、とりあえず発射地点と思しき場所に無人兵器を向かわせよう。……それと、木星方面の部隊を引き上げさせろ。そろそろ勝負を決めようじゃないか」

どうにも引っかかる。と副官の女性は僅かに首を傾げた。確かに木星方面に展開している部隊を総動員すれば、小惑星帯を制圧することは容易いだろう。

けれど、やはり気になってしまう。

 

「大丈夫なんですか。木星方面に逃げられる可能性もあるのでは?」

「かも知れない。いずれにせよ奴らはゲイルロズを目指しているはずだ。となると木星の外を大回りに抜けるしかない。そこは木星の防衛部隊が足止めしてくれはずだ」

「………そう、でしょうか。相手はあの魔法少女隊ですし」

知らない相手ではない。むしろその頼もしさと恐ろしさは誰よりも良く知っている。それ故に副官の女性にはそれが不安であった。

「問題ない。もし問題があったとしても、その時は……ね」

そして男はまるで子供か何かのように、にやりとその唇を歪めるのだった。

 

 

「無人兵器群がこっちに殺到してる。すごい数だね」

早期警戒機から伝えられる情報を受け取り、続々と反応を増す光点として描かれた敵の接近を知る。そしてゆまは、覚悟を決めて言葉を放つ。

超絶圧縮波動砲の一撃はただの目晦ましに過ぎない。それで敵を引き寄せ、その隙に魔法少女隊の本隊とグランゼーラ革命軍はは木星を目指す。

かくしてその目論見は当たり、基地に残ったマミとゆまの元へは無数の無人兵器群が押し寄せていた。最早この基地に残るのはこの二人のみ。後は基地を爆破し離脱。敵を十分引き付けて木星へと逃れるだけだった。

 

オートパイロットで発進させ、偵察を行わせていた早期警戒機からのシグナルが途切れた。恐らく撃墜されたのだろう。もう幾許もない内に、敵がこちらに迫ってくることは明白で。

「いいわねゆまちゃん。第二射の射撃と同時に離脱。先行した部隊を追いかけるわよ」

「任せてよっ!多分敵は真っ直ぐここを目指してくると思うんだ、おもいきりやっちゃえっ!」

超絶圧縮波動砲のチャージは既に完了している。この一撃で敵の出鼻を挫き、仲間が自分が脱出するための時間を稼ぐ。

 

そして

 

「ティロ・フィナーレっ!!」

再び小惑星帯を貫く閃光が迸る。

 

 

「行こう!お姉ちゃんっ!」

「ええ、ゆまちゃんっ!」

その光が止むや否や、二機のR戦闘機が宇宙を駆け抜ける。方や黒のカロン。方やその砲身をパージしたババ・ヤガー。そしてその二機の背後で急ごしらえの基地が膨れ上がり、炎を巻き上げ潰えていった。

 

「……囲まれちゃったね」

「流石に、そうそう上手くはいかなかったようね」

迫り来る無人兵器を叩き潰して、僅かな疲れも見える声色で二人が通信を交わす。

二人を追う敵は正面から来るだけではなく、別働隊が両翼からも迫っていたのである。その別働隊に捕まり、マミとゆまは脱出の機会を逸してしまった。

すでに幾度もの交戦を経て、時間も随分と過ぎていた。これ以上脱出が遅れれば、殺到する敵部隊によって押し潰されてしまうだろう。

「みんなは大丈夫かな……」

「私達がここまで敵を引き寄せたんだもの、きっと大丈夫よ。……とはいえ、これじゃ私達が大丈夫じゃないのよね」

こうなるであろうことは薄々と予感していた。結局のところ二人は完全に囮なのである。運よく逃げ果せればよし、そうでなければ恐らく押し潰されてしまう。たった二人で何ができるというのか。

 

「……負けないよ、ゆまは、絶対に諦めないもん」

それでもゆまは敵意を明らかに、尚冷めやらぬ闘志を燃やして言葉を放つ。その心根には、R戦闘機に対する信頼と誇りがあった。だからこそあんな無人兵器に負けるわけにはいかなかった。

「そうね、私達は絶対に負けない。こんなところでやられてたら、あの子達に申し訳が立たないもの」

マミもまた、その声色には諦めの色は一切見られなかった。魔法少女隊の皆が止めるのも聞かずに二人でここに残ったのである。大丈夫だと言ってのけた。それを貫かないわけにはいかないのだ。

絶望的な戦い。されど二人の心に絶望はない。かつてバイドとの戦いの中で感じた絶望は、こんなものの比ではない。今更、どうしてこんなものに屈することができようか。

 

さりとてその戦力差は絶望的。ついに全天より押し迫る無人兵器の群へと向かって、二つの光が、今、駆け抜けて――。

 

「よう、楽しそうなことやってんな。あたしも混ぜろよ」

その目前に、一つの光が飛び込んできた。その色は真紅、その形はR戦闘機のそれで。それを駆るのは少女の声。聞こえた声は、二人にとっては忘れようもない声だった。

 

「貴女、杏子……なの?」

「おう、あんたも結構元気そうじゃん。マミ」

それは驚くべき援軍であった。まさか、一体なぜ、どうして。疑問は尽きなかった。

けれどそんなことはどうでもいい。今目の前にいるのは大切な仲間で、かつて失ってしまった大切な人なのだ。それが今、ここにいる。如何な奇跡によるものか、けれどそんなこともどうでもいい。

かくしてかつての魔法少女は、再び出会うこととなるのだった。

 

そしてそれは、もう一人の魔法少女にとっても同様だった。いや、むしろその思いはマミのそれよりも遥かに強かっただろう。

「キョー……コ」

呆然と呟き、完全に硬直してしまったゆま。そう、もう一つの再会がここには存在していたのだ。哀切なる別離を超えて、数多の奇跡が生み出した二人の命は今再び、この宇宙で出会うこととなったのだ。

「キョーコ。キョーコなの……本当に、本当、に?」

心ここにあらず、茫然自失といった具合に繰り返すゆま。その胸中は、困惑と驚愕、そして幸福と感動とに揺れていた。今このときだけは、戦士としてのゆまではなく。歳相応のただの少女がそこにいた。

けれど、状況はゆまにそうあることを許しはしない。

「ゆま、お前が今やらなきゃ行けないことは何だ」

だから杏子は、努めて冷たい声でそう呼びかけた。

「………キョーコ。う、うん。そう……だよね。ゆまは戦わなきゃ、守らなきゃいけないんだ。みんなを。キョーコも!」

「あたしまで守る、ってか。……ったく」

相変わらずに真っ直ぐで、そして頑張りやのゆまだった。そんな姿が眩しくて、嬉しくて。思わず視界が涙で歪むのを杏子も感じていた。恐らくゆまも、泣けるのならばそうであったのだろう。

 

「あの時言ったろ。助けてやるって。……あの時はできなかったけどさ、今度こそ助けてやる。それにな、今度はあたしもお前も、一人きりじゃないんだぜっ!」

杏子が叫ぶ、それと同時に無人兵器が飛来した。もうこんなところまで近づいていたのかと、一瞬反応が遅れたゆまに、無人兵器は容赦なく攻撃を加えようとしたところで、横合いからの攻撃を受けて爆散した。

「え……?」

呆然とするゆま。対して杏子はにやりと笑い。

「騎兵隊……というか、リリシアン自警団の到着だ」

そう、その一撃はリリシアン自警団による攻撃だった。杏子が魔法少女隊との合流を決めた時、リリシアン自警団の意見も割れていた。このまま魔法少女隊やグランゼーラ革命軍の動きに同調するか、それとも静観し様子見に徹するかである。

そこを杏子が一喝したのである。

杏子はTEAM R-TYPEの元を訪れた時、地球連合軍を蝕む地球至上主義の実態を知った。コロニーに干渉する理由が地球至上主義によるものである以上、今ここでそれを止めなければ、いずれかならずリリシアンにも本格的な介入が始まることは明白だった。

だからこそ今立ち上がらなければならないと、杏子は彼らに言い放ったのである。

そしてリリシアン自警団は地球連合軍に対して蜂起。密かにかつ速やかに木星圏を通過し、魔法少女隊の下へと援軍に駆けつけたのであった。

 

例えリリシアン自警団の勢力を加えたとて、地球連合軍と真正面からぶつかるには力不足。だが今目の前に迫る無人兵器群を蹴散らして脱出するためには、それは十分すぎるほどの戦力だった。

「援軍も一緒に連れてきてやったんだ。さっさと片付けて、それからゆっくり話そうぜ、ゆま」

戦端は開かれた。追いすがる無人兵器群を蹴散らし、木星へ。

戦火の中へと杏子の駆るキングスマインドが飛び込んでいく。

「……うんっ!」

ゆまは力強く答え、カロンはそれを追いかけ飛び込んだ。

 

かくして一つの再会は成った。けれど彼女達が生身の身体で触れ合える日は、まだ遠いのである。



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―Epilogue of Admiral Kujo―

魔法少女隊。バイドとの戦いを生き延びた歴戦の勇士達。いずれ劣らぬ英雄達。
そんな彼女らに差し向けられた刺客。それもまた、英雄たる資格持つ者。

対峙する英雄達。その顛末は。


「奴らの追撃に失敗し、あまつさえ木星圏の突破を許すとは、貴様は一体何をやっているのだっ!!」

怒気を孕んだ男の声が、その部屋を揺るがした。そこは艦内の会議室。並び立つ立体映像に囲まれて、一人の男が憮然とした表情で立っていた。

「この失態、一体どう説明してくれるのかね、ナインライブス中佐」

また別の男が、どこか嫌味っぽい口調で問い詰める。思わず溜息が零れ出そうになるのを堪えて、彼――カズマ・ナインライブスあるいは九条は口を開いた。

「確かに、木星を抜けられたことに関しては私のミスでもあるでしょう。ですが、たとえそうでなくともこんな急造の部隊で、奴らの相手ができるわけがない」

そう、魔法少女隊の追撃を行った部隊の司令官、それこそがこの九条提督であったのである。

かつての戦友であるはずの魔法少女隊と戦わねばならない。その心情はいかなるものなのだろうか。そんな葛藤も迷いもさほど見せることはなく、九条は努めて冷静な軍人然として任務を遂行していた。

 

けれどその結果は余人の知るとおり。追撃に出た無人兵器部隊は甚大なる被害を被り、更には木星の守りを手薄にしたことにより、魔法少女隊と所属不明部隊の連合軍は、容易く木星を突破しえたのである。

木星を突破されてしまえば、その先はもはや地球連合軍の支配の及ぶ領域ではなく、彼女達のゲイルロズへの帰還を阻むことは困難であると予測されていた。

そんな失態を受け、木星圏に駐留している追撃艦隊に直接地球連合軍司令部からのお叱りがあったというわけである。

 

「確かに部隊は急造かも知れん、だが貴官に預けたのは無人兵器のみの部隊だ。兵の錬度や士気が影響することはなかったと思うのだが?」

また一つ、今度はどこか冷たい印象も受ける女の声。彼女は無人兵器の開発、配備を推進する派閥の者であり、部隊としての錬度や士気によらず、安定した戦力を展開することが可能な無人兵器のアドバンテージを、ひたすら声高に強調していたのである。

だからこそ彼女には、その失態の原因を追究する必要があった。

「いかに無人兵器が優秀でも、僅か数日で扱えるようになれというのは、流石に酷なものでしょう?そして個の能力が数を圧倒することもある。魔法少女隊は、貴方方が思っているほど容易い相手ではありませんよ」

そんな疑問にも、努めて冷静に九条は答えるのだった。

そう、九条がこの追撃艦隊の指揮を取り、魔法少女隊への追撃を行うようになったのはほんの数日前のことなのだ。というのも、ルナベース6襲撃事件が起こるまでの間、九条は火星に投獄されていたのだから。

 

話は第二次バイド討伐艦隊の帰還へと遡る。

跳躍空間において、オージザプトム、ファインモーションの二大A級バイドとの激戦を乗り越えた第二次バイド討伐艦隊ではあったが、その被害は甚大だった。艦隊の二割が大破、残りの艦隊も大なり小なりの損傷を負い、戦闘に耐えうるものは半数程度しか残っていなかった。

仕方なく九条は、負傷艦を後方に下げ、大破した艦や航行不能な艦の乗員もすべてそこに押し込んだ。負傷艦にはそのまま地球へと戻ってもらい、残る戦力でバイド中枢への突入を再度敢行しようと目論んでいた。

だが、その矢先である。バイドの残党が再び討伐艦隊へと攻撃を仕掛けてきた。応戦し、さらに激しく跳躍空間を戦火に染め上げている最中、唐突にバイド群はその動きを止めたのである。

それがいかなる事実を示しているか、それはもはや疑うべくもなく。英雄がバイドの中枢を撃破したのだということを示していた。結局のところ、バイド中枢の撃破において、第二次バイド討伐艦隊はその本懐を果たすことはなかったのである。

 

なんとなく釈然としなくもあったが、バイドの脅威が去ったことに艦隊は狂喜し、歓声が沸き立った。

そんな浮かれ騒ぎを何とか御して、第二次バイド討伐艦隊は太陽系への帰路を辿ったのである。負傷艦を牽引し、行きの優に数倍もの、おおよそ二ヶ月ほどの時を経て。

第二次バイド討伐艦隊は、無事に太陽系へと帰還したのだった。

だが、呆れ帰るほどの死闘と苦難の果てに帰還を果たした九条に待ち受けていた運命は

不当なほどに過酷なものであった。

太陽系の各惑星において、歓声を受けながら凱旋を果たした第二次バイド討伐艦隊は、火星へと到達した時点で解散され、それぞれの軍務へと戻ることとなった。そして九条は一人、副官さえも伴わず地球へと戻ったのである。

 

そこで、彼は謂れなき誹謗を受け、余りにも不当な罪で投獄されることとなる。曰く、バイドとの交戦において多くの人員、資材を失わせたことに対する罪なのだという。

かくして、英雄は一夜にして獄中の人となったのである。

その全ては人知れず行われた。そのようなことを平然と行えるほどに、当時の地球連合軍はイカれていたのだ。もちろんその当時には既に、地球至上主義は地球連合軍内へと蔓延していた。

旧体制の行いの全てを批判しようとする新政府の所業は、九条にも等しく降り注いでいたのである。

そして数ヶ月の時が流れ、その全てを九条は獄中にて過ごした。

英雄となった九条を、新政府の扱いかねていたのだろうか。その時点で既に起こっていた第一次太陽系戦争への対応に追われていたこともあったのだろう。とにかくそれらの出来事が太陽系を揺るがしていたその頃でさえ、九条は獄中にいたのである。

 

けれど、状況は変わった。

神出鬼没にして大胆不敵な魔法少女隊。この強敵を前にして、地球連合軍は優れた司令官を必要とした。旧体制に付き従う軍人のほとんどを処断してしまっていた地球連合軍には、魔法少女隊の追撃を任せられる人物はもはや、九条しか残っていなかったのである。

九条とて曲がりなりにも英雄である。

彼を投獄することを決めた彼らでさえ、その実力にはひとかどの評価を向けていた。だからこそ獄中の九条を引きずり出し、恩赦と軍への復帰を引き換えに魔法少女隊の追撃の任を任せたのであった。

彼らは、九条がかつてグリトニルにて魔法少女隊を率いていた事実を知らなかった。だからこそそれを任せえたのだろう。そして、九条をそれに応じた。

 

だが、それは失敗した。そう、失敗したのである。

 

 

「無人兵器を信用しないわけではありませんが、連中の相手には役不足。もし本当に連中をどうにかしたいと思うのなら、同じく熟練の戦士が必要となるでしょう」

批難するように九条を睨みつける、無数の立体映像の視線。それを相変わらずどこか憮然とした表情で受け止め、九条は言葉を続けた。

「そうすれば、連中を始末できると?」

「私に部隊の裁量権を、そして一月の時間をいただければ、確実にやってのけますよ」

訝しげに尋ねる声にも、やけに自信げに九条は答えたのである。

「馬鹿を言うな、一月もすればもう、奴らはとっくにゲイルロズに到着しているではないかっ!」

「だから、そのゲイルロズごと陥落せしめて見せる。と言っているのですよ。何、大したことはありませんよ。いかにグランゼーラ革命軍と合流したとは言え、奴らにさほどの実戦経験はありません。魔法少女隊以外の兵の質では確実にこちらが勝る。そしてこちらにはフォースというアドバンテージもある。もっとも、無人兵器で運用できるものではありませんがね」

淡々と九条は言葉を続ける。

無人兵器の優秀さはその数と無人機ゆえの機動性に所以する。けれどもそこには欠点も存在した。フォースという、地球連合軍がグランゼーラ革命軍に対して持ちうる最大の優位の証明たるその兵器は、未だ持って暴走の危険性もあり、無人兵器に搭載することはできずにいた。

その原料となるバイドも、遠からず枯渇するであろうと考えられていたこともその一因ではあったのだが。

 

恙無く自らの主張を終え、九条はどこか胸を張って地球連合軍司令部からの返答を待っていた。その返答はしばしもたらされることはなく、どうやら相当に議論は紛糾していたことが見て取れた。

「……本当に、できるのかね?」

やがて、静かに尋ねるような声が一つ、放たれた。

「任せていただけるなら、必ず」

僅かな沈黙、そして。

 

「改めて貴官に一個艦隊を預ける。人員の選別は貴官に一任する。速やかに火星に戻り、そこで部隊を編成した後ゲイルロズに向かえ。以上だ」

その指令は、九条の元へと伝えられた。

「……謹んで、拝命いたします」

その重々しい声に、九条は変わらず淡々とした口調で答えるのだった。そして、それを最後に無数の立体映像は次々に掻き消えていった。全ての立体映像が消え通信が途切れ、会議室は暗闇に閉ざされた。

だから、それを見るものは誰もいなかったのだ。その目を爛々と輝かせ、静かにその牙を剥き笑う、九条の姿を。

 

「どうでした、お偉いさんの様子は?」

会議室を出たところで、まるで待ち伏せしていたかのようにガザロフが呼びかけた。九条が復帰の際に降格を食らい、彼女自身は変わらなかったこともあり、二人の階級は随分と近いものとなっていた。

そんな彼女だけは、九条のたっての頼みによって今回の追撃艦隊にも召集されていた。そして、相変わらず彼の隣に副官として立っていたのである。その姿は、余人をしてまるで長年連れ添った夫婦のようだ、とも言われていることを知らない二人ではなかった。

「火星で部隊を再編した後、ゲイルロズへ向かえ……だそうだ。ようやくこれで、私も随分自由に動けるようになったよ」

そして九条は自信げに、彼女にそう答えるのだった。

「早速仕事だ、ガザロフ少佐。第二次バイド討伐艦隊のメンバーと繋ぎをつけてくれ。できれば私達が火星に到着するまでに、可能な限り人員を集めておきたい」

敵はかつての魔法少女隊。

知らぬ中ではない相手、それでも命じられれば戦うのが軍人なのかもしれないが、どこか嬉々として艦隊再編の準備を進める九条の姿は、彼女にはどうにも不思議に見えた。

まさか、ととある予感めいた考えたが彼女の脳裏によぎる。だとすれば、そうでないにしても、優秀な人材はいくらだって欲しいものだ。

 

「了解しました、提督!」

ガザロフはそう一声答えると、通信室へと駆けていくのだった。けれどその途中で振り向いて、一言叫んだ。

「提督っ!私は……どこまでも提督について行きますからっ!」

そして今度こそ急いで、まるで逃げるかのように通信室へと駆け込んでいくのだった。そんな様子に九条は思わず目を丸くして、それから小さく微笑むのだった。

 

 

「久しぶりだな、諸君」

そして九条は、並び立つ艦隊へ向けて感慨深げにそう呼びかけた。それに答える者達も、懐かしげに。そして感慨深げに口々に言葉を返した。

 

ゲイルロズ攻略艦隊。

表向きの名目はともかく、その目的からすればそのように呼ぶのが相応しかろう艦隊である。一個艦隊とは言うがその戦力は非常に強大であり、現時点での地球連合軍の全戦力の約二割が投入されていた。

そしてそれらの艦隊の艦載機は全てR戦闘機。すなわち有人機であり、現時点で地球連合軍が保有している全R戦闘機の約四割が、この艦隊に動員されていた。

軍の主力が無人兵器へと移り変わる中、恐らくこれがR戦闘機を用いた最後の大規模戦闘となるだろうと、この艦隊の実情を知る者達は口々にそう漏らすのだった。

攻略艦隊の旗艦であり、かつての九条の乗艦でもあったテュール級五番艦、スキタリス。そのブリッジに今、九条“大佐”は艦隊司令官として立っていた。

けれど、その隣にはガザロフ少佐の姿はない。そこにいたのは、細面にモノクルをつけた、どこか慇懃無礼な印象を受ける男の姿。

 

「では、早速我々は木星を経由しゲイルロズへ向かう。これは太陽系を真に解放するための戦いであるからして、諸君らのより一層の奮戦に期待するものである」

その男は、九条を差し置いて言葉を放つ。その言葉もやはり、どうにも慇懃無礼な印象を与えるものだった。

彼の名はアイズ・イジマール。階級は中佐。ゲイルロズ攻略艦隊の副官として、そして地球連合軍からの監視役として、九条に随行するよう命じられていた。

ガザロフ少佐は前線に展開している艦隊を取りまとめる任務が与えられており、今や直接九条に関わることはできなくなっていた。

結局、肝心なところは思うようにしたがるのが彼らのやり口であるらしい。このゲイルロズ攻略艦隊に集められた人員のほとんどは、第二次バイド討伐艦隊に参加した者達でありその中でも特に実戦経験の多い、グリトニル防衛部隊の生き残りが多く召集されていた。

それこそ彼らは九条にとっては馴染み深い戦友である。だが、このスキタリスのブリッジやその後方の艦隊の乗組員達は、地球連合軍が直接指名し選んだものであった。

恐らくそれは、九条の反逆を恐れてのことだったのだろう。もしそんなことが起これば、すぐさま周りの者達が九条を処断し、イジマールが代わって指揮を執る。

そういう手はずが既に整っているような雰囲気を、周りの乗組員達は感じさせていた。

 

「首輪を付けられ、遥かな敵地へどんぶらこ……か」

艦長席につき、頬杖の一つもつきながら嘲笑気味に愚痴る九条に

「言動にはお気をつけください、貴方の行動は監視されていますので」

副官席についていたイジマールが、やはり慇懃無礼に言うのだった。

「言われなくともやることはやるさ。君も協力してくれるのだろう、イジマール中佐?」

「ええ、副官の立場を逸脱しない程度には、ですがね」

面倒な旅になりそうだ、と。九条は唇をへの字にして内心で嘆いていた。ある意味ではバイドよりも厄介なのだ。強大な敵が目の前にいることよりも、身内に敵がいることのほうが恐ろしい。

この旅路は、いろんな意味で困難な行程となるだろうという、確信めいた思いが九条の脳裏に浮かんで消えた。

「……まあ、とにかく行こうか」

静かに九条は呟き、そしてゲイルロズ攻略艦隊は粛々とその航路を辿り始めるのだった。

 

 

ゲイルロズ攻略艦隊は恙無くその航海を続けていた。

途中、幾つかの革命軍の拠点を侵攻する予定であったが、攻略艦隊がそこに到着したときには既に革命軍は撤退しており、もぬけの空の拠点だけがいくつも残されているだけだった。

流石にそれを不信に思う者はいたものの、破棄された拠点には物資がそのままの形で残されており、革命軍は相当に急いで拠点を破棄したことが伺えた。

恐らくゲイルロズに戦力を集中させ、決戦に備えているのだろうという推測が立てられ、これ以上の戦力の結集を妨げるため、攻略艦隊は予定を前倒しにしてゲイルロズへと急ぐこととなる。

 

「さて、なんだかあっという間についてしまった気がするな」

「連戦連勝、と言うまでもありませんね。そもそも一度の戦闘もなかったのですから」

ゲイルロズを遠巻きに囲み、スキタリスのブリッジで九条が呟く。副官姿は一向に板に付かず、相変わらずの慇懃無礼さでイジマールが言葉を続けた。

「おかげでこちらは戦力を温存できた。それは向こうも同じだろうがね。……さて、どう攻めるか」

ゲイルロズは実に堅牢な要塞である。その外壁は陽電子砲の直撃にも耐え、大量の食糧生産プラントは篭城を容易に可能とさせていた。

まさしく堅牢不落の要塞であり、これを陥落せしめたのはバイド戦役終戦間近に押し寄せたバイドの群れと、一部の人間を除いて知ることのない、かつての英雄の所業だけであった。

それほどまでに、ゲイルロズは堅牢を誇っていたのである。

流石の九条も、これを陥落せしめることは容易ではないと思われた。その時である、前線に艦隊を展開していたガザロフからの通信が飛び込んできた。

 

「提督、ゲイルロズよりこちらの艦に通信が入りました」

「通信?ふむ、それで連中はなんと?」

問いかけた九条の言葉を遮って、イジマールが文字通り口を挟んだ。

「ガザロフ少佐、事前に厳命していたはずだ。本艦への直接の通信は控え、本艦の通信手を必ず通すようとな!これは重大な軍規違反だぞ!」

そこまでして全ての情報を抱え込みたいのだろうか。全くもって辟易とした気分を抱えながら、九条は彼女の言葉に答えた。

「まあ、とにかく聞こうじゃないか。そうまでして伝えたいということは重要なことなのだろう?」

「はい、とっても重要なことなんですっ!革命軍は和睦のための交渉を始める意図があると言っています。条件によってはゲイルロズを明け渡すとも」

それは、随分と意外な申し出だった。確かに革命軍の戦力は各コロニー軍、魔法少女隊を吸収したとは言え地球連合軍のそれには及ばない。だとしても、この堅牢たるゲイルロズと多くの戦力を抱え、かくも容易く白旗を揚げるのだろうか。

 

「和睦?和睦だとっ!?ふざけるな、我々は奴らを打ち滅ぼしに来たのだ。地球に仇なす害虫を、宇宙のゴミ虫どもを一匹たりとも生かしておけるかっ!何が和睦だ何が交渉だ。奴らを皆殺しにしろ、今すぐ攻撃を開始するんだッ!!」

何がそこまで気に入らなかったのか、イジマールは青白い顔を赤らめ。更には青筋までもを浮かべて叫んでいた。このままでは本当に激情に任せて攻撃を開始しかねない。

「落ち着きたまえ、中佐。とにかく向こうの事情を聞こう。向こうに交渉の意図があるというのなら、話くらいは聞いてもいいはずだ」

「提督、貴方は我々の任務をお忘れか?」

「忘れてはいない。だが、無用な戦いが回避できるならそれに越したことはないだろう?」

どうやら、九条の言葉は更なる憤怒の引き金を引き絞ってしまったらしい。今にも切れてしまいそうなほどに青筋を浮かび上がらせて、イジマールは九条に迫った。

「無用?無用だと?ふざけるな、これは聖戦だぞ!我等地球人が下賎な宇宙人どもの上に永遠に君臨し続けるということを全太陽系に知らしめる。そのための聖戦を、圧倒的勝利を収めなければならないこの戦いを、貴様は無用だというつもりか!?」

地球至上主義も徹底的に拗らせれば、ここまで人格が歪んでしまうのか。最早階級の上下さえも知ったことかと語気を荒げるイジマールを、呆れたように九条は眺めていた。だが、そうして燃え上がった怒りはイジマールを随分と短絡的な行動へと駆り立てた。

 

九条の額に、黒光りする銃口が突きつけられた。

 

「やはり貴様などには任せておけん。私が艦隊を指揮してやる!私が、私こそがこの聖戦を勝利に導き、青きあの地球に永遠の英雄としてその名を刻み――」

その瞳に映るのは純然たる狂気。そして狂喜。艦内がざわついた。正気ならぬ様子に、流石に止めようとするものもいたが、そんな者達が動き出すよりも早く、その引き金は引かれる事となるだろう。

その銃口を逸らしたのは、スキタリスに接近する機体の反応だった。

「高速で本艦に接近する機体があります。これは……革命軍ですっ!」

艦のオペレーターが敵機の接近を告げた。その報告に、一瞬イジマールの注意が九条から逸れた。その一瞬の隙を突き、九条はイジマールの手から銃を弾き飛ばし、更にはその手を捻り上げる。

 

「がああっ!離せ、お、折れるぅ……」

「攻撃開始だ、敵を近づけさせるな!……それと、誰かこいつを取り押さえろ。まさか諸君だって、この状態の彼に指揮権を預けたくはあるまい?」

たとえ地球連合軍の息がかかった者達だとしても、流石にこの状況では九条の言葉に従わざるを得ない。全艦を迎撃体勢に移行させると同時に、艦の警護班がイジマールを連行していった。

「離せ、貴様らっ!私を、私を誰だと思っているっ!」

「はぁ……君が誰であれ、今は私が上官だ。指揮権の譲渡だとか私の弾劾だとかは、とりあえずこの戦いが終わってからにしてくれよ」

溜息交じりにイジマールを送り出し、九条はようやく戦場へと意識を向けた。迎撃が遅れたためか、既に敵機は前線を突破していた。

単機での突攻である。正気とは思えないが、それでも前線を突破したのだからその腕は確かなのだろう。

更にその敵機は、スキタリスの護衛艦が次々に放つ迎撃用のレーザーを掻い潜りR戦闘機の発進準備が整うより早く、スキタリスへと肉薄していた。

 

「敵機、本艦に接近……こ、これは」

オペレーターが絶句する。そう、最早逐一状況を報告される必要も無いのだ。スキタリスのブリッジの目の前に、その敵機の姿があったのだから。

機体内部には高エネルギー反応。恐らく波動砲だろう。放たれれば逃れる術は無い。

完全に詰みである。まさかまさかの強襲であり、その成果は文句なしだった。

「……単独でこれほどのことをやってのける技量、只者ではないようだ。しかし、交渉を持ちかけておいてその矢先に奇襲か、向こうも向こうで随分と腹の黒いことをする」

敵の手並みには素直に感服はするものの、それとは逆にこちらの手際の悪さにも辟易とさせれる。身内同士で腹の探りあいなどしている場合ではないのだというのに。

もし副官や護衛艦がまともであれば、よもやここまでの肉薄などは許すはずはなかっただろうに。

やはり優秀な人材というものは実に得がたいものだと、今更ながらに九条は天を仰いで嘆いた。

 

この一撃が放たれてしまえば、まず間違いなくスキタリスはその機能を停止することになる。九条自身も助かりはすまい。戦いも止まりはすまい。

自分亡き後一体誰が指揮を執るのかと考え、せめてガザロフ少佐が奮戦してくれればいいが、と九条は考え。

「……彼女には生き延びて貰いたいところだ。こんなところで死んで欲しくはない」

そんな言葉がぽつりと零れて、九条は思わず苦笑した。果たしてそれは彼女の能力が信頼できないということなのだろうか、いやいやそうではあるまい。

純粋に彼女の身を案じる理由。それが何かと思い至ればなんともおかしくなってしまって。九条は、零れ出そうになる笑みを堪えるのに随分と苦労した。

 

 

そして、それだけの時間を経ても波動砲が放たれることはなく。代わりに飛び込んできたのは、どこか聞き覚えのある少女の声だった。

「最初に言っておくわ。こちらには確かに交渉のテーブルに付く用意がある。けれど貴方達がどうしてもそれを拒んで戦闘を行うというのなら、まずは貴方達の指揮官に死んでもらうことになる」

「……銃口を突きつけて交渉のテーブルに付け、とは。随分とまだるっこしくも乱暴なことをするね。私が死んだところで、それで総崩れになるほど我々は甘くはないのだが」

いち早く九条はその言葉に答え、そして実に複雑な表情で言葉を続けるのだった。

「そうだな。確かに君が生きているのなら、魔法少女隊に加わっていても不思議はないだろう。かつての英雄が今は地球の敵対者……か、懐かしいな、スゥ=スラスター。いや、本当の名前は違うんだったかな?」

通信の向こうで、静かに息を飲む音が聞こえた。

九条の言葉は、その少女にとっても意外だったのだろう。

 

「……答えを、聞かせなさい」

それでもどこか冷たい声で、その少女――暁美ほむらは、なんだかんだで実は面識のなかった九条に向けて、決断を迫るのだった。

 

 

そしてその日、ゲイルロズ周辺宙域において地球連合軍・ゲイルロズ攻略艦隊と、グランゼーラ革命軍及び太陽系同盟軍との和睦交渉が開かれることとなる。

そしてその日より太陽系内部の状況は激変する。当然のごとくそれは、新たなる戦いを呼び起こす。

 

「やあ、どうやら落ち着いたようだね、イジマール中佐」

交渉のため、ゲイルロズに付属するコロニーへと赴いていた九条から、スキタリスへと通信が入った。スキタリス及び地球連合軍から差し向けられた護衛艦隊は、ゲイルロズに接近することを拒み後方へと下がっていた。そしてガザロフ少佐率いる部隊のみが、九条の護衛についていたのである。

戦力が分断されてしまった以上、革命軍との戦力差は最早圧倒的であり、これ幸いと革命軍が牙を剥けば、容易く攻略艦隊は総崩れとなってしまうだろう。

そんな状況だからこそ、その通信が誰にも妨げられることなく届いたことは、些か不思議なことではあった。時がその激昂を鎮め、ようやく冷静な思考を取り戻したイジマールにとっても、それは不思議なことであった。

 

「九条……まだ生きていたのか」

そして例え激昂が収まったとは言え、一度突きつけた矛先を下ろすことは用意ではない。それが狂信者の矛であれば尚更で、イジマールの口調は敵意と殺意の混じったものとなっていた。

「ああ、ぴんぴんしているとも。色々と君に伝えなければならないことがある。恐らくこうして通信を送るのもこれが最後だ、よく聞いて欲しい」

変わらぬ調子の九条の言葉、けれどその言葉の意味するところは果たして何か。恐らくそれが、彼の最後の言葉となるのだろう。すぐにそれを理解し、イジマールは唇の端を吊り上げて笑った。

 

「そういうことなら聞きましょうとも。敵の口車に乗せられて死ぬこととなった哀れで愚かな男の最後の言葉だ。しっかりと最後まで聞き届けましょうとも。九条提督?」

「……いや、まあいいか。とりあえず攻略艦隊の指揮権を君に譲渡する。引き続きグリトニルの攻略を頑張ってくれ」

やはり本格的にこの男とは話が合わない。相手が狂信者であるのなら尚のことである。九条は内心辟易としながらも言葉を続けた。

「もっとも、そう容易くはやれないだろうがな」

躊躇いもあるが、それでもどこかなにやらスカッとしたような表情で、九条は言い放った。

 

「全艦旋回!攻撃態勢に移れっ!!」

その言葉と同時に、九条に着き従っていた艦隊が動き出す。旋回し、その砲塔が向けられたのは同じく地球連合軍の艦隊に対してであった。かつてのグリトニル防衛部隊のみで構成された艦隊は、九条の指示に躊躇することなく従い、地球連合軍に対して牙を剥く。

「貴様、反逆するつもりかっ!?」

「仮にも英雄として帰ってきた身、投獄される謂れも飼い殺しにされる謂れもない。そうでもなければ、わざわざこんなところまで来るつもりなどあるものかっ!……それに言うだろう。反逆は英雄の特権だ、とね」

言ってやった、これ以上なくすっとした気持ちで九条は通信を打ち切った。錯乱したように何事かをがなりたてるイジマールの言葉など、これ以上は欠片も聞く必要は無かった。

 

死地より戻り投獄されたその時より、九条は既に地球連合軍という組織に対して見切りをつけていた。そして、常軌を逸した狂信に取り付かれたこの組織の暴走をどうにかして止めねばならぬと、そう思っていた。

だからこそ九条は、ガザロフを始めとした一部の信頼の置ける部下に頼み、革命軍への亡命の準備を進めていたのだった。拠点を放棄するという不可解な革命軍の行動も、互いの戦力を損なわないようにするためであったのだ。

かくして、多少の想定外の出来事はあれど、九条はついに革命軍への亡命を遂げた。そして九条は、自らに付き従う無数の戦友たちに向けて高らかに宣言したのである。

 

「私は確信した。最早、今の地球連合軍に正義はない。ならば私は、私が信じるものの為に戦おう。君達は私と共に、あの死闘を生き抜いた戦友たちだ。私は君達を信じる。そして私は、同じく戦友である魔法少女隊の少女達を信じたい、そして救いたいと思っている」

ずっと九条の胸中に渦巻いていた不信。それは悪夢の兵器たるフォースを扱うことや、非人道的な機体を開発することへも向けられていた。そして彼は魔法少女隊の実情を知る。その裏で犠牲となった、何千人もの少女達のことを知った。

されど敵がバイドであれば、戦わねばならないと自らを納得させることもできた。

だが、この有様はなんだ。バイドとの戦いを終えたかと思えば、今度は人間同士の争いである。そして新たな政府は、バイド戦役における数多くの非人道的行為を改めようともしていない。

最早これ以上、地球連合軍という組織に忠義立てる謂れなど、どこにも存在していなかった。

 

「現時刻をもって我々は、魔法少女隊の指揮下に入るっ!!」

大きく息を吸い込んで、雄雄しく九条は叫ぶ。そしてその声につられるように、コロニーから無数の光が飛び出した。それは、魔法少女隊が駆るR戦闘機の光であった。

かくして、九条提督及びかつてのグリトニル防衛部隊を取り込んだ魔法少女隊はゲイルロズ攻略艦隊へ向けて攻撃を開始したのだった。

 

 

そして戦いは、ますます持ってその激しさを増していく。

バイド戦役当時こそ、英雄と呼ばれながらもその戦争の終結に何ら関与し得なかった九条であったが、此度の戦いにおいては、まさしく英雄の名に恥じぬ多くの活躍を見せ、多くの勇名を馳せたといわれている。



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―Epilogue of Homura Akemi―

かくして英雄はそれぞれの戦場へと向かう。
再会の暁、誰もが皆変わってしまった。
けれどそこには変わらないものもある。

その魂と、結ばれた絆は決して変わりはしない。


「これで全ての準備は完了。……長かったな」

赤いリボンで髪を結んだ、黒髪の少女が静かに、そして感慨深げに口を開いた。その言葉を受け止めたのは、同じく黒髪を左右でみつあみに結った少女。

その二人は同じ顔をして、同じ声をして。けれど異なる心を宿し、異なる道を行くこととなる二人の英雄であった。

「本当に、思いがけず長くなってしまったわ。でも、どうにか間に合ったから」

みつあみを静かに揺らして小さく笑い、暁美ほむらは言葉を返す。髪を縛ったリボンにそっと触れ、スゥはその言葉を受け止める。

そして、二人が見つめる視線の先には二機のR戦闘機があった。かたや、人類の救世主たるグランドフィナーレ。力を使い果たしボロボロになったかつての姿は既になく、まるで新品のように磨き上げられていた。

そしてその隣にはもう一機、グランドフィナーレとよく似た姿のR戦闘機があった。確かにその姿はよく似ているけれど、その各部には人類の手が加えられたような痕跡が見て取れる。

その機体の名は、R-102――ファラウェル・ギフト。グランドフィナーレを解析し、その性能の再現と更なる追求を目して作られた機体であり、TEAM R-TYPEが生み出した、最後のR戦闘機でもあった。

そしてこの機体はまさしくその名が示す通りに、TEAM R-TYPEにとっての餞別ともいえる機体だったのだ。

 

それはバイド戦役終結直後、グランドフィナーレと共にほむらとスゥの二人が地球に帰還した後の出来事である。ほむらは、完全に機能を停止したグランドフィナーレを、TEAM R-TYPEへと提供した。

バイドを討つという意志の結晶たるラストダンサー。R戦闘機そのものの系譜たるカーテンコール。この二つが融合して生まれたグランドフィナーレは、まさしく真の意味で究極のR戦闘機である。

その存在は、間違いなくTEAM R-TYPEにとっては非常に興味深いものであると同時に、どうしても許しがたい存在でもあったのだ。

究極のR。それを生み出すという偉業が人類の力によってなされたものではなく、魔法や奇跡といった代物によって為されてしまったことは、酷く彼らの矜持を傷つけたのである。

だからこそ彼らはグランドフィナーレを徹底的に解析するために、そしてそれを越える機体を生み出すためにほむらの申し出を受け、機能を停止したグランドフィナーレを引き取るのだった。

 

彼女が出した条件は二つ。

その一つはほむらとスゥの身柄の保護。そしてもう一つは、ありとあらゆる手を尽くし、鹿目まどかの救出に協力するというものだった。二つの条件は二つ返事で受け入れられた。そして、最後のR戦闘機の開発が始まった。

地球至上主義に染まった地球連合軍により、遠からずTEAM R-TYPEは解散の憂き目を見ることとなるだろう。だからこそその前に、彼らの常軌を逸した行為の証を残さんとして、彼らはその力を余すことなく発揮した。

そして太陽系を巻き込む動乱を尻目に、半年の時を経て二つの機体は完成することとなる。

 

「これでいよいよ、まどかを迎えにいけるんだ」

スゥはその目を爛々と輝かせてグランドフィナーレを見つめた。それがどれだけ過酷で長い旅になるかは誰にも分からない。それでも、スゥは迷わない。まどかに会いたいと、もう一度言葉を、想いを交わしたいと、生身の身体で触れ合いたいと。ただそれだけのひたむきで強い思いが、スゥの胸中を埋め尽くしていたのだから。

「そうね。……スゥ、まどかのこと、頼むわよ。まどかは……私達の大事な友達だから」

隣に並んで、ほむらはスゥを見つめて言った。共にまどかを助けに行けたらと、そう思う気持ちは確かにあった。けれどそれはできない。ほむらには、この太陽系でやらなければならないことがあったのだから。

「任せて。まどかの魔力の波長はグランドフィナーレに記録させてあるから。後は、それを辿ればきっとたどり着ける。……どれだけの距離が、どれだけの時間の隔たりがあったとしても、必ず」

解析と開発の最中、まどかの救出のための術も確かに研究が進められていた。とは言え、まどかと別れた場所は遥か26次元の彼方である。最終的に通常空間に帰還できたということだけは分かっているが、その座標は分からない。それどころか、この宇宙と同一の時間軸にまどかが存在しているのかどうかすら定かではなかった。

けれどスゥは諦めなかった。そしてついにどれほどの距離も、どれほどの時間さえも飛び越える力をグランドフィナーレは宿したのだった。

 

「……必ず、また会いましょう。スゥ」

「うん、その時はまどかも一緒に。皆で会おう。……ほむら」

互いにその手を重ねて握る。同じ姿であったはずの手に刻まれた異なる時間。それは、二人の手をほんの僅かに異なる姿に変えていた。

 

かつて、二人の間には大きな隔たりがあった。

ほむらは自らの出自を知らず、スゥとてそれを知っているからこそ知らぬほむらを恨むことしかできず。それでも、ほむらは本当の自分を知った。スゥは一度全てを失い、それでもまどかと出会うことで新たな自分を確立することができた。

そして今や、二人の距離はずっと狭まっていた。まるでそのありようは、仲のよい姉妹のようでもあった。

その成り立ちだけを切り取れば、二人はまるで同じ存在。そしてただの英雄の複製品でしかない。けれど二人は確かな生を受けた人間で、その生の軌跡は、紛い物でもなんでもない。

互いがそれを理解し、認め合うことができて今、ようやく本当の意味で二人は一人の人間となったのだろう。そして、忌むべき同胞たるもう一人の自分をあるがままに受け入れることができたのだ。

 

「ほむら、貴女の仲間達にもよろしくね。それと、太陽系をお願い。私とまどかの帰ってくる場所を、ちゃんと守っていてよね」

「私一人に何ができるかなんて分からないけど、あそこには私の仲間達がいる。今も、彼女達は運命と戦ってる。私は、絶対に彼女達を助けて見せるわ」

力強く握った手を、ゆっくりと離して。互いに互いを見つめ合う。同じ姿の同じ瞳、そこ刻まれた思いは違えど、その強さはどちらも同じ。

 

「貴女の旅路に、幸多からんことを」

「貴女と貴女の仲間たちに、どうか幸運を」

静かに言葉を交わし、掲げたその手を打ち合わせた。

ぱしりと一つ、乾いた音がして。それにはじき出されるように、二人は各々の機体へと駆けていく。スゥはグランドフィナーレへ。ほむらはファラウェル・ギフトへ。

そして、それぞれの戦場へと向かう。スゥは遥か時空の彼方、そしてほむらは魔法少女隊の待つゲイルロズへ。

二人を待ち受けるは恐らく再び過酷な運命。それでも、決して負けはしないだろう。その翼は折れはしないだろう。

なぜならば、その瞳は進むべき道を逸らさず見つめていたのだから。なぜならば、その翼は常に希望へ向けて力強い羽ばたきを続けていたのだから。

 

そしてほむらは木星を抜け、ゲイルロズへと至る。いかに地球連合軍が木星圏以降への人の動きを見張っていたとしても、相手はたった一機、それも最高の性能を持ったR戦闘機である。

そして、それを駆るのも最高の魔法少女である。その動きを捉えられるはずもなく、ほむらは悠々とゲイルロズへと辿り着くのだった。

 

「そこのR戦闘機、ここは我々グランゼーラ革命軍の施設である。許可なき接近は認められない。貴官の所属と目的を報告されたし」

そしていよいよゲイルロズに近づくと、ほむらの接近に気づいたゲイルロズからの通信が入る。ほむらは機体を停止させ、小さく一つ息を吐き出し、こう告げた。

「魔法少女隊所属、暁美ほむらよ。……私は、私の仲間達を助けるために来たわ」

ゲイルロズの管制官は、その言葉に僅かに息を呑んだ。しばらくの沈黙の後、ゲイルロズはほむらとその機体を収容した。

 

「……ほむら」

「ただいま、さやか、杏子」

「ほむらっ!ほむら……本当に、ほむらだっ!よかった……生きてて、くれたんだ。ほむらぁ……」

機体を降りたほむらを待っていたのは、二人並んで立っている、さやかと杏子の姿だった。ほむらが帰ってきたと聞いて、持ち場を放り出してまでここへ迎えに来たらしい。

呆然としたように呟く杏子に、ほむらは小さく笑って答えた。そうするや否や、さやかがほむらに飛びついた。そのまま抱きつき、何度も何度も名前を呼んで。いつしかその声は涙声へと変わっていた。

抱きついたまま震えるさやかを、ほむらも優しく抱きしめて。

「ったく、ピーピー泣きすぎなんだよ、お前は。……でも、本当に良く帰ってきてくれたよ。生きててくれたんだな、ほむら」

そんなさやかを茶化しながら、それでも杏子もほむらの肩を抱いて。

「一度どこか二度死んだわ。でも、助けられたのよ、私は。それは貴女のおかげでもあるわ。……ありがとう、杏子」

そしてほむらもまた、杏子の手に自らの手を重ね、優しく笑うのだった。

 

その後、ほむらはさやかと杏子の紹介で晴れて魔法少女隊の仲間入りを果たす。煩雑な事務手続きも終わり、ようやく落ち着いて話すことができるようになった。

そこでほむらは、彼女が見た全てを話すのだった。彼女の魂を蘇らせた奇跡のことを、そしてバイドとの激しい戦いのことを。その果てに得た勝利と、もう一度起こった奇跡。そして今尚宇宙の彼方にいるであろう、まどかのことを。

そしてそれを迎えに行くために、もう一人の自分であったスゥが旅立ったのだということを。

 

「じゃあ……まどかはきっと、帰ってくるんだよね」

「それがいつになるかは分からないけれど、きっと彼女はやってくれると思うわ。だから二人がいつか帰ってくる日まで、私は太陽系を守らなきゃいけない。彼女達が帰ってくる場所を、守らなくちゃいけないから」

さやかの問いに、力強くほむらは頷いた。大切な仲間を守るため、そしてもう一人の自分との約束を果たすために、ほむらはここまでやってきたのである。

「そういうことなら、あたしらだって協力するさ。いつまでも人間同士、争ってるわけにも行かないからな。まどか達が帰ってきた時には、平和な宇宙を見せてやらないとな」

「うんうんそうそう!その為に、あたしら魔法少女隊はいるんだから!……って、まあもうあたしと杏子は魔法少女じゃないんだけどさ」

そう言って、さやかはどこか苦笑めいた笑みを漏らした。

通常のR戦闘機でも戦闘経験も豊富な杏子とは違い、さやかは魔法少女としての経験しか持っていない。それ故の不安、足手まといになるのではないかという恐れが、ほんの僅かに透けて見えた。

だからほむらは、そんなさやかを静かに抱きしめて。

「たとえ魔法少女じゃなくても、貴女は私の大切な友達、大切な仲間よ。貴女に戦う覚悟があるのなら、私はそれを止めない。それに、貴女は一人で戦ってるわけじゃない。……一緒に戦い抜いて、生き抜いてやりましょう。さやか」

「なん……かさ、ほむら、随分印象変わったんじゃない?優しくなった、って言うかさ。接しやすくなった感じ?ちょっと見違えちゃったよ」

抱きしめられたまま、はにかむように笑ってさやかは答え、そして。

「髪型まで変わっちゃって。イメージチェンジってわけなのかな。……うん、でも良く似合ってるじゃん、みつあみもさ」

編みこまれた髪を、そっと掴んでさらりと揺らした。 

 

「そういえば……マミはどうしたのかしら。ここには来ていないの?」

話はどうにも尽きぬ中、ほむらが不意に問いかけた。時間は随分と過ぎていたが、マミの姿は尚も見えなかった。

「ああ……それは、ね」

「マミや他の魔法少女達はさ、まだ身体がないんだ。ゲイルロズが陥落したときに、一緒に失われっちまった。それをどうにか復活させる方法を手に入れるってのも、あたしらの戦う理由の一つなんだ」

「それじゃあ、マミとは話はできないのかしら」

そこまで深刻な状況だったとは、ほむらでさえ知る由はなかった。

身体を失い、魂だけになった彼女達は一体何を考えて生きているのだろう。魂だけになり、それでも生きるために戦い続ける彼女達。その生き様は、どれほどに過酷なのだろうと。思わずそんな想像が脳裏をよぎり、閉ざした瞼の裏に熱いものがよぎった。

 

「いや、それはできるんだ。っつーか一応みんなそれなりに暮らしてはいる。そうでもなきゃあ、こんなところにずっとなんて耐えられないしさ。ほむら、会いに行こうぜ。マミのとこにもさ」

「そうだね、マミさんにも教えてあげなくちゃ、ほむらが帰ってきたんだって。さ、行こうじゃない、ほむらっ」

そして促されるままに、ほむらは杏子とさやかの後に続いた。

ゲイルロズの奥へ、魔法少女隊が管理する区画へと入ると、そこは底冷えのする空気に包まれていた。

「うー、相変わらず寒いね、ここは」

「置いてある物が物だからね、冷やさなけりゃならないのはわかるけど。こっちまで冷気が漏れてるのはいただけないよな。ほら、風邪引く前にちゃんと着込んでな」

厚手の上着を羽織り、更に奥へ。そこには不可思議な空間が広がっていた。

円状の広々とした部屋の中央に、特殊ガラスに包まれた巨大な機械が設置されている。無数の機械を継ぎ接ぎして作り出されたかのように、それは随分と歪な姿をした恐ろしさすらも感じるその機械の表面を、幾筋もの光がひっきりなしに這い回っている。

そしてその機械から伸びたケーブルは、ガラスの外に無数に設置された小さなケースへと接続されていた。

 

「何なの、これは……一体」

その異様はどこか、本能的な恐怖感すらも覚えさせるほどで。思わずほむらも、声が僅かに震えてしまうのを堪えられなかった。

「魔法少女の楽園……って言うには、ちょっと無骨すぎるか。マミや他の魔法少女達は、この中にいるんだ。みんなこの中で、データで作られた世界の中で暮らしてる。要するに、仮想現実、って奴だな」

「それで、あの機械はそれを生み出すコンピューターなんだってさ。すごい機械らしいけど、それだけにずっと冷却してなきゃいけなくて、それでこの部屋はいつもこんなに寒いんだ」

それは恐らく、ここに存在しているのが身体を持たない魔法少女のみだからこそ、これほどの低温であることが許されているのだろう。ソウルジェムにはこの程度の低温など、何ら影響を及ぼすことはないのだから。

 

「元々革命軍はさ、連合軍の連中と違ってそこまで実戦経験があるわけじゃないんだ。だから、それを補うために仮想現実での訓練が行われてたらしい。そのための技術の副産物なんだとさ、こいつらは」

「最初はさ、あたしもひどいって思ってたんだ。これじゃまるで、皆が機械の一部みたいだってさ。でもさ、すぐにそうしなくちゃ生きていけないんだってわかったんだ」

この部屋の、そして魔法少女達の現在の在り様を見るたびに、さやかと杏子の心のどこかに影が宿る。それを払うことができるのは、いつか全ての魔法少女達がこの部屋から解き放たれ、本当の人生を取り戻すことができた時だけなのだろう。

そして、その時はまだ遥かに遠かった。

「外からでも話をすることはできるけど、ソウルジェムがあるなら直接会いにだって行ける。だからさ、行ってこいよ、ほむら。あんたの身体はあたしらが見といてやるからさ」

「きっと、マミさんも待ってると思うから。行ってきなよ、ほむら」

躊躇う心はどこかにあった。この異様を前にすれば、それは当然とも言えた。

けれど、そこには仲間が待っている。会いに行く術は、この手の中に確かに存在している。ならば、躊躇う必要などはないはずなのだ。ほむらは静かに頷いて、自らの魂、ソウルジェムをさやかに託した。

そして僅かな時間の後、彼女の視界は暗転した。

 

 

「ここ……は」

気がつくと、そこはなぜか見慣れた空間だった。一面に白い内装、そしてどこか懐かしい調度品の数々。ほむらはそこで、自分が椅子に腰掛けているのだと気づいた。

テーブルの上にはおいしそうなケーキが、そして湯気の沸き立つ紅茶のカップが。そしてさらにその先へと視線を向けると、そこには懐かしい姿があった。

「……マミ」

「いらっしゃい、本当に久しぶりね。ほむら」

ほむらの記憶の中と寸分違わぬ姿のマミが、微笑んだまま座っていた。そこでようやくほむらも気がついた。この場所は、ティー・パーティーのマミの自室であると。

「ええ、本当に……っ、また、会えてよかった」

安堵の表情を浮かべ、静かに吐息を漏らしたほむらを、マミは静かに笑みを湛えたまま見守っていた。

それは果てしない戦いの末、ようやく辿り着いた再会だった。

なぜだろうか、先ほどさやかと杏子と出会った時よりも、なぜだか胸がいっぱいになってしまって、思わず言葉に詰まってしまうほどの感情で、ほむらの心は溢れてしまいそうだった。

 

きっとそれは、この仮想現実の空間故なのだろう。ここにいる以上、誰もが剥き出しの魂で触れ合わなければならなかったのだから。

思わず咽び泣いてしまいそうだったが、なんとかそれを堪えるほむら。その様子がだんだん落ち着いてきたのを見計らって、マミは静かに口を開いた。

「色々と話したいことはあるけれど、まずは紅茶でも飲んで落ち着いて頂戴。実際にお腹が膨れるわけじゃないけれど、味はちゃんとわかるはずだから」

その位のことをやってのけるくらいには、この仮想現実は便利な空間だったのである。

事実、漂ってくる紅茶の香りは実にかぐわしく、一口頬張ったケーキはほろほろと甘かった。

二人きりのお茶会。言葉がふわふわと飛び交う中で、静かに紅茶とケーキを嗜みながら。ここに来られるのは魔法少女か、そうでなければサイバーコネクタ手術を施された者だけだろう。

それ故にさやかや杏子はここに来ることはできず、画面越しに言葉を交わすくらいのことしかできない。そんなことを、マミは少し寂しげに話すのだった。

 

「随分と……色々なことがあったわね、本当に」

「でもバイドとの戦いが終わったのに、今度は人間同士で戦う事になるなんて」

ほむらは知らなかったのだ。地球連合軍を蝕む狂気なる信仰の存在を。だからこそ不思議でならなかった。なぜ人類同士が争わなければならないのか。

その理由は一体何なのか。それを知るということも、彼女革命軍の本拠地たるゲイルロズを訪れた理由の一つだった。

「そう、確かに今のこの状況はおかしいわ。バイドとの戦いが終わったばかりだというのに、戦後の復興をさしおいてまで次の戦いを始めようとしている。こんなことを望んでいる人なんて、いないはずなのに」

マミは悲しげに瞼を伏した。バイド戦役を生き延びた猛者である魔法少女達の、そのリーダーである彼女ですら、やはり人間相手に戦うということへの躊躇いは、完全に打ち消せるものではなかった。

「それでも戦うのね、貴女達は?」

「……ええ、それでも私達は戦うわ。今の地球連合軍のありようは余りにも異常よ。それを正すためにも、そして私達が私達の人生を取り戻すためにも、私達は戦わなければならないの」

伏していた瞼が開かれる。そこにはやはり物憂げな色は浮かんでいたけれど、それでもそこには強い意志の光があった。

れどその言葉の端には、多くの魔法少女達の命を背負っているという責任の重さの現れでもあった。

 

「マミ。……貴女は、少し頑張りすぎていると思う」

「かもしれないわね。でも、休むのなら全て終わらせてからいくらでも休めるわ。今はもう少しだけ、頑張らなくちゃいけないじゃない」

気遣うようなほむらの言葉に、マミは少しだけ困ったように笑った。それでもほむらは、そんなマミの手を取って。

「……辛いのなら、頼って欲しい。私にできることなんてどれだけあるかわからないけど。それでも、私にできることならなんだって協力するから」

ほむらの言葉に、マミは僅かに目を丸くして。それから、くす、と笑みを零した。というよりも、堪えきれない笑いが溢れてきているようだった。

「くす……あはは、あぁ、もう……ごめんなさい、ほむら。別におかしかったわけじゃないのよ。貴女もさやかや杏子と、他の仲間達と同じ事を言うのね。って思ったら、なんだかおかしくなってしまって」

こんな風にお互いを思いやれる仲間は、きっと得がたいものなのだろう。こんなところまで自分を慕ってついてきてくれる仲間達が、どうしようもなく愛おしかった。

堪えきれない笑みをかみ殺して、目元に浮かんだ涙を払った。そしてマミは言う。

「大丈夫よ。私がこうしているのなんて、ただ私にそれが向いていたってだけだから。私にできないことがあった時には、遠慮なくみんなの力を借りちゃうんだから」

嬉しそうに笑いながら放たれたマミの言葉に、ようやくほむらも安堵の表情を浮かべた。

 

「きっと、これから忙しくなるわ。地球連合軍の侵略を防がなくちゃいけない。それと同時に、地球連合軍を蝕む敵を明らかにしなくちゃいけない。ほむら、きっと貴女の力も沢山借りることになると思うわ」

改めて、マミはほむらに手を差し伸べた。

躊躇いもせず、ほむらはその手を強く握って。そして頷いた。

 

 

その日、魔法少女隊は新たな仲間を得た。それは英雄のなりそこない。さりとてそれは英雄の同胞(はらから)。

彼女も、そして彼女の駆る機体もまたその呼び名に十分に足るほどの力を持ち、その力を僅か半月の後に現れたゲイルロズ攻略艦隊との戦闘において、まざまざと見せ付けた。

そしてその後も、多くの戦場で勇名を馳せたと言われている。



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―Epilogue of Kaname's family―

戦いが終われども、失われたものは戻っては来ない。
失ってしまったものの大きさに打ちひしがれ、暗澹とした日々を過ごす彼らに、英雄が残した贈り物。

それは、小さな希望。


「ママ、もうその位にしておいたほうがいいんじゃないかな」

時刻は既に夜。小さな灯りが灯るだけのリビングで。テーブルを囲んで座る男女の姿。

そこは鹿目家。座っていたのは当然詢子と知久で。心配そうに言葉をかけた知久に、項垂れながら詢子は答えた。

「……そうだね。どうせいくら呑んだって酔えもしないんだ」

そして、琥珀色の液体の溜まったグラスをテーブルに置いた。

からんと、氷の揺れる音がした。

 

バイドとの戦いが終わって半年。時間としては決して短くはない。けれどそれは、家族を失ってしまった悲しみを癒すには、余りにも短すぎる時間だった。それもその最期を見届けることができたわけでもなく、ただその死という事実を、疑いようもない感覚として押し付けられただけなのだから、その悲しみは尚のこと大きい。

「もう寝たほうがいいんじゃないかな。明日も仕事、あるんだろう?」

バイド戦役においてすら、さほどの被害を受けることのなかった地球では、既に人々は以前と変わらぬ暮らしを取り戻していた。それ故に、詢子の暮らしも今までと変わらぬように流れていた。

けれど、詢子は変わってしまった。忙しいながらも、それでもいっそ楽しむほどに精力的に取り組んでいた仕事が、どうにも苦痛でならなくなった。それでも一見すれば変わらぬように過ごせていたのは、やはり彼女が有能であることの証明なのだろう。

 

けれど、家に帰れば酒に浸る日々だった。

それで少しでも酔えたのなら、彼女も救われたのかもしれないが、どれほどの酒精をその身に収めても尚、彼女の心はそれに酔い、逃げ込むことは許されなかった。

そして、夜もあまり眠れていない。どうにかごまかせてはいるが、目に見えてやつれ、体重も減った。常に近くでそれを見ている知久には、彼女が限界に近づいていることがわかっていた。

 

「タツヤは、もう寝てるのかい?」

「うん、よく寝てるよ。だけど……」

「またまどかの部屋で寝てるのか。まったくあの子はもう」

もうすぐ五歳になるってのに、と詢子は小さく苦笑した。

まどかの死というイメージは、幼いタツヤにも容赦なく降り注いだ。

幼い彼がその意味を正確に理解できていたのかはわからない。それでもまどかの名前を口にするたび、ほんの僅かでも切なげに顔を歪める両親の姿を見続けて、今ではまどかの名を口にすることもなくなっていた。

その代わりなのだろうか、タツヤはまどかの部屋で眠るようになった。毎日掃除は欠かしていない。部屋の中はほとんど変わっていない。だからこそ些か少女趣味が過ぎるその部屋の中で、彼は毎日寝起きをしていた。

きっとそれは、まどかのことを忘れたくないという思いの表れだったのだろう。

 

「ねえ、ママ。余計なことかもしれないけど、少し仕事を休んだほうがいいんじゃないかな。僕は家でのママの姿しか知らないけど、もう……限界だと思うんだ」

眼鏡の奥に複雑な光を湛えて、知久は静かに言葉を投げかけた。その言葉に詢子は弾かれたように顔を上げて、目を見開いた。

「はは……参ったな。パパにまでそんなに心配されちまうなんてさ。でも、ごめん。今頑張るのをやめたら、あたしは本当に駄目になっちまいそうなんだ。じっとしてたら、まどかのことばっかり考えちまう。どうしてあたしは、あの時まどかを一緒に連れて行かなかったんだろう。そうでなけりゃあ、どうしてまどかと一緒に行ってやれなかったんだろうってさ」

だん、とテーブルに拳を打ち付けて。肩を震わせながら言う。拭いきれない後悔の念が、今でも詢子を苛んでいた。その後悔は、知久も同じく感じていたもので。

同じ思いに身を焼かれ、何も言えずに知久は詢子の肩を抱くのだった。

 

そんな時、一つ響いた呼び鈴の音。来客の訪れを告げる音。

「誰だろう、こんな時間に」

知久はそう言って、壁に備え付けられたインターフォンに目をやった。するとそこには、どこか落ち着かない仕草で佇む、一人の少女の姿があった。

「あの子は……確か」

その少女の姿を、詢子は知っていた。

巨大戦艦の襲撃の後、入院していた詢子のところにまどかが見舞いに来たときにまどかに付き添い、共に病院を訪れていた少女だったと記憶していた。直接言葉を交わしたことはなかったが、まどかと親しげに話していたことは知っていた。

「こんな遅くにやってくるって言うのは、何か事情があるんだろうね。とにかく、中に入ってもらおうか」

「そうだね、一体何をしに来たのかはわからないけどさ。話を聞いてみようじゃないか」

やり場のない指を這わせていたグラスを押し退け、詢子も立ち上がった。そして二人で、玄関へと向かう。扉を開けばやはりそこには、見覚えのある少女の姿があった。

 

その少女――スゥは、家の扉が開かれるのを固唾を呑んで見つめていた。この場所に住んでいるであろう人々のことは、既にデータでは知っていた。そして開かれた扉の奥から出てきた二人の人物は、やはり映像で見たとおりの姿をしていた。

ただ、少しだけ女性の方はやつれているような印象を受けた。

「あの……私、私。スゥって言います」

けれど、そのどこか物憂げな女性の表情は、不意にスゥの脳裏にかつて自らの境遇を嘆き、苦しんでいた頃のまどかの表情を想起させた。

胸が、締め付けられるほどに苦しくなった。それでも苦しむ胸を押さえて、零れそうになる涙をぐっと堪えて、スゥは静かに言葉を紡いだ。

「私、貴方達に話さなくちゃいけないことがあるんです。謝りたいことも、お願いしたいことも。いっぱい、いっぱいあって。……だから」

ただ言葉を放つだけなのに、それだけでまるで身が切られるような痛みがスゥを襲っていた。スゥは、全てを話すつもりで鹿目家を訪れていた。けれどこんな現実離れした話が、どれだけ理解されるだろう。

拒絶されるのが怖くて、それでも今伝えなければ、もう伝える機会などないのだから。だからスゥは身を震わせながら、ぎゅっと目を閉ざしながら言葉を紡いでいた。

 

そんなスゥの頭に、ふわりと優しい手が触れた。

「ぁ……」

「事情は良く分からないけどさ、大事な話がしたいってことは分かった。ほら、こんなとこで立ち話もなんだろ?……中で話そう。ね、スゥ」

ゆっくりと瞳を開いたスゥの前には、疲れた顔にも優しい笑みを浮かべた詢子の姿があった。その手はそっと、スゥの頭に触れていた。

「何か暖かいものでも用意するよ。そんなに固くなっていたら、話したいことも話せないだろうからね」

「……ありがとう、ございます」

 

先ほど詢子と知久が向かい合っていたテーブルで、今度はスゥと詢子が向かいあう。

こと、と小さな音を立てて差し出されたカップには、ほかほかと湯気の立ち上るココアが入れられていた。

「遠慮しなくていいから、まずは飲むといいよ」

「はい。……頂きます」

静かに息を吹きかけて、一口。まだ少し熱いけれど、それでも柔らかな甘さが口の中に滑り込んできた。強張っていた身体が、確かにどこか解れていくような気がした。

表情自体もいくらか強張りも取れ、青ざめているようにも見えた表情にも、いくらか赤みが差して見えた。

静かに息を吹きかけながら、ゆっくりとココアに口をつける。ただその音だけが静かに響いて、誰も何も言わなかった。知久は向かい合う二人の間に座り、詢子は静かにスゥの姿を見つめていた。

 

いい具合に冷めたココアが、掌の中で温かな熱を放つようになった頃。その温もりがまるで大事なものであるかのように掌に握ったまま、スゥは静かに顔を上げた。

「……話せるように、なったかい?」

詢子の問いに、スゥは躊躇いながらも頷いた。

「信じてもらえないと思います。……貴方達にしてみれば、何を馬鹿なことをって思うかもしれません。でも、どうか最後まで聞いてください。そして、できたら信じてください」

一体どう説明すればいいのだろう。言葉はいくらでも考えてきたはずなのに、こうしていざ話すとなると、言葉が上手く出てこない。

バイドとの戦いの時ですら、ここまで身体が強張ることはなかったのに、恐れることもなかったのに。それでも、その恐れを乗り越えるための力はスゥの中に確かに存在していた。

やらなければならないことなのだと、自らを納得させた。そして。

 

「……鹿目まどかは、まだ生きています」

確たる決意を込めて、スゥはその言葉を放った。

 

長い時間が過ぎていた。これほどの長い時間、誰かと言葉を交わしたのは、まどかと一緒に病院にいた頃以来だとスゥは思った。

夜は更に深まり、日付もいよいよ変わって久しく。それだけの長い時間、スゥは静かに言葉を紡ぎ続けていた。

 

まどかとの出会い、そして離別。

英雄の複製品として作られた自分が、背負うこととなった戦いの定め。

まどかの死と、太陽系を救った奇跡。そしてその果てに、最後の戦いの場における再会。

そして、再びの離別。

一つ一つの思い出を、白地の多い記憶のキャンパスに、何より鮮やかに刻まれた記憶の一つ一つを振り返りながら、静かにスゥは語った。

それを聞いていた二人は時折顔を顰めたり、何かを言いたげにしていたが、それでもその話が終わるまでは口を閉ざして、ただただ耳を傾けていた。

 

「……それで、私だけが地球に戻ってきたんです。でも、まどかはまだ宇宙の彼方で生きているはずなんです。どこかも分からないくらい、ずっとずっと遠いところで。……信じられないですよね、こんなこと」

そして最後の言葉を告げて、スゥはすっかり冷めたココアを飲み干した。冷めていてもそれでも甘いココアは、話し疲れた喉を癒してくれた。

「……それが本当なら、あんたは世界を救った英雄ってことになるんだな。あの時戦ってたのは、あんただってことなんだね」

そう、彼の英雄がバイドの中枢と戦ったあの姿は、全ての人類の知るところとなっている。だがそれも、インキュベーターの裏切りにより、一度敗北の憂き目を見たその時までだけで。

 

「そっか。まどかは……本当に世界を救ったんだな。すごいや、本当に」

「本当だね。まどかは間違ってなかったんだ。すごいな、僕達の子供は」

そう言って、詢子も知久もどこかはにかんだように、弱弱しく笑った。

「信じて……くれるんですか?」

こんな信じられないような言葉を事実であるかのように受け止めている。そんな姿は、かえってスゥには信じがたかった。

「普通だったら、信じられることじゃないだろうね。……でも、あの時確かに僕達の理解を超えることが起きていたのは事実なんだ。だとしたら、君が言っているようなことも、起こってもおかしくはない。僕はそう思った」

「それに、あんたは嘘をついてるようには見えない。嘘をつくにしたって、あたしらを騙す理由なんてないだろ。……なんて、格好つけて言ってるけどさ。本当は信じたいだけなんだよね、まどかが生きてるって」

「そうだね、僕も結局はそうなのかもしれない」

二人は顔を見合わせて、小さく笑みを浮かべた。

結局のところ、二人はどこまでもまどかの親だったのだ。まどかが生きていると聞けば、それがどれほど途方もない話であれ、信じたくなってしまうほどに。それほどまでにまどかを愛していた。だからこそ、こんな話を信じてくれたのだろう。

そんな思いが胸の中に染みこんできて、思わずスゥは目の奥が熱くなるのを感じた。けれど同時に、そんな家族が自分にはいないことが、少し寂しくも思っていた。

 

「ありがとうございます。……信じてくれるなら、私も思い残すことなく行けます」

「……まどかの所に、かい?」

スゥは、小さく頷いた。

「行くって言っても、今のまどかは宇宙の遥か彼方にいるんだろ。迎えに行く方法なんてあるのか?」

「はい。……来てくれますか?」

スゥは立ち上がり、足早に部屋を後にした。そのまま玄関を抜け、扉を開いて外へ出た。そんなスゥを見送って、二人は一度顔を見合わせ。そして連れ立ってスゥの後を追った。

 

そこには、信じられないような光景が広がっていた。

市街地である。何の変哲もない市街地の上空に、一機のR戦闘機が佇んでいる。リモートコントロールによって呼び寄せられたグランドフィナーレが、搭乗者たるスゥの元へと駆けつけたのだ。

「これはグランドフィナーレ。人類の科学と、まどかの願いが生んだ最後の希望です。私はこの力で、まどかを助けに行きます。必ずつれて帰ります」

機体を前にしただけで、自信なさげに佇んでいた少女は英雄へと変わった。凛然とした表情で、恐らく初めて間近で見ることとなったであろうR戦闘機の威容に圧倒された二人に振り向いて。

「あんた……本当に」

その姿は、英雄という現実味のない言葉に圧倒的な現実感を与えるほどの力強さを持っていて、それに気圧されたように詢子が口を開く。

「英雄……なんだね」

そんな詢子を支えて立って、知久もまた呟いた。

グランドフィナーレは音もなく佇んでいて、夜の静けさは相変わらずだった。けれど、人々も気付くだろう。そうなれば騒ぎが起こる。時間は、あまり残されてはいない。

 

「一つだけ、お願いしてもいいですか?」

だから最後に、スゥはその願いを伝えようとした。

「私はまどかをつれて帰ります。だから、もし帰ってこられたら……」

冷たい氷のような表情が、何故だかたちまちのうちに溶けてしまう。この言葉を紡ぐのは、あまりにも多くの精神の力をスゥに必要とさせた。

けれど、今言わなければ絶対に言えないことだから、スゥは言い放つ。

 

「その時は、まどかを私にくださいっ!」

叫びにも似た大きな声が、夜の市街地に響いた。

 

「……そりゃあ、一体どういうことなのさ」

「好きなんです。まどかのことが、この世の誰よりも大好きなんです。だから、もしも私がまどかと一緒に帰ってきたら……まどかを、私にください」

あまりにもあけすけな愛の告白である。それも本人のいないところで成し遂げられて、受け止めたのはまどかの両親である。

この年代では、同性愛に対しての意識は大きく変わったといってもいい。手術によって擬似的な生殖機能を持たせ、それによって本当に同姓同士で結ばれるという事例も少なからず存在する。

けれど、それが当たり前にありえることだと受け入れられるまでには至らない。だからこそ詢子も知久も、思わず呆然としてしまっていた。

 

「ったく、いつの間にこんなにモテモテになってたんだか、まどかは。……でも、あんたはまどかを幸せにできるのかい?まどかは、あんたを好いてるのかい?そこが問題だ」

いち早くその衝撃から立ち直った詢子は、スゥに向けてそう言った。けれどすぐに、その唇の端に不敵な笑みを浮かべて。

「でもまあ、それだけの問題さ。自身もって大丈夫だって言えるなら、あたしは認めてやるよ」

「……まどかは、私のことを好きだって言ってくれました。これだけは、自惚れてもいいと思ってます。そしてまどかを不幸にする人がいるのなら、誰が相手だって私は容赦しません。この命を懸けて、まどかを助けます。守って見せます」

一歩も引かず、真っ直ぐに視線を向けてスゥは答えた。刹那、どこか張り詰めたような雰囲気が流れ、そしてそれはすぐに弾けとんだ。

 

「なら、何の問題もないさ。でもあんたらはまだ未成年だ。ちゃんと成人するまでは家に来な」

「ちょっと驚いたけど、僕もそれがいいと思うな。それに君がまどかと添い遂げるなら、君も僕達の家族の一員だ。君さえよければ、ずっと家にいてくれてもいいと思う」

がつん、と。胸の奥を揺さぶられたような衝撃だった。信じてもらえないと思っていたのに、馬鹿なことを言うなと罵られるかもしれなかったのに。二人は全てを受け入れた。その上で、スゥのことさえも受け入れてしまっていた。

それがあまりにも嬉しくて、暖かくて。胸の奥から溢れるものを堪えきれなくなった。

 

「っ……っぐ、ぁ。ありがとう……ござい、ます。信じてくれて。こんな私を、認めてくれて……本当に、本当に……っ」

そこから先は、もう声にもならなかった。静かに嗚咽を漏らすスゥは、詢子は静かに抱きしめて。

「信じてやる、いくらだって受け入れてやる。だから、絶対に帰って来るんだぞ。まどかと一緒に、ちゃんと元気な顔を見せてくれよ」

「はい……っ、えぐ。はい……っ!」

それはきっと幸せな時間。スゥは家族の暖かみを知った。二人は希望を取り戻した。

けれど、幸せな時間はやはり長くも続かない。

 

「どうやら近くの人たちが気付き始めたみたいだ。急いだほうがいいかもしれないね。見られたらきっと困るだろうし、君は早く行ったほうがいい」

嗚咽に混じって、人の声やどうにも騒がしい気配が近づいてきた。

「しばしの別れ、だな。あたしはこっちで頑張るから、あんたも頑張ってくれよ。……まどかを頼んだよ、スゥ」

最後にもう一度スゥを抱きしめて、詢子はその身を離した。頷き、スゥは涙を払って手を上げた。それに応えてグランドフィナーレが更に接近する。キャノピーが開き、まるで機体から湧き出るかのように生じたタラップに、スゥは身を躍らせた。

たちまちの内にその身はキャノピーの中に吸い込まれ、そして、グランドフィナーレは飛び立っていく。鋭い光の尾を引いて、その姿はたちまち空の彼方へと消えていった。

 

「……行っちまったね」

「そうだね、ママ。……なんだか楽しそうだね。久しぶりに見た気がする、そんなママの顔」

確かに知久が見た詢子の横顔は、力強くそして不敵な笑みを浮かべていた。それはあの日まどかと別れて以来、一度として見ることのない表情だった。

「そりゃ笑いたくもなるさ。まどかはきっと帰ってくる。そうしたら家族が増えるんだ。まったく、これはあたしも頑張らなくちゃいけないね。新しい家族に、みっともないとこ見せられないだろう?」

その胸に宿った僅かな希望。それは僅かでも力強く、詢子の中で輝いていた。そこにはもう、絶望に日々蝕まれ続けるだけの女性の姿はなかった。

 

「さあて、うるさいのが来る前にさっさと退散しよう。そして、ゆっくり寝よう。今日はゆっくり寝られる気がするよ。……それとも、一緒に寝ようか、知久」

思わずぞくりとするほど艶のある声で、詢子は知久の名を呼んだ。まどかが物心つくようになって以来、そんな風に呼ぶことは滅多になかったのだが。

「参ったな。まどかが帰ってくるころには、もう一人家族が増えることになるかもしれない。……行こうか、詢子さん」

そして二人は連れ添って、押し寄せようとする人並みより早く家へと滑り込んだ。

 

以降の鹿目家の家庭事情については、恐らく特筆すべき事項ではないだろう。



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―Prologue of them――At last Wind is blowing―

物語の幕は下りる。されど、人の系譜は途絶えはしない。
人の業も、争いの歴史すらも途切れはしない。
新たな歴史が廻り始める。

けれどそれも、今は全て些事。

宇宙を一陣の風が揺らす。
未来は尽きない。されど、物語は此処に終わる。


「キミ達は、実に愚かだ」

眼下に映る群集を見下ろしながら、キュゥべえはそう呟いた。

そこは広大な講堂のような場所で、演説台の上に立っている男がなにやら熱弁を振るっている。その声は、上で見ているだけのキュゥべえの元へは届かない。けれどその内容は、容易に想像がついた。

その男は地球連合軍の新たなる総司令であり、地球至上主義の第一人者にして、地球連合軍に地球至上主義をもたらした張本人であった。

バイド戦役終結直後より囁かれ始めたこの思想は、僅か数ヶ月の間に地球連合軍のほぼ全てを飲み込み、不可解なほどに急速に伝播していた。今もまた、各地より招聘した軍人達へ向けて彼は檄を飛ばしていたのである。

 

曰く、地球と言う星がどれほど貴重であるか。

その地球に生ける我等が、どれほど崇高であるか。

我等が尊くあるために、太陽系の全ては我等が統べる必要があるのだと。

そのための障害は、すべて打ち払わなければならないのだ、と。

 

それは人間と異なる価値観を持つキュゥべえをもってしても、思わず笑ってしまいそうなほどに幼稚な思想だった。当然、それを聞く軍人達も半信半疑で耳を傾けている。だが、すぐにその様子は変貌を遂げる。

男が語勢を荒げるほどに、だんだんと引き込まれるように群衆はその言葉に聞き入っていく。やがては誰しもが口々に、地球を我等を称える言葉を口にし始めた。その光景は、まさしく狂気の沙汰と言うより他になく。けれども渦中の彼らは、そんな狂気にすっかりと飲み込まれてしまっていたのだ。

 

「一時の感情や浅薄な思想に支配され、何度でも同じ過ちを繰り返す。キミ達はやはり、どこまでも愚かだよ」

再び、嘲るような呟きがキュゥべえの口から漏れた。

こんなことを何度も繰り返すうちに、いつしか完全に地球連合軍は地球至上主義の傀儡と成り果ててしまった。その遠因は自分にもあるだろうと、キュゥべえは密かに思う。けれど彼らが、人類が真に知的生命体足りえるのならば、こんなことにはならなかっただろうとも思う。

彼のもたらした力は万能ではなく、その力を受けた男の弁説もまた完全ではなかったのだから。

 

「あら、でもそんな愚かな人類に、貴方は負けたのではなくて?インキュベーター?」

群集を見下ろすキュゥべえの元に、一つの声が飛び込んできた。声に気付いて振り向けば、背後で開いた扉の向こうに一人の少女が立っていた。

流れる銀糸の髪は腰にまで垂れ、血のように濡れた紅眼を煌かせた少女。恐らく高校生になるか否かといった年頃だろう、夜闇が如き天鵞絨のドレスを纏った姿は、見る者をぞっとさせるほどに美しく、それでいてどこか危うげな何かを湛えているようで。その瞳に宿した煌きはどこまでも冷たく、遍く全てを射殺すように爛々と輝いていた。

「そうさ。彼はとても愚かだが、それでいてとても優秀だ。それでいて性質の悪いことに、彼らは往々にしてその力を自ら御することができずにいる。未成熟で、それでいて恐ろしいほどに強い種族。それがキミ達人類だ」

振り向いたキュゥべえと少女。互いの赤い視線が一瞬交錯し。すぐに離れた。

「だからこそ、その力が正しい方向に向かうようにしてあげているのではなくて?誰かが導いてあげなくては、彼らはどうやったって道を踏み誤ってしまうだけだもの」

そして少女はその怜悧な瞳を細め、口角を僅かに吊り上げ笑った。

 

「そうして導いた先が、あの太陽系規模のナショナリズムかい?まったく馬鹿げてるよ、どうしてわざわざ人類同士の同士討ちなんてことを始めようとしているんだい?」

その少女は、今尚熱弁を振るうあの男の娘。そして彼の弁が世界を席巻するようにと願い、契約を果たした魔法少女。すなわち、この太陽系を巻き込む大きな戦争の元凶こそがその少女であった。

たった一人の少女の願いが、これほどまでに大きな戦乱を巻き起こしているのである。その事実にはいくらかの驚愕を覚えつつも、そんなことをする理由が、未だ持ってキュゥべえには理解ができなかった。

「人類の歴史をずっと見てきたのに、貴方にはその理由が分からないんですの、インキュベーター?人類の歴史は戦いの歴史よ。人はより多くの富を望み、繁栄を望み。終わらぬ戦いに明け暮れてきた。そしてその戦いの中でこそ人は進化して、あらゆる業を飲み込みながら突き進んできたのよ」

どこか陶然とした表情で、少女は戦いこそが人類の本質であると語る。

 

「その影に、一体どれだけの願いがあっただろうね。有史以前からボク達は人類に関わってきたんだ。むしろそれは人類の所業というよりも、ボク達の成果であるかもしれないよ?」

「けれど、今回はそうではなかったわ。バイドという恐るべき敵と、人類はその死力を尽くして戦い抜いてきた。確かに貴方がもたらした技術のお陰でもあったけれど、それだけではなかったもの」

これにはキュゥべえも閉口せざるを得ない。

確かに人類は、インキュベーターという種が抗し得なかったバイドという天敵に対して、独力で戦いを繰り広げ、これを撃滅せしめているのだ。それは人類の力としか言うべき他なく、インキュベーターの敗北に他ならなかった。

「バイドは理想的な外敵だったわ。けれど、彼らは少しやりすぎた。人類の力はかつてないほどに飛躍的に膨れ上がりはしたけれど、彼らはそれ以上に強大だったもの。いくら発展を遂げても、人類が全滅してしまっては意味がないでしょう?」

「だからキミは、人類を更なる戦いに駆り立てようとしているのかい?それも、今度は人間同士で」

 

 

「――ええ♪」

そして少女は、飛び切りの笑みを浮かべてその問いを肯定した。

 

「分かるでしょう。人がどれほど戦いの中で進化を遂げてきたか。そしてどれほど、平和という唾棄すべき間隙が人類を堕落させてきたか。だから、人類は争い続けなければなりませんの。戦う為に産み増やし、戦う為に進化を遂げ、戦う為にあらゆる所業を飲み込んでいく。それが人の進むべき未来よ。私は、そんな未来の導き手になる」

その手を広げ、どこか超然とした表情を湛えて少女は宣告する。少女が告げた人類の未来。その未来における人類の姿。戦う為に進化し、戦う為に増え、戦う為にあらゆるものを取り込む姿。

その姿はキュゥべえに、酷く自然にバイドの性質を思い浮かばせた。

「好きにすればいいさ。ボクがやりたかったことはもうすべて終わってしまったんだ。後はもう、人類や宇宙がどうなろうと知ったことじゃない。精々キミが造る未来を見届けさせて貰うよ」

だが、それがなんだというのか。キュゥべえは諦念と寂寥感の混じった声でそう言った。

バイドは倒れた。宇宙は救われ、再生されることはなかった。すべては失敗したけれど、種族の仇たるバイドを討つ事はできた。もはや今の彼には、何一つ執着するものはなかった。

後に残されたのはただ、魔法少女を生み出すためのデバイスとしての肉体と、未だ完全には解析されざる異星の技術を詰め込んだ知性だけだった。

 

けれど、と思考は遡る。

あの時スゥ=スラスターの願いを叶え、そのままあてのない旅へと出た時の事を。通常の人間には知覚することすらできないキュゥべえである、寄る辺などはありはしない。そのままスゥ=スラスターの魂と共に、宇宙の孤児として彷徨い続けるしかないのだろうと、そう考えていた矢先である。

そんなキュゥべえの前に、その少女は現れたのである。少女はキュゥべえを救い、そして一つの契約を果たした。それ以来キュゥべえは、その少女と行動を共にしている。

 

「それで、私の剣は完成したのかしら?」

「オリジナルナンバーは完成しているよ。量産には、まだ少しかかるだろうけどね」

剣、と少女は言った。それは未来を切り開くための力。その前に立ちふさがる敵を平らげるための力。

「見せて御覧なさい。私の剣に相応しいものかどうか、見定めさせてもらうわ」

薄暗い部屋の中、壁の一面に光が宿る。それは映し出された映像で、そこには円筒状の水槽が二つ並んでいた。そのそれぞれに入っていたのは二人の少女。その姿はどちらも同じ。

「暁美ほむらもスゥも、どちらもその肉体は残されていたからね。オリジナルナンバーにはそれを使わせてもらった。もともとが複製体だ、よく馴染んでくれたよ」

そう、その二人とは暁美ほむらとスゥの姿。ジェイド・ロスとの戦いの最中、ティー・パーティーに取り残された暁美ほむらの身体と、ラストダンサーの出撃に際し、地球に保管されていたスゥの身体。

二人の身体は秘密裏に回収され、この場所において利用されていた。最強の剣を作り出すための素体として。

「起動させるよ。よく見ているといい、英雄の再臨だ」

二つの水槽に湛えられた、薄緑色の液体がごぼごぼと水位を下げていく。それに伴い、二人の少女は同時に目を開いた。その表情には感情の色はなく、少女達の胸元には小さな黒い宝石のようなものが埋め込まれていた。

それは回収されたスゥ=スラスターのソウルジェムを複製したもの。その複製体より、感情に関する領域を制限し、さらに記憶の操作を行ったもの。

そして複製体たる身体に複製体たる魂を宿し、少女達は目覚めた。最強のパイロットである英雄、スゥ=スラスターと同じ力を持ち、それでいて命令に忠実な機械のような兵士として、少女達は目覚めたのである。

 

「どうやら成功したようだ。今後はこの調子でスゥ=スラスターを複製していくよ。肉体については、複製体のデータを元に作り出すことにするさ」

「素晴らしい、素晴らしいわっ!これならば申し分はなさそうね。戦火を生み出す私の剣。世界を導く私の剣!早く数を揃えて欲しいものね。頼んだわよ、インキュベーター?」

その成果に満足げに頷いて、少女は声を荒げて笑う。

間違いなくこうして生み出された少女達は、最強クラスのパイロットである。けれどこんなことをするくらいなら、無人兵器にソウルジェムだけを積んだ方が早いのではないか。そんな問いを、かつて投げかけたことをキュゥべえは思い出していた。

少女はその問いに唇の端を歪めて、端整な顔立ちに似合わぬ愉悦に満ちた笑みを浮かべて答えるのだった。

人の世を導くための剣が、一山いくらの無人兵器ではいけないのだと。その為の剣は人でなければならない。人の姿で忠実に、私に傅く者でなければならないのだ、と。だからこそ世界を自分の掌の上に転がしているという、そんな実感を得られるのだという。

そんな彼女の美学は、未だ以って尚キュゥべえには理解できないことであった。

 

「これからはもっと忙しく、そしてもっと楽しくなるわ。貴方も精々楽しみなさい。面白きことはよきことなり、よ」

最後の言葉を告げ、ゲイルロズへと向かう部隊を送り出す父の姿を見下ろしながら、少女はとても楽しそうに言葉を紡ぎ、唇を歪めるのだった。

 

バイドを下した人類に待っていたのは、更なる戦禍への誘い。

それを誘うは異星の徒。その力を得た一人の少女。

少女は自らの信じる人類の為に、更なる戦禍を巻き起こす。

それが人類の本質なのか。答えを求めて人々は戦う。

けれど果たして、そこに答えはあるのだろうか。

星々は何も答えてはくれない。

混沌の宙。真実を誰も知らぬまま、人類の戦いは尚も続いていくのである。

 

けれど。そう、だけれども。人類の系譜は、その終焉を迎えることはない。

人類存亡の危機は去り、これはその後に尚続く物語の、ほんの序章に過ぎないのだから―――

 

 

 

けれど、そんな戦いの宙を駆ける一筋の光があった。それを駆る、少女の姿があった。

彼女には、どれほどの戦禍も悲劇も全て関係のないことだった。彼女が願うは唯一つ、遥かな友との邂逅だけで。

それに全てを賭した彼女には、地球の蒼も戦火の紅も、一切その瞳に映ることはなかった。瞳に映るのは、ただ遥かなる宇宙。その深淵を目指して、今。

 

「HS航法に移行。コールドスリープ開始。ソウルジェムとの接続……確立」

一瞬暗転する視界。すぐにそれが、より鮮明に映し出される。彼女の肉体は永い眠りにつき、その魂だけが機体を衝き動かす。

遥かな距離を越え、越えざる時間の壁を越え。どこまでも彼女は突き進む。虚空の彼方で待っている、愛しい少女の姿を求めて。

 

思い出すのは戦いの日々、暗く暗澹たる記憶。

決して幸せではなかったのだろう。そんな彼女を救ってくれた少女の姿。

幸せをくれた人、心をくれた人、愛を教えてくれた人。

その面影を焼き付けて、もう一度逢いに往くために。

 

 

 

 

――――星の海を渡っていこう

 

 

 

――――――振り向くことなく、

 

 

 

――――――――光を追い越し、時を翔んで、

 

 

 

 

 

 

――――――――――いつまでも

 

 

 

――――――――――――どこまでも

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           「いつか、貴女に出会えるその日まで」

 

 

 

 

そして彼女は、スゥは宇宙の風となる。遥か彼方へ、時空の果てへと流れ行く風に。

 

 

その日、宇宙は風にそよいでいた。

 

 

 

 

 

          “迎えに来たよ、まどか”

 

 

      “来てくれるって、信じてたよ。スゥちゃん”

 

 

 

 

 

 

            魔法少女隊R-TYPEs

   

                完

 



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