~妖怪王記~ ハイスクールD×D (人間N)
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プロローグ

 夜。雨が降りしきる街中。帰宅途中の人々が傘を差しながら足早に光る街を後にする。

 自動車の列はまるで流れる川のように走り、濡れたヘッドライトがアスファルトを照らしていた。

 喧騒に駆動音、そして雨音が辺りに響いている。

 その中に幾つか。聞き慣れない音が混じった。

 何か柔らかなものが固い何かにぶつかる音。次いで響き渡る悲鳴のようなブレーキ音。

 鈍い音がそれに続いて少し、ようやく時が動き出したように誰かがそれを見る。

 劈くような甲高い声が周りの人々を金縛りから解き放った。

 騒然となる人々を他所に、一人交差点の中央にて冷たいアスファルトに横たわる俺の姿があった。

 暗く雲に閉ざされた空を見上げながら、俺は口の端から血を流していた。

 余程当たり方が悪かったのだろう、手足は複雑に折れ曲がり、体も所々骨が突き出ていた。

 傍から見ても致命傷であることがわかる。出血も鑑みるに数分といったところだろう。

 次第に意識が薄れていく俺。それを手放す寸前、何かが割れ崩れ落ちる音が聞こえた。

 それが一体何なのか。それすら考えることもなく、俺は一人暗闇へと落ちていったのだった。

 

 

 目が覚める。悪夢を見た時特有の気怠さが体全体を覆うようにしてあった。

 重い体を無理やり起こしてみる。嫌な汗が寝間着に吸われており、不快感が眠気を綺麗に吹き飛ばしてくれた。

 

「……またあの夢か」

 

 今も目の奥に鮮明に残るそれを溜息交じりに吐き捨てようとするが、瞼の裏にこびり付いたように離れない。

 思わず舌打ちをしながら、乱暴に頭をかく。

 中学生の頃から偶に見るようになったそれは、少しずつ詳細になり、妙な現実感を増していった。

 時計を見ると、時刻は朝5時を回っていた。目覚ましを仕掛けた時刻より少し早く起きたようだ。

 ゆらりと立ち上がり、体を引き摺るようにして窓際へ移動する。

 カーテンと窓を開け放つ。朝日が家々の隙間から零れてきているようであり、涼しい風が少し火照った体に心地良かった。

 ……シャワーでも浴びるか。

 そう考えて俺は部屋を後にした。少しでも早く、あの夢を洗い流そうとするために。

 

 

 俺の名前は天宮大和。私立駒王学園に通う高校一年生である。

 この学園、実は数年前までは女子有数の進学校だったのだが、現在は共学となっている。

 その為女子の割合が男子に比べて圧倒的に多く占めており、ここで甘い青春を過ごそうと近くの男子共は挙って入学しようと例年倍率が高いことで有名だ。

 だが流石は進学校、そこらの馬鹿な連中は門前払いである。高嶺の花を取るにはそれ相応の努力が必要なのだ。

 かく言う俺はと言えば、友人達に勧められ冷やかしで受けたところ、何の冗談かまぐれ合格してしまった為、ここに通うことになってしまった次第。

 家族からも通うことを強要され、致し方なくという感じである。

 実家からも遠く、止む無く学園近くのアパートを借りなければならないことになってしまった訳で、現在は一人暮らしである。

 バストイレ付1DKの狭い部屋であるが、この新生活にも若干慣れ始めた今日この頃。

 しかしまだまだ慣れないことが多々あるのも事実。

 先にも言った通り、俺が通うこの学園は何せ女子の数が男子よりも圧倒的に多いのだ。

 必然的に女子との接触が増えるわけで……。これが未だに少し慣れない。

 小中校とそんなに女子と関わり合いがなく、どう接していいものやら分からない身としては非常に困ったものだ。

 

『初めまして、よろしくね大和君っ』

『……お、おう。こちらこそよろしく……』

 

 これが女子との最初の会話である。我ながらもっと別な言い方が出来なかったものかと今でも思う。

 現在は一応女子を男子だと思い込むことでそれなりに会話はできている。

 男子の方は言わずもがな。クラスの男共とは一応友達にはなれた気がする。

 さて、今日も一人通学途中に女子達の視線に晒されながら登校していると、後ろから軽く肩を叩かれた。

 

「よう、大和! おはよう」

「おう」

 

 振り返ると、人懐っこい笑顔をした男が立っていた。

 こいつの名前は奧間。俺のクラスの数少ない男子生徒の一人だ。

 俺に初めて話しかけてきた奴であり、割と親しい仲である。

 とりあえずこいつがいれば会話は困らない。喋っていなければ死ぬような勢いで話しかけてくる。

 

「相変わらずTHE・ぶっきらぼうって感じだねー。そんなんじゃ女子にモテないよ? 」

 

 肩を並べながら歩き始める奥間に、俺は鼻を鳴らした。

 

「余計なお世話だ。お前の方こそ、いつもその調子じゃ女子にウザがられるぞ」

「少なくとも無口よりはマシじゃなーい?しかも仏頂面で何考えてるか分からないよりさ」

「それは誰に対して言ってるんだ」

「さぁ誰に対してでしょうねー」

 

 人をおちょくるような声音で言う奥間に若干イラッとしながらも、少しだけ顔を確認する。

 よし、俺のことではないな。今も昔も仏頂面なんてしたことはない。

 それを見た奥間が苦笑いしていた。

 

「ちょっとは自覚持ちなよ。さっきの君の顔、結構酷かったよ?」

 

 こんな感じにと、しかめっ面を作る奥間。

 成程、知らぬ間に俺の顔はそんな感じになっていたのか。そりゃあいつもより増して女子達が距離を開けるわけだ。

 友人に気を使わせたことに少し申し訳なく思いながらも、俺はそれをおくびにも出さないように溜息をついた。

 

「そいつは教えてくれてどうも。先行くぞ」

「あ、ちょ、急に早足になるなよ! 僕走って疲れてんだからさー! 」

 

 知るかと言いつつ先に歩いていく俺に、奥間は文句を言いながらついてくるのであった。

 

 

 学園に着くと、玄関入口にて奥間は部活の用事を済ませてくると走り去り、俺は再び一人になっていた。

 教室に入ると、先に登校していた女子達が各々仲の良いグループを形成して疎らに散っていた。

 対して男子の姿はない。恐らくこの女子だらけの空気に居た堪れなくなり、どこかで時間を潰しているのだろう。

 俺は女子グループを避けつつ、窓際の奥から三番目。丁度柱が日陰になった我が席へと辿り着いた。

 歩いて火照った体を冷やすため窓を開け、グデッと机に突っ伏す。

 ひんやりとした感じが何とも言えずいい。風も丁度良く吹いてきて実に素晴らしい。

 そうして一息ついていると、続々と教室に生徒が入ってきた。

 時計を見ればそろそろ朝のHRが始まりそうである。

 仕方なくよっこらせと体を起こして、一限目の科目の教科書を出しながら担任を待つこと数分。

 

「はーい席ついてー。今から出席とるから呼ばれたら返事するようにねー」

 

 慣れた口調で担任が出席をとる中、俺は自分の番が終わるとぼんやり窓の外を見ていた。

 そういえば、中学の奴ら元気にしてるかなぁ。

 地元の高校に進学したはずだし、今頃部活やらに入って頑張ってるのかねぇ。

 そういう俺は何も入っていない。中学では一応武道場に出入りしていたが、どれも少し齧ったばかりで何一つ真面目にやっていなかった。

 専ら友人らの組手や試合を眺めてたり、見様見真似で動いてみたりしていただけである。

 あの頃は楽しかったなぁなどと懐かしんでいると、担任がよしと一区切りつけてから話し出した。

 

「ここで皆にお知らせがあります。今日からこのクラスに転校生がやってきます」

 

 一瞬間をおいて、クラス中から驚きの声が上がった。

 

「センセー! 男の子ですか女の子ですか!? 」

 

 クラス女子の声に男子諸君も頷いている。前者ならば仲間が増えることになるがあまり嬉しくないだろうし、後者ならばさらに肩身が狭くなるがやはり嬉しくなるものだろう。

 はてどちらなのだろうかと担任の言葉の続きを待つ。

 

「転校生は女の子よー。さぁ、入ってきて! 」

 

 そう明かされた途端、女子達のテンションが下がったのが目に見えた。逆に期待に胸を膨らませたのは言うまでもないだろう。

 

「あぁどんな娘なんだろうね! 楽しみだなぁ」

 

 後ろでは奥間が気持ち悪く体を揺らしていたが無視した。

 ガラリと扉が開けられる。スッと入ってきたのは黒髪の女子。

 勝気そうに見える彼女は周囲を見渡した後、担任の横に立った。

 そのままチョークを手に取り、小刻み良く名前を書いていく。

 

「初めまして。私、天野夕麻って言います。よろしくお願いします」

 

 そう言ってお辞儀をする彼女。

 やがて巻き起こる暖かな拍手。俺もそれに混じり適当に拍手を数回。

 その時、後ろから背中を突かれた。

 

「なんだ、奥間」

「いやぁ、彼女可愛くない? 結構レベル高いと思うんだけどさ!! 」

「そうか? 随分と勝気そうに見えたが」

「そういう娘程、甘えられたときのギャップ差がすごくいいんだよ」

 

 そういうものかねと、再び彼女を見る。

 うーん、確かに平均よりやや上の感じだが、彼女より綺麗な娘や可愛い女子がこの学園にはゴロゴロいるから何とも言えん。

 そうやってボーっと見ていると、それに気付いたのか彼女と目があった。

 瞬間、背筋が妙に強張った気がした。

 例えるなら蛇に睨まれたような……。そんな感じだ。

 だがそれも一瞬のことで、すぐさま彼女は目を別の場所へと向けた。

 

「それじゃあ天野さんの席は一番後ろの空いてる席ね。皆仲良くするように」

 

 それじゃあHR終わりと担任が言い終わると、クラスは再び活気を取り戻したのだった。

 

「それじゃあ僕は早速天野さんに話しかけてくるけど、大和は? 」

「い、いや。俺はいい」

 

 少しつっかえた言い方をした俺を見て、奥間はふーんそっかと言って立ち上がった。

 そうして天野夕麻に近づいていく奥間を見送りつつ、俺はゆっくりと息を吐いた。

 気付かない間に手を握りしめていたのだ。ゆっくりと開くと、じんわりと汗ばんでいた。

 この感覚はあれだ。武道場にいた時に偶になったものと似ていた。

 それは、自分の力より圧倒的な者を目にしたときに覚える感覚。師範級の試合を見ていた時になった記憶がある。

 ……天野夕麻を見て、何故こうなったのか。この時の俺は分からなかった。

 そんな俺の様子を密かに目で追っていた、天野夕麻のことなど知る由もなかったのだ。

 

 

 今朝方の一件以降、特に体調の変化も見られずに無事放課後と相成った訳である。

 あれから天野夕麻はクラスの連中から話しかけられていたが、昼休みを終えた辺りからそれも落ち着いた感じになったようである。

 奥間は何度か遊びに誘ったようだが、全て空振りに終わったようだ。何やら気になる先輩がいるとかどうとかで振られたらしい。

 早々の敗北に涙する友人を慰めてやりながら、俺は帰路に着こうと席を立った。

 歩き始めようとすると、横から歩いてくる人影が見えた。

 

「君はもう帰りかな、天宮大和君? 」

 

 そこに立っていたのは、天野夕麻であった。

 彼女もこれからどこかに行くのだろう、帰り支度をすませて鞄を持っていた。

 

「あー、まぁそうだな。お前も帰るのか? 」

「ううん。これから私、行くところがあるから」

 

 どこへ、とは聞かなかった。聞く必要もないし、俺には関係がないからだ。

 そうかと言って俺は会話を打ち切ろうとしたが、その前に天野夕麻が話を切り出してきた。

 

「ねぇ大和君。君、最近何か変なこととかなかった? 」

 

 突然の言葉に、内心驚きを隠せなかった。

 彼女の顔を見れば、夕焼けの光が顔に影を作っており、その表情を伺うことが出来ない。

 

「いや、別に何もないけど。どうした急に」

「ゴメンゴメン、変なこと聞いちゃったね。気にしないでね」

 

 彼女はそう言うと、俺の横を通り過ぎていく。

 そのまま教室を出ると思いきや、その直前になって振り返る。

 

「大和君、帰る時は暗くならないうちに帰った方がいいよ。そうじゃないと……」

 

 クスクスと笑いながら、天野夕麻は立ち去る。

 ―――怖い人に連れ去られちゃうかもよ?

 そう言い残して。

 後に残された俺は一人立ち尽くしていた。

 

「どういう意味だよ……。不審者か何かか」

 

 もしかして、あの娘は結構アレなのかもしれないと思った。

 

 

 それから数日が経った。

 あれから天野夕麻は二年生である兵藤イッセー先輩に告白したらしい。

 らしい、というのは奥間から聞いた話だからで、実際そうなのかは分からない。

 イッセー先輩はこの学園ではそれなりに有名である。

 主に女子更衣室を友人達と一緒に覗いたり、友人達と一緒に面前の前で平気に下ネタに花を咲かせたりと、主に悪い話ばかりが聞こえてくる。

 どうもその友人達が諸悪の根源だったりするんじゃないかと思うのだが。まぁ関わり合う事がないと思うのでぶっちゃけどうでもいい話である。

 そんな彼に一目惚れしたのかは知らないが、彼女の方から告白して見事OKを貰ったらしい。

 奥間は歯ぎしりしながら『何故あんなエロガッパがモテるんだ……? 』とか呪詛を吐いていた。分からんでもないがお前も顔は悪くないんだから真面目にしてればその内誰かが告白してくるとは思うぞ。

 クラスもこの話で盛り上がっているようで、どこのグループからも似たような話が聞こえてくる。

 あの放課後以来天野夕麻とは一切会話をしていない。

 向こうも俺のことをいない者として扱っているのかどうなのか、近寄りすらしないので分からない。

 こちらとしても残念な娘の近くにはあまりいたくないので気にすることもなく。

 平々凡々。平和な日々を謳歌して満喫しているのである。

 そんな今日の昼休み。いつものように奥間と共に昼食を摂っていると、奥間の方から話を振ってきた。

 

「なぁなぁ、大和。最近妙な噂とか聞かないか? 」

「噂? また誰かが誰に恋してるとかそんな下世話な話か? 」

「そういうのじゃなくて! なんていうのかな、未確認生物みたいなのがこの辺りに出没してるんだとさ」

「未確認生物? 」

 

 UMOだかUFOだかそういう類の話か。

 

「生憎そういうのは信じてないんでな。聞いていたとしてもスルーしてるわ」

「君ってばホントに面白くないよね。そんなんじゃ時代に取り残されちゃうよ」

「ほっとけ。んで? その噂がどうしたんだよ」

 

 俺が続きを促すと、奥間はパンをちぎりながら話し始める。

 

「ここいらではそういう類の話は結構耳にするんだけどね。例えば悪魔のような翼が生えたやつだったりとか首なしの人間だったりとか。はたまた冷たいゴリラがいるとかね。今回もまさにそんなやつでさ。確か黒い羽根が生えた人間が夜中に飛び回っていたりとか、光る棒を振り回してる変人とか。大体真夜中とかに現れるらしいよ」

「ほーん。この街はそんな奇人変人がどこかにいるのか。世界びっくり人間博も驚きだな」

「ねー。後はほら、町の外れにある廃屋になった建物とかあるじゃん?あそこにも何かが住み着いてるんじゃないかって話」

「どうせホームレスか何かが住んでるんじゃないか? ちょうどいいだろ、雨風防げるし」

「うっわ、夢もへったくれもない答え。まぁでも実際そんなもんだよねー」

「だろ? 信じたくてもそんなもんが現実なんだからな。期待するだけ損なわけよ」

 

 牛乳パックを互いに飲みながらそんな話をしていると、どこからか視線を感じた。

 目を向けると、そこにはあの天野夕麻がこちらをジッと見ていた。

 ……まさか今の話を聞いていたのか?

 そんなわけがないと鼻で笑った。大体席も離れているし、この五月蠅いクラス内で聞こえるはずもない。

 考えすぎだと思い、奥間に向かって口を開いた。

 

「そんなオカルト話、あるわけないだろ」

 

 

 翌日。休日であるこの日、俺は珍しく部屋で読書をしていた。

 いつもならPCやゲームをしているのだが、何となく奥間から貸された漫画や小説を一気に消化するために、丸一日を費やそうと思ったのだ。

 アイツが貸すものはどれも伝記モノやファンタジー系が多いのだが、今回はそれ等とは違うジャンルだった。

 歴史系のような、しかし日記系のような。どういう風に例えればいいかよく分からないモノだった。

 机の上には本と共に渡された奇妙なモノが置いてあった。

 

『いやぁ、この前家族と旅行行ったんだけどさ、君にお土産買うの忘れちゃったよハハハ。ハイこれ、駅とかによくいる露天から買ったよく分かんないヤツ。君にあげるよ! これで満足してくれ!』

 

 その時に渡されたのがこの、何というか、竹でできた管みたいなモノだ。

 何の用途に使うのかさっぱり分からず、買った奥間に聞いてみても『あー水入れたコップか何かに差しとけば? インテリアっぽいでしょ』とか言われる始末。とりあえずその場でどついてやった。

 仕方がないのでとりあえず和製ストローとして使っている。これが結構吸い上げが良くて便利なので、割と使い方は合ってるんじゃないかと思い始めている。

 ふと顔を上げれば時刻は既に夕方の4時を回っていた。

 思い出したかのように腹が鳴った。そういえば朝昼飯を食べていなかったな。

 冷蔵庫の中を開けるが碌なものが入っていない。

 ……仕方ない、コンビニで何か買うか。

 財布と携帯、鍵を持って家を後にする。

 夕焼けが眩しい。そろそろ家に帰るのだろう遊んでいた子供たちの声も段々と聞こえなくなっていた。

 道なりに歩いてしばらく。目の前の公園を通れば目的地である。

 中に入り通り過ぎようとすると、誰かの話し声が聞こえてきた。

 顔を向けると、そこにはあの天野夕麻と、その手をつなぐ一人の青年がいた。

 思わず木の陰に隠れてしまうが、何も疚しいことはないではないかと思ってそのままこの場を立ち去ろうとした。

 その時、天野夕麻が口を開いた。

 

「今日は楽しかったね」

 

 その言葉に背筋が強張る。あの時と同じように。

 足は止まり、自然と息を止めていた。

 心臓が早鐘を打っていた。

 

「ねぇイッセー君」

「なんだい、夕麻ちゃん」

「私たちの記念すべき初デートってことで、一つ。私のお願い聞いてくれる? 」

 

 彼があのイッセー先輩か。顔を向けると、何かに期待した青年の姿があった。

 嫌な予感がする。汗がやけにゆっくり頬を伝っていく。

 

「な、何かな。お、お願いって」

 

 そこで俺は彼らを見据えながらゆっくりと後退していった。

 どうか。どうか気が付きませんようにと、祈りながら。

 そして映ったのは……黒い翼。

 笑いながらそれを広げ、青年に対して告げる言葉は。

 

「死んでくれないかな」

 

 死の宣告であった。

 

 

 気が付けば俺は我武者羅に走っていた。

 どの道をどのようにして走ったのか分からない。

 ただひたすらに。右へ左へ。どこまでも真っ直ぐに。

 息も絶え絶えになりながら辿り着いた先はどこかも知らない森の中。光源は頭上の月明かりだけである。

 荒い息を吐きながら、俺は木にもたれ掛るように背中を押し付けた。

 目の前で起きた惨状。イッセー先輩があの女に光る何かで刺し貫かれて、そして……殺された。

 訳が分からない。頭が混乱する。あの女、背中から翼が生えて、それから。

 そこでハッとする。それからアイツは、あの女はどこに消えたんだ?

 気が付いたらアイツは先輩の前から消えていた。だから俺はあの光る何かが消えて、腹にぽっかりと穴が開いた先輩の姿が見えたのだ。

 ……待て、あの女とは一体誰のことだ? いや、あの女は先輩の前にいた……。

 

「クソッ、何がどうなってやがる!? アイツの顔は分かるのに名前が出てこねぇ……!! 」

 

 信じられなかった。先程まで覚えていたはずの名前が全く思い出せない。それどころか、始めからアイツはいない者だと思いさえしてくる。

 自分の身に何が起きているのか。―――そんなことを考える暇すら与えられていないようであった。

 なぜならば。

 

「あら、こんなところで何しているのかしら大和君」

 

 そんな俺の様子を嘲笑いながら、空からゆっくりと降りてくるあの女の姿があった。

 その左右には同じように黒い翼が生えた男が一人、女と子供がいた。

 ……びっくり人間が増えてやがる。

 あまりにおかしな光景に思わず笑ってしまう程である。

 奴らは地に降り立つと、あの女だけがこちらに近づいてきた。

 

「その様子だと、私の名前が分からないようね。でも、記憶が完全に抹消されているわけでもない」

「レイナーレ様、こやつが」

 

 女を様付けで呼んだ男がその背後に控えながら言う。

 レイナーレ。この女はそういうのか。

 

「そう。私が潜入したクラスの同級生。私のチャームがあまり効かなかった子よ」

「へぇ、レイナーレ様のチャームをこんな奴が跳ね除けたとは、俄かには信じがたいですわ」

 

 男に続いて女と子供も控える。どの双眸は皆、俺のことを見据えているがただの塵屑を見るように冷たい。

 

「お前は……何者だ……? 」

 

 その威圧に震えながらも、何とか声を絞り出す。

 だが次の瞬間、俺は首を掴まれていた。

 

「貴様、レイナーレ様に向かってお前だと……? 人間風情が」

 

 あの子供が俺を持ち上げていた。しかも、その体格からは考えられない程の力で首を絞めつけていた。

 呼吸が出来ず、何とか手を離させようとするが力が増すばかりで一向に剥がれない。

 

「ミッテルト、その程度にしておきなさい」

「……ッチ。人間、レイナーレ様に感謝するんだな」

 

 手が離され、地面に叩きつけられるように落ちた。

 激しく咳き込みながらも、俺は奴らから目を離さないようにしていた。

 先程は反応すらできない速度でかち上げられたのだ。そしてあの力。ということは、こいつらはいつでも俺のことを殺せる。

 同じ人だと思えない。いや、人間ではないのだろう。

 あの女―――レイナーレは腰に手を当てながら、俺の質問に答えた。

 

「これから死ぬ男に教えても意味はないけど、元クラスメートとして答えてあげる。―――私の名はレイナーレ。我らが偉大なるアザゼル様様、シェムハザ様の忠実なる僕よ」

 

 背中の黒い羽根を大きく広げながら、その敬愛しているのだろう人物の名をレイナーレはウットリとしながら言った。

 その姿に俺は鼻で笑った。

 その態度が気に食わなかったようで、レイナーレは俺に向けて底冷えするような声音で口を開いた。

 

「何が可笑しいのかしら、人間」

 

 その言葉に、俺は震える膝に喝を入れながら立ち上がり、正面から見据えた。

 

「いやなに、今のお前は一昔前の三流映画に出てくる、盲目的にボスを信じてるようなやられ役にしか見えなかったもんでな」

「貴様ッ!! 」

 

 反射的に飛びかかろうとする子供を、レイナーレは手で制した。

 だがその顔は笑っていなかった。ほほう、ビックリ人モドキでも怒れるのか。これは新発見だ。

 

「何が言いたいのかしら」

 

 俺はニヤリと笑った。

 

「お前が何者だろうが背中に翼が生えた鳥人間だろうが知ったこっちゃねぇが―――今のお前は最高にダサいって言ってんだよ」

 

 言った。そう言い切った。

 その言葉に対して、レイナーレはクスクスと笑いながら、その手に光の……槍? を生み出した。

 その切っ先を俺へと向けながら、口を開く。

 

「人間。それが最後の言葉でいいかしら? 」

 

 それに対して、俺は中指を突き立て、片目を瞑り、舌を出しながら答えた。

 

「殺るなら殺れよ、バーカ」

 

 次の瞬間、猛烈な痛みが腹部を襲った。

 肉が焼ける音と共に、焼き鏝が当てられたかのような激しい痛みが体中を巡った。

 だがそれも一瞬のことで、腹部から光の槍が消え失せると、今度は消失した部分へ血が噴き出した。

 余りの痛さに視界が反転し、思考が纏まらなくなる。

 口の端から血が漏れ、まともに息をすることもできない。

 次第に薄れていく意識の中、顔を見上げればレイナーレが再び光の槍をこちらに向けているのが分かった。

 止めを刺すつもりなのだろう。当然だ、自分より下に見ていた奴から馬鹿にされたのだ。プライドが高く、勝気な奴なら簡単に頭に血が上る。

 今頃になって走馬灯が頭を高速で巡っていく。

 全く、世の中何があるか分かんねぇもんだな。ホント。

 せめて最後は月を見ながら死ぬかと、空を見上げたが。

 もう視界が切れたのか、何もそこには映らなかった。

 まま……ならねぇ……もんだな……。

 世の不条理に嘆きながら、俺は意識を失ったのだった。

 

 



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1.

 木々が茂る山の奥地。人も立ち入らないような場所に、一匹の牡鹿がいた。

 群れから逸れたのだろう、時折鳴き声を上げるものの近くにいないのか仲間からの応答はない。

 これまで歩き回ったのだろう、近くにある小川に首を近づけ、水分を補給している。

 その間も周囲を警戒しているようで、物音一つ逃さないよう耳をピンと立てていた。

 頻りに辺りを見ていることから、恐らく何かの気配に気が付いているのだろう。

 問題はそれを発するものが一体どこにいるのか。視界内に捉えることが出来ないために、不安になり確認を密にしてしまう。

 俺は木の上から怯える獲物を見つめながら、ゆっくりと近寄っていく。

 息を殺し、足を曲げ力を溜める。勝負は一瞬。飛び出す前に気付かれれば逃げられてしまう。

 気を伺うこと数分。それはやってきた。

 鹿の近く。木に止まっていた鳥達が騒ぎ出す。

 そこに鹿が顔をを向けたその時、俺は足裏に溜めた力を解放した。

 真上から一直線に。瞬間的な加速でもって一気に鹿の首へと迫る。

 鹿にもこちらの音が聞こえたのだろう、その場を離れようとするが遅かった。

 次の瞬間、その首元を手刀が捉えたからだ。

 軽い音と鈍い音が混ざったものが鳴る。鹿は横に倒れると痙攣し始めたが、やがてその動きを止めて絶命した。

 辺りは水を打ったように静まり返っていた。

 体の緊張を解くと、額から汗が滲み出した。それを手の甲で拭うと、俺は一つ息を吐いた。

 背負っていた麻袋を地面に降ろし、仕留めた鹿に近づいていく。

 死後硬直しないうちに、テキパキと解体作業を始めていく。

 手製の石包丁で手早く腹を裂いて内臓を取り出し、首を捥いで血を抜く。

 ざっと処理したら小川の水で付いた血を洗い流し、四肢を枝に結んで出来上がり。

 後は寝ぐらに戻って燻したり干したりして保存処理すれば、数ヶ月は肉に困らなくなる。

 新鮮なうちにやればそれだけ手間もかからずに済む。俺はそれと麻袋を担いで、寝ぐらへと急いだのだった。

 

 

 

 俺がレイナーレ達に襲われてから、早数年が経過していた。

 意識を取り戻した時は自分が幽霊か何かになったのだと思ったものだが、すぐにそうではないと気付いた。

 何故自分が生きているのか。そう疑問を抱くのに対して時間はかからなかった。

 その時確認した腹には、特大に開いた大穴が存在していたのだが、信じられないことに見る見るうちにそれは時計を巻き戻すように塞がっていった。

 後には腹の部分に大きな穴が開いた学生服とシャツだけが残った。

 流石に目の前でそんなことが起きて、気が動転しないわけもなく。しばらく頭が混乱したものだが、やがてある結論に達して強引に自分を納得させた。

 レイナーレに傷物にされた挙句、人間じゃない何かにされたのだと。

 あの時ほど荒れたことはなかっただろう。レイナーレを探して二日程探し回り、見つからないと思うと手当たり次第に近くの物に当たり散らしていた。

 お蔭で気付いたのは、自分があの女のように人外になってしまったということだった。

 岩を殴れば砕け散り、気を蹴れば根元から折れ、叫べば衝撃波で木々が木端になるし、走ればあっという間に山を越えられた。

 そしてもう一つ。いくら周りを走り回っても近くにあるのは小さな集落だけしかなかったことだ。

 村人に聞く限りここは俺の知る土地ではないらしく、むしろ俺の服装等を見て不思議がっていた。

 あの女、俺を人外にした挙句タイムスリップまでさせたのだ。何という奴、おのれ許すまじ鳥女レイナーレ。

 それから後は実に簡単である。山で走り回った時に見つけた洞窟を拠点として、山の中で生活を始めたのである。

 最初は集落に身を寄せようかとも思ったのだが、誰かが山の惨状見たのだろう、村人たちから妖怪認定をされてしまったために断念することにしたのだ。

 始めは慣れないことも多くあり、四苦八苦しながら一日を過ごしていたものだが、今では人外の力をフルに活用して日々を過ごしている。

人外になったとて、やはり腹は減るものである。

こうして狩猟をしたり、魚を捕ったり、暇があれば修行モドキに精を出したり。

残してきた家族や友人達を思うと寂しいが、割り切るしかなかった。

そんなこんなで、俺は人外ライフを頑張って生きていた。

 

 

 

ある日のこと。この日は食糧集めを早々に終え、気晴らしに散歩に出かけていた。

天気も良く、まさに絶好の昼寝日和。そう考えた俺はどこかいい場所はないかと歩き回っていた。

そんな時だった。小川近くを通りがかった時、偶然村人たちの声が聞こえたのだ。

 

「なぁ、モミノチ。最近山が静かでねぇか」

「そうさなぁ。森の奴らも姿さ見ねし、なんぞあったかな」

「あの妖怪のせいだと思うんだが、おめさんどう思う」

「男の姿したあれかや。どうだかな、アイツは山さ荒らしよったがそれからはなんもしとらんみたいし、ちがうんでねぇか」

「ほんなら別ん奴がきよったと? 」

「分がらね。だけんど、オモネんとこの爺さが山で変な岩見たとか言っでたなぁ」

 

それからも村人二人は会話をしていたが、俺はそこから静かに離れた。

……山で変な岩、ねぇ。

何となく気になったので予定を変更。早速その変な岩を探して見ることにした。

一時間程山中を走り回ってみると、それっぽいものが見つかった。

開けた土地にポツンと小さな岩が半分埋まっていた。岩には縦に一本の黒い線が入っているように見え、鈍く光っている。

近づくと、何とも言えない妙な感じがした。

威圧を放っているというか、岩に近づくなとでも言われているような錯覚を受ける。

それを無視して、直接岩に手を触れてみると仄かに暖かく、脈を打っているかのような振動がした。

ぺしぺし触っていると、あることに気が付いた。

縦に線が入っているように見えたそれは、どうやら亀裂だった。

すると次の瞬間、ピシッという音と共に岩全体にヒビが生じ始めた。

思わず手を放して後退る。

岩が徐々に崩れ始めると、その中から尻尾が生えてきた。

尻尾は一度引っ込むと、次には二本に増えて中から飛び出してきた。

全て崩れた時、そこにいたのは……尾が二つに分かれた一匹の狐だった。

狐は体についていた岩を身震いして落とすと、周囲を見渡す。

そして、俺と目が合うとゆっくりとこちらに近づいてきた。

 

「お主が儂を解放したのか」

 

可愛らしい外見とは裏腹に、ひどく大人びた女性の声で喋った。

そのギャップ差に言葉を失っていると、狐はどうしたと言わんばかりにこちらを見つめていた。

とりあえず黙ったままにもいかないので、俺は口を開いた。

 

「あー……まぁ、そうだな」

「そうか。お主名は何と申す」

「大和。天宮大和だ」

「……ヤマト、良き名だ」

 

狐は頷いた。

 

「儂の名はイヅナという。訳あってあの岩に封ぜられていた。解放してくれたこと、まずは礼を申したい」

 

その時、可愛らしい音が狐の方から聞こえてきた。

思わず笑ってしまった俺に、狐は恥じるような声で言ってきた。

 

「……すまぬが、何か食べるものを恵んでは貰えぬか? 」

 

 

 

場所は変わって俺の家。

狐……イヅナを連れて戻る頃には日も傾いていた。

丁度良かったので俺もイヅナと共に夕食をとることに。

その中で驚いたのは、イヅナは小さな体をしているのに、釣ってきた魚を六匹と干し肉を十切れも平らげたことだ。

どこにそんな量が入るのか気になったが、夢中で食べていたので気にしないことにした。

腹が落ち着くまで暫く歓談していると、改めてイヅナは姿勢を正してきた。

 

「ヤマト殿。先程はお見苦しい姿をお見せしたこと、ここに詫びさせてもらいたい」

「そんなに畏まらなくてもいい。さっきみたいに軽い口調の方がこちらとしても気が楽だし」

「……そうか、では改めて。此度は儂を解放し、さらには食事まで恵んでくれたこと、心より感謝したい。この恩は必ず何らかの形で返したいと思う」

「別に返して貰わなくてもいい。あの場でああなったのは偶然だし、飯に関して言えば一人で食うより誰かと一緒に食う方が上手いからそうしただけであって……とにかく気にするな。」

 

俺は続きを促した。こういうのは長引きやすいのでさっさと流した方が話が進みやすい。

 

「うむ、では単刀直入に言おう。―――ヤマト、お主の力を儂に貸しては貰えぬだろうか」

 

イヅナは俺の目を真っ直ぐ見据えながら続ける。

 

「訳あって儂はあの岩に封ぜられていたのはお主が見ていた通り。長い年月、儂はこことは別の場所にて封印が解かれるのを待っていたのだが、何者かによって儂は岩ごと魂を砕かれ力の大半を失ってしまった。その衝撃で儂は遠いこの地へと飛ばされ、挙句このような姿となってしまったのだ。……頼む、儂と共にその砕かれた岩の破片を探してはくれぬか」

 

イヅナはその頭を深く下げた。

その姿を見ながら俺は考えていた。

今の話を聞く限り、何らかの事情がコイツにあり困っているというのは分かる。

あの岩が先程のイヅナが言うものなのだとしたら、元々はこんな小さな姿ではないのかもしれない。

必死さも見て取れる。だが、腑に落ちない点が幾つかあった。

一つ、何故コイツは封印されていたのか。

二つ、その封印を何故俺が解けたのか。

三つ、砕かれた岩を回収して何がしたいのか。

今の話の中に、これらを説明するものが含まれていなかった。

元の姿に戻りたい、大いに理解できる。誰であろうと不本意な出来事があって体に不自由が生じれば戻りたいものだ。

問題はその後である。仮に元の姿に戻ったとして、その後コイツは何がしたいのだろうか。

この狐の過去にどういう経緯があり、何をしてあの岩に封印されてしまったのかは知らない。

普通に考えられるのは、相当派手なことをやらかしてしまったとか。狐は昔から悪い方で有名なのはオカルトを信じていなかった昔の俺でも知っていたことである。

確か日本に朝廷制度があった頃に狐の妖怪がいて、それを退治した時に石か岩になったと。

それの名前が……殺生石。

そこから先はあまり覚えていないが、コイツが話したものはそれに似ている。

……もしかしたら、俺は危険な奴の封印を解いてしまったのかもしれない。

思わず顔が引き攣りそうになるが、危険な奴を目の前にしてそんなものを見せたらそれこそ隙を見せているようなもの。今この瞬間にもこの狐は隙を伺っているかもしれないのだ、気を引き締めてかからねば。

努めて冷静に。俺は口を開いた。

 

「しゅ、スマンが俺には手伝えそうにない。他を当たってくれ」

 

思い切り噛んでしまったが気にしない。

対する狐はといえば、何故だと言わんばかりに頭を上げてこちらに目を向けていた。

 

「何故だ? 勿論協力してくれた暁にはそれ相応の報酬を与えると約束しよう。今は出せぬが、それこそ金銀財宝に美酒、女。好きなものをくれてやろう」

 

途中から丁寧な口調が剥がれ、半ば上から目線な口調に変わった。

執拗に俺の目を見て話してくるイヅナに、俺は首を横に振る。

 

「そんなもの要らん。俺は自由に暮らせればそれでいい。それと近寄ってくるな、暑苦しい」

「お主、それでもこの日ノ本の妖怪か。男たるもの、誰しも野望を胸に秘めているというにっ!! 」

「そりゃ大層なことで。でも俺のはそこらにいる犬に食わせたからな。今の時代、ガツガツした男は嫌われるんだよ」

 

鼻面を顔に押し付けてくる狐を押し返しながら俺は答える。

むむむと唸る狐は、次の時には俺へと飛びかかってきた。

突然のことに俺はそのまま後ろに倒されてしまう。起き上がれないように両肩を抑えられてしまっていた。

 

「儂の目を見ろ」

 

酷く冷たい声音で、狐は言った。

蛇に睨まれたかのように体は動かなくなり、その目から視線を外せなくなってしまう。

 

「貴様は拒否することなぞ許されておらぬ。ただ儂の人形として使役されるのだ、光栄に思うがいい」

 

目が細まり、やがて狐の本性が露わになる。

 

「もう一度問おう、ヤマト。お主は儂の手足となり、その一切全てを委ねることをここに誓うか」

 

有無を言わせぬような迫力がそこにはあった。やはり違いない、この狐はあの悪名高いとされる妖怪なのだ。

……しばらくそのまま時間が過ぎていく。うんともすんとも言わない俺に疑問を抱いたのか、再度狐は俺に問いかける。

 

「どうした、ただ首を縦に振るだけなのだぞ。さぁ振るが良い」

 

その時の目が。あの女と被って見えた。

俺の腹にデカい大穴を開けて下さった、あの鳥女達の見下した目。

こちらを塵屑同然のようにしか思わず、自分が優位であることに何ら疑問を持たないそれ。

―――酷く、不愉快だ。

いつしか俺は、口の端を歪めていた。

 

「誰が頷くかよ、この馬鹿」

 

次の瞬間、俺は狐の体を壁へと放っていた。

逆襲されると思っていなかったのだろう、狐はなされるがままに追いやられ、俺は逃がさないように頭を掴む。

 

「人に何かを頼む時はそれ相応の態度ってもんがあるだろうが。さっきからやれ『使役されろ』とかやれ『誓え』だの。最初に頭を下げたのは嘘だったのかよおい? 途中から肝心なことを言わないで、それで相手に伝わると思ってんのか」

「い、痛っ、貴様、なにをする……」

「さっきお前が俺にやったことと同じことをしてるだけだ。助けてくれ? あぁいいとも困ってるなら助けてやるよ。だけどな、そういう人を上から押さえつけて相手を対等に見ずに要求を通そうとして、そのくせ自分のことは何一つ語ろうとしないヤツになんて協力できるわけねぇだろうがこの馬鹿、阿呆」

 

俺はそう言って、狐の首から手を放す。

降ろされた狐は何度か咳き込んでいたが、俺はそこから離れて座りなおす。

 

「分かったらはいそこ、正座! 俺が納得できるまで洗いざらい全部説明させるから覚悟しろ! 」

 

そこからは大人しくなった狐相手に、馬鹿でかい声で説教を始めたのだった。

 

 

 

一通り全てが終わる頃には、夜が終わりを告げていた。

正面にはぐったりとした様子の狐の姿。それもそのはず、こちらが十分納得するまで話をさせたからだ。

ちょっとでもはぐらかそうとしたり、誤魔化そうとすればすぐさま追求する。

話そうしなければそれまで、即座にアイアンクローの刑に処した。

手を出すのは対等じゃないかとも思ったが、相手は凶悪な狐の妖怪だと思っていたし、これぐらいが丁度いいだろうと。まぁそれは勘違いだったわけだが。

さて、話を整理しよう。

まずはこの狐の出自であるが、かの悪名高い狐妖怪、玉藻前自身ではなかった。

だがその血筋に近い家柄ではあるらしく、イヅナという名は本当で性別は女らしい。

あの岩に封印されていた理由は、とある巫女にちょっかいを出して捕まり、お仕置きとして封印されたという何ともしょうもないものだった。

そこに偶然通りがかったお坊さんがコイツに気が付き、殺生石と勘違いして砕いたらしい。

本当の殺生石だったら近づくだけで死んでしまうし、イヅナが言うには殺生石が砕かれたのはもう随分前のことだとのこと。

不運に巻き込まれてしまったコイツは、あの場所に飛ばされてしまい途方に暮れていたところ、俺が発見して何故か封印を解けたのだ。

一応九尾の一族としてのプライドはあったらしく、魅惑の術を使って俺を手駒にしようとしたが、弱体化しているせいでそれも効かず、結果はあの通り。

話の途中から何度か同情しそうになったが、レイナーレと同じような手を使ってきたことは許せなかったので、気を緩めることはしなかった。

本人も非を認め、きちんと説明せずプライドに拘り未遂ではあったが俺の意思を奪おうとしたことに謝罪し。

こちらも早とちりで誤解してしまった件と、怒って手を挙げてしまったことについて謝罪した。

深く溜息をつく俺に、目の前の狐は申し訳なさそうに呟いた。

 

「本当に許してくれるのか? 儂はお主を洗脳しようとしたのだぞ」

「未遂で終わったことだ、気にしてないと言えば嘘になるが……許すよ。またやるつもりならその時は容赦しないが」

「信じては貰えぬかもしれぬが、この名に誓って決してお主にはしないと約束しよう」

「ならいい。誰でも力が急に弱くなれば不安になるし、自分にとっての最善手を打とうとするもんだ。増してやプライドが高けりゃ、俺みたいな格下のヤツを操って何とかしようとするだろ」

 

その格下の相手にさえ何も効かない程、目の前の狐は弱体化しているのだが。

それでと、頭を掻きながら俺は改めて狐へと問いかける。

 

「俺以外に頼るとこはないのか」

「ない訳ではない。が、こんな弱った体ではそこに辿り着くまでに死んでしまうやもしれぬ」

「そこらにいる野生動物にすら敵わない程か……」

 

俺の言葉に遂に落ち込んでしまう狐。

……あーもう。これじゃあ俺がコイツに悪いことをしたように見えるじゃないか。実際はコイツから仕掛けてきたというのに。

 

「一つ聞きたい。お前、破片全部集め終わったら何かするつもりなのか」

「いいや、儂はただ元の姿に戻りたいだけ。その後はまたのらりくらりと日々を過ごすだけよ」

 

争い事は好かぬ。最後にそう締めくくった。

その表情、その言葉、そして態度。心からそうなのだというものがコイツと出会った今までで一番現れていたと思う。

これもブラフだとしたらそれこそお手上げだ。

 

「……破片の場所は分かるんだろうな」

「勿論。儂の一部なのだ、この体であれどどこにあるかはっきりと分かる」

「それならいい。……ったく、結構慣れてきたと思ったのにな、この生活にも」

「な、ならば……!! 」

 

狐の言葉に立ち上がりながら、俺は頷いた。

 

「破片探し、付き合ってやる。絶対後で何かお返ししろよ」

 

こうして、俺は狐を助けるための旅に出ることになったのだった。

 

 

 



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