斯くして、一色いろはは本物を求め始める。 (あきさん)
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序章: 一色いろはは、新たな道へ踏み出す。
0#01


  *  *  *

 

 生徒会長立候補者でありながら、当選させないという依頼をするために、平塚先生と城廻先輩に連れられて向かった特別棟の三階、東側にある空き教室で出会った三人の人物。

 

 ――それが、わたしと奉仕部、そしてせんぱいとの出会いだった。

 

 冷たさをその瞳に宿し、凛とした佇まいを崩さない雪ノ下雪乃先輩。

 わたしも彼女の名前くらいは知っていたが、実際にこうして目の前で会話をするのは初めてだったはずだ。 

 そんな彼女の横に、由比ヶ浜結衣先輩が座っていた。

 彼女は葉山先輩にちょっかいをかけにいった時に知り合ったのだが、見かければ挨拶を交わす程度なので仲がいいとはお世辞にも言えないだろう。とはいえ、そんな状況下でも見知った顔がここにいるというのは話をしやすく、ありがたい。

 挨拶を済ませ、依頼内容に触れる前に生徒会選挙のことを城廻先輩が説明し始める。

 そのあたりで、何とも形容しがたい腐った目の人物が一人、二人と距離をとった位置から怪訝なものを見るような視線をわたしに向けていたことに気づく。

 ――存在をきちんと認識できるようになったのは、その時だったと思う。

 

  *  *  *

 

 それから、生徒会役員選挙まであと六日ほどといった頃に、昼休みに昼食をとっているとわたしにお呼び出しがかかった。無論、憧れの葉山先輩からではなく、どうでもいい腐った目の人物からだったので落胆は思いっきり顔に出ていたらしく、それを見たせんぱいの眉がぴくっと動いたのは記憶に新しい。

 わたしは「超まずい」としか伝えられないまま、仕方なしに図書館へ連れられてきた後、ひたすら推薦人名簿を転記するはめになった。なんでわたしがこんなことやらなければいけないんだ、という意味を含んだ文句を言いつつも単純作業を繰り返す。

 この人と会話をすることは何度かあったが、この人の前ではわたしらしくもない部分を見せてしまう時がある。もっとも、興味がないから隠す必要もない、ということに変わりはない。戸部先輩がその例だし。

 ただ、わかってきたことがいくつかある。この人に、わたしらしいわたしを振りまくことは通用しない。というのも、求められているキャラクターを演じているだけのわたしを、どこか見透かしている節がある。

 ――だからこそ、こうしてわたしを煽り、魅力的な提案をしたのだろう。こうもうまく利用されていることに思わず苦笑してしまう。

 乗せられることは癪だが、それを否定するということはわたし自身が、わたし自身を否定してしまうことを意味する。だからわたしは、こう告げた。

 

「せんぱいに乗せられてあげます」

 

  *  *  *

 

「せんぱーい、やばいですやばいです……」

 

 そうして、わたしは再び奉仕部の部室の扉を開いた。

 なぜなら、平塚先生に押しつけられたといっていい海浜総合高校との合同クリスマスパーティーの件が一向に進展しないからである。また、高校生になってからの始めてのクリスマスの思い出は失敗談、という許しがたい事実だけは何としても避けねば、という思いっきり私的な理由も込めて依頼することにした。

 話をひととおり聞いた後に、「うちはなんでも屋じゃねえ」だとか「自分でやれ」だとか、その場はせんぱいに追い出されたのだが、二人になったときに「俺が手伝うってことじゃだめか?」と言われたので、それを承諾することにした。

 せんぱいの様子を見るに、何か考えがあった上での提案なのだろうが、それを聞いたところで答えてくれるとは思わない。それに、せんぱい一人のほうが扱いやすいのでよしとすることにした。

 途中、せんぱいの意味不明な発言を苛立ちながらも聞き流すことにして、わたしはせんぱいと別れ、一足先に待ち合わせ場所であるコミュニティセンターへ向かった。

 

  *  *  *

 

 二度目の依頼をしてから、数日ほど立った頃には以前より、自然と、少しずつだがせんぱいのことをわたしは理解していった。

 わたしが思っていたよりもだいぶ捻くれているのに、ときどき不意をつくような優しさを見せてきて思わずときめいてしまったりだとか、せんぱいについていろいろと新たな発見はあったが、この時はそれ以上知りたいと思わなかったし、興味もなかった。

 また、中学時代の同級生である“折本かおり”という人間と“せんぱい”との間に、何かあったということも知った。

 その折本かおりが、葉山先輩と一緒に遊びに行ったという事実を知った時は耳を疑ったが、そういえば前にそれを見かけたことがあるような気がしなくもない。せんぱいがいたことだけは覚えてるんだけど……。

 そんなせんぱいへの理解度は上がっていく一方で、イベントのほうは停滞どころかますます悪化し、生徒会はもはや機能すらしていない事態にわたしはどうしようもなく辟易していた。

 ――こんなはずじゃなかった、こんなことなら生徒会長になんかなるんじゃなかったと頭の中で繰り返しながら、重い足取りで今日の会合は休みになったことを伝えようとせんぱいを探していると、奉仕部の部室から声が漏れていることに気づいた。

 

「……あなたも、卑怯だわ」

「言ってくれなきゃわかんないことだって、あるよ」

「でも、言われてもわかんねぇことだってあるだろ」

「言ったからわかるってのは傲慢なんだよ」

「だから、言葉が欲しいんじゃないんだ」

「言わなくてもわかるっていうのは、幻想だ。でも……」

 

 ――それでも、俺は、本物が欲しい。

 

 黙ってその様子を聞きながら立ち尽くしていたわたしへ止めを刺すように聞こえてきた声は、震える声で、情けなくて、何かに怯えるように、かすれた、泣くようなせんぱいの声だった。

 ――衝撃的だった。心が焦がれるような、そんな一言だった。

 ――意外だった。もっと冷めてるんだと思っていた。

 

 わたしは――。

 

  *  *  *

 

 わたしが動けず呆けたままでいると、扉が開かれた。

 そこには、逃げるように飛び出してきた雪ノ下先輩と、それを追うように出てきた結衣先輩と、せんぱいの姿。

 その姿は、繋ぎとめてきた大切な何かを決して壊さないように――守るように、手を伸ばしているようで醜くて、儚くて、そして酷く綺麗だった。

 せんぱいの言っていた“本物”が何を指すのかわからない。

 ――でも、こんなわたしでも、それに手を伸ばすことができるとしたら……。

 

 そうしてわたしは、わたしにとっての“本物”を求めて、葉山先輩に告白することを決めた――。

 

  *  *  *

 

 葉山先輩たちも誘ったディスティニィーランドで、戸部先輩にお膳立てしてもらいわたしは告白したものの――案の定、失敗した。

 わたしらしくもない、負けるとわかっている勝負を仕掛けた。

 この未だにおさまりのつかない高揚感と敗北は、きっとわたしが次へ進むための布石なのだ。そうして、今よりも一歩、新たに踏み出すために、あるかどうかもわからない未来のために、疑うことなく今を犠牲にした。

 ただ、振られたという事実から来る辛さの涙は、紛うことのない“本物”の涙のはずなのに、どこか清々しい気持ちと、何か別の違うものを見ていた錯覚に陥るのはなんでだろうか。

 

 ――はたして、“本物”なんて、そこに本当にあったのだろうか?

 葉山先輩に告白した時、どうして、せんぱいの顔が浮かんだのだろうか?

 本当に、これでよかったのだろうか?

 

 葉山先輩の前から走り去った後、わたしは涙を拭うこともせずにそんなことを考えていた――。

 

  *  *  *

 

 帰りの電車で、いたたまれない雰囲気のまま雪ノ下先輩、結衣先輩、せんぱいの三人が降りるらしい海浜幕張駅に到着する手前で「一色、お前駅どこだ」と隣から声がかかる。

 二人きりで少し話がしたかったので、わたしはせんぱいの裾を引っ張り「せんぱい。荷物超重いです」と答え、多少強引だが送ってもらうことにした。

 そうして二人と別れた後に、三駅ほど進む。

 千葉みなと駅からモノレールに乗り換えると、乗客はわたしたちしかおらず、話をするにはまたとないチャンスだった。

 窓の外の景色を眺めたまま、ため息交じりに呟き、話を切り出した。そして、せんぱいの言葉にこの間の出来事を思い出しながら、わたしはせんぱいの目をしっかりと見つめた。

 

「……わたしも、本物が欲しくなったんです」

「聞いてたのかよ……」

「声、普通に漏れてましたよ」

「……忘れてくれ」

「忘れませんよ。……忘れられません」

 

 あんなの、忘れない、忘れられるわけがないほど強烈だった。だからこそ、踏み出したのだ。

「その、なに。あれだな、気にすんなよ。お前が悪いわけじゃないし」

 振られたわたしに気を遣ってくれたのだろう。だからこそ、その事実に気恥ずかしくなって、強がってしまったのだろう。

 いつものお約束でせんぱいを振った後、わたしは振られた瞬間の感情が徐々に蘇っていく。精一杯強がっていても、やっぱりその事実は確実に心に傷をつけていたようで、涙が再び溢れてしまった。

「すごいな、お前」

 無責任な慰めの言葉なんていらない。けど、掛けられた言葉はそんなものよりとても優しくて、なによりも温かいもののように感じた。

 そうして、この人はいつも不意打ちで、純粋な優しさを見せてくる。その優しさの中に、わたしが欲しかったものをいくつも持っている気がした。

 

 あぁ、もしかしてわたしは――。

 でも、今認めてしまったら今までのわたしは――。

 それでも、わたしは手を伸ばそうと思った。“本物”と呼べるものに、きっと近づけるような気がしたから。

 わたしがわたしらしくなくなってしまったのは、せんぱいのせいだ。だから、わたしはこう告げた。

 

 ――責任、とってくださいね。

 

 

 

 

 




一部抜粋、その他は全部書き直しました。

バックグラウンドの部分を都合よく妄想したというのは変わりません。
というか絶対こんな小難しく考えてないし、必要性もないよねってのはご愛嬌。

※行間とか色々今の雰囲気に近づけました。


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第一章:願わずとも、一色いろはの日常は変化していく。
1#01


  *  *  *

 

 ディスティニィーランドでの告白から、数日ほど経った。

 わたしは決意を新たにし、ひとまずは目先の海浜総合高校との合同クリスマスパーティーの件に尽力することにした。

 結果から言えば、無事成功を収めることができた。この出来事は、わたしが生徒会長としての第一歩を踏み出すきっかけになったとも言える。もちろん、奉仕部の、そしてなによりせんぱいの尽力があってこそだったが、それでも及第点としておこう。

 この日をきっかけに、きっとわたしは変わったのだと思う。その変化が正しいものなのかどうかというのは、わたしにはわからない。

 そして、わたしの中で芽生えたこの小さな感情は、恋心と呼ぶには早計で、歪で、不確かなものだけど、今はそれを信じてみることにしよう。

 ――だから、届かないとわかっていても、手を伸ばし続けることにした。

 

 あの日からわたしは日記をつけ始めた。なんてことのない平凡な日常も、全て忘れることのないように、一日も欠かさず書き留めた。演じているわたしのことも、せんぱいといると顔を覗かせるわたしらしくないわたしのことも、全部。

 そして、ページが増えていくにつれ、捻くれた内容も少しずつ増えていく。きっとこれも小さな変化がもたらしたものなのだろうか。見直すたびに、くすっと笑ってしまうわたしがいる。

 ――いずれは消えてしまうかもしれないわたしも、今のわたしも、未来のわたしも、みんなそれぞれ大切なわたしには変わりない、“本物”のわたしだから。

 

  *  *  *

 

 今はちょうど三月に差し掛かる頃と言っていいあたりだろうか。

 この時期は卒業式の準備やら、四月に控える入学式の準備やらでそれなりに忙しく、わたしはそこそこ忙しい日々に追われていた。

 放課後は最終下校時刻ギリギリまで生徒会の仕事をしているせいで、当然奉仕部に顔を出せてはいない。サッカー部? なんのことですかね? ……そろそろ顔を出さないとまずいレベルではある。

 そんな日常のとある昼休み、わたしは自販機へ飲み物を買いに行くために歩いていると、よく見知った猫背の背中が見えた。

「……あはっ」

 

 ――自然と浮かんだ笑顔は、他の人に見せられるような顔じゃないほど緩みきっていた。

 

  *  *  *

 

「せーんぱいっ!」

 後ろからそう声をかけると、振り返ったせんぱいはこの世の終わりを見たような顔をしていた。

「げっ」

「久しぶりなのにそれはひどくないですか!?」

「そりゃ悪かった。だが、お断りだ」

「わたしまだ何も言ってないんですけど……」

「ろくでもないことしか言わないだろ、お前の場合」

「せんぱいってほんとわたしのことなんだと思ってるんですかね……」

「あざとい後輩」

 ちょっぴりこんなやりとりが懐かしくて嬉しくなる。しかし、そのやりとりの内容は酷いということを考えたらあまり嬉しくないかもしれない。

「……はぁ、まぁいいです。とりあえずせんぱい、久々にお話しましょうよー」

「話すことはなんもないから帰れ」

「……わたしの扱い、前より雑になってませんかね」

「前から雑だ、安心しろ」

 今度はちょっぴり切ない気分になる。わたしはせんぱいに人として扱われてないのかも、なんて自虐はブーメランになる気がするので余計なことは考えないようにした。

「せんぱいは、相変わらずですね」

「……で、本当の用件はなんだ?」

「や、ほんとにお話したいなーと思っただけでして」

「だから俺は話すことは」

「せんぱい?」

「……はぁ、少しだけだぞ。ただ、飯くらいは食わせてくれ」

「はーい」

 せんぱい、なんだかんだ優しいんですよね。黙って立ち去ればいいだけなのに延々と返答をくれるところ、好きですよ。

 まぁ逃げようとしても逃がすつもりはありませんけどね。

 そんなことを思いながらせんぱいが昼食をとり終わるのを待っていると、せんぱいが口を開く。

「生徒会、大変そうだな」

「最近はちょっとしんどい量ですけど、なんとかなりますよ」

「……手伝わなくて、大丈夫なのか?」

 あーもう、ほんとにこの人は……。どうして急にそういうこと言うかな……。

 不意に心を突いてくるような優しさに甘えたくなる。きっと甘えてしまえば楽になれる。

 でも、もっとがんばんないと、ってわたしが決めた。せんぱいに助けられてばかりのわたしじゃなくて、せんぱいを助けたい。それは、わたしじゃなくてもきっと素敵な二人の女の子がそうするだろう。でもわたしは、わたしが、そうしたいから。

「……気持ちは嬉しいですけど、せんぱいたちに甘えてばかりじゃだめですから」

 その言葉は自分でも驚くくらい素直に、自然に出た言葉だった。

「……見直したわ」

 優しく微笑みながらわたしを褒めてくれたことに、顔が緩んでしまいそうになるのを必死で我慢する。

「なんですか口説いてるんですかそうやって褒めれば簡単にわたしのポイントが稼げると思ったら大間違いなので嬉しいですけど出直してきてくださいごめんなさい」

「……ああ、うん、そうね」

 それっきりせんぱいは何も言わないまま、再び昼食をとり始めてしまった。その様子を眺めていると、「食いづらいんだが……」と言いながら顔を少し赤くするせんぱいがなんだか可愛くて、自然と笑みがこぼれた。

 そんな幸せでぽかぽかするような時間は、無情にもチャイムの音が終了を告げる。もう少し話していたかったが、仕方がないので気持ちを切り替えた。

「わたし戻りますねー。せんぱい、ありがとうございました」

「一色」

「はい?」

「……まぁ、その、なんだ」

 あ、せんぱいがこう言う時はきっと――。

「……大変だったら、言え」

「……はい」

 

 ぶっきらぼうな優しさにわたしは、他の人には見せられないほど緩みきった笑顔のまま、教室へ戻るのだった――。

 

 

 

 

 




「先輩」をわざと「せんぱい」と書いたり
要所要所は漢字表記でないほうがやはりいろはっぽいですね。

※行間とか色々今の雰囲気に近づけました。


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1#02

  *  *  *

 

 今のわたしに言えることは、少しばかり捻くれてしまったことだ。誰の影響かは言うまでもないし、寧ろ影響されすぎなまである。

 それまでのわたしは、わたしはわたしを振りまくために、わたしを満たすためだけにわたしらしく存在していた。

 ただ今のわたしは少し違う。わたしがそうしたいから、という点では同じであるが、行動に至る根幹の部分が変わったように思う。

 ――これ以上踏み込むつもりはないし、踏み込ませるつもりもない。

 そうして、暗に警告してきた。わたしが満たされるために、わたしを確立するために、確実にそう刷り込んでいたはずだ。

 傍から見ればただの性悪女にしか見えないだろう。ただ、それがわたしなのだ。そうして同じことを繰り返して、作り上げていく。きっとこの恵まれたといえる顔や、さまになっている仕草も、その過程で磨かれたものだろう。

 そんな自分は身勝手なわたしだということは、わたし自身が一番理解している。

 わたしは、わたしのためにある。他の人のことは気にせずに、わたしはわたしを作り上げるだけだ。

 だからこそ、そんな期待や不安の裏側に見える独善的な、利己的なおぞましい何かを貼り付けた顔でわたしを見ないでほしい。わたしをわたしと見ていいのは、わたしだけだから。

 わたしの何が欲しいと思っているのか。わたしの何を理解しているというのか。意図的に隠されたものを覗いただけで、背筋が冷たくなるような嫌な何かが走る。

 あなたが欲しいと思っているものはそこらじゅうに、吐いて捨てるほど、過去にも未来にもに転がっている。

 そんなわたしだからこそ、あの光景はとても綺麗に見えたのかもしれない。

 独善的な、利己的な一方的に押しつけることはそれと変わらない。だが、おぞましさに裏打ちされた何かを諦観するような、それでも求めるような――。

 

 ――そんなもの、あるかどうかもわからないのに。

 

 ただ、わたしは目を背けることはできなかった。おぞましい何かには違いないのに、それは酷く綺麗だった。

 

 ――その時、わたしの中で積み上げた何かが音を立てて崩れた気がした。

 

  *  *  *

 

 春といえば、新たなスタートを切るに相応しい季節と呼べる。

 たとえば学生なら、卒業式や入学式、始業式などを終え、在校生の生徒は残りある高校生活に彩りをつけようと奮起したり、様々な人生の通過点にそれぞれが喜び、悩み、時には悲しんだりと忙しい。また、新入生の生徒もこれからの環境や起こりえる出来事に、期待に胸を膨らませたり、どこか落胆や憂鬱を感じるような表情を見せたりと、こちらも同様である。

 そんなわたしはというと、青春の一ページなんてゴミ箱に破り捨てるだけの腐った目をした捻くれ者のせんぱいと似たような日常を過ごしている。つまりは仕事に追われ続け、奉仕部に入り浸ることもなく、ただ日常を消化するだけということだ。

 ただ、そんな中少しでもせんぱいとの距離を近づけようといろいろ画策してきてはいたが、効果は感じられずに「あざとい」と一蹴され、そもそも相手にもされていないように思える。

 こればかりはそうやって接してきた以上、どうにもならない点ではあるのだが――というより、葉山先輩をダシにし続けるわたしもいい加減にしたほうがいいかもしれないが、そうでもしないと近づくことすらできないから仕方ないことだと割り切ることにしよう。

 理由もなく近づくことが許される雪ノ下先輩や、結衣先輩、そして戸塚先輩が羨ましい。や、戸塚先輩はちょっと違うか。

 そして収穫と呼べるかは微妙なところだが、せんぱいに近づくことができる正当な理由である各行事と、わたしと奉仕部で企画したバレンタインイベントを経てわかったことが一つある。

 それは、葉山先輩とせんぱいの関係性についてだった。

 数少ない友人だと言い張る戸塚先輩はともかく、せんぱいと葉山先輩は真逆のベクトルの人間なので話が合うとはとても思えないが、どうにもあの二人、意味深な会話をする時が多々あるように見える。

 言葉であって言葉じゃない皮肉めいた心の裏を探り合うような――ただ、それなのにどこか通じていて、お互いを認識し理解しているような雰囲気がある。仲がいいのか悪いのかはわたしにはわからない。

 

 けど、それはまるで――。

 

 生徒会室で仕事を放棄して、手にしたペンをくるくると回しながら全力で思考の堂々巡りをしていると、横から悩ましげな声が聞こえてきた。

「……会長、仕事しろ」

「あ、はい」

 そんなに長い時間呆けていたのだろうか。ごもっともだ。とりあえず今はこの目の前の紙屑、もとい書類の山を片付けてしまおう。

 

  *  *  *

 

 注意を受けてからはペンを正しく使い、一つずつ書類を片付けていく。手を止めない代わりに、長ったるいとか回りくどいとか心の中でぶつくさ文句を言いながら。

 そうして、ときどき小休止を入れつつペンを走らせていると、再び横から声をかけられる。

「そういえば会長」

「なんですか?」

「しばらくサッカー部に顔を出してないようだけど、大丈夫なのか?」

「……そ、それは」

 うっ、痛いところをつかれた。

「まぁ、最近こっちが忙しかったから仕方ないが顔は出しておいたほうがいいと思う」

「……はい。そうします」

 正直に言えば、葉山先輩という目的が今は別のものにすり替わってしまった以上、どうでもいいのだが、わたしはこれでも生徒会長なのだ。

 ――できるわ。あなたを推した人がいるのだから、それを信じていいと思う。

 こうわたしに以前告げた雪ノ下先輩の言葉を心の中で思い出す。そう、こんなわたしを推してくれた人がいるのだ。正しくはせんぱいに「乗せられた」のだが、あの時と心持ちはだいぶ違うので訂正はしない。

 責任責任と何か事あるごとにせんぱいに言っているわたしだが、せんぱいにはわたしを生徒会長に推した責任を感じて欲しくはない。できない生徒会長などと言われてしまってはあわせる顔がない。ましてやもう二年生なのだ。一年生だからという言い訳はもう通用しない。だからやらなくてはいけないのだ。

 ――わたしがきっかけで、瓦解しかけた奉仕部のためにも。

 

 そのためにも、まずは残っている忌々しいゴミ……もとい書類の山を片付けよう。わたしは動きを止めかかっていたペンを再び動かし始めた。

 

  *  *  *

 

「ふー……」

 最終下校時刻になり、疲れを感じながらも生徒会室の鍵を返却するために職員室へ向かい、挨拶を済ませる。そのまま重い足取りで下駄箱に辿り着き、靴を履き替えようと中を覗く。

 すると、一枚の綺麗な便箋が目に留まった。それは女の子が好むような可愛い便箋ではなく、男子が好みそうなやけにシンプルな一枚のメモ用紙ともとれる便箋。

 ――いや、まさかね。

 中身を見ようと、手を伸ばし便箋を取り出す。ただ、その時点でわたしの直感がそう告げる。ただの連絡事項を書いたメモ用紙ならどれほどよかったか。

 だが、そういったものなら教室で直接わたしに渡せば済む話だ。放課後になってからの用件であれば、生徒会室を訪れてくれればいい。

 そのどちらでもないのなら――心が否定しようとしても、これはそういう類のものなのだと確信してしまう。正直ご勘弁願いたい。

 これが意味することとは、他人には聞かれてはいけない用件なのだ。わたしにしか聞かれてはいけない用件なのだ。

 よくもまぁこんな古臭い手法を、と密かに嘲笑する。そもそもわたしの下駄箱の場所を知っている時点で気味が悪い。

 最近はなりを潜めていた、おぞましい何か。それが再び顔を覗かせた時、わたしの顔は酷く歪んだように思う。

 きっとわたしはまた晒されるのだ。見たくもない、おぞましい何かを向けられることに。わたしにとっては邪魔でしかないその何かに。また踏み躙らなくてはいけない。そうしたところで、わたしに向けられるものは似たようなものに変わりはない。

 結局のところ、わたしがどうしたところで周りには関係がない、何の意味も成さないのだ。おぞましい何かを向けられるという事実は変わらない。そのことに蓋をして見ないようにしていた。見て見ないふりをした。

 結局は、理由をつけて正当化しているに過ぎない。逃げだといわれればそうかもしれないが、今のわたしにはそうする術しか知らない。だからそうした、ただそれだけのことだ。

 ――どこで間違えたのだろうか?

 それでもわたしらしく、うまく立ち回ったつもりだ。それがわたしなのだから。そもそも間違えたかどうかもわからないし、知る術も持たない。

 もしかしたら、その認識自体が間違っているのかも知れない。ただ、わたしはいまさらそれを変えるつもりはない。

 だってそれがわたしなのだから。わたしをわたしと認めてくれた人がそう肯定するのならわたしは――。

 作り上げたわたしが心の中で囁く。そんなものは自己満足であって、結局は何も変わらないのだと。

「……ちょっとは変わったと思ったのになぁ」

 

 口から漏れ出たため息交じりの言葉は、そのまま夕の空に消えていった――。

 

 

 

 




実はこういったものを書く、という事自体生まれて始めてだったりします。
加減がイマイチ掴めずゆるすぎず硬すぎずを考えましたが、どうにも地の文を挟むとこうなっちゃうんですよね私の場合。

経験不足故に技量が足りず書きたいものを上手く如何に伝えられるか、というのはなかなか難しいものですね。

※行間とか色々今の雰囲気に近づけました。あと、ちょっと加筆しました。


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1#03

  *  *  *

 

『突然ごめんなさい、明日の放課後屋上で話がしたいです』

 回りくどい手法を用いて届けられた物の中身を確認する。社交辞令と要点のみ抜粋したような文に含まれたニュアンスから察するに、これはラブレターと呼べるものなのだろう。差出人の名前はどうでもいいので確認しない。

 ということは、話の内容なんてたかが知れている。なら、こちらの突きつけるものはこの時点で決まっていた。

 破り捨てるなり、気に止めず無視できるならそれはそれで楽だろうが、わたしはそこまで捻くれてはいない、と思いたい。というのも、生徒会長という立場上、こういったことを無視して悪評を広められても困るのだ。

 そして悪意に満ちた、あることないこと混ぜ合わせたような――そんな噂が立てられたら、またどこかの捻くれ者が責任を感じてしまう。

 

 それだけは――。

 

  *  *  *

 

 階段を上り、呼び出された屋上に向かった。そして、今から想定している出来事に心の底から何かを吐きそうな不快な気持ちのまま屋上の扉を開いた。

 そこには一人、顔だけはそれなりのスペックを誇る超劣化葉山先輩みたいな男子が、わたしが来るのを待っていたようで顔がぱぁっと明るくなる。だが、それは一瞬のことで、その直後には真面目くさった薄っぺらいものを貼り付けるのがわかった。

「呼び出してごめん、来てくれてありがとう」

「いえいえー、それでわたしに話ってなんですか?」

 こんな人周りにいたかなぁ……記憶にないや。あ、もしかして新入生? でも、わたしの下駄箱を知っている時点でやっぱり気味が悪い。まさか変なことされてないよね? ……ないよね?

 本音を言えば、あの頃は誰彼構わず愛想を振りまいていたから、ぶっちゃけいちいち覚えていない。わたしが満たされればそれでよかった。だから、そんなわたしの自尊心で勘違いさせたのなら罪悪感が芽生えなくはない。

 だが、わたしはそれを拭ってあげるほどできた人間でも、お人よしでもない。わたしが責任を負うなんてこと、したくない。

 わたしが責任を感じるのは、拭ってあげたいと思えるのは、わたしを支えようとわたしに責任を感じてくれている人だけだ。わたしを傷つけないために、自分が傷ついてくれる人だけだ。少なくとも名前すらも覚えていない、何も知らない目の前の人ではない。

「……あのさ」

 何かを覚悟したような間の後にそう呟く。……お願いだからそのおぞましい何かが見え隠れする表情、やめてくれませんかね。気持ち悪いから。

「えっと、一色さん。前から好きでした。俺と付き合ってくれませんか?」

「ごめんなさい。好きな人がいるので付き合えません」

 余計な敵対心を煽らないようにごく正当な嘘の理由を盾に丁重に、即座にお断りする。きっとこれが超劣化版じゃなくて、葉山先輩本人だったとしてもわたしは同じ答えを用意するだろう。あの時のわたしと、今のわたしは違う。葉山先輩の場合は理由が変わってくるが、それでも同じだ。少なくとも恋する乙女なんかではない。悲劇のヒロインを演じているつもりもない。

 こんな告白、勝手に抱いた幻想を勝手に自身で膨れさせて、それに酔って錯覚して、勘違いしているだけだ。自分の理想像とわたしという虚像を無理やりこじつけているだけだ。そんな勝手極まりないものを押しつけられるわたしの身にもなってほしい。わたしの何を知っていてそんな薄っぺらい言葉がでてくるのだろうか。隠しているつもりでもチラッチラッと見たくもないものが見えてますよ。

 そんなにわたしは容易くない、チョロくない。こう見えて身持ちは固いんですよ、わたし。

 それはさておき、今は一刻も早くこの場から離れたい。

「……そっか」

「気持ちは嬉しかったです」

「……やっぱり葉山先輩がまだ好きなの?」

「それは言いたくないです」

「……まぁ、そうだよね」

「もういいですかね? 生徒会があるので時間やばいんですよー、ごめんなさい」

「……うん、ごめん。じゃあまた」

「ではではー」

 振った直後のお決まりの定型文を踏襲した後、簡易な挨拶を済ませる。

 余計な恨みは買いたくはない、そうなると非常にめんどくさい。だからこそ、後腐れがないようにわたしの持てる精一杯の接客スキルを全開にした結果――にこやかな作り笑顔で、声のトーンは低め、無愛想に感じる態度という珍妙な状態になってしまった。そして、そのことに自分で少し吹き出しそうになってしまった。だって全然嬉しくなかったから……。うん、わたしって、ひどい。

 しかし心の中でこれほどまでに一方的に言うとは、わたしもなかなかの捻くれ者さんなのかもしれない。ここまでこじらせちゃうとか誰のせいですかね? や、もともと素質はあったのかもしれない。せんぱい、疑ってごめんなさい。

 そんな意味のわからないやりとりと謎の謝罪を頭の中で繰り広げて、いつものように生徒会室に向かうことにする。

 

 ――ただ、これだけならまだよかった。

 

  *  *  *

 

 自室でベッドに体を預ける前に、いつものように机の中からノートを引っ張り出した。今日の出来事を日記にまとめるために、場面場面を思い出しながらペンを走らせる。

 始めてみると案外楽しいもので、気づけば密かな楽しみになっていたりもする。未来のわたしが過去を振り返った時に、これがせんぱいの言う“黒歴史”になるのかな?

 ――ならきっと、枕に顔を伏せ、羞恥の涙で濡らし、脚をばたつかせながらのたうち回ることになるのだろう。そんな光景を浮かべていると、滑稽で思わず一人くすっと笑ってしまう。

 でも、そんなわたしもちょっとありかな、だなんて、わたしらしくもない、誰に伝えるわけでもない肯定をして、自身の中だけで完結させる。そして、そんな未来のわたしの隣でそれを見るのは一体誰なのだろう――そんなことも考えた。 

 だが、今日を内容を連ねるページ数のうち、半分以上はメインディッシュとも呼べるあの出来事に費やすことになるのは既にわかりきっていて。

「……はぁ」

 表情が一転、陰鬱な歪みのある表情になる。書くべきことなのは理解している。今のわたしがどう感じたかを未来のわたしに伝えるために。

 自身に存在する、醜くて、汚くて、おぞましい何かをいちいち書きたくはない。この出来事さえなかったら、いつもと似た内容のページが増えていただけだろう。

 たかが日常の一ページ、もしくはそれに満たない内容の文字列で、この不快なものが取り除けるのならどれほどよかっただろうか。正直、今は小難しい勉強をしているほうが遥かに気楽だった。

 まぁ、これもわたしのためだ。社会が悪い、わたしは悪くない、だとか捻くれた責任転嫁をしながらぶつぶつと呟きながら、嫌々と、重く、今日のことを書き連ねていく。

 それでも手を止めてしまうことは何度かあったが、きちんと書き終えることができた。

 なら、今日はここで終わりだ。これでもうこの感情とはおさらばしよう。そして、明日もまたわたしらしく精一杯生きてみよう。

 小休止代わりの一呼吸を済ませた後、わたしはペンを置いて日記の内容を見直していく。

 ――しかし、読み進めている途中、ぴたりと思考が凍りついた。

 おそらく、書いている時は無意識にそのことから目を伏せていたのだろう。自身が酷く醜く、汚く、おぞましいものだと今になって改めて気づかされてしまう。

 それは、恐らく意図的に蓋をした何かとは別のもので、無意識に蓋をしてしまったもので、蓋を開けてみれば自分勝手なもので、欺瞞に満ち溢れたものだ。だからあの時にせんぱいの顔が浮かんだのかもしれない。妙に納得ができてしまう自分に落胆する。

 そして、わたし自身もあの時、酷く傲慢で、独善的で、利己的なおぞましい何かを葉山先輩にも見せていたのではないだろうか。

 それなら、わたしは――奉仕部のとても冷たいようでとても温かい強い女の子に、奉仕部のとても素直で裏表のない優しい女の子に、奉仕部のとても捻くれ者で、誰よりも優しいせんぱいに、わたしは酷く傲慢で、独善的で、利己的なおぞましい何かを今も同様に見せ続けているのではないだろうか。身勝手に押しつけ続けているのではないだろうか。

 そう思うと、酷く胸が痛む。ただ、あの時の出来事が今のわたしが存在するきっかけになったことだけが救いだった。

 ベッドに体を預けることにして目を瞑ると天井がやけに高く感じる。体重なんて大して変わっていないはずなのに、心なしかベッドが深く沈んだ気がした。

 

  *  *  *

 

 次の日も続いた自問自答と自責の波に何もかもが頭に入らなくなっていた。何の授業を受けたのかも、昼食に何を食べたのかもろくに覚えていない。

 覚えているのはたくさんの自責や、罪悪感と気持ちの悪い何かだけ。もはや感情に抑えが効かなくなっていた。

 こればかりは逃げだと言われても仕方なかった。自身の決意が簡単に崩れ去るくらい、わたしは脆くてちっぽけなのだと嘲笑さえ浮かぶ。少し気を張るのを緩めれば、なんでか涙すら浮かんできそうになってしまう。

 ――だから羽休めも必要だ、必要なことなんだと誰に言うわけでもない言い訳をして自身に言い聞かせる。そうでもしないと、わたしじゃなくなる気がした。

 揺らいでしまった。確かめたくなってしまった――だからこそ手を伸ばしてしまう。

 その時点で既に心に打ち込んだ楔は既に消し飛ばしてしまっていた。いくら屁理屈を述べたところでわたしは子供なのだと痛感する。

 わたしはポケットから携帯を取り出し、事務的な定型文を打ち込み、後ろ髪を引かれる思いで副会長にメールを送信する。

『体調が優れないので今日は帰ります、ごめんなさい』

 ものの数分も経たずに返信があった。

『了解、奉仕部に宜しく』

 たははー、見抜かれてますね……副会長ごめんなさい。

 きっと甘えたくなったのだろう。いつものように。

 きっと優しくされたくなったのだろう。いつものように。

 きっと応えてくれるのだろう。いつものように。

 

 ――自分自身に磨耗していたわたしはとある空き教室へ自然と向かっていた。

 

  *  *  *

 

 空き教室の扉をノックする。久しぶりだからか、変な緊張感を覚える。

「どうぞ」

 入室を促す雪ノ下先輩の声が聞こえ、扉に手をかけ開く。

「お疲れさまですー」

「こんにちは」

「いろはちゃん、やっはろー!」

「あ、生徒会長さんだ。こんにちはー!」

「……げっ」

 わたしが中に入り、明るいいつものトーンで挨拶すると、いつもの凛とした声音の挨拶と、それに続くように頭の悪……明るい声音の挨拶、そして奉仕部では今まで聞いたことのない声音の女の子の挨拶が返ってくる。そして最後に、本気で嫌そうな声音の、とても挨拶とは言えない呟きが聞こえた。ちょっと? せんぱい?

 中を一瞥すると、見たことがない女の子の姿があった。聞いたことのない声音を発したのはこの女の子だろう。なんとなくだが、せんぱいと似ている気がする。

 そういえば妹さんが入学するとか言ってたっけ。この子がそうなのかな?

 いつもなら挨拶を交わして自己紹介を済ませ、世間話に勤しむのだが、今はとてもそんな気分ではなかった。

 そんなわたしに気づいたせんぱいは、怪訝な視線をわたしに向ける。

「……なんかあったのか?」

 そして、わたしに尋ねてきた。

 やっぱり敵わないなー、と心の中で呟き、わたしは雪ノ下先輩と結衣先輩のほうを向き、お願いをすることにする。

「せんぱい、ちょっとお借りしていいですかー?」

 私はいつものトーンでそう尋ねる。

「ええ、どうぞ。事情は知らないけれど何かあったようだし構わないわ」

「……あ、うんわかった。ヒッキー、いってらっしゃい!」

「お兄ちゃん、頑張ってね! 小町は先に帰ってるからごゆっくりー!」

 思いっきり顔に出ていたのか、それとも察してくれたのか、雪ノ下先輩は深くは聞かずにすぐさま了承してくれる。結衣先輩はちょっぴり膨れていた気がするけど、何も聞かずに優しく了承してくれた。せんぱいの妹さんと思われる女の子は、何も知らないのでもちろん了承してくれた。

 ――小町ちゃんっていうのか、覚えておこう。……お兄ちゃんと呼ばせてる他人だったとか、そういうオチはないよね?

「……じゃ、まぁいってくるわ」

 せんぱいは黙って読みかけの文庫本を鞄の中にしまい、腰掛けていた椅子から立ち上がる。

 鞄を肩にかけたのは、わたしのわがままに最後まで付き合ってくれるということなのだろう。その優しさに少しばかり切なくなり、嬉しくもなる。

 ――ただ、いつもと変わらないはずの空間になぜか違和感を覚えた。気のせいだろうか。

 わたしが気にしたところでどうにもならないので、気にしないことにする。それを示すように、挨拶を済ませてしまおう。

「それではお借りしますー!」

「クレームと返品は明日でも構わないから、存分に扱き使って構わないわ」

「ちょっと? そうやってナチュラルに不良品扱いすんのやめてくんない?」

「お兄ちゃんそんなのいいからはやく行って上げなよ」

「小町ちゃん? そんなのとか言われたらお兄ちゃん泣いちゃうよ?」

「ヒッキー、いろはちゃん待ってるよ?」

「はいはい……。んじゃ、また明日」

 

 違和感の正体を掴めないまま、振り切るようにわたしは奉仕部の部室を後にする。

 ――部室を出る直前に、あの空間で交わしていた言葉の応酬にも違和感を覚えたことは、きっと気のせいだ。

 

  *  *  *

 

 少し離れた人目につかない場所へ向かうためにせんぱいの手、というより袖を引いて案内する。普段なら“あざとい”だとか散々言ってくるのだが、この時ばかりは黙ってわたしに袖を引かれるままだった。こういう時、察してくれるというのは非常にありがたい。

「……生徒会絡みじゃないんだな」

 途中、生徒会室へ向かう方向ではないことに気づいたせんぱいは察しながらも、わたしに疑問を投げかけた。

「はい」

「……人に聞かれたくないことなんだな」

「……はい」

「……わかった」

 わたしがあまりにも普段と違うのか、いつものように嫌そうにはせず了承してくれる。そんなに違うかな、わたし。うまく隠してきたつもりなんだけどな。

 そのまましばらく歩いていると、どこへ向かっているのかさすがに気づいたようで、せんぱいが再び声をかけてきた。

「……おい、もしかして」

 だからわたしは足を止め、一度振り返り、きゃるんとしたわたしらしい作り笑顔でこう答える。

「はい。せんぱいが前に昼食を食べていたところですよ」

 

 ――それでも“あざとい”とは言われなかった。

 

  *  *  *

 

 せんぱいのいう“ベストプレイス”に辿り着くと、せんぱいが腰を下ろしたので私もそれに続き、静かに腰を下ろした。

「……で、なにがあったんだ?」

「せんぱいとお話したかったんです」

「……そうか」

 いつもなら断るだの、帰れだの言うのに、こういう時だけは妙に優しくて、くせになる。

 ただ、その優しさに甘えきってしまったらいけない気がした。わたしらしくて、わたしらしくない。だからたまにでいい。ちょっぴりセンチメンタルな時くらい許してほしい。

「……なんか疲れちゃったんですよ。生徒会とかじゃなくて、いろいろ」

「……まぁ、疲れるだろうな、いろいろ」

 深くは聞いてはこないその優しさが妙に心地いい。

「せんぱい」

「なんだ」

「わたし、どうしたらいいですか?」

 我ながら突拍子もない質問だったと思う。主語だとか述語だとか、そんなレベルですらない曖昧な質問。それでも、そう思ったから真面目に投げかけた。

 そんなわたしに先輩は何言ってんだこいつ、という顔をする。ひどい。

「……何に対してだ」

「わかんなくなっちゃいました、いろいろ」

「……ふむ」

 わたしがそう言うと、せんぱいはすぐさま真剣な表情になった。

「…………」

 この長い沈黙はきちんと意図を汲み取ろうと考えてくれているのだろう。だからこうしてわたしはわたしらしく素直になれる。

 ただ、わたしがそこに隠したニュアンスは、きっとせんぱいでも汲み取れない。それはどす黒くて、汚くて、醜くて、酷く欺瞞に満ち溢れたものだ。

「……まぁ、その、なんだ。とりあえず肩の力抜けばいんじゃねぇの。なんか思うことがあったってのはわかるから」

「え、そんなに変ですか?」

「……なんとなく、な」

 思わずちょっぴり頬が赤く染まる。表情を作る隙すらなかった。

「はっ! なんですかそれわたしのことよく見てるアピールですかそんなにしょっちゅう見られるとわたしも恥ずかしいのでそういうのは付き合ってからにしてもらっていいですかごめんなさい」

 せんぱい、これわたしなりの素の照れ隠しなんですよ? 気づいてますか?

「……どんだけ振れば気が済むのか知らんけど、まぁ、いつもどおりなら大丈夫か」

 だめかー。でも、いつものわたしらしさが出たなら、たぶん大丈夫な気がした。

 それから少しの沈黙が続いた後に、わたしは軽く居住いを正す。せんぱいのほうを向くと、せんぱいも気づいてこちらに首だけ向けた。

「……せんぱい」

「ん?」

 疲れたときに甘いものが欲しくなるように。

 そんな時、紅茶やコーヒーにいつもより砂糖をひとつまみ多く加えたところで、大して甘さは変わらない。でも、疲れているとそういう気分になる時もある。

 ――だから、ちょっとだけ、いつもより甘えたくなった。

「わたし、また頑張ります。だから、その……」

「おう」

「わたしがちょっと疲れたときくらいは、こうしてお話してほしいなーって」

「……たまになら」

「はい、それでいいです」

「あいよ」

 その後、再び訪れた沈黙の中で聞こえてきたのは、どこかの部活で練習に励む生徒の声と、下校する生徒の声や足音と、風の音、お互いの息遣いだけ。

 横目でせんぱいを覗いてみると、相変わらず腐った目の奥にとても温かい優しさを含んで、遠くを見つめていた。わたしが見ていることに気づくと、いつものように「なんだよ」と視線で訴えてくる。わたしは首を横に振り、自然な笑顔でなんでもないことを伝えると、せんぱいは諦観交じりの表情を浮かべて視線を戻してしまった。

 

 ときどき全てが停滞しているような錯覚に陥るこの空間は、やっぱり心地よい。そんな実感を抱きながらわたしはゆっくりと目を閉じ、静寂に身を委ねた――。

 

 

 

 

 




※行間とか色々今の雰囲気に近づけました。あと、ちょっと加筆しました。

それに伴い、日記の部分を一部削除しました。
理由としましては、この話を最新で書いている時に1話と2話が交ざっていたようで、2話で時系列が進んでいるにもかかわらず、1話の内容を今更日記で触れるのはおかしい為です。

なので、整合性をとる為に削除に至った次第です。
混乱を招くような内容ではないと思いますが、申し訳ありませんでした。


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1#04

  *  *  *

 

「せんぱい、今日はありがとうございました」

「おう」

 心地よい静寂の時間に身を委ねてしまっていたわたしは、いつのまにやら眠りに落ちてしまっていたらしい。

 最終下校時刻を知らせるチャイムで目を覚ましたのだが、自分の視界がやや斜めになっていたことに気づいたわたしが状況を確認すると、せんぱいと目が合った。その距離に、お互いに頬を赤く染める。

 せんぱいは何も言わずにわたしの目が覚めるまで肩を貸してくれていたようで、そんな優しいせんぱいにわたしはセクハラだの変態だの理不尽な罵倒を浴びせていた。「俺なんも悪くないよね? ないよね?」とひたすら呪詛のように呟いていたけど、無視しました。せんぱい、ごめんなさい。恥ずかしかったんです。でも、乙女の寝顔を見たせんぱいも悪いんですよ?

 ……よくよく考えたら、見てないどころか見る度胸すらないかもしれない。やっぱりごめんなさい。

 校門に向かう途中、珍しくせんぱいのほうから「送ってく」と申し出てくれたので、送ってもらうことにした。

 駐輪場へ自転車をとりに向かったせんぱいを校門に寄りかかりながら待っていると、自転車を押してこちらに向かってくるせんぱいの姿が見えた。何も言わずに伸ばされたせんぱいの手にわたしは鞄を預けると、それをすんなりと自転車の籠に入れてくれる。

「んじゃ行くか」

「はーい」

 いつもなら「乗せてください!」などと図々しいお願いをし、それを拒否するせんぱいと何度か押し問答を繰り返すのだが、今日のわたしはどうにもそんな気分にはならなかった。

 歩く速度は心なしかまだ重く、普段と比較してだいぶ遅いはずなのに、それでも自然に歩調を合わせてくれるせんぱいはわたしなんかよりもよっぽどあざといなーだとか、野暮ったいことを聞いてこないあたり空気も読めるので、腐った目が全てを台無しにしてるんだろうなーだとか、失礼極まりないことを考えながらせんぱいの隣をとてとてと歩き、駅へ向かう。

「……お前、よっぽど疲れてたんだな」

「そんなに寝ちゃってました?」

「まぁ、結構」

「あはは、すいません」

「無理だけはするなよ」

 そう言いながらわたしの頭にぽん、と手が乗せられる。わたしは、突然の出来事に驚き、目を見開いて固まってしまった。

「あ、ああ悪い。つい小町の時の癖で」

 そんなわたしに気づいて自分が何をしたのか理解したようで、わたしの頭に乗せた手を離し、取り繕うようにそう言った。

「…………」

「……す、すまん」

 恥ずかしさで顔を隠すように俯いてしまう。お互いに顔を赤らめてしまったことは想像に難しくない。

 名残惜しさと寂寥感を感じながらも、振り払うようにわたしも取り繕う。

「……セクハラですよ、せんぱい」

「……返す言葉もない」

 じとっとした表情を貼り付けてそう告げると、項垂れてしまったせんぱいが可哀想になってきたのでぼそりと聞こえるように呟く。

「……まぁ、嫌ではなかったので許してあげます」

「そ、そうか……。なら、そうしてくれると、助かる……」

 それっきり訪れるただの気まずい沈黙にお互いに何も言えず、ただ静かに再び歩き始めた。顔に残る熱の余韻は、歩き始めてもしばらくは消えなかった。

 だんだんと、様々なネオンの光が明るさを増していく。雑踏音が少しずつ大きくなる。それはこの時間がもうすぐ終わるということを意味する。

 そして、駅の入り口が見えてくると同時に心の中にざわつきを感じる。わたしの心がどんどん寂寥感に支配されていく。

 わたしは隣に気づかれないよう胸に手を当て、一度大きく息を吸い込み、吐き出した。感じる寂寥感は振り払い、吐き捨てるように重い口を開く。

「ここまででいいですよー。ありがとうございました!」

 ぺこりと頭を下げ、挨拶を交わして改札口に向かう。振り返り、小さく手を振るとそれに応えてくれる。そんな姿を見て、捨てたはずの寂寥感が再びわたしを支配していく。ただ、わたしにはそれをどうすることもできない。

 もう一度だけ気づかれないように振り返ると、わたしを見送り続ける変わらない姿があった。

 きっと、わたしが見えなくなるまで見ていてくれるのだろう。以前、デートに連れ出した時のように。あの時と同じで、きっと、見ていてくれる。見守り続けてくれる。

 電車の到着時刻を確認しようと電光掲示板を見れば、もうじき来るようだ。

 やがて、数分後に電車の到着を知らせるアナウンスが聞こえてくる。その電車に乗り込んでしまえば、もう大丈夫だろう。

 

 それでも、わずかばかり残ったままの寂寥感を鎮めるために、触れられた場所に手を伸ばし、感触を思い出すように、今度は自分の手を乗せた。

 

  *  *  *

 

「は?」

 ――思わず素の声が出てしまった。

 学校に登校したわたしは朝のホームルーム前、同じクラスの女生徒に声をかけられた。ただの業務連絡か生徒会絡みかと思っていたがそうではなかった。

 どうやら、昨日のことを総武高校の生徒の何人かに見られていたようだ。

「え? 違うの?」

「や、そんな関係じゃないし」

「あれ? や、でもー……」

「どういうことー?」

 話を詳しく聞いてみると、わたしとせんぱいが付き合っていると解釈されたらしく、最悪なことに、放課後二人で一緒に寄り添っていただの、下校時は手を繋いでデートしていただの、完全に尾ひれまでついてしまっていた。

 特に、二年の学年では、既に手遅れなほど広まってしまっているようだった。おかげで、様々な女生徒から似たような話ばかりを持ちかけられる。

 ある生徒は興味本位で、ある生徒は底意地悪そうな笑みを浮かべながら、不快になる視線をちらちらとこちらに向けていたのはそれが原因だった。どちらにせよ、非常にまずい事態だ。

 一年はまだいい、だが三年に広まっているとするなら最悪の事態だ。特に、結衣先輩あたりはもう既に耳にしているかもしれない。そうなると、間違いなくせんぱいの耳にも入ってしまう。その結果導き出されるものは、わたしにとっては絶望でしかない。

「なるほどー、そういうことかー」

「ほんとに違うの?」

「だから違うってばー。あれは生徒会の相談、聞いてもらってただけだよー」

「そっかぁ」

 動揺を悟られないようにいつもの作り声で答えると、興味なさげな返事をしてその女生徒は自分の席に戻っていった。そこまで悪意はなかったらしい。

 それから間もなくしてホームルームが始まり、担任の先生から業務連絡をひととおり告げられた後、一時限目の授業が始まった。

 すると、授業中にもかかわらず、想定どおりの視線がちらちらと送られてきて。

 

 わたしはそれを無視して、逃げるように開いた教科書とノートに目を落とした――。

 

 

 

 

 




投稿が色々あって日付変わってしまい
遅くなりました、申し訳ありません。

それと後書きではないのですが
アニメ9話のいろはのマフラーの巻き方、8話までと違って
八幡と同じ巻き方になっているんですよね。

最近知った事なのですが、気づいた方結構いらっしゃるのでしょうかね?
放送当時は知りませんでした。

※行間とか色々今の雰囲気に近づけました。


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1#05

若干、不快になりそうな文章がありますので一応注意喚起をば。


  *  *  *

 

 放課後になっても、まとわりつくような視線は消えることはなかった。それどころか事態はさらに悪化を辿る一方だった。どこ吹く風のわたしがお気に召さないようで、明確な悪意を込めて、ひそひそと、そしてわざと聞こえるような声量でそれをわたしにぶつけてくる。

「まさか、ねぇ……」

「趣味悪いよねぇ……」

「というかあの子って葉山先輩狙いじゃないの?」

「何股かけるつもりなんだろうね、最低」

「男なら誰でもいいんじゃないのー?」

「というかよりにもよってアレとか……さすがに、ねぇ?」

 以前に、どこからか流れてきた“二年の最悪な先輩”の噂があった。当時はへー程度で済ませてしまうくらい微塵も興味がなかったのだが、奉仕部と関わりができていくうちに城廻先輩からそれとない話を聞かされたことがある。

 具体的に何があったのかは詳しく聞かされなかったが、城廻先輩は奉仕部の人間が文化祭実行委員にいたということと、文化祭実行委員同士がいろいろあってちょっとだけ揉めちゃった、と濁した言い方だった。

 気遣ったように「あの時は大変だったんだよー」と言う城廻先輩の言い方から察するに、きっと何かどうしようもない確執があったのだと思う。城廻先輩ですらこう濁すのだから、奉仕部で聞いたところで教えてくれるはずもない。平塚先生に聞いたとしても結果は変わらないだろう。

 その噂は、去年の文化祭が終了した直後あたりに耳にした気がする。当時一年だったわたしの耳にも入ったくらいなので、二年生の人たちはほぼ全員がその噂を知っていたのだろう。

 だが、人の噂も七十五日、という言葉があるように今となってはもうほとんどの人の記憶から消えかけていると思う。実際、ここ最近は耳にすることはなかった。

 あの時と違い、今はせんぱいと関わりができている。奉仕部の二人と比べれば少ない時間ではあるが、わたしなりに見てきたつもりだ。だからこそ、その噂の張本人がせんぱいだと不思議と納得できてしまう。やり方はどうあれ、誰よりも優しい人だから、それによって誰かを救ったのだと思う。

 そして、わたしの今置かれている立場と状況はその時のせんぱいと同じようなものだ。ただ、どうしようもない確執があるわけでもないし、誰かを救うためだとか、そんな綺麗な理由が背景に隠れているわけでもない。今、この状況の背景にあるのは、わたしが招いた仕方のない理由だけだ。

 そして、主な攻撃対象はわたしなのだと思う。なぜなら、対象の片方は攻撃する必要性が一切ないからだ。あるとしても、去年の噂を口実にして叩いているだけに過ぎないおまけみたいなものだろう。

 普段から隠していた悪意をぶつけるにはまたとないチャンスだろう。悪意をぶつけたい輩と便乗しているだけの輩の比率は前者が五、後者が三くらいだろうか。残りはそもそも敵意どころか興味すらない人間や、男子ばかり。

 つまりは、わたしに明確な敵意を持っている大半は女の子ということだ。わたしだけなら問題はない。こうしたものは以前からとっくに慣れている。取り繕ったところで、隙があれば再び牙を剥くだけに過ぎない。だからこそ、対処は心得ているつもりだ。

 でも、今回は違う。

 ――その悪意によって大切なものが傷ついてしまう、だからわたしは見過ごせない。

 

 生徒会室の鍵を借りるために職員室を訪ねると、中に平塚先生がいたので声をかけ、用件を伝える。

 平塚先生は「今日は休みではなかったのか?」と聞いてきたが、濁すように「ちょっとありましてー……」と返す。すると、何かを察してくれたのか「まぁ、頑張りたまえ」と一言だけ告げて鍵を渡してくれた。やっぱりいい人だなー……なんでこの人結婚できないんだろうなー……。

 今日は何もなければサッカー部にそろそろ顔を出そうかなー、などと考えていたのだが想定より悪化の速度が速い。ツイッターなんかで拡散されていてもおかしくはない速度だ。

 つまり、わたしの学年だけでここまで悪化しているということは、既に別の学年でも噂を知っている可能性が非常に高い。だからこそ、これを利用しよう。以前にもそうした噂が流れた時に、間違いなく心を痛めているはずだ。そして、事実確認をしたいとも思っているはずだ。

 ――行動は早いほうがいい。

 以前、奉仕部に依頼した時に連絡先を交換しておいたことが役に立つ時が来た。

 生徒会室の鍵を開け、椅子に腰掛ける。そして、ポケットから携帯を取り出して慣れた手つきで文字を入力する。女子高生らしくもない簡易な挨拶と用件のみで、顔文字や絵文字、デコレーションは一切しない。これは遠まわしにただごとではない、急いでいるという意味を含めるためだ。

 わたしは一度、大きく息を吸い込み、吐き出した。そして、震えそうになる手で送信のボタンを押した。

 これでもう、元には戻れそうにない――必ず来てくれる、そう確信していた。

 携帯をしまうことなく机に置いて眺めていると、メールを受信したという通知が画面に表示されたので、内容を確認する。

『わかった』

 わたしは返信をせずに携帯をポケットにしまい、視線を窓の外に移して景色を眺めていると、扉をノックする音が響いた。

「どーぞー」

 

 そして開かれた扉から現れたのは、明るい髪色をしたお団子ヘアの、よく知る人物だった――。

 

 

 

 

 




区切りの関係上
どうしても短い話の部分がでてきてしまうんですよね。
そこはご了承願います。

今更ですが、一章を5~7話程に収める為に
3話はあの長さになってしまいました。
残り2~3話程度にて第二章となります。
先日遅れた分のお詫びって訳ではないですが早めに翌日分、後に投稿しておきます。

※行間とか色々今の雰囲気に近づけました。


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1#06

  *  *  *

 

「やっはろー、いろはちゃん」

「こんにちはー、結衣先輩」

 結衣先輩はわたしの想定したとおり、影のある表情と声をしている。恐らく、噂については既に知っているのだろう。

「……それで、話ってなに?」

「えっと、わたしとせんぱいの、その……噂。……知ってますか?」

「……うん、聞いた」

「……ですよね」

 沈痛な面持ちで、今にも泣き出しそうな結衣先輩が震える声で答える。それもそうだ、確定できる材料が揃いすぎている。

 昨日のわたしの様子とせんぱいだけを連れ出したこと、その後わたしとせんぱいが何をしていたのか、何を話していたかは結衣先輩は知らない。もちろん、雪ノ下先輩も、小町ちゃんも、知らない。その翌日に謀ったようなタイミングでこんな噂が流れれば、何かあったのだと邪推してしまうだろう。

「……ヒッキーと、付き合ってるんだよね?」

「……付き合ってないですよ」

「……えっ、違うんだ?」

「わたしとせんぱいが昨日一緒に話をしてる時とか、送ってもらった時に誰かに見られてたみたいで。それに尾ひれがくっついてこんな状態になっちゃったっぽいです」

「あ、なるほど」

 わたしが昨日の出来事を簡潔に説明し、噂を否定すると結衣先輩の表情と声に少しばかり安堵の色が戻ったようだ。

 ただ、未だに影がある表情のまま変わらないのは、去年の噂のこともあったせいだろうか。それとも別の懸念している何かがあるからだろうか。

 考えたところで仕方がないので、申し訳ないが強引に進めさせてもらおう。

「……で、ここからが本題なんですが」

「本題?」

「結衣先輩はせんぱいのこと、好きなんですよね?」

「……っ! え、えっと……」

「ここにはわたししかいませんし、誰かに言ったりとか、そういうこともしません」

「…………」

「……それに、普通にバレバレですって」

「そ、そんなにかな?」

「はい」

「……あはは、うん、好きだよ、ヒッキーの、こと……」

 同じ内容の質問を雪ノ下先輩にしたところで、素直に答えてくれるとは思わない。それどころか「……一色さん、ろくでもないことを考えているでしょう? やめなさい」などと、一蹴されるのは想像に難しくない。

 だからこそ、結衣先輩だけを呼び出した。悪く言えば、利用した。結衣先輩でなくてはならない理由が他にもある。雪ノ下先輩も同様なのか、聞かなくてはならない。

 確証が持てないからこそ、知りたかった。誰よりも雪ノ下先輩の近くで見てきた結衣先輩にしか気づけない変化がきっとある。

 ――さて、ここまでは予定どおり。ここからは確認した後、わたしは最高に最低な依頼をするだけだ。

 だが、わたしが想定していた流れとここから違っていた。

「……でもね」

 消え入るような声で結衣先輩が呟いた。その刹那、結衣先輩の瞳に大きな滴が浮かぶ。

「……振られちゃった、かな。あたしは、だけど」

 そして、つつりと頬を伝った後――滴はぽとりと床に落ちた。

「……は? え、ちょ、は?」

 思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。まずいまずいまずいまずい――この展開はまったく予想していなかった。頭が真っ白になる。

「え、えっと、その、どういうことですか?」

「……いろはちゃんだから言うけど、入試で学校が休みになった日、あったでしょ? や、バレンタインって言ったほうが、いいのかな?」

「あ、ああ、は、はい」

「……その日にね、ヒッキーと、ゆきのんと、一緒に出かけたの」

 予想外の出来事にうろたえるだけのわたしをよそに、ぽつりぽつりと言葉を繋ぐように、何かが堰を切ったように、大粒の涙をぽろぽろと零しながら結衣先輩は語り始めた――。

 

  *  *  *

 

 受験生には最悪の環境とも言える雪が降った入試の日、且つバレンタインデーでもある日に結衣先輩の提案で奉仕部の三人で出掛けたそうなのだが、それは奉仕部にとって大きな変革をもたらした。

 何一つ具体的なことを言わずに避けてきたことであり、踏み出すべきで向き合わなくてはいけない問題なのだと――だからこそ、これを最後にして、進まなくてはいけないのだと。

 何度もちゃんと考えて、苦しんで、あがいた。それでも、欲しいものを手にするために結衣先輩は、選んだ。二度と問い直すことすらできないかもしれない、そのことを理解した上で手を伸ばした。

 そんな悲壮な覚悟をその瞳の奥に秘めて、その停滞してしまった関係を壊すために、自身が犠牲になるかもしれない茨の道を選んだ。

 

 ――誰かのために、誰かを救うために、結衣先輩も。

 

 先日、気づかないふりをした違和感の正体は、その出来事がきっかけなのだろう。わたしには見ることすらできない、あの陽だまりのような空間に起きた小さな揺らめき。

 その揺らめきがきちんと形を作り、判然とする時、きっと違和感はなくなるのだろう。ただ、そうなる前に、どこか不調が生じていたからこそ、違和感を覚えたのだ。

 せき止めることができない感情の奔流は、その証明だ。相当一人で抱えていたのだろう。何も知らない部外者のわたしにここまで話してくれるのだ。

 ――なら、そういった状況下でなければ本来、聞かせたくない話にほかならない。つまりは、そういうことなのだと思う。

 その事実に胸が痛むが、それでも話してくれたことに嬉しくもなる。

「あたし、わかるの。……ちゃんとした答え、まだ聞いてないけど、わかっちゃうんだ……」

「結衣先輩……」

「あたし、ずるいんだ。今もずるいんだ。全部欲しいから……待ってるの。ちょっとでも可能性が残ってるなら、って……」

「…………」

「そんなものなんてないって、わかってるのに、全部、欲しいの。諦めらんないの。ゆきのんはわかんないけど、あたしはバカだから。そうするしか……、あたしには、できないから……」

 結衣先輩は泣きじゃくりながら、途切れ途切れに、懺悔するように、まとまらない言葉でも、必死にわたしに伝えようと吐露していた。それは一度見た光景のはずなのに、何度見ても目が離せないくらい酷く綺麗だった。

 

 わたしは本来の目的も忘れ、手にしたハンカチで涙を拭ってあげることもできずに、様々なものが綯い交ぜになった瞳で呆然と結衣先輩の姿を見つめていることしかできなかった――。

 

 

 

 

 




評価・感想をくれた方ありがとうございます。
この場にて、お礼申し上げます。

また、自己満足の作品ではございますが
お付き合い頂いている事、重ね重ねお礼申し上げます。

※行間とか色々今の雰囲気に近づけました。


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1#07

  *  *  *

 

 いい噂と悪い噂――主な噂の種類は、主にこの二つだろう。細かいことを言うのなら、そこから細分化されるがそこは省略させて頂く。

 他人の不幸は蜜の味、という言葉があるように、不幸でないものは興味が削がれるのは早い。だからこそ、いい噂というものは風化が早いとわたしは思う。

 それとは逆に悪い噂というのは非常に厄介で、誰かが不幸な目に遭ったりする分、興味が削がれるのがいい噂に比べて非常に遅い。そして、噂の対象に抱く感情が、嫌悪や憎悪とまではいかなくともそれに近い感情――それが強ければ強くなるほど、遅さを増す。そしてそれは同種の感情を抱く人数が多ければ多いほど、規模も増していく。

 そんな悪い噂を風化させるには方法はわたしなりの方法だが、いくつか思いつく。

 ――まずは一つ目、放置すること。これは正攻法だ。

 こちらが反応を示せば示すほど、興味を増して、脚色して、さらに悪化していく。こういった時の団結力は恐ろしいもので、悪意は様々なものを巻き込んで増幅していく。しまいには興味すらなかった人間にも伝染し、悪意の輪は広がっていくものだ。

 だからこそ、何の反応も示さず普段どおりいれば済む話なのだが、わたしは敵を作りすぎた。よって、この方法は意味がないので却下である。

 

 ――そして二つ目、上書きをすること。

 つまり、噂自体を書き換えてしまうということ。たとえるなら、葉山先輩が誰かと付き合うことが一番強烈で、大衆の興味を引けるはずだ。そうすればわたしやせんぱいのことなどどこ吹く風、一瞬で消え去るだろう。

 しかし、これは事実上無理である。だからこそ、別の方法を用意するしかないので却下。

 ここまで考えて、何も浮かばなくなってしまった。うーん、詰んだかもしれない。もういっそ開き直って今よりもっとべたべたまとわりついちゃおっかなー、などとお気楽なことを考える。

 頭に浮かんでしまった一つの結論から逃げるように、覚悟する時間を稼ぐために。

 

 ――仕方ない、よね。

 

  *  *  *

 

「ごめんね、いっぱい泣いちゃって」

「いえいえ、気にしないでください。無理もないですよー」

 最終下校時刻を告げるチャイムまで、あと数十分を切った。結局結衣先輩が泣き止むまで目的を忘れていたが、切り出さなくてはいけない。これは甘えすぎてしまったわたし自身の罰だ、背負わなくてはいけない。

「あはは。あ、そうだいろはちゃん。話ってそれだけ?」

「あ、いえ。……えっと、もうひとつあって」

「うん?」

「結衣先輩個人だけに、依頼があるというか……」

「あたしに? なになに?」

 胸が張り裂けそうになる。あんな綺麗なものを見せてくれた結衣先輩に、こんな依頼はしたくない。覚悟はしたはずだ、それなのにいまさら言うべきか言わざるべきかひたすら逡巡していると、その様子を怪訝に思ったのか結衣先輩が声をかけてくれる。

「いろはちゃん?」

「あ、えっと……」

 言い淀んでいると、結衣先輩の表情はどんどん不安の色を帯びていく。そして――。

「もしかして噂のこと、気にしてる?」

「……っ!」

 どきりと心臓が跳ねた。

「んっと、あたしがヒッキーのこと、好きだって気づいてて、気遣ってくれたの?」

「えっと、それもあるんですけどそれだけじゃなくて……」

「他になんかあるの?」

「…………」

 純粋にわたしを気遣ってくれることが嬉しい。でも、わたしはさっきまでその優しさを裏切ろうとしていた。

 ――わたしが授業を放棄してまで辿り着いた結論は一つ。それは奉仕部、そしてせんぱいとさよならすることだった。

 フェアじゃないから、という理由で結衣先輩を呼び出した後、雪ノ下先輩の本音を探る。そして「わたしも、せんぱいが好きです」と宣言した後、雪ノ下先輩と結衣先輩の前で、せんぱいに告白する。きっとせんぱいは、様々な理由をつけてわたしの告白を断るはずだろう。

 わたしの告白がきっかけで、せんぱいたちの関係性が進展したとしたら、わたしは役目を果たしたと言えよう。そうして、わたしが奉仕部に近づく理由はこれで消滅する。

 噂が風化するまでは時間はかかるかもしれないが、わたしは告白したけど振られちゃったー、とでも言えば済む話だ。それなら、せんぱいが噂について責任を感じるのは、わたしを振った、という事実だけになる。

 そうしたら、『生徒会長としての一色いろは』を精一杯貫いて、少しでももう一つの責任を清算しよう。『わたしはせんぱいに振られたことなんて、気にしてませんよ』と遠まわしに伝えられるように。

 そこまでが、わたしの算段だった。傷つくのはわたしだけでいいんだ、その予定だった。

 

 ――でも、あんなの見せられたら心動いちゃいますってば。

 

「……んー、ちょっと待ってて。ゆきのんに先帰っててって言ってくるから!」

「え?」

「言いづらいことなんでしょ? いろはちゃんが言えるまで、あたし付き合うから!」

「あっ……」

 わたしが揺らいだ決意を振り切れないでいると、結衣先輩はわたしにそう伝えた後、ぱたぱたと出て行ってしまった。

「はー……」

 情けない。あれほど覚悟していたはずなのに、あと一歩が踏み出せなかった。結衣先輩がわたしに付き合ってくれたとしても、結局言い出せないまま終わるのだろう。もし言えていたのなら、今頃わたしはせんぱいに告白して振られているあたりなのだ。

 さっきはできなかったことが時間を置いたらできた、なんてものはない。そんなもの、明日頑張ればいいやと言っているようなものだ。できるようになるのは、できるようになるまで続けた者だけだ。

 どうしたものか。結論は出ないまま、近づいてくる足音が聞こえる。

 ――ひとつ。

 ――もうひとつ。

 やがて足音は聞こえなくなり、その直後、再び扉をノックする音に「どーぞー」と返すわたしの声、そして開かれた扉――そこに現れた人物は、やっぱり二人だった。

 一人は少し前に出て行った明るい髪色をしたお団子ヘアの女の子と、その後ろにいつもの腐った目をした猫背の、わたしもよく知る人物が立っていた。

 

  *  *  *

 

「よう」

「なんで……。結衣先輩、どうして……」

「勝手なことしてごめんね。でもいろはちゃん、思いつめた顔してたから。……あたしじゃ、力になれそうになかったから」

 ぶっきらぼうな挨拶の後に、動揺しているわたしに結衣先輩が連れてきた理由を話してくれる。

「なんか俺歓迎されてないみたいだから、帰っていいか?」

「……ヒッキー、怒るよ?」

「ごめんなさい」

 目の前でいつものやりとりが繰り広げられる。きっと、結衣先輩は無理して連れてきてくれたのだろう。一番、話すのがつらい人のはずなのに、わたしのために。

「じゃあ、あたしはゆきのんと先に帰るから! よろしくね、ヒッキー!」

「え、ちょ……」

「おい」

「ばいばい!」

 そう告げて結衣先輩は、ぱたぱたと逃げるように走り去ってしまった。自分の好きな人が、女の子と二人きりなんて、一番嫌な状況のはずなのに。

 これから結衣先輩には頭が上がらない、本当に優しい人だと実感する。そして、ずるい人。

「……はぁ。一色も由比ヶ浜も、どうしたんだ?」

 困惑した表情を浮かべてせんぱいが尋ねてくる。結衣先輩はまだ目赤かったし、腫れてたし、何かあったと思うのは不思議ではない。

 今ここで段階をすっ飛ばして予定どおり告白してしまっても、結果は同じになるだろう。

 でも、結衣先輩がこの人を連れてきたのは、そんな結果を望んで連れてきたわけじゃない。自身の恋心に蓋をして、いつものように奉仕部として、わたしを救うために連れてきたのだろう。

 あんなものを見せられてしまったからこそ、いかに自身の覚悟がちっぽけか思い知らされた。泣きじゃくる結衣先輩にわたしは何もできなかった、嘘をつけなくなってしまった。それがわたしと結衣先輩の想いの差なのだと痛感する。

 一方的に“偽物”を突きつけておいて、フェアじゃないからだなんて、おこがましいにもほどがある。そして、もう退路は断たれてしまったからこそ、素直に。

「……せんぱい」

「あ?」

「……知ってますよね、わたしとの……噂」

「ああ、知ってる。朝っぱらから刺さる視線がうざかったわ」

「……すいません」

「お前が悪いわけじゃねぇだろ」

「でも、迷惑、でした、よね……」

「……一色?」

 自然と涙が滲んでくる。一度吐露してしまえば、後は決壊するだけだ。

「わたし、せんぱいに迷惑かけたから、避けられるんじゃないか、って。だから、自分でなんとかしなきゃ、って。……いっぱい考えて、でも、なんもできなくて……」

「お、おい……」

「せんぱいになんもできないままじゃだめだ、って。だから、がんばんないと、って。でも、なんもできなかったから、さよならしないと、って……」

「……何言ってんだ、お前」

「でも、でも、わたし……」

「落ち着けって。な?」

「せ、せんぱい……」

「なんだ」

「わ、わたし……、つらいです……。でも、なんもできないんです……」

「なら、なんもしなくていんじゃねぇの」

「でも、なんもしなかったら、せんぱいが、いなくなっちゃう、から……」

「あのな……」

 泣きじゃくりながら、支離滅裂なことを口走るわたしの頭にぽん、と手が置かれる。

 ――そういうことするから、せんぱいはあざといんですよ。

「前まではわからんが、その、なんだ、今はお前も奉仕部の一員みたいなもんだろ。それに、俺だけじゃなくて、雪ノ下も由比ヶ浜もそう思ってると思うぞ」

「……せん……ぱい……」

「それに、お前が頑張ってんのは俺がよく知ってる」

 こんな状態で、こんなことされて、そんなこと言われたら、もっともっと甘えたくなっちゃうじゃないですか。

 ――ばか。

 そのまま、わたしは抱きついてせんぱいの胸で泣き続けた。それでも、何も言わずにせんぱいはわたしが落ち着くまで、頭を撫で続けてくれた。

 

  *  *  *

 

「落ち着いたか?」

「……はい。すいませんでした……」

「気にするな。ところで、さっき言ってたさよならって、どういう意味だ?」

「う……」

 どう答えたらいいものか、頭の中で言葉を探す。そうして、ひとつずつ繋いでいく。

「えっと、せんぱいが……わたしを避けるようになるんじゃないか、って思ったんです」

「……否定はしない」

「だからわたしが……」

「だが、それは去年までの俺だったらの話だ」

 わたしが言い切る前に、せんぱいは遮るように言葉を重ねた。

「え?」

「さっきも言ったが、お前もその、そういうことだから。……それに、俺がそういうことしたら傷つくやつらもいんだよ」

「…………」

「……去年みたいな思いはもうしたくないからな。俺も、あいつらも」

 恐らく、わたしが初めて奉仕部に依頼した時のことを言っているのだと思う。やたらとギスギスした雰囲気だったことは覚えている。

「……もしかして、去年の文化祭の時のことも関係ありますか?」

「……知ってたのか」

「まぁ、小耳に挟んだくらいですけど……。でも、そんなバカなことするのってせんぱいしかいないじゃないですか」

「ほっとけ。……いろいろあったんだよ」

「そうですか」

 くすっとわたしが笑うと、せんぱいは頭をがしがしと掻きながら続ける。

「まぁ、その、なんだ。……方法は考えてやる。だから、お前はいつもみたいに俺を扱き使えばいんだよ」

「……はい」

「ほんで? 依頼内容はなんだ?」

「……わたしを助けてください、せんぱい」

「ん、なんとかしてやる」

 

 

 

 

 




第一章、終わりです。

大体の流れは出来ていますが書き溜める前なので
ある程度書き溜めた後、ぼちぼち投稿を始めるつもりです。

一通り第一章まで書きましたが
正直、区切りがガタガタだった点は否めません。

努力いたしますので、完結までお付き合い頂けると嬉しい限りでございます。

※行間とか色々今の雰囲気に近づけました。


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第二章:そうして、彼女は間違いを問い直し、問い続ける。
2#01


  *  *  *

 

『ん、なんとかしてやる』

 あの後、少しばかり話をして、いつ、誰が、どこで見ているかわからない上に、何かあった時に連絡がとれないのは困るということで、せんぱいと連絡先を交換することにした。

 これはわたしにとって嬉しい誤算ではあるが、今は進展は期待できないことが悔やまれる。まずは噂をなんとかしないといけない。

 生徒会室を出る直前、せんぱいに明日の予定の有無を聞かれた。おそらく、詳細を詰めたいということなのだろう。

 鞄から手帳を引っ張り出して予定を確認すると空白、つまりは大丈夫なのでそれを伝え、別々に帰路につく。時間と場所はのちほどメールで教えるとのことだった。

 職員室に残っていた先生に生徒会室の鍵を渡した後、そのまま学校を出て駅までの道のりを一人歩いていると、やけに長く感じる距離に寂寥感を覚える。せんぱいが隣にいないからだろうか。

 ……もしかしたら、せんぱいの後をついていくことすらできなくなってしまうのではないだろうか、などと考えてしまう。どうやらわたしは思っていたより傷ついていたらしい。それとも思いっきり泣いたからなのか、または甘えてしまったからだろうか。

 結論が出ないまま、駅に辿り着き、電車に乗り込む。

 そしてモノレールに乗り換え、降りたあたりでポケットの中で携帯が震えた。確認するとメールを受信したという通知があり、送信者はさっき連絡先を交換したばかりのせんぱいからだった。

『明日10時に千葉駅で』

 イメージどおり過ぎる簡易な用件だけの本文に思わず笑ってしまう。わたしは『わかりました』と打ち込んだメールを返信し、再び歩き出した。

 帰路の途中、暗がりの中ぽつぽつと周りを照らす街灯の明かりは、まるでわたしの心の中に存在するかすかな希望を映したような印象を受けた。

 

  *  *  *

 

 翌日の土曜日。

 千葉駅に着いたので辺りを見回してみたものの、見知った顔はいなかった。携帯を取り出し時刻を確認すると、予定より少し早く着いてしまったようだ。

「あのー」

 どうしたものか考えていると、横から声をかけられたのでそちらへ視線を移す。すると、そこには一昨日奉仕部の部室で見かけた女の子が立っていた。

「一色いろはさん、ですね?」

「え、あ、はい、そうですけど……」

「兄がいつもお世話になっております、妹の小町です! 一度奉仕部でお会いしてますよね?」

 なんで妹さんがと不思議に思いつつも、目先の言葉にこくりと頷く。

「うん、いまさらになっちゃうけど、一色いろはです。それで、えっと……小町ちゃんって呼べばいいのかな? よろしくねっ!」

「こちらこそです! 兄から事情は聞いてるので迎えに来ました!」

 ……なるほど。理由を聞いて疑問が結論へと昇華した。

 わたしと二人きり、つまりデートだと勘違いされないように、わたしの迎えを小町ちゃんにお願いしたのだろう。

「あ、でもわたし、どこ行くか聞いてないんだけど……」

「とりあえず、ついてきてもらっていいですかー?」

「りょーかいでーす」

 とりあえず、今はついていくしか選択肢はなさそうだ。

 

 ――そうして、案内されるがままついていくこと約二十分。

 千葉駅から総武線に揺られた後に到着した幕張駅から、少し歩いたくらいのところにある見知らぬ一軒家の前。そこまで来た時、小町ちゃんがふと足を止めた。

 ……え、ここって、も、もももしかしてせんぱいのおうち?

「小町ちゃん、もしかして……」

「ささ、どぞどぞ!」

 こちらの声を無視して小町ちゃんは早く早くというそぶりを見せてくる。強引なあたり、やっぱりわたしと似ているかもしれない。

 立ち往生してても仕方がないので覚悟しつつ。

「お、お邪魔しまーす……」

 中に入ると、リビングで寝巻きのままだらけきっているせんぱいの姿。

「よお」

 そして、わたしに気づくとその体勢のまま軽く手を上げ、声をかけてきた。

「せんぱい、どういうことですか? いきなり自宅デートとか下心ありすぎてキモいです」

「ばっかちげぇよ。……いきなりだったのは謝るが、説明くらいさせてくれ」

「……で、なんですか?」

「まず話をしようにも長くなるからメールは面倒だ。電話は金がかかりすぎる」

「はぁ、確かにそうですけど……」

「前提として俺が一緒にいる時点でアウトだ。だから外だとまた誰かに見られる可能性が高いから駄目だ。一色の家に行くわけにも行かないし、かといって俺が迎えに行く訳にもいかない。つまり消去法でこうなったわけだ」

 やっぱり、わたしの想像どおりだった。

「まぁ、小町ちゃんが迎えに来た時点でなんとなくわかってましたけどねー」

「じゃあなんでキモいって言う必要あったんだよ……」

「それよりお兄ちゃん、せめて着替えてきてよ」

「あ? 話をするだけだから別にいいだろ」

「ほんとこのゴミいちゃんは……。いいから早く着替えてきて」

「……へいへい。悪い一色、ちょっと着替えてくるわ」

「あ、おかまいなくー」

 せんぱいが着替えるために二階へ上がっていった直後、小町ちゃんの目がキラリと光った。

「で? で? いろはさんはお兄ちゃんとはどういった関係で?」

「えっ、どういった、と言われても……?」

「そうじゃなくてほら! いろいろあるじゃないですかー!」

「う、うーん……」

 何この子、豹変っぷりが怖い……。

 返答に困っていると、階段を下りる音が聞こえてせんぱいが戻ってくる。せんぱいの私服、すごいラフだなー。

「おい、小町。そういう話は後だ」

「ちぇっ。じゃあ小町、自分の部屋に戻ってるねー」

「待て、お前も協力しろ」

「ほぇ?」

 小町ちゃんは察したのかてててっと戻ろうとしたが、せんぱいがそれを引き止める。

「事情は昨日ある程度話したろ」

「そうだけど小町、役に立てるかわかんないよ?」

「俺がろくでもないこと言い出したら止めてくれ」

「あー、そういうこと……。っていうか小町気になってたんだけど、雪乃さんと結衣さんに内緒なのはなんで?」

「……これは奉仕部への正式な依頼じゃねえ。俺への個人的な依頼だからだ」

「……ま、そういうことにしといたげる」

「……どうにもならなくなったらあいつらにも相談する。一色もそれでいいな?」

「わたしはそれで大丈夫ですよー」

 せんぱいはどこかで自分の責任も感じていて、極力巻き込まないようにしているのだと思う。また、結衣先輩の言っていた出来事もあって、多少の気まずさも感じている部分もあるのだと思う。

 そして、わたしにも気を使って、内緒にしてくれているのだろう。ただ、海浜総合高校との合同クリスマスパーティーの時みたいにならないといいんだけど。

「……んじゃま、始めますかね」

 

 そうして、わたしとせんぱい、小町ちゃんの三人での対策会議が始まった――。

 

 

 

 

 




とりあえず出来た分、投稿だけしておきます。

書き溜め? 知らんな。
つまりはそういう状態なので気長にお待ち頂けると幸いでございます。

※行間とか色々今の雰囲気に近づけました。


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2#02

  *  *  *

 

 作戦会議が始まってから二時間は経っただろうか。時刻は正午を過ぎていた。休憩も兼ねて、一度話した内容を整理するには丁度いいタイミングといえる。

「お昼、どうしましょうか?」

「……そうだな」

 噂の悪化を避けるために、小町ちゃんがわたしを迎えに来たのだから、当然外食という選択肢は除外される。つまり、せんぱいの家で何かを作る、もしくは誰かが買いに行くということになる。

「一色、簡単なものでいいなら俺が……」

「ダメ。お兄ちゃんめんどくさがってろくなもの作らないでしょ」

「うぐっ……」

 せんぱい料理できたんですか? とわたしが聞く前に小町ちゃんからNGが出されていた。

 即座にせんぱいの考えていることを理解できる小町ちゃんが羨ましい……。さすが兄妹、といったところなのかな? これが普通なのかはわかんないけど。

「小町だけならいいけど、今はいろはさんもいるんだよ? ちょっとは考えなよ」

「えっと、わたしは別にそれでもいいよー?」

「ほら小町、一色もこう言ってることだし……」

「小町がそれは許しません」

「……はぁ、じゃあどうすんだよ? 何か買ってくるか?」

「いろはさんは、食べたいものありますか?」

「んー……」

 こういった質問に「なんでもいい」と返すのはちょっとアレかなと思ったので少し考える。

「特にないなら、小町が何か作りますけどそれでもいいですか?」

「あ、うん。わたしはそれでいいよー」

 言い淀んでいると察してくれたのか、小町ちゃんが何か作ると言ってくれた。特に食べたいものが浮かばなかったのは事実なので、お任せすることにしよう。

「ちょっと小町ちゃん? お兄ちゃんを無視しないでほしいんだけど?」

 不満げに呟くせんぱいを無視して、作ってきまーすと小町ちゃんはキッチンへ向かっていく。

「せんぱい、家でもそういう扱いなんですね……」

「まぁ、小町は言い出したら俺が何言っても聞かんからな」

 わたしが同情を込めてそう言うと、せんぱいはいつものことだとばかりに返してきた。

「それより、さっき話した内容を踏まえた上でどうするか考えるぞ」

 その言葉に頷き、昼食ができあがるまで、改めて考えをまとめることにする。

 

  *  *  *

 

 最初にしたことは認識のすり合わせだった。実際に流れている噂と耳にした噂の内容に相違がないかどうかを確認した。

 せんぱいは、葉山先輩に「いろはと付き合っているのか?」と聞かれて、そこで噂と朝から刺さる視線の意味を知ったそうだ。

 葉山先輩自体は、知人と世間話をしている最中に、それとない噂を聞かされたと言っていたらしい。そして、結衣先輩も同様にそこで知ったということが推測できた。

 小町ちゃんは、クラスのトップカーストに属する人間に「生徒会長さんとお兄さん、付き合ってたんだ?」と聞かれて噂を知ったらしい。

 どちらも共通点として、噂について知ったのはトップカーストに属する人間から聞かされた、ということ。

 先日、わたしとせんぱいが一緒にいたことを目撃した人間がトップカーストに属する人間かどうかまではわからなかったが、わたしの学年が一番悪化していることから察するに、他の学年は先輩と後輩という縦の繋がりを通して広がっているだけに過ぎない。

 つまりは、目撃者及び噂を広めた人間が属するのは、わたしの学年にいる可能性が高い。

 そして、各学年のトップカーストを中心に広まっていったことから、噂の拡散速度を上げたのはわたしの学年のトップカーストに属する人間の可能性が高く、少なからずわたしに対して敵意を抱いている可能性があるということ。

 あくまで憶測に過ぎないが、その可能性が大きいことを再認識し、せんぱいと小町ちゃんと認識を共有した。話の途中、せんぱいが「お前、敵作りすぎだろ……」と言いながら苦い顔をしていたので「てへっ」と適当に誤魔化しておいた。それに、せんぱいは人のこと言えないと思います。

 そうして、次に現状維持や放置は効果がないどころか、逆効果の可能性があることを説明した。実際に放置した結果、悪意のあるひそひそ話をされたということと、別の対策もいくつか考えたがどれも現実的ではなかったことも併せて説明しておいた。

 ――ただ、わたしは一つだけ嘘をついた。

 それは、結衣先輩とのことと、その後にわたしが実行する予定だった考え。

 わたしがやろうとしたことは、せんぱいが今まで独りでやってきたことと何も変わらない。それなのに、手を差し伸べてもらったら、手のひらを返して甘えようとしている。

 ちょっとずるいくらいなら、まだ可愛げがあったのになぁ……。おっといけない、そんなことを考えるより今は対策、対策っと……。

 せんぱいは何か浮かんだのだろうか? 気になったのでせんぱいのほうを向くと、何かを手繰り寄せるような――そんな表情をしていたので思わず声をかけてしまった。

「せんぱい、何か引っかかることでもありました?」

「あぁ、いや、そうじゃない。なんだか前提が間違ってる気がしたんでな」

「前提……ですか?」

「まぁ、もう少し考えるから待ってくれ」

「そうですか」

 

 それを聞いて、わたしは再びこれからどうするべきか考える。だが、結局小町ちゃんが昼食を作り終えても具体的な対策は何も浮かんでこなかった――。

 

 

 

 

 




短いですが投稿しておきます。
第一章の某話数みたく地の文が長かったりするとああなってしまうので
地の文が多いときは全体的に短めにしてみようと思ったのですが、どうでしょうか。

章をわける以上このほうが読みやすいですかね?
他にも地の文が読みづらいだとか区切りが読みづらいとかあれば改善します。

※行間とか色々今の雰囲気に近づけました。


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2#03

  *  *  *

 

「ふー……ごちそうさまでしたっ! おいしかったよー」

「ごちそうさん」

「お粗末様でした! お口にあっていたようでなによりですっ!」

 雑談を交えながら昼食をとり終える頃には、時刻は午後一時半を過ぎたあたりになっていた。因みに昼食はオムライスだった。

 小町ちゃん料理上手だなぁ……わたしももっと料理も頑張ってみようかなぁ……なんて考えながら、小町ちゃんが皿洗いを終えるまで近くのソファで雑談をしながら待つことにする。

「そういえば、前も似たような噂が流れた時ありましたねー」

「あぁ、葉山と雪ノ下の噂の時か」

「そうですそうです。……あの時の雪ノ下先輩超怖かったです」

「お前が踏む必要のない地雷を踏みに行くからだ。お前が悪い」

「そうですけどー。あ、そういえば三浦先輩の依頼って結局解決したんですか?」

「……まぁ、納得はしてくれたみたいだが」

「へー」

 せんぱいが「お前なぁ……」って顔してるけど気にしないことにしよう。

「まぁ、結局せんぱいがなんとかしたんだろうなー、ってのは、わかってましたけどー」

「いや、俺はなんもしてねぇよ」

「じゃあなんであんなにぼろぼろになってたんですかー?」

「……見てたのかよ」

「はい、ばっちりと」

「さいですか……」

 わたしが一年の時のマラソン大会の際に、わたしは表彰台の上からせんぱいの姿を遠巻きに見ていた。足を引き摺り、ぼろぼろになりながらも消えていくような姿はやけに記憶に残っている。

「あんまり無茶しちゃだめですよ、せんぱい」

「わかってるよ」

「……わたしも、心配しますからね」

 ぼそっと呟いた声は、食器を洗う水音にかき消えた。何か言ったか? とせんぱいに視線で聞かれたが、わたしは首を横に振った。

「お待たせしましたー!」

 食器を洗い終えた小町ちゃんがぱたぱたと戻ってくる。それは会議の再開を示す合図なのだが、わたしの頭には相変わらず何も浮かんでいなかった。

 

  *  *  *

 

「そういえば、さっき聞こえちゃったんだけど、葉山先輩と雪乃さん、なんかあったの?」

 小町ちゃんが会議を再開して間もなく、そう尋ねてきた。

「あぁ、小町の入試のちょっと前あたりか。二人が付き合ってるって噂が流れたんだよ」

「確か、冬休み明けくらいじゃありませんでしたっけ?」

「ほーん? それでそれで? お兄ちゃんはどうしたの?」

「は? なんで俺なの?」

「いいからいいから!」

 小町ちゃんがやたらと突っかかってるなぁ、意地の悪い顔で。

「俺は何もしてねぇよ。葉山が自力で終息させてた。」

「なーんだつまんないのー。それでその時、葉山先輩はなにをして解決したの?」

 興味を失くした小町ちゃんは、脱線しかけた話を解決に繋がるヒントになると思ったのか、そう切り返す。

「確か、わたしと三浦先輩にありがとう、って言っただけでしたよねー?」

 わたしがせんぱいのほうを向いて同意を求めると、せんぱいも首を縦に振って肯定する。

「え? それだけですか?」

「葉山にとって二人が特別、って方向でいつのまにか噂は消えてたな。あれは人気者の葉山だからできた芸当だな」

「せんぱいには到底無理な方法ですね」

「真似したくもねぇよ……。っつーか、いちいち俺を引き合いに出すのやめてくんない?」

「ふふっ」

 わたしとせんぱいがそんなやり取りをしていると、小町ちゃんが目を輝かせながら何かぶつぶつと呟いていた。

「小町ちゃん、どうしたの?」

「あ、いえ! 小町のことはお気になさらずー!」

「なんか嫌な予感しかしねぇ……」

 せんぱいはせんぱいで、顔を引きつらせながらそんなことを言っていた。

「まぁされはさておき、本題に入るぞ」

 せんぱいの一言にわたしも小町ちゃんも、居住まいを正す。

「いろいろと俺も考えたんだが……。一色の話を聞いた限り、現状とれる案は逆効果か実現不可能だ。つまり、噂自体を消すことも塗り替えることもできない」

「それはわかってるけど……。じゃあお兄ちゃん、どうすんのさ?」

「だからこそ、噂を利用して俺と一色が一緒にいても不自然ではない、もしくは仕方のない理由を作る。考えた中では生徒会関係が一番正当性が高いが、俺は役員ではないしな……」

「でもこの時期、これといって大きな行事とかないですよ?」

「だから、この方法は協力者が必要になる」

「それ結局雪乃さんと結衣さんも必要じゃん……」

「違う違う」

「どういうことですか? じゃあ、葉山先輩とかはるさん先輩ですか?」

「雪ノ下さんとか恐ろしいこと言うなよお前……。まぁ、結果的にあいつらの耳にも入ってしまうかもしれんが、仕方ねぇか」

「せんぱい、もったいぶらずに教えてくださいよー」

「一番ベストなのは平塚先生だ。だから事情を話して、協力してもらう」

「「へ? 平塚先生?」」

 意外な人物の名前に、わたしと小町ちゃんがハモってしまった。どうして平塚先生なのかさっぱりわからない。

「これは正直言って迷惑をかける方法だ。当然、断られる可能性も高い。そうしたら別の方法を考える。そうなったら一色、悪いが依頼の解決はもう少し待ってもらうことになる」

「まぁ、仕方ないですね。わたしも実際、何も浮かんできませんし……」

「お兄ちゃん、ろくでもない方法じゃないよね? 小町、また前みたいになるの嫌だよ」

「……大丈夫、だとは、思う。このままじゃどうせ手詰まりだ。それに雪ノ下や由比ヶ浜を呼んでも、恐らく手詰まりのままなのは、変わらんと思うからな」

 雪ノ下先輩や結衣先輩じゃ手詰まりなまま……? 言葉の裏に隠されているものは、ぼやけて見えない。

「学校じゃできない話だからな……。とりあえず呼んでみてもいいか? 駄目だったら話は済ませておくわ」

「わたしは大丈夫です」

「小町も別にいいよ」

「……んじゃ、ちょっと電話してみるか。少し席外すわ」

「はーい」

 わたしと小町ちゃんに一言だけ告げた後、せんぱいはリビングを離れていった。そして、わたしと二人きりになると小町ちゃんの目が輝いたのがわかった。あ、嫌な予感がする……。

「それじゃー……いろはさん! お兄ちゃんが戻ってくるまでいろいろ教えてください!」

「え、えっと……」

 小町ちゃんからの質問攻めを無難にかわしていると、せんぱいが電話を終えて戻ってきた。

「丁度学校にいたみたいでな。もう少ししたら来るそうだ。」

「そうですかー」

「お兄ちゃん、聞いてもいい?」

「ん?」

「なんで平塚先生なの?」

 その点はわたしも同感で、わたしの聞きたかったことを小町ちゃんが代弁してくれた。

「それは、あの人が先生だからだ」

 たった一言で済ませたせんぱいの意図がますますわからない。小町ちゃんもそれは同じらしく、やたらと首を傾げていて、まるでわたしを見てるようだ。

「それはそうと一色は時間大丈夫か。まだかかりそうだが」

 いつのまにか、時刻は三時半ばを過ぎていた。夕方までには帰宅しなければいけないだとか、そういった門限はないので「大丈夫ですよ」と答えておく。

 平塚先生を待つ間、気づけば小町ちゃん主催の雑談会、もとい取調べが再開されていた。

 そして、一時間は経たずともちょうどそれに近い時間が経った頃、来訪を知らせる音が響いた。

「邪魔するぞ」

 

 ――そうして、作戦会議の場に平塚先生が訪れた。

 

 

 

 

 




誤字脱字等ありましたら、宜しくお願いしますー。

※行間とか色々今の雰囲気に近づけました。


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2#04

  *  *  *

 

「「平塚先生、こんにちはー!」」

「うす」

 リビングに入ってきた平塚先生にそれぞれ挨拶をする。というかせんぱい、「うす」って……。

 すると、この場にいるメンバーを一瞥し、わたしを見るなり驚いた顔になる。

「おや? てっきり雪ノ下と由比ヶ浜あたりがいるのかと思ったら……一色だったか」

「わたしがいるのは変ですかー?」

「あぁいや、君がいても不思議はないが……少し意外だったのでな。気にしたのなら謝るよ」

「あ、いえ、大丈夫ですー」

「それならいいが……。んじゃあ本題に入ろうか。比企谷、私に相談があるそうだな」

「はい」

 挨拶も早々に、平塚先生がこの場に呼んだ理由の説明をせんぱいに求める。

「……先生は俺と一色の噂をご存知ですか」

 それに応えるように、せんぱいが本題を切り出した。すると、平塚先生は少しばかり苦い顔をしたように見える。

「……なるほど。私を呼んだ理由はそのことについてか」

「はい」

 さわりの部分だけで平塚先生は全てを理解したようだ。

「……一つ聞かせてもらおう」

「なんでしょう」

「この場にいるのは、君たち兄妹と、一色だけかね?」

 わたしと、せんぱいと、小町ちゃんの三人だけ。その発言の意図をわたしなりに解釈すると、平塚先生は『雪ノ下先輩と結衣先輩はこの場にいないのか?』と聞いている。

「あいつらは、いないです」

「……そうか」

 平塚先生は深くは聞かない。ただ、どこか寂しそうな表情にも見える。そしてせんぱいも、それ以上は何も言わずに黙ったままだった。

 小町ちゃんはわからない。ただ状況を見守っていた。

 わたしは答えることはできる。ただ、それが正解かどうかもわからない。だから答えないことにした。

「……まぁそれはいい。話したまえ。」

「じゃあ……」

 そうして、せんぱいはぽつりぽつりと話し始めた――。

 まずは事の顛末を話し、それによってわたしが被害を受けていること、それが次第に膨れ上がる悪意によって直接的な被害にまで及ぶ可能性が高いこと、考えられる対策は逆効果、もしくは実現不可能だということも全て説明してくれた。

「……そういうわけなんで、先生にちょっとお願いしたいことがあるんですよ」

「聞かせてみたまえ」

「ちょくちょく俺と一色含む生徒会の連中何人かを、生徒会関連の話があることにして職員室に呼び出してほしいんですよ」

「どういうことだね?」

「生徒会の繋がりということにしてしまうのが事実として一番正当性があると思うんですよ。それなら一緒にいても問題はないし、仕方がない。噂の風化も上書きも望めないなら、肯定してしまえばいい」

「…………」

「一色が人手に困って先生に相談を持ちかけたら俺を紹介した。実際、一色とは生徒会で一緒に仕事もしているし、他の生徒会の連中も、奉仕部のことはある程度知っているし、何も問題も不自然さもない」

「……ふむ、なるほど。筋は通っているな。だが、それで解決できるかは別の話になる」

「そうですね。駄目だった場合はまた考えます」

「……やはり君は変わったな」

「それを言われると相変わらず変な感じがして、未だに慣れないです」

 平塚先生はそう言いながら、優しい微笑みを先輩に向けた。

 それはきっとわたしが奉仕部と知り合う前から、あの三人を見守り続けていたからこそできる顔なのだと思う。

 わたしと小町ちゃんはそのやりとりを黙って聞いていた。

「……比企谷。雪ノ下と由比ヶ浜にはこの件は言ってないのだろう?」

「そうですね。一色から俺個人への依頼なんで」

「私からこの件については二人に言うつもりはないが、いいのか?」

「……どっちにしろ、由比ヶ浜から雪ノ下へ伝わってるんじゃないかと思いますけどね」

「まぁ、そうですよね……」

 せんぱいを生徒会室へ連れてきたのは結衣先輩だ。雪ノ下先輩へ伝わっていても不思議はない。

 ……だからこそ、わたしが懸念しているような事態にならないといいんだけど。

「ふむ……。何か事情があるようだな。ただ、誤解はないようにな」

「わかってますよ」

「それについてはわたしも協力しますんで大丈夫ですよ」

「もちろん小町もですよ!」

「……よし、話はわかった。ほかならぬ比企谷の頼みだからな。協力しよう」

「助かります」

「君が誰かを頼るようになったのは、私にとっても嬉しいことだからな」

「……っす」

「よかったねお兄ちゃん」

「代わりに、今度少し付き合いたまえ」

「はい」

 その会話を横で聞いていて、せんぱいと平塚先生との間にある種の信頼関係とも呼べるものが成立しているように感じた。きっとそれは教師だからだとか、仕事だからだとか、そういった簡単な言葉で片付けられるものではないのだろう。

 わたしには、こういった関係も“本物”で、もしくはそれに近しい何かなのだと言っても、過言ではないと思えた。

「あ、そうだ。せんぱい、生徒会の人には事情は説明しておいたほうがいいですよね?」

「いや、余計な情報が漏れる可能性を考えたら避けるべきだろう」

「そうすると呼び出す理由がなくなるんですけど……。それに、今はこれといって問題もありませんし……。あと、さっきも言いましたけど、この時期は大きな行事もないんですってば……」

「生徒会が絡みそうな大きな行事はもう終わっちゃいましたからねー……」

「んじゃなんか企画作ったりすりゃいんじゃねぇの。お前、そういうの得意だろ」

「そう言われましても大きなイベント自体ないですし、何も思いつかないですよ……」

「それもそうか……。となると……」

「……では、私からヒントをやろう。何も行事やイベントに拘る必要はない」

 黙って聞いていた平塚先生が口を開いた。そして、意味ありげな視線をせんぱいと小町ちゃんに向ける。

「君たち兄妹は去年、奉仕部を通じて経験したことがあるだろう。それと同じことをすればいい。充分理由にもなると思うがね」

「去年……」

「私から言えるのはここまでだ」

「あ」

「あっ!」

「わかったようだな」

 二人の反応を見て、平塚先生は微笑んだ。つまりは、この場で何も理解していないのはわたしだけ。

「せんぱい、どういうことですかー!」

 ちょっぴり膨れっ面をしながらせんぱいに尋ねる。

「要は、ボランティア活動を生徒会がしろってことだ。それなら平塚先生が生徒会に依頼したということで何も問題はないし、辻褄も合う。ついでに俺は、一色を通じて奉仕部から借り出されたことにすればいい。他の役員は巻き込まれた形になるがな……」

「そういうことだな」

「ですね! ボランティア活動かー……あっ、お兄ちゃん、学校の外を掃除するとかはどう?」

「……正当性はあるな。それでいくか」

「ふむ、悪くないな」

「あ、でも小町は手伝わないほうがいいんだよね?」

「そうだな、小町は下手に動かないほうがいいだろう。それと、噂を聞かれた時のリカバリーを頼む」

「あいあいさー!」

「先生はだいたい今話したとおりでお願いします」

「……そうだな、幸いにも次の登校は月曜だ。タイミングも丁度いいが、それでいいかね?」

「そうですね、なるべく早いほうがいいですから」

「決まりだね!」

「んじゃ、一色もそれでいいな? ……一色?」

 わたしを置き去りにして話が決まる。せんぱいがわたしを放置したことが面白くない。

「……せんぱい、わたしを放置して話を進めないでくださいよー……」

 ぶーぶーとわたしが頬を膨らませて文句を言うと、せんぱいがため息を吐いた。

「いや、今説明してたでしょ……」

「わたしに声をかけるまで放置してましたよね。せんぱいのくせに生意気です」

「してねぇよ……。なんでそうなるんだよ……」

「うるさいです。せんぱいのばーか」

「俺なんもしてないんだけど……。理不尽すぎる」

「お兄ちゃん女の子を怒らせるとか小町的にポイント低いよ……」

「ちょっと? なんで全面的に俺が悪いことになってんの? おかしくない?」

 わたしとせんぱいのやりとりを見て、平塚先生がふっと笑いながら口を開く。

「いつのまにか、一色ともずいぶん仲良くなっていたんだな」

「いえ、全然仲良くないです」

「ちょ、せんぱいひどいです! わたしとせんぱいは噂になるほどの仲じゃないですかー!」

「おい、自虐ネタはやめろ。間接的に俺が傷つくから」

 

 そうして、会議は進み明るい雰囲気を取り戻した頃には既に陽は沈んでいた――。

 

 

 

 

 




誤字・脱字等ありましたらご指摘ください。

小説にあまりなじみが無い人間なので、表現等手探りで書いています。
よって「ここ少し変じゃない?」等のご指摘もあれば教えてくださると嬉しいです。

それと、UAやお気に入り登録してくださる方が増えてきて嬉しいです。
これからも尽力致しますので、併せて宜しくお願い申し上げます。

それと、以前コメントを下さった方、返信できず申し訳ありませんでした。

※行間とか色々今の雰囲気に近づけました。


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2#05

  *  *  *

 

「そろそろいい時間になるな。話もまとまったようだし、私は御暇させて頂くとしよう」

 平塚先生が口を開いたところでわたしも時刻を確認する。

 せんぱいと過ごす時間を少しでも長く楽しみたいという気持ちはあるが、さすがに長々と居座りすぎたので、わたしもそれに続くことにした。

「わたしも、そろそろ帰りますね」

「一色、よかったら送っていくぞ」

「あ、じゃあお願いしてもいいですか?」

 平塚先生がわたしを気遣ってくれたので素直に甘えることにした。

「先生、ありがとうございました」

「気にしなくていい」

「……っす。あと、よろしくお願いします」

「うむ。では行くとしようか」

「長々とお邪魔しましたー」

「平塚先生もいろはさんまた学校でー!」

 それぞれ挨拶を交わした後に玄関へ向かおうとすると、わたしを引き止める声が聞こえた。

「あー……一色」

「はい?」

「先生、ちょっとだけ外で待っててもらっていいですか?」

「ん? 構わないが……」

「小町、お前もちょっと外せ」

「およ? なになに? なんかあるのお兄ちゃん? んー?」

「いいから」

 ニヤニヤしながらからかうような声音の小町ちゃんとは対照的に、せんぱいの声音は至極真面目なものだった。

 それを察してか、小町ちゃんは「ちぇー」とつまらなそうに平塚先生と一緒に外へ出て行った。

「で、どうしたんですか?」

「お、おお、うん」

「なんできょどってるんですか……」

「う、うっせ……。とにかく、ちょっと待ってろ」

 せんぱいはそう言い残して二階へ上っていってしまった。

 不思議に思いながらもその場でおとなしく待っていると、綺麗にラッピングされた小箱を持ってせんぱいが戻ってくる。

「あー……その、こんな状況だし学校じゃアレだから、ほれ」

「……なんですか、これ」

「ちょっと早いが、先に渡しとく。……お前、もうじき誕生日だろ」

 わたしが口をあけたまま呆けていると、せんぱいは顔を真っ赤にしながら「早く受け取れ」と催促してくる。

 長い沈黙の末に、ようやく理解が追いつく。瞬間、嬉しさと温かさが心の奥底から一気に溢れ出してきて、思わず涙が浮かびそうになってしまった。

 ――わたしの誕生日、ちゃんと覚えててくれたんですね。

「……せんぱいあざといです。あざとすぎます」

「第一声がそれかよ……。いいから、ほれ」

 そうして二度目の催促で、わたしはそれを受け取る。

「せんぱいのくせに……」

「悪かったな」

「開けてもいいですか?」

「あぁ」

 ラッピングを丁寧に剥がし箱を開けると、綺麗なヘアピンのセットが入っていた。

「……へぇ。せんぱいにしては意外とまともなチョイスですね」

「おい、なんだその言いぐさ」

「まぁ悪くはないですし、仕方がないのでもらってあげます」

「ほんで、なんでそんな上から目線なんだよ……。いらねぇなら返せ」

「いらないとは言ってませんよ。……あの、ちょっとだけ後ろ、向いててもらっていいですか?」

「……ん」

 せんぱいが後ろを向いたことを確認した後、バッグから手鏡を取り出してさっそくつけてみる。

「……せんぱい、もういいですよ」

「あいよ」

「似合いますか?」

「……まぁ、いいんじゃねぇの」

「やりなおし」

「お、おう……。ん、その、似合ってる、と思う」

「……そうですか」

 わたしから吹っかけたにもかかわらずなんだか気恥ずかしくなってしまい、せんぱいから顔を背けてしまった。

「まぁ、その……そういうことだから。悪かったな、引き止めちまって」

「……いえ。ありがとうございました」

「んじゃ行くか」

「せんぱい」

「ん?」

 頬が赤く染まってしまっているような気がしたが、せんぱいからわたしの表情はうかがえない。

 だからこそ、ちょっとくらい素直になってもいいだろう。

「……誕生日プレゼント、超嬉しいです」

「そ、そうか……」

 お互いに表情を隠したまま玄関の扉を開くと、車に乗り込んだ平塚先生と小町ちゃんがわたしを待っていた。

「もう済んだかね?」

「すいません、お待たせしましたー。小町ちゃんもごめんね」

「いえいえー……およ?」

 さっきまではなかったヘアピンとわたしの表情に気づいた小町ちゃんは、わたしとせんぱいを何度も交互に見ながら「ほーん? ほーん?」とニヤニヤしている。

 そんな小町ちゃんに対して、せんぱいはばつの悪そうな顔をしながら「うぜぇ……」と視線を逸らしながら呟いている。

 その光景を見た平塚先生は「青春だなぁ……。いいなぁ……」と呟きながら、羨望の眼差しを向けている。

 そしてわたしは恥ずかしさを誤魔化すように、ヘアピンで止めている前髪をいじり続けていた。

 ――ごほん、と平塚先生の咳払いが聞こえたのでわたしはそちらを向く。

「一色、そろそろ行こうか」

「あ、はい。先生よろしくお願いします」

「また遊びに来てくださいねー!」

「じゃあな一色。先生もお気をつけて」

 わたしが乗ったことを確認すると、平塚先生の車が動き出す。最後に助手席から二人へ向けて手を振ると、それに応えてくれる。

 

 そのまま二人の姿が見えなくなるまで、わたしは窓の外から見える景色を眺め続けた。

 

  *  *  *

 

「……最初に君を奉仕部へ連れて行ったのは、生徒会選挙の時だったか」

 車を運転しながら平塚先生がわたしに声をかけてきた。

「そうですね……。少し、懐かしいです」

「あの頃と比べると、君も変わったように私は思うよ」

 確かにわたしは変わったのかもしれない。ただ、肝心なところで何もできないところは変わっていない。

「……そうですかね」

「少なくとも、君を奉仕部へ連れて行ったことは間違ってなかったようだな」

「……わたしも、そう思います」

 もし、奉仕部と関わることがなかったなら、わたしはどうなっていただろう。

 バカみたいに“偽物”に手を伸ばし続けて、“本物”と呼べるものすら知ろうともせずに、自己満足に浸るだけのわたしに成り果てていたのだろうか。

「……特に比企谷は、君にとっていい変化をもたらしたのだろうな。海浜総合高校との一件以来、それが少しずつ強くなっていったように感じるよ」

「……よく見てますね」

「当たり前だ。それが教師というものだよ」

 生徒それぞれをそこまでしっかり見ている教師は世に多くない。だからこそ、平塚先生のような人は珍しい。そう思うからこそ、取り繕うことなく、素直に肯定した。

「最初はどうなることかといろいろ心配だったが……いい意味で期待を裏切ってくれたよ。君も、比企谷も」

 言いながら平塚先生はわたしに温かい眼差しを向けた。褒め言葉と受け取っていいものか迷っていると、再びくすりと笑う声が聞こえた。

 そんな会話をしているうちに、わたしのよく知る景色が目に入ってきた。

 

「……そろそろ着く頃だな。降りる準備をしておきたまえ」

 

  *  *  *

 

「ありがとうございました」

「構わんよ」

 車を降り、平塚先生にぺこりと頭を下げて礼を言う。

「では、また学校で」

「一色」

 別れの挨拶を済ませ、頭を再度下げたところで平塚先生がわたしを呼ぶ。

「なんですか?」

「雪ノ下も由比ヶ浜も、そして比企谷も君のことを大切に思っている。……だからこそ、傷つけるし、傷つくんだ。そのことを忘れないようにな」

「……はい」

「私が言いたいのはそれだけだ。ではな」

「……お気をつけて」

 そうして平塚先生の車を見送った後、玄関の扉を開いて中に入るとお母さんがちょうど夕食を作っていた。

 わたしは「ただいま」と一言だけ告げた後、自分の部屋に戻り、着替えもせずに真っ先に机の引き出しを開けた。今日だけは、記憶が薄れないうちにと急いで日記を書いておきたかった。

 書き終えた内容を確認すると、二ページ以上にも渡るほど濃密な内容になっていた。それだけわたしの中で嬉しく、大きな出来事だったのだろう。

 そうしているうちに結構な時間が経っていたのか、わたしを呼ぶ声が聞こえた。どうやら夕食ができたらしい。丁度お腹もすいていたし、食べ終えたらお風呂にでも入って寝てしまおう。

 ただ、心の中でずっと平塚先生が言っていた言葉が引っかかっていた。それはわたしの間違いを正そうとしているような――どこか、そんな印象を受けた気がする。

 わたしは、傷つけているということは間違いではない。そして、これから傷つけられるということも、それらが続いていくこともきっと間違ってはいない。

 ――じゃあ一体何が間違っているというのだろうか。

 

 やることをひととおり済ませた後も、答えがでないものを考え続けた。

 それでも結果は変わらないまま、わたしの意識は薄れていった――。

 

 

 

 

 




評価点、ありがとうございます!

そして、お気に入りも200突破したようでこちらも嬉しい限りです!
数字が見えるというのはシンプルながら、やはり励みになります。

改めて、ここまで読んでくださっている方々に重ね重ね御礼申し上げます。
これからも、宜しくお願い致します。

それでは、ご指摘、感想等あればこちらもお待ちしております。

※行間とか色々今の雰囲気に近づけました。


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2#06

  *  *  *

 

 ――休日にしては、いつにも増してかなり寝覚めの悪い朝だった。

 何度目かの目覚めからようやく身体を起こせるようになり、わたしは重い足取りで洗面所へ向かい顔を洗ったのだが、鏡に映る顔はだいぶ酷く、お世辞でも可愛いと呼べる顔ではなかった。

 洗顔を終え、自室に戻り携帯を確認すると着信とメールが何件か来ていたので、ひととおり確認した後に思わずため息を吐く。

 内容は全て『可愛いわたし』と遊びに行こうというお誘いばかりだった。ただでさえよくわからない感情に苛立っているというのに、本文を飾る無意味で無価値なデコレーションや絵文字が余計にそれを煽る。

 それが意味するのは、自身が作り上げてきた結果だと充分に理解はしているが、それでも苛立ってしまう。

 以前までのわたしならば、今日の気分で荷物持ちとして適当な相手を選び、媚びるようにわたしを振りまき、その結果に満足していつもどおりの休日を過ごすのだろうが、今は違った。

 特に奉仕部の三人と関わりを持ち、せんぱいの言葉に心を揺さぶられ、わたしらしくない行動をした。それがわたしにもたらしたものは、こういった仮初めの馴れ合い自体が間違っていると思うようになったこと。

 きっとそれも、誰かにとってはまぎれもない“本物”と呼べるものなのだろうが、わたしにとっては違う。その“本物”は勝手に抱いた幻想を勝手に自身で膨れさせて、それに酔って錯覚して、勘違いしているだけの“偽物”だとわたしは思う。

 だからわたしは、折り返しの電話もメールを送ることもせず全て無視して、携帯をベッドに放り投げた。

 

 ――そういうのは、いらない。

 

 わたしは化粧をして、春らしい服装に身を包み、一人で出掛けることにする。

 ただ、いつものわたしと少し違うのは、今のわたしにとってなによりも大切なものが、昨日と同じように前髪についていること。

 そうして公共機関を使った後、ぶらぶらすることもせずに目的地のアクセサリーショップまで辿り着く。

 途中、わたしにおぞましい何かを貼り付けながら声をかけてきた男が何人もいて、全て適当にあしらった。それでもしつこくつきまとってくる男に対しては、追及を許さないように人気の多い建物へ逃げ込むことでやり過ごす。

 自身の容姿の良し悪しに嫌気がさす瞬間というのは人間誰しもあると思うが、それはわたしにも当てはまる。

 ――そう思うのは、きっと今のわたしだからこそなのだろう。

 さっきまでの出来事に心底うんざりしながらも、アクセサリーショップで目的のアクセサリーを物色する。

 わたしの好みであり、目的を阻害することもなく役割を果たしてくれそうなデザインの物を探すと、なかなかよさそうなものを見つけた。

 問題のうちの一つは値段。値札を確認すると決して高くはないが、安くもないくらいの値段だった。

 もうひとつの問題。それを店員に確認し、わたしに合うものがまだ残っているか尋ねると、あるとのこと。

 他に探してみたが、これの他に合格と呼べる物はなさそうだった。よし、これにしよう。

 会計を済ませると、そのままつけていくのかどうかを聞かれたので、それにはいと答え、身につける。まぁ、これでも多少は役に立ってくれるだろう……。そう思い込むと、気分がいくらか晴れた気がした。

 そうして、いつものわたしと違う部分は、二つになった。

 さっきできたばかりのもう一つは、左手の薬指で光るシンプルな可愛らしい小さな虚像であり、そして“偽物”。

 わたしはアクセサリーショップを後にして、少しだけぶらついたが買いたい物も特になかったので、帰路につく。

 自宅に戻り、やるべきことを済ませ、日課を終えれば、またいつものわたしを演じなくてはならない。そのことに少し気だるさを感じながらも、天井へ視線を向けたまま一人呟く。

 

「明日、どうなるのかなぁ」

 

 そのままわたしは静かに目を閉じると次第に意識は薄れ、溶けていく。

 ――次に目を開けたのは、携帯のアラーム機能がわたしを呼んだ時だった。

 

 大半の人間が、それぞれの場所へ向かい、偽ることのない自分から社会や周囲にとって必要な自分を求められ、それに切り替えることを強制させられる週の始まり――月曜日。

 その言葉の響きは、一般的な生活サイクルを刻む人間にとっては間違いなく憂鬱になる、というよりかは、聞きたくはない言葉である。

 前日の日曜日にそれを聞いてしまえば、人によっては一瞬にして憂鬱になってしまうほどの破壊力を秘めている。

 わたしももちろんそれに属する人間ではあるのだが、最近はせんぱいに会えると考え方を変えることにした結果、あっさり気持ちが逆転してしまうあたり、自分は案外単純なのかもしれない。前も別の意味で楽しくはあったけども。

 そんなことを考えながら鏡を見ると、今日のわたしの顔は昨日より――ではなく、いつもどおりの可愛らしいわたしの顔になっていた。

 どうやら防衛本能からか、オートで何らかのスキルが発動したらしく、そんな自分がちょっと怖い。

 身支度を済ませ、もう着慣れた制服を着た後にちょっぴりわたしらしさを加えた後、忘れずに大切なものを前髪につける。

 ――そして、もう一つも身につけた。

 生徒会長のわたしは生徒の模範となるべくこういったものは避けるべきなのだが、実際一部の人間は身につけているし、それを咎められていた様子は今までなかった。だからと言って“みんなで渡れば怖くない”がいいものかどうか問われれば、この場合は決していいものではない。まぁ、最悪何か言われたら外せばいいだけの話で、強引ではあるが、納得させられる理由も用意してある。

 それに、これは一歩間違えば相手の解釈次第では諸刃の剣にもなるものだが、逆に効果絶大になる可能性も秘めている。

 期待と不安がごちゃ混ぜになった心情でわたしは玄関に向かい、どこか重く感じる扉を開いた。

「行ってきまーす」

 

 一度振り返り、お母さんにそう告げた後、わたしは通い慣れた道を歩き出した。

 

  *  *  *

 

 学校にいつもの時間に着くと、それなりの数の生徒がわたしより早く来ていたようだった。

 噂に関しては土曜を挟み、下手な行動を起こさなかったおかげか特に悪化はしていないようで、その事実に胸を撫で下ろす。

 女の子の何人かはわたしの左手の薬指に気づき、ある者は驚きの顔を、ある者は底意地の悪そうな顔を、ある者はその両方が混じったような顔をしていた。

 ヘアピンに関しては、わたしは女の子だから持っていても不自然ではないという理由からか、興味を惹かれているようには見えなかった。

 それでも、本当の理由に気づいてしまう可能性がある人間は三人ほどいるのだが、ここは二学年なので今は心配する必要はない。それに、一人は部外者だ。

 と、不意に、ポケットの中の携帯が震え出した。

 ――こんなホームルームの直前に誰だろう?

 携帯を取り出して画面を見れば、メールが一通。

 わたしは誰からも見えないように、見られることのないように、さり気なくメールを開く。

 そこには、飾ることもない無骨で無愛想な本文にこう書いてあった。

 

『これから何が起きてもいつもどおりにしとけ。そして、意地でも自然に、話を合わせろ』

 

 ――話を合わせる?

 わたしにはこの意味がわからないが、わざわざこんな警告文を送ってくるということは、きっと何か理由があるのだろう。

 そして、これは期待の裏返しのようにも思えた。わたしにならできる、と。

 本来ならそんなもの迷惑極まりないのだが、あの人たちに言われるのなら不思議と嫌な気分にはならない。実際にわたしは、何度か経験している。

 

 ――雪ノ下先輩の『あなたならできるわ』

 ――結衣先輩の『あたしには、できないから』

 ――そして、誰よりも優しい捻くれ者の『一色いろはならできる』

 

 だからわたしは、その期待に答えよう――。

 

 

 

 

 




久々にシリアス(っぽい)ものを書いた気がします。

区切りがある以上は仕方ない部分ではありますが、やはり短編集より文字数少なくなってしまったというね……。
多少短くなってしまいましたが、今後もお付き合いくださると幸いです。

それでは、誤字や脱字等の指摘含め何かありましたら宜しくお願い申しあげます。


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2#07

  *  *  *

 

 朝のホームルームが終わり、二日ぶりの授業が始まった。

 わたしは机に広げた教科書とノートに意識を落としつつ、周囲への警戒を怠らずにさり気なく現状を視線だけで探ってみると、わたしに向ける視線の数は一部興味が削がれたのか先週よりはやや減った気がする程度だった。

 そうして昼休みを迎え、弁当を食べ終えた後にぼーっとしていると、クラスメイトである一人の男子が私に話しかけてきた。

「あの、一色さん。……ちょっと聞いてもいいかな?」

「ん? なぁーに?」

「……噂のあいつと付き合ってるって、本当なの? ……だとしたら、絶対やめたほうがいいと思うんだけど……」

 はぁ、何も知らないくせに腹立つなぁ。案の定、近くの女子はくすくす笑ってるし。

「またその話かぁ……。別にそんなんじゃないよー」

「でも、みんなそう言ってるし、俺もそうは思わないなぁ」

 みんな言ってるからってそれが自分の意見になるんだ……。わたしが言えたことじゃないけど、そういうの、嫌だなぁ。

「ほんと、そういうのじゃないんだってばぁー」

「……その指輪だって、あいつにもらったんじゃないの?」

 目の前の男子が指輪のことに触れた瞬間――わたしに向ける視線の数が一気に増えた気がした。

 ――かかった。

「あーこれ? あはっ、やーだなぁーあの人なわけないでしょー! ……あっ、もしかして、やきもちやいてくれてるのー? 嬉しいなぁー」

 わたしはにこにこと笑いながら、普段とまったく相違ない一色いろはらしい態度をとって返答した。

 わたしに普段から敵意を向け、今か今かと悪意をぶつけるチャンスをうかがっていた連中には、きっといつものわたしらしいわたしに見えたはずだ。実際、嘘も言っていない。だからこそ、これ以上は周りからも追及できない。

 ただ、その作り上げたわたしの奥深くに隠したものまでは見抜けない。それを見抜けるのはきっと、奉仕部の三人や平塚先生くらいだろう。

 ――だから、相手の論点をずらした。ちゃんとわたしを見ていない人間に対しては、きっとこれが通用する。

「い、いや……。そう、じゃないんだけど……」

「心配しなくてもこれはそういう意味じゃないよー。……だから、安心してね?」

 そして最後にあざとい上目遣いをぶちかまして、ずらした論点はそのまま相手の意識の外へ放り投げちゃえばいっちょ上がり!

「だ、だから俺は別に……」

 思いがけない反撃に顔を赤くしてうろたえる男子を見て、くすくすと笑っていると校内の放送から平塚先生の声が聞こえた。

『――生徒会長の一色及び生徒会各役員、そして3年の比企谷。生徒会の件で話があるので至急職員室へ来たまえ。繰り返す、生徒会長の一色及び生徒会各役員、そして3年の比企谷。生徒会の件で話があるので至急職員室へ来たまえ』

 ――先生タイミングといい全てナイスですっ! わたしは心の中でガッツポーズした。

「あっ、ごめん! 平塚先生に呼ばれてるみたいだからちょっと行って来るねー!」

 わたしの必殺技と放送のタイミングが重なり、完全に言葉を失ってしまった男子へ向けてわざとらしく手を振った後、わたしは職員室へ向かった。

 そして、わたしの後ろから聞こえてくる喧騒には、多少の混乱が生じていた気がした。

 

 ――こんな感じでいいんですよね? せんぱい。

 

  *  *  *

 

「来たか」

「……よう」

「ちゃんと来たか、会長」

 わたしが職員室へ向かうと、わたし以外の面々は揃っていた。あれー? わたしも急いで来たのに他のみなさん早くないですかね? ……せんぱいはともかく。

「副会長、なにげにひどくないですかね……。それで先生、生徒会の件ってなんですかー?」

「先週の金曜だったか……。一色には少し話をしたと思うんだが、少しの間生徒会に校外清掃を頼もうと思ってな。まぁ、詳しいことは放課後に伝える。だから授業が終わり次第、またここに集まりたまえ」

「……確かその日、生徒会は休みだったと思うんだけど。知らない間にそんなことになってたとは聞いてないぞ、会長」

 話を合わせるということは、予期せぬ事態にも、いつもどおり対応しろということだ。第三者が介入してくる以上、どれだけ綿密な計画を立てていたとしても、それは絶対に避けられない。

 だからこそ、いくつかパターンを予想した上で、対策も組み立てておく。そうしてある程度は自力で乗り越えられないようでは、何もできない。実際に平塚先生は既にアドリブで発言している。

 このくらい、造作もない。わたしの不意をつけるのは限られた人たちだけだ。だからこそ、平塚先生はある程度周囲の返答を予想しつつ、うまく逃げられる方向へ誘導してくれている。

「あっ! そういえば、言われてました! ……ごめんなさい、伝えるのすっかり忘れてました」

「……はぁ。しっかりしてくれよ、会長。最近はやっと会長らしくなってきたなぁと感心してたのに……」

「一色、先週の時点で連絡していなかったのか? ……まったく、最低限のことができなくてどうするんだ」

 わたしが理不尽に注意されることには目を瞑ろう。今はわたしのプライドなんかより流れを汲むほうが重要だ。事情を考えればこういう流れに持っていくほうが自然であり、仕方がない。

「すいませんっ! 以後気をつけますっ!」

「……ところで、生徒会役員でもないのに俺はなんで呼ばれたの? 一色、お前の仕業か?」

 ここからは、せんぱいもアドリブか。なら、わたしもいつもどおり振る舞おう。

「……あれ? せんぱい、いたんですか?」

「ナチュラルにいないものとして扱うのやめてくんない? さっきからずっといたんだが? しかも俺ちゃんとお前に声かけたよ?」

「それはどうでもいいんですけど……。ていうか、ほんとになんでいるんですか?」

「相変わらず言動がひどいのはさておき、お前が俺を呼んだんじゃないのか? 平塚先生経由で」

「いえ、わたしは何も……あっ、でもちょうどいいですね! せんぱい、手伝ってください!」

「は? ちっともちょうどよくない上に何しれっと言ってんの? ふざけんな、お断りだ」

「えー、いいじゃないですかー! わたしを助けてくださいよー!」

「断る」

「……比企谷、今受けている依頼はあるのか?」

「……いえ」

「なら私が許可しよう」

「……え? 俺の意思は?」

「ありがとうございます! ……せーんぱいっ! よろしくお願いしますねー?」

「いや待て、一色。俺は働きたくないんだ。ただでさえ働きたくないのにタダ働きなんぞ、絶対に嫌だ」

「いまさら何言ってるんですか……」

「……比企谷、世の中給料が発生する労働だけとは限らんのだよ……。サービス残業とかな……」

「普通それを聞いたら、ますます働きたくなくなると思うんですが……」

「どちらにせよ、君は労働への認識を少し改めたほうがいい。これもいい経験だと思いたまえ」

「……はぁ。どうせ俺に拒否権はないんですよね……」

「……それと一色。君もそろそろ先輩たちに頼るのはやめて自立をする努力をしたまえ。私も比企谷も、いつまでも見ていてはやれないからな」

 ――その言葉がちくりと胸に刺さる。

 そんなこと、わたしだってわかってる。わたしが一緒に過ごせる期間は限られていて、あと一年どころか夏休みや冬休み、受験まで考えるともう半年も残っていないことも。

 だから今は、少しでも――。

「はい! 頑張ります!」

「調子よすぎだろ、お前……」

 それを誤魔化すように、わたしは勢いよく返事をした。

「一緒に仕事するのはもう何度目かになるけど、またよろしく。奉仕部の、確か……えっと……悪い、なんだっけ」

「……比企谷だ。こちらこそまたよろしく頼むわ」

 そんなわたしの胸中をよそに、その隣で副会長とせんぱいがさらに悲しくなるようなやりとりを繰り広げていた。

「名前忘れられるあたり、せんぱいらしいですね」

「……すまん、比企谷」

「あ、あぁ、いや大丈夫だ。……っつーか一色、そもそもお前が俺を名前で呼ばねぇからこうなるんだろうが」

「なんですかもしかしてわたしに名前で呼んで欲しかったんですかでもいまさら呼び方を変えるのもなんだか照れくさいのでそれは末永く付き合っていける関係になってからでいいですかごめんなさい」

 いつもどおりに見えて実は本音だったりもするんですよ、これ。せんぱい気づくかなぁ。

「……あぁ、うん、もう振られるのはどうでもいいんだけどさ、よく毎回噛まずに言えるよな、それ」

 やっぱだめかぁー……。でも、どうでもいいってのはさすがに傷つくなぁ……わたしが悪いんだけどさ……。

「……そろそろ時間だ、戻りたまえ」

 平塚先生に自分のクラスへ戻るよう促される。

 わたしは他の生徒会役員が全員、職員室の外へ出たことを確認すると、せんぱいに近づき、小声で呟くように問う。

「……これでよかったんですか?」

「あぁ、今のところは上出来だ」

 含みのある言い方だった。やっぱり、まだ何かあるのだろう。

 そして、その様子を見て、平塚先生もこちらを見ながらわたしとせんぱいにしか聞こえない声で小さく告げる。

「私にできるのはここまでだ。健闘を祈るよ」

 

 それに頷き、わたしは職員室を後にして自分のクラスへ戻った。

 

  *  *  *

 

 そうして午後の授業を終える。放送の効果もあったせいか、昼休み以前よりかは多少落ち着きを取り戻したかのように思う。

 さっきの男子も他のクラスメイトも、それ以上わたしに問い詰めるようなことをしてくる気配はなかった。それでも、その他大勢の生徒は未だにどこかで疑い続けていることは、きっと間違いないだろう。

 わたしはさっさと職員室へ向かおうとすると、教室の外へ出ようとしたわたしを見知った人物がわたしに声をかけた。

「やぁ、いろは。ちょっといいかな?」

 その人物はわたしが以前憧れて、告白までした葉山先輩だった。

 ――そしてその隣にも、わたしのよく見知った人物がいた。

「よっ、元気?」

 金髪縦ロールの女王――三浦先輩までもがわたしに何の用があると言うのだろう。

 

 ――話を合わせろ。

 不意に、その言葉の本当の意味をわたしは今、理解した気がした――。

 

 

 

 

 




ここまでお読みくださりありがとうございました。
それでは誤字脱字等ありましたら宜しくお願い申し上げます。


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2#08

  *  *  *

 

 わたしを訪ねてやってきた総武高校内では最高峰に属するトップカーストの二人、葉山隼人と三浦優美子という存在がこの場にもたらしたものはざわめきだった。

 わたしが葉山先輩に夢中になっていた時は、わたしのほうから訪ねたことはあっても、葉山先輩のほうから訪ねてきてくれたことは一度もなかった。

 そして、もう一人の三浦先輩は葉山先輩に明確な好意を抱いていて、わたしのことを恋敵として警戒していたはずだ。今は葉山先輩に近づかなくなったおかげか、顔を合わせれば挨拶くらいはしてくれるようになった。でも、それ以上でもそれ以下でもないように思う。

 だからこそ、そんな二人がわたしを訪ねてくるというのは違和感を覚える。

「お二人ともどうしたんですかー?」

「いろはが心配になってね。いろいろ大変なんだろ? 俺にできることがあるなら遠慮なく言ってくれて構わないから」

「あーしもそんな感じ」

 ふむ、とりあえず話を合わせますか。

「ありがとうございますー!」

「隼人もこう言ってるし、なんかあったらちゃんと言いな。それにあーし、あーいうの、ほんっと嫌いだから。マジ迷惑」

 言って、三浦先輩はキッと睨みつける。その鋭い視線は、特定の誰かに向けたものではなかったのだが、ただ、得体の知れない悪意には突き刺さった気がした。

「おい、優美子」

「隼人だって嫌だったっしょ、あーいうの。みんな迷惑してるっつーの」

「まぁ……そうだな」

 鋭い睨みをきかせた三浦先輩とは対照的に、葉山先輩は愁いを帯びたような表情をする。

「……とりあえず、ここでする話じゃない。場所を変えようか」

「あ、じゃあ生徒会に連絡だけしちゃいますんで、少し待ってもらえますか?」

「ん」

「すまないな」

「いえいえ! お二人がいてくれるだけで心強いです!」

 わたしは遅れる旨を打ち込んだメールを副会長に送信する。そのまましばらく待っていると返信があり、中身を確認した後は二人のほうへ向き直り、頷いた。

「それじゃ行こうか」

「はい」

 わたしがそう返事をして葉山先輩に続くように教室の外へ出ようとすると、様々な視線が向けられていることに我慢の限界がきたのか、三浦先輩が吐き捨てるように言った。

「あー……ほんっと、うざい」

「……優美子」

「わかってるし……」

 不機嫌そうに歩き出した三浦先輩と、その隣で諦観したような表情を浮かべながらなだめる葉山先輩。

 なんだかお似合いな二人だなーと思いながら、わたしもそれに続いた。

 

  *  *  *

 

 そうしてわたしが連れられてきたのは、奉仕部の部室だった。もちろん、途中からどこへ向かっているかは気づいていたのだが、葉山先輩に今は何も言うなと視線で訴えられてしまったので、わたしは何も言わずに黙ってついていく。

 葉山先輩が扉に手をかけると鍵はかかっていなかったようで、何の抵抗もなく開いた。そのまま葉山先輩と三浦先輩は中に入っていったので、わたしもそれに続く。

 すると、意外なことに中にはわたしたち以外は誰もおらず、ただ静寂だけが広がっていた。

「……あれ? 誰もいないんですか?」

「ああ。雪ノ下さんも、結衣も、比企谷も平塚先生に呼び出されているからな。ここにいるのは俺たちだけさ」

「そういうこと」

「……えっと、お二人はなんでわたしをここへ連れてきたんですか?」

「それはヒキオに聞きな。あーしらは頼まれただけだし」

「ヒキオ……? あぁ、もしかしてせんぱいのことですか?」

「そ」

「俺はいろはをここへ連れてくるように、そして優美子はいろはを気遣ってほしいと比企谷から頼まれたんだ」

「ヒキオがあーしらに頼むとか意味わかんないし、ありえないし……。でも、何か理由があんだろうなってのはあーしでもわかった……。じゃなかったら、ユイとか雪ノ下さんに頼むっしょ、ヒキオは。……それに、あーしらはヒキオに借り、あったから」

「……そうだな」

 それっきり葉山先輩は苦虫を噛み潰したような顔のまま、黙ってしまった。何か嫌な思い出でもあるのだろうか? 

 そんな葉山先輩に代わって三浦先輩が口を開いた。

「さっきも言ったけど、あーし、あーいうのほんっと嫌いなわけ。あーしが我慢できなかったくらいだから、本人はもっと嫌な気持ちっつーか、そんな感じっしょ」

「はい、まぁ……」

「今回はヒキオに頼まれただけだけど、本気で困ってんならあーしにも言って。実際、あーしらも迷惑だし、これ、本音だから」

「……ありがとうございます」 

 三浦先輩はこう見えて優しい人だ。実際、わたしのことも気にかけてくれているのは本当だと思う。でも、わたしだけを気にかけてそう言ったわけじゃない。それも含めて、三浦先輩の本音だ。

「さて、頼まれたのはここまでだが……。すまない優美子、ちょっと外で誰も入ってこないように見張っててくれないか?」

「……隼人?」

「いろはに、個人的に話があるんだ」

「ふぇっ?」

「えっ……」

「優美子」

「……わかった」

 三浦先輩は素直に外へ出て行った。きっと、葉山先輩の真摯的な瞳の奥に秘められた何かを感じとったからだろう。それはわたしにもわかった。

 そして、わたしと二人きりになったことを確認すると、葉山先輩は重々しく口を開いた。

「……いろはは、変わったな」

「そう見えますか?」

「ああ……。少し前のいろはとは、比べ物にならないくらいに変わったよ」

「……葉山先輩は、わたしに何が言いたいんですか?」

「すまない、いろはを責めているわけじゃないんだ。ただ……」

「回りくどいです、葉山先輩」

 今日の葉山先輩はなんだか鼻につく。わたしは少し苛立ってしまい、話を合わせることを忘れて素の言葉を吐いてしまった。まぁ他に誰もいないし、葉山先輩なら大丈夫か。

「やはり遠まわしすぎて伝わらないか……。あんな気分、二度と味わいたくなかったんだが仕方ない、か……」

「はい?」

 わたしが頭に疑問符を浮かべていると、葉山先輩の雰囲気が急に変わったような気がした。

「いろはは俺にとっても大切な後輩だ。……だからこそ、今のいろはには、必ず言わなきゃいけないと思ってた」

 そこで言葉を一旦区切った直後、葉山先輩の瞳の奥にある何かは、はっきりと、苛烈なものに変化する。

「……いろはは変わったよ、それは事実だ。だが、それだけだ。それだけでしかない」

 そして、それをわたしへ突きつけた。

「…………」

 絶句するわたしへ向けて、葉山先輩はさらに言葉を続ける。

「いろはがどう思っているかなんて俺にはわからない。でも、比企谷の存在がいろはにとって大きくなっていったように俺には見える。きっとそれは比企谷も同じなんだろうな。でなければ、いろはのことを彼女たちと同じように、ここまで思いやったりはしない」

「……せんぱいは関係ないんですけど」

「なら、そのヘアピンをつける必要はないんじゃないのか?」

 うーん、この人に見抜かれるとは予想外だなぁ……。

「それは……」

「いろははもう少し素直になったほうがいいな」

 呆れたような意地の悪い表情を浮かべながら、葉山先輩はそう言った。

「葉山先輩って、性格悪かったんですね……。超がっかりです」

 精一杯強がって、わたしはくすりと笑う。

 以前、せんぱいに言われた「わたしは素のわたしで接したほうが葉山先輩はきっと喜ぶ」という何の根拠もない推測はあながち間違っていなかった気がした。わたし自身も、今の葉山先輩のほうが今のわたしは好きになれる気がする。

 それは告白した時のような好きでもなく、愛情の好きでもなく、別の意味での、好き。

「ははっ、俺がいい人だなんてそんなの誰が決めたんだ? それに、お互い様だろ?」

 そんなわたしの心の中を読んだように、葉山先輩はふっと笑い、皮肉を返してくる。

 葉山先輩の本質と呼べるものが少しだけ見えたことで、葉山先輩とせんぱいの関係性がなんとなく理解できた気がした。

 葉山先輩はわたしの本質を見抜いた上でわたしと接していて、わたしが男子を手玉に取るように葉山先輩もわたしを手玉に取っていた。それは、ある意味せんぱいと共通する部分であり、ある時には相反する部分でもある。まぁ、せんぱいの場合は無自覚でしょうけど……。

 なんだかわたしのプライドを傷つけられた気がして、思わず苦笑しながらも、わたしは口を開いた。

「はぁ……隠してもしょうがないみたいですね。……で、葉山先輩は結局何が言いたかったんですか?」

「理解が早くて助かるよ。……いろは。君はどうしたいんだい?」

「……わたしも、居場所になりたいなって、思います」

「……本当にそれだけでいいのか?」

「……はい」

「そうか。……なら、俺から言えることはもうないな。それが、本当にいろはの望んでいる答えなら、ね」

「……そうですか」

「じゃあ、俺は戻るよ」

「はい。ありがとうございました」

 これでいい、これでいいんだ。話を合わせるって、こういうことなんだ。涙が溢れそうなのを誤魔化しながら、そう言い聞かせた。

 そうしてわたしは三浦先輩にとって大切なものから、葉山先輩が気にかけていることから目を背けた。わたしはそれを望んでいないのに、そうするしかできなかった。

「……やっぱり、いろははもう少し素直になったほうがいい」

 

 後ろから聞こえてきた小さくてどこか痛ましさを含んでいるような葉山先輩の声に、わたしは言葉を返さず、沈み始めた陽をただ眺めていた――。

 

 

 

 

 




ここまでお読みくださりありがとうございました。
葉山君まさかのはるのんポジ。

おうふ、ストック切れました……。
第二章はもうちょっとだけ続きます。
多分、あと1~2話くらいでしょうが私のまとめ方次第ですかね。

それでは、引き続きお付き合いくださると幸いでございます!


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2#09

  *  *  *

 

 葉山先輩が奉仕部の部室を去った後、少しだけ時間をおいてからわたしは校外清掃に参加した。

 だが、なぜかお咎めがなかったこと、そしてどういうわけか、雪ノ下先輩や結衣先輩も校外清掃に参加していたことが気になった。

 葉山先輩が言うには、奉仕部の三人は、平塚先生に呼ばれていたとのこと。

 けどあの時、平塚先生は二人に言うつもりはないと言っていた。

 ……となると、せんぱいが何か言ったのだろうか。

 わたしには考えてもわからなかったので、黙々と清掃に勤しむ。あまり広くはない範囲だが、学校周りの清掃を終えたところで校舎から平塚先生がわたしのほうへ歩いてきたので声をかける。

「あっ、先生……。その……遅れてすいませんでした」

「それはいい。ただし、サボった分ちゃんとやっているだろうな?」

「先生までわたしのことなんだと思ってるんですかね……」

「冗談だ」

 ちょっぴりむくれるわたしの様子を見て、平塚先生はくすくすと笑った。

「……それに、やむを得ない理由があったことくらい、見ればわかるさ」

「……ありがとうございます。あの、先生。……聞いてもいいですか?」

「ん? 雪ノ下と由比ヶ浜のことかね?」

 わたしが抱いた疑問を見透かしたように平塚先生は答える。

「はい」

「私は何も言ってはいないよ。私は……な。気になるなら聞いてみたらいい」

 となると、やっぱりせんぱいかなぁ。

「それと、もうじき最終下校時刻になる。今日は終わりにしたまえ」

 そう告げて手をひらひら振りながら平塚先生は戻っていった。わたしはその姿を見送った後、今日の校外清掃は終了だと言うことを全員に伝えた。

 各々が帰り支度をするために校舎へ戻っていく中、わたしもそれに続くと、後ろに気配があることに気づく。

「一色さん」

「雪ノ下先輩? どうしたんですかー?」

「少しあなたに話があるのだけれど、いいかしら?」

「わたしに、ですか?」

「ええ」

「わかりましたー……。あっ、それって時間かかる感じですかね? だったら先に鞄とか取りに行きたいんですけど、いいですかー?」

「そうね……。ではもう一度、ここでいいかしら?」

「そうですねー」

 わたしはそこで一度雪ノ下先輩と別れた後、鞄はクラスに置きっぱなしだったことを思い出して超特急で戻った。正直、いたずらの一つでもされてるんじゃないかと心配になり確認したが、鞄にそういった形跡はなかった。

 そうして別れた場所に再び超特急で戻ると、雪ノ下先輩はわたしより早く戻ってきようで、わたしを待っていた。

「すいません、お待たせしちゃいましたかー」

「いえ、私も今来たところだから大丈夫」

 雪ノ下先輩、その返しはいろは的にポイント高いですよ! どっかの誰かさんは「マジ待った」とかふざけたことぬかしましたからね!

「では、行きましょうか」

 

  *  *  *

 

 わたしと雪ノ下先輩が話をするためにやってきたのはカラオケだった。

 当初こそ不審に思ったが、よくよく考えれば『邪魔が入らない』ということ。そして『わたしにとっても今は都合がいい』という点で、これ以上適した場所は思いつかなかった。

 ただ、お金がかかってしまうという点だけが不満ではあったものの、「付き合ってもらっているのは私なのだから、料金については気にしなくていいわ」という雪ノ下先輩の言葉に甘えさせてもらい、不満は解消した。

 とりあえず飲み物だけ頼み、店員が部屋を出て行った後、わたしから切り出すことにした。

「で、わたしに話ってなんですか?」

「……単刀直入に聞くわ。どうして、あの日に由比ヶ浜さんだけを呼び出したのかしら? あなたなら、何かあれば間違いなく比企谷くんを頼ると思うのだけれど」

 核心をつかれた。

「……結衣先輩にしか話せないことがあったからですよ」

 結衣先輩は、自分の意思で約束を破る人ではないと思う。だからこそ、わたしが結衣先輩を呼び出したことは口止めしておいた。……や、自爆した可能性も結構ありそうだけど。

 それを抜きにして考えても、雪ノ下先輩から見れば不自然に見えたのだと思う。雪ノ下先輩も同様に、結衣先輩を誰よりも近くで見ていた。それは、わたしも理解していた上で実行に移したのだが、あんなことになったのは完全にわたしの予想外だった。だから、結果的に悪手となってしまった。

 結衣先輩は目を腫らしていた。そして、せんぱいをどこかへ連れて行った。わざわざせんぱいを指名するというのは、奉仕部の中での人間関係で考えれば該当する人物は一人だけ。つまり、わたししかいない。実際そう推理したのだろうし、それは間違っていない。

 だから、とぼけたところで論破されるのは目に見えた。だから、嘘であって嘘じゃない言葉を返した。

「そう……」

 わたしの返答を聞いて、雪ノ下先輩はそう告げた後、俯いて考える仕草をする。そして、顔を上げて口を開いた。

「……これは私の推測なのだけれど、あなた、比企谷くんが手を貸す前はろくでもないことを考えていたでしょう? ……さすがに何を考えたかまではわからなかったけれど」

「うえっ」

 あれ? その言葉はわたしの頭の中で聞いた気がするなぁ。

「……どうして、そう思ったんですか?」

「一色さん、だからかしら?」

 雪ノ下先輩はくすっと笑って、わたしを見た。

「……意味はなんとなくわかりましたけど。はぁ、みんなしてわたしのことなんだと思ってるんですかねー……」

「あら、これでも私はあなたを評価しているのよ? ある意味、だけれど」

「喜んでいいのかわかりませんよ、それ……」

 わたしが嫌味のような褒め言葉に苦い顔をすると、雪ノ下先輩は今度はものすごく素敵な笑顔をわたしに向けてきた。わぁー、いい笑顔。

「……どうせ隠したってバレてるでしょうし、まぁ、だいたいは雪ノ下先輩が今言ったとおりですよー。ただ、わたしが結衣先輩に何かしたとかそういうのはないです」

 悪あがきをしたところでわたしが負けることはわかりきっていたので、雪ノ下先輩の知りたかったことをちょっとだけ誤魔化して、口にした。

「なら、馬鹿なことを考えるのはもうやめておきなさい」

「……善処します」

「……それと、あなたは聞いたのね? もしくは、感じ取った、かしら?」

「どちらもですけど。……でも、わたしは結局部外者ですし、何も言えませんよ」

 雪ノ下先輩の言わんとすることを理解して、そう答えた。

「私は一色さんのことをそんなふうに思ってないわ。それに、由比ヶ浜さんも比企谷くんもきっと同じ気持ちのはずよ。……特に比企谷くんは、私たち以上にあなたを大切に思っていると私は思うのだけれど」

「……それでも、わたしには、何も言えませんし、できません」

「なら、あなたが私や由比ヶ浜さんの立場だとしたら。……あなたなら、どうする?」

「……答えは変わりません」

「そう……。……あなたと私って、似ていないようで、似ているのね」

「え、全然似てないと思いますけど」

「そういう意味じゃないわ。……肝心な時、私も、何もできないから」

 雪ノ下先輩は自虐的な笑みを浮かべながら、わたしへ言葉を向ける。

「……そうですね」

「それに、変な意地を張るところとかも、ね」

「…………」

 わたしが言葉を返せずに黙っていると、雪ノ下先輩はでもと言葉を付け足して、様々な感情が綯い交ぜになったような瞳で見つめてきた。

「あなたは、私にないものを持っている。……それが、羨ましいわ」

 その後に吐き出された言葉は、優しさを含んでいて、どこか仄暗い――そんな言葉だった。

「……そんなの、わたしにはわかりませんよ」

「そう……」

 会話はここで途切れてしまい、後はお互い沈黙を貫いた。雪ノ下先輩と二人きりで話すのはこれが初めてだったが、思っていたより居心地は悪くなかった。だが、話す内容が重すぎてお互いにいたたまれなくなってしまい、自然と「もうそろそろ帰りましょう」という雰囲気になってしまうのは当然だった。

 結局一言も交わさないまま店の外に出ると、重々しく口を開き、先に沈黙を破ったのは雪ノ下先輩だった。

「……付き合わせてしまってごめんなさい」

「い、いえ……。わたしも、なんだかすいません」

「その、私も、ごめんなさい」

 お互いになんで謝っているのかわからない謝罪をすると、バカバカしくなってしまい、わたしはくすっと笑った。

 それに釣られたのか雪ノ下先輩も同じように笑ってくれた。

「……一色さん、また、来てくれるの……かしら?」

 そう尋ねる雪ノ下先輩の表情の裏に隠れたものは、はっきりとはわからない。

「……落ち着いたら、そのうちには」

「待っているわ。……じゃあ、また」

「……はい。また学校で」

 再び重々しい空気になる中、なんとか別れの挨拶を交わした後は雪ノ下先輩と違う方向へわたしは歩き出した。さながらその構図は別々の道を歩んでいるような――そんな錯覚に陥った。

「一色さん」

 わたしを呼び止める雪ノ下先輩の声にわたしは振り返る。

「なんですか?」

「……そのヘアピン、あなたによく似合っているわ。……よかったわね」

「……ありがとう、ございます」

「それだけよ。……じゃあ、さようなら」

 最後に小さく手を振った雪ノ下先輩の後ろ姿を見ながら、ふと考えた。すると、その刹那に平塚先生が言っていた言葉と、葉山先輩が痛々しく呟いた言葉が脳裏をよぎった。そして、理解した。

 

 ――あぁ、わたしは間違い続けている、と。

 

 

 

 

 




勢いって大事(白目)
プロットを元に勢いのままガッシャーンと書いたんですがとりあえず形にはなってますかね……。

多分次で二章最後になるかなーと思いつつ下手すればもう一話分伸びるかも。

それでは、駄文でしたがここまでお読みくださりありがとうございました!

※ちょっと改稿しますた。


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2#10

  *  *  *

 

 雪ノ下先輩と別れた後、わたしはさっさと帰路につく。そうして自宅に戻ると夕食は既にできあがっていたので、着替えを済ませ、すぐに夕食をとった。

 日課をひととおり済ませた後、ベッドに寝転がり、わたしは考え始める。

 わたしが間違い始めたきっかけはいつだろう? 頭の中でひたすら時間を遡った。すると、思い当たることが一つだけ浮かんだ。間違いなく、きっかけはここなのだと思う。

 それは、以前に総武高校受験者の合格発表があった日。小町ちゃんの合格記念パーティーを奉仕部でやるとのことで、当日わたしにも結衣先輩からお誘いがあったのだが、わたしは断った。

 奉仕部というあの三人が作り上げた特別な空間にわたしも含まれていると思うと、もちろん嬉しくはあったが、わたしは奉仕部の一員でもなく、結局はそれに近しい存在に過ぎない。だから、わたしが胸を張ってあの人たちに並べる存在になるまではと、変な意地を張っていた。

 実際に結衣先輩から話を聞いた後は、この時の選択はやっぱり間違ってなかったと思っていた。ほんの少しの綻びで、瓦解しかねない空間に戻ってしまった時期にわたしがいたところで、何もできずに立ち尽くすか、綻びを大きくすることしかできないと思っていたから。

 でも、それがそもそもの間違いだった。

 じゃあわたしは本当はどうしたかったのか――次にそれを考えた。わたしはせんぱいの居場所になりたかった、それは嘘じゃない。

 でも、違う。

 わたしはわたしの奥底にある、わたししか知らない汚い部分を見せるのが嫌で、何かを建前にして、理由にして、諦めようとして、それでも諦めきれなくて、都合のいい時だけ甘え続けた結果、わたしは今、中途半端な状態になっている。

 そんなものはいらない――わたしはそう願った。でも、今のわたしは結果的に嫌っているそんなものに成り下がってしまっている。

 だからこそ、平塚先生の言うとおり、わたしには傷つく覚悟も、傷つける覚悟も何もかもが足りていない。あの時、簡単に揺らいだ決意こそがその証明だった。

 そうしてわたしはせんぱいにまた助けてほしいと願った。それはわたしの本音だ。今にして思えば、誰かに感情の奔流をぶつけたのは『一色いろは』という存在が確立してからは、初めてな気がした。

 でも、せんぱいはきっと勘違いをしている。だから、間違って食い違った。

 せんぱいが土曜日に言っていた「前提が間違っている気がする」という言葉は、あっているようで実際には間違っている。だって、わたしの心の中にある前提と呼べるものとはすれ違っているから。現に、わたしはそれを肯定してしまっていたし、それでいいと思っていた。

 だからこそ、まずはそこから問い直さなくてはいけない。『一色いろは』という存在は肯定し続けることで、きっと救われる。でも、心の中で咽び泣くわたしは救われないままだから。

 きっとそれを理解した上で、葉山先輩は私に問いかけたのだろう。

 ――本当に、それだけでいいのか? と。

 答えは、否だ。わたしはもっと欲しいものがある。

 

 なら、わたしが本当に望んだものは?

 ――わたしが本当に欲しいものは、最初から何も変わっていなかった。

 

  *  *  *

 

 翌日――というよりは、時計の長針が三、四周ほどした後、わたしは重い体を起こして自室の窓から外を覗く。

 すると、雨が降っていた。どうやらわたしは天気に恵まれているようだ。

 わたしは身支度を整えた後、挨拶を済ませ、自宅を出て学校へ向かう。

 雨に少しばかり制服を濡らしながらも学校に辿り着くと、相変わらずわたしをちらちらと見てくる生徒はいたが、悪意のある視線というよりは、ばつの悪そうな――そんな視線だった。

 しかし、わたしにとってはそんなもの既にどうでもよくなっていて、わたしはそれらを全て無視して自分の席へ着き時間がただ過ぎるのを待った。

 そうして昼休みを終え、午後の授業を乗り切ったわたしは職員室に向かい、中にいた平塚先生に声をかけた。

「先生、今日の校外清掃は雨で休みってことにしちゃっていいんですかねー?」

「そうだな。仕方あるまい」

「わかりましたー。それと、生徒会室の鍵、お借りしていいですかー?」

「……何か残っている仕事でもあるのか?」

「はい。わたしだけ……ですけど」

「そうか……」

 平塚先生はふっと笑いながら、生徒会室の鍵をわたしに渡してくれた。職権乱用もいいところだが、きっとこの人はわたしが何をしたいのか理解した上でそうしてくれたのだろう。こんな素敵な人なのになんで結婚できないのかなー……。男前すぎて女子力が足りなすぎるのかなー……。

 わたしは職員室を後にして、生徒会役員に『今日の生徒会活動は休みにします』という業務連絡をメールで済ませた後、一人生徒会室へ向かった。

 生徒会室の鍵を開け、中に入った後わたしは一通のメールを送った。そして椅子に腰掛けることもせずに、立ったまま窓の外を眺め続けた。

 しばらくすると、無遠慮に開かれた扉からわたしが呼び出した人物が姿を現す。

「あ、せんぱい。お待ちしてましたー」

「おう。……そんで、話したいことってのはなんだ」

 わたしは『依頼のことについて話がしたい』という理由で、せんぱいを呼び出した。そうでなければ、きっと来てくれないと思ったから。

「……いろいろ、すいませんでした」

 わたしはぺこりと頭を下げる。

「……一色、熱でもあるのか? お前がそんな態度とるとか後が怖いんだけど……」

「……せんぱい、わたしだって傷つくことくらい、あるんですよ?」

「あ、いや……。……その、悪かった」

「まぁ、それについてはせんぱいに後で慰めてもらうことにしますね」

「ちょっと待て、なんでそうなる」

「まぁまぁ、いいじゃないですかー」

「いや、ちっともよくねぇから……」

 わたしへ抗議の視線を向けるせんぱいを無視して、わたしは咳払いをした後、本題に入る。

「……せんぱい、全部説明してもらえますか? どうして葉山先輩たちなんですか?」

「……あいつら余計なことまでお前に言いやがったな」

「そういうの今はいらないんでいいから早くです、早く」

 ――わたしが何も伝えないまま時間切れなんて、絶対に嫌だ。

「何をそんなに焦ってんだよ……」

「だーかーらー」

「わかったわかった。……平塚先生の言うとおり、あれだけじゃ決め手に欠ける。だから、他にできることはないか考えた。そんな時、お前が言っていた別の案のことを思い出した」

「あー……現実的じゃないやつですか」

「そうだ。そこで葉山本人が噂されなくても、葉山のブランドイメージだけをうまく使う方法がないかを考えた。そこで、お前とどう結びつけるかという別の問題が出てきたわけだが、トップカーストを中心に広がってるってのを利用すれば簡単に答えは出た。三浦はそういうのが大嫌いだし、葉山は自分が同じ目にあったからいい気はしてないと思った。だから、正直聞いてくれるかどうかは賭けだったが……頼むことにした」

「ふむふむ」

「だから、お前は二人と話を合わせておけば後は周りが勝手に判断してくれる。『葉山と三浦はお前を気にかけている』ってな。そうすりゃ噂は終息までいかなくとも、直接的な被害が出る前に牽制くらいにはなる。それに、お前にとっても葉山に近づく口実ができた上に、アピールするチャンスにもなるだろうしな。……三浦に関しては頑張れとしか言えないが、まぁ、そんなんいまさらだし大丈夫だろ」

「……なるほど」

 ――やっぱり、そうなんですね。

「理由はわかりました」

「んじゃ、もういいか?」

「まだです」

「えぇ、まだ何かあんの……」

「……はい。今度は、わたしの話、です」

 

 わたしは一度、大きく息を吸い込み、吐き出した後、真剣な眼差しをせんぱいへ向けた――。

 

 

 

 

 




文章まとめる力なくて本当嫌になりますねー(白目)
すみません、文字数は大したことないんですが分割します。
三章はどうなることやら……げふ。

とりあえず、出来た分投稿しておきます。


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2#11

  *  *  *

 

 ――正直、怖い。

 自分以外の人に、ましてや自分にとって特別な人に心の中を打ち明けることがこんなにも怖いだなんて、想像したこともなかった。

 恥ずかしさもプライドも全て投げ捨てて雪ノ下先輩と結衣先輩に本音を曝け出したせんぱいも、それを受け止めようとした二人も、どれほどまでの覚悟を持っていたのだろうか。

 いや、覚悟なんて大層なものはなかったかもしれない。ただ、そうすべきなのだと思っていただけかもしれない。どちらにせよ、馴れ合いや傷の舐めあいの関係を望むだけなら、きっとできないことだと思うし、純粋に凄いとわたしは思う。

 でも、わたしは第一歩を踏みださなくてはいけない。もうわたしに残された時間は少ない。これからの関係の保障なんてものもどこにもない。

 でも、雪ノ下先輩は言った――わたしには、選べるからと。

「せんぱい、覚えてますか?」

「何を」

「……わたしが、葉山先輩に告白した時、わたしがせんぱいに言った言葉です」

「……二つほど思い当たるが、それは依頼と関係ないだろ」

「あります」

「……どう関係あんだよ」

「……わたしの依頼は、わたしを助けてくださいって依頼でしたよね」

「ああ」

「きっとこのままいつもどおりでいれば、わたしは『葉山先輩が大好きな一色いろは』として、楽しく過ごせると思うんです」

「ならいいじゃねぇか」

「でも……」

 うまく心の中を整理したはずなのに、そこでわたしの言葉は消えてしまった。

 不恰好でもいい、無様でもいい、情けなくてもいい、伝えたい。涙でぐしゃぐしゃになって言葉ですらなくなっても、聞いてほしい。

 ――わたしは……。

「……一色?」

 わたしが言葉に詰まってしまい、黙ったままなのを気にして、せんぱいは声をかけてくれる。

 でも、ここで妥協してしまったらきっと、何度チャンスがあったとしても、同じことの繰り返しだ。

 わたし自身が止めてしまった時間を取り戻すために、言葉を心の中で探した。わたしの言葉で、わたしが伝えなきゃ、ずっと時間は止まったままだから。

 わたしがこの先どうなるかなんて、わたしにもわからない。でも、今のわたしが何もしないままだったら、何もない未来しかないと思うから。

 何もない未来より、意味のある後悔のほうが、ずっといい。

 ――本当にそれだけでいいのか?

 嫌だ。よくない。そんなの、いらない。

 ――負けたくない。

 雪ノ下先輩にも、結衣先輩にも、わたしがまだ知らない誰かにも、絶対に負けたくない。

 そう思った時、言葉は浮かんだ。どんなに拙くても、抽象的でも、伝えなきゃ絶対に始まらないから。

「……わたしは、そんなの、いりません」

「……は?」

「こんな気持ちになるくらいだったら、噂されても、バカにされても、いいです。……だから、わたしの依頼、取り消してください」

「いや、お前何を言って……」

「ずっと考えて、やっとわかりました。わたしの依頼を解決できるのは、わたししかいなかったんです。……それに、上辺だけ取り繕ったって、そんなの、わたしの欲しい“本物”じゃないんです。せんぱいたちを近くで見てきたから、わたしにもわかったんです。だから、わたしは周りにどう思われようとどうでもいいです」

 呆気にとられているのか、せんぱいは何も言わないままだった。それでも、わたしは一方的な主張を続ける。

「だから、ちゃんと言います。わたしは……もっとせんぱいのことも、せんぱいの気持ちも、せんぱいの心の中も、ちゃんと知りたいです。これからもずっと、せんぱいの近くで知っていきたいって思ってます」

「お前、それって……」

「……わたしの気持ちを聞いて、せんぱいがどうするかは……今は聞くつもりありませんから、言わなくていいです。……まだいろいろとわだかまり、残ってるでしょうし……」

 知りたいのに、今は知りたくない。こんなの、わがままもいいところだ。でも、それでもわたしは、欲しいから。

 誰かのために取り繕った答えだとか、誰かを傷つけないような答えだとか、そういうのも、いらない。

 わたしのことをちゃんと考えて、わたしのためだけに考えた答えが欲しい。だから、今は聞きたくない。

「……一色、あのな」

「でも!」

 わたしはここでせんぱいにその言葉を言わせないように遮った。わたしが欲しいのは、そういう言葉じゃない。

「……わたしのことをちゃんと知ろうともしないうちから、勝手にわたしの気持ちを『勘違い』と決めつけないでくださいね?」

 わたしはせんぱいのことをちゃんと知りたい。そして、わたしのこともちゃんと知ってほしい。

 わたしがちゃんと考えて、上辺のわたしを捨ててまで出した答えを、そんな言葉で片付けて、否定して欲しくない。

「……はぁ。……お前、葉山はどうしたんだ」

「それこそせんぱいの言う『勘違い』ですよーだ」

「意味がわからん……」

「正直、葉山先輩に告白した時には既によくわかんなくなってたんですよね」

「じゃあなんで告白したんだよ……」

 わたしは、あの一日のことを懐かしむように思い出しながら口を開く。

「……あの時は葉山先輩こそわたしの“本物”だと思ってましたから。でも、今になって考えればわたしもいろいろ『勘違い』してたんですよね。葉山先輩に恋するわたし可愛い、みたいな? そんな感じだったかもです。……それに、葉山先輩のことをちゃんと見れてなかったんだなーって、最近になってよくわかりましたし……」

「……葉山となんかあったのか?」

「まぁ、ちょっとありましてー……。……素の葉山先輩、ほんといい性格してますね」

「あ、あぁ、まぁ、うん、たぶん?」

「超幻滅しました」

 苦笑交じりに言うと、せんぱいはため息を吐く。……え、なんで?

「それ、お前は人のこと言えないと思うんだけど……」

「どういう意味ですかー!」

「そのまんまの意味だ。実際、お前もいい性格してんぞ。もちろん悪い意味で」

「相変わらずひどいですね……。まったく、もう……」

 わたしがくすっと笑うと、せんぱいも緊張がとけたのか釣られてふっと笑った。

「っつーか、それなら今までのアピールとやらはなんだったんだよ」

「だって、理由がないとせんぱい、わたしにかまってくれないんですもん」

「お前の相手すんの、めんどくせぇからな」

「……わたしが悪いってのはわかってますけど、泣いていいですか?」

「甘いな一色。その手の嘘泣きは小町で慣れてるから、俺には通用しない」

「じゃあわたし、泣いたまま平塚先生のところに行きますね」

「わかった、俺が悪かった。だからそれだけはやめてくれ。物理的に死んじゃうから」

「……そんなことより、せんぱい。これから言うことも、ちゃんと聞いてくださいね」

 わたしは一度、自分の心の中を確かめる。そして、何度も見て見ないふりをした咽び泣くわたしに、初めて手を差し伸べる。

「だからわたし、葉山先輩のことはもういいんです。わたしは、葉山先輩と一緒にいるより、せんぱいと一緒にいたいんです。だから、これからはちゃんとせんぱいと向き合います。わたしがわたしらしくいれるのは、せんぱいの前だけなんです。だから……」

「断る」

 わたしの決意は最後まで言い切る前に途中でばっさりと切られてしまった。でも、そこで諦めるなんて、わたしは絶対にしたくないし、絶対にしない。

「だめです」

「ねぇ、俺の拒否権ってないの?」

「あるわけないじゃないですか、そんなの」

「……はぁ」

「……それに、せんぱいだって言いましたよね? わたしは素のほうが可愛いって」

「おい待て、何さらっと捏造してんだ……。確かに素のほうがまだマシとは言ったが、そういうふうには一度も言ってねぇよ」

「まぁまぁ、どっちでもいいじゃないですかー」

「いやよくねぇから。意味が変わっちゃうだろ……」

 わたしが肩をぽんぽんと叩くと、せんぱいは心底鬱陶しそうな表情をする。

「あの、せんぱい」

「なんだ」

 わたしは居住まいを正して、真剣な眼差しをせんぱいに向ける。

 そして、わたしの決意をちゃんと受け止めてもらうために、遮られてしまった言葉の先をもう一度手繰り寄せた。

「だから、これからは……ちゃんとわたしとも、向き合ってくださいね」

「……考えとく」

 せんぱいはわたしから目を逸らしながらも、相変わらず現実味のなさそうな返答をする。ただ、そこには否定や拒絶といったものはなさそうだった。

 そのことに安心しながらも、わたしはもう一言だけ付け足すことにする。

「それと最後にもうひとつだけ、いいですか?」

「あ?」

「……覚悟してくださいね? わたし、本気ですから」

「……うげぇ」 

 わたしが選んだ道は、数ある選択肢のうちの、たったひとつに過ぎない。その選択が正しいものか、間違ったものかもわたしにはわからない。

 けど、選んだのは他でもないわたし自身だから。それでも、他の人からしてみれば、この選択は間違っているのかもしれない。

 でも、問い直すことができるのなら、問い直せばいい。二度と問い直すことも、選び直すこともできない分岐なら、後悔のない選択をすればいい。

 三人と一人――そんなわたしだからこそ、わたしの望む関係になれなくても、せんぱいの背中を押してあげたり、傷を拭うことくらいはしてあげたいから。

 

 わたしはそんなことを考えながら、小さく微笑んだ――。

 

 

 

 

 




八幡の誕生日に合わせて急いでガッシャーンしました。
なんとか上げたかったので、ちょくちょく書いてましたが形になったと思います。

思ったより短かくなってしまった……。
これなら10話とまとめてしまえばよかったかも。

ここから三章に続く予定だったのですが、変更して二章のアフター的なお話を挟みます。

あと、お話の繋がり的にいろはが何も変わってないってのは変だと思いますので
三章あたりからちょっとずつデレさせていくと思います。

ではでは、ここまでお付き合いくださりありがとうございました!

※諸事情により、ちょっとだけ地の文を付け足しました。


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第二章 ―続―:彼と、彼女たちが見つめているものは。
A#01


  *  *  *

 

 四月十六日。

 世間にとってはこれといって特別な日というわけでもなく、ロマンチックでもないただの一年のうちの、たった一日に過ぎない十七年前の今日。わたしはこの世界に生まれてきた。

 子供の頃は、七夕やクリスマスが誕生日である同級生に憧れたりとだいぶ乙女チックだったのだが、年を重ねていくにつれて打算的なことばかり考えるようになったあたりは大人になったのだとつくづく思う。

 そんなわたしが『一色いろは』という存在を確立してからは、男子がわたしのポイントを稼ごうとお誘いの声をかけてきたり、おねだりしたプレゼントをもってきたりとチヤホヤされながら過ごす……というのが去年までの恒例だった。そして、これからもそうなるのだと、それでいいのだとわたしは思っていた。

 今年も当然、ポイント稼ぎのためにわたしに近寄ってくる男子はいたが、全て断った。はっきりと、いらないと口にした。

 ――そういうのは、もういらない。だから、もうやらない。

 その日の昼休み、わたしはそんなことを考えながら鍵を借りて生徒会室で昼食をとっていた。

 普段なら何も気にすることなく自分のクラスで済ますのだが、今日だけはいろいろなしがらみから開放されたかった。

 この静かな空間に一人きり、というのがとても気楽で心地よいものだと感じるあたり、わたしもぼっちの素質は充分にあるのかもしれない。

 なんて考えているとポケットの中で携帯が震えた。

 画面にはメールを受信したという通知があったので送信者を確認すると、嬉々とした顔になったことが自分でもわかった。

 わたしは早く放課後にならないかなーと思いながら返信を済ませた後、再び昼食をとり始めた。

 

  *  *  *

 

 放課後になり、校外清掃をするために集合場所である校門脇に向かっていると、遠巻きに奉仕部の三人の姿が見えた。近づいていくと、結衣先輩がわたしに気づいて手を振ってくれた。

「いろはちゃん、やっはろー。今日もよろしくね!」

「こんにちは」

「結衣先輩、雪ノ下先輩、こんにちはー。それと、せんぱいも」

「おう」

 挨拶を済ませ、他の生徒会役員が揃うのを待っていると、わたしのある一点を結衣先輩が見つめていることに気づく。

「結衣先輩……?」

「あ、や、やー、なんでもないよ!」

 困惑した顔で小さく手を振りながら結衣先輩は答えたが、わたしには結衣先輩が何を知りたがっているのかわかっていた。きっとそれは雪ノ下先輩も、せんぱいもわかっているのだと思う。でもそれは、今この場で言うべきことじゃない。わたしは、結衣先輩をただ傷つけたいわけじゃない。だからこそ、わたしも言葉を飲み込んで、濁した。

「……そ、そうだいろはちゃん。この後って、なんか予定あったりする?」

 変な空気にしてしまったことを気にしてか、取り繕うように結衣先輩は話を切り替えた。

「まぁ、あると言えばありますけど……なんでですか?」

「由比ヶ浜がお前の誕生日パーティーを奉仕部のメンバーでやりたいんだとさ」

「……なるほど」

 せんぱいが昼休みにメールで『放課後、空いてるか』と尋ねてきたのはそういうことらしい。わたしは頭の中でカラフルなことばかり考えていたが、やっぱり現実は甘くなかった。

「あ、でも予定あるんじゃしょうがないよね……」

「や、大丈夫ですよー」

「えっ、いいの?」

「はい。わたしのために考えてくれたことを、無駄にしたくないですし」

「ほ、ほんとに!? よ、よかったぁ……」

 わたしがそう答えると、結衣先輩はほっとしたのか胸を撫で下ろした。

「……とりあえず、その話は後にしましょう。一色さん、そろそろ」

 雪ノ下先輩に言われ、ふと周りをみるといつのまにか全員揃っていた。

「あ、そうですね。……それじゃあ、今日もいつもと同じ感じで、よろしくです」

 わたしは全員に指示を出した後、自分の持ち場へ向かった。

 

  *  *  *

 

 いつもどおりに校外清掃を終え、一度鞄を取りに校舎へ戻った後、校門脇でぼーっとしながら奉仕部の三人を待っていた。

 今回は雪ノ下先輩と結衣先輩が一緒、という点では違うのだが、先週に同じような出来事があったにもかかわらず、それがどこか懐かしい思い出のように遠く感じるのは、わたしを取り巻く日常やわたし自身に変化があったせいだろうか。

 あと三か月も経てば、こうして時間を共有することも、時間を作ることすらも限られてきて、少しずつなくなっていく。

 そんなことを考えていると思わずため息がこぼれた。吐いた息は、寒くないはずなのにやけに白みがかっているような気がした。

「いろはちゃん、お待たせー!」

 わたしが声のするほうへ首を向けると、結衣先輩がぱたぱたと駆け寄ってくる。その後ろに雪ノ下先輩と、気だるそうに自転車を押しながら歩くせんぱいの姿も見えた。

「ごめんなさい、待たせたかしら?」

「あ、いえ。わたしも今来たところなんで大丈夫ですよー」

 わたしはそう答えた後、「ほら、わたしとデートする時のお手本ですよ!」という意味を込めた視線をせんぱいに向けたが、訝しむような顔をされただけだった。ぐぬぬ……。

「じゃ、行こー!」

 結衣先輩が心底楽しそうな顔をしながら歩き出したので、全員がそれに続く。

「あのー、パーティーってどこでやるんですか?」

「ヒッキーんちだよ!」

「え、マジですかそれいつから決まってたんですか」

「比企谷くんの……いえ、小町さんの家というべきかしらね」

「人のこと居候みたいに言うのやめてくんない? 働かないって意味なら間違ってねぇけど」

「それじゃあ同じじゃない……」

「あはは……」

「ていうか、いいんですか?」

 わたしがちらりとせんぱいの顔色をうかがうと、大層苦い顔をしながらせんぱいが口を開いた。

「俺の知らん間に決定事項になっててな……」

「そ、それについてはごめんってば! でもヒッキー、普通に誘っても絶対やだって言うし、だったら小町ちゃんに言ったほうがいいかなーって……」

 結衣先輩の言うとおり、せんぱいを動かすなら、確かに小町ちゃんを使うのが一番だ。

「まぁ、せんぱいですしねー」

「そうね、比企谷くんだものね」

 雪ノ下先輩がわたしの言葉にふっと笑った。

「あ、でも、結衣先輩。わたしが来れなかったらどうするつもりだったんですかー?」

「え? あ、え、えっと、ど、どうしよう……?」

「結衣先輩……」

「考えてなかったのかよ……」

「はぁ……」

「だ、だってせっかくいろはちゃん誕生日なんだし、いろいろしたかったんだもん!」

 呆れたため息を吐くせんぱいと雪ノ下先輩に、結衣先輩は慌しいそぶりをしながら答えた後、一転して静かに、仄暗さが混じったような表情で、呟くように言った。

「……それに、いろはちゃんがいてよかったこと、いっぱいあったじゃん。だからその、恩返しというか……したいしさ……」

「へ? や、わたしは何も……」

「……そうね」

「……まぁ、そうだな」

 雪ノ下先輩はどこか遠くを見つめるような表情で、せんぱいは安心したような笑みを浮かべながら、そう答えた。

「あ、あのー……」

「と、とりあえず行こっか!」

 わたしが困惑したままでいると、結衣先輩は雰囲気が壊れないように明るく振る舞いながら、ぱたぱたと暗く染まった道を駆けていく。

 そんな結衣先輩を見て、慈しむような微笑みを浮かべた後、雪ノ下先輩も静かに歩き出した。

「せんぱい」

「あ?」

 わたしは隣で二人の姿を見送るように、見守るように、ただ立ち尽くしたままのせんぱいに声をかけた。

「せっかくわたしの誕生日なんですし、今は一緒に楽しみましょうよ。そんな顔されたらわたしまで悲しくなるじゃないですか」

「……そうだな、悪い」

 わたしも、せんぱいもきっとわかっている。踏み出した以上、逃げ続けて、見て見ないふりをして、気づかないふりを続けることも、もうできないのだと。

「わたしには何もできませんし、どうすることもできません。でも、わたしはせんぱいがどんな答えを出したとしても、近くにいたい気持ちは変わりません。後悔もしません」

「一色……」

「だから、ちゃんと考えてくださいね。雪ノ下先輩のことも、結衣先輩のことも、わたしのことも全部、納得できるまで。わたし、ちゃんと待ってますから」

「……あぁ」

「話はこれで終わりです。ほら、せんぱい。おいてかれる前に行きますよ」

 今すぐ抱きしめて、全て受け止めてあげたい。そんな気持ちを抑えながら、わたしがいつものようにせんぱいの袖をくいくいと引っ張りながら歩き出そうとすると、不意にわたしの頭に手が置かれる。

「サンキュ」

「あっ……」

 

 その手の温もりは、わたしが知っているどんなものよりもやっぱり温かかった――。

 

 

 

 

 




本来なら三章にぶちこむ予定だったお話ですが、中途半端な長さになってしまう可能性がでてきたので急遽、二章の後日談という形に予定変更となりました。

誕生日編の続き、デート編、そして三章と繋げる予定ですがまた変わるかもしれません。


ではでは、もう少しお待たせすることとなってしまい申し訳ありませんが、続きも読んでくれると嬉しいです!


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A#02

  *  *  *

 

 街灯や様々な看板の光が照らし出す夜道を歩いていると、ときどき夜風が吹いて散った桜の花びらをひらひらと舞わせながらわたしの頬を撫でていく。

 それがやたらと冷たく感じるのは、わたしの顔がいつもより赤く染まっているせいだろう。

 わたしがせんぱいに頭を撫でてもらった時間はとても短いものだったが、その感触は鮮明に覚えていて、未だに心臓がどきどきと早鐘を打っている。

 雪ノ下先輩と結衣先輩に見られたかなと少しだけ顔をあげると、相変わらず日常の一ページに花を咲かせていて気づいているようには見えない。だが、気づいていないふりをしている可能性があることも否定はできない。

 わたしは嬉しさと恥ずかしさ、後ろめたさが入り混じった表情で再び俯いて少しだけ歩調を速めると、隣で自転車を押しながら歩くせんぱいも自然に、いつものように合わせてくれる。

 そういうところ、ほんとにあざといなーと思いながら歩いていると、二人の後ろ姿が近くなっていく。

「二人とも遅いよー!」

 わたしとせんぱいが追いついたことに気づいた結衣先輩は立ち止まり、ぷんぷんという擬音が浮かぶように頬を膨らませる。その自然な仕草は結衣先輩の人柄も手伝っているせいか、やけに可愛らしく見えた。

 わたしもそういった仕草をすることは多いが、それは自分を可愛らしく見せる方法の一つとして意図的にやっていることが多い。表面上は魅力的に見えても、内面は打算や腹黒さ、汚さで染まっている。

 そんなわたしとは違って、城廻先輩や結衣先輩は意図的にやっているわけじゃない。自然と、素直な感情がそういう仕草に繋がっているので、同じように見えてまったく別の物だ。見る人が見ればはっきりとわかる。

 結局はわたしは養殖と呼ばれる“偽物”であって、“本物”じゃないと、勝てるわけがないのだと諦めてしまっていた。

 でも、心の中ではそれを否定したいわたしがいて、結果、中途半端に手を伸ばそうとして引っ込めて、また手を伸ばそうと繰り返す。それが、少し前までのわたしだった。

 そんなことを考えていたせいで険しい顔になっていたのか、わたしを心配するように結衣先輩が尋ねてくる。

「いろはちゃん、どしたの?」

「あ、いえ、なんでもないですよー」

「……そう?」

 可愛らしく首を傾げる結衣先輩の仕草はやっぱり純粋で、可愛らしい。それを見たわたしの心の中で嫉妬と羨望が生まれ、複雑に入り混じったせいで、もやもやする。

 そんなわたしの様子を見た雪ノ下先輩が静かにかぶりを振った。深く考えないほうがいいというニュアンスが込められていたので、わたしはそれに従い小さく頷く。

「ところで、小町ちゃんはどうしてるんですかねー?」

 そして、まとわりつく感情を振り払うようにわたしは話を逸らした。

「小町さんにはできる範囲での準備をお願いしたのだけれど、それでも一人じゃ限界があるでしょうね。だから後は私が手伝って何とかするわ」

「ゆきのん、あたしも手伝うよ?」

「いえ、由比ヶ浜さんはゆっくりしていて構わないわ。だから余計なことは絶対にしないでね、絶対に、絶対によ」

「相変わらず言い方がひどい!?」

 表情をころころと変えながら雪ノ下先輩に泣きつく結衣先輩と、それを迷惑そうにしつつも抱きつかれたままの雪ノ下先輩も、二人とも素敵な女の子。

 そんな二人と比べれば出会った時期も遅く、一緒に過ごした時間も少ない。ようやくスタートに立てたわたしじゃ足元すら見えていないだろう。でも、何もしないまま、負けたくない。

 わたしは二人から見えないように、隣にいるせんぱいの制服の裾をくいっと、控えめに掴む。

「どした」

「いえ、なんでもないですよ?」

「じゃあなんで掴んでんの……」

 わたしは自分の右手が掴んでいる小さな繋がりを黙って見つめたまま、答える。

「……わたしがそうしたいから、ですかね」

「ああ、そう……」

 

 ――だから、ちょっとくらいずるいことしたって、許してほしい。

 

  *  *  *

 

 閑散とした住宅街に差し掛かるにつれ、駅前や大通りの喧騒は徐々に聞こえなくなっていく。時刻も相まってか、聞こえてくるのは足音と、車やバイクの音、そして犬や猫といった動物の声だけだった。

 わたしは先週の土曜日、小町ちゃんに連れられてこの道を通った。遠くに見えるコンビニの看板も、塗装が剥げて少し錆びている標識も、確かに覚えている。

 そういえばと結衣先輩へ視線を向けてみれば、辺りをきょろきょろしながら「この辺だったような……」と呟いていた。あぁ、やっぱり結衣先輩も行ったことあるんですね、せんぱいのおうち。

 今度は雪ノ下先輩へ視線を移してみると、身体を隠すように肩を抱きながらきょろきょろしていて。この場所に初めて訪れたような、そんな視線の泳がせ方だった。あぁ、雪ノ下先輩は行ったことないんですね、せんぱいのおうち。

 そのまましばらく歩いているうちに、先週の土曜日に訪れたばかりの一軒家が見えてきたので、わたしは掴んでいた繋がりを離した。

「自転車置いてくるから、先あがってていいぞ」

「そう? じゃあ、お言葉に甘えて」

「あ、うん。お、お邪魔します」

 門扉を開きながらせんぱいがそう言うと、雪ノ下先輩と結衣先輩は返事をした後、玄関の扉を開いて中に入っていく。開いた扉の隙間からは、小町ちゃんの賑やかな声が聞こえてきた。

 わたしは中には入らずにもう一度せんぱいの制服の裾を掴み、今度は少しだけ強めに引いた。

「いや、お前何してんの。あがってていいから」

「や、そうじゃなくてですねー……。……もう少し、こうしてたいっていうか」

「そのままだと俺動けないんだけど……」

「いいじゃないですか、ちょっとくらい」

「はぁ……」

 わたしが拗ねたようにそう言うと、せんぱいは諦めたようにため息を吐いた。

 しばらくしてから、名残惜しむように掴んでいた裾を離し、わたしは玄関の扉を開く。すると、中からぱたぱたとエプロン姿をしたまま小町ちゃんが駆け寄ってくる。

「あ、小町ちゃん、こんばんはー」

「いろはさん、いらっしゃーい。ささ、あがってください。あ、お兄ちゃんもおかえり」

「おう、ただいま」

「わざわざありがとね、小町ちゃん。それじゃあ、お邪魔しまーす」

 小町ちゃんに案内されてリビングへ向かうと、結衣先輩が食器を準備しながら声をかけてきた。

「あ、やっと来たし」

「すいません、結衣先輩。わたしも手伝いますー」

 わたしが床に鞄を置いて手伝おうとすると、結衣先輩がそれを手で制止した。

「や、いろはちゃんはゆっくりしてていいよ? 今日は、いろはちゃんのためなんだし」

「そうですか? じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいますねー」

「うん! ほら、ヒッキーも手伝って」

「へいへい……」

 わたしは近くにあったソファに座った後、小さな空間を眺める。

「小町さん、塩はどこかしら?」

「その棚にありますよー」

 雪ノ下先輩はキッチンで料理を作っていた。その隣で小町ちゃんがお手伝いをしていた。……あれ? さっき言ってたことと違って立場が逆転してません?

「ゆきのーん。やっぱりあたしもそっち手伝おっか?」

「小町さんがいるから大丈夫よ。それより、由比ヶ浜さんは余計なことをしないように力を入れてちょうだい。もう一度言うけれど、絶対に、絶対によ」

「まさかの二回目!?」

「そうだぞ由比ヶ浜。人様の誕生日を台無しどころか大惨事にする気か」

「あたしってそこまでなんだ!?」

「そんなにひどいんですか……。ちょっと、興味あるかもです」

 わたしがなにげなく口にした一言に、全員が反応した。

「おい一色、正気か。間に合わなくなっても知らんぞ」

「一色さん、やめておきなさい。絶対に後悔するわよ」

「今度は直球だ!? ていうか、ちょっとはマシになったんだからね!」

 ふてくされたように頬を膨らませる結衣先輩に、小町ちゃんがそっと優しい声音で声をかけた。

「結衣さん、小町は結衣さんの味方ですよ」

「小町ちゃん……」

「……でも、小町はお兄ちゃん、雪乃さん、いろはさんの味方でもあるのです。だから、小町には何もできないのです」 

 てへっといたずらっぽく舌を出した小町ちゃんの仕草は、なんだか自分を見ているようで思わず変な気持ちになった。……ちょっと控えようかな、うん。

「それより、こっちもう終わるぞ」

 うわーんと泣き声をあげる結衣先輩を無視して、せんぱいが雪ノ下先輩へ声をかけた。

「……小町さん、お願いしていいかしら」

「はいはーい」

 小町ちゃんが冷蔵庫の扉を開き、箱のようなものを取り出した。それをテーブルの上に置くと、きらきらとした瞳でわたしを見つめながらふっふっふーと含み笑いをする。

「じゃーん! 奉仕部特製ケーキでーす!」

「おお、なんだこれすげぇ。お前らよくこんなの作れるな」

 小町ちゃんが箱を空けると、近くにいたせんぱいが珍しく感嘆の声をあげた。

 わたしの座っているソファからは箱しか見えないので一度立ち上がり、近づいて中を覗く。すると、中にはホールのショートケーキが入っていて、装飾のように散りばめられたチョコチップやフルーツがとても豪華に見える。

「わ、なんですかこれ。え、ていうかこれ普通にお金とれるレベルだと思うんですけど」

「気合いれちゃいましたー!」

 小町ちゃんが心底楽しそうに、きゃいきゃいとはしゃぐ。

「いろはちゃん、ありがとね」

 結衣先輩がしっとりとした声音でわたしに声をかけた。

「え? いや、わたし何もしてないですよ? ……ていうか、お礼を言わなきゃいけないのはむしろわたしのほうですし」

「ううん。……いろはちゃんは、きっかけをくれたんだよ」

 わたしが首を傾げると、雪ノ下先輩が口を開く。

「……一色さん。あなたがいたおかげで救われた部分も、私たちにはあるのよ」

 雪ノ下先輩はそう言って、静かに目を伏せる。

「まぁ、その、なに。……俺にもうまく言えんが、そういうことだ」

 せんぱいが気恥ずかしそうに、頭を掻きながら言った。

「だからこれは、あたしたちからいろはちゃんへのお礼だよ。……いろはちゃん、お誕生日おめでとう!」

 結衣先輩が最後に、ひときわ明るく大きな声でお祝いしてくれた。

 きっかけだとか、救われた部分だとか、わたしにはよくわからない。けど、わたしへ向けてくれるこの気持ちは間違いなく“本物”と呼べるものなのだろう。結衣先輩、雪ノ下先輩、小町ちゃんからそれぞれ渡された誕生日プレゼントも、わたしのために考えて、悩んでくれたのだろう。このヘアピンをくれたせんぱいも、そうなのだと思う。

 そのことにじわりと涙が浮かび、こぼれ落ちそうになるのを必死で我慢しようとした。でも、我慢できないまま、涙は頬を伝って流れていく。

 素敵な人たちと、わたしにとって特別な人と過ごす誕生日は、同じ出来事のはずなのにこんなにも違って見えて、綺麗で、眩しい。

 

 ――わたしは十七歳になった今日を、この誕生日を、きっとこの先も忘れない。

 

 

 

 

 




誕生日編はこれで終わりです。
ちょっとした息抜きのお話に感じていただけたのなら私は満足です。

次はデート編ですが、まぁ、頑張ります。

それではここまでお読みくださり、ありがとうございました!

※抜け落ちてた描写追加と、ゆきのんが分裂してたので修正。どこの天さんだよ。


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B#01

  *  *  *

 

 ――どうしても、しておきたいことがあったから。

 

 四月の半ばを過ぎ、あと二週間ほど経てば五月を迎える。

 そんな休日の土曜日、わたしはモノレールに揺られながら千葉駅へ向かっている。休日の快晴ということもあってか、車内はそれなりの賑わいを見せていた。

 窓から流れ込んでくるぽかぽかとした日差しにうとうとしながらも千葉駅に着き、モノレールを降りて改札を抜け、待ち合わせ場所である東口へ向かっていると人波の中にせんぱいの姿を見つけた。

 身だしなみを整えた後、急いでせんぱいのいるところへ駆け寄っていく。すると、わたしの姿を見つけたせんぱいが小さく手を上げて応えてくれた。

「すいません、お待たせしちゃいましたか」

「ああ。結構待ったわ」

「だから、そこは今来たとこって返すべきなんじゃないですかね、って言いたいところなんですけど……」

 駅の時計を見ると時刻は九時五〇分を指していて、待ち合わせに指定した時間より少しばかり早い。

「わたし、結構早めに出たつもりだったんですけど、せんぱいのほうが早かったみたいですねー。あ、もしかしてわたしとのデート、楽しみにしてくれてたんですかー?」

「ちげぇよ……。っつーかお前、小町まで巻き込むんじゃねぇよ。おかげで朝早くから追い出されただろうが」

「だってせんぱい、電話したのに出てくれないんですもん。わたし、ちゃんと折り返しの電話待ってたんですよ?」

 わたしがむーっとしながら言うと、せんぱいはうぐっとくぐもった声をあげる。

「い、いや、だったらメールくれりゃよかったじゃねぇか。それなら、後からでも用件は伝えられるだろ。俺としてもそうしてくれるとすごく助かるぞ、うん」

「普通ならそうしますけど、せんぱいの場合、気づかなかったとか言ってなかったことにしようとするじゃないですか」

 わたしがじとーっとした目で睨むと、せんぱいは諦めたように肩をがっくりと落とし、ため息を吐く。……あの、わたしのほうがため息吐きたいくらいなんですけど。

「わかった、俺が悪かった。次からちゃんとする。だから、小町を巻き込むのはやめろ。俺に効くから」

「……約束ですよ?」

「はいよ……」

 せんぱいがやれやれと言いたげに二度目のため息を吐く。……いや、だからわたしのほうがため息吐きたいくらいなんですけど……。

「で、今日どこへ行くかなんですけど……。せんぱいは、行きたいとことかありますか?」

「いや、特にない。しいて言うなら家だ。だから今すぐ帰ろうぜ」

「まったく、もう……。すぐそういうこと言うんですから……」

 こんなどうしようもないこと言う人だけど、わたしにとっては大切で、特別な人。そう思いながら、呆れつつもどこか安心したようにわたしはくすっと笑った。

「……お前、やっぱ素のほうがマシだな」

 そんなわたしの様子を見て、せんぱいは短くふっと息を吐いた後、そう言った。

「え、なんですか急に」

「ああ、いや、今のも素だったんだろうけど、お前がそんなふうに笑うの、あんま見ねぇからな」

「…………」

「……忘れてくれ」

 わたしが呆気にとられたままでいると、せんぱいは顔を赤くしながらそう言った。

「………………せんぱいのそういうとこ、ほんとあざといです、ばか」

 わたしのことを、ちゃんと見ていてくれている。そのことがどうしようもないくらい、嬉しかった。わたしが思わずせんぱいの袖をぎゅっと掴むと、相変わらず鬱陶しそうに、恥ずかしそうな表情を浮かべる。でも、やっぱり本気で嫌がることはせずに、わたしを受け止めてくれる。

 ときどき、わたしらしくないわたしが顔を覗かせて、またわたしの知らないわたしを知ることができる。そして、いつのまにか、わたしの知らなかったわたしがわたしになっていく。

 でもそれは嫌じゃなくて、なんだかせんぱいにわたしを染められているような、独り占めされているような、端的に言えば愛されているような気がして、むしろ嬉しくなる。

 

 ――本物が欲しい。

 

 わたしはあの一幕を思い出しながら、心の中で呟くように反芻する。そして、今度はせんぱいの手を掴み、手をつないだ。

「ちょ、お前なにしてんの。恥ずかしいからやめろ。ほら、周りも見てるから。勘違いされちゃうから」

「……わたしだって恥ずかしいです。ちゃんと手をつなぐなんて、初めてですから」

「いや、だったら……」

 わたしは真っ赤に染まった顔を少しだけ上げて、今にも泣き出してしまいそうなくらい潤んだ瞳のまませんぱいを見つめた。そして、かき消えてしまいそうなくらい震えた声で、言葉を絞り出すように呟く。

「……お願いします」

「くそ、お前のほうがよっぽどあざといじゃねぇか……」

 

 今は強引なわたしのわがままだけど、でも、いつかはちゃんと――。

 わたしは、わたしの願った“本物”を確かめるように手をつなぎ直して、そのまま歩き出した。

 

  *  *  *

 

 駅前から中央の歓楽街へ続く道を、冬の思い出と重ねながら歩く。

 あの頃のわたしは、葉山先輩に抱いていた感情と、それとは別の小さな感情がお互いにせめぎあい、どちらにも揺れたまま、この道を歩いていた。でも、今は違う。

 かっこいいから、優しいから、なんでもできるからと、そういったステータスの部分だけを見ては憧れて、勝手な理想を押しつけて。都合よく感情を捻じ曲げて、都合よくこじつけて。そんなもの“本物”とは呼べないただの勘違いで、わたしは恋に恋していただけだって、最近になってようやく気づけた。

 今、わたしの隣には手をつながれたまま恥ずかしそうに歩くせんぱいの姿がある。どれだけ見ても、やっぱり腐った目が全てを台無しにしていて全然かっこよくないし、優しそうに見えるどころか不審者に見えるし、できないことばかりありそうでマイナスイメージしかなかった。おまけにシスコンだし。

 でも、わたしは知っている。こう見えて頭がよかったりとか、思いのほかなんでもできるのだとか、見た目からは想像もつかないくらいいいところがいっぱいある。でも、わたしにとってはそれだけじゃない。

 わたしが困っていると、嫌々そうにしながらも手を差し伸べてくれて、背中を押してくれて、助けてくれる。わたしがわがままを言っても、困った顔をするだけで、ちゃんとわたしのことを受け止めてくれる。

「えへへ……」

 つないだ手を見ながらそんなことを考えたせいか、自然とにやけてしまい、変な声がでてしまった。はっとして隣を見ると、せんぱいが顔を引きつらせながら口を開く。

「なんだその気持ち悪い声……」

 ――うわぁ、台無し。

「女の子に向かってそういうこと言うのは、さすがにひどすぎると思うんですけど……」

「いや、お前だって俺がいきなりえへへとか言いだしたら気持ち悪いって思うだろ」

 せんぱいがそう言ったので、想像してみる。

 ……うわ。

「あぁ、確かに気持ち悪いですね。せんぱいの場合は特に」

「ねぇ、なんでわざわざ俺を傷つけるような言い方したの?」

「でも……」

 わたしはそこで一旦言葉を区切ると、つないだままの手をもう一度ぎゅっと握って、言葉の続きを口にする。

「他の人は知りませんけど、わたしはそんな気持ち悪いせんぱいがいいので、そのままでいてほしいです」

「それ、全然褒められてる気がしないんだけど……」

 

 訝しむような表情を浮かべるせんぱいを見ながら、わたしははにかむようにくすっと笑った。

 

  *  *  *

 

 そのまま歩いていると、五叉路になっている大きな交差点に着く。

 ここからまっすぐ進んでいけば、以前に訪れた映画館やボウリング場のほうへ行ける。また、この周辺にはカラオケやゲームセンターもあり、遊ぶ場所には困らない。

 実際に今日はそうしようと思ってここまで来たのだが、なんだかしたかったことと違っているような気がして、自然と足が止まった。そんなわたしに従った形で、せんぱいも立ち止まる。

 もし、このまま予定どおりにデートしたとしても、きっと楽しめるとは思う。でもそれは前と同じで、ただ楽しめただけで終わってしまうような気がした。何も変わっていない、何も進んでいないと叩きつけられているようにわたしには映ってしまいそうで、それが嫌になった。

「どした」

 そんなわたしの様子を心配してくれたのか、優しい声音でせんぱいが尋ねてくる。

 わたしはせんぱいと普通のデートがしたいんじゃない。せんぱいと、せんぱいらしいデートをしたい。そして、それを一緒に楽しみたい。

 ――そう思ったら、自然と答えが出た。

「せんぱい」

「ん?」

「今日は、せんぱいの行きたいところに連れて行ってくれませんか?」

 わたしが真面目な表情でそう言うと、せんぱいは困惑した表情を浮かべながら、逡巡するようにぶつぶつと呟く。

「え、あー、でも、なぁ……」

「だめですか……?」

「いや駄目とかじゃなくて、単純につまんねぇだろうなって思うんだよ。お前、本とか読まないだろ」

 本、というのはわたしや結衣先輩が読んでいるようなきゃぴきゃぴした雑誌じゃなくて、雪ノ下先輩やせんぱいが読んでいるような小説だとか、せんぱいが読みながらニヤニヤしているラノなんとかとか、そういう本全般のことだろう。

「確かにそうですけど、せんぱいのことをちょっとでも知れるならそういうのもいいかなって」

「あ、そ、そう……? んじゃ、図書館でも行くか……?」

「……はいっ!」

 

 もっと知りたいと、知ってほしいと、近づきたいと、近づいてほしいと、そう思うのは、ちゃんとした気持ちがそこにあるから。

 隣を歩いているせんぱいの姿を横目で見ながら、わたしはそんなことを思った――。

 

 

 

 

 




ちょっと甘すぎたかもしれませんけど、なんか頑張ってたら書けました。

詰まっている時になんとか書き上げたものの、今朝になって読み直してみるとウワァァァってなってしまう時、ありますよね。
そんな感じになるかもしれませんので、最悪書き直すかも。

それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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B#02

※あてにならない記憶とグーグル先生を参考にして書いてますので実際と違ったらごめんなさい。


  *  *  *

 

 図書館なんていつ以来だろうか、少し懐かしい気持ちに浸りながら、せんぱいに手を引かれて五叉路を曲がる。

 様々な飲食店が立ち並ぶ細い道を歩いていくと、真正面にはモノレールのレールとその後ろにパルコの看板、右には以前にせんぱいと一緒に訪れたオレンジ色の看板が目印のラーメン屋が見えてきた。

「せんぱい、お昼はここにしませんか?」

 わたしは一度足を止め、オレンジ色の看板を見ながらせんぱいに声をかけた。

「なに、お前ラーメンにハマったの?」

「そういうわけじゃないんですけど、せんぱいとデートするならこういう方向かなーって」

「まぁ、お前がそれでいいならいいけど」

「……らっせの人? でしたっけ? 今日もいるといいですね」

 わたしがくすっと笑いながら言うと、せんぱいは目を丸くした後、少しだけ嬉しそうな表情を浮かべた。

「そんなことまで覚えてたのか、お前」

「それを言うならせんぱいだってそうじゃないですか」

 なにげなく言ったことを覚えていてくれるのは嬉しい。少し前の出来事を思い出すと、自然と笑みがこぼれる。

「……かもな」

 そんなわたしを見て、せんぱいも釣られたようにふっと笑う。

 やがて歩いているうちに、パルコ前の中央公園が見える交差点が見えてきた。そこを左に曲がっても千葉駅に戻るだけなので、まっすぐ進むか、右に曲がるかのどちらかだろう。

 ただ、わたしの知っている図書館は千葉駅の北口から中央の道を進んだ先にある千葉市中央図書館か、県庁駅の少し先にある千葉県立中央図書館しか知らない。

「あの、せんぱい。この辺に図書館ってあるんですか? わたしの知ってる図書館って、ここからじゃちょっと遠い気がするんですけど……」

 どちらの図書館に行くにしても、歩けない距離ではないが少し遠い。右に曲がった先には葭川公園駅があるのでモノレールを利用すれば距離は問題じゃなくなるが、待ち時間まで考えれば歩いていくのとかかる時間は大して変わらないだろう。

「ああ、わざわざそっちまで行かなくても実は一つだけある。ここからも近い。……でも、さすがにちょっと早すぎたな」

 そう言って、せんぱいは申し訳なさそうな表情を浮かべる。

 もともとはわたしが急に予定を変更したせいなので、何か時間をつぶせそうな場所はないかと辺りを見回すと、中央公園にある大きな噴水が目に留まった。

「……じゃあ、少し寄っていきませんか?」

 わたしが中央公園のほうを指さしながら尋ねると、せんぱいは短く頷いた。

 

  *  *  *

 

 自販機へ飲み物を買いに行ったせんぱいをおとなしくベンチで待っていると、わたしの分も買ってきてくれたようだった。

「これでいいか?」

「ありがとうございますー。あ、いくらでしたか?」

「いや、別にいい」

 わたしが財布を取り出そうとすると、それを遮るようにせんぱいが言った。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 わたしが紅茶の缶を受け取ると、少し離れた位置にせんぱいが腰掛けた。

「せんぱい、ほんとそれ好きですね」

 わたしがせんぱいの手元にあるコーヒーの缶を見ながらそう言うと、せんぱいはにやりとしながら口を開く。

「ああ。マッ缶のない人生なんて死にたくなるくらいに好きだ」

「どんだけ好きなんですか……」

 わたしは呆れたようにため息を吐く。

「……しかしまぁ、お前とこうしてるのはなんだか不思議だな」

 少し遠くを見るような表情を浮かべて、せんぱいがぼそりと呟いた。

「いろいろ、ありましたからね」

 わたしはそう言った後、視線を空に移した。

 初めて奉仕部を訪れた時のこと、海浜総合高校との合同クリスマスパーティーの時のこと、あの一幕のこと、葉山先輩に告白した時のこと、マラソン大会の時のこと、バレンタインイベントの時のこと、わたしを助けてほしいとせんぱいに依頼した時のこと、わたしの誕生日パーティーの時のこと。

 一つ一つの出来事が繋がっていって、どうでもいいと思っていた人が誰よりも大切で、特別な人になっていった。あの時はと思い出を振り返るたびに浮かんでくるのはせんぱいの顔、仕草、温かさ、優しさばかりになった。

 せんぱいと出会えたから、人と向き合うことがどんなことかわかるようになった。人を大切に思う気持ちが理解できるようになった。そして、人を本当に好きになることができた。

 だから――。

「……だからこそ、わたしはせんぱいと出会えてよかったなーって思います」

 空を眺めたまま、懐かしむように、素直な気持ちをわたしは口にした。

 今こうして過ごしている時間も、空を流れていく雲のようにいつかは思い出として流れていってしまうけど。

 いつまでも、なんて絵空事を抱いたまま手を伸ばして、掴めないまま、思い出として流れていってしまったとしても。

 ――それでも、置いていかれないように歩き続けることは、わたしにもできるから。

「……出会えてよかった、か」

 そう呟いた後、せんぱいは少しだけ愁いを帯びたような表情を浮かべながらも、微笑んだ。

「せんぱいは、どうですか?」

「……まぁ、その、俺もそんな感じがしなくもないこともないな、うん」

 わたしが尋ねると曖昧な言葉で、照れくさそうにせんぱいはそう言った。それでもきっと、わたしの心の中にある気持ちとそうかけ離れていないと思えた。

「言い方がちょっと気になりますけど、せんぱいもそう思ってくれてるなら嬉しいです」

「……おう」

 それからしばらくの間、心地よい静寂が訪れた後にことりと缶を置いた音が響いた。

「なぁ、一色」

「なんですか?」

「知りたい、知っていきたいってお前は言ったな。じゃあ、知った後はどうするんだ?」

 そう言われ、もう一度空を眺めながら考える。

 誰かを知りたい、知っていきたいと思うことは簡単だけど、誰かを知るということは難しい。誰かを知る、知っていくということは、誰かを理解する、理解していくことと同じだと思うから。

「……もっと知りたい、知っていきたいって思います。それと、わたしのことももっと知ってほしい、知っていってほしいとも思います。……でも、そう思うこと自体がきっとわたしのわがままなんでしょうね」

「まぁ、そうだろうな。相手の意思を無視してそれを押しつけるのは、ただのわがままだ」

「それでも、わたしはそう思い続けます。だってわたし、わがままですもん」

 わたしがさらっと当たり前のようにそう言うと、せんぱいは苦笑しながらも、どこか安心したような表情を浮かべた。

「呆れるくらいお前らしい理由だな」

「だから、覚悟してくださいねって言ったんですよ」

「そうだな。お前は俺が思っていた以上にめんどくさいやつだってことがよくわかった」

「なんですかそれ。せんぱいには言われたくないです」

 お互いに皮肉を言い合いながら、くすくすと笑いあった。

「せんぱい」

「あ?」

「こんなめんどくさいわたしですけど、これからも、よろしくです」

 わたしがぴしっと敬礼してふざけたまま言うと、せんぱいは短く息を吐く。

「ほんとにめんどくせぇやつだな、お前……」

 

 そして、温かい眼差しでわたしを見つめながら、せんぱいは静かに笑った――。

 

 

 

 

 




図書館デートじゃなくて公園デートを書いていたでござるの巻。
というのも、モデルにした図書館の営業時間がですね、はい。
なので、導入部分として急遽ぶっこんだ形にしました。なので、もうちょっと続きます。

私の中での話の区切りの目安は大体3500~4000文字くらいになるように書いていってるんですけど、今回は全然足りませんでした。
うーん、やっぱりセリフメインにしたのが原因かなぁ。

それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました。


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B#03

遅くなってごめんなさい。ちょっとくどいかも。


  *  *  *

 

 それからは中央公園のベンチに座ったまま、わたしはせんぱいとの空間を楽しむことにする。

 わたしが口を開けば、せんぱいも口を開く。その合間にわたしが紅茶の缶を傾ければ、せんぱいもコーヒーの缶を傾ける。それをしばらくの間シーソーのように繰り返していると、手に感じる缶の重さはどんどんなくなっていった。

 ちょうどお互いに缶の中身が空になった頃、せんぱいは携帯を取り出して時間を確認しながら口を開いた。

「そろそろ行くか。なんだかんだ時間つぶせたな」

 そう言われ、わたしも時間を確認すると今は十一時に差し掛かる頃になっていた。わたしはせんぱいとの空間に夢中になっていて気づかなかったが、時間を見る限りはここに来てから一時間近く経っていたことになる。

「そうですねー」

 わたしは同調するように言った後、微笑みながらせんぱいに手を差し出した。

 ずるいことしてる、ずるいにもほどがあるなんてこと、わたしが一番わかってる。でも、せんぱいの中で答えがでてしまったら、こうやってずるいことすらできなくなってしまうと思うから。

 だから、今だけはわたしのわがままを聞いてほしい。受け止めてほしい。

 今だけは、せんぱいの優しさに甘えていたい。溺れていたい。

「はぁ、わかったよ……」

 せんぱいはわたしの顔と手を逡巡するように交互に見た後、諦めたように、深々としたため息を吐く。そして、おそるおそるといった様子でわたしの手を控えめに握ってくれた。かすかに震えているせんぱいの手を優しく包み込むように、わたしは再び指を絡ませる。

 一度結んだだけではいずれほどけてしまうのなら、ほどけないようにもう一度結んでしまえば、もしかしたら――。

 わたしはそんなことを心の中で願いながら、手に感じる温もりを確かめた。 

「それじゃあ、行きましょうか」

「……ああ」

 お互いに不慣れな繋がりに顔を赤らめながらも、中央公園を出て葭川公園駅のほうへ向かって歩いていく。

 わたしがこの辺りに来る時は目の前にあるパルコで買い物する時くらいなので、それ以外のことはほとんど知らない。他にわたしが知っていることと言えば、パルコを挟んだ先にある通りで一月に一度くらいのペースでフリーマーケットが開かれる、ということくらいしか知らない。

 あまり興味のなかったわたしでも知っているくらいなので、試しに行ってみようかなと思ったことはあるのだが、わたしの中にあるブランドイメージとそぐわない気がして、結局一回も行ったことがないままだった。

 そんなブランドイメージを律儀に守っていた当時のわたしと今のわたしを比べると、まるで別人かと思うほどに価値観が違う。そのことが酷く滑稽に映ったせいで、思わず笑いをこぼしてしまった。

「な、なに、どしたの」

 そんなわたしの様子を不審に思ったのか、せんぱいは変なものを見るような目つきをして尋ねてきた。

「わたし、ほんとに変わったなーと思って」

 わたしの心の中には、わたしのイメージがあって、それを作り続けて、守り続けてきた。

 でも、わたしは問い直して、それらを全て捨ててまで、選んだ。わたしが本当に欲しかったものを手にするために。だから、間違っていたとしても、わたしは間違ったとは思わない。あの時わたしの心の中にもあった揺らめきは、今ははっきりと形を作り、判然としているからこそ、そう思える。

「人を振り回すところは何も変わってねぇけどな」

「失礼ですねー。わたし、そんなつもりないんですけどー」

「いや、現在進行形で俺を振り回しておいて何言ってんのお前」

 せんぱいはそう言った後、ばつの悪そうな視線をわたしと繋がっている部分に向ける。

「……あはっ」

「はぁ……」

 わたしがすっとぼけるように笑うと、せんぱいは諦めたような表情を浮かべて、呆れたようなため息を吐く。

「……せんぱい、今のわたしは、嫌いですか?」

 表情を隠すように、少しだけ俯きながらわたしは尋ねた。

 言ってくれなきゃわからないことだってあるし、言われてもわからないことだってある。言わなくてもわかることだってある。

 ここにわたしの言葉を付け足すのなら、わかっていても言ってほしいことだってある。どうしても、言葉が欲しい時だってあると思うから。

「……別に嫌いじゃねぇよ」

「ふふっ。そうですか」

 わたしは顔を上げて、晴れやかな表情を浮かべながら言葉を繋ぐ。

「わたしも、今のわたしのほうが好きかもです」

「……まぁ、それならいんじゃねぇの」

「はい」

 そんなやりとりをしながら歩いているうちに、ひときわ高いタワーマンションがはっきりと見える交差点に着いた。

「そこだ」

 交差点を左に曲がって少しだけ歩いたところで、せんぱいは足を止めてわたしに声をかけた。せんぱいの視線を辿っていくと、十階建てくらいの大きさの、白いタイルを張り詰めたような外装のビルに行き着く。

「あ、もしかしてあれですかー?」

 ビルのガラス部分から透けて見える図書館の文字を指さしながらわたしが尋ねると、せんぱいは頷いた。

「こういう図書館もあるんですねー。知らなかったです」

「まぁ、本を読まない人間からすりゃそんなもんだろ」

 そんな会話をしながら、一階脇にある階段を上って二階へ上がる。扉を開いて中に入ると本特有の紙の匂いが漂ってきて、室内の限られた空間の中に本棚や読書スペースがうまくまとめられていた。他にはキッズスペースなどもある。

 わたしが連れてこられたのは、落ち着いた雰囲気の中にどことなく温かさを感じる、そんな図書館だった。

「んじゃ、俺は手頃な本探してくるわ」

 せんぱいはそう言って近くにあった本棚に向かっていく。

「じゃあ、わたしも」

 それに続き、せんぱいの隣に並んで本を探す。

 まずは目の前の本棚から興味を惹かれたタイトルの本を手に取った。ぱらぱらとめくってみたものの、普段本を読まないわたしにとっては多すぎる文字数とページ数に軽く眩暈がしたので、結局本棚に戻すことにした。

 今度はあまりページ数がなさそうな本を手に取って、ぱらぱらとめくってみる。これならわたしにも読めそうだ、と思いながら冒頭の部分を読み始めてみたものの、聞き慣れない単語や意味を知らない単語ばかりが並んでいてちっとも話が理解できない。なので、結局本棚に戻すことにした。

「せんぱーい……」

 わたしは隣で本を探したままのせんぱいに、泣きつくように声をかけた。

「どした」

「わたしでも読めそうな本、探してくださいー……」

 そう言うと、せんぱいは訝しげな表情を浮かべる。

「いや、今読んでた本は」

「えっと、その、言葉が難しすぎてー、みたいなー……」

 気恥ずかしく思いながらも素直に打ち明けると、せんぱいは目を丸くした後、息を吹き出すように笑った。

「……笑わないでくださいよー」

 笑われたことに思わず拗ねたような声音で言ってしまう。

「すまんすまん。お前があまりにも素直に言ったもんだから、つい」

 せんぱいはそう言って、わたしがさっきまで手にしていた本を取って吟味するように中を覗く。

「……まぁ、本を読んでいないと馴染みがない言葉ってのは結構あるからな」

 ぱたんと本を閉じてせんぱいは本棚に戻しながら呟いた。

「むー……」

「ちょっと待ってろ」

 わたしが頬を膨らませると、せんぱいはやれやれといった様子で別の本棚に目を向ける。

「……これなんかどうだ?」

 そう言って、別の本棚からくくっと笑いを漏らしながら、わたしに子供向けの絵本を手渡してきた。

「…………」

 わたしはふてくされたまま、べしっとせんぱいの肩を叩いた。

「いてっ! 冗談、冗談だから」

「わたしのことバカにしすぎじゃないですかね……」

「わかった、わかったから」

 わたしが恨みがましい視線を向けたままでいると、せんぱいは小さく咳払いをして、本棚に手を伸ばしながら尋ねてきた。

「なぁ、お前はどういう本がいいんだ?」

「わたしでも読める本で、読みやすい上に超面白い、みたいな? そんな本ですかねー」

「いきなり無理難題なんだよなぁ」

 そう言われても、どういった本が面白いのかわたしにはわからないし、わたしはどういった本が好きなのかということすらわからない。

「だってしょうがないじゃないですか……。わたし、本読まないんですもん……」

「まぁ、そうなぁ……」

 困惑した表情を浮かべて頭をがしがしと掻くせんぱいを見て、ふと思いつく。

「あ、じゃあ、せんぱいはどんな本が好きですかー?」

「俺がよく読むのはラノベだな」

「あー、せんぱいが読みながらニヤニヤしてるやつですかー?」

 わたしが平然とした顔で尋ねると、せんぱいの顔が引きつった。

「マジで……?」

「……気づいてなかったんですか?」

「いや、前に雪ノ下に気持ち悪いと言われて気をつけてたんだが……」

 がくっと肩を落としてうなだれるせんぱいを見て、わたしは呆れ交じりに苦笑する。

「で、せんぱい。そのラノベって、そんなに面白いんですかー?」

 話を切り替えるようにわたしは尋ねた。

「お前の好みに合うかはわからんが、ラノベにもジャンルはいろいろあるし、面白いものは面白いと思うぞ」

 結局は読んでみないとわからない、ということだろうか。

「ではそれで」

 それでも、わたしが適当に興味本位で選ぶよりせんぱいに選んでもらったほうが最後まで読める気がする。そう思ったわたしは、そう答えた。

「んじゃ、探してみるわ」

「お願いします」

 それに小さく頷き、せんぱいの隣で本棚の本を眺める。

 ずらりと並んでいる本のタイトル一つ一つに、きっといろいろな意味が込められているんだろうなーと心の中で呟きながら、一つ一つ目で追っていく。それを続けているうちに、今見ている本棚が最後の本棚だったことに気づいた。

 わたしはちらりとせんぱいに視線を向けると、せんぱいは静かにかぶりを振る。

「なかったな……」

 本棚から視線を外して、ぼそりとせんぱいが呟くように言った。

「まぁ、しょうがないですねー……」

 ちょっとはせんぱいのことが知れたかもしれないのにと、わたしは思わず落胆の息を吐いてしまう。

「……本、見に行くか?」

 そんなわたしの様子を見て、せんぱいが声をかけてくれた。

「……いいんですか?」

「まぁ、その、本に興味を持ってくれたことは、嬉しかったからよ」

 慣れていないのか、恥ずかしいのか、わたしから視線を逸らしたまま言ったせんぱいを見て、思わず顔がほころぶ。

「じゃあ、せんぱいのおすすめの本、教えてくださいね」

「ああ。考えとく」

 

 わたしが嬉しそうに笑うのを見て、せんぱいも表情を緩めた――。

 

 

 

 

 




ちょっと長めにかいてたら、ちょうどいいバランスになりました。
書いてると書きたいことが浮かんで追加してを繰り返した結果、いつ終わるのこれ状態になってしまってますが、お許しください。

ではでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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B#04

ワイ、見事ライフゼロになるの巻。


  *  *  *

 

 階段を下りて外に出ると、休日のお昼時ということもあり、喧騒の度合いはさらに増していた。

 行き交う人々に混じるように歩き出したところで、わたしのほうへ視線を移しながらせんぱいが口を開く。

「一色、先に食べてからにするか?」

「確かに、ちょっとお腹すきましたねー」

 わたしはそう言うと、身体を傾けて覗き込むような形でせんぱいの顔をまじまじと見つめた。すると、わたしの意図を汲んでくれたのか、せんぱいは小さく頷いた。

「んじゃ、そうするか」

「はい」

 うんうん、ちゃんと伝わったようでなによりです! と、心の中で小さく頷きながら、オレンジ色の看板目指して来た道を今度は逆方向に歩いていく。

 そうして二時間ほど前に通ったばかりの細い道まで戻ってくると、様々な店のシャッターが開いたせいか、いっそうの賑わいを見せるようになっていた。

「席、空いてますかねー?」

「どうだろうな」

 そんなやりとりをしながらオレンジ色の看板の下、地下へと続く階段を下りて店内に入る。すると、「はい、らっせ」とわたしも知っている威勢のいい声が聞こえてきた。

 店内を一瞥すると、お昼時ということで案の定満席だったのだが、少し待っているといくつかの席が空いた。そのことにほっとすると同時に、せんぱいの言う『らっせの人』が今日もいたことに思わず表情を崩す。

「よかったですね。今日もいるみたいですよ」

 わたしが耳元で囁くように言うと、せんぱいはくすぐったそうな表情を浮かべて身体をのけぞらせる。そんなせんぱいの姿を見て、わたしはくすくすと笑った。

「……で、お前はどうする?」

 いたたまれなくなったのか、せんぱいは券売機へ視線を逸らして誤魔化すようにわたしに尋ねてくる。

「せんぱいと同じでいいですよ」

「あいよ」

「いくらですかー?」

「いや、だからいいっつの」

 どうやらわたしの分も出してくれるらしい。わたしは小さく頭を下げてお礼を言った。

「ギタギタ。こっちのはあっさりで」

 空いた席に二人並んで座ると、せんぱいが店員さんに注文を告げた。わたしにはそのあたりのことはさっぱりわからないので、前回同様せんぱいに任せることにした。

 とりとめのない話をしながらラーメンを待っていると、あまり時間がかからずにごとりとどんぶりが置かれた。

「「いただきます」」

 お互いそう口にしてから、箸に手をつけて食べ始める。ときどき、レンゲでスープをひとすくいしてこくりと飲み込めば、口の中いっぱいに味が広がっていく。うん、おいしい!

 いそいそと手元を動かしながら箸を進めている途中、口元から離れていくレンゲを見ていると閃いた。閃いてしまった。

 わたしはふんふんと小さく口ずさみながら、レンゲに小さな山を作っていく。それが無事にできあがると、夢中になって食べているせんぱいに控えめに声をかける。

「せんぱい、せんぱい」

「……なんだよ」

 食べているのを邪魔されたせいか、せんぱいは少し不機嫌そうにわたしに顔を向けた。

「あーん」

 わたしはにっこりとしながら、即席のミニラーメンを箸でつまみ、ずいっとレンゲごとせんぱいの顔に近づけた。……うん、周りの視線が痛いし恥ずかしい。でも、気にしないことにしよう、そうしよう。

「…………いや、うん、そういうのいいから。いらんから」

 数秒ほど固まった後、顔を引きつらせながら言うせんぱいを無視してわたしは続ける。

「ほら、せんぱい。あーん」

「だから、いらんっつの……」

「せんぱい、あーん!」

 今度は、口の中に突っ込みかねないくらいにぐいぐいと近づけた。ここまできたらもう、どうにでもなーれ!

「……はぁ」

 無駄な抵抗だと判断したのか、せんぱい大きく息を吐いた後、顔を赤らめながらしぶしぶ口で受け取った。

「はい、よくできましたー!」

 わたしはからかうように言って恥ずかしさを誤魔化しながら、残っているミニラーメンを勢いのまま自分の口に運ぶ。その瞬間、ただでさえ赤かった顔がもっと赤くなったことが自分でもわかった。……あぁ、顔が熱い。恥ずかしすぎて顔から火がでそう。やっぱり気にしないなんて無理かもしれない。

「………………くそ、味わかんなくなっちまった」

 ――でも、わたしのことを意識させられたなら、いいかな。

 隣から聞こえてきたかすかな呟きに、わたしは心の中でもじもじしながらそんなことも思った。

 

  *  *  *

 

 苦しく感じるくらいの満腹感を覚えながら、せんぱいのよく行く書店に連れて行ってもらうために千葉の街を歩く。わたしの頬は未だにほんのりとした赤みを帯びていて、吹き抜けていく風が少しだけ冷たく感じる。

「はー……。味、わかんなくなっちゃいましたねー……」

「それ、お前のせいだからね?」

 ぱたぱたと手で扇ぎながら言うと、せんぱいは恨みがましい視線をわたしに向けながら、こぼすように言葉を返した。

「まぁまぁ、いいじゃないですかー。それに、わたしも恥ずかしかったんで、おあいこです」

「いや、その理屈はおかしいから……。ていうか、恥ずかしいのになんで自爆したんだよ。しなくていいだろうが」

「死なばもろともってやつですよ、せんぱい」

「俺を道連れにすんじゃねぇよ……」

 そんな会話をしているうちに書店に着いたので、中に入る。

 せんぱいの後をちょこちょことついていくと、多種多様なイラストが表紙を飾る本ばかりが並んでいるコーナーから一冊の本を手にとって、わたしに差し出してきた。

「俺のおすすめはこれだな」

 そう言われ、本を受け取って表紙を眺めてみる。そこには、制服姿の女の子と男の子のイラストが描かれていた。ほへーと気の抜けた声をあげながらくるっと本を裏返すと、裏表紙に大まかなあらすじが書かれていたのでぱぱっと読んでみる。

「なんか、せんぱいみたいですね」

 あらすじに書かれていた主人公の人物像は誰かさんとそっくりで、わたしはくすくすと笑いをこぼしながらそんなことを言った。

「だからこそ生き様とか超共感できて面白いんだよ」

「でも、そういう話なら、わたしでも最後まで読めそうですねー」

 まじまじと表紙を見つめながら、わたしは思ったまま口にする。

 物語の主人公に共感できるということは、せんぱいも同じような、あるいは、それに近い考えを持っているということだ。それを知ることができたなら、今よりももっとせんぱいのことを知ることができる。たとえ、描かれている物語のように都合よくいかなくても、うまくいかなくても、何も知らないよりは少しでも知っていたいから。

「わたし、これ読んでみます」

「そうか」

 興味を惹かれ、期待に満ちた表情を浮かべながら顔を上げると、それを見たせんぱいは満足げに笑った。

「んじゃ、貸してやる」

「へ?」

 せんぱいの予想外の言葉に、わたしは思わずきょとんとしてしまう。

「読んでみたいんだろ?」

「あ、は、はい……」

 しどろもどろになりながらもなんとか答えると、せんぱいは何かを納得したように頷く。

「最初の巻を貸してやるから、とりあえず最後まで読んでみろ。それで、続きが読みたいと思ったなら、続きを貸してやる。だから、わざわざ買わんでいい」

「……えっと、その提案は嬉しいんですけど、それならなんでわざわざここに……?」

 不思議に思ったわたしが聞くと、せんぱいは少しだけ目を細めてわたしの手元にある本に視線を向けながら、しんみりとした口調でわたしを諭すように、言葉を紡ぐ。

「実際に本を手に取って、それでも読んでみたいと思わなかったら、薦めても意味がないからだ」

 その言葉は、わたしの心の中に染み渡るように広がっていき、最後にすとんと落ちていく。

「……せんぱいにお任せして正解でした。それじゃあ、お願いします」

「ああ」

 結局、何も買わずに書店を出てしまったけど、一冊の本の重みが確かにわたしの中にある。たかが一冊と言われればそれまでかもしれない。でも、されど一冊だ。

 

 そんな小さな始まりに胸を躍らせながら、わたしはせんぱいの横顔を眺めた――。

 

 

 

 

 




今回、表現方法や情景描写に何故かクッソ悩みました。
なにを悩んでんだよ、って突っ込まれたらうまく言えないので、それまでなんですが……。

消しては書いて、消しては書いてを繰り返した結果かなり遅れてしまったので、その点はごめんなさいです。
一番しっくりとくる形に落としたものの、それでもちょっと甘すぎたかなと自分でも思う今日この頃です。

それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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B#05

いつもと大分ズレた時間の投稿ですが、許してくださいまし。


  *  *  *

 

 千葉中央駅から京成線に乗って十分ほど電車に揺られたところで、京成幕張駅に着いた。

 わたしがせんぱいの家にお邪魔するのはもう三回目になるんだなーと、感慨に浸る。短い期間のうちの、たった三回の中に、酸っぱくて、苦くて、切なくなる思い出と、甘くて、温かくて、眩しい思い出がそこには詰まっていて、それはきっとある種の青春と呼べるに相応しいのだろう。

 一つ一つの景色や会話を楽しみながらのんびりと歩いているうちに、今はもう見慣れた一軒家が目の前にある。

「ちょっと待ってろ」

 せんぱいはそう言って、門扉を開き、がちゃりと音を立てて玄関の鍵を開く。

「お邪魔しまーす」

 そう言って、中に入るとしんとした静けさが漂っていて、明かりもついていない。と、いうことは……。

「小町ちゃん、いないみたいですね……」

「みたいだな……」

 お互いに顔を見合わせながら、気まずそうにぽしょりと呟く。

 一回目にここへ来た時は、小町ちゃんと平塚先生が、二回目の時は雪ノ下先輩と結衣先輩、小町ちゃんがいたけど、こうして二人きり、というのは初めてだった。

「わ、わたしやっぱり帰ったほうがいいですかねー?」

「い、いや……。それだと電車賃、もったいない、だろ。だからまぁ、その、ゆっくりしていってくれ、で、いいのか……?」

 わたしはあたふたとしながら、せんぱいはへどもどしながらも言葉を交わす。

「あ、じゃ、じゃあとりあえず本、持ってくるから……」

 その場から逃げるように、せんぱいが二階へ上がっていってしまう。残されたわたしは、ただただ、俯きながらもじもじとするしかできなかった。二人きりという状況なだけで、こうも動揺するとかわたしの乙女回路は一体どうなってるの? 純情なの? っべーわ、ないわー。いろはす、それはないわー。……あ、なんかイラッとしてきた。戸部先輩、いい人なんだけどなー。でも、なーんかイラッとくるんだよなー。

 そんなことを考えている間に、とんとんと階段を下りてくる音が聞こえたので顔を上げる。

「ほれ」

 差し出された本を、わたしはしずしずと受け取る。そして、手に感じる重みを確かめると、自然とわたしの表情はほころんだ。

「ありがとうございますー!」

 わたしの中にある一冊の本。その本の重さとまったく同じ重さの本を、大切そうに両手で抱えながらわたしはお礼を言った。

「……そんなに楽しみにしてくれてたんだな」

「はい!」

 きゃっきゃと子供みたいにはしゃぐわたしを見て、せんぱいが嬉しそうに口元を緩める。

「ちょっと、読んでみてもいいですかー?」

「んじゃ、そこ使ってくれ」

 促され、近くのソファに座り、本を開いた。せんぱいもわたしが本を読み始めたことを確認すると、わたしの近くに座って同じように本を読み始めた。

 ぺらっ、ぺらっと不規則にページをめくる音が室内に響き、ゆったりとした静かな時間が流れていく。ときどき、主人公のセリフや心情描写にくすりと笑みをこぼしそうになりながらも、黙々とページを進める。

 そうして、ちょうど話の切れ目まで読み終えた頃、目の前のテーブルにマグカップがことりと置かれた。

「あ、すいません……」

 わたしが本の世界に夢中になっている間に、せんぱいが紅茶を淹れてくれていた。

「ああ、悪い。邪魔しちまったな」

「いえ、ちょうど休憩しようと思ってたので。いただきます」

 一旦本を閉じ、マグカップに手を伸ばして紅茶を一口。ほわっとした湯気と、染み渡る温かさが心地よい。

「本を読むのも、悪くはねぇだろ?」

 聞かれ、自然な笑顔でわたしは微笑む。

「はい」

「……それならよかった」

 短く言葉を返し、満足そうに微笑みながらせんぱいは手元の本に再び視線を戻した。わたしもそれに倣い、閉じた本をもう一度開いた。

 一ページ、一ページと読み進めるたびに、それに伴って時計の針も進んでいく。かちこちと音が積み重なっていくにつれて、外の明るさにも変化が訪れる。

 そうして空が茜色に染まり始めた頃、玄関の扉を開ける音が聞こえた。

「……ほーん? ほほーん?」

 わざとらしくはしゃぐ声が聞こえてきた。玄関にはわたしの履いてきたパンプスがあるし、まぁそうなるよね。

「いろはさん、こんにちはー!」

 それから間もなくして、きらきらと目を輝かせながら小町ちゃんが姿を見せた。

「あ、小町ちゃん、こんにちはー。お邪魔してますー」

「おう、おかえり」

「で、で、で、お兄ちゃんはいろはさんを連れ込んで何してるの?」

 挨拶も早々に、それが本題と言いたげにずいずいっと小町ちゃんがせんぱいに詰め寄る。

「変な言い方すんのやめろ……。っつーか、お前が考えているような展開じゃないから」

「じゃあなんでいろはさんがここにいるの? デートしてたんじゃないの?」

「……小町ちゃん」

 話に割り込むようにして呼ぶと、二人が揃ってわたしのほうを向いた。

「わたしに読みたい本ができたの。だから、連れてきてもらったの」

 言って、手元に置いたままの本を見せると、小町ちゃんがほんほんと頷く。

「あー、お兄ちゃんがよく読んでるやつですね、それ」

「うん。だから、読もうと思ったの」

 わたしが気恥ずかしそうに控えめに笑うと、顔を赤くして目を伏せるせんぱいの姿が見えた。

「……いろはさん」

 目をうるうるとさせながら、小町ちゃんがじっとわたしを見つめた。

「いやー、小町感動しました! まさかお兄ちゃんが小町の知らないところでいつのまにか順調にフラグを立てていってるとは……。そして、いよいよいろはさんまでもが本格的にお兄ちゃんの嫁候補に……! やるねー、お兄ちゃん! このこのー!」

「おい、やめろ。おい、そんな目で俺を見んな」

 ニヤニヤしながら小町ちゃんがうりうりとせんぱいの頬を突っつく。それを鬱陶しそうにしながらも振り払うことなく受け入れているせんぱい。そんな二人の関係は、わたしとせんぱいの関係にも似ているように見えて、妙な親近感を覚えた。

「いろはさん!」

 突然呼ばれたことに少し驚きながらも、小町ちゃんと目を合わせた。すると、小町ちゃんはぺこりとわたしに頭を下げる。

「こんなんですけど、小町にとっては大切なお兄ちゃんです。だから、これからもお兄ちゃんをよろしくお願いします」

 や、むしろお世話になってるのはわたしだし、わたしのほうから言いたいくらいだ。でも、小町ちゃんの様子を見るに、今それを言うのは違う気がする。

「こちらこそ」

 そう思ったわたしは、真面目な声音で簡潔に返した後、同じように頭を下げた。

「そういうのは、俺のいないところでやってくれませんかね……」

 ぼそりと刺すように聞こえてきた声に、わたしも小町ちゃんも顔を上げて、くすくすと笑いあった。

 静かだった空間に、明るい声が加わって別の空間を作り、次第に色づいていく。それは、わたしのよく知っている空間とよく似ているものの、全然違う別の物。

 それをわかっていても、わたしはこの小さな空間を陽が落ちるまで楽しんだ。

 

  *  *  *

 

 すっかり暗くなってしまった道を、二人並んで歩く。

 かつかつとヒールの音を鳴り響かせながら今日一日の出来事を振り返ると、前にデートした時よりも楽しさや満足感で心が満たされていく。その差はきっと、わたしの心情に変化があったからこそのものなのだろう。

「せんぱい」

 つい、そのことを言いたくなって声をかけた。

「どした」

「今日は、楽しかったです。前の時よりも、ずっと」

 ありったけの気持ちを込めて、そう口にした。何かを建前にして、理由にしたデートじゃない。わたしが好きだと自信を持って言える人と、ちゃんとデートができた。やっと、やり直すことができた。

「まぁ、お前がそれで納得できたんなら、それでいいと思うぞ」

 そんなわたしの心情を見抜いたのか、せんぱいが穏やかな微笑みをたたえる。

「……だから、今日はわたしがあげることのできる最大の点数を、せんぱいにあげます」

「そりゃどうも」

 微笑み返したわたしに、温かみを含んでいるような優しい声振りで、せんぱいは無愛想な言葉を返した。

「それとですね……」

 仕切り直すように、小さく咳払いをする。

「わたし、ちゃんと待つとは言いましたけど……おとなしくしているつもりはありませんので、それもよろしくです」

 そして、挑発めいた笑顔を浮かべながら、小さく胸を張って宣言した。

「……まぁ、薄々そんな気はしてたけどよ」

 呆れたような、納得がいったような、そんな表情を浮かべながら、せんぱいがため息交じりに言う。でも、わたしが伝えたいのはそれだけじゃない。

「……何もしないまま終わるのだけは、嫌なんです。そんなの、絶対に後悔すると思いますから。傷つけるってわかってても、傷つけられるってわかってても、それでも、わたしはもう逃げたくありません」

 わたしの心の中にある気持ちを一つ一つ紡ぎ、せんぱいの瞳をじっと見つめながら、言葉にしてぶつけた。わたしの伝えたいことを、ちゃんと伝えられるように。

 ――瞬間、じわりと涙が浮かんだ。

 でも、目は逸らさない。逸らしたくない。逸らしてしまったら、向き合うと言ったのに、それを嘘にしてしまう。それだけは、絶対に嫌だ。

「……やっぱり、お前はすごいな」

 冬のモノレールの車内で、同じことを言われた。なら、きっとわたしとせんぱいが今辿っている記憶は、きっと同じ。

「せんぱいのせいですからね、わたしがこうなったの」

 それを再現するように、あの時とまったく同じ言葉を返す。でも、次にくる言葉はあの時と違う気がした。

「……そうだな。俺のせいだろうな」

 ふっと懐かしんでいるような表情を浮かべながら、せんぱいは皮肉めいた言葉をわたしに向けてきた。

 だったら――。

「責任、とってくださいね」

「……まぁ、善処しようとは、思う」

 前とは違う、まっすぐな笑顔でくすっと笑うと、がしがしと頭を掻きながら、照れ交じりにせんぱいはわたしの言葉を受け止めてくれた。

「だから、悪いがもう少しだけ待ってくれ」

 くしゃっと、不意にわたしの頭が撫でられた。温かい感触が広がって、わたしの心も温かくなっていく。

「……はい」

 

 瞳に浮かんだ滴を袖でぐしぐしと拭って、目を細めながらわたしはそう答えた――。

 

 

 

 

 




あと一話続きます。甘さたっぷりな話(個人的に)は次でオワリダー。

それと、一週間空いてしまって申し訳ないです。
ここまで連載を続けていると、あまり同じような表現ばかりを使うのは飽きてしまうかなーと色々調べたり、色々な矛盾点が出てきてしまって書き直したりしているうちに遅くなってしまうんですよね。
その辺は短編だと一切気にしなくて済むのですが。

注意してはいますが、それでも私の気付かないところで矛盾してたりすると思いますので、その際はご指摘くだされば修正します。

まぁ、無理のない範囲で書き連ねていきますので、気長にお待ちください。
ではでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!

※追記※
見直したら、いろはのセリフの部分で同じ意味だった箇所がありましたので直しときました。あと、なんか変に感じるとこも直しときました。燃え尽きてるとダメね。


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B#06

  *  *  *

 

 駅前のロータリーを抜けて、すれ違う人々を避けながら改札へと向かう。

 一歩、また一歩と近づくたびに、寂寥感がどんどん滲んでいく。ただ、前に送ってもらった時とは違い、ぽっかりと心に穴が開いてしまったような寂しさがある。それは、『好き』という感情を正しく知って、理解したからこそ感じる寂しさなのだろう。

「ここまででいいですよ。せんぱい、今日も送ってくれてありがとうございました」

 もっと一緒にいたいけど、しょうがない。そう納得させて、つないでいた手を離した。

「そうか。気をつけて帰れよ」

「はい。それじゃあ、また学校で……」

「ああ」

 別れの挨拶を済ませ、改札を抜ける。わたしが途中で振り向いて手を振ると、いつものように応えてくれる。それを見届けると、わたしはホームへと続く階段を下りた。

 うっすらと手汗の滲む温もりと、撫でられた時の温かさは徐々に冷めていく。記憶には残っているけど、それでもやっぱり寂しい。

「帰りたくない……」

 誰にも聞こえないように口の動きだけでそう呟いたものの、電車は時間どおりにホームへやってくる。わたしは、止まってしまいそうな足をなんとか動かして、その電車に乗り込んだ。

 名残惜しむわたしを乗せて千葉駅へ向かっていく電車は、規則正しい音を立てながら幕張駅を遠ざけていく。それはまるで、今日一日の出来事を巻き戻しているようにも思えてきて、余計に切なくなる。

 それをまぎらわせようと窓の外に目をやって、行き交う車とビルや看板でライトアップされた夜景を眺めた。でも、何も変わらなかった。

「せんぱい……」

 それでも、誤魔化すように、温もりに縋るように、心の中で想い人を呼びながら鞄の中にある一冊の本を鞄ごと抱きしめる。繰り返し、何度も、何度もバカみたいに同じことを続けた。千葉駅に着いた後も、モノレールに乗り換えた後も続けた。でも、結局寂しさは消えてはくれなかった。

 かつっ、かつっとわたしの歩く音だけが聞こえる。さっきまであったもう一つの足音は、今はもう聞こえなくなってしまった。駅前の喧騒よりも、横を通り過ぎていく車の音よりも、ヒールの音が大きく聞こえるのは気のせいじゃない。

 そう感じた時、わたしは感情のままに携帯を取り出して、少し前に登録されたばかりの連絡先に電話をかけた。たった1コールがやたらと長く感じる。

 そうして5コールほど鳴らしたところで、相手の声が聞こえてきた。

『……もしもし』

 気だるそうな声、でも、わたしにとっては落ち着く声。

「……ちゃんと、出てくれたんですね」

 そういえばこうやって電話が繋がるのは初めてだなーと思うと、妙な緊張感を覚える。そのせいか、少しだけ声が震えた。

『まぁ、言った以上はな。で、どした』

 わたしの心が温かさを取り戻していくのがわかる。たったこれだけのことなのに、曇っていた顔が晴れやかな色を帯びていく。どうやら、自分で思っている以上にわたしは乙女だったようです。

「……一人で歩くのは寂しいなーと」

『なんだそりゃ』

「だから、ちょっとだけ付き合ってもらえませんか?」

『まぁ、いいけど』

 嫌がる様子でもなく、呆れた様子でもなく、せんぱいはそう言った。

「それにしても、せんぱいの声って電話だとこんな感じなんですね」

 いつもより多少ぼやけて聞こえてくる声の感想を言う。それでも、間違うことのないせんぱいの声にわたしはだんだんと調子を取り戻していく。

『あ? 別にそんな変わらんだろ』

「なんだか、いつもより腐ってるように聞こえますよー?」

 ふざけて、そんなことを言ってみる。

『……切るぞ』

「あー! 冗談です、冗談ですってばー!」

 焦りからか、目の前に相手がいないにもかかわらず手をあたふたとしてしまった。サラリーマンの人が電話しながら「すいません、すいません」とぺこぺこ頭を下げているのをよく見るけど、今のわたしと似たような心境からなのかなー。

『……ったく。心配して損した……』

 ぼそりと聞こえてきた不意をつく優しさに、思わず心が浮ついてぴょんぴょんしそうになる。

「せんぱい、わたしのこと心配してくれたんですか?」

『………………まぁ、一応は。それに、お前、泣いてたし』

 少しの間沈黙が流れ、その後に切れ切れの言葉が耳に届いた。

「……えへへ。せんぱい、ありがとうございますー」

 せんぱいがわたしを心配してくれたことに、普段よりも甘えた声で答えてしまう。でも、意図的にそうしたわけじゃない。寂しい時、好きな人に甘えたくなるのは、女の子ならほとんどがあてはまると思う。それに、不思議とせんぱいの前だと、もっともっと甘えたくなる。

『お、おう……』

 そして、わたしの恋する相手はわたしの猫なで声にドン引きしていた。

「ドン引きするとかひどくないですかね……」

『いや、だって今のお前の声、超あざとかったんだもん……』

 今のはないわーと言いたげな様子なのが目に浮かぶ。

「せんぱい」

『なに』

「……女の子って、そういうもんなんですからね?」

 ふわふわした甘い感情を、吹きかけるようにこしょっと口にする。

『……え、そ、そうなの?』

「はい」

 言って、もうひとつまみ。

「……だから、わたしの場合はこんな気持ちになるの、せんぱいにだけですよ」

『……あ、ああ、おう、いや、なんつったらいいのかわからんけど、と、とりあえず、サンキュ、で、いいの?』

 くすぐるように言うと、なぜか疑問系でお礼を言われた。混乱しているんだろうなーと、わたしはいたずらめいたように笑う。

「せんぱいのそういうところ、可愛いです」

『ば、ばっかお前、そういうのは戸塚に言え、戸塚に。ほら、戸塚、戸塚のが可愛いから』

 わたしのからかうような言葉に、せんぱいは戸塚先輩の名前を連呼する。相当照れてるんだろうなー。

「……あ」

 とぼとぼと歩いていたはずが、いつのまにか自宅を通り過ぎてしまいそうなほどに元気よく歩いていたらしい。

『ど、どした』

「家、着きましたー」

 言うと、ほっとしたように息を漏らす音が聞こえた。

「ありがとうございました。せんぱいのおかげで楽しかったです」

『ん、まぁ無事着いたんならいい』

「それじゃあ、今度こそ、また」

『はいよ』

 未練がましく思いながらも、わたしは通話終了のボタンを押して玄関の扉を開いた。

 

  *  *  *

 

 相変わらずせんぱいが絡んだ日の日記は、ページ数が凄まじいことになる。特に、今日はほとんど二人きりで過ごしたということもあって、わたしの誕生日パーティーの時のページ数に並び、越え、それでもまだペンが止まらない。

 つらつらとどうでもいいことまで書き連ねた結果、このページ数を越える出来事は滅多に起きないだろうなというページ数にまでなった。そこまで書き終えてから、わたしはようやくペンを置いた。

 時計の長針があと一周ほどすれば今日の終わりを告げる。ちょっとだけ借りた本を読んでから寝ようかなと思い、鞄に手を伸ばす。と、そこで携帯にメールの受信通知が一つ。

『おやすみ』

 簡素な、たった一言だけの本文。

『おやすみなさい、せんぱい』

 似たような本文のメールを返信した後、ふと、画面に置いたままの指を滑らせて、一枚の写真を表示させる。

 そこには、帰る前に小町ちゃんが気を利かせて撮ってくれた、恥ずかしそうにしながらもばっちりキマっているわたしと、恥ずかしそうにしている上に全然キマっていないせんぱいの二人が映っている。

 ――やっぱり、一緒の時間に寝よう。

 そうすれば寂しいと思う気持ちも和らぐかなと考え、ぼふっと勢いよくベッドに身体を投げ出して沈ませた。

「おやすみなさい、せんぱい」

 なぞるように呟いて、近くて遠く、遠くて近いせんぱいの顔を思い描きながら、わたしはゆっくりと目を閉じる。

 今日一日の出来事をもう一度、心に刻み付けるように、焼き付けるようにしながら、わたしは意識を薄れさせていった。

 

 ――せんぱい、誰よりも大好きです。

 

 

 

 

 




散々私の頭を悩ませたデート編はこれで終わりです。
さっさと終わらせるぞーと意気込んでいたのに、このザマです。笑えよちくしょう。

あ、それと一応補足までに。
行きと帰りで電車が違うのは、同じ場所の描写が続いてしまうと退屈させるかなということで変更しました。駅同士の位置的に、変更しても大した差は起きないかなーと。

ちょっと砂糖入れすぎたかなーという部分は否めませんが、以前より心情の変化をはっきりとしたものにするために、こういう形をとりました。

ではでは、長々と書き連ねてしまいましたが、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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第三章:始まり、進み、選んだ道の先は。
3#01


  *  *  *

 

 五月を迎えると、季節は春から夏へと移り変わる準備を始める。

 ときどき感じていた肌寒さはどこへやら、今はうっすらと汗が滲むくらいには暑くなり始めていた。

 そんなゴールデンウィーク明けの学校では、誰とどこへ行っただの、部活やバイト漬けだっただの、彼氏彼女とどうなっただのという話し声があちこちから聞こえてくる。それはわたしのクラスも例外ではなく、一部のクラスメイトはもう夏休みの予定についてまであれこれと話しているようだった。

 それぞれがそれぞれの青春模様に花を咲かせている中、わたしはそれに混じることもなく自分の席につくと、鞄から淡いピンク色のブックカバーでデコレートした一冊のラノベを取り出した。ブックカバーは新しく買ったばかりのもので、ヘアピンにマッチするデザインと色合いのものを選んだおかげか、やたらと気に入っている。

 最近になってからはろくに男子の相手をしなくなったおかげか、わたしに対する敵意は以前よりもだいぶ和らいでいて、ゆっくりと自分の時間に浸ることができるようになっていた。ここまでくれば、噂が風化していくのは時間の問題だろう。

 そんなことを考えながらページを繰っていると、担任の先生がやってきた。仕方なく栞を挟み、気だるげにふいっと視線を向けると、クラスの人数分はあろう紙の束が目に入った。

「んじゃ、説明するぞー」

 配られたのは『職場見学希望調査票』という見出しの紙だった。担任の説明を聞きながら、『希望する職業』、『希望する職場』、『その理由』と書かれている三つの項目に目を向ける。

 ほとんどの生徒はこの三つの項目を、なんとなくやとりあえず、もしくは友達や恋人を理由にして、あたりさわりのない文章で埋めることになるだろう。既に進路の方向性を決めている生徒や、何らかの理由で進路自体が決まっている生徒も中にはいるだろうが、それはごく少数だ。

 特にやりたいことがあるわけじゃない。かといって、勉強が得意なわけでもない。そんなわたしは間違いなく前者の人間だったのだが、不純な動機とはいえようやくわたしにも進みたいと思える道ができた。だからこそ、ちゃんとした希望を書いて、ちゃんとした調査票を提出したいと今は思う。

 でも、進みたいと思える道の先は、一つのシルエット以外は靄がかかったようにぼんやりとしていて、何も見えない。

 書きたいのに、書けない。心と言葉が文字として繋がってくれない。解けるはずの方程式が、なぜか解けない。いくら心の中を探しても、書きたいと、そうしたいと思うことなんてそれ以外ないはずなのに。

 いくら頭を捻っても、首を傾げても、その問いかけの答えは浮かばないまま、時間だけが過ぎていった。

 

  *  *  *

 

 その日の放課後、完全に行き詰ってしまったわたしは平塚先生に助言を求めるために、職員室へと足を運んだ。

「失礼しまーす……」

 遠慮がちに言って、中の様子をうかがうようにそろり覗き込むと、わたしの声に気づいた平塚先生が振り向いた。

「おや? なんだか浮かない顔をしているな」

 平塚先生はコーヒーの入ったマグカップを置くと、生徒会室の鍵を取り出し、「使うかね?」と尋ねるように微笑む。でも、わたしはそれを受け取らなかった。

 普段、わたしが生徒会室を一人で使うときは、何かしら考えを煮詰めたり、わたしにとって大切なことをしようとしている時ばかりだ。平塚先生もそれを理解しているからこそ、わたしの様子を見て「違うのか?」と言いたげな表情をしているのだろう。

「あの、先生、ちょっとご相談が……」

 用件を切り出し、クラスと名前以外空白のままの『調査票』を見せる。

「……聞こうか」

 優しい眼差しをわたしに向けると、平塚先生は職員室の一角にある応接スペースへと向かっていく。わたしもそれに続き、向かい合う形で革張りの黒いソファに腰掛ける。

「さて、一色。その相談とやらを話してみたまえ」

「あ、はい。じゃあ……」

 うまく説明できるかなーと不安に思いながらも、ぽつりぽつりと言葉を紡いでいく。

 わたしに心情の変化があったことや、今朝からずっと考え続けても問いかけの答えが浮かんでこないこと、また、その中にある葛藤のこと。一つ一つ隠す事なく説明した。

「……という感じなんですけど、どうしたらいいかなーと」

 わたしが話し終えると、平塚先生は煙草に火をつけ、ふっと煙を吐いた。

「君は、比企谷に似てきたな」

「へ? え、あ、そ、そんなことはないですよ!?」

 早口で言いながらわたわたと手を振るわたしに、平塚先生が苦笑する。

「そういうところは、雪ノ下や由比ヶ浜に似てきたようだな」

「あう……」

 何も言い返せずしゅんと肩を落とすと、わたしの頭にぽんと手が置かれた。

「誰かに影響されるということは、何も悪いことばかりじゃないさ」

「……はい」

 くしゃくしゃとわたしの頭を撫でる手は、せんぱいとまた違う温かさがあって、心地よい。

「さて、相談のことについてだが……」

 これで関係のない話は終わりだ、とでも言うように、平塚先生がわたしの頭を軽く叩くようにして撫でた。

「一色」

 わたしを呼ぶ声の中に、優しさと厳しさが入り混じる。

「一度、比企谷のことを切り離して考えてみたまえ」

 視線で促され、想像してみる。すると、はっきりと形を作っていたシルエットは霧散したように消えていってしまった。それと同時に道は閉ざされ、残ったのは何もない空間だけ。

「それが、答えの書けない理由だ」

 わたしが想像の世界をシャットダウンさせたのを見計らって、平塚先生がそう口にした。

「ううっ……」

 耐えきれず、うーんうーんと頭を抱えてしまう。わたしを見守るような眼差しで、平塚先生は二本目の煙草をふかしながら再び口を開く。

「次は、君が比企谷の隣で何をしたいか考えてみたまえ」

 そう言われ、もう一度想像の世界に飛び込む。すると、霧散してしまったシルエットは元の形に戻り、閉ざされていた道はまた広がっていく。ただ、ぼんやりとしているのは変わらない。

「それも、答えの書けない理由だ」

 なんとなく、平塚先生の言いたいことがわかったような気がした。

「でも、わたしはそうしたいんですよー」

「……強情なやつめ。まぁ、君の場合はそれでいいのかもしれんな」

 それはそれ、これはこれといった様子でけろりとしているわたしに、平塚先生がやれやれとばかりに苦笑した。

「だったら、強引でも、むちゃくちゃでも、私が納得できる理由を用意して、その要求を通してみたまえ。それがそのまま、君の答えになるだろう」

 要するに、納得させてみろってことだろうなー……。うーん、せんぱいのそばにいたいとは思うけど、それはやりたいこととはちょっと違うよなー……。

「ひとまずは、それが課題だな」

 右へ左へと首を傾げているわたしを見て、今日のところは終わり、というように平塚先生は二本目の煙草の火を消した。すぐには答えがでないものだと判断したのだろう。

「そうですね。もうちょっと、考えてみますー」

「たくさん悩むといい。そうやって何度もちゃんと考えて、苦しんで、悩んで、あがいて、人は大人になっていくんだ」

「……はい。先生、ありがとうございました」

「君が、ちゃんと答えを見つけるのを期待しているよ。頑張りたまえ」

 お礼を言いながら深々と頭を下げると、もう一度、くしゃりと頭を撫でてくれた。

 

 ちゃんと、見つけられるかな。

 夕暮れの色に染まる廊下で、平塚先生のいる職員室を一人見つめながら、心の中でそんな不安を呟いた――。

 

 

 

 

 




遅くなりました。

関係ないんですけど、いろはすの中の人が出ている某ラジオが終わってしまい、少し寂しく感じる今日この頃です。
あと、Hello AloneのCDを今更買いました。
エブリデイワールドもそうですが、ガハマちゃんのBalladeが好きです。じわじわとなんか心に来ます。どぱーん。

それと、頂いた感想がきっかけで閉店する前にと千葉パルコに行って来ました。
寂しく思いつつも、妙な満足感が生まれたので行ってよかったです。(なりたけはもうどうしようもなかったけど)
残念ながら、ラッピングされたモノレールは見れませんでしたが、いい気分転換になりました。

ではでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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3#02

真面目な話を書いてたつもりなんだけどなー。


  *  *  *

 

『とりあえずよさ気なとこに進学してー、よさ気なとこに就職してー、それから数年腰掛けてから寿退社かなー』

 ……そう考えていた時期がわたしにもありました。今は、そんな昔のわたしをはっ倒したい気分である。

 とりあえず興味のあることを箇条書きにでもしようとペンを取ったのだが、最近できた趣味である読書や、もともとの趣味であるお菓子作りくらいしか書くことができなかった。その結果がたった二行というザマである。自分磨きも趣味といえば趣味なのだが、それは『可愛いわたし』を振りまくためのものなので、今回の場合は問題に繋がらないと判断した。

 まぁ、そのわたしなりの処世術が今後役に立たないかどうかは別だとは思うけど、結局それだけでしかない。

「まいったなー……」

 控えめに頭を掻きながら、ひとりごちる。

 わたしの進みたいと思える道は、理由だけが先行してわたし自身が理由に追いついていない。そんな現実だけが、静かな自室に反響する。手元のノートに書き記した行数は増えないまま、時計の針は進んでいく。

「うーん、こうなったらー……」

 今の時刻は夜の九時五〇分。まだ起きているだろうかと不安に思いながらも、携帯の通話ボタンを押した。

 無機質なコール音が4回続いたところで、ようやく向こうが電話にでてくれた。

『……はいはい、どしたの』

「せんぱい、こんばんはですー」

『ああ』

 るんるんとしているわたしの声と違って、相変わらず気だるそうな声。でも、わたしはその声が一番好き。

「えっとですね、明日、お昼ご一緒しませんかー?」

 まぁ、あんなことがあったばっかりだし、それから時間も経ってないし、たぶん断られるだろうなー……。そう思いつつ、おそるおそるだめもとで聞いてみる。

『……わかった』

 すると、わたしの予想に反して、ただ頷くように、せんぱいが静かに言葉を返した。

「……あれ? いいんですか?」

『お前が言い出したんだろうが……」

「そ、それはそうですけど……。でも、せんぱいのことだからわたしてっきり……」

『いや、だってお前の場合断っても無駄だし」

 断られるかと……。そう言い切る前に、呆れたような口調で遮るように重ねられた。

「なんですかそれー」

 ぶーぶーと抗議するように言うと、息を吐いた音が電話越しに耳をかすめる。

『……それに、約束しちまったからな』 

「………………ふぇっ?」

 直後に付け足された『約束』という言葉に、つい気の抜けた声をあげてしまった。

『覚えてないのかよ……』

 そんな反応をしたわたしに、呆れたようにせんぱいは返す。でも、ほんとに約束なんて――。

『お前が言ったんじゃねぇか。何かあった時は話聞いてくれって……』

 記憶を引きずり出そうとしたところで、ぼそぼそとした声が耳に届く。それを聞いて、ようやく噛み合っていなかったものが音を立てて噛み合った。

 先月の放課後、確かにそんなことをわたしは言った。でも、それは約束なんて大げさなものじゃなくて、あれはただ単にわたしが甘えたくなっただけで……。

「……そんなつもりで言ったんじゃなかったんですけどね。でも、そう言ってくれて嬉しいです」

『ん、まぁ、一応な、一応』

 せんぱいらしい言い訳じみた照れ隠しに、わたしはくすりと笑みをこぼす。そういうとこ、ほんといじらしくて可愛いなー。

 わたしはただお話したいって言っただけなのに、ただ甘えただけなのに、それを約束として律儀に守ってくれてたんだーと心の中で舞い上がり続けていると、ふと気づいた。

「……あれ?」

 わたし、話を聞いてほしいなんて一言も言ってない……。

『どした』

「あの、なんで相談があるってわかったんですか……?」

 も、もしかして、わたしのこともっとよく見てるアピール……? と、頭に疑問符を躍らせつつも声色に期待を滲ませて尋ねる。

『ああ、そりゃお前がめんどくさい話をいきなりし出した時って、大抵そういう時だし……』

 ……う、うーん、わたしのことちゃんと見てくれてるのはさすがにわかってたけど、求めていたアピールとちょっと違う種類のアピールだなー……。

『でも、まぁ、そんなお前のわがままに付き合うのも、それほど悪くないと思ってる俺もいる』

 後出しでそんな優しさを投げかけられ、今度は思わずどきりと胸が高鳴る。

『だから、いつもみたく聞いてやる』

 ――ほんと、かなわないな。

 心の奥でそんなことをぽしょっと呟く。いつも、いつだって、そうやってわたしの心を突いて、掴んで、奪っていく。

「……ほんと、せんぱいのそういうところ、あざといですし、ずるいです」

 今、わたしだけに向けられている優しさは、今のわたしだけのものだけど、いつかはせんぱいの優しさ全てをずっと独り占めできるようになれたらいいなと、そんなことを願いながら、電話が繋がったままの携帯をぎゅっと握り締めた。

『だから、お前のほうがあざといっつーの』

 そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、吐き捨てるようにせんぱいが言う。

「ふふっ。せんぱいのそういうとこも、わたし好きですよ」

『そりゃどうも』

 ただの皮肉と受け取ったのか、淡々と、皮肉めいた口調の声が返ってくる。そういう意味じゃないんだけどなーと口をとがらせつつもそれを心にしまい、話を切り替える。

「……せんぱい」

『あ?』

「一緒に答え、見つけましょうね。必ず……」

 問いかけるように、そして、噛みしめるように、わたしの心の中と電話の先へ向けて、しんみりとしたわたしの声を届けた。

『……ああ。必ず、な』

 反響するように返ってきた言葉は、確かな決意が込められていたような、そんな気がした。あとは、それを話す場所か……。といっても、一つしかない。

「……それじゃあ、明日、生徒会室でいいですか?」

『了解』

 屋上やベストプレイスといった人目につく場所よりかは、生徒会室のほうが落ち着いて話ができるだろう。それをせんぱいも理解しているからか、当然二つ返事だった。

 と、話もまとまったところで時計に目をやれば、そろそろお開きの時間に差し掛かっていた。

「ではでは、そろそろ寝ましょうか」

『ん、もうそんな時間か』

 どうやらわたしと同じ感覚だったようで、せんぱいも思い出したように言った。

「……じゃあ、おやすみなさい」

『おやすみ』

 あともう少しだけ……。そんなキリがないわがままは飲み込んで、振り切るように通話を終了させる。

 歯を磨き、ベッドに身を預けながら、明日の進路相談について何から話そうかと逡巡しているうちに意識は薄れ、わたしは眠りについた――。

 

  *  *  *

 

 翌日の昼休み、午前中の授業を終えたわたしは駆け足で職員室へ向かった。せんぱいを待たせてしまっているかも、という焦りからか、少し勢いがついたまま職員室の扉を開いてしまった。

 そんなわたしの様子を見た平塚先生が一瞬目をぱちくりとさせたものの、すぐに表情を戻し、あらかじめ用意していたのか手元にあった生徒会室の鍵をわたしに向かって放り投げた。

 驚きのあまり小さく悲鳴をあげつつ受け取ると、その一部始終を見ていた平塚先生が「使うのだろう?」と視線で問いかけてくる。それにわたしは頷き、ぺこりと頭を下げた。

「ありがとうございますー!」

 お礼をちゃんと口にしてから、職員室を後にする。途中で視線を感じて振り向くと、平塚先生がわたしの後ろ姿を見守ってくれていたようだ。わたしと視線がぶつかると、ひらひらと手を振りながら、励ますようにくすっと笑う。

 わたしは一旦足を止め、平塚先生にもう一度頭を下げてから再び駆け出した。たたっと軽快な音を立てて生徒会室へと続いている廊下へ着くと、天井を呆けた瞳で見つめたまま壁に寄りかかっているせんぱいの姿がある。向こうもわたしの足音に気づいたようで、自然と瞳の先が交わう。

「す、すいません。ちょっと、鍵をお借りしに行ってまして……。待たせちゃいましたか?」

 ぱぱっと前髪を整えた後、せんぱいの顔を控えめに覗き込む。……なんかデートに遅刻した時の言い訳みたいだなー。

「いや、どうせそんなこったろうと思ってたし、俺も今来たとこだから大丈夫だ」

 ……わ、せんぱいがデートのお手本みたいなこと言ってる。

「どうしてそれがデートの時に言えないんですかねー……」

 拗ねた口調でぼそり呟きずいっと近づくと、うぐっと声を詰まらせながらせんぱいが身体を仰け反らせて、一歩後ずさる。

「ま、まぁ、そりゃアレだ。アレだよアレ……」

「アレじゃわかりませんよ。なんでですか、どうして言えないんですか」

 逃げ場をなくすように詰め寄って壁際まで追いやると、観念したようにせんぱいが大きく息を吐いた。

「わ、わかった、気をつける。だから、離れてくれ。マジで近いから……」

 言われ、真っ赤に染まったせんぱいの顔がわたしの目の前にあったことに気づく。

「あ……」

 もし、このまま、近づいてしまえば――。

「す、すいませんっ……」

 そんな考えを振り払い、距離をとった。ど、どうしよう……。今、せんぱいの顔見たら、わ、わたし……。

「と、とりあえず入ろうぜ」

 火を吹きそうなほど熱を持った顔に手を当てておろおろし続けていると、せんぱいが思いついたように口を開く。

「あ、そ、そうですよね……。すいません、今、開けます……」

 動揺したまま、生徒会室の鍵を取り出そうと制服のポケットに手を入れる。

「――あっ」

「お、おい」

 ちゃりんと音を立てて滑り落ちてしまった鍵を拾おうと手を伸ばしたところで、ぴとりと指先と指先が触れ合った。

「ひゃっ!」

「わ、悪い」

 再三つないだ手のはずなのに、わたしがどうにも意識しすぎてしまったせいか、お互いにいろいろとおぼつかなくなってしまう。

「……とりあえず、落ち着け」

「は、はい……」

 すーはーと深呼吸しながらも、未だに生徒会室の鍵を開けることすらできていない現状に不安を抱く。

 

 ――大丈夫かな、わたし。

 

 

 

 

 




遅くなりました。

今回、後半部分はうまくまとまっていないような気がしますので最悪書き直すかも。
その場合は活動報告なりツイッターなりで告知すると思います。

ではでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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3#03

  *  *  *

 

 生徒会室には、ただ、静かな空間が広がっている。というよりも、わたしが話を切り出すタイミングを見失ってしまったせいで、お互いに話し始めるきっかけが掴めなくなっているというだけなのだが。

 昼食をとりつつも、いい加減そろそろ話をしないとなーと視線を移した時――。

「……ぁ」

 つい、せんぱいの口元へ目がいってしまい声を漏らした。あの時、お互いの唇を触れ合わせていたら今頃わたしはどうなっていただろうか。そんなことばかりが頭に浮かんできて、冷め始めていたはずの顔が再び熱を帯びていく。

「……その、話ってのは、いいのか?」

 ぽーっとしたわたしの視線と声に気づき困った様子で顔を赤らめながら、せんぱいが呟くように言った。そのことにはっとして意識を戻すと、小さく咳払いをしてから口を開く。

「あ、えっと、これなんですけど……」

 一枚の紙をポケットから取り出してせんぱいへ手渡した。

「……職場見学希望調査票? ああ、そういやこんなんあったな…」

 そこに書かれている見出しが目に入った瞬間、せんぱいはなぜか眉をひそめた。……何か嫌な思い出でもあるのかな?

「っつーかこれ、空欄のままじゃねぇか」

「……はい。だから、せんぱいに相談しようかなーって」

 たははと愛想笑いを浮かべつつ、ぽりぽりと頬を掻く。

「は? いや、なんで俺なんだよ。そもそも、こういうのって自分の行きたい場所を書くもんじゃないのか」

 意味がわからないといった表情をしたせんぱいに、わたしは静かに頷いた。

「……わたし、言ったじゃないですか。せんぱいの近くで、知っていきたいって」

 曖昧でも、不透明でも、それがわたしの進みたいと思う道だから。でも、それだけじゃ足りないからこそ、平塚先生は突きつけたのだと思う。

 だったら、わたしは見つけたい。絶対に見つけなくちゃいけない。どれだけ強引でも、むちゃくちゃでも、わたしの進みたい道の先にある答えを、必ず。

「だから、ちゃんとした理由を見つけなきゃいけないって思うんです。せんぱいのためとかじゃなくて、わたしのために」

 返答を待たずに、真剣な眼差しではっきりとわたしの意思を口にした。これから置いていかれないようにたくさん努力をしないと、し続けないといけないのはわかってる。でも、その末に手に入るものも、きっとわたしの欲しいと願う“本物”だと思うから。

「……そうなったのも、俺のせいなんだろうな」

「そうですよ?」

「なら、しょうがないな」

 呆れたような、それでいて感嘆したような苦笑を漏らすせんぱいに、わたしはふふんと誇らしげな微笑みを返す。

「じゃあ、相談、よろしくです」

「あいよ」

 そう言うと、せんぱいは手元に置いたままの調査票へ手を伸ばし、顎に手を当て考えるような仕草をとった。……そ、それ、口元に目がいっちゃうから、いろいろとまたやばくなりそう……。う、ううっ……。

「……やりたいこととかは」

 あうあうと頭の中で呻いていると、尋ねてくる声が聞こえたので思考を切り替える。

「特に……」

 即答できてしまう自分が悲しい。

「……じゃあ、やってみたいこととかは」

 やってみたいこと……。そう心の中で何度も反芻するように呟いてみたものの、やっぱり答えは浮かんでこない。

「それも、特に……」

 ほんと、悲しいなー……。わたしって、ほんと薄っぺらいなー……。

「まぁ、そうなぁ……」

 自虐してずーんと落ち込んでしまったわたしを見て、せんぱいも困り果てたように頭をがしがしと掻く。……こんな子でごめんなさい。

「うー……」

「まぁ、焦らずにお前ももうちょっと考えてみろ」

「そ、そうですよね……。せんぱいも、お願いします……」

 止めていた箸を再び動かしながら、何度目かわからない思考の波に身を委ねる。といっても、そうしたところで何も変わらないというのはわかっていた。いくら心の中を覗いても、そこにあるのは今は見えないままのもやもやとした何かだけ。

「なぁ、一色」

 今は答えることのできない問いかけをひたすら廻らせている途中、わたしを呼ぶ声が聞こえたのでそちらへ向き直る。

「逆にお前がやりたくないことって、何かあるのか?」

 やりたくないこと……。その言葉に一旦箸を置き、ぴんと立てた人差し指を唇に添えながら考える。わたしが望まない道、わたしの求めていない答えを心の中で探し始めると、それはすぐに見つかった。

「……近くにいることすらできないのは、わたし、絶対に嫌です」

 考えたくない結末を想像してしまったせいか、寂しげな口調でこぼしてしまう。わたしは甘えんぼで、寂しがりで、わがままばかりのめんどくさいやつだけど、せんぱいの近くにいることすら許されないというのだけは、たまらなく嫌だ。

「求めていた答えとちょっと違うんだが……」 

 わたしの返した言葉に、せんぱいがため息を吐く。まぁ、普通に考えたらそりゃそうだよね、うん……。

「っつーか、そもそもそういういらんことは考えなくていいから、もっと他にだな……」

「……え? あ、あの、それって……」

 否定を含んでいるような声色に思わず不安を滲ませながらも返すと、ふいっと視線を外したせんぱいが気恥ずかしそうにぽりぽりと頬を掻く。

「あ、いや、そうじゃなくてだな……。なんつーか、その、善処するって言っちまったし、まぁ、だから、これからはちゃんとお前とも向き合おうというか……」

 目を合わせずにごにょごにょとしているせんぱいの顔は、さっきのわたしと同じくらいには赤みを増している。

「……えへへ」

 言葉の先を待たずに、わたしは身体を浮かせて椅子をせんぱいのほうに少しだけ寄せた。今はこれだけしか距離を縮めることができないけど、それでも、いつか、心が触れ合える距離まで近づきたい。

「いや、だから近いから……」

「……しょうがないじゃないですか。わたし、今すごく嬉しいんですもん」

 こてんと頭を乗せると、せんぱいの肩がびくっと震えた。そのことにわたしはくすっと微笑みながら、感情を紡ぐ。

「せんぱいは、ちゃんと待っててくれますか?」

 わたしの手の近くにあるせんぱいの制服の袖をきゅっと掴む。

「……待つのも得意分野だ、任せろ」

 相変わらず捻くれていて不器用な返答だったけど、わたしはそんなこの人が誰よりも好きで、この人じゃないとだめだから。そんな気持ちを噛みしめるように小指同士をそっと絡ませ、結び、手を重ねる。

「じゃあ、約束ですね」

 わたしはふふっと満足げに笑って、小さくつないだ手を揺らす。

「……おう」

 温かさを含んだ声がわたしの耳をくすぐり、ぽわぽわした感情がわたしの心いっぱいに広がっていく。

 もうちょっとだけ、このままで……。わたしは身を預けたまま、静かに目を閉じた。

 

  *  *  *

 

 ――……色。

 なんか、せんぱいの声がするー……。

 ――おい、一色、起きろ。

「……ん」

 ゆさゆさと身体を揺さぶられる感覚に、おぼろげだった意識がはっきりとしたものに変わっていく。

「………………はれ?」

「やっと起きたか……。そろそろ昼休み、終わるぞ」

 ぼんやりとした目をこすりながら何度かまばたきをしたところで、ようやく状況が飲み込めてくる。つまり、その、いつのまにかわたしは夢の世界へと突入していたというわけで……。

「あ、す、すいません、わたし、つい……」

 わたし、またやらかしちゃったなーと不安に思いながら、そろーっとせんぱいの顔を覗き込む。

「別に、気にしなくていいぞ」

 そんなわたしの様子を見て、せんぱいがふっと口元を緩めた。そのことにほっと胸を撫で下ろし息を吐く。

「それよりもだ、一色。明日もここでいいのか?」

 つないでいたままの手を離し弁当を片付けようとしたところで、せんぱいに尋ねられる。

「……いいんですか?」

「いや、だって何も解決してないだろ」

「あう……」

 手厳しい一言に、わたしはしょんぼりと視線を落とす。

「まぁ、まだ時間はあるんだし、最後まで付き合ってやるからそう気を落とすな」

 励ますように頭を一撫でされた時、ちょうど昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。

「……んじゃ、俺はそろそろ行くわ。お前も遅れないようにな」

「あ、はい……。また、明日、です……」

 

 生徒会室を出ていくせんぱいの後ろ姿に寂しさを感じながらも、わたしは食べかけの弁当を片付けた後、自分のクラスへと戻った――。

 

 

 

 

 




また時間空いちゃってごめんなさい。
Pixivの話と平行して書いてるので、更新間隔まばらになると思います。

ではでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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3#04

  *  *  *

 

 放課後になると日中を過ぎて気温が落ち着き始めたせいか、開かれた窓から入り込んでくる風がやけに涼しく感じる。

 今日は一応生徒会の活動自体はあるのだが、書類をファイリングしたり、判子を押したりするくらいなので、他の役員は休みにして一人でこなすことにした。

 そうして黙々と仕事を進めている途中、生徒会室にノックの音が響いた。

「どーぞー」

 ……やる気がないわけではないのだが、わたしの場合どうにも間延びした声になるらしい。

「よう」

「せ、せんぱい? どっ、どうしたんですか?」

 予想外の、そして今一番会いたかった人が訪ねてきてくれたことに思わず手を止め、駆け寄る。

「……悪い、仕事中だったか」

「いえ、あとちょっとなので大丈夫ですっ!」

 机の散らかり具合を見たせんぱいが申し訳なさそうに生徒会室を出て行こうとしたので、逃がしてたまるかとぐいっと腕を引っ張って立ち止まらせる。

「わ、わかったから引っ張るな……」

「まぁまぁ、いいじゃないですかー。ではでは、一名様ご案内でーす」

 これでもっと一緒にいれるなーと内心でにやけながら、せんぱいを引きずるように中へ迎え入れた。……よしっ、仕事なんかさっさと終わらせていっぱい甘えちゃおーっと!

「じゃあ、少しだけ待っててくださいね」

「や、手伝うぞ」

 途中だった書類に再び手をつけようとすると、隣に座ったせんぱいが俺の分を寄越せとばかりに手を差し出してきた。

「いえ、このくらいわたし一人で大丈夫ですよ?」

 きょとんとしながら返し、首を傾ける。その様子にぽかんと口を開けたせんぱいがなんだかおかしくて、くすっと笑みを漏らす。

「……そうか、わかった」

 釣られたように口元を緩ませたせんぱいに頷きだけを返して、中断していた仕事を再開する。やたらとモチベーションがあがったせいか手は止まることなく動き、いつもより早いペースで片付いていく。やだ、わたしったら超単純!

「……結構さまになってきたな、お前」

 てきぱきと仕事をこなしているからか、隣から優しさを含んだ色の呟きが聞こえてきた。せんぱいに褒められるのはちょっとだけくすぐったいけど、やっぱり嬉しい。

「……ありがとう、ございます」

 甘えたい。今超甘えたい。でも、我慢しなきゃと心の中で大きく首を振って、もんもんとした気持ちを抱えたまま、一つ一つ目を通して書類のファイリングを済ませていく。

 最後の書類に手を伸ばし、それを片付けたところでふぅと息を吐く。

「お疲れさん」

「はい。ちょっとだけ疲れました」

 手が空いたのを見計らって、せんぱいが声をかけてくれた。それに言葉を返した後、ご褒美が欲しいなーという意味を込めてせんぱいを見つめる。

「なに?」

 はぁ、相変わらずそういう乙女心には気づいてくれないんですねー……。

「わたし、頑張りましたよ?」

「お、おう……」

「だから、ちょっとくらい、ご褒美、欲しいなー、なんて……」

 口に出すのは恥ずかしいけど、それでも甘えたいから。

「………………これでいいか?」

 少し間が空いた後、頭をくしゃくしゃと撫でられた。その瞬間、ぽわっとした気持ちが広がり、温かさで満たされていくのを感じる。その気持ちよさから、つい自分からすりすりと頭をこすりつけてしまう。

「えへへ……」

「こら、調子にのるな」

 だらしなく頬を緩ませてつい甘えてしまうわたしに、せんぱいはちょっと困ったような顔つきになり、おでこをぺしっと軽く叩いてきた。

「はうっ」

 もうちょっと撫でて欲しかったのに……あ、そういえば。

「ところでせんぱい、何か用があったんですか?」

「ああ、お前さ、ラノベのプロットとかって興味あるか?」

「……ぷろっと?」

「プロットっていうのは――」

 ふむふむ、なるほどー。つまり、キャラクターの設定や話の流れをまとめたりする下書きみたいなものってことかー。

「んー……。興味がなくはないわけじゃないですけど、実際に見てみないと何とも……」

 でもどうして急に? 首を傾げて問う。

「お前、材木座って覚えてるか?」

 ざ、ざい? 材木? 業者かな? ……うーん、でもどっかで聞き覚えがあるような。

「……まぁ、お前が覚えてないってことはよくわかった。で、その材木座ってのがよく自作のラノベを書いてくるんだが」

 あ、これつまんないって言うパターンだ。

「なんとなく話がわかっちゃったんですけど……」

 つまりは、その材なんとかって人が書いたラノベのプロットとやらを見てみないかってことだろう。でも、つまんないのはちょっとなー……。

「まぁ、聞け。そいつが今部室に来てて、とりあえず待たせたままなんだけどよ……」

 そこまで言ったところで、せんぱいがふいっとそっぽを向きながら頭を掻いた。あ、これ恥ずかしがってるパターンだ。……はっ! もしかしなくてもこれってせんぱいからのお誘いくるー?

「だから、その、お前さえよかったら、一緒にどうかと思ったんだが」

「行きます」

 瞳をきらきらと輝かせながら即答する。その勢いに気圧されたのか、せんぱいは少し身体をのけ反らせた。

「お、おう……。じゃ、じゃあ行くか」

「はいっ!」

 そういえばあそこに顔を出すのは四月以来だなー……。少し複雑な感情を抱きながらも、せんぱいの隣に並んで奉仕部の部室へと向かった。

 

  *  *  *

 

「悪い、ちょっと遅くなった」

「おかえりなさい」

「ヒッキー、おかえりー」

 せんぱいが部室の扉を開いて声をかける。それに雪ノ下先輩と結衣先輩の声が返ってきたのが聞こえた。

「はちまーーん! 我を置いてどこへ行っていたのだ! この空気に耐えられなくて窒息するかと思ったぞ!」

 どこかで聞いたことがある気がする声だなーとせんぱいの背中越しに中を覗いてみると、熊のような人が汗を垂らしながらこちらに近寄って来ているのがわかった。……うーん、なーんとなく見覚えある気がする。まぁ、とりあえず、一応は先輩、だよね。

「こんにちはですー」

 せんぱいの背中からひょこっと顔を出し挨拶をすると、再び本を読み始めた雪ノ下先輩と携帯をいじり始めていた結衣先輩がはっと目線を上げる。そして、その材なんとか先輩はわたしの姿を見るなり急ブレーキをかけ、ばばっと勢いよく後退していく。体格のわりに身軽だなーこの人……。

「久しぶりね、一色さん」

「いろはちゃんだ、やっはろー! 久しぶりー!」

「お久しぶりですー」

 小さく手を振って応えている間に、材なんとか先輩が壁にぶつかったのが視界に入った。その姿は、わなわなと震えている。

「は、八幡っ! なぜ生徒会長などと一緒におるのだ?」

 ……むっ。なんだこの人、失礼だな。

「あ? まぁいろいろあんだよ」

「まさか貴様っ、我を裏切るというのか!?」

「うるせぇな、別にお前には関係ないだろ。それよりほれ、早くしろ」

「は、はちまーん! 貴様だけは、貴様だけは我の生涯の友だと思っていたのにー!」

 うわ、なんかめんどくさそうなやりとりが始まったなーとその光景を眺めていると、雪ノ下先輩がわたしを見ていることに気づいたのでそちらに振り向く。

「……紅茶、飲む?」

 目が合った雪ノ下先輩が優しく微笑みながら尋ねてきた。二人を初めからいなかったかのようにスルーするのはたぶん、もう慣れちゃってるからなんだろうな。

「あ、ありがとうございますー」

 雪ノ下先輩に紅茶を淹れてもらっている間に、椅子を準備する。わたしの定位置は、雪ノ下先輩と結衣先輩の真正面。でも、今日はせんぱいと一緒にプロットを読むわけだし、これを利用しない手はないよね!

「…………」

「…………」

 いつもと違った位置に椅子を置いたわたしに、雪ノ下先輩と結衣先輩が呆気に取られた表情で見つめてきた。……わかってはいたけど、やっぱりちょっと気まずい。

「ほれ、一色」

 ううっと身を縮こまらせていると、せんぱいが分厚い紙の束を渡してきた。二人の視線から逃れるようにそれを受け取り、ぱらぱらとめくってみる。

「へー、こんな感じなんですねー」

「まぁ、プロのものじゃないからちょっとアレだけどな」

「んーでも、せっかくのお誘いですし、わたしは別に気にしませんよ?」

「あ、そう? じゃあ、とりあえず始めるか」

「そうですねー。ではでは、一緒に読みましょう!」

 淡々と話を進めていると、混乱した様子でおろおろとする材なんとか先輩と、戸惑いの色を表情に滲ませながら雪ノ下先輩と結衣先輩が説明を求めてくる。

「あぁ、こいつ、最近ラノベに興味持ち出してな。だから、ちょうどいい機会だと思って連れてきたんだ」

「はいー。そういうことなので、わたしも参加させてもらうことにしたんですよ」

 ここにきた理由を伝えると、なんとなくではあるもののそれぞれ納得した面持ちを浮かべ、場が落ち着いていった。

「……そう。はい、一色さん」

「あ、どうもですー」

 雪ノ下先輩から受け取った紅茶を一口頂いて、一息つく。

「じゃあ、せんぱい」

「ん、そうだな」

 

 紙コップを置いた時、コトッとした音の中にかすかな呟きが交じっていた気がした。しかし、それは誰に届くわけでもなく、ただ、この空間の中に溶けていった――。

 

 

 

 

 




それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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3#05

材木座ごめんね?


  *  *  *

 

 プロットを読み始めてから、一時間ほど経った。

 最初にこの紙の束を手にしてぱらぱらとめくった時は、プロではないとはいえ『らしい』雰囲気にわくわくと期待していたが、ちっとも興味を惹かれない話の展開、とってつけたようなキャラクターの設定や背景に、今となってはげんなりとしていた。

 それだけならまだしも、やたらと難しい漢字を使っているせいで読みにくいことこの上ない説明文章のかたまり、意味のわからない長ったらしいルビ振りのせいもあって、既に読むこと自体が苦痛にすら感じ始めている。

 そうして最後の章が書かれているページまできたところで、目の疲れからか、ふあと欠伸が漏れてきた。それはどうやらせんぱいも同じらしく、くあと欠伸が伝染する。そのことに小さく口元を緩めながらも、なんとか読み終えて裏側まで辿り着き、手にしていたページをぱたんと閉じる。

「うー、さすがに疲れました……」

「お疲れさん」

「あ、あはは……。ヒッキーもいろはちゃんも、お疲れー……」

 しぱしぱする目をこすっていると、机に肘を突いてわたしとプロットの両方を眺めるようにしていたせんぱい、そして成り行きを見ていた結衣先輩が声をかけてくれた。

 ある程度集中していたせいで何も口にしていないことを思い出し、紅茶の残りを口に含んでみたものの、予想どおりすっかり冷めてしまっていた。

 そのことに気づいた雪ノ下先輩はページを繰る手を止め、空になったわたしの紙コップを見て、静かに微笑んだ。

「……紅茶、淹れ直すわね」

「あ、ありがとうございますー」

 雪ノ下先輩からおかわりを受け取り、口をつける。ほわっとした温かい湯気が疲れた目に染みるのを感じながら、ふーと息を吐く。

「さて、八幡。感想を聞かせてもらおうか」

 ちびちびと紅茶をすすりながら休憩し始めたところで、今まで黙っていた材なんとか先輩が重々しい語調で口を開いた。自分としてはよっぽどの出来だったのか、腕組みをしているその顔には自信が透けて見える。

 ……ていうかわたしも読んだのになんでせんぱいにだけ感想を求めるんですかね、この人。なんかちょっとイライラしてきちゃった。

「先輩、わたしからいいですかねー?」

 そのせいか、にこにこした表情のまま低い声が出てしまった。

「ぬっ!」

「お、おう……。じゃあ、一色からで……」

 苛立ってしまったわたしの様子を見て、材なんとか先輩は椅子ごと身体をのけ反らせ、せんぱいは肩をびくっと震えさせる。いや、イライラしちゃったのはわたしも悪いと思いますがそんなにびくびくされると傷つくんですけど……。

「……ま、まぁ、理解はできないと思うが参考までに聞いておいてやろう。凡俗の意見とはいえ、我にとっては貴重な……」

「めちゃくちゃつまらなかったですー」

「ふぐっ!」

 言葉を重ねるようにして言い放つと、材なんとか先輩が息の詰まったような悲鳴をあげながら、がたんと椅子から転げ落ちた。

「ふ、ふむ……。ど、どこがつまらなかったのかご教示願おうか……」

「とりあえず全部ですかね? うまく言えないんですけど話もキャラもありきたりですしあらすじも何が言いたいのかさっぱりですし、読んでてむしろ超苦痛でしたよー?」

「ひぎっ!」

「ていうか話を説明するのになんで難しい漢字ばっかり使ってるんですか? ややこしいし回りくどいしおまけに意味不明だし、なんかめんどくさくなってきて何度も読むのやめたくなりました」

 一気にまくし立てるように続けるわたしに、材なんとか先輩は尻もちをついたまま、弱々しい声でおそるおそる聞いてくる。

「ばぶっ! ……そ、そんなに?」

「はい」

 その問いかけに全力の笑顔で答えた瞬間、材なんとか先輩の口から何かがふひゅーと漏れていった……ような気がした。

「容赦ねぇな……」

 隣で一部始終を見守っていたせんぱいが、うわぁといった感じの表情でぼそりと言ってきた。

「な、なんか昔のゆきのん見てるみたい……」

 さらには反対側から、結衣先輩の引きつった声が聞こえてくる。

「あら、私の場合一色さんよりもっとはっきり言うと思うのだけれど」

 二人の声を聞いて、肩にかかった髪を払いながら雪ノ下先輩は涼しげに言った。

「は、八幡っ! お、お主なら理解できたであろう? 我の最高傑作と呼べるこの物語に込められている深い世界観がっ! この作品の面白さと素晴らしさがっ!」

 材なんとか先輩が縋りつくように手を伸ばし、子犬のような瞳でせんぱいに訴えかける。

「材木座……」

 あ、そうだ材木座先輩だった。まぁ、そんなどうでもいいことは今は置いといて。

 ちらと視線を送ってみると、せんぱいが静かに頷く。あ、これあかんやつやってやつですね。

「は、八幡……」

「……悪いな、俺も一色と同じ意見だ」

「ふぶっ! ……ぶ、ぶひひ、ぶひっ」

 その一言に、材木座先輩がぴくぴくと痙攣しながら白目を剥いた。その姿を見て、わたしとせんぱいはお互いの顔を見合わせながら、やれやれとばかりに苦笑を交え合った。

 それから材木座先輩はしばらくの間、こひゅーこひゅーと息も絶え絶えな様子だったが、次第に意識を取り戻し、膝を震わせながらもなんとか立ち上がった。

「……また書けたら持ってくる」

「お待ちしてまーす」

 ふらふらとした足取りの材木座先輩の背中にそう告げながら、ばいばーいと手を振っているとこちらに少しだけ振り向いた。

「う、うむ……」

 苦々しい表情で唸るように頷きながら、材木座先輩は奉仕部の部室を出て行った。依頼主が去って四人になると次第に会話は減っていき、落ち着いた雰囲気を取り戻していく。

「静かになったわね……」

「あ、う、うん、そだねー」

 雪ノ下先輩が手元の本に視線を落としながら呟く。その後、そこに結衣先輩の声が重なった。

「……ちょっと言いすぎましたかねー?」

「ん、あぁ、材木座か。あいつはあれくらいでめげるやつじゃねぇから、心配しなくていいぞ」

 ふとそんなことを口にすると、せんぱいはぼーっと遠くを見つめていた目をこちらに向けて、ふっと表情を崩した。

「ていうか、あれだけ言われてもまだ書く気になれるってすごいですねー」

「そりゃ、あいつの場合は自分がやりたくて、好きでやってるからな」

 好きだからやる、か……。そういう意味では何もないわたしにとっては、そういうところは素直に羨ましい。

 夢や理想を追い続けることは誰にでもできることじゃない。誰かにバカにされて叩かれても、潰されかけても、ちゃんと考えて、悩んで、苦しんで、自分と戦い続けて、それでもなおあがき続けられるのなら、それは、その人だけの“本物”だから。

 ――だから、わたしの気持ちも、きっと。

「見た目とかはちょっとアレすぎですけど、材木座先輩のそういうとこ、すごいなーってわたしは思います」

 そう言うと、雪ノ下先輩、結衣先輩が目を見開く。ただ、せんぱいだけはわたしが伝えたいことを理解したのか、目を伏せ微笑をたたえた。

「そうだな」

 微笑みを返し、頬杖をつきながらせんぱいと同じ景色を見つめる。頭の中でいくつかの空想劇を繰り広げながら、それを目先の黒板に映し出すように。

 それっきり誰も会話を交わすこともせずに、ただ流れていく時間に身を委ねている最中、不意にぱたんと本を閉じる音が窓側の椅子から聞こえてきた。

「もう、終わりにしましょう」

 雪ノ下先輩が何かを諦めたような口調で、今日の活動の終わりを告げた。

 

  *  *  *

 

 からから回る自転車の音と、二つの足音。

 雪ノ下先輩と結衣先輩はなにやら予定があるらしく、一足先に校門を出て行った。なので、今はせんぱいと二人きりで帰り道を歩いている。

「あ、ラノベ、もうちょっとで読み終わりますー」

 そういえばと会話を振ってみる。確か、今は一巻の最後らへんに栞を挟んでいたはずだ。少なくとも、明後日までには読み終えてしまうだろう。

「お、もうそんなに読んだのか」

 心なしか、嬉しさが混じっているような声でせんぱいが答えた。

「はい。つい夢中になって読んじゃいました」

 なんとなく、てへっと舌を出しながら目を細めてみる。小町ちゃんに複雑な親近感を抱いてからはこういった仕草は控えていたのだが、久しぶりにやってみたくなった。

「あざといっつーの」

「あうっ」

 またもやおでこをぺしっと叩かれる。……ひどい。でも、これはこれでせんぱいの愛情表現のような気がして、すごく嬉しい。

「せんぱいに傷物にされたー」

「楽しそうに言っても説得力ねぇぞ」

 わたしはきゃいきゃいとはしゃぎながら、せんぱいは冷静に突っ込みながら、駅へと続く道のりを歩いていく。ただ、膨れ上がっていく寂寥感だけは消えてはくれず、それを誤魔化そうと余計に騒いでも、逆効果にしかならなかった。

 一人の時は大丈夫なのに、隣にせんぱいがいるというだけで途端に脆く弱くなってしまう。だめだなーわたしと呆れながらも、置いていかれないよう重く感じる足を動かしているうちに、駅前の大きな広場に着いてしまった。

「せんぱいのおかげで、今日は貴重な体験ができました。ありがとうございます」

「や、そんなに気にしなくていいから」

 感謝の言葉を口にして深々とお辞儀すると、そこまでしなくてもとばかりにせんぱいが手を突き出した。

「それじゃあ、また明日の昼休みに……」

「ああ、気をつけて帰れよ」

 別れの挨拶を交わし、寂しさや名残惜しさがごちゃ混ぜになった感情を引きずりながら改札を抜ける。

 振り返り、せんぱいに手を振って最後の挨拶を済ませた後、ぺちぺちと自分の頬を軽く叩く。

 ……もうちょっと、強くならないとなー。

 

 長々とした息を吐いて気持ちを切り替え、わたしはホームへと続く階段を上っていった――。

 

 

 

 

 




一応、念のため。
私は材木座、結構好きです。

それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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3#06

  *  *  *

 

 その日、材木座先輩の熱意にあてられたせいか、普段やらないことをやってみたくなった。なので、今は帰り道の途中にある本屋に立ち寄っている。……まぁ、わたしができることなんて限られてるけど。

 まずは趣味に関連する本が仕分けられているコーナーにある、パソコン、自動車、スポーツ、手芸、音楽、映画といったそれぞれのジャンルの中から、わたしでもできそうなものをいくつかチョイスすることにしよう。

 最初に、手芸の本を手に取ってぱらぱらとめくってみる。

 前に一度、『女の子らしさを可愛くアピールできるから』といったしょうもない理由から、手芸を始めてみようかと思ったことはある。ただ、道具や材料費といった金銭的な問題から、結局手をつけなかった。

 あ、この可愛いビーズのアクセサリーとか小物、超可愛い。……そうだ! これを作ってせんぱいにプレゼントしたら、喜んでくれるかな? それでそれで、同じものを作っておけばおそろいになって……。

 ……はっ! いけないいけない。うっかり妄想しちゃった。……んー、やっぱりコスト的に今はちょっと、なぁ。

 仕方なく本を戻して、今度は映画の本を手にして中を覗く。

 わたしが映画を観るのは話題づくりの一貫としてだったり、適当な男子とお出かけした時くらいなので、こういった映画の情報誌を意識して読むことはほとんどなかった。あっても、ただそこにあったので暇つぶしになんとなーく目を通してみたくらいしかない。

 ぱらぱらとページをめくっていくと、公開されている映画のリストが書かれているページに辿り着き、ふと冬にデートした時のことを思い出す。

 そういえばあの時は、映画を観るのをやめて卓球に切り替えちゃったんだっけ。じゃあもし、もしわたしがせんぱいの恋人になれたら、またデートした時にラブロマンスものを一緒に見て、いい雰囲気になって、そしたらそしたら……。

 ……はっ! あぶないあぶない。本気で妄想しちゃってた。……うーん、とりあえず見てみたけどあんまりぴんとこなかったし、映画はない、かな、うん。

 本を戻しながら他のジャンルに関心を向けようとしてみたものの、残っているのはパソコン、自動車、スポーツ、音楽のみ。

 パソコンは生徒会の仕事で散々使ってうんざりしてるし、音楽は楽器ができるわけじゃないし、自動車なんかはそもそも免許がまだとれないし。

 スポーツに関しては、一応サッカー部のマネージャーをやっているわたしではあるが、別にサッカー自体に興味があったわけじゃない。ただ、そこに葉山先輩がいたからお近づきになろうと入部しただけであり、それも今となってはどうでもよくなってしまった以上、なおのこと興味を惹かれなかった。

 となると、やっぱり。

 消去法でこうなるとわかっていたからこそ、ここへ来た時から意図的に避けていたジャンルである料理やお菓子作りの本に目を移し、いくつか見繕う。……思ったとおり新鮮味はないな-。

 わたしはこう見えてお菓子作りが趣味だし、料理だってできるほうだと思う。でも、基本的に目的がないとどうにもやる気が起きないタイプだ。前までは男子の気を引くためにいろいろ作ってみたりもしたけど、そういうのはもうやめたからなぁ。

 ………………目的?

「あっ!」

 ふと閃いてしまったことに、思わず声をあげてしまう。

「す、すいません……」

 ぺこりと頭を下げ、顔を真っ赤に染めながら、周りの視線から逃げるようにその場を離れた。やばっ、超恥ずかしい……。

 帰路につく途中、わたしはもうかけ慣れた連絡先に電話をかける。4コールほどだろうか、そのあたりで相手が電話に出てくれた。

「もしもーし」

『どした』

 相変わらずの声。でも、この二人きりの時間だけがわたしの寂しさを拭ってくれる。

「せんぱーい、嫌いなものってありますかー?」

『は? いきなりなんだよ』

 突然の質問に、せんぱいの素っ頓狂な声が耳に届く。

「明日、お弁当を作ろうと思うんですけど、せんぱいの分も作ってみようかなーと思いまして」

 さっき、本屋で思いついたのがこれだ。わたしが自分でお弁当を用意するなんてよくあることだし、それが二人分になったところで、あまり手間は変わらない。なにより、せんぱいにわたしの手料理を食べてもらいたい。

『いや、悪いから』

「日頃のお礼ってことで、気にしないでください」

 そう言うと、電話の先から諦めたように息を吐く音が聞こえた。うんうん、せんぱいも今のわたしの扱い方に慣れてきたようでなによりだ。

『……トマト』

「トマト、ですか」

 ふむふむ、メモメモ。

「じゃあ、好きなものはなんですか?」

『マッ缶』

「……そういうことじゃないんですけど」

 ほんとにもうこの人は……。

『冗談だ。トマト以外なら別になんでもいい』

「それが一番困るんですけど……」

『そう言われてもなぁ』

 好きな食べ物、特にないのかな。

「……じゃあ、わたしのほうで適当に決めちゃいますけど、それでいいですか?」

『ああ』

「わかりました! ありがとうございますー!」

 もっと、話をしていたかったけど。

 そんなことを思いながら通話を終了させ、スーパーに寄り道してからわたしは帰路についた。

 

  *  *  *

 

 そして翌朝。

 昨晩のうちに済ませておいた下ごしらえしたものを冷蔵庫から取り出し、ふんふんとハミングしながら、てきぱきと慣れた手付きで進めていく。

 そんなわたしを見たお母さんは、察したようにくすりと笑う。お父さんは何か勘違いしているようで、やたらとそわそわしている。ごめんね、お父さんの分じゃないんだ。

 頭の中にあるレシピどおりに作っていき、盛り付けていく。レパートリーは無難にから揚げ、ハンバーグ、卵焼き、サラダといった感じだ。

「よしっ」

 盛り付けも終わり、完成したお手製の弁当を眺めながら小さく声をあげる。

 身支度を済ませている間に弁当を冷ましておき、あら熱が取れたのを確認してから蓋を閉め、それを鞄にしまい込む。

「いってきまーす」

 お父さんの「あれ?」と言いたげな視線を背中に受けながら、わたしは元気よく挨拶をして学校へ向かった。

 

 午前中の授業が終わり、生徒会室へ一直線に駆けて行く。鍵は朝のうちに平塚先生から借りておいたので、今日は待たせることはないだろう。

 ……そう思っていた時期がわたしにもありました。ていうか、どんだけ早く教室出てるの……。

「せんぱい、早いですね……」

「まぁな」

 壁に寄りかかりながら待っていたせんぱいに声をかけ中に入り、どちらからともなくいつもの定位置に腰掛ける。

「ど、どうぞ……」

 覚悟するように深呼吸をしてから、お手製の弁当の包みをそっと手渡す。妙な緊張からか、少しだけ手がふるふると震えてしまう。

「いただきます」

 どきどき。せんぱい、おいしいって言ってくれるかな?

「そんなに見られると食いづれぇよ……」

 まじまじと箸の先を見つめていると、せんぱいが眉をぴくりと動かす。

「あ、そ、そうですよねっ」

 そうは言うもののやっぱり気になってしまい、ちらちらと目を動かしてしまう。せんぱいはそれに気づきつつも、気まずそうにわたしの作ったから揚げをつまみ、それを口の中に放り込んだ。ゆっくりと、味わうようにせんぱいの口が動く。ちらちらと見ていたはずなのに、気がつくとせんぱいの口元をがっつり見てしまっていた。

「……うまいな」

 いくらか間が空いた後、口を動かすのを止めてせんぱいが呟いた。

「ほ、ほんとですか!?」

 思わず身を乗り出してしまう。こ、このまま抱きついちゃおっかな……? で、でもでもそういうのはちゃんと段階を踏んでからじゃないと……って、やばいやばい。また変に意識しちゃうところだった……。

「お、おう……。ていうか、近いから……」

 詰められた距離に、身をのけ反らせて顔を赤らめながらせんぱいが戸惑い交じりに言う。

「す、すいません、つい……」

 おずおずとしながら離れ、自分の分の弁当を広げてそそくさとしながら食べ始める。

 ときどき横目でせんぱいの様子をうかがってみたが、箸が止まったり顔をしかめたりといったことは最初から一度もなく。そのことにほっと胸を撫で下ろす。

 ……よかった。

「おいしいですか?」

「ああ」

 感想を尋ねるのは二回目だったけど、ちゃんとせんぱいは答えてくれた。その嬉しさに自分の箸を一旦動かすのをやめて、ただせんぱいの横顔を眺め、微笑む。

「どした」

 そんなわたしを見て、不思議そうにせんぱいが尋ねてくる。

「自分が作ったものをおいしそうに食べてくれるって、やっぱり嬉しいじゃないですか」

 ただ、好感度を稼ぎたいわけじゃない。ただ、無意味に愛されたいわけでもない。

 自分が大切だと思う相手に、恋する相手に、一生懸命作ったものをおいしそうに食べてもらえた時は、なによりも嬉しく感じて幸せだから。

「……そうか」

「そうですよ」

 にこにことしたままわたしが頷くと、せんぱいも口元を緩めながら再び箸を動かし始める。その手元を見ている時、はっと気づく。わたしとしたことが、すっかり忘れていた。

「せんぱい」

「ん?」

 ひょいっと自分の弁当箱からから揚げをひとつまみ。

「あーん」

「またかよ……」

 差し出された箸先に、せんぱいはやれやれといった表情を浮かべた後、最初から諦めているのか黙ってそれを口に含み、飲み込む。

 この間ラーメンを食べに行った時と同じことをしたけど、でも、今は。

「……おいしい、ですか?」

 これを聞くのは三回目にもなる。でも、そこに含めた意味は、二回目までとちょっと違う。

「……まぁ」

 せんぱいが気まずそうな表情でぷいっと顔を逸らす。相変わらず、その頬は赤い。

「えへへ……」

 お互いの距離は、少しずつでも、きっと。 

 

 せんぱいの唇と触れ合ったものに顔が火照るのを感じながら、わたしは再び箸を動かして昼食をとり終える。

 その後はおしゃべりを交えながら相談を続けているうちに、昼休みが終わりを迎えた――。

 

 

 

 

 




遅くなりました、ごめんなさい。
なるべく一週間はあけないようにと思っていたのですが……。

Pixivの短編が予想外に伸びて、めちゃくちゃ嬉しいです。
こちらから見てくれた方、いらっしゃるのですかね?
いらっしゃいましたら、こちらでも併せてお礼申し上げます!

それでは、ここまでお読みくださりありがとうございましたー!



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3#07

  *  *  *

 

 午後の授業も終わり、どうしたものかと悩みながら校内をなんとなしにぶらつく。というのも、今日のわたしは手持ち無沙汰なのだ。

 生徒会の仕事は昨日のうちにほとんど片付けてしまったので今は特にやることがないし、一人でいろいろ考えたい気分でもない。かといって奉仕部に遊びに行こうにも、プロットを読んだ時のこともあってなんだかちょっとだけ気まずい。……や、いまさら気にする必要はないんだろうけど、後ろめたいというかなんというか。

 せんぱいからご褒美をもらえたのはすごい嬉しかったけど、ちょっとだけでも仕事を残しとくべきだったかなぁ……。

 小さくため息を吐きながら自販機の前を通り過ぎようとした時、視界の隅をかすめたものにふと足を止めた。

 目先にある飲み物のサンプル。その品揃えの中にある、奇抜な警戒色のデザインをしたコーヒー飲料の缶をまじまじと眺める。

 前から興味あったんだよね、これ。でもまずかったらどうしよう……。

 しばらく自販機の前でにらめっこを続けた後、よしっと一人小さく意気込んで購入ボタンを押した。がたんと音を立てて落ちてきたそれを手にすると、自然と頬が緩んでしまう。

 ……ちょっと気分転換しよーっと!

 生徒会室でも、奉仕部でもなく、わたしはベストプレイスに向かって足を運んだ。

 

 なんとなく、ほんとになんとなく、一人分の間隔を空けてから腰掛ける。

 どういう味なんだろう、まずかったらどうしようと期待と不安を胸に共存させながらも、缶のプルタブに手をかけ飲み口を開く。

 その瞬間、ふわっと甘ったるい匂いが漂ってきた。

 ……これ、ほんとに飲めるのかな。

 覚悟したように小さく頷き、くいと傾けて口に含んでみる。直後、口の中いっぱいに強烈な甘さが広がってきて思わず顔をしかめてしまった。

「うえ……あっま……」

 せんぱい、いつもこんなの飲んでるの……? でもちょっとだけ、ちょーっとだけ、くせになるような気がしないでもない、かな?

 こくりと喉を鳴らすたびに舌をうげっと出しながらも、少しずつ中身の重さを軽くしていく。漠然とした気持ちが晴れないまま、遠くを見つめるように、目の前の景色をぼーっと眺める。

 すぐ近くで部活に励んでいる生徒それぞれの心境は人によって違うだろうけど、そこには確かに自分の意志があって。

 誰もそうすることを強制していないのだから、やりたくないならやらなければいい。だけどそれをしないということは、自分がやりたい、続けたいと、心のどこかではそう思っているからなわけで。

 なら、わたしの場合は? 当てはめて考えてみる。

 お菓子作りは前からの数少ないわたしの趣味だ。でも、毎日毎日作りたいと思えるくらい好きなわけじゃない。

 本を読むのは好きになった。けど、自分で物語を作ってみたい、書いてみたいと思うほど熱意があるわけじゃない。

 料理をするのは嫌いじゃない。でも、わたしが作ったものは誰にでも食べてもらいたいわけじゃない。

 ……結局、わたしはどうしたいのかな。答えの見えない迷路をずっとさ迷い続けているような感覚に、ついつい肩を落としてため息を吐いてしまう。

「ここにいたか」

 学校の喧騒と吐息の中に聞き覚えのある声が交じった。そのことに喜びと驚きを滲ませながら顔を上げると、わたしが恋焦がれてやまない相手が立っていたことに表情の緩みが加速していく。

「あっ、せんぱい」

「よう」

 短く挨拶を返し、わたしの横にせんぱいが座った。隣を空けといてよかったと顔をにやけさせながら手元に置いていた缶へ手を伸ばし、見えるようにふりふりと缶を振る。

「これ、めちゃくちゃ甘いですね……」

「何お前、マッ缶飲み始めたの?」

 ちゃぽちゃぽと音を立てているそれを見て、少しだけ嬉しげな様子で尋ねてきた。

「や、そういうわけじゃないんですけど、ちょっと飲んでみようかなーって。でも、ほんとに甘すぎですよこれ……」

「ばっか、お前わかってねぇな。その甘さがくせになんだろ」

 バカにしたような笑い方にむっとしつつも。

「……そうですね、それはちょっとだけわかります」

 缶を置き、くすりと苦笑交じりで言ったわたしにせんぱいが目を見開く。だがそれも一瞬のことで、せんぱいはすぐに表情を綻ばせる。

「それよりせんぱい、わたしを探してたーみたいな感じの言い方でしたけど何か用ですか?」

「……あ、いや、特にこれといって用があったわけじゃないんだが……」

 わたしがそう尋ねると、がしがしと照れくさそうに頭を掻き、目線を落としながらせんぱいが言葉を紡ぐ。

「その、ちょっとお前の様子を見に、な……」

 聞いた瞬間、せんぱいの腕に抱きついてしまった。気にしてくれている、という事実がどうしようもなく嬉しくて、幸せで、力いっぱい目を細めてしまう。

「おい、お前ここ学校だぞ……」

 周りのことなんか一切気にせずにぴとりと頬をくっつけ、すりすりおでこをこすりつける。わたしにとってどうでもいい人たちのことなんかより、そばで耳の付け根まで顔を真っ赤にしている人とのことのほうが、なによりも大切だから。

 大抵わたしがこうやって甘えたくなってしまった時は、何を言っても無駄だ。せんぱいもそれをわかっているらしく、返ってきたのは言葉ではなく諦めたような息を吐く音だけ。

 二人の世界に入り込むように、せんぱいの腕をぎゅーっと抱きしめながら頭をぐりぐり押しつけていると、そっと髪を撫でられた。その感触に小さく吐息を漏らしつつ、ゆっくりと身体を預けて寄りかかる。

「一色」

 優しい声色で呼ばれ、顔を埋めたまま瞳だけをそちらに向けた。視線がぶつかり、頬を赤らめながらぱちぱちとまばたきを繰り返しているわたしに、せんぱいが慈しむような微笑みを浮かべる。

「頑張れよ」

「……はいっ!」

 せんぱいにとっては精一杯の優しさと応援の言葉。

 それを受けたわたしは、全力の笑顔を咲かせるのだった。

 

 傍から見れば恋人のようにも思える状況の中、遠くからヒールを鳴らす音が聞こえてくる。頭を少しだけ起こしてそちらに目をやれば、平塚先生がこちらに向かって近づいてきていた。

「……まったく、神聖な学び舎で何をやっとるんだ君たちは」

 わたしがせんぱいにべたべたまとわりついてるのを見るなり、頭を片手で抑えながら平塚先生が呆れたように息をこぼす。

「先生、こんにちはですー」

「おい一色、先生きたから。だから離れろ」

 居心地悪そうにじたばた身をよじるせんぱいを逃がすまいと、わたしは自分の両腕をせんぱいの腕に絡めてがっちり抱え込む。

「比企谷ぁ……」

「ちょっ、なんで俺だけなんですか」

 いきなり理不尽なとばっちりを食らい、平塚先生に恨みがましい視線を向けられて戸惑うせんぱいを見ながら、わたしはくすくすと心底おかしそうに笑う。

「まぁいい。……それより一色、調子はどうだね」

 表情を崩して、平塚先生が今度はわたしに問いかけてきた。調子、というのはこの間の進路相談のことで間違いないだろう。

「……なんていうんですかね。興味はあるんですけど手ごたえがないというか、みたいな。そんな感じです、あれからずっと……」

 弱々しく呟き、身を屈めてせんぱいの腕にこてんと頭を乗せる。

「一色……」

 しょぼんとしている様子を見て、せんぱいが心配そうに声をかけてくれた。わたしは大丈夫ですよとふるふる首を横に振る。

「ふむ」

 今まで黙っていた平塚先生が口を開いたのでちらりと目を向けると、顎に手を添えて何かを考えるような仕草を取っていた。

「私が答えを出すのは簡単だが……」

 わたしは知っている。答えを他人に提示されても、それは自分の選択とは言えないことを。そして、答えは自分で見つけなければ意味がないことを。

 だからわたしは目を伏せ、ゆっくりと、意味を込めながら平塚先生にかぶりを振った。

「……ちゃんと課題はできているようだな」

 くすりと穏やかに微笑み、平塚先生が白衣をなびかせながらくるりと身体を翻す。

「なら、後は“二人で”ゆっくり考えてみたまえ。邪魔者は退散することにしよう」

 じゃあなと軽く手を上げ、その手をひらひらと振りながら平塚先生が立ち去っていく。……どうしてこんないい人が結婚できないんだろう。ほんと、不思議だなぁ。

「………………はぁ、結婚したい」

 

 少し離れた位置から、切実な呟き声がふと聞こえた。

 ……いちゃついてごめんなさい。あと誰かもらってあげてください、ほんとに。

 

 

 

 

 




一週間以上空いてしまってごめんなさい。
今回ちょっと短いですが、区切りがいいのでここで。

ではでは、今回もここまでお読みくださりありがとうございました!


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3#08

  *  *  *

 

 平塚先生の後ろ姿を二人で見送った後、わたしはさっきと同じようにすぐ近くの景色を眺めながら、より深く、もっと真剣に、もう一度考えてみる。

 わたしが心のどこかでやりたい、続けたいと思うことは……。

 お菓子作りや料理についてはもともと興味があって始めたことだったけど、いつのまにか自分の女子力を高めるためだったり、男子へのアピールのために磨き上げていた。だから趣味として楽しむ分には好きだけど、それ以上の特別な思い入れはせんぱいのことを除いたら、今となっては別にない。

 読書については、せんぱいとの繋がりを通して最近増えた新しい趣味だ。最初が最初だけに特別な思い入れがあって、今のわたしは本の世界に夢中になっている。けど言い換えてしまえば、やりたい、続けたいとは思っていても、きっかけとなったものが大きすぎてそれを上回るほどの熱意が生まれてこない。

 目的があっても、理由はなくて。

 理由はあっても、目的がなくて。

 両方のうち欠けている片方を埋めようとどれほど考えても、探しても、ぽっかりと空いてしまっているものが満たされることはないまま、思考と感情がぐるぐると虚しく回るばかり。

 ……やっぱり、振り出しに戻っちゃった。せっかくせんぱいが頑張れって言ってくれたのに。でもわたし、はいって言っちゃったし、最後は自分でなんとかしなきゃいけない、よね。

 進路に関してはまだ充分に余裕があると言ってもいいのだが、調査票の提出期限は刻一刻と迫っている。少なくとも、このままでは適当に空欄を埋めて提出することになってしまう。焦ってもろくな結果にならないことはわかってはいるが、それでも急かされているような焦燥感は拭えなかった。

「気持ちはわかるが、一旦落ち着け」

 よっぽど顔に出てしまっていたのか、わたしの頭に軽く手を乗せながら、諭すようにせんぱいが言う。

「……はい」

 また心配かけちゃってるし。はぁ、わたしってほんとだめだなぁ……。

 手元に置いたままの缶に手を伸ばし、一旦考えるのを止めることにする。ちびちびと口に含んでは意味もなく缶を振ったりしているうちに、心の中のざわつきが少しだけ鳴り止んだと同時に中身がなくなった。

 でも、いくら落ち着いたところで今の問題を先延ばししただけに変わりはない。いくら甘えさせてもらったところで、背中を押してもらったところで結論は見えてこないまま、目的と理由が交わることなく平行線を辿るだけ。

 ……ほんと、どうしよう。でも、今は考え続けるしかない、よね。

「二人で考えろ、か……」

 答えの出ない問いかけを再び繰り返そうとした時、隣からぽつりと呟く声が聞こえてきた。言葉自体はさっき平塚先生が去り際に言ったものだが、今の吐息交じりの声に含まれていた色は、何かを諦めたような、それでいて何かを決意したような、そんな印象を受けた。

 その声を不思議に思い視線を向けると、せんぱいは覚悟したように大きく息を吐く。どうしたのかと首を傾げたままのわたしを見て、小さく口元を綻ばせながらせんぱいは口を開いた。

「お前、マラソン大会の時のこと覚えてるつってたよな」

「え? あ、はい」

 突拍子もない話を振られ若干戸惑ってしまったものの、頷いて答える。

 大会が終わった時、せんぱいがどうしてあんなにぼろぼろだったのかは未だにわからないし、いまさら聞こうとも思わない。けど、せんぱいが無茶をしたおかげで三浦先輩の依頼が達成されたということは、当時からなんとなく察しがついていた。

「そん時、葉山に言われたんだよ。『それしか選びようがなかったものを選んでも、それを自分の選択とはいわないだろ』ってな」

 ……あー、その意味が今ならよくわかる。似たような、もしくはその言葉に近いことを平塚先生に相談した時に言われたばかりだ。

「お前も先生に同じようなこと言われたっつってたし、だから俺は何も言わないでおこうって決めてたんだが……」

 打開策は浮かんでいたけどわたしのためにあえて黙っていた、ということだろうか。とりあえず今は最低限の相槌だけ打つことにして、おとなしく話を聞くことにしよう。

「まず、俺の進路については聞かれた時にある程度教えたよな」

「はい」

 最初に聞いた時は文系志望とだけしか聞いていなかったが、相談を始めてからは、聞けば具体的に教えてくれるようになった。せんぱいが希望する大学名を聞いた時は、今からもっともっと勉強して文系の成績をかなり上げないといけないことを痛感したのも、まだ記憶に新しい。

「んでな、それとは別に、誰にも言わずにこっそり始めたことがあるんだ」

「始めたこと、ですか?」

「まぁ、大したことじゃないんだけどな」

 そうは言うものの、足踏みしたままのわたしと違ってせんぱいは確実に少し先へ進んでいる。そのことがちょっとだけ羨ましくて、ちょっぴり切ない。

「で、こっからが本題だ」

 真摯さを含んだ声色に、わたしは嫌な感情を振り払いながら背筋を伸ばし、耳を傾ける。

「一色、前に奉仕部で編集者の話をしたのは覚えてるか」

「……あっ! 確か年収が一千万あるとかなんとかって話ですよねー?」

「間違ってねぇけどもうちょっと他に言い方あったろ」

 一転して目を輝かせるわたしに、せんぱいが呆れ交じりに微笑む。あ、そういえばその時材木座先輩もいたっけ。なるほど、だから見覚えがあったわけだ……って、それはどうでもいいや。

「で、続けるが、材木座はあんな感じで次から次に持ってくるし、なぜか俺が担当にさせられてるしで最初はただめんどくさいだけだったんだが、なんだかんだこれもチャンスなんじゃねぇかってだんだん思えてきてな」

 それを聞き、思わず目を見開いてしまう。今までの会話から導き出される結論は一つしかない。

「……もしかして、目指してるんですか?」

「まぁ、どうなるかはわからんけど一応ちょくちょく勉強するようにしたんだわ」

「す、すごいじゃないですか!」

 感嘆の声をあげながらずいっと顔を近づけると、せんぱいは照れくさそうに一応だ、一応と繰り返しながらぽりぽりと頬を掻く。

 ほんと、すごいなぁ……。

 自分のことじゃないのに、なんだか嬉しい。でも、わたしの手が届かない場所にせんぱいが行ってしまった気がして、同時に寂しくもあって。

 このまま置いていかれ続けるかもしれない、そんな不安が頭をよぎったが、ちゃんとわたしとも向き合うと言ったせんぱいを信じて言葉の先を待つ。

「それで、これは俺のわがままなんだが……聞いてくれるか?」

 誤魔化すような咳払いの後、そっと呟かれた声が耳に届く。

「……はい。聞かせてください」

 喜びと寂しさ、不安と期待がごちゃ混ぜの眼差しを送りながら答えたわたしに、せんぱいの優しげで温かな瞳が向けられた。

 

 わたしが意識を注いだのを見計らって、せんぱいがぽつりぽつりと言葉を紡いでいく。その一つ一つが自然と心に染み入ってきて、じわりと涙が浮かんでくる。

 何か言葉を返そうとしても、それは言葉として口から出ていくことはなく、そのまま消えていってしまう。

 そして話をひととおり聞き終える頃には、頷くことしかできなかったわたしの頬に、何度も涙が伝った痕ができていた。

 

 拭っても拭っても溢れ出てくる涙のせいでメイクは崩れ、すっかり顔がぐしゃぐしゃになってしまっている。でも、そんなちっぽけなことは今はどうでもよくて。

 やっと、ぼやけていた道の先が見えてきた。

 やっと、せんぱいがわたしのことを求め始めてきてくれた。

「大丈夫か?」

「はいっ……」

「お前が落ち着いたら先生のところに行くぞ、いいな?」

「はい、っ……」

 しがみつくように抱きついたままずっと泣き続けているわたしを、返事をするのがやっとのわたしを、せんぱいはさっきからずっと撫で続けてくれている。

 何度も、何度も、さっきまでの出来事を思い出しては涙を滲ませ、噛みしめようとすればまたじわりと瞳が潤んできて。それを繰り返せば繰り返すほど、心の底から言葉にできない想いがもっともっと込み上げてきて、溢れて、こぼれ落ちていく。

「あーもう、そんなに泣くな」

「だっ、て、だって……」

 近くで一緒に歩んで行けるのが、嬉しくてしょうがなくて。

 近くで同じ景色を眺めることができるのが、どうしようもなく幸せで。

 

 結局その日は平塚先生のところに行くことはできず、わたしが泣き止んだのは最終下校時刻ギリギリの、辺り一帯がうっすらとオレンジ色に染まり始める頃だった――。

 

 

 

 

 




区切りということで少し短いですが、許してくださいまし。

それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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3#09

  *  *  *

 

 ――いくつかの経験を生かしてみたらどうだ、という前置きと共にせんぱいが口を開いた。

 

 まず一つ目は、編集者について調べながら話をした時と同じ時期のこと。

 生徒会の余っていた予算を使って、奉仕部の三人と一緒にフリーペーパーを作ったことがあるのだが、その時にわたしは編集に関してちょこっとだけやったことがある。

 全体の監督と確認、外部との交渉、最終チェックと適宜サポートといった仕事内容は、れっきとした編集者としての仕事の範疇だったように思う。

 二つ目は、この間の材木座先輩のプロットの件。拙すぎて簡単な感想のようなものだとしても、ただの批判になってしまっていたとしても、ずばずばと遠慮なく指摘していたこと。

 最後に、現在進行形で生徒会長をやっているおかげで、たくさんの書類に目を通してきた。入学式や卒業式といった挨拶の場に相応しい文章を書いたりする機会も増え、最近はせんぱいや雪ノ下先輩に頼らなくても、ある程度は自力で書けるようになっている。

 まぁ、それを踏まえたとしても実際に編集者として仕事をしている、もしくはしたことがある人と比べれば、未熟どころか話にならないレベルだ。

 指摘に関しても、わたしが本を読み始めたのはつい最近からなので、同じ道を目指している人たちよりも圧倒的に知識量が足りない。文章の作り方やルールについても、小学校レベルの知識しかない。

 だから、挨拶の原稿なんかはテンプレを参考にしつつも、自分なりの書き方に崩したりするのがやっとだったりする。

 

 わたしには何もかもが足りなくて、それはせんぱいもわかっているはずなのに――。

 それでも、言ってくれた。

 ただでさえ、これから自分の受験を控えていて大変なのに。

 わたしの面倒まで見ることになったら、もっと余裕がなくなってしまうのに。

 それなのに――。

 

  *  *  *

 

 すっかり泣き腫らしてしまった瞼をこすりながら、駐輪場へ自転車を取りに向かったせんぱいをおとなしく待つ。

 今日は、嬉しいことがいっぱいあったなぁ……。

 あれから大した時間は経っていないが、未だに湧き続けてくる喜びと温かさについつい顔を綻ばせてしまう。

「えへへぇ……」

「何にやけてんだよ」

 頬に両手を当てて一人浮かれた声をあげている間に、自転車を押してきたせんぱいが隣に立っていた。

「だって、ほんとに嬉しかったんですもん」

 こうやってすぐにせんぱいの腕に抱きつこうとしてしまうくらいには、感情が抑えられないままだ。

「わかった、わかったからちょっと待て」

「う……」

 そうしようとしたものの手で制止され、思わずしゅんとしてしまう。まぁここじゃあの場所よりも人目につくし、しょうがないかな……。

 甘えたいけど甘えられないことに肩を落としたまま、無言で差し出された手に鞄を預ける。

「……乗るか?」

 ちらと荷台のほうへ視線を向けながら、せんぱいが控えめな声で呟く。

「えっ、いいんですか……?」

 前は後ろに乗せてほしいとおねだりしても、小町ちゃん専用だからだとか、噂されるとお前が困るからだとか、何かと理由をつけられ毎回断られていた。

 でも、今は。

「いやまぁ、お前が嫌ならいいけど」

「すぐ乗ります絶対乗ります」

 勢いよく語気を強めて答えると、驚いたのか、せんぱいがびくっと肩を震わせる。

「お、おう……。じゃあ、ほれ」

 そう言うとせんぱいは自転車のサドルにまたがり、わたしが後ろに乗るのを待つ。どきどきと胸が高鳴っているのを感じながら、そろりと荷台に腰掛ける。

「どこでもいいからしっかり掴まっとけよ」

「は、はい……」

 振り落とされないように腕を前に回し、せんぱいの制服を遠慮がちに手できゅっと掴む。

 そういえば先月噂がたった時も、身体に抱きついたのは泣きながらだったっけ。つまり、あの時もさっきもほとんど感情任せだったわけで。でも、泣き止んでからは浮かれっぱなしとはいえ、思考はだいぶ落ち着いてきているわけで。

 ……やばっ、だんだん顔が熱くなってきた。

「お、お願いします……」

「じゃ、行くぞ」

 そう告げて、せんぱいがペダルを漕ぎ始める。でもわたしはぽけーっと呆けていたせいで、動き始めのぐらりとした衝撃に備えていなくて。

「わきゃっ!」

 ぼすっとおでこをせんぱいの背中にぶつけてしまった。

「お、おい大丈夫か」

「あたた……」

 ブレーキをかけて振り返り、せんぱいが心配そうに声をかけてきた。

「ご、ごめんなさい。ぼーっとしてました……」

「いや、怪我とかねぇならいいんだけどよ」

 わたしが無事なのを確認すると、せんぱいがふっと肩の力を抜いたのがわかった。そのちょっとした優しさが、本気で心配してくれた様子が、いつだってわたしの心をぽかぽかとした気持ちにさせてくれる。

「じゃ、今度こそいいか」

「……はい」

 だから、まだ恥ずかしいとは思うけど。

 でも、そういう優しさを向けられてしまったから。恥ずかしさを簡単に上回っちゃうくらい甘えたくなってしまったから。

 回した腕に力を込め、温もりを確かめるように抱きしめる。せんぱいの背中に頭をくっつけたまま静かに目を閉じると、自分の心臓の音がやけにはっきりと聞こえた気がした。

 

 ――せんぱいとなら、きっと。

 いつのまにかすっかり恋する乙女になってしまったわたしに苦笑しつつも、そんな独り言を心の中の世界でそっと溶かした。

 

 自転車で駆け抜けていく風景は、二人並んで歩いていた時よりも早く通り過ぎていく。そんなのは当たり前のことなのに、今は無性に寂しく感じる。

「どした」

 抱き寄せるようにぎゅっと腕を引いたわたしに気づき、せんぱいがペダルを漕ぐ足を止めた。

「あ、や、えっと……」

 どうしようか迷ったものの。

「その、もうちょっと……だけ、せんぱいと、……一緒にいたい、です」

 もにょもにょと気後れしつつも言ってみる。いつもはなんとか我慢できるのに、あれだけ嬉しいことがあった反面、その反動に耐えられる自信がなかった。

「……んじゃ、どっか寄ってくか」

 みるみるうちに表情が明るくなっていく自分を感じる。

「はいっ。……えへへ」

 一日中ずっと、というのも無理でも。

 引き止めてしまうことで、別れ際の寂寥感が余計に大きくなってしまうことをわかっていても。

 それでも今は、少しでも長く一緒に時間を過ごしたかった。

 

  *  *  *

 

 あれから駅近くのお店に入って、せんぱいと一緒にご飯を食べた。向かい合わせじゃなくて隣に並んで座った時のせんぱいの顔は、なんか面白かったな。

 もちろんお約束のあーんもしたけど、ただ恥ずかしがるだけで、せんぱいはおとなしくわがままを受け入れてくれる。縮まっている心の距離がなによりも幸せで、わたしにもしてほしいとついついおねだりしてしまった。でも、顔を赤らめながらもちゃんと応えてくれた。

 限られた時間の中でわたしはめいっぱい甘えて、楽しんだ。

 そのぶん、せんぱいと別れる時はものすごく辛くて、苦しくて。

 改札を抜けた後もずっとわたしを見送り続けるせんぱいの姿を見て、すぐに引き返したくなるくらいあの温もりが欲しくなって。

 こらえようと小さく口を結んでいても、じわりと涙が浮かんできそうになってしまう。

 でも、今は。

 ぶんぶんと首を振り、名残惜しさを感じながらもわたしは帰路についた。とぼとぼ歩いてしまったのでだいぶ時間がかかってしまったけど、なんとか家に辿り着く。

 自宅に戻った後は、普段どおりにやることを済ませる。その後は、わたしの自由な時間。 

 借りているラノベを開き、中途半端に残っていたページをめくり最後まで読み終えてから、ふーと息を吐く。

 一巻の物語はここまでで終わってしまうけど、確かにその続きの物語はある。そんなことを思いながら、せんぱいに読み終えた旨を打ち込んだ内容のメールを送る。

 本当は声が聞きたい。でも、あの気だるそうな声を聞いてしまった瞬間に、寂しさに押し潰されてしまいそうな気がしたのでやめておいた。

 しばらくすると近くに置いたままの携帯が震える。通知を確認して中身を覗いてみると、思わず一人笑みをこぼしてしまう。

 ただ、ぽっかりと穴が空いてしまったような寂しさは消えていなくて。

 なんとなく、ベッドの上にある枕に手を伸ばして寝転がる。柔らかい枕の感触しかそこになかったとしても、離れてしまった温もりを求めるようにそっと抱きしめながら、もう何度目かわからないあの瞬間を思い出す――。

 

 ――だから、俺と一緒にやってみないか。

 無責任な言葉だったけど、わたしにとってはなによりも嬉しかった言葉だったから。

 

 ――その、お前がいないのは俺が困るっつーか、なんか嫌っつーか……。

 不器用な言い方だったけど、わたしにとってはなによりも欲しかった言葉だったから。

 

 ――そういうわけで、お前が隣にいてくれると助かる。

 相変わらず下手な言い回しだったけど、わたしにはちゃんと伝わった言葉だったから。

 

 あれだけ心が満たされていたのに、近くにせんぱいがいないというだけで途端に脆くなってしまう。もっと強くならなきゃって決めたのに、結局弱いままのわたしがいて。

 

 でも。

 わかっていても、それでも。

 

 今すぐせんぱいに、会いたい。

 今すぐせんぱいに、触れたい。

 

 枕に顔を埋めながら、わたしは縋るように言葉を紡ぐ。

 明日まで届かない願いを胸に抱えたまま、泣き疲れていたわたしはそのまま静かに意識を手放していった――。

 

 

 

 

 




ちょっとだけ遅くなりました、ごめんなさい。

今回書くにあたって、プレッシャーがハンパなかったです。今もくっそ不安です。
ご期待に添えた内容だったかどうかはわかりませんが、こういう形と流れをとらせて頂きました。

ではでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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3#10

すっごいお待たせしてごめんなさい。


  *  *  *

 

 翌朝、いつもより早い時間に目が覚めた。寝ている間に泣いてしまっていたのか、枕がちょっぴり濡れている。

 重く感じる身体を起こし、部屋の窓からうっすら白みがかっている空模様を眺めた。ただ、そうしたところで気がまぎれるはずもないことは、自分でもわかっていて。

 余った時間で二人分の弁当の用意をしても、身支度を済ませた後も、寂しさはちっとも消えてくれないままで。

 すっぽりと抜け落ちてしまったような心の空白は、間違いなく、あの温もりの中でしか塗り潰せない。寂しい、甘えたい、会いたい、離れたくないと、もはや依存に近い恋心に支配されていくのを感じつつも、わたしは家を出る時間を早めることにした。

 

 学校に着き、駐輪場でそわそわとしながらせんぱいを待つ。自転車の車輪が回る音が聞こえてくるたび目を輝かせては、直後にがっかりと肩を落としを繰り返す。

 はぁ、早く来ないかな……。

 もう何度目かわからない恋煩いのため息を吐いていると、待ち焦がれていた人物の姿が視界に飛び込んでくる。その瞬間、顔は自分でもわかるくらいにぱぁっと明るく綻び、これまでの疲労感はなかったかのように身体がふわりと軽くなって。

「せんぱぁ~い!」

 昨夜や今朝の心境から、そしてわたしの身勝手な行動とはいえ散々待ちぼうけを食らわされたことから、無意識に、全力の甘え声が出てしまった。

 そのトーンに周りの登校中だった生徒が反応し、発信源であるわたしにいろいろな視線を浴びせてくる。なんだなんだと好奇心からの、あるいは変なものを見るような、もしくは、都合のいい勘違いを押しつけるような。

 けど、わたしはその全てを無視して呼びかけた相手のもとに駆け寄っていく。

「声でけぇよ……」

 これ以上注目を避けるためか、かすかな声量の呟き声が自転車のブレーキの音交じりに耳に届いた。人目につくというのは、わかってる。わかってる、けど……。

 おそるおそる手を伸ばし、自転車をとめているせんぱいの制服の裾をくいくいと引っ張る。男子ウケを狙って可愛くアピールするためだったはずの仕草は、今はただ好きな人に甘えたい、甘えさせてほしいというサインへと変化していた。

「ちょっとだけ……ちょっとだけで、いいので……」

 振り返ったせんぱいの顔を俯きがちに見上げ、うるっと瞳を潤ませ、おねだり。じんじん、ぽわぽわ、きゅんきゅんとするあの温もりがあれば、きっとまた今日も頑張れるはず。

「やれやれ……」

 なりふり構わず甘えようとしているわたしの様子に、せんぱいが口元に笑みを浮かべる。ただそこには呆れの色も滲ませている気もして、思わず頬を膨らませてしまう。

「だって、せんぱいのせいじゃないですか……」

 あの時から、ずっと余韻が続いているせいで。

 今も、これからも、ずっとあの温かさにずっと包まれていたくなってしまったから。

「ほんと、めんどくさいやつだな」

「……前にも言いましたけど、めんどくさくない女の子なんていませんよ」

「そうだな。今も超実感してる」

 わたしの言葉に息を吐き、きょろきょろとせんぱいが目線を動かす。どうやら人がいないタイミングを見計らっていたらしく、わずかの間の後に、わしゃわしゃと軽く撫でられた感触が頭いっぱいに広がった。

「まぁ、そんなめんどくささも今は悪くねぇ……とは思ってる」

 照れくさそうに言って、せんぱいがふいっと目配せをする。視線で促され、辿っていった先にあったのは、駐輪場の奥側にある物陰。

 ……甘えてもいいってことだよね。そう期待して後をついていく。

 少しだけ歩いてわたしの姿だけが見えなくなるような位置まで来ると、ちょっとだけだぞと言葉が付け足された。

「ほれ、チャイム鳴っちまうぞ」

「は、はい……」

 まだ慣れていない緊張に震えながらも、正面に立っているせんぱいの腰に両手を回し、掴む。そして、そのままゆっくりと、おでこをこつんと胸元に預ける。

 ――あぁ、やっぱり温かい。

「……せんぱい」

「なんだ」 

「今日も、時間もらっていいですか……?」

 希望どおりにいくかどうかを別とするなら、進路相談についてはもうほとんど解決しているようなものだ。残っているのは平塚先生に結果を話すことと、調査票の空欄を埋めることだけ。

 後は、わたし一人でもできる。できるけど、もっと一緒にいたい、もっと独り占めしたいという気持ちは、昨日の時点で既に歯止めが利かなくなっていた。

「……最初からそうするつもりだったんだが」

 その言葉に、言い表せない感情が胸のあたりから滲み出るように、どめどなく溢れてきて。

「いつもいつも、ほんとに、ありがとうございます……」

 気づけば、自然と、そう口にしていた。

「気にすんな。……それに、前もさっきも、悪くねぇって言ったろ」

 めんどくさいわがままに応えるのも。

 めんどくさいわたしに付き合うのも。

 わたしが勝手に、都合よく捻じ曲げた解釈だとしても。

 

 幸せ。

 

 満たされていく気持ちに当てはまる言葉は、他に何も浮かんでこなくて。

 予鈴のチャイムが鳴ってしまうまで、わたしは優しい温もりの中に浸り続けた。

 

  *  *  *

 

 放課後、今度こそ平塚先生と話をするために職員室へ向かう。そうして扉の近くまで来た時、緊張はより強くなり、不安はさらに大きくなった。

 よし、一旦深呼吸。

 すーはー……。

 ……大丈夫かな、うん、大丈夫、頑張れる。

「一色」

「あ、せんぱい」

 心を落ち着かせている最中、ちょうどやってきたせんぱいが声をかけてきた。気だるそうな、けど、ずっと隣で聞いていたい大好きな声が、耳を通してすーっと染み渡っていく。

「大丈夫か?」

 もう一度、深呼吸。

 すーはー……。

 ……よしっ、大丈夫、頑張れる!

「大丈夫です」

 さっきまでのおぼつかない気持ちが嘘のように晴れて、はっきりとした口調で答えることができた。そんな心の状態の変わりっぷりに、自分はどれくらいせんぱいのことが好きなのかを痛感してしまう。

 でも、いいんだ。だって、わたしがそう望んだのだから。

「んじゃ、行くか」

 わたしの明確な意志を灯した瞳に、表情を穏やかなものにしてせんぱいが頷く。それにはいと返事をして同じように首を縦に振ると、せんぱいが職員室の扉に手をかけ、開いた。

「失礼します」

「失礼しまーす」

 挨拶を重ね、せんぱいの後に続いて中に入る。さてさているかなーと平塚先生のデスクへ視線を移したところで、こちらを見ていた平塚先生とばっちり目が合う。

「待っていたよ、一色、比企谷」

 そして、柔らかな眼差しで二人並んでいる姿を見つめながら、にっこり微笑んだ。

 

 応接スペースに移り、話し始めて数十分くらい経った頃だろうか。

 最初の相談から今までの間に、何をしてきたのか、何があったのか。また、どうしてそう考えたのか、どうしてそういう結論に至ったのか。それらを一つ一つ、包み隠さず説明し終えた。

 前回と違うのは、強引でも、むちゃくちゃでも、納得できる理由を、わたし一人ではなくせんぱいの分も足して二人分用意したこと。

 理由といっても、ただお互いの願望や感情をごちゃ混ぜにして理由付けした、非合理的で、非現実的なものだ。その先にあるのは困難や絶望しかないとしても、叶うことのない夢だと、くだらない理想や幻想だとバカにされたとしても、わたしはその道を選びたい。

 切り離して考えてみたまえと平塚先生は言った。

 わたしが欲しくて欲しくてしょうがない“本物”は、問い直した時から今も、ずっと変わっていない。だから、あの時何も見えなくなったのだ。

 隣で何をしたいか考えてみたまえと平塚先生に言われ、考えた。

 あまり自分で言いたくはないけど、わたしには何もない。だからこそ、ちょくちょく顔を覗かせていた怯えや不安という感情が、あの時はわからなかったぼんやりとしたものの正体。

 それが昨日までのわたしの心の奥底に、常にあったもの。

 でも、今は違う。もちろんこの先どうなるかなんてわからないし、ずっと関係が続くかどうかなんてやっぱり保障はない。

 けど、たとえお互いの自己満足だとしても――。

 相手と向き合って、押しつけ合っても、それでも求め合えているから。

 また一つ知って、理解して、共有していきたいから。

 お互いに、そう願い合っていると信じられるから。

 なによりも、わたしとせんぱいとの間に結ばれた“本物”を信じることができたから。

 そして、ずっとずっと続くように、隣を歩み続けていきたいから。

 だからもう迷いはないし、怖くもない。

「……話はわかった」

 黙って耳を傾けていた平塚先生が、重々しく口を開く。

「それが君の……君たちの答えなのだな?」

 直後、真摯的な瞳をこちらに向けてきた。本当にいいのか、後悔はないのかと言わんばかりの迫力に、ひるんでしまいそうになる。

 前までは顔を逸らしてしまったかもしれないけど。

 でも、今なら――。

 ちらりと隣へ視線を送り、頷き合う。短く息を吸って、確かな覚悟を、たった一言に込めて。

「「はい」」

 目を逸らすことなく、迷いなく、せんぱいと重ねて答えた。

「……やれやれ」

 しばらく見つめあった後、平塚先生は煙草を取り出し火をつける。そのまま煙をふっと吐くと、二つの表情を交互に見て、肩をすくめた。

「二人揃ってそこまで決意がこもった顔をされたら、私にはもう何も言えんな」

 ぎしっと音を立ててソファの背もたれに寄りかかりながら、苦笑交じりにくすっと笑う。

「…………ぁ」

 呆気にとられつつも、わたしは無意識に小さく息を漏らしていた。理解が追いついた時、はっとして隣を見る。

「せ、せんぱい……」

「よかったな、一色」

 顔を見合わせた瞬間、緊張の糸が切れて全身から力が抜けていく。一安心したからか、じわりと涙が浮かび上がってきて、視界が滲んでしまう。

「比企谷、最後までちゃんと面倒をみてやれよ」

「わかってます」

 目元をぐしぐしと拭っているわたしの横で、平塚先生はせんぱいに言葉を送っている。それに応えるかのように、せんぱいが真面目な声音ではっきりと返した。

「一色は、今はともかく後々きちんと比企谷から自立するように」

 だから、わたしも――。

「……はい」

 平塚先生の優しくもあり、厳しくもある言葉に力強く頷いた。

「なら、あとは君たちで頑張りたまえ」

 くわえていた煙草の火を消すと、平塚先生が穏やかな表情で微笑んだ。

 

  *  *  *

 

 平塚先生はせんぱいに大事な話があるらしく、終わるまでの間わたしは生徒会室で待つことにした。他に誰もいない静まり返った空間の中、椅子に腰掛け息を吐く。

 ……あぁ、やっと進めるんだ。そんな実感がぽつぽつと湧き出してくる中、ふと思い立ち、鞄から一枚の紙を取り出して眺めてみる。

 すると、この間までの苦悩が嘘のように、すらすら心と言葉が文字として繋がっていく。目を閉じて想像の世界に飛び込んでみても、一つのシルエットは変わらないまま、ぼんやりとしていた道の先は光が差し、靄は消えていた。

 うん、これなら問題なく書けそう。

 そのことに一人満足げに微笑み、ペンを走らせる。楽しげにふんふんと口ずさみながら書き上げたところで、がらっと扉が開かれた。

「悪い、待たせた」

「大丈夫ですよー。それに、ほら!」

 書き上げたばかりのものを、見せつけるようにしてせんぱいに手渡す。そこにあるのは、全ての空白に文字が書かれ、確かなわたしの意志を示した調査票。

「……まぁ、いいんじゃねぇの」

 ひとしきり眺め終えると、せんぱいも口元を綻ばせてわたしの頭に手を置いた。

「これから、大変になるぞ」

「……えへへ、頑張りますっ」

 何から手をつければいいかは正直全然わからないけど、とりあえずは近々ある中間テストのために勉強しよう。

 くしゃくしゃと撫でられる感触に頬を緩ませつつも、小さな決意をした時――。

「次は、俺の番だな」

 ふと聞こえてきた、ぽつりとした呟き。その愁いを帯びた声に、思わず瞳を向けてしまう。

「お前には、先に言っておこうと思う」

 せんぱいは大きく息を吐いてから、じっとこちらを見据えてくる。瞬間、わたしの胸の中でどくんと音が高鳴った。

「奉仕部での決着がついたら……」

 

 高鳴りは、大きくなっていく。そして言葉は紡がれて――。

 

 

 

 

 




三章はこれで終わりです。
またプロットやら、短編やらでいつものごとく、お待たせすると思います。
更新間隔のことといい、色々申し訳ない。

それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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最終章:斯くして一色いろはの求めた本物は形となり、実を結ぶ。
4#01


お待たせしましたー。


  *  *  *

 

 誰かにとっての誰かは特別で、また別の誰かにとってもその誰かは特別で。その形も、意味も、込められた想いの強さも人それぞれ違っていて、もし似ていたとしてもそれは別のものだ。

 だが、望んでしまったせいで失ってしまうものだとしたら。

 また、求めてしまったせいで壊れてしまうものだとしたら。

 

 彼女は、諦めたように言った。

 ――もう、終わりにしましょう、と。

 問いかけた先は特定の誰かか、もしくは自分か、あるいは両方か。

 

 彼女は、消え入るような声で呟いた。

 ――そっか、そういうことなんだ、と。

 誰に向けるでもなく、無理やりにでも納得させるような独り言。

 

 そして、彼と彼女は願った。

 ――それでも、本物が欲しい、と。

 彼は彼女たちへ、彼女は彼に伝えた、特別な感情を含ませた言葉。

 あるかどうかもわからないものに、届くかどうかもわからないのに、手を伸ばし続けた。あるとわかっているものは、簡単に掴めるものはいらないと、縋り続けた。

 

 たとえ、本物と呼べるものが間違いだらけのものだとしても。

 酷く傲慢で、独善的で、利己的なおぞましいものだとしても。

 彼と彼女の、そして彼女たちの理想や幻想という夢物語の先は、きっと――。

 

  *  *  *

 

 ――奉仕部での決着がついたら……。

 

 あの出来事から二週間ほど経った。

 せんぱいが大きく息を吐いた音、わたしの胸の高鳴り、紡がれたせんぱいの決意、そして二人の間に言葉と指で結んだ“約束”。

 場面や言葉の断片の一つ一つが、それらの全てが、去年の冬に起きた奉仕部での一幕以上に頭と心に焼きついている。

 わざわざ記憶を辿らなくても、心の中を探さなくても、勝手に浮かんでくるくらいに強烈で、鮮明で、ずっと頭から離れない。離れるわけがない。

 相変わらず涙で顔はぐしゃぐしゃだったけど、感情はごちゃごちゃだったけど、それでもずっと忘れない。忘れられない。

 答え合わせをするのは、やっぱりどうしようもなく怖いけど。

 近づけば近づいた分だけ、傷つけ、傷ついてしまうかもしれないけど。

 結果、壊れてしまったとしても、間違っているなんて思いたくないから。

 わたしは、信じてるから――。

 

 そんな思いを胸に秘めたまま、わたしは日常を過ごしていた。ただ、前とは打って変わって忙しい日々を送っている。

 学校では授業を真面目に受け、生徒会活動がある日は仕事もこなさなくてはいけない。家に帰っても別口の勉強が待ち受けていて、さらに努力を重ねなくてはいけない。

 あまりの大変さにため息をこぼしてしまう時もあるが、疲れを感じることはあってもつらいとは思わなかった。むしろ充実している実感があって楽しいとさえ思う。

 そうして目標を追いかけるために時間に追われ続ける、という毎日の中でも、唯一の癒しというか、至福の時がある。それは生徒会活動がない日に過ごす、せんぱいとの時間。

 別にこれといって今までと大きな変化はなく、生徒会室で勉強に励むわたしの様子をせんぱいが隣でただ眺めるというだけのものだ。

 おしゃべりして、皮肉を言い合って、甘えたくなって、甘えて、応えてくれて。

 たったそれだけのことなのにすっと疲れが抜けていって、また頑張ろう、もっと頑張ろうって思える。

 恋の魔力って、ほんと不思議だなー……。

「おいこら、一色」

 と、ペンを止めて呆けているわたしに声がかかり、回想へと飛ばしていた意識が戻された。

「さっきから手が止まってるぞ」

「……あ、ごめんなさい」

 いけないいけない。今日はせっかくせんぱいと一緒なのに、ぼけっとしてたらもったいない。わたしの大好きな人と一緒にいる時間はただでさえはやく過ぎちゃうから、一分一秒だって無駄にしたくない。自分の内にこもって、目の前のせんぱいを無視している余裕なんてわたしにはない。

「いや、まぁいいけどよ。それよりお前、何か話があるつってなかった?」

 言われ、この空間の居心地がよすぎて今の今まですっかり忘れてしまっていたことを思い出す。

「あっ、そうでした。聞いてもらってもいいですか?」

「おお」

 一拍。

 そっと目を閉じ、胸に手を添え、息をすっと吸い込んだ。

 今までの思い出を逆再生するかのように追憶した後、息と共に覚悟を吐き出す。

「……わたし、サッカー部を辞めようと思います」

 四月の半ばあたりから、もう一つ、ずっと迷っていたことだった。目的や理由を完全に失い、ただそこに形だけで存在しているだけの、無意味なもの。

 昔は信じられないくらい熱を注いでいたはずなのに、今となってはもうすっかりと冷めてしまっている。残っているものを見つけようとしても、こじつけようとしても、やっぱり何もない。

 ただ、せんぱいが責任を感じてしまうからやらなくてはいけない、という強迫観念めいたものに苛まれつつも、自分のことを天秤にかけてしまい身動きがとれず、結局は曖昧なままけじめをつけることができないでいた。

 でも、この間の出来事が、せんぱいの言葉が、踏ん切りのつかないわたしを後押ししてくれたからこそ、応えたい。

 それは、いつだって変わらない。

 一人で突っ走って、一人で迷っている時も。

 二人でちゃんと考えて、苦しんで、あがいている時も。

 だから、これでいいんだ。後悔なんて、するわけがないから。

「……そうか」

「あの、せんぱいのせいじゃないですってば」

 少しばかり沈んでしまった声に微笑みを返し、続ける。

「このままだらだらーってのはいけないなーって前から思ってましたし、それに……」

 くいくいとすぐ近くにあるせんぱいの袖を引く。わたしの主張にこちらへ向き直った瞳を見つめながら、にこりとはにかむ。

「わたしにはせんぱいがいてくれるから、他はもういらないかなーって」

 自分でもよくこんな恥ずかしいことが言えたなとは思うけど。でも、それが本音だから。

「そ、そうか……。サンキュな」

 ぴとりと身体を寄せると、くしゃくしゃと頭を撫でられた。あぁ、落ち着く……。

「……まぁお前がそう決めたんならいいけどよ」

「はい。だから、せんぱいは責任を感じないでくださいね」

 その言葉を聞き、面食らったような表情をした後にせんぱいががしがし頭を掻く。

「善処するわ」

「ぜひ、そうしてください」

 んふーと強気に微笑んだわたしに口元を緩め、せんぱいはもう一度わしゃわしゃと頭を撫でてくれた。はわぁ、あったかい……。

 ひとしきり撫で終わった手が離れていくのを名残惜しく感じつつも、中断していた勉強に戻ることにした。

「あ、そういえばこないだの中間テストなんですけどー」

 ふと思い出し、前に返却された解答用紙を鞄から取り出して結果を見せる。意識的に勉強をするようになったおかげか、これまでにないくらいいい点数を取れた。

「おお、よくできたじゃねぇか。っつーか、数学に関しては俺より遥かにいい……」

「えへへー」

 せんぱいに褒められた。せんぱいが褒めてくれた。苦々しく顔をしかめているせんぱいとは対照的に、上機嫌になったわたしはにへらっと頬を緩ませてしまう。

「ご褒美、ご褒美が欲しいですー」

 露骨な期待を滲ませた瞳でせんぱいの顔を覗き込み、つんつんと肩を突っつく。わたしの上目遣いにせんぱいはやれやれとばかりに息を吐き、わたしのおでこをぺしっと軽く叩いてきた。

「最近多いぞ。……ったく」

「うー……」

「わかったわかった、ちょっとだけだぞ」

 眉を落としうにうにと口元を動かしていると、せんぱいは困ったように微笑みながらもわたしのわがままを受け入れてくれた。

 これはわたしの、わたしだけの特権。

 えへへっ……。

「……そいや、職場見学はどうだった」

 気恥ずかしいのか、取ってつけたような質問がせんぱいから飛んできた。

「行きたいところにも行けましたし、楽しかったですよー」

 せんぱいの胸元におでこを預けたまま、本心からの感想を述べる。

 仲がいいとまでは言えないけど、何度かおしゃべりをしたことがある女の子たちのグループにわたしは入った。行きたい場所もこれといってなかったらしく、熱意を込めて希望を伝えるとすんなりと決まってしまい、なんだか拍子抜けしてしまったのは記憶に新しい。

 おかげで希望どおりに進み、一緒に行った子たちも「面白かったー」とか「ためになったー」とか言っていたけど。わたしには一体なにが面白くてためになったのかはわからないし、どうでもいいけど。

 ……でも、みんなも楽しんでくれたみたいだから満足かな。

 そうして特に問題もなく、わたしの職場見学は終わった。

 全てが順調で、平和で、平穏だ。

 だからこそ、余計に怖くもあるわけで。

「どした」

「あ、いえ。……なんでもないですよー」

 不安を誤魔化すように、この瞬間に感じている幸福で塗り潰すかのように。

 せんぱいの胸元にうりうりとおでこをこすりつけて、甘えた。

 見上げればすぐ間近に、わたしの大好きな人のめんどくさそうな顔と、それでいて優しげな瞳があって、ふにゃっととろけたわたしになってしまう。

 

 つかの間の、幸せな時間だとしても。

 それが、たとえぬるま湯のようなものだとしても。

 今はただ、浸ることにしよう――。

 

 

 

 

 




それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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4#02

  *  *  *

 

 部活動の時間が終わる手前。

 返しておいてやると言ったせんぱいに生徒会室の鍵を預け、わたしはサッカー部へ急ぎ足で向かう。それはもちろん、揺らぐことのない確かな決意を伝えるために。

 たたたっと一気に階段を駆け下りてそのままグラウンドへ出ると、忙しなく動き続けている人のかたまりの中に目当ての人物を見つけた。

 少しだけ乱れた息を整えつつ、どこか懐かしむ眼差しで、他の部員に指示を出しながら走り回っているその姿を眺める。

 一目見た時から、ずっと憧れ、憧れ続けていた。

 もっと近づくために、ずっと追いかけ、追いかけ続けていた。

 でも、あの日をきっかけにわたしは変わった。

 だから、気づけたんだ。

 誰にでも優しい人だから、わたしには優しくない人だと。

 告白までしておいて、散々言い訳をしておいて、いまさらこんなこと言うのはずるいかもしれないけど。

 何度問い直しても、その答えは変わらなかったから。

 葉山先輩。

 わたしの求めた、願った本物は。

 ――あなたじゃ、なかった。

 口の中だけでそんな言葉を溶かした時、ちょうどホイッスルが鳴り響く。

 それはまるで、わたしが描き続けていた空想の物語が終わりを告げるかのようだった。

 

  *  *  *

 

 ミニゲーム形式の練習が終わり、それぞれの部員にマネージャーの子たちがタオルやドリンクを手渡している。その輪の中心にいるのは、もちろん葉山先輩。……一応、戸部先輩も。

 去年までは、きっとわたしもそこにいたんだろうなぁ。

 でも、そこにはもう、わたしはいないから。

 一つだけ息を吐いて、確かめてみる。それでもやっぱり、心残りなんてものはなくて。

 人だかりに一歩、また一歩と近づくたび、一つ、また一つと何かから決別しているような錯覚に陥る。それでも、不思議と足が止まることはなかった。

 足音に気づき、葉山先輩がこちらに向かって軽く手を上げてきた。その動作に誘導され、周りの視線全てがわたしへと集中する。

「あんれー? いろはす、どしたん?」

 わたしの姿を見るなり、戸部先輩がやかましい声をあげる。いやいや、戸部先輩に用はありませんから……って、そうじゃなくて。

「葉山先輩、ちょっといいですか?」

 着飾ることのないわたしの素の声に、他の部員やマネージャーがざわつく。部活にちゃんと出てた時期は常に猫なで声全開だったし、そりゃ当然の反応か。……葉山先輩や戸部先輩はともかく。

「みんなは先に着替えててくれ」

 わたしの真剣な表情に何かを察し、そう告げてから葉山先輩がこちらにやってくる。普段の温厚な雰囲気からは想像もつかない厳かな口調にぴたりと声は止み、次第に張り詰めた空気へと変わっていく。

「戸部、後は任せた」

「お、おう……」

 おろおろとした様子でわたしと葉山先輩を交互に見つめていた戸部先輩に、葉山先輩が言葉を向けた。強い語調には、明らかな拒絶の色が滲んでいる。

 ……正直助かるけど、やっぱり前のわたしと同族だよなーこの人。

 葉山先輩が人払いをした理由は、至ってシンプル。相手を気遣ったともとれる行動の裏にあるものは、ただの自分本位なものだ。

 隠している自身の黒い部分を、汚い部分を、人には知られたくない。ある種の仮面とも呼べるそれは、誰しもが持っているものであり、どのくらい重ねるかも人の自由でもある。

 求められているキャラクターを演じ続けるという仮面は、前のわたしも葉山先輩も同じだ。見抜けなかった以上、仮面の分厚さは葉山先輩のほうが上だったけど。

 知られたくないからこそ、遠ざける。

 理解してほしくないからこそ、近づかせない。

 つまりは、今回もそういうことだろう。

「それじゃあ、いろは」

「はい。……あ」

 歩き出そうとしたところでふと思い立ち、心配そうな表情を浮かべている戸部先輩に向き直る。

 ディスティニィーの時の借り、ここで返しておこうかな。これからは接点なくなりそうだし。

 ………………とても不本意、不本意だけど。

「戸部先輩あの時はありがとうございましたそれだけです」

 早口で言い、勢いよく頭を下げ、すぐにふいっと顔を背ける。コマ送りのような一連の流れを横で見ていた葉山先輩は一瞬目を丸くしたものの、直後にぷっと吹き出した。うわ、なんかすごいムカつく……。

「な、なんかよくわかんねーけど……まぁ、いいってことよ!」

 残念ながら意味は伝わらなかったらしく、戸部先輩が親指をぐっと立て適当に返してきた。ちゃんとお礼も言えたしもうほっといていいよね、うん。ていうかこれ以上はメンタル的な意味でもう無理です。

「葉山先輩お待たせしました。行きましょう」

 気恥ずかしさから、行き先が不明瞭なままずんずんと歩き出す。わたしの背後からは笑いをかみ殺す声が聞こえてきて、だんだん屈辱感まで生まれてきた。

 ……あーもう、とにかく借りは返しましたからね!

 

 二つの足音と影がグラウンドから遠ざかっていく。その途中、不意に葉山先輩が歩調を速めてわたしの隣に並んだ。

「それにしても驚いたな。まさか、いろはが……」

「なんですか何か文句でも?」

 からかう声音にちょっとだけイラッとして、じとっとした目つきになってしまう。だが、葉山先輩はお構いなしに平然とした様子で続けてくる。

「いや、戸部に礼を言うなんて予想外すぎたからな。面白いものを見せてもらったよ」

「別に面白くないですしただ借りを返しただけですし。葉山先輩がわたしを振った時の」

「ああ、あの時のか……」

「気にしなくていいですよ。おかげで葉山先輩に幻滅できましたし」

「ははっ、ひどいな」

「お互い様ですよ、そんなの」

「いろはには言われたくないな」

「葉山先輩、ブーメランって知ってます?」

 お互いに嫌味の言い合いをしつつ、どちらからともなく同じ方向へと足を進める。そうして人気のない校舎裏までやって来た時、葉山先輩が足を止めた。

「ああいうの、やめたんだな」

 きっと、限られた人にしかわからない言葉。わたしは遠くを見つめるように空を見上げ、少しだけ目を細めてぼそりと呟く。

「もう、わたしには必要ないですから」

 きっと、限られた人にしか伝わらない決意。ただ、目の前の人には確かに伝わったらしく、ふっと肩をすくめて苦笑した。

「ずいぶんと彼に染められたんだな」

「お言葉に甘えて、素直になってみました」

 自分でも意地の悪そうな顔をしたと思う。でも、葉山先輩とはこの距離感でいい。

 去年、いや、実質は先月くらいまで、二人の立ち位置は逆だったはずなのに。

 問い直した結果、交差して、入れ替わった。

 問い続けた結果、近づいて、離れた。

「葉山先輩」

 だから、まがいものの恋もどきとは、ここでお別れ。 

「わたし、サッカー部を辞めます。――今まで、お世話になりました」

 深々と頭を下げ、はっきりと口にする。

 短いようで、長くて。

 何度も寄り道をして、遠回りしたけど。

 やっと、言えた。

「そうか……」

 わずかの間の後に、物憂げな声が届く。

 葉山先輩は今どんな表情をしているかはわからないけど、何を言われてもわたしの出した答えは変わらないし、変える気もない。

「なんとなく、そんなことになる気はしてたよ。あの時からね」

 二人きりの奉仕部での、あの場面。

 苛烈さを秘めた瞳で現実を突きつけられた、あの瞬間。

 でももう、あの時とは違うんだ。顔を上げ、しっかりと葉山先輩を瞳に捉える。

「前も言ったと思うけど、それがいろはの望んだ答えなら俺は何も言わないし、否定もしない。ただ……」

 一旦そこで区切ると、葉山先輩が視線を宙に移す。

 見上げた先にあるものは、一体なんだろうか。気になったわたしも同じ方向を見てみたものの、薄くオレンジ色に染まり始めた空があるだけだった。

 傾き始めた太陽を眺めていると、妙な引っかかりを覚えた。陽が沈めば、月が浮かび夜になる。そんなのは当たり前のことなのに。

「まだ解決はしていないんだろ?」

「…………」

 沈黙は肯定と捉えたのか、言葉を返さないわたしに葉山先輩は呆れ交じりに笑う。だが、それも一瞬のことですぐさま表情を戻し、目を伏せ、一言。

「なら、気をつけたほうがいい」

 二人きりの奉仕部で言われた時とは違う、鋭利な痛ましさを含んだ警告。それは冷たい水をぶっかけられたような感覚で、嫌でも意識がそちらに戻される。

「今のいろはたちを見て、あの人が黙っているとは思えないからな」

 諦め交じりの寂しげな表情をする葉山先輩の姿は、どこかで見た覚えがある。なんだっけな、どこだっけかなと記憶を辿っている間に、葉山先輩がくるりとわたしに背を向けた。

「じゃあ、俺はこれで。……頑張れよ、いろは」

「あ、はい。ありがとうございました」

 手を上げその場を離れていく葉山先輩の姿を見送った後、長々と息を吐く。

 あぁ、終わった……。

 わたしを締めつけていた鎖がぱきんと音を立て、壊れた気がした。達成感、開放感といった感情がぽつぽつと湧き上がり、心の中を満たしていく。

 が、余韻に浸ろうとするわたしを引き戻すかのように、最終下校時刻を知らせるチャイムが鳴り響いてしまう。

「……やばっ」

 

 行きよりもずいぶんと軽くなった足取りで、わたしはぱたぱたと慌てながら生徒会室へと駆け戻るのだった――。

 

 

 

 

 




それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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4#03

  *  *  *

 

 グラウンドを離れ、ほんのわずかに暗さを増した階段を駆け上がる。

 軽快な足音を響かせて生徒会室へと続く廊下に差し掛かった時、壁に寄りかかっているせんぱいの姿が視界に飛び込んできた。わたしの上履きのゴムが鳴らした音に気づくと、のそっと上体を起こしてせんぱいがこちらへ向き直る。

 と、そこで肩にかかっているもう一つの鞄に目が留まった。紅色のリボンがワンポイントのあの鞄は間違いなく、わたしのもの。

 あーもう、あの人は一体どんだけわたしの乙女心をくすぐれば気が済むんですかね……。帰っちゃっただろうなー、一緒に帰れなくて残念だなーって思ってたのに、わたしの荷物持ってちゃんと待っててくれるとかポイント高すぎです。ていうかもうカンストどころか上限を振り切ってるまであります。

 ……ほんとに、ほんとに、もう!

 一時停止していた足を再度動かし、タイミングを計りつつせんぱいのもとへ。あと数歩といった距離まで近づいた時、腕を伸ばし胸元めがけて倒れ込むような形で抱きつく。

「どーん!」

「うおっ、……とっ」

 若干ふらついたものの、前のめりで胸元へ飛び込んだわたしをせんぱいは受け止めてくれた。伝わってくる胸板の感触や体温に、めいっぱい瞼を閉じて頬をすりすりとこすりつけてしまう。

「……お前なぁ」

「えへへ、ついー……」

 ため息交じりの声に、口元がへにゃっと緩んだまま答える。が、直後に肩を掴まれ、ぺいっと引き剥がされてしまった。

「……うー、せんぱいのいけずー」

「いやお前、ここ廊下だからね?」

 その言葉を聞いた瞬間、わたしの頭の上で電球がぴこんと閃く。

「あっ、じゃあ廊下じゃなかったらいいんですか?」

「え、あ、や、そ、そういう意味じゃねぇよ……」

 反撃は予想外だったらしく、せんぱいの視線があちらこちらと宙をさ迷い始める。むふふー、今がチャンス。

「隙あり、です!」

 べたっと腕に引っ付くと、すぐ近くにある肩が勢いよくびくっと跳ねた。回した腕にぎゅむっと力を込め、離すつもりはないと主張する。

「お、おいこら」

「別にいいじゃないですか~」

 甘えた声を出すわたしには何を言っても効果なしと判断したのか、せんぱいは抵抗するのをやめて力なく首を前に垂らす。

「はぁ、結局こうなるのかよ……」

「……だって、しょうがないじゃないですか」

「何が」

「せんぱいの顔見たら、わたし、甘えたくなっちゃうんですもん……」

 脱力してうなだれているせんぱいの顔を覗き込み、頬をぽっと染めながら拗ねた口調で呟く。そんなわたしを見てせんぱいは少し固まった後、火が吹き出たかのように顔を真っ赤にした。

「……あぁもう、とりあえず行くぞ」

 ぷいっと視線を逃がしたまませんぱいが歩き出したので、わたしも歩調を合わせて続く。お互いの腕が絡まっているせいで歩きにくそうにしてはいるが、無理に振りほどこうとは決してしない。

 その優しさが、たまらなく心地よくて、嬉しいから。

 もっと、一緒にいたくなってしまう。

「せんぱい、今日はもうちょっとだけ……」

「……別にいいけどよ」

 

 それは膨大な時間の中にあるほんの一部の、ごくわずかな時間に過ぎないとしても。

 できるだけ長く、誰よりもと、すぐ隣にある温もりにそっと頬を触れさせ、確かめた――。

 

  *  *  *

 

 学校を出て、せんぱいの漕ぐ自転車に揺られながら、駅近くのマリンピア内にあるカフェに向かう。もうすっかりと馴染んだ後部座席の上で感じる初夏の風は、速度のおかげでいくらか涼しく感じる。

 カフェを選んだのは、勉強も見てもらえるし、ゆっくりいちゃついたりもできるという単純な理由から。……ちょっとだけ、ほんのちょーっとだけお腹がすいたっていうのもあるけど。

 目の前には、深く関わったことのない人からすれば頼りない、けど、わたしにとってはなによりも頼もしい背中がある。それを自覚するとつい小さく笑みが漏れてしまい、抱きついた腕に力を込めて、その背中にぽすんと顔を埋めた。

 ……離れたくないなー。

 ふとそんな寂しさが湧き出し始めたあたりで、自転車のブレーキがかかる音が響いた。

「もう着くし、そろそろ降りとけ」

「あっ、はい」

 言われ、仕方なく後部座席から降りる。そうして自転車をとめるために駐輪場のほうへ向かっている途中、せんぱいが口を開く。

「一色、さっきは聞きそびれちまったが……その、どうだったんだ」

「辞めることについては特に何も言われませんでしたよ」

 引っかかっていたのか、無意識に、含ませた言い方になってしまった。それを聞いたせんぱいは立ち止まり、心配そうにわたしを見つめてくる。

「……それとは別に何か言われたのか」

「ええ、まぁ……」

 後で話しますと言い添えたものの、心配、不安、怯えといった感情が綯い交ぜになった表情のままでいるせんぱいの顔を見上げ、微笑む。

「わたしは大丈夫ですから、そんな顔しないでください。……ね?」

「ん……」

 多少和らぎこそしたが、せんぱいの表情はまだ硬い。影が差した瞳が捉えているものは、本当にわたしの姿だけなのだろうか。そんな顔をされ続けてしまえば、信じているとはいえ、“約束”があるとはいえ、さすがに不安を覚えてしまう。

「せんぱい……?」

「あ、あぁ悪い。ちょっと考えごとしてた」

 おそるおそる見上げると、せんぱいはわたしの頭にぽんと手を乗せて、大丈夫だと言いたげにくしゃくしゃと頭を撫でてくれた。その感触に自然と目が細まり、心も落ち着いていく。

 わたしが気持ちよさそうに顔を綻ばせたところで、やっとせんぱいも口元を緩ませてくれた。それに伴い、不穏になりかけた空気も必然的に元に戻っていく。

「そろそろ行きましょうか」

「おお」

 足並みを揃えて歩き出し、再び駅の雑踏に溶け込んだ。

 

 マリンピア内の1階にあるカフェに着き、トレイへ手を伸ばす。が、横から伸びてきたせんぱいの手に遮られてしまった。どうやらわたしの分も出してくれるらしい。

「で、どれにすんの」

「……ありがとうございます」

 チョコクロとアイスティーをお願いし、一足先に空いている席に腰掛ける。しばらくすると会計を済ませたせんぱいがやってきたので隣をぽんぽんと叩くと、未だに不慣れな様子でわたしの隣に腰を下ろす。

「ほれ」

 自分が注文した分を弾くとトレイごと差し出してきたので、それを受け取る。

「ごめんなさい、わたしのわがままなのにいつもいつも……」

「気にすんな」

 頭を下げようとしたところで、手で制されてしまった。申し訳ない気持ちがくすぶっていてすっきりとしないが、今は厚意に甘えることにしてチョコクロにはむっとかぶりつく。

「……おいしい」

 初めて食べたわけでもないのに、今日はなぜか無性においしく感じる。

 夢中になってもぐもぐと食べ進め、気づけばあっという間に完食していた。すると、すぐ横からふっと吐息を漏らす音。

「お前、相当腹減ってたんだな」

「はう……」

 図星を突かれ、思わず赤面する。ううっ……そんなにがっついて見えたかな……。複雑な乙女思考から生まれた恥ずかしさに、ついもじもじと身もだえしてしまう。

「あ、一色、ついてる」

「……えっ」

 置いてあったペーパーナプキンを手に取り、わたしの口元をせんぱいがさっと拭った。その流れるような動作に呆気にとられ、ぽかんと口を開けてしまう。

「す、すまん。つい……」

 そして、理解が追いつくと同時にただでさえ熱かった顔がより熱くなっていく。あ、え、ど、どどどうしよう穴があったら今すぐ入りたい飛び込みたい潜りたい埋まりたい。

「み、見ないでくださいー……」

 両手で顔を覆っていやいやと首を振る。よりによってなんでこんな子供みたいなこと……。

「や、その、ほんとすまんかった……」

「あ、あう、あう……」

 萎縮したような暗く重く声からばっと顔を背け、うりんうりんと身をよじる。お互いがお互いにやらかしてしまったと、気まずい雰囲気が漂い出してしまった。

 な、なんとかしなきゃ……。

「そ、その、つ、次は、自分で拭きます、から……」

「お、おう……」

 顔を震わせながらもなんとか瞳だけ覗かせてもしょもしょ呟くと、ぎこちない簡素な返事が返ってきた。それ以降は二人揃って言葉を失くしたまま、視線同士がぶつかっては逸れ、ぶつかっては逸れを繰り返し、時間だけが流れていく。

 ま、まだちょっと顔は熱いけど、そろそろ話さなきゃ……。

 ようやく冷えてきた頭で話題、話題と探しているうちに、そういえばと思い出す。同時に、遠くからかつかつと床を叩くヒールの音が聞こえてきたかと思えば、すぐ近くでぴたりと鳴り止んだ。

「おや、奇遇だねー」

 間もなく耳に届いた聞き覚えのある声に、思わず目を向ける。

 

 ――あの人が黙っているとは思えないからな。

 

 そこに立っていた人物の姿を見て、葉山先輩の言葉がふと頭を過ぎり、記憶の中のパズルがかちりと噛み合った。

 思い出した……。

 バレンタインイベントの時、葉山先輩にあんな顔をさせたのも、奉仕部の三人の様子が途端におかしくなったきっかけを作ったのも、間違いなくこの人が原因だと思う。

 底の知れない恐怖を感じた進路相談会の時と同じ表情を、同じ瞳の黒さを、あの時もしていたから。

 あれほど強烈だったにもかかわらず、どうして、どうして思い出せなかったんだろう。ただ、問いかけたところで状況が変わるはずもなく。

「ひゃっはろー、比企谷くん。あと、いろはちゃんも」

 心がざわつき、直感が危険だと告げてくる。けど、だからといってどうするか、どうしたらいいかなんて、わたしにはわかるはずもなくて。

「あ、えっと、お久しぶりです、はるさん先輩」

 

 だから、取り繕ったあたりさわりのない言葉を、つまらない言葉を吐き出すことしか、わたしにはできなかった――。

 

 

 

 

 




今回約4000文字を書くのに、やたらとくぅ疲でした。

それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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4#04

遅刻投稿。


  *  *  *

 

 陽乃さんが突然やってきたことで、空気ががらりと変わった。にこにこと人懐っこい笑顔を向けてきてはいるが、表情の裏にあるものがまったく見えないせいで逆に怖い。

「ども……」

「比企谷くん、相変わらず浮気とは関心しませんなー」

 その言葉を聞いて、胸にちくりと痛みが走った。確かに、わたしとせんぱいは正式に付き合っているわけじゃない。なのに彼女面して、せんぱいを特別に思っているわたしとは別の誰かを無意識に、無遠慮に傷つけて。そう言われた気がして――。

「いや、だから違いますって……」

 わたしの顔が一瞬だけ曇ったのに気づいたのか、間を空けずにせんぱいが返す。

「じゃあ、本気ってことか……。雪乃ちゃんやガハマちゃんだけじゃ飽き足らず……そういうのはお姉さん、なおさら許さないぞー」

「あいつらはそういうんじゃないですよ」

 迷うことなくせんぱいがはっきりとした口調で否定すると、意外だったのか、陽乃さんが目を見開く。

「――へぇ」

 直後、温度が感じられない声音が突き抜けていき、ぞくりと背筋に寒気が走った。

 周りには他の人の声や物音もあるはずなのに、まるでそれら全てが一切遮断されてしまったのかというくらい、いやに耳に張り付く声だった。

 そして価値を見定めるような、新しい玩具を見つけたような、そんな瞳をわたしとせんぱいに向けている。

「いろはちゃん、わたしも相席させてもらっていーい?」

「え? あ、は、はい……」

 息が詰まりそうになるのを我慢していると不意に尋ねられ、反射的に頷いてしまう。 

「ありがとー!」

 理解が追いつき状況が飲み込めたのは、陽乃さんが持っていたトレイを置いて向かい側に座った時だった。

「で、二人は何してたのかな? やっぱりデート?」

 両手を組んで頬杖をつきながら、陽乃さんが改めて聞いてくる。朗らかな表情とは裏腹に得体の知れないどす黒い何かがうっすらと見えていて、回答に迷ってしまう。

 けど、何が正答で何が誤答になるのかの境界線すらわからない。言葉未満の吐息ですらないものだけが、わずかに開いた口から漏れ、消えていく。

「一色の勉強をこれから見てやるところだったんですよ」

 せんぱいが問いかけに応じてくれたので、その間に一呼吸し、落ち着きを取り戻そうと試みる。

「ふーん。学校の勉強?」

 瞳を横に動かし、陽乃さんがわたしへ視線を移す。わたしが答えろ、ってことか……。

 まだだいぶ心もとないが、さっきよりはマシだ。鈍りかけた思考をフル回転させて、つぐんでいた口を開く。

「そうです」

 正直、この人が相手では嘘をついたところで即座に見破られるだろうし、中途半端な言い訳をしたところで徐々に綻びが出て、そこを突かれることになるのが目に見えている。かといって素直に言えば、根掘り葉掘り聞かれる未来が想像に難くない。

 だから、真実の中に含ませたものがわからないように、本音の言葉の中に本当の動機を隠した。

「んー、今いろはちゃん二年生だっけ」

「はい」

 深く触れてこないということは、無事やり過ごせたということでいいのだろうか。拭いきれない不安を隠すため、短く返して済ませる。

「ってことは、進路選択も含めた早めの受験対策かー。じゃ、比企谷くんに教えてもらってるのは国語を重点的に鍛えたいから、……ってことでいいのかな?」

 思わず反応して肩がぴくりと動く。

 学生にとっては日常的に耳にする、何の意味もないありふれた単語の一つでしかないけど。

 わたしにとってはキーワードとも呼べる、誰にも渡したくない大切な感情が隠れているから。

 もちろん、この人がその隙に気づかないわけがない。

「……なるほどねぇ」

 くすっと蠱惑的な笑みを浮かべながら、陽乃さんが呟いた。心の中を隅々まで持て余すことなく全て覗かれ、掴まれた気がして、次第に恐怖が上回っていく。

 もし、ここへ来た時からこの展開が予定調和だったとしたら。

 途中でいくらうまくかわせたとしても、手段やアプローチが変わるだけで行き着く展開は同じだとしたら。

 最初から全てを知っていて、知らないふりをしているだけで、手のひらの上で転がされ、遊ばれているだけだとしたら。

 結局わたしがあの手この手であがいたところで、何の意味もないとしたら。

 この人を見ていると、そんな錯覚に囚われてしまう。そんなことあるわけがない、ありえるはずがない、あってはいけないのに。

「そういうところ、可愛いと思うよ」

 一転して今度は優しげな、それでいて憐れむような表情で、陽乃さんが穏やかに微笑む。瞳の奥には温かさと冷たさが複雑に混ざり合っているせいで、ちっとも感情が読めない。

 正体がわからないものほど怖くて、わからなければわからないほど比例して怯えは強くなっていく。

「……ありがとうございます」

 押し寄せてきた恐怖の波は、スカートの裾をぎゅっと握ることでなんとかこらえた。

「あ、そうだ比企谷くん」

 わたしへ縫い付けていた視線を解き、隣へと転じる。

「君の苦手な数学は、どうしてるの?」 

「こいつ俺より数学の成績いいんで何も……」

 あんなものを見せられたのに、せんぱいはなんで平然としていられるのだろう。わたしは今、口から意味も中身もないものを喉から絞り出すのがやっとなのに。

 差を実感するたび、わたしの弱い部分が浮き彫りになってしまう。もちろん、このままじゃだめなのはわかってるけど……。

「じゃあ数学については教える人がいないと」

 打ちひしがれているわたしの横で、会話が進んでいく。ただ、こんな状況の中でも直感は不思議と冴えていて。

 ふむふむと頷いている陽乃さんを見た瞬間、嫌な予感が全身を駆け巡った。

「よーし、じゃあお姉さんがいろはちゃんに数学を教えてあげよう!」

「は?」

「え……?」

 弾んだ声の後、間の抜けた声と驚いた声が重なった。

「二人してなんだその反応ー。つれないなー、もう」

 顔をしかめるせんぱいとその横でぽかんと呆けるわたしの様子に、陽乃さんがいじけた子供みたいな声遣いで言って、つまらなそうに唇をとがらせる。

 普通に考えれば、断るどころかお願いしたくなるほどの贅沢な申し出。だが、今回はこのタイミングで、ましてや大して関わりのなかったわたしにそこまでしてくれるのには、相応の目的がある以外に理由が見当たらない。だからこそ、警戒だけが強まっていく。

「ま、いいや。それよりこの提案、どうかな?」

 表情と声色こそ穏やかなものだが、目の前の黒い瞳は決められた選択肢以外を選ぶことは許さないと言っているようで、どこか威圧めいたものをひしひしと感じる。

「別に雪ノ下さんにそこまでしてもらわなくても……」

「わ、わたしもはるさん先輩に迷惑かけたくないですし……」

「気にしなくていいよ、わたしが好きでやるんだし。さすがに毎日は無理だけどね」

 せんぱいの後に続いてやんわりとお断りしてみたが、けろりと返された。企みがあるとわかってはいても、気遣いや厚意、善意といったものを前面に押し出されてしまうとどうにも断りづらい。

 どうしよう、そんな意味を込めた視線を隣に送ってみると、視界の端からくすっとした笑い声が耳に届いた。

「……それとも二人には、わたしに知られたくない秘密でもあるのかな?」

 瞼をゆっくりと細め、陽乃さんが口元を歪めた。うっすらと覗かせている瞳孔は、どこまでも吸い込まれてしまいそうな仄暗さを醸し出していて、思わず息を呑む。

「そんなのないですけど……」

 せんぱいが言った、この場を収めるためだけの欺瞞でしかない言葉に胸が苦しくなる。二人で結んだ“約束”が、二人でしか共有していない“秘密”が、今はぎしぎしと心を締め付けてきて。

 目を逸らそうとしても、身をよじろうとしても、嫌な感情がしつこくつきまとう。陽乃さんの問いただすような視線が、逃がすまいとばかりにわたしとせんぱいを縛り付けてくる。

 だから――。

「ないです……」

 言うことを拒む気持ちを殺して、震える寸前の声で呟くしかなかった。それぞれの言葉を聞き届けると、陽乃さんがくすくすと笑う。

「んじゃ、決まりってことでいいね。……お、そろそろ時間かな」

 そこで強引に話を切るように、陽乃さんがちらりと腕時計に目をやる。

「……雪ノ下さんは結局そのためだけに来たんですか」

「ううん、暇つぶし」

 感情のない、平淡な声だった。そして、押し潰されてしまいそうなほど、重い一言だった。

 本当に暇つぶしのためだけにここへ来たのだろうか。そんな疑問は残ったままだが、真実を知っているはずのこの人は、それ以上何も語らない。

「じゃ、いろはちゃん、明日からね」

 前兆なしに話題が巻き戻った挙句、勝手に予定を決められた。

「へ? あ、明日からですか……」

「なぁに? 嫌なの?」

「そ、そういうわけじゃないですけど急だなーって」

「時間があるうちから取り掛かったほうがいいからね、何事も」

 一応は抵抗してみたものの正論で返され、仕方なく諦める。わたしやせんぱいがどれだけ正当な理由を並べ立てても、最終的には言いくるめられてしまうだろう。それがわかっているのか、せんぱいはもう口を挟んではこなかった。

「わ、わかりました……。よろしくです……」

「うん、よろしく」

 わたしに向かってにこりと明るく微笑むと、陽乃さんはそのまま瞳を滑らせる。

「それと比企谷くん」

「なんでしょう」

「そのうち、聞かせてね」

「……雪ノ下さんが納得できるかはわかりませんけどね」

 主語のない言葉の応酬に何が含まれていたのか、はっきりとわたしにはわからなかったけど。

 なんとなく、わたしたちの行く末に関して触れていたような気がした。

「じゃ、わたしはもう行くね」

 もう一度時間を確認すると、陽乃さんがトレイを手にして席を立つ。

「二人とも、付き合ってくれてありがとね。それじゃごゆっくりー」

 空いているほうの手をひらひらと振り、陽乃さんがこの場から去っていく。

 人波の中でもやけに目を惹くその姿が見えなくなるまで見届けると、どっと疲れが押し寄せてきて、かくんと力が抜けた。

「……一色?」

 自分の肩を抱いてかたかた震えるわたしに気づき、せんぱいが心配そうに顔を覗き込んでくる。

「こ、こ、怖かった、です……」

 圧迫感しかなかった窮屈な時間が終わりを迎えたことで、誤魔化していた感情が受け入れられないほど大きくなり、破裂してしまった。

 

 あの人には、やっぱり最初から全てが見えていて。

 そして、これからどうなるかもきっとわかりきっていて。

 だから、だからこそ突きつけた。

 それでいいのかと、それが本当に“本物”と呼べるものなのかと。

 

 頭を撫でられても、せんぱいの胸元に顔を寄せても、得体の知れないどす黒い何かはずっと瞼の裏にこびりついていて、剥がれてはくれなかった――。

 

 

 

 

 




ちょっと遅くなりました、ごめんなさい。

それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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4#05

ちょっとだけ遅刻マン。


  *  *  *

 

 カフェを出ると、薄闇の空はすっかり夜の空へと移り変わっていた。

 身体の震えこそ収まりはしたが、心は未だに影が差したままでいて。そのせいか、辺り一面を包み込む闇がわたしの胸中と同期しているように思えてしまい、余計に気持ちが晴れてくれない。

 高嶺の花、雲の上の存在。陽乃さんにはそういう類の言葉がよく似合う。生徒会長になっていなかったのなら、間違いなく関わることがなかったのだろうと思う。現に仕事の上で顔を合わせたのもこれまでにも二、三回くらいしかない、知り合いと呼べる程度の間柄。

 しかし、成り行きから前以上に接点を持つことになってしまった。

 あの人は本当にわからない。知ろうとすることを躊躇わせるほど底が知れない。それでも、と手を伸ばせば引き込まれ、ただ飲み込まれていくだけで、わたしには一生をかけても雪ノ下陽乃という人間の本質には辿り着けそうにない。

 結局わたしがいくら考えたところで、もうどうにもならないのはわかっている。だが、マイナスの感情が思考を放棄することを許してはくれず、ポジティブとネガティブとが交互にひたすら循環し続け、気持ちの掃き溜めばかりが積み重なっていく。

「……悪かったな」

 自転車をとめている駐輪場目指して二人並んで歩いている最中、不意にぽつり、そんな呟きが耳に入ってきた。明らかな自責が滲んだ重苦しい声色に、頭の中の時間が止まる。

「何が、ですか……?」

「雪ノ下さんがあの場に来たのは、間違いなく俺のせいだ」

 わたしが振り向くと、せんぱいは静かに空を見上げて吐息交じりの声で言う。視線の行き先にあるものは、浮かんだ月と広がる闇。そして、物憂げな表情には自嘲と後悔が見て取れた。

「だから、すまん」

「……いえ、大丈夫です」

 正直言ってお世辞にも大丈夫とは言える状態じゃないし、今すぐにめいっぱい甘えたいし、ずっと慰めていてほしいくらい。

 けど、陽乃さんの言葉がリフレインして欲求は押し留められ、そのまま引っ込んでしまった。不満を口にすることができずに悶々としていると、せんぱいが空白の間を繋いだ。

「それともう一つ、お前には謝っておきたかったことがある」

「なんですか……?」

 謝られるようなこと、なんかされたっけ。記憶を掘り起こしてみたものの、思い当たる出来事はない。

 目線をわたしへと戻し、せんぱいが顔の色を変えることなく疑問の先を口にする。

「俺の勝手な都合で、お前に生徒会長という役職を押しつけちまったことだ」

 あぁ、一人納得し頷く。最初こそ仕方なく乗せられて就いた会長職だったが、今となってはやっていてよかったと胸を張って言える。だって、そのおかげでわたしは成長することができたから。

「そんなこと、気にしなくていいんですよ」

 今度はわたしが空を仰ぎ、頭上にある黒い海を穏やかに泳いでいく雲を眺める。

「むしろ、感謝してるくらいです」

 そう言い添えると、せんぱいが驚いて目を白黒させた。わたしはもう一言だけ付け加えることにして、精一杯、わたしにできる限りの笑顔を作る。

 こんなの、意味のない強がりだ。でも……。

 後ろ手を組み、くるりと身体をせんぱいのほうへと向ける。自分の気持ちを隠して、目の前の人を気遣うことだけにリソースを割いて、震える寸前の唇で言葉だけを紡ぐ。

「だから、もう謝っちゃだめですからね」

「…………すまん、そう言ってくれると助かる」

 せんぱいの声を最後まで聞き遂げてから、もう一度、視線を宙へと移す。すると、さっきまでと変わっていないはずの夜空はいっそう暗さを増していた気がして、より重苦しさを感じた。

 

  *  *  *

 

 自宅に帰ってからは、すぐにぐでっとベッドにうつ伏せで倒れ込む。

 疲れたというよりかは精神をすり減らした、といった感覚だろうか。何もやる気が起きない。

 どこか虚ろで頼りない足取りのわたしを心配してせんぱいが家まで送ると申し出てくれたが、今回は遠慮して一人で帰路についた。というよりも、そうせざるを得なかったといったほうが正しいのかもしれない。

 突き刺さり続け、抜けてくれない陽乃さんの言葉が、あの時のせんぱいの表情が、わたしの行動に制限をかけてしまった。

 そう捉えてしまうこと自体が、考えすぎなのかもしれない。ただの思い込みで、被害妄想なのかもしれない。けど、余計な思考を追い出そうとすればするほど、負の感情の海にどんどん沈みこんでいく。

「はぁ、だめだー……」

 ポケットにしまってあった携帯を手にしてから、ごろんと寝返りを打つ。するすると慣れた手付きで操作して、フォルダに保存してある一枚の写真を表示させる。

「わたし、どうしたらいいんですかね、せんぱい……」

 画面に向かって、届くはずのない問いかけを投げかけた。しんと静まり返っている自室にわたしのか細い声だけが響き、跳ね返ってくる。それがなんだか無性に空しくて、寂しくて、やっぱり虚しい。

 写真の中のわたしは笑っているけど、今のわたしはどうだろうか。自分の顔をベッドの近くにある姿見に映し出してみると、抑えることのできなかった気持ちの証が頬を伝った。

「あー、もー……」

 瞳からこぼれ落ちた滴をぐしぐしと袖口で拭い、身体を起こす。

 とりあえずお風呂に入ってリラックスしつつ、ぐだぐだと考えることにしよう。

 

 ――そう思い始めてから、どのくらい時間が経っただろうか。

 ゆったりと全身を湯船に浸からせても、お気に入りの入浴剤の香りに包まれても、ちっとも落ち着かない。むしろ、静謐な空間がわたしを独りぼっちに追いやっている気さえしてきて、不安だけが大きくなってしまった。

 誤魔化したくて、ぱしゃぱしゃと何度かお湯をかけてみる。が、水滴がぽたぽたと垂れるだけで胸のつかえは取れてくれない。

 そもそもわたしはどうしてこんなに悩んで、追い詰められているのだろうか。気にせず普段どおりにべたべた甘えてしまえばいい。だが、そうやって開き直ろうとするたびに刺さり続けている言葉の棘がより深く食い込んで、執拗に邪魔をしてくる。

 関係に無理やり割り込んで、引っかき回して、強引だったとは思うけど。罪悪感も、まったくないわけじゃないけど。

 わたしはただ、“本物”が欲しくなっただけなのに。

 やっと、やっと、わたしの望んだ“本物”と呼べる関係になれるって、嬉しかったのに。

 どうして、どうして――。

「……っ、う、うぁ、うう……」

 天井から落下して床を叩く水音の中に、嗚咽交じりの小さな悲鳴が交ざる。やり場のない憤りや不満、悲しさや寂しさの蓄積がふと強くなり、耐えきれずに溢れてしまった。

 泣いたところで現実が変わるわけないって、わかってる。でも、せめてわたしとせんぱいの間に結んだ“約束”くらいはまだ信じていたい。じゃないと、わたしはきっと壊れてしまうから。

「せん……ぱい……」

 口を押さえたまま、自身の小指を、指切りしていないほうの手で縋るように包む。そして、少しだけ遠くなってしまった時間を思いながら、みっともなく、ぐずぐずと泣き崩れた。

 せんぱいに頭を撫でてほしい。

 今すぐせんぱいに抱きつきたい。

 わたしがえへへと笑えば、せんぱいがしょうがないなって顔をする。

 大好きなせんぱいに、好きなだけ甘えられる。その日常が、ひたすら恋しい。叶うのなら、巻き戻ってほしい。

 繰り返し願うたび、こぼれ落ちていく。それを止めようとすることもなく、我慢しようとすることもなく、ただただ、滴らせ続ける。

 

 そうして涙が枯れる頃には、暖かいはずの浴槽はすっかりとぬるくなってしまっていた――。

 

 

 

 

 




私の筆の速さからして、これが今年最後の投稿になるんじゃないかなーと。
なので少しばかり早めの挨拶となりますが、また来年からも宜しくお願い申し上げます!

それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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4#06

  *  *  *

 

 やたらと重く感じる寝起きの身体を無理やり起こし、顔を洗う。

 ……学校、行きたくない。そう思ったところで時間が許してくれるはずもなく、家を出る刻限は徐々に迫ってきている。

 原因は、もちろん昨日のこと。

 あれから一向に出てくる気配がなかったのを心配してか、お風呂場のドア越しにお母さんがわたしを呼んだ。その声に一旦思考を打ち切ったものの、涙の代わりに嫌な感情がとめどなく今も溢れ続けている。

 別に陽乃さんが嫌いというわけじゃない。けど、突きつけられた恐怖のせいで、頭が、心が、あの人と一緒に過ごすことを拒んでいる。ざわざわとした悪寒が走り、危険信号がひたすらうるさく鳴り響く。

 また何かを言われて、心を弄られて、また一つ言葉の棘を埋め込まれて。

 こんなの、わたしの邪推でしかないけど。でも、悪い予感というのはよく当たるもので。

 はぁ、嫌だ。とにかく、嫌だ。

 鬱屈な気分のまま身支度を整え、玄関のドアノブに手をかけて回す。だが、そこから先には進まなかった。

 かちゃっ、かちゃっ。

 自身の胸中を反映した無意味な躊躇いの音が、開けられるはずの扉の前で繰り返されていく。わたしの様子に、何事かとばかりにぱたぱたと駆け寄ってくる足音が背後から聞こえてくる。

「いろは、どうしたの? もしかして学校で何か、あったの……?」

 昨日のこともあるせいか、より心配の色を含ませたお母さんの声。

 今は、当たり前の優しさが痛くて、辛くて。かといって親に理由を隠さず言えるほど、わたしは素直になれなくて、まだまだ子供だから。

「ううん、なんでもない。……行ってきます」

 わたしは表情を見せることなくふるふると首を横に振り、力任せに扉を開いた。

 

 学校に着くまでの間も、着いてからも、考えた。余計に思考が散らかるだけだとわかりきっていても、考えずにはいられなかった。そうでもしないと逃げ場のない恐怖が襲ってきて、飲まれてしまいそうになっていたから。

 その結果、授業中は先生が何かを喋っていてもするりと耳を通り抜けていくだけで。形だけ広げた教科書に目を通しても、意味のない文字列としか認識できなくて。

 だから、わたしは昼休みに一通のメールをせんぱいに送ることにした。

『今日行けないです。ごめんなさい』

 送信されたことを確認した後、感情の勢いに任せて携帯の電源を切る。毎日楽しみにしていた二人きりの時間を、二人だけの空間を、悲しいものにしたくない。なにより、こんなぼろぼろになったわたしをせんぱいには見せたくない。きっと、今のわたしを見たらせんぱいまで自責の念に駆られてしまうだろうから。

 会いたいけど、会いたくない。

 触れたいけど、触れられない。

 一緒にいたいけど、いたくない。

 甘えたいけど、甘えられない。

 そんな葛藤の波ばかりが押し寄せてくる。でも、どうにもならない。わたしは未練を断ち切るように一つだけため息を吐き、教室を離れた。

 あてもなくふらふらとしている途中、保健室と書かれた表札が目につく。そうだ、ちょっとだけ休もう。そうすれば、きっといつものわたしに戻れる……なんて。

 わかってる。そんなもの、所詮は希望的観測に過ぎないと。こんな気休めで済むなら、わたしの苦悩は今朝の時点で解消している。

 でも、それでも。

 たとえ一時的だとわかっていても、今はこのしがらみから抜け出したかった。

 その日の昼休みは結局生徒会室に行かず、何かを食べることもせず、わたしは保健室のベッドの上で一人、ただただ、空っぽの時間を過ごしていた。

 

  *  *  *

 

 放課後、ついにやってきてしまった。

 わたしが今、一番会いたくない人が。一番、望んでいない時間が。

 どれだけ嫌でも、拒んでも、結末は変わらなかった。生徒会室の扉をこんこん叩く音がその証明に他ならない。

「……どーぞー」

 うじうじしていても解決どころか悪化の一方を辿るだけになりそうだったので、観念して入室を促す。心持ちのせいか、ただでさえ間延びする声が力の抜けきったへにゃへにゃした声になってしまった。

 がらりと扉が開かれ、陽乃さんが姿を現す。あーあ、せんぱいだったらまだマシだったのに。

「ひゃっはろー、いろはちゃん」

「こんにちはです、はるさん先輩」

「ありゃ? なんか元気ないねぇ」

 誰のせいですか、誰の。けど、当然言えるわけがないので代わりの言葉を繕う。

「ちょっといろいろありまして……」

「お、なになに悩み? じゃあお姉さんが聞いてあげるよー」

 どこか嘘くさい満面の笑みを顔に貼り付けながら、陽乃さんがそんなことを言い出した。

 やっぱり、この人は苦手だ。人のパーソナルエリアに平気で踏み込んでくるくせに、かき乱すだけかき乱して帰っていく。現に今も、こうしてわたしの心を蝕んでいる。

 全部知ってて、わかってるくせに。胸の中だけで悪態をつき、吐き捨てた。

「……いえ、大したことじゃないので」

 ああ、また嘘をついてしまった。どんどん自分が自分じゃなくなっていく。表面だけ整えてばかりの“偽物”に戻っていくような感覚に、自己嫌悪が強くなる。

「いろはちゃん、つれなーい。ま、大丈夫ならいいけどさ」

 表情をころっと戻すと、陽乃さんがわたしの隣に腰掛ける。そして、持参した鞄からクリップでまとめられた紙の束を取り出し、机の上にそのままぽんと置いた。

「じゃ、始めよっか」

「あの、なんですかこれ?」

「ん? 小テストだよ。わたし、いろはちゃんの成績知らないし」

 言われ、何枚か重なっている用紙の一枚目を眺めてみる。でもそこに書かれている文字は、機械的な堅苦しい文章の羅列にしかやっぱり見えなくて。

 だめだ、0点なんかとってしまったら余計に関わられることになってしまう。錆びついた頭をなんとか無理やり回転させ、最初からしっかり目を通して一枚一枚確認していく。

 どうやら、自作のテスト用紙らしい。範囲は、一年次の一学期から二年次の最近習ったあたりまでといったところだろうか。

「実力の確認、ってところですか」

「うん、そゆこと」

 意図を理解したことを伝えると、陽乃さんがにこりと笑った。このくらいなら日頃の復習でやったばかりだし、なんとかなると思いたい。

「準備はいい?」

「……はい」

 筆記用具を取り出すと陽乃さんが確認をしてきたので、こくりと頷く。正直言って、自信なんかない。今、頭麻痺してるし。

「制限時間は一時間。……よーい、どん!」

 それだとなんだか締まらないなと思いつつ、仕方なく手元のテスト用紙に視線を落とした。

 

 かちこちと時計の針が進む音。かりかりとペンが走る音。ぺらりと本のページを繰る音。開かれた窓から入り込んでくる学校特有の喧騒。規則正しい一つの音と不規則な三つの音が、静寂に包まれた空間に重なって広がっている。

 

 十五分。

 

 三十分。

 

 四十五分。

 

 そうして、だいたい一時間近く経った頃、複数の演奏から一つの音が抜けた。間もなくしてまた一つ音が抜けた直後、両手をぱんっと叩いた音がひときわ大きく響いた。

 

「はーい、終わりだよー」

 その声に、疲労感たっぷりの深い吐息がこぼれた。椅子の背もたれに体重を預け、一時の開放感に身を委ねる。

 自発的に勉強をするようになってからも、ここまでの緊張を覚えたことは一度もない。何かをされたわけでもないし、何かを言われたわけでもないのに、重圧が半端じゃなかった。そこまで感じてしまうのは、この人に対して苦手意識が強すぎるのもあるかもしれないけど。

「お疲れさま。採点するから赤ペン貸してもらってもいい?」

「……あ、はい、どうぞー」

「ありがと」

 きゅっきゅっと筆先が擦れる音を聞きながら、だらけた体勢でぼーっと天井を見つめる。

「ほー、確かに比企谷くんの言ったとおりだなぁ」

 途中、陽乃さんがそんな声を漏らした。聞く限り、今のところは比較的いい点数をとれているらしい。半分しなだれかかっていた首を起こし、陽乃さんへ身体ごと向き直る。

「ありがとうございます……」

「もうちょっとだけ待っててねー」

 それから数分も経たないうちに、採点の済んだテスト用紙が返却された。点数はまぁ、上の下といった感じ。

「全体的にケアレスミスが目立つから気をつけてね」

 ご丁寧に傾向まで割り出してくれていたようだ。本領発揮できてれば、なんて言い訳はせずに指摘は素直に受け取ることにする。というよりも、少しでも早くこの時間が終わってほしかった。

「わかりました、気をつけます」

 ぺこりと軽く頭を下げ、重ねてお礼を言う。

「……疲れちゃったみたいだし、ちょっとだけ休憩しよっか」

 さっきまでのわたしを把握していたらしく、陽乃さんがおかしそうにくすりと笑う。

「あ、すいません……」

「いいのいいの、無理やりやらせちゃったしね」

 これだけ見れば、優しい人なんだけどな。まぁそれはともかく、後は何事もなく過ぎ去ってくれればいい。

 ――そう思った時だった。

「ところで、お姉さんずっと気になってたんだけどさ」

 机の上に両肘をつき、組んだ両手に顎を乗せて陽乃さんがもう一度口元を緩める。直前までの笑顔とは違う妖しい微笑みに、ぞくりと背筋が凍った。同時に、温かみの感じられない視線がわたしを射抜く。

「雪乃ちゃんとガハマちゃんは……知ってるのかな?」

 

 ああ、やっぱり。

 この人は、簡単に逃がしてはくれなかった――。

 

 

 

 

 




あけましておめでとうございます!
遅刻しまくりの挨拶となりますが、今年も宜しくお願い申し上げますー。

それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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4#07

  *  *  *

 

 陽乃さんの黒い瞳が、じっと私を見据えている。そのせいで視界がちかちかしてきて、息を継ぐ間隔が短くなりそうになる。

 この人が望んでいる答えを口にすれば、話を終わらせること自体はできると思う。でも、残っているわたしの最後のプライドが、そうすることだけは絶対に許さない。

 結果、思考は到達点を見失い中途半端な状態で消えていく。言葉どころか吐息ですらないものは喉元につっかえたまま溶けていき、無言を生む。そして、口を閉ざしている時間が長く続けば続くほど、後ろめたさがあることを色濃く裏づけてしまう。

 何か、何か言わなきゃ。でも、何も見えない。何も、見つからない。

「……なーんか、雪乃ちゃん見てるみたい」

 そんな中、興味を失ったように冷たく色のない声がわたしの耳を貫いた。思わず肩がびくっと動き、心臓の鼓動は一段階上に跳ね上がる。

「…………」

 そんなの、わかってる。陽乃さんに改めて言われなくても、わたし自身が誰よりも一番、わかってる。とはいえ、自覚している欠点を他の人に突かれるのはやっぱり鬱陶しくて、痛い。

 だから、言い返したい。今すぐ否定したい。けど、今までやってきたずるいことが、深く食い込んだ棘が、自制心や罪悪感として攻撃的な感情を心の奥底にしまい込もうとしてくる。そうして気持ちと理性が引っ張り合い、せめぎ合いを繰り返す。

「あの子も、一人じゃなーんもできないのよねぇ……」

 わたしの心模様を知ってか知らずか、陽乃さんは淡々と続ける。

「できないくせにできるって言い張っちゃって、結局は助けられて、守られてばーっかり。いろはちゃんのそういうところ、雪乃ちゃんとよーく似てて……可愛い」

 下唇をぎゅっと噛みしめ、熱く、冷たいものが瞳の端から込み上げてきそうになるのを必死でこらえる。すると、俯いた視界の外からくすっと笑う声が聞こえてきた。

 やめて。もう、やめて。

「――だから、そこがすごく気に入らない」

 当然、陽乃さんは待ってはくれなかった。現実がいつも優しいはずがないし、そこまで甘いわけがない。それは当たり前のことなのに、今は許容できなかった。 

 もう、限界。耐えられそうに、ない。

 話を遮断するように席を立ち、閉じていた唇を無理やりこじ開けながら呟く。

「…………すいません。ちょっと、飲み物買いに行ってきます」

「はーい、いってらっしゃい」

 逃避の口実を受けた陽乃さんは、引き止めることなく明るい声音でそう言った。単純に見逃してくれているだけか、それとも泳がされているだけか。様変わりした態度と執着のせいで悪い方向にばかり勘ぐってしまう。

 とりあえず、ここから離れなきゃ……。

 挫折感や虚無感に包まれながら、わたしは生徒会室を一人後にした。

 

 校舎と特別棟をつなぐ廊下の四階部分は屋根がなく、いわゆる空中廊下になっている。わたしは今、そこへ赴いていた。

 手すりに寄りかかり、かすかな赤みが滲み始めた空をぼーっと見上げる。その合間合間に、梅雨特有の湿気を孕んだ風がまとわりついて、流れていく。

 ぶっちゃけ、この生ぬるさは不快でしかない。それでも、ちっとも生ぬるくないあの場所に身を置いたままでいるよりかは、全然マシに思えてしまう。

 かつてないほどの緊張に見舞われ、口の中はすっかりからからだ。乾いた喉を潤そうと、無造作に、ポケットに突っ込んでいた黄色と黒の警戒色をしたコーヒー飲料缶を取り出す。

 この状況でさすがにそれはどうかと自分でも思うけど、今は甘さに浸りたかった。

「甘い、なぁ……」

 かしゅっとプルタブを起こすと漂ってきた甘ったるい匂いが、心に安心をもたらす。誰よりも優しくてわたしにすごく甘い、あの人の温もりが、ただただ、恋しい。

 手にした缶を傾け、勢いよく口の中に流し込む。暴力的な糖分とわずかな苦味が同居する味は慣れ親しんだはずなのに、どこか懐かしく感じる。

 どこでボタンを掛け違えてしまったのだろう。はーっと一つ息を吐き出して、誰に向けるでもなく両眉を下げて微笑む。

 わたしの選択は、きっと間違っていない。だって、それを咎めていいのは自分だけだから。じゃあ、間違えたものは方法だろうか。なら、どう間違えたかを考える。

 陽乃さんの言葉に思い当たることが、一つだけある。たぶん、きっと、何もしないからこそ、何もできないと評されたのだろう。

 曖昧で、ぬるま湯のような関係。答えを待つと飾り立てて、衝突することを避け続けていただけの現実。それは二週間、いや、もっと長い時間。

 …………。

 感情を捨てて導き出された結論は、信じていた“本物”を崩すのには充分すぎるほどだった。缶の中身もいつのまにか空になっていて、もう甘さが広がることはない。

 ああ、と。自信が涙としてこぼれ落ちていく。

 直後、誰かがガラス戸を開けた音が耳に届いた。

 しかし、既に決壊した感情の爆発は止まってなんてくれなくて。

「やっぱりわたしなんかじゃ、あの二人には――」

「だから勝手に決めつけんじゃねぇよ」

 漏れた独り言を、聞き慣れた気だるげな声が遮った。その瞬間、瞳が声のした方向に吸い寄せられる。

「せん……ぱい……?」 

「ったく、探したぞ……って、何泣いてんのお前」

 突然現れた待ち人の姿に、落ちる滴の量は増えていく。髪は頬にべったりと張り付き、見るも無残になっているわたしの顔。それを見ると、せんぱいは頭を優しく撫でさすってくれた。

 変わらない優しさ、変わることのない温もりが、わたしをそっと包む。

「なん、で……どう、して……?」

「ほれ、行くぞ」

 わたしの投げた問いかけを無視し、せんぱいが手を取ってきた。

「えっ、あ、あの……」

「いいから」

 せんぱいがくいっとわたしの腕を軽く引き、歩くことを促してくる。けど、せんぱいが何をしようとしているのかまったく見当がつかず、思考が混乱の渦中に引きずり込まれる。だが、いい加減そろそろ戻らないと陽乃さんに何を言われるかわかったもんじゃない。

「で、でも、は、はるさん先輩が……」

「雪ノ下さんのことは心配しなくていいぞ」

 わたしの言葉が最後まで辿り着く前に、不安が打ち消される。口ぶりから、生徒会室に寄った際に陽乃さんと話を済ませたらしい。

「あと……」

 間を作り、せんぱいがわたしから一旦視線を外した。その後すぐにどこか気恥ずかしそうに、それでいて澄みきった表情で、途切れさせた先を、せんぱいがゆっくりと紡いだ。

 

 ――ずっと待たせて、悪かったな。

 

 たった一言。

 でも、わたしにとってその一言は、今までで一番、なによりも温かかった。

 

  *  *  *

 

 奉仕部での、わたしにとっても特別だった一幕。

 せんぱいの曝け出した本音から逃げ出して雪ノ下先輩が向かった先は、皮肉にもさっき離れたばかりの場所だった。

 当時の出来事を逆再生するかのように、空中廊下から奉仕部の部室へと場面が移り変わろうとしている。逆行する物語の結末は、本来あるべきはずのものから逸れているだろう。

 平穏な廊下に響く二つの足音のうち、一つは揺らぐことなく淡々と。もう一つは、揺れに揺れまくっていて弱々しく。言うまでもなく、後者はわたし。

 目的地までの距離が縮まるたび、どくどくと鼓動のペースが速くなる。やがて、頻繁に通いつめていた扉は徐々に大きくなっていき、ついには目の前まで迫った。

 もし、もしもわたしがあの時間軸の中で、この扉一枚の境界線を踏み越えることができていたとしたら。仮定したところでどうにもならないし変わらないけど、すぐ前にある頼りなくて頼りになる背中を見ていると、過程は違っても結果だけは変わって欲しくないと願いたくなる。

 だって、わたしのスタートはそこで、わたしのゴールもそこだから。

「……どうぞ」

 せんぱいのノックに、雪ノ下先輩の声。それを合図に、せんぱいは“本物”を求めた場所へ。わたしは“本物”を知るきっかけとなった場所へ足を踏み入れる。

 そして、二つと二つの視線が交差した。

「……わかってはいたけれどね」

「うん……」

 達観めいた声と、気落ちした声。空気が、がらりと変わる。

「お前らに一つ、依頼がしたい」

 

 最後に、確かな意志を含んでいた声が一つ、二つの声の後に続いた――。

 

 

 

 

 




それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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4#08

※ちょっとだけ修正しました。


  *  *  *

 

 生徒会役員選挙の時とは似ているようで違う、張り詰めた空気。それぞれの胸中が目顔や声に表れ、閉じられた空間の中で複雑に絡まり合っている。

「……とりあえず、座ったら?」

 立ちっぱなしのままだったわたしとせんぱいを見かねてか、雪ノ下先輩が促してきた。

「そうだな……」

 言葉を受け、せんぱいが椅子を準備し始めたのでわたしも倣う。そうして雪ノ下先輩の前にはせんぱいが、結衣先輩の前にはわたしが位置を取り、二人横並びで腰を下ろす。

 直後、潤みを帯びて切なげに揺れる瞳とぶつかった。表情にはっきりと陰りが見えるのに、どこか穏やかにも感じ取れて。だからそんな結衣先輩が、優しいはずの人が、この時ばかりは少しだけ怖く見えた。

「……では、聞かせてもらえるかしら」

 仄暗さが交ざった声で雪ノ下先輩が口火を切った。その声に結衣先輩は上下の唇を固く結び、わたしは瞳を右へと動かす。

「ああ」

 間を空けずに、せんぱいがふーっと息を吐く。わたしも今まで再三やってきた、覚悟する時のせんぱいの癖。それはきっと、物語が次の章へと進む瞬間。

 二月の、雪が降った入試の日から回ることのなかった歯車が、わたしという不純物を加えぎぎぎと音を立てながら、今、廻り始める。

「最後まで話を聞いてくれ。――それが、俺の依頼だ」

 そして、止まっていた奉仕部の時間が、ようやく動き出した。

「……あのさ、ヒッキー」

 閉じていた口を開き、結衣先輩が問いかけるような視線を投げかける。

「話って……あたしたちのこと、だよね……?」

 そのまま発せられた言葉は、終わりへ向かうにつれてか細くなっていった。これ以上聞きたくない、けど聞かなきゃいけない、そんな心境が表情や声の端々から見て取れる。

「……そうだ」

「そっか……」

 せんぱいが肯定すると、結衣先輩は力なく俯いてしまう。それもそうだ、面と向かって自身の願いを二回も否定されてしまうのは、わたしだってつらい。もし立場が違ったら……と考えれば、目を背けたくなってしまう。

「一つだけ、聞かせて」

 ゆっくりと顔を上げ、結衣先輩が尋ねた。確かな意思を含んだ視線の先にあるのは、同じ種類の意志が灯った瞳。

「なんだ」

「これから言うことが、ちゃんとしたヒッキーの答えなんだよね?」

「もちろんだ」

 結衣先輩の問いかけに、せんぱいは力強く頷く。

「……わかった、じゃあ聞く」

「由比ヶ浜さん……」

「大丈夫」

 静観していた雪ノ下先輩が憂いを含ませた声を漏らすと、結衣先輩はかぶりを振って応えた。そのどこにでもあるありふれたやりとり自体は対して珍しいものじゃないけど、二人の間に交わされた言葉や仕草以上のものはちっともありふれたものじゃない。それがわかるのは、わたしがひねた価値観を持っていたからこそだろう。

 友情や愛情なんて、かっこつけた上辺でかっこ悪い本音を隠して綺麗に見せかけるためだけに存在するもの。だから薄っぺらいし、嘘くさい。そんな凝り固まった考えをほぐしてくれたのは、奉仕部のこの二人で。

 やっぱり、眩しいな……。目の前の友情と呼ぶに相応しい確かな“本物”を眺めながら、一人心の中で呟く。

「比企谷くん」

 結衣先輩から視線を戻し、雪ノ下先輩が中断していた本来の目的を話すよう呼びかけた。

「……これから話すことは、俺の自分勝手な願望をただ押しつけるだけに過ぎない。でも、いくら考えたところでそれ以外の答えは結局浮かばなかった。だから、決めることができた」

 その言葉を皮切りにして、ぽつりぽつりとせんぱいが語り始める。

「まず、雪ノ下の依頼。これに関しては、俺個人としてではなく奉仕部としてならできる限り協力するつもりだ」

「そう……」

 前に結衣先輩から聞いた、雪ノ下先輩の『自身を見つけることに協力する』という依頼。他の人からすれば何を意味しているのかわからないだろうけど、わたしにはよくわかる。だって、指し示しているのはわたしにも当てはまってしまう欠点のことだから。

「次に、由比ヶ浜。……その、お前の気持ち的なもんには、薄々気づいてた。自分でも最低だとは思うが……悪い、受け取れない」

「……そっか」

 結衣先輩の表情が、くしゃっと歪む。それはわたしも経験したことのある、独特の悲壮感が漂う雰囲気。

 遠まわしではあったが、結衣先輩の想いは届かなかった。ステータスを求めて追いかけていたわたしと違って、結衣先輩は最初から本気だった分より重く、痛い。その傷を想像しただけで胸が張り裂けそうになり、思わず顔をしかめる。

「最後に、一色」

「……はい」

 真摯な眼差しと声音に、スカートの上で手をぎゅっと握り締めて居住まいを正す。最後まで一言一句逃さず聞き届けるために。

「俺がこうして踏み出せたのは他でもない、お前のおかげだ」

 わたしは何もしてません、という言葉は飲み込み、代わりに簡素な相槌だけを打つ。

「……あの時からずっと迷い続けていた俺の背中を押し続けてくれたのも、ふらふらしていた俺を支えようとしてくれたのも、いつもお前だった」

 視線はそのままに、せんぱいがふっと口元を緩める。儚げに微笑む姿は、壊れていく関係を惜しみつつも先へ進もうとする決意が込められている気がした。

「俺なんかのためにプライドも体裁も捨てて、馬鹿正直に感情をぶつけてくれた。俺なんかと真剣に向き合ってくれた」

 そんなこと、言わないでほしい。俺なんか、なんて、卑下しないでほしい。

「強引でむちゃくちゃなくせに、ひたむきでまっすぐで。俺を知ろうと、理解しようとそばにいてくれた。だから俺も、こいつのことをもっと知りたくなった。理解したくなった」

 紡がれていくにつれ、目頭の熱と共に視界の霞みも増していく。

 バカ正直に憧れたのも、追いかけ続けたのも、好きになったのも、知りたくなったのも、理解したくなったのも、真剣に向き合えてきたのも、もっと大好きになれたのも、全部、全部、せんぱいだから、せんぱいだったから、わたしは……。 

「そして、いつしか一色に惹かれている自分に気づいた」

 せんぱい以外、未だ誰も口を開かない。わたしへの想いを乗せた言の葉だけが、凍りついていた時間の中に溶けていく。

 やがて、手の甲に滴がぽたぽたと落ち始めてしまった。わたしにとっては“約束”の再確認でしかないはずなのに、心が打たれて涙が止まらない。

 そこで先輩はわたしから二人へ視線を戻し、小さく頭を下げた。

「散々待たせた挙句こんな答えで、雪ノ下と由比ヶ浜には申し訳ないと思ってる。でもそれがちゃんと考えて、苦しんで、悩んで出した俺の答えなんだ」

 今のわたしの顔は普段から想像もつかないくらいぐちゃぐちゃで、みっともないことになっているだろう。けどそんなのはお構いなしに、もっと深く話に浸かり込む。

 大切なもののために大切なものを傷つけて、大切なものから傷つけられるこの瞬間を、忘れないように、忘れられないように、記憶の奥底まで刻み込みたいから。

「三人とも俺にとって大切な存在に変わりはない。優劣なんかをつけたことはないし、つけたくもない。ただ、大切に思う気持ちのベクトルが変わっただけなんだ。それはわかってほしい」

「…………」

「…………」

「でも、それでも、お前らが納得できないと言うのなら、俺は……。俺、は……」

「ヒッキー」

 不意に結衣先輩が遮り、せんぱいの言葉を閉じさせた。まるでその先を言わせてはいけないとばかりに。

「もう、いいの」

「……そうね」

 瞳の端にうっすらと涙をたたえ、結衣先輩が大きくかぶりを振る。それを見た雪ノ下先輩は、苦笑にも似た微笑みをせんぱいへ向けた。

「……あの時以来かしら。あなたが、そんな顔をするのは」

 はっとして袖口で目元を拭い視界を綺麗にすると、せんぱいの瞳にも感情の結露が浮かび上がっていたことに気づく。

 わたしは慌ててポケットからハンカチを取り出し、優しく添えた。

「あ、悪い……」

 拭うことができなかった反対側の目元を自身で拭いつつ、せんぱいが申し訳なさそうに吐息交じりで漏らす。わたしにはこんなことしかできないけど、ちょっとでもせんぱいの痛みを拭ってあげたかったから。

「……ヒッキー。あたしも、伝えたいことがあるの」

 その光景を見て、結衣先輩が呟いた。

「由比ヶ浜さん、それは……」

「ゆきのん、言わせて。ううん、言わなきゃだめなの。だって、ヒッキーはちゃんと言ってくれたのにあたしが何も言わないままなのは、やっぱりずるいって思うから……」

「…………」

 雪ノ下先輩は押し留めようとしたものの、結衣先輩に拒まれ閉口してしまう。

「ね、ヒッキー」

 慣れ親しんだ、けど、誰よりも特別なあだ名で呼びかけた。その声音は優しく、力強い。

「……あたしは、ヒッキーが好き」

 たった一言に、どれほどの想いを込めたのだろう。わたしなんかよりも遥かに長い時間をかけて育んだ、異性としての好意。もし、わたしが今も意図的に作られた偶像に憧れ追いかけ続けていたとしたら、実を結んでいたかもしれない愛情。

「知ってる。だが、さっきも言ったとおりだ。……すまん」

 でも、解は出てしまった。だからもう、届くことはなくて。

「……うん、いいの。わかってる、からっ……!」

 

 雪ノ下先輩がそっと抱き寄せると、結衣先輩は顔を押しつけ泣きじゃくる。寄り添い合い、支え合う二人の姿は痛ましいのに、やっぱり眩しくて、酷く綺麗で。

 そんな時、視界の隅に空席の椅子が映り込んだ。所在なく置かれたままのそれは、時間と共に移り変わってしまった人間関係を物語るように、ただただ、悲しげに佇んでいた――。

 

 

 

 

 




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4#09

  *  *  *

 

 ――今は、ごめんなさい。

 

 雪ノ下先輩からの重い一言に、わたしとせんぱいは奉仕部からほど近い廊下で行き場を失くしたように佇んでいた。複雑な心境のまま巡らせるのは、やっぱりさっきまでの出来事で。

 ずっと欲しくて欲しくてしょうがなかったものにやっと手が届いた時、嬉しくない人間なんていない。けど、目の当たりにした人間味溢れる後味の悪さに素直に喜べるはずもなくて。

「ねぇ、せんぱい」

「どした」

「ほんとに後悔、してませんか……?」

 甘ったれにもほどがある。わたしはどうしようもないくらい甘ったれだ。同時に、心底めんどくさいやつだなと改めて思う。だって、こんな状況になってもまだ言葉を欲しがっている自分がいるから。

「……まぁ、後悔がないかと聞かれれば嘘にはなるな」

「そう、ですよね……」

「……でもよ」

 今にも泣き出してしまいそうな顔を晒したままでいると、せんぱいがわたしの頭にぽんと手を置いてきた。

「俺は間違ったとは思ってないぞ。だから、いいんだ」

 くしゃっとわたしの頭を一撫でした後、せんぱいが優しく微笑んだ。その言葉に、刺さっていた棘がするりと抜け落ちていったような感覚。

 

 ――できるようになるのは、できるようになるまで続けた者だけだ。

 ――二度と問い直せないなら、何もない未来より意味のある後悔を選べばいい。

 ――傷つけるってわかってても、もう逃げたくない。

 ――その結果壊れてしまったとしても、わたしは間違っているなんて思いたくない。

 

 ああ、わたしは見失っていたんだ。甘えと幸せのぬるま湯が当たり前になりすぎたせいで、実際にその当たり前が壊れてしまうのが怖くなったんだ。

 強引で、むちゃくちゃでも、わたしはそれを貫いてきたはずなのに。

 そんなわたしを肯定した上で、“約束”を結んでくれたはずなのに。

 

 ……大丈夫って言ったくせに、全然大丈夫じゃなかったじゃん。ちっともらしくなかったな、わたし。

「せんぱい」

 ほんと、かなわないな。

「ん?」

「お話、聞いてもらっていいですか?」

「……おう」

 せんぱいは、望んだ以上の答えを返してくれた。だから、次はわたしの番。

 胸の奥に溜まっていたものを全部曝け出すように大きく息を吐き、温かみを感じる瞳を正面から見据える。

「……実はわたし、さっきも自分に嘘ついちゃったんです」

 人間は誰しも嘘をついてしまう生き物だ。本音という刃を隠して傷つけないためだったり、冗談だったり。あるいは自分を逃がすためだったり、守るためだったり。場合によっては、塗り固めすぎて身動きがとれなくなってしまうことだってあるくらい、日常に飽和していることだ。

 ただ、大事なのはついたとかつかないとかじゃなくて。

「雪ノ下先輩や結衣先輩にはやっぱり後ろめたさがあって……それで……」

 誰かのために自分だけが傷つけばいいだなんて、間違ってるって知っていたのに。また、そのせいで自分よりも深く傷ついてしまう人がいるってことも、理解していたのに。

 手探りながらも、記憶や気持ちの切れ端を言葉として形にしていく。

「ほんとバカですよね、わたし。せっかくせんぱいが“約束”してくれたのに、自分で出した答えまで否定し始めて……」

 悲劇のヒロインぶってるわけじゃない。慰めてもらいたいわけじゃない。こんなの、一方的な懺悔みたいなものだ。ただそれでも伝えたくて、吐き出しておきたいから。

「せんぱいはすごいって言ってくれましたけど、わたしは全然すごくなんかないです。だって、一人じゃ何もできないくせにできるって言い張って、結局はせんぱいに助けられて、守られてばっかりでしたから……」

 吐露していくたび、覚えのある高揚感が湧き上がっていく。

「でもそんなわたしに、せんぱいはそばで見せてくれたんです。眩しくて、ずっと手が届かないと思っていた場所を」

 そこには、みんな、なんて都合のいい魔法の言葉は存在しない。あるのは、上辺や建前を取り払った酷く傲慢で、独善的で、利己的なおぞましい現実だけ。

 だからこそ、理想や幻想という夢物語の先に憧れ追いかけ続けた。作って、繕って、蓋をしてばかりだったから、手を伸ばしたくなった。

「なにより、ずっと……ずっと欲しくてしょうがなかったものを、せんぱいはくれました」

 たとえお互いの自己満足だとしても、相手と向き合って、押しつけ合って、それでも求め合えていける相手。また一つ知って、理解して、共有して願い合えていると信じられる存在。

 そして、どんなわたしでもわたしでいることができる唯一の特等席。たった一人しかいない、わたしの心の中の特別枠。

 ――やっと、掴めたんだ。

 絶対、手を離したくない。絶対、失くしたくない。

「だからこそ、わたしが頑張る時は今かなーって」

 何もしないのもできないのも、もう、やめだ。

「……なんとなく言いたいことは伝わった。まぁ、やること思い出したんなら行ってこい。待っててやるから」

 わたしは今、どんな顔をしてるだろう。まぁ、せんぱいの表情を見る限りそんなに悪い感じじゃなさそうかな。

「はい」

 まだいてくれるかなんてわかんないけど。

 でも、今しかできないこと、今ここにしかないものがあるから。

 くるりと身体を翻し、行ってきますと短く告げてその場を離れた。

 残っている二つの問題のうちの一つを、少しでも早く片付けるために。

 

  *  *  *

 

 最終下校時刻まで、あとわずか。

 ここから生徒会室まで歩いて数分もかからないが、ただもう時間がない。西へと落ち始めた太陽が照らす廊下を、全力で駆けていく。

 そうして昇降口へと続く廊下まで着いた時、通りがかりにある生徒会室にはまだ明かりがついているのが見えた。

 ……よしっ。

 一つ、深呼吸。心臓は相変わらずうるさい。けど、確かな安心感もあって。

「おっ、おかえりー」

 扉を開けると、読んでいた本を閉じて陽乃さんが声をかけてきた。時間をつぶしていたのは、わたしが必ずここへ戻ってくるという確信があったからだろうか。

「ただいまです」

 とりあえずはと陽乃さんの横、つまり、さっき逃げ出す寸前まで座っていた椅子を引いて座り直す。

「ずいぶん長い寄り道だったねぇ」

「……ほんと、そう思います」

 自嘲気味にくすりと笑い、窓の外に浮かぶ雲の切れ目へと視線を移す。瞳に映っているのは、隙間を縫って差し込んでくる光。

 いつだって、その明るい光が何度も迷いを晴らしてくれた。

 いつだって、その眩しい光が何度も震える背中を押してくれた。

 いつだって、その温かい光が何度も存在を認めて受け入れてくれた。

 もし今だめだったとしても、これから何度でも、きっと。

 だから、今度こそ、本当に大丈夫。

「はるさん先輩」

 呼び起こしていた記憶から目線を戻し、陽乃さんに向き直る。

「んー?」

「数学、明日からもよろしくです」

 含ませた意味を感じ取ったのか、陽乃さんの肩がぴくりと動く。

「……おや、どういう心境の変化?」

「わたしもがんばんないとなーって思っただけですよ」

 第三者からすれば、大した意味もない言葉の応酬。当事者からすれば、大きな意味を持つ意思表示と意思表明。

「それに……せんぱいが教えてくれましたから。わたしは間違ってなんかなかったって」

 揺らぎのない瞳でしっかり見据えて伝えると、若干の間の後、陽乃さんはおかしそうにくすくす笑い始めた。……えっと、わたし変なこと言ったつもりないんだけど。

「いやー、思ってたより比企谷くん効果絶大だなぁ」

「………………ふぇ?」

 陽乃さんのふわついた言葉に拍子抜けしてしまい、無意識に口から間抜けな声が漏れた。

「いろはちゃんが期待どおりでお姉さん嬉しいぞー」

「……え、えーっと?」

 わたしの理解を置いてけぼりにしたまま、陽乃さんは楽しげにうんうんと頷く。何がなんだかわかんない……。

「最初はなんでこんな子がーなんて思ってたんだけどねぇ……」

 興味深そうにわたしのことをまじまじと眺めながら、陽乃さんが頬杖をついた。

「あ、あのー……」

「ま、しょうがないよねこればっかりは」

「……さっきから一体何の話ですか」

「あ、ごめんごめん。こっちの話だから気にしないで」

「はあ……」

 そう言われるとなんか余計気になるんですけど……。視線で訴えかけてみたが陽乃さんはにこりと微笑むだけで結局何が言いたいのかわからず、話の展開とわたしの理解は差が埋まらない追いかけっこを続けたまま。

 一つ言えるのは、わたしに対する感情が今までと違う、ということくらいか。

「……結局さ、ただ待ってても何かが変わってくれるわけなんてないのよね」

 会話が消え始めた時、つまらなそうに陽乃さんがぼそりと呟いた。切なげで儚さを感じる響きを含ませた言葉は、いくつも思い当たる部分があって納得してしまう。

「変わらないのが嫌だったら、自分で動くしかないんじゃないですかね。わたしが言えたことじゃないですけど……」

 ちゃんと考えて、苦しんで、悩んで、あがいて、最後に動く。他の人にはどう映ってるかなんてわかんないし、それを知る方法なんかもない。でも、わたしはわたしなりに精一杯そうしてきたつもりだから。

「そうだね」

 反撃を覚悟しつつ言ったのだが、陽乃さんは満足げに微笑んだだけだった。……なーんか調子狂わされっぱなしだなぁ。おまけに煙に巻かれた気もするし。

「……っと、もうこんな時間だったか。長居しすぎちゃった」

 腕時計を確認すると、話はおしまいと言うように陽乃さんは鞄を肩にかけて立ち上がった。あーあ、これは明日まで持ち越しかなー……。

「……今日は、ありがとうございました」

 仕方ないかと諦め会釈をし、すっきりとしない気持ちを抱えたままわたしも帰り支度を整え始める。

「あ、そうだいろはちゃん」

「……なんですか?」

 思い出したように言う陽乃さんに一瞬身構えてしまったが、どうやら杞憂だったらしい。視界に飛び込んできた陽乃さんの微笑みは、表も裏も見えなくて。

「いろいろ意地悪しちゃってごめんね?」

 言い添えられた一言に、呆然としてしまう。

「じゃ、また明日ねー」

 ぽかんと口をあけ放心している間に、陽乃さんはばいばーいと手を振って生徒会室を去っていってしまった。

 もしかしなくても、あの人は、たきつけるためだけに……? 理解がようやく追いついた瞬間全身から力が抜けてしまい、がくりと膝から崩れ落ちそうになってしまった。

「………………なんですかそれ。わたし、まるでピエロじゃないですか」

 ため息を吐き、完全にやられたなーと一人自嘲しつつ愚痴をこぼす。すると、ちょうど最終下校時刻になったことを知らせるチャイムが校舎中に鳴り渡った。

 

 そのタイミングは確かな終わりを告げたことを象徴しているようにも感じて、わたしはもう一つだけ吐息を漏らした――。

 

 

 

 

 




UAが20万突破しました!
連載開始当初はここまで伸びるとはまったく思っておらず、のんびりやれたらなー程度の気持ちだったので非常に嬉しく思います。
本編は残すところあとわずかですが、最後まで書ききりますので今後も宜しくお願い申し上げます!


それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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4#10

  *  *  *

 

 窓の外や廊下の遠くから届いていた喧騒はすっかり聞こえなくなり、校舎にはしんとした空気が漂い始める。そんな中、わたしは椅子に座ってぼーっと生徒会室の天井を眺めていた。

 最終下校時刻を過ぎているにもかかわらず、ぽつんと寂しげに明かりのついた生徒会室。それに気づいた見回りの先生がそろそろやってくる頃だというのはわかっているものの、脱力感のせいか立ち上がる気力が未だ沸いてこない。だが、ずっとこのままというわけにもいかないだろう。

 重く感じる身体に鞭を打ち、鞄を肩にかけよいしょと立ち上がる。その直後、扉をこんこんと叩く音。……あちゃー、間に合わなかったか。

「どーぞー」

 怒られないよう居残りしていた理由を頭の中でいくつか繕い声をかけると、開かれた扉から表れたのは見回りの先生なんかじゃなくて。

「……あれ? せんぱい?」

「明かりがついてたからまだいんのかと思ってな」

「もしかして迎えに来てくれたんですか?」

「……まぁ、そんな感じだ」

 がしがしと頭を掻きつつ、目を逸らしつつ。それを見て、わたしの心はふわっと舞い上がる。せんぱい、だいぶ隠さなくなったなー。……わたしも人のこと言えないけど。

「で、終わったのか」

 他に誰もいないことがわかると、せんぱいが確認するように尋ねてきた。

「ええ、まぁ。……意外どころか予想外な形で、でしたけど」

「……そうか」

 深くは聞いてこないその優しさは、やっぱり心地よくて。

「せんぱい、手」

 言い添えたのはたった一言だったが、思惑は伝わったらしい。そろりと差し出された手に自身の指を絡め、つないで、結ぶ。

 二度とほどけてしまわないように。

 絶対にほどけることがないように。

 そんな願いを込めながら、何度も、何度も、握って、包んだ。

「……んな心配しなくてもどこにもいかねぇよ」

「……ばか」

 お互いほんのりと赤く染まった頬で顔を見合わせ、くすりと笑い合う。心がむずむずして、今すぐ抱きついてしまいたい。でも……。

「今は、これで我慢します。まだ全部終わったわけじゃないので」

「……あいよ」

 そうして穏やかな時間を終わらせるように戸締りを済ませ、どちらからともなく歩き出した。歩調は自然と揃っていて、わたしの足音も揺れることはない。

 窓の外には、薄くオレンジ色に滲み始めた空がある。それは普段から目にしている当たり前の景色なのに、今日はいつもより別段と美しく見えた。

 

  *  *  *

 

 翌日の放課後。

 一人でここへ来るのは、四月以来だっただろうか。あの時とは違う緊張を感じながら、とんとんと扉を叩く。

「どうぞ」

 ……よかった、いた。

 伝えたいこと、伝えなきゃいけないことがいっぱいある。頭の中で言葉の整理を済ませてから扉に手をかけ、ゆっくりと開いた。

「こんにちはー」

「……一色さん?」

「……いろはちゃん?」

 中に入ると、すぐに怪訝そうな視線が二つ飛んできた。

「あなた、比企谷くんと一緒じゃなかったの?」

 雪ノ下先輩の質問に、首を大きく横に振る。それもそのはず、今この場にせんぱいはいない。いるわけがない。

「せんぱいには待っててもらってます。わたしの話が終わるまで」

 わたしは今朝、一通のメールをせんぱいに送った。内容は『放課後、生徒会室で。後で必ず行きます』といった要点をまとめただけのもの。

 待ちぼうけを食らわせてしまって、せんぱい、ごめんなさい。でも、わたしのこれからのために大事なことだから。

「……話って、昨日のこと?」

 結衣先輩が俯きがちに、困惑したような表情で呟く。

「はい、わたし、昨日は何も言えませんでしたから。……掘り返すみたいで悪いですけど」

 一旦区切り、胸に手を添え、深呼吸。

 二人に抱えていた後ろめたさとここでお別れするために。

 この先ずっと胸を張ってせんぱいの隣を歩いていけるように。

「今度はわたしのお話も、聞いてもらえませんか?」

 確かな決意を瞳に灯して告げると、雪ノ下先輩と結衣先輩はお互いの顔を見合わせる。ただ、わたしだけは二人をじっと見据えたまま。

「……本当、不思議なものね」

 そこでふと、雪ノ下先輩が虚空へ視線を投げた。その瞳の先に捉えているものは、わたしにも心当たりがある。

「ゆきのん……?」

「何でもないわ。少し思うところがあっただけ……」

 不安の色を帯びた結衣先輩の表情に、雪ノ下先輩は目を伏せ口元に笑みをたたえる。

「一色さん」

 わたしを呼んだ声音は柔らかく、優しく、温かい。

「今度こそ、あなたの答え……聞かせてもらえるかしら?」

 きっとこれ以上似てしまうこともなくて、変な意地を張る必要だってない。だからこそ、迷いのない頷きを返して応えられる。

「……結衣先輩も、聞いてくれますか?」

 何一つ具体的なことを言わずに、避け続けてきた。踏み出すことを恐れて、逃げ続けてきた。だからこそ、その責任を果たさなくてはいけない。

「……わかった」

「ありがとうございます」

 一拍。

 瞼を閉じ、回想の中にある出来事の断片一つ一つを繋いでいく。そして先日目に焼き付けたあの瞬間を重ねながら、覚悟と共に口に乗せて――。

「……わたし、ずっとずるいことしてたんです」

 吐き出した。

 もう、途中下車することはできない。ただ、不思議と気持ちは晴れていて。事前に思考の整理を済ませていたおかげか、引っかかることなく、次の言葉がするすると頭に浮かんでくる。

「最初は、諦めてました」

 あの二人がいるから、あの二人のほうが、なんて言い訳を盾にして、本当の言葉や自分の想いから顔を背けていた。経験からくるひねた価値観から、おぞましい何かだと銘打って、蓋をして、見て見ないふりを繰り返していた。また、そうすることでしか割り切れず、『わたし』を保てなかった。

 そんなものはいらないと願ったはずなのに。あれだけ嫌っていたはずなのに。

「でも、気づいちゃったんです」

 仮面がより分厚くなっていくたび、心の中で咽び泣くわたしもどんどん増えていった。それでも手を差し伸べないまま、同じことを繰り返していた。けど、平塚先生と葉山先輩がきっかけを作ってくれたおかげで、間違っていると気づけた。

 諦めたふりをするくせに諦めきれなくて、理由をこじつけて逃げ道を作っているだけだって。居場所になりたいという虚実で心の表面部分を必死に塗り潰して、羨望と嫉妬、独占欲といった汚い部分を見せたくなかっただけだって。

「そしたら、どうしても欲しくなりました。もっともっと、欲しくなりました」

 何度問い直しても、何回解き直してみても、辿りついた答えは必ず同じだった。わたしがずっと欲しいもの、欲しかったもの、手を伸ばしたくなったもの、手に入れたかったもの、全部。

「強引にアピールして、むちゃくちゃなことばっかり言って、近づいて……いっぱい、いっぱい、甘えました」

 手段を選ばなかった。だって、そうでもしないとわたしには勝ち目がなかったから。

 二人に内緒で連れ出し、こっそりデートしたり。嬉しさのあまり大胆なことしてみたり、新しい世界に踏み込んでみたり。せんぱいと一緒の時間を過ごして、楽しくて、嬉しくて、幸せな気持ちが溢れ出して、心の器からこぼれてしまうくらい一杯に満たされて。

 そのぶん、罪悪感も比例して大きくなり、苛まれた。

「……特に、結衣先輩には恨まれても仕方ないなって思います」

 二人からすれば、甘さも酸っぱさもある果物の甘い部分を、全部わたしに取られてしまったようなものだ。

「でも……」

 一件落着、なんて綺麗な終わり方はきっと無理。

 だったら、後悔しないように。

 わたしの本音を、本当の想いを、残すことなく伝えきって、ここに置いていきたい。

「やっと、振り向いてくれたんです」

 ああ、目の奥が熱くなってきた。でも、最後までまだ伝えきれていないから。

 制服の胸元をぎゅっと握り、こぼれそうになるのをこらえる。

「やっと、応えてくれたんです」

 声は震え始めていて、情けない。

「やっと、手に入ったんです」

 かすれて、泣き出す寸前で。

 でも。

「だから……」

 それでも。

 

 わたしは――。

 

 

 

 

 




次話とアフター編で本編は終わりになります。
ここまで書くのは本当長かったなーとつくづく……。

それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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4#11

本編、最終話です。
先に言っておきますが、伏せた部分はあえて書いてません。


  *  *  *

 

 いつからだろう。わたしが脆くなってしまったのは。

 いつからだろう。わたしが弱くなってしまったのは。

 ただそれは仕方のないことで、きっと悪いことなんかじゃない。

 だったら、一歩さえ踏み出せれば。

 ぼやけ始めた視界を一度袖口でぐしっと拭い、心につかえていたやましさを言葉として繋ぐ。

「……奉仕部のお二人にとって、大切なものを、わたしが……奪わせてもらいます」

 遅すぎる宣戦布告、というよりも、もはや後出しじゃんけんになってしまったけど。

 やっと、伝えられた。

「もちろん手放すつもりはありませんし、誰にも渡したくありません。……ていうか、絶対渡しませんし」

 念のため、忘れ物はないか探してみる。でも、やっぱり胸の中にはもう何も残っていない。

「それだけ言っておこうと思いまして……。お時間取らせて、すいませんでした」

 謝罪と共に深々と頭を下げる。

 雪ノ下先輩も結衣先輩も、何も言わない。

 そうして空白だけが生まれ、流れていく。

「……いろはちゃん」

 居心地の悪い沈黙を破り、結衣先輩が口を開いた。昨日と同じ確かな意思が見て取れる眼差しの奥には、潤んだ瞳と様々な感情を孕んだかたまりがあって。

「そんなに、ヒッキーのこと……好き?」

 そして、震える唇で。今にも壊れてしまいそうな笑顔で。わたしの独りよがりにもかかわらず、結衣先輩は真正面からぶつかってきてくれた。

 だからわたしは、迷うこともない、揺れることもない瞳を向ける。進んだ時計の針が、いまさら巻き戻るはずもないから。

「はい」

「……やっぱり、いろはちゃんならそう言うと思ってた」

 瞬間、結衣先輩の頬に一筋の光る滴が伝う。透き通ったそれは、受け止められるものがないせいで静かに落ちていく。

 わたしには、何も言えない。何もできない。ただ、間違っていたあの時と状況は同じでも、理由は違う。言えるけど、言えない。できるけど、できない。だから今はお互い言葉が尽きるまで、ただただ、身を委ねることにする。

「……実はさ」

 再度静寂に包まれかけた時、優しく、憂いを帯びた声が染み渡った。胸中を吐き出すような響きに唇をきゅっと結び、こちらも傷つけられることに備える。

「あたしもゆきのんも……わかってたの。ヒッキーといろはちゃんの間には、あたしたちじゃもう入り込めない何かがあるって……」

「へ……?」

 だが、次に飛んできたのは予想外の言葉で。思わず素っ頓狂な声が口から浮き出てしまい、視線も雪ノ下先輩と結衣先輩の間を行ったり来たりと忙しくなる。

「あの、それってどういう……?」

 戸惑いながらも尋ねると、結衣先輩は両眉を八の字に垂らしつつ寂しげに紡いでいく。

「最近ヒッキー、昼休みいつもご飯食べてるところにいなかったし……。放課後は放課後で、いろはちゃんのところばっか行くようになってたし……」

「……あー」

 つまり、見て見ないふりをしてくれていた、ということか。なら、そうした理由としては間違いなく。

「わたしにもせんぱいにも言わなかったのは、全部のため、ですか」

「……うん」

 その肯定を受けて、柄にもないことを考えてしまった。

 もし、もしも命運を分けたものが、全部か一つかでしかないとしたら。仮に、運命と呼ばれるものが本当に存在するのなら。それはどこまで残酷で皮肉だらけなのだろう、と。

「……それだけじゃなくてさ、中二……あ、この前いろはちゃんが久しぶりに来た時にいた人、覚えてる?」

「ああ、材木座先輩、ですね」

 頷いて答えると、結衣先輩も首を縦に振る。

「そん時さ、二人にしかわかんないこと言ってて、通じ合ってたというか……。いろはちゃんもなんか、前と雰囲気変わってたし……」

 諦め、失意といった感情をより滲ませ、結衣先輩が微笑む。

「だから、さすがにわかっちゃった」

 空間の中へ溶かすようにそっと言い添えた後、結衣先輩が指先で目元を拭った。はぁと漏らした小さな嗚咽交じりの吐息は、行き先がないまま霧散していく。

「……一つだけ、聞いてもいいかしら?」

 ずっと口を閉ざしていた雪ノ下先輩が、ふと尋ねてきた。

「はい、なんですか?」

「一色さん、あなたは……どうして、踏み出せたの?」

 こんな時、せんぱいならなんて言うだろうか。偉そうなこと言える立場じゃないのは、わかってる。でも、わたしにはその言葉以外何も浮かんでこないから。

「……わたしの場合は、ですけど」

 大切に思うから傷つけるし、傷つく。

 自分を偽っても、きっと後悔することになる。

 平塚先生と葉山先輩が、そう教えてくれた。

 だから、わたしは思うままを口にすればいい。

「間違った後悔を、したくなかったんです」

 しっかり先を見据えた上で、後悔のない選択を。

 惑わされ、本質を見失ってはいけない。

 平塚先生と陽乃さんが、そう教えてくれた。

 だから、わたしは全力で自分を貫いていけばいい。

「そのぶん、いっぱいちゃんと考えて、苦しんで、悩んで、あがいて、動いて……」

 なにより、そんな強引で、むちゃくちゃなわたしを。

 認めて、受け入れて、推してくれた人が、一番近くに、隣にいてくれたから。

「一つのために、全部を捨てました。……それだけです」

 その結果、今のわたしの手には、そばには、心には、ずっと欲しかったものが、ちゃんと。だからもう二度と間違えたくないし、これからは間違えないように。

「……そんなの、やっぱあたしにはできないや」

「あなたは、強いのね……」

「いえ……」

 結衣先輩の力のない声に、雪ノ下先輩の儚げな声に、ゆっくりと首を横に振る。

「わたしは、わたしがしたいと思うことをやってきただけですから」

 変わらないことが嫌なら、自分が動いて変えるしかない。散々道を間違えても、長い寄り道をして遠回りしたとしても、見失ったとしても、最終的な答えさえ間違わなければ、大丈夫。それはこれからも、たぶん、きっと。

「……ありがとう。もう、行きなさい」

 雪ノ下先輩が結衣先輩と顔を見合わせた後、そう言った。凛とした佇まいで、けど、優しい瞳でわたしを見据えて。

「……ヒッキー、待たせてるんでしょ?」

 裏表のない、優しい表情で。けど、確かな芯が通っているような瞳でわたしをまっすぐ見つめながら、結衣先輩が雪ノ下先輩の言葉を継いだ。

「……お二人とも、ありがとうございます」

 もう一度、深々と頭を下げる。

「一色さん」

「いろはちゃん」

 奉仕部の部室の扉へ手をかけた時、二人がわたしを呼んだ。

 その声に振り返ると――。

「また、そのうち」

「またね」

 いつもと変わらない、声で。

 いつもと変わらない、雰囲気で。

 いつだって、わたしの周りには。

 いつだって、わたしの近くには。

「……はい。また、そのうち」

 

 ほんと、かなわないな。

 

 こぼれ落ちてしまう前にと、再び袖口でぐしぐしと拭った。

 

  *  *  *

 

 今度は、生徒会室へと向かって歩みを進める。やがて見えてくる隔たりの先には、わたしが本当に憧れて、追いかけ続けて、ようやく手にした未来がある。

 何十年と残っているわたしの人生のうちの、たった数か月の出来事。なのに、この先これ以上胸がいっぱいになる時間はないとすら思えるくらい、大切な瞬間ばかりだった。

 そしてきっと、次も。

 始まりは、終わりへ。

 終わりは、始まりへ。

 最初と最後を締めくくる扉は、今、目の前に。

「すいません、お待たせしました」

「おお」

「ひゃっはろー、いろはちゃん」

 中に入ると、せんぱいも陽乃さんも本を読んで時間をつぶしていた。……よかった、待っててくれた。

「……おっ。その顔を見る限りは、無事終わらせてきたってことでいいのかな?」

「はい、やることやってきました」

 話し合いというよりも、わたしが本音や想いを一方的にぶつけてきただけなんだけど。ただ、現実は思っていたよりちょっとだけ優しくて、ちょっぴり甘かった。たとえたまたまでも、巡り合わせがよかっただけだとしても、今くらいは。

「だいぶすっきりしたみたいだね、いろはちゃん」

 気持ちの晴れが相当顔に浮かび上がっていたのか、陽乃さんがくすくすと笑う。

「おかげさまで」

「……ああ。やらなきゃいけないことってそういうことか……」

「ですです。わたしだけ内緒のままなのは、やっぱりずるいかなーって思ったので」

 得心がいった、という様子のせんぱいに向けて微笑みを返す。と、そこで一応は聞こうとしていたことを思い出した。

「そういえば、はるさん先輩」

「ん?」

「……ほんとに、よかったんですか?」

 知っている上でこれを聞くのは、野暮だ。でも、悔恨が残るよりかは。

「それは、わたしが決めることじゃないでしょ」

 相変わらず、この人は真実を語ってはくれない。ただ、その一言で多少はわたしが救われた気がした。目の前で楽しげに笑う陽乃さんの姿に、一人胸の中で安堵を噛みしめる。

「……さーて。聞きたいことも聞けたし、今日は一足先に帰ることにしようかな」

 わたしをちらりと見た後、陽乃さんがぱちりと片目を閉じた。……どうやら気を遣ってくれたらしい。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

「お、おい……」

 ぎゅっとせんぱいの腕を引き寄せると、陽乃さんは蠱惑的な笑みと声響を残して生徒会室を出て行った。

 そうして二人きりの空間ができあがり、どちらからともなく向き合う。きっと、今考えていることも、今見ている景色も、まるっきり同じで。

 

 ――奉仕部での決着がついたら。

 

 わたしも、せんぱいも、けじめをつけた。せんぱいの番が終わって、わたしの番になって、今度は、二人の番。

 あの時、言葉と指で結んだ“約束”を果たす時。

 左手に嵌まっている指輪が、形のない“偽物”から、確かな意味のある“本物”へと変わる時。

「せんぱい」

「ん」

「もう一度言います。……お待たせ、しました」

「……ああ」

 わたしは、手を広げた。

 包んで、抱きしめてもらいたくて。

 遠慮がちに添えられた手も、胸元にくっつけた顔も、やっぱり温かくて。

「せんぱい」

 回りくどい言葉は、もういらない。

「大好きです」

 回りくどい伝え方も、もういらない。

「……おう」

 違う。

「……ちゃんと、言ってください」

 たとえ、お互いの思っていることがわかっても。

 たとえ、お互いに思っていることが一緒でも。

「わたしに言葉を、形を、意味を、ちゃんと、ください……」

 やっぱり、わたしは言ってほしいから。

「……ずっとそばにいてくれ。お前が好きだ」

 もっと。

「もう一回……」

 本当は一回じゃなくて、何回も。

 もっと、いっぱい、たくさん。

「好きだ。…………いろは」

 嬉しくて嬉しくて、幸せで幸せで。

 だから、ちょっとだけ背伸びした。

 わたしの言葉も、気持ちも、心も、全部乗せて。

「お……おま……お前、今……」

 すぐ近くには、わたしの大好きな人の、顔。

「せんぱいからも、……して、ほしいです」

 すぐそばには、隣には、わたしの大好きな人の、温もり。

 

「…………」

「…………」

 

 まるで、わたしとせんぱいだけが世界から分断されたような。

 そんな夢心地に浸りながら、わたしとせんぱいは、もう一度、そっと、唇を寄せ合った――。

 

 

 

 

 




本編は、形としてはこれで終わりです。
書きたいことが増え続けて、話数ばかり増えてしまいましたがようやく。
ただ、いざ終わるとなると感慨深く、寂しく思います。

私がたった一言、それを言わせたいがためだけに本編は書き続けてきました。
それでもお読みくださり、お付き合いくださり、応援してくれた方々には、本当に感謝してもしきれません。
残すところ、もう一つの書きたかったことであるアフターのみですが、宜しければあとちょっとだけお付き合い下さると非常に嬉しいです。

ではでは、つい長々と書いてしまいましたが。
本当に、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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最終章 ―続―:またしても、一色いろははその場所を訪れる。
C#01


アフター前編です。


  *  *  *

 

 六月のあの日、わたしとせんぱいは両想いの末に実を結んだ。それから約半年が経った今、わたしはこれまでの出来事を思い返していた。というのも、昨日の夜から今日のデートが待ち遠しすぎて、無駄に早く家を出てしまったからだ。

 こういう時、一緒に住んでたらなー……。冬の寒さがもたらす人恋しさに加え、恋人と過ごしていない空白の時間から、そんなことを考えてしまった。

 最近は、せんぱいの受験が目先に迫っているという理由で、おねだりを自重したりわがままを言うのは我慢したりな日々を送っていた。なので、せんぱいのおうちにお邪魔して一緒に勉強したりとか、一緒に本を読んだりしてまったりぐだぐだ過ごしたりはちょくちょくあったけど、こうやって二人でお出かけするのはほんと久々だったり。

 うーん、やっぱり大人になったら二人で一緒に暮らすことにしてー……あ、だったらせんぱいのことはやっぱり名前で呼びたいかな。

 せんぱいはわたしのことを『いろは』って呼んでくれるようになったけど、わたしはまだ『せんぱい』呼びのまま。一度呼んでみた時、どうにもくすぐったいだとか恥ずかしいだとかで、やめてくれってお断りされて仕方なく。

 あ、そうそうそれで、わたしがせんぱいの帰りをご飯作りながら待ってー、ご飯食べた後はまったりしてからできる限りいちゃいちゃしてー、寝る時は一緒のベッドでおやすみのキスしてー、みたいな。なにその生活わたし幸せすぎて死んじゃう。

 

 ……はっ! いけないいけない、ここ外なのにまたにやけちゃった。にへらと緩みきった顔を戻すついでに、身だしなみのチェックや今日のコーデの見直しを図る。

 上は襟元に白いファーの付いた淡いピンクのポンチョコート、その中には白ニット。下はやや明るいブラウンのショートパンツ、黒タイツと同系色のショートブーツ……うん、大丈夫、いつもどおり。

「ていうか、やっぱ寒っ……」

 十二月にもなればさすがに風は冷たく、朝という時間帯や今いる場所が臨海部というのもあって余計に寒い。はぁと白くぼやけた吐息を漏らし、少しでも暖をとろうと身体を丸めて着ているコートのファーに顔を埋めた。

 早くせんぱいに抱きつきたい。抱きかかえられるようにハグされたい。全身まるごとぎゅーって包まれたい。

 わたしは、自分で思っていたより遥かに甘えんぼだったらしく。雪ノ下先輩や結衣先輩とちゃんと向き合って後ろめたい気持ちがなくなったせいか、遠慮も容赦もなくせんぱいにべたべた甘えるようになってしまった。……ただまぁ、調子にのりすぎて叱られちゃったりするのがしょっちゅうだけど。

 でも、叱られたせいでわたしがしゅーんと泣きそうになっていると、せんぱいは照れくさそうに抱きしめてくれる。わたしの頭をぐっと胸元に押しつけて、頭を撫でてくれる。その手つきはすごーく優しくて、わたしはほっぺたがすぐゆるゆるになっちゃう。そんな抱きかかえられるようなハグがわたしはとっても大好きで、思い出すだけで両手をぺたぺたとほっぺたにくっつけてあうあう悶絶しちゃったり、一人できゃーきゃー騒ぎながらベットの上を何往復もごろごろ転げまわったりしちゃうくらい。

 

 ……はっ! あぶないあぶない、前は想像に入り込みすぎて興奮のあまり鼻血まで垂らしちゃったことあったし、ほんと気をつけないと。

 そろそろ結構な時間が経ってくれたかなと、駅内の吊り時計に目を向けてみる。だが、待ち合わせ時刻に決めた午前九時まではあと三十分近くも残っていて。あの人のことだから遅刻はしてこないとしても、少なくともあと十分くらいは待つ必要があった。

「まだかぁ……。せんぱい、はやくはやくー……」

 ふにゃふにゃにとろけてしまったほっぺたをむにむにと両手で引っ張って戻しつつ、時計の針をじーっと凝視する。ゆっくりと回り続ける分針が、非常にのろく感じてまどろっこしい。秒針と同じくらい……や、もっと早く回ってくれたらいいのに。

 それでも一分、また一分と緩やかなペースで縮まっていく時間と距離。次第にわたしの心と身体はむずむず、うずうず、そわそわと、どんどん落ち着かなくなっていく。

 

 あともうちょっとで、大好きな人にまた会える。

 あともうちょっとで、大好きな人にまた触れられる。

 

 たったそれだけの出来事なのに、わたしの全てがどうしようもなく高揚して。自分でもわかるくらい、表情もきらきらと華やいでいって。

 だからこそ、ごちゃごちゃした人波の中でも。

 気だるげに歩く恋人の姿は、簡単に見つけることができた。

 その瞬間、わたしの笑顔はぱあっといっそう大きく輝き――。

「せんぱぁ~い!」

 無意識に、全力の甘え声が出てしまう。その後すぐに上機嫌でぱたぱた駆け寄っていくと、せんぱいがかくんと肩を落とす。

「……だからなんでお前はいつもでけぇ声で呼ぶんだよ」

「てやっ!」

 注目を浴びた恥ずかしさのせいで、せんぱいが深々としたため息を吐く。わたしはそんなの気にも留めず、がばっと抱きつく。

「むふー……あったかーい……」

「……あのな、いろは」

「はい、せんぱい」

「毎回毎回ほんと恥ずかしいからやめて」

「んー……」

「おい、聞けよ」

「あうっ」

 抱きつきからすりすりへシフトした段階でぺしっとおでこを軽く叩かれ、仕方なく、しぶしぶ離れる。

「……別に、ちょっとくらい」

「ちょっとじゃ済まねぇだろお前の場合」

「むー……」

 不満ですよ拗ねてますよアピールするために、唇を突き出してぷっくりと頬を膨らませる。すると、何を思ったのか、せんぱいがわたしの顔めがけて指を伸ばしてきた。直後、口から押し出された空気がぷしゅっと間抜けな音を立てる。

 一瞬ぽかんとしてしまったが、理解と共に顔の熱も増していく。

「……な、何するんですかー!」

「い、いや、なんとなくやってみたくなったから、つい……」

 うがーっと口を開け目を剥いたわたしを見て、せんぱいがおかしそうにくっくっと笑いをかみ殺す。その状況に余計羞恥心を煽られ、恥ずかしさを誤魔化すために恋人の肩を何度もぺしぺしと叩く。

 せんぱいが笑いを納めた後もむすーっといじけていると、頭にぽんと手が置かれた。

「……悪かった。機嫌直してくれ」

 よしよしと優しく撫でさすられ、思わず顔が緩んでしまいそうになる。ううっ、そ、そのくらいじゃ乙女の顔を弄んだこと、ゆ、許しません、から……。

「……えへへー」

 はい、だめでしたー。どうにもわたしはせんぱい相手だとめちゃくちゃチョロくなっちゃうみたいです。いやまぁとっくに知ってたけど。

 うっとりと目を細めて頭をこすりつけていると、機嫌が戻ったと判断したのか、せんぱいが動かしていた手をぴたりと止めた。

 ……物足りない。

「んで、どうすんだ?」

「もっといっぱい撫でてほしいですー」

「俺が聞きたかったのはお前の願望じゃねぇよ……」

「だってー……」

 つーんとそっぽを向き、懲りもせずほっぺたに空気を含ませる。ただ、わたしの指先はせんぱいの衣服をちょこんとつまんでいて。

 何回、何十回、何百回としてきたこと。甘えたい、甘えさせてほしいとは少し違う、新しく生まれたサイン。端的に言えば、もっとかまってほしい、もっと甘やかしてほしいという合図。

 当然、わたしの恋人もそのシグナルはわかっていて。

「はいはい、わかりましたよ……」

 やれやれといった様子で、せんぱいが再びわたしの頭に手を置く。わたしは目を閉じ、せんぱいの胸元におでこをこつんと置く。

 くしゃくしゃ。

 わしゃわしゃ。

「んふー……」

 表情をとろけさせて心地よさげな吐息を漏らすと、ふっと笑った声が頭の上から降ってきた。その呆れ交じりではあるものの満更でもなさそうな声が、いつも心をふわふわとさせてくれる。じんわりと広がっていく温もりが、いつも心をぽかぽかとさせてくれる。

 ほんとでれでれだなー、わたし。そんな今の自分がせんぱいの次に大好きだけど。

「……満足したか?」

「もうちょっ……あっ、いえ、ありがとです」

 ……っと、うっかりいつもみたいに甘えちゃうところだった。今日のデートはかなり時間制限きついし、急がないと。

「ん、おお。で、どうすんの?」

「とりあえず、駅、出ましょっか」

「はいよ。っつーか、先にそうして欲しかったんだが」

「まぁまぁ、いいじゃないですかー」

「……そうだな、いつものことだもんな」

「ですです!」

「……ま、行くか」

「はいっ」

 かつっとヒールを鳴らし、せんぱいの左に並んで歩き出す。すると、ごくごく自然にお互いの腕が交差して、右手と左手が重なり合った。

 だから、絡めた腕や指も、つないだ手も、結んだ想いも。

 同じように、いつまでも、きっと――。

 

  *  *  *

 

 冬場のディスティニィーランド、ということもあって、入場待ちの列は長蛇の大混雑だった。列自体はぞろぞろと動いてはいるものの、前後左右どこを見ても人、人、人。

 予想してはいたが、いざ目の当たりにするとため息をこぼしてしまった。それは隣に並ぶわたしの恋人も同じらしく、続いて似たような息を吐く。……前売りのチケット、買っといてよかった。

「ここは相変わらずだな……」

「ですねー……」

 四方八方に広がる人の姿と喧騒にお互い苦笑しつつ、チケットをパスに引き換えてエントランスゲートを抜ける。

 さて、今年は一体どんな感じだろう。そんな期待に胸をわくわくとさせ、広場に足を踏み入れた直後のこと。

「ほわぁ……」

「おお、すげぇな今年も」

 視界に飛び込んできた風景に、思わず感嘆の声が漏れた。

 門から覗く正面には、巨大なクリスマスツリーとイルミネーション。そして、西洋風の建物が並ぶメインストリートの背景にそびえ立つ白亜の城。

 映画の中にいるような、光景。去年も確かに見たはずの、情景。なのに、今のわたしにはまるっきり違う景色にすら映って。

 ――なら、その理由としては、間違いなく。

「どした」

「いーえ、なんでもっ!」

 横でぼけっとツリーを見上げる恋人に、にこりと微笑む。すると、不意にくしゃっと髪を撫でられた。一瞬驚いてしまったが、すぐにふにゃんと顔が緩んだ。

「ふへへ、どうしたんですかー」

「なんとなくな、なんとなく……」

 すっごい愛されてるなぁ、わたし。喜びのあまり、つないでいる手をぶらんぶらん前後に揺らしてしまった。

「……あ、そうだ」

 ぶら下げた赤いポシェットから携帯を取り出すと、せんぱいがああと小さく呟いた。どうやら意図を察してくれたらしい。

 一番最初にデートした時、あんなに嫌がってたのになー……。恋人の“変化”を実感するたび、ついつい遠くなった思い出の中の姿や言動と比べてしまう。

「すいませーん、カメラ、お願いしてもいいですかー?」

 ぱっと手を上げ近くにいたスタッフに呼びかけると快く応じてくれたので、ツリーや背景をバックに何枚かぱしゃり。

 撮ってもらった写真の映り具合などを確認した瞬間は、毎回必ず幸福感に満ちた笑みがこぼれてしまう。

 携帯の画面には、恥ずかしげもなくせんぱいにくっつくキメ顔のわたしと、ちょっぴり顔は赤いけど普段と変わらない様子でぬぼーっと立っているせんぱいの姿が映っていて。

「ありがとうございますー!」

 スタッフにお礼を言った後、撮った写真を見せるため駆け戻る。

「思い出には残せたか」

「はい、ばっちりです。ほら、どうですかー?」

「いんじゃねぇの。知らんけど」

「じゃあ後でせんぱいの携帯にも送りますから、ちゃんと保存してくださいね」

「ああ」

「それにしても、今回はいい感じに目が死んで……」

「おいこら」

「ひゃう」

 ほんのいたずら心で言ったら、右のほっぺたをむにっとつままれた。……今回はわたしが先に仕掛けたから文句言えない。でも、これがせんぱいの愛情表現だって考えたら心底喜んじゃう自分もいたりして。

 ということは、つまり。

「うー……」

「なんで涙目でにやけてんのお前……」

 自然と、せんぱいの言ったような顔になっちゃうわけで。

 ……わたし、案外その気があるのかもしれない。実際にそういうことした経験はないからわかんないけど、もしかしたら。

「でもでも、せんぱいにならされてもいいかなぁって……えへへ……」

「何の話だよ……」

「……あっ、な、なんでもないです!」

 うっかり心の声が口から漏れ出ていたらしく、わたわたっと手を振って誤魔化した。……なんていうか、最近のわたしは想像の方向性がいろいろ間違っている気しかしない。

 しらっとした目つきでこちらを見ているせんぱいへ、こほん、と取り繕いの咳払い。そして、恋人の手をくいっと引いて促した。

「次、行きましょ、せんぱい。時間、なくなっちゃう前に」

「……だな」

 

 楽しい時間は、あっという間に過ぎていってしまう。それは、お互いにちゃんと知っていて、理解していること。

 だからこそ、精一杯笑って、楽しむんだ。

 幸せを感じる瞬間や、幸福で満たされる時間を、その都度、噛みしめるために――。

 

 

 

 

 




少し間が空いてしまいましたが、アフター前半でした。
それと、この場をお借りして伝えたいことがいくつかございまして。

本編最終話を投稿した際、皆様から温かいコメントを沢山頂けて本当に嬉しかったです。
それに加えて、感想つきの投票をしてくださった方も多数いらっしゃいまして、本当書いててよかったなと心底思いました。
残すは後編のみでございますが、こちらも最後までお付き合いくださると幸いです!


それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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C#02

  *  *  *

 

 あらかじめ決めておいたコース通りに、各アトラクションを巡っていく。わたしのせいで若干ぐだついてしまったものの、それでも今のところは順調に回ってこれた。そうして今、さてさて次はとスペースユニバースマウンテンの待機列目指し、二人並んでとてとてだらだらと歩いている。

「なんか、懐かしいな」

 あちこちから聞こえてくる談笑の中に、ぽつりと聞き慣れた呟き声が交ざった。感慨に耽るような口ぶりに釣られ、わたしの口元にもうっすらとした笑みが宿る。

「今年は恋人として、ですけどね。去年と違って」

「当時の俺にそれを言ったところで、間違いなく信じないだろうな……」

「そんなの、私も同じですよ。絶対ないないって否定すると思いますもん」

 わたしは、せんぱいと。

 せんぱいは、わたしと。

 お互いに想像もつかなかった現在の状況に、二人揃って改めて微笑を漏らした。

 ただ、つないだ手から伝わってくるじんわりとした温もりは、確かな感触と共にある、まぎれもない“本物”で。

「……ん」

「なんか今日はやけに甘えてくんな、お前」

 絡めた指を何度もにぎにぎと動かしていると、せんぱいは困ったような顔をする。けど、その口元はかすかに綻んでいて。

 ……時間、まだ余裕あるし、もっと甘えちゃおっかな。

「せんぱぁ~い」

「なんだよ」

「んっ……」

「待てや」

「はうっ」

 目をつぶってキスのおねだりをしたら、おでこをぐいっと押されてしまった。

「……だからなんでそうなるんですかー」

「いやそれ、俺のセリフだから……」

「別に減るもんじゃないのに……」

「減るわ。主に俺の精神力がごっそり減るわ」

「そこはほら、わたしへの愛でなんとか」

「ならん」

「ぶー……」

 ほっぺたに空気を溜め込んでむくれてみたものの、むくれてもだめと言いたげに首を横に振られてしまった。

 ……よっきゅうふまーん。

「はぁ……」

「……せんぱぁい」

「…………」

「ううー……」

「……いろは」

「はいっ!」

「我慢しなさい」

「ふえぇ……」

 鬼! 悪魔! わたしが今どんだけ甘えたくなってるか知ってるくせにー! そんな意味を込めつつ甘えたいオーラを全開にして、瞳をうるうるとさせる。

 そのままじーっと見つめながら、つないだ手をくいくい引いていると。

「………………せめてもうちょい後でにしてくれ」

 数秒の空白の後、せんぱいがため息交じりに一言付け加えた。それを聞いたわたしは一気にテンションが跳ね上がり、ずいっと顔を近づける。

「ほんとですか? 約束ですよ? 絶対ですよ?」

「わかった、わかったから……」

 一転して目をきらきらと輝かせているわたしを、せんぱいが呆れ交じりに右手で制す。その普段と変わらない優しさが、いつだって安心させてくれる。これから先も壊れないと信じられる当たり前が、いつだって喜びで満たしてくれる。

 ――そして。

「……ったく。ほんと、しょうがないやつだな」

 そんなわたしを見たせんぱいは、いつだって優しく微笑みかけてくれる。

 だからわたしは、いつだって全開の笑顔でいることができる。

「えへへ……。はい、わたし、しょうがないやつですー……」

 ……よしっ! スペマン乗った後はいっぱい甘えて、いっぱいぎゅーってしてもらって、いっぱいキスもしてもらっちゃおーっと!

 

  *  *  *

 

 ……そう考えていた時期がわたしにもありました。

「うえ……」

「ほんと大丈夫か、お前……」

 ふらふらとする足元を必死に支えながら、なんとかスペマンを降りる。高速でぐるんぐるんぶん回され、今はハグとかキスどころじゃないどうもわたしです。

 ……何これやばい。ていうか今日に限ってなんでこんな。

「せんぱい……わりとガチで介抱してください……」

「とりあえず、そこまで歩けるか?」

「はいー……」

 促され、出口付近に設置されているベンチに二人横並びで腰を降ろす。あー……おねだりのタイミング完全にしくっちゃったなぁ。

「んじゃ、なんか飲み物買ってくっから待ってろ」

 その言葉を聞き、心がざわついた。……せんぱいが、離れちゃう?

 いてもたってもいられなくなり、立ち上がろうと再び足に力を込める。

「あ、わたしも一緒に行きます……」

「いいから休んどけ。すぐ戻るから」

「……やだ」

 拗ねた口調で言って、左手でせんぱいの左肩をぎゅっと掴んだ。今日は、今日だけはちょっとでも離れたくない。ずっと隣でぴったりくっついてたい。

「いや、お前……」

「やだ」

 駄々っ子みたいに同じ言葉を繰り返していると、一体どうしたとせんぱいがわたしの顔を覗き込んできた。

 本気で心配する顔にはっとして、急いで首をふるふると左右に動かす。

「……あ、えっと、その、ちょっと休めば大丈夫になると思うので」

 一旦そこで言葉を区切り、今度は寄りかかるようにしてせんぱいの左肩にこてんと頭を乗せた。

「だから、このままがいい……」

「……はいよ」

 おねだりした挙句、わがままも言いたい放題。なのに、毎回毎回ちゃんと受け止めてくれる。一つ残らず受け入れてくれる。

 やっぱり、せんぱいはあったかいなぁ……。

 そう思った瞬間、胸の奥がきゅんきゅんしてきて、そこからくすぐったい温かさが滲み出してきて。

 こんな、ありきたりなやりとりが。

 こんな、ありふれた時間と日常が。 

 

 ――ほんと、幸せ。

 心にも身体にも染み渡っていく感情に、ただただ、目を閉じて、浸った。 

 

 

  *  *  *

 

 夢は、いつか醒めてしまうもの。必ず、醒めてしまうもの。

 それを象徴するように。また、物語るように。

 ゆっくりと、確実に、眩しく輝く太陽は、夢の国の遥か向こうに落ちていく。

 ただ、もし、もしも。

 お互いが、お互いに、その続きをと願うなら。

 それは、たぶん、きっと――。

 

  *  *  *

 

 朝からずっと心配していた空の機嫌は終始よく、風は冷たいものの、これといって強いわけではない。なので、パレード後の花火は予定どおり決行されるのだろう。未だ流れてこない中止アナウンスにほっと一安心して、今度はスプライドマウンテンのあるゾーンへ足を運ぶ。

「待ち時間、少ないといいですねー」

「……そうだな」

 他の大半の利用客は、パレードのために白亜城前の広場に移動し始めている。ただ、それでもアトラクション待ちは数十分から一時間近くかかるのが当たり前だ。つまり、移動を含めた混み具合によってはパレードに間に合わない可能性が出てくる。幸いなのは、広場にはまだ進路確保のためのロープは張られていないこと。

 ……お願い、どうか間に合って。心の中で縋るように祈り、ちょっとだけ歩調を速める。

「なぁ」

 やっとの思いでスプライドマウンテンの待機列に着くと、複雑そうな表情でせんぱいが声をかけてきた。

「はい、なんですか?」

「お前、どうして去年と同じ回り方にしたの」

「……さすがに、気づいちゃいますよね」

「そりゃルートまでまるっきり同じなんだから、逆に気づかんほうがおかしいだろ」

 広場で記念写真を撮った後は、カリブの海賊王に乗り、そのままブラックサンダーマウンテンのファストパスを取る。次はトゥモローネバーゾーン、ファンタジーゾーンと回っていき、合間合間に休憩をとりつつぶらつく。その後はいくつかの手頃なアトラクションを楽しみながらスプライドマウンテンへ向かい、最後はパレードで締めくくる。

 これが、わたしの考えてきた今日のコース。間違えるはずもない、去年とまったく同じ回り方。

「……今は何も言わずに付き合ってもらえませんか?」

「まぁ、いいけどよ」

「……ありがとです、せんぱい」

 これは、わたしの身勝手なわがままだ。

 どうしてそんなことに拘っているのか、なんて聞かれても、そうしたいからとしか言いようがない。

 けど、大切な瞬間がそこにあるから。

 だから、わたしは。

 

  *  *  *

 

 スプライドマウンテンを出た後は、パレードを見るために迂回して広場へ戻る。アトラクションを楽しんでいる間に結構な時間が経っていたので、間違いなくロープは張られてしまっているだろう。なので、人混みをかき分けつつ進むしかない。

 はぐれないように、恋人の手をぎゅっと握る。

「行きましょ」

「……おう」

 ディスティニィーランドの夜景を写真に収めるためにカメラを構える人や、パレード前の談笑に花を咲かせながら歩く人、そういった人たちが不規則に立ち止まるせいで案の定思ったように動けない。それでもと隙間を縫って、目的地である白亜の城前になんとか辿り着く。

「ふー……。ちょっと疲れちゃいましたね」

「さすがにな……」

 ちょくちょく休憩を挟んでいたとはいえ、立ちっぱなし歩きっぱなしが続いた後にこれじゃ疲労は隠せない。だが、へばっていられる時間はない。

 すーはーと深呼吸して、一拍。

「……せんぱい」

「ん?」

「わたし、今日、どうしてもここに来たかったんです」

 ぽつりとこぼすように言った直後、辺り一帯に機械音声のアナウンスが響き渡った。

 それは、パレード開始の合図。

 ただ、わたしにとっては、また一つ大人になるための、始まり。

「確かめたいことがあって……」

 聴き慣れた音楽が流れ始めると、周りからはわーわーと感嘆の声が上がった。けど、わたしは観衆に混じることなく、煌びやかなパレードを眺めながら静かに独白を続ける。

「せんぱいと付き合い始めてから、ずっと思ってました」

 ディスティニィーランドのマスコットキャラたち登場し、パレードを盛り上げていく。雰囲気に比例するように、わたしもまた別の高揚感が込み上げていった。

「去年とまったく同じ景色をせんぱいと一緒に見たら、わたしにはどう映るんだろうって……」

「……いろは?」

 わたしの様子の変化を感じ取り、せんぱいが心配そうに顔を覗き込んでくる。別に心配させたいわけでも、悲しませたいわけでもない。

 だから、わたしはかぶりを振って微笑みを返す。

「後ろからでいいので、ぎゅーってしててくれませんか?」

 つないでいた手を一度離し、半歩、距離を横に詰めた。

 返ってきた言葉は、ない。

 代わりに、優しい温もりが、そっと、わたしを包んだ。

「……やっぱり、全然違ったなぁ」

 去年見たイルミネーションは、ただ眩しくて、ただ綺麗なだけで。

 でも、今、目の前で輝いている光の波は、とても眩しくて、酷く綺麗で。

 去年感じた熱は、温かいはずなのに、どこか冷たくて。

 でも、今、感じている温もりは、誰よりも温かくて、なによりも優しくて。

 だから、それがわたしの答えなのだろう。

 交差している恋人の両手の上に、わたしは自分の両手を重ね合わせた。

 お互いに、何も言わない。

 そうしたまま、賑やかな時間の中で、穏やかな時間がゆっくりと流れていく。

 

 すると、打ち上がる音と共に、夜空には光輪の花が咲き始めた。色とりどりの光に照らされながら、わたしはくるりと後ろを振り向く。 

 クリスマスイブのディスティニィーランド、パレード後の花火、白亜城の前、作られた二人きりの時間。

 遠くて近い、過去と現在。結ばれなかった想いは、形を変えて。

「せんぱい」

「ん?」

 まるっきり、同じシチュエーション。

 けど、今抱いているこの気持ちは、あの時とは違う、確かな“本物”で。

 そして、わたしを愛おしそうに見つめる瞳が、聞くまでもなく、せんぱいの答えなのだろう。

 ――だから。

「大好きです……愛してます……」

 もう、何度目かわからない、背伸び。

 でも、いつだって、わたしの言葉も、気持ちも、心も、全部乗せて。

 すぐ近くには、わたしの最愛の人の、顔。

 すぐそばには、隣には、わたしの最愛の人の、温もり。

「せんぱいは、どうですか?」

「……いろは」

「はい」

「……俺も、大好きだ。愛してる」

「えへへ……。わたし、やっぱり、超幸せ者です……」

 

 祝福するように光の雨が降り注ぐ中。

 この瞬間、この時間を。

 世界から、切り取って。

 わたしとせんぱいは。

 そっと、抱き寄せ合ったまま。

 そっと、唇を寄せ合ったまま。

 もう一度、お互いの想いを確かめ合った――。

 

 最初は、存在を認識できないくらいどうでもいい人だったのに。

 けど、いろいろな出来事を経て、今じゃわたしにとってかけがえのない人になった。

 それは、間違いなく、この先も変わることがないだろう。

 だって、わたしが心から“本物”だと思えるのは、信じれるのは、ただ一人、たった一人だけ。

 

 だから、せんぱい。

 

 ――わたしをこんなにした責任、とってくださいね。

 

 

 

 

 




甘い話を書くつもりが、結局いつもの。
というよりも、書きたかったことへ繋げるためにやむを得ずという感じです。
なので、終始甘い話が続くと期待していた方には申し訳なく思います。

そして、本編、アフター合わせて本作品はこれで本当の完結となります。
連載を開始して約半年、ようやく終わりを迎えることが出来ました。

頭を悩ませながら文字を捻り出して、繰り返して、積み上げた結果、合計50話にもなるシリーズとなってしまいました。
それにもかかわらず、貴重なお時間を割いてお読みくださり、感想や応援のコメントを下さった皆様のおかげで成り立ってきた作品だと私は思っております。

上記も併せて、前も同じようなことを書かせて頂きましたがもう一度。
本当に、本当に、ここまでお読みくださりありがとうございました!

またどこかでお会いしましょう! それではー!


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