バイト戦士なんだが、バイトしてたら初恋の子に会った。 (入江末吉)
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再会編
フリーターなんだがバイトしてたら初恋の子に会った。


「いらっしゃいませー」

 

気の無い言葉で名前も知らない客を出迎える。客も俺のことは気にせず店内で自由にする。ATMでお金を下ろしてそれだけだったり、そのままお弁当コーナーを見ていったり、中にはトイレを借りに駆け込んでくる客も。

あくびをかみ殺し、俺は時計を気にする。腕時計の針は確実に時を刻んで、短い針はもうすぐ夕方の5時を指そうとしている。

 

「おい、そろそろ上がっていいぞ」

「あざっす、お疲れっした」

 

本当に疲れた、コンビニのバイトは夕方にするもんじゃない。比較的に自由時間と変わらない深夜のシフトが1番だ。酔っ払いの客は来るけど、そんなの忙しさに比べれば実際大したこと無い。今日に関してはシフトを変わってくれと頼まれたのだ。その代わり今度深夜シフトを頂けるので、断る理由は特に無い。働けば給料になるのだ。

ロッカーの荷物を取り出して制服を鞄に詰めると、俺は急いで店を出た。店長と挨拶を交わすと愛用のママチャリに跨って、しばらく走る。

 

今度のバイト先はスーパーだ。街1番ではなく、商店街から離れた住宅街のおば様たちに愛用されているスーパーは夕方の混み様が凄まじい。夏や冬の祭典ほどではないが、とにかく夕方は混む。

 

「らっしゃっせー、お預かりしあーい」

 

もはや早口で客をぎこちない笑みで迎える。スマホを弄る客、財布の中を確認しておどおどする客、会計済ませたあとレジ袋が必要だろうにせっかちに作荷台まで持っていき、袋が入ってねーぞと逆上気味の神様。正直神様ならもう俺の願い事を叶えてほしい、2度と来るな。駄菓子を買っていき、可愛いがま口の財布から小銭を出す小さくて可愛い女の子の「ありがとう」に癒されて次のお客さんにだけ120%の笑顔を振りまく。

 

決してロリコンではない、小さな子供が好きなだけだ。

 

「袋ご利用なさいますかー。はいエコバッグ持参ですね、ポイントカードお持ちですかー」

 

客の出したくしゃくしゃの紙製ポイントカードにスタンプを2個押す。それだけでおばちゃんは明日もエコを心掛ける。俺がバイトしてて楽しいのは作った明るめの声でポイントカードの説明をすることだが、まぁそれはどうでもいい。常連ならみんな知ってるし、そういうのを集めてまで値引きしようとする人間は稀有だからだ。

 

そうやって、ほぼ惰性で右から来る客を左へ受け流す作業を繰り返し時計の針がここへ来たときから2時間ぐらい進んだ頃だった。

俺はポイントカードの説明をするのが楽しいと言った、しかしそれ以上に楽しいのは美人ウォッチだ。他のレジに入った美人、もしくは自分のレジに入ってきた客を品定めするように眺め回すのがまた密かな楽しみ。

 

あの女の人、美人だな~ただ脚は丸太のように太いな、とか。

 

うわぁあの人おっぱい大きいなって思ったら、尊顔はおじさんだな、とか。

 

なんだよあの露出高い服誘ってんのかよ、彼氏持ちかよ滅びろ、とか。

 

いろんなことを思いながら、通り過ぎていく女の人を観察していく。稀に神がおまかせじゃなくてちゃんとキャラエディットしただろ、ってくらい美人やイケメンがやってくる。特に長身イケメンがやってくるたび、チビガリの俺はそれなりに劣等感を感じてお弁当の箸を抜いておくとか、そこそこ問題に発展しそうだけどやらずにはいられない嫌がらせに駆られる。

反面、美麗な女性客がやってくると笑顔120%増し、声の可愛さメーター振り切り(当社比)で接客させてもらう。しかし悲しいかな、やはりそういう美女はだいたい唾付きでスマートフォンの向こうの彼氏や2次元の旦那に夢中、俺なんかは目に留まらない。

 

「あっとうざいやしたー、またのお越しお待ちしておりやーす」

 

なんかもうそろそろ寿司屋に転職狙えるくらいまで挨拶が板前らしくなり始めた。というのも、時間が時間になりタイムセールというお弁当やお惣菜が安いまま数個パックで買える時間帯になり、寿司や海鮮丼が飛ぶように売れていくから、自然に気分は寿司屋になる。

 

「お客さん減ってきたし、そのお客さん終わったらレジ上げていいよ」

「あざっすなっす」

 

ついに日本語じゃなくなってきた、まぁ本日最後のお客さんだし120%120円の笑顔で接客しよう。

 

「らっしゃ……いらっしゃいませ、こんばんは」

 

そう思っていた矢先だった。閉められたレジに飛び込んできていたお客さん(恐らく姉妹)は2人の籠をテーブルへ置いていく。しかし、俺はしばらく固まったままだった。

まるで女神だ、顔立ちスタイル、程好し。凹凸に欠けるがしかし何よりも笑顔が素敵。天使だ……なぜ降格したし。

 

「もうお姉ちゃんお菓子買いすぎだよ」

「ごめーん、つい手が止まらなくって」

 

聴いたことのある声だなぁ、なんて思った。地元の人ならここのスーパーは愛用するだろうし、何度か訪れていたのかもしれない。けどそれなら俺が忘れるわけが無い。

別名美人スカウターの俺が、ここまで心奪われる美人……いや美少女姉妹を忘れるわけが無い。もう一度言う、何度だって言う。こんな美少女姉妹を俺が忘れるわけが無い。

 

「……」

 

値段の読み上げが出来ない、口を開いたら声が裏返りそうだから。美少女姉妹はお互いの財布の中身を確認したりして、あれこれ言い合っている。

 

「こっ、ンンッ……こちらの商品テープでよろしいですか?」

「はい、お願いします」

「あ、じゃあじゃあこっちもテープでお願いしま~す」

 

ボールペンと、サンドイッチ。ボールペンを妹の方へ手渡す。

 

そして姉のほうへ、パンを渡した瞬間。

 

身体が既視感を覚える。前にも、こうやって誰かにこうやって物を手渡したことがある気がする、ってそれは当たり前だ。レジやってれば商品の手渡しくらい1日何度も経験する。

 

「お饅頭……」

 

デジャヴの奥で見つけた単語をつい口にしていた。すると姉妹は揃って俺のほうを見た。後ろのレジは空きなので、後ろにいる人を見ているわけではなさそうだった。

しかし気のせいだと思ったのか、2人してニコニコと笑みを浮かべていた。それにしても可愛いなぁ……

 

「お団子……」

 

そうだ、串。団子の串の感覚がやけに懐かしい、あれは家の近くの和菓子屋だったか。あそこのお饅頭、お団子、何もかもが美味しかった。確か小学生の頃の同級生の実家で。

 

……その子は俺の初恋なわけで。

 

「なんだっけ、穂むらだっけ」

 

ついうっかり、独り言を漏らす。ボーっとしてると自分が歌っていることにも気付かないことがあるけど、このタイミングで独り言はまずい。

しかし、またしても姉妹は顔を見合わせてブツブツ唱えながら商品を籠から籠へ移動させ、籠を変えて姉の方のお菓子類が入っている籠の商品のバーコードを通していく。

 

「うちが、なにか?」

「はい?」

 

そのときだった。妹の方が首を傾げた。はて、なんと? うち? 内? 中? 家? …………家!?

 

「穂むらは私たちの実家ですよ?」

「は、ははは……そんなバカな、じゃあ何か君は……君は自分が高坂雪穂だって言うのかい」

「はい、高坂雪穂です」

 

カーン、バットの芯に当たったボールはセンターの頭を越えてスタンドへ入っていく。ピッチャー俺、唖然とする。

 

「へ、へへへ……じゃあ何か、そこに御座しますのは高坂穂乃果さんだって言うのかい……?」

「あ、穂乃果のこと知ってるの? 初めまして、高坂穂乃果です!」

 

初めまして、ホームランボールが、バッターの手から飛んできたバットが同時に頭に当たったかのような衝撃。たった6文字が俺の頭を激しく揺らす。

するとコウサカユキホと名乗る少女は自称高坂穂乃果に対して、口を膨らませて言った。

 

「初めまして、じゃないよ~。何度もうちに来てくれたし、お姉ちゃん同級生だったじゃん」

「へ?」

 

自称高坂穂乃果は自称高坂雪穂の言葉に、固まる。そして彼女はまじまじと俺の顔を凝視する。

そして、満を持して口を開いた。その笑みには、ぎこちなさがあった。

 

「―――ごめん、思い出せないや」

 

バシャア、とブリスターが。本日特売お1人につき1パック83円の卵が、俺の手から滑り落ちて派手な音を立てた。

君が手の中から零れ落ちていく。黄身が殻の中から流れ落ちていく。君との思い出が、手のひらから抜け落ちていく。

 

まるで83円の、思い出の詰まった10個の卵が入れ物ごと手から零れ落ちたように―――

 

 

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

その後、自称ではなく正真正銘の高坂雪穂に頭を下げながら別の卵のパックを持ってきて、会計を済ませ2人の背中を見送った。

レジを上げ、本日の売り上げをドロアの上に被せて店長に挨拶すると俺は退勤した。今日はもうバイトは入っていない。

 

「……」

 

ショックだった、というかある意味衝撃(ショック)だった。

初恋の子のことが分からなかったし、初恋の子ではなくその妹が俺のことを覚えていた。

 

「ふ、ふふふ……」

 

自転車のペダルに乗せた足に力が篭る。夜道を駆ける自転車の速度が上がっていく。坂道を、高速で駆け上がっていく。

 

 

 

「ほ、ほ、穂乃果ちゃん……か、可愛かった。超可愛くなってたぁーーーーッ!!」

 

 

 

穂乃果ちゃんだってよ、調子乗っていきなり穂乃果ちゃんですってよ。やべぇ甘酸っぱい。奇声の一歩手前の声を上げてペダルを漕ぐ。今ならママチャリで車に追いつけるかも。

 

「やばいやばいやばいやばい、可愛かった! あの頃よりずっと可愛い! あ、でも……」

 

 

彼氏とか、いんのかな……

 

 

 

自転車の速度、落ちる。カラカラとチェーンが空回りする音が夜道に跳ね返る。そりゃああれだけ可愛ければ? 彼氏の1人くらい……鬱だ、車道に飛び込もう。

 

「いや待て? たしか? 穂乃果ちゃんは、音ノ木坂学院に通ってたはず……少なくとも高校3年間で唾付けられた可能性は限りなく低い、はず?」

 

現在、わたくしフリーター歴1年でございます。つまり卒業してから、1年は経っているはず。

だが、だがしかし……社会の荒波からある程度隔離された実家の家業を継いでいるなら、それこそ限りなく男っ気は少ないはず……!

 

 

 

「ひゃっ、ほぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおお!!! テンション上がってきた!!」

 

 

 

自宅までの道を自転車で駆け抜け、自宅の前で急ブレーキ。アスファルトに擦り付けた後輪から

芳香がするが気にせず庭の中に自転車を放り込み、自宅のドアを開ける。

 

 

 

「ただいま、私バイトしていたら初恋の子に出会ってしまいました」

 

 

 

これはそんな俺の、たった数ヶ月の出来事を纏めた現在進行形の日記帳。




つい筆が余ったので、衝動的に書いてしまった←
日常の中で一喜一憂するちょっぴり気持ち悪いくらいの主人公が書きたかった。


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スーパーで待ってたらまた初恋の子に会った。

ダイアリーなので、できれば短くても毎日投下したいなぁ←


 

「いらっしゃいませ」

「お、なんか兄ちゃん今日は気合入ってんな」

「えぇ、卵特売日なので」

 

 目の前のおじさんは朗らかに笑う。俺もサービスで割り箸を袋に放り込んで見送る。強いくらい肩を叩かれて応援される。

 次に来たお客さんも素早く、丁寧に、楽しそうに、おもてなしして送り出す。バイバイと手を振ってくれる女の子には手を振り返す。日曜朝の特撮ヒーローが好きな男の子には変身してもらう。羞恥心も無く、人前で変身ポーズを取る彼にはヒーローの資格があると思う。素直に羨ましい。

 

 あれから1週間、来るべくしてやってきた卵特売日。俺は苦渋の選択の末、程々に忙しいレジを選びチェックアウト部門の主任に頼み込んでレジを変えてもらった。

 というのも、愛しの穂乃果ちゃんが恐らくまた姉妹で卵のパックを買いに来てくれると信じているからだ。そしてたとえ姉妹のみであろうと家族連れなら、そして彼女の(俺が知りうる小学生時代の)性格なら必ずお菓子かパンに手を出す。

 

 そして俺のいるこのレジは菓子類の置いてある通路からは、1番近い。俺のレジに人がいなければ、まずここへ来るだろう。この1週間、あの通路から出てきたお客さんが入るレジをひたすら観察した。その結果が、このレジとその前後のレジだ。加えて、知り合いがレジを担当している場合人はそのレジを選ぶという興味深いデータもある。以上のことから、彼女はあの通路から出てくれば80%近い確立でこのレジに入る。

 

 彼女がこのレジに来たところで俺にお話する勇気なんかないけどな!!

 それでもな、彼女がここに来れば話題が浮き上がってくるって俺勝手に信じてるんだよ!!

頼むぞ俺のコミュニケーションを司る語彙神様!

 そうだよそうだよ、今天気どうですか~? から始まる恋があってもいいだろう。

 

 もうお分かりいただけるだろうが、俺はもう1週間前からどうしようもないくらい穂乃果ちゃんに会いたい。

 あの頃の、俺が好きだった穂乃果ちゃんのままだったから、今でも好きでいられる。

 

再燃したこの恋を、どうにか成就させたい!

 

「さぁ来い、恋って言ったんだから愛に来てくれ……」

 

 レジの中で桃色の覇気を飛ばしながらお客さんを迎え入れる。レジにやってきたお客さんはまず俺の気迫に押されてスマホよりも俺が気になるようだった。

すまない、穂乃果ちゃん以外は帰ってくれないか。略してすま穂。

 

 そうだ、今俺に必要なのは彼女の姿が見えたときにレジを開けておくこと、つまり今いる邪魔者を排除する必要がある。

 だがしかし、卵はお1人様につき1パックのみ83円なのだ。つまりぼっちが2パック買おうとすると、2パック目は元の163円になるのだ。つまり家族総出で卵のパックを求めて、おまけにいろいろなものを買っていく人たちが大勢いる。

 

 何が言いたいのか、もうだいたいわかっているだろう。

 そう、家族連れの籠はだいたい量が多い。それを捌いてる間に他のレジに高坂姉妹が入ってみろ。俺は目の前に人数分ある卵のパックを丁寧に1個ずつ潰していくぞ。

 だから、そう意識しているからか今日は籠が多かったり中身が多い客を見ると、目が死ぬ。濁る。無になる。むしろ感情を殺して作業を進めるのだ。俺はただの精算用マシーンだ。ピーガガガ、卵1パック83円、お客様お連れさまいらっしゃいますかーガガガ。

 

「いらっしゃいませー」

 

 声を出す。俺の存在をアピールすることも必要だ。もし、もし既に店内に高坂姉妹がいるのなら。俺の声に応えてくれ、無理ですね分かってた。

 だがしかし、このようなシャウトはMMORPGよろしく他のお客さんの注意を引く。そしてガタイの良いマッチョなお父さんと小さなお母さんとその周りに群がる4人の子供たちを見る。子供を見るときだけ顔が緩む、可愛い。

 

 だが、その後ろからやってきたご家族であろうおじいさんとおばあさんが押しているカート、その上下に乗っているこんもりと商品の乗せられた籠を見て、態度が豹変する。

 約束しよう、あなたたちがこのレジで俺の足止めをしている間に高坂姉妹が、穂乃果ちゃんが他のレジに入ってみろ。籠を引っくり返してやるからな!!!

 

 そこからは、目にも留まらぬ速度で俺は商品を分け始めた。重いもの、特に下に置いて問題ない大きめの野菜郡をまず引っ張り出し、籠の下へ敷く。次にパックに入ってラッピングされた肉類だ。だが同じ大きさのパックに入った肉はラップ部分を合わせることによって強固な土台と化す。上に重ねたパックが、そのままテーブルになるからだ。

 

「おお、すごい」

「お兄ちゃん速い!」

「カッコいい!」

 

 お父さん、少年、可愛い少女が口々に俺を褒めちぎる。よせやい照れるだろ。だが確かに自画自賛しても許されるほど、籠の中身はきっちりしていた。

 だが、まだ2つ目だ。重そうなものを優先して籠にぶっこんだだけだ。しかしお菓子や摘み類はぶっちゃけると適当に積んでも大丈夫だから、スキャンしては放りスキャンしては放りを繰り返していた。

 前2つの籠とは違い、すごく適当に積まれている籠を見てお母さんが苦笑する。すみません、

すまない、すまん許せ。こっちも忙しいんだ。

 

 そして最後の、おばあちゃんの作った籠だろう。いかにも健康重視の商品の入った籠に手を付ける。そしてそこにはレジでのバイト天敵ベスト3に入るであろう難敵が群れを成していた。

 簡単に言うと、ヨーグルトやプリンなどの小さめのがいくつも入っているセットのことだ。当然これらのものを食すには、そう……"スプーン"がいる。

 

 4つ集まった正方形のヨーグルトセット、俺はその数を数えながら籠へ入れていく。その数、5セット。つまり単純計算でも20個はある。

 そして、スーパーのチェックアウト部門のこれいらないだろ系掟その1、スプーンとお箸は

お惣菜やヨーグルトが来たときは必ずお伺いすること。

 

 その2、多くても必要な数は必ず入れること。

 

 俺は、掟に従わなければならない……ッ!! だが、お客様の鶴の一言「あ、大丈夫でーす」が聞ければ、それさえ聞ければ!!

 

 

 

「……スプーン、お付けしますか?」

 

 

 

 ゴクリ、と生唾を飲み込む。俺の頬を、一筋の汗が流れていく。

 おばあさんは微笑んでいた。あぁ、女神の笑みだ。これは家で、食後のデザートとして食べるのでスプーンはいりませんよ、という慈悲の笑み―――

 

 

 

「はい、お願いします」

 

 ガッデム! ちくしょう、神は死んだ神なんかいねえ!! でも穂乃果ちゃんっていう女神は存在する。

 

 俺は急いで通称シャカシャカと呼ばれる半透明の袋に20本のスプーンをぶっこんでいく。この際数を合わせる必要はねえ、20本より多けりゃいいんだ!!

 スプーンが圧縮され入れられているポリ袋に手を突っ込み、掴めるだけのスプーンを取ってシャカシャカへ放り込む。

 

 まず20本は入っているだろう。俺はその後残った果物類を入れるのに必要である丈夫な袋を籠に入れると、"小計"ボタンに人差し指を掛けお客さんに尋ねる。

 

 

 

「……お会計、以上でよろしいですか?」

 

 

 

 さぁ首を縦に振ってくれ、微笑みながら首を縦に振ってくれ……!

 しかし俺の願いも空しく、お父さんもお母さんも少年も可愛い少女もおばあさんもおじいさんもそっぽを向く。

 

否、そっぽを向いたのではない。援軍を、呼んだのだ。

 

「お待たせ、今夜のおかずこれで良かったかな?」

 

 それなりに長身で美人なお姉さん来たー! と思ったのも束の間、今夜のおかずという名の

お弁当が入っていた。おかずじゃねーよそれ主食。

 そして、当然再びやってくる、質問タイム。俺は掟に従い再び緊張した面持ちで尋ねた。

 

「お箸、お付けしますか?」

「お願いします」

 

 ガッデム! なんて言うと思ったか引っかかったなバカめ!

 俺はこのお姉ちゃんが来た瞬間、既に箸が入った棚を探って人数分の箸を用意してたんだよ!!

 

 もちろん数秒で全ての商品をスキャンすると、俺は今度は問答無用で小計ボタンを押し、会計モードを起動する。

 

「お待たせしました、11,304円頂戴いたします」

 

 そして渡される1福沢2野口(12,000円)。俺はそれを打ち込み吟味台へ置くと、差額をお釣りとしてお父さんにレシートごと渡す。

 やりきった、ニコニコと笑顔のおばあさんとおじいさんと可愛い少女を手を振って見送る。なんて清々しい気持ちだ、こんな爽やかな気持ちになったのは3年ぶりくらいだ。

 ……商品を移す前の籠を引っくり返す云々のことは忘れたことにした。うん、ごめんなさい。

 

 俺は額の汗を拭い、再びお菓子コーナーと店の入り口の観察に戻った。いつ現れるのか、マジマジと見つめ続けた。そのうちポテトチップスのパッケージのキャラクターと目が合うがお前じゃないんだ、すま穂すま穂。

 

 そして、周りのレジもまたお客さんを待ち始めるようになった。どうやらレジに入ってからだいぶ経っていた。前回もこのくらいの時間だったな。

 早く来ないかなー、とニヤニヤしそうな顔をマッサージしてニコニコに変換しようとしていた時だった。ピッ、というスキャンの音が少ない状態だったから話し声が聞き取りやすかったのかもしれない。

 

 聞き覚えのある姉妹の声がした。

 

「来た……!」

 

 さぁ、どこにいる。お菓子コーナーか、今日は何を買っていくんだ。ポテチか、飴か、それともパンか……!

 ジッと、お菓子コーナーの出口を見つめていると、どんどん声が近づいてくる。

 

さぁ来い、おいで俺の女神(ミューズ)

 

 

「良い? お姉ちゃん、今日は卵だけだからね?」

「えー、お菓子も買っていこうよ~。あんこもう飽きた~!」

「自腹ならいいですよー、ただし私はお母さんから卵2つ分のお金しか預かってないからね~」

 

 

 

 ギギギ、俺の首は180度回転しそうになって断念。そのまま振り返る、後ろのレジの室畑くんが驚くけど、君じゃないんだ。

 そして結論から言うと俺の女神は、2個後ろのレジで本日の特売品、件の卵のパックを2個買っていた。しかもそれ以外の商品は、持っていないようだった。

 

 そう、彼女たちが利用したレジは"お菓子コーナーの出口に1番近い俺のレジ"と同じく彼女たちが来る可能性の次に高かった"青果コーナーから1番近いレジ"だった。卵のパックは青果コーナーの隅に置いてあるのだ。

 

 俺の賭けは俺のオーバーランで負け、深読みし過ぎてチャンスを逃した。お菓子も買う、という俺の読みの手前を行くスタイル。

 

 

 

「――――ノォォォォォォォォォォォ!!!」

 

 

 

「だ、大丈夫ですか?」

「気にしないでくれ室畑くん……俺は負けたんだ、あと1週間甘んじて待つよ」

 

 そうだ、卵の特売日は来てくれるって分かったんだから、それだけでも御の字だろうさ。少なくとも週に1日は会えるんだからさ、いいじゃないか。

 穂むらに饅頭買いに行けって意見はもっともなんだけど、俺にそんな勇気は無い。人前で特撮

ヒーローの変身ポーズを取って変身と叫べるようになったら考えてみる、絶対無理。

 

 室畑くんの肩越しに穂乃果ちゃんを眺める。後ろ姿しか見えないけど、相変わらず可愛いなぁ。そういえば、彼女の友達……誰だっけな。そうだ、だちゃんとことりっち。彼女たちは元気にやってるかな。

 それにしても可愛いなぁ、うん可愛い。穂乃果ちゃんのどこが好きなんだって言われると、返答に困るんだけどもさ。なんていうか、リーダーシップとはまた違うんだけどいつもみんなの輪の中心にいられる魅力かなぁ、ただ可愛いから好きになったわけではないんだけど……なにしろ小学生時代の初恋だ、理由まで覚えてない。ただ、初恋ってなぜか好きになってることあるんだよね、わかってもらえるか――――

 

 そのときだ、頭の中で誰かに話しかけていると不意に彼女が振り返って、目が合った。

ガッチリ、とまるで列車同士が連結するように視線が重なる。

 

彼女は、穂乃果ちゃんは、微笑んでくれた。それだけのことが、どうしようもなく嬉しかった。

 

 そして穂乃果ちゃんは雪穂ちゃんに何かを言うとこっちに視線を送ったまま、通路に向かって

行き―――商品棚に見事にぶつかった。

 

「へぶっ!」

 

 直後、インスタントのラーメンや缶などが少し棚から落ちて転がってしまう。穂乃果ちゃんも棚に頭をぶつけて、鼻を押さえていた。

 

「いったーい!」

 

 鼻を押さえてじたばたする穂乃果ちゃん、とにかく棚に商品を戻さないと……

 

「室畑くん手伝っ……てくれなくていいや、お客さんの相手してて」

 

 後ろのレジの室畑くん(18)はお客さんが入っていた、その後ろのレジでは相変わらず雪穂ちゃんが会計しているし今この商品を棚に戻せる、つまり手の開いた係員は俺しかいなかった。

 

「大丈夫?」

「う~……鼻が痛い」

 

 むくりと起き上がった穂乃果ちゃんの鼻は赤くなっていた。でも血は出てないようだし……

なにより鼻の頭を擦りながら涙目の穂乃果ちゃん可愛ええ……お持ち帰りしたいです店長。

 インスタントラーメンやツナ缶を棚に戻そうとすると、穂乃果ちゃんは慌てて手を振った。

 

「あぁ、いいよいいよ! 別にそんな……」

「え、いや……棚に戻さないと」

「それ、ぜーんぶ穂乃果が買うよ!」

 

 全部、そう言った後彼女はまた向日葵みたいな笑みを見せてくれた。心臓を掴まれたみたいに胸がキュッとして、また俺の手からラーメンが落ちる。

 それを急いで拾い直すと埃を払って、俺はレジに戻った。出来るだけ、彼女を眺めていたい。

そう思って、悪いかなって思いつつも作業の手がスローリィになっていく。

 

「そういえば、君……同級生だったんだよね。前は忘れてたけど、雪穂に言われてアルバム見返したりして、思い出したんだ。一緒に休み時間、外で遊んだよね。鬼ごっことか、ドッジボールとかして!」

「あ、うん……」

 

 ピッ、ピッと商品をスキャンする音が2人の間で響く。おいぃぃぃ、俺もっと気の利いた返事

あるだろぉぉぉぉぉ!

 でも、でも、でもでもでも! 言葉が口から出て行かないんだ、喉に何かが詰まったように息苦しくてたまらない。

 

「えっと、1,206円……に、なります」

「うぐ、ちょっと負けてくれない?」

「いやいや、怒られるから。値引きしてほしいなら、ほらスタンプカード」

 

 俺はそう言って、スタンプカードを穂乃果ちゃんに渡す。本日分のスタンプと、俺の気持ちとしてもう1個のスタンプを捺す。

 

「これ、買い物するたびに捺して全部埋まったら200円引き、金曜日は……スタンプ2倍」

 

 ぶつぶつと、口にしてカードを押し付けるように渡す。穂乃果ちゃんは、カードをまじまじと

見つめて―――

 

 

 

 ―――ふふっ、ってそう笑った。少し顔を赤らめて笑う彼女は、まさしく俺の女神だった。

 

 

「そっか、ありがとう」

「ど、どういたしまして……ありがとうございました」

 

 店員として、お客さんを送り出す。穂乃果ちゃんは、俺が時間を稼ぐために自分で袋詰めした

商品を持ってレジを出て行った。

 

「あ、そうだ」

「なに? もしかして忘れ物?」

 

 急に思い出した、という風に振り返る穂乃果ちゃん。彼女は俺に近づいてくると、俺の耳元に

口を寄せた。

 

 そして、

 

 

 

「またね」

 

 

 

 そう言い残して、作荷台で待っている雪穂ちゃんのところまで走っていった。2人は何買ったのだとか、そういう話をしながら仲良く帰って行った。

 その背中を放心しながら眺めていると、ふつふつと心の底から何かが湧き上がってきた。

 

「室畑くん、俺はたぶん今なら店長相手にレジ部の給料上げてくださいって言えるかもしれない」

「マジっすか、お願いします」

 

 俺は、無敵だった。今ならどんなお客さんだって捌けるし、どんな神様なお客さんでも許せる

菩薩の心を保てそうだった。

 

 何度でも言おう、今の俺はかなり強い。そして穂乃果ちゃんは可愛い。俺が彼女のことを好きになった理由を、ほんの少しだけど思い出せた気がする。

 そんな夜のバイトだった。

 

 ちなみに店長にレジ部の給料上げてくださいと頼んだら、考えておくって返事が来た。

 これもぜーんぶ、穂乃果ちゃんのおかげだな、そういうことにしておこう。

 

 

 

 

 




短くするつもりが前回より2000文字近く多いってどういうことなの。
基本的に4000~6000の間でやっていこうと思います。

というか、穂乃果ちゃんよりもゲスト一家の方が文字数多いじゃないか(激おこ)


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卵特売日じゃないんだが、また初恋の子に会った。

まだまだ続くよ


夕焼けが沈んでいく中、静かに暗くなっていく街を俺は自転車で駆け抜けていく。今日は深夜からコンビニでのバイト、そして今からいつものスーパーだ。

しかし今日はいつもほどのやる気が出ない。というのも今日は卵の特売日じゃないからです。

 

つまり穂乃果ちゃんがお店に来てくれません。店長、卵毎日特売にしましょうよ。

無茶言うなと言うのはわかるんですけどねー……こればっかりはどうしようもないです、燃料の無い火なんかすぐ消えます。

 

「はー……しゃっせー」

 

休憩室のロッカーに適当に荷物を放り込み、制服を身に着けると適当なレジを開けられそこへダイブする。

いかにも枯れてるという雰囲気に数日前や1週間前の俺を知ってるお客さんは怪訝そうな顔で俺に籠を預ける。

 

「卵……お前が毎日特売日なら俺もお客さんもハッピーなのにな」

「特売値が定価になってるじゃない」

「あ、そうか……じゃあ特売の日増えろ」

 

ダメだこりゃ、とお客さんは頭に手を当てる。俺はそんなことなどどうでもいいという風に商品を流し、会計モードに入る。

 

「はい、2,443円頂戴いたします」

 

シジミ、シジミ……シジミが2つ。だが実際2野口と5朝顔もしくは500円で取引できるわけで……シジミ2つの価値が約3野口ってことに……何言ってんだ俺。

さすがに枯れすぎだな、そう思って俺は今のお客さんを捌くと後ろのレジの係員に向かって1つだけ指を立ててレジを閉める。

 

これは1番という我がスーパーのレジ部の暗号であり、1番の意味はトイレだ。ちなみに2番はお昼休み、3番は休憩だ。残念ながらこの時間のシフトは2番と3番は使わないので1番を覚えておけばいい。

男子トイレは清掃員が約数分に1度掃除に現れる(しかも男子トイレなのにおばちゃん)から、比較的に綺麗だし臭いも気にならない。

 

エプロンを外して顔を水で洗う。あんまり冷たくないけど、深呼吸の折に頭に酸素が回って幾分かスッキリする。

続いて鏡に真顔で向かう。真顔をキープしたまま指で頬を持ち上げて笑顔を作る。続いてその顔をキープしたまま今度は笑顔をイメージする。

するとどうだろう、鏡の向こうにはそれなりに爽やかな男の子が立っているじゃないか。背は低いし、髪の毛が男にしては長くてお粗末だが、悪くないんじゃないかな彼。うん、どう見ても俺。

 

トイレから出てきたら、元の場所に戻る。

 

「戻りました」

「それは分かったから顔を拭きなさい」

 

忘れてたんだって、今吹くよおばちゃん。レジに置きっぱなしにしていたタオルで顔を拭いて、髪も乾かす。前髪が濡れてぺったりと額に張り付いていた。目は隠れるし頭は丸く見えるしで不気味極まりない。

 

「らっしゃっせー、お預かりしまー」

 

す、すぐらい言えとは思うもののスピード作業だから。マジで口より手を動かせの仕事だから。

お弁当、お惣菜、冷凍食品、今日はその手の品が良く売れる。反面、卵はしばらくは売れない。買っていく人はいるけど、だいたい特売の日でも定価のままのLサイズの卵とかな。

 

そして2時間くらいお客さんを右から左へと送り出した頃だった。

 

相変わらず積み方が汚いだとか、明らかに飲酒済みのお客さんがやってきたりもする時間になった。俺はただただ頭を下げる、だって酔っ払いに何か言って逆上されると俺が被害を被る他、店にも他のお客さんの心象も悪くなる。

もっともそういう客を信じるか、誠実な対応をしている店員を信じるかと言われたら一目瞭然だろうが……まぁ、厄介ごとを通り抜けるに越したことは無い。

 

「はぁー……あれで積み方が汚いんだったらマイカゴ持ってきて自分で積めばいいのに。あぁ、出来ないのか。すみませんね、私心配りの出来ない見習い店員ですので」

 

酔っ払いを送り出しその背中にトドメの一撃をこっそり放つ。するとレジ部の主任がやってきて、ドンマイと慰めてくれた。ありがとうございます、主任。

しかし主任はそれだけではなく、俺のレジの前に停止板を置いた。停止板とはもちろん『このレジは休止中です、他のレジをお使いください』というあれだ。

 

「"リカー"、お願いね」

「……酔っ払い捌いたあとに頼む仕事じゃないっすよ」

 

俺はげんなりしつつ、主任の指示に従う。青果コーナーの裏、キンッキンに冷えたビールはバラからケースまで粗方無くなっていた。まぁあんだけ暑けりゃな、そりゃ売れるわな。

とにかく俺はまずは500ml缶のビールとチューハイを補充する。籠の中に開けた6個入りケースの入れ物だけ放り込んでいく。奥の方に残ってる缶を前へ持ってきたり、新しいのは奥の方で冷やしたりとかいろいろと考えなければならないことが多い。

 

「えっと、1番上の段は……」

 

全てのスーパーがそうなってるかは知らないけれど、うちのスーパーのリカーコーナーの1番上はフリースペース、2段目以降のビールでそれなりに売れているもののケースを置いておいたりする。だがやはりここも粗方買われていて、殆ど残ってない。

 

「これ、仕事終わるまでに終わるかな……」

 

穂乃果ちゃんがいればなぁ、エンジン入るんだけどなぁ……しょうがないよなぁ、今日卵特売日じゃないし。

というかもはや俺の頭の中で卵特売日=高坂姉妹と会える日みたいなイメージになっていた。でも大体合ってるし。

 

「あー、こんなところにいた!」

「はい?」

 

おい、今日は卵特売日なんじゃないのか。一瞬頭の中が360度回転して帰ってきた、おかえり。

というのもだ、そこには穂乃果ちゃんが立っていたからだ。デート? もしかしてデート? って思ったけど彼氏とデートする格好には見えなかった。これでデートって言われたら相手の男殺していたかもしれない。

 

「レジいないから、休みなのかなぁって思って。レジの人ってこんな仕事もするんだね!」

「あ、うん……」

 

相変わらず気の利いた台詞出てこねえな俺の頭ァ!!

目に見えてビールを補充する俺の手が遅くなる。出来るだけ穂乃果ちゃんを意識しないように心掛けつつも3秒に1回くらいそっちに視線をやって観察したくなる衝動に駆られる。

あぁやばい、夏最高。踝の見えるショートソックスに短めのホットパンツみたいなズボンに青い生地に『ほ』って書かれたTシャツ。しかしサイズが大きいのかなんなのか、肩がアンニュイなことになっていた。時々肩の部分を持ち上げるのだが、またズルっと下がって肩の頭が顔を出す、こんにちは。

 

「ビールすごい売れてるね、暑いからかなぁ」

「そうだね、この季節……冷ケースとか、箱はよく売れるんだよ。冬場は、あんまり冷えたのは売れないんだけどね」

 

ちょっと誇らしくなって、店のお客さん事情とかを話してしまう。誰かと来ているわけではないのか、穂乃果ちゃんはずっと俺の補充作業を見ていた。楽しいのかな、この仕事見てて。

 

「お、お酒はハタチになってからね?」

「分かってるってば、穂乃果は来年からだよ」

 

そっか、穂乃果ちゃん19歳か。そりゃそうだよな、俺が19だもん、元同級生だしね。というか、やばい。

穂乃果ちゃんの今日の格好肌色成分多すぎてちょっと眩しいっていうか永久保存っていうかなんかもう一緒にどこか行きたいどこでもいいから2人きりでどこか行きたい。大事なことだから、どこか行きたいって今の含めて3回言いました。

 

「そういえば、2人は元気?」

「2人? もしかして、海未ちゃんとことりちゃんのこと?」

「うん、同じ学校に通ってたんだよね?」

 

俺がそう聞くと、穂乃果ちゃんは少し困ったような顔をした。どうしたのかな、なんて思っていると彼女は口を開いた。

 

「いやぁ、恥ずかしながら穂乃果受験失敗しちゃって。同じ大学には行けなかったんだ、あはは」

 

だから、わかんない。そう言う穂乃果ちゃんは寂しそうな気がした。当然か、小学生の頃でさえあんなに仲が良かったんだ。きっと今までもずっと一緒にいて、これからもと思った矢先にこれだからな。

 

「……そっか、俺もだよ」

「君も? どういうこと?」

「というか、言っちゃうけど俺の方がよっぽどひどい」

 

恥ずかしながら、俺はビールを補充して仕事している風を装いながら穂乃果ちゃんに説明した。というのも、俺は大学受験に失敗した。失敗したっていうと語弊があるな……逃げたんだ。

勉強辛いから、大学には行かないって。親はそれでもいいって、無関心みたいだった。俺は許されたって勘違いして、そのまま卒業した。もちろん就活もしてなかった。

 

ニート万歳! そう思っていられたのは、たったの3日だった。次の日から、暇で暇で仕方なかった。そして3月が終わって、他の仲間たちが大学生や社会人へとランクアップしていく中俺はただ1人取り残されていた。

たったの1ヶ月で、部屋に篭っていることが苦痛になった。両親から何も言われないことが、もっとキツかった。

 

だから俺はたったの1ヶ月でニート脱却を目指し、新卒社会人と同じくらい働いてやろうと思って24時間をフルで使うようにバイトを始めた。そして今、俺は前に進まないまま"フリーター"って立場のまま1年が立ち、もう少しで1年と3ヶ月になる。

 

そう話して、俺はどうしたかったんだろう。穂乃果ちゃんに同情してほしかったのか、それともしばらく会わないうちに変わってしまった俺を知ってほしかったのか。

どちらにしろ、好感度の上がる話じゃなかったな。相変わらず、気の利いた言葉も出ないくせに後先考えないバカな頭だこと。

 

だけど、穂乃果ちゃんは笑わなかった。ドン引きされたかと思えば、そうでもないらしかった。

 

「そうだったんだ、君はすごいね。穂乃果は家の手伝いで、そのまま跡継ぎに向かってるままだもん。"本当にやりたい"って、思ってるか曖昧なのに……」

 

なんて言葉をかければいいか分からない。実家の老舗和菓子屋を継ぐこと、それがどんなプレッシャーなのか俺にはさっぱりわからない。でも、穂乃果ちゃんには雪穂ちゃんがいる。

たとえば、雪穂ちゃんが夢を叶えようとそれに向かっていけば、穂むらの跡取りは穂乃果ちゃんのままだろう。それが正しいことなのか、きっと自分でも分かってないんだ。正しいとも、思ってないんだ。

 

「"仲間"だね、私たち。受験失敗して、そのまんま1年が経っちゃった、仲間」

 

仲間、か……それも悪くない。けど―――

 

「俺は、"友達"がいいな。同じような環境で一緒に笑ったり、頑張ったりできる友達が」

 

ビールの補充は完全に止まっていた。けど、俺は今だけは怒られてもいいって思った。

なぜなら穂乃果ちゃんが心底楽しそうに笑っていたから。理由は、直後の彼女の口から放たれた。

 

「おかしいなぁ……私たち、ずっと友達でしょ? 友達のままだったんだよ、ずっとね。止まったままだったけど、また動き出した」

「すれ違っても、気付かないくらい大人になった頃にね」

 

目の奥が熱かった。本当は友達よりもずっと君の傍にいられる称号が欲しかったのに、君にそう思ってもらえたことが死ぬほど嬉しくて。

手放したくない、再燃したこの恋は……絶対に手放したくなかった。

 

「長話しちゃったね、バイバイ。また来るからね」

「うん、またのお越しお待ちしております」

 

友達だけど、お客さんと店員の関係に戻る。手を振って、彼女を見送る。なぜだか、彼女を肌色成分多めな服で出歩かせたくないなっていう思いが、ふつふつとだけど湧いてきた。

 

「おーい、もう少ししたらレジ開けてくれー!」

「はーい!」

 

さて、俺も仕事に戻ろう。とりあえず、補充補充補充ゥゥ~~!!!

 

 

 

「こ、こんばんは。あ、あはは」

「いらっしゃいませ」

 

その後、レジに戻った俺が最初に接客したのが籠一杯に食パンを始めとするパンを買っていこうとする穂乃果ちゃんだった。

なんだか真面目な別れ方だっただけに再開が気まずい。どうやら穂乃果ちゃんもそう思っているようだった。

 

「ま、俺は気楽にバイト戦士やってるからさ。実のところ、あんまり引け目とか感じてないんだ」

「そうなの? って、よく考えてみたら穂乃果もお店の手伝いでお仕事してるわけだし、お母さんとかは喜んでくれるからこのままでもいいのかも」

 

顔を見合わせて、へへへって笑う。穂乃果ちゃんもニッコリと笑みを浮かべる。

 

「でも、夏だからってその格好はまずいと思うな」

「き、気をつけます……」

 

 

今度こそ帰る穂乃果ちゃんの背中を見送る。やっぱりみんな、抱えてるもんがあるんだなぁって分かった。

俺が働いている理由もまた鮮明になってきたし、穂乃果ちゃんの持ってる焦りも見えた。

 

それでも、笑ってられればいいなって今日のバイト中に思った。

 

 




シリアルにしようと思ったのに、若干マジシリアスが入ってきて焦ったけど今日は別の話を考える時間が無いので、このままうpします。ちょっとはシリアルっぽいっしょ←

穂乃果ちゃんの格好ですが
上:夏練習着
下:冬練習着(レギンス無し)

で大体想像できると思います。

7/7 ちょいと一部修正しました。


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卵特売日じゃないんだが、また初恋の子に会った その2

俺が仕事休みの日がこの小説の更新公休日です。


 

「いらっしゃいませー」

 

卵特売日を前日に控えた今日、俺はまたしてもバイトに勤しんでいた。幸い、明日は仕事があったので今日をどうにか生き残ろうと思う。

さー、頑張ろう。そう思った俺の目の前に飛び込んできたのは、チラシ。今週の特売品が写っている。えーなになに…………俺は今日を乗り切ると穂乃果ちゃんに誓ったのだ、今更退けるか。

 

チラシには超絶ヘビーなペットボトルや野菜の特売だった。中でも、もやし1袋5円は安い。大特価じゃないか、出来れば今日は客で来たかったぞこんちくしょう。

仕方ない、俺がお前らの会計してやんよってことでやってまいりました、青果コーナーに1番近い1番後ろのレジ。あんなこと言っておいてなんだけど、このレジはあんまりじゃないですか主任。

 

そのことを主任に話してみると、

 

「最近、君ずいぶん流すの速くなったからね。荷物の少ないお客さんが来たら速めに流して他のレジのお客さん引き寄せちゃってよ」

「つれーっす、それ本当つれーっす。明日なら喜んでやったのに」

「そういうことだから、まぁ頑張って」

 

くっそー主任め、俺のエンジンは穂乃果ちゃんがいないと火がつかないの! 明日に向けて燃料でも溜めとこうと思ったのに、明日ガス欠になったら恨むぞー。

とか言いながら待ってるが、よくよく考えれば青果コーナーは入り口付近で1番近いところでここから入って野菜だけ取っていく人って結構少ないから、1番楽なレジなのかもしれない。

 

「お願いしまーす」

「はーい、お預かりしまーす」

 

そしてやってくる、もやしの大群。籠から溢れるくらいもやしを持ってくる、もやしとは程遠い体格のおばさん。どうしたんだろう、1人暮らし始め立ての大学生でもこんなにもやし買っていかないのに……

もやしの袋を延々と隣の籠に移していく作業。俺は最初こそもやし1個の値段とそれを何点通したか読み上げていたが自然と言葉が止んでいた。今の俺はただもやしをスキャンするだけのマシーンだ。

 

……しまった、マシーンのままお金を請求してしまった。お客さんが戸惑っていらっしゃる、気にしないでくださいとは言えなかったのでとりあえず袋をつけておいたから大丈夫だ。うん、何が大丈夫なんだろう。

 

「あっとうざいやしたー」

 

おかしい、今のお客さん1人目だぞ……!? なんでこんな疲れる……! もしかして、寝不足が原因か? あくびが、あくびが止まらんぞ……!

 

「室畑くん、1番!」

「いってらっしゃいー」

 

とりあえずトイレで顔を洗ってひたすら頬を抓って、誰もいないのを確認して気合を入れるぞ!

 

「っしゃあ! 俺は今日1日頑張るって決めたぞ!!」

 

鏡の向こうの俺にひたすら頑張れ、とエールを送り続けること早2分。そのときトイレの扉が開いた気がしたが、俺の喉は既に新たな言葉の発射シークエンスを完了させていた。

 

「ファイトだよ、俺!」

 

直後、固まる空気。知っているか、空気って固体になれるんだぜ。それなんてドライアイス。しかもそれ空気じゃねーし。

 

「……頑張ってね」

 

清掃員のおばちゃん……! 応援ありがとう! ただその生暖かい視線はなんだッッ!!

そのまま清掃員のおばちゃんは部屋を間違えたと言わんばかりにUターンしていった、恥ずかしいところを見られた、くっそ恥ずかしい。顔を元に戻すためにもう1度顔を洗おう。

 

「タオル持ってくんの忘れたー」

 

数分後、そこには畳んだトイレットペーパーをハンカチのようにして顔中拭きまくる俺の姿が。ちょっと予想以上に時間使ったがあの強風自然乾燥機を顔に向かって使うわけにもいかなかったんだよ。

 

「ただいま戻りましたー」

「おかえりなすー」

 

室畑くん……俺がいない間にもやしとお茶に襲われたんだな、まだ1時間経っていないのに枯れかけていた。ファイトだよ室畑くん。

 

「いらっしゃいませー」

「こんにちは」

「やっほー」

 

…………。

 

 

 

…………総員、第一種戦闘配置ィィィィィ!! 高坂穂乃果嬢が妹君の雪穂嬢を連れてご来店なさったぞ!! 全身全霊、全力でもてなせ!! 猿ども、今こそ日本のおもてなしの心を見せろ!!

 

「いらっしゃいませェェェ!!」

「うわっ、びっくりした」

 

ごめんよ、雪穂ちゃんごめんよ。お兄さんちょっと舞い上がってるんだ、気にしないでくれ。

 

「……さて、き、ききき、今日はどんなご用でしょうか」

「もちろん、買い物だよ……って、あれ?」

 

穂乃果ちゃんは籠を置くと、俺の顔を覗き込んできた。ブルーの瞳がどんどん近づいてくる、彼女との距離が縮まるとその分俺の鼻の下が伸びる、すごい良い匂い。じゃなくって、

 

「な、なに?」

「なんかついてるよ、ほら」

 

そう言って、ひょいっと俺の頬に触ってくる穂乃果ちゃん。指先が触れたところに穴が開いてそこから幸せが溢れ出すんじゃないかってくらい感触が残っていた。

そして彼女の指先にあったのは、なんかの切れ端だった。見てみると、それは千切れたトイレットペーパーだった。それを認識した途端、たぶん俺の顔色が反転した。そして溢れてきたのは幸せではなく、汗。

どうしよう、どうしよう……まさかトイレットペーパーで顔を拭きましたなんて言えるかよ……そりゃトイレットペーパーも立派なティッシュの仲間だけど、物が物だからちょっとデリケートな女の子に対して出すものじゃないよなぁぁぁぁぁ………

 

「お、お姉ちゃん……きっと、ティッシュかなにかだよ」

「あー、本当だ。言われてみればティッシュだね」

 

雪穂ちゃんマジ天使、穂乃果ちゃんの次くらいに好きになりそう。どうやら俺の顔色の変化でも見て、だいたい話を察したらしい。なんだこの超人、本当に穂乃果ちゃんの妹かよ……ってこれは失礼か、穂乃果ちゃんは女神であります。

 

「今日は、私の買い物にお姉ちゃんが付き合ってくれたんです」

「えっへん」

 

えっへんって……えっへんて、君ね…………可愛すぎるだろぉぉぉぉぉ!! ちくしょう、あと俺を何人殺せば気が済むんだ!! いくらでも殺るがいいさ、俺は幸せだぞ!!

 

「でも、お姉ちゃんの方が荷物多いよね」

「えへへ、ちょっと買いすぎちゃった」

 

可愛い、もうそれしか言ってない。とにかく、あまり長話してると列が出来るしな。本当は、本音で言っちゃうと『すま穂+雪』なんだけど客商売でお客さんに塩撒くわけにはいかないし? 決して『すま穂』は塩対応ではありません、決して。お客様いつもご来店ありがとうございます、当レジは残念ながら高坂姉妹専用レジとなっておりますのでどうか他のレジをお使いくださいませあっち行け。

 

「じゃあ、お会計は別?」

「ううん、私が全部払うからいいよ」

「そんな、悪いよ~」

 

穂乃果ちゃんはなんと自分で財布を取り出す。雪穂ちゃんが何か言おうとしたけど、どうやら姉として顔を立てたいらしい穂乃果ちゃんを尊重して、財布をしまった。が、ハッと思い出したように顔を持ち上げると自分の籠を置いていきなりどこかへ走って行った。俺と穂乃果ちゃんは顔を見合わせて首を傾げた。

 

「じゃあ、えっとこのまま会計済ませちゃうね」

「お願いしまーす」

 

そういえば、すっかり対応がクラスメイトみたいになってる気がする。もし音ノ木坂が共学校だったなら、もし彼女と同じクラスだったら毎日こんな感じだったのかな。

まぁ今更たられば話をしたってしょうがない、俺は小計ボタンを押して穂乃果ちゃんに請求する。穂乃果ちゃんも前とは違い、満足気にお札を取り出した。

 

「はい、これお釣りね。レシートは?」

「もらうー、ありがとー」

 

わざわざ会話時間を延ばすべく、わざわざ商品を袋に入れていると穂乃果ちゃんとの世間話が始まる。

 

「最近、忙しい?」

「うん、お店は最近ずっと忙しいよ」

「そうなんだ、近いうちお饅頭でも買いに行こうかな……久しぶりに」

 

ぜひ、そういう笑みを浮かべる穂乃果ちゃん。俺は全ての商品を入れ終わったので、それを穂乃果ちゃんへ渡す。作荷台に荷物を置いて穂乃果ちゃんは雪穂ちゃんを待っていた。

どういうわけか、お客さんがまったく俺のレジに来ないので出来れば穂乃果ちゃんとお話したかったんだけど、さすがに作荷台まで赴いてまで話してると怒られかねないから断念。

 

と、そのとき。

 

「これ、追加でお願いします!」

「はい?」

 

雪穂ちゃんが戻ってきた、と思えば新しく持ってきた籠の中にはパン(クリーム系からピザ系までたくさん)が入っていた。しかもこれは近くのパン屋から卸しているものだった、結構人気で"パンの日"はよく売れる……そうか、今日卵特売日の前ってことはパンの日か。

 

「お姉ちゃんと、分けて食べようかなって思ったので」

「え、穂乃果ちゃんパン好きなの?」

「はい、あんパン以外ですけど……お兄さん、お姉ちゃんのこと好きですよね?」

 

そのとき、俺に衝撃が走るッッ!! なぜ、なぜバレたし!! と、思ったがよくよく考えれば穂乃果ちゃんと雪穂ちゃんの目の前で俺がやったことを思い出そう。

 

その1、穂乃果ちゃんが俺を忘れていたと知ったとき、俺は卵を落とした。10個の卵は全部おじゃん、鶏さんごめんなさい。

その2、これはついさっきだが、トイレットペーパーを発見され羞恥と恐怖で顔がキ○イダー状態だった。

 

しっかりものの彼女のことだし、ここまで明らかなボロを出したらそりゃバレるよなぁ……俺、いくらなんでも分かりやすいリアクションしすぎだろ。

そして、雪穂ちゃんは穂乃果ちゃんがそっぽ向いている間に俺にこっそり耳打ちした。

 

「お姉ちゃん、今フリーで絶賛彼氏募集中ですから。頑張ってくださいね、お兄さん……♪」

 

その内容は俺の頭を、金属バットで思い切りぶん殴る以上の衝撃が襲った。いや、金属バットで思い切り殴られたことないけど。それでも、さっきと同じかそれ以上の衝撃だった。

頭が上がらないよ雪穂ちゃん。いや、雪穂姐さんと呼ばせてくだせぇ……姐さん、あんた最高だぜ。義兄になりたい相手を姐と慕う男がいると聞いて。うん、キモチワルイ。キモいじゃなくてキモチワルイ、これ大事。

 

 

雪穂ちゃんはそのまま会計を済ませて、ニヤニヤしながら穂乃果ちゃんの元へと戻っていった。ある意味、すごい協力者が出来たと言っても過言じゃないんじゃなかろうか。

そうだよ、穂乃果ちゃんフリーだって。しかもパンが好きとか好物の情報まで入ったぞ、これで穂乃果ちゃんが卵特売日以外にパンの日にも来てくれる可能性が高くなったわけだし……結論、雪穂ちゃん最高。

 

「何話してたの?」

「別に~、お姉ちゃんは鈍いって話をね」

 

おい、バラすなよ!? バラすなよ!? フリじゃないからね!? そんな視線で彼女を睨むが、雪穂ちゃんはこっちを一瞥すると含みのある笑みを浮かべると、何も無かったように穂乃果ちゃんを追いかけた。

強力な味方、なのか? 本当に、なんか不安になってきたぜ……

 

「こいつぁ……一筋縄じゃいかねえ気がしてきやがった……恋ってのはわかんねえもんだぜ」

 

へへへ、俺仕事中だってのにドキドキしてきたぞ。こんな状況だってのに、俺もやししか持ってねぇぜ……!

……ん? もやし?

 

見るとそこには、早く会計しろと言わんばかりにこちらに向かって攻撃的なオーラをぶつけているお客様の数々。なんだ、お客様か。すま穂の魔法を食らえ!!

……どうやら、効果が無いらしい。お客様Aの反撃! もやしまみれの籠! 俺に精神的なダメージ!

 

「む、室畑くんヘルプ!」

 

俺は助けを求めた! しかし室畑は力尽きていた、彼はどうやらもやしスキャンマシーンになることで疲労から逃げていた。

 

「誰か、穂乃果ちゃん助けてぇぇぇ………」

 

5円のもやしが圧倒的物量で俺を襲う。それこそどっからこんなに仕入れたって数のもやしがやってくる。さらにお茶の段ボールやペットボトルの援護射撃。

そして数時間後。修行のような時間を乗り越え、なんとかその日のバイトを終えることが出来た俺。

 

「うん、なんとか無事致命傷で済んだぜ」

 

やっぱりダメだったよ、主婦のおばちゃんには勝てねえ。

タイムセールと特売の品にはみんなも気をつけよう。いつの時代もセールの時間を生き残れるのは歴戦の主婦だけだから。

ただ、その食卓のために犠牲になった人や店員がいることを、たまにでいいから思い出してくださいね。

 

 

え、無理? あっはい。

 

 

 




2日家を開けただけで、バイト戦士としての誇りを失ってしまったぜ。
働くことによってネタを得ている身、その日にしかない感動を穂乃果ちゃんによって再びもたらしてもらおうと思って書き始めた今作。

ネタが無いだけで想像力が凍りつくとは俺もまだまだのようです。


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卵特売日(台風並大雨)だけど初恋の子に会った。

 雪穂ちゃんに俺の気持ちがバレてから早2週間、それ以前に気付かれているのなら穂乃果ちゃんと再会した日からほぼ1ヶ月。

 あれから何かあれ2人はうちのスーパーへ買い物へ来るようになったし、卵の日は姉妹で、パンの日は嬉しいことに穂乃果ちゃんだけだが来てくれる。恐らく雪穂ちゃんが気を使ってくれているのだと信じよう。

 

 そして、やってきた卵特売日。天気は生憎の雨、それどころか傘を差せばぶっ壊れるレベルで風も強い。俺は自転車を諦め、ハンドタオル2つとバスタオルを念のため持ってきていた。

 今日は来ないかもなー、なんて思いながら休憩室で髪の毛を拭いて服や鞄をバスタオルで拭いてからハンガーに掛けた。緊急時以外のスタッフのスマホ使用は禁じられているので、ロッカーにスマホを放り込んできた。

 

「じゃあ、今日は11レジよろしくね」

「また1番後ろっすか」

「その代わり、今日は早上がりにしてあげるから」

「マジっすか、素直に喜べないけどやったぜ」

 

 俺は主任に言われた通り、始めから無人だった11レジにログインすると停止板を取っ払う。さて……今日は卵の日だけど、雨の日は基本的にお客さんの入りが悪い。加えて1番後ろのレジ、今日は暇かなぁ。

 ……なんて思ってたのは最初だけ、今日も俺を襲うのは歴戦の主婦共ならびにそのご家族。貴様らそこまでして卵が欲しいか……あっいえなんでもないです、お預かりしまーす。

 雨の効果で人が減ってるかと思えば、そんなことはなかった。おかしい、今日は客の入りが普段の雨の卵特売日を確実に上回っていた。

 

「なんか卵の他に安いもんあったかなぁ……」

 

 思い出そうとするが、今日は昼間仕事前になるまでずっと寝てたせいで遅刻ギリギリ。従ってチラシ見てません、てへりん。

 1人でアホくさいことやってると、いつものように籠から溢れ出し掛けているにも関わらず積み重ねたお客さん一家が現れた。籠は2つ、どうやら下のはカップラーメンのようなデカイ商品がいくつか入っているだけで数は多くないらしい。

 

「いらっしゃいませ、こちらお預かりいたします」

 

 新たに現れたお客さんの籠を預かる。またしても数人組の卵狙い。商品を流す間にチラチラと窺い見ると、髪や服のいたるところから滴が垂れていた。あぁもうレジの前水浸しだよ……大丈夫かこれ。

 

「雨、まだすごいっすか?」

 

 何気無く俺が切り出すも、その親子は首を縦に振った。なるほど、どのくらいすごいのか聞きたかったけど、見ればわかるだろって反応が怖いから、黙っておく。

 卵と野菜、それに加えて袋を出して代金を請求する。お客さんは終始無言のままレジから出て行った。そして、清掃員のお兄さんが横に長いモップを使ってレジの前を一生懸命拭いていく。大変だなぁ……ありがとうございます。

 

 モップで床掃除が終わると、次のお客さんたちがやってきた。またしても数人組で、少し年配のおじさんたちだった。卵はおまけで、今日はむしろ晩御飯のおかずで惣菜を買いに来たって感じだった。

 当然俺は、惣菜に箸をつけるか尋ねないといけない。

 

「お箸、お付けしますか?」

「いらない」

 

 さいですか、でも断り方があるでしょ。いらないなら、結構ですとか大丈夫ですとかさ。いらない、はさすがにちょっと感じ悪い。

 けど、そんなこと説教しようものなら店長や主任が頭下げないといけないわけだし、こんなくだらないことでイチイチ店長に迷惑かけるわけにはいきましぇーん。

 

「あっとうざいやしたー」

 

 ずぶ濡れおじさんたちが去って行く背中を見て、少し嫌な気分になった。まぁ、お客さんからすればレジの店員なんて会計を済ませるパーツか何かだと思ってるんだろうな。

 けど、俺だって人間だし粗雑に扱われるのは辛いし、嫌になったりもする。そんな気分のまま仕事を終えるのだけは、なーんかヤなんだよなぁ。まぁ、雨でジメジメ続いてイライラするってのもわかるけどねぇ。

 

 ……などと、吐き出すにも困る独り言を内に秘めていると、雨合羽を着た1人のおばさんがやってきた。しかし合羽はしっかりと水を払ったのか、滴は少ししか零れていなかった。

 

「あ、いらっしゃいませ」

「ふぅ~……すごい雨だったぁ。あ、お願いしまーす」

 

 おばさんは1人だというのに結構な量を買い込んでいた。しかも合羽を着ているってことは、恐らく歩きか自転車だろうな。傘は風が強いままなら、自転車が妥当か。

 そんな中こんな大荷物を持って帰るってんだから、さすがだよなぁ。しかも、今日の特売品である卵もちゃんと抑えていた。

 

「やっぱり、まだ雨すごいですか?」

「すごいすごい、最初は傘差して歩いて来ようと思ったんだけどね、ビューって風で壊れちゃったから歩いて来たのよ」

「なるほど、じゃあ帰りも濡れて帰るしかないですね~……あ、俺の話です」

 

 そう言うとおばさんは朗らかに笑った。愛想が良くて、俺もちゃんと接客しなきゃって気持ちになる。もちろん、どのお客さん相手もそういう気持ちを持っているけど、こういうお客さんは普段よりもしっかりしようと思ってるんだ。買い物していってくれて、俺の気分までよくしてもらったんだからこっちも何かで返そう。でも店員の俺に出来ることって接し返すことしかないから、その分気合を入れて接客する。

 

「お待たせしましたー、2,046円頂戴いたしまーす」

「はーい、じゃあ5,000円でお願いします」

 

 おばさんにお釣りを返して、俺は精一杯の笑顔で送り出した。ふぅー、仕事したって感じするなぁ……

 みんな、あのおばさんみたいに愛想良くしてくれれば俺たちレジ部も快く仕事が出来るんだけどなぁ。けど、それってどうなんだろう。俺たちがお客さんに愛想良くしていないから、お客さんが返さないのか。

 答えは出ないだろうなぁ、さっきのおじさんたちのような人たちに愛想を良くした所で反応は変わらないだろうし。

 

 平行線辿ってんなー、そう思っているとまたしてもお客さんがやってきた。

 

「おー、兄ちゃん今日も仕事か。昨日も仕事してたろ」

「シフト週4ですからねー、むしろ休みの日が珍しいっていうか」

 

 働き者だなぁ、とおじさん。このおじさんはここへ来れば惣菜、卵はおまけ。そしていくつかのお酒をいつも買っていく。箸をつけるのは暗黙の了解となっている。つまりは常連さんだ。

 よく俺が入っている時間に来るし、何度か話しているうちに俺のいるレジに入る事が多くなっているけど、おじさん曰く偶然らしい。本当かなぁ、偶然にしてはすげー頻度だけど……そういうことにしておこう。

 

「うし、じゃまた来るからよ。そんときも頼むわ」

「ありがとうございましたー、またどうぞー」

 

 おじさんが手を上げて応える、顔は見せない。背中で語る、渋いなぁ。みんなさっきのおばさんやおじさんみたいになってくれればいいのに。

 あぁ、あと……穂乃果ちゃんや雪穂ちゃんとかね。

 

「楽しそうだね」

「まぁね、愛想良くしてもらえると俺も楽しいし頑張れるから……は?」

 

 いけね、つい素の声が出た。それを受けて君を傾げる首、違うくみをかしげるきび、でもなくて首を傾げる君。

 

 

 …………。

 

 

 

 ……………………。

 

 

 

 ………………………………。

 

 

 

 

 

「(きたああああああああああああああああああああああああああ!?)」

 

 なんで、なんで、なんでいるの。今日雨だよ? 雨降ってるときにわざわざ卵買いに来なくてもいいじゃん、濡れるよ風邪引くよ? で、本音は?

 ありがとうございますッッッ!!! 全身全霊で、おもてなしの時間だ!!

 

「雪穂ちゃんは?」

「雪穂のことが気になるの?」

 

 どっちかっていうと君の方が気になる。ただ卵2つなのに人間1人だと片方163円になるからさ。周囲を見渡してもいない……うーん。

 迷った挙句、俺は停止板を立てた。これでこのレジにはお客さん来ないし、他のスタッフで十分対応できるでしょ……うるさい! 俺は穂乃果ちゃんに今日会えた感動に浸ってるんじゃい!

 

「というか……隠れてて見えなかったけど、卵3つあるんだね」

「うん、もう1人来てるんだ。今雪穂と一緒に他の物探しに行ってるけど」

 

 なるほど、雪穂ちゃん以外にもう1人来てるのか。お母さんかな、俺のこと覚えてるかな……考えるのは止そう。

 

「にしても、すごい雨……車で来たのにびしょ濡れだよ」

 

 そう言う穂乃果ちゃんは確かにいつもよりは厚着だった。前よりは長いハーフパンツにオレンジ色のTシャツ、その上から白いパーカーを羽織っていた。パーカーの腕は半袖に出来るタイプで夏場は涼しそうだった。

 

「オシャレだね……」

「え、なになに?」

 

 なんでもないです!! 独り言です!! 見逃してください!! あぁ、でも首を傾げてぽかんとする仕草ほんま可愛いなぁ……くっそ嫁に欲しい、ちょっとやめないか。

 

「それで、愛想良くしてもらえると仕事頑張れるの?」

 

 痛いところ突かれたー……不真面目なやつだって思われたらどうしよう……なんて心配は無用だったらしく、穂乃果ちゃんはなんか「ぺかー」って効果音が聞こえてきそうな眩しい笑みを浮かべてくれた、うおっまぶし!

 

「これでどう?」

「いや、なんか……ありがとうございます」

 

 癒された、はぁーもう穂乃果ちゃん可愛いなぁ。マジで太陽……穂乃果ちゃんマジで俺のお日様。しかし時間というのは残酷だ、どれだけゆっくり商品を流そうといずれ終わりが来てしまうんだ。時間の悪いところは必ず訪れることなんだ。良いことは過ぎ去っていくこと、できれば過ぎ去ってほしくないんですけど。

 

「そういえば、明日花火大会だね~」

「ん? あぁ、隅田川の?」

 

 そうそう、穂乃果ちゃんはそう言って財布を開いた。残念ながらお会計の時間です、穂乃果ちゃんから代金を受け取ると、お釣りを渡す。ちなみに卵代だけど、彼女のことを信用してあと2人いるという前提で会計を済ませた。あんまりこういうことしちゃいけないんだけどな……今はそれよりも。

 

「もしかして、穂乃果ちゃん花火大会行くの?」

「えっ? あ、あぁ~うん……ゆ、雪穂が一緒に行こうって!」

 

 なんだかばつが悪そうに穂乃果ちゃんがどもる。どうしたんだろう、姉妹で花火大会見に行くってそんなにおかしいことかな?

 

「ど、どうせ雨が降って行けないよ、あは、あはは!」

「そうかなぁ、明日は晴れると思うけど」

 

 明日にはさすがに風も雨も止んでるんじゃないかな、っていうかどうしたんだ彼女。様子がおかしいぞ、隠し事……ま、さか……男か!?

 鬱だ、死のう……先を越された……みんなすまねぇ、俺はこれまでだ………

 

「で、でさ……もし良かったら一緒に見に行かない? あ、でも……明日もバイトあるよね」

 

 はぁ~……俺のバカ、俺のバカ、気の利いたこと言えないし空気は読めないし背は低いし…………ん?

 

「ごめん、もう1回言ってもらっていい?」

「え?えっと、明日も仕事あるよね?」

「多分その前」

 

「うぅ……恥ずかしいなぁ……あの、あのね……明日良かったら花火大会行かない? 仕事が入ってるなら、諦めるけど……」

 

 ふむふむ。

 

 なるほどね。

 

 つまりは、明日仕事無かったら花火大会に行きませんかとそういうことか。

 

 そうかそうか、ん?

 

 

 

 

 

 ん?

 

 

 

 

 

「(まっ、マジかぁぁぁぁぁぁああああああああああああ!?)」

 

 信じらんない、どっかに雪穂ちゃんが隠れて俺の様子観察してんじゃないの? え、これドッキリじゃないの? 穂乃果ちゃんパーカーのフード被って押し黙っちゃうし……え、これマジなの?

 他所のレジの喧騒がガラスの向こう側のようなフィルターがかかって、音がぼやける。

 

「そ、それ、それって、いわ、いわゆるで、デデデ、デートってやつじゃないのか……?」

 

 どうする俺……確かに、明日シフト入ってないぞ。奇跡的になんのシフトも入ってないはずだぞ!! どうする、どうすんのよ俺!

 湧き上がっていた、羽が生えて俺の心有頂天で雲の上。だから、今自分が呟いてるなんて露ほども思ってなくて。

 

 フードを被ったまま俯いたままの穂乃果ちゃん、微かに見える首の部分まで真っ赤に見えた。

 対して俺、大口開けたまま固まっている。2人して微動だにしなかったが……俺は全神経の放つGoサインに背中を押されて、ついに―――

 

「お、俺なんかでよかったらぜ――――」

 

 ひ、と言おうとしたその時。停止板を無視して籠が置かれた。俺はちょっと俺以上に空気を読めていない闖入にさすがに文句の1つも言いたくなって―――戦意を喪失した。

 そこには、強面の作務衣を纏った男が立っており、その後ろからは雪穂ちゃんが顔を覗かせて舌を出して苦笑していた、悪戯? じゃなくて……

 

「か、会計お願いします」

「は、はい……ただいま」

 

 雪穂ちゃんに促されるまま、やってきた籠から商品を取り出して隣の籠へ移す。その際、チラッと一瞬だけ男の人の顔を窺う。

 憤怒か威圧なのか分からないほどの迫力に思わず変な声を上げそうだった。その目には「うちの娘に何か?」という意思が込められてる気がした。「うちの娘"が"何か」じゃないところがポイント。

 

「お、お待たせしましたー」

 

 愛想よく、愛想よく、いいか少しでも笑みを崩してみろ殺されると思え。俺はそーっと、目上の人間に献上するように籠を運んだ。会計をささっと済ませると、その男は穂乃果ちゃんと一緒に作荷台で荷物を纏め始めた。

 

「ゆゆゆ、雪穂ちゃんあれ誰!」

「お父さんだよ、お姉ちゃんたちの空気がただならぬ様子だったから思わず飛び込んじゃったんだね」

 

 マジかよお義父さん、あっまだ早いっての。旦那、旦那? 小物かよ俺は、小物か。

 

「でも、明日の花火大会……まさかお姉ちゃんから誘われて来ないなんてことは……」

「い、行きたいさ。でもシフト入ってないか、確実に分かってるわけじゃないし……」

 

 穂乃果ちゃんと対の黒いパーカーを身に付けている雪穂ちゃんは嘆息するとフードを被って不意に俺の耳元で不思議な数字の列を唱え始めた。俺は爪で腿をなぞりながら記憶する。

 11桁の数字の文字列、最初の3文字のおかげですぐ分かった。電話番号だ。

 

「明日の朝くらいには連絡してよね、私の気遣いを無駄にしないでほしいなぁ」

 

 ニヤニヤと俺の胸を小突く雪穂ちゃん、俺は雪穂ちゃんよりも父親の隣で袋に荷物を詰めていく彼女の横顔が気になった。

 朱に染まった頬と、心なしか緩んでいるように見える口元。俺が好きな、穂乃果ちゃんのレアな横顔。

 

 正直これだけでも十分な気はするのだ、だけどさっきだって言いかけた。きっと大丈夫だ、他の誰かにチャンスを譲るようなことはしたくない。

 

 ―――じゃあ、やってやろうじゃん。花火大会デート作戦じゃああああああああッッ!!

 

「じゃあね、お兄さん。()()()()♪」

 

 悪戯っぽく笑いながら雪穂ちゃんが去って行く。急いで次のお客さんを捌くも、俺の脳裏にはさっきの穂乃果ちゃんの姿や雪穂ちゃんの言葉だけが浮かんでいた。

 そうだよ、なにはともあれ男が女とイベントに出歩くのだ。これは誰がなんと言おうと立派なデートだそうだそうだ、そういうことにしてくれ。

 

 でも、まさかお父さんまで来ないよな……? もしそうなら、明日は戦争になりそうだな……

 

 

 




さっそく色つき評価になってお気に入り登録が増えたので、ある意味夏の記念回です。
たぶん明日明後日につながります。



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夏祭りデート編
バイトが休みだから、初恋の子に会いに行った。その1


※今回オサレだったり汚いネットスラングまみれです、ご注意ください。


 

「よし、かけるぞ……やっぱ無理だよぉ~、絶対無理~電話なんか出来ない~」

 

 翌朝、天気は快晴。だけど昨日の雨の影響か蒸し暑さがやばい、だというのに昨日あれだけ吹いていた風が吹いていない、ただ暑いという地獄。

 俺はさっきから、厳密に言えば3時間前くらいからスマートフォン握り締めて画面と格闘していた。

 

「まぁ落ち着け、こんなときはスレ立てだ。頼れる同士に力を借りよう」

 

 PCの前の椅子に腰を下ろすと、いつも使ってる掲示板サイトでスレッドを立てる。

 

 その名も―――!

 

【バイト戦士なんだが初恋の子に出会った】

 

 スレが経つと1レスとして、書き込みを入れておく。

 

 1:バイト戦士「デートに誘われたんだけど、どうしたらいい?」

 

 2:名無し「>>1 糞スレ乙」

 

「うるせぇバカ野郎! こっちはマジなんだよ!」

 

 と、つい画面の向こうの誰かに向かって声を荒らげるが、心優しい他の住人たちがいろいろと言ってくれる。

 

 3:名無し「とりあえずスレ主と相手のスペック教えろください」

 

 む、まぁ相手を知るのは戦いの基本。というわけで俺が知ってる限りの穂乃果ちゃんの情報(コアなのはさすがに省く)を乗っけてみる。

 

 4:バイト戦士:「俺19歳チビガリ。彼女19歳、背は俺よりちょっと小さいくらい。スタイルは普通。笑顔が可愛い。髪型はサイドアップ、降ろしているところは見たことない。妹がいる、ちなみに妹に俺の好意が気付かれている模様。超絶ハイスペックな幼馴染がいるけど最近はあんまりお話して無いらしい。」

 

 5:名無し「べた惚れwww」

 

 6:名無し「自分より相手の方が詳しい件について」

 

 7:名無し「むしろその幼馴染が気になる」

 

 いやいや、頼むから俺にアイディアをくれ。しかし、物好きな住人たちはさらに情報を要求してきた、この乞食共め……

 

 8:バイト戦士「小学生の頃、6年間一緒のクラスだったんだけど中学上がって高校終わるまで1度も会ってなくてこないだ偶然再会してからお熱」

 

 9:名無し「存じております」

 

 10:名無し「とりあえず>>1が今日隅田川の花火大会に行くところまで想像できた」

 

 お前雪穂ちゃんだろ、そう言いたくなるくらいの特定班の仕事の速さに思わず叫びそうになる。まぁ、確かにそういう感じ。その旨をスレッドに書き込み続けていく。

 要は、俺は彼女が好きなんだけどデートするのは性急すぎないか、焦りすぎたりしてキモがられないか、でも断ったら2度と機会が来ないんじゃないかとかそういう不安を文字にしていく。

 

 それだけでわかってくる、本当はどうしたいのか。ただ、俺は背中が押してほしいんだ。後一歩進む勇気、厳密にはスマホの通話ボタンを押す勇気。

 

 それから、ただ単純にレスが増えていって、俺が出す情報が無くても勝手にみんなで盛り上がっていく。

 

 ――スレ主頑張れ。

 

 ――末永く爆発しる。

 

 ――帰ってきたら報告して、どうぞ。

 

 不特定多数、匿名の人間からの応援っていうのはなんとも嬉しいもので、俺はいつの間にかスレを開きながらスマホを手に取っていた。

 震える手で番号を押していく、そのたびにスマホの振動が指から腕へと伝わり大きな波になる。11桁の数字を打ち込んだあと、俺は緑色の"通話"キーを親指で強く押し込む。

 

「ゴクリ……」

 

 わざとらしい効果音のあと、俺はスマートフォンを耳に当てる。プルルルル、という呼び出し音が重なるたびに心臓の導火線が短くなっていく。

 っ、呼び出し音が止んだ! 行け俺、ハートの全部でアタックだ!

 

「もしもし!!」

『も、もしもし?』

「あの、今日の花火大会ですけど……俺で良かったら同行させてください!! 」

 

 言い切った、俺偉い! スマホ片手に掲示板になんとかオーケーの返事を出したと書き込む。

するとバイト戦士からバイト勇者にランクアップしてた、やったぜ。

 ……じゃなかった、電話の先の穂乃果ちゃんは……

 

『はぁ~、ビックリした。じゃあ来てくれるのね?』

「う、うん……行き、ます」

 

 や、やばい。ちょっとニヤニヤが止まらない。うふふ、デートだってよ。デート、穂乃果ちゃんとデートォ!!

 

 

 

『―――じゃあお姉ちゃんに伝えておきますから、5時にうち来れますか?』

 

 

 

 …………はい?

 

「もしもし、もしかして……穂乃果ちゃんじゃない?」

『はぁ……もしかしてお姉ちゃんだと思ってました? さすがに姉の電話番号勝手に教えたりしませんよ』

 

 雪穂ォォォォォォォォオオオオオオ!!! ……ちゃん!! それはあんまりだぁぁあああ!!! ハートブレイク! だがしかしよく出来た妹でお兄さん感心だよ!!

 

「まぁいいや、5時でしょ? 大丈夫だよ」

『はーい、じゃあまた後で。くれぐれもフライングしないように』

 

 わかってまーす、いいさいいさ残った時間で仮眠とってー作戦立ててー着ていく服決めてー、走れば間に合う!

 というわけでおやすみなさい! 掲示板のみんな、報告を待っててくれ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………ハッ!? おい、今何時!?

 まだまだお日様は空高くにいるのを窓から確認、慌ててスマートフォンを手繰り寄せて起こす。そして、デジタルな時計は「16:37」と無慈悲に映し出していた。

 

「一大事!!」

 

 俺はとち狂ったように着替えを取り出すと全裸で部屋を飛び出し、シャワーを浴びてバスタオルで一拭きした状態にチノパンと清潔感だけは立派な地味シャツを身に付けて腕時計と財布とスマートフォンを引っ掴んで自転車に跨る。

 

「オンユアマー、ゲッセッツ?」

 

 いいから、走れ!! 休んでる場合じゃねえ!! 仮眠時間が多すぎて、見事に作戦もくそもないまま俺はひたすらペダルを漕いだ。赤信号で急停止すると後輪が浮き、ガシャンと凄まじい音がする。今日が無事に終わったら修理に出してやろう。

 腕時計の針はどんどん"12"に向かっていく。短い針は5に食い込んでいた、ギリギリのところで俺はまたしても信号に引っかかる。

 

「少しぐらい遅れるか……?」

 

 ダメだ、バイト戦士が遅刻なんか許されるか。バイトといえど仕事は仕事、そうとも雨が降ろうと勤務時間前には必ず着いていたんだから今だって間に合う!!

 ……数分後、辛うじて残り30秒付近で懐かしい和菓子屋が目に入った。コンクリートにタイヤ根を残しながら急停止、相変わらず後輪からすごい臭いがするけど今はそれどころじゃない。

 

「き、緊張するな……変なところないかな、かっこいいかな」

 

 かっこいいわけねー……まぁいい、変なところが無ければいい。俺は意を決して穂むらの引き戸を開けると、クーラーの風が出迎えてくれて火照った身体に安らぎを与えてくれる。あ~気持ちいいぃ~……じゃなくてぇー!

 

「いらっしゃいませー」

「こ、こ、こ、こんっにちは!」

 

 グダグダー! 挨拶の途中でどもるなぁ! するとカウンターの穂乃果ちゃんのお母さんはクスクスと笑っていた。うっはー、恥ずかしい……でもあの頃から、7年近い月日が経っているのに久しぶりに見渡した店内に変わった様子は無くて、落ち着くんだ。

 

「いらっしゃい、やっときた」

「じ、時間には間に合ってるよね?」

「まぁね、あと……もう少し準備に時間かかるからゆっくりしててよ」

 

 君、なんか昨日からやけにフレンドリーじゃない? だいぶタメ語だよね、まぁいいんだけどさ。いいんだけどさ? お兄さんの威厳が行方不明になっちゃうよ。

 

「もしかして、君が穂乃果の言ってたスーパーの店員さん?」

 

 穂乃果ちゃんどんな話し方してんの~……? すげぇ覚え方されてるじゃん……と思ったけど

ただのスーパーの店員か。ハハハ、泣ける!

 

「えっと、小学生の時は穂乃果ちゃんと同じクラスで……こないだ偶然俺のレジに来てくれて、みたいな」

「聞いてる聞いてる、初めて会ったときは雪穂しか覚えてなかったんでしょ? ごめんなさいね、無神経で」

「いや、俺も忘れてたんでお相子で」

 

 そう言うとおかあさんはお腹を押さえて笑い始めた。そんなに面白いのかな、俺たちの関係。

っていうか、マジでどういう覚え方されてるんだ俺。もし雪穂ちゃんがあること無いこと吹き込んでたら俺この場で腹を切るよ。

 ……あぁ、無神経でってことは、知ってるんだなぁ……雪穂ちゃんあとでたこ焼き奢ってあげるね、くっそ熱いやつ。すまんさっき腹を切ると言ったな、あれは嘘だ。

 

「お待たせー」

 

 雪穂ちゃんが店の奥から出てきたので、無言の圧力を笑顔で放っていたんだけど……正直言葉を失った。開いた口が塞がらない、顎が外れた。

 

「お、お待たせー」

 

 ゆ、か、た。

 

 浴衣だぁぁぁぁぁあああ!! しかも、なんか雰囲気が違うと思ったら髪を結ってるんだ。いつもの側頭部じゃなくて後頭部で。なんていうのかな、お団子みたいな髪型。でも和菓子屋の娘がお団子って結構シャレてるかも、うん黙ります。

 

「じゃあ、行こ?」

 

 いつも持ち歩いているバッグじゃなく、小さなクラッチバッグを手に提げている穂乃果ちゃん。浴衣は着慣れないのか、やっぱり変なところがないか確かめていた。なんだかさっきまでの俺みたい。

 それじゃあ、いざ。鋼の心で再び引き戸に手を掛けて、振り返る。

 

「雪穂ちゃんはいかないの?」

 

 確か、昨日は雪穂ちゃんが一緒に行こうって誘ったんじゃ……そう思って尋ねてみると、またしても俺の顎が外れてしまう。

 

「そうだったんだけどー、学校の友達と行くことになってさー。お兄さんよりは友達が大事だから、今日はパス」

 

 辛辣!? いや、でもまぁ学生の間に友達と祭りに行くって大事なことだから、優先するのは間違ってないよ。ただし言い方がひどい、お兄さん泣きます。

 ……ってあれ、俺もしかして、もしかしなくても……穂乃果ちゃんと2人っきり? マジ、嘘、マジで?

 

「2人っきり……?」

「……うん」

 

 こくり、とこっちを見ないで答える穂乃果ちゃん。ふへへ、これは夢だ。俺はきっとまだ仮眠中なんだ。

 

 

 

「ふぅ…………そっかー2人っきりかー(よっしゃあああああああああああああああ!!!)」

 

 

 

 あかん、口元が緩むふふふ。いやぁ失敬失敬。だがよ、初恋の子に再開した挙句たった1ヶ月の何気無い付き合いからデートに誘われちゃったわけで? 顔が緩まないって方がありえないじゃない?

 行ってきます、穂乃果ちゃんがそう言って外に出る。俺も後を追いかけようと外に出ようとしたときだ。

 

 昨日の、強面の男性が店の奥から下駄の音を響かせてやってきた。

 お、お、お父さんッッ!! 相変わらず凄まじいプレッシャー、睨み合ってるだけで膝を屈しそうだ……!! でも負けない、あたし負けない! 男の子の意地を見せてやる!!

でも漢の生き様見せられたらさすがに負けます。

 

 しかし、穂乃果ちゃんのお父さんはスッと頭を下げた。な、なんばしよっとか!?

 

「お姉ちゃんをよろしくお願いします、だって」

 

「わかるの!?」

 

 恐るべし高坂一家、意思疎通は並の人間以上のようだ。いつか俺にも分かるときが来るのか。俺はついていけるだろうか、会話(きみ)のいないお茶の間のスピードに。

 とにかく、相手の両親公認のデートと履き違えて行ってこよう。外に穂乃果ちゃんを待たせてる。

 

 

 楽しみだな、花火。

 




すまんな、本格的なデートは明日なんだ。すまない。
それと某掲示板パートは超適当ですので、揚げ足取らないでね。お兄さんとの約束だ。

感想評価ぼんぼん、ありがとうございます。
なんかもう開き直ると、めちゃくちゃ嬉しいです!


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バイトが休みだから、初恋の子に会いに行った。その2

 

 電車に乗って、上野駅を目指す。さすがにこの時間からの移動はみんな考えることらしくて、ちょっと電車の中は混んでいた。席は当然埋まってるし、立っている乗客間の密度がすごい。必然的に密着しちゃうんだけど、すげぇ良い匂い。

 

「穂乃果ちゃん、大丈夫? 移動する?」

「ううん、ここでいいよ。ちょっとでも動いたら他の人に悪いしね」

 

 なんてお優しい……でも、浴衣ともなると立ちっぱなしはきつくない? って思って下を見たらク○ックス穿いてた、浴衣とのミスマッチ感すげぇけど長く歩くだろうし下駄よりはいいのかもしれないな。

 うーん、どこ探してもやっぱり空きの席は見つからないし……ここから隣に移動するにも人が混みすぎて下手に動けない……なら。

 

「よし、俺が椅子になるよ」

「え、なに?」

「ごめん、なんでもない」

 

 さすがにこの状況でお馬さん根性はまずいよ、公共の場で四つん這いになって椅子になってる男とか惨め過ぎる。でも穂乃果ちゃんが座るなら全然有りかな、うんやばいねこいつ。

 せめて寄りかかれるところ、ドア付近とか……次の駅で降りる人、そんな見込めないだろうけど準備はしておくか。

 

 そして吊り革に掴まりながら揺られること数分、電車の速度はゆっくりになりやがてピタッと停まる。反対側の出口が開き、社会人風の男たちがゾロゾロと出て行く。思ったより人が動いたな、よし。

 

「穂乃果ちゃん、人が入ってくる前に移動しよう」

「そうだね」

 

 人が移動するのに合わせて波に乗りながら、出口付近で立ち止まる。だけど本当に思ったより人の波が移動するから、押されて電車から下ろされそうになる。危ない危ない。

 

「わっ、わわっ!」

 

 しかしどうやら穂乃果ちゃんが電車から流されてしまった。電車から降りた人はある程度分散するから、穂乃果ちゃんもすぐ戻ってこれるようにはなった。なったんだけど……

 電車のドアが閉まる前の警告音、みたいなのが流れ出す。そしてドアが遠慮がちに動き始める。俺は何とか隙間から外へと抜け出した。慌てて抜け出したから、シャツが挟まれたけどなんとか引き抜けた、危ねえ。

 

「電車、行っちゃったね」

「そうだね、まぁ数分すればまた来るからさ……気にすることないよ」

 

 ……っていうか、電車を降りたリーマンの皆様ドサクサにまぎれて穂乃果ちゃんにセクハラしてないだろうな。もししてたらひどい目に遭うぞ、俺が。

 そうだった、俺は一応お父さんやお母さんや雪穂ちゃんから穂乃果ちゃんを任されているんだし、浮かれてる場合じゃないよな……よし、気合入れるぞ。ファイトだよ俺。

 

「あ、ごめん電話だ……もしもし」

 

 そのとき、ポケットのスマホが振動したので穂乃果ちゃんに断りを入れて通話ボタンを押す。やれやれ、誰だこんな大事なときに……

 

『あ、繋がった。お兄さん今どこ?』

 

 雪穂ちゃんだった。いったいどうしたんだろう、もしかして今から合流するのかな?

 

「今、秋葉。ちょっと手違いっていうか、運悪く電車を降りざるを得なくなって」

『そうなんだ、まぁ電話したのはちょっと釘を刺しとこうと思って。いくら祭りの日だからってあんまり非常識なことはしないでね』

 

 しねーよできねーよ、出来てたら19年生きてて童貞やってないわ。ちくしょう、目頭が熱くなりやがる……涙が止まらないぞぅ。

 

「やるなら段階踏めって言うんでしょ? 分かってるって」

『本当にね、お姉ちゃん泣かせるとお父さん怖いよ?』

 

 たぶん雪穂ちゃん泣かせても俺の命は無いだろう、肝に銘じておきます。まぁ、うん……さすがの俺もそこまでがっついたりしないよ、というかそう見られてるのかな。

 チラ、と電話中に横目で穂乃果ちゃんを眺めてみる。なんだかいつもの調子じゃないっていうか、あの頃の面影が今日だけは見えなかった。とにかく大人しくて、髪型もいつもと違うせいで似た顔の別人に思えた。

 

『それと、オシャレした女の子はちゃんと褒めたり、感想言ってあげないと男失格だからね。いくら思ってても言葉にしないと伝わらないことってあるんだから』

 

 年下に恋愛のイロハを叩き込まれる俺、いかに恋愛素人かが窺えますね~……泣きそう。でも確かに、浴衣の穂乃果ちゃんを見て俺は確かに何も言ってない。見惚れたり、勝手にはしゃいだり……ったく、何やってんだ。

 

 俺は雪穂ちゃんとの通話を切ると、スマホをしまう。そして午前中の電話のときのプレッシャー再来、穂乃果ちゃんのところへ戻るための脚が重い。いや、ここでへこたれるもんか。そうだ、俺はバイト戦士。どんなお客さんからも、決して逃げたことの無い男だ。

 そんな俺が、女の子から逃げるなど!! ……本音を言えば、逃げ出したい。それとなーく今日を楽しみたい。でも、ある種マナーみたいなものだし―――

 

「あ、あのあの、あのさ、あのっ」

 

 壊れたラジオみたいになってしまった、穂乃果ちゃんは振り返ると首を傾げる。なまら可愛いな、ほんま可愛いな。

 

「その、言うのが遅れたっていうか……ちょっと申し訳ないっていうか、その……浴衣、にあ、似合って、る……」

 

 顔が熱い、たぶん真っ赤だ。言われる側より言う側の方が恥ずかしいんじゃなかろうかこれ。対して穂乃果ちゃんはクラッチバッグで顔を隠しながらこちらを窺っていた。

 マジで今日は様子がおかしいぞ、穂乃果ちゃん。なんとかしないとな……

 

「あ、ありがとう……男の子に褒められるの、初めてだから結構照れるね」

「そうなんだ……」

 

 可愛い! 可愛い!! なんだこの生き物は、俺を確実に萌え殺せる戦略兵器じゃないのか、ってくらい可愛い。頬を真っ赤にしてパタパタと手で仰ぐ穂乃果ちゃん。

 

「あ、暑いね今日……タオル持ってきててよかった」

 

 そう言ってクラッチバッグからハンドタオルを取り出した穂乃果ちゃんは顔や首周り、そして鎖骨付近を丁寧に拭き始めた。そのときだけ、俺の目は充血するかってレベルで強く見開かれていたかもしれない。

 鎖骨、鎖骨、穂乃果ちゃんの鎖骨……やばい、ちょっと……っふふ、やばい鼻血出そう。顔が緩みますぞ、いかんいかん。

 

 無心。そう意識しなければ、自己主張の強いやつが暴れだしそうだった。意識している時点で無心ではないのだが、そんなこと気にしてられないくらい色っぽい鎖骨。

 そうだよなぁ、浴衣の舌には下着なんかつけないもんなぁ……俺の集中は3秒も持たないのか。

 

「あ、電車来たよ! じゃあ行こ」

「う、うん」

 

 穂乃果ちゃんが入り口の横に立つ。俺はもちろん彼女の後ろをキープする。なぜかって? 不埒な輩から彼女を守るためさ、俺が1番不埒くさいのはこの際置いといてだ。

 電車の扉からまたしてもいっせいに人が降りていく。流れが止まったら、今度は入っていく。1番前の穂乃果ちゃん、その次俺と続いていき、またしても電車の中はいっぱいになってしまう。

 

「座っていいよ、俺は立ち慣れてるからさ」

「ありがとう、そうするね」

 

 空いている席が1つしか残ってなかったので、俺は穂乃果ちゃんを座らせた。慣れない浴衣で疲れるだろうから、今ぐらいは座っててもいい。帰りで俺が寝る可能性? むしろ穂乃果ちゃんの寝顔を拝むために死ぬ気で起きてるね。

 しかし、また混んだなぁ……吊り革も少し湿っている、前の人の手汗か……嫌だなこれ。ズボンで手汗を拭おうとしたとき、大きく電車が揺れた。

 

「おっと……あっぶねー」

 

「あっ……」

 

 目の前に、穂乃果ちゃんの顔があった。瞳の奥には、俺がいた。目が合うなんてもんじゃない、ド至近距離で見詰め合っていた。バランスを崩した際に、思わず穂乃果ちゃんの後ろの窓に手をついていたみたいだった……ってぇ!?

 

「ごめん、びっくりした!」

「ほ、穂乃果もびっくりしたぁ……あはは」

 

 ぶわぁっと全身から湧き出す汗、慌ててズボンで手を拭うと吊り革に掴まった。その際後ろの人にぶつかったがそれどころじゃなかった。すみません、慌てていたもので。

 穂乃果ちゃんはというと、苦笑いを浮かべていた。にしても危なかった、意識してなかったけど穂乃果ちゃんの顔がほんの数cm先にあった。もしあれがもっと強い揺れだったら、俺に命は無かっただろうなぁ。主にお父さんに脊髄引っこ抜きの刑で。

 

 ふぁ~、顔が熱い! パタパタ、と俺も顔を必死こいて仰いでいるときだ。車内のクーラーがこっちに向いた瞬間、俺の鼻になんだか大人の臭いが寄ってきた。間違いなく、酒の臭いだ。

 未成年からは嫌悪の対象でしかない酒の臭い、その元を突き止めることは容易だった。明らかに赤い顔でフラフラしている中年のおじさんがいた。吊り革に掴まっているのがやっとというほど泥酔している。

 

「穂乃果ちゃんちょっと」

「え、えっ? どうしたの?」

「別に、ただ君みたいに可愛いのはちょっかい出されれやすいから……」

 

 俺は穂乃果ちゃんに立ってもらうと、そのおじさんと穂乃果ちゃんの間に割って入る。俺の身体がもう少し大きければよかったんだけど、そうもいかないから。

 そう思って振り返ったときだった。そのおじさんの姿はなくなっていた。嘘でしょ、怪奇現象……?

 

 と思ったらちゃんといた、けど……やっぱり俺の思った通りだった。音ノ木坂学院の制服を着た女の子にちょっかいを出していた。やれやれ、見てなければ見送ったのに……

 

「ここにいて」

 

 穂乃果ちゃんにそう言って俺は人混みを縫って進む。ようやく出口周辺の広いところに出ると、おじさんは女子高生相手に少し近づきすぎなくらいべったりしていた。女子生徒も、露骨に嫌がってるわけじゃないからおじさんも気を良くしている。放っておいても問題なさそうに見えるけど、おじさんの目がさっきからスカートにしか向かってないから見放せない。

 しかし、踏み切れないなぁ……あの子がせめて嫌がってる仕草でもしてくれれば間割ってけるんだけど……どうやら優しすぎるらしい。

 

 そのときだ、ついにおじさんはフラついた振りをしてスカートに手を伸ばし、思い切り上へ捲り上げた。白だ!!! 違うそうじゃねえ!

 

「ストップ! おじさん、さすがにやりすぎ」

「あぁんどうした兄ちゃん!! おっ、なんだよ離せよ! 離せってのおら!!」

 

 俺がおじさんの腕に掴みかかる、もちろんできるだけやんわりと。だけどおじさんは男に絡まれたのが不愉快なのか、俺の手を振り払った。しかし俺の拘束が緩かったせいで、女子生徒の顔におじさんの手が当たってしまった。

 女の子の顔に不可抗力とはいえ、乱暴するなど許せん……!!

 

「俺が怒らないうちに隣の車両に移った方がいいですよ」

「なんだと!? てめぇ俺を脅そうってのか!」

「少なくともあと数分で駅に着きますよね、駅員さんに通報することも出来るんです。悪いことは言わないからさっさとどっか行け」

 

 少しだけ怒気を含ませた声が効いたのか、おじさんは人にぶつかりながらも隣の車両へ移動した。しまった、てっきり隣の車両って言っちゃったけど……隣の車両でまたやらかしたりしないよな。

 とにかく、今はさっきの子に怪我がないか確かめないと……

 

「君、大丈夫? 顔に手が当たってたよね」

 

 そう聞くと、女子生徒はこくりと頷いた。だけど、どうやら目に当たったりはしてないみたいでおでこの部分に当たったみたいだ。これなら目立たないし、痣にもならないだろう。

 

「あの、ありがとうございました!」

 

 突然、頭を下げられてしまった。感謝されることでもない気がするけど……周囲もなにニヤニヤしながらこちらを見ていやがるのでしょうか。俺は慌てて手を振った。

 

「いやいや、なんていうかあのおじさんもやりすぎだなって思ったから……」

 

 どうしてもお礼がしたいとか言われないよな? 俺は君が見せてくれた白いあれだけで十分だから、気にしないでおくれよ。思ったけど俺キモイね。

 

「大丈夫? 何かあったの?」

「あ、穂乃果ちゃ―――」

「穂乃果さん!」

 

 そのときだった、同じように人の間を縫って穂乃果ちゃんがやってきた。瞬間、周りの温度が少し高くなって男性陣から向けられる視線に棘々しさが見えるようになった。気持ちはわかる、だが落ち着いてほしい。俺は片思いなんだ。あなた方が思ってるような関係じゃないんだ、悲しいことにね!!!

 

「どうしたの?」

「花火大会に行く予定なんです、雪穂ともそこで集合って」

 

 雪穂? ってことは、この子が雪穂ちゃんの友達? 可愛いなぁ、小動物みたい。っていうか今気付いたけど、彼女すごい綺麗なプラチナだ……地毛かなぁ? でも結構日本語流暢だけど、こっち長いのかな?

 とりあえず彼女の名前が分からないし……そうだな、境遇的にエルメスたんと呼ばせてもらおう。

 

 穂乃果ちゃんとエルメスたんが話している、俺は混ざれない。よくあるよね、2人でいるときに相方が旧友に会うと疎外感を感じるあれ。うん、寂しくなんかねーやい。

 ……嘘です、寂しいから構ってください。

 

 しかし俺の思いも空しく、結局エルメスたんは電車を降りるとそのまま走って行ってしまった。名前すら聞けなかった、どうやら俺は予想以上に女子相手にヘタレるようだった。

 

「とにかく、着いたし行こうか」

「うん、何食べよっかなぁ~」

 

 さっそく食い物っすか、色気より食い気。でも十分色っぽいっていうね、隣を歩いてるだけでくらくらする。それくらいの色気が穂乃果ちゃんにはあった。

 駅のホームを出ると、ぞろぞろと浴衣を着た女の子たちが1つの方向目指して歩いていた。中にはカップルみたいな人たちもちらほらいた。心底羨ましい、俺だって勇気があれば穂乃果ちゃんとなぁ……

 

 なんて思っていると、だいたいのカップルがしていた。していたってのは、手を繋いでいた。

 俺は横目で隣を歩く穂乃果ちゃんに視線を送ると、どうやら花火に出店が楽しみみたいで少し高ぶってるみたいだった。

 

 いける、かな……

 

「あの、あのさ……穂乃果ちゃん」

「なに?」

 

「俺ぇ~……その~、この辺あんまり来たことなくってさ。はぐれたらたぶん、探しに行けない

から……手、手を繋ごう」

 

「……うん、いいよ。それじゃ、手を繋ごう!」

 

 穂乃果ちゃんが、俺の左手を取る。その瞬間、鳥肌と一緒に炭酸の泡みたいな興奮が全身を駆け巡った。どうしよう、手汗拭ってねぇ……!

 めっちゃドキドキする、これが恋か……予想以上に甘酸っぱいなふふふ、キモチワルイな俺。

 

「暖かいね」

「むしろ暑いくらいかな」

 

 心臓が早鐘を打つ、弱すぎず強すぎないくらいに穂乃果ちゃんの手を握ってみると同じくらいの力で握り返されて、速すぎる鼓動が1周回って心臓が止まりそうだった。

 

「じゃあ、改めて出発!」

 

 浴衣集団を追いかけるように、俺たちは歩き出す。花火も出店も関係ない、とりあえず……

 

 今が最高だなって本気で思った。

 

 




エルメスたん、古いですかね。というか俺の年齢がバレそう。
ちなみに今作のエルメスたん、誰かは分かりますよね。ハラショー妹です。

たぶん数日後に主人公宅にKKE印のペアカップが届くんじゃないでしょうか(適当)

感想評価ありがとうございます、いつも嬉しいです。

それと、なんだか切りが良い気がしますが続き書きましょうか悩みますね。
このままでも良いような気がしますが。



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バイトが休みだから、初恋の子に会いに行った。その3

ようやっと書き終わった←
というか、これでいいのかという葛藤が多くてですね……



 茜色の空へ花火が上がり、その花火も見納めとなった頃。思わずはしゃぎまわって、くたくたになっちゃったぜ。

 駅への道のりがだいぶきつかったけど、繋いだ手から穂乃果ちゃんの熱が伝わってきて心臓は早鐘を数時間の間打ち続けていた、よく生きてたな俺。

 そう、俺は花火を待つ間も出店を回るときも、出店で会計を済ませるとき以外は穂乃果ちゃんとずっと手を繋いでいた。あと3週間くらいは手を洗いませんぐふふ。

 

 電車へやっとのことで乗り込む、神田駅まではたった2駅しかない。けど、割と限界に近かった俺たちに救いの手が差し伸べられたかのように空き座席が2つあった。周りの人には悪いけど穂乃果ちゃんを1番端に座らせて、俺がその隣へ腰を下ろした。なぜ穂乃果ちゃんを端にしたか? 穂乃果ちゃんの隣に座っていいのは今は俺だけだからだよ!! 文句あっか!

 

 すまない、今穂乃果ちゃんの隣は俺専用なんだ。

 

 まさにすま穂。

 

「すごい楽しかったね~!」

「本当、さっきから俺すごいしか言えてないもん」

 

 他の乗客の迷惑にならないように、俺たちは小声で談笑する。しかし気にしなくてもいいくらい、周りは花火の感想なんかで盛り上がってた。この車両はあれか、2次会会場か何かか?

 それから秋葉駅を通り過ぎた頃、不意に穂乃果ちゃんが握った手に力を込めてきた。なんだろうと思って顔を向けると、穂乃果ちゃんは寝息を立てていた。こくりこくりと前へ傾いては持ち上がる頭、なんだこの超絶可愛い生き物は。

 手がすごく熱い、穂乃果ちゃんが前に傾くたびうなじの部分が見え始める。このままだと起きたときに首を痛めるかもしれないな。

 

 そこで俺の頭の中に現れる天使の俺と悪魔の俺。相談者である俺と2人で円卓を囲んでいる。

 

「あの、このままだと穂乃果ちゃん首を痛めかねないよね。どうしようか」

 

 俺が尋ねると、先制したのは天使だった。

 

「そうだね、少し浅く座って肩の位置を下げてあげて肩を枕代わりにしてあげれば? 前よりは横のほうが楽だと思うけど」

 

 そう言うと悪魔の方は意地悪そうな笑みを浮かべて言った。

 

「それ採用、首に負担がかかると思って枕になったよって言えば大丈夫だろうし、お前正直やりたいんだろ肩枕」

 

 さすが悪魔の俺、俺のことは1番分かっているみたいだった。そしたら今度天使の俺が挙手して言った。

 

「やっちゃえよ、良い匂いするぜきっと」

「お前実は悪魔だろ! 俺の頭の中には煩悩しかねぇんだな!!」

 

 脳内会議は音速で終了、この間わずかコンマ1秒。俺はすすす、と座席に浅く座ると肩の位置を下げる。そして軽く穂乃果ちゃんの身体を揺らすと振り子みたいにフラフラしながら、俺の肩にトンッと頭が乗った。

 やべぇ!! これやばい!! すげぇ気持ち良い! 穂乃果ちゃんの頭、俺の肩に乗ってるぅぅぅぅ!! ちょ、反対側のガラスに穂乃果ちゃんに恋人みたいに寄り添われてる奴がいますぞ、羨ましいですぞ……あ、俺かうふふ。

 

 穂乃果ちゃんの浴衣が、首で引っ張られて微かに肌蹴そうになる。んっっふぅぅぅぅ、ごちそうさまです。うん、死ね俺。

 ちょっと尖った唇、規則的な寝息、ちょっと首を捻れば見えるうなじ、そして穂乃果ちゃんの匂いの全てが俺の理性を含めた全てを緩く攻撃してきていた。

 

 あぁ、電車さん停まって。走行中に補強工事って言って電車停まんねぇかなぁ!! 停まらないかぁ! 残念だなぁ死のう……

 

 しかし俺の願いも虚しく、本当に電車は走り続け神田へとたどり着いてしまった。電車の揺れがゆっくりになると、穂乃果ちゃんは自然に目を覚ました。すごい、俺だったら折り損ねるところだぞ。

 

「おはよう」

「おは、よう……? あっ、ごめん重かったよね!?」

 

 いえいえ、あれが幸せの重さなんだなぁって改めて思った。はーめっちゃ穂乃果ちゃんおんぶしたい、さすがに引くわ。俺が俺にドン引き。

 ガバッと離れていく穂乃果ちゃん、寂しいなぁ……もしかしなくても、俺と密着してるのが嫌とかじゃないよね? 一度可能性を思いつくととことん沈む……

 

「じゃあ降りよう? 入り口閉まっちゃうよ」

「あ……」

 

 勢いよく立ち上がった穂乃果ちゃん、そして長らく繋がっていた俺たちの手は解かれてしまった。手の中に残る穂乃果ちゃんの熱の余韻は、まるで祭りが終わったあの寂しさのようだった……泣きたい、うわぁん。

 まぁ、今日という日を堪能したし良しとするか! 穂乃果ちゃんにはエルメスたんのことも聞きたいと思ってたし!

 

「はい、じゃあ帰るまでまた手を繋ごう?」

 

 穂乃果ちゃああああああああああああああああん!!! ありがとう、神様仏様穂乃果ちゃん様ありがとう……ありがてぇ。

 

「よっ、ふふ、ふひひ……ごめんごめん、よろこんで」

 

 拙者、初デートが初恋の子でしかも手を繋ぐなどという堂々のスキンシップを長時間、しかも2回行えましたぞ。幸せで明日槍が降ってくるかもしれない、降ってきても避けられそうだった。今なら竹槍だろうがグングニルだろうが避けられそうな気がした、でも穂乃果ちゃんが降ってきたら全力で受け止めちゃうなぁ参ったなぁさすがにキモイよ俺~。

 

駅から出ると、そこからはあっという間だった。穂乃果ちゃんの実家こと穂むらに着くまで俺たちは話すこともなかった、いや話したかったんだけどなんか黙ってる方が心地よい空気だったからさ。

結局無言を貫いて、穂むらまで辿り着いた。時間的にはまだ営業中なわけだし、少し甘いもの食べていこうかな。そういえばエルメスたんのことを聞きそびれていた、この際雪穂ちゃんに聞いた方がいいかもしれないな。

 

「無事に帰ってきたことも報告しないとね」

 

ガラガラと引き戸を開けて、入っていく。すると、営業中でもお客さんはゼロだった。やっぱりみんな2次会とか行ってるんだろうな。

 

「ただいまー」

 

穂乃果ちゃんがそう言うと部屋の奥からバタバタと雪穂ちゃんやお母さんが出てくる。お母さんはなんだか俺の顔を見てニヤニヤとニコニコの中間くらいの顔を浮かべて笑っていた。髪型が変? そんなことはなかった。

 

「あっ」

 

バッと穂乃果ちゃんが手を引っ込めた、そういえば繋いだままだったっけ。あ、お母さん違うんです俺たちそういう関係では、いやなりたいけど。

そのあと穂乃果ちゃんはお母さんに急かされ、部屋の奥に消えていった。着替えるのだろう、俺はちょっと図々しいかと思いながらテーブルに着いた。

 

「なにか、注文ありますか?」

「えっと、じゃあ餡蜜と雪穂ちゃんで」

「キャバクラじゃないんだからさぁ!」

 

メニューで頭を引っ叩かれた、むぅ……借りにもお客さんなんだけどなぁ……いけないいけない、お客様は神様だがそれを掲げて大きな顔をする客は神じゃない、むしろ紙屑だ。シュレッダーにかかって塵芥になればいい。よく見れば雪穂ちゃん、顔を真っ赤にしていた。ははぁん、俺に散々恋愛の教えを説いたくせにお主さては初心なネンネだな!?

 

「……それで、お姉ちゃんとはどこまでいったんですか?」

「へ? 隅田川の花火大会だけど……」

 

俺がそう言うと雪穂ちゃんは心底呆れた、みたいな顔をした。な、なんだよ俺なんか悪いこと言った?

 

「そうじゃないです、チューしたとかないんですか?」

 

ぶふぅっ!? 思わずお茶を噴出した、危ない危ない。いや、危なくねーよ。もう噴出してるんだよ、ちなみに雪穂ちゃんこれをお盆で回避……っていやいや!

 

「ねーよ!? だって釘刺したの雪穂ちゃんじゃん!」

「えー、夏祭りで2人っきりなのにキスもしなかったんですか? お兄さんもしかしてヘタレ?」

 

悪かったな! 甲斐性無しで悪かったな!! そりゃ俺だって手を繋ぐだけじゃなくておんぶとかさ、もっと濃密なスキンシップしたかったよ!! けど、友達だから!! まだそこまで発展してないから!! ちくしょう泣きてえ!!

 

「……冗談です、さすがにふざけすぎました」

「いや、本当冗談じゃないよ? 一瞬手を出さなかった俺を呪ったからね?」

 

涙目で訴えると雪穂ちゃんはクスクスと笑い出した、ちくせう年下のくせにぃ……っと、そうだそうだ。

 

「そういえば、雪穂ちゃんも花火大会来てたんでしょ、エルメスたんと一緒に」

「エルメス、たん……? 誰ですか、それ」

「えっと、プラチナで背が雪穂ちゃんよりちょっと小さくて穂乃果ちゃんの知り合い」

 

勢いで羅列したが、どうやら検索結果該当有りらしかった。雪穂ちゃんは店の奥に引っ込むとすぐ戻ってきた、そして1人の女の子を引き連れていた。

背が低くて、綺麗なプラチナの髪に、子犬のような愛くるしい顔。というか、

 

「エルメスたんだ!」

 

つい大声を出してしまう、するとエルメスたんは首を傾げるがやがて俺の顔を覚えててくれたのか、手をパンと合わせて寄ってきた。

 

「さっきのお兄さん!」

「……やっぱり、亜里沙が言ってたのはお兄さんだったか。お姉ちゃんが一緒にいたわけだし、間違いないとは思ってたけど」

 

雪穂ちゃんがなんだか機嫌悪そうに言う、そんなぷりぷりしないでよ。この子、亜里沙ちゃんっていうのかぁ……さらばエルメスたん(仮称)。

 

「初めまして、絢瀬亜里沙です。雪穂の同級生で、音ノ木坂学院3年生です!」

「亜里沙ちゃんね、よろしく。俺は……そうだな、しがないバイト戦士。今朝方、晴れてバイト勇者にクラスチェンジしたんだよ」

「バイト勇者……さんって言うんですか? ハラショー……」

 

いやいや、バイト戦士もバイト勇者も名前じゃないって。けど呼びたきゃ戦士でもいいし、勇者でもいいよ。うん、俺は病気なんだな。

……亜里沙ちゃん今ハラショーって言ったか? 確かロシア語だろ、うちの近所にもロシア語を使うお姉さんがいるから知ってるんだぜ。

 

と、俺が知識(笑)を披露していると雪穂ちゃんが亜里沙ちゃんに耳打ちをした。と思ったらまた頭突きされた、なんか俺より彼女の頭が心配。

 

「あの、応援してますから!」

「おい何を喋った雪穂ちゃん」

 

お兄さん怒らないから言ってごらんなさい。……あっ、こら待ちなさい! 雪穂ちゃ~ん! お兄さん怖くなーい! ユキホマイフレンド! あぁ麗しの雪穂嬢! 俺の義妹になってくれ!!

 

「っていうか、お兄さんはもう少し自分に向いてる好意に気付けば……近い、近い!!」

「さぁ白状しなさい、絢瀬・エルメェス・亜里沙ちゃんに何を喋ったのかな」

「ミドルネーム!? っていうかお兄さん本当に近いからぁ!」

 

さすがに接近しすぎて雪穂ちゃんの間合いへ飛び込んでしまった、当然俺に襲い掛かるお盆のクリティカルヒット。めっちゃ痛いです。

 

「……そもそも、その反応は何話したのか気付いてるでしょ」

 

「予想と確定は近くて1番遠い何かだよ、覚えておきたまえ」

 

ごめんなさい、すかした態度取った俺が悪かったからもう殴らないで、死ぬ。

亜里沙ちゃんが俺のたんこぶを撫でてくれる、なんだこの子天使か。こうやって世の男どもを虜にしているのか……亜里沙ちゃん女子高通いだったっけか、つまり百合か素晴らしいな。音ノ木坂は花園だったのか。

 

「亜里沙、手が腐っちゃうよ」

「ひどい! もういくらなんでもひどい!! お母さんに言いつけてやる!! もちろん雪穂ちゃんの!」

 

小学生か、しかし思ったより効果はあったようで雪穂ちゃんは目に見えてうろたえた。ははぁ~ん、そうだよなぁお母さん知ってるもんなぁ、俺が穂乃果ちゃんのこと好きだって知ってるもんなぁ。まさかその妹に酷いこと言われまくってますなんて言われたくないよなぁ、そうだよなぁ……ド外道か俺。

 

「さて、冗談はこれくらいで。餡蜜頂きます」

「冗談じゃなかったくせに……どうぞ、召し上がれ!」

 

それから俺は餡蜜を食べてる様を亜里沙ちゃんと雪穂ちゃんに観察され続けた。何か、君たちの生まれた星では男が何かを食べる様ってのはそんなに珍しいことなのか。そんなにジロジロ見られたら食べ辛いじゃないか、やれやれご馳走様おかわりください。

 

「あれ、帰ってなかったの?」

 

ズシャア、俺が机に突っ伏す音。それは、帰れってことですかね……しくしくしく、悲しい。感情を失いそうで悲しい、失ってねーじゃねえかキレそう。

 

「お姉ちゃんのこと待ってたんだもんね?」

「え、ちょっ、待っ……」

 

おのれ雪穂ちゃんめ……どうしてくれる、彼女の目の前で顔真っ赤にして恥ずかしいじゃないか。しかし穂乃果ちゃんは花火大会の会場を回ってるときと違って、いつも通りだった。

そう、いつも通りニコニコしてて誰にでも優しいような笑顔を浮かべていて、さっきまで一緒にいたのは別人だったんじゃないかって錯覚を覚える。

 

「そっか、嬉しいな……ご氏名ありがとうございます」

「キャバクラか」

 

思わず突っ込む、それで穂乃果ちゃんと雪穂ちゃんやっぱり姉妹だなって思った。貧乏性が祟って残ってしまった黒蜜を啜る俺、なんだかやけに甘い気がした。

 

 

 

やがていつもとは違って俺がお客さん、穂乃果ちゃんが店員さんとして会計を済ませる。名残惜しくも穂むらを後にし、あれから何時間も停めさせてもらっていた自転車に跨る。

すると再び穂むらの扉が開かれた。気になって振り返ると、そこには穂乃果ちゃんが立っていた。

 

「今日はありがとう! すっごい楽しかったよ」

 

「こちらこそ、たぶん10代で最高の思い出だよ」

 

穂乃果ちゃんはそう言うと、手を後ろに隠して空を見上げた。俺も空を見ると、東京の空だというのにやけに綺麗に星が見えた。

 

「綺麗だね」

 

君の方が綺麗だよ……ふふっ失敬さすがに笑う。でも、穂むらから漏れる光で照らされながら空を仰ぐ穂乃果ちゃんは冗談でもなんでもなく、本当に綺麗だった。

 

「明日、パンの日だよね?」

 

突然そんなことを聞かれた、確かに卵特売日の1日後はパンの日だ。俺が頷くと穂乃果ちゃんは、

 

 

「――会いに行くね」

 

 

満面の笑みで爆弾を落としていった。手を繋いでいたときと同じくらいドキドキして、穂乃果ちゃんの顔を見ることが出来なかった。

だが!! 俺はバイト戦士、来てくださるお客様には最高のおもてなしをさせていただく!

 

「ご来店、お待ちしております」

 

途端に恥ずかしくなって、俺は自転車のペダルを思い切り踏み込んで走り出した。あの再会した日のように舞い上がった俺は自転車をかっ飛ばし、自宅の前にまた大きなタイヤ根を刻み込んだ。

ただいま、我が家。家族はどうやらまだ外出中らしく、俺は自室に閉じこもると窓を開け、扇風機を強でつける。

 

 

 

753:バイト戦士「いない間に伸びすぎw」

 

754:名無し「バイトキター!!」

 

755:名無し「おかえり、首尾はどうだ」

 

本当にいない間に書き込まれまくってるな、みんなして俺と穂乃果ちゃんのデート風景想像してる。穂乃果ちゃんそんな口調じゃねえよ、とか、俺もそんなこと言わねえよとか微笑ましい書き込みばっかりだ。

俺はとにかく今日の出来事を文字に起こし始めた。

 

 

764:バイト戦士「とりあえず手を繋いだった、今日はそれくらいかな」

 

 

 

 

 

 

 




これにて夏祭りデート編完結! 明日から日常です。

感想評価ありがとうございます、いつも読んではやる気もらってます。
返事はだいたい更新した直後辺りか直前になってますが、頂いた時点で目は通しております。

重ねてありがとうございます。



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穂むらでバイト編
パンの日だから、初恋の子が会いに来た。


 

 バイト戦士になって、早1年。ありそうでなかった経験が、俺を襲っていた。

 

「ママー!! うわぁあああん!!」

 

 泣き喚く少年の頭を撫でながら、彼のことをここまで連れてきてくれた穂乃果ちゃんとサービスカウンターで待機していた。穂乃果ちゃんもどうにか泣き止ませようと笑顔を向けたり頭を撫でたりしているんだけど、これまた効果が薄い。

 主任は事務所だし、時期が時期だから他の店員も対応に追われてる。じゃあなんで俺が今こうして暇やってるかっていうと、レジを上げてしまったから。もう撤収済みだからお客さんの相手したくても出来ないのだ。

 というのも今日は珍しく朝から夕方まで、つまりいつも働き始める時間までのシフトになっていた。つまりそれを穂乃果ちゃんに伝え忘れていたので、穂乃果ちゃんは当然いつも通りの時間に来た。俺がレジを上げてしまったと言うと心なしか残念そうな顔をしていたかもしれない。

 

 じゃあ帰ろうかな、と穂乃果ちゃんが言ったので送っていくよと言う勇気が出なかった矢先、この迷子少年がやってきたのだ。帰り際だった俺は主任に目をつけられ、退勤したことになっているにも関わらずサービスカウンターでこの少年の相手をすることになってしまった。そしたら穂乃果ちゃんが付き合ってくれるって申し出てくれたのだ。

 ちなみにそのときの会話だけど、

 

「私でよかったら付き合うよ?」

「マジで!?」

 

 とまぁ、勘違いして大恥を掻きました。この場に雪穂ちゃんがいなくて本当に良かったわ。いたら笑い者じゃすまなかっただろうなぁ。でも、俺はカウンターの中穂乃果ちゃんはカウンターの外で男の子と一緒、俺が隔離されています。助けてください。

 男の子は未だに泣き続けている。お母さんとはぐれるって心細いもんなぁ、俺にも覚えがある。ちなみにこれは秘密だけど、小学校1年生のとき穂乃果ちゃんはお母さんと一緒に学校来ては「ママ帰っちゃやだー!」って泣いてたんだぜ。あの頃から気になってたし、よく覚えてる。うふふ、あの頃の穂乃果ちゃん可愛かったなぁ。いや、今が可愛くないとかそんなんじゃないから。今は今で大人の可愛さ持ってるから、そこんとこ気をつけて。

 

「うぅぅぅぅぅぅぅ……」

 

 居辛い、何も出来ない手前この場に居辛い。とにかく、名前を聞き出さない限りはどうにもならないんだよなぁ……よし。

 

「君、名前はなんて言うの?」

「……」

 

 少年は答えない。それどころか俺の顔を見て、穂乃果ちゃんにしがみついた。て、てめぇ……! そこは俺の席だぞォォォォォォォ!!!

 がるるる、と牙を剥いて威嚇するとさらに穂乃果ちゃんにくっつく少年。許さん、君のような若造にすま穂はまだ早い……まだ早いぞ!! いいか、すま穂ってのは一流のバイト戦士のみが使用を許される至上の魔法なんだよ!!

 それを義務教育中の子供に横取りされて堪るか!! というわけで、俺はカウンターを出て少年とは反対側に腰を下ろす。どうだ少年、もはや隣に座ることなんか造作も無いんだよ!!

 内心嫉妬に狂い続ける俺を他所に、穂乃果ちゃんが少年に尋ねた。

 

「僕? 僕って歳でもないか、お名前はなんていうの?」

「……りく」

「りくくんか、苗字は?」

「……袴田、ぐずっ」

 

 泣くなって、正直子供相手にムキになりすぎたよ。ただな、たとえ子供とはいえ穂乃果ちゃんに抱きつくのはやめてくれ、心臓に悪いし死ぬほど羨ましい。ハンケチーフ持ってたら噛み締めて引きちぎってたぞ。

 とにかく、男の子の名前が分かったし内線でアナウンスをかけるか。と言っても、サービスカウンターのアナウンスは業務連絡用なので正直効果は薄い。なので事務所に頼むことにした。事務所へと内線を繋ぐと受話器を耳に当てる。

 

「こちらサービスカウンター、迷子さんのお名前分かりました。袴田りく君、年の頃は恐らく7歳から9歳くらいかと。

 自分が子供であることを利用して女の子にしがみつくなどというスケベで無口で羨まけしからん男の子ですが、お母さんとはぐれて不安そうなのでアナウンスお願いします」

 

『お、おい? どうした、大丈夫か?』

「あ、いえなんでもないです。とってもいい子です、えぇ俺には懐いてませんけど」

 

 気にしてないから、子供受け悪いことあんまり気にしてないから。受話器を壁に掛け直すとしばらくして店内アナウンスが流れた。りく君のお母さんはしばらくしたら来るだろう。それまで相手を―――

 

「お姉ちゃん、好き」

「本当に? ありがとう~!」

 

 俺の方が好きですぅぅぅぅぅぅぅ!! 何年片思いしてると思ってんだてめぇ!! ふーっ! ふーっ!! ちくしょう、子供なんぞに……子供なんぞに俺の恋心はわからん!!

 などと嫉妬に狂うなんてレベルじゃないくらいりく君に敵意を剥き出しにしていると、買い物籠をカートに乗せた女の人がやってきた。どうやら彼女がりく君のお母さんらしい。

 

「ママ!」

「ごめんね~、お買い物は済ませたからもう帰ろ」

 

 お母さんもどうやら安堵したようだ。子供とはぐれるのは親も落ち着かないものなんだな、だってカートの押し方がガチだったもん。後もう少し速かったらたぶん何人か轢かれててもおかしくなかったもん、母は強し。

 

「あなた方が、りくの面倒を?」

「あ、俺は店員なんで。お礼なら彼女に、りく君の相手はだいたい彼女が」

 

 俺はお母さんにそう言ったんだけど、それでもお母さんは俺にも頭を下げてお礼を言った。いや、本当に俺なにもしてないんで。むしろりく君相手にめちゃくちゃ嫉妬してましたから、恥ずかしいことこの上ない。

 そんな俺の懺悔を他所にお母さんは穂乃果ちゃんにお礼を言った。けれど穂乃果ちゃんは笑ってそれを受け取った。やがて袴田親子が去って行くとき、りく君が穂乃果ちゃんに向かって手を振ったので俺も手を振り替えしたら睨まれた、そんなに俺が嫌いか。

 

「俺もあの子くらい素直になれたらな」

「どういう意味?」

「あ、いや……か、帰ろう! 家まで送るよ」

 

 いつか、俺は君を腕の中に迎え入れることが出来るだろうか。君は俺を受け止めてくれるだろうか。

 わっかんないな~、今は何とも言えない。でも、2人っきりのデートをこなしたから距離は近づいている気がした。だというのに出口に向かう途中、なぜか手を握る勇気は出なかった。

 

「そういえば、穂乃果ちゃんは子供好きなの?」

「うん、学生のときはよく近くの幼稚園とかにボランティアに行ってたよ」

「そうなんだ、保母さん向いてるなぁって思ってさ」

 

 今はもう保育士だっけか。でも穂乃果ちゃんなら、子供たちに囲まれてきっと人気者になれるはずだ。その姿を想像していると、ぐふふ頬が緩みますよ。俺の頭の中に子供に囲まれながらオルガンを弾き、子供たちと一緒に歌う穂乃果ちゃんの姿が浮かぶ。さらに子供がお昼寝の時間には隣で添い寝……添い寝ェェェ!!!

 いいなぁ、子供いいなぁ添い寝とか素晴らしいじゃん。抱きついても合法じゃん、子供すげぇじゃん。うわー今ほど大人になりたくないって思ったの初めてだわ、なお時既に遅い模様。

 

「穂乃果は無理だよ……君は、なんでも出来そうかな」

「そんなことないって。こんな俺でも仕事が嫌になったことがあるよ」

 

 今でこそ、商品を早く正確に流すことが出来るけど、それは時間があったから。レジ部の人手不足が原因で仕事に多く駆り出されたからってのはある。

 初心者だったのに、数日で基礎を覚えろだとかむちゃくちゃ言われたことがある。ちなみに同僚の室畑くんはその辺りからの付き合いだ。同じタイミングで仕事を始めたから、意気投合も早かったり。

 

「へぇ、そうなんだ。なんか意外だなぁ」

「意外?」

 

 俺が尋ねると穂乃果ちゃんは俺の顔をまじまじと見て、うんうんと頷きながら言った。

 

「いつも、仕事楽しくやってるように見えるけど」

 

 それは、穂乃果ちゃんが俺のレジを使ってくれるから。卵の日みたいに、会いに来てくれるから頑張れてるだけだよ。それ以外の日は手を抜いたりするし、人並みに現金な奴だったりする。

 けど穂乃果ちゃんはそんなことを知ってか知らずか、また向日葵みたいな笑みを俺に向けていた。

 

「それは……まぁ、最近は仕事が楽しいから」

 

 曖昧な返事で言葉を濁すことしか出来ない。なんて答えても、穂乃果ちゃんに気持ちを打ち明けかねないからなぁ。生憎ヘタレなもので、そんな勇気は無い!

 

「穂むらは忙しいの?」

「うん、絶賛バイト募集中だよ」

 

 …………なん、だと?

 

 バイト募集中? 穂むらで? 俺が? 働けるだと……?

 これはチャンスか、いやチャンスだ間違いない。穂乃果ちゃんが言ってくれてるんだから間違いないって!

 

「あ、でもバイトの人が来たら穂乃果のお小遣い減っちゃうなぁ、それは困るかも……」

 

 え……今気分的にラブレターもらう夢見て目が覚めた気分、察して。

 

「だって、それだと卵の日はともかく、パンの日は会いに来れなくなっちゃうから」

 

 夢じゃなかったー!! もらう夢見て、あー鬱だってなったら下駄箱にぶっこまれてたやつ!! なんだ今日は、昨日のハイスコアの影響がまだ残ってんのかな!!

 じ、じゃあ……勝負に出てみないともったいないんじゃねえの……!!

 

 それとなーく、自転車を跨いで反対側へ移動して穂乃果ちゃんの手を握ろうとして、俺は両手が自転車のハンドルを掴んでいることに気がついた。

 速報、ハイスコアボーナス終了。くそっ、自転車置いてくればよかった。まぁ、いいか。昨日ずっと手を繋いでたんだし、がっついてると思われるよりは踏みとどまった方がいい。

 

「確かに、穂乃果ちゃんここのところずっと来てくれてるもんね。そろそろ財布が寂しくなっちゃうかもね」

「そうそう、そうなの! だから、ちょっとは抑えないとダメかなぁ~って」

 

「それは……俺が寂しいから、なんか嫌だなぁ」

 

 一応、卵特売日は週に1日しかないしパンの日は2日。単純計算でも週3日は会いに来てくれてる。それだけで満足しないといけないんだけどねぇ、やっぱ穂乃果ちゃんに会いたいしさぁ……

 

「寂しい、って穂乃果に会えないのが?」

「うーん……え、あっ!? もしかして声に出てた!?」

 

 しまった痛恨のミス! 夕焼けが頑張っても隠し切れないほど顔が赤くなってる気がする。うっわ恥ずかしい……

 

「いや、ほら、そうだよ! 穂乃果ちゃんとここのところ毎日会ってるし会えない日があると寂しいっていうか……やばい何口走ってんだ!?」

 

 やばいよこれ、もう弁明出来ないんじゃないのかなああああああああ……しかし俺のその呟きの意味は考えなかったのか、穂乃果ちゃんがじゃあと提案した。

 

 

「やっぱり、うちでバイトしてみる……? 今なら穂乃果が、いろいろ教えてあげるよ?」

 

 

 俺の一日の自由時間が減る音がした。とりあえず今日は履歴書買ってこようと思いました。




すま穂:一流のバイト戦士のみが唱えられる最上級魔法。穂乃果ちゃんに関する何かで独占が可能。成功率はバイトレベルによって上昇する。

迷子の男の子って結構仲良くなりやすいんですが、敢えて僕が仲良くなれなかった子を参考にしました。なお袴田りく(仮名)ですのでご心配なく。

そして、夏デートを終え新章突入!
最近ランキングに乗れているのもひとえに皆様のおかげでございます。
ポッと始めた短編が元ですが思いの他反響も多く、楽しんでいただけてるんだなと嬉しく思います。

感謝と共に、皆様に改めてすま穂の魔法を送りたいと思います。

すま穂!


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バイトの面接で初恋の子の実家に行った。

タイトルオチ←


 

 本日は晴天なり、晴天なり。

 

 東京の和菓子屋ランキングで数年前からトップを独走中の穂むらの前に、1人の男が経っていた。

 その姿は正装というわけではないが、堅実で清潔感を醸し出していた。堅すぎず、柔らかすぎずのラインだ。

 

 ……まぁ、俺だけど。鏡を見て、必死に髪型をセットしてきた。こないだの夏祭りデートより気合入っていたと思う、泣きたい。

 面接……雪穂ちゃんから直々に日程を指定され、わざわざその日のシフトを交換してもらった。主任に頼むと2つ返事だった、最近売り上げが俺のレジだけ10万以上増えてるかららしい、ありがてぇ……

 

「よし、じゃあ……行くか」

 

 何度も潜った扉を、意を決して開く。すると、フロントには誰もおらず思わず拍子抜ける。

 

「いらっしゃい」

「うおわびっくりしたァァァ!!」

 

 なんと背後を取られてた、夏だというのにパーカーの雪穂ちゃんが後ろにいた。お主いつの間に、おかげで寿命が4世紀半縮んだぞ。長寿過ぎるんだよなぁ……

 しかし参った、面接官に背後を取られたということはお腹痛いので帰りますが出来ないということだ。俺は店の中に通される、普通に席に着いたら怒られた。どうやら店の奥の居間で面接するらしい、おいマジか。

 

「失礼します」

「固くなりすぎじゃない? もっとリラックスしないと」

 

 なるほど、穂乃果ちゃんのお父さんは剛の(つわもの)。リラックスとは身体の力を抜くこと、つまり雪穂ちゃんが言いたいのは柔よく剛を制すってことだな!!

 

 なんてことを考えているうちにエンカウント、ってあれ……高坂家、穂乃果ちゃん以外勢揃いじゃね? お母さんにお婆様までいらっしゃるんですけど……

 

「どうぞどうぞ、座って」

「あっはい、失礼します」

 

 お母さんが隣の座布団をぽんぽんと示したので、そこに座らせてもらう。退路を断つ意味か、反対側に雪穂ちゃん。そして向かうは穂乃果ちゃんのお父さんとお初のお婆様。

 お婆様はニコニコして、俺にお茶を淹れてくれた。ビジネスマナーでは出されたお茶は実は飲まない方が良いのだが、ここまで良くしてもらうと残すほうに罪悪感を感じるのでフーフーしながら飲むことにした、そしたら火傷したちくしょう。

 

「今日は……んんっ、本日はよろしくお願いいたします!」

「だからリラックスしなよ……」

 

 雪穂ちゃんが俺の足の裏を抓ったり突いたり擽ったりする、が残念だったな小娘。俺の出来ないことの1位は正座だ、既に足裏に感覚は無いのだよ。触られてるということが辛うじてわかる状態、これは立てない詰んだ。

 ちなみに自重という言葉も知らない。迷ってる時間やくすぶってる時間は無駄だって散々思い知ったしなぁ。

 

「…………」

「どうして、うちで働く気になったの?」

 

 お父さんの無言のプレッシャー、加えてそれを翻訳するように隣でお母さんが言葉にする。

 

「その前に、あの……今穂乃果ちゃんは上ですか?」

「今はお使いに行ってもらってるわよ、家の中にいる人はこの部屋にいる人間だけ」

 

 そうですか、そう言って俺は意を決する。そうだ、迷ってる時間は要らない。

 

「穂乃果ちゃんの力になりたいんです、彼女自分でなんでもかんでも出来るかもしれないけど……じゃあ言い方を変えます。穂乃果ちゃんの傍にいたいんです」

 

 がたん、お父さんが身を乗り出す。そのとき、俺は大蛇に丸呑みされたような、管の中をずるずると引きずられるような感覚。

 だけど、俺は逃げない。決して、決して! 逃げられないの間違いじゃない! 本音を言うとお邪魔しましたって帰りたい。

 

「この際ぶっちゃけます……俺は彼女が買い物のとき、わざわざ俺のレジに来てくれるのが死ぬほど嬉しい。それだけで他のお客さんにも幸せのお裾分けしたいと思えるし、穂乃果ちゃんに何かお礼が出来ないかとか常々ずっと考えてて……正直、お父さんとかお母さんとか雪穂ちゃんとか……ご家族全員に迷惑かけたりするかもしれないけど、それでも彼女の隣で仕事がしたいんです」

 

 逃げられないのなら、素直な気持ちを吐露する。そうとも、俺は高坂穂乃果が好きで、ここの和菓子が大好きで、なによりバイト戦士なんだ。

 やったことのない職種に、手を出してみたいというこの気持ちも嘘じゃない。和菓子というものが、どういう風に生まれてくるのかのプロセスが知りたい。

 

 俺が言い終えると、お婆様がゆっくりと手を叩いた。パチパチと、静かな拍手だが和やかな顔をしていた。そしてお母さんは真剣そうな顔をして、お父さんへを仰ぐ。

 

「どうします?」

 

 お母さんがそう尋ねると、お父さんは深く頷いてうんうんと唸っていた。何気に声は初めて聞いたかもしれない。しかし彼の顔が上がるのを俺は心して待った。

 やがて、

 

「不誠実、よって不採用……だそうよ」

「うっそーん!?」

 

 ええええええええええええええええええ!! そんなバカな!! 完璧に決まってると思ったんだけどなぁ、あれぇおっかしいなぁ……って違うそれどころじゃない!

 

「お願いします! ここで働かせてください!!」

 

 立ち上がって頭を下げる。何度も何度も、脳みそが揺れるくらい速く強く頭を下げる。しかしお父さんは何も言わなかった。

 

「残念だけど……」

「そんな! なんでもします! 雑用からでも構いません!! ここで働かせてください!!」

 

 最終手段として、俺は畳に頭を思い切りこすり付けた。バイト戦士を極めた者のみが正社員から伝授させる秘奥義『土下座』!! これでダメならお手上げだ!!

 

「お願いします、お願いします……!!」

 

 必死に、懇願するように。ここで働けなければ家族を養えないという背水のお父さんの気持ちになって、畳に頭をたたきつける。

 

「いや、だからね……?」

「穂乃果ちゃんを俺にください!!」

「何言ってんの!?」

 

 くそぅ、ダメか!? 雪穂ちゃんに突っ込まれてしまうがそれどころじゃないんだ!! ここで働かせてください!! 聴こえますかお父さん、今私は貴方の頭に直接語りかけています……!!

 

「(ここで働かせてください!!)」

「……」

 

「あのね、ここまでしてもらって悪いんだけど……ドッキリよ」

 

「ドッキリかーい!!」

 

 思わず頭を上げる、しかしその時居間特有の低いテーブルに後頭部を思い切りぶつけた。鈍痛ってレベルじゃない痛みが頭に響いて震える。それだけじゃなかった、なんだか熱い液体が首筋から背中に入っていく。

 

「って熱ぅい!!」

 

 身長に頭を上げると、俺のお茶だった。どうやら俺の頭突き(事故)でもって湯飲みが倒れて、零れたお茶が俺の頭に掛かったらしい。めっちゃ熱い、フーフーしないと飲めなかったお茶が身体にかかったらそりゃあ熱い、ひりひりする。

 

「もう、大丈夫?」

「大丈夫じゃないです、心身ともにすげーダメージ受けました」

 

 後頭部にはたんこぶと火傷、加えて服はびしょびしょだ。雪穂ちゃんが濡れタオルでもって首筋や頭を拭いたり、打撲部分の痛みが分散するように撫でてくれた、ちょっと気持ちいい。

 

「で、ドッキリっていうのは?」

 

 俺が失礼ながらジト目で尋ねると、お母さんは苦笑いしながら弁明を始めた。

 

「雪穂から、全部聞いてるの。君が穂乃果と同じ小学校で、穂乃果のことが好きだってこと。だから、さっきの志望理由は親として嬉しかったなぁ」

 

 苦笑いしていたはずのお母さんがいつの間にかニヤニヤしながらこっちを見ている。なんだか腑に落ちないので雪穂ちゃんの頬をぐいっと抓った、柔らかい。

 って見ればお父さんも顔を赤くして頬を掻いていた。お茶目か!! この人強面のくせに実はお茶目か!!

 

「それに人が足りないってのは、結構事実なの。穂乃果目当てでここに来るお客さんって結構多いのよ」

 

 そりゃあ穂乃果ちゃん可愛いし、って……ぬわんだってぇぇぇぇぇえええええええ!!?

 

「お客さん!? 多い!? それ全員男っすか!?」

「そうね、男の子の方が気持ち多いかな? うちの娘は男の人に人気で困っちゃうわね」

 

 ホクホク顔でそう言うお母さん、対して絶句する俺。何が実家の手伝いしてれば男っ気はないだアリアリじゃねえか!! 自分の認識力の甘さに腹が立つね!!

 それに雪穂ちゃんだって、もう高校3年のお姉さん。そりゃあ年頃の男どもからすればドストライクだろうよ、雪穂ちゃんどうにも軽装だし今日だってパーカーの下は普通にキャミソールにホットパンツ、どう見ても誘ってる。いや、誘って無くてもその格好は男には毒よ。

 

「とにかく、採用よ。穂乃果に手取り足取り教えてもらって早く1人前になってね」

 

 あ、はぁ……なんだか波乱の予感だけど、本当に大丈夫なのか? 俺はお婆様から作務衣を手渡された、抹茶色のザ・和菓子屋みたいな感じの作務衣だ。着方は、実は知ってる。

 今日からでも働けるように一応調べてきたのだ。

 

「じゃあ今日は厨房周りを見学して、仕事の流れを覚えてもらおうかしら」

 

 そう言ってお母さんは俺を店に通そうとした、のだが。

 

「すいません、もう少し待ってもらってもいいですか……足が動かへん」

 

 あーあかん、あかんあかん、これあかんやつや。ちょっとそこのガール、今触ったら胸揉むぞ。どうやら俺の手の形と眼力が伝わったらしく手を引っ込めた。よし、それでよろしい。

 

「お父さん、やっぱりクビにしよう!」

「すいませんっしたぁー!」

 

 どうやら俺はこれから雪穂ちゃんの尻に敷かれるらしい。あれ、前からか。あ、そっか……切ねえ。

 

 

 

 

 

 厨房の餡子を作る機械を見せてもらって、それの放つ熱気に思わず汗が出た。和菓子ってこんなに大変なんだな、職人が魂込めてプライド持ってやってるんだなってのが伝わってくる。

 しかし、実は俺は厨房には立てない。バイトだし、気を利かせてくれたのか穂乃果ちゃんと同じカウンターとフロアの担当だからだ。ちなみに掃除も俺。

 

「はぁー、大変そうだ」

「ま、頑張ってよ。応援してるからさ」

 

 雪穂ちゃんが面白がって言うも、習慣の彼女らと違ってこっちはトーシローもいいところだからなぁ。でもまぁ、バイト戦士の底力見せてやりますよっと。

 近いうちに新しくスレ立てて、近況報告してアドバイスでもしてもらうか。バイト戦士とはヘタレで他力本願なのだ、笑うんじゃない。

 

「ただいまー」

「お姉ちゃんおかえりー」

 

 おかえりなさいませぇぇぇぇぇえええええ!!!

 

 さぁ来たぞ、今日この瞬間のために俺は頑張ってきたんだ!! よし、言うぞ言うぞ……!

 

「おかえりなしゃ」

 

 ガリッ。

 

 痛い、舌噛んだ。ちょっと待って本気で痛い、うぅ……ちくせう……あたし負けない!

 

「おかえり、遅かったね!!」

 

 言った、言ったぞ。さりげなく、初恋の子におかえりって言ったぞこれ結構難易度高いぞ!! なんせ迎える側じゃないと言えないからな!!

 

「う、うん……もしかして、今日が面接?」

「そう、そうです……えっと、採用していただきました」

「なんで敬語なの?」

 

 緊張してるんです、すいません。

 

「よ、よろしくっす先輩」

「そういうのやめよ、友達なんだし」

 

 ありがてぇ……ありがてぇ、心の中で穂乃果ちゃんを崇め奉る。穂乃果ちゃんは神である、彼女を崇めることこそ我が使命にして至福の喜び……!

 

「しかも、お姉ちゃんと同じフロアだもんね~?」

「あっ、こらお前さんバラすんじゃないよ!」

 

 雪穂ちゃんの口を後ろから塞ぐ、もしかして君面白がってるだろ。

 

「本当に!? じゃあ一緒に仕事できるんだ!! くぅ~楽しみだね!」

「うん、楽しみ……楽しみ!!」

 

 俺と一緒に働けるってだけで、ここまで喜んでくれる穂乃果ちゃん。理由はよく分からないけど、それでも嬉しかった。

 言ったことを嘘にしないように、彼女の傍に居続けるために。

 

 

 

 

「俺、和菓子屋のバイト頑張ります!」

 

 




新章突入!←

とか言いつつ穂むらでのバイト描写は限りなく少ないです。
なぜなら俺が和菓子屋でバイトしたこと2週間しかないからです←

感想評価いつもありがとうございます。どうやら週間ランキングにも載せてもらっているようで、嬉しく思います。

これからもバイトダイアリーをよろしくお願いいたします。


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バイトのシフト変更したら初恋の子が迎えに来た。

またしてもタイトルオチ←


「……そういうわけで、俺を昼間のシフトに変更させてください」

「構わないよ、最近業績上がってる君の頼みだしそもそも昼間もスタッフは少ないからね」

 

 主任に頭を下げる。とりあえず俺の穂むらでのバイト時間はお客の少ない夕方から閉店までになった。従って今のスーパーでのバイトはお昼から夕方までにしてもらう必要があって主任に頼んだんだ。

 結果は、思ったよりすんなり行った。てっきり渋られるかとは思っていた。

 

「まぁ、新しい仕事も頑張んな、私は応援してるよ」

 

 やはり女性にしてはサバサバしすぎな気がするレジ部の主任。これでも2児の母だって言うんだからすごい、旦那さんは恐らく尻に敷かれているな。

 尻に敷かれているといえば俺もだ、最近雪穂ちゃんの俺の扱い方が非常に雑。届かないところの掃除やらせるわ、俺が上手く掃除できてなければ俺を踏み台にして自分でやるわ……ちなみに高いところの埃が落ちてくるのですが、その辺に関して雪穂さん何かお考えがあるのでしょうか、お兄さん最近少し喉の調子がよろしくないのですが。

 

 でも一応、便りにはされてるらしいし嫌われているわけではないらしい。雪穂ちゃんなりのスキンシップなのかもしれない、そう思っておこう。

 個人的に、穂乃果ちゃんに踏み台にしてほしかった。というか穂乃果ちゃんの椅子になりたい。座り心地が悪くなってきたよーとか言われて姿勢を直したい、うん黙ります。

 

「それじゃあ、今日もよろしく」

 

 そういえばこれから仕事でした。緩く敬礼で返すと俺は1番レジに入った。もちろん1番前で客の入りが1番多い。というのも、前にも説明したかもしれないがカートや籠が置いてある入り口が11番レジ側でそこから青果コーナーへ、進むと鮮魚のコーナーへいけるという風にぐるっと店内を回ってくると必然的に1番レジが目の前にあるのだ。だから客の入りも多ければ……

 

「はい、お預かりしまーす」

 

 終着駅なだけあって、商品の数が尋常じゃないし種類も豊富。鮮魚コーナーを越えれば惣菜と冷凍食品の園だから、内容量が半端無い。主任が最近俺をこのレジに回すのは信頼からだとしても少しだけ嫌がらせを感じてしまう。

 

「お待たせしましたー」

 

 次々に押し寄せるお客さんを右から左へと千切っては投げ、千切っては投げる。たまにすげぇヘビーなお客さんが来るけどそういうお客さんは一本背負いからのジャーマンスープレックスで仕留める、仕留めるってなにさ。

 今日は別にパンの日でも卵特売日でもない。高坂姉妹のどっちかが来る可能性はゼロに近い。あー……意識したら仕事する気無くなってきちゃったなぁ、あぁ早く夕方にならないかなぁ。

 俺の思いも虚しく、1人のお客さんに掛ける時間が20秒程度。3人こなしてようやく1分レベルで仕事していると時間が経つのは遅い。

 

 しかもだ、昼間だから惣菜部にお弁当買いに来る人が多い。つまり本当に1周回った後に俺のレジに来る人が多い。これは辛いわ……おまけに箸つけるかどうか聞かなきゃだし。まぁこの時間の人たちは家で食べるってのは少ないからこっそりつけておいても文句は言われない。

 

「あっとうざいやしたー、すいません1番行ってきます」

 

 停止板置いて後ろのスタッフに声を掛ける。トイレの個室に入ると一息吐く。ちょっとマジで今日は時間経つのが遅い。

 本当は持ち込み禁止だが、緊急時とかのことも考えて使用しなければグレーゾーンということで持ち歩いてるスマホを取り出すと、通知用のランプが点いていた。ちょっとワクワクしながらスマホの電源を入れると、穂乃果ちゃんからだった。

 

 そう、そう!! 同じ仕事するということで、連絡先を手に入れたんですよ!! 穂乃果ちゃん含め高坂家の連絡先!! ちなみにこれを手に入れる手伝いをしてくれたのも雪穂ちゃん。彼女が教えておいた方がいいんじゃない、ってそれとなく誘導してくれたんだ。もうホント雪穂ちゃんには頭が上がらないからいくらでも踏み台にしてくれていいよ。

 

「えっと?」

 

『穂乃果ちゃん(女神):今日から一緒にお仕事、頑張ろうね!! お父さんの手伝いじゃないのは残念かもしれないけど、フロアも楽しいよ。』

 

 いやぁ、俺としては穂乃果ちゃんと一緒のフロアで万々歳なのよねぇ~!! これだけでテンション上がってくるのよねぇ~!! とりあえず頑張ります! って返信しておいた。そしたらスタンプが返ってきた、超可愛いな、穂乃果ちゃんが。スタンプはそこそこ、でも穂乃果ちゃん愛用のスタンプだろ? じゃあ可愛いんだよ。

 

「っしゃあ! 気合いれっぞ! ファイトだぞ!」

 

 頬をピシッと叩き頬を持ち上げ、120%オリジナル笑顔で個室を飛び出す。

 

「うん、頑張りな」

 

 清掃員のおばちゃぁああああああああん!! 聞かれてたのかよくっそ恥ずかしいんだけど!!

 

 

 

 気合入れて2時間、お弁当を求めてやってきた客を再び千切っては投げ、千切っては投げるを繰り返した。面倒くさい客がいなかったわけではないが、今の俺はエンジン全開無敵のすけ。ぶっちゃけ負ける気がしねぇ。今だったらたぶん異国語を話すお客さん来ても大丈夫そうな気分。実際来られると何言ってるか分からなかった、さすがのテンションも外人さんには勝てなかったよ。

 

「おーい、お昼休憩行っていいぞ~」

「あざ~っす」

 

 何気に初めての暗号"2番"使用、休憩室でみんなでテレビ見ながらお昼休憩だ。前回はお昼食べるまでが仕事だったからな……お昼ご飯は朝のうちに買っておいたパンです、近所のパン屋に寄って買ってきた。そこのパンはパンの日に卸すのでここにくるお客さんであのパン屋のファンだって人が結構来る。ちなみにパンをたくさん流すレジも1番レジだ、なんせパンコーナーは目の前だからな。

 

 みんながテレビに夢中になってる間に俺はスマホを見ていた。パンを頬張りながら穂乃果ちゃん、ではなく雪穂ちゃんと連絡を取っていた。

 

『そういえば雪穂ちゃんは割烹着とか着たことある?』

 

 穂乃果ちゃんの妹だし、雪穂ちゃんも可愛いし似合うと思う。ただ見たことが無いからなんとも言えない、というかこないだ再会して以来何かと彼女が着ている服は結構過激で男には毒だ。義兄になったあかつきには淑女へ構成させるぞ、絶対無理だけどな。

 しかし何分経っても連絡が返ってこない。ひょっとして俺嫌われてんのかな、だとしたらへこむ。よし、次はいろいろ言って褒めちぎってみるか。

 

『雪穂ちゃんスタイル良いし、何着ても似合うでしょ。だから割烹着も似合うかなーって』

 

 これでどうよ、と思ったが3分経っても返事が来ない。あるぇ~おかしいな、俺本気で嫌われてる? 最近俺の扱いが雑なのは仲良くなったからじゃなくてむしろ俺が嫌いになったから?

 と思った矢先だ、既読が付いた! 近いうちに返信来るぞ~!!

 

『義妹(予定):今授業中!!』

 

『サーセンwww』

 

 こいつは失敬、俺がお昼休みだから同じくお昼休みかと思ってたよ、学生は大変だな。しばらく返信は返ってこねーな。

 とまたまた思った直後に返信が来た。

 

『義妹(予定):そういうこと、お姉ちゃんに言わないの? なんか口説かれてる気がするんだけど……?』

 

『外堀を埋めようとしてるんだよ』

 

『義妹(予定):キモチワルイ』

 

 酷くね!? 俺チキンでヘタレなの知ってて言ってるよこの子!! パンが喉を通らなくなっちまったぞ……

 

『義妹(予定):でもちょっとは嬉しかったかな、スタイル良いって言われて悪い気はしないし』

 

『ツンデレ乙』

 

 何この落として上げる感じ、エレベーターだってもうちょっとはゆっくりよ。雪穂ちゃんはそれっきり既読をつけなかった、どうやら授業に集中するようだった。

 もしかして、授業中に通知音が2回もなったから慌てて返信くれたのかも。ちょっと悪いことしたかな、と言うとでも思ったかマナーモードにしておかない雪穂ちゃんが悪いふへへへ。

 

 とりあえずニヤニヤしながらパンをハムハムしてるとあっという間に休憩時間が終わってしまった。少し柔軟して伸ばすとエプロンを着け直してレジに戻る。

 どうせあと数時間もしないうちに上がりだし、客足も少なくなってきた。食後にペースダウンもあってか少し眠くなってきた。

 

 

 睡魔と闘いながら仕事をして、早数時間。室畑くんが俺のレジにやってきた。

 

「お待たせしました、交代っす」

「うぃーっす」

 

 お客さんを流し終えると、レジから俺のデータを抜く。室畑くんが自分の番号を入れてお客さんを流す。俺は室畑くんが入ったレジのゴミ箱を空にして箸やスプーンを補充する。

 すると、室畑くんが俺を呼び止めた。

 

「あー、そういえばサービスカウンターにお客さん来てますよ」

「え、俺に?」

「そうっす」

 

 お客さん……? 誰だろう。そう思いながらサービスカウンターへ向かった。

 

「やっほー」

 

 穂乃果ちゃぁぁぁぁぁあああああん!! ホノカチャン! ホノカチャン!! ハノケチェン!! なんで、なんでおるん!?

 

「上がりの時間は覚えてたから、迎えに来たよっ!」

 

 はーやべぇ、幸せで脳みそトロけて鼻から流れ出そう。耳からは噴き出しそう。口からは吐き出しそう。

 惚けて返事が遅れていると、いかにも暇しているという感じの主任に目をつけられた。

 

「彼女?」

「ちげーます、彼女無く友達です。今日から始める和菓子屋の看板娘です」

「高坂穂乃果です、卵とパンの日お世話になってます」

 

 そりゃあ毎週買いに来てるしね、売り上げ的にも主任が頭下げてもバチは当たらないんじゃないですかね。

 

「いつもご来店ありがとうございます」

 

 さすがレジ部主任、公私の使い分けが二重人格レベルだ……というか普段がおっさんすぎるんだよなぁ、この人。見た目は出来る女なのに、中身はトゲットゲのおっさんっていうね。女の子ウォッチング大好きだからこの人。

 

「なにしてんの早く退勤してきなさい、待たせるんじゃないよ」

「只今!」

 

 こええよ、主任こええよ。なんで今の一瞬でスケバンになってんだよこええよ。まぁ、俺も穂乃果ちゃんを待たせる気は早々無い、抜き取ったレジのデータを事務所に届けて退勤を記録。さっさと着替えて再びサービスカウンターに戻った。

 

「遅いよ幸せ者」

「これでも1分経ってないんですけどね、っていうか幸せ者ってなんですか」

「そりゃあもちろん――」

 

 そこまで主任がドヤ顔で語ると穂乃果ちゃんが真っ赤な顔して人語じゃない何かを口にした。たぶん何か言いたかったんだろうけど咄嗟過ぎて舌が回らなかったんだろうな。

 とにかく、そんな真っ赤な顔で見つめられると俺も発情しかねないので精神統一する。そうだKOOLになれ俺、KOOLに……あ、これダメなやつや。

 

「もう行こ! お邪魔しました!」

「あ、ちょちょちょっと! 俺こっちじゃなくて関係者出口から出ないとだから!」

 

 穂乃果ちゃんは聞く耳持たずそのまま俺を引っ張っていく。俺の手を掴む手がすごい熱を放ってた、風邪じゃないのかってくらい熱くてちょっと心配だな。

 しかしそのままじゃマジで退勤したことにならないので、俺は外から関係者出口に向かい入館証を回収して警備員さんに挨拶してから穂乃果ちゃんのところへ戻った。

 

「主任と何を話してたの?」

「へっ!? いや、特になんでもないよ!! 本当になんでもないから!!」

「お、おう……うん」

 

 なんでもない割にすごい慌て様で逆に気になりすぎてやばいのですが……まぁ深い詮索して嫌われるのも避けたい、なんてったってバイト初日だからな!

 

「そう言えばさ、さっき雪穂ちゃんとスマホで話をしたんだけど穂乃果ちゃんたちって割烹着似合いそうだよね」

「あ、一応穂乃果と雪穂は割烹着がユニフォームなんだ。月1で大正浪漫デーとかあって、そのときは女給さんの格好したりもするよ」

 

 ま、マジか……あの露出が少ないのに男のハートを掴んで離さないあの女給さんの服を穂乃果ちゃんと雪穂ちゃんが……やべえ興奮してきた!!

 

「お、お母さんももしかして女給さんの格好するの?」

「……なんでお母さん?」

 

 その時、なぜだか穂乃果ちゃんが目に見えて不機嫌になった。なぜってそりゃあの服は大人が着ても意味があるからだよ、お母さんがブーツ履くんならよろこんで踏み台になります。なんかもうドMって言葉じゃ俺は表現できない気がする、雪穂ちゃんにキモチワルイって言われても否定できないぞ。

 

「もしかして、人妻好き?」

「いや、それはない。ただ目の保養的にはお母さんの女給さんは嬉しいかなぁって」

「ふーん……穂乃果じゃダメなの?」

 

 最高っす、これ以上無いくらいなんですがむしろ。っていうか、もしかして穂乃果ちゃん妬いてる?

 ……なんて、そんなわけないか。けど、いつか俺が他の女の子に夢中になってたら真っ赤になって怒るような穂乃果ちゃんになってくれるかな……

 

 

 そんなことを思いながら、俺は穂むらへと向かった。穂むらに着くまで、穂乃果ちゃんに引っ張られた手は少しだけ赤くなっていた。

 割と力強いんだな、穂乃果ちゃん。

 

 




・KOOL

クールになりきれない男の図。ミニスカナースに唆されても負けない男の図でもある。

・ハノケチェン

(・8・)

・大正浪漫デー

バイトダイアリーを執筆している中で私が生み出した妄想全開の日。
女給さん云々言いましたがスクフェスカフェメイド編みたいな格好してると思っていただければ。それ女給じゃねえ! っていう突っ込みは無しで。


穂むらでのバイトなかなか書けないのでちょっと地元の和菓子屋で体験短期バイトしてきます←

感想評価いつもありがとうございます、一日一話では無くなってますが出来るだけ短い間隔で挙げて行きたいと思います。



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【お気に入り803突破記念】バイトしてたら……

何気にこの間から目指していたお気に入り803を突破したので記念です。
記念といいつつやることはいつもと変わりません。

ただシリアルなだけです。


 

「いらっしゃいませー」

 

 おかしい。

 

「いらっしゃいませぇ~」

 

 おかしい、おかしい。

 

「いらっしゃいませいーん」

 

 ……なんか、今日おかしい。おかしいというのは俺ではなく、お客さんの方だ。というのも、

 

「おねがいしましゅ!」

「テープ!」

「これ、おつりでますか……?」

 

 お子様しかこない!! 仮にも今日平日なんですけど!? なぜ平日のお昼にこんなにもお子様が来るんだ! 小学生よりちっちゃい子供ばっかりだ!! あぁ~可愛いなぁ、癒される。

 小さい子相手に接客するのは嫌いじゃない。だって可愛いし、大人みたいに汚い心を持っていないからね!! 出来ればお兄さん君たちには今のままでいてもらいたいよ……

 

「はーいテープですねー、ちょっと貸してね~……はぁいどうぞ~」

 

「ありがとう!」

「どういたしまして~。えっとね~、132円になります。持ってるかな?」

「持ってる!」

 

 そっかそっか、可愛いなぁ。男の子だけど背伸びしてまで俺に小銭を渡そうと必死になってる男の子。わざわざ駄菓子を買いに来てくれるなんてレジ部冥利に尽きる。

 少年は140円を背伸びして釣銭台に置いた。頑張った少年にお釣と商品を渡す。すると少年はまたしても俺にお礼を言って去っていった。俺も手を振って見送ると手を振り返してくれた、んあーいい子だなぁまたおいで。

 

「お願いっしゃーす」

 

 ……はぁ、空気呼んでよお兄さん。このレジは今お子様専用のレジなんですよ、お兄さんみたいないかにもモテそうなチャラ男はお呼びじゃねーんだよ、けっ!!

 なんてことは思わず、普通に好青年なので丁寧に接客する。女の扱い方を分かってそうな柔らかい笑みを浮かべているせいで、なんだかお尻が引き締まった。

 

「1,204円でーす」

「はい、2,000円と4円でお願いします」

 

 む、財布にちゃんと小銭があるとは……キャッシャーとしては嬉しい。釣りが変に多いと揃えるのが大変なんだ。このお兄さんの場合は、500円玉と100円3枚だからさらっと揃えられる。これが796円の釣りだとバッと枚数増えるからやってられないよねっていう。そういう意味ではこのお兄さんは、恐らくレジ経験者だ。ビジュアルが良いしこういう客商売やるにはもってこいだろうな、イケメン死ね! 家族に看取られて老衰で死ね!

 

「ありがとうございましたー」

「こちらこそ」

 

 くっそ去り際までイケメンかよ……俺もあんな風に高身長イケメンになりたいなぁ……無理か、所詮俺は160台の男か。身長195cmとか丸太のような足とかそこまではいらないんで、普通にあと10cmください。

 

「おねがいしまーす!」

「元気だねぇ~、はーいお預かりしまーす」

 

 お、特撮少年か。食玩を買い漁るとは少年、なかなかリッチだな。俺だって買おうと思わなければ手が出ない代物だぞ。

 さすがにテープにするには数が多かったから、袋に詰めてあげる。それをくるくると纏めて手渡す。

 

「これで、おねがいします!」

「はーい、ピッタリだね。はいこれレシート、気をつけてね。」

「バイバ~イ」

 

 手を振ってくれたので、振り返す。はぁ子供は可愛いなぁ、同じくらい穂乃果ちゃん可愛い。いや穂乃果ちゃんの方が可愛い。

 一緒に働くようになってわかったけど、やっぱり彼女は歳相応に大人だ。19歳だけど大人の魅力があって、それと同じくらい子供みたいな無邪気さも持ってる。昔の穂乃果ちゃんからは想像もつかない。もっともあの頃ろくに喋った記憶が無いけどな、まだことりっちの方が喋ってた気がする。思えば俺は彼女を通して穂乃果ちゃんとの繋がりを得ようとしたのかもな、そう考えると昔の俺はなかなかに姑息だ。

 

「子供相手に顔緩みすぎじゃない?」

「君は本当に唐突に現れるなぁ!」

 

 あんまり突然に大声出したから咽ちゃったじゃないか。そう言ってレジに入ってきたのは雪穂ちゃんだった。

 

「こんにちは、お久しぶりです!」

「エルメスたん……えりゅめすたん!」

 

 噛んだ、いてぇ……亜里沙ちゃんも一緒だった、2人とも音ノ木坂の夏服を着ていた、いてぇ……舌がね。

 

「2人とも学校は?」

「テストだから早帰りなんです、雪穂がうちに来ないかって誘ってくれたのでお昼ご飯を買いに来ました!」

「なるほどね」

 

 じゃあ2人でテスト勉強するわけだ。だが気をつけた方がいいぜ……仲の良い友達の家に勉強しに行くとな、集中力は40分保たねぇぜ、ちなみに俺は5分も持たなかった。

 そして籠の中身を見たら、面白いことに雪穂ちゃんはご飯タイプ、亜里沙ちゃんはパンが多めだった。すごいなぁ、見事に炭水化物の群れ。太らないかな、心配だぞ。でも胸の部分が太るならたくさん摂った方が……

 

「今、すっごい失礼なこと考えてなかった?」

「べっつにぃ~!? 雪ふぉちゃんスタイルいいから~!? 太らないか心配だっただけですぅ!!」

 

 しまった、胸のことを考えていたらからてっきりフォローしたつもりが別の地雷を踏んだぞ!! また噛んだし!

 

「大丈夫、胸もすぐ大きくなるよ」

 

 踏んだ地雷は蹴っ飛ばして遠方で爆発させるに限る!

 

「あの、上司の方って今いらっしゃいますか?」

「あー、サービスカウンターにいるんじゃないかな? なんか用事?」

「いえ、セクハラされたので」

「ごめぇぇぇぇええええええん!! 許して!! 出来れば穂乃果ちゃんにも言わないで!!」

 

 蹴っ飛ばしたはずの地雷がなぜか帰ってきて爆発しやがったので、地雷原で土下座。ほぉ~地雷を頭で踏む感覚、脳汁と汗が溢れますなぁ~もちろん脂汗だけど。

 

「ふふっ、お兄さんやっぱり面白いですね」

「ただのバカだよ」

「相変わらず酷いね!? 君相変わらず俺に対して辛辣だよね!?」

 

 まぁ、正直ちょっとバカを演じてる部分はあるかもしれない。だって穂乃果ちゃんがいるときはこうはなれないから。そういう意味では雪穂ちゃんとは結構キッチリ向き合えてるのかもしれない、向き合った結果があれではさすがに苦笑を禁じえないけどね!

 

「お兄さん今日もうち来るでしょ?」

「行く行くー!」

「了解、じゃあ待ってるからね~」

 

 会計を済ませた雪穂ちゃんと亜里沙ちゃんを見送る。亜里沙ちゃんが今までの少年少女たちのように手を振ってくれたので振り返す。か、可愛い……! なんだ、あの萌え殺し専用兵器みたいな女の子は……あんな子が穂乃果ちゃん以外に存在したなんて……亜里沙ちゃんマジ天使、まじえんじぇー……

 

「んんっ、げほっ、ん~」

 

 なんか喉に引っかかるな、声を出しすぎたかな。雪穂ちゃん相手だとツッコミが必死になるからなぁ……

 

「おーい、上がっていいぞ~……と言いたいところだけど、上がったら作荷台の下のゴミ集めてもらっていいかな」

「了解でーす」

 

 主任がレジ上げ用の鍵を渡してくれたので釣り銭機から小銭を回収してドロアへ放り込んで事務所で管理してもらう。それが終わるとゴミ袋を持ってゴミを全部回収する。これがまた体力使うんだなぁ、ゴミ箱の数が多すぎるから。

 

「ゴミ、終わりましたー……んんっ」

「なんか声が変じゃないか? まぁいいや、お疲れ様。退勤書いて上がりで」

 

 出勤盤の俺の欄に"退"と記して時間を書く。うちの職場は15分ごとに管理するから、今上がると15分上がりになってしまう。だけどまぁ、余裕持って行きたいしわざわざ時間増やす必要は無いだろう。

 

「じゃお疲れ様です」

「あーいお疲れ様ー」

 

 主任に挨拶して休憩室へ向かう。適当に制服をロッカーに放り込むと着替えて職員出入り口から出て入館証を回収、自転車に跨って走り出す……という瞬間。

 

「ぶー、えっくしゅぉおおん!!」

 

 ちょっと大きめのくしゃみが出る。おっと鼻水垂れちった、ティッシュティッシュ。やっぱ店の中冷房効き過ぎなんだよなぁ……すげぇ蒸し暑いなぁ。

 と、思っていたはずなのに今一瞬身体が震えるくらいの寒気を感じた。まるで、鮮魚用の冷凍庫に放り込まれたみたいな……暑いのに、寒い。倒錯した感覚が身体に走っていた。

 

 しかし特に気にしないまま、俺は穂むらへ向かった。穂乃果ちゃんは相変わらずこの時間は暇しているようで、俺も作務衣に着替えてカウンターに立つ。

 

「本当にお客さん来ないね」

「もう夜だからね」

 

 穂乃果ちゃんと2人でカウンターに入っていて、退屈だったので話を振ったらそんな返事が返ってきた。やっぱり閉店間際になるとお客さんは少なくなるんだなぁ。

 今日俺がやったことと言えば、スーパーのレジと変わらず穂乃果ちゃんが包装してくれた和菓子の箱を袋に詰めてお客さんに手渡し、会計を済ませること。幸い、この業務は慣れているので早くも自分のペースを掴めていた。

 

「そういえば、店の空調効いてないかな?」

「へ、どうして?」

 

 急に穂乃果ちゃんがそんなことを言い出した。俺は気になって尋ね返してみた。

 

「だって、君すごい顔が真っ赤だよ? 汗も掻いてるし」

 

 言われてみれば、首元から顔までじっとりと汗で濡れていた。タオルを持っていたから拭ったけれど、このジメジメは拭えなかった。

 

「もしかして、風邪? 気分悪くはない?」

 

 やめろー!! そんな上目遣いでこっち見ないでくれ!! 惚れる!! 惚れてしまう、全力でアイラブユー!!

 水晶のように透き通っている穂乃果ちゃんの揺れるブルーの瞳は、見ているだけで吸い込まれそうだった。というか吸い込まれていた。

 

 違う、吸い込まれてたんじゃなくて……ふらついていた。つい俺は前のめりに傾いてて、慌てて後ろに戻ると戻りすぎて尻餅をついていた。

 

「あれれ」

「やっぱり、具合悪いんでしょ?」

 

 そんなことない、と言おうとしたけど俺はここへ来る途中のことを思い出していた。やけに暑い空気と、蒸し暑さの中で感じた寒気。

 間違いなく風邪の前兆だ。

 

「今日は早く上がってもいいから、ゆっくりした方がいいよ!」

「……も、もしかして、心配してくれてる?」

「当たり前だよ!! ……そ、その、明日パンの日で、こっち(穂むら)の仕事は休みだから……会えないと寂しいかなぁって」

 

 ……ふわぁああああああああああああああ!!!

 

 言葉に、出来ねぇええええええええええええええええ!!! っと、うおっ酔った。でも穂乃果ちゃんが、会えないと寂しいって言ってくれるなんて……

 1月前に再会したときはこうなるとは思っていなかったなぁ。

 

 店に通ってもらえるようになって。

 

 俺のレジに頻繁に来てくれるようになって。

 

 夏祭り言ったりして、そこで手を繋いで。

 

 今はこうして、穂乃果ちゃんと並んで仕事をしてる。

 

「じゃあ、どうにか治すよ。俺も、その……穂乃果ちゃんが会いに来てくれないと調子狂うしさ?」

「う、うん……」

 

 お互いに真っ赤になってそっぽを向いた。けど、穂乃果ちゃんは割烹着の裾を、俺は作務衣の下をぐっと握り締めていた。

 俺は幸せを静かに噛み締めてたけど、穂乃果ちゃんはどうだったんだろう。

 

 それが、その日一番気になったことかもしれない。

 

 

 家に帰って俺はそのままベッドへ倒れ込むようにして眠りに付いた。日記は今日だけ手付かずだった。

 けど、更新する気も湧かないくらい気分は悪くなっていた。

 

 明日は穂乃果ちゃんが会いに来るんだから、治すつもりで寝るぞ……!!

 

 

 




なんか中途半端だなって思いましたね?
その通り、これ序章です。あとで前編後編と繋がります。

予告したとおりちょっとシリアルになるので、ご了承ください。

感想評価ありがとうございます、お気に入りしてくださった皆様にも感謝。

感想返事書けなくてごめんなさい、仕事増えちゃって更新が精一杯なんです←
時間が出来たらしっかり返信しますので、お待ちくださいませ><



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【お気に入り803突破記念】バイトしてたら風邪を引いた 前編

ぶえっくしょい、風邪引きまんた。
お気に入り記念じゃなくて僕の夏風邪引き忌念ですよこれもう。




 最悪の目覚めだ、頭は重いし腹と喉は痛いしくらくらするし暑いし……

 全体的に重々しい身体を引き摺るようにして下へ降りた。朝ご飯は用意してあったが味噌汁が冷め切っていた。

 

「あら、遅かったわね」

「わり、気分悪いんだ……」

 

 母さんはそう聞くと頭の上にタオルを置いてくれた。あぁ暖かいイラネ。アイスバッグをくれよむしろ。

 

「でもあんた今日仕事でしょ、大丈夫なの?」

「平気だよ、夜中のコンビニも今日は無いし……」

 

 裏を返せばスーパーと穂むらはあるんだが……せいぜい半日だ、頑張れば乗り切れる。明日は逆にコンビニ以外は休みだから日の出てるうちはずっと寝ていられる。

 

「ご飯は? 暖める?」

「食欲は無いなぁ……水だけもらっとく」

 

 そう言うと、母さんはほいとグラスを手渡した。わぁ暖かいお湯、だからいらねぇっつの水をくれ。

 と、くだらんやり取りしてる場合じゃない。さっさとシャワー浴びて仕事行かねぇと……着替えを用意しに自室に上がるのも結構きつい。

 

「はぁ……夏風邪かなぁ」

 

 今日、乗り切れればいいんだけど……シャワーを浴びていると、冷水シャワーで鳥肌が立ってしまった。ついでに吐き気も酷い。

 いよいよもって、自転車に乗れるかと危惧したがそれは杞憂で済んだ。済んだというか、脱衣所を出たらぶっ倒れてしまった。そのときの記憶は、あとになってようやく思い出せた。

 

 

 

 ……おはようございます、ただいま夕方の5時ちょっと前でございます。

 

 やむなく今日は仕事を休ませてもらった、らしい。らしいというのは、まったく記憶が無いから。母さんが連絡入れておいてくれたらしい、なんだかんだ気が利く。

 ただ穂むらの方にまで連絡してあるかはわからなかった。だから連絡しなければ、と思ったのだが……生憎俺のスマホさんは机の上でベッドの上からでは手を伸ばしてギリギリ届くかどうかの距離だ。

 

「んっ、はい無理~」

 

 いやいや、諦めるな俺。ファイトだよ、人間その気になれば腕だって伸びる! ということで、ベッドから出ずにスマートフォンに手を伸ばし続ける。そろそろ伸びきった筋肉がおいやめろと警告を発する頃だ。

 あと少し、中指が2cm長ければ届く距離……せーのっ!

 

「あふぃ」

 

 スマホに手は届いたものの、身を投げ出してしまったせいで見事フローリングの上に落っこちてしまう俺。しかもスマホは梃子の原理でくるくると宙を舞って俺の頭の上へ、角が当たってとにかくめっちゃ痛い。

 

「いってて……あ、床気持ちいい」

 

 僅かにひんやりとしたフローリングが本当に気持ちいい、起き上がってベッドに戻ればいいのにそのままフローリングの板の上を堪能していた。

 そしてようやく穂むらへ連絡しようとしていたことを思い出し、スマホを手に取ったときだ。

 

 コンコン、と俺の部屋のドアがノックされた。うちの人間は基本ノックなんかしない、俺の部屋にプライバシーはなく、俺のお宝本は2週間前母さんによって見事に検閲され丁寧にジャンル分けまでされてしまった。母さんに見つかったのはともかく、ベッドの下にケースに入れて保管しておいたものをわざわざ机の上へ曝け出し中身を確認した上でジャンル分けする母の暇人力に脱帽、んでもってこんなしょうもないエロガキに育ってごめんよ。

 

 そんな非常にどうでもよくくだらない内容を考えて、返事が遅れた。俺の返事より先に部屋のドアは開いた。

 

「はいぃ?」

 

「だ、大丈夫……?」

 

 肩で呼吸している穂乃果ちゃんがそこにいた。まるで慌ててここに来た、みたいな。じゃなくてぇ!?

 

「な、なぜ俺の家の場所ががが……」

「面接のとき、履歴書持ってきてたのと……雪穂が覚えてたの。お店に行ったら、朝に倒れたって聞いてちょっと気になって」

 

 一息吐く穂乃果ちゃん。なんだろう、この申し訳なさ。

 

「お、俺も今連絡しようと思ってたところなんだ……今日は、仕事出られそうにないや」

「もう、いいよ。風邪引いてたのに無理しなくて。ベッド戻れる?」

「はい、戻ります」

 

 やべぇ、ジャージで寝てるのとか引かれない? ジャージで寝てるの生理的に無理とか思われてない? 大丈夫?

 

「やっぱり、昨日からだよね」

「たぶんね」

 

 あぁー風邪のせいで頭回らなくて会話が続かない。よくよく考えれば俺の目の前に、俺の部屋に穂乃果ちゃんがいるのにテンションが上がり辛い。

 

「熱はあるの?」

「……たぶん」

 

 さっきからたぶんしか言ってねーな俺。

 言葉がお互い出てこなくなったとき、不意に穂乃果ちゃんの掌が俺の額にピタッと触れた。すっごい暖かかったけど、落ち着く暖かさだった。

 

「結構熱いね、ちょっと待ってて」

 

 そう言って穂乃果ちゃんが部屋を出て行った。俺はこっそりと布団を抜け出すとベッドの下のお宝本ケース(検閲済み)をこっそり取り出すとテーブル箪笥の一番下の、アルバムの上に置くことにした。よほどのことが無い限りは見つからないだろう。

 

「あれ、入らない……! おい、入れよ……!」

 

 そう、なぜかアルバムの上に突っかかって入らなかった。ひょっとしてケースが大きいのか?

 

「なにしてるの?」

「そぉい!」

 

 やむを得ず、もう1度ベッドの下へスローイン。壁に激突する音がして、一番奥まで到達したことを確認。取り出すのに苦労するかもしれないが、穂乃果ちゃんに目撃されるくらいならそれで構わん!

 

「ダメだよ、横になってないと……」

「こ、これは俗に言う看病っていうやつでしょうか……?」

 

 そう言うと、穂乃果ちゃんが顔を赤くした。恥ずかしがってるのはなぜだ、なぜなんだ。しかし穂乃果ちゃんは声に出さず首を縦に振ると、下から持ってきたであろうアイスバッグなどを持っていた。

 マジか、掲示板の住人のみんな……俺はついに穂乃果ちゃんを部屋に上げることに成功したぞ。あまりに予想外すぎてちょっと言葉にならないけど。

 

「あと、お母さんがご飯持っていってくれって。食べられそう……?」

 

 母さんめ、気の利くことしやがって……マジアリガトウ。あぁ、卵粥だ美味そう。朝食べてないから、胃袋も正直になってるな。

 

「……は、はい、あーん」

 

 その時、俺に鈍痛と電流が走る。いいのか、これはいいのか……!? 久しぶりに脳内で、俺を交え天使俺と悪魔俺が議論を始めた。

 

「「行け、食いつけ」」

 

 議論の余地なし、満場一致だった。天使も悪魔も悪そうな笑み浮かべてやがった、お前らありがとう。

 

「……あむ、ふるさとの味だ」

「ここ実家だよね」

 

 細かいこと気にしないでさ……昔から風邪を引けばこれ食ってたなぁ、ってことはなんだかんだ母さん用意してくれてたんだな。

 そして、頭がようやく本調子に戻ってきた。咥えたスプーンの先には穂乃果ちゃんの細い指があって、これまた白くて細い綺麗な腕があって二の腕があって綺麗なブラウスから喉を上がっていって、唇に目が行った。

 ……俺は病人なので、間違ってもそんなことはいけない。それどころか、看病してくれてる女の子に乱暴とか死刑ですよ死刑。万が一、穂乃果ちゃんが許してくれたとしても俺は舌を噛んで死にます。

 

「よかった、食欲はあるんだね」

「うん、お粥じゃ足りないかもね」

 

 朝食べてないし、そう言うと穂乃果ちゃんは見覚えのあるビニール袋からサンドイッチを取り出した。

 

「一緒に食べる?」

「そんな、悪いよ」

 

 本音を言うとそれも食べさせてほしい。

 けど穂乃果ちゃんが自分のために買ったものだし。というか、うちのレジ袋ってことは俺以外のレジで会計を済ませたってことか。ちょっと悔しい、穂乃果ちゃんは悪くないけど今日仕事休んだ俺に対してふつふつと怒りが湧いてきやがった……お腹空いた。

 

「いいから、病人が気を使わないで。ほら、あーん」

「……あーん」

 

 美味しい、タマゴとレタスが弱くなってる味覚に訴えている。あぁサンドイッチってこんなに美味かったんだ、って気持ちになる。

 いや、穂乃果ちゃんが食べさせてくれてるからか。だからさっきの卵粥もあんなに美味く感じたのかもしれない。

 

 風邪も、引いてみるもんか。

 

「はい、あ~ん♪」

「楽しい? そんなに俺に食わせて」

 

 そう言いながらもサンドイッチを口にする。というのも穂乃果ちゃんの声音がだんだんいつも通りになってきたからだ、俺がそう言うとごめんと返して少しシュンとしてしまった。

 

「いや、いいんだ。サンドイッチありがとう」

「ううん、どういたしまして」

 

 卵尽くしの昼ご飯(夕方)を平らげると、俺は穂乃果ちゃんが持ってきてくれたアイスバッグを腋の下とか首筋に当てて枕に頭を降ろした。

 すると、やはりすることが無くなって部屋が無音になる。穂乃果ちゃんも手持ち無沙汰にしていた。

 

「あ、これ……」

 

 その時だ、穂乃果ちゃんが開きっ放しの引き出しの中身を見た。一瞬ゾッとしたけどお宝本は今ベッドの下奥深くなので慌てることはない。

 穂乃果ちゃんが取り出したのは、少し埃を被った1冊のアルバム。それは、小学校のときの卒業アルバムだった。

 

「懐かしいなぁ……」

 

 それを開くなり、感慨深そうに呟く穂乃果ちゃん。正直、さっきまで寝ていた俺は寝なおすには早い気がして一緒にアルバムを眺めた。

 当時の俺はそれはもうやんちゃ坊主でスカート捲りから虫探しまで必死になってやってたなぁ、なんてことをアルバムを見て思い出していた。

 

「こうして見てみると私たち一緒に写真に写ってること多いね」

「そう、だね」

 

 無論、カメラを向けられたときは出来るだけ彼女と一緒にいるようにした。班分けも、彼女と一緒ならそれだけで幸せだった。

 ガキながら少ししたたかすぎる気がしないでもないが、それほど穂乃果ちゃんにお熱だったんだなと思うと微笑ましい。

 

「穂乃果ちゃんは、あの頃はすごいやんちゃだったよね。でっかい水溜り超えようとして何度も泥だらけになって、それでも諦めなかったり」

 

 そう呟いたときだ、穂乃果ちゃんが何かを思い出したようにポーチの中を探し始めた。

 さすがに鞄の中身を漁るのはマナー違反というか、プライバシーを突破される気持ち分かるから踏みとどまった。

 

「これ、お店で渡そうと思ったんだけど……」

 

 穂乃果ちゃんが渡してきたのは、1枚のCDだった。タイトルは少し霞んで見えなくなっていた。

 

「リラックスできる曲が入ってるんだ、穂乃果も風邪を引いたときに友達からもらったんだ」

 

 なるほど、これを聴きながら穂乃果ちゃんとゆっくり話をしようと思った。けど次に彼女から放たれた言葉を、俺はまるでお客さんを流すように右から左へ受け流してしまった。

 

「―――穂乃果が、アイドルだったときにもらったもの」

 

「―――はい?」

 

 アイ、ドル……?

 俺の呟きを受けて、穂乃果ちゃんは慌てて言いなおした。

 

「あぁ~、違った。スクールアイドルだったときの、だよ」

 

 スクールアイドル、聞いたことくらいは俺にだってある。事務所の代わりに学校が擁するアイドルのことだ。

 所詮素人の集い、そう思っていたときだ。数年前、1度秋葉でとても大きな祭典があった。通りを占拠するほどの、大きな祭り。

 

 それは俺の中で、価値観を見直すきっかけにはなったもののやはり興味を持つには至らなかった。

 

「知らない? "μ's"っていうグループにいたんだけど」

 

 ミューズ、その音を聞いた瞬間頭の中で浮かんでいたワードが一気に繋がった。

 スクールアイドルの祭典、"ラブライブ"。それで優勝し、話題になったグループがミューズ。

 

「知って、た……」

 

 嘘をついた、俺はスクールアイドルについて知っていただけだ。だが穂乃果ちゃんは顔を綻ばせた。当然罪悪感が湧き上がって、それはいろんなところへ突き刺さる。

 穂乃果ちゃんが俺の手からCDを取る。それをコンポへセットすると、ピアノの旋律が部屋へと響き渡る。だけど、氷柱みたいにその音は冷たく突き刺さった。

 

「久しぶりに聴いたけど、やっぱり真姫ちゃんはすごいなぁ」

 

 そう呟いた彼女の横顔は、すごく綺麗だった。まるで、芸能人みたいに輝いていて。

 

 同じ高さに立っていた友達が、ずっと高いところにいたんだと知った。それに比べて、自分のみすぼらしさを痛感した。

 

 

 

 そんな1日だった。




ギャグのつもりがシリアルに。
嘘です最初からこんな感じでした。

またまたお気に入り登録してくださった方が増えました。
ありがとうございます、また評価してくださった方にも感謝。

感想、相変わらず返事書くのが遅いです。それでも目は通してるのでどんどん送ってやってください。

次回の後編、どう動くか楽しみにしていただけると嬉しいです。


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【お気に入り803突破記念】バイトしてたら風邪を引いた 後編

 薄暗い部屋の中で、俺はひたすらノートパソコンの画面を見つめていた。

 瞬きを忘れるほど、食い入るように画面に釘付けになっていた。かれこれ数分瞬きをしようと思わなかったかもしれない。

 

 画面の中の彼女は今よりもまだ幼げがあった。けれど、そこには今と変わらない輝きがあった。

 彼女の、穂乃果ちゃんの軌跡を最初から見てきた。風邪を引いているのにも関わらず、ずっとずっと画面の中の彼女に夢中だった。

 

 初め、彼女たちが世間へと飛び出したPVの穂乃果ちゃんはお世辞にも笑っていたとは言えなかった。

 だがその次のPVはどうだ、そこから彼女の笑顔は仲間が増え、回数をこなすたびに研磨されていった。そして、俺が知っていたスクールアイドル史上に残る秋葉の通りを占拠した"スクールアイドルみんなのライブ"。

 

 やはりμ'sは中心にいた。その中心に彼女はいた。初めのライブとは段違いの笑顔を浮かべ、まさに王者の風格ともいえる魅力を画面の外まで放っていた。

 そう、しかもこの公式映像は空から撮影されている。スクールアイドルの情報サイトを片っ端から調べてまわり、このライブはμ'sが発端であることがわかった。

 

 つまり、μ'sにはそこまでの影響力があった。そのリーダーの穂乃果ちゃんには、まさにアイドルとしての才能……華があった。

 

 比べて、俺はどうだ。穂乃果ちゃんが世間へ飛び立っていく傍ら惰性で高校生活を使い切り、社会的な底辺に落ちそこから這い蹲るように上がっているだけ。

 同じだと、俺たちは言った。けど違った、彼女には築き上げてきた彼女自身の魅力がある。俺には、何も無い。

 

 平凡すぎる、彼女の隣にいるには俺はあまりに平凡すぎる。

 

 紛い物が本物の輝きを損ねるように。俺が彼女の隣にいるだけで彼女を貶めることになりかねない。

 俺のせいで穂乃果ちゃんがくすんでしまう。そう思っただけで、彼女の隣の席の価値を改めて理解した。それは俺にとって富士の山を越えるよりも、ずっと難しい。

 

 その時だ、部屋のドアがノックされた。当然、うちの親はノックなんかしない。となると、必然的に家族以外の人間ということになる。

 もし穂乃果ちゃんだったら、どうしよう。部屋には入れられない、そう思っていた。しかし、

 

「……どうぞ」

 

 そう言葉にしていた。幸い、開いたドアから入ってきた来客は穂乃果ちゃんではなかった。

 

「具合は……あんまり良くなさそうだね」

 

 雪穂ちゃんだった。彼女は俺の顔を見るなりそんなことを言った。思わず部屋の姿鏡を見てみた。

 汗でぐしゃぐしゃになったシャツに髪の毛、おまけに目の下は真っ黒だった。睡眠不足と、恐らく長時間の自問自答によるストレスからだった。

 

「酷い顔だ……」

 

 冗談ではなかった、雪穂ちゃんもいつものように悪乗りはしなかった。彼女も近づいてくるなり俺の額に触れて、検温をし始めた。それが昨日の穂乃果ちゃんを思い出させ、事実を連想的に思い出して吐き気を催したがなんとか堪えていた。

 

「ほら、病人なんだから寝てないと……」

 

 雪穂ちゃんはそう言って俺からノートパソコンを取り上げようとした。俺も特に抵抗しようとはしなかった。だけど雪穂ちゃんは画面を見て、手を止めた。

 

「μ's……お姉ちゃんに聞いたの?」

 

 嘘をつく意味がなかったから、俺は頷いた。雪穂ちゃんは俺に掛ける言葉を探しているみたいだった。だから、先に俺が口を開いた。

 

「いやぁ、驚いたね。穂乃果ちゃんの活躍もだけど、俺の無知と馬鹿さ加減は。笑っちゃうでしょ?」

 

 なんせ生ける伝説相手に必死になって一喜一憂。相手はそんな次元の人間じゃないのにさ。

 

「そんなことないよ、元はと言えば言わなかった私が悪いんだから」

 

 それこそない。俺の扱いが雑とは言え、穂乃果ちゃんのことを俺に言わなかったのは雪穂ちゃんが俺に気を使ってくれたからだろう、だからこそそのまま浮かれ続けた自分の姿は滑稽でしかない。

 

 俺はノートパソコンを閉じながら、ぼそぼそと呟いた。

 

「俺は、穂乃果ちゃんの隣には立てないよ」

 

 気温が下がったような気がした。雪穂ちゃんはしばらく無言だったが、やがて俺に尋ねた。

 

「それ、諦めたってこと?」

 

「そうじゃないよ、でも仕方ないよ」

 

 ――画面の中の、今なお輝き続ける笑顔を曇らせるわけにはいかないよ。

 

「ねぇ、やめよう? お兄さんらしくないよ」

 

 雪穂ちゃんはそう言う。確かに俺らしくないかもしれない。どんな客が来ようと、絶対に屈しないバイト戦士の俺らしくはない。

 ただ、恋愛にバイト戦士の称号は要らない。だから俺らしさなんか、端からこの案件には存在しなかったんだ。

 

 俺らしさが、俺には分からなくなっていた。

 

「諦め切れるの? お姉ちゃんのこと」

 

 いつもなら考えられないくらい、諭すような優しい声音。だけど俺が平行線から抜け出すには至らなかった。

 諦めがつくのと、諦めざるを得ないのは同じ"諦める"でもまるで違う。後者は、納得などさせてもらえない暴虐な世界の理不尽の犠牲だ。

 

 いいや、美しい世界と華のある彼女が俺へもたらす最高に残酷な事実だ。

 

「俺じゃあ、穂乃果ちゃんには見合わないんだよ。穂乃果ちゃんは、スクールアイドルの歴史に名を遺す人間だ。いつまでも色褪せない穂乃果ちゃんとその仲間、μ'sの伝説が今なお残っているんだから。そしてそんな彼女の輝きに当てられて見えなくなるほどちっぽけで透明なやつだって世の中には当然存在する。それが俺だよ。それだけならまだ良い方さ、俺は穂乃果ちゃんの汚点になりたくないんだ。それこそ死んでも嫌だね。だから、俺は穂乃果ちゃんに相応しく――――」

 

 泥を吐くように、俺がそう吐き散らしたときだった。

 

 

 

「そんなことないよ!! だって、だってお兄さん頑張ってるじゃん!!!」

 

 

 

 一喝、思わず顔を上げて雪穂ちゃんの方を向いた。

 

「私は、お姉ちゃんの隣はお兄さんじゃなきゃ嫌だ。

 

 だってお兄さんほど、お姉ちゃんのために必死になれる人を知らないもん。お父さんやお母さん、お婆ちゃんや私に向かってお姉ちゃんへの気持ちをぶつけられる人他にいないよ!!

 

 私が見てきたどの男の人よりお兄さんは頑張っているんだよ!!」

 

 言葉が出なかった。あんなのを、頑張ってきたと言ってくれる雪穂ちゃんの顔をただただ見つめていた。涙を流す雪穂ちゃんが俺に衝撃をもたらした。

 どうして泣いているんだろう、熱に浮かされたようにそんなことを思い浮かべる頭。

 

 俺のせい?

 

 違う、雪穂ちゃんはきっと俺のために泣いてくれているんだ。俺が泣かないから、俺が嘘をついているから。

 

「許さないから、お姉ちゃんを諦めたら絶対許さないから……私の大好きなお兄さんは、お姉ちゃんを諦めたりなんか絶対しない。気付いてないだけだよ、お姉ちゃんが笑顔に出来るのはお兄さんだけじゃない。だけどお姉ちゃんを笑顔に出来るのは、今はお兄さんしかいないんだよ。」

 

「お兄さんは、風邪で滅入ってるだけなんだよ……きっとすぐ元に戻れるから。お兄さんとお姉ちゃんに差なんかないんだよ……だから、諦めないで」

 

 雪穂ちゃんは俺のぐしゃぐしゃの頭を抱き締めた。熱で死ぬほど熱いのに、夏の日差しが部屋をサウナにしているのに、昨日俺に刺さった氷柱をようやく雪穂ちゃんが溶かしてくれた気がした。

 彼女の真摯な姿勢が、俺を救ってくれた。気持ちがころころと変わっていったのに、戻るのすらこんなにも素早い。

 

「俺、穂乃果ちゃんの隣に行ってもいいのかな……」

 

「いいんだよ」

 

 

「俺……俺、穂乃果ちゃんのこと好きでもいいのかな……」

 

「いいんだってば」

 

 

 

「おれ、ほのかちゃんとけっこんしたいっておもってても、いいのかなぁ……」

 

「いいって!! 思うだけならタダだよ!!」

 

 雪穂ちゃんがそう言った瞬間、おかしくて笑ってしまった。

 笑ってしまったのに、涙が止まらなかった。

 

「それどうなのよ、思うだけならタダってこういうところじゃ使わないでしょ……ははっ……!」

「泣きながら笑わないでよ、こっちまで笑っちゃうじゃん……ふふ、あはは……!」

 

 2人して、笑って泣いていた。俺に関しては、咳き込んで、むせて、それでも笑い続けた。それでいて、やっぱり泣いていた。

 人は嬉しい時だって、涙を流せるんだって思い出した気がする。

 

 そんな1日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから数日、見事に穂乃果ちゃんが風邪を引いた。どう考えても俺のせいだね、

 というわけで!!!

 

「お見舞いに来たよ」

 

 一応、俺もお礼がしたかったから。数日ぶりに見た穂乃果ちゃんは、かなり弱々しくなっていた。やっぱり風邪を引くと気が滅入るんだなぁ、俺にも覚えがあるっつーか今思い出すと恥ずかしいっていうか。

 あれから、俺の中で考え方に変化が生まれた。

 

「あぁ……ありがと~……」

「寝たままでいいから、病人が気を使わないで」

 

 起き上がろうとする穂乃果ちゃんの額に冷却シートを貼り付けて、水の入ったコップを手渡した。穂乃果ちゃんはマスクを外してそれをゆっくり、こくこくと飲んでいった。

 だけど、元気が無い穂乃果ちゃんは言っちゃ悪いけど結構新鮮でずっと見つめていたかった。見つめていたかった、っていうか観察していたかった。

 

 そうしたら、目があった。そして穂乃果ちゃんが目を見開くと、水を一気に噴出した。どうやら咽てしまったらしい。

 

「げほっ、げほっ!」

 

 口から垂れている水をタオルで拭ってあげる。穂乃果ちゃんが咳き込むたびに水が飛び出してくる。思わず涙目になる穂乃果ちゃん、超絶可愛い。

 ただそれでもやっぱり辛そうだったので、俺は背中をゆっくりと擦ってあげることにした。擦り続けること数分、穂乃果ちゃんはようやく落ち着いてきた。

 

「あー……」

「横になってて、なにか欲しいものある?」

 

 すげぇ、俺めっちゃ彼氏っぽい。残念ながら進展はゼロだけどな!!

 首をふるふると横に振る穂乃果ちゃんが、なんだか子供みたいで本当に可愛かった。こいつさっきから可愛いしか言ってねーな。

 

「……寝付くまででいいから傍にいてほしい……かな」

「うん、わかった」

 

 ―――喜んでぇぇぇえええええええええええ!!!!

 

 暑いだろうけど穂乃果ちゃんにタオルケットを掛けてあげる。すると、自然と穂乃果ちゃんの手が涼しさを求めて外へぴょこっと飛び出してきた。

 鬱陶しいかな、と思いつつもその魔力には逆らえず俺は穂乃果ちゃんの手を握った。穂乃果ちゃんの手を握るのはかれこれ、例の夏祭り以来だ。

 

 しょうがないだろ、だって俺ヘタレだし? 仕事関連では歴戦の勇士でも、恋愛関連はキングオブ童貞極めてるから。むしろ童帝だから。そして誇れることじゃねーから、泣きたい。

 じんわりと、穂乃果ちゃんの手が汗ばんできた。違う、もしかしたら俺が手汗を掻いたのかもしれない。

 

 しばらくすると、穂乃果ちゃんは安らかな顔で寝息を立てていた。寝苦しそうだったから、マスクを外してあげようかと思ったそのとき。穂乃果ちゃんの手がどうしても離れなかったから、片側の手だけで起こさないようにマスクを外してあげた。気分はまるで爆弾処理班だった、笑顔の爆弾は喜んで起爆するけどな。

 

「へーやるじゃん?」

「うおわっビックリした!」

 

 そのとき、いつからか俺たちを覗いていたらしい雪穂ちゃんがニヤニヤしながら声をかけてきた。

 

「あーあー、入ってきたら風邪移っちゃうよ?」

「お兄さんほどの病気にはならないから大丈夫」

 

 俺ほどの病気? それってなんだろうと思って尋ねたら、

 

「恋の病だよ」

「上手い」

 

 これはやられました。俺は穂乃果ちゃんと手を繋いだまま、雪穂ちゃんに向き直った。

 

「そういえば、雪穂ちゃんにもお礼言ってなかったね。ありがとう、あの日君がいなかったらたぶん……ううん、絶対俺は壊れてたよ」

 

 そう言うと、雪穂ちゃんは顔を綻ばせた。

 

「どういたしまして」

 

 事実、あの日雪穂ちゃんが来なかったら俺はあのテンションのまま、自然と穂乃果ちゃんと距離を取っただろう。

 ただの店員とお客さんの関係で、満足していたかもしれない。だけど、案外俺は欲張りだった。

 

 1度狙った席は、絶対に譲れない。そんな思いを抱いていた、それを見失ってただけだった。

 それを雪穂ちゃんが見つけて、繋げてくれた。だから、俺はこうしてまだ穂むらで働いているし穂乃果ちゃんの傍で笑っていられる。

 

「君は本当に良い子だね」

「そりゃあ、お姉ちゃんの妹やってればね」

 

 いつかちゃんとしたお礼を2人にしたい、雪穂ちゃんには俺に目印をくれたお礼を。穂乃果ちゃんには、俺に目標をくれたお礼を。

 似ているようで、少し違う。俺を穂乃果ちゃんへと繋げてくれた雪穂ちゃんがいてくれて、本当によかった。俺の初恋の子の妹は非常に優秀で優しい子だ。

 

 

 

 

 

 そう思いながら今日も1日過ぎていく。

 

 




雪穂ちゃんは天使、いいね?

バイトダイアリーの第2ヒロインと言っても差し支えないんじゃなかろうか。
これルート化狙えるんじゃなかろうか←

とにかく俺の夏風邪忌念はこれで終わりです。
明日からまた日常に戻ると思います。

今回もありがとうございました!


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穂乃果とバイト編
バイトしてたら、後輩ができた。


短編のたびに新章突入してんなこいつ。




 穂乃果ちゃんの風邪も無事治り、それから早くも3週間が経った。

 俺は穂むらのフロア&カウンターとしての実力をメキメキと上げていった。その背景には穂乃果ちゃんとのまぁそれはそれは身悶えるような出来事が何も無いという簡素だけど微笑ましい生活があったのである、つまり何も無かったとか事実を言うな!!

 

 しかし、3週間という時間は夏において様々な出来事を運んでくるのだ。というのも、ついに俺にもバイトの後輩が出来たのである。

 

 それでは、新人さん自己紹介をどうぞ!

 

「し、白石勇人です」

 

 彼は音ノ木坂学院のお隣の共学校の1年生で、この夏を機にアルバイトを始めてみようと思い近所のこのスーパーを選んだそうです。

 まぁどうやら彼にはそこそこの観察眼があるようで、見学に来た際レジ部の人手不足を見抜き店長との面接で「レジ部で働けたら嬉しい」などと釣り針を垂らした結果、見事に釣れたそうだ。店長は良い新人が来たと喜んでいたが、実は勇人くんの手の中で泳がされていたことに気付いていなかった。

 

「白石くんはこれからこのお兄さんや、他のレジ部の人と2人制を組んでお客さんの商品を流してもらうね」

「はい、よろしくお願いします先輩!」

「よろしくー」

 

 俺たちは11番レジ、1番後ろだ。行くぞ白石少年、まずはレジ機の使い方からだ!!

 

「えっと、ここで取り扱ってる商品のなかでいくつかバーコードをこの機械に登録していないものがあるのね? それでこのタッチパネルでバーコードが登録されてない商品を精算出来るんだ」

「つまり、値札とバーコードの無い商品はスキャンの変わりにボタンで打ち込むってことですか?」

「イグザクトリー、じゃあ先に売り場を見学して回ろう」

「了解です!」

 

 元気がいいな、白石くん。俺でも勤め始めの頃はここまで元気じゃなかった。とにかくニート脱却とばかりに必死こいて数日でボタンの位置だとか商品の場所だとかを覚えたなぁ、もう1年か。

 俺たちが最初に回ったのは青果だ、なぜ青果部門なのかというと大体ここの商品がバーコードなしだからだ。

 

「はい注目、気をつけてほしいのがバーコードはついてるのにスキャンできない商品がいくつかあるんだ」

「そうなんですか?」

「そう、たとえばほうれん草だとか小松菜とか、裏面にバーコードはあるんだけどこれをスキャンしようとしてもエラーになる。というのも、うちの店では見切り品以外のほうれん草や小松菜の袋は値段を統一してるからなんだ」

 

 つまりうちの店でほうれん草の袋を買おうとするなら、間違いなく税抜き90円ってことだ。バーコードではなくボタンにすることで様々なところから仕入れたほうれん草を均等な値段で売ることが出来るってわけだ。

 

「他にもジャガイモとかね。それとナスも袋は統一されてるし、ミニトマトはボールに入ったトマトかパックのトマトかでボタンが違うから要チェック。バナナは袋に入っていないのはボタンだよ」

「袋に入ってるバナナはバーコードで大丈夫ですか?」

「オーケーよ、とにかく青果類はバーコードついてないなって思ったらボタンを探すこと、バーコードあったらとにかく通してみること」

 

 白石くんはささっとメモ帳にペンを走らせた。メモが終わるのを確認してから、今度は鮮魚部へ向かった。

 

「魚とか、貝とか形を覚えなければレジ部に未来は無いのだよ白石くん」

「レジ部って大変なんですね……!」

 

 その通りだ、今も言ったが魚の種類が分からなければ精算が出来ない。鮮度を保つべき魚に値札シールなんか貼れないのだから、当然バーコードではなくボタンだ。

 俺も始めた頃は恥ずかしながら秋刀魚しか分からなかった。しかも見分け方が、細い! こいつは秋刀魚だ! ふぁー!! という風にパニックになっていた。今のうちに魚は見分けられるようになったほうが強い。

 

「とりあえず、青果と鮮魚と夕方の惣菜だな、作りたての暖かい惣菜は袋かブリスターに入ってくるからこれもボタン。と言ってもコロッケとメンチの違いさえ分かれば惣菜は大したことはないよ」

 

 これも経験談だ、丸いメンチと楕円のコロッケさえ分かればあとはとんかつだとか春巻だとか人目で分かるものばっかりだ。

 ……あ、でも気をつけないといけないことがないわけではないんだよなぁ。カキフライみたいな形したコロッケがあるのだが、実はこれもコロッケのボタンなんだ。

 

「つまりお客さんが「これ、クリームコロッケね!」って言ったときはコロッケのボタンを押さなきゃいけないんだけど、当然このボードにはコロッケって表示されるからお客さんが早とちりすると乱闘になるからその際の説明を怠らないこと」

「なんか、先輩すごい苦い顔してますけど……」

「あ、わかる? これ俺が勤めた最初の見習いワッペンつけてた頃なんだけどお客さんがクリームコロッケ持ってきて、当時見分けがつかなかったから同僚の人に聞いてコロッケのボタンだよって教えてもらったのね」

 

 俺の話を熱心にメモに取る白石くん、君はまるでマスコミのようだね。

 

「そしたら、クリームコロッケ4つだからコロッケのボタン4つ押したんだけどさ……」

「私が買ったのはコロッケじゃないと言われたわけですね」

「そういうこと、しかも厄介なのはそのおばさんがコロッケとクリームコロッケの値段を覚えてなかったことなんだよね。クリームコロッケの方が小さいからさ、コロッケと同じ値段取られてたまるかって思ったんだろうね。しょうがないから売り場に戻ってコロッケとクリームコロッケは同じ値段だって突きつけたよ、舌打ちされたけど」

 

 白石くんが早々に嫌そうな顔をしている。

 

「大丈夫、そんなお客さんの方が今時珍しいよ。さぁ、じゃあ今度は練習モードでボタンの位置を把握しようか」

「はい!」

 

 元気がいいね、いいよそういう子を待ってたんだよ。白石くんは年下でまだ幼げがあるから、なんだか弟が出来た気分だった。

 レジのモードをトレーニングに変えて、俺が使ったカードを用意する。そのカードに書かれた商品は軒並みボタンの商品だから、この商品はどこにボタンがあるかなどを覚えられる。

 

「ちなみにね、夏野菜は野菜欄の下に固まってるよ。右側はキノコ類、左上はキャベツとか大根とか大きいものだね」

「なるほど……」

 

 そうして白石くんを訓練すること数時間、彼は俺が読み上げたカードの商品を即座に呼び出せるようになっていた。飲み込みが早くて助かるよ。

 仕事熱心で、仕事覚えるの早くて、みんなにモテそうな甘いマスク。世の中の皆様、すごい優良物件ですよ彼。

 

「じゃあ、今度は俺が買い物をするお客さんのふりするから、実際に会計してみようか。しばらく練習してて」

「はーい」

 

 俺は籠を手に取るとエプロンを外してレジテーブルの下に適当に放り込む。原則として、店員の姿で買い物をしてはいけないんだ。よくわからないけどそういうルールなんだ。

 事務所に戻って休憩ボタンを押す、これもルールだけど勤務時間中に買い物もNG。さすがにこれは当たり前か。休憩室のロッカーから財布を取り出して、店内に戻ろうとしたときだった。

 

「あれ?」

「あっ」

 

 関係者以外立ち入り禁止、の文字が表に出てるはずのバックヤードに穂乃果ちゃんがいた、思わず2度見してしまった。

 ……って待て待て、なんでここに穂乃果ちゃんがいるんだ!?

 

「ち、ちょっとさすがにバックヤードに入っちゃダメだってば!」

「あ、あぁ~……そ、そうだよね! ごめん、つい」

 

 ついじゃないよ~……穂乃果ちゃんを連れて店内に戻る。戻るというか売り場に出る。一応、今日は穂むらの仕事は休みなんだけど、穂乃果ちゃんは買い物で来てるのだろうか。

 なぜそんなことを思うかって? それは、穂むらで仕事があるときはだいたい穂乃果ちゃんが迎えに来てくれるからですっ!! おかげでむしろ穂むらで仕事の日以外に穂乃果ちゃんがお店に来る理由が気になってしょうがないよ!

 

「これから買い物するの?」

「うん、新しく入ったバイトの子の練習にね」

「君が教育係なの?」

「まぁ、主任に任されてるしそういうことなのかも」

 

 すると穂乃果ちゃんも入り口へ戻って籠を持ってきた。今日は卵の日でもパンの日でもない、強いて言うなら日用品が安い日だ。けど俺も穂乃果ちゃんも日用品買い漁るような人柄じゃない。

 なので、無難に飲み物とお昼のお弁当、さっき話したことの復習代わりにコロッケとメンチとクリームコロッケを数個ブリスターに入れて籠に入れる。穂乃果ちゃんもお気に入りのお弁当があるのか、いくつか籠に放り込んでいた。さらに穂乃果ちゃんは俺を引っ張りながらパンのコーナーまでやってきた。

 

「今日はパン安くないよ?」

「ふふーん、なんと私高坂穂乃果は今日お給料日なのです!」

 

 なのです! →可愛い。無いわけじゃないけどある方でもない胸を張る穂乃果ちゃん。生地が薄いからか、張ってるというかあるように見える不思議。

 まぁ俺は穂乃果ちゃんにおっぱいがあろうと無かろうと大好きだから構わないけどね、構わないけどね!!!

 

「だから、今日は自分へのご褒美~♪ それに、パンの日は置いてない曜日ごとのパンがあるでしょ? 穂乃果、それも食べてみたいんだ~!」

 

 なるほどね、確かに曜日のパンはある。今日はあんパンと、確か幻のクリームパン。ちなみに幻とついてる割に卸している数が1番多いので実は閉店まで在庫が無くならなかったりする。それでも最後にはキッチリ完売する辺り、人気なのが分かるね。

 

「あんパンは飽きたから、クリームパン3つにしよ~っと!」

「太らない? 大丈夫?」

「うぐっ……2つにします」

 

 それでも1個しか減らさない穂乃果ちゃん。苦笑しながら戻そうとするパンを俺が掴んで自分の籠に放り込む。穂乃果ちゃんが触ったパンを俺が誰かに買わせるわけないだろうが!! 自分で買って美味しくいただくに決まってるだろ!! やばいよこいつストーカー思考だよ、俺死ねばいいのに。幸せだからたぶん首が飛んでも死なないけど。

 

「お待たせ、白石くん。じゃあ普通に会計できるモードだから、頑張ってね」

「かしこまりました!」

 

 よし、良い返事だ。初めてだから、一応商品は少なめにしておいたぞ。後ろの穂乃果ちゃんの籠は大変だけどな……頑張れ白石くん!

 しかしなかなかどうして、白石くんは商品の積み方も丁寧だった。もしレジ部が野球部なら速攻でレギュラー入り狙えるレベルだった。そしていざやってきた惣菜のブリスターパックを手にとって、白石くんは様々な角度から眺め始めた。

 

「コロッケが2枚と、メンチとクリームコロッケ3つずつでよろしいですか?」

「完璧、つまり?」

「コロッケが5個の、メンチが3個ですね!」

 

 その通り、今日1日でここまで出来れば上等だ。俺は会計を済ませると白石くんに耳打ちした。

 

「彼女、俺の友達なんだけど……この際練習させてもらったらいいよ」

「お願いしまーす」

 

 穂乃果ちゃんがレジに籠を置くと、白石くんの目が変わった。それでいて、なんだか穂乃果ちゃんを意識しているような気がした。

 俺は少し、少しだけ不安を覚えて白石くんがレジの機械に遮られて見えない位置で穂乃果ちゃんの手を取ってしまった。穂乃果ちゃんが驚いたような顔をするけど、そのうちニッと笑った。俺は笑う気にはならなかったものの、不安が少しずつ氷解していく気がした。

 

 あとで聞いた話だが、白石くんはスクールアイドルを含むアイドル全般が好きらしい。μ'sの高坂穂乃果に似ていてビックリしたそうだ。うん、すまん白石くん本人なんだ。

 だけど、勤務中にも関わらず昨日見た夢を語るように喋りだす白石くんを見て、スクールアイドルとは本当に学生の憧れなんだと知った。

 

 その頂点に君臨したμ'sのメンバーなんだから、穂乃果ちゃんはやっぱりすごい。

 前の俺ならここで折れていた、けど1度折れて叩き直された今の俺なら折れない。雪穂ちゃんがくれた自信が、今の俺にはあるから。

 

 だから今は友達としてだけど、俺は彼女の隣にいられる。

 

 

 

 

 

 そして2日後、俺は穂乃果ちゃんがバックヤードにいた意味を知った。

 

 

 

「ここで働かせていただくことになりました、高坂穂乃果です! みなさんよろしくお願いします!!」

 

 朝の朝礼に参加していた俺は、そっと卒倒した。

 

 あれから約1ヶ月、俺に2人の後輩が出来た。

 そのうちの1人は元アイドルにして別の仕事先の先輩兼オーナーで、俺の初恋の人だった。

 

 




超展開!!←

実はバイトダイアリー書き始めてやりたかったのが、お互いの職場に勤め合うというこの関係。どちらかでは先輩後輩なんだけど的な!!

ありがとうございました、ぼちぼち突っ走っていきます。
来月もバイトダイアリーをよろしくお願いいたします!


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バイトしてたら、初恋の子と同じシフトになった。

「そ、それじゃあレジ部の基本を教えようかな……?」

「よろしくお願いします、先輩!」

「せ、先輩……」

 

 確かにそうなんだけど、なんだか他人行儀な気がしないでもない。お兄さん軽くショックです……まぁ前向きに行こう。

 ……そうだよ、これから1日の半分以上を穂乃果ちゃんと一緒に頑張れるんだから文句なんかねーよ!!

 

「まさか2日連続で同じ説明を人にすることになるなんて思わなかった、まずは青果から見ていこうか」

「はい、先輩!」

「先輩はいいよ、穂むらでは穂乃果ちゃんが先輩だしお互い様ってことで」

 

 そう俺が提案すると穂乃果ちゃんは渋々、と言った風に頷いた。なぜ不服そうなのか、お兄さんには分からないです。しかし穂乃果ちゃん、可愛いな。いや、当たり前なんだけどさ? いつも割烹着っていう和の作業着を見てきたから、エプロンとバンダナを身につけたスーパー店員スタイルの穂乃果ちゃんはなんだかこじんまりしてて本当に可愛い。エプロンの裾とか気にして自分の体気にしてるところとか本当に可愛い抱き締めたい。

 

 昨日は白石くんと回った通路を穂乃果ちゃんと一緒に回る。と言っても、穂乃果ちゃんには前々から店の話とかをしていたから彼女もだいぶ覚えてたみたいだった。穂乃果ちゃんは俺が説明するより先に「青果の商品はだいたいがボタンなんだよね?」って言ってきた、俺が頷くとまるでクイズに正解したみたいに手放しで喜んでいた、小さなことで大喜びする穂乃果ちゃんの子供っぽさは見てて飽きないし、どんどん惹かれているのがわかる。

 

 がしかし、今は勤務中だ……俺はバイト戦士、仕事中に私情を挟むなど……!!

 ―――やっぱ無理だ! 穂乃果ちゃん好きだ!! 今日もサイドテールが可愛いね、そのツヤツヤのリップもたまらないね、何よりもそのサファイアの瞳が俺の心を昂らせるね!!!

 

「どうかしたの? じっと穂乃果のこと見てるけど」

「いや、なんでもない。今日も平常運転だなと思いまして」

「凄い汗、大丈夫?」

「あの、大丈夫なんで……そんなに追求しないで……っ」

 

 死んでしまいます。

 

 その後は鮮魚、惣菜とかの品を眺めて形をある程度覚えてもらうと今度はバックヤードの説明に移った。バックヤードには大量の段ボールが堆く積み上げられているので移動には細心の注意を払う必要がある。俺が怪我するならまだいいけど穂乃果ちゃんに怪我なんかさせたら俺は自分を呪うぞ。

 

「すごい一杯箱があるね~……」

「うん、たまにお客さんが店に出てないものでこれは無いのかって尋ねてきたりするから、そのときはここから持っていったりするね。念のため、カウンターとか品出しの人に報告したほうがいいかな」

 

 俺がそう説明すると、穂乃果ちゃんも白石くんのようにメモを取り出した。しかし途中で俺が喋っていたことを零してしまいペンの速度がだんだん遅くなる。

 

「うー……もし、穂乃果が困ったら助けてくれる?」

「もちろん、その腕章が取れるまで」

 

 そう言って指差すのは「研修中」の文字が入った腕章、これをつけてる間はアルバイトなら自給がマイナス40円という給料明細をもらうまで気付かないデカイ差がある。いや、本当に40円って大きいんだよ。

 

「ここ左に曲がっていくと、発泡スチロール部屋、ビールとかの段ボール部屋、その次が休憩室で出たゴミ袋の部屋、その奥はスタッフ用トイレ。ただ俺たちレジ部はお客さんのトイレ使っても怒られないよ」

「そうなんだ、覚えておこっと。えっと発泡スチロール、段ボール、ゴミ袋の順番でいいかな?」

 

 穂乃果ちゃんが尋ねてきたから、首を縦に振る。すると穂乃果ちゃんがメモを取り始めた。どうしよう、俺ここまで丁寧に穂むらの仕事を覚えようとはしなかったな……今度、見直してみる必要があるな。

 

「バックヤードはこんな感じ、じゃあレジに戻ろっか」

「わかりました!」

「いつも通りでいいから」

 

 じゃないと俺が肩凝っちゃうよ。穂乃果ちゃんを連れて表に戻ったときだ、なんだかさっきより人が2倍になっていた。

 気になってレジに戻ると、青果部門やグロサリーの主任がレジに2人制で入ってお客さんを流していた。お客さんも今はそこそこだが、間違いなく数分の内に長蛇の列が出来ると確信した。

 

「あーいたいた! 今レジ入れるかな?」

 

 主任が俺たちの元へ駆けてきた。まぁ入るしかないっしょ、だって俺バイト戦士だもん。

 

「高坂さんは……うーん、どうしようか」

 

 言いたいことはわかった。穂乃果ちゃんは俺と2人制するにしても、まだスキャナーもキャッシャーの経験も無いうちにこの数の客を捌けるか、ということだ。

 ただ、1つ物申したい。彼女は高坂穂乃果、伝説のスクールアイドルにして俺の初恋の女の子で別のバイト先の先輩だ。

 

「主任、スキャナーは俺がやります。穂乃果ちゃんは、キャッシャーで。彼女、レジの経験が無いわけじゃないですし、それならお客さんは早めに捌けますから」

「そうなの!? じゃあお願いできるかな? ごめんねぇ~、まさか初日に月始セールがあるとは思わなくって……」

 

 主任が手を合わせる。せめてもの配慮として、俺たちは1番お客さんの入りが少ないレジに入れてもらった。

 

「じゃあ、レジを開ける前にキャッシャーの説明をするね。俺がお願いしますって言ったら穂乃果ちゃんは代金をお客さんに請求してもらったお金を、精算機に入れるだけで大丈夫」

「うん、いつも君の動きを見てるから大丈夫だと思う!」

「そっか、じゃあお客さん呼ぶよ」

 

 この狭いレジの中で、穂乃果ちゃんと肩を並べている。穂むらと違って人の目があるから、手を繋いだりは出来ないけど少し動けば触れる肩。やっぱりいつまで経ってもドキドキするな……

 

「いらっしゃいませー!」

 

 と、お客さんを大きな声で迎え入れたのは穂乃果ちゃんだった。俺はお客さんの商品をスキャンしていく、値段を淡々と読み上げながらお客さんの方を見ていた。

 若い男の人だ、恐らく大学生とかそこら辺、商品からしてお昼ご飯を買いに来たんだろう。

 

「お箸はお付けしますか?」

「はい、お願いします~」

「穂乃果ちゃん、箸1膳お願い」

 

 弁当用の袋に弁当と惣菜を詰める。穂乃果ちゃんがその袋に割り箸を入れる。手提げの部分をくるくると捻って穂乃果ちゃんは手馴れたようにお客さんに差し出した。

 

「どうぞ♪」

「あっはい、ありがとうございます……」

 

 ……ちょっとなによその反応!!! アンタ穂乃果ちゃんをどういう目で見てるわけ!? 返答によっちゃ箸を抜くぞコラァ!!

 

「お願いしまーす」

「はーい、全部で964円になります!」

 

 するとお客さんは、わざわざ釣り銭台ではなくテーブルの上に小銭を置いてそれをわざとらしく纏め上げると穂乃果ちゃんの手の上にそっと小銭を置いた。

 貴様ぁ……策士だな、女の子への何気無い触り方を心得ているじゃねえか……悔しいが、プレイボーイ力では及ばない。俺は辛酸を舐めながら袋を籠に放り込んだ。

 

「「ありがとうございましたー!」」

 

 その声は新たなお客さんをどんどん呼び寄せる。俺はクレーマーに集られようと穂乃果ちゃんのキャッシャーとしての仕事に慣れるまであえて流すスピードを落とした。

 俺だけなら、もうこの渋滞を捌き切ってるだろうし穂乃果ちゃんに良いところ見せようと思って今から気合入れることも出来るけど、穂乃果ちゃんがミスをしちゃってみんなが「やっぱりダメだった」なんて思うのは耐えられない。今俺がすべきなのは、穂乃果ちゃんがミスをする可能性を確実に潰していくことなんだ。

 

「お願いします、あと箸3膳ね」

「はーい!」

 

 並んでいる人からのプレッシャーを感じていないかのように、穂乃果ちゃんは快活に会計を済ましていく。渋い顔していたお客さんも、穂乃果ちゃんに中てられて自然と肩の力を抜いていた。

 それを見て、すごいなって思った。それしか出てこないわけじゃないけど、ひっくるめて穂乃果ちゃんは凄かった。隣にいる俺だけじゃなくて、確実にお客さんをこの短時間で魅了していた。

 

 これが、伝説のアイドルの力か……なんとなく、穂乃果ちゃんを1人でレジに入れたくないなって本気で思ってしまった。

 

「次のお客様、お待たせしました! 1,257円頂戴いたしまーす!」

 

 既にレジ部の用語も覚えている。これは振り付けや歌詞を覚える要領なんだろう、穂乃果ちゃんは過去の経験を今に繋げられているんだな。

 それってやっぱり、すごい。

 

 

 

 

 

「あー疲れた……」

「お客さん、途切れなかったね~。レジってあんなに大変なんだね」

「まぁね」

 

 やり甲斐が無きゃとっくにやめていたかもなぁ……あぁ、でもコンビニだけのバイトじゃあ家族に顔向けできなかったしな、当時。

 

「1年も続けられるなんてあなたってすごいんだね!」

「凄くないよ、混んでるときのコンビニよりはマシだもん」

「あ、そっかコンビニでもバイトしてるんだっけ!」

 

 深夜にね、そう付け足して夕暮れの道を歩く。夏の暑さもそろそろピーク、あとは涼しくなるまで一直線なんだけど暑いもんは暑い!!

 

「何か飲む?」

「え、いいの?」

「うん、初めてのレジお疲れ様ってことで」

 

 俺は自販機でコーラを買うとその缶を穂乃果ちゃんに渡した。穂乃果ちゃんは喉を鳴らして風呂上りのおっさんみたいに飲んでいたけど、ふとした瞬間に顔が真剣になっていく。

 

「コーラ、嫌だった?」

「あっ、ううん! 美味しかったよ! でも、炭酸が飲めない友達がいてさ……元気かなって」

 

 ……μ'sの仲間だろうか、その可能性はある。俺はそれが誰かは知らないけど、なんだかセンチメンタルに浸ってる穂乃果ちゃんを引っ張り挙げたくなってしまった。

 彼女がそれを望んでいなくても、穂乃果ちゃんには俺の上で輝いてほしかった。

 

「確かめに行ってみたら?」

「え?」

「俺はその友達が誰かは検討がつかないけど……穂乃果ちゃんが話がしたいと思えば向こうも断ったりはしないんじゃないかな」

 

 どうやら俺がそんなことを言い出したのが不思議だったのか、それとも会うという選択肢を思いついていなかったのか穂乃果ちゃんはきょとんとして首を傾げた、可愛い。

 

「海未ちゃんなんだけどさ……会ってくれるかな?」

「だちゃんなら、絶対。断言してもいいよ」

 

 といっても、6年も会ってない園田家のご息女がどう変わっていたのかは知らない。けど、俺が知らない間も穂乃果ちゃんといたならきっとあの頃と変わってないはずだ。

 

「けど、どうかな……穂乃果今、バイト2つ掛け持ちしてる状態だし時間が合わないよ」

「穂乃果ちゃん今週の土日はスーパー休みなんだから、電話して聞いてみればいいんじゃない? 本当、俺がアドバイスすることじゃない気がするけど」

 

 出しゃばって嫌われたりしたら損だから――――

 

「そんなことないよ! 君がいてくれて最近穂乃果すごい助かってるんだから!」

 

 いきなり大声で、そう言われてしまった。夕暮れ時の坂道、穂乃果ちゃんの顔は逆光で殆ど確認できなかった。

 

「あれ、なに言ってるのかな……穂乃果にもわかんないや。と、とにかくね? 君のアドバイスが、無駄になるなんてことはないよ……男の子の友達って君しかいないから、凄い元気が出るんだ」

 

 ズキュン、トクントクン…………ドドドドドドドドドド!!!

 やばい、なんか今日はみんな様子が変だよ。俺も穂乃果ちゃんも夏の暑さに中てられちゃってるに違いない。落ち着け、俺だけって言葉に反応しすぎなんだよ。

 

 友達だって、そう言われてるじゃないか。誤解もなにもない。俺は穂乃果ちゃんの、唯一の男友達。

 

「――ありがとう、今夜海未ちゃんとお話してみるね。久しぶりだなぁ、なんだか緊張しちゃうよ」

「緊張しすぎで仕事中にお盆落とさないようにね」

「むー? そういうことは君もフロアできるようになってから言ってね?」

「ははは、ごめんなさい先輩?」

 

 そう言うと、穂乃果ちゃんは俺が先輩と言われてそれは無しだと思った理由がわかったらしい。俺たちの間柄で、先輩後輩っていう行儀はもういらないんだ。

 

 だって俺たちは、友達だから……




白石くんはシフト時間の都合上穂乃果ちゃんと一緒にはなれないんだ(ゲス顔)
ちなみにライバル説が皆様の間で囁かれていますが、彼は戦士の焦りに火をつける係りです。ライバルには成り得ませんが、戦士のための一種の外部エンジンです。

それと、リアルで僕に後輩が出来たというのが話のネタだったりします。

穂乃果ちゃん誕生日おめでとう、今年は特に用意できないかもしれないけど君が大好きです。


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バイトが無かったので、初恋の子を迎えに行った。

伝家の宝刀、タイトルオチ←


 あぢい……

 

 暑すぎる~夏死んでくれ~……あ、でももし穂乃果ちゃんとか雪穂ちゃんとかエルメスたんがプール行きましょうって言ってくれるなら今から夏崇めるわ。

 

 などと夏の煩悩を浮かべながら扇風機の前で素麺を啜っていたときだ。スマートフォンがバイブレーション、そのまま移動して俺の足の小指に落下。めっちゃ痛い。

 

『……もしもし、あぁ出た出た。あのさ、次の月曜日なんだけどさ。ちょっと休みが欲しいって人がいてね、月曜日君休みだから土曜日の休みと交換してほしいらしいんだわ』

「あ、そうなんですか。分かりました。土曜日ですね、了解です」

 

 主任からの電話だった。土曜日思わぬ形で休みが出来てしまった。何しようかな……うーん、まぁ当日決めるとして今日は夕方までフリーだし、テレビを眺めてるだけじゃあれだし久しぶりにネットサーフィンでも。

 素麺の笊を片付けると俺は自室に戻ってPCの前へ戻った、なんだかここに座るのが珍しい気がしないでもない。

 

 俺は今まで使ってた掲示板に新たなスレを建てる。>>1である俺のコテハンが"バイト戦士"だと確認できた途端、いつもの連中が顔を見せた。

 

 7:バイト戦士「久しぶりの近況報告」

 

 8:名無し「過去スレ探してもなんか見つからないから戦士と相手のスペックキボンヌ」

 

 スレ名は相変わらず【バイト戦士なんだが初恋の子に出会った】のナンバリングだが、確かに1つ目のスレが恐ろしいことに落ちていた、早すぎやしないか。だから俺と穂乃果ちゃんの関係だとか、知らない人がこのスレには当然いる。

 

 14:バイト戦士「俺、19歳チビガリ。現在彼女と同じバイトを2つ掛け持ちしている。先日の夏祭りではお手々繋いで歩いてた。最近彼女の妹に雑に扱われてるが信頼はしてもらってるはず。彼女のご両親にも好意的に接してもらってると思う。俺の精神基準じゃなんとも言えん」

 

 15:名無し「進展しすぎwww」

 

 16:名無し「さすが俺たちのバイト戦士」

 

 よせやいそんな褒めるなって。というか俺このスレ民の一種の娯楽になってないだろうか、端から見ればこれ立派な恋愛ドラマっぽいぞ?

 それからも俺はスレ民のみんなの質問に出来る範囲で答えた。しかし約4時間加速に加速を重ねた結果、あと少しで500レスというところで俺はようやく本題を切り出すことにした。

 

 479:バイト戦士「ところで、ここまで親しくなったし仕事先も同じで距離は確実に縮まってる気がするんだが、俺氏どうしたらいい?」

 

 480:名無し「外堀埋まってるなら凸」

 

 481:名無し「突撃不可避、実況待ち」

 

 するかアホ、んな器用なこと逆に出来ねーよ。でも確かに結構な人間に応援されてるんだよな。ここのスレ民だったり、雪穂ちゃんにエルメスたんこと亜里沙ちゃんに背中押してもらってるわけだし。

 あぁ、忘れがちだけど主任もか。主任がシフト一緒にしてくれたから一緒に働けるわけだし……まぁ白石くんが夜の部に入ってくれたから穂乃果ちゃんが昼の部ってこともありえる。そうなると白石くんにも感謝か。

 

 とにかく新たな進展があれば、また報告に来る。スレを締めるかは任せた、帰ってくるか分からないのに保守させるのはなんか心苦しいし、一気に加速して終わらせちゃってほしい。

 

 ブラウザを閉じると俺は目がしょぼしょぼしまくっていた。肩も凝ってるし、何より暑い!! 夕方から穂むらのバイトだし、シャワー浴びよう。

 冷水シャワーはある意味夏の楽しみだよね、水風呂もいいよね。落ち着くっていうか気持ちいい。適当に汗を流すと着替えて俺はスーパーへ向かった。

 

 なぜか、当然穂乃果ちゃんを迎えに行くためだ。バテてないかな、店内はクーラー利いてるかもしれないけど場所によっては暑い。

 お客さん入り口から入るとサービスカウンターに挨拶に来た。さすがに退勤後とは違うのでカウンターには入らなかった。

 

 穂乃果ちゃんの姿を探すと、穂乃果ちゃんは気のいいおばちゃん先輩のレジで2人制を組んでいた。

 しかしよく見ると穂乃果ちゃんは相変わらずお客さん、特に男の人気が凄まじい。今日はスキャナーをやってるらしいけど、すごい忙しそうだった。でも新人は本来キャッシャーをもう1人に頼み商品の積み方などを覚える必要があるから、慣れるまでは苦行だよね。穂乃果ちゃん頑張れ……!

 

 見守ること15分、おばちゃん先輩がレジ上げになる。穂乃果ちゃんは籠の整理をお願いされたらしく、作荷台付近の積みあがった籠を押して入り口の横に持って行くようだった。俺もこっそり籠を積み上げてその背中を追いかける。

 

「お疲れ様」

「あっ、やっほ! ホントに疲れたよ~昼間のお客さんってこんなに多いんだね~」

 

 というか穂乃果ちゃんが人気すぎるんだよね。おのれ、お客様だからとて容赦はせんぞ……俺は平気で箸を抜くからな、どうだ食後のデザートにプリンを買ったはいいけどいざ袋を探してみればスプーンが入っていなかった絶望は。さらにプリンの袋を開けてしまっていたなら、もはや絶望の2コンボだ。そこに諸君らを落とす覚悟が俺にはあるぞ!!

 

「でも、やっぱりうちで働くのとは違ってお客さんのために働いてる感じがして、誰かのためになってるなら穂乃果は嬉しいな」

「働き始めて2日でそう思えてるなら、穂乃果ちゃんはやっぱりすごいよ」

 

 籠を片付けると、穂乃果ちゃんはおばちゃん先輩の下へ戻っていった。レジ上げ後の仕事も今のうちに覚えておかないといけないからな。

 

「ふふーん」

「なっ!? 主任!」

 

 うわぁビックリしたぁ……ビックリしすぎて思わず飛び退ったぞ。

 

「なかなか隅に置けませんなー。こっちでもバイト、彼女の実家でもバイト、頑張りますなー」

「な、なんで……俺穂むらでバイトするとは言ってないはずなのに……」

「毎日あの子が迎えに来てたらそりゃわかるよ」

 

 主任が苦笑する。た、確かに穂乃果ちゃんはいつもサービスカウンターで俺を待っていたわけだし、主任と話をしなかったとは聞いてないし……

 

「っていうか、主任はどうする気なんですか?」

「別に? こんなチェリーな話で部下ゆすったりしないよ。ただ、君があんまりにも旦那に似てるからさ」

「旦那さん? どこか似てるんですか?」

 

 俺がそう聞くと主任は壁に寄りかかってハードボイルドに語り始めた、指の隙間にタバコの代わりにボールペンが挟まっていた、正直ダサい。これじゃあハーフボイルドだ。

 

「いやねぇ……あれはまだ私が副主任ポジションだった頃かなぁ。旦那がね、当時は私は彼の気持ちには気付いてなかったんだけどね?」

 

 惚気か? これは惚気なのか?

 

「旦那がさ、アルバイトから始めて今やグロサリーの主任よ」

「マジで!? あれ主任の旦那さんだったの!?」

 

 今明かされる衝撃の真実。品出しのプロ、たまにレジの手伝いにくるあの人主任の旦那さんだったんだ、やばい今世紀最大の衝撃かも。

 

 

 

「だからさ、好きな人の職場に、その人のために働こうとする君は旦那そっくりでね。アドバイスとかしちゃいたくなるわけよ」

 

 

 

 ……先人の言葉は偉大だ、ゆえに重く後続の者に圧し掛かる。しかしその重さは、後で必ず後続を助ける。

 

「決断は、早い方がいいよ。君が、もし彼女に好意があるなら、今の空気に満足しないうちにね。じゃないと無駄な時間を使うよ」

 

 それだけ言って主任はサービスカウンターへ戻っていった。決断は早い方がいい、か。確かに俺は今の空気で、穂乃果ちゃんの隣にいるつもり(・・・)でほぼ満足している気がする。

 それじゃあ、ダメなんだな。貪欲に、さらに深みへ、もっと近くへ。穂乃果ちゃんを求めなければ、ダメなんだ。

 

 主任が言いたいのは、そういうことなのかもしれない。時間を無駄にするってのは、まだよくわからないけど……

 

「おまたせー!」

「おわっ! お、おつかれー」

 

 その時、レジ上げと共に退勤を済ませた穂乃果ちゃんがいた。エプロンとバンダナはもう来てなかったけど、制服のポロシャツはまだ着ていた。更衣室はあるけど、女性人はぶっちゃけそこを使わない。男子勢もシャツ着てれば構わず脱ぐしね。

 

「じゃあ出発!」

「俺は普通玄関から出て待ってるね」

「あ、そっか」

 

 穂乃果ちゃんは職員玄関から出ないといけないのだ。まぁたった数十秒離れる程度何ともありませんがね。

 

「んー疲れた!」

「でも楽しそうだね」

「やりきった! って感じだね!」

 

 まるで疲れてなさそうに見える穂乃果ちゃん。やっぱりアイドルって実は体力いるんだろうなー。

 

「そういえばさ、今日穂乃果ちゃんと組んでたおばちゃんが休み代わってほしいらしくてさ。土曜日休みになったんだよね」

 

 そう言ったら、穂乃果ちゃんは「あっ」と何かを思い出す仕草をした。

 

「あのね、君が良かったらなんだけど……土曜日、海未ちゃんの家に行くんだけど……良かったら一緒に遊びにいかない?」

「え、いやいや邪魔でしょ。俺なんか」

 

 だちゃんの家か、興味はあるけど……久しぶりに2人で会うのに俺なんかお邪魔虫だろ?

 けど穂乃果ちゃんは引かなかった。

 

「ううん、海未ちゃんも君のこと覚えてたみたいで……昨日少し話してたんだ。穂乃果から言っておくから、ダメかな?」

「……うーん、予定は無いけど……本当に俺が行ってもいいの?」

「いいの! 小学生の時は、海未ちゃんとも一緒に遊んでたでしょ? 友達なんだから―――」

 

 友達、か。主任の話を聞いたからか、なんだか焦りを感じるワードになってしまった。

 

 だからか、俺は首を縦に振って土曜日の件を了承した。それからは穂乃果ちゃんもいつも通りに戻った。

 穂むらで作務衣に着替えると気合を入れる、がなんだか穴が開いてるみたいに気合が抜けてあくびが出る。

 

「なんか、お姉ちゃんと一緒じゃなくて不服そうですね……!」

「あぁいえ? 俺は雪穂ちゃんと一緒でも嬉しいよ十分、雪穂ちゃん可愛いし目の保養になるよありがたや~」

 

 穂乃果ちゃんはどうやら部屋に戻っているみたいだった。代わりに雪穂ちゃんが出てきていた。もう高校生ならとっくに夏休みだろう。

 

「雪穂ちゃん受験勉強はどうなの?」

「そうですね~、お姉ちゃんがここを継いでくれるなら大学受験に向けて勉強しないといけないですね」

 

 なんだその言い回し? なんだか気になる言い方だけど、考えたところで恐らく俺には違和感の元なんかわからない。

 

「っていうか、お兄さんそんな軽々しく可愛いとか言わない方がいいよ」

「へ? それはまたどうして?」

「その一言で本気になっちゃう子だっているんだよ、亜里沙とか人の悪意知らないで育ってきたような子だしファンからホイホイ褒められて暴走することとか多いんだから」

 

 へぇ、エルメスたんを話題に上げておきながら顔を真っ赤にしてる辺り実は照れてるなおぬし。素直になれよ、すいませんでした。

 

「……ん? ファン?」

「そうだよ、亜里沙と私は現役スクールアイドルなんだから」

 

 本日明かされる衝撃の真実その2。なんと亜里沙ちゃんと雪穂ちゃんは現役スクールアイドルだったらしい、開いた口が塞がりませんよ。

 

「やっぱり知らなかったんだ、お姉ちゃん以外にはそんなに興味湧かない?」

「いや、いやそんなことはないけど……個人名をネット検索してもだいたい同じ名前の他人とかあるじゃない? そういうあれ」

 

 そう言うと雪穂ちゃんは納得してくれた。

 

「確かにお兄さんの名前入れてネットで検索しても同姓同名の人しか出てこないもんね」

「やめたまえ、その例を出した俺が悪かった」

 

 雪穂ちゃんはお客さんをいないのをいいことに俺を弄り倒していた。

 

「あー、なんか楽しそう。穂乃果も混ぜてよ!」

「お姉ちゃんも来たことだし、邪魔者は受験勉強しますね~」

 

 その時、奥から穂乃果ちゃんが顔を覗かせた。入れ替わりで雪穂ちゃんが自室へ戻っていく。穂乃果ちゃんはサンダルを履いて割烹着と三角巾を身につけるとカウンターに立った。

 しかしお客さんはいない。

 

「あのね、海未ちゃんに聞いてみたらぜひ連れてきてほしいって!」

「本当に? じゃあ俺もお邪魔させてもらうよ」

 

 なにかお土産買って行こうかな、だちゃんの好物は……あ、穂むらのお饅頭だったな。土曜日、伺う前にいくつか買ってから一緒に行こう。

 

 だちゃん、俺のこと覚えてればいいな。

 

 




久しぶりのスレ民←

穂乃果ちゃんの誕生日なので、2話くらい挙げておこうと思いました。
本当はいろいろ書きたかったんですがね、性急すぎるのは良くないですからね。
ちゃんと外堀生めて戦士の退路絶ちます、絶対殺すマン←

感想評価、ありがとうございます。
バンバンお願いします! その日に返せる努力をしたいと思います。



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バイトを休みにされたので、元クラスメイトに初恋の子と会いに行った。

なげぇ←
海未ちゃんがなかなか強敵でした。


 準備は万端、今の俺に資格はない。いや死角がない。いや特に資格もねーけど。

 バイト戦士たるもの、1つの職種で統一してはならぬ。ゆえに資格は不要、あえて正社員の下で馬車馬のごとく働くべき。

 もちろん、鉄の意志と鋼のハートが必要です。俺は無難に1つのバイトともしくは就職をオススメします。

 

 姿鏡に向かってひたすら、唱え続けること数分。

 

「俺は、かっこいい!!」

 

 さすがに恥ずかしくなってきたが、自己暗示をかけることによってかっこよく見えるはずだ。

 というか、何を恐れることがあろうか。相手は元クラスメイトだぜ、ビビるこたぁねぇ……ビビってなんかいません。

 

 その時、家のチャイムがなる。俺は階段を駆け下り、用意していた鞄に包装された箱を紙袋に入れて玄関を開ける。

 

「お待たせ♪」

「こちらこそ」

 

 今日も今日とて、天使。軽く余所行きのように気合入れた感じの格好している穂乃果ちゃん。明るい色のブラウスが眩しいです、打ち水に当たったら透けちゃうね……透ける!?

 まずい、この猛暑日だ。水鉄砲持った悪ガキがいないとも限らない!! 穂乃果ちゃんの下着は俺が守る! 正直俺も見たいけど世間体を気にした結果だ!!

 

「じゃあ行こっか」

「うん……うん」

 

 生返事しか返せない。飛んでくる水を警戒しているのもある、が本当の理由は穂乃果ちゃんと昼間に出かけるのは割と初めてだからだ。

 それこそ、最近夕方はよく一緒に歩くものの一緒の職場に向かうだけであって……とどのつまり久しぶりにデートしてる気分なのです。

 

 手ぐらい、繋いでもいいだろうか……あぁでも暑すぎて手汗がやばい。こんな手で女の子の手触れるわけねー……諦めよう。

 っとと、いかんいかん。気持ちが焦りすぎて早足になってるな……歩幅、合わせないと。こんな俺でも穂乃果ちゃんより歩幅あるんだな。

 

「……ありがと」

「うぁい? な、なにか仰いまして?」

「ううん、なんでもないよ」

 

 ニッと笑う穂乃果ちゃん。そりゃあもう、ドキッ! としましたね。少し目を逸らして、もう1度窺ってみると、また笑っていた。な、なんなんだ……ドキドキすっぞ。

 特に会話が弾まない、普段はバイトの話とかしてるけど……今日は仕事に行くわけじゃないし……仕事の話は、ねぇ?

 

「あ、そういえばうちの店はもう慣れた?」

 

 あ、お仕事の話オーケーっすか。

 

「うん、まぁ穂乃果ちゃんの家だしね。お父さんもお母さんも優しくしてくれてるし、雪穂ちゃんもまぁ……構ってくれているし? 出来るなら住み込みで和菓子作り勉強したいくらいだよ」

「そっか、ふふふ。お父さんに伝えておくね」

 

 俺の同棲したいアピールを華麗にスルーした穂乃果ちゃんは満面の笑みを見せる。もうなんだかこのスルーには慣れてきた、涙拭けよ俺。

 それで会話を途切れさせるのは忍びなかったので、俺もバイト先の話を切り出した。

 

「どう、1週間やってみて」

「お昼って思ったよりお客さん多いんだね? みんな仕事帰りに夕飯のおかず買ったりすると思ってたからビックリだよ~!」

「それ、俺も思った。夜から昼間に上がったのはいいけど、下手すると昼間の方が忙しい気がする」

 

 ここでミソなのは、昼間と夜では忙しさの意味がだいぶ違うってことだ。昼間はお客さんが多い、夜はお客さんの荷物が多い。数をこなすという意味では両方忙しいんだけど、なんというか荷物少ない分細かな移動が多い、体力的に疲れる。昼間は、それこそ弁当とかパン買いに来る人しかいないからね。速く商品を流せる俺とかは商品多めでもお客さん少ないほうが実は楽。

 

「でも、今は2人制で君やいろんな人と一緒に仕事できてるから、辛くないよ」

「それなら、良かった。レジ部とか人がすぐいなくなるところだから、少し心配だった」

 

 やめないよ、と穂乃果ちゃんがそう言った。まぁ彼女の性格的にやると言い出したことを短期間でやめるはずがないか。

 それこそ、結果を出すまで絶対に諦めないだろう。

 

「最近、穂乃果ちゃんと一緒にいる時間が多くなってさ。それを思うたび昔のことを思い出すんだ」

「あの頃の穂乃果、男の子みたいだったよね」

「かもね、あの頃から男の子と女の子って意識し合って距離を取り出す時期だから。実際、だちゃんとことりっちは男子から少し離れてたよね。穂乃果ちゃんが引っ張り回さなかったら、男子との繋がりは無くなっていたかもね」

 

 つくづく、思春期という時間を呪う。あの頃から穂乃果ちゃんが好きだった俺は、徐々に離れる周りの空気に流されて距離を取らないといけない気がした。そうじゃないと、からかわれるから。

 子供にとって、周りと違うっていうのはそれだけで大きな攻撃対象に、的になる。だけどそんな俺に、その周りを気にせずに歩み寄ってくれたのが穂乃果ちゃん。

 

 どこから好きになったのかは、覚えてない。離れるのが怖かったのなら、その前から好きだったのかもしれない。ただ明確に一緒にいたいとか、思い始めたのは別れる数ヶ月ぐらい前だったかもしれない。

 中学に上がる前、好きって言ってたらどうなってたのかな。ただのマセガキにしか思われないかもな、だって小学生だし。

 

「ねぇねぇ」

 

 中学校は違う学校だった。それでも学校が近所ってこともあって、登下校中の穂乃果ちゃんたちを見ることがあって。その頃には声も変わり始めて、穂乃果ちゃんという唯一の女子コネクタを失った俺は立派に思春期思想の波に飲み込まれて野郎としかつるまなくなったし、好きでも嫌いでもない女子と話をしてもどもるようになって、部活動にも入らずじまい。

 

「ねぇ、ねぇってば」

 

 そして高校へ、音ノ木坂とは違って電車を使った場所にある学校へ通い始めた俺はかつての初恋と穂乃果ちゃんをアルバムの中だけの存在にした。

 それほど、周囲の女子が劣悪だったというか醜かった。ビジュアルはそこそこでも心が汚いだとかそういう理由で、話すことすら労力に感じた時期もある。

 

「ねぇーってば!!」

 

「おおう、ビックリしたぁ……なに?」

「海未ちゃんの家、ここだよ」

 

 少し離れたところで穂乃果ちゃんが門を指差す。っていうか、ちょいとネガティブなこと考えているだけでずいぶん歩いてるな俺。

 そして、くるっと振り返って穂乃果ちゃんの場所へ戻ろうとしたときだった。

 

「へぶっ」

 

 俺の顔を襲う謎の冷水。遠くで穂乃果ちゃんの驚く声が聞こえる。ごめん、タオル持ってない? 持ってないか、残念顔を埋めて深呼吸したかったですごめんなさい。

 

「あら、ごめんなさい。大丈夫かしら」

「もうまんたい、大丈夫です上半身がびしょ濡れなだけですから」

 

 それ大丈夫って言うのだろうか、俺は言わないと思う。どこから声がするのか、顔の水を払って周囲を見渡す。するとそこには、

 

「昔見たことあるすげえ美人の人妻がそこに」

「美人だなんて、お世辞が上手いのね」

 

 頬に手を当てて、ニッコリと微笑むその美女は和服を着こなしていた。俺より、少し背が高いくらいか同じくらいの女の人。あの目元、間違いない。

 だちゃんの、お母さん。久しぶりに会ったのに、ぜんぜん老けてねぇ! むしろ若返ってないか? 園田の美魔女とか言われてそう。

 

「海未ちゃんのお母さん! お久しぶりです」

「穂乃果ちゃん? あら~! 久しぶり、2年ぶりじゃないかしら?」

 

 だちゃんのお母様は穂乃果ちゃんがこっちに来るのを見て、さらに顔を綻ばせる。俺が一緒にいた頃からの付き合いだしな、こういう顔も見せるはずだ。

 穂乃果ちゃんはというと、いつもの元気を潜めて淑やかに振舞っていた。なんだこのギャップ、抱き締めたいな穂乃果ちゃん。あ、いつもか。

 

「母様? どうかしたのですか?」

「海未さん、穂乃果ちゃんが遊びに来てくれましたよ」

 

 それからしばらくして、大きなもんが開く。俺は髪の毛からポタポタと滴を零す。アスファルトはいいよなぁ、濡れてもすぐ乾く。俺は時間がかかるんだよ。

 門から出てきたのは、俺と同じくらいか少し小さいくらいの美魔女の幼いバージョンみたいなのが立っていた。俺の知っているだちゃんとは、別人みたいな気を放っていた。

 

 あれが、本当に俺たちより一歩後ろでおどおどしてただちゃんだってのか? 時間人を変えすぎだろ……ちょっとしたジェネレーションギャップ起きてるぞ。

 

「穂乃果、お元気でしたか?」

「海未ちゃんも、久しぶり!」

 

 穂乃果ちゃんが海未ちゃんに飛びつく。まるでじゃれてくる犬を見るような慈愛に満ちた眼差しを穂乃果ちゃんに向けるだちゃん。これ、俺も勢いで穂乃果ちゃんに抱きついてもいい流れかな? 自重しろ? あっはい。

 しかしだちゃんは、ようやく俺の存在に気付いたのか、それとも真打満を持してという気持ちなのか。俺へ向き直ると、ぺこりと頭を下げた。

 

「お久しぶりです、何年ぶりでしょうか」

「7年くらい、かな。中学生のときも、君のことを見かける機会はあったよ。でも同窓会より前に話せてよかった。久しぶり」

 

 気恥ずかしくなって、そっぽを向くと美魔女と目が合う。なぜかニヤニヤしておられた、先ほどの淑やかさはどこへ行ってしまわれたのか。

 

「中へどうぞ、こんな日の当たるところでは熱中症になってしまいます」

「水浴びたし、だいぶ涼めたけどね」

 

 肌の水分はともかく、日の光を吸収する髪の毛は熱を発しており完全に乾ききっていた。それどころかせっかくセットした髪の毛が水分の蒸発に従って癖っ毛のように跳ね上がったしまった、解せぬ。

 だちゃんの家の庭は広く、軽くサッカーできそうだった。もっとも、広さという意味であっていかにも鯉がいそうな大きな池とししおどしがあって、大きく屋敷からはみ出た縁側に趣のある風鈴。

 

 ……初めてきたけど、ザ・和風って感じの家だなぁ。

 

 思わず息が漏れる。あ、本当に鯉いるじゃん。でっかいなぁ……と、現実逃避のごとく池を覗き込んでいたときだった。

 

「へぶっ」

 

 鯉が何こっち見てんだ愚民風情が、と言わんばかりに尾を器用に使って俺の顔目掛けて水を飛ばしてきた。せっかく乾きかけていた俺の身体がまた濡れる。なんやねん、園田家は俺に恨みでもあるんか。

 と、そのときだった。両脇からスッと手が差し伸べられた。しかも両方何かが乗っていた。

 

「どうぞ、良かったら使ってください」

「はい、ハンカチ使って」

 

 左から穂乃果ちゃんがハンカチを、右からだちゃんがハンドタオルを差し伸べていた。さすがにハンカチだと拭き切れないと思ってだちゃんからタオルを受け取った。

 

「ふぅ、ありがとう。なんか悪いね」

「いえ、うちの母が失礼しました」

 

 遠くでニヤニヤ笑ってるしあの人、まぁ水掛けられたことはそこまで気にしてない。気持ちよかったし頭も冷えた。ただし鯉、てめーはダメだ。

 だちゃんにお土産こと穂むらの饅頭を渡す。ふふん、君の好物は既に調査済みなのだよ。伊達に穂乃果ちゃんと再会してからアルバム見返してないわ。まぁ小学生の時の好物だから今も好物である保障はどこにもなかったけどな。

 

「では、私の部屋へどうぞ。穂乃果、案内してあげてください」

「うん、わかった」

 

 仮にも穂乃果ちゃんもお客さんだけどね? まぁ俺の知らない6年間で深めた絆の賜物か、というか部屋を見るのは初めてだな……いや家に来るのが初めてなんだから当たり前なんだけど。

 だちゃんの部屋は思いのほか、可愛かった。ベッドの横にいたぬいぐるみはゲームセンターでよく見るやつだな。学生時代に取ったものかな、たぶん穂乃果ちゃんたちとやったのかもしれない。

 

「あ、あんまりジロジロ見ないでくださいね……」

 

 と、その時部屋の主が冷たそうな麦茶の入ったコップとピッチャーを持ってきた。お盆をテーブルに置くと、だちゃんも俺たちの前に座る。

 

「さて、本当に久しぶりですね……穂乃果も、貴方も」

「そうだね、高校卒業以来だもんね」

「俺は小学校ぶりだけどね、本当だちゃん変わったね」

 

 主に雰囲気が。あの日、風邪を引きながら見たμ'sのPV、テレビでの中継。そこにいたのは、園田海未だと言われなければ頭の中の彼女と合致しない人物だったからだ。

 そう言うと、だちゃんは恥ずかしそうに笑う。昔の彼女なら、恥ずかしがっても笑いはせずに穂乃果ちゃんたちの後ろへ隠れてしまうような照れ屋だった。

 

「本当、あの頃に戻れたら俺はファンからやり直したい。んで、穂乃果ちゃんが店に来たらファンですって言ってサインもらう」

 

 俺がそう言うと穂乃果ちゃんは爆笑、だちゃんもクスクスと笑い始めた。俺はまるで落とし穴にはまったみたいな気持ちになった。

 

「ファンからやり直す、かぁ……あはは! それも面白いかもね」

「そうですね、でも私たちはやり直したいとは思わないんですよ、不思議なことに誰も」

 

 そうなのか、楽しくなかったのかな。そんなはずはない、それはPVの中の彼女たちが真っ先に俺に教えてくれたことだ。

 すると俺の疑問が手に取ったようにわかるのか、2人は話し始めた。

 

「別に楽しくなかったというわけではないんです。ただ、あの頃の(うた)がまだ今でも私たちの中で息をしてるんです」

「あの頃の、詞……?」

「知ってる? 私たちが人前で、最後に歌った曲」

 

 知っている、どこで歌っているかも分からない。誰がセンターかもわからない。そんな楽曲があった気がする。

 

「掛け替えの無い思い出、だからこそ私たちは音ノ木坂(あのばしょ)に置いて来たんです」

「今が、最高ってことだね」

 

 なるほどね、それなら俺もファンからやり直すって必要は無さそうだ。

 

 それから、俺たちは暑さも忘れて穂乃果ちゃんが持ってきたアルバムを見ては穂乃果ちゃんが当時のことをいろいろと話し、だちゃんが恥ずかしがるのをクスクスと笑いながら見ていた。

 本当、変わったな。少女から大人へ。今の君は可愛い、というより麗しい。美しいとかって、そういう部類の人間になったんだね。

 

「海未ちゃん、トイレ借りるね」

「場所は覚えてますか?」

 

 忘れるわけ無い、って言いながら穂乃果ちゃんは部屋を出て行った。そして、残された俺たちの間に漂う謎の微妙な空気。

 俺たち、2人だけだとこんなに喋れないもんなのか!? 気まずすぎるわ!

 

「今日は、いきなり押しかけてごめんね」

「いえ、穂乃果が連れてきてもいいかと尋ねてきたときは驚きました。どうやって再会したのですか?」

 

 話すと長いんだけど、という前置きを置いて俺は穂乃果ちゃんと雪穂ちゃんが俺のレジに来たときの話をした。それから今日に至るまでの経緯。主に穂乃果ちゃんの家で働くことになったことや、穂乃果ちゃんがうちの店で働くことになったことなど。

 それを聞いてだちゃんは、なんだか満足そうな顔をしていた。

 

「どうか、したの?」

「……そうですね、貴方には話しておこうかと思います。けど、貴方は知っているのですよね? 穂乃果が、受験に失敗して……」

「うん、それからだちゃんとも、ことりっちともμ'sのメンバーとは誰とも会ってないって」

 

 それだけは、バイト中になんともないような顔で穂乃果ちゃんに教えられた。だちゃんは頷いて、俺が折った話の続きを語り始めた。

 

「穂乃果は、最初こそニコニコしていました。けど卒業式が終わると、参加しそうなクラスの打ち上げにも参加せずに家へ帰りました。雪穂から聞いた話では、しばらく部屋で塞ぎこんでいたそうです」

 

 正直、信じられない。あの穂乃果ちゃんが、部屋に閉じこもって塞ぎこむなんて。でもありえない話じゃない、経験者がここにいる。

 だから痛いほど気持ちはわかったけど、俺は何も言えなかった。それほどだちゃんの目が続きを話す意思を持っていたから。

 

「さっきはあんなことを言いましたけど、私はあの時死ぬほど後悔しました。そもそも高校入試が定員割れなのです、緊張感に慣れていなかったんです穂乃果は。だというのに、私もことりも気にせず自分のことで精一杯になっていました。だから、出来ることなら時間を戻して穂乃果に大丈夫だと、今までやってきたことをすればいいとアドバイスしたい」

 

 だちゃんが、まるで罪を独白するように喋った。俺はというと、言葉が見つからなかったし話を折るのも気が引けた。穂乃果ちゃんには悪いけど、俺が知らない話を聞かせてもらおうとも思った。

 最低な自己満足で穂乃果ちゃんを欺き、だちゃんを利用している気がして、唇を噛み締めた。

 

「そして、1年が経ちました。でも私はどうしても穂乃果に会いに行くことが出来ませんでした。ずっと、一緒にいられるって、そう思ってましたしそうしたかった。でも、誰か1人が欠けたらそうじゃいられなくなって、穂乃果の隣には誰もいなくなってしまったんです。私もことりも罪悪感に押しつぶされそうになりながら、惰性のように大学での1年を棒に振りました」

 

 それが当たり前だと言わんばかりにだちゃんは苦笑した。

 

「だから、穂乃果から連絡が掛かってきたとき。今は貴方が隣にいてくれると知って一先ずはホッとしていたんです。本当にありがとう」

「お礼を言われることじゃない。俺だって、俺の気持ちがある」

 

 俺の言葉を受けてか、だちゃんは少し救われたという顔をしていた。しかし、直後まるで母親のような目をしてとんでもないことを口にしてきた。

 

「それで、本題に入りたいのですが……貴方は、今でも穂乃果のことを好いていますか?」

「ず、ずいぶん古風な言い回し……古風でもないか。隠すことでもないか、好きだよ」

 

 驚いた、本人でないとは言えこんなにすんなりと言えるなんて。雪穂ちゃんのときは、既にバレていたから慣れていないのか。なんだかすごい穂乃果ちゃんの気持ちがわかった。

 

「なるほど、ダメです」

「……は?」

 

 キッパリと、海未ちゃんは俺にそう言い渡した。そう、まさに引導。俺の首は地面に転がっていたか? 彼女が刀を持っていればそうだっただろう。

 

「な、なんで?」

「先ほどの話を聞かせていただきました。穂乃果に会わなかった数年でその思いは風化しましたか? 昇華していましたか?」

 

 し、正直言えば再会するあの時まで忘れていた……けど、再会してからは毎日強くなってる!

 その旨を伝えてみたのだが、またしてもスッパリと断ち切られてしまった。いったい、だちゃんは何が気に食わないんだ。

 

「もしかして穂乃果ちゃんのこと狙ってるんだ!?」

「ぶっ!? そんなことあるわけないじゃないですか!! 穂乃果のことは大好きですが友人としてです!!」

 

 俺の絶叫交じりの指摘に思わず麦茶を噴き出すだちゃん。どうやら今日俺は水難の相でも出てるらしく麦茶ぶっかけらた、幸い借りたタオルがまだ手元にあったのでそれで顔を拭った。

 

「……そうですね、私でも穂乃果のことは大好きですと言えます」

「……?」

 

 だちゃんの言いたいことがわからず首を傾げる俺。お、俺だって……

 

「俺だって、大好きだって言える!!」

「そうかもしれません。ですが、穂乃果の前で言えますか? 彼女にそう言えますか?」

 

 無理です、恥ずかしすぎて死んでしまいます。だけど、俺のその内心を読んだかのようにだちゃんは言った。

 

「穂乃果のことを好きでいてくれて、ありがとう。でも、私もことりもずっと穂乃果の傍にいました。今は貴方があの子の傍にいて、貴方は穂乃果に好意を抱いている」

 

 だんだん俺の中でイライラが渦巻き始めた。けど、相手は旧友だ。だから、イライラは自傷で消す。これもバイトで学んだ処世術だ。

 

「穂乃果のことを……本人の前でなくとも"愛してる"と言える人物じゃなければ穂乃果の隣は任せられないんです。いえ、ゆくゆくはあの子に愛してると言えないとダメなんです」

 

「愛、してる……か、重い言葉だね」

 

 俺には、まだ早い。早すぎる、告白も出来てないのに穂乃果ちゃんに愛してるだなんて、言えるわけがない。

 

「すみません、貴方を傷つけようと思って言ったのではありません。それだけは信じてください、私は穂乃果の傍を離れてしまった罰を受けてるんです」

 

「本当に穂乃果ちゃんが好きなんだ、俺も……出来るならずっと君たちの傍にいたかった」

 

 けどそれは、叶わなかったから。俺は男だから、女子高にはいけない。そういうルールだから、しょうがないってスッパリ切るしかない。

 

「ごめん、洗面台借りるね」

「部屋を出て、ずっと左にあります」

 

 ありがとう、そう言いながら俺は重い腰を持ち上げて部屋のドアを開いた。

 

「あっ」

「おっとっと」

 

 扉を開けると、ちょうど穂乃果ちゃんが帰ってきていたらしく手がドアノブを掴んでいた。俺は入れ替わりでだちゃんの部屋を出ると彼女の言うとおりに洗面台のあるらしい場所を探した。

 縁側を歩いているうち、俺は日に当たるはずの縁側の影に沈んでいるような気持ちになっていた。

 

「やっぱり、俺じゃ穂乃果ちゃんには届かないのかな……」

 

 俺の呟きに答える人間はいない。自問自答すらせずに俺は園田家の屋敷を約数分間彷徨った、広すぎ。

 

 数日前に、雪穂ちゃんからもらった元気の灯火も、今日だちゃんによって消火寸前まで追いやられた。

 

 

 そんな1日だった。また会えて嬉しかった、でも彼女が放った言葉は俺の心に楔を残して近くを漂っていた。




しかも続くんじゃ、すまんな。

感想評価ありがとうございます。
次回は出来るだけ早めにしたいと思います、遅くなってずびばぜん!


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初恋の相手が―――

 高坂穂乃果です、ちょっと前まではスクールアイドルをやっていました。今は実家の和菓子屋と、近所のスーパーのアルバイトを掛け持ちしています。

 実は今、悩み事というか気になることがあります。一緒に頑張っている、先輩であり後輩であり大事なお友達の彼。

 

 彼を誘って海未ちゃんの家に遊びに行ってそろそろ、1週間になる。けど、私が彼を見ている間ミスをしなかった日は無かった。

 私はまだレジ部の見習い研修生なので、彼やいろんな人と2人制を組んでレジに入って最近はお客さんとお金のやり取りをするキャッシャーの仕事をさせてもらっています。それは彼がスキャナーをしてくれるということなんだけど、卵のパックがこの1週間でどれだけダメになったかもう覚えてない。同じ商品を2度通しちゃって、訂正するんだけどその金額が後ですごい額になっていたり。穂むらでは、ボーっとしてお茶を淹れるときに溢れさせて火傷したりもしてたっけ。

 

 とにかく、いつもだったら絶対にしないようなミスを連発していて気になります。

 今、夕方の穂むらで彼と一緒にいるけれど、テーブルを拭くときもどこか上の空でテーブルの上のメニューを次々に落としてそれに気付いてない。

 ひょっとして、風邪なのかな。それとも、彼にも悩み事があるのかな。雪穂は私よりもずっと彼と仲が良いから聞いてみたけど答えてはくれなかった、判断材料が足りないとか……?

 

「あれはー恋煩いじゃない? ……しかも拗らせちゃってるね」

 

 雪穂がひょこっと顔を出しながら、そんなことを言っていた。確かに、ことりちゃんがよく言っていた恋に似ているかもしれない。

 どこかふわふわしていて、熱っぽい顔してる。ニヤニヤしたり、かと思ったら突然真っ青になって泣き出しそうになったり忙しい。なんでことりちゃんが恋について詳しいのかはこの際置いておいて、彼の挙動はその恋煩いそのものだった。

 

「でも、誰に……?」

 

 少し、チクチクと針で刺すような痛みがして胸が苦しくなった。彼が、あの人が他の誰かに気持ちを寄せている。それが寂しかった。

 けど、このままじゃお父さんとお母さんもミスばかりの彼を辞めさせるとか、いつかそういうことになってしまうかもしれない。それだけは、彼との関係が少しでも途切れてしまうのが嫌だった。

 スーパーの仕事が終わったら一緒に歩いて、この家に上がってほしい。夜遅くなったときは、うちでご飯を食べていってほしい。

 

 だから、"穂乃果"はあなたを応援します。

 

 

 

 

 

「辛ぇ……」

 

 誕生日まで3週間を切りました、バイト戦士です。はい、どうでもいいですねすみません……

 見ての通り、結構グロッキーです。原因はだちゃん、彼女の言葉が作った心の大きな穴です。どれほど穂乃果ちゃんが好きでも、そう強く思ってもその穴から流れ落ちていって穂乃果ちゃんのことが見えなくなっていく。

 すげぇな、たった一撃でここまでダメージ食らうなんて、だちゃんはきっと将来何百人っていう男を苦悩させそうだ。

 

「はい、お茶」

「……ごめん」

「はぁ……」

 

 雪穂ちゃんが差し入れてくれたお茶を啜る。熱い、舌の上火傷した。そのままぐびぐびと喉を鳴らして湯飲みをテーブルに置くと口内が訴える痛みにやられて机に額を落とす。

 

「重症だね」

「そう見えるなら優しくして」

 

 主に、夏場に火傷するくらいクソ熱いお茶を与えないで……死んでしまいます、冷房が無かったら死んでたかもな。

 雪穂ちゃんは俺の目の前に座ると、机に伏せっている俺の頭の上にポンポンと手を置いてくれた。あの時も、こうやって元気もらったっけな。

 

「お姉ちゃんと、何かあったの?」

「というか、その親友よ」

「なるほど……」

 

 納得できてしまうほど彼女の愛は深いのだな……そう思うと憂鬱だ、そしてちょっぴりと反抗心が生まれた。

 

「愛してる、なんて口に出して言えるのは……同性だからだ。そんなの甘えだ、俺とは違う」

「今ので、だいたいなんて言われたのかわかったよ」

 

 相変わらず察しがいいな。俺の頭を撫でながら、雪穂ちゃんは溜息を吐く。溜息を吐かれても困るのですが……

 そのとき、むにっと頬を摘まれて顔を持ち上げられた。あの、痛いです。

 

「段階踏めば、いつかは言えるでしょ」

「無理だよ、恥ずかしいもん」

「一線越えちゃえば楽だって、ほら試しに言ってみなって!」

 

 楽しんでやがる、でも俺を励まそうという意思も見えるから文句が口から出て行かない。そして、急かすような目が俺の目を見ていた。

 するとどうだろう、雪穂ちゃんが触れているところから顔がどんどん赤くなっていく。本気じゃない相手にまで、こんな有様だ。

 

「真っ赤だね」

「恥ずかしいんだよ、察して」

 

 しかし雪穂ちゃんはどうしても俺の頬を離そうとしなかった。仕方ない、ここは適当に……

 

「雪穂ちゃん義妹として愛してる」

「まだ私お兄さんの妹じゃないんだけど」

 

 俺のことお兄さんって呼んでるじゃん! じゃあ妹でいいじゃん!! 外堀既成事実でいいじゃん!!

 

「雪穂ちゃん愛してるー」

「もっと感情込めてよ、そんなんじゃお姉ちゃん口説けないよ」

「愛してる」

「……~~っ」

 

 はー赤くなってるぅ~!! 可愛いなぁ、雪穂ちゃん。からかい甲斐があるぞいふひひひ。

 

「ねぇ、お姉ちゃんのどの辺が好きなの? 何度も聞いて悪いんだけど」

「……まぁ理由はいるわな。いつでも隣にいてくれたからだよ、小学生の時の話な? これで俺中学高校も一緒だとか言ってたらただの精神異常者だから」

 

 それ以上は、なんだか踏み込めない。俺ですら理解できていない感情領域。改めて"好き"は理屈じゃないんだなぁ、って思った。むしろ理屈的な好きは恋じゃないのかもな。

 

「もし、お兄さんのことが好きって人が現れてもお兄さんはお姉ちゃんから目を逸らさない?」

「逸らさないよ、ずっと見ていたいもん」

 

 嘘じゃない、これは本当だ。友達だから、友達でも傍にはいられるから、ずっと見ていたい。

 そう言うと、なぜだか雪穂ちゃんは目を伏せた。俺の頬を摘んでいる指に力が込められて頬の肉が悲鳴を上げ―――って痛い痛い痛い痛い痛ぁい!!

 

「何をする!」

「なんでもないよ、なんでも」

 

 待て待て待て! ちぎれるちぎれるぅ!! 俺は雪穂ちゃんの手を引き剥がすべく彼女の腕に触れる、女の子らしい細い手首だった。

 

「なんでもなくて義兄の頬を抓あげる妹がどこにいる!?」

「妹じゃないってば! ……妹じゃ、本当は嫌なの」

 

 最後の方、もごもごしてよく聞こえなかったけど雪穂ちゃんは俺の頬から手を離した。すごい睨まれてる、なぜなの……

 

「なにしてるの?」

「あ……っ」

 

 そのとき、トタトタと音を立てて奥の方から穂乃果ちゃんがやってきた。ちょうど俺たちが睨みあっているときだった。雪穂ちゃんはガタンと立ち上がりざま俺の足を器用に踏んで店の外に飛び出していった。

 

「どうかしたの?」

「ちょっとした、人生相談かな」

「それって、進路とか?」

「そうともいうね」

 

 残された俺はまた、ぐでーっとテーブルに身を投げ出す。脱力すると、今までやってたことの意味不明さが分かってきてなんだか死にたくなってきたぞ。

 片や、年下の女の子に妹を強要し頬を抓られ人生相談に乗ってもらう。片やヘタレで惨めで大馬鹿な年上の男の頬を抓りながら人生相談に乗る。せめて年齢だけでも逆転してれば絵になったものを……

 

「ねぇ、ちょっと歩かない?」

「え、でもお店は?」

「お母さんがいるから、大丈夫だよ」

 

 もうすぐ日が暮れる。仕事は無い、穂乃果ちゃんからの誘いなら断る理由が無い。出て行った雪穂ちゃんも探さなきゃいけないし……

 ガラガラ、と引き戸を開けると目いっぱいにオレンジ色の光が入ってきた。日が落ちる時間もずいぶん早くなったなんて、感慨に浸っていると穂乃果ちゃんが俺の手を取った。

 どぎまぎしながら、俺は先行する穂乃果ちゃんの後姿を見ていた。俺より、かすかに小さいくらいの穂乃果ちゃんは導くように、俺を引っ張っていった。

 

「公園で、お話しよ?」

「家の中じゃ出来ない話?」

「お母さんとかに聞かれたくないんだ」

 

 ドキッと心臓が跳ねる。大事な話だ、内容に検討がつかないけどこれは大事な話だって俺にもわかった。

 やってきた公園はずいぶん小さく感じた。子供の頃は見上げるものすべて大きくて、広いと思っていたのに。経過した時間の残酷さか、それとも……

 

「ここ最近、君の様子が変だから、さ……? お店でもうちでも、失敗が多いし」

「ご、ごめん……迷惑かけてるよね。しかも穂乃果ちゃんのお手本にするにはお粗末だし」

 

 公園の中にある、1つのベンチ。子供の頃はあそこが俺たちのホームだった。穂乃果ちゃんと、2人で真っ暗になるまで駆け回って、クタクタになってそれでも帰らないで疲れて眠ってしまうことすらあった。

 もうベンチを構成する木材は雨風と時間の力で、ボロボロになっていた。俺たち2人が腰掛けると、ミシッと嫌な音を立てた。

 

「ううん、それは良いんだけど……原因が気になっちゃって」

「う…………ん」

 

 歯切れが悪くなる。俺が口を閉ざしていると、穂乃果ちゃんは指を立てて話し始めた。

 

「それでね、最初に雪穂に聞いたんだ。そしたら、君がね、恋してるっていうから」

「うぐっ!?」

 

 ば、バラされた……!? いや、待て落ち着け考えすぎだ。誰に、とは言ってないんだろう。雪穂ちゃんが今になってバラすなんてありえないし。

 

「あなたに、好きな人がいるんだーって思うと結構不思議でさ。誰にでも優しいから、特定の誰かに夢中って姿があんまり想像できなくて……」

 

 そりゃあそうだよ、だって穂乃果ちゃんに嫌われたくなくて誰にでも優しいふりをしてるんだから、なんて口が裂けても言えそうに無かった。

 穂乃果ちゃんはやがて、立てていた指を腕ごと下ろしてぽつぽつと搾り出すように小さな声で呟きだした。

 

「それで、あなたの様子がおかしくなったのって……海未ちゃんと会った日から、だよね」

「それは……そうかもしれないけど」

 

 話がまずい方に進んでいる、そう直感した。そして俺の予想はいつもまずいときだけ、よく当たる。

 

「海未ちゃんのことが、好きなんじゃないかなって。うん、だって考えてみればあの日からおかしかったもん。変にオシャレしたり、穂乃果が呼びかけても気付かなかったり」

「……もし、俺がだちゃんのことが好きだって言ったら、どうする?」

「どうもしない、って言いたいけど……応援するよ」

 

 応援なんか、しなくてもいいのに。むしろされるだけ、辛いのに。

 俺の向ける好意はいつだって気付かれない。当然か、穂乃果ちゃんはアイドルで今まで男から好意なんか散々向けられてきたんだろう。その中には俺以上に熱心なやつだっていたはずだし。

 そんな連中に比べれば、俺の好意なんかそれこそ消しゴム貸してもらって芽生える小学生の抱く勘違いみたいなものだろう。

 

 そう、思っていたのに。

 

 

 

「だって、穂乃果はあなたが好きだから。好きな人に、幸せになってほしいって思うんだ」

 

 

 

「好き……? 俺の、ことが……?」

 

 勘違いの、しようがない。ハッキリと、穂乃果ちゃんは俺を見て、俺を名指して、好きだと言ってくれた。

 嬉しさが溢れてくる。なのに、あの穴からぽろぽろと、どんどん零れていって途端にその言葉が輝きを失う。

 

「うん、だからね? 穂乃果が、あなたと海未ちゃんの接点になってあげる。穂乃果が海未ちゃんと遊ぶ機会を増やして、その度にあなたを呼ぶ。海未ちゃんだって、あなたのことは嫌いじゃないはずだし……"私"がなんとかするよ」

 

 どうかな、なんて残酷なことを聞かないでくれ…………っ!

 

 俺は、俺はそんなの……そんなのは――――

 

 

 

「そんなの……そんなの、いらない…………!!」

 

 

 

 言ってしまった、今俺の口から出て行った言葉は意思より先に身体が動き出して放ったものだった。案の定、穂乃果ちゃんはきょとんとしていた。

 

「どうして? だって、海未ちゃんのこと……好きなんじゃ―――」

「俺が好きなのは……っ!」

 

 誰なんだよ、言ってみろよ。もう脊髄反射で口が動いたりしないぞ、そんな偶然は1回しか起きない。

 言えよ、言ってしまえ。いつも助けてくれる天使も悪魔も出てこなかった。雪穂ちゃんも亜里沙ちゃんも、だちゃんも近くにはいない。

 

 目の前に、穂乃果ちゃんがいるだけだ。

 

 

「穂乃果ちゃんのことが、好きなんだ……俺も君が好きなんだよ。

 

 あの頃からずっと、君以外を好きになったことはない。

 

 あの日再会するまで忘れてても、今はもう君との思い出しか思い出せないんだ。

 

 

 俺は、高坂穂乃果がだい――――」

 

 

 

 ――――いえ、ゆくゆくはあの子に愛してると言えないとダメなんです――――

 

 

 

 

「穂乃果ちゃんを……あ、愛してる……!」

 

 

 

 言い、切った。喉から、呼気が漏れる。穂乃果ちゃんは目を見開いていた。開いた口は塞がらず、何か言わないとと思っているのか唇が震えていた。

 冗談めかさないと、恥ずかしくて死にそうだ……! でも、でもっ! これ以上無いチャンスなんだ……!

 

「あ、あの……あの! その、あのあの……な、なんていうか、すごい恥ずかしい……顔、熱いよぉ……」

 

 穂乃果ちゃんが顔を抑える。指の隙間から見れるところは、首筋まで真っ赤だった。俺も、涼しい夕方が嘘のように汗を噴出していた。冷や汗じゃない、脂汗。

 

「あ、あああ愛してるなんて、言われたことないから……なんて返事したらいいか、わかんないよ……」

「ご、ごめん! も、もっとちゃんとしたときに言えばよかったんだ。今日は、提案を断るだけで……告白するのは後日にって……」

 

 こんな打算的なこと口走ってると嫌われそうだ、やめよう。というか俺も身悶えるくらい恥ずかしい……

 と、そのとき穂乃果ちゃんがくいくいっと俺の服の裾を引っ張った。相変わらず真っ赤な顔をして、上目遣いで俺に向かっていた。

 

 その、綺麗な音が出てくる瑞々しい唇の動きが、俺の網膜に強く焼き付けられた。

 

「勘違いじゃ、ないんだよね……? 私、短い夢を見てたわけじゃないんだよね?」

 

「勘違いなら、俺だってこんなに恥ずかしい思いしてないよ……!」

 

「そっか、そうだよね……良かったぁ」

 

 穂乃果ちゃんが胸をそっと撫で下ろす。その目尻には笑い泣きしたときみたいな涙がたまっていた。俺も、安心してきたら……涙が出てきたぞ。

 袖で涙を拭おうとしたら、半袖だった。手首や指で涙を拭っても、嬉しさがあの穴を埋めてなお溢れ出して来て、涙が止まらない。

 

 その時、穂乃果ちゃんが差し出してくれた。あの日、俺が受け取らなかった可愛らしいハンカチを。

 

「使って?」

「ありがとう……っ」

 

 穂乃果ちゃんは自分が泣いてるのに、ハンカチを俺に差し出した。俺は広げたハンカチに、涙を預けた。

 すると、穂乃果ちゃんは俺に肩に頭を預けてきた。

 

「こういうことしても、いいんだよね? 私たち、相思相愛なんだし……っ」

「そ、そそそそうだね、ラブラブだし……?」

 

 近くに人がいなくてよかった、心からそう思える日だった。

 穂乃果ちゃんの恐る恐る取ると、ぎゅっと強く握り返してくれて。耳元ですんすんと鼻を鳴らす音がした。

 最初は臭いが気になるのかと思ったら、穂乃果ちゃんも絶え間なく涙を流し続けていた。

 

 「穂乃果、ちゃん……」

 

 「なに……?」

 

 言っても、いいのか? 覚悟は、出来たし恥も外聞もかなぐり捨てた。勇気だけは、ずっと持ち続けてきた。

 なら俺には言えるはずだ。

 

「俺と……俺と……! 俺と、結婚を前提にお付き合いしてください……本気だよ。

そりゃ、俺バイト戦士だとかふざけて言ってるけど言っちゃえばフリーターだよ! 1つの仕事を

極めようとか、ぜんぜん出来ないよ。それでも、君が好きなんだ……!」

 

「うん、うん……穂乃果もそうだから、いいよ……こんな私でよかったら、いつか結婚してね」

 

 小指だけじゃない、指を全て絡め合わせて力を込める。

 

 彼女が許す限り、俺は絶対に離れないからな。

 

 今日は恐らく俺の人生ののピークで、俺たちの思いが一方通行をやめた日。

 

 そういう1日。

 

 

 




さぁ湿っぽいのはここまでだ。次からはもうひたすらイチャイチャするからな!!
8月中にここまでこれてよかったなぁ。

性急かもしれないけど、長々とやって焦らすの飽きたんです、サーセン←

こういうイチャイチャ、というのTwitterで募集します。

TwitterID【https://twitter.com/sueyosi_reparu】

ハーメルンから来ました、とお声掛けていただければお返事します。無くても返事するかもしれません←

ここまで感想評価お気に入り入れてくれた皆様ありがとうございます。
これでバイトダイアリーは本当の意味で次の章に行けます。

重ねてありがとうございました!


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バイト休憩に、初恋の子と話をした。

タイトルオチってレベルじゃない。


 バイト戦士です、どうも……。

 元気が無いように見えます? 少し滅入っています、というのも穂乃果ちゃんとの関係は出来るだけ家族には内緒にしてほしいと言われた。

 

 穂乃果ちゃんに聞いたら彼女は、

 

「は、恥ずかしいよ……お母さんとか、絶対笑うし……っ」

 

 違いない、なんというか娘のこの手の話題大好きそうだもんね。まぁ俺としてももっとお父さんやお母さんの好感度上げてからネタばらししたい、だって怖いんだもん。

 あの筋骨隆々な身体から放たれたボディブローは俺を殺すのに十分すぎる威力のはずだ、生憎俺は下座れば許されるなんて思えないから、慎重にことを進めるよ。

 

「あ、休憩していいよ。お願いだから、ボロは出さないでね?」

「大丈夫、穂乃果ちゃんに気付かれないくらいには顔には出さないから!」

「うぅ……言わないでよ、それも恥ずかしいんだから」

 

 顔を両手で覆って身体を揺らす穂乃果ちゃん。すごく可愛いんだけど、どうしよう抱き締めたい。

 さすがにがっつき過ぎか、そう思って撫でる程度にしておいた。穂乃果ちゃんの頭に手が触れると、ピクンと肩が跳ねる。お客さんいなくてよかったー。

 

 あれから2週間、こうして頭を撫でたり手を繋いだりはしょっちゅうするのだがその先は結構恥ずかしくて出来なかったりする。悪かったなヘタレで! がっついてると思われたくないんだよ!!

 交際経験はゼロ、ついこの間まで彼女いない暦=年齢と一緒だった童貞にはなかなかハードルが高いんだよ。

 

「んー……」

「うん? どうしたの?」

「あぁ、いやなんでも」

 

 こうして頭を撫でてるときの穂乃果ちゃん、まるで犬みたいで可愛いなぁ。尻尾や垂れた耳が見えるみたいだ、撫でるたびに尻尾が左右に行ったり来たりを繰り返しているビジョンが簡単に想像できてしまう。

 穂乃果ちゃんに尻尾があったら、毛繕いしたい。それはもう毎日丁寧にブラッシングして、一緒にお風呂入って頭洗ってあげたり……いや待て、それはアウトだ。

 

 いや、俺だって日本男子だ。好きな女の子と一緒にお風呂入りたいって思うことくらいあるよ!!

 ただ、さすがに持て余しすぎた性欲が仇になって破局とか冗談じゃないので妄想でとどめてるんだよ、何度も言うけどヘタレで悪かったな!

 

「じゃあ、休憩してくるね」

「うん、行ってらっしゃい……♪」

 

 見送られながら俺は店の奥の居間に腰を下ろして一息ついた。こうしてこの家の香りを感じると、途方も無い幸せに思わずニヤついてしまうなぁ。

 と、その時エプロンをつけたお母さんがやってきた。俺が休憩中だと分かるとお茶を淹れてくれた。猫舌なのを知ってるからか、少し温めのお茶だった。

 

「はぁ、やっぱり和菓子屋のお茶、渋くて美味い……」

「あ、お団子食べる?」

「いただきます」

 

 それにお茶菓子まで出る、和菓子屋のバイト最高~。みたらし団子に餡団子に草餅つき、おまけに同僚は彼女と来た。ここは仕事場じゃなくて俺の家か何かか。

 

「最近ね、あなたが来る日は穂乃果の機嫌が良いのよ。一緒に仕事する日の前日の晩御飯のときなんかあなたの話しかしないんだから」

「へ、へぇ~、そうなんですか。食卓を賑わせているようで光栄です」

 

 穂乃果ちゃん、めっちゃ家族にオープンにしてるッッ!! これバレるの時間の問題なんじゃなかろうか。

 

「あの子のこと、よろしくね。1年間、人と殆ど付き合ってこなかったから距離感を忘れてるかもしれないけど」

「ちょうどいいですよ、穂乃果ちゃんのおっかなびっくり手を繋ごうと計ってる距離感、俺としては繋いでみたいですけどね」

 

 嘘じゃないぞ、嘘じゃ。けど、まだ俺たちはそこまで踏み切ってないふりをしないと、穂乃果ちゃんの頼みだしね。

 

「ふぅーん、そんなに好きなんだ穂乃果のこと」

「まぁ、初恋……ですからね」

 

 初恋の味は甘酸っぱいとはよく言ったよね、確かにその通りだ。おかげで約2ヶ月口の中にすもも突っ込んでる気分だったぜ。

 

「μ'sのメンバーは知ってるのよね? 穂乃果以外に気になる子とかいなかったの?」

「実際に会ったことがないので……あぁ、無いこともないか。それでも俺はライブの映像もPVも穂乃果ちゃんしか見えてませんでした」

「はー……ゾッコンね、あの子が羨ましいわ。もっと愛してもらえるんだものね」

 

 バレとるやないか。

 

「お父さんも知ってるわよ。隠そうとしても無駄、2人とも分かりやすいんだもの」

「ですよねー……あの、お母さんだけには知っておいてほしいんですけど……」

 

 なに? と団子を頬張りながら俺の言葉を待つお母さん。息が詰まりそうだが、お母さんだけならまだ……

 

「いつか、穂乃果ちゃんと結婚させてほしいんです。今は確かにフリーターですけど、絶対にちゃんとした働き口を―――」

「いいわよ、幸せにしてあげてね」

「見つけて、頑張りますから……へ?」

 

 相変わらず、お母さんは笑っている。ただ俺の耳がおかしくなったかと思ったら、お母さんはまたしてもニッコリと笑っていた。

 

「私としては、2人いる娘のうち心配な方が早めに身を固めてくれそうだから、安心しているのよ。あなたが相手っていうのも大きいわね」

「ふ、フリーターですよ? それに、情けないとか思わないんですか?」

「ぜんぜん? 穂乃果だって同じだし、あなたたちお似合いだし穂乃果が幸せそうなの、学生の時以来だから。私たちが障害になってその幸せを摘むのは嫌だもの、ね?」

 

 そのとき、背中に強烈な覇気を感じた。そこにはお父さんが仁王立ち、表情はなんとも言えない顔をしている。俺は思わず、それこそ反射的に下座りそうになったが踏みとどまった。

 お父さんは俺の肩に手を置くと、親指を立てて頷いた。その双眸から流れ落ちる滴は、親心と言うのだろう。

 

 

 

 

 

「穂乃果ちゃん?」

 

 休憩が終わると俺は再び表に戻った。相変わらずお客さんはいなかった、さすがに平日の昼間ともなると暇なわけだ。

 俺が声を掛けると穂乃果ちゃんは団子をつまみ食いしながら振り返った。なにしてんの……可愛いから許す、穂乃果ちゃんは絶対です。

 

「良いニュースと悪いニュースあるけど、どっちが先に聞きたい?」

「悪いニュースかな」

 

 穂乃果ちゃんは団子を飲み込んで、ついでに生唾も飲み込んだ。そこまで緊迫されるとネタ晴らしのし甲斐がありますな。

 

「お母さんたちに俺たちの関係がバレた」

「うそぉ!? もうバレちゃったの~? 早すぎるよぉ~……」

 

 いやまぁバラしたの穂乃果ちゃんみたいなものだけどね? 答えぶら下げて歩いてたみたいなものだけどね?

 

「それで、良いニュースってなに?」

「娘をよろしくってさ」

 

 俺がVサインを見せると、穂乃果ちゃんはお店の中だというのにいきなり飛びついてきた。いやむしろお店のなかでよかったけど、野外とか難易度たけーよ。

 あぁ穂乃果ちゃん良い匂いするんじゃあ~……スーハースーハー、クンカクンカ!! 穂乃果ちゃんの髪の毛はふわふわで、顔を埋めるとまるで軽い枕みたいに心地がよかった。

 

「よかったぁ……良かったよぉ……」

「泣くくらい嬉しい?」

「嬉しいよー! だって、お父さん頑固だし実は親馬鹿だし涙脆いし!」

 

 あんまり言わないであげて、まだ裏にいるんだよ。居間できっと泣いてるよお父さん、もちろん悲しくて。

 ぐりぐりと俺の肩に顔をこすり付ける穂乃果ちゃん。涙と鼻水で作務衣が汚れちゃった、しばらくは洗わないぞ!!

 

「じゃあ、来週の誕生日……うちでパーティやろう? ね、いいでしょ?」

 

 上目遣いで俺を見る穂乃果ちゃん。どうやら、俺のハタチの誕生日を祝ってくれるらしい。しかも家族全員で、俺も嬉しくなって首を縦に振っていた。

 

「やったぁ! 楽しみだね!」

「俺の誕生日なんだけどなぁ……あはは」

 

 思わず苦笑する。穂乃果ちゃん、あの日から2週間になるけどどんどん大胆になってきている。俺に対する気持ちを隠すことをしなくなったっていうのかな。

 俺ももっと穂乃果ちゃんに気持ちを表していきたい。好きを全部上げるには、身体で好きを伝えるしかない。

 

 穂乃果ちゃんの背中にそっと手をおいて、ぐっと引き寄せてみた。恥ずかしすぎて心臓の音がバクバクなってて、それが聞こえるんじゃないかって思ってさらに恥ずかしくなってきた。

 そのとき、俺の背中にも暖かい手が触れた。そして、同じようにキュッと俺の身体を引き寄せてきた。もっと俺の背が高かったら、きっともっと様になっていたのかもしれない。同じくらいの背だから、穂乃果ちゃんの首の右側に顔が触れる。産毛が俺の肌をくすぐる、他人の毛が身体を撫でるその感触は不思議なもので、すごく気持ちが良かった。

 

 この柔らかい肌に、歯を立ててみたい。穂乃果ちゃんがどんな声を出すのか、そういう嗜虐心が見え隠れする。

 ただし、穂乃果ちゃんはそういうハードなのはお好みじゃないと思うので俺も我慢する。穂乃果ちゃんがしてほしいことだけ、俺はするよ。

 

 決して、だから俺がしてほしいことを穂乃果ちゃんがしてねとか言えない。そんな屑野郎になってたまるか!! 正直言うとなってしまいたいです、はい。

 

「昼間っから、おー暑い暑い」

 

「ッ!?」

「ゆ、ゆゆ雪穂っ!!」

 

 ガラガラ、と開いた穂むらの玄関。そこから入ってきたのは、夏期講習の帰りか制服を身につけた雪穂ちゃんがいた。いや、雪穂ちゃんだけじゃなかった。

 

「こんにちはー!」

「あ、エルメスたん」

 

 亜里沙ちゃんも一緒だった。まぁ、すごい仲良しらしいし大学も同じなのかな?

 

「これなら、私が穂むらを継ぐ必要は無いね。心置きなく受験勉強に集中できる~」

「雪穂ったら……ごめんなさい、お邪魔します」

 

 わざとらしく横目でこっちを見ている雪穂ちゃん、彼女に続いてホクホク顔で店の奥へ消えていく亜里沙ちゃん。

 穂乃果ちゃんの方を見ると、真っ赤なりんごみたいな顔をして困ったように照れ笑いを浮かべていた。

 

 あ、可愛い。

 

「みーんなに、バレちゃったね」

「時間の問題だったと思うよ俺も」

「うん、私も」

 

 俺たちは1度冷えた頭でカウンターに立って、お客さんが来るのを待ち続けた。

 その間も、手は離さなかった。手汗を心配する暇も無く、穂乃果ちゃんの熱を感じ続けた。

 

 熱かった、真夏の灼熱の太陽に匹敵するほど穂乃果ちゃんは熱かった。

 俺も同じくらい、穂乃果ちゃんにお熱になっていた。彼女のことを思うと、いても経ってもいられなかった。

 

「今すぐ、もう1度抱き締めたい」

「口に出さなくても……恥ずかしいから」

 

 すいまソーリー。

 

 まぁ、というわけでだ。俺と穂乃果ちゃんは、こうして仲良く毎日を生きてる。

 

 すまない、穂乃果ちゃんは俺のものだ。

 

 




あー、お熱いですねー←

砂糖増し増しだよ、むしろ糖分が結晶になってサーって口から流れ出るよ。
まぁ、まだキスもしてませんけどね。

バイト戦士「なんで童貞に人気が無いんだ」
「攻めたことのない兵士が、攻め込まれたことのない城より人気取れるとでも?」
バイト戦士「察した」

それはそうと、この小説R-15もつけてないんですよね。
過激な描写はそこそこ抑えないといけませんね。

今回もありがとうございました。

それと活動報告を更新しました。
よろしければ目を通していってくださいな。

【http://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=81958&uid=46128】


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近所のお姉さんが、恋人の知り合いだった。

久しぶりです、今回もタイトルオチをかましていきます。




 

「え、プール? あ~……うーん……え、いや行く行く! 絶対行くよ!」

『本当に? 良かったぁ~。亜里沙ちゃんと雪穂に誘われたんだけど、年上が私だけだとしっかりしなきゃって思っちゃって楽しめないところだったよ』

 

 人それを他力本願と言う。だが穂乃果ちゃんなら許す!! わたくし、穂乃果ちゃんが白だと言うのなら世界中のカラスを真っ白に染め上げてみせる!

 冗談はさておき、俺の誕生日を明後日に控えた今日がもうすぐ終わりそうなときそんな電話が掛かってきた。

 

「分かった、水着は一応一昨年のがあるから大丈夫」

『そっか、うん。じゃあ明日穂乃果の家で待ち合わせ! 遅れないでね!』

 

 遅れるもんですか、通話の切れた電話を耳から遠ざけると勝手にスマホはスリープモードに入る。それをテーブルのスタンドに立て掛けて充電開始を見届けると、俺はベッドに飛び込んだ。

 ……ひゃっほぉぉぉぉぉぉおおおおお!! 夏の終わりになんというイベント!! 俺は今、人生の絶頂にいる!! もっと先へ行きたくはないか少年! 行きたいっす!!

 

 枕に顔を埋めながらバタバタと暴れ出す俺。途中から意味不明な言葉も放っていた気がする。だって考えてみなよ、黒一点!! 俺以外は美少女中の美少女だぜ!? これでドキドキしない方がないわー、不能かと、ホモかと。

 

 ガン!

 

「すみません! すみません!」

 

 騒ぎすぎて隣接する部屋から壁ドンを頂いた。相手が誰かも分からないのにそっちに向けて一心不乱に頭を振り下ろし続けた。

 あー、しかし昂ぶりすぎて寝る気にならないな。よし、こんなときは~……

 

「スレ立てたぞ、さぁ集えよ我が同胞」

 

 嫁は万夫不当のアイドル王、相手にとって不足なし。いざネトウヨたちよ、伝説の偶像に我が覇道を見せようぞ……ってな。バカなこと言ってないでカキコっと。

 

 1:バイト戦士「突然だがみんなに良いニュースがある。このたび念願かなって、彼女が出来ました」

 

 2:名無し「戦士キターーーー!!」

 

 3:名無し「それマジ? 出会いに対して成就早すぎるだろ常考」

 

 まぁな、電光石火の如く商品を右から左へ流す仕事してるからな。アホなこと言ってないで続き続き。

 

 12:バイト戦士「かくかくしこしこありまして。彼女と俺の同級生が切っ掛けをくれたと言いますか」

 

 13:名無し「その辺kwsk」

 

 言われなくても。俺が詳細を書き込んでいる間にレスが恐ろしい勢いでついていくのですがそれは。ちょっと待て安価安価。

 

 43:バイト戦士「>>13 幼馴染ちゃんが、彼女のこと愛してるって言えるレベルじゃないと安心してお任せ出来ないって言ったのね。そのことについて深く考えてたら仕事ミスしまくっちゃって、心配されたのね。そしたら、俺が幼馴染ちゃんのことが好きみたいな展開になって慌てて好きって言ったらオーケーだった。というか、両思いだったでござる」

 

 44:名無し「ファーーーwwwwww」

 

 45:名無し「おめでとう氏ね」

 

 死ぬかアホ、俺の幸せはこっから始まるんじゃい。

 

 52:バイト戦士「で、明日は彼女と彼女の妹とその親友でプールにデート行ってきます。全員美少女なので今から楽しみです」

 

 68:名無し「明日19歳フリーターが殺害されないように祈っておくわ」

 

 72:バイト戦士「>>68 マジで頼むわ」

 

 それと交通事故にも遭いたくないので、どうかみんなで俺の無事を祈ってくれ。俺の成功を祈ってくれたお前らに幸あれ、じゃあな俺は寝る。

 ……というわけにも行かず、俺はそのスレの軌道が落ち着くあたりまでみんなを見守りながら準備を進めた。と言っても水着は難なく入った、学生時代よりスッキリしてるからな。

 鞄に水着を詰める、そして水着と同じスペースに残っていたとあるボトルを見て固まる俺。

 

 そのボトルは、日焼け止めクリームだ。試しに開けて手に馴染ませてみると、あまり使って無い故中身がだいぶ残っていたし新品同様だった。使用期限もまだまだ先……つ、つまりだ。

 

 

『あの、日焼け止め……忘れちゃって』

 

『大丈夫、俺が持ってきたよ』

 

『そ、それでね……出来れば塗ってほしいなって……ダメかな?』

 

『俺が塗っていいの?』

 

『ぅ、うん……あ、水着つけてたら塗りにくいよね……少しだけ、向こうむいててもらえるかな?』

 

 

 ということがありえるかもしれねえええ!!! こ、こいつを忘れるわけにはいかねえ!!

 俺は日焼け止めクリームのボトルを鞄に放り込んで、厳重に保管した。明日こいつを忘れるなんてことになったら俺は俺を許せねえ、たぶん一年ぐらい自分で自分を恨む。

 

 はーやっべドキドキしてきたぁ! もう寝よう、遅刻したら怒られるからな! さらばスレ民、戦果の報告を期待せよ!!

 

 

 

 

 

『も~、ダメじゃん! ちゃんと起きててくれなきゃ~!』

「ごめん! ごめん!! 本っ当申し訳ない!!」

 

 結局眠れませんでした。だって穂乃果ちゃんの背中とかいたるところに日焼け止め塗る妄想とか、穂乃果ちゃんどんな水着なんだろうとか、エルメスたんに雪穂ちゃんは背伸びしてビキニタイプかな、それで案外穂乃果ちゃんの水着が子供っぽかったりとか考えてたら眠れるわけもなく。数えていた羊は狼に食べられちゃいました。俺の煩悩っていう名前の狼に。

 

『私だって楽しみだったけどさ! あなたに寝坊されたら1日楽しめないよ!』

「それについては全面的に同意する。誠に申し訳ないと思ってます先輩」

『他人行儀はやめて、彼氏なんだから』

 

 そうでした、俺穂乃果ちゃんの彼氏(親公認)でした。以後気をつけます。取引先に謝るように誰もいない壁に向かって頭を下げ続ける俺、かなりシュールである。

 

 ピンポーン。

 

「あ、ごめん。来客だ、掛け直すから」

『ち、ちょっと待ってって!』

 

 名残惜しくも穂乃果ちゃんとの通話を切る。にしても、えらい朝早くからお客さんだな。階段を下りて玄関に行くと、すりガラスの向こうにお客さんが待っていた。

 

「はーい、どなたですか?」

 

 そう言ってドアを開けた瞬間、猪と錯覚するレベルで突進されて思わず玄関に尻餅をつく。あと今こっそり尾骶骨打った、すげえ痛い。

 

「ドッキリ、だよ。迎えに来ちゃった」

 

 その声を聞いて、ようやく俺は穂乃果ちゃんが仕掛けた盛大なドッキリであることに気づいた。さっき電話してるときには、穂乃果ちゃんはもうこっちに向かってたんだな。

 そして、家の前に着いてインターホンを押すと俺が出てくる。俺が出なくても、俺の部屋まで通してもらえば同じことだ。尤も、今朝はみんな仕事なりなんなりでいないけど。

 

「いらっしゃい」

「おはよう……っ、やっぱりあなたの中は落ち着くね」

「俺も穂乃果ちゃんが腕の中にいると幸せ」

 

 ちょっと前にもこうして抱き合ったけど、仕事中でいつ誰に見られるかとビクビクしてた。けど今はそんな心配いらない、今この家には俺たちしかいないんだから。

 約束をすっぽかしてしまおうか、そんな邪な感情が湧き出てくるけど穂乃果ちゃんの肩から下がってるプールバッグを見て、楽しみにしてたんだなって思うとその気は失せる。

 

「じゃあ、行こっか」

「あ、雪穂迎えに行かなきゃ。亜里沙ちゃんたちと先に駅に向かってるんだって」

 

 そうなのか、俺もプールバッグとリュックを背負って靴を履いて、ようやく気付く。

 

「ん? 亜里沙ちゃん、たち?」

 

 その疑問の答えを数分後、俺は思い知ることとなる。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 そして、待ち合わせ場所は駅に変わったらしく穂乃果ちゃんと仲良くお手々繋いで歩いていくとそこにはエルメスたんと雪穂ちゃん……そして、見たことのないパツキンのお姉さんが立っていた。

 いや、見たことないと思っていたが近づいてみて分かった。彼女、μ'sのメンバーだ。名前は確か、絢瀬絵里。もしかして穂乃果ちゃんが呼んだのか?

 

 いやちょっと勘弁してください俺初対面の女の人に弱いんだよ……弱いって言うのはすぐ惚れるとかじゃなくて、お話出来ない。お忘れですか俺これでも1年とちょっと前までニートでしたからね、反社会的な人間になったせいでコミュニケーションの手段すら忘れてましたからね、仕事始めてなんとか勘を取り戻してはいるけど、相手が年上とか美人なほど俺にはハードルががが。

 

「絵里ちゃん久しぶり! 元気だった?」

「えぇ、穂乃果も元気そうね。雪穂ちゃんから話を聞いていたからずっと不安だったのよ。でもそんな心配、今はいらないかな?」

 

 絢瀬さんが、穂乃果ちゃんと話をする。だちゃんと会ったときのように穂乃果ちゃんは本当に嬉しそうな笑みを見せる。いいもん、俺にだってああいう感じの笑顔見せてくれるもーん、悔しくなんかねーやい。

 と、端から美少女の絡み合いを見ていると横から雪穂ちゃんに脇腹を突かれる。

 

「どう? お姉ちゃん絵里さんに取られて、どんな気持ち?」

「穂乃果ちゃん大好き」

「ブレないなぁ……」

 

 ただ雪穂ちゃんは俺があまりにもけろっと言うもんだから、面食らったような顔をしている。舐めるな小娘、伊達に君より二年生きてないわ。

 

「お兄さん、おはようございます!」

「亜里沙ちゃんおはよう、今日も眩しいね」

 

 君のその屈託の無い笑顔が。エルメスたんは天使である、穂乃果ちゃんとは微妙に違うベクトルで天使である。穂乃果ちゃんが犬なら、エルメスたんも犬だけど種類的に小型犬みたいな。穂乃果ちゃんが撫でると尻尾振る犬なら、エルメスたんは撫でたら飛びついてくるタイプのちっちゃい犬、かぁ~可愛いのう可愛いのう。

 

「お兄さん頬が緩んでるよ」

「ハッ! いけない、これが痴情の縺れか……亜里沙ちゃんの無垢が無意識のうちに頭を撫でさせていた、何を言ってるのかわからねーと思うがとどのつまり亜里沙ちゃんが悪い」

「えっ、そんなぁ……」

 

 グサリ、俺が悪かったです。だからそんな顔しないで、泣きそうな顔しないで、俺が本当に悪かったですずびばぜん。

 

「亜里沙、彼と知り合いなの?」

「もちろん、この人が前話した、電車で助けてくれた人」

 

 ……あぁ、なるほど"絢瀬"絵里か。道理で似ているわけだ、納得。っていうほど似てないな、姉からは切れ者のイメージが漂ってくる。

 絢瀬姉は俺に頭を下げると、爽やかな笑みを浮かべてお礼を述べた。ここで風来坊気取るほど俺対人スペック高くないので、無難に返して……あれ?

 

「失礼ですけど、普段メガネとか掛けてますか?」

「伊達だけど、読書や勉強中とかはよくつけるわ。それがどうかしたの?」

 

 絢瀬姉に俺の伊達メガネを渡してみる。それを掛けた絢瀬姉の姿は、俺の知っている人に良く似ていた。

 

「ひょっとして、水曜日の朝とかゴミ捨てに行きます?」

「えぇ、もしかしてまだ思い出せない?」

「いや……ちょっと世界って思ったより広くないなと思いまして……」

 

 これで髪型がポニーテールじゃなかったら、俺が早朝の散歩や出勤中によく会う近所のお姉さんそっくりで意識してみれば声音も同じだった。

 信じられるだろうか、朝偶然出くわした女性が実は伝説のスクールアイドルでした、なんて。それ言ったら行きつけのスーパーで伝説のスクールアイドルがレジやってるってのもおかしな話だ。

 

「絵里ちゃんたち、知り合いだったの?」

「えぇ、私たち結構近所なのよ。散歩中とか、よく会っては挨拶してくれるのよ」

「いや、挨拶してくれるのは……えーっと、絵里さん? の方からじゃないすか」

 

 これだよ、初対面の女性って呼び方に困る。名字で呼ぶと堅苦しいけど、それがマナーだし……と思っても相手から名前で良いって言われて名前を呼ぶのにも一苦労。でも俺よく穂乃果ちゃんに再会してから高坂さんって呼ばなかったな、そこだけは褒めてやる。

 

「お姉ちゃんとお兄さんも知り合いだったんだ、なんだか嬉しい!」

 

 それだけのことが嬉しいのかエルメスたんは。俺と絵里さんに飛びつく亜里沙ちゃん、あれーおかしいなー、彼女持ちの男にこういうことしちゃいけないって知らない? 知らないか~。

 ……約2名から形容しがたいどころか出来れば目を合わせたくない類の視線を向けられているので、出来ればエルメスたん離れてくれると嬉しいんだけど……と、思っていると絵里さんがエルメスたんを引き受けてくれた、あなたも天使かあなたが神か。

 

 急いで穂乃果ちゃんの隣に戻ってお手々繋ぎ直す。媚びだとか、ご機嫌取りと思われても仕方ないが嫌われるよりは遥かにマシだ……!

 暑いなー、汗が湧き出てくるよー……どう見ても冷や汗です、本当にありがとうございました次回作にご期待ください。

 

「絵里ちゃん、やっぱり綺麗だな」

「あ……」

 

 穂乃果ちゃんが、そう言ってじゃれ合う姉妹を見つめる。確かに、穂乃果ちゃんと雪穂ちゃん以上に仲が良く見える。雪穂ちゃんはこういう表で穂乃果ちゃんに抱きついたりはしないから。

 

「あの、俺がこういうのもなんだけど……俺は穂乃果ちゃんが好き、だから。他の人が綺麗でも、穂乃果ちゃんしか見えてない……よ」

「うん……ありがとう、そうだよね。じゃあ私も、あなたとあなたのことが大好きな穂乃果のことを信じようかなっ」

 

 そう言って穂乃果ちゃんが笑みを取り戻す。よかった、ここで選択肢間違えたらバッドエンド直行だったかもしれない。

 絢瀬姉妹と雪穂ちゃんに先導されて、俺たちは電車に乗る。電車の中は涼しくて、極楽空間だった。

 

「ねぇねぇ」

「ん?」

 

 電車の中で、雪穂ちゃんが俺の脇腹を突いてくる。なんだよやめたまえよくすぐったいだろんふふ。

 

「お姉ちゃん、たぶん気にしてない振りしてるから、あんまり今日は私たちに構わないでね」

「穂乃果ちゃんのことを思ってだろうけど構わないでねって言われるのもそれはそれで辛い」

「茶化さないでよ、お兄さんたちにもっと仲良くなってもらおうと思って誘ったんだから。そしたら、亜里沙が絵里さん連れてきちゃって」

 

 なるほど、ハプニングか。

 

「でも、穂乃果ちゃんも嬉しいんじゃないかな。絵里さんに会うのだって、やっぱり久しぶりなんでしょ?」

「そうだけど……それはそうだけど、お兄さんといる方が幸せかもしれないじゃない」

 

 うっほ、それは嬉しい。μ'sのメンバーより俺といる方が幸せ~、とか言われたら俺死んでもいいかもしれない。

 

「それなら俺も嬉しいな。けど、俺は穂乃果ちゃんに友達とも上手く行ってほしいんだ。俺以外の男といたら妬くけど、出来れば友人関係とか縛りたくないんだ」

「……お兄さんがそういうなら、良いけどさ。お姉ちゃんから離れないでよ? 今日はプールなんだからさ」

 

 あ……

 

 プールと聞いて俺の顔色が変わったのを雪穂ちゃんも察したらしい。気になったのか、どうしたのと聞いてきた。

 

「俺、泳げないんだった。浮き輪、持ってない……?」

「小学生か」

 

 その小学生の時に溺れかけてから泳げなくなってるんだよ!! 悪いか泳げなくて!!

 あらゆる職種に手を伸ばして多才バイト戦士と謳われる俺もプールの監視員とかはやったことがない。なぜなら俺がライフをセーブしてもらう側だからだ。

 

「その点は大丈夫。お姉ちゃん実は泳ぎが上手いから、事故の振りして抱きついちゃえば機嫌も良くなるよ」

「なんというラッキースケベ……相手を間違えたら命が無いな」

 

 

 

 本当に19歳フリーター殺人事件起きないだろうな、今から若干心配になってきたぞ。

 

 




ドッキリだよ(迫真)

告知無しのエリチ回でした~。
すまんな、今週の話も続くんじゃよ。



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プールに遊びにきたら、変態なことになった。

 

「久しぶりだなぁ、ここのプール!」

「うわぁ、大きい!!」

 

 長らく電車に揺られ、更衣室を抜けたそこは楽園だった。水着のお姉さんが、おっぱいの大きなお姉さんが、おっぱいいる! いや、いっぱいいる!!

 電車の中で元気が無いように見えた穂乃果ちゃんだったけど、快晴の下開放的な気分になったようで雪穂ちゃんと一緒に小型テントを設置する場所を先取りしに行った。

 

「すごい広いわね……!」

「近所じゃ、ここのプールが1番評判良いですからねぇ」

 

 そして、なんだこのモデル体系は。なんだこのスケベな水着は。水色と白のストライプ、しかも横縞……! ボトムが縞パンにしか見えねぇ……! 男共は見るな! 目の毒だぞぅ!! 保養とも言う。

 で、雪穂ちゃんは。身体の凹凸が穂乃果ちゃん以上にフラットな雪穂ちゃんは、白オンリーのビキニにグラデーションの鮮やかなパレオを身に付けていた、なんだろう年齢的にはおかしくないのにこの背伸び感。

 

「……ふっ」

「なんで笑ったの」

 

 痛い痛い痛い痛い痛い、暴力反対いてててててて!!

 

「だっふぇえりしゃんのかんじぇんしょうりりゃし」

「何言ってるのかわからないなぁ、もう1回言って?」

「いでぇぇぇえええええ!? おいっ、もう一回言えと言いながら両頬抓るたぁどういうこった!!」

 

 ちくしょう、この妹酷い……貴様未来の義兄に対してなんたる不敬!! あ、今のなんかラップっぽい。未来の義兄に不敬、ヨ!

 

「行きましょう、絵里さん。こんな人知ーらない」

「待ちな、嬢ちゃん。設営するテントは、俺が持ってるんだぜぇ」

「ほら早くおいで」

「あ、俺は犬ですか」

 

 確かにそれならこんな人知らないな、っておい。俺の犬種ってなんだよ、柴犬か? ラブラドールか? チワワか!?

 ……っと、いけね。雪穂ちゃんに構ってばっかじゃダメだよな……今日は穂乃果ちゃんの機嫌を取り捲らないと、いくら彼氏だからとて呆れられてばっかりじゃフラれちまう。

 

「テントはここでいい?」

「お願いします♪」

 

 ほえーやっぱ絵里さんの妹だ、雪穂ちゃんより白くておまけに身体の凹凸はsuperbe(素晴らしい)、文句のつけようが無い。ちょっと小ぶりな胸が将来を期待させるね。

 そして、俺の将来のお嫁さんはというと、熱っぽい視線を向けると身体を隠す。その仕草がまたまた可愛らしい。でも残念、穂乃果ちゃんの水着は既に観察済み、脳内メモリにバックアップ込みで音速、HD画質で保存さ。

 

 生地の薄いベストに絵里さんみたいなストライプのビキニ、ボトムも同じ柄でスカートタイプのパレオを身に付けていた。いつもはしていないカチューシャ、さらに髪を結んでいるリボンはプール仕様のビーズバンド。

 控えめに言って女神、全力で言えば俺の全て。

 

「…………」

 

「……コメントは期待できないね」

 

 雪穂ちゃんの呟きすら外の世界の音だった。俺は今、隠されている穂乃果ちゃんの水着を余すところなく観察し、脳内メモリに焼き続けていくのだ。

 

「久しぶりねーその衣装、私もそっちでくれば良かったかな」

「絵里ちゃんは今のままでも十分可愛いよ、スタイル良いし」

 

 穂乃果ちゃんがそう言って自分の胸とお腹を見て、肩を落とす。あー、なんか急にフラットな体系の女の子が好きになってきた、あー、あー!

 ふっ、まぁいい。俺はテントの中に荷物を落ち着けると、バッグの中に持っていた日焼け止めクリームを見せびらかす。

 

「あ、日焼け止めとか塗るんだ。お兄さん意外とマメだね」

 

 これは諸君らに塗るものだよ、なんて言い辛い。だけど諦めるものか、桃源郷はすぐそこにあるんだ!!

 

「私たちは更衣室で既に済ませてきたわ」

「絵里さんの塗りテクはすごかったなぁ~」

 

「ちくしょうこんなもの!!」

 

 力の限りボトルを鞄の中に叩きつける。桃源郷だと思ったらただの水溜りでした、解せぬ。

 

「さ、時間が勿体無いから早く泳ぎましょ!」

「そうだね、行こっ!」

 

 いや、あの……俺は、ここで待ってますから。濡れ濡れな美少女眺めて楽しんでますから。おいそこの雪穂ちゃんこっそり笑ってるんじゃないよ。

 俺だけが動かずにテントの下にいると、俺が動かないことに気づいたみんなが戻ってきた。

 

「もしかして、泳げないの?」

「泳げますー!! 馬鹿にすんなし! 俺だってな、ライフセー……」

 

 ついムキになって穂乃果ちゃんに突っかかってしまうも、寸でのところで立ち止まる。

 

「……ブしてもらったことがあります、泳げません」

「……プール、嫌だった?」

「そんなことはない!! 断じて! ここのプール一応足着くし!!」

 

 ……あぁもう何やってんだ、穂乃果ちゃんの笑顔が曇っちまっただろうが……どうしよう、どうしよう。

 困った俺に助け舟を出したのは、絵里さんだった。

 

「じゃあ、ウォータースライダーに行きましょ? あそこなら、滑り終わったあとのプールも膝くらいまでしかないはずだから、大丈夫じゃない?」

「た、たたたたた多分……」

 

 助け舟、なんと泥舟だった。ウォータースライダーが諸悪の根源と言えるわけもなく。満場一致の雰囲気の中、俺の足取りだけが確かに重かった。けど、穂乃果ちゃんが気にしてしまうかもしれない。

 なら俺は俺に出来る精一杯の虚勢を張るだけ。そうとも、俺は水が平気水が平気水が平気……ついでに高所恐怖症なんだ俺。

 

 金属製の階段を上っていくたび、グラついてる錯角に襲われる。思わずクラクラして穂乃果ちゃんと絵里さんの腕にしがみつく、マジで助けて死ぬ死んじゃう。

 そんな俺を見て、穂乃果ちゃんは笑ってた。こんなヘタレが彼氏でガッカリしないのか、当人だから余計不思議に思ってしまった。

 

 何とかてっぺんまで上ってきた、俺の膝だけでなく全体大爆笑だった。もうマジで、マジで勘弁してください。本当、3000円くらいまでなら出しますんで、マジで。

 チューブ型のかなり曲がりくねったスライダーの前で女の子の腕にしがみつきながら青い顔をしている男が1人おりまして、端から見ればそれはそれは情けない姿に見えるでしょう、俺も自分でそう思う。

 

「じゃあ穂乃果が1番ね、下で待っててあげる」

「あ、あああああああ、うん……」

 

 穂乃果ちゃんの腕が離れる、それだけで腰が引ける。負けるなおじいちゃん(19)、ファイトだよ。

 

「じゃあどうぞ~」

 

 係員の人に言われて穂乃果ちゃんがチューブの入り口に手を掛けて腰を下ろそうとした。俺も腰が引けてきた、高いし地獄の入り口目の前だし。

 

「今だよ!」

 

 と、雪穂ちゃん。なんのこっちゃ、俺は今忙しいんだ、ゴミみたいなプライドを拾い上げて必死に掲げてるんだ邪魔をするんじゃない。

 

「カップルなら一緒に滑ってもいいんだよ、ほら早く!」

 

 トンッ、と軽く背中を押された。軽く押されたはずなのに、俺はまるでトラックに轢かれたような衝撃に襲われた。

 え、ちょ―――

 

「待てぇえええええええええええええええ!!!」

「えっ? うわ、わわわ、きゃあっ!!」

 

 そのとき、俺がどんなに情けない姿でチューブに飛び込んだか自分で想像できてしまった。俺は穂乃果ちゃんと一緒に滑り出した、んだけど…………

 無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理!!!

 

「助けてェェェェェエエエエエ!!! うわぁあああああああああああああああああああ!!!」

「ちょ、そこは、ダメっ! こらぁ!」

 

 速い、回る、落ちる、死ぬ。

 しかし、ジェットコースターよりも速く出口が見えてきた。俺は生にしがみつくように穂乃果ちゃんの身体にしがみついた。そして、再び太陽の下へ飛び出し風呂より広い水の中に投げ出される。

 凄まじい水しぶきを立てて、俺はプールの中に飛び込んだ。悲鳴を上げてたせいで口鼻耳の中に容赦なく水が入り込んでくる。耳は余計だったか。

 

「げほっ……ごほっ……ずびっ、あとで雪穂ちゃん泣かす……っ」

 

 暖かい滴を頬で感じ取りながら、俺は顔中の水を払う。すると穂乃果ちゃんが近くでぺたりと座り込んでいた。

 

「ご、ごめん……」

「ううん、いいよ……でもちょっとあっち向いててもらえるかな……前、外れちゃって」

 

 その言葉が、俺の神経を過敏にさせる。今、なんて言った? 前が、外れた……だと?

 俺の頭の中には穂乃果ちゃんの水着姿が完全に焼きついている、しがみついてたから身体の柔らかさ、感触まで思い出せる。

 

 そして、穂乃果ちゃんのトップは前で紐を結ぶタイプのものだった。つ、つまり……

 

「これ、どうぞ」

 

 俺は着ていた白いパーカーを後ろ手で穂乃果ちゃんに渡した。正直すっげぇ見たいけど、俺に非があるわけだし俺たちにはまだそういうの早いっていうかとにかく我慢だ。

 ずぶ濡れのパーカーを穂乃果ちゃんが受け取ると、妙な肌寒さを感じた。けれど顔はとても熱かった。

 フロントの紐が解けたということは、その辺を弄ってしまったというわけで、途中穂乃果ちゃんが上げた嬌声とこの手に残っている感触。導きだされる答えは……

 

「…………ごくり」

 

 パーカー越しに透視できる、穂乃果ちゃんのそれなりに慎ましい胸を見て生唾を飲み込む。あの双丘のどちらかに触れてしまったわけだ……待てよ? 俺はどっちのおっぱいを触ったんだ?

 右か、左か……アホか、触っちまったことを悔いろぉぉぉぉぉぉ……

 

「ありがとう、おかげで助かっちゃった」

「他の男に見せるわけにはいかないから」

「えへへ、欲張りだ」

 

 穂乃果ちゃんが笑う。俺同様頭からずぶ濡れで、髪の先からポタポタと滴が垂れている。頬や顎の先から首へ伝い、鎖骨のわずかな窪みに溜まっていったり、そこから流れて再び双丘へと。そのなだらかなラインを下ってプールへと還る水滴、今めっちゃ水滴が羨ましい。たかが水に死ぬほど嫉妬している俺がいた。

 

「さ、テントに戻ろう? なんか穂乃果疲れちゃった」

 

 俺のせいだろうなぁ、穂乃果ちゃんすごい顔真っ赤だし……とにかく穂乃果ちゃんが立ち上がってプールを抜けようとしたので、俺もそれに続くことにした。

 ……のだが。

 

「うわわわわわわわわわわ!! お兄さんなんでまだそこにいるのぉぉぉぉぉ!!」

「へっ!? ちょ、待っ! へぶっ!!」

 

 座り込んでいた俺、飛び出してきた雪穂ちゃんが俺に向かってきた。雪穂ちゃんの爪先は俺の脇腹を捉え、直後鈍い痛みが腹に走る。

 

「うあ……これは痛い、し、死ぬ……」

 

 まずい、呼吸出来ないやつだこれ……あかん……

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

「散々だった」

 

 思わぬラッキースケベはあったけどな。あの後、俺は担架で運ばれて医務室みたいなところに寝かされていた。呼吸困難と意識不明と水没のトリプルパンチで結構やばかったらしい。

 夏だから、医務室クーラーガンガンだったし。起き上がったら鳥肌とかいろんなところが立っていた。それと、穂乃果ちゃんが水着のままだったけど、ずっとついててくれた。

 雪穂ちゃんも傍にいようとしたらしいが、穂乃果ちゃんが怒鳴り散らしたみたい。俺のことで姉妹喧嘩とか、しないでほしいんだけどなぁ……

 

 現在、すっかり夕方になって帰りの電車の中だった。雪穂ちゃんは穂乃果ちゃんと喧嘩したせいで結構傷心気味らしい、絵里さんとエルメスたんが気を利かせて3人で遊んでいたらしく今は座席に座って絵里さんを真ん中にして、2人とも絵里さんに寄りかかって寝ている。そして寄りかかられている絵里さんも寝ている。

 

 俺はというと、その座席の端のドア付近に立たされ穂乃果ちゃんに抱きつかれている。かれこれ数駅ずっとこれで過ごしていて、周りの視線が痛い。幸せの代償といえば聞こえはいいけど、穂乃果ちゃんがすすり泣いてるので余計に、俺がなんかしたと思われてるらしいです。

 

「あのぉ、そろそろ……」

「やだ……帰るまで離さないから」

 

 穂乃果ちゃん、結構強情です。ぎゅってされてるので、結構苦しい。けど穂乃果ちゃん暖かくて電車の中の冷房と合わさって程よい温度で、しかも穂乃果ちゃんからは良い匂いしてるし。

 

「死んじゃうかと思った」

「俺も死ぬかと思った」

 

 結構脇腹に突き刺さる感じしたからね、よく骨折れなかったなと思う。けど、今穂乃果ちゃんが俺の肋骨付近締め上げてきて、それで骨が折れそうだった痛い痛い痛い。

 

「もう、プール行かない……やだ……」

 

 俺も出来ればしばらくはプールごめんだな、でも……

 

「俺も。でもあえて来年、また行こう? そのときまで、泳げるようになっておくからさ。そしたら、今度は一緒に遊ぼう」

「やだったらぁ……」

 

 穂乃果ちゃんが俺のTシャツにいやいやするように頭を擦りつける。凄い可愛い、正直理性が蒸発しそうなんですけど穂乃果ちゃんが言うまで我慢するって決めたので背中を撫でて安心させる。

 というかここ公共の場だからね? 抱き合ってること自体割とやばいからね?

 

「ねぇ……」

 

 そのとき、穂乃果ちゃんがようやく顔を上げた。目は真っ赤だし、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになってるし、髪の毛なんかリボンに換え忘れてるのかまだビーズバンドだし、結構ひどかった。

 でも、その涙が俺に関係してるって思うと少しだけ嬉しかった。死に損なった甲斐があるってもんだ。

 

「今日、あんなことしてなんだけど……明日、来てくれる?」

「もちろん。主賓でしょ、俺?」

 

 コクリと頷く穂乃果ちゃん。そう、明日は俺の誕生日……高坂家の人間が、みんなで俺を祝ってくれる。楽しみで、しょうがない。

 俺が行くって答えると、穂乃果ちゃんは泣き笑いを浮かべた。ハンカチで涙だけ拭ってあげると、綺麗な笑顔がすぐそこにあった。

 

 ニッコリ、少しだけ困ったように笑って頬を朱に染める穂乃果ちゃんの、光を跳ね返す艶のある唇が、すごく美味しそうな色をしていた。

 耳鳴りがするほど、しっかりと網膜に焼きついた唇が閉じる。穂乃果ちゃんがもう一度俺の胸に頭を預けた。

 

 もう、誰に見られても恥ずかしいとは思わなかった。今だけなら、自信を持って穂乃果ちゃんは自分のものだと思えた。

 そろそろ、ブレーキが壊れるくらいに、歯止めが利かなくなるくらいに、意識するようになってきた。

 

 俺はどうしようもないくらい穂乃果ちゃんが大好きだ。

 

「大好きだからね」

 

 穂乃果ちゃんも、同じらしい。

 

 もう少しこうしていたいから、電車さんもう少しゆっくり走ってください。

 

 あと少しだけ、穂乃果ちゃんと抱き合っていたい。

 

 




絵里ちゃんとイチャイチャさせるつもりだったんだけど、それよりも穂乃果ちゃんとイチャイチャしてしまった、やれやれだ。

そろそろ本気出さねば読者に飽きられてしまうのではとビクビクしております。

感想評価こっそりお待ちしています、おら返信してみろというくらいの数お待ちしております←

ありがとうございました。


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【UA100000突破記念】最愛の君と―――

おたませしました。
今回、何度も死にながら書き上げたのでボドボドですがどうぞ見てやってくださいませ。



 

「ぐずっ……ひっく、うぅーん」

「酔い潰れるまで飲むとはな……」

 

 どうも、バイト戦士です。今日めでたく生まれて20回目の誕生日を迎えました。それでさっきまで穂乃果ちゃんの家で誕生日パーティをやってたんだけどさ?

 穂乃果ちゃんが他にも俺が知ってるだけの面子を集めてくれて、だちゃんと絢瀬姉妹が参加してくれた。ことりっちにも声は掛けたらしいが今日はどうしても都合が合わなかったらしい、ちょっと残念。

 それで最初の1時間はみんなでワイワイ楽しく飲んだり食べたりだったんだけど、絵里さんが貰ってきたというお酒を開け始めて大人勢と絵里さんがだんだんダウンしていった。今、高坂家は雪穂ちゃんとだちゃんが片付けてくれている。で、俺は時間も時間なのでエルメスたんと泥酔した絵里さんを穂乃果ちゃんと一緒に送っていくことにした。

 

「近所だってのは知ってるけど、家は知らないから亜里沙ちゃんがいて助かったよ」

「いえ、お姉ちゃんが迷惑かけてごめんなさい。せっかくお兄さんの誕生日だったのに」

「いいって、こんなかっこいい腕時計プレゼントしてくれたしね、亜里沙ちゃんもありがとう」

 

 絢瀬姉妹の誕生日プレゼントは姉が腕時計、妹がくれたのは穂乃果ちゃんのとセットになるティーカップだった。今日は穂乃果ちゃんの家に置いてきた、しかしやけに高そうなティーカップだったが、あんな高価そうなの受け取ってよかったんだろうか。

 

「大丈夫? 変わろうか?」

「あぁ、いや……暴れるからさ」

「穂乃果ぁ……うわぁぁぁん穂乃果がお嫁さんになっちゃう! エリチカ認めなーい! 反対!」

「痛い痛い頭叩かないで」

 

 絵里さん泣き上戸らしくて、さっきからずっと鼻水を啜る音としゃっくりの音が耳元に聞こえてきて年上の、あのグラマーなお姉さんには見えなかった。

 加えて、なんか酔っ払って幼児退行してる。自分をエリチカって呼んでるし、駄々こねるし。実はここまで連れてくるのに眠るのを待ったくらいだ、だって帰りましょうって言ったら穂乃果と一緒にいるって言って聞かないからだ。ロシアの人って強いお酒ばっかり飲んでるからお酒強いと思ったけど、そうでもないんだな。

 

「お姉ちゃん、お兄さんに迷惑掛けたらダメ!」

「うぅん……ありしゃの声がする……」

 

 どっちがお姉さんかわからんなこれ。絢瀬姉妹の意外な一面を見て、俺も穂乃果ちゃんも顔が綻ぶ。そっか、もしかしたら穂乃果ちゃんお酒飲めるようになってから昔の友達に会うの初めてだっけ。

 ほんのひと月前にハタチになった穂乃果ちゃん。

 

 俺よりちょっぴり大人で出会った頃よりほんの少し髪が伸びた穂乃果ちゃん。

 

 今では俺の恋人、一応未来のお嫁さんの予定の穂乃果ちゃん。予定とか言ってめっちゃダメージ受けてるのは内緒。

 

「しっかし、この歳になってハッピーバースデイを家族以外に祝ってもらうことがあるとはね」

「これからは、毎年やろうよ。毎年、みんなを集めて夜まで騒いで……」

 

 夢を語るように声のトーンが高くなる穂乃果ちゃん。けど、今日ことりっちの都合が合わなかったことを思い出したらしい。いつも誰かが来れるわけじゃない。

 でも、夢なら追いかけることくらいはできる。

 

「いいね、次は雪穂ちゃんの誕生日とかさ。俺、こう見えて元パティシエの経験あるからホールケーキも作れるんだよね、今日は祝ってもらう側だったしお父さんが作ってくれたし」

 

 そう、これも約1年様々なバイトを経験してきたおかげだ。パティシエ、パン屋、ラーメン屋、ファミレスでホールと厨房を少し、その他いろいろだ。プールの監視員だけはやったことないけどな!!

 お父さんが作ってくれた、というのは穂乃果ちゃんのお父さんが和と洋の融合を披露してくれたんだ。まさかケーキのスポンジが抹茶で、生クリームと餡子のミックスだなんて俺も思ってなかった、こっそり聞いてみたところ昔和菓子に飽きたと穂乃果ちゃんが騒いだときにケーキを作ったことがあってそのとき穂乃果ちゃんに好評だったから今回も作ってみたらしい、ありがとうございます美味しゅうございました。

 

「あーあ、穂乃果の誕生日がもうちょっと遅かったらなぁ……」

「ん、どうして?」

「だって、あなたがひと月遅いから……穂乃果はね、どんなことをするにも一緒にいたいんだ」

 

 ごちそうさまです、今日の穂乃果ちゃんもある程度お酒入ってるからか、大胆さが言葉の端々に浮いている。見れば亜里沙ちゃんも微笑んでいた。

 

「わたしもー、わたしもいっしょー……」

「絵里ちゃんも早く素敵な男の人見つけてね、そしたらWデートしよ」

 

 穂乃果ちゃんがそう言って絵里さんの髪を梳く。本当に年上なのか、疑いたくなった。この分では1人で合コンには参加できないな、速攻でお持ち帰りされちゃうよ。

 そうやってみんなで絵里さんの寝機嫌を取りながら歩くこと数分、絢瀬の標識がある家へと辿り着いた。

 

「ありがとうございました、ここまで来たらあとは亜里沙がどうにかしますから」

「ベッドまで連れて行かなくても大丈夫?」

「えへへ、恋人がいる人にお姉ちゃんをベッドに連れていってもらうわけにはいかないですから」

 

 エルメスたんはそう言って天使の笑みを見せた。そうして絵里さんの腕を肩越しに掴むと足を引き摺りながら玄関へ行き最後に振り返るとぺこりと頭を下げた。

 

「今日は本当にありがとう!」

「また遊びに来てね~!」

「必ず行きま~す、それじゃあお2人ともおやすみなさい!」

 

 俺たちは2人で手を振って家の中へ入っていくエルメスたんを見送った。本当いい子だなぁ、思ったよりしっかりしてたし。

 絢瀬邸の玄関の灯りが消えると、俺たちは街灯と月明かりに照らされた。

 

「それじゃあ、帰ろうか?」

「うん、ちょっと歩こうよ」

 

 穂乃果ちゃんがそう言って、俺たちはどちらともなく指を絡めて歩き始めた。来た道を帰るだけなのに、景色が様変わりしていた。

 夜の街は、心が躍る。たとえば、ここで電柱の陰で俺が穂乃果ちゃんを抱き締めたとしても誰にも気付かれない。外という開放的な空間で愛欲に溺れたとしても、誰もいない。

 

 ……やめとこ、そういうの俺らしくない。ここは童貞らしくしなくっちゃ、らしくっていうか童貞なんですけどね泣きたい。

 

「ん、母さんから電話だ。ちょっとごめんね」

 

 スマートフォンを取り出して耳に宛がう。

 

『あ、もしもし。今夜家開けるわね、誕生日プレゼントはリビングのテーブルの上にあるから』

「また変なアンティークじゃないだろうなー?」

『結構新しいものだと思うけど、そんじゃまよろしく!』

 

 相変わらず暴風雨みたいな女だ。スマホをしまうと穂乃果ちゃんと手を繋ぎ直す。

 

「お母さん、なんだって?」

「家開けるって、たぶん父さんも一緒だと思う。そして誕生日プレゼントの中身も言わずに切りおった」

 

 はー寂しい、誕生日の夜に子供1人にすんなよな。一応俺には姉が1人いるっちゃいるけど、成人して独立してから数年間会ってないしあの姉ちゃんは弟のハタチの誕生日だからってわざわざ帰ってくるわけがない。

 

「ねぇ、じゃあ2次会しない? あなたのお家で」

「え……あぁ、いいね。今からコンビニに何か買いに行こうか」

「スーパーは……今の時間じゃお惣菜しか置いてないか、あはは……」

 

 穂乃果ちゃんが困ったように笑う、確かにわざわざ遠いスーパー行く必要もない。なによりそろそろ閉店時間で、主任や遅番の人に迷惑かけちゃうしな。

 

「よーし、じゃあ出発ー!」

 

 穂乃果ちゃんも少し楽しげに声を上げて歩きだした。俺も引っ張られる形で歩く。

 夜の街は悪くない。こうして、静かな夜道を歩いても赤い顔を悟られずに済むから。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

「コンビニでお酒を買うのがこんなに怖いなら俺金輪際酒は飲みに行ったときだけでいいや」

「あはは、まぁそうかもね」

 

 年齢認証でヒヤヒヤしまくって寿命四半世紀縮んだわ、長寿すぎるだろ仙人か。

 

「さておき、何か作るよ……って言ってもパンは無理ね、今から作ったら日にち変わっちゃうし」

「うーん、お腹は空いてないかな。それよりも飲みなおそう?」

 

 そう言われて俺はグラスを持ってテーブルに着いた。コンビニで売ってる安いワインだけど、お酒ルーキーの俺には力量を測るのにちょうどいい、と思うメイビー。

 穂乃果ちゃんのグラスの4分の1くらい注いで、自分のもそれくらい。テレビでよく見るようにグラスの上部で香りを楽しむ。

 

 子供の俺にさようならだ。

 

「「かんぱーい」」

 

 ひと口呷るだけで結構突き抜けるものがあるな。穂乃果ちゃんもようやく、という風に飲み込んだあと息をついた。

 

「実は、穂乃果も二十歳になってからお酒飲むの、今日が初めてなんだ」

「あ、そうなんだ。どうして?」

「鈍いなぁ、初めてのお酒はあなたと一緒が良かったから。たったひと月だったし、そこまで飲みたいって思ってたわけじゃなかったから」

 

 穂乃果ちゃんは少し上気させた顔でそう言って微笑んだ。グラスを口につける動きが、やけに扇情的に見えた。

 でも、こくこくと喉を上下させてワインを流し込んだ後は、いつもの穂乃果ちゃんみたいにプハァーと息を吐いていた。それがおかしくって、つい笑ってしまう。

 

「ぜんぜん飲んでないね? お酒、もしかして苦手なのかな?」

「あぁいや、穂乃果ちゃん眺めてるのが、楽しかったから」

「あー酷いんだ、穂乃果そんな面白い子じゃないよ」

 

 そんなことないって、俺は続く言葉を塞ぐようにグラスに口をつけた。けど、口をつける回数を増やすごとに顔が熱くなってきた。意識はまだハッキリしているけど、そろそろ限界に近いかもしれない。

 

「酒、そこまで強いわけじゃなさそうだ」

「やっぱり、そういう顔してるよ~」

「どんな顔さ」

「私が、世界で一番大好きな顔」

 

 穂乃果ちゃんが高潮した顔でそう言う。泥酔していたら、危なかったかもしれない。今ですら、若干とろんとした酩酊感を感じているのに。

 すると穂乃果ちゃんは、グラスにワインを注ぎ足しては少しずつ飲み干していった。1つのボトルがそろそろ空になるほど、お互いで減らしていった頃穂乃果ちゃんが立ち上がった。もしかして、気持ち悪くなっちゃったかな?

 

「あのね、あのね」

「うん」

 

 穂乃果ちゃんは俺の隣までやってくると、後ろから俺の身体を包み込んだ。そして、耳元で艶っぽい吐息を洩らす穂乃果ちゃん。

 

「今日は、帰る気が無いの。泊めて、くれるかな」

「え、えぇ……?」

 

 思えば、穂乃果ちゃんの手にはまったく力が篭ってなかった。耳元の産毛をくすぐる吐息だけは、妙に大人びていた。

 

「お酒飲んだせいか、眠くなっちゃったな……今日はもう、寝ちゃおっかな」

 

 言うが早い、穂乃果ちゃんはすぐにすぅすぅという寝息を立て始めた。それもまた、耳や首筋をくすぐり思わずそわそわしてしまう。

 リビングで寝せるわけにはいかないし、客間とかうちには無いから。姉ちゃんの部屋はしばらく掃除してないから埃だらけ、必然的に俺の部屋しか無くなる。

 

 穂乃果ちゃんを部屋に入れるのは、あの時以来か。あの時は、俺が風邪を引いてたんだっけな。それで、穂乃果ちゃんが元スクールアイドル、それも日本一だって知って自分の程度じゃ穂乃果ちゃんに釣り合わないって勝手に思い込んで、雪穂ちゃんに喝を入れてもらったっけか。

 

「それが今では、恋人だ。よくわかんないな、人生」

 

 起こさないように、おんぶして階段を上って自分の部屋の扉を開ける。ベッドへ穂乃果ちゃんを寝せて布団をかけようとしたら布団を蹴っ飛ばされた、いらないのね。

 とりあえず、下のグラスを洗わないと。それに僅かに残ったワインもどうにか片付けないとな。

 

 下の階へ降りると、ボトルの中身は殆ど残っていなかった。だからとてラッパ飲みすると危ないからチビチビと飲み干す。使ったグラスを洗って棚に戻す。

 汗をかいたし、シャワーでも浴びようかと思ったが着替えを持ってなかった。風呂上りの姿のまま穂乃果ちゃんの寝てる部屋に戻るわけにもいかないし、このまま寝てしまおう。

 だがリビングで寝ていると怒られるし、やはり俺も自分の部屋で寝るしかないんだよな。仕方ない、リビングのソファからクッションだけ枕代わりに借りていこう。

 

 部屋に戻ると、電気を消す。そしてベッドの隣に横になるとクッションを頭の下に敷く。窓から、月明かりが部屋の中を照らしていた。手を翳せば、それだけで影が出来るほど強い光を放っていた。今夜は満月か、それに近い月か。

 

 近くで、穂乃果ちゃんが寝ている。そう思うと、ドキドキした。そして、そのときようやく気付いた。

 聞こえていた寝息が、聞こえなかったのだ。呼吸している音はしているけど、寝ているときほど規則的ではなかった。

 

 もしかして、寝たフリ? そう思ったときだった。

 

 

「ねぇ……しないの?」

 

 

「へぇあっ!?」

 

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。今なんと仰った? し、しないの!? な、何を!? ナニをか、そうか……って、えぇっ!?

 

「いや! その! 俺たち、まだ付き合ってひと月も経ってないし、付き合うのだって性急だったから、今度は時間をかけてって俺何言ってるんだろうあはは、あははは!」

 

 誤魔化し笑いを浮かべて、穂乃果ちゃんの様子を窺った。穂乃果ちゃんは、壁の方を向いたまま喋っていた。

 

「そっか、ごめんね。おやすみなさい」

「お、お、おやすみ……」

 

 心臓が止まるかと――――

 

 

 

 

「――――甲斐性無し、ヘタレ」

 

 

 

 

 心臓が、止まるかと思った。声は震えていた。俺は身体を起こしてベッドに上がると、穂乃果ちゃんの肩に触れた。

 

「穂乃果、ちゃん……」

 

「もう……穂乃果を、焦らさないで……っ」

 

 振り返った穂乃果ちゃんの瞳が、月明かりを受けてきらきらと輝いていた。その瞼が閉じられたということは、ススメのサインなんだ。

 俺は、同じように目を閉じて穂乃果ちゃんに顔を近づけ、その瑞々しく艶のある唇に、自分の少しかさついた唇を押し当てた。

 

 初めての感触だった。キスってこんなもんだったのか、穂乃果ちゃんからはさっきのワインの香りがしていた。そっと唇を離すと、穂乃果ちゃんは潤んだ瞳を俺へと向けていた。どうやら途中から目を開いていたのは俺だけだったらしい。

 ワインの芳香が穂乃果ちゃんの吐息に混じって俺の肌へとかかる。息を吐けば顔にかかるほど近くで、穂乃果ちゃんと数秒見つめ合っていた。

 

「もっと……」

「うん……」

 

 今度は、穂乃果ちゃんからだった。穂乃果ちゃんの唇が俺の上唇を噛むように強く挟み込む。俺も返すように下唇を突く。

 離れると、穂乃果ちゃんも俺も息が上がっていた。鼻での呼吸をつい忘れていて、キスの合間に激しい呼吸をする。

 

「もっと……っ」

「わかった……」

 

 穂乃果ちゃんの言葉が理性を削っていき、歯止めが利かなくなる。少々乱暴なくらい、穂乃果ちゃんの唇に自分のそれを押し付ける。ろくに呼吸していなかったせいで、心臓が酸素を求めて動きを早くする。

 と、その時だ。穂乃果ちゃんの唇から別の生き物みたいに動く舌が俺の唇を貫いて口内に侵入してくる。それだけならまだしも、俺の口の中を動き回って、いろんなところを弄ってくる。歯の先、根元、俺の舌の先を。

 

「んっ……ふぅ、っ……はぁ、はぁ……んっ」

「はぁ……あぁ、んんっ……穂乃果、ちゃん……」

 

 2人の顔が離れて、お互いの目に相手が映る。穂乃果ちゃんの目には、獣が映っていた。もう、抑えきれない。ずっと、ずっとこうしたかった。

 

 もっと、もっとキスしたい。

 

「もっとして、ずっと長く……その次はもっと、長く……」

「うん……するよ、するから……っ」

 

 俺は穂乃果ちゃんの頬を手で包み込む。火傷しそうなくらいの熱を穂乃果ちゃんの頬は放っていた。目尻の涙を親指で拭いながら、穂乃果ちゃんに覆いかぶさるようにしながらキスをする。

 全体重を膝と肘に掛ける。穂乃果ちゃんに圧し掛かるような真似はしない。それでも、唇と唇は強い磁石のようにくっついて離れない。そして、お互いの舌が唇の境界線を飛び出して触れ合う。唾液が混ざる音が耳に残る。激しく頭を揺さぶるその音が絶え間無く部屋の中へ響く。

 

「もっと、もっともっともっと……! 我慢できないの、止まらないの。心臓が止まりそうで、でも嬉しくて……」

 

 続く言葉を遮るように唇で蓋をする。穂乃果ちゃんが呼吸したそうに足を動かしても、俺は離さない。穂乃果ちゃんの眉が寄ったって離さない。

 

「ぷは……っ! すごい、死んじゃうかと、思った……っ、はぁ……はぁ……んっ」

「はは……っ、俺もちょっと、やばいかも……もうしていい?」

「いいよ、息継ぎくらいは、させてくれると嬉しいな……はぁ、んっ」

 

 その要求が呑めるかは、微妙なところかもしれない。穂乃果ちゃんの汗でじっとりとした前髪を右手で梳くと、穂乃果ちゃんが少し息苦しそうにしながらも心地よさ気に目を細めた。

 辛くなったら、口を離した。穂乃果ちゃんの口から唾液の糸が伸びて、月明かりがそれを照らしあげる。穂乃果ちゃんの扇情的な表情も相まって、いろんなところに血が集中していく。

 

 

「…………好きです」

 

「…・・・穂乃果は、大好きだよ」

 

「じゃあ、愛してる……」

 

「穂乃果も……愛してます」

 

 

 若い、若すぎる。でも、止められない。この衝動を解き放って、楽になってしまいたい。そして、穂乃果ちゃんもそれを望んでいるはずだから。あくまで推測、独り善がりだと思う。でも、穂乃果ちゃんの目が望んでいたから。

 俺は何度もキスをした。

 

 口だけじゃない。

 

 指に、

 

 腕に、

 

 二の腕に、

 

 肩に、

 

 鎖骨に、

 

 首に、

 

 耳に、

 

 髪に、

 

 背中に、

 

 腰に、

 

 脚に、

 

 爪先に、

 

 

 穂乃果ちゃんの身体に俺を刻み込むように、何度も何度も、吸い付いて痕をつけるような激しいキスをする。

 俺の全てを穂乃果ちゃんに差し出す。穂乃果ちゃんも俺に差し出してくれる、投げ出してくれる。俺はそれを受け取って、離さないように抱き締める。

 

「穂乃果、ちゃん……あっ、んあぁ……っ! っ、ふぅ……ん、はぁっ……!」

「大好き、大好き……今日は離さないで。どこにも行かないで、抱き締めたまま……」

「行かないよ、ずっと……ずっといっしょにいる」

 

「うん……っ、ありがとう……」

 

 最後のキスは、穂乃果ちゃんだけの味がした。口がワインの味を感じなくなっていた。穂乃果ちゃんの精一杯が嬉しくて、俺も応えたくて、俺たちは互いに抱き締めながら眠った。

 晩夏の夜の、ほんの少しの肌寒さも2人で寄り添っていればぜんぜん寒くは無かった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

「……ぁ」

 

 目が覚めたら、私は自分の部屋にはいませんでした。昨夜のことを思い出す。2人でお酒を飲んで、それから……

 

「~~~~っ!」

 

 うわわわっ! お、思い出したらすごい恥ずかしくなってきた~!! なにやってるんだろ……穂乃果は悪い子です……

 だんだん全部思い出してきて、ここが彼の部屋だってことを思い出した。そこに彼の姿はありませんでした。だけど、開けっ放しのドアからなんだかいい匂いがしてきました。

 

「とりあえず、パンツ穿かなくっちゃ……じゃなくて! 服着なくちゃ!」

 

 少し汗の臭いと、彼の匂いが染み付いた服を着て彼の部屋の姿鏡を見て髪の毛を整えます、でも髪を留めるリボンだけが見つからなくて仕方ないのでそのまま下へ降りることにします。

 穂乃果の家と違って、和風な雰囲気が微塵も無いお家。穂乃果の家にもフローリングの床はあるけど、ここまで洋風な雰囲気じゃない。足に直に伝わる床の冷たさが気持ちよかった。

 

 リビングの戸を開けると、彼はキッチンに立っていた。

 

「あ、おはよう!」

「おはよう、それ朝ご飯?」

 

 彼は頷きながらフライパンに向かっていて、そこには卵が2つ投入されたばっかりだった。

 

「テレビでも見ながら待っててよ、すぐ出来ちゃうからさ」

「すごいなぁ、料理も出来ちゃうんだ……?」

「そんなことないって。これもバイト経験からだよ、ファミレスのバイトって結構料理の経験値も溜まるんだ」

 

 言ってるうちに出来上がったらしい目玉焼きを彼は、そうホールのウェイターのように持ってきた。仕事中に目にする黒いエプロンがまたそれっぽさを出してて、思わず笑っちゃった。

 

「お待たせしました、半熟っぽい目玉焼きでございます。熱いのでお気をつけくださいませ」

「わ、それっぽい!」

「だからバイトしてたんだって」

 

 そう言って笑うあなたは、朝の日差しみたいだった。ふと、彼が私の後ろに立って髪に手を差し込んだ。

 

「さすがに髪の毛を弄るバイトはやったことないんだけども……出来た、うん可愛い」

 

 彼はいつものように、穂乃果の髪の毛を頭の横で結ってくれた。視界の端にチラチラッと映るリボンは、見たことの無い色だった。

 

「これ、俺からのプレゼント。貰いっぱなしじゃあれだし、穂乃果ちゃん誕生日過ぎてるでしょ? ちょっと遅くなったけどねー」

「……ありがとう、大事にするね」

 

 大事にするよりは使ってほしいかな、って笑う君。振り返って、目を合わせるとどちらかが笑い出す。おかしくて、嬉しくて、笑いながら涙が出ちゃって。

 

「あ、それと1つメニュー追加」

「なに?」

 

 

「おはようのキスはいらない?」

 

「いる、いっぱいして」

 

 

 昨日のことがあったからか、いつに無く積極的になった彼の唇を、同じ場所で受ける。触れ合うだけの優しいキスだったけど、顔中が緩んじゃうくらい幸せが満ちてきた。

 

「ありがとう」

「どういたしまして」

 

 そうやって笑いながら、朝ご飯の時間はやってくる。今日からまたバイトが始まるなぁ。

 君と一緒なら、どんな仕事だって頑張れる。

 

 

 

 そんな気がするんだ。

 

 

 




お疲れ様でした、最寄のコンビニでチョコレートでも買ってきたらどうでしょうか。

いやまぁ、ちょっとカリカリしてましてね。Twitterの方では醜く愚痴ったりしてすみませんね本当。でも評価いただけるのは嬉しいです、調整平均下がるのが哀しいだけです←

でもこーんな甘いことしかやってないような小説をお気に入りに入れてくださる方が1500人を超えて、UAも100000を突破。

この物語を衝動的に書き上げた2ヶ月前の俺に教えてやりたいくらいですよ。
皆様本当にありがとうございます。

バイトダイアリーこれにて一件落着、おしまい!!

……なわけないんだよなぁ。普通に続きます。
やっぱ仕事風景あってのバイトダイアリー。ここからは仕事を交えつつ、イチャイチャしていこうと思います。

ですが、活動報告で言った通り新作を水面下で進めておりますので投稿速度は今まで以上に下がると思います。それでも見てぇ! という皆様、ありがとうございます。

いろいろ抱えながらですが、確実に頑張っていきたいと思います。
どうかこれからもよろしくお願いいたします!!

感想評価バンバン待ってますヨ←



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穂乃果と同棲編
恋人が抱き枕(暖かいやつ)を所望していた。


けれども湯たんぽには早すぎるし、譲る気もない。



 こんにちは、皆さん。バイト戦士です、いかがお過ごしでしょうか。

 近夏も終わりに近づいて、めっきり寒くなりましたが25度です、まだ25度ですえぇ。この寒さで寒いって言ってる辺り今年の冬はコタツから出られないかもしれませんね。

 

 なんでこんなに悟ってるのかと言いますと、横で穂乃果ちゃんが寝ているからです。

 あれから、かれこれ1ヶ月くらい経って穂乃果ちゃんとお店でこっそりイチャイチャしたりしていたんだけど、変わったことがいくつかある。

 

 1つは、俺たちのスーパーでのシフトが再び夜に戻ったこと。室畑くんは相変わらずのクールガイ、白石くんは久しぶりに会ったら飲み込みの速さを活かして、レジ真ん中に配置されるくらい対応が早くなっていた。先輩にして教導官としては鼻高々だし、また一緒に仕事出来るようになって嬉しい。相変わらず俺は穂乃果ちゃんと2人レジだけどな!

 本来、一人前になると1人でレジを回すのが普通だ。俺も室畑くんや白石くんも2人制をクリアして1人で働いていたわけだけど、穂乃果ちゃんと俺の希望で俺たちは2人制をクリアしてもコンビでやっている。給料は自給から40円引かれてちょっぴり痛いものの、2人で一緒に仕事してるんだから苦ではないし特に気にしてない、穂むらのバイトだってあるわけだしね。

 

 話が逸れた、もう1つは俺が穂乃果ちゃんの家に住み込みで働くことになったということ。住み込みで働くにしては夜別のバイトに言ってるわけだけど。

 相変わらず厨房には入れないっていうか、入ってもやることなくてホールやカウンターにいるだけなんだけど、穂乃果ちゃんのお父さんが「朝暇ならぜひとも準備を手伝ってほしい」とのことで、俺も引き受けた。

 まぁ本当の理由はお互い隠してるんだけどね、暗黙の了解って言うか利害の一致ってことでね! 俺は穂乃果ちゃんの部屋に厄介になっているわけで、そうなると当然。

 

「すぅ……すぅ……」

 

 穂乃果ちゃんがベッドを抜け出して俺の布団に潜り込んでくるわけですよ。そのことをお母さんに話したら、布団片付けて穂乃果のベッドで寝たら? と言われた。それも悪くないかも!

 いやーしっかし、穂乃果ちゃん本当良い匂いするなぁ。今や俺も同じ匂いがするんですよ、だって同じシャンプー使ってるしね!

 

 つんつん、と頬を突いてみる。穂乃果ちゃんはくすぐったそうに身体を揺する。はぁ~可愛いんじゃ~……もっと過度なスキンシップを取るべきか……取らざるべきか!

 取る? 取らない?

 

『→取る

  取らない』

 

「取るしかないよなぁ」

 

 穂乃果ちゃんの身体をゆっくり抱き締めて髪の毛に顔を埋めて深呼吸してみる。はぁ、良い匂い……もう死んでもいい。

 

「毎朝変態チックだよぉ……」

「起きてたんすか」

「抱き締められたら誰だって起きるよ、おはよう」

 

 おはようございます、返事を腕で返す。すると穂乃果ちゃんも俺の背中に手を回してとんとんと叩いてくれる。あぁ優しい手つき、蕩けそう溺れそう。俺どうせ死ぬなら穂乃果ちゃんで溺死したい。

 とまぁこのように毎朝ちょっとだけ度を越したスキンシップで目覚めるわけなんだけども。こうすると1日頑張れるし、穂乃果ちゃんもやる気出るらしいので朝の挨拶には必要不可欠ですね、はい!

 

「……キスは?」

「歯、磨いてからね」

「やだ、今すぐちゅーして」

 

 なにこの子、可愛すぎるでしょ。全世界可愛すぎるお嫁さん(予定)選手権でぶっちぎりで1位取れるんじゃないのこの子。

 どうする? しちゃう? キスすると我慢できなくなっちゃいそうだしなぁ、マジでどうすっかなぁ~!!

 

「ん」

「ちゅっ、ごちそうさま」

 

 お粗末さまでした、じゃあお兄さんは下半身の疼きを収めるために二度寝しますからね。嘘です、目が冴えて眠れません。

 

「こっち向いて?」

「無理、無理です。ちょっと今はマジで無理」

 

 布団の中に閉じこもると穂乃果ちゃんが上から圧力を掛けてくる。重い! 暑い! でも我慢だ、馬鹿が大人しくなるまで俺は穂乃果ちゃんの顔を拝まない! たとえそれが太陽に背を向けた日陰者の所業でも!!

 この住み込み生活で1番困ってるのは、この朝の生理現象だ。隣で穂乃果ちゃんが寝てるっていうか布団に潜り込んでくるから余計に暴れまわるこの愚息どうしようか、本当どうしてくれようか。

 

「ねぇ~、ねぇったら~!」

「ダメだ! 今抱き締められたらアカン!」

 

 四つん這いの箱状態にして愚息を庇うが、穂乃果ちゃんが布団を剥ぎ取って俺の上に圧し掛かってくる。あるとは言えないけど存在感はあるその双丘が俺の理性を荒めのヤスリでごりごり削っていく。

 

「ダメよ! 穂乃果ちゃんが傷物になっちゃう!」

「え~? もう貴方に唾付けられちゃったんだけどなぁ~」

 

 言うな! 大敗したあの初戦のことは言うんじゃない! 酒に酔った勢いで襲ったなんて、今思い出しただけで恥ずかしい。その翌朝の酒の残ってるニヒルな俺を思い出すだけで死にたくなって来るんだから!!

 あぁ、でも穂乃果ちゃんのおっぱい暖かい……揉みたいっていうか、吸いたい。たまにはつついてみたい、どことは言わないけど。

 

「収まった……あっぶねぇ……」

 

 どういうわけか大人しくなったので、ホッとしてベッドに横になると穂乃果ちゃんが待ってましたとばかりにマウントを取った。

 

「シちゃう?」

「しないよ! 節度を持って抱くって決めたの! いつもいつでも乳繰り合ってたら猿になっちゃうよ!」

 

 猿にはならない!! そう誓ったのだ、俺の魂にだ!! 本音言っちゃうと毎日でもキスしたいし、その先もしたい。けど、それって依存じゃないかな。

 依存、悪くは無いけど穂乃果ちゃんに迷惑かもしれない。俺が望んでも、穂乃果ちゃんが望んでなければ俺はしない。穂乃果ちゃんが望んでも俺がしたくないなら……あれ? これシちゃってもいいんじゃね?

 

「ダメです、ダメです。それはそれ、これはこれだァァァァァアアア!!」

「わわっ、びっくりしたぁ……」

 

 頭を抱えて転げまわる。それでも俺にしがみついて離れない穂乃果ちゃんのおっぱいの感触を堪能していると隣の部屋の扉がガタンと勢いよく開く音がした。

 まずい、俺たちは本能的に察してそれぞれの布団に潜り込んで瞼を閉じた。直後、破砕音にも似た爆音を戸が奏でた。

 

「お姉ちゃん! お兄さん朝から煩い!」

「……」

「……」

 

 ダメだ、まだ笑うな……堪えるんだ……!

 

 と、なんとか雪穂ちゃんをやり過ごそうとしてるときだった。なんだか背中の方が一瞬だけ涼しくなった、と思ったその時だった!

 

「うひゃあ!?」

「起きてるのは分かってるんだから、これ以上寝たふりするなら悪戯するよ」

 

 既にしてるだろ!! 頼むから腹を擽るのはやめろぉ! そこと足の裏は弱点なんだ!! 脇腹は、あっダメェ!

 

「おいやめろぉ!」

「やーだ、お兄さん成分補充するまで離れないもん」

 

 そうだった、この一月で変わったことがもう1つだけあった。それは雪穂ちゃんが、俺に対してさらに容赦無くなったということだ。どのくらい変化があったかというと、朝こうして布団に潜り込んで攻撃してくることもあるくらいには。

 

「俺成分ってなんだひゃははやめろぉぉ~!」

「お兄さんの匂いとか、お兄さんの温度とか、お兄さんのジャージとか作務衣とか?」

 

 なにこの子怖い、と思ったけど穂乃果ちゃんの妹だしもしかしたらそんな片鱗持っててもおかしくないかもしれない。穂乃果ちゃんああ見えて夜はそれなりに激しいのです、あっシッダウンというか寝てろお呼びでない。

 

「ちょっと雪穂!」

「なに?」

「なにじゃないよ! 今すぐ離れてよ!」

「お姉ちゃんは毎日毎晩補充できてるでしょ、パンクするから私に回してよ」

 

 あと、俺の取り合いが過激になってきました。穂乃果ちゃんの彼氏をこの子は玩具としか見てないんでしょうか、僕は時々気になります。

 

「ダーメだったら! 穂乃果だってまだ今日はチューしかしてもらってないんだから!」

「チューしてるじゃん! お姉ちゃんは夜までお預けでーす!」

「ほら、したがってるの私だけじゃないよ! あなたもいろんなことしたいでしょ?」

 

 したいけど……いや確かにしたいから、でも節度を持ってってことで……ってあれ? するとかしないとかそういう話だったっけ? 今って俺争奪戦の最中じゃなかったっけ?

 

「お姉ちゃんばっかりじゃ飽きるでしょ? たまには私とか、どう?」

「いやどう、って言われても俺穂乃果ちゃんの彼氏だし……」

「穂乃果、雪穂にだけは絶対とられたくないなー!」

 

 徐々にエスカレートして、なんだか俺争奪戦が過激になりはじめた。そしてついに俺を中間に添えての姉妹枕投げが始まった。持ち込まれた俺の私物も武器になってるらしく、俺のジャージやら私服やらが飛び交っていた。

 

「うへっ!」

 

 なんか顔に当たった、なんだこれ。

 

「うわぁダメ!」

「ぎゃあああああああ!! あったま打ったぁぁぁあああああ!! いでえええええええ!!」

 

 顔にぶつかった何かを確認しようとしたとき、ベッドの上にいた穂乃果ちゃんが俺に向かってタックルしてきて、俺はそれを受け止めきれず穂乃果ちゃんの机の角に頭をぶつけた、あの90度になってる足の角に思いっきりガンッてぶつけた、痛い痛い……痛すぎるって。

 

「これ、パンツか? いや、でも……穂乃果ちゃんのパンツにしては、大人すぎない?」

 

 だって黒だよ? 穂乃果ちゃんが黒の下着って似合わないわけじゃないけど……って、なんで雪穂ちゃんまで真っ赤になってるんですかね、と思ったら雪穂ちゃんはそのパンツをまじまじと見て一気に青ざめた。

 真っ赤になったままの穂乃果ちゃんが独白を始めた、その内容は恐るべきものだった。

 

「その、いつシても大丈夫なように……勝負下着、お母さんからこっそり借りてきて……」

「こっそり借りてきて……ってこれお母さんの!? うっわマジかお母さんエロすぎるでしょ」

 

 あの経産婦とは思えないほど若々しい見た目で黒下着? しかもなにこれ、朝日に翳すだけで端の方透けてるじゃん。なに、俺が渋ってるとき穂乃果ちゃんがこれ装備してたの? どうして今日の俺の分身はこんなに正直なのか、大人しくしてろって言っても聞かないです。

 

「お、お姉ちゃんまずいって。さすがにお母さんに返してきた方が良いって……」

「う、うん……後で返してお――――」

 

 く、と言い切る直前、俺たちが聞いたのは階段を気持ち踏み締めるように駆け上がってくる音。そして、再び開け放たれる俺たちの部屋の扉。

 

「穂乃果! 朝から煩い! ……ってあら? それは……ひゃっ!?」

「え? あ、いやこれは違いますよ!! 俺が盗ったわけじゃないです!!」

 

 部屋に入ってきたのは穂乃果ちゃんのお母さんなわけで、おはようございますを言うより先に俺はお母さんのパンツ、というよりこれはもうパンティーだ。それを持ってるところを発見されてしまったわけで……

 

 

 

 

 

「「「ごめんなさい」」」

 

「まったく、お父さんが知ったらカンカンよ」

 

 朝から散らかった部屋の中で正座させられている俺たち3人。いやぁ、でも俺関係なくないですかね、美味しい思い出来たとは言え頭ぶつけるしである意味被害者なんですけど……

 

「喧嘩は原因になった子が悪くないとは決まってないのよ、穂乃果と雪穂をそこまで夢中にさせる君にも罪はあるのよ」

「申し訳ないです……」

 

 返す言葉もございません、朝から穂乃果ちゃんの髪はしな垂れていた。あ、なんか撫で撫でしたいかも。

 

「とにかく、穂乃果は今日から3日間ウチでの晩御飯は抜きにします」

「えーそんなぁ!」

「朝とお昼は食べられるんだから、文句言わない! それに最近またふっくらしてきてるわよ」

「うぐ……はぁい」

 

 お母さん、女の子相手にそれはまずいですって。男に向かって小さいとか言うくらい残酷な台詞ですよ、身長的な意味で。

 そしてお母さんは雪穂ちゃんにも罪状を言い渡し、刑を言い渡すと朝ご飯だから早く降りてらっしゃいと言い残して先に降りていった。

 

「穂乃果、太ってるかなぁ……?」

「俺は気にならないけど、危機感感じてるならダイエットする? 手伝うよ」

「もうダイエットは嫌ぁ~……」

 

 どうやら過去に経験があるらしかった。まぁ、元スクールアイドルだし体型維持は全力だっただろうな、それにあのだちゃんがいたわけだしな。それはもうこってり絞られただろう。

 雪穂ちゃんは唇を噛み締めて部屋を出て行った。喧嘩、続かなきゃいいけど多分大丈夫だろう。

 

「あと、俺は穂乃果ちゃんがどんな下着つけけても大丈夫だから!」

「い、いいよそんなの言わなくて! 恥ずかしいから……」

 

 こないだのオレンジ色のパンツとか可愛かったし! これって彼氏彼女間でもセクハラだよな、うっす気をつけます……

 

「さて、じゃあご飯食べてお仕事しますかね」

「ふぁ~い……」

 

 気のない返事をした穂乃果ちゃんを引っ張り上げて、伸びをすると俺たちは揃って下へ降りていった。朝ご飯はザ和食って感じで、毎朝美味しく頂いてます。あぁ~やっぱり穂乃果ちゃんのお母さんとお婆さんの作る朝ご飯は美味えずら……これ和菓子屋じゃなくて定食屋でも十分やってけるレベルだと思うのね。

 

 朝の食卓の雰囲気は最悪ではなかったけど、どこかふわふわしていた。穂乃果ちゃんのお母さんはさっきのあれを気にしてるらしく、目を合わせると真っ赤になって目を逸らした。

 そして俺が苦笑していると、穂乃果ちゃんがいきなり俺の肩を小突いてきた。

 

「あっつぅい!!」

 

 小突かれた衝撃で残っていた味噌汁を落とし、半ズボンの上から見事に下半身が味噌汁塗れになる。熱い……熱い……熱い、だがそれでいい!

 それよりも俺は味噌汁を零してしまったことがショックだった、お昼の賄いで食べられるかな……もし食べられなかったら夜か明日の朝までお預けだぞ、味噌汁キチの俺にその仕打ちはあんまりだ!!

 

「はい、いいよ飲んでも」

「いいの!? 遠慮なく頂きます!」

 

 雪穂ちゃんからスッと渡された味噌汁を啜る、あぁ~美味しいのぅ……出来れば死ぬまでこの味噌汁啜って生きて行きたい。

 

 あ、そうか……これが母の味なんやな。この味をいつか穂乃果ちゃんや雪穂ちゃんが継いでいくんや……

 

「穂乃果ちゃん、雪穂ちゃん。幸せにするから、毎朝俺に味噌汁を作ってくれ!」

「ぶっはぁ!!」

 

 その時、穂乃果ちゃんが急に咽た。なんだ、今日の食卓は味噌汁噴き放題だな、忙しい。と思ったら雪穂ちゃんもご飯粒を器官に詰まらせたっぽい。すりすりと背中を擦ってあげるとお茶をググッと呷ってから満を持して、引っ叩かれた。なんでや、おかしいだろ。

 

「「朝から脅かさないで!!」」

 

 脅かしてないです、至ってマジですよお二人さん。そう思いながら、雪穂ちゃんがくれた味噌汁を啜る。

 

 

 あぁ、美味しい。

 

 




食事シーンはS○Xシーンの暗喩(上級者)←


仕事編は次回だよごめんね←
スーパーでの夜の仕事に視点を置いて、ぽちぽち書いていきたいと思います。

それと、例のあれ1話書きあがりました。もう少し書き貯めが出来たら投稿しようと思います、ですのでみなさん何卒相原末吉をよろしくお願いします!←

感想評価ぼんぼん待ってます! 返事遅れて申し訳ないです!!


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恋人がパンの前出しで気合いを入れていた。

なればこそ俺も今一度、遅番の勘を取り戻すのだ。


 

「レジ上げ終わりましたー!」

「高坂さんはパン初めてだよね?」

「はい、楽しみです!」

 

 いい気合いだ、と主任の号が飛ぶ。穂乃果ちゃんはというと、いつになく気合いが入りまくりだった。あ、バイト戦士です。

 今日から本格的に夜の部のバイトになった俺と穂乃果ちゃんは数時間という勤務時間をイチャイチャしながら送ってからレジを閉め、閉店時間を過ぎた今サービスカウンターへと足を運んでいた。

 

「よし、旦那に教えてもらいな。彼はこう見えて遅番の神だって評判なんだ」

「へぇ~……すごいんだね! 穂乃果にも分かりやすく教えてほしいな!」

 

 了解でござるよ。俺は一先ずお客さんたちが使って置いていった籠を集めた。そうだな、数は10個くらいあれば十分かな?

 それを1番レジの目の前に並べる。穂乃果ちゃんが籠を数え終わると、俺はパンコーナーの説明をざっくりと始めた。

 

「えっとね、まずパンの人がその夜することはだね、大きく3つに分けられるんだ」

「3つ?」

「そう、1つ目に日付を見て、消費期限が明日の日付のものを籠に放り込むのね。このとき、食パンだけは明後日の数字も籠に入れちゃうから忘れないでね」

 

 穂乃果ちゃんは俺が言ったことを一生懸命メモに書き留めていた。別に聞かれたら逐一教えるから気にしなくてもいいんだけどなぁ、そこも俺のお嫁さん(予定)の可愛いところだよね。

 

「2つ目に、あそこの冷ケース。ロールケーキとかプリンとかが入ってるケースね、ここも明日の日付のものを隅っこに集めて最終的にメモ帳かなんかに日付を書いて貼っておきます」

「じゃあ、基本的には日付を見る仕事で大丈夫なんだ」

「そうそう、3つ目はお団子とか饅頭の――――」

「日付を見るんだよね? 明日の日付だけ籠に入れる、でしょ?」

 

 その通り、穂乃果ちゃんの頭を撫でる。すると穂乃果ちゃんが「ぽわぁ」っていう笑みを浮かべるので、腕が止まりません主任ふへへへ。

 

「おいこら、イチャつくのは勤務時間終わってからにしろ。イチャつく時間まで給料払わないからな!」

「すんませーん」

「ずびばぜん……」

 

 2人して叱られたので仕方なく仕事に戻ることにした。さてと、俺はどうすっかなー。冷ケース見てもいいんだけど、大変なパンの方穂乃果ちゃん1人にやらせるわけにはいかないしな……よし、穂乃果ちゃんには冷ケースやってもらうか。

 

「穂乃果ちゃんは冷ケースやってもらえる? パンの方は大変だしさ」

「大変なら、2人で一緒にやろうよ。その方が早く終わるでしょ?」

 

 天使かよ……穂乃果ちゃんの優しさの提案に全俺が泣いた。パンの棚は全部で4列、その他にも菓子パン置き場などがあるから棚は手分けした方が良さそうだ。

 

「あと、食パンは明後日以降も商品として並ぶからあまり重ねないようにね。6袋入れたら籠限界だと思うから籠は変えちゃって」

「分かった、パンには優しくしないといけないんだね」

 

 その人間を相手にしてるような言い方にくすりと笑って、俺はパンを整理し始めた。夜の部の仕事は、基本的に閉店してからが本番だ。

 パンの整理の他にも、以前俺が穂乃果ちゃんと喋りながらやってたリカーの整理だとか、休憩室の掃除、たまに店中にチラシを張るって言う仕事があるな。

 

 どうやら今日の俺は呪われてるらしい、菓子パン類の日付が明日のものばっかりだった。それを籠に丁寧に入れていく。隙間という隙間にパンを挟み込んでは手にとっていく。

 ここらでふと穂乃果ちゃんの方が気になり、目を向けてみたら穂乃果ちゃんはパンを見て目を輝かせていた。それに伴って、手が完全に止まっていた。

 

「穂乃果ちゃん、仕事が先ね」

「ハッ!? ご、ごごごごめん! ちょっとあんまりにも美味しそうだったからつい……えへへ」

「気持ちは分かる、特に昼ご飯から時間経ってるとパンの仕事地獄なんだよね」

 

 穂乃果ちゃんは特にパンが好きだから余計にそうだろうな。手分けするのも良く無さそうだぞ……あ、そうだ。

 

「主任、これレジ通しておいてください。代金は後で大丈夫ですか?」

「うぃー、大丈夫だぞー」

 

 サービスカウンターのレジを上げるでもなく暇そうにこっちを観察していたらしい主任に穂乃果ちゃんが見ていたパンと俺が食べたいと思ったパンをいくつか渡してスキャンしてもらう。これは閉店後も仕事がある店員のためのサービスだ。

 

「帰ったら、一緒に食べよう」

「うん! じゃあお仕事、早く終わらせちゃおう!」

 

 それからの穂乃果ちゃんは人が変わったようにパンを整理する速度が上がった。冷ケースの中は奇跡的に明日の日付のものが無かった、暑いから冷ケースのなかの商品は結構売れるんだよね。

 しかし食パンは明後日の分も入れなくちゃいけないので必然的に籠が増える増える。それでも本気を出した穂乃果ちゃんの速度の前には微々たる量だった。

 

「さすが遅番の神の嫁だなぁ」

「ですよね、穂乃果ちゃん有能ですよね?」

「高坂さんは有能だけど、旦那はよく喋るな?」

「すみません……」

 

 主任に上手い具合にからかわれた、悔しい。でも穂乃果ちゃんが褒められたから嬉しい、ビクンビクン。なんだ今の。

 パンの整理が終わると、籠に日付を書いたメモを貼っておく。値引きシールを貼る人が日付を確認しやすいようにだ。しかも穂乃果ちゃんには説明してないのにきちんと日付、棚ごとにパンが分けられていた。見事としか言いようが無いな。

 

「よし、じゃあ上がりでもいいんだけど……どうやらリカー手こずってるみたいだから手伝ってあげてくれるかな、高坂さんは上がりでもいいよ」

「いえ、一緒にお手伝いします! 困ったときはお互い様なので!」

「優しいなぁ、浮気するなよ? 高坂さん泣かせたらクビだかんね」

 

 俺どんどん主任に弄られてるよね? そろそろパワハラに値しない? 問題なのは穂乃果ちゃんが相対的に褒められて俺が許しちゃうところだと思うのね、これは問題だわ由々しき問題だわ。

 いずれお前の奥さん可愛いからお前死ね!って言われても穂乃果ちゃんが可愛いって言われて気を許しちゃって結果的に自刃しかね……いやねーよ。

 

 お酒売り場に赴くと久しぶりの背中に懐かしさがこみ上げてきた。

 

「おーい白石くん! リカー手伝いに来たぞーい」

「あぁ先輩、ありがとうございます! 暑いとビール売れちゃって、困りますよね」

「俺ら的にはな、お店的には大喜びだ」

 

 どうやらリカーは白石くんのようで、既にばら売りの補充は済ませているようだった。後は6個入りパックの補充とチューハイの類か。

 

「穂乃果ちゃん、この台車にチューハイ乗せて持ってきてくれるかな」

「うん、分かった!」

 

 俺は口頭で穂乃果ちゃんに持ってくるチューハイの缶の種類、大きさ、数を伝えると白石くんが持ってきた6個パックを次々に積み重ねていく。

 

「先輩、高坂さんと付き合ってるんですか?」

「良くぞ聞いてくれた、将来を約束した仲だ」

「……それはすごいですね、おめでとうございます」

 

 白石くんの表情が陰る。無理も無いか、彼はμ'sのファンで俺より前から……俺より前からアイドルの穂乃果ちゃんを知ってる。恋していたなら、俺ほど憎い恋敵もいないだろう。そう考えると、今の返しは些か配慮に欠けるのではないだろうか?

 

「高坂さんには内緒ですけど、僕南ことりさんのファンなんです」

「ことりっちのファンか、ここだけの話な。俺とことりっち、幼馴染なんだぜ。君さえよければ、場をセッティングしても良い」

「本当ですか!? でも、今はまだやめておきます。もっとかっこいい男になるまで我慢します」

 

 強いな、白石くんは。これでまだ高校生だっていうんだから、あとどれくらいの女の子を泣かせるんだろうな。3年後が少し楽しみになった。彼が学校を卒業するまでこの職場をやめられなくなったな。

 それからはあっという間に酒の整理が終わった。元から白石くんが必要な分をこっちに持ってきていたのが大きかったな。

 

「先輩、高坂さんありがとうございました。今日はお疲れ様です!」

「お疲れ様!」

「暗いから、気をつけて帰るんだぞー」

 

 休憩室で着替えると白石くんは制服姿で帰って行った。俺も店のユニフォームを脱いで畳むと自分のロッカーの中にしまった。

 

「ねぇねぇ」

「何? ……ってうぉう!?」

 

 思わず素っ頓狂な声が出た。なぜなら、穂乃果ちゃんがシャツのボタンを留めずにこっちを見ていたから。

 

「ふふっ、いつまで経っても慣れないよね」

「生憎女の子の下着姿なんて姉ちゃんと母さんしか見たこと無いからね」

 

 穂乃果ちゃんはシャツを肌蹴させたまま俺に歩み寄ってきた。俺を見上げるようにして穂乃果ちゃんが催促する。俺は目のやり場に困りつつ、最終的に目を閉じた。

 

「女の子みたい」

「穂乃果ちゃんがより乙女チックになれば問題ないんだよ」

「まるで穂乃果、乙女じゃないみたい」

 

 忘れるもんかよ、これ以上無いくらいに乙女を極めてた君のこと。目を閉じていると、唇に宛がわれるソフトな感触。少し吃驚して体が跳ねる。

 

「続き、する?」

「いやしないって、ここ職場だからね!?」

「でもこの部屋、カメラ無いし……ね?」

 

 ね? じゃない、隣は事務所で次長がまだ仕事してるんだって。あの日以来、穂乃果ちゃん欲求不満なんじゃないかってくらい積極的でそろそろ理性が在庫切れになりそうなんだよ……

 

「だって、家に帰ったら雪穂がさ……穂乃果の彼氏なのに、異様にベタベタするし遠慮しないし!」

「雪穂ちゃんも年頃の女の子でいろんなことに興味があるんでしょ……たぶん」

「でもあなただけは取られたくないの! そんなの絶対嫌!」

 

 駄々を捏ねるようにそう言って聞かない穂乃果ちゃんをどうにか宥める。とにかく職場でするのは、まずい。そもそもキスですら問題ありだ。

 誰かに見られる前に穂乃果ちゃんの着替えを済まさせ、俺たちはサービスカウンターで待ってるであろう主任の下へ赴きさっきのパンの代金を支払った。

 

 袋を2人で持つようにして、擬似的に手を繋ぎながら俺たちは穂むらを目指した。その間も穂乃果ちゃんはどこか不機嫌そうで、声が掛け辛かった。

 やがて、穂むら前の街灯の下へ出たとき。穂乃果ちゃんが袋から手を離した。

 

「私は、穂乃果は、貴方の彼女なの……もう、友達じゃないの」

「うん」

「だから、無理矢理満足はしたくない」

「うん」

 

 穂乃果ちゃんの独白を受け止める。俺ばっかり我慢してるのは、節度なんていう子供が最初の3日間だけ定める守れないルールを、守ろうとしているからで。

 

 守る意味が、無いと思ってさえしまえば。

 

「…………っ」

 

 こうして、穂乃果ちゃんを抱き締めてしまえる。彼女の人としての全てを躙るような、獣のような愛撫が出来てしまう。

 

「あ……んっ……く、ふっ……!」

 

 穂乃果ちゃんの肢体を撫で回し、その嬌声を耳で受け止めて、首筋へと舌を這わせる。身体をぴくり、ぴくりと跳ねさせて反応する穂乃果ちゃんがたまらなく愛おしい。

 このどす黒い、好きだから汚したいという穢れた思考に塗り潰されそうになりながら、必死に穂乃果ちゃんに溺れる。溺れさせてしまえば、身動きは取れないはずだから。

 

 俺は穂乃果ちゃんの身体を好きにすることで、自分の欲をコントロールするようになっていた。

 

「フロントホック、だったっけ」

「そうだよ、待って、たんだから……っ、あんっ!」

 

 鎖骨の窪みに舌先を走らせる。唾液の線が夜の街灯に照らされてぬらぬらと光って消える。瞳を揺らして甘い吐息を吐きながら恍惚とする穂乃果ちゃん。

 

 もう我慢の限界だった。どちらかが果てるまで、この行為は止まらない。そんな気がした。

 

 アスファルトの上に落ちたビニール袋が拾われたのは、だいぶ後のことだった。お互いに溜め込んでいたものを爆発させたような気がして、顔を見合わせないようにして2人の部屋へと戻った。

 俺が着替える間も、穂乃果ちゃんは外にも出ないし目も逸らさない。穂乃果ちゃんが着替える間も、俺は外に出ないし目も逸らさない。

 

 布団に入れば、穂乃果ちゃんが後ろから入ってくる。寝返りを打って、面と向かえばどちらともなく貪り合う。

 今この部屋に人間はいない、いるのは動物だ。理性を超えた欲で相手を汚すだけの獣が2匹、布団の中で交じり合っていた。

 

「今日は、寝かさないでね」

「努力するけど、声は抑えてね」

 

 そう呟きあって笑い合うと、眠れない夜が幕を開けた。月が窓の外からこちらを嘗め回すように場所を変え、太陽が空の果てに頭を見せ始める頃には2匹は人間に戻っていた。

 布団は乱れ、服も皺だらけになってしまった。

 

「今日、休みか仕事……」

「そうだよ、どうする?」

 

 

 

「「寝よっか……」」

 

 

 

 満場一致、2人の意見が重なり穂乃果ちゃんは自分のベッドに戻って寝ていった。さすがに日が出てるうちに同じ布団で寝るのは避けたいらしかった、俺としても暑いから出来れば昼間は1人で寝たいな。

 疲労感と汗に塗れた身体のまま、瞼を閉じる。太陽の光が徐々に瞼の上から目を焼こうとするのでカーテンを締め切り、意識をシャットアウトする。

 

 それから俺たちは心配したお母さんが起こしに来るまで夢も見ないまま眠り続けた。今度は惰眠をむさぼるようにして、ひたすら寝続けていた。

 

 

 

 




エロいことしたかったわけじゃないのにエロくなったぞなぜだ←

もうこれでいいか←

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恋人の幼馴染が顔を出した。

タイトルオチ←


 

「うぇーい、お疲れ様でしたぁ!」

 

 少しハイテンション気味にそんな声を上げる。というのも、今日は諸事情で昼間から夜まで仕事だったバイト戦士だよ。

 こないだみたいな夜の部だけの仕事も無く、俺は着替えを済ませて店内で籠を持ってぶらついていた。閉店まで15分、しかし従業員出入り口から帰る俺たちに通常の出入り口の門限は適応されないのです。

 

 そうだなぁ、チューハイくらい買っていこうかな。ビールは俺らにはまだ早いのよ。まぁ、まだまだ子供ってね。いや、ハタチ超えたら流石に大人か? 思うに選挙権を与えられたら大人かっていうとそれもまた別の話な気がしないでもないのよね。ハードボイルドに言うと、自分のケツ自分で拭けたら大人ってか。

 

「穂乃果ちゃんは葡萄のサワー、俺はレモン。趣向を変えてグレープフルーツなんかもありかもしれんね」

 

 どちらにしろ、家飲みだから買い置きも考えておくならグレープフルーツも込みで買っておいてレモンを冷やしておくのもありだね、よしそうしよう。

 お酒のつまみ、の代わりにパンを少々買っておく。今日はパンの日だし、穂乃果ちゃんが恐らく最後にレジを上げるからだ。

 

「こんばんは、いらっしゃいませ!」

「こんばんは、店員さん美人だね」

 

 なんて軽口、平気で吐くには経験値が足りない。現に顔は真っ赤、火が出るくらい熱い。

 今日俺のレジと穂乃果ちゃんのレジは珍しく別だった。俺が先に入ってたってのもあるんだけどね。なおそれでもレジは前後だった、主任様々である。おかげで? 俺は? 野郎が穂乃果ちゃんのレジに並びまくるという屈辱的な光景を後ろのレジで延々と見せられたわけなんですが? 前言撤回である、主任絶対許さねえ。

 

「主人に愛されてますから」

「こらこら、まだ結婚してないでしょ?」

「愛されてるのは違いないでしょ? 愛してくれてないの?」

 

 軽口の応酬に関しては穂乃果ちゃんの方が何枚も上手だった。さらっとそういうこと言えるんだもの、たぶんこれから穂むらの常連は何度も希望を打ち砕かれることだろう。頼む、強く生きてくれ。

 レジ機を挟んで穂乃果ちゃんと並ぶ。ちなみに第三次成長期に入れたのか、俺の身長がほんのりとだけ伸びました。ほんと、微妙な差だけど。具体的に言うと東京タワーとスカイツリーくらい。どこが微妙な差なんですかねぇ。

 

「すいません、愛してます」

「どれくらい?」

「これくらいかな」

「もっと愛してほしいなぁ……」

 

 ははは、手厳しいやこりゃ。しかし、穂乃果ちゃんが1人でレジに入ってる姿はなかなかレアだなぁ……いかん、さっきのこと思い出して腹立ってきたぞ……なんだよ客のくせに、ここは握手会の会場じゃねえっつうの、なんで買い物に来た程度で握手求めてんだそれは俺の嫁だぞおいこら。

 あーダメだダメだ、接客業のダークサイドに目覚めてしまったヨーダ、フォースを感じるのだ。

 

「お会計2,024円頂戴致します」

「はーい、じゃあ3000円でお願いしまーす」

「3000円お預かり致します! えーっと、976円のお返しでございまーす」

「釣りはいらねぇ、チップ代わりに取っておきな……」

「誤差が出ちゃうので、お断りしておきますね」

 

 渾身のギャグを上手い具合にスルーされたでござる。まぁ誤差出るのは知ってたし、このお釣使って後で飲み物でも奢ってあげるか。レジを抜けると、主任が作荷台のところで立っていた。

 

「主任お疲れ様です」

「お客様、係員を口説かれては仕事に支障が出ますのでご遠慮ください」

「え、穂乃果ちゃん口説いちゃダメなんですか!?」

「限度があるでしょうよ、限度が!」

 

 いてぇ! お客様殴ったな訴えてやる! と意気込んだのも束の間、主任の放つオーラが完全に修羅のそれなので断念、俺が悪かったですはい。

 

「高坂さん、上がりでいいよ」

「はーい、お疲れさまです」

 

 穂乃果ちゃんがレジの周囲を整頓して、レジの電源を落とすと今日の売り上げデータを取りに事務所へ戻っていった。すると主任が穂乃果ちゃんを顎で指した。

 

「迎えに行ってあげないの?」

「二人っきりになると彼女ブレーキ壊れちゃうんで……あはは」

 

 苦笑しながら伝えると、主任は腰に手を当ててふんふんと頷いた。

 

「なるほど、休憩室でイチャついたらぶっ飛ばすかんね」

「休憩室以外ならオーケーなんですか!?」

「殺すぞ」

 

 殺気以上の何かを感じたのでこれ以上下手なこと言わないように口を閉じる。死ぬかよ、俺の幸せはまだ絶頂を迎えちゃいないのよ。

 

「おーい! お待たせー!」

「お疲れ様ー……ほら、さっさと連れて帰んな、帰ったら好きなことすればいい」

 

 そう言い残して主任は欠伸を漏らしながらサービスカウンターへ戻っていった。遅番の人はまだ残ってたりするが、退勤扱いになってる俺たちに手伝えることは何も無い。さっさと帰ろう。

 当然のように穂乃果ちゃんと袋を持ちながら手を繋ぐ。はぁ、もうすぐ冬だからか繋いだ手がとっても暖かい。

 

「今日は大変だったねぇ……穂乃果疲れちゃったぁ」

「俺も、昼間からやると足がねー、辛い」

 

 お互い若くないな、と全国の年上に喧嘩を売る発言。仕事終わりのテンションだからか、少し話も弾んだ。帰ってくると、お母さんが作ってくれた晩御飯をつつきながら買ってきたチューハイの缶を開ける。うーん、ご飯には合わないね、まだまだ若い!

 

「あぁ~……お腹一杯!」

 

 お酒もご飯も全部お腹に放り込んだ穂乃果ちゃんはその場でごろんと横になる。すぐ横になると太っちゃうよ、と伝えるとガバッと起き上がって俺の肩にドンと頭を下ろした、ちょっと痛かったです。

 

「もう酔っちゃった?」

「酔ってないれす」

 

 呂律が回ってないって。お母さんの方を見やると、唇に立てた指を当ててから上を指した。どうやら早く飯食って連れてけってことらしい。

 

「了解っす」

 

 重い左肩をバランス取りながら持ち上げ、椀のご飯をかきこみ味噌汁で流し込むと食器類をお母さんに預けて、穂乃果ちゃんを横抱きにする。もう寝ちゃってるのか、すごく重かっ……重くないです。

 階段を上るたび、腕に穂乃果ちゃんの体重がダイレクトに伝わってきて……羽のように軽かったです。なんとか部屋の扉を開けると穂乃果ちゃんをベッドに寝せる。

 

 顔は真っ赤に上気していて、お酒のせいだとはっきり分かった。穂乃果ちゃん、ものすごいお酒弱いんだな。あんまり度数強いお酒飲ませたら急性アル中で危ないかも、気をつけよう。思えばお父さんもお母さんもそこまでお酒強いわけじゃなかったしね。

 

「穂乃果ちゃん、着替えて。服洗濯機まで持っていくから」

「面倒くさーい……」

 

 穂乃果ちゃんはそう言って布団をかぶってしまった。こ、これが倦怠期か……!! い、いやいや俺はラブ全開だから、倦怠期ではない! ……はずだ。

 

「しょうがない、俺も寝よう」

 

 なんだかんだ言って、仕事で疲れてるし。まだ9時回ったくらいだけど、このまま寝てしまおう。とその時、家のインターホンがなった。誰か出てくれるだろうと思って布団を被ったら、お母さんが部屋に入ってきた。

 

「穂乃果ー? ってあれ、寝てる。お客さんなんだけどなぁ……」

「あ、じゃあ代わりに俺出ますよ」

 

 そう言って玄関へ向かった。穂乃果ちゃんへのお客さんって誰だろう、しかもこんな夜中に。夜中ってわけでもないか……はい?

 玄関へ向かうと、少し暖かそうなコートを着た女性が立っていた。幼さの残る顔立ちに、片側で円を描くように結われた長い髪。その唇に、見覚えがあった。

 

「もしかして、ことりっちか……?」

「ぇ……? うん、もしかして……?」

 

 お互いに指差しあって、慌てて手を引っ込めるが次の瞬間俺は懐かしさで飛び出していた。近くに寄ってみると、ぜんぜん変わってない!

 南ことり、穂乃果ちゃんと俺の同級生でμ'sの元メンバー。今は確か、大学に進学していたはずだけど……?

 

「どうしたの、こんな夜中に」

「穂乃果ちゃんがね、今度会えないかって連絡をくれたの。それでね、連絡返そうと思ったんだけど携帯失くしちゃって……部屋とか、職場のどこかに落としちゃったと思うんだけど」

「仕事? ことりっち、なんかアルバイトしてるの?」

 

 ちょっと意外だ、いったいなんの仕事をしてるんだろう。気になって尋ねてみた。

 

「服飾関係の仕事なんだ。アルバイトだから手伝いくらいだけど、結構勉強になってるんだ」

「へぇ、μ'sの衣装担当って聞いてたからすごいとは思ってたけど、その道まっしぐらな感じなんだね」

「うん。それで……μ'sのことは、穂乃果ちゃんから?」

 

 ことりっちの問いに頷く。というか、あまり声に出して言えないけど穂乃果ちゃんと付き合って、住み込みで働くようになってからμ'sについて勉強したりした。PVやステージの衣装は全部ことりっち監修で作られたっていうんだから思い出してみればすごいなんてもんじゃない。

 

「そっか、穂乃果ちゃんは元気?」

「まぁ、元気かな。といっても、一年前のことまでは知らないけど……」

 

 言ってしまってから、口を噤む。だちゃんから聞いてた通り、この二人はそのことを何より気にしていたし、責任を感じていた。

 

「あの、今日は遅いから……あんまり、長くいられないけど……穂乃果ちゃんのこと、よろしくお願いします!」

「う、うん……分かった。遅いから、送ろうか?」

「ううん、大丈夫。やっぱり、君は優しいね。あの頃から変わってないんだ」

 

 そう言うと、ことりっちは薄く微笑んだ。街灯に照らされたその顔はちょっと朱に染まって色っぽくて、思わずドキリとした。そして後ずさるようにして下がっていき、ことりっちは帰路に向かって走り出した。思わず手を伸ばしたが届くはずもなく。改めて彼女が尋ねてくるのを待とうと思った。

 

「ことりっちは、なんか大人っぽくなってたなぁ」

 

 顔立ちとか、唇の仕草はぜんぜん変わってないのにその変わってない中で色気を手に入れた気がする。あれがアダルトってやつか……穂乃果ちゃんにはない物だ。無くても可愛いけどね、穂乃果ちゃん。

 旧友に会ったせいか、少し晴れ晴れして嬉しい気持ちになって部屋に戻った。その時、俺を襲ったのはとんでもない光景だった。

 

 穂乃果ちゃんの服が俺の布団の上に転がっていた。相変わらず穂乃果ちゃんは布団の下に潜り込んでいた。靴下が見当たらないけど下着は見当たったので、恐らく今穂乃果ちゃんは生まれたままの姿に靴下装備した状態ってことになるな。

 

「穂乃果ちゃん、いくら布団被ってても風邪引くよ、ちゃんとパジャマ着て」

 

 流石俺、下着が散らばってるぐらいではもう驚いたりしない。なお緊張はする模様。

 

「めんどくさい……」

「とか言って、結局脱いだじゃない。ほら、着るまで一瞬だよ」

 

 新しい下着とパジャマを出して、布団の中に放り込むと穂乃果ちゃんはのそのそ動いて布団の中でパジャマを着た。俺は穂乃果ちゃんが脱いだ方の服と下着をバスケットに入れると電気を消して布団へ潜り込んだ。

 

「……おやすみ」

「あ、うん……おやすみ」

 

 珍しく、穂乃果ちゃんが俺の布団に入ろうとしてこない。本当に疲れてるのかもしれないな、俺も疲れてるし早く寝よう。

 瞼を閉じて、時間が通り過ぎていくのを感じつつ意識をまどろみへと解かして行った。

 

 そして、俺が意識を失うのと同じくらいに、

 

 

 

 

 

 ――――――カーテンの隙間から月明かりが入り込んで、俺の頭に掛かった。

 

 




繋ぎ回なので、短めに。
そろそろ雲行きが怪しくなってくるかもな~(ゲス顔)



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ポッキーの日に幼馴染が大集合してきた。

タイトルオチってそれいち


 どうも、皆様バイト戦士でございます。いかがお過ごしでしょうか? 僕はですね、売れ行く棒状のお菓子を買っていくお客様に嫌がらせで箸を混ぜる作業をしています。

 何がポ○キーゲームじゃふざけやがって……棒状のお菓子はト○ポだろ、トッ○ゲームにしろよ!

 

 …………っていうのは冗談で、妙にそわそわしてる穂乃果ちゃんを隣に作業しています。なんだか緊張してる?

 

「どうかしたの?」

 

 そう尋ねてみても生返事しか帰ってこない。恋? って聞いたら怒られそうなので、聞きかねてます。もうすぐ閉店時間なんだけどな。

 お腹空いてるのかな? それとも…………あ、女の子の日か!?

 

「生理か!」

「声が大きいって! しかも違うし!」

 

 違うらしい、頭に出来たたんこぶを撫でる。ちょっと今気付かないうちに頭引っ叩かれたらしい。将来鬼嫁になるなこれは……

 そんな風に穂乃果ちゃんの浮かない表情を眺めること数十分、閉店前15分前を知らせる音楽が鳴り始めた頃だった。

 

「いらっしゃい…………ませぇー!?」

 

 俺が素っ頓狂な声を上げる。だって、だって…………

 

「こんばんは、今日は冷えますね」

 

 だちゃん襲来、いかん……ててて、手汗が……落ち着け、落ち着くんだ……なぜここに。

 彼女はもう冬物のコートを着込んでいた。ダッフルコートで控えめにオシャレしてる彼女、頬は外から来たせいかほんのりと朱い。

 

「いらっしゃい、海未ちゃん! ことりちゃんも来てるの?」

「えぇ、ここで集合になっていますから」

 

 はい? ことりっちも来てるの? 周囲を見渡すと、つい先日見たばっかりの鶏冠……じゃなくて前髪の女の子がとてとてと小走りでレジに走ってきた。

 

「穂乃果ちゃん久しぶり! 会いたかった~!」

 

 カメラはどこだ!! 幼馴染が感動の再会で抱き合っているのだ!! この瞬間をカメラの!! メモリーの最深部に刻み付けて、鍵をつけておくのだ!!!

 ……ってのも冗談で、端から見ればお客さんに店員が正面からホールドされてるようにしか見えないので、それとなーく二人を離す。

 

「ことりちゃん久しぶり~! 変わってないね~!」

「えへへ~、そうかな~?」

 

 甘い、急にコーヒーがほしくなるくらい甘い。いいなぁこの光景……ってそうじゃねーよ。

 

「二人とも、今日はどしたん?」

「え、聞いてないんですか?」

「穂乃果ちゃん伝えてないの?」

 

 なんのこっちゃ、と思っていたら穂乃果ちゃんが苦笑いを浮かべながらこっちを見上げて「あはは」と笑っていた。

 だが結局教えてもらえず、そのままレジ上げの時間を迎えてしまった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

「このっ! このっ! 今日という日は許さないぞぉぉぉ!」

「ごべんなざぁ~い!!」

 

 両手で穂乃果ちゃんの頬を挟んでぐりぐりする。あぁ~良い揉み心地というか挟み心地というか……柔らけぇ……じゃなくて。

 

「まさかお泊り会なんか企画してるなんて思わないって」

 

 そうらしい、どうやら穂乃果ちゃんの家に二人がわざわざ泊まりに来た。さすがに邪魔するのも気が引けたので雪穂ちゃんの部屋に行って一晩泊めてくれって言ったら蹴っ飛ばされた挙句部屋から追い出された、なんでやねん。

 

「まぁ土産話もありますから」

「私は穂乃果ちゃんたちのラブロマンスが聞きたいなぁ~!」

 

 ぶふっ、失敬。オレンジジュースを噴き出した。ことりっちはお酒弱いらしく、だちゃんも好きではないということで冷蔵庫にあったオレンジジュースを拝借してきた。もしかして雪穂ちゃんに蹴っ飛ばされたのってこれ勝手に飲んだからだろうか。明日二倍にして返してやるか、いらないって言われたらどうしよう。

 

「えぇそうですね、その話はじっくりお聞かせ願いたいものです……」

 

 笑みが黒い……! 今だちゃんの後ろに蛇が見えた気がする。睨まれている、後ろの蛇が鎌首を擡げている……!! と、そんな時。

 

「うんとね、私達が再会する切欠は卵の特売日で、雪穂と一緒にお買い物に行ったんだ。そうしたら私達の入ったレジにちょうど君がいてね、そのときは私は忘れてたんだけどね……あはは」

 

 そういえばそうだった。あの日穂乃果ちゃんに忘れられてたショックで卵を一個ダメにしたのを覚えてる。そんで、紆余曲折あったっけな。

 

「それで、次の卵の特売日も買い物に行ったんだ。で、ふと後ろを見たら目が合ってね」

 

 あ、紆余曲折も話すのね。それで穂乃果ちゃんが会計を済ませた雪穂ちゃんを置いて、わざわざ商品を持って俺のレジに来ようとしたらしい。けど、そのとき穂乃果ちゃんが前方不注意で商品棚にぶつかって。

 

「あんときすげぇ音したっけ」

「うん、痛かった。それで彼にね、またねって言ったら顔真っ赤にしちゃってさ。可愛かったなぁ、あの時」

 

 やめろ!! なんか思い出して恥ずかしくなってきた!!

 それは聞いてる方もらしく、だちゃんも少し顔を赤くして苦笑していたしことりっちは身悶えていた。

 

「穂乃果ちゃんずいぶん初々しかったんだね~! 可愛い!」

「や~め~て~よ~! ことりちゃんくすぐったいよ~!」

 

 久しぶりに会ったからなのか、ことりっちのテンションが天元突破していた。だちゃんと俺はそれを微笑ましく見守った。それから恥ずかしながら、雰囲気に酔って何を喋っていたのかいまいちはっきりしていない。

 でも多分、俺たちが出会ってから今日に至るまでの話はしたんじゃないかな。ことりっちもそれで満足したらしい。

 

 俺は一人部屋に残って布団を敷き始めた。他の三人はお風呂タイムだ。覗いていいか、って聞いたらだちゃんに殺されると思ったので聞いてません言ってません、本音を言うと覗きたいです。

 しかし、穂乃果ちゃんの部屋に布団が三つ並んでいる。さすがに四つ並ぶと狭いなこの部屋も。既にテーブルは片付けてあるし……やっぱ俺の荷物が邪魔か。

 

「あ、おかえり」

「ただいま~、ありがとう~」

 

 その時、頭が幾分か大人しくなったことりっちが帰ってきた。髪の毛を横で結んでないからか、なんだか新鮮だな。ことりっちは少なくともここには無かった派手な枕を布団の上に下ろして横になった。どうやら貞一は窓際らしい、寒くないのかな。

 

「は~、穂乃果ちゃんのお家の匂いがする~……良い匂い~」

「ね、そういえばことりっちはお泊り会常連だったっけ。話は聞いてる」

 

 高校生でも普通にお泊り会とか羨ましいんですけど。いやまぁ女の子同士の特権か、俺は野郎同士でも家に泊まりに行ったことはない。なんかこう、どこかの穴に危険を感じません?

 

「でも、男の子がいるのは初めてかなぁ。ちょっとドキドキしてる」

「そ、それはどういう意味でしょう……言っておくけど、俺は何もしないからね」

「じゃあ大丈夫かな」

 

 ニコニコと笑いながらことりっちはそう言った。そりゃあ、穂乃果ちゃん以外の女の子はもちろんのこと小学校のときのクラスメイトに手を出したりしませんって、俺が死ぬ。

 まぁ約束しよう、俺からは何もしませーん。

 

「ちぇっ、少しくらいドキドキしてくれたらいいのに。ことりはそんなに魅力無いですか?」

「あるけど、穂乃果ちゃんがいるし」

「…………しょぼーん」

 

 あ、萎れてる。なんか可愛いぞ、ことりっち。手は出さないけど。

 

「君は昔から穂乃果ちゃんしか見てなかったよね」

「そうかなぁ、割とあの頃は節操無かったような気がするけど――――」

 

「ううん、君は穂乃果ちゃんしか見てなかったよ。誰がどんなに強い気持ちを向けてても、穂乃果ちゃんだけ見てた」

 

 食い気味に、有無を言わさぬようにことりっちはそう言った。俺は何かを言い返す気になれなかった。そんなに一途だったか、当時の俺。

 しかしことりっちは気まずくなったのかわからないけど、枕を抱えたまま俯いて黙ってしまった。なんだか、話しかけ辛い雰囲気が残っていて、俺も口を開き辛かった。

 

 そんな空気を打ち破るように穂乃果ちゃんと海未ちゃんが帰ってきた。

 と思ったら穂乃果ちゃんは髪の毛をまたまた適当に湿らせたまま帰ってきた。そして俺の前に座した。これは俺に対しての合図のようなものだった。

 

「あぁ~極楽~……」

「はいはい、動かないでねー」

 

 穂乃果ちゃんは風呂上りに髪を乾かすのを面倒くさがるので、俺がやってます。気分はトリマーです。まぁ穂乃果ちゃんが気持ち良さそうにしてるんで、いいんですけどね?

 

「結局、穂乃果は一人じゃ髪を乾かせないんですね……」

 

 だちゃんが溜息を吐く。どうやらお泊り会ではいつもだちゃんがやっていたようだ。ドライヤーで風を送りながら穂乃果ちゃんの髪を梳く。水分がだんだん無くなってさらさらになった穂乃果ちゃんの髪からいい匂いが漂ってくる。

 

「乾かせるけどそれが面倒くさいんだもーん!」

「それを乾かせないと言うんです!」

 

 眦を吊り上げるだちゃんに穂乃果ちゃんが戦慄する。この二人の力関係はいくつになっても覆らないんだな。

 ドライヤーを片付けると、さっそく穂乃果ちゃんは布団に潜り込んでいた。そう、ベッドではなく布団の方に。

 

「あれ、穂乃果ちゃんそれ俺の布団なんだけど……」

「お泊りの日は穂乃果も布団なの。ベッドで寝てもいいよ」

「え、あぁ…………はい、お邪魔します」

 

 ベッドが冷たいです先生。でも穂乃果ちゃんの良い匂いがするよ…………スーハースーハー!! やっべー超良い匂いするうひひ。

 しかし穂乃果ちゃんの布団だと足の先が少しだけ出てしまうので身体を折り曲げないと眠れなさそうだった。

 

「穂乃果、もう寝てしまうんですか?」

「お仕事して疲れてるの~……でも、もっとお話したいし~……」

 

 穂乃果ちゃんは俺の布団に潜るなり枕に頭を預けていた。だちゃんとことりっちが驚いているが、確かに今日はお客さんの入りすごかったしなぁ。

 しかし睡魔に対抗して穂乃果ちゃんは起き上がり、また倒れた。

 

「寝たまんまでもお話は出来るもんね!」

「ぐうたらですね」

 

 と言ったものの、穂乃果ちゃんはほんの数分で寝付いてしまった。またしてもだちゃんは溜息を吐いた。ことりっちは苦笑していた。

 

「そういえば、ことり」

「何? 海未ちゃん」

「勝負はまだ、ついていませんよね?」

 

 何のことだ、そう思っていたときことりっちは布団に潜り込んだ。だちゃんは布団を叩いてことりっちを引っ張り出そうとしたが、頑として出てこない。

 本日何度目かの溜息を吐いて、だちゃんはこっちを向いた。

 

「一試合、お付き合いいただけませんか?」

「ポーカー?」

「いえ、ババ抜きです」

「え?」

「ですから、ババ抜きです」

 

 そんな真顔でババ抜きって言わないで、じわじわくるから。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

「どうして、いつも勝てないのですか……!!」

「さ、さぁなんでだろう……勝負は時の運っていうから……」

 

 納得はしないだろう、かれこれ数十ゲームはやったが俺の全勝。だって、だって、だちゃんの顔にこっちがジョーカーですって書いてあるんだもん!!

 二人でババ抜きするじゃん? すると最終的にどっちかの手札が二枚になって、片方が一枚、ババじゃない方を引いたもん勝ちになるじゃん? そうなったらもう勝てる。というか初手でこっちにババがあってもだちゃんに引かせることが出来る時点で俺の勝ち確定みたいな。

 

「もう一度です!」

「え、あの……もう二人とも寝てるし……こ、今度会ったら付き合うよ!」

 

 そう言うと、引かないと思っていただちゃんがカードを納めた。ホッとしながら俺は穂乃果ちゃんの布団に入った。だちゃんが電気を消して、布団に潜っていく音がする。

 他の二人の規則的な寝息が聞こえている。俺は街灯と月明かりの混じった光がかすかに照らす天井を見た。

 

「貴方と、穂乃果の出会いをまた聞かされてしまいましたね」

「お恥ずかしい限りだよ」

 

 そうだった、確かだちゃんには一度話したことがあったはずだ。前回、俺たちが遊びに行って、俺と穂乃果ちゃんがある意味付き合うきっかけになった日に。

 

「いつまで経っても、貴方は穂乃果以外に興味が無いのですね」

「それことりっちにも言われたっけ、しかもさっき」

 

 俺がそうやって言うと、だちゃんは押し黙った。言葉を選んでいるのか、息を殺して待っていたときだった。

 

 

 

 だちゃんは口を開いた。

 

 

 

「えぇ、私がことりに言いましたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――彼は、ちっとも振り向いてくれないって」

 

 

 

 

 

 絶対零度の声音は俺の背筋を凍りつかせた。だが、じわじわと俺の胸がその氷を溶かそうと熱を上げた。バクバクと胸が高鳴った。排熱作用が働き、発汗が始まる。悪夢を見たときの寝汗のように、シャツがびっしょりと濡れる。

 

「貴方は、変わってないと思ってました。穂乃果が好きでも奥手で、気持ちを口にするなんて無理だと高を括っていました」

 

 言葉が出てこない。少しでも発声したら、寝ている二人を起こしてしまうと思ったから。今思えば、起こしてしまった方が良かった。

 ただこのときの俺は、騒いだ理由を説明することを恐れてしまった。

 

「ずっと前から、ですよ。思いを伝えられないまま小学校を卒業して、中学校、高校と胸を焦がしてきました。それで、いざ大学生になった途端貴方が顔を出したんです」

 

 だちゃんの独白が続く。心臓の速度がどんどん速まって、息が苦しい。汗が気持ち悪い。

 

「驚きました。私があのスーパーで貴方の近くへ寄っても気付きもしなかったのに、穂乃果が貴方のレジに入っただけでわかってしまうなんて。それを聞かされた私の気持ち、わかりますか?」

 

 あれほど早鐘を打っていた心臓が止まった気がした。彼女の得意な弓道、その矢で射抜かれたような錯覚を覚える。震える手で胸元をなぞる。矢は突き刺さっていなかった。それほどまでに強烈な錯覚が俺を襲った。

 

「いいんです、あの頃の私は貴方より奥手で貴方に話しかけたのも、数える程です。私が貴方にもう少し積極的になればよかったんですよね」

 

 問いかけてくるだちゃんに、俺は答えることが出来なかった。どう答えればいい、ああそうだそうしてくれれば良かったのに? そんなのは、あまりに馬鹿げている。

 

「だから、貴方に呪いをかけたつもりでした。私がどうしても言えなかった、愛しているという言葉。貴方が穂乃果に言えなければ交際を認めないなんて、子供らしくて馬鹿馬鹿しい呪いをです」

 

 だが、俺はその呪いを解いてしまった。皮肉なことに彼女が呪いをかけてしまったからだ。その呪いがきっかけで、俺は穂乃果ちゃんと結ばれてしまった。

 これ以上に無い皮肉だろう。

 

 俺がごくりと泡立った唾液を飲み込んだときだ。すすり泣くような声が聞こえた。だちゃんだ、泣いている。俺のせい、だろう。

 考えてみた。今まで俺たちがしてきた惚気が、どれだけ彼女に刃を突き立てたのか。そして彼女は笑いながらその突き刺さった刃を奥へと沈めていったんだ。

 

 流れ出る(なみだ)を隠して、笑っていた。だけど、ついに堪えきれなくなった血を俺に見られてしまった。

 

 布団に篭る熱と気味の悪い汗が我慢できず、俺が上体を起こしたときだ。月明かりに照らされて輝きながらカーペットへ落ちる滴が見えた。

 直後、男の俺が抵抗できないような力でベッドへ押し戻された。やられた、そう思った。だちゃんは俺を誘い出していたのだ。

 

「やめて、だちゃん……二人が起きるって」

「……貴方は、いつだって……私を名前で呼んだこと、ありませんでしたよね」

「え…………?」

 

 だちゃんが俺に覆いかぶさるようにして言った。彼女の長く美しい髪が俺の顔の横へ垂れてくる。穂乃果ちゃんとは違う髪の匂いが俺の意識を混濁させそうになる。

 

「穂乃果も、ことりも……名前で呼ぶのに、私だけ名字のあだ名で…………悔しいんです」

 

 ぽたり、彼女の頬を伝った涙が俺の頬へ落ち、それもつーっと頬を伝っていく。それは雨粒のように俺の頬や鼻の頭へと続いて落ちてきた。

 

「お願いします、私を助けてください……開放してください……」

 

 その言葉を、耳から取り入れて反芻している間に、だちゃんの顔が近づいてきた。俺は背けることが出来なかった。だちゃんが動きを止めなかったら、危なかった。

 

「ま、待って! こんなの気の迷いだよ! だちゃんは滅入ってるんだ!」

「その名前で呼ばないでください! どれだけ、どれだけ私を苦しめるんですか…………っ!」

 

 ハッとさせられた。俺の顔に零れ落ちている滴が何なのかを思い出した。急に、彼女の涙が伝った跡が焼けるように熱を発している気がした。

 

「う、海未ちゃん……頼む、お……俺は、穂乃果ちゃんの……」

「…………っ」

 

 闇の中で彼女が歯を食いしばった。だが暗闇の中であっても彼女の瞳がどこにあるのかはわかった。その中でキラキラと光っていたからだ。

 

「どうすれば、俺は君を助けられるの……」

 

 海未ちゃんは答えなかった。その時、彼女の拘束が緩くなった。しかし目を合わせていると、動けなかった。海未ちゃんはその白魚のような手で俺の頬を包み込んだ。

 

「貴方の心に傷をつけます。私は最低です……嫌いに、なってください」

「無理だよ、友達だもん…………っ」

 

 ようやく、海未ちゃんが何をする気だったのか察しがついた。いいや、さっきから分かっていたことだった。

 ただ頭が、それを遠ざけて目を瞑っていた。だから、俺は反応が遅れた。

 

 穂乃果ちゃんとは形の違う唇が俺の唇に押し当てられた。直後、心臓に杭が打ち込まれた気がした。真人間としての俺が絶命した。

 打ち込まれたのはそれだけじゃない。別の生き物のように暖かく滑る海未ちゃんの舌が、必死に繋ぎ止めていた唇を突き破って侵入してきた。そして蹂躙するように俺の口内をかき回す。

 

「……! ~~っ!!」

「…………っ! っふ、んっ……ちゅ……んん、はぁ……」

 

 心臓が加速する。酸素を求めているのだ。しかし俺の口は塞がれ、抵抗しようにも海未ちゃんを引き剥がすことが出来なかった。

 だがこれを、海未ちゃんを助けるためにしている行為だと思ってしまったら、いつか俺も海未ちゃんも折れてしまう気がしたから。

 

 俺は襲われている、そう思わなければいけなかった。

 

 そう思わなければいけなかったのに俺を襲ってる人間が涙を流している。俺の唇を食みながら罪の意識を抱えている。

 

 海未ちゃんの腕が俺の首に回され、いよいよもって逃げる場所が無くなってしまった。このまま穂乃果ちゃんが起きてしまったら、なんて考えるだけでゾッとする。

 事実から目を背けるように俺はただただ目を瞑った。

 

 背徳の快楽に溺れている俺も確かに存在したからだ。海未ちゃんの舌は穂乃果ちゃんとは違い、おっかなびっくり俺を攻撃してくる。だが、俺の舌が反応すると一気に攻め立ててくる。

 まるで安全確認を行っているように。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい…………っ!」

 

 唇を離す。月明かりに照らされる唾液の糸は、俺と海未ちゃんを繋いでいた。そして、海未ちゃんは自分のパジャマのボタンに、そして俺の寝巻きであるジャージのファスナーに手を掛けた。

 

「遊びだと思ってくれていいんです……もう貴方は私のものにはなれません。私も貴方のものじゃ、ありませんから……」

 

 一つ一つ外れていくボタン。下がり切るファスナー、俺の手がピクリと動いた。恐らく、これが最後の抵抗だったのかもしれない。

 ただ、押し寄せる罪悪感が海未ちゃんを傷つけたことに対してなのか、穂乃果ちゃんを裏切ったことに対してなのかわからないくらい、感覚は麻痺していた。

 

 

 

「いいえ…………私を貴方の"モノ"にしてください。恋人になれない私が望むのは、もうそれだけです」

 

 

 

 俺が知っている園田海未は、そして誰もが知っているバイト戦士で、一途で、女の子と喋るのも苦手だった俺は死んでしまったのだ。

 

 勢いよく上った俺の腕が海未ちゃんの身体を掴み、そして――――

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

「ん…………」

 

 朝、か……んん~、よく寝た! 久しぶりの布団は気持ちよかったなぁ……

 

「穂乃果ちゃん、おはよう」

「ことりちゃん、もう起きてたんだ……!」

 

 時計を見てみると朝の六時、早いなぁ~……って大学生なら普通か、あはは。身体を起こして伸びをする。思わず欠伸が漏れちゃって、目から涙が出てくる。

 どうやら海未ちゃんも起きてるみたいで、早起きな海未ちゃんにしては少し腫れぼったい顔をしていた気がする。

 

「起きて~、朝だよ~。穂乃果のベッドから出て朝ご飯の時間だよ~!」

 

 私のベッドで寝てる彼を起こそうと揺すった瞬間、布団の中の大きな身体がビクンと大きく跳ねた。そして凄い勢いで布団を引っ張って部屋の隅へ転がり落ちた。

 

「だ、大丈夫……?」

 

 心配で、近くに寄ったときだった。嗚咽が漏れていた、布団の中から彼の啜り泣きが聞こえてきた。

 

「どうしたの? 具合悪いの?」

 

 布団に手を掛けた。すると反抗するみたいに布団が彼から剥がれなかった。どうやら内側で強く握っているらしい。

 

「言わなきゃわかんないよ~?」

 

 私も初めて見る状態で、正直お手上げだ。でも、もし具合が悪いなら放っておけない。

 

「具合悪いなら、布団で寝よ? 穂乃果も一緒に寝てあげるよ~」

 

 少しバカにしちゃってるかも。子供をあやすように布団を抱き締めながらそう語りかけた。

 

 

 

 

 

「すまない…………穂乃果ちゃん以外は、帰ってくれないかな…………」

 

 

 

 

 

 その言葉を最後に、彼はその日私と口を利いてくれなかった。




正直すまんかったと思ってる。

感想はようやく時間が出来たのでぼちぼち返していきます。いつも遅れて申し訳ないです。


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あれから 前編

 あのお泊り会から一ヶ月くらいが過ぎた。穂乃果は久しぶりに海未ちゃんやことりちゃんと遅くまでお話出来て、懐かしくてとても嬉しかった。彼がいて、小学生の頃の話がとても弾んだ。

 けど、あの日から彼の様子が少しずつ変わり始めていった。最初は特になんてことはなかったのに、最近ではもう目に見えて彼はおかしい。

 

 自分でも分かってるし、直さなきゃなって思ってた穂乃果の生活リズム。それにすら、彼はついてこれなくなっていた。

 

 まず、朝昼晩に彼が食べるご飯の量が極端に減った。最初は雪穂もお母さんも、穂乃果も急に遠慮しだしたなんて笑っていたけど……

 

 次に、彼は朝に弱くなった。もうすぐお昼になる、という時間に目を覚ますことが多くなった。夜、寝るのも遅くなったような気がする。

 そして彼は、寝るときいつもそっぽを向いている。そして、ようやく寝付いたかなと思えばうなされ始める。まるでずっと悪い夢を見ているように。

 

 とどめに仕事中のミスが日に日に増えて行って、大きくなっている。一昨日も、四桁以上の金額の誤差を出して始末書を書いていた。

 昨日はそれを考慮して、穂乃果がキャッシャーに回ったんだけど今度は籠に商品を入れる速度が極端に落ちていたり、卵のパックを持ったままぼーっとして声をかけるとそのパックを落としてしまった。

 

 どう考えても、おかしい。何かある、そう考えるのが普通だと思う。

 穂乃果は彼の抱えてる何かを突き止めて、溶かしてあげなくちゃいけないんだとも思う。恋人だし、このまま放っておいたら壊れちゃう気がするの。

 

 でも、流石に穂乃果だけじゃ分からない。ここで頼りになるし、何か知っていそうな人間に協力してもらうのが良いかもしれない。

 職場に電話して、彼を休みにしてもらうと私は海未ちゃんとことりちゃんに電話をかけた。

 

 最初は海未ちゃんにしよう。ずっと穂乃果の面倒を見てくれていた海未ちゃんだもん、彼のこともきっちり立ち直してくれるに違いない。

 

「もしもし、海未ちゃん?」

『……は、はい……私、です』

 

 なんだか海未ちゃんにしては言葉が途切れ途切れで歯切れも良くない。もしかしてお取り込み中だったのかも。

 

「ごめんね、時間が無いならあるときに掛け直してくれると嬉しいな」

『いえ、時間はあるのですが……ほ、穂乃果から電話が掛かってくるのが久しぶりな気がして……』

 

 む、確かに。前はことりちゃん経由でお泊り会の計画を立ててたから、海未ちゃんに穂乃果から連絡を取るのはずいぶん前、海未ちゃんの家に彼と遊びに行ったときだったかな。

 

「あの、お願いがあるんだけど……今日一日、彼の面倒を見てほしいの」

『な、なぜです?……もしかして、具合でも悪いのですか?』

「う~ん、具合が悪いのかはわからないんだけど……ここ最近様子がおかしいから」

 

 そう言うと、海未ちゃんは押し黙ってしばらくすると「……分かりました」と頷いてくれた。穂乃果は今日仕事だから、海未ちゃんが来れる時間には家にいられないけど帰ってくれば海未ちゃんが彼をシャキッとさせてくれるはず!

 

 結局彼は昼間まで起きてこなかった。起きたかと思えば、水を飲んでもう一度部屋に戻ってしまった。一度、話をしておかなくちゃね。

 

「あのね、今日お仕事お休みだって」

「え、どうして……?」

 

 えっと、どうしようかな。穂乃果の独断だって思われたら怒られちゃうかな…………えっとえっと。

 

「あの、室畑くんが休み代わってほしい日があるんだって! 勝手に返事しちゃって、ごめんね?」

「いや、いいよ……ごめんね、こんなことまで」

 

 彼は力なく笑いかけると階段を上っていった。その背中は少しだけ寂しそうで、けどその殻の中に何かを隠し持っている気がして。

 穂乃果は胸の奥がぎゅっと締め付けられるような、歯がゆさを感じた。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 今日は仕事が休みになってしまった。室畑くんのことだ、きっと休みの日はとても大切な用事に違いない。元スクールアイドルの恋人と現役スクールアイドルの義妹を持っているから分かる。

 室畑くんはアイドルのおっかけしてるし、その軍資金にバイトをしている苦学生だ。たまにご両親からの仕送りまで軍資金に突っ込んで死に掛けているのはどうかと思う。

 

「とにかく、今日は休みだ。どこかに行こうかな」

 

 あ、そっか……穂乃果ちゃんは仕事なんだ。となると、今日はずっと一人か。どこかへ行くにしても、隣には誰もいないのか。

 

「なら、ちょうどいいか……」

 

 それからしばらくして穂乃果ちゃんが仕事へ向かった。俺も少し防寒に気を使って上着にマフラーをかけて靴に足を突っ込んだ。すると居間からお母さんが出てきた。

 

「あら、今からお出かけ?」

「ちょっと、考えたいことがあって……すみません」

「謝ること無いのよ、何かあったらおばさんでも相談に乗るからね」

 

 ありがとうございました、って小さくお礼を言って引き戸を開けた。どこがいいかな、自分を省みることが出来る場所は。

 

「いろいろ、回ってくるか」

 

 決まれば、足は自然とあの公園へと向かっていった。並木道に設えられたベンチ、あそこで穂乃果ちゃんに気持ちを伝えたんだっけか。すごいどさくさ紛れだったような気もするけど。

 それでも俺たちは繋がった。子供の頃の憧れに届いたんだって、あの頃は手放しで喜んでいたけど……

 

 俺の脳裏にはあの時の穂乃果ちゃんの言葉が駆け巡っていた。

 

「もしかして、海未ちゃんが好きなの……か」

 

 あの時、勘違いした穂乃果ちゃんが俺にそう言って。穂乃果ちゃんはもしそうなら応援するし手助けもするって言ってた。俺が穂乃果ちゃんに好きだってそのとき伝えてなければ、俺は後悔を持ったまま海未ちゃんと付き合うことになっていただろうか。

 

 でも付き合わなかった、俺が先に穂乃果ちゃんと繋がってしまったから。だから、今こうして頭を悩ませている。

 

「俺、どうしたらよかったのかな」

 

 答える人間はいない。俺の周りには既に人が誰もいない。もちろん、答えてほしくて呟いたわけじゃない。ただまだどこか他人事のように考えている頭に理解させようとしているだけだ。

 俺は、恋人に隠れて他の女の人を抱いた。しかも恋人の幼馴染で、俺の旧友。ある意味で俺の幼馴染とも言えるかもしれない。

 

「…………はぁ」

 

 どうして、拒めなかったんだ。すぐ傍には穂乃果ちゃんだって寝ていた、ことりっちだっていたのに……

 でもあの時、海未ちゃんを拒んでしまったら彼女は壊れてしまったんじゃないか、そんな気がした。言い訳に思えるかもしれない、けど俺はああしないと海未ちゃんは……

 

「守ったんじゃない……俺は、守ったんじゃない」

 

 そうだ、一方を守って結局壊してしまったじゃないか。穂乃果ちゃんへの一途な気持ちを、自分で殺してしまったじゃないか。

 抱いた海未ちゃんの身体はどうしようもなく綺麗で、魅力的で、その身に一夜ですら溺れてしまった。最後に彼女の身体を貪りに行ったのは俺自身だ。

 

「どうすりゃよかった、俺はどっちを取ればよかったんだよ」

 

 この悩みを抱えた先人たちに問いたい。どこかにそんな人はいないのか、もう一度スレを立ててみるか?

 いいや、この悩みは自分で抱え込むべきなんだ。誰かの手を借りようなんて甘い考えは捨てろ。

 

「次は、どこに行こうかな」

 

 この公園と職場以外に穂乃果ちゃんとの思い出を遡るには、もう学校くらいしか俺には残されていなかった。

 

 俺たちが通っていた小学校は、俺の自宅からなら歩きで五分も掛からない場所にある。公園から、馴染みの道をポケットに手を突っ込みながら歩いていた。

 もう街灯が灯ってもそこに虫が集まらない。生き物に厳しい季節になったんだな、と吐く息の色が教えてくれる。

 

「この道、こんなに短かったんだな」

 

 卒業してから、何気に一度も歩かなかったこの通学路。この道を歩き続けた六年間は長くて、広い道だなぁなんて思っていたのに大きくなると今までの世界が小さくなったみたいだ。

 そんな哀愁が通学路に満ち溢れていた。その道を抜けると、植えられた木々に囲まれたグラウンドが見えてきた。端の方には体育倉庫があって、その隣には陸上部が使うハードルとかの用具が置いてある倉庫があって。

 

 冬になると小学生は早帰りになる。だから職員室以外の明かりはもう消えてしまっている。だからグラウンドの横にある芝生に寝転んだとしても、誰も気付かない。

 もっと厚着してくればよかった、寝転んだ先の芝生が少し凍り始めていた。さすがに早すぎやしないかとも思ったけど、もう師走だ。

 

「このグラウンドも、こんな小さかったんだ」

 

 せいぜい俺のお腹ぐらいの身長の子たちが駆け回るステージだし、そこまで大きくある必要はないとしても。

 

『ことりちゃんこっち~!』

『待って~、穂乃果ちゃぁ~ん!』

 

 幻聴にも似た感覚、頭の中に残っているあの頃の穂乃果ちゃんの声だ。お転婆で、周りのこと一切合財考えないで直感的に突っ走る暴風小僧みたいな女の子で。

 

 ことりっちはそんな穂乃果ちゃんに翻弄されつつも楽しそうに追いかけてて。

 

 そんな中海未ちゃんは顔を真っ赤にして、

 

 

 

 

 

「――――何やってるんですか!!!」

 

 

 

 

 

 やばい見つかったか、なんて思ったのも束の間、聞き覚えのある声だと気付いた瞬間身体が飛び上がった。

 上体を起こすと視界が九十度変わる。そこには上着とマフラーという誰かに似た格好の女の子が立っていて、肩を喘がせていた。

 

「はぁ……穂乃果から、っ面倒見てほしいって頼まれたから、家に行ったら……深刻そうな顔して外に出たって……! 心配したんですよ……っ!」

 

「……海未、ちゃん……どうして、ここが」

 

「知りません!! 思い当たるところ全部走ってきたんです……!!」

 

 怒ら、れている、らしい……唖然として、俺は海未ちゃんから目を離せなかった。本当に走ってきたらしく、呼吸が落ち着かないまま膝に手をついて肩を激しく上下させている。

 前髪もぺったりと額に張り付いてて、彼女はそれを左右に分けて顔を露にする。薄暗くて、よく見えないけど、目尻に涙が溜まっていた。

 

「わ、私のせいで……変な気を起こしたんじゃないかって……」

「いや、そんなつもりはまったく……気を使わせちゃったな」

 

 本当です、と彼女は俺に強く吐き散らした。そしてずかずかと俺に歩み寄ってくると、ドンと強く俺を突き飛ばした。俺より少しだけ小さい海未ちゃんのど突きは俺に尻餅をつかせた。

 

「良かったです、何も無くて……本当に良かったです……」

「あ、あ……うん……」

 

 突然続きに俺の頭はついていかず、ただ目が点になっていた。しかしようやく頭が働いたかと思えば出てきた言葉は冷え切っていた。

 

「じゃあ、俺もう帰るよ」

「え……待ってください、話があるんです……」

「俺にはないよ」

 

 海未ちゃんを突き飛ばし返して、フェンスに手を掛けた。これを飛び越えて、さっさと帰ろう。

 そうか、穂乃果ちゃんが今日俺を休みにしたのはこういう理由があったんだ。穂乃果ちゃんにまで、気を使わせていたんだな。

 

「最低だ、俺」

「待ってって、言ってるじゃないですか……」

 

 くっと、俺のコートの裾を掴む海未ちゃん。指先で摘んでいるだけなのに、どうしてここまで俺を縛り付けることが出来るんだろう。

 金縛りのように、腕が動かない。

 

 振り返ると、海未ちゃんの手袋に包まれた手が俺の頬を包み込んだ。まずい、そう思ったときには遅く海未ちゃんは背伸びをして俺に頭突きするように唇を重ねた。

 

「やめ、ろって! なんでそう、いつも……いつも……」

「あなたが好きだからですよ…………我慢出来ないんです、あの日から……布団に入ればあなたのことしか考えられないんです……」

 

 海未ちゃんの手を振り解く。唇にはまだ彼女の感触が残っている。穂乃果ちゃんとは違う、少し薄い唇の感触。そして彼女に撫でられる感触。彼女はここまで扇情的なキスを素で行う。だから俺も抗えなくなる。

 

「あなたに触れられるだけで暖かくなるんです。あなたの熱が欲しいんです……」

「自分で、言ったじゃないか。俺は海未ちゃんのものにはなれないって」

 

 そう言うと海未ちゃんは押し黙った。でも手をキュッと握り締めて、唇まで噛み締めて俺の言葉を待っているようにも見えた。

 

「……あ、あなたは、もう共犯者です……だから、だか……だから」

 

 共犯者、その言葉はずしりと俺に圧し掛かっていて。俺が海未ちゃんを裁くことは出来ないということだ。裁くなら、俺は穂乃果ちゃんに裁かれる。

 

 

 

 それだけじゃない。俺がこのことをバラせば、恐らく二人の友情に亀裂が入る。これ以上無いくらいのバッドエンドに直行してしまう。

 

 

 

 ダメだ、それだけは……ダメだ。

 

「だから、って……こんな、隠れて……俺には、出来ない……」

「あなたは、しなくていいんです。あなたの"モノ"である私が、勝手にやるんです……そう、思えばいいじゃないですか」

「良くないよ!! そんなの屁理屈じゃないか!!」

「屁理屈でもあなたに愛してほしいんです!!」

 

 それは無理だ、その言葉も彼女の唇に遮られた。俺の身体は拒みもしなかった。噛み締めた唇から、暖かい鉄の味がし始めた。

 

「血が、出てますね……」

 

 待っていてください、というと彼女は口角に溜まって、垂れ始めた血液を舌でなぞり始めた。彼女の舌と唾液の感触、そして響く音が俺の脳を麻痺させる。そう、あの時のように。

 彼女の唾液が唇の傷口にピリッという刺激を与えて、今度こそ目が覚めた。

 

「本当に、ごめん。君の気持ちに気付けなくて……」

 

 何をしているんだろう、俺は突き飛ばすつもりの彼女の身体を強く抱き締めてしまった。でも、彼女が知らない女性なら俺だって容赦しなかった。

 でも、でも海未ちゃんは友達だから……どうしても最後の最後でブレーキがかかってしまった。

 

「暖、かい……あなたの中は、こんなにも暖かい……今だけ、少しだけでいいですから……このままで」

 

 さらなる深みに嵌ってしまった。もう抜け出すことは出来ないかもしれない。

 

 この淫靡な沼の中で、俺は出口を求めてもがき続けるのだろう。

 

 

 

 

 それが、俺に与えられる相応の、いやそれ以上の罰だ。

 

 

 

 

 




みんながおっかなびっくり読んでる様が目に浮かぶようでした←

あ、これ前編です。
ちょっとゴッドイーターやモンハンに浮気しまくってたので、しばらくは執筆に戻ってこようかと思います。


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あれから 後編

「君、最近おかしくないか?」

「すいません」

「やけにミスが目立つじゃないか、今月でもう始末書三枚目だぞ」

「……すいません」

 

 高坂穂乃果です。今仕事が終わって、レジを上げたんだけど帰ってくると彼が主任に怒られていた。怒られていた、というよりはまだ注意止まりな感じだけど、それでも主任は笑ってなかった。

 彼もまた、慣れたように頭を下げて反省文を書く用紙のついた始末書を受け取っていた。主任が私の存在に気付くと、急に笑みを作った。

 

「さ、今日はもう帰れ。あんま心配かけるなよ」

「…………すいません」

「少しはそれ以外のことを言え」

 

 す、と言いかけて彼はエプロンの紐を解いた。私が近づくと、力の無い笑みを浮かべていた。

 

「お疲れ様、今日も大変だったね」

「お客さんは、そんなに多くなかったけどね」

「近所のスーパー、リニューアルしたもんね。こっちも負けてらんないよ!」

 

 私がそうやって意気込むと、彼はこくりと頷いた。そして穂乃果を置いて事務所へ戻って行った。すると今日のパン係の室畑くんとリカー係の白石くんがちょうど仕事を終わらせたみたいでサービスカウンターに戻ってきた。

 

「高坂さん、お疲れさんっす。旦那さん待ちっすか?」

「お疲れ様です!」

「二人ともお疲れ様! 今日も大変だったね~」

 

 二人は彼をよく先輩と慕ってて、穂乃果抜きでご飯食べに行ったりしてる。もしかしたら、この二人なら何か知ってるかな。

 

「ねえ、最近彼の様子おかしいと思わない?」

「あぁ~あれは女っすね、女の匂いがしますよえぇ」

「ちょっと室畑さん! 気のせいですって、先輩にも悩みの一つや二つはありますよ」

 

 悩みの一つや二つ、か。指にして三本未満の悩みですら穂乃果は知らないし、彼は話してくれない。ひょっとして、倦怠期……? ってそれはないない。

 

「冗談っす、でも確かに先輩おかしいっすよね。あんなんになったの久しぶりっす」

「久しぶり、ってことは前にもああなったことあるの!?」

 

 心当たりがありそうな室畑くんに詰め寄ると室畑くんが後退しながら手で「お、落ち着いて」と制した。ちょっと熱が入っちゃった……

 

「確か先輩があんなんになったのは、高坂さんがここに勤め始めた少しあとくらいっすね……まぁその頃、ちょうどお二方のシフト昼間になったせいで気にすることも出来なかったんすけど」

 

 私がここに務め始めた頃は、確かまだ付き合ってなかったよね。ってことは、そのときの悩みごとに似てる悩みを抱えてるってことかな?

 

「…………ちょっと待って、私たちが付き合う前って……え、本当に女の人なの……?」

「室畑さんが変なこと言うからですよ! 高坂さんに謝ってくださいよ!」

「すすす、すんません! まさか、そんなつもりはまったくこれっぽっちも……」

 

 どういうこと? 私、いつの間にか捨てられ……ううん、そんなことない! ありえないもん、だって……だって……

 

「ととと、とにかく先輩連れてきましょ! 室畑さんダッシュ!!」

「お、おおおう!」

 

 凄い勢いで室畑くんが事務所の方向へ消えて行った。白石くんも凄い勢いで頭を下げて、主任に仕事が終わったことを報告して事務所へ走って行った。一人ぽつんと残された私は店の一角にあるケーキ屋さんの前で膝を抱えてケースを見ていた。

 

「そういえば、もうすぐクリスマスかぁ。今年もちゃんとパーティ出来るといいな……」

 

 彼がうちにいるなら、サンタさんの格好してもらったり。もしくは、穂乃果がサンタさんで彼がトナカイ。一緒にこたつに入って、寄り添ってられるだけでも穂乃果は幸せだから、だから……

 

「一緒にいたいよ…………」

 

 ちょっとだけ、本音を零しちゃった。けど、彼はたぶん言いたくても言えないんだと思う。だから、穂乃果が本音を抑えてる辛さよりもっと辛いのかもしれない。

 

「頑張らなくちゃ。ファイトだよ、穂乃果」

 

 ぴしゃりと頬を張って、彼の帰りを待った。しばらくして彼は室畑くんと白石くんに運ばれるようにしてここまで戻ってきた。二人は彼を連れてくるとそそくさと帰って行った。けど、去り際にこっそり頑張って、と言われたから、穂乃果は頑張ります。

 

「ごめん、待たせちゃって。帰ろっか」

「うん! 穂乃果、待ちくたびれてお腹空いちゃったよ」

 

 彼は穂乃果の前髪を少しだけくしゃっとするように撫でてから、その手で穂乃果の手を取った。その瞬間、一瞬びっくりして転んじゃうかと思ったくらい、彼の手は冷たかった。

 

「だ、大丈夫……?」

「何が?」

「手、すごい冷たいから……」

 

 繋いだ手を逃がさないようにギュッと掴んでいると、彼は一瞬きょとんとしてからにこりと笑ってから、

 

「いや、実は気付かないうちに指切っちゃったらしくてさ、なんかひりひりするなぁって思って。だから休憩室でちょっと手洗ってたんだ」

 

 確かに休憩室の水道はお湯が出ないけど……そういうことなら、大丈夫かな……

 

「あー、俺もお腹空いちゃったなぁ。我慢できないなぁ~買い食いしようかな……いや、お母さんのご飯が待ってると思えば耐えられるっ!」

 

 彼は陽気にそう言うと、穂乃果に向かってまた笑いかけた。前の彼が戻ってきてくれたんだ、それが凄い嬉しくて不意に彼の腕を抱き締めた。

 

「うおっ?」

「えへへ、なんか嬉しくて」

 

 ちょっと困ったみたいに頬を掻く彼の仕草が大好き、「しょうがないなぁ」って顔で穂乃果のことを引っ張ってくれるその手が大好き。

 何を疑えばいいのか、彼は私の大好きな彼のまんまだった。

 

 家に帰ってくると、お父さんが迎えてくれた。もう晩御飯できてるらしくて、みんな穂乃果たちを待ってたみたい。なんだか悪いことしちゃったかな。

 

「「いただきま~す」」

 

 彼は、まず最初に味噌汁に手を出す。味噌汁ソムリエの彼の食事は味噌汁から始まる、雪穂が得意げに語っていたのを思い出した。

 そして白いご飯をパクパクと口に運んで、また味噌汁に手を出す。絶妙なリズムで彼はご飯を進めていく。

 

「いやぁ、お母さんのご飯食べてるだけでもう幸せです」

「お粗末様でした、ふふふ」

 

 ご飯を食べ終えたら、彼はお風呂に入るか上の部屋に行くかのどっちかだ。今日は疲れたらしくて、お風呂には入らないみたい。そのまま上の部屋でジャージに着替えて、靴下を二重にして履いて布団に潜った。

 

「一緒に寝てもいい?」

「ん、いいよ。はいどーぞ」

 

 私もパジャマに着替えてから髪を解いて、電気を消す。ずいぶん早い気がするけど、まだ一日は終わってないから。

 彼はまた私に背を向けて寝ようとした。だから、少し意表をついて布団の下から彼の正面に潜り込んだ。当然彼は吃驚して、もう一度寝返りを打とうとする。だから、

 

「えいっ」

 

 彼の腋の下から背中に向かって手を回して、ぎゅっと抱き締めた。

 

「最近、元気無いから。だから穂乃果に出来ることで癒してあげられたらなって思って」

「お、れは普通、だよ……」

 

 そう言って彼は笑いかけようとした。けど、綻びはすぐに現れた。

 

「ごめん、ちょっといろいろあって……本当にごめん」

 

 彼の腕が穂乃果の背中を締め付ける。けどそこに痛みはなくて、ただただ弱々しかった。

 

「いいよ、今日はこのまま寝ちゃおう」

「うん、おやすみ……ありがとう……ありがとう……穂乃果ちゃん……」

 

 どんどん小さくなる言葉、次第に彼は穏かな寝息を立て始めた。私も彼の頭を宥めるように撫でていく。ゆっくり、ゆっくり。

 久しぶりに見る彼の穏かな寝顔。唇に小さく触れるだけのキスをして、私も目を瞑った。

 

 明日の朝には、全てが元通りになってるから。

 

 

 おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 次の朝は、意識を失って一瞬後に訪れたように感じた。肌の毛を寝息がくすぐって、こそばゆい感じが意識を覚醒させた。

 

「ん……」

 

 まだくっついていたいと駄々を捏ねる瞼を開けると、朝の弱々しい光を目が取り込みバチバチと光が跳ねるようだった。それすら落ち着いてくると、目の前ですぅすぅと穏かな寝息を立てている穂乃果ちゃんが見えた。

 

「まだ、六時頃かな……」

 

 外からの光で時間を推測する。してから、自分がこんな真人間のような時間に起きるのは久しぶりだと思った。寝汗も掻いていない、むしろ少し肌寒いくらいだ。

 というか、夢を見た記憶がない。ということはうなされもしなかったってことだ。

 

「穂乃果ちゃんのおかげだ……」

 

 そう呟くと、眠っている彼女は小さく微笑んだ。もしかして起きてるかも、と頬をつついてみると身体を揺らして反応した。どうやらまだ寝てるみたいだ。

 ずいぶん静かな朝だ、こう静かだとここ数日のことを嫌でも思い出してしまう。

 

「ごめん、穂乃果ちゃん」

 

 彼女を騙していることに、裏切っていることに罪悪感が無いわけではない。むしろそのせいで、胸は張り裂けそうだ。

 だけど、このことを打ち明けるわけにはいかない。罪を負ったのは俺だけじゃない。共犯者がいるからだ。

 

 それが知らない誰かなら、俺だってこんな迷ったりしない。多少のささくれ立ちがあったとしても、何もかもを露にする。

 

「けど、相手が海未ちゃんだなんて……言えるわけが」

 

 そんなことをしたら、彼女たちは……考えるだけでも恐ろしい。

 だって、二人は日本中を夢中にさせたあの『μ's』のメンバーで、それ以上に子供の頃からずっと一緒にいる親友だ。その絆を汚したくない。壊させたくない。

 

 

「なんとか、二人の仲だけは……守らなくちゃ」

 

 

 そのために、この秘密を隠し通さなきゃ。そして、全部終わりにしなきゃ。海未ちゃんとのこと、彼女の身体に溺れるのはあれで最後だ。

 

「ん……ふわぁ」

 

 身体を左右に揺すって穂乃果ちゃんが薄らと目を開けた。穂乃果ちゃんの目が俺の目を見て、身体が固まった気がする。こんなこと、もう何十回もやってきたはずなのにドキドキした。

 穂乃果ちゃんに気持ちだけ片思いをしていたあの頃に、一瞬戻った気がした。初心を忘れちゃダメだよな、俺は穂乃果ちゃんが好きなんだからさ。

 

「おはよう、穂乃果ちゃん」

「おはよう。よく眠れた?」

 

 おかげさまで。ちょうど心構えも出来たことだし朝の散歩でもしようかな。防寒用にしっかり着替えると穂乃果ちゃんもついてくるみたいだった。一瞬海未ちゃんのことを疑われたのかと思ったけど、どうやらただ付いて来たいだけらしかった。

 

「お日様出てても、やっぱり寒いねぇ」

「今年も後数日で終わりだからね……」

 

 左手をポケットに突っ込んで右手を穂乃果ちゃんと繋ぐ。お互い敢えて繋ぐほうに手袋をしていないのは、互いの温度を共有しあって、暖めあうため。穂乃果ちゃんの熱は冬の寒さに勝って俺の手を温めてくれる。

 隣を見ると、鼻の頭や耳を真っ赤にして白い息を吐いている穂乃果ちゃんがいる。その仕草一つ一つが本当に愛おしくて、そのたびに壊したくないと思ってしまう。

 

 きゅっと、触れる指に力を込めた。すると穂乃果ちゃんは同じように握り返してきた。と次の瞬間、あっと声を上げた。

 

「ねぇ、明日クリスマスイブでしょ? だから、久しぶりに二人きりでデートしない?」

 

 願ってもない提案だった。明日、一日無事でいられたら俺は前に進める。もう何もかも気にしないで穂乃果ちゃんだけ見て生きていける。そんな気持ちが不意に湧いてきた。

 

「うん……うん……! 行くよ、デート。一緒に出かけよう、ご飯食べに行ったり。買いもしないのに、いろんなもの見て歩いたり……それで、全部、すっきりさせよう」

 

 熱い涙が零れた。穂乃果ちゃんは手袋でその涙をふき取って、俺の頭を抱き締めるように自分の中に招き入れた。昨日ぶりの穂乃果ちゃんの身体はやっぱり暖かくて、外だってことも気にならなくてただただ甘えていたくなる、そんな包容力があった。

 

「えへへ、今から楽しみ」

「俺も。初めての、クリスマスデート」

 

 俺たちが一緒になってから初めてのクリスマス。その日で全部キッチリさせよう。俺は穂乃果ちゃんが大好きなんだ。他の女の人を抱くわけにはいかないんだって、はっきりさせよう。

 サンタさん、神様、仏様、この際悪魔様でもいい。明日だけでいいから、俺に穂乃果ちゃん以外の人を突っぱねる力をください。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

「さて、どこに行こっか!」

 

 翌日、本来は入っていたはずの仕事を休みにしてもらい、俺と穂乃果ちゃんは夜のイルミネーションが輝く世界に脚を運んだ。穂乃果ちゃんはすごい気合いの入れ様で、冬だというのに下はスカートだった。なんだかそこら辺にあったジャケットとズボンに防寒具の自分が情けなくなってきた。

 

「まず、暖まらない? ご飯でも食べてさ」

「そうだね、荷物が無いうちにご飯済ませちゃおう!」

 

 異議なし、ということで俺たちは高くも無く、安いといえば安い庶民の味方のファミレスへ入った。過度なまでに効いてる暖房が汗を沸かせた。マフラーと手袋を外して鞄の中にしまう。穂乃果ちゃんも未だに鼻の頭や頬が赤くなっている。照れてるみたいで、ちょっと可愛い。

 

「お客様、二名様でよろしいですか?」

 

 俺は頷き、禁煙席に通してもらった。すると店の奥、窓際のテーブル席に通された。荷物を椅子の背凭れに掛け、メニューを開いた。

 

「美味しそう……! お昼食べ損なっちゃったからね、どれも美味しそうに見えるよ」

「ちなみに、肉には食べたら幸せって気持ちになる成分が含まれてるんだって。前にバイトしてた店で教えてもらったんだ」

「そうなの!? てっきり、食べた次の日にもっと食べておけばよかったって気持ちにさせるのかと思ってたよ!」

 

 穂乃果ちゃんは驚いて、メニューをマジマジと見た。まぁ俺が聞いたのも受け売りだし、正確なことはわからないんだけどね。一人ごちていると穂乃果ちゃんはメニューを決めたようだった。俺も適当にこれだと思ったメニューを頼んで待つことにした。

 

「さてと、時間が出来たところで話をしなくちゃ。まずは、ごめん」

「どうして謝るの? なんか悪いことでもしたー?」

 

 そう言って意地悪く笑う穂乃果ちゃん。既にナイフとフォークを持って、肉が来るのを待ってるみたいだった。さすがに武器持ったまま暴れるのはやめてね、怪我人出るからね。

 

「……やっぱ、なんでもない。ここ数日迷惑かけてごめんね、って話」

「そんなこと? 気にしなくてもいいよ。元気になったなら穂乃果も嬉しいし」

 

 穂乃果ちゃんの笑みは俺にゴーサインを出すくせに、ぶつかる直前でブレーキを踏めと言ってくる。俺は身体に残った走るためのエネルギーを残したままになってしまう。それを溜め込んで、いつも仕事は集中できなくなってしまう。

 

「穂乃果ね、あなたが落ち込んでるのに何も出来なくて、彼女失格だなぁなんて思ってたんだ。あなたが抱えてるもの、一緒に背負ってあげられなくて」

 

 背負えないよ、あんなの。穂乃果ちゃんにとって一番重いものだから。俺でさえ、毎日潰されそうになって必死に耐えてるってだけだから。

 穂乃果ちゃんにだけは背負わせない。穂乃果ちゃんが背負ったら、穂乃果ちゃんも潰されちゃって、上の背負ってるものまで壊れてしまうから。

 

 これだけは二人で持っちゃいけないものだから。

 

「十分だよ、穂乃果ちゃんがいるだけでどれだけ救われてるか。一人だったら、俺もうどうなってたかわかんないし……」

「それじゃダメなの、もっと明確に。穂乃果にも分かるように、穂乃果が力になってるってこと証明したいの」

 

 そのときだけ、穂乃果ちゃんは小躍りをやめて、射抜くような眼差しで俺の目を見た。俺は視線を通じて心を鷲掴みにされたような圧迫感を感じた。

 どうしても、俺を救わなくちゃいけないという使命感に囚われているような、そんな気がしていた。

 

 困ったな、どうしたらいいんだろうと思ったところに助け舟のようにやってきた料理。ここのお店は早い配膳で有名だからだ。

 

「先にご飯食べちゃおう。話は、帰ってからでもいいし……さ」

「ぶー……わかった、じゃあいただきます!」

 

 それからは、言葉も少なく俺たちは食事を楽しんだ。穂乃果ちゃんが残したものを無理矢理食べさせようとしたり、結局俺が食べたり。周りから見ればただのバカップルだったかもしれない。

 だけど、その行動の裏側にはお互いの寂しさが爆発していた。穂乃果ちゃんの目尻がそれを教えてくれた。

 

 会計を済ませて外に出ると、穂乃果ちゃんは手を繋ぐ代わりに腕を組んできた。防寒具越しに穂乃果ちゃんの柔らかさが伝わってきて、思わず心臓が早鐘を打った。

 そうだ、今日は忘れろ。穂乃果ちゃんにわかってもらえなくても、俺の気持ちは今日を越えれば身を結ぶんだ。

 

「次、どこ行く?」

 

 穂乃果ちゃんに、ずっと思い続けてきた彼女に、酬いるために。形を残すのなら……

 

「何か、お土産とか、買いに行こう」

 

 その一言を機に俺は歩き出した。穂乃果ちゃんを引っ張るようにして。そして行き先も告げずに俺がやってきたのは宝石店、の隣にある指輪専門店だった。

 一年のバイト代のほとんどを卸してきた。大抵のものなら買えるはずだ。

 

「ちょ、指輪!? え、待って待って!」

「別に指に嵌めなくてもいいんだ、俺たちは仕事柄指輪をつけられないから。だから、首に下げられるペアリングでも、買っておきたいんだ」

 

 俺を引き止めて、しり込みしている穂乃果ちゃん。俺はなぜか焦りを感じながら店の中に入った。すると、比較的易しい値段のコーナーに対になっている指輪が見つかった。

 一つは蒼く、一つは紅い。ベタなカラーリングだけど、そのひし形の光に俺は魅せられてしまった。これにしよう、そう思ったとき穂乃果ちゃんもその指輪に見入っていた。

 

「これ、これにします」

 

 店員さんに食い気味に説明すると、丁寧にチェーンをつけてネックレス状にしてくれた。しかしわざわざ包装して、袋の中に入れてしまった。今すぐ、穂乃果ちゃんにつけてあげようとしたんだけど……

 

「外じゃ恥ずかしいから、うちに帰ったらつけてよ」

「……うん、わかった」

 

 決して安い買い物じゃなかった。けど、これくらいの小さな形が、もしものとき俺たちを繋ぎ止めてくれるんじゃないか。

 

 

 俺はそう願ってる。

 

 

 それから俺たちは、街でお母さんたちへのお土産やケーキを買って帰路についた。もうすっかり自宅へ帰るような気持ちで穂むらへの道を歩いた。

 途中、取り留めの無い会話もした。ショートケーキなんて持って帰ったらお父さんが泣くんじゃないか、とか、むしろ対抗心燃やして和菓子版のケーキ作っちゃうんじゃないかとかそんなくだらない話を。

 

 荷物は穂乃果ちゃんと二人で持ってる。指輪の袋は、穂乃果ちゃんが持っている。穂乃果ちゃんがつけて欲しいタイミングで、取り出すんだと思う。

 街灯の光がチカチカと明滅を繰り返している。殆どの場所がLEDに換えられているようなご時勢で、未だに旧型の電気なんて珍しいな。

 

「あ、お兄さん!」

 

 そう思ったときだった。もう穂むらの玄関まで見えているところで、その引き戸が開いた。そしてその中から、久しぶりの人影を見た。

 エルメスたんこと、亜里沙ちゃんだった。恐らく雪穂ちゃんに呼ばれてきたのだろう。確か絢瀬家は今絵里さんとの二人暮らしだったはずだ。

 

「あら、今帰り?」

 

 その後ろから、絵里さんまで現れた。きっと妹についてきたに違いない。今日はそんなに飲んでないらしく、まだまだ正気らしかった。

 彼女は玄関を出るとそそくさとその場を離れた。まるで、まだ誰か出てくるみたいに。

 

 

 

「もう今年も終わりですね、ちょっと前まで暑い暑いと思っていたのに。早いものです」

 

 

 

「――――え?」

 

 その声は、俺の目の前で発され、俺の耳元で聴こえたような気がした。ぐわんと、フライパンか何かで後頭部を殴られたような強い衝撃。揺れているかも、と錯覚するほど足元が不安定に感じた。

 寒気がする。これは防寒具があっても足りない、その手の寒気だ。まずい、この場はまずい。

 

 どうして。

 

 どうして。

 

 どうして、今日に限って君はここにいるんだ。

 

 

 

 

 

「海未、ちゃ、ん……」

 

 掠れた声は喉から出ても響かなかった。穂乃果ちゃんは俺から荷物を預かって、海未ちゃんの元へ走って行った。何かを話している、のに耳に入ってこない。

 

 身体の芯が凍ったみたいに、身体が動かない。

 

 脚が痺れる、気持ちが悪い。

 

 頭も、痛い。

 

「お兄さん?」

「少し顔色が悪いわ、もしかして風邪?」

 

 いつの間にか、俺の目の前に絢瀬姉妹がいた。手袋を外した絵里さんが俺の額に触れた瞬間、雷に打たれたように俺は飛び退いた。

 しかし、脚を滑らせて思い切り尾骶骨を打った。それも込みで、強い吐き気に苛まれた。

 

「大丈夫ですか? 立てますか?」

 

 亜里沙ちゃんが俺の腕に触れた。手袋越しの彼女の手が、暖かいではなく熱いと感じた。強い拒否反応が彼女を突き飛ばしてしまった。

 

「きゃっ!」

 

「ご、ごめっ……うっ!」

 

 突き飛ばしてしまった亜里沙ちゃんに謝ろうとした。けど、起き上がった瞬間。吐き気が限界に達した。

 俺は堪えきれずに、口を手で覆ったが爆発した吐き気に蓋は無意味だった。腹の中にたまっているものを全て、何もかも吐き出してしまった。

 

「大変だ、すぐ部屋に連れて行かなくちゃ!」

 

 そこからは誰が何を言ったのか、把握している余裕が無かった。でも、その騒動の中でずっと立ったまま俺の姿を見ている海未ちゃんの姿だけ、やけに鮮明に覚えていた。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 フラフラの彼をなんとか部屋まで連れて行き、お湯で濡らしたタオルで汚れた部分を拭いていく。するとそのうち、穂乃果は彼の身体中に膜を張っているようにすら見える大量の汗に気付いた。

 彼の吐瀉物で汚れたタオルで拭くのはちょっと抵抗があった。だから一度下の階に下りて、タオルを洗いなおした。居間では、絵里ちゃんと亜里沙ちゃんが心配そうに待っていてくれた。だけどそこに、さっきまでいた海未ちゃんの姿は無かった。

 

 今はそんなことを気にしてる場合じゃない。急いで部屋に戻ると、彼は荒い呼吸を繰り返しながら穂乃果のベッドに凭れていた。顔は汗や涙でベタベタになっていた。顔をタオルで拭ってから、ゆっくりと布団に寝かせる。彼の肩へ触ったとき、また氷に触っているようなあの感覚が私を襲ってきた。このタオルがもし水で濡らしたタオルなら、タオルが凍り付いちゃうんじゃないか、そう思っちゃうくらいに。

 

「大丈夫……? どうしたの、急に」

 

 彼は応えなかった。ただイヤイヤする子供のように首を左右に激しく振るだけだった。私が掴んでいる彼の肩から震えが伝わってきた。暗闇が怖かった頃の絵里ちゃんに抱きつかれたときみたいな何かが怖い、っていう感じに似た震え方だった。

 

「様子は、どう?」

 

 と、そのとき。絵里ちゃんと亜里沙ちゃんが戸を開けて入ってきた。だけど、二人が入ってきた後の扉を睨むようにして、彼は一層強く震えた。

 何かが見えているのかもしれない。その、穂乃果に見えない"何か"に彼は心底怯えている。

 

「絵里ちゃんたちに、何かあるの?」

 

 ふるふる、と彼は頭を振った。亜里沙ちゃんが一歩前に出て、彼の枕元に膝を突いて顔色を窺った。

 

「もしかして、海未?」

「海未ちゃん? そういえば、どうして海未ちゃんがここに来てたの?」

 

 そもそも疑問だった。私は今日、彼とデートするためにすべての予定をキャンセルした。それにしたって、今日は海未ちゃんとの約束は無かったはずなのに。

 私が聞くと、亜里沙ちゃんが応えてくれた。

 

「私が声をかけたんです。ここに来る途中、公園で立っているのが見えたので……」

「声をかけたときの、海未の様子も変だったわね。なんだか、顔色がすごい白くて、真っ青にも見えたわ。今日、二人が留守だって聞いたら海未の体調も多少回復した感じだったわね」

 

 絵里ちゃんが補足した。そして二人は彼に目を向けた。彼は布団に潜って必死に耳を塞いでるようだった。

 

「ねぇ、何か知ってるなら、答えて? 私、どうしても力になりたくて――――」

 

 

 

「違う!! 違う!! 知らない! おれっ、俺は、俺は……何も、何も……」

 

 

 

 突然、彼は布団を跳ね除けて暴れ始めた。机や、ベッド、壁の至るところに腕や脚をぶつけても彼は止まらなかった。彼を止めようと、私は彼の身体を抱き締めた。やっぱり、とても冷たかった。

 

「大丈夫だから! 穂乃果は信じてるから! お願い、知ってることを話して……!」

 

 彼の震えは次第に小さくなっていった。そして、短く速い呼吸を繰り返していくようになった。私は彼から離れて、両手で彼の頬を壊さないようにおっかなびっくり包み込んだ。

 安心させようと、笑みを浮かべた。そして彼は、震える真っ青の唇を振るわせた。

 

 

 

 

 

「――――海未ちゃ、んと……寝た」

 

 

 

 

 

 ………………え?

 

 パッと、不意に私の手が彼の頬から離れた。仕事で慣れた笑みを、簡単に壊す一言だった。

 

 海未ちゃんと、寝た? それって、どういうこと? 添い寝、だよね。彼は、きっとあの日のことを言ってるんじゃないかな。

 そうだよ、だってあのお泊り会から彼の様子がおかしくなったんだもん。真面目だから、きっと海未ちゃんに対してそういうことをしちゃって、そんなことを気にしていたんでしょ?

 

 そうだ、って言ってよ……

 

「い、っかいだけ?」

 

 もう一度浮かべた。完璧なつもりの壊れかけな、ダメダメ笑顔を。

 

「何度も、何度も。何度も何度も何度も何度も何度も…………ッ! 海未ちゃんを抱いた! 彼女の身体に指を走らせた。歯を突き立てた。舌を這わせた! 穂乃果ちゃんにも出来なかったことを、何度も、やったんだ……」

 

 信じられなかった。今彼が放った言葉は、日本語だったのだろうか。日本語に違いない、私たちはレジで外国のお客さんの相手で戸惑うほど、外国語に疎いんだから。

 

「最初は俺だって、抵抗した。けど、けど……だんだん、俺も海未ちゃんも壊れてって。歯止めが利かなくなって、それで……気がついたら、俺は海未ちゃんに対して抵抗できなくなってた……」

 

 彼が私を抱いたことは、まだ片手で数えられるくらい。私から彼に抱かれに行ったことは、多分ないと思う。結局合意で、恐る恐る彼から愛してくれる行為。

 だけど、私の知らない海未ちゃんが彼を誘い、彼もまた海未ちゃんの身体に夢中になっていた。

 

 そういう、こと?

 

「お兄さんは、穂乃果さんのことが……大好きだったんじゃないんですか……?」

 

 亜里沙ちゃんが、瞳を震わせてそう尋ねた。絵里ちゃんも、まだμ'sの一員じゃない生徒会長だったときの瞳で彼の言葉を待っていた。

 

 

 

 

「大好き、だ…………った」

 

 

 

 

 吐息に連れてこられた語尾が私の顔から余裕や笑みを完全に消し去った。彼の頬を支えていた手が不意に崩れ落ちた。彼は壁に背を預けて、蹲ってしまった。

 

「わ、私は大好きだよ? あなたのこと、大好きだよ!? ねぇ、大好きだから……こっちを見て、ねぇ……っ」

 

 目から、熱い液体が零れる。それは涙のような緩やかさじゃなくて、血のようにゆっくりと私の頬を流れて行った。

 

「ねぇ、お願い。もう一度、こっちを見て、ねぇ……見てよ、ねぇったら……」

 

 私は力ずくで、彼の頭を上げようとした。けど、彼の頭は持ち上がらなかった。

 

「穂乃果、もうやめましょう。今は、二人ともそっとしておかないと……」

「離してよ絵里ちゃん! わかってくれる、あなたのこと信じてるから!! だから、お願い。あなたの言葉で聞かせて! 穂乃果のこと、どう思ってるの!!」

 

 絵里ちゃんの拘束を逃れた私は彼に覆いかぶさるようにして、叫んだ。けれども、彼は震えるばかりで何も応えてくれなかった。

 その瞬間、涙がぷつんと途切れた。私の身体は、糸の切れた人形のように床にへたり込んだ。

 

「雪穂、穂乃果さんが……」

 

 亜里沙ちゃんが言った先には、部屋の外から苦しそうな顔をして部屋の中を見てる雪穂がいた。雪穂は私の手を引っ張った。連れてこられたのは、雪穂の部屋だった。

 

「今日は、寝ちゃいなよ。ベッド、使っていいから、ね?」

 

 言葉が出なかった。喉が震えなかった。何をしたらいいのか、わからないまま。

 

 ほのかはべっどにはいりました。

 

 だんだんねむくなってきて、めをあけられなくなりました。

 

 

 けど、Naぜカ……かナしくなっTe……

 

 

 ナンデ、カナシインダッケ。

 

 

 

 

 

 そっか、私……捨てられちゃったんだ、ね……

 

 

 




やぁ、お待たせ←

今日はクリスマスイブだからね。恋人には容赦ないおじさんだよ←

2015/12/25

あまりにも衝撃だったのか、たくさんの反響ありがとうございます。
遅くなりましたが同日に投稿した「セイント☆聖夜」をよろしくお願いいたします。

程好い治療薬になってくれると思います←


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失楽、そして

あけおめ、今年もバイトダイアリーというか相原末吉をよろしく!


 お姉ちゃんが眠りについて、しばらく経った。夜も遅いということで、私は絵里さんと亜里沙を家まで送り届けた。帰りは一人だったけど、身の危険なんか感じないほど私は焦っていた。

 ランニングコースは非常に脚に馴染んでいた。だから、どれだけ薄着で寒くてもスピードを落とすことはなかった。

 

 家に帰ってくると、お母さんとお父さんが既に閉店した店の中へ出てきていた。二人の間をすり抜けて、居間を通り過ぎ階段を駆け上がる。お姉ちゃんが起きてしまうかもしれなかったけど、気にしてなんかいられない。

 

「お兄さっ……!」

 

 私の声は途中で途切れた。なぜか、それはお姉ちゃんの部屋が広くなっていたから。実際には、そんなことあるわけがない。ただ、最近まであったものが何もかも無くなっていたのだ。

 二つのスーツケースに一つのボストンバッグ。その前に畳まれていた、男物の洗濯物。そして、お姉ちゃんのベッドに並んで敷かれていた布団。

 

 何もかもがそこから無くなっていて、彼も姿を消していた。だから私はお姉ちゃんの部屋が広いと錯覚したんだ。

 階段を上がってくる足音がして、そこにはお母さんとお父さんが立っていた。二人とも困惑した表情を浮かべていた。

 

「急に、出て行くって……穂乃果は? もしかして喧嘩でもしたのかしら……」

 

 お母さんはお父さんと顔を見合わせる。お父さんも理由が分からなくて、眉を下げていた。私は、拳を握り締めた。

 けど、矛先が決まらなくて、手を解いた。

 

「誰が悪いとか、あんまり言いたくないんだ……お母さんたちは、心配しなくても大丈夫だよ」

「……そう、わかった。けどもし、助けが必要なら私たちはいくらでも力になるから。親ですもの、それに彼ももう息子みたいなものだし。ね、お父さん」

 

 こくり、とお父さんは頷いた。比較的、厳格な方の父がここまで表情を柔らかくする人間はそうそういない。もう、お兄さんは我が家とは切っても切れないところにいたんだ。

 だけど無理やり捻って、切れてしまった。だから傷口は深く抉れている。

 

「お姉ちゃんは、しばらくそっとしておいてあげて。きっと一番辛いはずだもん」

 

 私は、どれくらい悲しんでいるのだろう。もしかすると、怒りの割合の方が高いかもしれない。でも、お兄さんにその矛先を向けた瞬間、火が消えてしまう。

 どうしてなのか、私自身にも分からない。

 

「好きだから? だから、私はお兄さんに手加減してるの……?」

 

 誰もいない部屋に私の声だけが跳ね返る。とにかく、今はお姉ちゃんだ。私の部屋で寝せているから、同じベッドで寝ることになると思う。一緒に寝るのはたぶん中学生の時以来だと思う。

 そーっと部屋の扉を開けた。明かりの消えた部屋。だけども私の部屋は同じ高さにある街灯が夜中は常に光っているから、カーテンを閉めると月明かりと同じような光が部屋を照らす。たまに眩しくて、寝れない夜があるくらいだ。

 

 ベッドに近づくと、布団の上に影が見えた。少しぎょっとして立ち止まると、お姉ちゃんだった。当然と言えば当然だけど、闇の中からすっと影だけ出てきたら誰だって驚くと思う。

 

「起こしちゃった?」

 

 お姉ちゃんは反応してなかった。ひょっとして寝惚けているのかな、そう思って近づいてみて言葉を失った。お姉ちゃんは寝惚けても、ましてや眠ってもいなかった。

 虚ろな表情で、うわ言を呟くように口をパクパクさせている。口からは、はっはっと呼気が漏れていた。半開きの口の中に、涙が流れ込んでいる姿は痛々しくて、実姉でなければ目を背けていたかもしれない。

 

「お姉ちゃん、風邪引いちゃうよ。一緒に寝よ、ずっと傍にいてあげるから」

 

 お姉ちゃんの身体をそっと倒して、私は着替えることもせずに布団に潜り込んだ。二人ともパジャマ姿じゃなく、私服で寝ている。返って、それがよかったのかもしれない。お姉ちゃんの身体は徐々に熱を取り戻してきた。

 不意に、お姉ちゃんの手が私の背中に回ってきた。私もお姉ちゃんの背に手を回して、ゆっくりと撫でていく。しかしお姉ちゃんは次の瞬間、私の首筋に唇を押し当ててきた。

 素っ頓狂な声を上げそうになった。お姉ちゃんの真意が分からずにドギマギしていると、お姉ちゃんの行為は次第にエスカレートしていった。

 

 そこでようやく気がついた。お姉ちゃんは私をお兄さんだと勘違いしている。夢を、とびきり性質の悪い悪夢を見ているんだって。

 けど、私はお姉ちゃんを強く抱き締めた。どこを舐められても、噛み付かれても、声を上げるもんかと歯を食いしばった。

 

「おやすみ、お姉ちゃん。目が、覚めるといいね」

 

 最後に呟いたその一言が憐れみに満ちていて、自分で嫌になった。お姉ちゃんがこんな目にあったというのに、どこかで明るい顔をしている自分がいる。

 不謹慎極まりない私の分身の口に無理矢理ガムテープを貼り、縄や手錠でガッチガチに拘束して抑え込む。

 

「バカなんだから……みんな、本当にバカ……」

 

 それから、私はお姉ちゃんをあやしている間に自然と眠りに落ちていった。だけど、目が覚めた私を襲った出来事はお兄さんの告白の次に衝撃をもたらした。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 埃だらけなところ以外は、変に小奇麗な部屋の隅。彼はそこで蹲っていた。スマートフォンの通知ランプは紅く明滅しており、すぐ充電が切れることを示していた。

 携帯を充電する気力すら起きなかった。薄暗い部屋で、スマートフォンの画面をただただ撫でていた。ホームの画面に設定された穂乃果とのツーショット写真。そこに映っている男の顔を見る。

 

 バカ面と評せるほど間抜けな顔をしている。鼻の下を伸ばして、隣にいる彼女の肩をおっかなびっくり抱き寄せている。

 あの時のドキドキは今でも思い出せる。しかし、その彼を見る彼自身の目は虚ろで空っぽだった。意思というものが感じられない。瞳は画面の光が無ければ常闇のような、艶の無い黒に見える。

 

 彼は電池が切れる前に、フォルダを開いた。かれこれ、半年溜めてきた写真のデータが入っている。開けると、なんでこのタイミングで写真を撮ったんだろうという写真がいくつも出てくる。

 しかし彼はその写真の類をスクロールするほどに、呼吸が荒くなる。日にちを遡れば遡るほど、幸せな時間が画面から溢れてくる。

 

 過去の自分の笑顔がまるで今の自分を嘲笑っているかのような、ぐにゃりとした笑顔に見えた。俺は今こんなに幸せだぞと、閉じ込めた時間の自分が言っているような気がしていた。

 逆に言い返してやりたかった。その笑みを、ぐちゃぐちゃにする出来事が起きると。自分の姿を見せてやりたいとさえ思った。

 

 彼は点滅する赤ランプを見て、電池の残量を確認した。そして、その写真をフォルダごとチェックを入れた。

 

 そして、オプションキーに指を掛け削除のボタンを、押した。

 濁った瞳から一筋の涙が流れ、ベッドの布団に染みを作った。スマートフォンを放り投げて、彼はゆっくりと布団に倒れこんだ。

 

 もう二日もこうしている。辛うじて、部屋に持ってこられる飯によって空腹だけは感じずにいるものの、穂乃果に出会う前の生活を思い出していた。

 激務に身を曝す前の怠惰な自分に戻ってしまった。嘲笑の笑みは姿鏡に映る自分へと返る。

 

 そのときだ、彼のスマートフォンが震えた。ベッドからのそりと起き上がりスマートフォンを手に取った。着信だ、誰かが今彼に電話をかけている。

 相手は、高坂穂乃果。

 

 彼は通話ボタンを押した。彼女の優しい声が聞けるなどとは思っていない。どれだけ自分を呪う一言であっても聞かなければならないという歪んだ信念によるものだ。

 スマートフォンを、ゆっくりと耳に押し当てた。向こうの音が聞こえてくるが、彼女は喋らなかった。呼気のようなものが漏れている。はぁ、はぁという吐息の音が向こうのマイクに拾われている。

 

 しかし、通話をオンにしてから数分間。彼女は一言も喋らなかった。そのまま通話は切れてしまった。通話したことによってついに電池残量が3%を切ってしまった。

 

 今度はメッセージが飛んできた。送り主は、またしても高坂穂乃果。文面で彼女の謗りを受けるのは、冷たいと思ったと同時受けるべき罰のようにも思っていた。

 だが送られてきた文字の羅列を見て、意味を理解した瞬間彼の心臓は嫌な鼓動を打ち続けた。

 

 

 

『いきなり電話して、ごめんね。迷惑だったかな、本当ごめんなさい。それに一言も喋らなくて、ごめんなさい。喋らなくて、っていうのは違うかな』

 

『あのね、穂乃果。声が出なくなっちゃったんだ。喋りたくても、喋れないんだ。なのに電話しちゃうなんて、穂乃果ってバカだよね~。本当、バカだよね』

 

『本当はあなたの声が聞きたかったけど、ダメだよね。こんな彼女らしくない、彼女みたいにあなたを包んであげられない女の子じゃ、喋りかけてもらえないよね』

 

『ごめんなさい、本当にごめんなさい』

 

 

 

 穂乃果はまだメッセージを送ろうとしたのかもしれない。しかし、彼のスマートフォンはそこで力尽きた。断末魔のようなバイブレーションで彼の手から滑り落ちて、床を跳ねた。

 

「あ、ああ……っああ、ああああああ……」

 

 先ほどとは比較にならないほど涙が伝う。壁に叩きつけた拳が裂けて血が滲み出す。握り締めた拳を下ろすと、そこへ涙が落ちた。

 

「俺のせいだ……俺のせいだ……俺のせいだ、ごめん穂乃果ちゃん……ごめん、本当にごめん……っあ、くっ……ふ、ぁ……」

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 お姉ちゃんは声を失った。ショックで部屋に閉じこもってしまった。私は冬休みですることがない。受験は夏に済ませたから、この冬は家族や友達のために使うことにした。

 ひとまず、お姉ちゃんとお兄さんの職場に行った。サービスカウンターへ赴くと、私を客と勘違いした係員の人たちが揃って挨拶してくる。

 

「あの、高坂穂乃果の妹です」

「あら、いらっしゃいませ。今日は買い物?」

 

 レジ部の主任さんを訪ねるとしばらくしてから彼女は現れた。私は会釈をして、一連の話をした。

 と言っても、お姉ちゃんが喋れなくなってしまったことと、そのことでしばらくの休職を頂きたい、という話だ。

 

「なるほどね……わかりました。良くなるかはわからないけど、彼女によろしく言っておいて。それと、あの馬鹿旦那に一言――――」

「すみません、お兄さんはもう家にはいないんです……もっとも、お兄さんああ見えて実際真面目だし、お姉ちゃんに申し訳ないと思って出て行ったんだと思います」

「ずいぶん買ってるのね、彼のこと」

 

「大好きですから、お兄さんのこと」

 

 万が一、お姉ちゃんが再起不能になってしまったなら、私が彼を捕まえる。それくらいのつもりでいるから。私は、お兄さんを許せる。

 下手したら、海未ちゃんのポジションにいたのは私かもしれないから。私はお兄さんを責めることは出来ないし、お姉ちゃんを間抜けだとも思わない。

 

 どちらも大切だけど、負けられない。もう一度私にチャンスが巡ってきた。そう考えてしまう。

 

 主任さんに会釈をしてその場を離れた。その際、チラッとレジのスペースを見た。もう年末商戦も中盤に差し掛かったとはいえ、お客さんの山で溢れかえっていた。お兄さんの話していた室畑さんや白石くんも既にレジに入ってお客さんの相手をしている。夜間の人間も昼に働きだすこの時期、一番お兄さんやお姉ちゃんの力が必要なときなんじゃないかな。

 

 身内だから、とても申し訳ない気持ちになった。やっぱり、馬鹿なことは考えないでお姉ちゃんだけでも立ち直ってもらうしか……でも、ショック性の失声症。確実に治るかわからないし、治ってもきっと凄い年月が掛かってしまうかもしれない病にお姉ちゃんは苦しめられてる。歌うのは得意じゃなかったけど、スクールアイドルとして生きて、歌や声の力を知ってるおねえちゃんから声が奪われた。普通の人以上に辛いと思う。

 

 こうやって、どっちか割り切れないから私はいつも蚊帳の外なのかもしれないなぁ。

 

 複雑な心境が自嘲の笑みに現れる。その笑みを消して、蓋をするようにイヤホンを耳につけた。新曲だ、まだ歌詞が出来てないからインストだけの……私と亜里沙の、初めてのラブソング。

 亜里沙は雪穂にしか出来ない歌詞だ、なんて言ってくれたしお姉ちゃんもお兄さんも何も知らずに応援してくれた。でもこの曲の歌詞に、私の閉じ込めた思いを乗せるのはどうしても抵抗があった。

 だからか、やっぱり歌詞付けは進まない。お兄さんに、お姉ちゃんって彼女が出来たとしても気持ちの整理はつかなかった。まだどこかで、私を見てくれる。いずれ家族として愛してくれる、そんな甘えがあった。

 

 だったら、今度こそ私は決着をつける。この気持ちを、閉じ込めるのではなく意識の底に。深い海の底に沈める。

 決めたら、やることは一つだ。私は家へ向かわず、スマートフォンを取り出して亜里沙に連絡を取り始めた。

 

 

 

「あ、もしもし。亜里沙? うん、私。ちょっと話があるんだ、亜里沙の家に行ってもいいかな」




そろそろ糖分不足だろ、と思って風呂敷を纏める準備をしてる(大嘘)
まぁ、こんなことやらかした分だけの大舞台を用意するつもりはある。

いずれ、なんでこんなことをしたのかっていう補足みたいなのをあとがきでやりたいのでこれからもよろしくお願いいたしまする。



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絶望の燐光

「いらっしゃいませ~」

「らっしゃっせー……暇だな」

 

 確かに暇です。もう三が日も明けて、普通にお仕事を再開する人が増えても僕の職場には人がいなかった。

 あ、申し遅れました。白石勇人です。もうすぐ閉店時間で、最後まで室畑さんとレジを抑えています。僕はまだ高校生、つまり学生待遇なのでお給料が安くお店側としても使いやすいので休日はとても早くから仕事ということがあります。そういう日は、だいたい先輩や高坂さんがいるので苦にはならなかったのですが……最近、二人とも仕事には来ません。

 

 先輩は休職、高坂さんは主任の話では失声症を患ってしまったとかで、同じく休職中です。心配ですけど、なかなか挨拶に行く勇気が出ません。室畑さんも同じみたいで、誘ってもやんわりと断られます。アイドルのおっかけがそんなんで大丈夫なのか、ちょっと心配です。

 

「二人ともお疲れ、白石くんは残り仕事無し。室畑くんはリカーな」

「そーんなー……」

 

 室畑さんが肩を落としてる間に、申し訳ないなぁとは思いながらもレジを上げてサービスカウンターへ戻る。退勤表の横には出勤表が置いてあった。その表の下にはここでもセットになっている先輩たちの名前と、その横に引かれた赤い線が嫌に目に入った。こういうのを見ると、本当に先輩たちは仕事に来れない状況なんだなぁって思います。

 

「主任、二人とも戻ってこれるでしょうか……」

「んー、まぁ数ヵ月後には三月、学生勢は卒業だのの都合で仕事も卒業していくからな。それくらいには戻ってきてくれないと困る」

 

 極めて平静を装ってらっしゃるけど、主任はやっぱり怒ってるのかもしれない。僕には分からないことかもしれないけど、先輩はどうして高坂さんを傷つけてしまったんだろう。そうならずに済んだ道は無かったんだろうか。なんて、本人に向かって言ったら怒られるか。下手すると殴られるかも。

 

「絶対戻ってきてもらうからな、そんで研修中腕章つけさせて二人とも給料40円引きしてやる」

「……ですね、年末商戦不在の罪深さ思い知ってもらわないと」

 

 ちょっと冗談めかして口にすると、主任に頭を下げて事務所へ向かう。退勤手続きを完了させて荷物を纏めると、僕は休憩室を後にした。職員玄関にいる警備員さんに荷物を見せて駐輪場に向かったそのときだった。

 

「あの……」

 

 女の人に声をかけられた。お客さん、だろうか……暗がりからすっと出てきた彼女の顔に見覚えがあった。

 

「高坂、雪穂さん……ですよね?」

「あ、はい……えっと、白石くんだよね……お兄さんから話聞いてます、優秀だとか」

 

 う、嬉しいな。仮にも現役スクールアイドルの彼女に一目置かれてるなんて……だけど、それ以上に気になることがあった。

 

「どうしたんですか? こんな遅くに、有名人が一人で歩くなんて危ないですよ」

「実は、すぐそこにお父さんがいるんだ……心配してくれてありがとうね」

 

 見れば、軽自動車からこちらに向かって銃口のような圧力の視線が向かっていた。なるほど、彼女の安心はあそこから来てるらしい。

 

「僕に、もしかして用事があったり……なんちゃって」

「ううん、その通りなの。単刀直入に言って、お兄さんを……違うかな、μ'sとお兄さんを立ち直らせるために力を貸してほしいの」

 

 それから雪穂さんが語ったことは、正直僕からすれば……いや当時のμ'sファンからすれば血涙モノの出来事だと思ったし、僕も少し圧されてしまった。確かに先輩は魅力的な男性だと思うし、聞くところによれば小学生時代に付き合いがあるから、お互いを知り合ってるとは言え……かなりビックリした。

 

「あんまり、怒らないんだね」

「いえ、怒るっていうかただ驚いてますし……たぶん先輩は自分を責め抜いてるはずなので、これ以上先輩を咎める人はいらないと思って……」

「ふぅん、優しいんだ」

 

 不器用なだけですって。年上の雪穂さんに少しだけ圧倒されながら、僕は体が冷えるのも忘れてその場で話を聞いていた。そして聞けば聞くほど、改めて把握した状況に圧された。

 そしてなんとなくだけど、当事者だけで解決するには溝の深い案件だとも、改めて思った。

 

 なればこそ、僕の微力でも尽くさなければいけない気がする。夢を見せてもらった、あの日の恩返しをするならこの時しかない。

 僕は話を聞きながら年始の寒さを跳ね返し、燃え盛るこの気持ちを育てて行った。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 汚泥から身を上げるような気分で身体を起こした。覚醒とはほど遠い寝覚めだ、気分も悪い。お腹が痛い、かれこれ数日まともなものを食べていない。部屋からは、トイレの時以外出ていない。

 そもそも、俺の家の二階は俺ともう一つの部屋しか無く、トイレはどの階にも設置されている。つまり、両親の顔も久しく見ていない。

 

「痒い……」

 

 ゴワゴワになった髪の毛は魔女の家の庭に生えてそうな枯れ木のようにバリバリと逆立っていて、一撫でするだけで頭全体に痒みが拡がる。そろそろ蝿に集られてもおかしくない。

 しかしさすがに風呂に入るのはどうなんだろう、俺もう働いてないし水道代を齧るのは忍びない。だったら寝てしまえばいい。

 

 ベッドに横になったとき、すっかりベッドの板の硬さを身体が感じた。ずっとこのベッドで寝てたはずなのに、もう二週間近くここで寝てたはずなのに……

 

 あの柔らかくて、良い匂いのするベッドが忘れられない。あのベッドの上で抱いた女の子のことを忘れられない。

 

 そうだ、俺はあのベッドで海未ちゃんを……もうやめよう、やめよう。

 寝よう。起きたばかりだけど、何もすることが思いつかない。こんな気持ちさっさと忘れてしまいたい。時間が経つことで忘れられるなら、時間が経つことで俺が苦しむなら――――

 

 

 

 

 

『――――きひひ、可哀想だねぇ~』

 

「ッ!?」

 

 

 

 

 

 声がした、高い魔女みたいな、不快になるよりも先に不安を覚えるような、そんな声が。飛び起きるも、声の主はどこにもいない。当たり前だ、この部屋には鍵が掛かっていて誰も入ることは出来ないのだから。

 考えられるのは、ドアや窓の外にその人物がいる可能性だ。俺は弾かれるようにドアに近づいて、ドアに耳を押し当てた。空気の流れる音は感じられても、誰かが喋ってる声はいっさい聞こえない。

 

『――――こっちだよぉ』

 

「なっ……」

 

 絶句、今の俺を表すに最適な二文字。声の主は、俺なんかよりもずっと小さかった。そいつはたったさっきまで俺がいたベッドの上から、こちらを見ていた。

 赤みがかったピンク色のずんぐりした体躯に、可愛らしいマスコットみたいな顔。どこかで見たことがある。

 

「穂乃果ちゃんの、お気に入りのストラップ……」

 

『その通り~! きひひ、可哀想だねぇ~!』

 

 脳に不安を与える笑い声は、確かにそのストラップから出ていた。デザインは可愛らしいのに、喋ってるだけであの可愛らしい顔がとてつもなく恐ろしいものに思えた。

 

「か、可哀想って……別に俺はそんな」

『ごめんごめん、君のことじゃないよぉ~。穂乃果ちゃんのことだよぉ~』

 

 ……不安を煽る声が一気に不快な声に様変わりした。けど、言ってること自体は至極正しいから、反論なんか出来ない。

 

『なんでお前喋れるんだって顔してるね? なんでだと思う?』

「お前が穂乃果ちゃんから声を奪ったんじゃないのか」

『違うよぉ、ボクが喋れるようになったから穂乃果ちゃんが喋れなくなったんじゃなくて~穂乃果ちゃんが喋れなくなったからボクが喋れるようになったんだよぉ~。じゃあ、なんでボクが喋れるようになったと思う?』

 

 マスコットは、まったく動かないままケラケラと笑い声を上げて俺を見てる。俺と話している。そして今になって、俺は自分がどうなってるのかを思い出した。

 恋人のお気に入りのストラップと話をしている。端から見れば俺の頭がついにおかしくなって一人芝居してるようにしか見えないと思う。ついに幻聴が聞こえるようになってしまったのか。

 

『なんでかって聞いてるんだよボォーイ!』

 

「うわっ……」

 

 動かない上に笑顔みたいな表情だから分かり辛いが、声音が完璧に怒り狂っていた。もしこいつが動けるならこの小さな体を使って俺を切り刻みに来るんじゃないだろうか、そんな感覚に襲われる。ホラーゲームに出てくるような、愛嬌のある悪魔そのものだった。

 

『君に文句言うために決まってんだろぉ~!? どうだい、愛する穂乃果ちゃんの寝てる傍で海未ちゃんとセックスした気分は! 穂乃果ちゃんに申し訳ないと頭で思いつつも海未ちゃんの身体に溺れてセックスしまくった気分はさぁ~? 母校の校庭の端。公園の、人気のない公衆トイレの中。あぁそういえばあの公園で穂乃果ちゃんになし崩しで告白したんだっけ、どう? 恋人との思い出の場所でする浮気セックスは?』

 

「……もう喋るな、穂乃果ちゃんのお気に入りがこんな汚い言葉を吐くなんて思いたくない」

 

『ボクもうんざりさ、ボクの大好きな女の子が大好きな男の子にボロボロにされていく様なんて見たくなかったね。君が穂乃果ちゃんに真実を打ち明けて、彼女を傷つけていく間もボクはずっと見てたんだ。穂乃果ちゃんはなんて思っただろうね? 海未ちゃんの方が私の身体より気持ちいいとか、遊ばれてたとか思ったんじゃないのかなぁ?』

 

「喋るなって言ってるんだ!! もう帰れよ!!」

 

 その場に転がっていた適当な物をぬいぐるみ目掛けて放り投げる。当たった、ぬいぐるみは確かに弾かれた。さっきまで置いてあった場所から飛んで行った。

 

 

 ――――はずなのに。

 

『帰りたいねぇ~! ボクもさっさと君をぶっ壊して一生サヨナラしたいよぉ~!!』

 

 ぶっ壊すとか、一生サヨナラとか物騒な言葉ばかりを吐きつけるそいつは、俺の机の上からこっちを見ていた。立ち上がって、力一杯真横に腕を薙ぐ。ぐにゃりとぬいぐるみ特有の歪み方をして、机の上から吹き飛んだ。しかし俺の腕は力が有り余ってそのまま壁へと激突し、鈍い衝撃が走りじりじりと痛みを湧かせた。

 

『けどさ、君を壊すと結局誰かが泣くよね。穂乃果ちゃんにしろ、海未ちゃんにしろ、雪穂ちゃんとかさ。で、その誰かが泣いて、続いて壊れちゃったら連鎖的に誰かが不幸になるよね。だからボクは君を壊さないよぉ、でもね。死ぬ寸前まで痛めつけてやろうとか、考えてるからね』

 

「クソッ……クソッ! クソ!! なんなんだよ、出てけよ……俺の前からいなくなれ!!」

 

『……君が穂乃果ちゃんと同じ苦しみを味わうまでずっといるよ。さて、じゃあお話をまた始めようか。じゃあ君と穂乃果ちゃんが愛し合ってる間の海未ちゃんの話をしよっか。ボクはこう見えて何でも知ってるんだぁ~……君が穂乃果ちゃんと一緒に海未ちゃんの家に行ったときだよ。水をぶっ掛けられた君は海未ちゃんからタオルを借りたよね?』

 

 ぬいぐるみの話を聞いて、思い当たる節があった。あの日はどういうわけか、水をよく浴びた。でも、それがなんだって言うんだ。まさか、海未ちゃんがそんなことで一喜一憂してたっていうのか、そんなバカな話があるわけ……

 

『あるんだよぉ! 乙女心ってのがわかってねーなボーイ! そんなんだからこんなんになっちまうんだよぉ! あの時海未ちゃんはな、正気を保つのが難しいくらい舞い上がってた。ポーカーフェイス苦手なくせに必死に押さえ込んでたんだぜ~? けど、それからの君は穂乃果ちゃん一辺倒。自分と違ってずっと一緒にいた海未ちゃん相手に都合よく恋愛の相談役を押し付けて、海未ちゃんはどんな気持ちだったかなぁ。乙女心が分からない君に、彼女の気持ちわかるかい?』

 

 捲くし立てられた言葉は俺をその場に縫いつけた。ピンポイントで重力を発生させてると錯覚するくらい体が重くなった。もういっそこの場で意識を投げ出してしまいたくなるくらいに逃げ出したかった。

 不気味なぬいぐるみからじゃない。自分から、この現実から、逃げ出したくてたまらなかった。誰も俺を、俺のした所業を知らないところまで逃げて逃げて逃げて、何もかも忘れてしまいたい。

 

 愛も、劣情も、仕事も、友情も、何もかも。

 

『逃げんじゃねーよ』

 

「……」

 

 見透かされていた。何を考えているか、もうこいつに隠し事は出来ないんだと、裁判所で死刑宣告を喰らうように思い知らされた。

 

『大好きな穂乃果のことを応援したい。けれども自分の抱き続けて蓋をした気持ちが宝箱の中で熱を発し始めて、無視できないほど熱くて辛い愛情を、彼女は持て余していたんだよ。だから、君に呪いをかけたんだ。穂乃果ちゃんが好きなほど、君を縛り付ける呪い。ただ、彼女の誤算は君が縛られてることにすら気付かないでゴールしちゃったことだよね』

 

「俺が自分の気持ちに素直になって何が悪い……」

 

『素直になった? なにそれ? 言ったじゃん、君は済し崩しで穂乃果ちゃんと結ばれただけ。君はゴールテープを幻視して、フライングして、身を縛る鎖を無視して這い蹲りながらゴールしただけ。他の人、いや海未ちゃんはどう思う? 他の選手が並んでる状態で、君だけが走り始めて、勝手に幸せになってたら? そりゃあもう、壊れちゃうよね』

 

 嘲笑う。ぬいぐるみがとことんまで俺を嘲笑する。脳裏には、俺に覆いかぶさり、俺の唇を唇で塞ぎ、身体を求める、豹のような扇情的な海未ちゃんの姿が思い浮かぶ。

 身体を重ねるたび、どんどん積極的になる海未ちゃん。彼女が恋人だったなら、俺だって苦笑いしながら彼女の愛を享受した。けれど、彼女が愛を差し出したとき。俺は既に穂乃果ちゃんの愛を持っていて。それは、俺も欲しかったもので。

 

 手に入れてしまったから、それだけでは満足できなくなってしまって。

 

 人としての道を外れた。一途な自分を殺した。言い訳せずに言うなら、俺は確実に行為の間だけ海未ちゃんを愛してしまった。獣のような交尾に愛を見出してしまった。

 呆然と立ち尽くす俺を前に、ぬいぐるみは声のトーンを少しだけ低くして呟いた。

 

 

 

 

 

『ね? 海未ちゃんが壊れたら君が壊れて、最終的に穂乃果ちゃんが壊れちゃった。

次は誰が壊れるのかなぁ? そして君は()()を、()()()()のかなぁ?』

 

 

 

 

 




穂乃果ちゃんが在学中鞄にぶら下げていたストラップ(CV:新田恵海)
的な。なんのオマージュか知ってる人は知ってそう。

続きものなので次回更新も早めにしたいと思いますぞ~。



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希望の残光

 

「お姉ちゃん、入るよ」

 

 断りを入れてから扉を開ける。お姉ちゃんは椅子に腰掛けて、窓の外を眺めていた。曇天の空からは、雨粒が落ちて道路を濡らしていた。雲に遮られた鈍い光によって出来た滴の半透明な影がお姉ちゃんの頬に落ちていた。窓の滴が落ちると、まるでお姉ちゃんが黒い涙を落としているように見えた。

 

 お姉ちゃんは私が入ってきたことに気付いていながらも、窓から手を離さなかった。室内でも白く色づく息を窓に吐き、曇った硝子に指先でひたすらお兄さんの名前を書き連ねていた。そして、お姉ちゃんの手の温度で硝子表面の水分が滴になって垂れ始める。お兄さんの名前が血を流してるようで、お姉ちゃんがそれをやってると思うと少し目を背けたくなった。

 

 ようやく私の方に向き直ったお姉ちゃんは、おかえりと言おうとして口を開いた。けど、その口から出てきたのは喉を通ってきた微かな呼気だった。それから困ったように笑ってお姉ちゃんは机の上の小さなホワイトボードに水性の黒ペンで手早く文字を綴った。

 

『おかえり、寒くなかった?』

 

「平気、お姉ちゃんこそパジャマだけで寒くない?」

 

 私も平気、唇はそう動いていた。けどお姉ちゃんはまたしてもハッとして喉を押さえて、ぎこちない笑みを浮かべた。まるで笑えていない、お兄さんと生活していたときはもちろんアイドル時代の面影なんかこれっぽっちもなかった。要するに、お姉ちゃんはぜんぜん笑えなくなった。身内贔屓になるけど、少しだけお兄さんに対する憤りが強くなる。

 

「晩御飯、食べる? 何か作ってこようか?」

『大丈夫、さっき食べたばっかりでお腹いっぱいだよ』

 

 字面だけでも明るくしようとしてるみたいで、丸みを帯びた文字がそこかしこを飛び跳ねる。けど、私はその言葉をこれっぽっちも信用してなかった。けど、言葉を発せないお姉ちゃんはずるいことを覚えたようで都合の悪い話になれば、ホワイトボードに書かず交信を拒否する。

 

「そう、あぁ今日も室畑さんと白石くんに会ってきたよ。二人とも心配してた」

『じゃあ、早く復帰しなきゃね。いつまでも――――』

 

 いつまでも、で文字が止まっていた。その先に続く言葉を察して、私はお姉ちゃんからホワイトボードを取り上げた。それを机の上に置いて、お姉ちゃんをベッドの上に放り投げた。ここ最近のお姉ちゃんはずいぶん軽く感じた。まるで、あの日以来、何かが抜け落ちてるみたいに。

 

「もう寝ちゃいなよ。昨日も寝てないの、丸分かりだからね」

 

 お姉ちゃんは机の上のホワイトボードに目をやってから、こくりと頷いて笑った。布団を被って、私に背を向けた。私は上着が弾いた雨粒がお姉ちゃんの部屋を水浸しにしてることに気付いた。

 

「おっとっと、撥水系の上着はこれが困るんだよね」

 

 私は適当な布巾を都合するために下へ降りた。居間や厨房付近にお父さんやお母さんがいた。そして、テーブルの上に置かれラップに包まれてるおにぎりと冷え切った味噌汁に気がついた。それだけで、お姉ちゃんの嘘は瓦解した。そろそろスープ類でもなんでも、お姉ちゃんに食べさせないと危ないかもしれない。

 

「ただいま、布巾借りていくね」

 

 返事を待たずにそこにあった布巾を手にお姉ちゃんの部屋へ戻った。途中自分の部屋に上着を放り投げておき、再びお姉ちゃんの部屋の扉の前に立った。

 そして気付いた。中から、鼻を啜るような音と途切れ途切れの息の音が。私はそっと扉を開けた。

 

 お姉ちゃんは布団から出て、窓の外を見て泣いていた。何度も何度も零れ落ちる涙を拭って、鼻を啜って、音にならない泣き声を精一杯張り上げてるように見えた。

 私はそんなお姉ちゃんを見て、葛藤に襲われた。お姉ちゃんを慰めることが私に出来るだろうか。私は上面だけでお姉ちゃんを励ましてしまうんじゃないのか。

 

 きゅっと唇を噛み締めた。そして、あの日。亜里沙に対して密かに行った宣誓を思い出し、意を決して扉を思い切り開いた。

 お姉ちゃんは気付かない。もしくは気付いていても、振り返る余裕がない。けど構わなかった。後ろから、包み込むように冷えたお姉ちゃんの身体を抱き締めた。

 

 密着すればするだけ、お姉ちゃんの叫びと震えが伝わってくる。嗚咽の振動はまるで嵐のように激しく、子供のように遠慮がなかった。

 

「よしよし……お姉ちゃん、そろそろ休もう」

 

 私はお姉ちゃんが夜な夜な泣いているのを知っている。眠れずに枕を濡らしているのを知っている。だから、お姉ちゃんがずっと眠っていないのを、知っている。

 お姉ちゃんは泣き止まなかったけど、私の言葉にしきりに頷いてゆっくりベッドへ戻っていった。お姉ちゃんから目を離すのが少し怖くて、私は濡れた床を拭くこともせずにお姉ちゃんと一緒の布団に入って、逃がさないように、けれども苦しくないようにそっと抱き締めた。

 

 それから、お姉ちゃんが寝付く頃にはもうすっかり暗くなっていて、私も暗い部屋と暖かい布団で横になっていたからか少し頭が眠気に支配されかけていた。お姉ちゃんを起こさないようにゆっくり布団を抜け出した。床の水はもう完全に消えていた。自分の部屋の前を通ったとき、濡れっぱなしの上着をそのまま放り投げたままだったことを思い出してつい溜息が出た。

 

「雪穂」

 

 ふと、自分の部屋へ入って寝なおそうと思ったとき。階段の下からこっちを覗き込むようにして、お母さんが声をかけてきた。

 

「穂乃果はどう?」

「寝かせた、私もちょっと眠いから寝ようかなって」

「そう、晩御飯は?」

 

 本音を言えば、食べる気分ではない。ただ、お兄さんがいなくなってお姉ちゃんがご飯を拒絶する以上、誰かがお母さんのご飯を食べてあげなくちゃいけない。作ったご飯が残るのは、想像以上にちょっと辛い。

 

「おにぎりにして、そしたら後で食べられる」

「ん、わかった。おやすみ」

 

 おやすみなさい、その言葉は自分の部屋へ入りきってから呟いた。戸を閉め、私は持ってきた付近で上着の水滴を拭き取ってハンガーにかけて、そのまま布団に潜り込んだ。開けっ放しにして、冷えた部屋の中にあったベッドはひんやりとしていて、さっきまでお姉ちゃんの熱を感じていた私には少々厳しかった。

 

「うぅ、寒い……」

 

 ふと、自分はいつまで冷たい布団に寝ているのだろうか。お兄さんとお姉ちゃんはベッドを持て余すくらい一緒に寝ていた。自分は、お兄さん以外の男の人と寝る気になれるだろうか。

 お姉ちゃん、お兄さん。年上ばっかりで、正直これ以上大人の人を傍に置くと気付かれでストレスになりそうだなぁ。

 

 そんなとき、頭の中にチラついたのは先日会った男の子だった。良くも悪くも職場の先輩後輩という立場でありながら、この状況を打開するために尽力すると言ってくれた男の子。

 白石勇人くん。年は私の方が年上で、彼はまだ高校一年生だ。見たところ、誠実そうでお父さんが気に入りそうなタイプ――――

 

「…………寝よ、馬鹿馬鹿しい」

 

 こんなんじゃ、お兄さんのこと言えないな。そういった気持ちが、地面の底から湧き出てくるみたいに心に溢れてきた。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 熱いお湯が俺の身体にぶつかっては跳ねる。垢だらけになった身体の表面で水滴が落ちるものかと張り付いていた。なぜ俺がシャワーを浴びているのか、それは母親が湯を熱めに張りすぎたので先に入って冷ませとのこと。シャワー浴びずに湯に浸かったら生まれてきたことを後悔させるというので、念入りに身体を洗わねばならない。決して頭の痒さに屈したわけではない。

 

『君、身体は腕から洗うんだねぇ~』

「……うるさい、消えろ」

『ボクと君の仲じゃんか』

 

 ぬいぐるみさん、いつの間にか俺はこいつをこう呼ぶようになっていた。決して馴れ合ってるつもりではないけど、こいつの甲高い声を聞き慣れてしまったというのはある。

 薄気味悪さもすっかり感じなくなってきた。馴れ馴れしい友達以下知人以上みたいな感じですっかり定着してしまっている。

 

 しかし、俺がぬいぐるみさんと喋ってるうちはきっと、俺は正気じゃない。当然と言えば当然だが母さんたちにはぬいぐるみさんの声が聞こえない。というか()()()()()ようだった。

 つまりぬいぐるみさんは俺の見てる幻、幻覚だ。自分の頭が生み出した幻にまで嫌味を言われてしまうと、なんだかもうすべてがバカらしくなる。世界中の人が俺を否定しているように思える。

 

 ネット上の心無い書き込みが全て、自分に向かってくるように感じる。空に向かって吐いた何気無い一言がぬいぐるみさんによって皮肉に変換されて、自分へ突き刺さる。

 

 シャンプーを普段より多く手にとって頭に馴染ませる。痒いせいか気がつくと引っ掻き回すように頭をかき回していたので、指の腹で揉むようにして洗う。蓄積された油がごっそりと洗い落とされていくのを感じて、少し……いやかなりスッキリした。泡を流すと、鏡に映る自分の顔が見えた。伸びすぎた前髪が目にかかってチクチクする。鏡越しに瞳が確認できないくらいに髪の毛が伸びていた。おかげで、水滴が髪に乗っかってる間は髪の毛がとても重く感じる。

 

「爪も、髪も伸びたな……」

『爪は切っとけよ。セックスするとき爪伸びてると相手を傷つけるぞぉ~』

「下品なやつだな……当然か」

 

 そもそも、俺はレジ部員だ。お客さんの商品を直接手にするわけだから、爪はいつも短くしておくのが常識だった。だから少しでも伸びたら切るようにしている。でも、その習慣が無くなるとあっという間に伸びてしまう。髪の毛も、レジ部員は人相が命だ。目が隠れるほど前髪が伸びていたら、お客さんは萎縮する。ビジュアル的に、今の俺はレジ部員失格だった。

 

「情けないな、ここまで習慣って崩れるんだな」

『だってさぁ、君穂むらで半年近く生活してたんだよ? こっちの家での習慣なんてすっかり抜け落ちてるでしょ。ここ最近なんか猿みたいなセックスしかしてないんだしさ』

「お前それが言いたいだけなんじゃないのか……」

『ぷぷぷ、そうだね。猿だってもうちょっと情緒的だよね。猿ももっと丁寧に段階踏むよね。まぁ君の場合、段階踏んだらそれこそ修羅場なんだけどね、くすくす』

 

 ぬいぐるみさんは相変わらず下品な茶々しか入れない。だけど、反論は出来ない。俺が欲のまま、海未ちゃんに手を出したのは事実なんだ。回数を経るごとに、背徳が快楽を倍増させて歯止めを利かなくさせた。背徳が、穂乃果ちゃんへの罪悪感が生み出したスリルが、俺と海未ちゃんを抜け出せない深みまで引きずりこんで行った。

 

「あれから……海未ちゃんは、どうしてるのかな」

『会いに行ったら? もっとも、君が今会いに行ったら最高にバッドエンド直行な気しかしないけどね、くすくす』

 

 確かに、悔しいけど否定できない。何もかもぶち壊れた今、ブレーキなど存在しないのだ。海未ちゃんに会ったら最後、そのまま帰るなんて不可能かもしれない。我ながら下半身の我が強すぎる。

 しかし、海未ちゃんが俺に放った言葉は刺激的だ。高貴という文字が人間になったような海未ちゃんが、自分のモノになるという言葉。俺はそれに甘えた、穂乃果ちゃん相手に遠慮した行為で彼女を汚した。穂乃果ちゃんを大事にする余り、抑えつけられた欲求は海未ちゃんを犯した。

 

 目を瞑れば彼女の姿が目に浮かぶ。潤んだ瞳、上気した頬、我の強い口。意識すれば、見境無く下腹が疼く。俺は頭を振って、湯船に飛び込むようにして誤魔化した。

 

『そういやさ、穂乃果ちゃんがどうなってるかは気にならないの?』

「……気になってるよ」

『ふぅん、じゃあ教えてやるよ。穂乃果ちゃんはね、毎晩泣いてるよ。毎晩毎晩、声が出ないのに君の名前をひたすら呼んで、窓にひたすら君の名前を書いてるよ』

 

 見てきたようにぬいぐるみさんが言う。俺はその言葉から耳を背けたくて、風呂の中に潜った。だけど、ぬいぐるみさんの声は水中だろうと容赦なく俺の耳朶へ響いた。

 

『そうやってさ、君はいつまで穂乃果ちゃんに申し訳ない振りをして被害者ぶってるんだよ。君に逃げ場なんか無い、ボクの言葉でボロボロになるまで擦り切れるのがお似合いさ』

 

 被害者ぶってる、その言葉を聞いたからか。熱い湯船に潜ったから頭に血が上ったのか、俺は風呂から飛び上がると身体を適当に拭き用意しておいた着替えを身に包んだ。

 どうしたらいいのかも、どうしたいのかも分からない。ただ、無性にムカムカするから。

 

 それだけの理由で俺は家を飛び出した。ぬいぐるみさんの声なんかに気を取られずに、一直線に走った。

 しばらく寝たきりだったのに加え、ろくな食べ物を腹に納めてないから体力もガタガタだけど、それでも走った。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 穂乃果は、今日も一人です。広く感じる自分の部屋で、ずっと窓の外を見ていました。穂乃果の部屋から見える道路は街灯が等間隔で立っているので、夜でもよく見えます。

 両手の指のうち、右手の人差し指だけ妙に冷たく感じます。きっと理由は、ずっと窓を擦っているから。彼の名前を書き続けていれば、帰ってきてくれるんじゃないかって。ありもしない希望に縋ってるだけです。

 

 はぁー、っと息を吐くと、窓がじわりと曇ります。彼の名前が刻まれて、湿気の無い文字の部分も降り積もる雪が足跡を消すように綺麗に見えなくなりました。

 街灯の光を逆光に、人差し指で硝子に触れます。そして、いつものように彼の名前を一文字ずつ丁寧に書きます。何度も何度も、そのことに意味があると思い続けながら、書きます。

 

 先日、雪穂にやめた方がいいって言われたばっかりだけど、どうしてもやめられなかった。雪穂は今夜もどこかへ出かけています。亜里沙ちゃんの家に遊びに行ったって、おかあさんはそう言ってました。

 だから、今はこうしていても雪穂にはバレません。雪穂が帰ってくるまでの、私のやらなくちゃいけないことなんです。

 

 ふと、硝子に綴った彼の名前を見つめました。たった四文字が、彼を指し示す記号なんです。私は高坂穂乃果で五文字です。この五文字が私を私だって証明するものです。だから、彼の証明である彼の名前を見ていると、夏を思い出します。

 

 彼と結ばれたあの頃、まだ見えている相手に嫉妬が出来ていた頃です。お店で並んでレジに入っていると、当然綺麗なお客さんがいっぱい来ます。絵里ちゃんより背が高くて、希ちゃんくらい胸が大きい女の人も来ます。そういう人を見ると、彼は声をちょっと高くするんです。緊張して、上手く口が回らないときもありました。

 

 女子高のスクールアイドルをやっていたから、ファンは自然と男性が多かったです。人気が出始めると、当然町で声をかけられたこともあります。

 だけど、どんなにかっこいい人でも彼以上に思ったことはなかった。だから、私以外に目移りする彼に対して拗ねたこともありました。

 

「…………っ」

 

 胸が苦しい。指が震える。あの日、彼に言われたことが今でも耳にこびりついてます。

 お泊り会、あの日に全てが壊れ始めたんです。穂乃果は、彼の力になれませんでした。海未ちゃんとのことを抱え込む彼から必死にそのことを聞き出そうとしました。今思えば、無神経だったな。

 

 立場が逆になったら。もし私が他の男の人に抱かれたら、そのことを彼に言おうとは思えない。たとえ彼が知っている人でも彼と親しい人でも。

 なぜか、それは好きな人が出来て初めて分かる恐怖。嫌われることへの、恐怖。

 

 私も彼も、一時期ずっと一人だった時期がある。だからこそ、お互いの寂しさが共有できた。思い返せば、私たちは互いに、相手に依存していたんだと思う。

 子供の頃の、一度は風化した気持ちが。彼という風を受けて蘇った。そして、一緒にいる時間大事に暖めて、育ててきた気持ちを相手に括りつけてしまったんだ。

 

 相手に、気持ちを預けるのではなく、括りつけた。相手に渡すという意味では同じかもしれない。だけど、自分自身のワガママを相手に縛り付けていた。二人とも、それに気付かなかった。

 だから、離れたときに引き千切れてしまった。私の身体に根を這っていた彼の愛は、離れると同時に私からいろんなものを根こそぎ千切っていったんだ。

 

「……っ、く……ぅ……」

 

 掠れるように、声が潰れる。堰を切ったように、嗚咽が止まらなくなる。一人は嫌だ、もう一人は嫌。

 海未ちゃんとことりちゃん、ずっと一緒だよって高校時代に言ったけど、私が二人に及ばなかったからその言葉が嘘になってしまった。

 

 そして、代わりに隣に座った彼も、結局失ってしまった。

 

 穂乃果はもう、誰の隣にも座れないのかな。穂乃果は、これからずっと一人で歩いていかないといけないのかな。

 

 そんなの嫌だ、って冷たい窓ガラスに額が触れたときだった。彼の名前が書かれて、透き通っていた窓から外を眺めた。瞬間、息が詰まった。

 街灯の下でこっちを、この窓を眺めてる男の子の姿が目に入った。ばっちり目が合った、視線と視線が重なった瞬間、私の身体は椅子から飛び上がった。すると、男の子――彼も、驚いたようにその場を走って逃げようとした。

 

 待って、口を動かしても喉からは掠れた声を息しか出てこなかった。呼び止めることはやっぱり出来ない。

 だったら、追いつくしかない。もう一度、彼を抱き締めよう。彼の温もりに触れよう。私が彼を許せば、きっと戻ってきてくれる。ううん、許すも何も怒ってなんかない。話せば、きっと――――!

 

「穂乃果!?」

 

 お母さんの声が聞こえた。けれど、私は靴を履くのも上着を羽織る時間も惜しんで、そのまま家を飛び出した。夜の街は容赦なく肌に氷柱を突き立ててくるような寒さだった。裸足の足で踏むアスファルトは凍らせた剣山の上を歩いてるようで、踏み込むたびに冷たくなった欠片が足裏にちくちくと刺激を与えてきた。

 加えて、ここしばらくの運動不足と栄養不足が祟って思うようにスピードが出せなかった。酸素を求めて体が熱く燃えているようで、眩暈までし始めた。

 

 けれど、足を止められない。止めたら、もう二度と彼とは繋がることはできない。そういう気持ちで、自分を奮い立たせた。

 

 待って、待って、待って…………!!

 

 置いていかないで、あなたのこと今でも大好きだから…………!

 

 止まって、帰ってきて、穂乃果のこと力一杯抱き締めて…………っ

 

 だけど、彼の姿は見えなくなった。

 

 

 

 

 

 どうして、止まってくれないの。

 

 

 

 ここだよ、って言ってくれないの。

 

 

 

 もう、愛してくれないの。

 

 

 

 いやだ……

 

 

 

 愛して。

 

 

 

 愛して。

 

 

 

 愛して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――やっぱり、海未ちゃんの方が、好きなのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう意識した瞬間、足から力が抜けてしまった。アスファルトの上に、思い切り倒れてしまう。

 曇り硝子みたいなぼんやりした視界で、道路の先に消えて行った彼に手を伸ばした。

 

 

 倒れたまま、起き上がる力が出なくてじっとしていると汗が出てきて、身体が急激に冷えてきた。

 

 寒い、寒い……誰か、助けて。

 

「――――高坂さん?」

 

「雪穂さん! 高坂さんが!」

 

「お姉ちゃん? お姉ちゃん!! 室畑さん! お姉ちゃんを運ぶの手伝ってください!」

 

「わ、分かった! 白石くん、上着貸してくれ!」

 

 ごめんなさい、そういう声が聞こえて身体がふわっと浮き上がった。揺れる意識は、縦に上下するたびに荒削りしたみたいに狭まって行った。

 

 




希望の残光《アフターグロー》

まだ終わりじゃないです。読者も、穂乃果ちゃんも、一人じゃないっす。

それと花陽ちゃん、誕生日おめでとう。
バイトダイアリーでいつか君の出番作りたいけど難しいかもしれない。
無理だったら、新作で思いっきり出番挙げるから許して。



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灯火

大変長らくお待たせしました←
ファイナルライブ外れて結局行って精力回復したかと思いきやいろんな企画参加したり新たな趣味を見出したりといろいろ忙しい相原末吉です。




 ぽたぽた、ではなくぼたぼた。

 

 頬から滴る雫は雨粒なのだろうか、雨水にしてはひどく生温い。

 ああそうか、きっと俺は泣いているんだ。 そんなつもりも、泣いていい権利だって、ない筈なのに。

 

 俺はどこに雫を落としている。

 

 アスファルト、違う。

 

 オレンジ色に照らされた、玄関だ。他人の家の、玄関に不躾に滴を零している。

 なんでだっけ、俺は穂乃果ちゃんに、何しようとしたんだっけ……謝ろうと、したんだっけ。話をしに行っただけな気もする。

 

 結局出来なかったが。

 

 自虐心から嘲いが漏れそうだ。もはや自分で自分を嘲うことすら滑稽、まるで画面の中のドラマかなにかで悲恋を辿った主人公を見て何事も無いようにチャンネルを変えるみたいに、ひどく浮いた姿だ。

 と、自分の姿を想像して変な笑いが出そうになったときだ。頭から何かを被せられた。それは暖かく、俺の身体中の水分を吸い取っていった。

 

 そして、

 

「大丈夫ですか……?」

 

 こんな俺に優しさをくれた。痛いだけなのに、苦しいだけなのに、それでもやっぱり人の優しさが嬉しくて。

 みっともなく俺は背中に触れる暖かさに甘えた。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 妹が、亜里沙が彼を拾ってきた。拾ってきたって言い方は、少し失礼かもしれないけど。亜里沙の話を聞く限りでは拾ったという表現が正しい。

 帰ってくる途中、大雨の中で倒れている彼を見つけたそうだった。幸い家が近くだったから、肩を貸すくらいで連れてくることが出来たそうだ。彼の精神状態からして、今穂乃果以外の女性に触れるのはひどいダメージになるだろう。

 

 それでも、私は私で彼と話をしなければならないと思った。だから、穂乃果や雪穂ちゃんにも内緒で彼をこうして家に上げている。

 彼に対し言いたいことが無いわけではない。しかし、すべてにおいて今回の出来事は夢、幻、そう思っても不思議ではなかった。

 

 私たちはずっと一緒にいたからこそ、誰かが男の人に恋焦がれ、お互い好き合うという姿が想像できていなかった。

 

 だからこそ、()()の中に存在していた闇に気付かなかった。

 

 私にとって園田海未という少女は、おばあさまから聞いていた古風な女の子の像にぴったり合うような、清純な女の子だった。

 礼儀正しく、悪いことは悪いとはっきり言えて、男女の恋愛に疎く、それでいて奥手な少女。

 

 奥手だったからか、彼女は彼を遠くから見ているだけで踏みとどまってしまった。その間に、親友だったはずの穂乃果は恋敵になってしまった。

 たった一人の男の子を取り合って……ううん、取り合うなんてものじゃなかった。

 

 穂乃果が彼を何も知らずに持っていってしまった。そう、何も知らずに。

 あまりに豪快で、あまりに鮮やかで、こんな事態になってなお笑ってしまいそうなほどに、彼女は高坂穂乃果だったのだ。

 

「彼に触れてみたら、少しはわかるのかな」

 

 玄関の方から、彼のすすり泣く声が聞こえる。懺悔しているのか、それとも自分の無力を呪っているのか。

 どちらでもいい、彼を立ち直らせない限り、私たちはきっと元には戻れない。

 

 あの、綺麗なままの、思い出のμ'sのままではいられなくなる。

 

 私は亜里沙が持ってきた少し泥だらけのタオルを洗濯機の中へ入れ、新しいタオルで彼の身体を拭いた。その間、亜里沙はずっと彼の手を握っていた。

 亜里沙と彼の出会いは去年の夏だ、電車の中で出会ったという。紳士的なところに惹かれたのか、それとも兄のように思っているのか亜里沙はよく彼の話をするし彼が穂乃果の家に住み込みで働くようになってから、よく穂むらへ遊びに行くようになった気がする。

 

 私の大切な人のことたちのことを思えば、私が彼に手を差し伸べる理由になる。

 

「遠慮しないで、私はあなたを責めたりはしないから……だから、全部話してほしいの、今更じゃない」

 

 彼を刺激しないように、私は語りかけた。後ろから包み込むみたいに、タオル越しに彼を抱き締める。

 やましいことじゃない、彼の氷解した心を溶かすために必要な熱だから。

 

 さめざめと、外の雨とは違って静かに嗚咽を漏らした。

 

 

 

 

 

 すべてを聞いたあと、なおさら私は驚いた。

 海未はそういう、男女の機微とか肉体関係だとかその辺りの言葉と一番遠い存在だと思っていた。だからこそ、やっぱり信じられなかった。

 だけど彼の傷つきようからして、事実なのだろう。

 

「最初は、海未ちゃんは穂乃果ちゃんと付き合うための最後の試練だと思ってたんです。だけど、違ったんです。海未ちゃんは俺と穂乃果ちゃんが届かないところで繋がるのが怖かったんだと思います……全部、俺の想像ですけどね」

「合ってるんじゃないかしら。海未は追い詰められたら何をするか分からない子よ、そこだけは彼女の弱点だもの」

 

 海未は流され易い子だと、常々思っていた。そもそもスクールアイドルを始めたのも、穂乃果がきっかけ。彼女の親も穂乃果が誘ったなら、と別段止めるようなことはしなかった。

 だからこそ、もはや奪い取る以外に彼を手に入れることが出来ないと知ってしまったことで歯止めが利かなくなってしまったのだと思う。

 

 彼は、たとえ浮気だとしても護ろうとした。μ'sを、穂乃果と海未の幼馴染としての友情を、頑ななまでに。それこそ、自分を壊してまで。

 

「何度もやめようって思いました。だけど海未ちゃんが救われるまでは、ってどうしても思っちゃって……そのうち気付いたんです、海未ちゃんとの行為にだんだん慣れていく自分に、なんだかんだ言って彼女と身体を重ねてしまう薄弱な自分に」

 

 すごいストレートに言う彼。私は少々面食らってしまった。私も実はそういう話に耐性が無い。私はそっと亜里沙の耳を塞ぐだけで精一杯だった。

 

「あ、すみません……ちょっと品が無いですよね……」

「き、気にしなくていいのよ……大丈夫だから」

 

 ちっとも大丈夫じゃないけれど。未だにバージンだから、ものすごく刺激が強い話なんだけども……そうじゃない。

 

「あなたは、十分頑張ったわよ。こうなるのは、ちょっとあの子達には悪いけど仕方のないことだったんじゃないかしら。どちらも傷つけずに、二人の友情を護るのは無理だったとしか……」

「それでも諦めたくなかったんですよ。小学生の頃から一緒だったんです……」

 

 そうだろう、私はこの地に子供の頃から一緒にいる友達というのがいない。得た友達はそれこそ、すべて高校三年の夏からだ。

 

「あの、亜里沙……どういう風に励ましたらいいのか、わからないんだけど……」

 

 と、そのときだ。ずっと私が耳を塞いでいた亜里沙が私の腕をすり抜けて彼の前に立った。彼は何を言われても受け止めるというように、まるで介錯を待つ大罪人のようだった。

 しかしその彼に浴びせられた言葉は、鋭利な刃物ではなく、とても柔らかなものだった。

 

「私、お兄さんがお姉ちゃんの彼氏だったらなぁ、って思ってた時期があるんです。そうしたら、いつかお姉ちゃんと結婚して、お義兄ちゃんになってくれるかもって」

 

 …………何を言っているんだろう、この妹は。しかもどうやら本心らしく私が焦っている理由が分からないらしかった。彼も彼で、ちょっと呆けてしまっている。

 

「だけど、どんなに想像してもお兄さんが私のお義兄ちゃんになってる姿は想像できなかったんだ。お兄さんは、雪穂のお義兄さんでいるときが一番しっくりきたの。だから、お兄さんは穂乃果さんと添い遂げるべきだ、って思ったんです」

 

 彼はハッとしたように顔をあげた。少し前の呆けた顔が嘘みたいに、真剣な顔をして亜里沙の言葉を受け止めた。

 

「私は海未さんも好きです。尊敬してますし、あんな風に綺麗になりたいと思ってます。だけど、穂乃果さんと雪穂の隣にいるお兄さんが、一番かっこいいです!」

 

 私の妹は、時々世間知らずなことを言う。それこそ、おでん缶を飲み物だと思っていたり、カレーも飲み物だと信じて疑わなかったり。

 本当に悪く言えば世間知らず。だけど、良く言うなら純粋だ。私も忘れた純粋さをこの子は持ち続けている。

 

 そうだ、私もこの子に救われたことがある。凍った心に楔を打ち込んでくれたことがある。それを、仲間が押し込んで、心を覆う氷を壊してくれた。

 

 

 

 ――――お姉ちゃんの本当にやりたいことは?

 

 

 

「そうよね、あなたはあなたがやりたいように動けばいい。いい? 穂乃果と海未はこのままだときっと自分を責めるわね。少なくとも相手を傷つけるような子じゃないもの。だから、壊れてしまったものを直すのはあなたしかいない。あなたにしか直せないし、それがあなたのやらなくちゃいけないことだと思う。取り繕うのとは別よ、もう壊れてしまったんだから。だけど、何度だって直せるはずよ」

 

 私は彼を許そうと思う。彼の努力を認めようと思う。これからの彼を、見守っていこうと思う。

 

「わかり、ました……俺、まだどこかで壊したくないって思ってたんですけど、気付いてなかったんですね」

 

「誰だってそうよ、当事者はみんな気付かないの」

 

 彼に向かって笑いかける。亜里沙も、心配そうに下げていた眉をまた元に戻して、ニコニコとした顔で彼を見つめていた。

 ここから、もう一度。

 

「にしても、妬けるわね。穂乃果も海未もお熱にしちゃうなんて、私もそういう女になってみたいわ」

「絵里さんなら、男はすぐに引っかかると思いますけどね」

「馬鹿ね、あなたくらい素敵な人じゃないと釣り合わないわ」

 

 だって、私たちはμ'sですもの。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

「はぁ~……よし」

 

 すべてが終わった後、家に帰った。ずぶ濡れだったけど、着替える前に俺は最低限充電したスマートフォンを手に取った。久しぶりに熱を宿した相棒は気持ちいつもより早く起動した。

 震える指先で、俺はそっと「高坂雪穂」と書かれた連絡先にダイアルする。

 

 イヤホンで、どんな罵詈雑言でも受ける。聞き逃さないように、両耳を塞ぐ。そうだ、今の俺に何を言われても避けるわけにはいかない。

 マイクの部分を口に近づける。画面を見なくても、鏡を見なくても分かる。ものすごく震えている。

 

 出来ることなら、出ないでほしい。そう思う心がある。むしろその心の方が強い。また明日頑張ればいい、明日から頑張ろうって思ってしまう。

 けどダメだ、這い上がるなら今日だ。そうだ、だって俺は、穂乃果ちゃんに会いに行った。あの行動は煽りから来たものだとしても、俺自身の心が俺を動かしたのだから。

 

『……もしもし、お兄さん』

「お、あ、うん……俺だよ」

 

 きゅっと目を瞑る。普通なら、ここで切られてもおかしくない。心臓がバクバクなっている。イヤホンのせいか、耳に通ってる神経まで鼓動している。

 

「あの、出来れば切らないでほしいんだけど……」

『切らないよ、用があったから電話してきたんでしょ』

 

 そうだ、話をするために俺はこいつを手に取ったんだ。

 

「俺、ようやくわかったんだ。だから、穂乃果ちゃんと仲直りがしたい。同時に、海未ちゃんと決着つけたいんだ」

『……もう遅い、って思わないの?』

「思ってるよ、だけど手遅れだからこそもう一回始めたいって思ってるんだ。都合が良すぎるって言われても構わない、俺はもう一度穂むらに住み込んで働きたいんだ」

 

 バイト戦士じゃない、今度は本職にしたい。密かにそう思っているから。

 

「だから、一先ず俺を許してほしい。好き勝手に動いて、また掻き乱すかもしれないけど……」

『ダメ、許さないよ。お兄さんは、絶対一人じゃまた立てなくなる。だから、私も協力する。勝手は許さないけど、私の目が届くところで頑張るなら、私はお兄さんを責めない』

 

 その一言は、俺が待ってた言葉とは違った。けど、俺は救われている。そう感じる権利なんか今はない筈なのに、とても救われている。とても安らかな気分だった。

 

「……雪穂ちゃんは、甘いよね」

『お兄さん限定だから、お姉ちゃんに代わる?』

「いや、今日はいい。けど、後日絶対に会いに行くから、だから……」

 

 そこまで言って、熱を持ったスマートフォンは再び眠りについた。本当に最低限の会話しか出来なかった。

 

「だから、穂乃果ちゃんにもう一度好きだって伝えに行こう」

 

 俺はすっかり自然乾燥の済んでしまった服を脱いで、久しぶりにジャージを身に纏った。心なしか、少しだけ大きくなった気がする。ここ数日で一気に痩せてしまったからかな。

 

『お兄さんは、ホント女の子に恵まれてるよね』

「かもな」

 

 ぬいぐるみさんの声も、恨めしさが消えていたような気がする。

 

『ボクはお兄さんの妄想の産物さ、お兄さん以外には見えない。だけど、逆に言えばボクがいつでもついてるってこと忘れないでね』

「憑いてる、の間違いじゃない?」

『そうかもね、ウフフ……頑張ってね、お兄さん。ボクを、穂乃果ちゃんのところまで連れていってね』

 

 そこまで言ってから、ぬいぐるみさんは姿を消した。不気味だと思っていたあの顔も、どこか可愛げがあるマスコットのような顔つきに見えた。

 

「ありがとう」

 

 俺は、本当に恵まれている。周りに、こんなにいい人たちがいるからこそ、立ち上がれるんだと思う。

 何度折れたって、みんながいる限りはまた立てる。

 

 だから、今日はおやすみなさい。

 また明日、朝日に臨むために。

 

 





久しぶりに書いたのでキレが無いですが、大目に見ていただければ嬉しいです。
長らくお待たせして申し訳ないです。


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雲間

連日投稿です


 

 憔悴、その言葉を体現する少女がいた。少し少女チックにあしらわれた部屋は荒れ、本来の和風な内装が少しだけ顔を覗かせているが、その荒れようのせいで幽霊屋敷の一室にも見えるほどだった。

 少女の目は腫れ、口は小さく開いたままだった。長く艶やかだった髪の毛はまるで、山姥のようにぼさついていた。

 

 そんな彼女の携帯が震える。ベッドの上で座り、壁に凭れかかってる彼女の手に震える携帯が近づいていく。画面には、南ことりの名前があった。

 彼女の目が画面を見ることでようやく光を湛える。しかし彼女はスマートフォンを再び布団の上に戻し、濁った目を部屋中に向けた。

 

 高坂穂乃果が何も食さない間、彼女――園田海未も何も口にしていない。それは彼女に対する負い目からか、それともちょっとした黒い感情か。

 もう何日もまともに眠っていないように、海未はやつれていた。

 

 意識を失ってもうなされる。どうしてこんなことになってしまったんだろう。

 自分が悪い、一時の欲に流された自分が悪い。だけど、背徳は彼女の背を押し、感覚を麻痺させ、彼女から何もかもを奪い去った。

 

 奪い去った、と考えるのはお門違いか。結局は全部自分でかなぐり捨てたのだ、快楽のために全部を。

 友情も、仄かに暖めていた愛も、何もかも。

 

 強烈な自己嫌悪に苛まれた彼女の頭に残っているのは無念と、こうなってなお存在する彼への妄執。

 

 自分で言った、彼のモノになると。彼が理性を捨てるとき、隣にいたい。今でもなおそう思ってしまう。

 

「私は、人の子じゃありません……だから、もっと」

 

 官能的に唇に触れる。思い出すだけで、血が沸く。彼が穂乃果にすべてを打ち明けてから長らく失われた感覚が指先から全身へと伝わる。

 呼吸は荒くなり、身体が熱くなる。たまらず全身を撫で回すがまだ足りない。

 

「私は……私は……」

 

 虚ろな瞳で自分を慰める彼女の姿は、ともすれば亡霊のようであった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 覚悟を決めた俺が最初に訪れたのは、まず職場だった。といっても、スーパーの方だけど。

 しかし固めた覚悟が簡単に崩れ去りそうなくらい雰囲気が重く、俺はすぐに踵を返しそうになった。

 

「先輩……」

 

 俺の変わりに早期出勤してくれている白石くん、その隣で俺をやや睨むように、けれども眉は八の字にして困っているような室畑くん。

 そして殺意むんむんの主任。本当、出来ることなら今すぐ逃げ出したい。

 

「先輩ちょっといいっすか」

「いいよ、ドンと来い」

 

 室畑くんが今日の特売品のチェックも放って俺のところへやってきた。その足取りはとても勇ましく、威圧的だった。

 そして予想通り、彼は客の前で店員(格好は私服なので客扱い)を思い切り殴り飛ばした。殴られたところがズキズキと痛み、口の中に鉄の味が広がる。けど、必要経費だった。

 

「ファンがアイドル泣かせてどうすんすか……先輩馬鹿っすよ」

「…………うん、わかってるよ。だから、こうしてここに来た」

 

 俺の胸倉を掴む室畑くんの胸倉を逆に掴み返し、俺は立ち上がった。

 

「頼む、力を貸してくれ……壊れたもん全部元に戻すには、俺一人じゃ絶対無理だ。恥ずかしいけど、俺が頼れるのは、みんなだけなんだ」

 

 頭を下げる。恥ずかしいと言ったけど、今の俺に羞恥心は無い。必要なもののために、本当にやりたいことのためにやることをやるしかないんだ。

 

「……頭、上げてくださいよ。下げんのはむしろ俺の方っす。休職中の先輩殴ったりして、すんませんでした……事情、知ってるはずなのに」

「いいんだよ、むしろ頭から泥が抜けたみたいですっきりした」

 

 俺は室畑くんを抜き去り、そのまま主任に頭を下げた。

 

「すいません主任、もう少しだけ休みをください……」

 

「……いや、休職中だし戻れるときに戻ってきてくれて全然いいんだけどさ」

 

 驚いて顔を上げると主任から殺意は消えていた。そして、一言。

 

「けど、戻ってくるときは高坂さんも一緒。じゃないと認めない。二人一緒に朝の九時から働かせてやるから覚悟しなさい」

「はい、バイト一人くらい引っ張ってきます。ありがとうございました……!」

 

 こんなにあっさりいくと思ってなかった。だから、ちょっと脚から力が抜けてしまいそうだった。最後に俺の前にやってきたのは白石くんだった。

 

「先輩、僕も微力は尽くしますから……頑張ってください!」

 

 ぬいぐるみさんは女の子に恵まれてる、って言ってたけど……違うな、俺は仲間に恵まれてるんだ。それは穂乃果ちゃんと付き合う前から変わらない。

 

 スレでみんなに救われて。

 

 雪穂ちゃんに背中を推されて。

 

 エルメスた……亜里沙ちゃんに癒されて。

 

 絵里さんに渇を入れてもらった。

 

 ここまで来たら、やりきるしかない。どうなったとしても、って思ってたけど違う。完璧に、元通りにするんだ。

 

 穂乃果ちゃんと添い遂げるために。そのために、俺自身が救わなきゃいけない人が、どうしてもいる。

 俺はその人物とコンタクトを取るために、スマートフォンの電源を入れた。

 

 雪穂ちゃんの話では、ここ最近学校にも現れないって言ってた。だから、きっと家にいるはずだ。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 その日も、園田海未の一日は怠惰を越えたものだった。一日中、動きもせず虚ろな瞳でどこか虚空を見ている。

 

『やぁやぁ、今日も静かだね』

「えぇ、今の私は命があるだけのモノですから……指示があるまで、動いてはいけません」

『徹底してるなぁ、君は捨てられても執念で帰ってきそうだよね。一昔前の呪いのぬいぐるみみたいだね、アハハ』

 

 ぬいぐるみの声が聞こえているのは彼だけではなかった。ぬいぐるみ特有の狂ったジョークに耳を傾けながら、海未は濁りに濁った目を虚空へと彷徨わせた。

 腹の虫も諦めたかのように鳴くのをやめた。ご飯が食べたい、けどそれ以上に、幼馴染の家の和菓子が食べたいと思っている。

 

 一生叶わないだろう、そう思っていてもあの口溶けを忘れられない。一度でいいから彼が作り上げた和菓子を食べてみたかった。

 それは同時に、海未が一番認めたくない彼の姿を認めることになる。穂むらの跡を継ぐ彼の姿は、海未にとってどんな鋭い一撃よりも殺傷力の高い攻撃だ。

 

『君も案外しぶといよねぇ、もう諦める方が遥かに楽なのにさ』

「あなたは、本当に私の本音を知っていますね……いっそ彼への思慕も愛も全部忘れてしまえたらどれだけ楽か、って思います。それでも、好きなんです……」

 

 

 

 ――――時を巻き戻せたら、どれだけ辛くて、どれだけ幸せだろう。

 

 

 

 ふとそう思うときがある。穂乃果のことが好きだという彼を心から応援して、いずれ子を成した彼らを心から祝福して。

 彼らの子供に、年の割りにおばさんなんて言われてちょっぴり傷ついて、だけどお姉さんっていう歳でもいられなくて……

 

 そんなとある風景に一喜一憂出来たら、どれだけいいだろう。

 

 絵空事は、所詮絵空事。私が今更彼らの元に歩み寄るだなんて許されるはずがない。しかし身体はそれに従おうだなんて微塵も思っていない。

 矛盾、そう矛と盾。

 

 私の欲望という矛は、何ものであっても徹さない理性という鉄壁の盾を、たった一夜で貫いた。人は最終的に、我欲には勝てない。

 だからこそ、この私の心を表しているかのようなこの(へや)が必要なのです。ここを、出てはいけない。

 

『ふふふ、人が欲に勝てないならば、君のしたいようにすればいいのに。相変わらず矛盾という言葉は君のためにあるみたいだね』

 

 彼の言葉は私に深く突き刺さりますが、そこから血は出ません。

 

『言ってごらんよ、君はどうしたいの? 彼ともう一度肌を重ねて一時の快楽を得たいのかな? それとも……』

「…………出来ることなら、なかったことにしたいです。もう一度、穂乃果の友達に戻りたい……」

 

 ですが、そんなことは無理です。私は一生、彼女という日を拝むことは許されない。

 

『許す許されないじゃないんだよ、本当に。君が何をしたいかだよ。君が忘れても、みんなは覚えてるんだからね』

 

「みんな……って」

 

 それだけ言うとぬいぐるみはどこかへ消えていました。目の前の空間の中で少し浮いているスマートフォンに手を伸ばす。電池はあと少し、知りえる中で私に恨み言を言ってくれそうな人は、二人いる。

 私は、数瞬迷いながらその二人のうち片方へと、ダイヤルをかけた。

 

 数回の呼び出し音の間、まるで私は車道に躍り出るような、狂った熱を感じていた。走ってくる車に身を曝すような命を賭けた一瞬の開放を求めるように、わざわざ死地に飛び込む命の快楽を貪った気分でした。

 

『うわっ、びっくりした。かけようと思ったらかけてくるなんて……もしもし、海未ちゃん?』

「あ、へ……ぇ、っと……」

 

 想像以上に高い声が聞こえて、私は言葉を失いました。彼の声には違いありません。ですが、なぜそんな晴れ晴れしたような声をしているのか分かりませんでした。

 

『おはよう、元気かな? 俺は、まだちょっとだるいかな』

「お、おはよう……ござい、ます」

 

 なんとか、会話を繋がなければ。そう思って私は考えるより先に口を動かしました。彼の声が耳に届くたびに身体がじんじんと熱くなる。

 

『なにか、用事あったの?』

「い、あ、あの……そう、ですね。私を傷つけてくれる人は、あなたくらいしか思いつかなかったので……」

『……そっか、じゃあそうだな……うちの近所の公園で待ってる。十五時に待ち合わせ、でいいかな。そこで直接言うよ』

 

 彼に会える、彼が会ってくれる。私にどんな汚い罵詈雑言を投げてくれるとしても、彼が私の前に現れる。私が彼の前に赴くことを許してくれる。

 そう思っただけで、幾分生きている気がしました。痛いからこそ、生きているというのはこういうことなのかと感じました。

 

『じゃあ、待ってるからね』

「必ず行きます。あなたの元へ、這ってでも行きますから、また私を……っ!」

 

 そこまで彼に告げてから、私のスマートフォンは力尽きました。嬉しさと悔しさが綯い交ぜになり、思わずスマートフォンを叩きつけそうになりました。

 私の身体が悦びを隠せずにいる。震える、愛で身体が満たされる。

 

 身体を慰める必要はなくなりました、彼が私を求めてくれるなら……どんなことにでも応えよう。

 

 彼が望むならどんな姿にでもなります。だから、私を…………

 

 

 

 

 私から逃げないで……

 




園田くんの持ちうるポテンシャルを以て高速風呂敷畳みの時間です。


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晴れ間、そしてこれから。

大変お待たせしました。言い訳はあとがきの方でしますからね? ね?


 さすがに平日の昼間、公園には少年少女の姿が見えなかった。小学生より下の子供ならいてもおかしくないと思ったけど、いないならそれで好都合だ。

 これから始まるであろう俺たちの話し合いを見せるわけにはいかない。

 

「お待たせ、しました……」

 

 振り返ると、軽くホラーチックな見た目に変わった海未ちゃんが立っていた。シャワーでも浴びていたのか、長い黒髪が日の光を受けて水滴のきらめきを見せた。

 しかし伸びきった前髪から目が覗けるかどうか、そのくらいに伸びた海未ちゃんの目はどうにも澱んでいた。

 

 間違えるな、彼女を壊したのは俺だ。いいや、彼女を含めた俺たちすべての関係をぶち壊したのも、俺だ。

 全て俺が浅はかで鈍い男だったから。だから全部壊れた。

 

 だけど、俺はもう前までの俺じゃない。絵里さんや亜里沙ちゃんに背を押してもらって、室畑くんや白石くんの叱咤と激励の先に立っている。

 

「ありがとう、来てくれて」

「今日はどうしますか……どんなことを、しますか」

「そうだな、じゃあしばらくフリートークしようか。先に言っておくけど、時間稼ぎだよ」

 

 俺の言葉に海未ちゃんが首を傾げた。そうとも、俺がこの場に呼んだのは海未ちゃんだけではない。決着をつけるために、キャストには全員ご登場いただく。

 その招待状が、彼女を導くまでの時間稼ぎだ。

 

「ひとまず、俺は謝っておかないといけない。今まで海未ちゃんを弄んだ、さらに君の身体まで汚した。隅々まで、汚しつくした。今更謝って純潔が戻ってくるわけじゃないけど……」

「そんなことですか、気にしなくていいんですよ。言ったじゃないですか、貴方になら何をされたって……」

「そうだけど、仮に君が俺のものでも、大事にしなくちゃいけなかったはずなんだ」

 

 ふと思うことがある。もし、何かが違って俺と海未ちゃんが好き合ったとき。同じように穂乃果ちゃんが俺に迫ってきたとして、俺は拒めたか。

 たらればだ、今となっては無意味だけど過去は何も手が届かないわけじゃない。自分を戒めるのはいつだって過去だ。

 

 恐らく俺のことだ、海未ちゃんと同じ問答を穂乃果ちゃんが行ったとして、拒める自信がない。俺を含めた、彼女たちの友情を壊すまいと足掻いて、いつの間にか流されて一人取り返しがつかなくなったと被害者ぶっただろう。履き違えちゃいけない、俺は自制することでもっと周りを傷つけずに済んだはずだ。それをしなかったのは、ひとえに俺の自制心が弱く欲望が強かった。

 

「だからごめん、海未ちゃんは綺麗だった。それを俺がこんなふうにしてしまった」

「謝らないでください、私は貴方さえこの目に映っていればそれで……」

 

 やはり、海未ちゃんは壊れている。きっと俺や穂乃果ちゃんが壊れるずっと前に。だのに、お泊り会なんて開いてそれに誘って、彼女はどう思っただろう。

 俺たちの関係をぶち壊そうとしたのだろうか……それとも、俺だけを手に入れようとしたのか。友情だけでは片付けられない絆を持つ親友を壊してまで。

 

「海未ちゃんは、穂乃果ちゃんのこと、今でも好き?」

「当たり前じゃないですか。でも、今は貴方のことしか考えられません」

「そっか」

 

 願わくば、声を失った彼女も同じことを思っていたら、まだ救いのある物語になるだろうに。

 海未ちゃんは確実に俺に歩み寄ってきていた。その足取りには熱があった。その目には、妄執にも似た力が宿っていた。だけど、俺は……

 

 逃げない。責任から逃げない。海未ちゃんから逃げない。もう穂乃果ちゃんから逃げて、たまるものか。

 

 そっと、海未ちゃんが俺の首に腕を回してきた。俺はそのまま接近してくる彼女を、そっと、けれど明確に突き飛ばした。

 

「ごめんね、もうおしまいにしよう」

「…………そういうプレイですか」

「ううん、もう君は抱かない。少なくとも、ケジメつけるまでは誰とも交わらない」

 

 海未ちゃんの目がどんどん険しくなっていく。目尻に浮いた水滴が夕日を受けて赤く光っては流れ落ちた。まるで、血の涙みたいに。

 

「こんなに、我慢できないのに……」

「海未ちゃんは、やっぱり綺麗であるべきだ。そんなのは、似合わない。そんな海未ちゃんは好きにはならない。なっちゃいけないんだ」

 

 俺たちの度々の行為に愛があったか、と言えば一方的だったと答えるしかない。確かに俺の身体は自白罪なんか意味無いくらいに正直だった、本能で交わっても、本心からまぐわったことはないと断言できる。

 男の色欲なんて惨めなものだ、我慢した分だけ気持ちよくなってしまうのだから、耐えてしまうほどに落ちていく。

 

「今更、気にしたって遅いんですよ……? もう全部元には戻らないんですから」

「確かに、今のままじゃね」

「…………今の、ままじゃ?」

 

 そう言って海未ちゃんは怪訝そうに、濁った瞳を俺へ向けていた。その中に、その泥の中に一つだけ、希望に縋るような光が見えた。

 

「全部、何もかも、全て壊すんだ。今のままじゃ元には戻れない、だから、俺は何もかもおしまいにするんだ」

「何もかも、っていったい何を、どこからどうするつもりなのですか?」

 

 その質問に答える前に、俺は海未ちゃんの後ろへと視線を送った。海未ちゃんも遅れて振り返った。彼女の顔は分からなかったけど、恐らく驚いたと思う。

 なんせ、俺と二人きりでの密会だと思っていただろうからだ。残念ながら、何度も言うが俺たちだけではない。彼女が、主役を引っ張ってきてくれた。

 

「連れてきたよ、お兄さん」

 

「ありがとう、雪穂ちゃん」

 

 雪穂ちゃんに手を握られているのは、酷くやつれた顔の穂乃果ちゃんだった。そしてその隣に、居心地の悪そうな顔をしていることりちゃん。そしてその後ろには絢瀬姉妹がいた。

 布陣が完成していた。それはつまり、俺にとっても逃げ道を失ったということになる。

 

「か、帰ります……こんなの、こんなのは……」

 

 海未ちゃんが踵を返して走り出した。それを制したのは、さっきまで穂乃果ちゃんの隣にいたはずの雪穂ちゃんだった。雪穂ちゃんはなんと海未ちゃんを一度引っ叩くと、そのまま元の場所まで連れてきた。

 あの雪穂ちゃんに頬を張られたことがあまりに衝撃だったんだろう、海未ちゃんはハッとしたように目を見開いたまま地面にへたり込んだ。

 

「ごめんね、話し合いの前に頭冷やしてもらわないと。盛ってもらっちゃ困るからさ……」

 

 やりすぎ、だとは悪いけど思わなかった。海未ちゃんを立ち上がらせようとしたときだった。雪穂ちゃんの、振り返り様の凄まじい勢いで放たれたパンチが鼻の頭に直撃、思わずよろけてしまった。

 頭を揺さぶられるパンチと違って、思い切り外傷的ダメージを与えるような打撃。俺も海未ちゃんのように地面に膝を突いてしまったが、即座に立ち上がった。

 

「お兄さんのは、ケジメだよ。少なくとも私はこうしないと気がすまないよ……っ」

 

「うん、それは当然だよ。ただ、鼻は痛いな……つつ」

 

 思わず本音が漏れてしまう。それぐらい、本気で殴っていたんだと思う。雪穂ちゃんの指、俺を殴った部位から血が出ているくらいに。

 

「一応、謝るよ。暴力は、やっぱ良くないと思うしさ。もう私は口を挟まないよ」

 

 そういって雪穂ちゃんが一歩引いた。絵里さんと亜里沙ちゃんが雪穂ちゃんの手を案じて駆け寄ってくる。途中亜里沙ちゃんが俺に向かってこようとしたが、首を振って制した。

 俺は震える足を奮い立たせながら、穂乃果ちゃんに向き直った。ここに来たときの海未ちゃん以上に濁った瞳で、顔はいくらか痩せちゃってて、手にはホワイトボードと水性ペンが握られていた。

 あれで殴られたらさすがに無事じゃすまないかも、なんて思いながらもそれでも仕方ないと、覚悟を決めて深呼吸する。

 

「穂乃果、ちゃん……」

 

 かすれていた、俺の声。けど、穂乃果ちゃんの耳には届いていたみたいで、彼女は力なくニッという感じの笑みを浮かべてペンのキャップを外した。心なしか、そのペン先が震えていたように見えた。

 

「お姉ちゃん……」

 

 雪穂ちゃんが穂乃果ちゃんを呼んだ。穂乃果ちゃんの手がぴたりと止まった、そして、穂乃果ちゃんは首を激しく横に振るとホワイトボードとペンをかなぐり捨てた。

 

「ッ!」

 

 ズガン、と二度目の衝撃が俺を襲った。穂乃果ちゃんのグーが今度は左の頬へと叩き込まれた。助走つきのパンチに今度こそ俺は仰向けに倒れこむ。

 気がついたときには既にマウントを取られていた。逆光で影になった穂乃果ちゃんがもう一度拳を振りかぶった。俺は、目を瞑らなかった。目を背けなかった。背けるわけには、いかなかった。

 

「う……ぅ……っ、ごめんね……ッ」

 

「ぇ……穂乃果ちゃん、声が……」

 

 突然のことで驚いた。穂乃果ちゃんは溢れさせた涙を拭うのに必死になって、嗚咽が言葉を阻害した。雪穂ちゃん以外の誰もが驚いていた。

 

「お姉ちゃん、声が出るようになったんだ。ついさっきのことだよ」

 

 らしい、言われてみれば鳴き声であることを加味しても声が掠れ掠れだった気がする。穂乃果ちゃんは涙を拭うと、八の字眉のまま俺に唇を近づけてきた。

 久しぶりの感覚に、身体中が熱を覚えた。が同時にズキリとした。気がつけば唇付近と口の中から血の味がする。二回も全力で殴られたのだから、当たり前と言えば当たり前かもしれない。

 

「ん、っふ……んん、はぁっ……ん、ちゅっ……」

 

 しかしそんなことは気にせず、穂乃果ちゃんは俺の口内の傷口と漏れ出た血を全て舐め取るかの如く、舌を這い回らせた。自分の口の中が他の生き物の器官に犯されているような、官能的な感覚。

 目を閉じて、一心不乱に俺の唇に自分のそれを押し付けてくる穂乃果ちゃんが、怖く思えたし久しぶりに愛しかった。

 

「そんなキス……私にはしてくれませんでした……」

 

 意識を全て穂乃果ちゃんに委ねてしまいそうになる直前、海未ちゃんの怨嗟のような声が聞こえた。怨嗟、と表現したが彼女は滂沱の涙を流しながら、心底辛そうにしていた。

 嫉妬、羨望、その二つが綯い交ぜになった表情だった。

 

「もう、やめてください……私に、突きつけないでください……こんなの、私には、もう……」

 

 海未ちゃんが泥を握り締めた。けど、雪穂ちゃんが見ている前では、逃げることは出来ない。そんな海未ちゃんに駆け寄ったのが、ことりちゃんだった。

 

「海未ちゃん、ちゃんと見届けよう? 仲直りだよ……みんな、きっと辛いんだよ。一番辛かった二人が元に戻るの、ちゃんと見届けてあげよう?」

 

 あやすような口ぶりだった。だけどそれ以上は俺にも分からなかった。呼吸が出来ないほどの濃密なキス。口の中の唾液が全て穂乃果ちゃんのものと交換されてしまったみたいに、じんじんしていた。

 

「殴ってごめんね、痛かったよね……? あなたのこと、雪穂に言われてきちんと考えたのに、我慢出来なくて、ごめんね、ごめんね……っ」

「俺の、こと……?」

 

「雪穂が言ったの、一番辛いのはあなただったって。絵里ちゃんが教えてくれたの、私と海未ちゃんの関係が壊れないように頑張ってくれてたんだって……なのに、私、勝手に裏切られたと思い込んで……」

「違う、裏切ったようなものだよ! 俺は、俺は……」

 

 なんでか、この先が言えなかった。俺は、裏切った。誰のせいで、海未ちゃんに唆されて。

 そんなこと言えなかった。少なくとも海未ちゃんだけのせいにする気にはならない。だって、傷ついたのは彼女だって一緒なんだ。

 

 この期に及んでも、海未ちゃんのことを気にしてしまう。だけど、穂乃果ちゃんはちゃんと汲み取ってくれて。

 穂乃果ちゃんは俺の上から降りると、傍で膝を突いて泥を握り締めてる海未ちゃんと、その肩を抱くことりちゃんの元へと歩み寄った。

 

 海未ちゃんが顔を上げた。穂乃果ちゃんを心から畏怖している、そんな顔だった。おおよそ幼馴染に向けるような顔ではない。

 

「穂乃果……私を軽蔑してますよね、いいんですよ。私は、娼婦すら気高く思えるくらい、それ以上に卑しい女です」

「しないよ、軽蔑なんて、しない」

 

 間髪いれずに穂乃果ちゃんが答える。海未ちゃんはぽかんとしていたが、すぐさま自嘲の含まれた笑みを浮かべていた。

 

「嘘ですよ、穂乃果に私の何がわかるんですか」

 

 海未ちゃんは前を向こうとしなかった。頑なに目を背けてしまった。けれど穂乃果ちゃんはそんな海未ちゃんに歩み寄った。俺は思わず穂乃果ちゃんを止めそうになった、それこそぶん殴りにいくような歩調だったからだ。

 しかし穂乃果ちゃんはやや強引に海未ちゃんの顔を自分に向けさせると、笑いかけた。その場の誰もが拍子抜けてしまったと思う。

 

「わかるよ……海未ちゃんの気持ち、私だってずっとそうだったもん。私の方が海未ちゃんよりチャンスが多かっただけなんだよ」

 

 一つ間違えば、喧嘩を売ってるような言葉だった。けれどそう思わせないのは彼女の人徳かもしれない。

 

「仮に、穂乃果が私を許したとしても、私がしたことは変わりませんよ。私は、あなたから彼を奪ったんです。欲しいからって横から、卑怯に奪い取ったんですよ」

 

「……じゃあ、さっきのキスで取り返したことにする。殴っちゃったし、ね……」

 

 今になって頬がズキズキとしてきた。口の中が鉄の味と臭いでいっぱいだった。濯ぎたかったけど、まだひと段落していない。

 決着という決着はついていないんだ。

 

「雪穂、一つ質問いい?」

 

 穂乃果ちゃんはそう言って海未ちゃんから顔を離した。スッとしたような落ち着いた顔で雪穂ちゃんの名を呼ぶ。絵里さんたちと同じ場所で見守っていた彼女が反応する。

 

「なに?」

 

「実はさっき気づいたんだけど、雪穂も彼のこと好きだよね?」

 

「え」

 

 今のは俺の口から出た言葉だ。開いた口が塞がらないどころか、血が混じった唾液がだらしなく垂れてしまった。袖で慌てて拭って雪穂ちゃんを見ると、彼女は顔を真っ赤にして俯いていた。

 

「それ、マジ?」

 

「……うっさい!! マジに決まってんじゃんバーカ!! 朴念仁!!」

 

 怒られた。雪穂ちゃんの雷が全身を打ちつける。どうすんのこれ、俺と穂乃果ちゃんと海未ちゃんのけじめをつける会合のはずが……うわぁ、なんだか凄いことになっちゃったぞ。

 

「ことりちゃんも?」

 

 穂乃果ちゃんが尋ねる。ことりちゃんはというと困ったような笑みを浮かべていたがやがて首を縦に振った。歯が全部抜け落ちて頭から髪の毛が一本残らず吹き飛びそうな、そんな衝撃の連続。

 

「私も、お兄さんのこと好き!」

「亜里沙、大胆ね」

 

 遠くで見守っていたはずの絵里さんと亜里沙ちゃんがまるで悪ノリしたように便乗する。しかし亜里沙ちゃんからは冗談の気が感じ取れなかった、背筋に悪寒を覚える。

 思わず後ずさりをする。

 

 全員の間の空気が凍りついたかに思えた。

 

 

 

 

 どれくらい無言が続いただろう。時間にしてみればたった一分にも見たなかっただろう。けれど今だけで数時間経ったような心労が来た。

 やがて、誰かがクスクスと漏らすように笑い始めた。それにつられてまた誰かが笑い出し、そうやって笑いの渦が広がっていった。俺と、海未ちゃんだけを残して。

 

「なんだかおかしいね、私たちさっきまで大真面目な話をしてたのに……本当、なんかおかしいよ」

 

 穂乃果ちゃんが涙を拭いながら歯を見せて笑う。心底辛かったはずなのに、一番大きな笑顔を浮かべていた。

 

「私も、ちょっと拍子抜けしちゃった……もう穂乃果ちゃんのせいだよ?」

 

 ことりちゃんもだ。口元を押さえながら静かに笑っていた。

 

 雪穂ちゃんと亜里沙ちゃんに至っては爆笑、とまではいかなくても二人してお腹を抑えて笑っている。何がそんなに面白いのかちょっと教えてほしい。

 

「ねぇ海未ちゃん、やっぱり私たちはまだ友達でいられるよ。むしろあんなことで私たちの今までが無くなっちゃうなんて、なんか悔しいじゃん」

 

 未だに座り込んでいる海未ちゃんに向かって、穂乃果ちゃんが手を差し出した。海未ちゃんはその手に自分の手を重ねようとして、逡巡する。最後の踏ん切りがつかないようだった。

 二人を再び繋げるには、彼女たち二人だけの力じゃダメだ。瞬間的に、本能的に、そう察した。

 

 俺とことりちゃんは一瞥しあい、頷きあうと二人の手を取り重ね合わせた。その上に自らの手を重ねた。

 

「私たち、いつまで経っても幼馴染なんだよ。だから、海未ちゃんも手を伸ばして?」

 

「いいのですか、私は許されても、いいのですか……? 穂乃果は私を恨んでないのですか?」

 

「うーん、彼のことは、しばらく海未ちゃんに貸し出してた、って思うことにする!」

 

「それはそれで俺が複雑だけど……まぁ二人がそれでいいなら、俺は何も言わないよ」

 

 繋いだ手はやけどしそうなくらいに暖かかった。俺の表情が氷解していくみたいに柔らかくなっていくのを感じる。最後には海未ちゃんも小さな微笑を浮かべられるくらいになった。

 

 壊れたものは直らない。そんなことはなかった。壊れかけたものを直すことは難しい。

 

 だけど、一度壊してしまったからこそ元に戻ったのかもしれない。俺たちはようやく、心の曇天を晴らすことが出来た。

 

 見れば、雲間から眩しい日の光が漏れ出していた。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

「えっとね、この券は近隣で使われてる商品券の類なんだけども、お釣りは出せないんだ。だから、お釣りが発生しないってところまでしか受け取れないんだ、あと原則としてお客様にちぎってもらって。ここまでで何か質問あるかな?」

 

「大丈夫です」

 

「私もバッチリかな。穂乃果ちゃんは?」

 

「平気、私だってもう二人も後輩が出来たんだもん。前もって講習は受けてるよ」

 

 あれから、たぶん一月くらい過ぎた。まだまだ冷えるけど、雨や雪が降らなくなった頃。俺と穂乃果ちゃんは無事復職することが出来た。洗礼とばかりに今月と来月中の昼からクローズまでのシフトを入れられてしまったがまぁまぁやり甲斐はある。

 それは、俺が宣言した通り新しい後輩が出来たからだ。

 

「海未ちゃんとことりちゃんも早く腕章取れるといいね」

 

「そうですね、穂乃果に先輩風を吹かされるのは嫌ではありませんが、引っ張られっぱなしは嫌ですから」

 

「主任の話だとことりちゃんはもうすぐ外せそうだってね。お客さんの評価が良いみたいだよ」

 

「え、もう!? ことりちゃん、恐ろしい子……」

 

「本当? もしかして学生時代のあのバイトが活きてるのかも。えへへ、嬉しいなぁ」

 

 ことりちゃんが過去にやってたバイトについては穂乃果ちゃんから聞かされている。写真まで見せられたくらいだ。

 けれど確かに接客業の経験があるというのは強い。実際ことりちゃんのレジはお客さんの入りがすさまじいくらいだ。

 

「μ'sパワーってやつかなぁ」

 

 一人ごちる。いまやこの店のレジにはμ'sのメンバーが三人も勤めている。そう考えれば集客率は並ではない。なにせ伝説のスクールアイドルだしね。

 ただ、俺だけが知っている。スクールアイドルだったとしても、後がそうとは限らない。彼女たちはプロのアイドルを目指したわけじゃない。普通の女の子に戻ったんだ。

 

 普通に日々を過ごして、一般的に恋愛して、そのまま老いていくような存在に戻った。偶像が崩れ去るという意味で、このスーパーは悪魔的な破壊力を持つのだろう。

 

「じゃあ、今日のレジ分けだけど、今日は俺と海未ちゃん。クローズの後はリカーの仕事を一緒にやろう、リカーってのは」

「お酒、の冷ケースの整理ですよね? 室畑さんが教えてくれました」

 

 なるほど、最近室畑くんの出勤時の気合の入り様はそういうことだったか。そういう意味では白石くんも前より明るくなった気がする。推しの前でいいところを見せようという男の子の心だな。

 しかし、彼らの努力を惜しみなく讃える上で、俺は少しだけ日陰の心を持っていた。

 

 あれ以来、というかあの日、俺と穂乃果ちゃんの関係は元には戻らなかった。

 

 というのも、穂乃果ちゃんはあのまま俺と復縁するという気にならなかったらしい。それに対し、俺は口を噤んだ。彼女の真意を知るために。

 

 答えは簡単だった。

 

 みんなが、恥ずかしながら俺のことを好いている。そんな状況で、自分だけ寄りを戻すのは不公平だから。

 

 今度こそ、誰もにチャンスがあるように、誰もがきちんと振り向いてもらえるように。

 

 それが穂乃果ちゃんの意思だった。また独り身に俺が、自分を取り巻く女の子から真のパートナーを見つけ出す。

 その答えを彼女たちは待っているんだ。

 

 だけど、答えは急がなくてもいいのかもしれない。

 

 俺は穂乃果ちゃんが好きだ。

 

 けれど同時に、海未ちゃんもことりちゃんも確かに女の子として好きだ。

 

 好意をぶつけられてからは、雪穂ちゃんを義妹とは見れなくなってきている。

 

 亜里沙ちゃんもなんだかんだで気があるような素振りを見せて雪穂ちゃんを急かしている。果たして、その素振りが、素振りで終わるのか。

 

 

 それを見極めるために、俺は今日も彼女たちと一緒に仕事をしている。

 この長く続く、一度千切れた日記のページに終わりが来る日を待ちながら。

 

 

 

「――――いらっしゃいませ」

 

 

 

 ――バイト戦士なんだが、バイトしてたら初恋の子に会った。

 

 

 

 

 ――――バイト戦士だったんだが、恋愛してたら仕事どころじゃなくなった。

 

 

 

 

 ――――――またバイト戦士になったから、好きな女の子と一緒に、仕事をしている。

 

 




前回からざっと4ヶ月くらい経ちましたね、えらいお待たせしました。
ハーメルン界の富樫こと相原末吉です。すみません調子乗りました。

皆様、ハーメルンのラブライブ界隈で嵐の如く名を馳せる鍵のすけ氏のラッシャイ企画小説、目を通していただけましたでしょうか?
なんとワタクシ、バイトダイアリーの執筆サボりながら企画小説や僕ラブの原稿ばっかり進めていました、本当お待たせしちゃってすみません。

思い返せばバイト戦士と穂乃果ちゃんとの関係が拗れたのが、確か去年のポッキーの日。
当時の僕は「何がポッキーの日じゃリア充氏にさらせ」だなんて思いながら書いていたわけです。えぇ、ただイチャラブさせるだけじゃ退屈かなぁと砂糖の中にとんだ劇薬を混ぜたわけですね。おかげで約一年かかりました爆わら(真顔)

最近はもっぱら趣味の小説に夢中になってますね。
だからというわけではないのですが、まぁ区切りもいいところですからバイトダイアリーはこれをもって実質的な完結となります。今まで応援ありがとうございました。
また気が向けば二年生組やゆきありとイチャイチャする話を書くかもしれません。
それでもストーリーとしての最終回は今回にしたいと思います。

報告する機会がありませんでしたからね、皆様驚かれると思うのですが
ワタクシ、相原末吉は前回更新した5月の末、厳密に言うと29日に晴れて結婚いたしました。Twitterフォローしてくださってる方は知ってるかもしれませんね。

えぇ、こんなドロッドロの話書いてるやつでも結婚できます。
別に、だから読者の皆様も素敵な昼ドラ恋愛をレッツエンジョイ!とか言うわけではありません。ただ趣味の小説を書く時間が決定的に減ったのはまた事実ですね。それでなお僕ラブの原稿とか着手しちゃってるわけで、自己満足の領域まで頑張れるかというとテンション次第になってしまうわけです。

それでもなんとか、なんとかたくさんのファンがいるこの作品だけは風呂敷を畳みたい。
その一心でちょびちょび書き進めてはおりました。おせーよバーカって話ですね。


長くなりましたが、いや完結話のあとがきながら短い方なのかもしれませんが。

バイトダイアリーの活力や反動力になったのは間違いなく読者の皆様です。
Twitterまでわざわざ喝入れに来てくれた方がいてくださったり、感想欄でちょっとケツをぶっ叩いてくれた読者様もいたり(笑)

…………運対にならないように、程々にしてくださいねw?

とにかく十人十色な応援を受けまして、この作品を少しずつでも進める力になりました。

本当にありがとうございます。

次は恐らくラブライブ!サンシャイン!!の二次創作で会うかもしれませんね。
そのときは、もうこんなドロドロ書かずに大人しく原作沿いか健全なイチャラブを書いとけって祈っていてくだされば、僕は嬉しいです。

僕の文章が少しでも誰かの火をつけることに繋がることを祈ってます。


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