黄金樹の一枝  リヒャルト・フォン・ヴュルテンベルク大公記 (四條楸)
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第1話   幕開け

 するすると緩やかに降りていく感覚。廻りは真正の暗闇だ。眼を開いていないのになぜかそれがわかる。

 時々その隘路に引っかかるような感じもする。しかもその道は固くない。柔らかく弾力がありぬめぬめしており、引っかかってもしばらくするとまた、体が落ち出す。

 

 ……やがてその道に終わりが見えたようだ。光を感じる。まぶたの向こうに薄明るい光が感じられたのだ。

 そして何かが俺の身体を柔らかく受け止めてくれた。いや、これは手? 人の手か? 成人男子であるこの俺を受け止める?

 

 ……疑問を感じた瞬間だった。俺は右の腋の下にチクリと痛みを感じた。その途端、俺はまた暗闇の中に舞い戻った。

 

 

「いやー、すまんすまん。説明もせずに送り込むところじゃったわい。戻ってくれて助かったぞ。全くフリッグの奴め。ちょっとした浮気ぐらい大目に見るべきじゃろが。追い回しおって……。ユーピテールに比べれば、儂の浮気は可愛いものなんじゃぞ」

 

 目の前には爺さんがいた。白く長い髪と髭。右手には長い杖を持っており、黒いマント、いやあれはローブというやつか?を着込み、同じ色の帽子を目深にかぶっている。

 

「……えーと、誰?」

「うむ。真名を易易と告げる訳にはいかんのじゃ。神の一人と言っておこう」

「神……」

 

 俺は少し考えた。現代日本人である俺にとって、カミサマというのは、正月に神社に初詣するときくらいしかご縁が無いのだ。いや、受験の時、就職の時には大変お世話になりました。おかげさまで良い大学、就職先に恵まれました。南無南無(おっと、これは仏教用語)

 

 しかし目の前の爺様、俺の考えるカミサマとはだいぶ容貌がチカウ。男だから天照大御神ではないし、スサノオノミコト? ツクヨミ? 

 いや違うね、絶対。こんな草臥れた爺さんじゃない。

 一番お世話になった、菅原道真こと天神様? いや平安装束じゃないし。というか、あの服も帽子もはっきりいって小汚い。あんな服で出てくる神様なんて、よっぽどマイナーな神なんだろうな。何しろ八百万っていうくらいだから、俺の知らないカミサマがいても全く不思議はない。

 

「こりゃ、マイナーとは何じゃ。今この時代、儂ほど崇められている神はおらんのじゃぞ。アマテラスなどとうに歴史の彼方に消え去った土着神じゃろうが。儂は成層圏さえ突き抜け、今なお尽きぬ敬意を捧げられる大神じゃぞ。グローバルというやつじゃな」

 

 呵呵大笑してふんぞり返っている。天照大御神が土着神ですか……。そこで俺は気がついた。この神様、俺の心を読んでいやがる。

 

「おお、気付いたか。中々見込みがあるの。まあ、神じゃからな。それくらいは朝飯前じゃ」

「えーと、それでは〇〇神様」

「……何じゃその〇〇神とは」

「名前解らないんで便宜上」

「詩の神と呼んでくれ。いくつも呼び名はあるが、それが気に入っておる」

 

 ……詩の神ダッテサ。アポロってことは絶対有り得んよな。奴は絶世の美青年だったはず。

 

「アポロも辺境の土着神! 顔だけのフラれ男! あの顔も嫌いだし!」

 

 何で地団駄踏んでるの? 神々の歌詠みの会で負けでもしたのか? まあ、俺もアポロ神みたいなタイプの顔は好きじゃないよ。非の打ち所がない顔って、余裕が無いって感じがして嫌なんだよね。

 

「おお、気が合うの。見込み通りじゃ。そのアポロそっくりのヤツが近い将来悪さをする可能性があっての。儂が贔屓しとる一族が滅ぼされるかもしれんのじゃ。それでそちにその一族に生まれ変わってもらって、それを阻止してもらおうと思ってな」

「ちょっと待て」

 

 俺は恐れ多くも神の言葉を遮ってやった。

 

「生まれ変わるってナニ!? って今までの俺の人生は!?」

「うむ。前世のお前さんの生は、儂がアマテラスとイザナミに頼んで、強制終了させたからの」

「な、何てことを━━! 大体成功街道歩いてきて、人生満足してたのに━━━!!!」

 

 これが叫ばずにいられようか! 必死で勉学に励み、一流といってよい大学に入り、これまた氷河期並みの就職戦線くぐり抜けて、自分の希望通りの飛行機のエンジン設計をさせてもらえる職場にありついて、日々充実してたのに━━!

 

「わ、悪かった。こっちの都合で勝手なことをしてしまって。しかし生まれ変わる先は、前の家庭よりはるかに贅沢三昧が許される家柄じゃぞ。そちさえその気になれば酒池肉林じゃ!」

「馬鹿野郎! 人生っていうのは、そんなもんじゃないんだ! 一人立ちするまでの健全な家庭と充実した学生生活! やりがいのある仕事とそれに見合う収入! 愛する妻子と心通じ合う友人! 可愛い孫の訪れてくれる余裕ある老後! これに勝る人生はあるか!? いや無い! それを半分は手に入れていたんだぞ! それを諦めろってか! ふざけるな!!」

「そ、その通りじゃ。理想的な人生とはそういうものであるな。同感じゃ」

 

 詩の神様は俺の気迫に押されてすっかり及び腰になってしまった。

 

「……一応聞くが、生き返ることはできるのか?」

「いや、できん。前世終了後、そこの神の管轄を離れてからでないと、別の地域では新たに魂を胎児に憑依させれんからな」

 

 俺の家、神道じゃなくて浄土宗だったんですけど、一応神様の管轄にも入ってたんですね。それにしても、前世での父さん、母さん、ごめんなさい。先立ってしまったようで、不孝をお許しください。そういえば、転生っていうよりは憑依なわけね。……ん? 胎児に憑依?

 

「じゃあ、あの妙な細い道って産道だったワケ!? 頭から落っこちていて変だと思っていたけれど!」

「おお、よい勘しておるの。その一族に生まれる者に憑依させたのだが、どうやら暗殺されたようじゃな。産声上げる暇もなく、こっちに戻ってきたからの」

 

 あの腋の下のチクリがそれですか。でも暗殺ってオイ。産まれた直後に暗殺されるってどんな一族だよ。

 

「じゃあ、このままあの世に行くのか?」

「まさか! お前にはまたすぐ、この一族の者に産まれてもらう。幸い、あと三日ほどで産まれる者がおるからの。そっちに憑依先を変更じゃ。何、どちらに産まれても酒池肉林するには大して変わらんよ」

「酒池肉林には興味はない。ところでお約束のチート能力とかって付けてもらえるの?」

「何じゃそれは」

「こういう、転生モノではありがちだろ? 記憶や知識を持ったまま転生、憑依。強大な魔力や技術力を生まれながら、もしくは若いうちに軽々と身に付けるってやつさ」

「……いや、魔力なんぞがある世界じゃないし。記憶と知識はそのままじゃが、技術力とやらが欲しければ自分で励め。自分で獲得しなければ、己の能力とはいえんじゃろが」

 

 確かにその通りだが。魔法はないのか、つまんね。

 

「それと今そこにある危機!! 産まれた直後にまた暗殺されるんじゃねーの!? 冗談じゃねーぞ!」

「うーむ、その危険性はあるかもしれんな。しかし、自分の身は自分で守るが基本じゃろう」

 

 いや、生まれた直後の赤子にどのように身を守れと? ヘラクレスじゃあるまいし、無理すぎます。死亡フラグ回避回避!

 大騒ぎしたら、詩の神様はうんざりしたように一つ特典を付けてくれた。

 

「そちが願ったときに、一度だけ神の力で望みをかなえよう。その時は我が真名を三回呼ぶがいい。では行くがよい!」

 

 真名を教えてもらっていません、と言おうとしたとき、詩の神が悪戯っぽくウィンクしているのが見えた。いやあれはウィンクじゃない。ってことはもしかしてあの神か!

 

 騒ぐ暇も無くあっというまにその場から引き離された。憑依させられたらしい。仕事早いね。

 

 

「儂は全知全能の神において禍を引きおこす者。しかしそなたを送り込むは『試す者』としてじゃ。儂の選択がどうなるか、儂自身を試すためじゃ。期待を裏切らんでくれよ」



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第2話   一日目

「ふぎゃふぎゃふぎゃ ━━━━ !」

 

 ああ、産声出せるって素晴らしい! 俺、生きてますからね! 死産じゃありません、病弱でもありませんってことをアッピールするために、目一杯元気に泣き叫んでやった。産道の中で光を感じた瞬間から、俺の産声はスタンバイだ。

 

「まあまあ。お元気そうな御子さまですこと。伯爵夫人にそっくりでございますわ」

「ああ……、私の子……。無事なのね。体は? 身体に異常はなくて?」

「大丈夫でございます、夫人。大層元気な男の御子でいらっしゃいますよ」

「陛下もお喜びくださるかしら……。ところで陛下はいらっしゃってくださいませんの?」

 

 悲しそうに疲れた顔を伏せる女性。なるほど、これが俺の母親なわけね。

 栗色の髪、緑の目、白い肌、繊細な顔立ち。うん、日本人じゃないね。欧米人に決まり! 二十五歳前後のやや細身で優しげな女性だが、うーん、身体に不釣合いなくらい、胸が大きい……。

 俺は清拭された後母親に渡されたが、俺を抱っこしようとした母親は、出産直後のせいかどうやら手つきがおぼつかないらしい。諦めて用意されていたベビーベッドに寝かされた。

 

 うーん、新生児って身動きままならないんだな。首も動かないし、手足もほとんど動かせない。ちょっと手をにぎにぎできるくらいだ。

 仕方ないので見える範囲を観察してみる。しかしおかしいな。新生児ってしばらく目が見えないって聞いたことあるけれど、これが憑依者のお約束か?

 

 しばらくすると、俺と母は、産室(?)から薄い緑を基調とした、優しい色調の広い寝室に移された。壁にかかっている何枚もの絵画は、その善し悪しまでは解らないが、金無垢の高価そうな額縁が付いている。家具も一つ一つが豪華だ。母親が寝ているのは、五人は寝れるでしょって感じの寄木細工の天蓋付きのベッドだし、俺が寝ているベビーベッドも天蓋付きで、何とも繊細なレースのカーテンが下がっている。これ手編みじゃないの?

 寝具などに使われているものも、おそらく最高級のシルクだ。このベビー服の肌触りのよいこと。オムツだって紙じゃないぜ。

 詩の神いわく、贅沢三昧な生活ができそうな雰囲気に間違いはない。

 

 室内にいるのは、母親と四人の女性。さっきまでもっと一杯いたんだか、現在は四人だ。行動から見るに、三人は医療従事者。おそらく産科医二人に看護師一人。残り一人は侍女って感じだ。

 その侍女?の服装がレトロ! スカートではなくドレス! しかも足はつま先しか見えないって長さだ。こりゃ現代じゃなさそうだ。中世か近世だろうか。髪型も時空飛んでるし。

 そういや陛下だの伯爵夫人だの言ってたぞ! 国王のいる、貴族制度のある国ってことだ。つまりアメリカではない。欧米ではなく欧州と考えて良さそうだ。

 

「ルイーゼ様。陛下は後ほどいらっしゃると思いますわ」

「そうですか。はやく御子の名を付けていただかないと」

 

 又情報ゲット。ルイーゼといえばたぶんドイツ語圏の名前だ。そしてどうやら「陛下」とは俺の父親らしい。しかし伯爵夫人というからには、この母親は王妃ではなく、側室、恐らく公妾の類なのだろう。しかしルイーゼ母様、随分控えめな人だね。侍女?にまで丁寧語だよ。

 

 今日のところはこの辺で観察を終えよう。新生児って長いこと起きていられないみたいだ……。



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第3話   二人の母

 産まれて三日経ち、俺の立ち位置みたいなものも少しわかってきた。

 俺の母親は未だほとんどベッドの住人だ。どうも元々体の弱い方らしい。ところで現在母親がおらず、侍女たちの会話が進行中です。

 

「陛下はいまだこちらを訪れてくださいませんわ」

「どうせあの女が引き止めておられるのよ! 侯爵夫人がなによ! ルイーゼさまは無事に御子さまをご出産なさったのよ? 夫人は恐れ多くも陛下の御子を死産なさったくせに!」

「仕方ないわ。ご寵愛の深さではルイーゼ様は侯爵夫人に及ばないし、御子が死産なされて一週間も経っていないのよ? 陛下がお気遣いなさるのも仕方ない……」

「ルイーゼ様が控えめすぎるのも良くないのよ。お優しさはいうに及ばず、お美しさだって決して侯爵夫人に負けないのに」

 

 ……すごく重要な情報だったよね。俺の父親「陛下」にはもう一人愛妾がいるらしい。そして俺の母親よりそっちの方が寵愛が深く、俺が生まれた数日前に死産の憂き目にあっている。

 

 つまり侯爵夫人の死んだ子供って、憑依させられた最初の「俺」って可能性がすごく高いんじゃない!? 同じ一族に憑依させるって言ってたし!

 うあー、何てこったい。

 

 もしそうだとすると少し解ったこともある。『侯爵夫人の子供』は殺されて、俺は殺されなかった。母親への寵愛が深く、先に生まれる子供の方が危険と判断されたのかもしれない。それに国王の子供が続けて死産すれば、いくら何でも怪しまれるだろうから、より危険な方を一人殺したんだろうか。

 

 下手人は医師か看護師として、黒幕は誰かな。王妃って線だろうか。それか現在の王位継承者。継承争いが起こることを嫌った国王ってこともありえるし、考えたくないが、ライバルに子供が生まれるのを阻止しようとした、ルイーゼ母様の可能性もある。でもそれなら、俺の死亡フラグ折れたってことだな。いやいや、俺がここに送り込まれた原因を忘れるな。いずれこの一族を滅ぼす、詩の神曰く、『アポロそっくりなヤツ』が第一候補だろう。

 

 やがて母が戻ってきた。車椅子でだけど。すごくニコニコしている。俺のベビーベッドの傍に来ると、さらに笑みが深くなった。

 

「おお、御子よ。喜んでおくれ。先ほど陛下のお使いがいらっしゃって、お前の名を授けてくださったわ。リヒャルト、リヒャルトっていう名前なのよ」

 

 わーい。やっと名前が決まったのか。しかしリヒャルトね。『力強き支配者』ってか。なーんか死亡フラグっぽい? ちょっと自分でも被害妄想入ってる感じがするけど。

 その時、扉の向こうが急に騒がしくなったと思ったとたん、いきなり大きな音を立ててその樫材の扉が開け放たれた。

 

「その子が陛下の御子でいらっしゃいますの!?」

 

 叫びながら入ってきたのは、黒髪の豊麗な美女だった。彼女は母に許しも求めず、室内にずかずか入って来る。

 すると母が慌てたように車椅子から立ち、俺を自分の身体で隠した。

 

「おやめください、侯爵夫人!」

「あら。何か勘違いなさっているのかしら。私はただ、お祝いに参っただけですわ」

 

 これが噂の侯爵夫人か! 年齢は母とほとんどかわらないだろう。何となくもっと年上の妖艶な女性を想像していたよ。胸は母と同じく巨乳だが、体つきはほんのちょっと肥満気味かな、という感じがする。まあ、出産直後だからね。

 

「まあ、丈夫そうな赤ちゃんですこと。明朗活発な青年にお成り遊ばすように! 大切にお育てくださいね、伯爵夫人!」

「ありがとうごいます。侯爵夫人」

 

 ……祝いを言っているとも思えない、まるで捨て台詞みたいだ。しかし母は卑屈なくらい低姿勢だな。この二人、同じ側室でも明確に上下の差があるらしい。

 

「残念ですが、私は生きた息子を抱くことができませんでしたわ。陛下の息子なら私の子も同然。ぜひ一度抱かせてくださいなっ!」

「ああっ」

 

 母が悲鳴を上げたときには、俺の体は侯爵夫人に抱きかかえられていた。

 

「……本当に丈夫そう。肌も輝くように白くて健康そうで……。私の息子は赤黒く、白目を剥いて産まれてきましたのよ。産声一つ、聞くことはできませんでしたわ。何ヶ月も生まれる日を指折り数えて楽しみにしておりましたのに……」

「お察しします。夫人……」

「何ですって? 私の悲しみの何が解るっていうの!? 無事に御子を生んだあなたにそんなことを言う資格があると思っているの!」

「お、お許しください。侯爵夫人!」

 

 母は俺が夫人の手の内にあるためだろう。土下座しそうなくらい低姿勢だ。しかしね、侯爵夫人。それは八つ当たりだよ。母があなたの子供を殺したわけじゃないと思うよ。

 

「御名は何ておっしゃるの?」

「へ、陛下からはリヒャルトと名付けると……」

「リヒャルトですって!?」

 

 夫人はさらに激高した。

 

「リヒャルトという名は、陛下が我が御子にと生まれる前から名付けてくださっていたのよ! どうしてこの子が同じ名を付けられるのよ!」

 

 うげげ、やっぱりこの名はやばいフラグが立っていたのか。しかし陛下よ。死産した子供の名を、他の女に生ませた子供にリサイクルするなんて、あまりにもデリカシーがないよ。侯爵夫人が怒るのも無理はない。

 何て呑気に考えていたが、痛い痛い痛い! 侯爵夫人の手がギリギリ俺の身体を締め付けている! これって生命の危機なの!?

 な、泣くべきだろうか? 赤ん坊らしく火のついたように泣けば……。いやルイーゼ母様が困った事態になってしまうかもしれん。

 それならば、今できる精一杯の手段はこれだ!

 

「え、え、何ですの?」

 

 侯爵夫人の戸惑った声が聞こえる。俺はほとんど動かない身体を目一杯よじることで、侯爵夫人の胸元に顔をうずめたのだ。そして、まだ大きくは出せないが、それでも精一杯、「あーあー」と声を上げ、にぎにぎしか出来ない手も目一杯動かして、夫人の胸を押してみた。

 

「ま、まあ。御子さまはお腹が空いたようでございますね。侯爵夫人にお乳をねだっておられますわ」

 

 乳母よ、グッジョブ! 実は俺には乳母が付いている。王家の慣習らしいし、ルイーゼ母様は巨乳なのに母乳が出ないのだ。

 

「ど、どうして私にねだるのよ。乳母はあちら……」

「赤子は母の臭い、乳の臭いを敏感に嗅ぎわけますわ。侯爵夫人のお乳の香りに、母君と思われたのでしょう」

「私は乳もほとんど出ませんし、身体も弱ってしまって、あまり御子をかまってさしあげることもできなくて……」

 

 乳母にルイーゼ母様、さらにグッジョブ!

 侯爵夫人はやや呆然と俺を見ていたが、やおら近くの長椅子に座ると、ぐいっとその美乳をモロ出しにし、乳首を俺の口に含ませた。

 

「お飲み! 好きなだけ飲みなさい!」

 

 いや、生後三日じゃ大した量飲めないんだけどね。俺は必死で飲んでやったよ。ここが正念場だと思ったからね。

 やがて俺の顔に熱い滴が落ちてきたのに気づいた。侯爵夫人の涙だ。

 

「リヒャルト、リヒャルト、リヒャルト……」

 

 死産した場合でも母乳は出る。母乳を止める薬を飲んでも、人によっては胸が張って痛くなり、それでも乳を搾ることはできず、ひたすら冷やさなければならない。それをするたびに死んだ我が子のことを思い出さずにはいられなかっただろう。

 

 ……この人は俺の母だったかもしれないんだよな。

 

 俺は腹一杯になるまで夫人の乳を飲むと、大きく欠伸をした。すると夫人を気づかって乳母が俺を受け取ろうとしたが、彼女はそれを制し、低い声で子守唄を歌いだした。

 部屋の中で、泣いていないのは俺だけだったようだ……。



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第4話   一人の母に……

 リヒャルトです。産まれて二十日が立ちました。

 この前の侯爵夫人襲来事件(笑)から、色々なことが変わりましたよ。

 

 侯爵夫人が、この部屋に毎日訪ねてくるようになったんだ。十一時くらいにやってきて、俺に乳をくれて子守唄を歌ってくれて、ベッドで伏せている母を気遣いながら一緒に昼食をして、お茶をしたり貴族っぽい噂話を(一方的に)したりして、十六時頃に帰っていく。一応出産直後のはずなのにすごく元気だよね。母とはえらい違いだよ。

 

 俺は、なるべく侯爵夫人に気に入られるようにふるまった。

 乳母が乳をくれようとしても、夫人がいる時は彼女の乳をねだったり、子守唄を歌ってくれないとぐずったり、夫人が帰るときは「いやいや、行っちゃいや」みたいな振りをしたりして。

 

 おかげで夫人の機嫌のいいこと。「あらまあ、リヒャルトは私には甘えん坊さんなのねv」とか「私のお乳じゃないと嫌だなんて、困った子ね。胸の形が悪くなってしまうわvv」なんて感じだ。本来貴族女性は、子育ても授乳も乳母まかせなはずだが、彼女は母性本能が強い女性らしい。『育児の喜び』に目覚めちゃってるよ。

 その上、母ともすっかり仲良くなってしまった。あ、彼女がいない時は母に一生懸命甘えることにも努めましたよ。実母に寂しい思いをさせる訳にはいかないし、侯爵夫人に媚売っているのは、半分は母のためなんだから。

 

 両方に日中気遣いしているため、新生児ゆえに睡眠時間足りないらしくて夜は爆睡です。

 おかげで乳母に言われてしまいましたよ。

「夜泣きはまったくしないし、産まれたばかりなのに聞分けもいいし、こんなに手のかからない赤ちゃんは始めてだ」ってね。子育て経験のある人には、ちょっと不審な赤ん坊だろうね、さすがに。

 

 ところで侯爵夫人は毎日のように訪れてくれるのに、『陛下』のお成りがまったくないんだが。

 産まれたばかりの可愛い息子に会いたいとは思わんのか? もう赤猿じゃないぜ? 母付きの侍女たちまで、この頃は「侯爵夫人が引き止めている」とは言わなくなったくらいだし、そんなに政務が忙しいんだろうか。しかしその割には侯爵夫人の館には頻繁に訪れているようだが。

 

 ……一番ありうる可能性としては、それだけ母への寵愛が薄いってとこなんだが……。母から産まれてきた俺も別にいらない子だったとか。ああ、ありえそうだ、すごく……。

 

 

「ユーディットさま。お願いがございます」

 

 いきなり、母が決然とした顔で侯爵夫人を見据えた。ユーディットっていうのは侯爵夫人の名前だ。フルネームは、ユーディット・フォン・シュヴァーベン侯爵夫人というらしい。まあ、他にもミドルネームとかあるのかもしれないけど、そのスゴイ名前も俺同様、何かのフラグなのか? ちなみに、母の名はルイーゼ・フォン・ヴュルテンベルク伯爵夫人だそうだ。いよいよドイツだね、こりゃ。過去の公国とかの名前が姓に入っているんだもん。

 

「私にもしものことがあった時は、どうかリヒャルトの母となっていただきたいのです」

「なんて不吉なことを仰るの! ルイーゼ様!」

「でも自分でも解るのです。回復は望めないのではと。ユーディットさまほどリヒャルトを愛して下さる方はおりません。どうか私の頼みを聞いていただきたいのです」

 

 母の心配は杞憂とは言えない。普通の食事がなかなか摂れなくなっているし、顔色も悪い。細かった身体が、今は薄っぺらく感じてしまうほど小さく、儚くなっているのだ。

 産後の肥立ちが悪いってヤツかな。……だとすると俺のせいか。

 

 その夜、俺は皆が寝静まるのを睡魔と戦いながら待っていた。詩の神が言った言葉『一度だけ神の力で助けよう ━━━━ 』 俺は母の生命を助けてもらうことを決意したのだ。奴の真名を心の中で三回唱えた。

 

 しかし、その夜、あの詩の神が現れることはなかったし、その後何度呼んでも祈っても、母の健康が戻ることはなかった。母はやがて別室に移され、治療を受けることになった。

 だが、俺が産まれてちょうど二ヶ月後、母は快復することなく、天に召された。

 

 

 葬儀はしめやかに行われた。伯爵夫人として恥ずかしくない葬列で、多くの貴族らしい男女が列席し、母の侍女だった者は例外なく涙を零していた。でも、列席者たちは、彼女達のように、本当に母を悼んでいるとは限らない。

 

「……あれが伯爵夫人の」

「死ぬ前に跡継ぎを残し、ヴュルテンベルクの血を絶やさなかったという訳ですな」

「意地ですわ。陛下のご寵愛はとっくにシュヴァーベン夫人の掌中にありましたし、最後のお渡りで御子を身篭られるとは、ヴュルテンベルク伯家にとっては、却って運が良いとも言えますわね」

「でもシュヴァーベン夫人が御子を抱いておられる。噂では母親代わりとなられてお育てになるとか。お優しさゆえか、陛下を惹きつけるための一手か」

 

 俺が聞こえてるってことは、俺を抱いている侯爵夫人にもこの会話が聞こえているはずだが、彼女は毅然とした態度を崩さない。一歩間違えれば彼女への揶揄とも聞こえるのだが……。それにしても、貴族たちよ。そんな会話は屋敷に帰ってサロンででもやってろよ。葬儀に参列している間だけでも、悲しむフリでもいいからしてくれ。

 

 棺は黒塗りの馬車 ━━━━ ではなく黒塗りの乗用車で運ばれていく。俺はそれを見て驚愕した。

 

『ストレッチ・リムジン!? 車がある時代かよ。中世じゃなかったんだ。しかもこの車の内装……』

 

 後続の車に乗り込んだ俺は、また驚愕せずには得られなかった。オートマチック車でさえ無い。運転手はいるが、彼は殆ど何もしていない。ハンドルさえないし、アクセルもブレーキも操作していない。しかも走行中にも関わらず、時折パネル操作をするのでヒヤヒヤするが、それはどうやら車内を快適にするため、温度操作や音楽を流したりしているらしい。

 

『冷房は効いているのに、音も風も全く感じない。エンジン音もタイヤの摩擦音も駆動音も、振動さえしない。何より自動で車が勝手に運転している……。運転手なんて飾りだ。ここは現代でさえない、未来だ。少なくとも俺が知っていた世界より、遥かに優れた科学力がある世界だ……』

 

 ……墓地で母の棺が土中に埋められたときには、上空に巨大な船がいくつも飛んでいくのが見えた ━━━━ 。



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第5話   この世界の名

 葬儀から帰った俺の頭は大混乱中だった。そのため、帰った場所がいつもと違う部屋だと気づくのが遅れたくらいだ。

 

「リヒャルト、今日からこの館があなたの家、この部屋があなたの部屋です。ルイーゼ様との約束通り、私があなたを立派にお育てしてみせますからね」

 

 俺は生活の場が侯爵夫人の館に移ったらしい。以来、彼女を母親として育つことになった。

 そしてその日の夕方、とうとう父と対面することになった。……生後二ヶ月も過ぎてようやく対面かよ。しかも母の葬式にさえ来なかったな。

 

「皇帝陛下がお見えでございます」

 

 シュヴァーベン館の執事が来訪を告げると、それまで俺をあやしていた侯爵夫人はサッと居住まいを正し、腰を折って陛下を迎えた。あれれ、俺の父は国王ではなく、皇帝だったのか。

 

「ユーディット、夕食を一緒にと思ってな。おお、その子がリヒャルトか」

「ようこそおいでくださいました、陛下。陛下の可愛らしい皇子ですわ。是非抱いて差し上げてください」

「おお、おお。丈夫そうな可愛い子じゃ」

 

 俺を抱き上げた陛下は、想像の斜め上をいっていた。母や侯爵夫人の年齢から考えて、30前後の若い男を想像していたのだが、40くらいにはなっていそうだ。痩せて顔色も悪く、威厳のある風もない。容姿が悪いという訳ではないが、奇妙に疲弊した感じで、男としての魅力も感じられない。

 

(うーん。もっと若くて颯爽とした男をイメージしていたんだが。ま、現実はこんなものか)

 

「陛下、リヒャルトの正式なお披露目はどういたしましょう。皇宮で行なうのですか」

「それなのだが、リヒャルトにはヴュルテンベルクの家を継がせることを決めた」

「何ですって!?」

 

 食事を摂りながらの会話は、いきなりの侯爵夫人の糾弾めいた悲鳴によって断ち切られた。な、何だ。俺が母の家を継ぐことに何か問題があるんだろうか。

 

「ヴュルテンベルク伯爵家当主になるということですか? そ、それでは皇籍を……」

「うむ、皇籍離脱をさせて、母方の実家に臣籍降下という形になろう。私には既に皇太子もおるし、この子は皇妃の子供でもない。中途半端に皇族に連なるよりは、そのほうが良かろうと思ってな」

「そ、そんな。生まれたばかりで母君を亡くしたばかりだというのに、父君からも離れて皇宮から出すということですか?」

「いやいや、可愛い我が子にそんなことはせぬ。リヒャルトの養育はこのままそなたが、この館で行うが良い。いずれは三人の兄、姉にも会わせてやらねばなるまい」

 

 なるほど、光源氏のように臣籍降下というヤツだな。皇位継承者がいるのなら、その方が後継者争いとか起きにくくなるからいいだろう。皇族からは除籍されるから、継承権とかは無くなるのかな。それにしても兄弟が三人もいるのか。前世では一人っ子だったから、ちょっと嬉しいかも。

 

「ヴュルテンベルク伯爵家は公爵家に陞爵し、リヒャルトが成年に達したら、大公位を与えることにする。庶子でも皇子の生まれであることに変わりはない。兄弟仲良くして欲しいものじゃ」

「ルードヴィヒ様は、この子を気に入ってくれるでしょうか……」

「気に入らぬはずがない。アマーリエもクリスティーネもじゃが、リヒャルトもいずれはルードヴィヒを支える柱になるのじゃからな。我がゴールデンバウム皇室の藩屏たるに相応しく育てておくれ」

 

 ……ゴールデンバウム? ゴールデンバウムって言った? って何だよ! ここ、銀英伝の世界かよ!? ちょっと待て、あんな死亡フラグが年に一本は立っているような世界なの!? 冗談じゃない! しかも俺、皇帝の息子! 破滅することが決まってるじゃないか! いやまて、ゴールデンバウムなんて、よくある名前だきっと。リンデンバウムは菩提樹で、バウムクーヘンはドイツのケーキ、きっとゴールデンバウムもよくある名前さ、ルードヴィヒもアマーリエもクリスティーネも、ドイツ系にはよくある名前だ、あはははは……。

 

「ところで陛下、アマーリエ様には、ご結婚の話が出たとか」

「ははは、ユーディットにはかなわぬな。ブラウンシュヴァイクの息子にどうかと思っておる」

「一度何かのパーティの時にお会いしましたわ。アマーリエ様とはお年頃も良く、お似合いでしょう。確かオットー様でしたか」

「うむ、ブラウンシュヴァイクはカストロプやリッテンハイムと並ぶ名門。嫁ぎ先としてはふさわしかろう」

 

 ……悪あがきして済みませんでしたね。認めりゃいいんだろ。ここは『銀河英雄伝説』の世界だよ!!



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第6話   俺の血族、俺の閥族

 リヒャルトです。突然ですが、明日六歳になり、パーティが開かれます。一年ほどは、飲む、寝る、漏らすの黒歴史ベイビーライフでしたが、『身体は幼児、頭脳は大人』なので、可愛い子供を演じつつ、情報収集は怠りなくやっております。

 

 俺は母の門地に周辺の皇帝直轄地をいくつかプラスされたものを、公爵領として受け継いだ。名前も『リヒャルト・フォン・ヴュルテンベルク公爵』となり、一応、一門を率いる長だ。新ヴュルテンベルク領は、公爵領としてはやや小さいらしいのだが、豊かな星が多いらしく、税収としては公爵領として恥ずかしくないそうだ。しかし俺が直接統治できるはずがないので、現在は祖父の代から仕えている行政官達と、父帝が派遣した代官が統治してくれている。あまり酷い搾取とかしないでくれよ。

 

 ところで何故代官が派遣されるのかと思っていた。普通当主が若年の場合、一族中の長老みたいな人が統治するのが本道らしいのだが、残念なことにヴュルテンベルクには、ロクに親族がいないのだ。母は一人娘だったし、祖父母は宇宙船の事故で共に死亡している上、その祖父も一人っ子だったため、ホントに係累が少ない家系だったのだ。だから俺が産まれたことで、ヴュルテンベルクは廃爵となることを免れたと言っていい。

 

 俺はこの六年の間、情報収集と共に、銀英伝の小説を思い出しては、一生懸命死亡フラグを折る道を考え続けた。

 

 詩の神が言っていた『贔屓の一族を滅ぼすアポロみたいなヤツ』は、間違いなく、ラインハルト・フォン・ローエングラムだろう。贔屓の一族というのが、ゴールデンバウム家なんだ。俺はあの神はオーディンだと確信している。何故なら、俺を送りこむ一瞬に見えた奴の左目が潰れていたからだ。オーディンは魔術を得る代償に片目を失っていたはずだし、この世界で帝国の神話は北欧神話で、オーディンは主神として崇められている。……その割には、俺の母を助けてはくれなかったが。

 

 しかし、俺にラインハルトと対抗しろというのか。あんな戦争の天才と! しかもヤツが敵とするゴールデンバウム家の皇子とは、正直理解した時は、絶望感が漂ったよ。

 だが俺は出自のアンラッキーを帳消しに出来るかもしれない、大きなアドバンテージを生まれながらに手にしていたのだ。

 

 それは、本日が帝国歴468年6月30日ということだ。つまり俺の誕生日は帝国歴462年7月1日ということなのだ。既知のことだが、ラインハルトが誕生したのは帝国暦467年3月14日。つまり、現在ヤツは産まれてわずか一年三ヶ月、俺の忘れたい黒歴史をようやく卒業できた頃なのだ!

 

 自分はヤツより五歳の年長、つまり彼の姉、アンネローゼと同い年ということだ。この五歳の差は、実際かなり大きいと思う。俺はこの世界の大まかな歴史を知っているだけに、色々と先回りが出来るし、自分の出自を最大限に利用することも可能だ。

 

 俺は皇籍離脱を行なったが、継承権は完全には失われていない。もしも継承者が居なくなった場合は皇籍復帰出来るらしい。ただ俺が男子であっても、皇妃の子供とその子女が優先されるのだ。現在継承権一位は皇妃の第三子ルードヴィヒ皇太子、二位は第一子の皇女アマーリエ、三位は第二子の皇女クリスティーネとなっている。この三人は今後結婚し、それぞれ一人ずつ子供が生まれるはずだ。その場合、順に、ルードヴィヒ、エルウィン・ヨーゼフ、エリザベート、サビーネ、そして俺という順位になるのかな?

 

 しかし姉二人は、降嫁するか出産すると皇位継承者から外されるんだろうか。

 

 よく解らんが、原作でもアマーリエ、クリスティーネ姉妹の女帝の可能性は言及されていなかったから、多分臣籍降嫁すると継承権が無くなるんだろうな。でも継承権が無くなった母親から産まれた娘は継承権を持っている? 訳わからん。それとも姉二人も継承権を変わらず持ってはいたが、妻が女帝になるより、娘が女帝になった方が政治を意のままにできると降嫁先は思ったのか?

 

 どちらかは解らないが、将来俺は、一時的にでも継承順位が高くなる可能性もあった訳だ。うげげ、危険極まりない。皇籍離脱したのは僥倖だった。

 

 そういう訳で、現在の俺に継承権は無いし、将来皇籍復帰しても継承順位は高くない。これは身を守るためには良い傾向だ。最も成長に伴って、危険度は増すのだろうが。

 

 兄、姉の三人とは、俺は零歳児の時から顔を合わせている。皇妃は三人も子供がおり、地位が確立しているためか、それとも夫の余りの女癖の悪さに諦めの境地に達しているのか知らないが、あまり夫の側室たちに確執を持っていないらしい。現在は公務と子育てに専念されておられるので、腹違いの兄弟を会わせることにもそれほど抵抗が無かったらしい。

 

 一番年上のアマーリエ皇女は、弟のルードヴィヒ皇子より7歳ほども年齢が違い、落ち着きと威厳のある皇女らしい性格で、好感が持てる。彼女は今年結婚する予定だ。クリスティーネ皇女は現在、リッテンハイム家のウィルヘルムと交際中だ。ルードヴィヒ皇太子は姉弟の中では俺と一番年齢が近いので、いいお兄ちゃんぶって、シュヴァーベンの館に頻繁にやってきては、俺と遊んでくれる。子供の遊びを強要されるので、正直、ウザイと思うこともあるくらいだ。かなり過干渉なんだよね。……友達か恋人いないの?

 

 だが、俺は兄を守りたいと思っている。

 

 ルードヴィヒ皇太子は、エルウィン・ヨーゼフの年齢から逆算すれば、帝国暦481年から486年の間に亡くなるはずだ。これがもし回避されれば、ラインハルトに対して、兄は大きな障害になる。

 まずは兄を守ること、そしてアンネローゼを父の愛妾に入れないこと。これが大前提だ。

 

 そして自分自身の保身も考えなければならない。

 

 原作を知っている俺は、フリードリヒ4世の子供の死亡率は、余りにも高すぎると思う。絶対に何らかの外的要因があったはずだ。

 たとえゴールデンバウム家に大きな遺伝的欠陥があったのだとしても、流産6回、死産9回、夭折9人、成人後の若死に二人だなんて、異常としか言いようが無い。この世界では医学が21世紀よりずっと発達しているはずなのに、原作開始時点で、生存率は7パーセントだなんて不気味すぎる。特に俺は侯爵夫人の息子の死産は、暗殺されたものだと確信している。誰が行なったかまではまだ解らないが、同じ目に遭った兄弟姉妹がきっといたはずだ。

 

 俺の後見には侯爵夫人がなってくれているとはいえ、これは極めて脆弱な立場だ。もし彼女に実子が産まれれば、現在母親としての愛情を不足なく注いでくれる夫人も、必ずや変化しないではいられないだろう。それに耐えるには、俺自身も力を付けなければならない。

 

 ヴュルテンベルクの祖父母が生きていた頃、伯爵家はそれなりの門閥を形成していた。一応名門の端に引っ掛かっていたので当然だろう。しかし祖父母の死後、閥族は他の大きな勢力にだんだん組み込まれていき、現在では、取るに足らぬ勢力であるため他の門閥にも相手にされないという類の、弱小貴族が残っているに過ぎない。

 しかし侯爵夫人は、そんな頼りにならない閥族でも俺の勢力を維持するためには必要だということで、その結束を高めるために、明日の誕生日パーティを利用するらしい。

 

 正直勘弁してくれ、な気分だった。門閥を再形成して、宮中で勢力を振るうつもりなんて無い。しかし考えてみれば、必要なことなのかもしれない。

 

 俺の敵はラインハルトだけではない。宮中に巣食っている、他の門閥貴族はすべて敵と見なすが相当だろう。それを俺一人で対抗出来るはずはない。頼りなくとも、それなりの味方は必要かもしれない。

 

 それにパーティに出席する俺の閥族の中に、驚くべき名前を見つけたのだ。 ━━━━ ハインツ・ヴィルヘルム・フォン・ファーレンハイト男爵。



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第7話   ファーレンハイト男爵

 ファーレンハイト男爵領は、オーディンから20日ほどの距離にあり、辺境になるかどうかのギリギリに位置する惑星だ。未だ開発途中の惑星だが、先代、ハーラルト・フォン・ファーレンハイト男爵がレーション工場を建設し、軍に納めることも成功したため、まあまあ安定した収入が得られており、今でも少しずつ人口も増えている。

 

 ファーレンハイト領の基幹産業は、今でもこのレーションだ。イゼルローン回廊に近い所に位置しているため、要塞への輸送コストも低く、その分、レーション内容には工夫を凝らしているらしい。軍内でもファーレンハイト産のレーションは評判が良く、兵士のレーション社人気ランキングでは毎年3位以内には必ず入っている。

 

 レーション内容は他社のものとは少し違い、主食はパンやヌードルよりもライスに重点が置かれており、種類は15種類ほどある。兵士たちはこのライスの種類を毎回楽しみにしており、主食がたまにパスタやヌードルの時は、『今日はハズレの日』だそうだ。また副菜は野菜の種類が多く、『健康に留意しております』の謳い文句が付いているらしい。……開発者にアジア系でもいるのか?

 

 こうやって見てみると、男爵家にしては中々有望な家じゃないか。何で俺の閥族に残っているんだろう、と思い調べたところ、原因と思われるものがわかった。前ファーレンハイト男爵の従姉が、父上の弟で皇太子だった、クレメンツ皇子派の有力貴族の妻に入っていたのだ。その従姉は、皇位継承のゴタゴタが起きる以前に死亡していた上、子供もいなかったため、ファーレンハイト男爵家が事件において連座させられることはなかったが、貴族社会において姻戚関係は無視できるものではない。ファーレンハイト家はクレメンツ皇子よりの一族と思われ、貴族間では微妙な位置付けになってしまったらしい。

 

 そこで前男爵は、細い筋ながらも縁戚だった俺の祖父のヴュルテンベルク伯を頼った。当主の娘、つまり俺の母が寵姫に召し上げられたので、男爵家は一応皇室よりの一族として認められたらしい。伯爵の後押しで、立ち上げたばかりのレーション工場も軌道に乗ったそうだ。しかし母は出産後あっさり死亡し、現在はまたもや不安定な立場に置かれている。

 

 それなら俺の元閥族と同じく、有力な勢力にすりよればいいのになあ、とも思うが、現男爵は恩を感じているのかどうか知らないが、俺の閥族に留まってくれている。……有り難いことだと思おう。

 

 現男爵は、年齢は50歳で、長身で貴族的な風貌を持ち、白金の髪、空色の瞳の男だ。俺が調べた限り、後の三元帥の城に名を連ねる一人、アーダルベルト・フォン・ファーレンハイトと思われる男は、彼の従弟の息子に当たり、父親は帝国騎士の位を持っていた。現在12歳で、地元の基幹学校に編入している。ギムナジウムに進学していないから、卒業したら士官学校に行くつもりなんだな、きっと。

 

 しかしそれまで彼の家の経済力が持つかな。調べたところ、彼の父親は二年前に戦死しており、現在は母親が、実家の形ばかりの援助とわずかな軍人恩給で家計を支えている。しかも子供はアーダルベルトを筆頭に四人もいるし、一番下はわずか二歳で、働きに出るのもままならない。こんな生活は子供が成長していけばどんどん苦しくなるだろうから、家族の為にも『食うために軍人になる』のスタートラインに早く立ちたいだろうな。

 

 色々考えていると、侯爵夫人がニコニコしながら、侍女達を従えてやってきた。……侍女の一人の手には、とんでもなくフリルいっぱいの宮廷服が乗っている。

 

「さあ、リヒャルト。パーティのお着替えをしましょうねvv」

 

 いやああああ!!!!!

 

 

 パーティはなかなか盛況だった。侯爵夫人が気を遣って昼間の開催だ。貴族のパーティにしてはアットホームな雰囲気が漂っていたし、出席人数が寂しいということもない。何より、兄のルードヴィヒが顔を出して祝辞を述べてくれたため、パーティの格は嫌でも高くなってしまった。

 

 兄が退席すると俺は目当ての人物を密かに探した。ファーレンハイト男爵は壁際でワインを傾けながら、油断なさそうな眼をある女性に向けている。それは侯爵夫人だった。

 

 しばらくすると、男爵はしきりに侯爵夫人に話しかけ始めた。夫人は少々困っているようで、当惑した曖昧な笑顔を浮かべている。ははん成程、俺の閥族に留まっていたのは、侯爵夫人に接触できる可能性が高いからかもしれない。今の父上の第一の寵姫は侯爵夫人だ。しかし残念だね、男爵。あと五年もすれば、父の女の趣味は激変して、後宮の勢力図は変わってしまうんだよ。

 

 しかし彼にはどうやって話しかけよう。『あなたの従弟の息子さんのアーダルベルト君は、将来有望そうですね』、何て言えるわけがないし。『ご親戚にお困りの方がいらっしゃいませんか。援助しますよ』……ダメだ。不自然すぎる。

 

「リヒャルト、こちらはファーレンハイト男爵ですよ」

「初めまして、殿下。お会いできて光栄でございます。本日はお誕生日、おめでとうございます」

 

 うおっ、いつのまにやら男爵に紹介されてしまった。咄嗟に言葉が出ない。ちなみに俺は皇子の称号は失っているが、殿下の敬称が許されている。成人すれば、大公の位が授与されるからだそうだ。

 

「あらあら、ちゃんとご挨拶しなきゃダメよ」

「は、初めまして男爵、ご機嫌麗しく。今日はどうぞ楽しんでいってください」

「おお、六歳とは思えませんな。侯爵夫人も将来が楽しみでしょう」

「ええ、陛下をお支えする片腕になってくれれば嬉しいですわ」

 

 ここで、俺はちょっと閃いた。

 

「はい、私は将来軍人になって、父上、兄上のために戦うつもりです。男爵は軍人でいらっしゃるのですか?」

「いえ。私は内務省に勤めておりまして」

 

 知ってるよ。内務省の官吏だろ。男爵家の持つレーション会社は、彼の実弟が実質的な経営者で、多くの親族が役員などを務めて、おこぼれに預かっている。近い親族で軍人だったのは、たった一人だ。

 俺はあからさまにがっかりした顔をしてみせたので、男爵は目に見えて焦ったようだ。少年がカッコイイ軍人に憧れるのは普通のことだよね。

 

「し、しかし我がファーレンハイト家も皇室を守るためには、いつでも命を捨てる覚悟はございますぞ。おお、そういえば我が従弟、フェルディナントは、叛徒どもとの戦いで先年、武運拙く……」

「そうですか。お身内がそのようなことに。従弟殿には奥方やお子様はいらっしゃったのですか?」

「はい。それに長子のアーダルベルトは、将来士官になると言っているそうです。死んだ父親の跡を継ぐつもりなのでしょう」

「立派な志しですね。父子揃っての帝室への献身、嬉しく思います。それほど忠誠心篤ければ、是非将来は私の側近くに仕えてほしいものです」

「!!」

 

 俺は他の出席者とも言葉を交わすため、夫人と共にその場を離れた。男爵にとっては衝撃的な言葉だったろう。己の身内から将来の大公への側近を出すことが出来るなど、そんなチャンスは一弱小貴族の身では中々無いことだ。彼はきっと、頭の中で必死に算盤勘定をしている最中に違いない。

 

 彼の打算が欲望に傾けば、夢を現実にするためにアーダルベルトの家への援助を篤くするだろう。そしていずれは、彼を俺と会わせようとするはずだ。



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第8話   進むべき道

 パーティの後、侯爵夫人に叱られてしまった。『あなたはヴュルテンベルクの当主なのですよ。軍人になるなどもっての外です!』という訳だ。

 

 はあああ、そうなんだよね。俺ももっと(身体が)ガキの頃は、皇帝の力と原作知識を最大限利用して帝国元帥になればいいじゃーん、なんて軽く考えていた時期もあったんだが、ヴュルテンベルクの当主である以上、箔付けに軍籍に入ったとしても前線に出るなどありえない。腐っても公爵家だし、何より俺が戦死でもしたら跡を継ぐ者はいないのだから、皇帝も周囲も許さないだろう。そんなんで元帥になったんじゃ、前線経験ナシ、ずっと予備役で元帥になる(予定の)ブラウンシュヴァイクと同じだし、さすがにそれでは信頼も尊敬も得られないだろう。何より俺がイヤだし。

 

 だから俺の意思を実行し、手足となってくれる軍人が絶対必要なんだ。アーダルベルト・フォン・ファーレンハイトを取り込めれば心強い。彼が原作通り、有能な将帥として成長してくれればありがたいな。

 

 現在は新無憂宮どころか、侯爵夫人の館からさえ碌に出られない俺が不自然なく接触できる軍人は、宮廷に出入りできる高位貴族の将校しかいないだろう。高位貴族でめぼしいヤツなんているのか?

 

 原作で貴族出身の一級線将帥といえば、ロイエンタールとアイゼナッハとファーレンハイト、オーベルシュタイン、メルカッツ、ミュッケンベルガーあたりだろうか。

 前者三人は爵位がない下級貴族で新無憂宮にそうそう出入りは出来ないだろうし、オーベルシュタインは艦隊指揮官ではない上、ゴールデンバウム家を憎んでいるから問題外だ。後者二人は、現在もバリバリ活躍中だな。その内に宮中ででも会う機会を作ろう。メルカッツは有力な派閥には属していないし、その意思も無いはずだから、誼を通じるだけでもそれなりの効果があるはずだ。ミュッケンベルガーはどうかな。後年、フレーゲル男爵を通じてブラウンシュヴァイクに渡りを付けようとするフシがあったが、それならば、現在はどこの大貴族とも太いパイプは持っていないということだろう。二人ともまだ40歳前で階級も比較的低い。先物買いしておくべきだ。

 

 もう少し年齢が上がれば、士官学校や幼年学校に視察だの激励だの式典への出席だの理由付けて、顔出ししていくとしよう。そしてそれは『兄や父に伴われて』というのが望ましいのだが、二人は余りそういうのに興味が無いみたいなんだよな。もし国軍にソッポ向かれたらオシマイなんだから、将来の士官たちに顔と好意を売っておくべきだと思うんだが。まあ、これはもう少し先のことだと思うから、時間をかけて二人の意識を変えてみよう。

 

 俺はどういう道を歩むべきなんだろうか。最近こんなことをよく考える。軍人として極みの位に昇るのはムリだし、兄や将来の甥、姪と争い、皇帝を目指す道なんて論外だ。ヴュルテンベルクの領主として善政を敷き、一公爵家として一門を繁栄させていく、というのが最もスタンダードな道だし、できれば俺もそれが一番望ましいと思っている。しかしそれではラインハルトに対抗できない。

 そうすると、執政者としての道を歩むべきなんだろうか。原作でのリヒテンラーデ侯の立ち位置だ。彼の後継者、協力者としての位置付けは、なかなか魅力的かもしれない。

 

 だとすると、政治、経済、軍政、民政! 学ぶことは山ほどある。俺、転生前は理系だったんだが、全く違う分野でも必死で勉強していかなければならない。飛行機の推進装置設計知識なんて、こちらの俺には殆ど役に立たないし。

 

 侯爵夫人にカリキュラムを組んでもらおう。『軍人になるのは止めて、父上、兄上のお側でお二人を沢山お助けしますv』とでも言えば、きっとOKだ。そのうち『実学を修めるために、侯爵のお側で勉強させてください』と、リヒテンラーデ侯に頼んでやろう。そういえば彼は今、何の役職なんだっけ? 国務尚書では無いはずだよな。ああ、内務省参事官だ。するとファーレンハイト男爵の上司か。

 

 ぐるぐる考えていると、兄上がTV電話で俺を皇太子宮に呼び出してきた。こんなことは初めてだ。

 

 パーティが終わって普段着に着替えたばかりだったのに〜と文句を言いながらも、服装を改めて整えて、俺に就けられている護衛武官のテオドールたちを従えて、皇太子宮まで地上車で向かった。

 

 初めて入る皇太子宮なんだが……うーん、侯爵夫人の館は典雅で洗練されていて、それでも家庭的な雰囲気もあって、夫人の上品な趣味が窺われるんだが。兄上のいる皇太子宮は、歴代の皇太子たちが好き勝手に手を入れまくっているせいか、何かとっても煌びやかで、豪華絢爛で、勿論成金趣味的な下品さは無いけれど、あまり兄上の性格に合っていないと思う。こういう豪華さが、皇太子殿下の住む館の正しい姿なのかもしれないが、俺だったらこの館で生活するのは嫌だなあ。兄上はどう思っているんだろう。兄上は地味ではないが、無駄に派手好きでは無く、瀟洒で気品のあるお方だ。……今案内されたこの部屋も、扉自体がムダに大きいし。

 

「兄上、お呼びにより参上いたし……! 失礼いたしました、皇后陛下!」

「いいのよ、リヒャルト。畏まらなくても」

 

 部屋の中には兄だけではなく、姉二人、そして皇后まで勢ぞろいだった。俺は瞬間的に片膝を付いて跪いた。何だこの集まり。俺を消す陰謀じゃないよね。

 思わず助けを求めるように兄に視線を走らせると、兄は苦笑し、一人の青年貴族を紹介した。

 

「リヒャルト、立ちなさい。お前はまだ会ったことがなかっただろう。こちらが来月姉上と結婚する、オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク殿だ」

「初めまして、殿下。オットー・フォン・ブラウンシュヴァイクです。ご紹介に預り、光栄でございます」

「リヒャルト・フォン・ヴュルテンベルクです」

 

 儀礼に従って挨拶をする。典型的な大貴族のお坊っちゃんという感じの青年だ。挨拶を交わすと、何やら小さな包みを差し出してきた。

 

「本日はお誕生日おめでとうございます。これは大した物ではありませんが……」

 

 開封するようにさりげなく視線で促されたので、包みを開くと、中からは美しい細工の宝石箱に入ったエメラルドのカフリンクスが現れた。……男が男に宝石を贈るんですか……貴族ってヤダ……。

 内心ゲッソリしながら、もちろん顔には出さない。

 

「こんなに素晴らしい物をありがとうございます。そして、アマーリエ皇女様とのご結婚おめでとうございます。お二人の幸せを、心からお祈りさせていただきます」

「ありがとうございます、殿下。侯爵夫人と殿下からも、結構なお祝いの品を頂きまして、遅くなりましたが、改めてお礼申し上げます。よろしければ今度開かれる、我が家のパーティにご出席いただけませんか」

「大変嬉しいお申し出ですが、何分私はまだ若輩者で、失礼をしてしまうのではと思いますので」

「まあ、ダメよ。リヒャルト!」

 

 俺がパーティの招待をやんわりと断ろうとしたところ、口を挟んできたのは、クリスティーネ皇女だった。アマーリエ皇女は、威厳のある落ち着いた性格の女性だが、クリスティーネ皇女は凄く気の強い女性なんだよね。一歩間違えると、ヒステリックに感じるくらいの。

 

「ブラウンシュヴァイク公爵家のお誘いを断るなど、礼儀に反しますわ。私も一緒に行ってあげますから、恥ずかしがっていてはダメよ」

「では、クリスティーネ皇女さまを、私のパートナーとしていいのですか?」

「もちろんよ!」

 

 俺が、『一人で行くの不安です。姉上助けて』なオーラで、クリスティーネ皇女を見上げると、彼女は上機嫌でパートナーを承諾してきた。うん、俺って自分で言うのもなんだけど、母親そっくりの可愛い顔をしているんだよね。明るい緑の眼で縋るように見上げると、クリスティーネ姉上が何でも言うこと聞いてくれるのは経験済みだ。

 

「最近、ワルツを覚えたんです」

「まあ、それは楽しみね。でも私の足を踏んじゃイヤよ」

「姉上とリヒャルトでは、身長差が有りすぎるでしょう。ダンスは無理だと思いますよ」

 

 調子に乗っていると、ルードヴィヒ兄上に冷静に突っ込まれた。俺はブラウンシュヴァイクに、『クリスティーネ皇女様と、喜んで出席させていただく』と返事をすることになった。彼は大喜びだった。皇女二人と、未来の大公を招待出来たのだから、パーティの格は皇帝や皇太子臨席に次ぐ特上のものとなるし、他の貴族へのアッピールになるからな。

 まあいいか、公爵家のパーティなら、他の有能な軍人とか官僚も出席するかもしれない。そして高位貴族たちも。しっかりと見極めてみよう。

 

 館に帰って侯爵夫人にブラウンシュヴァイクのことを話し、カフリンクスを見せると、彼女は素晴らしく大きく純度の高いエメラルドだと感動していた。

 

「きっと、あなたの瞳の色に合わせたのね」

 

 侯爵夫人の悪意のない指摘に、尚更俺はゲッソリしてしまった。招待されたパーティでは、これを付けなきゃならないらしい。誰がこのプレゼントを選んだのか知らないが、ああ、貴族ってヤダ……。



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第9話   ブラウンシュヴァイク公爵家

 本日はブラウンシュヴァイク家のパーティに行かなきゃならない。男の支度は女性のそれと比べると簡素ですむが、それでも正装は窮屈だよ。いつもは子供だからか、侯爵夫人の趣味かは知らないが、大きなレースが袖口に付いたミニ宮廷服を着せられるが、今日はカフリンクスを付けるため、背広にちょっと似たシンプルな宮廷服でフリルも少ない。わーい、おとなになったきぶんさー。

 

 生まれて始めて新無憂宮から出た。姉二人とはもちろん違う車だ。皇位継承権保持者たちが、同じ車にのるなど有り得ない。皇族二人が動くため、周り中近衛の地上車に取り巻かれて、バッチリ交通規制もされてスゴイ警備だ。内心、オーディンの街の様子が見れると楽しみにしていたのだが、ダメだった。ブラウンシュヴァイク家は、新無憂宮の門を出て車で10分足らずの所にあった。……そりゃ、帝国でも有数の名家だもんな。皇宮近くにあるのは当然か。屋敷の門から入口までの方が遠かったなあ。

 

 ブラウンシュバイク公爵家のパーティは、俺のお誕生日会(笑)などとは及びもつかないほど豪勢なシロモノだった。姉上も「素晴らしいわね」などと言っていたから、多分、皇女二人と俺が出席することで、相当気張って目一杯豪華なパーティにしたんだろう。410年産ワインがあんなに用意されているなんて、オーディン中買い占めたのかもしれない。あの中の一本で、未来の義兄上は自殺するのかもしれないけど。

 

 しかし、クリスティーネ姉上が俺から離れた途端、わらわらと群がってくる幼女達は何なんだ。5才くらいから10才くらいまでの、これでもか!というくらい着飾った少女たちに、俺は取り巻かれてしまった。反応の仕方が解らないから硬直しちゃったよ。社交界デビューもしていない幼女がなんでこんなに沢山来てるんだ。

 

「殿下、マリア・ヘートヴィヒ・アウグステ・ドロテア・フォン・ヴォルフェンビュッテルと申します。我が侯爵家は、ブラウンシュヴァイク家の縁戚ですわ。是非来月のパーティにいらっしゃってください」

「カタリナ・フォン・ベルンブルクと申します。母が是非サロンにおいでくださいと申しておりました」

「リヒャルトしゃまー。ちょっとまえのおたんじょびオメデトございましゅ。カロリーネももうすぐ、五歳になるんでしゅ。たんじょびパーティに来てくだちゃい」

 

 ええい、うるさいうるさい! そんな長ったらしい名前覚えられるか! 貴族女性のおしゃべりと噂話のサロンに伺って、俺に何を話せって言うんだ! それから舌っ足らずの幼女に喋らせるな! 悪印象しか持たれんわ!

 

 どうやら俺は、お年頃手前の女の子のターゲットらしい。たぶんこの子達はブラウンシュヴァイク家縁故の者たちで、俺を陥落させるために集めさせたんだろうなあ。そりゃ大公妃になれれば実家は栄達できると夢見るだろうし、ブラウンシュヴァイク家の覚えも目出度くなる。俺と年齢の近い娘を持つ有爵貴族が狙うのは当然だろう。みんな両親に言い含められているんだろうな。

 誰か助けてーと会場を見回したが、アマーリエ姉上は婚約者と一緒に挨拶廻り中、クリスティーネ姉上は若い男性貴族たちと楽しそうにおしゃべり中だ。恋人のいる身でいいのかね。リッテンハイム家はブラウンシュヴァイク家と仲が悪いのか、彼は招待されていないのだ。(だから俺がパートナーなんだが)

 

 すると、壁際に俺と大して年も変わらないだろう、黒髪の女の子が佇んでいるのが見えた。俺の方をすごく面白そうな目で見ている。俺はその子が誰かすぐに解ったが、彼女は俺が10人もの美幼女達にどう対応するのか興味津々といった感じに見える。よし、ではご期待に応えよう。

 

「ムッターとファーターとお兄ちゃまとお姉ちゃまがいーよって言ったらねー」

 

 少女たちの中で、俺より年上の娘たちは一瞬毒気を抜かれたように動きが止まってしまったので、俺は隙をみてその輪から抜け出した。ふん、まだ六才なんだ。家族の許可が必要なんだい、ひとりでおうちからでられないんだもん!

 そして俺は先程目を付けた壁の花に近づいた。

 

「フロイライン、ワルツのお相手をお願いできますか?」

「え、えええっ、わたし!? は、はい、喜んで」

 

 俺の部屋に備え付けられたコンピューターは、宮内省や典礼省のデータも閲覧できる。宮廷内でならば、これは秘密事項ではない。そのため俺は原作に関わる主要キャラをリストアップしている。家系や容姿、学歴なども、有爵貴族であれば詳細が載せられている。彼女は後にアンネローゼの親友となる、マグダレーナ・フォン・ヴェストパーレ男爵令嬢だった。実は彼女って俺の好みなんだよな。ハッキリとした顔立ちと性格で、精神的にも大人な自立した女性だから。(今はまだ8才だけど)

 

 ヴェストパーレ嬢の手を取ってくるくるとワルツを踊る。今はこれしか踊れないしあまり上手でもないけど、子供同士のダンスだからそのへんはご愛嬌だ。でも周囲はご愛嬌どころではないらしい。俺が並みいる名門貴族の令嬢ではなく、いっかいの辺境領主の男爵令嬢とファーストダンスを踊っているからだ。後で面倒事になることは解っているはずなのに、俺の誘いを断らなかった彼女は勇者だな。

 

「殿下、なぜ私と踊ってくださいますの」

「簡単なことです。この会場で姉上方を除けば、最も美しい女性があなただからですよ」

「………」

「それもありますが、この会場の少女たちの中で、あなた一人が私を結婚相手とは目していないことがわかったからです」

「我が家は男爵家。殿下とは釣り合いが取れませんわ」

「私は私が選んだ女性と結婚したいと考えております。それができないのであれば、独身を貫くほうがマシでしょう」

「まあ、私と同じ考えですわね」

 

 ヴェストパーレ嬢はパッと顔を輝かせた。

 

「意に沿わない結婚をして、しおらしく家に収まるなんて、私我慢できませんの」

「確かにあなたなら、女男爵として、一門を率いる立場になってもやっていけるでしょう。ご夫君に任せるよりも上手くいきそうだ」

「ええ、そのための努力は惜しみませんわ。私自身に価値を付けなければなりませんもの。紅茶や香水の名前当てに、ワインの銘柄、レースの編み方など習って、何の役に立ちます? そんなものは最低限の知識を身に付けた後、嗜み程度に知っていれば良いことですわ」

「しかし、あなたのドレスに飾られているレースは素敵ですよ」

 

 令嬢はフフンといった顔になった。

 

「ドレスは私がデザインしましたが、レースは気に入らなかったので、我が家のレース編みの講師に作らせましたわ。日頃の恨みを晴らすために、目一杯複雑な模様を指定しましたが、彼女も講師としてのメンツがあったのでしょう。素晴らしい出来で、気に入っております」

「なかなか人を使うのがお上手ですね」

 

 8才でドレスをデザインするとは見上げたものだ。マゼンタ色の斬新な型のドレスに、薄緑色の繊細な模様のレースは彼女にとても良く似合っている。8才児が着るデザインとはとても思えない斬新さだし、マゼンタ色を選ぶなんて本当に勇者としか思えないよ。

 

「殿下の袖口の宝石も素敵ですわ。瞳の色と同じですわね」

「それは言わないでください……」

 

 気づかれない方が公爵家への失礼になるんだろうが、やっぱりゲッソリするよ。俺はふと、パーティの中心地帯に、まるで自分が主催者であるかのように大勢の取り巻きに囲まれて笑っている男に気づいた。

 

「あそこで多くの方に囲まれておられる方はどなたかご存知ですか?」

「ああ……」

 

 ヴェストパーレ嬢は描いてもいないのに美しい眉を片側だけ潜め、小さな声で「カストロプ公」と囁いた。なるほど、あれが悪名高い未来の財務尚書か。背は高めで、やや肥満気味だが、風采は悪くない。脂ギッシュな中年のオヤジを想像していたのだが、金の亡者にも見えないし、上品で押し出しのよい紳士にさえ見える。原作知識が無ければ騙されただろうな。

 

「存じませんでした。公はブラウンシュヴァイク家とも仲がよろしいのですね」

「ええ。二ヶ月前の疑獄事件で仲良く容疑者の一人ともくされるほどには」

 

 なるほど。同じ穴のムジナというやつか。ワルツが終わった後にも二人で話し込んでいると、アマーリエ姉上が婚約者とやってきた。



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第10話   貴族たち

「話がはずんでいるようね、リヒャルト」

「皇女さま、このように可愛い女性と話すのは初めてなので、気の利いたことなど何も話せませぬ。オットー殿、今日はお招きいただきありがとうございます」

「いえ、本日はわざわざのお越し、恐悦至極でございます。私の親族、友人達も、殿下とお会いできるのを、皆楽しみにしております。後ほどご紹介させてください」

 

 ……やだよ!!

 

「こんばんは、フロイライン」

「皇女さま、お目にかかれて嬉しく思います。マグダレーナ・フォン・ヴェストパーレと申します」

「お会いできて嬉しいわ。リヒャルトは頼りない弟だから、引っ張り回してやってね」

「え、あ、はい……」

 

 さすがにヴェストパーレ嬢といえど、戸惑っている。俺は苦笑して、ブラウンシュヴァイクに『ご両親を紹介して頂きたい』と頼んだ。彼は喜んで両親を呼びに行った。典型的な大貴族の長男。己の友人、親族を引き立て、自家の財力、勢力を伸長させることを第一に考える男。それが当然自分のなすべきことだと思っている男……。

 

「リヒャルト。オットーを遠ざけて何か話したいの?」

「アマーリエ皇女さま。本当にお相手はオットー殿で宜しいのですか? もう少しご考慮なさっても宜しいのでは?」

 

 ヴェストパーレ嬢が驚いたように俺を見た。アマーリエ姉上は小さくため息をつくと、微かに目を伏せた。ブラウンシュヴァイクと会ったのは二度目だし、俺は原作知識があるせいで目が曇っているのかもしれないが、聡明な姉に似つかわしい男とは思えない。

 

「結婚は来月なのよ」

「挙式していない以上、婚約破棄してもおかしいことはないでしょう? 過日の疑獄事件だとて理由になります。事件にオットー殿が関与していた訳ではありますまいが、子は親に似るとも申します」

「あの事件に公爵は関係なさっておりません。しっかりと調べました。息子が私との挙式を控えているという大事な時に、そのような迂闊なことをするはずがないでしょう」

 

 両親を伴い、ニコニコしながらこちらに向かってくる婚約者を見ながら、姉はきっぱりと言った。まあ、宮廷貴族に限らず皇族も、ある種の情報網を持つのは当然だから、姉がそう言うのなら、おそらく事実なのだろう。

 

「結婚話から婚約まで5年以上かけ、見極めました。他の候補者に比べれば、彼は悪くないわ」

「それならば宜しいのですが……。皇女さまの幸福を、第一とお考えください」

 

 姉は一瞬驚いたように俺に視線を走らせたが、ブラウンシュヴァイク一家が近づいてきたのを見て、今までどおり、完璧なロイヤルスマイルを浮かべた。そして笑みを浮かべたまま、隣で狼狽している令嬢に視線も向けないままで一言、『フロイライン、ご両親にさえ話してはいけないことがあることは、幼くても承知していらっしゃいますわよね』と、釘をさした。

 

「ご紹介します。こちらが私の両親で……」

 

 現ブラウンシュヴァイク公爵は、息子の30年後といった容姿と快活な雰囲気の男で、鷹揚そうな恰幅の良い男だった。夫人は年齢相応の穏やかな表情の銀髪の女性で、優しげなグレーの瞳が印象深い。確かにブラウンシュヴァイク親子からは、悪印象は受けないなあ。

 

 ブラウンシュヴァイク公夫妻を紹介された後、次々に親族、友人が紹介されていく。6歳の子供がこんなに顔と名前を覚えられると思っているのかね。立体写真付き名刺を何故出さないんだろ。そんなアホっぽいことを考えていると、とうとう原作キャラの名前が出てきた。

 

「私の妹でございます」

「初めまして殿下。リーゼロッテ・フォン・フレーゲルと申します」

 

 おお、恐らくあのラインハルト嫌いの最強硬派、フレーゲル男爵の母親だな。うん、アニメのフレーゲルにどことなく似てるよ。頬が痩けているところとか。

 

「お目にかかれて光栄ですわ。私にも殿下と同じ年頃の息子がおりますのよ。ヨアヒムと申しますが、長ずれば殿下の良いお話し相手になると思いますわ」

「それは楽しみですね」

 

 ラインハルトの敵は俺の味方だが、無能な味方は有能な敵よりも始末に悪いんだよ。絶対近づくな!

 

「こちらも私の妹で……」

「ヴェロニカ・フォン・シャイドでございます」

「こちらは私の従兄弟で……」

「ディートハルト・フォン・コルプトと……」

 

 あんたらの息子も無能者! 親族が多い割にはロクな奴がいないな、この一族は。それとも今の当主達は比較的マトモだが、次代で一気にタチの悪い奴らが出現するのか?

 

「オットーさま。皇女さまがたと殿下を、どうぞあちらにご案内ください」

「おおそうだな、アンスバッハ。お疲れでしょう。あちらに席をご用意させておりますので」

 

 へー、この人がアンスバッハかあ。30歳を過ぎたくらいの目立たない感じの人だ。彼のブラウンシュヴァイク家への忠誠心は見上げたものだったが、暗殺者タイプの人には全く見えないな。見かけによらないってことだよね。キミなら仲良くしてもいいよ。でも暗殺するときはターゲットに当ててね。

 

 ブラウンシュヴァイクに連れられて、フロアより二段上がった上座にしつらえられた、豪奢な椅子に座る。姉上達も一緒だった。

 親族の紹介が終わると、次は高位貴族たちの紹介だ。次々と挨拶と姉上へのお祝いを述べにきたが、正直一人も覚えられなかった。いや、違う。一人は覚えた。『カストロプ公』 彼は上品で押し付けがましくない態度で俺と姉上に話しかけ、しかも話しを途切れさせない。クリスティーネ姉上は特に公爵の話に引き込まれたようで、声を立てて笑うほどだ。紹介を待っている他の貴族がいらつき出したのを見たアマーリエ姉上が、上手く話を終わらせ、公爵を下がらせなければならないほどだった。

 

 彼は魅力的な人物のようだ。話が上手く、如才無い。人々が集まっていたのも、彼の『公爵』という肩書きだけではなさそうだ。

 

「殿下、ヴェストパーレ嬢がお気に召されましたか? こちらが令嬢のご両親です」

「娘をお目に留めて頂いて、光栄でございます」

 

 うーわー。お気に召すって、目に留めるってどーゆーことよ。6歳だよ、俺。やっぱり面倒ごとの予感、いやこの場合の面倒ごとは、ヴェストパーレ嬢の方に行くだろうな、ゴメンよ。でも彼女なら大丈夫そうだ。

 

 原作知識に縛られるな。貴族がすべて腐っているとは思わない。しかし6歳の俺の歓心を買おうと、愛想笑いを貼り付けて自分を売り込もうとする貴族達を見ていると……。ラインハルトの言う通りだろうか。貴族に見るべき人材などおらず、真に帝国のことを考えている者など ━━━━ 誰もいないのだろうか。



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第11話   皇太子の恋

 昨夜は遅かったので、今朝の起床は10時頃だった。朝食はスープだけにしてもらい、侯爵夫人といつものように昼食を摂る。

 

「どうだったの、昨夜のパーティは」

「華やかでとても素晴らしかったです」

「ヴェストパーレ家の令嬢と踊ったそうね」

 

 怖っ! 何、その情報の速さ。

 

「男爵令嬢ですか……。ヴェストパーレ家は悪い噂は聞かない家ですが、やはりあなたには伯爵以上の令嬢が……」

「義母上、カストロプ公とはどのようなお方ですか?」

「カストロプ公?」

 

 ヴェストパーレ嬢の話を止めないと、恐ろしいことになりそうで、俺は強引に話題を転換した。

 

「昨日お会いしました。上品で話題も楽しく、人望もあるお方のようでした。しかし過去に疑獄事件に関わっていたと聞き及んでもいたのです。印象と違っていたので、どのような方なのか、義母上にお聞きしたいのです」

「あなたの印象は正しいですよ。公爵は上品で魅力的な方です。名門カストロプ家の名を汚さぬ方でもありました。しかし今は少しお変わりになられたようですね」

「えっ、そうなのですか?」

 

 詳しく聞くと、侯爵夫人は意外なことを教えてくれた。

 

 カストロプ公爵家は、大帝から直接公爵に叙爵された名門ではあるが、公爵家にしては支配する領域が小さく、他の公爵家に比べると、それほど豊かでもないらしい。オーディンからわずか3日の距離にあるというのに意外だが、ブラウンシュヴァイクやリッテンハイムとは違い、航路の重要拠点からはやや外れている。そういえばお隣は地味なマリーンドルフだし、その又お隣は貧乏伯爵家のマールバッハか。確かにあまり交易上の旨味のある航路では無いな。

 

 それでも歴代の当主は公爵家としての対面を無理せずとも守っていたのだが、現当主オイゲンは、広がるばかりのブラウンシュヴァイクらの躍進に焦ったためか、高い地位を、つまり具体的に言えば、尚書の任命を受けることを望んでいるらしい。

 

 その頃、オーディンの官僚用住宅を大規模に新築することになったのだが、その請負先を巡って数人の高位貴族に金が渡っていたらしいことが発覚した。その中の一人がカストロプ公ではないかということらしい。しかし関わった建設会社の役員が二人ほど自殺して、事件は幕引きだった。今も昔も変わらんのね、そういうの。

 

 現在尚書の位を得るのに必要なのは、経験や能力よりも金がモノをいうそうだ。しかしカストロプにはそのような活動に遣うほどの金銭は無い。

 

 つまり尚書の位を得るために遣う活動費が欲しかった訳か。アマーリエ姉上がブラウンシュヴァイクに降嫁することも、彼の焦りに拍車をかけたのかもしれない。ブラウンシュヴァイクは外戚となるのだから、益々カストロプとの差は開くだろう。

 

 彼が望み通り財務尚書の地位を得れば、その地位をフルに使い、不当な蓄財を行うだろう。貴族の顰蹙を買い、平民の憎悪が皇室にまで波及する。そして国庫は蝕まれ、行き着く先はカストロプ動乱だ。

 

 阻止するべきだろう。未だ大きな権力を持っていない家だという。それならば上手くやれば……。

 新閣僚の任命は、大体年初めに行われる。まだ時間はあるはずだ。

 

 

 午後になると、また兄がシュヴァーベンの館に訪れてくれた。俺はちょうど流していた立体テレビドラマをそのままにして、兄を迎えた。

 

「兄上、ようこそ」

「どうだった。始めての宮廷外でのパーティは」

「華やかでした。とても豪華で」

「ははは、ブラウンシュヴァイク家は陛下の娘婿となられるのだ。権勢の盛りというものだからな」

 

 兄は屈託なく笑っているが、本心だろうか。このままでは、アマーリエ姉上とその子供は、皇位継承争いの強力なライバルとなってしまうのに。

 

 皇太子がおらず、後継者が皇女しかいないのなら今回の選択はアリだ。しかし兄は結婚しておらず、有力な婚家の後ろ盾は無い状態だ。生母であられる皇后陛下の実家は、あまり勢力も無い子爵家で、ご当主もオーディン医科大学の理事長を務める穏やかな文人肌の方で、政治的な口出しをする一族ではない。本来なら皇女はもっと政治的な野心がなく、軍事力も経済力ももっと少ない相手に嫁がせるべきだった。勿論、皇女に見合う身分や地位は必要だが、少なくとも帝国で一、二を争う野心的な大貴族に嫁がせるのは、不味かったと思う。

 

「兄上はいつご結婚されるのですか?」

「っっ! 私はまだ成人にも達していないのだぞ」

「それでは早くご婚約されるべきです。ブラウンシュヴァイク家に対抗できる有力な令嬢と」

「……6歳とは思えぬ、夢のないことを。結婚は愛し合う男女がするべきだとは思わぬのか?」

 

『お前たちは皇帝の子供として生まれたのだから、国家の命ずるままに、結婚するのですよ』

 

 いきなり立体テレビドラマが過酷な現実を指摘した。

 

「……だ、そうですよ、兄上」

『ミミ姉さまも母上さまも、愛する殿方と結婚なさったではありませんか! わたくしだとて!』

 

「ほらみろ、リヒャルト。ドラマでもそう言っている」

 

『ミミはミミです。お前は取り決め通りパルマに嫁ぐのです。皇族に恋愛結婚など許されません』

 

「やっぱりダメだそうですよ。兄上」 

「何だ、このドラマは」

 

 兄は立体テレビをブチンと切ってしまった。

 

「お前の年齢で観るものではないぞ。もっと夢のあるものを観なさい」

 

 おやおや、またお兄ちゃんぶってるな。子供は子供らしく、というところか。それに恋愛結婚に肯定的だ。誰か好きな女性でもできたのかな。

 

「兄上、パーティには可愛い子が沢山いました」

「気に入った娘でもできたのか?」

「いえ、私より兄上がどう考えても先でしょう。お好きな方はいらっしゃるのですか?」

「それは……」

 

 兄はうっすら赤くなったかと思うと、パタパタと手で顔をあおぎだした。うーん、わかりやすい……。そして俺の部屋をぐるりと見回すと、誰もいないことを確かめ、そっと声を潜めて囁いてきた。

 

「お前もここで何度も会っているだろう。私のメイドのウルズラ・フォン・クラッセンを」

「ああ、あの変わった髪色の女性ですね」

「美しい髪と言え」

 

 兄のメイドのウルズラ嬢は、兄がこの館を訪れるときに連れてくるメイドや侍従の中に、最近は必ず入っている女性だ。水際立った美女では無いが、端正で理知的な顔立ちで、スラリとした立姿が凛とした美しさで、気立ても良さそうな女性だ。しかし何より変わっているのはその髪の色で、黒髪なのだが、その中に金髪が混じっているのかキラキラしているのだ。しかもその髪が長い。メイドなので普段はしっかり纏めてきっちり編み上げているが、一度解いた姿を見たことがある。腰よりも20センチは長く、滑らかな輝くような髪で、確かにあれは美しかった。兄と同年代くらいに見えたし、並べてみればお似合いだろうな。

 

「うん? 何で自分は髪を纏めていないウルズラ嬢を見ているんだ? あっ、そういえばあれは兄上がこの館にお泊まりになり、朝食をご一緒しようと、寝室にお邪魔したとき……!」

「うわわわわ」

 

 気づいたとたん俺は兄をジト目で見てしまった。兄はますます赤くなってしきりに手をパタパタさせている。なるほど、もう既成事実はあるんですね。皇族がメイドに手を付けるのは鉄板ですもんね。あの時、兄もウルズラ嬢もしっかり服を着ていたので、そういう発想はしなかったからなあ。しかし兄上はアウグスト一世と同じシュミの方なのかも。

 

「言っておくが遊びじゃない。いずれは妃に迎えたいと思っている」

「彼女の生家は爵位をお持ちなのですか?」

「いや、……3代前からの帝国騎士で本家筋は子爵家だ。裕福な家らしいが」

「寒門ですね。それでは皇太子妃にはできないでしょう」

「だからお前に相談しているんだ。何か良い手はないかな」

 

 6歳の弟に相談ですか……。うーん、いい手ねえ。

 

「順当な手段としては、どこかの権門に養女に出す意外ないですね。少なくとも伯爵以上の位でなければ、皇太子妃としてふさわしくないと周りが騒ぐでしょう」

「それは私も考えたが、そんなことを提案するだけでも、反対に合うだろう」

「別にフロイラインを妃にするためと発表しなければよいのです。養女先の家には話しを通して、いずれは妃に迎えることを言い含めて、それまでは他言を絶対に禁じ、悪い噂を毛ほどもさせないことです。養女先も結婚までに、皇太子妃にふさわしい教育をしてくれるはずです」

「そうだな、どの家が良いと思う?」

 

 俺は貴族に詳しい訳じゃないんだが。そういうのこそ、側近の出番じゃないのかなあ。

 

「カストロプ家は絶対にダメです。現在評判が悪いですから。ノイエ=シュタウフェン公爵家……ダメですね、年頃の女性がいたはず。当然兄上の妃候補と考えているでしょう。リヒテンラーデ侯爵家……あそこも悪くありませんが、尚書候補と密接に繋がるのは不味いのかな。そうだ、ミュッケンベルガー伯爵家ならいいかな」

 

「ミュッケンベルガー? 名門だが辺境の伯爵家だぞ」

「はい、しかし武門の名門の名にふさわしく、当主の弟君が軍で確かな地歩を築いていることをご存知ですか? 彼の能力なら元帥にもなれるでしょう。声望と実力ある帝国元帥が妃殿下になられる方の義理の叔父ならば、強力な後ろ盾になります。それに現在の彼は大勢いる将官の一人でしかなく、本家が養女を迎えたとてあまり注目を浴びずに済みましょう。リヒテンラーデ家よりは目立たないですから、悪くないと思いますが」

「なるほど」

「まあ私などよりも、貴族に詳しい信頼できる侍従にご相談なさったほうが良いと思いますよ。帝国騎士の娘を養女になどしたくないと言い出す家もあるでしょうから慎重になさるべきですし」

 

 さりげに責任を回避しておく。宮廷の権力闘争の中心人物になった気分だ。原作どおりに、兄上の息子は姉上の娘と争うことになってしまうのかなあ。いや、兄上が亡くなったからこそ、外戚の専横が始まったんだから、まだまだ大丈夫だ。バカ皇子、エルウィン・ヨーゼフだって、赤ん坊のころからキチンと調教、いや、躾をしておけば、まともに育つ可能性もあるし。

 

 エルウィン・ヨーゼフは帝国暦482年生まれ。今から15年も後だ。もう少し早めに後継者を作ってくれれば、帝位継承もゴタゴタしないのだが。

 

 兄を介してミュッケンベルガーと繋がりを持てれば俺にとっては僥倖だが、エルウィン・ヨーゼフにとっては、ウルズラ嬢はやはり『弱い立場の母』だろう。いやその前に、彼女はエルウィン・ヨーゼフの母親なのだろうか。

 

 兄は多情な男ではないが、父の息子でもある。彼女が悲しい立場に追い込まれなければよいのだが。



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第12話   策謀の始まり

 兄の行動は素早かった。皇后陛下だけにご相談したらしい。母君であられる皇后陛下の説得には相当苦労したらしいが、彼女も息子可愛さゆえか、結局は折れることとなった。

 

 そしてある日、皇后のご友人でもあられたミュッケンベルガー伯爵夫人が新無憂宮に皇后陛下を訪ねてこられた時、何故か皇太子と二人きりで歓談した。その後、皇太子宮のメイドの一人が親戚に不幸があったとかで仕事を辞し、実家に戻った。そしてある日、ミュッケンベルガー伯爵夫妻がとある帝国騎士の家のお茶会に招かれた折、その家の娘の美しさと気立ての良さを気に入り、是非養女にと願ったらしい。そしてその娘はミュッケンベルガー伯爵令嬢となった、という何かケレン味たっぷりな設定だった。

 

 これだけの工作をしたのに、わずか一週間で終わったのだ。恋の情熱ってすごいね。

 

 姉上の結婚準備で宮廷中が騒がしく浮ついているから、ミュッケンベルガー伯爵家の養女のことなど話題にもならなかった。うん、偶然だけど、良い時期に潜り込めたんだな。

 

 今ウルズラ嬢は、ミュッケンベルガーの屋敷で帝国大学への入学試験準備中だ。彼女は過去に二年も飛び級したほど成績優秀で、貴族女学院卒業後は大学に進学希望だったのに両親に許されず、嫁入り前の箔付けのために宮中メイドをしていたらしい。帝国では貴族女性の大学出は結構珍しいから、皇太子妃になる人が大学出というのは、良い宣伝になるかもしれない。ただし、合格してもほとんど邸内での通信教育になるだろうけど。

 屋敷内では伯爵夫人自らが宮廷の細々としたことを教えこんでいるらしい。結婚するまで二人の気が変わらなければ良いのだが。兄が他の女性に気を移したりしたら、伯爵家に顔向けできなくなるからなあ。

 

 兄は大体、俺の所に午後四時くらいからいらっしゃる。俺の毎日の学習が終わるのが三時くらいなので、どうやらそれに合わせて来てくれているようだ。今日もお茶をしながらウルズラ嬢のノロケ話をしてくる。正直そんな話、聞きたくないんだが、兄は彼女との恋愛話をする人が誰もいなかったらしく、俺は良いはけ口らしい。

 

 すると館の執事が俺への来客を告げた。侯爵夫人も不在だったし、予告なしの来客なんて珍しいと思ったら、何とそれはブラウンシュヴァイク公爵だった。

 

「皇太子殿下、リヒャルトさま。ご歓談中、突然お伺いして、真に申し訳ありません」

「構いません、公爵。紅茶で宜しいですか?」

 

 飲み物を勧めるが、公は口を付けようとはしない。何の用かと思っていたら、とんでもないことを兄の前で話しだした。

 

「リヒャルトさま、ヴェストパーレ嬢を、殿下のご学友として召し上げていただけませんか?」

「は!?」

「大変お気に召されたご様子、男爵も是非、殿下のお側で勉学に励ませたいとお考えのようで。長ずれば侍女として侯爵夫人にお仕えするのも宜しかろうと」

 

 おいおい、そんな建前、信じると思っているのか。長ずれば俺のお手付きにしたいんだろ。とうとうその手の話が俺の所にまで来たのか! こりゃヴェストパーレ嬢はもっとスゴイ目に合っているんだろうな。

 今、館の女主人である侯爵夫人は不在だ。どう考えても、兄にこの話を聞かせるために、狙ってこの時間にやってきたに違いない。

 

「ほう、リヒャルトが令嬢とワルツを踊ったとは聞いていたが、そこまで気に入っていたのか」

 

 兄がニヤニヤしながら言う。俺の弱みを見つけたのが嬉しいんですか!? 嬉しいんですね!

 

「はい、ワルツもですが、殿下はパーティの間ずっと令嬢と話し込んでおられて……。よほどお気に召したのでしょう。少々変わり者の令嬢と評判でしたが、なかなか賢い娘でもあるそうです。殿下のご学友には相応しいではありませんか」

「何歳くらいの娘なのだ? 公爵」

「八歳でいらっしゃいます」

「ふむ、年回りもよいな。当然愛らしい少女なのだな?」

「十年後には評判の美女となりますよ、皇太子殿下」

 

 やめてええええ! 本人抜きで話を進めないでえええええ!

 

「どうだ、リヒャルト。悪くない話ではないか」

「いえ、兄上。それはやはり断らせていただきます」

「えっ、何ゆえです。リヒャルト殿下」

 

 公爵は俺がこうもはっきり断るとは思っていなかったらしく、驚いたように目を見張る。俺はせいぜい神妙そうに渋面を作り、気まずそうに公爵から顔を逸らした。

 

「令嬢は素晴らしい方だと思いました。しかし、その……ヴェストパーレ家は公爵の縁戚でいらっしゃいますよね」

「はい、その通りです。由緒ある男爵家で、評判も良く……」

「しかし公爵ご自身が、この頃かなり評判が悪くなっているので、その縁戚と関わりを持つのは私としては避けたいと……」

「何と! 私にどのような悪い噂が立っているのですか!?」

 

 俺はちょっとした作り話を語ってみせた。

 

 曰く、このシュヴァーベンの館には多くの貴顕淑女が来られる。当然順番を待つ控え室がいくつかあり、貴族たちはそこで待っている間、宮中の噂話などをして、退屈を紛らわせている。そこで聞いた話なのだが、カストロプ公爵はやはりあの疑獄事件に深く関わっておられた。しかし追求の手を躱すために、皇女が降嫁されるほどの名門、ブラウンシュヴァイク家を動かし、法網をくぐり抜けた。首尾良くカストロプ公が尚書となった暁には、その地位を大いに利用して、自分とブラウンシュヴァイク公爵の懐を潤わせる密約を交わした、両公爵が裏で汚れた手を組んだ、そんな噂が宮中にあるらしい。勿論苦心して、子供の言葉で話したよ。

 

「私はその噂は初めてきいたが、誠なのか、公爵!」

「と、とんでもありません、皇太子殿下! 私はあの事件には誓って関わってはおりませんし、何の便宜も図っておりません! 皇女さまをお迎えするこの大事な時に、そのような愚かな真似、するはずがございません!」

「しかしこの前のパーティには、カストロプ公爵がいらっしゃっていましたよ、兄上。お二人は仲良しってことですよね?」

 

 公爵はゴクリと唾を飲み込むと、必死で首を振った。兄がいる時間を狙ったらしいが、裏目に出たね。

 

「カストロプ公がいらっしゃると、他の客が喜ぶのです。彼は話題が豊富で大層人気のある方ですから。それでお呼びしたというだけで……」

「でも兄上、公爵はクリスティーネ姉上に対して、自分が経済に明るいことを大いにアッピールしておられましたよ。公爵もお聞きになったでしょう? あの時は私も感心して公爵の話を聞いておりましたが、後になって彼の悪い噂を聞いたとき、あれは姉上に対する、えーと……」

「猟官運動か! 何と、姉上に対してまでそのような活動をしていたのか! 皇族を巻き込むつもりなのか!?」

 

 兄は怒り心頭の様子だ。家族思いの方だからなあ。公爵は益々慌て出した。自分の館で主催したパーティで、皇女に対して猟官運動がなされたと決めつけられては、たまったものではないだろう。

 

「決して、決してそのようなことは。確かに公爵からは、財務尚書への推薦を頼まれてはおりましたが……」

「尚書ってとっても大事なお役目なんですよね。就任前から悪いことをするような方を、ブラウンシュヴァイク公が推薦なさるなんて……!」

 

 俺は子供らしく、『大人ってキタナイ……!』って感じにショックを受けた風を装った。こういう手が使えるのって、10歳くらいが限度だろうな、きっと。

 

「リヒャルト殿下、誤解でございます。そのような者、私が推薦するはずがございません。財務省には経済に明るく、有能な官吏が何人もおります。私はその中の一人を推薦しようと思っておりました。身分が低いのでどうかと思っていましたが、彼は有能な上、清廉でもあります。彼の能力と人柄を皇太子殿下も見極めていただけませんか。殿下と私の推薦があれば、多少身分が低くとも、就任が可能かと」

「帝国の財政は必ずしも豊かではない。特に財務尚書は身分などより能力で選ぶべきだろう。公爵、是非その男を紹介してくれ」

「はっ、では明日にでも」

 

 おお、早い展開だ。公爵と兄が手を組めば、カストロプ公の財務尚書就任は間違いなく飛ぶだろう。

 後押しは侯爵夫人の侍女達を通じて、ブラウンシュヴァイク公爵がカストロプ公爵の推薦を断ったことを、宮廷内に流してやろう。原因は能力不足と就任後の不正の怖れアリ、とでもして。侍女や召使い間の情報は伝播力が強い。侍女達を通じて、高位貴族の夫人達に伝わり、サロンで格好の話題となるだろう。

 

 財務官僚といえば、ゲルラッハとリヒターしか知らないが、恐らく彼らはまだ頭角を表すには早すぎる。このような話の後で公爵が推薦する男ならば、恐らく本当に有能で清廉である可能性が高い。カストロプが就任するより悪い結果にはならないだろう。

 

 カストロプ公は未だ大した悪事を働いた訳ではないが、結果が分かっている以上、予防するのは当然だ。悪いが帝国の財政を食い荒らす白蟻には、早々に退場して頂くとしよう。そのほうが彼としても、結果的に自家の消滅を避けられる。

 

 彼は一生知らぬことだろうが、彼とその息子にとって、財務尚書となることは、滅亡への道の始まりだ。

 

「ところでリヒャルトさま、ヴェストパーレ嬢のご学友の件は?」

「……ブラウンシュヴァイク公爵の悪い噂が消えてから、改めて検討させてください」

 

 ……当初の目的を忘れてくれなかったか。こちらの件に関しても、策を練る必要があるのかも。



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第13話   華燭の典

 あれから数日経った。どうやら目論見通り、カストロプの尚書就任は不可能な状態らしい。

 

『不正を行ったと噂されるカストロプ公爵を、ブラウンシュヴァイク公は尚書に推薦することを拒否し、財務官僚の中でも際立って有能と言われる、ヴィクトール・フォン・ブルッフなる、ブルッフ男爵の弟で、帝国騎士の男を推薦した』

『帝国騎士を尚書にするなどとんでもないと言うリッテンハイム侯爵に対して、それならば侯爵自身が独自の候補者を立てよ、二人の能力を競わせよう、と皇太子殿下が仰った』

『侯爵は財務官僚の中で、自分の縁戚である子爵を候補として立てたが、内部告発でその男はひと月の内、三分の一は省への出仕さえ怠っている男であることが暴露され、侯爵は面目を潰した』

『皇帝、皇太子臨席の元、ブルッフは財政に関する質問にすべて澱みなく答え、極めて財務に明るい男であることを内外に証明してみせた』

『カストロプ公が、推薦を断るようにブルッフを脅し圧力をかけたが、すでに皇太子殿下の保護下に入っていたため、事なきを得た』

『形勢は絶望的とみた公爵は、慌てて官職を辞し、自領に帰還した』

『新年には財務尚書はブルッフとなるだろう。それを見越した者達が、早速付け届けを贈ったが、それらは証拠と共に、皇太子に提出された』

 

 俺はシュヴァーベンの館に引きこもり状態なのに、それでもこれだけの噂が入ってくるのだから、宮中は蜂の巣を突っついたような騒ぎになっているんだろうな。俺の(計算された)無邪気な発言がこれほど影響を与えるとは、改めて身分が高いっていうのは怖いことでもあると思う。しかしブルッフ、ブルッフね。どこかで聞いた名前に思えるんだが。原作に名前だけキャラとしてでも出てたかな。まあ、そのうち思い出すだろう。

 

 兄は今回の件で初めて『人事に介入』という、政治的活動を行った。ブルッフに個人的に会い、話を聞き、帝国の財政の苦境をお知りになり、改めて有能な者をそれに能う地位に就ける重要性を理解されたらしい。漫然と皇太子として過ごしているだけではダメだと考えるようになってきた。これならちょっと前に俺が考えていた、士官学校訪問も、案外すんなり通るかもしれない。

 

 それでも今の帝国にとっては、カストロプのことなど些末事だ。二週間ほど経ち、いよいよアマーリエ姉上の結婚式となったのだ。

 

 

 昨日は「別れの儀」が行われた。皇帝・皇后両陛下に対して、姉上がこれまでの感謝の意を伝え、両陛下からは、女性皇族が結婚の時にのみ与えられる勲章を親授され、典礼尚書がそれを佩用させる。その後姉上が自ら結婚を報告して、両陛下への別れを告げられた。両陛下からは暖かい餞の言葉がかけられ、礼法に則った別れの杯を交わされた。

 

 そして今日、ブラウンシュヴァイク家からの使者の出迎えを受けた姉上は、結婚式会場に向かう。式場はこの日のためにとブラウンシュヴァイク公爵家が建設させた、大理石とステンドグラス造りの豪華なホールだ。費用対効果はどうなっているんだろう。

 オーディンでは朝から祝砲が鳴り響き、花嫁を一目見ようとする民衆が溢れかえっている。

 

 姉上の花嫁衣裳は素晴らしく絢爛豪華だった。ドレスは絹ブロケードに金糸と銀糸とパールの刺繍が施され、トレーンは2メートルの長さ、銀のレースのヴェールは8メートルの長さ。その上にティアラ、腕輪、イヤリング、ブローチ、指輪、勲章、ネックレスなどで飾り立てられている。ダイヤモンドの嵐だ。

 

 沿道の民衆の祝福を浴びながら、車列を連ねて式場へ向かう姉上の顔は、十分に幸せそうで美しく、輝きに満ちていた。

 到着した姉上が地上に降り立ち、ヴェールがふわりと風をはらんだ瞬間、民衆の歓呼が一際大きく上がり、花吹雪が舞った。

 

 式場に入った姉上は、結婚の証人役である宮内尚書と共に待つ花婿の元に向かう。エスコート役はグリンメルスハウゼン子爵だ。

 

「ここに宣言する。帝国歴468年8月24日、オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク及びアマーリエは夫婦となった。このふたりの結婚に異議のある者は今すぐ申し出よ、さもなくば永遠に沈黙せよ」

 

 誰か「異議あり!」って言ってくれないかなとも思ったが、勿論そんな事態が起こるはずも無く、新郎が新婦のフェイスヴェールを上げキスを交わし、式は20分ほどで終了した。

 

 その後は新郎新婦はオーディンの街を一回りしてお披露目をした。それが終わると贅を尽くした披露宴だ。本日は皇帝主催で宮中で行われ、明日は公爵家主催で公爵家で、その後も延々と合計7日ほど舞踏会と晩餐会が行われるそうだ。俺の出席は今日だけだ。助かった……。

 

 俺の席次は、両陛下、兄上、クリスティーネ姉上に次ぐ場所だった。ブラウンシュヴァイク公爵夫妻より高い。未成年なんだし今は皇族じゃないんだから末席でいいのに。せめて侯爵夫人の隣にしてくれよ。心持ち小さくなりながら、味のよく解らないご馳走を口に運ぶ。何で俺の前にまでワインがあるんだ。

 

「お姉さま、素敵だったわね」

「はい、とてもお綺麗でした。でもクリスティーネ姉上も、数年後にはあのように嫁がれてしまうのですね。寂しいことです」

「あら、私はまだ決まった訳では無くてよ」

 

 兄、姉の会話を聞くともなしに聞いている。確かにそうだけど。でもこの前の人事でリッテンハイムはミソを付けたから、解らないかな? それともかえって焦って降嫁を望むだろうか?

 

「……私って男性を見る目がないのよねえ……」

「そのようなことは。ウィルヘルム殿も良いお方ではありませんか」

「でもお義兄さまと仲が悪いわ。義兄弟が不仲では、あなたも困るでしょ、ルードヴィヒ」

 

 兄上にとっては不仲の方が都合が良いかもしれませんよ、姉上。

 

「姉上がウィルヘルム殿に本気ならば、若い者だけを集めて茶会でも開きましょうか。兄弟の結束を固めるとでもして」

「ダメよ、まだウィルヘルムにしようとはっきり決めた訳じゃ無いんだから」

 

 俺はそのお茶会、開催されても絶対行きませんからね! 当日は腹痛を起こして伏せってしまう予定です!

 

「リヒャルト、あなたはどう思う? ウィルヘルムは見所のある方かしら」

「……お会いしたことも無いのですが」

 

 原作知識だけで言えばバッテンだが、一面識も無い相手を貶すのは良くないだろう。ブラウンシュヴァイクだって、二、三度会っただけだが悪い印象は無かったんだから。

 

「そうだったわね、どうも誰でも一緒のような感じがするのよ。皆、私に向ける笑顔が同じなの」

 

 皇女を射止めようと思えば、例え内心はどうあれ、笑顔で姉上に対しているんだろうからな。きっと皆、死んだ笑顔を素顔に貼り付けているから、誰でも一緒に見えるのだろう。

 

「姉上は好みが厳しくていらっしゃる。私なら頭が良くて気立てが良ければそれだけで十分です」

「それってとても贅沢な条件よ、ルードヴィヒ」

 

 その条件、我らの宿敵と同じですよ、兄上……。俺なら美人で自立心の高い女性だな。年上であればなお良し。ヴェストパーレ嬢はそれに当てはまるんだが、どうもイマイチしっくりこない。ところで兄上方、そんな普通の声で話さないでください。周り中が耳をダンボにしているじゃないですか。

 

「ウィルヘルムとは後で会うから、リヒャルト。あなたにも会わせるわ。少しは我が皇室を支える貴族の方々とお知り合いにならなくちゃダメよ。碌に友達もいないんだから」

 

 館に引きこもりの俺にどうやって友達を作れっていうんですか。作ったら作ったで色々騒ぎになりそうだし。男ならご学友から将来の側近か取り巻き、女なら即、将来の大公妃候補となるんでしょうが。

 

 強いていえば、俺が現在最もお近づきになりたいのは、シュテファーニエ・フォン・メルカッツ嬢、つまりメルカッツの娘だ。彼女とこの場で会えれば、絶対話しかけて切っ掛けを作ってやる。顔もしっかり覚えたし。

 ミュッケンベルガーにも三人の息子がいて、そちらともお近づきになりたいが、ウルズラ嬢が本家の養女になったからなあ、変な邪推を持たれても困る。

 

 食事の後、俺は護衛武官のテオドールを連れて、比較的子供ばかりがいる広間に移動した。メルカッツ嬢は9歳。大人ばかりがいる場所にはいないだろう。本当は館に帰りたいが、姉上が恋人を紹介するというのだから待っていなくてはならないし、その間に彼女と話すことが出来ればラッキー、というくらいに思おう。

 目立たないように隅っこでオレンジジュースを飲みながら広間を見渡したが、残念ながら彼女はここには見当たらないようだった。すると、少し離れた場所にある長椅子に座った、おそらく兄妹と思しき子供二人の声が聞こえてきた。おや、この二人はもしかして……。

 

「リビー、具合が悪いのか? 水を持ってきてやろうか?」

「大丈夫よ、お兄さま。ちょっと人に酔っただけよ」

 

 茶色の髪のよく似た兄妹で、妹の方は俺より二、三歳上という感じだった。キツイ顔立ちだけど綺麗な子だな、と考えていたが、彼女は益々具合が悪くなったらしく、ドレスに顔を埋めてしまった。

 

「リビー! おい、そこのお前! 水を持って来い」

「はっ?」

 

 指名されたのは俺だった。

 

「そうだお前だ。妹の具合が悪いんだ。早く持って来い」

「……何を無礼な…」

 

 テオドールが気色ばむのを手と視線で制して、俺は部屋の隅に用意してあるドリンク類の中からミネラルウォーターを注いで、差し出した。テオドールは感心しないという顔をしたが、具合の悪い女の子のために水を持っていってやるくらい構わないだろう。

 

「リビー、飲んでほら……」

「具合が悪いのなら、医師を呼びましょうか? 部屋を用意してもらっても……」

「余計なお世話だ。リビーはそんなか弱い女ではない」

「大丈夫、水を飲んだらもう具合が良くなってきたわ」

 

 確かに顔色も戻ったようで、それは良かったが、一言くらい礼を言えよ。俺は館の使用人にだって、何かしてもらったらお礼を言うように、侯爵夫人に躾られているぞ。

 しかし礼を強要するのは俺のスタンスでは無い。何か逆に因縁を付けられそうで、俺はこの場を離れようと思った。

 

「それは良かったです、では」

「おい、私の飲み物も持って来い。グレープルーツジュースでいい」

「あなたは気分が悪いわけでも無いし、足が二本あるでしょう?」

 

 俺は当然ながらその要求を拒否した。さっき水を持っていってあげたのとは違う。こんな無礼を許したら、俺の名前が軽々しいものとして扱われてしまう。少年は俺の倍くらいの年齢に見えるが、断固拒否だ。

 

「身の程知らずが! 今なら謝れば許してやるぞ!」

「謝るようなことはしておりませんよ。私は人を待たせておりますので、失礼します」

「待て!」

 

 俺の肩を掴んで引き止めようとでも思ったのだろう。伸ばされた少年の右手は、ようやく護衛の役目を果たせる状況になったテオドールによって完全に阻まれた。やれやれ、厄介な二人と関わってしまったな。



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第14話   Geschwister

「それまでにしていただきたい」

「何だ貴様は!」

 

 少年がさらに掴みかかろうとするのを、テオドールは簡単にあしらって躱すと、俺の身体を自分の体躯で完全に隠す。

 

「お兄様、止めて」

「そうはいくか、この無礼者。名は何という!」

「我が主は軽々に名乗る名は持ち合わせておりません」

 

 テオドールは強気だ。俺が遠慮しなくてはいけない貴族は極めて少ない。ましてやその子供ときては。

 

「テオ、やめろ。どちらの家中の方か存知ませんが、今日はブラウンシュヴァイク公爵家と皇室が結ばれたおめでたい日です。家門を笠に着た争い事はお互い控えましょう。ああ、そこの君、こちらの方にグレープフルーツジュースを」

 

 俺はテオドールを制して前に出ると、丁度通りかかったメイドに彼の要求を伝えた。喧嘩を売られたって買わなければいいんだよ。こんなところで殴り合いをするほど、彼もバカではあるまい。

 その証拠に、恭しく差し出しされたジュースを、彼は忌々しげにではあったが、受け取って口を付けた。

 

「……お前は飲まないのか?」

「先程オレンジジュースを頂きましたので、私は結構ですよ。フロイラインは何か飲まれますか?」

「私もいいわ、ありがとう」

 

 おお、やっとお礼が来たか。俺に言ったのかメイドに言ったのか微妙だが。しかしその後は、何とも気まずい沈黙が場を支配した。兄の方は気を削がれてソワソワと落ち着かない様子だし、妹の方は自分が争いの原因になったことで、困ってしまったという感じだった。

 

「ごめんなさいね。お兄様ったら喧嘩腰で」

「気にしておりませんよ。兄君は気勢の良い方のようですね。これでは誤解されやすいでしょう」

「そうなのよねえ。今だって自分が悪いこと解っているのに、素直に謝れなくてイライラしているのよ」

「……リビー!」

 

 妹に図星を指されたのか、兄は顔を赤らめて彼女を小さな声で嗜めた。その様子が可笑しくて、俺と彼女はクスクス笑ってしまう。先程の尊大さが引っ込むと、どうやら彼は妹に声を荒らげることのできない、甘い兄であるらしいことが解った。

 

「フロイラインはリビーと仰るのですね。兄君は?」

「お兄様はマックよ」

「……お前の名前は何というんだ?」

 

 おいおい、そちらがフルネームを名乗っていないのに、俺の方から名乗るはずないだろう。誰かは知っているけれどな。

 

「私は……そうですね、リックです」

「あら、マックとリックなのね」

 

 韻を踏んだのが面白かったらしく、彼女は楽しげに笑い出した。どうやら気分も治ったらしい。俺のことを愛称で呼ぶ奴は一人もいないけどね。

 

「私たちはお父様とお母様の代理でお祝いに来たのよ。リックは?」

「私は親族ですから。ご両親は何かお仕事でも?」

「え、ええっと。母の具合が良くないものだから、父も付き添っておられて……」

 

 そうか、そんな理由付けだったのか。この二人、子供だけの出席か。身の置きどころに困っただろうな。

 

「母君の快復をお祈りしますよ。ところでとても立派なお式でしたね。お二人ともお幸せそうで良かったです」

「本当にステキだったわ。あのドレスの素晴らしかったこと。うらやましいわねえ。結婚式場まで建てていただけるなんて」

「ふん、ほんの数日のことにあれほど金をかけて。公爵家といえど、屋台骨が揺らぐぞ」

「お兄様、何てことを!」

 

 どうやらマックは俺のことを公爵家の数多い親族の子供と思ったらしく、憎まれ口をきいてくる。リビーの方が慌てて兄を諌めており、立場が逆だよなあ、これは。

 

「ねえ、ブラウンシュヴァイク公爵が隠居なさるって聞いたんだけど本当? リックなら知ってて?」

「ええ、そうらしいですね。隠居された後、家督をオットー殿に譲って悠々自適にお過ごしになられるそうですよ。後は若いご夫妻が公爵家を盛り立てていかれるのでしょう」

 

 現在の公爵家の女主人は勿論公爵夫人だ。しかし姉上が降嫁した以上、女主人の座は姉に譲らなければならないだろう。それを見越して公爵夫妻は隠居という道を取り、別邸も建てて、そこに引っ込むつもりらしい。

 

「公爵は60歳にも遠いのに。オットー殿では若輩すぎて一族は不安ではないのか?」

「隠居されても後見はなさるそうですから、不安など無いでしょう。いずれにしても、新婚旅行から帰られた後のことだそうです」

 

 公爵家次期当主を若輩は無いだろう。俺が聞き流しているからいいようなものを。どうもマックは言葉が過ぎるタチらしい。その時、クリスティーネ姉上の侍女が姿を見せた。どうやら俺を探していたらしい。

 

「こちらにいらっしゃいましたか。姉君がお待ちしておられます」

「解りました。それではマック、リビー。またいつかお会いしましょう」

「おい、ちょっと……」

 

 マックが俺を引き止めかけたが、それを流してその場を離れたところ、広間の入口に知った顔を見つけてしまった。ヴェストパーレ嬢だ。しかし彼女は、フッと俺から目を逸らしたので、どうやら声をかけるのは不味いだろうと、俺も無視を決め込むことにした。

 

 しかしこんなところであの二人に会うとはね。正直、あまり関わり合いたい兄妹ではない。対処法も検討していなかったしな。テオドールは俺の兄妹への対応に不満があったらしく、軽く首を振ると、俺の後ろから囁いてきた。

 

「どこの家の兄妹でしょう。リヒャルト様にあのような無礼を」

「ああ、やっぱり気が付いていなかったのか、テオ。あの二人は……」

 

 俺が彼らの家名を教えると、テオドールの右足は空中で二秒ほど止まってしまった。口の中が乾いてしまったかのような、息を飲む音が聞こえる。

 

「親が大貴族だからね。ある程度尊大に振舞っても許されていたんだろうな。でも兄の方は、どちらかといえば妹に良いところを見せようと空回りしているみたいだったが」

「不味かったですかね」

「テオは私の護衛の任を完璧に果たした。非難されることなど一つも無かったよ、ありがとう」

 

 テオドールは嬉しそうに頭を掻いた。そういえば彼が俺に付けられてから二年は経つけど、護衛の任務を行ったのって初めてかもしれない。俺にとっては今のところ、『護身術の先生』なんだよな、彼は。

 

「あっ、しまった」

「どうなされました?」

「いや、いい。何でもない」

 

 ブラウンシュヴァイク公爵と違って、俺は当初の目的を忘れてしまっていたよ。メルカッツ嬢には会えなかったな。

 これから会うのはあの男か。クリスティーネ姉上の横に立っている長身の若い男が、俺に気付いたらしく、慇懃に礼をしてくるのが見えた。



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第15話   母の実像

 クリスティーネ姉上がニコニコしながら恋人を紹介してくる。背ェ高いな、こいつ。いつかはこれくらいになりたいものだ。

 

「リヒャルト、こちらが今お付き合いしている、ウィルヘルム・フォン・リッテンハイムよ。ウィルヘルム、こちらが私の弟、リヒャルト・フォン・ヴュルテンベルク公爵。可愛いでしょ」

「初めまして、リヒャルト殿下。ウィルヘルム・フォン・リッテンハイムです」

「こちらこそ。リヒャルト・フォン・ヴュルテンベルクです。どうぞよろしく」

 

 へー、アニメで見たリッテンハイムは何か詐欺師面のおじさんに見えたが、若いリッテンハイムはかなりの美男子だ。長身でスタイルも良く、当然着こなしも抜群。姉上は面食いだな、きっと。

 

「初めてお会いしましたが、すぐに解りました。真に亡き伯爵夫人に似ていらっしゃる」

「母、ですか?」

「ええ、私たちの年代の者にとって、殿下の母君は憧れの的でしたから。私もですし、ここだけの秘密ですが、オットーもそうだったのですよ」

「まあ、初めて聞いたわ」

「勿論、今はあなただけですよ。クリスティーネ」

 

 へえ、意外な過去だ。亡くなった母が相当な美人だったのは知っているが、ブラウンシュヴァイクとリッテンハイムの憧れの対象だったというのか。それにしても、ブラウンシュヴァイクのことを、オットーと呼んでいるんだな。

 

「それは光栄です。亡くなった母のことは、私はほとんど知りませんので」

「そうねえ、リヒャルトは産まれたばかりで母君を亡くされたんですものねえ。私は覚えていてよ。お美しくてお優しくて、ケーキ作りがとってもお上手だったわ」

「ケーキ作り? 姉上、母は料理ができたのですか」

「そうよ、ご趣味はお料理でいらしたの。私たち姉弟は何度もご招待いただいたけれど、とても美味しかったわ。本当にいい方だったのよ」

 

 姉は懐かしそうな瞳をする。兄と姉が俺に対して、全くといってよいほど隔意を抱いていなかったのが今まで不思議だったが、母とそういう交流があったのか。

 

「嬉しいです。母のことをいまだにそのように偲んでくださるなんて。私も母の手料理を食べてみたかったです」

「私の手料理じゃお腹を壊すだけだから、代わりにはならないわね」

「クリスティーネ、あなたの美しい手を荒れさせるようなことはできませんよ」

 

 さり気なく姉の手を取って指先にキスをする。上手いなあ。動作に澱みが全くない。

 

「紅茶くらいなら淹れれるけれど」

「では、貴女のカップにはミルクを、私のカップにはマッカランをひとしずく」

 

 バカップルか。お似合いに見えてしまうのが、弟としては悲しい。やがて俺たちの周りをわらわらと貴族たちが取り巻き始めた。リッテンハイムに近い親族だろう。次々に名乗りを上げてくれるが、すまない。一人も覚えられん。

 

「ああ、皆さん。殿下にお会いできて嬉しいのは解りますが、これでは殿下を混乱させてしまいますよ。またの機会はすぐにやってきます。そうですよね? クリスティーネ?」

「え? ええ……そう、ね」

 

 お見事! 俺をダシにして姉上から言質を取るとは。これが上流貴族の話術というヤツか。俺も見習わねば。ユーモアとウィットに富んだ話術というものは、貴族には必須だ。こういうのは重要なアクセサリーになるからな。

 

「殿下、本日アマーリエ皇女さまは至上の幸福を手に入れられました。近い将来、クリスティーネに同じ幸福を味合わせるのは、是非私で有りたいと思っております」

 

 俺が「宜しくお願いします」とでも答えるのを期待したのか? そんな言葉を与えるほど迂闊じゃないぞ。

 

 リッテンハイムの笑顔は、当初俺が考えていたような、「死んだような笑顔」には見えない。姉上のことを、大事に愛しげにしている様子に見て取れる。本心だろうか。それとも皇女を娶るための演技なのか。

 姉上も兄上も、俺の大事な兄弟だ。母親違いなのに、三人とも俺のことを年の離れた末っ子として可愛がってくれる。

 

 幸せな結婚をしてもらいたい。そしてそれを持続していただきたい。

 

 原作では姉たち、まだ産まれていない姪たちの運命は描かれなかった。流刑地に幽閉されたのか、密かに始末されたのか、暴動にでも巻き込まれて殺されたのか、おそらくロクな最期ではなかったはずだ。

 

 ラインハルトが巻き起こす嵐からゴールデンバウム家を守ることができる者が、もしいるとしたら、俺だろう。しかし姉と姪を真実守るのは、その伴侶であり、父であるべきなのだ。

 

 

 三日後、さすがに連日のパーティに疲れたのだろう。侯爵夫人は昼過ぎになってやっと食堂に姿を見せた。食欲もあまり無い様子で、ぼんやりとスープだけを召し上がっている。

 

「義母上、今日の晩餐会にもご出席なのですか?」

「正直疲れてしまって、行くのは億劫ですが、出席の返事をしておりますからね。でも本当に大変なのは、お若いブラウンシュヴァイクご夫妻でしょう。それでも疲れた顔一つお見せにならず、笑顔を絶やさないでおられるのですから、本当にお二人ともご立派でいらっしゃいますよ」

 

 二人の苦行はあと数日は続く。大変だな、貴顕に産まれると。初夜はちゃんと済ませたんだろうか。人ごとながら心配になってくるよ。

 

「リヒャルト、勉強の方はどうですか?」

「かなり進んでおります。ところで義母上。お願いしておりました家庭教師ですが、雇えそうですか?」

「何とかなりそうですよ。年俸をかなりふっかけられましたけどね。ところで本当にあなたの内廷費から引くのですか? 私はあなたの母ですよ。教師の給与くらい、出させてくださいな」

 

 俺は最近ある教師に目を付け、彼を雇用してくれるよう夫人に頼んでいた。夫人は現在付けている教師ではダメなのかと驚いたが、今の教師たちは、初等教育以外はマナーや社交術やダンスしか教えてくれないんだ。それらが貴族社会では大切なことは解るが、俺は実学を学びたい。だから俺はもう少し専門的な勉強を齧ってみたいと言って押し切った。

 

 それにこの新しい教師はちょっと、いやかなり問題アリなので、イザという時、義母が言い逃れできる形にしたい。だから宮廷を関わらせることとした。俺の内廷費から給与が出るということは、宮内省が認めたということになるのだから。それにしても今の俺は皇族じゃないのに、何で内廷費が出るんだろう。貰えるものは貰っておくが。

 

「義母上のお気遣いも解りますが、これは私の我侭でもありますから。それに私の内廷費など、六年間もずっと死蔵されているではありませんか。私の養育にかかる費用を、義母上がご自分で負担しておられることは知っております。義母上、そろそろ私にも金銭の遣い方を教えてください。知識の向上に遣うのは、良い使い道ですよね?」

「ええ、勿論ですとも。リヒャルトはどんどん聡明に育っておりますね。亡きルイーゼ様がお知りになったらどれほど喜んだことでしょう」

 

 母の名前を短い期間に三人から聞くとは思わなかったな。少し昔話をしていただこうか。

 

「義母上。私の母は、兄上や姉上とも親しかったと、先日クリスティーネ姉上からお聞きしました」

「ええ、そうよ。ルイーゼ様は私と同じ貴族女学院に通っておられましたが、卒業後は、一時期皇女様たちに声楽の手ほどきをされていたの。そこで陛下に見初められたのよ」

「声楽……。料理がお上手だったともお聞きしました」

「私とルイーゼ様は女学院の料理クラブで知り合っていたのよ。その頃は親しくはありませんでしたが、彼女は独創的な料理を作るのが得意でしたし、何よりお美しかったから、目立つ方でしたね。刃物使いも見事だったわ。飾り切りなんかとても上手だったのよ」

 

 歌と料理が得意な美貌の伯爵令嬢か。若い青年貴族が憧れるのは当然だろう。しかしブラウンシュヴァイクとリッテンハイムがねえ。

 

「社交界でも人気だったのですか?」

「あら、私の方が人気者だったわよ。まあ、それは冗談ですが、ルイーゼ様はあまり社交界に出入りする方ではありませんでした。声楽のレッスンに大変熱心でいらっしゃってね。オペラ歌手になりたいと仰っていたの。ご両親も渋々でしたが、お許しになられたとお聞きしていました。しかしその後、後宮に召されましたから、歌手の道は閉ざされておしまいになったわ」

「そうなのですか」

 

 仮りにも寵姫が歌手として舞台に立つなど許されなかっただろう。そして母は後宮に閉じ込められ、夢を諦め、その上、やがては父の寵愛も失ったのか。

 侯爵夫人から聞く母は、生き生きとして、趣味を楽しみ、夢を追いかける少女に思える。だが俺が覚えている母は、儚げでか細く、夢もなく、全てを諦めた表情で俺を愛しげに見つめていた。

 

 後宮というところは、生気溢れた夢見る少女を、それほどに変えてしまったのだろうか。俺が物思いに耽っていると、使用人の一人が夫人に近づいて腰を折った。

 

「奥さま。今リヒャルト様に、本日、訪問しても宜しいかお聞きして欲しいとの連絡が通信でございました」

「まあ、どなたかしら」

「それが……名前を仰っていただけません。マックとリビーと告げていただければ解ると。どういたしましょう」

 

 ありゃりゃ。やっぱり俺の正体がバレたか。俺の後ろでは、テオドールがわずかに身動いでいた。



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第16話   謝罪

 貴人の屋敷を、しかも寵姫の館を訪問するのに、名乗りを上げないのは非礼に当たる。侯爵夫人は眉を顰めて俺に尋ねた。

 

「リヒャルト、心当たりは?」

「姉上の結婚式の時、少しお話しました」

「そう……訪問を許可しますか?」

「ちょっと待ってください。兄上は今日、こちらにいらっしゃいますか?」

「いえ、リヒャルトさま。本日は訪問できないと、午前中に連絡をいただきました」

 

 執事の回答に俺はホッとした。兄とあの二人を会わせる訳にはいかないよ。

 

「それでは4時くらいにいらしてくださいと、返信お願いします」

「かしこまりました」

 

 シカトしたいところだが、そうもいかないよな。これから先も、あの兄妹と顔を合わせる機会はあるだろう。取り敢えず、今日決着を付けておくべきだ。

 

「どちらのご子息なのです。危険は無いのでしょうね?」

「大丈夫です、彼らの身元はしっかりとしておりますよ、義母上。それにテオドールがおります。万が一にも私が危険な目に合うことはありません。そうだな、テオ」

「は、お任せ下さい、侯爵夫人」

 

 テオドールの確りとした言葉に、夫人は安心した様子だ。全く『お義母さんは心配性』だ。

 

 昼食が済むと、一時からは叛乱軍用語の授業だった。叛乱軍用語、いや同盟公用語は英語に近いから、結構覚えるのは楽だ。いつか直接ヤン・ウェンリーと会話したいなあ。彼は帝国語は不得意だったはずだから、俺が同盟公用語を話せばいい。彼のサインは是非獲得したい! はっ、10年以上は先のことに逃避してどうする、俺!

 授業が終わって一服していると、テオドールが納得できないといった感じで俺に話しかけてきた。

 

「リヒャルトさま。本当にあの二人に会うのですか? こう申してはなんですが、大貴族のご子息といえど、リヒャルトさまがお付き合いなさるのは相応しからぬと」

「あれだけで人物を決めるつもりは無いよ。案外いい兄妹かもしれないじゃないか」

 

 それに今、彼ら一族の勢力はやや衰退傾向だ。ここに助け手が現れれば、彼らは飛びつくだろう。助けの藁を差し出すか、それとも更に沈めるかは、これからの二人次第だが。

 

「リヒャルト様、おいでになりました」

 

 使用人に案内されて現れたマックとリビーは、先日とはうって変わって神妙な面持ちだった。まあ、当然だな。

 

「ようこそ、マック、リビー。こんなに早くまた会えるとは嬉しいですよ。よくここが解りましたね」

「……昨夜、あの場にいた知人からお聞きしたのです。本当にヴュルテンベルク公でいらっしゃったのですね」

 

 リビーが絶望的な表情で、泣きそうな顔で俺を見つめる。おいおい、そこまで悲壮感漂わせなくても。二人は部屋に一歩入っただけで、二人揃って頭を下げた。

 

「ヴュルテンベルク公爵。私はマクシミリアン・フォン・カストロプ。こちらは妹、エリザベート・フォン・カストロプ。我々の父は、オイゲン・フォン・カストロプ公爵です。先日の非礼をお詫びしに参りました。伏してお願い申し上げます。どうか謝罪を受け取っていただきたい」

 

 マックとリビーは45度に腰を折って、顔を上げようとしない。許しが出るまでこの姿勢でいるつもりか。

 

「どうしたのです。顔をお上げください。公爵家の子女ともあろう方たちが、このような……」

「許してもらわなくては困るのだ!」

 

 いきなりマックが声を荒らげた。

 

「殿下もご存知であろう。昨今のカストロプ家に対する悪意ある噂は。この上、殿下に対してあのような態度を取った私の愚行が許されなければ……」

 

 声がだんだん尻すぼみに小さくなっていく。何か虐めている気分になってしまうじゃないか。

 

 あの広間には多くの子供たち、そして少数だが、その親たちもいた。中には俺の顔を知っていた者がいただろう。現に入口で俺はヴェストパーレ嬢と会っている。あのちょっとした揉め事は、退屈している貴族たちにとっては目出度い席で起こった、格好のゴシップだったはずだ。一方は最近ようやく表に出てきた皇帝の庶子、かたや、たかが帝国騎士に狙っていた官職を掠め取られた公爵の子女。出演者に不足は無かっただろうし、その時の双方の対応の違いは、両者の器量を際立たせただろう。

 

「取り敢えずお座りください。そうでなければ詳しくお話もできません」

 

 俺の言葉にマックとリビーはようやく顔を上げ、おずおずとソファーに座った。

 

「申し訳ありませんが、私はこの館から出ることは殆ど無いのです。カストロプ家は名門と聞いております。どのような噂が立っておられるのですか?」

「いずれ解ることですから申し上げますが……」

 

 リビーの話によると、公爵家は悲惨な状態らしい。ブラウンシュヴァイク公爵とは、これまでごく普通の公爵家同士の付き合いをしていたのだが、突然手の平を返したかのように非友好的な態度に終始し、それを見た他の貴族も、一斉に潮が引くかのごとく、カストロプ家から距離を取り始めたそうだ。

 

 しかもブラウンシュヴァイク公爵は、皇女を迎えるに当たって、身辺を更に清潔にする必要があるとでも思ったらしい。これまでの貴族間でのなあなあでの付き合いを適宜改める方針を打ち出した。近く隠居するため、最後の仕事として憎まれ役を買って出たらしい。

 

 特に、これまで暗黙の了解で特別税率として低く抑えられていた、ブラウンシュヴァイク領を通関する物資への税率が基本税率に戻されたのが、深刻なのだそうだ。成程、恐らくブルッフ氏が入れ知恵したな。

 カストロプ領はブラウンシュヴァイク領を経由する関税が低かったため、取り敢えず物資の通関地域になっていたのに、それが基本税率に戻されたため、この先カストロプ領を通る物資は激減すること確実だそうだ。当然通関で得られる税収も激減するだろう。公爵家の勢力は、わかり易く減退傾向にある。

 

 ちょっと待て。何でそんな関税だの通関物資だのが出てくる事態にまでなっているんだ。俺が狙ったのはカストロプの尚書就任を阻止することだけだぞ。別に公爵家の財産を減じようとか、勢力を削ごうなんて、考えていなかったぞ。

 

 うわー、うわー。どうしよう。きっとカストロプの領民達に大きな影響が出るんだろうな。もしかしたら親族のマリーンドルフやキュンメルにまで?

 

 悔しそうに俯くリビーの姿に、俺は罪悪感がどっと押し寄せてきたのを感じた。



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第17話   余波

「ブラウンシュヴァイク公爵には失望しました。彼は良き貴族の代表として、今まで我がカストロプと協調関係を保ってきたのに、婚姻による保身に走り、我らを蔑ろにしたのです。我が領とブラウンシュヴァイク領は、これまでずっと流通においては相互に協力し合ってきたのですが」

 

 つまり、本当に裏で汚れた手を組んでいたわけか。しかしその手をブラウンシュヴァイクは一方的に振り解いた。マックは自分が両公爵家の犯罪を俺に告げていることに気付いているんだろうか。

 

 打落水狗という言葉を思い出した。魯迅だったか? 水に落ちた犬は打て。すなわち、溺れかかった者に絶対に手を貸して助けてはならない。二度と歯向かわせないように、更に徹底的に叩きのめせ、というような意味だ。

 ブラウンシュヴァイク家にしてみれば、カストロプの尚書就任を邪魔したからには、彼の報復を覚悟しただろう。だから更に追い打ちをかけ、報復など出来ない状態にまで追い込んでいるのだ。ブルッフも兄上の庇護があるとはいえ、公爵家は恐ろしい。清廉な男とはいえ、ブラウンシュヴァイク家と組んで、勢力衰退を謀るくらいは寧ろ積極的にやるだろう。それに不当なことを行っている訳ではない。特別税率であった今までがおかしかったのだ。

 

 そこまでブラウンシュヴァイクがやるとは思っていなかったな。尚書就任の推薦を白紙に戻して、それで終わりと思っていたが、むしろ両公爵家にとっては、そこからが始まりだったのだ。

 

「通関物資の減少だけではありません。我が領はヴァルハラ星系にも近く物資の集積地でもあるのです。我が領の基幹産業の一つは倉庫業です。それを削ぐような真似をして……」

 

 俺に愚痴ってどうする。でもどうやら、俺が噂の発信地であることはバレていないようだ。ああ、良かった。

 

「ブラウンシュヴァイク領からヴァルハラへは、フレイア星系を通ったほうが確かに早いのです。しかしいささか遠回りでも、カストロプを通関すれば、税を低く抑えられました。そのメリットが無くなった今、フレイアがヴァルハラ星系の物資集積地になってしまうかもしれません。我が領の倉庫業界は大打撃です。公爵の方針転換が発表されて以来、彼らは連日連夜、事態打開の対策会議を開いています」

 

 ごめんなさい、カストロプの倉庫業界の方々! そんなつもりでは! でも今までフレイア方面の倉庫業界は基本税率の元で営業していた訳だから、彼らにしてみれば、これで公平な競争が出来るという訳だよね。

 

「この上、皇族であられる殿下の不興を買うような真似をしてしまい、我が家は益々孤立したようです。あの日の私が愚かな行為をした場所に、殿下のご尊顔を知る者は何人もおりましたでしょう。しかし私たちがそれを知らされたのは、二日も経った昨夜だったのですから。その為、知人が私たちにそのことを教えてくれるよりも早く、また悪しき噂が先行してしまったようです」

「悪しき噂?」

 

 マックの言う噂って俺も関係するんだよね? 気になる。ところで重ねて言うが、今の俺は皇族じゃ無いです。何か周り中誤解していないか?

 

「殿下を従僕のごとき扱いをして、しかも殴りかかったと。全くの事実なのだが……。しかし心外なことに、殿下と知っていて、私が喧嘩を吹っかけたことになっているのです」

「どうか兄を許してやってください。兄は確かに短気で理不尽なことをすることもありますが、それでも私には良い兄なのです。実は本日、父には知らせずにここに参りました。殿下と私たちの悶着を知ったら、父の心労は益々増えると思いますし。どうかお願いです。兄をお許しください」

 

 君にとって良いお兄さんでも、俺にとっては意味は無いよ。しかし俺のわずかな干渉がここまで影響を与えるとはね。自分のやったことだが恐ろしい。

 カストロプ領は、結婚式の日の騒動で更に打撃を受けるのだろう。マックの謝罪は謝罪になっていないが、あの騒動の罰には十分だな。

 

「解りました。謝罪をお受けします。どうぞこれ以上、お気にさいませぬよう」

「ありがとうございます、殿下!」

「いえ、リビー。あなたのような美しい方に謝られて、許さぬ男がいるはずがありませんよ」

「妹を誘惑しないでください!」

 

 はあ!? ゆうわく? こんなの社交辞令じゃないか。しかしリビーは真っ赤になっているし、マックは妹を守るかのように腕の中に抱え込んでいる。しかし君たち、謝罪に来たんでしょ、俺を不快にさせる言動を再度してどうする。

 

「も、申し訳ありません、殿下。兄は私のこととなると、たまに常軌を逸すことがあって。誰かが私を傷つけることを、それは恐れているのです。殿下がただの礼儀で、私のことを美人と言ってくださっているのは解っています」

「いえ、本当にお美しいとは思っていますが?」

 

 これは本心だ。俺の好みからは大きく逸れてはいるが、彼女は大きなつり目がちの瞳が印象的で、キリッとした宝塚の男役風の美貌の持ち主だと思う。コアなファンが付きそうなタイプだ。

 

「いえ、そんなはずがありません。お世辞は結構です。ああ、それから、ヴェストパーレ嬢にもよろしくお伝えください。殿下のことを教えてくれたのは彼女なのです」

「ああ、フロイラインが」

「ご学友になるそうですね。彼女は才気のある少女と聞いております」

「いえ、まだ決まっておりません。それに今日親交を結んだお二人を学友に、との声が上がるかもしれませんしね。お二人とも後宮で勉強なんてお嫌でしょう? お気を付けください」

 

 その途端、マックとリビーの顔がサッと青ざめ、リビーの方は泣きそうな表情になってしまった。え? 何か不味いことを言ったか?

 

「いいえ、いいえ、私が殿下のご学友になるなどありえません。それは夢物語ですわ……」

 

 俺が謝罪を受け入れた後の、嬉しそうな様子はどこにも無かった。二人は改めて一礼すると、マックはリビーの肩を抱きかかえて、支えるように部屋を出ていった。

 

 

「カストロプのご兄妹でいらしたのですね」

 

 二人が退室した直後、続き部屋の扉が開き、侯爵夫人が顔を見せた。心配で覗いていたのかな? 後であの二人とどんな事実関係があったのか、問い詰められそうだ。

 

「義母上、もうお出かけになったとばかり」

「もう参りますよ。でもリヒャルト、あの兄妹に関わるのは、できればやめてください」

 

 俺は不審に思った。義母は俺の交際に嘴を入れるタイプだったか?

 

「あの妹君とあなたが、万が一にも噂になっては困るのです。カストロプの血を、ヴュルテンベルクに入れるようなことはできませんから」

「そのような気持ちは私にはありませんが、何故です? 落ち目とは言え、名門公爵家でしょう」

「いえ、あの二人がごく軽度とはいえ、ディスレクシアであることが問題なのです」

 

 ディスレクシア、学習障害か。そうか、リビーが言った夢物語とは、自身がディスレクシアだからか。

 しかし障害の度合いとしては、それほど重くは無いらしい。二人ともbとd、UとVの区別が付かないだけだそうだ。それ以外は知能も標準以上に高いという評判らしい。そういえばあの二人は軍事的才能に秀でていたはずだよな。

 

 侯爵夫人によると、二人がディスレクシアであることは公然の秘密とのことだ。何しろその障害の為、外聞をはばかり、貴族専用の学校に通わせる訳にもいかず、二人は幼いときから皇族並みに家庭教師を付けられているのだが、あの短気が災いして、長続きした教師は一人もいない。辞めていく教師たちには口止めとして過分な退職金も払われるが、人の口に戸は立てられない。親が大貴族であるから水面下で囁かれるだけだが、これは形骸化しているとはいえ、劣悪遺伝子排除法が未だ残っている帝国では大きなハンディだろう。

 

「ああ、だからですか。この前のブラウンシュヴァイク家でのパーティで、何故令嬢と会わなかったのかと、不思議に思っていたのです」

「そうです。あの二人に縁談を持ってくる貴族は今のところおりませんね。あれほどの名家、幼いときから婚約者が決まっていてもおかしくないのですが、今の状況では難しいようです」

 

 なるほど、元々次代に不安がある家だったんだな。だから現当主オイゲンは、今のうちに自家の勢力を強めようと無理をしたのかもしれない。

 

 しかしディスレクシアは、適切な学習の仕方をすればかなり克服できる障害のハズだぞ。しかも『ごく軽度』なんだろう? 21世紀の欧米人は10パーセントがディスレクシアと言われていたくらいなんだ。

 いや劣悪遺伝子排除法のある帝国では、そのような教育方も研究されていないのかもしれない。だとしたら二人はかなり苦しんでいるだろうな。あの短気や、互いに依存している様子、マックが必要以上にリビーを庇護するのは、そこから来ているのかもしれない。

 

 人間は貴賎を問わず、ある一定の割合で障害が発生するはずだが、俺が思うに、帝国では恐らく貴族階級の方が先天的な障害発生率は多いのではと思っている。キュンメル男爵やオーベルシュタイン、そして皇室の血を引いた二人の少女……。原作で示唆されただけでもこれだけの数だ。

 

 貴族は基本的に平民と結婚しない。4000家の貴族の中から配偶者を選ぶし、その中でも自分の家格に釣り合う者を探せば、更に選択の幅が狭くなる。必然的に近親婚を繰り返すのだ。だから先天性遺伝疾患や家族性疾患の割合は、平民よりも高くなってしまう。

 

 マックもリビーも、そして生まれてくる姪たちも、貴族と平民の間にある垣根の犠牲者達なのだ……。



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第18話   共同謀議

 カストロプ兄妹の謝罪を受け入れたあと、侯爵夫人にヴェストパーレ男爵令嬢にTV電話を繋いで貰えるよう願った。彼女にとっては迷惑だと思うが、礼を言ってくれるように頼まれたし、あの無視の理由も知りたい。知るのも怖いが。

 

「ヴェストパーレ男爵夫人、お時間を取らせて申し訳ありません」

『まああ、ユーディットさま。とんでもありませんわ。相変わらずお美しくていらっしゃいますわね。お電話いただけるなんて、誠に光栄ですわ。ところでブラウンシュヴァイク公爵からお聞きになりましたか? 我が娘がリヒャルトさまのご学友になる件ですが。娘も許可いただける日を、それは楽しみに待っております。どうでしょう。来月は節目の九月、是非その頃から……』

「……というようなことにも関して、リヒャルトがご令嬢とお話したいと申しておりますの。許可願えませんか?」

 

『まあ、リヒャルト殿下が! これは失礼しました。勿論異存などありませんわ。すぐマグダレーナに繋ぎます。ああ、マグダレーナというのが娘の名前で、母親の私が言うのも何ですが、中々に利発で良く出来た娘でして、その上皆様には将来きっと美人になるとまで言われておりまして。いえいえ、私はそんなことは思っておりませんわ。当代一の美女と言えば皇妃様と侯爵夫人ですもの。あの子が成長してもかなうものですか。でも、娘時代の私よりずっと顔立ちが整っておりましてね。姉妹の中では一番先が楽しみな娘で、特に音楽や絵画など、芸術方面には造詣が深く……』

 

 スゴイ売り込みだ! 息をもつかせぬってこういうのを言うんだろうな。侯爵夫人も面食らっている。俺は際限なく続きそうな男爵夫人を止めるために、画面には映らないように、後ろから声だけをかけた。

 

「義母上、フロイラインへのお話は、許可いただけなかったのですか?」

『でっ、殿下!? いえ、お待ちください、今すぐマグダレーナを呼びますゆえ、そのまま、そのままお待ちください。今すぐですから!』

 

 ほどなく令嬢は呼び出されたが、傍目にも解る仏頂面だ。彼女の立場があの夜会から大きな曲線を描いたことは間違いなさそうだ。しかも彼女の望まぬ方向に。

 俺は男爵夫人に、令嬢とは二人で話したいと頼んだ。夫人は『まあまあ、そうですわね。幼くとも知られたくないお話というのはありましょうから』などとニコニコしながら部屋を出ていってくれた。

 

『……お久しぶりでございます。殿下』

「お久しぶりです、フロイライン。ご機嫌麗しく」

『……っ! あまり麗しくはございませんわ! 殿下とあの夜ダンスを踊ったことで、私の人生計画に大きな狂いが生じましたのよ!』

「やはりそうですか。ちなみにどのような?」

 

 内容は確かに気の毒なものだった。あの出来事で、彼女は一躍未来の大公妃候補としてブラウンシュヴァイク公に擬せられたらしい。しかし彼女は候補としては身分がかなり低い。それで彼女の母親の実家である侯爵家に養女に出して、そこで本格的な教育を施せば、妃候補としては他とは遜色無くなるだろうと打診があったそうだ。父親である男爵は気が早すぎると言って断ったが、母親の夫人は大喜びで乗り気だという。

 

『将来この男爵家は私が継ぐはずですのよ! もし養女になど行くことになったら……! しかも結婚なんて! 殿下、どうかブラウンシュヴァイク公爵に、その気は無いと話してくださいな!』

「まあまあ、落ち着いてください。フロイラインは結婚する意思が無いのですか?」

『ええ! 将来はこの男爵家を継ぎ、芸術家のパトロンをしたいと思っておりますの。埋もれた才能を発掘するのは、貴族の義務ですもの。それから我が家が主催する学校の規模を更に大きくして、芸術方面に力を入れていこうと考えています。今の帝国の教育は理工に傾き過ぎですもの。芸術は心を豊かにする大事な学問です。でもそれにはお金が要りますの。それに権威や名分も!』

「そのために、あなたの名が汚れてもよろしいですか?」

 

 俺の言葉に彼女は当然不審そうな顔をする。俺は説明を始めた。

 

 恐らく自分はこれからも妃候補の女性を次々と紹介されることになるだろう。しかしその前に、仲の良い幼馴染の娘がいれば、なまじ自分の身分が高いだけに、他の娘をゴリ押ししてくることは少なくなると思う。彼女の方も年頃になれば両親は嫌でも婿を探してくる。しかし自分という幼馴染がいれば、結婚話など出すこともない。当然お互い20歳頃になれば結婚をせっつかれるだろうが、その時には只の友人だったとか、関係が破綻したとかいう理由で、結婚は拒否すればよい。しかしネックは彼女の名誉だ。俺にとっては男爵令嬢を捨てた形になっても不名誉ではないが、彼女は幼い頃からの恋人に捨てられたという不名誉が一生付き纏うだろうということだ。

 

『……悪くありませんわね。殿下にお会いする前には、伯爵家の三男坊との縁談が密かに進められているとも聞いていましたが、立ち消えになったそうですから。殿下の後楯があるように見せれば、資金も集まりやすくなりますし。それに不名誉などと思いませんわ。過去に殿下の恋人だったとなれば、むしろ箔が付くというものです。でも困るのは養女の話です。私はこの家を出る気はありませんの』

 

「その点は、私が公爵にお話しましょう。『男爵家から出されるなんて、殿下のせいよ! キライ!』などと言われて困ってしまった。嫌われたくないので、どうか今までどおりご両親の元で過ごさせて、跡継ぎとして認めてください、とでもね」

『まあ、私がそんなことを言う娘になるのですか』

 

「少しくらいイメージが違っていても、ここは演技のしどころですよ。私もあなたも我侭な子供を演じましょう」

『わかりました。そのお話、受け入れますわ』

 

 取り敢えず彼女のピンチは救えそうだ。俺は当初の予定通り、カストロプ兄妹の話と、妹が礼を言っていたことも伝えたところ、彼女はとても気の毒そうな顔をした。

 

『権勢によって態度を左右するのは有り勝ちですが、今度のことは気の毒ですわ。噂というものは当事者を避けて広まってしまうのですね。見かねて殿下のことをお話したときは、初耳だったらしく、蒼白になっておられましたもの』

 

 その気の毒な状態は俺に第一の原因があるんだけどね。

 

『今まで水面下で囁かれていただけのお二人のご病気も、どうやらこの頃は大っぴらに話されるようになってしまったようですわ。きっと益々貴族の付き合いからは締め出されるのでしょうね』

「病気って……。ごく軽い識字障害ではありませんか。bとd、UとVだけなんでしょう」

『あら、それは兄君の方ですわ。妹君の方はそれに加えて、nとmの区別も付かないそうなんです。兄妹揃ってディスレクシアなんて、やっぱり劣悪遺伝なんでしょうね』

 

「nがダメなんですか。それは厳しいですね」

 

 帝国語ではnはeに次いで使われる文字だ。これの区別がつかないとなると、かなり読解に困難が生じるだろう。それにしてもヴェストパーレ嬢も、劣悪遺伝子に対する無意識の偏見があるんだな。それにリビーのハンディを俺に教えることに全くためらいが無い。彼女が無情だというわけではなく、これが帝国貴族の自然体なのだろう。

 

「フロイライン、学友の件はどうします? ある程度親しさを見せるには悪くないとは思いますが」

『殿下の勉強に音楽はありますか?』

「いえ、ありません」

『絵画は? 彫刻は? 服飾は? 作詩は? 演劇は?』

 

 いずれも「Nein」と答えると、『お話になりませんわね』というにべもない回答が返ってきた。興味の方向性は全く違うということらしい。

 

「解りました。学友の件も何とかしましょう。『フロイラインの好きな分野には全く興味が持てないことを知られるのは嫌だから、お断りする』ということではどうです?」

『それでは殿下が私に、多大な好意を持っていることになってしまいますわ。よろしいんですの?』

「ええ、あなたは私の初恋の少女ということになりますから」

 

 令嬢の顔を見つめる。挑戦的で、精神的にも気骨のある逞しい眼をした少女。意思と意欲に溢れている。

 

 彼女はいずれ、多くの芸術家の卵たちを支援し、それを孵すことに熱中する。そしてその中の何人かは、彼女の愛人と囁かれることになる。今の彼女は、将来の不名誉は少なくとも自分に降りかかると思っているのだろうが、実際は恋人に愛人を作られる、俺の方がそれを被るのだ。

 

 それとも俺という干渉によって、彼女のもう一つの生き方、『自由恋愛』は制限されてしまうのだろうか。

 

 いや、俺はその生き方を尊重しよう。そうしていれば、別れるとき、周りの混乱も少なくなるはずだ。

 

 

 侯爵夫人が出かけた後で、俺はカストロプについて少し調べてみた。確かに倉庫業の占める割合は多いが、この領の重要な産業は基礎素材産業、特にソーダの占める割合がかなり多い。これはもし制限をかけられたりしたら大変じゃないのか? カストロプを怒らせすぎると安定した供給を得られないぞ。しかしソーダ工業自体は他領にも多い。カストロプはある程度突出してはいるが、もし制限をかけたりすれば、その間にシェアを奪われるだろう。ソーダ以外の素材に供給制限をかければ、他はこぞってカストロプのソーダを排斥にかかるかもしれない。結果は最も重要なソーダ工業の凋落だ。制限政策を取るのはかなり危険だ。

 

 そういえば、カストロプはフェザーン自治政府とパイプを持っているかもしれないんだよな。フェザーンからは銀河系の外縁をぐるりと回ればカストロプに着く。

 

 いつかそのパイプを奪い取れないだろうか。出来ることなら、ワレンコフが自治領主でいる間に。



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第19話   敗者の戦訓

 二ヶ月もすると姉上の結婚に伴う狂騒も一段落し、宮廷はやがていつもの落ち着きを取り戻した。そして又もや兄上がシュヴァーベンの館に頻繁に顔を出すようになってきた。しかしこの頃は自分のノロケ話ばかりではなく、財政に関する話まで振ってくる。俺の年齢解っています? ブルッフにかなり影響を受けているな。

 

 ところでその兄は、今俺の目の前で三次元チェスを指している。昨夜はミュッケンベルガー伯爵家のパーティに招かれ『珍しくもお酔いになり、伯爵家に一晩お泊まりになった』らしい。どうりでお肌がツヤツヤしていますこと。そういうケジメみたいなもの、付けなくていいのかなあ。よりにもよって、将来の義父母の家でコトに及ぶなんて。

 

「チェックメイト!」

「あああ、また負けちゃった……」

 

 俺は三次元チェスは強くない。でも、まだ始めたばかりだからだい! ヤン・ウェンリーみたいにチェス歴ウン十年で全く上達しないのとは訳が違うんだからね!

 

「ウルズラから、お前に礼を言っておいてくれと頼まれたぞ」

「礼を言われるほどのことではありません。兄上が愛ある結婚をしてくだされば、これに勝るものはありませんし」

「皇族は愛ある結婚はありえないんじゃないのか?」

 

『マリー、本当に彼と結婚したいの? 彼には爵位も財産もないのよ?』

『王妃さま、わたくしはあの人を、カールを愛しております。爵位や財産など何ほどのものでしょう。どうか陛下より結婚のご許可をいただきたいのです』

 

「……愛ある結婚はステキですね、兄上」

「お前の部屋はいつ来ても立体テレビが点いているな」

「私の趣味は戦史研究ですから。それに類するものを、流しっぱなしにしているんです。結構、頭に入りますよ」

「戦史研究?」

 

 兄は不思議そうに俺を見た。立体テレビの中では二人の美女が愛について話し合っているのだから無理もない。しかしやがて場面は変わり、王妃の豪奢な部屋から、寒風吹き荒ぶ、戦いの平野に移っていく。

 

『あの高地に部隊が到着するのは何分後だ?』

『20分以内です、陛下』

『よし、ただ一撃でこの戦いは終わる!』

 

「何だ、この古臭い映画は。このようなものを観て戦史の研究になどなるものか」

 

 兄がそう言うのも無理はない。今流れている映画は、飛行機さえも無い、人類が地球上を這い廻っていた頃の戦争を描いたもので、戦いというものは大宇宙での戦艦どうしのものしか知らない兄にとってみれば、歩兵や騎兵が主力のこの映画の中の戦争は児戯にも等しいのだろう。

 

「お前は軍人になりたいと言っていたらしいが、それは許さないぞ。解っているのか?」

「重々承知しております。しかし、将来兄上の治世をお助けする立場になりたいという気持ちは変わっておりません。だから、このように戦略、戦術の研究も、出来うる限りは勉強しようと頑張っているのです」

「その気持ちは嬉しいが……。まあ、戦史の研究も貴族の道楽と言えなくはないしな」

「とんでもありません、兄上」

 

 俺は立体テレビを切り、王手をかけられる直前だった三次元チェスの駒を崩した。

 

「戦史は戦争をする上で、最も重要なカリキュラムです。兄上、私は先日古代の戦いを資料映像で見て、戦慄を覚えました。これをご覧ください」

 

 俺は第二次ポエニ戦争で最も有名な、『カンナエの戦い』をチェスの駒を使い再現してみた。キングは指揮官、ナイトは騎兵、ポーンは歩兵という感じだ。しかし駒数は黒は白の七割だ。それにも関わらず、多数の白の駒が、少数の黒の駒に攻め立てられ、包囲され消滅していく。

 

「これは素晴らしい。寡兵で二倍近い敵を包囲し、殲滅するとは。芸術的なほどだ」

「そしてこの戦いより16年後、両国で行われた戦闘はこれです」

 

 俺はまたチェスの駒を使い、『ザマの戦い』を再現した。今度は黒の駒が、その8割ほどの白の駒に包囲され、消滅していく。

 

「リヒャルト、黒と白の駒を間違えていないか? 同じような戦い方ではないか」

「いいえ、白がローマ軍、黒がカルタゴ軍です。間違えてはおりません。一度目の戦いで大敗北したローマは、カルタゴの将の戦い方を学びに学び、16年後復讐したのです。そしてそれより3600年以上の後、行われた戦いがこれです」

 

 俺は駒を今までのように平面に並べるだけでなく、立体的に展開し、ある一つの戦闘の再現を行った。

 

「これはダゴンの……」

「ええ、ダゴンの包囲殲滅戦です。わが帝国軍の最大の汚点ともいえる戦いでしたが、兄上が仰るように芸術的なほどです。しかし基本は3600年以上前に、カルタゴの名将が確立させていた戦術なのです」

「うーむ」

「これでも、戦史研究は道楽だとおっしゃいますか?」

「いや、私が不明だった」

 

 ダゴン星域会戦の帝国軍司令官は、とてもハンニバルやスキピオに比べることの出来ない「あほう」のヘルベルト大公だが、大きな兵力差がありながら、包囲殲滅されたこと「だけ」は古代の戦いと同じだからな。

 

 俺はハンニバルもスキピオも好きじゃないが、彼らが後世に強い影響を残した戦術家であることは確かだ。特にスキピオは敵将ハンニバルの能力を非常に高く評価し、彼の戦い方に学び、ローマ伝統の重装歩兵より騎兵を重視する改革まで行った。敵の本拠地を突くことがいかに効果的かを、これまた敵将から学び、本国を蹂躙しているハンニバル軍ではなく、その本拠地を突き、結果的に本国にいた敵を撤退させた。

 

 勝者から与えられた多くの戦訓を学び、それを活かした彼が、最終的な勝利者となったのだ。

 

「確かに戦史とは興味深いもののようだな。私も齧ってみるかな」

「本当ですか!? 兄上と戦史談義できたら、きっと楽しいですね!」

 

 ヤン・ウェンリーのように歴史に強い興味があるわけでは無いが、俺にとってこの世界はいまだ「歴史」なのだ。しかし、訪れるはずの「歴史」が成立してしまっては困る。ゴールデンバウム一族にとって、それは悪夢だ。

 

 そのためにも、俺は「歴史」を活用してみよう。それには将来、一族の長となる兄を巻き込むことは必須だ。俺は「歴史」で敗北したゴールデンバウム家から、「歴史」で勝利したラインハルト・フォン・ローエングラムから、あらゆる戦い方を学び、それを戦訓としよう。そう、スキピオのように。



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第20話   戦争の利害

 さて、まずは現在兄上が興味を持っている分野、経済から始めて兄の興味を惹くことにしよう。戦争と経済は表裏一体、古今東西、切っても切れない仲なのだから。

 

「戦争で最も重要なものは何だとお思いですか?」

「国家に対する献身だろう?」

「兄上、精神論を最初においてはいけません」

 

 第二次世界大戦の日本じゃないんだから。それを前提としたら戦う前に負けだよ。大体、今の帝国って献身を捧げてもらえるほどの国家か?

 

「では、兵数だな。物量の差は小手先の作戦ではなかなか埋められないものだろう。帝国の人口は、叛乱軍の二倍近いのだ。当然兵数も倍を揃えられる」

「そうですね。でも兵が増えれば、艦船、武器弾薬、食料、後方支援などが比例して増大します。それに伴って消費されるものは何かおわかりになるでしょう?」

「金……だな」

 

「そのとおりです。金銭無くして戦争の継続は不可能です。もし健全な財政状態にあり、臣民総生産や経済成長率、そして人口が少しでも右肩上がりであるならば、戦争をその範囲でいくら行おうとも、目をつぶっていられるのです。しかし我が帝国は……」

「右肩下がりだ」

 

 兄のため息は大きかった。そうなんだよね。最盛期には3000億人を数えた人口が、現在は400億人だ。7分の1以下だよ。俺が知っている21世紀初頭だって、太陽系の中の地球一つで人口は70億人を超えたはずだ。今は帝国だけでも1000以上の恒星系を有しているというのにこの有様。人類絶滅に向かっているような気がしてならない。

 

「特に人口の減少は著しいんです。これは危機的状況なほどです。戦争が起これば一年で百万単位の臣民が死亡し、当然、彼らから生まれるはずだった子供も存在できず、また人口が減り、臣民総生産は下がる。経済活動に従事する人間を新たに徴兵し、戦場で死なせる。そしてまた臣民総生産は下がる……。悪循環です」

 

「しかし叛乱軍との戦闘を止める訳にはいかないぞ。これは国是だ」

「その国是こそが帝国の、いえ、人類全体の衰退を招いているかもしれません」

 

 俺は根本的なことを聞きたいよ。何で同盟と戦争をしているんだ? 政治体制が違うから? 帝国に共和主義思想が広まっては困るから? 同盟はルドルフの造ったゴールデンバウム体制を認めないから? 帝国にとって、叛徒どもと国交を結ぶなどありえないから?

 

 アホか! 21世紀、日本は共産主義の中国とも、立憲君主制のイギリスとも、絶対君主制のアラブ諸国とも国交を結んでいたぞ。

 20世紀のソ連とアメリカは二大強国で、共産主義と民主主義という相容れない思想だったこともあり、互いを仮想敵として軍拡を進めてはいたが、代理戦争はあっても、直接鉾を交えることは一度も無かったんだ。何故なら二大強国が直接戦火を交えたら、互いの同盟国は否が応でも参戦しなくてはならない。つまりは第三次世界大戦の勃発だ。それはあの時代の状況ならば、核による人類滅亡の道だった。両国の軍も為政者も、それをしっかりと理解していた。だからキューバ危機でも両国は政治的妥協を行うことが出来たのだ。

 

 体制が気に入らない、ルドルフ的なものを認めないって? それは内政干渉だろう。臣民が現体制が気に入らないから反乱と言うのなら解るが、事実上「外国」である同盟がごちゃごちゃ言うなよ。お前たちが住んでいるのは、一万光年の彼方だぞ。

 

 叛徒達の先祖は帝国の農奴だった。奴隷の子孫と国交を結ぶのは帝国のプライドが許さないとでもいうのか? 過去、オーストラリアはイギリスの流刑地だった。だからといって、犯罪者の子孫たちと国交を結ぶのが嫌だとどこかの為政者が言っていたら、馬鹿にされただろう。

 

 戦争を止める一番簡単な道は、お互い鎖国政策を取ることじゃないかな。自国だけで経済活動は完結できるんだ。帝国は同盟の物資が無ければ成り立たない国ではないし、同盟だってそうだ。しかしそれはフェザーンが絶対許さないだろう。文字通り彼らの生死に直結する。

 

 だから、突き詰めれば、帝国と同盟の争いは大義と経済、そして150年に渡る長期化された戦争の怨恨によるものだ。中世の十字軍のごとき無駄なプライドや大義名分が帝国を縛り、建国の理念が同盟を縛っている。そしてフェザーンの経済活動に伴う暗躍。過去の十字軍だろうが世界大戦だろうが、どの戦争の裏にも経済活動を行う者たちの多くの暗躍があった。帝国も同盟も、軍需産業は非常に活発だ。他の産業に比べれば、異常に肥大していると言っていい。彼らは戦争が無くなれば滅びるのだ。

 

 帝国の軍産学複合体は経済の地下深くにしっかり根を這っているし、当然フェザーンの影響も強く受けている。それを何とかしなければ……。いやいや先走るな、俺はまだ六歳だぞ。取り敢えず、俺が今攻略するのは軍需産業ではなく、兄上だ。

 

「兄上が即位なさった時、今の人口がどれだけ減少しているのか……。我々は臣民に対して多産を奨励してはおりますが、それを支える政策をほとんど打ち出してはおりません。まず、足元を固めなければ。兄上、子供が沢山産まれても一家が成り立つには、様々な経済的裏付けが必要です。我々に出来ることは何でしょうね」

「うーん。複数の子供を持つ夫婦への補助金とか減税措置だろうか……」

 

 そういうものも無いのか。医療費補助はどうなっているのかな。せめて10歳くらいまでは医療費助成をしてくれよ。皇室に限らず、乳幼児の死亡率が21世紀の日本より高いのが俺は気になっているんだ。15歳までの無料の義務教育があるのは救いだが、驚いたことに農奴には10歳までしか適用されない。それでいて農奴は徴兵対象にはなる。ヒドイ話だ。

 

「子供の父親は戦死する可能性があります。その場合はどうなるんですか?」

「戦没者遺族救済基金があるぞ」

「それで貰える金額で、成人となるまで子供を育てられますか?」

「さあ?」

 

 内心ガクっときたよ。しかし挫けるな、俺。兄上が知っているはずが無いじゃないか。知ろうとする、兄上の意思こそが必要なんだ。

 

「私も存じません。兄上なら調べられるのですか?」

「そうだな、ブルッフに聞いて調べてみよう」

 

 俺は金額を知っている。だからこそ思い、願うんだ。遺族が貰う金額にどんな印象を持つのかを。

 

 臣民が帝国に捧げた献身に対して、帝国が何を返しているのかを知ったとき、兄の心はどのように動くのだろう。



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第21話   父と息子たち

 部屋の扉がノックされ、執事が顔を見せた。彼は『皇帝陛下のお来しでございます』と告げた。

 

「おお、ルードヴィヒが来ていると聞いたが、まだいてくれたな」

「父上」

 

 この館に訪問するのであれば、夕食時間になる頃訪れることの多い父が、俺の部屋に姿を見せたのだ。時計を見ると6時を回っている。兄と随分と話し込んでいたようだ。

 

「何の話をしていたのじゃ?」

「戦没者遺族救済基金についてです、父上」

「救済基金?」

 

 この三人だけで話をするなど初めてだ。兄はこの館を訪れても、大体、午後6時には皇太子宮に帰ってしまうし、父は原則として7時頃に訪れる。何となく、ここで顔を合わせるのを避けているのかな、と思われるフシがある。そりゃ、父とその愛妾が並んでいる姿など、兄が見たいはずが無い。

 

 侯爵夫人と兄は別に悪い関係ではないが、俺だって皇后陛下を蔑ろにする父には、たまに一言云いたくなることがあるくらいなんだから、実の息子である兄では尚更だろう。まあ、侯爵夫人は権勢に驕って、皇后を軽視したり見下したりするような方では無い。皇帝夫妻が同席する場には必要以上に行かないし、もしタイミング悪く三人がかち合った場合は、必ず下がって、皇后に臣下の礼を取り、父にも話しかけないそうだ。賢い態度だと思う。

 

「随分と難しい話をしておるのだな」

「我が帝国のために、その身を捧げてくれた兵士たちの、残された家族が気になるのは当然ではありませんか、父上」

 

 気になったのはつい先程でしょう、兄上。何か突っかかっているね。

 

「確かにその通りじゃ。遺族の中には生活が立ち行かなくなって、農奴に堕ちる者もおる。痛ましいことじゃ」

「その状況に追い詰めたのは、帝国ではありませんか。せめて戦死者の遺族を農奴にすることは禁じるべきです」

「禁じたからといって、遺族の生活は成り立つのか? 農奴になれば領主の所有物となる。少なくとも餓死だけは免れるのじゃ。勿論すべての権利や自由を代償とするが」

「そんな! 帝国が彼らの働き手を奪ったというのに、我らはその遺族に何も出来ぬのですか! 父上、何のための皇帝の権力です!」

 

 兄は憤慨するが、為政者が被支配者の犠牲と献身を求めるのは当然のことだ。専制主義は外国の脅威と愛国を訴え、被支配者を欺瞞して忠節を求める。最も簡単で、しかも名分の立つやり方だ。それに遺族救済は権力があるからといって簡単に出来るものでは無い。必要なのは金だ。

 

「救済基金のことならば、皇后に話をしてもらえば良いではないか」

「母上でございますか?」

「なんじゃ、知らぬのか。皇后は立后した当初から、そういう活動に力を入れておる。基金の役員に名を連ねておるし、毎年自分の皇族費の余剰分を基金に回したりしておる。他にも、戦没者遺児等育英基金の規模を、倍にしたのは皇后じゃぞ」

「母上がそのような活動を……」

 

 兄は嬉しさと誇らしさと、そして戸惑いと羞恥が混じったような複雑な表情をしている。母親がそのような慈善活動をしていたことは誇らしいが、それを知らなかった自分が恥ずかしいということだな。

 晴眼帝の后、ジークリンデ皇后の例にもれず、歴代の皇后の中には、医療や教育、福祉の活動を行なっている者は幾人もいた。勿論、名前を連ねるだけの方が多かったが、中にはそういう活動に積極的に関わる皇后や寵姫、貴族はいたのだ。人気取りであったかも知れないが、少なくとも、その行為によって救済された者は多かったのだ。

 

「アマーリエやクリスティーネも、着なくなったドレスや不要となった宝飾品を、基金集めのバザーやオークションで売って母の活動を手助けしておる。儂も皇后が救済基金の資金集めパーティを開けば、率先して寄付をするようにしておる。そうすれば、他の貴族からも資金を集めやすくなるからな。ルードヴィヒ、お前は興味が無いようだったが」

「それは……貴夫人達のお祭りのようなものと思っていたので、そういう理由があると知っていれば、私だとて……」

 

 兄の顔は傍目にも解るくらいに真っ赤になった。遺族のことを、この家族の中で最も考えていなかったのは、自分だということを理解したらしい。

 

 

「まあよい。別に責めている訳では無い。興味が出たのなら、考えることじゃ。それよりも、今日はこの三人で夕食を摂ろうではないか」

「いえ、私は……」

「ユーディットは同席せぬ。珍しく我が家の男家族だけが揃ったのじゃな。女たちに言えぬ話も存分に語ろうではないか」

 

 それってワイ談? まさかね。6歳には刺激が強すぎるよ。

 

 食堂に移動すると、カトラリーも既にセットしてあった。いつも以上に侍従や給仕がビシッとした姿勢で立っている。そりゃ、皇室二大巨頭の同席だもんね。

 

 夕食のメインは鯛と帆立とカニのキャベツ包みだった。シュヴァーベン館の食事は、フランス料理風でも家庭的だ。オードブルだってキノコのテリーヌで、秋の香り漂う物だったし、サラダやスープには、必ず旬の野菜がふんだんに使われている。

 そして三人が囲んだテーブルの中央に、アルコールコンロと柔らかな色合いの鍋が一つ置かれた。

 

「チーズフォンデュ……ですか?」

「リヒャルトが好きなのじゃ。牛乳は嫌うくせに、チーズには目がない。カルシウムを摂らせるために、ユーディットは夕食には毎日チーズフォンデュを出すそうじゃ」

「牛乳が嫌い? そんなことを言っていると、背が伸びなくなるぞ、リヒャルト」

「大丈夫ですよ、兄上。朝はヨーグルト、夜はチーズを食べています。十分、乳製品を摂っているハズです!」

 

 強調しておかなければ! 「毎日一杯は牛乳を飲みなさい!」と言う侯爵夫人の味方が増えないように!

 

「私も昔は牛乳は苦手だった。しかし眠る前に頑張って飲んでいたぞ。お前もちゃんと……」

 

 俺が兄の忠告を無視して、フォークに刺したパンを鍋に差し入れると、兄はブロッコリーを刺して、鍋に入れた。おいおい、俺がフォークを突っ込んでいるのに、と思ったら、父までヴルストを刺して、同じように鍋に入れる。三人の回すフォークが鍋の中でぶつかって、フォークの回転は止まる。俺たちは顔を見合わせて苦笑した。

 

 何だか幸せな時間だった。



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第22話   特別展開催決定

 侯爵夫人の館に毎日のように俺を訪ねてくれていた兄上が、あれ以来三日、ぱったりと顔を見せなくなってしまった。来るとノロケ話を聞かされるから、うっとおしいこともあったが、来ないとやっぱり寂しいね。しかしその一時の閑暇は、予告無しの訪問であっさりと破られた。後から考えると、この三日間は俺の心の平穏だった……。

 

「リヒャルト、居るか」

「兄上、突然のお来しですね。驚きました」

 

 噂をすれば影。兄上がいらっしゃったのだが、何故か後ろに従っている従僕達が、幾つかの箱を恭しく抱えている。

 

「平均420帝国マルクだ」

「は?」

「戦没者遺族救済基金だ。毎月の平均は420帝国マルクだった。衝撃的な額だ」

 

 あれ、三ヶ月前に俺が調べたときは436だったぞ。新年度に当たって減額したな、これは。

 

「とても働き手を失って家計が成り立っていける額とは思えぬ。しかも戦傷病者の年金はその半額程度しかない。中には戦争で肢体不自由になり、働くことも出来ぬ者も多いであろうに」

 

 そういう人達ってどうなるんだろう。農奴になっても領主にはメリットは無いわけだし、結局は家族が犠牲になるしか無いんだろうか。

 

「農奴階級に堕ちれば、教育期間が短くなるだけではない。職業選択の自由や、結婚の自由、移動の自由も奪われる。しかも一度農奴になってしまうと、子孫もその階級だ。這い上がるのはとても難しい。税が払えねば農奴になる穴は大きいのに、領主による解放の道は狭い。これでは百年後には、農奴数は倍に増えるだろうというのがブルッフの試算だ」

 

 そこまで増えるかなあ? 兄上の危機感を煽るために、水増ししている予感がヒシヒシと……。

 

「農奴階級というのは活力が無いのだ。向上心も低い。当然だ。いくら働いても報われないのだからな。この階級が増えれば、帝国全体が活力の無い社会になってしまう」

 

 へー、そこに気づいたんだ。

 そうなんだよね。領主に命じられた仕事をこなしていれば、餓死だけは免れるというのが、帝国でも最底辺の農奴の生活だ。働けば働くほど搾取される。これで向上心を持てというのが無茶だ。

 

「色々ブルッフと相談してみたが、彼もまだ一官僚の身。出来ることは少ない。私も取り敢えず、今自分が出来ることから始めるつもりだ」

 

 わあ、良い心がけ。そうです。何事も最初は一歩なのです。

 

「まずは母上と姉上に倣って、私の不用品をバザーに出してみることにした。大した金額にはならぬと思ったが、皇族の持ち物には付加価値が付くのだな。普通であれば古着で済まされるドレスも、姉上が愛用していたとなると却って新品よりも高額で売れるそうだ。ここ三日ほど、従僕たちに手伝わせて古着を引っ張り出した。次の母上主催のバザーで売るつもりだ」

 

 ああ、来ないと思っていたら、そんなことやっていたんですか。

 

「お前に合いそうな物もあったから、幾つか見繕ってきた。どうだ。これなど私が初めて夜会に出席した時の服だ。ボタンの一つ一つがメタルに小さなダイヤが散りばめられておる。逸品だろう。金の飾り紐も、昨日作ったばかりのようだ。裏地を見ろ。10年は経つのに全く縮んでおらぬし、色落ちも無い。古着はこういう所を見るものだぞ」

 

 誰の受け売りですか。それにそんな綺羅綺羅しいブルーシルバーの夜会服、俺の好みじゃないですし、侯爵夫人の好みでもないです。あの人の好みはフリルとレースです。

 

「こちらのジャケットの光沢を見ろ。素材はキッドモヘアだ。この生地を得るために、絶滅寸前の山羊を新無憂宮で飼育したのだ。今は山羊の数も少し増えているが、皇族しかこの生地は手に入らぬぞ。この手触りの良いこと。夏用だから今年には間に合わぬが、来年でも十分着ることのできる大きさだ。仕立て直してみろ。かなりラフに使用できるぞ」

 

 絶滅危惧種から採れたモヘアのジャケットを、ラフに使用するって感覚が、もはや俺の感覚の枠外だよ。

 

「これは私が皇太子の宣旨を受けたときに着用したものだ。この双頭の鷲は、三人の職人が半年がかりで完成させたという。素晴らしい刺繍だろう。一度しか着なかったから、古着というほどの物ではない。だがまだ少しお前には大きいな」

 

 その服をどこに着て行けって言うんですか ━━━━ ! 皇位を狙っていると思われたらどーしてくれるんですか ━━━━ !

 

「姉上に試算していただいたら、軽く10万帝国マルク以上にはなるという。どうだ、弟のお前になら、8万で売ってやるぞ。お買い得というらしい! そしてお前に合わなくなったら、バザーで売ってくれ!」

 

 「売る」んですか! 弟が兄のお下がりを「貰う」んじゃなくて、「買う」んですか! しかも8万! そして数年後には、タダで手放すこと前提ですか!? いくら内廷費が貯まっているからといって、そんなモノに出すほど酔狂じゃ無いですよ!

 

 何だか後ろにひっくり返りたくなった……。

 

 

 俺は水を一口飲んで心を落ち着けることにした。平常心、平常心、兄上はちょっとハイになっているだけだ、怒るんじゃない……。

 

「兄上、それはこの世に二つと無い、貴重な品です。勿論、品物自体が素晴らしいのは解りますが、それは兄上の立太式に使用された式服でありますから、特に貴重な品で、売るなどとんでもありません」

「何を言う。もう二度と着ることのない代物だぞ。それならば売って基金に寄付した方がよかろう」

「いいえ、兄上のご子息の立体式の時に着用させるべきです。親子二代、ハレの日の服となりましょう」

「しかしそんな日は、何十年後のことか解らぬではないか」

 

 確かにそうだ。兄上の息子の立太式が、兄上と同じ10歳前後とは限らないしな。

 

「帝立美術館に展示してはどうです?」

「帝立美術館?」

 

 銀河帝国国立美術館は、新無憂宮から1km程の所にある美術館で、帝国や帝国建立前の名だたる芸術家の作品が展示してある、巨大な美術館である。本館、新館、別館、劇場の四つの建物群から成り、部屋の総数は1000を超える。収蔵作品数は400万点を誇り、常設展示は20万点ほど。ここに作品が展示されることは、芸術家としては最高の名誉とされる。

 

「特別展示期間を設けるのです。兄上の立太式の時の式服や、皇后陛下の立后式のドレスなどを展示するのはいかがです? 特別展は別料金が発生します。その入場料を基金の補填に充てるのです」

「しかしそれでは平民から金を取ることになるではないか」

「確かにそうですが、特別展示のセレモニーに、皇后様か兄上が出席なさって、大々的に救済基金の資金集めのための展示であることをアピールするのはどうでしょう。平民向けには募金箱を設置し、貴族向けには高額寄進者のリストを同時に展示するのです。そうすれば、貴族は家の名誉の為、イヤでも寄付を致しますよ」

 

 思いつきで言ったんだが、結構いい手かもしれない。モノは売ってしまえばそれで終わりだが、この方法ならばこれから何回でも稼ぐことができる。もちろん頻繁に開催しては有難味が薄れてしまうが、他惑星に移動展示してもいいしな。

 

「なるほど、……いや、しかし上限は設けるべきかな。寄付のため、貴族領で税率が上がったりしては、目も当てられん」

「確かにそうですね。それから平民のためであることを、しっかりと釘を刺すことを忘れないようにしましょう」

 

「アマーリエ姉上にもお願いしよう。結婚式での新郎新婦の婚礼衣装は大きな呼び物になるぞ」

「ドレスだけではつまらないですね。兄上の立太式を描いた絵画があるとお聞きしたことがあります。それも一緒に展示してはどうです?」

「うむ、それなら、姉上の結婚式の時の写真や映像も流そう。そうだ、式服やドレスを作ったメーカーの名前も大々的に展示する代わりに、そこからも寄付を募ろう」

 

 うわ、よくそんなことまで思いつきますね、箱入り坊っちゃんのくせに。

 

「おお、そうだ、勲章を種類別に展示するのも面白いな。皇族の勲章だけでも、10種類以上はある。平民のみならず、貴族だとてあまり見たことのある者はおるまい。他に興味を惹く物といえば何だろうな。……よし、宮に帰ってゆっくりと考えてみるか」

 

 ああ良かった。押し売り商品を買わないですんだよ。でもあのジャケットはタダなら欲しかったかも。

 

 

 結局どうなったかって? 恐ろしい規模になったよ。何と父上まで巻き込んだらしく、即位の宝器が展示されることになったのだ。帝冠、錫杖、ローブ、宝剣、勲章、即位式の時の式服、その他諸々……。

 

 今、帝立美術館の職員はてんやわんやの大騒ぎで、開催予定となった半年後の日程の調整に始まり、パンフレットの作成や立体TVコマーシャルの撮影、美術館自体の防犯体制の洗い直しなど、不眠不休で作業しているそうだ。警備員の人数や配置がどうの、特別展示の期間がどうの、寄付金上限額でもめているだの、色んな噂がこの館にまで入ってくる。職員の一人は過労で入院したそうだ。

 

 

 ……これって俺のせい?



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第23話   施政方針

 俺の一日のカリキュラムはなかなか厳しい。侯爵夫人に家庭教師としてお願いしていた、昨年まで帝国大学の助手をしていた男は、年末近くになってようやく雇用が叶った。その結果、週三日は、勉強時間が三時から五時までに伸び、俺の勉強を邪魔しない方針らしい兄上の訪問も少なくなった。しかし兄上には、『特別展開催』というおもちゃを与えたから、いずれ企画の相談とかを理由にまた訪問が増えるかもしれないが。

 

 新しい教師は40歳直前の男で、ヒエロニムス・ルターという。名前を知った時は、地球教の聖職者かと突っ込みたくなった。しかし聖職者の雰囲気はカケラも無く、俗人の極みと言っていい。俺に開口一番、言った言葉が奮っていた。

 

「あなたの教師であったという肩書きがあれば、オーディン帝国大学で助教授の地位が獲得出来るかもしれない。私のために、契約期間である四年間は、みっちりしごかせていただきます」

 

 テオドールなんか目を剥いていたよ。俺を踏み台にする気満々で、それを隠そうともしないんだから。しかし俺にとっては望むところだ。必死で勉学に励まなければ、待っているのは処刑台かもしれないのだ。

 

 彼が初日に俺の学力を測ったとき、俺はどこまで実力を見せるべきか、当然悩んだ。悩んだ末、理数系は出された設問総てを正答し、その他は適当に手を抜いて、10歳児レベルの学力に留めた。しかし6歳児に大学受験並みの問題を出すなよ。フツーは3+1=? レベルだろうが。俺が6歳だということを知っているのか?

 

「ほほう、少々驚かされましたぞ。理数系で私の契約期間で教えることは無さそうですな。それではカリキュラムとしては、帝国語、文学、歴史、地理、叛乱軍用語といったところですな。他にご希望はありますか?」

「それらは他の教師に教わっております。先生に教授していただきたいのは、政治と経済です」

「おや、将来は宰相でも目指しておいでで?」

「まさか。私はヴュルテンベルクの当主です。政治経済は統治に必須でしょう」

 

 俺の真意を見極めるかのように見つめてくるルターは、やがて苦笑いすると両手を上げた。

 

「参りましたね。しかし困ったことが一つあります。私の専門は確かに政治経済で、お教えするのはやぶさかではありませんが、この学問は教える者の思想や考え方が、他の学問に比べ、教えられる者に色濃く伝わります。殿下は私の思想や信条に、その幼さで染まってしまうやもしれませんぞ」

「そうですね。気を付けます。ところで基礎を習った後、この論文を教材としたいのです。先生」

 

 俺がパソコンで指し示した、PDF化された論文のファイル名を見たルターは、一瞬息を飲み、顔色を変えて俺を睨みつけた。でも俺は怯まずに、微笑を浮かべて彼の目をみつめた。

 

 ファイルはエウセビウス・ストリドネ著、『専制と絶対君主制と制限君主制 その実態と弊害』 帝国では発禁リストに上げられている電子論文で、ファイルをダウンロードしているだけでも、治安維持局の取り調べ対象者となる。普通なら皇族の家庭教師が選ぶ教材ではない。俺がネットの裏の深海から拾い上げたファイルだ。痕跡を残さず拾うのには苦労したよ。

 

「……なるほど、覚悟はお有りとみえる。それでは早速始めましょうか」

 

 ルター先生はその日から教鞭を取り始めた。

 

 

 ルター先生は、教え上手な良い先生だ。わかり易く色々な例を上げて、噛み砕いて教えてくれるタイプだ。前世で高校三年生のとき通っていた、予備校の講師を思い出すよ。彼の教え方だと、難しい内容も何故か頭に入っていってしまうという、不思議な先生だった。懐かしいな。

 

 俺は夕食後、自室で一人になると、例のファイルを開けてみた。

 

 『専制と絶対君主制と制限君主制 その実態と弊害』 ……過激な題名だ。

 

 もし一人の人間、あるいは主だった者の同一団体が三つの権力、すなわち立法権、行政執行権、裁判権のすべてを行使したならば、すべては破壊され、いずれは失われる。だが専制を確立しようとする者は、皆、自分の身にすべての官職を集めることをまず考える。もしそれを始めた者がいたならば、それは専制者たらんと欲する者であり、注意するべきである。権力は分立されなければ、国家は正常に機能しない。特に司法権の独立は絶対されなければならない……。

 

 モンテスキューの思考の相似形だ。現在はロックもモンテスキューもヴォルテールも、帝国では名前も思想も廃れているのだから、帝国でこの思想を発表したストリドネ氏は大したものだ。

 

 俺に言わせれば何を今更だ。前世で三権分立なんて習ったのは、小学校高学年か中学校でだったっけ? 疑問も持たなかったよ。権力を分有しているからこそ、互いに監視、掣肘できるのだ。これが個人に統一されてしまえば専制だ。『権力は腐敗する、専制的権力は徹底的に腐敗する』 真理だと思うね、ジョン・アクトン卿。その腐敗した先が、今のゴールデンバウム王朝だ。その腐敗物の一滴が俺ってことだな。

 

 これを治療する薬はいくつかある。帝政の廃止、共和制や立憲君主制への移行、革命などなど……。

 

 原作でラインハルトが行なった治療は禅譲による王朝交代、つまり易姓革命だ。しかし新王朝の権力構造は、ゴールデンバウム王朝と大きな差異はない。ラインハルトは専制者たらんと欲し、己の身に強大な権力を集め、彼の死亡時、権力は分立してはいなかった。だからローエングラム王朝も、成立の瞬間から腐敗への道を歩き始めたはずだ。ヒルダはその速度をどのように緩めたのだろう。

 

 俺は思うのだが、ヒルダはユリアンの提案通り、議会の設立か憲法の制定のどちらか一つ、もしくは両方を行ったと思う。そして制限君主制への移行をすすめ、アレクサンデルにもその上での君主の役割を教育したはずだ。

 そうでなければ、ローエングラム王朝はゴールデンバウム王朝よりずっと早くに崩壊したはずだ。何より前王朝とは違い、新王朝には外敵がいなかったのだから。外敵の存在は国家にとって必要不可欠だと俺は思う。敵がいるからこそ、国家は内部に不平不満があろうとも、内に結束するのだ。バーラト自治政府があったが、あれは『敵』として機能しない。

 

 それにラインハルトの政策に、農奴を廃止し、民生を飛躍的に改革するというものがあった。彼は啓蒙専制君主だったのだ。しかし、この政策は十年もすれば中産階級を経済的に安定させ、資本家階級を著しく台頭させたはずだ。

 ブルジョアジーが興隆すれば、行き着く先は専制の打倒か体制の打破だ。歴史がそれを証明している。

 

 それに新たに獲得した、同盟とフェザーンの150億人に及ぶ『臣民』。彼らは帝国の愚民化された民衆に比べれば、遥かに政治的意識が高く、教育水準も特にフェザーン人は高かったはずだ。つまり、彼らは貴族階級が衰弱した新帝国の中で、『政治的な知識階級』に成り得た。

 

 資本家階級と知識階級。この二つが存在した国家に、専制が成立するのは難しい。

 

 彼女がそれを理解したならば、自ら専制を捨てただろう。彼女は後世で「ローエングラム王朝を創ったのは皇帝ラインハルトであるが、それを育てたのは皇妃ヒルデガルドである」とまで言われたのだ。前王朝と全く同じ政体では、このように讃えられたはずがない。

 

 ローエングラム世襲王朝は、革命と流血と改革の道を辿った。しかし着いた先は、専制の放棄というオチなのだ。それならば俺は革命の道を通らずに、初めから『制限君主制への移行』という名の治療薬を投与したい。君主の権力に制限を加え、一部は放棄する。

 

 制限君主制のメリットとしては権威と権力の分離ができる点だ。皇帝、憲法、議会のトライアングルは、相互の監視、掣肘が可能となり、政治の安定度が増す。俺としてはまずは憲法の制定だ。立憲君主制を目指していこう。そして何年後、何十年後のことかは解らないが、いずれは議会の発足、いや復活を目指す。ルドルフ以来、450年以上開かれなかった議会は、最初はものの役に立つまい。その間に君主の権力を、議会に対して強力にする法を『議会で』制定するべきだ。議会の招集権、決定権、何より解散権と拒否権は絶対に皇帝が持つ。皇帝は憲法の下に座しても良い。しかし議会の上には君臨しなければならない。

 

 君主と議会のバランスが、議会の方が重くなれば、皇帝の存続の意味を問われてしまう。つまりはゴールデンバウム家の存続の意義が。皇帝の権威は常に議会より優勢に保たれるようにしなければならない。更に、議会の失政のせいで、皇帝が非難の標的になりやすいという理不尽な問題もある。解散権と拒否権は皇帝の最高の神器だ。

 

 まず目指すのは、君主主義的制限君主制だ。この移行により流れる血は、必ずラインハルトの時より少なくしてみせる。それではどのように移行すれば良いのか? 俺にはさっぱりわからん。それを教えてくれる指南者が必要だ。だからルターを求めた。

 

 皇帝が制限君主になり、議会と憲法がもう一つの権力となれば、『全宇宙の支配者』なんて言うことはできない。同盟を対等の国家として認めることが可能かもしれない。同盟も立憲君主制との共存ならば考えるかもしれない。そうなれば和平に持ち込むことも不可能ではない。

 

 だから皇帝の権威を下落させるのだ。この地位は『神聖不可侵』などではないと。

 

 さて、こんなファイルを持っていることが知れれば、俺だってまずいだろう。ファイルには三重のプロテクトをかけ暗号化し、パスワードは前世での俺の名前にした。理解が済んだら破棄しなければ。

 

 

 しかしね、こんな危険な論文を発表するのなら、もう少しわかりにくい名前を使ったほうがいいよ。ダルマティア地方ストリドネ出身のエウセビウス・ソポロニウス・ヒエロニムスからペンネームを取ったんだろうが、古代史を知る者ならば、ピンとくるんじゃないかな。内務省の浅学な官吏共などに解らないと思っているんだろうけど。実際、10年もバレていないんだから。

 

 このような論文を書くのは絶対に政治学を修めた者だとアタリを着け、ストリドネ名義でいくつか発表されている電子論文のうち、最も古いものが14年前、最も新しいものは昨年だということを突き止めた。だから恐らく、14年前に20歳よりは上だった人間で、現在も政治学に関わっている人間だと思いシラミつぶしに調べたのだが、結構あっさりと行き当ってしまった。まあ、帝国大学出身者を一番に調べたし、名前がちょっと珍しかったからね。

 

 とにかくルター先生の知識を吸収しよう。彼は『制限君主制への移行』なんてテーマで、大学で講義はできない。だから俺に講義してくれ。誰にするより効果的に実践してみせるから。



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第24話   婚約

 俺にとって政治学も経済学も、前世では縁の薄い学問だった。政治家の汚職があれば、俺の納めた税金を掠め取りやがってと怒り、円高が進めば自社の製品が売れにくくなるなあと、ビール片手に心配するという程度のものだった。

 

 しかし現在の俺の居場所は、人類の6割以上を占める国家の、ほぼ頂点に位置する。これで政治に関わるなというのは、自ら傀儡となることを選択することだ。

 本来、その道を選択したっていいんだ。有能な者を領地に代官として派遣し、自分は宮廷貴族として贅沢優雅に暮らし、いずれは大公として貴族頂点を極めることだってできる。俺が『記憶持ち』でなければ、おそらくその道を選んだはずだ。

 

 だが、今の俺は幸か不幸か『記憶持ち』。座していれば貴族頂点などではなく、処刑台の13階段が待っている。兄はそれ以前に座る場所をヴァルハラに移す予定だが、この予定が命数ではなく、もし暗殺とか事故死であれば、場合によってはそれを生き延びる可能性だってある。そうなれば、俺が動かなければ兄も処刑台だ。

 

 そして今俺の目の前にいる姉クリスティーネ皇女は、女性なだけにもっと悲惨な目に合う可能性だってある。原作ではリップシュタット戦役の後、おそらく支配階級に対する、暴行、略奪の類が起こったであろうから、姉がそれに巻き込まれた可能性は高い。誇り高い皇女に耐えられることではないだろう。

 

 今日はルター先生の授業が無い日だったから、勉強は三時に終了したのだが、授業終了を見計らったかのように現れた姉上は、楽しいティータイムの時間に特別展の企画を教えてくれる。俺が住んでいるシュヴァーベンの館は、当主の侯爵夫人が料理に多大な興味がある方で、午後のお茶が、時々過去の正式なイギリス風アフタヌーン・ティーなのだ。特にこの時間に客が来ると、夫人は社交の場代わりに、これを利用する。兄上が頻繁にここを訪れるのも、これのせいかもしれないと、俺は密かに疑っている。

 

「お父様とお母様の結婚式の衣装も展示されるのですって。でも驚いたわよ。その辺りの中堅貴族の婚礼衣装みたいなんですもの。姉上の物と比べると、質素すぎて見栄えがしなくて」

 

 両親の結婚衣装の実物を見て、姉はかなり驚いたようだが、その頃の皇帝はケチで有名、父は放蕩者の金欠大公で、皇后様も代々地味な医学者一族の子爵家令嬢だったのだから、仕方ないだろう。

 

 特別展での催し物の一つに、ドレスや式服を作ったメーカーとタイアップして、勿論ランクは落とすが、各種サイズの同じ型の貸衣装が作成されるらしい。衣装を着て、皇帝や皇后、皇子や皇女のマネをしたい人はいくらでもいるだろうからな。勿論有料だし、当然即位式の衣装は貸し衣装の種類から除かれたが。

 

 皇帝一家の食事を真似て、美術館付属のレストランで出すというのはどうだろう。うーん、ダメかな、コストが掛かりすぎるような気がするし、却ってその豪華さに反発を招くだろう。ホント、食べることも出来ないのに、無駄に皿数が多いんだよね、皇族の食事って。いやいや、それなら原材料のレベルを落として、ブッフェ形式にしてはどうだ? それならば『皇族と同じ食事をしている』という気分が、案外気楽に味わえそうだ。皇族だからって、胃袋が異常に大きいと思う者はまさかおるまい。

 

「ルードヴィヒは皇帝の権威が落ちるかもしれないから、父上たちの婚礼衣装展示は止めたほうがよいかもしれないって。あなたはどう思う?」

「私は展示した方が良いと思います。裕福な平民ならちょっと無理をすれば届くくらいの衣装なんですよね。皇室に親近感を感じて貰えると思いますから」

 

 同時にブラウンシュヴァイク家に反感を持つかもしれないけれどね。俺は三段のティースタンドに盛り付けられた菓子類からスコーンを選び、ナイフで横に切ると、ジャムは無視して、クロテッドクリームだけを塗りつけて口に運んだ。次の時はイチゴじゃなくて、マーマレードジャムを出すよう、シェフに言っておこう。姉上はスタイルを気にされないのか、サンドイッチやミニケーキを遠慮なく口に運んでいる。そうだ、美術館付属のカフェでは、是非ティータイム時のケーキを真似て出すべきだ。食事と違ってケーキ類なら、ある程度安価に提供できる。

 

「華美ではないけれど物は良いのよ。私の結婚の時に、仕立て直して着てみようかしら」

「そうなされば、きっと皇后さまは大変お喜びになりますよ」

「姉上以上に豪華にする訳にはいかないしね。ウィルヘルムもそれが望ましいって」

 

 俺は目を見開いただろう。思わず姉上を凝視してしまう。

 

「……お決めになったのですか?」

「決めたわ」

「それは……おめでとうございます」

「ありがとう、リヒャルト。今日夕食の席で、父上たちにはお話するつもりなの。あなたに一番に教えたのよ」

「光栄です」

 

 そうか、姉上も結婚か。とうとう新無憂宮に住む兄弟は二人だけになってしまうんだな。いや、俺もいずれは独立するから、ここに残るのは、いつかは兄上一人になるのだ。

 

「アマーリエ姉上のご結婚の時は、未だ決めかねているご様子でしたのに、何か心境の変化でも?」

「母上に言われたのよ。ルードヴィヒのためにも、有力な貴族と結婚して、弟の治世を助ける手助けをしてくれって」

 

 えー、兄上の為に結婚するんですか? このクリスティーネ姉上みたいな、気が強くてジコチューな人が!

 

「この頃、ルードヴィヒは頑張っているでしょう? 財務省の官吏たちと色々話して、経済立て直しの立案をしているのですって。皇太子としての自覚がようやく出てきたのね。父上も目を細めているわ。母上の慈善事業にも積極的に関わっているし、これならば私も安心だわ。ルードヴィヒの為にも、頼りになる親族を作ってあげなくてはね」

 

 ……そんな理由で結婚してもいいものかなあ? もし結婚生活が破綻した時に、その責任を兄上に押し付けたりしないでくださいよ。

 

「ウィルヘルムはルードヴィヒと協力して、基金への寄進を継続的に行うそうよ。自家の持つ水耕プラント事業の侯爵家の収益を、これからは全額寄進するのですって」

 

 思い切ったことをするなあ。いずれ皇族の歓心を得るためだろうが、誰ぞの言ではないが『貴族は人気取りさえしなかった』に比べると、雲泥の差だ。まあ、その寄進がいつまで続くか眉唾ものだが。いかんいかん、又原作知識に捕らわれてしまった。リッテンハイムも馬鹿ではない可能性もアリ、と脳裏に止めておかなくては。

 

「義兄上も新婚旅行から帰られたら、是非その事業に参画させて欲しいって、FTLで連絡があったのですって。いい方向に進んでいるみたいね」

「……事業?」

 

 基金集めって事業かなあ。まあ、人気取り事業と言っても良いだろうが。

 

「財務官僚の何とかって男が、基金の運営が杜撰だと言っているそうよ。見直しをするんですって。運営の事務経費が高すぎるって怒っていたわ。ルードヴィヒにあんな物言いするなんて信じられないけれど、もっと驚いたのはルードヴィヒよ。遺族が貰う金額と役員の給与の乖離が酷すぎるって、基金の役員たちを怒鳴りつけたらしいわ。あの子ってそんな子だったかしら」

 

 ああっ! 今俺の頭の中に、『NPO法人への天下り』という単語が浮かんだぞ。やっぱりそういうことなのか! でも兄上が他人を怒鳴りつけるなんて、驚くべきことだ。覚醒したってことかな。

 

「母上もご自分が役員だったのにお気づきでなかったらしくて、ルードヴィヒと一緒に、役員報酬の見直しを始めたらしいわ。有爵貴族の役員は、軒並み年俸1帝国マルクにするんですって」

 

 おお、そういう見直しを上から堂々と押し付けるとは、さすが専制君主の妻と息子だ! 役員達はパニくっているだろうな。

 

「母上はルードヴィヒが変わったのは、大切な人が出来たからかもしれないって言っていたの。その人に相応しい男になるために頑張っているのではないかって。もしかしてあの子、好きな娘でも出来たのじゃないかしら。リヒャルト、あなたなら知っているんじゃなくて? 白状しなさいよ!」

「私は存じませんよ。でも兄上も、お好きな女性の一人や二人、いらっしゃってもおかしくないでしょう」

 

 本当は知っていますけどね……うん、兄上が変わったのはきっと彼女への愛の為ですよ。断じて、俺のせいじゃない……。

 

「本当に知らないの? 私には話さなくても、男兄弟のあなたになら話していると思ったのだけれど……。母上はご存知の様だったわ。妃候補は何人かいたわよね。ヴォルフェンビュッテル侯爵家の令嬢、ハーン伯爵の令嬢、ノイエ=シュタウフェン公爵家の令嬢、リヒテンラーデ侯爵家の傍系にも、確か有力候補がいたはずよ。いったい誰かしら……」

 

 その傍系ってコールラウシュっていうんじゃないでしょうね。いや、エルフリーデ嬢は俺より年下だろうから、それは無いか。

 

「ああ、そうだわ。言い忘れていたけれど、ウィルヘルムが、あなたに是非、リッテンハイム家のアドベント第一主日のお茶会へ参加して欲しいんですって。どう?」

「アドベントって明日からじゃありませんか?」

「だから言い忘れていたって言ったでしょう。行くって返事をしてしまったから、行くのよ! 日曜日だからいいでしょう」

 

 ヒドイ! 俺にも色々予定があるのに。たまの休みだったのに。

 この時代、過去の宗教はほとんど滅びているのに、こういうお祭りっぽい行事は今でも幾つか残っている。アドベントは『救世主降誕を待ち望む期間』という意味だが、今では何を待っているのか誰も知らず、ただ『アドベント』という名前と、祝祭期間だという認識だけが残っている。

 

「リッテンハイム家は、こういう行事をよく楽しむんですって。特別なお菓子とか出るそうよ。あなたも楽しみでしょ。楽しみよね!」

「……はい、楽しみです」

 

 仕方ない、この姉上の強引さに抵抗できるハズがない。明日の午後は、テオドールに護身術を習う予定だったが、急遽取りやめだ。特別な菓子ってシュトレンかね。俺はフツーのケーキの方が好きだよ。角の付いたバウムクーヘンが出てくれれば、一番嬉しいんだが。



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第25話   リッテンハイム侯爵家

 リッテンハイム家のお茶会は、13時から開催とのことだ。昼食を兼ねるらしい。昼食、会話、午後のティータイム、興が乗れば舞踏会となるそうだ。俺は舞踏会はパス出来るらしい。まあ、夜遅くなるしね。

 

 リッテンハイムの館は、新無憂宮から20分ほど地上車で走った所にあった。昼食を兼ねたお茶会なので、昼間のオーディンの街中が見えるかと思ったのに、やはりクリスティーネ姉上と一緒だったから、近衛の車に取り囲まれて広通規制もバッチリ為されていた上、大通りしか走らなかったからよく解らなかった。道路は綺麗だったよ。段差もゴミも無い。大通りを直角に曲がったら、広い道路と広場があって、その先に、雪を頂いた山を借景にした館がどーんと現れた。すごくダイナミックだ。

 

「宮殿のようですね」

「そうね、素敵なお館ね」

 

 リッテンハイムの館はクリーム色を基調とした、コの字形のロココ風の建築物だった。絢爛豪華な漆喰装飾が見事だ。21世紀だったら観光名所になるだろう。入口では客人たちが、招待状チェックと赤外線ボディチェックを受けていた。勿論、俺と姉上はフリーパスだったが。

 

「ようこそいらっしゃいました。殿下、クリスティーネ。心から歓迎いたします」

「お招きありがとうございます」

 

 リッテンハイム侯爵夫妻と共に俺たちを出迎えた姉上の婚約者は、終始ニコニコ微笑みながら、俺たちを大広間に案内した。北欧神話の名場面を綴った巨大なタペストリーが何枚も掛かっており、美術館のようだ。天井画も同じように神話の名場面のオンパレードだ。ただし俺はギリシャ神話ならともかく、北欧神話には詳しくないので、よほどの名場面でないと解らないが。

 

「皆さん、クリスティーネ皇女さま、ヴュルテンベルク公爵、お出でになりました」

 

 大広間にいた客が一斉に起立して礼を取る。壮観だね。昼間のお茶会だけに、あまり仰々しくはないが。現リッテンハイム侯爵は、黒髪を綺麗に撫で付けた長身の男で、息子ウィルヘルムに良く似ている。夫人は金髪のチャーミングな方だが、夫より身長が30cmは低いのでデコボコカップルだ。夫婦に見えん。

 

 侯爵が最初に挨拶を述べ、内々の話だが、と前置きした後で、姉上と息子ウィルヘルムの婚約を告げた。歓声が上がり、大きな拍手が鳴らされる。若い二人は照れくさそうに見つめ合うと、出席者たちに微笑んだ。まあ、愛し合っているように見えるし、幸せそうだ。俺としてはヨシとしよう。

 

「今日は、あまり堅苦しくならないよう、ブッフェ形式にいたしました。どうぞ各人、お好きなものをお取りになり、料理と会話をお楽しみください。子供たちには庭園に遊園地も設置いたしました。退屈はさせませんよ。それでは挨拶はこれぐらいにして、始めましょうか」

 

 へえ、あまりスピーチが長くない。感心だ。侯爵の話の後で、出席者たちが一斉に起立し、『クリスティーネ皇女さま、ウィルヘルムさま、おめでとうございます。来年も良い年でありますように。銀河帝国に栄光あれ!』と、唱和した。

 

 昼食は着席ブッフェスタイルで、料理元卓から好きな料理を取ってきては、自分の席に戻るという形式だった。8人くらいが座れる円卓が一ダースほどあるから、100人前後の昼食会っていうことだな。侯爵家にしては小規模だ。俺の席は姉上とその婚約者と同じ円卓だった。

 

 俺と姉上は、ウィルヘルムがお薦めの前菜をいくつか取って席に戻り、円卓の客人がすべて揃ってからナイフを取った。カトラリーの一つ一つに侯爵家の紋章が刻まれており、柄の部分は恐ろしく繊細な彫金だ。これ、絶対に銀だね。

 

「これ美味しいわね」

「お気に召されましたか。シェフが喜びます」

 

 確かに美味しい前菜だった。もう一度取りに行きたい誘惑に打ち勝つのは努力が要った。ブッフェスタイルとはいえ、それはマナー違反になるからなあ。メインの肉はターキーを選んだ。俺、前世ではターキーって食べたことないんだよね。期待していたほどではなかったが、美味しかったよ。

 

 食事が半分ほど終わったころ、やはり姉上へのお祝いの言葉がてら、俺との繋ぎを付けようとする貴族は後を立たなかった。しかしお年頃手前の女の子たちは、今回はいなかった。というより、子供たちは庭に作られた遊園地で遊んでいるか、別室の子供のみを集めた広間で食事を摂っているらしい。この大広間にいる子供は、俺一人だ。

 

 ブラウンシュヴァイク家と違って原作キャラは小粒だね。モーデル子爵とヘルクスハイマー伯爵だけしか知っている名前はいなかった。軍人系で誰か来ないかなーと期待していたのだが、どうも本当に親族を中心とした集まりのようだ。

 

 庭では設置された遊園地でその子供たちが遊んでいる。しかしさすが門閥貴族だ。大広間では客を飽きさせないように、室内管弦楽が終わったと思ったら、手品や有名アーティストのコンサートが行われるし、庭では子供向け遊園地でピエロが愛想と風船を振りまいている。かなりアットホームだ。

 

 食事の最後はデザートとコーヒーだ。これは別室に移動した。特別なお菓子というのはやはりシュトレンで、ドライフルーツやナッツが沢山入った大きな菓子パンだ。俺は食べたいとは思わなかったが、スライスしたものをお義理で頂いて、口だけを付けることにした。うーん、ラム酒が効いている、酔いそうだ。プラム・プディングがあったので、取ろうかとと思ったが、たっぷりブランデーをかけてフランべされていたため、手が出せなかった。バウムクーヘンは無かったよ。今までにも見たことが無かったから、もしかしたら製法が廃れてしまっているのかもしれない。

 

 コーヒーが終わったところで、ウィルヘルムが姉上の手を取って、一段高いステージに連れ出し、ワルツを踊った。その後、本格的に舞踏会に移行するのかな、と思ったら、ウィルヘルムが姉上に向かって膝まづき、小箱を差し出した。ええー、ここでプロポーズですか? もう婚約発表がされているのに? と思ったが、小箱の中身は婚約指輪ではなかった。

 

「クリスティーネ、これは我が一族の者が持つ、印章指輪です。あなたは私の妻となるお方、この一族に連なる方となります。どうかこれを受け取ってください」

「まあ……」

 

 ちらっと近くの人たちを見てみると、同じような指輪を右手薬指にしている。リッテンハイムの紋章と、自家の紋章をあしらっているらしい。指輪のターコイズブルーの色は統一されているから、おそらくその色が、一族の証しだということだ。

 

 姉上はにっこり笑うと右手を差し出した。ウィルヘルムが薬指にそれを嵌め、姉上がその手を前方に掲げると、一際大きな拍手が上がった。なるほど、これで姉上もリッテンハイムの親族の一員となったと言うことだ。だから親族だけの集まりだったんだな。

 

 

 やがて俺は姉上より一足先に、新無憂宮に帰ることとなった。夕方より先はやはり舞踏会となるらしい。俺と同じように帰る客は少数だった。

 

「殿下、実は参加者の女性の一人が欠席となりましたので、お土産が余っております。是非お持ち帰りください」

 

 ウィルヘルムが、俺を送り出しながら、包みを差し出した。パーティなどでは退出時には女性だけにお土産が渡される。大体は皿とかカップとかが多い。侯爵夫人もよく持って帰って来る。軽いお茶会なのに土産があるんだな、と思いながら、礼を言って受け取った。

 

「お疲れですか?」

 

 ずっと広間の片隅で警備をしてくれていたテオドールが声をかけてくれる。お疲れなのは俺じゃなくてお前の方だろう。食事も新無憂宮を出る前にサンドイッチをつまんだだけだしね。

 館に帰ると、侯爵夫人が出迎えてくれた。何かちょっとホッとしたような顔だった。お土産の中身は一対のティーカップだった。ターコイズブルーと盛金装飾の上品でゴージャスな作りだ。

 

「あら、まだ何か入っているわよ」

 

 夫人が取り出したのは、一枚のディスクと小さな箱だった。ディスクのラベルには日付が書かれてあった。『帝国暦455年7月28日』と。



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第26話   Der Rosenkavalier

「455年? 13年も前の日付けですね。何でしょう」

 

 夫人は首を傾げると、それを立体テレビに差し込んだ。画面が途端にパッと変わり映し出されたのは、紋章があしらわれた大きな緞帳のある舞台だった。

 

「まあ、ヴュルテンベルクの紋章ですわ」

 

 そういえばそうか。俺の紋章だ。幕が開き、ステージが現れた。ステージ上にある大きな天蓋付き寝台には横たわる女性と、その腕に絡みつく青年がいる。情事の後だね。彼らは情熱的に歌いだした。

 

『あなたがどのようだったか! あなたがどのようか! 一人として知らない、誰も思いもつきもしない!』

『文句があって? カンカン? 皆が私がどのようだったか知っていた方がよろしくて? 』

 

「ああ! 思い出したわ。ルイーゼさまが貴族女学院を卒業した年に、ヴュルテンベルクで開催されたオペラだわ。私も招待されましたもの」

「オペラ? 何故リッテンハイムどのがそのようなディスクを私に?」

「うふふ。もう少し進むと解るわよ」

 

 侯爵夫人の説明によると、ステージ上の二人は不倫関係らしい。

 女は元帥夫人マルシャリン、青年は彼女の年若い愛人でオクタヴィアン、通称カンカンというらしい。

 やがて夫が帰ってきたと誤解した二人が慌てふためき、オクタヴィアンはとっさに女装する。しかしそれは客人であり、元帥夫人の従兄、オックス男爵という者だった。彼は女装したオクタヴィアンを口説きながら、婚約した女性、ゾフィーへの婚約申し込みのための使者を紹介して欲しいと元帥夫人に願う。夫人は悪戯心を起こして、オクタヴィアンに使者の役目をさせると約束する。

 

「オクタヴィアン役は女装が似合っていますね」

「……少しは芸術方面にも力を入れなさい、リヒャルト。オクタヴィアンはズボン役、つまり女性が男装して演じるのです」

 

 ……オペラなんて一回も見たことないもん。見なくたって人生に支障ないさ。

 

 その後、舞台では来客が入れ替わり立ち替わり現れては消え、最後に元帥夫人が、いずれは自分も年を取らねばならず、いつかは愛人であるオクタヴィアンも自分の元を去るだろうと語る。オクタヴィアンがそれを慰め、元帥夫人への愛を情熱的に語る。……まあ、濡れ場だね。そんな感じで一幕は終わった。

 

「あの、義母上。何が解るんですか?」

「第二幕よ、第二幕。夕食を頂きながら見ましょう」

 

 普段は立体テレビを点けたまま食事なんて、作法に反すること、夫人は許さないんだけれどね。俺は運ばれた食事を摂りながら、画面を見る。

 やがて第二幕が始まった。今度の場所は、オックス男爵の婚約者、ゾフィーの屋敷の居間であるらしい。花嫁とその父が、婚約申し込みの使者とまだ見ぬ婚約者を待って、ソワソワと落ち着かない様子だ。やがて婚約者役、ゾフィーが歌いだす。

 

『この荘厳なる試練の時、おお我が主よ、私の価値以上に私を高め、聖なる婚姻に導いてくださるこの時に……』

 

「あっ」

「ふふ、解った? ルイーゼさまよ」

 

 舞台上のヒロイン、ゾフィーは、濃い化粧をしているが、確かに母だった。しかし記憶にある母とはまるで別人、初々しくも艶やかで、そしてふっくらとした身体付きだ。高いリリックソプラノを駆使して、夢見る乙女を語っている。

 

「……舞台に立ったことがあったんですね」

「卒業記念に、父君の伯爵が開催したとお聞きしましたわ」

 

 歌手として舞台に立ったことがあると知ることができて、少し嬉しかった。母の夢は叶っていたんだな。継続は出来なくても。

 

 舞台では、全身銀の服装で現れたオクタヴィアンが、古来からの儀礼に則って、オックス男爵からの婚約申し込みの証しである銀の薔薇を手渡した。第二幕の見せ場、銀の薔薇の献呈の場面だそうだ。母、いやゾフィーはそれを受け取るが、若い二人は互いに一目で恋に落ちてしまう。

 ゾフィーはやがて現れた自分の婚約者、オックス男爵の傲慢で無作法な態度に驚き、彼を嫌い、オクタヴィアンに助けを求める。彼はそれに応じ、色々あって、剣での決闘騒ぎとなる。

 

「略奪愛ですね」

「そんな言葉、どこで知ったの!?」

 

 おっと危ない。舞台ではオクタヴィアンが計略をもって、男爵を陥れようとするところで幕が降りた。第二幕の終了だ。

 

「おかしいですわね」

「何がですか? 義母上」

「このディスクの日付です。この舞台は夏に行われたはずではありませんよ。秋、いえ、冬……そうだわ! アドベント第四主日のお祝いを兼ねていましたもの。12月の終わり頃に開催されたはずですわ! ええ、毛皮を着ていったはずですよ、私は」

「? では何でしょうね。この五ヶ月も前の日付は」

 

 疑問を語り合っているうちに、幕が開いた。第三幕だ。

 オクタヴィアンは再び女装し、オックス男爵を誘惑して、ゾフィーの父親の前で彼の面目を散々につぶし、婚約を反故にさせる。

 しかし突如元帥夫人が現れ、しかも自分と元帥夫人との不倫までゾフィーにばれ、大いに狼狽する。元帥夫人は先日予期した愛人との別れの時がやってきたことを悲しみつつ、若い二人を潔く祝福し、身を引く決意をする。

 

 ゾフィーを愛しながらも元帥夫人に未練を持つオクタヴィアン、愛した人が元帥夫人と不倫関係にあると知り悲しむゾフィー、愛人を諦め、若い二人を結びつけようとする元帥夫人、この三人の複雑な心境が三重唱でわれる。この三重唱が、このオペラでは一番の名場面だそうだ。オペラを知らない俺でさえ、特に元帥夫人の歌う諦念は見事だと解る。

 

『今日か明日かまたその次の日か。自分で自分にそう言い聞かせたでしょう? すべての女性に訪れることなのよ。知らなかったとでもいうの? 誓いを立てたはずでしょう? 完全に冷静な心で耐えると』

『私は固く誓ったわ。彼を正しく愛すると、他の女に対する彼の愛でさえ愛すると! でもそのことがこんなにすぐに私に課されるとは思ってもいなかった』

 

「……主役は元帥夫人ですね」

「ええ、他の三役に比べて、ゾフィー役は一段下ですわ。この頃のルイーゼさまは、20歳にもお成りでなかったのですから、マルシャリン役は無理だったでしょう。マルシャリンはソプラノ歌手の夢とまで言われる大役です。ゾフィー役は初々しさが求められますから、お若いルイーゼさまにはピッタリですね」

 

 やがて若い二人は愛を確かめ合い、短い二重唱を歌い、幕は降りた。三時間以上もの舞台だった。当然食事はとっくに終わっている。

 

「……母の歌を聞くことが出来たのは嬉しかったですが、このディスクの日付けの謎は解けませんね」

「ふふ、もしかしてその謎を解いてみろという、ウィルヘルム殿の挑戦かもしれませんね」

 

 そんな遊び心のある人かなあ?

 

「では謎を解いてみましょうか……。義母上、このオペラの題名は何と言うのですか?」

「もう! そんなことも知らないの? 『Der Rosenkavalier』よ。オクタヴィアンが劇中で行なった役目よ」

 

 ローゼンカヴァリエ? へえ、何か符牒みたい。いや、何の関係も無いよな、ここは同盟じゃないし。

 

「えーと、オペラの作曲者は?」

「リヒャルト・シュトラウスよ。古代の音楽家だそうね。あら、あなたの名前と同じだわ」

 

 古代ね。優れた芸術は、やはり何千年も後でも残るんだな。俺と同名なのは、それこそ偶然だし。

 

「解りませんね。では出演者はどうなのでしょう。義母上の知っておられる歌手はいらっしゃいましたか?」

「主要人物四人の内、ルイーゼさま以外は、今も第一線で活躍されておりますわね。マルシャリン役はアガーテ・フォン・ヘルツベルク、オックス役はフランツ・カーン、オクタヴィアン役はローゼマリー・フォン・シェーンコップ、他の登場人物までは解らないわ。ファニナル役は誰だったかしら、このバリトンは聞き覚えが……」

 

 ……いや、もういいです! 必要ありません!

 俺は侯爵夫人に一晩考えてみると告げ、就寝の挨拶をすると、急いで自室に向かって、リッテンハイムから渡されたもう一つの土産、小箱を開いた。

 

 中からは小さな緑の印章指輪が現れた。どう見ても子供サイズ。俺にピッタリなくらいだ。この指輪は毎日見ている。何故なら俺の右手薬指にも同じ物が嵌っているからだ。

 しかし違うのは、ヴュルテンベルクの紋章の横に、見たことのない紋章が浮き彫りにされていることだ。

 

 そして指輪の内側には、小さな装飾文字で、『ワルター・フォン・シェーンコップ』と彫られてあった。



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第27話   理不尽な亡命

 この日、オーディン帝立歌劇場は盛況だった。本日の演目は『ワルキューレ』 大作の上演に観客の期待も高いのだろう。俺は侯爵夫人と共に、ボックス席で優雅に楽しんだ……という訳でもなく、二幕目半ばで寝ちゃったよ。だって興味が無いんだもん。オペラって夜遅いから、子供には辛いんだよね。それにボックス席って舞台からは遠くて、肉眼では演技の良し悪しなんて解らないよ。

 

「リヒャルト、リヒャルト! あなたが見たいと言うから連れて来たのに、これでは出演者の方々に失礼ですよ。さあ、終わりましたから、楽屋に参りましょう」

 

 俺は侯爵夫人に、出演者の一人に楽屋で花束を渡したいと頼んだのだ。その出演者とは勿論、ローゼマリー・フォン・シェーンコップ夫人だ。彼女は本日の舞台でワルキューレの一人、ブリュンヒルデを演じている。

 紫と真紅のバラをゴージャスに組み合わせた花束を用意してもらい、案内人に従って彼女の楽屋へ向かう。へえ、オペラの裏側って表舞台とは違って、雑然としているんだな。あちらこちらに器材や大道具があり、歩くのも中々大変だ。特に侯爵夫人はドレスだから、もっと大変そうだし、案内人はしきりに恐縮している。

 楽屋の中はそれなりに整然としているが、机に鬘がでーんと置いてある。うーん、シュールだ。そして目指す女性は化粧台の前に舞台衣装のままで座っていた。

 

「フラウ、素晴らしい舞台でしたわ。まるで酔ったかのごとくなりました」

「お褒めいただいて光栄でございます。シュヴァーベン侯爵夫人。わざわざおみ足をお運び頂き、恐悦至極でございます」

「私、フラウのファンですもの。お会いできて嬉しいのは私の方ですわ! 無理を言って申し訳ありません。ああ、そうそう。こちらは私の息子ですの。さあ、ご挨拶なさい」

 

 俺は夫人の正面に立つと、花束を差し出した。

 

「雄々しい戦乙女、ブリュンヒルデに敬意を表します。どうぞお受取りください。戦乙女も鎧を脱げば美しき麗人。剣よりも薔薇が似合います」

「まあ、ありがとうございます」

 

 自分で言ってて余りのクサさに思わず天を仰ぎたくなった。

 

「失礼しました。名乗るのを忘れておりました。私の名はリヒャルト・フォン・ヴュルテンベルクと申します。お見知りおきを」

「ヴュルテンベルク!? ええ! ではルイーゼさまの!?」

「母をご存知ですか。嬉しいことです」

 

 彼女は呆然として俺の顔を覗き込んだ。夫人は、舞台映えする彫りの深い端正な顔立ちで、出演直後のためやや乱れているその髪は、グレーがかったブラウンだ。

 

「何てルイーゼさまにそっくりな。すぐに気付かなかったのが不思議なくらいです。あの方の忘れ形見にお会いできるなんて」

「シェーンコップ夫人、実はお聞きしたいことがあるのです」

 

 俺は例のディスクと指輪を取り出した。

 

「これらに覚えはありますか?」

 

 彼女は目を見張ると、震える手で指輪をつまみ上げた。リングの裏側の文字を、一文字ずつ撫でる様に爪で辿っていく。そして見る見るうちに両目に涙が盛り上がり、やがては決壊し、幾筋もの透明な雫が、美しい頬を伝っていった。

 

「ワルター……」

 

 小さなつぶやきが口をついた。

 

 

「……何からお話すれば良いのか……。私の息子と義父母のことはご存知ですか?」

「ええ、7年前に叛乱軍に亡命されておりますね」

「その理由もご存知でしょうか」

「いえ、そこまでは」

 

 シェーンコップの祖父が借金を背負わされて、孫ともども夜逃げしたって、原作にはあったよな。

 俺は彼女にこの指輪がリッテンハイムに渡ったいきさつを知りたいと願った。指輪に刻まれたもう一つの紋章はすでに調べてある。帝国騎士、シェーンコップ家の紋章だ。この家は末端ではあるが、俺の一族だったのだ。

 

「私と夫は16年前に知り合いました。きっかけはルイーゼさまです……」

 

 夫人の話によると、彼女と母は、同じ声楽教師に習う兄弟弟子だったそうだ。そして夫となるシェーンコップ氏は、代々ヴュルテンベルク伯爵家の護衛を務める家柄の出で、当時は伯爵令嬢だった母の護衛を担っていた。その縁で知り合い、恋愛関係になったらしい。

 しかし彼女は新進気鋭の歌手と言えど、平民出身、片や相手は小なりといえど、帝国騎士で伯爵の信頼厚い士官。結婚までには紆余曲折があったらしいが、結局は彼女と母が親しい関係にあることで、正式に結ばれることが出来たそうだ。

 

 歌手を続けることには義父母は難色を示したが、夫の理解と母の後押しもあり、彼女は益々実力を付けていった。やがては妊娠、出産。産まれたのは男の子で、義父母は跡継ぎが出来たと大いに喜んだ。

 

「ディスクの日付はあの子の誕生日です。ルイーゼ様にもお見舞いいただきました。そしてお願いしたのです。赤ん坊の名を付けて欲しいと。三日も考えてくださいましたの。ワルター……『精強な戦士』という意味だそうです。名前の通り強い子に育ちますようにと、願ってくださいました」

 

 ……うん、願い通り育つ予定だよ、きっと。

 

「出産から数ヶ月後、この『Der Rosenkavalier』の舞台が行われたのです。ルイーゼさまの卒業記念とデビュー、そして私の息子の誕生祝いも、伯爵さまは兼ねてくださいました。この舞台の後のパーティで、伯爵さまから、ワルターへ祝福の言葉まで賜りました。この子が成長すれば、いずれは父親同様、ルイーゼ様、そして未来に生まれるであろう、ルイーゼ様のお子を守る男になるのだと、目出度いことだと……。あの時は本当にありがたく、幸福でした……」

 

 ワルター・フォン・シェーンコップは、俺を守ることを運命づけられた男……。今、俺の横にいるテオドールの立ち位置は、本来シェーンコップとその父親が担うはずだったのか、なんつー運命の皮肉。

 

「その時に伯爵さまから、この指輪も賜ったのです。この指輪がピッタリ嵌る頃、将来のために訓練を始めるようにしなさい、お屋敷にも出入りを許すと。あの子は6歳の誕生日にこの指輪を嵌め、伯爵様の領地屋敷にも出入りが許されました。そこで護衛の為の訓練を始めました。勿論まだ幼かったですから、遊びの延長のようなものでしたが。伯爵さまは、筋が良いと誉めておられました」

 

 領地屋敷……。つまりシェーンコップの実家は、オーディンではなく、俺の領地、ヴュルテンベルクにあるということか。

 

「ルイーゼさまはその数年前に後宮入りしておられましたから、あの子に会ったのは産まれた頃だけです。でも名付け子でしたから、気にかけてくださっていました。そして7年前の帝国暦461年12月のことです。ルイーゼ様のご懐妊が判明されました。伯爵ご夫妻は大層お喜びになり、ヴュルテンベルクからオーディンに、ルイーゼ様にお会いするために向かわれました。そしてその航路の途中、事故にお遭いになったのです」

 

 祖父母の死因は自家用宇宙船での事故死。オーディンに着く直前、地表450kmの低軌道のところで、直径25cmものスペースデブリが超高速で衝突し、乗員諸共死亡したのだ。

 乗客乗員合わせて20名、すべて宇宙の塵となった。そしてその中には、その頃祖父母の護衛を任されていた彼女の夫、シェーンコップ氏の名前もあったのだ。

 

「私はその時公演のため、他の惑星に滞在していたのです。数日後報せを聞いて、大急ぎでヴュルテンベルクに向かいました。しかしその頃、義父母と息子は、フェザーンに向かっていたのです」

 

 20名の事故死は悲惨なことだったし、それが名家の伯爵家当主、しかも皇帝の息子を懐妊している寵姫の両親を死亡させることになったのだ。当然責任追及が行われた。

 

 規定では、5cmを超えるデブリは非常に危険な物として回収を推奨しているが、その数の多さにとても追いつかない。その為、各惑星の宇宙監視システムでは、惑星近傍の特に危険なデブリをカタログ登録し、常に監視する態勢となっている。離発着する宇宙船に対して、危険なデブリがある場合は警告し、軌道修正を求めるのが常なのだ。

 

 オーディンの宇宙監視システムは、祖父母の宇宙船に対してデブリの存在を知らせ、軌道を変えるように要請した。しかし何故か宇宙船は軌道を変えることなく、そのままオーディンに着陸しようと試み、事故となったのだ。

 システムが警告を発したとき、それを受け取ったのがシェーンコップ氏だった。死者は弁明できない。この事故は彼の責任とされ、彼の家族は連座の危機に晒された。

 

 危機を察知したシェーンコップ氏の両親は、素早く孫息子を連れ、ヴュルテンベルクからフェザーンに逃亡した。他惑星で公演中で、家族と上手く連絡が付けられなかった彼女はヴュルテンベルクに向かい、宇宙港で官憲に拘束されたのである。

 

 しかし事故から5ヶ月後、意外な事実が判明した。事故宇宙船の破片回収の際、ブラックボックスが奇跡的に発見されたのである。中の航行記録、通信記録、ボイスレコーダーも無事であり、解析が進められた結果、宇宙監視システムからの警告が一切無かったことが判明したのだ。

 監視システムの職員たちを取り調べた結果、デブリの監視を怠り警告を発しなかったのに、口裏を合わせて虚偽の証言をしたこと、シェーンコップ氏の名前を出したのは、乗員名簿で伯爵夫妻の次に記されていた名前であったからに過ぎず、何らの責任も無かったことが確認されたのだ。

 

 拘束されていたシェーンコップ夫人は直ちに釈放された。ヴュルテンベルクの自宅に帰ると、埃の積もった食卓の上には、息子がいつも嵌めていたこの指輪が置かれていた……。

 

「義父母と息子に疑いが晴れたことを知らせようとしました。その頃は亡命手続きのため、まだフェザーンにいたはずだったのです。しかし正確な所在がどうしても掴めず、叛乱軍の弁務官事務所とは通信は繋がりません。そこでフェザーンに自分自身で向かい、探そうと決めました。しかし民間船のチケットが取れず途方に暮れていたとき、丁度保養でフェザーンに向かうリッテンハイム侯爵ご夫妻が、ご親切にも自家用宇宙船に同乗させてくださったのです。リッテンハイム侯爵夫人はオペラ好きで知られており、私のことも気にかけて下さっていたので」

 

 フェザーンに着いた彼女は、弁務官事務所などを訪れ、家族の情報を得ようと努力した。侯爵夫妻も部下の一部を回して、搜索の手伝いをしてくれた。

 その結果、彼女たちがフェザーンに到着するほんの二週間前に、義父母と息子は自由惑星同盟への亡命の手続きを終了させ、既に旅立っていたことが解ったのだ。

 

 落胆する彼女を、両親と入れ替わりに保養から帰還するウィルヘルムが自家用宇宙船に乗せた。そして俺の母に、自由惑星同盟での家族の搜索をしてくれるよう、請願してはどうかと提案したのだ。もし所在が判明し連絡が取れれば、帰還も叶うだろうと。

 

 権門とはいえ、一侯爵家であるリッテンハイム家では自由惑星同盟での搜索は難しいし、その義理も無い。しかし主家であるヴュルテンベルク伯爵家には一族の長としての義務があるし、現在の新当主ルイーゼならば、皇帝の寵姫であるから、皇帝を動かして、家族の所在を掴むことは可能かも知れないと。

 

 その言葉に心を強くした彼女は請願の決意をしたが、彼女は一帝国騎士の妻。当然、新無憂宮に出入りを許されてはいない。そこで、俺の母と自分、そして我が子の三人の絆の証である『Der Rosenkavalier』のディスクに息子の誕生日を記し、指輪と共に、事情を知るウィルヘルムに託したのだ。

 

 息子のことを気にかけてくれた母ならば、この意を汲み取ってくれるだろうと、そう願ったのだ。



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第28話   尋ね人

 リッテンハイムの宇宙船がオーディンに帰還したのは、帝国暦462年の8月に入った頃だった。つまり母が俺を出産後体調を崩し、集中治療を受けている最中だった。

 それでもウィルヘルムは祝いと見舞いの列に連なり、母にシェーンコップ家の事情を知らせ、指輪とディスクを手渡した。母はシェーンコップ夫人の願いを諒解し、皇帝に嘆願すると約束した。

 

 しかしその後、皇帝が母の元を訪れることは無かった。二週間後、再度訪れたウィルヘルムに、母は苦しい息の下でその事情を語り、指輪とディスクを彼に託し、この事態は自分の息子、リヒャルトが成長したら、対処させて欲しいと懇請したのだ ━━━━ 。

 

「私に対処しろと……?」

「はい、ウィルヘルムさまは、ルイーゼさまにその様に委託されたそうです。ですから、そのままディスクと指輪をお預けしました。私よりもウィルヘルムさまの方が、殿下とお会いする機会があると思ったのです」

「でも、何故ウィルヘルム殿は、私に一言も事情をお話くださらなかったのでしょう」

「恐れながら……試されたのだと思います」

 

 リッテンハイムが俺を試す? 

 

「リヒャルトさまが、一度も会ったことがない私の息子と義父母を探す理由などありません。ましてや亡命して7年も経ってしまいました。あの子の人生の半分以上は叛乱軍でのものです。きっと叛乱軍での生活にも愛着が生まれているでしょうし、亡命当初より帰還は更に難しいでしょう。所在の搜索も困難なことです。ですがこの指輪に刻まれた二つの紋章……」

 

 夫人は愛しげに、浮き彫りにされた紋章を撫ぜた。

 

「二つの紋章が刻まれた指輪の持ち主は、主家の縁者の証明です。伯爵さまもルイーゼさまも、自家の縁者を非常に大切になさる方でありました。ルイーゼ様は、わざわざご遺言で私のことにも触れ、三人の亡命の罪科が私に及ばぬように、陛下にお頼みしてくださいました。でも失礼ながら、殿下はお母君の血縁とは非常に繋がりが希薄でいらっしゃいます。ご自分が事情をお話しても、果たしてこの指輪の持ち主の為に動いて下さるか、ウィルヘルムさまには確信が無かったのでしょう」

 

 確かにそうだ。俺は母方の親類などほとんど知らないし、当然思い入れも無い。

 

「ウィルヘルムさまのお立場では、殿下に三人の搜索を要請することなどできません。ですから何も言わずにこれらを渡されたのではないでしょうか。意味ありげにこのような品物を渡されれば、普通なら事情を調査します。殿下自らが私に行きつけば、それは指輪の持ち主のために動いてくれたということでもあります。そして私はリヒャルトさまに泣きつくことができます……! どうか私の息子をこの手にお戻しください、再び4人で暮らせるようにしてください、私の息子は遠いとはいえ、殿下の血縁なのです、どうかあの子を……!」

 

 夫人は泣き崩れた。

 

 

「……私から陛下にお願いしてみましょう」

「いえ、それはやめてください、義母上」

 

 帰りの地上車の中で、侯爵夫人が提案してきたが、俺は即答でそれを断った。どうするか考える時間が欲しいのだ。

 

 ワルター・フォン・シェーンコップ……。『銀河英雄伝説』の中では、第一巻から最終巻まで、獅子奮迅の働きをする主要キャラクターだ。ただし同盟側の。

 

 彼と俺が遠縁ねえ……、ピンと来ないなあ。でもそれを言ったら、奴が現在13歳というのもピンと来ないが。

 

 もし彼を俺の一族に再度組み込めれば、これほど心強いことは無いだろう。彼の愛人の言ではないが、『地面や床に足をつけているかぎり、あれほどたよりになる男はいない』訳だし。

 しかし一貴族の護衛を嬉々としてやるタイプの男じゃないよ、あれは。俺は命を狙われる立場にはあるが、始終危険に晒されている訳ではないし、テオドールだって俺の命の危機を救う機会に恵まれたことはない、あっても困るが。俺の護衛などでは、シェーンコップの能力なんぞ、100分の1だって発揮できないだろうし、それでは彼の鬱屈が溜まるだけだろう。それに物心がついた頃、訳も解らず同盟に亡命させられたと思ったら、多感な思春期の時期にまた帝国に逆亡命だなんて、ますます怖いもの知らずの世間を斜に構える性格に磨きがかかりそうだ。

 

 うーん、欲しい人材ではあるんだよな。遠縁だろうが俺と繋がりがあるのも大きな利点だ。護衛はテオドールに任せて、彼には陸戦隊を指揮してもらう……? 俺が陸戦隊を必要とする事態なんてあるのか? 困った、彼の有効活用法がわからん。

 

 彼も今は13歳。おそらく祖父母と暮らしており、二人の意には逆らえないだろう。もし居所が判れば、祖父母の方から攻めてみるか。老人は故郷を懐かしむものだ。息子の墓も気になるだろう。帰還を決意して、ワルター少年を連れて戻ってきてくれるかもしれない。

 

 しかしどうやって居所を突き止めればいいんだ? 今はハイネセンにいるのか? そんな記述は無かったよな。ああ、確か16歳で軍戦科学校に入学するはずだよな。そこでなら連絡を取ることも不可能じゃ無いが、軍属に片足突っ込んでからでは逆亡命はやりにくいだろう。結構義理堅い性格だし。入学するまでが勝負だ。あと三年足らずか。

 

 帝国が同盟に張り巡らしているというスパイ網、こういうのに頼れば良いんだろうか。しかし誰に頼めばいいんだ? 情報部か? でも俺には軍に伝手なんか無いしなあ。仕方ない、やはり兄上か父上に相談してみるか。

 いやいや、ちょっと待て。これは俺の一族の問題だ。頼るのは兄上たちでは無いはずだ。

 

 

『ええ、覚えております。シェーンコップ氏のご両親と息子さんのことですよね』

「やはり当時は大きな騒ぎだったのですか?」

『勿論です。三人が亡命したことで、叛徒の家族として、奥方は再逮捕の危険もあったのです。ルイーゼさまのご遺言が無ければ、危なかったでしょう』

 

 TV電話の相手の顔は苦々しげだ。亡命者が身内にいれば、当然監視対象となる。

 

『社会秩序維持局が嗅ぎ回ったせいで、奥方は一時期は歌手活動からも離れ、相当お辛い思いもしたことでしょう。二年ほど経過したころ、監視対象からは外れ、ようやく舞台にも再度立つことが出来たようです』

「外れた理由は何ですか?」

『亡命したシェーンコップ氏の父親が亡くなった為だそうです。残されたのは老女と少年ですからね。危険は無いと判断されたのでしょう』

 

 ワルター・フォン・シェーンコップの祖父は既に亡くなっているのか。今は祖母と二人での生活を営んでいるということだな。しかしこの家庭で最も危険なのは、その少年だぞ。

 

「随分と詳しくご存知ですね。やはりお調べになったのですか?」

『主家の一族のことでしたから、気にはなっていましたが、監視対象から外れた4年程前までのことしか私は知りません。社会秩序維持局だとて、叛乱軍の中のことは、軍の情報部に頼らなければ情報は取れませんからね。危険度の低い一家であると判断されたようで、おそらく現在は過去の資料が残っている程度でしょう』

「やはり、社会秩序維持局には亡命者のリストがあるのですね?」

『ええ、軍人ではなく一般人の亡命者は、軍では無く、社会秩序維持局の管轄です』

 

 亡命者たちは反帝国の火種を抱えているようなものだ。当然亡命者リストが作られている。そしてそれは社会秩序維持局にも回される……。

 

「社会秩序維持局に良い友人をお持ちのようですね」

『……まあ、そういうことです。我が家もクレメンツ皇子の件で、一時期は監視されていましたので、保険のようなものです』

 

 情報は戦争に必要なだけではない。貴族だって必要なのだ。政争のため、もしくはもっと切実に生き残る為にも。

 

「ではご友人に、現在の住所、もしくはそれが不明ならば、判明している中で、最も新しい住所を教えてくれるよう、お願いしていただけませんか?」

『それだけならば、明日にもお返事出来ると思いますが……』

 

 言い淀みながら探るような目でこちらを見てくる。

 

『その息子とやらが帰還したらどうなさるのです? 当初の予定通り、護衛として育てるのですか?』

「いえ、私には既に信頼できる武官が就いておりますので」

『それでは……まさか殿下の私軍の指揮官とか?』

「いえ、その地位に就ける者は、既に決めております」

 

 俺はTV電話に向かって、意味ありげに笑ってみせた。どうぞ都合良く解釈してくれ。

 

『そうですか! 明日は出勤日ですからな。早速同僚に調べてもらいます』

「ありがとうございます。でもどうか、社会秩序維持局には秘密にするようお願いします。ファーレンハイト男爵」

 

 俺はTV電話を切ると、ホッと息をついた。やれやれ、男爵が内務省の官吏で良かったよ。取り敢えず居所はわかりそうだ。



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