ダイヤモンドメイカー、ラフ、ラフ、ラフィン。 (囲村すき)
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ダイヤモンドメイカー、ラフ、ラフ、ラフィン。

どうも、囲村と申します。
やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。通称俺ガイルの二次創作と言うことで書かせていただきました。短編です。原作は現時点(投稿日)ではまだ終わっていませんが、「もし彼らの青春ラブコメがこんな結末だったなら?」という発想というか妄想を、BUMP OF CHICKENの曲と重ねたSSです。

※注意※
この小説は完全に私の妄想の産物であり、原作の結末を示唆するものでも考察しているものでもありませんのであしからずご了承ください。



 

 多分、嘘だ。

 

 いや、どうやら、本物らしい。

 

 本物のノックの音が聞こえる。

 

 なんでインターホンが壊れてるんだ、みたいな文句と共に、俺の部屋の扉がノックされている。

 

 帰ってくれよ、と言う。

 

 見て分かんないのか、閉じこもってんだよ。

 

 もう、傷つかないように、傷つけないように。

 

 変わろうとしたんだ。でも。

 

 俺みたいなやつがいくら頑張ったって、間違いを繰り返すだけだって気づいたんだ。

 

 同じ間違いを。

 

 この狭い部屋の中で一人、溺れ死ぬまで泣き続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 指定された場所まで行くと、やつはもう既に俺を待っていた。

 

 女に囲まれて困ったように笑いつつもきょろきょろと誰かを探しているようだ。俺だろうか?あいつが探しているのは俺だろうか。

 

 目が合う。

 

 ほっとしたように手を挙げ、やつがやつであることを知らせる。ああ、やっぱりお前か。

 

 俺には到底突破しがたく見えるその包囲網を、やつは笑顔一つでするりと潜り抜け、こちらに歩いてくる。

 

「やあ」

 

 快活な挨拶。スマートな微笑みと上品なスーツ。髪の色や服装が変わっていても、やつはやっぱりやつだった。

 

 俺も片手をあげて挨拶する。そして今しがた突破された包囲網をやつ越しに眺め、唇を片方だけわずかにつり上げて、

 

「相変わらずだな」

 

 俺もやつも、それが皮肉だと知っている。

 

「それは?」

 

 手に持っていた包装紙に包まれた小さな物体を訊かれ、俺はよく見えるように目の高さまでそれを持ってきた。

 

「ラノベだ。新刊が出たんでな」

 

 それを聞くと、やつはどう反応しようか逡巡した挙句、やっぱり困ったように笑って見せた。

 

「…相変わらずだな」

 

 俺もやつも――――比企谷八幡も、葉山隼人も、それが皮肉だと知っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダイヤモンドメイカー、ラフ、ラフ、ラフィン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ()()()()()()()()()というものがはたしてどんなものかとんと見当もつかないが、少なくとも高校の同級生である葉山隼人と再会したのは、劇的と呼べるような代物ではなかった。なんてことはない、駅のホームで偶然ばったり俺びっくりあいつびっくり、というやつだ。どういうやつだ。

 

 葉山みたいなやつが向こうから歩いてくるなと思ったら案の定葉山だった。

 

 そう俺があけすけに言うと、葉山は笑った。妙に懐かしい笑みだった。

 

「ついたぞ」

 

 俺の声に葉山は顔をあげる。何の変哲もないぼろっちい居酒屋が佇んでいた。一応、あっし、ここにいますんで。よかったら、一杯どうぞ…控えめな自己主張が中々俺好みである。

 

 なるほど、と葉山は何に納得したのか、ふむふむうなずいている。

 

「きみの行きつけと言うのはここか」

 

「なんだよ、不満か?」

 

「いいや、むしろ好きだな」

 

 のれんをくぐると、居酒屋特有の匂いや熱気が元気の良い店員と共に俺たちを出迎える。駅からそう遠くないこの居酒屋は、それとなく、ひっそりと繁盛している。

 

 案内されたテーブル席に腰かけると、葉山に断ってから俺は生を二つ注文した。

 

 なんだ、こう、この店に葉山ほどのハイレベルな人間がいると、まるで違う店にうっかり入り込んだように思えて少し居心地が悪い。場違い。さっきから若い女の店員がちらちら葉山を見ている。が、当の葉山は興味深そうにきょろきょろ見渡して辺りを観察しているようだ。

 

 偶然再会した時に、飲みに誘ってきたのは葉山だ。仕事の関係でたまにこっちに来ているらしく、葉山は俺の行きつけの店に行きたい、と言い出した。

 

 高校を卒業して以来―――多分、おそらく、俺と葉山が二人で会うのは初めてだ。

 

「…」

 

「…」

 

 葉山は無言だ。俺と目を合わせようともしない。

 

 …。

 

 俺は咳払いして、目をうろうろさせながら口を開いた。

 

「…まぁ、その…なんだ、元気にしてたか」

 

 葉山は俺をまっすぐ見つめ―――それから、ぷっと吹き出した。

 

「あははっ、比企谷、きみ、そんなこと言うやつだったっけ?」

 

「…う、うるせえな…」

 

 ホームかアウェイかで言えばホームである俺が勇気を振り絞って口火を切ったってのにその言いぐさはひどい。

 

 おしぼりで手を拭きながら、葉山は人好きのする笑顔を浮かべる。

 

「いや、ごめん、少しからかいたくなってね。でも、」

 

「なんだよ」

 

「てっきり断られるかと思った」

 

「…まあ、そこまで子供じゃないさ」

 

 じゃなくなった、と言うのが正しいのか。

 

 注文した生ビールが到着し、俺と葉山は目を合わせる。

 

「じゃあ、乾杯だ。久しぶりの…再会に」

 

「…ああ」

 

「ん?本当にいつぶりだったかな」

 

「あー…結婚式じゃねえの」

 

「ああ、そうか。乾杯」

 

 かちりと乾杯して、ジョッキを傾ける。

 

「今更だけどきみ、酒はどの程度?」

 

「ある程度は、飲めるが」

 

「俺もある程度、だ」

 

 勝手が分からないからとりあえず注文は任せる、とのことだったので、俺は焼き鳥が旨いんだ、と葉山に説明して、いつものように適当につまみを用意してもらう。

 

 何気なく葉山のジョッキを見ると、もう既に半分ほど空になっていた。ある程度、か。

 

 葉山は手を組んでこちらに身を乗り出すようにして言う。

 

「それにしても驚いたよ。この町は長いのか?」

 

「まあ、それなりだな。俺だって驚いてるよ、東京はもう少し広いもんだと思ってたんだが」

 

「不思議と縁があるね」

 

「東京と俺が?馬鹿言え。たとえ離れていたって心は千葉県民だぞ」

 

「…きみと俺が、だよ」

 

…ジョッキをあおる。よく冷えたビールがのどを抜けていく。旨い。ビールを初めて旨いと感じたのはいつだったかと頭の片隅で考えながら、俺はぽつりと、

 

「社長か…」

 

 聞きつけた葉山は、照れ臭そうに笑う。

 

「なんだ、知ってたのか?社長って言っても…全社員20人にも満たない小さな小さな会社の、だけどな」

 

 頼んだ焼き鳥が出てくる。店員に愛想よく礼を言って(店員が頬を赤らめた)、葉山は鳥もも肉をほおばった。

 

 今注目、ITベンチャー企業、若きやり手社長。

 

 同僚に見せてもらった特集ページのレイアウトをぼんやり思いだす。妙にしっくりくると思ったのは多分俺だけじゃないはずだ。葉山が誰かの下で働く、ということがいまいち想像できない。

 

 それを考えると、やはり葉山が社長というのは無理がなく、ぴったりというか、整っている…気がする。葉山隼人は今でも整っている。…さて、社畜はおとなしく鳥の皮でも頂くことにするか。

 

 そんなたいそれたものじゃない、今じゃベンチャー企業なんて珍しくもなんともない、と言うような謙遜の類をいくつか、葉山隼人はのんびりした口調で話す。それからもう一度ジョッキを傾けて、それから遠い目をして見せる。…こんな薄汚い居酒屋で、いちいち絵になる男だ。

 

「…でも、今の自分はきっと…到底予想できなかっただろうなって思うんだよ。あの頃にはね」

 

 あの頃、か。

 

 高校を卒業してから、一体何年経った。

 

 とてもそんな、すぐには思い出せないほどの時間がたったとは思えない。

 

 目の前にこんなやつがいると、特に。

 

「…今思い出したんだが、三年生の文理選択でお前と一悶着あったよな」

 

 何がおかしかったのか葉山は唇の端に笑みを浮かべる。

 

「…ああ、あったな」

 

「あんまり思い出せないんだが、結局、お前、どっちにしたんだっけ?」

 

 葉山はそれには答えずに、おもむろに自分の指を見つめ始めた。

 

―――月日なんてあの時から流れていないように感じたが、どうやらそんなこともないらしい。

 

 俺も葉山も、もう高校生ではないのだ。とっくの昔に。

 

 モラトリアムはもう終わっている。とっくの昔(・・・・・)に終わっている。それに気づかないふりをしている気のある俺は、心のどこかで、まだ探しているのかもしれない。諦めの悪い、というか往生際の悪い奴だ。いや…これも多分、俺だけじゃないはずだ。希望的観測だけれども。

 

 葉山は自分の指を熱心に見つめつつ、ぽつり、言う。

 

「普通に親の後継いで弁護士になるか、それかなにか…いや…普通にずっと…そう言うものだと思ってたんだ」

 

 代わりに弁護士になったのはあいつだったな、と茶々を入れようかと思ったが即座に思い留まった。はたして話題にしていいものなのかどうか分からない。

 

 だが、例えば――――と、俺は思う。

 

 例えば、お前らの親と立場が入れ替わるように…あいつがお前の会社の顧問弁護士になったり、とか。

 

 案外そう遠くないかもしれない未来を、想像してみる。

 

 

 葉山はおもむろに俺をまっすぐに見つめてくる。その表情からは何を考えているのかうかがい知れない。

 

「俺が今ここにいるのは、実は全部きみのおかげで…とか、な」

 

「冗談はよせよ」

 

「冗談だよ。誰が君に感謝なんてするか」

 

「…」

 

 からりと快活に笑う葉山。違和感。はたしてこいつはこんな感じだったか(・・・・・・・・・)?俺の知っている葉山隼人は目の前でビールを飲むこの葉山隼人ではないのか?誰かと入れ替わったんじゃなかろうか?…まさか、最初から葉山隼人は葉山隼人だろ。

 

 内心の動揺を隠すべく、俺はなるべく低い声を出す。

 

「…お前、変わったな」

 

 葉山は意外そうな顔をする。

 

「…俺は、変わったのか?」

 

「いや、知らねえけど…もう俺もお前も、高校生じゃないし、な」

 

「君が変わったというなら、変わったのかもしれないな。そんなことに興味はないけど」

 

 肩をすくめて(そのしぐさの一つ一つが様になる)、葉山はそんなことをうそぶく。

 

 俺は黙って一杯目の生ビールを飲み干した。

 

 黄金の液体がのどを通り抜ける。

 

 旨い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 相も変わらず俺の話を聞かずに、ドアの向こうではノックをする。

 

 開けてくれ、と、扉を叩く。 

 

 うるさい。黙れ。

 

…随分ひどい言葉をあれこれ投げつけた。

 

 ノックの音がやむ。

 

 泣かせてしまったか?

 

 また、俺のせいで泣く人がいる。

 

 だからもうほっといてくれ。

 

 もう嫌なんだ。

 

 俺も泣く。

 

 泣き続ける。

 

 泣き続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから俺たちは昔話に花を咲かせ、アルコールも順調に摂取していった。

 

 久しぶりなんだ、と葉山は美味そうに日本酒にも手を出し始めている。

 

 だれだれがどこどこでなになにをしている、などという話はほとんど葉山が話し、俺はもっぱら聞き役だった。当然と言えば当然だが。

 

 だが、俺の会社の上司に平塚先生のような人がいる、と俺が話したときは盛り上がった。

 

「平塚先生か。懐かしいな。元気かな。進路相談とか特に、随分お世話になったっけ」

 

「俺は迷惑かけっぱなしだった」

 

「良い先生だったから、きみのことはほっとけなかったんだろうな」

 

 良い先生、か。

 

 あの人がいなかったら、俺はどうなっていただろう。考えるだけで俺は…いや、やめた。考えるのはやめた。恐ろしい。

 

 たくさんの事を教えてもらった。

 

 俺が迷った時は道を示してくれ、間違えた時は優しく諭してくれた。

 

 あの人なしに、今の俺はない。感謝しても、し切れない。

 

 素直にそう思う。

 

「ホントに、良い、先生だった」

 

 心に刻むように一言一言区切って小さく呟く。聞かせるつもりはなかったが、葉山にはしっかり聞こえたらしく、うなずいて笑ってみせた。

 

「…ところであの人、結婚は…してるのか?」

 

「…きみは知ってるのか?」

 

「…お前は?」

 

「…」

 

「…誰かから聞いてねえのかよ」

 

「いや…そもそも、高校の同級生とはしばらく連絡取ってない」

 

 とってないのか、連絡。

 

 一瞬意外に思ったが、すぐにそれを打ち消す。どんなに仲が良くても、次第に疎遠になるのは仕方のないことだ。俺もそれは知っている。

 

「あ、でも、先生ついでに――――」

 

 葉山は思い出したように言う。

 

「結衣が先生やってるのは知ってるよ。この間偶然会ったんだ。高校教師になったって」

 

「…ああ、俺もそれは知ってる。すごいよな、あいつ」

 

「……勉強頑張ったんだな、って言ったら馬鹿にしたな!って怒られちゃってさ。そんなつもりはなかったんだけど」

 

「…」

 

「多分、彼女はさ。君になにもしてあげられなかったって、そう思い込んでるんじゃないかな」

 

 葉山は至極穏やかな声で、誰も口に出してはいけないことを平然と口にする。

 

 かすかに胸に痛みが走る。だが―――――

 

 その痛みが思ったよりも濃くないことに、俺は少なからず驚く。

 

「いい先生なんだろうな、結衣は。きっと大勢の君に手を差し伸べているんだ」

 

 葉山が言う。違和感。

 

 感じた違和感を何とか言葉にしようとして、やっぱりやめておく。が、葉山は俺がキョドっているのにすぐさま気付いたようだった。

 

「ん?なに?」

 

「いや…別に」

 

「なんだよ、言えよ」

 

 葉山がテーブルの向こうから小突いてくる。びっくりして俺は口を開いてしまう。

 

「いや…その…なんて言うか、お前」

 

 雰囲気とかが。

 

 ――――ちょっと俺っぽく(・・・・・・・・)なってないか(・・・・・・)

 

「―――変わったな、ってやっぱ、思って」

 

 

 

 変わらないものなんてない。以前はそれを求めたこともあったかもしれないが、それは世界に対するただの幼稚な我儘で、冴えない願いだった。

 

 今ならわかる。

 

 わかりたくないものまで、わかる。

 

 それが良いことか悪いことかは、今でも、分からないけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まだ、お前は、扉の向こう側にいるのか。

 

 お前も大概、お人よしだな。

 

 あんたに言われたくないと、扉の向こうで誰かがうめく。

 

 これができるのは自分だけだと思ったから、と。

 

 開けろ、と、扉が叩かれる。

 

 無駄なんだよ。

 

 どのみち、開かないんだよ。

 

 開けられないんだ、俺の力じゃ、もう、すでに。

 

 ノックがやむ。

 

 諦めたようだ。

 

 それでいい。お前は俺に構ってる暇なんて、ないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前の仕事は上手くいってんの?」

 

 酒が回ったのか微妙な質問をしてしまった。上手くいっていないはずがない、なにしろ葉山隼人だ…そこまで考えて、俺ははたと思い直す。

 

 思い出した。

 

 そういう期待を、俺は葉山にするのはやめたんだった。

 

 俺がまだ幼いころに、俺だけは葉山に、何も求めないでいようと。

 

 そう誓った日があった。

 

 確かに、あった。

 

 これもこれでほろ苦い1ページというやつだ。

 

 ああ、なんだか思い出してきた。マラソン大会だったかな。

 

 

 

 冗談だろ。君を良い奴だと思ったことはないよ。

 

 

 

 目の前に座る葉山隼人は肩をすくめる。

 

「毎日忙しくて、本当、寝る間もないんだ」

 

「え、お前、今日大丈夫だったの」

 

「大丈夫。頑張って時間作ったから。大体、仕事が大変なのは誰だってそうだろう。君だって」

 

「エリート社畜だからな」

 

 返事になっていない返事をして、俺は最後の枝豆に手を伸ばす。追加注文、砂肝が食べたい。

 

「そうだ、今度君の会社と一緒に仕事をすることになるかもしれない」

 

 何とはなしに爆弾発言だ。

 

「冗談だろ?」

 

「実は、もう話はまとまりかけてるんだ」

 

「ええ…」

 

 どうでもいいが、「君の会社」なんて言われるとまるで俺がボスみたいじゃないかよせよ照れる。

 

 まあ待ってなよ。なんてカッコ良さげに葉山は言うと(いや、カッコ良さげ、ではなくカッコ良いんだ)、寄ってきた店員にいろいろ、もろもろ、追加注文を始める。

 

 葉山隼人は…相変わらずカッコいい。持って生まれた爽やかさに、高校の時とはまた一味違った大人の余裕も混ぜ合わせ、さらにさりげないスパイスを加え、中火でトコトコ煮込んでアレしてコレしたのが今の葉山隼人だ。何言ってんだ。自分でももう全然分かんない。意味が伝達してこない。

 

 葉山はじっと俺を見つめて何か考え事をしているようだ。そんな目で見据えられると落ち着かない。

 

「まあ、」

 

 葉山がお猪口を手に持ったので、俺は半ば無意識に酒を注いでいた。社畜のしみついた習慣が火を噴く!

 

「君のおかげ、というのは語弊がある」

 

 ん?さっきの話の続きか。理解するのに寸刻かかる。あまり表情に出ていないが、こいつ、酔っ払ってんのか?今一つ読めない。繰り返すが、こいつと飲むのは初めてだ。

 

「俺は、転んじゃいけないと思ってたんだ、あの頃は」

 

 お猪口に注がれた透明な液体を眺め、葉山はぽつり、呟くように言う。

 

「怪我をしたら大変だと思って、転ばないように、歩いてた。転んでしまっても、傷が塞がるまで見ないようにしてきたんだ」

 

 でも、君を見てたら。

 

「転んでもいいかって思った」

 

 葉山隼人が、あの頃の葉山隼人に、一瞬だけ、ダブって見える。

 

「大事なものはたくさんあった気がしたんだ。…でも、実際、大事なものなんて、ほんとはたくさんあるわけじゃない」

 

「たった一つ、それだけを絶対に離さないでいようって、そう思ったんだ」

 

「誰も傷つけたくなくて、守ってたんだ。でも守ってたのは多分、俺のちっぽけなプライドぐらいなものだった」

 

「今から思えば、なんであんなに必死だったんだろうって思うよ。調和の世界ではなにも生まれないし、少しも生きてなんかないのに」

 

「俺は…敷かれたレールから抜け出してみようと思った。親元を離れて起業して、社長までになった」

 

「友達もたくさん増えたと思うし、多少は、恋愛だってすることもあったよ。でも、俺は、その途中で何度も」

 

 転びまくったよ、俺は。なあ、比企谷。

 

 葉山はそう言って子供のように純粋で、それでいて大人びた笑みを浮かべる。

 

 それは俺が初めて見る笑顔だった。

 

 輝いている、と思った。

 

 例え小粒でいびつな形をしていても、それはきっと、何よりも輝く。

 

 葉山隼人は転び、立ち上がり、前ばかり見ることをやめ、後ろを振り返った。

 

 きっとすりむいた膝からは血が流れていて、その血が彼の歩いてきた道を、確かに示してくれているのだろう。

 

 葉山隼人は、流してきた真紅の後を振り返って満足げにうなずく。

 

 

 

「…いつか、俺は君を嫌いだと言ったな」

 

「…ああ。俺もお前が嫌いだと言った」

 

 俺だけはお前を否定しといてやろうと思ったからな。

 

 今ならわかる、と目の前の男はぽつり、と言う。その姿がどこか寂しげで、俺は訳も分からず目をそらしてしまう。

 

 なあ葉山、この胸の痛みはきっと、俺たちが子供じゃなくなったことの証だ。

 

「君は、俺に…ずっと前、置いてきたはずの俺の…俺の嫌いな俺にそっくりだったんだ」

 

「…」

 

「俺はそいつを見捨てて歩いてきたはずなのに、気が付いたら俺の目の前に君が立ち塞がってたんだ」

 

 お猪口をもてあそびながら、葉山は物思いに沈んだ横顔だ。

 

「あれほど嫌なことはないよ。認めるしかなかったんだ。ひどいよ」

 

「…す、すまん」

 

 思わず謝ると、葉山は笑った。

 

「謝るなよ。君のせいじゃない。いや…やっぱり君のせいか?」

 

「なんだ、それ」

 

「…でも、やっぱり君のせいで、俺は、俺が俺だと気付いたんだ」

 

「…」

 

「本当に、腹が立ったよ。でも、全部俺だからさ。仕方ないよな」

 

 葉山はひどく真剣な顔で、俺を見つめていた。

 

 葉山は、大事なものを、掴めたのだろうか。

 

 もう掴んだのか、掴もうとしているのか、掴めなかったのか。

 

 多分、それは、葉山隼人にしかわからない。

 

 君のせいだ、と葉山はもう一度小さく呟いた。

 

…前にもそんなこと、言われたことがあった。

 

 

 

 先輩のせいですからね。

 

 

 

 軽やかな声が、ふと、俺の脳裏をかすめる。

 

 懐かしさに目を細め、俺は何杯目になるか分からないビールを飲み干した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 窓ガラスが割れる音。

 

 振り向くと、そいつが鉄パイプを持って泣いていた。

 

 ひょっとするとお前、馬鹿だったんだな。

 

 俺と、同じくらい、馬鹿だ。

 

 見たことがあるのかと、そいつは問うた。

 

 何をだ、と訊く前に、侵入者は泣き顔で、俺に小さな手鏡を渡してくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 くいっと、威勢よくお猪口の中身を飲み干すと、葉山は俺の肩を叩いてくる。

 

「そうだ、まだきみの話を聞いていないぞ」

 

「…話す事なんてないぞ。聞いて面白い話もない」

 

 その時バイブレータが鳴る。俺の携帯だ。とっさに携帯電話を取り出す。

 

 メールの着信だった。

 

「どうした?」

 

「いや、知り合いの作家が…新刊の感想の催促を」

 

「ふうん」

 

 葉山は追加の酒の注文をしようとメニューを眺めている。こいつ、まだ飲むのか。

 

 俺は咳払いをしてわざとらしく腕時計を確認する。

 

「…さて、もうそろそろ良い時間なんじゃないか?明日の仕事はいいのか?休日だろうがなんだろうが、お前には仕事があるんだろう?」

 

 俺の諭すように発した言葉を聞いた葉山は、残念そうにうなずく。

 

 

 

「いつの間にこんなに時間が経ったんだろうな」

 

 

 

 葉山は自分も時計を見て、ふっと溜息をつく。そして俺を見つめ、

 

「今日は…付き合わせてすまなかったな」

 

「いや、べつに、俺も…」

 

「ほんとはもっと君の話も聞きたかったんだけど」

 

「いやそれは…。まあ…べつに、また会えるだろ」

 

 そっぽを向いて俺は言う。そうだな、と葉山は笑う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 金を払って外に出た。

 

 夜の街は少し眠たげで、とっぷりとした暗闇に都会の星が瞬いていた。

 

 俺が伸びをすると、葉山は俺の薬指にはまった指輪に目が行ったようで――――しげしげと見つめている。指輪に嵌まっている小粒のそれが、自己主張をするかのようにきらりと光った。

 

「…元気か?君の奥さんは」

 

「ああ、すこぶる元気だが…「君の奥さん」だなんて、随分他人行儀じゃないか?」

 

「ははっ、いや」

 

 妙な笑みを浮かべる葉山。

 

「なんだよ」

 

「いや、人の奥さんの事を名前で呼ぶのはどうかと思ってね」

 

「…確かにそうだな。ちょっといらっと来そうだから、それはやめてくれると助かる」

 

 あっけにとられたように葉山は俺を見つめた。ぽかんと口を半開きにして、珍しく間抜けな顔だ。

 

「…君は変わったな」

 

「俺は変わったか?」

 

「…随分、なんというか、素直になったな」

 

…酔っ払いにそう感慨深げに言われちゃたまったものじゃないが。

 

「酒が入っているからなぁ」

 

 かく言う俺もそこまで余裕があるわけではない。わりと酔っぱらっているのは自覚している。

 

「気持ちが悪いな」

 

「ひどいぞ!」

 

 葉山は途端に破顔する。俺をからかうのがそんなに楽しいか、おい。

 

「君はさっき俺が変わったと言ったが、君の方がよっぽど変わったよ。専業主夫だのなんだの言ってたやつが、大手出版社勤務のバリバリサラリーマンじゃないか」

 

「いや、雑用なら何でもござれ、社畜の鏡として無茶苦茶にこき使われてるだけだ」

 

「まあ、高校時代から専業主夫なんて本気じゃないだろうとは思っていたけど…」

 

 それがなあ、割かし本気だったんだぜ?ほんとだぜ?

 

 でもまあ、人生の予定表なんてそんなもんだ。だろ?

 

 かけていた黒縁の眼鏡を外すと、ハンカチを取出しレンズを綺麗に拭く。そんな俺の顔を葉山が覗き込み、くすくす笑う。

 

「やあ、久しぶりじゃないか、ヒキタニくん。眼鏡をかけていたから君の顔の特徴を思い出せなかったよ」

 

「うるせえな」

 

 眼鏡をかけるようになったのは社会に出る少し前からだった。どうやら、俺の眼鏡はわりと、評判が良い。

 

「…でも、記憶に残っているほど腐った目をしていないな。それは誰のお蔭なのかな、比企谷」

 

 俺が答えず黙ってレンズを磨いていると、葉山は小さくうなずく。

 

「比企谷、正直に言うと、助けすら呼べなかった君を最後の最後に救うことができたのは、やっぱり彼女しかいなかったんじゃないかって、俺は思うんだ」

 

 俺は答えず、再び眼鏡をかけ、葉山に向き直る。クリアになった視界には、小さな宝石がきら、と光る。レンズを磨いたお蔭か、見えないものまで見えてしまったようだ。

 

 ともすれば緩んでしまいそうな口元を引き締めるべく、わざとしかめっ面で、俺は葉山に尋ねる。

 

「…お前、電車か?」

 

「ああ、そうだな」

 

「じゃ、ここで。俺は逆方向だ」

 

「そうか」

 

 葉山はしばらく黙って俺を見つめた。そのまっすぐな瞳は、俺には到底真似できない。真似しようとも思わなかったが。

 

 だが、きっと、お前のそんな瞳が、多くの人間を惹きつけてやまなかったのだろう。

 

 やっぱりお前は変わらないよ、葉山。そういうところは、お前は一生、肌身離さず、しっかり持っていると良い。

 

「…比企谷」

 

「なんだよ」

 

 葉山は真剣な顔で俺を見つめている。なにもかも惹きつけて、葉山隼人は口を開く。

 

「君は今までたくさんの人を助けてきた。必ずしも褒められたやり方ではなかったかもしれないが、君のおかげで、あるいは君のせいで救われた人間は君が思っているよりも多い」

 

「…その手の説教は、もう聞き飽きたぞ」

 

 思わず久しぶりに予防線を張ると、葉山は快活に笑った。

 

 

 

「違うよ、俺はただ、そんな君が救われて本当に嬉しいんだ」

 

 

 

 何の混じり気もない、純粋な言葉だった。思わず絶句する。どんな皮肉も打ち返してやろうと身構えていた俺は、あっけにとられて空振り三振。

 

 言いたかったことは、多分、これだけだ。

 

 絶対、離すな。

 

 最後に葉山はそうつぶやくように言うと、俺に背を向け歩き出した。

 

 俺はしばらく葉山の後ろ姿を見つめ続け、やがて逆方向に一歩踏み出す。

 

 葉山は駅の方へ、俺はその反対方向へと。

 

 

 

 かつて葉山隼人は、こんな風に言葉をくれたことがあっただろうか。

 

 …よく、覚えていない。

 

 だが、この時、俺の心を満たす確かなあたたかさは。

 

 かけがえのないこのあたたかさは。

 

 歯を食いしばっていないと両目から流れていきそうな気がして、俺はただそれだけを心配していた。

 

 

 

 

 

 

 

 中心街から少し外れただけで、あたりは人の気配がまるでしない。ともすればここはひょっとするとあるいは宇宙かと錯覚するほどの闇の中を、俺は一人、歩き続ける。

 

 俺は夜空に包まれる思いをしながら、あれこれ考えずにはいられなかった。

 

 こんなに時間が経っても、ふとした瞬間に呼び起こされる、痛みがある。

 

 総武高校。奉仕部。かけがえのない仲間。

 

 本当は、全部わかっていた。わかっていたのに、間違えた。

 

 なりたかった関係になれたのだろうか。欲しかったものは手に入れられたのだろうか。

 

 俺は、葉山は、そして、皆は。

 

 今となっては、それらはすべて遠い記憶だ。

 

 痛みは過去のものとなり、徐々に薄くなっていくが、決して消えはしない。

 

 間違いでも、間違いじゃなくても、失った時間は取り戻せない。

 

 だが――――散々間違えて、間違えられて、それでようやく見つけることができるのだ。

 

 たった一粒の、もっともきらめくそれを。

 

 

 

 絶対、離すな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 窓ガラスが割れる音。

 

 振り向くと、そいつは鉄パイプを持って泣いていた。

 

「ひょっとするとお前、馬鹿だったんだな…俺と、同じくらい、馬鹿だ」

 

 メイクはぐちゃぐちゃ、髪はぼさぼさ、笑ってるのか泣いてるのかもうよく分からない。

 

 まったく、俺が知ってるお前はどこ行ったんだよ。

 

 らしくない。

 

 俺のために泣くなんて、まったく、らしくない。

 

 

「ちゃんと見たこと、あるんですか?」

 

 

 侵入者は泣き顔で俺に小さな手鏡を渡してくる。

 

 

「ほら、見てください。…笑えますよ、先輩の泣き顔」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




読んでくださってありがとうございました。あとがきです。

ある意味出オチ、題名でお分かりになる方は一発でお分かりになってしまったかと思われますが、この二次小説のベースとなった曲と言うのはBUMP OF CHICKEN の「ダイヤモンド」と「ラフ・メイカー」の二曲でした。
僕はもともと俺ガイルもバンプも大好きで、俺ガイル(確か10巻)を読みながら「ラフ・メイカー」を聴いていたら「あれ、これって合うんじゃ…」なんて思ってしまったのが始まりでした。そのあとで、その姉妹曲でもある「ダイヤモンド」を聴いてますます創作意欲が掻き立てられてしまった次第であります。「ラフ・メイカー」「ダイヤモンド」ご存じでない方はぜひお聴きになってください。
似ていると思うんです。雰囲気が。完全に僕の個人的意見ですが。

共感していただけたなら嬉しいです。
読んでくださってありがとうございました。

…ご意見、ご感想など一言いただけたなら、盛大に歓喜します。



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雨音をききたい

調子に乗ってBUMP OF CHICKEN×俺ガイル第二話です。
一話目とは時系列が違います。
高校二年生の妹と弟の、帰り道の話。



 よっしゃあ!

 

 思わずガッツポーズしてしまう。隣の席でサッカー部の友達がうんざりした声を上げるのを聞き流しつつ、俺は窓の外を眺める。

 

 灰色の空から、雨が落ちてきていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨音をききたい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高校二年生になった俺の放課後は特に面白味もなく、塾のある日は塾に直行し、バイトのある日はバイトに直行と、およそ青春ラブコメからほど遠い位置にあった。

 

 部活に入るでもなく、生徒会など何らかの形で学校に関わるでもない毎日は、まあ、灰色と言われても仕方ないかもしれない。けれど――――

 

 けれど、ことに雨が降る放課後においては、ちょっと訳が違った。

 

 

 

 ホームルームが終わると友人たちへの挨拶もそこそこ、教室を出ると一階の図書室の、生徒玄関が見える場所でスタンバイ。携帯をいじりつつ、目当ての人物が現れるのをそわそわ待つ。

 

 俺と同じく放課後の学校に用のない生徒たちがわらわらと手に手に傘を持ち生徒玄関を出ていく。目当てのあの子はまだ来ない。いや、まだ焦る時間帯じゃない。のんびり待て――――

 

 来た!ここからでも良く見える、透明なビニール傘を手に曇天を大きな目でひとにらみ。間違いない。

 

 素早く立ち上がると、俺は「廊下は走らない」規則の限界に挑むかのごとくスピードで生徒玄関に向かった。

 

 そのスピードを維持したまま玄関に到着、靴を履きかえ、傘立てから傘を引き抜き、正門に向かって歩いているその後ろ姿に大急ぎで、しかもそれを気取られないように声をかける。

 

 彼女が振り向く。

 

 俺の姿を認め、彼女は―――比企谷さんは猫のような愛くるしい顔に大きな笑みを浮かべた。

 

「や、大志君。今帰り?」

 

 

 

 雨の中、ありふれた通学路を、歩幅を合わせて二人で並んで歩く。

 

 比企谷さんとは中学生の時塾が同じで、共に今通っている総武高校を第一志望にしていた。で、去年、二人とも無事合格。去年は違ったけれど、今年になってクラスも一緒になることができた。

 

 中学生の時からなんとなく馬が合って、姉の事とか相談したりするほどの、そこそこ気の置けない―――だと思ってる――――であってほしい―――関係である。

 

 ちなみに俺とは違い、彼女は生徒会に所属している。快活で誰にでも明るく接することのできる、人望も厚いとても良い子だ。間違っても灰色なんかじゃない。

 

 比企谷さんはややオーバー気味に溜息をついてみせる。

 

「やー、雨は嫌だねー。気分的にとかも勿論だけどさ、自転車に乗れないってのが一番の弊害だよ!」

 

 比企谷さんは自転車通学だった。大抵は誰とも寄り道なんてせず、一人で颯爽と自転車で帰る。けれど雨の日は―――彼女の言うとおり、自転車には乗れない。

 

 俺にとっては弊害どころか…弊害の対義語ってなんだ?恩恵?そうだ、まさに神の恩恵、恵みの雨。雨は古くから人間に恩恵をもたらしてきた。つまり雨は歓迎すべきものなのだ。

 

「今日は生徒会もないから早く帰れたのにさ」

 

「ああ、だから今日は帰り、早いんだ」

 

 我ながら白々しい、と思う。とっくにそんなこと確認済みなのだから。

 

…笑ってくれていいよ。

 

 はたから見たら、さぞかし滑稽に映っていることだろう。

 

 雨が降る日を心待ちにして、天気予報を毎日チェックしたり。最早雨雲レーダーとお友達になったまである。

 

 生徒会に入っている友達に生徒会の情報を逐一聞き出したり。そいつには俺は一色先輩のファンってことになってる。

 

 同じクラスなのにも関わらず、あくまで偶然を装って声をかけたり。偶然は大概の場合必然だったりもするものだけれど。

 

 全く俺も馬鹿な男子の一人だ。笑ってくれていいよ。むしろ笑ってくれた方が気が楽だ。

 

 比企谷さんは俺の内心の葛藤などいざ知らず、あっけらかんと話し続ける。くるくると表情が変化し、比企谷さんはいつも楽しそうに話す。見ていて飽きないというかずっと見ていたいというか。…いや、今のはキモかったか。

 

「今日仕事がないのもさ、会長がまた一人でたったか仕事終わらせちゃったからなんだよね。可愛くて仕事もできるってもうさいきょーだよね!」

 

 比企谷さんはビニール傘をくるくる回して、目をきらきら輝かせる。

 

「…ああ、うん、すごいよね、一色先輩って」

 

 生徒会長の一色いろは先輩は、一年生の秋から生徒会長を務めている。一種のカリスマ性からか、下級生の間では男女ともにあこがれの存在だった。

 

「私が言うのもなんだけど、自慢の会長だよっ!」

 

 にこっと擬音が出るような、明るい笑み。いつもならその笑みを見て心が浮き立つけれど――――でも、今日は、ちょっと違う。

 

 でも、今日は、ちょっと違う。

 

…気づかれないように遠くで見つめてるような、そんな馬鹿な男子だからこそ、気づくことは、多少なりとも、ある。

 

「やっぱさ、私としてはいろは先輩には憧れるってゆーか理想ってゆーか…」

 

 喋り続ける自分の横顔を俺が見つめているのに気付き、比企谷さんは、ん?と首をかしげた。

 

「なに?どした?」

 

 きょとんと首をかしげるさまは、ぱっと見じゃいつもと変わらないようにも見える。

 

 

 

…たとえば。

 

 たとえば、ここで、無難な相槌なんかじゃなく。

 

 たとえば、ここで、一歩踏み出した台詞を言えたとするなら。

 

…や、まあ、どうせ言えないから、その他大勢の男子なんだけど。

 

 でも、もし、言えたなら、俺は、比企谷さんの世界の、その他大勢じゃなくなるんだろうか?

 

…なんてことを想像する。

 

 

 

 でも、比企谷さんのその笑みは。

 

 やんわりと、しかし確実にそれを拒否しているような気がして、

 

 

―――――なんで、君は、何も言わない?

 

―――――やっぱり、聞いていたんじゃないのか?

 

 

 喉まで出かかったその言葉を、飲み込ませるには十分だった。ちょっと笑って首を振る。

 

「や、なんでもないよ」

 

「ふーん、そう?」

 

 比企谷さんは追求したそうな顔をしたけれど、すぐにやめて前に向き直った。

 

 俺も話題を探そうと思ったけれど、頭が良く回らない。俺たちは黙って、ただ雨の音だけを聞いて歩く。

 

 雨はしとしと、という擬音語がぴったりな具合に降っていた。

 

 その音が、やけに胸をざわつかせる。

 

 俺はまたくよくよと悩み始めた。もやもやと雨雲が俺の心の内にもかかるようだ。

 

 あのとき、比企谷さんは俺と二人の女子のすぐ近くにいた。

 

 だけど、あのときの購買は人も多くてがやがやとかなり賑わっていた。あの距離で話が聞こえていたかどうかわからない。

 

 でも、もし、聞こえていたとしたら?

 

 確認してみればいいのか?「今日昼休み購買にいたよね?」って?

 

「――――比企谷さんの、お兄さんってさ」

 

「うん?」

 

 半ば無意識に言葉をこぼしていた。俺は慌てて取り繕う。

 

「あ、いや…えっと、比企谷さんのお兄さんって、確か、今、」

 

「…うん。千葉じゃない、遠い大学に行ったよ」

 

 視線はまっすぐ前を見たまま、比企谷さんは少し困ったように笑った。それから視線をちょっと下に落として、うつむく。さらさらとした髪が比企谷さんの横顔を隠した。

  

「もう、帰って来ないかも…」

 

「…えっ?」

 

「なーんてね!そんなわけないじゃーん!」

 

 俺の反応が面白かったのか、けらけらと笑い比企谷さんは俺の肩を軽く叩いた。

 

「いや、てか、むしろ帰って来なくてもいーよ、あんな兄はさ!ちょっと千葉から離れて鍛えられると良いんだよっ」

 

「そんな乱暴な…」

 

 家にいてもしゃーないって!と言いつつ、比企谷さんはどこか楽しげな様子だ。やっぱり比企谷さんの中で、お兄さんの存在はかなりのパーセンテージを占めている。

 

「大志君は?お姉さん、最近どお?」

 

「あー、うん、すげー頑張ってるよ。バイトとか。ほんと。つかちゃんと大学行ってんの?ってぐらいしてる」

 

「あはは、いいなあ、働くお姉ちゃんって。ウチの愚兄に見習わせたいよー…ホントにね、あの兄はね………とおっ!」

 

 比企谷さんは急に何かを振り払うようにジャンプすると、少し前へ着地した。どうやら歩道上の白色のタイルに飛び移ったらしい。

 

「ほら、大志君も!白色が踏んでいいタイルで、灰色はダメなやつね!」

 

「は?え?なに?」

 

 足元のタイルを指さされて、俺は面食らう。

 

 俺たちが歩いていた歩道は白色と灰色の正方形のタイルが敷き詰められていて、二色ともランダムにちりばめられている。いや、若干白の方が少ないのか?タイルは俺の足の大きさほどの大きさだ。

 

 俺はやがて比企谷さんの意図を理解し、前方にあった白色のタイルに飛び乗る。

 

 白いタイルのみを跳んで渡り、灰色は踏めないものとする。俺達の空想の中で、この歩道の足場は白色のタイルだけ。灰色のタイルは底の見えない落とし穴だ。

 

「ほら、いっくよー、先に落ちた方が負けね!あ、そうだ、ちなみにマンホールはセーフです!」

 

 ぴょんぴょんとびながら、比企谷さんは無邪気な笑みを浮かべる。

 

 それから俺たちは半ば夢中になってその遊びに興じた。高校生にもなって歩道でぴょんぴょん跳ねることになるとは思いもしなかった。まるで小学生の通学路だけれど、比企谷さんが跳ぶたびにスカート近辺が非常に気になってしまうなどの点においては男子高校生丸出しだった。あっ、見え…ない!微妙に見え…ない!

 

 なにか誤魔化されたような気がしないでもないけれど、水たまりに足を突っ込んだ俺を見て爆笑する彼女を見ていると、どうも追求する気が起こらないのだった。

 

…だから?

 

 だから何もしない?何も触れないまま、このままでいるのか?

 

 そっとしておく優しさ。触れないでおくという優しさは、ある。

 

 今日の昼休み、購買で、同学年の女子が、君のお兄さんの噂を―――ちょっと眉をひそめるような、嫌な感じの噂を―――していた。

 

 あれ、きっと、君にも聞こえていたんだろ。君もそこにいたよね。

 

 比企谷さんのお兄さん。もう卒業しているというのに、いまだに悪く言うやつはいる。最早噂レベル、話に尾ひれがついて都市伝説並の信用度、だとしても。

 

 でも、比企谷さんにとっては大事な人のことのはずで、だから、それを。

 

 俺がねーちゃんのことを悪く言われたら、なんて考えたくもない。それと同じで。

 

 

 

…やっぱり、自分から踏み出さなきゃ、何も変わらない。

 

 なけなしの勇気を振り絞って、言うんだ。言葉にするんだ。

 

 聞いてたかもしれないし、でも聞いていなかったかもしれない。

 

 関係ない。

 

 口を開け。

 

「比企谷さん、あのさ――――」

 

「あ、大志君あっちだよね?今日、塾あるんでしょ」

 

 軽やかな声に遮られ、前を向くと、比企谷さんが交差点の前に立っていた。交差点の向こう側を見つめている。

 

 いつの間にか俺達は、灰色と白色のタイルの歩道を抜けていた。

 

「私、あっちだからさ」

 

 右を指す比企谷さん。

 

「あ、えっと」

 

 目の前の信号は赤から青に変わり、俺をせっつくようにぱっぽぱと間抜けな音楽が流れだす。

 

 何も言えないまま比企谷さんを見つめていると、彼女はぷっと吹き出した。

 

「なに?どうしたの?行かないの?」

 

「あ、いや…うん」

 

 信号機と比企谷さんを交互に見つめ、俺は。

 

 彼女は首をかしげる。

 

 

 

 

 

 

「…また、明日」

 

「うん、じゃあねー」

 

 

 

 

 

 

 

 俺は比企谷さんを置いて、交差点の向こう側に渡る。

 

 信号機の間抜けな音楽を背に、俺は密やかに溜息をついた。

 

 比企谷さんに一言、尋ねるだけでいい。

 

 でも、それでなにか事態が変わるのか?比企谷さんの回答なんて分かりきってる。それぐらい、俺にだって分かる。比企谷さんはそんな女の子だ。

 

 比企谷さんは俺の言葉なんか多分、必要としていない。

 

 比企谷さんの世界はきっと、俺がいなくても成立している。

 

 その事実は少しさびしいけれど、でも、彼女はずっとこうして生きてきたわけで。

 

 でも、そうやって彼女が誤魔化さない、「その他大勢の人」以外の人になりたいな、とか。

 

 俺はそんなことを、わりと真面目に、考えていて。

 

 世界の色を変えたいぐらいには真剣に、考えていて。

 

 

 

 

 背中の信号が点滅し、青から赤へと、進め、から、止まれ、へと―――。

 

 

 

 

 

 

 彼女は笑っているだろうか?

 

 

 

 

 

 振り向く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女はビニール傘をさしたまま、くるくる回して、マンホールの上に立っていた。

 

 

 

 マンホールは、セーフ。

 

 

 

 でも、その先には?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 うつむく彼女の目の前には、もう、次のマンホールはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なにが優しさだ。臆病なだけだろ。

 

 向こう側に彼女がいる。

 

 比企谷さんは俺の言葉なんて必要としていない。

 

 分かってるんだ、でもさ、比企谷さん。

 

 雨はもう、とっくに上がっているだろ。

 

 その傘が邪魔で、あなたの顔がよく見えないよ。

 

 笑ってなくていい。

 

 笑ってなくていいから、その顔を見せてくれたら、嬉しいんだけど。

 

 比企谷さんの笑顔は好きだけど、実は笑顔以外も、ていうかそれ以外を見たいんだって。

 

 

 

 

 

 

 

 もうすぐ、信号が変わる。

 

 

 

 そしたら俺は、向こう側に歩いていけるだろう。

 

 

 

 そこで待ってて。

 

 

 

 今、水彩で描かれた世界の色が変わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




前話よりだいぶ短くまとまりました。
BUMP OF CHICKENの六つ目のアルバム「COSMONAUT」に収録されている「ウェザーリポート」をイメージしたSSでした。高2の大志君と小町が下校するだけ。大志よ大志を抱け。

個人的に申し上げますと、ウェザーリポート、かなり好きです。「COSMONAUT」の中で一番最初に歌詞覚えたくらいです。


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太陽

3作目です。かなり短めの話となっております。

ライオンの奇妙な縁の話。


 

 

 とあるライオンの話だ。

 

 一頭のライオンがいた。

 

 ライオンはその容姿から他の動物に怖がられ、恐れられ、嫌われていた。

 

 立派な体躯、獰猛な顔、鋭い目つきに威圧的なたてがみ。ライオンは自分ではそう思っていなくとも、畏怖の対象だった。

 

 ライオンは仲間が欲しいとかそんなことは別に考えていなかった。

 

 ただ、ちょっとだけ、胸の奥がつんとなるように、寂しかった。

 

 

 

 

 

 本当は、華奢な猫や、しなやかな虎とも仲良くなりたかったけれど…でもライオンは不器用で、友達にはなれそうになかった。

 

 ライオンはやっぱり怖がられてしまうので、仕方なしにサバンナを出た。

 

 ライオンはあてもなく旅をすることにした。

 

 

 

 

 

 世界は広い、ライオンは驚きの連続だった。初めて見るものばかりで、ライオンはすべてに対し興味津々だった。

 

 そして、長いこと一人で歩き続けて、偶然立ち寄ったつり橋の向こうで、ライオンは出会う。

 

 

 最初は太陽かと思ったのだ、ライオンは。

 

 違う。良く似ているけど、違う。ライオンはじっと目を細めてそれを見つめる。大体、太陽は現に自分を高みから見下ろしているではないか。太陽が二つもあってたまるか。

 

 太陽に似ているそいつはライオンの鋭い目で見つめられても、あまり応えた様子はない。むしろどこ吹く風で、ひょうひょうとしている。

 

 

 

 

 

 こいつは、他の奴らとは違うみたいだなあ。

 

 ライオンは尋ねる。お前は逃げないのか?

 

 逃げる必要はない、おまえのそのでかい図体は俺を踏みつぶすには小さいようだぞ。

 

…小さい体で大きいことを言うやつだ。ライオンは気が長い方ではなかったので、踏み潰してやろうかと前足を挙げたが、思い直す。

 

 ライオンは尋ねる。俺が怖くないのか?

 

 怖いものか、そんな顔でにらんだってしようがないぞ。

 

 ひょっとすると強がりだったのかもしれないが、そいつは小さな声でそう言った。

 

 ライオンは尋ねる。お前は、いったい誰だ?

 

 うるさいな、お前のその威張りくさったたてがみは見かけ倒しだろう。それと同じだ。

 

 ライオンはそれを聞くと大声で吠えると、それから大粒の涙をこぼした。

 

 ライオンに初めて、話し相手ができた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからというもの、その太陽に似た―――名前はタンポポと言った―――と話すのは、ライオンの密かな楽しみとなった。減らず口を叩くのに妙に憶病で、そのくせ強がりなタンポポとライオンは、それなりに良くやっていた。

 

 多分、似た者同士だったのだ。

 

 本当は求めていることとか、それを上手に隠していた事とか。

 

 ライオンの寂しさは、いつの間にかすっかり消えていた。

 

 

 

 

 

 そんなある日の事、雨が降る日に、ライオンはつり橋から落ちてしまう。

 

 痛い。どこも、かしこも。

 

 谷底で目を開けた時、ライオンの空は狭く、彼の時間はもうあまり残されていないことを悟る。

 

 今日もタンポポは俺を待っているのだ。体は動かないが、声は出るだろう。

 

 

 

 

 

 俺はひょっとしたら、お前みたいになりたかったのかもしれない。

 

 ライオンは全身の力を振り絞って、声を張り上げる。

 

 俺はちっとも痛くないぞ、だがお前は痛みを抱え過ぎだ。

 

 そこまで背負い込むことはないのだ。その小さな身体で、もう、泣くな。

 

 俺が寂しくないように、多分、お前も寂しくなんかないのだ。

 

 

 

 その声ははたしてタンポポに届いたかどうかは分からないが、タンポポはちょっとひねくれたその顔に笑みを浮かべたという。

 

 

 とあるタンポポとライオンの話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無機質で無慈悲な時計のアラームが鳴る。

 

 半ばサイクル化された一連の動作でアラームを止めると、起き上がり、カーテンを開け、窓の外の様子を伺う。

 

 夜中降っていた雨は止んだようだった。水たまりが朝日に反射してキラキラしている。

 

 あたしは固まった首をほぐし、大きく欠伸をした。

 

 まったく妙な夢を見た。オチなしヤマなし、起承転結も何もありゃしない。

 

 ライオンとタンポポが出てきた、気がする。あたしはどっちの目線だっただろう。ライオンか、タンポポか。それとも、第三者か。

 

 どう考えても、どうにもつじつまが合わない気がする。へんてこな気分だ。

 

 まあ、夢なんて、その程度にしか認識されないものだけど。

 

 でも――――と、あたしは窓の外の水たまりを眺めながら考える。

 

 でも、もしあたしがライオンだったなら―――。

 

 タンポポは――――誰だったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「川崎さん、ちょっといい?」

 

 出勤したあたしを社長が早速呼びつけて、今日の予定を聞いてくる。あたしは別にあなたの秘書ではないんですけどね、と皮肉を言いたくもなるが、少人数のこの会社ではそうも言っていられない。

 

「○○出版社さん、何時からだっけ」

 

「はい、あと1時間ほどでお見えになると思いますが」

 

 そっか、と小さくうなずいて、社長は伸びをする。

 

 その整った顔に疲れが見られる。また最近寝てないようだ。家にも帰ってないのかも。社長が体調を崩して困るのはあたしたちなのだから、体調管理はしっかりしてほしい。

 

 社長はあたしの小言に愛想笑いをして流す。社内でも社外でも人気の高いその微笑みは、あたしには正直何が良いんだか、と思う。高校生のころからの謎だ。

 

 ○○出版社がアポイントメントを取ってきたのは一週間前。社長が動いていたのは知っていたけれど、まさかあちらから社員を寄こしてくるほどに話が進んでいるとは思わなかった。こんなちっぽけな会社にわざわざ、だ。なにかコネか人脈かあったのだろうか?

 

 爽やかが服を着ているような社長の横顔をちらりと見る。あながちありえない話でもないだろう。

 

「ん、なに?」

 

 目が合う。いえなにも、と首を振ってすぐパソコンのディスプレイに向き合った。けれど暇なのか、社長はあたしに笑いかけてきた。

 

「ねえ、川崎さん」

 

「…なんですか」

 

 話しかけんなオーラをこれでもかと発してみたつもりだったけれど、あいにくとこの社長にはほとんど効果はない。人好きのする笑みを浮かべる彼は、昔からどうも苦手だった。 

 

「良い店を見つけたんだけど、今日のお昼付き合ってくれない?」

 

「無理です」

 

「即答か…」

 

 言いつつ苦笑して、まるでこたえた様子がない。

 

「あたしが弁当だって知ってるでしょ」

 

「じゃあ、夜はどう?」

 

「斉藤さんとか誘ったら。喜ぶよ」

 

「嫌味だよね、それ」

 

「分かってんじゃん」

 

「つれないな」

 

 あたしはそれ以上は無視して、自分の仕事を始める。

 

 つくづく思う。本当に、この男は苦手だ。

 

 昔よりも、さらに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分のデスクで仕事をこなしていると、入口の方がにわかに慌ただしくなる。

 

 どうやら来たようだ。見慣れない若い男女の二人組を出迎えた社長が頭を下げている。あたしは席を立ち、無愛想な顔に必死に笑顔を塗りたくると、そちらに向かった。

 

 

 

 

「○○出版社さんですね、お待ちしておりま…した」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…開いた口が塞がらなかった。

 

「…え、なんで」

 

 眼鏡をかけた男と、ショートカットの美人の女の二人組をまじまじと見つめる。

 

 男の方があたしの顔を見て引きつった笑みを浮かべている。多分あたしもこいつのような顔をしているに違いない。当たり前だけど制服ではなくスーツを着ているし、眼鏡もかけているけれど、見間違いようがない――――――

 

 寂しがり屋のライオン。いや、タンポポだったか。

 

 社長がそんなあたしの様子に笑みをこぼす。悪戯が成功した子供のようなあどけない笑みだ。知ってて黙ってたな、あんた。後でシメるからな。

 

「川崎さん、こちら、○○出版社の芦屋さんと――――比企谷さんだ」

 

 じとっとした目を、こいつは―――比企谷は、社長に向ける。

 

 奇妙な夢を見た後に、思わぬ再会。

 

 芦屋、と呼ばれたショートカットの美人は笑いをこらえるように口に手を当てる。

 

 

 

 

 暖かい風が吹く、春の日の出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンデライオン、ダンデライオン、お前は、俺の事が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





今回の話のイメージの曲はずばり「ダンデライオン」でした。
時系列的には「ダイヤモンドメイカー」後の話です。葉山が言っていた話が本当に実現したようです。同級生だった人と一緒に仕事をするってどんな気分なんだろう・・・
川崎さんが原作でどんな結末を迎えるかはわかりませんが、彼女にはブレないでいていほしいなぁと思ってます。

ご意見ご感想、お待ちしております。


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思考停止で世界が回る

4作目です。お調子者の独り言。


 

 

 やべ、と思った時にはもう遅かった。

 

 ゴール前での激しいボール争奪戦によって足がもつれ、ひっくり返った。ボールは奪われ、攻守交代。あーあ、せっかくのチャンスを不意にしちまった。いけそーだったんだけどな。見えてたんだけどな。

 

 

 

 

…地面に倒れ伏した俺の眼前に広がるのは奇妙なほど清々しく、広々とした青空だ。

 

 いつもなら大げさに膝を抱え、くどいほどアピールをして見せる俺だったけど、今回に限っては何故か、そんな気はまるで起きなかった。

 

 なにか、思い出しそうだ。

 

 俺は青空を眺めながら、ぼんやりと考える。

 

 こんな風に地面に寝そべって、こんな風な青空を眺めたことが、確か、ずっと前にも、あった。

 

 

 

 

 そのとき視界に入ってきたのは、白い、ぷかりと浮いた飛行船。

 

 雲の合間から、飛行船がやってきた。

 

 地面に寝そべってガン見する俺のことなんかまるで気にも留めずに、

 

 飛行船は秋の空を悠々と飛んでいる。

 

 

 

 

 思い出した!

 

 

 

 そうだ、あの時も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの時も確か、こんな風に―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 飛行船が、飛んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思考停止で世界が回る

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやいや、いいって、いいって」

 

 小学生の俺はへらへら笑って遠慮した。保健係の田中クンは少し残念顔だ。田中クン史上初の保健係のお仕事に興奮しているのは分かるし、ナンカ悪いけど、でも、おんぶは恥ずかしい。つか、田中クン、それ、おんぶしたいだけなんじゃん?

 

「でも、」となおも言うので、俺は田中クンを軽く小突いて、ぱっと廊下を走り出す。ほら、見ろ、俺はこの通りだ!おっと、雑巾バケツに危うく激突するところだった。

 

 

 

 がらららっ、と勢いよく教室の引き戸を開けると、教室を掃除中だったらしいクラスメイト達の視線が一挙に俺に集められた。箒や雑巾を持ったまま歓声を上げて俺に近寄ってくる。

 

「うっわー、戸部クン、大丈夫なの!?」

 

「鉄棒から落ちたんでしょ、頭から!」

 

「血とか出たの?ねえ、血、出た?すっげえ!」

 

 皆口々に俺の事を気遣い、勇気を称え、センボウのまなざしで見つめてくる。

 

 クラスで一番かわいいあの子も、今、大きな目を見開いて、俺を見ている。

 

 えも言われない快感がびびっと体中に走る。

 

 俺は調子に乗ってガッツポーズ。

 

「よゆー!」

 

 おおーっ、と、声が上がる。

 

 ユーエツ感に浸る。間違いなく、この時の俺は、ちょっとしたヒーローだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 でもそのヒーロー気分は、長くは続かなかった。

 

 もう大丈夫なのね?と担任の先生に念押しされて、五時間目の体育にも意気ヨーヨーと出た。今日の種目は鉄棒。昼休みは失敗しちゃったけど、俺はそもそも鉄棒が大得意なのだ。

 

 鉄棒なんて簡単だ。適当に腕とお腹に力を込めて、しゅばばっ、とやれば、くるりと体が回転して、俺ごと世界が回る。カンタンカンタン。

 

 なんもむずくないってか、出来ない方が、なぜに?って感じ。

 

 校庭の隅っこにある鉄棒の前に列を作り、先生の笛で一人ずつ駆け出す。

 

 やがて俺の出番になると、皆が注目するのが分かった。

 

 皆が俺に期待している。ふふん、見てろよ。

 

 目の前の鉄棒に向かってパッと走り出した。凄い技をやってやる。

 

 

 鉄棒が目の前だ。両手で鉄棒を掴んで、それっ。しゅばばっ、だ。

 

 

 

 あれ。

 

 ふと、俺は考える。

 

 いつも、どうしてたっけ。

 

 タイミングはこれで良かったっけ。地面を蹴るのは右足で良かったっけ。

 

 

 

 

 

 

 あれ。

 

 おかしいな。

 

 世界が回転しない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…っべー、なんか思い出しちまった。

 

 皆の前で、あろうことか得意の鉄棒をミスった時の事。

 

 あの時、俺、なんて言ったっけかな。覚えてないけど、確かざわざわする皆に向かって何か言って、それで皆は笑った。当時気になってたあの子も、笑ってた。

 

 頭を掻きかき、いやあ、あはは、と笑ってみせたんだ、確か。

 

 でもあの時、俺はかなりショックだった。と、思う。ような、気がする。

 

 鉄棒のやり方なんて、特に意識しなくても出来てたのに。それがあの時は。

 

 そうだあの時。今から思えば、人生において割と重要なスキルを一つ、俺はあの時に身に着けたんだ。

 

 笑って、馬鹿な真似して、ふざけてみせた。

 

 心の内の声に耳を貸さずに、深く考えることをやめた。

 

 

 

「戸部、大丈夫か?」

 

 ぼーっと地面に倒れたまま起き上がらない俺を不審に思ったのか、そんな声がかかる。視界の端に現れたのは怪訝そうな顔の隼人君だった。

 

「…っべー、やられたわぁ~」

 

 すぐさま起き上がり、なんでもないと笑って見せる。隼人君は苦笑して、

 

「いや、悪かったな。ちょっと危なげなパス出して」

 

「いーやいや、なーに言ってんの、超ナイスパスだったっしょ!」

 

 隼人君はそうかな、とイケメンスマイルを浮かべ、休憩に入ろうと周りの部員に言う。三年生が引退して、実質的エースの隼人君がキャプテンになってからというもの、「隼人君はキャプテンである」という事実がしっくり来すぎて、逆に今までどうやってきたんだろ、と考え込むくらいだ。…先輩の悪口を言ってるわけじゃ、ないんだけど。

 

 隼人君と並んで歩きながら、ちらりと隼人君を伺い、考えてしまう。

 

 隼人君は、きっと、鉄棒のやり方が分からなくなるなんてことは、一度もなかったんだろうな、なんて。

 

 そんなこと考えても、あ、ちょっと、やめろやめろ、きもいきもい。

 

 キャラじゃないことしたって、サムイだけなんだ。隼人君は隼人君だし、俺は俺だし。うん、人にはキャラっつーもんがある。

 

…でも。やっぱり―――ちょっとしたほころびから、何かが漏れてくる。

 

 

 

――――――ごめんなさい。今は誰とも付き合う気はないの。誰に告白されても絶対に付き合う気はないよ。

 

 

 

 女の子に、振り回されることだって、きっと。

 

 多分これからの人生、そーいうこと、俺はいっぱいあると思うけど。

 

 頭の端っこに、赤い眼鏡の女の子の顔がちらっと、浮かぶ。

 

「はぁ~~~」

 

 肺の空気を勢いよく外に出して、俺は襟足をかき上げる。なんだよ、と隼人君が笑う。そのカイカツな笑み。っかー、隼人君マジかっけーわ。

 

 

 深く考えるな、と頭のケイホウが鳴ってる、気がする。

 

 深く考えちまったら―――――

 

 濁った目のあの人みたいに、なーんて、な。

 

 

 

「どうかしたか?」

 

「いんや、なんでも。あ、そいやさー隼人君、来年あれじゃん?文系か理系か決めなきゃじゃん?」

 

 適当に思いついたそれを口に出して、俺は微妙に誤魔化す。

 

「ああ…もう、二年生もそろそろ終わりだな」

 

「それ言っちゃいますかぁ。つかさ、隼人君進路とか決めてるん?」

 

 思った通り、葉山君はアイマイな表情を浮かべた。

 

「ん、まあ、な」

 

 ベンチに置いてあったポカリのスクイズボトルを飲む隼人君。俺はその隣で背中の汗をタオルで拭う。最近はすっかり寒くなったけど、運動するとやっぱり汗はかく。

 

「そっか~、やっぱ隼人君もうショーライのビジョンとか決まっちゃってるわけ?」

 

「…あー、うん、どうかな」

 

 またもやアイマイ。隼人君がアイマイにするってことはつまりあんまり触れてほしくないってことだ。

 

 隼人君はマジ良い奴でスゴくてカッケーけど、たまにこうやって、線引きしたりする。

 

 線引き?なんで?なんの?

 

 いや、しらねーけどさ。

 

「将来どうなるかなんて分からないよ。戸部はどうなんだ?」

 

「えー俺?俺はまー、テキトーにたのしーくやりてーわー」

 

 そう言って俺も水分補給して、ふっ、と息を吐き出すと、大きく両手を広げて伸びをする。

 

 隼人君はそんな俺を見て静かに笑っていた。

 

「…そうだな。そうなれば、いい」

 

「だっしょ。そんなもんじゃねー?」

 

 

 

 俺たちは今、どこまでいっても高校生だ。

 

 今を楽しんで、楽しんで、思考停止して思いっきり遊ぼう。

 

 

「とりま今日はこのあと飯行って、カラオケとかいくべ!!」

 

 

「…戸部のそういうところは、結構、良いと思うよ」

 

 じっと俺を見て、隼人君は柔らかな表情だ。

 

「俺は好きだな」

 

 ぶふぉ、と俺は飲んでいたポカリを噴き出した。

 

「ちょーマジ?隼人君そんなん照れるわー。今のいろはすとかに聞かしてぇー!」

 

 襟足をかき上げてゲラゲラ笑うと、隼人君も噴き出して笑った。イケメンスマイル。あーあ、もうほんと、隼人君、マジ、カッケーわ。つかもーぜってー勝てる気しねえ。

 

 

 

 

 

 うぉおおおおお、と俺はバカみたいにグラウンドの中央へ走り始める。

 

 高校の校庭に、鉄棒なんかないけれど。

 

 適当に腕とお腹に力を込めて、しゅばばっ、とやれば、くるりと体が回転して、俺ごと世界が回る、はずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 まわれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ずしん。

 

 

 

 

 でも、結局、あの時みたいに、頭から地面に落ちた。

 

 いてえ。

 

 周りの連中の爆笑の声が聞こえる。なにやってんだあいつ、ばかじゃねーの。

 

 そうそう、そうでなくっちゃ。つられて俺も思わず頬が緩む。

 

「いてぇよおー!」

 

 笑いながら、叫んでみせる。間違っても、泣いてなんかない。今も、あん時も、絶対に。

 

 ちかちかする視界にうつるのは、目一杯の青空、太陽の光、綿あめみたいなふわふわの雲。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 飛行船はいつの間にか、どこかへ飛んでいったようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






というわけで、今回は「透明飛行船」という曲をイメージして書きました。この曲を聴いて、ああ、これは戸部君かな、と。こんなこと考えてるかもしんないな、と。

時系列的には高校二年生、修学旅行と生徒会選挙の間あたりでしょうか。

八幡からは散々な評価ですけど、僕は好きですよ、戸部君。がんばれ、とべっち。




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四畳半の赤緯-60°

5作目です。星を見つめる大学生の話。


「なあ」

 

『なんだよ』

 

「なんだかなぁ、と思うんだよ、このごろ」

 

『は?』

 

「なんだかなぁ、なんだかなぁ、手持無沙汰だ。俺はいったい何したらいいんだろう」

 

『要するに暇なんだろ。だから俺に電話なんかしてくる』

 

 地元が同じで、現在も共に同じ大学に通う、この高島(たかしま)という男はそっけなく言う。

 

「暇を持て余している、と言った方が正確かもしんない」

 

『そうか。切るぞ』

 

「ちょ、ちょっと待ってよ。もっとこう、なんかできることがあるんじゃないのかな、って思うんだ」

 

『大学三年生にまでなって何を言ってんだ、お前は』

 

「なんて言うか、高校生の俺にはなしえなかったことが、今なら、って」

 

『そうやって、お前、多分それ一生言い続けるんだろうな』

 

「なんてひどいことを」

 

『冴えない現実だな』

 

 辛辣な言葉を電波を経由して投げかけてくる高島は、それでもなんだかんだ話を続けてくれる。口ほどに悪い奴ではない。

 

『だからもう切っていいか。もうすぐ彼女が来るんだ』

 

 前言撤回である。やっぱり口ほどに悪い奴。

 

「…あーっ、そうなんだ…」

 

 ジー、ザス、と俺はすっかり落ち込んでしまった。

 

「…」

 

近江(おうみ)は彼女作ったりしないのかよ』

 

「いや、べつに…」

 

『つか、それこそ、「高校生の俺になしえなかったこと」、なんじゃん?』

 

「ぐ」

 

 高島がウィークポイントを鋭利な何かで的確に突いてきた。大ダメージを受けて瀕死だ。

 

『ぐ、じゃねえよ』

 

 高島は電話の向こうできっとあきれ顔だ。

 

『良いなって思う子いないのかよ?よく分からんけどお前の学部って可愛い子多いんじゃなかった?』

 

「いや、まぁ、うん…」

 

『…あ、そういや前に連れが言ってたなァ、教育学部になんかめっちゃ可愛い子いるって。名前なんだっけ…ゆ、ゆが付いた気が…』

 

「た、高島、ちょっと今アレだから電話切っていい?」

 

一呼吸置き、高島は

 

『お前がかけてきたんだろうが』

 

 ぶつっ、と電話が切れる音。

 

 携帯を座卓テーブルに放り出し、俺は溜息をついた。つける気になれなかったテレビを点け、ちょうどやっていた番組の内容を頭に入れようと努力する。自然科学番組で、なにやら天体に関して特集をやっているようだった。ものの数分で興味を失い、机に突っ伏す。

 

「……のああああー…」

 

 に、しても彼女羨ましいなぁ高島の野郎。

 

 テレビの電源を消した。もういいや、ふて寝してやろう。

 

 布団を引っ張り出して、この狭い四畳半ぽっちの部屋に敷くと、電気を消して布団に滑り込んだ。

 

 高島は背が高いし、茶髪が似合ってカッコいいし、車の駐車が上手くて、でも上手いのは多分それだけじゃなくて、あと、それに、八畳半のオシャレな部屋に住んでいる。

 

 俺は中肉中背、地味な顔立ちで大した取り柄もなく、車の駐車が下手で、でも下手なことは他にもたくさんあって、あと、それに、四畳半のクソ狭い部屋に埋没している。

 

 多分、高島は分かっていただろう。

 

 手持無沙汰なんて誤魔化したりして、本当は分かっている。

 

 全くふて寝なんて我ながら情けない。

 

 目をつむるとあの子の顔が浮かんでくるのも、殊更に情けなかった。

 

 目を開けると真っ黒な暗闇が目の前に広がっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四畳半の赤緯-60°

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんか、いいな。

 

 彼女と会って最初に思ったのがそれだった。

 

 もちろんめっちゃ可愛いな、とか、スタイルめっちゃいいな、とか、その他にも感想はいくらでも出てきたけれど、最初に出てきたのは確かにそれだった。

 

 ようするにただ彼女が人目を引くほどの美人であったということだけなのかもしれないけれど、俺は何故か「なんか、いいな」と思って、そして、入学して三年目になっても未だにその理由が見つけられずにいる。

 

 でも彼女はきっと、夜空の恒星だ。手は、絶対に届かない。

 

 

 

 

「よぉ」

 

 時間帯がずれているため割とすいている大学の学食で、一人寂しくきつねうどんをすすっていると、不意に声をかけられた。顔をあげる前に声の主は俺の隣に座る。

 

 寝不足の目をごしごしこすって、誰が座ったのか確認する。高島だった。俺の二つ隣に座っていた女の子と知り合いだったらしく、軽く声をかけている。さすが高島、顔が広い。

 

「やけに遅い昼飯だな」

 

 どうしたんだよ、珍しいな。と聞く前に、高島は俺をぴしっと指差した。

 

「昨日変なこと言ってたからさ」

 

「はん。昨日は楽しかったかよ」

 

 ふて腐れたように言ってしまった後で、こりゃ余計に自分がみじめだと気付く。

 

「ん、ああ。なんか今日プラネタリウムに行くことになった」

 

 やけにタイムリーだ。息を呑む。

 

「もしかして、昨日のNHKの番組見た?」

 

「あはっ、お前も見てた?」

 

 結局あの後、俺は寝つけずに再びテレビを点け、NHKの自然科学の番組を最後まで見入ってしまっていた。

 

 あれを見たら確かにプラネタリウムに行きたいと思ってしまうだろう。実際、俺もすごくそう思ってしまった。

 

 もっとも、俺は斜め上の解決策を思いついてしまったのだけれど―――

 

「あの番組見てさー、彼女が沖縄行きたいって言いだしてさ」

 

「沖縄?」

 

「南十字座が見たいんだと」

 

「ああ」

 

 確か番組の中で紹介していた。――――南十字座。南極付近で見られる、全天88星座の中で最も小さい星座です。美しい十字の形からそう呼ばれるようになりました。日本では沖縄の石垣島や波照間島で、大体12月から6月の間にのみ観測ができます―――とかなんとか。

 

「なるほど、それで沖縄か。連れてってあげればいいじゃん」

 

「バカ言え。何とか説得してプラネタリウムで許してもらったんだぞ」

 

 しかめっ面をする高島。なんだちくしょう、のろけか。

 

「肩パンっ」

 

「イッテぇな」

 

「でも意外と面白かったよね、あの番組。あれ見たせいで寝不足だよ」

 

「あ?そんな遅い時間の番組じゃなかっただろうが」

 

「あ、あー…うん、まあ、そうなんだけど」

 

 それだ、と高島はまた俺を指さす。

 

「それだよ、近江。お前のその、もそもそした微妙な返事。俺はもういい加減慣れたけどさ、まずそれを直せよ。彼女を作るのはそれからだな」

 

「う、うるさいなぁ」

 

 またもや痛いところをつかれて赤くなっているであろう顔を隠すべく、俺は丼の乗ったトレーを持ち立ち上がった。

 

「変革には痛みが必要なのだよ」

 

 何かの真似なのか、高島は偉そうに言った。肩パンするぞ、もっかい。

 

 分かってるんだって、それも。

 

 

 

 

 

 今学期中に取得しておきたい単位を頭で数えながらゼミ室に急いだ。今日の午前中を自主休講してしまった俺は、三年生になっても相変わらずダメダメだ。いや、むしろひどくなったと言っていいかもしれない。大学と言う場所はダメ人間をより一層ダメ人間にする気がする。

 

 人生の夏休みとはよく言ったものだ。全く、そろそろ就活とかも考え始めなきゃというのに、俺は。

 

 ゼミ室のドアを開けると、中にいた一人の女性が顔をあげた。心臓が宙返りする。ゼミの時間にはまだ早い、まだ誰もいないと思ったのに。しかも、しかも―――。

 

「あ、近江君。早いね」

 

「う、うん、そ、その、おはよう…」

 

「おはよう、って。もうお昼すぎてるじゃん」

 

 彼女―――由比ヶ浜さんはそう言って微笑んだ。涼しげな白のブラウスをばっちり着こなしている。やっぱり今日も、あれだその、うん。とにかく心臓が宙返りをやめない。急に張り切りだして大丈夫か、心臓。

 

 コの字型に並べてある机のどこにつこうか散々迷った挙句、由比ヶ浜さんの正面を一つずらした席に座る。失礼じゃないかどうか真剣に検討を重ねに重ねた結果だったが、俺がその席に座ると由比ヶ浜さんはちらりと俺の顔を見、何か言いたげな顔をした。

 

 やべえ、俺、汗かいてるな。

 

 俺の大学生活史上最大のツキは、おそらく由比ヶ浜さんと同じゼミに入れたことだろう。忘れもしない前年度の2月、ゼミが決まった時は本当に信じられなくて俺は高島に殴りにかかって、かわされて逆にしこたま殴り返された。痛かった。夢じゃなかった。

 

 夢じゃなかったけれど、まるで夢のような――――幸運だった。

 

 夢だけど!夢じゃなかった!

 

 由比ヶ浜さんは参考書とノートを広げてなにやら勉強をしている。

 

 彼女のキャラは正直、かなり掴みにくかった。服装や見た目はカースト上位のギャルなのに、こうしてまじめそうに勉強していたりする。大勢の友達に囲まれて楽しそうにおしゃべりに花を咲かせているかと思えば、食堂で一人でご飯を食べていたりする。

 

 つか見過ぎか、俺。我ながら気持ちが悪い男だ。

 

 でも、チャンスだ――――ふと、そんな考えが頭をよぎる。

 

 二人きりなんておそらく初めての事だ。せっかくなんだから活かさないでどうする。勇気を出して話しかけるなら今だ。行け。いや、待て。何を話せばいい?さりげない話題を―――ええと、やべっ、何も思いつかない、脇汗脇汗。

 

 一人でまごまごしていると、俺の視線が気になったのか、由比ヶ浜さんは再び顔をあげて俺を見た。

 

 目が合う。由比ヶ浜さんははにかむように笑った。

 

 心臓ができないくせにバク転を始める。やめろ、怪我するから、危ないから。捻挫するから。

 

「最近暑くなってきたよねー」

 

「ほ、ほんとにね!あー、あっつ」

 

 ぱたぱたTシャツの前を煽ぐようにして見せると、由比ヶ浜さんはうなずいて、再び手元のテキストに目を落とした。

 

 ナントカ会話をつなげたい。そう思って、俺は

 

「え、えっと…そ、それ、教員免許の勉強、とか?」

 

「うん、そうなんだー」

 

 由比ヶ浜さんがそう言って参考書を見せてくれる。会話が成立した!感動のあまりちょっと泣きそうだ!いや嘘だ!さすがに泣きはしない!

 

「近江君も確か受けるんだよね?」

 

「あ、うん」

 

 由比ヶ浜さんが俺の事を知っていた!非常事態だ。ななななんで知ってるんだろう?

 

「そっか。あたしバカだからさー。今からコツコツやんなきゃなーって」

 

 あはは、と由比ヶ浜さんは明るく笑う。ちなみに俺の心臓はさっきからハードル走をしている。

 

 バカなんてそんなご謙遜をホントのバカは早めにコツコツ勉強なんてできないんだホントのバカは俺みたいなやつの事を言うんだよ、というようなことを俺は懸命に言った。由比ヶ浜さんは笑ってくれた。

 

「いやいや、あたしホントーにバカなんだって。近江君はあたしの真のバカさ加減を知らないんだよ!」

 

 確かに―――由比ヶ浜さんは天然気味なところがあって、たまに他の人には考え付かないような発想で喋ることがあった。だけど―――それはマイナスなんかじゃなく、むしろ由比ヶ浜さんの魅力の一つとなっていることを、おそらく彼女は知らない。

 

 沈黙。しばらくの間、由比ヶ浜さんは一生懸命テキストとにらめっこをして、対する俺はそんな彼女の様子をぼーっと眺めていた。

 

 他のゼミ仲間は何故か今日は集まりが悪かった。まだ時間ではないとはいえ、一人も来ないのは少し不思議だ。神様。

 

「あ、あのさ、聞いてみたかったことが、あるんだけど」

 

 言ってから、しまった、と思った。言うつもりなんてなかったのに。顔が熱い。

 

「ん?なに?」

 

 由比ヶ浜さんはきょとんと首をかしげる。覚悟を決めろ。ここまで来たんだから、もうあとは勢いのままだ。俺はごくりと生唾を飲み込むと、言った。

 

 

 

 

 

 

「この間のゼミでさ、由比ヶ浜さんは、なんであんなこと…言ったの?」

 

 

 

 

 

 

 

「この間のゼミ」を正確に言うなら、三週間前に行われたゼミの事だった。

 

 俺と由比ヶ浜さんが所属するこの研究室では、どこでもそうなように、定期的にディスカッション形式のゼミが開かれていた。そして三週間前のゼミの議題が、「教室内での孤立」というものだった。

 

 各人それぞれ事前に用意してきたネタで議論する。俺は平凡ではあったけれど、自分の高校生活を振り返り、それを議題と絡めて発表した。

 

 ゼミ生は様々なネタを持ってきていたが、やはり皆一様にして同じなのが「孤立は良くない」と言う考え方だった―――由比ヶ浜さんを除いて。

 

 

 

 

 ゼミの時間が近づいているのに、教授はもちろんゼミ仲間でさえも、やっぱり一人も来ない。珍しいこともあるものだ、と俺は考え、そのあとで、やはりこれは神様が俺にくれたチャンス、と思う。いや、やっぱり調子に乗ったかもしれない。きっと由比ヶ浜さんからしたら勉強の邪魔をされて迷惑だったに違いない―――

 

 俺は押し黙る由比ヶ浜さんに全霊を込めて謝罪するべく立ち上がる。が、由比ヶ浜さんは顔をあげ、俺に笑いかけた。

 

「こないだって、あれだよね?教室内での孤立のやつだよね」

 

 俺がうなずくと、由比ヶ浜さんはうんうんと思い出すように目を閉じて腕を組んでいた。

 

 由比ヶ浜さんはあの日、「一人でいることを、否定するべきではありません」とはっきり言った。

 

 俺はかなり意外に感じ、そしてそう感じたのは多分他のゼミ生も同様だった。唯一、教授だけは驚いたような顔をして少し笑っていた。

 

「なんて言うか、由比ヶ浜さんって、コミュ力高くて友達も多いし、そう言うこと言うの、意外だなぁって…で、それで、なんか、ひっかかってて」

 

「意外?そう?…うーん、そっか」

 

 由比ヶ浜さんは何故か、少しさびしそうな顔をして笑った。そんな顔をする由比ヶ浜さんを見たのは初めてで、俺はまた謎の奇妙な感覚に陥る。

 

「一人でいる人はさ、一人でいる人なりに、理由があるんだよ」

 

「…」

 

 まっすぐに俺を見つめる。まっすぐ過ぎて、俺には少し痛い。

 

 由比ヶ浜さんの言葉から明確な意志と根拠を感じ、俺はやっぱりキャラ、つかめねーなぁ、と思った。そしてそれから、これはある意味必然かもしれないけれど、なんか、いいな、と思った。

 

「良いか悪いかは別にして―――というか、その人の学校生活の過ごし方に、誰も干渉はできないはずなんだよ、そもそも」

 

 由比ヶ浜さんはじっと見つめられていることに気づき、照れたようにはにかんだ。

 

「まあ、あたしも多分、ずっと間違えてたんだけどね」

 

 だから、あたしは、結局何もできなかった。

 

 それから由比ヶ浜さんはうつむいて、聞き取れるぎりぎりの声で呟く。

 

 俺は由比ヶ浜さんから視線を外し、彼女の今までの学校生活に思いを馳せる。

 

 彼女の意志の根っこのところに、誰かがいる。

 

 あるいは、彼女の意志の、向かう先か。そんな気がした。

 

 きっと彼女には、守りたかったものが、大切にしたかったものが、あった。

 

 由比ヶ浜さんは俺をちらりと見ると、少し後悔の混じった気づまりな顔をして、スマホを取り出す。

 

 表情が変わった。

 

「うわあ」

 

「な、なに?」

 

「なんかおかしいと思ったんだけどさ」

 

「うん」

 

「今日、ゼミ休みだって」

 

「…えー…」

 

 スマホを片手にあはは、と笑う由比ヶ浜さん。それにつられて俺も思わず笑みを浮かべる。

 

「なんでー?全然知らなかったんですけど…」

 

「由比ヶ浜さんもうっかりすること、あるんだね」

 

「いや、しょっちゅうだよー…って近江君、人のこと言えなくない!?」

 

 ぷくっと頬を膨らませる由比ヶ浜さん。

 

 きっと神は本当にいた。もう死んでもいい。心臓、お疲れ。

 

 

 

 

 

 ゼミの教室を二人で出ると、ながっぴろい廊下を連れ立って歩く。まさか俺の人生にこんなシチュエーションが舞い降りるとは今日まで一ミリたりとも想像していなかった。無表情を装うけど、多分俺、汗、やばい。

 

 俺はさっきの由比ヶ浜さんの言葉と、表情と、仕草を思い出していた。

 

 結局何もできなかった。彼女はそう言った。痛みに耐えるような顔をして。

 

 助けたかった人が、いたのだろうか。

 

 その人は、彼女の、どこにいるのだろうか。

 

 由比ヶ浜さんの知らなかった一面を垣間見た俺は、自分の想像以上に動揺していた。

 

 遠くから見ているだけでは、分からなかった。

 

 由比ヶ浜さんにも、痛みがある。そんな当たり前のことですらも。

 

 

 

 棟の外に出ると、日がそろそろ落ち始めようとしていた。でも、多分、これからはもっと、日は長くなっていく。なにしろ夏はまだ、始まったばかりだ。

 

「じゃあ、あたし、図書館行くね。近江君はどうするの?」

 

「ええと、うん。家に帰ろうかな」

 

「そっか。じゃあね、近江君」

 

「うん、それじゃ、また」

 

 曖昧に手を振ると、彼女はくすっと笑う。

 

「何気にさ、こんなに喋ったの初めてだったね」

 

「そ、そうだね」

 

 気の利いた返事が思いつかなくて、ああ、俺ってやっぱり、って思う。

 

 胸のあたりで小さく手を振って、それから由比ヶ浜さんはしっかりとした足取りで歩き出す。

 

 

 

 

 

「あのさっ!」

 

 

 

 

 

 

 由比ヶ浜さんが振り返り、一拍遅れて、俺は俺が声を上げたことに気づく。

 

 顔が熱い。きっとまた、かああっと赤くなっているに違いなかった。

 

 でも、どうしても、言っておきたいことがあった。

 

「あ、あのさ、俺、ずっと友達がいなくて、作り方とか、何を喋ったらいいかとか分かんなくて、で、ず、ずっとひとりぼっちだったんだ!」

 

 もうだいぶ薄れている。消えかけている。けれどそのかすかな痛みは、いつでも、いつだって、呼び起こされる。

 

「でも高校の時に、そんな俺に話しかけてくれた奴がいて、そいつはなんつーか俺とは正反対で、よ、要するにすごく良い奴で、俺なんか救ってみせちゃってさ」

 

 それだよ、近江。偉そうにそう言って、へらへらとするあいつの笑みが頭に浮かび、もうなんか、叶わないよな、と思う。

 

「も、もう、なんていうか、こんなこと面と向かっては絶対言えないんだけど、俺はあいつにすごく感謝してて、で、俺は、あいつにいつの間にか憧れてて、正直に言うと嫉妬交じりではあるけど、でも、つまりあいつみたいになりたいって思ったから、それで…」

 

 だから、俺は、つまり、

 

「だから、由比ヶ浜さん、何もできなかったなんて、そんなこと、絶対にないんだって!」

 

 

 

 

 

…我に返る。うわ、なんだこれ。なに語っちゃってんの、俺。何の事情も知らないくせに、なんなの、俺。嘘だろ。こんなこと言うつもりなんてなかったのに、なんで。もうだめだ。

 

 急激に恥ずかしさを覚え、おずおずと由比ヶ浜さんの様子を伺う。

 

 由比ヶ浜さんは、笑っていた。でもそれと同時に、少し泣き出しそうにも見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 訳の分からない謎のエネルギーが俺の身体を支配して、うおおおおおおおおおと何年ぶりかの全力疾走でアパートを目指す。

 

 ぜいぜいと荒い息のまま、鍵を開け、ぼろっちい四畳半に飛び込んだ。

 

 ごちゃごちゃと片付けられていない四角い座卓テーブルの一番上に置かれているのは、ちゃちな手作りのプラネタリウムの投影機。紙でできた正二十面体に、懐中電灯を突っ込んだ子供騙し。 

 

 昨晩の天体の番組を見た俺の思いつきで、文字通り夜を徹して作られたそれは、我ながらとっても滑稽だ。

 

 けれど何故か、俺はこれを、由比ヶ浜さんに見せたいと思った。

 

 手作り投影機を手に取って、それからふと南十字座の話を思い出す。あの星はどこだろう。型紙はネットでダウンロードしたものをそのまま使ったから、多分、星の位置は大体あっているはずだ。

 

 南十字星。サザンクロス。大航海時代に、船乗りが方角を知るための指標にしたと言われている、大事な星。

 

 俺にとっての、そして。

 

 由比ヶ浜さんにとってのそれは。

 

 

 

 

 

 

 届かない、と言うことは、届くまで手を伸ばせる、と言うことかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 近付けない。そう思っていた。でも彼女は、恒星なんかじゃなかった。

 

 

 彼女も、ここから星を眺めている。

 

 

 同じ場所で、違う南十字星を、見つめている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




初のオリキャラが主人公となった話でした。イメージした曲は「プラネタリウム」と「サザンクロス」です。
「プラネタリウム」は前々から書きたいなと思っていたのですが、「サザンクロス」の歌詞をよくよく読んだときの衝撃といったら。「やべーこれ滅茶苦茶由比ヶ浜さんや」と。

 にしても本当に、どうやって終わるんでしょうか、原作は。




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限りあるn回目を君と一緒に

6作目です。社会人が飲みの席で大人を騙る話。


「少しは俺は、大人ってやつになれたんだろうか?」

 

 口に出さないつもりだった言葉が、ぽろりと落ちてしまった。空のビール瓶やら灰皿やら微妙に食べ残してある皿が乱雑においてあるテーブルに跳ね返り、あちこちぶつけた後で目の前に座る同僚に届く。

 

 その同僚―――芦屋は華奢な首をかしげる。

 

「ふうん、比企谷君、ちょっぴりおセンチなんだ?」

 

「いや、別に…お前はどう思う?」

 

「ううん、そうだねえ」

 

 俺と同期入社である芦屋は、俺との間の畳の上で大の字になって寝ている部長に目をやる。つられて俺も。どうでもいいけど、この人生え際がだいぶ後退してんな。

 

「こうしてちゃんとめんどくさい上司にも付き合ってきてるんだから、そう言う面では、大人って言っても良いかなあ」

 

 芦屋が呆れたような、優しいような眼差しで見つめる先で豪快にいびきをかく部長。この人は部下の中でも何故か俺と芦屋を気に入り、昼間はしょっちゅう俺たちに仕事を放りこみ、夜は夜でこうして居酒屋に連れまわす。

 

 挙句の果てに一人でオチてやっぱり俺たちに面倒を見させるのがこの人の鉄板だ。俺たちがルーキー時代からこうだから、もう諦めてるまである。

 

「ううむ、確かに、俺、オトナ」

 

 納得した。確かに大人だ。

 

「でも大人だとしたら、困るな」

 

「どうして?」

 

「大人ってさ、もっとこう、ガキとは一線を画すような…なんつーか、強靭な精神の持ち主なんだろうな、って思ってたからさ。俺のメンタルはガキかそれ以下だしな。これで大人ってことになっちまったらもうこれ以上の成長は望めないことになるだろ?」

 

 二十回目の誕生日を迎えた時も「なんだ、何も変わんねえな」って思ったが、じゃあいつ変わるの、って話だ。今じゃない。

 

 汗をかいているカクテルのグラスの淵を指でなぞりつつ、芦屋はうなずく。

 

「なるほどね。比企谷君、なにかあった?」

 

「…い、いやあ、ほら、もう八月だろ?」

 

「ん、そう言われてみれば。ほんとに近頃は暑いよねえ」

 

「まあ、ぶっちゃけると、俺のその」

 

「ああ、誕生日かあ!わたしの時もしてもらったしね。お祝いはわたしと部長にまかせろー」

 

「あ、いや、そうじゃなくて、ま、それもあるんだが…」

 

 言葉に詰まる俺を眺め、芦屋は顔に垂れた髪を耳にかける。見透かすような目をやめろォ!

 

「なーるほど。さては比企谷君、奥さんとケンカしたね?」

 

 ご名答。押し黙る俺の様子を見て正解だと悟った芦屋は、カシスオレンジを口に含むと、テーブルに頬杖をついた。

 

「ははぁ、なるほどねえ。そんで大人だのメンタルだの言いだしたわけね」

 

 別にこれが初めてのケンカってわけでもないが、それにしたってしょぼすぎる言い争いだった。少し頭を冷やして冷静になってみればどうでもいい、取るに足らないことが原因だ。なのに俺もあいつもなんだか引っ込みがつかなくて、次第に論点がずれていき…戦争が長引くわけを知りました、はい。

 

「でもやっぱり二人ともケンカするんだね。比企谷君が比企谷君だからあんまりそう言う言い争いとかなさそうなのに。いや、良いことだよ。ケンカするカップルは長続きするって言うしね」

 

「そっちはどうなんだ。旦那とケンカする?」

 

 芦屋は俺と同じく既婚で、小説家の旦那がいる。会ったことはないが、芦屋曰く「いろんな人に似てるから誰に似てるとかはないけど…弱そうな感じは比企谷君に似てるなあ」誰だよそれめっちゃ会いたいっつーの。で、俺の方が強いと証明したい。

 

「ん、あんまり。でも小説の事で不満は時々言う」

 

「え、そうなのか?」

 

「だってさ、わたしが書いてほしいなあって思う題材は絶対書こうとしないの。ひどいよねえ」

 

 ぷりぷり怒ってるが、芦屋、そりゃ旦那に同情だ。

 

「あ、そしたらさっきの論理でいくと私たち長続きしない!?きゃあ、離婚の危機だ!」

 

「今更だな…」

 

「わかんないよ、男女の仲なんていつなんどき綻びが出るか…!熟年離婚って言葉も…や、まだ全然熟してないけどさ」

 

 想像する。ある日突然、あなたのひねくれっぷりには愛想が尽きました今まで我慢してたけどもう限界ですさよならと出ていく嫁。顔から血の気がさあっとひくのが分かった。

 

「…お、俺、あいつに捨てられたらもう再起する自信ない…」

 

 俺の顔を見て芦屋はぶふっと噴き出す。

 

「あはは、脅かしちゃった?ごめんね、大丈夫、そんなことにはなんない…と思うよ?」

 

 そこは断定しとけよ!どこの超高校級だよ!俺たちもう大人!

 

「比企谷君はさあ、いつまでもそんな感じで、強くないままでいいと思うよ」

 

 芦屋は急に真面目な顔つきになって、まっすぐ俺の目を見てきた。思わず俺も居住まいを正す。

 

 そういえば芦屋は昔ほど、変に笑わなくなった。そのほうが良い。絶対に。

 

「相変わらず痛みは増えて、傷は癒えないままだと思うけどさ。でも比企谷君はそうやって…傷つきやすくて、痛みを抱えてる方が良いと思う」

 

「…つらそうな道だなぁ」

 

 思わずこぼすと、芦屋は少しだけ首をかしげる。

 

「でも比企谷君、ちゃんと歩き方知ってるでしょ。それこそ今更だなあ」

 

 彼女の言葉がすうっと胸に入っていく。

 

 そうか、と妙に納得できる。全く良い同僚を持ったもんである。こいつがいたおかげで、俺は入社直後から職場で浮かずに済んだ。良い上司、良い職場。俺は恵まれている。昔も、今も。

 

 

 

 

 

 

 私もさ、と芦屋は呟くように言う。

 

「私もさ、なんか色々あったけど、大切にしたいものとかあったけど、結局なくしちゃったもんなあ」

 

 眼鏡越しに俺は芦屋を見つめる。彼女の寂しげな眼差しは、多分、どこにも注がれていない。

 

「…なくしたくなかったか?」

 

 無様な質問だが、言わずにはいられなかった。答えも多分知ってる。

 

「まさか」

 

 彼女は言い切る。

 

「なんていうか、空っぽになっちゃったけど、その空っぽが愛おしいんだ」

 

 見えない何かを抱くように、芦屋は胸の前で手を握り締めた。

 

 端正な顔に浮かぶ笑みは、紛れもなく本物のそれで、俺はそれを素直に綺麗だと思う。

 

 眼鏡を取ったお前の目はそんな感じだったんだなと、今更ながら思った。

 

 

 

 眼鏡をコンタクトに変えても。

 

 結婚して苗字が変わっても。

 

 彼女は多分、ずっとこうだった。

 

 

 

 彼女と入れ替わるように眼鏡をかけた俺の目は、どうなのだろう。

 

 結婚しても相変わらず弱いままの、俺は。

 

 俺は多分、ずっと変われないのかもしれない。

 

 

 

「…でも、まぁ、悪くないか」

 

 あんぐぉ、と変な音が我ら上司の方から聴こえて、俺の小さな呟きはそれでかき消された。俺と芦屋は顔を見合わせて、くすりと笑う。

 

「そろそろ?」

 

「だよな。ほら、起きてください。帰りますよ」

 

 寝ている部長の肩を揺さぶるが、一向に起きようとしない。これも毎度おなじみ。全く嫌になる。今日は特にハイペースでじゃんじゃん煽ってたから、一層深い眠りのようだ。

 

 ぐっと力をこめ、俺は肩を貸すようにして上司の重たい体を持ち上げた。それを確認した芦屋が先に出て会計を済ませる。これも、毎度、おなじみ。ちなみにこうなることを見越して上司からの分のマネーは先にしっかり徴収してある。俺たち、ベテラン。

 

「なあ、すげえ思うんだけどさ、この人、あの人に似てるよな?」

 

「あの人って、ひょっとして」

 

「「平塚先生」」

 

 息ぴったり。二人でにやっと笑う。

 

「なんかやけに親身になってくれるとことか」

 

「なんか妙に言い回しとか仕草とかカッコいいしな」

 

「心が少年だし。少年漫画大好きだし」

 

「タバコ吸うし」

 

「ハゲてるけど」

 

「それは禁句じゃねえ?」

 

「ハゲたら大人」

 

「その条件はいろいろときつ過ぎる」

 

 店を出て、俺と芦屋は速攻で上司をタクシーに乗せて運転手に住所を言うとおさらばした。あとは運転手まかせである。まあ、そこらに放っておかれるよりは何倍もマシだろう。

 

 二人で歩いて駅まで向かう。夜の町は閑散としている。都市部から少しでも離れるとこうだ。俺はわりと好きだけれど。

 

「大人か」

 

 呟く声が聞こえて、俺は隣を歩く芦屋を見る。こつん、と足元の小石を蹴り飛ばしている。

 

「子供ができたら、大人かな」

 

「…あー、確かに、一つの境目ではあるかもな。子供から見たら俺たちは大人なんだし」

 

「そーそー。ま、子供みたいな大人もいるけどさ」

 

「その論理でいけば、戸部はもうれっきとした大人だな」

 

「あははっ!とべっち!なつかしっ!」

 

 急に出てきたその名前に芦屋は吹き出した。奴は俺が知る限り俺の同級生で最も早く結婚し、最も早く子供を授かり、つまり最も早くパパになった野郎である。俺の結婚式にも、すっかり親バカ幸せ野郎として馳せ参じた。おかしいよな、招待状送ってないような気がするのにな。

 

 俺の嘆息に、芦屋はくすくす笑った。それなりに酔っているらしく、なかなかくすくすが止まらない。きっと俺と同じことを思い出しているに違いなかった。こいつと戸部もいろいろあったもんである。

 

 高校二年生の修学旅行。思い出すだけで高校生の俺をぶん殴りたくなる。

 

 あの事件で一番最低最悪だったのが俺で、次点でこの同僚だった。忘れたいエピソード上位ランカーだが、もう、こいつが就職先でまさかの同期だなんて、本当に、なんか、もう、あれだ。忘れたくとも忘れられない。そういう風に出来てるんだな、と俺は何となく悟る。

 

「考えてみたらあっさりだよなぁ」

 

 高校生の恋愛。

 

「でも、そういうもんだよね」

 

「まあ、今だから言えるんだけどな」

 

 あの時には、あの学校だけで、あの教室だけで、俺たちの世界は完結していた。

 

 ようやく笑うのをやめた芦屋は、俺の顔を覗き込むようにする。

 

「でもさ、その話題は結構出るよー。こないだ結衣とひっさしぶりに電話したんだけどさ、やっぱり子供の話題になったもん」

 

「由比ヶ浜か。元気なの、あいつ」

 

「おんなじこと結衣にも聞かれたし。そういうとこはホント変わらないよね、きみたち。うざいからわたしを中継するのやめてもらえますー?」

 

「いい大人がうざいとか言うなっつの」

 

「言う相手は選ぶよ」

 

「あっそ。つかあいつんちってあれじゃね、二人とも」

 

「そうそう。二人とも教師だからさ、ちょっとどうなるか分かんないって」

 

 ただ、由比ヶ浜が子供をあやしている姿を想像すると、妙に納得してしまう。

 

 じゃあ俺んちで帰りを待ってるあいつは?

 

 想像すると、いや、どうなんのかマジ想像できん。

 

「子供か」

 

 俺も呟いてみる。

 

 

 

 

 

 二人の道が分かれるところまで歩くと、芦屋は俺の顔を見上げて立ち止まった。

 

「で、どうするの、オトナ比企谷君」

 

 からかうように言う芦屋の横顔が、街灯に照らされている。

 

「…まあ、俺の方が年上だしな。大人だしな、うん。今日帰ったら謝る」

 

「…そういう発言が出る時点で大人じゃないなあ」

 

「あれ?俺、結局、大人じゃないの?」

 

「知らないよ、そんなの」

 

「え」

 

 にひひ、と芦屋は意地悪そうに笑う。高校生のころには見られなかったこの笑顔を、俺は割と気に入っている。

 

 

 

 

 

 高校生だった俺たちは、もう永遠に戻らない。

 

 でも。

 

 多分今の俺のどこかに、あの頃の俺がいる。

 

 それに。

 

 変わっていけるということは、それだけで価値のあることだ。

 

 一生懸命一歩ずつ、自分たちの旅路を、歩いて行く。

 

 

 

 

 

 

 

 さて、もうすぐ俺の誕生日が巡ってくる。

 

 誕生してから幾周年。俺は、また何か、変わるだろうか、それとも変わらないだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 先のことは分からない。だからとりあえず今日のところは、家で帰りを待ってくれている、俺の大切なあいつの好物でも買って帰ろうか、と思う。

 

 

 

 きっとあいつの笑顔が見られるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回の曲は「HAPPY」でした。なんだか「COSMONAUT」の収録曲がかなり多いことにいまさら気づきます。

青春ラブコメが終わっても彼らの人生は続いていくんだよなと考えたら不思議な感じがします。




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冷音火傷

7作目です。ゴミの分別をする話。


 

 

 火花が散った。

 

 目の奥で。

 

 いたい!

 

 目の奥で火花が散る、という比喩を言葉では知っていたが、本当に散るものなのだ、と僕は大学生にして恐らく生まれて初めて知った。火花が本当に目の奥で見える。ちょっぴり涙が出た。

 

 と、いうのも、ただ、部屋にでんと構えたゴミに足の小指をがちこんとぶつけたというだけの話だが。

 

 僕に、とあることを決心させるには十分な痛み、訂正、きっかけだった。

 

 決めた。もう絶対に決めた。意を決して、決心して、腹を決めて、立ち上がった。

 

 

 

 盛大に散らかっている、薄汚い部屋を見回す。

 

 

 

 もうこんなゴミは、捨てるべきだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やるぞ」

 

 小さく呟いて、決心を固いものにする。

 

 部屋の中央に置かれた、面倒くさいゴミ。これを片付けるのだ。もう決めたことだ。

 

 捨てることに対し、未練は全くない。なにしろこれらは、れっきとした(と言う言い方はおかしいかもしれないが)ゴミなのだ。

 

 前はゴミではなかったかもしれないが、今は、もう、ゴミなのだ。

 

 ゴミはゴミ箱へ。ひどく当たり前のことだった。

 

 

 両手で抱えるようにして持つと、思ったよりも軽かった。もう少し重くてもいいのではないかとは思ったが、案外、そんなものなのかもしれない。少し腹が立った。それでももう少し重くてもいいだろ。

 

 僕はくそいまいましい、と思いつつそのゴミを床に降ろした。そして、ふと思いつき、電話をかけた。ゴミ処理場に、だ。

 

 相手は数コール後に出た。

 

『はい、こちら、ゴミを処理するところです』

 

 温度の低い、冷静な女の人の声だ。電話越しとはいえ、急に緊張し始める。

 

「…あっ、あの」

 

『はい』

 

「ええと、その、捨てようかと思いまして」

 

『なにをでしょうか』

 

「えっ、なにをって。え、えっと、ゴミを、です」

 

『でしたらお近くのゴミステーションに置いておいてください。ゴミ収集車が決められた時間に回収しに行きます。回収した後はこのゴミを処理するところに持ってきて、ゴミを処理します。処理した後は――――』

 

「あっ、はい、あの、分かりました」

 

『そうですか』

 

「ああのちなみに、このゴミは実は、昔は、ゴミじゃなかったんですけど」

 

『昔はなんだったのですか』

 

「えっと、その、夢でした」

 

『いつごろまで夢でしたか』

 

「その…気が付いたら、ゴミでした」

 

『そうですか。今はゴミなんですね』

 

「そ、そうです」

 

『なら大丈夫です。ゴミステーションにおいておいてください。ただ、指定された曜日にしっかり出してください』

 

「…わ、分かりました」

 

『失礼します』

 

 電話を切られた。声の温度がまるで接客には向いていない様な気もしたが、別に接客とかあんまり関係ないか、と思い直す。

 

 僕は一人で、そのゴミを近場のゴミステーションまで捨てに行った。そのゴミの軽さがやけに僕を苛立たせた。

 

 

 

 

 

 

 次の日、僕は再びゴミ処理場に電話をかけた。

 

『おはようございます。こちら、ゴミを処理するところです』

 

「あ、あのう、持って行っていかれていないんですが」

 

『なにをですか』

 

「ご、ゴミを出したのに、集められなかったんです、僕のだけ」

 

 今日の朝僕がゴミステーションで発見したのは、何故かゴミ収集車に置いてけぼりを食らった僕のゴミだった。文句を言ってやろうと僕は電話をかけたのだが、この冷静な女の人の声を聞くと、そんな気持ちはしゅぼしゅぼと縮んでしまった。

 

『おそらく曜日をお間違えになられたのではないでしょうか。ちなみに今日は不燃物の日だったのですが』

 

「でも、これ多分、燃えないと思うんですけど」

 

『ですから、それは、燃えるゴミなのでしょう』

 

「い、いや、燃えないと思うんですが、こんな強そうな…というか頑固そうな」

 

『はい。ですから、おそらく、あなたが考えているより、簡単に燃やすことができるのだろうと』

 

「…そ、そうかなぁ…」

 

『そうですよ』

 

 電話が切れる。

 

 僕は首を振り振り、ゴミ捨て場から出戻りしたゴミの塊をにらんだ。

 

…そうか、これはきっと、粗大ゴミだ。

 

 僕は思いつき、うなずいた。なるほどそうだ、明らかにこのサイズは粗大ゴミだ。僕としたことが、まったくとんちんかんだった。

 

 

 

 粗大ゴミは次の日だったので、僕は再びゴミステーションにそのゴミの塊を出しておいた。

 

 すっきりしたので、その日は部屋の片づけなどして過ごした。

 

 僕の気分と同様、部屋も、妙にすっきりして見えた。

 

 

 

 けど、少し、面白みに欠ける気がするな。

 

 いや、待て、面白みなんか必要だろうか。

 

 そう、無論、面白みなんて物は必要ない。

 

 

 

 そろそろ就職活動も始まる時期だし、もう、ゴミなんかに構ってる暇はないのだ。

 

 

 

 次の日、僕は再び再びゴミ処理場に電話をかけた。

 

『はい、こちら、ゴミを処理するところです』

 

「あのう、変なんです」

 

『あなたがですか』

 

「は?あ、いえ、その、また僕が置いたゴミが置いてけぼりにされてて。これってもう、ゴミ収集車に嫌われてるのかなって考えちゃったり」

 

 僕の目の前には、またもや持ってかれていないゴミが所在なさげに置いてあった。もうなんなの、これ。せっかくちゃんと捨てようと決意したのに。誰も持って行ってくれない。

 

『失礼ですが、今日は粗大ゴミの日です』

 

「だから、出したんですけど…」

 

『なら、それはおそらく、粗大ゴミではないのだと思います』

 

「で、で、でも、これ結構な大きさなんですけど」

 

『ですから、粗大ゴミではないのかと。指定のゴミ袋に入れて、燃えるごみの日に出していただくようお願いいたします』

 

「いや、でも、だって…これ、一応、ぼぼ僕の、その、元、アレだし」

 

『アレとはなんですか』

 

「…えっと、見たらわかると思うんですけど、これはちょっとゴミ袋には入らないと思うんだけどな~」

 

『いえ、おそらく、あなたが考えていらっしゃるより、小さいのですよ』

 

 電話の向こうで、淡々と担当者の女性は言う。

 

『あなたがそう思いたいだけなのではないでしょうか』

 

 

 

 

 

 電話を切って、僕は、部屋にあおむけに寝転ぶ。

 

 どうしよう。本当にこのゴミ、燃やせるのか。というか、ゴミ袋に入るのか。

 

 いや、そんな簡単に捨てられたら、もうとっくの昔に捨てている。

 

 そうじゃないから―――簡単じゃないから、今まで捨てられなかったんじゃないのか?

 

 

 

 こんな時、あの男ならどうするだろう。

 

 腐った目の、ひねくれ者のあの旧友なら?

 

 

 

 玄関に置かれている、元夢の、今ゴミを、眺める。

 

 燃やせなさそうで、実は簡単に燃えるのかも。

 

 中身がたくさん詰まってそうで、実はスカスカなのかも。

 

 思ってたより、大したものじゃ、ないのかも。

 

 

 

 再び再び再び、僕はゴミ処理場に電話をかけた。

 

『はい、こちら、ゴミを処理するところです』

 

 ここ数日ですっかり聞きなれた、冷静で温度の低い声。

 

「あのー…ゴミって、どこからどこまでがゴミなんでしょうか」

 

『あなたが邪魔と思うならゴミでしょう』

 

「はぁ…」

 

『ゴミはちゃんとゴミを処理するところで処理しなければなりません』

 

「そ、それはな、なぜですか?」

 

『放っておけば、それはいつか公害となり、地球に悪影響を及ぼします。あなたのゴミのせいで』

 

「あ、あのですね。ちょっとゴミかどうか判断のつかないものって言うのはどうすればいいんでしょうか」

 

『そんなの、どっちでもいいです』

 

「はあ?」

 

『判断がつかないなら、どっちでもいいです』

 

「…そんなアバウトでいいんですか?」

 

『そういうものです』

 

 女性担当者はあっさり言った。僕は絶句した。

 

 ゴミなら捨てる、ゴミじゃないなら捨てない。ゴミとそうでないものとは絶対的に隔たりがあるものだと思っていたのに。

 

 僕は玄関に置いてある異物をこわごわ見つめる。ゴミだと思っていた、だけどゴミではないのか?まさか、そんなはずは。

 

『どうされるのですか。捨てないのですか』

 

 電話の向こうの女性は、相変わらず温度の低い、冷静な声で言う。

 

 聞きなれた、というか、ちょっと懐かしい気さえするのは、高校生の時に聞いたような声と少し似ているからなのかもしれなかった。

 

 形はどうであれ、まっすぐに意見をぶつけてくれた、あの声と。

 

 冷静に沈着に無駄なく迷わずに、ひたすらひたむきにまっすぐに。

 

 僕なんか恥ずかしくてまともに話せたことなんてまるでなかったし―――彼女はいつも彼を見ていたけれど―――僕は少しだけ、あの冷たい声に憧れていた。

 

 あんな風に堂々とした人になれたらいいと、思っていた。

 

 高校を卒業しても、僕はゴミの分別すらできない中途半端野郎だけど。

 

 

 

 

 

『捨てないのでしたら、それはゴミではありません』

 

 

 

 

 

 そんなことを思い出したからか、電話越しの声が急に少し優しくなったようなきがした。

 

 冷たい音なのに、なぜか、受話器を当てている耳がじんわりと熱い。

 

 

 記憶と共に音が熱を帯びる。

 

 

 

 捨てるならゴミです。

 

 捨てない限りは、ゴミではありません。

 

 いいですか?

 

 多分それ、あなたの夢ですよ。

 

 それが夢じゃなかったことなんて、きっと、一度もありませんよ。

 

 あなただけじゃありませんよ。

 

 みなさんそうやって、どうにかやってきているんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 何も言えないまま僕は、部屋にずっと立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみにどっちにしろ、痛みは残りますよ。

 

 

 

 痛みは残るし、ずっと続いていきます。

 

 

 消えない痛みなので、それはそれはつらいので、みなさん目をそらすか、ないものとして扱うか、忘れたふりをするんですけどね。

 

 

 でも。

 

 

 そういうものです。

 

 

 あの、もう、電話、切ってもいいですか。こちらは忙しいのですが。

 

 

 なにしろ、今日もたくさん、問い合わせの電話が来ているので。

 

 

 

 

 

 

 

 




再び「COSMONAUT」から、「分別奮闘記」をベースにさせていただきました。
BUMPってこういったちょっと面白い曲がありますよね。







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記憶のかなた

8作目です。天体観測をする話。


 

 親元を離れての都会暮らしを始めてから、半年以上が過ぎた。

 

 都会は怖いよ。私の一人暮らしに、最後まで良い顔をしなかった母は、しきりに都会暮らしの恐ろしさを私に吹き込んだ。

 

 新聞の勧誘が強引で、とっても怖いんだって。あんたちゃんと断れるの?

 

 女の子一人で住んでるって気づかれたら、簡単に泥棒に入られちゃうんだよ。

 

 ちょっとカッコいい男に声かけられても絶対についてっちゃ駄目よ。

 

 あんた、ぼーっとしてるから、ふわふわしてる間に騙されないかお母さん心配だわ。

 

 本音と冗談の母特製オリジナルブレンドを、受ける大学を決めたときから家を出るまで、耳からたっぷりと飲まされたものだ。

 

 それでも、とうとう、私の意思を変えることはできなかったのだけれど。

 

 我ながら、なぜあそこまで片意地を張って独り暮らしをしたかったのか、今となっては疑問だ。

 

 憧れの都会での、一人暮らし。高校三年生の時にはあんなに夢見ていたのに、それが現実となった今では、どうも、あせている気がしてならないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな親不孝の私ではあったけれど、母特製のそれはそれなりに効果はあったので、一応気をつけるべきことはちゃんと気を付けていた。男物の服や下着をベランダに干したり、郵便のやり取りであっても、ドアのチェーンは欠かさない、とか。

 

 ご近所の人間関係も当然のように希薄だ。同じマンションの住民、隣に住んでいる人のこともほとんど知らなかった。せいぜいが苗字や、顔だけだ。

 

 

 けれど、もう、そんなことも言っていられない事態に今、私は直面している。

 

 

 日曜日の昼下がり、私は隣の部屋の前でうろうろしていた。

 

 決してある種の変態性に目覚めたわけではなく、なんというか、こう、タイミングを計っているのだ。大丈夫、とりあえずインターホンを押そう。多分日曜日だからいるはず。

 

 とは言え、本当にアホなことをやらかしてしまったものだ。

 

 私が自分のアホさをしみじみと噛みしめ、勇気を出して、ピンポン。

 

 数秒後、ピッと電子音が聞こえ、『はい?』と、女の人の声。そう、確か女性だった。引っ越しの際の挨拶で、一度だけ顔を合わせたことがある。名前は確か、木下さん。

 

「とっ、隣の部屋の郡上(ぐじょう)ですけど、そ、その、なんて言ったらいいか」

 

 しどろ、もどろ。多分、部屋に設置されたインターホンの画面には、私の間抜け面がアップになってるに違いなかった。

 

『…なんのことかしら』

 

 ちょっと冷たい感じのする声だった。私は慌てて

 

「あっ、すみません、あの、ベランダの、仕切り戸、あるじゃないですか。非常時にはこれを破って隣に避難してくださいって書いてある」

 

『…それが?』

 

「で、でも、あれ、本当に破れるのかなーって思ったこと、ありません?」

 

『………』

 

 勘が良いのか、洞察力が鋭いのか、私の隣人は言葉を切り、部屋の奥の方へ歩いていくようだった。

 

 しばらくして、扉が開錠される。何とも言えないような表情を浮かべた女性が、扉を開けて顔を見せた。

 

 思わずはっと息を呑む。女性―――木下さんが、それはとても綺麗な顔をしていたからだ。陶器のような白い肌に、大きな二重の目。鼻筋はすっとまっすぐに整っている。

 

 私の隣の部屋に、こんな美人なお姉さんが住んでいたなんて。

 

 木下さんの形の良い眉が少しひそめられ、呆れたように、

 

「…呆れた」

 

 ホントに言われた!

 

 へらり、と笑うしかなかった。

 

「…ご、ごめんなさい。試してみたかったんです…その、非常時に、備えて?」

 

「妙な音がしたと思ったのよね…」

 

 木下さんは私をつま先から頭まで眺めると、小さくため息をついた。

 

「とりあえず、お上がりなさいな」

 

「えっ、あの、」

 

「怪我もしたのでしょう、太ももを擦りむいているわよ」

 

 うっ、と私はショートパンツから伸びた自分の左足を見る。言われた通り、太ももに擦り傷がついていて、少し血も出ていた。

 

 申し訳なさでいっぱいになったけれど、木下さんの無言の眼差しを受け、私は彼女のお部屋にお邪魔することにした。

 

 

 

 

 

「同じ部屋の作りだとは思えない…」 

 

 木下さんの部屋に招かれた私の第一声。2LDKのその部屋は、一人暮らしの女性にしてはシンプルな家具が置かれているだけで、異常に片付いていた。いや、異常と言うのはおかしくて、私の部屋のごちゃごちゃを本当は異常と呼ぶのであって、むしろ、理想の部屋と言った方が正しい。

 

 ちり一つない。というか、この清廉なこの状況下ではもう、私の存在がちりまである。ルンバにゴミ認識されちまわー。

 

 開け放たれたカーテンからおそるおそるベランダを覗くと、大穴の空いた仕切り戸が見えた。惨劇。

 

 被告人、何か言いたいことはありますか。はい、私がやりました。出来心だったんです。

 

 ベランダの植物に水をやっているとき、ふと思ったのだ。「これってホントに破れるのかなぁ?」

 

 で、アホの申し子こと私は、ためしに跳んだ。軽く助走をつけての跳び蹴りだ。

 

 結果、薄いパーテーションの板は、割と簡単に貫通した。

 

 部屋の奥から木下さんが救急箱を携えて戻ってきた。恐縮したけれど、木下さんは実に手際よく私の太ももの傷を処置し始める。

 

「学生さんだったわね」

 

「あっ、はい。大学一年生ですっ」

 

「そう」

 

「はい!」

 

「…」

 

「…あっ、いたたっ」

 

「消毒なんだから。じっとして」

 

「あ、すみません!」

 

 木下さんは丁寧にガーゼまで貼ってくれた。あまりに手際が良くて、私は木下さんがお医者さんか看護師さんかと思った。実際に聞いた。

 

「私、法律事務所に勤めてるの」

 

「えっ、じゃ、じゃあ、弁護士さんですかっ」

 

「ええ、まだまだ修行中だけれど」

 

 すっごい。こんなに美人でそんなに頭も良いなんて。

 

 私が「ひゃあ~」と間抜けな声を出して感嘆していると、木下さんはふっとほおを緩めた。あっ、笑ったら可愛い…じゃ、なくて。

 

「こっ、このたびは、お騒がせして大変申し訳ありませんでしたっ」

 

 土下座っ!

 

「やめて。私はいいけれど…大家さんには連絡したの?」

 

「いえっ、まだです」

 

「大家経由で管理会社に連絡が行くと思うけれど、修繕費用は恐らく二、三万ほどかかるわね」

 

 大変だ。

 

「にしてもあなた、なかなか大胆ね」

 

「後の事を少しは考えろとよく言われますっ」

 

「考えすぎよりは、多分ずっと良いわ」

 

 木下さんはぽつりと言った。そうかなあ、と私は首を傾げる。

 

「で、でも、隣の人が木下さんみたいな人で助かりました!」

 

「…木下ではないのだけれど」

 

「…えっ?」

 

きのした(・・・・)、ではなくゆきのした(・・・・・)。私の名前は雪ノ下雪乃」

 

「…えっ」

 

 かああっと顔が熱くなる。そんな私を見て、きの、じゃなくて、雪ノ下さんはこらえきれない、というように笑みをこぼした。

 

「よろしくね、郡上さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで見事なアホっぷりを披露してしまった私だったけれど、この事件で一つだけ収穫があった。

 

 それは、雪ノ下さんと仲良くなれたことだった。一見冷たい美人と言う印象を持ちかねなかったけれど、実はとっても優しくて、博識だし、私のような小娘にも(同情半分かもしれないけれど)親切にしてくれた。

 

 私はすぐに彼女に懐いてしまって、週末など、時々お部屋にお邪魔してお喋りしたり、ご飯をごちそうになったりした。

 

「雪ノ下さんの料理の腕前は本当に超絶メガすごいですっ」

 

「あなたの表現技法もなかなかだと思うわ」

 

 今日も、木下さん改め雪ノ下さんの部屋で夕飯を頂いた。今日はイタリアン。ムール貝やらエビやら海鮮のたくさん入ったシーフードパスタで、もううっかり頬っぺたが落っこちそうだった。

 

 ふと思い出して、私は雪ノ下さんにちょっと待っててくださいね、と言うと自分の部屋に帰った。

 

 戻ってきた私が両手に抱えていたのは、

 

「…望遠鏡?」

 

「そうなんですよ!」

 

 よっこらせ、とフローリングの床にそれを降ろす。三脚がついている、一万円前後の比較的安価なものだ。

 

 初めて見た、と雪ノ下さんの興味津々な様子に、私は得意げに経緯を話す。

 

「大学の友達が天文部に入ってまして、そこの先輩のお古なんだそうです。その友達が持て余してたので、安く譲ってもらっちゃいました!」

 

「星が好きなの?」

 

「え?ああ、はい。てか、雪ノ下さんと見たいなーって」

 

 両手で再び望遠鏡を抱えると、雪ノ下さんにベランダを開けてもらい、そこに三脚を伸ばして置いた。

 

「でも、なんか使い方がいまいちよく分かんなくて。で、雪ノ下さんならわかるかなーって」

 

「私は万屋ではないのよ…」

 

 と言いつつも、雪ノ下さんはベランダへの入り口に腰かけると、望遠鏡のレンズを覗いて、ピントの調節ノブをいじりだした。顔の横に垂れた髪を耳にかける仕草が様になる。

 

 私はベランダに出て、都会の夜空を眺める。明るい星ならやっと見えるというところだ。

 

 私の地元ならもっときれいに見えるのにな、と少し残念に思う。

 

 そもそも町は夜なのに明る過ぎて、お蔭で夜が夜じゃないみたいだった。

「どう、これで」

 

 言われて、望遠鏡の横にしゃがみ込んだ。首を伸ばして、レンズを覗きこむ。

 

 なんかきらきらしていた。

 

「なんかきらきらしてますっ」

 

 何とか見える星に照準を合わせたのか、青白く光る星が見えた。

 

「見えるもんですねえ」

 

「そうね」

 

 興奮している私の様子がおかしかったのか、雪ノ下さんは笑みを浮かべる。

 

「わ、私、あれ見たいです!なんて言ったっけ、ええと、なんとか彗星!」

 

 私は望遠鏡をうろうろさせて、ピントを調節し始める。

 

「…ハレー彗星のことを言っているのかしら」

 

「そうそれです!雪ノ下さんは何でも知ってますね!どこにあるんです、それ!」

 

「…あのね、郡上さん。彗星と言うのは、簡単に言えば太陽の周りを周っている星なのよ」

 

「ええっ、じゃあ、見られる時間帯が決まってるってことですか!」

 

「じ、時間帯と言うか…ハレー彗星は76年周期だから、次にみられるのは確か、2061年、だったかしらね」

 

 私はびっくりして望遠鏡から顔を外した。雪ノ下さんは若干憐れむような顔をして私を見つめていた。

 

「…私、雪ノ下さんと喋ってると、いかに自分がアホか激しく実感できますっ」

 

「…でも私、あなたの事、好きよ」

 

「あっ、私も好きです、雪ノ下さんの事!」

 

 けれど、2061年とは。驚いた。あと4、50年経たないとみることができないだなんて。おばあちゃんだ。

 

 彗星はいつもそこにあるわけじゃないんだ。

 

 いつだって見ることができるわけじゃないなんて、なんだか、それは、まるで。

 

 ずっと追いかけなきゃいけないような、そんな。

 

 

 

「彗星か…」

 

 

 

 あんまり黒くない夜空を眺めながら、雪ノ下さんは言葉を零す。

 

 雪ノ下さんがそうやって星を見つめているだけで、なにか絵画が出来上がりそうだ。もしくは写真を撮って、そっと飾っておきたいような。

 

 雪ノ下さんは、何を思って空を眺めるのだろう。

 

 誰かを想って、空を見上げているのだろうか。

 

「…私も、見たいわ」

 

「…え?なんですか?」

 

 雪ノ下さんに見とれていて聞き漏らした私が尋ねても、雪ノ下さんはなにか誤魔化すように笑っただけだった。代わりに、雪ノ下さんは思いついた、と言う顔をする。

 

「郡上さん、今日明日、何か予定はある?」

 

「明日…は、土曜日ですよね、夕方からバイトがあるだけです」

 

 雪ノ下さんは私の返事を聞くと、うなずいた。

 

「じゃあ、天体観測に行きましょう」

 

「…え?」

 

 

 

 

 

 

 

 そうと決めたら雪ノ下さんの行動は迅速だった。あれよあれよと言う間に私は雪ノ下さんの運転するムーヴの助手席に収まっており、望遠鏡は後部座席に鎮座していた。

 

 車持ちだなんて、やっぱり、弁護士って儲かるんだなァと無粋な妄想を膨らませる。

 

「町のはずれに高台があるの、知ってるかしら。そこならもっと星も見えやすいと思って」

 

 そう言って雪ノ下さんは車を走らせた。

 

 都会の夜の町はやっぱり明るすぎる。夜は寝るためにあるのに。

 

 睡魔が私を襲い始め、それに段々と抗い難くなってきた頃、その高台につくことができた。車で登れるのか疑問だったけれど、ムーヴはまともに舗装されていない道路をすいすいと登る。雪ノ下さんは一度で一人で来たことがあったらしい。

 

 外に出てみると、とっぷりとした闇が辺りを包んでいた。崖になっている辺りから、遠くの方に街の明かりが見えた。上を向くと、まるで夜空が近づいてきてくれたような印象を受けた。

 

「町のはずれってだけで、こんなに変わるものなんですねえ」

 

 雪ノ下さんに言うと、雪ノ下さんは天体望遠鏡の設置に忙しいようだった。私が持ってきたものなのに、もう扱いは雪ノ下さんの方が手際が良い。ええい私のポンコツっ!

 

「あ、わ、私やりますよっ」

 

「私が見たかったんだから、いいのよ」

 

 雪ノ下さんは倍率の調整に夢中になっていた。しきりに角度や倍率を調節をしながら

 

「倍率を高くしようとすると暗くなるのね…視野も狭くなるし」

 

「ああ、なるほど…見ようとすればするほど見えなくなっちゃうんですね」

 

 雪ノ下さんはしばらく黙って倍率をいじった。なにか気に障ったかしらんと私が心配になった頃、接眼レンズから目を離し、私を何か観察するように見つめる。

 

 その目は何か言いたげで、そして、ほんのり薄暗かった。

 

「見えないものは、どうしたって見えないのにね」

 

 何かを揶揄するように、雪ノ下さんは口元に笑みを浮かべると、望遠鏡に再び向き直った。

 

 

 見えないものはどうしたって見えないのなら、望遠鏡は何のためにあるんだろう?

 

 見えてるものすら見えなくなることが怖くて、私は空を見上げた。

 

 自然のプラネタリウム、というほどではないにしろ、無数のきらきらした星が瞬く。ダイエットに失敗したような形の三日月が黄色い。今日は晴れていたから、雲が少ないのも良かった。

 

 雪ノ下さんが丁寧に調節してくれたピントで、望遠鏡を覗き合った。多分一生届くことはないはずの星たちが、手を伸ばせばいともたやすく届きそうだと錯覚する。

 

 やがて私たちは地面に座って、二人でぼんやりと高台からの景色を眺めた。私がするアホ話に、雪ノ下さんは付き合ってくれ、時々笑ってくれた。

 

「…それでですね、私は親に『可愛い子には旅をさせよ』って言うでしょ、って言ったんです。私を旅立たせないってことは、つまり私は可愛くない子ってことになるけど、私のこと、可愛いくないの?って」

 

「ひどい屁理屈ね」

 

 雪ノ下さんは顔をしかめ、それから笑い声をあげた。

 

 冷たい感じのする人だと思ったこともあったけれど、雪ノ下さんは意外にも、よく笑う。

 

「でも、両親はちゃんと大切にしなさいね。子が可愛くない親なんていないわ」

 

「はい!ちゃんと恩返ししますっ」

 

 女二人だから、ある意味当然の流れではあるけれど、恋バナにも花を咲かせた。

 

「弁護士って出会いとかありそうですよね!」

 

「悪いことした人なんかには、しょっちゅうね」

 

「……あ、でも、事務所仲間とかっ!気になる人とかいないんですかっ!」

 

 雪ノ下さんは頬に手を当て、小首をかしげる。

 

「気になる人……………」

 

 そのままいつまででも考え込みそうだったので、私は雪ノ下さんの顔の前でぶんぶんと手を振った。

 

 雪ノ下さんはアレだ、気になられる側の人だ!

 

「…あっ、ええと、あなたはどうなの?」

 

「ぐはっ、私ですか」

 

 私から仕掛けた恋バナ、とんだブーメランだった!

 

 ほんとならあんまり話したくなかった。

 

 大学の友達にも話してない。

 

…でも、なんだか。

 

 雪ノ下さんの隣に座ってなら、話せる気がする。

 

「…高校の時ずっと好きだった男の子がいたんですけど、卒業式の時に告白しようとして、でもやっぱりできませんでした、終わりっ」

 

 早口で言いきった私は不思議な感覚に襲われる。高校の卒業式なんて数ヶ月前のことだったのに、なんだかひどく遠い昔の記憶のようだった。

 

 雪ノ下さんは雪ノ下さんにしては珍しいくらい、少し困ったような顔で私を見つめていた。

 

 私を見ているようで、私じゃない誰かを見ているような、そんな感じ。

 

 その愁いを帯びたまなざしは、なぜだかあたたかく思えた。

 

 私があといくら年を重ねたとしても、きっとこの人のようにはなれないのだろう。

 

「…な、なんだかなぁ、って感じですよね」

 

 沈黙が妙に恥ずかしくて、私は再び口を開く。

 

「…?」

 

「いや、その、今考えたら私、結構テキトーに生きてますし、将来の夢とかなにもないし…」

 

「将来の夢、ないの?」

 

「もう全く思いつかないんですよ。小さいころは多分たくさんあったはずなんですけどね。分別して整理していくうちに、何も残らなくなっちゃってました。断捨離ですよ、断捨離。今の私はきっと、断捨離の果てですよ」

 

 なにそれ、と雪ノ下さんが笑ったのが暗がりでもわかった。

 

「雪ノ下さんは、どうして弁護士になろうと思ったんですか?」

 

「…さあ、なぜかしら。何か理由がちゃんとあったと思うのだけれど」

 

 いつのまにか記憶がだいぶ薄れている気がする。ここまで来るのがとても大変だったからかしら。雪ノ下さんはそんなことを、何故か少し楽しげに言った。

 

 

「就職してから今年で、五年経ったの。最初の頃は本当に忙しくて、寝る暇もないくらいだったわ。それが此処まで来て、ようやく少しだけ余裕が出てきたところ」

 

「でも…どうしても、そういうものって、薄れるものね」

 

「理想は現実には勝てないし、思い出は薄れていく。いい思い出も、悪い思い出も。正しさも…間違いすら」

 

 

 少し、寂しいと思った。

 

 それを口に出しても雪ノ下さんは答えなかった。その代わり、ゆっくりと立ち上がる。

 

「私は今でも、彗星を探し続けているのかもしれない」

 

 白く綺麗な右手をそっと夜空に伸ばし、雪ノ下さんは雪ノ下さんだけの何かを、掴もうとしている。

 

 星と星をつなげば星座ができるように、それがいつまでも軌跡を残すように。

 

「大丈夫。私の痛みは私だけのもの。絶対に、何年経っても、消えないから」

 

 雪ノ下さんは静かな声で、誰かに言い聞かせるように囁いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回イメージした曲は、「ray」と、BUMPの曲ではかなり有名な「天体観測」でした。
「ray」は初音ミクとコラボしたあれですね。最後の1フレーズがとても印象的です。
「天体観測」中ではあくまで天体観測は比喩で、実際に天体観測をしているわけではないんですよね。だから敢えて今作では実際に天体観測してみました。




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その少女は歌えない

9作目。小さな女の子が背伸びをする話。





 

 誰かが私を呼ぶ。

 

 

 

 

 

 最初は全く気付かなかった。

 

 だからいつこんなに溜まったのか、それが不思議でならなかった。

 

 痛みが。

 

 ひょっとしたら、無意識のうちに認識することから逃げていたのかもしれない。

 

 さすがにもう無視できないほどの、痛みがいつの間にか溜まっている。

 

 気付いちゃったな。どうしようかな。

 

 傍にいた、小さな男の子に不思議そうな顔をされた。なんでもないよ、と頭をするりと撫でておく。

 

 仕方がないのでそれを箱にしまうことにした。箱はすぐにいっぱいになった。

 

 ほうら、私は、片付け上手。整理整頓が、得意なのだ。

 

 目線が。

 

 可愛らしい女の子が私を見上げている。私が見下ろす。箱の上に立つと、私はわりと背が高かった。

 

 女の子がこちらにやってこようとして、躓いて、転んだ。泣き出す。男の子が慌てる。私は女の子を抱き起して唱える。

 

 いたいのいたいの、とんでけ。

 

 女の子は泣きやみ、嬉しそうにはにかんだ。男の子と手をつなぐ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところで誰かわたしに優しくしてくれはしないだろうか?

 

 ううん、やっぱり、嘘。優しさなんて必要ない。でしょ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつのまにか私の周りには人が増えていた。

 

 私よりも背が高い人がまだまだ大勢いる。

 

 私はあんまり目立っていない。そうか、まだ足りないのかもしれないな。

 

 男の子と女の子の背がちょびっとだけ伸びている。でも、君たちもまだまだだな。

 

 

 

 

 何かが可笑しくて私はふふふと笑う。そう言えば最近笑い方を覚えた。

 

 教えてもらったのだけれど、何だって、練習すればすぐに上手くなるのだ。

 

 私は。

 

 痛みが。

 

 

 もっと、高く。

 

 

 

 

 

 痛みを入れた箱は増え続け、ついにはこれで100個目だ。

 

 周りの人間は、皆、馬鹿まる出しでぽかんと口を開けている。

 

 私を見下ろす人は、見渡す限り、もう誰もいなかった。

 

 どうだ、見たか。すごいでしょう。

 

 褒めてもいいんだよ。私は笑うのは得意だからね。

 

 ふふふ。

 

 あんまり高いから、もう。

 

 男の子と女の子の成長なんて、もう、あまりよく分からないほどだ。

 

 あ。

 

 痛みが。

 

 今、女の子が、転んだように見えた。

 

 痛そうだ。

 

 私を見上げている。

 

 なに?助けてほしいの?

 

 良いけど、昔みたいにあんまり上手くいかないかもよ。

 

 だって私、もう、王様だからさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どんどん高く積み上げたその高い塔の上に座って、私はとても愉快な気分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まったく毎日が楽しくてしょうがない。

 

 私は特別な存在なのだろう、と思う。

 

 神様に選ばれたのだ。

 

 まったく毎日が楽しくてしょうがない。

 

 まったく毎日が楽しくてしょうがない。

 

 まったく毎日が。

 

 痛みが。

 

 ………。

 

 箱を積み上げることは、止めない。

 

 止められ、ない。

 

 例え箱が雲にも届こうとも、止まらないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 これで1000個目だ。ちゃんと数えていたから確かに1000個のはずだ。

 

 私は整理整頓と同じくらい、計算も得意なのだ。

 

 下の様子を見てみようと見下ろしたけれど、目眩がしてちょっと驚いた。

 

 高いなぁ。

 

 雲の上を吹く風が、かけていた梯子をかっさらっていく。

 

 風はいつだって私の意思などまるで無視して吹く。まあ、あの小さな男の子や女の子と違って、あんまり気にしないけれど。向かい風に逆らっても仕方がないのだ。

 

 あの男の子はそれがよく分かっている。だからバカなんだ。

 

 あの女の子はそれを分かっていない。だからダメなんだよ。

 

 憐れだ。

 

 痛みが。

 

 梯子が下に降りるときに必要なものだとしたら、あんまり必要のないものだったけれど、まあ、これで私は、一人だ。

 

 もうこれで、誰もとやかく言ってこないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は、いったい、なんのために、積み上げてきたのだっけ。

 

 

 

 思ったよりも、今は、あんまり、楽しくない。

 

 まさか。

 

 寂しいのだろうか。

 

 

 

 

 気づいてしまった私は、目眩がするのも構わず下を覗き込んだ。

 

 私は誰にも見えていないようだ。

 

 私が誰も見ていないように。

 

 怖い。

 

 

 

 

 私は整理整頓が得意。

 

 私は笑うのが得意。

 

 私は計算が得意。

 

 あと、なんだっけ。

 

 

 

 だから、なんだっけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 唄声が響く。

 

 

 槌を振るう音がした、気がした。

 

 

 

 途端、私の塔が、揺らぐ。

 

 

 誰かが、私の塔を。

 

 壊している。

 

 

 何をするの。ここまで来るのにどれだけ頑張ったと思ってるの。

 

 ふざけないで。

 

 

 

 

 

 

 ハンマーソングは容赦がなかった。

 

 積み上げた痛みが、ダルマ落としのように飛んでゆく。

 

 ついに私は、しばらくぶりに、雲の下まで落ちてきてしまった。

 

 久々に、周りの人間が見える。皆底抜けに馬鹿で間抜けな人間たちだ。

 

 その、ゴミだめのような真ん中で、槌を振るう男の子がいる。

 

 こんなに怒ったのは初めてかもしれなかった。

 

 それでも私は冷静に諭すように語りかける。それが私の私たる所以だ。

 

 何をするの、やめなさい。やっていいことと悪いことがあるよ。

 

 男の子は私を見上げた。

 

 ひどく濁った眼で見据えられ、私は心がざわっとするのを感じた。

 

 痛みが。

 

 男の子はやがて私から目線をそらし、また黙々と槌を振るい始める。

 

 今度は本当に、腹が立った。

 

 ありとあらゆる暴言を投げつけ、男の子を貶し、なじり、嘲笑した。

 

 彼の存在を否定し、彼の意思を否定し、彼の望みを否定し、

 

 

 

 

 

 

 しかし、彼は。

 

 それくらいの事は慣れている、とばかりに。

 

「そんなことはどうでもいいから、そこから降りてきてくれませんか?」

 

 槌を持つ男の子の周りには、皆がたくさんいた。

 

 いつかの男の子と女の子も、いる。

 

 そんなに背が伸びているなんて、知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 誰よりもきれいに澄んだ瞳の男の子はそうして、再び槌を振るい始める。

 

 

 

 

 

 やめて。

 

 

 痛みが。

 

 

 

 やめて。

 

 

 

 涙が両の目からこぼれる。

 

 

 やめて、お願いだから。

 

 私が私ではなくなってしまう。

 

 

 

 

 痛みの塔は揺れ動き、私はてっぺんにしがみつく他なかった。

 

 私は小さな女の子のように泣き喚き、駄々をこね、ただしがみついた。

 

 

 痛みが。

 

 

 

 

 

 その一打ちで、私は遂に塔から投げ出され、落下する。

 

 

 

 

 

 かつてずっと上を目指していたはずなのに、今やどんどん下へと真っ逆様だ。

 

 王様にまでなった、この私が。

 

 まったく笑えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無様に落ちてきた私を、誰かが受け止める。誰?と思うけれど、どうでもよかった。

 

 

 私の大切な男の子と女の子が、泣きながら、笑っている。

 

 

 

 

 痛みが。

 

 

 あれほど積み上げられた痛みの箱が、もうたった一つしか残っていない。

 

 あーあ。

 

 

 

 すみません、と小さく謝られた。

 

 謝るくらいならしないでよ、と言った。

 

 彼はそれから私の目を見て、首をかしげる。

 

 あなたが泣いてるような気がした、と。

 

 泣くわけないでしょ、この私が、と傲慢に笑う。

 

 あの子たちの前で、私が泣くわけがない。でしょう?

 

 

 

 あなたをいとおしく思う。

 

 馬鹿ね、そんなの嘘よ。

 

 

 

 二人が駆け寄って来る。

 

 女の子が転ぶ。痛そうだ。男の子が困っている。

 

 私は女の子を助け起こし、それから、男の子の頭をするりと撫でた。

 

 

 

 

 あーあ。

 

 残った一箱の痛み。

 

 

 仕方がないので、私はこれから、その一箱を大事にしようと思った。

 

 

 

 いたいのいたいの、とんでく必要は、おそらく、ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




いわずもがな、今回の曲は「ハンマーソングと痛みの塔」でした。

彼女にも救いがあると良いな、と思って書きました。

邪悪とか言うなよ、怖いとか言うなよ。

まぎれもなく、小さな女の子だぞ。


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ハートバイバイ

 10作目です。お別れの兄妹の話。


 

 

 

*僕と君*

 

 

 

 

 この世に不変なるものが本当にあるとしたら、血のつながりというものはその候補の一角になるだろう。

 

 好きでも嫌いでもどんな感情を抱いていたとしても、父であろうと母であろうと兄であろうと、そして妹であろうと、血のつながりは消えない。

 

 血についてはおそらく中学生程度の知識しかないけれど、未だ解明されていないことがあるくらいのことは理解できる。

 

 家族だから血がつながっているのか、血がつながっているから家族なのか。

 

 生き別れになった肉親と不思議に通じ合い、再会する。あるいは血のつながりを知らずに不思議と惹きつけ合い、やがてきょうだいであると発覚する。なかにはその惹きつけ合いを恋愛の情であると錯覚し、結婚までしてしまう異性のきょうだいの例もあるらしい。結婚してから、実は血のつながりがあることが明らかになったのだとか。

 

「つまり何が言いたいかっていうと、もし俺とお前が血のつながりを知らずに出会ってしまったとしたら、俺はお前に求婚していたかもしんないってことだ」

 

 玄関の前に立ち塞がって動かない少女はそれを聞いて小首を傾げ、

 

「お兄ちゃんは本当にバカだねえ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺の自転車は長く冷たい冬の間に錆びついてしまったようで、ペダルをこぐたびに奇妙な動物の鳴き声に似た音を出す。追い詰められた弱弱しい鳴き声で、それがなんだかどうしようもなく情けなく聞こえた。

 

 まだまだ肌寒い早春の候、白い朝の光が自転車に乗る俺たちを優しく撫でる。ハンドルを握る指先は冷たいけれど、後ろに乗る妹の体がじんわりと背中を温めていた。

 

「いくらお見送りされるのが嫌だからってこーんな朝に一人でこそこそ行かなくたっていいじゃん」

 

「うるせえな…親父とお袋には一応言っといたんだから良いじゃねえか。止められなかったし。お前には…まあ、後から言えばいいかなっと…」

 

 静まりかえった家をそっと出ようと息を殺して玄関に向かった俺なりの気遣いをあっさり無にしたのが、今自転車の荷台に乗ってぶつくさ言っている妹、小町である。

 

 仁王像のように玄関に立ちはだかっていた小町は、呆れ顔を隠さずに、少しだけ笑った。

 

 なぜ気づいたし。妹だからねえ。なるほどそれもそうだな。納得するんだね。

 

 で、寝てりゃーいいのに何故か小町は俺についていくと言ってきかなかった。

 

「どうせこんな事だろうと思ったからね、せめて小町だけは見送ってあげようと思って」

 

「だからいらねっつの」

 

「本当は小町もついて行ってあげられたらいいんだけどね、ごめんねお兄ちゃん。お兄ちゃんは一人で行かなきゃいけないんだよー」

 

「だから一人で行くっつの」

 

「お兄ちゃんには全くやれやれだよ。言えば多分みんな来てくれるよ、多分ね」

 

「来ねえよ」

 

 小さく嘘を吐いた。本当は違う。多分小町の言うことが正しいんだろう。

 

 正しくないのは俺だけだ。

 

 いつだってそうだった。

 

 

 自転車をこぎこぎ、線路沿いまでたどり着いた。この坂を越えれば駅だ。

 

 坂の手前でブレーキをかけ、後ろを振り返った。

 

「降りろ、小町」

 

「えーなんでー?」

 

「お前とボストンバッグを乗せたままこの坂を上りきる自信は俺にはない」

 

「やってみてよー」

 

「やっても、俺にはどうせできないだろ。分かってんだよ」

 

 小町は俺を胡乱げな視線で射た。へらり、と口の端だけで笑みを見せても、小町の堅い表情は変わらない。

 

「拒否します」

 

「は?」

 

 溜息をつくように小町は言った。聞き間違いかと思った。

 

「頑張ってみてよ」

 

「いや、でも…」

 

「やってみてから諦めようよ、お兄ちゃん」

 

 小町はきょろきょろとあたりを見回した。春眠は暁を覚えないのか、人っ子一人出歩いていない。というより、こんな早朝に人がいたら逆に警戒するかもしれない。例えば可愛い女の子を荷台に乗せて連れまわしている淀んだ目の不審者とか。

 

 ともあれ俺の自転車の荷台にまたがるこの可愛い女の子は、大げさに両手を広げて見せた。

 

「ほら、まだみんな寝てる。誰もお兄ちゃんの事なんか見てないよ。今この世界にはお兄ちゃんと小町しかいないよ。だから、失敗したって恥ずかしくないよ、ね。できなくても笑わないでいてあげる」

 

 手厳しい。俺は諦めて、目の前の坂に向き直った。前に坂、後ろに妹。背水の陣ならぬ背妹の陣の心持で俺は右足のペダルを思い切り踏んづけた。

 

 ぐん、と車輪が地面を掴み、自転車は不器用ながらも坂を上り始めた。歯を食いしばって足の筋肉に力を込め、なんとか体勢を持っていこうと奮闘する。ハンドルでバランスを取りながら行くので、お世辞にもまっすぐとは言えないけれど、それでも自転車は進んだ。

 

 きっとこれからも俺はこうだ。

 

 会いに来た。

 

 なんとなく、そう思った。

 

 小町が俺の背中を見つめているような気がする。

 

 振り向くわけにはいかなかった。

 

「流した涙の分だけ強くなれるとしたら、お兄ちゃんは最強かもね」

 

「だからそんなの、嘘なんだよ」

 

 くぁ、と小町が後ろで小さく欠伸をして、「眠い」と呟く。

 

 会いに行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*君と僕*

 

 

 

 

 帰りは小町が乗って帰るから。そう言って、お兄ちゃんから自転車の鍵をもらった。私がいなかったらお兄ちゃんはこの自転車、ずっと駅に放置しておくつもりだったのかな。鍵をかけていても悪い人にとられちゃうかもしれないし、錆びついて動かなくなっちゃうかもしれないのに。そもそも駅員さんに撤去されることだって考えられる。全くお兄ちゃんはそう言うところが甘い。

 

 お兄ちゃんは甘い。マッ缶なんか爆飲みしてるからだ。

 

 

 駅に入ると、私はお兄ちゃんを連れて奥の方にある券売機に向かった。大きな駅じゃないから、券売機は二つあるだけだった。でも二つの券売機は壁を背にして並んで仲が良さそうで、なんだか少し羨ましかった。

 

「お兄ちゃん、入場券買ってー。小町、財布無い」

 

 おねだりすると、お兄ちゃんは意外にもすぐに買ってくれた。いつもならもっと文句を言ったり屁理屈をこねたりしてから買ってくれるのに、諦めたのかな。

 

 もらった入場券をパーカーのポケットにしっかりと入れてにっこり笑うと、お兄ちゃんはつられたように微かに笑った。

 

 最近、お兄ちゃんは泣くように笑う。

 

 この春、総武高校を卒業したお兄ちゃんは何か思うところがあるのか、よく考え事をしている。お兄ちゃんは泣いているようで笑っている。その逆かも。

 

 そりゃあ、お兄ちゃんの高校生活は全ての人には受け入れられないかもしれないけどさ、でも、だからって、そんな顔しなくていいのに、と私は思う。

 

 お兄ちゃんは昔からそうだった。

 

 だから私くらいは分かってあげていたかった。

 

 でも、お兄ちゃん、もう、一人で行かないとね。

 

 頭をぽりぽりと掻き、そのまま改札に向かうお兄ちゃん。一拍遅れて私もついていく。

 

「切符買ってあるの?」

 

「ん、ああ。結構高くついた」

 

 言いつつ、財布から切符を取り出して見せる。お兄ちゃんは改札口にそれを入れた。

 

 途端にエラーが出てお兄ちゃんは通行止め、駅員さんがやって来てこの切符使えませんよ。そしたらお兄ちゃんは行かずに済むのかなぁなんて考えている自分に気づいて、そんな自分自身に私はあきれた。

 

 お兄ちゃんがいれた切符は何のお咎めもなく向こう側に出た。

 

 お兄ちゃんが改札を進む。お兄ちゃんの肩にかついだボストンバッグの紐よ、改札にひっかかってお兄ちゃんを足止めしろと念じても、そんなことにまるで意味はなかった。私も大概だ。流石お兄ちゃんの妹。

 

 私も入場券を入れて続く。

 

「向こうに行ったらバイトしなきゃだね」

 

 お兄ちゃんは思った通り、うぇーと嫌そうな顔をした。

 

「まあわかっちゃいるんだが…面倒だな」

 

「そんなん、自分で選んだ道じゃん」

 

「いや、そうだけどさ…」

 

「お兄ちゃんはお金を払って、逃げるんだよ。ここから」

 

 遠くに行きたいんでしょ、お兄ちゃん。

 

 遠くに行ってどうするつもりなの。

 

 遠くへなんか行くのやめなよ。

 

「…手厳しくないか、小町?お兄ちゃんつらいぞ」

 

「もうここから先、小町はいないよ。だからそう言うのは他の人に言うんだよ」

 

 ため込んじゃだめだよ、お兄ちゃん。聞いてくれる人が絶対にいるから、その人にちゃんと言うんだよ。

 

 多分そう遠くない未来に会えるその人に、ちゃんと言うんだよ。

 

 お兄ちゃんは答えなかった。

 

 

 駅のホームも人は少なかったけれど、街中よりはまだ多い方だった。こんな朝早くにスーツを着ていそいそとホームを歩くサラリーマンを見て、私は社会人のお兄ちゃんを想像してみたけれど、上手くはいかない。

 

 お兄ちゃんの乗る電車はまだ来ていなかった。私とお兄ちゃんは木製のベンチに座って、とりとめのない、とてもくだらない話をした。お兄ちゃんは自分の話題、学校の話題を避けていたし、私も無理に水を向けることはしなかった。

 

「お兄ちゃん、髪染めたりする予定あるの?」

 

「あるわけねえだろ、なぜ金を払って男にとって貴重な髪を痛めつけなけりゃならないんだよ。意味がねえよ」

 

「大学デビューだよ」

 

「ばっかお前、俺はもうデビューしたから。なんならずっとデビューしてるまであるから」

 

「またよく分からないことを言う」

 

「よく分からないのは…ああ、俺か」

 

 本当に喋りたいことはなんだっけ。

 

 電車がホームに滑り込んでくる。お兄ちゃんの乗る電車だ。これを乗り換えて新幹線に乗るらしい。

 

 お兄ちゃんは立ち上がって、ボストンバッグを肩にかけて私を見た。何か言いかけるのを遮って、私はもうしばらくは叩けないかもしれない軽口を叩く。

 

「どうしても寂しくなったらね、小町に電話しても良いよ。1年に1回だけ、3分以内ならね」

 

「んだそれは。サンタクロースのウルトラマンかよお前は」

 

「ウルトラマンはお兄ちゃんじゃないの」

 

「俺はどっちかっつーと怪獣の方だな…あれっ、おい、あの人ちょっと戸塚に似てないか」

 

「あのねえお兄ちゃん、なんでそこで戸塚さんなの…」

 

「本能的に求めているんだなあ」

 

「ポイント低いよ、お兄ちゃん」

 

 

 

 

 

 

 

 

「んじゃ、行くわ」

 

「ん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 一歩、お兄ちゃんは電車の中に入って、振り返って私を見つめる。もうそれだけで、なんだかもう手を伸ばしてもお兄ちゃんには届かないような。

 

 斜に構えたお兄ちゃんの笑顔。さっきまで元気よく出ていた言葉がまるきり出てこない。

 

 

 お兄ちゃんはね、本当は凄いんだよ。とっても優しいんだよ。

 

 本当は甘えてるのは、小町の方だよ。分かってあげたいんだよ。

 

 1人で行くのなんか寂しいよ。小町は本当は本当に寂しいんだよ。

 

 いくらだって何度だって電話して良いよ。いつだって帰ってきなよ。

 

 お兄ちゃんは怪獣なんかじゃないよ。もっと自分を労わってあげてよ。

 

 

「じゃあな、小町。元気でな」

 

 ドアを挟んでお兄ちゃんと私は向き合う。調子外れの機械人形のようにへらへら笑いながら。

 

「お兄ちゃん泣かないで」

 

「いや泣いてねえよ。泣くとか恥ずかしいだろ」

 

「あのね、お兄ちゃん。小町がお兄ちゃんのふるさとになったげるよ」

 

「は?」

 

 怪訝な表情を浮かべるお兄ちゃんに、私は特大の笑みをプレゼントする。ここに鏡なんてないから確認しようがないけれど、多分ちゃんと、笑えているはずだ。

 

 小さな手鏡でも見せつけられたら、その自信はなくなるかもしれないけれど。でもそれはお兄ちゃんだって一緒だ。お兄ちゃんなんて誰かにそう言われちゃえばいいんだ。そうでもしなきゃ、お兄ちゃんは気付いてくれない。

 

「べつに泣くことで強くなれるわけじゃないけど、でも、忘れないでね」

 

 何を、と訊かずにお兄ちゃんは

 

「…忘れるわけ、ないだろ」

 

 お兄ちゃんのその小さな声を合図にしたかのように無機質な電車のベルが鳴り響き、扉が閉まって私たちを隔てた。

 

 お兄ちゃんは扉の向こうでうつむいている。表情はうかがい知れなかった。

 

 私はきっと、皆が思っているほど、器用じゃない。

 

 器用に、器用なふりをしているだけだ。

 

 

 

 

 

 私のたった一人の兄を乗せて、電車はホームを滑るように出ていこうとする。

 

 ひょっとしたら、まだ間に合うかな。

 

 不意にそんな考えが頭をよぎる。

 

 あの坂のところでなら、下り坂だし、追いつけるんじゃないだろうか。

 

 迷っている暇はなかった。

 

 やってみてから諦めようよ。小町が言ったんだったね、お兄ちゃん。

 

 私は電車が出ていくのを見届ける前に、背を向け、踵を返した。

 

 お兄ちゃんがやってくれたみたいに一生懸命足を動かして、走って走って走って、駅を飛び出す。

 

 走りながらパーカーのポケットから自転車の鍵を取り出して、ぎゅっと握りしめる。

 

 外の町は長い溜息をついて、目を覚ましそうだった。

 

 けれどもう私を見ていてくれたお兄ちゃんはここにはいない。

 

 お兄ちゃんがいないから、まるでひとりぼっちみたいだ。

 

 ねえ、お兄ちゃん。小町は頭が悪いから、お兄ちゃんにとって何が一番良いのかは分からないけれど、せめて、せめて、忘れないでね。

 

 小町はここにいるよ、お兄ちゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お兄ちゃんみたいなその自転車のサドルは私にはちょっぴり高かったけれど、でも、まだ少しだけあたたかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 はい。というわけで10作目でした。今回は「車輪の唄」という曲に「涙のふるさと」という曲を加えて和えてみました。「車輪の唄」はそれだけでちょっとした小説のような曲で、いつか書きたいなと思っていました。もう一つの「涙のふるさと」は読者様のご感想からいただきました。ありがとうございました。

 ご意見ご感想、いただけましたら幸いです。どんな曲が好きだとか、俺はこいつのことはこう思ってるとか、なんでもください。ほんとに。


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ルーズバイバイ


11作目です。止まっているぼくの独白。



 この世に不変なるものが本当にあるとしたら、血のつながりというものはその候補の一角になるだろう。

 

 好きでも嫌いでもどんな感情を抱いていたとしても、父であろうと母であろうと兄であろうと、そして妹であろうと、血のつながりは消えない。

 

 血についてはおそらく中学生程度の知識しかないけれど、未だ解明されていないことがあるくらいのことは理解できる。

 

 家族だから血がつながっているのか、血がつながっているから家族なのか。

 

 顔や性格といったステータスが似ている親子もいれば、全く似ていない親子だっている。長所が受け継がれることもあるし、気に食わないところばかりそっくりだ、と嘆くことだってあるだろう。何が不幸で何が幸せなのか一概に決めることはできないし、そんなことに意味は無い。

 

 ぼくは母親と似ていた。

 

 顔も、性格も、長所はよく分からないけれど、気に食わないところはほとんど全部。

 

 周りから可愛いだなんて騒がれても少しも嬉しくなかった。けど、まぁ、皆、僕を喜ばせようとしてそう言ってる訳じゃないからそれも当然だ。

 

 多分ぼくは、とんでもないバカなのだろう。

 

 ただ、それを指摘してくれる人は、ぼくにはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 古びた電車は見た目からしても長いお勤めのようで、ガタガタと体をゆすってゆっくりとホームに入ってきた。杖を突いて歩く老人に似ていると思うのは、失礼なのだろうか。電車にも、老人にも。

 

 ぼくは荷物を持って立ち上がった。ぼくの家から一番近いこの駅の木製のベンチはとても冷たくて、ずっと座っていたのに、ついにあたたかくはならなかった。多分ぼくの頑張りが足らなかったのだ。ベンチが悪いわけではなく。ぼくの体温はベンチを温めるには低すぎた。

 

 車内に入る前に、ぼくは振り返ってホームをもう一度眺めた。無人駅。ぼく以外誰もいない駅だ。この世界にはぼくしかいなくて、この電車に乗ったところでどこにも行けはしない。そんな錯覚に陥るほどには、ホームは無人だった。ぼくを見送る人は、いない。

 

 両親は今日の朝ちゃんと起きだしてくれていて、玄関でぼくを送り出してくれた。ぼくが駅まで見送ろうと言ってくれた二人を説き伏せたのだ。母は少し涙ぐんでいた。父はぼくを勇気づけるように笑っていた。でも、同時に二人とも少しさみしそうだった。ぼくにきょうだいがいれば少しは違ったかもしれないけれど。

 

 ぼくが今まで特に苦労もなく育つことができたのは、そして有名大学とはいえ私立の大学に進学することができたのは、ひとえに二人のお蔭だった。ぼくはこれからこの恩に報いることができるのだろうか?自信がない。

 

 

 冬の悪あがきみたいな風がぼくを追いたてたので、ポケットに両手をつっこんで、ぼくは一人で電車の中に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 電車はぼくをあたたかく迎えてくれた。こんな早い時間に乗るのなんて初めてだったから、思ったよりも車内には人がいて驚いた。ぼくは特に人の少ない区画を見つけ、二人掛けの椅子に座る。

 

 鞄を太ももの上にのせた。荷物はあらかたあっちに送ってしまったので、今日のぼくの荷物はこの小さな鞄だけだ。

 

 電車が誰もいない駅をするりと出た。老体に鞭打って走る電車は、立派だ。座っているだけの矮小な僕の存在が露骨に際立つ気がして、少しつらいけれど。

 

 電車は走る。ぼくは止まったまま動いていない。電車の窓から見える朝霧の景色が加速していく。ぼくはついぞ加速したためしがない。

 

 溜息をついてポケットから携帯を取り出した。鍵を外して、待ち受けていた部員の集合写真からカメラロールへと飛ぶ。待ち受けのこの写真は、引退試合の後撮った写真だった。ぼくたちは皆笑っていた。皆思い思いに笑顔だった。

 

 普段からあまり写真をとる習慣もなければ機会もなかったけれど、卒業式に撮った写真はアルバムを作るぐらいには豊富だった。ゆっくりとスクロールをして眺めると、じわじわと思い出す。そうか、ぼくは高校を卒業したのか。いまだ実感が湧きづらい。

 

 スクロールしていくと、あるツーショットが目に留まった。ぼくと、()()()()()()()()()()()()()あの人の写真だ。

 

 ぼくは綺麗に笑えていた。対するあの人は緊張していたのか、ちぐはぐな笑顔だ。ぼくと一緒で緊張することなんて何一つないのに。あるいはそういうところがひとりぼっちではない所以なのだろうか?

 

 ひとりぼっちはむしろ、ぼくのほうだ。

 

 この気持ちを胸にしまっておいたのは、ぼくが最後に張った、小さな意地だった。

 

 けれど、どうにも、少しだけ痛い。

 

 誰も見ていないのに、わざと欠伸をした。「眠い」と呟く。

 

 電車は次の駅に止まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 心臓が大きく跳ね上がった。

 

 この駅も確か無人駅だったはずで、ホームに見える人影も少なかった。その中の一組の男女の顔を見て、ぼくはとっさにうつむいて顔を隠した。なぜここに、今、いるんだ。どうして。

 

 一組の男女は兄妹だった。何故分かったかと言えばそれは簡単な話で、ぼくがその二人と知り合いだったからだ。

 

 なぜ、どうして。こんな早くに。…いや、そうだ。きっと、ぼくと同じだ。ぼくと同じ理由だ。でも、違う。決定的に違う。きみにはそれでも見送りがいるじゃないか。

 

 きみが本当に望んでいることが何かくらい、きみの近くにいたら誰だって分かる。きみ以外には自明のことなんだよ。いくらそっけない態度を取っても、いくら偽悪的なふるまいをしても。

 

 こっそりと二人の様子を伺うと、兄の方が大きな鞄を肩に担いで電車に乗ったようだった。妹は兄を見ている。妹はずっと兄だけを見ていた。

 

 

 

 こっちにこないで。

 

 

 

 ぼくはうつむいたまま、目をぎゅっと閉じてそう念じた。

 

 なぜかは分からない。けれど、なぜか嫌だった。たまらなく嫌だった。

 

 お願いだから、こっちにこないで。これ以上、ぼくを、きみを――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 祈りが通じたのか、彼はぼくの座る区画とは別の区画に座ったようだった。ほっと息をついて、それからぴりりとした罪悪感をなめた。

 

 普段のぼくなら、皆が思うぼくなら、多分こうあるべきじゃなかった。

 

 ひとりで座っている彼に、ぼくは近寄って、にこやかに笑いかけるべきだった。偶然だね、どこまで行くの、隣座っても、良いかな?

 

 そういう、ぼくだったはずだ。

 

 これはぼくの大きな反抗だった。意地とはまた、別のものだ。

 

 いいじゃないか、これくらい。

 

 構わないでしょ、最後くらい。

 

 

 ぼくらを乗せた電車がうめき声をあげ、再び走り出す。

 

 ぼくの知らない町へと誘う。ぼくも知らないし、誰もぼくを知らない町へと。

 

 

 

 

 

 ねえ、八幡。きみは、ぼくの事をどう思っていたかな。

 

 ぼくはきみのこと、好きだったよ。ぼくと同じくらいには。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 うつむいていたぼくの視界にクマのぬいぐるみが不意に入ってきて、ぼくは半ば反射的に手を伸ばしてそれを取っていた。

 

 小さなリボン付きのそのぬいぐるみは通路を転がるうちに少し汚れてしまったようだ。汚れを払っていると、小さな女の子が向こうからぱたぱたと走ってやって来た。

 

こんにちは。きみの?にっこり笑ってぬいぐるみを差し出すと、女の子はじっとぼくを見つめた。しかしそれは一瞬のうちで、次の瞬間にはひったくるようにぼくからぬいぐるみを奪った。

 

 警戒心むき出しの女の子は、ぬいぐるみを抱えて無言で走り去ってしまった。

 

 

 

 胸が痛む。ぼくはきみのように他人を救えない。

 

 

 

 一年生のころからきみは一人でいたね。同じクラスだったからよく憶えているけれど、きみはとても目立っていた。ぼくの周りの人はきみを見て面白がって、それでいて少し優越感を味わっていたみたいだった。

 

 ぼくはきみのこと、最初は友達なんかいらない人なんだろうって勝手に思ってたよ。強いなあ、なんてぼくはきみをちょっと遠巻きに見てた。本当は弱いから一人でいるなんて知らなかったよ。あの頃に話しかけていたらどうなっていたかな。

 

 少し憧れてもいたんだ。多分ぼくは絶対にきみにはなれなかっただろうから。でも、二年生になったきみは奉仕部に入って、ちょっと変わった。ぼくの依頼の時にはありがとう。すごく頼りになったよ。ぼくもきみの役に立ちたかったけれど、ぼくなんかじゃだめだったよね。

 

 いつの間にかきみの周りには人が増えていた。ぼくとは違って。

 

 どうしてきみは。

 

…きみはあの子とも仲が良かった。ぼくは本当にうらやましかったよ。

 

 あの子がきみのことを好きなんだと気付くのに、そう時間はかからなかった。なのに、きみはあの子の好意に耳を塞いでばかりだった。腹が立ったし、みっともなく嫉妬もしていた。本当に、ぼくは、ぼくは、ぼくは。

 

 

 ふと車窓から朝靄の中の景色を伺うと、物凄い勢いで自転車をこいでいる女の子が見えた。電車と並走しようと頑張っている。ぼくは絶句して女の子を見つめた。

 

 そんな、漫画みたいな。頑張り過ぎだ。

 

 女の子が必死に漕ぐ自転車と電車の距離はすぐに離れていってしまった。女の子はぶんぶんとちぎれそうなほどの勢いで手を振っている。あっという間に女の子の姿は見えなくなった。

 

 見ているこっちが恥ずかしかった。当事者はなおさらだろう。

 

 見てたかな、八幡。きみが自分をどう思っていても、きみがひとりぼっちじゃないのはみんな知ってる。知らないのはきみだけだ。

 

 きみのためにならみんな、いくらでも頑張れるんだ。ぼくだってそうだったよ。

 

 だからその分、きみが誰にも頼らず一人でやろうとすると傷ついたんだ、みんな。

 

 いつか誰かが教えてくれるよ。そうあって欲しいし、そう信じてるから。

 

 

 

 ああ、きみに比べたら、ぼくなんか何一つ頑張ってないや。

 

 痛いから、ぼくは目を閉じた。

 

 

 

 連絡してくれればよかったんだよ。それなら一緒に行けたのに。きみは誰かが声をかけてくれるのを待っているだけなんだ、いつも。そんな態度でよく、ほんとうに、きみは、見たくないものを見ようとしない。

 

 

 

 ぼくはきみより間違っていなかったかもしれないけれど、否定されない方がつらいことだってあるんだよ。きみは知らないだろうけど。

 

 

 

 

 

 

 

 溜息をついてポケットから携帯を取り出した。鍵を外して待ち受けていた部員の集合写真からカメラロールへと飛ぶ。待ち受けのこの写真は、引退試合の後撮った写真だった。ぼくたちは皆泣いていた。皆思い思いに泣いていた。

 

 普段からあまり写真をとる習慣もなければ機会もなかったけれど、卒業式に撮った写真はアルバムを作るぐらいには豊富だった。ゆっくりとスクロールをして眺めると、じわじわと思い出す。そうか、ぼくは高校を卒業したのか。いまだ実感が湧きづらい。

 

 スクロールしていくと、あるツーショットが目に留まった。制服の胸元に花をつけて、にっこりと笑いこちらに向かってピースをするあの子。隣には奇妙にゆがんだ笑みを浮かべるぼくがいる。とても一緒に撮ってくれなんて言う勇気は出なかったから、彼女の方が言ってきてくれて助かった。

 

 でも、まあ、彼女は相手が誰だろうと同じように愛想良く写真を撮れるのだけど。

 

 だとしてもそれでも、ぼくは嬉しかったんだ。最後まで誰にも言わなかったけど。

 

 あだ名で呼ばれるのは恥ずかしかったけど、特別になれた気がして嬉しかったんだ。

 

 この気持ちを胸にしまっておいたのは、ぼくが最後に張った、小さな意地だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 この電車は銀河には向かわない。行き先不明なんかじゃなく、時刻通りちゃんと地に足の着いた駅に向かう。

 

 ぼくはカムパネルラになれない。ぼくはカムパネルラほど強くないし、きみはジョバンニほど素直でもない。だから、ねえ、八幡。ぼくたちは一緒に行けないね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤色の包み紙に包まれた飴玉が差し出される。

 

 

 顔を上げてみれば、さっきのぬいぐるみの女の子が恥ずかしそうに笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






11作目、「銀河鉄道」と「バイバイ、サンキュー」という曲でした。旅立ちの曲ですね。
前作「ハートバイバイ」の裏側、俺ガイルで下手したら一番可愛いあの子って八幡のことどう思ってるのかなとかいろいろ考えたらこうなりましたすみません。
でも出してみたかったんです。

この子と、あと「冷温火傷」の「僕」も囲村としては嫌いじゃないです。

次作は満を持して大学生の八幡といろはの話です。

ご意見ご感想、お待ちしております。



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ダイヤモンドウォーカー、ラヴ、ラヴ、ラヴィン。

12作目です。流星を待つ二人の話。


 

 

「――――おい、まだなのかよ」

 

 痺れを切らして奥の部屋の方に問うと、一色いろはは荷物を抱えてぱたぱたと部屋を飛び出してきた。悪びれもせずすまし顔である。

 

「はいはい、すみません。お待たせしましたー」

 

「荷物多くねえ?別に泊まるわけじゃないぞ」

 

「えー。先輩の荷物が少なすぎるんですって。準備には万全を期さないとですよ」

 

「つーか化粧してんの?夜だし暗いし、人いてもあんま分かんないと思うがな」

 

「はぁ?先輩がいるでしょ」

 

 ばかじゃないのと言わんばかりの顔をして、一色は左手首の腕時計を確認する。

 

「じゃあ、行きますか」

 

「…おう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アパートの駐車場の空きスペースに置かせてもらっていた、シルバーのワゴンRに乗り込む。半日4000円ほどで借りてきたレンタカーだ。

 

 もっと可愛いのが良かったです、と一色がぶつくさ言った。言いながら荷物を後部座席に置いて、自分は助手席に座る。何でも良いって言ったのお前じゃねえか。生返事してるなこいつ、とは思ったけど。

 

 やや緊張しながらキーを入れエンジンを動かす。ぐぐぐぐおん、とエンジンが唸りをあげた。ヘッドライトがアパートの塀のあたりをぼうっと照らす。あちこちのミラーを確認し、シートの位置を調整し、咳払いをしてそっとハンドルに手を置いた。

 

「いつにもましてびくついてますね」

 

 俺の様子を見て一色がくすりと笑う。

 

「夜、怖い、危ない」

 

「思わず片言になっちゃうくらいはびびってますね。ええと、助手席が一番危ないんでしたっけ。わたし、後ろ行っても良いです?」

 

「心細くてやばいからそこにいてくれ。左側とかめっちゃ見ててくれ」

 

「はいはい、ちゃんと見てますから」

 

「超安全運転で行くから。40キロ以上出さないから」

 

「それ、逆に危ないですよ」

 

 助手席が危ないという定説を引っくり返してやると心に誓い、俺はシフトレバーに手をかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一色いろはが春の嵐を運んでやって来たのは、ちょうど俺が大学生活2年目をスタートさせようとしていた辺りだった。

 

 あ、どうも。大学一緒なんで、よろしくお願いしますね。一色は驚愕する俺に構わずあっけらかんとそんな風に挨拶した。記憶にある一色とは違って制服は着ていなかったし、随分雰囲気も落ち着いていたけれど、紛れもなく一色いろはは一色いろはだった。

 

 空白の一年間を、まるで足元の水たまりでもまたぐかのように軽々と飛び越えて、俺の元へと一色いろははやって来た。

 

「いや、お前、何しに来たんだよ」

 

「は?大学生やりに来たんですよ」

 

 一色は顔をちょっと傾けて、ジトっとした視線を俺に送ってきた。その顔がやけに懐かしくて、それで多分俺は動揺していて、なんだかよく分からない意味不明なことを口走った挙句一色に鼻で笑われてしまった。その時のことは3年経った今でも鮮明に覚えている。

 

「先輩は相変わらずですねー」

 

「お前もな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 新しく買ったアルバムがそろそろ3周目に入りそうだ。

 

 町を外れるにつれてどんどん車の往来は減って行き、それに応じて俺の緊張もほぐれていった。最後に運転したのは3か月前だったか、ペーパードライバー(仮)の俺はそれでも用心深く、調子に乗るような運転はしない。

 

 ライトを上向きにして車を走らせる。あまりに周りが暗いから、本当にこの道で合っているのか怪しく思う。この道を行けば本当に辿り着けるのか。俺が調べた場所はあれで合っていたのか。このカーナビは俺を騙そうとしてやいないか。

 

 カーナビ陰謀説を疑い出したところで、不憫カーナビは反論の声を上げるかのごとく、意訳をすれば「大体ここら辺がお前の目指す場所だ。なあに心配するな、俺の役目はここで終わりだが、あとは一人で行けるさ。じゃあな」というようなことをしゃべった。

 

 左に広い空き地(というか駐車場だろう)が見え、そこに車が2台止まっていた。ふむ、俺達と同じ目的か。予想よりもだいぶ時間がかかったが、どうやらここで間違っていないみたいだ。そこに入って車を止める。

 

 ヘッドライトを消すと、辺りは光源がほとんどなく(2台の車もライトを消していた)、真っ暗闇だ。一寸先は闇。一寸先も闇で二寸、三寸先も闇だろう。

 

 けれど、頭上には――――――

 

「おい、おきろ」

 

 一色は最初こそ俺にべらべらと喋りかけて運転の邪魔をしてきたが、ものの数分で睡魔に連れて行かれてしまっていた。もうちょっと頑張れよ、と思う。もうちょっと抗えよ、睡魔のやつに。これが本当の寝取られってやつか。睡魔絶対に許さないぶっ飛ばす。

 

 なかなか起きない一色の華奢な肩を軽く揺さぶる。

 

「起きろー」

 

「んぅ」

 

 ばしっ、と俺の手を振り払い、一色は寝返りをうって顔を向こう側に向けた。やべえ、すげえイラッと来た。今度は2倍くらいの強さで揺さぶってやった。

 

「起きろ!」

 

「ひゃあ」

 

 情けない声をあげ、一色は寝ぼけまなこで辺りを見回す。

 

「…」

 

「…」

 

「…ああ、そっか」

 

 俺の顔を見て納得したようにうなずく。納得していただけて良かったです。

 

「物凄く眠たいんですけど」

 

「お前が見たいって言ったんだろうが」

 

「そうですけど」

 

 一色はフロントガラス越しに夜空を眺め、

 

「外に出てみますか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 一色はまるで最初からいたかのようにするりと俺の大学生活に入り込んできた。学部は違ったがよく構内でも遭遇した。そっと寄ってきてどうでもいい話をしては、不意に興味がなくなったように去る。

 

 身構えていた俺は肩透かしを食らったようだった。一色は俺の現状について何も言ってこなかった。高校の頃の話も一切しなかった。一色はただそこにいた。

 

「お前、友達いないのかよ」

 

「さあ、どうですかね」

 

「俺と友達になりたいわけ?」

 

「や、わたし、先輩と友達になりたいなんて思ったことないんで」

 

 一色があまりに淡泊でどうでも良さげだったので、俺はつい一色の侵入を許してしまっていた。俺はこの土地に来てから一年間は孤高の時を過ごし、これからもその予定だったはずなのに、妙な話だった。

 

「俺の事、何か言わないのかよ」

 

「いえ、べつに」

 

「べつに、って…」

 

「だって先輩に何か言ったって無駄じゃないですか」

 

 一色はあっさりとウジウジの俺を蹴っ飛ばして、どこか諦念しているように言った。そうか、俺は諦められてしまっているのか。と、その時は簡単に納得した。そんなはずがなかったというのに、妙な話だった。

 

 そうじゃない。

 

 言葉で伝わるのは言葉だけ。言葉に力なんてない。一色はそう言ったのだ。

 

 その意味に気づいたのは、もうしばらくした後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さぶっ」

 

「そりゃそうでしょう。冬で、夜ですよ」

 

 車外に出て、目の前に広がる満天の星空を二人で並んで見上げる。

 

 中心部から外れただけなのに、辺りは真っ暗なせいか、空気の透明感が星たちのきらめきが一層際立つ。夜のカーテンに燦然と輝く星たちは、一つ一つが宝石のように思えた。

 

「本当に今日、見られるんですかね」

 

「フォースを信じろ」

 

「何を言ってんですか」

 

 今日俺たちが見に来たのは、流星群だった。

 

 ふたご座流星群。3大流星群の一つで、観測できる流星の数が多く、冬に見られる天体ショーとして代表的な流星群である。

 

 星は明るく、数も多いため見やすい上に、場所をあまり問わない。一色はどこでこの情報を手に入れてきたのか、是非見たいと言い張った。

 

 ありていに言えば天体観測と言うやつだ。まあ、流星群なんて日常生活じゃ中々お目にかかれるものではないと思ったし、俺も多少なりとも興味はあったので、計画を立て、今に至るわけだ。

 

 でも、流星でなくてもこの星空にはこれだけでも見に来る価値があるほどの美しさがある。望遠鏡があればなおさらだろう。

 

 天体観測、すげえ悪くない。見えないものはどうしたって見えないけれど、見えるものにこんなに美しいものがあるのだから、そんなに絶望するほどでもない。

 

 

 見えないものはどうしたって見えないけれど、望遠鏡は見えないものを見るためにあるわけじゃないのだ。

 

 

 俺は空を見上げた。

 

 俺が大切に想っていたあの二人の女の子も、この空を眺めているだろうか。

 

 間違いも散々犯したし、ずいぶん助けられた。尊敬していたし、憧れていた。俺たちはきっと、正しくはなかったけれど。でも、俺たちの痛みはずっと此処にある。

 

 大丈夫だ、俺たちの唄は聴こえている。目を閉じればいつでもよみがえる。

 

 だからきっと俺たちは大丈夫。

 

 

 見えないものは見えなくても、なら見えるものはもっと見たい。

 

 たとえこの手が届かなくても、見たい。

 

 そして、俺は決めていた。もし見えたなら、その時は―――――

 

 くしゅん。俺の思考はくしゃみの音で中断された。

 

「さぶいので戻ります」

 

 ずずっと鼻をすすって一色が言う。うーん、台無しだろ、と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 油断していた俺に一色が強烈な一撃を加えたのは、その年の冬だった。

 

 俺のバイト先は、駅の近場のとある小さな古本屋だった。交通の便が良く、俺にもできそうで、ついでに言うと人も少なそうで、そしてブラックと噂される飲食店を避けた結果見つけたのがそれだった。働かざる者食うべからずであり、親の仕送りだけでは到底生きていくことはできなかったため渋々始めたものだったが、案外に長続きしていた。というか、むしろ適正はあったらしい。

 

 バイト先には学部は違うが一つ下の男の後輩がいた。名前を富山(とやま)と言った。金髪の上洒落た眼鏡をかけていて、街中に埋もれそうな小さな古本屋とはおよそ似つかわしくない奴だった。

 

 二人でシフトに入り(と言ってもバイトは俺と富山の二人だけだったが)出身を訊かれ、何の気なしに答えた時だった。

 

「え、じゃあ比企谷さんって一色いろはって子知ってます?」

 

 思いもよらぬ人間から思いもよらぬ人間の名前を聞き、俺は驚く。

 

「や、俺と学部一緒なんスよ。経営学部で」

 

「まあ普通に知ってるが…一個下で…」

 

 ふと顔を上げると、富山の曇り顔が目に飛び込んできた。何やら胸がざわつく。

 

「…え、どうかしたのか、一色が」

 

「…えーと、なんつーか」

 

「…」

 

 富山は前髪をいじって目線をきょろきょろしていた。富山のクセだった。こいつがバイトに入ってから3か月、ちょっと抜けててアホ全開なところとか、意外と気が遣えるところとか――――あと、こんな風に分かりやすいところとか、少し()()()に似ている。

 

「何かあったのかよ!?」

 

 大声に驚いて富山が目を見開く。大声。誰の?俺のだ。あ、今の大声は俺のか。客がいなくて良かった。店的には良くないが。

 

 富山はなおも躊躇っていたが、俺の目を見て遠慮がちに話し始める。

 

「あ、いや、すんません。ちょっと聞きたいだけなんスけど…()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと顔を横に向けると、一色は助手席でブランケットにくるまり、室内灯の明かりを頼りにノートのようなものに何か書いていた。

 

「なあ、今、富山ってどうしてんだ」

 

「…さー、どーでしょうねー」

 

「…」

 

 出た、一色の得意な生返事。俺の話を聞け!寂しいだろうが!

 

「…おい、何書いてんだ」

 

 俺が一色の手元を覗こうとすると、一色はばばっと隠して俺をにらみつける。

 

「ちょっと先輩、覗きは犯罪ですよ。さすがに犯罪までかばってあげられないですよ?」

 

「お前にかばわれるまでもしねーよアホ。で、何書いてんの。最近よく書いてないか?」

 

「手紙ですよ」

 

「手紙?誰に送るの」

 

「んー、宇宙飛行士?」

 

「は?」

 

 相変わらずわけのわからないことを言う。俺の表情が可笑しかったのか、室内灯に照らされた一色の顔が優しく微笑む。

 

「あ、そうだ」

 

 一色が得意げに鞄から取り出したのは、花柄の可愛らしい巾着袋。中からラップに包まれた小さなおにぎりを出す。それを俺に渡して、どうだ、とばかりのドヤ顔。若干誤魔化されたような気がしないでもない。

 

「じゃーん、夜食ですよ」

 

「おお、まじか。さんきゅ。何味?」

 

「塩、梅、おかか、コロッケ、アーモンドチョコ」

 

「最後の方ちょっと怪しくね?」

 

「ロシアンルーレットですよ。いただきまーす」

 

「え、今お前が渡してきたよね?」

 

「あ、梅入ってました。おいしー」

 

「おい」

 

 俺のおにぎりにはコロッケが入っていた。良かった、まだ大丈夫。

 

 室内灯を消して、二人で星空を眺めながらおにぎりにぱくつく。

 

「流星、まだかなぁ」

 

 隣で一色が呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『本人はどう思ってるのかなって…や、だって()()()()()()()()()()()()()()()()()当然分かってたはずだと思うんスよ。なんか勇気あるっつーか…うーん、なんて言ったらいいんスかね』

 

 富山に話を聞いた次の日、俺は去年取った講義にこっそり忍び込んだ。一般教養科目で、一年生は学部に関わらず取る講義だった。

 

 一色も当然そこにいた。

 

 ひとりきりで、教室の隅にぽつんと座っていた。

 

 俺と目が合って、一色は少しバツの悪そうな顔をした。

 

 

 講義が終わった後、一色を外に呼び出した。一色を連れて、大学を出て歩いて歩いて違うどこかへ。

 

 忘れもしない、ある小さな公園の青色に塗られたベンチに俺達は腰かけた。

 

 冬の風に吹かれた青いベンチは冷たくて、身体がすぐに冷えていったのをよく憶えている。

 

「どういうつもりなんだよ」

 

 俺が問い詰めると、一色は開き直ったかのように挑戦的な視線を投げかけてきた。

 

「富山ってやつに聞いたぞ」

 

「なんのことですか?」

 

「…っ!お前…!」

 

 一色はわざとらしく首を傾げる。

 

「えーっと、先輩にあれは見せるつもりはなかったんですけどね。…んー、どうしてやろうかなってこの半年ぐらいずっと考えてたんですけど、思いつかなくて。だから、まあ結果オーライって言えばそうなんですかね」

 

 今まで築いてきた、「大学生の一色いろは」の像にヒビが入り、そこから何か「見えないもの」が見える。そんな感じだった。

 

 90分、俺はあの教室の様子を見続けた。

 

 なんで。お前、そうじゃなかっただろ。

 

 じりじりと焦燥感が俺を駆り立てる。頭がかーっと熱くなって、同時に胸のあたりが急激に冷たくなって――――何か俺は見落としている。何かまた俺は間違いを――

 

「お前、何言って…」

 

『学部の初っ端の集まりでああいうこと言っちゃったわけですから、今、もう一色さんかなり立場悪いんスよ。女子には媚びてるとかビッチとか言われまくってるし、男子には…まあ中心的な奴に嫌われちゃいましたからね…誰も話しかける勇気でないんスよね』

 

 一色いろはは笑顔を作って俺に見せた。

 

 

 

 

「だって、先輩に何か言ったって無駄じゃないですか」

 

 

 

 

 一色が春先に言った言葉。俺は重いハンマーで頭をぶん殴られたように感じた。

 

 理解してしまった。気づいてしまった。

 

 言葉に力はない。言葉で伝えたところで伝わるのは言葉だけだった。

 

 つまり、そういうことだ。

 

 一色は、俺に。

 

『最初っからそれ目的の男っているんすね。明らかにあの子も嫌がってたんで、誰かが止めなきゃいけなかったんですけど、でも…でも結果的に一色さんのお蔭であの子は波風立てずに済んだし、助かったんスけど…確かに俺ら、誰も傷つかずに穏便に平穏にやれてますけど…でもそれは…』

 

 今まで築いてきた、「大学生の一色いろは」の像にヒビが入り、そこから何か「見えないもの」が見える。そんな感じだ。

 

 一色の像が崩れて、代わりにそこから現れたのは、大きな鏡。

 

 見つめ返してきたのは、俺だった。

 

「…お前」

 

「多分先輩は、ちゃんと見たこと、ないと思って」

 

『一色さん以外は、ですけど…』

 

 一色いろはは、比企谷八幡に、考えられる最も残酷で無慈悲な仕打ちをした。

 

 俺は愕然として、一色だったものを見つめる。

 

「…どうして」

 

 本当は理解していた。でも、訊かずにはいられなかった。

 

 

 

 この痛みが。

 

 今俺が感じている怒りが、あの時感じた彼女の怒りだった。

 

 今俺が感じている悲しみが、あの時感じた彼女の悲しみだった。

 

 

 

 

 

「やめてくれ…」

 

 いやだ、やめてくれ。そんなことしないでくれ。俺は選べなかったんだ。違う、分かってる、そうじゃない。だけど、そうするしかなかったんだよ。俺は、俺にできることを、一番効率のいい形で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 痛みが。

 

 

 

 

 

 

 

「わたしがやらなきゃって、思ったんです」

 

 

 

 

 

 

「…でも、痛いですね、先輩」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…こんなに、痛かったんですね、先輩」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女の微笑みを見て、俺の中で何かが壊れる音がした。

 

 壊された。

 

 

 

 

 

 気が付くと、俺たちは二人で赤ん坊のようにわんわん泣いていた。

 

 駄々をこねる赤ん坊のように、嫌だ、嫌だ、と泣き喚いていた。

 

 俺たちは座ったまま隣合ってずっと二人で泣いていた。抱き合いもせず、寄り添いもせず、ただ隣に座ったままずっと涙を流し続けた。

 

 冷たかったベンチがいつの間にか気にならなくなる。

 

「せんぱいのせいですよぉ」

 

 残酷で無慈悲な仕打ちじゃない、俺たちはただ無力なだけだった。

 

「せんぱいなんてだいきらいですよぉ…」

 

 メイクが落ちるのも構わず、一色は泣き続けた。一色は確かに此処にいた。

 

 涙があふれて俺たちを押し流す。

 

 どこへ行けばいいんだろう?

 

 でも一色はそこにいた。

 

 それだけは間違いなかった。

 

 会いに来た。

 

…会いに来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ」

 

 一色が隣で小さく声をあげ、俺は追憶から引き戻される。

 

「今、見えた!」

 

「えっ、まじ?」

 

「ほら、また!」

 

 興奮した一色に肩をばしばし叩かれ、俺は目を皿にして星空を見つめる。

 

「え、見えないんだけど」

 

「あっ!あそこ!」

 

「ちょ、どこ?」

 

「しっかり見ててくださいよ、先輩!」

 

 一色は俺の隣でフロントガラスに額をくっつけんばかりにして、目を輝かせ幼子のようにはしゃぐ。口元には純粋なダイヤモンドのような笑みが浮かんでいる。

 

「すごいすごい!あっ、ほらまた!ってかどこ見てるんですか先輩ばかですかわたしのことはいつ見ても良いですからほら、あっ、今!見ました?ねえ見ました?」

 

 俺の視線に気づいた一色が無理矢理俺の顔の向きを変えて正面を向かせる。ぐえっ、首がねじれた…一色が笑ったのが見えた。ああ、もう、お前が笑うのならなんだっていいよ。

 

 良くも悪くも今も昔も一色いろはは強引だった。

 

 だから、俺から行くときは俺も強引に行かなければならない。付き合ってくれと言ったときもそうだった。変なところで律儀なんだ。俺たちに遠慮することなんて何もなかったのに。言葉は無力か?でも言葉がなきゃ俺はお前と出会えなかったろう。

 

 あれから二年経った。

 

 俺は今年で大学も卒業する。来年からは社会人一年目、完全にモラトリアムは終了していた。就職先は…一色は、あのことを憶えているだろうか。笑われるかもしれないが、俺はしつこく憶えている。ともかく、俺はもう学生ではない。

 

 青春ラブコメの終わりだった。

 

 でも。

 

「先輩、写真撮りましょうよ!」

 

 にっこり笑って俺の袖を引っ張る一色。

 

 俺はお前みたいなやつが一番苦手だったはずなんだけどな。どうしてこうなったのか、まったく妙な話だ。

 

 

 

 これからもずっと、なんて思うのは。

 

 

 

 

 言葉は無力か?でも、それでも伝えたいと思うのは決して間違ってない。

 

 

 

 俺は隣にいる彼女を見つめ、深呼吸する。

 

 心臓の痛みの音を聞きながら、口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…なあ、いろは」

 

「はい、なんですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 
 というわけで、12作目、「66号線」という曲を題材にいたしました。

 「66号線」の歌詞が一色さんの心情だとしたら、もうほんと、心の底からアレですね。愛情が深くてちょっと泣きそうです。

 補足をさせていただくと、大学一年生になった一色さんの周りで何かあったんですね。それを解決するために一色さんが取った手段が、八幡にとっては最も痛い手段だったわけです。

 ちなみに今作が「ダイヤモンドメイカー」「太陽」につながります。

 そして次作をもって最終話とさせていただきます。最終話は「太陽」後の話です。

 ご意見ご感想、お待ちしております。





 


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夕日

13作目です。夕焼けを見つめるみんなの話。


 

 

 

 

 あなたを理解したい。

 

 あなたの気持ちを知りたい。

 

 あなたは知られたくないと思っていたとしても。

 

 それが正しいとか間違っているとか、そんなのは抜きにして。

 

 

 

 あの時、あの瞬間、私はあなたを理解したかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕日が差し込むオレンジの教室、男子生徒が一人、窓際の席に頬杖をついて座っていた。

 

 男子生徒は長身でスタイルが良く、柔らかな金髪の下には端正な顔がのぞく。

 

 廊下から半ば偶然に目撃したあたしは、戸をあけて声をかけようとして止める。

 

 誰にも聴こえないように息を呑んだ。

 

 一枚の風景画のように、葉山隼人は夕焼けの中に座っていた。

 

 壊してはいけない。

 

 完結している。

 

 ふと、そんな思いが胸に忍び寄る。

 

 同時に酷い無力感を感じた。でもあたしは無理矢理それを押しのけて、勢いよく戸を開けた。だってそんなはずないから。隼人は、隼人はいつだって――――

 

 

 

 

 

「隼人、ひとりでなにしてんの?」

 

「…ん、優美子。うん、ちょっとね」

 

 

 

 

 

 部長会議があってさ。ちょっと遅くなったけどこれから部活なんだ。

 

 隼人はいつもの笑顔をふわっと浮かべて、そう言った。

 

「ああ…うん、そうなんだ」

 

「…え、どうした優美子。なんかあった?」

 

「え?え、ううん、べつになにも?」

 

 隼人の気遣わしげな視線に、あたしはなんだか急に緊張して声が上ずった。

 

 今は姫菜も戸部もいない。あたしと隼人、二人きりだ。

 

 心臓の音が聴こえる気がする。

 

 髪、変じゃないかな。

 

 メイク、さっき直したから大丈夫だよね。

 

 うん、よし。

 

 あたしは息を吸い込んで―――

 

「はやと――――」

 

「じゃあな、優美子。部員が待ってる」

 

「―――っ、うん…」

 

 荷物を持って隼人は立ち上がった。夕日を背に受け爽やかな笑みを浮かべた隼人は、軽く手を挙げるとあたしの横をすり抜けた。

 

 扉の前でもう一度にっこり微笑み、隼人は一度も振り返らずに廊下に出て行った。

 

 行き場を失ったあたしの言葉は胸のあたりに戻っていき、そこで静かに溶けていった。

 

 溶けて、蒸発して、消えていった。

 

 その残り香だけを吸って、あたしは少し咳き込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――え、どうした優美子。なんかあった?

 

 

「隼人こそ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を開けた。

 

 ずっと同じ体勢を取っていた上半身を起こした。軋む。

 

「あたた…」

 

 なんだか肩の凝りがひどくなったような気がする。冷えたかな。

 

 目の前の食卓にはファッション雑誌が広げられ、傍らにはコーヒーカップとチョコレート菓子。一息つこうと思ってそのまま寝てしまったようだった。

 

 ゆっくり肩を回しながら立ち上がって、見慣れた部屋の様子を見渡す。完全にあたしの好みでコーディネートしたリビング。将来を見据えて思い切って2年前に引っ越した、築2年、3LDKのマンションの一室だった。子供が大きくなればだんだん窮屈になっていくのかな、なんて想像している。

 

 真尋(まひろ)はフローリングの床に寝転がって、スケッチブックにクレヨンで何か絵を描いていた。一生懸命にクレヨンを使っている姿が微笑ましい。

 

「おはよう、真尋」

 

「えー、おはようじゃないよ、こんにちはだよ」

 

「お母さんはおはようなんだって」

 

「へんなの」

 

 真尋はスケッチブックに夢中でこちらを向こうとしない。あたしは真尋の傍に座り込む。

 

「何それ、花火?」

 

「ちがうよ。太陽だよ」

 

 え、とスケッチブックを覗き込む。5歳の真尋が描いた太陽は、あたしの想像する形とは程遠かった。画用紙の中央から全方向に複数の黄色、橙、赤の線が引かれている。

 

「太陽ってこんなんじゃないの?」

 

 あたしは赤色のクレヨンを取り上げて、別の画用紙に円を描いてその周りにトゲトゲを描く。赤色のウニみたいな形だ。

 

 見ると、真尋は口をとがらせて不満げな様子だった。

 

「だって、ぼくこんなの見たことないもん」

 

「…あー、うん、まあ、確かに」

 

 そう言えばなんでみんなこう描くんだっけか。

 

「お空見ても、どこにもないよ、こんなの」

 

 我が子ながら鋭い、と思った。同時に、我が子ながら何故そんな細かいことを、とも思った。

 

「真尋は賢いなァ」

 

 さらさらした髪をくしゃくしゃすると、真尋はくすぐったそうに笑った。

 

「つか、真尋、にーちゃんは?」

 

「つか、ってなあに?」

 

「つか―――みどころのない奴め、の略。で、にーちゃんはどこいった」

 

「…???…にーちゃんはお外に行ったよ」

 

「外?公園?どこ行ったし…」

 

 真尋のあいまいな表現に少し不安を覚える。大方公園だとは思うけれど…買い物に行きがてら、公園を覗いてみるか。壁に掛けられた時計を見る。まもなく午後4時と言ったところ。もう少しすれば日は落ちてしまうはずだ。休日出勤の夫が帰ってくる前に食事の用意をしなくては。

 

 あたしは立ち上がって、いつも買い物に使っているマイバッグを取って来て財布と携帯を入れた。

 

「したらお母さん買い物行ってくるね。真尋も行く?」

 

「ぼく、今はお絵描きのキブン」

 

「……あ、そ」

 

 真尋は園児のくせにたまにこういった可愛くないというか妙にマセたところを見せる。

 

 誰に似たのだろう?あたしではないのは確かだった。兄の方も弟の方も、あたしにはあまり似ていない。あたしの要素はこの子らのどこにあるのだろう?…顔?

 

「じゃ、いってきます。ちゃんとお留守番してなよ。誰か来ても鍵開けちゃだめだかんね」

 

「わかってるよ。いってらっしゃい」

 

 真尋は返事をしつつも、目は画用紙のまま、黄、赤、橙、それから白の線を描き続けていた。

 

 あたしはつっかけを履いて外に出て、鍵を閉めた。なんとなく太陽の位置を探すと、一応、確認はできた。あの西の空に見える白い強烈な光が太陽だ、と思う。確証はないけれど。

 

 少し自信がなくなってきた。

 

 眺めるには眩しすぎて、太陽の形を確かめることはできない。

 

 太陽は、見えないもの、なのか、見えるもの、なのか。

 

 今まで思い出すこともなかったのに、妙な話だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マンションから子供の足でも五分足らずの場所に、噴水のある大きな公園があった。遊具も豊富で屋根つきの休憩所もあり、この辺の小さな子供および奥様たちが集まる憩いの場所だった。

 

 犬の散歩をするおじいさん、ジョギングをする若者。くたびれた様子のサラリーマン。そして小学生くらいの男の子と女の子の集まりが二つほど。

 

 一つは遊具の周りで鬼ごっこをしているグループ、もう一つは、テーブルベンチに集まって携帯ゲームをして遊んでいるようだった。鬼ごっこはともかくもう一つのグループは健全なんだか何だかわからない。

 

 あたしの探していた男の子は、どちらにも属さず離れたところのベンチに座っていた。隣にはあたしと同年代くらいの女性が座っている。二人は何か話しているようだった。

 

 状況が読めなくて、あたしは近づいて行った。

 

千尋(ちひろ)

 

「あ、お母さん」

 

「外出るときはちゃんとどこ行くか言ってから行きなさいよ。お母さんは寝てたけど」

 

 言いつつ、あたしは千尋の目が少し赤いことに気づいた。泣いていた?

 

「ご、ごめんなさい…」 

 

 真尋(まひろ)の二つ上の兄千尋(ちひろ)は少し気弱なところがあって、今もおどおどと隣の女性とあたしとの間で視線を行ったり来たりさせていた。自然、あたしの目もその女性に向く。

 

 座っていた女性もあたしをじっと見つめていた。目が合うとにっこり笑いかけてくる。どこかで見覚えがあるような顔だ。

 

「こんにちは」

 

「…こんにちは。この子の母で…す」

 

 喋りながら気づく。

 

「偶然ってあるものですねえ」

 

 女性の顔のほころびが増す。記憶の中にあるものよりもいくらか大人びた笑顔。あたしも思わず笑った、でも多分苦笑いだったと思う。

 

「…ほんと、ね」

 

 ゆったりとした白のワンピースを着たこの女性はかつての後輩――――

 

 一色いろは、その人に間違いなかった。

 

「お母さんと、お友達?」

 

 千尋が尋ねる。友達では、ないかも。ま、いいか、友達で。

 

 

 

 

 

 

「いやーちょっと、すごくないですか?運命感じちゃいましたー」

 

「運命って…」

 

「三浦先輩、あ、もう三浦じゃないですね…優美子さんはここら辺に住んでるんですか?」

 

「…あー、あたしら最近引っ越してきたばっか。ちょっといったところのマンションなんだけど」

 

「そうなんですかあ。ご近所さんですね」

 

 一色、いや、もう一色ではないけれど、彼女は嬉しそうに笑った。なんとなく恥ずかしくてあたしは曖昧に笑った。名前が変わるっていうのはこうしてみれば不思議なものだ。

 

「公園が家の近くにあるっていうのは凄く良いですよね。キャッチボールができます」

 

 キャッチボール?なんでそこでキャッチボールが出てくるんだ、と思う。よくするのだろうか?

 

「いっし…いろははここではなにしてたの」

 

「散歩ですよ。夫と二人で」

 

「ああ、なるほど。じゃあその夫は?」

 

「ちょっと疲れちゃったって言ったらわたしをここに置いてどっか行っちゃいました。多分飲み物とか買ってきてくれるんじゃないですかね」

 

「え、自販機あっちの方にあるけど」

 

「あの人は最近よく慌てるんですよねえ」

 

 そう言ういろはの視線の先には、鬼ごっこをして遊んでいる小学生のグループだ。千尋もその中に入っていって遊んでいる。そっちに行って良かった、うん。

 

 でも千尋の目が赤かったのは少し気になった。もともと千尋は泣き虫ではあるけれど、最近特に沈みがちだったのは確かだ。鬼ごっこの様子からして、仲間外れにされていると言うわけでもなさそうだけれど。

 

「…あの、さ。あの子、千尋っていうんだけど」

 

「へえ、ちひろくんですか。凄く可愛いですね」

 

「あのー、何か言ってた?実は最近ちょっと落ち込み気味っていうかさ…」

 

「うーん、まあ、少し。というか、ほとんどわたしが一方的に喋ってましたねー」

 

「え、そうなん」

 

「でも良い子ですね、とっても。人の気持ちの分かる優しい子です」

 

 いろはの優しいまなざしは、走り回る子供たちに注がれたままだ。

 

「…そっかな。ちょっと気が弱くて泣き虫なとことかあるんだけどね」

 

 あたしの言葉を聞いたいろはは向き直って目を見開き、それからふきだした。

 

「あはは、じゃあまるきりお母さん似なんですね、ちひろくんは」

 

「…え…えー、そ、そっかなぁ…明らか旦那似だと思うけどなぁ。あの人も弱っちいし」

 

「いやいや、三浦先輩そのまんまですよー。泣き虫なとこも。え、照れ隠しですか?」

 

「は、はぁ?あーし別に泣き虫じゃないし!何言ってんの!?」

 

 心の奥がむずむずして、あったかくて、これはなんだろう。恥ずかしいのか、嬉しいのか、ちょっと判断がつかない。

 

 一色があんまりおかしそうに笑っているものだから、あたしもつられてふきだしてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 色合いが変わる。

 

 徐々に、茜色へと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、帰ってきた。たんぽぽ」

 

 いろはの声に顔を上げると、公園の入り口の方から男が走ってくるのが見えた。手にコンビニ袋のようなものをぶら下げている。

 

「たんぽぽ?」

 

「たんぽぽみたいじゃないですか?あの人」

 

「意味わかんないんだけど…」

 

「職業は宇宙飛行士です」

 

「いや、ほんと、意味わかんないんだけど」

 

 いろははくすくす笑いながら男に向かって手を振った。それからよいしょ、と力を入れてゆっくり立ち上がろうとする。あたしはさっと立ち上がって手を貸した。

 

「ほら」

 

「あ、すみません。ありがとうございます」

 

 走ってきた男がいろはの前で止まり、荒い息を整えようと膝に手をつく。

 

「どこまで行ってたんですか、もう」

 

「わ、わるい、ちょっと色々ありすぎて…妙な話ばっかりだ。いや、あとで話すよ。これ、お茶。具合、どうだ?気持ち悪くないか?ちゃんといろいろ準備してから行くべきだったな」

 

「大丈夫ですって。いろいろお話してました」

 

「お話?」

 

 男は顔を上げてあたしを見た。はて、と首を傾げ、かけていた眼鏡をくいっと上げる。そしてそれからびくりと体を強張らせた。なんでビビったし、今。

 

「えっ、三浦か?あ、もう三浦じゃないか…ゆ、優美子さっ、さん?」

 

「…ひさしぶり。べつに無理して名前呼びしなくていいけど」

 

「お、おう…いや、偶然ってあるもんだな。この辺に住んでるのか?」

 

「うん、まあ」

 

 どうしたらいいか分からなくてそっけなく答える。男があからさまに挙動不審なのが少し笑える。

 

「そ、そうか。まああれだ、公園が近くにあるってのは良いよな」

 

「キャッチボールができるから?」

 

「…え、なんで分かったの」

 

 きょとんとした顔を向けられる。なんでも何もないっての、まったく。

 

 いろはと同じで、この男も記憶より大分違って見えた。ちょっとカッコよくなったと思ったけれど、口には出さないでおく。それにいろはと同じでちょっとどう呼んだら良いか分からなくて困る。どう呼んでいたっけ、あの頃は。

 

「じゃあ行きましょうか。優美子さん、今度またゆっくり会いましょうよ」

 

「そうだね。あんたとは色々思い出もあるしね」

 

「あははっ、そうですね。あ、そういえば前にこの人、葉山先輩と仕事したらしいんですよ。二人で飲みに行ったって」

 

 それを聞いて、何故か自然と顔がほころんだ。

 

 …笑えるってことは、良い思い出だったってことだろうか?

 

「へえ、そう。今どうしてるのかな」

 

「さあ。どうでしょうね。千葉にいるらしいですけど」

 

「ふーん、そうなんだ」

 

 顔を見合わせて、少女のようにくすりと笑い合う。隣の男が居心地悪そうにしているのがなんだかおかしかった。

 

「それじゃあ、また」

 

「うん」

 

 いろはが笑みを浮かべて手を振る。その隣で男はぺこりと頭を下げた。

 

「あっ、いろは」

 

「はい?」

 

「…何か月?」

 

 いろはは隣の男の顔を見て、それからあたしに笑いかける。

 

「6か月ですよー」

 

 その手は、優しく、優しくお腹を撫でている。大切なものが。

 

「そっか。あのさ、なんか分かんないこととかあったら…何でも言って。ほら、あたし、二回も経験してるし」

 

「ふふ、ありがとうございます」

 

 

 

 

 

 茜に染まる中、二人はあたしに背を向け歩き出した。

 

 つながれた二人ともう一人の影は、間違いなく家族の形のシルエットだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 千尋と手をつないで、近所のスーパーへと向かう。恥ずかしいよ、と千尋は手をつなぐのを嫌がったけれど、あたしは半ば強引に千尋の手を握った。ちょっと羨ましくなったんだ。

 

「今日のご飯、何が良い?」

 

「えーと、カレー」

 

「ぶぶー、今日は肉じゃがでした」

 

「え、クイズだったの?あれ?」

 

 首を傾げる千尋がおかしくて、あたしは微笑んだ。

 

 あなたを理解したい。

 

 あなたの気持ちを知りたい。

 

 あなたは知られたくないと思っていたとしても。

 

 それが正しいとか間違っているとか、そんなのは抜きにして。

 

 過去でもなく、未来でもなく、

 

 この時、この瞬間、私はあなたを理解したいと思うんだよ。

 

「あのねえ、千尋。お母さんは一生あんたの味方なんだから、何でも話しな?」

 

「…えー、うん」

 

 照れたように笑う千尋。そんな息子の頭をくしゃくしゃ撫でた。

 

 子供に物事を教えるにはあたしはまだ子供過ぎるかも、なんて未だに思うけれど。

 

 言葉遣いとか、まだまだ至らないところはたくさんあるけれど。

 

 でも、右手から伝わるこの暖かさは、何にも代えられない大切な宝物だと思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 太陽はその色を変えながら、ゆっくりと遠くに沈んでいく。

 

「夕焼け、きれいだねー」

 

 目をきらきらさせて、千尋は言った。ずっとそのままでいてほしい、と願わずにはいられない。限りあるN回目、何回重ねてもそのままでいてほしい。

 

「…うん、そうだね」

 

 あなたもどこかでこの夕日を。

 

 みんな、どこかで誰かと、この夕日を見ているのだろう。

 

 赤色、黄色、橙色、白色、茜色、バラ色、紫色。

 

 眺めるには眩しすぎて、太陽の形を確かめることはできない。

 

 太陽は、見えないもの、なのか、見えるもの、なのか。

 

 でも。

 

 どこまでも照らし続ける眩しい強烈な白い光も太陽で、

 

 寂しさと共に静かに色を消していく茜の夕焼けも太陽だ。

 

 そして、

 

 少女だったあたしは、どんな色の太陽でも好きだった。大好きだった。

 

 それだけは、ずっと変わらない思い出だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの、すみません。隣に座っても良いですか?

 

 ありがとう。少し疲れてしまって。ええ、ご心配なく。

 

 冷たいベンチって、二人で座れば気にならないんですよ。

 

 おやおや、どうしましたか。

 

 どうもしない?そうですか。ならいいんですけど。あっ、あんまりこすっちゃいけませんよ。ハンカチをどうぞ。いえいえ。

 

 ハンカチと手鏡は持ち歩くようにしているんですよ。

 

 

 

 誰かを待っているんでしょう、本当は。

 

 分かりますよ。でも大丈夫ですよ。みんなそうなんですから。わたしも、きみも。

 

 大丈夫です。

 

 

 助けてもらっただなんてあの人は考えているんですけどね。実はその逆なんですよ。おかしな話ですけどね。

 

 これからもずっと、なんて思うんです。

 

 あ、すみません、わたしばかり喋ってしまって。構いませんか?優しいですね。

 

 そうだ、お話をしても良いですか?小さな男の子のお話です。きみと同じくらいかな。

 

 きみと同じくらい優しい男の子のお話ですよ。

 

 他には、そうですね。ライオンのお話とか。

 

 雨のお話とか、鉄棒のお話とか、プラネタリウムのお話も。妙な話ばっかりですけどね。

 

 聞きたい?そうですか。分かりました。なら話しますね。

 

 ええと、うん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ええと、うん。

 というわけで、ママさんあーしさんの妙な話を「真っ赤な空を見ただろうか」と、「プレゼント」でお送りいたしました。いかがでしたでしょうか。感想をぜひ共有したいです。あーしさんは最強のお母さんです。

 家族っていいな。考えたらBUMPって目を空に向けることが多いなァ。

 多分囲村が一番好きなのは後にも先にもグリーフウォーカー・ラフメイカーです。ですので短編集の最初と最後に「ラフメイカー」と「プレゼント」をそれぞれ持ってきたかったという…

 そして、今作を持って最終話とさせていただきます。今までお付き合いいただきありがとうございました。





 …と、思っていたのですが、また少しだけ書くことにしました。優柔不断に定評のある囲村です。でも時系列的には今作がしんがりになりそうです。

 というわけでまだちょっとだけ続きますごめんなさい!!




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できればそうあってほしいのだ


どうも囲村です。月曜日ですねえ。手直ししてたら次第にちょっとわからなくなってきて、前作から一か月近く経ってしまいました。二人がキャッチボールする話です。


 

 

 雨の匂いがする。

 

 ノートパソコンを閉じると、小さく呻いて、強張った首回りの筋肉や肩甲骨の辺りをほぐした。

 

 部屋のカーテンは開けられていて、そこから夕日が差し込んでいる。夕日…夕日かぁ…。ああマイホリデー。酷使した目をしぱしぱさせていると、

 

「あ、お仕事終わりました?ご苦労様です」

 

 背中の方からきゃるんとした声が聞こえた。仕事中の俺の背中を背もたれにして、文庫を読んでいるいろはである。

 

「まあホントは仕事の持ち帰りはアレなんだがな」

 

「お休みの日なのに、大変ですね」

 

「言ったろ。今週はマジで忙しかったんだ」

 

 とある大物偏屈じじいの作家様に新しくついた担当が、何をしたのかそのじじいにひどく嫌われてしまった…という事案が発生したのが今週の初っ端。じじいは相当に機嫌を損ねてしまい、原稿を取ることは愚か、社員に家の敷居を跨がせないぐらいの剣幕であったらしい。

 

 頑固な年寄りはこれだから困る。あちらはあちらで今時の若者はとカッカしているに違いないが。上手いとこ痛み分けってことにしようぜ、ホント。

 

 まあ、ぼくらは人間だぜ。

 

 ()()()()()新人が周りにペコペコするのを遠目に、そう呟いたのは同僚の芦屋だった。ぜひ俺が今度何かミスったときもそう言ってくれ。

 

 ちなみに最悪原稿が落ちることも考えていたが、菓子折りを抱えてスライディング土下座しに行った部長のお蔭でなんとか間に合った。部長は伊達に部長じゃなかった。部長、野球部だったらしい。部長が野球部ってなんだかおもしろい。

 

 身体を伸ばそうと床に寝転がる。「ぐは」といろはが言い、俺の腹を枕にして寝そべった。ずっといろはの目は文庫に向けられたままだ。

 

「つーかさ、お前、それ何読んでんの?」

 

「ヒントはー、宮沢賢治です」

 

「んー、よだかの星?」

 

「先輩それ好きですねえ。でも残念、銀河鉄道が出てくるお話です」

 

「お前それほとんど答え言ってるじゃねえか」

 

「主人公に心当たりが?」

 

「他人事とは思えない」

 

「ふふ」

 

 文庫にしおりを挟み、いろははうつ伏せになると、期待のこもった目つきで俺をつっつく。

 

「え、なに」

 

「行きましょうか、先輩」

 

「え、どこか知らないけど嫌だ」

 

 途端、いろはは不機嫌そうに唇を尖らせた。すっと目を細め、ぼそっと呟く。

 

「花」

 

「ぐぇ」

 

 そうだった。

 

「…失敗しない人生なんて、ありえない、よな」

 

 噛みしめるように、一言ずつ区切って俺は言う。自らの失敗は潔く認めるべきだ。それがいつしか糧となり的な。

 

 つややかな亜麻色の髪を揺らして、いろはは首を斜め三十度に傾ける。ジト目が第二段階に移行している…パターン青、いろはです。

 

 俺は小さなベランダに置かれた小さなプランターの小さな花の哀れな姿を思う。三日前に枯れちゃった。ああ三日前に枯れちゃった小さな花。

 

「あーあ、せっかくあげたのに。ちゃんと水やるって先輩が言ったんですよー?」

 

 俺は腹筋に力を入れて起き上がった。頭をぽりぽりと掻き、謝罪の意を込め正座をする。

 

「いや、すまん。…調べてみたんだが、あれはどうやら水のやり過ぎだったらしい」

 

 俺の言葉にいろははジト目をやめて、ぷっ、と吹き出した。

 

「あはは、先輩らしいですね、水のやり過ぎかあ。先輩ってたまに激しく不器用なところありますよねー」

 

 いろはは膝立ちで俺に近づくと、上目遣いでにっこり笑う。おいやめろそんな顔すんな。

 

「絶対枯らしてなるものかってすごく熱心に水あげちゃったんですね。やれやれ、愛されるのも大変です」

 

「ぐ…」

 

 お前のその自信はどっから来るんだ、とか何とか反論しようと思ったが、10割方その通りなので、俺は黙り込む。

 

「ま、別にあれ、貰いものなんですけどね」

 

…あまりにあっけらかんと言うものだから、俺は開いた口が塞がらなかった。

 

 いろはは俺にはお構いなしに立ち上がり、

 

「さて、先輩。雨が上がったみたいなので、しに行きましょうか、キャッチボール」

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?なんだって?」

 

 確かに僕は友達が少ないが、決して難聴になったわけではない。がしかし、俺は思わず訊きかえした。

 

「だから、キャッチボールですよ」

 

 フローリングの床に無造作に置かれていた白いトートバッグから、いろははグローブを二つ取り出した。大きいのと小さいの、一つずつある。

 

「ほら、用意が良いでしょう」

 

 得意げに言い、俺に大きい方のグローブをぽいと投げてよこすいろは。

 

 渡されたグローブをまじまじと見つめる。黒の革製のそれはかなり年季が入っていて、表面のほつれなどからも使い古されたものだと容易に見て取れる。

 

「…」

 

 なんで?

 

 いろはは小さいグローブをすでに左手にはめて、右手でゴムボールをにぎにぎ、早くも少し楽しそうである。その姿はまるでおもちゃをあたえられたしょうねんのようだ!

 

「さ、行きましょうか」

 

「え、やだよ。だるいし。疲れたし」

 

 いろはは途端に眉をひそめ、むっと唇を尖らせる。

 

「だめですよ先輩。先輩みたいに出不精な人はですね、こうしてたまに体動かさなきゃ」

 

「ぬぅぅ…今日は溜まってたアニメの消化しようと…そもそもなんでキャッチボールなわけ」

 

「キャッチボールの気分ってあるでしょう」

 

「ないよ」

 

「キャッチボールの気分だな、とか、お昼寝の気分だな、とか、お絵かきの気分だな、とか」

 

「気分、って自分、と似てるな」

 

「微分積分」

 

「気分自分、って?」

 

「意味わかんないこと言ってないで早く準備してください」

 

「くっ」

 

 その後結局俺は折れた。決め手は花を枯らしてしまった負い目だ。やっぱり何事もやり過ぎは良くない、つまり適度に手を抜くことが人生において求められる最重要能力なのだろう。俺の得意分野じゃなかったかしらん。

 

 何を考えているのか、または何も考えていないのか、いろははにこにこと嬉しそうだ。そう言えば今日のいろはは薄い色のデニムのショートパンツだ。ひょっとすると最初からこの予定だったのかもしれない。

 

 全くどうも、俺はこいつには弱い。鉄パイプで窓を割られた時から。いや、もっと、前から、かも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 アパートからその公園はわりと歩く。

 

 この街中に、かなり大きな敷地の公園だ。芝生でサッカーはまず間違いなくできるし、子供たちが遊ぶアスレチックの種類も相当に豊富だった。屋根つきのベンチなんかもある。

 

 近所の子供、あるいはたまに子供みたいな大人もたむろしているが、あいつらはきっとピーターパンの手下だろう。そういうことにしておいてやろう。そういや原作じゃピーターパンは生粋の大人嫌いで、成長して大人になった手下たちをもサツガイしやがるらしいな。

 

 いろはは俺を一瞥、のち、一言、

 

「そんな話、わたし以外にしたらドン引きされちゃいますよ」

 

 …あぶねえ。やっぱりそう?だが大丈夫、そんな心配はない。

 

 雨に濡れた草木の独特な匂いを嗅ぎながら、俺たちは公園の中を進んでいった。

 

「最近暑くなってきましたねー」

 

「そうだな」

 

 錆びた鉄棒を尻目に、俺は相槌を打つ。鉄棒の隣には砂場があって、建造中のダムが堂々と影を作っていた。ダムには雨がたまっている。

 

「洗濯物は乾きやすくなりましたけど」

 

「そうだな」

 

「今年の夏は海に行きたいです」

 

「ええ…」

 

「海で泳いで温泉に泊まりましょう!」

 

「温泉で泳げば」

 

「意味の分からないことを言わないでください!」

 

「お前がナンパされるのは嫌だからなあ」

 

「すみません、わたしが可愛いから!」

 

「ああ、お前が可愛いからな」

 

 目を丸くした一色が次の瞬間、咳き込み始める。

 

「おい、どうした。虫でも飲み込んだか」

 

 いろはは俺の言葉に笑う。が、咳は止まらず苦しそうだ。背中をさすってやる。小さな背中は俺にされるがままだ。

 

「…先輩、たまにどストレートの剛速球放ってくること、ありますよね」

 

 背中をさすられて顔が赤いままの一色が、どこか悔しそうに言った。

 

「そうか?」

 

「普段が普段だからより一層…なんというか、ジャイアンが映画で急に良い奴になる現象に近いものがありますっ」

 

 なんだそりゃ。

 

「そういうとこ、好きですよー」

 

 もう大丈夫そうだ、と俺はいろはの背中から手を離す。いろははそっぽを向いて、

 

「でもあんまり、よそでやっちゃダメですよ」

 

 

 

 

 

 

 

「とお」

 

 午前中の雨に濡れてきらりと光っている芝生に踏み込むと、俺の後ろから気の抜けた掛け声とともにボールが飛んで行った。

 

 うわっ、と、俺は思わず走って、オレンジの空を高く上ったボールを追いかける。

 

 が、かのリンゴをも落とす最強の法則に従い、ゴムボールは俺の数歩前に落ちる。

 

「ちゃんととってくださいよー」

 

「いや、とれるわけないだろ!」

 

 向こうでいろはが楽しそうに笑っているのが見える。

 

 俺たちは数メートル離れ、キャッチボールを始めた。いろはは思ったよりもまともにボールを投げてきたし、思ったよりもしっかりキャッチできていた。俺は適当に加減して軽く放る。一色がひょい、と投げる。俺が受け取り、ぽーんと返す。その繰り返しだ。

 

 ただその繰り返しだ。

 

 ひょい、ぱし。ぽーん、ぱし。

 

 ひょい、ぱし。ぽーん、ぱし。

 

 これが意外と、楽しいのだ。こいつとやるまではキャッチボールの存在理由すらピンと来なかったものだが、今では、そう、うん、まあ、楽しい。少なくとも、一人野球よりは。

 

 いろはも俺も段々慣れてきて、距離を少しずつ伸ばしていった。

 

「へいへい、ピッチャーびびってるぅ!」

 

「なんだと?ならこれでどうだ!」

 

「―――っと!ふふん、これくらいどうと言うことはありませんよっ」

 

「やりおるな、貴様。名を何というっ」

 

「わたしこそ今世紀最大の美しすぎる野球選手!一色いろは!」

 

「うわああっ、なんて美しさだ!」

 

「…え、えへへへ…」

 

「…おい、途中で照れるのずるいぞ」

 

 ただの暇つぶしだったはずなのに、俺たちは時間を忘れて夢中になっていた。いつの間にか辺りは薄暗く、太陽の退勤時間が近づいていた。夜勤の月がやってくるのも時間の問題だろう。

 

 そろそろ家に帰るか。いろはは今にも飽きたと言い出しそうだった。俺はまだやっても良かったが、完全に暗くなる前に帰るべきだろう。俺がそう言いだそうとする―――

 

「そうだ」

 

 不意にキャッチしたボールを見つめ、いろはは首をかしげながらもぞもぞとやる。

 

 不審に思って近づこうとすると、いろははさっきまでと違ってぎこちなくボールを投げてきた。コントロール度外視のカーブボール。なんだ、お前、ちっさい手でよくボール握れたな。

 

 とれるわけないだろ!

 

 心の内でそう毒づきつつも、俺は大きく右にそれたゴムボールを追いかけた。走る、走る。左手を目いっぱい伸ばし、ミットぎりぎりで捕まえた。体勢を崩しすっ転ぶ。それでも俺はボールの収まったグローブを掲げ、

 

「アウト!」

 

 いろはは目を見開いて、それから口に手を当てて可笑しそうに笑った。

 

「とれないと思ったのに」

 

「ふん、ちょっと本気だしたからな」

 

 強がって言うと、シャツについた芝を払って立ち上がる。

 

「とれなくても良いんですよ」

 

 いろはの優しい声が風に乗る。

 

「とれなくても、とるんだよ」

 

 絶対にとってみせる、と、密かに誓う。

 

 

 

 

 

 

 

 とうとう本当に暗くなって、ボールも見えなくなってしまう。どちらからともなく歩み寄り、キャッチボールをやめた。

 

 暗い公園を出て、ついでに何か食べていこうということになり、俺たちが頻繁に訪れるラーメン屋を目指して歩いていく。太ると文句を言いつつ、いろはも今ではすっかりラーメン好きだ。

 

「あ、」

 

 花屋の前を通りかかり、いろはは思案顔だ。

 

「ちょっと待っててくださいね」

 

 そう言って店の奥に姿を消す。やがて出てきたいろはが手にしていたのは、俺が枯らしたのとは別の花のようだった。

 

「はい、どうぞ。今度はわたしのちゃんとしたプレゼントですから」

 

「…今度は絶対、枯らさない」

 

 名前も知らない花だが、俺好みの色で、そこはかとなく気に入った。どんな色か?いや、なんというか言うまでもなく、俺の好きな色だ。

 

「……」

 

「…」

 

「つか、ラーメン食べに行くのに」

 

「あ」

 

 しまった、といろはは今気づいた顔だ。

 

「…ま、今日は家でもいいんじゃないか」

 

「じゃあ炒飯ですね!逆に炒飯しかありえません!」

 

 きゃるん、といろはは笑顔になる。花が咲く笑顔。最初に例えたのはどこのどいつだ。おかげでこっちは予定が狂いっぱなしだ。花咲くなんだっけ。本当に参った。俺の負け。弱点なんだ、効果は抜群で2倍ダメージというか、ああ、ええと、うん。

 

 来た道を二人で逆戻りする。街灯が、繋がれた二つの影を舗装された道路に映し出す。人が暗闇を怖がるのは、暗闇は一人でいるような気がしてしまうからなのだろう、と想像する。実際、今は大して怖くない。

 

 へっちゃらだ。

 

「いろは」

 

「なんですか?」

 

「俺、キャッチボールすんの、初めてだった」

 

 唐突な俺の告白に、いろはは押し黙る。

 

「結構、楽しかった」

 

 呆れられるか、バカにされるか、どっちかだと思った。

 

 だが、俺はやっぱりこいつには、かなわない。

 

「じゃあ、またやろうね」

 

 ふわりと柔らかくいろはは微笑んだ。

 

「これからもずっと、できるよ」

 

 きっとこれまでのたくさんの花が繋がって連なって、そうして今があり、未来に結びついていく。

 

 そういうふうにできている。

 

 

 

 また、花が咲く。

 

 枯らさない。

 

 

 

 

 




 まあ、ぼくらは人間だぜ。

 今回はそのまま、「キャッチボール」でした。これって小説に音つけたんですか、みたいな曲です。花のくだりは「ホリデイ」という「スノースマイル」とのカップリング曲でした。

 ご意見ご感想、お待ちしております。

 


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ツイソウ

どうも、囲村です。久々更新です。お待たせいたしました。そろそろネタ切れです。
 
男の思い出の話です。


 人生ってこんな感じ。

 

 朝起きて仕事に行って帰って夜寝る。朝起きて仕事に行って帰って夜寝る。

 

 奇跡的に仕事がない日は寝て寝て寝て寝て寝る。寝て寝て寝て寝て寝る。

 

 休みが欲しい、もっと寝たいわけじゃないけど。でも、まあ、うん。

 

 俺が想像する大人ってこんなだったか。ユメとかキボーとかどっか落としてきて。

 

 努力してる、そうだろ、確かにそうだ。俺頑張ってる。

 

 厭きるほど繰り返し繰り返し腐り腐りまた今日が昨日の明日で今だ。

 

 

 

 慰めはいらないけど、俺は虹を見てたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 名前を呼ばれた俺は立ち上がり、名前を呼んだ看護師の方へ歩いて行く。ふわふわとした、陽だまりのような雰囲気のその看護師は、俺の顔を認めにっこり笑う。俺も笑い返す。笑うのは得意、そう、高いとこによじ登って高笑いするあの子の真似をしてるだけ。

 

「きょうはどうされましたか」

 

 通された部屋にでんと座るのは恰幅の良い赤ら顔の老人だ。真っ白なひげ。白衣を脱いで赤い服を着て白い袋を担げばサンタクロースだ。

 

「ええ、なんだか少し胸の方に痛みが」

 

「むねのほう、とはどういうことですか」

 

「心臓の反対側のあたりです」

 

「そうですか。今もいたいですか?」

 

「いたいのはないですね、もう」

 

「それはよかった」

 

「僕からも質問してもいいですか」

 

「わたしは医者ですよ」

 

「そんな」

 

「副業はしていますが」

 

「やっぱり」

 

 うなずく。看護師が壁の方でにこにこ笑っている。サンタクロースはカルテらしき紙に何やら書き留めると、その看護師に渡した。看護師はそれを持って奥の方に消えていく。

 

「あなたはお仕事は何を?」

 

「サラリーマンですよ。有給がたまり過ぎて溢れていたので今日は休んでみました」

 

「パソコンをかなり使うでしょう」

 

「パソコンしか使いません」

 

「パソコンをよく使う人間の目は死んだ魚のようです」

 

「あなたは使わないんですか」

 

「使いません。パソコンなんて人に害しか与えない。パソコンが滅べばもう少しこの世も明るくなりますよ。世の中なんて月明かりで充分です」

 

「僕の仕事はそのパソコンで成り立っているのですが」

 

「じゃ、あなたも滅べばいい」

 

「なんてこと言うんですか。僕は病人ですよ」

 

「病人の自覚はあったんですね」

 

「さよなら」

 

 ちょっと苛立って同時に席を立って、部屋から出た。待合室に戻ると、看護師が待っていた。

 

「保険証をお返ししますね。料金は1000円です」

 

「1000円は良いんですが、薬はもらえないんですか」

 

「馬鹿につける薬はありませんよ」

 

「俺、そんなこと初めて言われましたよ」

 

「ごめんね。少し言ってみたかったんだ」

 

 看護師はナース服のまま外に出て行こうとする。出口で立ち止まって、俺を手招きした。

 

「ちょっと薬が今ないから、外に探しに行こうね」

 

「嘘でしょう」

 

 目をむく俺に笑いかけ、看護師は俺の手を取った。

 

「久しぶりだね、葉山君」

 

「…お久しぶりです、城廻先輩」

 

 

 

 

 

 

 

 城廻先輩と二人で病院を出て、連れ立って歩く。真っ白い先輩はなんだか実体が掴めなさそうで困る。本当に先輩はそこにいるのか不安に駆られる。

 

「偶然だね、嬉しいなあ。元気にしてた?」

 

「元気にしてたらここへは来ませんよ」

 

「葉山君、そんなキャラだったっけ」

 

 めぐり先輩はにこにこと楽しそうに笑う。

 

「それに偶然じゃないんですよ」

 

「え?」

 

「先輩がここにいらっしゃるって聞いたので、来たんです」

 

「えー、そうだったんだ。嬉しいな」

 

「ナース服とても似合ってますよ」

 

「葉山君、照れるよ~」

 

 ふんわりとしたわたあめが浮いてふわふわと揺れる。ぽかぽかと心が温められる。そんな感じ。懐かしい。城廻さんは何年経っても変わらない。

 

「どこに行くんですか」

 

「ここだよー」

 

 俺たちは土手に来ていた。草むらの緑が生い茂っている。遠くに見える川の流れが太陽の光を反射していて綺麗だ。

 

「あ」

 

 俺が見つけたのは、草むらの中の白い花だった。花――――だと、思う。こんなところに咲いているけれど。背が高い。雑草なんかじゃないだろう。だってこんなに、

 

「見つけたの?」

 

 軽やかな声がする。振り向くことなくうなずいて、俺は手を伸ばした。

 

 それからすぐに引っ込める。

 

「どうしたの?とらないの?」

 

「めぐりさん、俺が取っていいんでしょうか」

 

「引っこ抜いたら枯れちゃうよ、きっと」

 

「ですよね」

 

 不意にクラクションを鳴らされ、俺と城廻先輩はびっくりして肩をすくめる。向こうから大きくて真っ赤なレッカー車がゆっくりと獰猛にやってくるのが見えた。

 

 レッカーに引きずられているのは青色のバイクだ。ネイキッドかもしれないしレーサーかもしれない。よく分からない。なにしろぺちゃんこに潰れているからだ。昔ヒゲの配管工が紙みたいにペラペラになって冒険するゲームがあったなと思いだした。

 

 直すのにいくらかかるんだろうな、と思う。

 

「お前の値段はいくらなんだよ」

 

 レッカー車が吐き捨てるように言った。

 

「人の事、気にしている場合かよ、バァカ」

 

 レッカー車を直視できなくて俺は目をそらす。胸が苦しくなって、白い花の居所が気になり慌てて探す。良かった、ちゃんとそこにある。手を伸ばせば多分届くだろう。簡単に折れそうにないほどまっすぐ伸びている。

 

 俺の助けはいらないのかも。

 

「大丈夫?」

 

 めぐり先輩が隣に来て、俺の顔を不安げに覗き込む。

 

「俺はいつでも大丈夫ですよ、城廻先輩」

 

「はるさんといっしょだね」

 

「ええ、陽乃さんといっしょです」

 

 意地悪な視線を送ったつもりだったけれど、城廻めぐりは柔らかく微笑んだままだ。薄桃色のナース服が似合っている。この白い人をどうしたら傷つけることができるだろうと一瞬考えて、死にたくなる。

 

 白い花は本当にまだそこにあるか?

 

 めぐりさんは俺の手を取って、白い花に向けた。

 

「あれだよ、葉山君。きみにつける薬だよ。一つ、取っていくと良いよ」

 

「だめですよ、城廻さん。引き抜いたら枯れてしまう。俺はあれを抜いてはいけない」

 

「じゃあ、あれでもいいじゃない。その隣の、似てるけど違う花。ヒメジョオンっていう名前だったかな。あれでも代用できるよ。効用は少し落ちるけどね、概ね、良いよ」

 

「俺にはそんなことはできない」

 

「そうかな」

 

「あなたにはあの花の違いが分かるんですか」

 

「きみこそ分かったつもりなんじゃないのかな?」

 

 言うなり、土手に入って行こうとするめぐり先輩。今度は逆に俺が彼女の白い手を掴んだ。微笑みを顔に浮かべたまま、先輩は振り向いた。

 

「なにするつもりだよ、陽乃」

 

「もう遅いよ、はーやと。嘘ついて遠ざけたのはきみだよ。今更なに?」

 

「悪いのは俺かよ」

 

 ぞっとする。

 

 悪いのは俺。俺が悪い。俺が間違っている。間違っているのは他でもなく俺。俺の価値は、俺を修理する費用は、何かにすがっているだけだろう?俺は。でも、とりあえず俺は、それでもしぶとく生きるしかない。金を稼いで生活していくしかない。それしか方法がない。

 

 それしか方法がない。選べるお前とは違うんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結局本当に人を好きになったことがないんだろうな」

 

「…好き、なの」

 

「本物なんて、あるのかな」

 

「いつか私を助けてね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クビにしてください」

 

 190cmの巨大な体をすぼめるようにして、出来ることならこのまま消えてしまいたいと言わんばかりのか細い声を出し、石清水(いわしみず)は頭を垂れた。

 

「もう自分が嫌になりました」

 

 新入社員の石清水。面接をしたのは俺だった。学生時代ラグビーをしていたという、スーツの上からでも分かる立派な体格に似合わず、優しい心の持ち主だ。有体に言えば巨大な自身と小さな自信。面白いかも、と思って採用したのだった。

 

 しかしその自信が育たない。

 

「お前のミスが多いのは今に始まったことじゃないだろ」

 

バカだな、と俺は寛大に笑う。どうせ人間はいつか死ぬのに、とか、まあそんなこと言ってる場合ではないか。

 

「でも、僕はもう本当に駄目で」

 

「それじゃ責任を取ったことにならない。これから倍働いて失敗を取り返すことでしか失敗は取り返せないぞ…って俺は何言ってるんだろうな。はは」

 

 石清水が小さく、どんよりとした目で俺を恐る恐る見た。隈がひどい。多分俺の顔も同じようにひどいのかも。何しろ俺も石清水も寝不足だ。

 

「気にするなとは言わないけど、お前がいなくなったら余計俺たちが困るんだよ。迷惑かけたと思うんだったらこれからもっと頑張ってくれ」

 

 石清水の大きな肩をトントンと叩いて、俺は一見良いことを言う。一見良いことに聞こえるがその実あんまり中身のない漠然と抽象的で綺麗な上辺の言葉。要するに大したことは言っていないのだ。要するに大したことは。

 

石清水は小さくうなずくと、のそり、と自分のデスクに帰っていく。

 

 まあ、いいか。誰にも聴こえないように溜息をついた。それからこちらを伺っていた一人の社員に目くばせする。中途採用のその若い社員はデスクの書類の山を崩さないよう慎重に立ち上がり、こちらにやってくる。

 

「あの、さ。石清水君の事」

 

「あ、はい、分かってます」

 

「いつも悪いな」

 

「いやいや、全然っス」

 

「その眼鏡お洒落だな」

 

「あはは、あざっす」

 

石清水のミスは全員でカバーしてやらねばならない。その後の対応で会社全体の仕事が大幅に遅れに遅れ、俺や石清水といった一部の社員はこうして居残り補習授業が何とやら………

 

「…」

 

「起きて」

 

 突然頭に外部からの衝撃が走り、俺はがばっと上体を起こした。周囲をきょろきょろすると、川崎が右手を握ったり開いたりしながら冷たい目で俺を睨んでいた。衝撃の元はきみか。

 

「あ、寝てたのか、俺は」

 

「寝てた」

 

 川崎と一緒に働いて知りえたことだけど、寝不足だと彼女は常時冷たい目の温度がさらに下がり鋭く鋭敏に尖り始める。素直に怖かった。

 

 ぐう、俺の腹の音が鳴る。すがるように川崎を見ると、彼女は目線だけでテーブルの上の弁当屋のビニール袋を示した。おおっ、と俺は立ち上がる。

 

「さすが川崎だ」

 

「のり弁とから揚げ」

 

「から揚げ貰って良いかな?」

 

「お好きに」

 

 個人デスクとは別の大きな白いテーブルに向かい合って座って、いただきますと手を合わせる。弁当の蓋を開けるとほかほかと湯気が立ち上る。早速から揚げを一つ頬張った。温かくて美味い。

 

「わるいな、川崎。付き合わせて」

 

「今に始まったことじゃないでしょ」

 

 アイもアイも相も変わらず川崎はそっけない。最近少しだけ柔らかくなったような気もするけれど、社員たちにはその鋭利な美貌とつっけんどんな立ち振る舞いから恐れられる存在となっている。社長の右腕、ならぬ()()()()()()までささやかれているらしいのには閉口。

 

 まあ、俺に対しての態度が一番厳しいのかもしれないけれど…流石に嫌われているなんてことはないと思うけれど…

 

しばらく二人で黙って弁当を食べ続けた。オフィスとは聞こえの良い小さな本拠地を見渡す。つける電気は少なめにしている。窓の外は真っ暗闇だ。あそこを一人出歩くには勇気が足らなさすぎる。ごちゃごちゃした社員たちのデスク。それから長い睫毛を伏せ、ゆっくりとおかずを口に運ぶ川崎。

 

「なんか今、胸が痛い」

 

「はあ?」

 

「いや、なんかここら辺が」

 

 自分で触ってみる。分からない。多分胸だと思う。ひょっとしたら頭かもしれないし、どこか別の臓器の可能性だってある。けれど、なんとなく、痛みの発信源が胸だと思うから胸なのだろう。

 

 川崎が箸を止めて、じっと眼差しを投げかける。

 

「……病院行ってこれば」

 

「いや、ううん、べつにそれほどの」

 

「有給取って」

 

「いや、でも」

 

「良い病院教えてあげるから」

 

「いや、だから」

 

「行きなさい」

 

「うん、行ってくる」

 

 

 

 痛みと言うのは知らせだと思う。

 

 誰かが何かを叫んでいるような。

 

 例えばあの人たちみたいに。

 

 

 

「…最近、色々な事を思い出すんだ」

 

「へえ、どんな」

 

 俺の唐突な呟きにも、彼女は一応、それはそれは淡泊ではあるけれど、反応は返してくれる。たまに無視する。

 

「子供の頃は凄く楽しかったな、とか」

 

「ふうん」

 

「寂しさの方がきっと多いけどさ」

 

「そう」

 

「人間の脳って都合よくてさ、そういうの、忘れるんだよな」

 

「…」

 

「でも良いんだ、それでも。というか、人生の意味なんてなんだっていい」

 

「…」

 

「別に分かったようなふりして悟ってるわけじゃないよ」

 

「…」

 

「でも、なんというか、「まあ、いいか」って感じ」

 

「…そっか」

 

 考えても仕方のないことをずっと考えている。人間ってなんだ、人生ってなんだ、生きてる意味ってなんだ。働いてなんになる。そうやって繰り返して繰り返すだけなのに。

 

 終わるまで続けるだけだ。考える余地はない。

 

 ただ、花の色と、場所さえちゃんと分かっていれば、それでいい。

 

 花の色は何色か?花はどこに咲くか?

 

 花は生きているか?花は僕を見ているか?

 

 川崎は少し上目遣いになって俺を見たけれど、何も言わずにお茶のペットボトルを手に取った。こくり、こくり、と彼女の白い喉が動く。しばらく見とれていたけれど、

 

「いや、何か言ってくれよ。恥ずかしいじゃないか」

 

 そう言ったのに、川崎は口を開かない。

 

 本当に優しい目で俺をもう一度見つめ、視線をすぐに逸らす。また、目を合わせる。

 

 そして小さく口元で笑った。

 

 川崎は何も言わない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 植物図鑑を買って帰ろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 結構好き勝手やりました。上手く伝えられなくてすみません。

「モーターサイクル」と「ハルジオン」です。

 二つともかなり好きです。とくにハルジオンの曲の入り方。口ずさみます。藤原さんの歌詞はホント、もう、ボカァ大好きだァ。

 butterflyは妹が買ったらしいので、囲村は買わず今度借りようと思います。貧乏学生ですので。

 ご意見ご感想、お待ちしております。 


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水没の足首

お久しぶりです。亀更新のバカです。

いつのまにか四月です。

お待たせして申し訳ありません。

曲聴いてたらこうなりました。いったいどうして。その代わりダイヤモンドメイカーくらい長くなりました。

悪意の女の子の話です。




 

 

 

 

 

 

 

 

誰もいない体育館でドリブルをすると、なにかいけないことをしているかのような気持ちになる。背徳、とまではいかないけど。

 

 ボールの弾む音が響くからだ。耳に残ってなかなか消えないからだ。

 

 練習でも試合でも、ドリブルなんて何も特別な事じゃない、のに。

 

 誰もいないとこんな音。だむどむだだん、だむどむだむ。音が消えない。

 

 わたしは3Pラインの外側、右45°の位置に移動して、軽く前傾姿勢でドリブルを続けた。そのまま、ボールを右手から股を通して左手に持ち替え、その手首を返して背中側から右手に戻し、最後に体の前からもう一度右手から左手に移す。今度はその勢いのまま、3Pラインの内側に切り込んでいく。

 

 弾むボールに引っ張られるように、体を斜めにして。

 

 緩急をつけた動きで架空の(ディフェンス)を翻弄し、シュートチャンスを作る。ドリブルを中断し、両手で胸の位置にボールをしっかり支える。床から3mの位置の、赤くてつるりとしたバスケットリングを睨み、膝を曲げ体の勢いを殺し、ボールを胸から押し出す。

 

 スナップスナップ、手首のスナップでボールに勢いをつけてやる。ボールは弧を描き飛んで行く。わたしの思惑とは少しズレた角度で。

 

 シュートは入れば最高に気持ち良いけど、外せば途端に煩い。今もガシャンと耳障りな音を立てて、ボールは外れてコートに落下した。

 

 勢いを無くしつつ孤独に弾み続けるボールを眺め、ほっぺたの汗をシャツの襟で拭った。

 

 可哀想なボール。ドライブからのジャンプストップシュートはそれだけで難しい。

 

 きっと多分

 

「体幹がまだ」

 

 弱いんだろうな。

 

 呟く。

 

「はるかー、いつまでやってんのー?」

 

 名前を呼ばれて我に返り、わたしは声のする方に笑顔を向けた。

 

「ごめーん、今行く!」

 

「なに?自主練しちゃう系?」

 

「うーん、熱血系?」

 

「あははっ」

 

 チームメイトの友達は笑う。わたしは急いで薄汚れたボールを回収すると、彼女の元へ向かって走った。暑い。顎に垂れた汗を拭う。

 

 孤独なボールのためにも、シュートは外したくないものだ、と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 佑貴子(ゆきこ)とは高校に入って最初に仲良くなった。一年生の時に同じクラスで、席が近かったのが喋ったきっかけだ。話していて馬が合ったし、()()()()()()()()()も同じくらいだったし、中学の時の部活も同じバスケ部だった。当然、バスケ部にも一緒に入った。バスケ部でも多分一番仲が良い。

 

 友達はできたとしても仲良くなれるとは限らないから、その点、わたしは結構運が良かったと思う。

 

 通学に使っているバスに二人で乗り、並んで座る。休日の午後、バスの中は空いている。

 

 膝の上のエナメルバッグはアディダスの色違いだ。佑貴子が白地にピンク、わたしのが黒に水色。

 

「スタバ行こ」

 

「スタバる?」

 

「スタバろう」

 

 佑貴子がおどけるので、わたしもつられて笑ってしまう。佑貴子は一見きつそうなつり目だけど、喋るときたまに困ったように眉を下げるのが可愛い。

 

 二年生になって佑貴子とクラスが別々になってしまった時はかなりがっかりした。同じになる確率が低いことくらい、頭では分かっていたけど。

 

一応新しいクラスでもある程度の位置は確保できたけど、やっぱり佑貴子が一番だ。佑貴子もそう思っている――――思っていたら、嬉しい。言葉じゃなく、本音で。

 

「何飲む?」

 

「あたし新作のやつぅー」

 

 わたしの問いかけに、佑貴子は語尾を伸ばしてのんびり答えた。

 

「また?あれそんな評判良く無くない?」

 

「評判は分かんないけどー、なんかクセになって」

 

「てかもうあれ既に新作じゃないでしょ」

 

「あははっ、確かに。いつ頃出たっけ。体育祭のちょい後…」

 

 停止ボタンを押したように、佑貴子の言葉がぷつりと途切れる。わたしは何でもないようなふりをして髪を束ねるシュシュに手をやった。

 

 バスの駆動音が耳の奥まで届く。その鉛のように重い音を耳の穴から掻き出したい衝動に駆られて、その代りにわたしは脳内に在った適当な話題を引っ掴んで投げた。言うまでもなく、この場合の「適当」は「テキトー」って意味だったけど。

 

 佑貴子がちゃんとキャッチしてくれればいい。

 

「…ってかさー、もうすぐ修学旅行じゃんね。班決めっていつだっけ?」

 

「……あー、うん。いつだっけ。ホームルームで決めるんだよね。てか遥、自由時間、待ち合わせて一緒に回ろうよ」

 

「それあり。えー、どこ行く?金閣とか?」

 

「金閣はー、多分クラスで行くわ」

 

「あ、わたしもかも」

 

「何で言ったし!」

 

 隣にいるのに目線を合わせず、わたしたちは反対側の窓の外を一緒に見ながらずっと喋っていた。

 

 雨が降りそうだった。傘を持っているのは佑貴子だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駅前でバスを降りると、わたしと佑貴子はスタバに向かった。佑貴子は宣言通りのものを頼み、わたしは無難な黒色の飲み物を頼んだ(お腹が空いたのでサンドイッチも)。

 

 わたしたちはいつものようにとりとめのない話を続けた。修学旅行の行先、自由行動の時間、班員、お土産の話…立ち読みしたファッション誌の話、モデルの話、秋物のセールの話…数学の宿題、数学教師のこき下ろし、教室内の男子のくだらない話…

 

 ずっと話していたかったけど、部活後で体も疲れていたし、あまり遅くなると気温が下がって寒くなる。日が少しずつ落ち始めた頃、わたしたちはどちらからともなく言って店を出た。

 

 夕闇の中、雨は微かにいつの間にか降り出していた。傘を持っているのが佑貴子だけだったので、その傘に入れてもらう。佑貴子と別れるまでに傘を買わないといけないかもしれない。相合傘、ひとりぼっちの相合傘は恐ろしく寂しい。

 

 この雨は夕立ではなかった。

 

 佑貴子がいつも行く道とは違う道を歩き始めた。わたしは一緒についていく。

 

 不思議に思ったけど、わたしは少ししてから、さも今気づいたように佑貴子に尋ねる。佑貴子は傘をくりんと回し、横目でわたしを見た。困ったように眉を寄せ、

 

「んー、まあ、なんていうか」

 

 濁す。あ、これはなんかアレなやつだ、とわたしは色々想像し始める。

 

 色々といっても大体見当はつくけど。さっきの停止ボタンの後遺症。

 

 多分、きっと、アレだ。そんな気がする。端的に言うと()()()()()()()()()()だ。スタバでの長話でも触れなかったアレ。

 

 佑貴子の目を覗き込むと、わたしの予想が当たっていることがありありと見て取れた。

 

「…できればなかったことにしたいよね、アレは」

 

「とにかく、もう、あんなのごめんだね」

 

「来年はもう手伝いたくないっていうか」

 

「ていうかもう関わりたくない」

 

「ほんとそれ」

 

 わたしたちが関わった体育祭の運営委員会の一件。と言っても、その前の文化祭から話は続いているけど。「けど」っていうか、「だから」っていうか、

 

 相模(さがみ)(みなみ)という名前のあの子はわたしたちの中でまだ続いている。

 

 なにか黒々としたドロドロが、わたしのあんまり大きくない胸の中を渦巻き始める。誰かが指でかき混ぜたみたいにぐるぐる回り出す。

 

 思えば最初から相模のことは気に入らなかった。卑屈さと傲慢さを併せ持っていて、それをうまく隠せていると思い込んでいる下手クソだ。

 

 佑貴子が同じ中学だったから顔見知りで、だから仕方なく文化祭の時は一緒にいた。「スキルアップしたい」とかなんとか言って身の丈に合わない委員長に立候補して、でもちょっと不安だから雪ノ下さんに手助けしてもらおうと安直に考えて、結果、自滅。

 

 そうだ、相模は考えが安直すぎる。浅はかだ。目玉きょろきょろ、バッカみたい。結局文化祭では何にも良いところ無くて落ち込んで、一人で勝手に落ち込むならまだしも皆に迷惑かけて。最後はナントカっていうあのウザい男子のせいで有耶無耶になったけど。

 

 ぐるぐる、ぐるぐる、と回るわたしの隣で、佑貴子はくるくる、くるくると傘を回す。

 

「…てか学校的にあれでいいわけ?って感じ」

 

「あの先生だいぶ肩入れしてるよね、あの人たちに。なんであんなの許しちゃうんだろ」

 

 ぐるぐる、くるくる、飽きずに続ける。だってわたしたちの中ではまだ終わってない。過ぎたことじゃない。

 

 文化祭が終わった時点でガタガタに落ちていた相模の評価は、体育祭運営委員会でメーター振り切って0の向こう側に落ちて行った。

 

 積もったイラつきは、でもしょうがないから二人の間で()()になるまで消化しようと思っていたのに、体育祭の委員会に遅刻して現れた相模はそれに点火した。しかもまた委員長なんて座についていた。無能の証明がどれだけ欲しいんだよ、って。一個じゃ足りないわけ?って。

 

 でも、わたしたちはちょっとやり過ぎてしまった、と思う。子供っぽ過ぎるいちゃもんをつけるところから始めた、相模たちの首脳部側とわたしたちの現場班側との泥仕合。こじれにこじれ、最終的には一番滅茶苦茶な事をした首脳部側が勝った。

 

「だからとにかく気に入らない」んだよ、って話をしたはずなのに、首脳部側は強引な理論武装を重ね続け、こちら側を捻じ伏せた。感情で話せって要求したわけじゃなかったけど、なんていうか、あれじゃあ本当に、もう。

 

 溜息ひとつ零して、足元にもう一つ水たまりを作った。

 

 角を曲がった交差点、反対側にあるコンビニに佑貴子は歩いて行った。佑貴子の傘に入っているわたしも当然ついていく。佑貴子は入口に入るのかと思いきや、コンビニに背を向けた状態で入り口付近に立ち止まった。屋根がついているので、ちょうど雨宿りでもするかのような格好だ。佑貴子はおもむろに傘を閉じる。わけがわからなくて、わたしは佑貴子とコンビニの中を交互に見た。

 

「あ」

 

 気付く。店内にいる―――もっと言えばレジに立っている顔に見覚えがあったのだった。

 

 てか、

 

「…えー」

 

 相模じゃん。

 

 思わず顔をしかめると、佑貴子は微妙な笑顔を作った。言い訳がましく、

 

「前に聞いたんだよね、ここでバイトしてるって」

 

「………」

 

 佑貴子の隣に並び、店には背を向けた状態で首だけ曲げて肩越しに店内をもう一度見た。コンビニの制服を着て今、店のレジをしているのは相模南だった。赤みがかったショートにピアス。

 

 目が合う前に目を逸らした。店内の様子を背中で感じ取りながら、わたしは隣の佑貴子の出方を待った。

 

 佑貴子は顔を上げてぼんやりと曇天の空を眺めている。困った、この子の行動が読めない。

 

「遥さー」

 

「なに?」

 

「傘、買ってきたら」

 

「………えー」

 

 いやいや、何言ってんの、佑貴子。

 

「やっぱさー、なんてーか、さすがにこのままじゃ、さ」

 

「いや、まあ、そりゃわたしだって…」

 

「あたしらも悪かったかなって」

 

「…それは、そうだけど」

 

「このままなかったことにするのもさー」

 

 ぽつぽつ、と降りしきる雨と共に、佑貴子は言葉を降らせる。わたしには傘がないからそういうの止めてほしい。濡れる。あ、そっか、だから買ってきたらって言ってるのか。

 

 わたしは渋々うなずいた。

 

「……うん、まあ、そうかもね。それに、」

 

「それに、なんか、このままじゃなんとなく嫌じゃん?」

 

 わたしの言葉を引き取って、佑貴子が眉を寄せて困ったように笑った。

 

 どきりとした。

 

「…うん、確かに」

 

 言いながら、違うと思った。

 

 わたしはなんとなくなんて思わなかった。

 

 こっちが折れればそれで表面上だけでも繕えるならそうしても良い。人の立ち位置、パワーバランスなんて瞬きひとつで変化する。このクソつまらないプレ社会の檻では敵性は少ないに越したことはない。

 

 次の日に弱虫が毒虫に変わったってなにも不思議じゃない。だから。

 

 わたしのは、そういう、打算的で、合理的な結論の「それに」だった。

 

 ああもう、いい加減こういうの飽きてきた。レッグスルーからのビハインド、クロスオーバーしての右ドライブ。そっちのがずっと良い。

 

 こうしている間にも何人かが店から出て行き、何人かが入って行った。その度に扉のセンサーが働き、ぴんぽーん、と電子音が鳴る。たまらなく不快な音だ。

 

 こっそりもう一度レジの方を見る。相模は無愛想な顔でレジ前に立っている。いつこっちに気付くか分からない。

 

 グレーのスーツを着た中年がカゴを持ってやって来て、相模はそのカゴを受け取った。慣れた手つきでカゴから商品をだし、次々バーコードを通していく。

 

「ね、あたしも行くからさ」

 

 佑貴子が袖を引っ張ってくる。わたしはぶんぶん首を横に振った。

 

「や、無理だって。佑貴子の言いたいことは分かったからさ、今度にしよう?」

 

 相模はもういつ気付くか分からない。もう気付いているかもしれない。気付かれたかな。気付かれてたら最悪だな。

 

 コンビニの前に立つわたしたちを見て相模がどう思うか、考えるまでもなかった。余計悪化する。今度は相模の方に塵が積もっていくのだ。

 

 佑貴子が袖を引っ張る。雨が降り続ける。いや、ちょっと、まじでさ、それは…

 

 ぴんぽーん、と間抜けな音がして、大きなコンビニ袋を下げた男が店から出て行った。さっきレジに並んでいたサラリーマン風の中年男だ。音も男もたまらなく不快だった。

 

 思い切って振り返って見ると、レジにはもう相模はいなかった。代わりなのか、別の女の店員がレジ前にすっと入って行く。

 

 相模は気付いたかな。気付かれてたら最悪だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 軽く心が折れたわたしたちは相模のいない間にコンビニに入り、ビニール傘を買ってそそくさと出た。あまり言葉を交わさず、佑貴子と別れた。

 

 わたしは雨の中、とぼとぼと自宅を目指して歩いた。いつもなら電車を使うのだけど、今日はあまり電車を待ちたい気分じゃなかった。歩きたかったわけでもないけど。

 

 大通りを抜けて、横道にそれる。住宅街のようだ。ほとんど初めての道だけど、家までの方角は分かる。

 

「…めんどくさ」

 

 なんでこんな面倒くさいことになっちゃったんだろう。

 

 面倒くさいのはなんだろう。相模か、佑貴子か、わたしか。

 

 面倒くさいなんて今に始まったことじゃないでしょ。冷静なわたしが鼻で笑う。

 

 今に始まったことじゃない上に、最後まで終わらないよ。冷静なわたしが嘯く。

 

 人に合わせるのめんどくさい。言葉とか調節するのめんどくさい。調節ネジないし。

 

 人と群れるのめんどくさい。誰がどうとかかなりどうでもいい。佑貴子いればいいし。

 

 新品のビニール傘を、佑貴子の真似をしてくるくると回しながら歩く。傾き続けていた太陽はすっかりふて腐れて向こう側に隠れてしまった。そのせいで気温が下がり始め、わたしは自然と早歩きになっていた。

 

 後ろからずっと歩幅を合わせて歩いてくる人がいることに気付いたのは、住宅街の深部へと侵入し、歩くのに飽きて後悔し始めた頃だった。

 

 なんとなく視線と言うか、気配を感じて何の気なしに振り返ると、ビニール傘を手に、顔を隠すように歩く男を後方に発見したのだった。足音が聞こえたわけじゃなかった。そもそも雨がビニール傘を打つ音しか聞こえない。

 

 後ろに人がいると気付いても、初めは別に何とも思わなかった。たまたま同じ道を行くのだろう、と。

 

 でも違和感を覚えるレベルで男はずっと後ろをついてきた。

 

 考えすぎだと思ったので、一度立ち止まってやり過ごそうとした。けれどわたしが立ち止まると、男も何メートルか後ろで立ち止まった。埒が明かないので、再び歩き出すと男も歩き出す。わたしと一定の距離を開けたまま。

 

 ビニール傘越しにはっきりとは見えない男の目は、ゴミ捨て場と化した海辺のようにどんよりと濁っていた。

 

 じと、と嫌な汗がにじむ。

 

 これ、どうしよう。

 

 ほとんど初めて通る道だからあまり詳しくない上に、雨のせいもあるのか、さっきから人通りがほぼゼロだ。

 

 歩くとか意味の分からないことしなきゃよかった。なんで電車乗らなかった、わたし。

 

 走るか。

 

 傘が邪魔だ。閉じて、走るか。でもローファーは走りにくい。

 

 追いかけてきたらガチでヤバい。逃げられるか。

 

 そうなったらもう、後ろの男は恐怖確定っていうか。

 

「……………………………………………」

 

 ここ、抜けて、そんで大通り出れば。車の通りもあるし。

 

 後ろの男が()()()()()()()かどうかなんて確かめようがない。だからそんなのどっちだっていいのだ、今わたしのつぺんとした胸を占める不安に比べたら。次の十字路を右に曲がったら、走ろう。わたしはそう決意した。そうしよう。

 

 もしそれで無事に家に帰れるなら、それに越したことはない。笑い話の種にすればいいだけのことだ。バッカだなァ、遥。自意識過剰っしょ(笑)。そうなるなら万々歳。

 

 道路の右側のブロック塀の終わりが迫ってきた。走る前にもう一度後ろを振り返ると、死んだ魚のような目と視線がかち合い、男は慌てたように傘を下げて顔を隠した。

 

 雨はやまないけど、傘を閉じ、十字路を右に曲がった。瞬間思いっきり踏み込んで、全速力

 

 

 

 を、

 

 

 

 出そうとしたのはいいけど、目の前に紺の傘が急に現れて思わず急ブレーキ、つんのめる。

 

「っ!?」

 

「…っ、すみませ…っ!」

 

 紺の傘の主に抱きつきそうになり、慌てて飛び退く。男だ。黒のパーカー。目が合い、どきりとする。屋根から滴る雨色の目。回り込まれた!?違う、違う、よく見ろ。目からズームアウトして全体像を確認、脳内データベースと照らし合わせて該当フォルダを引っ張り出せ。

 

 こいつ。

 

「…ちょっと傘入れて」

 

「は?」

 

「いいから。で、ちょっとここにいて」

 

「…いや、え?」

 

 戸惑う男の背中を押して男の体を強引にブロック塀に押し付けるようにして、そしてわたしは紺の傘の中に滑り込む。男とわたしの肘がぶつかる。

 

 パーソナルスペースが広いのか、男が目を白黒させてわたしから距離を取ろうとする。なのでわたしは男の肘をしっかり握って離さないようにして、ビニール傘の男が歩いてくるのを待った。

 

 ビニール傘の男はすぐに現れた。わたしたちに目をやらずに、十字路を曲がることなく通り過ぎて行った。

 

 姿が見えなくなるまで、男の後ろ姿を見送った。長い息をつく。

 

 ビニール傘の男はコンビニの袋を片手に持っていたように見えたし、スーツを着ていたように見えた。スーツの色は灰色に見えたし、男は中年くらいに見えた。

 

 けどまあ、それはもういい。

 

「…おい、」

 

「…あ、うん…もういいよ。ありがとう」

 

 こんなヤツにお礼を言うのは癪だったけど、努めて平静に言葉を発した。

 

 どろっとした目の―――ナントカって男子。嘘、比企谷という名前だったはずだ。

 

 傘を持つ手を入れ替え、比企谷は訝しげな視線をわたしに送った。その視線に答えることなく、わたしは溜息をついた。疲れた。溜息と共にどっと疲労感が押し寄せる。足が。がくがくする。心より先に体が素直にほっとした、みたいだった。

 

 吐き気がして思わずしゃがみこむ。もう、今日はなんなんだろう。楽しくないイベント起こり過ぎ。寝たい、もう寝たい。もうここで寝たい。

 

「おい、大丈夫か」

 

 頭の上から声がかかる。気遣える人なんだ、とぼんやり考える。とは言っても好感度マイナスであることには変わりないけど。とは言っても一応助かったのは事実だけど。とは言っても目が腐っていることには変わりないけど。とは言っても今この人がここにいてホントに良かったってのは事実だけど。

 

「お前…えっと…はるか?だったっけか」

 

「ぅ!?」

 

 勢いよく立ち上がり、ガツンと頭に固いものを何かぶつける。頭を抱えて悶絶すると、比企谷は自分の顎を抑えて涙目になっていた。

 

「…っ、だれに、許されて、名前呼び?」

 

「そっ、…名前しか分か…らん」

 

 比企谷を睨みつけて一歩前に出ると、比企谷は一歩下がった。イラッとしたので比企谷の傘を掴んで再び一歩近づく。

 

「わたしが濡れるでしょ」

 

「いや、傘、自分のさせよ」

 

「…あ、そっか」

 

 改めて自分の傘を差し、比企谷を上から下まで観察する。決まり悪そうに挙動不審だ。

 

「なんでここにいんの?」

 

「え?いや、ここ、俺んちの近所で」

 

 いらない情報どうも。

 

「ちょっとコンビニに出たって感じ…です」

 

 なぜか最後には敬語になり、おまけに「フヒ」と気味の悪い笑みを添える。十分不審者の素質がありそうだ。

 

 でも何度も繰り返すけど、この人がいて助かったのは紛れもない事実だ。癪に障るけど。この人の存在に感謝する日がまさか来るなんて。1時間前は夢でもあり得なかった。

 

 今日は、疲れた。

 

「あのさ、ここから一番近い駅ってどこ?」

 

「…駅か。ちょっと歩くが…この道を行って、少ししたらコンビニがあるから、そこを右…コンビニで訊けば教えてくれるかもしれん」

 

 間の悪いことに携帯の充電は切れていて、グーグルマップは使えない。比企谷の言葉を信じて歩くしかないみたいだ。

 

 なんで歩こうと思った、わたし。嘆息。

 

 黙ったわたしをどう捉えたのか、目を泳がせながら、比企谷は口を開き意外な言葉を口にした。

 

「あー…その、駅まで送ろうか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 通常のわたしなら到底考えられなかったけど、わたしは今比企谷と傘を並べて歩いている。しかし今日は想定外のことが起き過ぎた。その波にあえて乗るのもありかもしれない。

 

 なんて思うのは、疲れで思考が衰え始めてきているからだろうか。

 

 横目で比企谷の様子を伺う。比企谷はわたしの視線にすぐ気づき見つめ返して、そしてすぐ逸らした。

 

 今日までこの男の印象は最低の一言だった。最悪か最低かの2択で、ぎりぎり最低の勝利といったところ。最低の勝利って。最低の勝利って…

 

 最低の一言、というよりは最低の代名詞と言っても差し支えないほどに。

 

 でも間接的にでも知り合った身として――――印象も若干の変化を遂げたし――――多分この状況も二度と訪れないだろうから―――話をしてみたくなる。

 

 言いたいことが色々あったりする。

 

 駅までの場持たせにはちょうどいい。

 

「ねえ。比企谷くんてさ、何考えてるの?」

 

「…何の話だよ」

 

 まあそうなるか、とわたしは苦笑する。

 

「じゃあさ、まず文化祭の時だけどー」

 

「……」

 

「さg、みなみちゃんさぁ、だいぶやらかしたよね?もう挽回不能なところまで来てた。逃げ出すってホント、どうしようもない」

 

「…」

 

「でも終わってみれば比企谷くんが一番の悪者になってた」

 

「……」

 

「ま、後から気付くのもわたしの脳みそが足らないからなんだけどさー」

 

「………」

 

「なんであのとき、あんなことしたの?」

 

 温度の低い視線を投げると、比企谷は寒そうに身じろぎした。寒いね、確かに。

 

 日が沈んだこの空間には、わたしと比企谷と、それから降りしきる雨、街灯の光。

 

 寒いね。

 

「ああしなきゃ、間に合わなかったから。ああしなきゃ、依頼解決にはならなかったから」

 

「依頼?」

 

「…相模に、依頼を受けてた。文実委員長の補佐を」

 

「ああ、うん。比企谷くんが頼まれたんだ?」

 

「…いや、俺が、っていうか、…奉仕部に、依頼が来たから」

 

「なるほどね、部活だったわけだ」

 

「………いや、正確に言うと、受けたのは雪ノ下だが」

 

 ぼそぼそと言う比企谷。思わず笑い出しそうになった。意外と素直だ、この人。友達になりたくない。

 

「比企谷くんって、雪ノ下さんのこと好きなの?」

 

 びくり、と肩を強張らせ、比企谷は視線を前方に固定する。歩みが速くなる。

 

「…なんでそんな話になんだよ」

 

「いや、だって、普通そんなことしなくない?できなかったらできませんでした、でいいよね。学校の部活のためにクラスでの評判を?いや、そんなの、違うよね?」

 

 依頼だ、って、なんか建前っぽい言い方だ。雪ノ下さんの奉仕部っていう妙な部活の存在は知っていたけど。

 

 比企谷くんの秤がぶっ壊れているんじゃなければ、相模じゃなく雪ノ下さんを助けたかったんだって考えると納得できるかも、しれない。

 

 文化祭が成功しないと、依頼を受けた雪ノ下さんが責任を感じてしまうから、だから。

 

「いや、俺は元からぼっちだし。別に評判とかあんまりアレだし。どうでもいい」

 

 と、比企谷はぼそぼそと干からびた雑草の言葉をのたまう。

 

「ぼっち?クラスの人に嫌われてるっていうのは知ってるよ。でも由比ヶ浜さんとか、仲良い人いるんでしょ?雪ノ下さんだってそうだよね」

 

 あっ、そうか。

 

「二人は分かってくれるって信頼してたんだね」

 

 わたしの言葉に比企谷は目を剥いた。速まった足を止め、こちらを見つめしかめ面。

 

「んな、曲解されると、さすがに困るんだが」

 

「は?比企谷くん、評判どうでもいいんじゃないの?」

 

「揚げ足とるなよ。俺みたいなことすんな。つか、そんな風に答えを決めつけられちゃ何も言えないだろ」

 

「それで実際二人はあんたの味方でいてくれるんだね。二人どころか、もっと多いよね?平塚先生とか。いいな、それ」

 

 駅まで遠いな、まだかな。ああ、もう、ウザすぎる。まじでウザっ。ウザすぎる。もう寝たい。ゴミ虫みたいなわたしも、この甘えん坊のガキも。

 

 誰もいない道路の真ん中で、わたしと比企谷はしとしと対峙していた。

 

「…挑発してんのかよ」

 

「……ごめん、そんなつもりじゃないんだ」

 

 言い過ぎちゃったという謝り方は最低らしい。枕に(ホントの事を)がつくからだそう。助けられたくせになにしてるんだろ、わたし。最悪。

 

 わたしが黙っていると、比企谷はやがて再び歩き出した。怒らせたらしい。怒るんだ、へえ、って感じだけど。

 

「ごめんね、過ぎたことをねちねち」

 

「……いいけど」

 

 ちっとも「いいけど」なんて思ってない「いいけど」を捕らえた。必要ないから捨てる。水たまりにポイ捨てされた「いいけど」はふやけて茶色く変色したあと破けて汚くなった。キモっ。比企谷菌?とかで小学生の時いじめられてそう。

 

「……」

 

「……」

 

「……………………」

 

「………」

 

「……………」

 

「好きか嫌いかで言えば、嫌い、じゃねえけどでも、そういうんでは、ない…」

 

 咳が出そうになったのをあわやというところでこらえた。

 

 もうどっちでもいいのに。雪ノ下さんだろうが由比ヶ浜さんだろうが、あるいはまったく他の人だろうが、別に変わらないし。

 

 わたしは文化祭で相模の行動とそれに対しての結果の比率がまるでなってないから腹が立っただけだ。つくづく相模は気に入らない。なにがゆっこだ。正当な罰を受けるべきだったのに、この男が余計なことするから。

 

 補佐の依頼、って言うなら自分のしたことを直視させなきゃ、反省も後悔も経験も成長も生まれなくない?いや、もう、いいけどさ…今日は疲れた。もう蒸し返すには日が経ち過ぎた。責めるにはギャラリーがいないし、怒るには体力がない。

 

 しばらく無言で歩き続けると、やがて大通りの交差点に直面した。東にはコンビニが見える。駅までやたら長い道のりだ。なにやってんだろう、わたし。

 

 信号待ちの間、比企谷は再び口を開いた。

 

「あれが最良とは言わないが、俺のできる最良だった。誰も傷つかないし、文実も成功と言える出来だった」

 

 いや、誰も傷つかないって、自己満足も甚だしいね。

 

「…そうだね」

 

 かさついた肯定の言葉を渡す。比企谷がわたしを見ると、コンビニの向こう側を指さした。

 

「あっちを行って右を曲がると駅だ」

 

「あ、うん。ありがとう。助かったよ」

 

 最低なヤツ。

 

 それはわたしだけでなくみんなの印象だった。みんなって言うとつまりそれは学校でこの男の事を知り得るほとんどの生徒のことを言う。

 

ま、ほとんどネタだけど。悲劇のヒロインぶる相模がウザかっただけで、この男のことは正直かなりどうでも良かった。話のタネにすらならない。

 

 この男のクラスではまた違った空気が回っているのかもしれないけど、それ以外じゃ特に有名人というわけでもなかった。悲劇のヒロインぶるのやめてもらっていい?

 

 結局中途半端なんだ、比企谷。わたしもそうだけど。

 

 散々糾弾しといて、わたしだってそうだ。エナメルバッグの紐を握りしめた。

 

 愛とも勇気とも友達じゃないし、比企谷に比べたらなんて矮小な存在だろう。

 

 その程度なんだ。髪の毛だってホントはショートの方がずっと楽で動きやすいけど、そのために切ろうとは思えないし。その程度のこだわりだ。そもそも本気でやりたいなら強豪校に行ってる。そうしないのはわたしがその程度だから。

 

 チームメイトに、佑貴子に、もうちょっと練習しようなんてことすら言えないわたしが。

 

 ランの練習増やして体力つけないと走り負ける。シュート練するにもフォームから直さなきゃ意味ない。常に試合のこと考えて行動しなきゃいつまでたってもディフェンスなんか上手くならない。分かってるのに。

 

 信号を待つ間、じっと比企谷の横顔を見ていた。

 

 この人はきっといつか痛い目に合うんだろうな、と想像する。ホントの意味で、大打撃を受けるに決まってる。そうでないと計算が合わない。この人の言う「誰も傷つかない」世界はこの人の近しい存在にとっては残酷すぎる。

 

 そんな仕打ち許されるわけないじゃん?

 

…というようなことを言ってやる義理はわたしにはないので、というかわたしにとって今日が終わればこの人はただの他人、逆も然りなので、もうどうでもいい。疲れたし。

 

 誰かの、

 

「…隣にいてあげるだけでいいんだと思うけどなァ」

 

 そんなまわりくどいことしなくても。

 

「え?」

 

「いや、なんでも」

 

 ほら、わたし、あなたが隣にいるだけで助かったし。実例①じゃんね。

 

 なんて言う義理はないけど。

 

 信号が変わる。相合傘を抱きしめにいくわけでもなしに、わたしは比企谷に手を振って、背を向けた。そんな青春をわたしは今特に求めてない。佑貴子ならあり。

 

「じゃあね。ありがとう」

 

「…おう」

 

 比企谷の真意がどこにあるのかなんて確かめようがない。だからそんなのどっちだっていいのだ、今わたしの途上国な胸を占める感情に比べたら。

 

 ローファーの中まで雨が降っている。

 

わたしの傘には穴が空いているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




というわけで、リクエストいただきましたレムでした。

ほんとはこうなる予定ではなかったんですけども。その点に関しましては弁解のしようがありません。ウイルスみたいな女の子が語り手やっててすみません。ほぼオリキャラです。

でもレムってこんな感じのヒネクレだと思うんス。

ネタがないとか言ってたのですが、BUMPが解散しない限り、俺ガイルが完結しない限りこの短編ネタが尽きることがないということに気づき、ビビり倒しております。

次書くならbutterflyかなと思います。

ご意見ご感想、お待ちしております。


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またきてしかく

結局五月になってしまいました。

お待ちいただいていた方は申し訳ありません。アホウ囲村です。

屋上から飛ぶ話。






 

 

 

 わたしの本物に連れられて訪れた部屋には、奇妙な三角形が描かれていた。

 

 それは不格好で、どこかおかしくて、なにか足りない。

 

 それを隠すように、取り繕うように、見ない振りするように、それでも一緒にいた歪の。

 

 あの人たちと出会ったばっかりに、わたしの世界は前ほど簡単じゃなくなってしまった。

 

 知らなきゃよかったよ、バイバイサヨナラ、歪の先輩。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 特別な何かを求めている。いつもいつもいつもそうだ。幼稚園児の時だって小学生の時だって中学生にも高校生になってもまだ諦めてはいない。多分大人になったって諦めない。死んだってそれこそ化けて出るほどには諦めない。というほどの断固たる意志はない。死んだら終わりだけどそれでも普通なんかじゃ嫌だ、皆と同じなんてまっぴらだ。血の種類で人類が四分割されちゃたまらない。生まれた日にちで今日の運勢が分かるなら今日が世界平和だ。どいつもこいつもフレームに当てはめやがって、もう人類全員生きろ。テンプレートもデフォルトも美味しくない。

 

 アルフォートは美味しいから大好きだ。

 

「おもしろいなあ」

 

 最近読みだした小説のそんな部分を読んでくだらない妄想に耽っていた私は、いつの間にか教室に一人でいた。ひとりぼっちだった。五月のこれから暑くなる予感のめいた風が、開けた窓から私の頬を撫でる。

 

 ふと急激に寂しさを感じたので、リュックを引っ掴んで教室を出ることにした。放課後の廊下は過疎状態だ。生徒たちは皆帰ったか部活に勤しんでいるか。

 

 ウサギとウサギ系女子は寂しいと死んでしまうというのは明らか嘘っぽいけれど、寂しいと死にたくなる気持ちは分かる。でも放課後の教室と()()()()()()とではどちらが寂しいと言われると判断に困る。私は友達が少ない。いないこともない。優先順位が低いことは確かだった。

 

 寂しくて死にそう。

 

 たしかに、うん、うそっぽい。

 

 階段を降りて、一階のとある部屋を目指す。生徒会室だ。多分きっと先輩は今そこにいる。生徒会は今日、あるわけじゃないけど…

 

 廊下の窓からはグラウンドで活発に動く生徒たちが見える。窓の向こう側で発散されている青春エネルギーを体内に取り込めるとしたら、私はもうちょっと本物らしくなれるのだろうか?そんな希望的観測を胸に抱いて天体観測してみたい。でもそれでも見えないものは見えないだろうけど。

 

 砂だらけになりながらボールを蹴りあうサッカー部の様子を、何とはなしに伺う。実は、生まれながらのインドア派の私にはサッカーのことはよく分からない。てへぺろ。もっと言うと球技全般のルール自体も分かったためしがない。てへぺろ。

 

 発見。私にはできないことが、結構ある。

 

 ちぇ、と一人でふて腐れていると、向こうから平塚先生がやってきた。いつものパンツルックがそのスタイルの良さを強調している。喋らなければ憧れの大人の女性って感じなんだけどな。喋らない平塚先生なんてマネキンよか酷いけど。

 

 ちょうどよかった、と平塚先生は私の前に立ち塞がると、抱えていた書類の束から一枚の紙をぐいぐい押し付けてきた。

 

「え、なんですかぁ」

 

「はぁ…もういい加減、相手するのも疲れるからこういうのはやめたまえ」

 

 呆れ顔で溜息をつかれてしまった。紙を受け取って確認する。「職場見学希望調査書」。

 

「…あー、すみません。あはは」

 

 思わず笑ってしまう。四つ折りにして制服のポケットにしまい込んだ。先生もつられて少し笑っている。少しひきつったやつだけど。

 

「あははじゃない!まったくどいつもこいつも…」

 

「冗談ですって。ちょっとネタに走ってみようかなって」

 

「希望する職業「お嫁さん☆」ってお前バカやろぉ!!冗談にならないぞ!!私が希望するわ!!私が希望したいわ!!」

 

 ヒールを勢いよく廊下に叩きつけて吠える聖職者♀。文字通り反面教師だなぁ。

 

 このまま平塚先生は小言と文句を垂れ続けしまいにはわたしになにか仕事も押し付けてきそうな気配がしたので、私は目いっぱいの愛嬌を振りまいて(煙に巻いての意義)さっさと退散した。

 

 冗談は冗談にするから面白いのであって、それ以外の用途に使われるのは問題だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう大丈夫、何故って?私が来た!」

 

 平塚先生に影響されたのか、遅れてやってくるヒーローのような熱い登場シーンを演出した私は勢いよく生徒会室の扉を開ける。ことは出来なくて、地味めにノックして、そっと扉を開けた。

 

 思った通り先輩はそこにいた。部屋に置かれた長方形の会議用テーブルの上座。その椅子に今日もいた。

 

「こんにちはー…」

 

 ぺこりと頭を下げて部屋に入る。先輩は頬杖をついて、物憂げな様子で何か書き物をしているようだった。近寄る私の姿を認めると、ふっと小さく笑う。

 

「天使が来たのか…」

 

「いやだな先輩ったら。褒めても何も出ませんよ!」

 

「毎朝オレの味噌汁を作ってくれ」

 

「先輩…それって本気にしても良いんですか?」

 

「ああ、もちろんだ」

 

「そんなこと言われたら…私、私…」

 

 ああこれが恋。齢17にして初めて知る蜜の味。先輩と熱い視線を交わしあう。しばらく見つめ合って、そして一緒にふき出した。

 

「あははははっ、小町ちゃんノリ良過ぎでしょ!」

 

「いえいえ、先輩には負けますって」

 

 年上とは思えないほどに屈託なく笑うのは現総武高校生徒会長、一色いろは。彼女こそギガ可愛い生徒会長として名を馳せる、私の一つ上の先輩だ。

 

「小町ちゃん、今日は生徒会ないよ?」

 

「いろはす先輩に会いに来たのですよ」

 

「あれ、続きしちゃう?」

 

 蠱惑的な笑みを浮かべ首を傾げるいろは先輩にハグしたくなる。先輩から見て右手の椅子に腰かけて、リュックを降ろした。テーブルの上に広げられている参考書とルーズリーフを見て、私は思わず声をあげた。

 

「うわ、先輩、勉強ちゃんとやるんですね」

 

 そういえばもうすぐ中間試験だ。嫌なこと思い出しちゃったな…。

 

「そうですよ。生徒会長は3年生ですからね。受験勉強も兼ねてるのだ」

 

 ふふん、と先輩はドヤ顔で手に持ったシャーペンをくるくる回す。

 

「じぇじぇ、まだ春なのに…」

 

「とはいっても梅雨が過ぎればもう夏になるよ?最近暑いし…」

 

 家に帰ってもいいんだけど、ここは妙に落ち着くからと先輩は言い訳するように続けた。いえいえ、どうぞ、ご自由に。

 

「やっぱ行きたい大学とかもう決めてるんですか?」

 

「ん?…うーん、そうだね。どうしよっかなーってとこ」

 

「ちなみに行くとしたらどこです?」

 

「それはー…ひみつ」

 

「まじすか」

 

「受かったら教えたげるゥ」

 

「落ちたらわたしの胸で泣いてもいいですよォ」

 

 ひとしきり笑って、再び参考書に目を落とすいろは先輩。綺麗な亜麻色の髪がさらさらと肩からこぼれる。先輩の髪、枝毛とか全然ないし良い匂いするし最強なんだよな…私も髪、伸ばそうかしらん。

 

「…じゃあ私、帰りますね」

 

「え、なんで?」

 

 なんでって。

 

「さすがに受験勉強してる人の邪魔できるほど私はバカじゃあないですよ」

 

 てか私も勉強しなきゃだし。私の成績はお世辞にも良いとは言えない。いや、お世辞では何とでも言えるかもしれない。ただ悪いことは悪い。良いは悪い、悪いは良い。アレッ、私の成績が良くなった!?

 

「いやいや、いていいよ。というか、いてよ」

 

「えっ、告白ですか?」

 

「違うよこまっちゃん!」

 

「すみません私には心に決めた人がっ」

 

「そんなのわたしにもいるよっ」

 

「え」

 

「あ、いや、冗談だよ?」

 

 釈然としないけれどうなずいた。感銘を受けるまではいかない。冗談は面白い。

 

 冗談で思い出して、私は職場見学の希望書をテーブルに置いた。ひとまずこれを片づけよう。流石にネタに走り過ぎた。このままでは職場のストレスによって平塚先生の老化が加速スイッチ。意気揚々と書いた「お嫁さん☆」を消しゴムでごしごし消していく。

 

 でも実際女の子なら悪くない職場だと思うんだけどな。第一先生も言ってたし。女の子ならね。男がそんなこと言ってたら正直引くどころの騒ぎじゃない。まるでうちの愚兄だ。

 

 良い男を見つけて、家庭に入る。それが本音の女の子も少なくないと思う。ふむ、そういう意味では良い会社に入ることはあながち間違いじゃない、というかむしろ正規ルートか…

 

 正規ルートが「正しい」とは限らないけれど、ならなにが正しいのだろう?

 

 …いや、深く考えすぎだ。頭がハツカネズミだ。んん、職場見学か…みんななんて言ってたっけ?適当に話し合わせてたから忘れちゃったな。もういいや、明日聞けばいいか。

 

 私は生来、諦めは良い方なので、綺麗になった希望書を再びポケットに突っ込んだ。それから先輩の観察を始める。勉強なんかしない。するもんか!泣くもんか!先輩が目の前にいるというのに先輩を眺めないなんて先輩に失礼でしょう。勉強なんて夜すりゃいいのさ。

 

 先輩は時々唸りながら参考書と取っ組み合いをしている。先輩は勉強してても可愛いんだなァ。ずっこい。

 

 いかんいかん、目が濁っていきそうな予感。あかんあかん、私が()()()()()ブラコンの類に相当することを込みしてもそれだけは悪寒。

 

 おもしろいなあ。

 

 やがて先輩は参考書をぱたりと閉じた。握っていたシャーペンをテーブルに転がして、背もたれにもたれかかった。シャーペンになりたい気がした。

 

「いらいらしてきた」

 

 ぽつりととんでもないことを呟く先輩。うつむいて参考書を見つめる目が怖い。私は身の危険を感じて部屋からの脱出ルートを幾通りも考え出す。

 

 やっぱりお邪魔でしたねと立ち上がりかけたとき、先輩は額をテーブルに勢いよくぶつけた。ゴン、という狐の名前のような鈍い音が響く。おまいだったのか…。

 

 先輩は頭をテーブルに乗せたまま、顔だけこちらに向けた。なんだかこわい。

 

「個性って言うのは大事だと思うんだよ」

 

 唐突に話し出すいろは先輩。俺の話を聞けということでしょうか。

 

「勉強が苦手なのも、個性ですよね!」

 

「キャラクターとか、位置づけ、とか。集団の中での居場所的な?」

 

「…いや、どうしたんですか先輩。頭でも打ちました?あ、打ちましたね」

 

「つまりさー、皆できることとできないことがあるから、できないことは人に任せて、できることをすればいい、よね?」

 

 なにがつまりなんだろう…けれど、私もちょっと先輩の哲学ごっこに付き合うことにした。暇だから。

 

「…言い方を変えると、できないことは諦めて、できることにこだわればいいってことです?」

 

「そうそう。や、違うかな…ん、求められていることと求められていないことがあるって感じ」

 

「…求められていないことはしちゃいけなくて、求められていることをしなくちゃいけない…的な?」

 

 どんな世界にも明確なルールがあって、まぁレールでもいいけど、とにかくそれを守ればいい。笑顔で笑ってうなずいて。

 

 いろは先輩は要約するとそんなようなことを言った。頬杖をついて溜息をつく。

 

「わたしはずっとそうだったんだよ。なのにさぁ…」

 

 先輩は「なのにさぁ…」の続きは言わなかった。先輩の目に光彩がにじむ。オレンジが揺れて、揺れて、きょろりと窓の外の方を向いた。今日の天気はからっぱれ。

 

「…いや、私もそう思いますけどね」

 

 おずおずと言うと、先輩は何故か私をふくれっ面で睨みつけた。

 

「だからそのはずなんだって。不服も不満もないし、それが唯一って感じじゃん。間違いない…間違いがなさそう」

 

 ウソかどうかは鏡を見れば分かる。愛されたかったらルールを守るんだよ。

 

 いろは先輩の何に対してか、あるいは誰に対してかの文句を、私は黙って聞いていた。

 

 ルールは守るためにあるに決まっている。私はここで先輩の話を聞くだけなのもそれは私がルールに従っているからだ。

 

ルールは守られている。だから私は冗談を吐くし、いろは先輩はいらいらする。

 

 ルールは時々破られる。だから聞こえない悲鳴が聞こえるし、忘れた唄も思い出す。

 

「なんでわたしが」

 

 不服そうに不満げに、いろは先輩は呟いた。動きにくそうに、もぞもぞと体をよじる。

 

 聞こえない悲鳴が聞こえた気がしたので、私はそっと部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 印刷機から生地がぬるぬる出てくるので、それをそのままシュレッダーにかけると、うどんの麺ができていく。そんな妄想をする分にはお腹が減っていた。

 

 購買に行って、生クリーム入りメロンパンと、少し考えてアルフォートも買う。太るかなー、でも、そう、今夜勉強するからその分糖分蓄えとかないとだからね。質量保存の…アレだ。

 

 私は自分がおバカであることは重々承知であるので、おバカの習性に則って行くべき場所へと足を運んだ。

 

 つまり、屋上だ。

 

 屋上の鍵は閉まっているようで実は開いている。鍵というものは閉じるためにあるのか、開くためにあるのか。閉じるか開くか、鍵にどちらか一つだけの機能をつけるとしたら、どちらを選ぶのが正しいのだろう。

 

 どちらが優しいのだろう。

 

 屋上に続く扉を開くと、まだまだゴキゲンの太陽が空を支配しているのが見えた。五月晴れの空はとても遠い。屋上では風が時折強く吹きつける。

 

 絶対届かないよなあ。

 

 手すりに寄りかかってぼんやり空を眺める。届かない届かない。青い空を見て感じるのはひたすらに無力感だ。私が手を伸ばしたところでつかめるものなんて―――――

 

 ふと右手が、購買でもらったレシートをずっと握りしめていることに気づき、手のひらを開いてみる。―――――つかめるものなんて、このレシートくらいなものだ。清算した結果の紙をつかんだところで得るものなんてないけど。

 

 瞬間、一陣の風が舞い、手のひらのレシートは私の手の届かない空に昇っていく。あーあ。最後に買ってもらった入場券を思い出す。遠くに行っちゃった錆びついたアレ。

 

 口笛を吹きたくなるね。

 

 レシートは搭屋の高さまで一気に上がり、さらに上へと昇った。と思ったら、にょきっと伸びた腕が不意にそのレシートをつかんだ。私は驚いて目を瞬く。

 

 梯子を上った給水塔の上、一人の男子生徒がそこでレシートを眺めているようだった。

 

 彼もこちらに気付いたようで、小さく口を開け、落っこちそうなほど勢いづいてこちらに身を乗り出してきた。目を見開いている様子が小動物を思わせる不思議。

 

「おっす」

 

 軽く手を挙げて微笑む。あわあわと口を開け、彼は

 

「ひ、ひきぎぎゃやさ……!」

 

 私の苗字の原形をかろうじて残す呪文を唱える。不憫に思って、私はもう一度手を挙げた。リプレイ。人生は一度きりだから、何回でも失敗できるのさ。なんでもネガティブに考えちゃあいけないよ!

 

「おっす、大志君」

 

「…お、おっす!」

 

 大志君――――川崎大志はレシートを握った手を挙げ、ほっとしたようにニカッと笑った。ごめん大志君、なんか結構わんちゃんっぽい。

 

「そんなところでなにしてるの?煙なの?それとも私なの?」

 

「は?あ、いや、…ん?いや、なんでもないよ!」

 

 何故か頬を赤らめて、大志君はいそいそと梯子を下りだした。最後は飛び降りて私の隣へと着地。それと同時に、大志君の制服のポケットからカシャン、と何かが落ちた。

 

「あ」

 

 咄嗟に手を伸ばし拾って、それを手のひらにのせてしげしげと見つめる。

 

 ピンクのプラスチックの100円ライターだ。

 

「…大志君」

 

 説明を求む、と視線を送る。大志君は頬の赤みを広げつつ、口をパクパクさせる。

 

「…っ、いやっ、違う違う!拾ったんだよ!廊下で!先生に届けるのもちょっと大ごとになりそうだったからさ、どうしたもんかなって、いやほんと、信じて!」

 

「…」

 

「そのしらっとした目つきやめて!違うって!てかやっぱちょっと似てんね、じゃなくて、まじで俺はなんにもしてないんだって!プリーズ、ビリーブ、ミー!」

 

 弁解を続ける大志君は耳まで真っ赤になっていた。最早大志君の方がこの100円ライターよりもライターらしいまである。人間ライター川崎大志!…人間ライター大志!…仮面ライタータイシ!…なん…だと。

 

「なるほど!つまりこれは大志君の変身道具ってわけだ!」

 

「え」

 

 ぽけっとする大志君に、ライターを渡してサムズアップ。代わりに私はさっきのレシートをもらった。すごくいらない。

 

「私としたことが、てっきりあの純真な大志君が非行に走っちゃったのかと思っちゃったぜ!ほら、だって、ちょうど今頃じゃなかっ……ぅ」

 

 ぐっ、と言葉を飲み込んだ。飲み込んだ言葉は食道の真ん中あたりで詰まって、息が苦しくなる。プリーズ、ギブミー、ウォーター。

 

「…確かに、今頃だったね」

 

 私がプリーズ(フリーズ)していると、大志君が察したように笑顔を見せた。私と同じように、手すりに肘を乗っける。

 

「懐かしいな、ちょうど二年前だ。っていうかもうあれから二年?」

 

 あの時は姉弟お世話になりました、とぺこり。いやいや、私取り立てて何もしてないし。大志君に相談されたのをお兄ちゃんにも話しただけ。

 

「…懐かしいね」

 

 私も大志君の真似をして呟く。うつむくと、校舎の影が思ったよりも暗くて驚く。

 

 大志君はそんな私を横目で見つめ、

 

「別に笑ってくれなくてもいいんだけどな」

 

 はっとして私は顔を上げる。大志君は片手でライターをもてあそび、ぼんやりと覇気のない表情をしていた。けれどそれは一瞬で、私の視線に、大志君は照れたように笑った。

 

 

 

 

 自分の考え方で世界は変わるか?

 

 世界を変えたいなら僕じゃない誰かにお願いすることだ。

 

 

 

 

 不意に屋上の扉が勢いよく開け放たれた。驚いて私と大志君が顔を向けると、眼鏡をかけた男子生徒が妙に思いつめた様子で飛び出してきたのが見えた。私と大志君がいるのを認めぎょっとし、私たちとは逆方向に走って行く。

 

宇佐(うさ)?」

 

 大志君の知り合いのようで、大志君は困惑した様子だ。

 

 するともう一人、おさげの女子生徒が扉から出てきた。手にノートのようなものを抱えている。私たちには目もくれず、眼鏡の男子生徒の後を追って駆けていく。

 

「く、来るなぁ!!」

 

 私たちがいるところとは反対側の手すりに到達した眼鏡の―――宇佐君が大声を上げた。おさげの女子生徒がはたと足を止める。あ――――私は気付く。おさげの子は白川(しらかわ)さんと言って、私のクラスメイトだった。文芸部に入っている、本が好きで内気な女の子だ。

 

「き、来たらぼ、僕はここから飛び降りる!!」

 

「宇佐君!!」

 

 白川さんが悲鳴のように名前を呼ぶ。

 

「ちょ…おいおい」

 

 そのただならぬ雰囲気に、大志君が二人の元へ走り、おさげの子のところで足を止めた。私も後を追う。

 

「お、おい!宇佐!なにしてんだよ!?」

 

 宇佐君は額の汗を拭って、大志君を拒絶するように手のひらをこちらに向けた。

 

「くるなよ川崎!僕はもうだめだ!」

 

「はあ!?だめってなんだよ!?」

 

「宇佐君!こんなことやめて!!」

 

 叫ぶ白川さんの肩を叩いて振り向かせた。

 

白川(しらかわ)さん、これ、どういうこと?」

 

「あ、比企谷さん…その、こ、これは…えっと」

 

 しかし白川さんはその黒っぽいノートを抱えたまま、しどろもどろで要領を得ない。そうするうちに誰かが走ってくる足音がしたので振り返ると、いろは先輩、それからもう一人、天然パーマの男子生徒が扉から現れた。二人とも走って来たのか、息が上がっている。

 

 この天然パーマの男子生徒のことも私は知っていた。鶴岡(つるおか)という、この人も私のクラスメイトだ。白川さんと同じく文芸部だ。

 

 とすると、宇佐君、も文芸部か。

 

「宇佐!!生徒会長を連れてきたぞ!馬鹿な真似はやめろ!!」

 

 鶴岡君は白川さんの横に立つと、大声を上げて拳を振った。

 

「小説を白川さんに見られたくらいで、こんな!!」

 

「う、うるさい!!鶴岡に何が分かるんだ!!!誰にも見せたことなかったんだぞ!!」

 

「宇佐君、わ、わたし、なにも気にしないよ!」

 

「僕が気にするんだよおおおおおおおっ!!」

 

「…な、なんかカオスなんだけど」

 

「あ、一色先輩!こ、これどうしましょう!?」

 

 若干呆れ顔な先輩と対照的に、大志君は焦り顔だ。

 

「えーっと、とりあえずそのノートっていうのは、きみが持ってるそれ?ちょっと見せてもらっていい?」

 

「え、…あっ」

 

 白川さんが声を上げるのにも構わず、先輩は白川さんの手からノートを奪い、開く。私と大志君も覗き込んだ。

 

題名(タイトル)漆黒の翼竜騎士(ダークネスワイバーンナイト)

 

「俺の名は人呼んで漆黒の翼竜騎士(ダークネスワイバーンナイト)。暗黒竜の使い手にしてナイトオブエドウィンの第4席である…」

 

「うわあああああっ!!やめてえええええええ!!」

 

 耳を塞いで絶叫する宇佐君。

 

「「…」」

 

 先輩と顔を見合わせる。なんだ、これ。

 

「つまり彼はいわゆるあの病気だね」

 

「そういうことですねえ」

 

 しかも微妙にダサい。

 

「だ、誰にも見せたことなかったのに!!!!」

 

 一人でヘッドバンギングし始める宇佐君。こう表現すると滑稽かもだけど、かなり悲痛な表情だ。

 

 どうやら宇佐君の書いた小説のようだった。ぱらぱらとノートをめくると、最後の方までぎっしりと小さな文字が書き連なっている。

 

 誰にも見せることなく一人で書いていた作品を、多分、偶然か何かで白川さんが見てしまった。大方そんなところだろうと、わたしは見当をつけた。

 

 いや、それとも――――――

 

「…お、おい!宇佐!お前文芸部ってことは知ってたけど小説なんか書けるのかよ!す、すげえじゃん!だ、ダークネスとか…」

 

「やめろバカ川崎このバカ!僕はもうこれを知られたからには生きては行けない!」

 

 宇佐君は腕をぶんぶん振り回すと、手すりの向こう側へと足をかけた。ひゅっ、と息が止まる。場の空気がひやっと瞬間冷却された気がした。なのに、じわりと脇汗をかく。

 

「あ、危ない!!」

 

「よるなァ!近づいたら本気で飛び降りるぞ!!!?」

 

 手すりを跨いでわめく宇佐君。近づこうとした鶴岡君は拳を握って止まった。

 

「う、嘘だろ…こんな…本気で?」

 

 鶴岡君が愕然として呟く。宇佐君の顔は興奮と羞恥で真っ赤になっている。人間ライターだ。

 

 なんて、言ってる場合でもないかもしれない。宇佐君の目は今、ちょっと危ない。冷静な判断力が失われている。

 

 大志君が私の隣でごくり、と生唾を飲み込む。

 

「…みんなで、一斉に飛び掛かれば」

 

 私の言葉に、先輩は首を横に振った。

 

「…私たちから宇佐君まで、3m以上はある。それに仮に捕まえられたとして、あんなところで揉み合ったら誰かが危険な目に合うとも限らない」

 

「あの、わたし、職員室に…」

 

 白川さんがおずおずと申し出る。先輩はうなずいて、手を挙げて注目を促した。

 

「あー、生徒会長の一色だ。きみ、宇佐君、おふくろさんが見ているぞ。こんなことは―――――」

 

「いい加減にしろ宇佐、お前、こんなところで本気で死ぬつもりかよ!!」

 

 が、大志君がそれを遮って怒鳴る。それまでとは違う本気の怒声に、私たちだけではなく、宇佐君までぎょっとした様子だった。けれどすぐに持ち直し、噛みつく。

 

「一番知られたくないことを知られた!こんな気持ち、分かるわけないくせに!」

 

「分かるわけないだろ!俺はこんなのできない、お前みたいに特別じゃないんだ!」

 

 大志君は先輩からノートをぶんどり、見せつけるように表紙を宇佐君に向けた。宇佐君は鞭で打たれたようにぎくっとして、目を逸らす。

 

「や、やめろ!そんな黒歴史もう捨ててくれ!」

 

「これはお前が特別の証だろ!捨てろなんて言うなっ」

 

「もうやめてくれ!もう…ほんとに!なにが特別だ!なにも特別じゃない!もうこんな僕は嫌なんだ!恥ずかしい僕…気持ち悪い僕が!」

 

「だからって死んだって来世は多分、またきみだけどね」

 

 ぼそっと低い声で言う先輩。その先輩らしかぬ尖った言葉にどきりとして、思わずその綺麗な横顔を見つめる。

 

 死んだって来世はまた自分?最悪の輪廻じゃないですか、それ。

 

「は、恥ずかしいと思う僕が嫌だ!特別なんかじゃないと思ってしまう僕が嫌だ!分かりきってしまう僕が嫌なんだ!僕は本物にはなれない!きっとこのままどこにも…」

 

 擦り切れ寸前のかすれ声の悲鳴。

 

 

 

 

 自分の考え方で世界は変わるか?

 

 世界を変えたいなら僕じゃない誰かにお願いすることだ。

 

 

 

 

 私たち全員はその場から全く動けなくなった。

 

 大志君以外は。

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大志君はノートをつまんでぶら下げ、もう片方の手にはさっきの100円ライター。

 

 

 仮面ライタータイシ、最悪な登場シーンだな。

 

 今、ライターから火花が散る。

 

 オレンジが風に舞い、特別な何かが焦げる。

 

 私たちは唖然としてそれを見つめた。

 

 私たち全員はその場から全く動けなくなった。

 

 宇佐君以外は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な…っに、してんっ…だよ!!??」

 

 端っこに火のついたノートから視線を移した私が見たものは、ライターを放り投げた大志君の頬を思い切り殴りつける宇佐君の姿だった。

 

 尻餅をつく大志君。宇佐君は慌ててノートを捕まえると、叩いて消火を試みた。

 

 完全に火が消え、ほっとしたのか宇佐君は大きなため息をついて座り込んだ。

 

 それから自分が囲まれていることに気づき、小さく声を上げた。

 

 白川さんも宇佐君の隣に座り泣き始め、鶴岡君が額の汗をごしごし拭った。

 

 先輩が大志君をじっと見つめ、その大志君は大の字になって寝そべっていた。

 

 …ひどいドラマを見せられた気がした。

 

「信号が青になったから」

 

 誰かがそうつぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご迷惑をおかけしました」

 

 文芸部の三人は私たちに散々謝り倒して(特に大志君に)、部室に帰って行った。いろは先輩は彼らに厳重注意と反省文提出を命じて、さっさと生徒会室に戻って行った。大志君の頬の怪我はそれほどひどいものではなかったけれど、少し腫れたので保健室で冷やすものをもらった。

 

 保健室の先生は呆れ顔である。

 

 転びました。

 

 転んでそんなことになるわけないでしょうが。

 

 実は殴られました。恋愛のもつれです。

 

 やっぱり。で、勝ったの?

 

 気持ちは誰にも負けない、そんな所存です。

 

 大志君と先生のやり取りを聞いていて、私たちはつくづく先生と言う生き物に呆れられ続けるのだろう、とそんなことを考えた。

 

「恋愛のもつれとは、自分でもよく言ったもんだ」

 

 保健室を出て、二人で廊下を歩く。

 

「あ、気づいてたんだ、大志君」

 

「…ってことは当たりなんだ?予想してただけなんだけど」

 

 顔に氷嚢をのせたまま、大志君は困ったように笑う。私は口を歪めてうなずいた。

 

 そもそもの事の発端は宇佐君のノートが白川さんに見られてしまったというところだ。でもまずおかしいのが、宇佐君が人に見られるのを()()()()()()()()恥ずかしかっていたものを、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という点だった。

 

 ただ、私たちはその現場を見たわけじゃないから、本当に何かの弾みで、あるいは宇佐君のミス、あるいは偶然。そんな言葉で片付けられなくもない。

 

 でも、「見てしまった」、「見られた」、の二人のほかにもう一人登場人物がいる。

 

 鶴岡君だ。

 

「あの人、()()()()()()()だいぶ違和感あったしね。確証はなかったけど、後でこっそりカマかけてみたらあっさり白状したよ」

 

 ようするに、宇佐君も鶴岡君も白川さんのことが好きなんだろうな。

 

「こんなことになるとは思ってなかった。二人に謝るし、もう二度としない…だって」

 

「みっともない、とは思えないな、俺の立場としては……」

 

 私の視線を受け、大志君はついと視線をずらした。誤魔化すように慌てて、

 

「ま、まあ、白川さん、可愛いもんな」

 

 そんな大志君に、なぜか急に私の嗜虐心が頭をもたげる。

 

「ふうーん。あれ、大志君。私は?」

 

「いや、比企谷さんはギガ可愛いから比べるのは…ってあ、いや、今のナシ!あ、ナシってわけでもなくて、むしろアリだけどほら、いや…えーっと」

 

 氷嚢を取り落してわたわたとコミカルに動く大志君が可笑しくて可笑しくて愛しくて、私は大きな声で笑った。

 

「どの子もその子も三角形ばかりだねえ」

 

「俺はそんなの割と真剣に、嫌だけどね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、大志君と別れた後、私は生徒会室に再び向かった。今日の放課後は特に長かった。あんなにゴキゲンだった太陽も沈み始めている。毎日毎日ご苦労様だ。

 

 いろは先輩はまだいるか、いないか。

 

「特別な人が自分の旗を隠すところなんか、見てられなかったんだ」

 

 大志君は自分の行動について、こんな言葉を置いて行った。

 

 自分の考え方で世界は変わるか?

 

 世界を変えたいなら僕じゃない誰かにお願いすることだ。

 

 なら、誰に?

 

 やっぱり地味めにノックして、そっと扉を開けた。

 

 水があふれ出て、廊下に流れた。

 

 やっぱり先輩はそこにいた。部屋に置かれた長方形の会議用テーブルの上座。その椅子に今もいた。

 

 ただ、

 

 先輩は泣いていた。

 

 しくしくしくしく、泣いていた。

 

 驟雨を降らせ、生徒会室を水没させようとしている。

 

「なんで」

 

 先輩がなんで泣くんですか。

 

 見てはいけないものを見ているようだった。

 

 

 

 

 

 メイクはぐちゃぐちゃ、髪はぼさぼさ、笑ってるのか泣いてるのかもうよく分からない。

 

 まったく、私が知ってる先輩はどこ行ったんですか。

 

 らしくない。

 

 誰かのために泣くなんて、まったく、らしくないですよ。

 

 

 

 

 

「声を上げても誰にも聞こえなかったら…ちょっと寂しいな、とか、さ」

 

 そういうこと考えたら、と先輩は嗚咽する。

 

 この水はきっと。

 

 じゃぶじゃぶ、水をかき分けて先輩の元に進む。水面がきらきら光って、波が千切れて飛んで行く。ひらひら飛んで涙の向こう側へ。

 

「屈折した光でもさ、なんというか…こう、反射角とか…その、上手い具合に調節して」

 

 先輩はなかなか泣き止まない。足首が水没した。このままじゃ私たちは溺れてしまう。

 

 誰もかれも溺れてしまう。

 

 そんなの嫌だから私は懸命に足を動かして、先輩に近づいていく。

 

 ほら、あと少しだ。

 

 私は言わなきゃいけない。

 

 手鏡が必要ですね、先輩。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私が偽物の愛情が知りたくて入り浸る部屋には、奇妙な三角形が描かれていた。

 

 それは不格好で、どこかおかしくて、なにか足りない。

 

 それを隠すように、取り繕うように、見ない振りするように、それでも一緒にいた歪の。

 

 あの人たちと出会っても、私の世界は前と変わらず、厄介で面倒くさかった。

 

 涙はきっと綺麗だよ、バイバイサヨナラ、お兄ちゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




というわけで、いかがでしたでしょうか。一応、これは「Butterfly」をイメージして作りました。小町もいろはもボカァ大好きだ。もちろん仮面ライターも。

いくつか、前の話から引用した台詞などがあります。上手い言葉が見つからなかったからとかじゃござりません。本当です。

ご意見ご感想、おまちしております。



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刹那

ご無沙汰しております囲村です。18話目です。

思わず笑っちゃう話。


 黒い雲が夜空を次第に覆っていくさまなんかは、まるで凄い絶望だ。

 

「けっこ、本格的に降って来たな」

 

 それは花火大会の帰り道だった。唐突な雨は驟雨と言ったか、駅へと歩いていた俺たちはそれに追い立てられるように歩みを速めた。俺だけなら走れば良かったが、きみは浴衣を着ていた。走るわけにはいかなかった。

 

 駅の構内に辿り着いたときには雨は勢いを増し、誰かの不満をぶちまけるかのように降っていた。雨の粒が見えた。多分世界の丸洗いだった。

 

 きみは怒っていた。俺にはそれが分からなかったのだ。

 

 降りしきる雨のお蔭で、二人の沈黙の距離が消えていたことだけが、救いだった。

 

 無言の二人は雨の音を聴く。あの花は確かに綺麗だったのに。

 

 雨に色はない。

 

 雨に色はなかった。

 

「何にもできない奴が、何かしようなんて馬鹿みたい」

 

 きみは吐き捨てるようにそう言った。

 

 そして空には稲妻が走るのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 小さいころからおとぎ話が好きだった。日本昔話のアニメを録画して見返すほどよく見ていたし、世界の名作童話集等々をお小遣いで集めては本棚に並べて楽しんでいた。桃太郎、三匹の子豚、シンデレラ、花さか爺さん、イソップ物語、かぐや姫、マッチ売りの少女。

 

 信じていたハッピーエンドが確立されたその世界は眺めていてとても幸せで、だから信じられた。信じているから、ハッピーエンドは幸せだ。信じているループがあるから、読んでいて幸せだった。

 

 いつだってハッピーエンドを信じている。

 

 富山(とやま)祐樹(ゆうき)の人生も願わくば、そうなると良いのだが。

 

「ハッピーエンド、ですか」

 

 隣の吊革につかまる石清水(いわしみず)が、いい年をした野郎が何言ってるんだ、というような顔をする。

 

「会社員にもな、ハッピーエンドは残されていると思うんだよ」

 

「そりゃ、なくはないかもしれないですけど。でも、多分僕にはないような気がします」

 

 デカい体を卑屈にすぼめて(それでも二人分ほどのスペースを占領している)、石清水は言った。

 

 流石に定時とは言えないものの、いつもにしては少なめの残業を終えて帰路についた俺たちは、比較的すいている電車に揺られていた。当然、車窓から見えるのはとっぷりとした夜の闇だ。

 

「というか、ハッピーエンドがあるとしたら、多分大学の卒業…いや、部活の引退…いや、大学の入学式ですかね、僕の場合」

 

「そりゃ悲観ってもんだぜ、いわしー」

 

「ハッピーエンドと言うのは、その物語はそこで終わっていてほしいっていう願望じゃないですか。捻くれた言い方をすると」

 

「考え方の問題だと思うぜ。例えば今日の残業は少なかった。ビール飲んでテレビ見て寝よう。ああ今日は良い一日だった。ハッピーエンド」

 

「なるほど」

 

 石清水はちょっと笑った。

 

「じゃあ、富山(とやま)さん、今日飲みに行きませんか」

 

「悪いな、今日はこれから予定があるんだ。また今度な」

 

 そう言う流れじゃなかったんですか、と石清水が肩を落とす。大きな熊が情けないような顔をしているようだった。

 

「彼女ですか?」

 

「だったらよかったのにな。先輩の家だよ、大学時代の。前言ったろ」

 

「ああ、あの社長の友達って言う…」

 

「そうそう」

 

「…家帰ったら年上の彼女が愚痴聞いてくれる展開ってどこに落ちてますか?」

 

「ぶははっ、いわしー、結構面白いよな」

 

「富山さんほどじゃないです…」

 

 へへへ、と大の大人が二人で怪しげに笑う。俺たちの向かいで吊革につかまっている三人組の女の子がちらりとこちらを見たので少し気まずくなった。三人とも浴衣を着ている。

 

 ああ、そうか、と思った。そう言えば中つりには満開に咲く大きな花の広告だ。

 

「…花火大会ですか」

 

 石清水も気づいたようで、ぼそっと呟く。

 

「夏ですねえ」

 

 電車が止まって、開いたドアから人がなだれ込んでくる。なるほど確かに、浴衣や甚平姿がちらほら見られる。

 

 そう言った人たちのお蔭で一気に車内が華やかな雰囲気と変わる。

 

 花火は好きだ。

 

 多分、今でも。

 

 吊革を持つ手に力がこもる。嘘だ、力はちょっと抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 通っていた大学近くの川沿いで毎年行われる花火大会に行ったのは、大学生活2年目の夏だった。

 

ちょうどテスト期間、暑い日がずっと続いて心身ともに疲労しつつも、これから始まる夏休みへの期待が胸の内で膨らんでいくのをひしひしと感じていた。

 

 5つ目のテストが終わった日のお昼、俺は消費したエネルギーを取り戻そうと食堂へと向かった。経済学棟に一番近い広い食堂はテスト期間と言えどお昼時、混雑はピークに近かった。比較的人の少ない丼類の列に並ぶ。鰹のたたき丼にでもしようか。ざるそばなんかあったらもっと嬉しかったかもしれないけど、ないものねだりをしてもしようがない。

 

 日本人よろしく大人しく並んでいると、背中にイヤに視線を感じる。振り返ると亜麻色の髪の光沢に目を取られた。綺麗な色だ。いつも思う―――忘れていた何かを思い出しそうな色だ。

 

「…」

 

「…」

 

 俺と同じく経営学部二年生である、一色いろはという名前のその女の子は、上目遣いでこちらを威嚇するように目を細めている。いわゆるひとつのジト目だった。

 

「…あー、えと、おっす、一色」

 

「…おっす、富山(とやま)

 

 挨拶を返してもなお、咎めるような視線を外してはくれない。可愛い女の子は怒ったような顔も可愛いのだから世の中は不公平だ。

 

「…」

 

「…」

 

 隣に来たのにもかかわらず、一色は何も言葉を発しない。どうしたことか。怖い。

 

「…なんか、機嫌悪い?」

 

「べつに」

 

 ものの見事に不機嫌である。それきり一色は黙ったまま視線を前に固定する。

 

 困った。

 

 食堂の列は着実に進んでいるのに、一色がどうして不機嫌なのかとんと見当がつかない。考えられる理由としてはまず大きく分けて二つだ。

 

 一つ目は俺がなにかしたか。二つ目は俺以外の要因か。

 

 一つ目はない気がする。というのも、そもそもここ1週間ほどずっとテスト勉強をしていて一色とはあまり絡んでいないからだ。なら、二つ目か?

 

 大体一色は精神的に結構落ち着いた女の子だと俺は思っている。というかこんな感じで不機嫌さを表に出すことがあまりない。結構、わりと、だいぶ、レアケース。

 

 まあ先輩と二人きりの時はどうなのか知らないけど。

 

 列が進む。生協のおばちゃんから鰹のたたき丼を獲得してお金を払うと、運のいいことにちょうど空いたテーブルに滑り込んだ。一色はカツカレーをトレーに乗せていた。特盛サイズだった。二度見する。やっぱり特盛サイズだった。

 

 俺の向かいに座り、一色は猛然とスプーンをでっかいカレー皿に突っ込み、カレーを食べ始めた。カレー皿は横に丼二つ並べたほどの大きさである。

 

 どうしよう。やべーなんだこの状況。

 

 とりあえず彼女にならい俺もたたき丼を食べる。かつおがちょっと温い。

 

 一色は最初こそ凄い勢いでもぐもぐしていたが、俺が食べ終わる頃には見るからに失速していた。カレー皿はまだ半分以上残っている。汗をだくだく流し、頬を赤らめて(決して羞恥心からとかそんなのではないというのははっきり認識できる)口元を拭っている。

 

 見かねて、コップに水を入れて持って行ってやる。

 

「さんきゅう」

 

 汗だくの彼女はごくごくごくと飲み干す。今度はコップを四つ持って行った。

 

「正直ミスった」

 

「なにしてんの」

 

 しばらく一色は奮闘したものの、やがてお腹を押さえてカレー皿をこっちに押しやった。

 

 カレー皿にはまだ3分の1ほど残っている。カツも未だ三切れほど健在である。丼をたった今平らげた俺にこれを寄こすとは。

 

 この量を平らげるには勇気が必要だ。勇気使用許可申請を出せ。

 

 いいだろう。まかせろ。許可が下りたらしい。勇気を使うときが来た。俺は使っていた箸で引き継ぎを行った。がつがつ。うまーい。がつがつ。うまーい。がつがつ。うっぷ。

 

「喧嘩した」

 

 残り物に福があると信じて頑張っていると、じっと俺を見つめていた一色が呟くようにぽつりと言った。ハイ了解でぃーす、かしこまりー。

 

「やっぱり?先輩が何かしたの?」

 

「先輩は、屁理屈ばっかり言う」

 

 「先輩」とは、比企谷(ひきがや)という俺のバイト先の先輩のことだ。世間はどうにも狭いもので、一色と比企谷先輩は同郷、高校時代に先輩後輩の関係だった。それを知ったのは去年の冬。

 

 去年の冬、教室での一色の状態を先輩に話したあと、先輩は急に俺たちの講義にやってきた。

 

 ずっと一色の方を見ていた先輩は、講義が終わるとすぐさま一色を連れて外に出て行った。気になったからあとから二人を探し回って、やっと見つけた公園のベンチで――――二人は子供のように泣いていた。

 

 詳しいことは聞いていないけど、二人には高校時代色々とあって―――こう表現するとまるで恋愛関係にあったみたいだけど、そうではなかったらしい。というより先輩の方に色々と問題があったようなんだけど…

 

 ――――なんとかして、先輩の鼻っ面をぶん殴ってやりたかったんだよね。

 

 あとから、一色はそんな風に言っていた。

 

 一色は一年生の最初の飲み会での揉め事が起きた時、努めて悪役を演じた。それがなぜ先輩の()()()()()()()()ことになるのか今でもちゃんと理解はしていないけれど、でもお互いにお互いを強く想っていることだけは分かった。

 

 

 

 そして、夏、真っ盛りである。サマーヌードである。恋仲である。好きな人がいることである。

 

「ハッサンは屁理屈製造機だからなァ」

 

「うんちょっと待ってごめん、“発散”ってなに?」

 

「ハッサンはハッサンだけど」

 

「…まさかとは思うけどさ、先輩のこと言ってんの?」

 

「いや、まさかって言うほどじゃないでしょ。分かりやすいニックネームじゃない?」

 

「いやいや、意味わかんない」

 

「意味わかんない?比企谷センパイの下は八幡じゃん?だから――――」

 

「いや、由来に関して説明を求めたわけじゃなし…」

 

 一色が呆れたように手を額にやる。今の会話のどこに呆れる要素が在ったろう?一色のニックネームも考えた方が良いだろうか?

 

「話し戻すけど富山祐樹くん、きみ、先輩に最近何か余計な事言わなかったかい」

 

「余計な事ってなに?」

 

「それはなんというか、…いわゆる…」 

 

 目を泳がせて口ごもる一色。一色いろは…いっしきいろは…いろは…はっちゃん、とか。センスないか?いや、あるね。それある。

 

「たとえばわたしのことについて、とか…」

 

「え、ハッサンに何か言われたの?」

 

「………言われたと言えば言われたし、言われなかったと言えば言われなかった」

 

「えらくややこしいな」

 

 俺が笑うと、一色も思わず、と言った風に頬を緩ませた。

 

「そもそも、なんか最近妙なんだよね。先輩」

 

「妙って」

 

「動きが怪しい」

 

「ハッサンは基本的に、怪しい」

 

「まあ、そうなんだけど」

 

 そういえばこの間は愛想笑いができないって悩んでいた。その日のバイト中、俺をお客として愛想笑いのデモンストレーションを繰り返しやった。終始笑かしてもらったのはこっちの方だった。

 

「でも相当レアだけど、素直に笑っているハッサンを見るのは好きだな」

 

 俺が何の気なしにそう言うと、一色は完全に引いていた。うわぁ…と言う顔をつくり自分の身体を抱き締めている。慌てて弁明に走る。

 

「いやいやいや、今のは別に深い意味は無いからね!?」

 

「う…うん、大丈夫、わたし気にしない…」

 

「目を逸らさないで!こっち見て!俺は女の子大好きだよ!」

 

 思わず声を上げてしまった。周りの学生が一斉にこちらに注目し、俺は顔が赤らむのを感じた。

 

 きゃらきゃらした女の子の集団が俺たちのテーブルの傍を通り過ぎていく。同じ学年の同じ学科の集団だ。俺に軽く挨拶をして行ったけれど、一色のことはまるきり無視していた。

 

 でも、侮蔑や嘲笑よりもまだマシだ、と思う。

 

 一色に対して一年ほど続いた敵意も悪意も、今ではすっかり薄れつつある。

 

 持続しない。

 

 気持ちも、記憶も、風化していくのだ。

 

 あの時、比企谷先輩が一色を連れ出してくれて良かったと、心から思う。

 

 俺は時の経過を只見ていることしかできなかった。今も、昔も。

 

 

 ―――――ね、祐樹。

 

 俺の中には小さなコンポがあって、そこにはCDが一枚入っている。

 

 

「…女の子大好きなのかー、富山は」

 

 にやにやして先ほどの話をぶり返す、一色のその笑顔はどこか小悪魔めいている。

 

「…そ、そりゃあ人並みにはな」

 

 俺の向かい側に座った彼女はずずいとこちらに身を乗り出した。

 

「聞いたことなかったけどさ、高校ん時とか、彼女いたの?」

 

 目がぴかぴかりと輝いている。俺はその輝きに少し辟易し、誤魔化すように笑ってみせた。

 

 

 ―――――できればこのまま曖昧でいたいってだけでしょ?

 

 そのCDの中には録音されたあの子の声が入っていて、繰り返しリピートされるのだ。

 

 

「いや、まあ、いなかった―――かな。つーかそっちはどうだったんだよ」

 

「わたし?そりゃあもうとっかえひっかえ」

 

「ウソばっかし…」

 

「嘘じゃないしぃー」

 

「じゃ、ハッサンのことはいつから好きだったの」

 

 危うく飲んでいた水を噴き出しそうになって慌てて口をふさぐ一色。頑張って飲み込んで、

 

「いやいやいや、す、す?いや、何言ってんの?」

 

 口早に言ってわたわたと手を振る。

 

「てか先輩とかまじでないから。アウトオブ眼中だから。ほんとありえないから。屁理屈製造機だし」

 

「わざわざ大学まで追いかけてきたくせに何言ってんの?」

 

「ちがあああう!それはっ!てか先輩がここの大学だったとか知らなかったし!」

 

「ウソにしてはバレバレだし、言い訳にしては苦し過ぎるぜ」

 

 頬を赤くしてなおもぶつぶつ弁解と先輩への悪口のようなものを言い続ける一色。今までの行動と言動が矛盾しまくりだけど、わざと言ってンのか、こいつは。

 

 ふと気づくと、一色はスプーンを片手でもて遊びながら、妙に沈んだ顔をしていた。

 

「…でも、ホントのところ、わたしはそういうんじゃないんだよ。先輩の中で」

 

「……」

 

「わたしと先輩は、そう言う風にはならないんだ」

 

 先輩には、もっと他に考えなきゃならないことがある。

 

 どこか憂鬱で寂しげな笑みを浮かべて、一色はそんなことを言った。

 

 いったいどんなことがあったら、この人たちはこんな風にこじれるんだろう?

 

 この人たちの物語のかけらをひとつひとつ知っていきたい、と思った。

 

 今までどうしようもなく全自動で続いてきたのだとしたら、手動に切り替えて。

 

 俺の中のコンポは鳴り止まない。だからまた眺めるだけ。

 

 それなら俺は。

 

「……今週末」

 

「え?」

 

「今週末さ、花火大会あるだろ」

 

「うん」

 

「暇だったら、行こうぜ」

 

 正面の綺麗な顔が、ぽかんとしているようだ。

 

 それなら俺は、今度こそ、やるんだ。

 

 間違いのないように。

 

 

 

 

 

 これはクソ何にもできない俺の贖罪なのだ。

 

「どうなってんすか、ハッサン」

 

「だからその呼び方はやめろ…」

 

 駅前を少し歩くと見つかる小さな古書店。知っている人は知っている。知らない人は見向きもしない。そんなおんぼろな、ええと、歴史ある店だ。

 

 店同様、店長も相当なおじいちゃんで、一年ほど前に仕事中腰をやってしまったためバイトを募集したのだった。それに応募したのが俺。先輩は一年生の頃偶然ここを見つけて働き始めたらしい。今では店長よりも店に詳しいといってもカゴンではない。カビゴン。

 

 比企谷先輩は少し長めの前髪をしきりにいじっている。

 

「いろはっちゃん、しょんぼりしてましたよ」

 

「え」

 

「しょんぼりしてカツカレー特大食ってました」

 

「それはな、富山。世間一般にはしょんぼりしてるって言わないんだ」

 

 先輩と並んで棚の整理を行う。バイトに入りたての頃は古書独特の掠れた文字を読むだけでひと苦労だったけれど、今では大体慣れて、比較的スムーズに並べることができる。時折どこから出てきたんだ、というような本がひょっこり棚の奥から出てきたりして面白い。

 

「世間一般の話をしてるんじゃないですよ、いろはっちゃんの話ですよ」

 

「というか、いろはっちゃんってなんだ」

 

「じゃ、いろはにしますね。先輩、いろはになんか変な事言いました?」

 

 俺が一色を名前で呼ぶと、先輩があからさまにムッとしたのが分かった。もっと正確に言えば、ムッとしたのを悟られまいと努めて平静な顔を作っているのが分かった。ろくでもない、先輩も、俺も。

 

「別に変なことは言ってないが」

 

「じゃあ、先輩が変なんですかね」

 

「えっ…ひどくない?」

 

「つうかまだ告ってなかったんスか」

 

「ばっかおまえ、常に告ってるよ…黒歴史を」

 

「そういうのいいですから」

 

「あっ、ハイ」

 

 あの冬の出来事以降、二人の関係はさらに微妙なものになっていた。友達でもなければ恋人でもない。知り合いと言うには親し過ぎて、他人と言うには寂し過ぎた。

 

 見ていてもどかしい。けれど、こういうのは他人がしゃしゃり出るものでもない。他人の恋を応援するなんて輩にろくな奴はいないのだ。当人からしてみればそう言うやつが一番面倒くさい。邪魔なのだ。ほっとけよ、って。

 

 気が付けば俺は、先輩に二人の喧嘩の内容をこと細かく説明されていた。

 

「…んで、あいつが急に合コン行くとか言い始めて」

 

「いや、そこは止めましょうよ」

 

「いや、別に俺がそこでどうこう言う筋合いないだろ…」

 

「いや、明らかそれ、止めてほしいやつじゃないスか。先輩が悪い」

 

 はたきで棚の埃をぱたぱた落とすのを中断して、俺は先輩にまっすぐ向き直る。

 

「あのですね先輩、その合コンで一色さんに言い寄る輩が出たらどうすんですか。てか絶対出ますよ」

 

「絶対とか軽々しく使うもんじゃねえ。責任取れねえぞ、絶対」

 

「うわーまたそうやって話逸らす」

 

 先輩は俺がまっすぐ見つめると必ず視線を逸らす。

 

今も顔ごと逸らした。そのしぐさが誰かと重なって、俺は思わず、

 

「後悔してからじゃ遅いんスよ、絶対」

 

「…んなこと、分かってんだよ」

 

 痛みをこらえるように眉をひそめて、先輩は返した。

 

 

 ―――――まあ、祐樹にそういうの、期待しちゃ駄目だって分かってたけど。

 

 俺の中のコンポは停止ボタンが壊れていて、リピートは今でも止まらない。

 

 勇気を出さないことが、時には人を傷つけることにつながるのだ。

 

 

「………まあ、その合コン、俺も行くんスけどね」

 

「…………お、おう」

 

「……………ぶはっ、なんスかその表情!写メって一色に送るんでそのままでおなしゃす」

 

「ヤメロ!」

 

 店の外は日差しがまだまだ強い。最近は日が落ちるのも遅い。昼が長くなり、夜が濃くなる。こんな日はきっと、花火が綺麗だ。あるいは花火じゃなくても、ああ、まあ、蛇足。

 

 あーあ、楽しい。

 

 あちい、と先輩が手で顔をあおいでいる。

 

「先輩、今年の夏は一緒に頑張りましょうよ。なけなしの勇気を振り絞って」

 

「やだよ、暑いし」

 

「花火行きません?」

 

「は?お前と?」

 

「俺、同じ学部で良いなって思う子いるんですけど、協力してほしいんですよ」

 

 先輩がひきつった笑みを浮かべる。どうやら察したようだった。俺はへらへら笑う。

 

 目の前の女の子のこと以外に、考える必要があることが他にあったっけ?なーんて、俺が言うのもなんだけど。激しいブーメランだ。

 

「“四人”で行きましょうよー、HANABI」

 

「めんどくせえ…」

 

 しゃべってないで仕事しろ、と店の奥から店長がプリプリ怒っている。

 

 

 

 

 自分の中のコンポを叩き壊したいと思うことは何度もあった。

 

 叩き壊すには例のアレが足らない。

 

 せめてぶっ壊れた停止ボタンを修理したかった。

 

 修理するには例のアレが足らない。

 

 俺には足りないものだらけでいい加減イヤになる。

 

 コンポのフタを開けたんだ。そしたら、

 

 

 

 

 

 その花火大会の当日と言えば、俺は一人で人ごみの中をフラフラと歩いていた。

 

 河原に向かって、出店の間をぞろぞろと歩く人々。来る人来る人男女二人組で羨ましい限りだ。親子連れ、男集団、女二人、小学生たち、なんてのも見かけるけれど。やはり男女という組み合わせが一番目に留まる。

 

 その中でふと、水ヨーヨーの出店の前にいる女の子に目が向いた。おかっぱ頭、さらに横顔の幼さから見るに小学生だろう。一、二年生あたりだ。可愛らしい水色の花柄の浴衣を着て、立ったまま真剣な様子で水ヨーヨーが入ったプールをじーっと見つめている。やろうか決めかねているのだろうか?鉢巻を頭にまいた出店のオッチャンが手持無沙汰な様子。

 

 気まぐれで、人の波を外れてその子の隣に行った。オッチャンが無愛想にこちらをじろっと見る。勇気の使いどころと言うやつである。

 

「おねーさん、一人?よかったら一緒に遊ばない?」

 

 人生でまさか自分がこんなセリフを使うことになるとはなァとおどけて声をかけると、女の子はこっちを見て、それから驚いたように少し目を見張った。あ、そう言えば俺、今金髪か。怖がらせちゃったか。

 

 だがそんな心配は杞憂だったようで、女の子は相好を崩してうなずく。

 

「うん、いいよ!」

 

 オッチャンと俺は慌てた。

 

「いや、あのね、そう簡単に…」

 

「ヨーヨーすくい、やろうっ」

 

「い、いいよ」

 

 慌てたまま、財布から100円を出してオッチャンに渡す。オッチャンも慌てたままうなずいてこよりを一つくれた。

 

 女の子はプールを観察している。俺もプールを眺めて、狙いを定めてこよりを投下した。慌てたせいか、俺のこよりはヨーヨーを引き上げるときにあっさり千切れた。根性を見せろ、根性を。

 

 女の子はくすくす笑い、手持ちの巾着からがま口を取出して100円をオッチャンに渡した。

 

「わたしもやろうっと」

 

 プールの前にしゃがみ込んで、こよりを慎重にプールに落とした。

 

 それからというもの、女の子のこよりは鬼神のごとき働きようを俺とオッチャンに見せつけた。この女の子こそ、のちの水ヨーヨー世界選手権3連覇を成し遂げる水ヨーヨー絶対女王である。

 

 色とりどりの水ヨーヨーが10個ほど強奪されたあたりで、いけないこれ以上はオッチャンが萎れてしまう召されてしまうと俺が女の子を止めた。オッチャンは慌てていた。

 

 女の子は収穫した水ヨーヨーを2個だけ除いて、あとはオッチャンに返した。残されたヨーヨーは二つとも水色だ。両手に持ってパシャパシャと遊ぶ。微笑ましいのである。俺、変質者に見えないよな?

 

「一人で来たの?」

 

「ううん、友達と電車で来たよ。でもみんなどこか行っちゃった!」

 

「きみが迷子ってことだよね、それ。何年生?」

 

「わたしは四年生だよー」

 

「えっ、二年生くらいかと思った」

 

 つーことは10歳とかそこらか。

 

「若く見えますね、おねーさん」

 

「よく言われる」

 

 至極真面目に女の子はうなずいたので、俺は思わず笑ってしまった。女の子はなぜ笑われているのだ、と言うように首を傾げて、それから水ヨーヨー片方を俺に差し出す。

 

「1個あげる」

 

「ありがとう。水色が好きなの?」

 

「これはね、空色なんだよ、ホントは」

 

「ほほう。空が好きなのかい」

 

「空は良いっ。広いし」

 

 きっぱりと言う。綺麗だからとか、気持ちいいからとかなんて言う理由ではない点が、この子の長所だと思った。

 

「あと、花火とか見れるし」

 

 にかー、と笑みを浮かべ、ヨーヨーをパシャパシャする女の子。女の子の浴衣の色が空色ならば、その柄である花は実は花火であるのだ、なんて。

 

「雷とか、流れ星も見れるし」

 

 女の子はそれから刹那的なものを挙げ連ねる。俺の中のコンポが音を立てる。

 

「雷かァ」

 

「雷、嫌い?」

 

「昔好きだった女の子がさ、雷みたいだったんだ」

 

「へへ」

 

 俺の突飛なカミングアウトに、何故か女の子は照れたように笑う。

 

「じゃあきっと、かっこよかったんだね」

 

「そうだね。俺はすっげえカッコ悪かったけど」

 

 確かに、俺は憧れていたのかもしれない。女の子の言葉にうなずく。そして、小学生相手に何を喋ってるんだと我に返り、恥ずかしくなる。

 

 それにしても、アキもトモちーもどこ行っちゃったのかなー、と女の子は人ごみの中をきょろきょろする。あ、一応、気にはしていたのね。

 

 もうすぐ花火が始まる。先程からポケットに入れた携帯のバイブが鳴りっぱなしだ。どうせ先輩と一色が交互にかけているに違いない。さっきちゃんとLINEしたのに。液晶画面を確認すると、着信は「比企谷先輩」。通話ボタンを押すと、先輩のくぐもった声が聞こえてくる。

 

『…今どこにいんの。もう一色来てるんだけど』

 

「いやーすみません、ちょっと今ナンパ中なんで、先行っててもらって良いスか?」

 

『なにが難破中だ、海上にいるのかよ』

 

「やっぱこの夏、一人身はツラいものがあるかな、と」

 

 くだらない駄洒落を言うゆとりはあるって?

 

『……つーかさ、気、回しすぎだろ。こんなベタな手ぇ使いやがって。なんなの?そういうのやめろっつーの』

 

 ちょっと怒気がこもっている声だ。まあ、気にしないけど。あくびだ、あくび。

 

「勇気の使いどころですよォ、先輩。寂しいのもまぁ、大事ですけどね」

 

『一人でも寂しくねえよ、別に。俺はずっとそうやって…』

 

「じゃあ、二人なら寂しさ二倍ですね!」

 

 俺の言葉に、先輩は押し黙る。電話の向こう側も、こちらと同じで騒がしい。

 

 今、ちょっと先輩が笑った気がした。

 

 一人は寂しいけれど、稲妻は決して消えずにずっとそこにある。

 

 稲妻も、花火も、流星も、綺麗だ。

 

『…寂しさ半分、じゃねえのかよ』

 

「知らないですよ、試したことないんで」

 

 先輩はちょっと黙って、それから電話を切った。試してみるんだろうか。

 

 見ていてもどかしい。けれど、こういうのは他人がしゃしゃり出るものでもない。他人の恋を応援するなんて輩にろくな奴はいないのだ。当人からしてみればそう言うやつが一番面倒くさい。邪魔なのだ。ほっとけよ、って。

 

 ただどうやら、俺はろくでもなく、一番面倒くさく、邪魔なヤツのようだった。

 

 溜息。他人の形を、「こうあるべきなんだ」なんて思ったのは初めてだったのだ。

 

 ―――なんで私が怒ってるのか、祐樹、本当は分かってるんでしょ。

 

 泣かせちまったあの子。俺が何にもできないばっかりに。

 

「ねえねえ、わたし、そろそろアキたち探しに行くね」

 

 俺のズボンの裾を引っ張り、少女は言う。俺が電話を終えるのを律儀に待っていてくれたらしい。頭を撫でたくなって、けれど流石に思い留まる。

 

 俺一人にできることは、案外、驚くほどに少ない。新しい装備を買うお金もないし、新しいスキルを身に着ける時間もない。このRPGを生き抜くには少々心もとない。

 

 でも、寂しさはきっとみんな同じだから―――――

 

「じゃあ、俺も手伝うよ、探すの」

 

 ―――――空が好きな小さな女の子の手助けぐらいは、してあげようと思ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コンポを開けたらCDが宝石になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車内の人口密度が高まり、華やいだムードが漂う。花火大会かぁ、いいなぁ、一人で行ってみようかしらん。それは流石に悲し過ぎるか…。

 

 富山先輩はそれから何か考え事を始めたのか黙ってしまった。富山先輩はお洒落な赤色の眼鏡をかけていて一見軽薄そうに見えるけれど、実のところとても親切で優しい人だ。以前働いていた会社の上司に辞表を提出するとともにナックルパンチを喰らわせた経歴の持ち主とはとても思えない。

 

 先輩が中途採用で入社した時期と、僕が新卒として入った時期は実のところあまり差はないのだけど、先輩にはずっと世話になりっぱなしだ。僕は先輩がいなければとっくに社会人をやめてフリーターになった挙句宇宙飛行士でも目指してしまっていたに違いない。

 

 暇になり吊革で片手懸垂を試みたけれど、迷惑になりそうだったのでやめた。代わりに、富山先輩の後ろにいる女性に目を奪われる。濃い紫色の浴衣が、雪のように白い肌に映える。背筋がすらっと伸びていて、着物を着慣れている感じがする。びっくりするほど美人だ。

 

 隣にいる女の子も浴衣を着ていて、こちらは少女と言った感じで可愛いらしい。おさげが似合う。にこやかに談笑する二人。年齢差があるようだけど、姉妹だろうか。多分一人は僕より年上で、もう一人は僕より年下だ。

 

 急激に寂しさに襲われて、僕はぱちぱちと瞬きをした。

 

「花火、楽しみだなあーっ」

 

「そうね。私も実際に見に行くのはいつぶりかしら」

 

「花火も大事ですけど、夜店も外せないですよね!」

 

「私、実はあまりしたことがないのだけれど」

 

「ええ!?」

 

 そんなバナナ、と僕より年下の方が悲鳴を上げる。

 

「それは損してますよ、絶対!楽しいですよ、水ヨーヨーすくいとか!」

 

 聞こえてきた二人の会話に心の中で相槌を打つ。確かに、水ヨーヨーもそうだけど金魚すくいとか、あと射的とかもよくやったっけと思い出す。遠い夏の記憶だ。しみじみ、したくない…まるで大人じゃないか。

 

 涼しげな水色の浴衣を着た女の子は、楽しそうに語り続ける。

 

「わたし、水ヨーヨー、得意なんですよ!」

 

 ふと富山先輩を見ると、顎に手を当て、何やら難しそうな顔をしている。

 

「どうかしました?」

 

 何か不安になって声をかけると、先輩は首を振る。

 

「いや、別に。手土産に水ヨーヨーでも持っていこうかなと」

 

「ああ、富山先輩の先輩(・・・・・・・)のお子さんにですか?」

 

 先輩はうなずいて、それから、こらえきれないとばかりに吹き出した。えっ、えっ、なんで?僕、何か変なこと言った?

 

 くっくっと笑いつつも、富山先輩は口に手を当て意味ありげにうなずく。

 

「勇気を使う時が来たのかもしれないと思って」

 

 先輩のことは時々よく分からない。暑さにやられたのかな、とぼんやり思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ハッピーエンドには勇気を使う必要があるんだろうな。というわけで、「宝石になった日」でした。いや、いろはが会いに行ったとしても八幡はいろいろグズグズしそうだな、と思ったのでこんな感じに…や、でも意外とあっさり決断できるかもしれないからあるいは…何が言いたいかと言うと花火行きたかったです。

追記:9月4日、読み辛かった空白部分削りました。


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沈黙はジェミニを嫌う

長いこと前回から経ってしまいました。こっそり次話投稿あげます。

結構待った話。



 

 

 

 

 

 

 誰もがなにかを待っていた。気付いていないのは僕だけだったのだ。

 

 沈黙が辺りを支配する中、僕はそれを何度でも破ろうとする。

 

「待つことは得意?」

 

 僕の問いかけに、彼女は斜めに首を傾げた。YESの意味にもとれるし、NOの意味にも取れそうな曖昧な角度だ。

 

「それなりにです。気は長い方なので。一概には言えませんが」

 

 続けて曖昧な言葉。どっちでもいいと彼女は多分思っている。自分の意思が僕にどう伝わろうと、どう解釈されようと。そもそも、自分の意思さえどっちでもいいのかもしれなかった。それはさすがにないか?

 

 いずれにせよ、彼女の中で僕はあまり重要視されていないのは何となく感じ取ってしまって少し気落ちする。

 

 それでもめげずに、僕は話し続ける。沈黙は嫌いだ。

 

「僕は、あんまり得意じゃないんだ。黙って待ってる、ってのはそれだけで無駄な時間な気がしてさ」

 

「無駄な時間なんてないですよ」

 

「え?」

 

「十年前の待ち時間にも、今此処での待ち時間にも、何かしらの意味はある…んじゃないかな、と」

 

 端正な顔に彼女が――――比企谷(ひきがや)がここに来てから初めてうっすらと笑みを浮かべたので、僕は目が離せなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アンニュイな微笑にどこか眠たげな流し目。

 

 意図してのものかどうか分からないが、一つ下のこの後輩の魅惑的な表情はどんな男の心臓さえ動かしてみせるだろう。僕も例外じゃなく、本能がダイレクトに刺激される。

 

「…な、なるほど!」

 

 声が上擦るのが分かる。それから、先の自分の発言は、今同じ時間を共有している彼女に対して好印象を与えなかったかもしれない、と今更気づく。

 

「あの、誤解しちゃったらアレなんだけど、僕は別にこの状況が嫌だって言ってるわけじゃなくてさ」

 

 むしろ僕にとってはこの二人きりで過ごす待ち時間は願ってもない状況だ。こんなチャンスは滅多にない。めったにないチャンスを逃さないのが真の男と言うものである。

 

「嫌じゃないんですか、先輩」

 

「むしろ嬉しいというかなんというか…」

 

 比企谷はいつの間にか無表情に戻っている。

 

「むしろ、あ、いや、なんでもない」

 

 僕たちは体育館の倉庫の中にいた。

 

 九月と言えどまだまだ元気溌剌な太陽の下、本日この学校では体育祭が行われた。僕と比企谷は共に体育祭の実行委員であり、今日まで多くの仕事をうんざりするほどこなしてきた。今日と言う日を待ちわびたのは体育祭を楽しむどうこうというよりは委員会の仕事から解放されるからという意味合いの方が強い、と感じるほどには。

 

 全ての競技を終えて、閉会式も終わり、僕たちは最後の仕事として後片付けを行っていた。一応全校生徒総出でという名目だが、一般の生徒たちはさっさと退散してしまうか、一応残っていてもいまだ興奮冷めやらぬと言った体で、結果発表の話だとか、この後の打ち上げのための打ち合わせだとかで盛り上がっていた。正味、労働力として貢献しているのは結局実行委員たちだった。

 

 やっとの思いで片付けが終わり、委員会は解散した。解散の後、僕は比企谷と体育館の中にある体育倉庫で備品の最終チェックを行った。チェックは滞りなく進み、この倉庫から持ち出した全ての備品はしっかり元あった場所に戻されたことが無事に確認できた。

 

 問題はここからだった。倉庫の引き戸が開かないのである。

 

「なにかが引っ掛かっているか、それとも閉じた時に鍵がかかってしまったか…」

 

 重たい引き戸を懸命に引っ張ったが、押してもみたが、一向に扉は開く気配を見せない。というか、内側に鍵がないことがそもそも重大な欠陥な気がしてならない。

 

 僕は少々疲れてしまってマットの上に座り込んだ。倉庫の中には体育で使用する道具が置かれており、大きな棚にはさらにこまごまとした備品が所狭しと並べられている。

 

「それか、誰かが外から鍵をかけたか、ですかね」

 

 跳び箱の上に腰かけた比企谷が呟く。倉庫の中には小さな窓が一つ、高いところにあるだけであり、全体的に薄暗い。

 

「…それって、わざと…ってこと?」

 

「…さあ、故意かどうかはともかくとして」

 

 先程、誰かが外から気付くかと思い、重たい引き戸をガンガン叩いて大声を出してみた。が、それも効果はないに等しかった。得られた成果は喉の渇きと拳の痛みのみ。

 

 それもそのはず、すでに大半の生徒は下校しており、残った生徒たちもわざわざ体育館に来る用事もない。すでに遅い時間と言うのもあるが、一日中の運動で疲れ切った体を押してまで部活を遂行しようとする殊勝な部は、ごく一般的な進学校であるこの学校には存在しなかった。

 

 しかし、もう一度言うけれど、これはチャンスだ。ピンチではなく、チャンスだ。

 

 現在進行形で日が沈んでいるお蔭か、倉庫の中はそこまで暑くはない。比企谷はまるで無駄なエネルギー消費を避けようとしているかのように、じっと座っている。

 

 しばらく沈黙が続いた。喉が渇き、持っていたペットボトルのスポーツドリンクを飲む。思い至って、比企谷にも差し出した。

 

「飲む?…あー、飲みさしでよかったら」

 

 比企谷はちょっと首を傾げて、

 

「ありがとうございます。でも、ここ来る前に飲んできたばかりなので大丈夫です」

 

「あ、そっか」

 

「また欲しくなったら頂いてもいいですか?」

 

「もちろん!」

 

 かえって気を遣わせてしまったかもしれない。見失いそうになった会話の糸口を、とりあえず掴んでみることにする。沈黙はたまらないからね。

 

「にしても、どうしようか。こんな時こそ携帯を携帯しとくべきだったのに…今何時かも分からないや」

 

 僕たちが着ている学校指定の体操服には一応ポケットはついていたが、僕は携帯を入れていなかった。それは比企谷も同じ。腕時計もしていなかった。持ち物はペットボトルと、あと備品チェックの用紙、ボールペンのみ。

 

「困りましたね。先生たちももう多分ほとんど残っていないし」

 

「委員会担当の大野先生はまだいるはずだから、不審に思って探しに来てくれるかもしれないね。もうちょっと経てば警備員的な人も見回りに来るかも」

 

「そうですね。大野先生も私たちの報告を待ってるはずですから」

 

「そのはず…だと思うけど。あの人が僕たちの存在を忘れてたら…」

 

 また少し僕らは黙りこくり、大野先生のことに思いを馳せた。かの筋骨隆々の若い男性教師は、少々迂闊なところがあり、なおかつ不注意な点が多々ある。

 

「信頼できる友人が救出してくれると言うのがベストですけど、連絡をとる手段はナシ。ということは、次点で自力で脱出。最悪、先生、もしくは警備員に見つけてもら う。最悪にも引っ掛からなければ、誰にも見つからず朝になることですね」

 

「先生に見つけてもらうのが最悪なの?」

 

 僕の素朴な疑問に彼女は肩をすくめて、

 

「もし仮に見つけてくれたとしても、詰問されますよ。こんな長時間、男女二人きりでなにをしていたのかって」

 

「…ちゃんと理由を話せば大丈夫じゃないかな…実際、ちゃんと仕事はしてたわけだしさ」

 

「さあ、確かに仕事はしてましたけど。火のない所に煙は立たないってことは、言い換えれば紛い物の火でもそれが点いてしまえば煙は立ってしまうってことですからね」

 

 比企谷はまるで他人事のようにつらつらと言う。

 

「私はともかく、先輩はまずいんじゃないですか。推薦狙ってるって聞きましたよ」

 

 本当に他人事だった。思わず苦笑する。確かに僕はじきに受験を控えた3年生だ。学校と言う場所にはウワサも事実に、ホントも嘘にされてしまう不可解理不尽極まりない力がある。僕たちがその餌食になることは十分考えられた。

 

「いやいや、そうだけど、背に腹は代えられないと言うか。つか、比企谷こそそんな邪推されたら嫌だろ。女の子なんだし」

 

「嫌ですね」

 

「そうはっきり言われるとなぁ…。や、いいんだけど。それにさ、比企谷、3年の間でもかなり人気あるんだよ。有志の方々に僕が殺されちゃう。ほら、()()()()()()()を筆頭にね」

 

「子分ですか」

 

 僕の物言いが可笑しかったのか、比企谷は小さく笑った。僕はそれに少し気分を明るくして、比企谷に笑みを見せる。

 

「そうだよ。あいつが目、光らせてるからさ。だからたぶん、皆比企谷にうかつに手を出せないんじゃないかな」

 

「なるほど。わたしがモテないのはそういうわけでしたか」

 

「いや、そうじゃな……まあいいか。ちなみに聞いても良い?比企谷ってどんな奴がタイプなの?」

 

「異性の好みってことなら、年上ですね」

 

「お、ということは、僕もアリってことだよね。よっしゃ!」

 

「いえ、10歳くらい離れてて欲しいですね。わたしの知り合いに10歳差で結婚した人がいて、憧れてるんですよ」

 

 本気かどうか判別がつかないようなことを、比企谷は淡々と言った。

 

「あれ、“子分くん”は?」

 

「何を言ってるんですか、もう」

 

「あはは、ごめんごめん」

 

 

 

 

 

 

 

 そんな密室状態の体育館倉庫で自分の事が話題に上がっているとはつゆ知らず、俺はおとなしく待ち合わせの玄関で待機していた。とはいえ、もう、流石に限界だ。いくらラインをしても一向に返信が来ない。電話も同じく。何のための携帯だ。

 

 痺れを切らして立ち上がる。委員の仕事があるにしても遅すぎる。どこで何をしているんだろう?色々なパターンが頭に浮かぶ。

 

「…しょうがないなー…」

 

 夕日の差す廊下を早歩きで進む。足に疲れが来ているのが分かる。運動部にも入っていないのに、今日はちょっと張り切り過ぎたかもしれない。上手く周りにのせられてしまった。

 

 一段跳びで階段を上り、2-Fを目指す。もう教室に残っている生徒はほとんどいない。いないとは思うが、一応確認だ。そう思って扉を開けた。

 

「………」

 

「…っ!」

 

「…おー」

 

 途端に後悔した。教室の窓際で体を寄せ合う一組の男女を発見したからだった。女子の方が顔を夕日よりも真っ赤に染めて男子を突き飛ばし、男子は面白がるような顔で素直に突き飛ばされていた。男子は富樫(とがし)という名のろくでもない男だった。ろくでもなく俺の知り合いだった。

 

 女子生徒の方がこっちに近寄ってくる。体育祭仕様のポニーテールにした髪が似合っている。編み込みが見事だ。

 

「あのっ、こ、これはなんていうか違くて…!」

 

「いやー、邪魔してごめんっす」

 

「ええっ!?えっ、えっーと」

 

「あー、大丈夫大丈夫。あんたのこと、大体富樫(コイツ)から聞いてっし」

 

 わたわたとよく分からない動きを重ねる女子生徒をなだめるように言う。それを尻目に、富樫がケラケラ笑っている。

 

「誰かと思いや、今日の赤組ハイライト選手じゃん。シスコンだけど」

 

「シスコン言うなし、アホ。神聖なる教室で乳繰り合ってねーでさっさと部活行けよな」

 

「乳ッ!?」 女子生徒が悲鳴を上げる。

 

「今日は部活ねえんだよ。祭りの後にカツドウする部活がこの学校に存在すると思ってんのかァ?」

 

「やる気あんのかよ、脳内モザイク男」

 

「ヤる気しかねえよ、姉貴大好き芸人」

 

「ヤ、ヤるってわ、わたしは別に…!」

 

「上手いこと言ってんじゃねーよ。それに芸人になった覚えはねえ」

 

「姉貴大好きは認めんのかよ。引くわあ…」

 

 俺と富樫の間に挟まれて顔をリンゴにした女子生徒(名前は忘れた)が、とうとう堪えきれずに富樫を一発ビンタして、それから俺の方に向き直った。

 

「あ、あのっ、ひょっとして、比企谷さん探してる!?」

 

「あ、うん、よく分かったねー」

 

「よく分かったもなにもそれしかないし…まだ、あの子は帰って来てないよ。荷物も席に残ったままだし」

 

 彼女の指さす方向の机を見ると、見知った鞄が確かに置いてある。なるほど、先に帰ったわけではないことは明らかだ。

 

 じゃあ、どこに行ったんだろう?

 

 俺の表情を読み取ったのか、ようやく落ち着いたのか、彼女はくすりと笑みを浮かべた。

 

 その笑みを見ていたら、一つ考えが浮かんだ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「…な、なに、かな?」

 

 考え込みながら彼女の顔を見つめ続けていたらしい。気の毒なほど汗を流しながら彼女はぎこちない笑みを浮かべる。

 

「…いや、そのポニーテール、時間かかったろ。すごく可愛いと思う」

 

「!?」 女子生徒の顔が再びリンゴ化する。

 

「ぶふっ、んだよオイ、人のぉ口説いてんじゃねえよ。さっさとてめーのお姫ちん探しに行けよ」

 

 ケラケラ笑いながら富樫が俺の肩を小突いた。

 

 

 

 

 

 

 

 比企谷は、倉庫の窓を調べたり、引き戸の鍵をどうにか壊せないか試行錯誤しているようだったが、想定以上にすぐにさじを投げてしまった様子だった。

 

「やっぱり、無理そう?」

 

「そうですね。というか…一つ重要な問題が」

 

「え、どうした?」

 

「………」

 

 比企谷はさっきも座っていた跳び箱に座り、膝をよじって何か物言いたげである。その様子に僕はピンときて、

 

「…もしかして、トイレ?」

 

「……………………」

 

 黙ってうつむくのが何よりの肯定だった。僕は急いでペットボトルの中身をすべて飲み干し、ぐいと差し出した。

 

「え」

 

「…どうしても我慢できなくなったら、その、体にも悪いし」

 

「……」

 

「後ろ向いてるからさ。絶対振り向かないから!ほら、そこの、跳び箱の後ろとかで」

 

「…」

 

 疑心と羞恥と感謝の入り混じったような顔をして僕を見つめる比企谷。ペットボトルを受け取り、まじまじと見つめる。

 

「そりゃ、音は、流石にどうしようもないけど…」

 

 僕の言葉に比企谷はさらに顔をうつむかせる。倉庫の暗さに拍車がかかっており、その表情はうまく読み取れない。

 

 比企谷は跳び箱の後ろに立ち、跳び箱を挟んで僕と向かい合った。

 

「…じゃあ、ちょっと後ろ向いててください」

 

 快くうなずいて、僕は比企谷に背を向け、引き戸と正対して立った。まあ、こんな事態になることは当然予測できた。彼女には悪いけれど。

 

「絶対、振り向かないでくださいよ?」

 

 心なしかか細い声が聞こえ、僕は振り向かないままうんうんとうなずく、

 

 落ち着け。僕はともすれば緩みそうな気を引き締める。これはチャンスなんだ。

 

 2,3分ほどガサゴソやる音が聴こえた後、沈黙。

 

 慣れたものだ、こんな沈黙も。肩越しに様子を伺いたいのを我慢していると「すみません、もういいですよ」と比企谷が言ったので、振り返る。

 

「先輩がペットボトルを持っていてよかったです」

 

 比企谷が笑って、口の端に八重歯が見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 教室棟から渡り廊下を渡った先にある特別棟。そこのとある教室に用があった。何の変哲もない空き教室に見えるその教室扉の上には、「天文部」とそっけなく書いてあるプレートがかけられている。

 

 がらりと勢いよく扉を開ける。中に置かれていた椅子に座っていた男が、驚いて振り返った。この教室と同じくらい何の変哲もない顔のおっさんだ。一応この学校の国語教師である。

 

「あれ、どうした?」

 

 やっぱり俺の探し人はいない。

 

「いや、なんでもないっす。センセーこそ何してんですかー?」

 

「ん、ああ、暇つぶしに本読んでたんだ」

 

「いや、そうじゃなくて。なんで部室にいるんすか。いたらまずいっすよー」

 

「いやいや、俺一応ここの顧問だからね?いたらまずいとかないから!」

 

「あははー。でも、ぶっちゃけセンセーってあんまり先生に見えないっすよねー」

 

「教師歴幾年の俺を捕まえてひどくない?というか、比企谷さん(あの子)見なかった?」

 

「見てないっす。っていうか、こっちが訊きたいっす」

 

 俺が詰め寄ると、教師歴幾年の先生は何故か両手を上げて降参した。なんか知らんけど俺が勝利したようだった。

 

「いやさ、さっき言われたんだよ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それでずっとここにいるんだけどさ…」

 

 いつまで待っていればいいんだか、と先生は肩をすくめた。

 

 

 

 

 

 

 

「音がしなかったけど、やめたの?」

 

「え?なんのことですか?」

 

「は?トイレ、しなくていいの?」

 

 尿意を催していたんじゃなかったのか。比企谷は何事もなかったかのようにけろりとしている。その表情に少し苛立ちを感じた。

 

「このペットボトルにですか?まあ、できなくもないですけど」

 

「いや、だって、さっきまで…」

 

「それより、考えたことを話していいですか、先輩」

 

「え、なに?」

 

「もう飽きちゃって。推理タイムに入りましょうよ」

 

 比企谷は跳び箱に手をつくと、反対側から華麗に跳んで、再びそこに腰かけた。足を組んでいる。僕も再び、マットの上で胡坐をかいた。

 

「わたしは先輩とここに閉じ込められたわけですけど、それってどう考えてもおかしいですよね?」

 

「おかしいって…鍵がかかってしまったことを言ってるの?」

 

「先輩はさっきも、()()()()()()()()()()なんて言い方をしてましたけど、それっておかしいと思いませんか?鍵はひとりでにかかったりしないですから」

 

「そりゃ、そうだけど…誰かが僕らが入ってることに気付かないで鍵をかけてしまったってことじゃ?誰かがわざとしたのかもしれないけど、多分それはないよ。メリットがないし、僕も比企谷も多分、誰かに嫌がらせをされるような筋合いはないだろうし」

 

「それが不自然だと思いませんか?()()()()()なんてことが?わたしたちは結構おしゃべりしながら作業してましたし、外から分からないなんてことないと思います」

 

「…じゃあやっぱり、誰かがわざとってことか」

 

「いや、誰かっていうか、閉めたのは先輩ですよね」

 

 驚いて僕は比企谷を見る。比企谷は涼しい顔で僕を見下ろしていた。

 

「…どういうこと?」

 

「わたしが最初に倉庫に入って、あとから先輩が引き戸をぴったり閉めたじゃないですか」

 

「……あ、そういうこと。いやごめん、確かに僕が閉めた。それは謝るよ。特に意味は無かったんだけど…そのせいで()()()()()()()()()()()…」

 

 比企谷はそのすらりとした足を組んで、小首をかしげて見せた。

 

「鍵をかけたのは先輩の友達でしょ?」

 

 

 

 

 

 

 

 以心伝心にも限界があると思う。結局その多くは言葉にしなければ始まらないのだ。言葉にしたってその確実性は怪しいものがあるけど、だからといってテレパスに頼るのは子供っぽすぎる。ガキだから子供っぽくてナンボとはいえ、結局俺たちは皆言葉を使わざるを得ない。

 

 …っつーかなんかどうも、嫌な予感しかしないのはなぜだ。

 

 天文部部室を飛び出して、向かった先は職員室だ。体育祭実行委員会の担当の大野という体育教師に会いに行くためだったが、結果は空振り。というか既に帰宅していた。

 

 が、これで分かった。委員会担当の教師が帰宅しているということはイコール、実行委員会はその仕事を終え、責任の全てを果たしているということに他ならない。そうじゃなければ担当教師が帰宅なんてするはずがない。

 

 つまり、委員会の連中は体育祭の仕事なんてもうとっくに片付けているはずなのだ。

 

「スタンドプレーも大概にしてほしいよなー…」

 

 思わず悪態をつくと、すれ違った女子生徒が目を丸くする。取り繕うために笑顔を見せると、その子は何故か頬を赤らめた。

 

 

 

 

 

 

 

「今年の3年生って妙にガラ悪いですよね。よくない噂とか結構聞きますよ。例えば…定番で行けば学校でタバコ吸ってるとか。部活での後輩指導と言う名の集団いじめとか。あとはまあ…盗撮とか。更衣室とかに仕掛けられてたり。で、それを売買する輩がいるらしいんですよね。全く情けない限りです」

 

 黙っている僕に視線を浴びせたまま、比企谷は流暢に話し続ける。

 

「その現物の写真とか動画はデジタルで売買してるっぽかったんですけど、この間現像したのが偶然見つかりまして。それで盗撮疑惑が浮上したってわけです」

 

「へえ…そんなことがあったんだ。ちっとも知らなかった」

 

「犯人はなーんかカラクリがあるのか、なかなか尻尾見せないらしく、女の子たちも怖がってるんですよね。一体どんな人がやってるんでしょう」

 

「…えーっと、ひょっとして比企谷、僕がそういうことしてる人だって言いたいの?だとしたら、多分凄い勘違いだと思うんだけどな…」

 

 浮かべた笑顔が引きつっているのが分かる。突然何を言い出すかと思ったら、そんなことか。比企谷の推理ごっこに困惑する。

 

「いますよねー、こういうことばっかり頭が回る人。多分、ゲームか何かと勘違いしてるんでしょうね」

 

「あー、えと、ひょっとして比企谷はその被害にあった女の子たちの仇討ち的な…?」

 

「まさか」

 

 比企谷は首を横に振った。

 

「わたしはいつも自分の事だけで精一杯です。わたしが誰かを助けようとするなんて傲慢過ぎて呆れてものも言えませんね。きっと誰かを助けられるのは聖人君子みたいな人だけですよ」

 

「あはは、結構面白いこと言うね、比企谷」

 

「このカメラは全然面白くないですよ、先輩」

 

 比企谷が片手に持つのはその言葉通り、黒っぽいデジタルカメラだった。

 

 全身の血が一気に冷えた気がした。

 

「…それ、」

 

「これはですね、さっきわたしが先輩にもらったペットボトルでトイレをしようと思って跳び箱の後ろに隠れた時に、偶然見つけたものなんです。下の方の棚の奥の段ボール箱に光るものがあるなぁと思って開けてみるとこれがまるで隠すように入ってて。電源がついてて録画状態だったので驚きましたよ」

 

「……へえ、なんだろうね、それ」

 

「見てください。容量が大きくて、録画されてるのが結構見れるみたいなんですよ。ほら、なにか薄暗い――――――」

 

 比企谷の言葉はそれ以上続かなかった。僕がそのデジカメを思いっきりぶんどったからだった。何か言おうとする比企谷を思い切り突き飛ばす。

 

 比企谷は跳び箱にぶつかってマットに倒れ込む。そのままマットの上で組み敷いて、僕は馬乗りになった。

 

「……おまえさ、さっきからなんなの?」

 

「…自覚はありますよ、性格の悪さに関しては」

 

 

 

 

 

 

 

 なんとなく直感でリミットが迫ってきている気がして、俺は急いで廊下を走って体育館に向かった。それにしてもまったく、今日は学校を走り回ってばかりだ。

 

 1階まで階段を駆け降りると、渡り廊下の下を通り、体育館へ走る。流石に疲労が溜まりすぎだ。もう既に早く帰りたいまである。今日は1日中走りっぱなしだ。まさか体育祭の後もこうして走ることになるとは。帰るまでが体育祭なのだろうか。馬鹿を言えという感じである。

 

 やっとの思い出辿り着いた体育館の重い扉を、ゆっくりと開ける。ここにいてほしかったという俺の想いは報われず、中は空っぽ――――ではなかった。

 

 二人の男子生徒が入り口から見て左の方にたむろっていた。見るからにガラの悪そうな二人組である。手にしていた携帯電話を制服のポケットにしまい、こっちに近づいてきた。

 

「なにしにきたの、おまえ」

 

「や、ちょっと人探し中で」

 

「ここにはいねえよ。俺らがここでバスケしてんの。邪魔だから帰れ」

 

「俺の記憶じゃ、バスケに使うのはボールであってケータイじゃないと」

 

 二人は顔を見合わせ、にやにやと笑いながら俺を囲んだ。一人が体育館の扉を閉める。

 

「舐めた口きいてるとさ、痛い目あうけど、いい?」

 

 軽く肩を小突かれ、俺はよろめいた。

 

 嫌な予感はどうやら的中したようだった。

 

 

 

 

 

 

 

「あははは、ひょっとすると比企谷、お前ってバカだったの?」

 

 比企谷に馬乗りになって体の自由を封じながら、僕はデジカメを彼女に向けた。苦しそうに顔をしかめていて、なんとも()()()

 

「するとあれか、ヒーロー気取りはお前だったってわけだ。初めから僕らがやってること知ってて、その証拠をつかんでやろうとでも思っちゃってたわけだ!」

 

 体育館倉庫の備品最終チェックは本来僕に回されていた仕事だったが、僕は倉庫に行く前に担当教師の大野にチェックは終わったと報告していた。優等生の僕の言うことに教師は何の疑いも持たない。仕事が速いねと褒められたくらいだ。

 

 だから大野はおそらくもうとっくに帰宅している頃だろう。そもそも僕と比企谷がここにいることも知らない。

 

 大人はみーんなばーかしかいなーい!

 

「ここにヒーローはいませんよ。言ったじゃないですか。わたしは自分のために精一杯です」

 

「ほんっと面白いなお前!浅はかな上に滑稽で間抜けだ!そもそもお前がノコノコやって来た時点でお前のバッドエンドは揺るがねーんだよ!」

 

 比企谷は俺の下からなんとか脱出しようと懸命に身をよじっている。最初こそ随分冷静だと思ってたが今じゃ焦りが見え見えだ。滑稽を通り越して憐れにすら見えてくる。こうなることが少しでも予測できなかったのか?

 

 あぁどうしよう。めっちゃ楽しくなってきた。

 

「やっぱり、盗撮犯って先輩なんですね。仲間もいるみたいですけど」

 

「まあね…実はそうなんだ…ごめんね…って気付いた時にはもう遅い!皆脳みそ空っぽで助かるよぅ!」

 

「知ってたんですか、この体育館使う部の女の子たちが最近此処で着替えてること」

 

 僕を毅然とにらみつける比企谷。いいね、そういう顔。たまらない。

 

「ま、それはそれだね。今日はたまたまだな。チャンスだと思って」

 

 急遽ここに舞台を整え、比企谷にニセの仕事をつかませた。まさか気付いていたとは思わなかったが、結局こうなれば同じことだ。

 

「さっきのお前がトイレしたいって言って僕に後ろを向かせたのは、このカメラを探すためだったんだな。いやいや、演技上手いね。つかよく見つけたな。結構上手く隠したと思ったんだけど」

 

 ペットボトルを持っていき、カメラのある方に誘導すれば盗撮動画がとれたはずだった。計画通りに行けばそれをネタに脅すことができたが、まあ、上手く行かなくても別に良かった。

 

 別にどっちだって良かった。どう転ぼうが結局僕は勝つ。

 

「言ったよなあ、比企谷…お前は人気あるって。あれは嘘じゃないぜ。お前の写真は良い値段つくんだけどなかなかどうして用心深い…そういや前に僕の一台目のカメラ壊したのってお前?2階トイレにしかけといた奴。ま、いいや。力づくはあんまり綺麗じゃないけど、まあこれはこれでアリだよね!」

 

 左手でビデオカメラを固定しつつ、右手で比企谷の体操着を引っ掴む。そのまま脱がそうとして、しかしぴたりと僕は動きを止めた。

 

 比企谷が薄く笑っていた。

 

 先ほどまでの焦燥が嘘のように、落ち着き払っている。

 

「先輩、待つことは得意な方ですか?」

 

 驚くほど底冷えのする目に見据えられて、僕は思わず身震いした。身震い?まさか僕がビビってる?苛立つ。なぜこいつはこんなにも冷静なんだ?どう考えてもおかしい。この落ち着きようは尋常じゃない――――――

 

「わたしも言いましたよね。10年前の待ち時間にも、今此処での待ち時間にも」

 

 比企谷は深い雨の色をした瞳を、僕にひたすらに向けて。

 

 

 

 

 

 

 

「何かしらの意味は、あるんですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 つっかえ棒として使われていたバレーボール用ネットの支柱を取っ払って、勢いよく扉をあけ放った。男が女をマットの上で組み敷いており、その男が驚愕の顔をこちらに向けていた。俺は男に一挙に詰め寄り、その顔面を躊躇なく蹴り飛ばした。

 

 言葉を発する間もなく男は体ごと吹き飛び、後ろにあった跳び箱にぶち当たった。痛みにうめきつつも立ち上がろうともがく男の鳩尾に、勢いよく膝蹴りをかます。

 

「ぶへ」か「ぐえ」かというような意味のない声を漏らし、男は膝をついた。その顔を再び蹴り飛ばして、それから何回か腹を蹴ると、男は床にうずくまってべそをかき始めた。

 

 あっけない終幕。所詮こんなものだ。ちなみに倉庫の外で倒れている二人組も右に同じ。結構弱かった。

 

 襲われかけていた女が立ち上がろうとするので、手を貸した。女はにこりともせずに、

 

「遅いよ、慧吾(けいご)

 

「んなこと言うなら最初っから全部説明してちょー。言葉足らずなんてレベルじゃねーっすよ?」

 

「時間がなかったんだよ。ま、来なくてもわたしだけでもいけたけど」

 

「いやいや、今やられるとこだったでしょうが。危なっかしいんだよ四季(しき)は。冷静そうに見えて結構甘いとこあんだよなー」

 

 女は――――比企谷四季は、俺の文句を意に介せず、可愛らしく小首を傾げて見せる。

 

「や、どのみち慧吾は来るって分かってたし。証拠さえ掴めばあとは慧吾待ってればいいかなって」

 

「四季ちゃんってば素直にお礼言えないんだものなー」

 

「うざい…」

 

「ひどい…」

 

 四季は床に落ちていた黒のデジカメを拾い上げた。首を傾げて何やらいじくっている。

 

「というかバカだな、この先輩。ばっちり録れてるし。過去のデータもここに置きっぱみたいだし。こんな杜撰なことでよく今まで無事でいたもんだね。交通事故に遭えばいいのに」

 

「バカじゃなけりゃこんなことしねーよ。つか、そんなバカに危なかった四季ちーも四季ちーだけどね」

 

「うるさいなぁ、チャンスだと思ったんだよ。チャンスは掴まなきゃ。てかパクチーみたいな言い方すんじゃなし」

 

 床にうずくまる先輩(バカ)を踏んづけて、四季は跳び箱の後ろのスペースに入り、棚に手を突っ込んでなにやらごそごそする。取り出したのは四季のスマホだった。録音状態になっている。

 

「一応携帯でも録音しといたけど、あんまり意味なかったな」

 

「おいおいおい、何回も電話したんだぞ。持ってんなら出ろよーっ」

 

「いや、先輩の前で出るわけにいかないでしょ。こっちはこっちでしっぽ掴むの大変だったんだから。さ、いい加減起きてくださいよ、先輩」

 

 四季に目で指示され、俺は男の上体を引っ張り起こし、崩れかけた跳び箱に寄りかからせる。男の顔面は涙と鼻水と鼻血でぐしょぐしょである。

 

 四季はそんな男の正面にしゃがみこむ。短パンから真っ白な太ももが見えている。一方の鼻血男は痛みに顔をしかめつつ怯えるという器用な事をしている。

 

「というわけで残念でしたね、先輩。ま、相手が悪かったってことで諦めましょう」

 

「う…お、お前ら…僕にこ、こんなことしてタダで済むと―――」

 

 俺は最後まで言わせなかった。鼻血男の襟を掴み、軽く揺さぶる。それだけで鼻血男は縮み上がった。虚勢を張っている奴ほど脆いってのは本当のことだったんだなぁと事実確認をする。ソースは誰だっけ?忘れちゃったけどまあいっか。ニーチェでもフルーチェでも誰だっていいもんな。論理も理論もクソ喰らえ。人間は感情で動くんだろ?僕らは所詮ただのガキ。これから何年経ったって死ぬまでクソガキでいいや。あはは。

 

「お前笑えるね。四季、もう2、3発やっとこうか?」

 

「だめだよ慧吾、制服汚したらお母さんに怒られるよ」

 

「あ、やべ。この前もそれで怒られちゃったんだよな」

 

「ほら先輩、鼻血出てますよ。出血多量で死にますよ」

 

「ねえ、推理タイムは終わったの?次はどうすんの?」

 

「そんなのお仕置きタイム一択に決まってるでしょう」

 

「お仕置きタイムらしいですよ先輩。聞いてました?」

 

「わたしあれ好きなんだよね、運命の罰ゲームって奴」

 

「てか、こいつ名前なんだっけ?鼻血男で合ってる?」

 

「大体合ってるかな。ちょっと惜しいけど、合ってる」

 

 やめてくださいお願いしますと小さな声で鼻血男が言ったのが聞こえた。

 

 四季が笑う。

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、比企谷さん!やっと見つけた!」

 

 わたしが先輩を担いだ慧吾を連れて職員室に向かっていると、一人の男性教師が向こうから小走りに近づいてきた。

 

「あ、先生。そっか、先生の事すっかり忘れてました」

 

「ひどくない!?待っててって言ったのきみだよな!?一体何してたんだよ…って…ええー…どういう状況それ?なにしてんの?それ、3年の阿形(あがた)君だよね?」

 

 ぐったりとしたバカ先輩を背負った慧吾を見て、さすがのリアクションを取る先生。さすが日夜リアクションの練習に励むリアクション芸人の事だけはある。すごいや、先生。

 

「いえ、バカ先輩ですよ、先生。またの名を鼻血男。ネーミングセンス抜群でしょ」

 

「いや、阿形君だって。成績優秀だって俺も知ってるし。職員会議で私立推薦も決まってたはずだけど…」

 

「ま、成績と頭の良さは比例し得ないっつー代表例っすねー」

 

 慧吾が面白くなさそうに言うと、先生は頭を掻きむしって吠えた。

 

「あああもうまた()()()()()()()()()んだな!?だから俺に残っててくれって言ったのか!」

 

 先生はわたしたちの両親と同年代のおじさんだけど、頭のキレは意外と悪くない。

 

「先生ホント、ご苦労様です。すいませんね、ご迷惑を」

 

 慧吾がくすりと笑い、のびたままのバカ先輩の身体を先生に預ける。先生が恨めしげにわたしたちを見つめるのが可笑しい。

 

「きみたち俺を良いように使い過ぎじゃない?…というか、何度も言うけどあんまり危険なことしないでくれよ?なんでもかんでも首つっこんでたら…」

 

 毎度毎度飽きもせずよく同じことを。わたしは先生のスーツのポケットにバカ先輩のビデオカメラを入れた。

 

「はいこれどうぞ。それ見れば大体コトの顛末はわかります。携帯でも一応音声録音してるんで、必要なったらまた言ってください。それじゃまた、あとはよろしくです先生」

 

 先生からどよんとした諦めのオーラが漂ってくるのが見えるようだ。ぶつぶつと文句を言い続ける。

 

「というか、なんで天文部?せめて奉仕…ボランティア部にするとかさ…まだそれなら奉仕活動がナントカで他の先生にも説明がつくんだけど…」

 

「奉仕?やめてくださいよ、先生。グーパンしますよ。全然違います」

 

「この年になって女子中学生に恐喝されるとは」

 

「わたしたち天体観測がしたくってこの部に入ったんです」

 

「俺ら奉仕の心とか持ち合わせてねーんで。マジ無理っす」

 

「ぶっちゃけわたしたち、そういうのってマジ苦手なんで」

 

「苦手と言うかもう生理的に無理レベルっすよ、生理的に」

 

 それだけ言うと、わたしと慧吾はさっさと退散した。後ろでまだ先生は何か言っているみたいだったけれど、何を言ったところで無駄だ。言葉に力なんてないのは齢13のガキンチョであるわたしたちにですら自明である。

 

 そのままわたしたちは教室から荷物を持ってくると、学校を出た。日が傾いて、当たりをオレンジに染めている。これから殊更に日は短くなっていくのだろう。

 

 今日は疲れた。早くお風呂に入って寝よう。

 

「ふわーあ。大丈夫かなー、センセー」

 

 慧吾がのん気に欠伸をする。つられてわたしも。

 

「大丈夫、って?」

 

「だってさー、四季言ってたじゃん。盗撮犯のバックに学校の影アリって」

 

「ああ。うん、たぶん先生の誰かは知ってたと思うよ。ってか、その誰かはぶっちゃけ写真、買ってたと思う」

 

「え、まじ?事件じゃねーかっ」

 

 事件、と言う割には楽しそうな顔をする慧吾。大きな目がきらきらと輝いている。端から見ればうん、イケメンと言える部類の中でもかなり上位を狙える顔をしている。わたしがモテないのはお前のせいらしいぞ、と胸の内につぶやく。このガキンチョが。

 

「どうすんの?やるの?やっちゃう?」

 

「やんないよ。めんどくさくなっちゃった」

 

 わたしは性格が悪い上に、ひどく飽きっぽいのだ。

 

「えー、そうなの?じゃあいいや。ってかさ、話変わるけど進路調査票出した?」

 

 そしてそれは、慧吾も同じ。こういう時程、血のつながりを感じる。悲しいことに。

 

「まだ。というか、そんなの忘れてたよ。高校とかどこでもいくない?」

 

「どこでもいいけど早く決めてよな。俺四季と同じとこ行くって決めてっから」

 

「キモいからやめて」

 

「あらやだ、実の弟に向かってなんて口のきき方なのかしら」

 

「キモい。ウザい。帰れ。沖縄に留学してそのまま現地人と幸せになれ」

 

「はーい四季っち、そういうのってポイント低いでーす」

 

「それ、叔母さんの真似?」

 

「あー、小町ちゃんって言わなけりゃあの人おこだぜ」

 

 慧吾がにーっと笑みを浮かべ、そしてそれをぱっと消した。視線の先には電柱の下に座り込む学生服である。

 

「おーっす、スーパー比企谷ブラザーズそろい踏みぃー」

 

 そうは言われてもわたしたちは配管工ではないのは確かだ。確かこの軽いノリの男は富樫と言ったっけ。慧吾の友達だ。

 

「いとしのねーちゃんには無事会えたみてーだな、比企谷」

 

「何のようだてめーは。さっさと帰れよ」

 

 慧吾がものぐさに返答すると、富樫何某は両手を挙げておいおいと泣き真似を始める。慧吾に抱きつこうとして、蹴られている。

 

芹名(せりな)に振られちまったんだァ慰めてくれ」

 

「ああ、さっきのポニテの子か。言わせてくれザマミロと」

 

 ポニテ凝ってたなぁあの子、と慧吾が思い出したようにぽつりと言う。

 

「もーお前があんとき来なけりゃーな…というわけでなんか奢れ」

 

「ねぇよ、ばーか」

 

 慧吾の一向につれない態度にふてくされ、富樫何某はこっちに顔を向ける。いちいち動作がオーバーリアクション気味でうざァいこいつ。

 

「お姉さァん、弟君がひどいんだ。なんとかしてくれぃ」

 

 心の内でほくそえんで、わたしは愉快そうに見えるように口角を上げた。

 

「富樫くん、君は運が良いよ。芹名ちゃんに話しかけるきっかけをわたしがあげる。「仇は取ったぜと比企谷が言ってた」と言っといて。きっと仲直りしてくれるよ。その後の保証はしないけど。結局頑張るのは自分だけ。人に頼ってちゃいつまでたっても間違い続けるまんまだからね。間違いは正さなきゃなんないから、まあ、頑張って」

 

 富樫は「何言ってんだコイツ」と言う顔をして押し黙った。慧吾はくすくす笑っている。わたしたちの間で沈黙が支配権を獲得し、またわたしは無駄な待ち時間を生み出すことになった。

 

 誰もが何かを待っていた。本当は誰もが知ってることだった。

 

 

 

 

 

 

 

 





どうしてこうなったって感じですが、19話目です。BUMPのアルバムの最後には[brank]というタイトルの空白の時間が何故かありまして。調べたんですけど色々推察されてました。実際のところは何の意味があるのか…この小説にそんな深い意味はないんですけど。
要するに双子が生まれたよ、ってわけです。二人の名前は足して2で割ったって感じです。



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