ノースティリス冒険譚(仮称) (ゆにお)
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第一話 密航者

注意事項

本SSはNoa猫様が制作したローグライクRPG elonaを題材にしたものです。

elona故、過激な表現があります。

本SSは真面目にふざけながらelonaらしさを書き綴っていくことを目標としております。

Arcadia様にて同時投稿を行っております。

地の文の練習も行っております。
感想をいただける際には技術的なもの、厳しいご意見なども歓迎いたします。

以上を許容できる方に一読していただければ幸いです。


 八月の夏、水平線の彼方がうっすらと色付き始めている薄闇の空の下は見渡す限りの海。そんな黎明と呼ぶにもまだ少し早い時分とあっては、雲ひとつ無い満天の夜空に星々が輝いている。

 

 その海域を巡航する一隻の船が月明かりに照らされ、船影を水面に浮かべている。その名は商船クイーン・セドナ号。ノースティリスのポート・カプールへと帰港せんとするところであった。

 

 ここノースティリス西部の海域の波は穏やかで、その水面をたゆたう船は海上の揺りかごとなり船員達に心地よい眠りを提供していることだろう。

 

 高台より海を見渡す哨戒員も水平線の彼方まで静穏な海にすっかり気を許し眠た眼をこすりながら、懐に忍ばせたクリムエールをひっかけている。

 

 そんな穏やかな海面とは裏腹に、慌しく動くものがクイーン・セドナ号の貨物室にあった。

 

 

 

「コルザードさん起きてください。もうすぐポート・カプールに着いちゃいますよ!」

 

 雑多に積み込まれてる貨物、そこの住人は無機物ばかり、本来なら物音が聞こえるはずも無いそこから高く透き通った声が聞こえる。声の主はまだあどけなさの残る少女だった。金色の髪を乱雑に後ろで束ねている。手入れ要らずのその艶やかさは、彼女の若さの証であろう。所々汚れの目立つ麻の服に外套を纏っている彼女はみすぼらしい印象を受けるのだが、そう形容するよりは旅慣れていると言った方がしっくり来る。おそらく、彼女の大きな瞳から境遇に負けない力強い意志を感じさせるからであろう。

 

 そんな愛嬌のある少女が一人の男を揺すり起こそうとしているようだ。

 

「コルザードさーん。早く起きないとまずいですよ。おーきてーくーだーさーい!」

 

「ええい、うるさい。あと5分……」

 

 コルザードと呼ばれた男が眠た眼を擦る。

 彼もその少女同様にボロを纏った軽装をしているが、その有様は少女に比して幾分覇気がない。寝起きだから仕方ないにせよ、どちらかといえばこちらはみすぼらしいという印象の方が強かった。

 

 そうこうしているうちに少女の揺り起こさんとしている手にも力が入る。

 が、しばらく挑戦しても戦果が上がらないので手段を変えることにしたようだ。

 

「もー……本当にぐっすり眠れてうらやましいですね。あー。私なんか船酔いで気持ち悪くてしょうがないのに……そういえば、なんだか吐きそうです。ゲロゲロいりますか?」

 

「――っば、馬鹿! やめろ! 起きた。さあ、起きたぞ」

 

 まどろみの中、耳を這う不吉な言葉に意識を覚醒させられたその男は状況を確認するため大きく首を右へ左へと振り動かす。けれど、彼の動揺を体現するかのようにしばたく瞳に映るものは、悪戯に成功した少女の笑みだけであった。その瞳に映し出されているのは狼狽している滑稽な男の姿。必然的に並びの良い白い歯を覗かせる様につり上がっている口角。その満面の笑みがなんとも憎らしい。

 コルザードがそんな少女の様子を呆けた表情で見つめていると、おもむろに指を二本立てて宣言する。

 

「まったくもう、冗談ですよ。乙女がそんなことするわけないじゃないですか」

 

 必死で笑いをかみ殺す少女を見つめながら男はこめかみを揉みつつ柳眉を逆立てた。

 

「ふん! うるさいぞシュフォン。俺達が密航者だと言うことを忘れたわけではないだろうな。起こすのならもっと静かに起こせ。まったく……」

 

 憤然とした面持ちで吐き捨てる。不揃いに伸びた黒髪を掻きながら、ため息を付き、無精ヒゲを撫でる。その姿はさながら小悪党のようで、捨てゼリフが一層それを助長させるのだった。

 

「うるさくしないと起きなかったんですよ! ……本当にもう。起きられないなら仮眠なんてしないでくださいよ」

 

呆れたように少女は息を付く。冷めた目で睨みながら言葉を続けた。

 

「――それでコルザードさん? もうすぐポート・カプールに着いちゃいますけど、アテがあるって言ってましたよね? どうするんです?」

 

 機嫌は収まらずさらにシフォンは頬を膨らませて抗議の声を上げたのであった。――しかしそんな抗議もため息一つ分。すぐさま本題へと話を切り替えた。

 

 コルザードもこれには、起き掛けで呆けた顔に活を入れる。ぼさついた黒髪を掻きながら眉間の辺りをしきりにもみながら調子を整えながら答える。

 

「ああ、そうだな。このままポート・カプールに着くまで貨物室に潜んでいるのはまずい。荷降ろしのときに見つかってしまうからな……」

 

 コルザードはもったいぶって言葉を区切り、シフォンに視線を向ける。彼女が緊迫した空気の中、ゴクリと息を呑んだ。

 

 そんな彼女の様子を見て取りコルザードは満足げに話を進める。

 

「フフフ、そう、ポート・カプール港が見えてきたら海に飛び込むのだ」

 

「は?」

 

 シュフォンの目が点になる。

 

「えーっと。コルザードさん。今なんていいました?」

 

「ん? どうした。単純明快な作戦じゃないか。何が分からなかったというんだ?」

 

「いや、単純すぎて言葉に詰まってしまったんですが」

 

「良い作戦だろ? シンプルイズベストと言うしな」

 

 何が可笑しいのか陽気にコルザードが笑う。

 

「そうじゃなくて! 私泳げないですよ。知ってますよね? 他の策にしませんか?

 例えば、水夫から服を奪ってこっそりと紛れるほうがいいじゃないですか?」

 

 例えばこんな感じに、と言わんばかりにシュフォンが腰の剣へと手を伸ばす。刃に触れるその愛しげな手つきがかえって怖い。

 

「……おまえは時々過激なことを言うよな。まぁ、考えてみろ。俺の職業は言わずとも分かるだろ?」

 

 コルザードは自らの職業こそがこの船からの脱出の鍵だといわんばかりの自信に満ちたありさまでシュフォンに問う。もちろん共に旅をしてきたシュフォンはコルザードの職業を知っている。だが今回の脱出方法の関連性が見出せないのか、しきりに首をかしげていた。

 

「――そう、俺はピアニストだ。つまり……わかるな?」

 

「……いや、分かりませんよ? 確かにコルザードさんは演奏すれば観衆が喝采して石を投げつけるほどの腕前のピアニストだということは知ってますけど…… それと海に飛び込むことと、どういう関連性があるのかさっぱり分かりません」

 

 コルザードはそのシフォンの言葉に異論有り気な様子でいたが口を開こうとしたものの息を飲み込んだ。その決着は後でつけることにしたようである。

 

「こほん、いいか? つまりだな、脱出には"これ"を使うのだ」

 

「えっと…… "それ"、ですか?」

 

「うむ、"これ"だよ」

 

 そういってコルザードは自分の足元を指差す。

 

「えっと、"グランドピアノ"ですよね? それ」

 

 ――コルザードの足元は床ではなくピアノの響板があった。つまりコルザードはグランドピアノの屋根を開けて、そこに潜り込み、たった今まで、寝袋代わりにしていたのだ。

 

「うむ」

 

「いや、うむじゃないですよ。それグランドピアノですよね? コルザードさん愛用の。いつも背負って持ち歩いているやつです。今回密航するに当たってこれを貨物として預けて、この中に潜り込んで私達はここにいるわけです。弾いてよし、投げてよし、盾にしてよし、の三拍子が揃っているコルザードさん愛用のピアノですよね?なんで壊れないか不思議ですけど…… それで? 今度はどんな無茶な使い方をしようって言うんですか?」

 

 シュフォンは解を示されてなお、疑問は深まるばかりと言った様子で眉を顰めるのであった。

 

「いいか、シュフォン。ピアノは木で出来ている」

 

 コルザードはシュフォンに指を突きつけ、まるで教え子に講義する教師のように言った。

 

「はあ……。まぁ、概ねそうですね。素材なんて魔法一つで自由に変えられますけど……」

 

「つまり、浮く」

 

「は? え? え、ええ。浮きますね」

 

「だからこれに乗ることも出来るだろう?」

 

「えーっと……?」

 

 シュフォンの表情がだんだんと曇っていくのもお構いなしに、コルザードは自慢げに説明を続けていった。

 

「ええい、察しが悪いな。つまりこれをイカダ代わりにするといっているのだ。どうだ、すごいだろう? 褒めてもいいんだぞ? フハッハッハッハー」

 

 密航者という身の上も忘れて高笑いをするコルザード。コルザードは有頂天になると信仰上の理由からこうなるということを嫌と言うほど実感しているシュフォンである。シュフォンはなんとも手馴れたもので、えいっ!と肘で鳩尾を強かに打ちつけ黙らせるのだった。

 

「コルザードさん。人肉でも食べましたか? そんな狂人みたいなこと言っちゃって。可哀想に……。でも大丈夫です! 私が今コレを持っているのも癒しの女神ジュア様のお導きに違いありません」

 

 彼の様子に呆れながら、そう言ってシュフォンはおもむろにランスのような円錐形の細長い棒を取り出した。

 

「あー。えっと…… これどうやって使うんでしたっけ」

 

 ユニコーンの角。人の狂気を押さえる神聖な力があると言われている。

 

「ゲホッ、お、お前な……。おい、ちょっと待て、なぜ尻を狙う。やめろ馬鹿。俺は狂ってなどいないぞ」

 

 少女の腕力とて、的確に打撃されたコルザードが息を詰まらせていたがシュフォンの行動を見て取るやいなやの大慌てであった。

 

「大丈夫です。痛いのは最初だけって、お母さんが言ってまし――キャッ!」

 

 コルザード、貞操の危機か!? と思われたその時。シュフォンが転倒した。いや、転倒したのはシュフォンだけではない。コルザードも同様であった。その瞬間、船全体が大きく傾いたのだ。

 

 だが、それも一瞬の事。

 

 返す波に揺られながら次第に小さくなっていく振幅。

 

 木造の室内から木が軋む音が残響する。その響きが不安を煽るが、何度目をしばたかせてもそれ以上の変化はなく、一時して揺れは収まった。

 

「いたたた……お尻ぶつけました」

 

「一体なんだっていうんだ……。地震か? おい、シュフォン、怪我はないか?」

 

「はいぃ……、たいじょうぶです」

 

「それとも高波にでもあおられでもしたか? ちょっと様子を探るとしよう」

 

 涙目で尻を撫でている少女に大した怪我はないと判断し、コルザードが貨物室から聞き耳を立てる。元々演奏家という職業柄ゆえコルザードの耳は悪くなくその耳は甲板の様子さえ拾っているようであった。

 

「……ん? なにやら騒がしいぞ……」

 

 いままでシュフォンとの会話に夢中になっていたので気付かなかったが、甲板で慌しく鳴り響く足音をコルザードの耳が捉えた。

 

「どうしましたか? 賊の侵入ですか? それともばれました? 実力行使しますか? 私の自慢の愛剣"闇を砕く長剣『ビューティームーンライト』"の出番ですか?」

 

 そんなコルザードの言葉に危ういものを感じたのかシュフォンが居住まいを正し駆け寄ってくる。いつでも抜剣できるよう手は腰に添えられていた。

 

「いやまて、様子がおかしい……。あと、賊は俺たちだろ。いや、賊ではないが……」

 

 腰元から長剣を抜いて怪しい笑みを浮かべるシュフォンを手で制し、コルザードは外の慌しさがトラブルによるものだと検討を付けた。少なくとも自分たちによるものではないようだ。

 

「シュフォン。外に出るぞ。とにかく情報が必要だ」

 

 密航がばれたわけではないにせよ、問題が発生した以上は迅速に行動に移す必要がある。もし、この船が"泥舟"ならば長く留まることはそれだけ身の破滅を招くことになるからだ。

 

「え? あ、はい。 分かりました」

 

 剣に頬ずりしていたシュフォンを正気に戻し、コルザード達は外の様子を探るべく慎重に行動を開始する。

 

 ――――が、二人が貨物室を出ようとしたその矢先。耳を劈く悲鳴のような轟音とともに、船体が大きな音を立てて軋んだ。それは先ほどのものとは比べ物にならなかった。警戒をしていたにも関わらず、為す術なく二人は再び転倒した。

 

「きゃっ!」

 

「うわっ!」

 

 その後の顛末は惨状の一言に尽きた。大きな波音とともに船体が傾き、さらに返す波によって船内が攪拌される。まるで、船体が振り子にもでなったかのようだ。もはや、そこは足場など存在しないかのようにコルザードとシュフォンは錐もみ状態になり縦横無尽に貨物室を転げまわる。

 

「だいじょうぶか!? シュフォン!」

 

 貨物室内では、積み上げられた貨物が崩れ、それが波濤のように二人を翻弄する。もはや右も左も上も下もなく、ただただ、船体は外の大波にもまれ、貨物室にいる二人は貨物の波に全身を強く打ち付ける。それでもコルザードはとっさに掴んだシュフォンを抱きかかえ、荒れ狂う貨物から守らんとするのだった。

 

「うわあああ、えぇ!? コルザードさん!? は、はい! だ、大丈夫です。でも、一体なんなんですか! これーっ!」

 

 パニックを起こしてはいるがシュフォンの無事に安堵しつつ、コルザードはシュフォンをグランドピアノの中へと引き入れる。

 

「くそっ! 何がどうなってるんだ!? さっきまでは波も穏やかだったっていうのに」

 

 ピアノの中に入り込み、依然として貨物室を転がりまわっていることには変わりないが体を打ちつける痛みからは解放され、悪態をつく余裕も出てくる。

 

「ふぁひたたた。コルザードさぁん、こぉれやばくないですかぁ?」

 

 シュフォンはシュフォンで、目を回し、呂律が回っていない。だがそれでも必死にコルザードにしがみついていた。

 

 貨物室の外では危機的状況下でありながら、船内をせわしなく歩き回る乗組員達の足音や、盛んに指示を伝達する怒号が、この状況下でなおも聞こえてくる。さながら戦場といった様子だが、流石は海の男達。このような環境でもお互いが成すべきことをこなしているのだろう。目に見えぬ彼らに、頼もしさを感じずにはいられない。

 

 しかし、もはや疑う余地もない。なにやら重大な事態が起こっているのは確かなようだ。

 

 

"――エーテルの風だ!"

 

 そんな中、貨物室の外から発されたであろう狂乱じみた声をコルザードは聡く拾い上げた。それはこの惨劇を演出している犯人の名前だった。

 

「なにっ! 馬鹿な……エーテルの風だと!? そんな……早すぎる」

 

 エーテルの風――この世界、イルヴァに生きるものにとって大災害の代名詞とも言えるものであり特定の期間に吹き荒れる季節風のようなもの。その風が自らの暴風と共に運ぶエーテルという未知の光り輝く気体、それが人々に深刻な影響を与えるのだ。

 

 まさに悪夢そのものであるそれは、現在この海域に浮かぶクイーン・セドナ号に乗り込んでいる船員にとって、夢ではなく紛れも無い現実として猛威を振るっているのだ。

 

 しかし、コルザードの驚きは、エーテルの風に見舞われていること自体ではなくエーテルの風の法則性を知っているが故である。エーテルの風が吹き荒れるのは3の倍数の月の上旬だというのが世界の常識なのだ。

 

「えええ! エーテルの風ですかーっ!? 今は8月の頭ですよーっ!?」

 

「俺にも分からん! だが現実らしい。いいかシュフォン。ピアノの中から出るんじゃないぞ。いいか? 絶対だぞ!?」

 

「はい? え? なんですか? それってフリってやつですか? 出るべきです? 出たほうが良いんですか?」

 

「ええい、この危機的状況でボケるな!」

 

「だって、コルザードさん。そんなキリッとした表情で『ピアノの中から出るんじゃないぞ! 絶対だぞ!』って言われても……

 笑うところしかないじゃないですか!? それってどんな状況ですか! ブフォッ! プクククク」

 

 どうやら笑いのツボにハマってしまったのか、自分で言ったことにも関わらず腹を抑え、笑いを堪えている。

 

「まったく、お前の楽天的思考は見習いたいところだが、頼むから時と場合を弁えてくれ……」

 

「だって。コルザードさんが、そんな、こと……ククク……言うから……きゃっ!」

 

 そんな二人の漫才も御気に召さないようで、船の損壊は指数関数的に大きくなっていく。甲板からは乗組員の悲鳴じみたものまで聞こえてくるようになった。

 

「いい加減にしないか! 全くお前は頼もしいんだかどうなんだか……ん?」

 

 繋いだシュフォンの手が震えているのは、笑いを堪えているという理由からではないことにコルザードは気付く。

生憎、これまで安全な日々を送っていたとはお世辞にも言えない二人ではあるが、それでも今回のように生還が絶望的な状況に陥るのは初めてだ。ましてやシュフォンはまだあどけなさの残る少女である。いかに明るく振舞おうと恐怖を感じずにはいられないのであろう。コルザードはシュフォンの手を強く握り返すことで彼女の震える手を押さえ込んだ。

 

 しかし、無情にもにも船体を揺らす波はより一層強くなり、その大海に浮かぶちっぽけな存在を破壊せんとする。船内では木材が裂け、折れる音が響き渡り、コルザードには船が悲鳴を上げているかのように聞こえた。船体そのものが圧迫され、コルザード達がいる貨物室も大きく穴が空き、歪み、もはや部屋としての機能を果たしていない。

 

 二人のいる場所は船底に近い貨物室のはずである。だが頭上には星々が見えた。エーテル流が風に乗りキラキラと輝き、まるで天の川のように美しい。しかし、美しいものにトゲがあるのが世の常であり、今の状況ではゆっくりと鑑賞しようなどという気持ちは微塵も湧いて来ない。

 

 

 船が船としての機能を失い。至る所から浸水している。既に船員達の声は聞こえない。事ここに至っては、彼らには祈りをささげる時間すらなかっただろう。コルザード達にも為す術は無く、せめて繋いだ手だけは離すまい、とより一層強くシュフォンの手を握り締める。シュフォンの方もどうやら同じ思いなのか、コルザードは手に強く握り返してくる。

 

「――――――!!」

 

「―――!!―――!?」

 

 ついにその瞬間は訪れる。音という音が、より大きな音にかき消され、言葉による意思疎通など許されない。最後の頼みの綱は、繋いだ手と手だけであった。シュフォンの小さな手からは変わらない力強さを感じるのだから、こんな少女が頑張っているのだからと、コルザードは、せめてこの手だけは離すまいと必死に力を込める。

 

 だが、力はより強い力によって制される。矮小なる人の身では、天災の猛威に相対してはどのようにして抗えば良いのだろうか。

 

 ――コルザード達の奮闘も空しく遂にその瞬間が訪れる。

 

「コ、コルザードさーん!」

 

「シュフォーン!」

 

 

 最後の瞬間だけ、二人は互いの声を聞いた。だが、決死の努力の甲斐も無く、エーテルの風は牙をむいた。

 

 その努力を嘲笑わんが如き所業は風を司る女神の嗜虐さゆえだろうか。運命に抗おうとする力も大いなる自然の前には余りにも無力だ。

 

 かくして一人の男と一人の少女とが繋いだ手は引き裂かれ。その身を大海へと放り込まれることになった。

 

 彼らの運命は神のみぞ知る。

 

 こうして、クイーン・セドナ号はポート・カプール近海にて大破。海の藻屑となった。

 

 引き離されてしまった手が再び繋がることがあるのだろうか。

 

 答えてくれるものは誰もいない。




Arcadia様にて同時投稿させていただいている旨を書きましたが
ハーメルン様においては改訂版をあげてきたいと考えています。

時間の都合にもよりますが最終的にはもちろん、一致する内容にするつもりですが
初見の方はこちらで見てくれればと思います。



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第二話 異形の森の使者達

 明くる日の朝、ノースティリス内陸部に位置するヴェルニーズ近郊の鬱葱と生い茂る森の中。先日のエーテルの風により、木々は倒れ、青々とした枝葉は散り散りになり、その爪あとを深く刻んでいた。

 

 そんな道なき道を往く二人の人物の姿がある。

 

「ロミアス! 残された時間は僅かしかないというのに。 ……私達が背負う重大な使命を忘れてはいないかしら?」

 

 そう不満を口にするのは一人の女性であった。

 

「もちろん、覚えているとも。ラーネイレ。全ては……我が種族の存亡は我々の双肩に掛かっている。その責務を忘れるわけがないだろう」

 

 それに対し男性が応える。どこか鼻に付く大仰な言い回しがなんとも特徴的だ。だが、彼の発する言葉の重みに対して、幾分軽薄に感じるのはその皮肉めいた口調ゆえであろうか。

 

「そこまで分かっているのなら道草を食うのもほどほどにしてもらいたいわね……。私達はかなりの距離を旅してきたわ。何も無理に森の中を行かなくてもいいじゃないの……」

 

 言葉通り、女性の足取りは少し重い。呼吸は荒れ、頬は上気し、汗でうなじに髪が張り付いている。その様は旅の疲れを如実に感じさせるが、彼女の美貌も相まってか、ある種の艶美さを醸しだしている。

 

「そう慌てるな、ラーネイレ。我らは森の民。時折自然への恋しさが私の足を動かしてしまうのも仕方ないだろう」

 

 ラーネイレと呼ばれた女性は、ロミアスの行動に憮然とした表情を浮かべつつ自らの疲労を少しも省みない彼の行動に、整った柳眉を逆立てるのだ。

 

「ロミアス、あなたには感謝してるわ。この旅は非公式のもの。あくまで私の使命感によるもの。長老の同意は得られず、派遣への援助も無い中旅立とうとする私を慮って同行を申し出てくれた。うれしかったわ。でもね、今にも戦争が始まろうとしているのよ。私達がもたもたしていればそれだけ……」

 

 言葉にしてみて、自分たちの置かれた凄惨な現状を脳裏に浮かべたのであろう。逆立てたばかりの柳眉はすっかり垂れ下がり、悲しげな表情を浮かべる。張り裂けそうな胸の痛みを堪えるようにラーネイレの言葉尻が窄んでいく。

 

「……あながち無駄、というわけでもないだろう。昨晩のエーテルの風が周囲にどのような影響を与えていることか。目で確かめる必要がある。凶暴化する魔物もいるだろう。何かと危険は多いのだ。ラーネイレ」

 

 どうやら彼にしてみれば、この女性の疲労をも省みない身勝手に思える行動もラーネイレのことを慮ってのことのようであるらしい。

 悲しいことに彼の価値観は独特であり、彼の善意を汲み取ってもらえることは滅多にないのが玉に瑕といえるが。

 

「……そうね。そうだわ。確かに昨日の、ルルウィ様の荒ぶりようといったら……凄まじかったもの」

 

 ロミアスが思いのほか考えて行動していたことに、その行動理由の正しさに、ラーネイレは反省の色を浮かべる。

 

 エーテルの風の脅威は一時的なものではない。その風に晒された生物を変異させるという二次災害こそ真に恐怖せねばなるまい。エーテルの風は生態系を大きく変異させ結果、魔物が凶暴化することも珍しくないのだ。

 

「我らのもたらす真実を彼らはどのように受け止めるのか。エレアではない彼らが果たして、エーテルの風について理解できる知能と 歩み寄る寛大な心を持ち合わせているのだろうか」

 

 二人の旅の目的とは平和を訴えることである。そして、それにはエーテルの風についての理解が欠かせない。だが、ロミアスは諦観の念を隠そうともせず、他種族への侮蔑とも取れる言葉を吐く。ラーネイレはそんな様を見てため息をつくのであった。

 

「もう、ロミアスったら……」

 

 そんな捻くれたロミアスをラーネイレが嗜める。彼は他人と打ち解けることを嫌い、心に壁を作っている。今回の件もそうだ。

 

 ロミアスも"異形の森"の長老たちと同様にラーネイレの旅に賛成しているわけではない。ただロミアスはこの二つ年下の幼馴染が心配なのだろう。呼吸をするように皮肉を言うこの男も、培ってきた絆を大切にする心は持ち合わせているのだ。

 

 

 ――旅の発端は、エーテルの風にまつわる話。

 

 東方のアセリア大陸の国、カルーンにて、一ヶ月降り注いだ雨が止んだ後、人の住めない『異形の森』が急速に範囲を拡大するという現象が起きていた。

 

 異形の森――正確にはヴィンデールの森。エレアという種族が暮らす森がある。何を隠そうラーネイレとロミアスの二人もエレアであり、異形の森は彼らの故郷でもあるのだ。異形の森で暮らすエレアはエーテルの風に強い耐性を持つ。

 

 だがしかし、他種族にとってエーテルの風はまさに滅びを運ぶ死の風だ。そしてエーテルの風はそのヴィンデールの森から吹き荒れる。ヴィンデールの森が拡大するということは、エーテルの風の勢いも比例して強まることになる。エーテルの風にさらされ続ければ、人々は『エーテル病』を患い、変異を起こし最後には死に至る。

 

 

 争いの発端は、妬みによるものか、羨望によるものか世界中が苦しんでいるのに自分たちだけのうのうと暮らしている種族がいる。その種族が住んでいるところより災いが訪れる。

 

 鶏が先か卵が先かは最早分からないが、しかし人々がエレアに憎しみを向けるにはさほど時間は掛からなかった。

 

 これはエレアの仕業に違いない。そんな声があがってくることに何の不思議があっただろうか。それを皮切りにして世論は激化し、反エレア、打倒エレアが叫ばれ世界各地でエレアが迫害されていく。

 

 西方のティリス大陸に接する諸島内に古くより在る強国ザナンの皇子が異形の森の拡大現象は、前世紀文明『レム・イド』を滅ぼした災厄『メシェーラ』によるものだと主張し、異形の森とそこに住む民、エレアを根絶するべきと唱えた。

 

 世界はエレア掃討を叫び、戦争の炎は、遂には彼らの故郷ヴィンデールの森へと迫ろうとしていた。

 

 エレア殲滅を唱えるザナンの皇子に呼応し、各国が森の掃討へ参加表明をしめす中、大国ながら未だ中立姿勢であり、ラーネイレと知己であるパルミア国の王にエレアの民への助力を請うため謎の討手を掻い潜りながら、急ぎの旅を続けているのだ。

 

 

「ラーネイレ。人々は憎しみの矛先を向ける相手が必要なだけだ。真実がどうかなど重要ではない」

 

 ロミアスは言う。彼らは行き場の無い絶望感を紛らわせたいだけなのだと。

 

 真にエレアがエーテルの風を利用し世界に仇を成す存在なのかどうかは重要ではないのだと。中には、エレアがエーテルの風を利用して陰謀を目論んでいて、世界を征服する気なのだと本気で信じている人もいる。

 

 しかし大半の民衆はエーテルの風の脅威から来る絶望を憎しみに変えているだけなのだ。過酷な境遇で、エーテルに耐性をもつエレアへの羨望を嫉妬に変えているだけなのだ。

 

 ただ、それだけなのだと。

 

 故に、彼ら対してこの災厄にエレアが関わっていないということ、どれだけ懇切丁寧に証明したところで、止まるはずもないとロミアスは考えている。

 

「……ロミアス、そんな悲しいことを言わないで。それでも私達は無駄な血を流さないために出来ることをやるの。そう信じたいの」

 

 そう言い切る彼女の眼差しは強い決意に満ちていた。ロミアスはそんなラーネイレの言葉に肩をすくめ、仰せのままに、といった風体で応える。

 

 彼はラーネイレの大人びたその印象に反して、かなり行動的で腕白であることを知っている。そんな彼女の決意は固く、決して諦める事は無いだろうと理解しているので、理屈を捏ねて論破することを不承不承諦めたのだ。

 

 そんな二人が森の奥深くへと足を進めていくと、ふと開けた場所に出た。ゆったりとした幅の広い、河の中腹辺りであろうか。サラサラと流れる清流のせせらぎが、河の底まで透き通る透明な水が、まるで旅疲れた二人を誘っているようであった。

 

「見て、ロミアス。河よ」

 

「ああ、そのようだ。私は特に疲れてはいないがラーネイレに配慮して、ここで一休みするとしよう」

 

 そのような言動とは裏腹に、ラーネイレを置き去りにし率先として川辺に向かっていくロミアスの背中を、ラーネイレは、苦笑混じりにため息をついて見送る程度に留めることに成功したのは彼らの付き合いの長さゆえだろう。

 

 だが、ラーネイレも疲労の色を隠しきれず、少しでも体を休めようと川辺に近づいていく。そんな彼女が、ふと川の畔にその風景に紛れ込んだ不自然な物を目に留めた。

 

 あら? とラーネイレは不思議そうに首をかしげる。

 

 一方でどうやらロミアスは、『ラーネイレに配慮すること』に夢中のようでしきりに川の畔で水を飲んだり汚れを落としたりすることに忙しく、気付いていない様子だがラーネイレの視線の先には打ち上げられたグランドピアノがあり、よく見ればその片隅には一人の男が倒れていた。

 

「人が倒れているわ!」

 

 思わずラーネイレは声を上げる。

 

 流石にこれには『ラーネイレに配慮すること』に夢中だったロミアスも何事かとラーネイレの方に歩み寄ってくる。

 

「どうした?」

 

「ええ、あそこよ。人が倒れているの」

 

「そのようだな」

 

「そのようだな、じゃないわ! 早く助けなきゃ!」

 

「……これは素晴らしい、私はラーネイレの成長を喜ぶべきだろうか。なにせ急を要する我らの崇高な旅の遅延を承知で、人助けをするのだから」

 

 このような状況下においても憎まれ口を叩く彼に付き合うのは時間の無駄とラーネイレは単身その男の下へと駆け寄り彼女が有する治療の魔法で男を癒し始めた。

 

「傷が深いわ! ロミアス、あなたも手伝って頂戴」

 

 体のいたるところに外傷が目立つ。流石に一人では分が悪いと判断したのかロミアスに治療の補助を要求する。

 

 憎まれ口を叩きながらもラーネイレには甘いのか事ここに至ってはラーネイレに異を唱えることをせず、唯々諾々と彼女に従うことにしたようだ。

 

 

 

 治療には時間を要し、気付けば日も沈みかかろうとしていた。雲行きも怪しくなっており、今にも一雨着そうである。

 

 ただ、二人の努力の甲斐もあって、何とか男は峠を越えたようだ。いまだに意識は戻らないものの、呼吸は規則正しく安定し、外傷は一通りふさがっていた。現在ラーネイレは治療に使った道具を片付け施術後の経過を見守っている。

 

 ロミアスはというと、ラーネイレの指示を受け野宿できそうな場所を探しにいっている。元々ロミアスは平和の使者としてラーネイレと旅に出る前は、伝令者として外の世界を旅していた。知識が豊富で、卓越した戦闘技術を持ち、歩哨としての能力には目を見張るものがある。

 

 ゆえにこの分担は適材適所といえるだろう。

 

「――――ラーネイレ。近くに洞窟を見つけた。夜の森をうろつきまわるのは危険だ。今夜はそこで身を休めるとしよう」

 

 そこに、大した時間も掛からずにロミアスが帰還する。彼がどうやら身を休める場所を探してきたようだ。

 

「ええ、ありがとう。ロミアス」

 

 こっちだ。とロミアスに促され、怪我をした男を背負って歩き出す。来たときには気づかなかったが、逆から歩いてみれば一目瞭然。そんな位置に目当ての洞窟はあった。

 

 

「この洞窟……雨をしのぐにはちょうどいいわ。ロミアス、危険が無いか奥を調べてきて」

 

「分かった。ここで待っていろ」

 

 そういい残して洞窟内に入っていくロミアスを見送りラーネイレが、怪我を負った男と共に外で待っている。灰色に染まった空模様を手持ち無沙汰に眺めていた。

 

 ――すると暫くして、悲鳴のような声が洞窟内から聞こえた。

 

「……今の音は? ……ロミアス! 大丈夫!?」

 

 突如として聞こえてきた叫び声のようなものに、ラーネイレは真っ暗な洞窟の闇へと不安げに声をかける。

 

「……ああ、問題ない。どうやらこの洞窟は昔、誰かが住んでいたようだな。奥を見てきたが、今はもう使われていないようだ」

 

ロミアスは先ほどの悲鳴のようなものが何か、という事について触れようとしないがとにかく洞窟の中から出てきた無事のロミアスにラーネイレは安堵の表情を浮かべた。

 

「そう、ならば都合がいいわ。…あら、貴方何を持っているの?」

 

 遠目にも違和感を感じたのか、ラーネイレがロミアスの方へと駆け寄る。

 

 好奇心に促されロミアスの手元を除きこみ、それを判別した途端。

 

「キャーッ、プチじゃない!」

 

 ラーネイレが悲鳴を上げて仰け反った。

 

 プチ――流体形の魔物であり、決して力は強くないものの、人に害を為すため嫌悪の対象になりうる。

 

「こいつらか? 心配する必要は無い。以前、人間にペットとして飼われていたのだろう。ふふ…… 私に良くなついているようだ」

 ロミアスが優しげにプチを撫でる。それに為されるがままにその身を震わせていたのを見て取り、彼が抱えるプチが害をなす恐れはないと判断したラーネイレはこわばった表情をほころばせ、どうにか落ち着きを取り戻した。

 

「さて、それじゃ中に入るとしよう」

 

「ええ、分かったわ」

 

 ロミアスが先導し、その後を男を背負ったラーネイレが洞窟の中に入って行き、薪に火をつけ暖を取る。『昔誰かが住んでいた』とはよく言ったものだ。見れば確かに生活の名残が各所に見て取れ、旅疲れた体を休ませるには丁度いい。

 

「うふ、あなたにも優しいところがあるのね。……来て。どうやらけが人が意識を取り戻したみたいよ」

 

「ん…… うん? こ、ここはどこだ?」

 

 意識が回復したばかりの男は焚き火の光で、瞳を瞬かせ、眉をしかめていた。

 

「……意識が……もう戻ったのか? 驚いたな。君の回復を待って我々の急を要するたびがいつまで中断されるのか、気を揉んでいたのだが」

 

「お前は……? 私は一体……」

 

「私はロミアスだ。きみは重症を負い、川辺に倒れていた。宵闇が辺りを覆う前に、癒しての力を持つ我々に発見されたのは、全くよくできた偶然だ。」

 

 朦朧としていたのも束の間、えらく特徴的な言い回しをするこの男と会話をすることに頭を使う必要があったおかげか男は昨夜の地獄を思い出す。そう、エーテルの風が吹き荒れ自分の乗っていた船が難破したのだ。

 

「私の名はコルザードという。君……ロミアスと言ったか? まずは君に感謝しよう。それから…… ん? 川辺だと……? 私が乗る船は海で難破したのだが……」

 

 そして、ふとロミアスの説明と自身の記憶との齟齬に気付いた。

 

「きみはどうやらノースティリスに馴染みが無いようだな。ここではそのようなことはそれほど珍しくも無いものだ」

 

 ロミアスは、何を非常識なことを言っているのだと言わんばかりに肩をすくめて見せた。まるで海が河を遡るのが当たり前だという様子である。

 

 コルザードは、自身の常識が全く通用しない現状に眉をしかめつつ、目の前にいたロミアスを注視する。

 

 よく見ればその男はスラリとした長身に整った目鼻立ち、そしてその瞳は蒼い。なにより、炎の照り返しを受けて映える彼の緑色の髪が、コルザードにある種族を連想させる。

 

「……そんなもの珍しげな顔をするな。君の察するとおり、我々は異形の森の民だ。エレアは…シエラ・テールの高潔なる異端者は、他種族の詮索に付き合う無駄な時間をあいにくもちあわせていないが、君は、我々に拾われたことをもっと素直に喜ぶべきだな。瀕死の君を回復させることは、ここにいるラーネイレ以外の何者にも不可能だっただろう。何せ彼女はエレアの…」

 

「ロミアス、しゃべりすぎよ。たとえ意識の朦朧とした怪我人が相手だとしても」

 

 ラーネイレが、つい口が軽くなり始めたロミアスを叱咤する。彼女達の旅は世界の命運を分かつほど重要なものである。いらぬ事まで話して、支障が出たとすれば悔やんでも悔やみきれないのだ。

 

「……そうだな。私の悪い癖だ、分かってはいる。……さて、コルザードといったな。見たところ君はノースティリスの人間ではないようだ。余計な世話でなければ我々が旅を再開する前に、この土地での生活の知恵を授ける程度の時間は割けるのだが」

 

「それは願っても無い。是非お願いしたいところだが――」

 

 ロミアスの提案を二つ返事で承諾しようとしたところで、コルザードの腹の虫がそれを遮った。

 

「ふむ、空腹か。しばし待っていろ。あいにくとこのような場所では私が調理をするには不十分すぎるのだが。簡単なものでも構わないのであれば腕をふるってみせよう」

 

「ああ、そこまでずうずうしいことは言わないさ。なにせ、船が難破して以来何も口にしていない。腹が膨れるだけありがたいというものだ」

 

 それでは、とロミアスは席を立ち、洞窟の奥の方へと歩みを進めていく。

 

 彼の足音が遠くなったころ。コルザードが思いのほか広い洞窟なのだな、などと詰まらぬ思いをめぐらしていると――

 

「彼、プライドが高すぎるのよね。ただでさえエレアは異端視されているのに…… ごめんなさいね。悪気があるわけじゃないのよ」

 

 そばにいたラーネイレが先ほどまでのロミアスの態度に思うところがあったのか彼に代わり謝罪をしてきた。

 

「いえ、ああいうのも一つの個性でしょう。俺は気にしていませんよ」

 

「そういってくれると助かるわ。いつもあの調子だからほんと、困ったものよ」

 

 そう言ってラーネイレは微笑む。心なしかその微笑には苦笑いが混じっていたように思えるのは彼女の日頃の気苦労ゆえだろうか。

 

「そういえば、ラーネイレさんでしたか? あなたが傷の手当をしてくれたそうですね。あらためてお礼を言わせてください」

 

「ええ、『風を聴くもの』ラーネイレよ。治療のことならいいのよ。気にしないで。それにしても無事に意識が戻って本当によかったわ。あなたを最初にみたときはもう手遅れかと思ったもの」

 

「そういうわけにはいきませんよ。あなたの心遣い、けして忘れません」

 

「だから気にしないでいいのよ」

 

 そう言って微笑むラーネイレの青い瞳はとても穏やかで慈愛に満ちていた。水色の髪は絹のような滑らかさであり、痺れるように美しい。それを直視したコルザードは照れくささを隠し切れず、返す言葉を探しているうちに時間がすぎていく。一方でラーネイレの方は相変わらず優しさを湛えており、コルザードは何か気の聞いたことを言わなければ、と考えれば考えるほど、頭が真っ白になっていくのだ。

 

「――そういえばロミアスさんとあなたはここに住んでいるのですか?」

 

 焚き火のパチパチと爆ぜる音だけに話させておくことが我慢できなくなったのかコルザードは無理にでも、話題を振ってみることにした。

 

「まさか。私達はヴィンデールの森からの使者。公正なるジャビ王と会見し、森とエレアの民に降りかかる嫌疑を晴らすために、パルミアに向かっているの」

 

「パルミア……ノースティリスの王都の名ですね。それと同時にノースティリス繁栄の象徴でもある」

 

「ええ、アセリア大陸から大洋を隔たち、ティリス大陸の北に位置するのがノースティリス。自由と平和の国パルミアの統治の下、古代の遺跡群ネフィアを巡り、多くの旅人や商人がこの地を訪れるの。あなたも、そんな旅人の一人かしら?」

 

 この世界、イルヴァにおいてはこれまでに数々の文明が興り、そして滅んでいった。栄枯盛衰のサイクルを既に二桁に及ぶほど繰り返したその文明の名残は各地で見受けられその遺跡群は"ネフィア"と呼ばれ各地に点在する。ノースティリスは深い歴史をもち、たくさんのネフィアが存在するのだ。

 

「ご明察です。流浪のピアニスト『月明かりの調和(ムーンライトハーモニー)』コルザードとは私のことです。

 ……ん? 一人? そうだ! ラーネイレさん。私は本当に一人でしたか? その、連れがいたのですが、ご存知ありませんか?」

「……ええ、貴方は一人、川辺に打ち上げられていたわ。その……お連れの方はいなかったわ」

 

 連れがいたのだ。というコルザードの発言にラーネイレは伏し目がちになる。大切な仲間たちとの別離、ラーネイレにとっても他人事ではないのだ。

 

「そうですか……」

 

「気を落とさないで、そうだわ。この近くにヴェルニースという炭鉱街があるの。近年はゴールドラッシュでとても賑わっているのよ。もしかしたらそこでお連れさんのことも分かるかもしれない。元気をだしてね」

 

「そうですね。気を使わせたようで、ありがとうございます」

 

 シュフォンとはぐれてしまったことで気落ちを隠せない。何せあれだけの惨事に見舞われたのだ、最悪生きていないかもしれない。

 

 ――そう考えて慌てて思考を打ち切る。ラーネイレさんの言うとおりだ。街で聞き込みをすれば何か分かるかもしれない。コルザードは自分に活を入れ、弱気になる自分の心を引き締めた。

 

 だが、外は既に夜の帳が落ち、雨音が森の木々を激しく叩いている。昨夜のエーテルの風の影響で魔物たちも凶暴化しており、夜の森から時折、雄たけびが聞こえてくる。そんな状況が不吉さを暗喩しているようでコルザードは堪らなかった。

 

 しかしその後も辛抱強く真面目に聞き入れ、同情し、親身な言葉を掛けてくれるラーネイレに励まされた。

 

 ロミアスも皮肉ばかり口にする捻くれ者だが口達者で、良くも悪くもあるが彼の話術は巧みであり話してると飽きることはない。このあと、料理を振舞ってくれたり、ノースティリスについての心構えを話してくれるなど、第一印象の割りになかなかどうして、面倒見のよい人物だ。

 

 袖触れ合うも他生の縁とはよくいったもので、そんな彼らとの触れ合いによってコルザードの心は少し晴れていった。心が軽くなった拍子に張り詰めていた糸が途切れたかのように眠気が襲ってくる。その頃にはエレアの二人も旅の疲れがあるようで、話のひと段落ついたところで誰が言うとも無く眠りに付いたのであった。

 

 こうして、外の雨音を子守唄にし、三人は一夜を明かした。漆黒の闇夜に紛れる邪なるモノから、三人の中央の焚き火が守る。炎は聖なる証。最古の炎を従えし、神々の王を称する"元素の神イツパロトル"の加護がそこにあった。

 

 

 

 明くる日の朝、昨夜の大雨は去り、魔物の気配もすっかり静まった。外では太陽が燦々と照らし、それをみて前向きな気持ちがよみがえってくる。そんな中でコルザードは大きく伸びをし、体の具合を確かめていた。

 

「コルザード。もう、傷は大丈夫かしら?」

 

 そんな声が後ろから掛かる。

 

「ああ、ラーネイレさん。すっかり良くなったよ、ほんとうに感謝する。」

 

「ずいぶんと早い起床だな。もう出発するのか?」

 

「ああ、ロミアス、君にも感謝している。君に授けられた知恵は大いに役立つだろうからな」

 

 ラーネイレ、ロミアス双方共に意気投合し、他人行儀の余所余所しさはなくなり、今ではすっかり名前で呼び合う間柄になっていた。

 

「その言葉が本当ならば、瀕死の状態を高慢なエレアに拾われ、講釈をたれられることももうないだろう」

 

 そういってロミアスはにやりと笑った。

 

 何が面白いのか。相変わらず、と言うよりも一日共に過ごしただけでは彼の諧謔は理解できないのだが、このひねくれ者の皮肉も聞けなくなると張り合いがなくなるとコルザードは感じた。

 

「全くだ。是非そうありたいもんだよ。しかし、それよりも君達の旅も急ぎじゃないのか?」

 

「コルザードの言うとおりよ。新王国のかの者の計画は着実に進んでいる……」

 

「ああ、パルミアまでは長い道のりだ。一時であれ、休息を取れたのは良かったかもしれないな」

 

 お互い前途は多難だと言うことを再確認した彼らは旅立ちを決意するのであった。

 

「また出会うときまで、月明かりの調和。あなたに風の女神、ルルウィ様のご加護があらんことを」

 

 ラーネイレが自らの神の名において出立を祝福してくれる。

 

「ラーネイレさん達こそお元気で。風を聴くものよ。 あなたにも大地の神オパートス様のご加護があらんことを」

 

 これにコルザードも笑顔で自らの神の名において彼らの使命の達成を願うのであった。そうしてロミアスとラーネイレに礼の言葉を残し洞窟を出る。

 

 外に出てみれば、太陽が木々の隙間から木漏れ日を漏らしている。陽光に照らされた林道が輝いて見え、小鳥達は囀り声を上げる。まるで旅の出発を祝福し、激励してくれているかのようだ。

 

 その道を往くコルザードの足取りは軽やかで、はぐれたシュフォンを探しにまずは教えてもらった、ヴェルニースの街へと歩みを進めるのであった。

 

 かくして、それぞれの思惑を秘めた二組はそれぞれ自らの成すべきことを成すべく歩みを進める。彼らがまた会う日があるかどうかは、幸運の女神エヘカトルの導き次第であろう。



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第三話 別れと出会い

「……どうしてこうなった」

 

 命を助けてくれた二人のエレアと分かれた後、コルザードはシュフォンを探すべくヴェルニースへと向かった。

 

「……いくらなんでもあんまりじゃないかこれは」

 

 森を抜けると、広い街道に出る。整備された道路がのび、街路樹が立ち並んでいた。所々に目に付く立て札にはヴェルニースへの順路が示されており、そのまま進んでいけば目当ての街にたどり着けることが分かった。

 

「いや……、素直に喜ぶべきなのだろうが」

 

 道すがら行商人や冒険者、出稼ぎの労働者、果てには軍人と思しき人物がヴェルニースの方角へと歩みを進めていた。ラーネイレの言っていたように、賑わいのある街というのは実際たどり着いてみればどうやら本当のようで、街を行きかう人々は活力に満ち溢れ、その足取りは軽やかだった。

 

「普通……ヴェルニースにたどり着いた途端、こうなるとは思わないだろ?」

 

 シュフォンはコルザードにとって妹分みたいなものである。実の家族というわけでもない。かといって恋人というカテゴリーに当てはまるわけでもない。その関係がどうあれ、放っておけない程度には愛着があった。

 

 だから、やはりシュフォンがいないと寂しかったり辛かったりするわけで、実際に本腰を入れて探してみたのだが。

 

「――もう、さっきからなにをブツブツいってるんです。気持ち悪いですよ?」

 

 これだ。

 今コルザードがいるのはヴェルニースの町。

 そして隣を歩くのは金髪の少女。

 

「うるさい。というか、お前は俺の決意を台無しにしたんだぞ」

 

「一体何を言ってるんです? はっは~ぁん、さてはキュートでプリチーなシュフォンちゃんを探そうと意気込んでみたら、まさかまさかのいきなりの再会で恥ずかしいとかそういうあれですか?」

 

 こいつ上目遣いで調子に乗り始めた。そして口元には悪戯っ子の笑み。

 

「違う、断じて違う。部分的には同意するがそういうアレは少しも無い」

 

 興ざめだ。いや、肩透かしだ。いや、再会できたのは素直に喜ぶべきだろう。でもやっぱりこういうのには波乱万丈が付き物ではないのか。喃喃辛苦を乗り越えて、ついに感動の対面とかそういうのがあってもいいと思うのだ。

 

「もう。照れちゃって、でも本当によかったです。このまま会えないとか、少し思っちゃいました」

 

 急にしおらしくなる。これでは二の句が次げない。――隣で屈託無く笑う少女との再会はこうだ。

 

 いよいよヴェルニースの街門へと差し掛かったとき、警備兵の数が多いことに気付いた。この活気のある平和な街で一体何かあったのだろうかと一抹の不安を抱きつつ進んでいく。すると門番をしていた兵士がコルザードを呼び止めた。

 

「止まれ」

 

 その兵士はよく見れば、ザナン国の紋章をつけている。だが、ここノースティリスはパルミア王の治世下にある。

 

「どうしました? ザナン兵がこんなところで」

 

 他国の兵が我が物顔で駐留していることに当然の疑問を浮かべる。

 

「殿下の遊説だ。怪しいものがいないか見張っている。何せこんなご時勢だ。危険物の持込がないかチェックさせてもらうぞ」

 

 どうやらザナン皇子が遊説に来ているらしい。なるほどこの警備も納得。その後兵士に促され、質疑応答に答える。しばらくして兵士が表情を変えた。

 

「ん? 貴様ジューアのものか?」

 

 ジューア国はならず者の国とされている。国際関係においても各国と緊張状態、場所によっては現在進行形で戦火を交えているところもある。コルザードもジューア国出身であった。

 

「待ってくれ、確かに俺はジューアだが、人を探しているんだ。あまり時間を取られては困るんだが……」

 

 ジューア国は行儀のいい国ではない。故に他国が悪感情を抱いているというのは想定すべきだ。だがこのときのコルザードはそこまで頭が回っていなかった。

 

「言い訳するな! 怪しいやつめ。こっちにこい」

 

 場の雰囲気も険悪になり始めた、そんなところに、――だ。

 

「――――」

 

 遠方から声が聞こえる。大手を振りながらこちらへ突っ込んでくるものがあった。

 それはあくまでも比喩表現なのだが、だが実際に迫り来るそれを見ているとあながち間違いでもないかもしれない。

 ようやくその全容を視界に納めきれるようになった頃合。こちらに向かって走りこんでくる金色のソレはどこかでみたことがある少女だったりするわけで。

 

「コルザードさ~~~ん!」

 

 遂に声も間近で聞き取れるようになったが、どういうわけかその少女にブレーキは付いていなかったようで、十分に距離を詰めた後、少女はいったん身をかがめ存分に大地を踏みしめたその力を一気に前方に解放した。

 コルザードは目を瞬かせ突如目当ての人物の到来に仰天。まるで時間が止まったかのように呆けた表情を貼り付けたまま棒立ち。

 結果として、為す術も無く吹き飛ばされてしまった。

 

「うわぁ! だいじょうぶですか? まさか倒れるとは……」

 

 その惨状を造りだした犯人はひどく狼狽し慌てふためいている。

 

「……いてて、シュフォン? どうしてここに! 探したんだぞ」

 

 一呼吸ズレているような発言をしつつ、突然の再会に驚愕の表情を浮かべるコルザード。

 

「それはこっちの台詞ですよ。目が覚めたらコルザードさんいないんですもん。キョロキョロと探していたら丁度それらしい人を見つけたので、とりあえず飛びついてみたらコルザードさんでした」

 

 屈託ない笑顔を顕わにするシュフォン。そこには心からの安堵が込められていた。

 

「全く、殺しても死にそうにないやつだが、いきなり見つかるとは拍子抜けも良いところだ」

 

 気恥ずかしさゆえ、憎まれ口を叩いてしまうが、コルザードの表情にも隠しきれない笑みを押さえつけるように口角をひくつかせている。

 

「あ、それはひどいですよ。ところでどうしましたか?」

 

 空気の読めない少女がキョロキョロ。

 そんな空気に兵士達も毒気を抜かれたのか、咳払い一つ。こんな間抜けなやつらだ。危険人物ではあろうはずがないと結論付けたようだ。

 呆気なく許可が降り、二人は晴れてヴェルニースの街中を歩いているのだった。

 

 

「――しかしな、俺としてはもう少し壮大な冒険を想定していたんだがなぁ」

 

「終わりよければ全て良し。再会できたんだからいいじゃないですか」

 

「夢もロマンもないやつだ」

 

「いやほんと、お互い無事で。それ以上のことはないですよ」

 

 こう言われては返す言葉も無いわけで。思えば、シュフォンとの出会いも幾分可笑しいことになってたなとコルザードは回想する。

 

 

 ――当時、コルザードはジューア国にいた。ピアニストとして生計を立てていた点は今と変わらない。娯楽の少ない貧民街であったことが幸いしたのか、あるいはコルザードに才能があったのかそのどちらかなのかは分からないが、食うに困らない程度の稼ぎはあった。

 

 もちろん、この手の職業は日々研鑽に追われる。努力を怠ったとき、それは淘汰のときであるからだ。何よりコルザードはピアノを弾くのが好きであったので、それは苦にはならないものであった。

 だが、問題なのは演奏技術ではない。

 

 繰り返すがコルザードのいた町はうらぶれた貧民街のようなものでありそこでピアニストとして生計を立てていたのだ。これがまだ、バイオリニストやギタリスト、あるいは吹奏楽奏者であればいい。それらの楽器は軽いので、路上ライブをするにもさほど困らないからだ。

 

 だがコルザードはピアニストだ。ピアノ、鍵盤楽器。すごく重い。――会場にピアノ? ここは超がつくほどの貧民街だ。ないない。

 つまり自前で持ち運びをする羽目になるのだが、これがまた重い。

 

 常識で言えばグランドピアノなどは到底担げるものではないしアップライトピアノとて並大抵のことではない。

 

 そんなわけで、コルザードの研鑽とは普通の演奏家と比べるとずいぶんと見当違いな方向へ向かざるを得なかったわけで、結果としてそんなところが色物としてずいぶんと人気を評したのだ。

 だがそんなコルザードの生活もある日を境に急転直下する。

 

 ところで、ジューア国とは少し独特な国である。その国民の気質、いわゆるお国柄というやつだが彼らは定住することを好まない。元来遊牧民であった彼らは当時、派閥同士の内乱による分裂と彷徨を繰り返していた。

 だが、ある時『ジューア』という名称の大派閥が、現在のジューア国の位置に定住したのがこの国の始まりだ。

 

 されども、それはそれは自由や利己という言葉が大好きな集団であるからして組織の結束力はさほど高くなく、大きくなっては分裂するという集合離散を繰り返し、そこから先に進む事はなかった。

 それが国家に対する忠誠心や帰属意識、民族としての団結という概念を抱かせるまでに成長しなかったのだと歴史が証明している。

 

 そんなこんなで自治という概念が根付く環境とは程遠く。必然、ならず者と呼ばれるような人々が多くなる。

 

 だからコルザードが暮らしていた町が別の部族の襲撃を受けるのも不自然ではない。

 そして突然の襲撃に晒された結果として、戦闘訓練を受けていたというわけでもないコルザードは、自分の身一つ守るので精一杯であり、なんとか生きながらえたものの、彼の商売道具とも言えるピアノは無残にも破壊されてしまったのだった。

 

 コルザードには信仰するに足る神がいる。今までその存在を疑ったことなどない。

 しかし、この時の彼は、それでも神に問わずにはいられなかった。

 

 道があるならばどれだけ遼遠な道のりでも歩んでみせよう。壁が行く手を阻むのならばいかにそれが高峻なものであっても乗り越えて見せよう。だが、それはあくまでも目的地までの行路があってこその話だ。

 ゆえに、道そのものを断たれた場合、一体いかなる努力を持ってして前に進めば良いのかと。

 

 為す術を失ったコルザードは絶望に暮れた。

 

 彼が逃げ込んだ町はというと、そこは歓楽街であり、周りを見渡しても商売女に声をかけられている男、酔いつぶれて路上で管を巻いている者、怒声を上げて暴力沙汰を引き起こすもの、それを囃し立てているものと享楽的な賑わいを見せていた。

 そしてそこはいわゆる暗黒街であり、酒に賭博、果てには人身売買ですら町の有力者の息がかかっている。そんな町に住むものは大半がならず者や、盗賊や悪人であり、彼らは町のお墨付きを得て夜な夜な獲物を求め、渉猟するのだ。

 

 時刻は夕方から夜に差しかかろうという頃合。斜陽が山の端から僅かに残光を覗かせ、空を赤く染めている時分。そんな暗黒街の朝を迎えんとしている中にコルザードがいた。

 

「くそっ! 俺はもうおしまいだ!」

 

 誰に聞かせるでもなく叫ぶコルザードの声は夕闇に吸い込まれていく。彼は雑踏から離れた、薄暗い路地裏を歩いていた。わが身の境遇を嘆き、虚空へと叫び声を上げてみたものの、そんな茫然自失とした彼の歩みはまるで幽鬼のようで、その足取りに力は感じられずふらついている。

 だから――

 

「――ちょっとどいてください!!」

 

「ん?」

 

 だからそんな彼には周囲の雑音に気を払う余裕もなく、ちょうど曲がり角に差し掛かったところで横殴りの衝撃を受けた挙句、転倒してしまったのは当然の帰結と言えよう。

 

「ぶへ!」

 

「ぐわ」

 

 コルザードが上げた悲鳴がぐわ、である。消去法で考えるなら、ぶへというのは目の前で尻餅を付いてる人物のものだ。

 

 転倒したコルザードが痛みにまたたく目をパチパチしながら視線を向けると声の主は、服と呼んでいいかも危ぶまれるボロ切れを纏い、ひどく汚れている。高く澄み渡った声が示すように女性、いや少女と呼ぶべき年齢の小柄な娘だった。

 

 女として、そこはきゃっ、位にとどめておくのが妥当なのではないかと思っていると。

 

「いった~い……。 ちょっと気をつけてくださいよ!」

 

 その少女は元気に立ち上がるなり、柳眉を逆立たせ、ついでに口も尖らせて抗議してきた。

 

「そっちこそ昼間から酔っ払ってるのか? まったく良いご身分なことで」

 

「あなたこそ、罵倒されたドMみたいに朦朧とした顔で突っ立ってるのが悪いですよ!」

 

「なんだと? ……というかどういう例えだそれは」

 

 我ながら大人気ないとコルザードは後になって反省するのだが、まさに売り言葉に買い言葉。ジューア国民の気質としては、吐いた唾は飲み込めないのだ。

 

「しまったーっ! そんなことしてる場合じゃなかった」

 

 互いににらみ合っていると突如頭を抱えてなにやら慌てふためく少女にコルザードは驚愕した。

 だが、次いで鳴り響く複数の足音を耳に捉え、そちらの方へと目をやったことで大体の事情を察した。

 

 数人の男達が駆け寄って来るなり少女を取り囲んだのだ。どいつもこいつも下卑た表情を浮かべている。だがそんな光景もジューア国ではよくあることであり、この手の出来事は前の町でさえ日常茶飯事だった。

 

 少女の方はというと、もはや逃げられないと観念したのか、状況を打破する術も無く、混乱しているようで逃げようともせずただ狼狽えていた。

 

「はぁはぁ、てめぇ。手間かけさせやがって」

 

 息を整えながら一人の男が少女に対してすごんで見せた。

 

「ただじゃすまさねぇぞ!」

 

「俺達から逃げられると思ってんなよ!」

 

 それを皮切りにして、他の男達も彼女を威嚇する。

 

「あう、あわわわ」

 

 少女は怯えて言葉も形になっていないが、少なくとも彼女に助けが必要なのは誰にでも分かることであろう。

 

 だが、これまでそうしてきたようにコルザードは別に暴漢からか弱い女性を助け出す騎士の役割を演じるつもりなど毛頭なかった。このようなことはこの国では珍しくもない。事ある毎に正義感を発揮していたら命がいくつあっても足りないからだ。

 

 群れをなして少女を追いかける、その理由が単なる『お楽しみ』のためならば、それはただの三下、どうにかなるだろう。目の前の男達を倒してしまえば後腐れなく済む事だ。

 だが、実際はそれだけで済まないことが多いのでコルザードは傍観に徹していた。

 

「違うんですよ。逃げたんじゃないんです。チャンスが来たのでついカッとなってしまって……」

 

「それは逃げたのと同じじゃねぇか!」

 

「まぁ、待ってください。私の言い分をよく聞いてくだされば誤解だってのはすぐ分かりますって」

 

「あん? なんでぇ。言い分があるなら言ってみろ」

 

 強面の男達は顎でしゃくる。少女は咳払い一つして、言った。

 

「コホン、いいですか、いくらなんでもアレはないです」

 

「アレってなんだ?」

 

「いいでしょういいでしょう。確かに私の身の上は奴隷です。そうでしょうとも、このご時勢弱者に権利などない。なるほど、分かります。まったくもって納得できませんが、ですがね? さすがにアレはないですよ」

 

 段々と少女の発言が演技じみた振る舞いになってくる。それがひどく胡散臭い。

 

「だからアレってなんだってんだ」

 

「まぁ、落ち着いてください。別に私はこの後の及んで三食昼寝付きの庭付きの豪邸で悠々自適な生活を送れるなんて思っちゃいません。貴方達は奴隷商つまり労働力の斡旋、仲介業者みたいなものでしょう?」

 

 コルザードはその時思った。こいつ奴隷商がそんな上等なものだと本気で思っているのかと。

 

「嬢ちゃんずいぶん面白い例えするじゃねぇか」

 

にんまりと下卑た笑みを崩さずに奴隷商が答えた。

 

「つまり私にも、労働者にも職場を選ぶ権利があってもいいと思うんです!」

 

 拳を握り締め力説する目の前の少女。たぶんこいつは馬鹿だ。きっとそう。

 

「いくらなんでもひどすぎませんか!? ていうか、私かたつむりに売られるんですか!? ていうか!! 金貨千枚って安すぎませんか!? ツッコミどころおおすぎませんか!?」

 

「俺たちゃ商人で、商品に金払ってくれるんだからそいつはお客様だ。商品を引き渡すことに何の不自然があるってんだ。……これ以上手間掛けさせるなよ全く」

 

 痺れを切らした男達は少女へとじりじり詰め寄った。

 

「えっ、ちょっ……。本気ですか? マジですか。あっ! そこの人助けて、いや助けろお願いします」

 

 少女がこちらをみた。そして素早く駆け寄ってきてこちらの背中に回った、と理解した頃にはもう遅かった。

 

「は?」

 

乾いた言葉だけが響き渡る。

 

「なんだてめぇは?」

 

 少女に詰め寄っていた男達は、その下卑た視線を剣呑なものへと変え、その矛先をこちらに向ける。

 

 燃えているのは対岸。そして自分は傍観者。そう思っていたらいつのまにか対岸に放り投げられていた。

 なんということだ。

 

「状況が理解できないんだが……」

 

 やれやれと、頭を掻きながら言う。話からするにこの男達は奴隷商だ。ジューア国での闇稼業には大抵町の有力者が絡んでいる。

 

 この国で生きる方法は二つ

 

 一つ、町の利益になること。

 一つ、町の不利益にならないこと。

 これだけである。

 

 こいつらがただのチンピラならどうにかなるだろうがこの場合はそう簡単にはいかない。仮に、もし力尽くでこの場を切り抜けたところで、コルザードが得られるものは偽善による自己陶酔と死ぬまで追い掛け回される素敵な人生ぐらいだろう。

 

「……とりあえず、コレは『商品』なのか?」

 

 結論として、コルザードは自分の背中に隠れている少女の腕を掴み、前へと引きずり出すことにしたようだ。

 

「え、ちょっ! ここはか弱い乙女を悪漢から守るシーンとかだったりするんじゃないんですか!?」

 

 期待を裏切られ激しく、狼狽する少女の嘆きが空しく響き渡る。

 

「お前ね、ジューア国でそんなこというやつがいたらそれは白衣のナースより馬鹿だぞ?」

 

「ああ、そうだ、そうにちげぇねぇ」

 

 奴隷商たちはコルザードの対応を見て取り、警戒を解き剣呑さを緩めた。そしてその発言に同調するかのように笑い出す。

 

「しかし、奴隷か……。奴隷は元気でなければ困るが元気がありすぎるのも考え物だな。足でも折っておいたほうがいいんじゃないか? まぁ、それはそれとしてせっかくの機会。この商品を見せてもらっても?」

 

 奴隷商へと冗談交じりに笑いかけながらコルザードが客を装うとすっかり奴隷商たちの顔も少女を追い掛け回す悪漢から商人のそれへと変わり始めた。

 

「馬鹿いっちゃいけねぇよ。それじゃ買い手がつかねぇぜ。もっともアンタがそういう趣味があるなら別だけどな? まぁ見るのはかまわねぇが傷だけはつけるなよ。売り物なんだからな」

 

 下劣な笑い声を上げる奴隷商たちの声を背中で聞き、自らもその少女を不躾に眺める。

 

「ちょっ! やめろ、鬼! 悪魔! 役立たず! マニ! キウイ!」

 

 ひどい罵詈雑言を浴びせられて助ける気がちょっと失せる。次第に抵抗らしい抵抗を止め、ただ眼差しには不安げな色を残したまま身をこわばらせるのであった。

 

「……大丈夫だ、任せろ」

 

 コルザードは少女にだけ聞こえるように小さく囁いた。コルザードが奴隷商の方へと振り返る瞬間に見送った少女の顔には驚きに彩られていたように見えたのは気のせいではないだろう。

 

「へぇ、身なりは貧相だが顔は悪くないですね。……ちなみにコレはいくらですか?」

 

「そうだな、手数料込みで金貨1600枚ってとこだ」

 

「おいおい。素人だとおもってからかわないでくれ。それだけあれば質の良いエレアだって買えるだろ?」

 

「へっへっへ、兄さんも相当遊んでるんだな。じゃあ1434でどうだ?」

 

「1200ぐらいにならないか?」

 

「兄ちゃん。流石にそれはふっかけすぎってもんだぜ。1400で手を打とうじゃないか」

 

「しかし、この娘は見たところ品もないし頭も悪そうだ。1300でどうだ?」

 

「いやぁ、アンタも悪だねぇ。1350。この辺で手を打とう。な?」

 

「もう一声。ほらさっき1000とか言ってたじゃないか」

 

「あんちゃん、そりゃ先客の買値だぜ。兄ちゃんが買うなら言いくるめなきゃいけねぇしよ。多少弾んでもらわねぇと割にあわねぇよ?」

 

「ちょっと人を何だと思ってるんですか。もっと高く。2000! いや3000! いっそ10000!」

 

 こいつ……助かりたいのか助かりたくないのかどっちだ。

 

「1300」

 

「ええい、1320だ! これ以上はまけらんねぇ。どうだ?」

 

 少女を無視し商談を進める。

 

「いいだろう。交渉成立だな」

 

 当の本人を前にしてひどいやり取りではあるが奴隷とは得てしてそのような境遇にあるものなのであろう。

 

 コルザードは懐から金貨を取り出し奴隷商に手渡す。枚数を確かめ納得したのか毎度、と言い残し彼らは少女を置いて去っていった。

 

 金貨1000枚もあれば、当分生活には困らない。これは偽善だと、コルザードは確信していた。

 普通の精神状態ならばこのような行為はしない。だがおよそ全てを失い、半ば捨て鉢になっていた彼は、偽善も悪くないもんだと考えていたのだろうか。

 

 騒動から逃れてみれば、怪我ひとつ無い我が身と少女の無事、それがどのような経緯を経たとはいえ大戦果である。悪漢から姫君を守る騎士、というわけには行かないが目的を達成したことには変わりない。

 

「あ、あの~」

 

 そうしてコルザードが後悔と自己満足に浸っていると背後から件の少女の声がした。その声に振り向くと、少女が物言いたげにこちらを見つめていた。

 

「なんだ」

 

「えっと…… とりあえず、言わせて貰いましょう。このロリコンめ!」

 

「……は? なんでだ?」

 

 涙目になり、上目遣いで睨みつけてくる少女。無理だと分かりかけてはいたが脈絡のない発言には何度でも度肝を抜かれる。まぁ、売り買いされる側としてはそういう不安もあったのであろうが。

 

「え、だってご主人様。私を買ったじゃないですか? 未熟な青い果実を貪ろうとか、思ってるんじゃないんですか?」

 

 表情には恥じらいと怯えが浮かんでいるように思えるが、奇天烈な言動のせいでいまいち現実感が湧かない。

 

「俺が買ったのはお前じゃなくて偽善による自己満足と陶酔感。まぁ、酒みたいなもんだ」

 

 どこか虚空を胡乱気に見つめたようにコルザードは言った。

 絶望に打ちしひしがれて野たれ死ぬよりは、最後の最後に美談でもあったら良いと、その程度のことだった。そしてコルザードは貧相な少女に対してそんな気分にはなれないし、そもそもそういうつもりで助けたのではない。

 

「え?」

 

「だからお前を助けたのは気まぐれと偽善だ。全く慣れないことはするもんじゃないな……。ほら、どことなりと好きなところに行け」

 

 しっしと手のひらを振ること三回。

 

「えー。そんなの困りますよ。金貨1000枚をポンと出せるリッチなご主人様に寄生しようと思っていた私の計画がめちゃくちゃじゃないですか! ……はっ!? しまった」

 

 ここまで来ると、自分の発言を省みて頭を抱えて真剣に後悔している少女を見る目も生暖かくなろうというものだ。

 

「……あいにく、お前を助けたおかげでこちらの蓄えも底が見えている。俺に寄生しても破滅しか待っていないぞ」

 

 少女にこちらが文無しだということを教えてやれば良い。そうすれば、舌打ちでもしながら用はないと早々に立ち去っていくだろう。この国ではよくあることだ。

 

「ご主人様。文無しなんですか? そっかぁ……」

 

 ほら、この通り。露骨に落胆の色を浮かべて顔をうつむかせるのだ。

 

 ――だからその展開はあまりにもコルザードの予想を超えていたわけで。

 

「そっか、ならしょうがないですね」

 

 その声色に含まれていた響きにはあらゆる失望とは無縁のものであり、むしろ慈愛に満ちた暖かさを湛えていた。そして、その少女が顔を上げ見せた表情は朗らかな満面の笑みであり、それは完全にコルザードの理解を超えていた。

 

「だったら、なおさら、私もお供します! 一緒に稼ぎましょう! 私頑張りますよ!」

 

 居住まいを正し、両腕を胸に寄せ、握りこぶしを作って"ファイトッ!"と意気込んでいる様はとても微笑ましい。

 

「……好き好んで泥舟に乗るやつがいるとはな。まぁ立ち話もなんだ、付いて来い」

 

 コルザードは面食らって呆然とするも、幾ばくかの時間の後に立ち直り、少女を促して歩き出した。

 

 

 

 ところ変わって"安い、早い、まずい"で有名な雑多な料理屋。適当な料理を注文したあと少女に向き直り話を始める。

 

「しかし一体どういう心境だ? 確かに俺はお前を助けたが、普通は利用価値がなければ捨てるのが普通だろ?」

 

 ジューア国では嘘と欺瞞そしてその社会は人を利用し遣い捨てる仕組みで出来ている。人の善性や仁義などというものを無条件で信奉するほどコルザードは若くはない。

 

「なんですか? そんなひどい教えは私の信仰の道にありませんよ」

 

「ほう、信仰と来たか。ならお前は一体どういう算段で俺についてきたんだ?」

 

 自らも信心深さについては一家言あると自負してるコルザード。少女の発言に興味を引かれたのか、身を前のめりに机にひじ掛け、少女に続きを促す。

 

「んー、そうですね。受けた恩はちゃんと返さないといけません。私は恥知らずではないですよ?」

 

 これが無垢な子供というものか、何の疑いも無く断言する少女の言動、まぶしすぎて痛い。

 

「全く、夢見がちな子供ってのはこれだから困る、だが……それがお前の神の教えなのか?」

 

 少女の言う事は確かに正しいのだろうが、肝心の神の教えとやらには触れてない。依然として疑問ありげに少女に聞き返す。

 

「うーん。そうですね……天に召します我らが偉大なジュア様は……」

 

「天に召してどうする、ましますだ。天に召してどうするんだ! 死ぬじゃないか」

 

「あっはっはっは。そうですそれです。えっと、天に増します我らが母なる偉大なジュア様は……」

 

 今度は増えるのか。と内心ツッコミたい衝動に駆られつつも一生懸命、思案し文言を思い出している少女を見守った。

 

 こほんっ、ともったいぶった咳払いをし、おもむろに表情を引き締めたあと威厳ありげに切り出した。

 

「そうですね、ジュア様ならきっとこんな感じでしょうか。こう……『か、勘違いしないでよね! べ、べつにあんたのことなんて…… べ、別に助けてくれたアンタがかっこいいとか思ったわけじゃないんだからね! このバカぁ!』とか言いそうです。私が言うんだから間違いありません」

 

 意外と演技派なのか身振り手振りも交えて説明する。その様は出すところに出せば特殊な方に大うけすること間違いないように思えた。

 

「……お前ね、自分の信仰する神に向かってそのような不信心なことをよく言えるな。天罰が当たっても知らないぞ。我が偉大なるオパートスと肩を並べし七神が一柱、癒しのジュアがそのような軟弱であってたまるものか」

 

 コルザードはというと、不快だ、所詮は子供の戯言かと言わんばかりに落胆を隠そうともせず、むしろ神に対する侮辱だと言わんばかりに憤慨するのであった。

 

「ええ~。ご主人さま。ジュア様はこんな感じですよ? 癒されます。可愛いんですよ?」

 

 手の甲をシュフォンに向け二度三度仰がせる。もうこの話は終わりだと言わんばかりの態度を取るコルザードにシュフォンはシュフォンで釈然としない様子であった。

 

「……そういえばお前、ご主人様は止めろ。俺はコルザードという名前がある」

 

 話の節目ともあって、コルザードが今まで据えかねていた事に対し言及した。

 

「えー。ご主人様は気に入りませんでしたか? 今こういうのが流行りって聞いたんですが…… もしかして、女の子に自分の名前で呼ばせるほうが好みだったりします?」

 

 少女はコロコロと、めまぐるしく表情を変えた。

 

「馬鹿なことを言うな。あいにく俺はご主人様などと呼ばれるほど偉い身分でもない」

 

言葉を噛み締めて、身震いをする。そしてはたと何かに思い至ったように言葉を続けた。

 

「――そうだ、そういえばお前こそ名前は? いつまでもお前では不便だろう」

 

それに対して、キョトンと目を丸くし失態を恥じるようにシュフォンがはにかみながら答えた。

 

「そうですね、うっかりしていました。お恥ずかしい。私はシュフォンです。よくシフォンと間違われるんですが違いますよ。シュフォンですからね? シフォンだとボロ布ですから、絶対間違えちゃダメですよ!」

 

 良くぞ聞いてくれましたといわんばかりに胸を叩く、そして聞いてないことまで教えてくれた。

 ようするに前フリというやつだ。

 

「分かった。よろしく頼む。"シフォン"」

 

「ええ、こちらこそ。"ご主人様"」

 

 二人はにこやかに握手を交わす。浮かべているのは笑顔だけじゃなく血管もだった。良い根性しているものだ、とコルザードはひとしきり感心したあとどちらからともなく笑い合った。

 

「何はともあれ……シュフォン。よろしく頼む」

 

「はい! コルザードさん、仰せとあらば火の中水の中どことなりとお供します。不束者ですがよろしくお願いします!」

 

 少女、シュフォンは直立して敬礼の真似事をするのであった。

 

 こうしてシュフォンとの出会いをきっかけにコルザードの人生は一辺した。少女は持ち前の前向きな精神と明るさでどこからともなく仕事の依頼を取ってくる。仕事の内容は様々。いわゆる冒険者稼業だった。不慣れだったことも手伝って気苦労は倍。懐の暖かさもとりあえず倍。でも借金も倍。失敗も倍。と、トータルでは損をしてるんじゃないかと思えるぐらいだった。

 

 だが困難はあれどお互い力を合わせて乗り越えてきた。

 仕事が終わればいつだって笑い合えた。笑顔があった。

 

 そして仕事が手についてくるころにはそれなりの蓄えも出来てくる。

 

 だから今、こうしてヴェルニースの街にいても、絶えず彼の背中にのしかかるグランドピアノ――シュフォンと共に稼いだ金で新しく買った――の重みは、二人が築き上げてきた絆の重みなのだ。

 

 こいつはもしかしたら癒しの女神の化身なのではと思ったこともあった。でもそれを言うと間違いなく調子に乗るので言ったことはない。今回もそうだ。危うく死にそうだったが、晴れて新大陸の大地を二人で踏みしめている。

 

「さて、波乱はあったがお互い無事ノースティリスに来れたわけだが……」

 

「そですね。それじゃあ、どこ行きます?」

 

「何を言ってるんだ。お前が久しぶりに自分の故郷に戻ってみたいと言ったから来たんじゃないか」

 

「ええーっ! そ、そんな……困りますよ。もしかしてあれですか? 娘さんを僕にください! ってやつです? キャーッ!! そんな、私にはまだ早いですよ。で、でもコルザードさんがどうしてもって言うなら…… あ、でも私買われちゃってるからとっくにコルザードさんの物…… なんちゃって!」

 

万華鏡のようにめまぐるしくその表情を変え、一人悶えている少女をコルザードは乾いた目で一瞥した。

 

「ふざけてるならおいていくぞ」

 

 うんざりした表情で、少女の一人漫才を聞きながら歩みを進める。まるで関係者だと思われたくないように。

 

「わーっ! ちょっと待ってくださいよ! すいません、待ってください。待てこら。お願いします。 まってー!」

 

 足早に歩を進めるコルザードを、シュフォンは慌てて追いかける。少なくともこの騒がしい声を聞いてる限り退屈することはないのだろうとコルザードは歩みを速めた。

 

 

 こうして災害によって引き離された二人の手は再びつながれた。ようやく二人で踏みしめたノースティリスの地でこの二人を待ち受けるのは安息か、はたまた困難か。

 

 

 そんな二人を背に、黒い猫の鳴き声だけが、ただただ残響するのであった。



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第四話 始動

 空には太陽が天高く燦然と輝き、雲ひとつ無い晴天はそれ自身の威容の象徴である。もちろん、その影響はここティリス北部にあるヴェルニースにおいても変わらず、真夏の熱気に包まれていた。

 

 リズムを刻むようにヴェルニースの道路に鳴り響く、同行者の足音を耳に感じながら初めてヴェルニースの町にたどり着いた時とはずいぶんと異なり、コルザードの足取りは軽い。

 

 どうやらお互いに同じ心境なのか、その音は軽やかで、とても上機嫌でありコーラスでも奏でているかのようであった。

 

「おや、コルザードさん? あれはなんですか?」

 

「うん?」

 

 二人がヴェルニースの広場に差し掛かろうとしているところ、その広場では真夏の暑さにも負けないぐらいの異様な熱気に包まれているのであった。

 

「見れば分かるだろ? 人だかりだよ」

 

「いや、そりゃそうですけど…… あの人だかりは一体なんなんでしょうね」

 

「……そういえば、ザナン国の皇子が遊説に来てるというようなことは聞いた気がするな。もしかしたらあれがそうなのかもしれん」

 門番が言っていたことを思い出す。広場に集まる群衆の方へと目を向けると民に紛れてザナンの警備兵らしき人々の姿が目に止まる。おそらくは間違いないだろう。

 

「へー。皇子様ですかー。どんな人なんでしょう。白馬に跨った凛々しい人だったらいいですね!」

 

 シュフォンは、理想の皇子様像を頭の中で浮かべているのか、頬を染め、鈴のように響く甘い声を上げながら大雑把にまとめた艶やかな金色の髪がかき乱れる程度に身もだえしていた。

 

「全くこいつは。……ん?」

 

 そんなシュフォンの醜態にうんざりしながら自分の髪を掻いたり撫で付けたりして手持ち無沙汰にしていると前方で喧騒が増す。

 

 そして一人の兵が聴衆の前へと歩みでて、皇子の来場を告げた。

 

 ――――だが聴衆が沸き立つかと思いきや、現れたザナンの皇子の姿に、人々は固唾を飲んだ。その姿は人々に一時の時間を忘れさせるほど異様な有様なのだ。

 

 遠目に見ているコルザード達もその異質さは伝わってくる。まず、なんと言っても壇上に上がる彼は供の兵に身体を支えられており、なんとも弱弱しい。

 

 そしてその皇子の肌は真っ白であった。まさに白紙のキャンバスと言った有様であり、もし近づいてその姿を目に入れるなら体内を巡る血管や神経が肌に表出する色でさえ、汚れに見えるであろう。加えてその目は血を落とした様に赤々と際立っているのであった。

 

 ――いわゆるアルビノというやつであろう。

 

 彼の姿、その白色の肌ととても対比的な黒い髪、その歩み、彼の作り出す雰囲気。それら全てが合わさり、その場を、この世に有るまじき異界へと変貌させたのではないかと錯覚させるほど悪魔じみていると言ってもよい。

 

 ザナン国皇子が壇上に立ってなお、静寂が場を支配する。一国の皇子の遊説が始まるというにもかかわらず、拍手で迎えることさえしない観衆達は無礼を働こうという意図などもちろんない。

 ただただ、彼が醸し出す雰囲気に飲まれていたのだ。

 

 当の皇子はというと、その一見無礼に思える聴衆の態度に対して怒りの言葉の一つでもいうのかと思いきや、その赤く光る眼で観衆をひとしきり見つめた後、側人に身体を支えられたまま、言葉を切り出すのであった。

 

「――深い悲しみが私を襲う。ザナンが新王国との戦に破れ、指導者を失った大陸が二国間の戦火の舞台となり、幾多の歳月がすぎよう。今は亡きクレイン王子のあとを私が継ぎ、和平に模索しても、二国の対立の溝はうまらず、未だ緊張の糸は張り詰められたままだ」

 

 その言葉は弱弱しくはあるが、驚いたことに、彼は虚弱なその風体とはうって変わり熱烈な弁を振るっている。そして、その声色はえも言われぬ妖しさを含んでおり、まるで彼の容貌も相まって聴衆達の注意を惹きつけてしまった。

 第一印象はどうであれ、一国を率いて立つ、王者のカリスマ性を、皆は感じていた。

 

「戦争……シエラ・テールを襲うかつて無い危機に、血と炎を身に染めた国々は気付かないのだろうか? 災いの風が我らの森を蝕み、今このときにも多くの同胞が命を落とし、その土地を奪われているというのに。異形の森と! 異端の民エレアが! レム・イドの悪夢の残骸『メシェ―ラ』を呼び覚まそうとしているのに!」

 

 その言葉を聞いたコルザードは、世話になった二人のエレアが脳裏にちらついた。彼がジューア人という気質もあって普段は自らの利益に関わりのないことに関心を持たないのだが、ラーネイレが話してくれた彼女達の使命、そしてその平和を愛する彼女の心は本物であった。あまりの言い草にコルザードの内面は私憤に燃え、皇子に対する嫌悪感を抱かせる。

 

 ――だが彼が抱いた怒りは借り物である。真にこの皇子に対して怒る資格があるのは当事者であるエレア達だけであろう。

 コルザードはその悲痛な嘆きに感情移入しているだけであり、事実としてその怒りは彼を行動へと駆り立てるほどのものでは無かった。

 むしろ、段々と熱を帯びてくるザナン皇子の語りに耳を傾けている自分がいて、相反する感情の間で板ばさみなるのである。

 

「イルヴァに遣わされた大いなる試練は、同時に結束の機会である。もし我々がお互いに争うことを止め他者を理解することを学び! 共に手を取り立ち向かうならば! 腐った森と異端児をこの力一掃し、災厄に打ち勝つことも可能なのだ!」

 

 段々と彼の語調は激しくなって行く。そして身振り手振りを交え聴衆へと訴えかける。その様はまるで命の炎そのものを燃やしているかのようだ。登場時の弱弱しい彼の面影はなりを潜め、大仰で、痛烈な彼の扇動は大いに聴衆を沸き立たせた。

 

 

「今日のザナンに大国を動かすかつての影響力はない……。 然るに! 私が成せることは、諸君に知ってもらうだけだ! 二大国に迎合せず確固たる地位を気付いたパルミア、そしてこの忠実な民の決意こそが、シエラ・テールの希望であるということを!」

 

 言葉巧みに聴衆の自尊心をくすぐり、民衆の心を沸き立たせた。

 

 その言葉が分水嶺だったのか、堰を切ったように聴衆から万雷の如き喝采が鳴り響き、それは波濤の如くコルザード達の元まで押し寄せた。

 もはや皇子の演説すらその波に飲まれ、彼の耳には届かないほどであった。

 

 その有様をみてコルザードはひどく動揺する。

 

 件のエレアの二人に対する感謝とその温情は忘れはしない。だがその反面、胸に燻る白子の皇子に対する妙な不安と興味を隠しきれないでいた。コルザードは広場の喧騒に慄いている小さなシュフォンの手を引き、ゆっくりと広場を後にした。

 

 

 

「ふぅ~。いやぁ、すごかったですねー。耳がキンキンしますよ。……それにしても白馬に乗った皇子様かと思いきや皇子様が白かったです。この場合、馬は何色なんでしょうか? なんちゃって」

 

 喧騒に当てられ目を回していたシュフォンも今ではすっかりと落ち着き、いつものおどけた彼女の姿がそこにあった。

 

「全く、相変わらずだな、お前は。ちゃんと話を理解できてたのか?」

 

「もう、馬鹿にして……。ちゃんと聞いてましたよ! 異形の森とエレアが悪いことをしようとしてて、めしぇーらが、んーと……」

 十代の半ばに差し掛かったばかりの少女に難しい話は早すぎたのか、シュフォンもザナン皇子の言っていたことの内容が頭に入っていない様子で所々覚えていた断片的な単語を吐き出すかのように呟いている。

 

「んーと……森が……。緑……エレア。腐った異端者。一掃……」

 

 頭をかきむしって一生懸命考えてはいるのであろう、だが次第に思い出せなくなってきている。それでも熱心に頭を悩ます様を傍から見ればとても微笑ましく感じるのかもしれない。

 

 だが、そんなシュフォンを尻目にコルザードには未だに身のうちに残るあの皇子の演説の熱にうかされ、なんともいえぬ気持ち悪さを抑えられずにいた。

 

「うーん。要するにエレアは悪者だからやっつけろ!って言いたかったんですよねあの怖い皇子様」

 

 頭を悩ませていたわりには簡潔にシュフォンが結論をまとめる。おそらく話を思い出しきれず、分かりやすい単語に飛びついた結果なのであろう。

 

 コルザードはふと足を止め考える。もしザナンの皇子が言うとおり、エレア達が世界に対して悪意を振りまいていたのならばラーネイレ達は一体何のために平和を説いて回っているのだろうか。エレアにもいろいろな派閥があってそれに翻弄されているのか、あるいは本当に騙しているのか。行き詰る思考に懊悩する。

 

「……そうだな」

 

 そう、考えても答えはでないならば自分の足で目で確かめるしかない、とコルザードは内心で決意を固めた。

 

「え、コルザードさんもそう思いますか? 大丈夫です。怖いエレアが来たら私が守ってあげますよ」

 

 コルザードの呟きをどう取ったのか、盛大な勘違いをしながら、さも頼もしげにその自らの揺れない胸を叩く少女が滑稽ではあるが何も変わらぬシュフォンがありがたかった。

 

「いや、違う。やる事が決まったんだ」

 

 自分に何が出来るかも分からない。真実は一体何なのか。出来ればそれを見定めてみたい。コルザードは脳裏に浮かんだ言葉を噛み締める。

 

「やる事ですか? そうですね、差し当たって屋根のあるおうちと、温かいご飯を得ることでしょうか?」

 

「……」

 

 決めた。決めたが、ひどく現実的なシュフォンの回答にコルザードは現実に引き戻されるのであった。

 

 シュフォンの言葉に促されるように腰元に下げた金貨袋を開いてみる。この真夏の真っ只中なんとも涼しげであった。先立つものが無ければ何も出来ない。まずはお金を稼ぐことから始めなければならないな。

 

 そう痛感させられるコルザードであった。

 

 本人達は知る由もないが、こうして物語は始まりを告げる。世界を巻き込む大きな危機、渦巻く陰謀、そして真実はどこにあるのか。エレアの使者が願う平和とザナンの皇子が語るエレアの悪行。

 

 いかなる結末が待っているのであろうか。

 

 成すべきことを定めた。――だがさしあたって今すぐ取り書かねばならない事はそう、財布の心許なさをなんとかするため仕事を探す。それしかない。

 

 

 

 カランコロン、と心地のよい響きを奏でてコルザード達を真鍮拵えのドア・ベルが迎えてくれた。時折、風に揺られて風鈴のような夏の暑さを忘れさせてくれる清涼感を耳に運んでくる。

 

 ここはヴェルニースの酒場の一角。シュフォンコルザードはそこにいた。

 

「……そうですか。コルザードさん。そんな目にあってたんですね」

 

「全く大変だったんだぞ……」

 

「それで? そのエレアさん達に命を助けられて、エレア達は本当に悪者なのかどうか知りたくなっちゃった。って感じですか?」

 

「ああ、俺は知らなければいけない。ラーネイレさんの使命感、平和を願う心は本物だった。だがザナン国の皇子の言葉がもし本当ならば……いや、だからこそ確かめたいんだ」

 

「……その、ラーライラさんって女ですね?」

 

 シュフォンのコルザードを見つめる目つきがじっとりと湿気を帯び始めた。

 

「ラーネイレさんだ。……シュフォンには関係ない」

 

 コルザードはシュフォンの視線に耐え切れなかったのか、別に疚しいことなどないにも関わらず彼女の視線から逃れるよう顔を背けた。

 

「……惚れましたか?」

 

「ば、馬鹿言うな! 彼女は……ただの命の恩人だ。……そう、シュフォンと俺の関係みたいなものだ。

 分かるだろ? それ以上でも以下でもない。」

 

「私とコルザードさんの関係みたいなものって……。 はぁ。まぁそうですよね。コルザードさんなんてそんなもんですよねー」

 

「お前、俺に何か恨みでもあるのか? 何を怒ってるんだ? ほんと、ガキだなぁ」

 

 売り言葉に買い言葉、シュフォンの頬は団子みたいに膨れ上がり、今度はシュフォンの方が顔をぷいっと横に背けた。

 

「ふ~んだ。どっちがガキなんだか。……全くもう」

 

「おいおい、何を怒ってるんだよ。ケーキを半分やるから機嫌を直せ」

 

 シュフォンが作る膨れっ面を、コルザードがその頬を指で押し、へこませてはまた少女が膨らませる。そんなやり取りを繰り返している。

 

「……いつまでも私が甘いものにつられると思ったら大間違いですよ?」

 

 と、口ではそういってるがケーキを受け取ったシュフォンの手は既にフォークを握っている。花より団子、シュフォン16歳。甘味の魅力にはまだまだ勝てないのであった。

 

「それよりも、俺が無事だった経緯は説明したが、お前はどうやって助かったんだ?」

 

「うーん、正直私にも確信は持てませんが、きっと"オパートスの哄笑"のおかげですかね?」

 

「何だそれ?」

 

 コルザードにとってはあまりにも身近ながら、耳馴染みの無いその単語に彼が食いつく。

 

「……ふっふっふ~。あれあれ、いいんですかぁ~? コルザードさん、それ聞いちゃいます~?」

 

 突如、シュフォンは悪戯を思いついた子供特有の目付きに変わる。さきほどの借りは返しますとその目が語っていた。

 

「……もったいぶるな。早く言え。オパートス様がどうしたのだ」

 

 コルザードはその目をぎらぎらさせ、まるで盛りの付いた犬のように堪えきれないといった様子である。

 

「まぁまぁ、そうあせらないでくださいよ。いいんですか? 敬虔なオパートス信者のコルザードさんが私に教えを請うんですか?

 ん~? どうなんです?」

 

「おのれシュフォン、お前……俺の信仰を試すのか?」

 

「はい、試します。敬虔なるジュア様の僕である私に、敬虔なるオパートスのコルザードさんが、どうか私に教えてくださいって言えば教えてあげなくも無いですよ」

 

「……いいだろう。オパートス様に関することを俺はすべて知ってるわけじゃない。そこは認めよう。だがシュフォン、事信仰に関して一切の悪ふざけはなしだ。からかいの類であるならいくらお前でも怒るぞ?」

 

「はいはい、分かってますよ。良いですかオパートスは大地を司る神です。この世界イルヴァのすべての民はオパートスに支えられて生きている。そこは分かりますよね」

 

「何をいまさら。そんなのはシュフォンに言われるまでも無く知っている」

 

「まぁまぁ、ここからが大事なんですがね。ここどこだか分かりますよね?」

 

「何を……ヴェルニースの町だろ? ずいぶんともったいぶるな」

 

「ええそうです、ここはティリス大陸北部、ノースティリス。……まぁそこにあるヴェルニースの町」

 

 逸るコルザードの言を修正しながら、教え子に教鞭を振るう教師のようにシュフォンは語る。

 

「ノースティリスには古い言い伝えがあるんですよ。そもそもイルヴァの地をオパートスとするならイルヴァ最北の地ノースティリスはオパートスの頭にあたります」

 

「それは確かに言われてみれば……。だがそれがどうした?」

 

「ノースティリスでは大きな地殻変動が頻発するんですよ。取り分けイルヴァ全土を見渡してみてもノースティリスほど地殻変動が頻発する地域はないようで。そんなわけで、先ほどの理由も相まって、かの大地の神の豪快な笑いになぞらえてそう言われてるんです」

 

「なんだと! つまりこのノースティリスこそが我らが聖地! そういうことだな?」

 

「いや、あくまで伝承ですし。そうとは限りません。ただまぁ、丁度あの日に大きな"オパートスの哄笑"があったみたいですね。海抜が上がって海が陸になってたようです。それでまぁ、私は気付いたら陸の上。コルザードさんを探しながらヴェルニースまで来たというわけなんですが ってコルザードさん? 話聞いてますか?」

 

 コルザードは天啓を受けた信者のような面持ちで足元を崇めておりきもい。こうなったコルザードはしばらく止まらないことを知ってるシュフォンはため息を付きながら紅茶を口に含んでいた。

 

「――ふふふ、仲がいいのですね。お二人は兄弟ですか?」

 

 気付けば、ウエイトレスをしている一人の女性がテーブルの側まで来ていた。ご注文の品お持ちしました、と器用に配膳を済ませていく。看板娘とはこのような人を差して言うのであろうか? その様はえらく堂に入っており鮮やかな茶色の髪を不衛生にならないよう、三角巾できちんとまとめている。楚々とした大人の女性という印象だ。

 

「違います。こいつはただのペットです」

 

 我に返ったコルザードが答えた。年上の女性に弱いコルザードをすかさずシュフォンが一睨み。

 

「ちょっ! ペットとかひどくないですか!? 人間以下の扱いですか! ひどいです。コルザードさんにとって私は結局、都合のいい女だったんですね」

 

 よよよ、と泣き崩れる素振りを見せシュフォン

 

 ウエイトレスの女性は空になったトレイを両手で持ち、自らの口元を隠すように頬を赤く染め、まぁペットだなんてそんな、と呟きながら頬を朱に染める。

 

「こほん、その、かなり倒錯されたご関係なのですね。いえ、愛の形は人それぞれ私がとやかく言うことではありませんわ。とても仲がよろしいので兄弟かと思ったんですよ」

 

 場の空気を取り繕うかのようにウエイトレスの女性は笑みを浮かべて作り笑いをする。

 

「俺たちはただの旅人ですよ。まぁ……こいつはその供です。最近海を渡ってノースティリスに着たんです」

 

 コルザード頭をかきながら半分本気、半分冗談な先ほどの発言を訂正しつつウエイトレスの女性に言葉を返すのであった。 

 

「あらまあ、お客様は冒険者さんなんですか? あ、違ったらごめんなさい」

 

「ええ、そうです。ピアニストの『月明かりの調和』のコルザードとは私のことです」

 

「はい! 私はシュフォンです! こ~見えても私、結構剣には自信があるんですよ?

 これでもジューア国では『闇を切り裂く光剣のシュフォ――

 

「ああ、そいつの二つ名は『快楽を得る右腕』だから、間違わないでください」

 

 意気揚々と名乗りを上げるシュフォンの言葉に被せるようにコルザードが横槍を入れた。

 

「ちょっ! その二つ名、やめてくださいってば! アレはなしです! ノーカンですよ」

 

「ふん、適当に二つ名を決めようとしたお前が悪いのだ。それに結構的外れでもない二つ名だと思うぞ?」

 

 人前で黒歴史を暴露されたシュフォンはこうなっては下手に出ていられないようで、猛然と反撃を開始する。

 

「だいたい、『快楽を得る右腕』ってなんですか? 右腕でどうやって快楽を得るんです? ほらほら、私子供だから分からないんですよね~。ちょっと教えてみてくださいよ? ほら教えてみ? ん? ん?」

 

「……それで、ウエイトレスさん。俺たちは冒険者だがそれがどうかしましたか?」

 

「ちょっ! 無視するな!」

 

 シュフォンの言葉を軽く無視し、話を進めるべくコルザードはウエイトレスの女性へと尋ねる。先ほどの発言に頬を赤く染めて身もだえしていたウエイトレスこの女性はかなり純情のようであらぬ想像をしていたのか急に我に返り咳払いをひとつした。

 

「こほん、失礼しました。わ、私、シーナといいます。この酒場でウエイトレスをしています。冒険者と見込んで依頼したいことがあるのですが、ちょっとお時間いいですか?」

 

 すぐに平静を取り戻したのはさすが接客業のプロ。ちょうど仕事を探していたコルザードは渡りに船といわんばかりであった。

 

「ああ、見ての通り俺たちは暇をもてあましていてね。出来ることならなんなりと」

 

 コルザードの承諾を得られたことに喜色良くし、弾むような声音でウエイトレスのシーナは話を進める。

 

「最近、バーの酒樽が度々盗まれて困っているんですよ。もし手が空いていたら助けてくださいな」

 

「盗みですか、ずいぶんと安っぽい悪党ですね。構いませんがその特徴は分かりますか?」

 

「ありがとうございます。盗みを働いている輩の目星は付いています。きっと、ヴェルニースを拠点に活動しているこそ泥の集団です!」

 

「なるほど、それは話が早いですね。それで、場所は分かってるんですか?」

 

「そうですね、拠点は確か墓の裏にあったはずですよ」

 

 私が行っても良いんですが最近仕事が忙しくてあまり動き回るわけには行かないんですと言外に含めシーナはコルザードにこそ泥の殲滅を依頼した。

 

「では、契約成立ですね。シュフォン行くぞ。おい、……機嫌直せよ」

 

「ふんだ、いいですよ。どうせ私は『快楽を得る右腕』ですから。快楽を得るのに忙しいんです」

 

 コルザードがシュフォンを宥めすかせた頃にはシュフォンの目の前の皿が塔になっており二人は苦笑いのシーナに見送られつつ酒場を後にした。

 

 来たときと同じように真鍮ごしらえのドアベルがカランコロンと軽やかな音を立てて二人を見送った。ノースティリスでの初仕事。なんとしても成功させようと意気揚々とした足取りであった。



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第五話 初依頼! 泥棒を追い払え

 盗人達の拠点と思しき墓地は街の北東に位置する。酒場でずいぶんと話していたらしい。既に太陽が空を茜色に染めていた。ちょうどザナン国皇子の演説が終わった頃合なのか広場からはたくさんの人々が岐路へと着いていた。熱も覚めやらぬといった様子でしきりに議論を交わす聴衆の波を横切り、町外れの墓地へと足を運ぶ。

 

 

 そこは閑散とした有様で、乞食や浮浪者などがたむろしていた。見晴らしのよい原っぱに墓標が立ち並んでいることで目当ての場所に着いたと理解する。

 

「……コルザードさん、どうやらここで間違いないようです」

 

「ああ、そうだな」

 

 墓地の片隅にはうまく偽装されていて見えにくくなっているが、シーナが教えてくれた通りに進んでいくと草陰に紛れて地下通路のようなものが大きく口を開けている。

 

「……打ち捨てられた倉庫か物置小屋を占有してるんでしょうかね?」

 

 地下室への入り口を覗き込んでみると、そこには瓦礫に埋もれた形跡があった。手入れが放棄されてからずいぶんと時が経過していることが窺える。しかし瓦礫が乱雑に両脇にどけられており、そこには間違いなく人の出入りがあることを示していた。

 

「シュフォンはそこで見張りをしていてくれ」

 

 コルザードは単身、忍び足でこそ泥のアジトだと思われる石の階段を下る。周囲を照らすものは沈みかけた夕日のみ。光の差し込まぬ地下へと続くその階段は薄暗い。石段を足音を立てずにそっと、忍び足で降りていく。視界の利かないその道程はコルザードを緊張させる。

 

 一歩一歩静かに下りていくと、終点にたどり着いた。そこは薄暗い一本道で埃っぽい空気が漂っている。静寂に包まれたその通路を少し進んでいくと仄かな明かりが目に飛び込んでくる。

 一本道の最奥、木造の扉の格子窓から照らされるそれは、明らかに人の気配であった。

 

 慎重に慎重に、息を殺して近づく。

 

 扉の正面までたどり着いたコルザードは格子からそっと中の様子を覗き込んだ。

 

「――おい、おめぇら。よくやったっ! 仕事の大成功を祝して乾杯といこうじゃねぇか!」

 

「はい、お頭!!」

 

「今回ばかりぁ、すこぉしだけひやっとしましたぜ」

 

「はっはっは、だがおめぇらよくやってくれた。これでたんまりと報酬がもらえるってもんだぜ」

 

 そこには案の定、いかにも悪事を生業にしているといった風体の男たちがいた。酒宴の真っ最中のようで、無警戒に酒盃を傾けている最中であった。

 一人、二人……四人、五人……七人。

 油断しているとはいえ、二対七では少し分が悪いかとコルザードは眉を寄せた。

 

 そのとき、突如コルザードの肩がつつかれる。

 

「――っ!」

 

 咄嗟の出来事に身体を硬直させた。

 だがそれ以上の何もせずにいられたのはコルザードが少なくない修羅場をくぐってきた証左であった。無意識に流れる冷や汗、早鐘を打つ心臓、血の気が引いていく不快感に苛まれていると――

 

「あの、コルザードさん。どうです? 外、大丈夫そうなんで来ちゃいましたけど」

 

 小さく、コルザードにだけ聞こえるように囁くその声は耳慣れたものであった。あとで絶対おしおきしよう。コルザードは決意した。

 

「――っ!? 馬鹿シュフォンお前なに考えて――っむぐっ!?」

 

 小さな手のひらがコルザードの口を覆った。その手の主が空いたほうの手を自分の口に、人差し指を当てている。

 

「しーっ! 静かに。大丈夫です。ヘマはしてませんから」

 

 コルザードは何とか堪えることに成功した。とはいえ、いつの間にか立場が逆転したかのような扱いに憮然とする。

 どう考えても悪いのはお前だと、その目が語っていた。

 

「で、状況はどんな感じです?」

 

 灯りがこぼれるドアの格子窓からシュフォンがそっとのぞきこむ。

 

「……相手は7人だ。酔っているようだが、勝算はあるか?」

 

 片方の耳でコルザードの小声を頭に入れ、そのつぶらな瞳がキョロキョロとせわしなく動いている。中の様子を事細かに探っているかのようだった。

 

「……なるほどなるほど、あの奥にいる二人。強いですね。ただそれ以外はあまり」

 

「分かるのか?」

 

「ええ、なんだかんだで。いつも私前衛やらされてますから。なんとなく」

 

「何か策はあるか?」

 

「そですね――」

 

 シュフォンは一言呟き。通路を見渡す。今二人が通ってきた暗い暗い一本道がそこに。その他には何も無い、石造りの空間が広がっていた。

 

「火をつけるのはどうですか? 退路はなし。まとめて丸焼きです」

 

 シュフォンの提案にコルザードは渋面で応える。シュフォンの肩に手を置き真剣な顔で見つめた。

 

「シュフォン……。放火は犯罪だ。俺はお前を罪人にはしたくない」

 

 コルザードの真意が伝わったのかシュフォンはコクリと頷く。

 

「そですね。放火は重罪ですもんね……。となると後はもう押し入って切り殺すのが手っ取り早いでしょうかね」

 

「うーん、もう一捻り欲しいが。まぁそれなら罪に問われることもないし妥当か?」

 

「集団を相手にするときはまず不利を覚悟で頭を潰しちゃうのがいいです。特に奇襲ならなおさらですね」

 

「俺が1人。シュフォンが1人でいくか?」

 

「コルザードさん。私のコレ知ってますよね? 任せてください」

 

 そう呟いてシュフォンは腰元の剣に手をかける。これまでに何度も窮地を救ってきたその愛剣への信頼が、シュフォンの表情を自信で彩っていた。

 

「なるほどな。それなら俺はシュフォンの退路の確保にあたる。……しかし、男としてやっぱりどうなんだろうか」

 

 コルザードは基本的に目立ちたがり屋である。少女の背中を守る。なんとも絵にならない光景を頭に浮かべて気の抜けた表情をするのであった。

 

「まぁまぁ、コルザードさんにはあの時ちゃんと守ってもらいました。いつまでも弱いシュフォンじゃないですよ」

 

 そう言って誇らしげに笑うシュフォンの手には指が二本、立っていた。その仕草にコルザードは同様のものを返す。

 

 

 ――話はまとまったといわんばかりに二人は配置についた。

 

 コルザードがシュフォンに見えるように手を掲げる。

 

 五本、四本、三本、二本、一本――ゼロ。

 

 その直後シュフォンはドアを蹴破った。蝶番が悲鳴をあげ、木片が石壁にぶつかり騒音がする。

 

 突然の出来事に中にいた男たちは体をビクつかせ。物音がした入り口の方へと視線を向けた。

 

 そこには金色の髪の小さな少女。片手に長剣を持ち、もう一方の手になにやら布切れ。

 

「なっ! いきなりなんだてめぇ!」

 

 盗賊の頭の側近と思しき男がいきり立つ。

 

 だがそれと同時にシュフォンの片手が閃いた。狙いを過たず、側近の男へとそれはぶつかった。

 

「ぐわぁ! ひっ! なっ――ん。ぎょわああああっ!」

 

 その直後、男は狂ったような悲鳴をあげて倒れ臥し、動かなくなった。

 

 シュフォンはそれを想定していたかのようにごく自然な流れで盗賊の親分と思しき人物へと詰め寄った。

 

 だが――――。

 

 キンッ、と一際甲高い音が鳴り響く。それは金属と金属が激しくぶつかり合う音だった。

 

「ふぅ、アブねぇアブねぇ。お嬢ちゃん何のつもりだか知らねぇがこんなことしてただで済むと思っちゃいないだろうな」

 

 どうやらシュフォンの目算よりも盗賊のお頭は手練であったようだ。シュフォンの抜刀を懐に隠していた忍刀で迎え撃った。

 

 流麗の一言に尽きるシュフォンの一刀を押しとどめたのは力の差。戦いの中を生きてきた男と少女の差がそこにあった。

 

 されど、シュフォンの表情に絶望の色はない。

 むしろその表情には笑み。

 

 その理由は直後に判明した。御頭のピンチに周りに控えていた子分たちも色めき立ち。

 シュフォンへと殺到せんとした瞬間――。

 

 音が消えた。

 

 いや、その瞬間、ソレより小さな音の存在は許されなかった。

 大気を大きく振動させ、並べてあった陶器が割れるほどの轟音が室内に響き渡ったのだ。

 

 急の出来事に盗賊達は身をすくませ屈みこむ。

 シュフォンだけがその場で動くことが出来た。

 

「とどめです!」

 

 隙を見せた盗賊の御頭に剣を振り下ろした。

 

 ――だが、シュフォンの剣が血を纏うことは無かった。またもやその一撃を防がれたのだ。

 

「て、てめぇ! ちくしょう、やってくれやがったな」

 

 しかし、その男も辛うじてかわしたという風体で、その足取りは覚束なく、表情も定まらない。

 ただ必死にシュフォンから距離をとろうとしていた。

 

「――シュフォン!」

 

 コルザードがシュフォンの方へと駆け出す。

 傍にいた子分がシュフォンの背後から手を広げて忍び寄っていたのを目撃したからだ。

 

 駆けつけざまに盗賊の子分をコルザードが短刀で切りつける。くぐもったような悲鳴をあげその男は地に伏せた。

 

「くそっ! 援軍がいたか……。これだけは絶対に渡さねぇぞ! てめえら退却だ! 引け! 引けぇ!」

 

 コルザードがシュフォンのフォローに回ったことで入り口が空いた。盗賊の頭は目聡くその隙を着き、部下へと檄を飛ばす。薄暗い廊下に響き渡る足音、カンカンと階段を駆け上がる足音が地下室に残響した。

 

「御頭~! これを――。」

 

 撤退していく盗賊たちの中に1人、チェストの中から大急ぎの探索をしていた子分が取り残されていた。その中から何か掴み、慌てて逃げ出そうとするところへ、シュフォンが迫った。

 

「逃がしませんよ!」

 

 掛け声と共に、一閃。

 袈裟切りに背後から一太刀浴びて、その男は絶命した。

 

 室内には倒れ臥した数人の男たち。

 そのどれもが動く気配はない。

台 風でも通り過ぎたかのような惨状の中、無傷のコルザードとシュフォンが立っていた。

 

「ふぅ」

 

 少女が息を吐く。

 

「シュフォン、大丈夫か?」

 

「あ、ええ。コルザードさん。フォローありがとうございます。おかげで助かっちゃいました」

 

「いい。お前の暴走は何年かの付き合いでもう慣れっこだ、それより……」

 

「ええ、あの盗賊の親分さん。かなりの腕前でしたね。私もまだまだ修行が足りませんね」

 

 酒盛りで完全に気が緩んだとこへの奇襲をなんなく防ぎ、不利と見るやすぐさま撤退を判断するその戦術眼。

 さぞかし名のある盗賊に違いないとコルザードは肌寒いものを感じていた。

 

「それよりも、なんだか取り込み中だったみたいだな。あいつら」

 

「そうですね」

 

「そういえば、聞き耳を立てたとき仕事が大成功だとかなんとか言ってたなぁ」

 

「最後に子分がなにやら慌てて探していましたが……っと。これですかね」

 

シュフォンが絶命した子分が手に握っていたものを拾い上げた。

 

「あれ……? これって」

 

「ん? どうしたシュフォン何かあったのか」

 

「ええ……。まぁ……」

 

「おいおい、釈然としないな。一体何だって言うんだ?」

 

「いや、だってコレ……」

 

 シュフォンは手に取ったそれを自分の服の上から胸元へとあてた。

 

「これ、女物の下着……。ブラジャーですね。……むぅ、で、でかい」

 

 シュフォンが胸元に当てたそこには大きな空洞が。そのあまりの戦力差に愕然とし、肩を落とすのであった。

 

「ほぅ……」

 

「ちょっと! コルザードさん顔がえろいです」

 

 シュフォンが上目遣いに睨みつける。

 

「馬鹿! ち、違う! 俺は……」

 

「そんなに大きいおっぱいがいいんですか? ん? どうなんですぅ?」

 

 ここぞとばかりに狼狽するコルザードを詰問する少女。

 

「うるさい! 今はそんな話をしている場合じゃないだろ……。とにかくなんだ。依頼は終わった。シーナさんに報告にいこう」

 

 強引に話を打ち切って踵を返すコルザード。

 

「ま、まってくださいよ! いつもそれですよね! ほんとずるいんだから。聞いてますか!?」

 

「……いや、それはそれとして、お前やっぱり二つ名は『快楽を得る右腕』で良いんじゃないのか?」

 

「もう! 話そらしちゃって! それにまたそんなえっちなこと言うんですか? 怒りますよ!?」

 

「だってなぁ……」

 

 右手に握った長剣を振るう少女は実に素敵に、恍惚とした表情を浮かべていたのだから。『快楽を得る右腕』は間違ってないのではないかと思うコルザードであった。

 

「まったくも~。もうそれ禁止です! 次言ったら絶対口利きませんからね?」

 

 

 そうして二人は盗賊たちのアジトを後にした。帰りざまに繰り広げられるやり取りはつい先ほどまで命のやり取りをしていたとは思えないほど軽いものであった。

 

 

 

 

 カランコロン。

 一仕事終えた二人を酒場のドアベルが軽やかに迎える。

 

 

「ありがとうございます。あのごろつき団がいなくなって、私達ほんと安心しました。少ないですが、店長がお礼にとこれを♪」

 

「おお、金貨1500枚か! 久しぶりに大きな仕事にありつけたもんだ」

 

「ちょっ! 私より高いじゃないですか! やったー! ……でも少し空しい。まぁ、これで、しばらくは良い生活が出来そうだからいいや」

 

 コルザード一行はその報酬の額に甚く満足し、シュフォンと二人抱き合うのだった。そんな二人はシーナを交え、酒場で楽しく談笑した。

 

「……では、そろそろかきいれ時なので、忙しくなりますわ。私はこの辺で失礼しますね」

 

 時刻はもう8時を回っていた。すっかり日が落ち。仕事を終えた炭鉱夫やザナン皇子演説の警備に当たっていた兵士と思しき人の群れが酒場中に見受けられる。

 

「では、シーナさん。また何かあったら俺たちに声をかけてください。この『月明かりの調和』が解決してみせましょう」

 

「はいはい! そのときは『闇を切り裂く光剣』のシュフォンにもお任せくださーい!」

 

「うふふ、お二人とも元気があってよろしいですね。はい、わかりました。また有事のときは是非お願いしますね」

 

 シーナに見送られ、二人は酒場を後にした。

 

「さて、シュフォン。今日は宿で一泊しよう。明日案内したいところがある」

 

「はい、分かりました。今日は本当にいろいろあって疲れましたから、早く休みたいですねっ」

 

 こうして二人はヴェルニースの宿で一泊。ノースティリスでの初仕事を無事にこなし懐もすっかり暖かくなった。どこから見ても順風満帆なスタートを切った。

 

 これもまた幸運の女神エヘカトルの思し召しに違いない。

 されど、ご注意。

 幸運の女神はとても無邪気で気まぐれ、その猫のような性格に翻弄された人々の数はけして少なくないのだから。



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第六話 宝探し

 翌日。既に日もすっかり昇りきった朝。

 

「うわーっ!ここが私達の新居ですか!」

 

「……まぁ許可があるわけでもないがな」

 

 先日コルザードがエレアの二人に介抱を受けた洞窟に、二人はいた。臨時収入を得たものの、無闇に蓄えを吐き出すわけにはいかない。貧乏根性丸出しで、件の無人洞窟を不当占拠したというわけである。

 

「でも、いいじゃないですか、こういうのも。隠れ家的我が家って感じで」

 

「隠れ家なのか我が家なのかどっちかはっきりしろ」

 

 どうやら少女はすっかり気に入ったらしくコルザードの言葉に耳を傾ける様子は微塵もない。広い洞窟内をあっちにいったりこっちにいったりと、陽気に走り回っていた。ちょっとした広さであることも手伝いすっかり冒険気分と来たものだ。

 

「おお~っ! 棚も椅子も食器もあります! なんと! 冷蔵庫もありますよ! インテリアも充実してますね~。あはっ! 乞食の死体まである。 ……腐ってますけど」

 

 聞き過ごせない台詞がコルザードの耳に聞こえてきたが、とにかくシュフォンはこの仮の宿りが気に入ったようだ。

 

「まったく、シュフォンもそろそろ慎みってもんを身に着けても良い年頃だろうに……。ん……?」

 

 困ったやつだと独りごちながらも先日、エレア達と三人で談笑していた場所に目を向けてみる。

 

 すると、そこには一通の手紙が置いてあった。コルザードは訝しげにその手紙を手に取る。

 

 表書きを見るなりどうやら自分宛で間違いないようであった。

 

 "お互いに目的のある身の上なのは承知しているが、せっかくの誼なのだ。もう少し別れの挨拶に時間を費やす余裕は持てないものだろうか?"

 

 君が出て行った後、我々も旅立ちの仕度をしながら筆を取っている。どうせ君の事だ、おそらくは再び戻ってくることもあるだろうと思ってな。君に言いそびれていた事を思い出し、これを残そうと思っている。

 

 何、着の身着のままでノースティリスへ放り出された君に対する親切なエレアからの慈悲と受け取ってもらって構わない。そうだな。率直に言えばこの洞窟内に宝を埋めておいた。本当は君にノースティリスの講釈に使う予定だったのだが、機会に恵まれなかったのでな。もし困ったことがあれば何かの足しにするといい。

 

 縁あれば、また旅の作法の一つや二つ教授させていただこう。

                     

                     高貴なる異形の森の民 ロミアス

 

 

 先日、彼から受けた印象に反して、ずいぶんと律儀なことだとコルザードは思った。ほんの数時間共に過ごしだだけの縁であったのに心温まるロミアスの心遣いに、ついつい顔がほころぶ。

 

「コルザードさん。どうかしましたー?」

 

 洞窟探検に夢中に夢中だったシュフォンが駆け寄ってきた。背後からコルザードの肩に手をかけ、彼の手にある手紙を後ろから覗き込むようにして身を乗り出す。

 

「へぇ~。これがその世話になったエレアの人ですか? ……なんか鼻に付くような言い回しが気になりますけど良い人じゃないですか」

 

「ああ、全くだな。皮肉屋なのが玉に瑕だが、世話焼きでな。根は良い人だった」

 

 このような心配りをいただいたとあっては、ついつい好評してしまおうというものだ。

 なのでこの時コルザードは失念していた。その本当の意味を。

 

「それじゃ、今日は早速そのお宝を探しましょう」

 

「そうだな、せっかくだしな。……まぁ、探してみるか」

 

 

 ――ひょんなことから舞い込んだ一枚の手紙によって、二人の宝探しが始まった。

 

「埋めておいた。ということは地面を掘ればいいんでしょうか?」

 

「そうだろう。そうだろう。きっとそうだ」

 

「何か道具があればいいんですけどね? どうでしょう」

 

「そうだな。この洞窟にはそれなりの備えがある。何か使えるものがないか探そう」

 

 シュフォンとコルザードが二手に別れ洞窟内を物色し始めた。この洞窟は入り口からまっすぐ進むと開けた場所に行き当たる。その左右にいくつかの入り組んだ道に分かれており、目を通した限りでは前の居住者は入り組んだ袋小路を物置にしてたようだ。

 

「おっ」

 

 コルザードの足元につるはしが落ちていた。

 古いながらも造りのしっかりしたものでおそらくまだ現役で役に立ってくれるに違いない。

 

「よし。うん、これなら捗るな」

 

 手につるはしをパシッと当てほくそ笑む。

 洞窟の中央の方へと踵を返すのだった。

 

「――で、コルザードさん何か見つけました?」

 

 そこにはシュフォンが既に戻っていた。彼女も手に何かを携えているのを見て取り、順調に進む作業を脳裏に浮かべコルザードも微笑む。

 

「ああ、シュフォン。お前も早かったな。俺の方はこれだ」

 

そういって先ほど奥で手に入れたつるはしを掲げて見せた。

 

「おお~っ! いいですね。つるはしですか」

 

 元々、勝手も知らぬ洞穴である。大した期待はしていなかったこともあり、シュフォンは大いに喜んだ。

 

「まさにうってつけだよ。それで、シュフォン。そっちは何かあったか?」

 

「はい、ありましたよ。先ほど軽く冒険したときに見つけたんです……。といってもコルザードさんのそれみたいに使えるか分からないんですが」

 

 口を濁すシュフォンは手に丸い金属盤を抱えていた。

 

「う……ん? 何なんだそれ?」

 

「丈夫そうな金属で出来ていますからね。拝借してきたんですが……。スコップ代わりにでもなるかなぁ~と思って」

 

 シュフォンが両手で彼女の胴体を楽に隠せるほどの円盤を弄ぶ。

 

「ただ、これ……。ちょっと重いんですよね……。バラして使いましょうかね」

 

「どれどれ……」

 

 日は昇ったとはいえ、薄暗い洞窟の中。コルザードはシュフォンの方へと歩みより、その手に持っているものを目に留める。

 

「なんだろうなこれ。ん? シュフォンそっちの方見てみろ」

 

「はい、なんです?」

 

 コルザードがシュフォンが持つ円盤を指差した。

 

「ほらそこだ。なにやら文字が書いてある。ちょっとそこに置いてくれ」

 

「ええ、いいですけど……。よっと」

 

「んー。なになに? 『Cat's Cradle』と読むのかな?」

 

「そうですね。『猫の揺りかご』でしょうか? 名前には似つかわしくない無骨さですね」

 

「まぁ、何にせよ。こんなんじゃ採掘なんて出来ないだろ。まだつるはし余ってたからシュフォンも取って来い」

 

「そうですね。おあつらえ向きな道具があるならそうしましょう」

 

 コルザードはシュフォンを案内してつるはしを取りに戻った。

だが、これを利用すれば『採掘』はあっという間に終わるのだが、もちろん二人がそのことを知る由はない。

 

 

 

 間をおいて、そこには手につるはしを握った二人組みがいた。

 

「さて、それじゃあ始めるか」

 

「はい、コルザードさん。どっちが先に見つけるか競争ですね」

 

「負けても泣くんじゃないぞ?」

 

「こっちの台詞です!」

 

「しかし俺とお前じゃ力の差は歴然だと思うが……」

 

「いいでしょう。いいでしょう。そこまで言うなら負けた方は勝ったほうに絶対服従です。後で後悔しても知りませんからね?」

 

 負けず嫌いで子ども扱いされることも嫌いなシュフォン。その言葉で闘争心に火がついた。

 

「望むところだ」

 

 だが、負けず嫌いなのはコルザードとて同じ。不遜な表情でシュフォンの提案を呑んだ。

 

「それじゃ」

 

「ああ」

 

「勝負開始!」

 

 二人の言葉が重なる。そしてそれと同時につるはしを構え、別方向へと走り出した。

 

「うおぉぉぉぉっぉぉぉぉぉ」

 

 コルザードが勢いよく地面を掘り始めた。彼がピアニストとして培った筋力に物をいわせた削岩機顔負けの速さであった。

 

 そんな様子を遠目に眺めるシュフォン。その顔には不敵な笑みが張り付いていた。

 

「ふっふっふ。コルザードさんったら脳筋なんですから。手紙には『埋めた』と書いてありました。つまりいったん掘り起こしてから埋めた。結果として真新しい土の跡を辿っていけば分かるってもんですよ」

 

 なんという名推理と言わんばかりにシュフォンはほくそ笑む。悪戯っ子の本領発揮であった。

 

「ということで私は無駄な力を使うことなく、優雅に勝たせてもらいますかね」

 

 そういって、腰を屈め地面に視線を落としながら歩くシュフォン。

 

 余談だが、暗い洞窟内ゆえ仕方ないとはいえ、年若い少女が腰を折って、よぼよぼ歩むその姿に、優雅さなど微塵もなかったのは本人の名誉の為に言わぬが花というものだろう。

 

 ――コルザードが駆け抜ける先は瞬く間に洞窟のあちこちが採掘されていく。滝のような汗を流して地べたにへたり込む頃、見事にリフォームを終えた我が家がそこにはあった。といってもその有様は不恰好なもので荒れに荒れ果てた空間がそこにあった。

 

「はぁはぁ、くそっ! 一向に見つからない。ロミアスめ、まさか騙したんじゃないだろうな」

 

 肩で息をするコルザードの方へシュフォンが歩み寄った。

 

「ほんとですね。私の方もさっぱりです。本当にあるんでしょうか」

 

 くたびれたコルザードとは裏腹に、シュフォンの表情はさわやかだ。

 

「おい! シュフォン。どうしてそんなに余裕なんだ。勝負を持ちかけたのはそっちだろ」

 

そんな飄々としたシュフォンに対してコルザードは目を吊り上げ吠えた。

 

「やだな。コルザードさん。身体を動かすばかりが勝負じゃないんですよ。ココを使いましょうココを」

 

 つんつんとシュフォンが自分の頭を指でつつく。

 

「その手紙には埋めたって書いてあるじゃないですか。だったら掘り返した跡を調べれば分かります。無駄に体力を消費する必要なんてないですよね?」

 

 シュフォンが勝ち誇ったように笑う。

 

「しまった! その通りだ! くそっ! シュフォンなんかに諭されるなんて……」

 

 当然といえば当然の指摘にコルザードは頭を抱えた。だがそれにシュフォンが憮然とした表情で応える。

 

「ちょっとっ! コルザードさんひどいです! 私が能天気くるくるパー娘だと思ってるんですか?」

 

「……うん、割と」

 

「このーっ!」

 

「おい、ちょっ! まてまて、嘘だ。冗談だよ」

 

 コルザードに飛び掛り襟をつかみながらガクガクを揺さぶるシュフォン。シュフォンの髪から漂う甘い香りが汗に塗れたコルザードの鼻腔をくすぐる。妙な気恥ずかしさに顔を染めてしまうのだった。

 

「――悪かった。本気にするな」

 

「ふんだっ! コルザードさんなんて知りません。絶対この勝負に勝って、パシらせてやるんですからね。覚悟しててください」

 

 女心は秋の空。ただいまの天気は大雨。

 

「……とはいってもなぁ。本当にあるか分からなくなってきたぞ」

 

 じっとりとコルザードを睨みつけるシュフォンに目で促す。その視線の先には徹底的に掘り起こされた洞窟。

 

「ロミアスは初対面でも分かるぐらいの悪戯好きだからな。きっとどこかでこの現状を想像して嘲笑ってるに違いない」

 

「コルザードさん。分かっていませんね」

 

「何をだ?」

 

「いいですか? 悪戯好きなら笑うのは最後ですよ。宝の所在をほのめかした手紙を書いただけで笑うなんて三流の悪戯っ子です」

 

 悪戯に一流も三流もないと思うが。コルザードはまた話がこじれるのでそれを口にする事はなかった。

 

「ですからね。真の悪戯っ子なら仕掛けは周到に。そしてその餌に食いついたところを笑ってこそ一流ってもんです」

 

「理論に乏しいが、そうなのか?」

 

「ええそうですとも、私が言うんだから間違いありません」

 

「なるほど、そりゃ大した説得力だ」

 

 そういって気の無い拍手をシュフォンに送った。

 

「そうでしょう。そうでしょうとも」

 

 そして空っぽの賞賛を浴び胸を張るシュフォン。

 

「――だが、実際はどうだ? 宝なんて影もありゃしないぞ」

 

「うーん……。そうなんですよねぇ」

 

 シュフォンがあらためて手紙に視線を落とす。悪戯っ子の勘を働かせて暗号文になっているのではないか、縦読みになっているのではないかと文面に目を走らせる。しかし何度試しても、それっぽい構成は見受けられない。

 次第にその表情も曇っていくのだった。

 

「……」

 

「……」

 

沈黙すること数分。

 

「――っ! もしかして」

 

「おっ? 何か分かったのか」

 

「いえ、確証はないですけど。ほら、ここ洞窟じゃないですか」

 

「ああ、その通りだ」

 

「埋めるって、何も地面に限ったことじゃないですよね」

 

「おおっ! 言われてみれば確かに」

 

 上下左右ありとあらゆるところが土で出来た洞窟。シュフォンが言うとおり埋めるのは地中ばかりとは限らない。

 

「ということはつまりそういうことだな」

 

「ええ、壁にも埋められますし、最悪天井にも埋めれますね」

 

「なるほど」

 

「それじゃあ」

 

 二人は不敵な笑みを交わす。

 

「今度こそ」

 

「ええ、決着をつけるとしましょう」

 

 そうして二人は最初の繰り返し。再びつるはしを手に持ち二手に分かれて走り出すのであった。

 

 

 

 数十分後。

 息を切らした二人が洞窟の中央に座っていた。

 

 

「……はぁはぁ、コルザードさん。見つけましたよ。こ……これです」

 

「……はぁはぁはあ、なんだと? 俺も見つけたぞ? どうなってるんだ?」

 

 シュフォンが差し出したのは、土くれをまとった金属片――中からうっすらと輝くものが見える。そして一方コルザードの手元には古びた宝箱のようなものが一つ、そこに。

 

「どう、いう、ことでしょう? 気前よく、二つも置いて、行ってくれた、んですかね?」

 

 息も絶え絶えなシュフォンが疑問を口にする。

 

「さ、さあ、な。俺にも分からん。とりあえず、ブツをあらためようじゃないか」

 

「でも、そのロミアスさんが言ってたのってたぶん私が掘り当てたこれですよね? 宝石っぽいし、間違いないですよ」

 

「何を言う。宝というからには断然こういうものと相場が決まっているだろ。どこからどうみてもコレがロミアスの残していったものに違いない」

 

 そういって二人は自分の探し当てた物を手で弄んでいる。

 

「む……。鍵がかかっているな」

 

 コルザードは自分が見つけた丈夫な造りの箱を開けようとするもその口は堅く閉ざされていた。

 

「――おお~、これはすごいですよ! コルザードさん。きっと途方も無い価値があるに違いありません!」

 

 悪戦苦闘するコルザードの耳にシュフォンの声が届く。彼女が手には金色に輝く石があった。ゆらゆらと形を変える焚き火の炎を反射し、揺れ動くその光沢は黄金の水面の様に神秘的である。

 

「うっひょ~い、あったこともないけどロミアスさん! ありがとございまーす!」

 

 シュフォンは飛び跳ね金塊に頬ずりし、満面の笑みを浮かべている。

 

「……そうなるとこれは一体なんだろうな?」

 

「……なんなんでしょうね?」

 

 二人の目の前には古い宝箱が一つ。

 

「どれ、とりあえず空けてみるか」

 

 コルザードが懐からジューア七つ道具の一つ、ロックピックを取り出す。形状は細い針金のようなもので、古くから使われる御馴染みの開錠ツールだ。

 

「む……。これでもダメか? 空かないぞ?」

 

 鍵穴に差込みカチャカチャと作業すること数分。コルザードは手先が器用だ。これまでにも強固に閉ざされた鍵を開錠してきた実績もある。だが、どうやら目の前のコレは、それに輪をかけた難物らしく、彼をもってしても一向にその口を開こうとはしなかった。

 

「……構造がイマイチ理解できんな。これが、こうなって、よっと、それで、……ん……ダメだ。どうしてもつっかえるな……」

 

「コルザードさんちょっと私にやらせてください」

 

 見かねたシュフォンが選手交代といわんばかりに提案してくる。

 

「まぁ、こんなのは私にかかればちょちょいのちょいですから。まぁ見ててください」

 

「シュフォン、それはフラグというやつだぞ……」

 

 シュフォンではコルザードの器用さに及ばない。だが内心無駄だと考えているコルザードも、他に打つ手は無いので、言われるままシュフォンに任せた。

 

「ふっふっふ~、さぁ~て。人様の好奇心を弄ぶそのイケナイお口、是非ともご開帳願いますよぉ~。そう私は悪くないんです! あなたが魅力的すぎるのがイケナイんですよ!」

 

 シュフォンが犯罪者の常套句紛いのことを呟きながら、繊細かつ卑猥な手つきでロックピックを鍵穴へと差し込んでいく。だが鍵口からは小さくカチャカチャと音が響くばかり、時間ばかりが経過し一向に進展が見られない。

 

「……」

 

 集中しているのか、彼女の手元から聞こえる金属音以外に響く音はない。だが、時間が経つにつれ、逸る彼女の心を表すかのように段々と、鍵穴から響く音が大きく荒くなっていく。

 

 そして遂に――――

 

 "バキッ"

 

 シュフォンの手元から一際大きな音が響く。視線を向けるとそこには、破損したロックピックの無残な姿がそこにあった。

 

「……ほらな。言わんこっちゃない」

 

 やれやれと肩をすくめて息を吐くコルザードを見て、シュフォンが切れた。

 

 言葉なくシュフォンはすっと立ち上がり、そしておもむろに腰元の剣を抜いた。

 

「コルザードさん。"中身さえ無事なら"いいですよね?」

 

「お、おう? ……そうだな」

 

 額に青筋を浮かべ、そのにこやかな笑みを浮かべながらも似つかわしくない平坦な声に得たいの知れない圧力を感じたコルザードはただ頷く。

 

 そして、そんな彼女に対峙するのは悠然と佇む宝箱。既に二人の挑戦を退けたそれは威風堂々としており、オーラが見えそうである。

 シュフォンはそんな宝箱に対し、剣を上段に構え――――

 

「はあああぁぁぁぁぁあ!」

 

 そして呼気と共に一気に振り下ろすのであった!

 

「ちょっ! お前! それ中身もめちゃくちゃになるだろ!?」

 

 梃子の原理でも使うのかと思いきやまさかの一刀両断作戦!? コルザードの指摘はもはや手遅れ、彼の言葉が大気を振るわせる頃にはシュフォンは既に一刀を終えていた。

 

 空間に鈍い金属音響き渡る。

 洞窟内ということでひどく反響し、もうもうと土煙がたちこめる。

 

 ――静寂が場を支配する。そして徐々に晴れていく土煙。緊張の面持ちで見守る二人からゴクリ、と唾を嚥下する音がやけに鮮明に聞こえた。

 

「!?」

 

 土煙が晴れる。――だがそこにあったのは、先ほどと何変わらぬ有様で存在している宝箱の姿であった。渾身の剣戟を受けたにも関わらず泰然自若とするその風体は、此度の勝者が誰なのかを如実に物語っていた。

 

「そんな……び、びくともしないなんて――。って、ちょっとおおおおおお私の愛剣"闇を砕く長剣『ビューティームーンライト』が折れちゃいましたあああ!」

 

 全力を込めた一撃が通じないこと、そしてまさかまさか自慢の剣が折れてしまった事に動揺を隠せないシュフォンはその場にへたり込んでしまった。項垂れる彼女の表情はその前髪に隠れて分からない。

 

「シュフォン……」

 

 流石に精魂尽き果てたのか、その様子から感情を窺う事はできないがそんなシュフォンを慰めるようにコルザードは言葉をかける。

 

「ま、まぁいいじゃないか。その金塊だけでも十分だ。そうだろ? お前が掘り起こしたんだ胸をはれよ。ほら! 勝負はお前の勝ちでいいし。ヴェルニースに行って鑑定してもらおうじゃないか。……剣は、残念だがそのお金で新しいのを買おう? な?」

 

「ううう…… よくないですよぉ~。『ビューティームーンライト』には良質なエンチャントが着いてたのにぃ~」

 

 泣く泣く、手を引かれるように二人は洞窟を後にした。

 

 

 

 涙にぬれたシュフォンを必死に宥め今に至る。

 二人がいるのは鑑定店。手に持っているのは戦利品の金塊だ。

 

「――どうでしょう? きっと途方も無い価値の金塊だと思うんですけど。いやぁ苦労して手に入れたんですよねぇ~」

 

 自らの戦果を前にある程度落ち着きを取り戻したようで意気揚々と語るシュフォンに、鑑定の魔法をかけ終わった鑑定魔術師が目を向ける。

 

「……確かに、こりゃぁ途方も無い価値だなぁ」

 

「えっ! 本当ですか! やったーっ! 苦労した甲斐があるってもんですよー」

 

「……待ちな、お嬢さん。確かに途方も無い価値なんだが……」

 

 神妙な鑑定魔術師の態度に、シュフォンは息を呑む。

 

「途方も無い価値なんだが……どうなんです?」

 

「ああ、途方も無い価値ってことにゃー間違いねぇんだが、"途方も価値の無い"金塊だ……偽物のな」

 

「えええ! そんな馬鹿な。だってあんなに金ぴかに光ってたのに」

 

 納得がいかないと言わんばかりに、シュフォンが身を乗り出し金塊を覗き込む。

 

「うそ……」

 

 そこにあったのは誰の目にも明らかに錆の浮いた金属塊があった。

 

「まぁ、良くあるんだよなぁ。この手のもんには偽装の魔法がかけられてる事も珍しくは無ねぇ。まぁ、どういう経緯で手に入れたのか知らねぇが授業料だと思って諦めるこった。ああ、そうだ。ついでにこれ、呪われてるぜ?」

 

「な、なんですとーっ!」

 

 シュフォンは大いに憤慨し、地団駄踏んでいる。

 

「ちきしょー! ロミアス許すまじ! 今度あったら絶対! 絶対ぼこります! いいですね? コルザードさん」

 

「……ほどほどにな」

 

 コルザードはロミアスがこういう結末を予想していたかのように思えてならなかった。脳裏に彼のニヤリと笑った顔を空想した。

 

「まぁ、なんだ。とりあえず宝探しはシュフォンの勝ちだ。ほら、美味しいものでも食べようじゃないか。おごってやるぞ」

 

「ううぅ……そうですね。ありがとうございます」

 

 

 

 突如として訪れたシュフォンとコルザードの宝探し勝負。その勝者は誰なのか語るまでも無い。

 

 そこは先だって、徹底的に掘り起こされた洞窟。

 

「ふぅ。さてこんなものでいいかな」

 

「ですね」

 

 コルザード達の手によってある程度埋め返され、一応住めるという程度には修繕されていた。

 

「さて、この宝箱どうするかな」

 

「むー! 嫌ですよ私もうそれ見たくありません。隅っこのほうにでも置いてください」

 

「そうだな。まぁ鍵開けの修練に丁度いいし、置いておくか」

 

「はぁ~。剣がぁ……」

 

「シュフォン。残念だとは思うがまた買ってやる。元気だせよ。お前が元気ないと困るだろ」

 

「そうは言っても……。はい。まぁ、そうですね。くよくよしてたってしょうがないですもんね」

 

 自らに言い聞かせるようにシュフォンは呟く。だがその表情は未だ暗い。

 

「しょうがないやつだな」

 

「だって、あの剣。コルザードさんと始めて冒険したときに手に入れたやつなんですよ?」

 

「お前――」

 

 そんな昔のことまで覚えていてくれたのかと、シュフォンの何気ない言葉がコルザードの心に染みた。

 

 そんなシュフォンの頭にコルザードが手を置いた。

 

「……馬鹿だな。それじゃ、ノースティリスに来てから初めての剣を買ってやるよ。既にいろいろあったが、二人で無事にやってこれた記念だ。それなら帳尻もあうだろ? シーナさんからの報酬もあるしちょうどいいだろ?」

 

「うぇっ!? あっ……。は、はい! そうですね。それなら……」

 

 シュフォンの表情がちょっとだけ明るくなった。ぶっきらぼうにコルザードがシュフォンの頭を撫でる。

 

「シュフォンそういえばこれは何なんだろうな?」

 

「うーん……。分かんないです」

 

「ふむ、まぁ。この重さは丁度良いし、筋トレにでも使うとするか」

 

 そういってコルザードは金属盤を持ち上げる。

 

「普段は邪魔にならないようにしまって置いてくださいよ~」

 

「ああ。分かってるって」

 

 そういってコルザードはその金属盤を空かない宝箱の傍へと並べた。相変わらずそこには『Cat's Cradle』と書かれていた。



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第七話 新たな旅立ち

 

 日付変わって、ただいまの天気は空一面を灰色で塗りつぶしたかのような曇天。おそらく天高くには燦然と輝く太陽が昇っている頃合にも関わらず、空を覆う緞帳の如き雲海がそれを阻んでいた。

 

 そしてここ、ヴェルニースの町。今日日の空模様を映し出したかのように暗く沈む少女が1人。シーナの酒場でうなだれていた。

 

「はぁ……」

 

 何度目になろうか。重苦しいため息がヴェルニースの酒場に篭る。

 

「いやまぁ、なんだ。その……。とりあえず、そろそろ元気を出せ」

 

「こぉれぇが、元気でいれますか! 全く……。ひどい骨折り損のくたびれ儲けです」

 

 真昼間の酒場で物憂げに愚痴をこぼすのは金髪が映える小さな少女。顎をテーブルに乗せ項垂れている。無聊を慰めるかのようにテーブルの上に広がった自身の髪をフォークでパスタのようにぐるぐると巻いていた。

 

「……実際、ひどいもんですよぉ。金塊は偽者だったし、宝箱は開きすらしない、剣も折れる、出費はかさむ、雇用は低迷し社会は不況の真っ只中、井戸水は汚染される、武器屋の品揃えは悪い、コルザードさんはぬか喜びさせる。一体どうなってるんですか?」

 

「後半は関係ないと思うが……? ていうか行儀が悪いぞお前」

 

「もうっ! コルザードさんはいい加減すぎます! 私達、冒険者にとって武器は商売道具! 剣のない私なんか、言わばそろばんの無い商人みたいなもんですよ。そんなんで仕事が出来ますかってんです!」

 

「そうは言ってもなぁ……。武器屋に行ったのにお前が買わなかったんじゃないか。あと、俺は冒険者である前にピアニストだぞ」

 

「そりゃぁ、そうですよ! あの武器屋のおやじさん、頭どうなってるんですか! なんですか? 生ものの長剣とか、シルクの長剣とか、紙の長剣とか! 品揃え悪いってレベルじゃないです! そもそもあれが剣なのか本気で悩んでしまった自分が馬鹿らしいぐらいですよ!」

 

「仕方が無いだろう。手持ちの金じゃ、まともな武器には手がでなかったんだから」

 

「コルザードさんの甲斐性なし! おたんこなす!」

 

「うぅ、その点に関しては素直に謝罪しよう……」

 

「ノースティリスに無事たどり着いた記念に剣を買ってやろう――」

 

 キリッと表情を引き締めシュフォンが声真似をする。

 

「――って感じのこと、私は聞いたんですけどぉ~?」

 

「ええい! うるさい。だから悪かったって言ってるだろ! 何も反故にするとは言ってない。約束は守る必ずな」

 

「だと良いんですけどね……」

 

「……」

 

「……」

 

 はぁ、とどちらからともなく重苦しいため息が調和した。

 

 幾らか蓄えがあるとはいえ、名剣の類に手がでるほどの余裕はなかった。店頭に並べられていた古代遺物の所縁の物と思しき名剣は、家が変えそうな値段であったことで二人の思惑は淡く崩れたのだ。

 

 前途は多難であり、その事態に直面している二人は沈黙する。喉を通るのはため息ばかり。だがそんな二人にの方へと向かってくる者が一人いた。

 

「――それではネフィアに行ってはいかがでしょう? ノースティリスに来た冒険者ならなんといってもネフィアですわ。秘宝や名剣なんかもたくさん残されてるかもしれませんよ」

 

 トレイに料理を載せたウエイトレス――ヴェルニースの酒場の看板娘、今日も三角巾がよく似合っているシーナが横から声をかけてきた。

 

 ネフィア、そこにはラーネイレの話にもあったように、古代文明の遺跡の通称だ。

 

 そこには現在のイルヴァ第十期であるシエラ・テール文明以前の古代遺産が手付かずのまま残されている。旧文明とはいえ、決して現在に比べ劣っているというわけではなく、その高度発展がゆえに滅びた数々の文明の名残がそこにあるのだ。

 ノースティリスでは古代高度文明の研究が盛んであり、同時にネフィアに挑戦する冒険者稼業を優遇し発展してきた実績がある。ネフィアといえばノースティリス。ノースティリスといえばなんといってもネフィアなのだ。

 

「シーナさんナイス! それです、ネフィア! ネフィアに行きましょう。そうしましょう! 一攫千金、これぞまさに冒険者ですね~。いやぁ、シーナさんのお尻は最高ですぅ」

 

 シュフォンがシーナの言葉に机をバンッと叩き、跳ね起きる。今にも小躍りしそうなほどの調子であった。

 

「でしたらネフィアに行く前にパルミアで冒険者登録を済ましておくことをオススメしますよ♪ 冒険者登録をすれば功績に応じた給料が定期収入として振り込まれますし、名を広めるにも都合がよいでしょう。各種サービスなんかも取り扱っていて、ネフィアの情報を冒険者に斡旋してくれたりしますからね。

 ……あら、ところでシュフォンさん、それどうしたんですか?」

 

「へ? それって?」

 

 シーナがシュフォンを指差す。その指先を目で追った。シュフォンのポケットから布切れがはみ出していた。それを見て取るやシーナの頬が主に染まっていく。

 

「ああ、これですか。けしからんですよねっ! きっと持ち主は巨乳にちがいありません」

 

 シュフォンの手には、女性の下着があった。両端をつまみ自分の胸にあて、いかにそれの持ち主が強大であるかをシュフォンとそれの間に出来た空間が物語っていた。

 

「あの……それ私のですわ」

 

 顔を真っ赤に染めうつむくシーナ。その身は羞恥に染まり、もじもじと身体を動かしている様が妙に艶やかだ。

 

「ええっ! シーナさんのだったんですか……。なるほど、納得です」

 

 恥ずかしげにするシーナにそれを返す。ピンクのフリルが着いた可愛らしいデザインであった。

 

「あの、シュフォンさん。これをどこで?」

 

うつむきながらわなわなと肩を震わせるシーナにシュフォンが場違いなほど軽やかに言った。

 

「ほら、この間シーナさんに盗賊退治を依頼されたじゃないですか? そのときにやつらが持っていたんですよね~。生憎と持ち主が分からないのでそのままにしてたんですが……。そうですか、シーナさんのだったんですね」

 

「うふふふふふ……まぁ♪ シュフォンさん? その話もう少し詳しくお聞かせ願えませんか?」

 

 にこやかに笑うシーナの表情が怖い。

 本当に怖かった。後でコルザードはそう語った。

 

「え、ええ……私でよければ」

 

 シュフォンも若干押され気味になりながらもその時のことを懇切丁寧に説明した。

 あらかた情報を伝え終わったところでシーナも矛を収め、いつもの調子に戻ってくれた。

 

「なるほど、ご協力ありがとうございますね。一度ならず二度までも助けられたということになるでしょうか。いつか機会があれば恩返しさせていただきますわ」

 

「あぁでもシーナさん。盗賊の親分は結構な手練ですから、気をつけてくださいね?」

 

「ご心配ありがとうございます。ですが私こう見えてもそれなりの嗜みがありますので」

 

 そういってシーナが彼女には似つかわしくないほの暗い笑みを浮かべるのであった。

 

「……まぁ、その話はこのぐらいにしておいて。とりあえず、パルミアへ向かおうにも先立つものが無くてはな……。そうだ、シーナさんどうかな? 俺はピアニストなんだけど、もしよければ酒場で演奏させてもらえないか?」

 

 コルザードの発言にシーナの浮かべていた笑顔に苦いものが混じる。心なしか目も泳いでいるように見えるのは気のせいであろうか。

 

「あははは……。それは魅力的な提案だと思うのですが……」

 

 言葉を濁したシーナの視線が他所へと向く。

 その先をたどってみれば、備え付けのピアノがあり、そこには赤い染みのようなものが目に飛び込んできた。その染みの回りには、何かが破裂したかのように飛散し、掃除をした痕跡があるにも関わらず未だに付着してる残滓も見て取れる。

 

「……え~っと。大変申し上げにくいのですけど。今駐在しているザナンの兵隊さんにロイターという気難しい人がいまして……。

 先日も吟遊詩人の方が亡くなられたばかりです。だからうちで演奏するのはやめたほうがいいと思いますよ」

 

「そ、そうなのか……?」

 

 そりゃ、確かに演奏は表現の商売。客によってはひどい罵声を浴びせてきたり酷評したりするものもいる。ひどいときには石を投げられることだってあるし、その程度はコルザードとてくぐり抜けてきた。しかし演奏して殺されるとは一体どういう状況なんだ、とコルザードは首をかしげた。

 

「コ、コルザードさん。まずいですよ……っ! 『豪腕』のロイターといえば有名です。その投石は人体を容易く爆散させるほどの威力だそうで、数多くのピアニストがミンチにされたそうです!」

 

「ほ、本当なのか……? こ、この話はなかったことにしよう……」

 

 なるほど、石を投げる客は確かにコルザードも経験済みだ。

 だがまさかその投石が致死レベルの威力を持っているなど予想だにしなかった。驚きの事実にコルザードは身をすくませた。

 

「――そうだ、パルミアへ行くならパーティの演奏依頼も舞い込んでくるかもしれません。私も時折客として招待されるのですが、演奏ならその時にするのがいいかと思いますわ」

 

「パーティか、それはいいな。ノースティリスに来て以来、未だに本職らしいことをしてなかったからなぁ。

 パルミアまではどのくらいで着きます?」

 

「王都はここを東に二日行ったところにありますよ♪ ですが、南路をとれば途中にヨウィンという農村あるのでそこで一泊すると良いと思いますわ。のどかで平和な村で牧歌的な雰囲気が素敵なところです」

 

「いいじゃないですか。ヨウィン! 今は夏真っ盛り! 瑞々しい夏野菜に舌鼓を打ちながら、天高く咲き誇る向日葵を鑑賞する。すばらしいと思いませんか? 開放感ある真夏日よりに浮かされてポロリもあるかもしれませんよ?」

 

「……前者は魅力的だが。シュフォンのポロリはなぁ……」

 

「本っ当っに失礼なんですから! 私だってあと何年かすれば……シーナさんみたいなわがままボディを手に入れるはずです。その時になっても同じ台詞を吐けるか見ものですね」

 

「――お二人は本当に仲がよろしいのですね♪」

 

 膨れっ面になりながらコルザードをポカポカと叩くシュフォン。そんな二人の様を見てウフフ、と口元に手を当てて上品に笑うシーナであった。

 

「ははは、それじゃ、シーナさん世話になったよ。ありがとう。お勘定ここに置いとく。シュフォンいくぞ」

 

「ええ、まいど~です。またいらしてくださいな」

 

 にこやかに笑うシーナに見送られて二人は酒場を後にした。

 

 

 旅の目的を決めた二人は現在、ヴェルニースの街門の前にいる。急ぎの旅支度を済ませ、荷造りを終えた二人は並木通りの街道から夕日に照らされて染まった茜雲を眺めている。

 

「――さて、目指すはパルミアだが、どうするか。直にパルミアに向かうか、ヨウィンに立ち寄るか。そういえばシュフォンはノースティリス出身だったよな? パルミアへは行った事あるのか?」

 

「いやぁ、ないですよ。私は北部育ちの田舎娘ですからね。花の王都なんてとてもとても……

 そうだ。ところでコルザードさん、もうすぐ9月ですけどどうなでしょう?」

 

「どう、とは?」

 

「もう……。察しが悪いですね! 9月といえばエーテル風の季節じゃないですか。ほら、私達って季節はずれのエーテル風に見舞われちゃったわけですが……。

 でも普通なら9月頭のエーテル風がそろそろ吹きますよね? 先日のアレが前倒しによるものなのか、偶発的なものなのかどっちか分からないですが注意するべきだと思います」

 

 珍しくまじめな顔をしていうシュフォンの言葉にコルザードは感心した様子で答えた。

 

「なるほどな、確かにそうだ。パルミアに向かう最中にエーテルの風に晒されてはひとたまりも無いからな。となると……。ヨウィンでエーテルの風をやり過ごした後にパルミアに向かう――そうするべきか?」

 

「う~ん。見通しが立たない以上、他に手はありませんね。しばらくヴェルニースでやり過ごすという手もありますけど?」

 

「しかし、それだとな……。何度も言うがいつまでも懐が暖かいわけじゃない。さっきのシーナさんの話じゃ、この町では仕事がやりにくいだろうしな。

 早いところ仕事を探さないと不味いだろ? ネフィア探索にしてもそうだ。冒険者登録をしなければ国からの援助は得られない。

 聞いた話だと、ヨウィンに向かうだけならば8月中には到着できるらしいからな。俺一人だけなら何とかなるが、お前もいるからなぁ」

 

 頬を掻きそっぽを向きながら答える。

 

「ちょ、ちょっと似合いませんよ。何かっこつけちゃってるんですか。三下の子悪党みたいなコルザードさんらしくもない台詞ですね。

 別に私はアピの実生活でも構いません。何時までも私のこと子ども扱いしないでくださいよ? むしろ私がコルザードさんを養ってあげるぐらいの意気込みはあるんですから」

 

「はははは、コレは一本とられたな。それじゃ期待してるぞ? 小さなナイトさん」

 

 コルザードはシュフォンの頭をそっとなでる。それに彼女はどこかくすぐったそうな笑みを浮かべていた。

 

「もちろんです! 大船に乗った積もりで任せてください」

 

 ドンと胸を叩いて誇らしげに胸を張るシュフォン。そしてそこに目を落としてコルザードは呟いた。

 

「だが残念……。小船だな」

 

「パンチ!」

 

 その時コルザードの手はシュフォンの頭の上に置かれており、故に彼女の正拳を阻むものはなく、無防備なコルザードの鳩尾に吸い込まれていくのであった。

 ヴェルニースの門番が苦笑いする。

 またこいつらか、と。

 

 

 

 二人組みのでこぼこ冒険者がヴェルニースの町を立ったのと同時刻。シーナの酒場も昼間の喫茶店としての顔から、本来の酒場としての顔を取り戻す。一仕事終えた炭鉱夫や、駐留しているザナンの兵士など気の強い者達が酔いに勢いを任せ、大いに賑わいを見せていた。

 

 そんな酒場の一角、粗忽なザナンの下級兵が交わす杯の音の中、酔いに力をもてあました若い兵士が一人のみすぼらしい男に因縁をつけ時々威嚇するようなお声を上げ拳をふるっているのが窺える。

 

 ――その騒動と少し離れた座席で、溢れんばかりのクリムエールの杯を一気に乾かす男がいた。ザナン兵の高級将官の勲章を付けた、燃えるように赤い髪の男。

 その目つきは爛々と輝き、精悍さを感じさせる。細身ながらも引き締まった筋肉は野生の肉食獣を思い起こさせるだろう。若くしてその地位にいるのはかつての二大国間の戦乱で上げた武功がゆえである。

 

 『ザナンの紅の英雄』ロイターが静かに席をたち、騒動の渦中へと身を乗り出した。

 

「何事だ」

 

「これは隊長。なに、大した騒ぎではありません。このボロ布をまとった不審な男を尋問していただけのことで。なにしろ皇子直々のご遊説、警護を申しつかった我々としては見過ごすわけにはいきませんからな! おい、お前のことだぞ。聞こえているのか?」

 

 愚にも付かない言い訳だが、それを咎めるほどロイターは若くは無い。それよりもロイターの気を惹いたのは、暴行を加えられているその男の姿であった。うす汚れた緑色のボロいローブを被った見るからに浮浪者然としたその姿は、本来ならば高級将官たる彼の視野にも入ろうはずもない。

 

「この男は……」

 

 その男は絶えず繰り返される下級兵の罵倒や殴打にもどこ吹く風といった体で虚ろな視線を彷徨わせていた。兵士達の理屈からすれば、彼のような虐げられるべき弱者はそれ相応の反応を見せるべきであり、それを意にも介さぬ彼の反応はより一層下級兵達の苛立ちを煽るのである。

 

「ご覧の通り、ふてぶてしい野郎です。もう少し痛い目にあわせて追い返して見せましょう。危害はないにせよ、目に付くだけで我らの飲む酒が不味くなりますからな」

 

「やめておけ」

 

 下卑た笑いを浮かべながら、『職務』に励む下級兵士の行いを今になって咎める。

 

「しかしね、隊長、足の一本でも折れていたほうが、むしろ物乞いに箔が付くってもんです」

 

 下級兵士も、乞食然とした男の態度、そして酔いの勢いも手伝って、本来ならば逆らおうはずも無い上官の言葉に不満の色を隠せないようだ。

 

「誰のために言ったと思っている? 『ザナンの白き鷹』、それがお前の目の前にいる男だ。……しばし二人だけにさせてもらおう」

「え、ええっ!? まさかあの『白鷹』ですか……!? し、失礼しました」

 

 その名前を聞くやいなや、下級兵達は酔いもさめたかのように青ざめ、乞食然とした男に怯えの視線を向け、足早にその場を離れていくのであった。

 

「こんなところに骨を埋めていたとはな。そのなりはなんだ、世捨て人にでもなった積もりか?」

 

暴行を受け壁にしな垂れかかっている男を見下ろしながらロイターは語りかける。

 

「……」

 

「人は変わるものだ。国中の誰もがその才能を羨み、功績をたたえ、貴族の特権まで与えられた『白き鷹』が小汚い酒場の隅に隠れ、死人の目で空を見つめている。貴様がザナンを出てからは、何事も張り合う相手がいなくて困る」

 

「……」

 

「ふっ、憎まれ口の一つでも叩いたらどうだ。仮の自分にうんざりだと、昔俺に言ったのを覚えているか」

 

「……」

 

「富と名声を脱ぎ捨てた、その薄汚い乞食のような姿がありのままの姿だと吹くのなら、とんだ笑いの種だ。あるいは、欲望を捨て、罪人のように暮らすことがあの娘の供養になるとでも?」

 

「……その話は聞きたくない」

 

『白き鷹』と呼ばれた男の表情に始めて感情の炎が灯り、言葉を発する。

 

「エレアの小娘……エリシェといったな、貴様の言葉を借りればあの娘さえも己の仮面の一部だったのではないか?」

 

「問答に付き合うつもりは無い。あのまま殴られ牢に入っていたほうがまだ、静かでいい」

 

「では、望みどおり身柄を拘束させてもらおう、ヴェセル・ランフォード。ザナンを出た以上、貴様以上の危険分子は他にはいまい」

 

 すぐさま一言二言、部下に指示し、連行するように命令する。

 ヴェゼルを一瞥した後、ロイターは小さくため息をつき、嘗て切磋琢磨した好敵手の変わりように落胆の色を浮かべその場を立ち去っていった。

 

 感情を持て余したロイターが酒瓶を手に取る。

 苛立たしげにそれを放つ。何かがひしゃげる鈍い音が酒場に響き渡った。

 

「酒を」

 

 ぶっきらぼうに席に腰掛けた。

 

「――は、はいっ! ただいま」

 

 店員が慌てて注文に応える。

 いつのまにか、店内に響き渡っていた陽気な音楽が止んでいた。

 

 

 

◆おまけ

 

 場所は一転して、そこを彩るのは、煌びやかに輝くシャンデリア、高級なカーペット、豪華な食卓。集う人々は皆、正装で身を包み、上品な音楽が奏でられる中、談笑するもの、ダンスに興じるものと様々であった。

 

 そんなパーティ会場の一角、ある貴族達と顔を隠した男の姿があった。

 

「……旦那、約束の品もってきやしたぜ」

 

「ふむ、確かに。ご苦労だった。報酬を受け取りたまえ」

 

「へっへっへ、確かにいただきやした。今後ともよろしくお願いしますぜ。ラスターの旦那」

 

 ローブで深く顔を隠した男が笑みを浮かべる。

 

「ああ、分かっている」

 

「……ラスター卿、それで? そのあとはどうなったのでおじゃるか?」

 

 顔を隠した男と会話していたラスターと呼ばれた貴族が、別の貴族に話しかけられた。

 

「ああ、以前、炭鉱街を訪れた際、私は恋に落ちた。しかし話しかける勇気は無く、かわりこの高名な盗賊に頼んででコレを手に入れたのさ。これで私と彼女はいつでも一緒。どうだ、うらやましいだろ」

 

「へへへ、下着と言われたんでブラも盗ってきたんですがね、思わぬ邪魔がはいりやして結局それだけでさ。面目ありゃせん」

 

「いや、よいのだ。これだけで私は十分なのだから」

 

 ラスターと呼ばれた貴族が恍惚とした表情を浮かばせながら語る。だが、ふとラスターと会話をしていた面々の表情が曇っていることにラスターは気付いた。

 

「ん?……どうした、卿らは妬みのあまり声も出ぬのか?」

 

「あ、あっしはちょっと用を思いついたんで失礼させていただきやす」

 

「ま、麻呂もちょっと中座させていただくでおじゃる」

 

「……おい、どうしたみんなそんな怯えたような顔をして、ん? 私の顔に何か付いているのか?」

 

 

                         ■貴族ラスター最後の言葉■



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第八話 ヨウィンへの旅路

 ヴェルニースを発ってから最初の朝が訪れた。しかし寝床から這い出る時間にしてはひどく薄暗い。空を見上げると、分厚い灰色雲に覆われており重厚な雲が支えきれなくなった水分を地上に還元するが如く霧雨が降り注いでいた。

 

「急ぎだと言うのに困ったな。本格的に降り始める前になんとかヨウィンにつきたいもんだ」

 

「よいしょっと、そうですね。風の女神さんは情緒不安定ですね~」

 

 ぬかるんだあぜ道を二人は進む。つり橋を渡れば、ヨウィンはすぐそこだと道往く旅人は語った。彼らの旅靴が水溜りをパシャパシャと叩き、波紋を浮かべては消えていく。人通りも疎らな旅道を往く二人の恰好は、厚手の外套を深く羽織っており、まるで照る照る坊主のようだ。とはいっても、どうやらイルヴァの大地ではそのご利益がないことは、濡れ鼠の如き二人の様相が物語っているのだが。

 

 長らく雨露に晒された外套の繊維が水分を吸ってずっしりと重くなっていた。

 

「おい、シュフォンさっきから何してるんだ?」

 

 雨にも負けじと元気に走り回り、地面に視線を落とし、時折屈んでは何かをあさっている少女にコルザードは尋ねた。

 

「――よっと、クズ石集めてるんです。あとでジュア様の祭壇に捧げるんですよ」

 

 泥に塗れた石を手に、陽気に笑う。

 

「遅れるから止めろ、と言いたいが……。それはいいな、俺にも少し分けてくれ」

 

「やですよー。信仰は自分の力で示すものです。どうぞその足で稼いでください」

 

「まぁ、そうくるよな」

 

 舌をだし拒絶の意を示す彼女に、コルザードは軽く首を振り、短く嘆息する。彼にしてみれば想定通りの反応だったようで、気にした風もなく歩みを進めるのだった。

 

 

 イルヴァ七神は形而上の存在に非ず。

 定命――命に定めあるもの。つまり人間との交流を持ち、信仰深い信徒には恩恵をもたらすのが神々の務め。祭壇を窓口にし、信徒から捧げものを募るのだ。捧げ物の内容や、量の多寡で信者の信仰心をはかるので、神々にしては何とも即物的なものだという印象を受ける。

 しかし、だからこそイルヴァ七神が概念上のみに留まらぬ、それぞれが人格を持った一個の存在であることを強く思い知らされる。

 

「コルザードさんもたまにはジュア様に感謝しましょう。世界がこんなに綺麗で美しいのもジュア様が一生懸命に清めてくれているからですよ。その献身に敬意を表して、ささやかながらの捧げ物をしても悪いことは起こりません」

 

 そう言ってシュフォンがポケットをパンパンと叩く、熱心に拾い集めた信仰心がジャラジャラと音を立てた。

 

「なぁにを言うかと思えば……。世界がこんなにも豊かで雄大なのはオパートス様自身が壮健であり続けるからだ。自然はオパートス様により生み出され、そしてオパートス様へと還る。豊かな世界を愛するのならオパートス様にこそ、その鉱石を捧げるのが妥当というものだろう」

 

 コルザードは肩をすくめシュフォンの言葉を鼻で笑った。

 

「分かってませんねぇ。確かに一理ありますが、断然、ジュア様がいてこその世界です。ジュア様が喜んでこんなクズ石を受け取ってくれるのだって、そこから穢れを祓い、新たな息吹を吹き込むからに他なりません」

 

 シュフォンが手にしたクズ石を愛しげに眺める。

 

「あまいぞ。シュフォン、その論法だとジュアが受け取るのは穢れを内包したもの、ということに限定されるように思えるが? 宝石や魔力結晶などのように美しいものだって要求するじゃないか。それはどうやって説明をつけるんだ?」

 

「何言ってるんですかコルザードさん。そりゃジュア様は乙女ですもん。綺麗なものを貰ったらうれしいでしょ? それとコレとは別です。甘いものは別腹って言葉もあるじゃないですか」

 

「なんだそりゃ、ジュアが捧げ物の穢れを祓うということの証明にならないじゃないか」

 

「仕事は仕事、プライベートとは違いますよ。神様だって人格があるんですから。仕事のためだけに捧げものを要求するとは限らないじゃないですか」

 

 二人の論が食い違うのももっともである。

 神々が人とかかわりを持つとはいえ、大いなる存在たる神々がいかにして世界を運営しているかなど、定命に図る術はない。よって人々は自らが信仰する神が為す偉業を空想し、語り継ぐのだ。当然そこに教義上の食い違いは起こる。

 

「……そりゃなんとも現金な神だことで」

 

「むぅ。オパートスだって同じじゃないですかーっ! ジュア様が要求するものとオパートスが要求するもの一緒ですしっ!」

 

「馬鹿いうな。オパートス様にとって大地より育まれたものは全てその血肉となり、ひいてはそれがイルヴァ全土実りある大地を作り上げるのだ。

 かの神は光物だから要求しているんじゃなくてそれが地の恵みだから要求してるんだ」

 

「むむむ。でもだからといってジュア様がないがしろにされていい理由にはなりませんよ! コルザードさんの馬鹿!」

 

 癇癪を堪えきれなくなったシュフォンが手にしているクズ石を投擲する。

 とはいえそれはコルザードを狙ったものではないので、見当違いの方向へ飛び、降りしきる雨の中一際大きな水音を立て転がっていった。

 

「はぁ……そうだな。まあ、神々は多かれ少なかれなんらかの形で世界の運営に寄与しているからな。別にジュアを否定したわけじゃない」

 

 頬を膨らませ、大いに憤慨してるシュフォンに対して、コルザードは自分の大人気なさを省みてか頬を掻く。理屈で物事を考えるよりは感情で行動したいお年頃だということは分かっていたはずなのに神の話になるといつもこれだ。

 

「まったく、分かればいいんですよ、分かれば。なんでみんな自分の信仰する神以外に対してひどく攻撃的なんでしょう……」

 

 鏡を見ろと喉まででかかった台詞をコルザードは飲み込んだ。話を蒸し返しては元も子もない。

 

「ああ、そうだな……。みんなが互いを尊重し合えば世界はもう少し平和になるよなー」

 

「本当にその通りですよね!」

 

 妥協点を見出した少女は逆立てた柳眉も今ではすっかり垂れ下がり普段と変わらぬ有様であった。

 

「そういえばコルザードさん知っていますか? 昔は神様たちが仲良くて、もっと素敵な世界だったらしいですよ」

 

「ああ、それは聞いたことがあるな。孤児院の教会で耳が痛くなるほど説法されたから覚えてる」

 

「今はなんでこんなになっちゃったんでしょうね」

 

 シュフォンが空を眺める。その雲のはるか向こうにある、来るべき災害を見据えているかのようだ。

 

「神々の分業が破綻したせいだろう」

 

「神々の分業?」

 

「神々が互いに協力しあっていたころの言い伝えだ。世界は三大元素の神より生じ、大地の神へ、収穫の神がそれを育み、そして風の神が循環させ癒しの神に届ける。機械の神が文明を与え、幸運の神がそんな人々を見守る、だそうだ」

 

 コルザードが視線を中空へと放り投げ、記憶の引き出しを探りながら答えた。

 

「そんな時代もあったんですねぇ」

 

「そうらしい。だがあるときを境に神々は対立した。神々に頼りすぎた人間への罰なのかもしれないな」

 

「でも、神に頼るのってそんな悪いことなんでしょうかね?」

 

「それ自体は悪くないだろうさ。だが寄りかかりすぎては重いし、うっとおしくもなるだろ」

 

 ふいにコルザードは足をとめる。深く被ったフードのせいかその表情は窺えない。

 

「……私は大丈夫ですよ? つらくなったらいつでも寄りかかってもいいですからね。背中は開けておきます」

 

 彼のそんな様子からシュフォンが何かを感じ取ったのか、フードの奥から上目遣いで見つめてくる。その瞳の色は心配で彩られていた。

 コルザードは本当に言葉の意味が分かっているのか、と問いたげに胡散臭い目つきで返しながら一寸間をおき、何がおかしいのか哄笑する。

 

「フハッハッハハ、お前に寄りかかるようになったら俺も終わりだよ。だいたい、シュフォンに支えきれるかな?

 俺の重みはピアノの重みでもあるんだぞ?」

 

 背に背負ったピアノに皮肉の篭った視線を向けつつ、シュフォンに答える。

 

「あう、そうでした。私つぶれちゃいますよ。どうしましょう……でも」

 

 おろおろと、その大きな瞳をクリクリ動かし狼狽する。間もなくして、どちらからともなく目が合い。笑った。

 重苦しい雲の下に、太陽の如き輝きがそこにあった。

 

「……その、なんだ、いらん気を使わせてしまったな。さてヨウィンに急ぐぞ」

 

「はい」

 

 降りしきる雨音以外に聞こえるものはなく、その静謐な大地だけが二人の足音を聞いていた。

 

 

 

 二人が歩みを進めると、濃霧の向こう――白絹のヴェールを纏ったかのような平野の彼方に、ぼんやりとした輪郭が浮かび上がる。

 

「あ、コルザードさん。あれじゃないですか? 橋が見えてきました」

 

「お前は目がいいな。俺にはここからじゃ何も見えないぞ。しかしそれにしても……」

 

 そこまで言いかけて口ごもる。

 

「それにしても、なんです?」

 

「いや……。お、あれか。よくあんなに遠くからこの雨の中見つけられたものだな」

 

「ええ、そうですよ。すごいでしょう?」

 

 平野を断ち切るような渓流にたどり着いた。そこは絶壁であり、河に浮かぶ岩石が波打たれ、濛々吹き上がる水しぶきがその流れの激しさを物語っている。

 そんな渓流を見下ろすように、つり橋が掛けられていた。

 

 降りしきる雨と、吹き上げてくる水しぶきに踊る乳白色の朝もやが、冠雪の大地を思わせるような白の世界を作り出す。

 白で着飾った山の端がなんとも趣深く、侘びを感じさせる。そんな光景を目の当たりにした、二人は言葉もなかった。

 

「……にしても素晴らしいところだな。この大自然を見てるだけで一曲書けそうだ」

 

 見るものの目を釘付けにするその明媚な景色に、聞こえてくる河の流れに、薫り立つ大自然に、肌をなでるそよ風に、コルザードは自身の五感に身を任せていた。

 

「――コルザードさん、アピの実クッキー、一つどうですか。美味しいですよ?」

 

 心酔していたコルザードは、隣から聞こえてきた言葉で我に返る。少女がその小さな手のひらの上に積み上げられたクッキーを差し出していた。クズを服にこぼしながらも幸せそうな表情をした彼女に、コルザードは渋面でその声に応える。

 だが件の少女には柳に風といった様子なので、少々乱暴にその手にのっているアピの実クッキーをひったくった。

 

「……まったくもう。そんなにがっついちゃって。よほどお腹がすいていたんですね。たくさんあるから気にせずどうぞ」

 

「どっちががっついてるんだか……。お前は本当に花より団子だな。静かにしてると思ったらこれだよ」

 

「ふぁい? なにかひいまふぃた?」

 

「なんでもない。そうだ、お前はこの土地の生まれだろ? 故郷はどの辺にあるんだ?」

 

「ふへ? ははひのほほう――」

 

「食べながら話すな!」

 

「っん、ふぅ。……コルザードさんが食事中に話しかけてきたんじゃないですか。それで私の故郷でしたっけ」

 

「ああ」

 

「私の故郷はずっと北の方です。年中雪に覆われた銀世界で暮らしていました」

 

「過酷なところだな。なんだってまた……」

 

「うーん、話せば長くなるのですが。私たちローラン族はノースティリスじゃマイナーでして。ローランド族の侵攻を避けるように僻地へと追いやられたらしいですよ。私たちの種族は女しかいないのもありますけどね」

 

 初めてシュフォンとあった日のことをコルザードは思い出す。

 ローラン族が隠れ住まざるを得ないその理由を。

 

「……すまんな」

 

「はい? 何がですか」

 

 されどコルザードの心知らずと、シュフォンは再び口いっぱいにクッキーを頬張っていた。

 

「いや、なんでもない……。お前は食べてばかりいないでこの大自然に目を向けたらどうだ?」

 

「美しい自然ですね~。ああ、こういうときはお約束のあれですね」

 

「あれってなんだ?」

 

 シュフォンが咳払い一つしてコルザードに向き直る。

 

「わ、私とどっちが美しいですか? なんちゃって」

 

 思わず足を止めた。橋板が軋む音がひどく耳に残った。

 

「……」

 

「あの……。何か言ってくれませんか?」

 

「自然」

 

「ひどいっ!?」

 

 あまりの即答っぷりに涙を浮かべるシュフォンであった。

 

「そんなんだからコルザードさんは彼女いないんですよ」

 

「はいはい」

 

「女の子にそっけないのも減点一点です」

 

「お前がもう少し真顔で尋ねてたら少しは考えたんだがなぁ」

 

「はい? 何か言いましたか?」

 

「いや、なんでも。まぁ、お前はまだまだおこちゃまってことだ」

 

「なんですかそれ! 減点二点!」

 

ポカポカと柔らかく握った拳を叩きつける膨れっ面の少女が、橋板を軋ませる。

 

「おい、馬鹿。橋の上で暴れるな。あぶないだろ!」

 

「言い訳無用! 減点三点!」

 

「人の話を聞け!」

 

 

 

 そんなこんなで橋を渡りきると、いつのまにか雨が止んでいたようだ。重たい灰色の雲の隙間を割るように、日差しが漏れてくる。黄金に照らされた雲の下で、見渡す限りの平野を颯爽と駆ける風にススキが撫でられ波打つ。その光景は平野を舞台に風の女神が踊っているかのようだ。

 さらに空にかかる大きな虹が旅人を歓迎する門と見紛うばかりに大きなアーチを描いてる。そんな自然の変貌を目の当たりに、二人は感嘆の声を上げるのであった。

 

「ノースティリスの旅は娯楽品いらずと聞いていたが、それも納得だな」

 

「うっわぁー。絶景ですね」

 

 コルザードの言うとおり、コロコロと表情を変えるその壮大な自然を眺めているだけであっという間の旅であった。そして今もなお、ススキの揺れる音が耳を絶えずくすぐり、なんとも心地よい。

 

「ヨウィンに着いたらまずは宿の確保だな」

 

「はい、服もべたべたで早くお湯を浴びたいです」

 

 地平の向こうには素朴な集落が見えてくる。おそらくあれがヨウィンに違いないだろう。

 

「あれ?」

 

「おや?」

 

 だが、二人が互いの顔を見合わせる。

 

「コルザードさん、これって」

 

「ああ……。間違いない」

 

 二人の眼前には隊列をなしている軍人と思しき人物たちが農村から少し離れたところに陣取っていた。ヴェルニースの時と異なりザナン兵ではない。

 

「あれは、ジューア兵だな。なんでまたこんなところに展開してるんだ?」

 

 見覚えがあるはずである。彼らはコルザードの母国で御馴染みの、ジューアの軍服を着ていたからだ。

 

「村から離れているとはいえ、あれじゃ気が休まりそうにもないですね。この辺ではゲリラ戦が起こっていると聞きますけど、騒動に巻き込まれなければいいんですが」

 

 ジューア国での暗い過去がシュフォンの身体を無意識のうちに強張らせ、コルザードの服をつかんでいた。

 

「大丈夫だろう、あれはただのならず者じゃない。正規……かどうかは分からないが軍人だ。まぁ、いずれにせよ積極的に関わりたくはないな。ほら、シュフォン、いくぞ」

 

「はい」

 

 不安げな少女に迷いを抱かせないよう。強引に手を引き、農村へと二人は足を進めるのであった。

 

 

 コルザードとシュフォンが足を止めた。足元は整備された街道から、肥沃な土に変わっていた。

 

「さて、到着したわけだが――」

 

 そこはシーナが言っていたようにのどかな農村であった。農村特有の土の香りが二人を歓迎する。二人は体の疲れを取るかのように大きく伸びをした。村民の姿は疎らであり、皆、あちらこちらで畑仕事に精を出しているのが窺える。

 

「――とりあえず、腹が減ったな。宿を探すとしよう」

 

「宿なら……ほら、あれじゃないですか?」

 

 シュフォンの指差す先には木造の長屋が一軒。構えてある看板には宿を示すマークがあった。

 

「ごめんください」

 

 コルザードが中に入り声をかける。カウンターの向こうでメガネをかけた老人が振り向いた。

 

「おや、宿泊かい?」

 

「ええ、二人なんだが、頼めますか?」

 

「そこの突き当たりの部屋を使いな」

 

 老人がそういって親指で通路の奥を指差した。

 

「どうもありがとうございます。シュフォンいくぞ」

 

「は~い」

 

 コルザードに促され部屋へと入る。内部は木造ながらもしっかりと手入れがなされていた。所々、テーブルや椅子にはうるしの剥げた塗装が見られ、修繕の跡も目立つ。踏みしめた床が軋み、窓の外からは長閑な農村の日常が目に飛び込んでくる。

 

「へぇ~。いいところですね」

 

「ああ、ものを大事に使ってるのが分かるな」

 

 雨を吸ってすっかり重くなった外套を絞り、風通しのよいところに吊るす。シュフォンがベットに腰を下ろし足をパタパタ動かしていた。

 

「それで、これからどうしますか?」

 

「とりあえず、9月の上旬いっぱいはヨウィンに滞在しよう。エーテルの風を凌ぎつつ、路銀を稼ぐのがいいな」

 

 窓の外で徐々に傾く夕日を眺めながら語った。

 

「今日はゆっくり休みますか?」

 

「ああ、それでいい。俺は飯の種がないかちょっと聞いてくるよ。シュフォンは自由に行動してくれていい」

 

「はーい。コルザードさんの演奏で稼げなくとも、今は収穫の時期だから仕事には困らないでしょうしね」

 

「こいつめ。そんなことを言う口はこの口か」

 

 鈴のような音色を奏でるシュフォンの口を、両端から指で挟み、そのまま左右に引っ張る。

 

「ふは~。ひゃめへふふぁはい。ほふひひまへんはら~」

 

「全く、口ばっかり達者なやつめ」

 

「あいたたた、もぅ、女の子には優しくしないとだめですよ」

 

「なら少しは女の子らしく振舞ってくれ」

 

「え、私どっからどうみても女の子らしいでしょ?」

 

 驚愕、といわんばかりにシュフォンは目を丸くした。

 

「腕白な小僧に見えるな」

 

「ふ~んだ。そんなこと言っていられるのも今のうちだけですからね。私だって日々成長してるんですから」

 

「はいはい、それじゃあもっと成長してもらうためにも夕飯を食いにいくか」

 

「え? 本当ですか? やったー! 好きなもの食べて良いですか?」

 

「成長しなくてもいい部分が成長してもいいならな」

 

 いつものお返しといわんばかりに、コルザードの顔が意地の悪い笑みに彩られる。

 

「私に成長しなくても良い部分なんてありません。見てください! このスリムな肢体を」

 

 両腰にコブシを当て、シュフォンがふんぞり返った。

 

「それって自慢になってるのか? たとえばココとか……あれ?」

 

 コルザードがシュフォンのわき腹をつまもうとして、指を動かすと見事、服の繊維だけが指の間に挟まっていた。

 

「どうですか? 私に無駄肉なんてないんですよ」

 

 勝ち誇った表情でシュフォンは微笑んだ。

 

「ふむ……。どれどれ」

 

 調子に乗ったのか、今度は正面から手を伸ばす。

 

「そっちはダメです!」

 

 横合いから飛来したスナップの利いた平手打ちに阻まれ、乾いた音が部屋にこだまする。残念ながらコルザードの手は叩き落とされてしまった。

 

「いてぇ、一応商売道具なんだからな、優しくしろ!」

 

 コルザードがジンジンと痛む自身の手を擦りながら抗議する。

 

「おっぱい触ろうとするほうが悪いです」

 

「なんだよ、ちょっとしたジョークじゃないか」

 

「まぁ、コルザードさんにそんなことする度胸がないのは知ってますけどね」

 

 シュフォンの声が少女らしからぬ甘ったるさを帯びた。

 

「ど、ど」

 

 下から見上げてくるシュフォンの瞳が妖艶さを孕んでいた。その瞳に射抜かれコルザードはつい言葉に詰まった。

 

「童貞?」

 

「違うわ!」

 

「え、もしかして既に致してしまったんですか?」

 

「違う! いや違わない? いや違う!」

 

「じゃあ何がど、どなんですか」

 

「ふんっ! ど、度胸がないんじゃなくてシュフォンに魅力がないだけだ」

 

「本当に失礼ですよね。でも分かってます。照れ隠しだってことは、なので許してあげましょう」

 

「くそっ! 勝ったと思うなよ」

 

「もう勝負ついてますから」

 

 軽口を叩きながら宿を出る。仕事を終えて岐路に着く農夫たちがそんな二人をほほえましく見つめていた。夕焼け空にはカラスの鳴き声が響き渡り、なんとも田舎風情に満ちている中二人は歩く。

 

「さて、どんな料理が食べたい? プチの香草焼きとかいいんじゃないか?」

 

「ええ~、せっかくの農村なんですから新鮮な野菜のシチューとかどうでしょう」

 

「まぁ、腹が減ったしなんでもいいんだけどな」

 

「そうですね~。あら……?」

 

 二人の靴が農道を叩き、その歩みにあわせリズムよく砂利が転がり音がする。するのだが……

 

「……ん?」

 

 二人の声が重なった。そして顔を見合わせる。

 聞こえてくるべき足音は二つであるはずなのに、なにやら余計なものが紛れている気がしたからだ。

 

 その正体を確かめるため二人は振り向いた。

 

「ついていっていい?」

 

 そこにはシュフォンと異なる小さな少女が小首を傾げて佇んでいた。銀色の髪が夕日の赤の中で際立っている。手に携えた赤い花が白いワンピースの胸元に咲き誇っているのだった。



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第九話 グウェンちゃん

 ヨウィンについてから数日。ただいまの時刻は昼。

 天高くから、お天道様が、今日も働けと地上を照りつける。そんな日差しに尻を蹴飛ばされるように、ヨウィンでは大勢の人が労働に勤しんでいた。

 

「――いやぁ、にいちゃんが手伝ってくれて大助かりだぁ。猫の手も借りたい状況ってやつでな。力のある人が着てくれて大助かりさ」

 

 小麦色の肌をした中年が気さくに語りかけてくる。力仕事に従事してきたもの特有の筋骨たくましい体つきをしており、老いを感じさせない壮健さであった。

 

「こちらこそ、急な話にも関わらず仕事をいただけて助かってます」

 

 目つきの悪い黒髪の男、コルザードが不慣れな敬語でその中年の農夫に答えた。肩に垂らしたタオルが汗を吸って重くなっている。

 

「見ての通り人手がたりないからね。特にこの時期は大歓迎ってもんさ。おまけに……」

 

 農夫がちらりと畑の向こう側に一瞥する。

 

「――ほらほら。邪魔ですよ! おとなしく畑の肥料になってなさい!」

 

「――なってなさい!」

 

 そこには少女が二人。一人はすっかり御馴染みの金髪の少女、シュフォン。ラフな作業着を着込み、金髪の髪を後ろで大雑把にまとめている。

 彼女が何を物騒に叫んでいるかと言うと、畑周辺にうろついている魔物をミンチにしているところであった。

 

 そしてそんなシュフォンに寄り添うように走り回る小さな少女。銀髪の髪が太陽の光を受けキラキラとまぶしい。

 

「あ~、もうダメだよグウェンちゃん。魔物がいるから危ないですよ」

 

「お姉ちゃんがやっつけてくれるから大丈夫だよ!」

 

 花で編んだ冠をのせている少女、ヨウィンに来た日の夕方に出会った少女がそこにいた。

 

「んだ。おまけに華があって仕事にも力が入るってものさ」

 

 呵呵と中年の農夫が笑う。

 

「そうですか、邪魔になってなければいいんですが……」

 

 苦笑いで返すコルザードであった。

 

 

 

 ――ヨウィンに到着した日の夕方へと、話は遡る。

 

「ついっていってもいい?」

 

 夕焼け空を背景に、ヨウィンの広場で少女は尋ねた。シュフォンよりも小柄な少女がこちらを見上げるように大きな瞳を動かしていた。もちろん最初は何の面識のない少女の言葉に、二人は戸惑いを隠せなかった。

 念のため周囲を見渡すが、自分たちのほかに人影はない。

 つまり誰に尋ねているのかは明白である。

 

「えーっと、お嬢ちゃん。お名前なんていうんですか~?」

 

 シュフォンが屈みこみ、銀髪の少女に目を合わせる。

 

「わたし、グウェン!」

 

「そっか。グウェンちゃんか~。お母さんはどこにいるのかな?」

 

「お母さんはアスカロンにいるの~」

 

「アスカロン……?」

 

 シュフォンがコルザードの方を向き、疑問を宿した眼差しで尋ねる。それにコルザードは首を振って応えた。

 

「……う~ん、お姉ちゃんたち聞いたことないなぁ」

 

「いのしし先生を追いかけていたらいつのまにかここにいたの!」

 

「いのしし先生?」

 

「でも見失っちゃって。わたしのおうちはどっち?」

 

「……え~っと。グウェンちゃんは迷子なのかな?」

 

「違うよぉ~。私もう子供じゃないもん!」

 

「あはは、そっか~。グウェンちゃんえらいね~。それじゃいい子だからちょっと待っててね」

 

「うん!」

 

 シュフォンは顔に笑みを張りつけて、グウェンに相槌を打つ。コルザードのほうに向き直り小声で言った。

 

「……それでどうしましょう? コルザードさん」

 

「どうする、と言ってもなぁ。……シュフォンはどうしたいんだ?」

 

 厄介ごとが増えたと言わんばかりの、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 

「えっと、出来るなら助けてあげたいですけど。ダメ……、ですかね?」

 

 申し訳なさそうにシュフォンが頬をかき、乾いた笑みを浮かべていた。

 

「アスカロンと言ってたな。聞いたことない地名だ。俺たちに何が出来る?」

 

「……それでも、一人ぼっちになる辛さは知ってるので。一緒にいてあげるだけでも助けになるんです」

 

「にしたって、その子ヨウィンで暮らしてるんだろ。仮の保護者だっているだろうし俺たちの一存どうこうするわけにもいかんぞ。  子供のごっこ遊びという可能性もあるし、本気かどうかも分からん」

 

「むぅ、コルザードさんちょっと冷たいんじゃないですか?」

 

「冷たいって言われてもな。俺たちだって目的のある旅の途中なんだぞ。あんな小さい子を連れまわすなんてそれこそ無責任だろう?」

 

 あくまで淡々と、コルザードは言い放つ。

 

「うー。それはそうなんですけどぉ」

 

 口を尖らせシュフォンは不貞腐れる。コルザードの論を認めつつも、やはり釈然としない蟠りを胸に残しているようだ。

 

「とにかくだ、軽々しく決めていいもんじゃない」

 

 そう言い残しシュフォンに背を向け、グウェンと名乗る少女へと歩み寄った。

 

「グウェン、ちゃんだったかな」

 

「うん、グウェンだよっ! おじちゃん!」

 

「お、おじっ!? 俺はまだそんなことを言われる歳じゃないぞ!」

 

 子供の何気ない一言こそ、大人を傷つけるのだ。

 胸に突き刺さった言葉の刃にコルザードは憤慨した。

 

「ちょっと、コルザードさん。ダメですよ! グウェンちゃんが怖がってるじゃないですか」

 

「……むぅ、しかしだな」

 

「どうしてそんなことするの?」

 

「いや、違うんだ。その悪かったこの通りだ――」

 

 グウェンは怯えを顕わにシュフォンの背に隠れる。だが、甲斐甲斐しい説得が功を奏し、和解することに成功した。

 

「――というわけで君を連れて行くのは難しいんだ。分かってくれとは言わない。

 ただ、しばらく俺たちはこの村にいるから、なんだその……」

 

 コルザードがなんと断って言いか言いよどむ。

 

「わかったっ!」

 

 言葉尻を濁して立ち尽くしていると、思いのほか素直な声がコルザードの後を引き継いだ。

 

「うん、確かにそういう思いはあると思う。だが駄々をこねられてもだな……。え、分かった?」

 

「うん!」

 

「グウェンちゃんは賢いね」

 

「うん!」

 

 シュフォンがグウェンの頭を撫でていた。それを受け入れ微笑んでいるグウェン。

 コルザードはそんな微笑ましい光景を眺めながら切り出した。

 

「ほら、なんだ。そろそろ日も落ちてきたしな、グウェンちゃんの家はどこだ? 送っていくよ」

 

「家? アスカロンにあるよ!」

 

「参ったな……」

 

 またアスカロンである。どうしていいものかと途方にくれた。

 

「えっと、グウェンちゃん。このヨウィンのどこで暮らしてたの?」

 

「う~ん。わかんない!」

 

 話が通じない、お手上げだとシュフォンとコルザードが顔を見合わせる。

 

「グウェンちゃんはいつからヨウィンに住んでるのかな?」

 

「えっと、ちょっと前かな?」

 

 身一つで小さな女の子が見知らぬ村に着たばかり。教会にでも連れて行けば面倒は見てくれるだろうが、この少女には帰る場所があり定住するわけにもいかないと来ている。

 

「おい……、シュフォン。これはどうなんだ?」

 

 声を潜めシュフォンに耳打ちする。

 

「どうって、どうもこうもないですよ。さすがにまずいですよこれ」

 

「察するにこの子ヨウィンで暮らしてたわけじゃなく最近どこかからかやって来て間もない。頼る人もいないというわけか」

 

「そうみたいですね。で、あの……。コルザードさん」

 

「おいおい、シュフォン。さっきも言ったがな……」

 

「だって……」

 

 言葉を濁し、シュフォンが振り向けばそこには無邪気な笑顔を絶やさないグウェン。彼女はおそらくこれからどのような辛苦がその身に降り注ぐのかまるで理解していないだろう。悪意という言葉などまるで知らないかのように、グウェンは見ず知らずの自分たちに声をかけてきたのだ。放って置いたら、他人の毒牙にかかるか分かったものではない。

 断言してもいい。ここでグウェンを放置したら絶対彼女はひどい目に合う。

 神々しいジュア様の抱き枕をかけても良い。絶対に絶対だ! シュフォンはそう確信していた。

 

「知らない人にホイホイついて行って、もしそれが悪い人だったらグウェンちゃんがどんな目にあうか……」

 

「シュフォン、心配しすぎだぞ。ここはジューア国とは違ってそれなりに治安がいいんだろ? こんな小さな子に害を為す人なんてそうそういるもんじゃないだろう。考えすぎだよ」

 

「コルザードさん甘いです! クッチェより甘いです! パルミアの政策で今ではノースティリスに多数の冒険者がいるんですよ。

 得体の知れない人なんてたくさんいるんですからね。それこそグウェンちゃんの無邪気さに漬け込んでどんなひどい目に合わされるか想像しただけでも恐ろしいですよ」

 

 両手で顔を覆い、悲壮感を顕わに顔を大きくふる。

 振る舞いはなんとも芝居がかっているが、声音からは真剣さが伝わってくるのだ。

 

「だからってな。俺たちが保護する義務はないというか。いや、誤解するなよ?

 俺は別にその子に手を差し伸べるのがいやだって言っているわけじゃないんだぞ? ただ、分かるだろ……?」

 

「ええ、私たちについていったところでそれがグウェンちゃんの為になるかどうか分からない。そんなことは分かってますよ。

 でも、それでも。私だってコルザードさんが来てくれなかたったら……。ですから、それを考えるとどうしても他人事のように思えなくて……。

 あはは、変ですよね、すみません」

 

 沈み往く夕日によって引き伸ばされた自身の影に、シュフォンは顔を落とす。

 うな垂れていてその表情は見えないが、傍目に見てもしんみりとしているのが分かった。

 

「あ~。分かった分かった。まったく、それを持ち出されたらかなわんな。……答えなんて最初から決まってたんじゃないか」

 

「――っ!! ありがとうございます!」

 

 勢いよく顔を起こし、喜色満面でシュフォンが飛び跳ねる。二人はグウェンへと向き直り、居住まいを正した。

 

「ついていっていい?」

 

 あらためて、グウェンが言った。その頑是無い面立ちには、屈託ない笑みが浮かんでいた。

 

「ええ、いいですよ。グウェンちゃんよろしくね」

 

 シュフォンがグウェンの頭をそっと撫でた。

 

「んぅ。よろしくね! お姉ちゃん」

 

 それからの数日をコルザード達はグウェンと共にし、今に至るわけ、と。

 

 彼女はすっかりシュフォンに懐いており、今ではまるで実の姉妹のように仲が良い。今もほら、畑に忍び寄るモンスターを排除し、そしておもむろに野菜を畑から引っこ抜き食べた。

 ――ん? 食べた!?

 

「おい! シュフォンお前なにやってんだ!?」

 

彼女たちの行動を咎めるべく、コルザードが慌てて少女たちに詰め寄った。

 

「ふえ? 何って野菜食べてるんですよ。 ねー。グウェンちゃん」

 

「ねー」

 

 顔を見合わせてにっこりと微笑む二人は大層和むのだが、問題はそこではなく。

 

「食べたってお前な! 人様の畑で、一体なに」

 

 シュフォンとグウェンはあらぬ方向へ指を差す。まくしたてるコルザードの口を遮るかのように。

 

「をしている、ん……? ん? ん?」

 

 つられて顔をそちらに。そこには張り紙があった。

 

「えーっと何々。"畑荒らしの方へ、盗むならせめてその場で食べていってください"……なんだこりゃ」

 

「――ああ、それね」

 

 後ろから一緒に作業していた中年の農夫の声がかかった。

 

「あ、どうも連れが不作法を働き申し訳ない。あとできつく叱っておきますのでどうか……」

 

コルザードが平身低頭する。

 

「ははは、まぁ種さえ置いていってくれりゃクミロミ様がちょちょいのちょいってな。

 腹が減ってるならめいいっぱい食わしてやりゃいいのさ。もともとヨウィンだってよ、何もない寒村でな。作物も育たない貧しい土地だったんさ、体力も衰え土地から離れることもできねぇそんな者ばかりが残ってよ。

 だが、わしらは今こうして笑っていられる。なぜだか分かるかい?」

 

「いえ、なんででしょう?」

 

「わしらが助け合ったからさ、腹が減ってる人がいりゃ、余ってるもんがわけてやった。わしらに出来る事は助け合うことしかなかったからよ。1人で出来ない事も2人なら2人でできなけりゃ3人でってなもんよ。

 そんな努力をクミロミ様が認めてくださったのだろうなぁ。見ての通り豊かな村になってのお」

 

 農夫がたわわに実る畑を背景に両手を広げる。なるほど、論より証拠が物語っていた。

 

「助け合う、いい言葉ですね」

 

 コルザードは呟く。昔は知らなかった言葉。でも何年か前に知った言葉。得も言えぬ温もりがコルザードの胸中に飛来する。

 

「なんじゃ兄ちゃんだってやってることじゃないか」

 

「俺が?」

 

「ほら、見ろぃ。あの嬢ちゃんたちがああやって笑ってられるのもお前さんがしっかり守ってきたからじゃろう」

 

「そう、なんですかね?」

 

「はっはっは、そうともさ! まだ若いのにそんな老け込んだ顔してちゃいかんぞ。ほら、胸をはらんかい!」

 

 そういってドンッとコルザードの背中を叩いた。

 

「ははは、お恥ずかしい」

 

「なんなら兄ちゃんもひとつどうだい? 取れたての野菜は格別だぞい」

 

「いえ、俺は……。いや、そうですね。いただくとします」

 

 彼らに何かあやかりたいと思ったのか、申し訳ないと遠慮しようとしたものの言葉に甘えることにした。

 

「んじゃとっておきのやつをやっからよ、まってな」

 

 そういって中年の農夫は、"人よりも大きなイチゴ"を摘み。……摘み?

 とにかく、コルザードに手渡した。というよりも転がして持ってきた。

 

「……。これはまた、なんとも、食べ応えのあるイチゴですね」

 

「はっはっは、そうだろうそうだろう。遠慮することはねぇたーんと食いな!」

 

 あくまで農夫は高らかに笑う。コルザードとて遠慮する気はなかったのだがさすがにこれは遠慮したくなった。

 

「おいっ! シュフォン! グウェン! こっちに来い。おじさんがイチゴをくれたんだ。お前らもどうだ?」

 

「えっ! イチゴですか!? って、うわ、なんですかそれ。大きすぎますよっ!」

 

「すごいすごいすごい。私赤いもの大好きなの~」

 

「あっ、まってグウェンちゃん走っちゃ危ないですよぅ~」

 

「はっはっは、そうだろうそうだろう。1人じゃ食えねぃしな。こんなときも皆で食えばいいってもんさ。

 そいじゃ、キリもいいし休憩といこうじゃないか」

 

 そういって農夫が向こうの方へと手を振った。彼の奥さんと思しき優しげな女性がやかんをもってこちらに来るのが見える。

 

「どうやら、妻がちょうどお茶をいれてくれたようだ。みなさんもよければご一緒にどうですか」

 

「えっ! いいんですか。この暑さで喉がカラカラだったんです。ありがとうございます」

 

「わーい」

 

 二人の少女が嬉々とし、飛び跳ねる。コルザードもその言葉でいつの間にか喉が渇いていたことに気付き、ゴクリと喉を鳴らした。

 

「はい、どうぞ。たくさんありますからね。咽ないようにゆっくり飲まないとだめですよ」

 

 婦人が木彫りのコップに茶を注ぐ。顔に浮かんだ皺が、落ち着きのある笑みを引き立てていた。なんとも優しげな人だった。

 

「はっはっは。いやぁ、君たちが手伝ってくれて本当に助かる。仕事だけじゃなくてこう……な。

 わしらは生憎と子宝に恵まれんでの。こんな華やかな食卓は久しくてな」

 

「いやだわ。あなたったら」

 

「ははは」

 

「コルおじちゃんとシュフォンお姉ちゃんもなんだかパパとママみたい!」

 

 突如、そんな声が響き渡った。

 不意をつかれ、コルザードがむせ返り、茶を噴出した。

 

「ブフォッ! おい、グウェン! なんてこと言うんだ! 俺はおじさんと呼ばれるような歳じゃないし、大体シュフォンなんて……」

 

 そこまで呟き隣を見る。

 

「もぉ~、グウェンちゃんったらお上手なんですから~。やっぱりそう見えちゃいますか? 困りましたね~。

 グウェンちゃんは私たちの子供ってところでしょうか」

 

 頬に手を当て身もだえしながらシュフォンがはしゃぐ。

 

「私はもうママがいるから。ごめんね。妹ならいいよ!」

 

「くそっ! おい、この話はもうお終いだ。やめろやめろ」

 

「またまた照れちゃって~」

 

 生来の育ちゆえか、このような空気に耐性がないコルザードは気恥ずかしさを堪えきれず、話を打ち切ろうとまくしたてるのだが、それが一層周囲の笑いを誘う。

 終いにはコルザードは頭を抱えて唸り虚空に向けて声にならない声を上げるのだった。

 

「はっはっは、いいじゃないか。兄ちゃんとお嬢ちゃんとってもお似合いだ」

 

「はぁ……もうどうにでもなれ」

 

 そんなこんなしてるうちに、大きなイチゴを腹に納め終る。その頃になると、少女たちは畑の沿道にある草むらまで駆けて行き、野草を囲んで談笑していた。。

 

 コルザードは肩にかけたタオルに汗を吸わせながら、何杯目かのコップ空にしてその光景を見守っていた。

 

「シュフォンお姉ちゃん、シュフォンお姉ちゃん。見てみて~」

 

「ん? どうしたのかな? グウェンちゃん」

 

「ざっつあぷりちーふらわー」

 

「それはぷりちー花です」

 

 シュフォンが丁寧に翻訳する。

 

「……」

 

「……」

 

「ちがうの?」

 

「惜しいけど違うかな」

 

 グウェンに諭すよう身振り手振りを使って説明する様子がここからでも窺えた。

 

「That's a pretty flower!」

 

「それは綺麗な花です、ですねっ」

 

「That's a pretty flower!!」

 

「Good!!」

 

 何回かの応酬の末、グウェンの完璧な発音にシュフォンは親指を立てて、グウェンの成功を心から喜んでいた。

 

「わ~い」

 

 シュフォンに頭を撫でられて、野に咲く花に負けじと大輪の笑顔を浮かべる。

 

「何やってんだ。あいつら……」

 

 コルザードはそんなやり取りを遠巻きに見つめながら嘆息していると、自分が腰掛けている丸太の隣に座る気配が一つ。

 

「兄ちゃんたちもこの村に住んだらどうだい? 何もないが、のどかでいいところだ」

 

 それは仕事をくれた先ほどの中年の農夫だった。

 

「そうですね、魅力的な話だと思いますが、目的のある旅の途中でして」

 

「ほう、そうかい。どちらまで?」

 

「とりあえずはパルミアに行こうかと。――っ!、そうだ」

 

 コルザードが思い立ったように顔を上げる。

 

「ん? なんだい?」

 

「ええ、大したことではないんですがね、ここらではエーテルの風はどうなってますか?」

 

「ああ、輝風かい。そうだねぇ、ここらじゃ少し遅れて吹くだろうかね。例年通りならさ」

 

 農夫が答える。

 

「一応確認したいのですが、先月の中ごろに早目の風が吹いた、などということは?」

 

「いんや、ないねぇ。どうしてまた」

 

「それが、先月船でノースティリスに着たんですが、そのときにちょっと、吹かれまして」

 

「ほぉ、そりゃたまげた。……よく無事だったもんだ。んでも、わしらんとこはいつも通り変わりなしだったなぁ」

 

「そうですか、ありがとうございます。それが分かればいいんです。

 単なる時期外れだったのか、偶発的なものだったのか、それが知りたかったので。つまり例年通り来るわけですね」

 

「そうさぁ、だから収穫を急いでるんさ。あと二、三日ってところかの。ははん、てことは兄ちゃんたちは王都までの腰掛けで?」

 

「ええ、実はそうなんですよ。ヴェルニースからなんですが、こっちに寄った方が安全と言われまして」

 

「はっはっは、そりゃそうさな。それで正解だ、この時期だと実りも良いしうまい飯にありつけるからのぉ。

 ……なによりあっちは物騒だからなぁ」

 

「物騒とは?」

 

「う~ん」

 

コルザードの疑問に農夫が一息つき、あごひげを撫でながら唸った。

 

「最近ねぇ、物取りが多いって聞くんだなぁ。こっちは田舎道だからそれほどでもねぇんだが、ヴェルニースからパルミアは一番人通りが多いからね」

 

「そうですか、ありえる話ですね。栄えてる炭鉱街と王都、通商にはもってこいでしょうし。もちろんそれに付け込む輩も」

 

「それもあるが、『レシマス』もあるでなぁ」

 

「『レシマス』ですか?」

 

 耳馴染みのない言葉にコルザードが食いついた。

 

「ああ、なんでもここ何年か前になにやら見つかったと大騒ぎでの。パルミア王家が今最も力を入れて捜索してるネフィアさ」

 

 レシマス……。レシマス……。呟いてみて、なにやら胸に深くのしかかるような響きを残す。

 初めて聞く名前なのに、奇妙な印象だけが残った。

 

「さ~てと、そろそろ休憩は終わりだ。あとは収穫した作物を穀倉に運ぶだけだからもうひと踏ん張り頼むわ」

 

 物思いに耽るコルザードの隣で腰を上げながら農夫が言った。意気込んでいるのか、大きく背伸びをする。それをみてコルザードも立ち上がった。

 

「はい、任せてください。それじゃちょっとあいつらも呼んできますね」

 

 そういい残し、畑の沿道にある野原で花を囲んで座っている少女たちの方へ歩いていった。相変わらず、グウェンとシュフォンが談笑していた。

 

「この赤いお花きれいだね~」

 

「アイリスのお花っていうのよ! これあげる」

 

 グウェンが摘み取った花をシュフォンへと差し出す。

 

「ええっ! いいの? グウェンちゃん。ありがとう~」

 

「どういたしましてっ!」

 

「……俺の知ってるシュフォンじゃない」

 

 媚びたような甘ったるい言葉遣いをするシュフォンを見て、コルザードは後ずさった。女は千の顔を持つというが、どうやらシュフォンもその片鱗を見せつつあるようだ。

 水を差すようで悪いと思ったが、コルザードは二人に声をかける。

 

「お~い、お前たち、楽しみのところ悪いが最後の一仕事だ。いくぞ」

 

「あ、コルザードさん。分かりました~。いますぐいきますね」

 

「いきますね!」

 

 二人の少女がパタパタと駆け寄ってくる。手に持った赤い花が風に揺れていた。

 

 

 

 

「そんじゃ兄ちゃんたち、ご苦労だったな。これ今日の報酬だ」

 

 そういって農夫が金貨の詰まった袋と収穫された作物を置いた。

 

「ありがとうございます、久しぶりに気持ちのいい汗を流せました」

 

「いんやいんや、こっちこそ作業が捗って助かったよ。しばらく滞在するならまた声かけてくれぃ。いつでも歓迎だからよ」

 

 そういって呵呵と笑う。農夫の夫人も彼に添って立ち、同意するかのように慎ましく笑みを浮かべていた。

 

「ええ、ではお言葉に甘えるかもしれません。

 ――そうだ、もう一つお尋ねしたいのですが、どこかピアノを弾くのに向いた場所はありませんかね?」

 

「ほぉ、兄ちゃん演奏家なんかい? そうだなぁ、向こうに広場があるんだ、そこがいいんじゃないかの」

 

 そういって指差された方向を見ると、村の中央に少し開けたスペースがあった。

 

「許可とかはいらないのでしょうか?」

 

「この村に、んなこと気にするやつぁおらんの。好きにしたらええよ」

 

「では、何から何までありがとうございます。それではまた機会があれば」

 

「おじさんたち、本当にありがとうございました~! またお会いしましょう」

 

「お会いしましょう!」

 

 コルザードに連れ立って二人の少女も手を振る。農夫婦はにこやかに見送ってくれた。

 

 

 

 その後、ピアノを宿から持ち出し広場へと向かった。

 

「さて、疲れてるところ悪いがもう一稼ぎするか」

 

 久しぶりに向かうピアノを前に、興奮を隠し切れなかった。昼間の労働から来る疲労すら高揚を前に吹き飛んでしまったようだ。

 

「ノースティリス初演奏。思えば長いこと弾いてなかったな」

 

 コルザードの指が鍵盤に置かれる。

 一呼吸し、指が鍵盤を踏みつける。

 

「うん、調子は悪くないな」

 

 その後は堰を切ったように両手の五指が鍵盤の上をはねる。

 それに導かれるように、粒の揃った音がコロコロと奏でられる。

 

 イルヴァではおなじみの旅をテーマにした曲であった。久しぶりの演奏にも関わらず、コルザードの指は動いてくれた。

 何度も何度も練習した時間のおかげだろう。まるでコルザード自身が蓄音機になったように正確に音を紡ぎ出すのだ。

 

「さぁさぁ、寄ってらっしゃい! 見てらっしゃい! 道往く皆様方っ! どうぞ足を止めてお立会いください。

 『月明かりの調和』による演奏、ぜひぜひご拝聴くださいませーっ!」

 

 ピアノの音色を妨げにならないようシュフォンの高く涼やかな声が広場に響き渡る。可愛い女の子の一声に、仕事帰りの農夫たちが物珍しさに集まってくる。

 

「その音色に心を傾けるもよしっ! 気に入らなかったらストレス解消に石をぶつけるもよしっ!

 ……でもお気に入りいただけたらお気持ち分のおひねりをっ! お願いしますねっ!」

 

 シュフォンが口上を終えて一礼する。ほんのり黒いジョークを交えた彼女に対して、まだ演奏途中だというにも関わらず歓声が沸く。

 

 気付けば酒を片手に農夫たちが広場を囲みしきりに囃し立てていた。

 どうやらつかみは上々らしいとコルザードは演奏に没頭しようとしたその時――。

 

 ふと、コルザードのピアノに風が乗った。彼の奏でる旋律に合わせ、耳心地よい音がそよいで来る。なんとも涼やかなフルートの音色だった。

 

 何事かと音のするほうに目をやると、グウェンがコルザードの演奏に合わせフルートを吹いていた。ピアノの軽やかな旋律の上で、グウェンのフルートの音色が踊っている。

 

「グウェンちゃん。すごいっ!」

 

 シュフォンが驚きのあまり飛び跳ねる。クライマックスまで息の合った演奏が続いた。

 

 演奏を終えて一礼。しばしの静寂の後、滝のような拍手がコルザード達に降り注いだ。

 村人たちが駆け寄ってくる。

 

「なあ、兄ちゃん達。明日は収穫祭なんだが、そんときにもまた一曲引いてくんねぇかい?」

 

 その言葉にコルザードの表情が珍しく弾む。

 

「本当ですか? 是非! こちらからお願いしたいぐらいです」

 

「いやぁ、いい演奏だったよ。本当に」

 

「ああ、疲れが吹き飛んじまうかと思ったぜ」

 

 一言二言、代わる代わるの賛辞を浴び、お捻りが飛んできた。それが思いのほかかなりの額だったので目を丸くしてしまう。

 

「あー、みなさん。ありがとうございます。実はなんですが……。今回の演奏がノースティリスに着てからの初演奏でして。

 ですから、どうでしょうか? もしよければ初演奏の成功を祝して酒など飲み交わしませんか。もちろんお代はこちらが――」

 

 コルザードの言葉が最後まで紡がれる事はなかった。

 

「兄ちゃん気に入ったぜ!」

 

「そうこなくっちゃなっ!」

 

「んじゃ、うちの酒場に来なっ! 今日取れたての新鮮なやつで腕によりをかけてご馳走してやっからよぉ」

 

「ちょっ、ひっぱらないでくださいっ! くそっ! おいシュフォンたちも送れずに来いって、うわーっ!」

 

 広場は沸きに沸いた。コルザードは気の良い農夫たちに肩を組まれ、群集の輪に飲み込まれていった。

 人の波の中へと、為す術も無く沈んでいった。

 

「うふふ、私たちもいこっか。グウェンちゃん」

 

「うん!」

 

 シュフォンとグウェンが顔を見合わせ、そして彼女たちもまたその波へと飛び込んだ。

 

 ヨウィンの夜に活気が満ちる。酒場では人々が杯をぶつけ、乾杯の音頭が上がる。コルザード一行も酒場の中心となって、陽気に笑っていた。

 苦難の連続だったノースティリスで、ようやく心の底から笑った。

 

「ふう、とりあえず。演奏の成功を祈って乾杯」

 

「乾杯」

「乾杯!」

 

「今日はシュフォンも、グウェンも疲れただろう。特にグウェン、フルートうまかったぞ。びっくりした」

 

「そうですよっ! グウェンちゃんすごかったですっ!」

 

 二人は驚きを隠そうとせずグウェンを褒め称える。今日の成功はグウェンなしにはなかったかもしれないからだ。

 

「えへへっ! フルートはいっぱいいっぱい練習したんだよ!」

 

「今度私にも教えてくださいね」

 

「うん。いいよっ! シュフォンお姉ちゃん。約束ね」

 

「なぁ、グウェン。最初に会ったときの話なんだがあれは本気なのか?」

 

コルザードが居住まいを正してグウェンに尋ねる。

 

「最初の話?」

 

「俺たちは旅をしている。もしグウェンが帰るところを探したいって言うんなら手伝ってもいいって話だ」

 

「うんっ! 私、コルおじちゃんとシュフォンお姉ちゃんについていくよ」

 

「だからおじちゃんは止めろと言っている! はぁ……。まぁお前にはヨウィンで暮らすっていう選択もあるんだぞ?

 みんな気の言い人達だ。面倒を見てくれるだろうさ」

 

「ちょっと、コルザードさんまたそんなこと言って!」

 

シュフォンが憤慨する。

 

「いや、選択肢は大いに越した事はないだろ。グウェンにはちゃんと自分の意思で選んで決めて欲しい。

 他に方法がないから仕方なくっていうんじゃなくてな。分かるか?」

 

「う~ん。分かる! 私は二人についていきたいな!」

 

「そうか、それじゃ改めてよろしくな。グウェン」

 

「グウェンちゃん。よろしくねっ」

 

「うん! よろしく! コルおじちゃんとシュフォンお姉ちゃん」

 

「それじゃ、新たな門出に乾杯といこうか!」

 

 コルザードが乾杯の音頭をとり杯を掲げた。

 

「乾杯!」

 

「かんぱーい」

 

 三つの杯が心地よい音を立てぶつかった。シュフォンとグウェンのはジュースだが、三人は杯を一気に空にし、そして笑った。

 三人の、村人たちの笑い声が夜空へと吸い込まれていった。

 新たな出会いを誰もが祝福していた。



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第十話 笛の音 風の音

 ヨウィン村の野原。すっかりと御馴染みとなった花畑に二人の少女がいた。

 照りつける太陽の下。ひっそりと紅い花が咲き誇るそこをとても気に入ったようで、今日も今日とて蝶のように花の周りを舞う。

 

「グウェンちゃん。こう? これでいいの?」

 

「ちがうよぉ~! それじゃ音がでないの」

 

 シュフォンの手にはフルートが握られている。先日披露されたグウェンの腕前に、すっかり惚れ込んでしまったシュフォンはこの機会に是非と頼み込み、手ほどきを受けているのだ。

 

 しかし、悲しいかな。神は平等に才能を与えることはない。シュフォンが奏でる笛の音は、掠れた音を立てて、スースーと抜けていくばかり。

 息を吹き込む音のほうが大きく聞こえるものだから、彼女がどんな顔をしてフルートを演奏しているのか想像に難くない。

 

「フー! フーッ!!」

 

「シュフォンお姉ちゃん、もっとちゃんと指で押さえないとだめっ! 息遣いよりも指のほうが大事なんだからね!

 左手でその3つと、それをおさえて、右手でここの3つとこの横を押さえるの」

 

 グウェンもシュフォンに手解きすることが満更でもない様で、手取り足取り教えている。ただその時のグウェンの表情は普段よく見せる頑是無い子供のそれとはうって変わって真剣な顔つきである。

 とはいえ、傍目にはそれはなんとも微笑ましい光景であった。

 

「は、はいぃっ! グウェン先生! ……えっと、こう? ですか」

 

「うんっ! そうそう、そうやって押さえながら吹いてみてっ!」

 

「それっ!」

 

 と一呼吸し、呼気をフルートに送ると、歪ながらも『ド』の音が奏でられる。

 けれどそれは今にも倒れてしまいそうななんとも頼りない響きであった。

 

「わっ! やった。グウェンちゃん、聞きましたよね? これでいいんですよねっ!?」

 

 それでも手ごたえを得たとシュフォンはその表情を喜色に染めた。両肘を折りたたみコブシを軽く握って揚々と飛び跳ね、小さな達成感を身体全体で表現する。

 

「お上手、お上手! でももうちょっとうまく出来るよ! シュフォンお姉ちゃんなら簡単簡単!」

 

 シュフォンの周りを駆け回りながらグウェンが讃える。

 

「見ててくださいよ~。もう一回やりますからね。それっ!」

 

 意気込みを新たにフルートから奏でられたのは、浮かれたシュフォンを戒めるかのように曇った音であった。思わず肩の力が抜けそうという表現がしっくりくる。

 

「あっれ~? おかしいですね。グウェンちゃんに教えてもらった通りにやったのにぃ~」

 

 これにはシュフォンも消沈し、小首をかしげ恥じらいを見せる。

 

「おねえちゃんおねえちゃん。『フ~!』って吹くんじゃなくて『トゥー』って吹くのよ! 綺麗な音が出るからやってみて」

 

「本当ですか? よーし、それじゃ……」

 

 柔らかにフルートへと口をつけ。グウェンが言うとおりに息を吹き込む。

 すると、先ほどとはうって変わって、一陣の風に揺られて木の葉が舞った様に軽やかな音色が響き渡った。

 

「っ! できましたよ! すごいです」

 

「おめでとーっ!」

 

 一歩一歩着実に感じ取れる確かな手ごたえにシュフォンはグウェンの手をとり笑う。

 

「でも、グウェンちゃんすごいですね。どうやって吹いてるかなんて見ても分からないのに」

 

「わかるよぉ~! 音でその人がどんな吹き方をしてるかなんて。フルートが教えてくれるんだから!」

 

「いやいやぁ~、御見それしました。いよっ! グウェン先生!」

 

「えっへっへ、よろしい!」

 

 両腰に手を当てふんぞり返るグウェン。その背丈の小ささも相まって愛嬌に溢れている。

 そんなグウェンに、シュフォンは芝居がかった仕草で寄りすがっていた。

 

「さて、それじゃ少し休憩しよっか」

 

「そうだね!」

 

 大きく息を吸い込み背筋を伸ばし身体の疲れを取る。野原に咲きほこる野草のクッションに座り込んだ。

 シュフォンが横を向くとそこには赤い花の冠があった。

 

「グウェンちゃんその冠、素敵ですね」

 

「うん、この花の冠はお母さんに作ってもらったの~」

 

「いいなぁ。優しいお母さんなんですね~」

 

「ママのことは大好き! だから、早く会いたいな」

 

「そっかそっか、それじゃなんとしても帰る方法を探さないとだね。でも、どこにあるんでしょうね……?」

 

 その言葉が引き金にホームシックが喚起されたのか、グウェンの表情が陰る。

 

「う~ん……」

 

 グウェンが視線を空へと傾け、虚空の引き出しから記憶を探るようにまばたきをする。目をせわしなく動かし、首を右へ左へと傾けていた。どうやら相当難儀しているようだった。

 その間に流れ行く雲が時間の経過を物語っている。

 

「……どこだったかなぁ」

 

「グウェンちゃんはどうやってヨウィンに来たの?」

 

 埒が明かない。それならばとシュフォンは話の切り口を変えてみることにした。

 

「う~ん……」

 

 シュフォンが質問を重ねてもグウェンの眉間に一層深い皺が出来るだけで進展はなかった。しばらくその様子を見守っていたが、やはり朗らかな笑みが似合うグウェンにそんな表情は似つかわしくないと思ったのであろう。

 シュフォンは早々にこの話題を打ち切った。

 

「まぁ、考えても分からない事はありますよねっ! よし、そろそろ休憩を終えましょう。続きを教えてもらえますか? グウェン先生?」

 

 おどけて、立ち上がる。そして恭しくグウェンに対して一礼するのであった。もちろんそこには若干の演技が混じっていたがグウェンは快く答えた。

 

「うんっ! いいよ! 私にまかせてっ!」

 

「お手柔らかにお願いしますよ」

 

 そういって、再びフルートの練習に、シュフォンは没頭した。そうすればグウェンもシュフォンも余計なことを考えずに済むと考えたからだ。

 幸いにして楽器を演奏する事は不慣れなシュフォンにとっては相当手のかかる作業だったしそんなシュフォンに、拙くもなんとかうまく教えようとグウェンも熱意をもって指導していた。

 結果、それが功を奏し。グウェンは先ほどの話題を気にする事はなくなった。

 しかし、シュフォンの胸には依然としてわだかまりを残し、そんな不安を反映したかのように笛の音に影響する。

 

「……むぅ。難しいですね」

 

「お姉ちゃん、最初のころよりずっとうまくなってるよ! その調子その調子っ!」

 

「ありがとうグウェンちゃん。これもグウェンちゃんが教えるのがうまいからですよ」

 

「そんなことないよぉ」

 

 シュフォンに褒め殺しを受け、グウェンがはにかむ。そんなことを繰り返ているうちにシュフォンが一通りの音階吹き方を習得した頃

 

「そうだ、お姉ちゃんにも作ってあげよっか?」

 

 なんの脈絡もなしにグウェンが言った。

 

「え?」

 

 不意に投げかけられたグウェンの言葉の意図がつかめずシュフォンは疑問の声を上げる。

 

「作ってあげるって何をですか? グウェンちゃん」

 

「この花の冠だよ~。さっきお姉ちゃん褒めてくれたからとっても嬉しかったの! それでお姉ちゃん綺麗だから似合うんじゃないかなって」

 

「グウェンちゃんったら、その歳でずいぶんとお上手なんですから。おだてても何も出ませんよ?」

 

「……? なんのこと?」

 

 小首をかしげ、何のことか純粋に分からないといったご様子。

 

「うふふ、なんでもないですよ。こっちの話です。それじゃお言葉に甘えてお願いしてもいいですか?」

 

「いいよっ! お姉ちゃんも大好きだから。プレゼントしてあげるねっ!」

 

「ありがとう。グウェンちゃん、出来たら大切にしますね」

 

「約束だよ!」

 

「じゃあ指きりしましょう」

 

「うんっ!」

 

「指きりげんまん嘘ついたら、井戸水1000杯、の~ますっ!」

 

 二人の少女は声を重ね、小指を交わす。

 

「指切ったっ!」

 

 こうして二人の間に制約が結ばれ、絡み合った小指が離された。

 

「――お~い!」

 

 ふと、そんな少女たちの耳に声が届いた。

 振り返ってみると、二人がいる野原から少し離れた沿道に、ぼさついた黒髪を不揃いに纏めた、目つきの悪い青年がいた。

 

「あっ! コルザードさん。どうしたんですか~っ!?」

 

「どうしたもこうしたもっ!、そろそろ準備だ。お前たちも遅れずに来いよなぁっ!」

 

 遠方から大声で呼びかけるのは、花畑でじゃれあう二人の少女がなんとも絵になっていたからであろうか。

 その空気を壊したくなかったのかもしれない。あるいは自分にはそこに踏み入る資格はないと考えていたからか。どちらかは分からない。

 

「は~い! もう少ししたら行きますっ! 先に行っててくださ~いっ!」

 

「行っててくださいっ!」

 

 返事を聞くなり踵を返し、元来た道へと立ち去っていった。少女たちに背を向け、手をひらひらと振り、了解の意を告げる。

 

「――さて、それじゃグウェンちゃん。後片付けして追いかけましょうか」

 

「はーいっ!」

 

「ふふ、今日はありがとうございますね」

 

「いいよっ! またいつでも教えてあげるね」

 

 グウェンがシュフォンに頭を突き出すように前のめりになる。

 意図を汲み取ったのかシュフォンははにかみ、そっとグウェンの頭に手を置いた。

 

 

 

 しばらくして、シュフォンが街の広場へとやってくる。

 

「しかし、ずいぶんと仲良くなったじゃないか」

 

「そうですね。私は村でも最年少だったので。グウェンちゃんみたいな年下の子って新鮮なんですよね。

 妹が出来たみたいな感じでついつい」

 

「そっか、まぁそういう気持ちは俺も分かるよ。手のかかるやつほど愛着が沸くっていうか、ほっとけないんだよな」

 

 ちらりと横目でシュフォンを見た。その横顔がいつもの幼いシュフォンのものとは異なり、憂いを含んだ瞳が大人びた印象を与える。だが、それも束の間。コルザードの視線に気付くなり頬を膨らませ憤慨する。

 

「もうっ! それって私のことですか? 喜んでいいのか怒っていいのか分からないこと言わないでください」

 

「だって事実だしなぁ~」

 

「……」

 

「おいおい、冗談だって、そんなに落ち込むなよ」

 

 いつもなら返ってくるはずの軽口がない。突然のことだったので慌ててフォローをいれたものの、彼女の瞳は微かな憂いを含み、遠くを見つめているようであった。

 

「いえ……、違います。グウェンちゃんのことでちょっと」

 

「グウェンがどうかしたのか? さっきあんなに仲睦まじく戯れていたじゃないか」

 

「あれ? 嫉妬ですか? だめですよ。女の子同士に嫉妬するなんて器が小さいって思」

 

「――馬鹿かっ! そんなんじゃない!」

 

「おっとっと、コレは失礼を」

 

 先ほどのは気の迷いだったのだろうか、そこにはいつものおどけたシュフォンがいた。コルザードは密かに胸をなでおろす。

 

「んで? グウェンがどうかしたって?」

 

 とはいえ、からかわれて癪だったのもあり、憮然とした表情で問うた。その瞬間、先ほど見せた憂いを表情に貼り付け、シュフォンがとつとつと語りだした。

 

「……大したことじゃないんです。さっきグウェンちゃんが故郷を懐かしんでただけなんですけどね。わ、私はノースティリスの地名なら教養の範囲内で大体知ってますけど。やっぱりアスカロンなんてないですし……

 その、コルザードさんがヴェルニースで言ってた旅の目的もあるじゃないですか。いつになったら故郷に帰してあげられるのかなって……。

 いえ、そもそも本当にグウェンちゃんを帰してあげることができるか。気になっちゃって……」

 

 たどたどしく語るシュフォンの声が若干震えている。なるほど、シュフォンの言い分はごもっとも。コルザードとてグウェンとの出会ったときから抱いていた微かな違和感。

 その正体をいままで極力考えないようにしていたのだから。

 

「そういうことか……。確かにアスカロンなんて地名は俺も気になってたさ。

 世界にそれほど明るいわけじゃない。だがジューアは元々遊牧民、世界のいたるところにその足跡を残している。世界の全土を明らかにしているわけじゃないが、地名には聡い。

 それでも、やはり俺も聞いたことがないんだよな……」

 

 突然訪れる沈黙。湿った雰囲気を嫌うかのように、コルザードは頭をかいた。

 

「それに、グウェンちゃん。ノースティリスに着たときの事とかあんまり覚えていないみたいで……。それも気になります」

 

「可能性があるとしたら、世界最高の魔法文明を誇るエウダーナあたりか?

 大規模な転移魔法装置とか……。それによる記憶の混濁……。ダメだな、分からないことを前提に話をしても意味が無い」

 

 コルザードは大きく背伸びをした。その拍子に周囲に目を向ける。何台もの荷車に詰まれた穀物が村の倉庫へと運ばれていく。

広場では大勢の大人たちが陽気に収穫祭の準備を進めている。

 そんな活気溢れる集団の輪の中にあって、二人の表情はどこか儚げに沈んでいた。

 

「――いよっ! どうした、兄ちゃん達? 祭りの前にしけた面されちゃたまんねぇぞい!」

 

 不意に背後から肩を叩かれた。一瞬驚き、身体をすくませるも、恐る恐る振り返るとそこには先日見知った中年の農夫の姿があった。

 

「ああ、これはどうも。ちょっと今後の事を考えてまして……」

 

「今後の事? はっはぁ~ん」

 

 当然事情が掴めてない農夫。コルザードとシュフォンを交互に見やり、閃いたといわんばかりの表情。その面貌に浮かぶ、こぼれんばかりの笑みを何とか堪えようと、口元を手で押さえていた。

 

「なるほど、なるほど、深刻な表情をした若い男女。そして今後のこと。はっはっはっは、つまりそういうわけかい?」

 

「えっと、はぁ。どういうわけでしょう?」

 

「いいっていいって、隠さずとも分からぁ。ワシも嫁に切り出すときはそんな感じだったさ」

 

 ついに呵呵と堪えきれなくなった笑みをこぼし大笑いする。意図が分からず呆然としていた、コルザードだが次第にその意味するところを読み取り――

 

「なっ! ち、違いますよ! そういう話をしてたんじゃありませんって。ほんと、勘弁してくださいよ」

 

「はっはっは、まぁ兄ちゃん達なら早いか遅いかの違いでしかあるめぇよ。

 まぁそれよりもだ、主賓がこんなところで暗い顔してちゃいけねぇ。晴れ舞台もあるんだからよ。しっかりしてくれよな」

 

 そういって再び肩を二度三度叩かれる。農夫は軽く叩いたつもりであろうが、何分力仕事に従事してきた彼の力は思いのほか強く、思わずつんのめってしまうコルザードであった。

 

「んじゃ、あまり邪魔しちゃいけねぇからよ。わしはこの辺で失礼させてもらうさ。演奏楽しみにしてっからよ~」

 

 呵呵大笑し立ち去っていく農夫。

 やれやれと、肩に残る力強い感触を擦りながら嘆息する。

 

「コルザードさん。一体何の話だったんですか?」

 

 横合いからシュフォンが疑問の声を上げる。そちらを振り向くと、今のやり取りの意味が分からなかったようで、その瞳には好奇心に彩られていた。

 

「……なんでもない」

 

 それを短く突っぱねた。

 

「なんでもないって、気になりますよぅ~。教えてくれたって良いじゃないですか」

 

「本当になんでもないんだ」

 

 コルザードが顔をあらぬ方向へと背ける。

 

「教えてください」

 

 そこにシュフォンが回り込む。

 

「なんでもないって言ってるだろ」

 

 またシュフォンのいない別の方向へ顔を。

 

「減るものじゃないし、教えてくれたっていいでしょ?」

 

 またまたシュフォンが回り込む。頬が膨らんできている。

 

「はぁ~」

 

 観念したかのようにコルザードが息をついた。

 

「大したことじゃないって。単なるキャベツ畑の話だ」

 

「キャベツ畑? あの会話のどこにそんな要素が入ってたんですか?」

 

 眉根を寄せ、意図が掴めないと言わんばかりに表情を曇らせる。

 

「入ってたんだよ。それが分からないならお前はまだまだ子供って事だ」

 

「むぅ~。またそうやって子ども扱いしてぇ~っ! くやしいっ!」

 

 地団駄を踏むシュフォン。こう言われては意地でも答えにたどり着いてやると憤然とした面持ちで頭を悩ますのだった。

 

「まぁ、その話は置いておいて。おじさんが言ってた通りだ。せっかくの祭りなんだし、今は楽しもう。

 ……グウェンのことにしたって、確かに気がかりだが、今すぐに答えを出さなきゃいけないってわけでもないさ。寂しくならない位、いっぱい思い出を作ってやればいい。そうだろ? そのために俺たちが情けない顔してたらダメだ」

 

 シュフォンを宥めるようにコルザードは言う。

 

「はぁ~。そうですね、確かにその通りです。……まったくよくもまぁそんなにうまく口が回るもんですね」

 

「年の功ってやつだ。ほれ、いくぞシュフォン。俺たちも演奏の準備をしなくちゃな」

 

「はい」

 

 そういってコルザードは街の中央広場へと歩みを進めた。背後に遅れて鳴り響く足音を耳に感じながら、村人たちの輪の中へとコルザード達は入っていった。

 

 

 

 そこは村のはずれにある草原の一角。あたり一面の赤に染まっていた。

 その赤の正体は絨毯の様に咲き誇るアイリスの花。そんな中、白の少女が座り込み。とある作業に没頭していた。

 

「うんしょっ! うんしょっ!」

 

 アイリスの花を手に携え、それらを結び、繋ぎ合わせていく。幾重にもつながれたアイリスの花が線状になっている。

 

「えへへ、おねぇちゃん喜んでくれるかなぁ」

 

 無邪気な少女は笑い、自答する。

 それを手渡したときの相手の喜びようを脳裏に浮かべているようだ。

 

「それにしても、こんなたくさんアイリスの花が咲いている場所を見つけてよかった!

 でもちょっと村から離れてるから、早く帰らないと心配しちゃうかな」

 

 そういってグウェンは手元に視線を落とす。

 ひも状に結ばれたアイリスの花。

 冠を作って贈ると誓ったアイリスの花。

 

「……うんっ! もうちょっとだけ、あと少し。丸く繋いで完成だから、頑張ろうっと!」

 

 再び作業に没頭する。一本一本丁寧に、丁寧にと花が紡がれる。

 幼く小さな手で、しっかりと。一心不乱に手を動かす。

 

「出来たっ! シュフォンお姉ちゃんに早く渡してあげないと」

 

 そこには環状に結ばれたアイリスの花冠があった。

 グウェンの頭にのっている物と瓜二つである。改心の出来にグウェンは満足し、一息つく為にふと、グウェンが顔を上げる。

 

 始めてみるその光景にグウェンは目を丸くした。山の端が淡い光を帯びていた。太陽はまだ天高くから燦々と輝いているのに、まるで天の川がそこに顕現したかのようであった。

 真昼に輝く星々を見た気がして、その幻想的な光景に心を奪われた。

 

「うわぁ~。すごいっ! すごいっ! 綺麗だなぁ~」

 

 グウェンはノースティリスに来て日が浅い。それがもたらす物が一体なんなのか、知るはずも無かった。

 

「シュフォンおねえちゃんと、コルおじちゃんを誘って一緒に眺めようっ! きっと楽しいだろうな!」

 

 無邪気に、ただ無邪気に笑う。

 かくも美しく無残な滅びの風を前にして。



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第十一話 エーテルの風、再び

 村の中央広場。

 赤々と色づく紅葉を眺め、小鳥の囀りに耳を傾けるのに最適の場所。

 普段ならばそんな静謐に満ち溢れた憩いを求めて人々が訪れるそこは喧騒の最中にあった。

 

 大勢の村人の活気に満ち溢れ、あれやこれやと指示を飛ばしてんてこ舞い。

 収穫祭の段取りのため村人達が駆け回る。

 村の広場の中央には祭壇が置かれ、豊穣神クミロミの像が鎮座している。

 

 その姿はヤギの角と見紛うばかりの二股に分かれた帽子。肩までかかる夕焼け色の髪。そして背中には真っ白な天使の羽。村民を見守るようその瞳は優しげな光を讃え、実りある大地を祝福しているかのようだ。

 そして緑の上着と対比的な白いスカートがなんともまぶしい。

 そんな小柄で可愛らしく愛嬌のある『男神』を象った像が、収穫の象徴である鎌を凛然と構えているのだった。

 

「おう、兄ちゃん。ピアノを置くならそこにしてくれぃ!」

 

「あ、はい。わかりました」

 

「お嬢ちゃん、お料理手伝ってもらえんかねぇ?」

 

「はいっ! おばあさん。私に出来ることなら」

 

 村人たちに混じり段取りの作業に追われる。もちろんコルザード達もだ。

 

「……あの、シュフォンに料理させるのはちょっとまず」

 

「あーあーあーあ! 聞こえません。何も聞こえませんよ。さあ行きましょう」

 

「ほほほ、若い子は元気でいいわね」

 

 という具合に村人たちの溢れる輪の中にいて、先ほどまで消沈二人もすっかり回復した様子で駆け回る。

 

 広場にはたくさんの長椅子や机が並べられ、机の上では大皿や食器が配膳されていた。

 コルザードは今その最前列にある舞台に設置されたピアノの傍でそんな作業を見守っていた。

 

「やっぱりこういう場所で引くほうが性にあうな」

 

 誰に聞かせるでもなく呟く。

 お堅いパーティで演奏するよりも村の片隅で、人々の笑顔にほんの少し花を添えるような、そんな些細なことが好きであった。

 舞台の上から観客席を眺めて、演奏する自分を想像する。

 

「――さてと、こちらの準備は大体終わったし……。っ!? そうだ。シュフォンが心配だからちょっと見に行くか」

 

 突如訪れた悪寒がコルザードを調理場へと足を運ばせる。

 シュフォンの身が心配ではなく、それによって作り出されるものがどのような被害をもたらすか、そちらのほうが気がかりであった。

 

 

 

「で、これはなんだ?」

 

 料理場に入ると満面の笑みでシュフォンが迎えてくれた。

 

「――これが『原型を留めていないアピの実』、こちらが『禁断の麺』、『恐怖のパン』に『生ゴミ同然のイーモ』。これらを余すことなくつめた『祝福された愛のこもった少女の手作り弁当』です! もしものための『大災薬』もしっかり用意してありますよ」

 

 両手でバスケットを掴み、コルザードの方へと差し出している。

 それを見るやいなや滂沱の如く背中を伝う冷や汗。

 名前が既にやばい。その形状も恐ろしい。

 というか、祝福された? 呪われたの間違いではないのか。そう彼は自答する。

 まるで過去に封じられし忌まわしい記憶がよみがえって来るかのようだ。

 

「……もう一回だけ聞くぞ。それを俺にどうしろと?」

 

 おどろおどろしい口調で尋ねる。

 

「どうしろって決まってるじゃないですか! 味見ですよ。あ・じ・み!」

 

「……」

 

 頬を膨らますシュフォンはバスケットをコルザードの方へと差し出した。

 その拍子にコルザードはシュフォンの手の甲に出来た生傷が目に止まる。

 剣士として多少の心得のある彼女には不釣合いな切り傷だ。

 

 そんな視線をシュフォンが見て取ったのか、恥じらいの混じった声で返答する。

 

「あっ、これですか? いやぁ、お恥ずかしいです。つい勢い余っちゃって……」

 

 なるほど。一生懸命、不慣れな料理に打ち込んだ証。

 小さい女の子が、綺麗な手から血を流して成し遂げた成果。

 その事実が抗いがたいプレッシャーとなりコルザードを抑圧する。

 

「それで、がんばったんですけど。是非味見を、と思いまして。……どうでしょうか?」

 

 顔を伏せ、うつむきがちに流し見るその瞳がなんとも儚げなであった。

 「あらまぁ、若い子達はいいわね」と調理場のおばちゃんたちもそんな様子をほほえましげに見守っていた。

 この場の構成する雰囲気が、コルザードから拒否権を剥奪しているかのようだった。

 

「あっ……。ああ」

 

 神よ。どうかご加護を――。

 コルザードは祈った。

 俺、これを食べ終えたらシーナさんに告白するんだ……。なんてことを思ってみたくもなる心境。

 

 恐怖に震える手をおそるおそる伸ばしていく。

 既に味わった恐怖ではないか。

 いや、だからこそより一層その経験が身を苛むのだ。

 

 得体の知れないそれを掴む。

 おそらくそれは麺であったのだろう。既に色艶は失われており石灰と勘違いするほどに白い。

 水気を吸いすぎてふやけている。掴んだ感触が……ない。

 

 コルザードはそれを恐る恐る口に運ぼうとしたときだった――。

 

 外から机をひっくり返した様な音が耳に飛び込んできた。

 気付けば喧騒の質も変わっており、和やかな賑わいから驚愕や不安の入り混じったざわつきが周囲を支配する。

 

「そ、そ空が!!」

 

 突如として広場にいた村民の一人が叫んだ。

 その場にいたものは皆、何事かとそちらに視線を向ける。

 

 山の端が輝いていた。それは陽光を乱反射させ、現実味の無いほど幻想的な光景を描き出す。帯状のものがたゆたうように光沢を放ちながら、こちらに向かって蛇行してくるのが遠目にも分かった。

 

「エ、エエ、エーテルの風だ!!」

 

 村人がその名前を叫んだ。忘れることは出来ない。あの夜二人を襲った災厄の名前を。

 透明な空を、侵食するが如く気流に乗りながら光の波が押し寄せてくる。

 山の際に辛うじて視認できるばかりの距離ではあるが、それは見る見るうちに山を下り、硝子の雪崩れの如く山肌を覆い滑り落ちてくるのだ。早く行動しなければ巻き込まれてしまうのは想像に難くない。

 

「い、いそげっ! 宿のシェルターにみんな非難しろ!」

 

 その光景に目を奪われていたのも束の間。蜂の巣をつついたように我先にと村人たちは避難し始める。

 

「俺たちもシェルターに逃げるぞ!」コルザードがシュフォンに言い放つ。

 

「え、でも料理……」

 

「馬鹿! そんなこと言ってる場合か。急がないとまずい。そんな悠長な時間はないんだ。シュフォンがせっかく作ってくれたのは嬉しいが、早く逃げないと間に合わなくなるんだぞ!」

 

 おお、風の女神よ。俺の祈りが通じたのですね。オパートス様ほどではありませんが貴方の事も信仰してもいいかもしれません。

 不謹慎ながらその声はコルザードの内にひっそりと響き渡った。

 

 シュフォンは少しの間、躊躇いの色を浮かべていたが一度強く目を瞑り、そして見開いた。

 

「分かりました」

 

「よし、今すぐ行くぞ! 早く逃げないと(料理から)」

 

 シュフォンの手を引き二人は村の宿にある地下シェルターの前まで駆けて行く。

 だが先導するコルザードの手が突如引かれた。シュフォンが足を止めたからだった。

 

「っ!? おい、どうしたシュフォン。なんで立ち止まる?」

 

 シュフォンは慌てていた。忘れていた重大な事実に気付いたように。

 

「コルザードさん! グウェンちゃんは? グウェンちゃんはどこですか!?」

 

 彼も言われて気付く。シュフォンとさっきまであんなに仲良くしていた少女の姿が見当たらない。四六時中一緒にいるというわけでもないので不審に思っていなかったが、この状況下で発せられたシュフォンの言葉に全身が水をかけられたかのように冷たくなる。

 底冷えのする感情が腹のそこからせり上がって、開いた唇がわなわなと震えていた。

 

「……まさか、いないのか?」

 

 シュフォンはその問いに答えず、周囲へキョロキョロと目配せしている。

 その目には焦りに彩られ、シェルターへと避難している村民の群れの中にグウェンがいないかどうかを必死で探し出していた。

 つまりそれが答えだった。

 

「シュフォンはそこでグウェンが後から来ないか見ててくれ! 俺は既にシェルターの中に避難していないかどうか確かめてくる」

 

「わ、分かりました!」

 

 シュフォンの声を背中で聞き、コルザードがシェルター内へと足を踏み入れた。

 シェルター内部では既に避難してきた住民たちが安堵の表情を浮かべている。

 けれどその中にグウェンの姿を見て取る事はできなかった。

 

 しかしその代わりに村民たちの集団の中からコルザードは見覚えのある人物に目を留める。

 

「おじさん!」

 

 コルザードが声を掛ける。それにつられて、振り返ったのは畑仕事を手伝わせてくれた中年の農夫であった。

 

「おお、兄ちゃんも無事だったんだな。よかったよかった」

 

 コルザードは農夫の前へと駆け寄った。

 

「はぁ、はぁ、はぁ。グ、グウェンが、グウェンが避難してきていませんでしたか?」

 

「グウェンちゃんかい。まさかはぐれたのか?」

 

 不安そうな顔でコルザードに答える農夫。だがその反応だけでコルザードは察した。

 

「あ、おいっ! 兄ちゃん!」

 

 コルザードはシェルターを飛び出していた。宿の前まで戻ると、そこに佇むシュフォンが眉を歪め不安な面持ちで立っていた。

 

「あっ! コルザードさん。グウェンちゃんは? グウェンちゃんはもう避難していましたか?」

 

 切実な表情で声を張りつめシュフォンはコルザードに問いかけた。

 

「はあ、はぁ、はあ。グウェンは、シェルターにはいなかった!」

 

「そ、そんなっ!」

 

 口の中がひどく乾いていく。生唾が喉を通らない。胸が押しつぶされそうなほど苦しい。

 もぞもぞと身体を這い回るようひどく不快で、気持ち悪く身を苛む。

 刻一刻と具現化する絶望を前に二人は沈黙し、硬直していた。

 

 既に、村にはエーテルの風の予兆を知らせるように強い風が吹き荒んでいる。

 本体である輝きを伴った風は未だ村のはずれに漂っている。

 雨の到来は降られてみないと分からないのに、エーテルの風の場合はとても分かりやすかった。

 だが、分かってしまうが故に恐怖心を押さえきれない。

 

「グウェンの事だ。どうせ次の瞬間にでもコルおじちゃ~ん、とかシュフォンお姉ちゃ~んとか言って、場違いなほど明るい笑みを浮かべて駆け寄ってくるさ……。短い付き合いだがきっとそうだ。そんな気がする」

 

「……」

 

 コルザードのそんなかすれた呟きに対してシュフォンは何も言わなかった。

 二人は今、混迷の極みにあった。

 

「コルザードさん……」

 

 シュフォンが唇を噛み締めた。

 

「私、グウェンちゃんを探してきますっ!」

 

「なっ! 馬鹿な。そんなことしたらお前まで――っ!」

 

「ごめんなさい。コルザードさん」

 

 シュフォンの靴が勢いよく大地を蹴る。

 エーテルの風の中で人を助けることは、急激な水流の中で溺れている人を助けに行くのと同義だった。

 

「おいっ! お前っ……。クソっ! どうなっても知らんぞ!」

 

 コルザードも腹をくくったのかシュフォンの背中を追いかけた。

 

 こうしてシュフォン達は、エーテルの風が吹き荒ぶ方向へ向かって駆け出した。

 誘蛾灯に誘われる虫のようだと、誰が彼女を笑えるであろうか。

 出会って間もない他人の為に命を懸けるなんて馬鹿らしいと。

 だが、シュフォン達はそんな馬鹿を断行するほどの絆を、グウェンに見出していたのだ。

 

 

 

"――はっ、はっ、はっ、はっ、はっ"

 

 まるで廃墟のようだ。

 つい先ほどまではあれほど活気に満ち溢れていた中央広場。

 そこは閑散としてる。

 

"――はっ、はっ、はっ、はっ、はっ"

 

 綺麗に並べられた机や椅子は倒れ、食器も地面に落ち割れていた。

 祭具もその場に打ち捨てられ、クミロミ像が寂しげに佇んでいる。

 思えばここも、初めてグウェンと出会った場所だった。

 

"――はっ、はっ、はっ、はっ、はっ"

 

 既にそんな風景すら後ろ目で見送り、それでも二人は走る。

 グウェンがいそうな場所を探すために、小さい割りに目立つあの銀色の髪を必死で探す。

 

"――はっ、はっ、はっ、はっ、はっ"

 

 呼吸が規則正しく吐き出される。

 冒険者稼業を営んでいた二人はちょっとやそっとでへばるほどやわな鍛え方はしていない。

 間もなく、例の農夫の畑に到着する。

 ここで、シュフォンとグウェンは本当の姉妹のように楽しげに笑っていたのが懐かしく感じる。

 

「コルザードさん、次はこっちですっ!」

 

 そういってシュフォンは今朝方、グウェンとフルートの練習をした野原の方へ駆け出した。

 

「ああっ!」

 

 コルザードも少女の声に強く答え。追いかける。

 村の入り口の前に光の壁があるようだった。既にエーテルの風は眼前まで迫っていた。

 幻想的な風景を感じさせる描写として"ルミエスト大橋の向こうは雪国"という表現は聞いたことがあるが、今の状況ほど現実と幻想の対比が際立つ光景というのもないだろうと彼は自問する。

 

「グウェンちゃーん!」

 

「おいっ! グウェンいるか!? 返事をしろ!」

 

 野原にたどり着いた二人が必死に声を張り上げる。無邪気で陽気な返事が返ってくることを期待して。

 喉が張り裂けても構わないと言わんばかりに同じことを何度も繰り返す。

 

「いたら返事してください! グウェンちゃんっっ!」

 

「グウェン! どこだ! お前がいないと演奏会が始まらないだろ! 早くでてこーいっ!」

 

 刻一刻と募る焦燥感。全力疾走し、大声を上げ続けた喉はカラカラ。

 疲労と危機感が全身を苛み二人の身体に重くのしかかる。

 ――そのときだった。

 

「きゃっ!」

 

「うわっ!」

 

 突如吹き荒れた一際強い突風と共にコルザード達は燐光の嵐の中へと沈んだ。

 輝く風にあおられ、二人は踏ん張り堪える。

 

「くそっ、シュフォン大丈夫か?」

 

「はい、なんとか、ですけど」

 

 全身に纏わり付いてくる輝きにコルザードは顔をしかめる。

 実害は今のところ……ない。だが、エーテルの風は徐々に徐々に確実に二人の身体を蝕んでいく。

 

「くそっ! 不味いな……」

 

 悪態をつくコルザードの周囲は淡い輝きを湛えた無数の光点がふわりふわりと風に運ばれ空中を漂う。

 舞い散る粉雪のようなもの。

 

「グウェンちゃっ――むぐっ!」

 

 一心不乱になおもグウェンに呼びかけようとするシュフォンの口をコルザードはその手で覆った。

 

「やめろ、シュフォン。エーテルの風を吸いすぎるな。取り返しが付かなくなるぞ」

 

 コルザードはシュフォンに言い聞かせながら自分の見当違いな発言に悪態をつきたくなる。

 そもそも吸うとまずいのではなく浴びること自体がまずいというのに。

 

「いいな。大声は出すな。口に手を当て、なるべく無駄にコレを吸わない様にしろ」

 

 コルザードの言葉にシュフォンは頷いた。

 それを確認してコルザードはシュフォンから手を離した。

 

 とはいえ内心コルザードは焦りを募らせる。どうみても、どう贔屓目に見ても既に限界であった。

 もはやその奔流に自分達は身を浸しているのだ。いまさらその程度のささやかな抵抗が一体何になるのか。

 

「っ! ぐっ……」

 

 重苦しい倦怠感にコルザードは思わず膝を突いて倒れそうになる。

 もう、限界だ。

 

 彼の目の前ではシュフォンが尚も周囲に視線を配っている。

 声があげられないのであればせめてその目でグウェンを見つけよう言わんばかりに。

 そんな彼女の顔色も明らか悪い。

 コルザードは決断を迫られていた――。

 

 そしてコルザードは気付いてしまう。

 シュフォンの身体に目に見えて訪れる異変。本人は気付いていないのであろうか。意に介した素振りは見せていない。

 

「っ!? シュフォン! もう限界だ。シェルターに戻るぞ!」

 

 少女の肩に手を置き、コルザードは告げる。

 

「――っ!? そ、そんな!? コルザードさんグウェンちゃんを見殺しにするんですか? そんなことできません!」

 

 シュフォンは半狂乱になって叫ぶ。

 シュフォンはまだ若い。親しいものとの別離をほとんど経験していなかった。

 そんな彼女だから現状を受け入れることが困難なのだ。

 

「だがこのままじゃ共倒れだぞ。頼むから現実を見てくれシュフォン……!」

 

「でも、でも。でも……!」

 

「お前、今の自分の状態気付いているか? 本当に時間がないんだよ!」

 

 そういってコルザードが指を差す。

 

「え……。私の状態? って、あれ? コルザードさんそれ……!」

 

 シュフォンの方に向いたコルザードの指を、彼女もまた差し返した。

 

「ん? うわっ!」

 

 それに促されコルザードも自らの手に視線を落とす。

 それは着々と人の手以外のようなものに変化しつつあった。

 

「そ、そんな。私のせいで。コルザードさん……あっ――」

 

 恐怖、狼狽、不安、緊張、苦痛――肉体的、精神的に極限状態の中で少女は意識を失った。

 

「シュフォン!? くそっ」

 

 悪態をつき、コルザードはシュフォンを担ぎ上げる。少女の身体は羽のように軽く、辛かったろうに今まで気丈に振舞っていたことに目頭が熱くなった。

 程なくして、ぐったりと動かなくなったシュフォンを背負い。

 コルザードはシェルターへと駆け出した。

 

 コルザードはシュフォンよりも抗えぬ別離というものに慣れている。

 両方を救う都合の良い選択肢がないということを弁えていた。

 彼が常に命の選択を強いられる環境で育ったせいか、シュフォンを背負ったときには既にグウェンのことは諦めていた。

 

「恨むなら、恨んでくれ!」

 

 その言葉は誰に向けたものかは分からない。もしかしたら目を覚まし、癇癪を起こすシュフォンかもしれないし。

 本人の知らないところで見捨てることを決定付けられたグウェンに対してかもしれない。

 

 道中、何度も何度も身体に襲い掛かる虚脱感。

 地に伏せたくなる。足を止めたくなる。身体を動かすたびに襲い掛かる痛みに堪えながら、コルザードはシェルターを目指す。

 

「頼むから。間に合ってくれ」

 

 必死で足を動かす。光の奔流と共に度々訪れる身体の違和感に顔をしかめながらもコルザードは倒れるわけにはいかないと自分に言い聞かせる。

 背中の重みがなければ足を止めてしまいそうな苦痛の中、ひたすら走る。

 

「くそ、なんてざまだ……」

 

 何も出来ず、グウェンを見つけることも叶わず、被害だけ悪化させて逃げ惑うその様は、負け犬そのものであった。

 それが分かっているからこそ、そんな悔しさを味わっているからこそ、己の未熟を呪う。

 

 とは言えまだ失っていないものもある。背中に圧し掛かっている命の感触がその答えだ。

 

 正直、変な小娘。出会いは最悪。料理もまずい。トラブルメーカー。

 けれど、不思議と周りを笑顔にしてくれるやつだ。

 脳裏に過ぎった彼女の笑顔が失われるのは惜しいと、ひたすら足を動かす。

 

 そして、朦朧とした意識の中、宿へ駆け込んだのを確認し、コルザードの視界は暗転した。

 

 

 

「ん……」

 

 コルザードがぼんやりと、目が開く。

 耳には雑音が飛び込んでくる。複数の言葉が混ざったノイズ。一つ一つは意味のある言葉なのであろうが、全体としては何を言っているか分からない雑音の群れ。

 周囲を見回すとそこはシェルターの中であった。どうやら無事に帰還できたらしい。

 

 その身をよじるとはらりと毛布が落ちる。

 

「おう、兄ちゃん! 目を覚ましたか。心配したんだぞ」

 

 その様を見て村人の一人が声をかけてくる。

 コルザードはひどい頭痛に眉をひそめながらゆっくりと身体を起こす。

 

「ん……。これは……。俺は一体……?」

 

 おぼろげな思考で周囲を見渡すと、見知った農夫達が声をかけてきた。

 

「あんた達は、この風の中飛び出していったんだってな! 全く無茶するぜ……」

 

 どことなく冗談めかした農夫の表情はまるでたちの悪い武勇伝を持て囃しているかのような呆れが混ざっていたが、コルザード達の無事を見て安堵を浮かべていた。

 

「っ! そうだ、シュフォンは? シュフォンはどうなりましたか!?」

 

 しばらく呆けていたが、あることに思い至りキョロキョロと視線を彷徨わせる。ひどく体が痛んだが、それよりも少女のことが心配だった。

 

「落ち着きな、兄ちゃん。お嬢ちゃんならそこにいるぜ」

 

 そんなコルザードをなだめすかせるように柔和な笑みを浮かべ農夫が親指を横に向ける。

 

 憔悴の色が抜け気ってはいないが、すやすやと穏やかに寝息を立てている少女がコルザードの隣のベッドにその身を横たえていた。

 それを確認し、思わず安堵の息をつく。

 だが、それと同時に襲い掛かってくる罪悪感。シュフォンは救った一方で彼はグウェンを見捨てたからだ。

 

「今は――」

 

 コルザードがポツリと呟く。

 

「ん? なんだい?」

 

「今は……いつ、ですか?」

 

「ああ、兄ちゃん達は丸一日ぐらいかな。眠っていたよ」

 

「エーテルの風はどうなっていますか?」

 

「ああ、見ての通りだよ」

 

 コルザードの質問に農夫はシェルター内を指差して答える。

 人も疎らなシェルターは、外がもう無事だということを物語っていた。

 

「そう、ですか。重ね重ねのご厚情、ほんとにありがとうございます」

 

 農夫夫妻に丁寧に礼を言い渡し、シュフォンのほうへ歩く。

 

 あどけない表情ですやすや眠ってる。無言で少女を見つめる。農夫達も気を利かせてくれたのか離れていった。

 沈黙の中、シュフォンの寝顔を眺めていると、一回二回とシュフォンの瞼が動いた。

 

「ん……。ううん。……あれ?」

 

 寝ぼけながら眼をこする。

 

「やっと起きたか。寝ぼすけめ」

 

「あら? コルザードさん。……私は?」

 

「気付いたか?」

 

「んっ――」

 

「目が覚めたか?」

 

「は、い。えっと私?」

 

 朦朧とした表情でシュフォンは重い瞼をこする。シュフォンは天井に視線を彷徨わせながら熱っぽい表情を浮かべていた。

 だが、突然――。

 

「っ! そうだ! グウェンちゃんは、グウェンちゃんはどこですか!?」

 

 布団を跳ね上げ身を起こした。

 

「落ち着けシュフォン。グウェンは……」

 

 コルザードが顔を伏せる。

 

「そ、そんな。だって、昨日まであんなに元気で……」

 

 そんなコルザードの様子から察する。そして思い出す。つい先日までのグウェンの笑い声、そしてエーテルの風の中での探索。

 

「――っ! そんな、私探してきます!」

 

 ベットから跳ね起き駆け出そうとして足をもつれさせるシュフォン。

 身体を引きずるように立ち上がりわが身を厭わぬといわんばかりにシェルターの外に駆け出した。

 

「おい、待て――。って聞くわけないか、あの馬鹿!」

 

 悪態をつきシュフォンを追ってコルザードも外へと飛び出した。

 つい先日の焼き回しの光景にコルザードは憤慨する。ただ、エーテルの風が吹いていない分だけましであった。

 

 

 

 村の郊外。シュフォンを追いかけてコルザードがそこにたどり着くと、立ちすくむ彼女の姿がそこにあった。

 

「はぁはぁ、お前な。病み上がりなんだからもう少し加減ってものを覚えろ。まったく――」

 

 肩で息をしながら語りかける。だがその声はシュフォンには届いていなかった。

 シュフォンは地面に俯き方を震わせている。

 

「そんな、嘘だろ……」

 

 コルザードが喉から声を絞り出す。シュフォンの目の前に倒れ伏すそれが何なのか理解してしまったからだ。

 

「グ、グウェン?」

 

「グウェンちゃん……」

 

 覚束ない足取りでシュフォンがグウェンの方へと歩み寄り、彼女の手を取る。

 つい先日まであれほど精気に満ちていた彼女の身体は蝋のように白く、すっかり血の気が失せていた。

 

「グウェン……ちゃん? グウェンちゃん。グウェンちゃん!」

 

 堰を切ったように彼女の名前を呼ぶ。喉の奥から声を絞り出す。湧き上がる悲しみを堪えるかのようにグウェンの腕を力強く握り締めながら。

 

「嘘ですよね? グウェンちゃん。おきてくださいっ! ついさっきまた一緒に遊ぶ約束したばかりじゃないですか。フルート教えてくれるって、私まだまだ下手くそで、グウェンちゃんに教えてもらわないとダメなんですよ」

 

 声をかけるのを止めてしまえばそれはグウェンの死を認めてしまうようで、それに抗うようにシュフォンは必死に声をかけ続けた。

「くそっ……」

 

 そんなシュフォンの様子を眺めながら、コルザードは必死に歯を食いしばって耐え難い心の痛みを必死でかみ殺している。

 グウェンの死そのものよりも無力な自分を責め立てているかのようだった。

 

「ううっ……。グウェンちゃん、グウェンちゃん。おきてくださいよ。ねぇ……」

 

 声にならない嗚咽を上げながらグウェンの身体を揺する。

 シュフォンの涙が数滴、ポタポタとグウェンの顔を叩いた。

 

「シュフォン……お姉ちゃん……?」

 

 そのとき、微かな、本当に耳を澄まさなければ聞こえないような小さな声がグウェンから発せられた。

 

「おい、グウェン! 大丈夫か!?」

 

「コルおじちゃんもいるんだね。目が……よく見えないよ」

 

 仰向けになりながら虚空に目を彷徨わせる。

 意識が朦朧としているのかグウェンの瞳は虚ろで何も映っていないかのようだった。

 

「グウェンちゃん、どうして……こんな……っ!」

 

「待ってろ。グウェン今すぐ人を呼んでくるからな!」

 

「ま、待って……」

 

 首をふるふると振りグウェンはコルザードを制する。

 青ざめた表情を苦痛にゆがめて必死に言葉を紡ぐ、グウェンの小さな意思表示にコルザードの足は縫いとめられてしまう。

 

「シュ……フォンお姉……ちゃん、これを」

 

 血に濡れた手をシュフォンの方へたどたどしく差し出す。

 

「これは……?」

 

 シュフォンは驚愕と狼狽のどちらとも付かない表情でそれを見つめる。

 彼女は知っていた。グウェンに手渡されたものを。

 なぜならそれは――。

 

「グウェンちゃんのフルートじゃないですか。どうして?」

 

「えへへ、シュフォンお姉ちゃんはママの次に大好きだから。コルおじちゃんもその次にね。だ……だから、世界でね、一番……大事なものを、最後にプレゼントしてあげようと思って」

 

 グウェンは弱弱しく震える手をシュフォンに重ねた。なんの変哲もない軽いフルートがとても重たいものに感じられる。フルートを取りこぼしてしまいそうになるほど震えている。

 シュフォンはグウェンがなぜそんなことをするのか、考えたくないと、必死に首を振った。

 

「そんな、ダメですよグウェンちゃん。私まだまだ下手っぴで、まだまだ吹きこなせないんですから。いま、今、貰ったって……全然」

 

「うう、ん……。そんなことない……よ。お姉ちゃん凄く上達してたよ。もう私が教えられることないぐらい」

 

 グウェンの儚げな笑顔がシュフォンの心に突き刺さる。涙を堪えるのも限界であった。

 

「そ、そんな、私なんかグウェンちゃんに比べればまだまだですよぉ」

 

「え……へへ、うれしいな。私頑張って練習したけど、あまり褒めてくれる人いなかったから――ゴホッゴホ!」

 

 グウェンが一際大きく咳き込む。呼吸も荒く口の端から血が滲んでいた。それでも必死に言葉を繋ぐ。

 

「はぁ……はぁ、死んだら、みんな再会するって、お母さんが言ってた、私もお母さんに会えるかな……」

 

「グウェン。お前……」

 

いつもの無邪気な少女らしからぬ言葉にコルザードが瞠目する。

 

「うん……。思い出したの、たぶんアスカロンはもう……。お母さんだって……」

 

「そんな……グウェンちゃん」

 

「コホッ、フルート大事にしてね。私がいたっていう証、お姉ちゃんみたいな善い人にならきっと」

 

「グウェンちゃん!」

 

「シュフォンお姉ちゃん、すごく綺麗な羽だね。なんだか天使みたい……」

 

 その言葉を最後に、グウェンは動かなくなった。少し前まで、ほんの数日前まであれほど元気に野原を駆け回っていた少女がこうもあっさりと。

 

 時が止まったかのように、まるでその光景が切り取られた一枚の絵画のように、静止していた。

 その場にいる三人とも。

 

「おい、シュフォン……? 大丈夫か」

 

 どれほどそうしていただろうか、時を動かしたのはコルザードであった。

 目覚めた直後に走りまわり、グウェンを見つけて泣きじゃくっていたシュフォンの様相はひどいもので年頃の少女であれば赤面してわが身を恥じ入りそうな有様。

 先ほどまでグウェンを悼み、咽び泣き、嗚咽を押さえ切れず泣きじゃくっていたシュフォンがスッと立ち上がった。

 

「お、おい……」

 

 コルザードが怪訝な面持ちで少女を見つめる。鼻をすすり、涙を拭い。立ち上がったシュフォンは大空に向かって、フルートを構えた。

 

 フルートから風が、音を伴って駆け抜ける。

 それは専門家から見ようと素人目に見ようとひどいものだった。

 嗚咽の残滓を残すシュフォンが喉をしゃくりあげるたび音が歪む。鼻は詰まり口もふさがっているものだから呼吸のたびにも音が歪む。

 シュフォンに奏でられたフルートはひどく不恰好な音色だ。おまけにドレミファソラシドと、基本的な音階を吹いてるだけ。

 だがなぜだろうか。それは今まで聞いたどんな名演よりもその音色はコルザードの胸を打った。

 

 ただ愚直にシュフォンは吹き続ける。まるで天まで届けといわんばかりに。

 グウェンに聞かせるように。何度も何度も笛の音は響き渡った。

 

 どれくらい立っただろうか、フルートを口から離しシュフォンは言った。

 

「――コルザードさん。私決めました」

 

 その表情には決意が篭められていた。

 

 

 その夜、ヨウィンの村は収穫祭の真っ只中であった。村人達がクミロミの像を取り囲み、輪になって踊っている――はずだった。

 グウェンが死んだことなど誰も気にしていなかった。

 しかし、そのことで村人達を責めるのも筋違いであろう。

 グウェンはそもそもヨウィンの村人と言うわけでもないし、村人の大半は面識すらないのだから。

 村人達も村人達でエーテルの風の恐怖から目をそらすように、暗い話題を拭い去るように祭りの準備を進めていたのだ。

 そのはずだった。

 

「ふぅ~。これでグウェンちゃんも報われますかね?」

 

「…………」

 

 馬蹄が大地を叩く。コルザードとシュフォンは今、パルミアへの旅路を進んでいた。

 ヨウィンの村はもはや遠めになんとか見える程度の距離。

 

「せっかくの収穫祭を台無しにしやがって。この野郎」

 

 コルザードが悪態をつく。シュフォンは特に悪びれた様子もなく言った。

 

「グウェンちゃんのためですからしょうがないじゃないですか。ほら、早く歩いてください」

 

 ぺしぺしと、コルザードの尻を叩く。背中から生えた羽で。

 なんとも器用に。

 

「くそ、調子に乗るなよ。大体なんで俺がお前を乗せなきゃならないんだ。むしろ散々迷惑をかけたお前が俺を乗せるべきじゃないか」

 

「うわぁ、女の子に乗ろうとするとか、流石に引きます。ドン引きです」

 

「こういうときだけ女ぶるな馬鹿。しかしお前あれだな。なんか重いぞ。太ったか?」

 

「んなっ! なんて失礼なことを……。違いますよ。これは重力が発生しているからであって私の体重とは無関係です。あと重いのはきっとコルザードさんのでかくなった頭のせいでしょう。面白いですよそれ」

 

 クスクスとシュフォンが笑う。

 

「お前。グウェンが死んだばかりだってのに笑いやがって不謹慎なやつだ」

 

 その言葉でシュフォンの顔に一瞬陰りが差した。

 

「まぁ、それを言われるとちょっと痛いです。でも、くよくよしていても仕方がありません。グウェンちゃんから託されたこのフルートで私は果てしないフルート坂を上り詰めることにします。そうすれば天国のグウェンちゃんにもきっと聞こえるかもしれませんから」

 

 天高くフルートを掲げた。反対側の手を腰に当てて。

 

「シュフォンの腕じゃ石をぶつけられるぞ。痛い目を見て泣かないように気をつけるんだな」

 

 コルザードがそんなシュフォンの決意に冷や水を浴びせる。演奏家の道のりはそんなに平易じゃないぞと、先輩風を吹かせて。

 

「心配には及びません。飛んできた石はこうやって、こうしますから」

 

 そういってシュフォンはフルートを両手で持ち、ブンブンと横なぎに振るった。

 気持ちの良い風切り音が耳を駆け抜ける。

 どうやら打ち返す算段らしい。

 

「グウェンちゃん無事にジュア様の下に着いたでしょうか。あんな可愛いグウェンちゃんですから。きっとジュア様に愛されているに違いありませんよね」

 

 しみじみとシュフォンは夜空を眺める。輝く星々からグウェンを夢想するように。

 

「ジュアの下に、ねぇ……」

 

 コルザードは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 そう、この少女ときたらグウェンの死体を担いで、収穫祭の準備真っ最中の広場に突撃。

 驚愕する村人達をよそに大量のクズ石を祭壇に捧げクミロミの祭壇を乗っ取り、ジュアの祭壇にしてしまったのだ!

 

 そのまま、騒然する村人達を全く意に介さずグウェンの亡骸を祭壇へ捧げた。本人は供養のつもりだったらしい。

 コルザードはそんなシュフォンの行動に開いた口がふさがらず、とにかく村人に事情を話し、宥めて、平身低頭し、結局逃げるように村から出てきたというわけである。

 

「……まぁ、過ぎたことは蒸し返しても仕方がない。お前のせいでしばらくヨウィンに行き難くなったのを差し引いてもだ」

 

「反省してまーす」抑揚のない声でシュフォンが呟いた。

 

「そうしてくれ。まあ、何はともあれ明日にはパルミアに着けるだろう」

 

「まずは冒険者登録からですね。見ててくださいね、グウェンちゃん。グウェンちゃんの分まで私立派になりますから」

 

 シュフォンの決意が夜空に吸い込まれていく。

 

「パルミアに着いたらエーテル抗体も手に入れなきゃならないな。これでは何かと不便だ。くそ! 重い!」

 

こうして夜はゆっくりと更けていった。

 

 

 

◆おまけ キャラ崩壊注意。

 

 そこは白亜の宮殿。

 人間には作り出せないような精緻な手法で作られたそれはその存在感を余すことなく放っていた。

 

 宮殿の中、一人の男がある一室の前で立ち止まる。

 重厚な鎧、そして半身を覆い隠せるほどの大きさの長盾を携えて荘厳な扉の前に立つ。

 二度三度、彼がノックをすると中から声が聞こえてきた。

 

「はいりなふぁい」

 

 大きく軋む音を奏でながら扉が口を開く。中からは眩い光が差し込んむ。それは部屋の中央に座する人物から発せられていた。

 中にいたのは身長155~160cmほどの女性。乳白色のローブに身を包み丸い帽子を被っている。

 ある一部を除いてふくよかな彼女の前に男が跪いた。

 

「ジュア様。本日の分のクズ石でございます」

 

「そう、ご苦労様。べ、別に頼んだわけじゃないんだからね! あんたが勝手に持ってきただけなんだから!」

 

 もはやお決まりの台詞。あえて語ることもない。

 

 男が顔を上げ、主君に目を向けた。

 

「ジュア様それは……?」

 

「ああ、これ? 敬虔な信者が送ってきてくれたの。もぐもぐ」

 

「は、はぁ……そうですか」

 

 男は苦笑いを浮かべる。

 

「もういいでしょ。食事中だから下がりなさい」

 

「はっ!」

 

 男は敬礼して部屋を後にした。

 咀嚼音だけが、そこに響き渡っていく。

 

「もぐもぐ」



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第十二話 冒険者

 王都パルミア。パルミア大使館。

 王都中央街から北部。にぎやかな町並みから隔たった閑散とした平地。そこにどっしり佇む石造りの館は、平野の主が如くその存在感を放っていた。

 大使館内部では今日も日々の業務に追われ、官吏達が指示を飛ばしている。入り口に広がるホールでは絢爛なシャンデリアから放たれた光に包まれて実に煌びやかだ。

 その一角の受付カウンターにて、ある女性が座っていた。流れる金糸のような髪をツインテールで纏め、背筋をピンと伸ばして座っている彼女は凛々しい。

 さらに制服の抵抗から逃れるように盛り上がる二つの膨らみが強調され、行きかう男達の無遠慮な視線に晒されていた。

 

「――ありがとうございました。それはではお気をつけて。あなたの冒険の行く末にルルウィ様の加護がありますように」

 

 女性が微笑み会釈する。彼女の仕事は冒険者登録の受付である。

 今しがた手続きを済ませた若い男性などは、熱に浮かされたように呆けた表情を浮かべながら、ふらふらした足取りで大使館を後にしていった。

 列を成している冒険者候補たちが相次いでその女性の前へと並んでいる。

 淀みなく紡がれる説明は軽やかな声でついつい聞き入ってしまうほど耳心地がよく、彼女の目元は明るい光を湛え、時折微笑んだり身振り手振りを交えて説明するその様は実に絢爛とし、数多くの冒険者見習いを惹き付けて止まない。

 そして洗練された所作は人々にやんごとない身の上を連想させる。なぜこんな場末で働いているのかと、それが一層男心を来るぐるのだそうだ。

 そんな彼女だからその美貌も手伝い、すっかり新米冒険者たちのひそやかなアイドルの座を獲得しているのは当然のことであった。

 

 そんな彼女を真横から眺める視線が一つ。

 

「――ミシュファウス。あなたも大概真面目ね。こんなの適当でいいのにぃ」

 

 ミシュファウスと呼ばれた女性とは対照的に隣で座っていた不真面目そうな受付嬢が肩肘を着きながら、彼女に話しかけた。

 一通り冒険者見習いたちを捌き、空いた暇を利用しここぞとばかりにおしゃべりに興じるのはどこの女性とて同じなのであろう。

 

「あらあら、『こんなの』なんて言ってはいけませんわ。これでもれっきとした宮仕え。私たちの働きは王政府の貢献に繋がっているのですから、それを軽んじることなんて出来ません」

 

 奥ゆかしく口元に手を当て、ミシュファウスと呼ばれた彼女はどこか困ったように同僚の言葉を嗜める。

 

「まぁ、ミーシャちゃんが真面目にやってくれる分、私は楽できるけどねぇ」

 

 皮肉の篭った一言を溢れんばかりの笑みで返されて大きなため息を付いた。ミシュファウスの同僚の彼女もどちらかと言えば人目を引く容姿である。だが彼女の場合は美しいというよりは可愛いらしいという表現が適切だ。笑えば場を華やかに彩るであろうことは想像に難くない。

 だが、そんな人好きのする笑顔はそこにはなく、退屈気に面倒くさ気に鬱々とした呼気を吐き出すばかり。

 

 陰鬱とした同僚の態度などまるで意に介さずミシュファウスは依然として微笑んでいた。

 

「嫌ですわ、ミーシャはやめてください。職務中ですよ。ラハート先輩」

 

 しかし、そんなミシュファウスがラハートに注意するも「へいへい」などと気のない返事を返すばかりなので、ミシュファウスは喉元までため息がこみ上げて来るのだが彼女はそれを堪え、飲み込んだ。

 ラハートはそんなミシュファウスを反目で見つめながら言った。

 

「そういうのも貴族のたしなみってやつ? 肩肘ばかり張ってちゃ疲れるよ」

 

「……お気遣いありがとうございます。でも私のことを気にかけてくださるのなら先輩がもう少し真面目になってくれたほうが嬉しいのですが」

 

「あはははは、遠慮しとく。変な輩の相手は御免だよ。私はお役所らしく、ではあちらで申請してくださいってたらい回しするのだ」

 

 言外にまともな人以外の対応はしたくないと言い含め、片手をパタパタと仰いで話を打ち切る構えを見せた。

 

「もう……」

 

 ミシュファウスは肩を落とし彼女から目をそらす。さしもの彼女も憤りをぶつけたいという気持ちはあれど、ラハートが甲斐甲斐しく就業指導をしてくれた在りし日のことを思い出し、強く出ることが出来なかった。

 なので整然とした態度を崩すまいとする心と、持て余し気味の不満との間で板ばさみになり煩悶とする。

 

 意識せずに思わず膨れっ面になったミシュファウスを見てラハートは密やかにガッツポーズをする。最近ではもっぱらミシュファウスの営業スマイルを崩すことが彼女の彼女のマイブームらしい。

 しかし、それはミシュファウスとて周知の事実であるからして、そんなラハートの仕草を彼女は目聡く見つけ、ついに堪えきれず整った柳眉を逆立て始めたので、本気で怒り始める前にラハートはごめんごめんと拝み手をし、ミシュファウスを宥めすかせた。

 

 そうしているうちに新たな冒険者風の男が歩み寄ってくるのを目にし、彼女の悪ふざけはそこで終わった。案の定そいつは鼻の下を伸ばしながらミシュファウスの方へと歩み寄る。

 

 ラハートはひどくげんなりした表情で、現在ミシュファウスに説明を受けてる新米冒険者に目を配りながら肩肘を付きながら退屈そうな視線をさまよわせ、胸中でブツブツとしきりに呟いてみせた。

 

 "ミーシャちゃんもよく続くよねぇ。あたしには無理だなぁ。だって冒険者なんて言えば聞こえはいいけど、底辺の冒険者なんて柄の悪いチンピラ紛いのばっかりじゃない。いい男なんて全然いないんだよねぇ。頭も悪そうだし……、ほーら案の定ミーシャちゃんの胸を見て鼻の下を伸ばしてる。減点減点減点っと。

 ああ、こいつ肝心のミーシャちゃんの説明全然聞いてなさそう。きっと早死にするタイプね。ていうか、ミーシャちゃん口説き始めたよこいつ。わきまえろっつの。アンタとミーシャちゃんじゃ釣りあわないことぐらい言わずとも理解しなさいよ。この平凡顔め。

 はぁ、……やれやれ、そろそろ、助け舟を出すかー。"

 

 ラハートは引き出しから一枚の紙切れを取り出すや否やミシュファウスと冒険者志望の男との間にバンッ、と叩き付けた。

 

「――はいそこまで。では、こちらの登録申請書にお名前を記入してもらえますかぁ? もし何でしたら代筆サービスも承っておりますが?」

 

 字が書けないのでしたら恥ずかしがることなく言ってくだちゃいね。彼女の顔にそう書いてあった。

 

「なんだよ。あんた邪魔すんなよ」

 

 突如割って入った横槍に男は不機嫌そうに顔を顰めラハートを睨む。

 

「まさかぁ、邪魔をするだなんてとんでもない。私どもはパルミア王政府から委ねられた庶務を唯々諾々とこなしているだけございますぅ」

 

「調子にのるなよてめぇに用はねえんだ。黙ってろブス」

 

 ラハートの顔がカチンと引き攣る。

 全くこの手の単細胞ときたら本当に嫌になるわね。つーか私にブスとか、アンタ鏡見たことあるのかっつのと心の声を表情に貼り付けたようにこめかみがヒクヒクと動く。

 

「あー、ガードさんちょっと来てください。お客様がお帰りです」

 

 ラハートは手のひらを大きくパンパンと二度叩いた。

 何せここはパルミア大使館。外交上重要な拠点でもあるので警備も厳しい。冒険者受付所は入り口傍のホールに併設されているのですぐ傍には警備に当たっているガードが詰めている。

 ガードがその騒ぎを見て取るなり、男を引っ張って行くのだった。

 

「くそがっ! てめぇ、覚えてろよー」

 

 捨て台詞を吐いて連行されていく男を冷ややかに見つめながらラハートは息を吐いた。

 

「はぁ、やだやだ。全く嫌になるわねぇ。冒険者の登録なんて、品のないやつばっかりじゃない。特にミーシャちゃんはいつもあんなのの相手ばかりで大変だよねぇ」

 

「いえ、そんな……。でも先輩ありがとうございます。助かりました。ああいう手合いは苦手でして」

 

「いいっていいって。だからさ、こんなのはほどほどにやっておけばいいんだよ。ミーシャちゃんみたいに肩肘張ってると大変だし報われないよ?」

 

 それをミシュファウスは曖昧な笑みで濁した。

 パルミアは冒険者稼業を優遇しているだけあって、その志望者は多い。その長い歴史を持ってしても、いや持ってるが故に調査しきれない遺跡が山ほどあるのだ。一攫千金を夢見る輩は後を絶たない――ただ、そのうちの八割以上は大成せずに埋没していく事情を知っているだけにラハートは頑ななミシュファウスに対して苦々しい表情を浮かべるのだが。

 

 時刻は昼過ぎに指しかかったところ。長蛇の列というほどでもないが、依然として申請者が途絶えず暇を持て余すということもない。

 そして一人また一人と現れては新米冒険者として登録し、希望を胸に大使館を飛び出していくのを一通り見送った時――。

 また一人の男が登録カウンターへと足を運んだ。

 

「ようこそ。パルミア大使館へ。こちらは冒険者登録受付所となっております。登録をご希望ですか?」

 

 ラハートは受け答えする一方で、内心で感心する。なぜならば我らが麗しのミーシャちゃんの手が空いているにも関わらずこちらのカウンターに来たからだ。

 

「ええ、お願いします」

 

 とはいえ男は、手入れもいい加減な髪に無精ヒゲ、そして目つきも悪いと三拍子揃ったちっぽけな子悪党のような男。有体に言えばよくいる冒険者志望の見本例みたいなやつだ。

 

「では、冒険者制度について簡単にご説明させていただきますがよろしいですか?」

 

「どうぞ」

 

 結論として差して目を引く男でもない。強いて言えばなんかやたらと顔が大きいぐらいだろうか。悪目立ちするという意味で。

 胸中で失礼な評価を下しつつも、ラハートは営業スマイルを張りつけてマニュアル通りに説明を進めていく。

 

「では。私どもパルミア王国では冒険者制度に力を入れております。名目上、国際的立場において中立を貫いているわが国ではたくさんの移民が流入し、雇用対策の一環として前王が施策したのが事の始まりとなっております。

 それが功を奏したようで、今に至るまで続いております――」

 

 一呼吸間を置き、ちらりと男の顔を見る。眉根を寄せながらも、なるほどなるほどと首を縦に振っている。大きな頭が重そうに揺れる様がおかしく、ラハートの口元は必然と緩んでしまうのだった。

 

「ふふ、おっと失礼。続けますね。冒険者の仕事は原則として二つ『レシマスの調査』と『街の問題解決』になっております。ご説明が必要ですか?」

 

 接客業では対話が大事だ。独りよがりに一方的にまくしたてれば良いというものではない。相手の理解に合わせ噛み砕いて説明し、今相手がどの程度の事を把握しているかを観察しながら語る必要がある。

 ラハートとて、根っからの不真面目職員というわけではなく相手が紳士的な対応してくれる分には真面目にこなすのだ。

 そこで男が顔を上げて、一度頷いてから言った。

 

「では一つ。レシマスの調査と仰いましたが、仮に冒険者がその成果を持ち逃げした場合はどうなるんです?」

 

 ラハートはキョトンとした。なるほど、悪くない質問だと口角を吊り上げる。

 

「そうですね、結論から申し上げればパルミア政府はレシマスの財宝を持ち逃げすることについて法的規制を設けておりません」

 

「いいのでしょうか? それだとパルミアとしては遺跡を盗掘されるがままに放任していると言うことになるのではないですか?」

 

 投げかけられる問いに二度三度ラハートは頷いて答えた。もともとラハートはおしゃべり好きな性質であり、彼女の声も次第に弾んでいく。

 

「そうですね。確かにそれはパルミア政府として面白い話ではありません。ですが、ある前提があるのですよ」

 

「前提?」

 

「ええ、レシマスにはモンスターが巣食っています。そのことでレシマス近郊の村落などはモンスターの被害を受けることも少なくありません。これに関してはパルミアとしても手を焼いているのですよ」

 

 ラハートは大仰にため息を付き、苦い表情を作ってみせた。

 

「――そしてレシマスの財宝を手に入れるというのはレシマスに巣食っているモンスターのボスを退治するということと同義です。だから財宝を持ち逃げするとは言ってもそれをモンスター討伐の正当な報酬と見なしているので問題ないわけですね。

 モンスターは退治される。冒険者の懐は暖かくなる。それが当面の犯罪の抑制に繋がる。というようにパルミアの治安維持上メリットがあるということになります」

 

 ラハートは一呼吸し、ここまで質問はないですかと言わんばかりに口角を吊り上げた。そして男の表情が曇ってないのを確認し、笑みを浮かべた。

 

「――続けますね。ですがパルミアに点在するレシマスの中には重要なものもあります。そういう場所については盗掘されないよう警備を派遣していますし、低ランクの冒険者に斡旋することはありません。許可書のない冒険者は入れないわけです。何も無秩序な乱獲を放任しているわけではないということだけご理解くだされば」

 

 あとはわかるでしょ? と男の顔を見る。彼は二度頷いた。

 

「おぉ、そういう仕組みになっているんですね。なるほど、うまくできてらっしゃる。つまり高難易度のレシマスは冒険者として経験をつまないと斡旋してもらえない。だから低難度のレシマスの財宝を持ち去り王政府に申請を怠るとランクが上がらないと。必然的にランクの低い冒険者は探索し尽くしたようなレシマスのゴミ漁り程度の仕事しか回ってこないと」

 

 ラハートは男の言葉に感心する。とにかく冒険者になろうと志すものはピンからキリまでいるのだ。程度の低い者となると話が進まないだけでなく理不尽な文句を言い出したり本当に辟易させられることも多い。

 久しぶりの理解力ある冒険者志望を前に、退屈な仕事も少しは瑞々しさを帯びてきた。

 

「ご理解が早くて助かります。貴方様の仰るとおりですね。レシマスで上げた成果を申請すればパルミア政府では冒険者の信頼――名声度――を数値化し管理しそれを上昇させます。これはこなした探索や依頼に応じて申請していただくことで変動するものです。貴方様が仰ったとおり、申請していただかなければ名声値は低いまま。大した仕事は回せません。そして名声値は一定期間仕事をしていない場合にも怠慢による罰則規定として減算される仕組みとなっております」

 

「つまり安定した報酬を得たければ一定の成果を上げ続けるしかない、と?」

 

 ラハートは男の言葉に深く頷いた。

 

「レシマスの探索及び調査についてはこの程度でよろしいでしょうか? 他に質問がなければ次は街の依頼と問題解決についてご説明させていただきますが」

 

「ええ、お願いします」

 

「はい、では。依頼と報酬について説明します。町の依頼についてはパルミア政府はあくまで仲介の範囲内に留まります。こういう人がこういう問題を抱えていてその問題解決についてこれだけの報酬を用意できますよ。ということを各冒険者に通知します。

 これはパルミア統治下の町であれば掲示板に掲載しているので、ご確認いただければ幸いです。

 ただ、この場合は個々の相対契約が原則となりますので、契約にかかる責任は全て冒険者が負担するということになりますね。

 ここまではいいですか?」

 

「つまり、失敗したら賠償義務を負うと?」

 

「そうです。と言いたいところですがご安心ください。金銭的な賠償義務はありません」

 

「という事は何か立場的な、例えば名声値の減少ですか?」

 

「はい、それと同時にカルマも下げさせていただきます。カルマはその人の善性や悪性を記す指標となっております。

 カルマが高ければ優良な市民としてパルミア政府は便宜を図ります。例えば税負担の軽減などがあります。

 逆にカルマが低ければ劣悪な市民として厳しい立場に追い込まれることになるでしょう。とりわけ一定以上のカルマを下回った場合、具体的には-31ですが、この場合はパルミア政府がその方を国家の敵と判断します。ノースティリスにいる限りあらゆる公共サービス、店舗の利用が禁止され、さらには犯罪者として追い回されることになるので、依頼を受ける際にはご注意願います」

 

「なるほど、依頼に失敗すればカルマが減少するとのことでしたが、逆にカルマを上昇させる手段としてはどのようなものがありますか?」

 

「そうですね。減少方法とは真逆に依頼をこなせばカルマは上昇します。もしくは一部の極端な善人的行動をとった場合など…… ですがこれは希少なケースですので考慮しなくてもいいかと。ただ、ご注意いただきたいのが信頼は得るよりも失うほうが早いということです。

 カルマを上げるにはコツコツとした地道な努力が必要ですが、失うときには一気に失います。ですのでどうか自分がこなせる仕事を受ける様にするとよいでしょう」

 

「なるほど、報酬についてもう少し詳しくお願いできますか?」

 

「はい、かしこまりました。町の依頼の報酬については基本的に火急のものや難易度が高いものほど高額になっております。

 ですので欲を書いて一角千金を狙う輩は多いですが、そういう方は大抵……分かりますよね?」

 

「消えていく、と?」

 

「はい、ご理解が早くて助かります。最後に冒険者同士の仲介についてご説明しますが――」

 

「はい。続けてください」

 

「では。冒険者は通常、複数集まって行動します。これは冒険者稼業には多種多様な判断が求められ、個々に要求されるスキルをうまく組み合わせること、チームワークを発揮することで相乗効果が見込めるからですね。

 例を挙げれば剣士一人では限界があります。攻撃が効き難いモンスターも存在します。ですので魔法使いを同行させたり、治癒に長けた神官を共にするなど、あるいは洞窟探索に長けた遺跡荒らしなども重宝されますね。上位の冒険者たちは固定チームを組んでいることが多いですが、駆け出しではそういうわけにも行きません、ですので希望があればそういった方々の橋渡しなんかも請け負ってます」

 

「なるほど」

 

「ただ、私どもはあくまで仲介をするだけ、という点にご注意ください。結局組むか組まないかは個々の冒険者の判断に委ねております。ウマが合わない、気に入らない、実力不足など当人が判断すればお好きに解消できます。これに関しては別にここを仲介しなければならないわけではなく、意気投合したならその場で個々人で好き勝手に組んでいただいても構いません。ただまぁ分け前なんかでもめる事のないように注意は必要ですが――」

 

 ラハートはそこまで話してちらりと冒険者の顔を見る。

 

「続けてください」

 

「はい、では以上です。ここまでよろしければ、引き続き冒険者登録の手続きに移りたいと思いますがよろしいですか?」

 

「お願いします」

 

「では、この書類にサインしてください。冒険者の個人名義。もしあればチーム名義。特記事項、備忘録などなど。

 代筆のサービスを請け負っておりますが、問題ないですよね?」

 

 目の前の人物はそれなりに教養のある人物だろう。読み書きはできるとラハートは当たりを付けた。

 だが、男は罰の悪そうな顔を浮かべてもじもじとしている。

 

「その、頼んでもいいですかね? 手がこれなんで……」

 

 苦笑いを浮かべ手を掲げる。馬の蹄と化したそれは明らかに文字を書くには不向きであった。

 

「これはこれは失礼しました。ではお名前を伺ってもよろしいですか?」

 

 とはいえラハートはそのことを表情に出すような失態はしない。気の毒そうに振舞うことこそ、かえって相手を傷つけるだろうという彼女の配慮であった。

 

「はい、ええと。連れがいるので二人分お願いします」

 

「はい、かまいません」

 

「では、私の名前はコルザードで。連れの名前は――シュフォンです」

 

「かしこまりました。コルザード様にシュフォン様ですね――」

 

「――シュフォン?」

 

 その時、隣から声が漏れた。金色のツインテールをたなびかせ、ミシュファウスがこちらに振り向いたのだ。

 突然のことだったので、コルザードもラハートもミシュファウスの方へ顔を向ける。彼女と目が合った。

 ミシュファウスは少し呆然とした後、軽く狼狽し、弁明するかのように両手を振った。

 

「ああ、ああ、申し訳ございません。お気になさらないでください。昔の知り合いと同じ名前だったのでつい」

 

 コホンと咳払いを一つ。ミシュファウスは元の凛とした表情を取り繕おうとする。

 

「ははは、シュフォンなんて名前珍しくもないですからね。きっと人違いでしょう。能天気で無鉄砲なやつでして、あなたのような女性と知己を得ているとは思えないような小娘ですよ」

 

 コルザードが軽口を叩き、場を取り繕う。

 

「いえ、それでしたら――」

 

 だがそれが一層関心を引いたのか。

 

「――ちょっと、ミシュファウス。仕事中、仕事中!」

 

 口を開きかけたミシュファウスを横からラハートが嗜める。

 今度こそ我に返ったのか「失礼しました」と頭を下げ手元にある資料を整理し始めた。

 ラハートはコルザードに向き直り愛想笑いを浮かべる。

 

「いやぁ、すいませんね。さて手続きの続きをしましょう」

 

 とはいえ内心、ラハートは驚愕していた。仕事熱心で職務中の私語すらほとんど叩かない彼女にしては大層珍しい。

 あとで酒の肴にでもしようかななどと考えながら、書類を埋めていく。

 

「はい、以上です。これで貴方は、いえ貴方たちは晴れてパルミア政府公認の冒険者となりました。今後ともパルミア政府のため一層の努力と献身をお願いします。そうすれば我らがパルミアは貴方達に栄光と名声を与えるでしょう。こちらが冒険者の証になります。どうぞ」

 

 ラハートが差し出したのは首から提げるタイプのタグであった。「あとで連れの方にも渡してください」と二つ分。

 

「ええ、ありがとうございます。ではこれで」

 

 コルザードは席を立つ。

 ラハートは手を振って見送りコルザードが大使館を出て行った頃。

 

「ふむふむ、久しぶりに伸びそうな冒険者に会ったなぁ」

 

 ラハートがひとり呟いていた。

 

「それにしてもミーシャちゃんさっきはどうしたの?」

 

 一仕事終えた休憩タイムと決め込み、隣のミシュファウスに声をかける。

 

「いえ、単に耳馴染みのある名前だったものですからびっくりしただけで」

 

「そうなんだ」

 

「ええ」

 

「面白そうじゃない。聞かせてよ」

 

「もう、先輩今は仕事中ですよ」

 

「そうだね、ごめんごめん。それじゃ私は寝るから。いやぁ働いた後の睡眠は心地いいなぁ」

 

 そうしてラハートは机に突っ伏した。降りかかってくる抗議の声を聞き流し浅い眠りへと落ちていくのであった。

 

 

 

「さて、無事手続きは終わったわけだが……」

 

 コルザードがパルミア中央区に戻る。石造りの建造物は天を突かんとの勢いで立ち並び、繁栄の象徴である王都に相応しい活気に満ちた町並み。

 そしてここはその中央広場。噴水が絶え間なく水を噴き上げ、花のアーチが飾られている。人工的に整えられたパルミア公園は憩いの場として人気を博していた。

 所々で吟遊詩人が演奏し、お捻りを貰っている。その向こうでは清掃員がカタツムリに塩を投げつけていた。

 

「ここはいいところだ。手が治ったらここで一仕事するのも悪くないな」

 

 一人呟き、苦々しく手を見つめる。すっかり馬の蹄となってしまったそれを見てため息がこぼれた。

 

「くそ、シュフォンめ。どこいったんだか……。ここで待ってるように言いつけておいたのにちょっと目を離すとすぐこれだ」

 

 不満を周囲に撒き散らすも和やかな雰囲気に満ちた公園にそれはすっと溶けていく。

 

「あら、コルザードじゃない?」

 

 そんなとき、懐かしさを感じさせる声が顔を俯かせていたコルザードの耳に届いた。

 視線をそちらに向け。そしてコルザードは歓喜する。それはある意味心待ちにしていた邂逅。

 同じノースティリスにいるならば、いずれはこういう機会もあるだろうかと何度も脳裏に浮かべすらしていたのだから。

 

「ラーネイレさんじゃないか! 奇遇ですね」

 

 それは先月ノースティリスの大地を踏んでからはじめての危機を救ってくれたエレア達の一人。ラーネイレであった。

 腰まで伸びた艶やかな青い髪。その瞳は理知的な光を湛え、女性らしさを際立てる細い身体にメリハリのある丸み。

 あの日と変わらない、むしろあの日よりも瑞々しい彼女がそこに立っていた。

 

「ふふっ、どうしたのコルザード。その……それ」

 

 ラーネイレが破顔し、口元を押さえて笑った。

 

「ああ、これはその先日のエーテルの風で……」

 

「あら、そうだったのごめんなさいね。嫌だわ、私ったら……」

 

 申し訳なく顔を俯かせ上目遣いになってコルザードをみた。

 

「いえ、気にしないでください。ところでお一人ですか?」

 

「ええ、そうそう、ロミアスを見かけなかた?」

 

「あー、ロミアスですか? 申し訳ありません。見てないですね」

 

「そう……。まったくあの人ったら目を離すとすぐこれなんだから、困ったものだわ」

 

 そういってラーネイレは苦笑する。

 ちょうどコルザードもいつのまにか居なくなる連れについて眉を顰めていたので、彼女の心境に強い共感を覚えた。

 

「良かったら一緒に探すのを手伝いましょうか? ロミアスならいろんな意味で目立ちますから。人手は多いほうがいいでしょうし」

 

「あら、悪いわね。でも……そうね。それじゃお言葉に甘えようかしら」

 

「ええ、久しぶりの再会ですし、積もる話もあるでしょう」

 

「ええ、そうね」

 

 コルザードの提案をラーネイレは快諾し、二人は連れ添ってパルミアの町並みに溶けていった。

 

 

一方そのころ。

 

「……」

 

「……」

 

「本当に飲んでしまったのか?」

 

「え? 何か問題ありますか?」

 

「いや、なければいいのだが」

 

「そういえば何かお腹が……。あっ、動きました」

 

「なんだと?」

 

 二人のトラブルメーカーが出会う。パルミアで彼らがどんな騒ぎを巻き起こすのかは、まだコルザード達の知る由もないことだった。




冒険者の詳細やエーテル病の馬の蹄について若干オリジナル仕様が入っております。
(腕も変化する)

というかelonaはペットが充実しているので冒険者と協力することって少ないですよね。


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