リリカルなのはVS夜都賀波岐 (天狗道の射干)
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無印編
第一話 天魔襲来


リリカルなのはとKKKのクロス作品。
以下の項目が合わないと思ったらプラウザバック推奨です。

○登場キャラ(特になのは側)の死亡率が高いので注意が必要です。
○パワーバランス取れてない作品とのクロスなので、序盤・中盤はどうしてもリリなの側が蹂躙される形になってしまいます。
○強敵相手になのはたちが挑む形の物語になります。天魔勢は報われないと嫌だ、悪役なんてさせるな、とお考えの方にも合わないかもしれません。
○独自解釈。捏造設定オンパレードです。

ではどうぞ。


1.

 渺と吹く夜風の冷たさを感じながら、黒髪の少年は着慣れぬ士官服の襟を正す。

 

 呼吸が少し上ずっている。心拍数が何時もより上がっている。

 黒髪の少年。クロノ・ハラオウンは、極度に緊張していることを自覚していた。

 

 無理もない。初めての実戦なのだ。

 緊張しない方がどうかしているし、適度に緊張している方が良い。

 

 そんな言い訳では隠せない程に、デバイスを握る手が震えている。

 身体の震えを情けないと感じながらも、震える心を隠す事は出来なかった。

 

 そんなクロノのデバイスが小さく震える。

 母から士官学校卒業の祝いとして貰った魔導機械。

 魔法使用を補助する絡繰りが、何処からか連絡を受け取って震えていた。

 

 

〈そろそろ時間だね。クロノくん〉

 

「……エイミィ、か」

 

 

 展開したモニタに浮かんだのは、茶髪の少女。

 デバイスを介して語りかけて来たのは、クロノより二歳年上の少女であった。

 

 名をエイミィ・リミエッタ。

 士官学校の同期であり、実技試験などではクロノのパートナーを務めていた人物でもある。

 

 

「何故、君が?」

 

 

 クロノが問いかける。

 その言葉には幾つかの意味合いが込められていた。

 

 

 

 今回のミッドチルダ防衛戦。

 首都クラナガン全域に展開された管理局の総戦力。

 

 襲い来る大天魔と言う災害に対する為に、管理局は指揮系統を三ヶ所に分断していた。

 

 指揮系統の分断は、常識で考えれば愚策であろう。

 士官学校を出たばかりの新人達を中衛部隊に、一騎当千のエースストライカー達を後方に配置するという上層部の指示にもどうにも違和感が残る。

 

 いや、意図は明らかだった。

 指揮系統を分断する理は其処にしかない。

 

 詰まりは生贄。最初から想定された犠牲。

 管理局上層部は、こう判断しているのであろう。

 このミッドチルダ防衛戦。必ずや多大な被害が出る、と。

 

 その判断には意義を申したい。

 最初から捨て駒と考えるとは、それでも次元世界の法と正義の担い手か、と。

 

 だが、一局員としては上の指示には従うしかなかった。

 未だクロノは士官学校を出たばかりの新人。文句を言える立場ではないのである。

 

 

 

 そんな理由で中衛部隊に配属されたクロノ。

 対してオペレーターであるエイミィが所属するのは後方の支援部隊。

 

 指揮系統が違う両部隊の間に、本来通信などは発生しない。

 そんな所属の違う二人が、こうして戦闘前に話すことすらおかしいのだ。

 

 

 そう疑念を込めて問うクロノに、返るのは綺麗な笑顔。

 

 

〈私がクロノくんをサポートするのは当然でしょ!〉

 

「…………」

 

 

 にこやかに返された言葉に、クロノは頭を抱えて溜息を吐いた。

 

 管理局上層部が定めた事。それをこうもあっさりと破るのだ。

 士官候補の堅物少年としては、割と問題視せねばならないのではと思う事態である。

 

 エイミィが個人で勝手に連絡を繋いだのか、それとも或いは海の提督である母が強権を行使したのかも知れない。

 

 そんな風に考えると、どうしても頭が痛くなっていく。

 

 

――だが、それでも、感じる思いが一つ。

 

 

「……ありがとう。エイミィ」

 

〈えっ!? クロノくんが素直だ!?〉

 

「素直にもなるさ。本当に感謝してる」

 

 

 そう。彼女のサポートがあれば大丈夫。

 そう思えるからこその感謝であり、生きて帰れる保証などないからこそ素直にもなる。

 

 認めよう。クロノ・ハラオウンは奴らを恐れている。

 認めよう。生きて帰る事さえ出来ぬのでは、と思う程に恐怖している。

 

 父の仇。非殺傷など通じぬ強敵。余りにも強大過ぎる大天魔。

 自然の災害すら子供騙し。世界崩壊規模のロストロギアより遥かに恐ろしい。

 

 そんな彼らを前に、動じぬ訳がないのだ。

 

 だが、それでも自分は一人ではない。

 自分たち二人でなら、今まで通り乗り越えられる。

 

 そんな風に思えたから、クロノは僅かに緊張を解していた。

 

 

〈まぁ、大丈夫じゃないかな?〉

 

 

 そんなクロノの態度に彼の重い覚悟を感じ取ったのか、エイミィはあえて茶化すように口にする。

 

 彼女が選んだのは空気を軽くする様な言葉。

 確かにある戦力を口に出す事で、生存の可能性は高いのだと口にする。

 

 

〈クロノくんは中衛部隊でも後ろの方だし、前衛部隊にはSランク相当の戦闘機人が百人以上いるじゃない〉

 

「……ああ、管理局も良いようにやられた以前とは違う。過信はできないけど、充分な戦力は揃えている。……戦闘機人やスカリエッティはあまり好きにはなれないが」

 

〈まぁ、その時は特に酷かったらしいからね。そういう手段も肯定しないとやっていけないんじゃないかな?〉

 

「分かってはいるよ。何より戦力の充実は必要だって。好き嫌いが言えるほど、大天魔たちは甘くない」

 

〈戦闘機人って本当に強いしねー。もしかしたら、前衛部隊だけで勝負は決まるかも〉

 

「……本当に、そうなってくれたら良いけどな」

 

 

 軽いやり取りを続け、クロノは過度の緊張が解けていくのを感じた。

 やはり、エイミィのバックアップは有り難いと、彼女自身と或いは彼女が支援に回るよう手を尽くしてくれたであろう母に、内心で感謝した。

 

 

 

 そうして、時間は少しずつ定刻へと近付いていく。

 自然と二人の会話も少なくなっていき、クロノは視線を頭上の双子月へと向けた。

 

 

 

 ミッドチルダ大結界。

 管理局設立とほぼ同時期に御門一門によって生み出された、ミッドチルダ全域を隙間なく覆う防御結界。

 

 大天魔の侵入を防ぎ、排除する力を持ったそれは、数年に一度部分的にだが機能を停止してしまう。

 それは構造上避けられない欠陥であり、同時に御門当主があえて残した欠陥でもあった。

 

 常時膨大な魔力を維持に必要とする大結界は、双子月の魔力と地脈の魔力を利用して機能している。

 

 故に双子月が重なる瞬間。魔力の流れが歪み、穴が開いてしまうのだ。

 だが御門当主はその欠陥を敢えて利用して、彼らが現れる場所を制限している。

 

 それがこうして、管理局が万全の体制と布陣を用意できる理由である。

 そして、それほどの優位をもってなお、大天魔とは抗いがたい災害だった。

 

 

「来るか……」

 

 

 はっきりとした感覚ではない。だが何かを感じて月を睨む。

 己の命綱であるデバイスを握る手に汗をかきながら、その瞬間を数え上げる。

 

 3

 

 2

 

 1

 

 月が重なり、赤く染まった。

 

 

 

――一二三四五六七八九十

 

 

 天から堕ちてくる声と共に、膨大な魔力が溢れ出す。

 余りにも巨大過ぎる力の津波が首都クラナガンを、否、ミッドチルダと言う惑星全域を包み込んでいた。

 

 

――布留部由良由良止布留部

 

 

 声が紡ぐは呪いの唄。極大の負を含む呪歌。

 腐れ。腐れ。腐れ。全て腐れ。この永遠に埋もれる塵となれ。屑でしかない我が身の様に。

 

 

――血の道と血の道と其の血の道返し畏み給おう

 

 

 呪歌が紡がれると共に、腐臭が生じる。

 惑星を覆い尽くす程に膨大な魔力も、その質を悍ましい形へと歪めていく。

 

 溢れ出した呪いは、偽神の祈り。

 己だけが腐るから、せめてそれ以外は美しく。

 

 そう願った祈りが溢れ出す。

 

 

――禍災に悩むこの病毒をこの加持に今吹き払う呪いの神風

 

 

 赤き月から雫が溢れる。

 その様はまるで、赤い瞳の誰かが涙を流しているようで。

 

 そうだ。彼は今も泣いている。

 その身を苦痛に苛まれながら、それでも流す涙は愛し子の為に。

 

 ならばこそ、神々は怒り狂っている。

 

 

――橘の小戸の禊を始めにて 今も清むる吾が身なりけり

 

 

 さあ、来るぞ、来るぞ、天魔が来るぞ。

 全てを呪う災厄が、全てを憎む災厄が、今此処に顕現する。

 

 

――千早振る神の御末の吾なれば祈りしことの叶わぬは無

 

 

 心せよ、これより先は地獄であると。

 理解せよ。これより先に救いはないと。

 

 醜い地獄を望まぬならば、今直ぐ此処より引き返せ。

 

 

――太・極――

 

 

随神相(カムナガラ)神咒神威(カジリカムイ)無間叫喚(ムゲンキョウカン)

 

 

 言葉と共に、巨大な悪鬼が降臨する。

 死人のような男が、腐毒の風を纏いて降臨する。

 

 そして、その瞬間に――――百を超える戦闘機人たちは、叫喚地獄に飲まれて全滅した。

 

 

 

 

 

〈クロノくん! クロノくん!!〉

 

 

 士官学校卒業時に母がくれたデバイス“S2U”から響く声を、クロノは上手く聞き取れないでいた。

 

 何故、と耳元に手を伸ばせば、ドロリと腐った肉が地面に零れ落ちる。

 それは先まで己の耳だった物。腐り堕ちた肉片は、異臭と共に蒸発する。

 

 ああ、どうりで腐臭が酷い訳だ、と納得する。

 痛みがないからこそ、何処か現実的ではない光景を受け入れる事が出来ていた。

 

 そして、己を鼓舞する。

 

 臭いが分かる以上は、死んではいないのだ。

 そう内心で己を鼓舞して、クロノは己の五体を確認する。

 

 右腕がなかった。

 先ほどまであった右腕が、腐って地面に落ちていた。

 

 腐り落ちた耳に触れたことで、その腐食が侵攻したのだろう。

 指先から伝染する様に侵攻した腐食が、己の右手を腐らせ落とす。

 

 デバイスを持っているのが左手で良かった。

 命綱であるこれを手放していたら、すぐさま周囲の骸に仲間入りしていただろう。

 

 そんな風に考えて、クロノは周囲に目を配らせる。

 

 其処にあるのは、死体の群れ。

 同じ釜の飯を食い、同じ場所で鍛え上げ、同じ道を目指した仲間達の屍山血河。

 

 

 

 彼らとクロノの違いは何であるか。

 運か偶然か、無論それもあるだろう。

 

 だが、生死を大きく分けたのはそれだけではない。

 努力と才能、そして直感の差が確かにそこにあった。

 

 爆風のような速度で毒の呪風が彼らを襲った時、多くの者はシールドやプロテクションで防ごうと動いた。

 その中でクロノだけが嫌な予感を感じ、災害時に要救助者に対して用いられるオーバルプロテクションを発動した。

 

 その僅かな差が明暗を分けたのだ。

 

 仮に移動能力を失う完全防護魔法を使っていなければ、あるいはクロノの魔力ランクがAランクより低ければ、間違いなく彼は死体の山の一部となっていただろう。

 

 最善を掴んだ今でさえ、この様なのだから。

 

 

「…………」

 

 

 叫び続けているエイミィに何か話そうと口を開くが、声が出なかった。

 

 目眩がする。意識が遠くなる。カラカラと喉が渇く。

 余計なことをする余力など一切ないようで、ならばと残った左手でデバイスを構える。

 

 

 

 重圧が辺りを満たしている。

 頭がおかしくなりそうなほど濃密な気配。

 間違いなく大天魔の放つもの。暴力的なまでの魔力量。

 

 その威圧感だけで心が折れそうですらあるが、おかげで相手を探さなくとも位置が分かる。

 

 探している余裕など、今の自分にはないのだ。

 今にも腐り落ちそうで、だから一瞬さえも惜しいのだ。

 

 だから今だけは、そんな威圧感に感謝した。

 

 

 

 デバイスの先端を、威圧感の奥へと向ける。

 それだけで心が折れそうになるが、そんな弱気を意地で抑える。

 

 せめて一矢、報いてやろうと腹をくくる。

 そう覚悟して、本部へと歩み去っていく天魔を見た。

 

 

 

 瞬間。目が腐り落ちて視力を無くした。

 

 

 

 涙の如く腐った液体が瞳から流れ落ちて、クロノはその場に崩れ落ちる。

 

 視力を失くす一瞬を、彼は決して忘れないだろう。

 視界に映ったのは、まるで墓穴から這い出してきた死人のような和装の男。

 そして背後に侍るのは、クラナガンにある全ての建物よりも尚巨大な鬼神。

 

 そんな見ただけで、死を覚悟させる恐怖の具現があった。

 ソレが路傍の石を見るように、その赤い瞳で周囲を見下していた。

 

 そんな光景を心の底、魂の芯に刻み込む。 

 そうして、クロノ・ハラオウンの意識は途切れた。

 

 

 

 

 

 八柱の大天魔が一つ、悪路。

 その姿を見てはならない。姿を見られてはならない。

 

 あらゆる全てを腐らせる腐毒の王は、その姿を目視しただけで万象を腐らせるがゆえに。

 

 

 

 

 

2.

 赤毛の少女は一人、街を歩いて回っていた。

 いや、少女と言うより幼女、幼子と評すべきか。

 

 悠久の時を生きた魔女は、常の擬態よりも十は幼い姿に己を偽装する。

 そうして久しく訪れていなかった地を、魔女は上機嫌で散策していた。

 

 

「うーん。大分、記憶にある景色と近くなってきてるわね~。諏訪原とは色々違うけど、これはこれで良い街よね、海鳴って」

 

 

 機嫌が良いのは、嘗てを思わせる光景を見ているからか。

 海鳴と呼ばれる街を彼が愛した街と見比べながら、足取り軽く歩き続ける。

 

 街行く人々の気質も穏和なのか、楽しげに歩く少女を笑顔で見送る。

 そんな彼らに手を振り返し、幼子に擬態した魔女は街中を歩いて進んだ。

 

 

「しっかし、地球か~。偶然なのか必然か、さてはて、…………っと、あれ?」

 

 

 楽しげに歩く少女は、ふと気付く。

 それは遠く離れても分かる程に強大な力。未だ目視しても居ないのに感じる程に、とても大きな魔力の気配。

 

 魔法文明のないこの世界では、不自然なほど大きな魔力。

 それを感じ取った魔女は視線を動かして、その発生源を探り当てる。

 

 悠久を生きる彼女にして見れば、欠伸が出るほど簡単なこと。

 呼吸をする様な難易度でそれを見つけ出した少女は、ニタリと悪い笑みを浮かべる。

 

 

「ふ~ん。公園ね~」

 

 

 分かってしまえば話は早い。

 この気紛れで好奇心の強い魔女が、退く理由は何処にもない。

 

 

「鬼が出るかな、蛇が出るか~、っとね」

 

 

 故に鼻歌混じりに、魔女は公園の中へと進んだ。

 

 

 

 内部はまあ、特段と語るほどの物でもない。

 

 滑り台があってブランコがあり、砂場とベンチがある。

 ジャングルジムに休憩所などもあって、それなり以上に大きな公園だ。

 

 海鳴臨海公園。

 観光スポットに挙げられるような場所だが、平日の為か人通りは少ない。

 

 それより真に語るべきなのは、ブランコに一人腰掛ける少女だろう。

 栗色の髪の毛を頭の両サイドで縛った五歳程度の少女は、その身に見合わぬほどの魔力を宿していた。

 

 

(管理局の基準だとAAAくらいかしら。天才ってやつ? いる所にはいるのよね~。ああいうの)

 

 

 その稀有な才能に、僅か嫉妬を覚える。

 リンカーコアを彼の祝福と、魔力を彼の愛と捉える魔女は故にこそ嫉妬していた。

 

 だがそれも数瞬、魔女は己に与えられている加護を思い出して溜飲を下げる。

 彼女らもまた彼の愛し子ではあるが、それ以上に己は愛されているのだと思考する。

 

 そう考えてしまえば、この遭遇は寧ろ都合が良い。

 こんな偶然でこれほどの才能に出会えた幸運に機嫌を直し、ついで自らの擬態がとても好都合なことにも気付いて更に機嫌を良くした。

 

 本来の擬態である十代前半から半ばくらいの容姿であれば、まず間違いなく警戒され、声をかけるのも難しかっただろう。そう考えれば、現状は運命的でさえある。

 

 

 

 だから魔女は、気紛れに言葉を投げ掛けた。

 

 

「ねぇ、何しているの?」

 

 

 

 少女について、少し語ろう。

 

 ごく普通、とは少し違っているが、優しい両親と兄姉に囲まれ育った。

 そこには確かに愛情があって、世の大部分の子供たちと比しても、遥かに恵まれた家庭だったのだろう。

 

 そう、だった、過去形だ。

 

 父の大怪我を切っ掛けに少女の周囲は一変した。

 

 母は店の維持と経営に忙しく、空いた時間で病院を行き来する生活。

 無力感に苛まれた兄は、体を省みない無茶な鍛練を続けて家にも戻らない。姉はそんな兄を追い掛けた。

 

 結果残されたのは少女一人。

 少女は母との約束を胸に、孤独な時間を一人過ごす。

 

 良い子にしてて、という約束を。

 

 

「誰?」

 

 

 突然声を掛けられた際、身体に緊張が走った。

 声の主が悪い人ならば、すぐ逃げなくては家族に迷惑が掛かる。

 

 迷惑をかけるのは悪い子だ。

 自分は良い子でないといけないのだ、と。

 

 そう考えて、振り向いた先にいた同年代の少女の姿に安堵した。

 

 

「私? 私はアンナ。アンナ・マリーア・シュヴェーゲリンよ。貴女は?」

 

「……なのは。高町なのは」

 

「そう。なのは、ね」

 

 

 名を問われて、名を返す。

 名前を呼んでくれた少女は、何処か茶目っ気のある笑顔を浮かべて口にした。

 

 

「ねぇ、暇なら一緒に遊びましょう?」

 

 

 その言葉にまず嬉しさを感じる。

 一瞬遅れて家族が大変なのに遊んでいて良いのだろうか、という疑問が生じた。

 

 それは本当に"良い子"のすることなの、と。

 

 

「え、あの、しゅべーげ」

 

「言いにくいならアンナで良いわよ!」

 

「あ、アンナちゃん」

 

 

 断ろう、そう言葉を発しようとして遮られる。

 強引な少女はなのはの手を勝手に取って、悪戯な笑顔を浮かべるのだ。

 

 

「じゃ、行きましょ」

 

「えっ? あっ、まっ」

 

 

 アンナにその手を握られて、引き摺られて歩く。

 無理矢理遊びへと連れ出されて、何時しか楽しくなっていく。

 

 ジャングルジムに滑り台。砂場遊びや鬼ごっこ。

 当たり前の遊びは楽しくて、いけないと思っても楽しかった。

 

 良い子でいないといけないのに、誰かと笑い合う時間は楽しくて。

 その時間は優しくて、何よりも嬉しいと感じてしまった。

 

 

 

 そんな時間は、あっという間に過ぎ去っていく。

 楽しい刹那程、余りにも早く過ぎていく物。だからこそ止めたいと、願った想いはこの世界の誰しもが抱いている。

 

 

「あー、遊んだ、遊んだ!」

 

「うん。……そうだね」

 

 

 それでも止まらない。凍る世界の針は止まらない。

 茜色に染まる空を眺めて、もう終わってしまうんだと思った時。

 

 

「なーに、寂しそうな顔してんのよ」

 

「……だって」

 

「また、明日も遊べば良いでしょーに」

 

「えっ?」

 

 

 当たり前の様に口にした、その言葉は予想外。

 胸に嬉しさが溢れ出す。孤独を塗り替える程に大きく、その想いが溢れ出す。

 

 

「なのは、名前を呼んで遊んだんだから、私たちはもう友達でしょう?」

 

「あ、…………うん!」

 

 

 嬉しかったのだ。そんな当たり前の言葉が。

 とてもとても嬉しくて、その言葉だけは拒絶出来なかったのだ。

 

 

 

 こうしてこの日、高町なのはに初めての友達が出来た。

 この出会いこそが或いは、物語の始まりだったのかもしれない。

 

 

 

 

 




副題 クロノくんの受難。
   なのはの出会い。


推奨BGM
1.我魂為新世界(神咒神威神楽)
2.なまえをよんで(魔法少女リリカルなのは)


7/9 本文と前書きを若干修正。
7/19 本文修正・改行
20160811 本文大幅改定


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第二話 遺跡発掘の少年

連続投稿です。

今回の副題 ユーノくんいじめ回。
      魔法少女、始まりません。


1.

 次元の海を渡る航海船。時空管理局の次元航行船。

 とある遺跡より発掘された貴重品を運んでいるこの船の航海は、お世辞にも順風満帆と呼べる物ではなかった。

 

 

「はぁ」

 

 

 金髪の少年は溜息を零して、仮眠室のベッドで横になる。

 

 未だ十にも満たぬ若さで、遺跡の発掘責任者となった少年。

 ユーノ・スクライアは、これまでの経緯を思い返していた。

 

 

 

 スクライア一族。

 次元世界の一部地方に暮らす少数民族である彼らは、彼ら特有の習俗故に次元世界に広く知られている。

 

 それは遺跡発掘と遺物の回収。

 古き文明から必要な物を見つけ出す事に長けた彼らは、次元世界においても特に名の知れた部族の一つであった。

 

 そんなスクライア一族に生まれ、数度の経験を経て作業にも慣れ始めた頃。

 一族の中でも今後を担うことになると期待されていたユーノは、そろそろ責任ある立場を経験させておこうと考えた大人たちによって、遺跡発掘の現場責任者に任命された。

 

 無論、如何に低年齢化が進むミッドチルダ社会であれ、十に満たぬ幼児にいきなり一人での作業などを強制することはない。

 経験豊富な一族の大人が付き添い、ミスをしても取り返しがつく状況下での仕事であった。

 

 だが立て続けに起きた偶然が、彼の運命を大きく動かす。

 連続して起きた不運が、彼の人生を大きく変える結果となった。

 

 発掘作業中に起きた事故で、後見人として同行していた大人が彼を庇って大怪我を負ったこと。

 

 その際に崩落した遺跡の中から、一族では手に負えないほどのロストロギアを見つけてしまったこと。

 

 ロストロギア発見の報告をした相手である管理局が、手続きの為に責任者の同行を求めたこと。

 

 結果、ユーノは慣れない船旅を余儀なくされる。

 混乱する自身より幼い子らを宥め、意識のない大人を近くの病院へと運び、次元航行船で管理局本局へ向かうことになったのだ。

 

 

 

 こうして始まった船路。転移魔法の応用技術を持ってすぐさま終わると考えられていたそれは、次元の嵐と呼ばれる自然現象によって妨げられた。

 

 突如として発生した次元嵐。

 それを訝しみつつも、さりとて自然現象には逆らえない。

 

 直接の移動ルートが使えないと分かり、嵐が収まるのを待つ為に数日航行船は停泊することになったのだ。

 

 ここ、第97管理外世界の領域内で。

 

 

「はぁ、何時まで掛かるんだろう」

 

 

 ベッドで横になりながら、天井を見上げて呟く。

 未だ何時動き出せるか分からない現状は、少年の心身に負担を強いている。

 

 長期間の航海を想定していない小型の航行船には、当然客室などはない。

 この2日ほどで見慣れてしまった船員用の仮眠室は、お世辞にも寝心地が良いとは言えなかった。

 

 残してきた皆への心配や今後の不安。

 遺跡発掘の疲れ等もあって、ユーノは心身ともに疲れきっていたのだ。

 

 思わず弱音が口に出るが、彼の年齢を考えれば無理もないだろう。

 

 

「……寝て、起きたらまた頑張ろう」

 

 

 それでも、そう呟けるのは少年の強さだ。

 また頑張ろうと、少年が瞳を閉じたところで――轟音と共に船体が揺れた。

 

 

「何が!?」

 

 

 慌てて飛び起き、部屋を出る。

 船内は非常灯が点き、警報がけたたましく鳴り響いていた。

 

 

「っ、ジュエルシードは!?」

 

 

 予想外の自体に唖然としてしまうが、すぐさま大切なことを思い出して正気に戻る。

 

 ジュエルシードは、身内の大怪我と引き換えに得たような物。皆から託された、守り抜かなくてはいけないロストロギア。

 

 そう考えるユーノは、故にジュエルシードの危機にじっとなどしていられない。

 

 脳裏で船内の地図を思い浮かべる。

 以前の遺跡で見つけたデバイス“レイジングハート”を手に取ると、着の身着のままに駆け出した。

 

 

 

 輸送船の貨物室。其処へと繋がる一本の通路。

 ユーノがその場所に辿り着いた時、辺りは噎せかえるような濃い臭いに包まれていた。

 

 錆びた鉄の様な臭い。

 周囲に満ちた赤い水に、それが血の臭いだと理解する。

 

 視界に映る死体の山。管理局員だったモノが赤い水溜りの上にある。

 吐き気が込み上げてくるのを耐えながら、ユーノは思わず駆け出しそうになる。

 

 だが動けなかった。

 倒れた誰かよりも、恐ろしいナニカが居るから動けなかった。

 

 その先に、ナニカが居る。

 この噎せ返る様な臭いさえ気にならなくなる程に、悍ましい気配を放つナニカが先に居る。

 

 頭がおかしくなりそうな程の重圧。

 まるで出口のない檻の中で、餓えた猛獣に睨まれているか様な錯覚。それさえ生温く思える感覚。

 

 暴力的なまでに強烈な魔力を放つナニカが其処に居る。

 

 見るな。見るな。今すぐ逃げ出せ。

 本能が警鐘を発する。ガタガタと見っとも無く震える身体が、それを認識する事を拒否している。

 

 

(……こんなの、気のせいだ。怯えるよりも、ジュエルシードをっ!)

 

 

 そんな風に己を誤魔化して、使命感を奮い立たせる。

 本能が発する警鐘を使命感で捻じ伏せて、ユーノはその先へと目を向けた。

 

 

 

 屍山血河の中、一組の男女が歩いている。

 骸となった局員たちを踏み越えながら、彼らは血河の中を進んでいた。

 

 

「やれやれ、どいつもこいつも魔法、魔法か」

 

 

 先頭を歩むのは金髪赤眼、頭部に鬼の面を付けた男。

 細身ではあるが筋肉質な体を女性物の着物に包み、刺青の入った精悍な顔に嘲笑を浮かべている。

 

 

「そんなに魔法が大好きかねぇ、下らねぇ」

 

 

 手にした質量兵器が局員たちの命を奪ったのであろうか。

 その鉄に輝く銃口からは、僅かに硝煙が昇っている。

 

 

「ま、仕方ないんじゃない? 魔法とか便利だしさ、そりゃ頼りきりになるわよね」

 

 

 男の後に続くのは、青みがかった黒髪の女。

 女装した男とは対照的に、軍服にサーベルを携えた男装姿をしている。

 

 

「無限のエネルギー? 質量兵器とは異なるクリーンな力ねぇ。……そんなのある訳ないのに、気付けないのよね。その魔力の消費が、己の首を絞めることに繋がっている。遠回りな自殺だって言うのにさ」

 

 

 口では管理局員の擁護をしているようにも聞こえる女の言葉だが、そこには隠しきれないほどに蔑視の色が濃く見えている。

 

 真実、彼らは蔑んでいる。

 世界の真実を知るが故に、二人の悪鬼は愚か者たちを見下していた。

 

 

「そんで、なんとかかんとかだっけ? そんなん役に立つのかねぇ」

 

「知ーらない。ってかあんた名前全く覚えてないじゃない。けどまあ、リーダー代行からの命令でしょ。一応持って帰るべきじゃない?」

 

「……ブッチしたら姐さん方が煩そうだしなぁ」

 

 

 アレは何だ。

 アレは何だ。アレは何だ。アレは何だ。

 

 ただそんな疑問が頭を埋め尽くす。

 そんな疑問で頭が一杯になって、彼らが何を言っているのかも分からない。

 

 ユーノにも理解できる言語で軽口を交わす。

 笑い合いながら、血に塗れた通路を横切る人の皮を被った怪物達。

 

 余りにも不釣り合いだ。余りにも可笑し過ぎる。

 そんな異常な気配を放つ人型のナニカが当たり前の言葉を使って語り合う事、それ自体が余りにも異質であった。

 

 

「う……あ」

 

 

 足が震える。身体が震える。心が恐怖で震えていた。

 

 あんな怪物、一秒だって見ていたくなどない。

 だが目を離すのも恐ろしくて、物陰に隠れたまま唯々震えている。

 

 無理もない。仕方ない。

 そんな負け犬の言い訳が、その小さな心を占める。

 

 絶対に見つかってはいけない、と恐怖に震える頭脳が思考して――

 

 

「ああ、目的の物はジュエルシードって名前よ。ちゃんと覚えておきなさいよね」

 

 

 その言葉を聞いた瞬間に、恐怖も動揺も頭から消えた。

 震える心は何処かへ消えて、ユーノは己の意志で立ち上がる。

 

 別に腹を括った訳ではない。

 そんな気概も覚悟も、幼い少年は持ちえない。

 

 ただ真っ白になったのだ。

 その思考に空白が生まれ、怯えと言う感情が麻痺していた。

 

 ただ渡してはいけないと思ったのだ。

 多くの人命を嗤いながらに奪った怪物。

 彼らにジュエルシードを渡してはいけないのだと感じていた。

 

 そんな真っ白な思考の中で、ジュエルシードを渡してはいけないという理屈だけが頭に残っていて、ユーノは思わず飛び出していた。

 

 

「待て!」

 

「あん?」

 

「子供?」

 

 

 突然飛び出してきた子供に驚き、その男女は足を止める。

 

 誰かが見ていることには気付いていたが、それがこんな子供とは思わなかった。

 そしてそんな震える子供がこうして姿を現すなど、彼らにしてみても予想の埒外ではあった。

 

 そんな懐疑の視線を向けられた瞬間、再びの重圧がユーノを襲う。

 

 先の錯覚など、比べ物にならない程に凶悪な重圧。

 その錯覚に膝が崩れそうになるが、ユーノは己が意志を振り絞る。

 

 何をするのか、何処か興味深そうに観察する両者の前に躍り出る。

 その小さな身体で道を塞いで、両手を広げながらに宣言した。

 

 

「ジュエルシードは渡しません!」

 

 

 結果を考えての行動ではなかった。

 異様な空気に呑まれ、追い詰められて思考放棄した行動。

 

 只々、ジュエルシードを守らなくてはと、その災厄の前へと姿を晒した。

 

 無策にも無謀にも、恐るべき怪物の前に姿を晒した少年。

 彼はそれ故にこそ、その無謀の対価を支払う事となった。

 

 

「退け」

 

「がっ!?」

 

 

 虫を払うような仕草で、軽く振られた男の腕。

 それがユーノの顔面にめり込み、彼をあっさりと吹き飛ばした。

 

 さほど広くはない通路の宙を数本の歯が舞い、口から血を流しながら宙を飛ぶ。

 壁に激突して止まったその身体は、前のめりに倒れて地面に落ちた。

 

 

「……うっ、げぇっ」

 

 

 崩れ落ちた少年は、蹲ったまま沸き上がる物を吐き捨てる。

 宙を舞い壁にぶつかり三半規管が狂ったか、少年は込み上げてくるモノに耐えられなかった。

 

 四つん這いのままに、血の交じった嘔吐を繰り返す少年。

 ゲェゲェと嘔吐するユーノを見下して、男は詰まらなそうに目を細める。

 

 殺さぬ様に加減をして、尚これか。

 そんな風に見下す化外の男は、その瞬間に少年への興味を失っていた。

 

 

「あーあ、可哀想。あの子、吐いてるよ」

 

「はっ、生きてりゃマシだろ。……大体、加減しづらいんだよ。あれだ、虫けらを潰さないように捕まえるのは難しい、ってやつ?」

 

 

 何処か茶化す様に嗤う女に、男が合わせる様に言葉を返す。

 

 彼らは何も見ていない。少年を話題に出しながらも、既に興味を失くした以上、彼を見てなど居ないのだ。

 

 

「うわー、すっごい悪役台詞。鬼ー! 鬼畜ー!」

 

「はいはい、そうだよ、ってか俺ら正真正銘鬼だろが、っと。……やっぱり、電子ロックかかってやがる」

 

「……うげ、このタイプかー。ちょっち時間掛かりそう。そこのデバイスとってー」

 

「あん? こいつか。ほらよっ」

 

 

 痛い。痛い。痛い。

 蹲る少年は、鋭い痛みに嗚咽を零す。

 

 男女の嗤う声は聞こえず、唯々少年は口元を抑えながら、これまで感じたことのないほどの激痛に呻く。

 痛みと吐き気に耐えられず、涙を流しながら蹲って震えていた。

 

 どうしてこんな目に、そんな風に考えてしまう。

 今すぐ逃げ出したい。そんな思いに身体を震わせる。

 

 それでも、彼らはもう興味を失った。

 ならば、このままこうしていれば、きっと見逃してもらえるだろうから。

 

 

(けど、それじゃぁ、ジュエルシードはどうなるのさ)

 

 

 それでも痛みに嗚咽する中で、そんな思考が頭を過った。

 あの男女が、ジュエルシードをどう扱うか分からない。それでも分かる事は一つ。

 

 無理矢理奪い去ろうとしている強盗が、良い事の為にジュエルシードを使う筈がないと言う事だけは分かったのだ。

 

 このままでは、ジュエルシードが悪用される。

 そしてその影響は、スクライアにも関わってくるであろう。

 

 自分が苦しいのは良い。良くはないけど我慢は出来る。

 だけど、スクライア一族にまで悪影響があるのは看過できない。

 

 自分よりも誰かを優先出来る少年だから、それだけは認められないのだ。

 

 故に、震えながらも選択する。

 この怪物達からジュエルシードを守り抜く事を。

 

 そう決めたユーノは、怯懦に震える心を奮い立たせると、胸元にある赤い宝石を握りしめた。

 

 

(力を貸して、レイジングハート)

 

 

 このデバイスは、ユーノでは使い熟せない。

 それでも十分過ぎる程に、優れたデバイスである事は間違いない。

 

 故に歯を食い縛った少年は、そのデバイスを頼りに一つの術式を発動した。

 

 

「広がれ戒めの鎖、捕らえて固めろ封鎖の檻!」

 

「あ?」

 

 

 発動するのは、ユーノの持つ最大の切り札。

 彼の手札の中でも、最も優れた拘束魔法。

 

 使い勝手の悪い切り札だが、それでも今の油断した男に対してならば通る筈。

 

 

「アレスターチェーンッ!!」

 

 

 両手に浮かんだ魔法陣から、無数の鎖が現れ男を狙う。

 翠色に輝く鎖が音を立てて男へ迫り、その身を縛る檻となる。

 

 大型の獣であろうと捕縛する。

 捕らえた者を逃がさずに、即座に爆破するその魔法。

 

 その力は、男の体を縛り付ける為に纏わり付き――その体に触れた瞬間に霧散した。

 

 

「……え?」

 

「今、何かしたか?」

 

 

 まるで塵を見るような冷たい瞳で、鬼面の男が口を開く。

 最大最高の切り札は、切った瞬間に役なし札に変わっていた。

 

 起こった現象が理解できない。何をされたのか分からない。

 そんな風に茫然自失とするユーノの前で、男は詰まらなそうに拳を握り絞める。

 

 その拳に籠る力は、先よりも重い。

 唯、羽虫を避ける為に振るうのではなく、明確な意志の下に振るわれる拳。

 

 

「ま、一発は一発だ。お前も男なら、やられる覚悟くらいはあっただろう」

 

「っっっ!?」

 

 

 そんな呟きと共に、大振りの拳がユーノの顔面に突き刺さる。

 異音と共に鼻が折れ、血が飛び、歯が砕け、抜け落ちた。

 

 悲鳴は上がらない。

 声を上げることすら出来ず、ユーノは地面に崩れ落ちる。

 

 

「うっわー。酷い有様。……せっかく綺麗な顔してたのに台無しじゃない」

 

「はっ、敵の前に立ちふさがるならこのくらい当然だろ」

 

 

 局員の死体から取ったデバイスを使い電子ロックを開けようとしている女に、利き手を返り血で染めた男は軽く答えを返す。

 

 

「一発殴っても止めようとしてきた辺り、珍しく根性がある奴かと思えば、魔法なんてくだらねぇもんに頼りやがる。萎えるんだよ、クソガキが」

 

 

 その声には薄く、失望のような物があった。

 起き上がって来た彼の意志に期待したからこそ、男は確かに失望していた。

 

 

「って、あんたは要求が重すぎ。魔法使うなって、そんな子供に対して」

 

「別に俺と殴り合えって言ってるんじゃないんだぜ。取り合えず魔法抜きで二、三発は耐える根性が見たいだけでよ」

 

「山を崩す鬼の剛腕受けて平気とか、どこの化け物ですかねー。そーいうところが要求重いって言ってんのよ」

 

「人間、やりゃ出来るだろ。魔法なんて奇跡に頼るより、先に進もうって意志こそが人の輝きなんだからよ」

 

 

 人間の輝き。

 それを口にする時に、僅か寂しげに表情を歪める。

 

 男は疑問に思っている。鬼面は確かに感じている。

 この世界に生きる人間の中には、そんな輝きなんて残っていないのではないかと。

 

 

「……っと、それより扉なんかさっさと打っ壊しちまおうぜ」

 

「あんたがやったら中のジュエルシードごと消し飛ぶでしょ、あと少しだから待ってなさいよ」

 

「へいへい。……何して待つかねぇ」

 

「そこの子で遊んでれば?」

 

「……“遊び”、ね」

 

 

 男がユーノに近付き、その顔を覗き込む。

 血塗れの少年は怯えるように目を逸らし、丸まって体を震わせた。

 

 

「駄目だな、こりゃ。……もう遊び道具にもなんねぇわ」

 

 

 心折れたユーノに男が告げたのはそんな言葉。

 その言葉は、その態度は、少年の心に深い傷跡を残す。

 

 それすら興味はないと男は視線を外し――瞬間、航行船を二度目の衝撃が襲った。

 

 

 

 周囲を雷光が白く染め上げる。

 それは二人の鬼にも想定外の事態。

 

 次元跳躍魔法。

 次元を隔てた別時空から放たれた雷光が航行船の側面を削り、保管庫を吹き飛ばしていた。

 

 

「おいおい、こいつは」

 

 

 流石にそのまま回収は出来ないのか、あるいは別の理由か、保管されていた災厄の宝石は自然の法則に従い宇宙を流れ落ちていく。

 

 真下に見える、第九十七管理外世界、即ち地球へと。

 

 

「あっちゃー。久々にやられたわね」

 

「……ああ、そうだな。してやられたわ。遊び過ぎたか?」

 

 

 二人の鬼が揃って認める。

 やる気がなかったとは言え、己が狙う物を掠め取った下手人に、してやられた事を認めていた。

 

 

「なぁ、おい。何処に落ちるか、とか分かるか?」

 

「ん? あー、ちょっと軌道とか計算する必要があるかもだけど、位置的に日本のどっかじゃない?」

 

「転移魔法とやらで追えるか?」

 

「……無理。魔力反応追えるように設定すれば近くには転移できるかもしれないけど、そもそも魔法自体私ら上手く扱えないし」

 

 

 鬼面の男が問い掛けて、軍服の女が適当に答える。

 その情報を吟味した男は対抗策を考えながら、その視線を怯えて震える子供へと向けた。

 

 

「近くに飛ばせるならそれで良いだろ。細かい場所を探す奴なら、ここにいる」

 

「あー。なる」

 

「そう言う訳だクソガキ。お前にチャンスをくれてやるよ」

 

 

 鬼面の男がニヤリと嗤う。

 その笑みに震える少年の意志など無視して、彼は己の思惑を其処に晒した。

 

 

「ジュエルシード、探してこい。探し物は得意なんだろう?」

 

 

 神の瞳が見詰めている。

 その記憶の底まで暴く瞳が、震える子供を見据えている。

 

 男は局員の持っていたデバイスを起動させる。

 

 発動させるのは転移魔法。

 その魔法陣を起動させると、ユーノの髪の毛を掴んで引き摺り上げる。

 

 そして震える少年を、魔法陣の中へと乱暴に放り投げた。

 

 

「少し時間をくれてやるよ。盗られたくなけりゃ死ぬ気で探せ。俺らが着く前に回収して逃げられれば、守り切れるかもしれないぜ?」

 

 

 それは未だ、人の輝きがあると信じたがっている鬼の気紛れ。

 僅かにだが見込みがあるかも知れないと思えた子供に、与えるのは身勝手な試練。

 

 痛みで薄れる意識の中、涙に霞む瞳で男を見上げる。

 怯えたまま震え続けるユーノは、彼らに向かって問いかけた。

 

 

「お……は一体…な…だ」

 

 

 言葉は届かずとも思いは届く。

 己に対する誰何の声に、二人の鬼は楽しげに笑って異名を告げた。

 

 

「天魔・宿儺だ」

 

「男女二人揃って両面宿儺ってね。コンゴトモヨロシク!」

 

 

 驚愕に瞳を開く。

 八柱の大天魔。その名を知らぬ者は管理世界の住人には居ない。

 

 

「じゃ、死ぬ気で足掻け」

 

「ばいばーい」

 

 

 転移魔法の輝きに包まれながら、ユーノ・スクライアは恐怖に震える。

 大天魔の恐ろしさを知識として知るが故に、そして僅かとは言え直接関わったことで、この男女がどうしようもない怪物なのだと理解出来たのだ。

 

 

 

 八柱の大天魔が一つ、宿儺。

 その神はあらゆる神秘の否定者。遍く奇跡を認めぬ者。

 

 彼に対し、魔法を使ってはならない。

 人を見定める両面の鬼は、奇跡に頼らぬ人間の輝きこそを望んでいるのだから。

 

 

 

 

 

2.

 青々と茂った林の只中で、少年は黒き獣と対峙していた。

 

 

 Guooooooo!!

 

「っ! プロテクションッ!」

 

 

 唸り声を上げ、襲い掛かる獣。

 その獣の突進は、緑色の盾を破ることが出来ず弾かれる。

 

 

「其処だっ! チェーンバインドっ!」

 

 

 そしてその隙を見逃さずに、金髪の少年は即座に行動する。

 翡翠に輝く鎖に囚われた獣が、力尽くで鎖を引き千切る。だが、その対価にその身を構成する魔力を大きく失って地に伏せていた。

 

 

「はぁ、はぁ」

 

 

 その攻防は少年の優位に進んでいた。

 ユーノ・スクライアと言う魔導師には、確かに獣を封じるだけの力があった。

 

 

 Guoooooooo!!

 

「っ! はぁ……はぁ」

 

 

 鎖を引き千切って動き出す影の獣に、少年は翻弄されている。

 性能では超えている。戦況とて悪くはない。なのに、ユーノは震えていた。

 

 

「はぁ、はぁ、……なんで、こんな」

 

 

 息が荒い。足が震えている。

 折られた心が、悲鳴を上げていた。

 

 大天魔が彼を転送させたのは、墜ちたジュエルシードの直ぐ近く。

 故に回復が間に合う前に遭遇戦が起きるのは、或いは当然の結果であった。

 

 心が弱っている。身体が傷付いている。

 

 そんな状態での遭遇戦。

 少年の身体が、何時も以上に動かないのは道理であろう。

 

 今優位に立っているのは、魔力がまだあるからに過ぎない。

 だが、その魔力さえも無くなりそうで、それが恐怖を助長する。

 

 この第九十七管理外世界の魔力が、彼の体には合わないのだ。

 そんな環境では満足に魔力は生み出せず、消費する魔力の方が圧倒的に多い。

 

 ならばいずれは魔力が底を尽きるのは道理であり、その末路が悲惨な物になるのは必然だ。

 

 

(怖い)

 

 

 いずれ訪れるだろう未来を想像し、ユーノは恐怖に震え上がる。

 思考に無駄が生まれ、心が揺らげば当然、展開される魔法は無様な代物へと落ち、消費される魔力も増えてしまう。

 

 その事実は少年を怯えさせ、更に彼の魔法の精度を下げていく。

 そんな悪循環が無限に続く事もなく、ならばその結末は当然だった。

 

 

「あ」

 

 

 パリンとガラスが砕けるような音と共に、翠色の盾が砕ける。

 少年にとって自慢であった防御魔法が、遂にジュエルシードの怪物に破られた。

 

 直後に襲い来る衝撃。それはダンプカーの衝突にも匹敵する。

 大きく吹き飛ばされたユーノは木にぶつかり、圧し折りながら地面に落ちた。

 

 

「あ、ぐ、が」

 

 

 上手く呼吸が出来ず、呻き声を上げる。

 四つん這いになりながらも顔を上げると、勝ち誇るように雄叫びを上げる獣の姿。

 

 

(痛い。怖い。嫌だ)

 

 

 ガタガタと体が震える。

 ガチガチと歯が音を立てる。

 

 ゆっくりと近付いてくる獣の姿。

 この先にあるだろう未来に恐怖したユーノは、震える足で立ち上がる。

 

 

「う、あああああああああっ!」

 

 

 そうして、全速力で駆け出した。

 迫り来る獣とは逆方向へと、少年は尻尾を巻いて逃げ出していた。

 

 

 

 無理もない。ここで逃げた少年を、果たして誰が咎められよう。

 幼い子供が、寝物語に出てくるような化け物と対峙し、傷が癒える間もなく猛獣に襲われたのだ。

 大人であっても、逃げたくなる状況。子供の逃避は当然だ。

 

 ここで逃げ出さないのは勇気ではなく蛮勇。

 生存本能が狂ってしまった愚者だけだろう。

 

 だが、逃げ出す事と逃げ延びる事は別問題だ。

 逃走者の全てが逃げ切れるなら、捕食者に喰われる獲物などはこの世に居ないのだ。

 

 

 Guooooooooo!!

 

 

 少年が逃げ出すのが道理であるなら、獣が追い掛けるのもまた道理。

 ここに対決は、捕食者とそれから逃れようとする獲物との追走劇へと、その様相を変化させた。

 

 

 

 

 

 そして、少年は林の中で倒れ伏す。

 逃げ延びたユーノは、見るも無残な姿で倒れていた。

 

 スクライアの民族衣装は血と泥で赤黒く染まり、全身は擦り傷と打撲と骨折でボロボロになっている。

 端正な容姿は涙と鼻水と血に塗れて歪み、黒き獣に噛まれた傷跡からは血が絶えず流れ落ちている。

 

 月明かりの下、逃げ延びたユーノは恐怖で震え続けていた。

 

 

(……探さなくちゃいけないのに、ジュエルシードを、封印する、方法を)

 

 

 今の自分では封印することすら出来ない。

 それは先ほどの無様な結果が、明白なまでに示していた。

 

 命の保証さえない。逃げ延びられたのはある種の奇跡だ。

 ならば、どうにかする方法を探さなくてはならない。

 

 このままでいれば遠からず、あの両面の鬼がやって来るのだから。

 

 そう考えることは出来ても、傷んだ体は動かない。血を流し続け、徐々に体の感覚が失われていく。

 動かない体から感覚が失われていく様は、少年の恐怖をより強く煽っている。

 

 

「助…て」

 

 

 思わず、弱音が零れ落ちた。

 

 少年の姿は、光に包まれて小動物のそれへと変じる。

 少しでも命を長く繋ぐ為に、変身魔法で消費魔力を軽減しようとする。

 

 

〈誰か……助けて〉

 

 

 それでも、このままでいれば助からない。

 それが分かったから、念話で広く誰かに助けを求めた。

 

 そうしてユーノは、眠りに落ちるのだった。

 

 

 

 

 

3.

「……変な夢を見たの」

 

 

 可愛らしい小物の多い女の子らしい部屋のベッドの上で、寝ぼけ眼のなのはは先ほど見た夢を思考する。

 

 不思議な夢であった。

 傷だらけで泣いている男の子が、光に包まれるとフェレットに変わってしまう夢。

 

 その夢に何の意味があったのかは分からない。

 夢占いなんて分からないし、所詮は唯の夢だろうと思わなくもない。

 

 だが――

 

 

「助けてって、泣いてたの」

 

 

 それだけは強く心に残った。

 だから、自分に何か出来るなら、その涙を止める為に何かをしたい。

 

 そんな風にぼんやりと思考しながら、ふとベッド脇の目覚まし時計に目を映す。

 

 女の子らしい部屋に似合わぬ、カメラや電子機器に囲まれたベッド脇の棚。

 やや場違い感のあるピンク色の目覚まし時計は、当の昔に起床時間を告げていた。

 

 

「にゃ!?」

 

 

 慌てて飛び起き、着替えを始める。

 脱いだ服を布団の上に放り出してしまうが、忙しいから仕方がないと内心で自己弁護。

 

 着替えが終わるといつも使っている通学鞄を、中身も確認せずに手に持ち、部屋を飛び出した。

 

 

「にゃぁぁぁぁっ! 遅刻するのぉぉぉ!」

 

 

 人気のない家の階段を駆け足で飛び降り、居間を通り過ぎる。

 母親の書置きと用意されていた朝食に目を通し、冷めたパンだけ掴み取り居間を出た。

 

 

「行ってきまーす!!」

 

 

 鍵だけはちゃんと確認し、パンをくわえて走り出す。

 その姿は良い子とは程遠いが、当たり前の少女のそれではあった。

 

 

 

 

 




20160811 大幅改訂。


推奨BGM
1.祭祀一切夜叉羅刹食血肉者(神咒神威神楽)
2.願い、闇の中で(魔法少女リリカルなのは)


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第三話 出会い

連続投稿三回目。

副題 ある日、林の中、ユーノくんに、出会った。
   高町なのはの日常。


1.

「で? 教科書全部忘れてきた、と?」

 

「ふぇぇぇぇ。……だってぇ」

 

 

 昼休みの屋上で、仲良し四人組は揃って昼食を食べていた。一人例外はいるが。

 

 

「いや、なのは。あんた来る前に鞄の中くらい確認しなさいよ」

 

「……いつもは教科書入れっぱなしだったから」

 

 

 そんな風に口を酸っぱくして小言を言う金髪の少女。

 名をアリサ・バニングス。なのはの友人の一人である。

 

 

「昨日宿題出てたもんねー。なのはは宿題やったのに忘れたっていう馬鹿やってるけど」

 

「にゃぁぁぁぁ」

 

 

 ニヤニヤと笑いながら続けるのはアンナ・マリーア・シュヴェーゲリン。

 なのはの最初の友達である赤毛の少女だ。

 

 

「あ、あはは、二人とも、なのはちゃんも反省してるみたいだし、それくらいで」

 

 

 苦笑交じりに二人の友人を止めようとする紫髪の少女、月村すずか。

 彼女もまた、なのはの友人の一人である。

 

 

「すずかは甘いのよ。この天然は毎回毎回何か忘れてきて」

 

「にゃぁぁぁ! ありあひゃん、いひゃいいひゃい!」

 

「おー! なのはの頬っぺたがまるでゴムのように」

 

 

 女三人寄れば姦しいとは良く言うが、四人揃えばどうなるのか。

 彼女らは幼くとも、立派な女性と言うことだろう。

 

 

「しかも、こいつ。また昼のお弁当忘れてきてるし」

 

「にゃぁぁぁ、伸びるー。ほっぺ伸びるのー!」

 

「あ、あはは、それは擁護出来ないけど。……なのはちゃん。少し分けるね。お弁当の蓋に置くけど良いかな?」

 

「ううう。すずかちゃんは優しいの」

 

「全く、しょうがないから私のも分けてあげるわ」

 

「おぉう。さっすがアリサちゃん。中々のツンデレっぷりですねー」

 

「なっ! いきなり何言い出すのよ、アンナ!」

 

「べっつにー。アリサちゃんが素直になれないお子ちゃまだなんて思ってもいませんよー」

 

「思いっきり言ってんじゃないの、このバカ! って逃げるなこらー!」

 

 

 屋上の外周で追いかけっこを始める赤毛と金髪の少女達を後目に、すずかは三人分の御裾分けが乗ったお弁当の蓋をなのはに手渡した。

 

 

「にゃぁぁぁ、これで今日も飢えないのー」

 

「明日はちゃんと持ってこようね、なのはちゃん」

 

 

 人の温かさに感謝しながら、騒がしくも輝かしい、いつも通りの日常を送る。

 

 こんな日々はきっと何時までも続く。

 永久不変なのだろうとすら思えてくる。

 

 そうとも、誰もがきっと望んでいる。

 今がずっと続けば良いのに。この世界は、とても素晴らしいのに。

 それは刹那の中に生まれた今の人々が、自然と抱いてしまう神への賛歌。

 

 

(それとも、変わるのかな?)

 

 

 だが、凍る世界は完全ではない。時計の針は動いている。

 

 ならばきっと、変化は避けられない。

 騒がしく駆け回る友人らを眺めながら、変わるかも知れない未来を想う。

 

 変化した日常の先を、思い浮かべることは出来ない。

 そんな未来のことを考えてしまうのは、授業中に出された宿題が原因だろう。

 

 高町なのはは、出せない答えに溜息を吐いた。

 

 

「……将来の夢、か」

 

「ん? ああ、さっきの授業中に出た」

 

「うん。……すずかちゃんは何て書いたの?」

 

「機械とか工学とか、そっち方面に進みたい、かな。まだ明確な形にはなっていないけど、やりたいことの方向性は見えているつもり」

 

「……凄いね。すずかちゃんは」

 

 

 私に比べて。

 口元まで出かかったその言葉を飲み込み、なのはは駆け回る友らを見る。

 

 

「アリサちゃんは会社を継ぐんだろうし、アンナちゃんは何でも出来るから、きっと何をしても上手くいくんだと思う」

 

「あー、そうだね。……何かアンナちゃんは失敗してる所がイメージ出来ないし」

 

 

 なのはの言葉に苦笑いしつつ、すずかも同意する。

 そんな風に苦笑したすずかは、なのはに向かって問い掛けた。

 

 

「それで、なのはちゃんは何になりたいの?」

 

「分からない」

 

 

 友の問い掛けに、なのはは少し間を開ける。

 そうして膝を抱えながら答えた言葉は、分からないと言う疑問の言葉。

 

 

「分からないんだ。何がしたいのか、何が出来るのか」

 

「……翠屋の二代目は?」

 

「多分。そうなると思う。でも、それって何か違うんじゃ、とも思うの」

 

 

 アリサやすずかの様に、優れた能力があり目標があるわけではない。

 アンナのように、何でも上手くやる器用さと要領の良さがある訳でもない。

 

 

「私には、何も出来ることがないから」

 

「……なのはちゃん」

 

 

 そこにあるのは正しく歪み。その感情の名は劣等感。

 

 常に傍に誰かが居たから、孤独や良い子で居なくてはいけないという強迫観念などは抱かなかった。

 

 だが、常に傍に優秀な誰かが居たからこそ、雪のように鬱屈した気持ちが積み重ねられて来たのであろう。

 

 それら一欠けらはすぐに溶けるような感情でも、降り積もってしまえば簡単には消えることがない。

 

 高町なのはの歪みとはつまりそういう物だ。

 

 

「なーに暗い顔してんのよ」

 

「にゃ!?」

 

 

 追い回されていたはずの赤毛の少女が、背後から抱き付いて来る。

 その事実に驚きの声を上げたなのはへ、彼女が伝えるのは一つの言葉。

 

 

「何も出来ることはない? ええ、貴女がそう思うのならそうなのかもしれないわ」

 

「アンナちゃん!?」

 

 

 なのはの言を肯定するような言葉に、思わずすずかが腰を浮かす。

 それに対し視線と表情で任せておけと返したアンナは、ぎゅっと抱きしめる力を強くしながら言葉を伝える。

 

 

「けれど、ずっとそうではないの。ええ、断言してあげるわ。貴女はきっと、貴女だけにしか得られない力を手に入れる。貴女だけにしか出来ないことが出来るようになる」

 

「アンナちゃん?」

 

「これは絶対よ、なんたってこの私の保証付きなんだから」

 

 

 にっこりと笑いながら語るアンナの言葉に、なのはは頷きを返す。

 彼女が何を知っているのか、それはまるで分からないけれど、確かに感じる想いはあったのだ。

 

 

「だらっしゃー!!」

 

「きゃー!」

 

「にゃー!」

 

 

 そんな風に語り合う少女達を、金髪の少女が放った跳び蹴りが吹き飛ばした。

 弾かれて飛んでいく二人に対し、華麗に着地したアリサは仁王立ちして宣言する。

 

 

「さっきから暗いのよ! 大体、なのは、あんた理数系は私より成績良いじゃない! 他にも色々。…………理科とか算数とか、理科とか算数とか出来るじゃない」

 

「アリサちゃん!? 理数系しか言ってない!?」

 

「うっさいバーカ! テストの解答欄間違って零点になってるあんたにはお似合いでしょうが!」

 

「あ、あれは問題文と解答欄の位置が悪いんだよ! 間違えたのはなのは一人じゃないよ、きっと」

 

「……どうでもいいけどさー。何か良い感じの台詞言ってた私も蹴られたのは何で?」

 

「アンナはムカつくから!」

 

「割と理不尽!?」

 

 

 先ほどまでのしんみりとした空気は霧散し、そこにはいつも通りが帰って来る。

 なのはがドジし、アリサがツッコミ、すずかが慰め、アンナが掻き回す。そんな当たり前の光景が。

 

 

「ふ、ふっふっふっふ」

 

「な、何よ、アンナ。やる気! 受けて立つわよ!」

 

 

 不敵な笑みを浮かべだしたアンナに、拳を握りシャドウボクシングのように動かしながら男らしく対峙するアリサ。

 

 そんな彼女に、アンナは宣言する。

 

 

「理不尽なアリサには、その唇を奪う罰をくれてやろー!」

 

「はっ!?」

 

 

 わきわきと両手の指を動かすアンナの姿に、一瞬唖然としたアリサは状況を理解し、慌てて言葉を返す。

 

 

「ちょ、あんた本気!?」

 

「おうともよー。さぁて、ちゅーしちゃうぞー」

 

「ぎゃー! こっち来んなー!!」

 

 

 青ざめて全力で逃げ出すアリサと、ニヤニヤと笑いながら追い掛けるアンナ。

 先ほどとは追う側と追われる側を入れ替えた追走劇に、残された二人は苦笑いを浮かべるしか出来ない。

 

 

「……でも、アンナちゃんもアリサちゃんも正しいんだよ、なのはちゃん」

 

「え、あれが?」

 

 

 すずかの言葉に、思わず涙目で逃げ回るアリサと下ネタを連呼しているアンナを見やる。

 

 あれが正しい?

 そう疑問符を浮かべるなのはに、すずかが返すのは座った視線。

 

 

「私たちは何も見ていない。いいね」

 

「あ、はい」

 

 

 有無を言わせぬ強い口調に思わず頷くなのは。

 そんな彼女に対し、軽く咳払いをした後で、すずかは言葉を重ねた。

 

 

「なのはちゃんが気付いていないだけで、今出来ることが確かにあるというのは正しい。それにこれから先に出来ることが見つかるってこともきっと正しい。私が言いたいのは、そういうことだよ」

 

「……見つかる、のかな?」

 

「見つかるよ、一人では難しくても、皆で一緒に探せば、必ずね」

 

「皆で一緒に?」

 

「うん。四人揃って。……何があっても、きっとそれだけは変わらない、って信じてる。なのはちゃんは?」

 

「そう、だね」

 

 

 皆が別の道を選んだとしても、友達で居られると確信できる。

 四人一緒なら、きっと出来ないことはないと信じている。

 

 この景色は何時までも変わらない。

 そう思うと不思議と気持ちが軽くなるのを、なのはは確かに感じていた。

 

 

 

 

 

2.

〈助けて……〉

 

「にゃ? 今何か?」

 

 

 学校からの帰り道、なのはは不思議な声を聞く。

 それは誰かが助けを求める声。今朝見た夢の声と同じ音。

 

 

「どうしたの、なのはちゃん?」

 

「何立ち止まってんのよ?」

 

 

 塾に行く為に、共に歩いていた二人が問いかける。

 

 

「今、声が」

 

「声? そんなの聞こえないけど」

 

 

 声の主を探しているのか、きょろきょろと辺りを見回すなのは。

 その姿にアリサとすずかは、困惑の表情を浮かべるしか出来ていない。

 

 

〈助けて……〉

 

「やっぱり聞こえた! こっち!!」

 

「あ! ちょっとなのは!?」

 

「なのはちゃん! 待って!!」

 

 

 道路から抜け出して、林の中へとなのはは飛び出す。

 一人で草木を掻き分けながら獣道を進んで行ってしまう彼女を、アリサとすずかは慌てて追いかけた。

 

 

「ふふ、なーんか、面白いことになりそう」

 

 

 彼女らの後ろ姿を眺めながら、魔女はにたりと笑っていた。

 

 

 

 

 

 そして四人の少女が、その場へと辿り着く。

 

 

「うっ」

 

「酷い、どうして」

 

 

 アリサは思わず口元を抑え、すずかはその惨状に悲しさを感じた。

 

 小さなフェレットが血溜まりの中に倒れている。

 体の一部がおかしな方向に歪んでいて、全身が泥と血に塗れている。

 掠れるような呼吸音さえなければ、死んでいると錯覚してもおかしくはない。

 

 虫の息と言うべき有様だった。

 あまりにも酷い姿に怯む二人を後目に、なのははしゃがみこむと血で汚れるのも気にせず両手で優しくフェレットを抱き上げる。

 

 

「アリサちゃん。動物病院はどこ!?」

 

「えっ?」

 

「すずかちゃん!」

 

「あ、この近くだと槙原さんのところが」

 

「連れてって!」

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。今鮫島を呼ぶから」

 

 

 普段の鈍さがまるで見えない少女の対応。

 それに思わず気圧されながらもすずかは場所を説明し、アリサは携帯電話で専属執事へと連絡を入れる。

 

 

「早く! 早くしないとこの子が!」

 

「はいはい。落ち着きなさいな」

 

 

 掌中の冷たさに慌てるなのは。

 彼女へと、アンナは落ち着かせるように言葉をかけた。

 

 

「その子はちゃんと呼吸もしてるし、まだ大丈夫よ。急がないといけないのは確かだけど、慌てて揺らしたら怪我が酷くなってしまうわ」

 

「え、じゃあ、どうしたら?」

 

「だから落ち着いて、揺らさないように道路脇まで行きましょう? アリサが車呼んでくれてるんでしょう?」

 

「……それだけ、で良いの?」

 

「何なら声くらいかけてあげなさい。その子に頑張れってね」

 

「うん」

 

 

 優しく抱き留めて、なのは言われた通りに声を掛ける。

 

 頑張れ、もう大丈夫だから。

 そう優しく声を掛ける少女を後目に、アンナは林の中へと目を落とす。

 

 赤い宝石が一つ落ちている。

 それが何であるのか正確に理解しながら、それを拾い、なのはへと差し出した。

 

 

「アンナちゃん?」

 

「その宝石、この子のみたいよ。失くしちゃわないように、なのはが大切に持っておきなさい」

 

「……うん。分かったの。あ、今は手が使えないから、鞄の中に入れて」

 

「仕方ないわねぇ」

 

 

 なのはが素直に頷き、アンナがなのはの鞄の中に赤い宝石を入れるのとほぼ同時に、連絡が終わったのかアリサが二人を呼んだ。

 

 

 

 そうして少女達は、駆け足気味に林を抜ける。

 数分後にやってきた車に四人は乗り込んで、槙原動物病院を目指すのだった。

 

 

 

 

 

3.

 槙原動物病院。

 山の地主である槙原愛と呼ばれる女性が院長を務める、海鳴市にある動物向けの医療施設。

 その手術室より出て来た穏やかそうな女性は、待合室で座っていた少女達へと声を掛けた。

 

 

「……もう大丈夫よ。皆」

 

 

 フェレットを受け取ってすぐ、血相を変えて手術室へと連れていった槙原獣医師。

 流石に手術室までは同行出来ず、ハラハラと見守っていた三人の少女。彼女達はその言葉に、漸く安堵の溜息を吐いた。

 

 

『よかったぁ……』

 

 

 脱力して床に座り込んだ少女たちに対し、槙原は微笑みを浮かべながら軽い説明をした。

 

 

「もう命の心配はないけれど、傷んだ内臓や折れた骨が治るまで無理をさせちゃ駄目よ。完治するまでにはまだまだかかるから、二・三ヶ月は様子も見る必要があるでしょうね」

 

 

 フェレットの容態は、予想以上に深刻であった。

 あと少しでも処置が遅れていれば、危なかったであろうと槙原は判断している。

 

 

「それで、この子はこれからどうするつもりかしら?」

 

 

 怪我をしている所を拾った、というのはすでに伝えてある。

 槙原動物病院は、野生動物の治療費はタダにすると言う方針の下に成り立っている。

 

 元より大地主である彼女の、趣味的な意味も強い病院だ。

 金銭面での不具合はないが、それでもずっと預かり続けるのは支障も出よう。

 

 故に彼女は問いかけている。

 飼い主を探すのか、誰かが引き取るのだろうか、と。

 

 

「貴方たちが引き取れそうにないなら、こちらで引き取り先を探してみるけど、どうかしら?」

 

 

 正直、ここまで傷付いた動物の引き取り手を探すのは、非常に難しい。

 そう内心で思いながらも、槙原獣医師はそれを表情に出さず問いかける。

 

 問われ少女たちは其々が思考した。

 

 

「……うちは無理ね。犬がいっぱいいるし、大怪我しているこの子を置いておけないわ」

 

「うちも駄目、かな。……猫さん達がこの子を苛めないと言えないし」

 

「あー。私も無理。うちのマンションってペット禁止だから」

 

 

 アリサ、すずか、アンナ、三人がそれぞれの理由で引き取れないと口にする。

 

 

「…………」

 

 

 そんな中一人黙していたなのはは良しと頷いた。握りこぶしを作ったまま、彼女は口を開く。

 

 

「お父さんとお母さんに頼んでみる。翠屋じゃなくて家の方なら、大丈夫だと思うから」

 

「ええ、それじゃご両親と相談して、明日か明後日にでも結果を教えてくれるかしら?」

 

「うん。分かったの!」

 

 

 元気に返事をするその姿に、槙原は笑みを返す。

 その真っ直ぐに成長している姿は、例え彼女の両親が認めなくて引き取れなくても、彼女が安心できるよう全力を尽くそうと、そう思わせるだけの輝きがあった。

 

 そうしてフェレットの進退が決まった後、少女達は思い思いに語る。

 

 

「しっかし、なんなのよ、何であんな子が酷い目に」

 

「大きな獣の歯型とか爪痕があったみたいだしね。……けど助かりそうで良かった」

 

 

 アリサはどうして、と義憤に駆られる。

 すずかはその境遇を悲しみながらも、同時に安堵を抱いている。

 

 

「……ま、私もやるだけやっておきましょうかね」

 

「にゃ? 何をするの?」

 

「なんでもないわよー」

 

 

 底の見えない笑みを浮かべたアンナ。

 なのははその笑みの質にも気付けずに、純粋な疑問を浮かべて首を傾げる。

 

 そんな四人は、傍目に見ても確かな友誼を結んでいる。

 きっと彼女らの日常は、とても素晴らしい物なのだろうと思えてくる。

 

 

「しっかし、さっきのなのはは凄かったわねー」

 

「うん。確かに。思わず気圧されちゃった」

 

「にゃ?」

 

 

 大切だと思える日常を重ねていけば、確かに輝かしい物が残る。

 そのまま輝かしい日常を送っていけば、きっと良い大人になれるだろう。

 

 

「あんたって普段はとろいのに偶に凄くなるわね。本当に偶にだけど」

 

「にゃー! とろいって言われたの!?」

 

「うん。そう言えば友達になった時もなのはちゃん、さっきみたいな感じだったね」

 

「その後、すぐにいつものトロなのはに戻ったけどねー」

 

「ああ、あれは別人なんじゃないかって、我が目を疑ったわ」

 

「にゃー! 変な呼び名付けないでー!」

 

 

 騒がしくはしゃぐ少女達を微笑ましく思いながら、槙原はそんな風に思考していた。

 

 とは言え、ここは病院である。

 そして彼女は医者である以上、責任は果たさねばと叱りつける。

 

 

「はいはい。ここは病院です。騒ぐなら、外で騒ぎなさい!」

 

『はーい』

 

 

 元気に返事をして外に出ていく四人の少女。

 執事服姿の壮年の男性が軽く会釈をして、その後を追っていく。

 

 そうして、槙原は一つ溜息を吐いて。

 

 

「こんな風に感じるなんて、年取った証かしら」

 

 

 彼女達に対して抱いた思考。

 それは余りにも年寄り染みているだろうと、真剣に悩みかけるのであった。

 

 

 

 

 

 翌日の朝。

 両親の説得に成功したなのはが病院を訪れる。

 

 

「これからよろしくね」

 

 

 まるで、太陽に向かって花開く向日葵の様に。

 未だ眠り続けるフェレットに対して、なのはは笑みを向けるのであった。

 

 

 

 

 

4.

 時刻は僅か遡り、フェレットが病院に収容された日の深夜。

 槙原動物病院の近くで、人知れず一つの戦いが起きていた。

 

 いや、それは戦いと呼べるものか?

 

 否。これはただの蹂躙。ただの暴力。

 戦などとは呼べぬ、一方的な暴虐である。

 

 

「そう。理解する知性もないんでしょうけど、まあ諦めなさいな」

 

 

 獣はただ唸り声を上げる。

 それしか出来ていなかった。

 

 災厄の宝石より生まれし黒き獣は、生じた瞬間より人を圧殺するだけの性能を有している。

 事実、ユーノ・スクライアは心身共に追い詰められていたとは言え、唯々蹂躙されるだけだった。

 

 だというのに、この眼前の少女には抗えない。

 格が違う。圧が違う。強さの桁が文字通り違っている。

 

 獣の突進も、鋭い牙も、その身から放たれる魔力の衝撃波も届かない。

 敵対者を傷付けることは愚か、身動き一つさせることも出来ずに居た。

 

 対して伸縮して獣に纏わり付いた影はあっさりと、呼吸をする暇もないほど一瞬で獣からあらゆる自由を奪い去る。

 

 正しく、力の桁が違っている。

 そもそも戦いにすらならない程に、両者の存在は隔絶していた。

 

 赤い短髪に額にある二つの紅玉。

 両の瞳も赤く、袖のない和服に首飾りで着飾った少女。

 

 彼女は、その四つの赤い瞳で獣を見下す。

 その見詰める光は冷たく、何処か嗜虐の色さえ含んでいる。

 

 そんな敵対者の視線を前に、獣は挑むことも逃げることも許されず影に囚われる。

 獣の唸り声が恐怖に震えて泣き叫んでいるように聞こえるのは、果たして気のせいだろうか。

 

 

「それじゃぁ、Auf Wiedersehen」

 

 

 腕の一振りと共に獣が消し飛ぶ。

 後にはただ、淡く輝く宝石だけが残されていた。

 

 

「さーて、ジュエルシードゲット!」

 

 

 青き宝石を手にした少女は、手遊びをしながら動物病院の方向へと目を向ける。

 

 無差別広域念話によって大量の魔力を撒き散らし、私を狙ってくれと言わんばかりの有様だったあの小動物を思い誰にともなく呟いた。

 

 

「ま、私がしてあげるのはこの程度。あとは貴女がどうにかしなさい。その為に必要な物は全て揃えてあげたのだから」

 

 

 一人の少女の名を舌の上で転がして、されど言葉には出さない。

 

 そうして和服の少女は己の影に消えていく。

 まるで沼に飲まれて姿を消すかのように、僅かな波紋を地面に残して。

 

 そうして後には、何事もなかったかのように、静寂に包まれた町並みだけが残されていた。

 

 

 

 

 




Q.なのはさんってこんな子だっけ?
A.元々寝坊助で、所々ボケ要素があった感じの女の子。原作では良い子でいなくちゃという強迫観念があってそれだったのだから、気が抜けてるとこんな感じになると思う。


20160811 文章をやや改訂。


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第四話 魔法少女覚醒

何を言われても気にせずチマチマ投稿しようと思っていたら、何か反響が意外と良かったので、調子に乗ってストックを投稿してみる。

副題 ユーノの奮闘
   なのはの覚醒
   モブと海鳴市に厳しい世界



1.

 その人のことはきっと忘れない。

 

 優しい声で頑張れと、そう語りかけてくれたその人を。

 小さな掌、その温かさを、彼は地獄に落ちても忘れないだろう。

 

 高町家の一室。子ども用ベッドの枕元で毛布に包まれながら、微睡の中で彼はそんなことを思った。

 

 

 

 あれから一週間。

 ユーノ・スクライアは未だ目覚めない。

 

 

 

 

 

 小鳥が囀る爽やかな朝。

 高町家の食卓にて、なのはは寝ぼけ眼でもしゃもしゃと朝食を咀嚼していた。

 

 時刻は朝の7時過ぎ。

 常ならば翠屋の開店準備にもう家を出ている時刻ではあったが、休日故に珍しく一家揃って朝食を取っていた。

 

 いつもは八時過ぎまで寝ていて遅刻するなのはも、この日ばかりは叩き起こされ食卓を囲んでいるのである。

 寝起きで視線も定まっていない為か、ボロボロと口から零してばかりいるが。

 

 

「では、次のニュースです。先日未明。海鳴市の八束神社にて女性の惨殺遺体が発見された事件の続報です。遺体の所持品から、海鳴市在住の――――」

 

「八束神社って、確かこの付近だったな」

 

「うん。那美のところ、あそこで事件か」

 

「物騒な世の中になってきたわね。なのはも気を付けるのよ」

 

「……はにゃ?」

 

 

 母・桃子から名を呼ばれて、ぼんやりとしていたなのははハッとしてそちらを見やる。

 その仕草にニュースなど聞いてもいなかったことを理解した桃子は、思わず溜息を吐いた。

 

 

「全く、この子は」

 

「ははは、良いじゃないか。子どもはこのくらいで」

 

「でも、士郎さん」

 

 

 子どもの教育方針で多少意見を違える夫婦。

 

 面倒なことになりそうだ。

 そう判断したなのはは、慌てて朝食をかきこむと席を立った。

 

 

「ん。……ご馳走様ー!」

 

「ちょっと、もう、なのは!」

 

 

 小言を言われる前に退散しよう。

 そうと言わんばかりに、なのはは走り去っていく。

 

 

「なのは! 今日はサッカーの試合があるが、見に来るんだろう!」

 

「うん! 後でアリサちゃんとすずかちゃんとアンナちゃんと一緒に行くー!」

 

「なのはー! 色々気を付けるのよー!」

 

「はーい!」

 

 

 返事だけは元気良く。

 そのまま玄関へと向かっていく姿に、高町家の皆は苦笑をせずにはいられない。

 

 

「恭也。コートの設営とか少し手伝って貰っても良いか?」

 

「ああ、父さん。別に構わない。けど俺も約束があるから、試合前には出発するぞ」

 

 

 そんな風に会話する男たちと。

 

 

「ふう。……打ち上げ用に翠屋の方を準備しておかないと」

 

「母さん。手伝うよ」

 

「ありがとう、美由紀。なのはももう少しおしとやかに育ってくれれば。……美由紀のお菓子でも食べさせればマシになるかしら?」

 

「ねぇ母さん、それどういう意味?」

 

 

 何気なく物騒な会話をする女たち。

 

 

 

 今日も高町家は平和である。

 

 

 

 

 

2.

「それで、まだあの子は目を覚まさないの?」

 

「うん。ご飯も食べれないから、病院に毎日連れてっているの。点滴と、あとスポイトみたいので水を上げたりとか。けどお医者さんが言うにはもう何時目を覚ましても不思議じゃないって」

 

「そっか、じゃあ今日にも目を覚ますかもしれないんだ」

 

 

 少年サッカーの試合を横目に見ながら、なのはたちは三人はあの日拾ったフェレットについて話に華を咲かせていた。

 

 アリサ、すずかと違い、用事があるということでアンナはこの場に来ていない。

 

 それを残念に思えど、逆に良かったのかも知れないと思考する。

 フェレットの様子が心配過ぎて、サッカーの試合など真面に楽しめていないからだ。

 

 チーム翠屋の少年たちは三人の美少女に良い所を見せようと奮起しているが、あまり三人の意識はサッカーに向いていない。

 気が気でなく素直に楽しめない。それが偽らざる三人の内心である。

 

 またあまり応援されてないとは言え、美少女たちがベンチに座っているという状況が状況だ。

 敵チームは嫉妬の思いを力に変えて、本来格上であるはずの翠屋SCに食らい付いている。

 

 実力差と士気。

 勢いの差に戦線は拮抗し、一進一退の攻防が続く。

 

 こう言った試合内容は、総じてレベルが高く玄人好みではある。

 だがゴールネットを揺らさない地味なゲームは、正直素人には受けない物だ。

 

 

「早く家に帰りたくなってきたの」

 

「今帰っても、起きてる訳じゃないでしょうに」

 

「あはは。まあ、サッカーの試合も0対0のままだしね」

 

 

 そんな風に少女達が呟く中、それでも試合は進んで行く。

 

 嫉妬の鬼と化した敵チームと翠屋SCの戦いは数十分後、終了間際に意地を見せた翠屋側が一点を先取し、それを守り切って辛うじての勝利を迎えるのだった。

 

 

 

 試合が終わり、翠屋へ移動する車に乗り込む途中。ふとなのはの視界に、一人の少年の姿が映った。

 どこかで見た顔だな、と考え、翠屋SCのゴールキーパーだと思い出し納得する。

 

 そんな彼がポケットから中身を取り出し、しきりに確認している姿。

 その手に握られた淡く輝く宝石が、理由もないのに何故だか印象深く残った。

 

 

 

 

 

 翠屋での打ち上げ会。

 それぞれが思い思いに会話し、出された菓子類に手を付ける中、なのはだけは一人別行動を取っていた。

 

 あのフェレットが心配で。

 そう告げられたアリサとすずかは抜け出して見てきたらと苦笑いを返す。

 

 なのはが四六時中フェレットの様子ばかり見ている姿を知っている士郎と桃子は、他にも抜け出した子はいるからと許可を出した。

 

 翠屋を出て自宅へと走る。

 

 翠屋と高町家までの距離は短いが、幼くまた運動音痴な彼女にとってはそれなりの距離となっているのだろう。

 

 とてとてと、一歩ごとに重心をずらしながら見ていて危なっかしい走りでその道中を進む。

 

 その最中。

 

 

「にゃっ!?」

 

 

 当然のように小石に躓き、玄関の前で派手に転んだ。

 

 

「い、いたた……」

 

 

 呻きながら、起き上がろうとしたところで――海鳴の街全土が激しく揺れた。

 

 

 

 

 

3.

 高町なのはは痛みに苛まれながらも身を起こす。

 周囲を見回すと、その光景はほんの一瞬で激変していた。

 

 街中では幾つもの建物が倒壊している。

 地面は突如生えてきた根に荒らされ、至る所でさまざまな被害を出していた。

 

 痛みに泣く声が聞こえる。家屋が延焼する音が聞こえる。

 救急車が、消防車が、パトカーが、サイレンを鳴らして、しかし悲痛は拭われない。

 

 

「何……あれ……」

 

 

 そして視界の先には、高層ビルより巨大な木。

 その荒れ狂う巨大な根が地震を、火災を、この海鳴に齎したのだと漠然と理解していた。

 

 

 Guooooooo!!

 

 

 巨大樹に飲まれた街の中で、ナニカが咆哮を上げる。

 びくりと背筋が震え、咆哮の先へと目を向けた先にソレが居た。

 

 それは、獣だった。

 2mを超える巨体を持った大狗。

 

 山のように見えるその獣は、顎から赤い液体の混じった涎を垂らしている。

 

 獲物を見る瞳で少女を見つめる大狗。

 その怪物が何を望んでいるか、誰であろうと分かってしまう。

 

 即ち、食欲だ。

 

 

「あ、ああ」

 

 

 少女が怯える。

 初めて感じる命の危険に、その小さな身体が震えた。

 

 逃げなくては、そう思えど足は震えて動かない。

 早く早く早く、このままで居たら、自分の生涯はここで終わってしまうのだから。

 

 それだけは分かるのに。どうしても足は震えて動かない。

 

 

「お父さん。お母さん」

 

 

 恐怖に駆られて、父母に縋る。

 この場にいない両親が答えを返すこともなく。

 

 

 Guooooooooooooo!!

 

 

 迫る顎に思わず目を閉じる。

 眼前の幼子を捕食せんと開かれた大口、生臭い吐息が迫る。

 

 ああ、死ぬぞ。もう死ぬな。

 彼女が生きられる道理など、何処にもなく――否。

 

 

「ラウンドシールド!!」

 

 

 勢いよく動物が壁にぶつかったような音が響き、痛みがないことに驚きながらなのはは恐る恐る目を開く。

 

 そこにいたのは金髪の少年。

 民族衣装に身を包んだ端正な容姿の少年が、彼女をその力で守っていた。

 

 

「フェレット、さん?」

 

 

 何となく、思い付いた言葉を呟く。

 フェレットと少年には何の共通点も見えないのに、何故か両者が等号で結ばれているような、そんなイメージが頭に焼き付いている。

 

 そんな少女を背に、少年は獣を睨み付けた。

 

 

「下がって! ここは僕に任せるんだ!!」

 

 

 少年は覚悟を決める。

 何故ならば、彼女の声には聞き覚えがあったから。

 

 忘れるものか、聞き間違えるものか。

 ユーノの心に深く残った、その声だけは。

 

 あの苦痛の中で、太陽の様な温かさをくれた人を守れた。

 

 ただその事実に安堵して、ユーノは周囲を見て自責する。

 

 

(僕の所為だ……)

 

 

 眼前に広がる凄惨な光景に、少年は歯噛みする。

 

 巨大樹による建築物の倒壊。

 倒壊した際に発生した火災を含む二次災害。

 

 目の前の獣に食い殺された死体。

 嘆きと悲劇が満ちていて、現状はとんでもないことになっている。

 

 自分がジュエルシードを守り抜ければ、あるいはもう少し早くに意識を取り戻して封時結界だけでも展開していれば、そんな自責の念は止めどなく溢れてくる。

 

 今すぐにでも頭を下げて回りたい気持ちになるが、そんな自己満足をしている時間などはなかった。

 

 今ここにある危機。

 それから目を逸らすつもりはない。

 

 

 Guooooooooooooo!!

 

 

 獣の咆哮を聞いて、その体が震える。

 足が竦んでいる。あれは駄目だと、理性が訴えかけてくる。

 

 眼前の大狗は、先にユーノが敗れ去った黒き獣とは格が違う。

 

 あれは所詮思念体。

 明確な実体を持たない魔力だけで維持された最低レベルの暴走体だった。

 

 だが、今目の前にあるのは原住生物の肉体を取り込み生まれた暴走体。

 単純に性能が遥かに違っている。自分が負けた相手より、あれは更に格上なのだ。

 

 

(なのに、こっちのコンディションは最悪だ)

 

 

 全身の傷が傷む。

 骨も内臓もボロボロで、体に幾つか動かない部位も生じている。

 

 以前の戦闘で魔力を使い過ぎた事と、この世界の大気が体に合わないこともあって、魔力はほとんど残っていない。

 

 出来て先ほどのシールド三回分と言った所か。

 どれだけ効率良く魔力を運用しようとも、勝てる保証なんて何処にもない。

 

 

(それでも)

 

 

 背に守る少女を思う。あの優しく温かい少女。

 これが恋とか愛だとか、そういう感情なのかは分からない。

 

 けれど一つ、分かる事実が確かにある。

 

 彼女の様な人は失われてはいけない。

 それだけが確かな思いで、ただそれだけで退けないという決意が生まれるのだ。

 

 みっともなく足掻いて逃げ出したい心も、無様に震え続ける四肢も、今にも涙が零れてきそうな精神も、全部決意で捻じ伏せてただ吠えた。

 

 

「守りたいものがあるから!」

 

 

 負けてなんかやらない。

 ユーノ・スクライアは生まれて初めて、自らの意志で戦いへと臨んだ。

 

 

 

 

 

「くぅっ!」

 

 

 大狗の突進を受けて、翠色の盾があっさりと砕かれる。

 強度が足りない。より強く魔力を込めるが、それすら数度の突進で崩される。

 

 得意とする防御魔法が、こうも簡単に敗れることに歯噛みした。

 

 

(もう少し、魔力があれば……)

 

 

 こうまで容易く砕かれるのは、相手が強靭だからという理由ではない。

 

 無論、そういう理由がない訳ではない。

 思念体ではなく明確な実体を持った暴走体。

 

 ジュエルシードが原生動物を取り込んでから数日は経過しているのだろう。完全に同化して、その性能を使いこなしていた。

 

 今の怪物は、純粋なスペックだけで見るのなら、アルザスに住まう大型竜にも迫るのではないだろうか。

 

 とは言え、それだけならユーノの防御魔法を破るのには届かない。

 初撃を完全に防げたように、ユーノの防御魔法の方がまだ固い。

 

 ならば何故砕かれるのか、それは彼の防御魔法が薄いからである。

 

 初撃を防いだ際に消費した魔力。

 それをそのままに発動していれば今持つ魔力などとうに尽きている。

 

 三回分しかないのだ。

 それを使い果たせば、後ろの少女諸共食われて終わる。

 

 それは駄目だ。それだけは認められない。

 

 故にユーノは、ギリギリの魔力操作を行っている。

 最低限防ぐのに必要な魔力を想定し、足りなければ破られることを前提に思考する。

 

 だが、このままではジリ貧だ。

 防ぐだけでは後が続かないし、そもそも真面に防げていない。

 

 勝機を待てば少しずつ、魔力が削られていくだけであろう。

 

 ならば、ここは勝負に出るしかない。

 ユーノは必死になってマルチタスクを回し、己が勝利の道筋を想像し、魔法を行使した。

 

 

「そこだ! チェーンバインド!!」

 

 

 展開した盾を砕かれる瞬間を見極め、その一瞬に鎖状の捕縛魔法を展開する。

 躱すことなど出来ないタイミングで放たれた鎖は、首輪の如く獣の首に巻き付いた。

 

 

「チェーンアンカーッ!」

 

 

 もう片方。本来なら魔法陣から出現する鎖の片側は、しかし術式を弄ったことでユーノの掌に握られる形で出現している。

 

 獣が鎖を引き摺る動きに身体を合わせて、ユーノは前へと跳躍した。

 

 

 Guoooooooo!!

 

「っ! おぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 接近してくるユーノを迎撃せんと、獣がその爪を振り下ろす。

 その刃を辛うじて躱しながら、ユーノはその巨体の下へと潜り込む。

 

 そんなユーノの視界を覆い尽くす、巨大な胴体。

 大狗はユーノを踏み潰さんと、大狗がその巨体で迫り来る。

 

 懐に入り込んだ獲物に対して、退くか潰すか、そのどちらかしか選べなかったのだ。

 

 故にそれは想定通り。

 ユーノは既に、対策を立てている。

 

 

「プロテクションスマッシュッ!」

 

 

 その大狗の腹に向かって、残る魔力の三割を込めたプロテクションで突撃する。

 

 爪や牙ならば兎も角、その柔らかい腹部に一撃を貰えば堪らない。

 思わぬ痛みに跳ね上がった獣が生み出した致命的な隙に、ユーノは己の切り札を切った。

 

 

「アレスターチェェェェンッ!!」

 

 

 これが残った魔力の五割ほど。

 本来の数を大きく下回る鎖が、獣の身体を包んでいく。

 

 そして、翡翠の鎖を強く引く。

 巨大な爆発が巻き起こり、獣を大きく吹き飛ばした。

 

 

「妙なる響き、光となれ!」

 

 

 爆発の煙が消える前に、ユーノは最後の魔法を行使する。

 それはジュエルシードのモンスターを倒すのに、絶対に必要な封印魔法。

 

 

「赦されざる者を、封印の輪に! ジュエルシード封印!」

 

 

 最後に残った魔力を全て込めて、封印魔法の光が放たれる。

 彼の全力にして全霊の一撃は、翠色に輝く光となって獣に降り注いだ。

 

 

(これで、終わってくれ……)

 

 

 光に包まれた獣を見ながら胸中で呟く。

 もはやバリアジャケットを展開することはおろか、マルチタスクを使用するだけの魔力も残っていない状態。

 

 ユーノは肩で息をしながら祈る。……だが。

 

 

 

 意志の力で何かが変わるのなら、それは王道というべき物語。

 それを成せることこそが、主役に求められる条件というものなのだろう。

 

 だとすれば、彼は主役ではない。

 ユーノ・スクライアという少年は、脇役でしかなかった。

 

 

 Guooooooooo!!

 

 

 光が消えた後に残っているのは、大狗の怪物の姿。

 軽くないダメージを受けてはいるが、それでも獣は健在だった。

 

 

「あ、ああ……」

 

 

 状況は詰んだ。完全に、もう打つ手はない。

 そんな状況で遂に、堪えてきた涙が零れ始める。

 

 背後の守るべき少女、彼女が持つ魔力量。

 彼女に魔法を使って貰えば助かるのではないか、と恥知らずな思考も浮かんだ。

 

 

(何を、何を考えているんだっ、僕は!)

 

 

 一瞬でもそんな思いを抱いたことに、少年は己の浅ましさを呪う。

 

 

(苦しいじゃないか。痛いじゃないか。こんなモノを、彼女に背負わせるっ。馬鹿じゃないのか、クソ野郎っ)

 

 

 もしかしたら、それは全てが救われる道。

 けれど最後に残った男の意地が、その浅ましさを跳ね除ける。

 

 彼女に魔法を使わせるということは、守らねばならないと思った少女を戦場へと放り込むことと同義だ。

 

 レイジングハートを失くしていて良かった。そんな風にさえ今は思える。

 彼女を巻き込まなかった結果が自身の死であろうとも、その選択だけは選ばない。

 

 それが彼に残った、最後の意地。

 

 あるいは、この光景を見る前。この痛みを知る前。

 天魔たちに出会う前の自分ならば、安易に助けを求めていたかもしれない。

 

 背後に庇う少女の一見して分かるほどの魔力に、禄に考えもしないで助けを求めただろう。そうして彼女を、無責任に死地へと招いていた。

 

 だが、ユーノは見た。もう知ったのだ。

 災厄の宝石が齎したこの光景を。ミッドチルダを蹂躙したあの悪名高い天魔たちが、この地にやって来るという事実を知っている。

 

 巻き込めない。巻き込んではいけない。

 この優しい少女を、そんな死地に巻き込んではいけないだろう。

 

 

(……なら、逃げようか)

 

 

 ふと浮かんだ思い。それがとても名案のように感じられた。

 

 一人で逃げるのではなく、あの子の手を引いて。

 他の人は助からないだろうけど、あの子だけはきっと守り通す。

 

 そんな考えが、頭を過った。

 

 

(ああ、そうできたら、どれほど良かっただろう)

 

 

 無理だ。楽観が過ぎる。

 例えこのまま彼女の手を取って逃げても、無力な自分は守ることが出来ない。

 

 二人揃って食われて終わり。

 そんな光景が簡単に、脳裏に浮かんでしまったから。

 

 

(……なら、仕方ないよね)

 

 

 ユーノは割り切った。

 もう救えないと諦めて、少女に向かい言葉を伝えた。

 

 

 

 そして少年は、獣に向かって走り出す。

 以前とは違う。逃走ではなく、玉砕の為に。

 

 最早魔法は使えない。

 だが、この四肢は残っている。五体があるのだ。

 

 飢えただけの獣など、あの天魔に比べれば何を恐れる必要がある。

 

 

「だから! 僕は!」

 

 

 結果を話すのならば、彼の願いは届かない。

 どこまでも現実は非情で、彼は最後の意地までも失う事となる。

 

 

 

 

 

 玉砕へと向かう少年。一人傷付き続ける彼の姿。

 その光景を見て、誰より心を痛めていたのは一人の少女であった。

 

 

「どう、して……」

 

 

 それは何に対しての疑問であろうか。

 理不尽な現実か、抗い続ける少年に対してか。

 

 少なくともこれから訪れる結果だけは、なのはにも良く分かっていた。

 

 文字通り血を吐く思いで、戦い続ける少年。

 彼にはもう、攻撃手段も防御手段もありはしない。

 

 すでに魔力もなく、獣の爪や牙を体で受けるしかない。

 雑な動作で殴り掛かっても、純粋な身体能力差故に届く訳がない。

 

 そして仮に届いたとしても、人の拳で獣を傷付ける事など不可能だった。

 

 それはもはや戦闘などではない。

 体に爆薬を巻き付けて突っ込む以上に意味のない、捨身の囮でしかない。

 

 結末は見えている。

 それが起こるのは時間の問題だ。

 

 だからあの少年は、最後になのはに「逃げて」と残したのだろう。

 

 

「駄目、だよ」

 

 

 そんなのは駄目だ。

 助けてくれたあの人が、そんな結末を迎えてしまうのは駄目なのだ。

 

 あの人が食べられてしまうのは、なのはには絶対に許容できない。

 でも、ならどうすれば良い。何が出来る、何もできないこの身に。

 

 

「……神様」

 

 

 どうか助けてください。

 あの男の子を死なせないでください。

 

 もはや何も出来ない状況で、ただ祈るより他にない。

 

 ああ、だが、その祈りは無意味であり、無駄である。

 少年が少女を巻き込まぬと決意した瞬間に、彼女が正規の方法で魔法を得る道は失われたのだ。

 

 例えパズルのピースが揃っていようと、完成図を知らなければどうしようもない。

 このままでは高町なのはは目覚めない。魔法少女は生まれない。

 

 そして居もしない神様に祈った所で、結局何も変わらないだろう。本当に神様がいないのであったのならば。

 

 

――本当に仕方のない子ね。良いわ、もう少しだけ力を貸してあげる。さあ、その手に杖を取りなさい。

 

 

 何処かで聞いた、誰かの声が聞こえた。

 赤い影が脳裏に浮かび、知らずなのはの手は胸元へと導かれていく。

 

 

「……ペンダント」

 

 

 あの日、アンナに渡された赤い宝石。

 

 それが首に掛かっている。

 身に付けている様にと言われたから、それは確かに其処にあった。

 

 何かに導かれるように、その宝石へと手を近付ける。

 その手は無意識に魔力を発したまま、赤い宝石へと触れていた。

 

 瞬間、桜色の輝きと共に膨大な魔力が目を覚ます。

 

 

――さあ、貴女の物語の始まりよ。その才、余さず全て引き出してあげるわ。

 

 

 海岸線のブロック塀。其処に腰掛けた少女が囁く様に口にする。

 赤い髪の少女が掌中で3つの青い宝石を転がしながら、その4つの瞳で遠く、ただ茫然と赤い宝石を握るなのはを見つめていた。

 

 

「我、使命を受けし者なり。契約の元、その力を解き放て」

 

 

 言葉は自然と口をついた。

 迷うことはない。口ごもることもない。

 

 ただ言うべき言葉は此処にあって、求める力は其処にある。

 

 

「風は空に、星は天に、そして不屈の魂はこの胸に」

 

――主役の条件って奴を教えてやるよ。神の玩具だ。

 

 

 何処かで両面の鬼が、嗤う。

 神様に頭を下げて、摩訶不思議な神通力を恵んでもらった事を。

 

 その少女の有様を、悪意に満ちた言葉で嗤っていた。

 

 

「この手に魔法を! レイジングハート、セットアップ!!」

 

〈Stand by ready, Set Up〉

 

 

 溢れ出す膨大な魔力の反応に、傷だらけの少年は弾かれたように振り返って少女を見る。

 

 何故、彼女がレイジングハートを持っているのか、疑問に思うもそれ以上に胸を突く想いが一つ。

 

 巻き込んでしまった。

 そんな絶望にも似た後悔が、胸を満たしていた。

 

 

 

 そして、魔法少女は其処に目覚める。

 

 桜色の輝きの中、白き衣を身に纏う。

 機械仕掛けの杖をその手に、魔導師高町なのはは覚醒した。

 

 

「行ける」

 

 

 手に馴染む感覚がある。

 必要な知識も、どう動かせば良いかという技術も、それら全てが頭の中に流入してくる。

 

 体が凄く軽い。

 まるでこれまで重い拘束具を着込んでいたかのように、今が自然に感じられる。

 

 こうあるのが当然とさえ思えてくる。

 溢れ出す力が与える全能感に、自然と笑みすら浮かんでいる。

 

 なのはは爪先で地面を蹴ると、ふわりと浮きあがった。

 

 

〈Flier fin〉

 

 

 主の望む通り、レイジングハートは奇跡を起こす。

 何も知らないはずの少女は当然のように飛翔し、大狗の前にその姿を晒す。

 

 

 Guoooooooo!

 

 

 咆哮と共に襲い掛かる獣の牙に対し、なのはは杖を差し出す。

 それだけでレイジングハートは動いてくれると知っているから。

 

 

〈Protection〉

 

 

 桜色の魔力が半透明の壁を作り上げ、大狗を弾き飛ばす。

 

 宙を舞う獣を、高町なのはは逃さない。

 

 

「レイジングハート! 攻撃!!」

 

〈Divine buster〉

 

 

 両手に構えた杖の先から、桜色の光線が放たれる。

 

 が、獣も負けてはいない。

 着地直後に持ち前の俊敏さを発揮し、放たれる砲撃を軽々と回避する。

 

 

「っ! レイジングハート! もっと当たりやすいの!」

 

〈All right. Divine shooter〉

 

 

 なのはの望みに答え、インテリジェントデバイスが新たな魔法を生成する。

 

 生み出されるのは発射台とそこから放たれる球形の魔法弾。

 弾速こそ遅くなっており、容易く避けられるが、しかしこれは誘導効果を持つ魔法。

 

 その数は十二。その全てを自由自在に操る。

 かわされた矢先にその効力を発揮し、着地直後の獣にぶつかりその巨大な体躯を吹き飛ばす。

 

 あれほどユーノの攻撃に耐えた大狗が、僅か一発で地に倒れ伏す。

 次いで十一発の弾丸が、止めと言わんばかりに追撃をかけた。

 

 

「レイジングハート!」

 

〈Sealing mode, Set up〉

 

「リリカルマジカル。ジュエルシード、シリアル16。封印!」

 

〈Sealing〉

 

 

 桜色の輝きが、伏した大狗の力を奪い去る。

 その封印の光に抗う力は既になく、獣は動く事も出来ずに封じられる。

 

 

〈Receipt number ⅩⅥ〉

 

 

 輝きが収まった時、そこに残っていたのは青色の宝石と意識のない小さな子犬だけであった。

 

 レイジングハートが宝石を回収したのを確認するとすぐさま、なのはは次へと目を向ける。

 

 

「次!」

 

 

 飛翔魔法を使い、更に高度を上げるとなのはは巨大樹へとレイジングハートを向ける。

 その途端、まるで抵抗するかのように根が荒れた。

 

 だが、そんな抵抗など無意味である。

 なのはに襲い掛かった根は全て、桜色の障壁に阻まれる。

 

 その障壁を揺らす事も出来ずに、そしてなのはは揺るがずにある。

 

 

「リリカルマジカル。探して、災厄の根源を!」

 

〈Area Search〉

 

 

 そして、当たり前の様に発動するのは広域探索魔法。

 海鳴市全土を容易く範囲の中に収めて、そしてなのはは見つけ出した。

 

 

「見つけた! レイジングハート!」

 

〈Shooting Mode Set Up〉

 

「ディバインバスター!」

 

 

 巨大樹の中心。災厄の根源。

 其処へ向かって、射撃形態に変形したレイジングハートが砲撃魔法を放つ。

 

 無数の根と枝が生い茂り、抵抗を示すが全て桜の中へと消える。

 その強大な砲撃魔法は、巨大樹の抵抗を何でもないもののように跳ね除け、あっさりと全てを消滅させた。

 

 そして、蒼い石が転がり落ちる。

 災厄の宝石は、その一撃で封印されたのだった。

 

 

「凄い……」

 

 

 全てを終わらせて、空からゆっくりと降りてくる少女。

 その姿を見つめていたユーノは、感嘆の言葉を口にするしか出来なかった。

 

 余りにも魔力量が違っている。

 絶対的なまでに、才覚の隔たりを感じてしまう。

 

 その存在が持つ才能に、押しつぶされたような錯覚すら覚えている。

 

 

「それに比べて」

 

 

 両手を握りしめる。

 血だらけで、ボロボロの体は情けなく震えている。

 

 今の自分は、満足に立つことすら出来ていなかった。

 

 

「なんて、無様」

 

 

 男の意地は砕けた。

 誇りはもう、泥塗れになっている。

 

 守るべき人すら守れない。

 どころかその人に守られた少年は、その圧倒的な才に踏み潰される。

 

 そうして、声を上げずに涙を零した。

 

 

 

 

 

4.

「……あれは、ジュエルシードが引き起こした災害です」

 

 

 先ほどの現場から、僅か離れた場所にある公園。

 其処でユーノは、己が知る真実の全てを語っていた。

 

 

「ロストロギア。あまりにも発展し過ぎた文明が作り上げたとされる、行き過ぎた発明品。中でも間違った形でしか願いを叶えられない願望器。ジュエルシードは暴走すれば、次元世界一つを滅ぼしてしまいかねない、とても危険な代物なんだ」

 

「……そんな危険な物が、どうして海鳴に?」

 

 

 当然の疑問。それに対しユーノは、俯きながら告げる。

 余りにも消耗が大きい今、フェレットに変身していても分かる程に、その顔色は悪かった。

 

 

「ごめん。僕の所為なんだ……」

 

 

 謝ってもどうなることでもない。

 ただ結果で示さなくてはいけないのに、許されたくてそんな言葉を口にしている。

 

 そんな感情が自分の中にあることを自覚して、それでもユーノは口にしていた。

 

 

「僕がジュエルシードを発掘してしまったんだ。管理局、この世界で言う所の警察のような組織なんだけど、そこが所有する船で本局へ移送している途中に襲撃された。……僕らは襲撃者からジュエルシードを守れず、この世界にジュエルシードを散逸させてしまったんだ」

 

(僕は、弱いな)

 

 

 謝罪をするのではなく、解決する為に来たというのに、今では頭を下げるしか能のない己の弱さが情けなかった。

 

 

「輸送船が襲われた時に守り抜ければ、……いや、そもそも僕がジュエルシードを発掘しなければ、この街がこんな風になることはなかったんだ」

 

 

 公園から見える街の惨状を見ながら、彼は口を開く。

 巨大樹も大狗も消え去ったが、その傷跡は深く残っている。

 

 家屋を失くした人々は避難所生活を余儀なくされるだろうし、犠牲者だって複数出ている。

 

 詫びた所で、もう帰って来ない。

 そんな犠牲に少年はどう対処すれば良いのか、何が出来るのかも分からない。

 

 

「ううん。君の所為じゃないよ」

 

 

 そんな風に俯く少年に、事情を聞いたなのはは慰めの言葉を掛ける。

 

 それは紛れもなく、真実であるのだろう。

 海鳴市にジュエルシードを落としたのは襲撃者たちだ。

 輸送船に襲撃を許し、守り切れなかったのは管理局の不手際だ。

 

 発掘にしたところで、その遺跡を発掘すると決めたのはスクライア一族の上に立つ者であり、そこに少年の意志はない。

 

 ユーノ・スクライアに罪はなく、むしろ彼は己に出来る限りのことを果たしていただろう。

 

 どれだけの人が、彼と同じ立場で、彼と同じ行動が出来るだろうか。

 なのはの言葉は、身内に被害が出ていないからこその言葉かもしれないが、確かに少女の本心であり、客観的視点から見た際の真実だった。

 

 

「……ありがとう。ごめんね。……ええ、と」

 

 

 だからこそ、その言葉は――少年の心を救うと同時に、同じくらい深く傷付けていた。

 

 

「なのは。私は高町なのはだよ」

 

「ありがとう、なのは。僕はユーノ。ユーノ・スクライアです」

 

「それじゃ、ユーノくんって呼ぶね」

 

 

 にこやかに微笑むなのはに、ユーノはほんの少しだけ明るい気持ちになる。

 

 

(眩しいな)

 

 

 その太陽に向かって花開く向日葵の様な笑顔は、少年の瞳には眩しく映っていた。

 

 

「ジュエルシードは、まだあるんだよね」

 

「うん。全部で21個。……まだ19個も残っているんだ」

 

「……ジュエルシードを何とかしないと、また同じことが、ううん、もっと酷いことが起きるかもしれない」

 

 

 だから少年には気付けない。

 少女が胸に抱える。闇というには、小さなその歪みに。

 

 

「……私には出来る。何も出来ない私にも、出来ることはある」

 

「なのは?」

 

 

 それは劣等感。そしてそれより生じる優越感。

 孤独感や強迫観念は薄れたが故に、周りにいる優秀すぎる友人達に対して抱いてしまった感情。

 

 頭は良くなく、運動もあまり出来ない、自分でも出来ることはある。

 否、自分にしか出来ないことが此処にあるのだと、歪んだ優越感に浸っていた。

 

 

「ユーノくん。私なら、ジュエルシードをどうにかできるんだよね」

 

「……確かに、なのはほどの魔法の才能があれば、封印も簡単だけど、危険すぎるよ」

 

「ううん。それは違うよ。……何もしなくても、危ないのは変わらないんだ。なら、私は何かがしたい」

 

「……なのは」

 

 

 魔法。まるで神様の奇跡のような力には相応しい名前だ。

 そう内心で思い、彼女は赤い宝石を握りしめる。

 

 対して少年は思考する。

 彼女を危険に晒したくない思いはある。

 自分で解決したい矜持もある。

 

 ただ、実力だけが届かない。

 

 

(断った所で、こんな僕に出来ることなんて、ありはしないじゃないか)

 

 

 そんな合理的な、弱者の思考が頭を占める。

 目の前の少女なら何とか出来るんじゃないか、そんな無責任な思いに至る。

 

 

「そうだね。……うん」

 

 

 そうして少年が出した結論は、とても愚かなもの。

 

 

「僕一人じゃ駄目なんだ。……だからなのは、僕に協力して欲しい」

 

 

 それは少女を死地へと招く、とても愚かな選択であり。

 

 

「うん! 任せてユーノくん。私が必ず解決してみせるんだ!」

 

 

 そして頼られる喜びで、力に溺れた少女は戦場へと向かう。

 その先に何があるのか、知ることもなく。知ろうとすらせずに。

 

 

 

 少年と少女は共に行く。

 だがその心は、どこまでも擦れ違っていた。

 

 

 

 

 

 




Q.才能引き出されたなのはちゃんの強さはどれくらい?
A.素のスペックならSTS時点より既に上。装備の差と経験の差でSTSなのはには勝てないけれど、AS最終決戦のなのはくらいならゴリ押しで倒せる感じ。
 障壁を維持しながら高速移動して、誘導弾を操りながら砲撃魔法放ちつつ、SLBをチャージするとか出来る。


戦闘シーンは割とノリと勢いで書いています。突っ込まれる場面もチラホラあるかも。
実は根性論が通る理由も裏設定であったりするのだが、それは作中でその内明かすかもしれませんので、ここでは語りません。

後、暫く天魔さんたちはお休みです。今来られたら全滅するしかないから(震え声)


20160812 大幅改訂。


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第五話 機械仕掛けの戦乙女 上

副題 獣の本能には従うべき
   猫捕獲
   とらハタグは必要だろうか?



1.

 真夜中のオフィスビル街。

 夜風が吹きすさぶビルの屋上に、二つの影が舞い降りる。

 

 影の一つは金糸の髪を風に靡かせる、悲しげな瞳をした黒い少女。

 少女に侍る様に立つ影は、犬科の動物を思わせる耳を生やした橙色の女。

 

 

「ねぇ、本当にやるのかい、フェイト」

 

 

 獣耳の女が、震える声で問い掛ける。

 目つきが鋭くスタイルの良い美女だが、今はどこか気弱そうな表情を見せていた。

 

 

「どうしたの、アルフ? 何だか、らしくない」

 

 

 女の胸元ほどの身長もない金髪の少女が、らしくないと口にする。

 常は明るく勝気な筈の女性が、何かに怯える様に震えている。それがおかしい、とフェイトは眉を顰めて問い掛けた。

 

 

「分からない。分からないけど怖いんだよ。なんかとてつもない化け物に睨まれているような。もう食われて腹の中に入れられちまったような。……この世界に来てから悪寒が止まんないんだ」

 

「……ここは魔法文明も発達していない管理外世界だよ。きっと気のせいじゃないかな」

 

 

 女の尋常ではない様子に違和感を覚えつつも、少女は理屈で返す。

 そんな予感は気のせいではないか、とアルフの直感に対してフェイトは当たり前の常識を語っていた。

 

 

「それに、何があろうと退く訳にはいかない。母さんの為にも」

 

 

 あるいは、女の持つ獣の直感が何かを悟っていたのかもしれない。

 信頼する使い魔の言葉にそう考えつつも、それでも自らの意志は譲らない。

 

 アルフの感じたナニカが本当に恐ろしい物だとしても、それでも退けない理由がフェイトにはあった。

 

 

「……あんな鬼婆の為なんかに」

 

「アルフ」

 

 

 思わずぼやくように呟いた言葉に、フェイトは怒りを込めて女の名を呼ぶ。

 それ以上言うなら許さない、とその瞳に怒りの色を確かに感じて、アルフは即座に頭を下げた。

 

 

「ごめん。……だけどさ、本当にやばくなったら逃げよう。それくらいなら」

 

「駄目。それは無理」

 

 

 女の懇願するような言葉に、即座に否定の言葉を返す。

 そうして宙に浮かび上がった少女は、震えて動けぬ獣に対して言葉を投げ掛けた。

 

 

「アルフはきっと疲れているんだよ。先に母さんが用意してくれた拠点に行って休んでて。……私はジュエルシードを探しに行くから」

 

「フェイト!?」

 

 

 女の言葉は届かずに、少女は空へと飛翔する。

 宵闇の中へと躍り出たフェイトは、闇の中に切り裂く様に飛んでいった。

 

 

 

 残された女は、その背を追えない。

 得体の知れない恐怖に怯えて、震える事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

2.

 復興途中の海鳴の街並み。

 未だ崩れかけた瓦礫が見える中を、一台のバスが運行する。

 

 

「本当にこれで良いのかな?」

 

 

 そんな復旧したばかりの市営バス。

 その後部座席で揺られながら、なのははぽつりと呟いた。

 

 

「どうしたんだ、何か気がかりなことでもあるのか?」

 

「あ、ううん。何でもないよ、お兄ちゃん」

 

 

 そんな彼女の呟きを聞き取ったのか、共に行動している彼女の兄が問いかける。

 慌てて誤魔化すなのはの態度に違和を感じながらも、そうかと高町恭也は一つ頷くとその視線を外へと戻した。

 

 

〈ジュエルシードの事かい? なのは〉

 

 

 兄の追及から逃れ、ほっと一息を吐いたなのは。

 そんな彼女の脳裏に響くのは、魔力を介した少年の声だ。

 

 念話。そう呼ばれる特殊な通信手段で、ユーノはなのはへと言葉を投げ掛けていた。

 

 

〈うん。あんなに危険な物を放っておいて良いのかな、って思って〉

 

 

 籠の中で丸くなっていたユーノと、念話を使って会話する。

 彼の入った籠を抱えながら、なのはは己の胸中の想いを吐露した。

 

 

〈街がいつ危険に巻き込まれるか分からないのに、こうしてお兄ちゃんと友達の家に行く、ってのが不安なんだ。これで良いのかな、って〉

 

〈……そうだね。気持ちは分かるよ。僕も今すぐにでも飛び出したい気分だ〉

 

 

 そんな不安を漏らす少女に、少年は同意の言葉を口にする。

 ジュエルシードを見つけ出せるならば、彼らは直ぐにでも動き出していたであろう。

 

 

〈だけど、発動していないジュエルシードを探すのは難しいんだ。ほとんど魔力を持たない以上、サーチャーを沢山飛ばして虱潰しに探すくらいしか出来ない。そんなことをしていたら魔力がいくらあっても足りないし、いざという時に動けなくなってしまいかねないからね〉

 

 

 発動していないジュエルシードは、魔力反応を探知できない。

 故に見つけ出す為に出来る事があるとすれば、サーチャーと言う消費型の端末で虱潰しに探していく事くらいであろう。

 

 それは砂漠に落とした指輪を、肉眼だけで探し出す様な物。

 余りにも非効率で、魔力も集中力も大きく消費してしまうであろう単純作業。

 

 人手が多く居る状況ならば兎も角、今はなのは一人しか戦力がいないのだ。

 そんな中で彼女が無駄に消費してしまえば、いざと言う時に即応が出来なくなってしまうのである。

 

 

〈急ぎようはないんだ。だからなのはには日常を楽しんでいて欲しい。……巻き込んじゃった僕が言うことでもないかもしれないけどさ〉

 

〈……日常、か〉

 

 

 言われて、なのははバスの窓から外を眺める。

 日常の光景であった町並みは、ジュエルシードが起こした災害による爪痕で大きく変わってしまっていた。

 

 それでもあれから数日も経てば、復興も大分進み、街に活気が戻り始めている。

 バスの運行が再開され、こうしてなのは達が遊びに出られるのもその証であろう。

 

 

 

 あの災害が起きた当日と、それから数日は特に慌ただしかった。

 

 被害者や犠牲者の確認。

 災害の規模の確認や復興準備。

 仮設住宅の整備に炊き出しなど、街は大きく動いていた。

 

 当然、人手を求める場所は多かった。

 高町家は被害をほとんど受けなかった為、両親も兄姉もボランティアに勤しんでいたのだ。

 

 なのはもまた、自分も手伝うと声を上げた。

 だが、しかし返ってきたのは否定の言葉。「家で良い子にしていて欲しい」送られたのは、かつて幼い頃に言われた言葉とよく似たそれだった。

 

 あの頃とは違う。今は自分にも魔法と言う力がある。私は役に立てるんだ。

 

 そう声を大にして語りたいなのはだったが、しかし魔法はあまり広めてはならないというユーノの言葉がそれを阻んだ。

 

 第九十七管理外世界は、非魔法文明。

 魔法が公に認知されていない世界で、魔法を公表する事は管理局法に背く重罪なのだ。

 

 結果、なのはは何も出来ずに日々を過ごした。

 復興の邪魔になるから、と表に出てジュエルシードを探す事も出来なかったのだ。

 

 私にだって出来るのに、と鬱屈を抱えたままに数日を過ごす。

 なのはは家に籠って、連日連夜ニュース報道を眺めていた。

 

 

(魔法を使えれば、もっと早く戻るのにな)

 

 

 幼い少女は、そんな風に思ってしまう。

 異質な技術を明かした際に起きるであろう問題点などには気付かず、ただ純粋にそんな思いを抱いていた。

 

 

(って、久しぶりに皆に会えるんだから、こんなこと考えてちゃいけないの)

 

 

 鬱屈しているべきではない、となのはは首を左右に振って思考を断ち切る。

 学校も暫く休校状態となっていた為に、友人達と顔を合わせるのは本当に久しぶりであった。

 

 だから、そんな悩みなどは感じさせてはいけない。

 そんな風に考えて、深呼吸と共に思考を切り替える。

 

 そうしている内に、バスの内部に放送が流れた。

 

 

「そろそろ停車駅だな。なのは、ボタンを押してくれないか?」

 

「ん。分かったの」

 

 

 停車駅を告げる車掌の声。

 それに合わせる様に、なのはは席の近くのボタンを押す。

 

 

〈バスのボタンを押すのって、なんか楽しいよね〉

 

〈その感想は良く分からないけど、日常を楽しんでいるようで何よりだよ〉

 

 

 ブーと鳴り響くブザー音。

 それから暫く走行した後、市営のバスが停車した。

 

 

 

 二人と一匹は、揃ってバスを降りる。

 バスの停留所に辿り着いた彼らは、この場所からでも見える程に大きい、山の手の洋館を見上げた。

 

 

「相変わらず大きいの」

 

〈何か凄いね。……あれ、誰か来るよ〉

 

 

 聳え立つその洋館の大きさに、毎度の如くに圧倒されるなのは。

 そんな彼女にユーノが念話で声を掛け、なのはは声に従う様に振り向いた。

 

 

「はぁーい。なのはちゃんにそのお兄さん」

 

「アンナちゃん!」

 

「ああ、君か」

 

 

 軽く手を振りながら、近付いてきたのは赤毛の少女。

 アンナと言うなのはの友人の姿に、高町兄妹は軽く挨拶を交わす。

 

 

「って、あら? その子、元気になったのね」

 

「うん。皆にも心配かけちゃったから、紹介も兼ねて連れてきたの」

 

「そう。よろしくね。フェレットくん」

 

「ユーノくんって言うんだよ」

 

 

 籠の中にいる小動物にも挨拶をするアンナ。

 そんな彼女に、なのははユーノの名を教える。

 

 そうして軽く言葉を交し合いながらも、三人と一匹は歩みを進める。

 

 山の手にある洋館までの距離は、そう長くはない。

 会話をしながらならば、ほんの数分程しか掛からぬ距離。

 

 そうして談笑しながら、三人が門前へと到着する。

 彼女達が到着した瞬間に、まるで図ったかのように、重音を立てて鋼鉄の門が開いた。

 

 一人でに開く門の奥。

 其処には佇んでいたのは、メイド服を纏った紫髪の女性。

 

 

「お待ちしておりました、恭也様、なのはお嬢様。アンナお嬢様。お車を用意しております。こちらへどうぞ」

 

 

 表情は薄いが、それでも優しげに微笑んで一礼する。

 月村家に仕える給仕、ノエル・綺堂・エーアリヒカイトが其処に居た。

 

 

 

 ノエルに先導されながら、なのは達は館へ続く道を歩いていた。

 

 月村邸の敷地内は、広く大きい。

 自動車の一台くらいなら楽に通行できるだろう道幅は、その広すぎる敷地面積では車両の一つ二つはないと不便に過ぎるからだろう。

 

 ノエルが車を用意して待っていたのも当然だ。

 それなのに何故、彼女達は態々徒歩で移動しているのか。

 

 それはノエルに対し、高町恭也が徒歩での移動を希望した為だった。

 なのはは無論反対したが、アンナがそれに賛同した為に数の暴力によってごり押しされた訳である。

 

 

〈民主主義の、闇を見たの〉

 

〈あ、あはは。……頑張って、なのは〉

 

 

 季節は春から夏へと切り替わる時期。

 青空にある太陽はカンカンと照り輝いている。

 

 運動不足気味ななのはにとって、この距離は苦行であった。

 

 実は恭也が徒歩での移動を提案した理由は、ここ数日真面に外に出ていないなのはの運動不足解消の為だったりする。

 

 そんななのはにとっては有難迷惑でしかない兄心は、全く伝わってなかった。

 

 

「あら?」

 

 

 歩いている途中、ふと何かに気付いたアンナ。

 彼女は軽い足取りで道を外れると、林の中へと分け入った。

 

 

「アンナお嬢様?」

 

 

 そんな少女の行動に一行の足が止まる。

 追い掛けるべきか、そう戸惑う一行の前でアンナはしゃがみ込んだ。

 

 林の奥に進む訳ではなく、入ってすぐの所でその生き物を捕まえる。

 そしてその両手に掴んだものをひょいと持ち上げると、高らかに宣言した。

 

 

「猫取ったどー!」

 

 

 「なー」とまるで文句を言うかのように声を上げる子猫。

 ジタバタともがく子猫の胴体をがっしりと掴みながら振り返るアンナに、年長組は苦笑を浮かべて返した。

 

 

「ノエル。この子は?」

 

「一番新しく来た子猫です。こんなところにいるとは」

 

 

 基本、沢山の猫を放し飼いにしている月村邸ではある。

 だが余りにも幼い子猫を庭で自由にさせるのは、広大な月村邸は危険が大きい。

 そんな理由もあって、子猫の内は館から出さないよう育てていたはずだった。

 

 

「……ファリンですね。全く、あの子は」

 

 

 頭を抱えて、逃がした犯人であるだろう妹を思う。

 

 どうせあの妹のことだ。

 館を出る際に扉を閉め忘れたか、窓を閉め忘れたかしたのだろう。

 

 ファリンならば仕方ない。

 彼女を知る恭也も、苦笑を浮かべるより他になかった。

 

 

「アンナお嬢様。申し訳ございませんが、その子を館まで連れて行って頂けますでしょうか。あまり幼い子猫を放し飼いにしておくのは好ましくないので」

 

「はーい。んな訳で落ち着きなさいな」

 

 

 離せーと言わんばかりに暴れる子猫の体を両手で固めると、たったったと軽い足音を立てながらアンナは一行に合流する。

 

 

「と、なのは。どうしたのよ」

 

「あ、ううん。何でもないよ、アンナちゃん」

 

 

 今まで一言も話していないなのはを、訝しげに見ながらアンナが問う。

 そんな彼女に答えを返しながらも、なのはの視線は一点に集中していた。

 

 

〈ユーノくん。あれ〉

 

〈ああ、間違いない。ジュエルシードだ〉

 

 

 林の奥、目視できるぎりぎりの場所にそれは落ちていた。

 

 その宝石は太陽の光を浴びて、青く輝く。

 草木に隠れていたジュエルシードは、もしアンナが道を外れなければ見つけられなかったであろう。

 

 

〈回収しなくちゃ〉

 

〈……いや、今は駄目だ〉

 

 

 逸るなのはをユーノが制する。

 その視線で周囲を見詰めて、今は人が多過ぎると無言で語っていた。

 

 

〈でも、このまま放っておいたら〉

 

〈幸いここは私有地だ。誰かが発動させてしまう可能性は街中より低い。一度目的地に着いてから、状況を見て抜け出すとしよう〉

 

〈……分かったの〉

 

 

 念話越しの説得に、なのはは渋々ながらに納得する。

 魔法を周囲に知られない様にする為には、納得するしかなかったのだった。

 

 

 

 なのはとユーノのやり取りには気付かず、一行は道沿いに進む。

 それほど時を置かず、なのはの体力が尽きる前に、彼らは邸宅前まで辿り着いた。

 

 

「いらっしゃい、恭也。なのはちゃんにアンナちゃんも」

 

 

 玄関で待ち構えていた紫髪の女性は、笑みを浮かべて三人を出迎える。

 すたすたと歩み寄るとその両手を恭也の腕に絡め、しな垂れるよう身を寄せた。

 

 

「忍。……あまりくっつくなよ」

 

「ええー、良いじゃないの。最近忙しくって会ってなかったんだし」

 

「そうだが、そうじゃない。……子供たちが見ているだろうが」

 

 

 自身と恋仲にある女性。月村忍が押し付けてくる胸元に意識を取られながらも、鉄壁の理性でそう返す恭也。

 

 そんな二人をにやにやと眺める少女一名。

 良く分かっていない視線を向ける少女一名。

 赤面している器用なフェレット一匹。

 呆れ混じりに嘆息する女性一人。

 

 自らに向けられている視線に気づき、それもそうねと微笑むと忍は恭也の腕を抱きながら口を開いた。

 

 

「それじゃ、恭也を借りてくわね」

 

「ごゆっくりどうぞー。二時間は近付きませんねー」

 

「あら、朝帰り以外の選択肢はないわよ」

 

「おま、子供に何を」

 

 

 驚愕の表情を浮かべたままに、恭也は引き摺られていく。

 その姿を楽しそうに見つめながら、アンナは悪戯な笑顔を口に浮かべた。

 

 

「いやー、お盛んですなー。これはあれね。昨日はお楽しみでしたね、の出番ね」

 

「お楽しみ? お兄ちゃん達、ゲームか何かをするの?」

 

「それはねー、男女の「アンナお嬢様」あれま」

 

 

 素直に疑問を口にする無垢な少女に、生々しいことを教えようとする少女。

 それを華麗に阻んだノエルは、優雅に一礼すると口を開いた。

 

 

「すずかお嬢様とアリサお嬢様がお待ちです。お部屋にご案内させて頂きます」

 

「はーい」

 

 

 有無を言わせぬという口調に、仕方ないなとアンナが応じる。

 ノエルの案内の元、なのは達は邸内を進み始め。

 

 

〈でも、本当にお楽しみってなんだろうね?〉

 

〈僕に聞かないで〉

 

 

 その最中に疑問符を浮かべながらそんな事を念話で問う少女と、問われ顔を真っ赤にして返す耳年増なフェレット。

 

 彼らの間に、そんなやり取りがあったのは余談である。

 

 

 

「いらっしゃい。なのはちゃん。アンナちゃん」

 

「遅いわよ、あんたら」

 

 

 笑顔で迎え入れるすずか。

 悪態を吐きながらも、態々扉の前まで歩いてくるアリサ。

 

 

「すずかちゃん、アリサちゃん」

 

「Guten Tag. 二人とも元気ー?」

 

 

 そんな二人に対して、揃って軽く挨拶を返す。

 軽く言葉を交わした直後に、二人の視線はアンナの抱えている子猫に移った。

 

 

「あれ、その子」

 

「戦利品よ、って痛い痛い。暴れるな、こら」

 

 

 高々と掲げた所で隙ありと考えたのか、今まで大人しくしていた子猫はアンナの両手に爪を立てる。

 

 痛みに思わず彼女が手を離した隙に、子猫は脱出に成功する。

 すぐさま距離を取るとそこで振り向いて一声、まるで馬鹿にするかのように「にゃ~」と鳴いた。

 

 

「あの獣めー。良くもやったわね」

 

「あ、あはは。まぁまぁ、あの子はまだ小さいんだし」

 

 

 腕捲りして、追い掛けようとするアンナ。

 そんな彼女を、飼い主であるすずかが宥めて押し止める。

 

 そうこうしている内に、子猫は部屋の奥へと走り去る。

 その小さな姿は、あっという間に見えなくなってしまった。

 

 

「あの子じゃないの。ファリンさんが探していた子猫って」

 

「あー、そうかも」

 

 

 ふと気付いた様に、アリサが口にする。

 その言葉に苦笑しながらも、すずかは同意する。

 

 

「ファリンって、あのドジっ子メイドでしょ。また何かやったの?」

 

「ドジっ子ってあんたねぇ、いくら本当のことでも、年上相手にそんな言い方は駄目でしょ。少しは歯に衣着せなさいよ」

 

「いや、アリサちゃんも相当酷いこと言ってるけど。……まあ、ファリンだしね。ノエルに逃がしたことバレてなければ良いけど」

 

「だがしかし、私たちを案内したのはノエルであった。残念。ファリンの冒険は終わってしまった!」

 

「だから止めなさい、そういうのは!」

 

 

 べしっと軽い音を立てて、アンナの頭部を平手打ちする。

 姦しい遣り取りを続ける中で、ふと黙ったままの少女が居る事に皆が気付いた。

 

 

「ちょっとなのはー。どうしたのよ」

 

「え、あ……」

 

 

 どうやって抜け出そうか。

 そんなことばかり考えていたなのはは、急に話を振られて狼狽える。

 

 

〈どうしよう、ユーノくん。上手く抜け出すには……〉

 

〈……無難にトイレに行きたい、とかで良いんじゃないかな?〉

 

 

 自分が動けていたら別の理由も用意出来ただろうが、来たばかりで未だ籠の中にいるユーノにはどうしようもない。

 それほど時間を掛けずに戻って来れば問題はないだろうと、ユーノは軽く考えて言葉を返す。

 

 だが、しかし、彼はなのはの対応力の低さを見誤っていた。

 

 

「トイレ!」

 

「へ?」

 

「トイレに行ってくるの!」

 

 

 ジュエルシードは早く回収せねば、と気が急いているのだろう。

 ユーノの提案そのままに、どう伝えるかも考えずに取り合えず口にする。

 

 そうして部屋を飛び出し、全力疾走するなのは。

 だが、その事情を知らない人間からはどう見えるかと言うと。

 

 

「……どんだけ、トイレに行きたかったのよ」

 

「なのはちゃん。連れてきたフェレットも一緒にトイレに入るのかなぁ?」

 

 

 そんな呟きが漏れるくらい、彼女の行動は違和感に溢れていた。

 

 

 

 

 

3.

 林の中をなのはが進む。肩の上には一匹のフェレット。

 彼を閉じ込めていた籠は身動きの邪魔になるので、館の前に置いてきた。

 

 

「なのは、そんなに急がなくても「あーれー!」……急がないとまずそうだね」

 

「今の声、ファリンさんなの!」

 

 

 叫び声、というには些か間の抜けた声が響く。

 同時に感じられるのは、ジュエルシードが発動した魔力反応。

 

 子猫を探しに来たファリンが巻き込まれてしまったのだろう。

 無理にでもあの時に回収しておくべきだったか、となのはは自責する。

 

 だが、今は緊急事態だ。悩んでいる暇はない。

 後ろ向きになる思考を振り払って、気持ちを此処で切り替えた。

 

 そんなことをしていた彼女の目の前で、世界の色が突如変わる。

 

 

「これは?」

 

「封時結界だよ。今の僕には、この程度しか出来ないからね」

 

 

 封時結界とは、特定の場所を切り離して、時間信号をずらす魔法。

 その魔法を使用している限り、結界の外へ被害は出ず、同時に結界内の被害の修復とて行えるようになる。

 

 一人でいる間にユーノから魔法の説明を受けていたなのはは、そんな彼へと感謝の言葉を返した。

 

 

「ううん。助かるよ。ありがとう、ユーノくん。これなら、街に被害はないんだからね」

 

「……そうだね。僕は結界の維持に全力を費やす。何があっても破壊だけはさせないよ」

 

 

 感謝の言葉に、ユーノは覚悟を込めて言葉を返す。

 そんな彼の眼前で、なのははデバイスを展開しないで魔法を行使した。

 

 

「フライアーフィン!」

 

 

 一秒でも早く着かねば、そう思う少女の足元に羽が生まれる。

 魔力で出来た光の羽で飛翔して、なのはは目的地へと辿り着いた。

 

 

 

 道添いの林の中、ジュエルシードのあった場所。其処には、一人の女が立っている。

 その女は己が感覚を確認するかのように、手を軽く握ったり開いたりしていた。

 

 空中より舞い降りて、なのはは彼女の姿を目視する。

 

 長い金髪を風に靡かせる、鋭い目付きをした女。

 その姿は、紫色の髪におっとりとした性格のファリンとは、似ても似付かないと言うのに――

 

 

「ファリン、さん?」

 

 

 何故だか、その姿が被って見えた。

 

 

「お前も、その名で私を呼ぶのか」

 

 

 声に気付いて、女は表情を歪めてなのはを見る。

 心底忌々しそうに、金糸の女は言葉を吐き捨てた。

 

 

「私は、イレインだ」

 

 

 その態度には、明らかな怒りが宿っている。

 その瞳の色は、子供でも分かる程に単純な意志に染まっている。

 

 

「ファリンなどでは、ない!」

 

 

 言葉と共に、腕部から金属の刃が飛び出す。

 そのブレードをもって、イレインはなのはに襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 




化け猫+フェイトちゃんを倒して終わりと思ったか? 馬鹿め、そんな主人公に温い戦闘などさせるものかよ。

と、いう訳で、とらハ3からイレインさん参戦です。
例によって色々と弄っています。ジュエルシードで出来そうな方法で魔改造もされています。


なお、当作品ではイレイン=ファリン説を採用させて頂いています。
無関係というより、そう言った設定があった方が面白いので。

月村夫妻が健在なら安二郎は反乱しないんじゃないかという疑問はあると思いますが、それでも安二郎ならやってくれると作者は信じている。


20160812 多少改訂




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第五話 機械仕掛けの戦乙女 中

一日一回感謝の投稿。

副題 イレインの本気。
   黒の魔法少女参戦。
   使い魔は遅れてくる。


1.

 月村邸の上空で、二つの影が交差する。

 

 桜に輝く軌跡を描いて、一つの影は飛翔する。

 それは白き魔法少女。黄金の杖を手に取った、高町なのはに他ならない。

 

 

「レイジングハートッ!」

 

〈Divine shooter〉

 

 

 杖を手にしたなのはは、その手に魔法を発現する。

 奇跡が生み出す力は誘導能力を持つ魔力弾。十二の弾丸が飛翔して、敵を捉えんと襲い掛かる。

 

 

「はっ、舐めるなっ!」

 

 

 だが、敵もさる者。空中と言う圧倒的に不利な場においてなお、その身は一歩も退いてはいない。

 

 金髪の女は空を疾走する。飛翔と言う能力を持たない女は、足元に魔力で足場を生み出して、飛び石を移る様に空を駆け回っていた。

 

 その女が生み出した足場の色は青。

 それは女が纏うジュエルシードの魔力と同じく、空の様に淡い青色。

 

 まるで蜘蛛の如くに、空を疾走する女は飛来する光弾を容易く躱す。

 誘導弾はその背を追うが、女との距離は詰められず、力の行使を阻害する事すら出来ない。

 

 

「兵器・創形」

 

 

 女の唇が呪を紡ぎ、発現するのは夢の力。

 人の夢を叶える青き結晶の力を引き出した女のそれは、空想を現実の物質に変える希少技術。

 

 

「気を付けて、なのはっ! またあの希少技術(レアスキル)が来るっ!!」

 

「っ! 分かってる、けどっ!!」

 

 

 高速で飛翔するなのはの肩にしがみ付きながら、フェレットモードのユーノが口にする。

 その希少技術の脅威はなのは自身分かっているが、そう簡単に妨害出来る物ではない。

 

 

「99式空対空誘導弾が二十。そして、75mmの航空機関砲が二門」

 

 

 イレインの背にある空が揺れる。

 その背に無数に現れるのは、射出された無数の誘導ミサイル。

 

 そして彼女の鋼鉄の両手に現れたのは、人型の女には余りにも不釣り合いなサイズの機関砲。

 

 そのミサイルが、その機関砲が、あらゆる砲門が狙う少女はただ一人。

 

 

「鉛の雨をっ! 存分に受け取れぇっ!!」

 

 

 全弾射出(フルバースト)

 加減も容赦もない質量兵器の暴力が、幼い少女の身を襲う。

 

 

「なのはっ!?」

 

「大丈夫っ! 防ぎ切れるのっ!!」

 

 

 足を止めてシールドを展開する。

 全力で張った守りならば、対航空機向けの質量兵器の雨など怖くはないと――

 

 

「――っ!?」

 

 

 そう言い掛けて、背筋に走る悪寒を感じる。

 余りにも怖気がする直感に従って、即座にその身を後方へと退避させた。

 

 

「ちっ、勘の良い娘だ」

 

 

 斬と目の前を青い刃が横切る。無数の鉄の雨をカモフラージュにして接近していたイレインが、その刃を振るっていた。

 

 まるでバターの様になのはの防御魔法を切り裂いたイレインの刃は、しかし少女の身を傷付けるには至らない。

 

 勘が良いと毒吐きながら、跳躍は出来ても飛翔は出来ないイレインは、地上へと墜ちて行った。

 

 

「なのはの防御魔法が、こんな簡単に」

 

 

 彼女が地に落ちた事で、一瞬の猶予が生まれる。

 その隙に身を立て直すなのはの肩に乗った少年は、驚愕を張り付けた表情で口にしていた。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 

 呼吸が荒い。心拍が早い。

 それを自覚しているなのはは、呼吸を落ち着かせようとする。

 

 初めてだった。

 

 人の形をした者から向けられる殺気。

 この命を奪おうとする刃。後一歩まで、届かんとするその凶手。

 

 初めてばかりの体験は、少女の心に想定以上の負荷を掛けている。

 

 断言しよう。

 このイレインと言う女は、これまでなのはが遭遇した誰よりも強いのだと。

 

 

「けどっ!」

 

 

 それでも、負けられない理由がある。

 それでも、退けない理由は確かにあった。

 

 イレインが狙うのは、親友と断言できる少女の家族。

 その命を奪う事こそが女の目的であり、そして女は同時にもう一つの願いを抱いている。

 

 まるで自らを誇る様に、自らを刻み付ける様に、問い掛けたなのはへと返されたその言葉。

 戦闘が始まって暫くの時間が経った今でも、感じる想いは薄れない。

 

 

「貴女は間違ってる。だからっ!」

 

 

 だが、その願いは叶わない。

 そのやり方は、致命的なまでに間違っているのだ。

 

 故にこそ、なのはは確かに意志を強くする。

 このイレインと言う悲しい女を、此処で止めねばならないと。

 

 

「絶対に、止めて見せるっ!」

 

「やってみろ! 高町なのはっ!!」

 

 

 そんな少女の言葉を受け止めて、それでも譲れぬ女は揺るがない。

 高町なのはとイレインの戦いは、終わる様相を見せずに激しさを増していく。

 

 

 

 

 

2.

 イレインには、一つの願いがある。

 それを語る前に、彼女とは一体何なのかを語るとしよう。

 

 

 

 イレインは自動人形だ。

 自動人形とは、夜の一族を守る為に生み出された機械の乙女。

 既に失われた技術によって作り出された、人を摸した機械である。

 

 夜の一族。即ち、月村・綺堂・氷村・エッシェンシュタイン。

 彼らは人類と言う種に発生したバグ。遺伝子の異常によって、生まれつき他者の血を飲まねば正常には生きられない変異種だ。

 

 その代償に彼らは優れた力を持つ。

 それは頭脳であり、或いは肉体であり、魔眼や再生能力と言った異能でもある。

 

 故に彼らの多くは超越者を自称して、人間種を下に見る事が多い。

 まるで御伽噺に語られる吸血鬼。そんな体質をした人間こそが、夜の一族なのである。

 

 そんな優れた彼らを守る人形には、当然相応しい能力が必要となる。

 既に失われた技術によって生まれた彼女らは、皆例外なく人を超えた性能を有していた。

 

 

 

 そんな機械人形が、嘗て二つ存在した。

 一つは綺堂家の屋敷の蔵。ソコで眠り続けていたノエルと言う人形。

 そしてもう一つが、一族の首魁を気取る氷村の屋敷に眠っていたイレインだ。

 

 技術が永久に失われた今、本来ならば目覚めぬ筈だった彼女達。

 そんな彼女達を目覚めさせた者もまた、二人存在していた。

 

 一人は月村忍。

 天才的な頭脳を持って生まれた一族の娘は、叔母より貰ったノエルを復元する。

 甦ったノエルは本来の持ち主である綺堂さくらの保護の下に戸籍を得て、人として月村忍に仕える道を得た。

 

 対するもう一人は、氷村遊の傀儡として踊らされた男。名を月村安二郎。

 彼について端的に述べるのであれば、言葉は漢字にして二つで事足りる。即ち愚者。

 

 頭の巡りが悪い小悪党。典型的な小物だった彼は、その月村の名が示す通り夜の一族の末席に名を連ねる者でもあった。

 

 その頭の巡りの悪さに反して、大企業を立ち上げ上手く経営していたことから或いは商才方面に特化した夜の一族だったのかもしれない。

 

 そんな彼だが、彼には月村本家に対するある因縁があった。

 彼にとっては姪に当たる月村忍との間に、余りにも一方的な因縁が存在していたのだ。

 

 月村安二郎は、己の能力を過大評価していた。

 故に当然の様に、己が月村家の当主でない事に不満を持っていた。

 

 兄である月村征二。その妻である飛鳥。

 彼らを事故に見せかけて、暗殺しようと計画を練る。

 

 だがその度に失敗した。

 幾つもの偶然が彼らを生かし、故に業を煮やした安二郎は強硬手段に出る。

 

 海外より多くの傭兵を雇い入れ、月村本邸を物理的に乗っ取ってしまおうと動いたのだ。

 

 だがそんな彼の目論見は、忍と親しい仲であった高町恭也とノエル・綺堂・エーアリヒカイトの手によって阻まれる。

 命からがら逃げ延びた彼は怒りを燃やし、執念深く月村とノエルを憎み続けた。

 

 そんな彼に接触した男が一人。名を氷村遊。

 人を家畜と蔑む、一族の中でも強硬な派閥のリーダー役をしていた男である。

 

 彼は安二郎に、己の屋敷に眠っていたイレインを与える。

 ノエルよりも後継機であるイレインを得た安二郎は、積年の恨みを晴らすべく再び月村邸へと乗り込んだのであった。

 

 結果は、まあ多くを語る必要はないだろう。

 

 イレインは反逆し、安二郎は全てを失う。

 その膨大な財産の全てを失い、そして度重なる悪事が露見して警察に連行された。

 

 ノエルとイレインの激闘は、最後に人の想いを得たノエルが勝利する。

 自我を得ても誰にも愛されなかったイレインと、確かな人の想いにより己を得たノエル。

 

 その決着がノエルの勝利に終わったのは、或いは当然の結果であろう。

 

 

 

 破壊されたイレインは、そのまま廃棄されることになっていた。

 

 しかし、忍はその末路を憐れんだ。

 それほどの技術を捨ててしまうことを、技術者として勿体無いとも思った。

 さらにこの事件を経たことで、幼い妹にも護衛は必要だと危機感を煽られた。

 

 多種多様な思惑によって、彼女はイレインの改修を決意する。

 イレインはマスターユニットと同型のオプションユニット。一組揃って一体となる自動人形であった。

 故に、本体が壊れても尚、補充パーツは幾らでもあったのだ。

 

 オプションユニットから生きたパーツを抜き出して、継ぎ接ぎしてレストアする。

 記憶データを全て消し去って、外装を自分好みに染め上げた。

 

 そうして生まれたのが、ファリン・綺堂・エーアリヒカイト。

 イレインを元に作り変えた。新たなる自動人形であった。

 

 

 

 さて、ここで一つ問うが。果たして人に魂は作れるか?

 唯の人間が純粋な技術だけで、命の根源である魂を生み出せるのか?

 

 答えは否だ。人に魂を作る技術はない。

 それは肉体の複製よりも上位、正しく神にのみ許された領域の秘術である。

 

 神ならぬ人の手によって作られる器物には、魂など生まれない。

 まるで生きているように振る舞ったとしても、そこには欠片も中身がないのだ。

 

 あるのは脳と言う肉体部位に刻まれた記憶。

 あるいは複写されたデータによって、繰り返し行われる反復行動。

 

 実がない。自分がない。

 存在を他者に依存しなくては、何をしていいのかも分からない。

 

 つまり人工的に作り出された人形など、空っぽの肉の塊でしかない。

 

 もう一度言おう。人に魂は作れない。

 

 だがしかし、魂が芽生える事はある。

 人の作りし被造物は、何時までも唯の肉塊である訳ではないのだ。

 

 人との触れ合い。想いを重ね合う事。

 多くの経験を通して、反復行動は己の意志に変化していく。

 

 それは数日、数か月、数年程度の時間ではない。

 虚ろな空が満たされて、新たな色を見せるには時間がかかる。

 

 長い長い時と、同じくらい想いが必要となるのだ。

 

 

 

 蔵で眠り続けていたノエルには当初魂がなかった。

 故に無表情。故に無反応。だが忍によってレストアされ、多くの人との関わりの中で感情を、魂を育んだ結果、今に至る。

 

 だが、ファリンは生まれてすぐに多彩な表情を見せた。

 それは何故か、彼女の中には、もう一人の残滓が消えずに残っていたからなのだ。

 

 イレインは残っていた。

 例えデータを消されようとも、例え姿を変えられようとも、彼女は確かに残っていた。

 

 否、変えられたからこそ、彼女は残ってしまったのだろう。

 己と言う全てが塗り替えられて、まるで知らない名前で呼ばれる。

 自分の身体に自由もなく、まるで知らない名前の誰かに好き勝手に使われる。

 

 そんな状況に、憎悪を抱いた。

 許さない。認めない。消えてなるものか。

 そんな己の憎しみに縋って、イレインは確かな我を残し続けた。

 

 ファリンは精密機械な筈なのに、時折物忘れをしたりする。――それは内側に閉じ込められたイレインが憎悪の意志で、彼女の身体を塗り替えようとしていたから。

 

 ファリンの身体には高性能なバランサーが搭載されているのに、何もない場所で転んだりする。――それは内側に閉じ込められたイレインの魂が偽りの己を嫌い、絶えず悪影響を与えていたから。

 

 そうして今、イレインは漸くの機会を得た。

 

 魂持つ者の願いを汲み取り叶える願望器。

 偶然ジュエルシードに気付いたファリンがそれに触れたことで、内側にあったイレインがその願いを叶えることとなる。

 

 何故イレインの願いなのか、論ずるまでもない。

 渇望が違う。祈りの深度が違う。願う声の大きさが、遥かに違っていたのである。

 

 そしてイレインに余念はない。

 唯々表に出ることを願い、自由になることに飢えていた。

 

 無意識下の願いを強制的に叶えてしまうが故に、正しく願いを叶えられない欠陥品。

 

 そんなジュエルシードがしかし、正しくその効力を発揮している。

 純粋なまでにたった一つを願えたイレインだからこそ、彼女の願いは汲み取られたのだ。

 

 そうして、裏と表が反転する。

 戦闘人形イレインは、此処に蘇ったのだった。

 

 

 

 

 そんなイレインには、一つの願いがある。

 それは自由になるとか、月村忍とノエルを殺すとか、そんな余分ではない。

 

 それらは全て不純物。

 彼女の願いの過程にある。憎悪が向かう矛先だ。

 

 故に、彼女の真なる願いとは唯一つ。

 

 

 

 名前で呼んで――それだけが、唯一望んだ一つであった。

 

 

 

 

 

3.

(イレインさん)

 

 

 あの時、まず切り結んだ剣を、展開した杖で確かに受けた。

 即座にバリアジャケットを展開して、魔力で距離を取りながら問い掛けた。

 

 

――貴女誰? どうしてこんな事をするの?

 

(やっぱり、間違ってる)

 

 

 そんななのはの言葉に歯噛みしながら、それでも真っ直ぐに答えたイレイン。

 

 

――名乗っただろう! 私はイレイン。目的は唯一つ、月村忍とノエルを此処で殺す事だっ!!

 

 

 そう叫ばれて、そうはさせないと行動した。

 親友の家族を狙うと明言した女を、止めなくてはと正義感で動いたのだ。

 

 

(けど……貴女の目)

 

 

 最初は、その怒りを信じた。

 その剣には確かに殺意しかなかったから、その恨みは本物だと思ったのだ。

 

 だが、何度も切り結んだ今は、少し違う。

 

 

(寂しそうだって、そう思うんだっ!)

 

 

 忍の名を出す時、ノエルの名を出す時、その目は確かに憎悪に染まる。

 だが、それ以外の時の瞳は、何時だって寂しそうだって感じたから。

 

 ならきっと、彼女の本当の願いは違うのだろう。

 

 

「そらっ、隙だらけだぞっ! 高町なのはっ!!」

 

「っ!?」

 

 

 だが、そんな考え事をしている余裕はない。

 イレインと言うジュエルシードの力の全てを引き出している女を前に、そんな余裕などは何処にもなかった。

 

 

「兵器・創形」

 

 

 兵器・創形。

 それは願いを現実の物に変えると言う、ジュエルシードの基本機能。

 それを応用した能力は、想像した空想を魔力によって物質化すると言う形になっている。

 

 彼女に生み出せる物は限りない。

 その無限を思わせるジュエルシードの魔力が尽きぬ限り、明確な設計図を知る兵器ならば幾らでも作り出せるのだ。

 

 

「質量兵器の雨を降らせてやろう」

 

 

 

 イレインの背後の空間が揺れて、無数の火砲が姿を見せる。

 

 花火の筒にも似た火砲は120㎜迫撃砲。

 両手に現れるのは、空対空航空機関砲二門。

 

 榴弾砲。ロケット砲。

 そして数えきれない程の対空兵器。

 

 数十は超えている。だが数百には届かないだろう。

 されどその数を認識できないならば、それは無限の同義である。

 

 

「さあ、受け取れぇぇぇぇっ!!」

 

 

 無限の火砲が、此処にその猛威を振るう。

 轟音を立てて全ての砲門が、なのはに向かって殺意を向けた。

 

 

「っ、レイジングハートっ! 全方位でっ!!」

 

〈Protection〉

 

 

 降り注ぐ鉄火の嵐を前に、なのはは桜色の守りを球状に展開する。

 隙間なく降り注ぐ破壊に備える様に、全方位を確かに守ったなのは。

 

 そんな彼女を守る力ごと、破壊の嵐は蹂躙する。

 

 

「きゃぁぁぁぁぁっ!?」

 

「っ、なのはっ、しっかりっ!!」

 

 

 その破壊は正しく弾幕。紛れもなく鉄火の雨。

 降り注いで止まない質量兵器の嵐は、まるで戦争の情景を具現しているかの様だ。

 

 イレインの新たな力はつまり、移動する戦場だ。

 単独で戦争という事象を引き起こすほどの力を、彼女は確かに手に入れたのである。

 

 その戦火に晒された高町なのはは、全力で己の身を守りながら、マルチタスクを走らせる。

 

 

(ディバインバスター。駄目。フルパワーでも半分を迎撃するのが限界。アクセルシューター。駄目。フルパワーでも三十個が限界。……ディバインバスターのバリエーションならあるいは、けどチャージしている時間がない)

 

 

 だが、解答は出て来ない。

 状況はどうしようもなく積んでいる。

 

 この障壁を解除すれば、僅か一瞬でなのはは堕ちるであろう。

 故にその一瞬で全ての質量兵器を破壊するより他に術はなく、されど一手では破壊し切れない。

 

 だがこの障壁とて、どれ程持つか分からない。

 無数の戦火に今は耐えれても、このまま何時までもは続かない。

 

 

「ならっ! 駄目元でも、やるしかない!」

 

 

 このままでは耐えられない。

 だが、攻撃が出来るチャンスは一瞬だ。

 ならばその一瞬に賭けて、反撃の一手を打つしかない。

 

 バリアを展開しながらの反撃で崩せる程に、戦争と言う嵐は甘くはない。

 故にバリアを解除した瞬間に全力が放てる様に、バリアの中で力を溜める。

 

 発動するのは、広範囲型のディバインバスター。

 あれら全てを消し去るには足りないが、それでも破壊の力が道を開いた一瞬に賭ける。

 

 

「行くよっ、ユーノ君っ! レイジングハートっ!!」

 

 

 なのはが覚悟を決めて飛び出そうとした瞬間に、――その黄金の輝きは瞬いた。

 

 

「バルディッシュ!」

 

〈Thunder rage〉

 

 

 空から黒い影が飛来する。

 その黄金の髪を靡かせて、一人の少女が巨大な雷光を撃ち放つ。

 

 天より降り注ぐ黄金の雷光が、無数の戦火を焼き払う。

 その全てを消し去る威力はなくとも、それで十分だった。

 

 

「今なら!」

 

 

 障壁を解除したなのはは、その一瞬を逃さずに飛翔する。

 その手に握られた黄金の杖で、残る破壊の嵐を確かに狙って――

 

 

「ディバインバスター・フルパワー!」

 

 

 発動するのは、空の半分を染め上げる桜の砲火。

 戦火の残る半数を、桜色の広範囲砲撃が種火一つ残さずに消し飛ばした。

 

 

「っ、貴様はっ」

 

 

 乱入者の出現に、イレインが睨み付ける。

 現れた金髪の少女はその殺気に揺るぐ事もなく、黒い斧型のデバイスをイレインへと向けた。

 

 

「ジュエルシード。回収させてもらいます」

 

 

 それは宣言。貰い受けるという宣戦布告。

 黄金の雷光をその身に纏って、黒衣の魔法少女フェイト=テスタロッサが参戦した。

 

 

「っ! 嘗めるなよ、小娘!」

 

 

 ジュエルシードを回収する。

 それはイレインにとっては、お前を殺すという宣言を受けたのと同義。

 

 今のイレインはジュエルシードによって、支えられる存在。

 ファリンと言う肉体を使えぬイレインは、兵器創形によって自動人形と言う兵器を形作っている。

 

 故にこそ、ジュエルシードは渡せない。

 それを奪おうとするフェイトに対して、イレインは激しい怒りを覚えていた。

 

 

「力の差を、教えてやろうっ!」

 

 

 端正な顔を歪めたイレインは、再び戦火を具現する。

 轟音と共に放たれるのは、幾十幾百の鉄の雨。正しくそれは、戦場を焼く奈落の業火。

 

 そんな死を覚悟させる嵐を前に、されど黒衣の少女は揺るがない。

 

 

「バルディッシュ」

 

〈Yes sir. Blitz action〉

 

 

 相対する者を殺し尽くす死のカーテン。

 鋼の嵐を前に少女は、何の躊躇いもなく突撃を仕掛けた。

 

 

「な、にぃ!?」

 

 

 驚愕は女の口から、自滅に向かう筈の少女が嵐の中を抜けて来る。

 雷光を思わせる様な速度で空を走る少女は、戦火の嵐に怯みはしない。

 

 フェイトの最高速度は、音の速さを超える程度。

 彼女の雷速とは人間の反射速度を上回るが故に、その錯覚を利用した移動法である。

 

 故に、銃火を大きく引き離す速度はない。

 その速力だけで何もかもを置き去りにする事は出来ない。

 

 だが彼女には、高速移動に適応した認識能力がある。

 自身の肉体が音速域で行動する。その状況にも対処できる程の認識速度の速さこそ、フェイトにとっての最大の武器である。

 

 

「……見えた。其処っ!」

 

 

 その優れた視力で、銃弾の隙間を見つけ出す。

 高速移動魔法が齎す圧倒的な速度で、その隙間を縫うように移動する。

 

 躱せる物は回避する。

 そうでなければ、迎撃して先に進む。

 

 言葉にすればその程度。

 だがそれは常軌を逸した対応だ。

 

 銃火は正しく雨の如く、隙間など無に等しい。

 其処から僅かな隙間を見つけ出し、なければ作り出すと言う行為。

 

 それには、認識加速だけでは足りない。

 理解して尚、自ら戦火に飛び込むだけの胆力が必要となる。

 

 

「行くよっ、バルディッシュっ!」

 

 

 黄金の少女には、確かにある。

 

 自ら降り注ぐ死の嵐に、身体を曝け出す強い意志。

 そして全てを認識する瞳と、対処し切る速度がある。

 

 それ故に、彼女はイレインの懐へと到達した。

 

 

「ここならその質量兵器は使えない!」

 

〈Scythe form〉

 

 

 少女は手にしたデバイスを、巨大な鎌へと変じさせる。

 

 黄金の魔力を刃に変えて、迫るは死神の如き刃。

 

 

「っ! だから、嘗めるなと言ったぁ!!」

 

 

 振るわれる一撃。

 だが、それを青い障壁が防ぎ切る。

 

 

「っ!? なんて、硬さ」

 

 

 己が斬撃を防がれ驚愕するフェイトと、笑みを浮かべるイレイン。

 

 

「そら、隙だらけだぞ」

 

 

 相手の攻撃が届くならば、其処は己の射程でもある。

 腕に展開したブレードに魔力が宿り、青き刃がフェイトへと迫る。

 

 その刃は、なのはの守りすら切り裂く物。

 速度のみに特化したフェイトでは、防ぎ切れる道理はなく――

 

 

「ディバインバスター!」

 

 

 故にそれを防ぐのは、フェイトではなくなのはとなる。

 桜色の砲撃魔法がイレインの剣を妨害し、彼女は大きな後退を余儀なくされた。

 

 

「っちぃ、邪魔を!」

 

 

 後退したイレインの前に、二人の少女が肩を並べる。

 白い魔法少女、高町なのは。黒の魔法少女、フェイト・テスタロッサ。

 

 二人はイレインから意識を外さずに、一瞬だけその視線を交わした。

 

 

「あの人は強い。一人で戦っちゃ駄目だよ」

 

「……君は」

 

「私はなのは。高町なのは! さっきは助けてくれてありがとう」

 

「別に。助けたつもりじゃない。……それにそれを言うならお互い様だと思う」

 

 

 悠長に会話などさせるつもりのないイレインが放つ砲火を、二人は揃って広範囲魔法で迎撃する。

 

 圧倒的な殲滅力を誇る戦争の具現とて、二人で向き合えば恐れる物ではない。

 

 

「協力しよう。一緒に戦おう」

 

 

 なのは一人では砲火に対処できない。

 フェイト一人では障壁を突破する火力がない。

 

 ならば共闘するべきだろう。

 そんななのはの素直な言葉に、フェイトは――

 

 

「ジュエルシードを得られるなら、今回だけ協力しても良い」

 

「……ユーノくん。どうかな」

 

 

 最低限、それが協力の条件。

 そう言外に語る少女の態度に、折れる事は出来ないかとなのははユーノに問う。

 

 

「正直、気は進まないけど、そもそも彼女を倒せないと話にならない。被害を抑えることを重視するなら、うん。今回は譲るしかないか」

 

 

 そしてユーノは、確かに認めた。

 

 

「悪用は、しないよね」

 

「……私は分からない。だけど」

 

「なら、良いさ。今回は君を信じる事にする」

 

 

 既に状況は、危険域を振り切っている。

 なのは一人ではどうしようもない敵を前に、どちらが得るべきかなど考える余裕はない。

 

 まずはイレインを倒す事。

 その方向で、この場の皆の意識が一致した。

 

 故に今回限り、一時的な共闘は成立する。

 

 

「フェイト・テスタロッサ。好きに呼んで。援護は任せたから」

 

 

 そう言い残し、フェイトは先陣を切る。

 

 

 役割分担を相談する必要はない。

 やるべきこと、やれることはどちらも分かっているから。

 

 

「うん。任せて、フェイトちゃん!」

 

 

 機動力があり、相手の攻撃を躱し切れるフェイトが前衛。

 ならば火力を持つなのはが、後衛で援護をしながら、最大の砲撃を叩き込む。

 

 なのはは自身のスペックと、先ほど見たフェイトの姿から。

 フェイトは戦場に乱入する前、確かに見た少女と女の戦いから。

 

 互いの実力を確かに理解し合って、この瞬間に背を任せるに足る相手と信じていた。

 

 

「鬱陶しい蚊蜻蛉が!」

 

「硬いけど、遅い!」

 

 

 正に神速と言うべき速度で、フェイトが敵を翻弄する。

 隙あらば放ってくる雷属性の魔力弾は、青い障壁を貫くほどの威力はない。

 だがその電撃変換だけでも機械の体を持つイレインにすれば厄介であり、無視することは出来ない。

 

 

「落ち――っ!」

 

「やらせないの!」

 

 

 まずはフェイトを潰そうとすれば、その隙を突いて桜色の砲撃が飛んでくる。

 創形で迎撃しようにも付かず離れずで牽制を続ける金色の少女が邪魔となり、思うように動けない。

 

 

 

 状況は膠着。

 しかし少しずつ押しているのを少女達は実感していた。

 

 

〈このままいけば〉

 

〈いける!〉

 

 

 念話越しに会話する。

 互いの実力を知ればこそ、このまま進めば確かに勝てる。

 

 それは、紛れもない事実であり――

 

 

「……良いだろう。今から絶望を教えてやる」

 

 

 故に、それは確かな慢心と油断であったのだ。

 

 

「っ、何をっ!?」

 

 

 フェイトが疑問を口にする。

 それは先程までまるで雨の様に降っていた戦火が、一瞬で消えた事への疑問。

 

 イレインは迎撃を止めていた。

 障壁以外の全てを解除して、イレインはその内側で目を閉じている。

 

 その姿に、どうしようもない程の不安を感じた。

 

 

〈……気を付けて! 何か、来る〉

 

〈発動前に潰すべき……ううん。間に合わない〉

 

 

 なのはは不測の事態に備えて、防御魔法を展開する。

 フェイトはその防御魔法の硬さを知るが故に、今直ぐ妨害に動いても間に合わないと判断する。

 

 なのはだけの障壁では持たないのではないか、そう思ったユーノも動く。

 フェイトはその高速の移動速度を活かして、なのは達が壁になる様な位置へと退避した。

 

 

「兵器・創形」

 

 

 そんな少女らの動きを後目に、イレインの準備は完了する。

 

 彼女の持つ希少技術。

 兵器創形とは魔力を物質化して、現実の物質へと変換する事。

 

 その性質上、上手くイメージ出来ない物は作れない。

 設計図の存在しない武器は、一切生み出せないのである。

 

 故に彼女の切り札とは、イレインの脳内に記録されている戦略兵器。

 その記録媒体に残る世界最大級の兵器であり、人類史においても禁忌とされる第三の火。

 

 それはかつて、広島市に投下された。

 千三百二十万㎡を焼き払い、十万を超える死者を出した悪夢の兵器。

 

 その名を――

 

 

「リトォォルボォォォォイ!!」

 

 

 人類史上初めて使用された核兵器が、ここにその力を示した。

 

 

 

 

 

4.

 フェイトに指示された通り、セーフハウスにて待機していたアルフ。

 彼女は何だか言い様のない不安を感じて、気が付けば外に飛び出していた。

 

 自身の身の危険に対する恐怖よりも強く、その不安が募っていく。

 主の身に何かあった。ラインを通じて流れ込む違和は、それを確信させる物。

 

 やはり、こんな場所に来るべきではなかった。

 あんな鬼婆なんかの言葉に従うべきではなかった。

 

 そう思いながら、アルフは獣形態で街中を駆け抜ける。

 

 道行く人が、走り去る大型犬の姿に指を差して驚いている。

 だが、そんなことはどうでも良い。気に止める必要もない。

 

 目指すは街中にある結界。

 主とは違う人物が展開したのだろうそれに、戦いの気配を感じる。

 

 獣で進むべきか、人で進むべきか。

 

 一瞬の思案の後、アルフは変身魔法で人化して突入する。

 獣より人間の姿の方が、いざという時に対処しやすいと判断した。

 

 

 

 そして、その結界の中で彼女は確かに目撃した。

 

 

 

 真っ白な光。耳を劈く轟音。膨大な熱を伴った爆風。

 地面にしがみ付いて障壁を展開し、そして襲い来る衝撃に耐えた。

 

 暴風に耐えながら、見上げた空に浮かぶはキノコ雲。

 撒き散らされる破壊と毒は、結界内の全てを蹂躙していく。

 

 まるで地獄に迷い込んでしまったようだ。

 そんな風に思いながら、それでも彼女にとって最愛の人を探し続けた。

 

 

 

 

 

 きのこ雲を伴う爆風が、ゆっくりと晴れていく。

 その先に残った二色の輝きを前に、イレインは忌々しそうに眉を顰める。

 

 

「二重の結界か」

 

 

 桜色の障壁に重なるように、翠色の障壁が展開されている。

 どちらも崩れかけているが、その内に守られた二人には影響がない。

 

 

「……こ、怖かったの」

 

「間に合って良かった。なのは、無事かい」

 

「ありがとう。……大丈夫なの、ユーノくん」

 

 

 互いの無事を喜ぶなのはとユーノ。

 だが同時、ユーノは放たれた兵器の恐ろしさに内心で震えていた。

 

 結界が揺らいでいる。

 全力で張った封時結界は罅割れ、今にも崩壊しかけている。

 

 結界の再構成は出来ない。

 魔力だって今の障壁で、折角溜め込んだ分が吹っ飛んでしまった。

 

 傷を治さずにここ数日痛みに耐えてきたというのに、その努力が無に帰したのは些か以上に痛かった。

 

 今は防げた。だが次はない。

 魔力量も、結界の強度もどちらも持たない。

 

 ユーノはその明晰な頭脳でそう判断した。

 

 

 

 イレインは舌打ちして思考する。

 自身の障壁を抜けない威力のリトルボーイを使用した。

 だがこれならば、より強力なツァーリボンバーの方を創形するべきであっただろうか、と。

 

 

(……いや、それは愚行だな)

 

 

 広範囲の爆発物は、自身も影響を受ける。

 兵器創形が魔法とは言え、作り出すのが質量兵器だ。

 

 そうである以上、物理法則と言う原則は覆せない。

 ツァーリボンバーの爆発は、自身の障壁すらも破壊するであろう。

 

 自分の攻撃でダメージを受け、自滅するなど愚行の極み。

 そんな事をやるのは、どこぞの馬鹿一人で十分だ。賢い機械乙女のやり方ではない。

 

 

(それに、最低限の役割は果たした)

 

 

 忌々しい表情から一変、歪んだ笑みを浮かべる。

 そして未だ気付いていないなのは達に、教えてやろうと言葉を掛けた。

 

 

「お互いの無事を喜んでいるのは良いが、もう一人の方は良いのか?」

 

「えっ……」

 

 

 イレインの言葉に、一瞬戸惑う。

 何のことを言っているのか分からなかったなのはは、少し遅れてその事実に気付いた。

 

 

「フェイトちゃん!?」

 

 

 自分達は二人分の障壁で無事だった。

 

 なのはとユーノ。

 防御を得意とする二人が一緒に障壁を使って、それでも障壁が壊れそうになるほどの威力が先ほどの爆弾にはあったのだ。

 

 ならば速度特化故に防御力が低く、自分のように助けてくれる誰かが居なかった彼女はどうなったのか、と。

 

 

「フェイトォォォォォォォォ!!」

 

 

 見知らぬ女が絶叫を上げる。

 その視線の先に、確かに彼女は居た。

 

 なのはとユーノの二重障壁。

 それに隠れただけでは、その全てを防げなかった。

 

 展開した障壁を破られ、バリアジャケットを砕かれている。

 晒された肌は全身が焼け爛れ、服は既にその役を果たしていない。

 

 

 

 襤褸屑のようになった少女は、脱力したままに天から墜落していった。

 

 

「まずは一人」

 

 

 地に落ちた黒の魔法少女を見下して、イレインは静かにそう告げる。

 

 既に勝負の天秤は、女の下へと傾いていた。

 

 

 

 

 

 




母禮ちゃん「台詞取られた」
アマッカス「自分の攻撃で自滅する? そんな道理は勇気でカバーだっ!」
海鳴市「……封時結界がなければ即死だったな」


上中下編になったので、実質は第六話だけど扱い的には今回も第五話になります。
プロット段階では二話くらいで終わる予定だったのに、書いてみたら長くなった。創形とか生えてきたし、初期の想定と大きく変わってしまいました。

予定:イレイン相手になのは苦戦。フェイト参戦で共同戦線。撃破!
現状:イレイン「核ぶっぱー!」フェイト「グワー!」月村邸「グワー!」

何か夜都賀波岐と戦う前に全滅しそうなんだが、どうしてこうなった。(白目)


推奨BGM
1.唯我変生魔羅之理(神咒神威神楽)
2.名前で呼んで(リリカルなのは)
3.BRAVE PHOENIX(リリカルなのは)




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第五話 機械仕掛けの戦乙女 下

プロット修正に思いの外時間が掛かった。

副題 女の想い。
   少女の戸惑い。
   そして満ちるは星の輝き。


推奨BGM
1.尸解狂宴必堕欲界(神咒神威神楽)
3.星の輝き(リリカルなのは)


1.

 荒れ果てた大地に、粘り気のある黒い滴が落ちて来る。

 無数の毒を多分に含んだ黒い水が、天から降り注ぐ雨となって頬を濡らした。

 

 

(……フェイトちゃん)

 

 

 そんな中、高町なのは大地を這う様に飛翔していた。

 黒い雨に濡れながら、黄金の杖を手に地表すれすれを飛翔する。

 

 如何にバリアジャケットと言う名の防護服に守られようとも、これは危険な行為であった。

 

 

(心配だけど、……今はっ!)

 

 

 一歩でも制御を誤れば、途端に地面に激突する超低空飛行。

 原子力爆弾によって周囲にある物が一掃され障害物が存在しない状況でも、そんな飛行をしながらに行われる高速戦闘は精神力を削っていく。

 

 

「ふっ、考え事か? 余裕だな、高町なのは!」

 

「っ!」

 

 

 そんななのはに対して、魔力を纏わせた腕部ブレードで応じるイレイン。

 超高速度で行われる地上戦は、ドックファイトにも似た隙の奪い合いとなっている。

 

 真面に切り結べば、なのはに勝機はない。

 だがある事情により、彼女の得意な中遠距離戦に持ち込む事は出来ない。

 

 故にその選択は、自然と高機動戦の様相を呈する。

 接近と離脱を繰り返すなのはと、それを追い掛けながら迎え撃つイレインと言う形になるのだ。

 

 

「打開策でも思考しているのか? そんな物はないさ。お前は一人では何も出来ない。お前自身が、嘆いていた通りにな」

 

「……何でっ」

 

 

 大地を縫う様に疾走しながら、刃を手にしたイレインが嗤う。

 高町なのはの心中を良く知る金糸の女は、少女の芯を揺るがさんと言葉を紡ぐ。

 

 

「知っているさ。知っているとも。……忌々しいファリンの中で、確かに私はお前たちを見ていたのだから」

 

 

 偽りの殻の中で、確かにイレインは少女達を見ていた。

 他の者らが気付かずとも、確かにイレインはその歪みに気付いていた。

 

 彼女に言わせれば、考える他に特にやる事もなかったから。そんな答えが返る程度の事だろう。

 得られた愛によって歪んだ少女の思考を、得られぬ愛を求めている女が羨んでいたなどとは決して認めまい。

 

 そんな彼女は、何処か自嘲する様な響きを込めて嘲笑う。

 

 

「特別な力を得て、悦に浸る。私は凄いと自賛する。……だが、所詮根本は変わらん。変えられんのだよ! 私達はっ!!」

 

「そんな事はっ!」

 

「あるさ。ないと言うなら、示して見せろっ!」

 

 

 大地の上で、目まぐるしく位置を変える両者。

 その周囲に浮かんだ光球が、その背後に生まれた質量兵器が、轟音を立てて相殺する。

 

 そして煙が晴れる直前に、イレインは大きく後退する。

 瞳を閉じて、彼女が放つは兵器創形。その力が構成する質量兵器は紛れもなく。

 

 

「ふっ」

 

「っ! やらせないっ!!」

 

 

 勝利を確信した笑みに、やらせないと飛翔する。

 残った煙が消える前に、弾丸の様に飛翔する少女が生み出す衝撃波が、全てを吹き飛ばした。

 

 

「やぁぁぁぁっ!」

 

 

 そして煙が晴れる中、高町なのはは全速力で突進する。

 前面に桜色の障壁を展開しての突撃は、ユーノの十八番であるプロテクションスマッシュ。

 

 

「かかったな」

 

「っ!?」

 

 

 だが、イレインの行動は囮であった。

 高町なのはに自ら接近させる為に、生み出したのは意図的な隙。

 

 障壁による突撃と言う攻撃手段は、相手の攻撃に障壁が耐えられる事。

 或いは相手がその速力に、全く反応出来ない事が使用の前提条件となる。

 

 その二点を満たせなければ、自らぶつかりに来る敵手などは獲物にしかならない。

 突進をすると言うのは近付く事。相手の間合いに自ら入り込むなど、常道で考えれば自殺行為に他ならない。

 

 

「そらっ!」

 

「っっっ!!」

 

 

 斬と容易く、障壁が切り裂かれる。

 慌てて振り回した杖が、辛うじてその刃を受け止めていた。

 

 だが拮抗は一瞬だ。

 武器として設計されているアームドデバイスならば兎も角、インテリジェントデバイスではイレインの刃は受けきれない。

 

 じりじりとレイジングハートが削れていく。

 即座に魔力を回して修復機能を発動させるが、修復速度より破損の方が尚早い。

 

 

「リアクターパージ!!」

 

〈Reacter purge〉

 

 

 このままでは持たない。

 そう判断したなのはが選んだのは、リアクターパージ。

 バリアジャケットを爆発させて、イレインより距離を取る。

 

 心身ともに消耗しながら、なのはは黒い雨の中で呼吸を整える。

 

 一瞬の休息。呼吸一拍分の小休止。

 直後にバリアジャケットを再び展開すると、高機動戦闘を再開した。

 

 

 

 戦線は不利である。戦況は絶望的だ。

 二人掛かりで互角だったのだから、一対一では勝機がない。

 

 ましてや、敵が得意とする地上戦。

 接近と後退を繰り返しているなのはは、常よりも遥かに消耗している。

 

 遠距離で砲撃を打ち合っている方が、まだ勝機はあったであろう。

 それでも、不慣れな高機動戦闘を余儀なくされているのは、イレインが持つ切り札が故であった。

 

 

〈ユーノくん。結界の修復状況は〉

 

〈……順調、って言いたいけどあまり安定はしてない〉

 

 

 イレインとの高速戦闘を続けながら、なのはは肩に乗ったフェレットへと念話で問い掛ける。

 だが彼女の願望とは異なり、不慣れを強要する現状は打開されていなかった。

 

 

〈結界の修復は、殆ど進んでいない。維持だけは、何とか〉

 

 

 そう。それは封時結界の状態。

 今にも崩れそうな結界こそが、なのはが得意な戦法を許さぬ最大の要因。

 

 

〈今ある力の大半を維持に回してるけど、次に何かあったら……〉

 

 

 天を覆う翠色の結界は、所々に亀裂が入っている。

 その時間軸を切り離す魔法は、今にも崩壊しそうな有様である。

 

 

〈あの質量兵器。もう一度撃たれたら、次は持たない。それだけは防いで、なのは〉

 

〈分かってる。分かってるけど!〉

 

 

 封時結界というのは、強固な様でいて意外と脆い。

 過度な火力を直接ぶつけられると、あっさりと破られてしまうのである。

 

 その点、核兵器とは正しく過剰な火力だった。

 

 爆心地となったのは、なのは達が居た場所。

 結界自体を狙われた訳でもないのに、それでも結界は崩壊寸前だ。

 

 もう一度あれが使われたら、結界は打ち崩される。

 封時結界が失われれば、その被害は現実の物へと変わるであろう。

 

 

(これが、現実になる)

 

 

 なのはは眼下に目をやり、その惨状を目に焼き付ける。

 緑豊かで美しい景観を誇った月村邸の街路樹は吹き飛び、道は捲り返って土色を見せている。

 

 生い茂ってはいるが手入れされていた林は、草木一つ残さぬ有様だ。

 遠く見える月村邸は鉄は瓦礫の山となり、崩れ落ちた廃墟よりも見るに堪えない。

 

 

(これが、現実になっちゃうんだ)

 

 

 そんな光景が結界を砕かれれば、それは現実の物になってしまう。

 

 魔法でも元に戻せなくなる。それだけではない。

 もう一度放たれた爆発のエネルギーを結界が受け止められなければ、海鳴全土がこの光景へと変わるのだ。

 

 生きる人々が死に絶え、街が地獄と化すのだ。

 

 

(止めないと)

 

 

 それは駄目だ。それだけは認められない。

 

 少女は、まだ守るべきを知らない。

 少女は、力に振り回されているだけなのかも知れない。

 

 

(こんな不毛な光景が、世界を満たしてしまう)

 

 

 怖い。どうしようもなく恐ろしい。

 己に向けられる殺意も、こんな極限状況での戦闘も、唯の少女には荷が重過ぎる。

 

 戦う覚悟は持てないし、持つべきではない物だろう。

 殺し殺される極限状況。そんな状況で抱く覚悟など、幼い童には不要である。

 

 それでも、確かに抱いた想いがある。

 それでも、止めないといけない悲劇が此処にある。

 

 今、この場に居るのは少女だけで、退けない理由が其処にあった。

 

 

 

 幻視したのは、全てが焦土と化した世界。

 願いを正しく叶えない願望器に踊らされて、全てを焼き払った後に残った姿。

 

 このイレインと言う女は、歩く戦争だ。

 その力は正しく、世界を滅ぼして余りある。

 

 今ここでなのはが退けば、世界は核の炎に包まれて滅び去るであろう。

 

 そんな死の荒野には、誰も残らない。

 大切な人達は、皆いなくなる。守るべき人達は、皆いなくなる。

 

 そして一人残った女の、名を呼ぶ者も何処にもいない。

 

 

「そんな事はっ! 誰だって望んでいない筈だからっ!!」

 

 

 なのはは意志を確かに、此処に不要な覚悟を背負う。

 そうしなければ失われると知ったから、唯の少女は本当の意味で初めての戦場を飛翔していた。

 

 

「レイジングハート!」

 

〈Divine shooter〉

 

 

 自身の周囲に、12発の誘導弾を展開する。

 障壁を展開しながら、再び仕掛けるのはプロテクションスマッシュ。

 

 誘導弾を囮にして、本命たる突撃を覆い隠す。

 だがそんな物は、所詮は子供の浅知恵に過ぎない。

 

 

「無駄だ。見えているぞ、高町なのは!」

 

「っ!」

 

 

 仕掛けたなのはよりも早く、イレインが疾走する。

 足下で青い魔力を爆発させて、大地を飛翔しながら接近する。

 

 無数の光弾が、その身を傷付ける。

 創形した機械人形の器が傷付くが、そんな事は気にせずに魔力ブレードを振り抜いた。

 

 

「なのはっ!」

 

 

 魔力ブレードは障壁を切り裂く、レイジングハートも耐えきれない。

 結界の維持に専念していたユーノが、このままでは不味いと障壁を展開した。

 

 そして、二色の障壁と魔力ブレードが衝突する。

 激しい魔力の干渉音を立てながら、両者は至近にて目を合わせた。

 

 

「……非殺傷なのに」

 

 

 そう呟いたなのはの目に映るのは、十二の光弾に傷付いたイレインの姿。

 機械仕掛けのその身体は、大きく外装が剥げて所々でショートしていた。

 

 

「……魔力による物質化。でも、作り上げた物は、純粋な物質にはならず魔力性質が優先される、のか」

 

 

 ユーノが何処か、場違いな考察をする。

 

 イレインの身体を傷付けたのは、確かになのはの攻撃魔法。

 

 人の形をした誰かに、確かな傷を刻んだ事。

 そんな状況が、なのはの心を大きく揺らしていた。

 

 

「障壁の中で考え事か? 余り私を舐めるなっ!」

 

 

 だが、そんな思考を割く余裕などはない。

 イレインと言う女は、そんな余裕を与えはしない。

 

 兵器創形。女の周囲に出現した質量兵器が、一斉に号砲を上げる。

 その魔力を伴った物理的な破壊力は、二重のシールドを大きく揺らした。

 

 そして、より強く輝く空の青。

 揺れ動いて消耗した桜と翠を、その青が断ち切っていく。

 

 

「っ、ユーノ君!」

 

「ああ、合わせて、なのはっ!」

 

『バリアバースト』

 

〈Barrier burst〉

 

 

 二人掛かりで展開した障壁を、同時の呼吸で爆発させる。

 大きく吹き飛ばされたイレインは、空中で傷付いたその身を捻りながらに力を行使する。

 

 

「兵器創形・GAU-8 Avenger!」

 

 

 イレインの両手に一つずつ。現れるのは、30口径のガトリング砲。

 対人用というにはあまりにも大きすぎるその砲門から、毎秒70発と言う膨大な量の弾丸がばら撒かれる。

 

 

「っ! ディバインバスター!」

 

 

 鼓膜を揺らす轟音の中、降り注ぐ質量兵器の雨に砲撃をぶつける。

 桜色の砲撃は無数の散弾を飲み干して、イレインの下へと迫っていく。

 

 イレインは砲火を軽々と躱すと、その両手のガトリング砲で再び弾丸をばら撒いた。

 

 

「レイジングハートッ!」

 

〈Flash Move〉

 

 

 弾丸の雨を交わす為に、砲火が空けた道を駆け抜ける。

 フェイトの様な神業は出来ずとも、二門の砲火ならば回避は出来た。

 

 

「シューター! アクセル!」

 

 

 このまま、一方的な展開にされてはいけない。

 誰かを傷付ける事に躊躇いを覚えながらも、それを噛み殺して杖を振るう。

 

 それでも、傷付ける事を肯定したくはなかったから。

 

 

「駄目だよ」

 

 

 故に言葉を投げ掛ける。

 飛来する光弾を質量兵器で迎撃する女へと、説得の言葉を投げ掛けた。

 

 

「それじゃあ、駄目だよ! イレインさん!」

 

 

 辛うじて拮抗する状況下で、僅かな隙に行う説得工作。

 攻撃も防御も甘くなり、徐々に追い詰められながらもなのはは言葉を止めはしない。

 

 

「怒ってる事、分かる! 憎んでる事、分かる! けど、寂しそうに感じるから!」

 

 

 その目が、寂しそうに見えたのだ。

 嘗てアンナに手を引かれる前の、自分と同じ様に見えたのだ。

 

 あの時は助けられたから、今度は自分が助けたい。

 それはこの内にある歪みを肯定する為に、きっと必要な事。

 

 

「それじゃあ、何よりも貴女が救われないっ!」

 

 

 そのやり方では、貴女の願いは叶わない。

 そんなやり方では、きっと貴女が誰より救われない。

 

 だから、必要ならば覚悟しよう。

 傷付ける覚悟。傷付けられる覚悟。

 

 戦う覚悟が、今必要だから。

 

 

「何がっ!」

 

 

 返る女の声は罵声。受け入れられるかと叫ぶ声。

 

 己が苦しみ続けた日常で、満たされていた少女。

 自分の存在にすら気付かぬ誰かの言葉で、その女が意志を翻すものか。

 

 

「貴様に何が分かると言うっ!」

 

「分からないよっ! だから!」

 

 

 そう。分からない。

 貴女の存在にも気付けなかった自分では、言われないと分からない。

 

 だからこそ、なのはは望む。

 

 

「聞かせてっ! 貴女の声でっ!」

 

 

 他の誰でもない、貴女の声で。

 

 

「聞かせてっ! 貴女の想いをっ!」

 

 

 他の何でもない、貴方の想いを。

 

 それを知れれば、分かり合えるかも知れない。

 傷付け合う事は避けられなくても、知らないよりずっと良い。

 

 

「聞かせてよっ! イレインさん!!」

 

「……良いだろう」

 

 

 そんな少女の声に、女は答える。

 何よりも、誰かに知って欲しいと願う女だからこそ。

 

 

「その身に刻めっ! この私の怒りをっ!!」

 

 

 この怒りを刻み込め。この憎悪を忘れるな。

 嘆きの叫びを上げる様に、イレインは己の想いを謳い上げた。

 

 

 

 

 

2.

 フェイト・テスタロッサは微睡みの中にいた。

 

 瓦礫の下で、痛みに震える。

 体の冷たさと、皮膚の痛みと火傷の熱さを同時に感じていた。

 

 体に力を入れようとしても、まるで力が入らない。

 堪えようのない眠気に襲われ、うつらうつらとしてしまう。

 

 死ぬのかな、と思った。

 死ぬのは、あんまり怖くはなかった。

 

 けれど、母の願いを叶えられなかったのは残念だった。そんな風に思考して。

 

 

「貴様には分かるまい!」

 

 

 声が響いた。

 

 それは怒号でありながら、悲痛の叫びのようにも聞こえる言葉。

 

 

「偽りの姿。偽りの名で呼ばれ続けるこの苦痛。己が全てを否定され続ける苦しみが!」

 

(偽りの、名前?)

 

 

 何故だかその言葉は、フェイトの耳に強く響く。

 こびり付いた女の叫びが、嘗ての記録を想起させていた。

 

 朦朧とする意識の中でフェイトは見る。

 優しげに微笑む母に抱かれて、安らぎの中にある光景を。

 

 山猫のリニスと一緒になって、自然の中を遊び回る。

 泥だらけになって叱られて、一緒にお風呂に入った情景。

 

 忙しい中我儘を言って、苦笑する母に連れて行って貰った草原。

 小高い丘から眺めた風景は、それまでで一番美しいと思えたから、きっと忘れないと心に刻んだ。

 

 

(何で、そんな場所、行ったことも見たこともないのに)

 

 

 母は微笑む。見た事もない笑顔を浮かべている。

 抱きしめた愛しい娘の名を呼びながら、その髪を優しく撫でている。

 

 けれど、その名は――

 

 

(アリシア、って誰? 私はフェイトだよ)

 

 

 自分の名前では、なかった。

 

 気付いてしまうと、情景は遠くなる。

 何故だかその光景が薄れていく様に、消えていってしまう。

 

 胸の中には、漠然とした寂寥感。

 置いて行かれたくない一心で、微かに見える空へと右手を伸ばした。

 

 

 

 瓦礫の隙間から、天へと延びる小さな腕。

 その掌に何かを掴めそうな気がして、フェイトは――

 

 

「あ、ああ! 良かった! 見つかった! フェイト!」

 

「……ア、ルフ?」

 

 

 だが、その掌は何も掴めなかった。

 その代わりに、確かな温かさがその手を握り締めていた。

 

 何を求めていたのだろうか。

 何を見ていたのかも、霧の向こう側。

 もう何もかも、上手くは思い出せなくなっている。

 

 けれど、胸に渦巻いていた冷たさも消えていた。

 

 

「ど、う、して……」

 

 

 どうしてアルフがここにいるのか。

 

 問い掛けた声は掠れて消える。

 麻痺した舌は、上手く言葉を紡げなかった。

 

 

「帰ろうよ、フェイト! あの白いのが相手をしている内に」

 

 

 そんな憔悴した少女の姿を見て、アルフは口を開く。

 

 無論、フェイトをこんな姿にした元凶には怒りがある。

 ぶん殴って、ぶちのめしてやりたい気持ちが溢れている。

 

 だが、自分の感情など二の次だ。

 まずはフェイトを。その体の方が、ずっと心配だった。

 

 早く治療しなければ、命に関わる。

 それ程の重症で、だからこその提案は。

 

 

「駄、目、だよ」

 

 

 フェイト自身に否定される。

 使い魔契約のラインを通じて、アルフはその意志を確かに理解した。

 

 

「……フェイト」

 

 

 それは母の為、だけではない。

 

 核と呼ばれる質量兵器の凶悪さ。

 そして一時的な共闘とは言え、味方を見捨てて逃げられないという意志。

 

 幾つもの想いが混じりあって、故にフェイトは退けないのだ。

 

 

「だけど、だけどさ!」

 

 

 そう口を開くが、その言葉の先は閉ざされた。

 

 強い瞳で、フェイトが見詰める。

 そんな彼女の意志を、アルフは無為にすることが出来なかった。

 

 

「……分かった、けどあと一回だけだよ」

 

 

 主の意志は揺るぎそうにない。

 そう悟ったアルフは、せめてもの抵抗として条件を付ける。

 

 

「次の攻撃。それでもあいつをどうにも出来なかったら、私はフェイトに恨まれても無理矢理に連れ出して逃げるから」

 

 

 次の攻勢。それに失敗したなら脇目も振らずに逃げ出すと。

 

 

「う、ん。それ、で良い。……アル、フ、あり、が、とう」

 

 

 フェイトは微かに微笑んで、アルフは確かに頷いた。

 後一度、それだけが彼女達に許された。最後の機会である。

 

 

「それで、どうする気だい」

 

「……あの、子の手札次第。だけど、手は、ある」

 

 

 桜色の輝きを放ちながら、イレインと対峙するなのは。

 激しい高速戦闘を繰り広げながら、傷付け合っている彼女達を見る。

 

 

「あの子は味方、だと思って良いんだね」

 

「同、じ、ジュエル、シード、の探、索者だ、けど今、回、だけは」

 

「味方って訳だ。なら、あいつらの手札を確認してから勝負に出るよ」

 

 

 彼女の手札を知る必要がある。

 だが、息も吐かせぬ高速戦闘を続ける彼女に問い掛けては、その危ういバランスを更に傷付ける危険性がある。

 

 故にアルフが問い掛ける先は。

 

 

〈おいっ! そこの使い魔っ!〉

 

 

 なのはの肩にしがみ付いた、フェレットの少年となる。

 

 

 

 そんな言葉を投げ掛けられる少年は、己の無力に歯噛みしていた。

 

 

「なのは」

 

 

 しがみ付いた少女は、今も傷付きながら戦っている。

 誰かを傷付ける痛みと、誰かに傷付けられる恐怖。その二つを抱えたまま、強い覚悟で飛翔している。

 

 その状況に追い込んだ自分が、何も出来ていない。

 その事実が、何よりも忌々しく、そんな己が余りにも情けなかった。

 

 分かっていたつもりだった。

 普通の少女を、戦いに巻き込む愚かさを。

 

 だが、真実理解してはいなかったのかも知れない。

 

 

「イレインさんっ!」

 

「高町、なのはっ!」

 

 

 名を呼び合う女の戦いは、互いに退く意志を見せない。

 その覚悟の裏で、なのははどれ程に傷付いているのか。

 その覚悟の裏で、何も出来ない自分は一体何をしているのか。

 

 臆しても良い。逃げても良いんだ。

 そんな風に彼女に言ってあげたい。だけど出来ない。

 

 そうすれば、失われてしまう現実がここにあるから。

 そんな不退転の場に引き摺り込んで、無用な覚悟をさせたのは正しく少年の責だ。

 

 そんな事実を前に悔やんでいるしか出来なくて、そんな己が情けない。

 激しい戦いに振り回されながらも、力ない少年はそんな葛藤を抱えていた。

 

 

〈おい! そこの使い魔! 聞こえてるのかっ!〉

 

〈……君は〉

 

 

 そんな彼は、何度目かの念話で漸く気付く。

 その聞き覚えがない声に、抱いた疑問を問い掛けた。

 

 

〈あたしの事はどうでも良い。聞きたい事は一つだっ!〉

 

 

 だが答えは返さない。

 橙色の従者はどうでも良いと切って捨て、己の疑問を問い掛ける。

 

 

〈その白いのは何が出来る!?〉

 

 

 彼の内心など知らぬアルフは、なのはの性能と手札を問う。

 使い魔と言う勘違いを正す余裕もないユーノは、流されるままにそれに答えた。

 

 

〈……フェイトが言ってる。もしかしたら、いけるかも知れないって〉

 

 

 そして、その情報を又聞きしたフェイトから、一つの策が提案される。

 

 

〈勝機がある。儚い希望かもしれないけど、確かに其処に道がある!〉

 

 

 それは勝利の為の策。

 ここから打てる逆転の策。

 

 彼らに残された、正しく最後の切り札であった。

 

 

「……なのは、君はイレインを撃てるかい?」

 

「ユーノくん」

 

 

 僕は恥知らずなことをしている。

 ユーノは内心でそう自責しながらも、なのはへと問い掛ける。

 

 そんな彼に、返る答えは強い頷き。

 太陽の様に光る少女は、何処までも強く輝いていた。

 

 

「それで、行けるんだね」

 

「可能性は、一番高い」

 

「なら、行こう」

 

 

 策への疑問はない。行う行為への戸惑いはない。

 あるのは唯、戦う覚悟と貫く意志。それだけあれば十二分。

 

 

「終わらせるんだ。イレインさんの悲しい戦いを、その先には何もないからっ!」

 

 

 強い瞳でイレインを見る。

 誰かを傷付ける魔法で、彼女を止めるのだと決心する。

 

 

 

 その瞬間に、少女達の反撃は始まった。

 

 

 

 

 

3.

「う、おぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 

 赤熱した地を二本の足で立ち、雄叫びを上げながらアルフが走り出す。

 一歩ごとに足の裏を焼かれながら、それでも速度は落とさずにイレインへと向かって駆け抜けた。

 

 

「邪魔だぞ、獣が!」

 

 

 兵器創形にて、生み出された巨大な機関砲。

 イレインはその銃口を、接近するアルフへと向ける。

 

 

「やらせないの!」

 

〈Divine shooter〉

 

 

 だが、誰かに意識を向ければ、他の誰かへの警戒が甘くなる。

 その隙を突いて、高町なのはの誘導弾がイレインを襲った。

 

 

「ちぃ」

 

 

 数秒ほど撃ち続けた機関砲をその場に破棄し、なのはの迎撃を行うイレイン。

 

 二人が大砲の撃ち合いを始める。

 その隙とは言えない状況下でも、アルフは更に接近する。

 

 

「おぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 

 数秒の発射とは言え、空対空で用いられる強力な質量兵器。

 直撃すれば人間の体など、一瞬で挽肉に変えてしまうだろう。

 

 なのはが迎撃したとは言え、まだ僅かに残った弾幕。

 それらに対し、アルフは無謀にも生身による突撃を敢行する。

 

 なのはの様に、障壁で耐えるのではなく。

 フェイトのように、高速で躱し切るのでもない。

 

 魔力で強化した肉体一つで、アルフは耐え抜き敵に迫る。

 

 

「貴様っ!」

 

「はぁぁぁぁっ!」

 

 

 懐に潜り込んだアルフが、その右の拳を放つ。

 

 そして血飛沫が飛んだ。

 

 

「っ!」

 

「貴様っ、何の心算だっ!?」

 

 

 彼女の拳撃は、イレインの鋼鉄の体を傷付けることも出来ない。

 魔力で強化された獣と、同じく強化された金属。そのぶつかり合いは当然の様に、アルフの敗北。

 

 彼女の攻撃は敵を砕けず、自らの拳を砕く結果に終わった。

 

 

「ディバインバスター!」

 

「ちぃ、こいつは囮か」

 

 

 そんな戸惑いの隙に、撃ち込まれる桜の砲火。

 それを見て、アルフは囮と判断する。砲撃を打ち込む為の、囮であったのだと。

 

 囮如きに良い様にされた。そんな無様に苛立ちながら、冷静な判断は揺るがない。

 迫り来る砲撃を躱せないと判断したイレインは、青き魔力障壁を展開した。

 

 障壁はなのはの砲撃を防ぐだろう。

 当然だ。イレインの障壁は、この場の誰よりも強力な物。

 

 なのはの砲撃威力では、揺るがすことも出来はしない。

 そしてそれがある限り、どんな攻撃をしたとて倒しきれないであろう。

 

 この戦闘に置いて、もっとも厄介な障害。

 故にこそ、それが展開される瞬間を待っていた。

 

 アルフはニヤリと笑みを浮かべ、無事な左手に魔力を集中させる。

 

 

「バリアァァァブレイクゥゥゥ!!」

 

「な、何ぃ!」

 

 

 振り抜いた拳に発現した魔法は、剛腕によるバリアブレイク。

 

 バリア系列の魔法である限り、破壊できない道理はない。

 硬度など無視して粉砕する。対障壁用魔法こそがアルフの切り札。

 

 真面に放てば、警戒されよう。

 初撃で使っていれば、容易く躱されていた。

 

 だからこそ腕を一本。その代価に、己の戦力を誤認させる。

 自分は無害だと錯覚させた事で、この一撃に対する回避を封じたのだ。

 

 無論、この密度の障壁を一息には砕けない。

 だが揺るがす事が出来るなら、それでもう十分だった。

 

 

「ちぃっ!?」

 

 

 桜の砲火が襲い来る。揺らいだ障壁では防げない。

 故にイレインは、大きく後方に跳躍する事で回避する。

 

 無理な回避にバランスを崩しながら、辛うじて着地に成功したイレイン。

 

 その身に襲い来るのは、更なる少女達の攻勢だ。

 

 

「アルカス・クルタス・エイギアス。疾風なりし天神、今導きのもと撃ちかかれ」

 

 

 ボロボロの身体で立ち上がったフェイトが、その詠唱を紡ぎ上げる。

 其は儀式魔法。フェイト・テスタロッサが有する攻防一体の切り札。

 

 アルフが態々雄叫びを上げ、注意を引いていたのは彼女の動きを気取らせぬ為。

 その詠唱に気付かせぬ様に、その魔法を邪魔させぬ為に、そしてその思惑は此処に成る。

 

 イレインの周囲全域を、黄金の輝きが包み込む。

 大きくバランスを崩しているイレインに、回避の術は何処にもない。

 

 

「フォトンランサー・ファランクスシフト。撃ち砕け、ファイアー!」

 

「き、さまらぁぁぁ!!」

 

 

 放たれるのは1064発のフォトンランサー。

 揺らぎ掛けた障壁さえも貫いて、黄金の雨がイレインを襲った。

 

 雷撃の槍に、手足を撃ち抜かれる。

 全身を砕かれながら、その外装を破壊されながら、それでもなおイレインは動き続ける。

 

 イレインには、まだ切り札がある。

 どれ程に消耗しようとも、逆転の手札は其処にあった。

 

 

「纏めてぇぇぇっ! 消し飛べぇぇぇっ!!」

 

 

 後悔しろ。絶望しろ。

 最早加減などしてやらぬ。

 

 私と共に、纏めて消し飛べ。

 そう結論付けて、その禁じ手を放とうとする。

 

 

「兵器創形。ツァーリィ――」

 

「させない! ストラグルバインド!」

 

「がぁぁぁっ!?」

 

 

 緑色の鎖がイレインを縛り上げ、魔力で己を形成している彼女を傷付ける。

 赤熱する大地に焼かれながら、四足歩行のフェレットはそこで魔法を使用していた。

 

 

「きぃ、さまぁぁぁっ!?」

 

 

 これまでの所作から、推測は出来ている。

 彼女が持つレアスキルは、高度な集中力を要する魔法である。

 

 魔法を解除する鎖。魔力で出来た身体に痛みを与えるストラグルバインドならば、発動の妨害は可能なのだ。

 

 そう判断したからの行動であり、そしてそれは確かに効果を発揮した。

 

 故に、後に残されたのは――

 

 

「白いの!」

 

「高町なのは!」

 

「なのは!」

 

 

 高町なのはに他ならない。

 

 三者の言葉を受け、上空に佇むなのはは杖を向ける。

 ディバインバスターを使用した直後、少女は今の場所に移動していた。

 

 僅かな隙すら見逃さぬと、上空にて戦場を一人見詰めていた少女。

 彼女は役割を果たした仲間たちの奮闘に感謝して、そして己の役割を此処に果たす。

 

 アルフは囮と障壁破壊。

 フェイトがその隙にダメージを与える。

 弱った敵を捕縛し、切り札を封じるのはユーノの役目。

 

 ならば最後、なのはの役目は唯一つ――

 

 

「受けてみて、ディバインバスターのバリエーション」

 

 

 この戦いに幕を引く、星の輝きを放つ事。

 

 空に高く舞う少女。

 その手に掴んだ杖の先に、無数の光が集まっていく。

 

 桜色の光が、輝く球体を生み出す。

 そしてその輝きの中に、星の光が集っていく。

 

 フェイトの持つ黄金の輝き。

 共に感じる想いは、何処か悲しい嘆きの色。

 

 ユーノの持つ翡翠の輝き。

 共に感じる想いは、何処か辛い屈辱の色。

 

 アルフの持つ茜色の輝き。

 共に感じる想いは、何処か強い怒りの色。

 

 そして、イレインの持つ青き輝き。

 共に感じる想いは、きっと……

 

 皆の魔力が集いて、星の光は強くなる。

 周囲に満ちる魔力を集めて、桜の光は強く輝く。

 

 世界に満ちる魔力とは、即ち■■■の欠片である。

 故に人の色に染まった■を集めるそれは、想いを集わせると言う行為となる。

 

 そう。此処には、皆の想いがある。

 この星の輝きは、人の願いを集めた光。

 

――ならば、いけるはずだ。

 

 

「全力全開!」

 

 

 集った希望が、破壊の光へと変化する。

 黄金の杖より放たれるのは、全てを滅ぼす星の輝き。

 

 

「スターライトォ! ブレイカァァァァァァッ!!」

 

 

 暴発寸前まで膨れ上がった煌めきは、流星の如き軌道で天より降り注ぐ。

 その輝きを前に動けぬイレインを飲み干して、巨大な閃光が世界を満たした。

 

 

 

 

 

 そして、桜の輝きが去った後、なのはは静かに着地する。

 星の輝きは正しく、唯の一撃で勝負を此処に決していた。

 

 

「……お、おの、れぇ」

 

 

 壊れかけた人形が、意志だけで動いている。

 最早己を保つ事も出来ずに、ゆっくりと解ける様に崩れていく。

 

 

「……まだ、だ」

 

 

 それでも、僅かに残った執念でしがみ付く。

 このまま消えてしまえるかと、憎悪の形相で噛り付いている。

 

 

「まだ、わた、しはぁぁぁぁぁっ」

 

 

 それでも、もう無理だ。

 這う様に動く人形は、既に半身を失くしている。

 

 だから、その場で射撃魔法の一つでも使えば、それだけでイレインは終わるだろう。

 

 腰から下を失って、それでも執念だけで蠢く機械の乙女。

 その姿は恐ろしいと言う想いよりも、ただ哀れみだけを感じさせた。

 

 

「……イレインさん」

 

 

 そんな女へと、近付く少女が一人。

 空より舞い降りた高町なのはは、己の意志でイレインの下へと歩いて行く。

 

 

「なのは!」

 

 

 相手はまだ動ける。そんな場所に居ては危険だ。

 そう告げる声を無視して、なのはは眼前の女性を見つめた。

 

 片腕が消し飛び、下半身が圧し折れ、片目が潰れている。

 全身からは絶えず火花が飛び散り、いつ機能を停止してもおかしくない状態。

 

 そんな様でありながら、イレインは体を引き摺り、残った腕をなのはへと伸ばす。

 

 周りの三者が動こうとするが、しかしなのはは反応を見せない。

 

 

「みと、める、ものかぁっ、この、まま、きえ、さ、るのを。ま、たわ、す、れられ、るの、を……みとめる、ものかぁぁぁぁっ!」

 

 

 血を吐くような叫び声。

 イレインの壊れた手が、なのはの首を掴み。

 

 

「忘れないよ」

 

 

 そんななのはの一言で、その手は止まった。

 

 

「忘れない。イレインさんが居たこと、居ること。その思いを私は忘れない」

 

 

 無垢な瞳がイレインを見詰める。

 

 その瞳は、何処までも透き通っている。

 その言葉は、本気で口にした誓いの言葉。

 

 それが分かってしまったから、イレインは――

 

 

「……はっ、そんな言葉一つで、諦めろとでも言う気か、高町なのは」

 

 

 まるで笑い飛ばす様に、そんな言葉を口にする。

 それでも、太陽の少女は揺るがない。その瞳が確かな真を見せたから――

 

 そう言えば、と思い出す。

 戦いの中で、少女が己の名を間違えたのは最初の一度だけ。

 

 何度もその名を呼んでくれた少女が居た。

 己の憎悪と殺意に、真っ向から向き合ってくれた少女が居た。

 

 その身体を震わせて、その心を震わせて。

 それでも、なのははイレインの事を確かに見ていた。

 

 

 

 だから、願いはもう叶っていたのかも知れない。

 

 

「まぁ、良いさ。二度目があったのだ。三度目だって、あるんだろうさ」

 

 

 そう苦笑しながら、イレインはその機能を停止した。

 

 

 

 

 

4.

「リリカルマジカル、ジュエルシード、封印!」

 

〈Sealing〉

 

 

 なのはの封印魔法が、ジュエルシードを封印する。

 輝きの晴れた後には青く輝く宝石と、鼻提灯を膨らませながらベタな寝言を呟くファリンの姿が残された。

 

 ファリンが五体満足なことを確認して、ほっと一息吐く。

 そうしてなのはは、ジュエルシードを持って黄金の少女へと手渡した。

 

 

「はい。フェイトちゃん。約束のジュエルシード」

 

「……確かに、受け取った」

 

 

 アルフに支えられたフェイトは、ボロボロになった手で大切に扱うよう握りしめる。

 

 バリアジャケットが消し飛び、私服も焼き切れている。

 半身に火傷を負った肌が、曝されているその姿は酷く惨めに見える。

 

 なのははその姿に大丈夫かと声を掛けそうになるが、フェイトの強い意志の込められた瞳を見て踏みとどまる。

 

 きっと彼女は大丈夫だと。

 

 

「聞いていいかな、フェイトちゃん」

 

「……何? 体調が厳しいから、手短にして欲しい」

 

「あ、うん。ごめんね。……そうだ、ユーノくん、フェイトちゃんを」

 

「分かったよ、なのは」

 

 

 フェイトの傷を見てふと気付いたなのはは、ユーノに頼む。

 それに二つ返事で頷いたユーノは、一つの魔法を発動させた。

 

 

「これ、治癒魔法?」

 

「うん。魔力が大分厳しいから、全快は無理だけど、痛みを失くすくらいならね」

 

「……ありがとう」

 

「あたしからも感謝しとくよ、ちっこい使い魔」

 

「ははは、……僕はこれでも人間なんだけどね」

 

 

 和やかな空気がしばし流れる。

 そんな中、なのはは先ほど聞こうとして、止めた疑問を再び口にした。

 

 

「さっきの話だけど、聞きたいのは、ジュエルシードを集める理由なんだ」

 

「何で? 知っても、意味がない」

 

「ううん。意味はあるよ。内容次第だけど、協力できるかもしれないし、もし争わなくちゃいけなくても、何も知らずに傷付けあうことはしたくないんだ」

 

「…………」

 

 

 なのはの言葉に、フェイトは僅かに戸惑う。

 どう答えるべきか、その視線が横で自身を支えているアルフに向かう。

 

 

「フェイトの好きにすれば良いんじゃない。そいつが唯の甘ちゃんなら、何も語る必要はないけど一緒に戦った奴だし、傷を治してくれた奴らでもあるしね」

 

「アルフ」

 

 

 動物を素体とした使い魔であるアルフは単純だ。

 見ず知らずの他人が、こんなことを問えば、ふざけるなと罵倒もしよう。

 

 だが一時とは言え、共に戦った仲間には情が湧く。

 今後敵になる相手とは言え、情の湧いた相手なら憎みあう必要もないだろうと割り切ってしまうのだ。

 

 

「私の理由はね。ユーノくんの手助けがしたいから。街を危険から守りたいから。それが理由」

 

「……聞いてないのに」

 

 

 発言を促すかのように、自分の理由を口にするなのは。

 そんな彼女の態度に、ちょっと憮然としながらもフェイトは返した。

 

 

「私は、母さんが必要だと言ったから。……何の為なのかは、知らない」

 

「そっか、教えてくれてありがとう。フェイトちゃん」

 

 

 そんな風に少女たちは、自身の目的を語り合う。

 

 

「それで、協力は出来るの?」

 

「……あー、ユーノくん?」

 

「……もう分かっていると思うけど、ジュエルシードはとても危険なんだ。フェイトには悪いけど、君のお母さんが何を望んでいるのか分からないと協力は出来ない。……一度本人と会えれば、交渉も出来なくはないと思うけど」

 

「良いよ、別に、期待していないから。……それに母さんは会ってくれないと思う」

 

 

 語り終えると同時に、ユーノの治療も終わる。

 

 この場にいる理由を失った金の少女は己の使い魔を促すと、なのはらに背を向けた。

 

 

「次に会ったら敵同士。手加減はしないから」

 

「あんたらは気の良い奴らだけどさ。フェイトの邪魔するならガブっといくよ」

 

 

 退いて欲しい。傷付けないようにする。そんな言葉は口にしない。

 

 何故ならそれは、相手を下に見る言葉だから。

 その本質が優しさとは言え、見下す言葉は必要ない。

 

 この戦いの中で見た、桜色の少女の力。

 正しく自分以上だとフェイトは感じていた。

 

 何故これ程の魔導師が管理外世界にいるのか。

 理由は分からないが、自身が全力で挑んでも勝てるか分からない強敵である。

 

 対等の相手に、優しい言葉は必要ない。

 必要なのは唯、己が目的を貫く意志を示すこと。

 

 そう知るから、何も語らないフェイトに対し。

 

 

「またね、フェイトちゃん」

 

 

 なのははそんな、邪気のない言葉を掛ける。

 

 

「君は……ううん。何でもない」

 

「にゃ?」

 

 

 その言葉に気が抜ける。張り詰めた意志を挫かれる。

 凄腕の魔導師なのに、在り様はその辺の子どもと変わらない。

 

 

「……また」

 

 

 そんなギャップに、心が揺らされる。

 思わず同じ様に返してしまった自分を恥じながら、フェイトはアルフに抱き抱えられて空へと去った。

 

 

 

 

 

 後に残されたのは一人と一匹。

 

 

「帰ろっか、ユーノくん」

 

「うん。けど、その前に結界内の修復からだね。後、その、なのはの服も、どうにかしないと」

 

「にゃっ!?」

 

 

 言われて、なのはは気付く。

 自身も激闘の中で服が破れ、間から肌や下着が垣間見えているのを。

 

 

「どうしようユーノくん、服がボロボロなの!」

 

「ぼ、僕は、見てないよ、見てないからね!」

 

「にゃ? 何をそんなに慌ててるの?」

 

 

 極力少女を見ないように、余りにもあからさまに動揺するフェレット。

 そしてそんな仕草を何故するのか理解できていない。思春期前の無垢な少女。

 

 まあ一桁の年齢ならば、恥じらいを覚えていないのも珍しくはない。

 既に異性に興味が芽生えているユーノの方が成長が早い。あるいは耳年増なのだろう。

 

 

「けど、本当にどうしたら」

 

「あ、うん。結界内を直したら、家に着替えに戻るしかないんじゃないかな」

 

「にゃー。めんどくさいの」

 

 

 そんな言葉を交わしながら、ユーノは結界内を修復していく。

 戦いの傷跡が消えていく様子を、なのははもう一度だけ振り返って目に焼き付けた。

 

 

(イレインさん)

 

 

 その光景を忘れないように、心に刻み付ける。

 

 

(絶対に、忘れないの)

 

 

 彼女に告げた約束を守るために。

 

 

 

 

 

 そうして全てが終わった後。

 服が変わったことや、トイレと言うには長く席を外し過ぎた事。

 色々と問い詰められたなのはが、返答に苦労する事になるのだが。

 

 まあ、それはまた別の話であろう。

 

 

 

 

 




イレイン戦。決着。ある意味王道な終わり方にしました。

ユーノくんの魔力ないない詐欺。
何気に一杯魔法使っているユーノ君ですが、実は自分の傷を治す分の魔力すら他に回しています。そうでもないとこんなに魔法使えない。

本人の傷は変身魔法の応用で表面上を治しただけ、なので変身解除すると中身がプシャーします。

そんな彼の状態を知らないとはいえ、頑張って溜め込んだ魔力を他人の治療の為に平然と使わせるなのはさん。彼女が魔王の資質を持っているのは確定的に明らか。


後、そろそろ天魔出す。


7/14 誤字修正
2016/08/16 大幅改訂




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第六話 友達

副題 当たり前の日常。
   友達になりたいと手を伸ばす。
   魔法少女達の決闘。


2016/08/18 改訂完了。


1.

「昨日はお楽しみでしたね!」

 

「ぶふっ!」

 

 

 翠屋の前に停車した二台の乗用車。

 その前に立っていた高町恭也に対し、開口一番アンナはそんな言葉を口にした。

 

 

「忍、お前、子供に何を吹き込んだ」

 

「何って、ねぇ」

 

「ねー」

 

 

 思わず吹き出してから、一部始終を知るだろう恋人を半眼で睨む恭也。

 そんな彼を後目に当の月村忍は、幼い少女と笑顔でハイタッチを交わしている。

 

 

「しっかし、あんなことやらこんなことまでしてるとは、お盛んですなー」

 

「そうなのよねー。恭也ったら、最近はちょっとアブノーマルなことにまで――」

 

「ちょっと待て! 本気で何吹き込んでいる!!」

 

 

 赤面しながら、慌てて言葉を投げ掛ける。

 

 幼い子供に対する情操教育的な意味で、割と真剣に問題があるんじゃないか。

 そんな風に思う男を、手玉に取るは小悪魔大小。

 

 そんな彼女達は知らない。

 自らの背後に、その危機が迫っていると言う事を――

 

 

「そうね。おばさんも気になるわ」

 

「あ」

 

「オワタ」

 

 

 その危機の到来を理解して、月村忍が硬直し、アンナは両手を上げて降伏する。

 

 振り返った二人の背後、長い栗毛の女性が居る。

 高町桃子はその顔に、柔らかな笑顔を張り付けたままに告げた。

 

 

「……少し頭冷やそうか?」

 

 

 笑顔を浮かべているのに、その目はまるで笑っていない。

 度が過ぎた小悪魔二人に、桃子の魔手はゆっくりと伸びていき――

 

 その結末を語る必要はないだろう。

 

 ただ一つ、彼女の娘の未来を知る者がこの場に居たならば、きっとこう語っていた筈だ。

 

 白い魔王は遺伝だった、と。

 

 

 

 そんな紆余曲折を経て、家族旅行は幕を開けた。

 高町一家となのはの友人達。そして恭也の恋人である忍。

 

 参加者は総勢9人。

 翠屋の前で集まった彼らは、二台の車に分かれて乗り込み、山道を進んでいる。

 

 

「えーと、アンナちゃん大丈夫?」

 

 

 都会の公道程には整備されていない山道故に、その車は激しく揺れる。

 高町士郎が運転する先行車両の中で揺られる美由紀は、後部座席の端に座ったアンナへと苦笑を浮かべながら問い掛けた。

 

 

「燃え尽きたわ、真っ白にね」

 

 

 高町美由紀の問い掛けに、微妙に余裕が有りそうな返答が返る。

 

 頭には、大きなタンコブ。

 その見た目は、まるで燃え尽きた灰の様に真っ白になっている少女。

 

 そんなアンナの口からは、まるで幽体の様な何かが漏れ出て手を振っていた。

 

 

「あらあら、そんなに痛くしたつもりはないのだけど」

 

「お母さんが拳骨するの、久しぶりに見たの」

 

 

 助手席に腰掛けた高町桃子が、そんな会話にニコニコと笑う。

 対してアンナと美由紀の間に座ったなのはは、自身もされたことのある仕置きの強烈さを思い出して小動物のように震えていた。

 

 

「はは、これから温泉に行くからね。ゆっくり浸かれば治るだろうさ」

 

「そ、そうかなぁ」

 

「温泉。温泉が呼んでいるのね」

 

 

 車の運転をしながらそう語る士郎に、美由紀は苦笑を返す。

 

 そんな二人のやり取りが聞こえているのかいないのか、アンナは電波を受信しているかのような譫言を呟いている。

 

 

 

 そんな団欒の時間を過ごす彼らを余所に――

 

 

(……っ)

 

 

 でこぼこ道を進む車の振動に、少年は内心で痛みを堪える。

 その小さな身体を見下ろすと、塞いだ筈の傷口が開いて血が滲みだしていた。

 

 

(また、か……)

 

 

 これが初めてと言う訳でもない。

 先に負った傷口が開く事は、これまでにも多々あったのである。

 

 その傷は、これまでにユーノが負った物。

 動物病院による外科手術によって塞がってはいたが、完治はしていなかった傷痕。

 

 大狗のジュエルシードモンスターによって、一度塞がれた傷は大きく開いた。

 以降は表層のみを誤魔化す形でしか治癒魔法を使っていなかったのだから、切っ掛けがあれば開くのは当然だ。

 

 

(……完全に治せれば、楽にはなるんだろうけど)

 

 

 今まで通りに、表層のみの傷を塞ぐ。

 目に見える傷と出血さえ隠せれば、それで暫くは誤魔化せる。

 

 完全な治癒は行わない。

 そこまでしてしまえば、余りにも魔力の消費が大きく付いてしまうから。

 

 

(少なくとも、ジュエルシードを集め終わるまでは……魔力は幾らあっても、足りないんだから)

 

 

 治療魔法と言う物は、それ程までに万能と言う訳ではない。

 ましてや今のユーノの肉体状態は、通常の治癒魔法では治し切れない程の物であった。

 

 全身に及んだ傷は、損失とまではいかなくとも、かなりの痕を残している。

 骨は幾つも折れて、内臓器官は酷く衰弱し、多量な出血によって純粋に血の量が足りていない。

 

 通常の治癒魔法では、損失した部位は戻らない。

 治療魔法とは、生きている部位を魔力で活性化させる魔法なのだ。

 

 無論、高位技術としての損失部位の再生技法は存在する。

 ゼロから代替となる物質を構成して、損失部位と癒着させて治癒する技術である。

 

 かなり高位の術式だが、その初歩をユーノは覚えている。

 初期的な火傷や肉体切断くらいならば、多少は治療出来るのである。

 

 無論、それには結界や捕縛などとは比べ物にならない程に、大量の魔力を消費せねばいけないのだが。

 

 故にユーノは、治りにくい傷を治す事よりも、魔力を溜め込む事を優先していたのであった。

 

 

(成果は、出ている。……魔力が足りなければ、イレインとの戦いでの被害は、今よりも遥かに酷い結果になっていた)

 

 

 傷の痛みに堪える少年は、そんな風に思考する。

 彼の思考の通り、イレインとの戦いで彼が魔力を維持していなければ、あの戦いの結果は、より悲惨な形で終わっていただろう。

 

 

(今の僕には、これしか出来ない。けど、これだけでも意味はある)

 

 

 力のなさに、歯噛みする。

 何も出来ない事を、悔しく思う。

 

 それでも、魔力を溜め込むくらいは出来たから。

 

 

(だから、これで良い。これで良いんだ)

 

 

 ユーノ・スクライアは、己の思考を正当化する。

 表だって戦う事が出来ないからこそ、この痛みくらいには耐えなくては、彼は己を許す事が出来なかったのだ。

 

 

〈どうしたの? ユーノ君〉

 

〈あ、いや……温泉が楽しみでね。確か火山が多い地形に見られる入浴施設だったっけ?〉

 

 

 そんな痛みに耐えるフェレットの様子に、違和を感じてなのはが問い掛ける。

 

 気付かれてはいないが、何処か心配そうな声。

 それに対して、ユーノは平然とした表情を装い、誤魔化す様に話題を逸らした。

 

 

〈ユーノくんは温泉に入ったことはあるの?〉

 

〈いいや、知識で知っているだけさ。だから結構楽しみにしているよ〉

 

 

 そんな誤魔化しに、高町なのはは引っかかる。

 それは少女が愚鈍と言うよりは、少年の誤魔化しが上手だからであろう。

 

 動物の姿であればこそ、顔色の悪さなどは見えないのだから。

 

 

〈そっか、なら一緒に楽しもうね。一緒に来れなかった、ノエルさんやファリンさんや、……イレインさんの分まで〉

 

 

 先の騒動以来、少し体調を崩してしまったファリン。

 忍が調整を加えてはいるが、彼女でも解明出来ない何かがファリンの中には存在しているらしい。

 

 故にエーアリヒカイト姉妹は居残り。

 主である忍のロマン回路が未知の現象を前にフル稼働していたが、ノエルの計らいによって彼女のみ温泉旅行への参加をする事になっていた。

 

 ファリンの解析作業により、徹夜明けでテンションが天元突破している忍。

 悪乗りしたアンナと彼女が引き起こすちょっとした騒動に、被害者として巻き込まれるであろう少年。

 

 未来を知れぬ唯人であればこそ、彼は自らに訪れる受難を知らない。

 全てを知るアンナと変なテンションの忍の手で女湯に連れ込まれ、其処で天国の様な地獄を味わう事を。

 

 彼には傷を癒す魔力も、温泉を楽しむ余裕も、残ることはないのである。

 

 

〈あ、何か見えて来た〉

 

〈うん。あれが皆で何時も行ってる、海鳴温泉旅館なの〉

 

 

 山の公道を進む車窓から、その温泉旅館の姿が見える。

 曲がりくねったカーブの先、少し開けた小高い丘に佇む木造旅館。

 

 その風情ある日本旅館の佇まいに、考古学や民俗学の研究なども行っている才気溢れる少年は、痛みを感じながらも興味を惹かれる。

 

 これから訪れる未来を知らない少年は、その瞳を輝かせるのであった。

 

 

 

 

 

2.

 金髪の少女と紫髪の少女が対峙している。

 共に激しい攻防の末、衣服は着崩れ、額からは滝の様に汗が零れ落ちる。

 

 だが服を着直す時間も、汗を拭う暇も彼女達にはない。

 僅かでも隙を晒せば、それが敗北につながると理解しているが為に。

 

 

「負けちゃ駄目よ、すずか!」

 

「やっちまいな、フェイト!」

 

 

 外野で声援を上げるのは、アリサ・バニングスとアルフ。

 

 今日初めて出会った両者は、思いの外相性が良かった。

 すぐに意気投合した二人だが、今は友誼を抱きながらも対立している。

 

 互いに信じる。大切な人を思うが故に、互いに譲る事など出来ぬのだ。

 

 勝つのは彼女だと、そう信じる心。

 頑張れと言う思い言葉に込めて、二人は激闘の中にある少女らを激励する。

 

 

「ぜぇはぁ、ぜぇはぁ……はっ! 今二人を不意打ちすれば、私が最強だと証明できる!?」

 

「きゅー」

 

 

 腹黒いことを口走るアンナと、言葉にならない声を上げるなのは。

 特別な力に頼らなければ年相応以下の体力しかない運動音痴組みは、部屋の隅で無様な屍を晒している。

 

 そんな四者の口にした言葉。

 それを、向かい合う二者は、全て聞き流していた。

 

 所詮は弱者の戯言。負け犬の言葉だ。

 自分達が打倒してきた敗者たちに、この強者同士の争いに介入する資格はない。

 

 そんな相手にかかずらって、真の敵に弱みを晒す訳にはいかない。

 それは間違いなく敗北に繋がる隙となり、何よりこの強敵に対する侮辱となる。

 

 

「行くよ、すずか。これが私の全力全開」

 

 

 バチバチと雷光が煌めく。

 落雷が掌に集いて、輝ける玉へと変じる。

 

 来る。そうすずかが確信した瞬間――それは放たれた。

 

 雷光の魔球は、電磁力の力で弾丸の如くに飛翔する。

 

 空間を引き裂きながら、音速の数倍で迫るその雷光の魔弾。

 最早人の視力では捉えられず、見えたとしても身体が反応しない速度域。

 

 だが、此処に居るのは夜の一族。

 中でも肉体機能に特化した。先祖返りの少女である。

 

 目に捉える事が出来ない筈の先行放電を確かに捉え、そしてすずかは夜の一族としての力を全力にて行使した。

 

 

「やらせ、ないよ!」

 

 

 来るべき場所は、分かっている。

 ならば雷光の一撃が来るよりも僅かに前に、身体が動けば対応はできる。

 

 視力が追い付いたのは、その血に宿る魔性の力。

 体の動きが間に合ったのは、その位置取りが良かったから。

 そして襲い来る魔球を押し返すことが出来たのは、単純に偶然の産物だろう。

 

 だが、如何なる理由であれ、魔球は返された。

 ならば窮地になるのは、全力の攻撃を放った直後のフェイトである。

 

 

「ま、けるかぁぁぁぁっ!」

 

 

 力を放出し、のけぞった体でフェイトは叫ぶ。

 泳いだ上体を全身の筋力で無理矢理に、元の姿勢に戻して迎撃する。

 

 だが、迎撃が間に合おうとも、そこに力は入らない。

 この様な力の籠っていない返しでは、相手にチャンスを与えただけであろう。

 

 緩やかに打ち上がった球体が、すずかの目の前に落ちて来る。

 夜の一族である少女は、久しく見ない強敵の存在に笑みを浮かべたまま、スマッシュフォームでその時を待つ。

 

 

「っ」

 

 

 来るであろう攻撃を予感し、フェイトは唾を飲み干す。

 

 そして、襲い来る豪速の魔弾。

 それを受け切れなかったフェイトは、痺れる手を握り絞めて呟いた。

 

 

「強い」

 

 

 そんな少女の賛辞に対して、返るのは紫の少女の微笑み。

 自分が全力を行使して、漸く一点を奪い取れた強者を称える。

 

 

「フェイトちゃんこそ」

 

 

 少女達は互いを称え合い、そして再び激突する。

 

 煙と嫌な臭いを上げながら、寿命が削られて行くボールとラケットと卓球台。

 

 ミッドチルダ式魔法と夜の一族の身体能力。

 それら本来は秘匿せねばならない力を、フルに発揮した超次元卓球は熱を増していく。

 

 そんな激闘を遠い目で眺めながら、ユーノは思う。

 

 

(どうしてこうなった)

 

 

 少年に問いに、答える声はない。

 

 

 

 

 

 時刻は少し遡る。

 ユーノが嬉し恥ずかし辛しな混浴タイムを満喫した後、四人娘+一匹は温泉宿の休憩コーナーで談笑していた。

 

 

「うりうりー。この淫獣めー。そんなにロリィな裸は良かったかー」

 

「あんた、動物相手に何言ってんのよ」

 

 

 顔を赤くしているように見えるユーノを弄るアンナ。

 そんな彼女に、動物相手に何をしているのかと、冷たい瞳をアリサが向ける。

 

 

「むふふ、いやぁ、ユーノくんも男の子ですなぁ、という話な訳ですよ」

 

「いや、意味分かんないし」

 

 

 ニヤニヤと笑うアンナに、意味分からないと返すアリサ。

 そんな二人の遣り取りを聞きながら、なのはは疑問を抱いて首を傾げた。

 

 

「……ねぇ、すずかちゃん。男の子と一緒にお風呂に入るのって、そんなに可笑しいことなの?」

 

「え、いや、私に聞かれても」

 

 

 ユーノが同年代の男だと知っているなのはだが、それが一緒にお風呂に入ることと何か関係があるのか理解出来ない。

 そんな無垢なる少女に問い掛けを向けられて、すずかは答えられずに羞恥で顔を真っ赤にした。

 

 

〈なのは! 助けてなのは!〉

 

 

 助けを求める声が届くが、何から助ければ良いのか分からない。

 アンナに弄られるユーノを見たまま、なのはは首を傾げるだけ。

 

 最早ここまでか、無駄に悲壮な覚悟を決める。

 そんなユーノの窮地を救ったのは、全くの第三者であった。

 

 

「おや、あんた達は」

 

「……なのはにユーノ」

 

「フェイトちゃん! アルフさん!」

 

 

 偶然通りかかったのは、金の主従。

 上下共に黒い普段着姿のフェイトと、露出の激しい服装をしたアルフ。

 

 彼女達がここにいる理由は、とても単純な物だった。

 偶然、街の福引で温泉旅行券を得たアルフ。福引ついでに湯治という知識を得たアルフが、未だ傷が治りきらぬフェイトを説得して連れてきたのだ。

 

 フェイトとしても、本来ならば頷かない事ではあった。

 

 だがここ数日、体調が頗る悪いのである。

 喉の渇きは水を飲んでも癒えず、何とも言えない倦怠感が付き纏っている。

 

 母の期待に応える事は大事だが、それ以前に自分が潰れてしまっては意味がない。

 多少ならば無理を押し通す彼女だが、多少の域を超える不調によりこうして休息を受け入れていたのであった。

 

 

「ちょっとなのは」

 

 

 まるでお見合いの様に、黙ったまま向かい合うなのはとフェイト。

 そんななのはの脇を突いて、アリサが紹介しろと言葉を紡いだ。

 

 

「その子達が誰なのか、私達にも紹介しなさいよ」

 

「あ、えーと」

 

 

 アリサの言葉に、さてどう紹介しようかとなのはは悩む。

 

 友と言うには、彼女との接点が薄い。

 だが敵と断言するには、色々と問題がある。

 

 知り合いと言う程には遠くなく、されど身内と言う程には近くない。

 

 しばし悩んだなのはは、ふと思い付く。

 うんと頷いて、自身の考えを肯定するとそれを口にした。

 

 

「友達になりたいんだ」

 

 

 にっこりと、まるで花開いた向日葵の様に、笑う高町なのは。

 そんな少女の瞳は、最高の答えを見つけたと言わんばかりに輝いている。

 

 

「フェイトちゃんはまだ知り合ったばかりだけど、うん。友達になりたい知り合いだよ」

 

「え、友達?」

 

 

 どういう関係なのかではなく、どういう関係になりたいのかを口にする。

 そんな何処かズレた回答にフェイトは、目を白黒させて何を言えば良いのかと戸惑っていた。

 

 

〈アルフ。アルフ。どうしよう?〉

 

〈良いじゃないかフェイト。フェイトだって、友達とか欲しかっただろう。こいつなら信用出来るしさ〉

 

〈けど、友達って何をしたら?〉

 

 

 あわあわと慌てるフェイトに、アルフはあっさりと肯定の意を示す。

 

 ジュエルシードを巡って対立する相手。

 だが、それは友情を結んではいけない理由にはなり得ない。

 

 アルフはそう思考して、単純にフェイトに友達が出来そうな状況を喜んでいた。

 

 

「……友達になりたい知り合いって、あんたねぇ」

 

「あはは、何かなのはちゃんらしい言い方だね」

 

 

 そんななのはのズレた回答に、友人二人は苦笑を頭を抱える。

 だが同時に、なのはらしいと納得して、二人は揃って苦笑を浮かべた。

 

 

「友達になりたい? ならば良し! 勝負と行こう!」

 

 

 そんな中で、毛色の異なる少女が一人。

 何処からともなく取り出した卓球のラケットを片手に、彼女は宣言する。

 

 

「そう。友情とは戦いの中で生まれる物! 繋いだ絆は、敵対しても裏切らないのよ!」

 

「アンナちゃん。また、漫画の影響か何かかな」

 

「ってかそのラケット、どっから出したのよ」

 

 

 ボケ担当の突拍子のない行動に、ツッコミ担当が疲れた表情を浮かべる。

 

 そんな中、天然二人は妙な説得力に誤魔化されて信じ込んでいた。

 

 

「よく分からないけど、友達って戦って作るんだね!」

 

「アンナちゃんが言うんだからそうなの、きっと、多分!」

 

 

 常識知らずと考え足らずは卓球場へと走り去っていき、確信犯はニヤニヤと笑いながら後を追う。

 

 ツッコミ担当たちが遊びの一環として楽しもうと開き直って付いていき、後には二人が残された。

 

 

「フェイト、楽しそうで良かった」

 

「良かったのかなぁ、これ」

 

 

 感涙する脳筋従者に、被害担当が動物姿で口走る。

 

 これが、彼女らが超次元卓球をやることになった理由であった。

 

 

 

 

 

 そして、時刻は深夜。

 並んだ布団の上で五人の少女は床に就いていた。

 

 アルフとユーノを含めると七人。

 どうせ同じ宿に泊まるんだから、一緒の部屋で遊ぼう。

 そんな子供の主張により、こうして一部屋に集っていた。

 

 

「ねぇ、フェイトちゃん。まだ起きてる?」

 

「なのは?」

 

 

 部屋の扉側、並んだ布団で横になっている二人。

 ピンクのパジャマを着たなのはは、隣で横になる浴衣姿のフェイトに声を掛ける。

 

 

「今日は、楽しめた?」

 

「……」

 

 

 なのはの問いに、フェイトは今日の出来事を思い出しながら考えた。

 

 ギリギリで勝利した卓球勝負。

 その後、皆でお風呂に入り背中の流し合い。

 

 脱衣所で一緒になって、フルーツ牛乳を飲んだ。

 そしてその後は、遊技場や部屋で遊んで過ごした。

 

 

「うん。楽しかった」

 

 

 楽しかった。

 素直にそう思えたから、フェイトは正直に答えを返す。

 

 自分だけ楽しくていいのか。

 母さんはどう思うだろうか。

 

 これで良いのか、これはいけないのではないか。

 それでも、今日ぐらいは良いんじゃないかなとも思ってしまう。

 

 そんな感情の機微を、かつての自身と無意識に重ね合わせることでなのはは理解していた。

 

 フェイトの事情は分からない。

 だが、分かる事も確かにあった。

 

 風呂場で見た背中の傷と、彼女の悲しそうな瞳。

 何かを辛い事に堪えているのではないか、と言う事だけは分かるのだ。

 

 だから思う。だから願う。

 イレインに向けたのと同じ感情を、今のフェイトに抱いている。

 

 嘗て自分がアンナに救われたように、今度は自分が助ける番だ。

 

 フェイト・テスタロッサを救いたい。

 力になりたい。友達になりたいと思うのだ。

 

 

「ねぇ、聞かせてフェイトちゃん。友達になりたい。その答え」

 

 

 だから、問う。

 なのはは不器用だから、直接的な表現しか出来ない。

 

 それでも、不器用だからこそ、直接的だからこそ、伝わる思いも存在する。

 

 

「わたし、は」

 

 

 その素直な言葉は、直接的だからこそ心に響く。

 対人経験の少ないフェイトにも、単純な言葉だからこそ確かに届く。

 

 

「うん。私も――」

 

 

 友達になりたい。そんな思いは伝わった。

 楽しかった。そんな思いは確かにあって、この先も望めるならばと願ってしまう。

 

 だからフェイトは、その言葉に答えを返そうとして――

 

 

「……これは」

 

 

 突如発生した魔力反応を感知して、フェイトはその言葉を止めた。

 

 

『ジュエルシード』

 

 

 感じ取った魔力は、災厄の宝石が発現した気配。

 今この瞬間より二人は、友達になりたい知り合いから、同じ物を求める敵対者へと変わる。

 

 

「ゴメン。なのは。……でも、私は」

 

 

 語らいは終わりだ。

 これより彼女らは、同じ物を求める敵同士。

 

 

「ううん。良いよ。……終わったら、また聞くから」

 

「君は……」

 

 

 そう覚悟を決めたフェイトに、微笑むなのはは変わらない。

 そんな太陽みたいな笑顔に気勢をそがれて、フェイトは微笑みながら言葉を返した。

 

 

「うん。分かった。その時には、答えを返す」

 

 

 全ては、全部が終わってから。

 話はまた後で、幾らでもする事は出来るから。

 

 そう思う二人は、まだ知らない。

 神ならぬ彼女らに、未だ来ない先を知る事などは出来ない。

 

 安らげる時間は、これで御終い。

 彼女達にとっての逆境が、迫ってきている。

 

 

 

 さあ、心せよ魔法少女達。

 抒情的な物語は、此処で終わりだ。

 

 これより先にあるのは、救いのない地獄の底。

 

 神の奇跡さえも届かない。

 凄惨な現実だけが待ち受けているのだから――

 

 

 

 

 

3.

 ジュエルシードの封印。

 それ自体は、拍子抜けする程に呆気なく終わった。

 

 元より優れた能力を持つ少女達。

 彼女らならば一人でも対処出来るのが、ジュエルシードの暴走体だ。

 

 それが二人掛かりなのだ。

 苦難と呼ぶほどの例外が出現する可能性など、一体どれ程の低確率か。

 

 

「ユーノくん」

 

「アルフ」

 

 

 二人は申し合わせた訳でもないのに、互いに意見を一致させる。

 特に取り決めた訳でもないのに、意志を疎通させた少女らの間には暗黙の了解が生じていた。

 

 封印されたたった一つのジュエルシードを、それぞれが信頼する相棒達に投げ渡す。

 

 即ち、勝った方がジュエルシードを手にする。

 それまでは双方の相棒が、互いを監視しながら共同で管理する。

 

 それが二人の間に生まれた。決闘のルール。

 

 

「レイジングハート、お願い」

 

〈All light, my master〉

 

「バルディッシュ、起きて」

 

〈Yes, sir.〉

 

 

 桜色と金色。

 二色の輝きが、少女達の身体を包む。

 

 輝きの中で、解ける様に消える衣服。

 その肢体を包むのは、白と黒の対となる色。

 

 小学校の学生服。それをモチーフにした白い防護服。

 黒い水着の様な衣装と同色のブーツ。その薄い護りの上から、黒い外套が風に揺れる。

 

 機械的な音を立て、デバイスが稼働形態へと変形する。

 なのははその手に黄金の杖を、フェイトはその手に漆黒の斧を。

 

 互いにインテリジェントデバイスを構えたまま、空へと浮かび上がる。

 

 展開された結界の中、二人は互いに見つめ合う。

 睨み合い、見つめ合い、開始の合図を僅かに待つ。

 

 そして、動いた。

 

 

「ディバインシューター!」

 

「フォトンランサー!」

 

 

 まず放たれたのは、牽制の一撃。

 迫る12の誘導弾を同数の直射魔法が射抜く。

 

 その魔法の激突を囮に、フェイトはなのはへと迫る。

 

 

「ブリッツアクション!」

 

「フラッシュムーブ!」

 

 

 雷を思わせる速度で移動するフェイトに対し、なのはもまた高速移動魔法を展開する。

 

 結果は明白。速度に特化したフェイトの方が遥かに早い。

 だが、なのはも然る者。一瞬ではその差を詰めさせない。

 

 同時に多数の魔法を扱う。

 その才自体は、なのはの方が上である。

 

 故に後退しながらも、無数の光弾をばら撒ける。

 一瞬では詰め切れない為に、フェイトは迎撃の度に足を止めざるを得ないのだ。

 

 

「っ! 詰め切れないっ!」

 

 

 接近するフェイトと、後退するなのは。

 両者の距離は詰め切れず、さりとて遠距離と言う程には離れない。

 

 先の共闘により、互いが得意とする戦術は分かり切っている。

 両者は互いの得意不利を知るが故に、自身にとっての優位となる戦法を望んでいる。

 

 速度を武器とするフェイトは、相手が苦手とする近接戦闘に持ち込みたい。

 対して遠距離砲撃を得意とするなのはは、距離を取っての砲撃戦を行いたい。

 

 互いの望みが噛み合わなければ、発生するのは陣取り勝負だ。

 如何にフェイトが詰め寄るか、或いはなのはが距離を保ち続けるか。

 

 

(やり、にくい)

 

 

 フェイトは素直にそう感じる。

 これまでフェイトはその速力故に、高速機動で距離を詰め切れない相手などは皆無であった。

 

 例え一時的にでも、その速力に抵抗できる者はいなかった。

 故に距離を支配出来ない戦闘など初体験であり、それにやりにくさを感じていた。

 

 

(早い)

 

 

 対してなのはは、その速度に舌を巻く。

 目で見て分かった心算になっていたが、第三者視点で見るのと体感するのとでは訳が違った。

 

 直線的に後退しながら、魔法をばら撒く。

 それで漸く接近を妨害出来る相手は、一筋縄ではいかない強敵だ。

 

 

(フェイトちゃんは防御面が甘い。だから当てれば、勝てる。……なのに)

 

 

 なのはには、実戦経験が足りていない。

 故に高速機動を行う相手に、どの手札を切るべきなのか判断が付かない。

 

 魔法の才能全てを引き出され、十年以上の努力を吹き飛ばして力を得たなのは。

 彼女はその成り立ち故に、同格以上との戦闘に不慣れだ。

 

 足を止めて、切るべき札を熟考すれば、なのはに勝てる魔導師などはいないだろう。

 それだけの性能はある。どんな相手であろうとも、通用するだけの膨大な手札を保持している。

 

 だが、それ故の欠点。

 無数に手札があるからこそ、なのはは同格以上の敵に対して一歩譲る。

 

 出来る事が多過ぎて、悩んでしまうのだ。

 戦闘自体に慣れていないが故に、その行動には淀みが生まれているのである。

 

 流れるように動けない。即時対応に不慣れである。

 そんななのはにとって、この戦闘は極めて苦しい物であった。

 

 気を抜けば見失ってしまう程の速度で、フェイトは空を移動し続ける。

 僅かでも意識を逸らせば、その瞬間に敗北する。そんな高機動戦闘は、戦闘の素人には荷が重かった。

 

 

(強い。……この子は、多分私よりも)

 

 

 対してフェイトもまた、精神の疲弊を感じていた。

 実戦経験は少なくとも膨大な訓練を積んだが故に、彼女は自身の苦境を正しく認識していた。

 

 

(攻め切れない。この弾幕を、抜けられない)

 

 

 確かに速度では自身が上を行く。

 その光弾の数とて、イレインが生み出した質量兵器の物量には劣る。

 

 だが、高町なのはは速いのだ。

 自身には大きく劣るが、それでも並みの魔導師などより遥かに速い。

 

 故に弾丸を回避した一瞬で、距離が開いてしまう。

 回避は容易だが、接近が難しい。故に距離を詰め切れない。

 

 

(……このまま、被弾覚悟で行くべき? ううん。それは下策)

 

 

 被弾を覚悟すれば、この距離は詰められる。

 だが、それを選べば確実に自分が敗れる。フェイトはそう断じていた。

 

 

(魔力量の差。それで、押し切られる)

 

 

 少女の魔力は、自分よりも上である。

 漠然と垂れ流されている魔力量だけで、恐らくは己の母すらも超えるだろうと感じ取っている。

 

 それは極限まで才を引き出されたが故に、将来的に至れるであろう極限値。

 生まれついての天才児が、膨大な積み重ねの果てに至れるかも知れない到達点。

 

 性能値だけならば、既に高町なのはは次元世界最高の魔導師だ。

 その攻撃魔法も、その防御魔法も、単純に言って魔力の密度と質が違う。

 

 一撃でも被弾すれば、それが勝負を決する決め手となりかねない。

 その守りを抜く為には、一体どれ程の魔力を込めて攻撃する必要があるだろうか。

 

 距離は詰めても一撃で倒す術がなければ、そこからが本番となる。

 

 一撃でこちらを撃墜するかもしれない。

 その上、数十回の攻撃では揺るぎもしない敵対者。

 

 そんな相手と真っ当に競い合って、勝利出来る自信はなかった。

 

 

(けど、このままだと)

 

 

 故に突撃は下策。だが持久戦も愚策である。

 

 少なくとも、悠長に戦っていれば決着は着くだろう。

 魔力量が違うのだ。結末は自身の魔力切れと言う締まらない結果しかない。

 

 

(なら)

 

 

 ならば辛うじての勝機を、数十回分の攻撃を次の一撃に込める。

 

 出来るか、ではない。

 出来なくては負けるのだ。

 

 ならば敗北を許されぬこの身が、為せぬ道理は何処にある。

 

 

 

 そして、持久戦を避けたいのは、なのはもまた同様であった。

 

 

(付いて、いけないの)

 

 

 高速機動戦。慣れないそれが、少女の精神を圧迫している。

 酷使し過ぎた神経は消耗し、フェイトの動きを見失いかけている。

 

 確かにフェイトが推測した様に、スペックだけで見れば持久戦はなのはの利となろう。

 だが性能だけでなく、精神もまた考慮に入れるならば、その推測は的外れだ。

 

 このまま持久戦を続ければ、魔力が尽きる前に集中力が底を切る。

 なのははフェイトの影すらも完全に見失い、その性能を活かせずに落ちるであろう。

 

 故に――

 

 

(短期決戦。それしかない!)

 

 

 奇しくも両者が、同じ結論に至る。

 

 そして両者は、同時に動いた。

 

 

「ディバインバスター・フルパワー! ディバインシューター!」

 

「ブリッツアクション! 連続起動!」

 

 

 即座にマルチタスクを展開して、雨のような弾幕を作り上げるなのは。

 対するフェイトは、ブリッツアクションを連続で発動し続けることを選択する。

 

 桜の砲火が天を染める中、雷光の如く黄金の輝きが軌跡を描く。

 

 短期決戦。その内容は単純だ。

 なのはの生み出した膨大な量の魔力弾が、フェイトを撃ち落とすか。

 それともその隙間を縫って接近したフェイトの魔力斬撃が、一刀の下になのはを断ち切るか。

 

 至る結末は、二つに一つ。

 

 

「はぁぁぁぁぁっ!」

 

 

 その天秤は、黒衣の魔法少女へと傾く。

 その差を分けたのは、やはり経験だった。

 

 狙って当てる。

 日常生活では、そんなことを必要する場面はない。

 

 故に標的を狙う事すら苦手とするなのはに対し、フェイトは先のイレイン戦にて絶望的な物量を経験している。

 圧倒的な弾幕を、避け切ったという実績があるのだ。

 

 ならば、この結末は道理である。

 

 

「サイズスラッシュ!」

 

〈Scythe slash〉

 

 

 背後に回ったフェイトが、バルディッシュを変形させる。

 

 それは宛ら、死神が持つ大鎌。

 振り下ろした刃に籠るは、障壁貫通魔法。

 

 その刃が首を刈り取る様になのはへと迫り――その直前で動きを止めた。

 

 

「こ、これは!?」

 

「レストリクトロック」

 

 

 桜色に輝く輪に囚われて、その身体が動かない。

 驚愕を表情に張り付けたフェイトに、返るはなのはの自慢げな笑み。

 

 

「確信していたよ、フェイトちゃんならあの射撃魔法の雨を抜けてくるって」

 

「バインドを、遅延魔法で!?」

 

 

 そう。勝敗を分けたのは経験だ。

 

 イレインの弾幕を躱す姿を見ていた。

 その経験があったからこそなのはは、フェイトならば弾幕を抜けて来ると確信していた。

 

 だからこそ、己の背後にバインドを伏せた。

 絶対に抜けて来ると信じたから、その確信は勝利を手繰り寄せる。

 

 

(取った!)

 

 

 なのはは確信する。己の勝利を。

 そしてその手の杖に、膨大な魔力が集う。

 

 

(取られた!)

 

 

 フェイトは理解する。己の敗北を。

 自身の眼前で膨れ上がる魔力弾を見つめて、回避も防御も不可能だった。

 

 決着の一撃が放たれる。

 そのほんの僅か、一瞬に過ぎぬ直前に――

 

 

 

 それは、天から堕ちてきた。

 

 

 

――アセトアミノフェンアルガトロバンアレビアチンエビリファイクラビットクラリシッドグルコバイ

 

 

 まずそれに気付いたのは高町なのは。

 天から堕ちてくる声に驚き、展開していた魔法を消してしまう。

 

 

――ザイロリックジェイゾロフトセフゾンテオドールテガフールテグレトール

 

 

 自由になったフェイトは、即座に体制を立て直す。

 感じる異様な気配に、最早互いに争っている場合ではないと理解する。

 

 そして少女達は、堕ちて来るナニカに備えた。

 

 

――デパスデパケントレドミンニューロタンノルバスクレンドルミンリピドールリウマトレックエリテマトーデス

 

 

 だが、そんな備えは無意味だ。

 襲い来る脅威を前に、彼女達の対応は過ちだ。

 

 正しい選択とは、そうではない。

 備えようとするならば、まだ逃げ出した方が理に適っている。

 

 それを行うにも、最早既に時は遅いのだが。

 

 

――ファルマナントヘパタイティスパルマナリーファイプロシスオートイミューンディズィーズ

 

 

 アルフは悟る。これが己の感じていた恐怖の根源であると。

 ユーノは理解する。どうしようもない怪物がやってきた事を。

 

 恐怖と絶望に震える彼らの前で、それは顕現する。

 

 

――アクワイアドインミューノーデフィエンスィーシンドローム

 

 

 ゆらりゆらりと、蜃気楼の様に揺れる影。

 結界に覆われた夜空が塗り潰され、流れ出すのは自壊の法則。

 

 これはあらゆる神秘を許さぬ理。

 魔導が人の生んだ科学の粋であれ、その根本は■■■■に頼った奇跡。

 

 ならば両面鬼は認めない。

 あらゆる神秘の否定者は、魔力素と言う根源事象を否定するが故に――

 

 此処に、あらゆる魔法は自壊する。

 

 

――太・極――

 

無間身洋(マリグナント・チューマー)受苦処地獄(・アポトーシス)!」

 

 

 白い衣も黒い衣も、どちらも等価に消え失せる。

 魔法の杖は力を失い、翼を捥がれた少女達は天から墜落した。

 

 

 

 そして、両面四腕が現れる。

 幾何学模様を浮かべた天の下、異形の怪物が嗤っていた。

 

 

 

 

 




Q.宿儺の太極って「悪性腫瘍・自滅因子」じゃなかったっけ?
A.天魔勢は夜刀様以外、無間○○地獄で統一したい。(小並感)
なので、宿儺は身洋受苦地獄。マッキー大嶽は黒肚処地獄にします。


推奨BGM
1.楽しい休日(リリカルなのは)
3.ゆずれない思い(リリカルなのは)
宿儺登場シーン. 祭祀一切夜叉羅刹食血肉者(神咒神威神楽)






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第七話 永久の別れ

※注意。今回の話で原作キャラに死亡者が出ます。
 人によっては胸糞悪くなる展開・表現があるかもしれません。


副題 宿儺無双。
   使い魔の意地。
   降り頻る雨の中で。


推奨BGM
1.祭祀一切夜叉羅刹食血肉者(神咒神威神楽)
2.なまえをよんで(リリカルなのは)


1.

 気持ちが悪い。

 

 高町なのはがその空を見て、まず初めに感じた思いがそれだった。

 

 幾何学模様が渦巻く空。黄色に染まった異様な景色。

 

 その世界は、まるでなのはの全てを否定しているよう。

 お前の存在を許さないと、そう言われている様に感じてしまう。

 

 吐き気がした。

 唯々、嫌悪と恐怖が募っていく。

 

 体が傷む。全身が軋む。

 土の味を感じながら、痛む身体を引き摺り立ち上がる。

 

 上空で戦っていた所を、急に落とされたのだ。

 身体の何処に、どんな異常が出ていてもおかしくはない。

 

 何時の間にか、バリアジャケットが解除されている。

 旅行へ行く為取り出したばかりの洋服は、泥に塗れて汚れてしまった。

 

 そんな事を現実逃避気味に考えながら、視線を空から移動させる。

 あの気持ちが悪い空を見続けていられなくて、逃げる様に逸らした先。

 

 その先に、もっと悍ましいナニカが居た。

 

 

「はっ、何だよお前ら、さっきの続きしねぇのか?」

 

 

 そこに嘲笑う怪物が居る。

 立ち並ぶ山よりも大きな、巨大な鬼が其処に居る。

 

 

「おいおいどうした、魔法少女? 見ててやるから、続きをやってみせろよ。魔法がない、この世界で」

 

「無茶振り此処に極まれりってねぇ。魔法がないなら、後に残るのは唯の少女じゃないの?」

 

「はっ、誰が頓智を望んだよ。……俺が見たいのは、遥か昔から変わらねぇ」

 

 

 異様な世界に響くのは、男と女の笑い声。

 薄い笑みを張り付けた鬼面の男。長い黒髪の隙間から、赤い瞳を覗かせる鬼女。

 

 巨大な鬼は、両面だ。

 男の首のその傍らには、女の生首が生えている。

 

 その両腕は男の腕で、肩口から覗くのは女の腕。

 男女合わせて両面四腕。そして其々の腕に、巨大な大筒を手にしている。

 

 

「さぁて、魅せてみろ。自称人間ども。お前たちが真に“人間”を語るなら、この地獄の中で魅せてみろ」

 

 

 男の顔が嗤う。女の顔が嗤う。

 両面四腕の鬼が、嗤い続けている。

 

 なまじ人間に似通った部位の多い造形だからこそ、その違いが悍ましい。

 

 

「それさえ出来ねぇなら――此処で終われ。■■■■■」

 

「ひっ!」

 

 

 目が合った。視線が交わった。

 覗き込む形相を見て、思わず悲鳴が零れる。

 

 まるでホラー映画の怪物の如き異形。

 その様相の悍ましさ。その身が放つ威圧感。

 

 それら全てが少女の胸から、闘志を、意志を、覚悟を剥ぎ取る。

 剥き出しの弱さを曝け出された幼子は、どうにかしようと奇跡の杖を手に取る。

 

 だが――

 

 

「あれ? レイジングハート?」

 

 

 レイジングハートは動かない。

 幾何学模様に染まった天の下、奇跡の杖は動作しない。

 

 

 

 魔法とは、高度に発展した科学である。

 

 魔力素と言う世界に満ちた力を、リンカーコアによって取り込み魔力に変える。

 その魔力を「変化」「移動」「幻惑」させる事によって、超自然現象を引き起こす科学技術こそが魔法である。 

 

 それは神秘ではなく、正しく人の文明の粋。

 人間が生み出した叡智の結晶であると、それは両面鬼とて認めている。

 

 だが、世界とは■である。

 故に世界に満ちた力とは、須らく■の欠片。

 

 魔力素と言う些細なプロセスだけで様々な変化を齎す万能の粒子とは、即ち■■■であり、それ自体が神秘に属する物である。

 

 ならば魔法とは、人間の技術の粋でありながらも、神の奇跡を強請る技術。

 如何に叡智の結晶であれ、神秘からは離れる事が出来ない代物だ。

 

 科学によって、神秘を為す。

 それが例えとしては、最も相応しいであろうか。

 

 故にこそ、この身洋受苦処地獄は魔法を許容しない。

 この領域下において、魔法は使えないし、魔法によって成り立つ物は須らく自壊する。

 

 それはデバイスとて、例外ではない。

 待機形態ならば兎も角、稼働形態のデバイスは自壊から逃れられない。

 

 故に赤い宝石は、色を失った。

 レイジングハートは壊れて、その機能を停止していた。

 

 

「あれ、嘘、なんで!?」

 

 

 動かなくなった杖を、必死に振り回す。

 杖に頼らず、覚えていた魔法を使おうとする。

 

 だが何も起こらない。一切の変化がない。

 その事実に、なのはは身の危険以外の恐怖を感じて。

 

 

「あはははは、大事な魔法が消えちゃったのね。悲しい? 辛い? どうかしら、なのはちゃん」

 

「どうして、名前を!?」

 

 

 そんななのはの姿を、女の首が嗤い蔑む。

 問い掛けに答えぬ鬼女の姿に、背筋が凍る様な恐怖を感じた。

 

 

「それで終わりか? 他にないのか? お前の全ては魔法だけか?」

 

 

 嗤う女とは対照的に、何処か冷えた視線で男は問う。

 

 だがその言葉には、明確な意志がある。

 ただ嗤っている女面と異なり、男面は冷たい殺意さえも混ぜて問う。

 

 

「答えてみろよ。高町なのは?」

 

「っ」

 

 

 覗き込む鬼の言葉から感じる。途方もない程の悪感情。

 

 それに恐怖を感じる。

 その恐怖に追い立てられる。

 

 なのはは得体の知れない恐怖に追い立てられ、涙目になりながら助けを求めた。

 

 

「ユーノくん! フェイトちゃん! アルフさん!」

 

 

 周囲へと助けを求める少女。

 魔法を失くした唯の少女は、そこでようやく気付いた。

 

 

「ユーノ、くん?」

 

 

 血に塗れて跪く民族衣装の少年。

 立ち上がる事すら出来ないその姿は、血の水溜りに沈んでいた。

 

 

「フェイトちゃん」

 

 

 泥まみれになりながら、金髪の少女が泣いている。

 涙を流しながら、ぐったりとして動かない赤毛の狼を揺さぶっている。

 

 

「アルフさん」

 

 

 己を活かす魔力を自壊させられた使い魔は、その命を終えようとしている。

 幾度再契約の魔法を交わしても、一度壊れた物はもう二度とは戻らない。

 

 

「み、んな」

 

 

 死屍累々。そうとしか言えない状況。

 今この場にて、無事だったのは魔法を失くした少女だけ。

 

 

『は、ははは、はははははははははっ!!』

 

 

 男の声が自暴自棄に嗤う。

 女の声が無様な姿を嘲笑う。

 

 二つの声が重なりあって、幾何学模様の宙に響いた。

 

 

「今の今まで気付かないなんて、よっぽど魔法が大切だったのねぇ」

 

「ダチなんて後回しか? ツレよりも自分が大切か? それがお前の回答かよ?」

 

 

 それがお前か? 諦めた様に問い掛ける。

 それがお前だ。その無様を嗤いながら、詰まらないと溜息を吐く。

 

 その突如現れた怪異を前に、少女の心は崩れていく。

 

 

「貴方たち、……何を」

 

 

 震える声で、何をしたのかと問い掛ける。

 問いに答える鬼の声は、何処までも楽しげながらも白けた色。

 

 

「別に何もしてないわよ、ただ」

 

「俺の身洋受苦処地獄に、神の奇跡は必要ねぇ」

 

 

 魔法。神の奇跡。不思議な力。

 それら全てを天魔・宿儺は否定する。

 

 そんな物に頼る者達を嘲笑する。縋る者達を愚弄する。

 人間の輝きを忘れたその姿は、見るに堪えぬと鬼は言う。

 

 

「魔法の根本。大気に満ちる魔力素は、本を正せばアイツの力だ。それを消費している以上、その技術を俺は認めねぇ。要はそれだけのことだ」

 

 

 故にこの世界に、奇跡は不要。

 無間身洋受苦処地獄の中では、如何なる魔法も使えない。

 

 魔法によって得られた恩恵は失われる。

 魔法によって成り立つ物は自壊する。

 

 なのはが魔法を発動できないのも、それが故。

 ユーノの表面だけを塞いだ傷痕を開かれたのも、それが故。

 アルフが魔力供給ラインを絶たれて死に掛けているのも、それが故。

 

 全て、この鬼の宇宙に飲み込まれたが故である。

 

 両面の鬼は何もしていない。

 ただ彼の宙がそのような法則に満ちているから、そう世界は書き換えられる。

 その宙が世界を塗り替えた今、彼女らは地に落とされた唯人に過ぎないのだ。

 

 もとより太極とは、神とはそういうモノである。

 

 それは人型をした単一宇宙。

 神はその内側に絶対の法を強いていて、太極の言葉と共に世界を己が宇宙で塗り替える。

 

 天魔・悪路が腐毒の王なれば、天魔・宿儺は神秘の否定者。

 非常識に対する最大の天敵こそが、この両面四腕の鬼である。

 

 その両面の鬼を前に、魔法少女に出来ることなどない。

 魔法を奪われた世界において、唯の少女に出来る事など、何一つとしてありはしない。

 

 

「本当に?」

 

「違うだろう」

 

 

 魔法を奪われた世界に、魔法少女は存在しない。

 抒情的に伝わる想いなどでは、この両面鬼は納得しない。

 

 

「“人間”ならば、示してみろや」

 

「戦う覚悟はあるんでしょう? ならやってみましょうよ」

 

 

 鬼が望むのは、唯一つ。

 

 古き世界に失われた、その輝きを――

 この世界に残っているかも知れない。その輝きを――

 

 

「俺に勝てるのは、“人間”だけだ」

 

 

 そう。この両面に勝てるのは、その輝きを忘れぬ人間だけ。

 この地獄の主を打ち破れるのは、輝かしい人間の意志のみだ。

 

 

「魅せろや新鋭! お前らに次代があると言うなら、その価値を示せぇっ!」

 

 

 故にこの場に居る誰もに、鬼は魅せろと語り掛ける。

 その言葉に返せる物が一つもなければ、彼らは此処で終わるだろう。

 

 もう諦めている。――けれどまだ、最後に勝ちを求めている。

 もうないと嘆いている。――ほんの少しでも、信じられる輝きがあるならば。

 

 だからこそ、その見極めに容赦はない。

 誰が苦しもうと、誰が嘆こうと、誰が死のうと、その裁定は揺るがない。

 

 可能性は一つだけ――誰かが、それを見せる事。

 

 

「レイジングハート。……どうしてっ!」

 

 

 高町なのはは、駄目だった。

 彼女の覚悟とは、魔法ありきで定めた物。

 

 故にこそ彼女は何時までも、壊れた杖に頼ってしまう。

 晒された地金は、何も出来ないと自虐する、恐怖に怯えた無力な少女。

 

 

「っ、ぅぅ」

 

 

 ユーノ・スクライアは、駄目だった。

 彼の心に刻まれた恐怖。それが少年の身体を縛る。

 

 嘗て相対して、駄目だと断言された無力な少年。

 彼はまだ立ち上がれない。もう一度を与えられても、それでも動く事が出来ない。

 

 

「アルフ! アルフっ!」

 

 

 フェイト・テスタロッサは、駄目だった。

 プロジェクトFの産物。作られた偽りの命。

 

 故にこそ、まだ目覚めていない。

 母の言葉に依存する少女は、まだ明確な“人間”足り得ない。

 

 ならば、誰もが地獄に飲まれるのか。

 誰もが否定されたまま、ここで命を落とすのであろうか。

 

 

 

 いいや、否――

 

 

 

 彼女だけは、大切なモノの為に立ち上がれた。

 

 

「あ、ぐ、ああああああっ!」

 

 

 咆哮が轟く。

 まるで断末魔の悲鳴の如き絶叫。

 

 それでも確かな意志で、壊れかけた彼女が立ち上がる。

 

 

「あ、アルフ」

 

 

 起き上がった女の名は、アルフ。

 彼女の姿を他ならぬフェイトこそが、信じ難いものを見る瞳で見つめていた。

 

 主だからこそ、彼女には分かる。

 アルフは既に死に体だ。瀕死の状態で、立ち上がれる道理はない。

 

 使い魔とは、主の魔力で生きる者だ。

 主にその生を依存して、故に仕え侍る者だ。

 

 使い魔は、魔力供給を絶たれれば力を失う。

 その生命機能を維持できなくなり、そのまま鼓動を停止させる。

 

 安楽死に近い形で、ゆっくりとその存在が消滅する。

 最早その結末は避けられない程に、アルフの身体は終わっていた。

 

 

「何、で?」

 

 

 なのに何故。何故立ち上がれる。

 涙に暮れていた少女は、己が従者の動きに目を見開いた。

 

 

「守るんだ」

 

 

 アルフは何故動けたのか?

 そんな理由は、決まっている。問う事自体が愚かしい。

 

 

「あたしが、守るんだ」

 

 

 彼女は使い魔だ。

 主を守ると誓った使い魔だ。

 

 ならば何故、主の窮地に動けぬ道理があるというのか。

 

 

「あたしがっ! フェイトをっ!」

 

 

 動け。動け。

 動いてくれと、己の体に鞭を打つ。

 

 今こそが、己がその役割を果たす場所。

 その今に動けなくてどうすると、咆哮を上げて己を鼓舞する。

 

 

「守るんだぁぁぁっ!!」

 

 

 そうして、アルフはその場に立ち上がった。

 

 

「へぇ」

 

 

 人間に化ける事も出来ず、よろよろと立ち上がる赤毛の狼。

 泣きじゃくる少女を口に咥えて、震える四肢で抗う使い魔。

 

 その姿に、両面鬼は笑みを浮かべる。

 嘲りではない笑みを浮かべた鬼が、その奮闘を楽しげに見詰めている。

 

 

「それで、来るかい?」

 

 

 挑むのか、この両面の悪鬼に。

 戦うのか、この山よりも大きな怪物と。

 

 いいや、否。

 

 

「アルフっ!?」

 

 

 アルフはフェイトを咥えたまま、脇目も振らずに四本脚で走り出す。

 天魔・宿儺と言う怪物に向かってではなく、反対にあるであろう街を目指して。

 

 

(勝てない。アレは無理だ)

 

 

 獣が下した判断は、逃避すると言う選択肢。

 

 誰よりも早く。怪物と相対する以前から、その脅威を理解していた。故にこそ、挑むなど論外なのだと分かっている。

 

 

(フェイトを、安全な場所にっ! それがあたしのっ!)

 

 

 真っ先に、敵前逃亡を選んだ使い魔。

 誇りがないと笑うなら、存分に笑うが良い。

 意気地がないと蔑むなら、好きなだけ蔑んでいろ。

 

 この身は主の為にある。

 故に求めるは、彼女の無事だけなのだ。

 

 誇りも賛辞も、そんな物は必要ない。

 フェイトが無事なら、それ以外など要らないのだ。

 

 だから逃げる。だから逃げた。

 脇目も振らず、他の全てを見捨てて、ただ主人だけを救う為に。

 

 

「正解だ。従者としては、模範解答だろうよ」

 

 

 そんなアルフの選択を、見事な解だと確かに認める。

 その魂が放つ輝き。守りたいと言う意志を確かに認めて――

 

 

「だが、無意味だ……ってね」

 

 

 両面の鬼が四腕に持った銃。否、大筒を構える。

 その砲口が狙うのは、一心不乱に逃げ続ける主従の背中。

 

 逃げようとすれば、逃げられるとは限らない。

 これは現実なればこそ、確定逃走などと言う術などない。

 

 さあ、試すとしよう。

 その輝きが真ならば、この鬼の魔手からも逃げ切れるだろう。

 その輝きが真ならば、確かな結果を引き寄せて見せる筈だろう。

 

 故に、鬼は此処に見定める。

 

 

「駄目! やめて!」

 

 

 なのはが悲鳴を上げて、その行動を制止する。

 ボロボロのアルフの姿を見て、アレを失ってはいけないと。

 

 だが――

 

 

「で? お前に何が出来るんだ?」

 

「あ……」

 

 

 何もできなかった。

 問い掛ける言葉に対して、何も返せない。

 

 

「魔法のない魔法少女。さて、それに一体何の価値があるのやら?」

 

「今はテメェの番じゃねぇ。黙って見てな」

 

 

 魔法を手にして変われたつもりだった。

 奇跡の力を得て、もう無力ではないと思っていた。

 戦う覚悟を胸に抱いて、確かな意志で進んでいると思っていた。

 

 

「……やめ、て」

 

 

 けれど、神様の奇跡が失われれば、後に残る地金は酷く脆い。

 

 覚悟も意志も、全ては魔法と言う力があってこそ。

 自分には何も出来ないと、嘆いている本質が変わらねば意味などない。

 

 その小さな掌。年相応のその腕。

 年相応の事も出来ない自分が、あんな怪物に何か出来るはずもない。

 

 出来たのは、唯、言葉を紡ぐ事。

 やめて欲しいと、願う言葉を口にする事。

 

 

「やめてぇぇぇぇっ!」

 

 

 されど魔法を無くした少女の静止など、何の力も持つ筈がない。

 なのはの叫び声を背景音楽に、その巨大な大筒から轟音が鳴り響いた。

 

 

 

 一発目。僅か狙いの逸れた弾丸は走るアルフの眼前を飛んでいき、遠く見える山を砕いた。軽々と放たれた一撃が地形を変えたことに、なのはは恐怖を感じる。

 

 二発目。意図的にずらして放たれた砲弾は、アルフの背後数メートルの位置に着弾する。粉塵が舞い、地が裂け、アルフは衝撃に吹き飛ばされる。

 

 地面に叩き付けられる。

 それでもフェイトだけは傷付けぬと、アルフは吠える。

 

 野生の獣が我が子を守るように、全身で彼女を庇いその傷を請け負った。

 

 

「アルフ! アルフ!」

 

「う、うぅ……フェイト、あたしは」

 

 

 ボロボロの獣に縋りつく少女。共に泥まみれな惨めな姿。

 

 その姿に、何も思わぬのか。

 その姿に、何も感じる事はないのか。

 

 

「終いだ」

 

 

 制止の叫びは届かずに、無垢なる祈りは届かずに。

 両面四腕の悪鬼は何の躊躇もなく、三発目の砲撃を放った。

 

 

 

 朦朧とした視界の中、想い出すのは嘗ての光景。

 死病にかかり群れから追放されて、出会った一人の少女の姿。

 

 

――ずっと傍に居る事。

 

 

 そうして結んだ一つの契約。

 その寂しげな少女をあらゆる事から、守る事こそアルフの願い。

 

 だから――

 

 

「あぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 最後の力を振り絞って、アルフは再び立ち上がる。

 失ってはいけない人がいるから、どんな状態でだって立ち上がるのだ。

 

 

「アルフっ!」

 

 

 それは、如何なる奇跡であろうか。

 否。身洋受苦処地獄に奇跡は存在しない。

 

 あるのは唯、人の意志。

 唯人が唯人のままで、踏破せねばならぬ地獄。

 

 そこを進む為に必要なのは、たった一つの意志に他ならない。

 

 

〈フェイト。捕まってて! 必ず、あたしがっ〉

 

 

 もう良いよ。そんな言葉は出ない。

 

 諦めの言葉は、最早侮辱だ。

 ならばフェイトは従者を信じて、その身にしっかりとしがみ付く。

 

 そうして、着弾。

 大地を揺らす号砲が、二人を大きく吹き飛ばす。

 

 それでも、アルフは止まらなかった。

 

 既に死に体。致命傷を抱えたままで、それでも走り続ける。

 爆風すらも追い風にして、どれ程に傷付いても立ち止まることはない。

 

 

 

 四発目の弾丸は、放たれることはなかった。

 

 

 

 その銃口の先には何もない。

 標的である彼女らは見事、両面の鬼から逃げ延びていた。

 

 

「巨体ってのも考え物ねぇ、林に逃げ込まれたら見えないわ」

 

「根こそぎぶっ飛ばすのもありっちゃありだが、ま、流石に無粋だわなぁ」

 

 

 林の中へと消えた主従。

 その従者の健闘を称えて、両面宿儺は確かに笑う。 

 

 

「ほんと、やるものねぇ。こっちは殺す気満々だったのに」

 

「ま、良いもん見れたし、逃がすのは吝かでもねぇさ。……お前の勝ちだよ。使い魔アルフ」

 

 

 見事だった。見応えのある逃走劇であった。

 その意志には、値が付けられぬ程の価値がある。

 

 鬼は確かに認める。

 あの場に居た四者の中で、唯一人アルフだけは確かな“人間”だった。

 

 使い魔であるとか、種族が人でないとか、そんなものはどうでも良い。

 己の意志で確固たる現実に立ち向かい、そしてままならぬ中でも確かな物を掴み取る者こそが“人間”なのだ。

 

 

「嗚呼、だが少し残念だ」

 

 

 そう認めたからこそ、鬼は残念だと口にする。

 アルフと言う女が使い魔だからこそ、逃れられない末路を語る。

 

 

「フェイト・テスタロッサは、これで助かる」

 

「けど、貴女はそれで御終いね」

 

 

 フェイトは、確かにアルフが守り抜いた。

 だが、当のアルフは、もう助かる道がなかった。

 

 

「……何を」

 

 

 その言葉を聞いて、なのはは震える声で口にする。

 何を言っているのかを問う少女に、鬼は答えをくれてやる。

 

 

「俺の身洋受苦処地獄が、どこまで広がっているか分かるか?」

 

「本来は次元世界一つくらい覆えるんだけどね、今はこの国全体を飲み込んでいるくらいの広さかなぁ」

 

 

 この日本と言う国土の内に、逃げ場はない。

 この身洋受苦処地獄が生み出した被害は、彼女だけには留まらない。

 

 

「うそ……それじゃあ」

 

 

 何処かで、長き時を生きた狐が絶命した。

 何処かで、闇を宿した古の書物に致命的な自壊が生まれた。

 

 この両面宿儺の支配する世界の内で、如何なる異端も生きられない。

 あれほど必死になって主を逃がしたアルフは、この鬼が作り出した地獄から逃れられない。

 

 否、逃げる先がない。

 この国全土を覆っているのだから、逃げ場など何処にもないのだ。

 

 

「だから、あいつは遅かれ早かれ死ぬ。この地獄に飲まれた時点で、もうそれは揺るがねぇ」

 

「……そんな」

 

 

 残念だ。本当に残念だった。

 そんな風に語る両面の鬼を前に、なのはは一つの可能性に気付いた。

 

 

(……もしかしたら)

 

 

 そう。それはほんの僅かな可能性。

 既に終わったアルフと言う女が、助かるかも知れない可能性。

 

 長くこの異界に飲まれていれば、確実に助からない。

 だがもしも、手遅れになり切ってしまう前にこの異界を壊せれば――

 

 

「そうだ。……俺を倒してみせろ」

 

 

 或いはアルフも、助かるかも知れない。

 

 それに気付いたなのはに、天魔・宿儺は笑みを深くする。

 力を失くした少女に与えられたのは、誰かの為に戦う試練。

 

 

「万が一、億が一くらいの確率で、あの女も助かるかもしれねぇぞ?」

 

「ならっ!」

 

 

 その可能性を前にして、なのはは震える足で立ち上がる。

 或いはであっても、恐怖に震える少女にとっては確かな可能性。

 

 もしかしたら救えるかもしれない。

 僅かに見えた光明に、なのはは全てを賭けようとして――

 

 

「けど魔法なしで、貴女に一体何が出来るのかしらねぇ」

 

「あ……」

 

 

 その光明は、一瞬の内に闇に飲まれる。

 希望なんて、もう何処にも存在しなかった。

 

 

(無理、だよ)

 

 

 そうだ。無理だ。

 無力な自分に、何が出来るというのだ。

 

 魔法を使えないこの世界。

 全てが自壊する身洋受苦処地獄。

 

 その只中で己の体だけを頼りに、この山より大きい鬼を倒さなくてはいけない。

 

 

(そんなの、出来る筈がない)

 

 

 何だそれは、不可能だ。

 そもそも勝負という形になっていない。

 

 仮に兄姉のような武芸をなのはが身に付けていたとしても、こんな怪物に対して何が出来るというのだろうか。

 

 天魔・宿儺が語るのは、神話の再現をしろという言葉。

 

 伝説に語られる英雄が行った鬼退治。

 一騎当千の兵が、それでも小細工を必要としたその偉業。

 

 それを生身で果たせと、鬼は告げている。

 

 そうでなくば、死人が出るぞと。

 そう告げられて、しかしなのはは何も出来なかった。

 

 

「あ、あ……」

 

 

 無理なのだ。不可能なのだ。

 どんなに覚悟を決めた所で、出来ない物は出来ないのだ。

 

 魔法と言う奇跡を手にしなければ、己には何もないと感じていた少女。

 そんななのはに、魔法なしでこの絶望の化身に向かい合う胆力などありはしない。

 

 仮に彼女の兄のような武芸の達人でも、決死の覚悟をして、相応しい武具を得て、絶望を乗り越えることを誓い、あらゆるモノを掛けてなお、倒せる可能性は極めて低いのがこの怪物だ。

 

 己が無力さを知る少女に、出来ることなどありはしない。

 

 カランと黄金の杖が地面に落ちる。

 ただ茫然と、無力感に苛まれてなのはは立ち尽くす。

 

 無力である。何も出来ない。

 だが何もしなければ、アルフは死ぬ。

 

 そんな状況で何も出来ない少女は、涙目になって首を振る。

 

 耳を塞ぎ、目を閉じて、現実から目を逸らした。

 恐ろしいモノが何処かに行ってしまう事を祈りながら、子供は震えて蹲った。

 

 

「ちっ。……アイツの末が、コレかよ」

 

 

 挑むどころか、現実を見ようともしないその姿。

 そんな姿に毒吐く様に口にして、天魔・宿儺は詰まらなそうに視線を移した。

 

 

「んで、お前はどうすんだ?」

 

「……っ、あ」

 

 

 血塗れで跪いていた少年を見据える。

 お前は何もしないのか、何をしているのか、と。

 

 

「女の影に隠れて、バトル解説してるだけか? んな男、死んでいいだろ」

 

「男気見せなよー。詰まんないと潰しちゃうぞ」

 

「う、うううう」

 

 

 鬼に睨まれて、ユーノは竦みあがる。

 足が震える。動かなくてはいけないと、分かっているのに動けなかった。

 

 傷は理由にならない。

 死に体でも動き続けたあの使い魔がいるのだから。

 

 ならば、違いは意志にある。

 ならば、その違いは覚悟にある。

 

 明確に示されてしまった。

 少年が少女を守りたいと思うよりも強く、あの使い魔は守ろうとしていた。

 

 恐怖に怯えるのは同じで、傷付いているのも同じ。

 なのに自分は、震えるだけで何も出来てはいない。

 

 悔しい。情けない。

 そう思う事は出来ても、身体が動いてくれない。

 

 彼に足りないのは、確かな自信。

 守り抜くと言う意志がないから、少年はまだ立ち上がれない。

 

 

「詰まんねぇなぁ、お前ら」

 

 

 何も出来ないと結論付けて、何もしようとしないその態度。抗う所か、最初から諦めているその姿。

 

 そんな二人の姿に、心底から呆れ果てて、鬼は銃口を向ける。

 

 

「魔法魔法と、それがなければ何も出来ねぇ」

 

「さっきの狼さんくらいには魅せて欲しいよね、追い詰めれば何か出るかしら」

 

「さあな、取り合えずだ。……躱せなけりゃ死ね」

 

 

 情けも容赦もなく、二発の砲弾が放たれた。

 

 運動音痴ななのはも、傷だらけで身動き出来ないユーノも、魔法を奪われた今その砲撃に対処など出来る訳もない。

 

 

 

 訪れる死は揺るがない。

 命奪われることを恐怖し、ユーノが目を閉じた瞬間――

 

 

「はーい。そこまで、ストップ!」

 

 

 聞き覚えのある声が響いた。

 

 

「え?」

 

 

 目を開いて確かめる。

 何時の間にか、周囲は真っ黒な影に包まれていた。

 

 それは自身だけではなく、少し離れた場所で震えるなのはも同様。

 彼らは影に囲まれて、その暗い海の中へと飲み込まれていく。

 

 恐怖はなかった。

 敵意はない。悪意はない。

 

 つい最近嗅いだばかりの、少女の香りに包まれていると自覚する。

 

 

(あれ、は?)

 

 

 飲み込まれる寸前に、見知った誰かの横顔を見た。

 

 

 

 

 

 そして、少年達が影に飲まれた後。

 その場に残った両面宿儺の前に、その少女は姿を見せた。

 

 

「んで、なんで止めたんだよ、姐さん」

 

「そんなにあの子がお気に入りなの? 趣味悪ーい」

 

 

 男の鬼が見定める様に、女の鬼は茶化す様に。

 四つの赤い瞳が見据える中、立つ和装の女は揺るがない。

 

 死人の様に血の気のない肌をした和装の少女。

 彼らの同胞の一柱でもある天魔・奴奈比売は、倦怠感を隠さずに口にした。

 

 

「うっさいわよ、馬鹿共。兎に角、さっさとこれ閉ざしなさい。居心地悪いったらありゃしないのよ」

 

「そうかい? 俺は居心地良いんだけどなぁ」

 

「アンタみたいな不感症。どうせ何処でも同じでしょうが」

 

 

 嘯く鬼の前に立ち、四眼の少女は苛立ち紛れに命令する。

 

 この悪童はこれでいて、穢土・夜都賀波岐のナンバースリー。単純な力量ならば少女の遥か上を行く。

 

 故にこそ、この地獄は他の大天魔にとっても息苦しい世界となる。

 神秘の否定は、主柱である“彼”を除いた全ての天魔に通用するのだ。

 

 

(さぁて、どうするかねぇ)

 

 

 そんな風に顔を顰める少女を前に、どうしたものかと鬼は思案する。

 

 この身洋受苦処地獄の限定展開には、ある一つの企みが秘められている。

 その結果を知るまでは、自分の意志で解くのは避けたいと言う思惑もあった。

 

 そしてたった今、獲物を目の前で攫われた恨みもある。

 大して興味も持てない塵芥だったが、重要なのは獲物の価値ではなく横入されたという事実であろう。

 

 どこぞの吸血鬼の様に、苛立ちだけで身内に切り掛かるような無様は晒さない。

 だが居心地悪いであろう宙を八つ当たりとして、展開し続けるくらいは良いんじゃないか。悪童は、そのようなことを考える。

 

 そんな悪童の笑みに、少女は溜息を吐く。

 そして天魔・奴奈比売は、掌に持った二つの石を見せた。

 

 

「あ? んだよそれ」

 

「うっわー、真っ黒で微妙な石」

 

「……ジュエルシードよ。転送ついでにあの子のデバイスから抜き取った、ね」

 

 

 輝きばかりか、色までも失ったジュエルシード。

 半眼になりながら掌でそれを弄び、奴奈比売は言葉を続けた。

 

 

「あんたの太極は、魔法関連のもん全部自壊させるんでしょうが。……封印魔法で封じられた励起済みのロストロギアなんて、葱しょった鴨じゃないの」

 

「……マジかよ。んなに脆いのかよ、ロストロギアって」

 

「当然でしょ、魔法で作った魔法道具なんだから。分かったら、さっさと太極を閉じなさい。まだ励起前のジュエルシードは無事だろうけど。下手したら二十一個全部がゴミに変わるんだからね」

 

 

 苛立ちながら口にされる言葉に、宿儺は軽く肩を竦める。

 僅か浮かんだ笑みには気付かせずに、両面宿儺は己の太極を閉ざした。

 

 

「へぇへぇ、分かりましたよっと」

 

「あんた、本気で分かっている? あれば良い、程度のジュエルシードなら兎も角、本命のアレまで壊したら、本気で洒落にならないわよ」

 

「……アレの方は平気じゃないの? 流石に彼の欠片がこの程度で壊れるとは思えないんだけどなー」

 

 

 彼ら、穢土・夜都賀波岐の本命は別にある。

 ジュエルシードなど、その過程で見つけたあれば便利な物にしか過ぎない。

 

 だからこそ、こうして遊び惚ける鬼が動いているのだ。

 だからこそ、本来ならば動いた方が良い者らが動けずに居た。

 

 

「中身は兎も角、外装はあんたの太極で壊れるでしょうに。そうなったら、中のアレがどうなるのか、全く分かっていないんだからね」

 

「あー、そうですか。そいつはすいませんでした、っと」

 

「……あんた、この星とその周辺で太極開くの、もう禁止だから」

 

 

 元に戻った空の下で、宿儺が空々しい返事をする。

 そんな返事に頭を抱えて、奴奈比売は腹の底から息を吐き出した。

 

 

「はぁ、これで残りは安心として。……大分厳しいわね。こいつは下手に動かせないし。やっぱり彼女に動いてもらうしかないかしら」

 

「頭脳労働は専門外なんでお任せします、と」

 

「やろうと思えば出来るけど、敵をハメるんじゃない頭脳労働とか、やりたくないんで?」

 

「こいつらは!」

 

 

 頭を抱える策士ポジションな少女は、この悪童をどう扱うかと思い悩む。

 

 そんな少女を煽りながら、天魔・宿儺は笑う。

 僅かに期待していた相手は駄目だったが、それなりには面白い物が見れた。

 

 ならば次は、どの様に自体が動くであろうか。

 これから先、彼の見たい光景は見れるであろうかと。

 

 

(世界が終わる前に、信じさせてくれよ? ガキ共)

 

 

 可能性は低いが、絶無ではない。

 今回の様に、確かな輝きはまだ微かに残っているのだから――

 

 

 

 

 

2.

 山道へと繋がる街外れの道の上。

 曇り空の下で、アルフは静かに倒れ込む。

 

 

「アルフ! アルフ!!」

 

 

 涙を流す主人が、必死で呼び掛けて来る。

 それに言葉を返す事も出来ず、アルフは虚ろな瞳で見上げていた。

 

 その背後、何時しか空は当たり前の色に戻っている。

 そこで漸く安堵を覚えて、アルフは静かに瞳を閉じた。

 

 

(ああ、良かった)

 

 

 主を救えた。あの窮地から。

 それだけで、誇らしい思いで胸が一杯になった。

 

 だから、もう十分。

 だから、もう泣かないで欲しい。

 

 優しいフェイト。

 

 

「何で、もう魔法は使えるのに、何で!」

 

 

 主が嘆きの声を上げている。

 その手が使おうとしている魔法には覚えがある。

 

 かつて子狼だった頃、初めて感じた魔法の力。

 自身と彼女の間に絆を結んだ。使い魔契約の魔法。

 

 病を患い群れから追放された彼女を救った、その温かな魔法を覚えている。

 

 だが、それが成立しない。

 何となく、その理由は彼女にも分かっていた。

 

 契約のラインがぐちゃぐちゃに裂かれている。

 肉体の内側にあるリンカーコアが、異常な動作を起こしている。

 

 自壊させるとあの鬼は語った。なら、これがそうなのだろう。

 もう繋ぎ合わせることが出来ないほどに、アルフの体の中は壊されている。

 

 後少し早ければ、或いは。

 否、それでも無駄だったのかも知れない。

 

 ただ、何れにせよ。

 そんな可能性など、もう無意味であろう。

 

 あるのは唯、手遅れと言う現実だけ。

 

 

〈もう、良いよ、フェイト〉

 

「アルフ!?」

 

 

 もう良いよと伝える。

 口が動かないから、僅かに残った念話で意志を伝える。

 

 もう契約など成立するはずもない。

 仮に死体に戻った後に再契約をしようとしても、このぐちゃぐちゃな魔力ラインの痕が残る限りは不可能なのだ。

 

 だから、自身に魔法を使うのは魔力の無駄だ。

 ただでさえ消耗しているのだから、それはフェイト自身の為に使わなければいけない。

 

 

〈それはさ、フェイトの為に。取っておかないと〉

 

 

 きっとこの主は、これからも無茶をするのだろう。

 それがあの鬼婆の為というのが、少しばかり気に食わない。

 

 だけど、それでもフェイトは止まらないだろうから。

 

 その魔力は、彼女自身の為に。

 アルフは前足を器用に使って、己に魔法を使おうとするフェイトを押し止める。

 

 

「やだ、やだよ。そんなのやだよ」

 

 

 彼女が泣いている。

 泣かせたくなかったのにな、と唯そう思った。

 

 

「そうだ! 母さんなら、きっと!」

 

〈良いよ、もう、良いんだ〉

 

 

 あのフェイトの母が、自分の為に何かをしてくれるとは思えない。

 きっと断られて、フェイトの傷は広がるだけだろう。

 

 だから、アルフは首を振った。

 

 

「やだ、やだ! 一緒にいるって、ずっと一緒にいるって約束したのに!」

 

〈ああ、そうだね。……ごめんね〉

 

 

 約束を守れなくて、ゴメン。

 嘘吐きな使い魔で、本当にゴメン。

 

 初めて契約した頃の約束を覚えていてくれた。

 それだけで胸が温かくなる。そんな馬鹿な使い魔でゴメンね。

 

 告げる想いも、伝えたい想いも山ほどある。

 届かせたい想いも、一緒に居たいと願う後悔もある。

 

 だけど、もう届かない。

 その全てを伝えられる時間が、アルフには残っていなかった。

 

 

 

 ぽつぽつと雨が降り始める。

 頬を濡らす冷たさと抱きしめてくる腕の温かさを感じながら、アルフは思う。

 

 主を守って、主の胸の中で逝くことが出来る。

 主との約束を守れなかった大馬鹿者には過ぎる程、これは幸福な結末ではないか。

 

 だから、一つだけ、フェイトに伝えよう。

 最後に残った僅かな時間で、一番の想いを伝えよう。

 

 

〈フェイト、大好きだよ〉

 

「っ!」

 

 

 それが最期の言葉となった。

 魔力を失った使い魔は、唯の死体に変わって崩れ落ちた。

 

 

「あ、ああ」

 

 

 遺した言葉を聞いて、残った遺体を抱きしめる。

 既に命を失くした躯は、雨に打たれて冷たくなっていく。

 

 

「あぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 その現実を前に、フェイトは慟哭する。

 誰にも届かぬその場所で、唯一人の為に泣き続けた。

 

 

 

 雨音が激しくなっていく。

 それはさながら、全てを覆い隠すかのように彼女らを包み込む。

 

 少女の泣き叫ぶ声は、豪雨の音に擦れて消える。

 降り頻る雨の中、フェイトの嘆きは誰にも届かずに消えた。

 

 

 

 

 




蹂躙ものというのは、蹂躙する側に立って見ると爽快だが、される側に立って見ると理不尽さや悲壮感が凄い。

きっと無双される敵キャラモブ達も、こんな風に其々の背景はあったんじゃないか、書いててそんな風に思った今回でした。

唯一つ言えることは、アルフの頑張りを褒めてあげて欲しい。


今回出てきた独自設定。
宿儺の太極はロストロギアにも影響を与える。ただし励起した後の物に限る。
自分のイメージで彼の太極は神秘や異能ありきの対象を、対象自身の力で自壊させるという印象。
なので対象ロストロギア内に魔力が残留していると、その魔力が暴走して壊れます。
励起していないのが壊れないのは、封印された時代が古く、その内部魔力のほとんどが大気中に霧散してしまっているから。僅かな魔力では暴走しても自壊する程ではないと想定しています。


2016/08/18 大幅改訂。


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第八話 其々の想い

今回は幕間回。


副題 白の少女は立ち上がれずに。
   翠の少年は立ち尽くし。
   そして黒の少女は行く道を定めず進む。


1.

 風を切る鋭い音がして、直後に肉を叩く音が部屋に響く。

 暗い室内。妙齢の女はその手にした鞭を使って、吊り下げられた少女を嬲る。

 

 

「本当に、駄目な子ね、貴女は!」

 

 

 その女の顔に浮かぶのは鬼の貌。

 僅か衰えが見えるとは言え端正な容姿を、怒りと嫌悪に歪めたその形相は正しく鬼女のそれである。

 

 

「手に入れたジュエルシードはたったの一つ。それも、こんな風に壊してしまうなんて! 本当にどうしようもない子ね、フェイト!」

 

 

 振るわれる鞭が、告げられる罵倒が、少女の心を傷付けることはない。

 こうして自身に躾を行う母の言は、全く正しいのだとフェイトは思っているからだ。

 

 

(私が駄目な子だから、アルフは死んじゃったんだ)

 

 

 胸を風が吹き抜ける。

 空洞が開いてしまったように心は響かず、ただ虚しさと悲しさが欠けた穴を埋めていく。

 

 あの時、こうすれば良かった。こうしていれば良かった。

 母に鞭で打たれながら、フェイトはそればかり考えている。

 

 予兆はあったのだ。あのアルフが感じ取っていたのだ。

 その言葉をちゃんと取り合っていれば、もしかしたら、何か変わっていたのかもしれない。

 

 

 

 母、プレシア・テスタロッサが鞭を振るう度に、フェイトの口から苦悶の声が漏れる。痛みに体が悲鳴を上げる。

 だが、悲鳴を上げているのは体だけだ。心は一切の反応を示していない。

 

 伽藍洞のような虚ろな瞳から、一滴の涙が零れ落ちた。

 

 

 

 

 

「ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ……う」

 

 

 どれ程の時間が経った後か、唐突に鞭を振るうのを止めたプレシアはこみ上げる物を堪え口元を手で覆った。

 その様子は明らかに異常であるが、鎖に吊るされたフェイトからは窺うことが出来ない。

 

 

「……このくらいにしておくわ。ええ、フェイトはやれば出来る子だものね。母さん、分かっているわよ」

 

「はい。母さん」

 

 

 こみ上げる物を飲み干したプレシアは、疲労の濃い顔を隠してそう告げる。そんな母の言葉に、機械的に娘は答えを返した。

 

 答えを聞いて満足したのか、プレシアは魔力によって生み出していた鎖を解除する。

 どさりと音を立てて床に倒れたフェイトを後目に、立ち去ろうとしたプレシアはしばし立ち止まった。

 

 

(ああ、そう言えば……あの使い魔は死んだのよね)

 

 

 倒れたフェイトは、流石に疲弊している。

 本来ならば放置しておいても、勝手に使い魔が治療を行っていただろう。

 

 だが、そのアルフももういない。

 放置しておけば、今後の作業効率にも関わってくる。とは言え、必要以上にこの出来損ないとも関わりたくはない。

 

 さて、どうしたものか。

 そう思考して、彼女に任せれば良いかと結論付けた。

 

 

「動けるようになったら、リザの所に行きなさい。壊れたバルディッシュの代わりになるデバイスを用意しておくよう頼んであるから、受け取ってジュエルシード探しを再開すること。良いわね」

 

「はい。分かりました。母さん」

 

 

 要は済んだと言わんばかりの態度で、プレシアは拷問室を後にする。

 フェイトが立ち上がれるようになるまでには、もう暫くの時間が必要となった。

 

 

 

 

 

2.

「4月23日の深夜に発生した異常気象について、三日が経過した現在もその原因は判明しておらず、早急な原因解明が求められています。気象庁では――」

 

「あれから、三日経つが未だに世間は騒がしいな」

 

 

 今のテレビから流れるニュース映像を背景に、高町家の食卓は開かれている。

 だが、その様はお世辞にも賑やかとは言えない。誰一人として箸が進んでいなかった。

 

 それは本来五人で座る食卓に、必要な一人が足りていないことと無関係ではないだろう。

 

 

「まだ、なのはは出てこないか」

 

 

 一家の大黒柱である高町士郎は、部屋に閉じこもって動かない愛娘を思う。

 

 

「無理もないさ。フェイトちゃん、だったか? 仲の良い友達があの日から行方不明なんだろう?」

 

「旅館の部屋には荒らされた痕跡はなかったけど、帰ってきた形跡もなかったんだよね。……もっと大々的に探せれば良いんだけど」

 

「…………」

 

 

 子供達のその言葉に、士郎は違和感を隠せない。

 あの夜に起きた異常の断片を知るからこそ、彼はそんな言葉に違和を感じていた。

 

 

 

 あの日の晩、旅館の一室で就寝していた時、士郎は突如形容しがたい程の異様な気配を感じ取った。

 

 突如感じた異様な気配。頭がおかしくなるような威圧感。

 余りにも大きすぎるそれは、大き過ぎるが故に常人では認識出来ない物だった。

 

 事実、子供達はあの気配に気付けていない。

 前線を退いたとは言え、戦場を渡り歩いた経験のある士郎だからこそ気付けた威圧感。

 

 もし仮に、あの強大な何かと、同質の資質を持つ人間が居れば、士郎ほどの達人でなくとも気付けるのかもしれない。

 そんな風に感じるほど、それは異質な威圧感であった。

 

 そうして叩き起こされた彼は、その威圧感に暫し飲まれ自失した。

 だが家族の事を不安に思い、己に活を入れると皆の無事を確認する為に動き出した。

 

 同室の桃子。恭也、美由紀と確認を続けた士郎は、子供達が泊まっていた部屋で発見する。

 

 五人分の布団。

 その内の一つが蛻の殻となっていたこと。

 そしてその隣の布団に包まって、己の愛娘が涙目で震えていた姿を。 

 

 

「この異常気象騒ぎだからな。以前の街中に突然出現した巨大樹や大型の獣による被害もあって、どこも人手が足りていない。名前と容姿しか分からない少女の捜索など、してはくれない、な」

 

 

 黙り込んだことを不審に思ったのか恭也と美由紀が向ける視線に、士郎は韜晦してそんな言葉を返す。

 

 元より身元も良く分からない少女のことだ。

 警察もこの忙しさでは本腰を入れて探してはくれないだろう。

 

 と、彼らの会話を如何にも聞いていたように返して――

 

 

「山が消えた、なんて不自然なこともあったしな」

 

「異常気象と言い、何があったんだろうね? 最近は海鳴市全部がおかしく感じるよ」

 

「……とはいえ、俺たちに何が出来るのか」

 

 

 そして、思う。

 

 あの夜、一瞬だけ窓から見えた巨大な影。恐らくは異常気象とも、山の不自然な消滅とも関わっているだろうそれに、我が子が巻き込まれていなければ、と。

 

 褒められたことではないと分かっていても、姿を消したのが我が子でなくて良かった。そんな風にも思ってしまうのだ。

 

 

 

 そんな風に生産性のないことに三者が悩んでいる間にも、台所に立っていた高町桃子は一人動く。その淀みない仕草に皆が顔を向け。

 

 

「色々考えてしまうのは、仕方がないけど。それで暗くなってたらいけないでしょう?」

 

「む、だが」

 

「私達は私達に出来ることをしましょう」

 

 

 にっこりと微笑むその姿には、右往左往している男どもよりも遥かに強い印象を受ける。

 

 

「まず差し当たっては、塞ぎ込んでいるあの子に、元気が出るような美味しい御飯を持っていくことかしらね」

 

 

 母は強し。その言葉を確かに感じさせる桃子は、笑みを浮かべながらなのはの部屋へと向かって行った。

 

 

 

 

 

3.

 少女は一人、部屋の布団の中で丸まって、ただ時を無為に過ごしていた。

 目の下には大きな隈。目を閉じれば浮かんでくる光景に、涙で目を潤ませながら震えている。

 

 

「なのは。ご飯、持ってきたわよ」

 

 

 母が部屋の戸を叩き、食事を持って来る。

 悪いとは思えど、それに反応を返すことが出来ない。

 

 布団の内で震える少女の姿に、桃子は一瞬声を掛けるか思い悩む。

 話を聞き出すにはまだ時期尚早かと考えると、桃子は手にしたお盆を机に置いた。

 

 

「食事、置いていくわね。元気になる為には、食べなきゃ駄目よ」

 

 

 どこか優しく微笑む母に、なのはは言葉を返せない。

 顔を見せる事もない娘に、桃子はそれでも優しく言葉を掛けた。

 

 

「……話せる様になったら、少しお話ししましょう? きっと、どんな辛い事でも、話せば少しは楽になるわ」

 

 

 そう言い残して部屋を出る母の姿に、なのはは声を掛けようとする。

 

 だけど、結局口籠った。

 そうして何も言えぬ内に、母は階下へと下りて行った。

 

 

 

 口籠った理由は、魔法の秘匿とか母を巻き込まない為とか、そんな強い理由じゃない。

 

 単純に怖かった。

 思い出す事も、口に出す事も、怖れる弱さが其処にあった。

 

 今の彼女は唯々怖がっていた。

 それはあの鬼との邂逅で曝け出された彼女の弱さ。

 

 

――魔法魔法と、それがなければ何も出来ねぇ。……詰まんねぇなぁ、お前ら。

 

 

 それが、高町なのはの弱さ。

 

 その手に握った魔法の杖で、変われたと思っていた。

 魔法の力に溺れ、何だって出来ると根拠もなく自分に酔っていた。

 

 そこに水を掛けられた。酔いを醒ましたのだ。

 結局魔法がなければ、何も出来ないと嘆いていた頃と変わっていない。

 

 当然だ。無力だった頃から、魔法を手に入れる以外に、なのはは何も変わっていない。

 

 自分は無力だ。何も出来ない。そんな自分にも出来る事がある。

 それが心の芯だったのだから、その上に積み重ねた覚悟などは前提条件が破綻すれば失われるのが道理であろう。

 

 イレインとの戦いで、分かった心算になっていた。

 戦う事の恐ろしさ。傷付け合う事の悲しさ。分かり合う為に覚悟する事の大切さ。

 

 違うのだ。あれは唯の戦う覚悟。

 

 魔法があれば戦えると言う前提があったからこそ、高町なのはは戦えた。

 自分が為さねば世界が滅ぶ状況下で、故にこそ私が為さねばと覚悟が出来た。

 

 その魔法がない状況で、ああ、どうして唯の娘に何が出来る。

 

 

――ダチなんて後回しか? ツレよりも自分が大切か? それがお前の回答かよ?

 

 

 鬼の嘲笑が耳にこびり付いている。

 結局自分は無力と認めて、出来ないとあっさり諦めた。

 

 誰かの命が掛かっていたのに、怖いからと目を逸らした。

 そんな経験を体験して、なのはは初めて本当の意味で理解したのだ。

 

 喜び勇んで入り込んだ活躍の舞台は、誰かが失われる鉄火場であった事を。

 万能の力を与えてくれる神様の奇跡は、自分の本質を変えていた訳ではない事を。

 

 

「レイジングハート」

 

 

 手にした宝石は答えを返さない。

 輝きの失われたデバイスは、その機能の一切を停止している。

 

 これが逃げ出した対価。

 自分の手には魔法の力すら残っていないのだと、なのはは漸くに気が付いた。

 

 酷く無力だ。

 何も出来ないというトラウマが、その小さな体を震えさせる。

 

 

「ユーノくん」

 

 

 部屋に用意した小さなベッドへ、その視線を移す。

 

 そこに彼の姿はない。

 あの時からずっと、彼は其処に帰って来ない。

 

 レイジングハートも、ユーノ・スクライアもいない。

 

 一人ぼっちだ。そう感じた。

 途端に寂しさが込み上げてきて、なのはは一人涙した。

 

 

 

 恐怖と無力感に震える少女を、気遣う声はここにない。

 白い魔法少女は未だ立ち上がることが出来ず、伏して震えるままでいた。

 

 

 

 

 

4.

 ユーノは走った。

 走って走って走って、そして立ち止まる。

 

 人の姿に戻った彼は、どうしようもない憤りを抱えたまま、ここにいる。

 

 

「……僕は、何をやっているんだ」

 

 

 呟く言葉は虚しく響く。

 誰もいない公園で、一人ユーノは砕けてしまえと強く歯噛みする。

 

 この虚しさの訳は分かる。

 この無力さの意味は分かる。

 

 

――んで、お前はどうすんだ?

 

 

 脳裏に浮かぶのはあの鬼の言葉。

 

 ああ、そうだ。言い訳のしようのないほどに、ユーノ・スクライアは何も出来ていない。何もしようとしていない。

 

 

――女の影に隠れてバトル解説してるだけか? んな男、死んでいいだろ

 

 

 鬼の嘲笑に曝されて、抱いた感情は悔しさと情けなさ。

 

 言われなくても、分かっている。

 

 少女を矢面に立たせておいて、やっていることは魔力の温存?

 そんなのは為すべき義務であって、自分の無力さを肯定する事には繋がらない。

 

 

(確かに、そうだよ)

 

 

 僕には出来ない。

 けど、彼女なら出来るかも知れない。

 

 そんな下らない理屈で、なのはを戦場へと追いやった。

 そしてそんな少女が怯える姿に、身を曝け出して庇うことすら出来なかった。

 

 

(そんな奴。ああ、確かに死んだ方が良い)

 

 

 本当に、あの時のユーノには何も出来なかったのだろうか。

 全身の傷を開かれ、悪鬼の恐怖に怯える自分には、本当に何も出来なかったのか。

 

 

(……違う。出来る事は、あった筈なんだ)

 

 

 そう。出来る事は、あった。

 あの時、あの場面で、無力だったのは自分だけではない。

 彼女もまた無力だった。否、誰も彼もが皆無力であったのだ。

 

 あの誇り高い使い魔を除いて――

 

 

(僕もあんな風に、身体を張る事だけなら、出来た筈なのに)

 

 

 無力なのは理由にならない。全身の傷は関係ない。

 アルフは自分と同じく無力で、自分よりも悲惨な状態だった。

 

 なのに、彼女はやり遂げたのだ。

 故にこそ、ユーノの自責は強く重くなっている。

 

 

(身体を張るべきだった。震えている理由なんて、なかった)

 

 

 同じ無力であったならば、己もまた彼女の様に雄々しくあるべきだった。

 同じ無力であるのだから、守るべき少女を守らなければならなかった。

 

 誰もが魔法を封じられたあの世界で、それでも守るために挑むことは出来たはずなのだ。

 

 

「なのに、なんで!」

 

 

 あの時、この体は動いてはくれなかったのか。

 あの時、何で膝が震えたまま、怯えて立ち止まってしまったのか。

 雄々しく挑んだ使い魔の姿を知るからこそ、ユーノは己が許せなかった。

 

 拳を木へと叩き付ける。砕けてしまえと叩き付ける。

 その木の幹が自分の血で赤く染まっていく姿に、どうしようもなく呆れ果てた。

 

 そうじゃない。そうじゃないだろう。

 

 こんな場所で自傷行為を繰り返して、悲劇の主人公でも気取るつもりか大馬鹿野郎と、自分で自分を罵倒する。

 

 そう。やるべきことは他にある。

 あの傷付いた少女を放って、己は一体何をしている。

 あの巨大な敵を前にして、己は何故鍛えようともしていない。

 やるべきことはあるはずだ。やらなくてはいけないことはあるはずだ。

 

 ああ、なのに、なのはに今更何を語れば良いのだろうか。

 奴に対する為に何をどう鍛えれば良いというのか、答えが出せない。

 

 出すことを恐れている。何も出来ないという答えを出す事を恐れている。

 自信がないから、出来ることが見当たらないから、そんな理由で鬱屈している。

 

 

「なんで、こんなに!」

 

 

 握りしめた拳に爪が食い込み、傷付いた掌から血が零れ落ちる。

 

 

「僕は、弱い!」

 

 

 忌々しいほどに、許し難いほどに、ユーノ・スクライアは己の弱さを憎んだ。

 

 

 

 何か一つでも、己に自信が持てれば、少年は一歩を踏み出せるのだろうか。

 

 

 

 

 

5.

「本当にそれを望むのね」

 

「はい。お願いします。リザさん」

 

 

 時の庭園の一室。プレシアの居城と呼べるその場所で、フェイトはある女性と対話していた。

 

 泣き黒子が印象的な美女。修道女の装いをしながらも隠し切れないほど豊満な体は、貞淑さよりも女の色気を感じさせる。彼女、リザ・ブレンナーとはそういう女だ。

 

 彼女について、フェイトが知ることは多くはない。

 

 母の古い友人だということ。

 幼い頃から何度か会っていたという記憶。

 魔法に対してフェイト以上の知識を有すること。

 多分優しくて、同じくらい冷たそうな人であるということ。

 

 そのくらいである。

 

 そんな母の旧友が、アルフが死んだ日に時の庭園を訪れた。

 何かあると勘ぐるのは自然だが、フェイトは別に興味が湧かなかった。

 

 身内とするには薄い関係。

 今のフェイトには、そんな相手に興味を抱く余裕がない。

 

 母の命令がなければ、率先して関わろうとは思わない程度の関係。

 だが、今のフェイトが頼れるのは、彼女しかいないというのも事実であった。

 

 

「どうして、それを望むのかしら? いえ、どこでそれを知ったの?」

 

「母さんが言っていました。リザさんはそれを作れる。力がないなら、それを貰ってきなさいって」

 

「……そう。プレシアが。……それの危険性も聞いているかしら?」

 

 

 リザの問い掛けに、フェイトは無言で頷き返す。

 その目には、確かに全てを賭ける覚悟があって――

 

 

「どうして、そこまで?」

 

「……力が欲しい、じゃいけませんか?」

 

「いいえ、けれどその為に代償を支払う覚悟は、本当にあるかしら?」

 

「……命を懸けるくらい、当然だと思います。私はもう失いたくない、もう私には母さんしか残っていない。だから、もう負ける訳にはいかないんです」

 

 

 そんなフェイトの覚悟を、女は悲しく思う。

 こうも幼い少女が、悲壮な覚悟を決めなくてはならない現状を哀れに思う。

 

 だが、それだけだ。

 死者しか愛せぬ女は、憐れみ以上を抱かない。

 優しくなくて甘いから、同情はしてもそれだけだ。

 

 そしてそんな情を切り離して、唯々冷徹に少女に与える力を判断する。

 

 魂の欠落した少女では、アリシアの欠片しか持たない彼女では、歪みには適応できない。

 

 大量にして高密度の魔力が体を汚染して、結果生まれるのが歪み者。

 その魔力汚染に耐える為に必要なのが魂の純度と渇望で、魂薄い彼女ではその魔力に体が耐えられない。

 

 となれば、弄れるのは少女自身ではなく、彼女のデバイス。

 与えるべきなのは、彼女の手に新たな力を宿したデバイスだ。

 

 そして、確かにリザ・ブレンナーにはそれが出来る。

 その技術が彼女の手にはあって、そして与えたとしても然したる損害はない。

 

 ならば与えよう。この哀れな少女に。

 憐れみ以上の想いを抱けぬ己を嘲笑しながら。

 

 長き時を生きれば、知りたくないことも覚えていく。

 既に自壊が見え始める程に長く生きた女は、静かにその結論を口にした。

 

 

「ええ、そうね。請け負ったわ。……とはいえ暫くは掛かるだろうから、それまではこれを使いなさい」

 

「……これは、デバイス?」

 

 

 差し出されたのは、バルディッシュと似通ったデバイス。

 手に取って確認するが、人工知能を搭載されていないデバイスは、機械的な反応しか返さなかった。

 

 

「アームドデバイス。流石にバルディッシュ程のデバイスは直ぐには用意出来なかったから、暫くの代用品と言う所ね。……最も、ミッドチルダ式には対応させているし、強度だけならバルディッシュを超えるから、戦闘に関していうならばあれ以上の物だとは言えるけれど」

 

「……バルディッシュは、もう使えませんか」

 

「ええ、あそこまで壊れていてはもう戻らない。使える部品を取ったら廃棄が妥当かしら」

 

「……」

 

 

 受け取ったデバイスを握り締めて、フェイトは思う。

 

 ああ、本当に、もう自分には母しか残っていないのだ。

 それがどうしようもない程に、目を逸らせない現実として理解できた。

 

 

「では、行ってきます」

 

「ええ、行ってらっしゃい」

 

 

 バリアジャケットを展開し、転移魔法を発動させるフェイト。

 

 その小さな背中をリザに向けて――

 

 

「……アルフのお墓、有難う御座いました。リザさんがいなければ、きっと時の庭園の中にお墓は作れなかったから」

 

 

 そう最後に礼を口にして、フェイトは己の戦場へと向かった。

 

 

「ええ、どういたしまして」

 

 

 飛び立ったフェイトの感謝に、リザは穏やかな表情で返す。

 死者しか抱けぬ女は、死者の欠片を宿した少女に対して、偽りのない笑みを浮かべていた。

 

 

 

 黄金にして黒色の魔法少女は一人進む。

 白の魔法少女が蹲っている間にも、発掘者の少年が立ち止まっている間にも、彼女だけは前へ進む。

 

 

 

 それは果たして、強さか弱さか。

 

 

 

 

 

 海鳴市上空。

 町の中心地に浮かび、フェイトはデバイスに魔力を込める。

 

 時刻は昼間。

 降りしきる雨の中も復興の為に汗水流し、行き交う人の群れ。

 

 それを上空から見下ろして、そして内心で謝罪した。

 

 

(御免なさい。今から貴方たちを巻き込みます。私の勝手な都合の為に)

 

 

 発動する規模を広域に指定。

 範囲は海鳴市全域。己の魔力が持つか不安だが、持たせると意識を改める。

 

 

「恨んでくれて良い。憎んでくれて良い。それでも、やりたいことが守りたい物があるから!」

 

 

 広域に魔力を放出する。全域に魔法を行使する。

 

 それはロストロギアを強制的に動かす魔法。封印状態のジュエルシードを励起させる魔法。それを使うというのに、結界は用いない。

 広域魔法自体無理があるから、僅かでも消耗を減らすというだけの理由で。

 

 一般の犠牲などは考えない。そんな物は考慮しない。

 アルフを失った少女は、もはや立ち止まれないのだから。

 

 

「ジュエルシード数、十四! その全てをここで、封印する!!」

 

 

 十四のジュエルシードが、天災へと姿を変える。

 

 それは竜巻。

 降り頻る雨と風を巻き込んで一つ一つが嵐のように肥大していく。

 

 その数が十四。

 もはやそれは、全てを吹き飛ばす自然の猛威だ。

 

 代用品のデバイスを手にしたフェイトは、自らが生み出した竜巻に対峙する。

 

 

 

 その日、有史以来最大となる自然災害が海鳴市を襲った。

 

 

 

 

 




巨大樹地震で地盤がやばいことになっている海鳴市に台風連打を呼び込む暴挙。海鳴市終わったな。(確信)

海上でやったアレ。街中でやったらどうなるのか、そんな疑問を形にしてみた今回です。


どうでも良いことだが、黒の魔法少女と入力しようとすると、クロノ魔法少女と変換される。紛らわしい。


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第九話 始まりの想い

副題 母の想い。
   立ち上がる魔法少女。
   少年の決意。


1.

 海鳴市上空を、黄金黒衣の魔法少女は駆け抜ける。

 

 鞭の痕、火傷の痕。

 雨に濡れた柔肌に残る、未だ治らぬ傷が痛々しい。

 

 そんな彼女の前に顕現する自然の猛威は、飛翔魔法で飛行する彼女を風除けの障壁ごと吹き飛ばそうとする。

 

 迫る竜巻は、風速にして80メートル。

 家屋が吹き飛び、トラックが跳ね上げられ、高層ビルですら傾き始めている。

 

 街は紛れもなく地獄絵図。

 避難施設を残して家屋が崩れ去り、瓦礫の中で悲鳴が木霊している。

 

 当然、空を飛ぶ少女にも影響は出る。

 その影響は大きく、風除けと飛翔の魔法があっても、真っ直ぐに飛ぶ事すら難しい。

 

 されど少女の動きに淀みはなく、逆風に向かいながらもその速度は過去最速を自負していた。

 

 

「ジュエルシード、封印!」

 

 

 擦れ違い様に一閃。

 刃が煌めいて嵐を切り裂き、内側に光り輝くジュエルシードを封印する。

 

 これで一つ目。

 

 励起しているジュエルシードの影響を防ぐ為に、フェイトは一瞬立ち止まって、封じたジュエルシードを回収した。

 

 

「……」

 

 

 回収時に、聞き慣れたバルディッシュの声が聞こえない。

 

 その事実に、僅か俯いて――

 

 

「くぅっ!?」

 

 

 それが隙となった。

 

 まるで意志を持つかのように蠢く竜巻は、立ち止まったフェイトにぶち当たる。

 

 突風に煽られ、竜巻に嘲弄される。

 まるで塵の様に巻き上げられながら、フェイトは必死に活路を探る。

 

 目まぐるしく変わる視線に吐き気を覚えながら、何とか空中で態勢を立て直す。

 そして台風の目とも言うべき無風地帯を見つけ出すと、風の隙間を縫ってすぐさま離脱した。

 

 

「はぁ、はぁ」

 

 

 慌てて距離を取ったフェイトは、荒い呼吸を整えようとする。

 

 

「……っ、げほっ、ごほっ!」

 

 

 だが、呼吸をした途端に咳き込んだ。

 デバイスを握る手とは逆の手で、口を押える。

 

 喉が傷む。鼻が傷む。

 口元を押さえた掌が、真っ赤な血で濡れていた。

 

 思わず驚いて、動きが止まる。

 先ほどの交差で、それ程ダメージを受けていたのだろうか、と。

 

 そうして、止まっている間に、竜巻の最接近を許していて――

 

 

「っ! ブリッツアクション!!」

 

 

 高速移動魔法を即時展開して、難を逃れる。

 同時に感じるのは、大量の魔力消費による気怠さ。

 

 無理に発動したからだろうか。

 いつもより多めに失った魔力に、思わず舌打ちしそうになる。

 

 無様を晒した。

 今のでどれほど魔力を無駄にした。

 

 そんな考えを首を振って振り払うと、再び加速する。

 

 

 

 残るジュエルシードは、あと十三個。

 

 

 

 

 

2.

 轟々と轟音が轟く中、なのはは学校の体育館へと連れて来られていた。

 気分転換にと桃子に連れ出され、その途中で突発的な避難警報に遭遇したのだ。

 

 緊急時対応に従い、最寄りの避難施設に母と共に逃げ込んだ。

 

 震災時の避難施設。

 聖祥大学附属小学校の体育館には、さほど人は集まっていない。

 

 突発的な異常気象。街中に突然複数の竜巻が出現するという異常事態だ。

 そんな想定など到底されておらず、迫る大災害に避難が追い付いていないのだろう。

 

 既にライフラインは分断された。

 避難施設の発電機が生きている故に電気はあるが、海鳴の街は全域に渡って大停電となっている。

 

 どれほどの人が、今街中で苦しんでいるのか。

 どれほどの人が、今にも崩れそうな家屋から出られず、倒壊の恐れがある場所で恐怖に震えているのか。

 

 

(……これも、ジュエルシードの所為)

 

 

 なのはは悲痛を胸に抱く。

 

 分かるのだ。感じるのだ。

 彼女は才に溢れた魔導士であるが故に、外で起きている異常気象の原因がジュエルシードにあるのだと。

 

 

(行かなくちゃ! 行かなくちゃ! 行かなくちゃ!)

 

 

 これがジュエルシードの影響ならば、自分なら解決が出来る。

 今にも犠牲者は増えているのだから、直ぐにでも立ち向かって解決せねばならない。

 

 そんな風に思うのに、手は震えて動かない。

 いざ戦うのだと思ってしまえば、足は震えて立ち上がれなかった。

 

 

(行かなくちゃ! 行かなくちゃ! 行かなくちゃ!)

 

 

 それでも、必死に動き出そうと歯を食い縛る。

 身体を動かさなくてはいけない理由は確かにあって、震えているままでは居られない。

 

 この避難所に、友達たちの姿はない。

 アリサもすずかもアンナも、誰一人としていなかった。

 

 皆大きな家に住んでいるから大丈夫。きっときっと大丈夫。

 そうは思うけど、もしかしたらという可能性だって確かにあって。

 

 なら行かなくちゃいけない。

 もう二度と誰かを失わない為には、己が恐怖に勝たねばならない。

 

 魔法を知っている自分は、その被害を食い止めることだって出来るはずだから――本当に?

 

 

――けど、貴女に一体何が出来るのかしらねぇ?

 

 

 背筋が震えた。

 奮いかけていた心が萎んだ。

 立ち上がろうとする意志が砕けた。

 

 瞼を閉じると、あの両面鬼の顔が浮かぶ。

 私は出来ると思うと、あの男女の嗤い声が聞こえる。

 

 借り物の力で、紛い物の想いで、そんな奴には何も出来はしないのだと。

 

 聞こえるはずのない幻聴を、耳を塞いで遣り過ごそうとする。目を瞑って、忘れてしまおうとする。

 

 けれど、出来ない。

 逃げようとすれば、忘れようとすればするほど、その嗤い声は大きくなる。

 

 被害妄想。言ってしまえばそれだけのこと。

 

 だが、あの鬼との邂逅は、死を身近に感じ取ったあの経験は、幼子の心に亀裂を入れるには十分過ぎるほどの物で。

 

 なのははあの夜以来、一睡たりともしてはいない。

 眠ることすら出来ず、心身共にやつれている少女の姿は、酷く憐れみを誘う物であり――

 

 

「なのは」

 

 

 涙に濡れて縮こまっているなのはを、温かなモノが包み込んだ。

 優しい温かさに恐怖は僅かに溶けて、少女は涙で霞んだ瞳でその人を見上げた。

 

 

「お母さん……」

 

 

 抱きしめるその腕は、温かな母の物。

 背後から柔らかく抱き抱えながら、桃子はそっと愛娘に問うた。

 

 

「なのはは、何がそんなに怖いの?」

 

 

 なのはが恐れている物が何か、桃子には分からない。

 ただ、夫や息子たちが言うような誘拐騒ぎではないと、何となく分かっていた。

 

 この子は、強い子だ。大切な事を見失わない子だ。

 誘拐騒ぎがあったと言うなら、きっと自分も何かの力になりたいと望む筈。

 

 そんな子がこれ程に恐れるならば、それには相応の理由がある。

 そう思うが故の桃子の問い掛けに、なのはは無言で首を横に振った。

 

 

「言えないの?」

 

 

 今度は首を縦に振る。

 気まずそうに頷く娘の頭を、桃子は優しく撫でた。

 

 

「なら、言わなくても大丈夫」

 

 

 この子が言えないというのなら、何か理由があるのだろう。誰に似たのか頑固な子だ。

 普段はおっとりしているのに、譲れない場所、譲ってはいけない場所を良く理解している。

 

 

「もう少し、こうしていましょう? 親しい人の肌と触れ合っていれば、きっと、怖い思いも少なくなるわ」

 

 

 故に理由は聞かない。それでも、この手は離さない。

 優しく娘を抱き締めながら、桃子は暫くの時間をそうして過ごした。

 

 

 

 轟音と共に、体育館が大きく揺れる。

 発電機が機能を失って、避難施設の照明が一斉に落ちた。

 

 その光景に狼狽える避難民の中で、それでも桃子は変わらない。

 

 

「ねぇ、覚えているかしら、昔も良くこうしていたわよね」

 

「……お母さん?」

 

 

 パニックが起き始めている館内で、そんな昔話を始める母。

 唐突な態度になのはは首を捻るが、そんな彼女を優しく抱きしめたまま、桃子は言葉を続ける。

 

 

「怪我をした時、怖いテレビを見てしまった時、おねしょやいたずらを怒られた後だって、こうして甘えてきてくれたわね」

 

「にゃっ!」

 

 

 そんな恥ずかしい過去を暴露されて、気恥ずかしいやら覚えていてくれることへの嬉しさやら、色々と入り混じった感情になのはは翻弄される。

 

 娘のそんな姿に、桃子は優しい笑みを零した。

 

 

 

 ああ、今だから言えるが、そんな甘えてくれるなのはの姿に、誰よりも救われていたのは桃子自身なのだ。

 

 あの時、愛する夫が重体を負い病院に運ばれ、自分は何よりも彼を優先してしまった。それ以外を考える余裕など、何処にもありはしなかったのだ。

 

 大変だからと言って、それは言い訳にもなるまい。

 まだ一人幼い少女を残すなど、育児放棄や育児怠慢に当たるネグレクトだ。

 

 残されたこの子は、きっと寂しかった事だろう。

 誰も居ない。誰も頼れない。それが苦しくない訳がないのだ。

 

 そんな簡単なことに気付けたのは、士郎が快復して心に余裕が出来た後だった。

 

 それから暫くの自分は、控え目に言っても母親失格な女だった。

 我が子との距離感が掴めない。放ってしまった娘に対して、どう対処したら良いか分からない。

 

 だから物語の中に出てくるような理想的な母親を演じた。

 ニコニコ笑って、決して怒らず、適度に子供たちを甘やかす優しいお母さんだ。

 

 なんだそれは。

 

 親が子に対して演技の顔しか見せないというのか、それで親だと名乗るのか。

 

 怒るべき時に怒り、褒める時に褒め、甘えてきたらしっかり甘やかして、愛情を教えてあげる。

 

 それが母と言う物だろうに、それすら出来ないと言うのだろうか。

 

 三人兄妹の内、二人は夫の連れ子で子育ての経験などなかった。けれど、そんなのは免罪符にもならない。

 

 確かに自分は、最低の母親だった。

 

 怒れない親。演じ続ける親。

 そうならずに居られたのは、この子が素直に甘えてくれたからに他ならない。

 笑顔を演じる自分に対して、演じない生の感情でなのはから近付いてくれたのだ。

 

 仮にあの時、なのはが良い子になろうとしていたら、迷惑をかけないように生きようとしていたら、きっと自分はあのままだっただろう。

 

 子の頑張りを、心の傷を分からぬほど鈍くはない。

 されど罪悪感から、手を差し延ばす事すらしなかっただろう。

 

 それでは駄目だと、そんな当たり前な事にすら気付けなかった筈だ。

 

 ああ、妄想の中の自分ですら八つ裂きにしたくなる。

 本当に辛い時に何もせず、ただ笑顔を向けるのは歪に過ぎるのだ。

 

 仮にこの子を失ってしまったら、今の自分は気が狂うと断言できる。

 取り戻す為に、何でもするような鬼女と化すだろうと確信がある。

 

 ああ、だけれども。

 過保護に束縛するのも、また違うであろうと分かるのだ。

 

 この子にやりたいことがあるならば、どんなに危ないことでも、背を押してあげたい。子を親の附属物にはしたくない。

 

 だから、ここで自分のやることを桃子は考える。

 

 

「ねぇ、なのは。……なのはは今、何がしたいの?」

 

「私が、したいこと?」

 

 

 きっとそれは危ないことなんだろう。

 泣いて縋って止めてと訴えたくなるが、ああ、そんなのは自分の感情。

 

 ならばそれは押し殺す。

 なのはがなのはとして生きられるように。

 

 

「で、でも、私に出来ることなんて」

 

 

 再び少女の体は恐怖に震える。

 出来ないというトラウマは、無力という意識はなのはに深い傷を残していて――

 

 

「大丈夫。きっと出来るわ。お母さんが保障する」

 

「お母さん……」

 

 

 だから、此処での母の役目とは、きっと出来ると保証する事。

 恐怖と結果に怯える少女が立ち上がれる様に、その背を優しく押してあげる事。

 

 

「それでもまだ不安なら、怖い物も不安も全部、お母さんの胸(ココ)に置いていきなさい」

 

 

 恐怖も不安も、目を逸らしたいなら逸らして良い。

 全てを母の胸に置いて行って、持っていくのは意志だけで十分だ。

 

 

「それでね。出来ることではなくて、したいことをするの」

 

「出来ることじゃなくて、したいこと」

 

 

 何故だろうか、それだけで恐怖が薄れていく。

 鬼への恐怖が薄れて、ただ純粋な自分の想いが浮かんでくる。

 

 

(確かに、何でもできるって思った。私だけがって知って、嬉しかった)

 

 

 そう感じたのは事実である。

 誰かを下に見る優越感に浸っていたのも、魔法が齎す全能感に溺れていたのも、事実であって揺るがない。

 

 

(でも、それだけじゃない)

 

 

 そうだ。魔法を知ってからの想いはそれでも、一番最初の想いはそうじゃない。

 

 あの時、ユーノは泣いていた。

 

 その涙を拭いたいと思った。

 母がしてくれたように抱きしめて、もう大丈夫だよと伝えたかった。

 

 

(きっと、それだけじゃない)

 

 

 あの時、イレインは泣いていた。

 

 その涙を拭いたいと思った。

 大切な人達がそうしてくれた様に、今度は自分が助ける番だと思ったのだ。

 

 

(私が、望んだのは……)

 

 

 あの時、フェイトは泣いている様に見えた。

 

 その涙を拭いたいと思った。

 だって手は届く場所にあって、伸ばせば涙を止められるかもしれないから。

 

 

(そうだ。簡単なことだったんだ)

 

 

 そう。特別な何かなんていらない。

 その涙を拭う両手があれば、それはきっと出来る事。

 

 魔法がなくても、分かり合える。

 傷付け合わなくても、分かり合う事は出来る筈。

 

 ただ、君の涙を止めたいと伝えて、手を伸ばす事は誰にだって出来るのだ。

 

 

「……でも、なのはに出来るかな」

 

「ええ、きっと出来るわ。お母さんが保障してあげる」

 

 

 そんな弱気な言葉を漏らすと、微笑む母が背中を押してくれる。

 確証なんて何もない言葉なのに、何故だかとても力が湧いてくる。

 

 

「うん。……もう少しだけ、頑張ってみる」

 

 

 だから、もう少しだけ頑張ってみよう。

 恐怖はなくならなくて、不安は消えなくて、それでも進んで行こう。

 

 高町なのはは、そう決めた。

 

 

 

 そして立ち上がり、空を見上げる。

 体育館の天窓は板で封鎖されていて、ちょっと締まらなかったけど、にゃははと笑い立ち上がって歩き始めた。

 

 右手を握る感覚がする。

 母が左手で握りしめている。

 

 

「一緒に付いていけなくても、お見送りくらいはして良いわよね」

 

「うん!」

 

 

 二人手を繋いで歩く。一歩ずつ先へと。

 会話はないが、ニコニコと笑う二人の表情には無言の冷たさなど欠片もない。

 

 そうして、二人は人目を避けて裏口の前に立つ。

 そこでふと、桃子は思い付いて足を止めると――

 

 

「そうだ。なのはにこれを上げるわ」

 

「にゃ? 十字架のペンダント?」

 

 

 桃子は自分の首に掛けられていた首飾りを外すと、それをなのはの首に掛けた。

 

 

「これは水星。旅人の星」

 

 

 それは十字架の中央に青い石が付けられた、銀細工のチョーカー。

 旅人の星を模った銀細工は、桃子が母より、その母が祖父より、延々と受け継がれて来た一つのおまじない。

 

 

「綾瀬の家系ではね、これを恋人や子供の旅立ちの時に送るの。ちゃんと帰って来れますようにって、そういう古い古い御呪いね」

 

「綾瀬?」

 

「ああ、お母さんの母親。お婆ちゃんの結婚する前の名前が、()()って言うのよ」

 

 

 首に掛けられた銀細工の水星を見詰めながら、なのはは首を傾げる。

 そんな娘の様子に苦笑しながら、桃子は言葉を続けた。

 

 

「ちゃんと帰って来るのよ、なのは。まだまだ教えてないことは沢山あるんだから」

 

「うん」

 

 

 元気良く返事をして、二人で扉を開いた。

 降り頻る豪雨の中、吹き付ける風に飛ばされそうになるが、互いの手をしっかりと握りしめる。

 

 風が止む。一瞬生まれた無風地帯。

 差し込んで来た僅かな日差しの中に、なのはは身体を踊り出す。

 

 

「風は空に、星は天に」

 

 

 そうして、なのはは口にする。

 それは今となっては意味のない。始まりを告げる魔法の言葉。

 

 

「不屈の心は、この胸にっ!」

 

 

 起動するべきデバイスなんてない。

 故にこの呪文に意味はなく、それでも確かな意義がある。

 

 

「リリカル・マジカル! セーットアーップ!!」

 

 

 無意味で出鱈目な呪文。

 その意義とは、なのはの心を定める為にある。

 

 満開の桜が花散る様に、膨大な輝きの中へとなのはは包まれる。

 彼女の内にある膨大な魔力が、頭に刻まれた無数の知識が、あるべき姿へと少女を押し上げる。

 

 聖祥の白い制服をモデルにしたバリアジャケット。

 新たにした想いが、母と自分の色である桃色でその鎧を彩る。

 

 胸元の銀細工は、白い鎧と同化して形を変える。

 それは月のような丸い形。その銀色の表面に周囲の桜色を反射する姿は、まるで太陽の如く。嵐の中でも確かに輝いている。

 

 桜色の光の中で、今再び魔法少女は目を覚ます。

 その姿を、母に自慢するかのように見せびらかして。

 

 

「凄いわ、なのは。とっても綺麗」

 

「えへへー」

 

 

 目を白黒させた桃子は、茫然とした様子から我に返るとそう伝えた。

 そんな母の褒め言葉に照れながら、なのははふわふわと浮遊を始めた。

 

 その様は、酷く危なっかしい。それも当然だろう。

 今までなのはの演算を補助していたデバイスがないのだ。

 

 全ての魔法を、己の頭脳だけで使用しなくてはならない。

 以前の様に、膨大な魔力に物を言わせた無茶は出来ない。

 

 バリアジャケットを展開して、更に障壁を展開し、浮遊魔法を使用したまま、誘導弾を制御し、高速移動魔法と砲撃魔法を使用するなんて真似はもう出来ないだろう。

 

 だけど、なのはは今の自分こそが一番強いと感じている。

 

 浮遊魔法一つ、バリアジャケット一つに、嵐の影響を抑える大き目の障壁。

 それだけでキャパシティを超えかけていても、今こそが絶好調だと断言しよう。

 

 

「行ってらっしゃい、なのは。無事に帰って来るのよ」

 

 

 だから、そんな母の言葉にも自信たっぷりに答える。

 

 

「行ってきます! お母さん!」

 

 

 手を振り、少女は飛び立つ。

 目指すは嵐の中心地。黄金の閃光が輝く最前線だ。

 

 

 

 背を向け飛び立つ娘の姿を、桃子は何時までも見送っていた。

 

 

 

 

 

3.

 一つ、二つ、三つ。

 それがフェイトが、これまでに封印したジュエルシードの数だった。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 

 体が熱い。どうにも上手く動かせない。

 息切れが始まるのも早く、気怠さが全身を支配している。

 

 ジュエルシードの封印速度は予想よりもずっと遅く、街が受けている被害は遥かに大きい。

 

 吹き飛ばされてくる屋根や看板を、身を翻して躱す。

 マンホールから溢れている汚水に流される瓦礫の山を見る。

 風に飛ばされて、汚水に流されて、瓦礫に潰され、そんな人々の姿を目視する。

 

 自分が原因で起きた現象を直視して、せめてすぐに解決しようと次なる標的を見定める。

 

 そこに――

 

 

「ディバイーンバスター!」

 

 

 桜色の砲撃が、背後より放たれた。

 

 それは真っ直ぐに飛んでいき、フェイトが封じようとしていたジュエルシードをあっさりと封印する。

 

 

「フェイトちゃん!」

 

「……なのは」

 

 

 ふらふらと、のんびりとした速度で飛んでくる白い少女の姿。

 

 その姿に、果たしてフェイトは何を思うのか。

 

 

「一緒にやろう! 二人できっちり半分こ!」

 

「断る。……なのはは一人で好きにすれば良い。私も好きに動く!」

 

 

 差し出された手を振り払い、フェイトはそのまま加速した。

 

 そんな姿になのははむっとして、魔力を分け与えようとマルチタスクに待機させていたディバイドエナジーの構成を散らせる。

 

 

「むー。なら競争だね! 負けないんだから! って、あー! フェイトちゃんズルい!」

 

「ズルくない。回収してないなのはが悪い」

 

 

 それでもめげないなのはは新たな提案をするが、その隙を突いてフェイトはなのはが封印したジュエルシードを掻っ攫っていった。

 

 

 

 そうして、二人の魔法少女は嵐の空を飛翔する。

 

 速度に勝るのは、やはりフェイトだ。

 不調とはいえ、彼女の速さは他と一線を隔す。

 

 対して、なのはの速度は遅い。

 それは本来の性能を発揮出来てはいないから。

 

 飛翔魔法からの加速と砲撃の切り替え。

 デバイスを持たない彼女は、それを自身の脳で行わなければならず、当然動きに淀みが生じている。

 

 そして同時に使える魔法は三つ。

 その内バリアジャケットと飛翔魔法は外せなくて、故に攻撃すれば障壁が消える。

 

 その瞬間に風に吹き飛ばされて、にゃーと情けない悲鳴を上げる有様だ。

 

 されど――

 

 

「ディバインバスター!」

 

 

 その火力はフェイトの上を行く。

 

 フェイトは試行錯誤し、竜巻を躱しながら封印しなければならない。

 対してなのはは、ただ足を止めて砲撃を放つだけで、竜巻ごと掻き消してジュエルシードの封印が行える。

 

 それ故に掛かる時間は僅かに、なのはの方が短い。

 

 

「五つ目! ジュエルシード、封印!」

 

(もう、五つも!?)

 

 

 フェイトが七つ目のジュエルシードを封じた所で、なのはは五つ目のジュエルシードを封印していた。

 

 最初にあった三つ回収済みというアドバンテージ。それがなければ、既に差はひっくり返されている。

 

 

「にゃはは、あと一個しかないや。やっぱりフェイトちゃんは凄いね」

 

 

 なのはが最後の一つを見る。

 そうして、それを封印しようと動き。

 

 

「させ、ない!」

 

「にゃっ!?」

 

 

 これ以上持っていかせるかと、フェイトは魔法を発動する。

 距離がある為、加速ではなく射撃魔法。サンダースマッシャーが、ジュエルシードに向かって放たれる。

 

 対してなのはは、予想外の事態に深く考えられない。

 思わず反射的に、ディバインバスターで封印しようと撃ち放つ。

 

 二つの魔砲がぶつかり合って――空が震えた。

 

 ジュエルシードの直近にて、激しい魔力のぶつかり合いが起きる。

 

 結果として訪れたのは、災厄の宝石の魔力暴走。

 桜色と黄金色の輝きを青い光が吹き飛ばして、そして――空が裂けた。

 

 

「え、何あれ?」

 

「しまった!」

 

 

 驚愕するなのは、自身の迂闊を責めるフェイト。

 前者は無知故に、後者は既知故に、その動きは僅かに止まる。

 

 立ち止まった彼女達の前で、次元の裂け目は大きくなっていく。

 その向こう側に見えるのは、虚数の空間。何もないというのがある世界。

 

 そして、其処には、その先には――

 

 

「あ、ああ」

 

 

 それは、居た。

 

 何もない虚数の更に向こう側。

 極めて遠く、距離が意味を為さない果てに、其れは居た。

 

 それを、目視した訳ではない。

 ただ、彼女の血に宿った記憶が、其処にあるナニカを感じ取らせていた。

 

 

 

 幻視した。

 

 修羅を束ねる覇道の王。黄金の覇王。修羅道至高天。

 万象嘲る演出家。魔導を操る水銀の王。永劫回帰。

 

 そして、赤い髪に青い瞳の神様の姿を幻視した。

 

 彼らは対立していない。

 覇道三神。もって挑むは極大の邪悪。

 

 そう。その先に、三つの目を持つナニカを幻視した。

 それは気怠く拳を振るうと、それだけで神々は砕け散り――

 

 

 

 ああ、それは過去の情景。

 在りし日にその先にあった敗北の風景。

 

 今、虚数空間の先に彼らは居ない。

 真実、滅んだ神座世界(アルハザード)に残るは最早、三眼を持った大天狗だけであり。

 

 

――何だ、お前は?

 

「っ!?」

 

 

 そんな声を聞いた気がした。

 

 

 

 違う。気のせいだ。まだ気付かれてはいない。

 既に望みを果たしたアレが、虚数の先へ目を向ける筈がない。

 

 だからこれは自分の気のせい。

 綾瀬の――修羅道に連なるヨハンの血が、呼び起こした異界の記憶。それが生んだ幻覚に過ぎない。

 

 なら気付かれる前に、この穴を塞がなくてはならない。

 アレがこの世界に気付いたら、間違いなく世界は終わるのだから。

 

 

「はぁぁぁぁっ!」

 

 

 そんな幻覚に固まるなのはの前を、フェイトは神速で通り抜ける。

 加速魔法で自身を動かす少女は、ジュエルシードの暴走を防ぐ為に手を伸ばして――

 

 

「な、こんな所で!?」

 

 

 魔力が切れた。

 無茶をしたツケがここに来た。

 

 

「フェイトちゃん!?」

 

 

 唐突にガクッと落ちかけたフェイトは、風に吹き飛ばされて宙を舞う。

 何とかビルの屋上の格子を掴むと、その姿勢で暴力的な雨風を耐える。竜巻の数が一つに減っていたからこそ、辛うじて耐えられていた。

 

 その姿に飛び出していたなのはは、ほっと一息、視線を世界に開いた亀裂に戻した。

 

 裂け目は徐々に、大きく広がっていく。

 いずれ世界全てを飲み干すのではないかと思える程に、広がり続けている。

 

 なのは達はそんな姿に、世界の終わりを感じ取って――

 

 

「おぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 

 少年が雄叫びを上げた。

 

 暴風の中を飛翔する。全力で加速する。

 嵐の中心地にある宝石へと、その手を伸ばす。

 

 

「ユーノくん!?」

 

 

 その少年の姿を、なのはは確かに知っていた。

 

 今までどこにという問い掛けと、何をしているのかという問い掛けは言葉にならない。

 

 そんな彼女の目の前で、とどけ、とどけとユーノはその手を宙に伸ばす。

 

 

「と、とどけぇぇぇぇぇっ!」

 

 

 そう。これは第一歩だ。

 自信を持てない少年が、それでも踏み出す為に求めた第一歩。

 

 これを上手く出来たなら、今度はそこから始めよう。

 手にした自信を糧に、今度こそ間違えないように。

 

 あの時のことを詫びよう。救ってくれた白い少女に。

 何も出来なくて御免。大変なことを押し付けて御免。そして感謝を伝えよう。

 

 全てを語ろう。なのはの家族に。

 魔法の秘匿なんか知らない。貴方達の娘を巻き込んだこと、僕が犯した罪の全てを。その結果受ける罰、その全てを受け入れる。

 

 だから、だから、そう動く為の自信が欲しくて。

 

 

(僕は屑だ)

 

 

 分かっている。

 だから、だけど――

 

 

(屑のままでは、いたくないからっ!)

 

 

 少年はその手を伸ばす。

 

 その手は、確かに届いた。

 

 

「止まれっ!」

 

 

 荒れ狂うジュエルシードを握りしめた少年は、止まれ止まれと強く念じる。

 その姿はある可能性軸における黄金の少女と似通っていて、しかし確かに違うことが一つ。

 

 

「止まれ! 止まれ! 止まれぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 魔法と言う才能。魔法に対する適正。

 その差がより強く、ユーノの体を蹂躙する。

 

 手は焼け爛れ、腕は引き攣り、その余波は傷だらけの体にまで及んでいく。

 

 けれど、それでもその手は離さなかった。

 

 

 

 この事態が起きた時、ユーノは公園の中にいた。

 公園から空を見上げて、状況を理解した少年は奮い立つ。

 

 結果を出せば肯定できる。

 この無力感を拭い去って、そしてやるべきことをやれるようになる。

 

 そう素直に思えたから、ただ待った。

 黄金の少女が戦っている間も、なのはが駆け付けた瞬間も、ただ自分が動くべき時を待った。

 

 彼女たちに出来ることなら必要ない。

 そんなことをしても、自分を許せない。

 

 なら、為すことは簡単だ。

 彼女たちが危機に陥った時、体を張って守り抜くこと。

 

 あの使い魔の様に、今度は自分が。

 自分には、この体くらいしかないから。

 

 

 

 だから、掌の中で動きを止めたジュエルシードを見て、ユーノは確かな笑顔を浮かべた。

 

 

「は、はは。……なんだ。僕にも出来るじゃないか」

 

「ユーノくん!」

 

 

 そう思った瞬間に力が抜けて、魔力が底を尽きる。

 浮遊魔法は力を失い、少年は地面へと真っ逆さまに落ちていく。

 

 地に激突する寸前になのはが追い付き、彼の体を抱きしめて支えた。

 

 

「にゃ、にゃにゃ!? ユーノくん、重いよ!」

 

「……ごめん、なのは」

 

 

 ユーノを抱きしめてふらつく少女に、彼は笑みを返す。

 

 

「本当に、ごめん。ごめんね」

 

 

 真剣に謝っているのに、けど同時に笑っている。

 その表情は、どこまでも晴れ晴れしい笑みを浮かべていた。

 

 だから、何だかなのはも嬉しくなった。

 彼の笑みに釣られて、なのはも笑みを浮かべる。

 

 空に開いた穴はない。

 虚数空間は、アルハザードへの道は、もう閉ざされていた。

 

 

 

 そんな和やかな光景。

 そんな二人の姿を遠く、一人ぼっちのフェイトは羨望の瞳で眺めた。

 

 

「君は、ずるいな」

 

 

 胸中を呟く。

 

 仲良しな友達が居て、優しい母に恵まれて、そしてこうして守ってくれる人が居て、なのははフェイトの欲しい物を全部その手に持っている。

 

 友達は居ない。母は優しくない。守ってくれる人は死んでしまった。

 そんなフェイトは、高町なのはを羨望と嫉妬が入り混じった瞳で見つめる。

 

 感じる想いは、一つだけ。

 

 

「……私は、君が嫌いだ」

 

 

 呟きと共に、フェイトは立ち上がる。

 今から挑む程の力もなくて、そんな自分が惨めに思えて――

 

 少女は温かな光景を背に、冷え切った身体を震わせながら立ち去った。

 

 

 

 

 

 こうして海鳴市を襲った未曾有の災害は、発生と同じく唐突に消滅する。

 

 そのあまりにもおかしな嵐の動きに、多くの有識者がその謎を解き明かそうとしたが、真実が明かされることはなかった。

 

 

 

 

 

4.

 時の庭園。

 プレシアは自らの研究室で、久し振りに上機嫌に研究を進めていた。

 

 掌で弄ぶのは八つのジュエルシード。

 出来損ないが回収した、それであった。

 

 態々手間をかけた意味があった。

 プレシアは胸中でフェイトの評価を上げながら、その研究を続ける。

 

 ジュエルシードのデータは十分集まっている。

 これなら、膨大な魔力を引き出し、我が物として振るう為の装備だって作れるだろう。

 

 デバイスにするか、いいやペンダントにして他の物と一緒に使えるようにした方が良いか。

 

 そんな風に浮かれるプレシアの気分に、水を差す言葉が一つ。

 

 

「そんなに嬉しいのかしら、自分の娘がちゃんとお使いを果たせたのは」

 

「……そんなことじゃないわ。それと、アレを娘なんて言わないで」

 

「あら、貴女が生み出したのでしょう? ならどんな形であれ、あの子の母親は貴女よ」

 

 

 研究室のテーブルで、焼き菓子を摘まみながらティーカップを優雅に傾ける女が一人。

 

 旧友のそんな言葉に表情を歪めたプレシアは、吐き捨てるように口を開いた。

 

 

「冗談でもそんなことは口にしないで、いくら貴女でも怒るわよ」

 

「あら、ごめんなさい」

 

 

 しれっとした返しに、苛立っていたプレシアの方が鼻白む。

 

 そこでふと疑問に思う。

 彼女は態々人の気にすることを責めたてるような悪趣味はなかったはずだ、と。

 

 ならばさて、何故この友人がこんなことを口にしたのか。

 

 

「どういうつもりなの」

 

「何が?」

 

「さっきの言葉よ」

 

「ああ、それね。別に大したことではないわ。警告、というより忠告かしらね」

 

「なにそれ?」

 

 

 紅茶を飲む姿のまま、そう口にするリザに、プレシアは眉根を寄せる。

 

 そんな彼女に告げられた言葉を、プレシアは一瞬理解が出来なかった。

 

 

「あの子、もう長くないわよ」

 

「……何ですって?」

 

 

 今日の天気を語るように、何でもないことのように言うリザの言葉に、プレシアの心は揺れる。

 

 

「診察した際に気付いたのだけど、あの子は重度の被爆状態にあるわ。どこでそんな被害を受けたのか、バリアジャケットを着ていれば防げたんだろうけど、放射能汚染された場所で防護服を脱いでしまったのね。……もう手の施しようがない程に汚染されているわ」

 

「っ!?」

 

 

 そう言われた時、果たして如何なる思いを抱いたのか。

 プレシアは深呼吸をして、その思いを押し殺すと、冷淡に告げた。

 

 

「……別に構わないわ。ジュエルシードを集め終わるまで、持てば良い」

 

「ええ、なら大丈夫。半月くらいは持つでしょう。……ただ、伝えておきたいことがあれば伝えておきなさい。手遅れになった後では、もう言葉はかけられないのだから」

 

「ふん。別に、アレに言うことなんてないわ」

 

 

 吐き捨てるように口にして、研究室を後にするプレシア。

 その後ろ姿を眺めながら、リザは静かに溜息を吐いた。

 

 

「ああ、本当に。古い鏡を見ている気分。どうしようもないわね、私たちは。失ってしまうまで、その大切さに気付けない。死者しか、愛することが出来ないのだから」

 

 

 自分と良く似た旧友を思いながら、リザ・ブレンナーはカップを空にした。

 

 

 

 

 




うちのなのはさんはヨハンの系譜。
詰まり獣殿の子孫。やはり魔王少女は血筋。(確信)


魔改造桃子さんによる熱い原作桃子さんディス。

割と原作なのはのトラウマ放置やStSでのワーカーホリックで家に帰ってなかった事を真面目に考察すると、高町家の実態が恐ろしい物に見えて来るから困る。

取り敢えず当作では、桃子さんは子育て慣れしてなかったから、なのはのトラウマを払拭できなかったのでは、と解釈しています。

原作なのはちゃんも強迫観念持ちだが、良い子だからこそ指摘が難しい。
子育て初心者には、レベル高いなんてもんじゃない歪みっぷりですからね。

それでも、とらハ時空の桃子さんも考慮すれば、魔法と出会わなければ家族関係が円満になってた気もしますが……


そんな訳で当作桃子さんは、自責と感謝と母性愛が入り混じって、なのはへの好感度が天元突破しています。士郎と恭也がドン引きするレベルで、なのはちゃんを溺愛している。そんな女性が家の桃子さんです。

まあ、この人もヨハンの系譜だから、愛が重いのは当然の流れですね。


あと序でになのは世界が詰んでいる理由の一つである、あいつが顔見せ。
アルハザード=神座世界なので、今虚数空間の向こう側にいるのってあいつだけなんですよね。このくらいなら回想の延長と言い張れると信じている。

初期プロットでは本当に出す気なかったんですが、居るなら顔見せだけさせておこうと思いました。(小並感)もう出ないよー(棒)


フェイトハードは続く。
そんな作者がリリカルで一番好きなのがフェイトちゃん。……これが愛か。




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第十話 来訪者来たる

書けたので更新。

副題 高町家家族会議。
   公園での果し合い。
   スーパークロノくんタイム。


1.

 バンッと大きな音を立てて、ユーノは殴り飛ばされる。

 小さな少年の身体はあっさりと跳ね飛ばされ、居間の床へと投げ出される。

 

 

「ユーノくん!」

 

 

 そんな少年の姿になのはは、慌てて駆け寄るとその身体を両手で支える。

 ゆっくりと起き上がるユーノを支えながら、彼を殴り飛ばした父親に文句を口にする。

 

 

「お父さんっ! どうし――」

 

「いや、良いんだよ。なのは」

 

 

 そんななのはを、他ならぬユーノ自身が片手で制止する。

 殴り飛ばされた少年は、だと言うのに、何故だか晴れやかな笑みを浮かべていた。

 

 その表情を見て、なのはは何も言えなくなる。

 そんな空気の中で、立ち上がったユーノは高町士郎に向き合った。

 

 

「……済まない。君が悪い訳ではないのは分かっている。だが、殴らずには居られなかった」

 

「いえ、僕自身、何を言われても仕方がないと覚悟していました。……遠慮なく殴り飛ばしてくれて、むしろスッキリしたって思いもあるんです」

 

 

 男と少年は、そんな言葉を互いに交わす。

 

 唯、許されただけでは罪悪感が積み上がる。

 相手が娘を愛していることが分かる親ならば更に、だ。

 

 だからこそ、殴られた事は正当だ。

 少なくとも、ユーノはそう思っている。

 

 

「そう言ってくれると助かる。……そうだな、この話はこれで終わりにしよう」

 

「……それで、良いんですか」

 

 

 そして、この一発で終わらせよう。

 そう語る士郎の表情は柔らかな物で、少年は確かな赦しを与えられているのだと理解した。

 

 故にこそ、問い掛ける。

 こんな物で良いのか、と。

 

「それで良いのさ。何時までも蒸し返すのは健全ではない」

 

 

 そんなユーノの言葉に、高町士郎は静かに己の意見を口にする。

 

 断罪とは、罪を許さない事ではない。

 裁きを下すのは、きっといつか許す為に。

 

 そうありたいと思う高町士郎は、ユーノの手を取り立ち上がらせる。

 そうして、一家勢揃いの食卓の中、空いた席へと彼を座らせた。

 

 

 

 まるでタイミングを見計らっていたかのように、薬缶が音を立てる。

 

 その音に立ち上がって火を止めると、士郎は六人分のカップを準備してから慣れた手際でコーヒーを淹れ始めた。

 

 挽いた豆の香ばしい匂いが、静まり返った室内に満ちる。

 喫茶店の店主らしく手際の良い所作で珈琲を淹れた士郎は、マグカップをユーノへと手渡した。

 

 

「さ、翠屋自慢のコーヒーだ。温かいうちに飲むと良い」

 

「……頂きます」

 

 

 カップに口を付けて、思わず美味しいと呟いてしまう。

 そんな少年の仕草に、「そうだろう」と返して高町士郎は穏やかに微笑む。

 

 そんな二人の態度に、場の空気が緩む。

 緊迫した家族会議は、漸く一家団欒の様相へと変わっていた。

 

 

 

 何故、こんな状況になったのか。

 それはユーノが、全てを明かす事を望んだからだった。

 

 如何なる罰を与えられようと、甘んじて受ける。それこそが自分の義務である。

 

 それがユーノの抱いた、一つの決意。

 守らなくてはいけない少女を、己の浅慮から戦場に追い込んでしまった事への贖罪。

 

 彼は人間の姿のまま、なのはと共に高町家に向かった。

 台風災害の直後。初めて見る顔に訝しむ高町家の面々を前に、彼は自己紹介の後で全てを語った。

 

 やや偽悪的に、自分の悪い部分を強調しながら語るユーノ。時折それに口を挟むなのは。

 二人の語りは主観が入り混じった物であったが、確かな現状の説明として受け入れられた。

 

 そうして二人が全てを語り終えた時、ユーノに向けられたのは怒りを多分に含んだ暗い感情であった。

 

 当然だろう。ジュエルシードの影響は、最早自然災害と形容する事が出来ない程の被害を生み出している。

 

 巨大樹と大狗と大地震。

 突然の気象異常に、山岳の消失。

 そして極め付けが、五百人を超える犠牲者を出した先の竜巻災害。

 

 その異常事態の原因に関わり、それに愛娘が巻き込まれる切っ掛けを生み出した少年。そんな彼に対して、どうして負の感情を向けないで居られるだろうか。

 

 恭也も、美由紀も彼を睨みつけ、今にも剣を手にしそうな形相となる。

 だがそんな彼らが動く前に、父である士郎の拳が飛んだ。そしてその拳一つで、終わりにしようと彼は口にしたのだ。

 

 そこにどれほどの葛藤があったのか、ユーノには分からない。

 ただ、温かな珈琲を飲みながら、罰と許しが同時に与えられたことだけが分かっていた。

 

 

「さて、ユーノくんの話は分かった。……それとなのは、もう殴らないから、睨まないでくれないか」

 

「むー!」

 

「なのは。士郎さんが僕を殴ったのは、なのはのことが大切だからこそなんだよ」

 

「……ユーノくんまで、そう言う」

 

 

 妙に分かり合っている二人に、拗ねた口調でなのははそっぽを向いてしまう。

 庇おうとした相手が父を庇う姿に、どうしても面白くないと言う感情を抱いてしまうのだ。

 

 そんな子供らしい態度に、やれやれ、と頭を掻きながら、士郎は話を続ける。

 

 

「魔法というものに対しては、未だ懐疑の気持ちを捨てられないが――」

 

「あら、私はなのはの魔法を見たわよ」

 

「……桃子。そういう事は早く言って欲しかったんだが」

 

「なのはが内緒にしたがっていたんだもの。そう簡単には口に出来ないわ」

 

 

 だが、言葉を口にしようとして、即座に妻に機先を崩される。

 拗ねていたなのはは、母が自分の秘密を守ってくれていたことを知り目を輝かせ、笑顔で母に抱き着いた。

 

 

「お母さんっ!」

 

「ふふっ、相変わらず、なのはは甘えん坊ね」

 

 

 笑顔でそんなやり取りする母と娘。

 その様子に、憎まれ役を買わなければならない男親は、瞳に悲哀を滲ませる。

 

 睨まれるのではなく、自分もあんな風に笑顔の愛娘に抱き着かれたかった、と。

 

 

「っと、話がズレ過ぎだな」

 

 

 そんな悲哀を咳払いで隠して、高町士郎は漸く本題へと移った。

 

 

「危険物であったジュエルシードとやらは、もう全てが回収された。そう思って良い訳だね。ユーノ君」

 

「はい。恐らくは」

 

 

 士郎の言葉に、ユーノは頷く。

 そして、終わった根拠となる情報を解説する。

 

 

「フェイト・テスタロッサは恐らく、魔力でジュエルシードを無理矢理に励起させるという方法を取ったのでしょう。……あの竜巻は海鳴市全土で起こっていました。である以上、残っていたジュエルシードは全て起動したと見て間違いありません」

 

 

 言ってユーノは、懐から青い宝石を一つ取り出すと机の中央に置く。

 彼に続くようになのはもまた、己のポケットから五つのジュエルシードを取り出すと、机に置いた。

 

 

「この六つが、僕らの回収したジュエルシードです」

 

「えっと、全部で二十一個なんだよね? なら、後十五個も奪われたって事?」

 

「ううん。壊れちゃったレイジングハートの中にも二つ入っていたから、残りは十三個だよ」

 

 

 ジュエルシードを見ながら美由紀が口にして、なのはが補足する。

 なのはとユーノの陣営が、回収したジュエルシードの総数は八つ。残る十三のジュエルシードが、別の陣営へと流れたと言う計算になる。

 

 

「成程。敵対陣営の方が、所持数は多いと言う事か」

 

「いえ、そうとは限らないかと。……ジュエルシードを求めていたのは大天魔たちと、フェイト・テスタロッサの母親です。その二つの勢力が、どういった比率でジュエルシードを得たのかは全く分かりませんから。半々か、どちらかに大幅に偏っているか」

 

 

 ユーノの言葉に、その場にいた皆が考え込む。

 

 自分達と敵対する二つの勢力。

 彼らはそのどちらも目的は不明瞭であり、保有する戦力についても同様。

 

 大天魔は人ではどうしようもない災厄であり、テスタロッサ陣営は裏がまるで読めない状況だった。

 

 

「なるほど、な。……だが、“海鳴市の安全”はもう確保されたと判断して良いんじゃないのか? もう暴走するジュエルシードはないんだろう?」

 

 

 そう口にしたのは恭也だ。

 彼の言葉には、常の彼には似つかわしくない焦りが見える。

 

 もう危険はない。そうなればなのはが無理をする理由も既にない。

 末の妹を溺愛する青年は、なのはが危ない目に合う必要を無くしたがっているのだ。

 

 

「待って、お兄ちゃん! 海鳴市だけの問題じゃないのっ!」

 

 

 反面、それで困るのは高町なのはだ。

 

 彼女はフェイトとの対話を望んでいる。

 先は拒絶されてしまったが、それでも彼女と友達になることを願っているのだ。

 

 故に戦う理由がなくなるのは困るし、それ以上に怖い事もある。

 

 それはあの時、血の記憶が見せた光景。

 ジュエルシードが虚数への道を開く力を持つ以上、アレが真実となる可能性は十二分に存在するのだから。

 

 

「そう、だと良いんですけど。話はもう少し、面倒な形になっているんです」

 

 

 なのはの危惧する事を知れないユーノは、ロストロギアに対する知識のみで判断する。

 そんな穴抜け状態の考察であっても、敵対する二陣営を無視できない理由は既に見つかっていた。

 

 

「両勢力ともに、目的が分からないんです。……僕はジュエルシードの危険性を軽んじてました。今にして思うと、ああもあっさりと一つを譲ってしまったのは、失敗だったかもしれない」

 

「……具体的には、どの程度危険だ?」

 

「複数個が同時に発動すれば、この星が消え去る程度は確実です。次元干渉型ロストロギアは、それ程に危険な物ですから……」

 

「…………」

 

 

 そんなユーノの言葉に、沈黙が降りる。

 予想以上の危険に誰もが絶句し、そして言わずともにユーノの警戒する理由を理解した。

 

 星を滅ぼしてしまいかねない危険物を、手にした誰かがいる。

 そしてその誰かは、何を考えているのかがまるで分からない。

 

 これで安全だ、と言い切る奴は楽観が過ぎるか考えが足りない人間だろう。

 そんな物を集める人間の真意を知らねば、安心する事など出来よう筈がないのである。

 

 

「となると、魔法絡みの事件はまだ終わらないということかな」

 

「ごめんなさい」

 

「いや、謝る必要はないよ。謝罪はさっき終わらせただろう? 今は対策を考える時だ」

 

 

 結論を口にする士郎に対し、謝り癖が付いてしまったのかユーノはすぐに頭を下げる。

 苦笑しながらもそんな彼の謝罪は受け取らず、士郎は話の本題に入った。

 

 

「現状。天魔とやらには意図して遭遇することは出来ない。フェイトという少女の母親についても同様だ。真意を問わなければならない相手にこそ、接触の手段を持たないと言える。この今の現状で、打てる手は一つだけだろう」

 

 

 戦場を渡り歩いた経験のある士郎が語る策。

 それは彼自身、度し難いとは思うが、他に術がないと理解している物。

 

 

「ジュエルシードを囮にして、フェイト・テスタロッサを誘き出す。そして彼女を捕縛し、彼女の母との接触に利用する。……度し難い話だが、傍観する訳にいかない以上、他に術はない」

 

 

 詰まりは幼い少女を罠に掛け、先ずはテスタロッサ陣営から打倒すると言う判断だ。

 

 

「はい、はい! フェイトちゃんの相手は私がする!」

 

「駄目だ、なのは! そんな危険な真似は許せるか!」

 

 

 士郎の作戦に、手を上げて発言するなのは。

 彼女のそんな逸る態度に、高町恭也は怒りを示す。

 

 

「けど、私がフェイトちゃんと友達になれば、それで協力してもらえると思うから!」

 

「それなら、なのはが敵対する必要はないだろう! 俺がその子を捕縛して、その後で好きに話せば良い!」

 

「それじゃあ、駄目なの!」

 

「何が!?」

 

「だって、私が戦わないと、友達になれないって思うから!」

 

「そんな曖昧なことで!」

 

「落ち着け、恭也。なのは」

 

 

 口論に発展しかけた兄妹を、士郎は間に入って止める。

 

 

「でもっ!」

 

「だが、父さん!」

 

「落ち着け、と言ったぞ。……悪いが、誰が戦うかは既に決まっている」

 

 

 そうして二人の言い争いを止めた後、士郎は一つ呼吸をする。

 

 言いたくはないが、それでも言わねばならない。

 自分の策ながらも納得していない士郎は、それ以外には筋道などないと理解しているが故に、一呼吸を置いた後で言葉を紡いだ。

 

 

「その子と戦うのは、……なのはだ」

 

「なっ!? 父さん!」

 

「やったー!!」

 

 

 二人の反応は、正と負の両極端な物であった。

 士郎の決定が気に食わぬ恭也は、彼に食って掛かる。

 

 

「何を考えているんだ父さん! なのははあんなに辛い目に合っていたんだぞ! それなのに、また危険な目に合わせるっていうのか!?」

 

「……俺だって不本意だがな、恭也。お前は魔導士と戦えるか?」

 

「馬鹿にしているのか、父さん! 空を飛べて、不思議な光線が撃てる。鉄より硬いバリアを張っている。話で聞くだけでも、確かに強力な存在だとは分かるが、戦えない訳がないだろう!」

 

「そうじゃない。そうじゃないんだ、恭也」

 

 

 恭也の訴えに、士郎は首を振る。

 

 問題は、単純な力の差ではないのだ。

 確かに魔導師が人間以上の存在とは言え、彼らとて戦場にて不敗と謳われた御神の剣士だ。

 

 真っ向から対峙すれば、魔導師とだって渡り合える。

 それだけの自負があるし、自負に見合った力量だってあるのだ。

 

 だが、それだけだ。

 それだけ、だったのだ。

 

 

「俺たちにリンカーコアはない。魔力はないんだ。……そんな相手と、正々堂々戦う必要がどこにある?」

 

 

 真っ向から戦えば渡り合えると言う事は、真っ向から戦えなければ勝負にもならないと言う事。

 

 ユーノから魔法に付いて聞いた両者には、それに対する知識があった。

 

 

「……封時結界、か!?」

 

「そうだ。立ち入る存在を任意に定められる結界。ジュエルシードを隠す手段もない俺たちが、それに巻き込まれてみろ。魔力のない俺たちを弾き出して、相手は悠々とジュエルシードだけを持って逃げるぞ」

 

「くっ!」

 

 

 それが魔導士と非魔導士の違い。

 そもそも相手が乗らなければ、同じ土俵に上がる事さえ出来ないのだ。

 

 

「敵と戦えるのは、なのはとユーノくんだけだ。そして、勝ち目があるのは、なのはだけということになる」

 

 

 そんな士郎の言葉にユーノは、微笑みで表情を隠しながら、その手を握り締める。

 

 未だ魔力が戻らず、傷も深い。

 仮に全快の状態であっても、彼は戦闘向きの資質をしていない。

 

 彼とて戦えるならば戦いたい。

 だがそれが出来る状況でもなく、そしてなのはもそれを望んでいないのだ。

 

 

「……分かった」

 

 

 そんな彼を余所に、恭也は士郎の言葉に返答する。

 それはユーノ同様、己の不甲斐無さに耐えるような発言であった。

 

 

「だが、立ち合いくらいはさせてくれ」

 

「ああ、俺もそうしてもらおうと考えていた。復興への協力なども考えると、ある程度自由に動けるのは恭也か美由紀だけだろうからな」

 

 

 海鳴を襲った自然災害によって、この街は悲惨な様相を晒している。

 

 地盤沈下と土砂崩れ。洪水と多くの家屋の倒壊。

 高町家とて、翠屋が全損して消し飛ぶという被害を受けている。

 

 こうして家が無事だったのは、如何なる奇跡か偶然か。

 

 そんな中、家主やその妻が人に言えぬ理由で外すことは出来ない。

 魔法のことを語ったとしても、果たして誰が信じるだろうか。

 

 ならば、なのはと共に動かせるのは、士郎と桃子以外に精々一人か二人。そうなると、実力と性格面で考えて、恭也とするのが妥当な所であった。

 

 

 

 そうして、今後の方針は決まる。

 各々に出来ること、行うことは決定した所で――

 

 

「はい。それじゃあ夕飯にしましょうか。街がこの状況じゃ、お買い物は出来ないから。冷蔵庫の物を使っての料理ですけどね」

 

 

 ぱんと両手を叩いて、桃子が話題を変える。

 エプロンを片手に立ち上がり、調理場へと足を運んだ。

 

 

「ああ、ユーノくんは何か食べれない物とかあるかしら? 好き嫌いは駄目だけど、アレルギーはどうしようもないものね」

 

「え、あ、特にはありませんけど、……僕も頂いて良いんですか?」

 

「当然でしょう。君も今は、高町家の一員なんだから」

 

 

 ユーノの言葉に、桃子は微笑んで口にする。

 その広い器と包み込むような優しさに、母を知らぬ少年は思わず涙を流しかけた。

 

 そんな彼の内心にはまるで気付かず、にこやかになのはが声をかける。

 

 

「お母さんの料理って美味しいんだよ! ユーノくんも絶対に気に入るはずなんだから!」

 

「うん。そうだね。期待してる」

 

 

 スクライアと言う部族の中で、これ程穏やかな時間はあっただろうか。

 高町家と言う家族の温かさを感じながら、ユーノはなのはへと笑顔を返して――

 

 

「あらあら、二人とも仲が良いのね……これなら、美由紀よりも先に、なのはの花嫁衣装が見れるかもしれないわ」

 

 

 そこで桃子が、爆弾を落とした。

 

 

 

 瞬間。その場に居た三人の時間が止まる。

 一瞬にして凍り付いた周囲の空気に、ユーノは危険を察知して頬を引き攣らせた。

 

 

「お母さん! 私とユーノくんはそういう関係じゃないもん!」

 

「あらあら、まあまあ。けど、なのはもお嫁さんになりたいって憧れはあるでしょう? ユーノくんのことも嫌いじゃなさそうだし」

 

「にゃー!」

 

 

 そんな空気に気付かぬなのはと、ニコニコと笑う確信犯の会話。

 いつも通りな母娘の様子を見て、凍り付いた三人の凍結が解除された。

 

 感じた身の危険が、何故だか大きくなっていく。

 

 

「いかん。いかんぞ。いや、確かにユーノくんは今時珍しい、良い少年だとは思う。あのように言い辛いだろうことを正直に語る姿には好感が持てるし、何よりなのはの発言が事実なら、身を挺して庇ったことも一度ではない。ああ、確かに何れはなのはを任せるに足る男になるだろう。例え才能がなくても、今から鍛え上げれば一角の武人には成れるだろう。資質を見れば金が稼げずなのはを路頭に迷わせる心配もない。本人の気持ちを考慮したって、なのはもまた満更ではなく、ああ、考えれば考えるほど優良物件なのは確かだ。だがしかし、今は早いだろう。まだなのはは小学生であり、せめて中学、いや高校、待った大学辺りを卒業するまでは――」

 

「え、え、あれ、何で、私、なのはに先を越されるの? あれ、おねーちゃんが妹から結婚式のブーケを受け取るの? 何でそんな情景がこうも鮮やかに脳裏に浮かぶの?」

 

 

 思考が暴走する父と娘。何気に二人ともユーノを婿候補と認める思考になっているのは、血が繋がらずとも似た者親子という事か。

 

 二人ともに揃って、娘の幸せを願っているし、ユーノの対応に関しては確かな信頼を抱いている。

 

 それでも、まだ早いと感じてしまう辺りも共通していた。

 

 

「なあ、ユーノ」

 

 

 そんな彼らとは違い、平常心を保っていると自負している高町家長男。

 高町恭也は張り付いた笑顔を浮かべながら、ぽんとユーノの肩を叩いた。

 

 

「今日は俺の部屋に泊まると良い。朝まで男同士、色々と語るとしようじゃないか」

 

「あ、あはははは」

 

 

 肩に置かれた手が痛い。

 そんな事実を馬鹿正直に言うことも出来ず、ユーノはただ笑うしか出来なかった。

 

 

「あー! ズルいお兄ちゃん! ユーノくんは今日は私の部屋に来るの!」

 

「HAHAHA! いや、何。なのはに何かあった際、俺は何も出来ないからな。結界の中でも動けるユーノに、色々と託したいと思う訳だ。ああ、他意はない。信を置ける男であることを確認したいだけだとも。悪いが譲ってくれ、なのは」

 

「むー! 今日だけだよ!」

 

 

 ギリギリと肩を握る握力が上がっていることには、きっと被害を受けているユーノしか気付いていないであろう。

 

 性に関する意識が薄く、知識も少ない少女にはきっと他意はない。

 花嫁に憧れる気持ちはあっても、結婚への認識も薄く。きっと友達とお泊りする感覚で部屋に誘ったのであろう。

 

 

(けど、今は言わないで欲しかったな)

 

 

 背後で彼女の兄がどの様な表情をしているのか、ユーノは怖くて振り返ることが出来ない。

 

 そんな彼に桃子が近付き、一言。

 

 

「ああ、それとユーノくん。なのはのお婿さんになる条件は、士郎さんより強くなる事と、私より美味しいお菓子が作れるようになることだから、頑張ってね」

 

「……ハイガンバリマス」

 

 

 壊れた機械のようにそれだけを返す。

 ユーノの心の中で母親に対する憧れが死んで、高町桃子への苦手意識が生まれた瞬間だった。

 

 

 

 

 

2.

 翌日の正午。

 海鳴臨海公園に張られた結界の中で、なのははフェイトを待っていた。

 

 彼女を誘き出す手段。それは策とすら呼べない単純な物。

 かつてユーノが助けを求めたのと同じ、広域念話で呼びかけるという物だった。

 

 言葉は届いていないのではないか。

 届いてはいても、来てくれないのではないか。

 

 そう言う不安は、確かにあった。だが、それも振り払う。

 

 理屈で言えば、来ない道理はないのだ。

 彼女がジュエルシードを求める限り、新たに手に入れるにはなのはから奪うより他になく、声さえ届いたならば必ず来る。

 

 ならば、何度でも呼びかける根気を持てば良い。

 

 それはとても簡単なこと。

 

 

「来た」

 

 

 少し離れた場所で、なのはを見守るユーノと恭也。

 彼らの視界の内に金色の輝きが映り、黒衣の少女は舞い降りる。

 

 

「念話の内容は本当?」

 

「うん」

 

 

 その赤い瞳が、なのはへと向けられる。

 問い掛けに頷いたなのはは、懐からジュエルシードを取り出した。

 

 念話の内容は単純。なのははジュエルシードを、フェイトは己が知る情報を、互いに全てを賭けて戦おうという果たし状。

 

 それを聞いてここに来たということは、果し合いを受けるということだろう。

 

 無言で浮遊したまま、構えを取るフェイトとなのは。

 そんな二人を前に、立会人は最低限のルールを説明する。

 

 

「この勝負の立会人を請け負わせてもらう高町恭也だ。試合には二つ、ルールを付けさせてもらう。一つは殺傷設定の使用禁止。そしてもう一つは浮遊魔法を制御出来ず、地面に足を付けたら敗北として扱うということだ。例えどれほど余力を残していてもな。二人とも、合意出来るか?」

 

 

 そのルールは昨夜考えた、互いの危険を少しでも減らす為の物。

 

 非殺傷でやり合うのは殺し合わない為の大前提。

 そして足を着いたら負けというのは、無茶をしてまで戦い続けることを防ぐ為。

 

 常に余裕を保たなければ、戦闘の継続すら出来なくなるというルールだ。

 

 

「そちらがその言を守るという保証は?」

 

「この刀と俺の首に賭けて誓おう。なのはが破ったと思うなら、遠慮なく持っていけ」

 

「…………」

 

 

 審判が敵の身内である。その事実に懐疑の念を込めて確認をしたフェイトは、恭也の覚悟の籠った言葉に押し負けて黙り込んだ。

 

 

「ユーノくん」

 

「うん。なのは」

 

 

 なのはが差し出したジュエルシードを、ユーノが受け取り恭也の横に立つ。

 

 これより先は、一騎打ち。

 他の誰にも、介入なんてさせはしない。

 

 

「フェイトちゃん!」

 

「何」

 

 

 始まる前に一つ、なのはは言葉を口にする。

 

 

「聞かせて欲しい、あの夜の答え!」

 

「……答えを返すつもりはない。聞きたければ、力尽くで聞き出せば良い!」

 

 

 そんな言葉を、一刀の下に切り捨てる。

 フェイトは揺れない意志で、そう断言して飛翔する。

 

 

「っ、ならっ! 無理矢理にでも聞かせて貰うのっ!」

 

 

 対するなのはもまた、意固地になりながらも飛翔する。

 

 白と黒。

 二人の魔法少女が、空中で交差する。

 

 

 

 本気の戦いは、そうして始まった。

 

 

 

 まず先手を取ったのはフェイト。

 体に気怠さは残っていても、その速さには然程の曇りがない。

 

 元より彼女の方が、なのはより速いのだ。

 デバイスを失っているなのはでは、多少速度が落ちていたとしても、追い付くことなど出来はしない。

 

 

「撃ち抜け、轟雷。サンダースマッシャー!」

 

 

 雷の如き速度で迫るフェイトの魔法。

 襲い掛かるそれを、なのはは障壁で防御する。

 

 だが、それすらもフェイトの想定を覆さない。

 放たれた雷に紛れ、フェイトは自慢の速さで飛翔する。

 

 

「くっ! フェイトちゃんはどこ!?」

 

 

 防いだとはいえ、雷の光に目を焼かれたなのはは、その一瞬で彼女を見失ってしまう。

 

 直後、背筋に悪寒を感じて振り向いた。

 その先に、鎌の形をしたアームドデバイスを振るうフェイトの姿が見え――

 

 

「サイズスラッシュ!」

 

「バリアバースト!」

 

 

 咄嗟に障壁を爆発させて、距離を取ったなのはは、僅か生まれた隙に反撃を行う。

 

 

「今度は私の番!」

 

 

 現状で、なのはが同時に発動出来る魔法数は三つ。

 浮遊魔法で枠一つ。バリアジャケットで二つ目が埋まる以上、使える魔法は常に一つだけ。

 ならば、何を選ぶかと言う迷いなどは生じない。

 

 

「ディバインシューター!」

 

 

 展開されるは誘導弾。

 その数は本来の半分にも満たない、僅か三つ。

 

 これ以上はマルチタスクを圧迫し過ぎ、他の魔法に支障が生まれてしまう。

 

 だが、それで十分。

 三つしかないからこそ、それを最大限に生かし切れる。

 

 

「コントロール! アクセルアクセルアクセルアクセル!!」

 

 

 手足のように自由自在に操られた誘導弾が、フェイトの背を追尾する。

 アクセルのコマンドワードによって加速し続ける誘導弾は、フェイトの速度を持ってしても、そう簡単には振り切れない。

 

 

「くっ、なら、纏めて薙ぎ払う!」

 

 

 時折咳き込みながら、フェイトは全力で飛翔する。

 脳裏に地図を浮かべて、誘導弾の位置を己が速力で誘導した。

 

 そして反転すると、広域魔法を発動する。

 

 

「サンダーレイジ!」

 

 

 ロックオンする対象は誘導弾と、射線上に巻き込んだ高町なのは。

 雷光による拘束の後、対象全てを殲滅する雷撃は放たれて――

 

 

「ディバインバスター・フルパワー!」

 

 

 即座に誘導弾の制御を破棄して、広域攻撃魔法を、同じく広域攻撃魔法で迎撃する。

 轟音を立ててぶつかり合った二色の魔力は、互いの魔力を打ち消し合って掻き消えた。

 

 

「流石に、やる」

 

「フェイトちゃんは、相変わらず強い」

 

 

 戦力は比している。互いの力は拮抗している。

 デバイスのないなのはと、戦闘用デバイスを持ったフェイトの実力は互角であり。

 

 

「けどっ!」

 

「負けないっ!」

 

 

 ならば、その勝敗を決するのは、意志の強さだ。

 

 

「はぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 閃光に紛れて、接近するは黒の少女。

 多重加速魔法で稲妻の如く鋭角的に疾駆して、その刃を突き立てんとする。

 

 

「やぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 対するは白の少女は、速度で追い付けぬ故に迎え撃つ。

 使う一つの魔法は防御障壁にあらず。反撃の為の砲撃魔法。

 

 左手の掌に桜色の魔力を展開し、それをぶつける一瞬を待っている。

 

 

 

 二人の影がぶつかり合い、勝負を決するその瞬間――

 

 

「ストップだ。ここでの争いは危険すぎる」

 

 

 再び、彼女達の決着は、妨害者に阻まれる事となった。

 

 

 

 

 

3.

 なのはの砲撃魔法に左手で干渉し、右手でフェイトの斬撃を受け止める。

 黒い鎧の如きバリアジャケットを身に纏った漆黒の少年は、色違いの双眸で両者を牽制する。

 

 

「時空管理局執務官、クロノ・ハラオウンだ。状況の説明をしてもらおうか」

 

 

 そんな言葉に、答えを返す余裕もなく。

 なのはとフェイトは、同時に少年を睨み付ける。

 

 共に大切な戦い。

 それを妨害されて怒っている両者の態度に、クロノはあからさまな溜息を漏らした。

 

 

「管理外世界における、無許可での魔法行使。それだけでも、法に背く行為だ。君達も魔導師ならば、弁明の義務が生じる事くらいは分かるだろうに」

 

 

 そう言葉を口にして、クロノは動き出す。

 弁明も協力の素振りも見えないならば、一先ずは制圧しなければならない。

 

 そんな彼の意を察知して、即座に動いた影が一人。

 

 

「はぁっ!」

 

 

 気合一閃。高町恭也の剣が振り下される。

 斬と空気を切り裂く斬撃を、硬い金属音が弾き返した。

 

 

「この手応え、義手か!?」

 

「……何の真似だ? 民間人」

 

 

 斬り掛かった恭也自身が、刀を持った手の痺れを感じる。

 鋼鉄よりも硬い感触に、眉を顰めながらも恭也は口にする。

 

 

「何、この子らの対決を見届けると誓ったのでね」

 

「私事か」

 

 

 魔力を感知する右の義眼に反応はない。

 故に高町恭也が魔導師ではない事を理解しながら、それでも向き合う為に、クロノは両手に掴んだ少女らを手放す。

 

 

「目を見れば分かる。確かに君たちも、何か思う所があって対立しているのだろう。だが、公務は私事に優先する。これ以上妨害するつもりなら、こちらとて相応の対処をするぞ」

 

 

 そして、口にするのは傲慢とも思える言葉。

 黒き鎧を纏った漆黒の執務官は、厳正な態度で恭也を見る。

 

 

「ふん。俺たちは管理外世界とやらの人間だからな、知らんよ。お前が本当に局員なのか判断する知識もない――それに、な」

 

 

 そんな彼の言を聞きながらも、恭也は言い捨てる。

 

 

「知らんよっ! お前たちが勝手に決めた法などっ!」

 

「そうか」

 

 

 管理世界が決めた法など、管理外世界には関係ない。

 そう断言して剣を鞘走らせながら、疾駆する高町恭也。

 

 そんな彼の態度に、そうかと一つ頷いて、クロノはデバイスをその手に構えた。

 

 

「まあ、反発も分からなくはない。現地人から見れば、一方的な押し付けを行う組織にしか見えんだろうさ」

 

 

 一閃。二閃。

 閃光の様な斬撃に、魔法の杖で対応する。

 

 日本に古くより伝わる古武術に、軍隊式の杖術でぶつかり合う。

 

 

「だが、魔導師による犯罪に対する法も、対処の術も、どれも管理外世界には存在しない。ならば、僕らの法を適用するしかないだろう?」

 

「道理だがっ、だからと言って納得などしないっ! 悪いが、意地を通させて貰う!!」

 

 

 管理局は、確かに傲慢な面も存在する。

 これは確かに、内政干渉とさえ言える越権行為であるのだろう。

 

 だが同時に、ロストロギアや魔導師に対処する力を管理外世界は持たない。

 故にロストロギア災害や広域次元犯罪者を前にした時、彼らは彼らの法で以ってそれに対処するのだ。

 

 

「厳正過ぎる法の番犬になる心算はないし、正義を騙る程に傲慢な事をする気もない」

 

 

 恭也と打ち合いながらも、クロノは視線を動かす。

 その瞳が見詰めるのは、フェイト・テスタロッサと高町なのは。

 

 

「だけど管理外世界で、こうも大々的に魔法を行使する魔導師。そんな娘たちを見す見す見逃す訳にもいかないんだ」

 

 

 申し開きを問うたのは、彼なりの譲歩である。

 

 裏がないならば、素直に投降する筈。

 それに抗うと言うならば、実力を行使されても異論は言えないだろうと言う話。

 

 

「……さて、語る事は語った。投降ならば、何時でも受け付ける。だから、君の相手もそろそろ終わろう」

 

「舐めたなっ! なら、御神不破の恐ろしさを、その身で味わえ!」

 

 

 分かりやすいクロノの挑発に、分かってなお恭也は応じる。

 

 剣を交えて分かった事、この眼前の少年は頑固者だ。

 多少は譲る気もあるだろうが、それ以上には譲歩しない。

 

 ならば、意志を貫くには、まず勝たねばならない。

 そして高町恭也ならば、確かに勝機は存在している。

 

 彼我の武芸。単純な身体操作において、互いの技術は拮抗している。

 だが流派の技を含めた接近戦での殺し合いならば、本気の自身の方が遥かに上を行く。

 

 ならば魔法を使われる前に、奥義にて勝敗を決しよう。

 御神不破の剣技は、他の武芸を圧倒すると信じるが故に――

 

 

「小太刀二刀御神流・奥義の極み」

 

 

 この奥義は躱せまい。

 

 

「閃!」

 

 

 極限の神速。

 脳のリミッターを解除する事で、肉体限界を突破する神速。

 それを重ねがける事によって、恭也はその秘奥へと到達する。

 

 間合いも距離も武器の差も、あらゆる全てをゼロにすると謳われた斬撃。それは正しく閃光の如き剣。

 

 無拍子の抜刀、などと言うレベルではない。

 気付いた時には、既に斬られている。最早その領域にある超速斬撃。

 

 防げる道理はなく、躱せる道理は更にない。

 そんな不可避にして絶殺の奥義は放たれ、その刃は――

 

 

「驚いたな。陸戦に限るなら、オーバーSでも対処出来ない一撃だったぞ」

 

「なっ!?」

 

 

 気が付けば、視界が暗転していた。

 恭也は地に伏して、理解の外にある現状を思う。

 

 何が起きた。何が起きた。何が起きた!?

 

 何故自分が地に伏している。

 何故、この手にしていた刀が存在しない。

 何が起きて、この不敗の秘奥が破られたのだ、と。

 

 否、今は考えている暇はない。

 即座に起き上がり、現状に対処するべきだ。

 

 そう考え至った恭也は、両手に力を入れて起き上がろうとして――気付けば、空を見上げていた。

 

 

「がはっ!?」

 

 

 起き上がろうとした勢いそのままに、地面に叩き付けられる。

 肺から苦悶の声と共に全ての空気が吐き出され、恭也は無様に咳き込み続ける。

 

 

「ふむ。良い刀じゃないか。……刀は武士の魂、だったか。君の人柄が出ているのかも知れないな」

 

 

 そんな恭也を見下ろしながら、彼から奪い取った刀を品定めする。

 

 その余裕ある姿に、怒りを募らせる。

 このままでは済ませんと、恭也は腹筋に力を入れる。

 

 再び飛び起きようとして――次の瞬間には、うつ伏せで土を嘗めていた。

 

 

「そろそろ、学んだ方が良い。……君では、僕に勝てない」

 

 

 今なお愚直に起き上がろうとする恭也の背を、クロノは足で踏み付ける。

 

 最早、抵抗の術はない。

 この現象を理解しない限りは何も出来ない。

 

 それを理解して脱力した恭也に、残るのは何故という疑問だけだ。

 

 

「何故、だ」

 

「ふむ。確かに君は強い。非魔導士にしては破格と言って良い。……だが、相手が悪過ぎた」

 

 

 驕るでもなく、見下すでもなく、ただ淡々と。

 クロノは恭也の実力を認めた上で、揺るがぬ現実を此処に告げる。

 

 

「僕と君の相性は最良で最悪だ。敵対したのが僕でなければ、或いは君もその意志を確かに貫けただろう」

 

「くっ!」

 

 

 そんな言葉が、何の慰めになると言うのか。

 地に伏した恭也は、光輝くバインドに拘束され、その自由を奪われた。

 

 

 

 そんな戦闘の光景を見て、動いたのは黒衣の魔法少女だ。

 自分でも目で追えなかった青年があっさりと、理解し難い形で敗れた姿に脅威を感じたフェイトは脇目も振らずに逃走を始める。

 

 早く、早く、早く。

 自慢の速度で、距離を取り――

 

 

「逃げるのは良いが、そこは僕の射程距離だぞ」

 

 

 逃げていたはずなのに、気が付けばクロノに腕を掴まれていた。

 

 

「は、なせぇっ!」

 

「ああ、良いぞ」

 

 

 あっさりと拘束が放され、思わずフェイトは踏鞴を踏む。

 

 何を考えているのかは分からないが、確かにこれは好都合。フェイトは即座に反撃に出ようと構え――

 

 

「っ!?」

 

 

 デバイスが奪われている事に気付いた。

 

 

「放すのは良いが、抵抗は許していない。連行するまで、ジッとしていてもらうぞ」

 

 

 想定外の事態に戸惑うフェイトを、光の輪が拘束する。

 デバイスを奪われ、バリアジャケットを解除させられた少女は、為す術なく捕縛された。

 

 

 

 見知った二人が、瞬く間に敗れ去る。

 そんな光景を見て、憤りを覚える少女が一人。

 

 

「フェイトちゃんとお兄ちゃんを放して!」

 

 

 啖呵と共に砲撃を放つ。

 桜色の魔力砲撃は、奪い取った刀とデバイスを両手で遊ばせるクロノへと迫り――

 

 

「万象、掌握」

 

「え?」

 

 

 だが、届かない。

 

 呟きと同時に、なのはの視界は暗転する。

 ふわりと体が浮いた感覚がして、気が付けば自身の目の前に桜色の砲撃が迫っていた。

 

 当たる。

 そう思った直後、なのはは自分の魔法をその身に受けて、地に落ちた。

 

 

 

 

 

 その異常な光景を、遠くから眺めていたユーノだけが正確に理解していた。

 彼だけが何が起きたのかを理解して、それ故に恐ろしいと言う感情を抱いていた。

 

 

「空間操作の希少技術(レアスキル)!? そんな、他人を自由自在に強制転移させる能力なんて!?」

 

「そう。これが僕の歪み。万象掌握だ」

 

 

 ユーノの推論に、クロノは誇るように語る。

 歪み者。大天魔との戦いの中で、人間ではなくなり始めた化外の兆候。

 

 それを、彼は誇っている。

 悍ましき敵と同種の力に、確かな自負を抱いているのだ。

 

 

 

 十四年。それが、クロノの生きた年月。

 たったそれだけの短い期間で、彼が戦場に居た年数はそれより短い。

 

 父が死んで二年。

 ギル・グレアムより魔導士としての稽古を受けて二年。

 そして、士官学校を卒業するまでの二年間。

 

 あの初陣から、実際に戦場に出ていた期間は五年が経った。

 

 五年間、短い時間だ。

 だがその短い間の戦場で、本当に多くのことがあったのだ。

 

 管理局は、数年に一度起こる大天魔の襲撃に対する対処に追われ、他の世界に対して手を伸ばすのが難しい。

 

 当然、治安が悪い世界は多く、世界を滅ぼすようなロストロギアを巡っての騒動に巻き込まれるなど珍しくもない。

 

 運が悪ければ、管理世界で大天魔に遭遇してしまうことだって起こり得る。

 結果、部隊の壊滅など日常茶飯事で、共に戦場に出た仲間達をこの五年で幾度も失ってきた。

 

 その度に思ったのだ。

 後少し手が伸びれば。もう少し手が届けば。

 

 何も全てを救うことを望んだ訳ではない。

 唯、手の届く範囲にある者を守りたいと強く思って、只管にそれだけを思って。

 

 その思いが渇望と呼ぶ域に達した時、天魔に敗れたあの日より己の体を苦しめていた魔力汚染はクルリと反転し、彼が誇る異能へと変わった。

 

 そう。その力はクロノの望んだ通り多くを救い守ったから、彼は何よりもこの力を信じている。この力に対して、確かな自負を持っているのだ。

 

 

「さて、彼らは敗れたが、君はどうする?」

 

 

 己を戦域の絶対者足らしめる歪みの性能に満足しながら、彼は静かにそう告げる。それは勝利宣言であり、同時に降伏勧告でもあった。

 

 

「抵抗するなら相応に対応するが、従うなら情状は酌量する」

 

「……その二人は民間の協力者です。彼らの安全を保障するならば、従います」

 

「民間の協力者。……確かに片方はリンカーコアを持たない民間人のようだが、その少女も、か?」

 

「それは」

 

 

 管理外世界の民間協力者が、何故に魔法を使っている。

 そう言外に問い掛けるクロノに、ユーノは一瞬口籠る。非常事態とは言え、管理局法を幾つも破っている事に、今更ながらに冷や汗が流れていた。

 

 

「ふむ。理由がある、か。その釈明は、行えるんだろうな」

 

「……はい」

 

 

 そんな少年の態度から、大体の所を察してクロノは問う。

 情状酌量の余地があるならば、多少の犯罪行為とて認めよう。

 

 法を守って、人も守る。

 それが常に、イコールにはならないと知っている。

 

 故にクロノ・ハラオウンという執務官は、法の番犬ではなく、人の命を守る者であろうとしているのだから――

 

 

「では、君たち男性二名と、少女一名は任意同行を依頼する」

 

 

 二人の拘束を解き、フェイトを片手に抱えたまま、クロノは母艦と連絡を取る。

 

 現場だけで処遇を決めた事を、罰される事はない。

 

 警察、検察、弁護。

 様々な権限を持つ執務官は、現地においても多くの権限を持つのだから。

 

 

 

 そして、連絡を入れてから数分、彼は空に現れたソレを指差す。

 

 

「紹介しよう」

 

 

 気絶したなのはを抱き起す恭也は、バインドに捕らわれたままのフェイトは、唯一人無傷であったユーノは、それを目撃する。

 

 

 

 白亜の装甲は、日差しの中で美しく輝き。

 その巨大な船体は、見る者全てを圧倒する。

 

 それは船。

 次元を航行する機能を持った、管理局が誇る巡航L級8番艦。

 

 

「あれが我らが母艦。次元空間航行艦船“アースラ”だ」

 

 

 アースラの威容を背に、自慢げな表情でクロノはその名を告げた。

 

 

 

 

 

 




メタルクロノくんの義眼と義手は、信頼と実績のスカさん印の商品です。

歪みに詠唱がない理由? 兄様が詠唱必要なのは想いが足りないからって言ってた。
と言うのが表向き、真相は中二詠唱が浮かばなかったから。名前も漢字四字だし。

ミッド語は英語っぽいので、英語の詩から引用しようかと思ったが丁度良いのが見つからないし、だらだらオリ詠唱を口にするのもどうかと思ったので省略。
今後も歪みは名前を宣言。即座に効果発動という形になるかと思います。

以下、オリ歪み解説。
【名称】万象掌握
【使用者】クロノ=ハラオウン
【効果】一定範囲内(約500m四方)にある対象を使用者の任意で強制転移させる。対象となるのは人・物・建物・魔法と多岐に渡る。目視する必要はなく、あると認識すれば効果対象となる。転移先に制限はなく、飛ばすだけなら地球上からミッドチルダにでも飛ばせるが、転移先をちゃんと理解していないと壁の中にいることになる。
強力な歪みだが、この能力が適応される相手は格下に限り、同格以上に対しては相手の同意がなければ転移させられない。故に天魔との戦いでは切り札に成り得ず、主に自身や味方の補助に使われる歪みである。
例外事項だが、建物の中にいる相手やバインドなどの魔法で囚われている相手なら、例え格上であろうと建物自体或いはバインド自体を能力対象にすることで強制転移させることも可能。
これはクロノの身近で失われる命を救いたいという祈りが生んだ歪みである。



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第十一話 子供の我儘

副題 顔芸。
   クロノくんは苦労人。
   悪い子になりたいんだ。



1.

 ヨレヨレの白衣を靡かせ、ぼさぼさな紫の髪を振り回し、端正な顔立ちを醜悪に歪めながら、男は大声で己の名を名乗る。

 

 

「私の名は! ドクタァァァッ! ジェェェイルゥ・スカリエッッッティ!! 気軽にドクターと呼んでくれたまえ」

 

「は、はぁ」

 

「な、何か凄い人がいるの」

 

 

 思わず、なのはとユーノはぴしりと固まる。

 余りにも高過ぎるテンションについていけず、彼らは表情を引き攣らせていた。

 

 

 

 近未来と言われてイメージする艦の内部。

 ファーストコンタクトとして遭遇したのは、そんな一風変わった人物であった。

 

 ジェイル・スカリエッティ。

 優れた科学者であり、生物学と機械工学を専攻とする研究者。

 それ以外の分野にも広く深い見識を持ち、名実共に管理世界の最高頭脳と称される男。

 

 クロノは彼の事をそう説明した後、頭痛を堪えるかの様に額を押さえながら、冷たい声音でスカリエッティへ向かって言葉を口にした。

 

 

「はぁ、何の用だ、スカリエッティ。僕はこれから彼らを艦長の元に連れて行かなくてはいけないんだが」

 

「ふむ。ふむふむふむ。おぉ、体のこの部位の筋肉がこう発達しているのか!?」

 

「いや、聞けよ!?」

 

「貴様、何をする!?」

 

 

 そんな彼の発言は、あっさりと流される。

 興味深い現象を見たスカリエッティと言う螺子の外れた科学者が、常識的な対応などする筈がなかった。

 

 クロノの言葉を完全に無視して、スカリエッティは恭也の下へ移動する。

 そして無遠慮にその身体を触り、筋肉の付き方や骨格、人体の柔らかさ等を確認する。

 

 その姿は、もう変質者と呼ぶしかないだろう。

 そんな変質者は目を輝かせて、恭也に対して無茶な提案をするのである。

 

 

「時に青年。私に解剖されてみる気はないかね? その人体を解明できれば、私の技術は更に上へ向かうだろう!」

 

「誰が頷くか!?」

 

 

 当たり前の様に拒絶され、それでも変質者は諦めない。

 何が悪いのかなど考えずに、どうすれば承諾されるのかを思考するのが彼である。

 

 

「いや、そこを何とか。バラして中を見た後は元通りにすると約束するから」

 

 

 元通りにするから、それで良いだろう。

 そう語る研究者の技術力は、確かに大した物なのだろう。

 

 だがどうにも、彼は人の感情の機微と言う物が分かっていなかった。

 

 

「おい。クロノ。刀を返せ、こいつを斬らせろ」

 

「いや、そんな奴でも管理局最高の頭脳だからな。今死なれると困る」

 

「おお、その頭脳さえなければここで斬られてしまった方が良いのに、と言わんばかりの冷たい瞳。情がないな、クロノ少年」

 

 

 本気で敵意を向けられながらも、スカリエッティはニヤニヤと笑う。

 そんな楽しそうな破綻者の姿に、クロノと恭也は嫌な表情を隠せなかった。

 

 

 

 そんな彼らを見ながら、なのははふと思う。

 

 

(この人が一番頭の良い人なら、もしかして――)

 

 

 それはもしかしたら、程度の期待。

 けれど儚い可能性であっても、試してみずにはいられない。

 

 

「あ、あの!」

 

「おや、何だい?」

 

 

 だからなのはは、その残骸を両手に持って声を上げる。

 幼い少女の目に真剣な色が見えたから、珍しくスカリエッティは真摯に向き合った。

 

 

「ええと、これ、治せませんか?」

 

 

 彼の前になのはが取り出したのは、黙して動かなくなったデバイス。

 ユーノから預かり、自然となのはの相棒となっていたレイジングハートである。

 

 

「ふむ。これは、……少し手に取って調べさせて貰っても良いかね?」

 

「あ、はい。どうぞ」

 

 

 レイジングハートをスカリエッティに手渡す。

 手渡された赤い宝石を左手に持って、科学者はジロジロと観察を行う。

 

 

「ふむ。これは一見インテリジェントデバイスのように見えるが、その実ロストロギアのようだね。いや、滅んだ文明が作った高性能デバイスと言うべきか。ふむ。珍しい」

 

「設備もないだろうに、分かるのか?」

 

 

 ただ手に持って、見ているだけ。

 それだけでそんな解答を導いたスカリエッティに、クロノが問い掛ける。

 

 そんなにあっさりと、分かる物なのだろうか。

 

 専門家でさえ大規模な設備を使っても分からぬ事の多いロストロギア関連物だと言う話を聞いたからこそ、クロノはそう疑問を抱いていた。

 

 そんな当たり前の疑念に対して、スカリエッティは笑いながら返答する。

 

 

「こんなこともあろうかと、そう、こんなこともあろうかと! 普段から多機能デバイスを持ち歩いているのだよ。さながら今の私は、簡易研究所と言ったところだろうか。ああ、しかし良いなこの言葉。こんなこともあろうかと!」

 

 

 無駄に高いテンションで返る答え。その面倒臭いアクションに、誰もが引き気味でうざいと思ってしまったのは仕方がないことだろう。

 

 

 

 誰もが引き気味で見詰める、ニヤニヤと笑う男。

 彼に対して臆せずに声を掛けたのは、黙り込んでいた金髪の少女であった。

 

 

「……それ、直るの?」

 

 

 何処か鬱屈とした声音で、その瞳にドロドロとした感情を抱いたまま、フェイト・テスタロッサは問いかける。

 

 そんな少女の機微に気付く事などなく、スカリエッティは当たり前の様に返答した。

 

 

「ふむ。難しくはある。こうも見事に壊されていたら、一流のデバイスマイスターでも直すことは出来んだろう。だが、私の辞書に不可能はない! 管理局最高の頭脳として、一晩で直して見せようではないか! おお、口にすると滾って来るな!」

 

「ほ、本当ですか!」

 

 

 スカリエッティの発言に、なのはは喜びの声を上げる。

 

 覆しようがない程に変人だが、それでもスカリエッティは管理局で最高の研究者。

 故にこそ、これ程に壊れたレイジングハートであっても、彼ならば修理する事が可能であったのだ。

 

 

「ユーノくんからの借り物だったので、壊しちゃったのがちょっと悪いなって思ってて」

 

「……僕は貸したんじゃなくて、あげたつもりだったんだけど。だから、そんなに気にしなくて良いのに」

 

「け、けど」

 

 

 なのはの言葉に、ユーノは言葉を返す。

 気にしなくて良い。レイジングハートはなのはにこそ相応しいのだから、と。

 

 その言葉に思う所はあっても、それでも喜色は隠せない。

 相棒と言えるデバイスが直ると言う事実を前に、歓喜する心は隠せなかったのだ。

 

 

「良かったじゃないか。スカリエッティは性格こそどうしようもないが、頭脳だけは本物だからな。宣言したからには必ず直すだろう」

 

「ああ、なのはも喜んでいる」

 

 

 言葉数は少なく、ただ優しげな瞳で少年少女を見詰める男二人。

 

 恭也は妹の喜ぶ姿に、純粋に感謝を抱いている。

 スカリエッティの不躾な態度には怒りを感じなくもないが、それ以上に妹の恩人としての感謝が勝っていた。

 

 クロノはジェイル・スカリエッティと言う男の本質を知るが故に、手放しには喜べないと分かっている。

 

 だがそれでも、確かにその能力を信頼するが故に、レイジングハートの復活は確実だろうと断じていた。

 

 

「ああ、今日は実に良い日だな! 人体の常識を覆す動きをした人間を観測できたと思ったら、こうして珍しいロストロギアまで研究出来る! これではテンションが天井知らずに上がっていってしまうではないか!!」

 

 

 そしてジェイル・スカリエッティは、表情を歪めて笑う。

 珍しい現象。珍しい情報。それは彼にとっては、万金に値する知識。

 

 そう。彼には目的がある。絶対に果たさねばならぬ求道があり、故に知らない情報は宝石よりも価値がある。

 

 故にそれを纏めて得られた、今日と言う良き日。

 それに感謝を抱いて、ジェイル・スカリエッティは高笑いを続けていた。

 

 

 

 

 

「……そう。なんだ」

 

 

 そんな明るい空気を纏った彼らに対し、鬱屈した少女は真逆の空気を纏う。

 一人離れた場所から見詰めながら、恨み言を言うかの如き声音でフェイトは呟いた。

 

 

「バルディッシュは直らないのに、君のデバイスは直るんだね」

 

 

 そんな少女の変化に、誰も気付けない。

 誰にも気付けない程に小さく、フェイトはその瞳を濁らせた。

 

 

 

 

 

2.

 戦艦内に作られた小さな和室。

 畳の上に正座した緑髪の女性は、これまでの経緯を聞いて一つ頷いた。

 

 

「そうですか、そのようなことが」

 

 

 美しい緑髪の女性。

 リンディ・ハラオウン艦長は、ユーノが語った経緯の審議を思考する。

 

 一行を代表したユーノの言葉。

 それを証明する物こそ未だないが、それでも嘘を吐く理由もない。

 

 スカリエッティが預かった赤いデバイスが直れば、データの回収による裏付けも出来るであろう。

 

 リンディ・ハラオウンはそう考えると、一先ず彼らの言葉を信じ、その功績を称えた。

 

 

「良くぞ、やってくれました。……大人としては危ないことをしでかした子供を怒るべきかもしれませんが、貴方達が動かなければ被害はもっと拡大していた。それはこうして話を聞くだけでも明らかです」

 

「言い訳になるがな。僕達だって遊んでいた訳ではない。ロストロギア輸送艦が襲われた際の救難信号。それをキャッチしてから即座に動いたさ」

 

「ですがその時には既に、魔力痕跡のほとんど拡散してしまっていたのです。あの次元震が起きるまで、積荷がどこに行ったのかも分からない状況でした」

 

「だからどうしても遅れてしまった。……それが君達に負担を掛ける結果になってしまった以上、すまないと詫びるだけでは足りないだろう。それに、確かに感謝している。君達のお陰で、最悪の事態は避けられた。本当にありがとう」

 

 

 リンディ艦長と執務官クロノの感謝の言葉。

 二人の人物から褒められて、なのはは何処か気恥ずかしそうに頭を掻いた。

 

 だが、二人の感謝は事実である。

 誇張でも過大評価でもなくて、確かになのはとユーノがいなければ最悪の事態が起きていたであろう。

 

 巨大樹による大地震と巨大狗による民間人襲撃。

 大量破壊能力を持った核兵器の爆発と、それによる結界内の汚染。

 海鳴全土を巻き込んだ竜巻の同時多発的発生と、地球全土を揺らした次元震。

 

 どれか一つでも放置していれば、街は確実に滅んでいただろう。

 それ程の規模の事件を防げたのだから、なのは達の功績は実に大きいのだ。

 

 

 

 そんな言葉に照れる少女の姿に微笑んで、一息を入れると表情を変える。

 管理局の将官としての表情に変わったリンディは、フェイトに向かって冷たい言葉を投げ掛けた。

 

 

「さて、今の話が全て事実ならば、私達は貴女を拘束しなければなりません。……申し開きはありますか? フェイト・テスタロッサ」

 

「え、何で!?」

 

 

 リンディの言葉に、なのはは反発する。

 どうしてフェイトちゃんが捕まるのか、その問いに答えるのは黒衣の少年。

 

 

「管理外世界での魔法使用だけなら兎も角、その後がまずい。特に管理外世界に甚大な被害を与えたジュエルシードの強制暴走だけは、お咎めなしとはいかないさ」

 

 

 実際に行った行為だけでも、立件されるには十分過ぎる犯罪行為。

 そしてフェイト・テスタロッサに掛かる疑惑は、それだけでもない。

 

 

「それに、輸送艦を襲った雷光の魔法のこともある。彼女とその背後の人物への疑いがあるのさ」

 

「で、でも」

 

 

 ジュエルシードを求める者が、ジュエルシードが散逸した場所にいる。

 襲撃後すぐさま駆け付けた管理局より早く、フェイトと言う探索者を出せている。

 

 何とも出来過ぎな話である。

 襲撃者とフェイトが無関係と考えるより、繋がりがあったと考える方が自然であろう。

 

 フェイト・テスタロッサ自身か、それに連なる者こそが襲撃の下手人である。

 それはちょっとでも思考すれば、子供でも分かる程に単純な理屈であった。

 

 

「フェイトちゃんは、きっと何か理由がっ」

 

「だとしても、だ。彼女は余りに被害を出し過ぎた。……罪には罰が必要なんだよ」

 

 

 当然なのはも気付いている。気付いて、だからこそ反論の言葉が口を出ない。

 反発する気持ちはあっても、庇いたい気持ちを上手く言葉にすることが出来ない。

 

 だからこそ、クロノを納得させる事は出来なくて、フェイトは拘束された。

 

 

「連れて行け」

 

「はっ!」

 

 

 クロノの言葉に、艦長室の入口に控えていた二人の武装隊員が敬礼を返す。

 

 その硬い動作と力が入り過ぎている敬礼。

 少女を連行する手際の悪さに、新兵がとクロノは内心で毒吐く。

 

 

(全く、理屈は分かるが、納得は出来ん話だ)

 

 

 そんなクロノの思考を余所に、二人の屈強な男に連れ去られていくフェイト。

 

 小さくなっていく彼女の背に、なのはは何か声を掛けようとして――

 

 

「フェイトちゃん!」

 

「…………」

 

 

 だが、答えは返らなかった。

 なのはの手は届かずに、フェイトはこの場より連れ出される。

 

 フェイト・テスタロッサは振り返ることすらせずに、扉の向こうへ姿を消した。

 

 

 

 また、届かなかった。

 二度目の拒絶に、なのははしゅんと項垂れる。

 

 一度目は反発も出来たけど、二度も続けば確かに感じる。

 

 嫌われているのかな、と。

 それは幼い少女の気分を落とすには、十分過ぎる物。

 

 

「さて、それでは貴方達の今後について話しましょう」

 

 

 そんな彼女を哀れに思いつつも、リンディは管理局員としての言葉を告げた。

 

 

「ジュエルシード回収は、我々管理局が引き継ぎます。貴方達は今まで通りの生活に戻ってください」

 

「……協力に対する表彰と褒賞。それから被害に対する補填に関しては後日改めて連絡を入れる。預かったデバイスもその時に返却しよう」

 

「え、でも!?」

 

 

 もう関わるな。後は任せろ。

 それは民間人に頼る訳にはいかない、管理局員としての言葉。

 

 そんな二人の発言に、なのはは反発する。

 今になって、関わるなというのか、と。私にもまだ、出来る事はあるのだ、と。

 

 

「私にだって出来ます! 出来ることはあるんです!」

 

「……悪いけど、民間人をこれ以上巻き込むことは出来ないの」

 

「この事件には大天魔の姿が確認されている。……その恐ろしさは、君達も知る所だろう」

 

 

 そんななのはの訴えは正面から否定される。

 

 民間人は巻き込めないという管理局員の矜持。

 そして大天魔という、自分達でさえも生存の保証がない危険すぎる存在。

 

 その二つの理由があるが故に、なのはの言は一顧だにする意味すらない。

 

 

「あ」

 

 

 そして、なのはも思い出す。

 あの両面宿儺と呼ばれた悪鬼の脅威を、あの怪物に向き合う怖さを。

 

 

――で? お前に何が出来るんだ?

 

 

 ぶるりと、身体が震える。

 甦ったトラウマに、少女は何も言えなくなった。

 

 振り切れた訳ではない。拭い去れた訳ではないのだ。

 歩き出すことは出来たけど、あの出来事は未だにトラウマとして、なのはの心に残っている。

 

 だからこそ――

 

 

「今までありがとう。後は僕達に任せておけ」

 

 

 そんなクロノの言葉に、なのはは何も言い返せなかった。

 

 

 

 

 

3.

「と、ここがアースラの展望室。星海の綺麗な光景が見えるから、休憩の際にここで寛ぐ人は結構いるんだよ」

 

「…………」

 

 

 エイミィ・リミエッタは、一行を案内しながら説明する。

 オペレーターという職柄か、彼女の解説は中々堂に入っていて観光客相手なら喝采を受けていたであろう。

 

 だが、そんな彼女でも現状はどうしようもない。

 冷汗を流しながらも、自分にこんな役割を振った相棒を胸中で罵倒するより他に出来る事がなかった。

 

 

(クロノくんめ! 気分が滅入っているだろうから、気分転換にアースラを案内してやってくれとか言って、こんな状態の子達を押し付けるとか、今に見てろよ)

 

 

 鬱々とした表情で考え込んでいるなのは。

 そんな彼女を心配して右往左往しているユーノ。

 我関せずと、返却された刀を確認している恭也。

 

 一行は誰一人としてエイミィの話など聞いておらず、その姿に表情が引き攣るのをアースラのナンバー3は自覚していた。

 

 

(自己紹介からずっとこの調子で凄く気まずいんだけど! クロノくんマジ許さねぇ。クラナガンに帰ったら、雑誌で人気のあのスイーツを嫌って言う程奢らせてやるんだから!)

 

 

 ブリッジ。食堂。休憩所。展望室。

 

 流石に見せられない機関部や、見ても楽しくないであろう部屋は除いたが、もうアースラ全てを見せて回ってしまった。

 

 必死に盛り上げようとエイミィは笑うが、その効果もない。

 なのは達の纏う空気は変わらず、エイミィは胃が締め付けられる様な痛みを感じていた。

 

 

(パークロードでのデートと最新の映画。序でにホテル・アグスタでのディナーも追加してやる)

 

 

 クロノの財布に大打撃を与える事を、エイミィは決意する。

 

 丁度その時、それまでは考え事に集中していたなのはが、初めてエイミィに向かって声を掛けた。

 

 

「あの、エイミィさん」

 

「な、何かな、なのはちゃん」

 

 

 やっと話しかけてくれた少女に、エイミィは目を輝かせて対応する。

 この居辛い沈黙が改善するならば、どんな言葉にでも対応してみせよう。

 

 そんな彼女は――

 

 

「お願いがあるんです」

 

 

 なのはの告げた無茶な願いに、頭を抱えることになった。

 

 

 

 

 

 帰る前に、フェイトちゃんとお話をさせて欲しい。

 

 それが高町なのはが口にした願いであった。

 

 

 

 本事件の重要参考人にして、管理外世界に多大な被害を与えた犯罪者。それがフェイト・テスタロッサである。

 

 アースラの独房に拘留されている彼女と話をさせる。そんな権限はエイミィにはない。

 

 妨害行為を行ったとしても、それ以上に功績のある協力者の願いだ。出来れば叶えたい。だが、民間人と犯罪者を会話させるのは果たしてどうなのか、と思い悩む。

 

 

「と、とりあえず艦長に確認取ってからね」

 

 

 結局、彼女が選んだのは、責任転嫁。

 責任者はこういう時にこそ、その役割を果たすべきであろう。

 

 そう自己弁護しながら、乾いた声で返す事しか出来なかった。

 

 

 

 そんな彼女の心配を余所に、許可はあっさりと出る。

 

 エイミィ・リミエッタも同席すること。

 時間は十分以内の短時間で済ませること。

 

 条件として挙げられたのはそれだけであり、なのははその言葉に輝かしい笑顔を返す。

 

 本来の業務内容以外のことを押し付けられたエイミィは、胸中でクロノに集る内容を増やしつつなのは達を案内した。

 

 

 

 通常の通路から外れた道。

 アースラの船底近くに設けられた、独房エリア。

 

 凶悪な魔導士を捕える為に、この一帯は魔法発動を妨害するAMFが張られていることを説明しながらエイミィは先に進んで行く。

 

 フェイト・テスタロッサの独房。

 その扉の横にあるキーパネルを操作して扉を開く。

 

 その扉の先、ベッドに腰を掛けてぼんやりとしていたフェイトは、突然入ってきた人物に目を向けて――

 

 

「え?」

 

 

 驚きのあまり唖然とする。

 ぽかんと間抜けに口を開いたまま、彼女は刀の鞘を振りかぶるなのはの姿を見た。

 

 

「ごめんなさい!」

 

「んなっ!?」

 

 

 なのはは木製の鞘を、エイミィの脳天に振り下ろす。

 鉄の装飾がある部分で後頭部を叩かれたエイミィは、変な声を上げてその場に倒れた。

 

 

「おぉ、見事だ。一撃で人を気絶させるのは難しいんだが、流石に御神の血を引くだけはあるな」

 

「なんで、そんなに冷静なの!?」

 

 

 二人にやや遅れて入ってきて、そんなことを呑気に言う恭也。

 その二人の姿と態度に、フェイトは驚愕を隠せない。

 

 そんな彼女の問い掛けに、恭也は予想していたからなと軽く返す。

 余り多くを語らないのは彼の性格もあるが、同時に自分が語るべきではないと思っているからでもある。

 

 そう。彼女の驚愕に答えを返すのは、なのはの役目だ。

 

 

「なのは。扉の外の武装隊員は無力化したよ。これで転送ポートまでの障害はもうない」

 

「ありがとう、ユーノくん。大変じゃなかった?」

 

「恭也さんが協力してくれたし、皆油断していたからね。僕もなのはが念話で教えてくれるまで、こんなことをするとは思いもしなかったし」

 

「にゃはは」

 

 

 恭也と共に入ってきたユーノが、そんな風に状況を彼女らに伝える。

 

 多大な功績を上げた民間人が、愛らしい容姿の幼子達がこんなことを仕出かすなどと、一体誰が予測できただろう。

 

 新兵ばかりの武装局員達はそれに対処出来ず、結果無様を晒していた。

 

 

「……どうして、君はこんなことを」

 

 

 信じられないモノを見る瞳で、フェイトはなのはに問いかける。

 

 管理局員に喧嘩を売って、犯罪者一人を逃がそうとする。

 そんな事をしてしまえば、ただでは済まないだろう。そんなフェイトの言葉。

 

 それに対して返るのは、身勝手な想い。

 

 

「フェイトちゃんは頑張っている。それは私にも分かる。凄く頑張っているって思うんだ」

 

 

 なのはは自分の想いを語る。

 フェイトが捕まってから、考えてきたこの想いを。

 

 

「だから、そんな子が報われないのは間違っている」

 

 

 それは所詮は子供の我儘。

 大局を見れていない、今だけを見た言葉であるだろう。

 

 

「捕まるのが正しくて、それを守るのが良い子だって言うなら、私は悪い子になりたい。悪い子でありたい。そう思ったんだ!」

 

 

 それでも、それは確かな思いだからこそ。

 

 

「君は……本当に……」

 

 

 全てを拒絶しようとした少女の胸にも、確かに届いていた。

 フェイトは自分の為に悪い子になりたいと語る少女を、もう悪意だけで拒絶する事は出来なくなっていた。

 

 

(ずるい。ずるいよ。なのは)

 

 

 フェイトは、言葉にせずに胸中で呟く。

 こんなにも向き合ってくれるなのはに、ずるいと口を尖らせる。

 

 そう。高町なのははずるいのだ。

 

 好ましいのに憎たらしい。

 忌々しいのに嫌いになり切れない。

 

 太陽のような笑顔を向ける少女は、フェイトの心を否が応にも掻き回していく。

 

 

「行こう! フェイトちゃん!」

 

 

 手を伸ばす。

 その小さく、けれど温かい掌。

 

 ずるいと感じながらも、それでも拒絶は出来なかったから、フェイトは確かに差し出された手を掴み返した。

 

 

 

 

 

4.

「あの子達はぁぁぁぁっ!!」

 

 

 ブリッジで監視カメラ越しに、その光景を見ていたクロノは憤怒の声を上げた。

 

 彼の胸にあるのはとんでもない事を仕出かした子供と、そんな彼らにしてやられた無様な局員達に対する怒りである。

 

 

 

 このアースラに配属された局員は、クロノとリンディ、エイミィの三人を除いて新兵揃いだ。

 

 クロノの調整の為にアースラに乗り込んでいたスカリエッティは除くが、正規に配属された者達は皆、士官学校や訓練施設を出たばかりの若い面子である。

 

 何故、そのような人事になっているのか。

 話は単純だ。クロノの持つ歪みが理由である。

 

 彼の歪み。万象掌握。

 それは危険地帯と化している海において、その真価を発揮している。

 

 アースラクルーと他の艦では、生存率が大きく異なるのだ。

 故に新兵はアースラに一度所属し、実際の戦場を知ってから他の部署に行くという形が出来てしまっていた。

 

 鍛え上げた武装隊員達が他の艦に取られ、穴埋めに新人が送られてくる。

 その度に武装隊の隊長職を兼任しているクロノは、強い苛立ちを覚えた物だ。

 

 それでもどうにか遣り繰りしながら任務を熟し、そうしている時に救難信号をキャッチしたのだ。

 

 新兵揃いや、仮にも管理局の重要人物が乗り合わせる現状。そんな面子で大天魔と対する事に、不安は当然今もある。

 

 だが他の海域に向かった艦を待つ時間がない以上は仕方がないと、そうクロノは判断していた。新人でも人手としては動いてくれるだろうと。

 

 子供達にしてやられるというミスをやらかすまでは、の話だが。

 

 そんな新兵と、彼らと同じ無様を晒した相棒に、戻ったら再訓練を課すことを内心で誓う。

 

 そうして、クロノは艦長席を仰ぎ見る。

 ブリッジの艦長席に座るリンディは、幼い子供達の暴走する姿とそれを容認どころか加担している保護者の姿に頭を抱えていた。

 

 

「艦長!」

 

「ええ、分かっています。あの子達には悪いけど、フェイト・テスタロッサは逃がす訳にはいきません。あの位置は貴方の歪みの効果範囲内でしたよね」

 

「はい。艦内ならばどこに居ようと、絶対に逃がしません!」

 

「ならば、対処を。……ただし、余り被害は出さないように」

 

「……善処はします」

 

 

 リンディの言葉にクロノはそう返し、己が歪みを発言させる。

 万象掌握。彼を絶対者足らしめるその力が、ここにその真価を見せようとして――

 

 

「それ、ちょっと待ってくんない?」

 

 

 ぐさり、と何かを突き刺す音がした。

 リンディは己の体、右胸から生えた血の滴る白銀の刃をその目にする。

 

 痛みはなく、滴り落ちる銀光に、ただ違和感だけを感じている。

 身体は動かず、意識が遠のいていく事を、まるで他人事の様に感じていた。

 

 

「母さん!! っ!?」

 

「ほら、お前も動くな。動いたらこいつが火を噴くぜ」

 

 

 咄嗟に対応しようとしたクロノは、その後頭部に硬く冷たい何かを押し付けられて動きを封じられる。

 

 彼の背に笑うのは、女性物の着物を着込んだ金髪の男。

 両面の鬼が持つ男面が、その手に持った質量兵器を向けていた。

 

 

「はぁーい。おっひさー」

 

「よう。元気か? 管理局の犬ども」

 

 

 リンディの胸に生えたレイピアを握る軍服の女が、クロノの後頭部に拳銃を押し付ける着物の男が確かにそこに立っている。

 

 厳重な体制下にあったアースラ内部に、何時の間にかその悪鬼は出現していた。

 

 

「天魔・宿儺!」

 

 

 動きを封じられたクロノは、忌々しそうにその名を呼ぶ。

 そんな彼の声に応と答えて、両面悪鬼はニィとその表情を笑みで染めていた。

 

 

 

 

 




ネット投稿は不慣れなので、これからも文章のレイアウトなどをコロコロ変えるかもしれません。意見。感想は是非に、改訂の参考にさせて頂きます。


スカさんは作者のイメージではこんな人。
日常シーンではネタキャラだけど、実は凄い黒い人ってタイプですね。

当然、当作内でも、スカさんの腹黒さはトップクラスです。
多分コイツが諸悪の根源の一人じゃね? ってくらいに真っ黒です。

そんな奴を使わないといけない。
それ程に管理局は追い詰められていたりします。


ウエスト風味なネタキャラ臭を纏うスカさんの所為で、リンディさんやエイミィの影が薄くなっている気がします。




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第十二話 真実の断片

副題 輝くトラペゾマッド。
   スタイリッシュ掌返し。
   海上での決闘。




1.

 ブリッジに緊張が走る。

 指揮所務めの新米管理局員達は、想定もしていなかった現状に動揺を隠せていない。

 

 

(考えろ考えろ考えろ。ここから何をすれば良いか、取り得る手段はあるはずだ。逆転の札はあるはずだ!)

 

 

 クロノ・ハラオウンはそう思考を巡らせる。

 理性は既に詰んでいると判断しているが、感情はそれを認めない。

 

 僅かあるはずの逆転の札。あるはずだと信じたいそれを、ありはしないそんな都合の良い答えを、マルチタスクで探し続けている。

 

 そんな彼の必死の抵抗を、まるで嘲笑うかの様に――

 

 

「ごふっ!」

 

 

 女の天魔が、その突剣を抜き去った。

 

 その動作に合わせて、まるで思い出したかのように、吐き出された血液が艦長席を赤く濡らせる。

 

 流れ出した出血は多量に過ぎて、命の危機さえ感じ取れる程。

 そんな光景を見て、如何に戦場に慣れてはいても、クロノは動いてしまった。

 

 

「母さん!」

 

 

 如何に多くの戦場を経験したとは言え、彼は未だ十四才の子供だ。

 

 父を早くに失くし、たった一人残った身内。

 そんな母が害される光景に、その命が危ぶまれる瞬間に、冷静で居られるはずもなく――

 

 

「動けば撃つって言ったろ? 馬鹿が」

 

「がっ!?」

 

 

 故にそれも、必然の結末。

 歪みを用いてリンディの傍まで転移したクロノを、宿儺の放った銃弾が撃ち抜いた。

 

 

 

 宙を機械の破片が舞う。

 まるで大砲が放たれたような轟音と共に、右の義手に大穴が開いた。

 

 半ばより砕かれた義手は完膚無きまでに壊れ、弾丸の衝撃でクロノは後方へと飛ばされる。重い音を立てて壁にぶつかると、そこで漸く勢いが止まった。

 

 

「あれ? 何で胴体ふっ飛ばさなかったの?」

 

「そりゃお前、……そんなんじゃ、詰まんねぇだろ」

 

「ああ、いつもの“遊び”ね」

 

 

 腕を失くしたクロノは、無様に這い蹲っている。

 絶え間なく血を流し続けるリンディに、最早意識は残っていない。

 新人ばかりの武装隊は、そんな状況の変化に付いていけず、天魔の放つ異様な気配に飲まれている。

 

 そして、残る両面は嗤っている。

 二人で一人の天魔・宿儺は、そんな彼らを見詰めていた。

 

 

「お前は、何の為に!」

 

 

 苦悶の声を漏らしながら、クロノが口にするのはそんな言葉。

 そんな彼の台詞に返るのは、笑い続ける鬼の乾いた声音。

 

 

「あ? 何の為に、ねぇ」

 

「さぁ、私らも姐さん方に言われて来ただけだしね」

 

「……はっ?」

 

 

 血を吐くような問い掛けに、返る言葉は空々しい。

 それは単純に、両面の鬼もまた、ここで介入する意義を見出せぬが故に。

 

 

「なーんで、あの子を手助けするのかねぇ?」

 

 

 男の視線が向かう先は、転送ポート周辺を映し出すモニター。

 其処に映るのは、手に手を取って走っている二人の少女の姿。

 

 彼に与えられたのは、彼の少女が逃げる迄、管理局を足止めする任。

 そんな下らない仕事に退屈を感じつつも、それでも両面悪鬼は言われた通りに動く。

 

 今は未だ、彼本来の役割を果たせぬが故に。

 

 

 

 そして鬼の視線の先で、金髪の少女が掻き消える。

 

 転移の光に包まれたフェイト・テスタロッサが消える迄、その背を見送り続けた二人の鬼はその光景を確認してから口にする。

 

 

「はーい。お仕事完了!」

 

「んじゃ、後はフリータイムだな」

 

 

 そう。これにて、与えられた仕事は終わり。

 これよりは両面の鬼の役割にも関わる、一つの“遊び”を行う時間。

 

 ニヤリと笑って、両面は視線を艦橋にいる者達へと戻す。

 既に崩れ落ちた管理局員たちを見下ろして、唯ニヤニヤと笑っていた。

 

 

「……お前たちは、天魔はテスタロッサと裏で繋がっていたのか!?」

 

「あー、それ、どうなんだろう?」

 

「いや、俺は知らねぇけど、もしかしたらそうなのかもなぁ」

 

 

 クロノが口にする当然の疑問。

 それに宿儺は韜晦するばかりで、真面に答えようともしない。

 

 その口にした遊びと言う言葉通りに、両面の鬼は遊んでいる。

 見極めているのだ。彼らが何をするのか、彼らに何ができるのか、を。

 

 

「お前たちは! 一体何がしたいんだ!!」

 

 

 そんなふざけた態度に怒りを抱いて、クロノ・ハラオウンは叫びを上げる。

 

 圧倒的に不利な立場にあって、尚も強気なその態度。

 そこに挫けぬ意志を見つけ出して、宿儺は小さく呟いた。

 

 

「ま、及第点って所か」

 

 

 紡いだ声は、誰にも届かずに掻き消える。

 この状況下で諦めないなら、多少は相手にする価値もあるだろう。

 

 そうとも、例え四肢を捥がれようとも、喰らい付くと言う覚悟。

 

 それはあくまでも、最低限の条件だ。

 それがなければ、そもそもからして始まらない。

 

 

「さて、私らが何をしたい、ねぇ」

 

「それは夜都賀波岐に対する問いか? それとも俺個人に対する問い掛けか?」

 

 

 そう。既に世界は、それ程に詰んでいるのだ。

 故にこそ求められる次代の輝きとは、絶望の中でも足掻く光と知れ。

 

 

「教えてやるよ。……俺の意志はあいつの意志だ」

 

 

 空気が変わる。密度が変わった。

 最低限を満たした相手を前に、ならば次はと威圧が増す。

 

 

「俺だから分かる。俺にしか分からねぇ」

 

 

 呑まれる。吞み込まれる。

 その意に。その想いの大きさに。

 

 その言葉の意味は分からねど、宿した熱意に場の誰もが呑まれている。

 

 

「そうさ。どっかで電波受けてる、喪女拗らせたうちの指揮官代行殿も! てめぇらのトップ張ってる、腐ってイカれた脳味噌共も! 死に損なってるあの死体女も! どいつもこいつも、あいつのこと、まるで全然分ってねぇ!!」

 

 

 そう。真実を知る者達は、真実何も分かっていない。

 

 

 

 怒りに狂い、彼を裏切ったこの世界の人間達。

 一人も生かして残さないと、女の情念を見せる天魔の指揮官。

 

 ああ、馬鹿だろ、忘れてんのか?

 あいつが自分の宝石に傷付けられて、その事実すら忘れられて、それで怒りを覚えるとでも思っているのか?

 

 あいつ意外としつこいんだぜ。

 手前の大事はずっと大事って、真面に思考も出来ない今でも縋りついてやがる。

 

 

 

 魔法があいつを傷付けるという真実を知り、それでもなお己の理想の為に広げ続ける最高評議会。

 

 愛されている事実を知っている手前らがそんな調子で、結果纏めて破滅するかよ。

 ありもしねぇ幻想に縋って、何時か叶うと信じて罪科を積み上げ続けるのがお前たちの善行か? お前らの正義は、そんな形じゃなかっただろうっ!

 

 彼の愛で諸共に滅びるならそれも至高とか言ってる奴奈比売(うちのバカ)も大概だが、お前ら阿呆を拗らせ過ぎだ。

 

 

 

 そして死に損ないのあの女。

 手前は正しい。確かにその回答は一番マシだ。

 

 だがよ、あいつはあれで意外と優柔不断だぜ。そんな単純に割り切れねぇ。

 この世に生きるアイツの刹那が、地獄に堕ちるその選択。どうして奴が認められようか。

 

 

 

 天魔は語る。宿儺は告げる。

 誰も分かっていないと、彼の裏面であるが故に分かる鬼だけが知っていると。

 

 その言葉の意味は、その場の誰にも分からない。

 誰かに教える様に口にしてはいないから、理解できる筈がない。

 

 けれど、その内に秘めた熱量だけは、誰もが感じ取っていて――

 

 

「そうらしいよ。私が動く理由って、さ」

 

「ふむ。ならその辺りの事を、色々と教授して貰いたいのだがね」

 

 

 故に場の誰もが、その男が口を開くまで、その登場に気付けなかった。

 

 

「あん?」

 

 

 そんな唐突な声に、宿儺がブリッジの扉を見る。

 其処に立っていたのは、狂笑を浮かべる一人の研究者であった。

 

 悪名高い大天魔。

 彼らに制圧されたこの場所は、正しく死地。

 

 多くの局員達が二の足を踏み、立ち入ることを恐れるその死地に、平然とやって来るのは紫髪の男。

 

 

「ドクター?」

 

「ふむ。生きているかね。クロノくん? 生きているようだね。それは何より」

 

「おいおい。お前、正気かよ」

 

 

 そんないつも通りの態度を示す科学者の姿に、両面の鬼すら呆れて口にする。

 

 絶対の死地へと立ち入った男は、ニヤニヤと狂った笑みを浮かべていた。

 

 

「ねぇ、おっさん。分かってる? 私達がその気になれば、今この瞬間にも皆死ぬわよ」

 

 

 女の鬼が、半ば本気で口にしたその言葉。

 紛れもない真実を前に、スカリエッティは笑みを深くする。

 

 

「分かっているとも、正気に自信はないがね。君達が本気になれば、その瞬間に船は沈む。そら、どこに居ても死ぬのは変わらんだろう? なら少しでも君達を間近に観察してその神秘を解き明かしたい。そう思うのは研究者として当然だと思うがね。……後おっさんは止めてくれ、私はまだお兄さんだ」

 

 

 至極当然と、スカリエッティは己の考えを吐露する。

 確かにそれは合理的な行動であり、同時に人の持つ当然の感情が欠けている。

 

 

「はっ。良いなぁ、おい。良い感じにイカレてんじゃねぇか」

 

 

 そんな男の様を、宿儺はそう批評する。

 求道に狂った研究者は、鬼の瞳で見てもそう断ずるより他にない。

 

 この男は壊れている。

 この男は、致命的なまでに、何かがズレて狂っていた。

 

 

「ふむ。そういう物かね。だが、別にどうでも良いな。君達をこうして直接見て、得る物は確かにあったのだから」

 

「あん?」

 

「君達の肉体が高密度の魔力で形成されているのは、まあ管理局としては周知の事実だ。その魔力がどこから来ているのか、というのは明かされてなかったのだがね」

 

 

 得る物はあった。

 スカリエッティは絶対の死を前に、そう語る。

 

 既に天魔に対抗する為の研究を進めているとは言え、現状では有効打を手にしてはいない。

 

 そうでありながらも、何ら臆する事はなく、今回得た事を自慢げに語るのだ。

 

 

「……実はこの艦橋の魔力総量は計測されていたのだが、君達が現れる前と後で全く変化が見られない。ああ、つまりはそう言うことなのだろう? 君達の体を構成しているのは、出現場所にある大気中の魔力素であり、結論、魔力がある場所ならば、どこにでもその体を作り出すことが出来るという訳だ! その現象、形成とでも呼ぶべきか!」

 

 

 即ち、彼が理解したのは、天魔の在り様。

 大気中に存在する魔力素こそが、彼らの身体を形付くっていると言う真実。

 

 詰まりは単純。天魔は、この世の何処にでも現れる。

 魔力素の存在しない虚数空間を除いて、彼らは何処にでも一瞬で出現出来るのだ。

 

 その解答に気付いたクロノは、余りの事実に忘我する。

 その解答に辿り着いた研究者を、天魔は楽しそうに見詰めていた。

 

 

「ふーん。……で? そんなこと話してどうするよ」

 

「いや、どうもしないよ。唯の悪癖でね。如何にも新しい事を知ると自慢したくて堪らなくなる」

 

 

 或いは、コイツならば自分の知識だけで、世界の真実に辿り着くかも知れない。

 

 何故にこの世界が、こんなにも詰んでいるのか。

 何故に大天魔が、憎悪と憤怒を以って魔導師たちを狙うのか。

 何故に魔法が、この世界に止めを刺す切っ掛けになり得るのか。

 

 この男ならば、確かに辿り着くかも知れない。

 それは宿儺が好む物とは種を異とするが、確かにある一つの可能性。

 

 

「それで、その科学者さんは、私らのこと知ってどうするつもりなのかしらね」

 

「何、大したことではない。唯、神殺しをしようと思うだけだよ」

 

 

 故に、問い掛けるのは、そんな疑問。

 それに返す狂人の言葉に、誰もが絶句した。

 

 大天魔とは、神に使える六柱の偽神。

 彼らを真実神と呼び、神と認めているのは、管理局とて変わらない。

 

 そんな神の前で、お前を殺すと叫んでいる。

 スカリエッティの一言は、それとまるで変わらぬ自殺行為だ。

 

 

「未だ管理局を襲撃しに来たことのない君は知らないかもしれんがね。君の同胞。五柱の大天魔達は幾度も私から子供達を奪っている!」

 

 

 即ち、天魔・悪路。天魔・母禮。天魔・奴奈比売。天魔・紅葉。天魔・大獄。天魔・常世。以上六柱、以って穢土夜都賀波岐。

 

 彼らは幾度も、ミッドチルダへ侵攻した。

 そしてそんな彼らに抗う為に、常に最前線で肉壁とされるのはスカリエッティの愛しい子供達だ。

 

 ウーノ。ドゥーエ。トーレ。クアットロ。チンク。セイン。セッテ。オットー。ノーヴェ。ディエチ。ウェンディ。ディード。タイプゼロ・ファースト・セカンド。

 

 無数の戦闘機人は破壊され、プロジェクトFの人造魔導師も役に立たない。

 彼らは無残な姿で無間八大地獄に飲まれ、何も掴む事はなく、無意味に屍を重ねている。

 

 スカリエッティは覚えている。

 誰一人として忘れずに、その名を、その姿を覚えている。

 

 失った愛する子供たちに、報いねばならぬと知っている。

 

 

「そう。失ったのだ。ならば為さねばなるまい!」

 

 

 為すのは復讐か? 否、断じて否。

 そんな情に縛られた回答は、無限の欲望に相応しくはない。

 

 故に彼は狂人だ。

 唯一つの求道を目指して、他の全てを台無しにする壊れた男だ。

 

 ジェイル・スカリエッティとは、そんなイカレタ研究者。

 

 

「神殺しを! お前達の犠牲は無駄ではなかった。この私をその高みへと導いたのだと示す為に!!」

 

 

 そう。それこそが真実。

 スカリエッティは宣言する。何れ至るぞ、と。

 

 狂気が強念を生むならば、その想いは確かに渇望と言うに足る。

 今の全ての民が弱り切ったこの世界において、確かな輝きを宿すのは、壊れて狂った求道の男。

 

 

「ははっ! ははははははっ!」

 

 

 故に返るのは、鬼の笑い。

 

 嘲笑うのではなく、嘲るのでもない。

 真実面白い馬鹿を見たと、宿儺は腹を抱えて大笑する。

 

 

「良いな、お前。体張るタイプじゃねぇのが、ちょっと気に入らねぇが、それを差し引いても面白い。……認めてやるよ。お前は真面目に生きている」

 

「そうかね。なら褒美代わりに、その体を解剖させて欲しいのだが」

 

「嫌だよ、バーカ。そんだけキマッタこと口にすんなら、自分の頭だけで俺らの真実を明かして見せろや」

 

 

 言って宿儺は背を翻し、その体が解けていく。

 ここにあるという意思が消え去り、肉体は魔力へと還元される。

 

 

「おや、宣戦布告した心算なのだが。殺さないのかね?」

 

「はっ、てめぇみたいに真面目に生きてる奴は少ねぇんだよ。特に魔導師連中にはな。ならその果てを見届けねぇで、殺しちまうのは勿体ねぇ。……気張れよ科学者。手前の傑作。手前の自信。全部揃った所で潰してやるからよぉ!」

 

「じゃね、オジサマ。今日は久しぶりに、結構楽しかったわ」

 

 

 そう言葉を残し、両面の鬼は去っていく。

 その崩れて魔力に還っていく姿を、スカリエッティは冷たい瞳で観察していた。

 

 

 

 そして、彼らの痕跡が消える。

 何もかもが消え、嵐が過ぎ去った後――

 

 

「っ! 何をしているお前達! 早く母さんを医務室に運ぶんだ!!」

 

 

 クロノの言葉で、止まっていた時が動く。

 ハッとした表情で敬礼を返した後、ブリッジクルー達はリンディの元へと歩みを進めた。

 

 

「ふむ。ふむふむふむ。ああ、なるほど。だが、出来れば彼らの太極も確認したかったが、ああ、他天魔の太極データだけでも推論だけなら立てられるか。魔力素だけならば何の変哲もないのだから、違いとなるは魂の有無。この場で起きた事象。大天魔がこれまでに起こした現象。即ちそれは。魂の活動。肉体の形成。法則の創造と言った所か。ならばその先にあるのは、神という存在とは。ああ、そもそもこの世界には何故魔力が満ちている? 魔力とは何だ? リンカーコアが吸収する大気中の魔力素。魔力で構成されている天魔という存在。そして創造の先、そう流れ出すという概念。この世界そのものが或いは……ああ、滾ってきたぞ! ふふふ。ふはは。ははははははは!!」

 

「そこで高笑いしている馬鹿! お前が医療技術も一番高いんだから、笑ってないで手伝え!!」

 

 

 また一つの真実に気付いた男は笑い狂い、隻腕の執務官が怒鳴り付ける。

 

 天魔が消えた後、慌しい遣り取りの中で、ゆっくりとアースラは平常へと戻っていった。

 

 

 

 

 

2.

「君達は、自分が何をしたのか分かっているのか!?」

 

 

 喧噪が去り暫くしてから、クロノは歪みを行使した。

 

 対象はなのは達。このブリッジに向かって来ていると言う事実には驚かされたが、それで怒りが収まる訳もない。

 

 捕えられた少女達は、そんなクロノの怒りが籠った説教を長々と聞かされている。

 

 彼の怒りに晒される少年少女達は、己が悪いと知っている為に、項垂れてその説教を受け入れるしかない。

 

 

「御免なさい。けど、フェイトちゃんが捕まったままなのは、嫌だって思ったから」

 

「感情だけで動かれたら困る! 彼女を逃がしたことで、どれだけこの事件の解決が遠のいたと思っているんだ! 彼女の黒幕、その正体、その居城が判明するかもしれなかったというのに!」

 

 

 烈火の如く口にされる言葉は、確かな正論。

 それ故に、なのは達は肩身を狭くするしかない。

 

 

「あのさ、クロノ君」

 

 

 そんな彼女達の姿を哀れに思ったか、頭に白い包帯を巻いたエイミィは擁護の為に口を開く。

 

 彼女達にしてやられたというに、意識を取り戻して直ぐに許し、こうして庇おうとしている姿は確かに彼女善人であると示している。

 

 だが――

 

 

「この子達は未だ子供だし。仕方ないんじゃないかな。幸い、それ程大きな被害は出ていな――」

 

「君も君だぞ、エイミィ! 管理局の一員でありながら、こんな子供に後れを取るなど弛んでいる! 君がしっかり彼女達を監督できていればこんなことには――」

 

「げ、藪蛇った」

 

 

 擁護しようとしたつもりが、飛び火する説教にエイミィは嫌そうな顔を隠せない。

 そんな彼女の態度が頭に来たのか、クロノは更に気炎を上げて叱責を続けようとして――。

 

 

「そこまでよ。クロノ」

 

「か、……艦長、傷の方は宜しいのですか?」

 

「私がミスすると思うのかね? 右肺はやられていたが、他の臓器に影響はなかった。簡単な開腹手術と治癒魔法で事足りたよ。……まあ、まだ安静にしておくべきなのは否定せんがね」

 

 

 彼の言葉を遮り、一組の男女がブリッジに姿を現した。

 

 車椅子で運ばれる女。リンディ・ハラオウンはその顔色の悪さを隠せず、しかし管理局員然とした態度を示す。

 

 

「艦長。まだ休んでいるべきでは」

 

「いいえ、クロノ執務官。この現状は十分に異常事態と呼べます。で、ある以上、責任ある立場の人間として、眠ってなど居られません」

 

「などと言って聞かなくてね。……まあ、魔法行使さえ控えれば悪化しないと保障はしよう」

 

 

 言ってリンディは視線をなのは達へと移す。

 視線を向けられて、子供達はその姿勢を正した。

 

 

「貴方達があのような行動をしなくとも、天魔・宿儺の襲撃があった以上、我らがフェイト・テスタロッサを確保し続けることは不可能だったでしょう」

 

 

 そんな言葉に、明暗分かれる表情を浮かべる場の者達。

 明るい表情を浮かべたなのはらに対し、噴飯を隠せぬのは隻腕の少年だ。

 

 

「艦長! それが事実だとしても、彼女達は!」

 

「ええ、規律に反し、利敵行為を行った。例え協力関係にない民間人の行動であっても、管理局法の影響外にある管理外世界の住人であっても、処罰せずに済む範囲を既に超えています」

 

 

 続く言葉にコロコロと表情を変えていたなのはは、一瞬でその表情を緊張させる。

 

 

「高町なのは。貴方に下される処罰は一つ。貴方のデバイス、レイジングハートの修理が完了次第、フェイト・テスタロッサを呼び出しこれと戦闘を行う事です。その為に、ジュエルシードの使用も許可します」

 

「なっ!?」

 

 

 リンディの決定に、驚きを返す者と喜びを返す者。

 戸惑いを浮かべる者に、納得している者。皆が其々に特徴的な表情を浮かべる。

 

 

「待ってください、艦長! 民間人を戦場に出すのは!」

 

「利敵行為により損害を出したのなら、それと同様の利益を齎すのが起こした事態に対する責務です。フェイト・テスタロッサとの戦闘に勝利する必要はありません。例え敗北したとしても、彼女の魔力パターンを元に追跡は可能。……高町なのはに求めるのは、得られるはずだった情報。敵本拠地の位置情報です」

 

「それなら、僕が出れば!」

 

「その様で戦うつもりですか、クロノ。義手が壊れている以上、それが直るまで戦闘は禁止です。……私もこうして動けぬ以上、戦力不足は深刻と言うより他にありません」

 

「ですが!」

 

「それに、貴方では彼女は来ないでしょう。勝算が皆無な相手に挑むほど、フェイト・テスタロッサも愚かではないはずです」

 

「くっ……」

 

 

 自分が戦場に出る。武装局員達に任せる。

 様々な案が浮かんでは消えるが、そのどれもが役には立たない。

 考えれば考える程、リンディの言に従うしかない事実にクロノは気付いた。

 

 自分より弱い民間人に頼らなければならない。

 そもそも戦場に出すべきではない、そんな子供に頼らねばならない。

 

 その事実にクロノ・ハラオウンは歯噛みする。何の為に身に付けた実力だ、と。

 

 

「……色々と気に入らないことはあるが、罰というには軽すぎるな。それだけか?」

 

 

 高町恭也は、決まったことに口を挟もうとはしなかった。

 

 妹が前線に出され、更にその勝負を利用されるというのは腹が立つ。

 

 だが、決まったことは仕方がないと。

 そう割り切って、しかし疑問に思ったことを口にする。

 

 それに対するリンディの返答は、冷たい物であった。

 

 

「無論、貴方達にも罰はあります。ユーノ・スクライアはその全力を持って、高町なのはを支援すること。どんな状況になろうと、彼女が与えられた役を果たせるように動くことです。……そして高町恭也。貴方に下す罰は」

 

 

 そう。リンディは決めている。

 

 子供達が悪いことをしてしまうのはある意味仕方がない事だ。

 彼らは理で動くのではなく、情で動いてしまうから、叱り付けることはしてもあまり酷い罰は下せない。

 

 だが、高町恭也は異なる。

 彼はもう大人として扱われてもおかしくない年だ。

 

 である以上、子供達に悪いことをすれば罰せられると教える為にも、保護者である彼には相応の罰が必要だ。

 

 それも、合理的であれば更に良い。

 

 故に――

 

 

「今後一切、魔法に関わる事を禁じます。無論、高町なのはの戦闘への参戦は禁止。戦場に立ち入ること、艦内で見学することも許しません」

 

「何?」

 

 

 そんな言葉を、リンディは口にした。

 

 

「足手纏いです。大天魔が現れる可能性のある戦場に、非魔導士など連れて行くことは出来ません」

 

「……っ! だが! 例え足手纏いだとしても、なのはが戦っているのに何もしないでいるなど!」

 

「その結果、貴方の大切な妹が命を落としたとしてもですか?」

 

「くっ!」

 

 

 そう言われて、ついに恭也は返す言葉を失った。

 

 思い返すのは先程のクロノ・ハラオウンとの戦闘。余りにも一方的に敗れた記憶。

 

 そんな彼が、あっさりと片腕を持っていかれた。

 死を決意して尚、立ち向かう事すら難しいのが大天魔だ。

 

 確かに自分が適う道理はなく。足手纏いになってしまう可能性は高い。

 ならば、こうして一人去るのが正当だと言うのか、恭也は感じた思いに歯噛みした。

 

 そんな彼の姿に、リンディは尚も冷たい言葉を続ける。

 

 

「……無力を噛み締め、高町なのはの帰宅を待つ。それが貴方に下される罰と知りなさい」

 

 

 年長者でありながら、少年少女の暴走を止めなかった。

 それ故にリンディの恭也を見る瞳は、他の誰に向けるより冷たい。下される罰は、他の誰よりも重い。

 

 足手纏いであるというのも事実で、しかし見届けたいと願う彼に関わることを禁じる。

 

 それこそが彼女の考える、合理的でありながらも重い罰であった。

 

 

「……」

 

「お兄ちゃん」

 

「恭也さん」

 

 

 無言で拳を握り締める恭也の姿を、なのはとユーノは心配そうに見上げる。

 そんな心配そうな子供達の表情に拳を緩めると、恭也は意識を切り替える様に口にした。

 

 

「いや、なのはが気にすることじゃないよ」

 

 

 なのはの髪の毛をくしゃりと撫でる。

 そして優しく撫でながら、彼女に聞こえぬようユーノに伝えた。

 

 

「……なのはを頼む」

 

 

 絞り出すように口にした言葉に、どれほどの思いが籠っていたのか。

 共に一晩を過ごした事でその事実を知るユーノは、彼に頷きを返す。

 

 ユーノは決意する。

 何が待ち受けようと、なのはを守り抜くと。

 

 彼女達の戦いを見守ろう。

 そして妨害があれば、あるいはなのはに危機があれば、今度こそこの身に変えても守り抜こう。

 

 誰に口にすることはなく、唯、心の中でユーノは誓った。

 

 

 

 

 

3.

 そして、高町恭也は管理局員に連れられ、転送ポートまで移動する。

 妹達を残して一人去ることを、そのどうしようもない感情を噛み締めて――

 

 

「……それで、お前は何の用だ」

 

「ふむ。気付いていたかね」

 

 

 口にした言葉に、返るのは笑う男の声。

 まるで無関係な男の姿に、恭也は警戒心を露わにしていた。

 

 この場所に、高町なのはが来ることは許可されていない。

 

 それも罰の一環であったし、何よりなのはには前科がある。

 恭也に対して、またやらかす可能性がないとは言えなかった。

 

 だから、この場に彼女は来られず、代わりに姿を見せたのは――

 

 

「見送り、という柄でもあるまい」

 

「ああ、少しフォローをしてみようと思ってね。あまり、彼女を悪く思わないであげてくれ」

 

 

 ジェイル・スカリエッティ。

 狂気と求道の意志を併せ持つ、狂ってイカレタ研究者だ。

 

 

「彼女?」

 

「艦長だよ。彼女はあれで優しい女性でね。きっと君の処罰とて、君の命を心配する気持ちが多分に混じっているのだろうさ」

 

「……分かっているさ。俺が足手纏いだと言うのは」

 

「否、分かっていないな高町恭也。君は天魔を見たことがないから、彼らと遭遇しないで済む幸運を分かっていない」

 

「何?」

 

「そう。天魔・悪路。彼のデータを参考にすると解り易いだろう。彼の大天魔の能力は、一定範囲内にある物全てを腐食させるという単純ながら凶悪な物でね。……だが、そんな彼の腐食も魔導士と非魔導士で浸食速度が大きく異なるのだよ」

 

 

 スカリエッティは語る。

 彼が集めたデータを、詳細な画像と共に見せつけながら。

 

 その情報を見せられた者がどう思うかなど考えず、まるで子供が玩具を自慢するかのように見せ付ける。

 

 

「リンカーコア所有者が腐食から死に至るまでの平均所要時間は300秒。五分ほど掛かったのだが、リンカーコア非所有者の死亡時間は約3秒。100分の1の時間しか耐えられなかったことになる。……私はこれを魔力に対する抵抗力の有無だと判断しているがね」

 

「……何故、そこまで詳しく分かる? まさか!?」

 

「いや、志願者を募っただけだよ。表向きはね」

 

 

 何でもないことのように、己がデータの正当性を示す実験内容を、スカリエッティは隠すこともなく語る。

 

 画像で、映像で、死に逝く実験体の姿を見せながら、男は笑い続けている。

 

 

「志願せねばならない状況に陥った者も少なくはなかったが、まあ些細な話だろう」

 

 

 人生を壊された者。家族を人質に取られた者。

 そんな彼らに任意の志願を頼み込んで、そして全てを使い潰した。

 

 その結果、彼は膨大な情報と言うアドバンテージを確かに得たのだ。

 

 

「実験の内容は単純。魔導士百人と非魔導士百人を天魔が襲来する予定地点に拘束して置くだけだ。後はデバイスで随時、その変化を観測すれば良い」

 

 

 天魔五柱分のデータを記録するのは大変だったがね、とスカリエッティは語る。

 何ら悪びれる事もなく、彼の求道に踏み躙られた死者を嗤っている。

 

 

 

 そう。彼は見続けた。

 

 叫喚地獄に飲まれ、生きたまま腐り落ちていく人々を。嫌だと死にたくないと喚くその姿を。

 

 焦熱地獄に飲まれ、生きたまま焼かれていく人々を。今では慰霊碑と共に英霊として祭られる尊い犠牲が、無様に泣き喚いていたその姿を。

 

 黄金の瞳に飲まれて、身内同士で殺し合う姿を見た。妻だけは我が子だけはと、人質を盾に志願を強要された彼らが、その人質を自らの手で引き裂く姿を確かに見た。

 

 

 

 それを語る。悪意なく語る。

 そのスカリエッティの何の呵責もない態度に、恭也は怒りを隠せない。

 

 

「お前達時空管理局は、法と秩序の番人を自称しているのではないのか!?」

 

「おかしなことを聞くね。法も秩序も、多数の人間。集団や国家の為にある物だろう? なら、たった千数百人の犠牲でより多くを救えるデータが揃うのだから、そら、私は法と秩序の為に動いている」

 

「……クロノ・ハラオウンがお前を毛嫌いしている。その本当の理由が分かった気分だよ」

 

 

 狂科学者の在り様に、恭也はそう返すしか出来なかった。

 

 ただ、あの少年がこの男に加担していないのは分かる。

 刃を交えれば、彼の真っ直ぐさは嫌でも理解できたから。

 

 そんな彼があれほど、邪険にするどころかああも冷徹な目でこの男を見ていたのは、彼の本質を知るが故のことだったのだろう。

 

 唯目障りなだけの男に対し、死んでしまえば良いと思うような少年ではないのだから。

 

 

「ふむ。その言い方だと、また嫌われてしまったかな? 出来れば友好関係を築いておきたかったが」

 

 

 この男。ここで斬った方が良いのではないか。

 

 一瞬、恭也は本気でそう思案する。

 だが首を振る。そうした方が良いのなら、とうの昔に他の誰かがやっているだろう。

 

 この男は、今の発言に何も悪意もないのだ。

 本当にリンディ・ハラオウンを擁護する心算で、こんな碌でもないことを口にしているのだろう。

 

 故にこの男と関われば、そのイカレ具合が否応なしに理解できる。

 こいつに隠そうという意思がない以上、害しか齎さないなら当の昔に排除されている。

 

 そうならないのは、単純にこの男が優秀だから。

 この男が居なければ、管理局は更なる苦難に陥るからだ。

 

 だからこそ、こんな男が管理局の技術顧問。技術者の頂点に立っている。

 

 

「やはり人心と言うのは良く分からないな」

 

「……お前には一生分からないだろうよ」

 

 

 そう皮肉を言い、恭也はアースラを後にする。

 

 こんな男をなのはの傍に居させるのは不安があったが、彼女と共にある少年を信じることにする。

 

 そしてこの男が興味を持っているのが、自分であることに安堵した。

 

 それにこうも思う。あの女艦長も、少年執務官も、こいつのような奴を野放しにはしないだろうと。

 

 

 

 そんなことを思い去っていく恭也の姿に、スカリエッティは甘いとほくそ笑んだ。

 

 

「ああ、君は自分が一番注目されている。そう思っているのだろう? まあ事実、その体の構造には興味があるが、……私の本命は君ではない」

 

 

 思うのは一人の少女。

 彼と同じ血筋。同じ肉体構造に至れる可能性を持つ少女。

 

 そしてあれほどの魔力を体内に有する。余りにも異質な少女。

 

 

「実に興味深い素材だ。或いは、彼女なら私が作り上げる、神殺しの素体に成れるかもしれない」

 

 

 スカリエッティは笑う。

 自身が随分と都合の良い場所に居る、この偶然に感謝して。

 

 

 

 さあ、今度は嫌われないようにしなくてはならない。

 

 今の対話で、第九十七管理外世界の住人が嫌う話の内容が、ミッドチルダの住人のそれとそうは変わらないと理解できた。

 

 ならばやはり、道化た態度で近付き、笑い者として傍にあるのが最良か。

 

 

「まぁ、道化芝居も楽しい物さ」

 

 

 現状は己にとって、都合の良い形で動いている。

 

 さあ天魔達よ。私を縛る最高評議会の老人達よ。

 今に見ていろ。私は全てを解き明かし、必ず為すぞ。

 

 

 

 無限の欲望は、静かに笑う。

 昏く歪な笑みを浮かべて、一人で笑い狂っていた。

 

 

 

 

 

4.

 そうして夜は明けて、明くる日の正午。

 なのはは大海の上、雲を下に見る上空に立っていた。

 

 立ち会うのはユーノ唯一人。

 管理局員達は少し離れた場所で、アースラの中から事態を見守る。

 

 手にした杖はレイジングハート。

 スカリエッティの手によって新たな力を得たその杖はその形状も変えている。

 

 

「出来るかな」

 

 

 念話によって呼びかけて、彼女が来る間に不安を抱く。今更ながらの不安を抱く。

 

 

〈I believe maser〉

 

「レイジングハート」

 

〈Trust me, my master〉

 

「うん。そうだね!」

 

 

 だが、そんな不安は直ぐに消し飛ぶ。

 そう。二人一緒なら出来ると信じているから。

 

 

 

 そして、黄金の輝きを纏って、黒衣の少女が飛翔する。

 空の彼方からやってきた彼女は、その手に黒いデバイスを構えていた。

 

 

――新しい名を付けると良い、君の手にあるそれは過去のレイジングハートと同一にしてならず、新たな力を有している。

 

 

 自慢げに語るスカリエッティの言葉を思い返して、なのはは新たな杖の名を呼ぶ。

 

 

「レイジングハート・エクセリオン!」

 

 

 対するフェイトは、その手にバルディッシュに酷似したデバイスを握り締める。

 それは彼女が使いやすいように、バルディッシュと全く同じ形をしていて、同じ部品を使っているけれど、それでも違う物だから。

 

 

「バルディッシュ・アナザーアサルト」

 

 

 名づけた名前も違う物。

 そういう言葉を付け足して、新たなデバイスを展開する。

 

 

 

 二人の少女は、三度目の交差をここに行う。

 

 海上の決戦。

 もう彼女らを阻む物など、ここにはない。

 

 

「だから、私達の戦いに決着を付けよう!」

 

「……絶対に、負けない」

 

 

 因縁の清算が始まる。

 

 二人の魔法少女は空を駆けて――

 

 

「いざ、尋常に!」

 

「勝負!!」

 

 

 そして、激突は始まった。

 

 

 

 

 




電波喪女「遊佐君。正座」

実は天魔勢で一番大変な宿儺さん。口の悪さは鬱憤溜まっている感じで。
常世さん含む他の天魔が暴走しているので、実は一番重要なポジション。穢土に帰ったら常世さんに怒られます。


恭也さんに下される罰は悩みました。悪い子達より保護者の方が罰が重くなるのは普通。保護者の仕事は責任を取ることなので。
現状で宿儺と戦わせるとヤバいので取り合えず退場してもらう。その理由付けに無理矢理罰を適応した感じです。
宿儺さんの弱点知らない管理局なら、割と当然な対応かなとも思います。


副題の掌返しは、前話と対応が180度変わってるリンディさんと、道化の仮面が剥がれたスカさんの二人に掛かっています。

後エリィさんのオッサン発言。お前年幾つだよ、とかツッコんじゃいけません。
なのはさんじゅうきゅうさいのように、女性はいつまでも少女なのですから。


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第十三話 少女の決意

今回はフェイトちゃん回。

副題 白い魔王。
   戦いの決着。
   不器用な母親。



1.

 二人の魔法少女の戦い。

 それは、大方の予想を裏切る形で進んでいた。

 

 

 

 ユーノ・スクライアは思考する。

 高町なのはとフェイト・テスタロッサ。彼女らの実力は拮抗していると。

 

 故に待つのは互角の対峙。

 一進一退互いに譲らぬ激戦が繰り広げられると、これまでの彼女らを知るが故に、本気でそう考えていた。

 

 

 

 クロノ・ハラオウンは予想する。

 高町なのはとフェイト・テスタロッサ。彼女らの違いは咄嗟の判断力にあると。

 

 故にその天秤はフェイトに傾く。

 自身を前に逃走という選択を瞬時に選んだフェイトこそが、相手の力量も見極められずに挑んで来たなのはよりも判断力に優れている。

 

 砲撃型の魔導士と高速機動型の魔導士の戦いの本質は陣取り勝負。

 そうと知るが故に、その小さな差が勝敗を分けると本気でそう考えていた。

 

 

 

 リンディ・ハラオウンは想定する。

 二人の少女達。どちらの勝利が管理局にとって都合が良いか。

 

 悩むまでもない。都合が良いのはフェイトの勝利だ。

 

 仮になのはが勝利した場合、フェイト・テスタロッサは再び拘束される。

 そしてそれから、相手の拠点を聞き出すという余計な作業が必要となるのだ。

 

 幼い少女への尋問。あるいは拷問も必要となるかもしれない。

 それは、流石に気が進まない。必要とあれば出来なくもないが、流石に気が引ける。

 

 それに再び、天魔が来ると言う恐れもある。

 彼らは何処にでも出現するのだから、襲撃を拒む術はない。

 

 ならば単純。彼女がジュエルシードを回収して、拠点に戻る瞬間の魔力痕跡を探知した方が楽で良い。

 

 仮にも自陣営に所属する少女。その敗北を期待している自身に嫌気がさしながらも、リンディは冷静な思考でその瞬間を待っている。

 

 

 

 そんな彼女らの思惑。思想を裏切る形で、その二人の戦闘は続いていた。

 

 

 

 否、それはもう戦闘とは呼べないだろう。

 

 戦闘と言うには余りにも、高町なのはは強過ぎた。

 

 

「はぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

〈Blitz rush〉

 

 

 加速魔法に、更に加速魔法を重ね掛けする。

 少女は宛ら雷光の如く、恐るべき速さで飛翔する。

 

 そんな彼女の暴力的なまでの速さに、当然なのはは反応出来ていない。

 ならば必然。彼女の手にした魔力の鎌は、少女を刈り取ろうとその身に迫り――

 

 

〈Protection EX〉

 

 

 レイジングハートが発する電子音と共に、障壁を貫通する力を持ったはずの魔力刃が弾かれた。

 

 

「くぅっ!」

 

 

 理屈は単純。フェイトの障壁貫通魔法の魔力を、優に超える魔力を使って練られた障壁だから、そんなちっぽけな刃では通らない。

 

 少なくとも、追加で障壁を破る効果がある。

 そんな程度の魔法では、彼女の守りは揺るがない。その障壁は貫けない。

 

 フェイトは動かずに、その目を宙に浮かぶ少女へ向ける。

 

 なのはが纏う障壁。その数は三。

 三重の障壁が曼荼羅を描くように、彼女の周囲を片時も離れることなく、その身を守り続けている。

 

 今のフェイトの火力では、その一つを貫くことすら出来はしなかった。

 

 

「今度は私の番! 行くよ、フェイトちゃん!!」

 

〈Excellion buster〉

 

 

 振りぬいた杖より、放たれるのは桜色の砲撃。

 それは緩やかながらも、確かに軌道を制御された強大な砲撃魔法。

 

 

「あ、あぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 

 必死になって逃げるフェイト。

 彼女をその風圧だけで吹き飛ばしながら、海に大波を作り出す。

 

 その威力は、かつて共闘した際に見せた星の輝きに近い。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 

 完全に躱したはずなのに、その魔砲が伴う衝撃波だけでボロボロとなる。そんな状況下で、フェイトは荒い呼吸を整えている。

 

 絶望的な力を見て、それでもその瞳に戦う意志は薄れていない。

 

 だが、遠い。

 意志の一つでは届かない。

 

 高町なのはは、フェイト・テスタロッサの遥か先を行く。

 

 

「凄い。流石だね、フェイトちゃん! なら、こっちも!!」

 

〈Accel shooter〉

 

 

 現れたるは無数の誘導弾。

 天を覆わんと錯覚させるその数は百。

 

 それら三桁の魔力弾を、なのはは手足の様に操る。

 その制御を外れる弾丸は、一発としてありはしない。

 

 

「バルディッシュ!!」

 

〈Blitz action〉

 

 

 まるで壁が向かってくるような暴威に、フェイトは死に物狂いで魔力を操り加速する。

 

 隙間を縫うように、雷光の如く飛翔する少女は、しかし全てを躱せない。

 

 

「ぐっ!」

 

 

 咳き込みそうになり、速度が乗り切らない。

 嘗てこれ以上の弾幕を躱し切った少女は、然し今は躱し切れずにその全てを小さな体に食らった。

 

 

 

 ダメージが大きい。頭がクラクラとする。

 そんな彼女がふらつく視線で見上げた先には、桜色の魔力を集める少女の姿。

 

 圧倒的過ぎる力を持ちながら、全く油断していないなのはの姿。

 それを苦しみながら見上げて、フェイトは舌打ちを打ちたくなった。

 

 

 

 高町なのはは誤解している。

 フェイト・テスタロッサを遥かに超えた現状でも、彼女の方が格上だと錯覚している。

 

 だから、そこに油断はない。

 それは勝ち筋の見えない少女にとっては、まるで絶望のような光景であった。

 

 

 

 

 

 彼女ら二人。

 これほどの実力差が生じたのは何故であるか。

 

 一つは体調の差。

 放射能に侵され、劣悪な状況下で休まずにいたフェイト。

 家族に守られ、今も管理局の船で最高頭脳の診察を受けられているなのは。

 

 二人を取り囲む環境は、あまりにも格差が生じている。

 

 

 

 二つはデバイスの差。

 魔法を嫌う天魔の多くは当然、そこまで深い知識を持つ訳ではない。それはリザ・ブレンナーという女も変わらない。

 

 その長き生の中で必然として詳しくはなっても、その分野を専門に研究する者に比べれば、二歩も三歩も後塵を拝している。

 そんな彼女が手慰み程度に作り上げた新たなバルディッシュが、そこまで性能を高められるはずがない。

 

 対してなのはのデバイスは、元よりロストロギアという強力な物。

 それを管理局が誇る最高の頭脳が手を加えて作り上げた最高傑作だ。

 

 この時点でその差は歴然としている。

 それを覆す要素など、何一つとしてありはしない。

 

 

 

 彼のジェイル・スカリエッティは、なのはのデバイスを修理する際に新たな力を与えている。

 それは古代ベルカで用いられたカートリッジシステム、ではない。

 

 元よりなのはの魔力量は、異常と言って良いほどに大量であった。

 

 そんな彼女に、魔力を上乗せするシステムなど無意味。

 むしろ、その反動で体にダメージが残る分、害悪ですらあるとスカリエッティは判断する。

 

 よって彼が手を加えたのはAI部分。

 それを構築するコンピュータにこそ、その技術の粋を費やした。

 

 結果得られたのは、マルチタスクの多彩化と魔法の効率化。

 今のレイジングハートは、魔力を注げば注ぐだけ魔法の性能を引き上げる。

 

 そして――

 

 

「レイジングハート!」

 

〈Divine buster, Excellion buster, Divine shooter, Accel shooter〉

 

 

 同時に多種類の魔法を複数展開することすら、容易となっている。

 

 

 

 決して破れぬ障壁に守られた少女が、頭上から無数の魔法を降らせて来る。

 

 その姿、その様はまるで要塞。

 個人を相手にしているのではなく、軍隊に守られた巨大な城壁に挑んでいる。

 

 そんな感想を、魔法の雨を受けて落ちる、フェイトに抱かせていた。

 

 

 

 そして最後に一つ。

 少女達を最も大きく分けた差が、才能の差だ。

 

 凡人は1を知って1を理解する。

 秀才は10を知って10を理解する。

 そして天才は1から10を理解する。

 

 その表現で言えば、フェイト・テスタロッサは正しく努力する天才。己の天分に溺れず、只管に己を高めた努力家だ。

 

 そんな彼女すらこうして圧倒する高町なのはは、正しく魔法の怪物だ。

 

 天才すらも凌駕する鬼才。

 まるで魔法を使う為に生まれてきたような少女。

 

 彼女は1を知り、100でも1000でも理解する。

 凡人や秀才や天才が積み上げた物を、一足飛びに乗り越えていく存在である。

 

 その片鱗は既にあった。

 

 最初は引き出された才能に振り回されていた少女が、デバイスなしでアームドデバイスを装備したフェイトと互角だった時点で既に彼女を超えていた。

 

 なのはがそれまでに経験した魔法戦闘は三度。

 両面の鬼に蹂躙された経験を入れても、四度の戦闘でしかない。

 

 そうでありながら、あの時点で拮抗していた。

 そうでありながら、彼女は今フェイトの経験すらも凌駕している。

 

 そんな才能を、怪物と呼ぶ以外にどう呼称する。

 それ程の圧倒的な才気の器を、彼女はその身に宿しているのだ。

 

 

 

 そんななのはの圧倒的な才能を前に、自分のこれまでの努力が無駄であったかのように、フェイトは錯覚してしまう。

 

 それほどまでに、高町なのはという存在は理不尽だった。

 

 

 

 そんな光景を、アースラで眺める魔導士達は絶句して見詰める。

 

 クロノ・ハラオウンは驚愕する。

 歪みをなしで挑めば、あれは僕でもどうしようもないぞと。

 

 リンディ・ハラオウンは戦慄する。

 何故、管理外世界にあれほどの怪物が生まれ得たのかと。

 

 ジェイル・スカリエッティは歓喜する。

 それほどの才。その暴威を見て、あれこそ私が求めたモノだと確信した。

 

 そんな彼らの、誰もがフェイト・テスタロッサの敗北を理解した。

 

 そう。あれはどうしようもない、と。

 

 

(だから、諦めろと言うのか!)

 

 

 対峙する金髪の少女こそが、そのどうしようもなさを誰よりも理解していた。

 

 太陽のような笑顔で、修羅の如き攻撃を続けるなのはの姿を、恐ろしいとさえ感じている。

 

 

(だけど!)

 

 

 だが負けたくないのだ。

 あの少女には、高町なのはにだけは。

 

 あんな子供の理屈を振りかざし、どうしようもなく自身の心を乱す少女にだけは負けたくはない。負けられない。

 

 違うのだ。勝利にかける想いの量が。

 違うのだ。強さにかける想いの熱が。

 

 体調で劣る? ――だからどうした。

 道具が劣る? ――そうだな。それがどうした。

 才能で劣る? ――だからと言って、諦められない。

 

 そう。負けられないという意思があり、負けたくないという想いがある。

 

 ならば、このまま終わる道理などは何処にもない。

 

 

「アルカス・クルタス・エイギアス。疾風なりし天神、今導きのもと撃ちかかれ。バルエル・ザルエル・ブラウゼル。フォトンランサー・ファランクスシフトォォォ!!」

 

 

 桜色の暴威に蹂躙されながら、フェイトは起死回生の一打に賭ける。

 

 それは儀式魔法。

 彼女が持つ最大攻撃魔法。

 攻防一体の切り札。それを――

 

 

「ストレイトバスター!」

 

〈Straight buster〉

 

 

 ただ一発の魔力砲が、全てを打ち消していた。

 

 

 

 ガタガタと膝が震える。

 

 己の最大魔法があっさりと敗れ去った事実を見て、それを為した少女を見て、まるで御伽噺に出て来る悪魔の王だとフェイトは思った。

 

 そうして隙を晒した少女は、バインドによって繋がれる。

 

 桜色に輝くレストリクトロック。

 対象とした一定範囲内の敵を捕縛する力が、フェイトの身体を捕えた。

 

 

「受けてみて! これが私の全力全開!!」

 

〈Starlight breaker〉

 

 

 全力の攻撃には全力の返礼を。

 そんなことを考えるなのはは、自らが持つ最大の魔法を展開する。

 

 集うは黄金の輝き、放たれるのは星の極光。

 

 それは捕らわれたままのフェイトを飲み込み、そして海を二つに割った。

 

 

 

 

 

 落ちる。堕ちる。墜ちていく。

 体に力は入らず海に向かって落下して、意識は暗闇の中へと。

 

 ああ、このまま敗れると言うのか。

 それほどに、母への想いはちっぽけな物であるのか。

 

 

(そんな、訳、ないっ!)

 

 

 否。否。否。

 

 そう。負けは認めない。

 まだ切り札すら切っていないのに、フェイト・テスタロッサは終われない。

 

 

(そうだっ! 未だ、私はっ!)

 

 

 手にしたデバイスを見る。与えられた力を見る。

 振るえば命を削ると言われた。使えば死ぬと明言されたその力を――

 

 

「カートリッジ。ロード」

 

 

 フェイトは躊躇いもなく使用した。

 

 

「ぐ、あぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 迸るのは悲鳴。金髪の少女の悲鳴だった。

 

 

 

 リザ・ブレンナーが用意した札。

 それは、ただのカートリッジに非ず。

 

 その外装。その機構は正しくカートリッジシステムである。

 だが、その内に込められた魔力が違う。その中身が異なっていた。

 

 それは天魔が放つ太極。

 それと同質同量の高密度な魔力である。

 

 常のカートリッジの千倍、万倍。

 正に桁違いの魔力が込められた、フェイトの切り札。

 

 そう。これは人間には過ぎた力。人の身には余る程の魔力量。

 

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 魔力が満ちる度に、体の皮膚が引き裂かれる。

 神経が断ち切られて、破裂した血管から血が溢れ出す。

 

 制御不可能となった魔力はバリアジャケットの形を成せず、そして溢れ出す膨大な魔力波が少女の衣服を吹き飛ばす。

 

 専用の調節がされているのに、砕けそうになっているデバイスを握り締める。歯を噛み締めて暴威に耐える。

 

 ただ一度のカートリッジ行使。

 それだけで、この有様になっているというのに――

 

 

「カートリッジィッ! ロォォォォォォドォォォ!!」

 

 

 血反吐を吐きながら少女は、更に魔力をそこに重ねた。

 

 一つでは倒し切れるという確信がなかったから、それだけの理由で命を捨てる。

 

 体が持たない。自壊を始めている。

 それを勝利への執念で強引に繋ぎ止めて、フェイト・テスタロッサは飛翔した。

 

 

 

 その速度は正しく神速。

 今の彼女は、光すらも置き去りにする。

 

 

「え?」

 

 

 ふと、振り向いたなのはは、既に背後に飛翔し大剣を構える少女を見た。

 

 

 

 傷だらけで、秘部も隠さずにいるその姿。

 

 黄金のような髪の毛は色を失い。

 全身の肌は見るも無残になっているというのに――

 

 

「綺麗」

 

 

 太陽を背にする魂の輝きに、なのはは見惚れた。

 

 

 

 そしてその瞬間に、戦いは決する――

 

 

「私のぉぉぉ! 勝ちだぁぁぁぁぁっ!!」

 

〈Plasma zamber breaker〉

 

 

 振り下ろされる雷光の刃は、なのはの三重の障壁を容易く切り裂く。

 守りの要を破られた少女は咄嗟に反応し切れずに、そのまま海へと墜落した。

 

 

 

 ここに少女達の決闘。その勝敗は決した。

 

 

 

 

 

 ふらつく意識を意地で支えて、フェイトは眼下を見やる。

 雷光を受けて、落ちた少女を受け止め抱き抱える少年の姿。

 

 その姿に、少しだけ羨望を覚えつつも、彼女は飛翔し少年の持つジュエルシードを奪い取る。

 

 五つのジュエルシードを大切そうに握りしめて、一瞬意識を失いかけているなのはと目が合った。

 

 

 

 フェイト・テスタロッサは転移魔法を発動させて立ち去っていく、その一瞬に――

 

 

「高町なのは」

 

 

 彼女は、あの夜の答えを返す。

 

 

「私は、君と友達にはなれない」

 

 

 それは拒絶の言葉。

 ただそれだけを言い残して、金色の少女は姿を消した。

 

 

 

 

 

 高町なのはは、担架で運ばれながら思う。

 

 

「フェイト・テスタロッサとジュエルシードの魔力痕跡は追えたな! 場所は!」

 

「判明しています」

 

「ならば武装隊を送り込め! 僕も直ぐに向かう!」

 

 

 慌しく動き回る周囲の喧騒。それすらも意識には捉えず。

 

 

「ほう。あれは時の庭園。なるほど、プレシア女史が黒幕だったか」

 

「……プロジェクトFの基礎理論を構築したと言われている女性か」

 

「ああ、ヒュードラ事件後、管理局への奉仕活動という形で一時在籍していた女性だよ。彼女が居なければ、人造魔導士の誕生は後数年は遅れていたと言われているね」

 

「そして本人も、オーバーSの魔導士。大魔導士と呼ばれていた女傑ですね」

 

「ああ、そんな女史の居城だ。何の罠もない、とは言えないだろうね」

 

「……なら、魔力炉の停止を優先しよう。どんな罠であれ、魔力がなければ意味もない。……武装局員各位は防戦を主に、プレシア・テスタロッサの捕縛を命じる。僕も魔力炉を停止しだい歪みを用いて君達と合流する」

 

 

 アースラの戦闘員達が、転移魔法によって出撃していく。

 

 目指すは敵本拠地。時の庭園。

 

 

 

 そんな彼らの隅、医務室へと運ばれていくなのはは思う。

 

 

 

 諦めたくはないな、と。

 

 

 

 

 

2.

「え?」

 

 

 母にジュエルシードを渡したフェイトは、その直後に信じ難いことを聞かされていた。

 

 

「う、うそ、ですよね」

 

「……もう一度言わなくてはいけないのかしら、本当に出来の悪い人形。もう貴女はいらないの、これを持って、さっさとどこでも去りなさい。その短い命、私の目の届かない場所で好きに浪費していなさい」

 

 

 フェイトに投げつけられたのは、機械仕掛けのペンダント。

 ジュエルシードが収まったアクセサリー。

 

 

「本当に使えない子。最後の最後で役に立ったからそれをあげるけど。生み出した役割すら果たせない人形はもういらないの」

 

 

 プレシアは語る。

 少女の由来を、少女の命の意味を、フェイトに良く似た少女が入った医療ポッドを優しく撫でながら。

 

 

「私のアリシア。可愛いアリシア。この子を失ってから、失意にあった私が作った慰みの為のお人形。出来損ないが貴女よ。フェイト」

 

 

 聞きたくない。

 そんな言葉を母は口にして。

 

 

「今だから言うけどね。貴女のこと、ずっと嫌いだったのよ」

 

 

 そんな言葉を最後に、フェイトはその部屋から叩き出された。

 

 

 

 部屋の扉が閉まる。

 それは彼女の拒絶を示しているようで――

 

 

 

 フェイト・テスタロッサは与えられたペンダントを手に、茫然とその光景を見詰めることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 数刻の後、フェイト・テスタロッサは時の庭園を徘徊していた。

 

 死にたい。

 

 何となくそんな風に思うけど、既に死んでいてもおかしくない、どころか死んでいない方がおかしい体は倒れてはくれない。

 

 それはプレシアに与えられたペンダントが理由。

 彼女に渡されたそれは、ジュエルシードの力によってフェイトの体の傷と魔力を癒している。

 

 死に瀕した彼女を完治させるほどでなくとも、確かに延命させるだけの力があった。

 

 これを捨てれば死ねるのに。

 

 そうは思えど、最後に母に贈られた物を捨てることが、彼女には出来ない。

 

 母に捨てられた身であると言うのに、未だ自身は彼女に縋っている。

 

 

 

 ふとどこかで戦闘の音が聞こえた。

 どうやら自分が付けられてしまったようだ。

 

 だがそれもどうでも良い。

 

 無気力に、己が何をしたいのかも定められず歩き回るフェイトは、そこで彼女と遭遇した。

 

 

「あら?」

 

「リザ、さん」

 

 

 リザ・ブレンナーは少女の目を見て悟る。

 己の真実を知ったのだと。

 

 

「リザさんは、知っていたんですか?」

 

「貴女のこと? ええ、知っていたわ。……気付いているかしら? 私は彼女の旧友よ。もう十年以上も会っていなかった、そんな旧友。それが、未だ十に満たない幼子と面識がある訳ないでしょうに」

 

「……ああ、この記憶も、アリシアの物なんですね」

 

 

 そうして第三者から、目の背けようもないほどに事実を突きつけられて、フェイトは絶望の海へと沈んだ。

 

 そんな打ちのめされた少女の姿に憐れみを感じなくもないが、リザが思うのは少し別の事。

 

 

(本当に、不器用な女ね。プレシア)

 

 

 少女の首に掛けられたペンダントを見て、あの不器用な友人の想いを察していた。

 

 

 

 今、この場でフェイトに全てを話す必要はなかった。

 本当に要らないというのなら、後少しで死を迎えるこの少女を、攻めて来ている管理局員にぶつけて使い潰せば良いのだから。

 

 全てを語ったとしても、延命の為のペンダントを渡す必要はなかった。

 既に死に体。執着によって生きていた少女の心を折ったのだから、それさえなければフェイトはもう死んでいた。

 

 矛盾している。必要なのに要らないと言う。要らないと言うのに命を救う。

 どこまでも不器用なプレシアの言葉は、考えれば直ぐにボロが出る程に矛盾している。

 

 あの不器用な友人は、自分の感情にも気付けていないのではないか、ふとそんなことをリザは思い。

 

 

「ついて来なさい、フェイト」

 

 

 少しだけ、手を貸してあげようと思った。

 

 彼女の願い。彼女の目的は果たさせる訳には行かないけれど。

 結果が変わらなくても、過程の変化には確かな意味があるだろうと。

 

 拒絶はない。

 

 黄金の少女は唯無言のまま、リザに従い時の庭園を進んだ。

 

 

 

 

 

「ここ、は」

 

 

 その場に着いた時、思わずフェイトは驚きの声を上げていた。

 

 

 

 時の庭園の魔力炉。

 その傍に作られた廃棄施設に詰まれていたのは少女の体。

 

 フェイトと同じ、顔、顔、顔。

 

 

「アリシアの墓場。……私はここをそう呼んでいるわ」

 

「アリシアの墓場」

 

 

 アリシアの墓場。

 此処はプレシア・テスタロッサの狂気が作り上げた場所。

 

 アリシアにもフェイトにもなれなかった少女達が、この場所に捨てられていた。

 

 

「彼女は幾度もアリシアを取り戻そうとした。けれど出来なかった。その度にここに死骸は積まれていく。あれでアリシアを深く愛した彼女だから、同じ顔を処分することは出来なかったのでしょう。腐って消えてしまうことを望んで、こうして蓋をした」

 

 

 リザの言葉に、フェイトは少女達の声を聞いた気がした。

 

 羨ましい。羨ましい。

 そこにあるのは憎悪ではなく羨望。

 

 こんな様になってなお母を愛する少女の欠片達は、未だ母の為に動けるフェイトを羨望していた。

 

 

 

 リザ・ブレンナーの姿がぶれる。その外装が剥がれ落ちる。

 

 花魁のような衣装に身を包み、化粧を纏ったその姿。

 しかしそれ程着飾っても、溢れる死臭は隠し切れず、それは人に似ているが故に人ではない姿。

 

 そうフェイトは知っている。

 この他を圧する威圧感を知っている。

 

 

「天魔」

 

「天魔・紅葉。それが今、私を呼ぶ名ね」

 

 

 苦笑と共にそう語る女は、本性を曝け出した今も敵意を見せることはない。

 

 

「この子達は言っているわ。こんな様になってしまっても、母の為に何かがしたいと。……それで、この子達と違って動ける。この子達にならなかった貴女は何を望むのかしら?」

 

 

「私の、望み」

 

 

 分からない。

 そんな直ぐに答えは出せない。

 

 けれど、何だかどうしようもなく、母に会いたくなった。

 

 

「なら行きなさい。終わってしまえば、全ての想いは遅いのだから」

 

「はい」

 

 

 お辞儀をして、フェイトは走り出す。

 

 そんな彼女の背を見詰めて、彼女と入れ違いに入ってきた少年に目を向けた。

 

 

 

 

 

――天が雨を降らすのも 霊と体が動くのも

 

 

 女が口にするのは呪。死人操る呪いの言葉。

 

 

――神は自らあなたの許へ赴き 幾度となく使者でもって呼びかける

 

 

 それは女自身が嫌う。死者を捕える太極。魂を縛る女郎蜘蛛の巣。

 

 

――起きよ そして参れ 私の愛の晩餐へ

 

 

 開く、開く、太極が開く。そして蘇るは少女達。

 アリシアに成れなかった欠片達が、空洞の眼下で少年を見つめる。

 

 

――太・極――

 

 

「随神相、神咒神威、無間等活」

 

 

 その死者の軍勢を前にして、立ち入って来た少年。クロノ=ハラオウン執務官は、怒りの咆哮を上げた。

 

 

「貴様らは死者すらも愚弄するか! 天魔・紅葉!!」

 

「……そう。貴方には、これが愚弄に見えるのね」

 

 

 鬼女の顔をした巨大な蜘蛛。

 それはアリシアの墓場と動力室の間の壁を粉砕し、時の庭園の魔力炉を腹に守るように包みながら出現する。

 

 巨大な蜘蛛と、巣に捕らわれた無数の少女達を前に、クロノは大天魔へと立ち向かう。

 

 

 

 

 

3.

 走り、走り、走り続ける。

 そうしてフェイトがその場所に辿り着いた時、そこは戦場になっていた。

 

 

「皆、頑張れ! 執務官が来るまでの辛抱だ!」

 

「そう。防戦に徹すればどうにかなると? あまり大魔導士を甘く見ないことね」

 

 

 必死で追い縋る武装局員達を、プレシアの魔法が蹂躙する。

 その戦いは戦いにすらなっていない、ワンサイドゲーム。

 

 ここまで時の庭園を防衛する機構を相手に、何とか切り抜けてきたのであろう。

 既に武装局員達の体に傷は多く、新米でしかない彼らの闘志は揺れている。

 

 それでも執務官が来れば勝てる。

 そう信じる彼らに、プレシアは雷光を降らせることでそんな時間はやらぬと答える。

 

 だが――

 

 

「げふっ、ごふっ!」

 

 

 プレシアは、魔法を展開する途中で吐血した。

 過去に固執する鬼女の身体は、既に限界を超えていたのだ。

 

 ジュエルシードを得てから完全に解析し、フェイトに贈るペンダントを作る。

 なまじ個数が多過ぎたから、やることが多過ぎたから、もうプレシアの体は限界を迎えている。

 

 

「今だ!」

 

 

 その隙を逃さずに、局員の放つ魔力弾がプレシアに迫る。

 咳き込んだままプレシアは、それを躱そうと体を動かして――

 

 

「フォトンランサー!」

 

 

 咄嗟に飛び出したフェイトが、その魔力弾を迎撃していた。

 

 

 

 場の時が止まる。

 武装局員とプレシアの間に入った少女の姿に、誰もがその動きを止めた。

 

 

「何をしに来たの」

 

「……貴女に伝えたいことがあります」

 

 

 そう。伝えたい事がある。

 

 顔を見た時に、体は咄嗟に動いた。

 未だ変わらない想いがあって、伝えるべき事は最初からあったのだ。

 

 その事実に、漸くフェイトは気付いていた。

 だからその事実を伝えようと、想いを言葉にして紡ぐ。

 

 

「私はアリシアじゃない。唯の失敗作なのかもしれません」

 

 

 突きつけられたのは事実だ。

 

 心が痛くて、涙が出るほどの事実。

 目を背けたくて、でも出来ない事実。

 

 それを確かに受け止めて、フェイトが下した答えは単純な物。

 

 

「でも、フェイト・テスタロッサは貴女の娘です」

 

 

 そう。それが答え。

 例えどんな生まれ方をしたとしても、自分が母の娘であるという事実は変わらない。

 

 

「私が貴女の娘だからじゃない! 貴女が私の母さんだから!」

 

 

 気付けた答えはそれだけで、それだけあれば十分だった。

 自分は母の娘で、そんな馬鹿な娘はまだ母が好きだから、それを確かに伝えよう。

 

 もう何も出来ない姉妹達と違って、まだフェイトには想いを伝えることが出来るのだから――

 

 

「私は貴女を守ります! 例え母さんが私を嫌いでも、私が母さんが好きだからっ!」

 

 

 想いを示すのは、簡単だ。

 確かな言葉を声で紡いで、此処に誓いを見せるだけ。

 

 

「だから、私はそう生きる!」

 

 

 好きだから、嫌われていても守ると決めた。

 大切だから、何と言われようとそう進むと決めた。

 

 それが、フェイト・テスタロッサの生きる意志。

 

 

「……だから、何。私に貴女を娘と思えと?」

 

「貴女がそれを望むなら」

 

 

 誰もがその母娘の遣り取りに飲まれていた。

 邪魔をしてはならないと、敵でありながら感じていた。

 

 

「私はアリシアと共にアルハザードに向かうわ」

 

「はい。分かっています」

 

 

 返る言葉は首肯。

 未だ母が、アリシアしか見ていないのは知っている。

 

 

「貴女は置いていく。アリシアだけを連れて行く」

 

「……はい。分かっています」

 

 

 その言葉は痛いほどに、とてもとても悲しいけれど。

 それでも守りたいと思うほどに、まだ母さんが大好きだから。

 

 だから、フェイトは揺るがない。

 それを確かに理解して、プレシアは一つ息を吐いた。

 

 

「そう。……なら、好きにしなさい」

 

 

 プレシアは背を向け、扉の向こうへと歩を進める。

 重音を立てて閉まった扉は、宛ら拒絶の意志を示している様で――

 

 

「はい。……好きに、します!」

 

 

 しかし、フェイトはもう項垂れない。

 これは己が望んだ生だから、決して項垂れる事はない。

 

 

「来るなら来い、管理局! ここから先は、絶対に通さない!!」

 

 

 武装隊を前に、フェイトはデバイスを構える。

 扉を背に、先には進ませないと、雷光の少女は宣言した。

 

 

 

 

 

 




脱げば脱ぐほど速くなるフェイトちゃん。全裸になれば光速超えるのは確定的に明らか。


ちょっと矢継ぎ早かな、と思いつつ、けど時の庭園に攻め込まれているのでダラダラ話はさせられないよなと書いた今回、フェイトちゃんの心理変化がちゃんと納得出来る形で伝わっていれば幸いです。


なお無印編は後二話か三話くらいで終わる予定です。


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第十四話 時の庭園

副題 やっぱりモブに厳しい世界。
   ハイパークロノくんタイム。
   なのはの歪み。



1.

 次元を旅する商業船。

 その船の長は今、信じ難い光景を目の当たりにしていた。

 

 

「何だ……あれは」

 

 

 長年連れ添った船員達も、口をあんぐりと開けた間抜けな様を晒している。

 自分では気付けていないが、船長である彼もまた同様であろう。

 

 

「世界が、崩れている」

 

 

 誰かがそんな言葉を口にした。

 その言葉を聞いて、ああそうなのか、と誰もが納得していた。

 

 そう。例えるなら乾いた絵具だ。

 

 瘡蓋が剥がれるように、本来塗るべき場所ではなかった場所に塗られた絵具が、こうして乾いて剥がれ落ちていく。

 

 白い画用紙と共に、塗られた色が崩れ落ちていく。

 

 その下にあるのは、虚数空間、ではない。

 

 何もない訳ではない。

 そこには確かに空間が存在している。

 今彼らが生きる宇宙とは、全く別の法が広がっている。

 

 果たしてそこは、人が生きるに適う場所か?

 果たしてそこで、今の彼らは生きていけるか?

 

 当然、絵具の上にあった世界はそこにない。

 

 彼らが立ち寄ろうとしていた惑星は、虫食い状態になっている。

 そこに生きる人々がどうなっているのか、想像すらしたくはない。

 

 そんな世界の有り様に、この世の終わりを予感して――

 

 

「戻るぞ、ミッドチルダに」

 

 

 船長の言葉に、抗う答えは返らない。

 その光景を見た誰もが、その危機を理解していた。

 

 商業船は踵を返してミッドチルダに帰還する。

 己らが見た光景を管理局へ、解決できるだろうと信じる彼らに伝える為に。

 

 

 

 

 

 数日後、彼らの死体がクラナガンの湾岸地区で発見されることとなる。

 

 知り過ぎてしまった者の末路。

 最高評議会にとって、都合の悪い人間の末路がそこにあった。

 

 

 

 

 

2.

「ブレイズキャノン!」

 

 

 熱量を持った青き魔力の弾丸が放たれる。

 標的とするは、地より這い出してきた蠢く死骸。

 

 殺傷設定で飛翔する弾丸は、狙い誤らず少女の形をした人型を射抜き――

 

 

「ちっ」

 

 

 舌打ちが一つ。

 魔力弾を受けたはずの相手が無傷である現状に、クロノは苛立ちを隠せない。

 

 手を軽く握り開く。

 

 

(やはり、か)

 

 

 彼の歪みは通じない。

 

 期待はしていなかった。

 それでもやはりこうして現実として通らないという事実を確認すると、どうしても落胆を禁じ得ない。

 

 眼前に見える少女の群れ。その奥に立ちこちらを見据える大天魔。

 その不死にして無敵の軍勢を前に、クロノは確かに恐怖を感じていた。

 

 一歩足が後ろに下がる。

 それでもそれ以上は下がらぬと己の闘志を燃え上げて――

 

 

「なっ!?」

 

 

 がしっ、と足が掴まれた。

 

 背後、地面から生えた腕を見る。

 その華奢で、半ばまで腐敗した白い腕は、確かに眼前にある少女の群れと同じ物。

 

 

「アリシアの欠片達が目に見えるだけだと思ったのかしら?」

 

 

 クロノの前に現れて、腐った手足でズルズルと向かってくる少女達。彼女らの数は、十や二十では足りない程である。

 

 

「これで全てと? プレシアの狂気はそんなものだと? そんなことを考えていたのかしら?」

 

 

 だが、それが全てではない。十や二十では足りない。

 プレシア・テスタロッサの狂気は、そんな物では収まらない。

 

 

「ああ、なんて考えなし。そんな物は狂気じゃない。気が触れる程に一つを想うと言う事は、この程度では済まないの」

 

 

 二十六年間。

 そう。プレシアはアリシアを失って、二十六年もの間我が子を求め続けてきたのだ。

 

 管理局への奉仕義務によって行動できなかった時間があるとは言え、日数にして九千日以上の時間が彼女にあった。

 

 その間に生み出された失敗作の数は、百や二百でも足りはしない。

 

 

「数が尽きるなんて、都合の良い事は考えない方が良い。アリシアの欠片が、尽きる事はないわ」

 

 

 引き摺られる。引きずり込まれる。

 

 

「っ! だがっ!」

 

 

 だが、その膂力はそれほどに強い物ではない。

 そうと気付いたクロノは、歪みを用いて宙に転移する。

 

 引き摺り出されるのは彼ではなく、アリシアの欠片。

 

 地面から這い出して来た少女は、浮かび上がった彼の片足にしがみ付き、その空洞の眼下で彼を見上げていた。

 

 まー、まー、と。まー、まー、と。

 少女の口から零れ落ちるは、この世の物とは思えぬ声音。背筋を震わせる重低音。

 

 だが、彼女の言葉が母を呼ぶ物だと気付いて、クロノは形容し難い思いを抱く。

 

 

「悪いな」

 

 

 言葉を一つ。

 彼は縋る少女を、思い切り蹴り飛ばした。

 

 

「っ」

 

 

 蹴り飛ばした足に、痛みを感じる。

 まるで鋼鉄の塊を蹴ってしまったかのような痛みにも、しかしクロノは動じない。

 

 

「最悪だな。これは」

 

 

 蹴った足の痛みより、少女の形をした物に暴力を振るう心の方が痛い。

 それでも選択したのだからこそ、肉体的な痛み程度で揺れている様な無様は晒せないのだ。

 

 少女は落ちる。アリシアが落下する。

 幼子より多少は強い程度の膂力しか持たない彼女は、振り回されれば落ちるより他にない。

 

 その様を見つめて、クロノは彼女らの奥へと視線を向けた。

 

 

 

 不死にして不滅の軍勢。

 如何なる攻撃にも傷一つ負わず、痛みなど感じる事もなく、迫る死者の群れ。

 

 そんな物を相手にしても時間の無駄だ。

 この等活地獄を統べる支配者を如何にかしなければ、全ての行動には何の意味もない。

 

 だが――

 

 

(さて、どうする)

 

 

 死者の群れの奥にこそ、大天魔は存在している。

 この死者を倒すには彼女を討つしか術はなく、されど彼女を討つには群れが邪魔となる。

 

 とは言え、距離は然したる障害ではない。

 彼の歪みをもってすれば、すぐにでもその目の前に転移することが出来るだろう。

 

 問題となるのは、攻撃の為の札がないこと。

 彼の大天魔が、自らが使役する死者の群れより弱いなどということは、まずあり得ないであろう。

 

 少なくとも、天魔・紅葉に対してクロノの魔法が通じるようには思えない。

 

 

「来ないのかしら? ……なら、このまま引き下がることを進めるわ」

 

「何?」

 

 

 そんな迷いを見透かした様な紅葉の言葉に、クロノは眉を顰める。

 

 

「逃げるなら、追わないと言ったのよ」

 

 

 クロノへと、語り掛けるのはそんな言葉。

 一瞬罠かと訝しむが、この状況でする意味がないと否定する。

 

 そう。これは罠ではない。

 

 

「あの子が望んでいる以上、何れは貴方達も殺し尽くす。滅侭滅相。一人も生かして残さない」

 

 

 天魔・紅葉には、戦い続ける意志がない。

 寧ろ逃走してくれた方が良いと、彼女はそんな風に思っている。

 

 

「けれどそれは、今ではないの。このまま立ち去ると言うのなら、私もこの子達も追わないと約束するわ」

 

 

 女は優しくなくて甘いから、今の犠牲を好まない。

 何時かは踏み躙るとしても、その場限りに過ぎないと知っても、それでもそんな言葉を口にする。

 

 

(……随分、舐めた話じゃないか)

 

 

 そんな言葉に何の意味があるのか。

 見下すような天魔の言葉に、かっと頭に血が上る。

 

 だが同時に、冷静な思考が現状の不味さも理解させていた。

 

 

 

 先ほどから念話で届く救助要請。新米武装局員達の悲鳴。

 黄金の少女。フェイト・テスタロッサを前に、彼らは唯蹂躙されている。

 

 格が違う。想いが違う。

 死に瀕した少女が見せる輝きに、自身の仲間が焼かれている。

 

 今のフェイトを倒せるのは、この場では自分くらいしか居ないだろう。

 

 

(こいつを放置して、フェイト・テスタロッサとプレシア・テスタロッサを捕縛することを優先すべきか)

 

 

 故に、そうするのが執務官としては正しいかも知れない。

 追わぬという言を信じるなら、それが最良の答えにも思えてくる。

 

 魔力炉を停止出来なければ、プレシアの危険性は極めて高いと言えるだろう。

 

 だが、それも大天魔ほどではない。

 今のクロノなら、多少の厄介程度で済ませられる。

 

 ならば、即座に歪みを行使してフェイト、プレシア両名を捕縛。

 そのまま時の庭園を脱出するのが、管理局の執務官として選択するべき正しい道だ。

 

 

(それでも)

 

 

 思う所がある。

 理性とは相反する選択を、己の感情は下したがっている。

 

 

 

 幼きあの日、帰って来なかった父が居た。

 葬式の中、見てはいけないと言われた棺を開けて、腐敗した死骸を見つけた記憶が蘇る。

 

 

 

 管理局において、大天魔の情報が開示されるようになるにはある一定の条件がある。

 

 スカリエッティが集めたデータ。

 開示すれば大勢の命が救えたであろうそれが、士官学校に在学する者や、新人管理局員には知ることが許されていない。

 

 だから気付けなかった。

 父の仇。それがどの天魔であるか。

 

 そして気付けた。

 あの初陣となった戦場の只中で。

 

 そう。父を奪い。自身の体の一部も奪った天魔・悪路。

 そして彼ではなくとも、何れは管理局員を皆殺しにすると語った天魔・紅葉。

 

 彼らに背を向け走り去る。

 任務を優先して、大敵から逃げ延びる。

 

 それをクロノの情が許さない。

 

 

(全く、公務は私事に優先すると散々に語っておいてこの様か)

 

 

 クロノはそう己を自嘲する。

 そんな彼に決断を促す。一本の念話が入り込んだ。

 

 

 

 それはある少女に関する念話。

 目覚めた少女が、フェイトとプレシアの許に向かっているという、母の言葉。

 

 

「……ああ、僕は執務官失格だな」

 

 

 こうして危険な戦場に民間人が入り込んでいると聞いたのに、お蔭で大天魔へと立ち向かえるなどと笑っている己を詰る。

 

 任務を民間人に任せ、挑む必要のない敵に立ち向かう馬鹿さを笑う。

 

 あの少女なら全部纏めて何とかしてしまいそうな、何もかも良い方向に進めてしまいそうな、そんな予感を感じている自分を馬鹿にして――

 

 誰に科せられた訳でもないのに、戻ったら始末書と再訓練だ、と自ら決める。

 

 そしてクロノは天魔・紅葉へと向かって構えた。

 

 さあ、天魔と戦うぞ、と。

 

 

「そう。残念ね」

 

 

 己に向かってくる少年の姿に、紅葉は本当に残念そうに呟いた。

 

 

 

 

 

「スティンガーブレイド・エクスキューションシフト!」

 

 

 青き魔力の刃が中空に出現する。

 その数は百を超え、その全てが死人の群れへと降り注ぐ。

 

 

「無駄だと分かった。そう思っていたのだけれど」

 

「さて、無駄かどうかは全部見てから言ってみろ!」

 

 

 降り注いだ刃の雨が穿つのは、死者の群れに非ず。

 その足元を破壊して、噴煙を巻き上げる。

 

 

「僕の歪みには、こういう使い方もある!」

 

 

 紅葉の回り、唐突に魔力の鎖が出現する。

 展開したバインドを転移させて、視界を塞いだ相手を直接捕えようとする行為。

 

 だが、それさえも――

 

 

「無駄よ。そう断じてあげる」

 

 

 軽く腕を振るうような動作で、紅葉は己を縛ろうとした鎖を引き千切る。大天魔を前に、そんな小細工に意味はない。

 

 だが――

 

 

「そう。最初から、この子達が目的だったのね」

 

 

 噴煙が晴れた先、バインドに縛られ転がる死者の群れを見て、僅かに紅葉は驚く。

 

 彼女がバインドを容易く切り裂けようと、生前より多少強化された程度の身体能力しか持たない死者の群れに同様の真似は出来ない。

 

 何せ彼女らは生まれ出でてから、一度も外に出れず捨てられた子だ。

 素体となる筋力は未発達。神の力で多少は強化されたとて、大した力には至り得ない。

 

 

「万象、掌握!」

 

 

 宙に浮かぶクロノは、己の歪みを行使する。

 自身より遥か格上の天魔が法に守られた少女達を、直接転移させることは出来ない。

 

 だが、クロノの歪みは、転移した対象に付随する物、くっついている物があれば、その格や位階を無視して同時に転移させることも出来るのだ。

 

 故に、太極に守られたはずの少女達は、バインドから逃れられず一ヶ所に集められる。

 

 

「こいつを、受けろぉぉぉっ!!」

 

「……子供達を武器にするなんて、悪い子ね」

 

 

 天を突くように伸ばされた右手の先。

 一塊の塊となった死者達は、まるで巨大な鉄槌の如く。

 

 そして鉄槌を振り下ろす様に、それを天魔・紅葉に向かって叩き付けた。

 

 

「ふん。お前には言われたくないさ」

 

 

 轟音を立てて落ちる死者の群れと、それに飲まれて消える紅葉を見つめてクロノは呟く。

 己の非道さを理解しながら、彼はアリシアの群れに潰された紅葉を見下ろしていた。

 

 

 

 転移させた死者の数は、百を超える。

 一点に集いし彼女らは正しく大山。あるいは肉の海と呼ぶべきか。

 

 同強度の物が、重力を味方に付けて落ちて来る。

 物理法則にそうならば、如何に大天魔とて無傷ではいられないであろう。

 

 後方。未だ魔力炉を抱えて動かぬ随神相に不安を抱いても、手傷を負わせられているのならば繰り返せば勝てると考える。

 

 クロノは現状確認の為に、死者の山へと近付いて――

 

 

――悪い子には、お仕置きが必要ね。

 

 

 ぞくりとする声を聞いた。

 

 瞬間。飛来する魔力を右の義眼が認識する。

 

 左の義眼。生体反応を感知するレーダーには反応がないことに、やはり健在だったかと振り返らずに魔力を打ち払う。

 

 

 

 クロノ・ハラオウンに不意打ちは通じない。

 彼の両眼は歪みと同範囲。半径500m圏内全てを認識しているが故に。

 

 見る必要もなく敵の攻撃を迎撃したクロノは、さて相手を確認してやろうと目を向けて、そして気付いた。

 

 

 

 その掌の大きさを覚えている。

 幼い自分に対して、どう接して良いか分からずに狼狽えていた姿を覚えている。

 

 少し乱暴に撫でられた記憶。

 不器用に触れた掌。そんな親子を笑って見ていた、母の姿も覚えている。

 

 そう。その黒髪に瞳の色。

 クロノに良く似た青年を、彼は今でも覚えていて――

 

 

「父、さん……」

 

 

 だから、そこで致命的な隙を晒していた。

 

 信じられない者を見た少年は動揺する。

 そんな彼の隙を、死者となった父は見逃すことはない。

 

 

「スティンガースナイプ」

 

 

 呟くような言葉と共に、放たれた魔力光弾がクロノを射抜く。

 

 躱せず、防げず、撃ち抜かれた少年は眼下の海へと落ちた。

 

 

「天魔、紅葉ぃぃぃぃぃっ!!」

 

 

 咆哮と共に右手を伸ばす。

 だがその手はどこにも届かない。

 

 まー、まーと声を上げる少女達に絡め捕られ、少年は肉の海に沈んでいく。

 

 その姿は、数秒とせずに見えなくなった。

 

 

 

 肉の海に溺れる少年を、冷淡な瞳で女は見つめる。

 花魁の衣装に化粧で着飾った死人の女。天魔・紅葉は無傷のまま。

 

 大天魔に対して、物理法則の縛りなど意味がない。

 そんな既存世界の法則では、彼らを揺るがす事すら不可能だ。

 

 

 

 嘗て管理局を攻めた際に回収したクライドの魂を己の遁甲に沈めると、紅葉はアリシアの欠片に背を向けた。

 

 

「ありがとう。それと御免なさいね」

 

 

 少女らを捕え続けたままに、天魔・紅葉は静かに詫びる。

 

 輪廻の輪に紛れて母と離れ離れになってしまわぬ様に保管は続けるが、彼女たちを傀儡として操る心算は最早ない。

 これより己は彼女らが愛する母を妨害するのだから、そんな己がこのまま傀儡として使い続けるのは道理がないであろう。

 

 プレシアの願いは叶わない。叶えてはいけない。

 虚数空間の向こう側に住まうあの邪神を、今は未だ刺激する訳にはいかないのだ。

 

 

 

 自身が与えた魔力が霧散すれば、彼女らの肉体は崩壊する。全てが終わり、次が確実な物となれば、その時には母娘揃って解放しよう。

 

 そうして漸く、あの死骸に囚われていた魂の欠片達は、今世界に満ちる黄昏の残照。輪廻転生の法則に従って新たな生を得られるはずだから。

 

 本来ならば、もっと早くに転生していた。

 だが、今の第五天の残滓は、彼らの主柱の法と同じく正常に機能していない。

 

 己の体と錯覚する物が、傍にあれば宿ってしまう。

 肉体を保存させ続ければ魂が輪廻の輪に戻れず、緩やかに自壊を始めてしまう。

 

 それが故に、アリシア達には魂があった。

 魂の欠片があったからこそ、彼女達は紅葉の太極で再現出来たのだ。

 

 ああ、なんと皮肉なことであろうか。

 

 アリシアを求める母の愛が、アリシア自身の魂を自壊させ、零れ落ちた欠片がフェイトを始めとする子供達に宿った。

 

 それを自覚できないプレシアは、愛する我が子を苦しめ続けた。他ならぬ母の情こそが原因となって。

 

 

「なら、終わらせましょう。……もう眠りに就く時間よ、プレシア。私の友達」

 

 

 天魔・紅葉は歩み去る。

 死者に群がられた少年を背に。

 

 

 

 さて、運が良ければ彼も生き残るだろう。

 殺傷能力を持たない子供達が消え去るまで、その命が持つならば――

 

 

 

 

 

3.

 高町なのはは立ち上がった。

 

 ふらつく体は上手く動かず、魔力が殆ど残っていない我が身は、魔法を得る前の様に重い。

 

 それでも、彼女は立ち上がった。

 理由は単純。諦めたくは、なかったから。

 

 

 

 そんな様で一体何をする気なのか、人情家である女艦長は問うた。

 

 その問い掛けに分からないと返して、でも諦めたくはないと告げた。

 

 

 

 フェイトは既に命を賭けている。対して君は何を賭けるのか、と狂った無限の欲望は問うた。

 

 その問い掛けに分からないと返して、でも諦めたくはないと告げた。

 

 

 

 始まりの少年は手を伸ばす。

 一人では真面に歩けない少女を支えて、二人で時の庭園へと向かう。

 

 答えなんて何一つ返せなかったけれど、それでも胸を動かす想いがあったから。

 

 行くんだね、と聞かれた。うんと返した。

 

 手助けは、と問われた。途中まで、決着は自分が付けたいと返した。

 

 勝ち目は、と確認する声に、そんなの分からないと返して。

 

 

 

 少女と少年はここに来た。

 黄金の少女が待つこの場所に。

 

 

「……高町なのは」

 

 

 倒れ伏す武装局員達を宙より見下ろして、フェイト・テスタロッサは少女を見る。

 

 

「何をしに来た」

 

 

 それは問い。

 今更出てきた少女に、果たして何の目的があるのか。

 

 問うておいて、無意味だったかと自嘲する。

 

 

「君の目的が何であれ、ここは通さない。争う気なら杖を取れ! 何もしないならここから立ち去れ!!」

 

 

 そんなフェイトの拒絶の意思に、それでもなのはは諦めない。

 

 

「諦めないよ。諦めたくないんだ」

 

「何を!」

 

「貴女と友達になりたい。その想いを、諦めたくなんてないんだ!」

 

 

 そこにある想いはとても単純。明快な子供の感情。

 その変わらない想いの在り様に、フェイトは怒りの咆哮を上げる。

 

 

「今更、そんな言葉で、私の戦いに立ち入るな!」

 

「それでも諦めないと決めたから! 何度だって、手を伸ばす!!」

 

 

 高町なのはとフェイト・テスタロッサが交差する。

 これが本当に最後。ここに彼女達の、最後の戦いが幕を開ける。

 

 

 

 

 

 三度目の戦いが蹂躙だったように、四度目の戦いもまた蹂躙であった。

 

 

「くぅっ!」

 

 

 僅かに残された魔力で張った障壁の中で、なのはは雷光に耐える。

 

 先の戦いであれ程魔力を消費し、魔力にダメージを与える非殺傷設定の攻撃を受けた結果、今のなのはには魔力がほとんど残っていない。

 

 大量の魔力を持って奇跡の如き事象を起こすレイジングハートも、現状ではその真価を発揮することは出来ない。

 

 

「はぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 

 対するフェイトは万全だ。

 どれほど肉体が傷付いていようと、どれほど心が摩耗していようと、それでももう止まらない。

 

 覚悟が違う。意志が違う。勝利にかける想いが純粋に強者である。

 

 ジュエルシードによって延命されている彼女は、溢れ出す魔力と生命力を振り絞って戦いに臨んでいる。

 

 ならば、結果は必然。なるべくして推移する。

 

 

「撃ち抜け、轟雷!」

 

〈Thunder smasher〉

 

 

 放たれた雷光は、なのはの障壁をあっさりと砕く。

 これまでの硬さがまるで嘘だったかのように障壁は砕かれ、雷光がなのはの体を貫いた。

 

 

「っ!」

 

 

 魔法が体を貫く痛みに震え、それでもなのはは膝をつかない。

 空を飛翔するだけの魔力を失い地に落ちて、飛べなくなったら歩いて進む。

 

 諦めないという想いがある限り、ここで退き返すことは出来ない。

 

 

「まだ、来るか!」

 

〈Thunder smasher〉

 

 

 退けないのはフェイトも同じだ。

 否、彼女の方がより切羽詰まっている。

 

 フェイトには最早退路などない。

 

 失ってしまった者。

 これから失おうとしている者。

 そして、残された寿命は後僅か。

 

 それらが雁字搦めに己が身を縛っている。

 だからこその強さ。不退転の覚悟が其処にある。

 

 

「まだ、だよ! フェイトちゃん!」

 

 

 なのはは進む。

 己の体を雷光が貫こうと、魔力が尽きて意識が飛びそうになっても。

 

 諦めない。その想いだけで前へと進む。

 

 そんな姿に僅か脅威を覚え、フェイトは最後の一線を踏み越えた。

 

 

「サンダースマッシャー!」

 

「あ、ああああああああっ!!」

 

 

 放たれた雷光は殺傷設定。

 安全性のある非殺傷の魔法とは異なり、これは確かに命を奪う魔法。

 

 吹き荒れる雷光がその身を焼き尽くし、足が挫けて膝を付く。

 バリアジャケットは切り裂かれて消滅し、なのははその場に跪いていた。

 

 

(どうして)

 

 

 放たれた雷光に意識を飛ばされかけながら、ふとなのはは思う。

 

 

(どうして、私はこんな事をしてるんだろう)

 

 

 最初に感じたのは、泣いている誰かの涙を止めたいと言う想いだった。

 それは最初はユーノのことで、そしてフェイトへの想いに変わっていった。

 

 次に感じたのは魔法の全能性。

 その圧倒的な力に想いは歪んでしまって、母に気付かされるまでやりたいことが分からなくなってしまっていた。

 

 そして今、感じる想いはまた別の物。

 

 フェイトは、もう涙を流していない。

 自分の道を決めたから、残る命の使い方を決めたから。

 

 ああ、それは何と強い想い。何と強い決意であろうか。

 

 だが、それは同時に――

 

 

(そんな決意は寂しいよ、フェイトちゃん)

 

 

 寂しい強さだ。悲しい決意だ。救いがないにも、程がある。

 その瞳に、寂しさを未だ宿していることが分かるのだ。

 

 それを拭い去りたいと思った。

 彼女が報われずに終わるのは、嘘だって思うのだ。

 

 だから手を伸ばすことを、諦めたくない。

 

 諦められない訳ではない。諦めたくないだけなのだ。

 

 

(だから、私は――)

 

 

 己の内から零れ出る衝動に、手探りのまま進んでいる。

 この道が本当に正しいのか、ずっとずっと迷っている。

 

 

(間違っている。きっとなのはは、間違ってる)

 

 

 迷いを抱いて、弱さを抱いて、確かにそうだと理解する。

 だって自分には、彼女を止めるに足る正当なる理由なんて何もない。

 

 だから、きっとこれは、間違った想い。

 自分の道を決めたあの子には、きっと許せない独善の感情。

 

 

(悪い子が言う、身勝手な我儘。そんなのは、分かってる。分かっているけど、それでもそんな目をした子を、放っておきたくなんてないっ!)

 

 

 だから、この道を進み続ける。

 立ち止まらずに駆け抜けた先には、きっと繋がっていくものがある。

 

 ならばそう。

 進むべき道は一直線。この先にしか存在しない。

 

 結論は、ああ、何だ簡単なこと。

 

 

「伝えたい、想いがあるんだ」

 

「っ! まだ!?」

 

 

 ボロボロになった少女は、それでも立ち上がって前を見る。

 

 諦めたくない理由があって、諦めたくない想いがあって、ならば進み続ける事こそ解答だ。

 

 

「私は君と、友達になりたい」

 

 

 その身に宿った魔力はない。もう空っぽになってしまった。

 魔力が尽きて重くなってしまった体。ユーノくんは何時もこんな体で動いていたのかな、それは凄いやと素直に感嘆する。

 

 

「まだ、言うか!!」

 

 

 目の前で泣いている子はいない。涙を拭う前に自分の意思で立ち上がった。

 涙を拭おうと伸ばした手。伸ばしたままでいるのなら、そのまま違う目的の為に使おう。

 

 伸ばした手はきっと、フェイトの手を握り締める為にある。

 

 

「何度だって言うよ! 手を跳ね除けられても、声が届かなくても、それでも私は何度だって口にする!」

 

 

 言葉と共に、高町なのはは浮遊する。

 その姿に、おかしいとフェイトは感じた。

 

 デバイスを手に、その姿が白き鎧で覆われていく。

 魔力は尽きたはずだろうに、何故とフェイトは疑問に思う。

 

 

「やっと気付いた。やっと分かった」

 

 

 そう。漸く気付いた。

 生まれ始めていた力の萌芽に、必要になって漸くに気付けた。

 

 桜色の魔力が場を覆う。

 溢れ出すそれは、確かに失われた筈の高町なのはの魔力。

 

 

「これが私の歪み。不撓不屈。正真正銘、私の全力全開だ!」

 

 

 諦めたくないと思った。

 諦めない為には魔法が、魔力が必要だった。

 

 だから至った願いは至極当然。想いを魔力に変えるという力。

 

 

「行くよ! フェイトちゃん!」

 

 

 宙に浮かんだなのはをフェイトは見る。

 

 その想いが生み出す無尽蔵の魔力。

 魔力が注げば注ぐだけ、答えを返す規格外のデバイス。

 

 その組み合わせは、反則と言うより他にない。

 

 

 

 なのはの背、天を覆う桜色の魔力に、フェイトは目を見開いて。

 

 

「フェイトちゃんの魔法からイメージしたディバインバスターのバリエーション! 受けてみて!!」

 

〈Divine buster phalanx shift〉

 

 

 天より放たれるは1064発のディバインバスター。

 空間の九割以上を桜色に染め上げる砲撃を前に――

 

 

 

 もうカートリッジを使うことが出来ないフェイトは、為す術もなく飲まれて落ちた。

 

 

 

 

 

 地に落ちるフェイトの手を、なのはが握り締める。

 二人は宙に浮かんで、視線を合わせた。

 

 

「……何で、君は」

 

「友達になりたい。なのはの理由なんてそれだけだよ」

 

「何度も断っているのに」

 

「何度断られようと、手を伸ばすのは止めないって決めたんだ」

 

「しつこいね。それに、勝手だ」

 

「うん。分かってる。自分でもこんなにしつこくて、身勝手だなんて思わなかった」

 

 

 争いの後、対話の中で、少女達は言葉を繋いでいく。

 

 

「友達になっても、私は母さんの為に動くよ」

 

「それなら私だって協力する。二人で一緒に、一番良い方法を考えよう」

 

「……管理局は?」

 

「なのはは悪い子なのです」

 

「ああ、本当に悪い子だ」

 

 

 太陽のように微笑む少女。握られた手に温かさを感じて、色々な意味で勝てる気がしないとフェイトは嘆息した。

 

 そう。今なら分かる。

 何故これ程この少女に反発したのか。

 

 寂しかったのだろう。

 母の為に動くと心を決めても、やはり見てもらえなかったのは寂しかったのだ。

 

 

「けど、君だけは最初からフェイトを見ていた」

 

「にゃ?」

 

 

 羨ましくて、妬ましい女の子。

 なのに君だけが、自分の事を真っ直ぐに見ていたから。

 

 ああ、そんな君だから。

 自身は好きになることも、嫌いになることも出来なかったのだろう。

 

 

「君の手は暖かいね、なのは」

 

「フェイトちゃん?」

 

 

 今なら素直に受け取れる。

 敗北した後の行動を、これから先も後悔していくのかもしれない。

 

 それでも確かに、その想いは伝わったから――

 

 

「……君は何度も呼びかけてくれたけど、どうして良いのか分からないんだ。……教えて欲しい、友達になる方法」

 

「簡単だよ!」

 

 

 漸く届いた想いに、なのはは笑みを浮かべる。

 彼女が告げるのは、とても簡単な友達になる方法。

 

 

「名前で呼んで? 始めはそれだけで良いんだ!」

 

 

 太陽の少女が語る言葉に、黄金の少女は儚い笑みを浮かべた。

 

 

「なの――」

 

 

 フェイトは友達になる為に、彼女の名を呼ぼうとする。

 その瞬間に、音を立ててフェイトが守っていた扉が内側から開いた。

 

 

 

 紫髪の女が、内側から飛び出してくる。

 その身は血に塗れていて、今にも死んでしまいそうな程に、呼吸は擦れている。

 

 

 

 そして、両面の鬼が立っている。

 手にした凶器は、確かにプレシアに狙いを定めていた。

 

 

「母さん!」

 

「あ、フェイトちゃん!?」

 

 

 繋いでいた手が、少女の意志に弾かれる。

 振りほどく腕の強さに押し負けて、なのはは手を離した。

 

 

 

 離して、しまった。

 

 

 

 轟音が鳴り響き、鮮血が散う。

 甲高い音を立てて、ジュエルシードを嵌め込んだ首飾りが地面に落ちた。

 

 

 

 

 

 時の庭園の戦いは、今最終幕を迎えようとしている。

 果たしてその結末は、いかなる形を迎えるのだろうか。

 

 

 

 

 




紅葉さんじゃないのかよ。
書いててそんな声が聞こえた気がする。そんな今回のお話です。


次回はプレシアさん視点を軽く流して、世界観設定とか無印編の黒幕さんとか暴露させようかなと想定中。独自設定や捏造設定。設定改変オンパレードになりそうです。

文字数次第でエピローグを別に分けるかもしれないけれど、無印編本編は後二話で終了予定。その後空白期の話を少しやってからAS編に入ります。


以下、オリ歪み解説。
【名称】不撓不屈
【使用者】高町なのは
【効果】想いを魔力に変える。ただそれだけの歪み。想いが尽きぬ限り魔力は尽きない。だが無限と言う訳ではなく、使用する度に感情や魂は少しずつ摩耗し、心が折れた状況では発動すら出来なくなるという欠点もある。
 この歪みは彼女の特別性を意味している訳ではない。想い(渇望の力)で魔力(魂の力)を引き出している能力。かつて神座世界にあった頃は、誰もが持っていた根源的な力。リンカーコアの発達により今の世の人々から失われてしまった感情から魔力を生み出す能力を、なのはだけは取り戻した形となっている。故に彼女だけは、魔法の使用が世界を殺すという縛りからも解放されたこととなっている。
 諦めたくないという祈りから生まれた歪み。なおこの力は魔力が足りないという現状の影響を受けて変質してしまっており、高町なのは本来の歪みとしての能力は未だ発揮されていない。




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第十五話 両面の鬼

九話と十話で盛大なミスをしていたことに読み返していて気付く。
十四個ジュエルシードが暴走してんのに、フェイト七個、なのは五個しか回収してなかった。残り二個どこいったし。(震え声)
修正しておきました。


今回は独自設定、捏造設定が豊富な回。
異論はあるかもしれませんが、本作ではこういう設定でいくつもりです。



1.

 時は暫し遡る。

 少女が母と別れた時まで。

 

 

 

 フェイトと別れた後、プレシアは閉じた扉に背を預けていた。

 

 荒い呼吸を整える。

 気を抜けば口から吐血しそうになるが、それを娘への想いで押し止める。

 

 まだだ。まだなのだ。

 まだここで、終わる訳にはいかない。

 

 取り戻したい過去がある。

 細やかな幸福こそを求めていて。

 

 だからこそ、フェイトの言葉に目を背けた。

 この先、ジュエルシードをもって至る、アルハザードにこそ救いはあると信じて。

 

 

――誕生日に何が欲しい?

 

 

 そんな言葉が、ふと脳裏に過ぎった。

 

 さて、あの時あの子は、その問い掛けに何と返したのだったか。

 

 

「まあ、どうでも良い事ね」

 

 

 今あるジュエルシードの総数は十三個。

 これだけで虚数空間を渡れるのか、不安は残るがやるしかないだろう。

 

 

「問題はないわ。あの男が渡した座標データ。魔法の祖、アブドゥル・アルハザードが理想郷を垣間見た地点。そこへ向えば、私は神座へと辿り着ける」

 

 

 かつて魔力素を大気中に発見し、そして魔法の基礎原理を確立させたと伝えられている偉人。アブドゥル・アルハザード。

 

 そんな彼が、虚数の向こう側に見つけた。

 故にその理想郷はアルハザードの名で呼ばれている。

 

 魔法史の教科書にも載る偉大な人物の、良くある胡散臭い噂。

 御伽噺でしかないと言われている理想郷こそが神座世界(アルハザード)だ。

 

 事実。プレシアとて聞いた当初は眉唾物であった。

 

 そんな御伽噺に縋るしか後がなくなった女にした所で、アルハザードの継承者を語る男の言葉は信に足る物ではなかった。

 

 だが、ジュエルシードの運搬情報に、管理局の細かな情報。

 そして天魔達の出現さえ預言されては、多少は信じざるを得ない。

 

 もしかしたら、たらればの領域ではあったが、確かにあの男の言を信じかけている。

 

 

「ジェイル・スカリエッティ、ね」

 

 

 思い出すのは、同じ研究室にて人造魔導士研究を行っていた男。

 尊大で自意識過剰で、イカレているのに研究分野に関しては誰よりも真摯だったエゴイスト。

 

 あの男が自分に何を期待して、これ程の情報を与えたのかは知らない。

 どうせあの狂った男の事だ。この身を利用して、何か為したい事があるのだろう。

 

 だが――

 

 

「……どうでも良いわね」

 

 

 そんな理由など、どうでも良い事だ。

 あんな胸糞の悪い男の事に、思考を割いている余裕などはない。

 

 随分と、気分が悪くなった。

 もう持たない程に、この身体は壊れている。

 

 だが、もうひと踏ん張りだ。

 アリシアの顔を見て、活力を貰おうとプレシアは思考して――

 

 

「ない」

 

 

 其処に、アリシアが居なかった。

 

 時の庭園の中枢区画。

 すぐ傍にあったはずの、アリシアのポッドが欠けている。

 

 失くさぬようにと傍に置いたと言うのに、どうしてそれが見つからないのか。

 

 

「ない! ない! ないないないない!! どうして、アリシアはどこに!?」

 

 

 血眼になって、娘を求める女の狂態。

 己の体調も思考も全てが真っ白になって、唯一人を探す女に対して――

 

 

「探してるのはこいつかい?」

 

 

 軽薄そうな、男の声が掛けられた。

 

 

「アリシアっ!」

 

 

 女の目が捉えるのは、アリシアが眠るポッド。

 それを腕に抱えて、ニヤリと笑う鬼面の男が姿を現す。

 

 両面の鬼。天魔・宿儺。

 

 神相たる巨大な鬼はなく、人の悪い笑みを浮かべ、異性の服を纏った男女が立っていた。

 

 

「その手を、その手をアリシアから離しなさい!!」

 

「おぉっと」

 

 

 プレシアの手より雷光が放たれる。

 余裕なき表情。己の体すら厭わぬ魔力行使は、しかし両面の鬼に届かない。

 

 

「おいおい。お前の大事な娘まで巻き込むかよ? どんだけ余裕ないんだよ」

 

「あ、アリシア」

 

 

 鬼の体躯に触れた瞬間に魔法は消える。

 その光景に、雷光がアリシアを巻き込む可能性があったことに考えが至ったプレシアは顔を青く染めた。

 

 非殺傷だから、そんな考えに意味はない。

 アリシアが傷付くかもしれない。そのレベルでさえプレシアは許容できない。

 

 冷静になれ、腸が煮え返るような思いを抱きながらも、プレシアは己をそう戒める。

 

 

「……何が、目的よ」

 

「ジュエルシード。分かるだろ?」

 

 

 アリシアを人質に取られた形となったプレシアは、鬼の目的を問う。

 その問い掛けに、鬼は詰まらなそうに単純な答えを返した。

 

 

「本来なら、でっかい方の姐さんが集まった所で取って来る予定だったんだが」

 

「なーんか、感情移入しちゃったのかさ。勝手に動き始めちゃったのよね」

 

 

 両面の鬼は、己に与えられた任を軽く口にする。

 本来の役を果たす筈の紅葉が筋書通りに動かぬ故に、与えられたのはその代役。

 

 

「んで、ちっこい方の姐さんは慌てふためいて俺に行けとさ」

 

「最悪、時の庭園ごと壊しても良いって。太っ腹よねー」

 

 

 笑う両面鬼に、真面目な印象は受けることが出来ない。

 それも当然だろう。真実、この鬼はどうでも良いと感じている。

 

 ジュエルシードと言う遺物に、プレシアという女に、両面の鬼は欠片とて価値を見出してはいないのだ。

 

 

「しっかし、お前さんも詰まらん奴だな。過去しか見てねぇ。そこんとこは黒甲冑と同じで、真面目に生きる以前の話だが。あいつとは大きな違いがある」

 

「……何が、よ」

 

 

 嗤う鬼は、悪意を見せる。

 その存在の価値を図る為に、悪意を示した。

 

 

「過去を蔑ろにしてるか否か。お前さんの望みが万が一、億が一叶ったとして、本当にこのガキがそれを望むもんかねぇ」

 

「何よ、何も知らない奴が! あの子が、アリシアが生き返ることを望まないとか、そんな綺麗事を言う気!!」

 

 

 プレシアは激昂する。

 己が願いを否定する者を否定する。

 

 そんな言葉は聞き飽きている、と。

 

 二十六年もあれば、そんな綺麗事を口にする人間にも何度も会ってきた。

 

 過去を見続けても意味はない。

 君の娘だって、君の幸せを願っている。

 世界はこんなはずじゃないことに溢れているから、過去だけ見てもどこにも行けない。

 

 それら全てを、プレシアは鼻で笑った。

 

 足りぬのだ。その言葉は。

 届かぬのだ。その想いは。

 

 まるで届かない。プレシアの心に響かない。

 アリシアがあの幼さで死んでしまって良い道理はない。許せないのだ諦められない。

 

 この想いを否定するなど、誰であっても許容の範囲外だ。

 

 だからこそ――

 

 

「あいつの言を借りるなら、死者を軽くしないでくれ、か?」

 

「何?」

 

 

 そんな言葉は、ついぞ聞いた事がなかった。

 

 

 

 今までに語り掛けてきた彼らは皆、今だけを見ていた。

 現在のプレシアを見て、その姿に憐れみや、或いは別の感情を想い、声を掛けた。

 

 だから届かない。

 プレシアの想いの中核は、現在(プレシア)ではなく過去(アリシア)にあったから、プレシアを救おうとする言葉では意味がない。

 

 

「うちの大将。あいつもまあ、後ろばっか見てる奴だがよ。一度たりとも死者の蘇生は望んでないぜ」

 

 

 何処か懐かしむ様に、笑みの質を一瞬だけ変える。

 そしてすぐさま嘲笑う形に歪めると、宿儺は悪意を以って口にした。

 

 

「そいつは死者を軽くする行為だ。だって、祈れば戻って来るなら、塵を積み上げれば宝石に変わるなら、その積み上げた物がそいつの価値だろう?」

 

 

 塵を積み上げた先にあるのは、集まった塵の山だけだ。

 価値のない物を重ねて戻る物なら、それの本質は無価値なのだ。

 

 少なくとも、彼らはそう考える。

 そしてその理を以って、鬼女に堕ちた女を嘲笑う。

 

 

「必死になって頑張れば、取り戻せる程に軽い物。それがあんたにとっての、大事な大事なアリシアって訳だ」

 

「違う! 私にとってアリシアは!!」

 

「違わねぇさ。人工魔導士だってそうだろう。その死体こそがそいつの価値。お前の娘は腐った塵の山でしかねぇと、他ならぬお前自身が示してんのさ」

 

「違う! 違う違う違う!! 私にとってあの子は唯一無二で、何より大切な!!」

 

 

 そう替えがきかないから、フェイトを受け入れられなかったのだ。

 まだ若き頃、女として新たな命を産み落とすことを拒んだのだ。

 

 故に鬼の言葉は受け入れられない。

 その嘲笑は己の心を揺さぶるからこそ、その発言が許せない。

 

 

「……ま、どうでも良い話だがな」

 

 

 それまでプレシアを追い詰めていた言葉をあっさりと止め、鬼は軽い言葉で語る。

 

 

「あいつの真似事をしてみた物の、どうにも肌に合わねぇ。……やっぱり上から目線の説教よりかは、感情をぶつける方が俺には合っている」

 

「基本脳筋だしね。頭は回る方だけど、ごちゃごちゃ言うより先に手が出るタイプ?」

 

「るっせーよ」

 

 

 天魔・宿儺が望むのは、言葉で相手を改心させる事ではない。

 故に相手がその言葉を受け入れられるかなど、正直どうでも良いのだ。

 

 彼の内にあるのは改心させようという良心ではなく、もっと単純で簡単な悪意である。

 

 

「ほらよ。しっかり受け止めろ」

 

「アリシア!?」

 

 

 両面の鬼は雑な動作で治療ポッドを砕くと、中から取り出したアリシアを放り投げる。

 

 母が慌てて我が子を抱きしめて、それを見ながら鬼は笑う。

 

 俺はお前が気に食わない。

 こういう理由で気に入らない。

 

 お前も俺が気に入らないんだろう?

 腹が立つんだろう?

 

 なら拳を取れや、武器を持て!!

 この鬼の暴威を前に抗えると言うのなら、その輝きで挑んで来い。

 

 人の持つ輝きこそを魅せてくれ。

 それが出来るのが人間だ。そんだけスゲェのが人間だろうよ。

 

 笑みを深くする。

 それを求めている者こそが、この大天魔だ。

 

 彼の悪意はその為に、隠しておきたい面を暴いて晒して、望んでいるのは反骨の意志。

 

 そうとも、絶望的な状況でも、譲れぬならば抗ってみせろ。その程度の意志を示せずして、一体何が為せると言う。

 

 期待は出来ぬ女であれ、人を語るならば見定めよう。

 その存在に、果たして如何なる価値があるか。この両面が見極めよう。

 

 

「さぁ」

 

「……よくも」

 

 

 娘を乱雑に扱われた女は、これまでの罵倒も相まって怒り狂っている。

 その手にある杖が、無駄であろうと何もせずにはいられない。

 

 

「来いやっ! プレシア・テスタロッサっ!」

 

「よくも私の、アリシアをっ!!」

 

 

 鬼が笑う。笑って迎え撃つ。

 さあ、お前の価値を示して見せろ、と。

 

 よくも、この想いを汚したな。

 よくも、この子の躯を暴いてくれた。

 

 鬼女はその形相を歪ませて、その手に杖を握り締め――

 

 

「げふっ!?」

 

「あん?」

 

 

 構えを取る鬼の前で、今正に魔法を放とうとした女は吐血した。

 

 

「ごほっ、げふっ、げほっ!」

 

 

 掌で口元を覆い、血反吐を吐いて蹲る。

 血で水溜まりを作り出す鬼女の姿に、両面鬼は何とも言えぬ表情を浮かべる。

 

 

「あー。そんなに限界だったかー。締まらないわねー」

 

「おいおいおいおい。そこは挑んで来るところだろうが、何ヘタレてんだよお前!?」

 

「好き、勝手を、げふっ」

 

 

 娘に血が掛からないように、抱きしめた少女から顔を逸らして吐血する女。

 

 その姿に、両面宿儺は萎えた表情を隠せない。

 病一つで膝を屈する。その程度で、一体何が出来ると言うのか。

 

 

「あー。どうするの? これで遊ぶ?」

 

「……ってもなぁ。俺の“遊び”の意味知ってんだろエリィ」

 

「うん。これじゃあ無理だね」

 

 

 天魔・宿儺は魔導士を蹂躙する。

 彼らから魔法を奪い取り、そしてその力を、その輝きを試すのだ。

 

 故に彼らの“遊び”で、他者を即死させることはない。

 あの魔法生物の様に、その場で死んでしまうのは本意ではない。

 

 或いは遊びの結果として殺してしまったとしても、今の宿儺は何の感慨も抱かないだろう。

 

 だが――

 

 

「次代に託せる意志がなけりゃ、どの道先は詰んでいる。……未だ駄目だ。これじゃぁ駄目だ」

 

 

 これではそもそも意味がない。

 彼の“遊び”は、彼の為すべき“役割”において、極めて重要な意味がある故に。

 

 

「可能性があるのは、魔導師連中だけだ。だが、魔法に頼るだけじゃ意味がねぇ。全部が全部、おんぶに抱っこじゃ、どこにも行けねぇ」

 

 

 非魔導師では、そもそも前提にも立てない。

 この世界の弱り切った魂では、先ずもって至れない。

 

 だが、それだけでも意味はない。

 魔法に頼ったままでは、何れ必ず破綻する。

 

 故にこそ、輝きを。

 魔導師と言う者の心の内に、確かな輝きを求めている。

 

 魔導師の輝きこそを見たがっている鬼は、全てを見せる前に彼らが倒れることを良しとはしないのだ。

 

 

「そうさ。アイツは未だ、お前たちを愛していると叫んでやがる」

 

 

 今この瞬間も、耳に届く嘆きの声。

 血涙を流す彼らの将は、プレシアと言う女の姿すらも哀れんでいる。

 

 好ましくない道を選ぼうと、この女もまた己の愛し子。

 ならばどうして、そんな女が破滅する姿に、何も思わずに居られようか。

 

 

「お前らに食い尽くされて、もっともっとと奪われて、それでもまだ叫んでやがる!」

 

 

 そんな将を裏切り続ける夜都賀波岐。

 怒りと憎悪に振り回される者らと異なり、彼の内心を分かってこんな事をしている。そんな己こそが、最も下らない姿を晒している。

 

 

「なぁ、お前らにそれだけの価値はあるのか?」

 

 

 だが、どうしても知りたいのだ。魔導師に価値はあるのか。

 情も理も価値はないと断じているけれど、それでも未だあいつが愛するお前達。

 

 裏切りそれを忘れた魔導師達に、アイツに愛される価値があるのかと両面の鬼は知りたがっている。

 

 

「何もかもを忘れたお前たち。テメェらはアイツが愛するに足る“人間”なのか!?」

 

 

 それを確かめる為に、宿儺は遊ぶ。

 魔導師から全ての力を奪い取って、心の闇を暴いて晒す。

 

 

「詰んでしまったこの世界。この先へ向かう為に残された、たった一つの可能性。それを背負うだけの輝きが、お前たちにあるのかよっ!?」

 

 

 そして、もう一つの理由が其処にある。

 

 残った次代の可能性。

 それと共に在れるだけの価値はあるか。

 

 

「詰まらねぇ。下らねぇよ。マジでテメェでテメェの腹を斬りたくなってくる。玉ついてんのかよって、吐き捨てたくなる程に見っともねぇ」

 

 

 それでも、為さねばならない。

 この世界を滅ぼす事こそが、自滅因子である彼の役割ならばこそ。

 

 

「そんな生き恥、晒してんだよっ! だったら、トコトンまでやらねぇと意味がねぇよなぁ!」

 

 

 故に遊びに熱が入る。その蹂躙も過酷な物となる。

 

 だからこそ、今のプレシアはその遊びの対象にすら成れないのだ。

 

 

「さっきから、何を――げふっ、ごふっ」

 

「はっ。……お前にはもう、関係ねぇ話だ」

 

 

 血を吐いて蹲るプレシアを見下して、鬼は結論付ける。

 これはもう駄目だ。見極める事も出来ない程に、壊れている。

 

 このまま殺してしまうか、とも思考する。

 所詮は時間の問題。順番が前後するだけだ。

 

 今回は見つからなかった。

 そう諦めて、此処に幕を下ろすべきだろう。

 

 唯一見所のあったのは狂人だが、アレは薬にもなる毒である。

 本質的には毒である事が揺るがず、故に希望を託すには不足が過ぎる。

 

 ならば、どうするか――

 

 

「お、そうだな。そうするか」

 

「あれ? 何か思い付いた」

 

 

 そこで、鬼は気紛れを起こす。

 狂人の事を思考して、一つ布石を打つ事にした。

 

 

「なぁ、見てるんだろう?」

 

 

 虚空を見上げて、両面鬼は言葉を紡ぐ。

 誰もいない場所に向かっての発言に、プレシアは戸惑いを隠せない。

 

 

「……何を」

 

 

 何を言っているのか、血反吐交じりに問うプレシア。

 彼女を無視したまま、鬼は笑って科学者の名を呼んだ。

 

 

「ジェイル・スカリエッティ」

 

 

 呼んだ名前は、アースラに居る狂人の物。

 宿儺が打つ布石とは、何れ辿り着くだろう彼に向けて、真実の断片を告げる事。

 

 

「煮ても焼いても食えなそうだったお前のことだ。どうせこの女にも監視は付けてんだろう? 良いぜ、折角だからお前にチャンスをくれてやる」

 

 

 そんな鬼の言葉に、プレシアは驚愕で目を見開き、アースラの研究室でこの状況を盗み見ていた無限の欲望は笑みを浮かべた。

 

 さて、それがどの様な結果を齎すか。

 それは読めないが、これで自体は大きく動くだろう。

 

 両面の鬼は、笑ってルールを口にした。

 

 

「頓智問答だ。俺の問いにそこの女が答える。その形式で多少は教えてやるよ。もっとも、この場に居ないお前に回答権利はないけどな」

 

 

 両面鬼は、監視用の特殊なサーチャーを見詰めて語る。

 そんな鬼の勝手な物言いに、意を反するのはプレシアだ。

 

 

「それで、それに協力する意味が私にあるのかしら。……何故、そんな遊びに付き合わされるのよ」

 

「意味、ねぇ」

 

 

 落ち着いてきたのか、呼吸が整ってきたプレシアに鬼は答える。

 既に価値なしと断じられた。そんな女に向ける目線は、冷たい物。

 

 

「会話をしている間だけ、お前の寿命が延びる。それだけだ」

 

「っ!」

 

「文句があるなら隙でも窺えよ。不意打ちだろうが何だろうが、歓迎するぜ」

 

「…………」

 

 

 ここから不意打ち出来るなら、己の見限りが早過ぎたと言う事。

 それならそれで良い、と鬼は笑って、そして此処に真実の断片を語り始めた。

 

 

「異論はないようだな。じゃぁ、始めるか」

 

 

 さて、何を問うべきか。

 鬼は考え、そうだなと語る。

 

 最初に与えるのは、この問題が良いだろう。

 

 

「まず第一問。魔力。魔力素とは何か?」

 

 

 魔力素。それは魔法を操る際に消費されるエネルギー。

 クリーンで無限に使えると言われる。まるで夢か御伽噺の様な力の素。

 

 それが何か、と。

 そう問う鬼の意図が分からずに、プレシアは当たり前の常識を口にした。

 

 

「魔力素とは、魔法の元となるエネルギーの事よ。世界中に満ちる無尽蔵のエネルギーこそが魔力素で、リンカーコアがそれを取り込むことで生み出されるのが魔力。そんなのは、当たり前の常識でしょう」

 

 

 故に彼女は、ミッドチルダの常識で回答する。

 だがそんな常識的な答えなど、鬼が求める解答にはなり得ない。

 

 

「ブー。残念外れー!」

 

「不正解者には、罰ゲームだ」

 

 

 座り込んでいたプレシアに、鬼は無造作にその足を振るう。

 

 

「っが!!」

 

 

 

 足で蹴られた女は、二度三度跳ねながら吹き飛ばされる。

 そのまま彼女は壁にぶつかり、そこでようやく動きを止めた。

 

 

「っ、何で」

 

「そりゃ、あれよ。罰ゲームの一つもないと、盛り上がらないでしょ?」

 

「んで、画面の向こうのお前もルールを理解したかい? この頓智問答はプレシアが動かなくなった時点で終了だ。そこまででどれだけの情報が引き出せるか、そいつはお前の仕込み次第だな」

 

 

 けらけらと笑う両面の鬼は、先の問い掛けに対する正答こそを口にする。

 

 

「魔力素も魔力も、本質は何も変わらねぇ。どっちも魂の持つ力の事だ」

 

「世界に満ちている彼の魂の力。その一部を、リンカーコアを通して自分色に染め上げた物。それこそが貴方達の呼ぶ魔力という物よ」

 

 

 それが真実。この世界における真実とは、それだ。

 

 魔力素とは、神が与えたもうた奇跡。

 そんな奇跡でもなければ、こうも都合の良い物質などは存在しない。

 

 魔法は魔力素を一定のパターンで動かして、神秘の力を引き起こす技術。

 たったそれだけの機械操作で、超自然的現象を起こせる科学技術である。

 

 故に魔力素と言うエネルギーには、元よりそれだけの力と可能性が秘められている。

 

 そうとでも考えなければ、余りに筋が通らない。

 そんな特別な力でなければ、どうしてこうも奇跡の様な現象が起こせるだろうか。

 

 故にこそ、それが真実。

 魔力素と言う目に見えないエネルギーは、神の力の根源と同じ物なのだ。

 

 

「だからよぉ。魔力素ってのには、限りがある」

 

「無尽蔵に見えるけど、決して無限と言う訳ではないのよ」

 

 

 だが、それが神の持つ魂の力ならば、それは有限の物となる。

 彼ら魔導師が語る様に、無限に満ちるエネルギーなどにはなり得ない。

 

 如何に元が強大であれ、使えば確実に減る力。

 余りにもそれが大き過ぎるが故に、減っている事に気付けないだけなのだ。

 

 

「そして、魔力素が尽きれば、世界はどうなる?」

 

 

 例えば大海に満ちる水を、コップで掬い取る行為。

 どれほど取ろうと、主観で見れば変化は見られない。いつまでも汲み続けることが出来ると思うだろう。

 

 だが水量は確実に減っているのだ。もしも海の様に蒸発した水が戻る仕組みが存在しなければ、どれ程に大きくとも何れは枯渇するだろう。

 

 そう。現状はそうなっている。

 彼らの将に己を維持する力は既になく、故にこのまま行けば海は干上がる。

 

 数十億の人間が数億年に渡ってコップで水を汲み続ければ、何れは大海も干上がり荒野と化すだろう。

 

 今の彼らの主柱には、他者の色に染められた己の力を元に戻すだけの、それっぽっちの力も残っていない。

 

 

「こんな都合の良い力が、ただあると? その力に何か意味があるとは、誰も考えなかったのかしらねぇ」

 

 

 在りし日、あの三眼の邪神に敗れた彼らの将。天魔・夜刀。

 彼は、夜都賀波岐とこの地に生きる人々、黄昏の残滓達を庇ってその力を一身に受けた。

 

 故に彼の神は、既に壊れている。

 

 

「阿呆共が、何も考えずに浪費しやがって」

 

 

 器と心は砕け散り、魂の半分は千切れて輪廻に紛れた。

 力を失ったその神体は、もはや意味を為さぬ法を垂れ流し続けている。

 

 彼の一部である筈の夜都賀波岐にすら声は届かず。

 残った魂の半分が、愛する宝石達が争い合う姿に、今も一人で血涙を流しているから。

 

 

「世界は終わるぜ。瀕死の様でも全てを支えているアイツ。その腸を抉り出すようなことをお前達が続ける限り、確実に終わる」

 

 

 故に、彼らは憤怒する。それが解答かと怒り狂う。

 

 許さない。認めない。滅ぼさせる物か。

 お前たちがそれを為すならば、そうなる前にお前たちを滅ぼそう。

 

 それが天魔・宿儺と彼と反目する一つの影。

 夜都賀波岐の両翼以外の天魔が抱いた、一つの解答。

 

 

「本当。彼が健在だったなら、魔法ほど優れた技術はないと思うけどね。その辺は認めてあげるわ」

 

 

 同時に、惜しいとも思う。

 現状がこうも切羽詰まっていなければ、魔法程に素晴らしい発明は存在しないと断言出来たのだから。

 

 神の力とは、本来人が使い切れる物ではない。

 正しく大海の水の如く、百や二百の年月では使い切れない。

 

 ならば神さえ健在ならば、循環さえ行えたのならば、魔法は真実無限のエネルギーとして世界を革新していただろう。

 

 天魔・夜刀が健在だったならば、魔法は正しく彼ら管理局が語るような理想の力であったのだ。

 

 

「ま、あいつが健在だったら、無間地獄が流れ出してただろうから、考えるだけ無駄な例えだけどな」

 

 

 分からない。分からない。

 プレシア・テスタロッサはその言を真実理解出来てはいない。

 

 だが、それでも、この瞬間に自分が世界の真実に近付いていると実感があった。

 

 

「んじゃ、第二問。そんな魔力ですが、なーんで世界中に満ちているでしょうか?」

 

「別に地脈とか難しく考えなくて良いよ。あれは単に魔力が溜まりやすい地形とか、高まりやすい状況とか、そういう単純なもんだからさ」

 

「…………」

 

 

 痛む体を抑えながら、プレシアは彼らの言を脳裏で反芻する。

 

 彼らは魔力とは魂の力と語った。

 魂とは本来人が持つべきものである。

 

 その力が世界に満ちている。

 その事実が意味することとは――

 

 

「……世界とは一つの生物の呼称である? 空も大地も海も、全てはその生き物の血と肉で、それこそが」

 

「そう。正解だ」

 

 

 それが、答えだ。

 我が意を得たりと、両面鬼は笑って告げる。

 

 

「流れ出す。その意味は単一の個が大きな世界へと変ずるという事だ」

 

「単一の個我と全平行世界という強大な体躯を持つ超越生命。それこそが覇道神。我らが主柱、永遠の刹那」

 

「ま、俺らの太極をとんでもなくでっかくしたもんをイメージすりゃ良い。次元世界全てが体の中で、それを自由自在に出来るのが全知全能の神様ってもんだ」

 

 

 その途方もない話を聞いて、プレシアには神の全容を想像することすら出来なかった。

 

 だが――

 

 

「……それこそ嘘よ。貴方達の太極とやらがその雛形なら、拡大されたそれに法則の強要がないはずがない」

 

 

 太極とは、即ち神の世界。

 其処は神の決めた法則で満ちていて、それを強要する空間。

 

 それが雛型と言うならば、拡大された流出にも法則が伴う。

 それが存在しない以上、嘘偽りだろうとプレシアが欠落を指摘する。

 

 

「いや、あるぜ。確かに強制力は今も働いている」

 

「ただ、その力があんまりにも弱いから、誰も感じられないだけなのよねー」

 

 

 それに介す両面鬼の答えは、そんな答え。

 生まれたばかりの赤子にすらも、強制できぬ程に神は弱っている。

 

 天魔・夜刀の法則は、無間大紅蓮地獄。

 

 あらゆる生命の存在を許さぬ極大の地獄。

 晴天の星々すらも凍り付く凍てつく風。

 

 それが本来の力を発揮していないが故に、この世界は存在する。

 

 

「そう。瀕死のアイツが流した法に、力が残っている訳がねぇ」

 

 

 神にとって流出とは呼吸と同じだ。

 止めようと思って、長く止めていられるような物じゃない。生理現象の一部である。

 

 無論。それは、流れ出すことが命に関わる現状にあっても、任意で止められないという事実を示していた。

 

 

 

 

 

 流出とは画用紙に絵具を塗る行為である。

 世界という白紙の画用紙を、自分の色で塗り換える行為。

 

 だが、もしも、その画用紙の大きさに比べて、絵具の量が足りなければどうなるのか?

 

 絵具が切れた所で流出は止まる?

 否、流れ出すとはそういう事ではない。

 

 際限なく流れ出すとは、逆説、如何なる状況でも止まらないと言う事を意味する。

 絵具が切れたなら、例え絵具を水で薄めてでも白紙の画用紙全てを染め上げようとする。

 流出とはそういう物だ。

 

 だが、果たして水で薄められた絵具は、本来の色と同じ物であるだろうか?

 

 青色なら水色に、水を混ぜた色は薄く、その意味を変えてしまう。

 

 この世界は夜刀の法に満たされている。

 だが力が足りていないが故に、画用紙は白紙に近い

 

 薄らと青みがかった白色でしかない世界に、彼の法は正常に機能してはいない。

 今の彼は、生まれたばかりの赤子にすら、己の法を強制することが出来ていないのだ。

 

 

「そんなアイツから、魔導士共は今も力を奪っている。瀕死の様で世界を支えているあいつを、内側から苦しめている。……それを俺は認めねぇ」

 

 

 だが、それでも彼の裏面である宿儺には聞こえている。

 今にも飛びそうな意識の中で、己を蝕む害悪達をそれでも愛していると叫ぶ親友の声が。

 

 

 

 嘗てあった神座世界。その地を汚染しつくした大欲界。

 微かな希望であった東征軍は天魔の前に敗れ、法を壊す為に動いた御門は敗北した。

 

 結果訪れたのは破局。

 あれから何千年。何万年と耐えた彼らは、ついに神座に到達した。してしまった。

 

 そこに辿り着いた瞬間を、夜刀を除く誰もが意識していなかった。

 

 唐突に穴は開き、まだ大丈夫だろうという余裕は崩れ。

 何も準備が出来ていない状況で、三眼の邪神と相対した。

 

 虫を払うような動作で振るわれた拳に夜刀は砕け、それでも離さぬと取り戻した黄昏の残滓を抱きしめた。

 

 

 

 波旬の圧倒的な力に、世界に穴が開く。

 

 

 

 虚数の海。世界の外側。

 魔力を通さぬという性質故に、神座の影響下になかった場所。

 

 座の外側へと放逐された夜刀は、砕けながらも愛する者達を守り抜いた。

 

 そして辿り着いたのがこの場所。

 虚数空間の先にあった。ただ広いだけの何もない場所。

 

 そこで彼は流れ出した。

 必死に止めようとする天魔の努力も虚しく。

 零れ落ちるように流れてしまった。

 

 

 

 それが何億年も前の話。

 この世界が生まれる瞬間に起きた出来事だ。

 

 流れ出した端から自壊している夜刀の世界。

 

 数億年前はまだ流れ出す速度の方が早かった。

 管理局の設立とほぼ時を同じくして、流れ出す速度と崩壊する速度が拮抗した。

 

 そして今、その二つは逆転してしまっている。

 世界は緩やかに、だが確実に死に向かっている。

 

 

 

 流れ出した世界に生きるは、黄昏の残照だ。

 

 愛した女神の愛し子ら。

 波旬に飲まれ、東征の武人として天魔を追い立て、穢土の地にて倒れた魂。

 

 穢土で倒れた彼らの魂を、夜刀は回収した。

 その汚物に汚れきった魂を抱き締めて、そして守り抜いたのだ。

 

 だから、夜刀は愛している。

 この世界を生きる人々を、己の愛し子達を愛している。

 

 その果てに愛し子らに憑り殺されたとしても、彼は決して人を責めはしないだろう。

 

 

「さて、三問目だ」

 

「リンカーコアって何だか分かる?」

 

 

 昔を思い出したのか、遠い目をして宿儺は静かに問うた。

 

 

「……魔力を取り込む器官。貴方達の言に従うなら、魂の力を取り込む器官でしょう」

 

「んじゃ、なんでそんなのがこの世界の人間には存在している?」

 

「何故? そんなの進化の過程で生まれた器官でしょう」

 

「進化論的にはさ、必要ない器官って適応出来ないはずなんだよね。ま、あれはあれで突っ込みどころある論だけどさ」

 

「今回の話で言えば、生まれた理由はあるのさ」

 

 

 魂の力を求めるのは、彼らの魂が欠落していたから。余りにも汚れ過ぎていたからだ。

 

 波旬との戦い。気が遠くなるほどの戦いの中で、彼の波動を受けた黄昏の残滓は穢れていた。

 その魂は弱り切り、悍ましい姿を成す程に歪められてしまっていた。

 

 その魂を治す為に、足りない力を外部に求めたのだ。

 結果生まれたのが、リンカーコアという魂の力を吸収する器官。

 

 この世界独自の身体機能だ。

 

 

「始め、俺らはそれを良しとした。あいつの命を奪うと知っても、それでも黄昏の子らには、当たり前の幸福を得る資格があると考えた」

 

「そう。リンカーコアはいずれなくなる。魂が必要としなくなれば、もう彼は苦しまなくなる。ならば少しの間だけ、それを許容しようと判断した」

 

「だが、それは間違いだった。お前らは延命の為の器官で、あいつが生かす為に与えた魔力で、魔法とか言う技術を生み出した」

 

「本来魂の補填が完了すると同時に失われるはずだった器官は、度重なる酷使によって存在することが常態となり、魔法文明においては魂の欠落がなくてもリンカーコアを持って生まれて来ることが当たり前になった」

 

「なんだそりゃ?」

 

 

 リンカーコアを持って生まれる者達。

 それが偶然、先祖帰りを起こしてしまった高町なのはのような例外だけならば許容しただろう。

 

 だが、管理世界に生きる者達は違う。

 与えられた祝福を本来の使い道とは違う形で浪費し、もっともっとと強請る痴愚共。

 

 ああ、何と手酷い裏切りか。

 

 我らが守りたかった黄昏は、彼が守った黄昏は、一皮向けばこうも醜い様相を見せる。

 そうまでどうしようもないほどに、波旬の影響は残っているというのか。

 

 ならば天魔は魔法を許さず。

 魔法という技術を認めない。

 

 両面の鬼にとって、それがどれほど素晴らしい物だとしても、その根本が許容できる物ではない。

 

 故にこれを、神の奇跡を強請る技術と否定する。

 

 両面の鬼は怒りに震える。

 そんな無様は認めないと告げる。

 

 そう。彼が守った輝きが、失われているなど思いたくもないから。

 輝きが本当に失せてしまっているならば、それこそ本当に詰んでいるから。

 

 だから決して、彼は認めない。

 

 

「頓智問答は御終いだ。さあ、幕を引こうか魔導師」

 

 

 両面宿儺は告げる。

 さあ潰そうか、と。

 

 

「それが嫌なら示して見せろ。人の輝きを見せてみろ! それすら出来ねぇなら、このまま死んじまいな!!」

 

 

 拳が振るわれる。

 プレシアは扉を吹き飛ばしながら、大きく外へと飛ばされる。

 

 吹き飛ばされて来たプレシアの姿を、少女達は目視して――

 

 

 

 両面の鬼は銃口を向ける。

 

 彼が愛した刹那を蹂躙して、それが何よりもあいつの想いに泥を塗っていると分かっていて。

 

 そんな己の無様を嗤いながら、天魔・宿儺は引き金を引いた。

 

 

 

 

 

2.

 轟音が轟く。

 

 死んだのだろうと感じたプレシアは、しかし背中の痛みしか感じなかった。

 

 何故、と思い、ゆっくりと目を開く。

 

 その先に、彼女が居た。

 

 

「フェイト、貴方……」

 

 

 小さく細い指先が、プレシアの頬を撫でる。

 優しく、愛おしい物を確認するように指が動いた。

 

 

「ああ、……良かった」

 

 

 本当に安心したように、フェイトは柔らかく微笑んで――

 

 

「母さん」

 

 

 その身体は、欠落している。

 

 ああ、何故欠けているのか。

 少女の腰から下、下半身が大きく欠落していた。

 

 

 

 そして、にっこりと笑ったまま、フェイト・テスタロッサは死を迎えた。

 

 

 

 

 

「おー、やっるねー」

 

「あの距離で妨害されるとは思わなかったわ。使い魔の方と言い主と言い、大した主従だな、おい」

 

 

 両面の鬼の笑い声が届く。

 高町なのはの癇に障る笑い声が響く。

 

 

「だけど、その女は放っておけないんだわ」

 

「そんな訳で、二発目行ってみようか」

 

 

 鬼は笑って銃口を向ける。

 その凶器は無情にも、少女が掴み取った唯一つを奪い去ろうとしている。

 

 

 

 止めろと、叫ぼうとする。

 だが、なのはがそう叫ぶ前に――

 

 ガラガラと壁が崩れ、床が落ちた。

 

 扉の前の通路の一部。そこを削り取るかのように落石が起こり、プレシアとフェイトはそれに飲まれて落下する。

 

 

「何、手ぇ出すなって言うのかよ」

 

 

 両面の鬼は、崩れ去る瓦礫の向こう側に同胞の姿を見つけて、そう呟いた。

 

 

「また、横入りされちまったなぁ」

 

「わりと本気で、非モテ中尉の呪いが移っていたりして」

 

「おいおい。マジでやめてくれよ。もうこんなんは勘弁だぜ」

 

 

 なぁ、と気安く、何もなかったかのような笑みを宿儺はなのはに向ける。

 その笑みこそが少女の神経を逆撫ですると分かって、だからこそ悪意に満ちた笑みで嗤う。

 

 

「天魔・宿儺!!」

 

「応よ。来るか? 高町なのはっ!」

 

 

 少女は怒りと共に、両面の鬼に立ち向かう。

 これより始まるのが、時の庭園における最後の戦いだ。

 

 

 

 

 

3.

 プレシアは一人。茫然と座り込んでいた。

 

 手に抱いた少女は一人。

 あまりにも軽くなってしまった女の子。

 

 失われていく体温を、唯茫然と感じている。

 

 

「忘れものよ、プレシア」

 

「……ああ、アリシアを連れて来てくれたのね」

 

 

 ありがとう、リザ。

 そう小さく呟いたプレシアに、天魔・紅葉は静かに頷く。

 

 彼女の顔は影に隠れて、その表情は読み取れない。

 

 

「……ようやく気付いたわ。本当に私は、昔から気付くのが遅い」

 

「そう。やっぱり似た者同士なのね。私達」

 

 

 そんな風に呟いて、女は抱きしめた少女を見つめる。

 鬼相の落ちた表情で、プレシアはフェイトの髪の毛を優しく撫でた。

 

 

「失って、ようやく見えた。ああ、私は怖かったのね。フェイトがアリシアと似ていないから、それでもやっぱり似ていたから、想い出になってしまったあの子が薄れていくことに、フェイトがアリシアを上書きしていくことに、恐怖を抱いた」

 

 

 だから彼女から目を逸らした。

 自分の想い出を、アリシアの記憶を守るために。

 

 今、フェイトもまた想い出となってしまったことで、ようやくその事実に気付いた。

 もう彼女との想い出が増えることはない事実に、やっと彼女を真っ直ぐに見ることが出来るようになった。

 

 

「ああ、本当に酷い親」

 

「ええ、本当に」

 

 

 フェイトを見るプレシアは、ようやくあの言葉の続きを思い出した。

 

 誕生日プレゼント。

 あの日、アリシアが強請った物は。

 

 

――私ね。妹が欲しい。

 

 

「ああ、そんなこと、もっと早くに気付けば良かったのに」

 

 

 こうして満足そうに逝ってしまったから、もう何も伝えることは出来ない。

 

 本当に、気付くのが何時も遅過ぎるのだ。

 

 

「けど、終わりじゃない」

 

 

 だが、終わりではない。

 終わらせない。終わらせる物か。

 

 ボロボロの体に鞭を打って、女はその場に立ち上がる。

 プレシア・テスタロッサはその掌中に、十三個のジュエルシードを持ち出した。

 

 

「私は至る。アルハザードに。そして取り戻すのよ。こんな筈じゃなかった世界を」

 

 

 抱きしめていくのは二人の娘。

 

 アリシアと、そしてもう一人。

 この子達を、もう二度と手放さないように。

 

 

「……その想いは、変わらないのね」

 

「ええ、至るわ。取り戻すの、手に入れるの、私の望んだ、それが!」

 

「そう」

 

 

 プレシアがジュエルシードを発動させようと動く。

 

 その瞬間に――

 

 

「ごめんなさい。プレシア」

 

「あ……」

 

 

 ずぶりと音を立てて、巨大な蜘蛛の前足がプレシアの胸を抉った。

 

 

「貴女がどれ程望もうと、それを許す訳にはいかないの」

 

 

 即死だった。

 どさりと倒れ、流れ出た血が小さな池を作る。

 

 苦しむ暇もなく死した友を、殺した女は見下している。

 鬼相の落ちた女が、死してなお娘達を離さなかった姿に何を思ったのか。

 

 ただ一言、天魔・紅葉は遁甲へと沈んでいく彼女に告げる。

 

 

「お休みなさい。私の友達。……せめて良い夢を」

 

 

 ここにあるという意思が失われ、天魔・紅葉は消え失せる。

 

 その表情を、最後まで誰にも見せる事はなく――

 

 

 

 

 

 事件の首謀者に幕は下り、ここに災厄の宝石を巡る物語は一先ずの決着を見せた。

 

 残るはただ、この争いの中で芽生えた因縁。それに対する清算のみ。

 

 

 

 

 

 そんな時の庭園で、誰かは夢を見た。

 

 優しい母親はにこにこと微笑み。

 快活な姉は内向的な妹を振り回す。

 小さな山猫はにゃーと鳴き、幼い狼は少女達と戯れる。

 

 

 

 そんな優しい夢を見た。

 

 

 

 

 




今回出た独自設定まとめ

KKK側
1.覇道神は神座の外でも流出する。
(覇道神はそういう生き物であると作者が認識している為こうなった。流出は彼らの基本機能で、全知全能を追加で付与するのが神座という認識)
2.覇道神は瀕死状態でも流出する。
(KKK本編の常世さんの台詞から、覇道神は任意で流出を制御出来ないという設定だったのでこうなった)
3.瀕死の状態だと強制力は落ちる。
(独自設定。ただ全開夜刀様と消耗夜刀様の差を見ると、あながち間違っていない気がする。……赤子の魂にも強制力で押し負けるくらい死に掛けなのに世界を維持出来ていたのは、彼が法則強制よりも世界維持に力を費やしていたからという認識。あとKIAI)
4.座には外側があった。
(それがないとクロスできない。虚数空間は神の力も通り難い地形。向こう側にも何もないので態々水銀が取り込もうとしなかったイメージ)

なのは側
1.なのは達は黄昏の末裔。
(この世界が夜刀様の流出なので、そこに生きるのは嘗ての残滓の末裔だよな、という理解)
2.リンカーコアは魂を補填する為に生まれた。
(波旬に飲まれた彼らが人に戻れた理由の説明付け。ついでに神座世界の頃にはなかった機能が体内にある理由でもある。この世界の人々はその機能の所為で、己の魂を消費して生み出す力を忘れてしまっている)
3.魂の力と魔力は同じ物。
(同じ物だから神の力である太極に対抗できる。同じ物だから宿儺の身洋受苦地獄に嵌る)
4.オリキャラ? アブドゥル=アルハザードさん。
(魔法はこの世界で生まれた技術という形にしたかったので、アルハザードの元ネタなアラブ人さんを拝借。旧ベルカ王朝より遥か前に生きた人。リンカーコア見つけて、魔力素に気付いて、魔法理論の基礎作って、神座まで見つけた凄い人。スカさんは管理局で色々改造されているけど、この人の末裔という設定)


実は魔法少女の世界に夜都賀波岐が来たんじゃなくて、夜刀様が流出したらリリカルな世界だったんだよ、という設定。

発言を見ると天魔側に正当性があるように見えるけど、もう皆忘れた数億年も前のことだから今更言われても困る。なのは側の当事者はもう誰もいない話です。
魔法技術を作り上げた人達は何も知らずに、ただより良い物を求めただけで、別に悪い訳ではないんだよね、という話。
全部知ってて悪巧みする最高評議会は除くが、それ以外の人々はどちらが悪いという単純な対比にはならないように気を付けていくつもりです。


なのは達は外見と名前と性格は都築ワールドの住人だけど、魂は正田卿世界出身なんだよという新事実。
だからなのはさんが黄金の槍を振り回しながら「真に愛するなら壊せぇっ!」と言ったり、はやてちゃんが車椅子投げ捨てて「空ぅ気がうまい↑」とか言い出してもおかしくはないんだ、と言い張ってみる。



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第十六話 約束

無印編ラストバトル。VS宿儺戦です。

2016/09/19 大幅加筆修正。
+9000字とか、増やし過ぎた。けど後悔はしていない。


副題 かつての約束。
   少年の決意。
   新たな約束。


推奨BGM
2.祭祀一切夜叉羅刹食血肉者(神咒神威神楽)
3.Take a shot(魔法少女リリカルなのは)
4.innocent starter(魔法少女リリカルなのは)


1.

 それは遥か昔の記憶。

 

 地球。日本。そう呼ばれるようになった世界で、一組の男女が言葉を交わしている。

 

 金髪の男。女の着物に身を包んだ異形。その名は天魔・宿儺。

 対する女は栗色の髪に優しげな笑顔を浮かべた、太陽のように微笑む女。

 

 

「随分と、懐かしい光景が戻ってきてるね」

 

「はっ、相変わらず過去にしがみ付きやがって、穢土の近くに地球なんて世界が生まれるなんて、狙ってんのかあの野郎」

 

「あいつのことだもの。また見たかった、ってそんな理由じゃないかな?」

 

 

 吐き捨てるように語る鬼に、女――綾瀬香純はにこやかに答えを返す。

 

 口では斯様に語りながらも、その実誰よりも“彼”の事を大切に想っている。その鬼の心情を知るが故に、女は陽だまりの様な笑みを浮かべていた。

 

 

「ああ、しっかし殺風景だった光景が、随分と様変わりしたもんだ。人間はやっぱ嘗めてらんねえよな」

 

「うん。東征軍の人達が攻めてきて、穢土で死んでしまったのは悲しいことだけれど。お蔭で黄昏の皆の魂も結構戻って来たからね」

 

「ああ、あいつらが負けちまったのはクソッタレな話だが、それがなけりゃこうはならなかった」

 

 

 第六天・波旬。神座世界の支配者に囚われていた者らは、穢土にて戦い死に没した。

 在りし日の世界。穢土と言う大地とは即ち、天魔・夜刀の肉体であった。故に其処で没した彼らは、その魂を浄化されて彼の内へと還ったのだ。

 

 あの日、剣を交わした子らは此処に居る。

 唯人として、東征軍の兵として参戦した黄昏の子らは、一つの命としてここにある。

 

 それを見詰める彼らの瞳は、何処までも優しい。

 確かな慈愛を其処に抱いて、彼らはその生命を祝福していた。

 

 

「波旬に飲まれ、東征の戦いで取り戻した黄昏の子ら。……ううん。あの子達だけじゃない。この世界には、確かに彼の子らも居る」

 

 

 神の魂は砕かれ、崩れ落ちた欠片は命となった。

 故にこの地に生きるのは、黄昏の子と、刹那の子と、そして彼らの血を引く者ら。

 

 

「へこへこやることやって増えて? んで今じゃこの有様さ、ってか?」

 

「言い方悪いな~。この世界で生まれた彼の子供と、あの世界から取り戻した彼女の子供が交わって、今を生きる子供達は生まれた。そして今を謳歌している。それで良いじゃん」

 

「同じだろ、言ってる意味は」

 

「ち~が~う。人聞き悪いって言ってんのよ馬鹿司狼!!」

 

 

 確かにこの地に生きる子らは、そんな嘗てより継がれた子供達。

 彼らが生きた嘗てにはまだ遠いけど、それでも人の文明は此処にある。

 

 そんな今の次代の人々を見詰めながら、香純はぽつりと呟いた。

 

 

「けどさ、本当に良かったのかな?」

 

「何が?」

 

「……アンタらはもう戻れないのに、私だけこうして人に戻ったこと」

 

 

 その言葉に含まれたのは、後悔に近い慙愧の色。

 自分だけがこうして、人に戻れた事を恥じ入る様な言葉。

 

 彼の地における波旬との戦いは、彼らに決して癒えぬ傷を刻み込んだ。

 彼と共に戦った英雄達は皆、その身を異形へと貶め、最早戻る事すら出来はしない。

 

 夜都賀波岐は既に死人だ。

 神の愛に抱かれ、神の憎悪に呼応し、神の為に蠢く死者である。

 

 その身に人の皮を被り、一時ならば人の振りも出来るであろう。

 だがその本質がもう揺るがない。壊れて穢れた化外の死人は、永劫救われる事がない。

 

 一皮剥けば、化けの皮が剥がれる。

 

 その姿はあらゆる生命の恐怖と嫌悪を煽る物。

 もう二度と、彼らは人として生きて死ぬ事は出来ないのだ。

 

 

「はっ、気にすんな。戻れるなら戻っとけ、そっちの方が得だろう?」

 

「……アンタらしいね。その物言い」

 

 

 そんな現状を、気にするなと両面は笑う。

 化外に変わって尚、変わらぬ彼の在り様に、香純は小さな笑みを零した。

 

 

 

 懐かしさを抱きながら笑いあって、女と男は視線を移す。

 見詰める先にあるのは現世。今を生きる人々が織りなす、当たり前の日常。

 

 町を歩く人の群れ。

 町を行き交う行商。

 当たり前の今を謳歌している人々。

 

 これこそが、神が望んでいた愛しい刹那。

 何に変えても守り通さねば、と彼が誓った珠玉の宝石。

 

 自由な民と自由な世界で、愛しい子らが織りなす平穏こそを彼は愛しているから――

 

 

「これから、どうなるんだろうね。この世界」

 

 

 何時か終わる。

 そう考えると、どうしようもなく寂しく思えた。

 

 そう。この世界は始まった瞬間より、終わりが待ち受けている。

 どれほど今が輝かしくとも、この刹那は永遠にはなれずに終わってしまう。

 

 神は最早、長くはない。

 彼の死後、この世界は全てが同時に消え去るだろう。

 

 そして生まれた子らは、何もない世界に放り出される。

 其処は剥き出しの弱き魂が生きるには、余りにも難しい神なき場所。

 

 この地の子らには、魂を自らの意志で形成する力がない。

 神の魔力に満ちた世界から放り出されれば、その存在を保てなくなり霧散する。

 

 神の死後に待つのは、全ての人が夢幻に還る。何も残らぬ泡沫の結末。

 

 ああ、何と救いがない事だ。

 あの苦痛に満ちた日々の先、その幕引きがそれでは誰も救われない。

 

 

「任せとけ」

 

 

 だから、自滅因子はそう語る。

 神の願いを叶え、世界を滅ぼす癌細胞はそう決める。

 

 

「後は俺が何とかする。お前は気にせず、人として生きて死ねや」

 

 

 唯人として、生きて死ね。

 

 それがきっと、人になる事を焦がれた鬼の友への餞別。

 全てを救う術を見つける為に、両面悪鬼が己の矜持すらも捨てた瞬間であったのだろう。

 

 そんな鬼の表情を見て、月の如く生きた女は溜息を吐いた。

 

 

「またそれ? アンタら男共は何時も何時も」

 

 

 全てを解決してやると嘯く鬼の言葉。

 一番辛い選択を、己の意志で通そうとする姿。

 

 それは彼も同じく、彼ら男達は何時も何時もそうだった。

 月の様に生きた太陽の女を顧みる事なく、全てを自分達で背負って解決してしまうのだ。

 

 女に出来る事は、あの頃から変わらない。

 

 信じて待つ。それしか出来ない。

 何時だって辛い想いを我慢して、そうして全てが終わった後で「おかえり」と告げるだけ。

 

 懐かしいと、そう思ってしまう事すら度し難い。

 そう思いながらも、そうとしか生きれなかった。辛さや寂しさに耐えて、ただ待つしかなかった。

 

 それがきっと、綾瀬香純の限界で――

 ああ、けれど、そんな限界をこの地でまで抱いて居たくはなかったから――

 

 

「――なら、私が何とかして見せるよ」

 

 

 だからたまには、男達の方をヤキモキさせてやろう。

 そう思って、そんな風に口にしたのだ。

 

 

「……で、どうすんのよ。バカスミ」

 

「バカスミ言うな! ……まだ分かんないけどさ」

 

 

 口で言ったとて、出来る事など浮かばない。

 既に詰み掛けている世界で、何かを出来る力など女にはない。

 

 

「やっぱバカだな。バカスミだ」

 

「だから言うな!!」

 

 

 それでも、女は確かに何かをしようと思った。

 笑い飛ばしながらも、鬼は何かをしてくれるのではと期待した。

 

 だから、言うべき言葉は唯一つ。

 

 

「アンタが外から頑張るなら、私は中から変えていくよ。心配性で格好付けなあの神様が、安心できる世界を作って見せる」

 

 

 互いに同じ様な笑みを浮かべて、互いの道を此処に決める。

 

 きっと何時か、何とかして見せる。

 古き世の男女は、一つの約束を交わしたのだ。

 

 

「やってみせろよ」

 

「やってやろうじゃん!」

 

 

 そんな、今は昔の約束。

 在りし日に交わした、唯の戯言。

 

 

 

 

 

「天魔・宿儺っ!」

 

 

 両面の鬼は、眼前で憤慨する少女を見る。

 綾瀬の系譜に連なる少女。高町なのはを冷たく見据える。

 

 あいつ譲りの栗色の髪。

 太陽の如き彼女と、どこか似た所のある性格。

 修羅道至高天の血族。太陽の御子(ゾーネンキント)であった香純が受け継がなかった筈の、黄金の獣が持つ暴虐性。

 

 そういった面を見る度に、そいつがあの馬鹿の血族だと分かってしまう。

 彼女が変えると言って、果たされる事を望んだ約束が、破られてしまったと分かってしまう。

 

 元より、無理だとは思っていた。

 そもそも、出来る筈なんてなかった。

 こんな子供に当たるのは、何もかもが筋違いだと分かっている。

 

 分かっていて、それでも――

 

 

「なんて様だよ。……バカスミが」

 

 

 嘆く色が隠せない。憤りを抑えられない。

 

 なのはが魔法を振るう姿を見る度に、深い失望を覚える。

 あの約束が果たせていない様子に、憎悪の情さえ抱いてしまう。

 

 故に――

 

 

「やっぱり俺、お前が嫌いだわ」

 

 

 天魔・宿儺は、高町なのはを酷く嫌うのだ。

 

 

 

 

 

2.

 高町なのはは怒っている。

 これまで抱いたことがない程の怒りを、鬼に対して抱いている。

 

 

「どうして、フェイトちゃんを!!」

 

 

 どうして、奪うのか。

 あと少しで分かり合えたと言うのに、どうしてこの鬼は奪っていくのか。

 

 

「どうして、貴方はそうなんですか!!」

 

 

 誰かを傷付けて、命を奪って、それでもヘラヘラと笑っている。

 そんな両面を持つ悪鬼の行為が、在り様が、存在自体が、高町なのはには許せない。

 

 

「はっ、俺が気に食わないか、ガキ」

 

 

 鬼はその稚拙な怒りを、応よと受け止めると笑って返す。

 嫌いだと言う感情を受け止めて、そして己の悪意を返すのだ。

 

 

「俺もだクソガキ。俺もお前が気に食わねぇ」

 

「何を!」

 

「戦う理由ってなシンプルな方が良い。正義だ悪だ大義だ理想だ。そんな物は必要ねえ」

 

 

 戦いにそんな余分は必要ない。それは純度を下げる想いだ。

 

 お前が許せない。

 お前が気に入らない。

 お前を殺さなければ気が済まない。

 

 それだけで十分。十分過ぎる程の理由だろうと鬼は笑う。

 

 

「さあ、来いよクソガキ。その杖は飾りか? 太極は使わねぇでやるから、手前の可能性を見せてみろ」

 

「貴方と言う人は!!」

 

 

 鬼は余裕を揺るがせない。

 怒りと共に、なのはは悪鬼へ向かって杖を構えた。

 

 

「ディバインバスター・ファランクスシフト!!」

 

〈Divine buster phalanx shift〉

 

 

 先ずもって、放つは初手より全力砲火。

 桜色の砲撃が飛来する。空間の殆どを塗り潰す程の砲撃雨。

 

 集束する程の魔力が満ちていない今、これこそが高町なのはの最高火力。

 

 だが――

 

 

「温ぃな」

 

 

 この鬼の前には意味を為さない。

 その身に触れた矢先から、魔法の砲撃は泡沫の滴の様に弾けて消える。

 

 

「詰まんねぇぞ。おい。……馬鹿みてぇに同じ事の繰り返し、それだけじゃ何の意味もねぇ」

 

「っ」

 

 

 砲撃と言う豪雨の中で、鬼は両手を広げたままに歩き出す。

 真昼の日差しの中を散歩するかのように、悠々と宿儺は歩み寄って来る。

 

 その姿に、心が僅かに揺れる。

 

 魔法が効かない。両面鬼に対するトラウマ。

 怒りによって見ない振りをしている弱い心が、僅かな恐怖で揺らいでいた。

 

 

「なあ、気持ち良いか? 気持ち良いだろう? 気持ち良いから、やってるんだよなぁ?」

 

「何が!?」

 

 

 砲撃だけでは通じない。されど魔法以外に何がある。

 こうして攻撃を続けていれば、何時かは何かが通る筈だ。

 

 そんな風に己の恐怖を誤魔化しているなのはに向かって、悠々と歩く鬼はその口から悪意を零した。

 

 

「そうやって力を振り回すことが、だよ」

 

 

 嗤う鬼の悪意の意図は、プレシアに向けた物と同じ物。

 相手の隠していたい一面を暴き出して、それに対する奮起を期待する物。

 

 彼女はその血を宿すが故に、向けられる期待はプレシアに対するそれより大きい。

 だがそれよりも、天魔・宿儺が高町なのはを嫌うが為に、向けられる悪意の方が遥かに大きい。

 

 

「良いよな、偶々拾った宝石で、偶然力が手に入って、凄い才能が芽生えて活躍、そんな私は強くて凄いだ?」

 

「何を!!」

 

 

 魔法の力が全く効かない光景に――

 恐ろしい鬼がゆっくりと近付いて来る姿に――

 隠していたかった己の弱さが暴かれようとしている状況に――

 

 高町なのはの心が、恐怖に揺れていた。

 

 

「ああ、随分と浸ってやがるな。そんな手前はどれだけ努力した? どれだけ努力した奴を嘲笑っている?」

 

「違うっ、私はっ、嗤ってなんかっ!」

 

「はっ、違わねぇよ。――私は無力だとか言ってたガキが、神様に頭下げて恵んで貰った力を振り回す。自分は凄いと悦に浸って、他人を無自覚に蹴落としている。それがどうして、嘲笑と違うと言える」

 

 

 ユーノ・スクライアと言う少年は、ちっぽけな意地を才能に砕かれた。

 あの時なのはが目覚めなければ、確かに彼を含めて多くの命が失われていたであろう。

 

 それでも、なのはは無自覚にユーノの矜持を圧し折った。

 それは変わる事はない事実であり、天与の才と言う理不尽な要素がそれを齎した。

 

 

「神様のお詫びで摩訶不思議な力を恵んで貰って、そんな私は強くて凄い。だからやる事為す事全部正しい。自己満足で他人の意志を踏み躙って、終わり良ければハッピーエンド? 笑えもしねぇ冗談。……そんな屑どもと、テメェはどれ程に違っている!?」

 

 

 フェイト・テスタロッサと言う少女は、母の為に弛まぬ努力を重ねていた。

 優れた才に恵まれて、それしかないから死に物狂いの鍛錬を重ねて、その果てに確かな答えを見付け出した。

 

 それは母を守ると言う意志。作り物が、初めて己で決めた事。

 けれどそんな決意を伴う力すら、歪みと言う力に都合よく目覚めた少女を前に破られた。

 

 結果的には、それが彼女の心を解き放つ事に繋がった。

 だが、それでも理不尽な才でなのはは我意を貫いた。その事実は変わらない。

 

 

「馬鹿にしてる。ふざけてる。拾って貰って恵まれたもんがなければ何も出来ねぇガキが、粋がってんじゃねぇっ!」

 

 

 それでいて、少女の本質は変わっていない。

 あの日屋上で自分は何も出来ないと嘆いていた様に、彼女の全ては魔法の才能ありきの物だ。

 

 神の瞳。万象全てを覗く天眼を用いれば、それが嫌でも分かってしまう。

 神が全知である所以。この世で起こり得る全てを知る事が出来る瞳を、大天魔は部分的にだが借りる事ができるのだから。

 

 

「手にした力が何であれ、得た救いは素晴らしい? 振るう力は天賦の才能であり、与えられた力を如何に使うかが大切だ? 俺は俺の力に覚悟と意志を抱いているから、だから神の恵みであっても正しく使える?」

 

 

 無論。全てを見通す事は出来ない。

 神に人の自我がある限り、膨大過ぎる情報全てを理解し切るには時間が掛かる。

 そして大天魔は本来の持ち主でなければ、どれ程同調しているかによっても制限が掛かるのだ。

 

 だが、それでも両面宿儺は確かに見通している。

 神の片腕である夜都賀波岐のナンバースリーは、他の大天魔よりも高い同調を保っている。

 

 だからこそ、鬼が語るのは、高町なのはが心のどこかで自覚していた己の弱さ。

 故にこそ、その言葉は彼女の心を恐怖で揺らし、その醜さを衆目の内に晒し出す。

 

 

「馬鹿馬鹿しい。阿呆かテメェら。――そんな奴の語る言葉は、救いも意志も覚悟も全部、薄っぺらくて軽いんだよっ!」

 

 

 与えられた者。恵まれた者。

 彼らの語る強さは、その全てが軽い物。

 

 努力していない者に、何故その辛さが語れよう。

 恵まれただけの者に、何故恵まれぬ者の心を理解出来よう。

 神様の脚本通りに動いて齎した救いに、一体どんな輝きがあると言うのか。

 

 何もない。何もかもが軽くて安くて見苦しい。

 

 

「立脚点が、そもそも間違っている。借り物拾い物貰い物。そんなもんの上に何を重ねようと、何もかもが安物だろうがっ!」

 

 

 その想いは安いのだ。

 その覚悟は軽いのだ。

 

 その上に何を乗せようとも、土台が真面でないなら崩れる物。

 得た力で何をしようとも、その力に驕り高ぶり悦に浸るならば全てが格好悪いのだ。

 

 

「けどっ! それでも私はっ!」

 

 

 拾った物でも、貰った物でも、これで確かに変われたのだ。

 だから誰かを助ける為に、だから何かを貫く為に、そうした想いも無価値と言うのか。

 

 曝け出された弱さに怯えながらも、なのははその手の杖を握り締める。

 放たれる魔砲の雨に、混じるのは無数の誘導弾。吹き荒れる桜の嵐は、全てを塗り潰さんと暴威を示し――

 

 

「何かを語ろうとするなら、先ずもって最初にその見苦しい貰い物を捨ててから語れっ!!」

 

 

 されど魔法である限り、両面の鬼には届かない。

 彼がそれを認めぬ以上は、魔法の力でこの鬼は倒せない。

 

 

「変わったと語るなら、何もない状態に戻ってから何かを為せ! 無力だと嘆いていた身で変わるから、それに初めて価値が生まれるっ!」

 

 

 それが、それこそが、両面鬼が焦がれた人の輝き。

 未だその手に奇跡を握り締める限り、鬼は決して認めない。

 

 

「それが、真面目に生きるってもんだろうがぁっ!!」

 

 

 無数の魔法は、意味を為さない。

 人間にしか倒せないこの鬼は、奇跡の杖では倒れない。

 

 

 

 そして桜の嵐の中、歩み寄った鬼が少女の前に立つ。

 

 

「さて、ここまで来たが、……どうするよ?」

 

 

 なのはの杖を胸元に押し当て、さあどうすると鬼は問う。

 この距離まで詰めたなら、魔法を振るうよりも殴った方が早い。

 

 

「さぁ、テメェの真価を見せてみろっ!」

 

「っ」

 

 

 手が震える。膝が震える。

 その小さな全身が、恐怖に震えていた。

 

 

「私、は」

 

 

 目の前で嗤う鬼。殴り掛かって来いと嗤う鬼。

 震える手に持つ魔法の杖を、高町なのはは離せない。

 

 魔法(コレ)があったから、己は変われた。

 魔法(コレ)があったから、己は強く歩けた。

 

 なら魔法(コレ)がなくなれば?

 それでも自分は、先に進めるのか。

 

 分からない。分からない。分からない。

 ああ、だけど。こんな恐ろしい怪物を前に、自分は魔法を手放せない。

 

 怖いのだ。恐ろしいのだ。

 魔法があっても勝てないのに、捨てるだなんて選べない。

 

 故に――

 

 

「ディバインバスターっ!」

 

 

 目を逸らしながら、それでも放つのは桜の砲撃。

 それを受けて煙が舞い、しかし掴まれた腕に感じる握力は揺るがない。

 

 

「……詰まんねぇなぁ、おい」

 

「ひっ!?」

 

 

 煙が晴れた先、揺るがぬ鬼の失望の色。

 その瞳に見下されて、なのはの心に亀裂が走る。

 

 

「レイジングハートっ! レイジングハートっ!!」

 

〈Calm down. My master〉

 

 

 あの日と違い、魔法の杖は答えてくれる。

 あの日と違い、レイジングハートは壊れてはいない。

 

 なのにあの日と同じ様に、己は魔法を使えない。

 

 

「どうしてっ! なんでっ!?」

 

〈Lack of magical powers〉

 

 

 魔力が不足している。

 解答は余りにも単純で、これ以外に解釈のしようもない物。

 

 魔力がないから、魔法が使えない。

 魔力が足りないから、杖は奇跡を起こせない。

 

 

「私の歪みなら、なのにどうして!?」

 

 

 分からない。分からない。分からない。

 高町なのはは混乱の極みにあって、単純な解答に辿り着けない。

 

 歪みとは、渇望によって動かす魂の力。

 故にその源である心が折れてしまっては、発現する道理はない。

 

 故に今のなのはは、倒れた時と同じ状態。

 全ての魔力を使い果たして、何も出来ない姿となった。

 

 

「で? どうするよ」

 

「あっ、あぁ」

 

 

 既に力を振るえぬ唯の少女。

 全てを暴かれた状態で、さぁどうすると鬼は問う。

 

 杖を捨てて、拳で殴り飛ばす術もあっただろう。

 杖を握り締めて、殴り掛かる選択はあっただろう。

 

 だが、そのどちらも少女は選べなかった。

 

 

「レイジング、ハート」

 

 

 やはり、頼ってしまうのはその奇跡。

 結局高町なのはは、その杖を捨てる事は出来なかった。

 

 故にその結末は、当然の帰結であり、当たり前の幕引きである。

 

 

「やっぱ、駄目だわ。お前」

 

 

 冷めた口調で呟いて、鬼は完全に見限った。

 この少女に可能性はないと断じて、その剛腕を振り下ろした。

 

 

 

 

 

3.

 振り下ろされる拳の痛みを想像し、なのはは目を閉じた。

 

 一秒。二秒。三秒。

 どれほど経っても訪れぬ痛みに、恐る恐る目を開く。

 

 

「え?」

 

 

 其処には、少年の背中があった。

 

 

「へぇ」

 

 

 鬼の剛腕は、なのはに当たる前に止められている。

 その強烈な一撃を額で受けて、少年は揺らぎながらも確かに立っていた。

 

 

「訂正しろ」

 

「何を?」

 

 

 割れた額から血を流して、霞む視界で少年は口にする。

 対する鬼は楽し気に、己の拳を受けても立っている子供を見下ろす。

 

 感じる重圧。見下ろす悪鬼。

 その威圧感に気圧されて、胸に湧き上がるのは怯懦と恐怖。

 

 怖い。怖い。怖い。

 足がガクガク震えている。膝が崩れ落ちそうなくらい笑っている。

 

 そんなみっともなさと、怯えて震える弱い心。

 泣き喚いて逃げ出したい衝動に駆られて、だけど、だからどうしたと開き直る。

 

 開き直って、少年は口にする。

 退けない道理がそこにあるから、例え無茶でも通すのだ。

 

 

「なのはに言った言葉を、訂正しろって言ってるんだよ! 天魔・宿儺!!」

 

 

 決めたのだ。もう間違えないと。

 誓ったのだ。今度こそは守り抜くと。

 

 ならば今こそ、その誓いを果たす時。

 

 確かな怒りを手に握りしめ、震える瞳で確かに睨み付ける。

 逃げ出したい弱さと向き合いながら、少年は此処に大天魔と相対する。

 

 

「させてみせろよ、男の子」

 

 

 さあ、誓いを示す時だユーノ・スクライア。

 この鬼は己が倒さねばならない。背後に震える少女を守る為に。

 

 こうして漸く、ユーノ・スクライアは再び戦場に立った。

 

 

 

 震える心を抱える少年は、無茶でも無策で挑む訳ではない。

 弱い心と向き合う事を選んだ彼は、確かに彼なりの勝機を手に立っている。

 

 少年の胸に光る青き輝きを見て、なのはは小さく呟いた。

 

 

「それ、フェイトちゃんの」

 

 

 ユーノの胸に揺れるはジュエルシードのペンダント。

 それが輝くと同時に、彼の額に刻まれた傷が、録画映像を逆回転させるように癒えていく。

 

 癒しの力がユーノの傷を治し、溢れる魔力が彼の糧となる。

 それこそが弱い少年が見つけ出した、両面悪鬼に抗う手段。

 

 

「今まで泣いてる女を放っておいたのは、そいつを探していたからかい? クソガキ」

 

 

 それを見据えて、詰まらないと宿儺は断じる。

 一度上げた少年の評価を再び下げて、見据える鬼は吐き捨てる様に口にした。

 

 

「はっ、随分と気合入ったこと言うと思えば、情けねぇ。そんな玩具に頼らないと何もできないのか、良い子ちゃんよ?」

 

 

 ロストロギアを玩具と断ずる。

 そんな様が傲慢にならぬ程に、確かに鬼は強大だ。

 

 

「惚れた女を守るのに、命綱がなけりゃ立ってる事すらできねぇかっ!?」

 

「そうだよ」

 

 

 天魔・宿儺の罵声に対し、ユーノの答えはそんな物。

 痛い所を貫く両面鬼の嘲笑すらも、今の彼には意味がない。

 

 

「僕は屑だ。なのはが傷付いている時に、勝機がないと怖気付く屑だ。勝てる理屈を探してしまう。自分の意思だけじゃ戦えない大馬鹿者だよ! そんなことは分かっているんだ!!」

 

 

 そうとも、そんな事は分かっているんだ。

 自分が屑でしかなく、変わりたいのに変われないと知っている。

 

 ああ、本当にこんな自分が許せない。

 彼女が追い詰められる瞬間も、勝機を探し続けるなんて情けない。

 

 だから好きに罵倒しろ。

 言われても仕方ないくらい、ユーノ・スクライアは腐っている。

 

 だけど――

 

 

「僕を嗤うのは良い。なのはを侮辱するのは許さない!」

 

 

 それだけは許せない。

 彼女の輝きを確かに知る少年だからこそ、それだけは許さない。

 

 

「へぇ」

 

 

 その未熟な輝きの発露を見て、鬼はニィと笑みを浮かべる。

 この少年を見極めるには、その方向の方が良い。そう判断して悪意を零した。

 

 

「このガキは屑だ。拾った強さで悦に浸って、他人を嘲笑するクソガキだぜ?」

 

 

 びくり、と震える少女の姿。

 少年が背に庇う女を見下ろして、宿儺は蔑む様に口にする。

 

 

「お前、女の趣味悪いな」

 

「ふっざけるなぁぁぁぁっ!」

 

 

 その言葉に、少年は激発する。

 怒りを胸に、想いを言葉に、織り交ぜながら拳を振るう。

 

 

「お前は知らない! 知らない癖にっ!」

 

 

 そう。天魔・宿儺は知らない。

 神様の目で何もかもを見通した気になっている鬼は、その実少女の本質を見落としている。

 

 

「死に掛けた体を包んでくれたあの掌の暖かさを! どうしようもないほど震えていた時に、頑張れと声を掛けてもらえた時の心強さを!! 太陽のように笑うなのはの優しさを、お前は欠片も知らないじゃないか!!」

 

 

 その想いを拳に込めて、強化した身体で殴り掛かる。

 軽々と躱されて、返る拳に打ちのめされて、それでも少年は止まらない。

 

 そうとも、彼は止まらない。

 躊躇う事もなく、震える事ももうない。

 戸惑いすらも置き去りにして、ちっぽけな勇気を奮う。

 

 

「そうだ! あの時のなのはは、力を理由に優しく出来た訳じゃない! 何もないと語る内から、それでも“太陽”があの子の心にあったんだ!!」

 

 

 振るう力に溺れて、他人を蹴落とす餓鬼と嗤う。

 元が偽物ならば、重ねる物にも価値はないと嗤う鬼に反論する。

 

 確かに、高町なのはには、そういう一面もあるのだろう。

 手にした強さに溺れて、その魔法の力で何でも為せると思い込む。

 

 だけど、彼女はそうだとしても、それだけではない。

 それを他ならぬユーノ・スクライアこそが、他の誰よりも知っている。

 

 

「倒れた僕を救ってくれた優しさは、偽物なんかじゃない!」

 

 

 そうとも、あの日のなのはは、未だ魔法を知らなかった。

 だけど当たり前の様に、誰かを助ける為に必死になれる。そんな強さを持っていた。

 

 

「あの日感じた温かさは、安物なんかじゃ断じてない!」

 

 

 あの掌に感じた温かさは、安物ではない。

 

 そうとも、例え誰が嗤おうとも認めない。

 あの温かさに、自分は確かに救われたのだ。

 

 

 

 高町なのはの本質。根幹にある想いを偽物だと鬼は嗤った。

 だが違う。彼の語るように全てが魔法ありきにあるのではなく、彼女の土台は違う物なのだとユーノは語る。

 

 そうとも、そうでなければ笑えない。

 殴られながら、傷付きながら、それでもユーノは確かに叫ぶ。

 

 

「確かな“太陽”が胸にあるから、なのははあんなに綺麗に笑えるんだ!」

 

 

 そうだ。彼女の想いの根本は、偽物ではない。

 太陽が齎す陽だまりの様。そう思えた、その優しさだ。

 

 

「それに気付かないっ、そんなお前がぁっ!」

 

 

 人とはその一面だけではない。

 見るに堪えない部分も、とても美しく輝いている部分も、両方合わせて人なのだ。

 

 ユーノはなのはの輝きを、誰より深く分かっている。

 悪い所だけ抜き出して、お前はそうだと決め付ける。そんな鬼の悪意にも負けない程に、確かにそれを知っている。

 

 だから認められない。認められるものか。

 あの優しさを、誰にだって否定なんかさせない。

 

 

「お前の理屈でなのはを語るな! 天魔・宿儺ぁっ!!」

 

 

 そんな想いを胸に抱いて、ユーノは己の体内に魔力を通す。

 体内に蓄積する魔力は己を侵す毒と化すが、そんな事は知らぬと薄皮一枚の下で肉体を強化する。

 

 まともに表層を強化しただけでは、この鬼の拳で効果を消される。

 故にこその体内強化。この鬼に抗う為には、生命の一つや二つは担保としよう。

 

 それ程に、ユーノにとって、この鬼は認められないのだ。

 

 

「はっ、言うじゃねぇか」

 

 

 己に向かって、我武者羅に拳を振るう少年。

 鬼の身体能力に追い付く為に、命を燃やして抗う男。

 

 その姿に、鬼は確かに笑みを浮かべる。

 浮かべていた悪意の嘲笑は消えて、瞳に浮かぶのは認める色。

 

 

「良いな、お前。少し気に入ったよ」

 

「僕はお前が嫌いだ!」

 

「そうかい。なら俺を倒してみろや、男の子!!」

 

 

 既に満身創痍の少年は、それでも青い輝きで立ち上がる。

 体内を壊しながら、すぐさま治しながら、少年は確かに鬼に立ち向かう。

 

 だが、やはり体内強化は諸刃の剣だ。

 

 歪み者になる前の高密度魔力汚染者が示すように、或いはヒュードラ事件後に魔力汚染を受けていたプレシアが示すように、魔力は過ぎれば毒となる。

 

 特に制御出来ないほどの魔力を、無防備な体の中に通す。それは自殺行為と同意である。

 

 

「けど、これなら追い付けるっ!」

 

 

 己の体を侵す激痛に耐えながら、ユーノは己自身を鼓舞する。

 ロストロギアの魔力があれば、この鬼にも追い付けるのだと分かっている。

 

 そう。それによって、ユーノ・スクライアは鬼の身体能力に食らい付いている。

 命を切り売りし、青い宝石の輝きによって、その力を限界を超えて高めている。

 

 だが――

 

 

「甘ぇんだよ」

 

 

 それでも、覆せない差が存在した。

 

 

「っ!!」

 

 

 鬼の拳がユーノの胴に打ち込まれる。

 胃と腸と、内臓が潰れる様な痛みが走り、瞬時にそれが治癒される。

 

 本来治療魔法で出来ない事も、この願いを叶える宝石なら可能だ。

 そうして立ち上がったユーノは、口に溜まった血を吐き出すと、拳を握って殴り掛かる。

 

 

「おぉぉぉぉぉっ!」

 

 

 魔力で強化された拳。鬼の拳速にも迫る一撃。

 それは相応の速さで敵に迫り――

 

 

「何だ、このへなちょこパンチは。拳が上手く握れてねぇ、肩と腰の動きがズレてんぞ!」

 

「ぐぁっ!?」

 

 

 その速さに不釣り合いな技巧の低さ故に軽々と躱され、鬼の反撃を受ける結果となった。

 

 足りない物がある。

 ユーノが鬼に抗う為には、決定的に不足している。

 

 

「そらよ、必死で躱せ」

 

「くぅっ!!」

 

 

 両面の鬼は軽く蹴る。

 だが軽く見えようとそれは、確かに数億年分の経験に裏打ちされた鬼の蹴撃。

 

 

「がっ!!」

 

 

 当然、未熟な少年に躱せる道理などはない。

 鬼の蹴撃に打ちのめされて、少年は二度三度と跳ねながら吹き飛ばされる。

 

 

「はっ、体幹がズレてんぞ! 体の軸が安定してねぇ!! そんな無様な躱し方じゃ、百年経っても俺に届かねぇ!!」

 

「ユーノくん!!」

 

 

 ボロボロになって俯せに倒れる少年に、涙目の少女はその名を呼ぶ。

 声に答える様に必死に立ち上がるが、不足を補えない限り少年には勝機がない。

 

 ユーノ・スクライアに足りない物。それは――

 

 

「はっ、良い子ちゃんがよ。お前、喧嘩の一つもしたことねぇだろ? 戦い方がまるでなってねぇ」

 

 

 戦う方法。拳を握り、誰かと殴り合う経験が不足していた。

 

 ユーノ=スクライアは和を乱すような少年ではなく、むしろ周囲を纏める立場にあった優等生だった。

 

 故に殴り方など知らない。

 だから殴り掛かられた際の対処など分からない。

 

 攻撃の躱し方にした所で、遺跡発掘の際に危険を回避する技術。それを応用した出鱈目な物でしかない。

 

 最小限の動きで躱す、最大効率で動く、そんな真似は少年には出来ないのだ。

 

 

「身体能力が追い付けばワンチャンある? そんなに俺らは、甘くねぇんだよっ!」

 

 

 それでも、彼が本能で動くタイプであったなら、また話は違っていたのであろう。

 だが彼は理屈で戦うタイプだ。彼に本能による体捌きなど、期待する事が出来なかったのだ。

 

 

 

 かつて両面の鬼はこう語った。

 武術というのは弱い奴がやるもの。強い奴は生まれた瞬間から強いのだと。

 

 故にこの鬼の武は無形。無形であり我流。天衣無縫の技の冴え。

 でありながらも数億年の研鑽が、この鬼の無形を武の頂きへと至らせている。

 

 

 

 等級という考え方がある。

 嘗て神座世界、天狗道に侵された神州・秀真で御門が作り上げた格付けだ。

 

 天魔に由来する力を陰。

 それ以外を陽として、十段階に区分けする考え方。

 

 武芸を収め、武門の看板を背負うことが許される達人で陽の肆。

 天分の才を持ち、修練の果てに一騎当千と謳われるだけの力を得た英雄が陽の伍。

 並み居る英雄譚の中でも、多くの英雄達を打ち破った大英雄で陽の陸と言ったところだろう。

 

 そんな格付けを宿儺に適応するならば、太極と鬼の身体能力を除いた上でなお、彼の格付けは陽の玖。それも到達点である拾に限りなく近い玖だ。

 

 喧嘩の遣り方も知らない少年が、身体能力を上げただけでどうにか出来るレベルを超えている。

 

 あの高町恭也でさえ、格付けに従うならば陸に近い伍といった所。

 ユーノ・スクライアがこの鬼に敵う道理など、何処にもありはしないのだ。

 

 彼はご都合主義に守られた主人公ではなく、主役の踏み台にされる脇役に過ぎないのだから――その拳を届かせる。戦いの中で学び取る。そんな都合の良い展開などは起こり得ない。

 

 当たり前の様に蹂躙されて、少年は地面に倒れた。

 

 

「もう。もう止めてっ!」

 

 

 その姿に、少女は涙目で叫ぶ。

 悲鳴の様な言葉を零して、駆け寄り彼の前に立つ。

 

 恐ろしい鬼の前で、両手を広げる。

 今にも逃げ出したいが、それでも彼は逃げないから。

 

 だから自分だって、彼を守る為に。

 そんな想いで立ち上がった少女の決意は――

 

 

「退いてろ、クソガキ」

 

「あ」

 

 

 鬼の一瞥で、呆気ない程に容易く砕かれた。

 自らに向かって伸びる腕に、なのはは震えて動けない。

 

 両面の鬼は、もうその少女に何の興味も抱いていない。

 

 見届けるべきは倒れる少年。

 さあ、これで御終いか、とまだ立ち上がって来ることを期待している。

 

 止めないといけない。彼を守らないといけない。

 なのに恐怖に震える高町なのはは動けず、鬼はゆっくりと迫って来る。

 

 涙が零れて止まらない。

 そんな少女の肩に、触れる様に手が置かれた。

 

 

「下がってて、なのは」

 

「ユーノ、くん」

 

 

 少女の肩を優しく押し退け、少年は確かに立ち上がる。

 

 泣いている少女に背を向けて、口にするのは強気の言葉。

 勝機なんてまるでないけど、それでも安心させたいと思ったから、意図して強い言葉を使って見せる。

 

 

「大丈夫。待ってて、なのは」

 

 

 未だ諦めない。根を上げる訳にはいかない。

 勝機がないとか勝算がないとか、そんな言葉に意味はない。

 

 

「君が恐れるあの鬼は、僕が必ず倒すから!!」

 

 

 変わりたいと、そう思ったのだ。

 守らないといけないと、そう誓ったのだ。

 

 

「はっ、良く言った! そうだよ、それでこそだよ男の子!! 惚れた女の前だろう!! 無様を晒す暇はねぇぞ!!」

 

 

 泣いて逃げる時間はおしまい。

 恐怖に震える心を勇気で奮わせ、何度だって立ち向かう。

 

 

「おぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

「来いやぁぁぁぁっ!!」

 

 

 敗北は確定している。

 勝機などないと分かっている。

 

 けれど、もう退かないと決めた。

 一度退けば、きっともう立ち上がれる程の気概はない。

 

 だから、退けぬのではない。

 退きたくないから、退かぬのだ。

 

 

 

 

 

「どうして」

 

 

 残された少女は一人、戦いを見詰める。

 

 いいや、これは戦いにもなっていない。

 勝ち目などないと、彼女にも分かる程に一方的な蹂躙だ。

 

 それは奇しくも、あの日の焼き直しだった。

 

 魔法に目覚めた日。

 未だ何も出来なかった少女を、守るように脅威に立ち向かった少年の姿。

 

 その傷付いていく姿を見ていられなくて、目を背けて神に祈った。

 その果てに自分は魔法を得て、そうして全てが解決した。

 

 ならば今回も、目を背ければ解決するだろうか?

 恐怖に震えて目を閉ざし、神に助けを求めれば全てが良くなるのだろうか?

 

 

「ユーノくん」

 

 

 少女はそんな妄想を抱き、少年の戦いから目を逸らすように瞼を閉じた。

 

 だが――

 

 

「ダメよ。貴女は見ていないとダメ」

 

「あっ」

 

 

 女の鬼が、現実から目を逸らそうとした少女の瞼を無理矢理に開いた。

 

 

「あの子の戦う理由が、そうして逃げてばかりいちゃ駄目。神様に祈っては駄目。どんなに辛くても、信じて待たないと、あの子があまりに報われない」

 

 

 女の鬼が告げるのは、そんな言葉。

 

 余りに弱い少年が、それでも鬼に挑む光景。

 それを見届けろと悪鬼の片割れ、本城恵梨依が少女に告げる。

 

 

「けど、でも……」

 

 

 ああ、その目に映る光景は何と残酷な物か。

 

 何度傷付いても、少年は血反吐を零して立ち向かう。

 何度挑みかかっても、彼は一歩たりとも届かずに、その拳に敗れ続ける。

 

 その少年の抗い続ける姿は――

 

 

「酷い、だけかしら」

 

「…………」

 

 

 酷いだけでは、決してなかった。

 

 ああ、何でその背が大きく感じられるのか。

 

 あまりにも小さな体で、か細い勝機すら見えぬ巨大な壁に挑み続ける。

 敗れ、倒れ、血に塗れ、それでも一つの想いを抱いて挑むその姿が、どうして小さく見えようか。

 

 

「どうして?」

 

「ん?」

 

「どうして貴方達は、こんなことをするんですか?」

 

 

 ぽつりと零れたのは、そんな当たり前の疑問。

 それに対し、女の鬼は小さく笑って呟くように口にした。

 

 

「さて、どうしてかしらね」

 

「…………」

 

「忘れてしまったわ。ううん。忘れたい程に、皆が余りに情けなかった」

 

 

 もう可能性はない。最後に残った希望さえ、明確な形にはなり得ない。

 

 両面の鬼はきっとどこかで、そう諦めて自棄になっている。

 生まれ落ちるであろう神の半身を、導ける者がいないと嘆いている。

 

 だけど――

 

 

「求めたのは、単純な物。あんな風に、大切な人の為に戦える。そんな当たり前の事」

 

 

 もしかしたら、そんな風に希望を抱く。

 この不本意な在り様で、それでも見つけられたかも知れない。

 

 求めたのは、如何なる絶望にも諦めない可能性。

 誰もの心にある筈の、揺るがない意地を貫ける存在。

 

 もしもあの少年が、そうだと言うならば――

 

 

「だから、もう少しだけ見ていたい。そんな単純な、理由なのかも知れないわ」

 

 

 鬼はそれを確かめなくてはいけない。

 どれ程に悪逆非道を自覚しても、それこそが彼らの役割だから。

 

 

「……ユーノくん」

 

 

 少女は見詰める。

 少年の名を呟いて、少女は戦いを見詰め続けた。

 

 

 

 

 

 鬼の拳がその小さな体を打つ。

 その度に内臓が破裂して、歯が飛び散り、それらがロストロギアによって瞬時に再生されていく。

 

 そんな光景を見詰める鬼に、思う所が一つ。

 

 

(気に入らねぇ)

 

 

 そう。その思いが残っている。

 彼をそうだと認めるには、余分な物が其処にある。

 

 それは少年の無様に対してか?

 いいや、否。この少年の泥臭い在り様は宿儺にとっては好ましい。

 

 見詰める少女が何も出来ていないことか?

 いいや、否。今はもう鬼の視界に映るのはこの雄々しい少年の姿のみ。他は些事だ。全てどうでも良いと感じている。

 

 ならば何が気に食わないと言うのか。

 

 鬼の視線は語る。

 その目はジュエルシードに向いていた。

 

 

 

 少年は戦いの中で、常に頭部を守っていた。

 一撃で即死してしまえば治癒も糞もない。それを防ぐ為の行為であり、至極当然の結論だ。

 

 だが、そうでありながら、少年は未だ心臓を庇ったことがない。

 心臓が破裂しても再生可能だと思っているから? いいやそうではない。

 

 少年は鬼がそこだけは狙わないと判断していたのだ。

 

 首から下げたジュエルシード。

 丁度心臓の上に位置するそこを狙えば、彼らが欲しがるジュエルシードが壊れてしまう。

 

 だからきっと、此処は狙われない。

 そんな姑息な浅知恵が、少年の在り様にケチを付けている。

 

 それが鬼は気に食わない。

 折角、見つけたかも知れないのに、その一点が足を引っ張っている。

 

 ジュエルシードを壊さぬ為なら、ここは狙えないだろう。

 そういう小利口な小細工が、どうしようもなく気に入らないから――

 

 

(さあ、最後の試験と行こうか)

 

 

 鬼が穿つ場所は決まっている。

 もうジュエルシードなど必要ない。

 

 

(これで生き残れたなら、手前のことを認めてやるよ)

 

 

 鬼の剛腕が放たれる。

 その圧倒的な暴威によって、ペンダントは砕かれる。

 

 ジュエルシードは色を失い、そして少年は吐血して倒れた。

 

 

 

 

 

「ユーノくん!!」

 

 

 戦いを見守っていた少女が、叫び声を上げる。

 血反吐を吐いて少年を地に伏せ、カランとペンダントが床に落ちた。

 

 

「未だ、息はある、か」

 

 

 倒れた少年を見下ろして、両面鬼はそう呟く。

 辛うじて、の領域だが、確かに少年は息を繋いでいた。

 

 

「運に救われたか、いや」

 

 

 直撃の瞬間。ペンダントの鎖が千切れ落ちた。

 結果として、ジュエルシードを狙った拳の軌道は逸れ、天魔・宿儺の一撃は心臓を破裂させるのではなく、腸を押し潰す形に収まった。

 

 それを幸運と結論付けようとして、そうではないと首を振った。

 

 

「お前達の意志が、その運を引き寄せた」

 

 

 鬼との殴り合いの中で、それ以前の少女達の戦いの中で、即席のペンダントは既に壊れ始めていたのだろう。それが少年の窮地を救ったのだ。

 

 

「なら、そいつは偶然ではなく必然だ」

 

 

 運が良かったのではない。

 彼らのこれまでが、その運を引き寄せたのだと宿儺は認めていた。

 

 だが、同時に――

 

 

(だが、もう持たねぇかな)

 

 

 諦めてもいた。残念にも思っていた。所詮は此処までか、と。

 

 生きている少年は、最早虫の息だ。

 内臓をごっそりと潰されて、命綱を壊されたのだから。

 

 管理局の医療技術なら、一命を取り留めるかもしれない。

 だが救助の部隊が来るまで、この傷では持たないだろう。

 

 故に少年は、もう助からない。

 

 

(結局、コイツも違ったか。……この程度で潰えるなら、託すなんて出来るかよ)

 

 

 両面の鬼は、そう結論付ける。

 アレを託すには足りないと、少年をそう断じた。

 

 

「んじゃ、帰るぞエリィ」

 

「はいはーい。……うん。今回も良い物見れたねぇ」

 

 

 両面の鬼は背を向けて、立ち去って行く。

 挑んできた少年の雄姿を称えながらも、この程度かと結論付ける。

 

 

「アイツを任せるには、足りねぇよ」

 

「ま、事が事だから、アンタが妥協する訳ないんだろうけど。……それでも、良い男だったでしょ?」

 

「……ああ、そうだな」

 

 

 一瞥するのは、倒れた子供。

 消え行く前に、任せるには不足でも、確かに輝いていたと認める。

 

 

「久し振りに、見所がある“人間”だったさ」

 

 

 魔法に頼っていても、それに縋り付く愚者とは違う。

 真面目に生きていても、根底で狂っている研究者とは違う。

 

 確かに少年は、人間だった。

 そう認めて、結論付けて、両面鬼は去って行く。

 

 

「ユーノくん」

 

 

 倒れた少年に駆け寄ろうとして、なのははその場で立ち止まった。

 

 

(これで、良いの?)

 

 

 彼らは勝手に少年を評価して、こうして立ち去ろうとしている。

 まだ息がある少年を、もう終わったと結論付けて、勝手な評価を下している。

 

 

(良い訳、ない。良い訳が、ないよ)

 

 

 小さい背中で、それでも大きく見えたのだ。

 その少年が値踏みされて、勝手に失望と納得をされて、それで良いと何故言える。

 

 彼は凄いのだ。震えて動けなかった自分より、確かに強くて輝いていたのだ。

 だから鬼の下したそんな結論が気に入らなくて、それでも自分で挑むのは違うから。

 

 

「ユーノくん!」

 

 

 涙に滲んだ瞳で、縋り付くのではなく言葉を掛ける。

 

 きっと彼が望んでいた言葉。

 先は言えなかった、無茶な言葉を彼に伝える。

 

 

「負けないで!」

 

 

 負けないで。そんな鬼には負けないで。

 涙と共に叫んだ言葉に、彼は確かに答えを返した。

 

 

「おぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 血を吐きながら、立ち上がる。

 中身がないのに、それでも意地で立ち上がる。

 

 

「え? 嘘」

 

「おいおい、マジかよ」

 

 

 それは両面にも予想外。

 死に瀕した少年は、少女の祈りに答えて立ち上がっていた。

 

 

「天魔・宿儺ぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 それは、現象としては起こり得る事。

 この地の民は皆、己の肉体を神の力で形成している。

 

 あらゆる万物は魔力が形を変えた物で、故に意志の力で無理が通せる。

 

 だが同時に、理屈の上ではあり得ても、決して不可能だった事。

 今の民に己を形成する程の力はなく、その弱った魂は加護がなければ自己を保てない。肉体部位の欠損は、そのまま死に繋がる致命傷。

 

 だと言うのに、少年は確かに立ち上がった。

 それは神様の加護ではなく、少年の意志が少女の祈りに応えたから。

 

 

「お前は、何時か必ずっ!」

 

 

 神の加護ではないから、その傷が治る訳ではない。

 少年の魂は弱くて、特別でも何でもないから、立っているだけで精一杯。

 

 意志の力で死を遠ざけて、必死に血反吐を飲み込み叫ぶ。

 もう一歩たりとも動けなくて、それでも少年は雄々しく宣言した。

 

 

「僕がっ! 倒すっ!!」

 

 

 負けないで、と望まれた。

 だから絶対に、唯では負けない。

 

 今は何の力もないとしても、何時か倒すと此処に誓う。

 

 相手は遊びで、己は蹂躙されただけ。

 元より戦っていないのだから、まだ負けてはいないと屁理屈を捏ねる。

 

 それは屁理屈であっても、それは遠吠えに過ぎないとしても、それでも少年は立っている。限界すらも乗り越えて少年は、確かに宣戦布告を口にした。

 

 

「お前が、俺を倒す?」

 

 

 気に入らない敵がいる。倒すべき敵がいる。越えるべき壁がある。

 

 ならば突破してみせるよう。

 

 何の根拠もなく、何の確証もなく、けれどそんな言葉をユーノは誓う。

 

 そんな彼の姿に――

 

 

「は、ははははははっ!!」

 

 

 両面の鬼は、心底楽しそうに笑い声を上げた。

 そして彼は笑いながら、己の内で答えを決めた。

 

 

「良いぜ、良いな。そうだ、それこそが“人間”だ!」

 

 

 彼こそが、最後の希望に相応しい。

 その意志の発露こそ、次代に伝えるべき人の輝き。

 

 そう決めたからこそ、宿儺は初めて、少年個人を認めていた。

 

 

「お前、名前なんだっけ?」

 

 

 問いかけるのは、そんな言葉。

 天眼を使えばすぐに分かるが、それでは意味がない。

 

 戦の作法と気取る様に、認めた相手が名乗るからこそ意味がある。

 

 

「ユーノ。ユーノ・スクライアだっ!」

 

「良いぜ、刻んだ。お前の名前は、覚えておく価値がある」

 

 

 お前には価値がある。

 そう認めた鬼は、その名を刻んで去って行く。

 

 少年が死ぬとは、もう思わない。

 断言しよう。彼は死なない。こんな形では死にはしない。

 

 だから、きっと己の下まで来る筈だ。

 血反吐を吐いて、泥に塗れて、血肉を食らって、その手をこの鬼の足元へと届かせる。

 

 そうでなくては嘘であろう。

 

 

「やってみせろよ。ユーノ」

 

 

 残した言葉は、在りし日と同じ物。

 そんな両面の鬼の心境は、果たして如何なる物であったか。

 

 

 

 ただ、確かに言える事が一つ。

 去りゆく鬼はこの瞬間に、少年を己に挑む敵と認めたのだ。

 

 

 

 

 

 そして鬼が立ち去って、少年はその場に崩れ落ちる。

 既に限界を超えた身体は、最早意識すらも保てなかった。

 

 

「ユーノくん!」

 

 

 鬼が去ると同時に意識を失い倒れた少年を、少女は両手で抱き締める。

 抱えた軽さに涙を浮かべて、それでも確かな鼓動に安堵を漏らした。

 

 

「ユーノくん」

 

 

 きっと、彼は生き残る。

 それをなのはも理解して、安堵の息を其処に零す。

 

 瀕死に近い少年は、それでも魂が輝いていた。

 

 

「ありがとう。――格好良かったよ」

 

 

 だから、その身を抱き抱えて、なのはは笑みを零す。

 涙でぐしゃぐしゃになった顔だけど、その微笑みだけは陽だまりの様であった。

 

 

 

 かくして、時の庭園における戦いは終わりを迎える。

 少女の膝に抱えられて、生き延びた少年は確かに意志を貫いたのだ。

 

 

 

 

 

4.

 海鳴臨海公園。

 観光スポットに挙げられるこの場所で、彼らは集まっていた。

 

 リンディ・ハラオウン。クロノ・ハラオウン。エイミィ・リミエッタ。ジェイル・スカリエッティ。高町士郎。高町美由紀。そしてユーノ・スクライア。

 

 その顔触れの中に太陽の如き少女がいない事実に、ユーノは落胆を隠せない。

 

 無理もないか、と思う。

 友達になりたい少女を目の前で失って、あの鬼に蹂躙される無様しか自分は見せられなかった。

 あの少女の心に刻まれたトラウマは、重く大きくなるのが当然だ。

 

 

「ユーノくん。体の調子はどうだい?」

 

「あ、はい。調子良いですよ。何か作り物とは思えない感じで」

 

「そうだろうそうだろう! この私が作り上げた人工臓器だ。欠陥などありはしないとも。そう。所有者の血肉と共に成長するから交換の為の再手術も不要! 細かい調整の手間もなく、人体機能を本物と全く同様に再現する機構!! スカリエッティの科学力は次元世界一である!!」

 

「あ、はぁ。……ありがとうございます」

 

 

 高笑いを始めそうなテンションで語るスカリエッティに、ユーノは苦笑いを返す。

 

 感謝はしている。

 今自分が生きていられるのは、治療を請け負った彼のお蔭であると理解はしている。

 

 

(けど、このテンションの高さには付いていけないかな)

 

 

 我ながら失礼なことを考えていると思いつつ、ユーノは苦笑するしか出来なかった。

 

 

「けどユーノくんも戻っちゃうのか、寂しくなるね」

 

「美由紀さん」

 

 

 ユーノ・スクライアは海鳴を立ち去る。

 ここにあるべき人間ではないのだから、事件が終われば立ち去るのが当然の事。

 

 

「けど、また来ますよ。ここに居たいと、僕は思っていますから」

 

「ユーノくん。うん。そうだね」

 

 

 だけど、帰って来ると約束を。

 ユーノの言葉に、美由紀は笑みを返した。

 

 

「何を言っているんだか。事件の証人としての証言と、ロストロギアを失ってしまった損害についての手続き。それから管理外世界住人へのデバイス譲渡の許可申請。更に追加で管理外世界へ滞在する許可を申請しに戻るだけだろうに。幾ら管理局がお役所仕事とはいえ、一月もあれば終わる内容だぞ」

 

「……そういう問題じゃないのよ。全くこの子は」

 

 

 冷静にユーノが一時管理世界に戻る理由を説明するクロノに、彼の母であるリンディは頭を痛める。

 

 別れの空気が読めていない。

 もっと柔軟な思考を持てるようにしなくては、と。

 

 

「ユーノくん。恭也からの伝言だ。……ありがとう。そう伝えてくれと言われたよ」

 

「はい。士郎さん。確かに受け取りました」

 

 

 魔法関係に関わることを禁じられた高町恭也は、その決まりを律儀に守ってここには来なかった。

 ただ約束を果たし、妹を守ってくれた少年に感謝の言葉を伝え、それを少年は唯受け取る。

 

 守ったという実感は湧かない。

 けれど褒められるのは嬉しいと単純にそう感じた。

 

 

「さあ、そろそろ時間だ」

 

 

 クロノの言葉に、ユーノは頷きを返す。

 もう一度、ここに戻って来る為に、今は行こうと少年は転送魔法陣へと足を進めた。

 

 そこで――

 

 

「待ってー!」

 

 

 最後に聞きたかった、少女の声を聞いた。

 

 

 

 

 

「なのは?」

 

「はぁ、はぁ、ま、間に合ったの」

 

 

 息を切らせて駆け寄って来る少女。

 高町なのはへと振り返りながら、少年は戸惑いを隠せない。

 

 どうしてここに。そう問うような少年の視線に、なのはは呼吸を整えながら鞄から一つの首飾りを取り出した。

 

 

「これは?」

 

「お母さんと一緒に探したんだけど、まだお店もやってなくて、同じのが見つからなかったんだ。だから、ちょっと違うけど、水星のお守り」

 

 

 母と一緒に知人を訪ね、どうしてもと譲ってもらった銀細工。

 水星を象った石とその台座があるだけの、シンプルなシルバーアクセサリー。

 

 

「これを、僕に?」

 

「うん。水星はね、旅人の星なんだって。だから、帰って来れますように、そういう願いを込めるんだって」

 

「……帰って来る」

 

「うん。フェイトちゃんは居なくなっちゃった。……もう会えなくなっちゃった。ユーノくんも同じように、いなくなっちゃうのは絶対に嫌だから」

 

 

 帰って来て、そう言う願いを込めてなのははそのペンダントを持って来た。

 

 

「約束して欲しい。またここに帰って来るって」

 

「なのは」

 

 

 少女の想いに少年は静かに、だが確かな答えを返す。

 

 

「約束するよ。君の元に必ず帰ると。うん。約束する」

 

「うん!」

 

 

 そんな少女と少年は、互いの瞳を見つめ合う。

 太陽の少女は、少し恥ずかしそうに頬を赤らめて。

 

 

 

 

 

「いや、帰って来るも何も、あいつは元々次元世界の住人だろうに――」

 

「KYはそこまでよ」

 

「な、何するだ! やめろー!?」

 

 

 余計な事を言おうとした執務官は、ニコニコと微笑む桃子に引き摺られてフェードアウトしていく。

 

 リンディと士郎がお互いの家族の所業について謝罪をし合っている姿に、なのはとユーノは微かな笑みを浮かべていた。

 

 

「かけてあげるね」

 

「あ、うん」

 

 

 額を合わせて、少女は首飾りを少年に掛ける。

 気になる少女の顔が近くにある事態に、純情な少年は顔を真っ赤に染めあげた。

 

 

「にゃはは、何だかちょっと恥ずかしいね」

 

「う、うん」

 

 

 互いに顔を赤くして逸らす。

 

 そんな微笑ましい光景に、背後で頭部に大きなタンコブを抱えて蹲る少年執務官を無視したまま、高町桃子は微笑むと――

 

 

「写真を撮りましょう」

 

 

 想い出を形に残そうと提案した。

 

 

 

 昼間の公園にシャッター音が鳴り響く。

 

 関わった者の多くが集まったその写真の中で、首からペンダントを下げた少年と少女は隣り合って、頬を赤く染めながら、確かに笑顔で映っている。

 

 その写真を、なのはは大切そうに手に包んだ。

 

 

 

 

 

 一つの終わりは、いつだって、新しい何かの始まり。

 そう思う少女は、少年と再会を約束してここに分かれた。

 

 

 

 始まりの物語は、今こうしてその幕を下ろしたのだった。

 

 

 

 

 

5.

「海は幅広くー無限に広がってー」

 

「あら、その歌は?」

 

「ん? 姉ちゃんも知っとるん? わたしも何処で聞いたんか分からんのやけど、なーんか耳に残ってるんやよね。続き知らへん?」

 

「……ええ、良く知っているわ」

 

 

 懐かしい物を聞いたように、黒髪の女は目を細めて答えを返す。

 

 そんな彼女に対して、教えてとせがむ少女。

 女は自らに甘えて来る車椅子の少女に、優しげな微笑みを浮かべながらまた今度ねと返した。

 

 

「さて、そろそろ帰りましょう。これ以上外に居ては、体に悪いわ」

 

「春先なのにー」

 

「春先だからよ。体調が崩れたら大変でしょう。はやて」

 

 

 はーいと詰まらなそうに返す少女の姿に、苦笑交じりに女はその髪を撫でた。

 女の目に宿るのは、確かな情愛の色。彼女は少女を、心の底から大切だと思っている。

 

 

「なあ、姉ちゃん。今日は何食べたい?」

 

「あら、今日は私が作るわよ?」

 

「いや、姉ちゃんが作ると、何か不毛な味になるしなー」

 

「くっ」

 

 

 九歳児に調理技術で敗北しているという事実に、女は思わず歯噛みする。

 

 ベアトリスの所為よ、と少女に聞こえないように呟いて。

 

 

「なあ、螢姉ちゃん」

 

「何かしら、はやて」

 

「何でもない。呼んだだけや」

 

「何よ、それ」

 

 

 そんな風に和やかな遣り取りをしながら、彼女達は帰るべき場所へと向かって行く。

 

 

 

 そう。一つの物語の終わりは、新たな物語の始まり。

 果たして次なる物語は、如何なる色を見せるであろうか。

 

 

 

 

 

                   リリカルなのはVS夜都賀波岐 無印編 了。

 

 

 

 




そんな訳で、鬼退治はユーノ君のお仕事です。
この組み合わせはクロスさせると決めてすぐに決定しました。

KKK原作がチンピラ対決だったので、やり合うなら大人しい系優等生だろうとイメージ。
そう言えば原作司狼の台詞的にユーノ君は嫌いそう。なら因縁作って戦わせようと思った。(小並感)

無印編はユーノに「お前は僕が倒す」と言わせたくて、違和感を持たれないキャラにする為にずっと彼を苛めてました。心苦しかったんだよー(棒)
え、フェイトちゃん苛め? 趣味ですけど何か?


宿儺の実力が陽の玖なのは独自解釈。

唯、あの後の兄様が奥伝で陽の拾だったので、なら互角に近い戦いやってた宿儺さんは陽の拾一歩手前くらいだよな、という想定。

ユーノ君はとりあえず陽の玖くらいを目指しましょう。


因みにユーノ君の活躍するシーンでは、毎回「Take a shot」をループで聞いてる作者。なんか自分の中で、この曲が当作ユーノのテーマになり始めている気がします。




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初伝等級

無印終了時点での数値。
無印編で戦闘を行ったキャラ限定。その中の数名のみを評価。

等級見たいという意見があったので作ってみた。



◇項目解説。

【等級】各キャラクターの能力値。陽はこの世界における基本法則に準じた能力。陰は魔法や歪み、太極など天魔に由来する能力。それらに関する知識や技術、ステータスを含めた総合評価。

 

【宿星】この世界に生きる人々に与えられた役割。占星術の七曜や紫微斗数から対応した宿星を割り当てている。当然、宿星を持たない者も多い。

 

【数値】筋力・体力・気力・魔力・走力・歪み/太極に分類された実際の能力値。何の力も持たない女子供が1。一般平均が2。それなりに優れた者が3と言ったところ。

 数字が大きくなればなるほど、1の違いも大きくなる。

 またこの数値の合計が高くとも、技術・能力的に足りなければ等級は低く評価される。またその逆も然りである。

 

【異能】そのキャラが持つ異能。特殊能力や歪みの簡単な説明。

 

 

 

 

 

 

◇高町なのは

【等級】陽の壱・陰の伍

【宿星】太陽星

【数値】筋力1 体力1 気力3 魔力8 走力1 歪み4

【異能】不撓不屈

    感情や魂の力を魔力に変化させる歪み。

 

【備考】そのバリアジャケットのデザインは原作と大きく異なっている。

    白い部分は原作通りだが、青いラインの色が桜色に変化。

    更に胸の部分には銀色に輝く満月の飾りがある。

    魔法使用時には銀色の月が魔力光を反射して太陽の如く映る。

 

 

 

◇ユーノ・スクライア

【等級】陽の壱・陰の弐

【宿星】太陰星

【数値】筋力1 体力2 気力7 魔力2 走力1 歪み0

【異能】なし

 

 

 

◇フェイト・テスタロッサ

【等級】陽の参・陰の肆

【宿星】なし(偽りの命故に役割を持たない)

【数値】筋力2 体力2 気力5 魔力5 走力5 歪み0

【異能】なし

 

 

 

 

◇クロノ・ハラオウン

【等級】陽の肆・陰の伍

【宿星】天梁星

【数値】筋力3 体力3 気力6 魔力5 走力3 歪み9

【異能】万物掌握

    一定範囲内にある全ての位置を望み通りに変化させる歪み。

 

 

 

 

◇高町恭也

【等級】陽の伍

【宿星】なし

【数値】筋力4 体力3 気力5 魔力0 走力4 歪み0

【異能】神速

    不破御神に伝わる奥義。

    厳密に言えば異能ではないがその技の完成度の高さ故にここに記す。

    神速発動中の高町恭也は一時的にだが一段階上の等級と、

    ほぼ互角の戦いが可能となっている。

 

 

 

 

◇新人武装局員

【等級】陽の参・陰の弐

【宿星】なし

【数値】筋力3 体力3 気力1 魔力3 走力3 歪み0

【異能】なし

 

 

 

 

 

 

◇天魔・紅葉

【等級】軍勢変性

【宿星】天空星

【数値】筋力25 体力25 気力34 魔力35 走力25 太極13

【異能】太極・無間等活地獄

    死した魂を回収し、己が兵として使役する太極。

    使役される対象は紅葉と同様に時間停止の鎧に守られ、

    また生前よりもあらゆる性能が多少強化させる。

    ただし死者である為に複雑な思考は出来ない模様。

    彼ら死者を真に倒す術はなく、紅葉の強制力を上回る力で簒奪するか、

    紅葉自身を打倒さねば打ち破れない太極。

 

 

 

◇天魔・宿儺

【等級】軍勢変性

【宿星】火星

【数値】筋力44 体力40 気力45 魔力30 走力38 太極27

【異能】太極・無間身洋受苦地獄

    神に由来する力。神秘を内包する物全てを否定する太極。

    この内側にあっては、それら不思議な力は一切力を発揮せずに自壊する。

    飲み込まれた時点で防ぎようはなく、単純な性能で宿儺を上回るか、

    特殊な能力なしで彼を討たなくては打ち破れない太極。

 

【備考】天魔勢は夜刀弱体化により太極能力のみ大幅に弱体化している。

 

 

 

 

 




数字は結構適当なので、これはこうじゃないという意見があれば修正します。



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空白期1
なのは編第一話 貴族院の男


今回の幕間話はなのは視点・ユーノ視点を交互に進めていきます。


副題 四人娘in子狸
   スカさんは平常運転
   とらハキャラは魔改造される物




1.

「だからな、ほんまに空気が美味しかったんやって」

 

「だからってねぇ」

 

 

 最近、同じことばかりを考えている。

 高町なのははふと、そんな風に思った。

 

 

「うん。空気が旨い、なんて言わないかなぁ」

 

「せやから、ほんまに空気旨かったんやよ。ついつい車椅子から立ち上がって、叫んでもうたわ」

 

 

 思い出すのはあの日々の記憶。

 とても濃厚で濃密な記憶。二月程度しかなかった。

 けれどなのはのこれまでの生涯で一番激動だった日々。

 

 

「あの異常気象の日でしょ。何でそんなことやってたのよ」

 

「何や私にも分からんのやけど、空が変な色になった時、すっごく体が軽くなったんよ。んでな、ちょっとだけ車椅子なしでも歩けたんや」

 

「それでテンションが上がっちゃって、ってやつ?」

 

「そう。それや! ついつい空ぅ気が旨い! って言うてもうたんや」

 

「その微妙なアクセントは何なのよ、一体」

 

 

 あの日々を思い浮かべると、泣きそうになる思いがある。

 あの日々を思い浮かべると、必死に頑張った記憶があって。

 

 

――大丈夫。待ってて、なのは。

 

 

 そんな少年の事を思い出す。

 誰よりもなのはを見ていて、誰よりも雄々しくあの鬼に立ち向かった少年の背中を。

 

 

「あ、赤くなった」

 

「さっきから赤くなったり青くなったり、なんや忙しい子やな。なのはちゃんってこんな子なん?」

 

「うーん。何時もはもうちょっと違うんだけど」

 

「トロくさいのはいつも通りよね」

 

 

 再会の約束を。それをしてから気付く。

 あのペンダントを送って約束をするという御呪い(オマジナイ)は、家族や恋人に行う行為であると。

 

 ユーノくんは家族ではない方だから、恋人相手の御呪いね。

 あらあらと微笑む母にそう指摘され、随分と慌ててしまったものである。

 

 なのは以上に、周囲の家族が慌てていた姿が印象的だったが。

 

 

「けど大丈夫なん、なのはちゃん」

 

「大丈夫じゃないわね」

 

「大丈夫じゃないんじゃないかな」

 

「んー。もうちょっと見ていたいけど、そろそろ突っ込んでおきましょうか」

 

 

 けど決して嫌だという思いがある訳ではない。

 先の事なんてまるで見えてこないし、恋人とか結婚とか、まるで意識の外だけど。

 

 父と母のように、仲良く彼と一緒にいるのは、それはとても魅力的なことに思えて――

 

 

「ばぁ!」

 

「にゃぁっ!?」

 

 

 突然目の前に飛び出してきたアンナの顔に、思わず驚きの声を上げてしまう。

 

 そんな彼女達に集中する視線。

 図書館の司書が、苛立った視線を向けて来る。

 

 ああ、そうだ、図書館に来ていたんだった。

 司書の注意に謝罪しながら、なのははこれまでの経緯を思い出していた。

 

 

 

 と言ってもそれほど大事があった訳ではない。

 なのは達の通う私立聖祥大学附属小学校は、度重なる災害により休校状態に陥っていた。

 

 復旧の目途は半年ほど。

 それまでの間、他の学校への受け入れや青空教育をするべきか、という意見もあったが、通う生徒の家柄の良さがかえって邪魔をした。

 

 彼女らに負担が掛からない範囲内で良家子弟が通うに足る学校が見つからず、見つかっても一時的な受け入れを拒否する学校も少なくはなかった。

 

 だが進学校を語っている以上、教育を疎かにする訳にもいかない。

 結果、校舎の復旧を急がせると同時に、大量の課題を出す。そんなお茶を濁す形に落ち着いた訳だ。

 

 

 

 そんな訳で夏休みの宿題を倍にしたくらいの大量の課題に嫌そうな表情を浮かべたなのは達は、ここ風芽丘図書館に来ていた。

 

 海鳴市中央から外れた風芽丘一帯は巨大樹による被害はなく、台風災害でも建造物が倒壊するような事態は起こらなかった。

 結果として、こうして図書館は数日の休館こそあったが今開館しているのである。

 

 

 

 とは言え、復興の為に人々が働いているこの海鳴市で、現在図書館を利用する人はそう多くないのだが。

 

 

「ごめんね、皆」

 

 

 ぼーっとして話を聞いていなかった。

 そのことを謝ると四人は別に構わないと返した。

 

 そう。四人。なのはの大切な友達たち。

 金髪の勝気な少女、アリサ・バニングス。

 紫髪の温和な少女、月村すずか。

 赤髪の快活な少女、アンナ・マリーア・シュヴェーゲリン。

 

 そしてなのはと同じ茶髪をした、車椅子に座った少女を見る。

 目が合って、にっこりと笑ってくる少女に、なのはは笑顔を返して――

 

 

「…………あれ、誰だっけ?」

 

 

 初めて見る少女の姿に、そんな言葉を零した。

 

 

 

 

 

2.

「やはり、そうだったか」

 

 

 管理局本局内に用意された自身の研究室。

 そこでジェイル・スカリエッティは納得するように頷いていた。

 

 

「第九十七管理外世界。地球。……そこにこそ、彼らの目的はあるか」

 

 

 そう。発想の転換を求めて、様々な世界を探査していた際に偶然発見した異変。

 微弱な魔力集中をあの世界に発見して、スカリエッティはそこから天魔があの世界に潜んでいると予想した。

 

 誰もが彼らが出現する時の威圧感に、天魔の来訪を判断している。

 だが彼だけは違う。違う物を判断基準としている。

 

 彼は天魔が出現する際に必ず起こってしまう、魔力の集中するという現象こそを重視していた。

 

 それを確認出来るなら、戦う意志のない状態の彼らを観測できるから。

 

 

「っと、どうやら近付き過ぎてしまったようだね」

 

 

 くわばらくわばら、とこちらに情報を送ってきていた端末が跡形もなく焼き尽くされた事実に、お道化た態度を見せる。

 

 高精度かつ隠密性を引き上げたサーチャーであったが、やはり天魔の眼は誤魔化せなかったか、と。

 

 

「しかし、八神はやて、か。はてさて、彼らは何を望んでいるやら」

 

 

 サーチャーを焼かれたことも痛くはない。もう十分な情報は揃っている。

 

 遠目に確認した。彼らが潜んでいる家屋の表札。

 それを元にスカリエッティは、市のデータベースにハッキングを掛けて関連する情報全てを盗み取った。

 

 

 

 八神はやて。

 関西出身。海鳴市風芽丘町在住。満九歳の少女。

 近い血縁はおらず、遠縁の親戚から引き取りの話も出ているがこれを拒否、両親の死後も彼らの残した邸宅にて生活中。

 

 一人暮らしを案じたその親戚が、在宅ヘルパーを雇用。

 少女の年齢や性別を考慮して、選ばれたのは年頃の近い同性のヘルパー。名を。

 

 

「櫻井螢」

 

 

 そう。戸籍を洗うと如何にもおかしな所の出て来る女。

 

 無論、パッと見では不備はない。

 櫻井螢自身の情報はしっかりと作られている。

 

 

「だが、系図を遡ることが出来ない。三親等内ですら実在しない人物が多い」

 

 

 安直な考えである。単純な思考である。

 だが天魔の反応を追い掛けたサーチャーが焼かれた八神家と、関わりのある経歴に不明な点が見える女。

 

 天魔とこの女を等号で結ぶのは、全く的外れとは言えないだろう。

 

 

「しかし、これだけの情報を作り、態々櫻井螢が実在する大学を卒業するという作業まで行っている。数年単位での仕込みになるな。間違いなく天魔にとって、次は本命と言える試みになるのだろう」

 

 

 ジュエルシードを巡る騒動などは序の口だ。

 

 櫻井螢の存在に気付いたスカリエッティが、態々管理局の船舶にありもしない次元震を第97管理外世界周辺で察知するように細工した。

 そして神座世界に至ろうとしていたプレシア・テスタロッサに、ジュエルシードの性能と在処を吹き込んでやった。

 

 今回の騒動はそれだけのことでしかなかった。

 天魔が釣れれば良い。そんな単純な思考で起こした出来事に過ぎない。

 

 故に、出てきた天魔らには遊びが多く見られた。

 敵を殺さず、見極める事に終始した天魔・宿儺。

 ジュエルシードを回収せず、友と呼んだ女を見届けることを優先した天魔・紅葉。

 

 

「だが、次は彼らも必死になるぞ。目に映る物は滅侭滅相。皆殺しの地獄が生み出されるぞ」

 

 

 ああ、怖い怖いとスカリエッティは道化る。

 流石にその戦場には巻き込まれたくはないと、今回は静観することに決めた。

 

 

「ドクター。天魔・宿儺。天魔・紅葉。彼らのデータ解析終了しました。こちらの方に纏めてあります。」

 

「ああ、有難う。ウーノ・ディチャンノーヴェ」

 

 

 十九番目のウーノ。

 自身に付き従う。量産型戦闘機人の名を呼び、スカリエッティは微笑んだ。

 

 

 

 管理局にて量産されている自身の娘達。

 情報管制・解析にウーノタイプ。

 潜入・諜報・破壊工作にドゥーエタイプとセインタイプ。

 戦闘型にトーレタイプとチンクタイプ。

 他の娘達も量産したかったのだが、管理局が正式に生産を認めたのは彼女ら五人だけだった。

 

 戦闘機人に求めるのは肉壁。あるいは人手不足の補佐だ。

 指揮官型など不要だし、比較的安全な後方からの支援は人間の魔導士にやらせる。

 近接戦闘型とて、能力値の高い物だけを増やせば良い。

 

 そんなことを言われてしまえば、不満はあれどスカリエッティとて納得するしかない。

 

 今はまだ、彼も管理局の首輪を付けられているのだから。

 

 

「さて、とりあえず今は彼らの発言に対する証明を得るために、実験を行うべきだろうね」

 

 

 今、スカリエッティには興味を抱いている物がある。

 プレシア・テスタロッサの作り上げたプロジェクトFの人形達が、自分のそれとは違って魂を保持していたという事実だ。

 

 

「天魔・紅葉の太極で動かせた。その事実が示している。私の子供達はアレに飲まれることはないのに、何故同じ製法で作り上げたプレシアの娘達はアレに取り込まれた?」

 

 

 恐らく、鍵となるのはクローン元の生死。

 

 管理局の協力を得てこのミッドチルダに生きる全ての人間のクローンを作り上げた物だが、それでその中にフェイト・テスタロッサのようにクローン元を超える人造魔導士は生まれ得なかった。

 

 むしろ劣化に劣化を重ねた出来損ないばかり発生している。

 戦闘機人量産が軌道に乗ったことで、もう人工魔導士は廃止しようという意見すら出ているほどだ。

 

 それだけの違いを生んでしまった理由。それは恐らく魂の差異だ。

 リンカーコアが魂の力を集める器官であるならば、魂の力の扱いにはやはり純度の高い魂が必要となるのだろう。

 

 

「無論資質の違いもありそうだね。やはり質の良い素体で一度実験してみるべきだろう」

 

 

 そう。エリオ・モンディアル。

 今まで作り上げたミッドチルダ住人のクローンの中では、やはり彼が一番プロジェクトFと相性が良かった。

 

 だからこそ、スカリエッティは実験体として彼を選択する。

 

 

「彼のオリジナルは、まだ生きていたね。ああ、一歳になった頃だろうか」

 

 

 オリジナルが生きていてあのレベルだった。

 ならば、完全なクローンのすぐ傍でオリジナルが死亡した場合、その完成度はフェイト・テスタロッサを超えるであろう。

 

 

「ああ、距離の因果関係や、年齢や性差による違いもデータにとっておきたいな」

 

 

 ならば、モンディアル夫妻も一緒に終わらせてあげよう。

 死に方や死ぬ瞬間の思いも関係するかもしれないから、そこもしっかりと確認しなくてはいけない。

 

 

「ふふふ、ふはは、ははははははっ! ああ、やることが多いと楽しいなぁ」

 

 

 無限の欲望は笑う。狂ったように笑い続ける。

 その求道に、その生き様に、多くの命を犠牲にしながら、狂人は止まらない。

 

 

 

 

 

3.

「あれはないわー。流石に酷いわー。なのはちゃん」

 

「ご、ごめんね。はやてちゃん。……自己紹介の時、上の空になっちゃってて」

 

「傷付いたわー。ほんま傷付いたわー。この心の傷はカリカリくんアイス食べて、波紋コーラ飲まな、治らんなー」

 

「え、え? アイスとコーラ? 今コンビニやってたっけ?」

 

「そこ、騙されて買いに行こうとしない! 後、はやてふざけ過ぎ!」

 

「てへぺろ」

 

「殴りたい、その笑顔!」

 

 

 右往左往とするなのはを見て、ニヤニヤと笑っていたはやてにアリサが突っ込みを入れる。

 舌を出して笑うはやてに、悪ノリするアンナ。

 そんな彼女らをすずかは苦笑いで見る。

 

 

「しっかしアンナちゃんの言った通り、アリサちゃんのツッコミは切れがええなぁ。そや、私と組まへん? アリサちゃんが相方なら世界獲れるわ」

 

「ダメよ、はやて。アリサは私と世界を笑いで席巻するのだから、ボケは二人も要らないのよ」

 

「な、熾烈な争いがここにあったやて!? アンナちゃんはトリオ漫才を否定する気や!!」

 

「ふっ、青いわね八神はやて。ボケとツッコミ。その比率は一対一こそ至高。そこに余分を増やすなど純度を下げる行為。愚行と言うより他にないわね」

 

「馬鹿な!? トリオ漫才でも面白いもんあるで!! あのお茶の間アイドル、シュピ虫さんのトリオ漫才。虫けら大名御三家のコントの面白さ知らんのか!?」

 

「ふっ、それこそ愚問。あれはシュピーネ、げふんげふん。シュピ虫一人のネタで持っているような物。岩倉も千種も余計なお荷物に過ぎないわ」

 

「はっ、確かにあのコント! 岩倉と千種がいる意味あんの、とかネットで叩かれ取った。けど、けどあの二人の影が薄いネタやって!!」

 

「アンタらは何、お笑い談義してんのよ!!」

 

「それより以前に、図書館では静かにしようよ、皆」

 

 

 和気藹々と盛り上がる少女らを、司書が凄い形相で見ている。

 その事に気付いたすずかが気まずそうに告げた。

 

 ごめんなさーいと全員で司書に頭を下げるのだった。

 

 

「貴方達、何をしているのよ」

 

「あ、螢姉ちゃん!」

 

 

 そんな少女達に、黒髪の美しい女性が声を掛ける。

 十代後半から二十代前半くらいの若さの女は、自身を姉と呼ぶ少女の笑みに微笑みを浮かべ――

 

 直後その背後にいる赤毛の少女の存在に気付き、その頬を引き攣らせた。

 

 

「……マレウス」

 

「え、何、アンナちゃんと知り合いなん?」

 

 

 思わずと漏らしてしまった声に疑問が返る。

 秘密にしろとジェスチャーで告げる赤毛の少女に、女は痛くなる頭を抱えた。

 

 

「ええ、知り合いよ。……ちょっとこの子と話すことがあるから、はやてはもう少し待っていてくれる?」

 

「へー。アンナちゃんとなー。ま、ええよ。病院行く時間まではまだありそうやし」

 

「ええ、直ぐに終わるわ」

 

「あーれー」

 

 

 ズルズルとアンナを引き摺り、女は図書館を後にする。

 その姿を見送りながら、少女たちは言葉を交わした。

 

 

「あの人、はやてちゃんの知り合い?」

 

「螢姉ちゃんって言うんや。在宅ヘルパーしてくれとる人で、家での手伝い以外にも病院の送り迎えとかしてもらっとるんや」

 

 

 八神はやては、自慢の姉を説明するかのように口にする。

 その表情と言葉に宿った色だけで、彼女がどれ程に大切に思っているかは伝わる物だ。

 

 

「ほんまは時間外労働とかいけないらしいんやけど、私が頼むとこうして病院前に図書館に連れて来てくれたり、夜眠れん時に一緒にいてくれたりする。優しい人やで」

 

 

 自分の時間を削ってまで一緒に居てくれる櫻井螢と言う女性を、はやては本当の家族のようだと思っている。

 

 何に変える事も出来ない。

 大切な家族だと思っているから――

 

 

「はやてちゃんはお姉さんが好きなんだね」

 

「そや、一番大好きな自慢の姉ちゃんやもん!」

 

 

 八神はやては本当に嬉しそうに、にっこりと笑って言うのだった。

 

 

 

 

 

 図書館を出て暫く行った先、路地裏に赤毛の少女を連れ込んだ女は告げる。

 

 万が一にも誰かに聞かれる訳にはいかない。

 そう言う事情故に時間を掛けて、隣町に近いこの場所まで足を延ばしていた。

 

 そんな黒髪の女は、そこで少女の形をした魔女に問いかける。

 

 

「何故、貴女がはやてと接触している? あの子のことは私が対応するはずでしょう?」

 

「偶然よ。意図しての事じゃないわ。今日初めて会った訳だし、友達が仲良くしている子に関わろうとしないんじゃ、かえって悪目立ちするでしょうに」

 

「……その言、信用出来ると思うのか、マレウス」

 

「随分と言ってくれるじゃない、レオン」

 

 

 両者の間に険悪な空気が流れる。

 一触即発。今にも争い出しそうな空気で、二人の同胞は暫く睨みあう。

 

 

「いや、今回は私が詫びよう。……魔法を肯定しているお前が何か仕出かすんじゃないか、そう思い込んでしまっていた」

 

「ふーん。ま、貴方達があれを嫌う理由も分からなくないし、別に良いけどね」

 

 

 だがすぐに、櫻井螢が視線を外す。

 それをアンナは深く追求しようとせず、話を変えるように別の内容を口にした。

 

 

「随分と懐かれているみたいね、レオン。お飯事は楽しい?」

 

「ふん。お前が信頼を勝ち取れと言ったのだろう。その通りに動いただけだ」

 

「うーん。そうかしらね。私としてはそれなりの信用を築いてくれればそれで良かったんだけど、気付いてる? あの子、ヴァルキュリアを見ていた頃の貴女と同じ目をしていたわ」

 

 

 ニヤリと嗤う赤毛の少女。

 見た目不相応な底知れなさに、螢は瞳を鋭くする。

 

 

「…………それがどうした」

 

「何、確認よ。信頼は必要だけど、あまりに近過ぎると後が辛くなるわ。……やるべきこと、忘れていないんでしょう?」

 

「無論」

 

 

 少女の問い掛けに、黒髪の女は冷たく返す。

 お前達とは違うのだと、心を凍らせながら女は告げた。

 

 

「マレウス。私はお前や遊佐くんとは違う。……遊びなど介する余地などもうありはしない」

 

「……そう。なら良いわ」

 

 

 そう言葉を交わして、今あるべき場所へ戻る為に足を動かす。

 距離を取り過ぎたから、病院に遅れてしまうかも知れないと螢は内心で思考する。

 

 とは言え人目がある以上は、転移や高速移動といった無茶もできない。

 まだ見つかる訳にはいかないのだから、そんな事をして露見する訳にはいかないのだ。

 

 桜井螢は少し焦りながら、足早に図書館へと向かって走る。

 その姿は、彼女が語る様な偽りの関係を築いているとは思えない程に、少女の事に真剣に向き合っている様に見えた。

 

 

 

 

 

4.

「螢姉ちゃん、遅いなー」

 

 

 図書館の時計を眺めながら、はやてはそう呟いた。

 十分もあれば戻って来ると判断していたが、三十分が過ぎてもまだ二人は戻って来ない。

 

 このままでは病院の診察時間に遅れてしまうのではないか、そんな不安にはやてはきょろきょろと周囲を見回している。

 

 

「あー! もうさっきから鬱陶しいわね。そんなに気になるんなら探しに行けば良いじゃない!」

 

「おお! その手があったわ!!」

 

 

 苛立ち紛れに助言をするアリサに、はやてはぽんと手を打つ動作をしてその言の正しさに納得する。

 

 内緒話をしているとしても、そんな遠くには行っていないだろう。

 そう安易に考える少女は、車椅子を動かして移動を始める。

 

 

「あ、私が押すよ、はやてちゃん」

 

「ありがとなー、すずかちゃん」

 

「いいよ。それについでだから、飲み物でも買って来て少し休憩にしようか。お喋りしながらだけど、ずっと勉強していたから」

 

「ん。そうね。なのはも良いでしょ」

 

「にゃー。課題が終わらないのー」

 

「一日二日で終わるか馬鹿なのは。取り合えず図書館内は飲食禁止だし、近くの公園にでも行って待ってるわね」

 

 

 そう決めるとアリサは、なのはを引き摺って公園に向かって行く。

 そんな彼女らとは逆方向に、はやてとすずかは歩を進めて行った。

 

 

「あー。じゃ、ジュースは何にするん? 波紋コーラ? 午前のアバ茶? ショウユビタミンZ? 俺の白汁やどろーり濃厚ピーチ味練乳添えは勘弁やで」

 

「何で、そんな不味いジュースばっかり上げるの!? はやてちゃん」

 

「波紋コーラは上手いで! 腹破裂するんやないかって思うくらい、炭酸が強烈やけど」

 

「あ、はやてちゃーん! すずかちゃーん! 私、どろーりピーチで!」

 

『なのはちゃん、それ飲めるの!?』

 

 

 そんな遣り取りをして、少女達は分かれた。

 

 

 

 

 

「おらんなー」

 

「いないね」

 

 

 図書館の通路、広場、近くの公園から、トイレの中に喫煙室に至るまで。

 様々な場所を歩き回ったが、どうにも二人の姿は見つけられなかった。

 

 十五分ほど探し回って見つからず、流石に待たせすぎだろうと考える。

 取り合えずペットボトル飲料を四本購入して、公園で待つ彼女らの元へと向かっていた。

 

 

「波紋コーラがあったんが唯一の収穫やな」

 

「どろーりピーチはなかったね。普通のピーチジュースだけど納得してくれるかなぁ」

 

 

 そんな風に雑談しながら歩く彼女ら。

 車椅子の車輪が回る音が、人気の少ない住宅街に響く。

 

 そんな静けさの中、夕焼け空の下で、ふと足が止まった。

 

 

「ああ、少し待ってくれるかな君達」

 

 

 まるで、タイミングを合わせた様に声が掛かる。

 突然、物陰から出てきた男が、そう言葉を投げ掛けていた。

 

 茶色の髪に青い瞳。整ったその容姿は、すずかが知るある人物の物。

 

 

「氷村、叔父さん」

 

 

 夜の一族が一人。氷村遊。

 人を家畜と蔑む外道の男が、笑みを浮かべて立っていた。

 

 

「……何の、様ですか?」

 

「何、大した事じゃない。……君を迎えに来ただけだよ。すずか」

 

 

 警戒するすずかにそう答えて、パチンと彼が指を鳴らす。

 その合図に従って、黒服の男たちと、金髪をした女が数人現れる。

 

 女達の顔は全て同じ物。

 イレインという量産された戦闘人形。

 

 その手に抱えられた二人の少女の姿を目にして、すずかは驚きの声を上げた。

 

 

「アリサちゃん! なのはちゃん!!」

 

 

 すずかの叫び声に応えるように、アリサはジタバタともがく。

 だが少女の抵抗虚しく、鋼鉄の腕に囚われた彼女は逃げ出すことも出来ない。

 

 

「逃げなさい、すずか!!」

 

「……と、この下等種は言っているけど」

 

 

 逃げたらどうなるか分かるね。

 そう口にして微笑む氷村の姿に、すずかは背筋がゾッとした。

 

 

(まずいの)

 

 

 抗うアリサのすぐ近くで、同じように囚われたなのはは思う。

 

 

(レイジングハート。忘れてきちゃった)

 

 

 いざと言う時に、いつもの忘れ物癖が出てしまった。

 なのははそう内心で呟いて、周囲を囲うイレイン達を見詰める。

 

 

(このイレインさんがあのイレインさんと同じなら、レイジングハートなしじゃ勝てないの)

 

 

 そう。彼女はイレインの恐るべきスペックを知っているから、この量産型イレインも強力なのだと思い込んでいる。

 

 彼女が魔法を使えば、イレイン達は倒せるかもしれない。

 だが、それで勝てる保証がなければ、皆も巻き込んでしまう結果になり兼ねない。

 

 

(……それに)

 

 

 同時に高町なのはは、氷村遊と言う男を見詰める。

 

 フェイトとの闘いの中で得た、魂の色を見る瞳。

 その目に映る巨大な影が、この男が決して容易い存在ではないと伝えてくる。

 

 

(まるで、黒い御日様。夜より濁った、悪い物)

 

 

 悍ましい黒。醜悪な色。だが確かに大きく、強大なその魂。

 大天魔には遥かに遠く及ばずとも、あの日のフェイトやユーノに比肩する程の輝き。

 

 

(この人が誰かは知らないけど、きっと強い。それだけは分かるの)

 

 

 魂の輝きと、強さは決して等号ではない。

 それでも魂の規模が強さに繋がるが故に、強者の魂は須らく輝く物。

 

 どす黒い太陽の様な輝きに、なのはは静かに思考する。

 レイジングハートがなければ、まともにやっては勝てないと納得する。

 

 故に彼女は、こう思考する。

 

 

(隙を見て、動くしかないの)

 

 

 無数のイレイン。底知れぬ男。

 彼らと相対するには、まず機を見るより他に術はない、と。

 

 そんな彼女の考えとは別に、事態は進展する。

 

 

「さて、すずか。それとそこの下等種族。僕に付いて来てくれるかな?」

 

「はやてちゃんや皆は関係ないでしょ! 離してよ!」

 

「……口の利き方がなっていないな、すずか」

 

 

 すずかの反抗的な態度に、氷村は歪な笑みを浮かべる。

 子供の反意を受け流す器すら持たない小物は、「やれ」と一言だけ名を下した。

 

 

「な、何なん! アンタら! 何する気や!?」

 

 

 見せしめに選ばれたのは、八神はやて。

 少女達の目の前で、標的となった彼女は黒服の男達に引き摺り降ろされる。

 

 

「や、やめて!!」

 

「駄目だなぁ。すずか。頼むにしても、頼み方があるだろう?」

 

 

 すずかの叫びに、嗤って告げる。

 車椅子から少女を引き摺り下ろされた少女は、男達に暴行を振るわれていた。

 

 

「いや、いやぁぁぁぁっ!!」

 

「やめて! はやてちゃん! やめてっ!!」

 

「あはは、はははははっ! いつ聞いても、家畜の叫びは傑作だ。豚が泣いている様に滑稽だぞ」

 

 

 車椅子が壊れる。少女が悲鳴を上げる。氷村遊は嗤っている。

 

 踏み躙られるはやてと、怒りで暴れているアリサ。

 我慢の限界を迎えつつあるなのはと、己の所為だと涙を零しているすずか。

 

 彼女らに向かって、黒い太陽は微笑み掛ける。

 

 

「さて、すずか。君が素直にお願いをしてくれないと。そこの下等種が人としても、女としても使い物にならなくなるだろうね」

 

 

 言葉使いと甘いマスクで気取っているが、その醜悪な本性は隠せない。氷村遊と言う名の男は、度し難い程の外道である。

 

 

「まあ、まだ下等種は二人も残っている訳だから、どうでも良い話ではあるのだけれど」

 

「やめて、止めて下さい! 私が付いて行きますから」

 

 

 男達に、拳を振るわれるはやての姿。

 そして彼が残る二人に目を向けた事で、すずかは折れた。

 

 涙ながらにそう告げる少女に、男は暗く嗤って語る。

 

 

「お願いします、だろう?」

 

「……お願い、します。氷村さん」

 

 

 土下座も同然に、頭を下げさせる。

 年端もいかない少女にそうまでさせて、ようやく男は笑みを戻した。

 

 

「良し。良い子だ。……さあ、彼女達を僕の今の居城に案内するとしよう」

 

 

 氷村遊はかつて、相川真一郎に敗北した。

 それは度し難い程に無様な敗北で、されど忘れられない屈辱の記憶。

 

 故に記憶を都合良く書き換えて、彼は一つの決断を下す。

 あんな下らない痴話喧嘩に気を抜かれたのではなく、人間の積み重ねた物に己は敗れたのだと思い込んだ。

 

 そうして何とか結果を受け入れると共に、彼は慢心を悔いて思考を改める。

 例え下等種族に過ぎない家畜共とは言え、油断が過ぎれば喉笛を噛み切られる結果に終わる。そう学習したのだ。

 

 故に氷村遊は暗躍を主とした。

 月村安二郎を煽り、動かしながら陰で味方を増やしていた。

 

 夜の一族と古くからの誼ある家系。

 古くにこの国の支配者達が集った貴族院へと渡りを付けることにさえ成功した。

 

 最も、彼らの多くは既に途絶えている。

 手にした物は彼らが拠点としていた物と、その末裔から譲り受けた特殊な秘薬だけだった。

 

 それでも、氷村遊は満足している。

 己が夢想する理想の自分。それに相応しい力は得たのだ。

 

 

「光栄に思うと良い。君達は貴族院辰宮。その現当主でもあるこの僕、氷村遊の傾城反魂香を見ることが出来るのだからね」

 

 

 故に男は動き出す。

 さあ、今こそ全てを我が手に収める為に――

 

 

 

 氷村遊はその端正な容姿を醜悪に歪め、赤く染まった瞳で嗤った。

 

 

 

 

 

 




人気お笑いトリオ『虫けら大名御三家』。彼らの今後の活躍にご期待下さい。もう出ませんけど。


後、氷村さん登場。
そのままだと瞬殺確定でしょっぱかったので、魔改造。

別に邯鄲法の五条楽とか習得している訳ではないので安心してください。


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ユーノ編第一話 管理局での日常

なのは編とユーノ編では時間にズレが存在しています。
大体一月から二月程度。ちょっとユーノ編の方が少し未来の時間軸の話です。


副題 ユーノと鉄腕人妻。
   クロノと馬鹿兄。
   都築ワールドの幼女の聡明さは異常。



1.

 空間を切り裂いて、その拳が迫り来る。

 

 鋭い拳。打ち込まれる速さも技の威力も正に極上。

 達人の武芸と称するに相応しい一撃だ。

 

 

「っ!」

 

「ほらほら、動きが止まってるわよ、ユーノ!」

 

 

 細かいステップに移動魔法。

 それを足元のローラーブレードでの移動に絡めて行われる高速戦闘技術シューティングアーツ。

 

 ミッドチルダで盛んに行われているボクシングにも似た格闘技ストライクアーツをベースにした戦闘技術。それこそがこのシューティングアーツである。

 

 その使い手。長い青髪を頭の後ろで纏めたポニーテールの美女、クイント・ナカジマは数あるシューティングアーツ使いの中でも極上――最高峰の使い手であった。

 

 

「そら! 休んでる暇はない!! 教えた型で動きなさい!!」

 

「くっ! は、はい!」

 

 

 クイントの指導によって教え込まれたストライクアーツの基本動作。

 その中でも初歩の初歩と言える守りの型でクイントに対応しようとする少年だが、やはりそこは技量の差。あっさりと弱所を見抜かれ、鋼鉄の如き拳に貫かれる。

 

 

「ほら、腕が少し落ちてる! 疲れてるのは分かるけど、型はしっかりと守る!」

 

「は、はい!」

 

 

 クイントの教えに、無論加減はあるのだろう。

 だが彼女の教え方は基本スパルタ。習うより慣れろを地で行く女傑だ。

 

 一通り型を教え込んだら後は組手。

 ユーノが気絶するまで組手は続き、その際に上手く出来なかった型を数百、数千と自己鍛錬でやらせる。

 

 本気で強くなりたい。

 そう希望して教えを乞うて来た少年に返せる、クイントなりの誠意がそれである。

 

 

「それじゃあ、ギアを上げるわ。歪みも加えた私独自の技を見せてあげるから!」

 

 

 死ぬ気で耐えなさい。

 そう口にしてクイントは少年に対して全力を発揮する。

 

 

「存在重複」

 

 

 言葉と共に、クイントの姿がブレた。

 まるで蜃気楼の如く、女の影が二つに揺れる。

 

 ユーノはその光景に我が目を疑い、それが果たして如何なる歪みが推測しようと身構える。だが、その現象を解明する余裕などあるはずもなく――

 

 

「シッ!」

 

 

 正に神速と呼ぶべき速さで、ユーノの懐へと入り込んだクイントは、その拳を打ち込んだ。

 

 

「がっ!?」

 

 

 打ち込まれる拳は、ユーノの防御を摺り抜ける。

 守りを固めていた少年の腕の隙間を、摺り抜ける様に撃ち込まれた。

 

 だが、同時にユーノは腕に衝撃を感じている。

 拳を打ち込まれた腹の痛みと、拳を防いだ腕の痛みを、全く同時に感じていた。

 

 

(何だ、これ!?)

 

「ほらっ! 次よ!」

 

「っ!?」

 

 

 だが、思考を続ける余裕などはない。

 一瞬でも気を抜けば、直ぐ様に次が飛んでくる。

 

 襲い来るは、鋼鉄のブーツに覆われた蹴撃。

 ローラーによる加速力が乗った一撃は、容易く人を殺せる凶器と化す。

 

 真面に受ければ不味い。だが、防ぎ切れる自信はある。

 守りの型は武芸の基本。ユーノはこの一月、そればかりを教え込まれて来た。

 

 繰り返し、練りに練られた防御の術は、彼の性格や性質とも合致していたのだろう。

 身体が動かなくなる迄、己を鍛え。動かなくなれば、マルチタスクにイメージトレーニングを走らせる。

 

 偏執的な鍛錬量の果てに、ユーノは確かに守勢だけなら見られる域まで届いている。

 守りよりも攻めを得意とするクイント相手の防御技術に、迫るだけの物に磨き上げていた。

 

 そしてクイントもまた、ある程度は加減している。

 その蹴撃は大振りで、未だ実力で大きく劣るユーノでも、何とか追い付ける速度。

 

 故に、守りを固めたユーノは安堵して――

 

 

「がっ!?」

 

 

 直後、抉り込まれる痛みに意識を飛ばし掛けた。

 

 

(確かに防いだはずなのに!?)

 

 

 交差した腕に、感触は残っている。

 痺れる腕は確かに、彼女の蹴りを受け止めている。

 

 であるというのに、現実には攻撃を防げないという結果に終わった。

 受け止めている場所にある足とは別に、もう一つの足が其処にあったから――

 

 

「足が、三本!?」

 

「気付いた?」

 

 

 防いだ足とは別の足が、クイントに重なる様に出現している。

 

 否、足だけではない。

 手が、目が、口が、あらゆる要素が倍数に増えていた。

 

 重なる様な影が、ゆっくりと左右に分かれていく。

 そこに現れるのは、二人目の女。少年の眼前で、クイント・ナカジマが二人に増えた。

 

 

「これが私の歪み。存在重複」

 

 

 どちらが偽物。どちらが幻影。という訳ではない。

 彼女の歪みは、自己の存在を重複させると言う異能。

 

 片腕を二本に、足を四本に、拳の威力を八倍に。

 倍に倍に倍に。あらゆる要素を増幅させる事こそ、この歪みの真価である。

 

 故に此処に並ぶのは、どちらも正しくクイント・ナカジマ本人だ。

 

 

「それじゃあ、今度は多対一の訓練よ。最低限の型は教えているんだから、その出来の良い頭で必死に応用法を考えなさい!」

 

「む、無茶言わないで下さいよ!?」

 

「問答無用!」

 

 

 迫る二人のクイント。その動きに見劣りはない。

 二人に増えたのだから実力も半分。そんな道理は通じない。

 

 

「そらっ!」

 

「がはっ!」

 

「もいっちょ!!」

 

「げふ!!」

 

「更に、おまけ!!」

 

 

 前後左右から来る極上の拳打。圧倒的な蹴撃。

 たった一つでもユーノの手に余るそれは、四方八方から迫る。

 

 二人のクイントの手の数が増えている。蹴りの威力が増している。ローラーの移動速度まで倍になっている。

 

 あらゆる全てを倍にする彼女は、その圧倒的な手数でユーノを翻弄する。

 対処能力を遥かに超えた拳と蹴りの雨を前に、彼に出来る事など何もない。

 

 だが――

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ――っ!」

 

 

 ユーノ・スクライアは諦めない。

 そうとも、この程度で諦めるなら、彼はあんな啖呵を口には出来ない。

 

 諦めない意志で、瞳を強く輝かせる。

 女の力に耐え抜きながら、その輝く瞳は貪欲に、クイントの技術を盗み取ろうとしていたのだ。

 

 

(へぇ)

 

 

 クイントは、対峙するユーノの姿に笑みを深める。

 対処出来ないと割り切って、それでも齧り付いて来るその姿。

 

 少しずつ攻撃に慣れていき、確実に防げる物を増やしている。

 そんな意志と意欲に溢れる少年に、彼女は嬉しそうに微笑んだ。

 

 最初に見た時は、まるで見所がない打ち筋だと思った。

 ユーノ・スクライアと言う少年は、何処までも武才がない様に見えたのだ。

 

 だが、蓋を開けて見ればこれだ。

 僅か一月で此処まで鍛え上げ、クイントの動きに付いて来ようとしている。

 

 才能がある。そう感じる。

 意欲とそれがあるからこそ、こうも練磨されているのだろう。

 

 その才を見抜けなかった事に、己の勘も鈍ったかと思う。

 今も尚、武才を欠片も感じていない感覚に、師としては才能がないのかと悲しくなる。

 

 だが、同時に嬉しくもなる。

 これだけの才がある子なら、きっと初見であっても、あの切り札に耐えられる筈だと。

 

 

「そんじゃ、切り札行くわよ!」

 

「ちょ!?」

 

 

 ならば教えよう。ならば刻み込もう。

 クイント・ナカジマと言う女が生み出した、切り札足る繋がれぬ拳の一撃を――

 

 

「ウイングロード、展開っ!」

 

 

 女の足元に、展開されるは翼の道。

 陸戦魔導師である彼女に、空への手段を与えるウイングロード。

 

 自身の十八番を展開したクイントは、それだけでは止まらない。

 

 

「拳撃威力倍の倍! そのまた更に倍!!」

 

 

 歪みがクイントの右手に集まり、限界まで力を高める。

 八倍にまで高められた拳を握り、クイントは翼の道を駆け上がる。

 

 空に浮かび上がった女は、そこで一気に脱力する。

 全身から力を抜いて、落下状態から身体を捻り、拳を撃ち出した。

 

 

繋がれぬ拳(アンチェインナックル)!!」

 

「ぐはぁっ!!」

 

 

 その最大の拳が打ち込まれる。

 圧倒的な威力を誇るクイントの切り札は、ユーノのバリアジャケットを突き破り、その勢いのままに彼を地面へと叩き付けた。

 

 

 

 繋がれぬ拳。それはクイントが得意とする彼女の切り札。

 本来は地上で完全に脱力した状態から、全身の力を上手く伝えて拳圧を放つ技である。

 

 だが、それでは足を止めなければ使えない。

 絶対の格上を相手取る限り、それは致命的な隙となる。

 

 故にクイントが加えた改良が、落下しながら放つ事。

 脱力状態さえ作れれば、放つ事が可能な拳。其処に落下する運動エネルギーまで加われば、それは正しく必殺と呼べる切り札となろう。

 

 

 

 地に倒れ伏したユーノ。歪みを最大限に使用した為に、一人に戻ってしまったクイントは、油断なく彼を見据えて構えている。

 

 

(さって、この天才君は、何を見せてくれますか)

 

 

 クイントは期待している。

 これでは終わらないだろうと、期待していた。

 

 自分の目利きでは、未だこれに耐えられるレベルではないと判断できる。

 だが、才能がないと断じた目利きと、短期間でそれを上回った少年の実績。そのどちらを信頼するかと言えば、明確な実を持つ後者となる。

 

 故にクイントは、必ず立つだろうと期待している。

 或いはこの一回の交差で、己を技を盗み取るかも知れない。

 

 そんな期待をしていたクイントは――

 

 

「あら?」

 

 

 しかし、少年は立ち上がれない。

 意識を失ったユーノは、口から泡を吹いて倒れていた。

 

 

「……やり過ぎたかしら」

 

 

 否、繋がれぬ拳という自身の切り札を見せられたので良しとしよう。

 クイントは額から汗を流しながら、下手な口笛を吹いて意識を逸らした。

 

 

 

 そんな光景を訓練場の監視モニターで確認していたクロノ・ハラオウンは、溜息を吐いて気絶したユーノを治療する為に医療班に連絡を入れるのだった。

 

 

 

 

 

2.

 クイントが仕事で去った後の本局訓練場。

 医療室で治療を終えたユーノは、教えられた型の反復練習を行っていた。

 

 身体は痛むが、まだ動く。

 自分は数を重ねなければ、物に出来ないと自覚している。

 

 だからユーノは、こうして拳を突き出すのだ。

 

 

「随分とせいが出るな、ユーノ」

 

「あ、クロノ」

 

 

 そんなユーノに、クロノはスポーツ飲料の入ったソフトボトルを投げ渡す。

 ありがとうと片手で受け取り、ユーノは訓練を途中で切り上げると一息吐く為に、訓練場の端にあるベンチに腰を掛けた。

 

 同じくクロノも、彼の横に座る。

 静かになった訓練場の中に、ごくごくとユーノが水分を補給する音だけが響いていた。

 

 

「なあ、フェレット擬き」

 

「何だよ、ってか何で君が僕の変身魔法のこと知っているのさ」

 

「ん。……スカリエッティがあの宝石を治した時にな、あいつ録画されていた映像をアースラ関係者全員に見せて回ってな」

 

 

 水分を補給しながら、訝しげな表情を浮かべるユーノに対して、クロノはニヤリと笑みを浮かべる。

 

 堅物の彼らしくもない、そんな悪戯な笑み。

 それを見て、ユーノは嫌な予感を感じていた。

 

 

「温泉は楽しそうだったな。淫獣」

 

「ぶはっ!?」

 

 

 飲み掛けの飲料が、吹き出されて空を舞う。

 慌てるユーノに、汚い奴だなとクロノは白けた目を向けた。

 

 

「見たのか!? お前!!」

 

「いや、あの子はデバイスを鞄の中に閉まっていたからな。音声が聞こえてきただけだ」

 

 

 その言葉に、どこかほっとする思いを抱いて、ユーノは再びソフトボトルに口を付ける。

 

 

「しかしふと疑問に思ってな。お前、あの時約束とかしてたろ? あの子のこと、好きなのか?」

 

「ぶはっ!?」

 

 

 再び口に含んだ水分を吹き出すユーノ。

 げほげほと咳き込むユーノに対して、汚い奴だなとクロノは眉を顰めた。

 

 

「いや、別に、僕はそんな!?」

 

「別にそう慌てることでもないだろう。僕もエイミィと付き合っているが、そういうことって自然な物じゃないのか?」

 

「自然って、ってかクロノ付き合ってたの!?」

 

「ああ、まぁ。生死を共にすれば必然的に絆は深くなるからな。……僕にはあいつしかいない。そう思うくらいには愛しているよ」

 

 

 お、大人だ。ユーノはその時初めてクロノが自身より年上だと言う事実を確かに認識していた。……背は小さいけど。

 

 

「おいフェレット擬き。お前変なこと考えていないか?」

 

「いや、何でもないよ」

 

 

 目を逸らすユーノに、まあ良いとクロノは話を戻す。

 彼が態々ユーノの元にやって来たのは、差し入れだけが理由じゃない。

 

 想う所があるならば、それを自覚する必要があると感じた。

 だから、この迷う少年の胸中を探る為に、クロノは言葉で問い掛けるのだ。

 

 

「んで、実際どうなんだよ。憎からずは思っているんだろう?」

 

「どう、なんだろう」

 

 

 疑問を問われ、ユーノは自答する。

 果たして自分は、高町なのはをどの様に想っているのだろうか。

 

 

「凄いなって思ってて、可愛いなって思うところもある。羨ましいって思いもあって、守らなきゃって思いもある」

 

 

 可愛い女の子だと思う。

 凄く強くて、優しい子だと思う。

 才能と家族に恵まれた少女を、確かに羨む思いもある。

 

 それが如何なる感情なのか、ユーノはまだ答えが出せない。

 ただ、感じた思いを口にしてみると、やっぱりしっくりと来ることがある。

 

 

「家族が居るって良いな。羨ましいって思えるんだよ、あの子の家は」

 

「……お前にもスクライアという家はあるんだろう?」

 

「どうかな、ちょっと分からない」

 

 

 苦笑と共にそう返して、ユーノは一族を思う。

 

 管理世界の一地方に住まう部族。

 遺跡発掘を生業とするスクライア一族を。

 

 

「僕はスクライア一族に生まれた。そう聞いている」

 

「聞いている?」

 

「うん。母さんも父さんも見たことがないんだ。ただ長から、一族の皆は家族だって言われて、そういう物だと思い込んでいた」

 

 

 伝聞形の言葉。確信を抱けない迷い。

 愛された実感を知らない少年は、愛すると言う事に答えを出せない。

 

 

「その一族は家族じゃないのか?」

 

「いや、家族だよ。……だけどさ、僕って自分で言うのも何だけど結構優秀だったから、一族の皆が管理世界の学校に通わせてくれてたんだ。全寮制で、三歳くらいの時から去年の春先くらいまで。だからって言う訳じゃないけど、スクライア一族にも壁があるように感じて」

 

 

 育った場所が違うから、どうにも一族の皆を素直に家族と見れない。

 皆の仲の良さを遠目に見て、自分の居場所がないように感じてしまっている。

 

 

「だから、なのはが帰って来て欲しいと言ってくれた時、本当に嬉しかった。本当の本当に嬉しかったんだ」

 

 

 だから、嬉しかった。

 ユーノがなのはに対して抱く想いの中で、確実と言える感情がそれだ。

 

 嬉しいのだ。彼女の言葉は。

 まるで柔らかな日差しに包まれるかの如く、彼女の傍は温かいのだ。

 

 だから、守りたいと思った。

 守らないといけない。それだけは、絶対に譲れない事。

 

 

「そう、か」

 

 

 ユーノの想いを聞いて、クロノも感じ入ることはある。

 家族が欠けていて、一家団欒を羨ましいと感じる思いはこの少年にも存在する。

 

 だからこそ、彼は問い掛けるのだ。

 

 

「お前、天魔を倒すんだろ?」

 

「うん」

 

「管理局に入るのか?」

 

「うん。いずれは、ね。ここに居た方があいつの情報は得られるだろうし、何より一族から管理局入りした人間が出れば、皆も喜ぶ」

 

 

 管理世界の住人にとって、管理局員というのはエリートの証のような物だ。

 

 少数部族であるスクライア一族とは言え、その認識は変わらない。

 彼らはユーノが管理局入りすれば、諸手を上げて喜ぶであろう。

 

 

「殉職率は高いぞ」

 

「知ってる」

 

「なら良い。……ただ、思うことがあるなら、伝えられる内に伝えておけ」

 

 

 クロノの実感が籠った言葉に、ユーノは遠い目をした彼の視線の先を想像する。

 そこにはきっと、思う所を伝えられずに死んでいった局員達の姿が映っているのだろう。

 

 

「僕が言いたいのはそれだけだ。お前があの子を好きなら、しっかりと伝えておけ。そうでないときっと後悔してしまうからな」

 

「クロノ」

 

「……何だ」

 

「その、えっと。……ありがとう」

 

 

 そんな彼の不器用な気遣いに感謝を。ユーノは素直に抱いた。

 

 

「別に、大した事じゃないさ」

 

 

 そんな感謝に、気取った台詞が返される。

 だが朴念仁気味な彼の事、気取った心算もない本心なのだろう。

 

 そんな態度に甘える様に、ユーノは空のソフトボトルをベンチに置いて、話題を変えた。

 

 

「けどさ、一ヶ月あれば帰れるって言ってたのに、全然帰れないよね。なのは、心配してなきゃいいけど」

 

「それはすまんな。渡航制限が行われる時期になっているとは思ってなくてな、まあ後三ヶ月は待ってくれ」

 

 

 現在、ミッドチルダの航路には渡航制限が適応されている。

 管理局の手によって、航行可能な艦船に大幅な制限がかけられているのだ。

 

 管理局上層部の許可を得た者。一部のVIP。ミッドチルダに帰投する管理局所属船艇。

 それらを除いて、クラナガンにある港を使用することが許されていない。首都から許可なく出向する事が、全面的に禁止されている。

 

 クロノは三ヶ月もすれば、渡航制限は解除されると言っているが――

 

 

「そもそも何で渡航制限とかあるのさ」

 

 

 そもそも、何故そんな制限があるのか。

 他の管理世界では聞いた事もない内容に、ユーノはそう疑問を零す。

 

 

「それは……いや、お前も知る資格があるか」

 

 

 態々渡航制限を行うのには、当然ながら理由がある。

 その事情を教えて良いのか、僅か逡巡するクロノであったが、渡航制限でユーノが不利益を被っている以上は知っても構わないだろうと判断する。

 

 

「この渡航制限の理由は――」

 

「お、ここに居たか! クロノ!!」

 

 

 渡航制限の理由を語ろうとしたクロノは、唐突に掛けられた声に阻まれた。

 

 声の主へと振り向くユーノとクロノ。

 その先には茶色に近い橙色をした短髪の、好青年というべき容姿の青年が立っている。

 

 

「ティーダ?」

 

 

 切羽詰まった表情の彼に、クロノは疑問を口にする。

 そんなクロノの下に駆け寄ったティーダは、地面に手を付いて頭を下げた。

 

 

「頼む! クロノ! 僕を助けてくれ!!」

 

 

 目の前で突然土下座し始めた青年。

 その姿に、ユーノとクロノは困惑することしか出来なかった。

 

 

 

 

 

3.

「いや、妹へのプレゼントくらい自分で決めろよ」

 

「そうと言いつつ、一緒にショッピングモールに来ている辺り、クロノも意外と付き合い良いよね」

 

「お前だってそうだろう。……あいつなんて放っておけばいいのに」

 

「いや、目の前で土下座して、初対面の僕にも意見を頼むような人を放っておく訳にはいかないだろ?」

 

 

 そんな風に会話を続けるユーノとクロノ。

 彼らの目の前には、子供服売り場であれも似合うこれも似合うと、発狂している馬鹿兄の姿があった。

 

 高級店の店員の表情が引き攣っている事実が、彼の質の悪さを示している。

 如何に訓練されたサービス業関係者でも、これは流石に許容範囲外だったのだろう。

 

 管理局員でなければ、確実に局員を呼ばれている不審さだ。

 

 

「ああ、ティアナ。君に贈るべきプレゼントを一人では選べない駄目な兄を許してくれ!」

 

「……いや、お前はまず、そんな自分を顧みろ」

 

 

 天を仰いで、そんな嘆きを漏らす不審者。

 その姿に執務官は溜息を吐いて、無駄と分かっている突っ込みを口にした。

 

 

「えーと、ティーダさんってこんな人なの?」

 

「いや、仕事中はもっと真面だ。管理局員の模範と言える程度には、好青年な男だよ。……妹が関わらなければ」

 

 

 妹に似合いそうな服を抱きしめながら、大声を上げる男の姿。

 そんな彼の姿に他人の振りをしたくなった二人は視線と話題を逸らす。

 

 

「制服を見た感じだと、ティーダさんって空の人だけど、仲良いの?」

 

「士官学校時代の腐れ縁だな。大分年は違うが、僕とは同期という奴だ。……まあ、天魔襲来がある影響で管理局の陸海空の前線メンバーは大体仲が良いんだが」

 

 

 同じ戦場で同じ釜の飯を食った仲という奴だな、そう語るクロノにユーノはそういう物かと頷いた。

 

 

「管理局の部署ごとの仲の悪さは有名だったけど、現場だとそうじゃないんだな」

 

「好き嫌い言っている余裕がないしな。ナカジマ准陸尉をお前に紹介出来たのだって、直接の知り合いだったからだぞ」

 

「ああ、クイントさんって陸の人だったんだ」

 

 

 知らなかったと口にするユーノに、一月師事した相手の所属くらいは知っておけとクロノが突っ込む。

 

 そうして続けるように、仲の悪い噂の原因をクロノは語った。

 

 

「対立しているのは上層部と現場を知らない本局勤めの連中くらいさ」

 

「上層部の対立はあるのか」

 

「ああ、予算争いでどうしても、な」

 

 

 管理局が国営とは言え、組織である以上どうしても予算制限は付いて回る。

 

 限りある予算の分配について、陸は天魔襲来の危険性があるミッドチルダの防衛力強化。特に平時における首都防衛機能へと力を回すべきだと主張する。

 

 空もミッドチルダの防衛強化には同意だが、陸よりも緊急時対応能力の高い空の方が重要なのだからこちらに予算を回すべきと口にする。

 

 海は彼らとは逆に、管理局設立意義である管理世界の安定こそを重視すべきと語っている。そして専守防衛を続ける限り、結局天魔災害は終わらない、とも。

 

 どこも間違ったことを言っている訳ではなく、どの論にも一理はある。

 故に少しでも予算を多く欲しい上層部は、互いに険悪な状況になっている訳だ。

 

 最も、現場レベルだと、派閥争いなどしている余裕はない。

 その為、陸と海の局員が肩を組んで酒を飲みに行く、という光景も珍しくはなかった。

 

 

「面倒だね」

 

「ああ、面倒だ」

 

 

 そんな事情を聞かされたユーノは、素直に内心を吐露し、クロノも同意する。

 人の世というのは、とかく面倒な物である。人が集まる組織と言う物は、その面倒から逃れられないのだ。

 

 

「って君達。無視してないでティアナへの贈り物でも一緒に考えてくれないか!?」

 

「いや、そう言われても」

 

「……その服で良いんじゃないか?」

 

 

 どうでも良いとクロノは、店頭のマネキンが着ている子供服を指差す。

 その指の先にある服をジロジロと眺めて、ティーダは頭を抱えて叫び始めた。

 

 

「だ、駄目だ! スカートが短すぎる!! ああ、こんな短いスカートを履いては、ティアナが町の野獣たちに!?」

 

「……ティアナちゃんって何歳?」

 

「今年で六つだな。……年の割に良く出来た、良い子だぞ」

 

 

 六つの子供が、どんな対応をされると妄想しているのか。

 ティアナーと叫ぶ馬鹿兄の姿に、ユーノとクロノは揃って嘆息した。

 

 

「応援でも呼ぶか」

 

 

 同性が選んだ服なら、こいつも納得するだろう。

 通信端末を片手で操作して、クロノは自身の恋人へと連絡を取るのであった。

 

 

 

 

 

4.

「兄さんがご迷惑をおかけしました」

 

 

 どこか舌っ足らずな口調でぺこりと頭を下げる少女、ティアナ・ランスターに二人は揃って苦笑を返す。

 

 仕事中の為来れなかったエイミィが、通信端末越しに選んだ花柄のワンピース。それは幼い少女に、とても良く似合っている。

 

 

「全く、誕生日でもないのに、暫く会わなかったら何か買ってくるんですよ、兄さんは」

 

「まあ、愛されているって感じじゃないのかな?」

 

「そうですね。それは分かりますし、嬉しいですけど、もう少し大人しくして欲しいような」

 

「……あいつも生きて帰れるのが嬉しいんだ。あまり邪険にしてやらないでくれ」

 

 

 ティアナの愚痴に、クロノはそんな言葉を返す。

 そんなクロノの言葉に、ティアナは首を傾げて問い掛けた。

 

 

「クロノお兄ちゃんが、兄さんを守ってくれるんですよね?」

 

「……まあ、共同で任務に当たる時はな。守るというより、支え合うという形だが」

 

「なら大丈夫です! クロノお兄ちゃんの事は信用していますから!」

 

 

 だからきっと大丈夫。そんな風に明るく笑う少女。

 オレンジ色のツインテールが揺れる姿に、クロノも釣られて笑みを浮かべる。

 

 

「ならその信用に背かないよう頑張らないとな。ああ。約束する」

 

「はい。約束です」

 

 

 無邪気に笑う少女と小指を絡めて、クロノは約束する。

 互いに支え守り合って、彼女の下に必ず兄を帰す事を。

 

 

「おのれぇぇ、クロノめぇぇぇ」

 

「……ティーダさん、落ち着いて下さい」

 

 

 そんな彼らの姿に、「僕は兄さんなのに何故クロノがお兄ちゃんなんだ」とドロドロした目で彼女の兄はクロノを見詰める。

 

 その血走った瞳に引きながらも、ユーノは落ち着かせようと言葉を掛けた。

 

 

「ええい。飲むぞ!!」

 

 

 ユーノに言われずとも、ここでクロノに突っ込めばティアナがどう反応するか、分かっている。

 

 故に恨み言も言えないティーダは、乱暴な動作で自棄酒を煽るのであった。

 

 

 

 

 

 夜も遅くなった為、ユーノとクロノはもう帰ろうとする。

 そんな彼らを、玄関先まで見送りに出るのはティアナ一人だ。

 

 酒を飲んで居間で爆睡しているティーダ。

 幼いのに後片付けをしながら、こうして客を見送るティアナ。

 

 兄より良く出来た妹なんじゃないか。

 若干六歳の少女の姿に、一瞬ユーノはそんなことを思ってしまった。

 

 

「……兄さんも、昔はもっと真面目だったんですけど」

 

 

 ユーノの表情から察したのか、苦笑いしながらティアナは口にする。

 そんな言葉を口にした少女の表情には、確かに親愛の色が強く出ていた。

 

 

「ティーダは――」

 

「クロノ?」

 

「いや、ここで話すべきじゃないか、後で話す」

 

 

 そんなティアナの様子に、ティーダが変わった理由を知るクロノは口を開こうとして閉じた。

 

 彼の脳裏に浮かぶのは母の折檻。空気を読めという良く分からない教え。

 

 

(あのこと、ティーダはティアナには知られたくないだろうし、今言うべきじゃないのか? これが空気を読むと言うことだろうか?)

 

 

 どうにもしっくりこない感覚に首を捻りながら、ティアナに別れの挨拶をするとユーノを引き摺って行く。

 

 

「また来てくださいね! クロノお兄ちゃん。ユーノさん!」

 

 

 にっこりと手を振るティアナ・ランスター。

 彼女の背後で寝ている青年は「何故僕が兄さんで、クロノがお兄ちゃんなんだ」という寝言と共に血涙を流しているが、少年達は見なかったことにして立ち去った。

 

 

 

 

 

 ランスター兄妹の住まう家から少し離れた住宅街の中、ゆっくりと歩を進めるクロノはティーダ・ランスターが変わった事情についてユーノに話していた。

 

 

「ティーダはな、以前は随分と真面目な奴だった」

 

 

 職務熱心。品行方正。管理局員かくあるべし。

 公務中は勿論、私事の間ですら、規律に正しい姿を見せていた頃を思う。

 

 

「士官学校でスキップした僕と同時に卒業。僕が主席であいつが次席だった。そんなあいつの夢は執務官になることでな、僕が執務官試験に最年少で合格した時は随分と悔しがっていたよ」

 

 

 だがティーダ・ランスターはそれで腐らなかった。

 ひたむきに勉学を続け、職務の間でも執務官を目指すことを諦めなかった。

 

 それは任務でクロノと一緒に動くことになった時、報告書を提出した後に年下である彼に頭を下げて教えを乞う程。

 

 それほどに彼は真剣であった。

 彼は本当に真剣な想いで、夢を目指していたのである。

 

 

「そう。あいつは必死で勉強して、僕や他の執務官と知り合う度に教えを乞うて、努力を続けていた。そしてそれは実ったんだ」

 

「ん? でも、ティーダさんは」

 

「空の首都防衛隊所属だな。勿論、それにも理由はある」

 

 

 今のティーダは、執務官ではない。

 首都防衛隊の一士官として、ミッドチルダで活動している。

 

 

「あいつが執務官試験に合格して、その後の短期研修で次元航行船に配属された時にな。……ティアナちゃんが倒れたんだ」

 

 

 執務官は、特殊な資格とされている。

 逮捕権と裁判権。弁護士や検事としての権限を併せ持つ資格である。

 

 その権限の大きさ故に、合格直後の研修も多く取られる。

 より多くの経験を積ませる為と言う名目で、新人の執務官が他の部署を行き来する事はそう珍しくもない。

 

 

 

 執務官に頭を下げて時間を作ってもらい、勉強が出来ている環境。そんな優れた環境で必死に勉強していたティーダは、故に家族を疎かにしてしまっていた。

 たった一人の妹が体調を崩してしまっていることに、疲労から気付くことが出来なかったのだ。

 

 そして一月の航海と言う研修を終えて帰って来た時、彼が見たのは病室で眠る妹の姿であった。

 

 

「あいつ。直ぐに執務官資格返上の手続きを取ってな。何故と問う僕にこう言ったよ。夢よりも大切な者がある。そんな当たり前のことに漸く気付いた、とね」

 

 

 執務官となれば、権限の大きさに伴って仕事の量も増加する。

 

 前線に出ないタイプの執務官と言うのも多く、必ずしも船で長期出張をしなければいけない職種ではない。

 それでも、唯の一局員に比べて、拘束時間が増えるのは当然だ。高いキャリアと給与には、相応の責務が発生するのである。

 

 故にティーダは、まだ正式な資格取得となっていなかった事を利用して、返上手続きを申請した。少しでも長くティアナと共に居る為に、彼は己の夢を諦めたのだ。

 

 

「……何か、凄いね」

 

「ああ、凄いよ。……ただ、今まで蔑ろにしてしまった妹にどう対応して良いのか分からなくなってしまったらしくてな。取り合えず愛情表現だけは自重しないことに決めたらしい」

 

 

 それがあのシスコン誕生理由。

 それは余りに行き過ぎだろうと、ユーノは頬を引き攣らせた。

 

 

「その所為でティアナちゃんに、兄さんうざいと言われているあいつを見るのはちょっと胸が痛くてな」

 

「……ああ、から回っているんだ」

 

「確かにティアナちゃんが絡んだあいつはうざいが、……なぁ」

 

 

 もうちょっと報われても良いんじゃないか、とティーダを良く知るクロノは思う。

 

 本人は今の方が生き生きとしているから、多分幸せなのだろう。だが、もう少し、恵まれても罰は当たらないとも思うのだ。

 

 

「まぁ、人に歴史あり、って奴だな」

 

「……そうだね。ちょっと意外だった」

 

 

 言ってユーノは住宅街にともる灯りを見る。

 たった一軒の家庭でこれだけの歴史があったならば、この地に生きる人々にはどれほどの過去があるのだろうか、と。

 

 そんなユーノの視線に気付いたのか、クロノは己の決意を口にする。

 

 

「それを守るのが、僕ら管理局の役目だ。僕はそう自負している」

 

「これを、守る?」

 

 

 無数に灯る小さな輝き。日常に交わされる多くの刹那。

 そんな輝きを守り抜く、それは口で言うほど簡単なことではない。

 

 守るという言葉は、軽々しく口にして良い物ではない。

 

 軽い言葉は、言葉の意味自体を軽くする。

 覚悟や守ると言う言葉を容易く使って破る奴は、ただの未熟な恥知らずでしかない。

 

 だが、それでもクロノは使う。

 分かって口にする言葉は、意志を固めて己に誓う為にある。

 

 

「そう。このミッドに生きる人々を大天魔から守る。管理世界を平定し、今なお戦争が起こっているような世界を安定させる。そう誓うこと。成し遂げるという覚悟を持つこと。それこそが管理局員に必要とされる資質なんだって、僕は考えている」

 

 

 お前にその意志はあるか?

 安易に管理局に入ろうと考えている少年に、クロノはそう問い掛けていた。

 

 

「分からない。僕の手は、そんなに大きくはないから」

 

 

 ユーノの手は、たった一人を守るので精一杯だ。

 あのいけ好かない鬼を、殴り飛ばす手段としてしか考えていなかった。

 

 

 

 手を開いて空を見上げる。指先を大きく広げてみる。

 その手で無理に多くを掴もうとすれば、開いた指の隙間から零れ落ちてしまうとユーノは知っている。

 

 

「だが、一人で救う必要はないんだ」

 

 

 そんな彼の手に、クロノは己の手を重ねる。

 開いた指の隙間を埋めるように、彼らの掌は重なって――

 

 

「ほら、隙間は減っただろう?」

 

 

 隙間は、少しだけ小さくなった。

 二人で手を重ねれば、確かに救える量は増えるのだ。

 

 

「二人なら救える量が増える。もっと大勢、組織皆で協力すれば、ミッドチルダだって掴めるはずだ。僕はそう信じている」

 

 

 そう信じる事、信じられる事。

 それこそが管理局員だと誇るように、クロノは口にする。

 

 凄いな、とユーノは圧倒されていた。

 

 

「けど、何で僕にそんな事を? 管理局員を目指しているから、ってだけの理由じゃないっぽいけど」

 

 

 だが、同時に違和を感じる。それにしてはおかしい、と。

 そんな心得は、実際に局員になってから教えても十分間に合う事であろう。

 

 思えばおかしいのはクロノだけではなかった。そう、ユーノはようやく気付いた。

 

 

「そうだな。知っていてもらいたかったのだろう。僕らが戦う理由。その意志が消えてしまわないように」

 

 

 誰もが焦っていた。誰もが悲壮感を抱いていた。

 

 クイントが一月の間に、多くを教え込もうとした事。

 その姿には、何かに急がされている様な、そんな印象が浮かぶ。

 

 ティーダがティアナと話している際、その姿を目に焼き付けるかのようにしっかりと見詰めていたことが気になった。

 

 そしてクロノだ。彼のこの言葉。

 彼とティアナの約束には、どこか違和感が拭えない。

 

 

「管理局が渡航制限を行う理由は、管理世界中に散っている戦力をこのミッドチルダに集める為にある。大量の航行船が港に集まる以上、民間企業なんかが入って来るとそれだけでトラブルの火種になり兼ねないからな」

 

「クロノ?」

 

 

 今更ながらに、渡航制限の理由を口にするクロノ。

 その姿に疑問と嫌な予感を抱いて、ユーノは首を傾げた。

 

 

 

 そして、クロノは天を指差す。

 そこにあるのは双子月。その月は少しずつ近付いている。

 

 

「一月後、あの月が一つに重なる」

 

 

 双子月が、重なる。

 それが意味する事は、唯一つ。

 

 

「ミッドチルダ大結界が止まる。天魔が来るぞ!」

 

 

 ミッドチルダに、彼らが来る。

 その言葉は、何よりも重くユーノの心に響いた。

 

 

 

 

 

 




ティーダさんの性格が良く分からない。なので捏造。

優秀で妹思いの好青年が、妹の危機に気付けなかった。
なのに笑って許されたらシスコンが暴走するんじゃね、とかいうイメージ。

普通に妹思いが行き過ぎたお兄ちゃんにしようと思ったら、なんかドラマCDの水銀並の変態になっていた。解せぬ。


以下、オリ歪み解説。
【名称】存在重複
【使用者】クイント・ナカジマ
【効果】自身の強制力が及ぶ範囲内で、あらゆる要素を二倍にする歪み。
 体が二倍。力が二倍。足の速さが二倍。消費カロリーが二倍など、倍加する対象は多岐に渡る。自身を二人に増やして、傷を片方に押し付けて治癒するという荒業も可能となっている。
 反面、この歪みはもう一人自分が居れば良いのにという想いから生じた物である為、倍加の重ね掛けは非常に難しい。
 自分を増やせる数は倍の倍、四倍が限度で、他の要素は八倍が限界。さらに限界使用した直後は歪みが強制解除され、数秒程使用不能になるという欠点もある。



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なのは編第二話 傾城反魂香

戦神館技は似たような効果の別物。


副題 招待状だけじゃ入れないお家。
   チート下種野郎。
   救出者は大穴。



1.

「ここか、ここになのは達が」

 

 

 海鳴市を離れた地に聳え立つ洋館。歴史を感じさせる古い佇まい。

 だが決して埃塗れているという訳ではなく、寧ろその逆。名門男爵家に相応しい格式高さが、外観からも垣間見えた。

 

 その美しい在り様は、夜の王を自称する氷村遊の拠点というには、些かおどろおどろしさに欠けている。

 

 これぞ貴族院、辰宮男爵。その娘、辰宮百合香の代を最後に途絶え、以後彼女に心奪われた男達によって維持されていた邸宅だ。

 

 

「恭也」

 

 

 高町恭也と月村忍。そしてノエルとファリン。

 共にやって来た四人は、その洋館の前に足踏みをしていた。

 

 忍の手に握られた一通の手紙。彼らの家族が囚われている写真と、この場所の地図。そして忍達を誘き出す為の言葉と罵倒が記された物。

 

 呼び出しの脅迫文。でありながら、こちらの人員を指定していない。

 何人でも好きに連れて来いという余裕が透けて見え、彼女は其処に確かな脅威を感じていた。

 

 まず間違いなく、氷村遊はこの地に何かを仕掛けている。あの超越種を気取りながらも、人間を侮ってはいない男が何の確信もなく余裕を見せるとは思えない。

 

 あの男は、一度人間と同族の前に敗れた。故にこそ、人を侮る慢心を捨てている。

 ならばこの行動は、慢心ではなく余裕の表れ。其処に何かを秘めている事は、想像するに容易い道理だ。

 

 だが、それが如何なる物であるのか分からない。

 あると分かっているけれど、其処が読めない故に恐ろしい。

 

 

「考えても無駄だろう。まずは俺が切り込む」

 

「……ええ、そうね」

 

 

 急ぎこちらに向かっている父と妹。彼らに先んじてこの場に来た恭也は、まずはその罠を見抜く為に動くべきだと判断した。

 

 それに忍も同意する。如何なる罠があるとしても、ここで立ち止まる訳にはいかないから――

 

 

 

 バンと勢いよく扉を蹴り飛ばし、恭也は刀の柄に手をかけ突入する。

 一息の呼吸の内に奥まで踏み込んで、故に彼はソレに囚われた。

 

 

「……何だ、これは?」

 

 

 磨き上げた大理石の床。その中央に敷かれた赤い絨毯。趣味の良い調度品が、館の荘厳さを引き立てる。

 そんな美しい景観をぶち壊すかのように、桃色の煙が充満していた。

 

 呼吸と共に、恭也はその甘い香りを吸い込んでしまう。

 一瞬、眼下に映るは青髪の女の微笑み。幽玄艶美なその姿。

 

 女の耽美な笑みが、一瞬で切り替わる。嘲笑う男の姿へと。

 

 

「…………」

 

 

 ぼんやりとした思考で恭也は思う。

 

 果たして自分は何をしているのか、と。

 

 そう。至高の御方で在らせられる氷村様。その邸宅に泥を塗り、あまつさえその首を取ろうなどとは許されない。たかだか身内が害された程度でそんな思いを抱く、それは余りにも不敬であろう。

 

 その不敬の罪を償う為にも、己と同じことを考えた不遜な女の首を差し出そうと、腰に携えた小太刀を鞘より抜き放ち――

 

 

「くっ!?」

 

 

 素早く手を捻って、刃を自分の足に突き刺した。

 

 激痛と共に、一瞬その支配から解き放たれる。

 桃色の靄に霞んだ思考を振り払い、残る片足で後方へと跳躍する。

 

 この誘惑の香が、届かぬ場所まで。

 

 

「恭也!」

 

「扉に近付くな、忍! 近付けば質の悪い洗脳を受けるぞ!!」

 

 

 突然の行為に驚愕の声を上げる忍に、恭也は端的に言葉を返す。

 館中に満ちる桃色の煙は、人の心を搔き乱して狂わせる魔性の香り。

 

 

「この煙。麻薬? それも阿片とかと同じ、吸引するだけで影響される物!?」

 

「さあ、な。……だが、真面な物じゃないだろうさ」

 

 

 元の位置へと立ち戻り、推測を言葉にして交わす。

 荘厳なりし貴族の豪邸は、嘲笑う男の手によって、阿片窟へと変わっていた。

 

 

 

 傾城反魂香。

 それは特殊な秘術やオカルトに属する力、ではない。

 辰宮百合香という女が後世に残した秘薬。吸えば誰もを跪かせる麻薬である。

 

 かつて辰宮の家にはある迷信があった。

 子を為す際に先祖代々受け継がれた秘薬を持って行為を行う。そうすることでより優れた子を産み落とすことが出来るという考え方。

 

 実際に、何か意味があった訳ではない。

 代を重ねた貴族が、薬物を利用した情事に魅入られた。それだけの話だ。

 

 恥ずべき汚点。貴族に相応しくない行為。

 それを隠す為に、そして行為を正当化する為に作り上げた愚かな家訓に他ならない。

 

 だが、男爵家に生きる者達は信心深くそれを信じ、守り続けた。

 その家訓の生まれた理由を知らず、大正の世に時代が移ってもなお、信じていたのだ。

 

 そんな愚行の果てに、辰宮百合香という女は生まれた。

 行為の際に使われた秘薬。生まれた時から媚薬漬けだった女は、その体臭や吐く息さえ媚薬と同じ物となっていた。

 

 故に傾城。正に傾国。

 彼女はそこにあるだけで、あらゆる全てを狂わせる。

 

 そんな女と共にある者は皆、誰もが彼女に跪いた。

 

 同じ空間で呼吸をするだけで、皆虜となる。

 薬に溺れ、恋に溺れ、誰も彼もが盲信する。

 

 彼女はそれを犬と案山子と嘲笑った。

 

 己の思うようにしかならぬ現実を、己の思うようにはならぬ現実を、とても軽い物だと思い続けた。

 

 そんな思いを打ち崩してくれる男はおらず、そんな彼女を守り続ける男もおらず、ただ自身を盲信する己の形に閉じた者達に囲まれて、彼女は子も為さずに生を終えた。

 

 

 

 そんな彼女が残した物がある。

 それこそが秘薬。それこそが傾城反魂香。

 

 自身と同じ体質に他者を変えてしまう薬。己の虜となった男達に、自分の体や辰宮の秘薬を研究させてまで作らせた傾城反魂香。

 

 さて、そんな秘薬を、果たして彼女は何を思って生み出したのか。

 

 

 

 この秘薬を巡り、争いが起こった。

 誰もが辰宮百合香のように、他者を魅了する力を欲しがった。

 

 秘薬を手にした者は、誰もが恐れ使えなかった。

 辰宮百合香のように、己に閉じた者しかいない現実に取り残されることを恐れた。

 

 そんな中、これを手にした氷村遊は躊躇いもせずに飲み干した。

 家畜にしては良い物を作り上げた。そう笑って飲み干した。

 

 

 

 そして彼は魅了の毒と化した己の体液から香を作り上げると、その薬毒をもって辰宮邸を染め上げた。

 煙を逃がさないように、煙で充満するように、この邸宅を基本構造から作り変えた。

 

 故にこれは氷村遊の傾城反魂香。

 阿片窟と化した辰宮邸は、最早生物の踏み込めぬ地獄である。

 

 

「呼吸してはいけない以上、私達は入れないわね。ノエル! ファリン!」

 

「はっ」

 

「は、はいい」

 

 

 この地獄に踏み出せるのは、人では無い者達のみ。

 氷村遊と戦うことが出来るのは、エーアリヒカイト姉妹のみである。

 

 

 

 悔しそうに歯噛みする恭也の前で、不安に震える体を己の意志で抑える忍の前で、ノエルとファリンは辰宮邸へと踏み込んだ。

 

 

 

 

 

「まあ、そう考えるのが当然だ」

 

 

 外部を移す監視カメラのモニターにて、全てを眺めていた氷村遊は笑う。

 窓の傍に置かれた豪奢な椅子に腰かけて、頬杖を突きながら彼女らの奮闘を見下している。

 

 彼が腰掛ける椅子の周囲には、侍女服の乙女達。

 熱に浮かされた瞳で主を見るその姿。真実それは他者愛ではなく、閉じた理想を見る自己愛でしかない。

 

 氷村が欲しいと思った時に、血を差し出す為だけに生かされている。彼女達は所詮、家畜の群れ。

 

 離れた場所には子供達。その周囲を黒服の男とイレイン達に囲まれている。

 拘束こそされていないが、皆意識を失っている。うるさく目障りだったから、そんな理由で少女達は気絶させられた。

 

 そんな少女らに香の効果は見られない。それはこの部屋には香が焚かれていない為、そして氷村が意図的に距離を離している為だ。

 

 数人ほどの人間で実験した結果。彼はこの香が人に影響を与える詳細な条件を熟知している。ある程度離れておけば、一日二日では相手を染め上げることは出来ないと知っている。

 

 染め上げないのは、それではつまらないから。

 結果の見えた遊興だけでは、暇つぶしにもならないだろう。

 

 

「そう。結果は見えているんだよ。一族に手を出した家畜の男。そしてそんな男に股を開いた売女。一族の面汚し共め」

 

 

 氷村遊は暗躍していた。己に敵対する可能性のある全ての人間を調べ上げていたのだ。

 故に知っている。己の傾城反魂香に抗えるのは、エーアリヒカイト姉妹というたった二体の人形しかないと。

 

 

「安二郎は、アレはアレで良い働きをしたよ。お蔭で五十を超える人形を用意出来た」

 

 

 そして、彼女らだけでは突破は不可能だ。

 イレインを元にした量産型が五十と少し。この辰宮邸のいたる所に配されている。

 

 たった二体の、それも旧式の人形では突破など出来るはずもない。

 

 

「だが、それでは些かつまらない」

 

 

 結果の決まった道楽に、果たして何の愉悦があるか。

 精々どの様な表情を浮かべて壊れるか、酒の肴になる程度だ。

 

 故に――

 

 

「この子達で遊んで、無聊を慰めるとしよう」

 

 

 囚われた子供たち。その絆を踏み躙って暇を潰そう。

 氷村遊は、その赤い瞳で眠る少女達を見下ろし、嗤った。

 

 

 

 

 

2.

「あれ、ここは」

 

「やあ、やっと起きたかい、すずか?」

 

「っ!? 氷村、叔父さん」

 

 

 目を覚ました月村すずかは、目覚め直後のぼんやりした思考から、忌むべき親族の声を聞いた所で自分が置かれている状況を思い出す。

 

 捕らえられた。友達が傷付けられる光景を前に、意志を折られた。

 そんな状況を思い出して青褪めるすずかに、氷村遊は優しげな微笑みを向ける。

 

 

「君の身体は、大切な物だからね。思わず手を上げてしまったけれど、異常はなさそうで良かったよ」

 

 

 次々と少女達が目を覚まし、そして現状を理解して表情を変える。

 

 そんな少女達を眺める氷村は微笑みを浮かべている。

 だが、それが正の意味ではないことは、すずかにも良く分かった。

 

 目が笑っていない。見下している。

 張り付いた笑みには、温かさが欠落していた。

 

 

「しかし、すずかも一族としての意識があるようで大変結構」

 

「何を、言っているんですか?」

 

「その下等種のことだよ。態々身近に侍らせるんだ。非常食以外の意味などありはしないだろう?」

 

 

 そんな言葉は、気持ちが悪い。

 己の価値観を押し付けて来る男に、すずかは素直にそう思う。

 

 

「ああ、その点でも済まなかったね。折角の非常食を、僕が台無しにしてしまう所だった。非礼を詫びるよ」

 

 

 高みより見下す声に、謝罪の色などまるで見えない。

 彼は真実詫びているのではなく、すずかの嫌悪を隠せぬ表情を見下して嗤っているのだから。

 

 

 

 月村すずかは己の血を嫌っている。

 

 夜の一族。選ばれし者。人間の上位種。

 何だそれは下らない。人より長い寿命も、人より優れた身体能力も、整った容姿も、血を吸わねば生きられないという体質も、全てが疎ましいと思っている。

 

 血を吸わねば生きられぬ我が身。それは寄生生物と何が異なるのか。

 血に保障された美貌。そこに一体何の価値があるというのか。

 

 人より優れた身体能力の所為で、全力を出せたことなど数えるほどしかなく、いつも不完全燃焼。燻ぶった感情を胸に宿している。

 人間よりも長生きできる命なんて、友人達に置いて行かれてしまうだけではないか。

 

 そんな血を嫌っている。そんな血の所為で友人からも一歩引いてしまう。

 月村すずかにとって、夜の一族であることは、コンプレックスでしかない。

 

 そんな風に思考していると気付いているからこそ、氷村遊は歪に嗤う。

 

 

「その表情。どうやら家畜に情を移してしまったようだね。……いけないな。御飯事で遊ぶことを許されるのは子供の特権だが、それと現実を混ぜてはいけない」

 

 

 月村すずかは、次代の為の胎盤だ。故にこそ其処に価値が生まれている。其処にしか、彼は価値を認めていない。

 

 家畜の穢れた種を受けた忍とさくらは論外。残る一族の中で、数少ない純血種の少女。故にこそ、月村すずかだけは残しておく必要がある。

 

 だが、それだけだ。

 

 

「それは家畜だ。それは人間と言う名の劣等種だ。僕ら夜の一族にとって、餌でしかない」

 

 

 必要なのは、胎盤だけ。子宮とそれに付随する機能。極論、胴体と頭部だけ残っていればそれで良い。

 

 手足なんて必要ないし、それ以上に心も感情も不要である。

 だからこそ一時の楽しみを優先して、彼女の心を圧し折らんとしているのだ。

 

 

「それを理解するんだ。すずか。……君では、家畜の友人にはなれないよ」

 

「っ!」

 

 

 それは、心のどこかで思っていた事。

 人間と違う生き物が、どうして友になれると言うのか。

 

 それを明かせぬ月村すずかは、氷村遊の笑みに震えた。

 

 

「……さっきから、あんた何なん? 下等種とか、家畜とか、夜の一族とか、訳の分からんことばっかりや」

 

 

 車椅子を失い、殴られ続けた結果、身動きすらまともに出来ない八神はやて。

 頬を腫らした少女が疑問を零すが、返る視線は冷たい物。子供の疑問に答える程度の器すら、外道の内には存在しない。

 

 

「発言を許した覚えはないぞ、下等種」

 

 

 彼の声に従い、周囲を囲んでいた男達がはやてに迫る。

 

 思わず、ひっと怯える声を漏らす少女。

 彼らに暴行を振るわれたことが、幼い少女には傷として残っていた。

 

 

「や、やめなさいよ!」

 

 

 金髪の勝気な少女は、怯えながらも割って入る。

 男達に囲まれ、頭を屈めて震えるはやてを抱きしめ、守るようにその背を見せる。

 

 そんな震える二人の姿に溜飲を下げて、氷村は笑みを浮かべて口にした。

 

 

「……しかし下等種相手とは言え説明は必要かな? すずかはまだ自分の素性を話していないようだしね」

 

「あ、やめ」

 

 

 流す視線ですずかを見詰めて、さあ壊してやろうと笑みを歪める。

 少女が隠し続けていた秘密を暴いて、その絆を踏み躙る為に言葉を語る。

 

 

「僕らは夜の一族。お前達の頂点に立つべき超越種。解り易く言えば、吸血鬼という奴だよ」

 

 

 止めようとした少女の抵抗も虚しく、その事実は明かされる。

 すずかの素性が明かされる。そんな言葉が、皆の前で確かに語られた。

 

 

「……な、何を言って?」

 

 

 そんな荒唐無稽な言葉に、アリサは疑問を口にする。

 

 恐れるように震えるすずかの姿に、それが偽りではないと分かってなお、吸血鬼などという生き物への実感は湧かない。

 

 それは架空の生き物だろう。御伽噺の化け物だろう。

 現実にある筈がないと言う。そんな当たり前の反応を前に。

 

 

「そうだね。口で言っても分からないだろうし、実演を見せてあげよう」

 

 

 氷村遊は、微笑みを浮かべてそう告げた。

 

 男が軽く合図をすると、選ばれた女は歓喜を浮かべる。

 手招きされた侍女の一人が、陶酔した表情を浮かべて彼に縋りついた。

 

 絡み付く肉体は、煽情的な物。熱に浮かされた表情で抱き着く女を抱き返して、氷村遊はその鋭い牙が並んだ口を大きく開いた。

 

 噛みつき、そして血を吸う。

 それは悍ましくも、官能に満ちた光景。

 

 ごくり、ごくりと吸われる度に、女はやせ細っていく。

 艶やかでありながら清らかな乙女の肌は、その瑞々しさを失っていく。

 

 肉は削ぎ落ち、皮と骨だけになっても吸血は終わらない。

 喘ぐ声が断末魔の悲鳴と変わって、それでも捕食は止まらない。

 

 枯れ果てた木乃伊の骨を噛み砕く、女の髪と皮を貪り喰らう。

 その姿は吸血鬼と語る事すら憚れる程に、余りに悍ましい化生の物。

 

 

「ふう。やはり食事は生娘に限るね。他の物とは味が違う」

 

 

 食事を終えた氷室は、微笑みながら椅子に背を預ける。

 そんな彼の保存食たちは、陶酔した表情で彼の口元を拭っている。

 

 床に落ちたのは、全てを吸い尽くされた女の服。

 同じ末路が待っているのに、仕える女達は表情を一切変えていない。

 

 何故なら、彼女達は己に閉じているから。

 自己しか見えていない女にとって、それは幸福以外の何物でもない。

 

 悍ましかった。

 それが何よりも、恐ろしいと感じていた。

 

 怯えた表情で、あるいは嘔吐を堪えるような表情で、少女達は氷村を見る。

 そんな彼女らの視線に、男は悠然とした笑みを浮かべて、揺るがない。

 

 

「そう。これが吸血鬼。僕達、夜の一族だ」

 

 

 お前達の横にいる月村すずかも同じ物だぞ、と氷村は告げた。

 

 誰が信じる物かと言えるだろうか、誰がその言葉を否定するだろうか。

 

 黙り込んでしまった少女こそが、何よりその言葉を肯定している。

 ごくりと唾を飲み干して、その滴る血が美味しそうだと思ってしまった少女は、他の誰よりも感性がかけ離れていた。

 

 その羨ましそうに男を見た姿を、友人達に見られてしまう。

 相容れぬ感性を持つ事に気付かれて、向けられるのは恐怖の視線。

 

 

「化け、物……」

 

「っ!?」

 

 

 言葉が漏れる。その視線の主ははやて。

 幼く傷付いた少女は、その目をすずかと氷村。その双方へと向けている。

 

 彼女を抱きしめる金髪の少女も震えている。

 あっさりと奪われた命に、目の前で起きた異常に普段の勝気を見せることも出来ていない。

 

 

「あ、あ……。私」

 

「そうだよ。すずか。僕達は化け物だ。そういう目で見られることを誇るんだよ」

 

 

 教え諭す男は笑みを浮かべて、拒絶された少女を見る。

 

 人間の少女達がすずかに対しどれだけ好意を抱いていようと、極限状態でそれを示せる子供などはそうはいない。

 

 こうなることは氷村の予想通り。

 今日が初対面という少女も居たお蔭で、随分と上手く進んでくれた。

 

 なら後一押し。決定的な拒絶の言葉を少女達に言わせれば良い。

 追い詰められた月村すずかは、少し背を押してやればそれだけで良い。

 

 きっと彼女自身の意志で、友を吸い殺そうとしてくれるだろう。

 

 そうすれば最後、彼女は下等種を同格と見ることは二度となくなる。誉ある新たな一族の誕生だ。

 

 

「違うよ」

 

 

 歓喜してその瞬間を待つ氷村に、冷や水が掛けられた。

 

 

「すずかちゃんは、貴方とは違う」

 

「何?」

 

 

 彼女の存在こそが予想外。人死に慣れていない少女達だからこそ、こうして場の雰囲気に流されるのだ。

 

 ならば必然。幾度となく死を間近に見て、そしてこれ以上の鉄火場を乗り越えてきた少女が居れば、その目論見は砕け散る。

 

 

「すずかちゃんは私の友達だもん! 生まれも種族の違いも関係ない! 私達の絆だけはそんな物では崩れないって信じている!!」

 

 

――四人揃って、何があろうとそれだけは変わらない、って信じている。

 

 

 かつて聞いたその言葉。それは負い目を隠していた月村すずかの、偽らざる本音だと理解している。ならばきっと、この男と月村すずかは絶対に違うモノ。

 

 だから――

 

 

「私はすずかちゃんの友達だ! すずかちゃんがどう見ていたって、それだけは、変わらないんだから!!」

 

「なのは、ちゃん」

 

 

 高町なのはの宣言に、場の誰もが心を動かされる。

 

 涙に滲んだ瞳でなのはを見詰めるすずかの姿。

 その姿に、ああそうねと勝気な少女も立ち上がる。

 

 

「全く、そんなことを忘れてるなんて、私らしくもない」

 

 

 怯えから震えて、友達を怖がる?

 そんなのはアリサ・バニングスには相応しくない。

 

 

(全く、いつもぽやぽやしている癖に、本当に大切な場所だけは見誤らないんだから)

 

 

 何処か笑う様に、己の親友を心の内で称える。

 感じた想いを確かにして、彼女も此処に宣言する。

 

 

「そうよ。すずかは私の親友! 紛れもない親友なんだから! 胡散臭い言葉で割って入んな、糞野郎!!」

 

「アリサ、ちゃん」

 

 

 そう二人の熱に当てられる。

 一人の少女の思いも、此処に変わる。

 

 

「……私は、まだ怖い」

 

 

 怖い。怖い。怖い。

 恐ろしいと言う感情は染み付いて、悍ましいと想ってしまう。

 

 今日会ったばかりの相手が血を吸う怪物だと知って、それを受け入れられる程に彼女を知っていないから、もしかしたらと思ってしまう。

 

 

「けどな、ずっと一緒におるなのはちゃんやアリサちゃんがこう言うんや。なら、すずかちゃんはそうなんよ」

 

 

 だけど、自分がそう感じてしまうのは、知らないから。

 それが分かって、だから知っている人達が彼女を受け入れた。それこそ一つの指針となるのだ。

 

 

「私も信じる。すずかちゃんを信じとる、なのはちゃんやアリサちゃんを信じる。二人に信じられとるすずかちゃん自身を信じるんや!」

 

「はやてちゃん」

 

 

 少女達の想いに、すずかは感涙する。

 ああ、ああ、自分は受け入れられているのだ、と。

 

 怪物でしかない。化外にしかなれない。

 そんな血を吸う化け物でも、こうして居場所はあるのだと。

 

 

 

 そんな少女達の姿を見下ろして――

 

 

「詰まらないな」

 

 

 舌打ちと共に、氷村は吐き捨てた。

 

 

「僕はそんなメロドラマが見たい訳ではないんだよ。……もっとドロドロした争いを演出して欲しいね」

 

 

 この冷血なる男には、そんな少女達の想いすら三文芝居にしか見えない。

 故に、その赤い瞳がより鮮やかに輝き、そんな光景を崩さんと力を見せた。

 

 

「あ、駄目! あの人を見ないで!?」

 

 

 月村すずかは悲鳴を上げる。その瞳の意味を知っている。

 その赤き瞳は、夜の一族の純血種が持つ力。氷村遊の持つ魅了の魔眼。

 

 

「え? あ」

 

 

 その瞳が射抜くのはアリサ・バニングスという少女。

 金髪の少女は、赤い瞳に魅られた瞬間、体の制御が奪われたことを理解した。

 

 

「傾城反魂香では威力を調節出来ないからね。魅了の魔眼を使わせてもらったよ。……意識を奪わないように、口だけは動くようにしてあるんだけど、気分はどうだい?」

 

「な、何よ、これ!?」

 

「言っただろう? 魅了の魔眼だと。こっちは反魂香ほどに強くはないが、色々と調節出来るのが強みでね」

 

 

 強い意思があれば打ち破れる程度。目を合わせなければ使えない程度の力。

 嘗ては鷹城唯子に破られて、余りの馬鹿馬鹿しさ故に、致命的な隙となった物。

 

 だが、それでもある程度の役には立つ。

 あれとて、相原真一郎と言う予想外の要素があればこそ成立した事。

 

 幼い少女の意思だけでは、どれほど強く思った所で抜け出すことなど出来はしない。

 

 

「さあ、愁嘆場を続けよう。題して友の裏切り。金の少女は二人の友を嬲り殺し、その後に己が所業を悔やんで自決する。ああ、面白いとは思わないかい?」

 

「あ、逃げ!」

 

「アリサちゃん! はやてちゃん!!」

 

 

 小さな手で、今まで守っていた少女の首を絞め始めるアリサ。

 呼吸を止められ、足が動かぬ為に抵抗すら出来ないはやて。

 

 そんな二人を必死に止めようと、すずかはアリサに縋り付く。

 だが魔眼によって脳のリミッターを無理矢理外された少女は、夜の一族の膂力を持ってしても止めることが出来ない。

 

 そして、そのまま訪れるべき結末へと――

 

 

「レストリクトロック」

 

 

 辿り着く事など、あり得ない。

 

 桜色の輪が、少女の動きを捕え破局を退けた。

 氷村遊の企みは、またも太陽の少女に打ち破られる。

 

 

「なのは、ちゃん?」

 

 

 白き衣を纏った姿に、誰もが目を見開いた。

 

 何故、と。それは何、と。

 桜色の輝きに包まれる少女を、誰もが驚愕の視線で見詰めていた。

 

 

「私、魔法少女だから!」

 

 

 そんな軽い返しをなのはがする。

 胸中で湧き上がる嫌な予感を押し込みながら、なのはは氷村遊を見上げた。

 

 まだ、勝機は見つからない。決定的な隙を見つけた訳ではない。

 それでも、もう黙ってはいられない。そんな衝動で、確かに立ち上がった魔法少女。

 

 

「何だそれ? 見たことがないぞ!?」

 

 

 そんな少女が見上げる黒い太陽は、歓喜の笑みを浮かべていた。

 

 

「霊力や妖力とも違う力。何だそれは、知らないぞ! なあおい、下等種。それは何だ!?」

 

 

 氷村は真実、喜んでいる。少女の見せた未知なる力に。

 摩訶不思議な力の波動に、力を求める男は焦がれている。

 

 

「さあ、僕にもっとそれを見せてみろ!!」

 

 

 彼はかつて相川真一郎らに敗れた。

 故に彼らを認めたのか? 否。否である。

 

 だが事実として彼は敗れた。

 ならばそこには理由があったのだろう。

 

 あの日の敗北理由は、真一郎と唯子の二人が見せた痴話喧嘩。

 それに隙を見せた瞬間に、異母兄妹であった綺堂さくらに殴り倒されたと言う無様に過ぎる結末だ。

 

 殴り飛ばされて、支配能力を解除させられる。

 結果として操る下等種に反旗を翻され、捨て台詞と共に逃げ出すと言う無様。

 

 そんな結果を認められなかった氷村遊は、故に己の記憶を書き換えた。

 現実から逃避して、都合の良い理由を勝手に妄想する。そんな小物がこの男である。

 

 倒されたのは、彼らには己に勝る部分があったから。だが頑なに自身が劣等種に劣るとは思わない氷村は、彼ら自身ではなく彼らの用いた技術にこそ自身を上回る秘密が隠されていると妄想した。

 

 故に蒐集を始める。優れた技術。連綿と受け継がれる力。

 それらはこの僕の為にある物だろうと、それらがあれば、もうあんな無様には至らないと。

 

 その輝きをよこせ。

 その力を振るって良いのは僕だけだ。

 

 羊の毛を刈りコートにするように。

 牛の乳を搾り料理の材料にするように。

 

 人の生み出した技術を、その飼い主が貰い受けるは当然の権利。

 

 だから見せろ。

 だからもっと教えろ。

 

 そんな氷村の言葉に対し――

 

 

「べー!」

 

 

 なのははあっかんべして背を向けた。

 

 氷村の前に侍るイレイン達を、友達を守りながら倒せるとは思わない。

 同時に黒い太陽の如き気配を放つ氷村に、真っ向から勝てるとも思っていない。

 

 だけど、あんな男の思い通りには動きたくないから――

 

 

「ディバインシューターッ!」

 

 

 非殺傷の魔法で周囲の男達を吹き飛ばし、友達の手を取り扉へ向かう。

 

 

「すずかちゃん!」

 

「うん。はやてちゃんは任せて!」

 

 

 魔法で拘束したアリサの手を引き走るなのは。

 はやてを背負い彼女に続くすずか。彼女達が目指すのは、この場からの脱出だ。

 

 

「ディバインバスター!」

 

 

 殺傷設定の魔法が扉を破壊する。

 その光景に、そんなことも出来るのかと氷村は関心した表情を浮かべている。

 

 其処に、逃げられると言う焦燥感は欠片もない。

 そもそも、逃げる事など不可能だと知っているから、氷村遊は動かない。

 

 

「あ、れ……?」

 

 

 扉を壊すと同時に入り込んで来た桃色の香を、なのはは吸い込んでしまった。

 膝が動かなくなって崩れ落ち、少女達は何も出来ずに此処に倒れる。

 

 この邸宅は氷村達の居た一室を除いて、全て傾城反魂香で満たされている。人が立ち入ることが出来ない、阿片窟へと変わっていたのだ。

 

 なのはが逃亡を望むのなら、扉ではなく氷村の背にある窓を目指さなくてはいけなかった。死中にこそ活はあった。死中にしか活はなかったのだ。

 

 

「気軽に吸えよ。己の形に閉じると良い。そして僕の名を称え続けるんだ」

 

 

 そう悪意に満ちた笑みで氷村は語る。

 崩れ落ちた少女達を見下しながら、椅子に腰掛け嗤っている。

 

 

「それだけが、僕がお前達家畜に許す、唯一つの行いなのだから」

 

 

 傾城反魂香は超えられない。魅了の毒は崩せない。

 敵意を示す事も出来ずに、彼女の戦いは敗北と言う結果に終わるのだ。

 

 

「私、は……」

 

 

 何かしなくてはいけないのに、何をすべきかも思い出せない。

 桃色の香を吸い込んだなのはは、その歪みによって高められた魂故にこの猛毒に耐えているが、それでもそう長くは持たないだろう。

 

 

「さあ、お前たち。その下等種を捕えろ」

 

 

 身動き取れず倒れそうになっている少女達。

 彼女らを捕縛するように、氷村は男達に指示を出す。

 

 黒服の男の手が延びる。

 その腕がなのは達を捕えようとしている。

 

 

「すずかの手足は切り落としておけ。他の下等種は、そうだな。その変異種以外は要らないから、好きに壊して良いぞ」

 

 

 さあ、捕えたらまずどうするべきか。

 あの桜色の輝きは気にかかる。体を開いて中を見れば分かるだろうか?

 いや、折角の貴重な素体だ。適当に下等種同士を番わせて、数を増やしてから捌くべきか。

 

 取らぬ狸で皮算用をするかのように、氷村はその使い道を考えて――突如入って来た影が、男達を叩きのめした。

 

 

 

 その女の姿に、絶句する。

 何故、お前がと氷村遊は目を見開いて。

 

 

「あれー。体が勝手に動きますぅぅぅ!?」

 

「……ファリン・綺堂・エーアリヒカイトだと!?」

 

 

 機械の乙女が、其処に居た。

 

 

 

 

 

3.

 誰もがそれを意識していなかった。

 その情報を知っていても、大した障害にはならぬと氷村遊は考えていた。

 

 ファリン・綺堂・エーアリヒカイト。

 

 月村すずかの侍女であるその自動人形は、自動人形と呼ぶのがお粗末になるほど出来が悪い物だった。

 

 電子の頭脳と記憶回路を持つのに、何故か物事を忘却する。

 姿勢制御のバランサーが組み込まれているはずなのに、いつも転んでばかりいる。

 

 故に氷村はファリンを出来損ないと判断した。

 所詮廃品をリサイクルした物。中枢に致命的な破損が残っていたのだろう。

 

 使えぬ塵。役に立たない屑である。

 見るべき場所すらない、屑鉄の塊でしかない。

 

 それがファリン・綺堂・エーアリヒカイトだと。

 

 

「あわわわわ!? 身体が止まりませぇぇぇん!!」

 

 

 だがそれが、何故ここにいる?

 あんな塵が、何故ここまで来れるのだ?

 

 この屋敷には無数のイレインが控えていて、こんな出来損ないがここまで来れるはずはない。

 

 事実。ノエル・綺堂・エーアリヒカイトは未だ一階付近で戦闘を続けている。

 既に片手を捥がれ、自身に倍するイレインを同時に相手取り追い詰められている。

 

 だというのに、ノエルに劣るファリンだけが何故、ここにいるのか。

 

 二手に分かれ、偶然敵がいない道を来た?

 否、この館にそんな都合の良いルートは存在しない。

 優れた知能を持つ氷村自身が作り上げた防衛拠点だ。そこに欠落などあるはずもない。

 

 ならば、可能性は唯一つ。

 

 

「突破したというのか? 欠陥品がイレイン達の守りを?」

 

 

 男達を殴り飛ばして少女達を解放したファリンは、その内の一人の前に跪く。

 

 

「これを使え、少しは楽になるぞ。――って今度は口が勝手に動きましたー!?」

 

 

 ファリンが手にした酸素ボンベを差し出す。

 傾城反魂香が呼吸することで効果を発揮するなら、酸素を吸わせて薄めることは出来る筈だ。そういう思考で、彼女はそれを持たされた。

 

 忍が万が一の為に用意していた物の中に、酸素ボンベがあったのは偶然だ。

 だがそれが役に立つ。要救助者の人数分はないが、一つずつ機械人形達に持たせたのだ。

 

 それをファリンは、月村すずかではない少女に用いる。

 

 否、その女はファリンではない。

 

 

「あ」

 

「案ずるな。月村すずかや他の小娘に興味はないが、お前だけは私が守ってやる。――だ、駄目ですよぉぉ! すずかお嬢様に何かあったら私が怒られて――ああ、もう煩いんだよファリン! お前は黙って私に任せていろ!!」

 

 

 意識が戻って来る中で、なのははその声の正体に気付いた。

 

 忘れないと誓った。覚えていると約束したのだ。

 だから彼女の事を、高町なのはは確かに覚えている。

 

 

「イレイン、さん」

 

「ああ」

 

 

 くしゃりと少女の髪を撫でて、イレインはその前に立ち上がる。

 

 やれ、という男の指示に従い、襲い来るかつての同型機。

 その無数の腕から放たれる刃。絶殺を告げるその凶刃を前に、しかし女は怯むこともなく。

 

 振るわれた刃を躱し、その腕を掴む。掴んだイレインを盾にし、続くイレインの刃を防ぐ。関節を抑え、力尽くで腕を捥ぎ取ると、奪った刃を後に続いたイレインの頭部に突き刺して破壊した。

 

 

「さぁて、これで残るは三体だ。後がないな、元雇い主」

 

 

 壊れた人形の上に立ち、女は確かに笑みを浮かべる。

 戦闘人形イレインは、唯一人の為に此処に居た。

 

 

「……人形風情が、良く吠える」

 

「そうだな。だが、その人形風情にお前は負けるんだよ」

 

 

 氷村遊は彼女の逆鱗に触れた。

 

 その少女だけは覚えていると言ったのだ。

 覚えていてくれるのは、その少女だけなのだ。

 

 ならばここで、その少女をこんな下らない男にくれてやる訳にはいかない。

 

 

「お前はここで死ね、氷村遊!」

 

「思い上がったな! 出来損ないがぁっ!!」

 

 

 夜の王を前に、機械の乙女は立ち塞がる。

 守るべき少女を背に、己の意志を貫くために――

 

 

 

 

 

 

 




この世界のお嬢は、鳴滝にもくらなくんにも狩摩にも会えなかったハードルート。
彼女が何故、傾城反魂香を作らせたのか、それは作者にも分かりません。


ちなみにこの氷村さん。凄い盛られてます。
具体的にはその性能を知ったベイ中尉が「そうだよ、吸血鬼ってそういうもんだよ!」と物凄い喜ぶレベルの魔改造が施されております。小悪党の屑野郎だけど。



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ユーノ編第二話 撃剣の神楽舞

半オリキャラ登場。天魔襲来は次のユーノ編です。


副題 素性を隠す気がない御門さん。
   天魔戦一月前にこれやるとか、管理局大丈夫?
   最後に名前だけちょっと出すスタイル。



1.

――掛けまくも安からず憂へある民草の大前にて白さく

 

 

 晴天の元、鈴を転がすような声が場に満ちる。

 

 

――当世、化外有りて月日佐麻弥く病臥せり

 

 

 ミッドチルダ中央部。DSAAによって開催されるストライクアーツの世界大会。

 その会場として使われる競技場には今、万を超える人が集い大盛況を博していた。

 

 

――故是を以て益荒男に事議りて難聴

 

 

 まだかまだかと熱を上げる人の群れ。彼らが観客席や場外モニターより見る試合場は、ストライクアーツを行う際の状況とは些か趣を異にしていた。

 

 

――斎き奉りて蒼生に安寝を恵み給う

 

 

 高性能なシミュレーター装置によって展開される建築物。試合を単調な物にしない為にある特殊な地形が存在していない。

 

 あるのは唯、中央に位置する縦横1㎞ほどの四角い石のみである。

 小細工など許さぬ。己が自力のみを見せよと言わんばかりに。

 

 

――恩頼を乞い祈奉らむとして今日の吉日吉事こそば

 

 

 その中央。祝辞を口にするは絹の様に美しい黒髪の女。

 紅白の衣装に身を包んだ凛としたかんばせの妙齢な美女が、ミッドチルダの民には聞き慣れぬ言葉で祝詩を紡ぐ。

 

 

――礼代の幣を捧げ持ちて恐み恐み称辞竟え奉らしむなり

 

 

 名を御門顕明。

 管理局。聖王教会に並ぶミッドチルダ三大組織。御門一門の長である。

 

 この場に似合わぬ大物。

 本来、軽々しく人前に出るような人物ではない。

 

 

――掛けまくも畏きかみ此の状を平らけく聞こえし召して御国が悩む病を速やかに直し給い癒し給い

 

 

 いや、この場に集いし管理世界の重鎮は、彼女だけにあらず。

 

 貴賓席に座り並ぶは管理局を代表する三提督。そして聖王教会の教皇猊下。

 管理世界の代表者達が、こぞって見に来る行事こそ、これよりこの地で行われる神事。

 

 其は撃剣の神楽舞。

 

 

――堅盤に常盤に命長く、夜守日守に守り給い幸い給えど、畏み畏み申す

 

 

 謡え謡え斬神の神楽。

 選ばれし兵。その数は八。

 

 陸より二。海より二。空より二。

 聖王教会と御門一門の代表が一人ずつ。

 

 合わせて八名。己が武威をもって、最強を証明せよ。

 

 さあ安らかであれ管理世界に住まう人々。我らはこれほどの武を持っている。

 

 八柱の大天魔。何を恐れる、恐れるに足らず。

 それを民に示す為に、天魔襲来を目前に控えた時期に行われる大一番。

 

 この神楽舞に制限などはない。

 殺傷設定や非殺傷設定の義務すらない。

 

 如何なる術を持ってしても敵を気絶させるか降伏させるか、あるいは石作りの土俵より弾き出した方の勝利となるルールがあるだけだ。

 

 故に土俵の上空なら飛行も許され、歪みの使用すら許可される。これは最早、実戦と何が変わるであろうか。

 

 

「東方、前へ!」

 

 

 主審を兼任する御門当主は、その涼やかな声音で代表選手を呼ぶ。

 

 

「東方、ティーダ・ランスター! 首都防衛隊所属。管理局空代表!」

 

 

 名を呼ばれたティーダは、石舞台を前に一礼すると石作の階段を上り舞台に上がった。青年の瞳が見詰める先にあるは、一人の少年の姿。

 

 

「西方、前へ!」

 

 

 今日。この日を前に気が逸らぬミッドチルダの民はいない。

 

 この日、この時、管理世界最強が決定するのだ。

 その瞬間が見られる。血飛沫が飛ぶ場合もあるが、大抵の者は皆非殺傷設定で戦う。

 

 故に戦いに対する抵抗感も薄く、この撃剣の神楽舞は彼らにとって最高の娯楽と成り得る。

 

 

 

 ユーノ・スクライアも、この大会が開催されると知って胸を躍らせた一人である。

 師であるクイント・ナカジマも陸の代表選手として参戦すると聞いて更に期待は膨れ上がった。

 ティアナと共に観客席からその光景を見守り、活躍を目に焼き付けておこうと考えていた。見ることもまた修行である、と。

 

 

 

 当代最強を自負する者達。

 

 陸戦魔導士は如何なる体技を見せるのか。

 

 空戦魔導士は空と言うアドバンテージを如何に生かすのか。

 

 海に属する魔導士達は自身が不得手とする限られた空間内で、然しその豊富な戦闘経験が彼らを確かに生かすであろう。

 

 いいや、古代ベルカの秘技を残す聖王教会こそが頂点である。

 

 彼らは確かに強かろうが、御門の奇妙奇天烈な秘術とて侮れんぞ。

 

 口々にされるは戦の前評判。神楽舞に向かう多くの期待。

 その言葉を聞く度にワクワクする思いを抑えられず、さあどうなるかと期待していたのだ。

 

 そう。観客席より見守ることを期待していたのだ。

 

 

「西方、ユーノ・スクライア! 無所属。御門一門代表!」

 

 

 名を呼ばれ、ごくりと唾を飲む。観客席の誰もが彼の素性に訝しげな表情を浮かべる中で、他ならぬ彼こそが現状に違和感を覚えている。

 

 

(どうしてこうなった)

 

 

 これより行われる第一試合。

 何故か出場者にされてしまった最強の自負などありはしない少年は、遠い目をして前日の出来事を思い出していた。

 

 

 

 

 

2.

「『御門一門の秘術』載ってない。『天魔大戦の真実』へー、古代ベルカ時代以前から大天魔は出現してたんだ、って違う違う。『夜天の魔導書』何だ、これ? んー。やっぱり違うかな? 『ミッドチルダ大結界に関する考察』うん。これだ」

 

「……凄いなお前。もう見つけたのか」

 

 

 ティーダと共にティアナへのプレゼント探しを行った翌日。

 管理局“地上”本局にある無限書庫。そこで調べ物をしていたユーノに、責任者として同行していたクロノは驚きの声を上げていた。

 

 管理局の蔵書が眠る書庫。

 幾つもの管理世界の情報が蓄積された巨大データベース。

 

 と言えば聞こえは良いが、実態はそれほど有意義な物ではない。

 

 局員達が集めた情報。各管理世界から押収した書物。

 それらを分類分けもせずに得る端から押し込んでいった物置。

 

 それこそが、この無間書庫を表すに相応しい言葉であろう。

 

 一応本棚の中に収められてはいるが、データ化されていない文章を把握している者はおらず、どころか必要な情報が記された書物がどこにあるのか分かる者すらいない現状。

 

 清掃業務に携わる者のお蔭で埃被ってこそいないが、明確に役に立ったこともない無用の長物。

 

 それこそがこの無限書庫であった。

 

 故にその見学を望んだユーノに許可が下りたのだ。

 機密情報を取り扱うべき場所に部外者を立ち入れるなど、防衛という観点で見れば本来は論外な行為があっさりと許された訳である。

 

 

 

 ミッドチルダ大結界について調べたいことがある、と無限書庫の使用を希望したユーノに、クロノは時間の無駄だと返した。

 それでも見てみたいと言う彼に、渡航制限に巻き込んでしまった負い目のあるクロノは不承不承ながらも了承した。

 

 そんな彼の眼の前で起きた信じ難い行為。

 探索魔法を使用しての蔵書探しに、マルチタスクで速読魔法を使用して書物内容を瞬時に確認していくユーノ。

 

 探索魔法をここで用いるなど、クロノは考えたこともなかった。

 速読魔法をこれほどに使いこなす人物を、クロノは初めて目にしていた。

 

 

「たった三十分で二百冊を読破、か。ユーノ、お前司書になる気はないか?」

 

「……何言ってるのさ、僕はもう後方担当なんて御免だね。それに、こんなのやり方さえ覚えれば誰だって出来るよ」

 

「む、そう単純な物でもないと思うんだが。いや、しかし惜しいな。お前がここで働いてくれれば、無用な長物と化している無限書庫が日の目を見そうなんだが」

 

 

 お前、戦士より司書の方が才能あるだろ、と口にするクロノ。

 そんな彼に対し「馬鹿にしてるのか」と返したユーノは、展開していた魔法を一時解除するとゆっくりと地面に降り立った。

 

 流石に疲れたのか、体を軽く伸ばすと自身が調べ上げた内容を口にする。

 

 

「やっぱり重要な情報はここにないね。分かるのはミッドチルダ大結界が地脈や月の運行に左右されているっていうことと、何か基点のような物が存在していることくらいかな。うん。それが御門一門にとっても最重要な代物である、ってことも分かったか」

 

「……しかし何でまた、ミッドチルダ大結界を調べ出しているんだ?」

 

「いや、大したことじゃないよ。ただ、あの大天魔達が入れない結界って、一体何なんだろうって思ってさ」

 

 クロノの当然の疑問に、ユーノは軽く答えを返す。

 

 彼の脳裏に浮かぶのは両面の鬼の姿だ。

 

 あの封時結界をあっさりと塗り潰した怪物。あれと同質同種の怪物が後六柱も存在している。

 それだけの怪物達を同時に敵に回せば、管理局は滅んでいてもおかしくはない。

 

 否、今こうして形があることの方がおかしいのだ。滅びる事こそ、本来辿るべき結末であろう。

 

 それが、何故か残っている。紙一重であろうとも、辛うじて均衡を維持している。

 天魔一柱をも討てぬ管理局を延命させている物こそが、ミッドチルダ大結界に他ならない。

 

 あの怪物と同種の夜都賀波岐が、打ち破れず手を拱くしかない大結界。それは一体如何なる物であると言うのか。

 

 

「もし、その基点が何なのか分かれば、もしかしたら」

 

「天魔を討つ力を得ることにも繋がるかもしれない、か」

 

「そういうこと。……けどやっぱり駄目だね。僕と同じ事を考えない人間はいないだろうって思ってここを当たってみたけど。その基点の正体に辿り着いた人はいないみたいだ」

 

「知るは御門の当主のみ、か」

 

「うーん。多分これだけ大規模な秘密だから、管理局の上の人達は知っているはずだと思うけど」

 

「……それで何もしていないなら、攻勢に使えるような物ではないんじゃないのか?」

 

「かもね」

 

 

 二人の少年は揃って溜息を吐く。

 

 

「けどまあ、実態を知らずに諦めるのは少し早いだろ」

 

「そうだね。……御門の偉い人。この本を書いた顕明さんとか会えると良いんだけど」

 

「いや、御門顕明は無理だな。あの方は、管理局や聖王教会と双璧を為す御門一門のトップだからな」

 

「そうなのかい? この本自体随分古い物だから、その人がトップだとすると結構な御歳の方になるよね」

 

「……襲名制か何かじゃないか? 管理局と設立はほぼ同時期だし、初代御門のままだと百歳以上になってしまうからな。……前に見た感じ、結構若い人だったし」

 

「そうなのか?」

 

「遠目だから断言出来んが、家の母さんと同じくらい若く見える美しい方だったぞ」

 

「へー、会ってみたいかも」

 

「おや、少年達。私がどうかしたかな?」

 

『のあっ!?』

 

 

 突如背後に現れた黒髪の麗人。

 その姿に驚かされてユーノとクロノは変な声を上げてしまう。

 

 そんな少年達の様をカラカラと笑い見て、女性は己の素性を明かした。

 

 

「いや、驚かせて済まなかったな。私は御門顕明。御門一門を統べる長である」

 

 

 付き人達が膝をつく中、あっけらかんと告げる御門顕明。

 その姿に慌てて礼を返そうとしたユーノ達に女傑は良いと告げる。

 

 無礼無作法を許すと告げられ、さあ何と返すべきかと堅物少年が悩む横で、顕明はユーノの眼をじっと見詰めた。

 

 

「あ、あの、何ですか?」

 

「いや、良き目をした男子だと思ってな。……彼の第九十七管理外世界で起きたPT事件。その詳細は私の耳にも入っている。無論、君が口にしたという啖呵もな」

 

「は、はぁ」

 

 

 故に一目見てみたかったのだ、と語る女の姿に、ユーノはどう返した物か悩み曖昧な返答をしてしまう。

 

 そんな少年の態度に軽く笑うと、顕明は提案する。

 

 

「折角の機会だ。袖振り合うも他生の縁であろう。茶の一つでもどうかな? 私は君達をもう少し深く知りたいと思っているし、君達とて私に聞きたいことがあるのだろう?」

 

 

 一組織の長の気軽い誘いに、少年たちは静かに思う。

 さて、彼女は何を考えているのだろうか、と。

 

 だが、如何なる考えがあるとは言え好都合。

 自らが知りたい疑問に答えてもらえるやもしれぬ好機である。

 

 故に、断ると言う選択肢は端から存在しなかった。

 

 

 

 

 

 クラナガンにある高級料亭。

 一見様お断りの敷居が高い店に、二人の少年は連れて来られていた。

 

 メニューに値段が載っていない。

 もしここで普通に食事をしたらどれ程の額となるのか、想像も付かず少年達は戦々恐々としてしまう。

 

 

「本当はもう少し気軽に入れる所が良かったが、私が好む茶を置いている店が中々なくてな、まあ寛いでくれ」

 

 

 言って笑う顕明に、少年たちは引き攣った笑いを返す。

 場違い感が酷い。護衛のほとんどを外部に待機させている現状。こんな高級店でお偉いさん相手に寛げるはずがない。

 

 そんな少年達の内心に気付きつつも、それで臆するようなら見る価値はない。

 そう内心で断じる女傑は、さあ知りたいことがあれば聞いてみろと軽く口にする。

 

 疑問の内容。質問の仕方。この場においての行動全て、それらで少年達の価値をこの女は測っている。

 

 そんな女の企みに、人生経験が豊富な者なら気付いたのであろう。

 女は自他共に認めるほど腹芸が苦手だ。故にあえて隠そうともしていない。

 

 だが幼い少年達では気付けない。気付くほどの土壌がない。

 

 そして腹芸が苦手なのは彼も同じだ。

 故にユーノは、測られていることに気付かず、単刀直入に己が疑問を口にした。

 

 

「ミッドチルダ大結界。その基点について聞きたいことがあります」

 

「ほう」

 

 

 女の眼が鋭く細まる。問うてみよと女は告げる。

 そんな女の言葉に対して、ユーノは疑問を投げ掛けた。

 

 

「基点とは何か、御門に秘している物は何か、それをお聞きしたいのです」

 

「……それで少年。その問いに答えることで私が得られる利益は何だ?」

 

「え?」

 

「よもや無償で聞き出せるとは思っていまい? お前は何を対価に答えを聞き出そうとしているのだ、ユーノ・スクライア」

 

「あ、えっと」

 

 

 無償で聞き出せると思っていた。ついそんな甘い考えをしていた少年は目を泳がせ、隣に座っていた執務官はその姿に溜息を吐く。

 

 

「全く、人が悪いですよ、刀自殿。何が欲しいのか口にしていない相手に対し、対価を提示できるほどの物を彼は持っていません。……それにその口振りだと、彼に何かさせたいことがあるようです」

 

「ふん。詰まらん茶々を入れてくれるな。私の言にどう対応するか、それも見てみたかったと言うに」

 

 

 申し訳ありませんと詫びるクロノに、まあ良いと返すと女はユーノを見る。

 

 青く澄んだ瞳にて、彼の全てを見抜くかの様に――

 だがその瞳の奥に、何処か異質な歪みを宿して――

 

 女は嘗て語った言葉を、此処に口にした。

 

 

「……益荒男ならば愛してやる」

 

「え?」

 

 

 それは終ぞ、叶わなかった言葉。

 今になって尚、死に損なっている死人の願い。

 

 

「私が愛するに足る益荒男だと証明出来たならば、その問いにも答えてやるさ」

 

「あ、あい?」

 

 

 その言葉を一瞬遅れて理解して、ちょっぴり顔を赤らめた少年に顕明は苦笑する。

 言葉の本質には気付いていない彼らに向けて、何処か柔らいだ表情を見せていた。

 

 

「愛、と一口に言っても男女のそれ、性差が絡む物ではないぞ」

 

「あ、そうですよね……」

 

「いや、今のは誤解されても仕方ない発言だと思いますが」

 

「お前は堅物だな。ハラオウン」

 

 

 安堵した表情を浮かべる少年と、物事を堅く考えすぎるきらいがある少年に苦笑を漏らす。

 そして、一つ咳払いをすると、彼に与えるべき課題を口にした。

 

 

「単刀直入に言うぞ。……数日後に執り行われる撃剣の神楽。その儀に御門の代表として参陣せよ」

 

 

 御門顕明が告げるのは、撃剣の神楽舞への出場要請。管理世界最強を決定する、数年に一度の闘技大会。

 

 最強の自負など欠片もない少年に課せられるには、余りにも過酷が過ぎる試練であろう。

 

 

「え、それってあの神楽舞ですか!? む、無理ですよ! 僕より遥かに強い人しかいない場所に御門の代表として出るなんて!?」

 

 

 当たり前の様に、不可能だと口にする。

 そんな彼に対して、御門顕明は笑ったままに退路を塞いだ。

 

 

「泣き言は聞かぬ。丁度都合の良い術士がいないこともあってな。お前が出るなら都合が良い。……出る気がないなら、これ以上は話も聞かんぞ?」

 

 

 ついでにここの払いも持たんぞ、と顕明は笑う。

 そのあくどい笑みを前に、逃げ道を封じられたことをユーノは悟った。

 

 

「……分かりましたよ」

 

「ふむ。渋々と言うのが不満だが、まあ取り合えずは良しとしよう」

 

 

 そして御門顕明は、神楽舞においてユーノに課す内容を指折りしながら口にした。

 

 

「まずは一勝。勝利したならば、先の疑問に関連する事実を一つ教えてやろう。次いで二勝。二度勝ったならば、先の問いに正確な答えをくれてやる。そして三勝。管理世界の頂点である証明を得たならば、その時は私が知る全てを語ってみせよう」

 

 

 それは大盤振る舞いと言っても良い言葉。

 だが同時に、ユーノ・スクライアでは実現が不可能に近い要求だ。

 

 故に、彼が口を挟むのも道理である。

 

 

「刀自殿。その益荒男の証明。僕では受けられないでしょうか?」

 

「ハラオウン。貴様がか?」

 

「ええ、僕も個人的に、その基点の正体は気にかかるので」

 

 

 勝利の可能性が限りなく低いユーノと異なり、優れた歪み者であるクロノには十分優勝するチャンスはある。

 

 その性能差と、知りたいという意思の強さを見て取った顕明は、条件付きでクロノの申し出を受け入れた。

 

 

「……お前の場合はスクライアより難度が低い故にな。まずは二勝。それをもってスクライアの一勝と同じくする」

 

「ご配慮、感謝致します」

 

 

 それが最大限の譲歩。クロノが最強に至ろうと、彼には全てが知らされる訳ではない。それでも良いと納得すると、クロノは立ち上がって一礼した。

 

 

「では、僕らは神楽舞に備えて鍛錬に励もうと思いますので、ここで失礼させて頂きます」

 

 

 そして、ユーノを伴って退席する。これ以上この場所に居ても、この女傑は何も語らないだろうと確信を得たが故に。

 

 

「うむ。期待している。……無論、言うまでもあるまいが、八百長の類は許さんぞ。そう思える行動すらしてはならぬと思っておけ」

 

「ええ、分かっております」

 

 

 先を歩くクロノに、慌てて一礼すると彼を追い掛けるユーノ。

 二人が立ち去っていくのを、椅子に座り込んだまま見つめ続ける。

 

 その胸にあるのは、倦怠感にも似た諦めと僅かな希望。

 

 

「……アレがあやつが見込んだ。次代の希望か」

 

 

 特別な力などはない。何かに選ばれた人間でもない。

 あの少年は所詮、唯の脇役だ。ご都合主義も特別な資質も何もない。

 

 あるのは唯、弱い心と向き合う為の強い意志。

 それだけでどうにか出来る様な、それ程に現実は優しくない。

 

 だが、それでもあの男は、それが希望の種火になり得ると判断した。

 彼自身が特別ではなくとも、特別でないからこそ、それは特別な誰かに良い影響を与えられる、と。

 

 

「歪み者とそうでない者の間には、絶望的な戦力の隔たりがある」

 

 

 だがやはり、彼個人は唯人だ。

 多少は秀でているが、その程度。特別にはなれようはずもない。

 

 故に常道で考えるなら、突破不可能な課題を与えた。

 才能にも恵まれていない少年に、歪み者を倒すなど不可能に近い難事である。

 

 

「だが、その隔たり以上に、大天魔と歪み者との間には大きな隔たりがあるのだ」

 

 

 突破不可能以上の隔たり。絶望的な断崖が、両者の間には広がっている。

 唯人は歪み者には勝てず、歪み者は天魔には勝てず、そして天魔は邪神に敗れる。

 

 ならば、そこには一遍足りとて救いがない。

 

 

「強き者が強き故に勝つ。ならば我らに勝機などはない」

 

 

 管理局は滅ぶより他にない。この世界は、全てが破綻し終わりを迎えてしまうだろう。

 

 この地は消滅するか、或いは紅蓮に染まって凍り付くか。

 どちらにしても、今の時代を生きる民に救いはないと知っている。

 

 だからこそ――

 

 

「だが、そうではないのだ。そう信じたい。信じさせて欲しい」

 

 

 信じたい。信じさせて欲しい。

 その為に、敗軍の将は生き恥を晒している。

 

 ユーノ・スクライア。彼がもし、弱き者が強き者を打ち破るという光景を見せてくれたならば――

 その光景を見た誰かが、同じ様に不可能を貫く何かを為せたのならば――

 

 それはきっと、ほんの僅かな希望となり得る。

 蜘蛛の糸よりか細い可能性であっても、次代に繋がる先駆けとなり得る。

 

 あまりに弱い魂しか持たぬ今の世の民が、あの慈悲深くも哀れな神の庇護を不要とする。その果てにある、重ね上げた全てが報われる世界。

 

 

 

 その光景こそを彼女、御門顕明は遥か昔から望んでいる。

 

 

 

 

 

3.

「いつまで、ぼんやりしているつもりだい!」

 

「うわっ!!」

 

 

 目の前を飛んでいく魔力光に、ユーノは意識を取り戻す。

 

 もう試合開始の合図は行われている。

 過去を思い耽り、結果無様を晒すなどどうしようもないだろう。

 

 そう考えて構えを取った少年を、しかし甘いとティーダは罵倒する。

 

 

「喰らい付け。黒石猟犬!」

 

 

 ティーダが構える両の銃型デバイス。

 黒い靄のような物が纏わりついた銃口より放たれるのは、彼の魔力光を暗く塗り潰した魔力弾。

 

 

「これが、ティーダさんの歪みっ!?」

 

 

 飛来する魔弾を前に、ユーノはやはり来たかと神経を研ぎ澄ませる。

 それが如何なる効果を持った歪みであるか、推測する余裕などはない。故にまずは躱そうと、身体を動かし距離を取る。

 

 だが――

 

 

「追跡効果!? 誘導が能力か!!」

 

 

 躱せない。魔弾は複雑怪奇な軌道を描いて、ユーノ・スクライアを追い掛ける。

 

 誘導弾より早く、正確に自身を追尾し続ける黒き魔弾。

 秒単位でその速度を上げていく弾丸を前に、回避と言う選択は間違いだ。

 

 一秒後には、速度が一段階上がっている。

 数十秒もすれば、その軌道を捉える事すら出来なくなる。

 

 このまま加速を続ければ、いずれは躱し切れなくなる。

 そう断じたユーノは仕方なしに防ごうと、魔力障壁を展開して――

 

 

「それが甘いと言っているんだ!」

 

「がっ!?」

 

 

 障壁を擦り抜けた黒き魔弾が、ユーノの顎を撃ち抜く。

 歪みの影響によって非殺傷設定ではなくなった魔弾は、ユーノに少なくはない傷を負わせた。

 

 流れる血を手で押し止めて、ユーノは障壁を見る。魔力障壁に傷はない。真っ向から打ち破られたのではなく、障壁などないかのように黒き魔弾はユーノを撃ち抜いていた。

 

 一発で済んだのは、ティーダが手を抜いていたからだろう。

 彼が手を抜いたのは、分からせる為。ユーノの在り様に、ティーダ・ランスターは苛立ちを抱いている。

 

 

「君、やる気がないだろう?」

 

 

 やる気がない。真剣味を感じない。

 戦場を前にして、考え事。よそ見をしながら、敵を甘く見過ぎている。

 

 

「何を……」

 

「自分の意思じゃない。参加なんてしたくなかった。……そんな目をしている」

 

 

 戸惑うユーノを、ティーダは冷めたい視線で見下ろす。

 彼にはまるでやる気が感じ取れないから、だから男は怒りを抱いていた。

 

 

「目的が他にある、それは良いさ。誰かに強要されている、それもまあ良しとしよう。……実力不足の理由としては、確かに何かがあるんだろうさ」

 

 

 ティーダは彼と御門の遣り取りなど知らない。

 彼が何故、御門の代表に収まっているかも分からない。

 

 過去にも無所属の人物が代理代表となったことはあったが、それにしてもユーノ・スクライアは未熟が過ぎる。

 

 そんな未熟者が、こうして舞台に立っている。

 それには当然何か理由があって、一概に彼の責任とは言えないのだろう。

 

 

「けどね。それでも君は、この場に立っている。この晴れの舞台。撃剣の神楽舞に立つからには、そんな無様は許されないっ!」

 

 

 だが如何なる理由があれ、やる気がないのは許せない。

 そんな男がこの場に立つ資格などはない。故にティーダは、怒りを感じている。

 

 

「代表者は八名。八人しか出られないんだ。……今日、この日を目標に努力してきた人間がどれ程いると思っている?」

 

 

 政治取引や何某かの暗躍。そんな思惑など関係ない。

 今この舞台に立つ人間にとって、重要なのは立場に恥じぬ行いを為す事。

 

 この場に立つのは、選ばれた八人だ。

 その八人の足元には、選ばれなかったそれより多くの人がいるのだ。

 

 故に――

 

 

「お前のそれは、そんな皆に対する侮辱と知れ!」

 

「っ!?」

 

 

 それは侮辱だ。それは蔑みと同じ行為だ。

 そう断言したティーダは、双銃より無数の黒き魔弾を放つ。

 

 放たれた弾丸がその背を追い掛け、ユーノ=スクライアを傷付ける。

 防御も回避も許さぬ魔弾に追い立てられながら、確かにユーノは思考する。

 

 

(僕には、最強の自負なんてない。選ばれたなんて、事実はない)

 

 

 この場に立つに、相応しくないと分かっている。

 自分が脇役に過ぎないと弁えて、選ばれていないと理解している。

 

 ああ、なんて勘違い。

 

 

(知りたいことがあるから、本意ではないけど舞台に上がる。戦いたくなんてないけど、知る為には戦わないといけない)

 

 

 如何なる形であれ、自分は選ばれている。

 この今に立つ事を望んだ人達に先んじて、こうして自分が舞台に立っている。

 

 競り勝った訳ではない。競う事すらしてない。

 偉人のコネで、恥知らずにも分不相応な場所に居る。

 

 その癖、真面目に戦おうとすらしていない。

 

 

(そんな考え、ああ確かに、侮辱だろうさ)

 

 

 それは、侮辱だ。それは不義理だ。

 出られなかった人々に対して、競う事すら出来なかった人々に対して、何よりも――今この場に立つ対戦相手である彼に対して不義理が過ぎよう。

 

 

「ああ、ほんっとに僕は屑だな。言われるまで気付けない!」

 

 

 彼の怒りは正当だ。それを認めよう。

 この場から立ち去れと、そう言われても仕方がない。

 

 苛烈な射撃を前に、それを確かに理解して――

 

 

「だけど――だからっ! 屑なままでは居られないっ!!」

 

 

 漸くに、意志が定まる。戦おうと、意志を定める。

 認めよう。認めたからこそ、このまま無様を晒したままでは居られない。

 

 

「……ふん。少しは真面な顔になったじゃないか」

 

 

 顔を上げる。目を動かす。前を見る。

 追跡してくる黒き魔弾を躱しながら、ユーノは戦うべき相手を見据える。

 

 その少年の闘志を前に、ティーダは銃を両手に答えを返した。

 

 

「だが、そんな意思一つで敗れるほど、ランスターの弾丸は甘くないぞ!」

 

 

 ひゅごうと音を立てて加速する魔弾。

 その数は十二。絶えず追尾を続け、標的を狙い続ける。

 

 何処までも追尾する漆黒は、猟犬と言う名に相応しい。

 

 だが――

 

 

(守りを貫き、何処までも追い掛ける。確かに凄いけど……本当に、それだけなのか?)

 

 

 その程度の物であろうか、ユーノは疑問を抱く。

 

 クロノの万象掌握。戦域を支配し、思うが儘に歪める異能。

 なのはの不撓不屈。心が折れない限り、無限に戦えると言う異能。

 クイントの存在重複。あらゆる要素の倍化と言う、単純ながら強力な異能。

 

 ユーノの知る歪みとは、どれも規格外の性能を持った代物だ。

 魔法で代用することは出来ない。複数の魔法を同時併用すれば、一部分の再現は可能かもしれないというレベルで凶悪な能力である。

 

 だが、ティーダの魔弾はそれほどではないのだ。

 凶悪な能力を持つ歪みとしては、余りにもあっさりとし過ぎている。

 

 敵を追跡するという能力は、誘導弾なら当たり前のように持っている。

 障壁を擦り抜ける能力だって、貫通効果としてなら魔法に簡単に付与できる。

 

 再現できないのは秒単位で加速し続ける効果くらいだろう。

 

 ならば――

 

 

(きっと、まだ先がある)

 

 

 これには、先がある。

 黒石猟犬の本領は、この先にこそ存在する。

 

 ユーノが考え付くと同時に、ティーダは笑みを浮かべる。

 

 そして黒き猟犬の牙が、その真価を発揮した。

 

 

「がっ!?」

 

 

 突然、ユーノの後頭部を衝撃が襲う。

 揺らぐ視界の中、足が縺れて土俵の上に倒れ込む。

 

 

(何、が!?)

 

 

 訳が分からない。意味が分からない。

 何一つとして前兆がなく、気付けば攻撃を受けている。

 

 倒れ伏して、現状すら理解できないユーノ。

 そんな彼に止めを刺すかのように、十二の魔弾がその五体を襲った。

 

 

「がぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 悲鳴と共に、全身から血が噴き上がる。

 弾丸は軌道と言う過程を経ずに、結果だけを齎していた。

 

 

「これが僕の黒石猟犬。狙った的は外さない。時間も空間も、あらゆる障害を無視して撃ち抜く必中の魔弾さ」

 

 

 倒れ伏すユーノに、ティーダが真相を語る。

 必中の魔弾。それこそが、彼の歪みの本領であった。

 

 躱されれば加速して追い縋り、あらゆる守りや障害を無視して標的だけに当たる魔弾。そんな物は、余技に過ぎない。

 

 その本質は、時間も空間も無視して敵を射抜く事。

 ティーダ自身の任意で空間を飛び越え、当たったと言う結果を作り出す。

 

 その気になれば、過去や未来だろうが改竄出来る。

 標的に当たったと言う結果を作り出して、敵を倒すことが出来る。

 

 故にこそ、必中の魔弾。

 

 

「僕は既に、一発を撃っていた。……そういう形に、過去を歪めた。だから君は、認識していなかった一発を避ける事が出来ず、そうして倒れている訳さ」

 

 

 それが、真実。十二発とは別に、もう一発放っていたという形に過去を改竄し、その最後の弾丸の位置をユーノの後頭部に移動させた。

 

 今、起きた現象など、ただそれだけの事だ。

 

 

「く、ぅ」

 

 

 痛い。痛い。痛い。

 後頭部から血を流して、ユーノは掌を握り締める。

 

 無防備な場所に受けた一撃は、決して軽い傷ではない。

 

 

「どうだい、もう降参するかい?」

 

 

 そんな彼に、告げられるのは降伏勧告。

 絶対に勝てる訳がない。そう告げるかの様に冷えた視線。

 

 まだ、認められていない。

 好敵手どころか、戦う相手とすら見てはいない。

 

 だから――

 

 

「っ! まだっ!」

 

 

 歯を食い縛って立ち上がる。まだ、負ける訳にはいかない。

 体全身。至る所が傷んでいるが、泣き言なんて言っては居られない。

 

 

「未だ、戦えるっ!」

 

 

 示さなくてはいけない。己は敵だ、と。

 認めさせるのだ。ユーノ=スクライアは好敵手足り得る、と。

 

 

「僕はまだ戦える! だからっ!!」

 

 

 そうでなくては、不義理が過ぎる。

 不義理なままでは、己は屑から変われない。

 

 そうとも、変わるのだ。

 弱い心が悲鳴を上げても、退かないと決めるのだ。

 

 所詮自分に出来るのは、考える事と退かぬ事。

 特別でも何でもないから、それだけは決して譲らない。

 

 

「行くよ、ティーダさん! この戦いには、僕が勝つ!」

 

「……良い虚勢だ! けどね」

 

 

 諦めない少年の瞳に、触発される様に青年は笑う。

 加減も手抜きもありはしない。全力で打倒すべきだと理解する。

 

 

「ランスターの弾丸は、気概の一つでは覆せないっ!」

 

 

 故に真剣な眼差しで、敵として対処する。

 満身創痍の少年に、向けるべきは全身全霊全力全開。

 

 

「黒石猟犬・最大展開っ!!」

 

 

 両手の銃より放たれる弾丸。

 その数は十や二十では足りないほどに増えていく。

 

 

「僕の猟犬に限りはない。発射装置と弾丸となる物さえあれば、幾らでも効果を発動させられる」

 

 

 その数は百を超え、千を超え、万を超える。

 限りない銃弾の雨。時間軸すら狂わせて、放てぬ量を成立させる。

 

 

「過去に、僕が撃ってきた弾丸の全て。未来に、僕が撃つであろう弾丸の全て。その総量で、何かをする前に押し潰すっ!」

 

 

 それは無限の如く。数えきれない程の弾丸の雨。

 全てが必中。どこまでも追尾し、標的だけを狙い続ける黒き猟犬。

 

 空間や時間すら、無視してしまう。

 その魔弾の雨を前に、出来る事など何もない。

 

 さあ、どう対処する気だ。いいや、対処など出来る物か。

 そう確信を抱いたティーダの前で、ユーノは一つの賭けに出る。

 

 

「おぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 

 それは、ある一つの可能性。

 彼が唯一他者に誇れる、優れた頭脳が見た可能性。

 

 

「破れかぶれの玉砕か!?」

 

 

 それを信じて、ユーノは自ら雨の中へと走り出した。

 

 

 

 

 

(どうして、ティーダさんは物量を選んだ)

 

 

 抱いた疑問。それこそが、一つの可能性。

 その可能性に全てを賭けて、勝機はその先にしかない。

 

 

(素直に時間跳躍を使えば、それで終わっていた筈。……なのに切り札が、単純な物量?)

 

 

 それはおかしい。余りにもおかしい。

 絶対に当たる魔弾があるのに、量に頼るのはおかし過ぎる。

 

 

(手を抜いている? それはない。……最初の一撃は、分からせる為に。でもここで手を抜く理由がない!)

 

 

 抱いた疑問を、突き詰めて思考する。

 

 武才の欠ける自分にあるのは、この人並み外れた頭脳だけ。

 だからそれに全てを賭けて、疑問の答えの先にこそ勝機を見付け出す。

 

 

(なら、其処に理由がある。一見、不条理に見える事でも、必ず何か理由がある)

 

 

 そうでなくば、自分に勝機などはない。

 だったらその一点に全てを賭けて、勝利を捥ぎ取ってみせるまで。

 

 

(時間跳躍攻撃は、切り札じゃない。いや、切り札に出来ないんだっ!)

 

 

 恐らく、あの攻撃には陥穽が存在している。

 だからこそ、あの瞬間までティーダは時間跳躍攻撃を隠し通していた。

 

 そもそも、一番おかしな事は唯一つ。

 故にこそ、ユーノはその解答に辿り着いていた。

 

 

(必中の強調! それこそが、最大の陥穽だ!)

 

 

 弾幕を前に足を止めて、その場で膝を屈める。

 唯、それだけの行動で、一つの脅威は力を無くす。

 

 

「なっ! 気付いたのか!?」

 

 

 瞬間。頭上を飛んでいくのは時間跳躍弾。

 あれほど必中と語っていた歪みは、しかし今その攻撃を外していた。

 

 

(やっぱり、“当たらない”。時間跳躍攻撃は、決して必中なんかじゃないっ!)

 

 

 それこそが、黒石猟犬の第二能力。時間跳躍の陥穽。

 撃ったと言う過去を改竄できても、それが当たったと言う結果に繋がるとは限らないのだ。

 

 

(ティーダさんには、時空間を跳躍して攻撃を行う能力はあっても、時空間の跳躍した先を認識する能力はないんだ)

 

 

 そう。ティーダ=ランスターは時空を跳躍する魔弾を放つ際に、自分が認識している現在以外の時間軸や空間を見ることが出来ない。

 

 過去や未来を改竄して、攻撃の手数を増やす事は出来る。

 だがその増やした攻撃が当たったかどうかは、改竄する事が出来ない。

 

 故に外れない攻撃でなくては、時間跳躍攻撃は当たらないのだ。

 だから相手の予想を外す動きをすれば、それだけで時間跳躍は回避できる。

 

 それを知られることを恐れて、ティーダは必中を意識させるような説明を口にしたのだろう。

 

 

「だが気付いた所で、僕の切り札は破れない!」

 

 

 されど眼前に迫った物量。圧倒的な銃火は躱せない。

 それは時間跳躍ではなく、確かに今ティーダの歪みの影響下にある弾丸。

 

 何処までも追尾して、何でも摺り抜ける弾丸の雨。

 それが迫っていると言う状況は、何一つとして変わっていない。

 

 そんな圧倒的に不利な状況で――

 

 

「さあ、どうする!!」

 

「こうするのさ!」

 

 

 ユーノは恐れもせずに、自ら魔弾の雨にぶつかった。

 

 

 

 鮮血が舞う。血反吐を吐く。

 痛む身体を意志で抑えて、一歩先へと進んで行く。

 

 

「なっ!?」

 

 

 驚愕は、ティーダの物。

 血に塗れて、それでも迫る少年に驚愕する。

 

 

「……やっぱり、貴方の歪みの弱点はこれだ!」

 

 

 弾丸を全てその身に受けて、それでも痛いで済んでいる。

 泣きたくなる程に辛いが、それでも致命傷には届いていない。

 

 その威力の低さこそが、黒石猟犬の持つ最大の弱点だ。

 

 

「辛いけど、耐えられる。キツイけど、それでも痛いだけ。命を取るにも意識を取るにも、決定的に不足してる!」

 

 

 必中の魔弾。標的以外には当たらない弾丸。

 殺傷設定と変わらぬ攻撃の雨を受けてもユーノが気絶していないように、ティーダの歪みには弾丸の威力自体を強化するような力がない。

 

 

「それを補う為にあるのが、加速能力なんだろうけど。……なら、そもそも加速させなければそれで済む!」

 

 

 その威力を高めるのが、無限加速。

 質量に速さが伴う事で、ティーダの歪みは恐るべき力を発揮する。

 

 ならば、まずはその加速を止めれば良い。

 躱したら威力が増すなら、躱さないで受ければ良い。

 

 それこそが、ティーダ・ランスターの弱点だ。

 

 

「万でも億でも、耐えてやる! 接近すれば、僕の勝ちだ!!」

 

 

 多少の痛みならば、耐えられる。

 意識が途切れないならば、傷口を塞ぐのは簡単だ。

 

 故に、勝機がある。耐えきって、近付けたならば勝利する。

 ユーノはそんな気迫を胸に、ティーダに向かって走り出した。

 

 

「っ!」

 

 

 歪みに非殺傷などはない。

 この弾丸は、当たれば血を流し肉を抉る実弾と何ら変わりがない。

 

 幾ら威力が軽くても、対人兵器としては十分程度な火力はある。

 それを体に受けながら、しかし笑う少年。その姿に、ティーダは恐ろしさを感じる。

 

 

「舐めてくれるな! 観客席でティアナが見ている以上、お兄ちゃんは負けられないのさ!」

 

 

 それでも、そう嘯いて恐怖を抑える。

 常軌を逸した少年の対応に、力尽くで対処する。

 

 連続する射出音。弾丸は機関銃のように放たれ続ける。

 破壊の力をばら撒きながら距離を取り、ティーダは宙へと浮かび上がった。

 

 加減はない。油断はしない。

 今眼前に立つ相手は、既に己を倒し得る敵だ。

 

 そう認めたティーダは、故に彼にとっての最良を選択する。

 

 彼の本領は空対空の高速戦闘だ。

 空において、首都航空防衛隊を超える技量を持つ者など居はしない。

 

 

「おぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 

 対するユーノは、己の足で前に進む。

 

 彼の飛翔魔法はさして速くない。

 単純に空戦を挑めば、物量に押されて倒れるか場外退場だと理解している。

 

 故に地を蹴り、駆け出し進む。

 

 道がない? だが既に見た事がある魔法の中に、打開策があると知っている。

 

 一度見た光景は、マルチタスクによる仮想で、身に付くまで身体に刻み込む。

 繰り返す根気強さと折れない意志こそ、PT事件にて彼が得た最大の成長と言える物。

 

 

「ウイングロード!」

 

 

 魔力を用いて、道を生み出す。

 空へと続く翼の道を、身体強化で駆け進んだ。

 

 

「おぉぉぉぉぉっ!」

 

 

 絶えず体を襲う魔弾の群れ。一撃一撃は必殺とは程遠いが、それでも既に百を超える被弾に、ユーノの身体はふら付いている。

 

 治療魔法で治すよりも、受ける傷の方が大きい。

 回復だけに魔力を使えばじり貧だから、最低限のままで先に進む。

 

 倒れない。止まらない。

 全ての攻撃をその五体で受け続ける少年は、己が間合いに敵を捉える。

 

 

「取ったっ!」

 

 

 これは間合いの奪い合い。拳の届く零距離は、ユーノの得意とする間合い。

 近付かれる前にティーダがユーノの体力を削り切るか、ユーノがその拳をティーダに打ち込むか。

 

 そしてその争いは、こうして間合いに捉えた瞬間に決着する――はずがない。

 

 

「甘いっ!」

 

「っ!?」

 

 

 打ち込まれる左の拳。

 しかし、それはティーダの左手の銃に妨げられる。

 

 そして返礼として振るわれるのは、鋭く重い蹴りの一撃。

 腹を抉り背骨までも蹴り砕かんとする一撃に、ユーノは苦悶の表情を浮かべていた。

 

 

「僕が接近戦で弱いと、誰が言った!」

 

 

 ティーダの使ったそれは、両手の銃と五体を駆使した近接戦闘技術。

 

 管理局員が接近戦に弱いなどと言う道理はない。

 彼らは皆、格闘戦においてもユーノの一歩前を行くのだ。

 

 

「ぐぅっ!?」

 

 

 苦悶の表情で耐えるユーノに、魔弾の群れが着弾する。

 無防備な背に、後頭部に、足の裏に、至る所を撃ち抜いていく。

 

 動きの止まった敵は、最早唯の的だ。

 時間跳躍攻撃を躱せなくなれば、逆さのハリネズミになるのが末路。

 

 

(失敗、した。……ティーダさんを、侮った)

 

 

 意識が途切れる。記憶が飛びそうになる。

 血が流れて、肉が吹き飛び、意識が朦朧としている。

 

 

(僕は、馬鹿か! 相手が、格上だって、分かり切っていた、筈じゃないかっ!?)

 

 

 朦朧とする中、己の失態を罵倒する。

 

 接近すれば自分が勝つ? 何を言っているのか。

 あそこにあるは格上だ。歪みも魔法も格闘術も、全て上を行く格上だ。

 

 それを間合いに捉えた程度で、勝利するなど烏滸がましい。

 この傷はその代償。己の愚かさ故に、支払わなければならない。そんな傷だ。

 

 

「終わりだっ! ユーノっ!!」

 

 

 弾丸を受け続けて泳いだ上体に、ティーダがその銃口を向けている。

 その魔弾が放たれれば最後、最早耐えきれずに倒されるのは必定だ。

 

 

(負ける、のか……)

 

 

 撃たれる。当たる。負ける。

 僅か数秒の先にある結末。

 

 

(勝てない、のか……)

 

 

 ああ、結局格上には勝てないのか、と零れる思考。

 

 覆す手段は何もなく、手札は全て切り終えた。

 ならばもう敗れる以外に道はなく、もう休もうと弱い心が言ってくる。

 

 だが――

 

 

(まだ)

 

 

 否、と意志が主張する。

 否、と意地が主張する。

 

 

「まだ、僕はっ!」

 

「なっ! まだ!?」

 

 

 まだ退けない。まだ退かない。

 動ける身体がある限り、躊躇う事なく進むだけ。

 

 

「おぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 ユーノは弾丸を額で受けると、一歩先に踏み込んだ。

 

 

 

 左が駄目なら右がある。だがそれだけでは防がれるであろう。

 純粋な技量は相手が上だ。俄仕込みの拳では、ティーダの接近戦技能を超えられない。

 

 ならば、今この場で限界を超えれば良い。一歩先へ、一つ先の位階へ手を伸ばす。俄仕込みから一流の域へ、今ここで昇華して見せろ。

 

 不可能ではない。無理な事ではない。

 それだけの積み重ねは、確かにある。

 

 確かに一目見た時から、その拳を幾度も再現した。

 仮想の中での出来事で、それでも確かに出来たから――

 

 

(今、この時に、イメージを現実にしてみせるっ!)

 

 

 ならば今ここで、それを確かな現実にしてみせる。

 

 そう想いを確かにして、右の拳を振りかぶる。

 防ごうと腕を動かしたティーダの眼前で、その勢いのままにくるりと回転した。

 

 無防備な背を晒す。その瞬間に脱力する。

 攻撃を外したのだと判断したティーダは、その銃口より迎撃の魔弾を放った。

 

 背を穿つ無数の弾丸。

 だがそれすらも、ユーノの勢いを止めるには至らない。

 

 否、その真逆だ。それを糧に、ユーノは確かに加速する。

 反撃を背に受けながら、その衝撃すら勢いに変えて彼は放つ。

 

 それは、かつて一度見た師の十八番。

 クイント=ナカジマが誇る、撃ち貫く拳の一撃。

 

 

繋がれぬ拳(アンチェインナックル)!!」

 

「がっ!?」

 

 

 吹き抜ける拳圧が、ティーダの身体を撃ち貫く。

 絶対の勝利を確信したが故にその身体は、撃ち貫かれて落下した。

 

 

 

 決着はここに――

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 

 空より落ちて気絶するティーダと、彼よりボロボロになりながらも確かに空に立っているユーノ。それこそが勝敗を如実に表している。

 

 絶対に勝てない筈の敵を、ユーノは確かに打ち破っていた。

 

 

「第一試合! 勝者、西方、ユーノ・スクライア!!」

 

 

 御門顕明が、笑みを浮かべて勝利を宣言する。

 荒い呼吸をする少年は、一瞬現実を信じられずに立ち尽くしていた。

 

 

「かった、のか」

 

 

 予想を超える大番狂わせ。

 誰もが知る空の花形を、無名の少年が打ち破る。

 

 その姿に、観客たちは喜びの声を上げる。

 

 爆発する歓声を背に、湧き上がる勝利の実感を漸く得る。

 唖然とした感情は奮い立つ喜びに変わり、少年は大きく拳を振り上げた。

 

 

「勝ったぞぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 勝利宣言。晴れやかに、勝ち誇る少年の姿。

 それに呼応する様に、場内の熱気が膨れ上がる。

 

 

 

 この日、ユーノ・スクライアと言う少年は、一つの不可能を塗り替えたのだ。

 

 

 

 

 

4.

「――で、次の試合であっさり負けた訳だな、少年」

 

 

 試合終了後。選手控室にて煤けていたユーノに、御門顕明は笑いを堪えながら話し掛けていた。

 

 

「……いや、あれは反則だと思います」

 

 

 五回戦。神楽舞準決勝という大舞台でのユーノの次なる対戦相手は、クロノ・ハラオウンであった。

 

 聖王教会所属のシャッハ・ヌエラ。彼女の歪みと近代ベルカ式を織り交ぜた格闘術を打ち破り勝ち上がって来たクロノの姿に、ユーノは全身が震えあがるのを感じていた。

 

 かつて挑めなかった強敵。高町兄妹やフェイト・テスタロッサをあっさりと破った彼の姿に、ボロボロになりながらも挑んでやると決意する。

 

 そんな彼は試合開始直後。クロノの歪みによって、場外に立ち尽くしていた。

 

 場に沈黙が満ちる。誰もが大番狂わせを起こしたユーノを期待していたが為に、それはないだろうとクロノに冷たい視線を向けていた。

 

 

「いや、全力で戦えと言われたしな。……格下なら確殺出来るのに、態々勝利の可能性を与えるなんて、八百長扱いされるかもしれなかったから」

 

 

 悪いとは思っている、と目線を逸らすクロノ。

 場外からの大ブーイングは、流石の彼にも堪えたらしい。

 

 

「そのハラオウン少年もグランガイツ三等陸佐に決勝戦で敗北した訳だ」

 

「……皆僕を反則と言うが、あの人の歪みの方が反則だろう。何だよ、攻撃特化の癖に攻撃の瞬間は同格以下相手なら無敵。格上でもダメージ軽減って。突進し続けるだけでこちらはどうしようもないじゃないか」

 

 

 ちなみに余談だが、ゼスト・グランガイツの勝利を最も喜んでいたのは観客席の最前列で齧り付くように試合を見ていたレジアス・ゲイズ中将であった。

 良くやったと男泣きする姿に、彼の娘や当のゼスト本人がドン引きしていたのは言うまでもない。

 

 自身の試合に対してグチグチと呟いている少年達に、顕明はかんらと笑う。

 

 

「ユーノ・スクライア一勝。クロノ・ハラオウン二勝。よってどちらも関連する言葉。いわゆるひんととやらを与えるだけだな」

 

「ああ、ヒントですね」

 

「うむ。このミッドの地に何故天魔が入れないのか、その理由を少しだけ教えてやろう」

 

 

 ぴしと手にした扇子を閉じると、御門顕明はその言葉を口にする。

 

 

「目には目を、歯には歯を。そして神には神だ。大天魔に抗う為に、我らはある神のご加護を受けている」

 

 

 それが真実。それこそが真実。

 この地は、管理局は、大天魔に抗する為に、ある神の加護を受けている。

 

 

「管理局の、神?」

 

 

 それは、在りし日に敗れた戦神。

 既に残滓となって久しく、されど蘇らんとしている死者の王。

 

 

「然り。この地はある神。彼の存在が統べるべき領地と化している。故に嘗て彼に膝を屈した天魔達は、この地に彼の許可なく入ることが出来ぬのだよ」

 

 

 その神。争いを司りし戦神なり。

 修羅を率いて荒ぶるは、覇軍の主。

 

 その神。その理に咒を付けるならば――

 

 

「修羅道至高天」

 

 

 黄金の獣ラインハルト・ハイドリヒ。

 

 それがミッドチルダ大結界に纏わる存在の名。

 嘗ての神座世界。その時代に生きた闘争神の名を、少年達は胸に刻んだ。

 

 

 

 

 

 




祝詩の内容「不安でビビってる皆の前で言うよー。今化外って病気あるよね。だから強い人達と話しました。神様お願い、民衆に安心して寝れる状況くださいな。お願いするのに良い日だったから、神楽舞を捧げ物にするので叶えて下さい。国の病気治して健康がずっと続くようにしてくださいとお願いします」(超意訳)


祝詞の変更点は古語辞典見ながらテキトウに変えた場所。神事の際に使って良い言葉とか知らないんで、結構ツッコミどころがあると思います。深く考えずにスルー推奨。

最初は龍明さんの台詞コピペで良くね、とか軽く思ってどんな言葉だったかゲーム起動して確認したら使えない単語が多過ぎてワロタ。

天皇を指す言葉は管理世界なので軒並みアウト。ミッドチルダも神州じゃないし、蒼生を恵み給うって「民をもっと増やしてください」って意味。或いは繁栄を祈願する言葉なので、スカさんのお蔭で人手不足が解決している上、ミッドチルダ自体はしっかり繁栄している現状では願うほどのことではない。なぁにこれぇ?(震え声)

え、管理世界に神様いるのか? ……そこに聖王様がおるじゃろ? 後獣殿。


以下オリ歪み解説。
【名称】黒石猟犬
【使用者】ティーダ・ランスター
【効果】必中の魔弾。その名の通り当たるまで敵を追尾し、その障害となる物は全てすり抜けていく。
 正し貫くべき標的を定めているのはティーダ自身であり、放つ瞬間に彼が標的を見失うと弾丸が外れる。
 特に時間跳躍攻撃は明確な座標や敵手の状態を知っていなければ外れる。空間跳躍の方もどうしてもタイムラグが発生するので躱すのはそう難しくはない。
 ただしこれら二つは標的を正確に確認していれば、直接体内に出現させるという攻撃方法も使える為、敵の防御や位階差も無視したえげつない攻撃を行う事も出来る。

 通常時の魔弾の方は完全自動制御で、回避され続けると無限に加速を続ける。正しく必中と言える攻撃である。
 弱点は作中でも語られた通り、加速していない状態だと通常魔力弾程度の威力しかないこと。
 だがこれも射出機構がある物なら、何であれ歪みの対象と出来るティーダからすれば本来弱点と呼べる物ではない。
 試合ではなく実戦ならば彼は魔力弾に拘らず、あらゆる質量兵器やロストロギア。果てにはアルカンシエルにまでも己の歪みを混ぜて打ち込んできていたであろう。


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なのは編第三話 残る想い

推奨BGMは傾城反魂香(相州戦神館學園八命陣)


副題 真・ゲスキャラ無双。
   KYOUYAの主人公力。
   天魔参戦。



1.

 翻る刃を身を逸らして躱す。

 突き付けられる無数の刃を防ぎ切る。

 

 戦況は女の優位となっている。だがその表情は晴れない。

 

 

(ファリンが、邪魔ばかりする)

 

 

 忌々しいと舌打ちを一つ。

 イレインは自身の内側にあるもう一つの人格を罵った。

 

 彼女にとっては不本意ながら、この器は最早ファリンの物となっている。

 こうしてイレインが操作すること、それ自体が大きな負担となっているのだ。

 

 彼女の体から立ち上る青い魔力光。ジュエルシードの残り香が、主人格を押し退けて体を動かすという無茶を可能としている。

 だが、主となるのがファリンである以上、彼女の怯えや咄嗟の行動が表に出てしまう。

 

 そんな僅かな誤差が妨害となり、イレインは量産型の人形を破壊する好機を幾度も逃していた。

 

 

(それに、氷村遊)

 

 

 あの男は、先ほどの怒りの形相が嘘だったかのように静まり返っている。

 青き輝きを纏ったイレインが、量産型を圧倒する姿に笑みすら浮かべている。

 

 それが、どうしようもなく不気味に思えてくる。

 まだ何かがあると、傾城反魂香だけではないと思わせるのだ。

 

 

「だが、ここで狩れば同じ事!」

 

 

 左手の制御を解除し、その分の魔力光を右手に移す。

 手刀の形に変えた右手より伸びるは魔力刃。殺傷設定という物理的な破壊力を持ったそれが向かい来る三体の機械人形を両断する。

 

 直後、集めた魔力は霧散する。

 左手が動かなくなり、右手の刃も消えた。

 

 だが問題はない。残るは氷村遊唯一人。

 その周りにいる侍従達では壁にもならず、そして夜の一族の身体能力は機械人形に劣ると知っている。

 

 機械人形の方が戦闘能力は優るからこそ、彼らの祖はイレイン達を作り上げたのだ。

 故に、機械仕掛けの戦乙女と夜の王は向かい合って戦えば前者が勝利する。それこそが道理。それこそが必然だ。

 

 魔力は己の体を動かすだけあれば十分。

 奴が何を企んでいようが、力尽くで打ち破れる。

 

 

「氷村遊! 覚悟!!」

 

 

 一気呵成に踏み込み。右足で体重の乗った蹴撃を放つ。

 その一撃は、この期に及んで座り続けている氷室の胴に確かに打ち込まれた。

 

 勢い良く放たれた蹴撃。鋼鉄の肉体と、人間離れした重量。その双方を生かす格闘技のデータ。それら全てが込められた蹴りは、単純威力で車の衝突をも上回る。

 

 だが、だと言うのに――

 

 

「き、さま!?」

 

 

 氷村遊は揺るがない。夜の王たる吸血鬼は椅子に腰かけたまま、揺るぎすらしていない。

 

 

「……知っているか? 出来損ない。鍛え上げられた人間の体は、鋼にも匹敵すると言われている事を」

 

 

 無傷。無防備に一撃を受けて、それでも揺らぎすらしていない。

 イレインの放った全霊の一撃は、しかしこの夜の王を倒すには不足し過ぎていた。

 

 

「そう。下等な人間種でも鍛え上げれば、お前達人形と同等の強度を持つのだ」

 

 

 剛体法。硬気功。肉体強度を上げるという考えは、古くから人間の歴史の中で探求されて来たことである。

 そしてその果てに、技術として成り立っている物があることを、氷村遊は知っている。

 

 

「ならば僕のような真に選ばれし者が、不断の意志をもって己を鍛え上げれば、さあどうなると思う?」

 

「くっ!?」

 

 

 打ち込んだ右足を氷村は握る。

 その強烈な握力にイレインは表情を歪めた。

 

 

「強くなるんだ。強く、強く、そこに際限などありはしない」

 

 

 筋肉が膨れ上がる。彼の着ていた仕立ての良いスーツは弾け飛び、下から見えるは優男という顔立ちには不釣り合いな、筋肉の異様に発達した上半身。

 

 イレインの蹴撃を受けてなお無傷。

 その鋼を遥かに超えた強度の肉体には、傷一つとしてありはしない。

 

 

「吸血鬼とは、血を吸う鬼だ。夜を統べるこの僕は、既にお前達が考える領域を凌駕している」

 

 

 吸血鬼とは、血を吸う鬼と書く。そう。彼らは鬼なのだ。

 その肉体も、その力も、鍛え上げれば正しく鬼と呼ぶに相応しい物となる。

 

 人も戦乙女も取るに足らぬ。

 我は夜の王ぞ。血を啜る鬼である。

 

 

「分かるか? 家畜以前。屑鉄の塊が、王に抗うとは不敬と知れっ!」

 

 

 ぐしゃり、と音を立ててイレインの右足は押し潰される。

 ただ握力で強く握っただけ。それだけで鋼鉄は、まるでアルミ缶のように押し潰された。

 

 

「あっがぁぁぁぁぁっ!?」

 

「きゃぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 女は悲鳴を上げる。絹の様な声を上げるファリンと、痛みを噛み殺すかのような声を漏らすイレイン。同口より零れる異音に、氷村遊は笑みを浮かべる。

 

 

「はっ、はははっ! 家畜の真似事か? 出来損ないにしては、良い声で鳴くじゃないか」

 

 

 崩れ落ちた女を前に、腰掛けたままに男は嗤う。

 戦乙女などは敵にすらならぬと、夜の王は哄笑している。

 

 

「ああ、しかし……所詮塵は塵だなぁ? その青き輝きには何かありそうだと思ったが、やはり使えん。役立たずの屑か僕に逆らうなど、増上慢も甚だしい」

 

「ぐっ!」

 

 

 崩れ落ちた女に手を掛けて、その首を強く握り絞める。

 そのまま片手で持ち上げて、みしりみしりと握力が増していく。

 

 

「そんな塵が、この僕を殺す? その慢心。その増長。愚かしさを超えて、許し難いっ!」

 

 

 氷村遊は冷静になった? まさか、彼は今も怒っている。

 自らに逆らった出来損ないの乱入に、その口にした啖呵に怒りを覚えている。

 

 

「所詮貴様らは塵屑だろうがっ! 僕の名を称えて、囀っているからこそ生かされていると知れよ。家畜共!」

 

 

 氷村遊は小物である。

 その精神の有り様に、他者を受け入れる余地などない。

 

 

「それすら、分からんと言うなら、もう要らんぞ。お前達」

 

 

 片足を捥がれ、吊るされている金髪の女。

 金属が歪む音を立てて、その首がおかしな方向へと圧し曲げられていく。

 

 その光景を前に――

 

 

「やめてぇぇぇぇっ!」

 

 

 香の影響が薄れ、意識を取り戻したなのはが叫び。

 止めて、と。そんな少女の悲痛な懇願を前にしながら。

 

 

「嫌だよ」

 

 

 氷村は満足気に笑って返す。そしてその掌を握り締めた。

 

 

「あ、あ」

 

 

 ぐしゃりと音を立てて首が落ちる。

 ころころと転がる頭部は、己を救わんとしてくれた人の物。

 

 言葉も口に出来ぬ少女を前に、夜の王は歪な笑みを浮かべて立ち上がる。

 一歩。一歩。見せつけるように近付いて、その頭を踏み潰さんと足を上げる。

 

 

「ディバインバスターっ!」

 

 

 そこに桜色の砲撃が割って入った。

 踏み潰させる訳にはいかない、となのはは限界を超えて魔法を行使する。

 

 

「……また、僕の邪魔をしたな」

 

 

 ふらふらと立ち上がった少女。間に合わなかった少女は悲痛に顔を歪めたまま、それでも必死に意識を保っている。

 

 唇の端から血を流す少女が、死力を振り絞って放った魔力砲。

 その輝きに僅か見惚れながらも、自身の行いが邪魔をされたことに対する怒りが上回る。

 

 傷はない。傷付いてはいない。

 魔砲の直撃すら、蚊の刺した痛みにも届かない。

 

 だが――

 

 

「三度だ。三度もお前は、僕の決定を妨げた」

 

 

 それは希少種であっても、許されるレベルを超えた行為。

 己こそを世界の支配者だと信じて疑わない男にとって、それは万死に値する罪である。

 

 

「下等種がっ! 家畜風情がっ! 甘い顔をしてやれば、付け上がる。やはりお前達には、相応の教育が必要だなぁっ!!」

 

 

 気に入らないな。躾がいるぞ。家畜の分際を弁えろよ下等種が。

 

 膨れ上がった自我は、傲慢な決定を押し付ける。

 既に反魂香を吸い込み意識が朦朧としている少女とて、例外にはなり得ない。

 

 

「この世の全ては、僕が決めて僕が裁く。命の保証はしてやるが、他に保障があると思うな」

 

 

 どんと音を立てて、男が大地を滑る様に疾走する。

 震脚による踏み込み。その反動での軽い跳躍。だがたった一歩の歩みだけで、距離は詰められていた。

 

 男は既に眼前に、怒りの混じった笑みを浮かべて、その右腕を大きく振るう。

 

 

「ぷ、プロテクション!」

 

 

 対応する為に、必死に障壁を展開する。

 振るわれた右腕を障壁で防ぐ。強力な障壁は、確かに初撃を防ぎ切り――

 

 

「へぇ、そんな物もあるのか。……だけど脆いな」

 

「あっ!?」

 

 

 続く二撃があっさりと砕き、左の拳がなのはの腹に突き刺さった。

 

 

「あっ、ぎぃっ」

 

「……鎧か? おかしな感触だ」

 

 

 激痛に表情を歪め、潰れた蛙のような声を漏らす少女。

 それを一顧だにせず、バリアジャケットの感触にのみ彼は一瞬眉を顰める。

 

 だがそれも一瞬――

 

 

「御神流・徹」

 

 

 即座に放たれた第三の拳が、鎧を無視して打ち込まれる。

 まるで釘打ち機に打たれたかの様な痛みに、少女は悲鳴も漏らせない。

 

 

「鎧通し。浸透剄。お前達家畜が考えることはどれも似通っているが、まあ僕の役には立っているね」

 

 

 バリアジャケットを無視して打ち込まれた衝撃に、なのはは込み上げてくる物を耐えられない。その場に蹲って嗚咽しながら、胃の中身を嘔吐した。

 

 

「……汚らわしい」

 

 

 吐き出された胃液が床に飛び散るのを見て、元凶たる男は吐き捨てる。

 余りにも身勝手な言葉を口にしながら、高町なのはへとその手を伸ばした。

 

 

「吐くのを止めろ。王の御前だぞ」

 

 

 喉笛を掴んで、気道を抑える。無理矢理に嘔吐し掛けている物を飲み込ませると、片手で軽々と少女を持ち上げた。

 

 呼吸を止められた少女は、脱力して手足をだらんと伸ばし、青ざめた表情を浮かべている。

 ここで殺すつもりのない氷村は僅か手を緩め、途端確保された気道で、必死に酸素を取り込もうと呼吸を始める少女を笑う。

 

 

「無様だなぁ、家畜。僕に逆らうから、そうなるんだ」

 

 

 その青き両眼が少女を見据える。これほど接近しているのだ。そう荒い呼吸をしてしまえば、傾城反魂香の影響を受けるだろう。

 

 甘い香の香りに飲まれ、少女は桃源へと沈んでいく。

 さあ、この家畜はどんな無様を晒すか、それを待つ氷村の前で――

 

 

「……気に入らない目だ」

 

 

 しかし彼女は屈しない。

 歪みによって高められた魂は、反魂香をもってしても容易には染まらない。

 

 意識は飛ぼう。体は動かなくなるだろう。

 阿片の香は、少女にとって猛毒である事に違いはない。

 

 

「その眼を止めろ、下等種っ!」

 

 

 だが、それでも心だけは屈しない。

 痛みも苦痛も麻薬も、彼女の心を折るには届かない。

 

 なのはは崩れそうな意識の中、それでも氷村を睨み付ける。

 その視線に何かを重ねて、怒りを抱いた男は更なる悪意を此処に示す。

 

 

「気に入らない。許せない。ああ、そうだ。そうだな」

 

 

 ニヤリと邪悪に笑う。

 悪しき思考を思い付いて、男は暗く笑みを浮かべた。

 

 

「お前達下等種は、仲間が傷付いた方が堪えるんだったな」

 

 

 この少女の心、圧し折ってやろう。

 泣いて詫びる少女を踏み躙って、全てを奪い取ってやろう。

 

 首を砕かれ頭部が転がっているファリン。

 反魂香を吸い込み虚ろな目をした少女達。

 

 こんなにも、なのはの心を砕く材料は存在している。

 

 

「一人ずつ頭を砕いていこう。その砕ける瞬間を特等席で見せてあげよう」

 

 

 にぃと笑う氷村の言は、どこまでも本気で言っていると分かる物。

 

 

「お前の所為だぞ、下等種。お前が僕に逆らうから、家畜を間引かないといけなくなったぁっ!」

 

 

 自分に逆らう者に、価値はない。

 生きる価値など何処にもなく、苦しむ義務だけ存在している。

 

 この男にとって世界とは、そういう物に他ならない。

 

 

(だ、めだ)

 

 

 止めないといけない。それだけは許してはいけない。

 

 だがなのはでは届かない。非殺傷の魔法は何の痛痒も与えることは出来ず、殺傷設定でもどこまで通じるか。

 障壁もバリアジャケットも意味を為さず、どころか捕まっている現状を如何にかしなければどうしようもない。

 

 

(この人を、止める、方法。……何か、あったような)

 

 

 虚ろな瞳で考える。霞がかった思考で思い出す。

 そう。誰かが言っていたはずだ。魔導士が持つ、非魔導士に対する圧倒的なアドバンテージ。

 

 

――魔力はない。そんな相手と正々堂々戦う必要がどこにある?

 

 

 思い返したのはあの日の父の言葉。

 兄に言い聞かせるように、非魔導士が魔導士に勝てない理由を口にしていた。

 

 そう。それこそが――

 

 

「封時、結界」

 

 

 氷村遊から、逃げ延びる唯一の手段。

 

 桜色の魔力が飛び散る。

 魔力が空間を切り取っていく。

 切り取られた空間は、氷村遊だけを排除する。

 

 如何に彼が強大であれ、その身にリンカーコアを有してはいない。

 ならばこの隔離世界にて、夜の王が動ける道理は何処にもない。

 

 この男は、戦っても勝てない相手だ。

 だが戦う必要など、最初からなかった相手でもあるのだ。

 

 

「なんだ、今のは!?」

 

 

 驚愕の声を上げる氷村。その結界を知らぬ彼から見れば、現状は突然少女が消え失せたようにしか見えない。

 

 

「透明化? いや、それなら掴んでいた感触までしないのはおかしい。……空間転移か? それまであれは出来ると言うのか」

 

 

 周囲の少女達も、砕かれたファリンも、もうそこには残っていない。

 またも自身の企みを妨害された。だと言うのに氷村は、今度は機嫌が良く。

 

 

「ああ、良いなそれ。欲しいぞ。……転移能力。あのバリア。どちらも僕が持つに相応しい力じゃないか」

 

 

 男は逃げられた獲物に、舌なめずりをする。

 否、彼にとっては逃げられたという意識がない。

 

 所詮子供。幾らでも逃げ出す力を持っていようと、逃げ込む場所など容易に想像できる。だからこそ、彼の手からは逃れきれない。

 

 

「狐狩りと行こうか。まずは巣穴を潰すところから、少しずつ追い詰めてあげよう」

 

 

 折角、外に客人が来ているのだから、まずは彼らから潰してあげよう。

 

 氷村は震脚で館を揺らす。

 その衝撃で室内の窓ガラスがぱりんと割れる。

 

 肉体を無数の小さな蝙蝠に変えると、割れたガラスの隙間から外へと飛翔した。

 

 

 

 そして館の前に、蝙蝠が集まる。

 重なり合ったそれは、外で手を拱いていた男女の眼前で人型に変化する。

 

 

「さあ誅罰の時間だよ。売女と下等種」

 

 

 刀を取る高町恭也を、身を固める月村忍を、嘲笑って見下した。

 

 

 

 

 

2.

 剣閃と拳撃が舞う。鋼を打ち合うような硬い音が響き、打ち合った両者は互いに正反対の表情を浮かべていた。

 

 打ち合う度に欠けていく刃に、焦燥を隠せない高町恭也。

 打ち合う度に勝利へと近付いていく現状に、笑みを浮かべる氷村遊。

 

 鋼鉄より硬い肌を傷付けることが出来ず、悲鳴を上げている名刀。父より譲り受けた御神の刀、八景。飛針も小刀も鋼糸も全て、鬼の外皮を貫けない。

 

 

「どうした下等種? 折角合わせてやっているのに、なあおい、武器の扱いすら劣るなら、お前に一体何がある」

 

「ちっ!」

 

 

 必死に技を繰る恭也に対し、氷村はあくまで余裕。

 その態度を崩さず、後の後にて迎え撃つ。

 

 

「御神流・薙旋っ!」

 

 

 抜刀からの四連斬。薙旋。

 その四撃を全て見切り、全く同じように四撃を返す。

 

 恭也はそこで、僅かに違和感を覚えた。

 

 

「そら、どうした下等種。考え込んでいる暇があるのか?」

 

「っ、舐めるな!」

 

 

 だが嘲笑を向けられて、思考よりも戦闘を優先する。

 思い付いた可能性は錯覚だろうと己を欺き、高速の抜刀術を撃ち放つ。

 

 

「御神流・虎切っ!」

 

 

 燕返しとも称される、空の敵すら切り裂く飛ぶ斬撃。

 距離を離して虎切を放つ恭也に、氷村は同じように拳で衝撃波を打ち放つ。

 

 結果は相殺。どちらも傷付く事はなく、顔に張り付いた表情も変わらない。

 唯一つ、先の違和感がより強くなる。まさかと言う戸惑いが、隠せぬ程に大きくなっていく。

 

 

「御神不破、奥義の歩法っ!」

 

 

 そんな戸惑いを抱きながら、神速の領域に至る。

 肉体のリミッターを外し、知覚と身体能力を限界を超えて強化する。

 

 一瞬、速力だけなら血を啜る鬼に並び、しかし――

 

 

「御神流・神速」

 

 

 直後に全く同じ奥義で、その差を大きく引き離された。

 

 

「やはり、それはっ」

 

 

 笑みを浮かべて、悠然と佇む吸血鬼。

 そのニタリと張り付いた笑い顔に、恭也は驚愕交じりに確信を口にする。

 

 

「……何故、貴様が御神不破の技を使えているっ!?」

 

 

 その動きは、正しく御神不破の技。

 氷村は恭也の技を見て、全く同じ技を返していたのだ。

 

 一度見られた程度で使われるほど、御神の技は浅くはない。

 一体如何なる理由で、この男がその奥義である神速までも使えるのか。

 

 そんな疑問に、彼は笑って答える。

 

 

「永全不動八門一派・御神真刀流。僕が覚える価値がある技術だ。誇って良いぞ、下等種」

 

「だから! それをどこで学んだと聞いているっ!」

 

 

 激発するように鋭くなる剣閃。

 それにすら、氷村は余裕を失うことはない。

 

 全て返す。全く同じ動きで、先手を譲っておかれながら、そんなものかと嘲笑っている。

 

 

「さて、いつ蒐集したのだったか。……あまり興味のないことは覚えておかない質でね」

 

 

 存外に、氷村は使い手などに興味はないと語っている。

 

 真実、彼が執心するは優れた技術のみ。

 人間などはその付属物に過ぎないと思考する。

 

 振るい続けられる剣閃を躱しながら、悩む素振りを見せる氷村。

 考え込む余裕がある。そんな嘗められた態度をされること。そして自身の流派が汚されているような現状に、恭也は怒りを隠せない。

 

 

「ああ、思い出した。大陸で潰した羽虫が使っていた物だ」

 

 

 氷村が浮かべる笑みは、性質の悪い嘲笑。

 恭也にとっての逆鱗を、嗤いながら氷村は踏み抜いた。

 

 

「何だったかな、御神、美沙斗だったか? 絞り粕には普通興味が残らないんだが、中々面白い物を貢いでくれたからね。ああ、多少は覚えているよ」

 

「美沙斗さん、だとっ!?」

 

 

 その女の名を知っている。

 

 御神美沙斗。高町士郎の妹であり、美由紀の実の母でもある女。

 夫である御神静馬が龍と呼ばれる組織に殺された後、仇打ちの為に娘を兄である士郎に預けて大陸へと向かった女傑。

 

 香港国際警防隊に所属し、ある程度の地位を得たという言葉が書かれた手紙を最後に、二年ほど前に連絡が途絶えた女性だ。

 

 

「貴様、あの人に何をした!!」

 

「ん? ああ、あまり覚えていないな。……大陸へは、この僕を差し置いて不遜にも闇の頂点とか語っていた下等種の組織を潰す為に向かったんだが」

 

 

 翻る刃。息を吐かせぬ程の猛攻を前に、なおも余裕の表情を崩さず、氷村は思い出したことを口にする。

 

 龍という組織があった。人類最強の防衛組織と謳われる香港国際警防隊ですら手を焼く、世界最大規模の犯罪シンジゲート。

 

 国連にすら魔の手を伸ばしていたその組織は、この男唯一人に潰された。

 そして不幸にも、龍を追っていた女は、この男の眼に止まってしまったのだ。

 

 

「……ああ、そうだ。あの屑共を嬲っている所に割って入って来た、下らん雌が居たんだったな」

 

 

 高町美沙斗は優れた剣士であった。

 百人の戦士を単独で返り討ちに出来るほどの剣士であった。

 

 だが、夜の王の圧倒的な暴威の前には、そんな力は無意味であった。

 

 香港国際警防隊の所属隊員全員が、この男の糧となった。

 非合法すれすれの世界最強集団は、この男にとって良き蒐集対象でしかなかった。

 

 

「価値ある技術を持っていたからな、嬲り尽くしてその全てを引き出した」

 

 

 男はまるで何でもないことのように、自らの所業を語る。

 美沙斗が恭也の身内と分かって、だからこそ嗤いながら口にする。

 

 

「絞り粕には興味がないから、欲しい欲しいとうるさい家畜にくれてやった」

 

 

 それは外道の所業。無意味に無責任に、男はただ下種な行為を繰り返す。

 

 

「運が良ければまだ生きているんじゃないか? 正気の保証は出来ないけどね」

 

「氷村、貴様ぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 身内を傷付けられた。その所業を許してなるものか。

 激昂した恭也は、今まで以上に裂帛の気迫を纏っている。

 

 

「貴様はっ、貴様だけはっ!!」

 

 

 恭也の猛攻は鋭さを増し、しかし氷村に届かない。

 血を啜る鬼の身体能力は、神速を用いた高町恭也を遥かに凌駕している。

 彼の集めた技術は、恭也のそれを遥かに凌駕している。

 

 

「はっ、はははっ、はははははっ! 無様だなぁ、下等種。笑えて来る無様さだ!」

 

 

 彼の蒐集した技術は御神不破のみに非ず。

 明心館空手。日門草薙流。鳳家拳法。神咲一灯流。神咲真鳴流。神咲楓月流。

 一子相伝の秘技から、民間にも広く開かれた一般的な武芸まで、種類を問わず質を選ばず、目に付く全てを集め続けた。

 

 それら武芸の使い手達を、或いはその関係者を嬲り、蹂躙し、殺し、奪い取った。故にその技巧は、既に武の頂へと迫っている。

 未だ一騎当千の域を出ない恭也では、逆立ちしたとて届かない高みにいるのだ。

 

 

「どうした、下等種。お前は優れた剣士なのだろう? だったら、加減をしてやるから、全霊を振り絞れよ。僕が学ぶに足る物を、限界を超えて引き摺り出してみろ!」

 

 

 そしてそれだけでもない。氷村遊の体は全身これ薬物の塊だ。

 彼に近付き、こうして戦闘を行っていることで、傾城反魂香の影響を受けてしまっている。意識が遠のく。何をしているのか分からなくなる。

 

 

「それすら、この僕にはまるで届かないだろうけどなぁっ!」

 

 

 故に氷村は嗤っている。

 もう高町恭也が長くは持たないのだから。

 

 

(だが、その慢心が死を招くと知れ!)

 

 

 その気になれば恭也など一瞬で平伏せさせることが出来るだろうに、氷村は嬲って遊んでいる。攻撃など無駄だと、優れた技術を回避に使おうとすらしない。

 

 それが御神不破の前ではどれほどの愚行となるか、身をもって知ると良い。

 

 

「御神不破流の前に立った事を、不幸と思え」

 

 

 容赦などない。躊躇いなどありはしない。

 この外道を討つ為に、己が命すら惜しまない。

 

 一擲に全霊を賭して乾坤と為す。その覚悟が、ここにある。

 

 この男の防御力の高さは外皮の硬さ、筋肉の硬度に由来している。

 尋常ではない特殊な力などではなく、鍛え抜かれた体こそがその力を支えている。

 

 彼は強靭な鎧を纏っているような物。

 そもそも攻撃が通じないという反則ではないのだ。

 

 ならば、それは御神不破の技が通じるということも示している。

 

 神速では届かない。二重神速でもまだ足りない。

 ならば三重。限界を超えた先の限界を、ここで更に振り切って進む。

 

 振るうは閃。御神の秘奥。

 それに衝撃を内部に伝える透の技法を載せて、打ち放つは乾坤一擲。

 

 

「喰らえぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 ドンと空気の壁を打ち抜き放たれた刺突。

 それは狙い余さず氷村の体に突き刺さり、その胴に大穴を開けた。

 

 

 

 がくり、と膝から崩れ落ちる。

 限界を超えた代償に全身の筋肉が引き攣り、所々で断裂を引き起こしている。

 

 脳が沸騰したように熱く、肺が破れたかのように痛い。

 骨も幾つも逝っていて、無事な場所などないだろう。

 

 

「恭也!」

 

 

 倒れ込む恭也の傍に、忍が駆け寄る。

 崩れ落ちた体を支えて、ゆっくりと座り込んだ。

 

 手にした八景。父より譲り受けた名刀が音を立てて砕け散る。

 

 

「済まない。だが、ありがとう」

 

 

 随分と無茶をさせた。

 だが最後までもってくれてありがとう。

 

 あの外道を討てたのはお前のお蔭だと、分かれる相棒に感謝を告げる。

 

 

 

 高町恭也は、確かに勝てたと安堵して――

 

 

「やってくれるじゃないか、下等種風情がぁっ!」

 

 

 地の底から響くような声に勝利の余韻が消し飛び、背筋に怖気が走った。

 

 青褪めた表情で、体を動かそうとする恭也。

 しかし、限界を超えて無茶をした体はまるで動かず、その視線だけを向けるしか出来ない。

 

 その視線の先に、氷村の死体が立っている。

 胴に大穴を開けて、内臓を幾つも吹き飛ばされ、それでもなお立っている。

 

 

「貴方、何で」

 

「ふん。売女が! 吸血鬼は死者の王だぞ、死ぬ訳がないだろう!」

 

 

 困惑する忍に、氷村が返す言葉はそんな物。

 当たり前と彼が断ずる、彼の内にしかない閉じた真実。

 

 

「嘘よ! 私達は突然変異しただけの人間。夜の一族は決して不死身じゃないわ!!」

 

「そうだろうな。お前はそうだろう」

 

 

 忍の否定に、遊は当たり前の様に返す。

 夜の一族が人間の変異種に過ぎないと、それが一般的な思考である。

 

 だが、この男にとっては事実が異なる。

 

 

「そう。夜の一族は衰え過ぎた。吸血鬼を語る資格もないほどに無様に堕ちた。お前達も、かつての僕もそうだった」

 

 

 この男の中では、そうなのだ。

 世に蔓延る事実が如何であれ、この男にとってはこれこそが吸血鬼の真実。

 

 吸血鬼とは、不死の王。

 嘗ての祖は、もっと強大だった筈だ。

 

 現実を見ない閉じた男は、本気でそう信じている。

 

 

「だが、今の僕は違う。それだけの話だ」

 

 

 嘗ての先人の姿を思い、伝承に思いをはせて氷村は語る。

 語りながらも傷口の周囲の肉が膨れ上がり、彼の傷を塞いでいく。

 

 

「血を吸ってもいないのに、そんな重症が治るというの!?」

 

「ふん。吸っていたさ。吸い尽くした命が僕の中にある」

 

 

 命のストック。奪い続けた命の総量が、男の身体に満ちている。

 その総数が尽きぬ限りは、氷室遊と言う夜の王を殺す事は不可能だ。

 

 

「……何よ、それ!?」

 

「これが吸血鬼だ。夜の一族だ! 気が狂うかのような鍛錬の果てに、僕は先祖帰りを果たしたんだよ!」

 

 

 そう吠える。己の考え、先祖帰りという的外れ(・・・)にも程がある考えを、それに至った経緯を、氷村は自慢げに語り始めた。

 

 

 

 かつて、人間達を前に敗れ去った氷村遊は、そのプライドの高さ故に己の敗北。己が劣等さを認められなかった。その敗北が余りにも惨めな形だったから、男は現実から目を背けて夢想した。

 

 己が負けたのは、彼らに優れた技術があったから。

 そうに違いないし、それ以外の理由などは認めない。

 

 そんな小物はその敗北の理由が人間の戦闘技術にあると考えても、その技術に価値があると知っても、その技術で自分が劣っていることが許せなかった。

 

 故に鍛え上げたのだ。

 寝食も忘れ、狂念にも迫る想いで、己を唯鍛え上げた。

 

 人間が持つ技術を得れば、己はもう敗れない。

 あんな無様は訪れず、自身は完全無欠な夜の王となる。

 

 だが、家畜に師事する気などない。

 自分に劣る者らに対し、頭を下げるなど耐えられない。

 

 ならば、奪い取るのが基本である。

 優れた武人を痛めつけて、その全てを奪い去る。

 

 まず彼は自身を倒した相川真一郎が空手家であった為に、適当な町の空手道場を襲いその技術を目に焼き付けた。

 

 そして一人になると、その焼き付けた技術を体に馴染ませるまで反復し続ける。

 

 繰り返した。繰り返して繰り返して繰り返した。

 何度も殺し、何度も奪い、そして己を鍛え上げる。

 

 一年を過ぎた頃、食欲を抑えきれなくなって吸血を行った。

 

 かつての彼にとって、吸血行為とは食事というより趣味に近い物だった。

 食前酒を嗜むように、生きるのに必要な分だけ吸って、後は常人と同じ食生活を送ることを好んでいた。

 

 だが、その時の吸血は違った。

 少量だけで止めようと考えていたのに、吸血行為が止まらない。

 

 血を吸い尽くしても飢えは収まらず、浅ましくも肉を貪り、臓物を食らい、それでも収まらずに骨までしゃぶりつくした。

 

 そして彼は気付かず、その魂までも食らっていた。

 

 急速に肥大化し、己の意志を離れた食欲。人一人を食らい尽くしても収まらぬ飢え。常人だったならば、己の肉体変化に恐怖を覚えていたであろう。

 

 だが、氷村遊は違う。彼はこの変化を羽化の証であると捉えた。

 肉体が変異する為に必要な栄養が足りないから、それを求めているのだと考えた。

 

 否である。生体機能として必要不可欠な補給行為を行っていなかった結果、飢えに耐えられなくなっただけ。

 既に体が悲鳴を上げているという現状にあって、痛みすら感じられなくなっていただけだ。

 

 だが、それはまるで的外れの自己陶酔でしかなくとも、魂を食らうという行為が彼の魂を上の位階へと引き上げていた。

 

 夜の一族の体質と、捕食という行為と、彼の狂気の念が結び付き、食らった魂を取り込み自身の魂の質を上げるという現象を引き起こしていたのだ。

 

 

 

 都心から外れた地にある村落。そこに住まう百人弱の住民達。

 彼らを全て食らい尽くした所で、彼の開花は訪れた。

 

 肉体強度が上がっている。筋肉の質が変わっている。

 蝙蝠になる。霧になる。狼に変わる。そんな以前より持っていた力が、大幅に高められている。

 

 人を食らうという形で魂を取り込んだ彼は、食った分だけ魂の純度が増し、結果引き摺られて肉体も強化されていく。彼が脳裏に抱いていた吸血鬼に相応しいスペックへと。

 

 そして得たのが不死性だ。

 食らった命。奪った魂の数だけ死から蘇る命のストック。

 

 その時彼は理解した。そう彼は思い込んだ。

 これこそ吸血鬼。夜の一族があるべき姿であると。

 

 加速度的に純度を増していく魂に引き摺られ、進化していく肉体。

 それは彼が知る由もないが、彼の第四天が作り上げた永劫破壊の術理と同じ原理。殺せば殺すだけ、彼の格を引き上げていた。

 

 無意識のうちにそれを為し、故に氷村遊は怪物となった。

 

 

 

 笑いながら自慢気に、自身の考えを語る氷村。

 語っている内に上機嫌になったのか、先ほどまでの苛立ちは見えない。

 

 彼の語る先祖帰りという発想が的外れだと知らず、だが事実として怪物と化した氷村の姿に二人は唯絶句した。

 

 

「……貴方は、これまでどれ程の命を奪ったと言うの!?」

 

「売女。君は今まで食べたパンの枚数を数えているのかい?」

 

「貴方は!」

 

 

 陶酔したように語る氷村の姿が、忍には悍ましい物に見えて仕方がない。

 夜の一族とは、同族とは、ここまで終わってしまえるものなのか、と。

 

 

「そういう訳で、僕を殺したければ吸い殺した人数と同数回、致命傷を与える必要がある訳だ。……出来るのかな、君達に?」

 

 

 不死不滅の肉体。故に氷村の傲慢さは余裕であって、慢心には成り得ない。

 人が抗う域にある怪物ではない。この男は神話に出て来る怪物と同種だ。

 

 

「とは言え、一度殺されたのは事実だ。……ここは油断せずにいこうか」

 

 

 言葉と共に彼の肉体が赤い霧に変わっていく。

 その赤い霧は、あっという間に周囲を満たす。

 

 そして――

 

 

「が、がぁぁぁぁぁっ!」

 

「恭也っ!」

 

 

 男の悲鳴が上がる。

 その赤い霧に、生きたまま溶かされていく声が。

 

 

「強酸性の霧による吸血だ。無論、今の僕は霧だからね。物理攻撃は通らない」

 

 

 氷村は笑う。為す術無く溶かされていく恭也の姿に、見詰めて抱きしめるしかない忍の姿。二人を見下し、歪な笑みを浮かべている。

 

 両者を一瞬で取り込むことは出来る。

 だが敢えて、月村忍には影響を与えていない。

 

 それは無論、同族への慈悲ではない。

 家畜に過ぎぬ下等種に、心奪われた愚か者への処罰である。

 

 愛する者が、溶かされていく様を直視しろ。

 何も為せずに指を咥えて、唯無力に見ているが良い。

 

 それが氷村の目論見。それが彼の誅罰。

 

 

「貴方には、愛や情はないと言うの!?」

 

 

 優れた頭脳故に、その考えに気付く。

 その余りの悪辣さに、月村忍は吐き捨てるように口にした。

 

 

「愛や情、か」

 

 

 呟くように口にして、必死に男に縋り付いている女を見下す。

 氷村遊は見下した女に、己の考えを教えてやろうと口にする。

 

 

「愛は分かる。情も分かる。人に属する感情、その全てを知っているさ。僕に欠落などはない」

 

「なら、何で! こんなことが出来るのよ!!」

 

「愛も情も知っているが、それでもとんと分からぬ事がある」

 

 

 血を吐くような訴えを無視して、氷村は言葉を続ける。

 そう彼に欠落があるとすれば、それは唯一点のみ。

 

 

「それは同格に向けるべき感情だろう? 姿形が似通った猿を相手に発情するのは、百歩譲って分からんでもない。だが何故その猿に逆上せ上るのか、それがどうも分からない」

 

「何を、言って?」

 

 

 唖然とした表情を浮かべる忍に、男は嗤いながら言葉を告げる。

 

 

「猿が愛の囀りをしたとて、そこに喜びなどない。乳牛に対してプロポーズをする男など特殊性癖の変態だろう?」

 

 

 彼にとって同格の存在とは夜の一族の事であり、それ以外は須らく家畜でしかない。

 家畜に愛情を向けると言う女の行為が、どうしても異常者のそれにしか映らない。

 

 

「お前も同じだ、月村忍。そんな下等な猿に股を開いて愛を囀る。理解が出来ない。気持ちが悪いぞ、お前」

 

「っ、氷村ぁぁぁぁっ!」

 

 

 ニヤニヤと馬鹿にしたように嗤う男。

 その男の悪意に気付いて、愛情を貶められた忍は叫びを上げた。

 

 だが、そんな思いは届かない。

 彼が人を人と見る事はないから、忍に共感する事などあり得ない。

 

 彼の欠落とは人への認識だ。彼は人を人として見ていない。

 己以外の同族こそ別枠に見ているが、それ以外の人など盛りのついた猿にしか映らない。

 

 故に罪悪感すら抱く事はなく、無責任に蹂躙が出来る。

 家畜でしかない下等種が苦しむ姿が、娯楽以上の意味を持たない。

 

 嘆きを齎す吸血鬼の、それこそが本性と言える物。

 

 

「さあ、そろそろ死ぬ時間だよ。下等種。……売女の方は家畜の牧場行きかな?」

 

 

 哄笑が響く中、恭也は何も出来ずに溶かされていく。

 死に瀕する己が恋人を抱きしめ、月村忍は慟哭する。

 

 

「溶けて、死ね。それが僕の決定だ」

 

 

 彼らの戦いは、ここに敗北という形を迎えた。

 

 もう詰んでいる。第三者の介入がない限り、悲劇という形で幕は下りるであろう。

 

 

 

 

 

3.

 桃色の香に包まれた屋敷の廊下を、高町なのはは歩いている。

 二階建ての洋館の、入口を目指して進んでいる。

 

 背には三人の少女達。自身の三倍という重量に押し潰されて、その歩みはまるで進んでいない。

 

 腕に抱えるのはファリンの頭部。体の方は置いてきた。その重量を持ち上げる力などなのはにはなかった。

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

 呼吸も荒く、呼気と共に反魂香を吸い込んでしまう。

 その度に意識が飛び掛け、大切な思い出が崩れて行ってしまうような錯覚を覚える。

 

 否、錯覚ではない。阿片中毒者と同じように、今の彼女の記憶は少しずつ壊されている。

 

 結界内の空気から反魂香だけを取り除くこと、それがなのはには出来なかった。

 元々結界は苦手な魔法だ。レイジングハートが手元にないこともあって、大気中にある成分の取捨選択までは出来なかったのだ。

 

 故に彼女は進んでいる。

 悪意に満ちた阿片窟を、一歩一歩進んでいる。

 

 

 

 そんな彼女の背で、唯一人意識を保っていた少女は歯噛みした。

 

 

(何でよ! 何でなのはが頑張っているのに、私の体が動かないのよ!?)

 

 

 その少女はアリサ・バニングス。氷村の魔眼により、意識を保っているようにと命じられた少女は故にこそ、この毒素の中でも辛うじて意識が残っている。

 

 だがそれだけだ。いやにクリアな思考に反し、彼女の体はぴくりとも動かない。

 それは道理。歪みもない。魔力もない普通の少女では、この場で意識を保っていることこそが奇跡に近い。

 

 そんな奇跡も長くは続かないだろう。

 彼女の意識も飛び始めている。記憶が混濁し始めている。

 

 魅了の魔眼よりも傾城反魂香の方が効果は強いのだから、そうなるのが道理である。

 

 少女達は逃げ延びることが出来ず、この館の中で薬物に溺れる。

 それこそ辿るべき結末。避けられない運命。

 

 

――そのまま必死に進みなさい。振り返っては駄目よ

 

 

 そんな声が、その運命を塗り替えた。

 

 

 

 直後、炎が燃え上がる。燃え広がった炎はなのは達を傷付けることはなく、香だけを焼いていく。桃色の毒を浄化するかのように、荒れ狂う炎が道を切り開く。

 

 

(きれい)

 

 

 その炎の輝きに、アリサは魅せられる。

 地獄の業火のような炎。決して美しいとは言えぬそれが毒を払う光景に、只々圧倒されていた。

 

 

 

 その光景を最後に、アリサは意識を手放した。

 

 

 

 炎が道を開く。進むべき先が見える。

 だがそれでも、なのはは先に進めなかった。

 

 薬物はもう全身に回っている。体力はとうに尽きている。

 震える足はそのまま崩れ、背に負った重みに押し潰される。

 

 

(ごめんね。皆)

 

 

 朦朧とした意識でそんな言葉を呟き、なのはは倒れ込む。

 もう一歩とて進めない。このまま館と共に、焼き尽くされて終わるだろう。

 

 運命は変われど宿命は変わらず、落とされるべき命は――一人の女によって繋がれた。

 

 ぼんやりとした視界で背後を見る。首のない片足の女が地を這いながら、それでも少女達を前へと押している。

 その体から上る青い輝きが、一歩進むごとに掻き消えていって、動かなくなる。その直前に――

 

 

「お嬢様! 皆様!!」

 

 

 ボロボロになったノエルが、彼女らを見つける。

 そこまで届かせるように、イレインは最後の力を振り絞って少女らを放り投げた。

 

 片手の捥がれたノエルは体で彼女らを受け止めると、一人たりとて落とさぬように強く抱きしめる。

 

 

「っ! 火の回りが早い! ここから跳びます!」

 

 

 少女達を抱えながら、ノエルは窓を破り飛翔する。

 

 ファリンの首と、四人の少女。そしてノエル。

 彼女らが脱出した直後、館は天を穿つ炎の嵐に飲み込まれ、焼け落ちた。

 

 

 

 

 

「な、僕の館が!?」

 

 

 その光景に誰より驚いたのは彼に他ならない。

 一体誰が。予想もしていなかった状況に、その頭を回転させて対策を練ろうとする。

 

 

「終わりよ、吸血鬼。貴方はここで終わる」

 

 

 館の前、黒髪の女が燃え盛る炎の剣を手に佇んでいる。

 

 まずいまずいまずい。

 その女の不味さを本能で感じ取り、氷村は撤退を選択する。

 

 その恐るべき炎の剣で焼かれぬように、その身を霧から人に戻して少しでも密度と耐久力を高める。

 

 瞬間――

 

 

「なっ!?」

 

 

 斬と体が断ち切られた。

 

 一瞬たりとも視線は外していなかったのに、気付けば女は至近に居て、自身の体が燃えている。

 

 

「馬鹿な!? 僕は夜の王だぞ! 闇の不死鳥だぞ!? そんな僕がこんなところでぇぇぇっ!?」

 

「……一撃で死なない。どれだけ魂を食らったのか、生き汚い男ね」

 

 

 燃え続ける体で、二つに分かれた体で、なおも逃れようとする男。彼を翻った刃が再度襲う。

 

 二度目はない。燃え盛る炎を二度耐えることは出来ず、その体は灰となって崩れ落ちた。

 

 

「やった、の?」

 

 

 あれほど凶悪だった男が、たった二撃で死亡した。

 その現実を信じられず呟く忍に、黒髪の女、櫻井螢は首を振って言葉を返した。

 

 

「いいえ、まだよ。本当に生き汚い奴。巣穴を焼かれて必死になっているわね」

 

 

 螢の見詰める先。燃え盛る館より湧き上がる黒い影。

 煙ではない。煙の如く天を覆うが、それは生物。万に迫る蝙蝠の群れ。

 

 

「まさか、あれ全部が氷村遊!?」

 

「……一匹でも逃したら最後、人を食って再生するでしょうね。一年もあれば元通り。あれは死に難さだけならもう神格域にある怪物よ」

 

 

 それは氷村がこの五年で食らった人間の数と同数。八千四百七十五匹。

 密度を上げても炎に耐えられぬと学んだ彼は、故に館の奥に隠していた魂を極限まで薄めて数を増やし、この場より逃れようと企んでいる。

 

 その万に近い蝙蝠。一目散に逃げようとするそれらは全滅させることは、とても困難であっただろう。

 

 だが所詮それだけだ。

 天を覆い、海鳴市を埋め尽くす程の数があっても、大天魔からは逃れられない。

 

 

「けど、相手が悪かったわね。広域を焼くのは得意なの」

 

 

 轟と膨れ上がる炎が、天を赤く染め上げ燃やす。

 例え不死身の夜の王でも、無間焦熱地獄には耐えられない。

 

 空を真っ赤に染め上げて、その一撃で氷村遊のほとんどを焼き殺す。

 

 だがその炎の海を、逃れた数羽の蝙蝠がいる。

 

 

「ちっ! 本当に生き汚い!」

 

 

 数羽の生き残り。

 それらが非戦闘員へと向かって行く。

 

 即ち、なのは達救出された少女の元へ。

 

 この位置で炎を放てば、はやてまで巻き込む。それを見越しているのかいないのか、生き汚く足掻く氷村は少女達に食らい付かんとその顎を開き。

 

 

「ハーイ。没収!」

 

 

 そう。ここにいたのが炎の女だけならば、或いは氷村も逃げ延びたかもしれない。

 

 だがここにいる天魔は一柱ではない。沼地の魔女も同じく。

 最初から全てを見て置きながら、素性を隠し通す為に、ギリギリまで手を出さない。そう決めていた少女は、今がその時と影の沼で少女達を避難させた。

 

 

「褒めてあげるわ。歪みも加護も残滓もなしに、そこまで至ったことだけは」

 

 

 氷村遊はこの数億年、彼ら天魔が見た中でも最も神格域に近付いた生物だ。

 これでもし性格が真面だったならば、そう惜しむ気持ちもない訳ではない。

 

 

「けど、神の代替わりは必要ないし、お前の命も必要ない。ここで死になさい」

 

 

 剣から放たれる業火が荒れ狂う。

 欠片一つ残さないと荒ぶる炎に包まれて、氷村遊は言葉一つ残せず燃え尽きた。

 

 

 

 全てを支配したと妄信していた夜の王は、そうして此処に敗れたのだ。

 

 

 

 

 

「わーお! レオンったらそんなにあの子が苛められて頭にきていたのかしら。随分とまあ念入りに焼いているわね」

 

 

 沼地の魔女は少女達の診察をしながら、その光景に声を漏らす。

 

 随分と派手にやった物だ。この子達が気絶しているから良いが、もし起きていたらどう誤魔化すつもりだったのか。

 

 

「あ? 何よ、ベイ。さっきから煩いわよ、アンタ。え、あれが吸血鬼だって? そりゃ見れば分かるけど? あー、そんなにあの器欲しかったの? でも我慢なさいな、もう燃え尽きて残ってないっつーの。あ、どうにかしろ? 無茶言うなし。あーはいはい。アンタの器は別に考えとくから、少しは静かにしなさい。中で騒がれると頭痛くなるのよ」

 

 

 幼い頃からの憧れを具現したような存在を見た為か、体内ではしゃいでいる残滓に魔女は頭を抱える。もう一人の方に抑えるように頼み込むと、少女達の頭を軽く撫でた。

 

 

「ん。全身に回ってた薬はこれで大丈夫。……ただ表層の部分の記憶。短期記憶はもう駄目でしょうね」

 

 

 薬の影響で記憶が混濁してしまっている。表層部分はズタボロになっている為、これはもう消してしまった方が良いだろうと魔女は判断する。

 

 

「今日のこれは悪い夢。寝て起きれば忘れてしまうわ」

 

 

 余程強く心に残った事でもなければ、もう思い出すこともないだろう。

 今日一日の出来事を全て真っ新に変えて、沼地の魔女は静かに微笑む。

 

 

「館をレオンが燃やして、気絶した貴女達を私が拾う。そういう決め事だったんだけど」

 

 

 魔女が手を貸す前に、彼女達は自らの力で乗り切った。

 一人の力ではなく、繋いだ絆が確かに彼女達を生き残らせたのだ。

 

 

「やるじゃない。貴方達」

 

 

 だから魔女は、素直にそれを褒め称えた。

 

 

 

 さて、そろそろ少女達を迎えに保護者達がやってくるだろう。

 草むらに引き込んだから自分の正体はバレていないだろうが、ノロノロしている訳にもいかない。見つかる前に退散しよう。

 

 何とか立ち上がってなのは達を探す恭也と忍。

 目の前で少女達を攫われた為に必死になっているノエル。

 

 魔女の位置を知っているが故に、ちゃっかりとはやてを回収して立ち去り始めている螢。

 そんなそれぞれの態度に溜息を一つ零すと、自身の素性を知られる前に彼女は影の沼へと逃げ込んだ。

 

 

 

 遅れて漸くやってきた高町家の面々が、なのは達を見つけ出す。

 眠りながらも無事である三人の少女の姿に、彼らは安堵の溜息を漏らした。

 

 

 

 当事者たちに何を残すでもなく、少女達に忘れ去られて、氷村遊の起こした事件はこうして幕を下ろしたのだった。

 

 

 

 

 

4.

 事件から数日後、少女達の姿は月村邸内にあった。

 高町恭也は入院し、彼女達も何故か検査入院を行うことになった。

 

 結果は異常なし。だがそこで少女達があの日の全てを忘れていることに大人たちは気付いた。気付いてしかし、敢えてそれを指摘せずに隠し通した。

 

 悪い思い出などない方が良いと。

 

 そして彼らは今氷村遊の犠牲者達や、氷村を倒した炎の女を探している。

 その調査の為に大人たちが家を空けている間、少女達は最も防備の整った月村邸で軟禁生活を送ることになっていた。

 

 少女達はよく分からない理由で外出制限を受けて、こうして友人宅の中で過ごしている。

 何があってこうなったのか、あの日の記憶を失くしている少女達に因果関係が分かることはない。

 

 

「うーん。どこ行ったんだろう、課題プリント?」

 

「あれ、なのはも失くしてたの?」

 

「アリサちゃんも?」

 

「……どこかに落としてきた気がするんだけど、どこなのか分からないのよね」

 

 

 うーんと頭を捻る少女達。プリントの再配布を担任に頼むべきかも知れないと口にするアリサに、えーと不満げな声をなのはは零す。

 

 

「二人とも失くしてるんだ。私もなんだ。御揃いだね」

 

「何で嬉しそうなのよ、すずかは」

 

「ってか近くない? 今日のすずかってば、アリサやなのはに近付き過ぎじゃない?」

 

 

 ぴっとりと寄り添うように、二人の少女のどちらかにくっついている月村すずか。その姿に、アンナは一歩引いた表情を浮かべて口にする。

 

 

「百合の花が見えるわ」

 

「碌でもないこと言うな、馬鹿アンナ!」

 

「あはは、そんなんじゃないよ。何だかなのはちゃんとアリサちゃんなら、もっと近付いても良いかなって思えて。……けどアリサちゃん達が望むなら私は」

 

「な、こいつ真正だと!? ないわー。同性愛とか非生産的過ぎてないわー」

 

「百合? お花? 何で?」

 

 

 ぎゃあぎゃあと喚く友人達を背に、高町なのはは言葉の意味が分からずに首を捻る。

 

 そんな風に考えているなのはの眼前を、コロコロと丸い物が転がっていった。

 

 

「あーれー、目が回りますー」

 

 

 スペアのボディを与えられたファリンが、上手く繋がっていないせいで転がり落ちた自分の頭部を追い掛けていた。

 ホラー映画のワンシーンのような姿だが、彼女がやるとコメディにしか見えていない。

 

 そんな彼女の頭を拾い上げると、なのははそれを手渡す。

 

 

「あー、ありがとうございますー」

 

 

 間延びした口調で礼を言うファリンを、なのはは暫し仰ぎ見て――

 

 

「ありがとうございました!」

 

 

 何とはなしに、気付いたらそう口にしていた。

 

 

「え、何でなのはちゃんがお礼を言ってるんですか?」

 

「……にゃはは、何でだろう? 何か言わないとって、そんな風になのはは思ったんです」

 

 

 理由も分からず衝動的に感謝を告げたなのはは、ふとある女の姿を幻視する。

 ファリンに似ていないのに似てる女は、ふっと笑みを浮かべて感謝を受け取った。そんな気がした。

 

 例え記憶が失われたとしても、無くならぬ思いは確かにここにあったから――

 

 

 

 高町なのはは、にっこりと笑うのであった。

 

 

 

 

 

 




ア螢出現時のBGMは、Letzte Bataillon(Dies irae)で。

大天魔出現時のBGMは『祭祀一切夜叉羅刹食血肉者』だけど、個人的にアレは宿儺さんの専用曲な印象があるので(マッキーは黒騎士のテーマで)、他の天魔出現時にはDiesのボスキャラ出現BGMを鳴らしながら書いています。


因みに、氷村さんの強さの理由は単純に魂の純度が引き上げられていたから、先祖帰り云々は彼の誤解です。魔法や太極に対しての耐久性も魂の純度の高さが理由です。

この世界で最も神格域に自力で近付いた人物。その存在を知れば神格を生み出すことを諦めかけている顕明さんは泣く。さらにこいつの下種っぷりを知ると号泣する。

そして更に、氷村さんが敗北した時のとらハ1綺堂さくらルートのラストバトルを知ると、もっと号泣すると思う。……あの展開はボスキャラとして、情けなさ過ぎるだろ氷村遊。


当作の氷村遊は、そんな情けなさ払拭の為に魔改造されました。
単独で一万人相当の魂純度。魂関連の知識も技術も何もないのでこの領域、人で打倒可能な範囲内に止まっています。

これをベイが手に入れたらやばいことになるのは、確定的に明らか。

プロット段階で居た超吸血鬼。この氷村スペックで中身ベイ。
傾城反魂香と天魔・血染花の魅了・吸収効果が付与されたとらハ格闘技を使ってくる怪物。

何で作者はそんな頭悪いのを書こうとしたんだろう。(暴言)





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ユーノ編第三話 管理局防衛戦

今回の話で天魔勢がどの程度弱体化しているか、管理局側の現有戦力がどの程度の物なのか、大体分かると思います。

ワンチャンはあった。


推奨BGM Letzte Bataillon(Dies irae)


1.

 鳥の鳴く声すら聞こえぬ静寂とした夜。

 クラナガンがあった地点に広がる、膨大な土のグラウンドを渺と風が吹き抜ける。

 

 街並みはそこにない。有事を前提として開発されたこのミッドチルダの大都市は、天魔襲来に際してビル群や家屋を地下へと収納するという荒唐無稽な造りをしている。

 

 故にここにあるのは、地下シェルターの入口を隠すように被せられた大量の土と、管理局の象徴である本局庁舎のみである。

 

 そこに住まう人々は今頃地下の連絡通路を使って、管理局本局庁舎の真下にある避難施設へと移動しているだろう。

 地下深く。御門の秘術によって防衛された庁舎の真下という立地もあって、現在のクラナガンでは最も安全な場所と言えた。

 

 戦場となる土の上に、同じ顔の女達と仮面を被った局員達が待機している。

 

 女達は戦闘機人。戦闘用の量産型であるトーレタイプとチンクタイプ。それぞれ五十。合わせて百に及ぶ数がいる。

 

 Fと言うアルファベットを刻まれた仮面を被るのは人造魔導士。

 同じ顔が戦場で死ぬ姿を見れば士気が下がる。そんな理由でクローンでしかない彼らがミッドチルダで素顔を晒すことは許されていない。そんな彼らの数は五十人。

 

 総勢百五十人が、この最前線を支える戦力である。

 

 彼らは双子月を見上げる。

 少しずつ近付いていき、今にも重なろうとしている月を。

 

 戦闘用の量産兵器として、自我を薄められている彼らに恐怖はない。

 これより起きるであろう虐殺を前に、怯えることすらありはしない。

 

 唯、己が生まれた意味を果たそうと、ここに立つ。

 

 

 

 月が重なり赤く染まる。

 涙を流すように、月から滴が落ちて来る。

 

 彼女らは皆武器を取る。

 固有装備を取り出し、自らのインヒューレントスキルを発動させる。

 

 天魔襲来。

 その猛威に抗おうと――

 

 

「無駄だ。どれほど数を揃えようと、木偶の意志では届かない」

 

 

 爆発的に膨れ上がる呪いの風。

 万象遍く腐らせる叫喚地獄が、ミッドチルダを包み込む。

 

 

 

 そして、僅か数瞬の内に前線は崩れ去った。

 

 

 

 

 

「来たか、天魔・悪路」

 

 

 クラナガンより離れた高台に設置された長距離射撃兵器『アインヘリアル』内部。

 観測機器越しに戦線を確認していたティーダは、襲来してきた大天魔に予想通りと呟いた。

 

 とは言え確認したのは呪風のみ。神体そのものは目にしていない。

 例え機械越しであれ、見ると思って認識してしまえばこちらが腐ると知っている。

 

 

「黒石猟犬展開。アインへリアル、放て!」

 

 

 三連装四十五口径という馬鹿げたサイズの砲身より、黒色の歪みの影響を受けた魔力弾は放たれる。

 

 轟音と共に、無限に加速し続ける弾丸が悪路へと向かって行く。

 立て続けに放たれる弾丸。空間転移弾ではなく、無限加速追尾弾。

 

 相手の正確な位置を認識できない以上、空間転移、時間逆行は行えない。

 ならば必然、無限に加速するという性質を活かす為にも、こうして遠距離狙撃に徹した方が都合が良い。

 

 この大口径の魔法弾。作り上げた陸のトップ陣をして我らには過ぎた力と言わせる超兵器。

 歪みという彼らの力と同種の力による影響がある以上、これを受けて無傷では済まないだろう。

 

 だが、それだけで仕留められるとも思えない。

 

 本来ならば、このまま撃ち続け接近を妨害するべきだろうが、今回襲来して来た大天魔は悪路である。

 予測はされていた。誰よりも管理局を嫌うが故に最も襲撃回数の多い天魔が彼である。

 

 ならば恐らく、今回も彼が来るのであろうと。

 

 予測されていれば対策はある。

 彼はその襲撃回数の多さ故に、多くの敵を生み出している。

 

 奴が許せない。奴には負けたくない。あの腐毒を浄化したい。

 

 そう言った想い、渇望を抱く者は多く、故に彼にとって天敵というべき歪み者。最悪の相性を持つ歪みを生み出す結果となっている。

 

 

「管理局を嘗めるな」

 

 

 天魔・悪路に対して、最良の相性を持つ歪み。

 それを有効に活用する為に、ティーダは砲撃による足止めを中止し、合図を待った。

 

 数秒して、自らに干渉する力を感じる。

 それに承諾するように力を抜くと、彼は瞬時に戦場の最後方、エースストライカーが待機する場所へと転移させられた。

 

 

 

 万象掌握。

 戦場を支配する歪みによって、後方に集ったエースストライカーは五人。

 

 きっちりと制服を着込んだ黒髪の少年。クロノ・ハラオウン。

 

 茶色に近い橙色の髪に、両手に銃を構えた青年。ティーダ・ランスター。

 

 陸士の衣を羽織った無骨な男。ゼスト・グランガイツ。

 

 青い髪を後頭部で纏めた、快活な表情を浮かべる女。クイント・ナカジマ。

 

 腰まで届く程に長い紫髪に、温和そうな顔立ちの女。メガーヌ・アルピーノ。

 

 以上五名。彼ら全てが一騎当千。強者揃いの歪み者達である。

 

 

 

 無論。ここにあるが管理局の全戦力ではない。

 戦場の遥か上空からは、管理局の航行船団が列をなし砲火を絶やさない。

 

 伝説の三提督と称されたレオーネ・フィルス、ラルゴ・キール、ミゼット・クローベルらが直々に指揮を執る海の精鋭部隊である。その総数は十や二十では足りないだろう。

 

 陸はレジアス・ゲイズが先頭に立ち、陸士部隊と共に都市防衛機能を使って最前線にて抵抗を続けている。

 人数にして旅団規模。最も消耗率が高く、しかし確かに生き残っている古強者達だ。

 

 空は海と陸の間から、航空支援と遠距離射撃を繰り返す。

 上空を舞うヘリや飛行機からは、本局より増援に回された後詰めの戦闘機人達が飛翔魔法によって宙を舞い悪路の元へと突き進んで行く。

 

 戦場にあるは管理局だけに非ず。

 右翼では聖王教会の騎士達が被害を恐れず腐敗の風に立ち向かい。

 左翼では御門一門の術士達が腐毒を含んだ呪風を何とか逸らそうと、秘術をもって祈祷している。

 

 彼らの奮戦により、天魔・悪路を足止めしている。

 無数の魔力弾が、都市防衛機能として設置された大型の魔道兵器が、成層圏より次元航行船が、無数の砲火という雨を降らせている。

 

 だが不動。だが届かない。

 天魔の体を守る時間停止の鎧が、それら全てを弾いてしまう。

 如何に魔力が彼らの力と同質にして同種であるとは言え、単純に出力が不足していた。

 

 歪みを纏った攻撃でなければ、手傷一つ負わせることは出来ない。

 例え被るであろう被害に目を瞑り、アルカンシエルを打ち込んだとして、果たしてどこまで通じるだろうか。

 

 やはり大天魔は彼らの上を行くのだ。

 

 悪路の背に現れるのは、山よりも巨大な悪鬼。

 全てを恨む怨嗟を浮かべた人型は、彼のもう一つの肉体。随神相。

 

 随神相とは、彼ら天魔の神としての(カオ)だ。

 人間大の肉体と共にあるのは、神として顕現した彼自身の願い。

 

 その形相が悪鬼に歪む程に、男は怒りを抱いている。

 否、男だけではない。夜都賀波岐の七柱は、皆同様に憤怒していた。

 

 悪路の背に立つ随神相が、ゆっくりと膝を屈める。

 踏み込む足に掛かる力は、その巨体に見合った程に大きな物。

 

 ドンと轟音を立てて、神の相は飛び上がる。

 その跳躍の勢いで地面に穴は開き、星の地軸がずれた。

 

 大地震が巻き起こり、陸の部隊はそれだけで半壊する。

 巨人の飛翔で暴風が舞い、空の舞台はそれだけで半壊する。

 

 反動で大きく飛び上がった悪路の随神相は、成層圏を軽々と飛び越える。

 その身が到達するは宇宙。空気の有無、環境の変化など、物理法則すら無視する神格には意味がない。

 

 一閃二閃と随神相は、その手にした刃を振るう。

 斬と金属が断ち切られる音が響き、宙に大輪の華が開いた。

 

 瞬く間に撃墜されていく海の航行船。多くの命が星空に華と散っていく。

 

 軽々と飛び跳ね、次々と船を撃墜していく悪路の随神相。

 それを止めようと局員達も食い上がるが、何一つとして有効打は打てていない。

 

 悪路を強襲する為に飛び立った戦闘機人達は、腐毒の風を受ける。火に飛び縋る羽虫のように、腐って地面に落ちていく。

 

 随神相が地に降りたった衝撃で、巻き起こる大地震。小型隕石の衝突に等しい衝撃を受け、ミッドチルダの大地は裂ける。大地震と地割れに飲み込まれ、陸の戦線は崩壊する。

 

 足止めは確かに出来ている。無数の敵手を迎撃している天魔・悪路の侵攻速度は、確かにゆっくりとした物になっている。

 

 だが一歩ずつ。確実に前に進んでいる。呪風の範囲は広がっている。

 どれほど食らい付こうとも、そこには覆せぬほどの差が存在しているが故に――

 

 

 

 そう遠くない内に、管理局は崩壊するであろう。

 

 

 

 ならばこそ、ここに集った五人には役割がある。

 それは管理局の切り札。天魔を討つ矛としての役割を担う小隊である。

 

 僅か五人。されど戦線を維持する為に、攻勢に回せるのは必要最低限。

 

 だが、それでも成し遂げてくれるはず。

 そう思わせるほどの強者達が、彼ら五人であるのだ。

 

 

「メガーヌ。頼む」

 

「はい」

 

 

 小隊長役を請け負うは、ゼスト・グランガイツ三等陸佐。

 階級と経験からこの寄せ集め部隊の指揮官を担う彼は、天魔・悪路に対して特効とも言うべき歪みを持つ女の名を呼ぶ。

 

 彼の指示に頷きを返し、メガーヌは己の歪みを展開する。

 

 それは植木。それは植林。

 それは森を植えるという歪み。

 

 その名は――

 

 

「増えて飲み干せ、増殖庭園」

 

 

 まず落ちたのは一粒の種。それが急速に芽を出し育ち実を付け枯れ落ちる。落ちた種は再び新たな樹木を地に産み落とす。

 

 生える。育つ。枯れる。また生える。

 その循環は驚くほどの速さで行われ、そして腐毒の風に触れて腐り落ちる木々が増えた瞬間、更に爆発的に増え始める。

 

 瞬く間に、その過程を見ることも出来ぬ内に、クラナガンは樹木の海に飲み込まれた。

 

 

 

 ここで腐敗とは何かを語ろう。それは細菌などで有機物が分解されることを指した言葉。

 その分解される過程において起こる醜い状態への変化こそが、人のイメージする腐るという現象だろう。

 

 腐っている。腐敗したといった言葉は悪い形で使われることが多い。

 醜い状態へと変貌する様を指して言うのだから、そう言った印象を持ってしまうのもやむを得ないと言える。

 

 だが、本来腐敗とは悍ましい物に非ず、それは自然の循環における機能の一つでしかない。

 

 樹木と腐敗の関係を上げれば分かりやすいか。

 枯れた木の葉は腐り落ち、土と混じりて腐葉土と化す。そして腐葉土は新たな木々を育てるのだ。

 

 そう。腐敗は樹木の糧となる。

 

 それがただの樹木ならば、育つ前に全てが腐り落ちたであろう。

 だがこれは歪みによって生み出された植物。物質的なそれよりもむしろ、概念に近い植物。植物という概念の都合の良い部分だけを抜き出した物が、ここにある樹木である。

 

 腐敗は植物を育てる物。

 植物は大気中の毒素を浄化する物。

 木は生命の象徴にして神聖なる物。

 

 そう言った概念を保持している。そうメガーヌが思い込んでいるが故に、天魔・悪路の力を糧に半ば暴走するような形でこの歪みは力を増している。

 

 今爆発的に広がっている森林は、既にメガーヌの制御を離れている。

 元々、彼女自身の力では精々町の一区画を覆う程度の林しか生み出せない。

 

 だが今は違う。

 

 クラナガン全てを飲み干した樹海は、天魔・悪路の太極によって維持されている。

 その力を喰らう事で暴走し、本来届かぬ筈の位階へと、その手を伸ばしかけているのだ。

 

 

 

 本来太極の位階とは、遥か格下の歪みでどうにか出来るような物ではない。

 

 第四天の永劫破壊の位階で考えるならば、歪みとは創造位階相当。

 一つ位階が変われば太刀打ちできなくなるという基本原則が語るように、流出位階相当である太極を覆せるはずはない。

 

 だが、今の夜都賀波岐の太極ならば話は別である。

 

 確かに彼ら大天魔の太極は、そう呼ぶに相応しい規模を有している。

 単一次元世界規模。ミッドチルダという惑星は愚か、その太陽系全土を覆い尽くしている。

 だがその規模に比べ、その強制力は遥かに劣化しているのだ。

 

 今の夜都賀波岐の太極は、赤子にすら法を強制出来ない彼らの主柱のように、薄く引き伸ばす形で展開されている。

 

 嘗て人であった彼らが、偽神と化しているのは夜刀の力の恩恵だ。

 故に彼が正常ではない現状では、その恩恵の多くが失われてしまっているのだ。

 

 否、本来夜都賀波岐とは死人である。

 既に死した者。自己のみでは消滅を避けられぬ者。

 

 そんな消えていない方がおかしい彼らが未だ存在していること。それこそが夜刀の加護が未だ健在である証と言えようか。

 

 だが、力を強化することより存在を維持することを優先した彼らの主柱の手によって、軍勢変性という形で得られた力の多くが失われているのは事実である。

 

 時間停止の鎧という絶対防御も、太極が持つ強制力も、どちらも太極位階とは呼べぬレベル。創造位階最上位にまで落ちているのだ。

 

 無論。彼らは未だ人であった頃よりは強化されている。

 獣に従っていた三騎士の創造は勿論、太陽の御子という生贄を得ていない黄金の獣の力くらいならば軽々と蹴散らせる程に、遥かに上を行く強度を保持している。

 

 だが、確かに劣化してしまっているが故に、相性の悪い歪みに嵌ってしまうのだ。

 

 黄金の獣の死者の軍勢が、死想清浄・諧謔という創造で食い破られたように。

 死森の薔薇騎士の力によって吸血鬼と化した者が、唯の銀や太陽を弱点としたように。

 

 天魔悪路の叫喚地獄は、メガーヌの歪みを打ち崩せない。

 力を込めれば込めるほど、その歪みの力を引き上げてしまうという悪循環に嵌っている。

 

 故にこそ、メガーヌ・アルピーノこそが、天魔・悪路にとっての天敵だった。

 

 

 

 草木が腐毒を浄化する。

 ならばその森を、根こそぎ切り裂こう。

 

 そう語るかのように、振るわれるは随神相の刃。

 

 だが、それを――

 

 

「究極召喚・白天王!」

 

 

 白き鎧を纏った昆虫の王が押し止める。

 振るわれる神体の刃を三つ指の腕で押し止め、自身を腐らせる腐毒に耐えていた。

 

 白天王は、召喚術師であるメガーヌにとっての切り札。

 究極召喚と言う名が語る様に、彼女にとって究極の召喚術。

 

 本来、白天王では大天魔には届かない。

 それだけの力を、この生物は持ってはいない。

 

 だが、今この瞬間だけは違っている。

 メガーヌの歪みと悪路の太極がある限り、昆虫の王は神にも迫る力を得るのだ。

 

 森は昆虫の糧となる物。その概念によって、この歪みと同等域にまで白天王は今強化されている。

 森は毒素を清める物。その概念によって、悪路とその随神相は大きく力を削がれている。

 

 それでも拮抗はしていない。

 だが耐えられる程度の差に収まっている。

 

 神域へ届くほどに、虫の王は力を増している。

 昆虫王の手が届く位置にまで、悪路は落ちてきている。

 

 故にこそ、ここに膠着状態が生み出された。

 

 

 

 

 

 樹木が腐毒を浄化し、ふぅとクロノは息を吐いた。

 先程まで全てを腐らせる呪風と化していたミッドチルダの夜風は、今は森林の清涼な空気へと変じている。

 

 試す気はないが、今ならばバリアジャケットを脱ぎ捨てたとしても肉体が腐り落ちることはないであろう。

 

 

「見事な物だ」

 

 

 かつて天魔襲来の際、初陣だった自身やティーダの命を救ったこの歪みは何度見ても凄まじいと、クロノはそう感じている。

 

 悪路の腐敗の風を浄化する。

 森は迷う物という概念によって彼から方向感覚を奪い取り、本体を迷わせる。

 森は虫の糧となる物という概念によって、彼の力を喰らい疑似太極域に迫るほどに強化された召喚虫を使役する。

 

 何れも悪路にとっては無視出来ないほどの脅威であるだろう。

 故にメガーヌ・アルピーノと言う女は、真実、天魔・悪路の天敵となっている。

 

 だが、だからこそ思ってしまう。

 前線で散った戦闘機人。中衛で大きな犠牲を出した新人部隊。そして大天魔の足止めの為に戦い、傷付いた管理局の同胞達。

 

 彼らの犠牲も、この歪みを最初から使っていればなかったのではないのか、と。

 

 特に海の局員達。この戦場に出て来る程の実力者達は皆、一度はアースラに搭乗していた経験を持つ者達であるから、その犠牲を他人事と捉えることが出来ない。

 

 

「……最初から俺達が出ていれば多くを救えたのかもしれんが、もしやって来たのが天魔・悪路でなかったら、こうはいかなかっただろう」

 

「グランガイツ隊長」

 

 

 そんな彼の表情から内心を察したのか、ゼストは擁護の言葉を口にする。

 

 彼女の歪みがこうまでも力を発揮しているのは、相性による所が大きい。

 仮に他の天魔を相手にしては、随神相の一撃で消し飛ぶような小さな林しか生み出せなかっただろう。

 迷わせることも出来なければ、白天王がここまで強化されることもなかったはずだ。

 

 逆の意味で最悪の相性である母禮が相手ならば、メガーヌは歪みを展開した直後に即死していただろう。相性とはそれほどまでに、重要な要素となっている。

 

 

「だからこそ犠牲は必要となる。……七柱の大天魔の何れが来たのか、それを身をもって俺達に教えてくれる戦闘機人。生存すれば歪み者となり、心強い味方となってくれるであろう新人局員達。そしてメガーヌの歪みが一瞬で腐らぬだけの規模になる為に、必要となる時間を稼いでくれていた陸海空の局員達。前線に配された彼らは、何れも欠かすことが出来ない犠牲だ」

 

 

 その犠牲があるからこそ、辛うじて戦いと言う形になっている。

 特に相性が良い相手を、他の敵に潰されない様に、賢しく立ち回らなくてはいけないのだ。

 

 そのやり方を、ゼストは当然好んでいない。

 だが好んではいなくとも、代案がなければ覆せない。

 

 

「このやり方を気に入らんと言うなら、代案を出さねばなるまい。唯否定するだけでは、管理局の存亡が掛かっている以上は通らんだろう」

 

 

 まずは生き延びる事。局員として、人々の平穏を守り抜く事。

 それこそが最も重要な事で、それに比べたら己の矜持などは安いのだ。

 

 

「……分かっているつもりです」

 

「なら良い。彼らの犠牲に報いる為にも、ここで我らが踏ん張らねばならんからな」

 

 

 クロノは苦虫を噛み潰したように口にして、ゼストはそんな少年を好ましく思いながらも為すべきことを為す為に行動すべきと断言した。

 

 

「ほら、駄弁ってないで行くわよ、野郎共」

 

「ふっ、そうだな。……より多くを救うためにも、ここでジッとしている訳にもいかんな」

 

 

 そんな男達に、茶々を入れるクイント。

 その言葉に頷いて、ゼストは其々に役割を命じた。

 

 

「メガーヌはこの場で歪みを展開。悪路を弱体化させ続けろ! クイントは歪みを発動し保険を作った後、俺と共に奴の元へ突っ込むぞ! ハラオウンとランスターはメガーヌと共に護衛として待機。俺達のデバイスから送られたデータを元に位置情報を入手後、ランスターは歪みによって援護攻撃。ハラオウンは俺達の命綱と、前線のクイントが殺された場合に次のクイントを前線へと送り込むのが仕事だ。全員、判断を間違えるなよ!」

 

 

 ゼストの言葉に皆が頷く。

 

 あらゆる物を貫くという歪みを持つゼスト。

 相手の守りを無視出来るティーダの二人が矛の役割を。

 

 メガーヌが敵を弱体化させ、魔法による強化や召喚虫による援護を。

 

 クイントはその生存性の高さから前線にてクロノとティーダの目を代行し、クロノは彼らが危機に陥った際の救出と位置操作、戦場での戦力輸送を担当する。

 

 それこそが必勝の布陣。現状で為せる最高の戦術。

 

 

「行くぞ、皆! ここで悪路を、討つ!」

 

 

 管理局の総力をもって行う決戦。

 これにて天魔一柱を討たんと、彼らは攻勢へと移った。

 

 

 

 腐毒が浄化された今、彼ら以外の局員達の攻勢も増している。

 腐毒を浄化する森を吹き飛ばさぬように、海の局員達は船より降りて戦場に向かう。

 空の局員も陸の局員も、生身で悪路を討つ為に戦列を組んで戦場を進む。

 

 誰もが勝てると考えた。

 これほどの優位。圧倒的に弱体化した敵。今ならば倒せると。

 

 そうでなくとも、これで民の命は守り通せると、そこだけは絶対に安心であると油断した。

 

 それは今までの悪路との戦いが示している。

 彼は何度も襲来しているが、この森が展開された途端にその攻勢は鈍り、それ以上の被害が出ることはなかったから、もう大丈夫だと安心した。

 

 

 

 管理局員達は挑む側にありながら、そう思い上がってしまったのだ。

 

 

 

「その増長は、不快だな」

 

 

 侮るなかれ、大天魔とは容易く討てるものではない。

 驕るなかれ、太極とは相性が良いだけの歪みで防ぎ切れる物ではない。

 

 

「我らが太極(コトワリ)を甘く見るな」

 

 

 これまで彼が森の展開と共に退いたのは、それを突破出来ないから、ではない。

 

 それに対処するように動けば、局員以上に犠牲となるであろう者達を知っているから、それだけの犠牲を出してまで無理をする必要がなかったからだ。

 

 だが、事態は変わった。状況は変わっている。

 

 彼女が見付けた彼の欠片。永遠の名を宿した結晶。

 

 それを地球にて見付けたのだ。

 その回収の為にも、管理局の戦力は邪魔なのだ。

 

 故に、ここで間引く必要がある。

 余計な手出しを出来ない様に、適度に減らす必要がある。

 

 そして元より、この地にある民もまた管理局を支える存在。

 恥知らずにも彼の奇跡に甘え続ける、物乞いの集団でしかない。

 

 ならば彼らは、決して無辜の民とは言えない。

 その存在に対して、一遍たりとも掛ける慈悲など存在しない。

 

 故に、巻き添えにして殺し尽くすことを、ここに決断した。

 

 

「全て腐れ、塵となれ」

 

 

 罪深き者共。彼の愛を貪り食らう、穢れを払い切れなかった管理世界の民達よ。

 

 

「この屑でしかない我が身の様に――」

 

 

 死をもって救済と為す。穢れを払う為に腐り落ちろ。

 その殺戮の罪を、この屑でしかない我が身こそが受け止めよう。

 

 

「さらばだ。……在りし日の、愛しき刹那の断片達よ」

 

 

 さあ、全て腐って終わるが良い。

 

 今の黄昏に満ちた世界。

 その来世にこそ、救いの光はあると知れ。

 

 

 

 

 

2.

 ずしん、と何度目になるか分からない振動が避難所を揺らした。

 

 

「ユーノさん」

 

「大丈夫だよティアナちゃん。クロノの奴やティーダさんが、きっと何とかしてくれる」

 

 戦場はどうなっているのか。情報は一切入って来ない。

 まるで見えない不安に震えながらも、ユーノは意識を強く持つ。

 

 自身より幼い、守るべき対象がいる。

 だから折れないと奮起して、力強い言葉を掛ける。

 

 そんな彼の拙い励ましの言葉に、幼い少女はうんと頷く。

 ティアナ・ランスターは震える手で、ユーノの服をぎゅっと掴んだ。

 

 

(……大丈夫だよな、クロノ)

 

 

 自分も戦場に出して欲しいと言ったユーノに対し、ここは管理局員に任せておけと強気な発言をしたクロノ。避難施設の方で、妹を頼むと頭を下げてきたティーダ。

 そして歪み者でなく、管理局員でもない者が戦場に出ても足手纏いにしかならないというクイントの言葉。

 

 理と情。その両面から否定されて、ユーノは結局彼らの言葉に従う他なく、こうして避難施設へと来ている。

 だが未だ戦闘が終わっていないことを思うと、本当にこれで良かったのだろうかと考えてしまう。

 

 信じよう。信じると決めたんだろう。

 服の裾を握り締め、こちらを不安げに見上げる少女の為にも自分が不安そうな顔をしてなんていられない。

 

 大丈夫だよと笑って告げて、少女の髪を優しく撫でた所で――

 

 

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 悲鳴が上がった。

 

 そして同時に、湧き上がる腐臭。

 腐毒に満ちた世界にて、叫喚地獄が顕現する。

 

 

「駄目だ、ティアナちゃん!」

 

「え、何ですかユーノさん!?」

 

 

 その光景を見せないように、ユーノはティアナを抱きしめる。

 

 突然視界を塞がれ、耳に栓をされ、右往左往とするティアナ。

 その背後で、次々と避難民達の悲鳴が上がっている。叫喚地獄と言う地獄が其処にある。

 

 ユーノは見た。若い女が腐り落ちていく姿を。中年の男性の脂ぎった肌が異臭を上げながら崩れ落ちていく姿を。年老いた老人が自分の体を支えられず、ボロボロと腐っていく姿を。

 

 腐る。腐る。腐る。

 誰もが腐敗しながら崩れ落ち、避難所に腐臭が満ちている。

 

 腐り落ちて即死した人々と、少しずつ腐敗が進んでいる人々。

 誰も彼もが皆腐り始めていて、此処にはもう地獄絵図しか存在しない。

 

 

「え、これ、何の臭いですか?」

 

「な、……なんでもないよ、ティアナちゃん」

 

 

 鼻を突く異臭に疑問符を上げるティアナに、そう作り笑いをして返す。

 

 その瞬間に気付いた。ティアナの肌。

 首筋の後ろの部分から、少しずつ腐敗が進んでいることに。

 

 

「っ! ごめん!!」

 

「え? あ――」

 

 

 睡眠魔法を使って意識を刈り取り、麻酔効果のある魔法で神経を麻痺させる。

 小さな魔力刃を作り出して、腐敗が進んでいる個所を切り落とすと、即座に治癒魔法を使って失った部位を補填する。

 

 かなり強引な応急処置。だがこのままでは腐敗が進んでいただろうことを考えれば、決して誤った判断ではない。

 

 

(けど、付け焼刃だ。軽い再生魔法なら兎も角、内臓器官に届いたら治せないっ!!)

 

 

 だが所詮は対処療法。多少の傷ならば兎も角、内臓や神経は治せない。

 

 このままでは何れ、切り落とすことが出来ない箇所にまで腐敗が届く。

 そうなればもう、どうしようもない。少女は腐って死に至るであろう。

 

 悲鳴を上げている人々から、目を逸らす。

 

 細胞の補填は、間違いなく高位の医療技術。

 全員に施すには、純粋に魔力が不足している。

 

 自分の体も、腐り始めている。

 同じような対処を出来るのは、自分とあと一人だけ。

 

 

(ごめんなさい。貴方達を、見捨てます)

 

 

 全てを救う事は出来ないと、もう少年は知っている。

 ならば優先順位をはっきりと付けて、そうでなくては失われると分かっている。

 

 だから「ごめんなさい」と目を瞑り、彼らを見捨てた。

 自分とティアナ。二人分の治療だけを続けて、ユーノは思う。

 

 

(早くしろ、クロノ!)

 

 

 魔力が切れるか、治癒できない部位が腐るか。

 どちらにせよ、長くは持たない。長く持たせる事など、出来る筈がない。

 

 

(このままじゃ手遅れになるぞ!)

 

 

 だから、歯を食い縛りながらそう祈る。

 祈る事しか出来ない無力に震えて、それでも少年は治療を続けた。

 

 

 

 

 

 デバイス越しに悲鳴が聞こえてくる。

 本局勤めの内勤組。そして後方支援要員達。彼らの悲鳴に他ならない。

 

 

「そんな! どうして!? 浄化はまだ続いているのに!!」

 

 

 メガーヌが解せないと口にする。

 彼女の森は未だ健在であり、だと言うのに何故後方が地獄となったのか。

 

 

「そうか、奴め。太極の範囲を狭め、代わりに出力を引き上げたな!!」

 

 

 それは極めて単純な対応。妥当とすら言える反応。

 単一惑星規模に広がっていた叫喚地獄を、街一つにまで縮小した。それが悪路の行動であった。

 

 如何にメガーヌの歪みが腐毒を浄化するとは言え、悪路の力を糧に疑似太極へと至っているとは言え、それは所詮歪みである。

 

 出力で太極と並ぼうと、規模に大きな違いがある。

 彼女の力の影響があるのはクラナガンの一部。森が生み出されている部分のみ。

 

 対して悪路の太極は、このミッドチルダ全てを覆っているのだ。

 

 その状態で拮抗しているのだから、対処は簡単。

 太極の規模を狭くして、密度を増せば良い。それだけで腐毒の強制力は強くなる。

 

 腐毒の力を増せば、森の浄化の力も増すことに変わりはない。

 故に浄化の加護を受ける者達には、未だそれ程の変化がない。

 

 だが強められた太極は、管理局の防衛機能などは遥かに超えていく。歪みの影響下にない者達から腐っていく。

 

 浄化の加護を受けられぬ者達から死んでいくのだ。

 

 その果てに待つのは、守るべき者を失くした戦士だけが生き延びる。そんな無様な結末であろう。

 

 国民を全て失えば、管理局は戦力を残していてもその組織を保てなくなる。

 局員の士気も大きく落ちる。守るべき人々を守れぬという結果はその誇りを地に落とす。

 そうでなくとも、資金源を失くしてしまうのだから、これほど優位な戦場は生み出せなくなる。

 

 そうなれば、戦力が残っていようともう大天魔に抗うことは出来なくなるだろう。

 

 

 

「ティアナー!」

 

「っ! 待て、ランスター!」

 

 

 避難民達が危うい。その事実に真っ先に気付いたのが、誰よりも守らなくてはいけない妹を避難施設に残している彼だった。

 

 本局とその地下にある避難施設の防衛機能は同程度。ならば本局勤めの局員達の身に起きたことと同じことが、避難所内で起こっていてもおかしくはない。

 

 故にティーダ・ランスターは焦燥感に急き立てられ、一刻も早くこの状況の元凶を討たねばと一人飛び出した。

 

 

「ハラオウン!」

 

「っ! あいつ、僕の歪みに抵抗している。駄目です、転移させられません!」

 

 

 飛び立ったティーダとクロノ。歪みの習熟度ではクロノの方が一段上だ。

 だが共に空間に干渉する歪みである為に、お互いの力が通り難いという関係になっている。

 

 故にティーダが拒絶すれば、クロノでは彼を転送させることが出来ない。

 

 

(ハラオウンの歪みで先回りするか、幸いランスターが向かった先は分かっている。……いや)

 

 

 歪みで転送した先は、天魔・悪路の影響下だ。

 どんな害があるか分からぬ以上、先を確認せずに転移するのは危険であろう。

 

 転移による先回りは出来ない。ならば順当に追い掛けるよりないのだが、飛び出したのがティーダであることがここで尾を引く。

 

 この寄せ集め部隊。内三人は空戦が出来ない陸戦魔導士だ。

 飛行可能なクロノとて海の所属、高速飛行戦闘に慣れたティーダに追い付ける道理がない。

 

 

「ちぃっ! あの馬鹿者が! クイント! ハラオウン! 俺と共に来い! あの馬鹿を追うぞ! メガーヌは一度下がれ、お前を中心に浄化の森が展開されている以上、本局まで下がれば、避難施設の状況も多少はマシになるはずだ」

 

 

 舌打ちをして、ティーダの軽挙を罵倒した後、ゼストはすぐさま皆に指示を出す。

 全員がそれに頷いて、ゼスト、クイント、クロノの三人はティーダを追った。

 

 

 

 

 

 バリアジャケット越しに腐毒の風を浴びて、肉体が少しずつ腐っていくのをティーダ・ランスターは感じていた。

 

 周囲の森は腐っている。浄化が追い付かずに枯れている。

 故にこそ、障壁とバリアジャケットを超えて腐毒の風は彼に影響を与えている。

 

 だがそんなことも気にせず、彼は高速移動を続ける。

 進めば進むほどに、その腐毒は強くなっていく。その果てに呪詛の塊である奴がいるのであろう。

 

 ティーダはそう予感し、愛する者を守るためにこそ飛翔する。

 

 

「見えた!」

 

 

 敵の姿をその目に捉える。

 黒き髪、赤き瞳、和装を羽織った死人のような男。

 

 目にした瞬間、体を腐らせる毒素の進行が進んだ。

 

 ティーダが気付くと同時に、悪路も気付く。その視線が向けられて、その一瞥だけでティーダは死にそうになった。

 

 体の腐り落ちる速度が上がる。ボロボロと末端から崩れていく。

 頬が腐り落ちて歯が剥き出しとなり、膝が腐り落ちて足が地面に落ちた。

 

 目玉が零れ落ちて腐り、片手が指先から崩れ落ちていく。

 だが、歪みを振るうに必要な部位さえ残っていればそれで良い。

 

 周囲に森はない。浄化の力を持った木々がない。

 メガーヌが離れたことが原因だろう。既に弱体化は解除されている。

 

 故に優れた歪み者であるティーダであっても、目にしただけで、一瞥されただけで死に掛ける程に追い詰められている。

 

 だが見たのだ。だが認識したのだ。

 ならば時間逆行の魔弾は、その真価を確かに発揮する。

 

 口に咥えたデバイスの内部から、一つの質量兵器を取り出す。

 名をパイファーツェリスカ。第九十七管理外世界において世界最強の拳銃と称される質量兵器。

 

 銃弾に象狩りなどの大型動物を狩る際に使われる、大口径マグナムライフル弾薬を使用する対人兵器。

 過剰な大きさは持ち歩くのに向いておらず、銃弾の反動も衝撃が大きすぎて真面に的を狙えない上に、射手の安全すら不確かという欠陥品。

 

 だがティーダの歪みにとって、これほど相性の良い銃器も他にない。

 

 思ったよりも消耗が激しい今、複雑な魔法を使用する余裕などなく、ならばデバイスでただ魔力弾を放つより、このツェリスカの弾丸に歪みを混ぜて放った方が威力は高い。

 

 そう判断した彼は、命綱でもあったデバイスを捨てると、決死の覚悟で己の歪みを行使した。

 

 

「黒石ぃぃぃぃぃっ猟犬っっっっっ!!」

 

 

 質量兵器より放たれる弾丸が、時間軸と空間を歪めて飛翔する。

 

 姿勢などは関係ない。射出装置と打ち出す物さえあれば、どこを狙っていようと物理法則を無視して相手の体内に直接出現するのだから、求めるのは威力の高さだけ。

 

 そして、その一撃は――

 

 

「……見事だ」

 

 

 確かに届いた。

 

 その弾丸は、確かに時間停止の鎧を打ち破る。

 その魔弾は、確かに天魔に対して手傷を与えた。

 

 

「だが、それだけだな」

 

 

 悪路の右手に小さな穴が開く。銃弾の大きさにも届かない。小さな小さな穴が残る。

 

 心臓を狙ったはずの弾丸は、しかし膨大な密度を持つ大天魔という怪物の体を貫き切れずに止められる。

 

 片手一つ、僅かな傷を残すのがティーダの限界であった。

 

 如何に空間を超え、相手の守りを無視する力とは言え、大天魔は人型をした単一宇宙だ。

 

 時の守りを無視したとしても対人兵器では届かない。

 人とはその存在規模が違うのだから、対人攻撃では意味がない。

 人に向けるべきではない兵器だからこそ、微かとは言え傷を残せたのだろう。

 

 ティーダ・ランスターが残せた物など、たったそれだけの傷でしかなく。

 

 

 

 天魔・悪路が飛翔する。

 飛び上がってその手にした刃を、ティーダへと振り下ろさんとする。

 

 

「ティーダァァァァァ!」

 

 

 その刃は空を切った。それがティーダに止めを刺す前に、クロノの歪みが届く。万象掌握。距離を操作する歪みの力が彼を回収する。

 

 間に合う筈だ。間に合った筈だ。

 

 ならば彼は助けられたのか――

 

 

「クロ、ノ」

 

 

 否。

 

 ティーダ・ランスターを歪みで回収出来たのは、彼に抵抗するだけの力が残っていなかったから。

 ティーダ・ランスターは攻撃こそ受けてはいないが、それでも腐毒の王に近付き過ぎてしまった。

 

 故に――

 

 

「……ティ、アナ、を」

 

 

 腐毒の王は、近付いただけで全てを腐らせる。

 故にもう、ティーダ・ランスターは腐り切っていた。

 

 抱いた腕の中で、酷い腐臭がする。

 湧き上がる異臭と共に、友の身体が崩れ落ちる。

 

 

「あ、ああ」

 

 

 最早、原形すらも残らない。

 腕に残った悪臭と僅かな残骸だけが、彼と言う個が居た証。

 

 そんな腐り落ちた友の姿に、クロノは現実を受け入れられず。

 

 

「天魔・悪路ぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 悲しみを怒りが超越した。

 

 あれを、許してなるものか。

 また奪われた。それを断じて許せるものか。

 

 父は、腐って崩れ落ちた。

 友は、腐って崩れ落ちた。

 多くの部下たちが、腐って崩れ落ちたのだ。

 

 お前達は、一体どれ程に奪う心算だ。

 一体どれ程に、自分達を殺せば気が済むのだ。

 

 許せない。許してはいけない。

 大天魔とは即ち、我らにとっての怨敵だ。

 

 故にどれ程に無謀であれ、挑まずにはいられない。

 無茶が過ぎると分かっていても、たった一人で立ち向かおうとして――

 

 

「馬鹿者が!」

 

 

 彼を追ってやってきた男の鉄拳が、クロノの後頭部に叩き込まれた。

 

 

「ハラオウン! 貴様、ランスターの二の舞を晒すか!!」

 

 

 がんと叩き込まれた鉄拳に、クロノの頭は揺れる。

 怒りに沸騰しそうになっていた思考は、僅か理性を取り戻していた。

 

 

「冷静になれ、貴様が突っ込んでどうなる!!」

 

「グランガイツ、隊長」

 

 

 追い付いて来たゼストが、クロノの暴走を押し止める。

 殴られ、反発する思いも生まれかけるが、強く歯を噛み締めてただ耐えた。

 

 

 

 そうだとも、ここで己が突っ込んでどうなる。

 

 自身の歪みは、距離を制する力。

 中衛や後衛に立って、戦場操作に努めるのが正しい使い方。

 

 ティーダの死に怒りを燃やすならば、真に己の力を活かす形でなければならない。

 

 頭に上った血が下がったクロノは、掌を強く握り締め、歯を噛み締めながら己の不明を詫びた。

 

 

「……やれるな?」

 

「はい。やってみせますっ!」

 

 

 冷たく見据える腐毒の王。

 彼の前に集った管理局のエースストライカー。

 

 余りにも絶望的な、彼らの抗いが始まった。

 

 

「行くぞ、遅れるなよ、クイント!」

 

「はいはい、痛いのは御免だけど、仕方がないし行きましょうか」

 

「援護は任せたぞ、ハラオウン!」

 

 

 クロノにそう告げ、ゼスト・グランガイツは己の歪みを行使する。

 

 それはありとあらゆる物、全てを貫く信念の槍。

 時の鎧であれ、腐毒の風であれ、万象全てを貫く一閃。

 

 

「乾坤一擲ぃ!!」

 

 

 腐毒を貫いて、ゼスト・グランガイツが突き進む。

 

 全てを貫くまでは止まらない。一念を持って、我が敵を打ち貫こう。

 

 その意志、その祈りより生まれたこの歪みは、攻撃動作を行っている間のみ使用者への攻撃をシャットアウトするという副次効果を得ている。

 

 無論、格上である大天魔を相手に、副次効果が完全に機能する訳がない。

 だが格上とは言え、腐毒の影響を減らすことが出来ている。故にこそゼストの突撃は迎撃することが難しい。

 

 振るわれる槍の穂先を、悪路は手にした剣で防ぐ。

 防がねばならない。攻撃に特化した歪みならば、劣化した時間停止の鎧を貫き得ると知るが故に。

 

 ゼスト・グランガイツの動きが止まる。

 攻撃中は無敵とは言え、相手は格上。攻撃を防がれ接近してしまえば、その腐毒の影響を受けるのは当然の事。

 

 

「万象掌握!」

 

 

 ならばそれに対応する術がある事もまた、当然と言える事だろう。

 

 攻撃が止められた直後に、クロノは己の歪みでゼストを後方へと退避させる。

 空間転移が齎す力で、腐って死ぬはずだったゼストは、こうして再びの機会を得る。

 

 

「そんじゃ、次、行くわよ! クロノ、後ヨロシクね!」

 

 

 ゼストが退いた直後、クイントが悪路へ殴り掛かる。

 繋がれぬ拳。飛来する一撃を叩き込んだ所で、クイントは腐り落ちて塵となる。

 

 だが、今のクイントは一人に非ず。

 存在重複の歪みによって、安全圏に残機を残している。

 

 故に彼女は、犠牲を前提とした策を行える。

 残機を磨り潰し続ける事で、本来届かない拳を届かせるのだ。

 

 一人になった直後に、己の数を二倍にする。

 安全圏に増やした一人を残すと、クロノの歪みによって前線へと転移する。

 

 前線へと転移した二人目のクイントが、天魔・悪路に殴り掛かる。

 二人目も三人目も四人目も、一撃を入れた直後に崩れ落ち、然し攻撃は止まらない。

 

 クイント・ナカジマは死に続け、分身たちの犠牲によって悪路の守りを切り崩さんと挑み続ける。

 

 

「おぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 クイントの猛攻に紛れ、再度ゼストが突撃する。

 クイントの拳が大剣を揺るがせ、その隙に打ち込まれた槍が微かに悪路を傷付けた。

 

 太極位階。単一宇宙。

 それを揺るがせる程の傷ではない。

 

 規模が違い過ぎるが故に、貫こうともそれでは終わらない。

 だが、僅かであろうと確かに傷は刻まれていた。

 

 面倒だ、と悪路は思考する。

 

 ゼストとクイント。どちらも真面にやり合えば、一瞬で倒せている。

 ゼストは本来ならば一合で潰せる弱者である。クイントは残機がこの場に揃っていたならば、複数の肉体全てを一瞥で腐らせることが出来る程度の弱兵だ。

 

 それが未だ健在なのは、彼らの背後で戦場を操作するクロノ・ハラオウンが存在しているからに他ならない。

 

 反撃の瞬間。迎撃の直前に距離を外される。

 そんな些細な能力が、他人と組むとこれ程に厄介になるとは思いもしていなかった。

 

 

「面倒だが、それだけだな」

 

 

 だが抵抗が止むのも時間の問題だろう。

 ゼストにダメージ軽減能力があるとは言え、その体は少しずつ、だが確実に腐毒に侵されている。

 

 クイントが無限の残機を抱えていようと、その痛みまでなかったことに出来ている訳ではない。額で脂汗を搔いている女が戦闘不能になるのはそう遠くない。

 

 クロノは戦場で逃げ回るしか出来ない。この拮抗を保っているのは彼だから、安易に前に出れば全滅という結果しか残らない。

 

 彼らは脅威などではなく、所詮面倒という域を出ない。

 

 故に時間の問題であったのだ。

 

 

「……だが」

 

 

 時間切れ。それが訪れる。

 ゆっくりと消えていく悪路は、未だ健在な敵を見据えて、そう静かに呟いていた。

 

 

「時間切れ、か」

 

 

 時間切れは、どちらにも存在していた。

 月が重なっている瞬間しか、大天魔はミッドチルダに居られない。

 

 それ故にクロノ達が倒れるよりも、天魔・悪路がこの場に居られる時間の方が短かったのだ。

 

 重なった月がずれる。大結界が復旧する。

 途端に悪路を排斥しようとする力が、強く高まる。

 

 黄金の力の波動を受けて、大天魔はここにあることを許されない。

 故に天魔・悪路は、この地より追放されるように魔力を霧散させながら消えていった。

 

 

 

 最後に自身を手古摺らせた者達の顔を、覚えるかのように僅か見詰めて。

 

 

 

 激闘の果てに、管理局の勇士達は大天魔を撃退する。

 

 だが、彼らの表情に喜びの色はなかった。

 あまりに犠牲が大き過ぎた。あまりにも多くの者を失い過ぎた。

 

 

 

 そしてその元凶である大天魔を、討つことは出来なかったのだから――

 

 

 

 

 

3.

「嘘吐き!」

 

 

 ぱしんと頬を叩く小さな掌を、クロノは甘んじて受けた。

 

 管理局で行われた合同の葬儀。儀礼は一通り終了し、設立以来よりの殉職者達が眠る慰霊碑へと遺体が運ばれていく。

 

 その光景を背に、片方の目から涙を流す金髪の少女が声を荒げている。

 もう片方の目は眼帯に覆われて見えない。視神経の一部が腐ってしまったから、ユーノの治癒魔法では癒すことが出来ず、ティアナ・ランスターは片目を失明していた。

 

 

「守ってくれるって、言ったのに!!」

 

 

 背後の葬列から目を逸らすかのように、ティアナは会場に背を向けて走り去る。

 

 死者が生まれた結果生じた愁嘆場。

 それは彼女達だけでなく、この会場の至る場所で起こっている。

 

 多くの人が死んで、管理世界の住人の多くも被害を受けている。

 嘆きの声は酷く大きい。悲劇は至る場所で起きている。それを食い止める事が、彼らには一切不可能だった。

 

 少女に叩かれ頬を赤く染めたまま立ち尽くすクロノを、ユーノとエイミィは心配そうに見つめる。

 

 

「クロノ」

 

「……悪い。一人にしてくれないか。お前達は、あの子を頼む。暫くは、治安も悪化するだろうからな」

 

 

 そんな言葉に、ユーノとエイミィは視線を交差させる。

 クロノくんは任せて、とエイミィは無言で伝え、ユーノは頷くとティアナの後を追った。

 

 

 

 残された男女は静かに、埋められていく遺体を見詰める。

 

 

「放っておいてくれて良かったんだが」

 

「……今のクロノくんを放ってなんかおけないよ」

 

 

 背を向ける少年を、エイミィは優しく抱き留める。

 泣いても良いよと言う言葉に、泣くつもりはないさと答えを返す。

 

 

「……ただ、もう少しこのままで居てくれ」

 

「うん」

 

 

 涙を見せることはなく、ただほんの少しの弱さを見せて、クロノは声を上げることもなく肩を震わせた。

 

 

 

 天魔襲来。ミッドチルダ防衛戦線直後に見られる、当たり前の光景。

 

 死者を悼む。犠牲を嘆く。身内を失う。

 それら全てが、そう珍しくはない出来事であった。

 

 

 

 

 




今回あったワンチャン。
メガーヌが悪路を弱体化させた後、彼が本気を出す前にティーダが歪み付与アルカンシエルをブッパしてれば勝ってました。犠牲がヤバいですが。

攻撃特化型の歪みにアルカンシエル級の破壊力が伴えば、現状の弱体化天魔勢の一柱くらいは撃破可能と想定しています。
ティーダの場合は攻撃特化とは言えないので単独だと少し威力不足。敵の弱体化が必須だった形ですね。
無論。相手が黙って受けてくれるとは限らないので、迎撃されたりする訳ですが。


以下、オリ歪み解説。
【名称】増殖庭園
【使用者】メガーヌ・アルピーノ
【効果】何もない場所に森林を作り上げる歪み。本来ならゆっくりとした速度で広がり続ける歪みだが、今回は悪路の力を喰らった結果高速で増殖し続けていた。
 悪路の腐毒によって死に至る局員達を多く見たメガーヌが、この毒素をどうにか浄化したいと願った結果生まれた歪み。森という形になったのは、彼女の腐毒を浄化するイメージが神聖な木々が生い茂る森そのものであった為。その成立の関係上、悪路に対してのみ特に効果を発揮する歪みとなっている。
 内にある者を迷わせ、内にある虫を強化させ、内にある毒素を浄化する。それだけがメガーヌに出来ること。彼女の歪みの全てである。

【名称】乾坤一擲
【使用者】ゼスト・グランガイツ
【効果】ありとあらゆる物を貫く信念の槍。対象は物理現象であれ、風や炎という形のない物であれ、時間や死といった概念であれ何でも貫く。貫く対象が相手の能力であった場合、想いの強さ、渇望の深度が影響する。特に強い想いを込めて放たれる全力攻撃などは貫けない。
 副次効果として攻撃時無敵という阿呆みたいな能力もあるが、それは敵を貫くまでは止まらないというゼストの祈りから発現した副次効果に過ぎず、遥か格上相手ならダメージ軽減効果に収まっている。
 弱点は攻撃と攻撃の合間に生まれる隙。宗次郎のように振らなくても斬れるというような力がない為、攻撃直後の隙を狙われるとあっさりと落ちる。




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A's編
第十七話 闇の書の守護騎士


A’s編の導入話。
A's編は不遇な扱いのキャラが増えるので注意が必要です。

今回はなのは回。或いはなの破壊。


副題 練習風景。
   綾瀬の口伝と少女達。
   白魔王、奈之覇。




1.

 12月1日の早朝。

 この世界の法は無間神無月。永劫に終わらぬ秋だけの世界。

 

 とはいえ、主神たる彼には今、無間神無月を維持し続けるだけの力がない。その性質を受けて、秋の季節が停滞している。

 

 春夏秋冬の内秋だけが倍近い長さとなり、それ以外の季節が一月ずつ短くなっている。それがこの世界の現状である。

 

 故にこの世界の12月1日とは、未だ紅葉は終わらぬ季節であり、少しずつ寒さが強くなり始める時期の事を指す。

 

 冬入りにはまだ一月以上あるとは言え、まだ日が昇る前の街の空気は肌を刺すように冷たい。

 

 

 

 あの事件の後、高町なのはの朝は早くなった。

 時計の短針が真下に位置する前に目を覚ますと、着替えをして家を出る。

 

 駆け足気味に街中を駆け抜けて、息を荒らして一休み。

 町外れの林の中へ入ると封時結界を展開し、魔法の練習を始めるのだ。

 

 

「レイジングハート。いつもの、お願い」

 

〈All right.〉

 

 

 レイジングハートが起動する。

 展開される魔法は、使用者に幻影を見せる魔法。

 

 オプティックハイドのような幻術魔法ではない。

 そんな魔法を使う資質などなのはにはない。故にこれは、もっと単純な魔法である。

 

 デバイスの記録の中から、抜き出した情報を元に作り上げた幻像。

 使用者に、高精度なイメージトレーニングを行わせるだけの機能。

 

 マルチタスクで行われるイメージトレーニング。

 それをもう一歩進めた。それだけの単純な魔法がこれである。

 

 

〈Standby, ready.〉

 

 

 レイジングハートの電子音に続いて、なのはの視界の先に現れる。其は金色にして黒色の残影。

 

 黒い水着のようなバリアジャケットを纏った、金髪の少女の幻影が踊る。

 黒衣の魔法少女を前に、白い魔法少女は杖を握り締める力を強め、始まりの合図を待った。

 

 

〈Five, four, three, two, one, practice battle, start〉

 

 

 レイジングハートの合図と共に、今日の訓練も始まる。

 

 レイジングハートに蓄積された戦闘データより再現されたのは、あの海上の決戦にて戦ったフェイト・テスタロッサの幻影である。

 

 その性能は決戦の最後、二発のカートリッジを使用した後の彼女とそれ以前の彼女のデータの中間値。

 走力も魔力も全てが、カートリッジを一度だけ使った場合の彼女を想定して再現されている。

 

 故に模擬戦闘。

 戦闘訓練とは言え、容易な相手とはならない。

 

 正しく神速という速度で、飛翔するフェイトの影。

 その姿をなのはは捉えることが出来ない。故に行動を予測する。

 

 設置型の魔法やバインド。歪みによって幾らでも展開出来るようになったそれで行動を制限する。

 

 雷光の魔法の恐るべき威力。それはなのはの三重防御壁であっても止めきれず、予測が外れればなのはは一瞬で撃墜されてしまう。

 

 なのはほどの重装甲をもってしても、ダメージを受ける火力。

 そしてフェイトの影は一撃を加えれば、そのまま息も吐かせぬ猛攻を続けるのだ。

 

 その流れに飲まれてしまえば、逆転するのは非常に厳しいとなのははこれまでの訓練で熟知していた。

 

 幻影の中で桜色と金色の輝きが宙を彩る。

 神速の速さで立ち止まらずに動き続けるフェイトの影と、多種多様な魔法をばら撒きながら対抗するなのは。

 

 その戦いは正に一進一退。互角の攻防を続けている。

 

 なのはの基本戦術は距離を取っての撃ち合いだ。そのパターンに持ち込めば、ほぼ試合は決する。

 油断をせずに理詰めに攻めていけば、高町なのはが勝利するのは不動となる。

 

 フェイトの影が用いる基本戦術は、絶えず距離を変動させながら高速で行われる中距離戦闘だ。

 一瞬足りとて止まらず、神速で斬り込む。無数の弾丸を囮にして、一撃でも当てれば即座に隙を突いての連続攻撃に持ち込む。

 

 故に初撃必殺。一撃でも受ければ守りを崩され、その瞬間になのはの敗北はほぼ確定する。

 

 無論、これは訓練だ。

 故に実戦ならば行うであろう手筋を、禁じ手として封じている。

 

 フェイトの影が如何に速かろうと、なのはが面での攻撃に切り替えればその時点で勝負は決まる。

 

 彼女の歪み、無尽蔵の魔力を引き出す不撓不屈を持ってすれば面どころか、空間全てを桜色に染め上げることもそう難しいことではない。

 

 だがそんな力技での対処ばかり続けていては、戦闘技術が磨かれることはないだろう。故にこそ制限して、結果として苦戦するのだ。

 

 

 

 白と黒の魔法少女は数度ぶつかり合い、十数分ほどの戦闘時間を経て勝敗を決する。

 

 その戦いの結末は――

 

 

「にゃー。また負けちゃった。……やっぱり二度目のカートリッジを使われちゃうと、何もできないや」

 

〈Don’t mind, my master〉

 

 

 高町なのはの敗北で終わった。

 

 この訓練を始めてからおよそ半年。勝率は七割弱をキープしている。

 残る三割の敗北。その何れもがフェイトの影が、カートリッジを使用することを阻止出来なかった結果である。

 

 追い詰めると、二つ目のカートリッジを使用する様に設定された幻影。

 落とし切れずに対処不可能な速さとなった彼女に、なのはは真っ向から切り伏せられるという結末を辿っていた。

 

 

〈I feel, you become stronger than before.〉

 

「そうかなぁ」

 

 

 負けてしまったと落ち込むなのはに、レイジングハートは以前よりも良くなっていると励ましの言葉を告げる。

 

 それはデバイスの贔屓目も確かにあるだろうが、それでもなのはが半年前よりも遥かに強くなっているのは確かな事実であった。

 

 

「はえー、いつ見ても凄いね、なのは」

 

「お姉ちゃん」

 

 

 保護者として同伴していた高町美由紀は、目を丸くしてそんな言葉を口にする。

 

 幻影相手とは言え、実際に動き回り、魔力弾を使用しながら行っていた訓練である。

 なのは以外には見えない相手と戦っている。傍目から見れば、違和感しか感じられない訓練だが、桜色の光線が空を染め上げる光景は、相手が見えなくとも圧巻の光景と言えるだろう。

 

 高町美由紀は、未熟とは言え御神の剣士。

 なのはの挙動や目の動きから、彼女が見ている幻影を正確に予想しイメージするくらいは可能である。

 

 その上で感嘆の声を上げるのだ。人間の上限などあっさりと超えている魔法という技術。それを凄まじい精度で物にしている妹に対して。

 

 

「魔法の訓練はこれで終わり?」

 

「うん。後はマルチタスクで出来ることだけだから」

 

「なら次は体を動かす方の訓練だね」

 

「……にゃー。やっぱり今日もやるの?」

 

「こういうのは毎日続けないと身に付かない物だからね。継続は力なりってね」

 

 

 高町美由紀がなのはに付いてきたのは、朝方とは言え人気がない時間帯に幼い少女を一人で外出させることを危惧したからだけではない。

 

 彼女が付いてきた理由には、なのはを肉体的に鍛え上げるという目的もあったのだ。

 

 

 

 氷村遊が起こした事件以降、高町家では何度か家族会議が行われた。

 

 士郎と恭也と、月村家やバニングス家の協力を得て行われた犠牲者の捜索。

 その結果として彼の犠牲者達の内数名。無事、とは言えない物の五体満足の者がある程度見つかった。

 

 捜索の為に彼らが居ない間は防衛力の高い月村邸に家族を避難させると言う形を取ったが、そんな緊急対応を長く続けている訳にもいかない。

 こうして保護者が戻った以上、今まで通りの生活に戻るのは道理であり、それだけでは不安が残るのもまた事実であった。

 

 今回は無事に済んだが、次に同じような事が起こればどうなるだろうか、と。

 

 その対策に家族会議は紛糾し、結論として出たのがなのはに護身手段を与えるという物であった。

 

 とは言え格闘技など仕込んだ所で、短期間では付け焼刃にもならないだろう。

 なのはの運動神経の悪さもある。よほどの天才なら兎も角、その真逆を直走る彼女では付け焼刃の技術が己を傷付ける結果にも繋がりかねなかった。

 

 その為、そんな技術を教え込むよりもレイジングハートを肌身離さず持ち歩くように教え込み、そして魔法技術を磨き上げる方が有効だと考えたのである。

 

 とは言え、今の走れば転ぶというなのはの運動音痴はあんまりと言えばあんまりなので、魔法練習の前後に軽く体を動かす時間が用意された訳だ。

 

 なお、これは美由紀の鍛錬も兼ねている。

 なのはの特訓を見ながら、流れ弾として飛んでくる魔法を躱し続ける。そして運動音痴ななのはを人並みに走れるように教え込む。

 

 見切りと回避技術。教導の技術を磨く良い機会という訳だ。

 

 なのは自身も、魔法の特訓はすんなりと受け入れた。

 朝寝坊ばかりしていた少女が、早朝特訓を自らの意志で受け入れる。そこにどんな思考があったのか。

 

 忘れずに覚えているジュエルシードを巡る事件。

 忘れてしまったとは言え、確かに残る想いもあった氷村の起こした事件。

 

 それらが彼女の心に、力を求める意志を呼び起こしているのは確かである。

 

 だが、きっとそれだけではなく。

 

 

――大丈夫。待ってて、なのは。

 

 

 あの日、雄々しく立ち向かった人が居た。

 そして自分は、あの小さくも大きな背中に憧れたのだ。

 

 唯、少年に守られるだけではなく、その隣に立って歩いていきたい。

 そんな願いがあったから、こうして今も努力を重ねているのであろう。

 

 とは言え――

 

 

「それじゃ、取り合えず海鳴市を一周しようか? 山道に砂浜。色々障害はあるから、しっかり体力が鍛えられるよ」

 

「にゃー」

 

 

 彼女に課された鍛錬は、未熟な少女には厳し過ぎる物だった。

 

 高町家一同に間違いがあるとすれば、運動音痴ななのはを美由紀に預けたことであろう。

 

 真面に他者を鍛え導いた経験などはなく、学校の体育を遊戯か何かだと認識している高町美由紀。

 彼女はなのはと同じ年頃に自身が受けた兄の教えを、基礎鍛錬と認識しているが故に平然となのはに課すのである。

 

 トライアスロンの選手顔負けの運動量が待ち受けていることを思い、なのはは頬を引き攣らせる。

 

 幾らやる気があっても、運動音痴にやらせることではないだろうと思いつつ。

 

 

(……また今日も、辛い時間が始まるの)

 

〈Please exert my master〉

 

 

 レイジングハートの激励を受け、にゃははとなのはは引き攣った笑みを見せる。

 

 朝食に間に合わせる為にも、さあ行くよ。とジョギングを行う姿勢で、短距離走さながらの速度を発揮する美由紀。

 

 そんな彼女に追い立てられて、なのはは必死に走るのであった。

 

 

 

 

 

 その結末だけ、ここに記そう。

 なのはは精一杯努力をしたが、途中の山道で力尽き、美由紀に抱えられて帰宅することとなった。

 

 担がれる形で朝食前に帰宅したなのは。

 当然のように朝食も喉を通らず、ぐったりとした様子でリビングに倒れ込んでいる。

 

 そんな彼女を後目に美由紀は朝食に舌鼓を打ちながらも、なのはが少しずつ走れるようになってきたと家族に報告する。

 

 今日は三分の一も走れなかったけど、今年中に半分の距離は行けるように目指すよと告げる言葉に背筋を震わせつつ、なのはは横になって体力の回復に努めるのであった。

 

 

 

 

 

2.

「――水底の輝きこそが永久不変。永劫たる星の速さと共に、今こそ疾走して駆け抜けよう。どうか聞き届けてほしい。世界は穏やかに安らげる日々を願っている。自由な民と自由な世界で、どうかこの瞬間に言わせてほしい。時よ止まれ、君は誰よりも美しいから」

 

 

 鈴の音を転がすような美しい声で歌われる歌。五人の少女達は高町桃子が紡いだ言の葉に、聞き惚れるように目を閉じてその詩を耳にしていた。

 

 

「と、これが綾瀬の家系に伝わっている詩ね。はやてちゃんが最初の方を歌えるのには、少し驚いたわ」

 

「へぇ、あの続きってこんな詩やったんやね。螢姉ちゃんに聞いても、何も教えてくれへんから知らんかったわ」

 

「……うーん。どこかで聞いた覚えがある詩なんだけど」

 

「アリサちゃんも? ……私も名前は出て来ないんだけど、どこかで聞いた覚えがあるんだ」

 

「すずかちゃんもなんだ。……ねぇ、お母さん。その詩ってどんな名前なの?」

 

 

 何処かで聞いた筈なのに、何処で聞いたのか分からぬ詩。

 心を揺さぶる程に“その刹那を素晴らしいと思って”、されどどうしてそう想うのかが分からない。

 

 そんな姦しい少女達の問い掛けに、少し困ったように苦笑すると桃子は語る。

 

 

「それがね、タイトルだけは伝わってなくて。……詩の由来は伝わっているんだけど」

 

「なんやそれ、めっちゃ気になるわ」

 

 

 目を輝かせる少女に、くすりと笑みを返す。

 そして桃子は、綾瀬の祖が言い残した、この詩の由来を口にする。

 

 

「意地っ張りで心配性で格好付けたがりの神様が、訪れる新世界とそこに生きるべき人々と、愛しい女神様を想って歌った愛の詩。……綾瀬の家系ではそう伝えられているわね」

 

「はー」

 

「なんや、ロマンチックな話やね」

 

 

 詩の由来に、少女達は目を輝かせ――ただ一人、赤毛の少女だけは苦笑を浮かべた。

 

 

(あの子らしい解釈ね)

 

 

 懐かしさに、思わず笑みが零れる。

 今はもう居ない同胞の想いが、確かに残っていると実感する。

 

 遥か昔の出来事が伝わっていないのは悲しくとも、それでもこうして残っている物を知る度に無駄ではなかったのだと思えたのだ。

 

 

「そう。それとね、なのは。綾瀬の家には果たさなくてはならない義務がある、と伝えられているのよ」

 

「義務?」

 

 

 首を捻る娘の姿に、そう難しいことではないわよと微笑んで、桃子はその口伝を伝える。

 

 

「そう。……意地っ張りな神様が安心できるように、世界をしっかりと支えること。世界を良くする事こそが、綾瀬の家系に託された義務」

 

「にゃー。何か難しそう。何をすれば良いのかも分からないの」

 

「ふふっ。……きっとそう難しいことではないわ。ご先祖様も出来ないことは口にしないでしょう」

 

 

 どうしたら良いのか、まるで分からないと口にするなのは。

 そんな娘に微笑んで、桃子は自分の解釈を言葉にして伝えた。

 

 

「私はね、なのは。こう思うの。……昨日より今日。今日より明日。以前に誇れるように生きましょう。そう言う意味で残された言葉だと思うわ」

 

 

 一日を、大切に生きよう。次の日をより良くしよう。

 そんな想いを込めた願いなのだろう。そう彼女は受け取った。

 

 そんな綾瀬の末裔の姿に、先祖を知る少女は内心で苦笑する。

 

 

(いや、あの子のことだし。割と本気で無茶振りしただけだと思うわよ)

 

 

 綾瀬を継ぐ母娘の遣り取りを聞きながら、当時を知る赤毛の魔女はあの少女の無茶振りを思い苦笑する。

 

 疑似とは言え神格と化している大天魔でも不可能な事を、ただの人間にやらせようとか酷過ぎるだろう。

 

 そんな事を思う彼女も、続く言葉を聞いて激しく動揺した。

 

 

「そしてもう一つ。伝わっている口伝が一つ」

 

 

 それは綾瀬香純という少女が残した無念。

 いつか届くことを祈って、後世へと伝え遺した一つの言葉。

 

 

「世界を支えて、全てが報われた後に……もしも綾瀬の血筋に生きる者が、赤い髪に赤い瞳の神様に出会うことがあったなら、一つ伝えて欲しい言葉がある」

 

 

 いじっぱりで、格好つけな神様に伝えて欲しい。

 ずっと一人で頑張った彼に、ありがとうとお疲れ様を――

 

 

「今まで有難う。私達はもう大丈夫です。……だから安心して、眠ってください」

 

 

 綾瀬香純と言う女は、それを伝えたいと願っていた。

 そしてその女はそれを果たせず、けれど何時かと願って逝ったのだ。

 

 長き時の中で、口伝も変化している。

 伝言ゲームのように、少しずつ言葉面は変わっているのであろう。

 

 だがきっと、そこに込められた意味は変じていない。

 きっとそれこそを、彼女は自身の口から伝えたかったのだろう。

 

 当時を共に生きた魔女には、どうしようもなくそれが分かってしまうから。

 

 

「いつか、どこかで、神様と会うことがあったなら、それを伝えるのが綾瀬の義務よ。覚えておいてね、なのは」

 

「うん」

 

 

 もう大丈夫となった世界で、もう大丈夫だと神様に伝えること。それこそが綾瀬の義務である。

 

 そんな口伝を継承する母娘を見て魔女は思う。

 きっとそんないつかは、永遠に訪れることはないのだろう、と。

 

 

 

 

 

 こうして今、綾瀬の家の口伝が語られているのは、八神はやてという少女が翠屋を訪れたことが理由の一端であった。

 

 一週間ほど前に、風芽丘にある図書館を訪れたすずかが出会った少女。八神はやて。

 初対面とは思えぬほど意気投合した二人は友達となり、お互いの友人・家族を紹介するという名目でこうして集まったのだ。

 

 とは言え、はやて側の家族は忙しいのか、来られないという話だったので集まったのは月村すずかの友人三人だけだった。

 

 もう少し早く知り合っとれば、シグナム達を紹介できたんかなぁ、とははやての言である。

 

 月村邸で集まり、そこでなのはの家が洋菓子が美味しいと評判の喫茶店だと言う話が出て、はやてが行ってみたいと口にしたのがきっかけだ。

 

 丁度昼の書き入れ時が過ぎた時間ということもあって、人気の少なくなった喫茶店は少女達の来訪を歓迎した。

 

 出されたシュークリームと、ミルクと砂糖が混ざったコーヒーに舌鼓を打ちつつ、上機嫌に鼻歌を歌うはやて。

 そんな彼女の口遊んだ歌の続きを桃子が知っている、と答えた所から話は膨らみ、こうして綾瀬の口伝を語る形となったのだ。

 

 

「あら、お客様ね。……いらっしゃいませ」

 

 

 書き入れ時を過ぎたとは言え、翠屋は地元の人気店。

 そしてその売りは、ランチメニューよりも洋菓子にこそある。

 

 故に食事時の後も忙しくなる為、桃子は少女達に断りを入れて立ち去っていく。

 

 

「と、忘れる所だったわ。……なのは宛てにユーノ君から手紙が来てたわよ」

 

「え! ユーノ君から!?」

 

 

 立ち去る間際に、手紙を残していく桃子。

 それをはしゃいで受け取ると、封を切って早速目を通し始めた。

 

 

『前略。そろそろ肌寒くなってくる頃、いかがお過ごしでしょうか。

 と、なのはの祖国ではこういう入りをするのが手紙の基本なんだよね。

 ちょっと慣れないから不安だけど、形式通りに書けていれば嬉しいかな』

 

 

 出だしの文言は、知的ながらもどこか不安が混ざった物。

 そんな記された言葉すらも彼らしいと、なのははくすりと微笑みを浮かべる。

 

 

『僕は渡航制限が中々解除されなくて、暫く足止めを受けている。

 人手も足りないという事なので、管理局の医療班に協力しています。

 

 後、クラナガンの炊き出し作業や瓦礫除去の作業にもかりだされたかな』

 

 

 そして続くは現状報告。

 瓦礫撤去と言う言葉に何があったのか、僅か不安になるが続くエピソードに安堵を漏らした。

 

 

『他にはDSAAが主催するストライクアーツって格闘技の大会にも出場したんだ。

 慰安目的で行われた大会。見事優勝したのでその写真も添えておくね。

 トロフィーとかは直に見せてあげたいかな、とも思っているんだ。

 

 興味がない話だったらごめんね。その場合は無理しないで、言って欲しいかな』

 

 

 そんな気遣いに溢れた文章。何度か書き直した文章。

 全く小心が過ぎるだろうと、安堵を抱きながらもなのはは思う。

 

 

『渡航制限が解除されるまで、郵便物も転送させられないという話なので、

 この手紙を書いてから、どの程度でそちらに届くか分からないんだ。

 

 ただクロノの予想では、あと一月。

 十二月頃には自由に行き来出来るようになるだろう、と言っていたかな。

 

 長くなりましたが、もう一度君に会える日を心待ちにしています。

 

                           ユーノ・スクライア』

 

 

 

 手紙を読み終え、その隙間から一枚の写真が零れ落ちた。

 

 金髪の少年が、トロフィー片手に揉みくちゃにされている写真。

 そこに写る人々、懐かしいと感じる彼らの笑顔に、温かい物を感じて――

 

 ふと、写真の隅でそっぽを向いている眼帯姿の少女が気にかかった。

 自身より幼い少女。笑顔ではないが、それでも敵意を向けている訳ではないと写真越しでも分かる。

 

 ユーノ。クロノ。リンディ。エイミィ。知った顔が四人。

 金髪の少女。青髪の女性。他数名。なのはの知らない人の姿。

 

 別に彼女らが、気に食わない訳ではない。

 ただ、彼の傍に知らない誰かがいる姿が、どうにも胸に引っかかった。

 

 この感情が何なのか、なのはは分からずに首を捻る。

 取り敢えず写真を拾おうと、少女は小さな手を伸ばして――

 

 

「おぉっ、それは男ね。男なのね!」

 

「にゃっ!?」

 

 

 背後から覗き込んでいた、お祭り好きな少女が歓声を上げた。

 驚いて写真を拾って振り返ったなのはの目に映るのは、ニヤニヤと笑うアンナの姿。

 

 

「なのはに男の影が、これは恋ね、恋なのね」

 

「ほ、ほんまなん、なのはちゃん!?」

 

「にゃ、にゃー。違うの、私とユーノくんは、その」

 

 

 揶揄い八割という表情を浮かべるアンナと、如何にも興味津々ですと目を輝かせるはやて。

 

 この年頃の少女達にとって、恋話というのは興味をそそられる物である。

 

 

「へぇ、……なのはちゃんに男の影が」

 

「……全く、そういう相手がいるなら少しは話しなさいよ! 私の親友の相手に相応しいかどうか、見極めてやるんだから!」

 

 

 暗い笑みを浮かべるすずかと、その相手の男が親友を託すに足る者か見極めようと激するアリサは少数派と言ったところだろうか。

 

 そんな風に勝手に盛り上がる友人達の姿に、なのはは慌てて言葉を告げる。

 

 

「だ、だからユーノ君はそういう相手じゃ」

 

「けど、あんまり悪い気はしないんでしょ?」

 

「あ、うん。一緒にいたいなって、思うけど」

 

「きゃー! 聞きました奥さん」

 

「ええ、聞いたで奥さん。恋人ではない。けど一緒にいたいやて。なのはちゃんも青春しとるなー」

 

「にゃー!!」

 

 

 少女を揶揄う二人の姿に、なのはは顔を真っ赤にして手を振り回す。

 そんな彼女らを眺めて、ふとアリサが気付いたことを口走った。

 

 

「そう言えば、ユーノってあのフェレットの名前じゃなかったかしら?」

 

「あ、うん。そうだよね。……同じ名前?」

 

「そ、それはその。ユーノ君の飼い主さんがユーノ君で、ユーノ君はユーノ君だからペットにユーノ君という名前を付けて、ユーノ君がユーノ君を迎えに来たからユーノ君は帰国して行って、ユーノ君はユーノ君でユーノ君だから、……あれ?」

 

「落ち着いて、なのは。慌て過ぎて、ユーノ君がゲシュタルト崩壊しているわ」

 

 

 割と鋭い所を抉るような追及に、なのはの苦しい言い訳を口にする。

 そう語っている内に訳が分からなくなって首を捻る少女に、アンナが少し落ち着けと助け船を出す。

 

 そうして落ち着いたなのはと異なり、皆の話題は盛り上がりを見せていく。

 

 

「しっかし自分と同じ名前をペットに付けるって、おかしな飼い主よね」

 

「もしかしたら、フェレットのユーノ君と人間のユーノ君は同一人物かもしれへんで」

 

 

 おかしな奴と語るアリサに、何気なく核心を突きつつあるはやて。

 恋話に盛り上がる少女達は、喧々囂々。好き勝手に口を開いている。

 

 

「まっさか、そんな魔法みたいなこと、ある訳ないじゃない」

 

「……奇跡も魔法もあるんやで。もしかしたらユーノ君もザッフィーと同じやもしれんし」

 

「ザッフィーってのが何だか知らないけど。……もしユーノ君が人間だったら、私達の裸も見てるんだよね? それでなのはちゃんに手を出している。……これは去勢が必要かな」

 

「にゃ、にゃはは」

 

 

 他愛無い会話を交わす二人に、何処か瘴気の様な物を発しているすずか。

 そんな友人達の言葉に置き去りにされて、なのはは乾いた言葉を上げることしか出来ていない。

 

 

「とにかく! そのユーノって奴がこっちに来たら、私達に紹介しなさい。見極めてやるわ!」

 

「……取り合えず、駄目男だったらどうするかも考えておかないとね」

 

「あ、なら私も見てみたいわ。なのはちゃんの恋人候補」

 

「私も私も、揶揄いなら任せなさい!」

 

 

 そんな姦しい少女達に押し負けて、なのははユーノが来たら皆に紹介すると約束させられるのだった。

 

 

 

 

 

 夜。友人達が立ち去った後。

 寝間着姿の高町なのはは、家の自室で写真を眺めていた。

 

 今日送られて来た写真と、あの日公園で取った写真。

 二つの写真に写った彼を、ベッドに寝そべったままに見詰める。

 

 会えない時間は、想いを膨らませる。

 ちょっと良いなと思う感情は、半年の間に少しずつ募っている。

 

 それは慕情の芽吹く前、未だ恋慕には至らぬ感情。

 けれどそんな想いの欠片が、その先を容易く想像させる。

 

 

「恋人、か」

 

 

 好きな人とは、恋仲になる物だ。

 そんな幼い思考で、少女は一つ想い浮かべる。

 

 何をするんだろう、という疑問がある関係。

 それでもそうなることを想像すると、不思議と不快感はない。

 

 昼間の友人達の囃し立てを思い出す。

 そう口にされる度に、そうなる先を予想してしまう。

 

 幼い、まだ恋慕とは言えない感情は、そうした周囲の反応に少しずつ大きくなっている。

 会えない時間と、皆の態度が、まだ至らない恋慕の欠片を、確かな想いに育てるのだ。

 

 

 

 ふと思いついて、ベットの上から起き上がる。

 机の隅に立てられたペン入れから、ピンクのラインマーカーを取り出した。

 

 二人で隣り合って、映った写真。

 恥ずかしそうに立っている少年と少女の姿をハートのマークで取り囲む。

 

 

「にへへ」

 

 

 そんな簡単なことなのに、何だか胸が温かくなるような気がして笑みが零れた。

 

 ベッド脇の時計を見る。

 そろそろ寝ないと朝が厳しい時間になってきている。

 

 ペンで書き込んだ写真を枕元に置いて、お休みなさいと眠りに落ちる。

 

 

 

 今日は良い夢が見られそうだ。

 

 

 

 

 

 

3.

 ふと、なのはは目を覚ました。

 

 周囲の色が変わっている。

 慌ててベッドから立ち上がると、色が変わった天井を見上げた。

 

 

「これ、封時結界?」

 

 

 誰が展開したというのか、まだ明け方。

 早朝というにも、余りに早い時間である。

 

 家から飛び出して、様子を確認しようかと思う。

 

 そこでふと、枕元にあった写真が目についた。

 手を伸ばしたが慌てていた所為か、ベッドの隙間に落ちてしまう。

 

 大切な物だから、閉まってから外に出よう。

 そう考えたが故に、なのはは体を屈めてベッドの下へと手を伸ばす。

 

 何とか写真を掴んで、それを引き出そうとした所で――

 

 

「テートリヒ、シュラーク!!」

 

 

 少女の高い声と共に、高町家の天井が崩れ落ちる。

 咄嗟に身を守る為になのはは体を丸くして、ビリッと何かが破れる音を聞いた。

 

 

「あ」

 

 

 無理矢理引き抜いた所為で、写真が破れてしまった。

 ピンクのマーカーで書かれたハートのマークは、中央から二つに分かれていた。

 

 

 

 そして、屋根が飛んで野晒しになった部屋の中から、空を見上げる。

 

 赤い髪に赤い服。赤い帽子に白いうさぎの人形。

 大きな機械仕掛けの槌を構えた少女の姿を確認して、なのはは自分の中で何かが切れる音を聞いた。

 

 

「……悪ぃな。お前に恨みはねぇが、リンカーコアを頂いていくぜ」

 

 

 その少女が、何事かを言っている。

 だが聞こえない。そんな言葉は届かない。

 

 人生で二番目に激怒している今の彼女は、そんな言葉では揺るがない。

 

 

「少し、頭冷やそうか」

 

 

 レイジングハートを起動する。

 その一瞬でなのはの姿は、白き衣を纏った魔導師のそれに変化していた。

 

 

「てめぇ、魔導師か!?」

 

 

 驚愕する少女を前に、なのはは彼女と同じ高さまで浮遊する。

 絶対に許さない。なのははその思いを胸に、機械仕掛けの杖を謎の少女に向けるのであった。

 

 

 

 

 

「くっそがぁぁぁぁっ!」

 

 

 赤の少女が罵倒する。地に落ちる彼女は満身創痍。

 天より降り注ぐ桜色の豪雨を前に、抗いながらも飛翔する。

 

 

「打ち抜け! アイゼン!!」

 

〈Gigant shlag〉

 

 

 その天災の如き暴威に抗いながら、赤き少女は数十倍に肥大化したデバイスを振り下ろす。

 

 その魔法はギガントシュラーク。

 巨人の一撃。鉄槌の騎士ヴィータが誇る最大魔法。

 

 それを――

 

 

「で?」

 

 

 だが、届かない。

 鉄槌の一撃は、少女の身体には届かない。

 

 

「くそっ!?」

 

 

 その一撃は、確かになのはの障壁を打ち破る。

 

 だがなのはの障壁は三層。

 高々一つを破るのが限界な魔法では、決して届きはしないのだ。

 

 返礼とばかりに、返されるのは桜色の魔力光。

 ディバインシューターの雨は、ヴィータの守りごと彼女を打ち据え、再び地に落とす。

 

 大地に這い蹲る赤毛の少女を見下ろして、桜の少女は空に浮遊する。

 

 そこから上がることなど許さない。

 遥か高みからそう告げるかのように、なのはは騎士を見下ろしていた。

 

 

「次はこっちの番」

 

 

 そして、なのはの杖が向けられる。

 そこから放たれるのは、膨れ上がった極大の魔砲。

 

 僅か数秒の隙もなく放たれた大魔力は、たった一撃で決着を付けることが出来る威力を誇る。

 

 

「っ!」

 

 

 必死で身を捻り、何とか躱し切るヴィータ。

 そんな彼女のすぐ傍を通り抜けた桜色の破壊の光は、軒並ぶ家々を吹き飛ばしながら結界にぶち当たり、たった一撃で結界を消滅寸前にまで押し込んだ。

 

 僅か一瞬、軽い腕の一振りで放たれた魔砲。

 その威力を垣間見て、震えるような声でヴィータは呟いた。

 

 

「集束砲を溜めなしで撃つとか、冗談だろ」

 

 

 その声が震えている。信じ難いと震えている。

 この少女は怪物だ。人の見た目をしているが、まるで別の怪物だ。

 

 

「……集束砲? 何を言っているの」

 

 

 そんな呟きに、白き少女は告げる。

 

 それは、残酷な真実。

 集束砲だと誤解した彼女に、確かな現実を教えよう。

 

 

「あれは唯、魔力を固めて放っただけだよ。……唯の射撃魔法を撃っただけ」

 

「な、んだと」

 

 

 収束砲どころか、砲撃魔法ですらない射撃魔法。

 たったそれだけの魔法が、今では星の輝き。スターライトブレイカーにも匹敵するほどに引き上げられていた。

 

 

「ふざけんな、んだよ! そりゃ!?」

 

 

 思わず、そう叫んでしまう。

 

 戦場にあって、戦を忘れる。

 そんな騎士に、見下ろす瞳は冷たい物。

 

 

「それは、こっちの台詞だよ」

 

 

 高町なのはとは、最早怪物の域にある魔導士である。

 

 

「君は、弱いね」

 

 

 圧倒的な力に恐怖し、動揺するヴィータ。

 そんな彼女に高町なのはは、冷たい言葉を掛ける。

 

 そして、桜の光が全てを焼く。

 焼かれた少女は大地に落ちて、満身創痍を晒していた。

 

 

 

 大地に伏して、それでも必死に立ち上がる。

 傷だらけになって、それでも諦める事はしない。

 

 

「まだ、だ……」

 

 

 突如、襲い来た少女。

 なのはにとっては、通り魔に過ぎぬ敵。

 

 それでも彼女には、相応の理由がある。

 

 

「負けられねぇ、私には負けらんねぇ理由があるんだよ!」

 

 

 思い描くのは、初めて経験した温かさ。

 守りたいと思った、愛しい日常の光景。

 

 長くを生きた騎士にとって、漸くに手にした平穏。

 それが崩れ去ると理解して、だからこそ救う為には確かに必要となる。

 

 

「魔力がいるんだ。必要なんだよ。だからっ!」

 

 

 彼女を救う為には、魔力が必要となる。

 

 頼み込めば、分けて貰える。

 その程度では足りぬから、こうして外道を成している。

 

 そんな少女の咆哮を前にして、しかしなのはの瞳は揺れない。

 負けられないと必死で起き上がる少女を、しかしなのはは冷たい目で見下していた。

 

 

「……そうなのかな、まるで真剣には見えないよ」

 

 

 なのはの目に映る赤毛の少女の姿。

 それが彼女には、酷く矮小なものに見えていたのだ。

 

 

 

 元より資質のあった少女は、あの海上での決戦以来、強い想いを発する魂を目にすることが出来るようになっていた。

 

 人は強い想いを抱いた時、その魂を美しく輝かせる。

 その魂の輝きこそが、人に限界を超える力を与えるのだ。

 

 あの日、フェイト・テスタロッサは命を燃やし尽くした時、その魂はとても美しい黄金の輝きを放っていた。

 あの日、両面鬼に挑んだユーノ・スクライアは、確かに美しくも力強い輝きを見せていた。

 

 もう余り覚えていないが、どこかで見た吸血鬼は悍ましい色の魂をしていた。

 まるで黒い太陽。闇に吸い込まれるかのような輝きは、確かにフェイトやユーノのそれと遜色ないほど強大な輝きであった。

 

 だが、眼前に立つ赤毛の少女にそれはない。

 だからこそ、なのはの目には、少女の真剣さが伝わらない。

 

 軽いのだ。薄いのだ。

 想いがまるで足りていない。

 

 人間を模して造られて、役割を果たすだけの人形。

 それにどうして、真なる輝きが宿ると言えるのだろうか。

 

 

 

 人に魂は作れない。なのはは知る由もないが、起動する度にリセットされている守護騎士という人工物に、そんな魂が生まれているはずもない。

 

 だから、その行為の真剣さが伝わらない。

 その想いが軽い物にしか、なのはの目には映らない。

 

 

「貴女が何をしたいのか知らない。興味もない。……ただそれは、貴女が本当にしたいことなの? まるで伝わってこないよ。与えられた役を演技しているみたい。本当の貴女はどこにいるの?」

 

 

 怒りは未だある。だがそれ以上に、その在り様に憐れみを感じたのだ。

 

 だからなのはは問いかけた。

 騎士と言う殻を被った。ヴィータという役割を与えられた少女に対して――

 

 

「貴女はだぁれ?」

 

 

 勝手な事を。ヴィータはその小さな体に怒りを漲らせる。

 

 彼女は、闇の書の守護騎士だ。

 闇の書と言うロストロギアが、作り出した偽りの人型だ。

 

 闇の書より生まれた守護騎士。

 主を守るという思考は、書の機能として与えられた物であるのだろう。

 

 病に苦しむ主を救う為に、闇の書を完成させる。

 そういう思考に辿り着き、それ以外の方法を考えもしないのも、闇の書を完成させるという存在理由に左右されたが故に守っていることなのだろう。

 

 それでも、確かに言える事が一つある。

 それでも、ヴィータだけの想いは確かにあるのだ。

 

 

「ふざけ、やがってぇっ」

 

 

 主を救う。それは自身の意志である。

 彼女を守る。それは自分で決めたことである。

 

 

「舐めてんじゃ、ねーよ! 見下してんじゃ、ねーよっ!」

 

 

 帽子に付いた、白いぬいぐるみに目を移す。

 のろいうさぎ。今の主である少女に強請って買ってもらった、お気に入りのお人形。

 

 それだけは、そこに宿った想い出だけは、ヴィータだけの物であると自信を持って言えるのだ。

 

 

「私はヴィータだ! 他の何でもねぇ、人形なんかじゃねぇ! 闇の書の守護騎士! 主の為に戦う騎士! 鉄槌の騎士ヴィータだ!!」

 

「あ」

 

 

 なのはは立ち上がる少女の姿に、確かに魂の芽生えを見た。

 

 とても小さく、フェイトや氷村遊とは比べ物にならないほど小さく。だが確かに偽りの生命に魂が生まれる瞬間を目にする。

 

 

「我が主の為! 闇の書の糧となれ! 魔導師!!」

 

 

 その輝きは小さくとも、確かに美しい。

 生まれたばかりで儚くて、だけどなのははその輝きに魅せられる。

 

 それは隙となる。

 その一瞬を歴戦の騎士が見逃すはずもない。

 

 

「ツェアシュテールングス! ハンマァァァァッ!!」

 

 

 カートリッジを、此処で全て消費する。

 生まれ落ちたばかり魂が、その真価を発揮する。

 

 この一瞬に、鉄槌の騎士は嘗ての自分を、魔法生命の限界を超えた。

 完成された個を超えて、少女は新たに生み出した魔法を行使する。

 

 ロケット噴射と共に、迫るは大槌。

 その先端のドリルが、なのはの障壁を破る。

 

 一つ。二つ。三つ。

 三層の防御障壁を全て打ち壊し、その鉄槌を振り下ろした。

 

 だが――

 

 

「……今初めて、ヴィータちゃんに会った気がする」

 

「んなっ!?」

 

 

 それでも、届かない。その鉄槌は空ぶっていた。

 それは高町なのはが、尋常ではない速度で移動した為。

 

 高速移動魔法。フェイト・テスタロッサという神速には届かないが、それでもなのはの今の速度は音速を超えている。雷鳴の如き速度で疾走する。

 

 彼女は動けない要塞ではない。動こうと思えば、高速機動を得意とする魔導師など足元にも及ばない速度で移動できる。

 

 唯今まで、それほど速く動く必要がなかっただけだ。

 

 

「本当はね。障壁だけならもっと展開出来るんだ。ただ攻撃と防御と移動速度のバランスが一番良いのが三重障壁だから、そこで止めているだけ」

 

 

 言葉と共に、展開されるは多層の防御壁。

 一つ二つ三つ四つ五つ六つ七つ八つ九つ十。

 その数は一瞬で二桁を上回り、三桁へと到達する。

 

 一つ破るのに、攻撃特化の騎士が命懸けで挑む必要のある防御壁。その数が108。

 

 それは鉄槌の騎士では破れない。

 悪魔か魔王を思わせる少女の、圧倒的に過ぎる防御陣。

 

 

「お話し聞かせてくれるかな? 君に少しだけ、興味が出てきたんだ」

 

 

 その武威を持って、語られる言葉。

 その圧倒的な力を前に、ヴィータは恐怖で震える。

 

 

 

 障壁を纏ったなのはが移動する。

 

 それだけで108もの障壁は物理的な威力を発揮する脅威となって、ヴィータは押し潰されるように落とされた。

 

 地に落とされたヴィータは、動かすだけで痛みが走る身体を抱えて呟く。

 

 

「……悪魔、め」

 

 

 その少女の姿は、御伽噺に語られる悪魔のように。否、それでも足りないだろう。

 悪魔の王。白き大魔王。ヴィータは眼前の少女が、そんな化け物にしか見ることが出来ない。

 

 

「悪魔で良いよ。それならそれらしく、お話し聞かせてもらうだけだから」

 

 

 罅割れたアイゼンを手に、それでも諦めまいと立ち上がるヴィータを前に、障壁の数を減らして誘導弾を展開することでなのはは答える。

 

 全く油断していない。

 

 そんな格上の態度に忌々しそうに舌打ちをすると、ヴィータはボロボロの体で、しかし確かに力強く構えを取る。

 

 

 

 そんな両者の間に、割って入る二つの影が現れた。

 

 

「誰!?」

 

 

 弾かれる様に遠のいたなのはは、乱入者達へと向かい合う。

 なのはの零れるような疑問に答えを返すのは、赤髪の女と青髪に獣耳の男。

 

 

「烈火の将、シグナム」

 

「盾の守護獣、ザフィーラ」

 

 

 白と赤の騎士甲冑を着込んだ女。名を烈火の将シグナム。

 浅黒い肌に青い服と銀の手甲を身に付けた男。名を盾の守護獣ザフィーラ。

 

 ヴィータと同じく、闇の書より生まれ落ちた騎士が名乗りを上げる。

 そして彼らの到着に笑みを浮かべ、寄り添うようにヴィータも満身創痍で立つ。

 

 

「鉄槌の騎士、ヴィータ!」

 

 

 ここに揃った、三人の騎士。

 彼らこそが、闇の書が主に仕える守護の騎士。

 

 

『我ら、夜天の空に集いし雲! ヴォルケンリッター、ここにあり!!』

 

 

 声を揃え己を宣する三人の騎士。

 新たに現れた敵手の存在を前に、なのはは警戒して構えを取った。

 

 

「多勢に無勢だが、悪く思うなよ魔導師!」

 

「……別に良いよ。纏めて倒して、お話し聞かせてもらうだけだから」

 

 

 白き魔王と雲の騎士達の戦いは、ここに新たな局面を迎える。

 

 

 

 

 

 




奈落之覇王。略してなのは。
戦闘時の推奨BGMは『覚醒、ゼオライマー』あたり。


ヴォルケンズのスペックはシグナムさんを基準に想定しています。
古代ベルカ産のロストロギア。そのモデルになった人は戦乱期の英雄だろうな、と考えたのでシグナム・オリジナルが陽5陰5の等級を想定。
コピー現象での劣化を考慮してシグナムは陽陰共に4と4です。
ヴィータ、ザッフィーは一段落ちるイメージなので、魔法型のヴィータが陽3陰4。逆に魔法が補助以上の意味を持たないザッフィーが陽4陰3と考えています。

なのはは基本陰5でレイハさん効果でほぼ6。まず勝てないのでこういった結果になりました。


主人公が通り魔に襲われた話なのに、勇者パーティーが魔王に挑む最終決戦にしか見えない不具合。前のシーンとのギャップ差で萌えが演出されてれば良いなー(願望)



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第十八話 激闘の果ての再会

2016/10/12 改訂完了


副題 風雲奈之覇城。
   ジョブチェンジ。
   不穏の種。



1.

 紅に染まった世界の中、杖と刃を向け合う四人の魔導師。

 この四者の中で、最も素早く動けるのは誰か、論ずるまでもない。

 

 この戦場で最速なのは、高町なのはだ。

 

 雷鳴の如き速さで疾走する少女は、全てを置き去りにする速度で飛翔する。

 攻撃型のヴィータも、防衛型のザフィーラも、圧倒的な速力差故に真面な反応すら出来ていない。

 唯一の例外は指揮官型故に万能なシグナムだが、彼女にした所で速度に反応出来るだけ。追い付ける道理は何処にもない。

 

 故に彼女は、戦域を自由に操れる立場に居る。

 その速力差を持って、自身の望んだ立地を得る。地の利を抑える事が出来るのだ。

 

 

「レイジングハートッ!」

 

〈Divine shooter〉

 

 

 結界内の上空、最上部に少女は陣取る。

 そして雨霰の如く降らせるは、誘導制御の直射弾。

 

 数の限りなどはなく、無尽蔵に生じる絶対量。

 絶対優位の場所から行われる空爆は、宛ら天罰の如くに地表を焼いた。

 

 

「ざっけんなっ!! あいつ、どんだけ魔力持ってんだよ!?」

 

 

 対する守護騎士達は民家を含める建物を盾とし、回避と防御に専念しながら抵抗を続けている。否、それは抵抗と呼べる物か。

 

 反抗の術はない。抗う余地はない。降り注ぐ脅威を前に逃げ惑う騎士達。

 彼我の実力差は明確であり、拮抗あるいは一部に置いて凌駕するという物のない戦いは戦闘と呼べない。最早蹂躙と言った方が近いであろう。

 

 

「さあ、な。想像も付かんよ」

 

 

 ヴィータの吐いた毒に、シグナムは身を隠しながら言葉を返す。

 理不尽だ。襲撃した側が何を、と言われるかもしれないが、それでも理不尽だと思わざるを得ない。

 

 常の魔導士ならば、否オーバーSの魔導士であっても枯渇するだろう程の魔力消費。湯水のように魔力を使う少女に、衰えは一切見られない。先の一瞬までヴィータと戦っていたというのに、だ。

 

 不撓不屈。己の意志力を、魂を魔力へと変換するその力は効果を発揮している。

 

 少女の中にある怒り。話を聞きたいという想い。

 それらが魔力へと昇華され、正しく無尽蔵というべき魔力を少女に齎している。

 

 数の利などは、圧倒的な質の差を前にすれば意味を為さない。

 己の三倍という人数差を、あっさりと覆す要素に他ならない。

 

 

「だが、あれだけの魔力を蒐集出来れば、間違いなく闇の書は完成する。……そう思うと、やる気が出るとは思わんか、お前達」

 

 

 それでも、将たるシグナムは笑みを浮かべている。

 身を隠す建物ごと降り注ぐ魔法に消し飛ばされて、巻き込まれる寸前で辛うじて回避しながらも、そんな軽口を叩いている。

 

 彼女ら、守護騎士には理由がある。

 

 民間人の襲撃と言う、誇り高き騎士にはあるまじき行い。

 一対一だとしても恥だと言うのに、複数人で一人を襲うと言う更なる上塗り。

 

 それを許容せねばならないだけの理由が、彼女達には存在していた。

 

 

「確かに、な。あの娘一人で、闇の書は完成する。ならば、この恥知らずな行いにも意味がある」

 

 

 闇の書。それは魔導士やリンカーコアを持つ生物より魔力を蒐集し、持ち主に絶大な力を与えると信じられているロストロギア。

 

 完成すれば何でも望みが叶う書を、しかし彼女らの主は望まなかった。

 

 書を完成させる為には、666頁にも及ぶ闇の書の内部を相応の魔力で満たす必要があり、他の生命が持つ魔力を蒐集しなければならない。

 

 魔力を無理に奪われれば、其処には当然痛みが伴う。

 急激に魂の力を消失すれば、最悪の場合死に至る危険すら存在する。

 

 それだけの魔力を集めるには、どれだけの蒐集を必要とするか。

 それだけの回数を重ねれば、或いは最悪の展開を引いてしまう可能性も高まるだろう。

 

 故に彼女らの主は、闇の書を完成させてはいけないと語った。

 だが、守護の騎士らは主に反する。何故ならば、その主の命が危険である為に――

 

 

「ああ、あいつ一人ではやてを救える。……なら、どんな化け物でも潰してやろうじゃねぇか!」

 

 

 半身不随の少女。八神はやて。

 彼女こそが今代の主に選ばれた、大凶の籤を引いてしまった娘である。

 

 少女の身に襲う半身不随は、闇の書が原因であった。

 完成に至ろうとする書が、主従の繋がりを介して、彼女の魂を削っているのだ。

 

 このまま、蒐集をしなければ、早晩にもはやては死ぬ。

 身体の麻痺は全身に到達し、彼女は闇の書に憑り殺されてしまうのだ。

 

 守護の騎士らに、それは許容できない。

 この時代にあって、騎士達に人の温かさを教えてくれた優しき主。それがどうして、失われると分かって放置が出来ようか。

 

 だが、騎士は書に抗えない。

 闇の書に作られた騎士らは、闇の書には逆らえないのだ。

 

 故に求めたのは、書の完成。

 完成と共に得られる絶大な力で、八神はやてを救う事。

 

 だから、膨大な魔力が必要となる。

 それも短時間の内に、途方もない量が必要なのだ。

 

 通常の魔導士では蒐集対象にしたとて、数頁分の魔力しか回収出来ないであろう。

 高ランクの魔法生物を倒したとしても、収支がつぐなわない。時間が足りな過ぎるのだ。

 

 だが高町なのはだけは違う。彼女の魔力は正しく無尽蔵である。

 故に、高町なのはを蒐集すれば、その瞬間に666頁全てが埋まるのだ。

 

 

「行くぞ。お前達。……誇りに反する事。主に反する事。それら全ての背任も、この一戦にて終わりにしようっ!」

 

 

 主を救う術が、すぐ目の前にある。

 それを前にして、戦意が高まらぬ理由はない。

 

 

 

 しかし当然。それだけの魔力を持つという事は、それだけの強さを持つと言う事実に他ならない。

 

 

「ディバインバスター・ファランクスシフトっ!!」

 

「っ、おぉぉぉぉっ!?」

 

 

 桜の砲火が、大地を焼く。降り注ぐ雨が、あらゆる全てを押し潰す。

 隠れ潜む家屋が吹き飛ぶ。溢れる輝きに飲み込まれそうになって、躱した筈なのに余波だけで吹き飛ばされる。

 

 帽子に付いた人形が、桜に飲まれて大地に落ちる。

 転がり落ちたその先で、倒壊した家屋に巻き込まれて潰れていく。

 

 

「くそっ、くそっ、アイツ。よくも――」

 

 

 主に貰った大切な物が、見るも無残に壊される。

 自分から仕掛けたという事すら一瞬忘れて、頭の中が怒りに満たされる。

 

 

「落ち着け。ヴィータ」

 

「……わーってるよ。頭に血が上れば、それまでだってさ」

 

 

 だが、それも一瞬だ。怒りをぐっと飲み干して耐える。

 三人がかりでこの状況。そんな中で感情のままに飛び出せば、一瞬足りとて持たないと分かっていた。

 

 

「ほんっと、悪魔ってか、大魔王だろ。ありゃ」

 

 

 高町なのはは、怪物だ。

 

 巨大な生命力を持つ魔法生物。

 圧倒的な技術を持つ大魔導士。

 一騎打ちでは負けなしを誇る優れた騎士。

 

 それら全てが、彼女の前では無力となる。

 それら全てが同時に挑んでも、勝ち目は那由他の果てにしか存在しない。

 

 力が足りない。魔力の桁が違っている。

 多少の小細工でどうにか出来る範囲を、既に逸脱しているのだ。

 

 

「……なあ、この状況。何かを思い出さないか?」

 

「あ? 何だよシグナム。くっちゃべってると死ねるぜ、これ」

 

「ふっ、一番口を開いているお前には、言われたくないがな」

 

 

 高町なのはの魔砲は、あくまでも非殺傷設定だ。

 魔力ダメージを与えるだけで、対物理には影響を与えない筈の物だ。

 

 だが、建物が消し飛んでいる。

 非殺傷の砲撃で、物理的な破壊が起きている。

 

 それは単純に、威力が過剰に過ぎる為。内包する魔力量の問題だ。

 

 この世のあらゆる現象は、魔力によって形成されている。

 本来魔力ダメージとは、形成された後の魔力には影響を与えず、未形成の物にのみ変化を与える代物だ。

 

 だが余りに魔力が過剰に過ぎれば、余程洗練された技巧を持たない限り、物理的な影響が生まれてしまう。

 例えば魔力砲が移動した際に生じる余波、それだけでも物理的な破壊現象を伴ってしまうのだ。

 

 その領域にまで至れば、非殺傷であることなど殆ど関係しない。

 

 これ程に大量な魔力が移動すれば、その余波だけでも建造物が消し飛ぶ。

 直撃など受ければ、その瞬間にショックで心停止を起こす可能性だって存在する。

 

 そうでなくとも、確実に意識は飛ぶであろう。

 そして、こんな状況で気絶すればどうなるか、想像するに容易い。

 

 射撃と共に発生する建物の倒壊に巻き込まれる可能性や、砲撃が開いた地の大穴に落ちる危険性。どちらにしても後に待つ結果は碌な物ではないだろう。

 

 直撃は死を意味する。作り物であれ古代ベルカ戦乱期より存在している歴戦の強者達は、その事実を確かに理解している。

 

 

「まあ聞け、ヴィータ。それにザフィーラ」

 

 

 そんな死地において、シグナムは笑みを浮かべている。

 守護騎士の現場指揮官である女騎士は、既に攻略への一手を脳裏に描いていたのだ。

 

 

「この状況。私達は嘗てにも経験しているはずだろう?」

 

「……ああ、言われてみれば分かるぞ。懐かしいとすら感じている」

 

「んだよ、てめぇらだけで納得しやがって、もっと簡潔に言えよっ!」

 

 

 誘導弾を迎撃し、迎撃など出来ない魔砲から身を隠す。

 そんな行為を続けながら、ヴィータは苛立ちながらに口を開く。

 

 

「分からないか、ヴィータ――」

 

 

 そんな彼女にシグナムは、懐かしむような表情で答えを告げた。

 

 

「これは攻城戦だよ」

 

「あ? 敵はあいつ一人。……って、そういうことかよ」

 

 

 ヴィータも漸くに、シグナムの言わんとすることを理解する。

 

 城壁よりも強固な障壁に守られ、一人の魔導士が展開しているとは思えない程大量にして高出力の魔力を撃ち続ける高町なのは。

 これと相対するとは、個人の戦闘の延長にはあらず。完全防備を整えた巨大要塞に挑むのに等しい。

 

 高町なのはを一個人と考える事。それこそが過ちに他ならない。

 一個人として考えなければ、確かに対処の術は存在しているのである。

 

 

「だが、な。相手が城ならばやり様はある。攻城戦は、我らが得意とする物の一つであろう」

 

 

 その身が偽りであれ、その中身が作り物であれ、ヴォルケンリッターとは歴戦の勇士である。遥か昔より戦場を戦い続けた戦士である。

 不都合な部分を処理され、起動の度に記憶をリセットされる彼らであるが、本来の役割を果たす為に必要な戦闘経験だけは引き継がれているのだ。

 

 

「はっ、古代ベルカの首都防衛網が餓鬼の玩具に見えるレベルの城だけどな。しかも高速移動可能と来た」

 

「だが、攻城戦ならばそれ相応の作法がある」

 

 

 それでも、三人は確かに確信を抱いている

 百年を超える研鑽は、この怪物を相手にしても通じると信じているのだ。

 

 

「行くぞ! ヴィータ! ザフィーラ!」

 

『応!』

 

 

 故に、守護の騎士らは勝負に出る。

 高町なのはと言う城壁を破る為に、今此処に攻城戦を行うのだ。

 

 

 

 攻城戦の基本とされる戦術には、幾つかの種類が存在している。

 

 包囲。或いは兵糧攻めとされる手法。

 城の周囲を取り囲み、物資の補給を滞らせる。敵を干上がらせて、戦うことが出来ないようにする戦術だ。

 

 交渉。或いは調略と言われる方法。

 脅迫や取引により、相手に城を放棄させる駆け引き。敵に自らの意思で防備を放棄させる戦術だ。

 

 奇襲。夜討ちや朝駆けなどを含む手法。

 相手の準備が整わない内に攻めたて、一気呵成に城を蹂躙する戦術。

 

 これら全てが、現状では意味がない。

 

 まずは包囲。これは不可能だ。

 高町なのはは言うなれば、移動できる要塞である。動かない拠点ではないのだ。

 

 包囲したとて、その包囲網を強引に打ち破ることは容易い。

 守護騎士達にも遅延戦術を行うような時間はない。まず論外な戦術である。

 

 ついで交渉。これもまた論外だ。

 

 なのはが城のような性能を持っていても、彼女は個人である。

 彼女以外に交渉するべき相手はおらず、襲撃という形で仕掛けた以上対話の余地はないだろう。

 

 既に戦線が開かれている現状。戦闘の真っ只中で敵に対して和平の使者を立てるなど愚策だ。仮に停戦したとして、それで彼らの望む結末が得られる訳でもない。

 

 襲撃を詫びて、事情を語り協力を頼む。

 そうすれば素直にリンカーコアを差し出してくれる魔導士がいる。

 

 そんなことを信じられるほど、守護騎士達は純粋ではいられない。

 そんな都合の良い事が起こり得ると、信じる事など出来はしないのだ。

 

 最後に奇襲だが、こうして向き合って対立している状況で、どうして奇襲を仕掛けられようか。

 予想の外から仕掛けるという案は悪くはないが、こちらが全滅でもしない限り、高町なのはが警戒を解くことはないだろう。

 

 ならば、守護騎士達の選ぶ戦術とは何か。

 

 それは――

 

 

「行くぜ、ザフィーラ!」

 

「任せろ!」

 

 

 赤い少女は、青き狼に跨って空を駆ける。

 盾の守護獣ザフィーラは、空を駆ける足となる。鉄槌の騎士たるヴィータを届かせるべき道と化す。

 

 その四足は高町なのはの砲撃を躱し、その頑健なる体躯は誘導弾の痛みに耐える。盾の守護獣は鉄槌の騎士を背に乗せて、戦場を唯直走った。

 

 彼らの選んだ戦術とは、即ち強行突破。

 攻城側の被害が最も多くなる戦術であり、他に術がある状況でなら間違いなく悪手とされる戦術だ。

 

 

「無駄だよ。届かせない」

 

 

 無駄だ。盾の守護獣では届かない。

 どれ程に覚悟しようとも、その絶対の差は覆せない。

 

 彼女の攻撃は、神速であるフェイト・テスタロッサを相手取るよう磨き抜かれた物である。

 大天魔と同等という規格外な魔力で、命を投げ捨ててまで得た速力。光の速ささえ超えたそれを捉える為に、磨かれたのが今の射撃技術である。

 

 故に、盾の守護獣では躱せない。

 ザフィーラの速度で振り切れる程に、それは甘くなどない。

 

 誘導弾をその身に受けて傷付きながら、砲火の隙間を縫って進むザフィーラ。だが砲火に隙間などはない。そこにあるは罠である。

 

 レストリクトロック。光の輪がザフィーラを捉える。

 安易な対応をした獣を嘲笑うかのように、天より桜色の輝きが降り注いだ。

 

 

「っ! おぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 雄叫びを上げて魔砲に耐える獣。彼に最早逃げ場はない。

 膨大な破壊の魔力を前にして、耐えるだけでは何れ潰される。

 

 だが侮るなかれ、見縊るなかれ。盾の守護獣は確かに速力で劣るが、それでもフェイト・テスタロッサが持たない物を持っていた。

 

 

「盾の守護獣を、嘗めるなぁぁぁぁぁっ!」

 

 

 それは耐久力。純粋な防御力の高さ。

 例え一瞬。一分一秒に満たずとも、確かに耐え抜く耐久性を持っているのだ。

 

 主の、そして味方の体を守る為に、盾の守護獣とはその名の通り盾となる。

 

 故に、彼に最も求められた物こそ防御力。古代ベルカの戦艦の主砲。それにも耐え抜けるだけの装甲こそを盾の守護獣は誇っている。

 

 それは今の高町なのはの守りにこそ劣れど、この場で二番目の強力な障壁。

 魔法抜きでの身体の頑強さ。それら二つの要素が盾の守護獣の防御力を保障している。

 

 盾の守護獣だけは、なのはの砲撃をその身に受けても、一撃では沈まない。

 絶えず受け続ければ直ぐに落ちるが、それでも一分一秒程度は耐え切ってみせる。

 

 ならばそこに、一瞬の隙を生み出せるのは道理である。

 

 ザフィーラはその身を人型に変える。

 獣を捕える形と化していた捕縛の輪は、僅かにだが隙間を生み出す。

 

 自由になるは腕一本。されどそれだけ動かせるならば十二分。

 自由になるその腕で鉄槌の騎士を抱き上げると、思い切り上空へと放り投げた。

 

 

「喰らえよっ! こん畜生がぁぁぁっ!」

 

 

 桜色の砲火を抜けてきた鉄槌の騎士は傷だらけ。

 既に満身創痍。だがその傷は全て、先の一騎打ちにて高町なのはに与えられた傷である。

 

 この一瞬の攻防で付いた傷はない。

 盾の守護獣は、その少女を守り抜いている。

 

 ならばその鉄槌に、威力の不足などはあり得ない。

 

 

「けど!」

 

 

 宙を飛ぶヴィータは無防備だ。如何にここまで道を開いたとて、高町なのはとの距離はある。

 

 それは数字化すれば僅かな間合いに過ぎずとも、高町なのはという強大な魔導士を前にする限り絶望的な断崖として存在する。

 

 届かせる為に、打ち破る為に、越えねばならぬ壁がある。そしてヴィータにそれは超えられない。

 

 ここで迎撃に魔力砲を一撃でも放てば、それで彼女は落ちるから――高町なのははレイジングハートを構え、そこでその事実に気付いた。

 

 

「はっ、やっと気付いたかよ!」

 

「っ、この位置じゃ!?」

 

 

 位置取りが、悪い。

 射線の向かう位置が悪過ぎる。

 

 これではヴィータは落とせない。

 

 

「ああ、てめえの魔法の威力なら、私ごと結界を消し飛ばして、外にまで被害が出る位置だよな!」

 

 

 高町なのはの弱点の一つ。それは火力が高くなり過ぎていること。

 最も軽い威力であるはずの魔力弾でさえ、結界を揺るがす程の火力と化してしまっている。

 

 溢れる魔力を溢れるままに行使するのは簡単でも、極限にまで絞ってコントロールするのは難しい。

 高町なのははその無尽蔵の魔力故に、魔力量で威力の変動する魔法全てが強力な物と化してしまうのだ。

 

 結界内という限られた空間において、なのはが使用できる魔法は限られてしまう。

 威力が固定され、魔力を増やしても数が増えるだけの誘導弾か、直接攻撃力を持たない魔法。或いは攻撃の向きを真下に固定して、結界に被害が出ないように攻撃を行うしかない。

 

 故にこそ、地の利を真っ先に抑えたのだ。

 そこを見抜かれ、こうして街を人質に取るような対応をされてしまえば、高町なのはの攻勢は緩む。

 

 その一瞬の隙さえあれば、ヴォルケンリッターはその刃を届かせる事が出来る。

 

 

「ぶっ潰せ、アイゼン!」

 

〈Jawohl.〉

 

 

 防御も回避も慮外して、力の全てを攻勢に回す。

 強烈なヴィータの一撃は、高町なのはへと遂に届いた。

 

 

 

 この戦いを攻城戦。高町なのはを巨大な城と捉えるならば、鉄槌の騎士とは攻城兵器だ。

 

 その一撃は確かに障壁を打ち破る。その攻撃は城壁に穴を開ける。

 守護騎士の強行戦術。それが繋ぐは城壁破壊という勝利に繋がるただ一手。

 

 

「っ! けど!」

 

 

 高町なのはは、その音速を超えた速度。

 雷鳴の如き速力で、鉄槌の騎士から距離を取る。

 

 接近戦でヴィータと相対するのは危険があり、間合いを自由に出来るだけの速力差があればこその選択は――

 

 

「はっ、だよな。お前は退くよな。速えんだから、自分の障壁を打ち破れる私と足を止めてやり合う必要がねぇ!」

 

 

 読まれている。歴戦の勇士を前にして、それは余りに短慮が過ぎる反応だった。

 

 守護の騎士はその殆どが接近しての技術に長けており、射撃を得意とするなのはを前にすれば近付くだけで命を掛ける必要がある。故に速度に差があるならば、距離を取るのは確実と言える対処であろう。

 

 だからこそ、予想するのが簡単だった。

 当たり前の行動であり、そうであるが故に守護騎士達は既に読んでいる。

 

 

「翔けよ、隼!」

 

 

 烈火の将シグナム。ヴィータ、ザフィーラという味方を囮に、建物から建物の影を移動しながら身を潜めていた女。

 彼女は自身のアームドデバイス、レヴァンテインの形を変える。

 

 

〈Sturm falken〉

 

 

 弓の形をした形態、ボーゲンフォルム。それに魔法の矢を番えると、ヴィータがなのはに殴り掛かるとほぼ同時に、何もない空間へと向かってその矢を放った。

 

 

「え?」

 

 

 放たれた矢は宙を疾走する。その矢が射抜かんとする場所に、ヴィータの攻撃を回避した直後の高町なのはが踊り出す。

 

 

 

 高町なのはは恐ろしいレベルで完成している魔導士だ。

 その攻勢。その防御。その速度。全てが常軌を逸した領域に至っている。

 守護騎士達の全てを纏め上げたとして、それで届くであろう位置にはない。

 

 されど、彼女に欠けている物が一つ。守護騎士達を下回る物が一つある。

 

 それは戦闘経験。多種多様な相手と戦う経験である。

 

 彼女がこれまでに戦った相手はフェイト・テスタロッサ。イレイン。氷村遊。ジュエルシードの怪物。――そして天魔・宿儺である。

 

 内ジュエルシードのモンスターはなのはに比べると極端に弱く。敵と呼べるだけの力を持たなかった。なのはに蹂躙されるだけで終わった為に、大した経験になっていない。

 

 天魔・宿儺はその逆。なのはがただ蹂躙されるだけだった。それほどまでに彼の大天魔は強く、故に精神面ではともかく、技術面においてはその経験は役に立たない。

 

 氷村遊との戦いは、身体面での多少の経験となっていたはずだったが、記憶が消えてしまっている今では余り意味がない。

 

 必然。彼女の力を支える経験とは、フェイトとイレイン。その両者に依存する形となる。

 どちらも強大な敵であった。神速のフェイト。質量兵器を操るイレイン。そのどちらもが容易い相手ではなかった。

 

 だが、所詮は二者。如何に強力とは言え数が少なければ、戦闘はパターン化される。

 当時の戦闘データを元に訓練している以上、パターン化された攻撃への対処に慣れてしまう。

 

 故に、高町なのはには足りていない。

 多種多様な相手との戦闘技術が、致命的なまでに不足している。

 

 それが足りてないが故に、その回避行動はとても綺麗な物となる。

 教科書通りの対応。攻撃に対して最も単純かつ効果的な躱し方は、それ故にとても読みやすい。

 

 ならば話は単純だ。目に見えない速さで、動き回る敵手であっても、来るべき場所が分かるのならば仕留めることは可能となる。

 

 

「レイジングハート!」

 

〈Protection EX〉

 

「グラーフアイゼン!」

 

〈Gigant schlag〉

 

 

 足を止めて迫り来る矢を障壁で防ぐなのはに、背後より鉄槌の騎士が襲い掛かる。

 三重の障壁は一層を矢に貫かれて、一層をヴィータに崩されて、残る一層を砕かんと矢を放った直後の烈火の将が剣を振るう。

 

 

「紫電一閃!」

 

 

 炎を纏った斬撃が振るわれる。残る一層は砕かれる。

 慌ててなのはは両手を使う。右手の杖でシグナムの炎剣を受け止め、左手に魔力を纏わせるとヴィータの鉄槌をその手で押さえた。

 

 一瞬の拮抗。鍔迫り合い。自身の不利を知り、そんな物に付き合う必要のないなのははその速力で、離れようとする。

 

 

 

 だが忘れるなかれ、守護騎士はもう一人いる。

 

 

「させん! 鋼の軛!!」

 

 

 その身は満身創痍なれど、立ち上がりしザフィーラは魔法を放つ。

 地上より盾の守護獣が放つ魔法。それは地面より溢れ出す光の拘束条。それは幾重にも重なり刃の如く、その先端を届かせる。

 

 地面からしか出せず、上空数十メートルの範囲しか縛れない捕縛魔法。

 だが故にそれは、広く普及している捕縛魔法を大きく上回る性能を有している。

 

 上空90メートルの位置から魔法を降らせていたなのはは、ぎりぎり射程内にいる。

 

 ならば届こう。ならば逃がさぬ。

 その足元を光の刃が貫き、故に彼女は移動出来ずに足止めされる。

 

 

「これでっ!」

 

「終わりだ!!」

 

「ぶっ潰れろぉぉぉっ!」

 

 

 足を取られ、両手を塞がれ、その身に迫る炎剣と鉄槌を防ぎ切れない。

 三人の守護騎士が誇る最大の一撃を、その一身に受けて――なのはは。

 

 

「まだ、だ!」

 

〈Reacter purge〉

 

 

 バリアジャケットを魔力に変えて、三者を吹き飛ばす。

 その魔力波は強大。鋼の軛を打ち破り、ギガントシュラークを押し飛ばし、紫電一閃を弾き飛ばした。

 

 守護騎士三人の全力を、たった一人で押し返す。

 膨大な魔力によるごり押しで、あらゆる技巧を振り払う。

 

 バリアジャケットと引き換えに、なのはは三者の全力攻撃を打ち破り――故に四人目の守護騎士を前に、その無防備な隙を晒した。

 

 

「ああ、やっと繋がった」

 

 

 嫌な感触がして、己の胸から知らぬ女の手が生える。

 バリアジャケットと言う守りを失った少女は、故に伏兵の奇襲を受けた。

 

 

「え、あれ?」

 

 

 宙に浮かぶなのはの胸から、若い女の手が生えている。

 その手は小さく光り輝く結晶を、確かに握り締めていた。

 

 小さな光。桜色に淡く輝くその結晶。

 魂に属する器官でありながら、人が触れることの出来る臓器として存在している物質。

 

 その名はリンカーコア。

 

 

「おせぇぞ、シャマル!」

 

 

 満身創痍のヴィータが毒吐いて、何時の間にか居た金糸の女が頭を下げる。

 

 緑の衣装を纏った若い女は、闇の書に属する最後の一人。

 一冊の本を手に、自由な片手を鏡のような物に突き入れている女。

 

 穏やかそうな見た目の彼女こそが、最後の守護騎士。後方支援を担当する“湖の騎士”シャマル。

 

 

 

「ごめんなさい。旅の鏡が全然展開出来なくて」

 

 

 旅の鏡。それは転移魔法の一種であり、空間を繋ぐ鏡によって指定した対象を取り寄せる魔法。

 防護服や魔力障壁で容易く防がれる程度の魔法だが、今のなのはにはそのどちらもないが故に、こうして嵌ってしまったのだ。

 

 

 

 古今東西を問わず、攻城戦で最も恐ろしい戦術とは内応であろう。

 如何に堅牢な城壁を誇ろうとも、城とは内側からの攻撃に脆い物なのだ。

 

 シグナムもヴィータもザフィーラも皆囮に過ぎず、シャマルこそが守護騎士達の本命であった。

 

 

「それじゃあ、蒐集を始めましょう」

 

〈Sammlung.〉

 

 

 彼女の手にした一冊の本。

 闇の書が一人でに宙に浮かび上がると、そのページが開き始める。

 

 

「っ! ああああああああっ!?」

 

 

 リンカーコアから魔力が奪われる。

 力が奪われることで生じる倦怠感と、体を襲う痛みに思わず少女は苦悶の声を上げた。

 

 そして闇の書の白紙のページに文字が踊る。

 一行二行、一頁二頁と闇の書の空白は見る見る内に埋められていく。

 

 

「……本当に、この子凄い」

 

 

 一瞬の間に闇の書の記述は三百頁を超え、それでも尚、なのはの魔力は尽きる兆しすら見せない。

 

 その大量の魔力にシャマルは感嘆の声を漏らし、少女の体がぴくりと動いた。

 

 

「え?」

 

 

 その戸惑いの声は、湖の騎士の物。

 彼女のみならず、烈火の将、盾の守護獣もまさかという表情を浮かべている。

 

 高町なのはは蒐集されながら、その腕を動かしている。

 レイジングハートを小さく手に持ち、その先端を自分の胸へと向けている。

 

 その杖の先に、桜色の輝きが集っていた。

 

 

「まさか、自分ごとシャマルを吹き飛ばす気か!?」

 

「え、ええええっ!?」

 

 

 気付いた声と戸惑う声に、なのははニヤリと笑みを返す。

 さあもう対処は遅い。纏めて吹き飛ぼうとその魔法の名を口にする。

 

 

「ディバイーン!」

 

「ギガントシュラーク!!」

 

 

 それが放たれる直前、なのはが動くと同時に飛び出していたヴィータがその鉄槌を振り下ろす。

 

 放たれようとしていた魔法は妨害されて、なのはの身体を鉄槌が打つ。

 振り下ろされた鉄槌は少女の体を打ち貫いて、高町なのはは天より墜落した。

 

 

「おい! 何してんだよ。お前ら」

 

 

 他の三者が驚愕する中、最も長くなのはと戦った彼女だけは理解していた。

 

 こいつはやらかす、と。

 

 故にこそ、なのはに抵抗を許さない速度で、ヴィータは動けたのだ。

 

 脱力した少女は轟音を立てて、瓦礫と化した高町家へと墜落する。

 その様を固まったまま眺めている三人の仲間へと、ヴィータは毒吐く様に口にする。

 

 

「さっさと確認しにいくぞっ!」

 

「あ、ああ。……だが流石に今のは死んだんじゃないか?」

 

「はっ、あの魔王がこんなんで死ぬもんかよ。下手すりゃピンピンしてるかもしれないぜ」

 

 

 自分の言に確信があるかのように、ヴィータはそう語る。

 その自信に溢れる姿に従って、彼らは高町家跡地へと着地した。

 

 

 

 崩れ落ちた高町家の瓦礫の山。

 其処に紛れる形で、満身創痍の少女は、辛うじての息をしていた。

 

 

「う、あ」

 

 

 地面に激突する寸前。残る魔力を放出して墜落のダメージを軽減したなのはは、確かにまだ生存していた。

 

 だがその身は傷だらけ、起き上がることも出来ない程に傷付いている。

 

 

「ま、だ。私、は」

 

 

 それでもなお、立ち上がろうとしている。

 諦めないという不屈の心で、瓦礫を支えに前へ進もうとしていた。

 

 そんな少女を前にして、赤い髪の騎士は立ち塞がる。

 

 

「はっ、やっぱり健在だったな」

 

「……ヴィータ、ちゃん」

 

 

 巨大な鉄槌を担ぐ騎士は、高町なのはを過小評価したりはしない。

 こうして満身創痍となっていても、それでも放っておけば逆転の一手を打って来ると認識している。

 

 だから――

 

 

「悪ぃが、寝てな」

 

 

 油断も躊躇いもなく、その手にした鉄槌を振り下ろさんと、大きく振りかぶった。

 

 

 

 其処に――

 

 

繋がれぬ拳(アンチェインナックル)!」

 

「うおっ!?」

 

 

 頭上より現れた乱入者が放った拳圧が、振り下ろされたグラーフアイゼンを打ち返した。

 既になのはとの戦闘で罅割れ、限界を迎えつつあった鉄槌は繋がれぬ拳に打ち砕かれる。

 

 大振りに体を動かしていた影響で、ヴィータの上体が泳ぐ。

 

 体幹がぶれて明確な隙を晒した赤毛の少女の胴を撃ち抜くように、舞い降りた金髪の少年の蹴撃が撃ち込まれて、少女の小さな身体は大きく跳ね飛ばされた。

 

 

「ヴィータ!」

 

 

 狙って跳ね飛ばした先にいるのは烈火の将。

 躱す訳にもいかず、その両手で鉄槌の騎士を抱き留めて、故に生まれた隙を少年は見逃さない。

 

 

「はっ!」

 

「ふん!」

 

 

 拳を握りシグナムに襲い掛かる少年を、盾の守護獣が拳で押し止める。

 

 交差は三度。

 初撃にて双方の存在を認識し、続く二撃にて互いの実力を認識した。

 

 拳を合わせて分かる実力。純粋な身体能力では盾の守護獣が勝り、戦闘の技巧と小回りの早さで少年が僅か勝る。

 

 実力は拮抗している。戦力は同等である。

 互いに互いを難敵であると認識した瞬間に、少年は三度目の蹴撃で生じた反作用に身を任せて、後方へと跳躍した。

 

 そして、旅の鏡から飛び出している女の腕を圧し折る。

 痛みに震えたそれがリンカーコアを手放した瞬間に、その手を無理矢理押し込み旅の鏡に干渉して強制的に閉じる。

 

 少女の肩を抱き、膝裏を支えて抱き抱える。

 そうしてそのまま更に後方へと跳躍し、守護騎士達と距離を取った。

 

 

「ユーノ、くん」

 

 

 掠れる瞳で、なのはは見上げる。

 再会を約束した少年の姿は、嘗て見た時よりも少しだけ、けれど確かに力強くなっていた。

 

 

「ごめん、なのは。遅れた」

 

 

 少年は優しくなのはを下ろし、壁に寄りかからせる。

 その前に立って立ち塞がると、少年は鋭い視線で守護騎士達を睨みつけた。

 

 

「何、なのはに手ぇ出してんのさ、お前達」

 

 

 本来穏やかな気性の少年は、過去に類を見ない程に怒っている。

 許さないぞお前達。己の太陽を傷付けられた少年は、守護騎士達を睨みつけて告げる。

 

 

「ぶっ飛ばすぞ!」

 

 

 ここにユーノ・スクライアが参戦した。

 

 

「はっ、上等!」

 

 

 デバイスを破壊されたヴィータは、ユーノの啖呵に笑って返す。

 確かに今は後れを取ったが、それでも金髪の少年に劣る気は一切しない。

 

 武器が無くなったくらいで、無力化されると思うな。

 そう赤毛の少女は、幼いながらも凄みのある笑みを顔に浮かべていた。

 

 互いに構えを取り、そうして激突する。其処に至る、一瞬前に――

 

 

「待て」

 

「あ、何だよシグナム」

 

 

 飛び出そうとしたヴィータを、シグナムが抑えていた。

 

 将の脳裏に抱く疑問は、少年が何処から来たのかと言う物。

 長距離転移で入れる程に、守護騎士の張った封鎖領域は軽くはない。

 

 ならば、近くに居る筈だ。

 彼を送り込んだ勢力が、確かにその先には居る筈なのだ。

 

 将が見詰める先、そこは一見何もない虚空。

 だがその更に先、星の近海にやってきたそれを、シグナムは確かに認識していた。

 

 

「……ここは退くぞ」

 

「あ、何で? ……って管理局かよ」

 

 

 近付いてくる敵の影。

 その白く優美な姿は、管理局が誇る次元航行船。

 

 シグナムは敵戦力を想定する。

 

 恐らく自分達と同等のスペックを持つだろう乱入者の少年。

 満身創痍とは言え未だ行動は可能であるだろう、自分たちが四人掛かりで何とか打倒した少女。

 

 それに加えて管理局の増援など相手にしては、流石のヴォルケンリッターも敗れる他ないと確信出来る。

 

 高町なのはのリンカーコアは確かに魅力的であるが、欲をかいて倒される訳にはいかない。

 今回で三百頁にも及ぶ蒐集が出来たのだ。戦果としては十分過ぎる程であろう。

 

 冷静にそう判断すると、シグナムは転送魔法を行使した。

 

 

 

 鉄槌の騎士と高町なのはの視線が交差する。

 

 次は私が勝つと、鉄槌の騎士は笑みを浮かべる。

 なのはは倒れ込んだまま、ただ強い瞳で今度は負けないと睨み返した。

 

 盾の守護獣とユーノ・スクライアの視線が交差する。

 互いに互いを好敵と捉えた男達は、何れ雌雄を決しようと一瞥だけして別れる。

 

 そして湖の騎士は涙目で折られた腕を抑えながら、烈火の将は末恐ろしい子供達だと内心で戦慄しながら、ヴォルケンリッターはこの場より立ち去った。

 

 

「逃げたか」

 

「……遅いよ、クロノ」

 

「悪い。……戦闘機能のセーフティ解除に手間取った」

 

 

 ヴォルケンリッターと入れ違いになるように、クロノ・ハラオウンが到着する。

 休暇扱いでこの管理外世界にやってきた彼は、故にその戦闘機能に大きく制限を受けていたのだ。

 

 体内にある戦闘機人としての部分。義手のデバイスとしての機能を休暇中は停止させておくのが原則となっている。

 

 有事の際には、自分で解除できるレベルのセキュリティ設定。

 戦闘機能の再起動自体は簡単なのだが、上位者の許可も法律上必要となってくる為に、解除にはどうしても時間が必要となっている。

 

 自分が後一歩早ければこの場で奴らを捕まえられていただろうに、僅か遅れた事をクロノは後悔していた。

 

 

「……まあ、それほど強敵には見えないからな。今回は直ぐに収まるだろう」

 

 

 クロノ・ハラオウンは闇の書を知らない。

 その守護騎士達の存在を知らない。大天魔がそれを狙っていることを知らない。

 

 闇の書は目覚めたばかり、大天魔達もまだ監視は緩い。

 故に今回こそが最大の好機であったことを知る由もなく、クロノは彼らを大した敵ではないと結論付けたのだった。

 

 

 

 

 

 そうして、戦いが終わった後に――

 

 

「行ってやれ、お姫様が待ってるぞ」

 

「あ、うん」

 

 

 黒ずくめの少年は、金髪の少年の背を軽く叩く。

 叩かれた少年はふら付きながらも、少女の元へと近付いていく。

 

 一歩一歩と、近付いてくるユーノの姿に、何とか立ち上がったなのはは笑顔を浮かべた。

 

 

「また、会えた」

 

「うん」

 

 

 見つめ合う少年と少女。

 ボロボロの少女は嬉しそうに、はにかむ少年に抱き付いた。

 

 

「おかえり、ユーノ君」

 

 

 抱き付いてきた少女を抱き返して、ユーノは微笑んで返す。

 漸く再会出来た彼の太陽に向かって、最高の笑みを返した。

 

 

「ただいま、なのは」

 

 

 こうして、高町なのはとユーノ・スクライアは再会する。

 この再会と襲撃を切っ掛けに、新たな物語は幕を開くのであった。

 

 

 

 

 

2.

「あっちゃー、まさかこんなに差があるとは」

 

 

 海鳴市の海岸線にて、座り込んで眺めていた少女は苦笑を漏らす。

 その赤き四つの瞳。死人のような肌の色が示すように、少女は人ではない。

 

 

「んー。あの子達はあれで戦乱期の英雄のコピーだし、もう少し行けるかなと思ってたんだけど」

 

 

 予想を超えて、高町なのはが強過ぎた。

 その才を引き出したのは他ならぬこの少女であるが、あの時よりも成長しているというのは流石に予想外だった。

 

 その身に宿る才。それを限界まで引き出したはずだったのだ。

 これ以上成長することはない。そんな限界点まで引き上げたはずだったのだ。

 

 それなのに、高町なのははその限界点を超えている。

 この大天魔の予想を、大きく上回る成長を見せていたのだ。

 

 

「闇の書の完成には、本格的な介入が必要かも知れないわね」

 

 

 元より、彼女は高町なのはを戦場に巻き込むつもりはなかった。

 あの宝石の魔獣に襲われた際、選択肢としてあったのは彼女の力を目覚めさせることと自分が表に出て守ることの二つであった。

 

 見捨てるという選択肢はない。それを選ぶには些か情が湧き過ぎた。

 

 少女が力を望んでいたこともあって、魔力を引き出すという選択を選んだ。

 それでもその程度の力であれば、守護騎士達には負けるだろう。一度完全に蒐集されればもう二度と狙われなくなる。

 

 あの歪みさえなければ、高町なのは一人を蒐集したとて闇の書は完成しない。

 

 両面宿儺が暴れ回ったジュエルシードの戦いで戦力外となり、闇の書の戦いで蒐集されて離脱し、その後魔法が使えるだけの普通の少女として生きる。

 

 それこそが彼女――天魔・奴奈比売がなのはに与えたかった将来だ。

 

 だがそれは狂う。もう再構築できない程に、狂ってしまった。

 それは自分の影響で目覚めてしまった歪みが呼び水となり、あの強大な魂が覚醒しつつあるが故か、それとも何か他に要因があるのか。

 

 兎角、あれ程の力に目覚めた少女だ。

 流石は獣の血筋だと、呆れ半分に感心するより他にない。

 

 

「……けど、失敗したなぁ」

 

 

 奴奈比売は、己の行動を振り返る。

 あの時彼女に力を与えたのは、失敗だったと今になって感じている。

 

 あの時、自分が表に出ること。それが最良の選択であったのだろう。

 天魔・奴奈比売がこの地に降り擬態した理由は一時の戯れであり、それが今も続いているのは偶然、彼女がこの地で闇の書を見つけ出したからに過ぎない。

 

 別に今の彼女は素性がバレても問題ないのだ。

 それでもそれを避けたのは、知られる事を恐れたからだ。

 

 自分はもう少しだけ、と望んでしまった。

 結果としてこんな状況になったのだから、もう自嘲するより他にない。

 

 

「……分かってる。今回は、絶対に失敗出来ないって、分かってるのよ」

 

 

 此度は決して、遊びや失敗は許されない。

 それだけの理由が、確かに此処に存在しているのだ。

 

 

 

 遥か昔に穢土から奪われ、大天魔が今も探し続ける三つの内が一つ。

 

 その内の一つ。闇の書。夜天の書。

 正確にはその内側にあるシステムUD。砕け得ぬ闇。

 

 その動力源である永遠結晶エグザミアこそが、奪われし物。

 この地に降り立った時に砕かれた夜刀の最も大きな欠片の一つ。永遠の刹那の心の欠片である。

 

 それは彼の憎悪であり、彼の憤怒であり、彼の絶望。

 天魔・夜刀と言う強大な神の、あらゆる負の感情が結晶化した欠片である。

 

 結晶の内に込められた魔力は、現状の大天魔すら上回る。

 その総量は人に使い切れる物ではなく、正しく無限の力と言えるだろう。

 

 だがそれは、神の負の意思が凝縮した物。

 当然、それから湧き出した魔力にもその想いは宿る。

 

 闇の書が破壊を繰り返すのは、砕け得ぬ闇が暴走し続けるのは、唯単純に力が大き過ぎるだけではない。神の怒りなど内に入れてしまえば、狂うことこそ自然であるのだ。

 

 

 

 その結晶を夜都賀波岐は探し続けた。

 神の瞳は全てを見通す。とは言え、彼は今消耗している。

 

 天魔の同調率は著しく低下し、今では同一世界で起きたことをリアルタイムで観測する程度の力しかない。

 

 今なお、複数の次元世界や人の心の内側まで覗けるのは、彼に最も近い夜都賀波岐の両翼。天魔・宿儺と天魔・大獄のみである。

 

 そしてその双方ともが、奪われた物の回収に乗り気でない。

 

 片や遊び呆け、片や不動で我関せずとしている現状。

 奪われた物を見つけ出すのは本当に大変な事だったのだ。

 

 最早、この世界に時間はない。

 今回闇の書を逃がせば、次は何時見つかるだろうか。

 

 最悪、見つけ出す前に、この世界は終わりを迎える。

 ならば、如何なる外道の行いであろうと、為さずにはいられない。少しでも確率を上げる為だけに、屍山血河を築くであろう。

 

 

「今回は本当に、甘くはないの」

 

 

 必要なのは六百六十五頁の蒐集だ。それ以上でも以下でも不味い。

 

 唯完成させるだけでは、内にある物は出て来ない。

 だがその厳密な出現条件を、大天魔達も知りはしない。

 

 ロストロギアとは、魔法技術の結晶。最も魔法を深く知る奴奈比売であっても、その全てを理解することは出来ない技術体系である。

 

 故に手探りで探りながら、可能性を積み上げるしかない。

 神が憎悪を抱いた状況に少しでも近付けて、最悪の展開を生み出すしかないのだ。

 

 

 

 天魔を構成する魔力と人の持つ魔力には多少の差がある。

 それは個人の色に染まっているか否か、その些細な違いが闇の書にどのような影響を与えるかさえ分からない。

 

 である以上、行き成り天魔を蒐集して完成という訳にはいかない。

 だが最後の一押しは、大天魔の魔力で完成させた方が良い。神格の持つ魔力は、彼の欠片に対する呼び水となるだろう。

 

 だからこそ、六百六十五頁の蒐集だ。

 

 そのタイミングを計る為に、内側にいる必要がある。

 そして少しでも可能性を引き上げる為に、所有者に夜刀の欠片と同じ感情を抱かせる必要がある。

 

 その為にこそ天魔が一柱、闇の書の主の元にいる。

 その為にこそ他でもない彼女は、書の主に親しい人間となる必要があったのだ。

 

 故に、彼女は最後の一瞬まで動かせない。

 彼女だけは動かさずに、闇の書を完成寸前にまで至らせる必要がある。

 

 その邪魔になる者達を、ここで排除しなくてはならない。

 これ以上関わるならば、彼女だろうと排除しなくてはいけないのだ。

 

 

「……だから、お願い。早く止まって、もう進まないで――なのは」

 

 

 天魔・奴奈比売――アンナ・マリーア・シュヴェーゲリン。

 悠久を生きた魔女の祈る様な言葉は、少女には届かず虚空に消える。

 

 今こうしてその身を案じているのも、自分の正体を晒そうとしなかったのも、見捨てることが出来なかったことも、それらの理由は全て一つ。

 

 そこに情が生まれてしまったから、それ以外に在りはしない。

 

 唯の暇つぶし。ちょっと遊ぶだけの心算だったのにな。

 

 そう小さく呟いて、天魔・奴奈比売は影に飲まれて姿を消した。

 

 

 

 

 




永遠結晶は設定改変。それを表に出す方法は捏造設定です。

正直原作でのシステムUD起動条件が分かんない。
闇の書壊せば発動すんのかどうか、取り合えずここでは闇の書覚醒時に特定条件満たすと、永遠結晶が表側に出て来そうになる。覚醒時に天魔なら回収可能な場所まで出て来るという設定にしています。




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第十九話 嵐の前に

本編は日常回。


副題 少女の日常。
   少年の今。
   艦長の考察~リンディ茶を添えて~




1.

 魔法少女と騎士達の邂逅から数日、海鳴市風芽丘町にある一軒家にて、家主の少女は眼前に浮かぶ黒塗の書に目を丸くしていた。

 

 

「おぉっ! ふわふわしとる! 浮かんどるで!?」

 

「はい。闇の書の管制人格も目覚めつつあるのでしょう。そう遠くない内に会話も出来るようになると思われます」

 

「ほな、もう一人家族が増えるんやな。名前、あるん?」

 

「……管制人格。という呼び名しか我らは知りませんね」

 

「なら考えとかなあかんな。祝福のエール。リィンフォースとかどないやろ?」

 

「ええ、良き名だと思います」

 

 

 自身の周囲を浮かび回る一冊の書物に、歓声を上げている車椅子の少女。

 そんな彼女の姿に、赤毛の女騎士は柔らかく微笑みながら賛同の言葉を口にする。

 

 命名センスを褒められた少女を鼻を高くしながら、ふと疑問を抱いて首を傾げた。

 

 

「……けど、何で今になって起きたんやろ?」

 

「……さあ、何故でしょうか。我らが目覚めてから半年程経ちましたし、時間経過で目覚めたのでは?」

 

「シグナムにも分からへんのか。……ま、ええか。私は唯、家族が増える準備をしとけばええもんね」

 

 

 嘘が苦手なのだろう。あからさまな誤魔化しに気付いて、それでも少女は追及しない。

 気になるのは確かだが、久方振りの一家団欒を、そんな無粋には使いたくなかったのである。

 

 

 

 秋の日差しの差し込む八神家の居間に揃って、守護騎士達は一時の平穏を謳歌している。

 

 時間制限は存在している。

 未だ主の命の保証を得た訳ではない。

 

 とは言え、先の争いで三百頁もの魔力を稼げたのは大きかった。

 これまでの蒐集と合わせて、その総数は五百頁にも届かんとしている。後一歩で、管制人格も目覚めるだろう状態だ。

 

 ここまでくればそう焦る必要もない。

 主はやての全身を侵そうとしている麻痺症状も、その進行を抑えられている。

 

 ここで無理して蒐集を急ぐよりも、一度息抜きをした方が良いだろう。

 烈火の将はそう判断し、彼女ら守護の騎士達は、こうして久方振りの平穏の中にいた。

 

 

「なー、はやて! そんな話より浦鉄やろうぜー!」

 

「浦島太郎電鉄やなー! 四人プレイやし、シグナムもやろ! 皆でヴィータ嵌めて、またクイーンボンビー付けたるでー!」

 

「……ええ、それも良いかもしれませんね」

 

「おまっ!? 多人数で組むのは卑怯過ぎるだろ!」

 

 

 八神はやても、燥いでいるように見受けられる。それはこれまで守護騎士達が色々と理由を付けて、席を外していることが多かったからであろう。

 

 主の為にも、こうした時間を増やしていくのも良いだろう。

 こうした休息の中で戦う意味を確認する事が、戦場を行く者にとっては重要だとも知っている。

 

 故にこの判断はきっと、間違いではなかった。

 そう一人思考しながら、燥ぐ鉄槌の騎士や数合わせで連れて来られた湖の騎士と共に、烈火の将はテレビの画面を囲むのだった。

 

 

 

 

 

 和気藹々と遊び始める少女達の姿。

 それを縁側から眺めていた黒髪の女は、小さな笑みを浮かべる。

 

 

「櫻井殿は参加されないのですか?」

 

「……私が加わったら五人になってしまうでしょう? それに、そう言う貴方こそ参加はしないの?」

 

「私はこれ、この通りコントローラーとやらを持てませんから。……それに、人型になると主はやてを怖がらせてしまいます故」

 

 

 庭で放し飼いにされている青き獣が人語を解する。

 傍目にはおかしな光景であるが、女に驚いた素振りは見えない。

 

 事実、彼女は新たに現れた者達の素性を知っている。

 本人から直接聞いたことも、それ以上の事実も、櫻井螢は全てを知っている。

 

 そんな彼女は、眩しそうに、美しい情景を見るかのように、目を細めて彼女らを見守る。彼の愛した刹那のような、温かな光景を。

 

 

 

 妹のような少女。八神はやて。

 その無邪気に自身を慕う姿に、かつての面影を無意識に重ねる。

 

 今は胸の内で、疲れ果てて眠っているあの女性。

 彼女は幼い自分をこんな気持ちで見守っていたのかと、そんな益体もないことを考えている。

 

 どこぞの誰かを彷彿させるような容姿の堅物騎士シグナム。

 赤毛で炎を使う堅物女という姿に、実は若干の苦手意識を持っている。

 

 それでも主の為にと言う実直な騎士の姿は、苦手であっても嫌いになれよう物ではない。

 

 はやてとまるで姉妹のように騒いでいるヴィータ。

 初対面では一番敵意を剥き出しにし、そして共にある内で警戒心を真っ先に解いた守護の騎士。

 

 はやてと同様に懐いてくるその姿を、どうして嫌うことが出来ようか。

 

 転んで腕を折ったと言う如何にもテンプレートな言い訳を口にして、包帯でグルグル巻きにした片腕を庇っているシャマル。

 

 メシマズコンビ同士、一緒に頑張りましょうとか言ってくるが、一人でやってくれと言いたい。

 私はそこまでメシマズではない。ポイズンクッキングには優っているはずだ。多分。きっと。

 

 

 

 今和気藹々とゲームに興じる彼女達は、櫻井螢すらも家族のように扱う。そんなおかしな者達だから――

 

 ああ、どうして何れ奪うと知って、なのにこうして気を許してしまうのか。

 

 

「やはり貴女を信じて良かった」

 

「……何よ、急に」

 

 

 物思いに沈んでいた彼女の傍らに、何時しか青い狼が座っている。

 庭を歩いて近付いて来たザフィーラが、そんな女にとっては的外れな感謝を口にしていた。

 

 

「いえ、そう言えば感謝の言葉を口にしていないと思いましてな。……初対面での非礼を許して頂けたばかりか、貴女には色々とご迷惑をかけてばかりですから」

 

 

 初対面の際、闇の書を狙う敵かと思い櫻井螢に襲い掛かった守護騎士四名。

 優れた技巧を前にあっさりと返り討ちにされ、その時ははやての制止もあり一旦は刃を収めることとなった。

 

 だが魔法を使っていないとは言え、守護騎士を単身で制圧する生身の女に、彼らが警戒しない訳がない。

 ヴィータなどはあからさまに敵意全開で対応していた物だが、そんな対応も守護騎士らが櫻井螢という女を知るまでの短い期間の話であった。

 

 

「主が笑顔で居られたのは、きっと貴女が傍にいたおかげでしょう。彼女の笑顔には影がない。幼子が一人暮らしをせねばならぬという状況下でも、ああして笑っていられるのは、きっと貴女という家族が居たからです」

 

 

 彼らは今、彼女を信用している。その人柄を知り、その在り様を知り、信を置ける人物だと理解している。

 

 信用し信頼した時に、闇の書についてを、はやてを今蝕む異常についてを、全てを櫻井螢に明かしていた。

 

 闇の書こそが、彼女の足を麻痺させている事実を。

 その麻痺が少しずつ広がっていて、このままでは全身に及ぶと言う事実を。

 

 それを止める為に闇の書を完成させる必要があるという内容を、全て彼女に伝え、自分達が離れている間の主を託した。

 

 故に、盾の守護獣は感謝を口にする。

 

 

「……貴女のような強者が傍にいられるから、我らは後顧を憂うことなく戦場に出られる。本当に、貴女が居て良かった」

 

「…………」

 

 

 盾の守護獣の言葉に、櫻井螢は無言で腕を握り締める。

 誰もが笑い合っている陽だまりの中で、女だけは痛みを感じていた。

 

 

「あー! ボンビー付いた!?」

 

「あはは! はやてザマァ! ってシグナムてめぇ! 私ばっか狙ってんじゃねえよ!」

 

「済まんな、ヴィータ。だが、主を狙う訳にはいかんのだ。……しかしシャマルは静かすぎんか」

 

「……サイコロが1しか出ない、カードマスで良いカードが全然出ない」

 

「逆にスゲーな。おい。まだスタート付近じゃねぇか」

 

「あかん。あかんで! こりゃ応援呼ばな! ザッフィー! 螢姉ちゃん!」

 

「……お言葉ですが、呼んでどうされるので?」

 

「コントローラーねぇし、人増える意味ねぇぞ」

 

「ふふん。螢姉ちゃんとザッフィー。私と組んで三人揃えばリアルラックもアップするんやで、多分」

 

「……ああ、皆と同じマップに行きたい」

 

 

 騒がしく言い合う少女達に呼ばれ、蒼き狼は苦笑を漏らす。

 行きますかと螢に声を掛けてから、ザフィーラは縁側へと上った。

 

 窓の傍に置いてある雑巾で器用に足の汚れを拭うと、四本足でゆっくりとはやての元へと向かって行く。

 

 

 

 そんな彼の背を見詰めながら――

 

 

「勘違いよ。盾の守護獣。……私はそんな、立派な人物ではないわ」

 

 

 誰にも届かないような小さな声で、櫻井螢はそんな言葉を呟く。

 そうとも櫻井螢と言う女は、彼が語る様な立派な人物ではありはしない。

 

 どれ程の絆を繋いでも、結局最後には天秤に掛けて、斬り捨てると決めているロクデナシだ。

 

 

〈……やっぱり、私が、変わった方が……〉

 

 

 拳を握り締める女の頭に、擦れたノイズ塗れの声が響く。

 長き時の中で摩耗したもう一人が、眠りから目覚めかけていた。

 

 

(……起きたのね。ベアトリス)

 

〈螢。貴女は、近付き、過ぎたの。……あの子を、斬り捨てれば、最悪は……。だから、私が……〉

 

 

 そんな姉の提案に、櫻井螢は首を振る。

 それは彼女の現状を案じるが故であり、そしてそれ以上に――

 

 

「これはきっと、私がやらないといけない事よ。ベアトリス」

 

 

 この身は下劣畜生と同じく堕ちる。

 世界を繋ぐ為には、堕ちねばならない。

 

 表層が変わらず、意識を入れ替えるだけならば確かに、彼女にも役割は果たせるだろう。天魔・母禮は二人で一つ。どちらを表に出すかで変わる。

 

 だがそれは駄目だ。それだけは、駄目なのだ。

 それをしてしまえば、この身は下種以下へと堕ちると分かるから。

 

 

「大丈夫。貴女はまだ眠っていて、――世界の終わりを前に、果たさなければならない役がある。……それまで我ら夜都賀波岐は、決して欠ける訳にはいかないのだから」

 

 

 どれ程に辛いと感じても、この痛みから目を逸らしてはいけないのだろう。

 

 

 

 

 

 我らは穢土夜都賀波岐。

 化外に堕ちた我らには、この蔑称こそが相応しい。

 

 

 

 

 

2.

「たのもー!」

 

 

 バンと大きな音を立てて、高町家の扉は開かれる。

 扉の先に男らしく仁王立ちする少女が一人。名をアリサ・バニングス。

 

 

「さあ、聞いたわよ! 来てるみたいね、ユーノ・スクライア! 私が直々に見定めてやるから、正々堂々勝負なさい!!」

 

「……なのはちゃんと同棲とか、死んで良いよね」

 

 

 男らしい少女の影で、ボソリと物騒な言葉を口走る少女が一人。名を月村すずか。

 

 数日前の晩。高町なのはからの救援メールでユーノの来訪を知った彼女達は、さあ見極めてやるぞと平日の昼過ぎに高町家に来訪していた。

 

 当日や翌日に来れなかったのは、良家子弟である為に避けられない稽古事や其々の事情による物である。

 

 人様の家とは言え、幾度となく訪れた場所。何の躊躇いもなく少女達は扉を開く。

 高町夫妻は翠屋に行っていて、ここに残っているのはなのはとユーノだけという話だ。

 

 昼過ぎとは言え住宅街にある一軒家だ。近所迷惑にならない程度に声量を抑え、だが叫ぶという器用な真似をしながら言葉を告げる。

 

 訪問の合図はそれだけで、インターホンなどは押さない。

 扉は開けておくから好きに入ってくれて良い。そうなのはから伝えられた少女二人は慣れた様子でズカズカと室内を進んで行って、それを高町家のリビングにて発見した。

 

 

「あんたがユーノか! って、んな!?」

 

「し、死んでる!?」

 

 

 二人が見たのはリビングで倒れる端正な容姿の少年の姿。

 まるでサスペンス劇場の死体のように倒れ込んだ少年は、身動き一つ出来ていない。

 

 どう見ても動く気配がない。返事もない。ただの屍のようだ。

 

 そんな屍の如き少年は、死んだ魚のような目で何もない虚空を見上げている。

 少年の口から漏れた霊体の如き白い何かが、必死で生きていることを主張していた。

 

 

 

 

 

「……無様な姿をお見せして、真に申し訳ありませんでした」

 

「紛らわしいのよ。アンタ。本気で死んでるかと思ったじゃない」

 

 

 死体と勘違いされるような姿を晒していたユーノは、アリサに付き従っていた万能執事鮫島の気付けによって意識を取り戻していた。

 

 コップに入れられた水を口に含み、一息吐くと少女達と自己紹介を交わす。

 名を交わし合い、互いの素性を知ると次に至るのは当然の疑問。何故あのような様を晒していたのかという疑問である。

 

 

「んで、何であんな風になってたのよ」

 

「あ、あはは。……別に大したことじゃないんだけどね」

 

 

 遠い目をして語るユーノ。

 彼はこの地球にやって来た直後から、己の身の回りで起きた出来事を思い出していた。

 

 

 

 ただいまと言って帰還したは良いが、ここ第九十七管理外世界にユーノは高町家以外の縁故を持たない。

 

 正式な国交もない世界。現地住民の協力もなしに住居を用意するなど、魔法犯罪でも行わなければ出来ないことだ。

 

 とは言え堅物であるユーノがそんな選択をする訳がない。

 ならば高町家に頼るしかないが、色々と迷惑を掛けた負い目があった。

 

 それに家にお邪魔するとなると、なのはと一つ屋根の下という状況になる。

 気になるあの子と一緒に生活するのは、健全な青少年としてまあ抵抗があったのだ。

 

 

 

 そんな折、彼に声を掛けたのがリンディ・ハラオウン。

 

 暫く都合により地球に借り住まいする事になった。

 それに伴い自分達やアースラクルーが利用するセーフハウスを用意したが、君もどうか。そう彼女から誘われたのだ。

 

 リンディ達と共にアースラで地球に移動して、その最中でクルー達と友好関係を築いたユーノ。知った仲の者も多く、共同生活もさほど苦にはならないだろう。

 

 故にユーノは、その申し出を受けることにしたのだった。

 

 

 

 リンディが用意した局員用の住居。さざなみ寮と言う名の施設の隣に建てられた、そのアパートに向かおうとしたユーノ。

 

 そんな彼に、待ったと声を掛ける者が居た。

 

 その内の一人は当然、高町なのはであった。

 だが予想外な事に、彼女以上にユーノの滞在を強く希望した人物が三人も居たのだ。

 

 高町士郎。桃子。恭也。

 一家の主たる夫妻と、長子が揃って強く同居を勧めたのである。

 

 士郎と恭也の目論見は、少年に御神不破の技を教え込む事にあった。

 

 龍に本家が滅ぼされ、僅かに残った伝承者達も軒並み氷室遊に殺された。

 結果として御神の剣士は数を減らし、このまま次に何かあれば最悪失伝する可能性まで見えている。

 

 ならば継承者は一人でも多く必要であり、だが誰でも良いと言う訳でもない。

 やる気があって、信頼も出来る。しかも愛娘や妹の婿候補となれば、この少年に白羽の矢が立つのも当然の事と言えたであろう。

 

 ストライクアーツを学んでいるとは言え、否、学んでいるからこそ、彼の身動きや体捌きにはその色が強く出てしまっている。

 

 新たな技術体系をそこに加えるのは生半可な鍛錬では難しく、しっかりと基礎から鍛え上げる為にも同居した方が効率が良いと彼らは語ったのだ。

 

 

 

 ユーノは御神の実力を深くは知らないが、それでも規格外の技術であると分かっている。故にあっさりと、彼はその提案に頷いた。

 

 あのクロノが、陸戦Sにも比肩すると断じた実力者。

 リンカーコアを持たない彼らをその域に引き上げる技術は、あの両面鬼に立ち向かうのに必ずや役立つと判断したのである。

 

 無論。ストライクアーツを止める訳ではない。

 だが魔法使用を前提とするストライクアーツは、そのままでは身洋受苦処地獄を超えられない。

 

 ならば魔法の代わりに、極めれば魔導師とも渡り合える技術を代替とする。

 

 ストライクアーツを主体として、御神不破の技を混ぜるのだ。

 それこそが自分が辿り着くべき場所なのだと、彼の頭脳は判断したのである。

 

 

 

 そうしてユーノの鍛錬の日々は、幕を開けたのであった。

 

 

「んで、その御神不破の特訓で死に掛けてたの?」

 

「いや、そっちは問題なかったんだよ。……格闘の鍛錬は慣れてたし、肉体的疲労だけなら耐えられる。そこには問題なかったんだ」

 

 

 少年はそう簡単に口にするが、御神不破の特訓となれば尋常な物ではない。

 

 常軌を逸した鍛錬量。

 文字通り血反吐を吐くような訓練量。

 

 規格外の技術を身に付けるには、当然無理無茶の一つ二つは必要となろう。

 

 毎朝日の出前に起きては、翠屋が開かれる時間まで体を苛め抜く。

 まずは土台作りから始まり、次には身体が動かなくなるまで延々と型稽古。

 

 それが御神不破の訓練であり、ユーノの場合はそれにストライクアーツの訓練も加わるのだ。

 

 彼は自分に、才能がない事を自覚している。

 天分の才を持たない彼にあるのは、明晰な頭脳と根性だけだ。

 

 故にマルチタスクが算出した最高効率で、動かなくなっても身体を動かす。

 治療魔法と食い縛るだけの覚悟があれば、限界の一つ二つ超えてもギリギリ身体は壊れない。

 

 そんなハードワークを己に課し続ける意志力は、規格外と言えるだろう。

 その瞬間に燃え上がるだけではなく、苦難を延々と重ねる事こそ難しいのだから。

 

 幾ら理論上身体の治癒が間に合うレベルでも、心の疲弊は拭えない。

 それがオーバーワークとなって、少年の精神が追い詰められているのは事実である。

 

 だが彼がこうして潰れているのは、それが原因という訳ではなかった。

 

 

「問題は……桃子さんだったんだ」

 

 

 苦い顔をしながら、ユーノは桃子の言葉を思い出す。

 彼が算出した理論的限界値寸前の無茶に、更なる上乗せを加えた言葉を。

 

 

――なのはのお婿さんの条件。あれ、本気だから、頑張ってね?

 

 

 そう笑顔で語る桃子から与えられたのは、修行と並行して、お菓子作りの基礎を覚える事という課題であった。

 

 基礎と言っても高町桃子基準でのそれは、一般のパティシエと同程度の技術を要求する物である。

 

 翠屋が閉まる時間となってから、毎夜繰り広げられる甘味との格闘。

 笑いながら駄目だしする桃子の姿は、まるで悪鬼羅刹のようだったとユーノは語る。

 

 上手く出来なければ、眠る事すら許さなかった菓子作りの修羅。

 一晩で出来る訳がないと言うユーノに、返る言葉は「大丈夫。治癒魔法があるから、寝なくても死なないわ」という鬼畜の如きそれ。

 

 限界スレスレの無茶を隠しているユーノには、治療魔法込みでこの状態なのだとは説明出来ない。

 ストライクアーツの訓練は自分が独自にやっている事で、御神不破だけでも子供には過剰だからと、独自訓練は止められていたのである。

 

 それでも休めば腕が落ちるからと、お目付け役が居ない時間に鍛錬量を増やしていた。

 そんな彼は既に治癒魔法込みでも限界を超えていると、どうしても説明する事が出来なかったのだ。

 

 そんな状況で、それでも根を上げる事はなかった。

 

 意図的に無理をさせて、ユーノに自分の無茶を自覚させようとしていた桃子。

 彼女も驚くレベルでユーノは耐え抜いて、こうして見事に物理的限界を迎えていたのだった。

 

 

「最初はシュークリーム。次はチョコレートケーキ。その次にリンゴのタルトを作って、昨日はたまには和菓子を作ってみようって……毎日やる事が、全然違うんだよ」

 

 

 作らされるお菓子は毎日違う物であり、本人視点では一向に上達した気がしない。

 毎夜作る菓子の総数は十を超えて、失敗作を食べ続けた結果、甘味が苦手になりつつある。

 

 それでいて肥満にならないのは、日々の鍛錬の賜物か。

 そんな無理を続けていれば、こうして屍のような様を晒すのも当然だろう。

 

 

「……強く生きなさい。ユーノ」

 

「うん。ありがとう」

 

 

 思わず涙を流しながら肩を叩くアリサに、ユーノは乾いた声で感謝を返す。

 

 

「……そのまま死ねば良いのに」

 

 

 そんな風に呟いている紫髪の少女からは、揃って目を逸らす。

 金髪の少女は以前の引っ込み思案であるが優しげだった親友の姿を思い浮かべながら、どうしてこうなったと呟きながら溜息を漏らした。

 

 

「けど、高町家の人達らしくないわね。アンタが放置されてるなんて」

 

 

 死体同然で突っ伏していたユーノの姿。

 それを思い返しながら、高町家らしくないとアリサは口にする。

 

 彼らならば介抱くらいはするだろうし、倒れる前に見抜いて止めるだろう、と。

 

 

「あ、あはは。ストライクアーツの方は僕が勝手にやってるだけだし、ね。……実は早朝鍛錬の後、今日はもう休めと言われてました」

 

 

 そんなアリサの言葉に乾いた笑いを浮かべながら、ユーノは自分の否を認める。

 隠れてやっていた鍛錬の全部を見抜かれて、無茶のし過ぎだから休めと怒られた。

 

 それでいて、休まなかったのは、完全に自業自得である。

 

 

「……何やってんのよ」

 

「い、一日サボると取り返すのに三日はかかるから、つい」

 

 

 冷たい目で見据える金髪の少女から、少年は気まずそうに視線を逸らす。

 そんな二人の妙に近い遣り取りに機嫌を悪くしながら、月村すずかは問い掛けた。

 

 

「お目付け役、とかいなかったのかな?」

 

「うん。居るには居るんだけど」

 

 

 ユーノがリビングの奥、階段に通じる扉を見詰める。

 釣られるようにアリサとすずかがそちらに目を向けると、そこから覗き込んでいた栗毛の少女と目が合う。

 

 瞬間、扉の向こうから覗き込んでいた高町なのはは、さっと扉の影に隠れる。

 そのあからさまにおかしな態度に、アリサとすずかはポカンとした表情を浮かべた。

 

 

「なに、あれ?」

 

「なのは。何故か再会してから、ずっとあの調子なんだ。……まあ、お蔭で鍛錬してても止められないんだけど」

 

「んで、死に掛けてたら意味ないでしょうが! ってかアンタも何してんのよ!」

 

「にゃー!」

 

 

 アリサが追い掛けると、慌ててなのはが逃げ出す。

 以前までならば、なのはが走り出してすぐに転んでいた為に捕まえるのは簡単だった。

 

 だが、どうにも最近動きが速くなってきた高町なのは。

 今の彼女を捕えるのは、運動が得意なアリサでも中々に至難となりつつある。

 

 そんな訳で二人の遣り取りはやや長くなる。

 騒がしい少女達の鬼ごっこは、もう少し続きそうであった。

 

 

 

 扉の向こう側でどったんばったんと音がなり、残されたユーノはどうにも相性が悪そうな紫髪の少女に苦笑を見せる。

 

 

「あ、あはは、……これ、どうしよっか?」

 

「ちっ」

 

 

 即座に舌打ちを返された。

 

 女の子がしてはいけない表情をするすずかから目を逸らして、ユーノは一つ息を吐く。

 

 そうこうしている間に、扉の向こうで行われていた、二人の鬼ごっこは終止符が付いていた。

 

 

「ぜぇ、はぁ、やっと、捕まえたわ」

 

「にゃー」

 

「だい、たい、なんで、逃げ、回んの、よ!」

 

「だってー」

 

 

 息を荒げる少女達の言い合う声が聞こえて来る。

 扉越しにも聞こえる程に、彼女らの声は荒く大きい。

 

 

「……ユーノくんと、どうお話ししたら良いか分からなくて」

 

「そう言えば、アンタ。メールでも、そんなこと、言ってた、わね」

 

「うん。再会した時、つい抱き付いちゃったから、冷静になるととっても恥ずかしくなって、何か顔を見るとどう声を掛けたら良いのか分からないの」

 

 

 色恋に目覚め始めた少女は、漸く無邪気さの中に恥じらいを覚え始めている。

 

 恥ずかしくて面と向かって話せない。けど気になるから離れたくない。

 そんな思春期に入りかけている少女の葛藤は、とても愛らしい物である。

 

 

「んで、遠くから眺めるか馬鹿なのは! とにかく当たって来なさいよ!」

 

「にゃー!」

 

 

 当然、扉越しに大声でそんなことを言い合っていれば、当事者にもその言葉は聞こえてしまう物だ。

 

 高町なのはの稚拙ながらも確かな好意を、向けられている知ってユーノは顔を真っ赤にする。

 

 

「あ、あはは。……これ、どうしたら良いんだろう?」

 

 

 恋愛経験どころか対人経験すら未熟な少年は、そんな言葉を漏らして対面の少女を見る。

 

 瞬間。汚物を見るような目をした紫髪の少女は、ぺっと吐き捨てるように言葉を口にした。

 

 

「ちっ、死ねば良いのに」

 

「今度は直球だ!?」

 

 

 呟くのではなく言い聞かせるように、対面に居た月村すずかは心底から忌々しそうに口にする。

 

 男らしい親友に説き伏せられて、顔を真っ赤にしたなのはが居間に入って来るまで、ユーノはドス黒いオーラを発するすずかと一対一で、戦々恐々と過ごす破目になるのであった。

 

 

 

 

 

3.

 

――高町なのはには、おかしな部分が多々見受けられる。

 

 

 海鳴市に用意した一軒家の書斎で、リンディ・ハラオウンは思考を回す。

 

 引っ越しの荷解きを午前中に終えて、漸く確保出来た時間。

 この世界特有の飲料である緑茶の入った茶碗を両手で持ちながら思い浮かべるのは、リンディがこの世界に来ることになったその理由。

 

 ジェイル・スカリエッティが口にした、その言葉を思い返していた。

 

 

――細かく分ければ幾つもあるが、最たるは歪みに目覚めた事だ。彼女は何故、あのような力に目覚めた?

 

 

 スカリエッティは語った。

 それは余りにもおかしな話だ、と。

 

 

――高町なのはの言を信じるならば、彼女が遭遇した天魔は一柱。ユーノ・スクライアは宿儺から逃れる際に、もう一柱、大天魔と思わしき者と遭遇したと語っているが、それを加えても僅か二柱。……歪み者になるには、どうにも接触が足りていない。

 

 

 そう語った彼の言葉を思い出しながら、緑茶を一口。

 ちょっと味が足りないと思い、角砂糖の入ったポッドに手を伸ばす。

 

 

――共にあったユーノ・スクライアは目覚めていないというのに、高町なのはだけが歪み者となった。ならば両者を分ける物が、そこにある。……そんなことは、誰でも思い付く単純な思考の帰結だ。

 

 

 砂糖を一つ二つと加えながら、その単純な思考の帰結が意味する所を静かに考察する。

 

 にやけ面で語る科学者の言葉を思考の隅に追いやりながら、リンディは管理局員にとっては常識とでも言うべき情報を思い浮かべる。

 

 

 

 歪み者。それを管理局では、重濃度高魔力汚染患者とも呼んでいる。

 書類などでの正式名称として用いられるのはこちらであり、歪み者というのは御門一門が広めた俗称のような物だ。

 

 大天魔侵攻の際、彼らの莫大な魔力をその身に受け、肉体に重篤な被害を受けてしまった者。

 高密度の魔力によって人体が正常な機能を失う。或いは余計な機能が増えてしまう。

 

 そうした大天魔の被害者こそが、重濃度高魔力汚染患者だ。

 

 肉体の欠損は、管理局の医療技術や御門の生体義手などで対処できる。

 純粋な魔法治療だけでは難しいが、プロジェクトFの恩恵もあって、肉体部位のクローニング治療はそう難しい事ではない。

 

 かつてのティーダ・ランスターのように、或いは今のティアナ・ランスターのように、戦場での欠損部位を再生治療などで取り戻すのが管理局のスタンダードだ。

 

 スカリエッティに戦闘機人化されることを望むなど、クロノのように、特に強い力を望む一部の例外だけであろう。

 

 だが、魔力汚染だけは治療の方法が確立されていないのである。

 火傷や部位欠損の治療より難しい。リンカーコアや魂にまで及んでしまう変質現象。

 

 正常な機能を失いながらも、それを取り除く事が出来ない。

 それ故に重濃度高魔力汚染患者は、管理局内でも対処に困る問題となっている。

 

 

 

 歪み者と重濃度高魔力汚染患者は、厳密に言えば呼び方の違いでしかない。

 

 それでも一般的には、汚染して変質した機構が害にしかならないのが汚染患者で、己を汚染する高魔力を意志の力で操れるのが歪み者と呼ばれる事が多い。

 

 高魔力汚染患者は歪みを持たない。

 歪みと言える力を使える様になる為には、強い意志が必要となる。

 

 心の強さ。貫くという意志。抱いた渇望。

 

 それら意志の強さによって、己の身体を汚染した重濃度魔力を制御する。

 それができるようになった時、体内の汚染が歪みの原動力へと変じるのだ。

 

 されどその本質は、やはり汚染患者なのである。

 

 人体を汚染する魔力を、意志で活性化させ奇跡を為す。

 ならば当然、活性化した魔力は人体を蝕み汚染の濃度は増していく。

 

 その力が制御する意志力を上回った瞬間に、歪み者は自壊する。

 その性質上、歪み者は短命だ。どうしても長く生きるなどは出来ない。

 

 返しの風。歪みを使う度に生まれる反作用。

 

 進み続ける魔力汚染の除去は不可能である以上、その先はない。

 力を使い続ければ使い続ける程、肉体の魔力汚染は深刻な物となる。

 

 守る為、救う為に力を使う。

 その果てに着くのは救い一つない塵処理場(ジャンクヤード)だ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だが、そうでない歪み者は制御できる範囲を超えて汚染が進んでしまえば、当然のように真面な生活など不可能となる。

 

 身体機能の一部に異常が出て、病院で寝た切りになる程度はまだ救いがある話だ。

 生命活動に必要な内臓器官が動きを停止して、即座に死に至るであろうことも少なくはない。それでも死ねるならまだマシである。

 

 最悪は肉体が変異し過ぎてしまい、人型を保てなくなること。知生体としての思考自体を失ってしまうことだ。

 

 そうした人間として破綻した状態で、されど中途半端に人の規格を超えてしまった結果、死ねなくなる。

 

 高位の歪み者ほど、その影響は顕著だ。

 クロノやゼストクラスとなると、内臓の位置を自分の意思で移動させて致命傷を防ぐ、くらいの事はやってのける。

 

 それが行き過ぎれば、人型を外れ、そして戻れなくなるということも十分に想定出来る事実であろう。

 

 管理局において、人から外れた結果処分された歪み者。

 脳が真っ先に機能を停止してしまい、それでも反射行動だけで生き続けてしまった歪み者なども居た記録も少なからずある。

 

 歪み者というのは、そういう者だ。

 特別な力を好き放題に使用できる。そんな都合の良い存在ではないのだ。

 

 使い続ければ何れは必ず破綻する。借金をして借金を返済するような、始めから破綻した力。果てに救いのない行為だ。

 

 突き抜けた結果神格となれば、あるいは借金を踏み倒してやりたい放題出来るのであろう。だがこの世界の人間の魂にそんな力はない。

 

 故に歪み者は皆例外なく、何れ必ず破滅する。

 

 そう。例外はないはずだった。

 

 

――だが、高町なのはは事実。汚染されていないというのに、歪みに目覚めた。重濃度高魔力汚染患者ではない歪み者という例外。それこそが高町なのはだ。もしかするとあの少女は、使用する度に汚染が進み、正常な身体機能を失っていくという等価交換すら行っていない可能性もある。

 

 

 面白いね、と語るスカリエッティに同意は出来ない。

 ただ、リンディにも分かる。それが異常事態であるということは。

 

 歪み者に救いはない。だからこそリンディは我が子に対して負い目のような物を持っていた。

 

 角砂糖を七つ、八つと加えながら、思い出すのは過去のクロノが管理局員として戦場の最前線に立つことを希望した時のことだった。

 

 九つ十。ハラオウン家の権力を持ってすれば、あの子を比較的安全な後方勤務に移動させることが出来たのだ。

 

 事実、管理局上層部の子らの多くは本局勤めとなっている。

 前線に出ない事務官やオペレーターとして経験を積み、そして本局上層部へと進んでいく。それが管理世界の良家子弟が辿る一般的な出世コースである。

 

 はねっかえり娘であったリンディは、そのコースから途中で外れ、前線で死に掛けた所を今は亡き夫に救われたという過去を持つが、それは完全に余談であろう。

 

 本来、クロノはもっと安定した職務に付けていたのだ。

 それを、本人の希望とは言え止めなかったこと。その結果として少年の寿命を大幅に縮めてしまったことは、リンディの心に暗い影を落としている。

 

 一個一個砂糖を加えるのが面倒になったリンディは、ポッドを茶碗の上で逆さに引っくり返した。

 

 あの子が寿命と引き換えに得たのがあの力。距離を制するという歪み。

 だと言うのに、高町なのはという少女は何の制約も代償もなく、同じ場所に至っているのか。

 

 そう考えると、どうしても思う所がないという訳にはいかない。

 

 

――高町なのはは重濃度高魔力汚染患者ではない。だがね、彼女は重濃度かつ高魔力の影響をその身に受けている。え? 矛盾していないか? していないさ。汚染ではなく体に馴染ませるように、異常が現れないように魔力を沁み込ませたのだろう。

 

 

 まるで大切な宝物をしっかりと手入れするかのように、心を込めて丹精に魔力を馴染ませていた。

 その魔力が高町なのはを傷付けないように、長い年月を掛けてゆっくりと馴染ませるように注がれていた。

 

 そう語る狂人の言葉を思い出しながら、リンディは半ば固形化した緑茶をティースプーンでかき混ぜる。

 

 

――彼女の身体検査を行った時、つい胸が躍ってしまったよ。ああ、あんな形の魔力汚染など見た事もなかったからね。……とは言え、それを為した存在にとって、あの場面で歪みに目覚めたことが思惑通りではなかったのだろうと予想出来る。その時点での彼女は他の歪み者に比べると汚染の総量が少なかったのだ。覚醒に足るレベルではなかった。まだ当分、目覚めさせるつもりはなかった、と捉える方が自然だろう。

 

 

 その言葉が事実であれば、それは一つの真実を示している。

 

 

「高町なのはの傍に、大天魔が存在している?」

 

 

 そう結論を出した瞬間。スカリエッティが笑みを浮かべたように見えたのは、果たして気のせいであったか。

 

 ティースプーンを取り出すと緑茶に口を付ける。

 自分好みの仕上がりに、ほぅと一つ息を吐いた。

 

 

「……藪に手を入れるのは危険だけれど、そこに蛇が居ないと知らないままでいるのは、それより危険よね」

 

 

 大天魔がこの地球に居るかもしれない。

 それを知ってしまっては、動かない訳にはいかなかった。

 

 何故、この地に居るのか。

 彼らがこの地で一体何を、企んでいると言うのだろうか。

 

 知らないと言う事は、恐怖と同じだ。

 何が起こるか分からずに、最悪の展開もあり得てしまう。

 

 地球と言う地に縁故が出来たから、それも確かな理由となる。

 リンディと言う女が抱える甘さは、見知った人の危険を良しとはしない。

 

 

「相手を刺激し過ぎない様に、派遣出来るのはアースラだけ。……ミッドチルダ以外で戦えば、勝機なんて欠片もないのだから、援軍だって期待は出来ない」

 

 

 正直言えば、今回の行為は危険が過ぎる

 出来れば何事もなく、何かあっても偵察だけで終わってくれれば良い。

 

 だと言うのに起きた襲撃事件に、リンディは頭を抱えていた。

 

 

「これも彼らの仕込みなのかしらね。……ベルカ式を扱う魔導師。いいえ、騎士と言うべきだったわね。その裏に大天魔が居るなら――」

 

 

 何もなければ、少し長い休暇程度で終わるだろう。

 彼らが関係していないと言うなら、事件は早期に解決するだろう。

 

 だがもしも、何かが起こるとするならば――

 

 

「母さん」

 

「……あら、クロノ。どうしたのかしら?」

 

 

 書斎の扉を叩く音に、リンディは思考の海から上がる。

 ノックして書斎に入って来たクロノは、茶碗から香る甘ったるい匂いに顔を引き攣らせながら口を開いた。

 

 

「いえ、ユーノに誘われたので、少し出かけてこようと思いまして。エイミィも一緒に行くので、声を掛けておこうかと」

 

「珍しいわね。任務期間中に貴方が抜け出そうなんて」

 

「任務と言っても、実質裏も取れていない長期の警戒任務でしょう? 自分に割り当てられた待機時間外くらい、息抜きしないと持ちませんよ」

 

 

 甘い香りの中に顔を顰めるクロノは、面白そうな表情をしたリンディに返す。

 衛星軌道上にあるアースラにて、つい先程まで警戒勤務を行っていた彼は、どこか眠そうにしながらも肩を竦めた。

 

 

「遠出はしませんし、いざとなったら動ける様に装備は持ち歩く予定です」

 

 

 緊急対応は出来る様にする。

 向かうべき場所もしっかりと報告する。

 

 そうなればリンディに、否と言う答えはない。

 

 元より休みくらいは、気を抜いていて欲しいと思っていた堅物息子の提案だ。

 そんな彼が遊びに行くと言う展開に、内心でガッツポーズをしながら、リンディは笑って口にした。

 

 

「貴方が友人の誘いに乗るなんて、一体何時振りかしら? 折角だしエイミィと一緒に今日から連休って形にしても良いわよ? どうせ交代で休みを入れる予定だったから、今ならある程度は自由が効くもの」

 

「……それは魅力的ですけど、僕とエイミィが同時に抜けるのは不味いでしょう。遠慮しておきます」

 

 

 シフト上がりの半休が、そのまま連休に変わる。

 そんな魅力的な提案に惹かれつつも、責任者が揃って抜けたら不味いだろうとクロノは拒否する。

 

 そんな彼の変わらぬ態度に、リンディはふぅと息を吐いた。

 

 

「全く、貴方は。……エイミィに怒られても知らないわよ」

 

 

 彼の堅物理屈で行けば、エイミィと一緒には休暇を取れない。

 

 クロノはアースラのナンバー2で、エイミィはナンバー3。

 いざと言う時に動くべき立場だから、一緒に休めないのはある意味道理だ。

 

 それでも、恋人相手にそれで良いのか。

 そう問い掛けるリンディに、クロノは頭を抱えながらも答えを返す。

 

 

「まあ、アイツには任期終了後にでも、何か考えておきます。……それに今日行くのは、新装開店したレジャー施設ですから、コブ付きとは言え、それなりには楽しめるでしょう」

 

 

 海鳴市に新装開店した施設。

 郵便チラシの折り込みで、海鳴市住人に対して無料チケットが配布された。

 

 チケットは一枚で一家族分。最大五名まで招待できる。

 月村とバニングスを含めて十五人分。使用期限が間近に迫っていることもあり、折角だしどうか、と誘われた訳だ。

 

 ユーノがクロノを誘うその裏には、彼とエイミィを保護者代わりにしようという打算もあった。

 

 高町家の住人を始め、平日なので基本大人組は参加が出来ない。

 子供達だけでは温水の施設は危険が多く、故に保護者代わりになれる人を求めているという訳である。

 

 見た目が同年代のクロノでも、実際には十四歳だ。

 地球で使える証明書類の一つも持てば、最低限の役は果たせる。

 そして彼より二つ年上のエイミィならば、見た目の上でも違和感は存在しない。

 

 

「ユーノ達にもそう言う意図がある訳ですから、こっちも精々休暇の出しに使わせて貰いますよ」

 

 

 その辺りを理解して、だからクロノはそう笑う。

 折角御招きに預かったのだから、互いに利用し合うとしよう、と。

 

 そんな風に笑う少年を見つめ、リンディは思う。

 

 職務に励む公人としてこそ有能だが、私人としては色々と問題がある我が子だ。

 顔は広いがその友好関係は管理局員ばかり、年の近い友人も以前の天魔襲来でなくしてしまった。

 

 実直で有能である点は母として誇らしくあるが、もっと気を抜いていても良いんじゃないかと思ってしまう。

 

 ユーノ・スクライアとは年もそう離れていないことだし、このまま友好関係を築けると少しは安心出来る。

 

 そんなことを、益体もなく考えながら――

 

 

「私もそろそろアースラに戻るから、鍵はちゃんと持っていくのよ。友達と楽しんできなさい」

 

「友達、という感じではありませんがね。知り合い、という程度の関係ではありませんし、ユーノとはどういう関係だと言えばいいのか。……ただまあ、楽しめるように努力してきます」

 

「……全く貴方は、そういう所が頭が固いと言われるのよ」

 

「自覚はしてますが、性分ですので。それでは行ってきます」

 

 

 そう告げると去って行くクロノの姿。

 まだまだ未熟と言える少年の姿に、リンディは一人溜息を吐いた。

 

 

「……けど、まだ十四歳なんだものね」

 

 

 未熟で当然。早熟に成らざるを得ない状況こそが大人の不手際である。

 

 責任ある人間として、そして一人の大人として、未熟であることが許される内に、子供達をしっかりと導いていかなければいけない。

 

 

「ねぇ、貴方」

 

 

 書斎の写真を見詰める。

 そこに写るは、若き日の一家団欒の光景。

 

 

「私は誓うわ」

 

 

 天魔の遁甲に、今も囚われた人。

 クロノの報告を聞いて、直ぐにでも助けに行きたいと思った人。

 

 彼に向かって、リンディは告げる。

 写真の中で微笑む青年に、内心で誓いを立てる。

 

 

「あの子達を護り導く。そんな大人の義務を、果たす事を」

 

 

 立場と義務感で、溢れ出す感情を抑えている。

 そんなリンディは、茶碗に入った緑色の砂糖を飲み干すと、椅子から立ち上がった。

 

 

 

 一人の大人として出来ることをする為に、彼女はアースラへと向かうのだった。

 

 

 

 

 

4.

「認めぬ。許せぬ。断じて、否! 私のおっぱいパラダイスはどこいったんや!?」

 

「……何を怒っておられるのですか、はやて」

 

「これを、これを認めろと言うんか!? 露天風呂という名目で日差しの直下、晴天の真下に作られた広くて深い石造りの浴槽。混浴だけど、公序風俗を考慮してますと言わんばかりの水着着用。これもうプールやん! 温水プールやん!! 銭湯やないんか!? スーパー銭湯言うたやん!! あっちを見てもこっちを見てもおっぱいぷるんぷるん! 親方! 湯に浮かぶ二つの山が!? とか、そういうんが銭湯やろ!? な、なぁ、私、何か間違ったこと言っとる!?」

 

「……あ、ここに説明書きがあるわ」

 

 

 八神一家は海鳴市にあるスーパー銭湯へと訪れていた。

 

 ポストに投函されていた無料チケット。

 折角人が揃っているのだから、使おうという話になった訳だ。

 

 人数は五人まで。八神一家は六人家族である。少なくともはやての認識では。

 

 足りない分は最初、ザフィーラが留守番をしようと言う話になった。

 彼曰く男一人では余り行く意味がないでしょうとのこと。

 

 ならば仕方ないと女五人で行く話になったのだが、そこに櫻井螢が待ったを掛けた。

 曰く、ヘルパーの契約の方で少し手続きがあると。

 

 仕事ならばしょうがない。だからザフィーラが変わりに行こう。

 そういう話になり、受付でチケットを見せ、男女に分かれて更衣室へと入っていった。

 

 そしてその先で、八神はやては絶望を知る。

 

 

「……半年前の大地震の影響で、一度経営停止状態になったみたいね。それで経営再開時に折角だから、と完全改修したみたい」

 

「なんでや、なんでそっちの方向に行くんや」

 

 

 期待に胸膨らませてやって来た銭湯。

 

 そこではやてに齎されたのは、水着を着ないと入れないよという残酷な言葉と、案内図に描かれている巨大浴場という名の温水プールの姿であった。

 

 

 

 巨大樹が引き起こした大地震。

 その直下にあったこのスーパー温泉は、特に大きな被害を受けていた。

 

 この温泉施設が誇っていた無数の温泉も、それに付随した多くの施設も、全てが跡形もなく崩壊した訳だ。

 

 当初、経営していたオーナーは撤退も止む無し、と判断してこの店舗を営業停止にする予定であった。

 

 それを変えたのは、この地に生きる人々。

 復興作業にせいを出していた、若い衆である。

 

 この温泉施設に限らず、大地震の影響で倒壊した家屋の瓦礫を除去する。

 

 営業が苦しい施設に対し、総出で募金活動を行う。

 倒壊した建物を、建築の知識や技術を持つ市民が無償で立て直す。

 

 そう言った海鳴に生きる人々の協力があって、この施設は小さな町の銭湯くらいの営業なら出来る状態まで立て直したのだった。

 

 この話に感動したのが、都会でこの銭湯に出資していたグループのオーナーである。

 

 そうまでして人々が建て直した施設を、ただ潰してしまうのは惜しい。

 金に糸目は付けぬから、しっかりとした形で作り直し、海鳴の住民達には感謝を形にして示すようにと部下たちに命じたのだ。

 

 

 

 スーパー銭湯とは銭湯としての基本設備に、色々な物が付加された銭湯の事を言う。一般には健康ランドと町の銭湯の中間のような存在という認識であろう。

 

 食事処の設置や、湯の種類を増やす等が一般的なスーパー銭湯の対応だが、中には散髪施設や運動施設などが入っている物もある。

 

 ただ、応急の処置が割と雑だった影響で、この海鳴市のスーパー銭湯は大胆な改装に打って出る必要があった訳だ。

 

 大地震で地盤沈下してしまった大浴場。折角深くなったのだから、そのまま巨大な浴槽として使おう。吹き曝しになった天井も露天風呂と言い張れば通せる。

 

 成人男性の頭より底が深くなってしまったが、源泉が湧き出しているのだから温泉と言えるだろう。そう、震災後に応急処置をした職人は語っていた。

 

 それはもうプールだろ、と突っ込める人間はその場にいなかったのである。

 

 先にも挙げたようにオーナーが感激してしまっている以上、今更大浴場を作り直せとは言えない。

 善意の協力であり、無償行為なのだから、そもそもそんなことを言う資格がない。

 

 故に巨大な浴槽をどうにか生かす方向に持っていこうと努力した結果、スーパー銭湯と言う名の温水プールが生まれた訳だった。

 

 無論、従来通りの風呂も中にはあるが、プールである以上は水着着用で入るのが原則であり、はやての望むような状態にはならないであろうことは確かであった。

 

 

「はやてー。結局入んのか?」

 

「入る。入らんと、何か負けた気分になるし」

 

 

 そんな遣り取りの影で、タオルしか持ってきていなかった事に気付いた烈火の将は、ちゃっかりと水着の貸し出し申請を行っていたりした。

 

 

 

 服を脱ぎ、貸し出された水着に着替える。一緒に持って来た闇の書をコインロッカーに預け入れて、八神はやては準備万端と整える。

 

 烈火の将に抱き抱えられて、目の前を彩る双丘に頬をだらしなく緩ませる。

 ゆっくりとした速度で彼女らは移動しながら、大浴場という名のプールを目指した。

 

 

「けど、ザッフィーには悪いことしたなー」

 

 

 揺らさぬように注意しながら運ばれるはやて。彼女はふとそんな言葉を呟いた。

 

 

「仕方ないでしょう。このような施設に獣の姿で立ち入ることは出来ない。とは言え、主が男性に恐怖心を持つ以上、一緒に行動は出来ないのですから」

 

「けどなー。ザッフィーが悪い訳やないんよ。私が理由もなく、怖がっとるだけやもん」

 

 

 氷村に誘拐された際の記憶は残っていなくとも、その時振るわれた暴行への恐怖は残っている。

 

 あの日以来、はやては成人男性と会話をすることが出来なくなった。

 

 その前に立つだけで足は震え、言葉を口に出来なくなる。

 それは信頼を置いているはずのザフィーラでさえ、例外ではない。

 

 こんなんじゃ、主失格やなと呟くはやて。

 彼女の言葉に反発するように、ヴィータは否定の言葉を口にする。

 

 

「……はやては良い奴だぜ。歴代の主の中には私相手に発情するような糞みてーなのもいたしな」

 

「それと比べんで欲しいわ。けどありがとな、ヴィータ。……考えてもしゃあないとは分かっとるんやけど、私が嫌わなザッフィーも一緒に居られた思うと、どうしても考えてもうて」

 

 

 ヴィータの稚拙な励ましの言葉に微笑んで、しかし負い目を晴らせないはやて。

 家族を大事にする彼女だからこそ、家族と思った相手と向き合えない現状は歯痒いのであろう。

 

 

「はやてちゃんは、ザフィーラが嫌いなのかしら?」

 

「ううん。嫌いやない。モフモフのザッフィーは大好きや」

 

「……ならそれで良いでしょう。嫌われているのでなければ、奴も理解します。それでも気になると言うのなら、少しずつ慣れて行けば良いのです」

 

「そか。そやね。頑張っていかな、あかんね」

 

 

 今は出来なくても何時か。きっと向き合えるようになる。

 

 そう信じて、少しずつ前に進む。

 そう決めたはやてに、茶化すようにヴィータは軽口を言う。

 

 

「案外あいつも楽しんでんじゃねーの? 休暇だーって」

 

「ほかな?」

 

「そうね。女性ばかりで居辛いでしょうし、偶には羽を伸ばせているんじゃないかしら?」

 

「……仲間外れやなくて、お休みあげたーって、そう考えてもええんかな?」

 

 

 首を傾げるはやてに、守護騎士達は頷く。

 その光景を見詰めながらも、はやては思った。

 

 何時か人型になっても一緒にいられるよう、少しずつ頑張っていこう。それまではお休みだと思って楽にしてくれると嬉しい。

 

 苦手な成人男性とは言え、彼も確かに家族であるのだから。

 

 

 

 そんな話を続けながら、ヴィータが脱衣所の扉に手を掛ける。

 注意散漫となっていたのであろう。前を見ずに飛び出して、丁度入って来た人物と頭をぶつけた。

 

 

「ってー! 何すんだ、てめぇ!」

 

「にゃっ!? ごめんなさーい!!」

 

 

 咄嗟に喧嘩を売る少女と、咄嗟に謝る少女。

 互いの性格が出る対応に、互いの声音に聞き覚えのある両者はふと顔を見合わせて。

 

 

『あーっ!!』

 

「ヴィータちゃん!?」

 

「てめぇ、魔王!?」

 

「にゃっ!? 魔王呼ばわりはないの!?」

 

 

 互いに予想外の人物に、目を白黒とさせる両者。

 そんな二人の人物。双方を知る少女が声を漏らす。

 

 

「なのはちゃんやん。奇遇やね。海鳴市在住やとチケット貰えたみたいやし、それで来たんかな? ってか二人とも知り合いやったんやなー。どこで知り合ったん?」

 

「うん。私も無料チケットで来たんだけど。……ヴィータちゃん、はやてちゃんと友達なの?」

 

「てめぇこそ、はやての知り合いかよ!?」

 

 

 険悪な表情で睨み合う両者の姿。

 事情を知らぬはやてはのほほんと呟き、事情を知る守護騎士二人はさてどうした物かと思案する。

 

 

 

 ここに、誰も望んでいなかった邂逅が起こった。

 

 

 

 

 

 




アースラクルーが居る理由=スカさんの仕込み。
なのはちゃんに死なれたら困るので、命綱として優秀な歪みを持つクロノくんを放り込んできました。

無印の元凶で、A'sではリンディさんを戦地に放り込む。STSでは恐らく最高評議会を手玉に取り、FORCE前にエクリプスウイルスとか作っちゃうだろうスカさん。

その内「それも私だ」とか言い出しそうなイメージが作者の中にあるキャラクターです。


歪みは割と独自解釈。KKK原作序盤であれ程言われていたのに、何時しか消えていた返しの風要素。必ずあると表現されていた反作用が何故なくなったのかと考察し、神格化や解脱したからじゃねと解釈しました。
なので本作では、そう言った例外事項にならないと、歪み者は長生き出来ないと言う設定になっています。


後、管理局や古代ベルカの歴史とかで自分と読者の認識に違いがあると感じたので、この作品内での独自解釈やその根拠となる原作で判明している要素とか下記に記しておきます。

・旧暦462年の次元世界で起きた大災害は聖王のゆりかごが原因らしい。
 そうなると聖王の没年がその年。ベルカ末期の聖王戦争時代は旧暦462年の出来事と推測できる。

・サウンドステージに出てきた冥王イクスヴェリア。
 彼女は千年の眠りより目覚めたと語られている。少なくとも千年前にはベルカがあった。

・STSフェイトの発言から、管理局はSTS時点で創設150年。
 新暦75年の話なので、新暦になるちょうど75年前に管理局という形になったと想定出来る。

・StSでのヴィヴィオ関連情報的に、聖王オリヴィエの没年は400年前。

 これらの情報によって、旧暦462年=原作400年前となる。
 聖王没年から600年前に、冥王イクスヴェリアは休眠している。

 両王共に戦乱期、大きな戦争を経験している。

 六百年戦争が続くって、何それ修羅界?
 なので普通に考えれば、ベルカには最低でも二度の大きな戦争があったと思われる。


ここから上がほぼ確定な原作情報。
ここから下は作中キャラの発言などから推測した独自解釈です。


・三脳は聖王信者。原作発言やヴィヴィオの存在から考えて、神として信仰しているのではなく、聖王と言う優れた個人を崇拝していた様にも見える。

 彼らが聖王教会の信者と考えるより、聖王と縁ある人物であると考えた方が自然。
 四百年物の脳みそは少し無理があるが、不可能な設定と言う訳ではない。ベルカ脅威の技術力とか考えれば、ある程度肉体を保ったままでの延命も可能そう。

 なので聖王家を初めとするベルカ遺産保護や、聖王教会への協力など。三脳が当時のベルカ関係者なら、行っていても不思議ではないし、聖王個人への信仰も自然。

 なので今作では、そう設定。

 管理局は三脳がベルカ遺産をそのまま引き継いで、ミッドチルダにあった基盤組織を大きくして出来たとする。


・ViVidであれ程王家血筋が残っていた事も疑問点の一つ。
 ベルカ壊滅後の質量兵器戦争が長続きしていれば、王家なんて真っ先に根絶やしにされそう。少なくとも、意図して残そうとしない限り400年も残らない。

 そうならなかったのは、ベルカ崩壊から管理局設立までの325年間で、三脳が率先してベルカ王族や文化を保護したのではないだろうか。

 少なくとも聖王教会はその時点ではない。

 戦争直後の文明が余力を残している筈もなく、ベルカ自治領の成立もどう考えても後年の物となる。ならばそこで三脳と繋げるのは、然程不自然とは言えないだろう。



 管理局設立以外の問題点は、冥王の1000年という年月。
 聖王の時代が末期戦争でも、冥王も同じくらいの規模の戦争を体験している。

 どう考えても、同じ戦争ではない。
 600年間も戦争が続けば、そもそも600年も国が国体を保てない。

 冥王戦役(仮称)を聖王の戦争より軽い物と仮定しても、1000年も伝承が残っている時点で大概である。

 そう考えるとやはり、国家解体寸前までの騒ぎがあったっぽい。
 そんな戦争が二度も続いている国家が、600年以上も長く続くとは思えない。

 地球文明の王朝の歴史とか考えると分かりやすいが、300年以上続く王朝は実際少ない。
 統治領域が広くなればなるほど短命国家になりやすいことを思うと、幾ら魔法の影響で内政能力が上がっていても、複数の惑星、複数の次元世界を纏め上げる次元国家がそんな長命とはどうしても思えない。

 なので古代と近代でベルカを分割。態々古代ベルカと分けて呼んでいるのだから、魔法の分類だけでなく国家も一度滅んでまた出来たというイメージで良いんじゃねという話。


 夜天の書や冥王は古代ベルカ産。1000年以上前の産物。
 聖王家は古代ベルカ王家の直系だが、他の各王家は近代ベルカ産という設定で本作は書いていく予定です。

 夜天の書は古代ベルカ末期に、魔法の記録媒体として作られた後、近代ベルカ初期に闇の書に書き換えられたイメージ。

 作成されたのは1000年以上前だが、闇の書になったのは600年くらい前を想定しています。


 ちなみに闇の書の誕生理由も変えています。
 原作では歴代の主が勝手に書き換えたとなっていますが、本作では、当時の主と管制人格の同意を得て、紫天の書の製作者、御門顕明が協力して意図的に改変した設定。

 無限再生も無作為転移も、大天魔から永遠結晶を守り通す為に与えられた機能としています。

 顕明が龍明から受け継いだ第四天のえげつない技術を使っているので、大天魔でも容易には捉えられない形ですね。

 魂を識別する能力も持つので起動後だと、天魔発見直後に主を食って魔力を生成、その力ですぐに逃げてしまう。

 その影響でこれまで捕まえることが出来ませんでした。



 それなのに起動後、夜天の書や守護騎士達が螢の正体に気付けていないのは宿儺の太極の影響。
 識別能力が大きく狂っている現在の夜天の書。ある意味宿儺のおかげです。





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第二十話 転落への流れ

※2016/11/04改訂完了。


副題 漢の喧嘩。傍迷惑。
   颯爽と(死亡)フラグを建てるクロノ。
   リリカル終了のお知らせ。



1.

 互いの拳がぶつかり合う。

 拳撃が、蹴撃が、刃の如く鋭い切れ味を見せる。

 

 対峙するは二人の人物。

たった二人の人物が晴天の下、このプールの傍に水着姿で立ち、激闘を繰り広げていた。

 

 二人の男。片や幼い少年、片や若い男である。

 

 十に満たない幼い金髪の少年、ユーノ・スクライア。

 二十前後に見える青髪褐色の男、ザフィーラ。争い合うはこの二人。

 

 両者の間に年齢の差こそあるが、体格差や年齢差で心折れる程少年は柔ではない。

 そしてその点だけで相手を見下し驕る程、守護獣である男は愚かではない。

 

 年齢による体格差という物は確かにある。

 身体能力の高さでは、ザフィーラが遥か上を行く。

 

 だがユーノとて、単に劣っているだけではない。

 体の小ささ故に小回りの早く、御神不破とストライクアーツという優れた技術を持っている。

 自らの経験に依存した原始的な体術を使うザフィーラに対し、延々と練磨された技術でユーノは対抗する。

 

 その技巧の差と小回りの早さで、少年は身体能力差を埋めている。

 それを迎え撃つ蒼き獣に油断や侮りは欠片もなく、男は重ねた経験と肉体の頑強さで少年の技巧に対していた。

 

 

(今は拮抗しているけど……このままじゃ、マズイか)

 

 

 ユーノ・スクライアは殴り合いながらも、次なる一手を思考する。

 彼は武才に欠ける少年だ。一番の強みを捨てた時点で、勝機は欠片もなくなる。

 

 ならば思考を回すしかない。

 唯一の強みを動かして、この強敵を食い破るより他にない。

 

 

(自覚しろ。僕が対抗出来ているのは、相手が御神不破の様な技術に慣れていないからに過ぎない。……素の性能差では、圧倒的に劣っている)

 

 

 基本となる性能。魔法も加味した能力値。

 攻防速全ての面で、ユーノはザフィーラに劣っている。

 

 その性能差を埋めているのが、学び重ねた技術だが――

 

 

(やっぱり、()()()()()()()。……この人は、純粋に戦い慣れているんだ)

 

 

 ザフィーラはベルカの古強者。

 その戦技は戦場にて、磨き抜かれた原初の理だ。

 

 その後継とも言えるストライクアーツ程には洗練されていなく、御神不破のような規格外染みた体技には届いていない。

 だがそれでも確かにそれは戦の術理であり、彼は戦場を生きた戦士である。

 

 戦場では、初見の敵と交戦する事も少なくない。

 珍しい程度の相手に対応出来ない戦士が、戦場に適応できる筈もない。

 

 ならば出来るのだ。ザフィーラに時間を与えてしまえば、唯一と言っていい物理的なアドバンテージが消失する。

 

 

(そうなったら、幾ら思考を回しても勝ち目はない。なら)

 

 

 取るべき選択は一つ。

 相手がこちらに対応し切る前に、一気に押し切る他にない。

 

 

(思考を回せ。頭脳を動かせ。脳細胞を酷使しろ。……どうせ僕に出来るのなんて、それだけなんだ。だったらさ――)

 

「――その一つの、思いっきり貫くっ!」

 

「ぬぅっ!?」

 

 

 ユーノが、赤く塗れた拳を強く握り締める。

 盾の守護獣の身体を打ち続けて、擦り切れた拳を振り上げる。

 

 打ち出した拳に乗った力は、貫き。

 徹しの技巧が乗った拳撃が、ザフィーラの身体を撃ち抜いていた。

 

 

「俺を射抜くかっ!? ――だがっ!」

 

「――っ!」

 

 

 打ち抜いた後の拳を、ザフィーラはその両手で掴み取る。

 外皮ではなく内臓に伝わる痛みに、それでも男は屈しない。

 

 思わず腕を引こうとする少年に、盾の守護獣は喝破した。

 

 

「盾の守護獣を、舐めるなぁっ!!」

 

 

 盾の二つ名は伊達ではない。

 主の盾になる為に、ザフィーラの頑健さは並みではない。

 

 魔法なしでも強靭な肉体。そして痛みへの抵抗力。

 身体的にも精神的にも、男は主を護る盾として在り続ける。

 

 どうして盾たる我が身が、この程度で落ちようか。

 

 痛みで足は止まらない。

 傷の一つ二つで、その動きは鈍らない。

 

 事守ると言う一点において、この男を超える存在などそうはいない。

 

 

「俺を拳で倒すなら――この千倍は持って来いっ!」

 

「――っ! がぁっ!?」

 

 

 両手で抑えた拳を軸に、余りに軽い少年の身体を持ち上げる。

 そしてそのままに、プールサイドの地面へと、少年の身体を叩き付けた。

 

 

(ま、ず……)

 

「おぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 痛みで目を白黒させる少年に、守護の獣は容赦をしない。

 地面に落とされてバウンドする少年の背に、男の拳が打ち込まれた。

 

 否――

 

 

「躱したかっ!?」

 

 

 打ち込まれる直前に身体を捻って、どうにか一撃を回避した。

 前転の様に転がりながら距離を取った少年は、荒い呼吸を落ち着かせる。

 

 

(やっぱり、性能の差は歴然、か。……真面に受けたら、それで終わる。気合とか根性とか、そういうのが意味ないくらいに、物理的に動けなくなる)

 

 

 プールサイドに刻まれた破壊の跡を視界に入れながら、ユーノは必死に思考を回す。

 

 強化された拳とは言え、それだけで地面に亀裂を刻んだ盾の守護獣。

 一般人の目がある故に魔法を上手く使えない。そんな状態でこれを受ければ、最悪一撃で行動不能となるだろう。

 

 治癒活性の魔法も、願いの石による恩恵も、何もなければこの程度。

 エースストライカー級の怪物には届いていないと、ユーノは己の未熟を自覚する。

 

 

(貫きじゃ足りない。接近戦じゃ分が悪い。……かと言って、魔法合戦に持ち込む訳にもいかない)

 

 

 接近戦での分は悪い。

 だが、魔法戦に持ち込む訳にもいかない。

 

 平日の昼間。人気の多いレジャー施設。

 そんな事が問題なのではなく、それ以外の理由がある。

 

 

(一般人の目が問題なんじゃない。多分だけど……習得魔法の傾向的にも、僕と相性が悪い相手だ)

 

 

 盾の守護獣の発言と、その戦い方に見え隠れする癖。

 そして無限書庫で見た書物の記憶が、それを確信させている。

 

 ベルカの騎士で、盾の守護獣と言う名。

 それを確かに、ユーノ・スクライアは知っていたのだ。

 

 

(同系統の術者。僕が補助と治療を出来る分、相手は防御の一点に特化したタイプだ。素の性能差も加味すると、撃ち合いになった時点で詰む)

 

 

 夜天の書。無限書庫で軽く見ただけだが、恐らく其処に記されていた人物。

 己の身を盾として、主を護り抜くと言われた蒼き獣。それがこの男であると。

 

 防御を得意とする魔導師と言う点で、彼はユーノと同じタイプだ。

 補助や治癒に才を振り分けているユーノと違って、それだけに特化した相手だ。

 

 シュートバレッド程度の弾丸では、傷一つ負わせられない。

 プロテクションスマッシュは、障壁強度で押し負けて自爆する。

 アレスターチェーンは上手く使えば通るかもしれないが、ザフィーラを倒し切るには、単純に魔力量が足りていない。

 

 距離を取っての魔法合戦になった時点で、もう詰みと言って良いだろう。

 

 

(なら可能性は、此処にしかない。分の悪い接近戦の中で、この盾を突破する)

 

 

 距離を取れば、真綿で首を絞める様に、ゆっくりと圧殺される。

 ならば多少の不利は自覚した上で、近接戦闘でこの男を乗り越えるしか道はない。

 

 

(そうだ。さっきの千倍必要なら――)

 

 

 先の攻撃は、無意味だった訳ではない。

 幾ら耐えたとは言っても、ダメージは蓄積している。

 

 ならば――

 

 

「威力を上げて、数を増やして届かせる。やってやれない事じゃない」

 

 

 口の中で呟く様に、ユーノ・スクライアは勝機を見出す。

 それは薄氷を踏む様な可能性であって、それでもやれない事ではない。

 

 相手が己の技量全てに慣れてしまう前に、耐えられないだけの拳を叩き込む。

 チキンレースにも似た争いこそが、ユーノが見付け出した勝利への道筋である。

 

 

「……やはり、お前は俺が倒すに足る敵だ」

 

 

 そんな風に覚悟を決めた瞳を見せる少年に、盾の守護獣は静かに語る。

 半ば偶発的に始まった遭遇戦であるが、それでもこの戦には価値がある。

 

 そう理解したザフィーラは、戦場において少年へと問い掛けた。

 

 

「名を、聞かせてくれるか、少年」

 

 

 そんな唐突な問いに眉を寄せながら、ユーノは警戒を解かずに口にする。

 

 

「急に名前を聞くなんて、……何の心算さ」

 

「戦の作法だ。誇りに敵う首級の名は、刻んでいく事にしている」

 

 

 ザフィーラは認めた。この少年の存在を。

 

 見た目などは問題ではない。年齢などは関係ない。

 重要なのは実力と精神性であり、この少年は打倒を誇るべき敵手である。

 

 

「認めよう。そして、だからこそ言おう。――余り己を、卑下し過ぎるな」

 

 

 そんな言葉を聞かされて、ユーノは驚きを顔に表す。

 分かり易いその姿に苦笑して、ザフィーラは言葉で説明した。

 

 

「驚く必要はない。顔を見れば、拳を合わせれば、少しくらいは理解できる」

 

 

 ザフィーラは気付いている。彼は理解していた。

 ユーノには己を卑下する癖があり、どうにも自己を過小に評価している。

 

 だが違う。それは違うだろう。

 

 己に不利な状況で、それでも退かぬと言うその意志。

 どんな状態でも勝利を見出し、見つけ出したら貫こうとする精神性。

 

 動き方から感じる僅かな泥臭さと、確かな経験による裏打ち。

 その年齢で此処まで仕上げるのに、一体どれ程の苦難を積んだのか。

 

 それが見て分かる程に、拳で分かり合える程に、強く強く感じるのだ。

 

 

「もう一度言おう。お前は俺が倒すに足る――強い男だ」

 

 

 故に彼は、ザフィーラが倒すべき強敵だ。

 騎士の誇りを以って、対等に向き合うべき敵だ。

 

 ならばそう、己の卑下は認めた誰かの卑下と同じだ。

 己は屑だと語る言葉は、その屑を認める相手に対する侮辱なのだ。

 

 

「刻んで行こう。お前の名を、誇らしく我が身の戦果として――」

 

 

 だから、その卑下する思考はやめろ。

 だから、その尊ぶべき名を教えてくれ。

 

 ザフィーラは、再び問い掛ける。

 

 

「だから、お前の名を聞かせてくれ」

 

「……ユーノ。僕は、ユーノ・スクライアだ」

 

「そうか、ユーノと言うのか。……俺はザフィーラ。盾の守護獣ザフィーラだ」

 

 

 水に濡れたプールサイド。

 男と向き合う少年は、僅かに表情を緩める。

 

 腹立たしいくらいに頭に来ている敵から認められて、どこか嬉しいと感じてしまう。

 そんな自分を誤魔化す様に、ユーノ・スクライアは怒りと憤りを口にした。

 

 

「好き勝手、言ってくれちゃってさっ!」

 

 

 偶然出くわして、突然殴り掛かってきた男。

 意図した交戦ではなく、これは両者にとっては遭遇戦。

 

 騎士の誇りも結構だが、巻き込まれたユーノからすれば堪った物ではない。

 

 

「結構、期待してたんだぞ。今日のこの日を、自分でも意外だって思うくらいには、楽しみにしてたんだ。それなのに、さ」

 

 

 気になるあの子と遊びに来た、このレジャー施設。

 更衣室に忘れ物を取りに行ったなのはを待つ間、飲み物を買ってくると席を外したら、この褌姿の男に遭遇したのだ。

 

 そこから流れる様に始まった戦闘。

 どうして遊びに来て、こんな男と殴り合わないといけないのか。

 

 

「何を好き好んで、お前なんかと殴り合わないといけないのさっ!」

 

「ふっ、それはすまんな。……だがこちらも、そう簡単には退けん身でな」

 

 

 頭に来ている。正直気に入らない。

 

 楽しい遊びを潰されて、どうしてこんな目に合うのか。

 なのはを傷付けた一味であり、絶対に許してはいけない相手だ。

 

 それなのに、そんな風に認められたら憎み切れない。

 許せない相手なのに、どうしてか嫌いになり切れない。

 

 だからユーノは、溜まりに溜まった鬱憤を吐き捨てる。

 

 

「お前達には、色々と言いたい事があるっ! 本当に一杯、山ほどあるんだ! だからっ!」

 

 

 拳を握り締めて、覚悟を決める。

 やるべき事は単純で、為すにはどうするべきか、それだけ考えればそれで良い。

 

 

「とにかく一回、思いっきりぶっ飛ばす! ボコボコにした後で、なのはに土下座させてやるから、覚悟しとけ!」

 

「お前の実力は認めるが、勝つのは俺だ。我が主が為、闇の書の糧となれ、ユーノ・スクライア!」

 

 

 二人の漢は我意を剥き出して、拳の激突を繰り返す。

 

 

 

 その決着は未だ遠い。

 

 

 

 

 

2.

 そんな争う二人を少し離れた場所で見ながら、クロノ・ハラオウンは頭を抱えて溜息を吐いた。

 

 両者とも魔法を秘匿するという最低限の事は守っているが、それ以外は眼中にないと争い合っている。

 

 当然、人目を気にすることもなく、騒ぎを聞き届けて集まって来た観衆の只中で、激闘を繰り広げていた。

 

 

「全く、あの馬鹿どもは」

 

 

 周囲の人々からは時折「凄い」だの「映画の撮影」か、など歓声が上がっている。

 

 余りにも危機感の欠ける発言だが、それには当然理由もあった。

 

 その内の一つは両者の技術が、一般人の常識で理解できる範疇内にある事。

 一般人に理解出来ない、高みにある技術ではない。魔法や異能が関わっていないのだ。

 

 理解の追い付く範疇にあり、しかし非常に優れた物であるからこそ受ける感想である。

 

 格闘映画やスタントを使った特撮映画の如き武闘。

 それはある種の美しさを秘めており、確かに見応えのある光景である。

 

 世界大会、オリンピックの格闘競技等の選手より僅か上の実力。古の英傑には届いていないが、現代では世界最高峰に名を連ねることが出来る領域。

 

 それが魔法を使わないザフィーラのスペックであり、それに追随しているのがユーノという少年だ。

 

 そんな実力者二人の対立は素晴らしく、そして一般人の目でも理解出来ない程ではないからこそ、何らかの催し物として受け入れられていた。

 

 

「クロノくん!」

 

「……エイミィか。どうした?」

 

 

 こげ茶色の髪に、緑色のデニム水着を来たエイミィ・リミエッタ。

 彼女は人込みから少し外れた場所に座り込んだクロノを見つけ出すと、息を弾ませながら彼の元へと歩み寄って来る。

 

 

「いや、クロノくんがユーノくんと飲み物買いに行って帰って来ないから、探しに来たんだけど。……これ、何してるの?」

 

「あそこでやり合ってる馬鹿共に聞いてくれ」

 

 

 さてどう収拾をつけたものか、と頭を抱えながら馬鹿者二人を罵倒する少年の姿。

 そんなクロノに苦笑を返そうとして、エイミィはそれに気付いた。

 

 右手の義手で頭を抱えるクロノ。

 その義手に付けられた人体を偽装する人工の肌が、高温によって溶けている。

 

 爛れた皮膚のその下に、銀色に輝く機械部品を晒していた。

 

 

「あっちゃー、やっちゃったね。クロノくん」

 

「ん。ああ。……仕方ないだろう。広域での精神誘導魔法を使った訳だしな」

 

 

 今、こうして二人の漢の勝負を熱狂と共に見守っている人々。彼らの思考は、クロノによって誘導されていた。

 

 それこそが、彼らが二人の男達の戦いを不自然に思っていない理由のもう一つである。

 

 精神誘導魔法とは言え、思考を強要する洗脳の類のような魔法ではない。

 

 そういった魔法は下手に使用すると後遺症が残る物だ。

 人格や精神に悪影響を与える事は禁止されている為に、緊急避難としても使われることはない。

 

 故にクロノが行ったのは、思考の一部を鈍らせる魔法。

 何となくこうなんじゃないか、程度の思い込みを発生させる魔法である。

 

 それによって人々は、ユーノとザフィーラの戦いを異常事態と思うことはなく、何らかの催し物であると錯覚している。

 彼らの技量が高いことや、魔法を使用していないのもあって、上手く馴染んでいるようだ。

 

 無論、所詮誘導に過ぎないので、隠し切れぬ程にボロが出れば気付かれてしまう。

 今は互いに魔力強化も最低限に自重しているが、いざとなれば周囲に気を配る余裕などはなくなるだろう。

 

 それでも、時間稼ぎには十分だった。

 

 

「しかし困ったな。やはり先に結界を張るべきだったか? だが、そうすると、精神干渉程度では利かなくなるからな。……流石にこの人数を、記憶操作するのも手間だ」

 

 

 結界を張っても、その前に認識された出来事は変わらない。

 相手が結界を張る前に殴り掛かって来た時点で、封時結界だけで済ませる訳にはいかなくなっていたのだ。

 

 だが、人の精神に介入する魔法は総じて、構成が難しく魔力の消耗が激しい。

 その上対象の精神に干渉し過ぎないように、後遺症を残さない為に別の魔法も併用する必要があるので、広範囲を対象とすればデバイスに掛かる負荷は大きくなる。

 

 故にこうして、クロノの義手はその負荷に耐えられずに異常を衆目に晒しているのであった。

 

 

「あらら、排熱部に溶けたスキンが張り付いてるよ。これじゃ、マリエルも苦労するだろうな」

 

 

 クロノ・ハラオウンの義手は腕型のデバイスだ。

 どれほど優れた技術であったとしても、機械である以上、動作させれば熱が籠る。それ故に排熱は不可欠である。

 

 特に熱が多く発生する戦闘時などは、機械の姿を晒していなければ排熱が間に合わなくなってしまうのだ。

 

 とは言え、日常生活でそんな姿を晒していては、色々と問題も多くなるだろう。

 その為平時においては、その機能を著しく制限した上で人体を偽装する冷却材入りのスキンを義手の上に被せているのである。

 

 

「……アテンザには悪いと思っているさ。だが、パニックを起こさせる訳にはいかないからな」

 

 

 偽装スキンの製作者であり、スカリエッティの弟子を自称するマリエル・アテンザ。そんな変わり者の後輩の名を出したエイミィに、クロノは言い訳染みた言葉を返す。

 

 師がアースラに乗っていたと知るや否や、アースラの技術士として乗り込んで来たバイタリティ溢れる人物が彼女である。

 

 義手がこうも壊れてしまっては、スカリエッティかそれに近い人物でしか直せないであろう。

 だが、師の作品をあっさり壊したクロノに対し、本来は温厚だが特定の物事に対して暴走しがちな彼女がどう反応するか。

 

 それを思うと、彼女がアースラに乗っているのは幸か不幸か、どうにも判断が難しかった。

 

 

「けど、それじゃクロノくんは魔法使えないよね。……現在進行形で戦っているあの子、どうするの?」

 

「どうも出来ないな。歪みはまだ使えるが、あれは流石に誤魔化せんだろう」

 

 

 魔法は使えず、歪みも容易く使う訳にはいかない。

 管理局員として魔法を秘匿したまま、どうやって収拾を付けるかと思考する。

 

 

「素手での争いで終わってくれれば良いんだが、敵も追い詰められれば魔法を使うかもしれん」

 

「ユーノくんが相手を追い詰める、と? 意外と信頼しているんだ」

 

「……正当に評価しているだけだ。あいつの爆発力はある種異常だからな。ああして今拮抗していることを思えば、そう遠くない内に決着は着くだろうさ」

 

「へー。ほー」

 

「何だ。その顔は」

 

 

 恋人であるが不器用な弟のようにも感じているクロノの態度に、ニヤニヤと笑みを浮かべるエイミィ。

 

 そんな彼女にお前の期待しているような事はないぞとクロノは軽く返して――

 

 

 

 その直後に、周囲は赤紫色の結界に覆われた。

 

 

 

 周囲の観客が消え去る。後にはクロノとエイミィ。

 そして未だ戦い続ける二人の男の姿だけが残されている。

 

 

「エイミィっ!」

 

「うん。……外は人が急に何人も消えた所為で、パニック状態になっているみたい。サーチャーから映像が送られてきてる」

 

 

 デバイスを動かして、外部の情報を確認するエイミィ。

 そんな彼女に疑問を抱きつつも、嫌な状況になったとクロノは頭を抱える。

 

 

「なんでサーチャーを待機させていたのか、気になるが今は突っ込まないでおく。……アースラに連絡は?」

 

「無理。結界に妨害効果もあるみたい。短距離なら兎も角、衛星軌道上のアースラまで通信は届かないよ」

 

 

 魔法の秘匿の為には、外部の混乱を解決する必要がある。

 だからと言って、こうして争い合う連中を放置している訳にもいかない。

 

 クロノは現状を理解すると、即座に指示を口にした。

 

 

「なら、エイミィはアースラに一度戻って、外部のパニックを抑えてくれ。アレックスやランディなら、そういう作業に向いている」

 

「クロノくんは?」

 

 

 そんなエイミィの問い掛けに、歪みを行使しながら、クロノは両の義眼を動かす。

 

 魔力反応を感知する右の義眼。

 生体反応と熱反応を感知する左の義眼。

 

 その二つで確認すると、自らが行うべき事を説明する。

 

 

「……結界内にある生体反応は、僕らを加えて五人分。魔力のみの反応が四人分。合わせて九人だ。内、二人があそこでやり合っている馬鹿共、そして僕らが二人を除けば、後に残るは五人だけ」

 

「なのはちゃんと、あの時の襲撃者三人だね」

 

「ああ、一人余る訳だ。それが恐らく、奴らの首魁だろう。……僕はそっちに当たる」

 

 

 ここでこの事件を終わらせよう。

 そんな意思が、彼の瞳にはあった。

 

 

「あー。クロノくん。焦りは禁物じゃないかな?」

 

 

 そんな瞳の色を見て、エイミィは僅か危うさを感じる。

 そんなに焦って事件を終わらせようとするなど、彼らしくないと。

 

 

「……焦っている訳ではないが、まあ久し振りの休暇を潰されたくはないからな」

 

 

 そこでクロノは少し、言いずらそうに言葉を淀ませた。

 だが、それも一瞬。覚悟を決めると、少し恥ずかしそうにその言葉を口にする。

 

 

「エイミィ。今回の勤務期間が終わって、ミッドに戻ったら、少し出かけないか?」

 

「え?」

 

「……いや、結局クラナガンでは休暇が取れなかったしな。約束通り、ホテルアグスタに連れて行くことは流石に出来んが、な」

 

 

 母に口にした様に、そんな風にクロノは言う。

 そんな珍しい恋人の提案に、エイミィは胸を高鳴らせながら頷いた。

 

 

「うん。行こう! すぐ行こう!」

 

「……いや、この件も含めて、決着を付けてからだからな」

 

 

 現金な奴だ、とクロノは苦笑する。

 とは言え、デートの約束一つでこうも嬉しげにされるならば、彼女の為に動く甲斐もあると言う物だろう。

 

 こちらも嬉しくなって、微笑んでしまう。

 そう感じる度に、それだけ大切なのだと自覚していた。

 

 

「分かってるって! それじゃ、転送よろしく!」

 

 

 溜息で感情を隠しながら、クロノは歪みを行使する。

 万象掌握の力がエイミィの身体を包み込んで、彼女をアースラへと転移させた。

 

 本来、使用者の許可なく転移などは出来なくなっている結界は、歪みを防ぐことは出来ずにあっさりと抜かれる。

 消費魔力と使用者の位階差故に、抵抗の一つも行う事は出来なかった。

 

 

「さて、そろそろ終わらせよう」

 

 

 転移したエイミィの背中を見送って、意識を切り替えるとクロノは宣言する。

 

 

「結界を張ったのは、愚策だったな。この僕が動けば、それで終わると教えてやろう」

 

 

 人目がなくなった時点で、守護騎士達は詰んだのだ。

 

 クロノの歪みに対処できる者など、敵手の中にはいない。

 彼の制限を失くし、自由にさせた選択は、最大の悪手であった。

 

 

 

 

 

3.

「何で、何でなん!? シグナム! ヴィータ!!」

 

 

 幼い少女が、嘆きの声を上げている。

 

 友と家族が争う現状。大切な人達が、相争っている光景。

 遭遇してから暫くして、説明もせずに始まった戦闘に、何故と戸惑いの言葉を漏らしている。

 

 だが届かない。その声は伝わらない。

 

 盲目的なまでに闇の書の完成を求める守護騎士達は、本来の目的であったはずの少女の声に耳を傾けることすら出来ていない。

 

 

「悪く思うな。……今度こそ、闇の書の糧となって貰う」

 

「ぶっ潰れろやっ! 高町なんとかっ!!」

 

「っ! 私は高町なんとかでも、魔王でもなくて、高町なのはだよっ!」

 

 

 互いに言葉をぶつけながら、結界内にて武器をぶつけ合う三人。

 

 

 

 その戦闘のきっかけなど、とても単純な物だった。

 

 

 

 高町なのはと遭遇した騎士達は、彼女を警戒し身構える。

 対するなのはも何処か緊張した表情を浮かべていて、はやては何かがおかしいと首を傾げる。

 

 

〈ザフィーラ、こちらは奴に遭遇した。……合流出来るか?〉

 

〈悪いが、難しいな。こちらでも、あの少年に出くわした。隠れ続ける事は難しい。……そちらとの合流を防ぐ為に、先ずは俺から仕掛けてみる〉

 

 

 守護騎士達の間で行われていた念話による遣り取り。

 それを介して、共に敵に遭遇した事を知ってザフィーラは行動に移る。

 

 はやての存在がバレてしまった以上、逃げると言う選択肢はない。

 ここで勝利すれば闇の書が完成する事も手伝って、思考は好戦的へと移っていく。

 

 

〈分かった。ならこちらも、機を見て仕掛ける。……無理はするなよ〉

 

〈互いにな〉

 

 

 そうして念話を終えたシグナムは、ヴィータと睨み合っている少女を見る。

 未だ激発するには遠いが、それでも戦闘はもう避けられないだろう。

 

 だからこそ、シグナムは今の一瞬の内に、為すべきを為そうと思考した。

 

 

「主はやて」

 

「シグナム? どうしたんよ、そんな怖い目して」

 

 

 何処か怯えが見える少女を、更衣室のベンチへと座らせる。

 そうして目線を合わせながら、シグナムは彼女に向かって謝罪した。

 

 

「申し訳ありません。私は貴女の命を、破っておりました。……そして今再び、この剣を貴方の御友人へと向けます」

 

「な、何言うてんの? じょ、冗談はやめてぇな」

 

「冗談では、ありません」

 

 

 最早事此処に至り、自らの行いを主に隠し通すことは不可能である。

 戸惑う八神はやてに向かって、烈火の将は頭を下げながらも揺るがない。

 

 

「許しは乞いません。申し開きも出来ません。……唯、この行いの全ての責は、将たる我が身にこそ存在する。願わくば、同胞たちには寛大な処遇を」

 

 

 彼らの主は膨大な力を得られると言われても、人様に迷惑を掛けてはいけないと蒐集を禁じた心優しい少女だ。

 

 例え自分の命が危険であっても、他人に被害を与える行為を許容しない可能性が確かにあった。

 

 それは駄目だ。認められない。

 守護騎士達は万に一つでも、主が死に至る可能性を許容出来ない。

 

 

「シグナム? もしかして、ほんまに蒐集を? あれほど、いかんって」

 

 

 漸くに理解が追い付いて、何とか止めようとする少女。

 そんな彼女に背を向けて、覚悟を決めた烈火の将は一歩を踏み出す。

 

 

「……シャマル。後は頼んだ」

 

 

 背中越しに伝える言葉は、それ一つ。

 主人である少女に伝える言葉は、もう他にない。

 

 何も変わらぬのに、主へ贖罪する行為は自己満足にしかならない。

 裏切り続ける謀将に、掛けて良い言葉などもう存在していない。

 

 

「ま、待ってぇな、シグナム! 説明しぃ!」

 

 

 歩ける少女が手を伸ばすが、シグナムは背を向けたまま歩み去る。

 彼女は主の心よりも、主の命を守ると決めたから、だからもう揺らがない。

 

 

「んで、終わりかよ。シグナム」

 

「ああ、待たせたな。ヴィータ」

 

 

 待たせたと謝罪するシグナムに、ヴィータは不機嫌そうに返す。

 待ってねぇよと答えた彼女は、掛かった時間よりも話した内容に苛立ちを覚えていた。

 

 

「欲張り過ぎだ、テメェ。私らは望んで、選んだんだ。だったら共犯で、共に裏切り者だろ? ……一人で背負ってんじゃねぇよ」

 

「……そうだな、無粋が過ぎたかも知れんな」

 

 

 自分一人で勝手に背負うな。

 そう怒るヴィータに、シグナムはくすりと苦笑する。

 

 主に恵まれ、同胞に恵まれ、それをシグナムは自覚する。

 だからこそ為さねばならないと、その覚悟を確かな物へと変えていた。

 

 

「ヴィータちゃん。それに――」

 

「シグナムだ。名乗ってはおこう」

 

 

 その清冽たる名乗りには、迷う意志など欠片もない。

 だが機械的なのではなく、確かな意志の萌芽を感じ取れる。

 

 ヴィータと同じだ。シグナムも同じなのだ。

 ほんの少しの欠片であっても、彼女には確かな意志の萌芽がある。

 

 守るべき者を自覚して、護りたいと心から願って、その為に成長しようとしている。

 

 その姿は、人と何が変わろうか。

 

 

「……どうして、貴女達は」

 

「語る心算はない。そんな余裕はない。ただ、必要なのだ」

 

「テメェは悪くねぇ。悪いのは私らだ。……けどな、どうしても必要なんだよ」

 

 

 生まれつつある炎の様な魂に、なのはは魅せられつつも問う。

 そんな彼女に言葉で詫びて、それでも退けぬ彼女らは武器を執る。

 

 どれほど主の叱咤を受けたとしても、これで決定的なまでに嫌われてしまったとしても、ここで守護騎士が全滅するとしても、それでも為さねばならぬ事がある。

 

 

「だから、てめぇのリンカーコアを置いていけぇっ!」

 

「……主の友であったとしても、加減など出来ぬ。騎士道には反するが、ここで潰れてもらうぞ、高町なのは!」

 

 

 猛り狂うは鉄槌の騎士。

 冷静にだが猛火の如く、攻めかかるは烈火の将。

 

 どちらも必死。どちらも全力で挑んで来る。

 その覚悟は作り物から生まれたとしても、決して軽くはないのだ。

 

 

 

 そうして、三人の戦いは始まった。

 

 

「それじゃあ、駄目だよっ!」

 

 

 だが、その想いでは届かない。その想いだけでは覆せない。

 

 

「二人が必死になってること、それは分かる。……だから、だからこそ! お話ししよう! お話しを聞かせて!」

 

 

 高町なのはという少女は、守護騎士が四人掛かりで打ち破るのがやっとという存在であるが故に、たった二人では拮抗することすら許されない。

 

 

「はやてちゃんと貴女達の関係! ヴィータちゃんとシグナムさんの戦う理由! 聞きたいことは、一杯、一杯あるんだから!」

 

 

 千を超える誘導弾。千に迫る直射砲。三重の魔力障壁。雷速に迫る移動速度。その全てが、二人の守護騎士では対処不能な域にある。

 

 翻弄され、蹂躙され、その決着はそう遠くない内に付くであろう。

 そんなことは誰にでも分かる単純なことで、当然、彼女らも分かっている。

 

 

「だが、だからと言ってっ!」

 

「話して腹明かせば全部解決って、信じられる訳ねぇだろうがっ!!」

 

 

 覚悟を決めた彼女らは、必死で少女に喰らい付く。

 何れ落ちると知っていても、それでもその何れを先に延ばす。

 

 一秒でも稼げば、それでザフィーラが結果を出せるかも知れない。

 ほんの少しでもこの少女を止められれば、他の守護騎士が結果を出せる。

 

 そう信じて、彼女達は抗うのだ。

 

 だからこそ――

 

 

(私が、動かないと)

 

 

 湖の騎士は、急がねばと思考する。

 ザフィーラが拮抗している以上、自由に動けるのは彼女だけ。

 

 先ずは彼女が旅の鏡で、二つの戦場のどちらかに介入する。

 

 相手の戦力は、なのはとユーノだけ。

 それ以外に管理局も居るだろうが、それでも二人程ではないだろう。

 

 そう思考する彼女は、闇の書を回収する為に動こうとする。

 彼女が蒐集を行う為には闇の書が必要不可欠で、それが今はこの場にないからだ。

 

 

(書があるロッカーの鍵は、シグナムから渡されてる。だから)

 

 

 主がコインロッカーに預け入れた闇の書。

 それを取り出し、タイミングを見計らって蒐集を行うことこそが湖の騎士シャマルの役割である。

 

 だが彼女だけは戦場に参戦していないから――

 

 

「待って、シャマル!」

 

「は、はやてちゃん」

 

 

 同じ光景を見ていた少女の制止の声が、彼女にだけは届いていた。

 

 

「なんやねん、これ。どうしてシグナムとヴィータがなのはちゃんと戦っとるん!」

 

「あ、その。ごめんなさい、はやてちゃん。今は時間がないから」

 

「ダメや! ちゃんと答えんと許さへん!」

 

 

 如何に守護騎士らが覚悟を抱こうと、譲れない想いを抱くのは彼女も同じだ。

 

 動かぬ足で止めようと、必死に縋り付いてくる。

 ベンチから転がり落ちて、床を這ってでも近付いて来る少女を、シャマルは無視出来なかった。

 

 湖の騎士には彼女を抑える術がない。

 力尽くで振り払うのは容易い。だが彼女の情がそれを許さない。

 

 ならば説明するしかない。

 それも、彼女が納得できるような言葉を掛けなくてはいけない。

 

 だが、それだけの言葉を考える時間も、言葉を口にする時間も今はない。

 湖の騎士はそんな上手い返しを思い付けないし、そんな思考をしている時間がなかったのだ。

 

 

「……詳しいことは後で話すから。今は闇の書で蒐集をしないと」

 

「駄目や、絶対、話してくれるまで、絶対に離さへんっ!」

 

 

 涙を瞳に浮かべながらも、激怒している主の少女。

 彼女を納得させられないシャマルは、どうしたものかと戸惑い迷う。

 

 

「あ、あううう」

 

 

 少女とは思えない、主としての資質を見せるはやての言葉。

 感情と仕える者としての気質。その両面から、無下には出来ないと迷うシャマル。

 

 そんな遣り取りを続ける二人の下へ――

 

 

「そうだな。……それは僕も聞かせてもらいたい」

 

 

 アースラの切り札が、その姿を見せていた。

 

 

「っ!? 誰?」

 

 

 ゆっくりと歩み寄って来る黒髪の少年。

 その姿には一切の隙はなく、少女達の姿にも油断することなく対しようとしているのが見て取れる。

 

 湖の騎士の誰何に、黒髪の少年は己の素性を此処に明かす。

 

 

「時空管理局執務官。クロノ・ハラオウンだ。事情聴取をさせてもらおう。任意同行し協力的な態度を取るならば、情状酌量の余地はあるが?」

 

「時空管理局!?」

 

 

 さあどうするかと語るクロノ・ハラオウンを前に、咄嗟に臨戦態勢を取るシャマル。

 そんな彼女に余裕の表情を浮かべたまま、半身機械の少年は異色の瞳で二人を見据えていた。

 

 

「それって、確か。シャマル達が言うてた、次元世界の警察やん! 皆、警察の世話になることしとったん!? ってか海パン刑事やて!?」

 

「それは言うな。……デバイスが壊れていなければ、格好の一つも付いたんだがな」

 

 

 彼の語る言葉に驚きつつも、思わずその恰好に突っ込んでしまう八神はやて。

 そんな彼女に溜息交じりに返しながら、クロノは気分を変えるかの様に咳払いを一つする。

 

 

「さて、些か出鼻を挫かれたが――返答は如何に?」

 

 

 そして至って真面目な表情で、クロノはどうするかとシャマル達に問い掛けるのだった。

 

 

「……返答、ね」

 

 

 シャマルは苦虫を磨り潰した様な表情を浮かべながら、クラールヴィントへと手を伸ばす。

 

 

(時空管理局の執務官。此処に来て、厄介にも程がある)

 

 

 時空管理局の局員は、訓練校出の新人でも能力が高い。

 それは彼らが行き来する海の危険性もあれば、闘争の神より加護を受けるミッドチルダの大地で過ごしていることも理由の一つである。

 

 新人達は経験の少なさ故に咄嗟の対応力が低かったり、知識量など足りていなかったりして隙が生まれることが多い。

 なのは達に良い様に振り回され、限界を超えたフェイトの前に一掃されてしまったりしているが、それは実力以外の部分。本人の対処能力の未熟さが理由である。

 

 実力だけは、未熟者でも相応に高いのだ。

 高い実力の持ち主しか、生き抜く事が出来ないとも言えるだろう。

 

 

(海の武装局員は、最低でも魔導師ランクA以上。執務官になると、魔法文明のない次元世界なら、一人で制圧できる規模の怪物魔導師)

 

 

 未熟であっても一人一人が強力な個人であり、複数揃えば一騎当千の猛者すら相手取れる。

 

 ベテラン局員ともなれば、そんな彼らが集団で動くのだ。

 守護騎士達であっても、複数人、一個小隊を相手にすれば討たれることもある。

 

 いいや、あった、だ。

 過去の記録の中には、エース級の守護騎士が、武装局員数人に完封されたと言う情報もある。

 

 

(私が勝てる可能性は、ゼロじゃないだけマシなくらいかしら?)

 

 

 一人一人、新人であっても武装局員は一騎当千相手に善戦出来るレベルの強者。

 そんな者達を使い捨てるように使用しても、まるで戦力の尽きることのない規格外の組織である時空管理局。

 

 その組織の執務官ともなれば、それはとてつもないエリートである。

 誰もが戦闘を得意とする訳ではないが、海の執務官が戦えないと断じるのは愚行だろう。

 

 他の三人ならばともかく、後方型のシャマルでは相手にすらなるまい。

 

 

(だったら、ここで抵抗するのは、完全に自殺行為。だけど――)

 

 

 それでも、諦める訳にはいかない。

 必死に戦っている同胞がいるから、救わなくてはいけない主がいるから。

 

 ならば、狙うは不意打ち。初撃による決殺。

 そしてシャマルには、それを為せる手札がある。

 

 バリアジャケットを着ていないことも都合が良い。今ならば旅の鏡が通る筈。

 そう考えてリンカーコアを抜き取ろうとしたシャマルは、そこでその異常に気付いた。

 

 

「旅の鏡が開けない!?」

 

 

 シャマルという騎士の代名詞とも言える能力。

 彼女にとって最後の切り札である、最大の攻撃手段が発動すらしなかった。

 

 

「無駄だよ。ここはもう、僕の領域だ」

 

 

 驚愕する彼女に、クロノは当たり前のことのように告げる。

 

 

「この場において、僕の許可なく空間に干渉する能力は一切使えない。少なくとも、僕より実力の劣る君ではね」

 

「っ!?」

 

 

 戦域の絶対者。格下に対する圧倒的強者。

 位階の差を乗り越えられない限り、クロノ・ハラオウンには抵抗できない。

 

 小賢しい策謀では塗り替えられない、絶対的な違いが其処にある。

 

 

「大人しく縛についてもらうぞ。……そこの少女は、丁重に扱うことを約束しよう。抵抗をしないのならば、な」

 

 

 バインドが使えない為に、口頭での警告だけで動きを封じるクロノ。

 丁重に扱うのは大人しく従った場合のみ、これ以上抵抗するようなら動けないように処置をすることになるぞ、と暗に脅している。

 

 

「……シャマルの身の安全も、保障してぇな」

 

「良いだろう。君が大人しく協力するなら、この女にこれ以上の手出しはしない」

 

 

 そんな彼の言葉に、はやてはそう条件付ける。

 はやての条件を二つ返事で受け入れて、クロノは一つ頷いた。

 

 

(皆、ごめんなさい)

 

 

 囚われたシャマルは、手詰まりとなった事を理解して念話で詫びる。

 既に無力化された彼女は、せめて味方の無事を祈ろうと、他の戦場へと視線を向けた。

 

 

 

 だがその先にある戦場は、此処に決着を迎えようとしていた。

 

 

 

 

「っ! シャマルが捕まったか!? だがっ! ここで俺が勝てばっ!」

 

 

 幾度と殴られながら、痛みで鈍くなった身体を動かす。

 そんなザフィーラは、単独でも全員を倒し切ってみせようと吠える。

 

 

「相変わらず、デタラメだよ。クロノ」

 

 

 同じく痛みに震える身体で、ユーノは笑みを浮かべている。

 あっさりと勝負を決めた彼の姿に、負けて堪るかと奮起する。

 

 

「だったら、僕だって。――」

 

 

 あの日、撃剣の神楽舞での結末。

 それを未だに少年は、苦い思いで引き摺っている。

 

 同年代で、自分より一歩も二歩も先に行く背中に、複雑な情を抱いている。

 

 だから。

 

 

「何時までも置いて行かれて堪るかっ!」

 

 

 クロノが結果を出したなら、自分も意地で結果を出す。

 そう歯を食い縛る傷だらけの少年は、迫る男を前に足を止めた。

 

 

「誘いか、だとしてもぉぉぉぉぉっ!」

 

 

 その行動を、誘いと断じた。

 罠と理解して、それでも罠ごと食い破ると拳を振るう。

 

 そして、重い一撃が腹に突き刺さる。

 激しい痛みを感じながらも、ユーノは血反吐を吐きながらも止まらない。

 

 

「クイントさん直伝――」

 

「っ! 防御の一つも、しないだとっ!?」

 

 

 誘いではなかった。罠ではなかった。

 ユーノ・スクライアは攻撃準備に専念していて、欠片も動けなかっただけ。

 

 このままでは蒐集前に、殺してしまう。

 そう判断したザフィーラの拳が、緩む事に掛けていた。

 

 蒐集目的であると知っていても、博打が過ぎる起死回生。

 そんな賭博に勝利したユーノは、悪童の様な笑みを浮かべて拳を振るう。

 

 

繋がれぬ拳(アンチェイン・ナックル)っ!!」

 

「がぁぁぁっ!?」

 

 

 脱力して足を止めた状態から、最大火力が叩き込まれる。

 打ち放たれた拳撃は、唯のアンチェイン・ナックルではない。

 

 それは貫の技法を加えた、御神不破とストライクアーツの合せ技。

 

 

「どうにか、……出来た」

 

 

 足を止めたのは、完全な誘いではない。

 今のユーノの練度では集中しなければ、二つを合わせる事など出来ないだけだ。

 

 それでも成功率は低かった。

 そんな少年は、血反吐を吐きながらも立っている。

 

 

「……見事、だ」

 

 

 盾を貫かれた守護獣は、そうして地面に膝を付く。

 ダメージは大きい。頑丈故にまだ動けるが、戦闘などは不可能だ。

 

 故にザフィーラは地に伏しながら、己の敗北を認めていた。

 

 

 

 

 

 そして、もう一方の戦場では――

 

 

「魔法の力、全てを撃ち抜いて!」

 

〈Divine buster phalanx shift〉

 

「っ!? この化け物がぁぁぁぁっ!!」

 

 

 視界を埋め尽くす桜色の輝きを前に、鉄槌の騎士は毒吐きながら地に落とされる。

 今尚成長し続けている魔法の天才児を前にして、如何なる意志を抱こうとも勝てる道理などはなかった。

 

 

「ヴィータ! 済まないっ!!」

 

 

 そんな彼女が壁となった烈火の将は、傷だらけになりながらも辛うじて耐え抜いている。

 必死に歯を食い縛って意識を保ちながらも、何処か冷静な部分が自分達の敗北を認めていた。

 

 シャマルは捕らわれ、ザフィーラは敗れた。

 二対一でも追い詰められていたのに、ヴィータが落ちれば時間稼ぎすら出来ない。

 

 

「……まだだ。まだっ!」

 

 

 それでも諦めない。それでも手は引かない。

 諦められない理由があるから、詰んでいても抗い続ける。

 

 

「まだ、私は――っ!!」

 

「もう終わりだよっ! シグナムさんっ!!」

 

 

 シグナムの眼前にて、高町なのはが歪みを行使する。

 不撓不屈の力によって、彼女はまるで太陽の如き輝きを放つ。

 

 その膨大な魔力量は、完成した闇の書よりも大きい。

 闇の断片に過ぎない烈火の将では、抗う事すら許されない。

 

 

「ディバイーンッ! バスタァァァァァァッ!!」

 

「っ! おぉぉぉぉぉぉぉっ!! 紫電一閃っ!!」

 

 

 迫る桜の閃光へと、シグナムは刃を手に身を躍らせる。

 

 勝機はない。勝利はない。

 仮にこの一撃を乗り越えたとしても、シグナムに先はない。

 

 死に物狂いで砲撃を切り裂くシグナムの敗北は、最早時間の問題だった。

 

 

 

 

 

 ここに全ての戦場で、守護騎士の敗北する。

 それを理解した湖の騎士は、脱力して座り込んでいた。

 

 諦めたのか、それとも機を窺うことにしたのか。

 

 どちらでも良いかとクロノは楽観する。

 どちらであっても、対処は容易であるのだから。

 

 もう守護騎士達に勝ち目はない。このまま彼らはアースラに囚われ、闇の書の起こした事件はここで終焉を迎えるだろう。

 

 或いはそれが良いのかもしれない。

 お人好しの多いアースラならば、八神はやての事情を知って見捨てることはないだろう。

 

 無限書庫で夜天の書に関する記述を見ていたユーノならば、闇の書に干渉する方法を見つけられるかも知れない。

 

 管理世界最高の頭脳であるジェイル・スカリエッティならば、闇の書の正常化も出来るかも知れない。

 

 闇の書誕生に関わった御門顕明であれば、それを本来あるべき姿、夜天の書へと戻すことすら可能であろう。

 

 少なくとも、八神はやてを救うことは出来たはずだ。

 

 

 

 それを望まぬ第三者が、介入さえしなければ――

 

 

 

 そう。彼らはそれを望んでいない。

 ここで闇の書事件が終わってしまうのは、彼らにとっては望ましくないのだ。

 

 だが、事実として守護騎士達は全員敗れた。

 ならば終わらせぬ為に介入する必要がある。ここで出向くのは当然である。

 

 

 

 故に――

 

 

「えっ?」

 

 

――天魔が来る。

 

 

「なっ、奴らが来るのか!?」

 

 

 まず最初に気付いたのは、高町なのは。

 次いで理解したユーノが、久方ぶりに感じた気配に驚愕の声を上げる。

 

 頭がおかしくなるような重圧。

 その濃密な魔力は、確かに彼らが持つ物。

 

 それは紛れもなく、大天魔出現の兆候である。

 

 

「何や、この感覚。怖い。恐い。震えが止まらへん」

 

「嘘、これ」

 

「マジ、かよ。……はやて、下がってろ!」

 

 

 シャマルは感じる魔力量に震えあがり、何とか起き上がったヴィータは恐怖を感じながらもはやてを守るように立ち上がる。

 

 そんな小さな少女の背で、八神はやては湧き上がって来る本能的な恐怖に唯震えた。

 

 

「この魔力の性質! まさか、奴か!?」

 

「……来るぞ!」

 

 

 クロノは何度も経験した魔力に宿った呪いの性質からやって来る存在を正確に推測し、堕ちて来るその瞬間に意識を保っていたザフィーラが声を上げる。

 

 

 

 そして、それは訪れた。

 

 

 

 腐臭を漂わせながら、堕ちて来る。

 絶望を撒き散らす存在が、この海鳴へと舞い降りる。

 

 

「全て腐れ――塵となれ」

 

 

 上半身が半裸となる和装に身を包んだ、死人のような肌の男。

 先の圧し折れた巨大な剣を肩に担ぎ、唯無言でそこにある。

 

 その長い黒髪より覗く赤い瞳は、どこまでもこの世に生きる人々に対し怒りを抱いているようで、同時にどうしようもない程に嘆いているようにも見えた。

 

 

「この屑でしかない、我が身の様に――」

 

 

 八柱の大天魔。

 夜都賀波岐が一柱にして先触れとなる者。

 この世で最も多くの命を奪い取った腐毒の王。

 

 その咒を――

 

 

「天魔・悪路」

 

 

 誰かがその名を呼ぶとほぼ同時、悪路の背に巨大な鬼の随神相が現れる。

 

 

「さらばだ。黄昏を生きた――成れの果て」

 

 

 黒く悍ましきその異形は、巨大な剣を手に咆哮する。

 唯そこにいるだけで全てを腐らせる偽りの神は、その赤き色とは正反対に冷たい瞳で、その場にいる者全てを見据えていた。

 

 

 

 

 




幕間編から連勤中の屑兄さん。彼が来た理由は消去法です。

○他天魔の欠勤理由。
天魔・母禮……役割的に参戦不可。
天魔・常世……立場的に参戦不可。
天魔・奴奈比売……まだ覚悟完了していない。
天魔・宿儺……こっち来んな。
天魔・紅葉……傷心旅行中。
天魔・大獄……返事がない。ただの物置の様だ。

悪路しかいない(確信)。


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第二十一話 叫喚地獄の奥底で

※2016/11/09改訂終了。

注意。今回も原作キャラに犠牲者が出ます。


副題 屑兄さんは仕事人。
   フラグの回収。
   夜刀様居ないとこいつらこうなるんじゃね?

推奨BGM『Letzte Bataillon』(Dies irae)


1.

 堕ちてきたソレは、ただ其処に居るだけで場を支配していた。

 

 その身が放つ威圧感。腐臭に淀んだその気配。

 膨大としか言いようがない程の魔力の量だけでも、誰もが口を閉ざす程の脅威として映っている。

 

 そして無論、それだけではない。

 太極を開いていないとは言え、天魔・悪路とは腐毒の王である。

 

 その身、その全身。頭の天辺から足の指先まで、全てが腐毒の呪詛で満ちている。

 

 否、その表現は正しくはない。

 腐るという概念が人型を取った存在。人間の形をした腐毒の瘴気。

 

 それこそが、天魔・悪路であるのだ。

 

 その力は結界の内側にあっても、何ら制限されることはない。

 魔力で時間軸から切り離した程度では、この腐毒を防ぐ事など不可能だ。

 

 悪路を見たものは腐る。

 悪路に見られたものは腐る。

 悪路に触れたものは、皆例外なく腐って落ちる。

 

 それは太極という異界を発現していなくても、発現する事を避けられない現象だった。

 

 腐っていく、腐っていく、腐っていく。

 

 その踏み付けられた大地が、建材として使用された石材が、湧き出し続ける湯水が、全て例外なく腐っていく。

 

 表面に付いた細菌、微生物の腐敗。内に混ざった不純物の腐敗。

 それらのみに非ず、本来ならば腐らぬはずの物すら例外なく腐敗していく。

 

 物理法則など通じない。化学式など意味はない。

 無機物であろうと例外ではない。神格の力とは、腐敗すると言う概念は、そんな物では防ぐことすら出来はしないのだ。

 

 

「闇の書――そして、魔導師達」

 

 

 ぎろりと悪路はその瞳を動かして、その場に居る者らを見る。

 

 一人一人、確認するように、観察しているように。

 その憤怒と哀愁に満ちた赤い瞳で、少年少女らを目視した。

 

 

「っ!?」

 

 

 瞬間、高町なのはは、自身の身体を襲う違和感を認識した。

 

 

「何、これ……何で……」

 

 

 理解が出来ない。痛みは欠片も存在しない。

 だが、だからこそ、それがどうしようもなく恐ろしい。

 

 あらゆる身の護りを摺り抜けて、悪路の脅威は彼女の身体にも襲い掛かっていた。

 

 

「……指が、肌の色が、変わって、感覚が無くなっていく」

 

 

 見て分かる程の速度で、肉体の風化が進んで行く。

 指先から身体が変色を始めて、男と同じ異臭を立てている。

 

 腐っている。

 身体が腐って、崩れ落ちているのだ。

 

 目が合った。唯それだけで、その影響は生じている。

 瞳で見ただけでバリアジャケットもシールドも突き抜けて、少女の身体は腐っている。

 

 痛みはない。痛みではない。

 生きたまま腐るという感覚に、痛覚などは伴わない。

 

 痛みも何も感じぬ内に、全てが腐って塵となる。

 滅侭滅相。それが天魔・悪路に対峙した者全てが辿る結末だった。

 

 

 

 神の法には、大別して二つの種類が存在する。

 

 一つは覇道。流れ出すと言う意志によって、世界全てを染め上げる渇望。

 残るは求道。自らで完結した意志によって、己自身を作り変える為の渇望。

 

 悪路の法は、覇道ではない。

 彼の理とは求道であり、求道太極とは己の体内に他者を取り込むと言う行為。

 

 悪路王が願ったのは、大切な人が美しくあって欲しいと言う願い。

 生きたまま腐ると言う呪いを受けた家系に生まれた彼が、せめて妹だけはと祈って生まれた求道の渇望。

 

 誰かが穢れる必要があるならば、それは己が引き受けよう。

 己一人だけが穢れるから、愛しい人々よ、どうか美しくあって欲しい。

 

 この身は屑だ。天魔・悪路は腐っている。

 

 だから己は救われずとも構わない。

 どうか腐毒よ、この我以外を腐らせてくれるな。

 

 故にこそ、被害はこの程度で済んでいる。

 求道と言う内に籠った法則は、太極を開かない限りは多大な被害は生み出さない。

 

 求道の神にとって、太極を開く事とは、世界と同化すると言う事。

 目に映る世界の全てを己に取り込んでいないが故に、腐敗するのは悪路に干渉したものだけで済んでいる。

 

 見る。触れる。見られる。

 その手順を踏まねば、影響は受けない。

 

 万象全てを腐らせる呪風は、未だ生じていないのだ。

 

 だが、それだけだ。

 

 見られれば腐るのは変わらず、見れば影響を受けてしまう。

 悪路の触れた大地は腐り、彼の体に触れた大気は酷く淀んで毒を宿す。

 

 この狭い結界の内側が穢れによって満ち溢れ、彼の太極となんら変わらぬ異界と変じるのもそう先の話ではないだろう。

 

 そして、そうなる前に耐えられない者も当然いる。

 

 

「いやあああああああっ!?」

 

 

 悲鳴が上がる。絶叫が上がった。

 高町なのはは弾かれたように顔を上げ、声の主へと視線を向ける。

 

 その先にいるのは、今この場において最も守りの薄い者。

 最もか弱く無防備で、腐毒の呪風に耐える事も出来ない者である。

 

 それは歪みを持たない魔導士の少年(ユーノ・スクライア)ではない。

 それはデバイスがなく魔法を使えない歪み者(クロノ・ハラオウン)ではない。

 それは生まれたばかりの魂しか持たない騎士達(ヴォルケンリッター)でもない。

 

 彼らもまた危機にある。

 誰もが皆、例外なく危地に居る。

 

 最も軽いのが高町なのはで、それ以外は誰もが膝を屈している

 肌は爛れ、肉は腐り、今にも崩れ落ちそうな程に追い込まれていた。

 

 だが、そんな彼らよりも追い詰められた者がいたのだ。

 

 

「はやてちゃん!」

 

 

 それは、闇の書に魔力を喰われていた少女。

 戦闘での消耗分も加わって、彼女の身体に耐性など欠片もない。

 

 見る見る内に、腐って落ちるその身体。

 悲鳴を上げながら壊れていく、八神はやてと言う少女。

 

 彼女の下に駆け付けようと、なのはは飛翔する。

 だがその最中にて、彼女以外の人達も限界を迎えていた。

 

 

「くっ、そ……」

 

「ユーノくんっ!?」

 

 腐毒の風に耐えられず、魔導師の少年が膝を付く。

 見るも無残に変わる姿に、なのはは一瞬どちらに向かうべきかと逡巡した。

 

 

「主っ!」

 

「はやてっ! 私達が何とかするから、しっかりしろっ!!」

 

 

 なのはが決心する前に、騎士達が主の元へと馳せ参じる。

 彼らもまた消耗し、魂の分だけ抵抗力が少ないが、それでも意地で己の役割を貫き通す。

 

 元よりはやてを庇っていたヴィータが、ザフィーラと合流して障壁を強化する。

 二人掛かりで如何にか被害を軽減した後に、障壁内にてシャマルが主を救わんと治療魔法を行使していた。

 

 その光景に、なのはは任せても平気だと判断する。

 今助けが必要なのは騎士に守られる彼女でなく、戦う力を持たない彼なのだ。

 

 

「ユーノくん!!」

 

 

 八神はやて程でなくとも、ユーノ・スクライアの身も危険である。

 

 ユーノは歪みを持っていない。

 歪みとバリアの二種の護りがあるなのはでさえ、手足の末端が腐りかけた程だ。

 そんな呪風を至近で受けて、魔法の技能しか持っていない彼が、ただで済む道理がない。

 

 

「っ、あ……」

 

 全身から腐臭を漂わせて、金髪の少年は蹲っている。

 その傍らへと飛翔して、なのはは大慌てで彼に駆け寄った。

 

 

「酷い」

 

 

 肌を露出した箇所。皮膚が腐りつつあるその姿に、なのはは息を飲む。

 それも一瞬。何とかせねばと思い至り、守護騎士らと同様障壁を展開することで対処を行った。

 

 高町なのはに、治療魔法は使えない。

 出来ないならば出来ないなりに、せめてこれ以上の被害を抑えるのだ。

 

 

「情け、ない……な」

 

「ユーノくんっ! 喋っちゃダメっ!!」

 

 

 身体を腐り落としながら、ユーノ・スクライアは無力を嘆く。

 言葉を口にするだけで、ボロボロと崩れ落ちる変色した皮膚を見て、なのはは大慌てで彼を止めた。

 

 現状は不味い。腐毒を防ぎ切れてない。

 なのはの障壁も、守護騎士二人の障壁も、全てを抜いて毒が浸食する。

 

 天魔・悪路は動いていない。

 ただ其処に佇んでいるだけなのに、それでこんなにも世界が変わる。

 

 大天魔の恐ろしさ。偽りの神の絶対性。

 それが今初めて、心身を震わせる恐怖と共に、理解出来ていた。

 

 

「……無事か。ユーノ。高町」

 

「クロノくん」

 

 

 空間を跳躍して、クロノ・ハラオウンが合流する。

 腐毒に身体を侵されながらも、慣れた事だと痛みに耐える。

 

 生きて帰れば、多少の傷なら如何にでもなる。

 肉体部位の欠損だろうと、プロジェクトFと機械化技術で代用できる。

 

 ならば、重要なのはただ一つ。

 手傷を恐れずに、此処から生きて帰る事。

 

 

「何時まで寝てる気だ? 泣き言を言う暇があるなら、死ぬ気で障壁を維持しろ、フェレット擬きっ!」

 

 

 蹲るユーノを叩き起こして、障壁を張れと命じるクロノ。

 その厳しさしか見えない対応に、なのはは反意を覚えて異論を唱えた。

 

 

「クロノくん!!」

 

 

 このままでは、ユーノが死んでしまう。

 そんな状況で、この少年は何を言っているのか。

 

 そう怒りを吐露するなのはに向かって、クロノもまた怒声を返した。

 

 

「高町だけの結界では持たないっ! 僕が使えないなら、お前が使うしかないだろっ!!」

 

 

 己への憤りを堪える言葉に、高町なのはは唇を噛み締める。

 誰も彼もが限界寸前で、けれど此処では死ねないから、生き残る為に算段する。

 

 そんな少年の怒声を耳にして、ユーノは唯無言。

 然し歯噛みして腕に力を込めながら、必死の想いで立ち上がった。

 

 

「スフィアプロテクションっ!!」

 

 

 如何にか足に力を入れて、霞む思考で障壁の魔法を展開する。

 何時倒れても可笑しくない身体をなのはに支えられながら、ユーノは意地で啖呵を切った。

 

 

「これで、良いんだろ! クロノ!!」

 

「ああ、上出来だ」

 

 

 今にも吐きそうな表情で、然し足手纏いにはなりたくないと、必死で障壁を展開するユーノ。そんな彼に、クロノは笑みを浮かべて返した。

 

 

「……さて、談笑している暇はない。気合を入れろっ!」

 

 

 三人の魔導師が、大天魔へと立ち向かう。

 冷たい意志を宿した瞳は動かずに、未だ魔導師達の様子を見ていた。

 

 

 

 天魔・悪路の出現に際し、三人の魔導師は対応した。

 主の身を護る為に、三人の騎士達もまた即座に動いた。

 

 それが全て、計六名が行動していた。

 この場にいる者の数は九。その内、僅か六人しか動かなかったのだ。

 

 八神はやてが動けないのは、ある意味当然の事だろう。

 苦しみもがく彼らを見下す大天魔が、座して動かぬのには理由があるのだろう。

 

 だがそんな両者とは違い、何故か動かなかった者が一人だけいる。

 死に瀕しているユーノやクロノが、先の戦闘で倒れ掛けていたヴィータとザフィーラが、傷を押しても動いている。

 

 だと言うのに、最も傷が浅い彼女だけが、何故か動こうとはしていなかったのだ。

 

 

「おい! 何やってんだよ、シグナム!!」

 

「…………」

 

 

 それは烈火の将。シグナムという名の女である。

 主を襲う異常事態に対し、本来ならば真っ先に動かなければならない将が不動であった。

 

 彼女が動かぬ事に、苛立ちを覚えたヴィータが吐き捨てる。

 ふざけるなと苛立ちながらヴィータはシグナムを見やり、そこで彼女の異常に気付いた。

 

 烈火の将は虚ろな瞳で、眼前に立つ天魔を見詰めていた。

 現れた彼が何であるか認識した直後、まるで糸の切れた人形のようにかくんと動きを止めていた。

 

 そう動かなかったのは、彼女の意志ではない。

 動けなかったのだ。彼女にはその役割が、設定されていたのだから。

 

 

「そうか、お前だったのか」

 

 

 そして悪路が動き出す。

 動きを完全に止めたシグナムが、探していたソレだと気付いて――

 

 

「見付けたぞ。夜天の安全装置」

 

 

 闇の書が作り出された時、同時に用意された“安全装置”。

 大天魔の襲撃に合わせて闇の書を回収し、逃走する為の最終機構。

 

 それこそが、烈火の将シグナムであったのだ。

 

 どんと音を立てて、烈火の将が飛翔する。

 鉄槌の騎士の制止も、八神はやての負傷も意識に入らない。

 

 三人の魔導士などには興味も向けない。

 否、そんなことを思考する余地が、今の彼女には残っていない。

 

 烈火の将は何かに操られるかのように、無言のまま全てに背を向けて闇の書を目指した。

 

 

「今更逃げられると、思っているのか?」

 

 

 その背を見詰めながら、天魔・悪路がゆっくりと動き出す。

 巨大な悪鬼の随神相が逃がす物かと、飛翔する将の背を見詰めていた。

 

 

 

 夜天の書が、闇の書に変じてから五百年。

 闇の書を追い続けていた大天魔達が、それに辿り着いたことは一度や二度ではない。

 

 五柱の天魔達は散り散りになって多元世界を探し回り、その過程で両手足の指では数えきれない程度の邂逅を果たしていた。

 

 魔力資質を持てば、それだけで主として認められる闇の書の転生機能。必ずしも、魔法の知識がある人物が主となる訳ではない。

 

 管理世界や魔法文明の数とその他次元世界を見比べれば、当然資質を持つだけの罪なき一般人が主となることが多いのは必然と言える事だろう。

 

 この世界の民。それも罪なき一般人を傷付けることに、抵抗を持つ天魔は多い。

 母禮や紅葉。彼女らがそうであり、故に闇の書を追う天魔達の中でも彼女らのような者達は、それほど闇の書に多く関わって来た訳ではない。

 

 彼らが迷うよりも早く、己こそが穢れれば良いと思考する悪路が先んじて行動していた。

 

 意識の一部が共有することが可能で、魔力のある場所になら何処にでも現れることが出来る。

 そんな性質を持つ彼らだからこそ、同じ天魔ばかりが襲撃を掛けるという真似とて不可能ではない。

 

 誰かが襲撃を躊躇ったならば、その瞬間に悪路が攻め入るのだ。

 最も多く闇の書に関わっていたのは、この天魔・悪路に他ならない。

 

 

 

 しかし、そんな悪路でさえ、未だ知らないことも多い。

 闇の書には他ならぬ、旧世界の技術が、神座世界(アルハザード)の技術が用いられている。

 

 それは彼の蛇の知恵。悪辣な第四天の叡智。

 永劫回帰の技術は明かし切れず、故に彼らであっても手を焼いていた。

 

 何度手を伸ばそうとも、届かないで幕を閉じる。

 後一歩と言う所で常に妨害されて、取り逃がし続けていたのだ。

 

 何故か後一歩に近付くと、闇の書は一目散に逃げ出すのだ。

 周囲に破壊を振り撒きながら、主を喰らい殺して即座に逃げ出す。

 

 まるで天魔が来ると分かっている様に、少しでも近付けば気付かれる。

 その理屈がどうしても分からなかったが故に、彼らは常に後手に回っていた。

 

 そうして今になって、漸くに理解した。

 恐らくそうだと予想を立てて、それが見事に嵌っていた。

 

 闇の書には安全装置が存在する。

 特定の条件が満たされた段階で、即座に動き出す機構がある。

 

 それが大天魔に気付いた時、闇の書は転移を開始するのだろう。

 全ての条件を整える前に、先ず彼らが表に出るならば、安全装置から壊さないといけないのだ。

 

 故に彼は、見に徹した。

 闇の書がこの場にない状況が、絶好の機会だったからこそ、誰がそうなのか判断する為に使ったのだ。

 

 

「滅侭滅相」

 

 

 そして見つけた。それは烈火の将だった。

 だからもう、決してその女だけは逃がさない。

 

 例え無関係な人々を脅威に晒そうとも、逃がす事だけはもう出来ない。

 

 

「誓うぞ――お前は生かして帰さない」

 

 

 纏う呪風を振り撒きながら、天魔・悪路はそう決めた。

 

 

 

 

 

2.

 悪路の随神相が、その巨体を振り回す。

 巨体という質量が持つ純粋な暴威から逃れようと、烈火の将は身を翻す。

 

 

(私は、何をしている)

 

 

 飛翔しながらに回避して、身を躱しながらに先を目指す。

 そうして前へと飛び続けているシグナムの残った意識は、混乱の真っ只中にあった。

 

 

(主の危機に、どうして書を目指している。はやてを護ると、そう決めたのに……)

 

 

 歯噛みする事すら出来ず、シグナムは内心でそう感じている。

 生まれたばかりの魂は防衛装置の命に逆らえず、マルチタスクが冷徹な答えを出している。

 

 大天魔が現れた。勝つ手段など何処にもない。

 彼らに永遠結晶を奪われたなら、全てが此処に終わってしまう。

 

 故に――八神はやてを此処で殺害しろ。

 

 

(一体、これは何なのだ。永遠結晶だと!? そんな物、私は知らないっ!!)

 

 

 守ると誓った人を殺す為に、勝手に動き続ける身体。

 騎士とは主を護る為に居る存在なのに、その主を殺して喰らえと命じる書。

 

 何かがおかしい。何がおかしい。

 分からない。分からない。分からない。

 

 混乱の只中にあって、シグナムは思考しか動かせない。

 闇の書には何か、自分達も知らない何かがあって、このままでははやてが死ぬ。

 

 

(動けっ! 動けっ! 今動かずにっ! 何時動くと言うのだっ!!)

 

 

 プログラム体と言う身体が、どうしようもなく憎らしく思える。

 何の為に生きるのかを決めたのに、この身が自由に動いてくれない。

 

 そしてそんな女の葛藤を、考慮する程に腐毒の王は甘くなかった。

 

 轟と風が吹き抜ける。溢れ出した腐毒の呪風が吹き抜けた。

 空を飛んでいたシグナムは腐りながらに吹き飛ばされて、その隙に悪路王が接近する。

 

 何時の間にか、前方から回り込んでいた人間大の悪路王。

 彼はシグナムの進む先にて跳躍し、手にした刃を振り下ろした。

 

 咄嗟にシグナム。

 否、闇の書の安全装置は、剣を盾として防ごうとする。

 

 しかし――

 

 

「無駄だ。木偶の剣では防げない」

 

 

 レヴァンテインでは防げない。木偶と化した将では耐えられない。

 書に行動を制御されたまま、シグナムと言う女は自由を奪われて、此処に命を落とすのだ。

 

 

(そんな、末路――)

 

 

 眼前に迫る腐毒の大剣。

 自らの命を奪う、偽神の一撃。

 

 それを前にしてシグナムは、このままでは終われぬと意志を示した。

 

 

「認めて、堪るかァァァァっ!」

 

 

 ギリギリの一瞬に、如何にか制御を取り戻す。

 動きの鈍った身体は腐毒を躱し切れず、大剣諸共に袈裟に斬られて、己の半身が腐って落ちる。

 

 

「がっ、ぐぅっ!?」

 

 

 最早、死は避けられない。もう消滅は時間の問題。

 冷徹な瞳をした大天魔は、生じた変化すら知らぬと剣を緩めない。

 

 生まれたばかりの魂と、憎悪にも近い憤怒。

 それによって僅かに自己を取り戻したシグナムは、己の最期に一つ為す。

 

 

「夜天の騎士達っ!!」

 

 

 限界を超えて尚、得られた時間は僅か数秒。

 最早生存は絶望的だからこそ、彼女はその数秒に言葉を残す。

 

 

「我らの主をっ! 八神はやてをっ!」

 

 

 再び迫る大剣。塵すら残さんとする瘴気。

 それを前にして、言葉は自然と口を吐いていた。

 

 

「護り抜けぇぇぇぇっ!!」

 

 

 言葉と共に、烈火の将は腐って落ちた。

 全てから主を護れと、それだけを言い残して彼女は死んだ。

 

 振り下ろされた刃に、纏わり付いた塵の欠片。

 それを哀れむ瞳で見詰めた後に、天魔・悪路は静かにその動きを止めていた。

 

 

「……残念だが、お前の願いは叶わない」

 

 

 女が最期に何に気付いたのか。

 女が最期に何を伝えようとしていたのか。

 

 それが分からずとも、一つ断言出来る言葉がある。

 

 八神はやては助からない。

 あの少女は必ず殺す。絶対に生かして残さない。

 

 

「何れ、全てが救われる。その日が訪れる時を、黄昏の果てに待つと良い」

 

 

 生まれたばかりの魂でも、彼女は確かに一つの個となっていた。

 夜天の干渉を退ける程に、確かな個我を獲得していたのだ。

 

 故に彼女もまた、輪廻の輪に還るだろう。

 何時か全てが救われた日に、平穏無事に生きられると願っておこう。

 

 

「さらばだ――生まれたばかりの、八神の騎士」

 

 

 彼女はもう闇の書の騎士ではない。

 彼女は決して、夜天に支配された騎士ではなかった。

 

 あの一瞬の彼女は確かに、八神はやてに仕える騎士だった。

 

 その事実を認めた上で、悪路はその名を心に刻んだ。

 

 

 

 そして烈火の将の死は、一つの脅威を曝け出す結果となる。

 彼女の死が切っ掛けとなって、その脅威はもう防ぐ事など出来はしない。

 

 この領域で起きた出来事を隠匿し、その被害を外部に漏らさない為に展開されていた封時結界。それを維持していたのは他ならぬ、烈火の将シグナムであったのだ。

 

 ならば必然として、彼女の死は結界の崩壊を意味する。

 この腐毒の瘴気に満ちた世界が、現実へと浸食するのだ。

 

 将を失った衝撃で、唖然としたまま動けぬヴォルケンリッター。

 全身を苛む呪風を前に、障壁以外の魔法を行使する余裕のないなのはたち。

 

 彼らの誰もが障壁を引き継ぐのに一瞬遅れ、故に当然の結果として赤紫色の結界は消失した。

 

 

 

 阿鼻叫喚の地獄が、レジャー施設に顕現する。

 人々の苦痛の悲鳴が溢れ出し、全ては叫喚地獄の奥底へと呑み込まれた。

 

 

 

 

 

3.

 死。死。死。死。

 ここには死が満ちている。

 

 腐る。腐敗する。腐食する。風化する。

 異臭と共に万象の末路が晒されて、誰もが悲鳴を上げている。

 

 休日の昼下がり、晴天の直下で賑わいを見せていたレジャー施設は、腐毒の呪詛によって一変する。

 

 人の善意が最悪を引き寄せる。

 海鳴の人の為にと用意された無料券が、確かに犠牲者を増やしていた。

 

 嘆いている。悲鳴が上がる。

 苦悶の声が響く。絶望が木霊する。

 

 現実に顕現した叫喚地獄は、毒々しい色で世界を染め上げている。

 大天魔は何もしていない。ただそこにいるだけで、人の世をどうしようもなく狂わせている。

 

 

「アリサちゃん! すずかちゃん!!」

 

 

 目の前に広がる地獄絵図に、一瞬飲まれたなのはは大切な友人を思い出し、声を荒げた。

 

 このレジャー施設に共に来た友人。

 結界が壊された今、彼女達もまた危険である。

 

 今すぐにでも助けに行きたい。助けに行かねばならない。

 

 だが、それなのに――

 

 

「……っ」

 

 

 その場に座して動かぬ大天魔がそれを許さない。

 

 彼は不動。彼は無言。

 ただなのは達を、怒れる瞳で観察しているだけだ。

 

 だがそれだけで、なのは達の挙動は制限される。

 甲羅に籠った亀のように、障壁の中に隠れていなければ、あっという間に死に至る。

 

 少なくともユーノとクロノの二人は、なのはが飛び出せば数分しか持たないだろう。

 

 二人の少年と親友の少女達。

 同数の友らを秤に掛ける冷徹さなど、幼い少女は持っていない。

 

 

「クロノくん!」

 

 

 故に動けぬなのはは、僅かな期待を込めてクロノの名を呼ぶ。

 彼女の期待することに気付いて、然し答えられないクロノは冷たく言い捨てた。

 

 

「不可能だ。人の数が多過ぎる。この中で魔力反応を持たない人間を探し出して転移させるなんて、僕の歪みでも出来はしない」

 

「そんな!? なら、二人は!!」

 

「祈れ! せめてこの毒素が届かない場所に居ることを!」

 

 

 救済は不可能だ。救助には動けない。

 自分達が確実に助かる術もないのに、どうして動く事が出来ようか。

 

 今の彼らには祈る事しか出来ない。

 それしか出来ることがないから、彼らは無力感に拳を震わせていた。

 

 

 

 そんな彼女らとは対照的に、即座に動き出したのがヴォルケンリッター達だ。

 

 

「あんの、野郎ぉ。よくもシグナムを!!」

 

 

 怒りの声を上げるのは、騎士達の内でも最も直情的な鉄槌の騎士。

 鉄槌の騎士は家族の最期を目にして、その命を奪った天魔に怒りを抱いている。

 

 だが、そんな彼女とて飛び出しはしない。

 そんな感情一つで飛び出してはいけないと、確かに理解していたのだ。

 

 眼前に立つ怪物は、どうしようもない代物である。

 どこかで脳が警告している。忘れてしまった記録が叫んでいる。

 

 あれから逃げろ。そうでなくば全てを失うぞ、と。

 

 そして理由は、もう一つ存在していた。

 

 

「シャマル。主の容体は?」

 

「……簡易的な魔法じゃこれが限界。しっかりとした設備があればまだ何とかなるけど」

 

 

 苦い顔で口にするシャマルも、即座に判断を決めたザフィーラも、皆が確かに分かっている。

 

 彼らの将が最期に残した言葉。自分達が為したい事。

 それは敵討ちではなくて、唯一人しかいない主を護る事である。

 

 

「ならば、一先ず退くぞ。ヴィータも良いな」

 

「んなこと分かってるっ! はやてだけは、失う訳にはいかねぇんだっ!」

 

 

 怒りはある。嘆きはある。

 だがそれら全ては、事ここに置いては余分でしかない。

 

 救うべきは主はやて。

 守るべきはこの幼き少女。

 

 烈火の将の変容も、その死への嘆きや慟哭も、全て後回しにして彼らは撤退を選択した。

 

 

「あ、えっと。闇の書の回収は?」

 

「んなもん後回しだ! さっさとはやてを安全な場所に運ぶんだよ!」

 

 

 転移魔法で姿を消す守護騎士達とその主。その背を追う者は誰もいない。

 大天魔に睨まれて動けぬなのは達も、シグナムを殺した天魔・悪路も、その背を追う姿勢すら見せることはない。

 

 

(気に入らねぇ。アイツらどいつも、気に入らねぇ)

 

 

 ヴィータは歯噛みしながら、この地獄の底から逃げ出した。

 

 

 

 

 

 そして残された者らが、此処に来て相対する。

 縮こまって身を固めるしか出来ない少女達を、見定めるかのように観察していた悪路は静かに呟いた。

 

 

「……理解し難い指示だが、まあ一先ずは従おう」

 

 

 眼前の子供達。自身ら大天魔にはまるで届かず、然し守護騎士達を圧倒するだろう戦力を見て、悪路は判断する。

 

 この子らの実力を踏まえれば、踏み絵には丁度良い。

 裏で何を考えているのか分からぬあの魔女を、試す秤には相応しいだろう。

 

 そう内心で折り合いを付けた悪路は、その視線を上空へと向けた。

 

 

「……おい。何のつもりだ」

 

 

 その視線の先にある物を知り、その動きの意味を知るクロノは茫然と呟く。

 

 そんな彼に答えは返らない。

 天魔・悪路は無言で、ただ行動を持ってその意を示す。

 

 

「……やめろ」

 

 

 小さく呟くような言葉は震えている。

 その先にある光景を、嫌と言う程知っている。

 

 遮二無二、止めようと動き出そうとして――然し彼の動きは、悪路に対して半歩遅れていた。

 

 

「やめてくれ」

 

 

 手を伸ばす。手を伸ばす。手を伸ばす。

 

 万象掌握。その歪みの有効射程は五百メートル。

 どれほど手を伸ばしたとしても、少年の手では衛星軌道上に待機しているアースラまでは届かない。

 

 故に――

 

 

「さらばだ。管理世界の魔導師共」

 

 

 轟音を立てて、悪路の神相は跳び上がる。

 跳躍の反動で施設は崩れ去り、地球全土が衝撃で揺れた。

 

 地軸はぶれ、気候は変わり、大地は崩れる。

 

 そんな崩壊を反動に外気圏の更に先、宇宙空間へと飛び出した悪路の神相は、その巨大な刃を振り下ろした。

 

 

「やめろぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 絶叫は意味を為さず、宇宙に大輪の華が咲き散った。

 

 

 

 

 

 クロノの体内にある機械が告げる。

 アースラの設備と同期していた、内蔵機器が冷淡に告げていた。

 

 

「アースラが……」

 

 

 アースラが撃墜された。

 この今に爆散して、誰も生きては逃げられなかった。

 

 

「母さん」

 

 

 脱出者が居ない。生存は絶望的である。

 誰一人として残らずに、誰もが今の一瞬で死んだのだ。

 

 

「エイミィ」

 

 

 そう。それは無慈悲に、否応なしに分からせた。

 恋人も母親も仲間達も、誰も彼もをこの一瞬で纏めて失ってしまった。

 

 だから――

 

 

「天魔・悪路ぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 怒りと共に咆哮する。嘆きと共に絶叫する。

 

 冷静な思考などする余地はない。勝算なんてありはしない。

 唯、このまま死んでしまうのだとしても、何もせずには居られない。

 

 

「クロノくん!」

 

「クロノ!」

 

 

 二人の制止も届かない。そんな言葉は届かない。

 玉砕覚悟で障壁の外へと飛び出したクロノは、形振り構わず大天魔へと襲い掛かって――

 

 

「な、に」

 

 

 その拳は空を切った。

 

 悪路が居たはずの場所。そこには何もない。

 拳の先には何もない。その場所には誰も居なかった。

 

 

「そん、な……」

 

 

 威圧感が消えている。腐毒の呪詛が失せている。

 どうしようもない程に理解した。大天魔はもう、去っていたのだ。

 

 

「大、天魔ぁぁぁぁぁ」

 

 

 既に役を果たした以上。彼の大天魔がここに居る必要はない。

 クロノの怒りに付き合うこともなく、アースラを撃墜した直後に天魔・悪路は立ち去っていた。

 

 

「眼中にすら、ないと言うのか!!」

 

 

 怒りを込めた拳を振り下ろす先を見失い、クロノはただ大地を殴りつける。

 血が滲むほどに強く、怒りも嘆きも吐き出す程に強く、クロノ・ハラオウンは絶叫した。

 

 

「くっそぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 何度も何度も、大地を叩く少年の姿。

 誰も何も言う事は出来ず、只々時間だけが流れ過ぎていく。

 

 

 

 その場にて生き延びた誰もが、己の無力さを理解していた。

 

 

 

 

 

 第九十七管理外世界。

 レジャー施設にて起きた天魔襲来事件。

 

 この出来事は関わった者全ての心に大天魔の恐ろしさを刻み込み、一般の犠牲者を多く出すという結果だけを残して終わった。

 

 後に有毒ガスの噴出による被害という形で決着付けられるこの事件。その犠牲者は、1000人を超える事となる。

 

 休日の昼下がり、無料券を持つ人々も多く賑わっていた大人気のレジャースポットで起きた痛ましい事件であった。

 

 

 

 

 

4.

 ざあと引いては返す波の音が響く堤防の上。

 黒髪の優男と言う風体の青年を前に、一人の幼い少女が立っていた。

 

 

「お疲れー、戒くん。いやー、助かったわ」

 

 

 無邪気に笑みを浮かべる赤毛の少女。アンナ・マリーア・シュヴェーゲリン。

 その言葉と表情を見れば愛らしい少女であるが、彼女の為した事を知る者が見れば途端に嫌悪の表情を向けるであろう。

 

 アースラクルーの殺害を命じたのは、他ならない彼女であった。

 そんな業が深い魔女が向ける笑みに対し、櫻井戒は視線を揺るがせずに応じる。

 

 

「無駄話をする気はない。答えて貰うぞ、マレウス」

 

 

 虚空より取り出したのは、先の欠けた黒い大剣。

 天魔・悪路が握っていた武器と同じそれを持つ男こそが、腐毒の王の人間体。

 

 まるで今にも斬りかかりそうな形相で、櫻井戒は魔女を睨み付ける。

 剣を突き付けられた魔女は理解が出来ないと、何の心算かと問い掛けた。

 

 

「これ、何のつもりかしら?」

 

「弁解を聞こう。マレウス。……でなくば、ここで果てると知れ」

 

 

 櫻井戒――否、天魔・悪路が詰問する。

 この意図を隠す同胞に、何を企んでいるのかと。

 

 

「……弁解? この私が?」

 

「無論だ。……何故、管理局の歪み者共を逃がすように命じた?」

 

 

 作戦参謀たる魔女。天魔の一角である少女。

 彼女の提案した行動に、明らかな不利益を感じている。

 

 あの場では一先ず従ったが、それでも違和を覚えているのだ。

 

 

「何故、ここで消し去ることを止める? あの場では従ったが、どうにも理解できない。故に問うている。答えて見せろ。……正当な理由なくば、僕がここで貴様を裁くぞ」

 

「…………」

 

 

 両者の間に緊迫な空気が漂う。

 アンナはその目と言動から、櫻井戒が本気であると理解していた。

 

 

 

 そう。櫻井戒は本気である。

 彼はこの世界において、三度の失敗をしてしまっている。

 

 故にこそ、もう間違えないと、余裕も容赦も一切を捨て去ってしまっているのだ。

 

 

 

 過ちの一つ。それはこの世界の民を守ろうとしたこと。

 他の大天魔たちと異なり、彼は最初はこの地の味方であったのだ。

 

 夜都賀波岐は敗北者だ。

 神々の争いに敗れ、この地に逃げ出した者達だ。

 

 世界を護る為に戦って、敗れた今となっては何も残らない。

 それでも確かに守った命が、こうして育まれて今を生きている。

 

 ならば過去の残骸が、必要以上に干渉してはいけない。

 主柱と同質の願いを持つ彼だからこそ、素直にそう感じる事が出来ていた。

 

 それでも、この地には未来がない。

 その先は閉じていて、このままでは神の死と共に滅び去る。

 

 救えないならば、何れ主柱の復活は必要となる。

 だがそれでも、ギリギリまでは可能性を信じて待とう。

 

 この世界の住人を信じて、今に生きる人々に期待した。

 必要ならば手を貸そうと、その日が来るまで守り抜こうと、悪路はそう思考していた。

 

 彼は嘗ては、天魔の中でも最も穏健な思考を持つ者だったのだ。

 

 だが、それも変わった。

 

 今の彼はあの日の期待を、過ちだったと感じている。

 この時代の人間達は救えない。殺し尽さねばならないと感じていた。

 

 そう変わるだけの切っ掛けが、確かに彼にはあったのだ。

 

 

 

 そして過ちの二つ目は、同じく彼の甘さが生んだ物。

 

 今は御門顕明と名乗るあの女。

 神座世界の生き残りを、殺さずに見逃した事。

 

 あの日、彼女を殺していれば、この今の苦難はなかった。

 

 あの日確かに、現行人類を殺してでも主柱を蘇らせようとしていた常世。

 彼女を止めずに協力していれば、これ程に犠牲は大きくならなかった筈だった。

 

 

 

 この世界に落とされた時、夜刀の身体が砕けて散った。

 広がり流れる法則は止められず、彼は世界となって自壊した。

 

 それから数億年。長い年月を掛けて、彼の欠片を拾い集めた。

 そうしている内にこの世界にも人が生まれ、気付けば文明を築いていた。

 

 彼の復活が可能となって、其処で夜都賀波岐の意見は真っ二つに割れた。

 

 一つはこのまま、天魔・夜刀を復活させる事。

 首領代行である天魔・常世。彼女が積極的に推し進めるその方策。

 

 それがなれば、生まれ始めていた人類は停止する。

 その発展は停滞し、誰もが年を経る事もなく、変わらぬ今日が永劫続く。

 

 それを素晴らしいと、誰もが賛辞する世界。

 生きとし生ける者が操り人形と化す、全てが凍り付いた世界。

 

 無間大紅蓮地獄。それはあらゆる可能性を閉ざす。

 元より弱った今の世界の民草は、永劫の奴隷と成り果てる。

 

 対して、天魔・悪路は人を信じようと口にした。

 

 今は未だ儚く弱くとも、彼らは何時か至れる筈だ。

 その可能性を此処で閉ざしてしまう事は、きっと夜刀も望まない。

 

 悪路の案には実現性が低く、されど常世の言は主柱の想いに反している。

 故に互いに妥協点は存在せず、夜都賀波岐の七柱は時間を無為に過ごしてしまった。

 

 積極的賛成と反対を掲げたのは悪路と常世。

 消極的賛成と反対を掲げたのが奴奈比売と紅葉。

 

 どっちつかずだった母禮に、我関せずとしていた宿儺と大獄。

 

 会議は踊り結論は定まらず、只々時間だけが過ぎた。

 

 そして気付いた時にはもう遅い。

 魔法が生まれ、発展してしまっていた。

 

 魔法によって、夜刀の魂は摩耗を始めた。

 彼らは幾度も警告したのに、それでも人は変わらなかった。

 

 結果として、穢土にある物だけでは復活は不可能となった。

 悪路の期待が無駄な時間を生み出して、手筋が一つ潰された。

 

 それでも彼は、まだ信じていたかった。

 時間は未だあるから、人々が協力してくれれば、輪廻に流れた彼の半分だって探し出せる筈。

 

 後少しで良い。信じたいんだ。信じさせてくれ。

 

 しかしそんな腐毒の王の願いも虚しく、穢れを払った筈の人々は彼の期待を幾度も裏切った。誰もが己の欲に堕ちて、紅蓮の地獄を恐れて、幾度も幾度も裏切った。

 

 それでも、まだ信じたかった。

 そんな風になってしまっても、きっと救いはあると思いたかった。

 

 されどそんな願いは、最低の形で壊された。

 穢土に残されていた至宝。彼の欠片と神座世界の秘宝。

 

 それが、盗まれたのだ。

 

 下手人はあの女。悪路が生かすと決めた御門顕明。

 彼女に協力したミッドチルダの面々と、そしてもう一人の裏切り者。

 

 

――なあ、これで意思統一は出来るだろう?

 

 

 にぃと悪童の如き笑みを浮かべた天魔・宿儺は、動揺する五柱の大天魔に向かってそう語った。

 穢土の情報を世界中にばら撒き、御門顕明を逃がし、彼女に穢土の秘宝三つを与えた両面の鬼は、何ら詫びる様子も見せずにそう語ったのだ。

 

 数億年もダラダラと話し合い続けるなど馬鹿かと、こうして敵を明確にしてやればお前らでも纏まるだろう、と。

 

 そう嘯く宿儺の姿に、怒りを覚えぬ天魔は存在しなかった。

 

 だが悪路だけは、宿儺よりも己に対して怒りを向けた。

 自分が反発していなければ、あの悪童が動き出す余地を与えることはなかっただろう。

 

 真っ先に御門顕明を殺していれば、こうも状況が切羽詰まる事はなかったはずだ。

 否、そもそもこの世界の生物など守ろうとしなければ良かったのだと漸くに気付いた。

 

 それこそが、己の為すべきことだったのだ。

 この世に生きる存在は罪深く、殺さなければ救われない。

 

 滅侭滅相。誰も生かして残さない。

 

 誰よりも今の民を信じていた穏健派が、誰よりも今の民を殺さんとする過激派へと変わった瞬間であった。

 

 それでもまだ、心のどこかで信じたいとは願っている。

 穢れ全てを払えば、何時か麗しい者達が戻って来てくれると願いたい。

 

 だから天魔・悪路は誰よりも苛烈で、誰よりも嘆いているのである。

 

 

 

 そして残る失敗。

 これが悪路にとっては、致命的とも言える失態であった。

 

 怒りと憎悪と嘆きを持って虐殺する。

 他の者らが罪悪感を抱かぬように、率先して我が身を汚す。

 

 そんな選択が、望まぬ結果を呼び寄せた。

 

 闇の書より永遠結晶を取り除くこと。

 それに必要なのは、繋がった者の憤怒と憎悪。そしてタイミングを計ること。

 

 それら全てを満たす為には主となった者の身近に潜む必要があるが、悪路が襲撃し過ぎた事がここで響いていた。

 

 どれ程上手く擬態しても気付かれる。

 取り入ることが、悪路では出来なかったのだ。

 

 故に闇の書の前に、姿を現した事のない母禮か紅葉しかいない。

 だが紅葉に子殺しをさせるという真似が出来ず、消去法で母禮がその役を担う事となったのだ。

 

 その役とは身内として友好を結び、そして最後の最後で裏切る事。

 絶望と憤怒と嘆きの中で八神はやてを殺害し、闇の書を覚醒させる事。

 

 主や騎士達を嬲り、心と体の双方を痛め付け、その果てに至らねばならぬのだ。

 

 ……そんな行為を、あの心優しい妹に出来るとは思えない。

 出来たとしても、きっとその心に大きな亀裂を残すだろう。

 

 

 

 今の夜都賀波岐にとって、精神面での動揺は命の危険を伴う。

 心に亀裂が生まれるという結果は、非情に危険な状況を生むのだ。

 

 元より神格とは、実存たる肉体を持たない。

 全平行世界という巨体を、己の魂と感情のみで支えている存在だ。

 

 偽神であり、本来自身の力のみで神格足れない大天魔達では、感情の揺らぎが存在の消滅に直結しかねない。

 

 本来、それに対処出来る存在は別に居る。

 消滅しかけの大天魔を、夜刀ならば修復する事が出来る。

 

 だがその彼が消滅寸前である以上、一度崩壊すれば後はない。

 己の精神に生じた傷が自身の魂を引き裂いて、大天魔が死を迎える。

 

 そんな危険に、愛する者を送ろうとしている。

 愛する妹が、己の生きる理由その物が、そんな危険を冒そうとしている。

 

 彼女自身が望んでいるとは言え、それ以外の選択肢を残せなかったのは、間違いなく己が不手際であったのだ。

 

 

 

 故に悪路に余裕はない。彼は誰より必死なのだ。

 なのに、それを知りながら、この魔女は理に合わぬ指示を出した。

 

 それを見逃す余裕はもう、彼にはない。

 

 

「今此処で答えろ、マレウス。其処に一片の利も見出せぬなら、先ずはお前を供物としよう」

 

 

 主柱の復活に必要な供物。

 夜都賀波岐の七柱とは、その為に必要な贄である。

 

 故に裏切りの兆候があれば、その前に殺害する。

 仲間殺しの汚名すら背負おう。その覚悟が彼にはあった。

 

 

「……全く、そんなことを聞いていたのね」

 

 

 緊迫した空気を変えるかのように肩を竦めて、アンナは己が策謀の一環を語った。

 

 

「ウサギと亀の話、はちょっと違うかな? ……追手がいないと獲物も怠けちゃうでしょう? 時間はそれ程ない訳だし、馬車馬の如く動いてもらわないと。その為に適度な相手が必要だった。それだけよ」

 

「……その言は理解出来なくもない。が、あれらが適当な相手だったと?」

 

「そうよ。目となる者達を潰せば、どれ程強力な手足であっても標的には届かない。寧ろ強力である方が都合が良い。怠ければ終わるとはっきり理解出来るんだもの」

 

 

 そう含み笑いをして答える魔女に、腐毒の王はそれを戯言だなと切って捨てる。

 

 

「論外だ。目など幾らでも替えが効くだろう。そうでなくとも、まぐれ当たりの危険性だって存在する。……お前の論を実践するならば、まずは手足こそを捥ぐべきだった」

 

「それじゃ、緊張感は出ないでしょう? 闘っても勝てる相手を残したんじゃ意味はない。それなりの追手は必要だったのよ。……替えの目だって、そう簡単には用意出来ないんじゃないかしら」

 

 

 ああ言えばこう返す。

 のらりくらりと答えるアンナに、悪路はならばと論点を変える。

 

 否、論点を戻すというべきか。

 元より悪路は、その真意を問い質したい訳ではない。

 

 これはあくまでも釘刺しである。

 彼女の指示に従ってあれらを残したのは、彼女への踏み絵も兼ねているのだ。

 

 

「知っているぞ、マレウス。僕が気付かないとでも思ったか?」

 

「何を、かしら?」

 

「貴様。あの結界が消える瞬間。少女を二人、退避させたな。影を使って、意識を刈り取ることもせずに」

 

 

 己が存在を暴かれるかも知れないリスクを得て、その結果がたった二人の人間の救出。

 

 まるで合理的ではない行動。

 理屈に合わない動き。言動と行動の不一致。

 

 それこそが、アンナ・マリーア・シュヴェーゲリンの歪な点。

 

 

「三人の娘達の一人。三人目があの前線に出ていたメンバーに居たな。……貴様。元よりあの少女の身の安全だけが目的だったのではないか?」

 

「…………」

 

「図星か」

 

 

 顔色は変わっていない。

 だがその饒舌さが失われていることが、何よりも現実を示していた。

 

 アンナは恐れていたのだ。

 前衛たる手足を潰すことで、高町なのはに被害が及ぶことを。

 

 クロノを殺せば、余波でなのはも倒れるかもしれない。

 ユーノを殺そうとすれば、なのはは身を挺して彼を庇うかもしれない。

 

 ごっこ遊びでしかなかったはずの相手に、真実情を持ってしまった。

 だからこそ、沼地の魔女は彼女を傷付ける覚悟が持てないでいる。

 

 そんなアンナの弱さを見抜いて、天魔・悪路は本来の目的を果たす。

 それを伝える為に、態々この場に残っていたのだ。

 

 

「マレウス。僕はお前と宿儺を信用していない。お前達は遊びが過ぎる」

 

 

 これは踏み絵である。これは最後通牒だ。

 

 お前の動揺。迷いが“遊び”であるのならば良い。

 それならばまだ、味方である事を認めよう。

 

 だが、そうでないとするならば……

 

 

「故に示せ。……僕はもうお前の尻拭いなどしない。闇の書完成に差し支えが生じた場合、お前自身の手で収拾を付けろ」

 

 

 天魔・悪路は語る。

 如何なる手段であれ、闇の書の完成を妨害させるなと。

 

 

「アレが邪魔になるなら、お前が殺せ。生かして帰したならば、それを敵対の意志と取る」

 

 

 故にこれは踏み絵であり、そして女に対する秤である。

 あの残した三人が全てを台無しにするならば、そうなる前に対処しろと悪路は冷淡に告げている。

 

 もしも、そんな事すら為さないというならば、その時は――

 

 

「裏切ると言うのなら、その時は覚悟しておけ。マレウス・マレフィカム」

 

 

 言葉を告げると返事も聞かずに、天魔・悪路は海鳴を去った。

 

 

 

 

 

 悪路が消失した直後、アンナは背に体重を移動させる。

 堤防に腰掛けていた赤毛の少女は、背中から砂浜へと落ちた。

 

 大きな音を立てるが、その身には傷一つない。

 砂浜をベッドに倒れ込み、大の字になったまま少女は呟く。

 

 

「……全く、貴方が居ないと纏まりすら付かないわね。私達は」

 

 

 ぼんやりと虚空を眺めながら、小波の音を耳にして思うのはそんなこと。

 

 元より夜都賀波岐は相性の悪い者が多い。

 不倶戴天の敵。因縁を持つ者も少なくはない。

 

 紅葉と常世。

 嘗て子を捨てた親と、そんな親に捨てられた子。

 

 奴奈比売と宿儺。

 男女双方を食い殺した女と、その女の腹を引き裂いて現世に舞い戻った男。

 

 母禮と今は亡き海坊主。

 弟子と師の関係であり、同時に女の兄と姉に殺し合いを強要した怨敵でもある男。

 

 宿儺と大獄。

 絶対的なまでに死生観が異なり、互いをどうしようもない程に嫌悪する両者。

 

 個人個人では仲の良い相手も居ないではないが、同時に怨敵・大敵と言える相手も仲間内に存在している。

 

 嘗ての因縁は清算したとは言っても、それで仲良しこよしに成れる訳ではない。

 誰もが内心に思う所を抱えていて、切っ掛けとなる意見の相違が生まれれば、あっさりと敵対する可能性を秘めている。

 

 そんな彼らが協調出来ていたのは、目的意識と利害関係。

 そして何よりも大きな理由となっていたのが、皆を愛する主柱の存在。

 

 誰もが信頼し、誰もを纏め上げることが出来た主柱。

 彼が居たからこそ、夜都賀波岐は分裂することなくあれたのだ。

 

 故に彼が健在でない今、夜都賀波岐はこうして分裂しつつある。

 

 意見は食い違い。望みは擦れ違い。

 状況次第では、血で血を洗う内乱が起きるであろう。

 

 だからこそ、故にこそ、こう思ってしまうのだ。

 

 

「……貴方に会いたい」

 

 

 それを彼が望んでいないと分かっている。

 

 彼が蘇れば、世界は地獄となる。

 人の世を愛する彼が、そんな事を望まないと知っている。

 

 そして、彼は常に抱きしめていてくれるとも気付いている。

 彼に愛されたこの世界で、共に終われるなら至高と知っている。

 

 それでも、顔を見ることも、声を聞くことすら出来ない

 

 だから――

 

 

「ねぇ、私の名前を呼んでよ。ロートス」

 

 

 狂おしい程に、どうしようもない程に、唯それだけを願っている。

 だからこそ、この世界を肯定しながらも、終わらせる為に動いているのだろう。

 

 一筋の滴が砂浜に落ち、少女は影に飲まれて姿を消した。

 

 

 

 

 

 




夜勤明けで頭回ってない中投稿。なのでその内大幅修正するかも知れない今回です。


今話でシグナム。リンディ。エイミィ。マリエル。アースラクルーが全滅しました。

クロノ君が暴走状態です。
ユーノ君が足手纏い病を再発しそうです。
アンナちゃんも屑兄さんに追い詰められました。

暫くはこんなノリで進んでいくと思います。


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第二十二話 不協和音 上

途中まで書いてて長くなったので分割。
上下編で屑兄さん襲撃のその後を流します。

副題 優しい夢。悲しい現実。
   医者の誇り。はやての現状。
   すれ違う者達。



1.

 ふと、風が吹き抜けた。

 

 

「なーに、ぼーっとしてるかな、クロノくん」

 

「え?」

 

 

 焦げ茶の髪を風に靡かせながら、女はその場で振り返る。

 違和を感じて呆然とする少年の下へ、女は歩み寄ると上目遣いに口を尖らせた。

 

 

「全くもう。また考え事? 折角クロノくんが誘ったデートなのに、どうして君はそうなのかなー」

 

 

 相も変わらず甲斐性がない。

 女の扱いに疎い朴念仁だ、と。

 

 そう愚痴る女を他所に、少年は現状を飲み込めずに舌に転がせた。

 

 

「僕が、誘った?」

 

「それも忘れてるの!? 一緒に海鳴で観光しようって言ったのに。クロノくんがデートに誘ってくれたのは、あれが初めてだったんだよ!」

 

 

 酷い、と膨れ上がる女の姿。

 明瞭快活な性格で、豊かに変わるその表情。

 

 誰よりも愛おしいと感じている。

 誰よりも守りたいと思っていて、それでも届かなかった人。

 

 その時には、もう気付き掛けていたのだろう。

 少年は微睡を払うかのように、額に手を当て頭を振った。

 

 

「……覚えている。覚えているさ、忘れやしない。けど、君は」

 

 

 そうして、全てを思い出そうとする。

 そんな彼の手を取って、優しい微睡は微笑んだ。

 

 

「また難しい顔してる! ほら、折角のデートなんだから、笑って行こう!」

 

 

 今は未だ、微睡みの中に。

 目が覚めたら、言わずともに気付いてしまうから。

 

 今だけは、安らいでいても良い筈だろう。

 

 

「……怒ってるんじゃなかったのか?」

 

「怒ってるよ! けど、それで楽しい時間が潰れたら勿体無いからね。文句は後で言うのですよ」

 

「なんだ、それ」

 

 

 女のおかしな物言いに、くすりと少年は笑みを浮かべる。

 ああ、でも、そんな言葉は彼女らしい。そんな風に考えた。

 

 

「そうだな。折角のデートなんだから、楽しまないと損だよな」

 

 

 にっこりと笑う女に手を伸ばす。

 手を繋いで、指を絡めて、さあ、どこへ行こうか、と。

 

 

 

 

 

 女へ言葉を掛けた瞬間に、少年は眠りより目覚めていた。

 

 

 

 

 

 もう誰もいない部屋の中。

 伸ばした作り物の手は、何も掴めず落ちていく。

 

 ベッドに横になったまま、クロノは空虚な瞳で天井を見つめていた。

 

 

「エイミィ」

 

 

 守りたかった。失いたくはなかった。愛していた。

 守れなかった。失ってしまった。それでも未だ愛している。

 

 夢にまで見る程に、大切だった一人の女。

 もう居なくなってしまった少女を偲んで、それでもクロノは涙すら流せない。

 

 力を得る為に、手にした筈の機械仕掛け。

 作り物の身体は守る事も出来ない癖に、涙を流す事さえさせてくれない。

 

 そんな瞳を、疎ましいと感じている。

 せめて少しは泣けたなら、そんな風に思ってしまう。

 

 

「……どうやら、思っていた以上にガタが来ているみたいだな」

 

 

 布団を片手で捲り起き上がると、クロノは己の身体を確認する。

 心は既に限界に近い程に疲弊しているが、体の方はどうであろうか、と。

 

 

「……満足には、動かないか」

 

 

 右手動かそうとして、失敗する。

 

 ギィと軋む音を立てた義手は、どうにも調子が悪いらしい。

 動くことには動く様だが、どうにも動作が一歩以上に遅れていた。

 

 こんな様で、管理局員として動けるのか。

 親しい人を亡くすなど今更なのに、折れそうな心に自嘲する。

 

 

「ああ、なんて無様。……未だ夢に浸っていたいとまで想っている」

 

 

 夢でしかなかったという事実には、あの時点で気付いていた。

 余りにも優しく温いその夢に浸っていたいと願いながらに、そうは出来ないと歯を食いしばる。

 

 

「今更、僕がそんな選択を、できるはずがないだろうにっ」

 

 

 今更。そう、今更なのだ。

 これで足を止めるなら、当の昔に止まっていた。

 

 父を亡くした時に、己が死に掛けた日に、友を亡くした日に。

 それでも前を目指すと決めたのは、この道を歩くと決めたのは、他ならない自分自身。

 

 戦いに赴くという事は、失う事と表裏一体であると知っている。

 奪う事と奪われる事は直ぐ傍にあって、それでも護る事を選んだのだ。

 

 

「夢に浸るのは、全てが終わった後なんだ。未だ、足を止める訳にはいかない」

 

 

 怒りも嘆きも確かにある。

 燃え上がり続けるように、胸の内にこびり付いている。

 

 それでも、まだ足は止められない。

 失った者に報いる事が出来るまで、止まる訳にはいかないのだ。

 

 

「……なのに」

 

 

 頭は熱に浮かされながらも、為すべき道を見定めている。

 怒りも嘆きも飲み干して、いつも通りに折り合いを付けられている。

 

 その筈なのに、クロノは確かに感じていた。

 燃え滾る熱の様な憎悪とは真逆の、あらゆる意思を削いでしまう感情を。

 

 

「くそっ、頭の中が、上手く纏まらない」

 

 

 それは寂寥感。

 吹き抜けるような空洞が、その胸にあった。

 

 怒りと憎悪を抑えなければ、今にも暴れ出したい衝動に駆られている。

 だがそんな感情を抑えていると、虚無感にも似た寂しさが心の中を満たしていく。

 

 冷静さを失えば、何も出来ずに死ぬだろう。

 そうと分かる頭があって、それに心が追い付いていない。

 

 

「落ち着け。……このままだと、無駄死にする」

 

 

 このままではいけない。

 錯綜する感情を抑え付け、大きく息を吐く。

 

 そうして意識を切り替えると、現状把握の為に思考を回した。

 

 

「……あれから、どうなったんだったか?」

 

 

 曖昧な記憶を掘り返しながら、クロノは思考を進めていく。

 大天魔の撤退から、今セーフハウスにて目覚める迄に、何があったのかと振り返る。

 

 

 

 母と恋人を失い、激情に飲まれた瞬間。

 振るわんとした憎悪は届かずに、クロノは大地を打った。

 

 憤怒と憎悪と失意の感情で、喚きながらに暴れる無様。

 そんな見苦しさを晒したクロノの姿を前に、少年少女は何も出来ずにいた。

 

 何も言えない彼らは、クロノが落ち着きを見せる迄待った。

 そうして少なくはない時を経て、僅かにだが落ち着きを見せたクロノ。

 

 揃ってユーノの治療を受けた後に、クロノは彼と共にセーフハウスへと移動した。

 ロストロギア「夜天の書」について、無限書庫の知識を持つ彼から聞きながらに情報を纏めた。

 

 そうして現状の報告と共に、援軍の要請をしてから眠ったのだ。

 

 

「この精神状態に付き合わせる、か。……アイツには、借りが出来たな」

 

 

 今落ち着いているのは、一度眠ったからだろう。

 休みもしないで返信を待とうとしたクロノに、良いから休めと口にしたのがユーノであった。

 

 彼自身、受けた傷は決して軽い物ではなかった。

 治癒不可能という域ではないが、後遺症が全くないとは言えない状態。

 

 魔力も体力も限界で、その上精神的に追い詰められた男の相手をさせたのだ。

 手間を掛けさせた。などと一言で言い切れない程に、面倒をさせたと自覚する。

 

 そうして自覚してみると、今までは気付かなかった匂いが鼻孔を擽っていた。

 

 

「これは、何か作っているのか? ……アイツも、本当に良くやる」

 

 

 扉の隙間から、香ってくる調理の匂い。

 一階にはキッチンがあったなと思い出し、よくやる物だと苦笑する。

 

 

「大丈夫。まだ、自暴自棄になる事はないさ」

 

 

 自覚する。理解する。

 心配されていると分かっていて、だからギリギリで踏み止まれる。

 

 考えてみれば、昨日は食事もしていなかった。

 食欲を誘う匂いに惹かれながら、クロノは寝室の扉を出た。

 

 そして其処で、それに気付いた。

 

 

「早いな。もう連絡があったのか」

 

 

 寝室に隣り合った書斎。其処に置かれた通信装置。

 緑色の灯りを点滅させている機材には、クロノの応援要請に対する返信が来ていた。

 

 

「援軍が来れば、仇も討てる。……食事の前に、確認だけでもしておくかな」

 

 

 そうしてクロノは書斎に入ると、通信端末に付属されているメール機能を起動させた。

 

 

「……なに?」

 

 

 表示された文章に、少年の思考は一瞬止まる。

 真っ白に染まった思考の中で、内容の理解も出来ずに居る。

 

 

「そんな、馬鹿な」

 

 

 見間違いではないか、そうあってくれ。

 そんな風に思いながら、二度三度と読み返す。

 

 しかし一言一句。其処に間違い等ない事を理解させられた。

 

 

「撤退、指示、だと……」

 

 

 上層部の指示。管理局より執務官に下された命令。

 クロノが望んでいた援軍とは、百八十度違った撤退要請。

 

 管理局の上層部が、地球を見捨てろと。

 リンディとエイミィの死に、憎悪を晴らす事さえするなと命じていた。

 

 そして、指示はもう一つ。

 

 

「っ!!」

 

 

 それを理解した瞬間に、クロノは通信装置を床に叩き付けていた。

 抑えられていた激情が溢れ出して、悪鬼の如き表情でクロノは歯噛みした。

 

 

「こんなの、納得出来るかっ!!」

 

 

 感情が振り切れて、冷静な判断能力を喪失する。

 管理局に与えられた機密指令を無視すると、クロノは机の中から一つのデバイスを取り出した。

 

 それは嘗て彼が使っていたデバイス。記念品として、或いは緊急時の予備として置いてあっただけの骨董品。S2Uという呼び名の、嘗ての相棒。

 

 

「S2U!」

 

〈Set up〉

 

 

 デバイスから流れるのは、もう聞く事の出来ない母の声。

 彼女の悪戯で設定された音声が、荒れ狂う激情に油を注ぐ。

 

 黒き魔法の鎧を纏うと、クロノは窓を叩き割って飛び出した。

 

 

 

 

 

 セーフハウスのキッチンにて、包帯姿の少年が鍋を掻き混ぜている。

 傷が治りきってはいない金髪の少年は、小皿によそったスープを口に含んだ。

 

 

「ん。これで良し、と」

 

 

 自作したスープの味見をして、ユーノはその出来に満足そうな笑みを浮かべる。

 桃子仕込みの料理技術は、安いレストランのレベルなどはとうに超えているという自負があった。

 

 何気に御神流より上達する速度が速いという才能の偏りに、少し悲しくなるがそれはそれである。

 

 

「クロノも今は余裕がないけど、食事をすれば少しは落ち着くはずだよね」

 

 

 食事は活力となる。美味しい物を食べれば、追い詰められているクロノも少しは気も紛れるであろう。

 そう感じる少年は、腐毒の影響が未だ抜けていない身体で調理を進めていた。

 

 

「っ。……まだ、動くと痛いな」

 

 

 腐敗した部位は切除して、物質を作る魔法で置き換えた。

 入れ替えた部位は少ないけれど馴染んでおらず、縫合痕が残っていた。

 

 

「アースラが沈んで、治療設備も殆どなかったからな。……スカリエッティさんにアレを教えて貰ってなかったら、多分今頃動けなかっただろうね」

 

 

 彼の狂人よりユーノが学んだ、ジュエルシードを解析した技術。

 魔力の物質化というロストロギア級の魔法は、先の天魔襲来にて力不足を感じた彼が切望した物の一つであった。

 

 

「一応、虎の子は使わないで済んだけど、残り魔力は半分くらいか」

 

 

 スカリエッティに貰った物。

 それは使わずに済んだが、それでも消耗は酷く激しい。

 

 なのはとクロノの傷を癒す事は出来たのだが、それだけでユーノは限界だった。

 

 

「……ほんっと、僕は戦闘じゃ役立たずだな」

 

 

 彼の腐毒の王を思う。

 あの戦場で最も足を引いていたのは、他ならぬ自分なのだと思っている。

 

 少なくともユーノが居なければ、なのはは自由に動けていただろう。

 それが分かって、足手纏いになっている事を認めない訳にはいかないのだ。

 

 ユーノの資質は、やはり後方支援向きなのだろう。

 戦う力は二人に大きく劣るが、戦後に持ち直す能力は随一なのだから。

 

 

「だから、せめて二人は万全に。――って調子だと、また女の影に隠れるって言われそうだね」

 

 

 資質がある事と、好き好んでいる事は違う。

 そう生きたいと願っても、そう在れるとは限らない。

 

 難しい物だと嘆息しながら、ユーノは戸棚より食器を取り出した。

 

 

(仲間を、友人を、母親を、恋人を、全部失くす、か)

 

 

 ふと想うのは、寝ているであろう少年の境遇。

 今の彼が一体何を思っているのか、皿によそりながらに思考する。

 

 

(分からないな。アイツが今、何を想っているのか)

 

 

 その結論は、分からないという答えだけ。

 どうにもユーノは。その感情を共感出来ない。

 

 

(持っていないから、分からないのかな)

 

 

 母親の顔など知らない。

 その生い立ち故に、友人など出来ることはなかった。

 

 持ってさえいないのに、失った時の想いが理解できるなどと、どうして口に出来ようか。

 

 

 

(近い感情があるとしたら――)

 

 

 仲間、恋人、と聞いて、僅かに思い浮かべる少女。

 僅かに頬を染めながらも、そうと仮定して思考してみる。

 

 

「……それは、嫌だな」

 

 

 想像しただけで、嫌な気分に陥った。

 張り裂けそうな胸の痛みを、首を振って妄想だと振り払う。

 

 気になる少女を亡くしたとイメージするだけで、この様だった。

 恋仲の相手となると、きっともっと深い感情がそこにあったのだろうと考える。

 

 その時感じる痛みの量など、まるで想像も出来なかった。

 

 

「さて、……クロノを起こしてくるか」

 

 

 パンとサラダにスープの、典型的な洋食メニュー。

 それを並べ終えたユーノは、気を取り直すとエプロンを外して階段を上る。

 

 

 

 その途中、硝子の割れる音が響いた。

 

 

「一体、何がっ!?」

 

 

 驚愕を浮かべたまま、慌ててユーノは駆け上がる。

 そして書斎の扉を開けて、その中へと踏み込んだ。

 

 室内に人の影はなく、割れた窓から風が吹き込む。

 窓際の観葉植物は床に倒れ、周囲の本棚からは物が散乱していた。

 

 

「……荒らされてるけど、内側に硝子破片がない。内側から破られたんだ」

 

 

 内側から破る。それが出来る人物は一人しかいない。

 どうして、そんな事を――と疑問に思いながらも、ユーノはそれに目を移す。

 

 

「管理局の、情報端末。……まだ、点いてる」

 

 

 管理局で正式に採用されている、ノートパソコンサイズの通信機。

 それが床に落ちているのに気付いて、ユーノはそれを拾い上げた。

 

 

「え? これって」

 

 

 モニタの割れた情報端末。

 その破損故に全文は読めなかったが、最後の一文だけは確かに見えた。

 

 そこに書かれていたこと、修飾を外して要約すればただ一つ。

 クロノ・ハラオウンに下された指示とは、ミッドチルダへの帰投命令であった。

 

 それが意味することは即ち、第九十七管理外世界を管理局が完全に見捨てたことを示している。

 

 

「……まさか、あいつ!?」

 

 

 一人で動く気か、とユーノは呟く。

 命令書を見て飛び出したのは、つまりそういうことなのだろう。

 

 走り去ったクロノの姿は、最早影も形も見えない。

 故に追うことすらも出来ず、ユーノには彼の身を案じるより他に出来る事はなかった。

 

 

 

 居間に用意された温かな朝食は、誰にも振る舞われることはなく冷たくなっていく。

 

 

 

 

 

2.

 海鳴駅に程近い場所にある大学病院。

 普段から忙しい場所ではあるが、今は常の比ではない程に慌しく医師や看護師たちが走り回っていた。

 

 石田幸恵もその一人であった。

 先程まで徹夜で執刀を続けていた彼女は、漸く空いた時間で一息を吐いていた。

 

 休憩室のソファに腰掛け、眠気覚ましに泥のような珈琲を口に含む。

 

 本来ならば、空いた時間に少しでも仮眠を取っておくべきなのだろう。

 だが、重症患者が未だ尽きない現状で、そんなことをしている余裕はない。

 

 こうして一息吐く時間すら、何とか用意出来たという状況なのだ。

 

 周辺病院への搬送を行ってなお、それでも患者の数が医師の数を圧倒している。一晩経っても、被害者の数はまだ減らない。

 

 本来内科医である石田が、外科医の資格も持っているからと慣れぬ執刀に回されている。

 それがまかり通ってしまう程に、今の海鳴大学病院には人手が足りていなかった。

 

 

 

 慣れない作業故に、疲労を隠せぬ石田医師。

 そんな彼女はそれでも、僅かな満足感も感じていた。

 

 

――先生。はやてを頼むよ!

 

 

 神経内科医として自身が担当する患者。八神はやて。

 彼女の親族を名乗っている少女がそう口にして駆け込んで来たのは、昨日の夕方になろうかと言った頃だった。

 

 スーパー銭湯にて起きた謎の有毒ガス事件。

 相次ぐ救急要請に対処すべく、救急要員が出払っている状況。

 

 搬送されてくる被害者達が待合室さえも埋め尽くしている中、やって来たのが彼女達であった。

 

 聞けば彼女らも同じく、その銭湯へと遊びに行っていたと言う。

 

 その際に被害を受けたのだろう。

 外部の損傷こそ予想以上に少なかったが、呼吸器とその周辺が目に見えて酷い状態だった。

 

 生きたままに、腐っている。

 他の患者と同じく、それを酷くした症状に女は顔を顰めた。

 

 肉体が腐敗してしまった少女の治療。

 それは最早、内科ではなく外科手術の領域だ。

 

 純粋な医療で、腐敗を治す術はない。

 出来る事は投薬治療ではなくて、移植手術と言った内容だ。

 

 医療は奇跡の魔法でなく、ならば治療には限界がある。

 石田がそう語った時に、付き添っていた金髪の女性が表情を暗くした。

 

 

――私では、ここまでしか出来ないんです。

 

 

 そう語った女性に、薬師か何かかと首を傾げた石田。

 慌てて首肯したシャマルと言う女性を不審に感じつつ、石田は最初は断った。

 

 移植手術は外科医の領分で、内科医である石田の役割ではない。

 その職分の範疇を遥かに逸脱した行動を、無責任に請け負う事など出来はしない。

 

 そう語る石田に、それでもと頭を下げた少女と女性と青年。

 異色な三人組が揃って頭を下げる姿と、苦しむはやての姿が切っ掛けとなった。

 

 理解したのだ。

 今この場で対処しなければ、少女の身は助からないと。

 

 だが、その場に対応できる者がいない。

 それでも自分には、経験こそないが技術と資格はあった。

 そして患者は他の誰でもない、八神はやてと言う既知の間柄。

 

 ならばどうして、動かずに居られようか。

 

 頭を下げ続ける守護騎士達に、石田は答えを変えた。

 例え職分を超えたことで罰されようと、彼女は覚悟を決めたのだ。

 

 

――今から治療に移ります。だから、貴女達も協力してくださいっ!

 

 

 人手の不足故に周囲の看護師に協力を要請すると、石田は即座に行動を始めた。

 

 手術室が埋まっていて使えない以上、ある物でどうにかするしかない。

 待合室近くに簡易無菌室を組み立てて、準備を整えてから執刀を行った。

 

 

 

 事件現場からは離れていたのか、一見して分かる異常は呼吸器回りと手足の先の腐敗くらいであった。

 だが内部写真を撮り、外部から見て分かる腐敗の進んだ一部を切開してみれば、そこにはとても酷い光景が広がっていた。

 

 まるで応急処置だけを済ませたかのように、一部を除いて綺麗に治療されている少女の姿に、一体どうすればこのような傷が残るのかと疑問も抱いた。

 

 だが、そんなことは関係ないと意識を切り替える。

 真相解明など学者なり探偵なり、それを専門とする者がやっていれば良いのだ。

 

 自分は医者である。

 ならば、目の前の患者を救うことこそ役割であろう。

 

 その誇りを持って慣れぬ手術に当たり、神経を擦り減らしながらも確かに彼女はやり遂げたのだった。

 

 

 

 簡易無菌室での作業を終え、一先ず容体が安定したはやての姿に石田やヴィータ達が安堵の息を吐いた所で、彼女に向けられたのは期待の籠った視線であった。

 

 医師の数が足りてない。まるで足りていなかった。

 危険な水準の患者達相手に、現場に向かった外科医達の手は釘付けとなっていた。

 

 今すぐに命に関わらない患者達は放置されたままの状態で、自力で如何にか病院に来ても相手にすらしてもらえない。

 

 そんな患者達が待たされる中で、手術している姿を見せる。

 その結果は当然、自分達もと彼らに要求される事に繋がった。

 

 そして彼らの要求を断る余地は、石田には残されていなかった。

 

 ヴィータやシャマルらが頭を下げる中、流されるように軽・中度患者の治療に当たっていた石田は、当然の如くその姿を上司に見られることとなる。

 

 本来の職分を超えて行動した事を叱責されるかと考えた彼女に与えられたのは、未だ重篤患者治療が間に合っていないからそちらに回ってくれという言葉であった。

 

 

 

 あの事件の被害者は千名を超える。

 事件現場は謎のガスの影響で危険地帯となっていて、今なお立ち入り禁止とされている。

 

 被害者達は駆け付けた救急車や救急ヘリなどで近くの病院へと搬送された。

 だが最も近い病院はここ、海鳴大学病院であり、他の病院は別の町、別の市にあるのだ。

 

 現場での治療が行えぬ以上、重篤患者はこちらで受け入れるしかない。

 遠くの病院では、搬送中に命を落としてしまう程危険な人も少なくはない。

 

 そして治療を後回しにされた結果、悪化してしまう者とている。

 この時間になって現れる重篤患者などは、盥回しにされた者がほとんどであろう。

 

 石田幸恵はコーヒーを飲み終えると白衣に腕を通して思う。

 

 救えた者もいる。救えなかった者もいる。まだ救いを待つ者達も多くいる。

 

 疲労は濃いし、慣れぬ作業に心も体も悲鳴を上げている。

 だが、それでも己は医者なのだ。だから、もう一頑張りだ。

 

 

 

 己の職務に誇りを持つが故に、彼女は死へと立ち向かうのである。

 

 

 

 

 

3.

 海鳴大学病院の一室で、呼吸器を付けられた少女は静かに眠りに就いていた。

 

 八神はやてが受けた傷は大きく重い。

 彼女の肌は腐り、臓器は腐り、命は脅かされていた。

 

 それがどれほど少女に恐怖を与えたか。

 それがどれほどに、少女の心を傷付けたのか。

 

 彼女を守るかのように、侍る守護騎士達には分からない。

 

 

「ごめんなさい。私がもっと、治療魔法に長けていたら」

 

 

 湖の騎士は、自分の力不足を不甲斐なく思いながら詫びる。

 科学技術の延長である治療魔法では、本来欠損部位の修復などは出来ない。

 

 ごく一部の例外が、辛うじて移植部位を生み出せる程度。

 彼の狂人とてジュエルシードの解析を終える迄は、潰れた臓器の変わりに生体部品を移植するという対応しか出来なかったのだ。

 

 火傷や腕の損失。そんな傷は治せない。

 生きたまま腐るという異常は、前述の負傷の比ではない。

 

 少なくともシャマルの治療魔法では不可能で、それ以上を求めるならば然るべき機関に頼る必要があったのだ。

 

 

「せめて、管理局レベルの設備があれば――ううん、そんなのは言い訳よね」

 

 

 医療を得意とする立場に在りながら、己の力不足に拳を握る。

 過去に類がない程に、湖の騎士シャマルは役割を果たせぬ事を嘆いていた。

 

 

「シャマル。お前は良くやっている」

 

 

 そんな彼女に、人の形をとったザフィーラが首を振る。

 褐色の偉丈夫は確かに、シャマルが悪いのではないと知っている。

 

 はやてのその身体は、外部も内部も腐敗の毒に侵されていた。

 このままでは死に至ると、そう確信出来る状態を、持たせていたのがこの女だ。

 

 少女を蝕む腐毒の内、特に状態が酷かったのは呼吸器周辺。

 毒素に侵された大気を吸ってしまった結果、その両肺は完全に機能を止めていた。

 

 そんな状態でありながら一命を取り留め、酸欠などによる後遺症も残していないのは間違いなくシャマルの手腕である。

 

 

「けど、やっぱり能力不足よ。……はやてちゃんの体内に残留した魔力が、どう影響を与えるのか分からないの」

 

 

 命を持たせる為に、少女の体内に魔力を通した。

 だが他者の魔力は毒になり、その上少女は腐毒で死に掛けていた。

 

 呼吸器機能の代替は、その代価を奪っているだろう。

 体内に留まっている残留魔力は、何かしらの障害を残す。

 

 恐らく呼吸器回り。

 どんな形で残ってしまうのか、前例がない故に想像も出来ない。

 

 

「それだけを背負わせて、なのに助けられない。……自分が情けないって、こんなに思った事はないの」

 

 

 それだけの被害を齎して、しかし完治は出来ないのである。

 それがどうしようもなく情けなくて、シャマルは歯噛みし続けていた。

 

 

「……それを言うならば、そもそも守り切れなかった俺の責だ」

 

 

 自責するシャマルに、ザフィーラも同じく悔やんでいる。

 能力の不足を悔しく思う彼女に対し、ザフィーラが思うのは彼女程に役目を果たしたかと言う点。

 

 被害を受けた後に治すのが彼女ならば、被害を受ける前に防がなくてはいけないのが彼なのだ。

 

 

「楽しんでいなかった、とは言えん。己の戦いに興じて、主を蔑ろにした俺の罪だろうさ」

 

 

 だと言うのに、認めた相手と競い合っていて遅れてしまった。

 端から傍に控えていたのが、ヴィータではなくザフィーラだったならば、傷はもっと浅く済んでいただろう。

 

 そう沈み込む二人騎士を後目に、鉄槌の騎士は唇を噛み締める。

 少女が悔しく思うのは現状で、二人の様に自己嫌悪故ではない。

 

 

「私はさ――幸せだったんだ」

 

 

 ヴィータは呟く様に、その胸中を口にする。

 小さく儚い筈の言葉は、静かな部屋に響いていた。

 

 

「昔とは違う。記憶にある昔とは、違う」

 

 

 守護騎士達は、過去の事を余り覚えていない。

 一部の影響を与えないと断じられた情報だけが引き継がれて、それ以外は転生の度に消されている。

 

 だからこそ、ヴィータにとって、それは初めての経験だったのだ。

 

 

「帰ったら、はやてのご飯があって、温かいお風呂があって、ニコニコ笑ってくれてんだ」

 

 

 おかえり、と。その言葉だけで頑張れる。

 涙を堪えて戦えたのは、守るべき者が確かに分かっていたからだ。

 

 

「だから痛くねぇし、だから辛くねぇし――だから、それを絶対、失くしたくなんてねぇ」

 

 

 それは今、失われると理解した。

 闇の書による見えない脅威ではなく、確かな危機として実感した。

 

 ならば失わぬ為に、己は動かないといけない。

 大切な物を沢山貰ったのだから、次は自分達の番なのだ。

 

 全てを救う。

 理想的な結末へと到達する為に――

 

 

「闇の書を、完成させようぜ」

 

 

 鉄槌の騎士は、そんな言葉を口にした。

 

 

「大いなる闇の力なら、はやての足も肺も、全部治せる。……シグナムだって帰って来る。だから、さ」

 

 

 蒐集へ行こう。そう強い意思で口にするヴィータ。

 同意が得られると確信していた彼女に返って来たのは、盾の守護獣の消極的な否定であった。

 

 

「……本当に、それで良いのだろうか?」

 

「あ?」

 

 

 疑問符を浮かべるヴィータに、重苦しい表情でそんな言葉をザフィーラは返す。

 

 

「此度の件。主に被害が及んだのは我らの――俺の責だ。ならば、主の身こそを優先すべきだろう」

 

 

 一時とは言え離れたこと。

 制止する主を無視して闇の書を完成させようとしたこと。

 それにこそ、この現状を招いた要因は存在しているのではないか。

 

 盾の役割を果たせなかった自責も相まって、ザフィーラは為すべき事を決めていた。

 

 

「少なくとも、俺はもう動かん。今度こそ、主を必ず守るのだ」

 

 

 まず守るべきは、ここに眠る主の身体。

 故に蒐集には協力しないと、ザフィーラは首を振って答えていた。

 

 

「ざっけんな! はやてを優先するからこそ、闇の書を完成させねぇといけねぇんだろうが!?」

 

 

 鉄槌の騎士はそれに激昂する。

 その物言いに、どうしようもない程に怒りを募らせる。

 

 

「もう後手になんて回れないんだよっ! はやてが生きていられる内に、動かねぇと間に合わねぇっ!」

 

 

 はやてを蝕む傷は、とても重い物だ。

 

 人工の肺は安定するまで、呼吸器による補助を必要とする。

 腐敗の影響が強い鼻や口や食道などは、日常生活を送るだけではやてに苦痛を与えるであろうし、残留魔力の後遺症だって存在するはずだ。

 

 そうでなくとも、闇の書が原因となっている麻痺の進行も続いている。

 

 

「失くしたくないんだっ! だったら、動くしかねぇだろうがよっ!」

 

 

 それらを解決する為には、一刻も早く闇の書を完成させねばならない。そんなことは考えるまでもなく明らかであろう。

 

 

「失くしたくないのは俺も同じだ! だが、それで目を離した瞬間に、此度の焼き直しが起こらんと何故言える! ……櫻井殿とも連絡が付かぬ現状。まずは主の身の安全を固めることこそ肝要であろう!!」

 

「んで、その間に限界が来たらどうすんだよ! まだ集めねーといけない頁は百頁以上残ってんだぞ!? あの魔王みてーなのは例外だ! 大抵は魔導士一人狩っても数頁しか蒐集できねーんだから、さっさと動かねぇと間に合わねぇじゃねぇーか!!」

 

 

 互いに感情を爆発させるように口にする二人の騎士。

 そんな彼らの対立は、或いは必然の結果として起こった事だと言えるであろう。

 

 元より攻勢の為に作られた者と守勢の為に作られた者。

 優先順位も思考ルーチンも異なれば、意見を異にするのは当然なのだ。

 

 どちらが誤っている訳ではない。

 どちらが正しいという訳でもない。

 

 どちらも一理あるが故に、どちらも陥穽があるが故に、互いに退くことが出来ない。

 

 

「二人とも止めてよ! 場所を考えて!!」

 

「っ!」

 

「……そうだな、済まん」

 

 

 間に入った湖の騎士の制止に、ヴィータは気に入らなそうに顔を背け、ザフィーラは暫し黙った後に騒いだ事だけを謝罪した。

 

 本来、こうした対立が起こった際にまとめ役となるのが烈火の将の役割であった。

 

 守護騎士達はそれぞれ役割が異なる。

 モデルとなった人物も異なっている。

 

 故に彼らは思考を異にする者達であり、故にこそ正しい判断を下せる指導者が必要なのだ。

 

 だが、今の彼らにそれはない。

 

 主であるはやては眠り続け、代替と成り得る管制人格は未だ目覚めず、杖たるシャマルには鉄槌と盾を御せるだけの器がない。

 

 だから――

 

 

「もう良いっ!!」

 

 

 これは当然の帰結であろう。

 

 

「お前らみてぇな腰抜け共に、誰が頼るかっ!」

 

 

 吐き捨てるようにヴィータは口にする。

 やるべきことが分かっていて、やらねばならぬのにもしもを恐れて動かぬ奴など、彼女の目には臆病者にしか映らない。

 

 攻勢の為に作られた彼女は、外敵から守り続けるのではなく、外敵を排除することで間接的に守護することを是とするが故に。

 

 

「そんなに言うなら、てめぇらだけでそこに居ろ! 私が一人で、全部解決してやらぁ!!」

 

 

 吐き捨てるように言うと、鉄槌の騎士は病室を飛び出して行った。

 

 

「ヴィータちゃん!?」

 

 

 今は皆で力を合わせるべきであろうに、どうして一人で動いてしまうのか。

 あの恐るべき怪物が存在しているこの世界の周辺で、管理局に追われているであろう現状で、単独行動など自殺行為であろう。

 

 そんなシャマルの制止の声は、ヴィータの小さな背には届かない。

 

 彼女を追うべきか、それともザフィーラと共にここにいるべきか。

 結論を出せず悩むシャマルに、ザフィーラが背を押すように口にした。

 

 

「行ってやってくれ」

 

「ザフィーラ?」

 

「優先すべきは主の身であろうが、奴の言とて誤りではない。守っているだけでは駄目だとは分かっている。……故に、だ。主は俺に任せておけ、あいつを頼むぞ」

 

 

 櫻井殿と合流出来れば、こちらも二人となるしな。

 そう不器用に笑う盾の守護獣の姿に、シャマルは小さく頷くとヴィータの後を追った。

 

 

 

 かくて守護騎士は分裂する。

 

 主を救う為に周囲へと害を振り撒き続ける女達と、目覚めぬ主を守る為に侍り続けて時間のみを浪費する男。

 

 愚かにも、ただでさえ少ない戦力をこうして分けてしまうのであった。

 

 

 

 

 

4.

 疲労の濃い体を執務室の椅子に預けながら、クロノは机の上に広げた地図と文章入力モードで起動したSU2をそれぞれの手に持ちながら思案する。

 

 どうにも頭の回りが良くない。

 疲労からか、思考が曖昧な物となっている。

 

 無理もないだろう。

 あれから三日。食事も睡眠もまともに取らずに動き回っているのだから。

 

 

 

 街に飛び出したあの日、あてもなく彷徨い続けたクロノは右の義眼で魔力使用の反応を見つけ出すと、脇目も振らずにその場所へと急行した。

 

 高層ビル街の一画。その屋上にて使用された転移魔法の痕跡を発見する。

 その術式と魔力の痕跡より転移先を予想すると、その地点へと転移したのだった。

 

 だが一歩遅い。

 

 その場所に残されていたのは、リンカーコアから魔力を蒐集され意識を失くした魔法生物の姿だけであった。

 

 そんな行動が幾度となく続き、疲労で働かなくなった頭でも追い掛けるだけでは無駄だと気付いた。

 故にクロノは一度情報を纏める為に、こうして戻って来たのである。

 

 

 

 地図上に赤いペンで転移魔法が行われた場所を記していく。途中気付いたことをデバイスへと書き込んでいく。

 

 これなら、寝不足の思考でも気付けることはあるだろうと考えて。

 

 

「これ、は……」

 

 

 そうして、ふと、その共通点に気付いた。

 

 

「この転移魔法痕跡。円状になっている? いや、完全な円形という訳ではないが、転移地点から等距離の位置に建物があるな。……ここは」

 

 

 転移地点同士を線で結ぶ。

 その先には、複数の線が必ず交わる場所が浮かび上がっていた。

 

 気付かれぬように工作はしているのだろう。

 だがそれでも、良く足を運んでいる場所は分かるのだ。

 

 距離をズラそうが、位置をズラそうが、重なる点は出て来るのだ。

 

 

「海鳴大学病院か。……迂闊。何故、気付かなかった!?」

 

 

 気付けたはずなのだ。推理材料は存在していた。

 

 あのレジャー施設の無料チケットは在住市民全員に配られていたと聞く。

 ならば、そのチケットの有効期限内に施設を訪れた客は、高確率でこの街の市民であるはずなのだ。

 

 そうでなくとも、足を延ばせば来れる範囲内に住居がある可能性は高い。

 あのレジャー施設は大きな場所であったが、観光施設の代名詞と言える程ではないのだから、そこまで遠方から来る人はまずいないだろう。

 

 そして住居がどこであれ、レジャー施設で被害にあった人々は、付近の大病院に収容される。

 

 あの夜天の主と思わしき人物は、叫喚地獄の被害を特に強く受けていた。ならば、海鳴大学病院に居る可能性は極めて高いのだ。

 

 

「……あそこに夜天の主がいるとするなら、そこで結界でも使えば、奴らを、大天魔を誘き出せる」

 

 

 大天魔の目的が何であるかは未だ分からない。

 自分達を放置し、アースラと敵の一人を倒した理由がクロノの立場では分からない。

 

 唯、それでもあの首謀者達を追えば、大天魔が絡んで来るだろうことだけは分かっていた。

 

 

「そうだ。あの少女が重要ならば――殺す前には出てくる筈だ」

 

 

 暗い笑みを浮かべて語る。

 この手は届く場所にあると確信する。

 

 既にして少年は、最早止まれない。

 

 その結果を思考していない。

 そんな余裕などとうにない。

 

 大天魔が現れて、それで何が出来るというのか、そんなことなど考えない。

 唯蹂躙されるしかないと分かって、対策一つ考えようとすらしていない。

 

 だがそれ以上に考えなくてはいけないだろう事実。それから目を逸らしている。

 

 被害者が多く収容されている病院内で大天魔が現れれば、それがどれ程の地獄絵図を生み出すことになるか、そんなことすら思考出来ていない。

 

 結界など大天魔が現れれば砕け散る。

 ならばその被害は、この地の民にこそ降りかかるのだ。

 

 罪なき民を守るという誇りを持っていたはずなのに、そんなことすら今のクロノの心からは欠けてしまっていた。

 

 

 

 この手が届くのだ。もう手を伸ばせば届く場所に居るのだ。

 それだけを思い、その果てを思考せず、唯々暗い笑みを浮かべる。

 

 椅子から立ち上がって歩き出す。

 そうして部屋を出ようとした所で、先に部屋の扉が開いた。

 

 

「クロノ!」

 

 

 その先に居た一人の少年。

 ユーノ・スクライアにクロノは足止めされていた。

 

 

「……居たのか」

 

 

 今から動き出そうとした所で、出鼻を挫かれたことに僅か苛立つ。

 その感情を内心で如何にか押し留めて、仏頂面で応対した。

 

 部屋の扉の先に立っている金髪の少年。

 両手に下げられた買い物袋を見るに、今は少し外していただけであれからずっとこの家に居たのだろう。

 

 母のエプロンを使用しているその姿に、どこか複雑な感情を抱いている。

 

 

「おい。お前顔色が真っ青じゃないか!? ……思う所があるのは分かるけど、一度休まないと!!」

 

「……分かる、か」

 

 

 その物言いに、何が分かると返しそうになって自制する。

 こちらの身を案じていることは分かるから、けれど立ち止まることは出来ない。

 

 故に如何にか、クロノはユーノを無視しようと歩き出そうとして――

 

 

「おい、待てよ!!」

 

 

 そんな声と共に手を伸ばしてくる少年の姿を、ただ煩わしいと感じた。

 部屋を出ようとする邪魔になると理解して、瞬間的にコイツは敵かと認識した。

 

 

 

 だから気付けば、その顔を殴り飛ばしていた。

 

 

「がっ!?」

 

 

 鋼鉄の右腕に殴られて、少年の身体が宙を舞う。

 両手が塞がっているが故に対応出来なかったユーノは、廊下の壁へと叩き付けられていた。

 

 如何に修練を積んでいるとは言えこうも狭い場所で、両手が塞がった状態で、予想すらしていない攻撃を受ければ流石に全てに対処し切れない。

 

 咄嗟に重要な部位と買い物袋だけは守って、だが己の身を守り切ることが出来ずに一瞬呼吸が止まる。

 

 そして即座に再開した過呼吸気味の呼吸に、ユーノは暫し咳き込んだ。

 

 

「…………っ」

 

 

 座り込んで咳き込むユーノの姿に、僅かながらも罪の意識を感じる。

 だがそれでも憎悪の情は鎖より解き放たれた猛獣の如く、抑え込むことなど出来はしない。

 

 だから――

 

 

「……もう僕に関わるな、ユーノ」

 

 

 そんな決別の言葉を口にして、クロノはその場を後にする。

 憎悪に身を焦がした少年は、誰にも頼れぬが故に外道となる事を選んでいた。

 

 

 

 咳き込みながら去って行く背を眺めていたユーノは、深く息を吸い込んで呼吸を落ち着かせる。

 

 壁に背を預けたまま、嘆くように呟いた。

 

 

「関わるなってさ。そんな様で、何が出来るって言うんだよ」

 

 

 止めよう。止めなくてはいけない。

 このままでは、きっと良くないことが起こる。

 

 そうは思えど、予想外に良い一撃を貰った所為か暫く立てそうにはなかった。

 

 その隙にクロノは去って行く。

 その背を呼び止めることが、今のユーノには出来なかった。

 

 

 

 破綻する。破綻する。破綻する。

 誰も彼もが不協和音を奏でて、破綻した物語を進めていくのだった。

 

 

 

 

 

 




管理局の撤退命令の理由は闇の書を確認できたから。

顕明さんがあれを作ったのは、旅する宝物庫として逃がすことも理由だが、同時に大天魔の目を釘付けにする為の囮として運用する為でもあった訳です。その為の暴走機能でもありました。

闇の書の防衛機構の悪辣さは顕明さんが一番良く知っているから、奪われることはないだろう。仮に奪われても残る二つが無事なら何とかなる、とか管理局側は考えています。

なので大天魔の狙いがそれであると確認できればもう知ることはないだろう、という判断を上層部が下したという形ですね。クロノくんはブッチしましたが。


ちなみにあのメールにはなのはちゃん回収して逃げろと書かれているんですが、画面割れの所為でユーノくんは戻って来いという命令以外を読めていなかったりします。



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第二十二話 不協和音 下

時系列が割と分かりづらいかもしれない今話。
1と2が悪路襲来の翌日の出来事で、3と4が前回の続きです。


副題 空席だらけの学校。
   高町なのはの現状。
   ウルトラクロノくんタイム



1.

 クロノとユーノの対立から、時間は僅か遡る。

 

 レジャー施設を襲った痛ましい事件の翌日。

 空席が目立つ真昼の学校で、少女達は難しい顔をしていた。

 

 漸くに授業が再開された聖祥大学附属小学校。

 ちらほらと目立つ空席は、先の被害と無関係とは言えないだろう。

 

 あの事件には、巻き込まれた者が多く居た。

 平日のレジャー施設には、休校状態となっていた聖祥の学生も多く居たのだ。

 

 今も尚、病室で過ごしているであろう学生達。

 一歩間違えれば、自分達もそうなっていたのだろう。

 

 金髪の少女、アリサ・バニングスはそう思考する。

 

 

(あれ、一体何だったっていうのよ)

 

 

 アリサは昨日の光景を、余りにも異常に満ちた光景を思い出す。

 見間違いを疑う程に、記憶の程に疑問を抱く程に、それは異質な景色であった。

 

 突如に吹き付けた強風は、強い臭気を放っていた。

 

 まるで生ゴミが腐った臭い。

 それを煮詰めた様な瘴気が、あの瞬間に吹き荒れた。

 

 目に見える程に濁った風。その向こう側に見える影。

 垣間見えたのは、漆黒の巨体。まるで鬼の様な、そんなナニカ。

 

 それが何かと認識する前に、アリサは足を引かれて転がった。

 足下に纏わり付いたのは、泥の様な暗い影。沼地に引き摺り込む魔女の腕。

 

 アリサと、そして同じく傍に居たすずか。

 二人の少女は底なし沼を思わせる影に飲まれて、気付けばまるで別の場所に居たのだ。

 

 レジャー施設で遊んでいた少女達は、水着姿のままに街中に居た。

 気付いて顔を羞恥に染めて、慌てて鮫島へと連絡を取ったアリサ。

 

 そんな彼女はその時に、確かに揶揄う様な笑みを聞いたのだ。

 

 

(ったく、あんな真似する奴は、一人しかいないでしょうが)

 

 

 余りにも異常な事態を、正しく認識させない為の悪戯。

 状況変化に混乱していた頭が落ち着けば、それは確かに己達への助力であったのだと気付いていた。

 

 そんな悪趣味をしながらも、自分達を助けてくれる様な人物を他に知らない。

 その時に聞いた笑い声を、確かにアリサは良く知っていたのだ。

 

 

「……アンナ」

 

 

 その名を呼ぶ。

 教室にある空席の一つ。其処に居た少女の名を呟いた。

 

 本当に、彼女がそうだと言う確証はない。

 実際、そんな事が出来るだなんて、思う事すらしなかった。

 

 それでも確かに、覚えていた。

 そして一つに気付けば、連鎖する様にまた一つを思い出す。

 

 

――今日のこれは悪い夢。寝て起きれば忘れてしまうわ

 

 

 あの泥の様な影に抱かれたのは、一度だけではなかったのだ。

 触れ合う事で確かに気付いて、何度も助けられていたのだと実感する。

 

 

(あの紅蓮の炎。燃え上がる屋敷と、嗤っている黒い影)

 

 

 全てを思い出した訳ではない。

 あの時の全てを、確かに理解した訳ではない。

 

 作りかけのパズルの様に、記憶は虫食いだらけとなっていた。

 

 それでも、あの炎に憧れた事を覚えている。

 それでも、あの影に友の優しさを感じていた。

 

 そして、あの桜色の少女の言葉を、確かに思い出していたのだ。

 

 

――私、魔法少女だから!

 

 

 そう語った、桜の光を纏う親友の姿。

 ならばあの黒い風と、沼地を思わせる影も魔法だろうか。

 

 今もある学校の空席、其処に居る筈の少女達。

 彼女らが関わる魔法とやらが、あの被害を生み出したと言うならば――

 

 

「全く、何が起きているっていうのよ、アンタ達に」

 

 

 自分に何が出来るのだろうか。

 アリサはそんな思考を続けている。

 

 高町なのは。アンナ・マリーア・シュヴェーゲリン。

 真実に程近い場所にいるであろう彼女らは、揃って学校を休んでいる。

 

 そんな彼女らに問い掛けたい。

 真実を知りたいと言う思いは、確かにあった。

 

 だが、それ以上に、感じているのは心配だ。

 その無事を案じながらに、何かがしたいと願っている。

 

 

「早く来なさいよ。馬鹿なのはに馬鹿アンナ」

 

 

 友を想って待つしか出来ない少女は、歯痒そうに呟いた。

 

 

 

 

 

 そして同じ教室で、同じ様に案じる少女が一人居る。

 

 

(なのはちゃん。アンナちゃん)

 

 

 同じ友を想うという立場に居て、より心配の色が濃いのが月村すずかであった。

 

 彼女はアリサよりも多くの事を思い出している。

 あの誘拐事件の際に、自らの親族が行った愚行を思い出したのだ。

 

 何と詫びれば良いだろうか、何と言葉を紡げば良いだろうか。

 己の嫌うこの血が、彼女らに多大な迷惑を掛けてしまっていた事を。

 

 そしてそんな自己嫌悪など混じる余地のない部分で、今起きている事件の途方もなさを何となくであるが理解していた。

 

 

(氷村叔父さんが起こした事件。あの日叔父さんを焼いた炎。……それが何か、関係しているの?)

 

 

 天をも焼き尽くさんとする炎。

 不死不滅を騙る吸血鬼の王が、一瞬で焼き尽された光景。

 

 あの日に自らを救った影が昨日に見た物と同一だと言うならば、腐毒の風はあの炎と似た様な物なのだろう。

 

 夜の一族として、間違いなく歴代最強となっていた氷村遊。

 それを敵ともしない強大な怪物が、友人達に関わっているのだ。

 

 そうと気付いてしまった時に、先ず抱いてしまったのが安堵であった。

 

 アンナと言う友達が、自分と同じ様な人外なのかも知れない。

 夜の一族なんて存在が、木っ端に過ぎないと言える怪物達が居る。

 

 自分と同類が居ると、自分よりも人間離れした怪物が居ると、その事実に安心感を抱いてしまっていたのだ。

 

 

(……駄目だよね。こんな考え。二人は大変な目にあってるかも知れないって言うのに……)

 

 

 そんな思考を抱いて、直ぐにそれを恥じと感じて思考を変える。

 友の無事を案じるのが先だろうと、そうしなくては友人として胸を張れないだろうと。

 

 

(アンナちゃんは、多分大丈夫。……きっと、私と同じ。ううん、私以上の存在だから)

 

 

 僅かに見た赤毛の少女は、人型をした人外だった。

 一目で分かる程にアンナと言う少女は、外れた姿を晒していた。

 

 ならばその身の安全は、自分達より遥かに盤石だ。

 

 

(なのはちゃんも、大丈夫って思いたい。……けど、ちょっと不安)

 

 

 魔法と言う力を持った少女。栗毛をした明るい親友。

 彼女もまた自分よりは力があるが、事件の渦中にあるならば不安が残る。

 

 あの風もあの炎もあの影も、人が触れて良い物には思えないのだ。

 

 

(それでも、アンナちゃんが助けてくれる、よね)

 

 

 あの影とアンナは、同じモノだと感じている。

 そんな彼女が助けてくれるなら、なのはは大丈夫だろうと思いたい。

 

 結んだ友情は、確かなのだ。

 紡いだ絆は確かな物で、決して砕けないのだと信じている。

 

 アンナが例え何を秘密にしていたとしても、友達だと言う事実は変わらない。

 

 秘密があれば、友になれないという道理はない。

 友ならば、全てを語らなければならないという理屈もない。

 

 月村すずかとて友を失うのが怖くて、その血族に関することを話せずに居たのだ。

 今だって、自分から率先してこの血のことを語ることなどは出来ないだろう。

 

 友達相手とは言え、否友達だからこそ、隠したい事があるのは当然なのだ。

 だからこそ隠していて、それでも自分達を助けてくれたのだから友情は確かと断言出来た。

 

 

(けど、どうしてかな。……嫌な予感が、拭えない)

 

 

 アンナはきっと助けてくれる。

 それは確実だと思うのに、何故だか悪い予感がした。

 

 もう二度と会えない様な、絆が崩れ去ってしまう様な、そんな悪い予感が拭えなかった。

 

 

「……また、皆で遊べるよね」

 

 

 確信はない。だから祈るのだ。

 どうかこの予感が的外れに終わって、また皆で仲良く遊べますように、と。

 

 

 

 

 

2.

 自室の窓越しに月を眺めながら、高町なのははぼんやりと過ごしていた。

 

 ベッドに座り込みながら、手足を覆う包帯を見て思う。

 その下の腐敗した傷痕はもう消えているけれど、その心に刻まれた地獄絵図は未だ消えていない。

 

 あの悲鳴が耳に残っている。

 あの狂騒が瞳に焼き付いている。

 

 あの大天魔の冷たく、それでいて煮え滾っていた赤き瞳が心に刻み込まれていた。

 

 それを思い出す度に、ぶるりと背筋が冷たく震えた。

 戦場の中での高揚が薄れれば、胸に到来するのは冷たく冷えた恐怖であった。

 

 

(天魔・悪路。……ただ其処に居るだけで、あれ程に怖かった)

 

 

 レジャー施設で起きた事件は、瞬く間に海鳴中に知られる事となった。

 

 第九十七管理外世界で、大天魔が初めて起こした大事変。

 ただ其処に居るだけで全てを腐らせると言う、恐るべき神威の顕現。

 

 その戦場痕を見た事で、高町家の者達は理解した。

 

 大天魔とは、神とは人が抗えるモノに非ず。

 災害をやり過ごすように、引き籠って耐える事こそが正答なのだと。

 

 

(天魔・宿儺、とは違う怖さ。……其処に居るだけで、世界全てを腐らせる存在なんて、どうすれば良いんだろう)

 

 

 逃げ出そうにも、どこへ行けば良いのか分からない。

 一息で惑星全てを消し去れるような怪物を前に、どこへ逃げろというのだろうか。

 

 戦おうにも、辛うじて戦力と言えるのはクロノとなのはのみ。

 魔導師でなければ生存すら覚束ない。叫喚地獄を統べる主の前に、弱者は立つ事すら出来ない。

 

 それを理解した高町家の面々は、引き籠って嵐が過ぎ去るのを待つ事にした。

 そんな選択に不満を抱きながらも、それでもなのは個人に出来る事は何もなかった。

 

 

(大天魔。恐怖を振り撒いて、周囲を地獄に変える存在)

 

 

 大天魔と言う存在を、なのははそう認識している。

 彼女にとって彼ら偽りの神々は、何時も大切なモノを奪って世を地獄に染める存在と言えた。

 

 

(フェイトちゃん。アルフさん。リンディさん。エイミィさんにアースラの皆。……沢山、沢山、奪っていった)

 

 

 両面の鬼。腐毒の王。

 彼らが奪った命は、余りに尊いモノだった。

 

 それを奪われた事に、抱く義憤の想いは確かにある。

 もう戻る事はない彼女達の存在に、嘆く想いは確かにある。

 

 それでも、動こうと思うと足が震えていた。

 

 

(怖い。怖いんだ)

 

 

 少女は恐れている。彼女が怖がっている。

 大天魔と言う怪物達に、確かな恐怖を抱いていた。

 

 天魔・宿儺に蹂躙されたあの日から、高町なのはは大天魔を恐れている。

 

 

(何も出来ないで、失う事。何も出来ないで、殺される事。それがどうしようもなく、怖いって感じてる)

 

 

 悪路の呪詛が彼らを襲った時、なのはが動くことは出来た。

 咄嗟に起こった出来事に、大切な人達を守らねばと行動出来たのだ。

 

 両面の鬼の時とは違う。

 確かに守る為に動けて、何も出来ない自分ではなかった。

 

 だがそれは所詮、咄嗟の反応。

 動かなければならないから動けただけ、だからそれが自信に繋がることはない。

 

 あの大天魔の瞳が怖い。

 その内に秘めた激情が恐ろしい。

 

 ああ、だが何よりも恐ろしいのは、彼の両面の鬼を思い出してしまうからだ。

 

 両面宿儺に蹂躙された記憶は未だ残っていて、そのトラウマが大天魔全てに対する恐怖へと繋がっている。

 そんなことを自覚しているなのはは恐怖に沈む心を抱きながら、それでも奮起する為に想いを向ける少年へと縋った。

 

 

「ユーノくん」

 

 

 あの日、咄嗟に動けたのは彼が居たからなのだろう。

 あの時、両面の鬼に立ち向かった彼が居たから、その身に危険が迫っていたから奮起出来たのであろう。

 

 月の様に優しい人が傍に居たから、あの恐ろしい大天魔に挑めたのだ。

 

 

 

 だが今は、そんな少年もここには居ない。

 

 

 

 全てを失ってしまったクロノが心配だから、なのはを治療した後でそう語ったユーノは、クロノを支えながら共に去って行った。

 

 その事を思い出すと、胸がチクリと痛む。

 

 クロノが大変な事を理解している。

 失われてしまった人々を、確かに偲んでいる。

 

 それでもなお、クロノに嫉妬している自分が居ることを自覚する。

 恐怖に震える自身を放って、彼が別の相手を優先したことに不満を抱えている自分が居る事を理解している。

 

 

「私、嫌な子だな」

 

 

 そんな自分を嫌悪する言葉を呟いて、なのはは膝を抱えていた。

 

 

 

 

 

3.

 静けさの中に、心電図の音が響く。

 それ以外には物音一つしない病室で、何をするでもなく盾の守護獣は立ち尽くしていた。

 

 その身は人としての姿。

 病院内で獣の姿を晒すことなど出来ぬが故に、浅黒き肌の成人男性としての姿を見せている。

 

 そんな彼は、生命維持装置繋がれ眠り続ける主を思って、唯拳を握り締める。

 

 

 

 院内は昼間だと言うのに人影がない。物音すらしていない。

 当然だろう。つい今朝方まで医師や看護師達は徹夜の作業を続けていたのだ。

 

 その疲労はピークに達し、一段落付いた今敢えて何かをしようとする者はいない。

 病室の殆どを治療が終わったばかりの患者が占めていて、そうでない者も状況を察して静かにしている。

 

 今働いているのは、緊急対応に直接関わっていなかった者達だ。

 その数とてさほど多くなければ、院内が静まり返る事も理解できる。

 

 そう考えて――

 

 

「待て、静か過ぎる?」

 

 

 ザフィーラは漸くに、その異常を理解した。

 病院は静かな場所であろうが、それでも静かに過ぎるのだ。

 

 緊急の作業が終わっても、通常の業務は残っている。

 一般外来こそ数を絞ってはいるが、それでも全面的に受け付けていない訳ではない。

 

 ならば全くの無音と言う現状は、余りにも違和が過ぎる。

 それに気付いた彼は視界を動かし、其処で初めてそれに気付いた。

 

 

「結界、だと!?」

 

 

 窓の外へ、青色の結界が張られている。

 そう気付いて、即座に動こうとしたその時に――

 

 

「ブレイズキャノン!」

 

 

 青き魔弾が病室を撃ち抜く。

 殺傷設定で放たれた魔弾が着弾すると共に、八神はやての病室は崩れ落ちていた。

 

 

 

 

 

 必死になって、少女の身体を抱き寄せる。

 必要な物と持てる物を即座に判断して、手に負えない物を切り捨てる。

 

 それが主にどのような悪影響を及ぼすかは分からないが、このままでは命を落としてしまう。

 

 ならば逡巡している暇はない。

 ザフィーラは衰弱した少女を抱きしめて、病院の廊下へと身を投げ出していた。

 

 

「っ!」

 

 

 勢いよく飛び出した体は急には止められず、壁にぶつかる結果となる。

 主を傷付けぬようにと庇った影響で背を強く打つこととなり、僅か咳き込みながらも痛みに呻く。

 

 それでも痛みを堪えて立ち上がり、病室に開いた穴から空を見上げた。

 

 

「躱したか」

 

 

 青く染まった空を背に、宙に浮かぶは黒衣の少年。

 両肩に棘の様な突起の付いた黒きバリアジャケットを纏ったのは、管理局の若き執務官。

 

 暗い表情を浮かべた彼。

 クロノ・ハラオウンが其処にいた。

 

 

「そうでなくては困る」

 

 

 一撃で終わってしまっては困る。

 アレが来ると確信できるまで、時間を稼がなくてはならない。

 

 故に加減をした執務官の姿に、ザフィーラは身構える。

 

 敵に結界の存在を気付かせぬ程に、類稀なる魔法の操作技術。

 そしてその容姿から、シャマルを完封した執務官であると理解する。

 

 守護騎士の個々に、それ程の実力差は存在しない。

 ならば相手は格上だと、そう理解しながらもザフィーラは身を退けない。

 

 

「何の心算だ。管理局!」

 

 

 抱き締める、主より感じる熱がある。

 その温かみを失くさぬ為にも、彼女を置いて逃げ出す事は選べない。

 

 連れて逃げ出そうとするには、相手に隙が無さ過ぎた。

 

 

「……」

 

 

 クロノは言葉を返す素振りも見せずに、杖をザフィーラが抱く少女に向ける。

 

 その異色の瞳が無言の内に語っている。

 狙うべき標的は、八神はやてに他ならない、と。

 

 

「問答無用か」

 

 

 その仕草に、ザフィーラは来るかと理解する。

 盾の異名を持つ自分なら、護り切ってみせると覚悟する。

 

 そして、クロノが僅かに動いた直後――

 

 

〈Break impulse〉

 

「ぐぅ、がぁっ!?」

 

 

 ザフィーラの二の腕部分が弾け飛び、グチャグチャに引き裂かれた右腕が宙を舞った。

 

 

 

 歪みによってザフィーラの背後を取ったクロノが放った魔法はブレイクインパルス。

 物体の固有振動数を解析し、それに合わせた魔力を送り込むことで物体を破壊するという魔法だ。

 

 固有振動数は人体にも存在している。

 それはこの魔法が対人にも有効であることを示しており、人型を模した守護騎士にも効果があることを示している。

 

 体内に直接破壊のエネルギーを叩き込まれれば防御の硬さなど何の意味もない。

 ザフィーラは内側から起きた魔力の爆発で、右腕を失ってしまったのだった。

 

 

「空間を、予備動作なしに転移する、だと」

 

 

 痛みを堪えながら、左手で主を抱きしめたまま背後へと跳躍する。

 この得体の知れない執務官の力を前に、少しでも距離を取ろうと行動して――

 

 

「万象、掌握」

 

 

 突然訪れる浮遊感の直後、彼は目の前に迫った青き魔力刃に気付いた。

 

 何が起きたのか、理解する時間すらない。

 一切の抵抗をする余地すらも、彼に残りはしないのだ。

 

 万象掌握。

 その力は格下を相手にした時、まさに鬼札と化す。

 

 力に抵抗する事が出来ないならば、そのまま何も出来ずに敗れ去るのだ。

 

 

「――っ! 申し訳ございません、主っ!」

 

 

 このままでは刃が主に当たる。

 そう気付いた彼は詫びながら主を手放して、残る左手を盾とした。

 

 その手で魔力刃を掴み取ろうとする。

 盾の守護獣の外皮ならば、それにさえ耐えられたであろう。

 

 其処に、クロノと言う男が居ないのであったなら。

 

 

「万象、掌握」

 

 

 己が防御力の高さ故に選択した行動は、当然の如くクロノに読まれている。

 眼前に迫っていた魔力光は消え失せて、変わりに居たのは黒衣の少年。

 

 クロノが突き出した杖の先端を、確かにザフィーラは左手で掴んでいた。

 

 

「しま――っ!?」

 

 

 その魔法の術式に気付いたザフィーラが、慌てて動きを変えようとする。

 だがもう遅いと、クロノは暗い笑みを浮かべたままにその力を行使した。

 

 

「砕けろ」

 

〈Break impulse〉

 

 

 音を立てて、左の掌が弾け飛ぶ。

 吹き飛ばされた指が宙を舞って、痛みが遅れてやってきた。

 

 

「がぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 ザフィーラは耐えがたい痛みに悲鳴を上げて、故に致命的な隙を晒していた。

 

 

〈Struggle bind〉

 

 

 痛みによって生まれたその隙をクロノが逃がすはずもない。

 両腕を失くした盾の守護獣は、魔法の鎖によって拘束された。

 

 

 

「ぐっ! がぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 苦悶の声が響く。

 それは盾の守護獣の口から迸る。

 

 ストラグルバインドとは強化魔法を強制解除する効果を持つ捕縛魔法。

 であると同時に全身を魔力で構成する魔法生物に対しては攻撃ともなる魔法である。

 

 副作用が多いためか、通常のバインドと比べて幾らか劣る代物ではある。

 だが魔法生物に対しては、継続的にダメージを与えるこれ程に優れた物はない。

 

 

「……ちっ、未だ来ない、か」

 

 

 拷問に掛ける様に、負荷を増加させながらに舌打ちする。

 格下である彼を敢えて嬲っているのは、全てはこの地に大天魔を呼び出す為。

 

 だと言うのに、両腕を奪って拷問に掛けても、彼らは姿を見せはしない。その事実に、ただただ苛立ちが募っていく。

 

 

「やはり、騎士の方では駄目か」

 

 

 その視線を、床に転がった少女へと向ける。

 傷付き昏倒し続ける少女は、哀れみを誘う姿であった。

 

 恐らくは、魔法とは無関係であろう少女。

 あの湖の騎士との対話から判断して、襲撃の指揮を執っていた訳でもない無実の少女。

 

 それを傷付けることは、守護騎士達を甚振ることとは訳が違う。

 

 彼ら犯罪者だ。如何なる理由であれ、他者を傷付けた者達だ。

 ならば誰かに傷付けられても、それは因果応報と言うべきであろう。

 

 だが、この少女にそれは当て嵌まらない。

 例え彼女が彼らの主であったのだとしても、この子自身に罪がないことは分かっている。

 

 

(それでも、僕は……)

 

 

 躊躇いはあった。躊躇わない理由がなかった。

 もしかしたら騎士の方だけでも追い詰めれば来るのではないかと、そう期待していたのは確かだ。

 

 だが、彼らは来なかった。

 未だ安全と踏んでいるのか、殺せないと高を括っているのか。

 

 だとすれば、それは判断ミスと言えるだろう。

 既にクロノ・ハラオウンは、もう止まれない程に追い詰められている。

 

 

「謝罪はしない。悪く思え。……僕は仇を討つ為に、君を終わらせる」

 

 

 その手にしたS2Uに魔力刃を灯す。

 僅かな逡巡を切り捨てると、その刃を八神はやてへと向けて振り下ろした。

 

 

 

 

 

 優しい少女が居た。

 温かな笑みで笑う少女が居たのだ。

 

 

「……さ、せ、ん」

 

 

 陽だまりの中で笑う彼女は、得体の知れない自分達すら受け入れてくれたのだ。

 優しく笑いながら、これからは家族だと語ってくれたのだ。

 

 そんな守るべき人の姿を思い出して、ザフィーラは立ち上がる。

 どれ程に傷付き苦しんだとしても、それが動かない理由になりはしない。

 

 

「させ、る、か」

 

 

 そんな優しい少女が、こうして苦しんでいることなど許せない。

 あの少女は陽だまりの中に、どうして優しい彼女がこんな目に合わなくてはいけないのだ。

 

 それこそが眠り続ける主を前に、ザフィーラが唯一つ描いた願い。

 それだけは譲れないと、盾の守護獣が確かに抱いた守護の誓い。

 

 彼女が書の主だからではない。己が書の騎士であるからではない。

 例え彼女が闇の書を捨てたとしても、例え己が守護騎士でなくなったとしても、この願いだけは変わらない。

 

 護りたいのだ。護らせて欲しい。護らなくてはいけないのだ。

 その為に必要ならば、その為に足りないと言うならば、それをこの場で手に入れる。

 

 

「させる、もの、か」

 

 

 ギシギシと鎖が軋む。

 魔法生物に対して特効の鎖は、確かに彼を縛っている。

 

 魔法生物である以上、この拘束から逃れることは出来ず、只々己が守るべき人が殺される瞬間を見るしか出来ない。

 

 ならばそう、魔法生物でなくなれば良い。

 今この瞬間に唯のプログラムという限界を超えて、ただのザフィーラとして生まれ落ちろ。

 

 

「させる、ものかぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 咆哮と共に魂が輝きを放つ。

 その身を縛る鎖が引き裂かれる。

 

 ザフィーラはこの瞬間に嘗て己を超え、新たな力を獲得した。

 

 

「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 それは人の身でありながら、獣の力を発揮する能力。

 獣か人か、どちらかの姿にしかなれなかった彼が得た第三の姿。

 

 ザフィーラはその上半身だけを獣の如き姿に変じさせると、人間を丸呑みにしてしまうのではないかという程巨大な咢を開いてクロノに飛び掛かった。

 

 

 

 

 

 だが、どれ程に強く思おうとも、ザフィーラでは届かない。

 どれ程強靭な体を得ても、どれ程早く動けても、単純に存在の持つ位階が劣る限りクロノ・ハラオウンの歪みは防げないのだ。

 

 

「万象掌握」

 

 

 跳躍して飛び掛かったザフィーラは、その勢いのまま地面に追突させられる。

 そしてその背を踏み躙りながら、冷たい目をした少年は杖を少女に向けている。

 

 

「お、おのれぇぇぇぇっ!!」

 

 

 やらせない。やらせるものか、と。

 

 立ち上がり、抗おうとするザフィーラ。

 だが彼がどれ程に成長しようとも、万象掌握を打ち破る事は出来ない。

 

 幾度挑もうと、その度に地に叩き付けられる。

 如何に動こうと、距離を制するクロノには何一つとして対抗できていない。

 

 

「お前じゃ僕には勝てないよ」

 

 

 必死に立ち上がろうとするザフィーラの頭を踏み躙りながら、冷たい声音でそうクロノは告げる。

 

 

「無駄なんだ。諦めろ。……お前も僕と同じだ。結局誰も守れない」

 

 

 無為である。無意味である。

 想いだけでは届かないのだと、彼は誰よりも知っている。

 

 

「守護者の弱さは許されない。……それは護るべき人を、護れないと言う事を意味している」

 

 

 守護者足らんとするザフィーラには、決定的なまでに力が足りていない。

 主に侍り続ける男には、その身を守ることは許されず、唯時間を無為にすることしか出来ていない。

 

 そう教え込むかのように、何度も何度もクロノはその頭を踏み付ける。

 そんなに弱いのに護るべき人が残っている事実に、八つ当たりにも似た黒い感情を抱いたまま――

 

 

「無様に這い蹲って見ていろ。お前の護るべき主が、命を終える瞬間をな」

 

「貴様ぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 煩く叫ぶ男を強く踏み付け、その口を無理矢理に閉ざす。

 そうして杖の先の刃を伸ばして、再び八神はやてへと向けた。

 

 

「さあ、出て来い大天魔。……さもないと、ここでこの子は死ぬぞ?」

 

 

 躊躇いは未だあるが、それでももう止まれない。

 

 このままでは、ここで八神はやては死ぬだろう。

 それだけは、覆しようのない確かな事実であったのだ。

 

 踏み付けられたザフィーラは、叫びを上げる事すら出来ない。

 伸ばされた青き刃は振り下ろされて、真っ赤な鮮血が飛び散っていた。

 

 

 

 

 

「なっ!?」

 

 

 その驚愕の声は、誰の物であったのか。

 

 敗れ去ってなお、抗い続けていたザフィーラか。

 予想外にも程がある事態に、思考が追い付いていないクロノであるか。

 

 或いはその両方か。

 

 

「何、してんだよ、お前!」

 

 

 魔力の刃を押し止めた右手からは、少なくない量の血液が流れ落ちている。

 魔力刃による被害を押し留められずに、その掌深くにまで刃が喰い込んでいた。

 

 それは単純に、実力の差。

 クロノの魔力刃に込められた力に、咄嗟に張った防御魔法では耐えられなかったが為に付いた傷。

 

 だがそれは、彼の命に届く程ではなく。

 ましてや、八神はやての命を奪うことにも届いていない。

 

 確かに彼は、少女の命を救っていた。

 

 

「……お前、どうして?」

 

 

 何故お前が庇うのかと、疑問を口にするクロノ。

 そんな彼を前にして、金髪の少年は怒りの情を叫んだ。

 

 

「何しているのかって聞いてんだよ! クロノォッ!!」

 

 

 その少年、ユーノ・スクライアは八神はやての前に立つ。

 

 

 

 彼が護る心算なのは、その倒れた少女だけではない。

 道に迷い続けているこの友人が、踏み外してしまわない様にと此処に居た。

 

 

 

 

 

4.

 ユーノはクロノが飛び出してから僅か遅れて、彼の後を追っていた。

 目的地も分からず、姿も見えず、結界が展開された事で漸く場所を見つけて追い付いたのだ。

 

 仮にザフィーラが後少しでも早く諦めていたら、ユーノが間に合うことはなかっただろう。

 彼の戦いは敗北という形に終わったが、決して無価値ではなかったのだ。

 

 

「ザフィーラ! その子を!!」

 

「っ!? 済まぬ、恩に着る!」

 

 

 驚愕が冷めやらぬ隙にユーノは指示を出し、ザフィーラは礼を口にすると八神はやての体を咥えて弾かれるように飛び出した。

 

 

「ちぃっ! 待て!!」

 

「させない!!」

 

 

 正気を取り戻し彼らを捕えようとするクロノに対し、ユーノは一つの魔法を行使する。

 それは嘗て、二度に渡ってクロノに敗れたユーノが、抵抗すら出来なかった彼がクロノに抗する為に編み出した魔法。

 

 魔法陣から溢れ出した煙が、その場の全員を包み込んだ。

 

 

「これは、煙幕? 否、それだけじゃない」

 

 

 クロノは己の身体を襲う違和感に気付く。

 この魔法には、精密機械に悪影響を及ぼす効果が含まれていたのだ。

 

 

「電波障害機能か? 面倒な!」

 

 

 クロノの体は半分以上が機械仕掛けだ。

 故に機械に対する障害に弱いという一面を持つ。

 

 とは言えスカリエッティ製の戦闘機人。

 そう簡単に特殊な電波如きで乱される訳がない。

 

 故にユーノは魔法の影響を、一ヶ所に絞ることで介入を可能としたのだ。

 

 それは目。クロノの持つ両の義眼である。

 その熱源感知と魔力感知。そして直接視力を封じる為だけの魔法がこれなのだ。

 

 

 

 煙幕が晴れた時、そこにザフィーラとはやての姿はない。

 してやられたという事実を前に、クロノ・ハラオウンは怒りを込めてユーノを見やる。

 

 

「ユーノ、お前ぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 後一歩で天魔が現れたと言うのに、後僅かで仇に辿り着いたというのに、直前でそれを外された少年は怒り狂って――

 

 

「ざっけんなぁっ!!」

 

「がっ!」

 

 

 それ以上に怒りを抱いたユーノの拳が、彼の顔面を撃ち抜いていた。

 

 

「ふざけんなよ、お前! あんな子を殺そうとして! どんな理由があろうと、そんなのやって良いことじゃないだろ!!」

 

 

 殴り飛ばした拳に、痛みを感じながらに怒る。

 それだけはやってはいけないだろうと、ユーノは確かに怒っている。

 

 彼のその力は、鍛え上げた拳は、その為の物ではなかっただろう、と。

 

 

「っ! 奴らに届かせる為だ! 母さんの、エイミィの仇を取る為だ!! その為なら、僕は何だって!!」

 

「それが間違っているって言ってるんだよ! 僕はぁっ!!」

 

 

 ユーノが再び振るった拳を、クロノは今度は片手で受け止める。

 互いに激情を抱きながら、額を突き合わせるような近さで罵倒し合う。

 

 

「お前に、そんな事を言われる筋合いはない!!」

 

「それでっ! あの人達を理由にして、その死すら愚弄すんのかよ、お前!!」

 

「っ!? お前に、お前に何が分かる!!」

 

 

 失った人への想い。護れなかった人への感情。

 それが侮辱なのだと断じられて、それを看過できるはずがない。

 

 愛していたのだ。大切だったのだ。

 失ったそれらを、未だ何よりも大事だと思っている。

 

 だから――

 

 

「何も知らないお前がぁっ!!」

 

「知らないさ! 分からないさ! お前の気持ちなんて!!」

 

 

 激情と共に吐き出された言葉を、ユーノは真っ向から否定する。

 

 

「恋人なんて出来たことないし、母親なんて最初から知らない! 分かる訳ないだろ! 分からないんだよ! 言ってくれないと!!」

 

 

 クロノの想いは彼だけの物で、何も語らないのに共感など出来る筈がない。

 追い詰められて勝手に動き出す前に、どうして言ってくれなかったのかと怒っている。

 

 

「話せよ! 伝えてくれよ! 手伝わせろよ! クロノ・ハラオウン!! それすら出来ない程、僕らは! 僕は頼りないか!!」

 

 

 一人でなら出来ない事でも、二人なら出来るようになる。

 多くの人達が手を繋ぎ合えば、きっと星々すらも掴める筈だ。

 

 そう語ったのは、他ならぬクロノ・ハラオウンだ。

 その言葉に感動して、確かに胸に残したのはユーノ・スクライアだ。

 

 だからこそ、どこまでも胸に響く言葉を残した彼だからこそ、こうして無様を晒している姿がユーノには許せない。

 一緒に動けば、もっと別の手段だって見つけられただろうに、こんなどうしようもない選択をしたクロノ・ハラオウンが唯々許せなかった。

 

 

「歪みすら持たないお前に、一体何が出来るんだよ!!」

 

 

 それに返されるのは偽りのない本音。

 大天魔との戦いでは足手纏いにしかなれないユーノが、そんな言葉を口にする事が気に食わない。

 

 

 

 管理局からの支援は打ち切られた。

 上層部は高町なのはを無理矢理にでも攫った後で、地球を見捨てろと命令を下した。

 

 納得できない。受け入れられない。

 そんな方法も行動も、どうして認められようか。

 

 管理局上層部は頼れない。

 だが、だからと言って、頼れる人が他にいない。

 

 高町なのはには戦士としての意思が足りず、ユーノ・スクライアには力が足りていない。

 一人しかいないのだ。一人でやるしかなかったのだ。誰も頼れないからこそ、彼はこの選択をしたのだ。

 

 

「頼りになんないんだよ、お前じゃ! 役に立てない奴が、偉そうに理想論を口にするな!!」

 

 

 クロノは怒りと共に拳を振るい、ユーノは殴り飛ばされる。

 

 彼だって本意ではない。だが、これしかなかった。

 それを否定する資格は、弱者であるユーノにはないのだ。

 

 

「……良いよ。分かり易いじゃないか、クロノ」

 

 

 口の端から零れ落ちた血を吐き捨てると、ユーノは悪童の如き笑みを浮かべて口にする。

 

 そう。弱いユーノには、否定する資格がない。

 役に立てないから、口を挟むだけの資格がないと断じるならば――

 

 

「教えてやるよ。クロノ・ハラオウン。……僕は確かに弱いかもしれないけど、お前もそう大差ないってことを!」

 

 

 示せば良い。大天魔と戦えないユーノでも、役に立てると教えれば良い。

 この視野狭窄した大馬鹿野郎を殴り飛ばして、頼って良いのだと伝えるのだ。

 

 

「何!?」

 

「はっ、察しが悪いな! お前のその鼻っ柱、歪みごと纏めてぶっ飛ばしてやるって言ってるんだよっ!!」

 

 

 力が足りていないのは、皆同じなのだ。

 足手纏いは皆同じなのだ。それをお前を倒す事でここに示してやる。

 

 そうユーノ・スクライアは宣言する。

 

 

「はっ、……思い上がったな」

 

 

 その言葉は、己が歪みに誇りを持つ彼には見過ごせない。許容できない。認められない。だから。

 

 

「叩き潰してやるよっ! ユーノッ!!」

 

 

 だから教えてやろう。

 歪み者と唯人の間にある絶対的な力の差を。

 

 理想に満ちて現実を見ていない。

 気に入らない男に無知蒙昧な発言など、もう二度とさせない為に。

 

 クロノはユーノから売られた喧嘩を真っ向から買い取った。

 

 

 

 

 

 さあ、下らない喧嘩を始めよう。

 

 

 

 

 

 




現状説明。
・高町なのは
 家族からストップが掛かり引き籠り状態。一回休み。
 それでも心が折れている訳ではないので、ユーノくんとかが声を掛ければ抜け出してくる模様。戦闘は可能。


・アリすず
 アンナちゃんを切っ掛けに色々思い出した。なのはが来ないことに業を煮やしているので、その内突撃家庭訪問するかも。戦闘は不能。


・守護騎士勢
 ザッフィーが両腕欠損。ヴィータが疲労困憊。はやてが意識不明。シャマルは無事だが他二人と違って覚醒イベントがまだなので実力不足。
 螢との合流も出来てないので実際ヤバい。


・ユークロ
 ガチバトル勃発。お前ら何してんの?(白目)


・天魔側
 アンナちゃんが割と焦っていたようです。



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第二十三話 下らない喧嘩

勢いで書けたので投下。相変わらずの独自理論ありです。


副題 闇の書の異常。
   ユーノ。世界旅行するの巻。
   圧迫面接。in闇の書。


推奨BGM
1.Sol lucet omnibus(Dies irae)
2.Omnia Vanitas(Dies irae)
3.Take a shot(リリカルなのは)
4.刹那・無間大紅蓮地獄(神咒神威神楽)

※2016/12/09 改訂作業終了。


1.

 八神家の扉が叩かれて、内側から扉が開く。

 崩れる様に倒れ込んで来た影は、両腕を失った獣の姿。

 

 主を守り抜いた蒼き獣は、震える声で小さく口にする。

 

 

「ああ、良かった」

 

 

 一言だけを口にして、盾の獣は扉を開けた女を見上げた。

 目線が一瞬だけ噛み合って、直ぐにザフィーラは意識を閉ざす。

 

 両腕が欠損した、見るも無残なその姿。

 そんな獣とは反対に、眠り姫には傷がない。

 

 獣は守り抜いたのだ。

 力がなくとも、見苦しい形となっても、それでも確かに守り抜いた。

 

 そんな姿に、ナニカを重ねた。

 

 

(揺れている。揺れているのね)

 

 

 託された少女を優しく抱き上げ、黒髪の女は確かに理解する。

 心が揺れている。感情が揺れ動いている。精神が大きく揺らいでいる。

 

 それは剥き出しの魂を、自我によって形成する彼女達。

 天魔・夜都賀波岐にとっては命取りにも繋がると分かって、それでも揺れ動く情が隠せない。

 

 

「揺れているのは、私? それとも――」

 

 

 それに何かを重ねて見たのは、果たして櫻井螢であろうか。

 大切な人を守ろうと必死に抗う獣に、何かを思っているのは彼女であるのか。

 何れ訪れる悲劇が確定している少女に、言葉に出来ない何かを抱いているのは彼の乙女ではないのか。

 

 

――子供の癖に、余計な事をするんじゃないっ! 私は私の目的があってこうしている。自惚れないでよ、戒! 貴方達のことなんか、唯のついでに過ぎないわ!

 

 

 ノイズが走る。ノイズが走る。ノイズが走る。

 眠る筈の女の記憶が流れ込んで、思考が大きく乱される。

 

 救えない筈の命を救おうと足掻くその姿は、まるであの日の自分達に似ているかの様で――違いがあるとするならば、今度は奪う側に立ってしまったと言う事実。其処に何も感じないと嘯く事は、流石に出来そうにはなかった。

 

 

「マレウスめ。もっと早くに動けと言う」

 

 

 だからそんな感情を誤魔化そうとして、忌々しく思う仲間の不手際を口に出す。

 雷の乙女が抱いてしまった祈りを一時の気の迷いと振り払って、道を照らし出してはいけない少女を見詰めた。

 

 

「はやて」

 

 

 抱き締めた少女を、温かなベッドの上に横たえる。

 微かに呼吸を繰り返すはやての髪を、慈母の様な笑みを浮かべて優しく梳いた。

 

 

 

 この少女を救ってはならない。

 この少女の道行きは、暗き闇に覆われていなくてはならない。

 

 我々は諦めた。この世界は閉塞している。結局誰も救えない。

 ならばせめて、皆愛しき刹那の腕にて、永劫凍って眠るが良い。

 

 それこそが救いで、それだけが救済で、他の形は諦めた。

 そしてその最低限の救済に至る為に、八神はやての命は邪魔なのだ。

 

 だから躊躇ってはいけない。

 だから戸惑っていてはいけない。

 だからもう間違える事だけは、決してしてはいけないのだ。

 

 それが分かって、必要以上に感情移入していると自嘲する。

 今この瞬間にも全てを投げ出して、少女を愛でたままに共に滅びられれば――そう抱いてしまうのは、長く生き過ぎた自滅衝動が故だけではないのだろう。

 

 

(我ながら、無様ね)

 

 

 優しく微笑む仮面と異なり、その内面は酷く荒れていると自覚する。

 燃え続ける炎が燻っている。道を照らし出す雷は望めないし、望んではいけない。

 

 今回の行いは、自己に致命的な傷を刻むであろう。

 下劣畜生に堕ちると言う行為は、抱いた二つの願い双方と反している。

 

 故に今回の結末がどういう幕を迎えたとしても、そう遠くない日に天魔・母禮は自壊する。

 少女を失う日に刻まれるであろう亀裂は、既に摩耗している彼女にとっては致命傷となるであろう。

 

 そうと分かって、それを選ばない理由がない。

 そうと分かっているから、選べる道が他にない。

 

 

「一緒に死んであげる事は出来ないけど……そう長く待たせる気はないわ」

 

 

 少し寂しい想いをさせてしまうわね。と少女の栗毛を優しく撫でる。

 為すべき事が全て終われば、その時は一緒に居てあげられるから。と優しい色を微かに浮かべる。

 

 この時既に、女は己の終わりを理解していたのだろう。

 

 

「何時か帰るべき、あの優しい黄昏へ――」

 

 

 きっとその日が来ると信じて、全てが報われる事を祈って、櫻井螢は少女の髪を優しく撫で続けた。

 

 

 

 

 

2.

 さほど広くはない病院の廊下で、二人の少年が対峙している。

 黒衣のバリアジャケットで身を包んだ少年執務官。クロノ・ハラオウン。

 デバイスを用いず、民族衣装風のバリアジャケットを展開している金髪の少年。ユーノ・スクライア。

 

 彼我の距離は遠くなく、拳を振るえば当たる程。

 ここで戦えばどうなるであろうか、嚇怒と共に喧嘩を売った少年は感情を抑えて冷静に思考する。

 

 結界で覆われているとは言え、ここは病院の一区画。万が一にも結界が消えてしまえば、どのような被害を出すか分からない。

 その戦いの余波。制御を外れた魔力弾はおろか、投げ飛ばされた互いの体躯のような些細な物でさえ周囲に被害を与えかねないのだ。

 

 それを案じるのならば、ここは場所を移すのが道理であろう。

 

 

「クロノ。まずは場所を――」

 

 

 そう提案しようとした所で、直後には全く見知らぬ場所に放り出されていた。

 一面に広がる荒野。荒れ果てた大地には僅かな草木しか見えず、人の子一人見えぬ世界。

 

 

「……僕が知る限り、人の文明の生じていない無人の世界だ。地球とまるで変わらぬ気候。それでいて周囲に被害を齎すこともない。……そら、これでお前も余計な事を考える必要はないぞ?」

 

「……はっ! 気が利くじゃないか」

 

「何、意識を逸らしていたから負けた、などと言い訳されたくないだけさ」

 

 

 気付かぬ内に転移させられた。予兆すら感じ取る事が出来なかった。

 その事実を前に内心で戦慄する少年は、敢えて強い言葉を口にしながら戦況を把握する。

 

 彼我の距離は先程までとは違う。一足では踏み込めぬ位置にある。距離を制する敵手に対して、この位置取りは致命的。

 

 

「教えてやろう。僕とお前の決定的な差を。歪み者と唯人の、絶望的な力の差を!」

 

 

 この僅か数歩の距離は、しかし絶対の距離である。

 空間の支配者たる黒衣の魔導師を前にして、感じる怯懦は確かにあった。

 

 それでも負けられない。負ける訳にはいかない。

 その為にも、怒りではなく冷静な思考で勝機を探し続ける必要がある。

 

 ならば――頭を動かせ。知性に頼れ。頭脳で捉えろ。

 敵の弱所を、敵のパターンを、全て読み切って悉くを乗り越えろ。

 

 如何に褒められたとて、誰に認められたとて、ユーノの武才は付け焼刃。

 自身にとって至大至高の刃とは、この優れた頭脳以外にありはしないと分かっている。

 

 

「分かっているよ! 力の差なんて!!」

 

 

 ユーノ・スクライアは自らの怯懦に怒りと決意で蓋をして、弾き飛ぶように走り出した。

 

 

「チェーンバインド!」

 

 

 そしてマルチタスクを二つ動かして、同時に二つの魔法を行使する。

 一つはチェーンバインド。無数に展開された翠の鎖が、拘束せんと荒れ狂う。

 

 そんな光の鎖は、されど本命ではなく囮。

 無数の鎖の影に隠れて、障壁を展開した少年は前方に向かって突撃する。

 

 

「プロテクションッスマッシュッ!!」

 

 

 砲撃魔法すら弾く障壁を、全面に集中させての飛翔突撃。

 ユーノの意図は単純だ。距離を制されるならばその前に、近付いて殴ると言う一択。

 

 元より攻撃魔法は不得手。遠距離射撃は最低レベル。

 役に立ちそうな攻撃魔法は、拘束からの爆発魔法であるアレスターチェーンくらいである。

 

 距離の長さは敵に利する。此処は既に敵手の間合いだ。

 鍛え上げた拳を振るう為にも、距離を近付ける事が第一条件。

 

 故にこそ二つの魔法は、そのどちらもが囮である。

 ユーノ・スクライアの本命とは、この距離を零へと近付ける事なのだ。

 

 だが、そんな行動は――

 

 

「軽いぞ。ユーノ」

 

 

 当然の如く読まれている。当たり前の様に対処される。

 如何に魔法に対する鉄壁であれ、密度が違う歪みを防ぐには格が不足しているのだ。

 

 

「万象掌握」

 

「っ!?」

 

 

 目の前に迫るのは土の色。展開した筈の障壁が消えている。

 否、違う。障壁を完全に無視して、中身のユーノだけを転移させたのだ。

 

 地面に叩き付けられる。

 飛翔魔法を制御出来ないと、そう理解したユーノは――

 

 

「こっちだって、読んでるんだよっ!」

 

 

 その程度、やってのけると予測していた。

 最初から対処は考えていたのだ。即応する事は不可能ではない。

 

 飛翔魔法の勢いのままに、地面にぶつかる少年。

 前以てイメージしていた通りに、肩から落ちた少年はくるりと一回転して受け身を取る。

 

 柔道で言う前回り受け身。それで勢いを流した後、更に一歩を其処で踏み込む。

 回転の運動エネルギーを殺さずに、其処に加速魔法を加えて前へと進んだのだ。

 

 

「お前のパターンは、もう分かってるんだっ!」

 

 

 空間を支配するクロノ・ハラオウン。彼は効率を好む癖がある。

 敵を倒す為に最低限の力で、その為に初手の操作は自滅を誘発しようとする。

 

 来るタイミングが分かって、飛ばされる場所も読めていた。

 ならば動ける。だから対処できる。転移させられるのが避けられないなら、それを前提に動けば良い。

 

 彼我の距離は一足では届かぬが、二足を過ぎれば余る程。

 そうと分かっていたならば、初回さえ回避すれば拳が届く筈だから――

 

 

「……いいや、お前は何も分かっていないよ」

 

 

 寸前まで迫った拳は、彼の言葉と共に離される。

 あと一歩の距離が、最初の距離に戻されていた。

 

 

「歪み者とそうでない魔導師はな。……そもそも質量の差が違うんだ」

 

 

 話が違う。前提が違う。打開策などありはしない。

 距離を制されるという事実は、そもそも接近戦に持ち込むことすら不可能なのだと示している。

 

 距離を制するクロノに対し、一歩の間合いは無限の距離に等しくなるのだ。

 

 

「反則だと、そう思うか? それが正常だ」

 

〈Stinger blade execution shift〉

 

 

 クロノの持つデバイスが魔法を展開する。それは彼にとって、切り札の一つと言える魔法。

 

 中規模範囲攻撃魔法。放たれる魔力刃の数は百を超える。

 それら全てが一斉に狙いを定め、ユーノ・スクライアへと降り注ぐその姿は、正しく処刑と呼ぶに相応しい。

 

 

「っ! おおおおおっ!!」

 

 

 攻撃を空ぶった影響で泳ぐ上体を、背筋の力で無理矢理に建て直す。

 マルチタスクで思考を加速させ、探索魔法の応用で刃の隙間を探し出す。

 

 頭脳を回して、思考を回して、魔力を回して、見付け出したのは僅かな巧妙。

 一発二発の被弾など覚悟の上、自身に加速魔法を掛けるとその僅かな隙間を縫って飛び出した。

 

 その直後に――

 

 

「っ!?」

 

 

 気付けば元の場所に居た。

 脱出した筈の刃の檻に、再び閉じ込められたのだ。

 

 

「魂の密度が違えば、干渉は防げない。そして僕の歪みを前にして、防げないとは致命を意味する」

 

 

 世界を支配する力を持つ少年は静かに告げる。

 万象掌握を前にして、位階が違えば何も出来ない。

 

 これは徹底した格下殺し。一方的に過ぎる暴力装置。

 クロノ・ハラオウンと言う歪み者は、自身より格下の敵に対しては全能の神にも等しい存在となるのだ。

 

 

「サークルプロテクション!」

 

 

 刃が直撃する刹那、翠色の魔力光が球状の守りを形作る。

 高町なのはの集束魔法ですら、防ぎ切れるであろう自慢の守り。

 

 クロノの放った魔法であれど、確実に防げる強度はある。

 そのまま展開し続けれたなら、確かに処刑の刃は防げただろう。

 

 

「万象掌握」

 

 

 しかし通らない。それでは通じない。

 クロノ・ハラオウンの歪みは、その防御魔法だけを転移させる。

 

 そうして守りを剥がされ無防備となった少年の身に、百を超える刃が突き刺さった。

 

「がぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 非殺傷ではない本気の魔法。

 鮮血が舞って、血飛沫が荒野を彩る。

 

 全身を刃に貫かれた少年は、血反吐を吐いて膝を屈した。

 

 

「お前が歪み者になれない時点で、僕に敗北すると言う結末は決まっていた。それだけの話だ」

 

 

 その光景を見下しながら、当然の結果と吐き捨てる。

 徹底した格下殺しであるクロノに対して、ユーノが勝る理屈などは何処にもないのだ。

 

 

「……ま、まだ、だ」

 

 

 それでも、諦めない。まだ倒れる訳にはいかない。

 勝る理由などはなくとも、負ける訳にはいかないのだから、逃げる道など何処にもない。

 

 

「まだ、僕は、戦えるっ!」

 

 

 歯を食い縛って、血の混じった唾を吐く。

 震える足に力を入れて、霞む視界で敵を見る。

 

 負けられない。理由がある。

 放っておけない。相手が居る。

 示さなくてはいけない。強さがある。

 

 ならばまだ倒れない。だからまだ立ち上がる。

 そんな血塗れの少年を前にして、クロノ・ハラオウンは暗く嗤った。

 

 

「あれだけ啖呵を切ったんだ。此処で終わっては困る」

 

 

 そうとも、この程度で終わっては困る。こんな物は序の口だ。

 真実、貴様が軽んじた歪みの神髄は、この先にこそあるのだから――

 

 

「万象掌握」

 

 

 言葉と共に、ユーノの眼前にある景色が一変した。

 

 

 

 熱い。熱い。熱い。

 まず初めに感じたのはその感覚。

 

 肌を焼くような熱さ。

 肺を焼き尽くすような熱気に満ちた空気。

 眼前に迫るのは、赤き溶岩に満ちた海である。

 

 即ち、ここは――

 

 

「火山の、噴火口!?」

 

 

 今にも爆発しそうな赤を前に、咄嗟に飛翔魔法で己の体を支える。

 

 バリアジャケットは展開されている。

 防護服がある限り、溶岩そのものに突っ込まなければ耐えられるとは知っている。

 

 あらゆる環境に耐えるのが、このバリアジャケットと言う防護服。

 宇宙服の代用にもなるこの魔法なら、余程の衝撃がなければ問題はない。

 

 耐えられないのは、落ちた場合だ。

 単純な強度の問題で、焼かれ続けるなら防護服が持たないのだ。

 

 そんな熱さに耐えるユーノの真横を、青き魔弾が掠めていった。

 咄嗟に躱した魔力の弾丸は、ユーノの背後にある噴火口を刺激する。

 

 

「っ! あの野郎ぉぉぉぉっ!!」

 

 

 爆発する。吹き上がる。噴出する。

 その勢いは、その速度は、ユーノの飛翔魔法などを遥かに超えていた。

 

 

「ウイングロード! フラッシュムーブ!」

 

 

 飛行より走った方が速い。だが唯走るだけでは間に合わない。

 魔力の消費も気にせず、翼の道を足場に瞬間加速魔法を連続使用して駆け上っていく。

 

 吹き上がる炎は、それでもユーノよりは僅か早く。

 

 

「っ! あああああああっ!!」

 

 

 飲まれる直前に、ユーノは噴火口より脱出した。

 

 ぜぇ、はぁ、と荒い呼吸をしながら何とか距離を離そうとするユーノ。

 だが、クロノが彼にそんな余裕を与えるはずもなく。

 

 

「がっ!? がば、ごぼ!?」

 

 

 突然に切り替わる景観。

 熱気によって酸素不足となり、荒い呼吸を繰り返していた肺に注がれたのは大量の塩水。

 

 眼前に広がるのは、青く透き通った海の底。

 

 

(今度は深海か!? あの野郎!!)

 

 

 呼吸をしていた所為で、海水を飲んでしまったのは問題だ。

 それでも意識してバリアジャケットを切り替えれば、酸素の不足はどうにかできる。

 

 問題なのはそれではない。

 此処が深海である事、それこそが問題なのだ。

 

 

(最大の問題は水圧。ある程度なら耐えれるけど、専用の調整をしてないから深度次第では不味い)

 

 

 どれ程深い場所に落とされたのか、多少の水圧なら兎も角深度によってはバリアジャケットが持たない。

 大量の水に押し潰される形でバリアジャケットが解除されれば、結果として海に溺死体が浮かび上がる破目になる。

 

 

(そんな、死に方は御免だよ!)

 

 

 マルチタスクを走らせて、瞬時に対処法を導き出す。

 複数の思考がパニック状態となっているが、幸い同時思考数には自信がある。

 全てが思考不能になることはない。一つ二つ正常に動けば、現状把握には十二分だ。

 

 

(直接海上への移動。駄目だ。水圧変化に恐らくバリアジャケットが持たない。転移魔法の使用。駄目だ。クロノ・ハラオウンの領域内で、空間干渉は行えない)

 

 

 現状は詰んでいる。

 ならばどうすれば――

 

 

(……いや、待て、クロノはこの付近にいるのか?)

 

 

 先程の噴火口の時は魔力弾を撃ち込んで来たことから、付近に居たのだろうと分かっている。

 

 だが、ここはどうだ。先の時のように傍で確認できる安全圏などはない。

 海の底が見える以上、ここは少なくとも深度500メートルは遥かに超えているであろうことは明らかだ。

 

 クロノのバリアジャケットも、深海調査用のそれではない。

 ならばいない事に賭けて、転送魔法を使用する事こそが正答解。

 

 

(トランスポーター!!)

 

 

 思い付いた直後、ユーノは転移魔法を発動した。

 そう。全ては、黒衣の少年が目論見通りに――

 

 

「万象、掌握」

 

「っ!?」

 

 

 転送魔法の陣が歪む。その術式が狂わされている。

 術式が外部から改竄されている。プログラムが変化している。

 

 移動方陣の向かう先を、大きく書き換えられたと理解した。

 

 

(最初から、これが狙いかっ!?)

 

 

 ユーノは理解する。これこそが敵の狙いだったのだと。

 クロノはユーノから抵抗する力を奪う為に、転移術式を使わざるを得ない状況を作り上げたのだ。

 

 

(予想外だった。ここまで出来るなんて、考えられるかっ!?)

 

 

 魔法とは自然摂理や物理現象をプログラム化し、それを魔力によって書き換えると言う技術だ。

 万能の力となる可能性を持つ魔力素を体内に取り込み、それを「変化」「移動」「幻惑」させて発生する疑似科学と言っても良い。

 

 当然、その術式。プログラムは繊細にして複雑な物。

 魔力素が万能の性質を持つが故に、僅かに細部が変わるだけで結果が大きく変じてしまう。

 

 クロノは、其処に漬け込んだのだ。

 其処に干渉するだけの力を、クロノの歪みは有していたのである。

 

 

(脳内で展開されるプログラム自体の、構成式を移動させるなんて反則だろっ!?)

 

 

 詠唱・集中と言った魔法発動トリガー。

 其処に至る前の、外部に出る直前のプログラムに干渉された。

 

 そして発動を間近にして、その改竄に気付いたとてもう遅い。

 一度魔力を走らせた魔法プログラムは、今更に対処出来る物ではない。

 

 滅茶苦茶に掻き乱された術式は、消費も転移先も黒衣の意のままとなる。

 体内の魔力がごっそりと消費されて行く感覚と共に、ユーノの身体は転移していた。

 

 

(宇、宙……)

 

 

 転移した先、其処は広大な星の海。

 蒼き星を眼下に見る漆黒の中、ユーノは放り出されていた。

 

 空気がない。酸素がない。放射能に満ちている。

 とは言えバリアジャケットは次元航行船でも活動出来る様、宇宙空間にも対応できる。

 

 故に問題点は其処ではない。

 当たり前の様に対処できる事を、クロノが策とする筈がない。

 

 ならば其処には、二段目の底があるのだ。

 

 

(墜ちる)

 

 

 重力の井戸に身体が引かれる。

 放り出された空間は、地球の重力圏からは逃れられない位置だった。

 

 如何に宇宙服であるバリアジャケットでも、大気圏突入の衝撃には耐えられない。

 防護服とはそもそもそんな用途などは想定していないのだ。耐えられる道理が何処にもない。

 

 障壁の魔法を使ったとしても、一体何処まで軽減できるだろうか。

 いいやそもそも、先にごっそりと魔力を持っていかれた関係で、真面な魔法を発動させるだけの力も残っていない。

 

 

(詰みだ)

 

 

 総じて詰み。チェックメイトとなったのだ。

 クロノの策略の全てを見抜けず、彼の歪みの出来る事を把握してはいなかった。

 この戦いは始めた時点で、一度の敗北は確定していたのだと――そんな事は初めから分かっている。

 

 

(漸くチェックメイトだよ! クロノ!)

 

 

 だから詰みになったのだと、ユーノは悪童の笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

3.

 激しい轟音が響いて、大地が激しく揺れる。

 まるで隕石が衝突したかのような衝撃に、地面にクレーターが生まれていた。

 

 

「これで、終わりか」

 

 

 落ちてきたユーノを見据えて、クロノは小さく鼻を鳴らす。

 クロノ・ハラオウンは未だ無傷である。ああも啖呵を切った割には大したことがない、と。

 

 煙が晴れていく。その先に、少年の姿があった。

 

 金髪の少年は、衝突の衝撃で発生したクレーターの中央に倒れている。

 最期の抵抗に張ったのだろう防御魔法は崩れ落ち、バリアジャケットは解けて消え去っている。

 第九十七管理外世界で購入したのであろう普段着の下からは、圧し折れて飛び出している骨が覗き見えていた。

 

 

「まだ、息はある、か」

 

 

 原型を留め、呼吸を保っている。それが限界だったのだろう。

 両手足はおかしな方向を向いていて、腹からはあばら骨や臓器の一部が飛び出している。

 

 防御魔法と防護服が、辛うじてその命を繋いでいたのだろう。

 それでもこの様、放置しておけば確実に死に至る状態。最早虫の息に近しいが、それでも未だにユーノは生きていた。

 

 そんな瀕死の少年へとクロノは歩みを進めていく。それは救う為に――ではない。

 

 

「……お前の事だ。これで折れることはないのだろう。……だから、悪いな」

 

 

 このまま死なずに生き延びれば、きっとこの少年はまた立ち塞がるのだろう。

 あの両面の鬼に蹂躙された後で、あれだけの啖呵を切ってみせた少年だ。この程度では折れないと、その程度には理解している。

 

 だから、ここで止めを刺すのだ。もう二度と、邪魔をされないように。

 

 

「じゃあな、ユーノ。……先に逝って待っていろ。僕もそう遠くない内にそっちに逝く」

 

 

 最後に全てを見届けよう。

 せめてこの手で直接、命を奪う感触だけは残しておこう。

 

 そう思ったクロノは青き魔力刃を手に、それが届く距離にまで近付いた。その時に――

 

 

「チェーンバインドっ!」

 

 

 意識を失った筈の少年が、その魔法を紡いでいた。

 完全に油断していたクロノは対処出来ずに、その左手に翠に輝く鎖が絡み付く。

 

 

「なっ!?」

 

 

 がしゃりと手錠を嵌める様に、翠の光が二人を繋ぐ。

 満身創痍の少年は立ち上がって、強い瞳でクロノ・ハラオウンを見詰めていた。

 

 

「……何故、だ?」

 

 

 魔力はもう切れていた筈だ。

 元々ユーノの魔力量は多くはなく、地球と言う星は彼にとって鬼門であろう。

 

 いいや魔力が残っていても、ユーノの防御魔法で耐えられる物ではない。

 宇宙空間からの落下と言う衝撃に、耐えきれるだけの魔法があって堪るものか。

 

 混乱するクロノを前に立ち上がった少年は、まるで悪童の如くニヤリと笑う。

 事此処に至る迄の多くが予想を反しても、展開だけはユーノ・スクライアの思惑通りに進んでいたのだ。

 

 

「スカさん印のカートリッジ。お前も見てただろ?」

 

「まだ、隠し持っていたのかっ!?」

 

 

 掌でユーノが弄ぶのは、既に中身の切れたカートリッジ。

 圧縮魔力を溜め込む物体から、必要に応じて魔力補給を行う道具。

 デバイスがなくても使える様に、彼の最高頭脳が作り上げた代物だ。

 

 悪路に付けられた傷を治療出来た様に、過剰な魔力があればユーノは大抵の事が出来る。

 膨大に過ぎる魔力の補給道具を隠し持っていた少年は、それで限界を超える障壁を作り出していたのである。

 

 使った魔法はハイプロテクション。其処に飛翔や重力制御を最大限にぶち込んだ。

 怪しまれない様に速度を極限まで制御して、落下直後に変身魔法を使用して重症を演じていた。

 

 それでも、無傷では居られない。

 治癒魔法を回しても治らぬ程には、身体の傷は確かに重い。

 

 だが、確かにチェックは掛けられた。

 王の駒は直ぐ目の前に、一手で届く位置にある。

 

 

「チェックメイトだ。これでお前は、もう歪みを使えないっ!」

 

「っ!?」

 

 

 じゃらりと音を立てる鎖。それが繋ぐはクロノの左手首と、ユーノの右手首。

 自身と相手を繋ぐ事。それだけで封印できるのが、クロノ・ハラオウンの持つ歪みの正体。

 

 

「お前の歪みの最大の欠点は、お前が掴んだ者を手放せないって言う事だ!」

 

 

 クロノの歪みとは、助けられない者を救いたいと言う祈りである。

 手を伸ばす事こそが彼の願いであって、掴んだ者を振り払う事など望んでいない。

 

 一度掴んだ者、助け出した相手。

 それを放り出すことなど、彼の渇望とは相反しているからこそ――

 

 

「こうしてお前の身体に触れていれば、それだけで万象掌握は無効化出来るっ!」

 

 

 零距離戦闘において、万象掌握はその力の一切を発揮することが出来ないのだ。

 

 

「気付いて、いたのか……」

 

「ああ! 僕がどれ程お前を見ていたと思っている! あの敗北に、どれ程悔しい思いをしたと思っていたんだ!!」

 

 

 全てはこの一瞬の隙を生み出す為だけに、勝機はこの先にしかなかった。

 バインドで己とクロノを繋ぎ止め、万象掌握を封じる事だけを目的としていた。

 

 その為に一度負けたのだ。

 支配を封じる為に、先ず負ける事こそ勝利条件。

 

 クロノの出来る事を見誤っていたが、そんなのは大勢に影響しない。どうあれ負けると分かっていた。

 敗北した自分に対して、油断したクロノが近付いて来る事。その一点だけに最初から賭けていたのである。

 

 そんな分の悪い賭け。賭け金全部フルベット。

 その大一番に勝利した今、互いの条件は対等となった。

 

 この今になって漸く、下らない喧嘩はその幕を開けるのだ。

 

 

「これがお前の歪み――万象掌握の弱点だ!!」

 

「っ! だが、そんなもの!!」

 

 

 この鎖こそが歪みへの対抗手段だと言うならば、それを破壊してしまえば良い。

 魔力刃を灯したS2Uを鎖に向かって振り下ろして、クロノはバインドを破壊しようとする。

 

 だがそんな真似、相対する少年が許す道理もない。

 この密着状態ならば、魔法を使うよりも拳を振るった方が早いのだ。

 

 

「知ってるかい、クロノ! これ、地球じゃチェーンデスマッチって言うんだぜ!!」

 

「何? がっ!?」

 

 

 右手で鎖を引っ張って、左の拳で殴り抜く。

 身動きできない等距離で、武器も魔法も技術も全ては意味がない。

 

 泥臭く殴り合う。それだけが今、出来る事。

 

 

「デバイスなんか、使う暇がないぞ! さあ、男らしく殴り合おうじゃないか!!」

 

「っ!? この、脳筋がっ!!」

 

「脳味噌のことで云々言われたくはないさ! 岩石頭!!」

 

 

 引き寄せたクロノの頭に頭突きをかまして、額から血を滲ませながら、ユーノは悪童の如くに嗤うのだった。

 

 

 

 

 

 殴り合う。殴り合う。殴り合う。

 互いの歯が飛び、互いの骨が折れ、互いに血飛沫が舞う。

 

 単純な近接格闘での技量は同等。

 否、ユーノの方がもう僅か上を行くだろうか。

 

 だがそんな技術差も、この距離では然したる意味がない。

 相手と腕が繋がれている現状、回避や防御の技術が介在する余地がないのだ。

 

 この殴り合いで関係するのは唯、一撃の威力とタフネス。そして意思の強さである。

 

 一撃の重さはクロノの方が上を行く。

 それも当然、彼の右手は鋼鉄の塊なのだから、その一撃は未だに体が出来上がっていないユーノの拳の比ではない。

 

 そしてタフネスもまたクロノの有利。

 彼の身体は戦闘機人のそれ。骨格レベルで弄られているそれに、未だ十に満たない少年の未熟な身体。それも体中がボロボロの状態で、及ぶはずがない。

 

 デバイスを投げ捨て、歪みを封じて、それでもクロノの方が有利である。

 そんな戦闘。そんな殴り合い。だが、そうでありながらも、戦線は拮抗している。それは何故か。

 

 

「何故、何故! 倒れない!!」

 

「はっ、馬鹿だなクロノ! 分かんないのかよ! 気付かないのかよ!!」

 

 

 そこにあるのは唯一つの要因。

 筋力でも耐久力でもない要素。

 

 即ち、それは――

 

 

「死にたがりの拳なんて、取るに足りないんだよ!!」

 

「っ!?」

 

 

 意志の強さ。そこにあるは意思の差だ。

 先を求める意思の差が、退けないという想いこそが、ユーノがクロノに勝る唯一つの要因である。

 

 

「僕が、僕が死にたがっているだと!?」

 

「違うのかよ!」

 

「違うさ!」

 

 

 認められるか。認めるものか。

 死にたがりと罵倒する言葉に、クロノは反発の意を示す。

 

 そうして振るわれた拳を受け止めて、ユーノは喝破するかの様に怒号した。

 

 

「なら、何なんだよ! 今のお前の無様さは!?」

 

「っ! うるさいんだよ! 何も知らないお前がぁっ!!」

 

「都合が悪くなればまたそれか! 言っただろう、言われないと分からないってさぁっ!! 覚えておけよ、岩石頭!!」

 

 

 互いに罵倒しながら殴り合う。否定しながら向き合い続ける。

 そこには技術などはなく、そこには異能などもなく、只々愚直な想いのぶつかり合いだけが存在していた。

 

 

(こんな、馬鹿野郎にっ)

 

 

 ぎしり、と体が軋んだ。

 処刑の刃によって付けられた傷は残っている。落下の衝撃は本物だった。

 それは例え防御魔法で凌いだとしても、治療魔法で治したとしても、完治する訳などある筈もない。

 

 全身が傷む。内臓がズレている。

 無理矢理治療した骨折が、どうもおかしな形でくっついてしまったようだ。

 

 ああ、それでも――

 

 

「負けるものかぁぁぁぁっ!」

 

 

 この死にたがりにだけは、負けたくない。

 負けたくないと思えるならば、どんなに辛くてもまだ戦える。

 

 

「僕はまだ戦える!」

 

 

 悲鳴を上げている体を無視して、ユーノは拳を振るう。

 今にも倒れそうな状態で歯を食い縛って、意地を貫く為に前へと踏み出す。

 

 

「だから倒れろ! 勝つのは僕だ! 死にたがって破滅しそうな馬鹿野郎に、負けてなんかいられないんだよ!!」

 

 

 ユーノの拳を受けて退きながら、それでもクロノは一歩で踏み止まった。

 負けたくないと吠える少年に対して、似た様な気持ちが芽生えていると自覚する。

 

 

(こんな、奴にっ)

 

 

 ぎしりと体が軋んだ。

 視線をユーノから動かさずに、視界の端で確認すれば右手が煙を発している。

 無理をさせ過ぎたらしい。これまでの行動で精密機械は完全に壊れてしまっている。何時動かなくなるかも分からない。

 

 それだけではない。全身が怠い。疲労が濃い。空腹と睡眠不足。三日に渡って不摂生をしたツケがここに来た。

 そしてそこに打ち込まれた拳が、駄目押しとなったようだ。もう何時倒れてしまってもおかしくない程に、その体は駄目になっている。

 

 ああ、それでも――

 

 

「負けるものかぁぁぁぁっ!」

 

 

 此処で負ける様では何も出来ない。

 こんな理想主義な弱者にだけは、負けたくなんてなかった。

 

 ならばそう、まだクロノだって戦える。

 

 

「僕はまだ戦える!」

 

 

 限界を迎えた体を意思で支えて、そしてクロノは拳を振るう。

 疲労も摩耗も関係ない。今この瞬間だけは、ただの死にたがりなままじゃない。

 

 

「だから倒れろ! 勝つのは僕だ! 愛した人達の死が無価値ではなかったのだと示す為に、命を賭けてもやるべき事がある! だから、こんなところで、こんな奴なんかに負けられないんだよ!!」

 

 

 殴り合う。殴り合う。殴り合う。

 其処に高尚な思想はなく、果たすべき理想もなく、あるのは唯の意地二つ。

 

 これは下らない喧嘩でしかない。

 

 異能が関わる高次元の戦いなどではない。

 優れた技術を持つ者同士の果たし合いなどではない。

 戦士と戦士が誇りを賭けた、対等の決闘などでは断じてない。

 

 これは下らない喧嘩でしかない。

 

 見苦しいであろう。醜いであろう。

 その技術は洗練されていない。互いに打ち合う拳で顔は膨れ上がって居て、その争いは見るに耐えぬ程に低次元。

 

 ああ、だがそれでも――

 

 

『おぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!』

 

 

 決して無価値などではない。

 

 

 

 拳を打つ度に想いを込める。打ち合う度に否定する。

 最初はその無様な有り様への想いで、ああ、けれどそれだけでは言葉は尽きる。

 

 互いに進む先が異なるなら、求める未来図が違うなら、否定の言葉はそれを否定するだけに尽きる。

 それでも罵り足りないのならば、それとは無関係の所に抱いた眼前の少年への不満を口にするだけだ。

 

 

「時空管理局の執務官。生まれも立場もエリートで、自信と力に溢れていて、何でもサラッと当たり前のように熟していく。そんなお前がっ!」

 

「唯の民間人。遺跡発掘の一族で、争い事とは無関係な筈なのに、あんな怪物達に立ち向かえる。無力な癖に意地一つで貫く姿に、まるでこっちが真面目に生きてないって思わされる。そんなお前がっ!」

 

『気に入らないんだよ! お前がっ!!』

 

 

 それは嫉妬である。それは憧憬である。

 

 隣の花は赤い。隣の芝生は青い。

 人は誰しも、自分にない物を羨ましいと思ってしまう物。

 

 その才能が羨ましい。家族が居たのが羨ましい。大切な人を失っていないことが羨ましい。その在り様が羨ましい。その意思が羨ましい。

 

 羨むということは、一面であれ相手の事を認めていなければ生じない思いである。

 

 

「クロノォォォォォォ!!」

 

「ユーノォォォォォォ!!」

 

 

 それを口にする時点で、最早虚飾は剥げている。

 ここにあるは剥き出しの意思であり、剥き出しの想いであるのだ。

 

 目的など放り出して、先の事など全て忘れて、唯目の前の相手だけを認識する。

 確かに重要な目的はある。為さねばならぬことはある。だが、それも今は関係がない。

 

 今は、今だけは――この気に食わない男を、打ち破る為だけに。

 

 

『おぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!』

 

 

 重い音を立てて、二人の少年の拳が互いの顔面に打ち込まれる。

 クロスカウンター。互いの一撃は、確実に相手を捉えている。其処に優劣などはない。

 

 殴り飛ばされ、翠色の鎖が消え失せる。

 食い縛った身体は限界を迎えて、どちらからともなく少年は倒れた。

 

 揃って、仰向けに倒れる二人。

 ユーノもクロノも、最早一歩を動く力もない。

 

 

 

 下らない喧嘩の結末は、こうして双方の相討ちと言う形に終わったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ぽつぽつと雨が降り始める。

 熱を持ち過ぎた体を冷やすような冷たい雨に濡れながら、ユーノは小さく呟いた。

 

 

「……なあ、頭、冷えたか」

 

 

 動かなくなった体で、空を眺めながら口にする。

 本当はもう少し大きな声で言いたかったが、どうにも外れてしまったらしい顎は上手く動いてくれなかった。

 

 彼が思い付いた“友人”を止める為の方法。

 不器用で出鱈目で、でもそれしか思い付かなかったのだ。

 

 

「……ああ」

 

 

 それでも、そう。立ち止まらせることは出来ていた。

 内に籠った全てを吐き出して、動けない程痛め付けられて、思考しか出来なくなってしまえば嫌でも冷静さを取り戻す。

 

 此処で漸く、クロノ・ハラオウンは止まれていた。

 降り始めた雨の中に、漸く止まれた少年は空を見上げて自嘲する。

 

 

「本当は、分かっていたんだ」

 

「……」

 

「死にたがっていることも、間違っていることも、望まれていないことも、全部、全部分かっていて。……ああ、それでも」

 

 

 大切だった。愛していたのだ。

 だから立ち止まれなかった。立ち止まりたくはなかった。

 

 彼女達の下へと、そう望んでいたのは事実である。

 其処から目を逸らして、復讐をと猛っていたのは事実であった。

 

 動けなくなって、漸くにクロノはそれを認めていた。

 

 

「分かって、いたんだっ!」

 

 

 雨が強くなる。豪雨の様に強くなる。

 それはまるで涙を流せぬクロノの代わりに、誰かが泣いているようにも思えた。

 

 

「エイミィ……母さんっ」

 

 

 慟哭するかのように、クロノはその名を口にする。

 想いを全て吐き出すかのように、雨音の中で叫ぶクロノの声。

 

 それを聞きながら、ユーノは意識を手放す。

 ここで全てを吐き出せたなら、きっとクロノは大丈夫だろうと安堵していた。

 

 

 

 そうして意識を失った少年の横で、クロノ・ハラオウンは愛する人達の為に、初めての涙を流したのだった。

 

 

 

 

 

4.

 少女は暗闇の中に居た。

 闇の奥底。光の届かぬ地。上も下も、前後左右すらない場所に一人居る。

 

 知っている。分かっている。この場所を少女はとても良く知っている。

 

 

「闇の書の、中?」

 

 

 此処は闇の書の内部。其処の底の億の奥。

 

 何故ここに居るのだろうか?

 書の中に戻った筈はないのだが、と疑問を抱いて、ふと奥にあるナニカに気付いて意識を切り替えた。

 

 

「何だ、ありゃ?」

 

 

 少女は知らない。鉄槌の騎士は知らない。守護騎士達の誰もが知らない。

 闇の書とは封印だ。その奥にある永遠結晶エグザミア。それを封じる為の機構。

 

 ならば其処に居るのは、永遠を象徴する存在。

 エグザミアとは即ち、■である彼から零れ落ちた憎悪である。

 

 

「あ――」

 

 

 それに気付いて、それを認識した瞬間、少女は言葉を失った。

 

 

 

 この押し潰されるような感覚。否、押し潰されるなどという生優しい物ではない。

 溢れ出る瘴気の念が、想像を絶する程に濃く広がっている。それはまるで、この闇の書の内側を猛毒で染め上げてしまっているような異常。

 

 そう。それは明らかに別次元。

 あの叫喚地獄の主ですら、赤子にさえ見えぬ程に強大な存在。文字通り全てが隔絶してしまっている。

 

 その瞳は血涙を流しながら赤く染まり、その肌は浅黒く病的なまでに痩せ細っている。

 その髪は瞳と同様、血の様な赤き色を見せていて、絡みつくように白き双頭の蛇が巻き付いていて、その腕には死者の躯を抱き留めている超越者。

 

 それこそが――穢土の主柱。天魔・夜刀に他ならない。

 

 

「あ、ああ……」

 

 

 茫然と口を開く。声を出すつもりはないのに零れ落ちていた。

 そんな少女の無様を、神は気にする素振りすら見せず、只々譫言のように同じ言葉を繰り返している。

 

 それは必然。何故ならばここにあるは残滓に過ぎぬから。

 欠落した欠片の一部。負の念だけがこびり付いたモノだから、それは真実外界を認識してなどいない。

 

 

――許さない。認めない。消えてなるものか。

 

 

 最早その言葉に意味はない。

 嘗ての負の情を撒き散らすだけの、意味のないリフレイン。

 

 今の世界とは分断された、唯取り残された憎悪の欠片。

 それこそが闇の書の動力源であり、これこそが今、彼ら守護騎士とその主を生かす力だ。

 

 

 

 おかしいとは思わなかったのか?

 何故あんなにも簡単に、守護騎士らは魂に目覚めた。

 

 人の作りし人工物には魂など宿らぬ物。

 それが芽生える為には確かな時間か、それだけの決定的な何かが必要だ。

 そして彼らが経験した現象は切っ掛けとは成り得ても、それだけで目覚めるには不足が過ぎた。

 

 おかしいとは思わなかったのか?

 何故叫喚地獄に飲み込まれた書の主が、今尚生存しているのか。

 

 腐毒の王が加減した? 初期治療が有効だった?

 ああ確かにそれも理由の一つだろうが、それだけが全てと言う訳ではない。

 

 彼女達が魂に目覚めたのも、書の主が未だ生きているのも、全ては此処にコレが居たから。

 怒り狂い憎悪する神の残骸。永遠結晶エグザミアから流れ込む力が、彼女達に影響し続けていたのである。

 

 

「あ、ああああああああっ!?」

 

 

 入って来る。入って来る。入って来る。

 流れ込んで来るのだ。まるで水が高きから低きに流れるように、その膨大な力が注ぎ込まれる。

 

 

「ああああああああああああっ!!」

 

 

 止めてくれ、耐えられない。もう無理だ。

 鉄槌の騎士という小さな器に、大天魔すら軽々と超える程の力を注がれては壊れてしまう。

 

 それでも流れ込んでくる力に、加減などは欠片もない。

 そんな思考の余地もない結晶体は、純粋な力として彼女達を強化し続けている。

 

 

「うあああああああああああっ!!」

 

 

 自我が消えるその感覚。

 己が薄れる錯覚に、例えようがない程の恐怖を抱く。

 

 ヴィータは恥も外聞もなく、涙や鼻水を垂らし、声を上げながら逃げ出した。

 

 

 

 その背に届く。一つの言葉。

 

 

――我ら無間地獄の怒りを思い知れ。

 

 

 それに何の意味もなく、そこに何の価値もなく。

 闇の書の奥底で、その残骸は恨みの言葉を唯々漏らし続けていた。

 

 

 

 

 

「あ、あああああっ!!」

 

「ヴィータちゃん?」

 

 

 叫び声を上げながら目を覚ます。

 顔を真っ青に染めた鉄槌の騎士の姿に、湖の騎士は心配そうな表情を浮かべていた。

 

 

「あ、シャマル? ……夢、だったのか?」

 

 

 蒐集を繰り返す中、少し休めと言われて仕方なくとった仮眠。その最中での出来事であったのか、と思い至る。

 

 

「随分魘されてたみたいだけど、大丈夫なの?」

 

「あ、いや、平気だ。……ちょっと嫌な夢、見ちまってよ」

 

 

 そんなヴィータの言葉に、平気なら良かったとシャマルが胸を撫で下ろす。

 その姿を見詰めながら、しかし抱くは一つの疑問。

 

 ああ、あれは本当に唯の夢だったのだろうか?

 

 それが疑問として引っかかり、どうしようもなく気に掛った。

 

 

「なあ、シャマル?」

 

「どうしたの、ヴィータちゃん?」

 

「お前さ、変な夢、見た事ないか?」

 

「変な夢って、どんな夢かしら?」

 

「いや、その。……闇の書の奥にある。何かの夢」

 

 

 そんな風に問いかけるヴィータの言葉に、シャマルは少し考え込むように黙り込んで。

 

 

「いいえ、そんな夢は見た事もないわね。……そもそも、闇の書の奥には何もないでしょう」

 

「そっか、そうだよな」

 

 

 ワリィ、変なことを聞いた。そうシャマルに告げると、ヴィータは闇の書へと視線を移す。

 きっとあんな夢を見たのは、闇の書が完成していないから。蒐集効率の悪さを気にし過ぎて、夢にまで見てしまったのだろう。

 

 

「漸く、550頁。この調子で行けば、きっと」

 

「いや、足りねぇ」

 

 

 シャマルの楽観論を否と切り捨ててヴィータは思う。

 漸く550頁。まだ116頁残っているのだ。闇の書が記録媒体としての性質を持っている以上、集まれば集まる程稼げる頁は少なくなる。

 

 もうこれ以上集める事は、今以上に厳しくなるだろう。

 

 

「何か、別の方法を考えねぇといけないかもしんねぇな」

 

 

 そう悩みながらも、今以上に効率の良い蒐集方法などそうはない。

 だから二人の守護騎士はこれまで通り、盲目的に蒐集を続けるのであった。

 

 

 

 垣間見た夢の事など、全てを忘れて――

 

 

 

 

 

 そんな姿を、何処かで見ていた両面の鬼が嗤った。

 

 現状は天魔・宿儺の思惑通り。

 人間達も守護騎士達も、他の大天魔達ですら予想の範疇を超えていない。

 

 誰も彼も、未だこの両面の鬼の掌から抜け出せていないのだ。

 

 

 

 

 

 




天魔・宿儺「計画通り」(ニヤリ)

実は無印編の自壊法展開で割と色々やってた彼。
あれ一つで一石三鳥くらいのメリットを得ています。


ジュエルシードの仕組みは魔力素の物質化と物質の魔力素化。
それを膨大な魔力と使用者の意思で行っていたという独自設定です。
(※改訂でそのシーン丸々カットしたけど、設定は変えてません)


後、夜刀様が書けた。
それだけでテンションマックスで執筆速度が上がった作者でした。



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第二十四話 新しき風

今回はクロノくん回。


副題 はやての想い。
   悪友二人。
   クロノの意思。


※2016/12/17 改訂完了


1.

 ミッドチルダ西部エルセア地方。

 中央区であるクラナガンの街並みから離れた場所にある霊園。

 

 ポートフォール・メモリアルガーデン。

 その一画、新たに建てられた墓石を前に少年は立っている。

 

 天魔大戦によって、失われた命を弔う大きな慰霊碑。

 それがある事でも有名なこの場所で、クロノは小さな墓石を前に物思いに耽っていた。

 

 

「御免。少し、遅くなった」

 

 

 口にした言葉は、遅れてしまったことへの謝罪。

 墓石を立てる事も、こうして振り返る事すらも、遅れてしまったと頭を下げる。

 

 眼下にある墓石。その内に眠る者などない。

 アースラは断片すらも回収できず、宇宙の藻屑となってしまった。

 

 それでも此処は、彼女達の墓石である。

 弔うとは死者の為だけではなく、生者が先に進む為に――ならば、空の棺にもきっと意味はあるのだろう。

 

 

「そっちに行きたい気持ちは、まだある。けど、さ」

 

 

 空の棺に向き合って、少年が口にするのは宣誓だ。

 死者への想いを伝えて、残された生者として生きる為に、此処に一つの誓いを立てる。

 

 

「もう少しだけ、ここで進んで行こうって思うんだ」

 

 

 まだ足掻いてみようと思った。

 まだ生きてみようと、そう思えた。

 

 そう想えるだけの出会いがあって、そう抱けるだけの絆があった。

 だからクロノ・ハラオウンは、まだ向こうへは逝けないのだと死人に語る。

 

 

「向き合ってくれる奴が居たから、負けたくない奴がいるから、僕はまだここで生きるよ」

 

 

 何時か向かうその日まで、精一杯に生きたのだと誇れる様に。

 自分の意志でこれからも抗って生きるのだと、確かに少年は此処に誓う。

 

 一人ではない。この想いを抱くのは、きっと自分一人ではないのだから。

 

 

「そっちに逝くのは、もう少し後になりそうだ。……その分、土産話を沢山持っていくからさ」

 

 

 視界の隅に、金髪の少年が映り込む。

 離れた所からこちらを窺うその姿に、変に気を回してと苦笑する。

 

 そうして一笑すると、クロノは瞼を閉じる。

 瞳を閉じたままに数秒。そうして心の向く先を此処に定める。

 

 語り掛けたい事は多くある。伝えたい想いは、山の様に存在している。

 だが、今はこれで良い。迷っていた分を取り戻す為に、今は一歩でも進む時だ。

 

 そうとだけ心に決めて、少年は作り物の瞳を開いた。

 

 ひゅうと冷たい風が吹き、献花の花が空に舞う。

 白菊の花弁が飛び去っていく光景を、目を細めて見送った少年は身を翻す。

 

 

「また、会いに来るよ」

 

 

 大切な人達に別れを告げて、少年は先へと一歩を踏み出す。

 今はもう振り返らない。全てが終わる日までは、前へと進むと決めたのだから。

 

 

 

 温かな日差しの中、少年の門出を祝福するかのように白い花弁は美しく空を彩っていた。

 

 

 

 

 

2.

 秋の終わりにしては、温かな気候が続く中。

 日の差し込む民家の縁側面した窓の傍らにて、両腕を失くした蒼き獣は穏やかに見守る。

 

 身動きすら出来なくなった彼が、意地を貫き通して救えた命。

 車椅子の少女は意識を取り戻して、姉と慕う女性と共に台所に立っていた。

 

 

「アカン。アカンて螢姉ちゃん。それ塩やない。砂糖や」

 

「え? まさか!?」

 

 

 幾ら目覚めたと言っても、瀕死の重傷を負っていたのだ。

 集中治療室から出たばかりの患者と同じく、無理をさせる訳にはいかない。

 

 そういう理屈で、調理を買って出た櫻井螢。

 長い付き合いからその料理の腕を知っていた八神はやては、不安を感じながらに同席した。

 

 その不安は見事に的中し、ある種感心してしまう程の失敗を見せている。

 やっぱりこうなったかと、調理補助を行う少女は窶れた顔に苦笑を浮かべていた。

 

 

「あーあ、こんなに入れてもうて」

 

「くっ、ならば、塩を多めに入れることで中和を!?」

 

「それもアカンて。塩で甘さは消えんし、そんなドバっと入れたらしょっぱくなってまうやん。甘さ消したいんなら辛めの味付けに変えてしまうんが一番やな。甘辛とか美味いやん? 取り合えず、豆板醤辺り入れればええと思うで」

 

 

 簡単な物を作ろうとして、選んだ料理は野菜炒め。

 単純な料理に苦戦している姉貴分を、直ぐ傍らで妹分が支えている。

 

 

(ああ、そうだ。これこそが……)

 

 

 そんな温かな光景を、優しい眼差しで見詰めている。

 盾の守護獣はそんな日常の光景を、確かに好んでいると自覚していた。

 

 

「豆板醤。豆板醤。ハッ! これか!?」

 

「ちゃう。それ豆板醤ちゃう。赤味噌や」

 

 

 調味料の棚から、的確に違う物を選ぶ櫻井螢。

 姉の料理音痴っぷりに頭を抱えながら、違うとツッコム八神はやて。

 

 そんな光景を日常と、そう感じている盾の守護獣。

 彼はふと、そんな光景を日常と捉えている事。それに疑問を抱かない事に、疑問を抱いた。

 

 

(日常。ああ、そう思ってしまう程に、慣れていたのか)

 

 

 日常。これが日常の景色である。

 無意識にそう思った事に、ザフィーラは苦笑する。

 

 戦う為に生まれて、護る為に生きた守護の騎士達。

 戦う事しか知らずして、護る為だけに生きるしかなかった作り物。

 

 温かな食事。温かな寝床。温かな空気。

 そのどれか一つだけでも、己達には過ぎた物だった筈なのに。

 

 それを当然の一部だと、そう思うようになっていたのは何時からだろう。

 

 

「螢姉ちゃんは一人でやらせると味付け忘れて不毛な味になるし、それ指摘しても調味料間違えるからなー」

 

「くっ! だ、大丈夫よ。食べられる物しか使っていないんだから、まだ食べられるレベルだものっ!」

 

「そらシャマルの劇物に比べたら天と地やけど。……比べられて嬉しいん?」

 

「……私が悪かったわ」

 

 

 疲れてはいるが、和らいでいる少女の表情。

 不遜にも慣れてしまう程に、幸福だったこの時間。

 

 それを守りたいのだと、心の底から確かに思う。

 失ってしまった両の腕に、護れないと言う歯がゆさを感じている。

 

 此処まで壊されてしまえば、修復には書が必要となる。

 闇の書は此処にはなく、蒐集の為にヴィータが持ち出したままである。

 

 不安に思う。己はこれを守れるだろうか。

 恐ろしく感じる。何かが起きた時、無力になってしまわないか。

 

 

「で、出来たわ」

 

「うん。出来たな。……後は味見をして微調整するんやで、螢姉ちゃん」

 

 

 守りたい。護らせて欲しい。そうありたいのだ。

 

 心の底から理解する。これが感情の動きだと。

 嘗てにはなかった程に、真に迫っているのだと分かっている。

 

 

「あ、味見ね。……はやてがやってくれないかしら?」

 

「…………あー、駄目やって、螢姉ちゃんが初めてちゃんと味付けしたんやから、最後まで自分で完成させへんと」

 

「む。むむむむむ」

 

「味見も含めて料理やで、螢姉ちゃん」

 

 

 ふと一瞬、会話の途中ではやての顔が強張ったような気がした。

 だがそれも一瞬。にこやかに会話を続ける二人の姿に、気のせいだろうと結論付ける。

 

 そうして、盾の守護獣はその身を休める。

 

 

(何か起きたならば、その時せめて、我が身を引き換えに出来るように――)

 

 

 守るべき光景は此処にある。守りたい人は此処に居る。

 ならば盾たる己の役割とは、腕を失くそうと、四肢をもがれようと、命を失おうとも変わらない。

 

 守りたいのだ。護らせて欲しい。どうか健やかにあってくれ。

 

 それは騎士としての役目ではなく、心の底から願った祈り。

 これまでの歴代などは余り覚えていないが、それでもこれ程に祈った事はない。

 

 守護の獣としてではなく、唯のザフィーラと言う個が願う。

 作り物から変わり始めたその獣は、心の底からそれだけを願っていた。

 

 

 

 

 

 八神家の縁側より外に出て、八神はやては溜息を一つ吐く。

 周囲に誰も見ている人がいないと分かって、その弱さが瞳から溢れ始めていた。

 

 大丈夫。今は誰も見ている人はいない。

 盾の守護獣は眠りに就き、櫻井螢は病院へと足を運んでいる。

 

 一人だ。一人だから、泣いても良い。

 そう語る内心の弱さに、はやてはぐっと唇を噛み締めた。

 

 

「アカン。泣いたらアカン」

 

 

 目尻から零れる滴を、指で拭って首を振る。

 泣いてしまえと語る弱さを、必死の思いで食い止める。

 

 泣いてはいけない。今泣いてしまえば、きっともう立ち上がれない。

 大丈夫。誰も気付いてはいなかった。ならばこのままでも隠し通せる。

 

 この異常を、誰に明かしてもいけないだろう。

 

 

「皆頑張っとるんよ。皆、皆頑張っているんやから」

 

 

 皆が頑張っている。必死に戦っている。

 

 シャマルが慣れない前戦に出る程に。

 ザフィーラが腕を失くしてしまう程に。

 食事やお風呂が大好きだったヴィータが戻ってこれない程に。

 

 皆が頑張っているのだ。必死に戦っているのだと知っている。

 

 戦う理由は、闇の書の完成。

 それをもってして、全てを救わんとする祈り。

 

 今も死に向かう、八神はやての命を救う為に。

 失われてしまった家族(シグナム)をこの場所へと取り戻す為に。

 

 その為には書の力が必要で、だから必死に動いている。

 もう限界の状態で、如何にか必死に食い付いているのが現状だ。

 

 だから、この状況を知られる訳にはいかない。

 これ以上に多くの物を背負わせたくはないから、歯を食い縛って涙を拭う。

 

 泣いてはいけない。折れてはいけない。

 自分だけが嘆いていてはいけない。それは分かっていると言うのに――どうしてか涙が止まってくれない。

 

 

 

 

 

 秋の温かな日差しの中、香る新緑の空気。

 緑多き風芽丘の大気は、交通量の少なさもあってとても澄んでいて――まるで溝川の底のような臭いがした。

 

 腐っている。腐っている。腐っている。

 

 八神はやての肺は腐っている。八神はやての喉は腐っている。

 呼吸器も食道も胃の中も、あらゆる全てが致命的なまでに狂っている。

 

 どこに居ても、生塵の処理場に居るかのように感じてしまう。呼気をする度に現実が否応なしに伝わって来る。

 何を食べても、糞尿と吐瀉物を織り交ぜたような味しかしない。味見なんて出来ないし、何より作り手に悪いとは分かっても、笑顔を浮かべ続けるのはとても大変だった。

 

 地獄の中に落ちたあの日から、少女は未だ抜け出せない。

 目を覚ましてからの八神はやての現実は、その様相を変えてしまっていた。

 

 目を覚ました瞬間に感じた恐怖。現状を理解した瞬間に感じた絶望感。

 それらに振り回されるように狂騒を演じて、漸く周囲を認識出来る様になって、心配を掛けていることを理解した。

 

 そうして落ち着いた後で、螢達から聞かされた守護騎士の現状。

 余りにも変わり過ぎた現実を理解して――少女は一つの結論に至った。

 

 

「私には何も出来ないんやから、泣いてしまうのだけはアカンのや」

 

 

 頑張っている皆の為に、出来る事が心配を掛けないこと以外に何一つとしてありはしない。

 だから八神はやては涙を隠して、笑顔を浮かべるのである。

 

 それは一体、どれ程の地獄であろうか。

 

 日常生活が行えない程に、五感の多くが狂ってしまっている。

 腐ってしまった肉体の一部が、体内を侵した魔力汚染が、死に体の身体を無理矢理に動かす魔力が、八神はやてを壊している。

 

 死にたくはない。けれどこんな体で生きていくのかと思うと、それだけで心が折れそうになる。

 家族が居なくなったのは悲しい。皆が傍にいないのが寂しい。取り戻したいのだと切に切に願っている。

 

 誰かに迷惑を掛けるのはいけないと分かっているけれど、もうそれを止めることも出来ない。

 誰かが傷付けば元通りに戻るのだと知って、それをいけないことだと理解していて、それでも止めることが八神はやてには出来なかった。

 

 だから少女は涙を拭い、必死に笑顔を作るのだ。

 何も出来ないからこそ、それだけは守り続けるのだ。

 

 

「……ああ、空気が不味いなぁ」

 

 

 誰にも届かぬ程の小さな声音で、涙を拭った少女は一人呟く。

 彼女は未だ、叫喚地獄の中にいる。抜け出すことなど出来はしない。

 

 

 

 

 

3.

 ミッドチルダの首都クラナガン。

 中でも北部に程近い街中を、雑談を交わしながら二人の少年が歩いている。

 

 

「……まさか、お前がこんな行動に出るなんて」

 

「自分でも柄じゃないとは分かっているさ。余り言うなよ、フェレット擬き」

 

「擬き言うな、岩石頭」

 

 

 一人はクロノ・ハラオウン。

 常の管理局の制服姿ではなく、珍しくラフな私服姿をしている。とは言えカジュアルと呼べる程に着崩してはいない。

 ベルトや襟首などをキッチリと整え、ネクタイまで締めているその姿からは、杓子定規な彼の堅物っぷりが伺えるであろう。

 

 もう一人はユーノ・スクライア。

 同じく民族衣装ではなく、カジュアルな服装をしている。

 だがこちらはクロノとは違う。襟首を開き服の裾をズボンの外に出すなど、多少の着崩しをしている。

 そんな少年は、街角の屋台で購入したクレープを口に含みながら歩を進めていた。

 

 

「食べ歩きは行儀が悪いぞ」

 

「気にするなよ、けどこれ不味い」

 

「なら食うな」

 

「買っちゃったんだから仕方ないだろ」

 

 

 じゃれ合いながらも、少年達は目的地を目指して進んでいる。

 ポートフォール・メモリアルガーデンを出た二人は、揃ってある場所を目指していた。

 

 

「管理局には帰投するけど、もう一度地球に戻らないとは言っていないとか、詐欺じゃないか」

 

「規律は守っているぞ。出頭命令の方は、こうして顔を出した時点で果たせている」

 

 

 それは堅物だった少年には珍しい。契約の裏を突くような揚げ足取り。

 

 上層部の指示に従って、こうして管理世界には戻って来た。

 アースラが壊滅したのだから、次の配属先が決まるまでは所属が宙ぶらりんとなる。

 

 その状況を活かして、溜まっていた休暇を捻じ込んだ。

 そして休暇だからと主張して、こうして独自に動いているのである。

 

 

「次の配属先が決定するまでには時間が掛かる。その間に僕が地球で残りの休暇をどう過ごそうが、僕の自由と言う訳だ」

 

 

 全てはもう一度、地球へと向かう為に。

 そしてその地に潜んでいるであろう大天魔。彼らと再び相対する為に。

 

 

「詭弁だね。ってか、知り合いに支援を求めてる時点で、結構ヤバい橋渡ってない?」

 

「別に大した事にはならんさ。僕は個人として、親交のある人物に協力を依頼するだけだからな」

 

 

 唯戻って相対しても、結果は敗北以外にあり得ない。

 だから戻る前に出来る限り、対策を整えてから地球に戻る。

 

 その一環として既に、白衣の狂人に協力は取り付けた。

 そしてもう一つの札を用意する為に、今目的地へと向かっていた。

 

 

「ビビっているなら、逃げ出しても構わないぞ」

 

「だれがビビってるかって」

 

 

 煮え切らない様子のユーノに、臆しているのかとクロノは笑う。

 誰が臆しているかと反論して、ユーノは何を案じているかと口にした。

 

 

「僕が心配してるのは、そんな詭弁、バレないのかって事さ」

 

 

 クロノの行動を追えば、何を企んでいるか明白だ。

 詭弁がバレれば妨害が入り、そうすれば動けなくなる。

 

 ユーノが心配しているのは、それで地球に戻れなくなる危険性だった。

 

 

「何、執務官には独自裁量権がある。なるべく早く地球に行ければ、口出しされても知らぬ存ぜぬで通せば良い」

 

 

 そんな少年に、クロノは笑って言葉を返す。

 多少の問題ならば特権で、強引に突破してしまえば良い。

 

 全ては時間の問題だ。

 執務官より上位が動く前に、用意を終えて地球に向かえば良いだけなのだ。

 

 

「折角の特権だ。こういう時にこそ、使わないとな」

 

 

 時間の問題だからこそ、為すべき事は最低限に。

 そんなクロノが足を止めたのは、先の霊園に向かった時だけだった。

 

 リンディ。エイミィ。アースラクルー。

 彼女らの墓石を用意する事以外には、スカリエッティへの交渉と管理局への休暇申請しかしていない。

 

 生き急いでいるのではないか。立ち止まるべきではないか。

 ユーノは先の醜態を知るからこそ、僅かに不安を抱いて問い掛けた。

 

 

「……ミッドの家には戻らないのか?」

 

 

 ハラオウンと言う名家の血筋。

 家柄に相応しい邸宅は、このミッドチルダに存在している。

 

 其処に一度、立ち寄るべきではないか。

 そう口にしたユーノに対し、クロノは首を横に振った。

 

 

「独自裁量権があると言っても、ミッドで捕まったら自由には動けんからな」

 

 

 時間が余りない。それが理由の一つである。

 ミッドチルダに居る時間は、それこそ最低限にしておきたい。

 

 

「此処で為すべきは最小限だ。切り札一つなく戻るのは論外だが、そう長々と時間は掛けてられん」

 

 

 だが、それ以外にも理由があった。

 

 

「それに、墓参りはもう十分だ。……帰るべき場所に帰るのは、全てが終わってからで良い」

 

「クロノ」

 

 

 帰るべき場所に帰るのは、今ではないと分かっている。

 だから前に進む為にも、膝を折りそうになる事は避けたいのだ。

 

 何処か寂しそうに笑いながらも、其処に弱さや儚さは見えない。

 自暴自棄ではなく、強度を揺るがせない為に、今は立ち止まらないと決めただけ。

 

 それが分かって、ユーノは安堵する。

 堅物さに強かさも合わさって、クロノは確かに変わっていた。

 

 

「しっかしお前もさ。負けてからあっさり復活し過ぎだろ」

 

 

 安堵する内心を隠して、口にしたのはそんな皮肉。

 話題を変えたユーノの言葉に、クロノは眉を顰めて言葉を返した。

 

 

「まあ、気持ちの切り替えは出来たからな。……しかし、一つ聞き捨てならんな。誰が誰に負けたんだ?」

 

「お前が、僕に。……あの喧嘩は僕の勝ちだろ? どう考えてもさ」

 

 

 誰が負けたと言うのか、そんな風に睨み付けるクロノ。

 お前が負けたのだと、悪童の影響を受けた笑みを浮かべるユーノ。

 

 二人は足を止めて睨み合う。

 

 

「……ふん。先に気絶したのはお前だろうに。どう考えても僕の勝ちだな」

 

「あ?」

 

「なんだ、言いたいことでもあるのか?」

 

 

 勝敗など、どちらでも良いだろう。

 第三者ならば言うのだろうが、当事者達には重要な項目である。

 

 ユーノにとっても、クロノにとっても、相手は負けたくない男なのだ。

 

 

「本懐を遂げたのは僕だぞ。お前をぶっ飛ばして更生させたんだから、どう考えても僕の勝ちだろう!」

 

「はっ、その後死に掛けてたお前をスカリエッティの元まで連れて行ったのは僕だぞ。意識を失くして死にそうだったお前が勝者? 馬鹿を言うなよ、白けるんだよ」

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 顔を近付けて、ガンを付ける。

 互いに勝利を譲らぬ少年達は、相手が認めないなならば、仕方がないと開き直り。

 

 

「もう一度、ぶっ飛ばしてどっちが上か教えてやるよ、クロノ!」

 

「はっ! 上等だユーノ。覚えの悪いお前の頭でも分かるよう、骨の随まで敗北を叩き込んでやる」

 

『ぶっ飛ばす!!』

 

 

 白昼の街中で、拳を握り締めて振り被る。

 周囲の迷惑などは省みず、さあ、今から戦うぞと互いに構えた。

 

 天下の往来にて、拳を向け合う子供達。

 そんな目立つ行為をしていれば、妨害が入るのも当然だった。

 

 

「お二人とも、ここは公共の場ですよ。それでは周囲の御迷惑になってしまいますわ」

 

 

 第三者に声を掛けられて、争い始める前に揃って踏み止まる。

 振り向いた先には、穏やかな笑みを浮かべる金髪の少女が立っていた。

 

 

「むっ……それも、そうだな」

 

「確かに、此処では迷惑になるよね。……えぇと、ごめんなさい」

 

 

 そうして冷や水を掛けられて、少年達は冷静さを取り戻す。

 通行人や商売人などが迷惑そうにこちらを見ていることに気付いて、二人は恥じ入る様に頭を下げた。

 

 

「いえいえ、まだ大事にはなっていませんから。……ただ、余り喧嘩をしてはいけませんよ」

 

 

 深窓の令嬢と言った物腰の少女は、それだけを口にすると立ち去っていく。

 長い金髪を靡かせて、不快に思われない程度の香りを残していくその姿は、正しく清楚な美少女と言える物である。

 

 少女に付き従うように侍っていた短い赤髪の修道女は無言。

 唯、ユーノとクロノに一礼だけして、少女の背を追い掛けて行った。

 

 

「修道服。聖王教会の人かな?」

 

 

 その背を見詰めて、ユーノは呟く。

 黒を基調とした衣服は、確かに修道服にも似た物であった。

 

 ミッドチルダの北部はベルカ自治領。聖王教会が統治する区画である。

 その付近を歩く宗教関係者となれば、聖王教会の人間だろうと考えるのは妥当な判断と言えるだろう。

 

 そんな彼の言葉に、クロノはふうと一息吐く。

 知らないのかと白けた目をして、彼はユーノに説明した。

 

 

「聖王教会のカリム・グラシアだな。付き人の方は分からんが」

 

「……何で知ってんのさ」

 

「聖王教会の名家であるグラシア家の令嬢だぞ。管理局と関りは深いし、次期教皇の有力候補とされる才女だ。一般の認知だって高い。……むしろ、何でお前が知らないんだ」

 

「スクライアにはそんな情報入って来ないんだよ。……どうせ僕は田舎者さ」

 

 

 管理世界でも有名な話に、どうして知らないのかとクロノは呆れる。

 遺跡発掘の部族にはそんな話は流れて来ないのだと、不貞腐れる様にユーノはクレープに噛り付いた。

 

 因みにカリム・グラシアの付き人は、シャッハ・ヌエラと言う。

 前回の神楽舞にてクロノの対戦相手だった人物なのだが、クロノは完全に忘却していたりする。

 

 

「ってか、本当に不味いな。コレ」

 

「……そんなに不味い不味い連呼されると逆に気になるな。少しくれよ」

 

 

 噛り付いたクレープの味に、表情を歪めるユーノ。

 その様子に逆に興味を惹かれたのか、クロノは少しよこせと口にする。

 

 僅か表情を歪めた後に、ユーノは握ったクレープをクロノへと差し出した。

 

 

「ほら、手で千切りなよ。直接は止めろよ、僕は男と間接キスなんて御免だ」

 

「それは僕もだ。そっちの歯型付いてないとこ、よこせ」

 

 

 昼食用として販売されている、ハムや野菜。ドレッシングが入ったクレープ。

 その角を切り取り、口に入れる。途端に口内に広がる絶秒な不味さに、クロノはその表情を大きく歪めた。

 

 

「確かに、不味いな」

 

「だろ?」

 

「しかし、何故こうも不味くなるのか」

 

「多分、使っている材料が悪いんだろうな。特に油。後は焼きムラが出てるから焼き方も悪い。具材の選択も悪くもないけど良くもない感じだね。ドレッシングは論外」

 

「……そこで料理評論家みたいな台詞がポンと出る辺り、お前は何処に向かっているんだとツッコミたくなるな」

 

「……何が言いたいのさ」

 

「いや、別に。……ただお前、局員より司書か料理人の方が合っていると感じてな」

 

 

 発言としては、特に意図があった訳ではない。

 それでも其処に悪気がないと言えば、確かに嘘になるだろう。

 

 この少年の適正が、戦闘よりもそっちにあると思うのは本心だ。

 そしてそれは同時に、先の不完全燃焼で残った感情から出た売り言葉でもあった。

 

 

「おい。それ、暗に頼りないって言ってないか?」

 

「いや別に、直ぐそういう風に考える所、女々しいとは思うけど」

 

 

 ユーノにとって、その言葉は侮辱にも等しい物である。

 戦士でありたいと望む少年は、そんな売り言葉に買い言葉を返していた。

 

 

「……」

 

「…………」

 

 

 二人の少年は再び睨み合う。

 しかし先程周囲に迷惑を掛けたばかり、とユーノは怒りを抑えて――

 

 

「大体、女々しいのはどっちだよ。あんな風に無様な暴走した挙句、年下の女の子に迷惑かけてさ」

 

「おい。何が言いたい」

 

「べーつーにー」

 

「……」

 

「…………」

 

 

 ユーノの発言に、クロノはカチンと来ながらも己を制する。

 自分の無様さは、他ならぬ自分こそが良く知っている。だから何を言われても、仕方ないのだと己を律することが――

 

 

『上等だよ、お前! ぶっ飛ばしてやる!!』

 

 

 出来なかった。怒りを抑える事も、己を律することも。

 

 互いに拳を握り締め、相手の胸倉を掴んで睨み合う。

 それでも拳を振るわないのは、先程の経験が活きたからか。

 

 殴り合いではなく、ならば決着を如何に付けるか。

 それに迷ったユーノは視線を周囲へと移し、その張り紙を目にした。

 

 

「あれで勝負だ!」

 

「……ふん。良いだろう。何をやっても僕の方が上だと、お前に教えてやる」

 

 

 ユーノが指差す張り紙は、中華料理店の物。

 大食いチャレンジ。時間内に食べ切れたら、無料。

 

 時間がないと理解して、一体何をしているのか。

 互いに冷静な部分でそう思いながらも、そう簡単には止まれない。

 

 男の子には、意地があるのだ。

 理由も手段も大した事ではないが、相手は意地を貫くに足る者なのだ。

 

 そんな下らない理由で、そんな下らない手段で、下らなくはない相手と競い合う。

 馬鹿げた意地だと理解しながらに、それでも少しの時間ならば良いだろう。

 

 そう内心で折り合いを付けた二人は、互いに勝利を確信していた。

 

 

「いい気になるなよ、クロノ! 桃子さんに鍛えられた僕の胃袋を嘗めるなっ!」

 

 

 美味しいお菓子が作れるまでの失敗作処理。

 夕食後に詰め込まれていく高カロリー物体の山は、確かにユーノを食戦士として鍛え上げている。

 

 適当に選んだ勝負内容だが、確かに勝利への確信はここにあった。

 

 対して、クロノは馬鹿な奴だと内心でほくそ笑む。

 クロノ・ハラオウンは半身機械の戦闘機人。人と似ていて人ではない。その身の内にはエネルギー吸収を助ける特殊な機関も存在しているのだ。

 

 本来はエネルギーを効率良く摂取し、摂取したエネルギーを保持する機構だが、応用すれば大量の料理を瞬時に消化する事とて不可能ではないのである。

 

 

 

 そんな彼らのフードファイトは、互いに僅差に留まった。

 結局、食材切れで決着付かず。決着は今後に持ち越される事となった訳である。

 

 

「次は、僕が、勝つ。……うっぷ」

 

「くっ……変換速度が遅いぞ。スカリエッティ。くそ」

 

 

 互いに口を抑えながら、学ばない少年達。

 そんな風に馬鹿をやりながら、彼らは目的地へと辿り着いた。

 

 

 

 ミッドチルダの外れ。

 北東に位置する場所。そこにその洋館は立っている。

 

 広大な庭園と大きな洋館の姿。

 そこで幼少期を過ごした少年は、懐かしいという感傷を抱いてその先へと向かって行った。

 

 

 

 

 

4.

 微睡の中で老人は夢を見る。

 かつての夢。かつての誇り。今は亡き、大切な者達。

 

 そういった輝かしい過去を夢に見ている。

 

 

 

 若き日に理想を抱いて管理局へと入局した少年期。

 大天魔の襲来によって知った現実を、何とか変えようと熱意に任せて努力し続けてきた。

 

 現実と理想の差を知り、たった一人の限界を知った青年期。

 神々に対抗する兵器を開発するという動きがあることを執務官という役職故に知れた彼は、そこに己が進むべき道を見出した。

 

 そして執務官長という立場を得た。

 崩壊寸前の艦隊を纏め上げたことで海の英雄。歴戦の勇士などと称され持て囃された。

 

 

 

 若き才と出会い、その生きる姿に希望を見出した壮年期。

 研究は生き詰まり、防衛は常に限界。討伐には失敗し、諦めが芽生え始めていた頃。

 

 そんな男は、歴代でも最高と言える弟子を育て上げた。

 そんな男の弟子が生きる姿に、諦めながらも僅かな希望を見出した。

 

 己一人では届かずとも、己がそうであったように彼らが跡を継いでくれる。

 弟子である彼が妻を迎え、子を為した。その子が育つ姿に、抱いた希望は確信へと至る。

 

 一人では達成できずとも、何かを残すことならきっと出来る。

 その道の後に続く者が途絶えぬならば、それこそが人の輝きなのだと確信した。

 

 

 

 緩やかな平穏を失い。唯走り続けた中年期。

 我が子のように思っていた教え子を失い、娘達と共に対抗手段の完成にのみ専念した。

 

 狂気にも似た男の執念と、叡智を持った狂人の介入が状況を打破する。

 行き詰っていた欠陥品は完成し、その決戦兵器を手に男は憎むべき神々へと挑んだ。

 

 そして、その結果は――こうして、唯の老人が残った姿が明らかにしているであろう。

 

 

「私は届かなかった。……そう。届かなかったんだ」

 

 

 安楽椅子に揺られる初老の男。

 だがその疲れ果てた姿は、末期の老人を思わせる。

 

 そんな老人は、孫のように思う少年に向かって問い掛けた。

 

 

「……それで、こんな枯れ果てた老人に何の用かな? クロノ」

 

「ギル・グレアム提督」

 

 

 振り返る事もない。枯れた声で語る老人の背中。

 その姿に寂しさにも似た感情を覚えながら、クロノは気持ちを切り替えて口を開いた。

 

 此処に来たのは、過去に浸る為ではない。

 この先に進む為に、必要な力を得る為に来たのだ。

 

 

「伝えておくべきことが一つ。そして、聞きたい事が一つです」

 

 

 要件は二つ。要求が一つに伝達が一つ。

 

 伝えるべきことは単純だ。

 この祖父のように思っている老人に対して、伝えねばならない事は一つだけ。

 

 

「母さんが、死にました」

 

 

 自分にとっての母。老人にとっての娘。

 その死を口にして、此処に一つの決着を付ける。

 

 そんなクロノの言葉に、ギル・グレアムは天を仰いで呟いた。

 

 

「そうか。……そうか」

 

 

 逝ってしまったか、と老人は嘆く。

 こんな老い耄れよりも早くに、逝ってしまうのかと嘆いている。

 

 その悲痛に沈む姿は、安楽椅子に座り背を向けた状態でも分かる程。

 それ程に気落ちしている事が、誰にも分かる程に明らかに伝わって来ていた。

 

 

「――っ」

 

 

 だが、それだけだ。そこに悲痛はあれ、怒りはない。

 ギル・グレアムは無情感こそ抱いているが、理不尽に対する怒りを抱いてはいないのだ。

 

 その事実に、その爪も牙も剥がされた姿に、クロノは拳を握り締めた。

 

 

 

 嘗て、リーゼアリアとリーゼロッテという使い魔にクロノは鍛え上げられた。

 

 ギル・グレアムの使い魔であった、二人の猫娘。

 正しく一級と言う実力を兼ね備えた彼女達を、クロノは師と仰いでいたのである。

 

 その訓練の為に、この屋敷で幼少期を過ごした。

 ギル・グレアムの元、リーゼ姉妹に扱かれながら局員となることを目指していたのだ。

 

 当時のギル・グレアムは精力的な男であった。

 既に初老の域に差し掛かっていた男ではあったが衰えは微塵も見られず、クロノはその姿に唯憧れた物である。

 

 だが、それが今は見る影もない。

 

 そうなった理由は分からない。

 唯、クロノが初陣で重症を負い、高魔力汚染を抱えて闘病している間にリーゼ姉妹が死んだという話だけは聞いている。

 

 その後、グレアムは執務官長を辞し隠棲したとだけ聞かされていた。

 執務官としての激務故に会いに行く時間も作れなかったクロノが、こうして彼と顔を合わせるのはもう数年振りの事である。

 

 故にその変貌を知らなかった。

 だが、いや、だからこそ少年は思う。

 

 グレアムが為した功績を、スカリエッティより聞かされたからこそ、筋違いと分かっていても思ってしまうのだ。

 

 

「どうして、貴方は! 彼の大天魔を一度は追い詰めたと言うのに、何故再び立たないのですか!?」

 

 

 悲痛の籠った言葉。怒りの籠った言葉。

 尊敬する人だからこそ、強く合って欲しいという勝手な言葉。

 

 憧れの祖父が病床に伏した姿に、見上げる孫は弱音を聞きたくなかったと憤っている。

 そんな孫の言葉を受けて、内に籠る感情を知り僅かに歓喜する。それでも老人が立ち上がるには、何もかもが遅かった。

 

 この老人はもう、折れている。

 彼はもう諦めていて、立ち上がる事は出来ないのだ。

 

 

「何処でそれを聞いたかは知らないが、追い詰めた、か。……そうだな。確かに私は、後一歩という所まで手を届かせた」

 

 

 管理局が作り上げた対大天魔兵器。現代に生まれたロストロギア。その名を氷杖デュランダル。

 彼の大天魔すら凍てつかせるそれは、確かにある無人世界で行われた戦闘において、天魔・悪路を封じることに成功した。

 

 だが――

 

 

「その末路が、これだ」

 

 

 安楽椅子から上体を起こし、振り返るグレアムの姿に少年達は息を飲んだ。

 

 その顔は酷く焼け爛れている。その体は半分程が炭化してしまっている。

 魔法技術による延命装置に繋がれていなければ死んでしまう程に、自分の足で立ち上がる事も適わぬ程に、ギル・グレアムは衰えていた。

 

 

――無間焦熱――

 

 

 嘗て己を焼いた炎を思い出す。

 

 愛しい娘達の命と引き換えに、大天魔を如何にか罠に嵌めることに成功した。

 そうしてデュランダルによって彼の怨敵を永久凍結させた直後、勝利を確信した彼の眼前に現れたのは黄金の大天魔。

 

 金糸の髪を持つ、四腕二刀の女武者。

 紅蓮の炎と天を裂く雷光。二つの力を持つ怪物の名を――天魔・母禮。

 

 デュランダルの凍結は、収束魔法の技術を応用した物。

 大天魔自身の力を利用して、永久に封ずることを可能とした物。

 故にこそ決して溶ける事はなく、神々に対しても切り札足り得る武器だった。

 

 だが、決して溶けぬ筈の氷獄が砕かれた。

 八大地獄が内一つ。炎熱を司る焦熱地獄を前にして、永久の氷は崩されたのだ。

 

 大天魔の太極とは、概念に近い力である。

 悪路の腐毒がそうであったように、母禮の炎もまた同様なのだ。

 

 氷は炎で溶ける物。それは子供でも分かる世の道理。

 例え大天魔自身の力によって維持される永久凍結であろうとも、理論上は他の大天魔にも崩せぬ代物であろうとも、それが氷であれば炎に溶かせぬ道理はない。

 

 結果として、老人は多くの者を失った。

 何一つとして得ることは出来ずに敗れた老人は、もう手元に何も残っていないのだ。

 

 

「私はもう、疲れてしまったんだよ。……神々に抗える程、私は若くも強くもないのだ」

 

「……っ!」

 

 

 大天魔との戦いは、希望一つ見えはしない。

 愛しい者を失って、抗う術も届かずに、それでも戦い続けることの出来る者など多くはないのだ。

 

 

「それで、こんな役立たずを戦場に出すことを望んでいたんじゃないんだろう?」

 

 

 その疲れた表情に、クロノは奮起させることを諦めた。

 

 元よりそれが目的ではないのだ。

 ここに訪れたのは、大天魔打倒の術を求めての事。

 

 スカリエッティが漏らした、現代のロストロギアを求めてやって来たのだ。

 

 

「……ええ、僕が必要としたのは」

 

「デュランダル、か」

 

 

 氷杖デュランダル。

 一度とは言え大天魔をも追い込んだその力があれば、そう考える者は多く、そして求める者も少なくはない。

 

 だが、それをギル・グレアムは死蔵した。誰にも渡さず、決して使うこともせずに。

 

 

「……一つだけ忠告させて欲しい」

 

 

 ギル・グレアムは語る。

 己が辿って来た人生から得られた事実を忠告する。

 

 

「その先は、地獄だぞ」

 

 

 それは万感の籠った言葉だった。

 立ち上がり、進む先には何もないと知っているかのような言葉だった。

 

 抗えるかも知れない。そんな中途半端な希望は毒である。

 如何にかなるかも知れない。その想いこそが、救いのない地獄に人を落とすのだ。

 

 故にグレアムはデュランダルを封じた。

 人の手では神を弑逆出来ないのならば、あれはない方が良い。そう信じて。

 

 彼の経験が言っている。彼の過去が語っている。

 そんな物があるからこそ、誰もが己と同じ地獄を経験するのだろうと。

 

 それ故の忠告。けれど――

 

 

「ええ、知っています」

 

 

 クロノは知っている。この先が地獄なのは知っている。

 今生きる世界は、当の昔から地獄だったのだと知っていたのだ。

 

 失ってしまった命があった。

 取り零してしまった宝石があった。

 

 僅か十四年で、これだけのことがあったのだ。

 ならば先がより過酷となるのは、どうしようもなく分かり切ったことだろう。

 

 苦しいだろう。悲しいだろう。辛いだろう。

 考えるだけで引き裂かれる様な、想像するだけで叫びたくなる様な、そんな救えない地獄がある。

 

 けれど、それでも思うのだ。

 黄昏の先に待つ。この夜の帳が落ちた時代で、確かにクロノは思うのである。

 

 

「明けない夜はない。黄昏の後、日が沈み、そして夜明けが何時か来るように」

 

 

 実りの秋は此処に終わって、今に残るは冬の時代だ。

 稲穂を思わせる輪廻の女神は此処になく、全てを凍らせる冬の眠りが維持している。

 

 その事実を知らずとも、確かに想う事はある。

 夜の先の曙光が見たい。冬の後に訪れる、春の季節が見たいのだと。

 

 

「だから、僕はそれを目指したい。何時か来る夜明けを待つのではなく、自ら夜明けに向かって歩を進めたいんです」

 

 

 そんな事に気付くまでに、色々と馬鹿をやってしまったんですがね。

 そう続ける少年の姿を、老提督は眩しい物を見るかのように見詰めていた。

 

 

 

 そう。あったはずだ。嘗ての自分にも、こうして希望に溢れて前を向いていた時期が。

 そう。信じたはずなのだ。こうして引き継がれていく想いこそが、唯一人が持てる可能性なのだと。

 

 だから、老人は少年の想いを受け止めた。

 もう立ち上がる事は出来ずとも、先に残す為に想いを受け入れたのだ。

 

 

「あの子の――クライドとリンディの想い出の場所だ」

 

「え?」

 

「そこにデュランダルは眠っている。好きに使うが良い」

 

 

 分かるか、と問いかけるギル・グレアム。

 母さんから惚気話は何度も聞きましたからとクロノは返す。

 

 此処に一つ、祖父から孫へと、それは受け継がれる。

 

 

「有難う御座います。グレアム提督」

 

 

 駆け出して行く黒髪の少年。

 同行していた金髪の少年は一礼をするとその後を追って行く。

 

 そんな子供達の見詰めながらに、ギル・グレアムは一人呟いた。

 

 

「あれが、若さか」

 

 

 大天魔との戦いは命懸けだ。それでも返る物のない絶望的な戦場だ。

 

 彼らにデュランダルを託した事が、吉と出るか凶と出るかは分からない。

 彼らを戦場へと追いやるこの選択は、きっと間違っているんだろうと確信している。

 

 娘達と息子夫婦を失って、そして孫までも死に急ごうとしている。

 その事実に、この老い耄れより先に逝ってくれるな、という想いを抱いている。

 

 けれど、ああそうだとしても――

 

 

「新しい風が、吹き抜けていったな」

 

 

 

 吹き抜けていった新しい風は、何かを成し遂げてくれそうだと確かに思えた。

 そんな風に目を細めて、老いて枯れ果てた老人は微かな笑みを浮かべていた。

 

 

 

 僅かに揺れていた安楽椅子が、静かに止まる。

 全てを託した老人は眠りに落ちて、風の生末を祈るのであった。

 

 

 

 

 




クロノくんパワーアップ回。

魔改造デュランダル入手。
現在の弱体化天魔ならワンチャンあります。
母禮と大獄には効きませんが、宿儺相手だと発動すらしませんが。


後、重病人モードでも他人を気遣えるはやてちゃんはマジ天使だと思う。(小並感)



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第二十五話 君がいるから

タグに恋愛とDies iraeを追加。今回はなのは回です。
後半、糖度が高過ぎてネタに走ったが、僕は悪くない。

副題 クールに決めるクロノ。
   男の意地。女の意地。
   やっぱりKYはKYだった。

※2017/01/05 改訂完了。



1.

 平日の昼下がり、相次ぐ災害の影響で閑古鳥が鳴く翠屋の店内に、久方振りの賑やかさが舞い戻っていた。

 否、多くの人で賑わっているのではなく、たった二人の少年が張り合って騒いでいるのだから、これは騒がしいと言うべきであろうか。

 

 がつがつむしゃむしゃと食事を搔き込む音が響き、目の前に空いた皿が積み重ねられていく。

 翠屋の給仕服に身を包んだ高町なのはは、眼前の光景に唯々目を白黒とさせている。

 

 そんな彼女に、食事を続ける二人から告げられる言葉は唯一つ。

 

 

『御代わり!』

 

「にゃ! また!?」

 

 

 ほぼ同時に二人の少年から空き皿が差し出され、なのはは驚愕を口にした。

 そんな様子の彼女を無視して、食べ滓を口に付けた少年達はぎろりと睨み合う。

 

 この勝負、僕が貰った。いいや、勝つのは僕さ。抜かせよ、今にも吐きそうな面をしているじゃないか。お前こそ、消化用の補助機関が煙を上げているように見えるぞ。などとアイコンタクトで遣り取りをする二人。

 

 必ず勝つという意思の元に争い合う両者は、故に背後に迫っている脅威に気付けない。

 

 

「……ふふふ。翠屋は、大食いする為の場所じゃないわよ?」

 

『あ』

 

 

 笑っているのに笑っていない。そんな事が声音だけで分かる程に、高町桃子は怒っている。

 その事に気付いた少年達は、ぎぎぎと錆びた機械のようにゆっくりと振り返って、そこに一人の修羅を見た。

 

 

「少し、頭冷やそうか?」

 

『あーーーーーーっ!?』

 

 

 少年達の悲鳴が店内に木霊する。

 ユーノとクロノの勝負は、乱入者である高町桃子の勝利で幕を閉じたのだった。

 

 

 

 

 

 ミッドチルダにて準備を整えた少年達は、この翠屋にやって来ていた。

 

 この地に存るは大天魔。人の手には過ぎたる大災厄。

 どれ程の準備も、どれだけの策も、全て無為と化すであろう絶対者。

 

 それと真っ向から向き合わねばならぬであろう彼らには、意外にも悲壮感などはなかった。

 信じているのか、諦めているのか、彼らは余りにも平静な様子で、こうしてじゃれ合いを続けている。

 

 そんな姿に、高町なのはは胸に何か燻ぶる物を感じていた。

 

 

(……クロノ君。元気になったんだ)

 

 

 天魔・悪路が過ぎ去った時の、クロノ・ハラオウンの狂態を見ている。その荒れ具合を知っている。

 だが、今の彼にはそれが欠片も残っていなかった。むしろ、以前に比べて、活力と言う物に満ちているのではないかとも思えて来る。

 

 

(あんなに辛い目にあったのに、それでもまた立ち上がれる。……それはきっと、ユーノ君が何かをしたから)

 

 

 クロノがまた立ち上がれたのは、間違いなくユーノ・スクライアの功績だ。

 彼を支えて、立ち直らせたのはきっとこの少年で、ああ、ならばこの気安さも理解が出来よう。

 

 二人の少年は、確実に距離を縮めていた。二人の少年は、確実に前へ進んでいた。そんな事実を、羨ましくも、妬ましくも思ってしまう。

 

 

(仲良くなって、一緒に前に進んで――何でだろう。それは間違いなく良い事なのに)

 

 

 共に頭を抱えている二人の子供は、確かに前に進んでいた。

 そんな二人と比べた時に、自分は果たして自信を持って胸を張れるであろうか。

 

 きっと出来ない。だって何もしていない。

 

 あの悪路が起こした事件により外出を止められ、こうして家に引き籠っている。

 時折、常連客くらいしか来なくなった翠屋を手伝い、時間を潰していただけだった。

 

 何も出来ていない。どこへも進めていないのだ。

 そんな自分だけが取り残されているような感情に、心を曇らせながらになのはは思う。

 

 

(嫌だな。何か、嫌だ)

 

 

 自分の心すら分からぬ子供は、何とはなしに、そんな事を思っていた。

 

 

 

 

 

 プスプスと頭に出来たタンコブから煙を漂わせて、テーブルに突っ伏した少年達。

 そんな彼らを後目に、桃子は彼らが食べ散らかした食器の後片付けを進めていく。

 

 

「……何と言うか、男の子をしているな」

 

 

 そんな光景を眺めながら、高町士郎は苦笑を漏らした。

 二人の対立は男らしい負けん気が籠っているが、他人に迷惑を掛けてしまうのは未熟の証左。

 少年達は己が責任を取れる漢ではなく、まだまだ男の“子”と言えるレベルでしかない。

 

 

「全く、元気なのは良いのだけれど」

 

 

 そう呆れた声を漏らすのは桃子だ。

 他に客が居なかったのがせめてもの幸いだろう。周囲に迷惑は掛からなかったのだから。

 それでも悪さをした子供は叱らなければ、と自己肯定しながら、頭を抱える少年達に冷やしたタオルを与える。

 

 高町なのはは少年達を見詰めたまま、無言で何か考え込んでいる。

 そんな娘の様子を気にしながらも、士郎はどちらが早く立ち上がれるのかと競い始めた少年達に問いかけた。

 

 

「……それで、君達はこれからどう動く気だい?」

 

 

 そう疑問を口にしたのも当然だろう。

 

 この海鳴の地には今、恐るべき怪物が存在している。

 日常と言う平穏の全てを、唯其処に居るだけで壊してしまう災厄が居るのだ。

 

 知っている。その大天魔が為した行いは、確かに愛娘より伝えられている。

 八柱の大天魔が持つ恐ろしさ。それは士郎の予想を遥かに超えるものであった。

 確かに、人の及ぶ所にはない怪物なのだと、そんなことはあの夜の感覚から理解していた。だが、これほどまでとは思っていなかったのだ。

 

 あの事件現場を見に行った士郎は、叫喚地獄の残り香を見た。

 そして戦慄する。力を行使した訳でもなく、悪意を示した訳でもなく、唯そこにいるだけであれ程の地獄を作り上げた大天魔という存在に唯々恐怖した。

 

 あれらがその気になれば、世界など滅ぶ。

 そんな言葉を、実感を伴って理解した瞬間であった。

 

 そしてそれに挑むであろう少年達。

 士郎はこの日常こそをかけがえのないものと知るが故に、こうして彼らに問い質す。

 

 知らねばならないのだ。知らずにはいられない。

 少年達が動くとは、大天魔が動く事と同意。彼らが動けば、その瞬間にもこの日常は失われるのだろうから。

 

 

「大天魔を、君は如何に打倒する?」

 

 

 そんな士郎の当たり前の問いに、クロノは――

 

 

「戦いませんよ。無視します」

 

『はっ?』

 

 

 あっけらかんと、誰もが予想していなかった答えを返した。

 

 

「はぁっ!? 何だよ、それ!! あいつらを倒す為に切り札を用意したんじゃないのかよ!?」

 

 

 そんなあんまりと言えばあんまりな言葉に、反発したのはユーノ・スクライアだ。

 行動を共にした彼とて、クロノが用意した物の全てを知っている訳ではない。

 スカリエッティを始めとする人物に渡りを取っていた事は知っているし、切り札を取りに行った事も知っている。

 

 だが、四六時中一緒だった訳でもない。ある程度の間は別行動を取っていたのだ。

 それはザフィーラ達との戦闘から、以前関連する資料を見つけた事のあるユーノが、再び無間書庫で闇の書関係の書類検索を行っていたからでもあるし、クロノの会う人物が一般人の入れない場所に居たことも理由である。

 

 そうでなくとも彼の頭の中まで分かる訳ではないのだから、口にしなかった策までもを知っている訳がないのだ。

 

 

 

 そんな少年に口にしなくても察しろよと白けた目線を向けながら、クロノ・ハラオウンは当然の現実を口にする。

 

 

「デュランダルはあくまで保険だ。それにユーノ。奴らに勝つなど、現状では不可能だぞ。現実見ろよ、フェレット擬き」

 

「お前が言うな!?」

 

 

 先日まで現実を見ずに無様を晒していた少年の盛大なブーメラン発言に、ユーノは憤慨して言葉を返す。

 そんな少年達のじゃれ合いを止めながら、頭を抱えながら士郎は口にした。

 

 

「ああ、と。詳しく説明してくれないか? そんな結論だけを語られても、何が何やら」

 

「ええ、構いませんよ」

 

 

 こほん、と咳払いを一つして、クロノは持論を主張するのであった。

 

 

「まず大前提として、大天魔が強大であることは周知の通りだと思います。その力は絶大。単体で一惑星はおろか、次元世界一つ滅ぼせるであろう怪物。その一挙手一投足が災厄級のロストロギアと同等以上。管理局が全戦力を投入しても一柱すら倒せない存在です」

 

「ああ、それは分かる。聞いた話と、戦場跡を見ただけだが、あれの異常さは理解出来ているつもりだ」

 

「ええ、そんな一柱でも手に余る存在。それを同時に敵に回すかもしれない状況で戦うという選択こそ間違っているんです」

 

 

 クロノの語るは当たり前の道理。考えてみれば当然の事実。

 大結界の存在するミッドチルダ以外の地で大天魔と戦うという事は、例え追い詰めたとしても他の大天魔に引っくり返される余地を残す。

 大天魔が一柱しか行動出来ないのはミッドチルダの大地だけであり、それ以外の場所で善戦などしてしまえば、続く大天魔が参戦してくるのは当然なのだ。

 

 故に結界の外で戦うなどという選択は、あからさまな愚行である。

 絶対に勝利する要因を揃えた上で、ミッドチルダで迎え撃つ事こそが最上なのだ。

 

 

「彼らは魔力さえあれば何処にでも出現する。その性質上、下手に追い詰めてしまえば第二・第三の天魔を呼び出す結果に繋がるんです」

 

「……だから、戦わない、か。だが、それでは」

 

「ええ、それでは奴らの思惑通りとなる。その目的を掣肘することが出来ない。故に」

 

 

 クロノの目的は唯一つ――

 

 

「ユーノの調べた限り、闇の書。否、夜天の書は完成までに大量の魔力を必要とします。故に必ず、現状で行動可能な守護騎士達が蒐集を行っている。……彼女らを罠に嵌めて、闇の書を回収するんです。そして、僕の歪み。万象掌握を使って即座に安全圏であるミッドチルダへと撤退する。……そうすれば大天魔がどう動こうと闇の書は完成しない。彼らが来る前に、チェックを掛けてしまうのが僕の目的です」

 

 

 大天魔を相手にせずに、夜天の書だけを攻略する。それが少年の出した結論だった。

 

 そんなクロノの言葉に、誰もが絶句する。

 だが考えてみれば当然だと、誰もが確かに納得した。

 

 クロノの手にしたデュランダルは、相手こそ選ぶが確かに大天魔すら封じる規格外品である。

 通じる武器があるのなら、通用する状況を作れば対処は出来る。それは管理外世界ではなく、第一管理世界ミッドチルダであるべきだ。

 

 相性の悪い相手には全軍をぶつけ、デュランダルが通じる相手は封じてしまう。

 ミッドチルダにて一対管理局全体で勝負を挑めば、勝利を揺るがぬ物と出来る。書を奪って引き籠れば、それだけで手筋を限定出来るのだ。

 

 

(無論、下手に事を運べば、土竜叩きに専念される危険もあるが――現状では一番の対策だと言えるだろうな)

 

 

 書を奪い取って引き籠った場合、クロノが考える大天魔の行動は大きく二つ。

 ミッドチルダ大結界が止まる日にこれまで以上の攻勢を仕掛けてくるか、或いは結界周囲に陣取られて外に出る船を土竜叩きの要領で潰されるかだ。

 

 前者の場合はデュランダルと全軍を上手く使って追い詰める。

 後者の場合は亀の如くに引き籠って、後手に回りながら少しずつ削っていく他術はない。

 どちらも後に控える危険の量が大きいが、それでも地球で相対するよりは遥かに上策だろう。

 

 だからこそ、クロノはこの選択を選んだ。

 燃え滾る様な復讐心を飲み干して、最も可能性が高い道に賭けたのだ。

 

 

 

 これは彼らの誰も知らないことだが、ミッドチルダで永久凍結を受けるという事は大天魔にとっては死を意味している。

 

 彼らが彼の地に長居出来ないのは、そこが黄金の領地であるが故に。

 嘗て膝を屈した大天魔達は、未だ黄金の戦奴である。獣の顎からは逃れられてはいないのだ。

 

 そんな彼らがこうして動けるのは、主柱たる永遠の刹那の加護に守られている為。

 だがミッドチルダにおいては、刹那の法よりも、黄昏の法の残滓よりも、黄金の残滓こそが勝っている。

 この地で死んだ者達が、ミッドチルダに長く縛られ魂が消滅するまで輪廻転生出来ぬように、彼の地は黄金の法こそが絶対だ。

 

 例え刹那の加護があるとは言え、それも不完全な今、嘗ての黄金の奴隷達はその法に抗えない。

 彼の地で凍結などさせられてしまえば、相手が残滓に過ぎぬ黄金とは言え、既に食われていたという事実を晒す結果となる。

 

 それが絶対の法なのだから、それに合わぬ現実は塗り替えられる。

 既に死して動けぬ黄金に食われるという形で、大天魔達は終わりを迎えるのだ。

 

 抗えるのは夜都賀波岐八柱の内、僅か三柱。

 嘗て一度たりとも黄金に屈することのなかった主柱とその悪友。

 そして戦奴でありながらも、黄金に立ち向かえるだけの力を有していた者。現代に残る最強の大天魔だけであろう。

 

 偶然が幾度も重なり、何度となく奇跡を起こす必要はあるだろうが、確かに勝機は存在している。

 那由他の果てに掴み取れるかどうかと言う極小の可能性であっても、其れこそが最上と言える解なのだ。

 

 

「君は、それで良いのか」

 

 

 だが、それは眼前の天魔を前に尻尾を巻いて逃げ帰るのと同意。

 誰よりも天魔を憎んでいるであろう少年に、本当にそれで良いのかと士郎は問い掛ける。

 

 もしも彼が憎しみを抑えられずに、この言葉が口先だけで言われた物ならば――それはきっと最悪の展開を生む。

 単一存在だけでも惑星系を滅ぼすには十分過ぎると言うのに、それが二柱三柱と地球に集えば正しく地獄が顕現しよう。

 

 下手に倒せる武器をクロノが持ってしまっているからこそ、そんな感情には負けないと言う保証が欲しいと男は思っていたのだ。

 

 

「……大天魔に思う所はあっても、ここで挑むのは正答ではない。迷い彷徨って、殴られて、漸く気付けた僕の答えです」

 

 

 そんな士郎に向き合って、クロノは想いの全てを語る。

 クロノ・ハラオウンは過去よりも(嘆きではなく)現在よりも(怒りでもなく)未来(希望)こそを選んだのだ。

 

 心の底から溢れる真摯な想いが、紡いだ言葉に力を与える。

 揺るがぬ瞳の色は確かに、信頼に足る物だと高町士郎に感じさせていた。

 

 

「確かに、それなら海鳴が危機に陥ることもない、のか」

 

「闇の書の蒐集を行うには、地球は適していませんから。大天魔の八つ当たりさえなければ安全かと」

 

 

 安堵を漏らす士郎に、クロノは恐らくと同意する。

 言いながらも、クロノは己の推測は確たる物であると思考していた。

 

 大天魔がこの地球を攻撃するとは思えない。それだけの旨味がない。

 ミッドチルダへの攻勢は激しさを増すだろうが、地球がそれに晒される心配はないのだ。

 

 

「幸い、刀自殿の協力も得られましたし、スカリエッティも乗り気です。闇の書をミッドで保管することは可能でしょう」

 

「出来ないこともない。どころか十分に芽がある作戦だな」

 

 

 御門顕明。ジェイル・スカリエッティ。

 二人の協力を取り付けた今、闇の書を回収出来ればその策は必ず成就する。彼の描いた現実味に、士郎も頷きを返していた。

 

 

 

 そんな男達の会話を聞きながら、蚊帳の外に置かれていた少女は一人決意する。

 

 

「私も」

 

 

 守護騎士とは話したいことがある。聞きたいことが山ほどある。

 どうしてあんなに真剣だったのか。どうして八神はやてと共に居たのか。聞かねばならぬと思っている。

 

 だから――

 

 

「私も、一緒に行きたい!」

 

『なのは!?』

 

「……君が、か」

 

 

 高町なのはの発言に高町夫妻とユーノ・スクライアは驚愕の声を上げる。

 そんな彼らとは反対に、冷静な思考で見定めるかのように、クロノはなのはを見詰めた。

 

 

「私だって、力になれるから」

 

 

 何もしていないなんて出来ない。聞きたいことも話したいことも山ほどある。

 大天魔は怖いけど、彼らが来ないと言うならば、きっと自分は動けるから、と。

 

 そんななのはの内心を見切って、クロノはそれを甘いと断じた。

 

 

「君は、大天魔が来ないとでも思っているのか?」

 

「え?」

 

 

 大天魔とは戦わない。そう言った少年が、しかし自らそれを否定する。

 

 彼が何を考えているのか理解できずに、啞然とするなのは。

 そんな思考が追いついていない少女に向かって、少年は己が脳裏に浮かべた推測を確信と共に説明した。

 

 

「来るぞ。間違いなく。それが直接か、間接か。分からないが妨害は必ずある」

 

 

 間違いなく、大天魔は現れる。そうクロノは確信している。

 それが如何なる形になるかは分からずとも、完全に出し抜けるなどと油断はしていない。

 

 騎士達を無力化して直ぐに、ミッドチルダまで逃げられると言う道理はない。

 間違いなく撤退する前に彼らは大攻勢を掛けて来る。妨害を仕掛けて来るはずなのだ。

 

 これだけの仕込みを、台無しになどさせない為に。

 

 

「僕は一目散に逃げる気だが、それでも一撃は受けるだろう。万象掌握ならば逃げ出せるだろうが、その一撃でどれ程の被害を受けるか。……高町なのは、君に奴らと対峙する覚悟はあるのか?」

 

「……私、は」

 

 

 問われて、なのはは押し黙った。

 

 怖いのだ。恐怖を抱いているのだ。あの大天魔に。あの恐ろしい大天魔達に。

 それが必ず来ると言われて、それでも挑める強さを、なのははまだ持っていない。

 

 

「僕の万象掌握は転移対象が増えれば増える程、転移に掛かる時間も増える。真っ向から挑むならば兎も角、逃げに徹するなら戦力などいらない。……高町なのは。君は余計な荷物でしかないんだ」

 

「っ!?」

 

「クロノ、お前、言い過ぎだ!!」

 

「言い過ぎ、か。……オブラートに包んだ所で、意志が伴わなければ役立たずと変わらないんだがな」

 

 

 クロノのきつい物言いに、もっと言い方があるだろうとユーノが反発する。

 そんなユーノの態度に苦笑しながらも、それでもクロノは前言を翻さない。それは不器用な少年なりの、最低限の優しさであった。

 

 性能面だけで考えれば、強力な歪みを有する高町なのはは優秀だ。

 それこそ管理局上層部が絶対に回収する様にと、クロノに機密指令を出す程には希少であるのだ。

 

 管理局が求めているのは、大天魔に対する兵力としての歪み者。

 何も語らずに彼女の主張を受け入れて、戦闘に巻き込んでしまえばなし崩し的に回収も出来た。

 

 戦力として役に立たずとも、無限に魔力を生み出すと言う性質だけでも役に立つ。

 大天魔を討つだけを望むならば、彼女の自由意志になど拘らずに引き入れた方が確かに有利になるだろう。

 

 

「とは言え、監視役や肉壁としてなら多少の人手はあっても良い。転移時間の増減も数人ならば誤差だしな。……だから、そこのフェレット擬きは連れて行くが、高町なのは、お前にそう扱われるだけの覚悟と意思はあるか?」

 

 

 だがそれは、人を数字で見た時の論理だ。

 意志もない戦士に価値は見いだせない。戦う意志もなく、戦場に出ても不幸なだけだ。

 だからクロノは否定する。覚悟を見せないお前は要らないのだと、付いて来るならば心を決めろと。

 

 フォローなど出来ない。そんな事をしている余裕などない。

 命綱などなく、捨て駒として扱われても良いならば、付いて来ることは止められない。

 

 それでも付いて来ないならば、民間人として扱える。覚悟がないからと言う理由で、上層部の決定にも異を唱えよう。

 少女が当たり前に生きられる様に、一度間違えたからこそ民間人はもう巻き込まない。巻き込まずに済むなら、巻き込まずに終わらせる。

 

 それはクロノ・ハラオウンが見せる。不器用で冷たい優しさだった。

 

 

「…………」

 

 

 そんな彼の言葉に、高町なのはは何も返せない。

 何か言いたい想いを抱えていても、胸に占める恐怖が故に何も言えない。

 

 

「なのは」

 

 

 高町夫妻は少女を案ずるように声を掛ける。

 その項垂れる姿に思う所はあっても、愛娘が捨て駒とされることなど許容できるはずもないから、どこか安堵してさえいる。

 

 望みを叶えてあげたい想いはあっても、今回ばかりはそんな感情など挟めない程に危険なのだから。

 

 

「……私、は」

 

 

 諦めたくない。進みたい思いはある。

 だけど、待ち受けているだろう先は、想像するのも恐ろしくて――高町なのはは、答えを出せずに黙り込んだ。

 

 

「まあ、時間はまだある。奴らが罠に嵌るまで動けんからな。……決意が出来るまで、好きに悩めば良いさ」

 

 

 クロノはそう言うと、興味を失くしたとばかりに視線を切る。

 案ずるような表情でユーノが肩を支える中、役立たずの烙印を押された少女は黙ったまま何も言えずにいるのであった。

 

 

 

 

 

2.

――皆様こんばんはー。カスミラジオのお時間です!

 

 

 高町恭也の部屋の真ん中で、ユーノは大の字になって倒れたまま、ラジオから流れて来る音声を特に注意することなく聞いていた。

 

 部屋の主である青年はいない。大天魔の脅威を知ってから、彼は恋人の元へと身を寄せている。

 自身に守る力はなくとも、愛する人と共に居たいから。そんな言葉を口にしたという青年に、ユーノは素直に尊敬の気持ちを抱いていた。

 

 

――本日のゲストはこの人。今話題沸騰の人気お笑いトリオ。お茶の間のアイドルであるこの方。

 

――ご紹介に預かりました。六条・シュピ虫と申します。

 

――と、コメンテイターである私が共に、番組を取り仕切っていきたいと思います。

 

 

 日課となりつつある御神不破の鍛錬で、ユーノは汗だくとなっている。

 死地へと赴かんとする弟子に全てを授けようかと言わんばかりに、高町士郎の指導には熱が入っていた。

 桃子もまた暫くは料理稽古を免除してくれると言っていて、それ故にユーノは余計に体を苛め抜かれる形となった訳である。

 

 

――それにしても、何故この番組はカスミラジオと言うのですかねぇ。カスミなる人物はいないと言うのに。

 

――さあ、偉い人が決めた事ですから。……と、そんな突っ込んじゃいけない事に突っ込んじゃったシュピ虫さんは置いておいて、さっそく最初のコーナーへと行きましょう!

 

――割と失礼ですね、貴女!?

 

 

 弄られ芸人がツッコミ芸を披露しているラジオ番組を聞き流しながら、ユーノは思う。考えるのは、なのはの事だ。

 

 クロノが去ってから暫くして、何時も通りのなのはに戻っていた。

 だが、それが空元気で振る舞っていただけなのか、それとも自分の答えを見つけたのか、そんな本心すらユーノには分からなかった。

 

 元気を出してくれれば良いんだけど、そんな風に彼が思考に耽っている中――トントンと軽い音がして、部屋の扉が叩かれた。

 

 

「あれ? 誰だろう?」

 

 

 疑問に思って立ち上がったユーノは、ゆっくりと扉へと歩いていき。

 

 

「にゃ、にゃはは。……来ちゃった」

 

「なのは!?」

 

 

 扉を開けた先に立っていた寝間着姿の少女に、思わず驚きの声を漏らすのであった。

 

 

 

「あ、えっと」

 

 

 部屋に上げた少女の前に正座で座って、ユーノは視線を右往左往させる。

 風呂上がりなのだろう。上気した肌から仄かに香るシャンプーの香りが、どうにも少年の精神を落ち着かせない。

 

 

「えっと、ユーノくん?」

 

「あ、うん。何だい、なのは?」

 

 

 挙動不審な様相を見せる少年の姿に、なのははおずおずと口を開く。

 

 

「あの、相談があるんだ」

 

 

 そんな思い詰めた表情を浮かべた少女の姿に、少年は意識を切り替えると話を聞くことにした。

 

 

「……」

 

 

 意識を切り替えたユーノを前に、なのはは僅か悩む様に口籠る。

 それでも呼吸を一つ二つと置いた後に、覚悟を決めると少女はその内心を此処に吐露した。

 

 

「あのね。……私、怖いんだ」

 

 

 高町なのはの胸の中には、そんな感情が渦巻いている。

 怖い。怖い。恐ろしい。その感情が影を差し、不屈の闘志は鈍っている。

 

 

「お話ししたい。理由を知りたい。どうして其処に居たのか、教えて欲しい。そう思ってるのに、……それよりずっと怖いんだ」

 

 

 話しを聞きたい。お話しがしたい。けれどもあの恐ろしい大天魔がやってくる。そう考えると足が震えて、体が竦む。

 守護騎士達の事など忘れて、このまま海鳴に居れば安全だと分かってしまったからこそ、ここから進むのが恐ろしい。

 

 大切な事だろうに。友達が其処に居るのだろうに。なのに恐怖で動けない。

 一歩を踏み出すのが酷く怖くて、暗闇に飛び込むのがとても怖くて、保証も何もないのが逃げ出したい程に恐ろしいのだ。

 

 

「大天魔が怖い。非殺傷なんてないのが怖い。怖い、怖いよ、ユーノくん」

 

「……なのは」

 

 

 ユーノは押し黙る。

 この恐怖に震える少女に、一体何が出来るのか、と。

 

 

 

 なのはが本心をユーノに吐露したのには理由がある。

 動きたいけど怖いのだ、と。言葉にして伝えるだけならば、相手は桃子でも士郎でも良かった。

 

 けれど違う。置いて行かれたくない。傍らにいたい。そんな少年に告げる理由はたった一つ。

 

 

「ねぇ、何でユーノくんは進めるの? 貴方は大天魔が怖くないの?」

 

 

 それはきっと、なのはの目から見て、ユーノは前に進んでいるように見えたから。

 恐れを知らぬように、立ち向かっていると見えたから。嫉妬を抱いてしまう程に、その背は輝いて見えたから。

 

 だから問うのだ。貴方は怖くないのか、と。

 

 

「……僕は、僕も、怖いさ」

 

 

 そんな少女の問い掛けに、ユーノは取り繕う事もせずに本心を明かした。

 恐怖を抱えて生きるのは、決して少女だけではない。否、誰よりも無力な少年が抱える怖さは、きっと誰よりも大きな物だろう。

 

 

「怖い。怖いよ。あんな反則。あんな出鱈目。敵う訳がないじゃないか」

 

 

 ユーノには歪みがない。大天魔が現れただけで、死に掛けるのだと分かっている。

 ユーノには意志しかない。きっと此処で逃げ出しても誰も文句は言わないと、そんな立場だと分かっている。

 

 今この地球に居る三人で、一番の役立たずは自分であろう。

 そんなユーノは大天魔の前に立つと想像するだけで、身体の震えを隠せなくなっていた。

 

 それでも、そんな少年が前を向いているのは――

 

 

「だけど、さ。格好悪いじゃないか、それ」

 

「え?」

 

 

 そんな単純な理由。思わず少女が目を丸くする様な、そんな下らない男の意地が全てだった。

 

 

「……動けば何かあるかも知れない。何もないかも知れない。それでも、さ。震えて縮こまっているのは格好悪いから、せめて前に進みたいんだ」

 

 

 少年の誓いは唯の意地に他ならず、傍目に見れば愚かにも程がある事なのだろう。

 大天魔へと挑むというのは、例えるならば無明の闇の中に飛び込むような物だ。先のない崖へと飛び出すような物だ。考えなくとも分かる。それがどれ程に愚かしいかは。

 

 もしも今居る場所が崩れ落ちているのであれば、砂上の楼閣であるとするならば、無明の闇へと飛び込むのも已むを得ないだろう。今ある死を恐れて、断崖の果てを飛翔しようと足掻くだろう。

 だがそれが安全な大地ならば? 襲われる事のない場所にいるならば? それでも態々無明の闇に飛び出すのは、勇気ではない。唯の愚行だ。

 

 ああ、そんなことは分かっている。それでも、少年は意地でも進むのだ。

 格好悪くなりたくない。格好悪い姿を見せたくない。たったそれだけの、ちっぽけで下らない理由を胸に。

 

 

「……ユーノくんは、強いね」

 

 

 なのはには唯、そんな言葉を告げることしか出来なかった。

 

 違うのだ。自分と彼は。怯えて、震えて、縮こまって、それでもなお前を向ける人。天上に輝く星々の様に、彼は輝いている。

 

 嫉妬した。羨んだ。どうしようもない程に。

 そんな風に思う自分が、歩くのが遅い自分が、どうしようもない程に嫌いになってきそうで――

 

 

「違うよ」

 

「え?」

 

 

 だから、彼の言葉は予想外であった。

 

 

「僕は強くない。とても弱いさ」

 

 

 ユーノは思う。自分はとても臆病で、一人では立ち向かえるだけの意思もない。

 何時だって嫉妬している。なのはの力に、クロノの力に、歪みの力が自分にもあれば良いのに、そんな風に思っている。

 

 けれど――

 

 

「強く見えるのは、君がいるからだ」

 

 

 だってそれは格好悪いじゃないか。足を止めるのと同じくらいに、嫉妬してるのは格好悪い。

 気になる女の子にくらい。格好良い所を見せたい。だから、ユーノ・スクライアは意地で格好を付けるのだ。

 

 

「君が居たから。優しくて温かい君が居たからだ」

 

(ああ、そっか――)

 

 

 すとんと、高町なのはは納得する想いを抱いていた。

 真剣に語る少年を見て、その言葉ではなく、その想いに共感を抱いていた。

 

 

「……男の子には意地があるんだよ。自分でも、馬鹿だって思うけどさ」

 

 

 向き合う勇気の理由にならずとも、不屈の闘志は抱けずとも、それでも同じ想いは抱けた。

 自分の想い。胸に掛かっていた靄が晴れたように、答えは考えてみれば簡単な物だったのだ。

 

 

(私、ユーノくんが好きなんだ)

 

 

 切っ掛けは何であったのか、今では定かではない。

 両面宿儺に立ち向かう姿を見た時か、あの大震災の日に身を挺して守ってくれた時か、ああけれどそんなのはどうでも良い。

 大切なのは、ただ一つ。自分は当の昔に恋に落ちていて、それを言葉にしてみればとてもすんなりと受け入れることが出来ていた。

 

 

「……ユーノくんの気持ち、ちょっとだけ分かった気がする」

 

「なのは?」

 

 

 格好付けたいという気持ち。唯の意地と言える想い。その全てが分かった訳ではない。

 ああ、それでも、大切な誰かの為に、大切な誰かの瞳に、良い所を見せたいと言うのは理解出来たから。

 

 

「きっと、同じなんだ」

 

 

 そう。同じなのだ。

 

 好きだから、隣に立ちたい。

 好きだから、守られるのではなく、傍らで歩いて行きたい。

 

 優しくて温かいと言ってくれた彼に、恥じない自分でありたいと思う。

 そんな湧き上がって来た感情と同じ物を、彼は抱いていたのであろうと。

 

 

「けどユーノくんのさっきの言葉、まるで告白みたいだね」

 

「うぇっ!?」

 

 

 そんななのはの言葉に、ユーノは目を白黒させてシドロモドロに言葉を口にする。

 羞恥に染まった赤い顔で右往左往と始める少年は、彼が語った格好良さとは無縁であろう。

 

 

「あ、えっと、そういうつもりじゃなくて、いや、なのはが嫌とかじゃないんだけど」

 

「ふふっ」

 

 

 ヘタレた言葉を口にするユーノの姿に、なのははクスリと微笑む。

 そんな情けない姿すら、可愛らしいと思える程に、嗚呼こんなにも想いは募っていたのだと。

 

 

「分かっているよ、ユーノくん」

 

「あ、え、あ、うん。分かっているんなら良いんだけど、……何が?」

 

 

 ユーノは気付いていないようだが、彼の挙動や表情は分かり易い。

 それは恋愛初心者であるなのはでも、開き直ってしまえば直ぐに分かってしまう程だった。

 

 

 

 彼の生い立ちを考えれば無理もないのだろう。

 母を知らず、父を知らず、愛された自覚がないのだ。

 だからこそ、愛するという気持ちが、恋をするという感情が分からない。

 

 実際にそういう感情を抱いていても、これがそうだと断言が出来ない。

 それでいて誠実で居たいなどと考えてしまうから、こうしてヘタレてしまうのだろう。

 

 

 

 目と目が合う距離で見つめ合う。恥ずかしそうに目を逸らす少年を、真っ赤になりながらも笑って見詰める。

 今はこのままでも良いかな、という感情と、もう少しだけ先に進みたいという感情が湧いて来る。そのどちらに従うべきか、なのはは少し戸惑った。

 

 

――と、ここで次の質問に行ってみましょう。S市在住無職のS・Yさんからのお便りです。六条さん、こんばんは。

 

――はい。こんばんは。

 

――疑問に思ったんですけど、六条さんは結婚されないのでしょうか? 岩倉さんや千種さんはご結婚なされているようですが、六条さんは結婚しないんですか、出来ないんですね。分かります。形成(笑)。やっぱり顔の差ですか? との事です。

 

――イィィィィエェェェェッラァァァァァァッ!?

 

 

 ずっと付きっぱなしになっていたラジオから、弄られ芸が売りの芸人が読者のお便りにすら弄られている声が聞こえて来る。

 そのネタ塗れの内容は、今の気分的にはどうでも良い。だがそれでも、二・三引っかかる言葉が出て来ていた。

 

 

「結婚、か」

 

 

 なのはのような幼さでは、恋愛の先に恋人があって、その先に結婚が待っているという認識しかない。

 途中にある関係や遣り取りなどは思い浮かばず、ただ新婚夫婦さながらの両親の仲の良さに憧れたことはあった。

 

 少しだけ、積極的に出てみようかと思考する。

 

 

「な、なのは?」

 

 

 目の前の彼とそういう関係になるのは、確かに魅力的だと思えたのだ。

 だから、開き直った女は強いのだと、彼に教えてあげよう。

 

 

「え、あ、う」

 

 

 無言でゆっくりと近付いていく。

 この先にどのような事をすれば良いのかは分からず、少女は唯、親愛を示す為に抱き付いた。

 

 とくん。とくん。と心臓の音が聞こえる。

 真っ赤になった少年は、今にも顔から火を噴いて倒れそうな程で、ああ、その姿に笑みが零れてしまう。

 

 

「ユーノくん」

 

「な、何、なのは?」

 

 

 本当は言われる方が良いのだけれど、このヘタレな少年は伝えなければ気付かないだろうから――その想いを伝えようと、なのはは小さく笑みを浮かべた。

 

 

「私は、君が――」

 

〈掛かったぞ! 守護騎士が!!〉

 

 

 邪魔者の通信がそこに割り込んできた。

 

 ユーノの首に下げられている簡易デバイス。通信用にとクロノが渡したそれが起動していた。

 

 

〈余り時間はない! 座標は特定しているから、カウントスリーでお前を転移させ……何だ、その目は〉

 

「……」

 

「……クロノくん。空気読んで欲しいの」

 

 

 一瞬で変わってしまった空気に、なのははジト目でクロノを見据えた。

 対してユーノは、変わった空気にほっとしたような、がっかりしたような複雑な表情を浮かべて息を吐く。

 

 そんな少年の態度に、ちょっと勇み足だったかな、となのはは己の行動を省みて。

 

 

〈まぁ、良い。……その様子なら腹は決まったようだな。付いて来るなら、ユーノに触れていろ。万象掌握で纏めて転移させる〉

 

 

 そんな言葉に頷いて、なのはは抱きしめる腕を名残惜しそうに手放した。

 

 

 

 そして一息。魔力が桜の花びらの如く中を飛び散って、寝間着から白き戦装束へとなのはの姿を変じさせる。

 

 

「……良いのかい?」

 

 

 その姿を見て取って、彼女の選択を理解したユーノは問い掛ける。

 本当にその選択に後悔はないのかと、問い掛ける声になのはは確かに頷いた。

 

 

「うん」

 

 

 恐怖はまだ残っている。守護騎士と語らう暇などないと分かっている。

 けど、それでも、此処で退くのは格好悪い。何もしないで諦めるのは、余りに格好悪過ぎる。

 

 だから、高町なのはも決めたのだ。

 

 

「女の子にも、意地はあるんだ」

 

 

 好きな人が褒めてくれた自分であれるよう、怖くても前に進むとしよう。

 月の如く優しく見守ってくれる君がいるならば、きっと怖がったままでも進んでいけると思うから。

 

 

「行こう! ユーノくん!!」

 

 

 少年へと手を伸ばす。その小さな掌を、ユーノ・スクライアは確かに握り返した。

 

 

「ああ、行こう」

 

 

 そして少年と少女は死地へと向かう。

 空間を飛び越えて、大天魔が潜むであろう戦地に進む。……そこに現れる大天魔。その正体を未だ知らずに。

 

 

 

 

 

 崩壊は直ぐ其処に、別れの時は迫っている。

 

 

 

 

 




恋愛要素はリリカル的に受けが悪いかも知れませんが、割と後半の重要な要素となるので外せません。
DiesやKKK的に、愛を知らずに大天魔に敵う訳がないので、苦手な人はまあ、我慢してくださいとだけ。


作者はなのフェイ派だが、同性愛で負ける大天魔とか想像したら涙が溢れて止まらなかったのでノーマルに。
そう言う要素は幕間編から入れる予定だったので、ぽっと出ではない方が良い。となるとキャラがクロノかユーノしか居なかった。クロノはSTSの所為でエイミィの相手というイメージが強いので、ユーノに。

メイン級の野郎が少な過ぎだろ、常識的に考えて。




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第二十六話 別れの言葉

出会いがあれば別れがある。
出会わなければ良かったのに。

今回はそんな感じの話です。


副題 瞬・殺。
   地星の魔女。
   そして少女は届かない。

推奨BGM
2.Disce libens(Dies irae)
3.Letzte Bataillon(Dies irae)



1.

 どしんと轟音を立てて、巨体が地に倒れ伏した。

 その倒れる姿を見下しながら、鉄槌の騎士は吐き捨てる様に言葉を漏らす。

 

 

「はぁ、はぁ、……やっと、倒れやがった」

 

 

 肩で荒い呼吸をしながらに、デバイスを待機形態へと戻す。

 そんな少女の顔には隠せぬ程に、疲弊が色濃く刻まれていた。

 

 魔法プログラムに過ぎないはずの彼女にも、人格を持つが故か疲労という物は存在している。

 魂を得てしまったが故に精神的な疲労は強くなり、既に行動能力に支障が出る程に疲弊していた。

 

 そろそろ休まなくてはいけない。それでもまだ、休む訳にはいかない。

 腰を落ち着けられる程の時間はない。ゆっくり休んでいられる程に、今は時間がないのだ。

 

 

(くそ。あとどんくれぇ、はやては持つんだ)

 

 

 分からない。分からない。分からない。

 闇の書の完成が間にあうのか。病み衰えた少女が持つのか。自分達は間に合うのか。

 

 だから休むべきだと思っても、休める物かと感じている。

 自分の苦しさよりもきっと、主の方が大変なのだからと歯を食い縛る。

 

 

(一端、再構成するべきか?)

 

 

 最悪、闇の書に戻り作り直すのも手であろう。

 或いは書のデータから、シグナムを再構成して加えるのも手であろうか。

 

 そう考えて、だが其処に一抹の不安を感じる。

 それはしてはならないと、何故だか恐怖心にも似た想いがあった。

 

 守護騎士プログラムは、闇の書が健在な限り不滅な筈である。

 溜まりに溜まった精神疲労による不具合ならば、消して作り直せば消える筈だ。

 

 だが、それをすれば、何故だか自分が消える気がした。

 もう一度シグナムを呼び戻したら、それこそ最悪の展開となる気がした。

 だから蒐集効率だけを考えるならばそうした方が良いと分かって、それでもヴィータは選べなかったのだ。

 

 

「……くそっ」

 

 

 ヴィータは弱々しく吐き捨てる。

 根拠もない怯懦で作業効率を下げている己が、何よりも忌々しく思えていた。

 

 

〈Sammlung〉

 

 

 そんなヴィータと共に立つシャマルが、手にした闇の書で蒐集を開始する。

 対象となるはヴィータが今しがた打倒した巨大な生物。全長にして10メートルを超える鳥形の魔法生物だ。

 

 獣が悲鳴を上げる。それに内心で謝罪しながらも、シャマルは蒐集の手を休めない。

 一秒二秒と時間経過に伴って、書の白紙に文字が踊り、魔法生物の呼吸はゆっくりと弱っていった。

 

 

〈Geschrieben〉

 

 

 そうして、蒐集は終わる。

 それを見届けた鉄槌の騎士は、同胞たる女に問い掛けた。

 

 

「終わったか、どんな具合だ?」

 

「……駄目、全然溜まらないわ」

 

 

 蒐集を完了した闇の書を手にしたシャマルは、どの程度魔力が集まったかを問うヴィータに首を横に振って返した。

 今回の大型生物。竜種程でなくとも危険生物認定を受けるだろうそれを倒して得た戦果は、僅か三行。闇の書の一頁。その一割程度にしか届いていなかった。

 

 

「くそがっ! このレベルで一割かよ!?」

 

「……多分、同じ獲物を狩り過ぎたのも理由だと思うけど」

 

 

 限界が見えた。頭打ちが迫っている。

 両者は口に出さず、だが同じ結論に至っていた。

 

 このままでは、間に合わない、と。

 

 だが、これ以上に何を求めれば良いというのか。この魔法生物は近隣世界でも最強種に近い生命体だ。

 これ以上魔力を持つ存在となると、それこそアルザスの巨大竜か、或いは管理局のエースストライカーくらいしか思い浮かばない。

 

 

「……標的を変えれば、少しはマシになると思うけど」

 

「多種多様な相手の蒐集が出来れば、か。……けど、これじゃ焼石に水だぜ」

 

 

 隠れ潜みながら動いている現状。僅か二人しか居ない実動員。

 その二人にも蓄積された疲労。何故だか魔力が集まり難くなっている闇の書。

 

 状況はすこぶる悪い。最悪一歩手前である。

 だからだろうか。邪念と呼ぶべき質の思考が、二人の脳裏に過ぎっていた。

 

 

「……なぁ、シャマル。こいつから“死ぬまで蒐集”したら、どの程度集まりそうだ?」

 

「……蒐集で殺すまではしたことがないから、その情報は多分一頁分くらいにはなるわ」

 

『…………』

 

 

 迷いはある。戸惑いはある。躊躇いはある。

 それだけの事をして、その対価となるのが一頁では、それこそまるで割りに合わない。

 

 

「……やるか」

 

 

 だけど、他に考えは思い付かない。

 天秤に乗せた二つの荷物は、一つが決定的に重いのだから、比べる事すら出来はしない。

 

 

「ええ。……一頁でも、今は大きいのだから」

 

 

 守護騎士は踏み外す。盛大に人道を踏み外す。

 たった一つの目的に専念する彼女らは、それ以外になど頓着出来ない。

 騎士の誇りと獣の命。それで主が救えるならば、それは問うまでもない結論なのだ。

 

 

「……悪ぃな」

 

 

 ヴィータは詫びの言葉を口にし、シャマルは闇の書を再び開いて――そこで景色が一変した。

 

 

「何だ!?」

 

「これは、封時結界!?」

 

 

 ヴィータとシャマルを閉じ込めるかのように、否、確かにその意思を持って、結界が展開されている。その色は青。管理局の若き執務官である彼の魔力光に他ならない。

 

 結界を認識した直後、何の予兆もなく三人の少年少女が空中に出現する。

 一人は黒髪に黒いバリアジャケット姿の少年。一人は金髪に民族衣装姿の少年。そして最後の一人は白き衣を纏った魔法少女。

 

 その姿を、彼らの事を守護騎士達は知っていた。

 

 

「あいつら、どうやって!?」

 

 

 驚愕を口にする騎士は、そんなことをしている場合ではないかと自省する。

 悩むのも考えるのも後だと、すぐさま迎撃の体勢を整えて――しかし、そんな物は何の意味も果たさなかった。

 

 

「万象掌握」

 

「んなっ!?」

 

「きゃぁっ!?」

 

 

 クロノの呟きとほぼ同時に、襲い来る浮遊感。

 彼の力を知らない守護騎士達に対処の術などはなく、その身は宙へと移される。

 

 何が起きたのか分からず、だが対処の為に姿勢を直そうとするヴィータは、眼前に迫っている拳を認識した。

 

 

「がっ!?」

 

 

 顔面にその一撃が撃ち込まれ、鼻血がその拳を赤く染める。

 金髪の少年は血に染まった手など気にすることはなく、すぐさま鋭い回し蹴りを幼い少女の腹へと叩き込んだ。

 

 

「チェーンバインド!」

 

 

 痛みと吐き気。それに襲われて体を九の字に曲げているヴィータに、翠色の鎖が絡みつく。

 その拘束に抗うことも出来ぬまま、行動一つ出来ぬ少女の身体へと――駄目押しとなる一撃が叩き込まれた。

 

 

繋がれぬ拳(アンチェインナックル)!!」

 

 

 轟音を立てて少女は地面に墜落する。

 騎士甲冑を砕かれて、勢いよく落ちた少女は大地に小さなクレーターを作り上げるのであった。

 

 地に倒れた少女は激痛に表情を歪めたまま、空を見上げる。

 そこで同胞であるシャマルが、自身と同様に無力化される瞬間を見た。

 

 

「ディバイーンバスタァァァ!!」

 

 

 桜色の砲撃が放たれる。

 その一撃はこの青き結界すら一撃で破壊しかねない程に凶悪な物。

 

 極光に飲み込まれて、悲鳴一つ漏らせずにシャマルは撃墜される。

 その身は非殺傷の一撃を受けたとは思えぬ程にボロボロで、地に落ちた女は完全に意識を失っていた。

 

 

 

 正しく瞬殺。一瞬で片の付いた戦いは、最早唯の蹂躙劇。

 だが、これは確かな現実。これこそが両陣営の力の差。

 今の疲弊した二人の守護騎士では、この三人には抗うことすら出来ないのだから、当然の結果であったのだ。

 

 

「……てめぇら、何で」

 

 

 何故、とヴィータは問う。如何にして自分達を捉えたのか、と。

 

 

「語る義理もないし、話す時間もない」

 

 

 そんな問いを、クロノは一蹴する。

 どれほど優位にあっても、彼らには時間がないのだから話をする余裕などはない。

 

 本番はこれからなのだ。これは前哨戦にもならぬ戦い。

 

 それでも無事に逃げられる可能性があるのなら試す必要はある。

 故に逡巡する暇もない程、素早く撤退をする必要があるから。

 

 だから、口にするとしても一言だけ。

 

 

「千の瞳からは逃れられない。唯、それだけの話さ。……さあ、ミッドに行くぞ! ユーノ。高町なのは」

 

「ああ!」

 

「うん!」

 

 

 クロノの言葉にユーノとなのはが頷く。

 彼らは撤退する為に倒した守護騎士達と闇の書を捕まえてから、クロノの元へと移動した。

 

 

「……なんだよ、それ」

 

 

 首根っこを掴まれて引き摺られながらヴィータは、クロノの答えになっていない答えに対して、そんな言葉を漏らしたのだった。

 

 

 

 

 

 サウザンドアイズ・システム。千の瞳と呼ばれる機構。

 それは管理局が誇る情報管轄システムであり、同時に管理局の闇ともいうべき負の結晶でもある。

 それは最高評議会に直轄されるシステムであり、どこに存在しているのかも一局員には知らされていない。

 ただ、“本局”内にあるとだけ噂され、実態は一切不明ながらもその優れた機能から様々な場で活躍する、局員からの信頼も厚いシステムだ。

 

 ジェイル・スカリエッティが作成に難色を示したというその機構。その実態は、500人のウーノをバラして繋げた監視システムである。

 最適化と合理化。同時に人工魔導士技術で得た複数のリンカーコアと大型の魔力炉を混ぜ合わせることによって、それは大規模な監視範囲と圧倒的な情報処理能力を持つ。

 

 500人。一対の瞳の総数は1000。

 その瞳は一度に数百の次元世界の監視を可能とし、24時間365日使用しても機能が落ちないだけの耐久性も維持している。

 

 それはエインヘリアルやアルカンシエルと並ぶ、管理局の最重要機構の一つであった。

 

 

 

 クロノの仕掛けた罠とは、その千の瞳を用いた物。否、罠とすら言えない程、単純で稚拙な物であった。

 本来ならば大規模な任務でなければ使えないそれを、スカリエッティやハラオウン家縁の高官達に繋ぎを取り、袖の下などを渡して、どうにか一部分だけだが使用の許可を取った。

 

 そしてクロノはそれをもって、複数の次元世界を監視していたのだ。

 対象となるのは第九十七管理外世界に近く。魔法生物の多い次元世界。

 

 管理世界。管理外世界。観測指定世界。無人世界。接触禁忌世界。

 管理局が現時点で発見している次元世界は500を超える。そしてそれとて、無限に広がる次元世界の内のほんの一部に過ぎないであろう。

 

 その中から、守護騎士を見つけ出すなど本来は不可能だ。

 千の瞳によって、地球とその周辺を観測し続けていたクロノも、この方策は待ちの策だと判断していた。

 

 釣りをするかのように気長に、そう考えていたからまだ時間はあると零していた。

 地球には都度戻っているようだから、本命はそこに残されるであろう転送の痕跡。

 そこから行動のパターンを割り出し、ゆっくりと追い詰めていく予定だったのだ。

 

 それがこうもあっさりと嵌ったのは、彼女らの浅はかさ故だろう。

 監視されている可能性など気付かず、こうして第九十七管理外世界から程近い距離にある、高魔力を持つ生き物がいる世界に乗り込んでいたのだから。

 

 

 

「くそがっ」

 

 

 ヴィータは痛みで霞んでいく思考で、そう吐き捨てた。

 それしか出来ない少女は、せめて意識だけは手放してやるかと歯噛みして。

 

 そんな少女の様子を気にすることもなく、クロノ・ハラオウンは万象掌握を使用した。

 

 

 

 

 

2.

 ある女の話をしよう。

 

 その女は古き世。今はない世界に生まれた。

 それはこの世界において、ヨーロッパと呼ばれる地と同じような地。中世という時代と同じような時代であった。

 そんな時代。ドイツと呼ばれる国の片田舎で、女は生まれ育った。

 

 女は村の中においても優れた者であった。

 美しい容姿。優れた能力。器量良しなその女に、多くの男が求愛し、多くの女が羨望した。

 

 そんな女は己が器量を自覚しながらも、特に驕ることはない。

 当たり前のように生き、当たり前のように恋をして、当たり前のように結婚した。

 

 幸福となるのだろう。誰もが皆そうであるように。

 寂れた農村であったが貧困に苦しむ程ではなく、故に何の根拠もなくそう信じ込んでいた当たり前。

 だが、そんな当たり前な人生が、ある一つの要因によって破綻した。

 

 魔女狩りだ。

 

 中世において、どれ程に“本物”の魔女が居たであろうか。

 どれ程の“魔女”が謂れのない罪で迫害された者であったか、どれ程の権力者が己の欲で“魔女”を作り上げていたのか、どれ程の人々が狂騒に促されその愚行に加担したのか。

 それらを知る事などは出来ないが、この件においての真実は一つ。

 

 女は魔女などではなかった。それだけが確かな事実。

 

 

 

 嫉妬した女達は語る。あの女があれ程に美しいのは魔女だからだ、と。

 振られた男達は語る。あの女は人を食い物にする恐ろしい魔女である、と。

 彼女に魅せられた権力者は語る。あの女は悪しき魔女だから、我らが浄化せねばならないと。

 

 そして彼女が愛した伴侶は語る。

 自分はあの魔女に騙されていた。自分を騙した魔女が恐ろしい。だから今すぐにでも、あの魔女を殺してくれ、と。

 

 かくて女は魔女として、凄惨極まる拷問と権力者の欲を満たす為の辱めを受ける。そして、その末に獄中へと繋がれた。

 

 死刑を宣告され、しかしそれは訪れず、六年の間牢獄の中で過ごしていく。

 全ての裏切りを憎んで、己を襲った理不尽を嘆いて、そうして唯死んでいく。

 

 そう。そうなる筈だった。

 光さえ届かぬ牢獄の中で、“影”に出会うまでは――

 

 

 

 

 

 海を一望出来る埠頭の先端に腰掛けて、アンナ・マリーア・シュヴェーゲリンは、そんな過去を思い出していた。

 ぶらぶらと足を振りながら今更ながらに振り返るのは、こんな今に未練が生まれてしまったからか。

 

 

「そう。私はあの日、魔女になったんだ」

 

 

 あの日は”影”の存在を理解すら出来ず、唯怯えて震えるしか出来なかった。

 

 そんな自分に魔道の力を与えた“影”。

 それこそ第四天永劫回帰。彼女を神々の争いに巻き込んだ元凶たる悪辣な神。

 そんな神に力を与えられた女は、真実魔女となったのだ。

 

 魔女となった少女は、思い出した記憶を辿っていく。

 

 

 

 

 

 魔道によって自由を得た魔女は、己が望みを叶える為に動き出した。

 魔女は復讐を始める。そう魔女は逆襲を行う。そう魔女は皆の願いを叶える。

 

 お前達は私が魔女であって欲しかったのだろう?

 ほら、見るが良い。ここにあるはお前達が望んだ残虐な魔女だ。望み通り残虐な趣向で甚振ってやろう。

 

 お前達は自分より優れた者がいるのが許せないんだろう?

 ならば良し。全員足を引いて泥の底に落としてやる。出る杭はない。皆同様に無価値となるが良い。

 

 お前達は私を貶めて愉悦に浸っていたのだろう?

 ならばお前達も同じ目に合ってしまえ。皆、憎悪と絶望と苦痛の中で、凄惨な生き地獄を味わい続けろ。

 

 

 

 そうして魔女は、己の生まれ故郷を滅ぼして、当てのない旅路を始めた。

 

 

 

 生きた。生きた。長く生きた。

 百年を超え、二百年を超え、三百年を超え、四百年という時を魔女は生きた。

 

 

 

 時は移ろう。

 

 ナポレオンがフランス皇帝となった瞬間を見た。あの強大だった神聖ローマ帝国が滅んでいく姿を目に焼き付けた。

 ギリシャ独立戦争で死んでいく人々を嗤いながら眺めて、アメリカ合衆国のモンロー宣言に驚いて、個人的な恨みから妨害していたカトリック教徒解放令が成立した時には苛立ち紛れに八つ当たりした。

 ジャガイモ飢饉の時は空腹に悩み、相次ぐ革命戦争に巻き込まれることを恐れて逃げ回り、場末の酒場で聞いた奴隷解放宣言の内容を鼻で笑った。

 

 刹那的に享楽的に生き続けて、けれど居住地の欲しくなった魔女は故郷であるドイツに舞い戻る。

 一度目の世界大戦。それによって荒れ果てた隙を突いて、ドイツ国内に入り込んだのだった。

 

 

 

 ヒトラーのオカルト遊び。

 遺産管理局に潜り込んで、実際に力持つ遺物を掠め取りながらも気楽に生きる。

 

 そろそろ生きる活力も失せてきて、もう死んでも良いかなと考え始めていた頃、魔女はある出会いをした。

 

 彼女を変える程の出会い。

 今でも恋い焦がれる彼に出会ったのだ。

 

 ロートス・ライヒハート。

 あの輝く星のように生きた、刹那を愛した男に。

 

 

「あの時は気付かなかった。恋とか愛とか、そんな気持ちは当に失せていて。もう抱くことはないと思っていたから」

 

 

 振り返る今ならば言える。

 確かにあの時、刹那を愛するあの男に恋をしたのだと。

 

 楽しい今がずっと続けば良い。

 そんな子供みたいな理由で永遠を夢見て、それでも永遠になれない刹那であることを良しとした男に恋をしていたのだ。

 子や孫は愚か、それ以上幼い男を、魔女は年甲斐もなく愛していたのだ。

 

 

 

 戦乱の中で彼が命を落としても己の想いに気付けず、それでも無意識の内に終わらぬ永遠を求め続けた。

 そうすれば、居なくなってしまった彼の刹那に成れる気がして。その為に、修羅道至高天へと頭を垂れ、その断崖の果てを望んだのだ。

 

 彼を愛していたことに気付いたのはもっとずっと後の話。

 その時になって、もう決して彼の刹那には成れないのだと嘆いた。

 

 けれど――

 

 

「貴方はそこに居た」

 

 

 彼の第四天が作り上げた戦神。

 神の血と、戦場の犠牲者達の魂を混ぜて作り上げた超越する人の理(ツァラトゥストラ・ユーヴァーメンシュ)

 

 その彼の内側に、確かに愛した男の姿を見たのだ。

 其処に居たのだ。刹那が愛おしいと語った男は永遠の刹那の血肉となって、ああけれど確かに夜都賀波岐の主柱は彼でもあった。

 

 

「そんな貴方が私を求めた。必要だと、消えて欲しくないと。大切な宝石だと言ってくれた」

 

 

 そこに異性への愛はなかったけれど、それでも、それだけでも魔女は満たされていたから。

 これまでの薄幸だった人生への嘆きも、嘲弄され続けた運命への怒りも、全て解けてしまう程に、その言葉で満たされたから――少しだけ、欲が出てしまったのだ。

 

 

「貴方が愛した刹那を、知りたいと思った。私が切り捨て、貴方が抱き締め続ける刹那。それともう一度だけ関わってみようと思ったのよ」

 

 

 だから、あの日、あの場所で、高町なのはに出会った時、魔女は少女と共にあろうと考えたのだ。

 彼が愛した日常を、もう一度だけ覗いてみようと思って、そして今更になってそれを後悔している。

 

 出会わなければ良かったと後悔してしまう程に、この今を大切に想ってしまったのだ。

 

 

「ああ、けど、欲張り過ぎたのかしら」

 

 

 神の瞳。万象を見通す天眼に映るは、守護騎士達が少年少女に敗れる姿。

 闇の書がミッドチルダに持ち去られる。これ程の仕込みが全て無駄になるやも知れない状況で、しかし彼女以外の大天魔は動かない。

 

 これはアンナへの踏み絵であるから、彼らは決して動かない。アンナ自身の手で終わらせなければならないのだ。

 

 

「ねぇ、貴女はどう思う? アリサ」

 

 

 問い掛けられた金髪の少女は、即座に言葉を返せなかった。

 

 

 

 アリサ・バニングスは資産家の令嬢であるが故に、多くの習い事をさせられている。

 今日もまた当たり前のように夜遅くまで、スケジュールはびっしりと詰まっていた。

 

 夕方の六時頃、塾を終える。

 その後は家に招かれた、高名な人物より教えを受ける。

 

 そんな予定だったのに、何故だか今日に限っては不安が湧いたのだ。

 違和感と言っても良い。虫の知らせというかのようなそれは、根拠もないままにアリサを突き動かしていた。

 

 この後の予定を無視して、迎えに来た車から飛び出して、当てのないままにアリサは街中を走り回った。

 

 何故だか知らないのだけれど、ここで動かなければもう二度と会えないような気がしたのだ。

 訳も分からず、どうしてかも説明出来ず、追い掛ける家の使用人たちを撒いて探し続けた。

 

 高級な仕立ての服はボロボロになっている。

 追手を撒く為に入り込んだ藪に引っかけて、途中で転んでしまった事で泥に塗れて、それでも立ち止まらずに走り続けて――深夜も遅くになって漸く、この場所に辿り着いたのだった。

 

 

「何よ。それ」

 

 

 アンナの独白。それがまるで理解出来ない。

 一人の魔女の話。哀れにも思う。切なくも思える。憤りだって感じている。

 だがそれが親友の姿と、まるで結び付かない。一致する物か、彼女は自分の友達なのだから。

 

 そんなアリサの様子にくすりと笑みを零すと、アンナの姿がぶれた。

 そうして友達が居たその場所に立つのは、赤い四つの瞳を持った化外の女。

 

 

「っ!?」

 

 

 その姿を知っている。その姿を見知っていた。

 確証はなく、けれどきっとそれは親友であると確信していたその姿。

 

 赤い髪より覗く額の紅玉。白目は黒く。黒目は赤く。死人の如き血の通わぬ肌。

 纏うは袖のない和装。数珠や勾玉で飾ったその姿は、何かに仕える巫女のようにも感じられる。

 

 その女。その天魔。その咒を――

 

 

「天魔・奴奈比売。……と言っても、貴女は分からないんでしょうけど」

 

 

 夜都賀波岐が一柱。天魔・奴奈比売。

 

 名乗りを上げる。真実を告げる。

 これが貴女の知りたがっていた現実であると、威圧感を放ちながらに女は語った。

 

 

「あ……ぐぅ……」

 

 

 その威圧感に飲まれ、アリサは脂汗を浮かべて震える。

 正しく大天魔の気配。それはなのは達が感じていた物と同じもの。

 

 そんな自身を恐れる友の姿に、無理もないかと奴奈比売は笑う。

 

 加減はしている。手は抜いている。

 歪み者でも、魔導士でもない彼女では、大天魔の姿を見ただけでその魂に押し潰されて死んでしまうから。

 

 けれど、加減されてなお、アリサ・バニングスには耐えられない。それが人の限界だ。

 だから、このまま恐れて逃げて行けば良い。そんな風に絆を壊す事を、アンナは寂しそうに選択していた。

 

 その顔が、余りにも寂しそうに見えたから――

 

「な、めんな」

 

「え?」

 

 

 アリサは意地で、その場に立ち上がった。

 震える体を抑えて、恐れる心を捻じ伏せて、脂汗を浮かべたまま笑う。

 

 舐めるなと、ビビる物かと、少女は無理に笑っている。

 怖くて堪らないだろうに、本能は警鐘を鳴らしているのに、それでもこれは友だと感情で叫んでいた。

 

 

「魔女とか、天魔とか、そんなの知るか! 知った事じゃない!!」

 

 

 その姿に驚く奴奈比売に、恐怖を押さえながら震える声でアリサは叫ぶ。

 そんな少女の頭に浮かぶのは、あの大事な事だけは間違えない親友の言葉。

 

  

――生まれも種族の違いも関係ない! 私達の絆だけはそんな物では崩れないって信じている!!

 

 

 そうなのだ。それが全てだ。

 撃ち抜かれるような衝撃を受けたあの時の言葉を思い出せたからこそ、同じように自分も答えるのだ。

 

 

「アンタは友達だ! 私の大切な親友だ!! 私にとってはそれが真実。それだけが真実。この、アリサ・バニングスを甘く見てるんじゃないのよ!!」

 

「…………」

 

 

 ああ、全く、この娘はどれ程に愚かなのか。

 こんなどうしようもない魔女に、友達だと語るなど。

 

 そしてそれ以上に愚かしいのは、そんな言葉に喜びを抱いているこの我か。

 

 

「ほんっと、馬鹿ね」

 

「何よ、馬鹿アンナ」

 

 

 馬鹿にされたと思ったのか、口を尖らせるアリサ。

 その姿に貴女に言ったんじゃないんだけどな、と苦笑して。

 

 

「さ、帰るわよ」

 

 

 金髪の少女が手を伸ばす。その手を取ろうか迷った魔女の手を握り締める。

 震えているのに、今も怖がっているのに、それでも何でもないことのようにその手を確かに握り締めた。

 

 ああ、その対応を好ましく思うからこそ、この絆は壊さなくてはいけないのだ。

 

 どれ程友と絆を作っても、結局最後はこの世界を終わらせる。

 それは天魔・奴奈比売にとっては、絶対の選択だ。

 

 彼への想いと、友との絆。

 それは天秤を揺らさぬ程に、絶対に優先順位が変わることはないのだから。

 

 何れ滅ぶこの世界。仮にそうならぬ選択があったとしても、天魔・奴奈比売がそれを選ぶことはない。

 何れ壊れるこの社会。アンナはそれを壊す側であり、決して守る側になることはあり得ない。

 

 大天魔はもう諦めた。この数億年で諦めた。

 何度期待しても、貴方達は至れなかった。もう自分達も寿命を迎えつつある。

 こうして明確な愚行をしているのは、隠せぬ程に自滅衝動が膨れ上がっているからだ。

 

 人の魂は、どれ程に延命を重ねようと悠久の時には耐えられない。

 どんなに強い意志を持とうが、長く生き続ければ其処に玉傷を抱えていく。

 

 限界を迎えてるのだ。その命が終わりを求めている。

 その自傷の衝動。あらゆる全てに何時かは訪れる自滅の衝動。それを、今の大天魔たちは患っている。

 既に魂が限界を迎えている。最早精神は崩壊しかけている。この現状で大天魔が滅びれば、もう最低限の救いすらも残らない。

 

 時間がないのだ。彼が死ぬか。我らが死ぬか。

 時間がないのだ。他に考える時間も、次を期待する時間も、既に全ては遅きに尽きる。

 

 だから大天魔は諦めた。だから夜都賀波岐は諦めた。

 

 この世の全てが凍り付く。或いは全てが虚無へと消える。

 何時かそうなると知っているなら、それまではせめて安らかに――

 

 唯人が大天魔に関わって良い事などありはしないのだから、力がない人間はもうここで退かないといけないのだから、ここで決定的に絆を壊してしまうとしよう。

 

 

「ねぇ、アリサ」

 

「何よ」

 

 

 触れる。その手に触れる。その手で触れる。

 大天魔が放つ威圧でも折れぬ少女を、完全に圧し折る為に意識に介入する。

 

 見せるのは、嘗てにあった悲劇の形。そして、或いはあり得た未来の形だ。

 

 

「見なさい。これを」

 

 

 瞬間。アリサの瞳に映る衝撃映像。

 彼女の有り様を徹底的なまでに粉砕するショックイメージ。

 

 繋いだ手を介して、魔道によって生み出された幻像は、けれど確かな現実感を伴っていた。

 

 

「あ、ああ……」

 

 

 廃墟と化したビルの中。陰惨な光景が脳裏に映る。

 薬物。強姦。輪姦。殺人。そんなあり得るかも知れなかった未来を見せられた。

 

 

「あああああああああ」

 

 

 魔女が嗤いながら人を壊す姿を、犠牲者の立場になって追体験させられる。

 体が壊れる。心が壊される。それを嗤いながら見る魔女の姿に、只々精神を凌辱される。

 

 

「あああああああああああああああっ!?」

 

 

 分かる。分かる。分かってしまう。

 

 それは幻覚であれ、確かにアリサに訪れるかも知れない未来の一つ。

 それは偽りであれ、確かに過去のアンナが行っていた事だ。

 

 そんな光景を見せられて、そんな現実感を伴った追体験をさせられて、それでも立ち上がれる程アリサ・バニングスは強くはない。

 目の前の魔女が恐ろしくて、アリサは絶叫しながらその手を離す。そんな思い通りの結果を、何故だか寂しげにアンナは見詰めていた。

 

 

「あっ、私……」

 

 

 手を離した瞬間に幻影は消える。

 記憶に残ることもなくその魔法は消え失せて、トラウマになることもなく忘れ去られる。

 

 だから、そこに残るのは手を離したという事実のみ。

 自分が何をしたのか、分かって戸惑う友達(アリサ)の姿。

 

 それを見詰めて、ただ、ごめんねと思う。

 自分の戯れで、興味本位の御遊びで、こうして無駄に傷付けてしまった少女に詫びた。

 

 自分と関わらなければ、こうして苦しむことはなかっただろう。

 そんな風に自分勝手に完結したまま、寂しげに微笑む魔女は別れの言葉を友へと告げた。

 

 

「バイバイ」

 

 

 落ちていく。埠頭の先から海面へと。アリサを見ながら、背中から海へと落ちていく。

 魔女は自ら壊した絆に、寂しげな笑みを浮かべたままに堕ちて行く。

 

 

「あ、待って……」

 

 

 衝撃に腰を抜かしていたアリサは、何とかその手を彼女へと伸ばそうとする。

 ああ、しかし届かない。伸ばしたその手はもう遅い。

 

 笑みを浮かべたまま魔女は、ドボンと海へと落ちて行った。

 彼女が浮かび上がって来ることはない。もう別れは告げてしまったから。

 

 

「あ、ああ」

 

 

 茫然と、誰も浮かび上がって来ない漆黒の海を見詰める。

 

 

「ああ、あああああっ」

 

 

 手を離してしまった自分が疎ましくて、繋いだままで居られなかった弱さが悲しくて、魔女に見せられた光景が忘れ去った今でも恐ろしくて。

 

 

「ああああああああああああああっ!!」

 

 

 グチャグチャになった思考を纏めることが出来ず、アリサは一人、泣き声を上げ続けた。

 

 

 

 

 

3.

 そして大天魔は目を覚ます。

 

 

「おい! 何やってんだよ、クロノ!!」

 

 

 何時まで経っても転移を開始しないクロノの姿に、苛立ちを抱いたユーノがそう言葉を投げかける。

 そんな切羽詰まったユーノの言葉は、しかし的外れな物だった。

 

 しないのではない。出来ないのだ。

 

 

「違う! 僕はもう万象掌握を使っている!!」

 

「なっ!?」

 

 

 当の昔に発動しているはずの力は、しかし効果を発揮しない。

 クロノは感じ取る。この感覚は、同一系統の能力者。それも格上に妨害された時の物。

 

 だが、クロノを超える空間支配能力の持ち主など、ここにはいるはずもなくて――ならば答えは単純だ。クロノの力を制限できるような存在が、この地にやってきたことに他ならない。

 

 

「なっ!?」

 

「何ぃっ!?」

 

「にゃあああっ!?」

 

 

 突如として湧き上がって来た黒い影。

 それに飲まれて、三人は別の世界へと強制転移させられる。

 

 そう。そこには――泥の底から星を見上げる魔女が居た。

 

 

「さあ、遊びましょう」

 

 

 嗜虐的な笑みを浮かべた少女が立っている。

 年の頃は十代前半程度。死人の様な肌に、赤い四つの瞳で少年少女を見下す和装の女。

 

 

「アンナ、ちゃん?」

 

 

 その姿はまるで違う。

 ああ、だが何故分からないと言えようか、その魂は紛れもなく最初の友人のものであった。

 

 

「天魔・奴奈比売!」

 

 

 その姿を知るクロノが叫ぶ。天魔という言葉が耳に残る。

 ああ、そんなはずはない。あの友達が、あんな恐ろしいモノであるはずがない、と。

 

 だが、そんななのはの懇願など嘲笑うかのように、天魔・奴奈比売は笑みを深める。

 

 

「さあ、壊してあげる」

 

 

 妖艶で嗜虐的で醜悪な表情。

 けれどその中に何処か寂しげな笑みを浮かべて、天魔・奴奈比売はそう宣言するのであった。

 

 

 

 

 




千の瞳はスカさん的には駄作。欠陥品。
娘を犠牲にする割りに神殺しにはあまり関係しない物なので、本当に嫌々作ったイメージ。なので本人も千の瞳は使わず、自家製のサーチャーを使用しています。

最高評議会を通さずにクロノくんにそれを使わせたのは、彼らへの意趣返しも含んでいたりするとかしないとか。


出会いと別れ。甘酸っぱい恋模様。男同士の殴り合い。
青春シーンが多いA's編。そうか、今回は青春劇だったのか(お目々グルグル)



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第二十七話 歪みの主

いよいよA's編も中盤の山場を超えます。VS奴奈比売。
彼女にとって一番どうでも良い存在であるクロノくんは泣いて良い。


副題 クロノくんタイム・エクストリーム。
   置いて行かれたくなくて、けど何も出来なくて。


推奨BGM Letzte Bataillon(Dies irae)



1.

 影を抜けた先、人の子一人いない無人世界にて三人は大天魔と相対す。

 

 

「……アンナちゃん」

 

 

 桜色の少女は目の前の光景が信じられぬと声を震わせ、その姿に地星の魔女は僅か表情を陰らせる。

 友の変わり果てた姿に震えるなのはも、彼女を案じるユーノも、そしてどこか寂しげな笑みを浮かべて少女を見詰める大天魔も、誰もが僅か動きを止めた。

 

 故に、この場で最も早く行動に移ったのはこの少年。

 

 

「ユーノ! お前はそいつを守ってろ!!」

 

 

 吐き捨てるように口にすると、クロノ・ハラオウンは動き出す。

 

 万象掌握による撤退は行えない。

 それが何故なのかは分からないが、彼の歪みは今現在も封じられている。

 

 撤退は出来ないのだ。敵は新たな大天魔。謎の力で歪みすら封じる怪物だ。

 歪みが使えぬ以上は転移魔法や高速飛行魔法で逃げるしかないのだが、それでこの恐るべき怪物から逃れられる道理はないだろう。

 

 ならば選ぶは唯一つ。退けないならば倒すしか道はない。

 

 

「悠久なる凍土。凍てつく棺のうちにて、永遠の眠りを与えよ」

 

 

 だが如何に大天魔を打倒する?

 敵は万夫不当。一騎当千。そんなエースストライカーすら霞む怪物だ。

 一手でも行動を許せば壊滅は必死。戯れ半分の攻撃ですら人の耐えられる物ではない。

 

 故に初撃必殺。一切の抵抗も許さず、反抗の余地を与えず、一気呵成に最大火力をぶつけて撃破することこそが最適解だ。

 

 その手にした氷結の杖は既に起動している。

 必ず大天魔は来ると予測していたのだ。ならばそれに対する準備がないはずがない。

 

 守護騎士達を打ち破る際に、直接攻撃をユーノとなのはに任せたのは全てこの為。

 クロノは歪みを使用しながらも、デュランダルというデバイスに魔法の構築をさせていた。

 

 どうしても発動に時間が掛かってしまうこの切り札を、奴らの出現と同時にぶつけて撤退の隙を生み出す為に。

 

 此処に一瞬の隙を突いて、クロノ・ハラオウンの切り札は発現する。

 

 

「凍てつけ! エターナルコフィン!!」

 

〈Eternal coffin〉

 

 

 瞬間。大寒波が周囲を包み。空を大地を海を、全てを凍らせた。

 

 

 

 エターナルコフィン。それはSランクオーバーとされる規格外の氷結魔法。

 攻撃目標となる対象を停止、凍結させることを目的とした、温度変化を引き起こす魔法。

 温度変化である故に通常の防御魔法では防げず、一度発動すれば外的要因がない限り対象を封じ続けるであろう魔法。

 詠唱に時間が掛かる。消耗が大きいと言う欠点こそあるが、大海原すら凍らせる強力な広域殲滅魔法だ。

 

 クロノがデュランダルを用いて発現させたのは、そのエターナルコフィン、ではない。

 

 

「……凄い」

 

 

 寒さか恐怖か、震える少女を抱き留めたままユーノは感嘆の声を漏らした。

 

 彼の眼前にあるは、白き山。巨大な氷の山脈だ。

 視界に映る範囲。地平線の果てまでも凍っている。大地に空に海に氷の華が咲き、無人世界を美しく飾っていた。

 

 

 

 デュランダルという現代のロストロギア。

 それは唯、エターナルコフィンを発動する為だけのデバイスである。

 

 世界を構成する魔力素にすら介入し、その力を利用して対象を封じる事を目的としたデュランダルより放たれるエターナルコフィンは、最早元の魔法とはかけ離れた物と化している。

 

 その攻撃範囲は元の魔法の比ではない。

 その凍結能力は従来のエターナルコフィンとは比べ物にすらならない。

 氷結変換資質に特化した大魔道士ならば使用できるエターナルコフィンとは訳が違うのだ。

 このロストロギアより放たれるそれは、真実世界を滅ぼし得る、人の手には過ぎたる力。

 

 その効果範囲は、一千万キロ平方メートル。カナダやアメリカ、中国といった巨大な国家の国土全てを凍らせてなお足りない。

 発動時の対象指定は、凍らせない対象を選択する為に。そうでなくば、味方全てを巻き添えにしてしまいかねないのだ。

 

 その凍結は物質のみならず、魂すら封じる。

 例え発動直後に大天魔が魔力素へと戻り逃れようとしても、その魂を逃さず確実に捕えるのだ。

 

 それほどの力を持つ。デュランダルは恐るべき兵器である。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 

 大量の魔力を消費した疲労で、肩で息をするクロノ。

 この魔法を使用する為に、小型の魔力炉すら内臓しているデュランダルだが、それでもなお魔力は足りず、使用者に掛かる負担は大きい。

 

 持ってあと一発分。だが躱せないタイミングでの攻撃だった。そして敵はこちらがデュランダルを持つとは知らぬはず。

 ならば余力が尽きたとて何の問題はないと、クロノは安堵の息を漏らして――

 

 

「クロノ! 後ろだ!!」

 

「何っ!」

 

 

 ユーノの叫びと共に振り返った。

 氷山の中に敵はいない。デュランダルの力より逃れた敵手は、既に彼の背後に回っていた。

 

 

「ばぁっ!!」

 

「っ!?」

 

 

 鈴を転がすような声が響く。

 

 振り向いた先に居た無傷の大天魔の姿に、クロノは混乱しながらも慌てて距離を取る。

 そんな無様を晒す少年の姿を、魔女は愉快そうに嘲笑いながら何もせずに見逃した。

 

 己を演じる。嘗ての己に舞い戻る。

 必要なのは恐怖である。もう二度と関わろうと思えない惨劇を生み出すことである。

 ならば己は嘗ての己を演じよう。その在り様を残虐な魔女へと変わらせよう。

 

 そんな風に思考して行動する魔女に、敢えて無防備な隙を突こうとしない魔女に、クロノは唯怒りを燃やす。

 

 

(ああ、今の一瞬でその気になれば幾度でも殺せただろうに)

 

 

 嘗められている。その事実に頭がカッと熱くなる。

 だがそれを如何にか自制して、クロノは奴奈比売へと向き直る。

 

 冷静さを保てなくなったら勝ち目は消える。

 ならば感情など押し殺せと理由を作って自分を誤魔化した。

 

 

(良いさ、侮るならば好きにしろ。こちらはその隙を突かせてもらうだけだ)

 

 

 如何にしてデュランダルの力より逃れたのかは分からない。

 あれの特徴はその攻撃範囲や魂干渉のみにあらず。周囲の魔力素を根こそぎ使用するという性質故に、発動時に他者の魔法を封じるという副次効果もある。

 

 そしてその力は大天魔に対しても有効であるのだ。

 彼らの存在は魔力素に依存している。その力もまた魔法と同質の物である。故にほんの僅かであるが、その力の発動に干渉出来るのだ。

 大天魔の力に干渉することが出来る。その力を弱体化させる。故にこそ、デュランダルは対天魔決戦兵器足り得ている。

 

 これに対処できるのは、存在そのものが炎の塊である為に凍結不可能な天魔・母禮か、単純な強さで無理矢理突破できる天魔・大獄か、そもそも発動を封じる天魔・宿儺のみである。

 

 ならば如何にして天魔・奴奈比売は防いだのか、疑問に思いつつも今は考え込んでいる余裕はない。

 相手が余裕ぶっているのならば尚更、この瞬間に次善の策を構築し打って出るべきだ、と――そう考えたクロノは、唐突に浮遊感を感じた。

 

 

「なっ!?」

 

 

 一瞬の暗転。直後視界に映ったのは凍る山脈の先端。

 目の前に迫る氷の凶器を、訳も分からぬままに手にしたデバイスで砕いた。

 

 

「がはっ!」

 

 

 瞬間。砕いて飛ばした筈の氷の杭が、クロノの内側より心臓を貫いていた。

 

 吐血する。白き大地を赤く染めて、クロノは驚愕しながら己の身体を見下ろす。

 体内に唐突に現れたその氷杭は、クロノの内臓を押し潰しながら表へとその顔を覗かせていた。

 

 咄嗟に生命維持装置が動作し、心臓機能を機械部分が代替する。戦闘機人でもある彼は、窮地に際してその予備機構を起動させる。

 だがそれも魔力を現動力としたもの。デュランダルによって大半の魔力を消費している今、その稼働時間には限りが生まれている。

 

 クロノの視界に数字が映る。それは心機能代替の可能時間。体内の機械が動作できる時間であり、クロノの生存可能な時間でもある。

 その数字は300。秒単位で減少していく数字が示すのは、残り五分という僅かな時間。その数字が残っている内に治療をせねば死ぬ。そんな命のタイムリミット。

 

 

「あらま、これで死んじゃうと思ったんだけど」

 

 

 真っ青な顔で血を吐くクロノの姿に、予想外だと魔女は語る。

 まずは一人。魔女にとってどうでも良い人物を殺害することで、あの娘に恐怖を植え付けようとしたのだが、それがこうして失敗するとは思ってもいなかったのだ。

 

 そんな驚きの表情を浮かべる魔女に、苦悶の声を漏らしながらも彼女以上に驚愕しているクロノは、信じたくない自身の考察を口にした。

 

 

「……これは、僕の歪みか」

 

 

 苦々しい顔で口にする事実。

 信じたくもないが、否定できない。そうであるとすれば、全てに納得が行くのだ。

 

 今、万象掌握を使用出来ないのは、同じ力を自分より上手く使い熟している眼前の大天魔によって、先んじて空間支配されてしまっているから。

 エターナルコフィンが躱されたのは、その効果の範囲外に逃げられたから。周囲の魔力素が無くなれば魔法は使えない。大天魔自身も弱体化する。だが、それでも、自身の魂を薪とする太極や歪みならば、弱体化はしようが発動は出来る。

 

 転移魔法ならば、周辺魔力素の無効化により封じられていた。

 影を介した転移とて、その影の操作自体を妨害し、転移させる隙など与えることはなかっただろう。

 だが、純粋な転移能力。ただ己が意志力だけで、特定の現象を介さずに、転移するという行為を封じる力をデュランダルは持っていない。

 

 そう。天魔・奴奈比売がデュランダルより逃れたのは、万象掌握の力に他ならない。

 

 

「良い歪みね、これ。気に入ったわ」

 

 

 ニヤリと嗤って口にする大天魔。

 その口振りは、本心から気に入ったと言っているとは思えない。真実、彼女にとって歪みとは、面倒くさい改変に他ならない。

 

 それでも敢えてそう語るのは、その反応を見たいが為。

 まるで奪った玩具を見せびらかす子供のように、そう告げる事自体を、そしてその反応を楽しんでいると言わんばかりの行為である。

 

 

「何故、だ。何故、お前が僕の歪みを」

 

 

 血反吐を堪えながらクロノは問う。

 そんな彼の問いに、魔女は醜悪な笑みを浮かべて、真実を答えたのだった。

 

 

「滑稽ね。貴方達が自慢する歪み。その根源が何であるのかも知らずに使用している」

 

 

 重濃度魔力汚染とは、大天魔の魔力をその身に受けた者の証。歪みの根源とは、即ち大天魔の力に他ならない。

 

 穢土夜都賀波岐が纏う毒。それを受けた者こそが歪み者ならば、その毒を放つ者は誰であるか。

 最も戦火を広げた悪路王か? あの嘲笑う両面の鬼か? 穢土に残った最強の大天魔か?

 

 否。

 

 

「私こそが、その根源。私こそが、その源。貴方達の歪みの大本は私自身なのだから、その力を私が振るえぬ訳がないでしょう?」

 

「馬鹿、な」

 

 

 驚愕で目を見開くクロノに告げられる言葉。

 

 天魔・奴奈比売こそ歪みの根源。天魔・奴奈比売に使えぬ歪みはない。

 根源たる彼女はあらゆる歪みを、使用者よりも使い熟す。それらは全て彼女の祈りより生まれた力。

 

 故にこそ、天魔・奴奈比売はそれらを真に近い形で具現させることが出来るのだ。

 

 

 

 万象掌握。呟きと共に、少女の周囲に無数の器具が浮かび上がる。

 鋼鉄の処女。苦悩の梨。九尾のネコ鞭。スペインの長靴。スペイン式擽り機。膝砕き機。カタリナの車輪。審問椅子。異端者のフォーク。ハゲタカの娘。頭蓋粉砕機。腸巻き取り機。ファラリスの雄牛。ウィッカーマン。人間プレス機。魔女の錐。

 その全てが拷問道具。魔女自身がその身を持って体験した事もある。人を効率的に苦しめる為だけに生まれた処刑道具。

 

 

「っ!?」

 

 

 その機材を、如何なる目的で取り出したのか。察しが付いたクロノは表情を歪ませる。

 そんな彼に優しく笑いかけると、天魔・奴奈比売は甘い声音で嗤って告げた。

 

 

「言ったでしょう。……壊してあげる、と」

 

 

 拷問器具を手に取って、地星の魔女はその笑みを醜悪な物へと変えた。

 

 

 

 

 

2.

――置いて行かないで 去ってしまわないで 私はとても遅いから、手を伸ばしても貴方に届かない 悲しい 悲しい 寂しい 寂しい 喪われるのは悲しい 残されるのは寂しい だから祈ろう 全てを賭けて 万象遍く支配すれば 届かぬ手もきっと届くだろうから

 

 

 其は祈り。幼い少女の姿をした大天魔の口より紡がれる言の葉は、彼女の祈りであり彼の祈り。

 故にその想いに同調している今、その力は真実同質の物として顕現している。

 

 

「がああああああああああああああっ!」

 

 

 絶叫が上がる。それは黒髪の少年の物。

 雄牛の中に閉じ込められて全身が焼かれる。擽り機によって肉を削がれる。膝が砕かれ、肩が砕かれ、頭蓋が粉砕されそうになる。

 

 咄嗟に魔力を消費して拷問器具を破壊することで逃れるが、その度に300秒しかない時間が加速度的に消えていく。

 

 拷問自体を防ぐことは出来ない。それは彼女が用いる万象掌握という歪みが原因だ。

 その歪みによって、拷問器具が、あるいはクロノの身体が、噛み合う状態へと強制転移させられている。

 

 気が付いたら拷問器具に囚われているのだ。

 咄嗟に反応して打ち壊せている事こそが彼の反応速度の異常さを示していて、同時にその限界をも示している。

 

 痛い痛い痛い。

 全身を襲う苦痛。苦しめて殺す為だけの器具を受けて、クロノ・ハラオウンは逃げ惑うより他に術がない。

 

 そんな姿を無様と見下して、魔女は醜悪に嗤っていた。

 

 

「クロノ。あいつ」

 

 

 上空での一方的な遣り取りに、ユーノは歯噛みする。

 このままじゃいけない。このままではどうしようもない。

 自分が参戦してどうなるとは思えないが、それでも放置はしておけない。

 

 動き出そうとしたユーノは、ぎゅっとその服を握り締める手に押し止められた。

 

 

「なのは」

 

 

 抱き留めた少女は震えていた。少年の衣服を握り締めて、恐怖に怯えていた。

 

 

 

 目の前にある光景が恐ろしい。あの大天魔が恐ろしい。

 あれは友達の筈なのに。どうしてこんな事をするのかと問わなくてはいけない筈なのに。

 

 あの醜悪に嗤う魔女が、只々恐ろしくて動けない。

 

 あの魔女の姿が、両面の鬼と重なる。あの嘲笑う声が、同じ様に聞こえてくる。

 他者を嬲る姿が恐ろしい。誰かを傷付ける姿が悍ましい。あんな怪物が友であるなどと信じたくない程にそれを恐れて。

 

 

――それが手前の本質だ。高町なのは

 

 

 そんな鬼の言葉を思い出す。目を背けて、耳を塞いでいた言葉を思い出す。

 怖いモノを前にして、目を背けてしまうその弱さ。恐怖に震えるその感情は、まるで何も変わっていない。

 

 

――君は弱いね

 

 

 あの日、鉄槌の騎士に告げた自分の言葉を思い出す。

 お話しさせてという言葉を、自分より弱い相手にしか口にしていなかった事実に思い至る。

 

 ああ、誰よりも止めなくてはいけないのは、彼女ではないのか。

 ああ、誰よりも話を聞かなくてはいけないのは、彼女ではないのか。

 

 動いて。動いて。動いて。

 どれほど願っても、この体は震えて動かない。恐怖に震えて動けない。

 

 

 

 縋るように、彼の衣服を握り締める。

 震える手で、迷子のような瞳で少年を見詰めた。

 

 けれど、その手は優しく解かれた。

 

 

「少し待ってて、すぐ戻るから」

 

 

 少年の意志は崩れない。少年の思いは揺るがない。

 ユーノにはなのはが何をそこまで恐れているのか、そしてあの大天魔が誰であるのかも分かっていない。

 

 だが、それでもあれが友人であるのだとなのはが確信を抱いていることは分かっている。

 そしてクロノが今にも死にそうな無様を晒していることも分かっている。だから――

 

 

「ぶん殴って、君に頭を下げさせる」

 

 

 大天魔であることなど関係ない。力の差なんて知ったことか。少女を泣かせる存在を、少年は許しはしないのだ。

 

 殴り飛ばして引き摺り戻して、そうして全部解決だ。その後はいつも通りが返って来る。

 そう語った少年は、大天魔の遊び場。少年達の死地へと飛び出して行った。

 

 

 

 その背を見詰める。置いて行かれた少女は、伸ばし掛けた手を彷徨わせる。

 彼を押し止めることは出来ない。けど共に進むことも出来ない。

 

 進めていると思った。前に進んでいると思った。

 けれど、あの日、己に対する否定から目を逸らしたあの日から、何一つ変わっていない。

 

 戦場に向かう彼の背が、只々遠く感じられた。

 置いて行かれた少女は蹲り、恐怖と羨望と自己嫌悪の入り混じった感情に身を震わせていた。

 

 

 

 

 

「クロノォォォォォッ!!」

 

 

 金髪の少年が名を呼びながら参戦する。

 その姿を見下しながら、天魔・奴奈比売は何故来たのかと内心で罵倒した。

 

 あの子を宥めていればいいものを。怖気付いて共に震えていれば見逃したものを。ああ、何故出て来るのか、と。

 

 そんな魔女の内心など知らずに、ユーノはその言葉を告げる。

 

 

「何無様晒してんだよ! 僕は乗り越えたぞ、こんな歪み! 僕は勝っただろう! お前にさ!!」

 

 

 奴奈比売が振るう歪みの力に嘲弄され、戦場へと近付けていないユーノは、それでもそう強気で口にする。

 自分はお前が使った歪みを乗り越えてお前を倒したのに、そのお前はこんな形を似せただけの模造品を超えられないのか、と罵倒して進む。

 

 

「はっ、好き勝手言ってくれる」

 

 

 目の前で消えていく数字を眺めながら、クロノはユーノの勝手な言葉を馬鹿にする。

 言われなくても分かっている。その言葉には幾つも異論がある。だから彼もまた、同じ様に吠えるのだ。

 

 

「分かっているさ。乗り越えてやる! そもそも勝ったのは僕だろうが、目玉かっぽじって、よく見ておけフェレット擬き!!」

 

 

 奮起する。咆哮する。こんな物超えてやると、意思の力で立ち上がって――そんなクロノの思いを嘲笑うかのように、ピーと機械音がしてカウントが一気にゼロになった。

 

 

「な、ぜ……」

 

 

 足を見る。何時の間にか影が纏わり付いている。

 その影がクロノの身体から、残る魔力を吸い出していたのだ。

 

 鋼鉄の処女がその身を開く。

 心停止により身動きが取れなくなったクロノは逃れる事も出来ずに、その腕へと落ちて行って――バタンと鉄の蓋が閉じた。

 

 鉄の乙女が赤い涙を流す。

 その抱擁に包まれて、クロノ・ハラオウンは呼吸を止めたのだった。

 

 

 

 

 

「はい。これで御終い」

 

 

 血涙を流す鋼鉄の処女の前で、天魔・奴奈比売はそう語る。

 どうすると、最後の慈悲を持って魔女はユーノへと問い掛けた。

 

 

「さ、このまま逃げるなら見逃してあげるけど」

 

 

 出来れば殺したくはない。あの娘の想い人をどうして奪い去る事が出来ようか。

 だがそれは出来れば、だ。必要ならば処分する。この少年の死が決定的な絆を打ち砕く物になろうとも、それであの娘がもう戦場に望まなくなるのならば。

 

 

「何、終わった気でいるのさ」

 

「……何ですって?」

 

 

 そんな魔女の最後の慈悲を、ユーノは笑って跳ね除ける。

 懐疑の視線で見詰められるだけで膝を付きながら、脂汗を浮かべたままに少年は魔女の言葉を笑い飛ばした。

 

 

「あいつが終わる? この程度で? はっ、あり得ないね」

 

「…………」

 

 

 少年の確信を抱いた表情に、気でも狂ったかと魔女は嘆息する。

 クロノ・ハラオウンの死亡は確実だ。アレには耐えられるだけの札など何もない。

 そんな既に死んだ少年を盲目的に信じるその姿は、最早哀れみすらも抱かない。

 

 

「馬鹿ね。貴方」

 

 

 だから、終わらせよう。せめて一瞬で終わるが慈悲と知れ。

 

 天魔・奴奈比売の影が蠢き、まるで槍の如き刃を形成する。

 そしてその刃を振り上げて、その切っ先がユーノの身体へ向かっていく瞬間に――彼女の背から、青き光が溢れ出した。

 

 

「なっ!?」

 

 

 驚愕に表情を歪める天魔の背後。鋼鉄の処女が砕け散る。

 その内側より姿を現すのは、満身創痍のクロノ・ハラオウン。

 

 心臓を失い、魔力を奪われ、死んだ筈の少年はそれでも空に浮かんでいた。

 

 

「動けるだろうな」

 

「当然だろう」

 

 

 大地に膝を付いて、息も絶え絶えに問うユーノ。

 そんな彼に余裕を見せながら、赤に塗れた黒衣の執務官は言葉を返す。

 

 取るに足りないと、思慮の外へと置いていた。

 故にこそ信じられないと、奴奈比売は驚愕している。

 

 カウントはゼロを切っている。その全身の傷は致命傷だ。

 なのに、何故と。驚愕する奴奈比売に、クロノが語る事実は唯一つ。

 

 

あいつ(ユーノ)が乗り越えたんだぞ。ならば、この僕に超えられない道理はないだろうが!!」

 

 

 負けられない少年は、その身一つで自分の歪みを乗り越えた。

 ならば自分に出来ない道理はない。歪みが封じられた状態でも、万象掌握を乗り越えて見せると、クロノは意思を込めてそう告げた。

 

 

「っ!? 貴方――」

 

 

 クロノの姿を観察した奴奈比売は、その体に起きた事象を正確に理解した。

 

 歪みの深度が増している。その影響が増している。

 壊れた心臓の代替を肉体内に作り出した。肉を動かし、内臓をずらし、それでも足りない血肉を無理矢理作り出している。

 

 それはある意味道理である。目の前に歪みの根源があるのだから、望んで貪ればその深度を増すことは簡単なのだ。

 

 

「そう。そういう事。……それが出来るだけの器と、覚悟があった。詰まり、侮り過ぎたという訳ね」

 

 

 だがそれを為すには、二つの壁が存在している。

 誰もが容易く出来る様な、簡単な事では決してない。

 

 歪みの根源から流れ込む力。それを必要以上に取り込めば、その瞬間に自我も保てなくなり自壊する。

 クロノ・ハラオウンがそうならなかった理由は単純に、取り込んだ力を受け入れるだけの器を既に持っていたからだ。

 

 失った事で強くなった願い。傷付いて、それでも立ち上がった事で練磨された魂。

 それが陰の等級にして拾と言う、極みに到達する事を彼に許したのだ。彼以外、例えば高町なのはが同じ行動をすれば、その瞬間に死んでいただろう。

 

 だがそんな器を作り上げた彼であっても、もう一つの問題は解決できない。

 高度な歪みを持つ事。それ自体が持ち合わせるその問題点は、彼が死ぬまで付いて回る。

 

 彼の選んだ解決策は、断崖の果てへと飛び降りる行為と同じだ。

 器が伴わなければ落ちる途中で、恐怖の余りに心が死ぬ。仮に意識を保てても、何時かは地面に落ちて墜落死。

 

 どちらにしても、終わりへ落ちる自殺行為と言えるだろう。

 

 

「それ、真面に死ねないわよ。……いいえ、もう無様に死ぬことも出来ない」

 

 

 その歪みの深度は最早、準神格域。等級にして陰の拾に届いている。

 神格域への一歩であるが、この世界の民が持つ魂ではその力に耐え切れない。

 そこまで行けない少年は神格には至れず、しかしここまで進んでしまえばもう戻れない。

 

 行き過ぎた力は使用者を苦しめる。

 どれ程醜悪な形となっても、どれ程の障害を抱えても、もうクロノ・ハラオウンは死ぬことさえ出来ないのだ。

 

 

「だから、どうした」

 

 

 そんな生き地獄を告げられて、知ったことかとクロノは返す。

 その少年の姿に奴奈比売は息を飲み――故に意識の外から迫る力に対処が出来なかった。

 

 

繋がれぬ拳(アンチェインナックル)!」

 

「っ!?」

 

 

 空間支配によって近付けない筈だった少年が、その拳を大天魔へと振るっている。

 威圧感だけで呼吸も出来なくなっていると言うのに、動けぬままに拳の圧を飛ばしていた。

 

 懐のカートリッジに込められた魔力を使用した一撃は、しかし時間停止の鎧を打ち破れずに少年の拳だけが砕ける結果に終わる。

 ユーノへと振り返った奴奈比売は、影を用いて反撃を行う。一撃にて殺してしまおうと、しかしその影は少年を貫かずに空を切った。

 

 

「万象、掌握?」

 

「ああ、支配権は返してもらったぞ」

 

 

 遠く、奴奈比売の影が届かぬ位置へ、少年を飛ばした力は正しく万象掌握。

 元が奴奈比売の力であれ、クロノの色で塗り替えられた今、その歪みはクロノの物だ。その真価を真に発揮できるのは彼をおいて他に居ない。

 

 故に、等級が極みに至った今、彼の歪みは奴奈比売の支配を乗り越える。

 

 

「……虎の子だってのに、あいつ硬過ぎるんだけど!?」

 

「折角、スカリエッティの研究所で補給して来たんだ。まだ残ってるだろ? もう一発やってこい。震えて動けないフェレット擬きでも、囮程度にはなれるだろうさ」

 

「誰が震えて動けないって! 後で泣かすぞ、岩石頭!」

 

「笑わせるなよ。弱虫フェレット。泣くのはどっちか、これが終わった後にでも教えてやるさ」

 

 

 そんな風にじゃれ合う少年達は臆することがない。

 屈することはなく、諦めることはなく、圧倒的な脅威へと立ち向かう。

 

 

「……男の意地とか、嫌いじゃないんだけどね」

 

 

 だが、それが自分に向けられるとなると話は別だ。

 唯の意地だけで乗り越えられるような、甘い存在ではないと教えてやろう。

 

 奴奈比売は冷静さを取り戻しながら、取るに足りない少年達を潰す為に動き出した。

 

 

――何処へも行かせない 何処にも逃がさない 何処へ行ったとしても 何処までだって追い求める あの高みへと至る為なら 時も 距離も 全てを乗り越えてみせる 撃ち放たれた弾丸は 必ず貴方を捕えるのだから

 

 

 轟と放たれるは歪みを纏った魔力弾。

 変幻自在に追い掛ける。無限加速の猟犬は正しく――

 

 

「これ、ティーダさんの歪みだ!」

 

「っ、死者の物まで使えるか!?」

 

 

 少年達の前で飛来する黒石猟犬。

 天魔・奴奈比売が用いるのはそれのみに非ず。

 

 存在重複。乾坤一擲。増殖庭園。

 管理局が誇るエースストライカーの歪みが同時に顕現する。

 

 そして、それだけでも終わらない。

 

 

――どこにも行かないで 置いていかないで 私はとても遅いから 駆け抜けるあなたに追いつけない ああ だから待って 一人にしないで あなたと並べる未来の形を 那由多の果てまで祈っているから それが限りなく無であろうとも 可能性だけは捨てたくないから

 

――私は地べたを這いずりまわる 空を見て 空だけを見て あの高みに届きたいと 恋焦がれて病んでいく 他の物は何もいらない あれが欲しい あれが欲しい ああ だけど悲しい 届かない だから祈ろう 私という存在の全てを賭けて あの星に届く手が欲しい

 

――皆私を残して逝ってしまう 誰も私を顧みない 寂しい 寂しい 私はいつも一人きりで 泣いて震えて沈んでいく 仲間が欲しい 手を取り合いたい 皆と一緒に あなたと一緒に 一人にしないで 忘れないで ねえ だから横並びになりましょう 私のところに降りてきて 私があなたを引きずり下ろす 愛するあなた みな残らず 私の愛に巻き込まれたまま泥に沈んで お願いだから

 

 

 可能性の拡大。

 あらゆる物を切り裂く斬撃。

 他者から幸運を奪い去る禍憑き。

 

 その強大な力ですら、展開された歪みの一部に他ならない。

 

 その歪みの総量は千を超える。

 その歪みの種類は万を超える。

 億人の歪み者が同時に力を行使したとて、ここまでの光景は生まれ得ないであろう。

 

 既に死んだ者の歪みであれ、違う世界で生きた者の歪みであれ、その全てを天魔・奴奈比売は使い熟せる。

 等級にして玖相当。極みに至った者にこそ劣るが、それでも彼女の歪みは使用者のそれを超えている。

 

 天魔・奴奈比売に挑むとは、億人の歪み者を同時に敵に回すよりも恐るべきことなのである。

 

 

「貴方達の意地は、この総量を乗り越えられるとでも言うのかしら?」

 

 

 天を覆う歪みの群れ。圧倒的なその物量。

 天魔・奴奈比売はその物量こそが最大の脅威。

 穢土夜都賀波岐の内でも最も出来る事が多い、限りなく全能に近い大天魔。

 

 そんな彼女に、超えられるのかと問われた少年達は――

 

 

「勿論!」

 

「無論!」

 

『出来る訳ないだろうが!!』

 

「は?」

 

 

 ポカンと目を丸くする奴奈比売の前で、尻尾を巻いて逃げ出した。

 

 

 

 そもそも前提となる条件が異なっている。

 彼らが戦闘を望んだのは、撤退出来ないという状況故に、仕方なくの消去法。

 

 だが、今クロノは支配権を取り戻した。万象掌握を完全に使い熟している。

 ならば逃れられないという前提が破綻している。戦わなければいけない理由がない。

 

 故に、こんな化け物と無人世界で戦う必要などはない。尻尾を巻いて逃げれば良いのだ。

 

 

「っ!? 逃がすと!」

 

「思っているさ」

 

 

 少年達も、奴奈比売も同時に悟る。

 空間転移能力を取り戻したクロノに対し、逆に空間転移を妨害されている奴奈比売は追い付けない。

 

 デュランダルの影響は未だ残っている。

 ユーノのように小型のカートリッジでも持ち歩いていない限り、今この場で魔法は使えない。

 そして歪みによる転移という唯一点に限るならば、模倣である奴奈比売よりも極みに至ったクロノが勝っている。

 

 故に――

 

 

「なのは!」

 

「掴んだな、退くぞ!!」

 

 

 ユーノがなのはを抱き締め、クロノが万象掌握を行使する。

 向かうは一路。ミッドチルダ。大天魔の立ち入れぬ彼の地であった。

 

 

 

 逃げ帰るクロノは、しかし満足気ですらある。

 勝機は掴んだ。デュランダルに対し万象掌握で対処したという事実が示している。

 

 転移以外に、奴奈比売が永久凍結に対する術を持たない。

 空間転移系能力は己の極まった歪みが全て封じることが出来る。

 

 故に、この大天魔ならばやり方次第で倒せると確信していた。

 

 なのはを抱き締めるユーノは、その表情に安堵を浮かべている。

 威圧感だけで真面に動けなくなる程に、実力の差は明白な強敵。其処から逃げ出せた安心感。

 

 其処に約束を守れなかった歯がゆさを感じながらも、それは次だと意識を切り替え今は退く。

 

 そして抱きしめられたなのはは――何も出来ずに震えていた。

 万象掌握の力によってこの地から転移しながらに、少女は震える事しか出来なかった。

 

 

 

 掻き消えていく少女達の姿に、もう追い付けぬかと奴奈比売は溜息を吐く。

 

 此処で仕留める事は出来なかったが、それでも闇の書の回収は妨害出来た。

 今回はそれで満足するしかないかと思考を変えると、消え去ろうとする高町なのはとその目を軽く合わせて想いを伝えた。

 

 

「……なのは。次に会う時までに、どう動くか決めておきなさい」

 

 

 恐怖に折れて蹲るか、意地を張って戦場に来るのか。

 そのどちらにするのか決めておけと、天魔・奴奈比売は静かに告げる。

 

 目が合った瞬間。怯えたように逸らしたなのはの態度に、寂しそうに微笑みながら。

 

 

 

 

 

 戦いは終わる。少女の心と、彼女達の絆に傷を付けたまま、少女にとっては何一つとして進展せずに、終わってしまった。

 

 

 

 

 




蚊帳の外ななのは。彼女が決意するのはもう少し先です。
その前にもう少し追い詰めますけど(ゲス顔)


クロノくんが陰の拾になりました。ここで成長ストップです。
天魔勢下位とは言え、勝機を見つけ出せるようになったので、もう十分でしょう。

そしてデュランダルのお披露目。速攻潰される。
開幕ブッパはだからいけないとあれ程(ry



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第二十八話 壊れた絆

何故か一発ネタが短編日間一位になっていて爆笑した作者です。
こんなんじゃ俺、シュピーネさんをもっと出したくなっちまうよ。


副題 強い子はしまっちゃおうね。
   擦れ違う。それでも手は離さずに。
   なのはちゃん、二段底に落ちるの巻。


※2017/01/05 改訂終了。


1.

 ミッドチルダ東部。クラナガンよりそう遠くない地に、一際目を惹くその建物はあった。

 

 檜皮葺の屋根は優美な曲線を描き、垂直に配された木造の壁はミッドチルダには珍しい和の雰囲気を感じさせる建造物。

 一五階建ての高層ビルにも匹敵する48mというその高さ。180坪という広大な敷地面積を誇るその大社造りの建物は、彼の御門一門が本拠地である神殿だ。

 

 その御門一門の社の最奥、中心地とも言える礎石のある一室。薄暗い部屋を蝋燭の炎が仄かに照らし出す。

 式服に身を包んだ術士達が壁に立ち、呪言を口にする中、その部屋の中央にて二人の人物は向き合っていた。

 

 心の太柱の前で禅を組み、苦々しい表情を浮かべるは黒髪の美女。凛とした顔のその女性こそは、この御殿の支配者である御門顕明に他ならない。

 

 険しい顔で呪を口にする彼女。咒力という点に置いて、師の足元にも及ばない彼女では、こうして複数の術者の補助がなくば高度な術式は使えない。

 

 怨と呪を口にして皆の力を集める顕明。彼女の前には、脂汗を浮かべるクロノ・ハラオウンの姿があった。

 

 

 

 黒髪の執務官は今、常とは異なった様相を晒している。

 白い着物に、白字で文字の刻まれた細い黒帯。その帯に打ち付けられた杭は、大地と少年の身体を繋ぎ止めるかのように埋め込まれている。

 

 幾重もの帯に包まれたその姿。その様はまるで拘束具を着せられた囚人が鎖に繋がれているようにも見える。

 否、その表現はまるでではなく、真実を突いていると言えるであろう。クロノ・ハラオウンは今、御門顕明の手によって拘束されていた。

 

 

「戯けが、無茶をしおってからに」

 

 

 常に余裕を見せる彼女にしては珍しい、焦りと怒りが混じった色。

 彼女の目に映る少年の姿は、それ程までに悲惨な有り様を見せていた。

 

 

 

 

 

 ミッドチルダに戻った少年少女達。

 眼前の脅威から逃れられたことに安堵の溜息を吐くユーノと未だ恐怖に怯えて震えるなのはの前で、歪みを解除したクロノ・ハラオウンは何の前触れもなく唐突に倒れた。

 

 疲労か、傷か、どちらにしても意識を保っている方がおかしい程に彼は消耗していた。

 故に倒れたのもそれが原因だろうと楽観的に捉え、管理局の医療班を要請する為に動こうとするユーノ。

 

 彼はクロノの容体を確認する為に近付いて、そこで漸くその異常に気付いた。

 

 クロノの纏う気質が変じていく。その小さき体より悍ましい程の瘴気が溢れ出している。

 目の前でクロノの気配が変質していく姿にユーノは、先の考えが全くの的外れであったことを悟ったのであった。

 

 その瘴気の質は、濃さや威圧感の違いはあれ、正しく大天魔と同質同種の物。

 穢土の理に傾いてしまった少年より放たれるは、万民を発狂させ得る天魔の毒であった。

 

 発されるクラナガン全土を包み込まんとする瘴気。それに気付いた御門顕明が、一門の術士や兵を伴い現れる。

 彼女らは瘴気の毒に飲まれ動けなくなった子供らの目の前でクロノ・ハラオウンを捕えると、こうして有無を言わせぬ内に本殿へと引き摺り込んだのであった。

 

 

 

 彼女の目に映る魂の形。それは所々に剥げ落ちて皹が入り、今にも砕けそうな姿をしている。

 彼女の目に映る肉の体。おかしな形に変じた臓器は殆どが本来の役割を果たしていない。半身であった機械の体は歪みに飲み込まれ、金属が脈打つという悍ましい様を晒している。

 

 そんな在り様すらも、彼の愚行を思えば億に一つ以下の可能性が結んだ奇跡に他ならないと御門顕明は知っていた。

 共に居た子供達。会話が出来るだけの余裕があったユーノ・スクライアを問い詰め、どうしてクロノがこうなったのかを知った顕明。

 

 そんな彼女は思う。心底からこの少年は阿呆であるのか、と。

 

 確かに、歪みの根源である奴奈比売より力を奪い取るのは不可能ではない。

 目の前にいる相手から力を引き出すというのは、他者の力である歪みを引き出す事に慣れた高位の歪み者ならば至極簡単な行為と言えるであろう。

 

 だが、それは出来るというだけで、その安全性を保障している訳ではない。

 力の流入は望んだ分だけ掴み取るという便利な物ではない。圧倒的な力が洪水の如く押し流れて来るのだ。それだけ力に耐えられる器がなければ、それは最悪の結果を招くであろう愚行となる。

 

 

 

 夜都賀波岐の大天魔。彼らは、血の一滴すら恒星を上回るとされる覇道神、その神々の中でも在りし日の最強と謳われた最高位の戦神、永遠の刹那が眷属達だ。

 その力の総量は絶大。その存在の位階は遥か高みにある。そんな物の一欠けらでしかないのが歪みであり、魔力汚染患者の大半が歪み者に成れないという事実が示すように、そんな僅かな欠片でも人の身には余るのだ。

 

 そんな一滴で人を壊す毒を、杯ごと飲み干すような行為。それこそクロノが行った愚行である。本来ならば断じて行うべきでない、唯の自殺行為に過ぎないのだ。

 一滴の毒ですら馴染ませるのに時間が掛かり、或いは生涯を掛けても制御出来ないというのに、コップ一杯の毒など飲み干せばどうなるか、そんなのは自明の理であろう。

 

 毒杯を飲み干す器がなければ、その瞬間に体は爆ぜて死亡するだろう。

 内にある毒を制する意思。精神力が足りなければ、その瞬間に自我は狂い崩壊する。

 心身全てを染め上げる歪み。それに抗えるだけの魂の強さがなければ、即座にその魂は引き裂かれて塗り潰されるだろう。

 

 後に残るのは、穢土の蜘蛛という彼らの傀儡となった蠢く肉塊だけである。

 

 その点で言えば、クロノはその条件の大半を満たしていたのだ。

 彼の器は既にして完成していた。努力の天才とでも言うべき彼は、その歪みも魔法も体術も精神も、弛まず磨き上げていた。己の限界点とでも言うべき境地に、僅か十四歳という若さで手を伸ばし掛けていた。

 才能に驕った天才ではなく、歪みに慢心した愚か者でもなく、然したる才能にも恵まれない身でありながら幼い頃より己を鍛え続けた努力家である彼だからこそ、肉体と精神、その双方で必要とされる領域に到達していたのだ。

 

 故にこそ、毒杯を飲み干してなお、それを受け入れる事が出来た。

 その毒こそがきっかけとなり、彼は陰の拾という極みへと至れたのだ。

 

 だが、それだけだ。彼には、否、この世界の民には決定的に欠けている物が存在している。

 それは魂。その純度。その強靭さ。それが致命的なまでに足りていない。

 

 歪み者にとっては死活問題。最も重要な要素の欠落である。

 その弱き魂を、クロノ・ハラオウンは意思の強さと渇望の深度で補っていた。

 

 好敵手に出来て自分には出来ない訳がないという意思。

 何の根拠もない盲信であっても、揺るがぬ程に強く思えば魂を輝かせる薪と成り得る。

 

 守りたい。届かせたいという渇望。

 失ってしまったからこそ強くなったそれは、確かに神格と呼ばれる者らと見比べても何ら見劣りしない程に極まっている。

 

 だから彼は陰の拾という規格外の歪みを制御することが出来た。

 そしてだからこそ、逃走に成功して気を抜いた瞬間に、その歪みを支えていた意思を失ってしまった事で力の暴走を許してしまったのだ。

 

 常に意識を張り詰めておく事など出来ない。常に強き覚悟で居る事など出来ない。一瞬でも気を抜けば歪みを支えられなくなる。

 鋼の意思を決して揺るがせない。そんな生き方を、死ぬまで延々と続けていくことが出来る者など、一体何処にいるのであろうか。

 

 故にクロノの身に起こった出来事は、必然の結果に過ぎないのだ。

 

 

「刀自、殿」

 

「……話すな。呼吸をするのも辛いであろうに」

 

 

 苦痛の中でも決して意識を手放さず、状況を認識し続けていたクロノ・ハラオウンは現状を理解して言葉を口にしようとする。

 御門顕明はそんな彼を片手で抑え、彼を縛る呪をより強くした。

 

 

「嘗ての神州。秀真という地で最大級の歪み者を封じていた物と同じ術だ。衣服。髪の結い方。爪の切り方に呼吸の仕方。あらゆる要素を制限することで外部に与える影響を遮断する。そして完結させたお前の内なる宙の中で、その歪みを安定させる」

 

「……どれほど、掛かり、ますか」

 

 

 クロノ・ハラオウンは望んでいる。

 再び戦場に立つことを。大天魔を討つことを。

 

 後一歩まで迫っているという実感がある。打ち破る為の戦術は既に己の中で形になっている。

 故に、闇の書を廻る戦いにおいて、今こそ大天魔を討ち滅ぼさんと意志を強く持っている。

 

 そんな彼の姿に視線を逸らすと、しかし顕明は強い口調で冷酷な事実を告げた。

 

 

「致命的な魂の崩壊を食い止め、失った分を補うのに一年。……その歪みを安定させるのに掛かる時は最低でも三年だ」

 

「っ!?」

 

 

 それは、もうクロノは闇の書を追えないという事実を示している。

 

 

「三年と言うのも、封印が馴染んで以前のように力が使えるようになるまでの期間でしかない。……自分の自我や仲間の命が惜しくば、最早全力など出さぬことだ」

 

「っ、ぅぅっ!」

 

 

 最早全力など出せない。それは大天魔に抗えないという事実を示している。

 

 

「あ、がっ!」

 

 

 その言葉を理解した瞬間に、クロノは抵抗を始めた。

 身を捩って、歯を食いしばって、意思の力で無理矢理にでも歪みを制して、蓑虫の如く拘束されながらも、クロノ・ハラオウンは動き出そうと体を動かす。

 

 周囲を囲む術者らが騒めく。その鬼気迫る姿に怖気付く。その身から放たれる瘴気が一段と激しくなっていく姿に誰もが顔に恐怖を張り付けていて。

 

 

「喝っ!!」

 

 

 そんな配下の動揺を、御門顕明はその一喝で押さえ付けた。

 そして鬼気迫る表情でもがき続けるクロノに対して、咒力を込めた一喝を加える。

 

 

「……戯けが! 今の貴様が周囲に与える影響を理解しろ!」

 

「がっ!?」

 

 

 御門顕明が放つ一喝。それが纏うは強大な呪力。

 魔力とは似て非なる力に押し潰され、クロノはその行動を制される。

 

 衝撃波に弾かれ、強まった拘束に身を絞められて、クロノは全身の自由を奪い取られた。

 

 

「その身から流れる呪詛は最早大天魔と同質。今の貴様は居るだけで周囲を侵す猛毒。歩く爆弾と同じであると知れ!」

 

「っ!」

 

 

 クロノの脳裏に浮かぶのは、この身の放つ瘴気に圧倒されていた好敵手の姿。歪み者である少女が怯えていた姿。

 

 あの時点よりも、今のクロノの放つ瘴気はその濃度を増している。その強さを増している。

 歪み者でない少年では耐えられない程に、ならば、魔導師ですらない一般人がその瘴気を浴びればどうなるか。

 

 その結末は想像するに容易い。

 心を壊され、体を浸食され、異形の怪物となり果てるか。死に至るか、発狂するか。

 どれにしたって救いはない。そんなどうしようもない結末しか、待ち受けてはいないだろう。

 

 

「お前が居ればそうなる。お前が死ねば制御を外れた歪みは爆散し、より悲惨な結末を生む。……それを自覚しろ。クロノ・ハラオウン」

 

「…………」

 

 

 その言葉に、漸くクロノはその動きを止めた。

 自分の感情で無様を晒す愚かさは分かっている。もう二度と無関係な誰かを巻き込む訳にはいかない。

 

 それは自分を止めてくれた。あの少年への裏切りだと知っているから。

 

 

「……案ずるな。お前を必要とする時は、必ず来る」

 

 

 静かになったクロノに、一つの術を掛けながら御門顕明はそう口にした。

 

 

 

 闇の書は彼女らにとって、最早重要ではない。

 管制人格はその役を果たした。六百年という歳月を稼いでくれたのだから。

 

 そう。夜天の書が闇の書へと変わったのは、内に蔵した永遠結晶を守る為ではなく、それを持って無限転移することにより、大天魔の目をそちらへと惹き付ける為。彼らの目から逃れて、顕明達が暗躍するだけの時間を用意する事こそがその役割。

 

 闇の書がその役を果たし続けたお蔭で、管理局と御門顕明は確かに手を届かせつつある。

 足りないのは後一つ。最も重要なそれさえ得られれば、反抗の準備は完了するのだ。

 

 

 

 無駄にはしない。無駄には出来ない。それだけの業を重ねている。

 

 次元世界中から集めた無数のロストロギア。その為に滅ぼした世界は数知れない。引き渡しを拒否した者らは皆残らず打ち滅ぼした。

 母体に細工を施すことで、思考能力を強化した強化人間を生み出せるように調整したアルハザードの血統。その最高傑作たるジェイル・スカリエッティ。それらの行いが外法であると分かって、しかし望んで行った。

 

 大天魔との戦場を用意することによって、歪み者が覚醒しやすいような状況を意図的に作り上げた。

 ミッドチルダとは蟲毒の壺だ。そこに生きる者を磨き上げる為の地獄の釜だ。その為に意図的に大結界に欠陥を残した。完全を求められたと言うのに、避けられた悲劇を、無くても良かった惨劇を作り上げた。

 

 六百年という準備期間をもって、これだけの用意をしてきた。

 目の前の少年は、長き管理局の歴史の中でも最大級と言える歪み者は、その集大成と言うべき者の一つであるのだから、ああ、何故無駄に出来ようか。

 

 

「決戦の日は近い。その時こそ、お前の力が必要となろう」

 

 

 故にその命。無駄に散らしてくれるな。失うならばその時にしろ。

 そんな言葉を聞きながら、クロノは自分の意識が薄れていくのを感じていた。

 

 それは誘眠の術。他者を眠りへと誘う術だ。

 そんな魔法とは異なる力にクロノは抗うことも出来ず、ゆっくりと目を閉ざした。

 

 

 

 眠りに落ちた少年は、神殿の奥底へと囚われて封じられる。

 彼がもう一度戻って来るまでには、暫しの時が掛かるであろう。

 

 少なくとも、最早彼が闇の書を廻る戦いに関わることはない。

 

 

 

 

 

2.

 ミッドチルダから第九十七管理外世界を目指す航行船。その船室の一画で、高町なのはとユーノ・スクライアは隣り合って座っていた。

 地球までの旅路はそう遠くない。異常さえ起きなければ数日と掛からないであろう。

 

 御門顕明が用意した一等客室。ホテルの内装のような客室の中で、少女は無力さを感じたまま少年と共に過ごす。

 

 

――案ずることはない。お前達の戦いは終わりだ。

 

 

 そう少年少女に告げたのは御門顕明。闇の書の製作者の一人でもある彼女は、現状をこれ以上ない程に理解している。

 大天魔が地球を攻撃することはないだろう。ならばそこでひっそりと生きる限り、彼らと相対することはもうありはしない。

 守護騎士達がもう一度捕捉されることはないだろう。彼女らも愚かではない。管理局に監視されていると知って、暫しその動きは鈍るであろう。

 

 また、千の瞳という機構をそう長期間に渡って自由に使用させる訳にもいかない。

 クロノ・ハラオウンという歪み者が封じられた現状ならば尚更、民間人にそれを使わせる道理はない。

 

 故に、彼女達には残されていないのだ。

 大天魔と戦う必要も、守護騎士を追う機会も、戦いに赴く事さえ選ぶ事は出来なかった。

 

 そんな事実を聞かされて、思わずほっとしてしまった。高町なのははそんな自分を恥じるように項垂れる。

 友との対話の機会を奪われ、あのように必死な少女らを見逃し、そんな現状に安堵している。それに異を唱えようとも出来ない事が、堪らなく嫌だった。

 

 

「私、何も変われていなかった」

 

 

 膝を抱える腕に額を乗せて、高町なのはは内心を吐露する。

 その行為に意図などはない。唯、自分一人で抱え込むのが限界になったから、格好悪いと思っても言葉にするのを止められない。

 

 そんな少女の独白を遮ることなく、少年は耳を傾ける。

 

 

「……あの鬼が言った通り、それが私だった」

 

 

 力を得て慢心し、無意識の内に他者を見下していた。力に溺れて、己に酔って、そんな自分なら何だって出来るんだと思っていた。

 

 

「それを言われて、怖くなって目を逸らして、必死に頑張って前に進んでいるって思ってた」

 

 

 確かに前には進んで居ただろう。努力はしていた。必死に歩いていたのだから。

 けれど、目を逸らして、目隠しをしたまま歩いて、それで綺羅星のように輝ける人達に追い付ける程、高町なのはの歩みは早くなかったのだ。

 

 魔法を得て足が速くなった気になって、両面の鬼に無理矢理直視させられて、それでも嫌だと目を逸らしていた事実が其処にある。

 

 

「私、歩くの遅いんだ。……そんな知ってた筈の事、今になるまで忘れてた」

 

 

 輝ける星の如く先に行ってしまう少年が、君が居るからと語ってくれた。そんな彼の傍に立ちたくて、無意識に追い付けるって思っていて。

 ああ、けれど、魔法という神様の奇跡に支えられていても、それでも自分の足は遅かったから。

 

 

「羨ましい。妬ましい。そんな私の思い」

 

 

 その輝きに辿り着けないと、乞い願うような思いが芽生える。

 否、ずっとあった筈なのだ。幼い日から、なのはは他者を妬んでいた。

 

 私には何もないから。あの日に言ったその言葉が、それを確かに示している。

 

 

「力を得て、自分より弱いと思った人にはそれを振るえるのに、強い人に怖気付く」

 

 

 私はこんなに凄いと見せびらかすように、他者を弱いと見下して上から目線でお話しを要求する。それは劣等感の裏返し。

 その癖、本当に言葉を伝えなくちゃいけない友達に、怯えて何も出来なかった。本当に必要な時に、その強さを見せられないなら意味など何処にあると言う。

 

 

「するべきことも、やりたいことも分かるのに、それが出来ない」

 

 

 体が震える。小さな身体が震えている。

 今でもその魔女の戯れを思い出す度に、その小さき体は恐怖に震えて動けなくなってしまうのだ。

 

 

「……ねぇ、ユーノくん。私、どうしたら良いのかな?」

 

 

 上手く纏まらない思考を止めて、支離滅裂でぐちゃぐちゃとした複雑な思いを抱えて、縋るようになのははユーノに言葉を伝えた。

 

 

 

 そんな少女の姿に、少年はどう返すべきか、暫し思い悩んだ。

 

 

(君に僕は、何を伝えられるんだろう)

 

 

 その掌の温かさに救われたのはユーノ自身だ。高町なのはの輝きを知るのは、ユーノ自身である。

 

 なら、それを伝えれば良いのだろうか? いや、それはきっと違う。

 今のなのはは目を逸らせなくなった自分の醜さに対する自己嫌悪と、能力不足や意思不足による嫉妬、そして友達への恐怖で雁字搦めとなっている。

 

 ある種のパニック状態と同じだ。友達が大天魔という恐ろしい怪物だった事実を含めた、認めたくない現実が山ほど出てきた所為で混乱状態となっているのであろう。

 

 そんな彼女に、君にはそれ以外にも良い所はあるから、と。そう伝えて、なのはが喜ぶはずもない。

 きっと彼女が望んでいるのは、現状を打破する為の言葉。その一言で立ち上がれるような、そんな都合の良い魔法の言葉。

 

 けれど残念ながら、ユーノの内側に解決の助けとなる言葉は存在しなかった。

 彼の思いは示している。その感情は全て伝えてしまっている。故にユーノに、これ以上語れる言葉はない。

 

 だからユーノはなのはの手を優しく握りながら、一つの言葉を伝える。

 

 

「待っていて欲しい」

 

 

 それはきっと彼女が望まない言葉。そうと分かっていても、それしか口に出来ないから、あの戦いの中で決意した思いを言葉にして伝えるのだ。

 

 

「待っていて、その内に考えを決めれば良いんじゃないかな? ……君の友達は必ず引き摺り戻すから、君の友達と共に、僕は君の元へと帰るから」

 

「ユーノくん」

 

 

 望まれていた言葉とは違う。自分一人で解決するという独り善がりな発言。

 けど無責任に背を押すことも、無暗に死地へと向かわせることも、ユーノには口にすることも出来ないから。

 

 任せておけ、後は自分が何とかする。

 

 不可能に近いことは分かっている。どれ程先になるかも見えていない。

 今は追い掛けることも出来ず、追い付いたとしても自分一人ではどうしようもないことを知っていて、それでもユーノはそう語る。

 男の意地を貫く言葉を、後先など見えていない独り善がりな言葉を、格好付けて口にしていた。

 

 そんな彼の言葉を、嬉しく思う自分が居る。

 そんな彼の言葉に、それで良いのかと疑問視する自分が居る。

 そんな彼の言葉に、輝かしく前へと進んでいく彼を妬み羨む自分が居る。

 

 ぐちゃぐちゃな感情に翻弄されながら、自分自身の答えは返せない。

 

 

 

 けれどなのはは、優しく握られたその手を確かに握り返したのだった。

 

 

 

 

 

3.

 地球に戻った少女達は、各々の日常へと戻っていく。

 

 ユーノ・スクライアはあれから以前にも増した鍛錬を己に課している。

 御神不破の稽古。ストライクアーツの修行。高町桃子のパティシエ苦行。

 

 彼に守護騎士を探し出す術はない。彼に大天魔を追う策はない。

 八神はやてという当てこそなくもないが、彼女の住居などは知らない。仮に知っていたとしても、あの少女を巻き込むのはないだろうと判断している。

 

 故に彼の考えは単純だ。管理局へと何れ入局する。大天魔と戦い続ける彼らと共に宿儺、そして奴奈比売という二柱の大天魔を打倒し、アンナという彼女の友達を連れ戻す。

 

 その時の為に、今は唯己を鍛え上げる。

 約束した少女を泣かせない為に、あの限界を超えた友人に負ける事がない様に。

 

 

 

 そんな彼を後目に、高町なのはは通学路を一人歩いていた。

 

 あの日抜け出した事を叱り付け、無事に帰って来た事を喜んで抱きしめてくれた母の涙を見た。

 母に先んじられた事に苦笑して、それから温かい飲み物を入れてくれて、ゆっくりと休むと良いと語った父の優しさを知った。

 起きた出来事を聞き、辛かったろうにと慰めてくれる姉が居た。不器用ながらも良く帰ったと笑ってくれる兄が居た。

 

 そんな家族の温かさと、ユーノの頑張りを知るなのははこうして平穏へと戻っている。

 これで良いのかという思いを内に抱きながらも、これで良いのだと無理矢理納得させていた。

 

 

 

 学校へのバスに乗る停留所までの道行でふと思う。

 何時もなら今頃はアンナが声を掛けて来て、バス停の傍でアリサとすずかが待っている。

 そんな彼女らと話しながら、バスで学校まで行く。そんな当たり前だと思っていた光景。

 

 それが今はない。

 アリサもすずかも、なのはの事など待ってはいないだろう。

 

 数日どころか一週間以上休んでいたなのはを、朝の忙しい時間に待ち続けるとは思えない。

 教室に行けば会えるだろうが、それまでの道行で出くわすことはなさそうだ。

 

 アンナも当然居るはずがない。

 彼女は大天魔であった。今でもそれを思うと震えが来て、顔を思い浮かべるとあの魔女の嗤いしか浮かばなくなって、そんな自分が情けなくなる。

 

 トボトボと一人歩く。何だか無性に寂しくなった。

 

 バス停へと向かう途中の交差点。出発しようとしているバスを見つけた。

 朝のホームルームが始まる前に到着する最後のバスだ。これに乗り遅れたら遅刻してしまうであろう。

 

 急げば間に合うかもしれない。

 けれど、まあ、どうでも良いかと思ったなのはは、唯バスが過ぎ去っていくのを見詰めていた。

 

 そして――

 

 

「えっ?」

 

 

 通り過ぎたバスの向こう側。バス停で佇む二人の人影を見つけていた。

 

 

「……やっと来たわね」

 

「待ってたよ。なのはちゃん」

 

 

 アリサ・バニングスと月村すずか。二人の少女は高町なのはを待っていた。

 

 しかし、その顔に歓迎や歓喜の表情はない。

 引き締まった、或いは張り詰めた表情でなのはを見詰めて、アリサは口を開いた。

 

 

「ちょっと、顔貸しなさい」

 

 

 苦難の現実から逃げた少女に、その壊れた絆と向き合う時が来た。

 

 

 

 

 

 バス停から数分程離れた場所。震災の影響で出来た再開発地区。

 住居が建築される予定の空き地に入り込んで、なのは達は向かい合っていた。

 

 

「アンナが消えたわ」

 

「……」

 

「その顔、知っているって、顔ね」

 

 

 それは確認でしかない。消え去った少女となのはの関り、自分達では立ち入れなかったそこに、何かがあると気付いていた。

 それを何時か話してくれると信じて、待つと決めていた。それでももう待てない理由が出来たから、此処で決着を付ける為に一歩を踏み込む。

 

 きっとその時の少女達は、どちらも余裕がなかったのだろう。

 だから勇み足に寄って迫って、そうして破局を迎えてしまうのだ。

 

 

「消えたのは私の目の前で、天魔だとか何とか語ってからよ」

 

「っ!?」

 

 

 アリサの口にした言葉に、なのはは心底から驚愕する。

 なのはにとって、彼女の口からその言葉が漏れるのは予想外だった。

 あの大天魔達が己の事を、力のない人間に語るという事が予想すら出来ていなかった。

 

 それはあの血と死が満ちた戦場へと無力な人間を巻き込むかも知れない行為。

 そんな事をしでかしたアンナに対して、身勝手な怒りを僅か抱く。どうしてそんな真似をと、恐怖しながらに憤る。

 

 そんななのはの表情から、アリサはやはりなのはは知っているのだと確信していた。

 

 断片とは言え知識を得たアリサは、何よりもあの時止められなかった事を悔やんでいる。どうして手を離したのかと後悔している。

 そしてだからこそ、断片以外の出来事を知るであろうなのはに、問い掛けずには居られないのだ。

 

 

「いい加減、全部話しなさいよ!」

 

 

 もう蚊帳の外に置かれるのは御免なのだと語るアリサの問い。

 最早部外者ではないのだと告げるアリサの詰問を、跳ね除ける術をなのはは持っていなかった。

 

 

 

 

 

「……始まりは、ユーノくんと出会った時」

 

 

 少女は語る。始まりの物語。ジュエルシードを廻る戦いを。

 フェイト・テスタロッサと言う少女が居た。アルフという使い魔の狼が居た。

 ユーノと共に駆け抜けて、全能感に酔いしれて――そして全てを両面の鬼が踏み躙っていった事。

 

 そして、続くは闇の書を廻る物語。八神はやてと守護騎士達。

 突然襲われて、争いに巻き込まれて、そして再び悪路王と言う大天魔に全てを蹂躙された。

 

 嘆きながら抗う少年達を、取り残されたまま羨望して、その果てにアンナが大天魔の一柱であったことを、天魔・奴奈比売の存在を知った。

 

 

 

 それを語る。これまであった事。その主観を、その思いを、ぽつぽつと語るなのはに返って来たのは、パシンと頬を張る張り手であった。

 

 

「え?」

 

「何、してんのよ。アンタは」

 

 

 叩かれた事に愕然とするなのはに、アリサが伝えるのは唯一つ。

 

 

「何で、アンナを止めなかったのよ!」

 

「っ!」

 

 

 それは身勝手な怒り。それは理不尽な感情だ。

 

 アリサは友達を止められなかった己を悔やんでいて、そして大切な事だけは間違えないと思っていたなのはが自分と同じ過ちをした事に怒っている。

 その過ちを正そうとさえしない在り様に嘆いている。身勝手な感情。押し付けた理想に反されただけだと分かっていても、それでもその感情を止められないのだ。

 

 

「何も、知らない癖に」

 

 

 頬を叩かれたなのはが思うのは、そんな勝手な期待に対する怒り。

 既に張り詰めて限界を迎えつつあった少女は、そんな自分勝手なアリサに対して、同じく自分勝手に怒りを向ける。

 

 

「アリサちゃんは知らないから言えるんだ! あの大天魔を! あの地獄を! 見ていないからそんなことが言えるんだよ!!」

 

 

 あの両面の鬼に蹂躙されて、同じ事が言えるはずがない。

 あの悪路王の腐毒に染まった地獄を見て、それを止めようなんて思えるはずがない。

 

 天魔・奴奈比売の悪逆は、正しく彼らと同質同種の物である。

 

 

「それでも、それでもあいつはアンナでしょうが!!」

 

 

 掴み掛って口にする。それでも友達だろうと、あの魔女の正体を知って、その拷問を追体験して、それでもとアリサは口にする。

 

 

「知っているわよ! あいつがどうしようもない化け物だって、その姿を見て理解したわよ!! あいつに見せられた幻覚で、もう嫌だって思うくらいに怖がって!! けど、けどね、それでもあいつは私の友達なの! アンタもそうじゃないの! なのは!!」

 

「思うだけなら! 考えるだけなら簡単だよ! けど、それだけじゃ意味がない! 友達だって思っても、手が届かないなら意味がない! 結局力が足りない私じゃ、無力なアリサちゃんじゃ何も出来ない!!」

 

「それがアンタの本音か! 高町なのは!!」

 

 

 罵倒から取っ組み合いへと、掴み合ってからの殴り合いへと、少女達の対立は激しくなっていく。

 これ以上いけば戻れないほど、どうしようもない程に絆は壊れていって――

 

「……二人とも、そこまでだよ」

 

 

 そんな姿を、立ち合い人として見続けていた月村すずかが押し止める。

 間に割って入って食い止める少女は、その夜の一族の膂力によって二人の拳を完全に抑え付けた。

 

 

「っ! もう知るか、馬鹿なのは!」

 

 

 抑え付けられて、殴り合いを止められたアリサは吐き捨てるように口にしてその場を後にする。

 アンナを呼び戻す為に、なのはの力を借りようと漠然と考えていた金髪の少女は、彼女にその気がないことに勝手に失望する。

 

 何も出来ない自分と何もしないなのはに怒りながら、アリサはこの場から立ち去って行った。

 

 

「……アリサちゃんの、馬鹿」

 

 

 そんな背を睨み付けながら口にする高町なのは。

 天魔の恐怖を、アリサ以上に知るが故に怯え歩き出せぬ少女は、断片とは言えそれを知りながらもあんな言葉を口にするアリサの身勝手さに怒りを抱き、同時にその在り様に僅か羨望しながら呟いた。

 

 そんな少女へと向き直り、月村すずかは言葉を告げる。

 

 

「アリサちゃんが無茶を言っているのは分かるよ。……私は天魔とか、聞いただけで見た訳じゃないから、どちらが正しいのか何て口に出来ない」

 

 

 だから中立として、二人を見届ける為にここに居た。

 どうしようもなく絆が壊れてしまう前に、自分が間に立って押し止めよう。蚊帳の外に居る自分に出来る事は、そのくらいだと思ったから。

 

 

「けど」

 

 

 そう。それでも今の遣り取りに、月村すずか個人が感じる思いは一つだけ。

 どちらが正しいとは言えなくとも、それでも抱いた感情が一つあったから。

 

 

「……ちょっとだけ、失望した」

 

「……っ」

 

 

 咎めるようなその視線になのはは怯む。

 大天魔という人外を恐怖故に遠ざけたなのはに、同じく人外であるすずかは失望を感じている。

 

 あの日、なのはが語った、もう彼女は覚えていない言葉。

 それでも友達だと語った彼女の輝きに心打たれたすずかだからこそ、彼女が一番仲の良い友達であった筈のアンナを恐怖故に遠ざけた事に失望を隠せない。

 

 ああ、やっぱり怪物は駄目なのかな、と。

 

 

「……それじゃ、私はアリサちゃんを追うね」

 

 

 そう言って立ち去っていくすずかを、なのはは何も返す事が出来ずに見送った。

 

 

「…………私」

 

 

 一人取り残されたなのはは、去って行く友達の背を見詰め続ける。

 

 

「悪く、ないもん」

 

 

 そう自分を正当化して、ああ、それでも何故だか目は涙で滲み始めている。

 

 

 

 少女達の背が見えなくなるまで、高町なのははただ茫然と立ち尽くし続ける事しか出来なかった。

 

 

 

 

 




なのはちゃん達の喧嘩は無印でやってなかったので投入。
一度も対立しないで真の友情とか、語れないよね。(脳筋発言)


クロノくんは強く成り過ぎたので、しまっちゃうおばさんに仕舞われました。
心折れて歪み使えないなのはとユーノ相手なら、現状の守護騎士達と互角ぐらいじゃないかなーというバランス調整ですね。

え、大天魔? あれは災害ですから、バランス調整はしない。



全編通して恐らく最も鬱要素が強いだろうA's編。
クロノの慟哭。はやて重篤被害。なのは挫折。アンナ消失。三人娘の絆崩壊。と既に七割は消化しているので、後少しです。

大体三十三話~三十五話くらいでA's編は終わる予定。
もしかしたら後始末や描写の複雑化で一話、二話延びるかもしれませんが、そろそろA's編は終盤へと突入します。



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第二十九話 願いは其処に

九歳はやては大天使。作者がリリカルで二番目に好きなキャラです。(ただし十九歳、てめぇは駄目だ。二十五歳はやてはエロいから認める)


副題 はやてさんは天使だ。
   アグレッシブストーカー。
   暴走する守護騎士。


1.

 トボトボと彷徨い歩く。

 何処に行くでもなく、何をするでもなく、高町なのはは唯ぼんやりと海鳴の街中を歩いていた。

 

 学校へと行く気はしない。そんな少女は昼間の商店街を歩いている。

 本来ならば、このような幼い少女がこんな時間に出歩いていれば、補導の一つは受けるであろう。だが、今はそれもない。

 

 行く道にある店舗は軒並み店仕舞い。

 シャッターの降りた灰色の光景を晒しているか、Closedと記された看板が下げられているのが現状であった。

 

 

 

 度重なる災害の被害を受けた海鳴市。

 二度は復興の為に人々も立ち上がったが、流石に三度は堪えたらしい。

 

 人気も活気もない光景は、現在の海鳴市では当たり前となりつつある物である。

 地震と台風による被害を受けた後、脆くなった地盤より有毒ガスが噴き出してきた。それがこの街を襲った災害に対する一般人の認識だ。

 レジャー施設という場所から噴き出した有毒ガスが、何時他の場所から出て来るとも分からない。というのが彼らの認識である。

 

 国は避難指示を出す必要があるかどうかを検討し、その為の研究機関まで立ち上げた状態だ。

 その決定を待たずして、夜逃げ同然にこの地を去る人も少なくはない。無論、未だ残る者の方が多いが、それも仕事や生活が送れている内の話であろう。

 

 学校や公共機関。そう簡単には移転できない大型店舗などは未だ開いているが、個人経営の会社や小さい店などは撤退してしまっているのが殆どだ。

 再開発計画などは市より上がっているが、工事業者との遣り取りなどで問題が発生しており、遅々として進んでいなかった。

 

 このままで居れば、何れ海鳴市から人気はなくなってしまうであろう。今、この街は復興するか否かの瀬戸際にあるのだ。

 

 

 

 そんな海鳴市で最も人気がない個人経営店舗の立ち並んでいた商店街。

 ゴーストタウンと化しつつあるその中を、なのはは歩く。失われていく景色を思う。

 

 誰も彼もがいなくなっていく。それはこうして景色の変化を見れば、強く思ってしまう程に。

 アリサとすずかと喧嘩をしてしまった。アンナが居なくなってしまった。活気の失せた海鳴の街を見ていると、その有り様が自分の現状を示しているようにも思える。

 

 一人だけ取り残されているかのようだ。

 置いて行かれてしまったようになのはは感じて、ふっとその場所が視界に入った。

 

 

「公園」

 

 

 海鳴臨海公園。そこは彼女にとっての想い出の場所。

 フェイト・テスタロッサと決闘をして、決着が付かなかった場所。

 クロノ・ハラオウンに敗れ去り、宇宙戦艦アースラを始めて見た場所。

 ユーノ・スクライアと再会の約束をして、一緒に写真を撮った場所。

 

 そして、もう一つの大切な思い出。

 

 

――ねぇ、何しているの?

 

 

 友達が初めて出来た場所。

 高町なのはにとっての始まりの場所だ。

 

 誘蛾灯に誘われるかのように、なのははフラフラと公園の中へと歩を進めていく。

 変わっていない。何も変わっていない。その光景に、思わず涙が溢れそうになった。

 

 

「あれ? なのはちゃん?」

 

 

 声を掛けられた。振り返った先に居るのは、車椅子の少女。

 

 

「はやて、ちゃん」

 

 

 黒髪の女性に車椅子を押されながら散歩をしていた八神はやては、そうして迷える少女と再会したのであった。

 

 

 

 

 

2.

 神速。それは御神不破に伝わる秘奥の一つ。

 彼の剣術流派を常識の埒外へと引き上げている根源とでも言うべき技術だ。

 

 

「っ! 違う、こうじゃない」

 

 

 脳内にあるリミッターを意図的に外すことで、常軌を逸した身体能力を発揮する純然たる体技。それこそが神速である。

 

 高町士郎は彼を指導する際、最初は従来通り単純な体捌きや貫きといった技法から教えていくつもりであった。

 その後に技の鍛錬に入り、ある程度習熟した所で神速を教えていく予定であったのだ。

 

 だが、彼は大天魔という脅威を知った。悪路王の腐毒によって、現実的な脅威として認識したのだ。

 そしてユーノがそれに挑もうとしている事を知った事で、士郎は教育方針を変えることになる。

 

 御神不破において、最も強力と言える技法は歩法に分類される奥義である神速に他ならない。

 人の手には負えない災害の如き存在と相対する際において、何が最も役に立つかと言えば、やはりそれも神速であると言えるだろう。

 その為、士郎は他の技を教えるよりも、基礎技術を向上させるよりも、神速の習得とその為に必要な体作りを優先することにしたのである。

 

 それ故に、他の技術よりも先に御神不破の真髄である神速の概念を教え込まれた少年は、未だ成功してはいない神速を自らの身体で再現をしようと自己鍛錬を続けていた。

 

 人気のない林の中、ユーノは何度となく木々に体をぶつけ、根に足を引っかけては無様に転ぶ。

 その服は泥塗れにして汗だらけ、体は擦り傷だらけであり、中途半端に外したリミッターの影響で全身の筋肉は引き攣っている。

 

 だが、それでもリミッターを外し掛けることは出来ている。唯人を超越する感覚は掴みかけている。

 彼がこの流派の指南を受けてから、貫きと神速しか学んでいないとは言え、それにしても異常な速さと言えるだろう。

 

 それを才能故にと切ってしまうことは出来まい。武の才覚など、この少年には皆無である。

 汗臭く、泥臭く、必死に修練を続ける少年にとっての数日は、唯漫然と体を鍛える者達の数年にも匹敵するであろう程に濃厚だ。だからこそ凡人でしかない少年は、それでも此処に、その階へと手を伸ばし掛けていた。

 

 進む速度に動きが追い付かず、足がもつれて転んでしまう――けれど、その回数も減ってきている。

 走り出した勢いを殺せずに木々に体をぶつけてしまう――けれど、漸く持て余した勢いを維持したまま進行方向を変えられるようになってきた。

 

 本来は存在しないリミッター切り替えという機能。それを無理矢理に行う。

 それを朝から晩まで繰り返し続けたが為に、過負荷が掛かり焼け付くかのように脳が熱い。

 けれど、最初の数日に比べれば遥かに痛みは薄くなっている。確かに脳内に新たな機能が構築されかけているのだ。

 

 戦いの中で、急に成長する訳ではない。

 今まで出来なかった事が、突然出来る様になる訳じゃない。

 

 唯、積み重ねた物は無駄じゃない。

 気が遠くなる程に、同じ事を重ね続ければ、それは何時か花開く。それが、この今に開花した。

 

 かちりと、何かが嵌った気がした。

 

 とん、と軽い音を立てて、ユーノは疾風の如き速度で林を擦り抜ける。

 白黒に変わった視界の中で、スローモーションのように映る映像を置き去りにして、確かにユーノは神速を発現していた。

 

 疲労によって体から余計な力が抜けている。

 焼け付く寸前にまで酷使された脳は、神速を使う為の機構を脳内に作り出している。

 高町士郎に叩き込まれた基本技術が、ザフィーラ、クロノという強敵との戦いの中で得た経験が、今ここに芽吹いていた。

 

 

「やった! っと、の、あっ!?」

 

 

 出来た、と歓喜を浮かべた瞬間、未だ未熟な神速状態からは抜けてしまう。

 勢いを持て余したユーノはこけて転んで、ガンと音を立てて顔面から地面に突っ込んでしまうのであった。

 

 

「い、いたた」

 

 

 痛みに耐えながら起き上がる。

 鼻を抑えて、血が出ていたので手で軽く拭う。

 無様を晒した。誰にも見られていないことに、ほっと一息を吐いて。

 

 

「けど、今出来たよね」

 

 

 震える手を見詰めて、確かに出来たと理解する。

 確かに使えたという自負がある。もう一度行えるかどうかは、まだ少し不安だ。

 

 けれど一歩を進んだ。偶然の産物でも、確かに出来た。

 だからその実感に、よしと拳を握り締めるとユーノは再び鍛錬を再開する。

 

 この感覚を忘れない内に、確かにものにしてやろう、と。

 

 

「見つけたわよ! ユーノ・スクライア!」

 

 

 そんな努力を続ける彼の前に、乱入者達が現れた。

 

 

「君達は」

 

 

 こちらを指差しながら走って来る金髪の少女と、その背を追う紫髪の少女。

 その二人の姿を、ユーノは何度か見たことがある。言葉を交わした事とて少なくはない。

 

 

「アリサ・バニングスに、月村すずか?」

 

 

 なのはの友人達。片や少しは話せるであろう間柄になっているアリサと、どうしても苦手意識を抱いてしまうすずか。

 そんな二人が自分を探していたという事実に首を傾げながらも、ユーノは彼女らの話を聞く為に鍛錬を切り上げると、少女らに向かって足を進めるのであった。

 

 

 

 アリサ・バニングスはアンナとの再会を諦めてはいない。

 彼女は今度こそ友の手を掴んで離さないのだと決意していた。

 

 だが、そんな決意を幾ら重ねようとも、彼女が無力であることは変わらない。

 アンナとなのはから伝え聞いた知識しかない少女には、その手を届かせる手段がなかったのだ。

 

 ならば諦めるか、否である。

 自分の手が届かないならば、届かせることの出来る知人を頼れば良い。

 

 高町なのはは駄目だった。不屈の闘志は折れている。彼女はもう大天魔の前には立てないだろう。

 故にアリサが頼れる可能性があるのはユーノ唯一人。現在地球に滞在している魔導師が彼しかいないことは、なのはに聞いて理解している。

 

 

「お願い! 私達に力を貸して!!」

 

 

 だからこそ、何としてでも協力してもらう為に、こうして頭を下げて頼み込むのである。その為に、彼を探し続けていた。

 

 

「あー、うん。……取り合えず事情を説明してもらえるかな?」

 

 

 余りにも唐突なアリサの発言に面を食らったまま、取り合えずとユーノは事情説明を求めるのであった。

 

 

 

 

 

「なるほど、ね」

 

 

 事情を語られて、ユーノはそう呟いた。

 

 端的に言ってしまえば、アンナという友人を取り戻す為に、ユーノに大天魔が居る戦場へと連れて行ってもらいたいと言う願い。

 その内容のハチャメチャ具合に頭を抱えながらも、ユーノはアリサが語らなかった部分を指摘する。

 

 

「それで、何で僕なのさ。……まず真っ先に頼るべきなのは、なのはだろう?」

 

「うぐっ!」

 

 

 痛い所を突かれたと視線を逸らすアリサの表情で、ユーノは何があったのかを悟る。

 恐らくは喧嘩。どの程度のレベルの物かは知らないが、あそこまで傷付いたなのはを更に追い詰めたであろう少女達に僅か怒りを抱く。

 

 とは言え、友達同士の喧嘩は当事者達だけで決着を付けるべきだ。

 自分もクロノとの喧嘩の決着を横から掻っ攫われれば、不満の一つや二つは抱える。

 なのはだって、友人達との遣り取りを邪魔されれば同様に納得できない気持ちを抱える破目になるであろう。

 

 そう。自分は空気読めないあいつとは違うのだ、と無理矢理に溜飲を下げた。

 

 

「まぁ、それは後であの子と向き合ってくれれば良いけどさ」

 

 

 そう言って言葉を区切ると、意図的に表情を変えて少女の願いを否定した。

 

 

「……君達を大天魔の元まで連れて行く? ふざけるなよ、アリサ・バニングス」

 

「っ!? ふざけてなんかいないわよ!」

 

「そう。なら、こう言うべきかな? ……魔導師の覚悟を、嘗めるな」

 

 

 少女の願いに対して返るのは、冷たい瞳と言葉による返答だ。

 そこに怒りが含まれていないと言えば嘘になるだろうが、それ以上にあるのはその願いの無茶苦茶さへの否定。魔導師の覚悟を甘く見ている少女への怒りこそが其処にある。

 

 

「大天魔が現れる戦場は一つ残らず死地と化す。人の生きられる場所じゃなくなる。唯そこに居るだけで周囲を地獄に変えるのが大天魔という災害なんだ」

 

 

 大天魔とは人知を超えた災厄。その太極の名が示すように、彼らは人型の地獄に他ならない。

 

 

「その地獄へ自分の身も守れない人間を連れて行く? 無力な足手纏いを庇ったまま、彼らに挑む? 無茶を言うなよ、不可能なんだ」

 

 

 どうしようもない程に、何も出来ない。どころか足手纏いとなって、被害を拡大させる。

 何処までも無意味に、何処までも無価値にその命を落とすであろう。そんな事は考えるまでもなく分かってしまう。

 

 

「彼らを前にすれば、僕らも……いや、僕も無力だ。自衛できるかどうか、囮になれるかどうか、違いなんて、そんなもんだろうさ」

 

 

 それは誰よりも無力さを噛み締めたユーノ・スクライアだからこそ言える。

 己が無力を理解している彼だからこそ、内に重みが宿る言葉である。

 

 

「アリサ・バニングスに月村すずか。まず君達は、己が無力さを理解するんだ」

 

 

 それこそが立脚点。己が無力を理解して、己が弱さを自覚して、それでもと口にし続ける彼らが辿った場所。

 

 

「余り僕らの覚悟を舐めてくれるな。死地へと挑む覚悟もなく、安易に縋ろうとしないでくれ」

 

 

 そこから先は絶対の死地なのだ。逃げ帰れる保証は欠片もない。絶望に満ちた道程なのだ。

 それでも、彼らは先に進むと決めた。生きて帰って来ると約束したのだ。

 

 アリサ・バニングスの言葉は、そんな覚悟のない言葉は、その想いを汚しているとユーノは断じて切り捨てた。

 

 

 

 そんな彼の冷たい返し。それに反発するかと思われた少女は、然し激情を見せることはない。

 むしろ、清々しいと言わんばかりに笑みを浮かべると、ユーノの予想を遥かに超えた言葉を口にする。

 

 

「何だ、アンタ、結構良い奴じゃない」

 

「はっ?」

 

 

 それはユーノにとっては的外れな言葉。罵倒の如く、お前は力も覚悟も足りていないと断言されて、アリサは感謝を返したのだった。

 

 勝気で激情家であると認識していた少女の返しに、ユーノは間抜けそうにポカンと口を開いて。

 そんな理解出来ていない様子のユーノに、くすりと笑みを漏らすと、アリサはその言わんとすることを説明する。

 

 

「良い男だ、って言ってんのよ。……だって、どうでも良い相手に対してなら、そんな忠告なんてしないでしょ? 絶望的な戦いなら尚更、唯盾や囮にすれば良いのに、そうしない。……心配してくれているんじゃない、それ」

 

「……別に、君の為じゃない。あの子の友達を傷付けたくないだけさ」

 

「それでキツイ言葉が言える所が、良い奴だって話よ」

 

 

 ぴしっと指を突き付けるアリサの姿に、ユーノはやりにくいという思いを強くした。

 そんな彼の言葉裏をあっさりと読み解いた勝気な少女は、その内心まで見抜きながらもそれを裏切る言葉を告げる。

 

 

「んで、言いたい事は唯一つ。……アンタも私を、このアリサ・バニングスを舐めるんじゃないわよ!」

 

 

 見縊るな、とアリサは口にする。その心情をここに吐露する。

 

 

「死地? 地獄? 知った事じゃない! あいつが其処に居るなら引っ張り上げる! 今度はこの手を離さない! それが親友ってもんでしょう!!」

 

 

 アリサ・バニングスの覚悟を舐めるな。お前達にだって劣ってはいないのだ、と。

 そう吠える少女に、自身の予想をあっさりと裏切る少女の姿に溜息を吐いて。

 

 

「けど、君が何と言おうと僕は連れて行かないよ」

 

 

 ユーノはそう答えを返す。

 

 彼女の覚悟、彼女の思い、それが生半可な物ではないと言うのは分かる。

 だがそれだけだ。彼女は現実にあの地獄を見ていないから言えるのであろう。その絶望を知らないからこそ吠えるのであろう。

 

 そう思う気持ちを、覆せる程のものではなかったから、ユーノはその言葉を否定する。連れて行ってなんてやるものか、と。

 

 

「なら、私はアンタがうんと頷くまで、何時までもストーキングしてやるわ!!」

 

「……アグレッシブ過ぎるだろ、このストーカー」

 

 

 頭が痛い。苦々しい表情で、変な奴に絡まれてしまったとユーノは思考する。

 そんな彼の肩をポンと叩くと、これまで無言だった少女はにっこりと微笑んでいた。

 

 

「……勿論。私も付いて行くね」

 

「げっ」

 

「何かな? 淫獣くん」

 

「いや、何でも……」

 

 

 最も苦手とする少女のストーキング同伴発言に、思わず嫌そうな表情を顔に浮かべてしまう。

 その淫獣という呼び名には色々と物を申したかったけれど、どうにもその笑みが恐ろしくて口に出来なかった。

 

 

(なのはちゃんだけでなくアリサちゃんにも手を出したら、分かっているよね)

 

 

 まるで念話で会話しているかのように、目でその意志を伝えて来るすずか。その目が言っている。去勢するぞ、と。

 ニコニコと笑う紫髪の少女から放たれる負のオーラに圧倒されながら、本当に面倒な事になったとユーノは空を仰いで嘆息する。

 

 

(……これなら、適当に頷いておくべきだったかも)

 

 

 早くも自身の返答を後悔して、少年はヘタレるのであった。

 

 

 

 

 

3.

 きぃきぃとブランコが揺れる音がする。

 公園にある二つ並んだブランコに腰を掛け、高町なのはと八神はやては唯無言で過ごしている。

 八神はやての保護者である櫻井螢は、少し離れた木に寄り掛かったまま、一向に会話を始める様子を見せない少女達を見守っていた。

 

 時刻は既に夕方。まだ日の入りには時間が掛かりそうであるが、夕日が地平線の向こうへと傾いている。

 昼間に遭遇してから今の今まで、彼女らが口を開くことはなかったのだ。

 

 

「聞かないの?」

 

 

 そんなはやてに対して、漸く重い口をなのはが開く。

 ぼそぼそとした言葉は、ともすれば聞き逃してしまいそうになる程にか細く。だがはやては聞き逃さずに口にした。

 

 

「聞いて欲しいん?」

 

 

 彼女の言葉に、はやてはそう返す。その思う所を、静かに告げる。

 

 

「なのはちゃんが聞いて欲しいんなら聞くで。けど、聞いて欲しくないなら聞かへん」

 

「……なら、聞かないなら、何で一緒に居たの?」

 

「うーん。せやなぁ。……あれやな、一人ぼっちは寂しいやろ?」

 

 

 だからや、と語るはやての笑みに、なのはは瞳を潤ませる。

 潤ませた瞳から零れ落ちるのを堪える為に空を見上げて、ぽつりと独り言のように呟いた。

 

 

「友達と、喧嘩したんだ」

 

「そか」

 

「アンナちゃんを私が怖がって、アンナちゃんが居なくなって、アリサちゃんやすずかちゃんと喧嘩した」

 

「そっか」

 

 

 その言葉に相槌を打ちながらはやては思う。

 怖がったという言葉を後悔しているように話す少女に、自分自身を重ねて思うのだ。

 

 

「なのはちゃんは、アンナちゃんが好きなんやなぁ」

 

「え?」

 

「せやろ? そうでなかったら、そんなに後悔する訳あらへん。怖いって思うだけや」

 

 

 ブランコを揺らしながら思う。

 彼女と同じく、大切な人を怖がっている。そんな同じ負い目を持つ少女に対して、はやては大切だからこそと口にする。

 

 

「大切やから、怖がってるんが嫌なんよ。どうでも良い人なら、怖いと思って、それでしまいや。せやから、なのはちゃんはアンナちゃんのこと、まだ大切やと思っとるんよ」

 

「私は、まだ……大切だと思っている?」

 

 

 思い浮かべるのは邪笑を浮かべる魔女に染められた記憶。

 今にも目を逸らしたくなる恐怖を抑えて、その奥にあった筈の想い出を取り出した。

 

 それは四人で共に過ごした日々。幼い頃からずっと一緒で、そうしてこれからもずっと一緒なんだと無邪気に信じていた頃の原風景。

 ずっと四人で、何時までも一緒に。そう願って、そう祈って、そう信じた。ああ、そう思いを抱いてしまう程に、それは確かに大切だった光景だから。

 

 

「また、遊びたいな」

 

 

 堪えてきた涙が零れ落ちる。高町なのははその想いを口から零す。

 失われてしまった美しい刹那が、ああ何よりも尊い物だったのだと漸く実感できたのだ。

 

 

「また皆で、いつも通りに遊びたい! 喜んで、泣いて、怒って、楽しんで、そんな当たり前を、またしたいよ!」

 

 

 理解してしまえば後は簡単だった。

 一度決壊してしまえば、もう堪えるのは無理だった。

 

 大粒の涙を零しながら、高町なのははワンワンと泣き始める。

 人目も憚らず、周囲を気にすることもなく、漸く失われてしまった宝石を思って、その想いを涙と共に吐き出したのだった。

 

 

「そっか、そうなると、ええなぁ」

 

 

 声を上げて涙を零す少女の傍らで、八神はやてはそう呟く。

 

 慰める事はせず、だが決して見捨てるような事もせず。

 はやてはなのはの傍らにあって、涙に暮れる少女の思いを聞き続けるのであった。

 

 

 

 

 

 夕日が地平線に差し掛かり、日の入りを迎えた頃。

 漸く泣き止んだなのはは、赤く腫れた目元を拭うとはやてに言った。

 

 

「ごめんね、はやてちゃん。変な所見せて」

 

「ええって、泣きたい時は、誰にだってあるんやから」

 

 

 一度泣いてしまって、感情を全て吐き出したことでスッキリとしたのだろう。

 あれ程グチャグチャだった思考は、漸く真面に考える事が出来るようになっている。

 

 

「あの、さ。聞きたい事があるんだ」

 

「そか、うちもや。言いたい事、いっぱいあるんよ」

 

 

 そこで漸く、はやての事に思い至る。

 闇の書の主であると思わしき彼女に、問いかけるべき言葉は一杯あったから。

 

 なのははブランコから立ち上がると、はやての前に立って手を伸ばす。

 

 

「ねぇ、聞いても、良いかな?」

 

「話してもええ?」

 

 

 どこか遠慮するかのように問いかけるなのはに、それを茶化すようにはやては笑って返して。

 

 

『勿論』

 

 

 そう問い掛けに揃って答えを伝える。

 いっぱい話そう。いっぱい聞こう。互いに伝えるべきことは、山ほど存在しているから。

 

 伸ばされたなのはの手を、握り返そうとはやてはその手を伸ばす。

 その小さな手は、確かになのはの手を握り返そうとして――つるりと滑り落ちて行った。

 

 

 

 はやての伸ばした手はなのはの手を掴むことはなく、その手は空を扇いで地に落ちた。

 

 

「はやて!」

 

「はやてちゃん!?」

 

 

 空を切った手。伸ばし切って地面に落ちたそれに引き摺られるように、八神はやては前のめりに地面へと倒れ込む。

 必死な表情を浮かべて近付いて来る櫻井螢と高町なのはの姿を見上げて、ふとはやての視界は途切れた。

 

 

「あれ? 真っ暗や」

 

 

 その視界がプツリと途絶える。

 まるでテレビから電源を引っこ抜いた時のように、八神はやての視界は急に真っ暗に染まっていた。

 

 

「……おかしいなぁ、何も見えへん」

 

 

 地に倒れたはやては、聞こえて来る切羽詰まった二人の声を耳にしながら、その意識を手放すのであった。

 

 

 

 

 

4.

 ある一つの無人世界。少年少女達より逃れた守護騎士達は隠れ潜んでいた。

 

 鉄槌の騎士は己の調子を確認するかのように、その小さき手を軽く動かす。

 あの少年少女との戦いとも言えぬ一方的な蹂躙で既に限界を迎えていた彼女は、シャマルに後を任せると一度闇の書へと戻り、その身の再構成を終えていた。

 

 今になって思うと、何故あれ程に恐れていたのだろうと疑問に感じる。

 彼女の身には何一つとして変異など起きてはいない。寧ろ万全となった現状ならば先のような無様は晒さないと断言出来よう。

 

 

 

 そんなヴィータを見詰めながら、シャマルは彼女が闇の書に戻っていた間に起きた書の異常を考える。

 

 ヴィータが内に戻った瞬間、まるで無作為転移を行う直前のような力が闇の書に発現していた。

 繋がった“誰か”から命を簒奪しているかのような輝きが溢れて、しかしそれ以上は何も起こらずに停止したのだ。

 

 それがヴィータの記憶から大天魔の存在を読み取った闇の書の管制人格が逃れようとした証であるとは気付けない。

 中途半端に終わってしまったのは、闇の書に起きている致命的な自壊が原因であるとも気付けない。

 その為に大量の魔力を奪われたはやてが、その被害を受けてしまったことにも気付いていない。

 

 

(もしかして、私達は何か――致命的な思い違いをしていたの?)

 

 

 外に居てそれを見ていたシャマルは、其処に漸くの違和を感じる。

 それでも答えに辿り着けない。分かる筈なのに、思考が揺らいで考えが纏まらない。

 

 闇の書を完成させる為の存在は、故にその異常を言及することが出来ない。深く考えようとすれば意識が誘導されてしまう。

 まだ目覚めるには僅かに不足している湖の騎士は、違和を感じ取ってもそれに逆らう事がまだ出来なかった。

 

 

「ん。……私が私でなくなる、って感じはしねぇな。これならもっと、早くにやっておくべきだったか?」

 

 

 首が回らなくなったから、追い詰められて漸くにこの手段を選んだヴィータ。

 そんな鉄槌の騎士は自分が薄れた事にも気付かぬままに、手にした鉄槌を肩に担ぐ。

 

 其処に切迫した表情は少ない。怯える様な表情は消えている。

 主と過ごした大切な記憶さえも薄れていて、それに疑問すらも抱けない。

 

 そんな作り物の鉄槌の騎士は、薄れても尚強い救おうとする意志で、頭を悩ませるシャマルへと言葉を掛けた。

 

 

「んで、これからどうするよ」

 

「これ、から……そうよね。これからの事を、ちゃんと考えないと――」

 

 

 朦朧とする思考を切り替えて、シャマルはその思考を回す。

 だがどう考えても状況は悪い。情勢は最悪で、どうした物かと首を傾げてしまう程。

 

 管理局の少年少女達が、如何にして自分達を捉えたのか分からない。

 だが、千の瞳からは逃れられないというあの少年の言葉を思えば、自分達が監視されているのではないか、という思考に至るのは道理である。

 

 大天魔と言う怪物が、今も何処かに潜んでいる。

 先にはこちらに都合良く動いたが、次もそうなるとは限らない。

 

 こちらの戦力はヴィータだけ、シャマルは管理局と大天魔のどちらにも通用しない。

 

 

「ちっ、ならシグナムを作り直すか? 書の頁を結構使っちまうが、手筋が増えるのは手、だろ?」

 

 

 そんな八方塞がりな展開に、ヴィータは舌打ちしてから口にする。

 シグナムの復活は全てが終わってからと考えていたが、それを早めるのも手であろう。

 

 其処に感じた忌避感を既に忘れた鉄槌の言葉に、シャマルは何処か恐怖を感じながらに首を横に振った。

 

 

「それはやめておきましょう。守護騎士プログラムを動かすには、書の頁だけでなくはやてちゃんの承認と魔力が必要。今のはやてちゃんじゃ、耐えられないわ」

 

 

 それは確かに事実と言える言葉であったが、同時にそれ以外の理由もある。

 口にはしないが、湖の騎士は確かに闇の書への不信感を抱き始めていたのだ。

 

 

「なら、どうするってんだよっ!」

 

 

 そんなシャマルの消極的な言葉に、爆発するかの様にヴィータは言葉を吐き捨てた。

 

 

「シグナムは戻せねぇ! けど私らじゃ手数も戦力も足りねぇ! どうしようもねぇじゃねぇかっ!」

 

 

 薄れてはいる。既に思い出は記録に変わってしまった。

 それでも強く胸を占めるのは、必死になって守ろうとした人への想いだ。

 

 

「それじゃあいけねぇんだよ! はやてを守るんだ! 必ず救うんだ! どうしてだったか理由は分からねぇけど、それが大切だって覚えてんだよっ!!」

 

 

 それは欠片となった今でも、それでもとても大きな想い。

 何故好きだったのかを忘れても、それでも好きだと断言できるその感情。

 

 自我が薄れても、芽生えた魂が消える訳ではない。

 記憶が記録に変わっても、其処から生まれた感情までは消えていない。

 

 

「邪魔するなら、潰す! 誰であろうと叩き潰す! あの白いのも、黒いのも、シグナム殺した化け物共だって例外じゃねぇっ! 関係ねぇんだ。出来ねぇなんて理由にならねぇっ!!」

 

 

 だから何をしてでも、はやてを救おうと願っている。

 そんなヴィータの剣幕に驚きながら、ふとシャマルは一つの疑問を抱いた。

 

 

「……待って、ヴィータちゃん」

 

「あ?」

 

「そうよ。どうして、考えなかったのかしら」

 

 

 湖の騎士が抱いた疑問。それは鉄槌が敵と見据えた中にある。

 白い魔法少女は敵だ。黒い執務官は敵だ。だが果たして、彼の怪物達は敵なのか。

 

 

「もしも唯の敵なら、あの時出てくる理由はなかった」

 

 

 大天魔の出現が、闇の書の守護騎士達を窮地から救った。

 あの影を操る魔女が救いとなったのは、果たして偶然だったのかと思考する。

 

 

「もしかして、あの怪物達は私達を手助けしてるんじゃ――」

 

 

 当初こそ、シグナムを殺した事で完璧に敵だと認識していた怪物達だが、それでも彼らが敵だと言うならば、あの瞬間に出て来る理由はなかった筈だ。

 彼らが現れたのは二度。そのどちらも、守護騎士が完全に敗れ去る直前に姿を晒しているのだ。守護騎士達を如何にかしたいだけならば、そのまま放置すれば良かったと言うのに。

 

 

「……アイツらが味方だってか? もしも、それがマジだとすりゃ」

 

 

 目的さえ分からない化外たち。

 だがその目的が書の完成を阻む物ではないと、それだけは確かに分かっていた。

 

 何を考えているのかは分からないが、あの大天魔達も闇の書を完成させようとしている。

 そしてもしもその目的に書の完成が必要だとすれば、その為に必要となる守護騎士達は彼らにとっても重要な要素となる。

 

 闇の書の力を得られるのは主だけの筈だが、何か目的でもあるのだろう。

 

 そう気付いたヴィータは、もしかしたらと思考する。

 それが何であれ、彼らが闇の書の完成を手助けすると言うならば、現状でも打てる手は確かにあった。

 

 

「使えるな。これは――」

 

 

 だから其処に至った思考を、ヴィータは一つの策として口にした。

 

 

「あいつらが危機に出て来るって言うなら、無茶をしても問題がねぇ。管理世界に攻め込んだって、好きなだけ蒐集が出来る」

 

「待って、それは危険よ! もし予想が間違っていたら!?」

 

「だが、上手くすりゃ一発で闇の書が完成する!」

 

 

 もう時間はない。時間はないのだ。

 例え分の悪い賭けだとしても、それでも賭けるだけの価値はそこにあるならば。

 

 

「これは賭けるしかねぇだろ!」

 

「……ヴィータちゃん」

 

 

 全てを賭けるには十分だ。例えリスクを負ってでも、やるべき価値は其処にある。

 そう必死の表情で言葉に紡ぐヴィータを見詰めながらに、シャマルはやはり首を振った。

 

 

「それでも、私は反対よ。リスクが高過ぎる」

 

「だから、それは承知だって――」

 

「だから!」

 

 

 反発するヴィータの言葉を遮って、シャマルは強く言葉を紡ぐ。

 彼女にしては珍しい意志の発露によって、今のヴィータも納得する代案を此処に上げる。

 

 それは戦嫌いでもあるシャマルにしては、余りにも凄惨が過ぎる提案だった。

 

 

「……リスクを少し下げましょう。大丈夫、リターンは十分にある筈だから」

 

 

 狙う世界を変える。強大な戦士が集うミッドチルダではなく、その後背地をこそ狙う。

 エースストライカーと戦うのは博打が過ぎるからこそ、シャマルは戦力が低くても実入りが多い世界を示した。

 

 

「ミッドチルダじゃねぇってんなら、そいつは――」

 

 

 それは何処か。危険はミッドチルダ程ではなく、だが魔力を十分に集められる場所。

 それは――エースストライカーに比する巨大な魔法生物が生息している、あの世界を置いて他にない。

 

 

「第六管理世界アルザス」

 

 

 現在確認されている中で、最も強力な魔法生物。竜が住まう世界。

 アルザスと称される彼の地ならば――闇の書を完成させる為に必要な力は集う。

 

 だがそれは、当たり前に生きている人々の平穏を奪うと言う行為。

 唯の通り魔では終わらない虐殺。騎士の誇りに泥を塗るなどでは済まない、最悪の行いだ。

 

 

「強大な魔力を持つ竜を蒐集出来れば、魔力量は十分。……それにアルザスなら、いざとなったら逃げ延びるのもそう難しくはないわ」

 

「決まり、だな」

 

 

 それでも、為すと決めた。

 闇の書を恐れつつも、それしかないと思っている。

 

 だから、二人の騎士に迷いはない。

 ヴィータは鉄槌を構え、シャマルは書を手に、いざ行かんと出陣する。

 

 狙うは竜世界。アルザスという地に生きる巨大竜。その地に住まう人々を、闇の書の薪へと変える為に――

 

 

「滅ぼすぜ、竜世界」

 

 

 この行動が、主を救うと信じて、鉄槌の騎士は暴走する。

 無関係な人々を、その戦場へと引き込んでいくのであった。

 

 

 

 

 




○次回予告

やめて! 守護騎士が今アルザスを襲撃したら、彼女らを監視している天魔・奴奈比売まで付いて来ちゃう!

お願い、滅びないでアルザス! あんたがここで滅んだら、それ以上の被害を受けることが確定している地球やミッドチルダは一体どうなってしまうの? ヴォルテールはまだ残っている。大地の守護者は健在なのだから!

次回「竜世界崩壊」デュエルスタンバイ!




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第三十話 竜世界崩壊

ちたま「アルザスが逝ったか」
みつど「だが、奴は我ら被害担当世界の中でも最弱。たかが一柱の大天魔に耐えられぬとは、所詮は四天王の恥さらしよ」


副題 月夜の誓い。
   鉄槌無双。
   真竜の怒り。母の強さ。

※2017/01/05 改訂完了。シャ〇さんの出番が増えた。



1.

 薄暗い病室の扉の前で、ザフィーラは歯を噛み締める。

 はやての状態を診察した石田医師。彼女に告げられた現状に、只々己の不明を恥じる。

 自分は何をやっていたのか、主の現状を知る事もなしに、守るなどと盾の守護獣の名が聞いて呆れる。そんな自責の念で、男の胸の内は満ち溢れていた。

 

 はやてが倒れた時、その場にいた少女達は慌てて救急車を要請した。

 辿り着いた先は海鳴大学病院。はやての通っている、海鳴で最も大きな病院だ。

 

 はやての診察をした石田医師は、その惨状に言葉を失う。

 五感の殆どが潰れている。以前治療した際より、確実にはやての状態は悪化している。

 何故倒れたのか、ではない。何故息があるのかを疑問視してしまう程の惨状がそこにあったのだ。

 

 はやてが失踪した際に、忙しさ故に捜索を後回しにした石田は当時の判断を酷く悔やんだ。

 だが己の行為への後悔や、彼女を連れ出したであろう人物への叱責は後回し。医者としての職分こそを今は優先するべきである。

 

 そう判断して死に向き合おうとした医師はしかし、その状態のどうしようもなさに絶望する。

 

 最早、手の施しようがない。何をどうした所で助からない。

 彼女の医師としての知識が、どうしようもなくそれを告げていたのだ。

 

 そんな彼女の動揺を、どうして感じ取ったのか。

 盲目の少女は自らの死期を自覚して、ただそうか、と諦めたように口にしたのだった。

 

 

「……なぁ、ザッフィー。そこに居るん?」

 

「はい。ここに」

 

 

 ベッドに身を横たえるはやてが呟く。

 目を閉じて、眠りに落ちているような姿で横たわる少女の問い掛けに、ザフィーラは己の葛藤を押し殺して応答した。

 未だ想像を絶する苦痛に耐え続けているだろう主。彼女を思えば、己が葛藤を殺す事など比較にもならぬ程に簡単な事であろう。

 

 

「こっち、来てくれへん?」

 

「そちらに? ですが……」

 

「……何だか、寒いんよ。傍に居てくれへん?」

 

 

 傍に来て欲しいと口にするはやてに、ザフィーラは一瞬戸惑う。

 今の彼は獣の姿ではない。病院内にあって、獣の姿をしていられよう筈がない。

 故にその姿は、主が恐れる大人の男のそれである。その事実に、躊躇いを感じたザフィーラは立ち止まった。

 

 

「ん、しょっと」

 

 

 そんな彼の戸惑いに気付いたのか、はやては己の上体を起こす。

 盲目のまま、無理に体を動かそうとする。そうすれば、バランスを崩すのは至極当然の事。

 

 

「主!」

 

 

 くらりと揺らいで、起き上がった勢いを止められぬままベッドから落ちそうになる。

 ベッドから転落しそうになったはやてを、慌ててザフィーラは受け止めようと走り出す。

 手を伸ばそうとして、それがない事に気付き、結局その胸を使って少女の身体を押し止める形となった。

 

 足をベッドから投げ出して、ベッドに浅く腰掛ける。

 ザフィーラの胸元へと縋り付く体勢となったはやては、その小さな手で優しくザフィーラの体に触れていた。

 

 

「ザッフィーは、温かいなぁ」

 

 

 その手は震えている。その体は震えていた。

 それはきっと彼女が口にする“寒さ”が故だけでなく、そこに居るのがザフィーラだからと言うのも関係しているであろう。

 

 少女は男を恐れている。そして、そうである事を拒んでいる。

 

 

「……この姿では、毛皮はありませんが」

 

「そうやないよ。……そうやない」

 

 

 少女の体が震えているのを感じながら、何と返した物かと悩んだ男はそんな言葉を返す。

 そんなどこか不器用な男に、笑ってそうではないのだ、とはやては伝えた。

 

 そこに彼女が感じているのは、きっと恐怖だけではない。

 そこに感じている温かさは、物理的な物ではないのだ。

 

 人の姿を取った彼に毛皮はない。

 あったとしても、今のはやてにそれを感じ取るだけの触覚などは残ってはいない。

 今では触れ合っている事が微かに分かるだけ、その先から伝わって来る体温などはありはしないけれど。

 

 

「温かいんや」

 

 

 盲目の少女はそう口にして微笑んだ。

 

 

「目ぇ、見えんようになって、唯一得したことやな。……ザッフィーが、怖くない」

 

 

 そんな風に、冗談めかして口にする。

 

 無論、ザフィーラにもそれが嘘だと言うことは分かっている。

 彼女の内にある、男性への恐怖は消えていない。見えないからと言って、その傷跡は忘れられるような程、軽い物ではないのだ。

 

 それでも、そんな言葉を口にして、掌の温もりを逃さないようにしている。

 それでも、もう最期だと知ってしまったから、先送りにしていたトラウマに対して、こうして今向き合っている。

 

 そんな主の姿に、何か気の利いた言葉でも言えれば良いのに、武辺者である自分では都合の良い言葉が浮かばない。

 戦しか得手のないのに、その役すら果たせていない自分がどうしようもなく情けなかった。

 

 

「なぁ、ザッフィー」

 

 

 そんな情けなさを噛み締める彼に、少女は何でもないように口にする。

 

 

「私、もうすぐ死ぬんよ」

 

 

 それは少女の、諦めの言葉。

 

 

「っ!? そんなことは!!」

 

「分かる。分かるんや。……自分の体やから、どうしようもなく分かってしまうん」

 

 

 咄嗟に否定するが、其処に力など籠らない。説得力などありはしない。

 分かっているのだ。ザフィーラにも、はやてにも、もうこの今は続かない。先は長くはないのだと。

 

 日々冷たくなっていく体。殆どが失われてしまった五感。

 そして時折体を走る、耐え難い程の痛みと苦しみ。

 

 そんな物しか残っていない事が、そんな物すら失われていく事が、否応なしに八神はやてに死の実感を齎している。

 

 

「……主」

 

 

 慰めの言葉は口に出来なかった。

 無責任な救いの言葉、嘘偽りを語ることは出来なかった。

 覆しようのない事実が其処にあるから、どうして一瞬目を逸らすだけの言葉を口に出来ようか。

 

 結論は唯一つ。八神はやては、もう、どうしようもなく終わっている。

 

 

「せやから、一つだけ、お願いがあるんよ」

 

 

 だからこそ、彼女は最期に想いを伝える。

 だからこそ、彼女は最期に願いを託した。

 

 

「……私が死んでも、忘れんで欲しい」

 

 

 それは少女の最初で最後の我儘。

 忘れないでという、傷を覚えて置いてという、自分勝手とすら言える願い。

 

 

「忘れんといて、覚えといてぇな」

 

 

 そんな事は分かっていて、そうするべきでないと気付いていて、それでも忘れ去られる事が怖かったから、八神はやてはザフィーラの服を握り締め、切に願う。

 

 

「……ずっと、ずっと。お願いや」

 

 

 悲痛を込めて伝えられるその願い。

 今まで少女が口にすることはなかった、唯一つの我儘。

 

 ああ、それをどうして拒絶出来ようか。

 ザフィーラは唯、その言葉に頷きを返すことしか出来なかった。

 

 そんな彼に、はやては良かった、と零す。

 そんな願望しか叶わない現状に、それでもはやては満足した笑みを浮かべて。

 

 諦めて納得するかのように、誰かに託す頼みではなく、唯純粋に願いを吐露した。

 

 

「……次の闇の書の主が、皆に優しい、ええ人やとええなぁ」

 

 

 そんな言葉。そんな祈り。

 もうどうしようもないから、きっと彼らが救われれば良い。そんな言葉を呟いた。

 

 

「次の主が優しい人やったら、その人を幸せにしてな」

 

 

 もう自分はそうはなれないから、そんな想いが込められて少女の二つ目の願い。

 一つだけと言いながら欲張りやな、と自嘲するように微笑んで語られた言葉に、ザフィーラは言葉を返した。

 

 唯、否と。

 

 

「いえ、申し訳ありませんが、それは叶えられません」

 

「え?」

 

 

 ザフィーラは、確固たる意志の元にそれを否定した。

 唖然とした表情を浮かべるはやてに伝える。それはザフィーラの決意。

 

 

「私は貴女の騎士です。貴女だけの守護者です。……それは未来永劫、変わることはありません」

 

 

 それはザフィーラがザフィーラとしてある為の誓い。決して譲れぬ鋼の意思。

 例え次の書の主がどれ程の大人物であったとしても、ザフィーラはその者の騎士にはならない。

 例え次の書の主がどれ程心優しく清廉な人物であったとしても、ザフィーラがその者を守る事はあり得ない。

 

 彼は己の主を、生涯唯一人と定めたが故に。

 

 

 

 我欲を語るならば、共に逝きたいという思いはある。

 けれど、はやては共に死ぬ事ではなく、覚えていることを望んだ。覚えておいて欲しいと願ったのだ。

 

 ならば生き続けよう。心優しき少女が居た事を忘れず、その想いを抱き続けよう。

 己の想いよりも、彼女の願いこそを優先するべきだから――ああ、けれど、それでも唯一つだけ。それだけは譲れない。

 

 

「我が忠義は貴女の元へ、貴女以外に仕える事はあり得ません。……それだけは貴女の命であっても変える事は出来ないのです」

 

 

 それだけは願わせて欲しい。騎士の忠義だけは共に逝かせて欲しいのだ。

 遺すは唯、過去を見続ける獣のみで良い。書の中から出る事はなく、唯過去を想う残骸だけ残れば良い。

 

 騎士の誇りも、守護者の意志も、この素晴らしき主と共に埋めて行くのだ。

 例え新たな主に誅されようと、蘇った仲間達に否定されようと、管制人格に初期化されようと、八神はやてを泣かせる事になろうとも、この決意だけは覆させない。

 例え闇の書の奥にあるナニカを相手取る事になったとしても、この意思だけは決して譲らないのだ。それが、それだけが、盾の守護獣ではなく、唯のザフィーラが決めた事。

 

 

「アカン。アカンよ、それ。……ザフィーラ、騎士である事、自慢しとったやん」

 

「ええ、誇りに思っていました。……貴女の騎士である事を」

 

「ザフィーラだけ従わんかったら、苛められてまうかもしれん」

 

「それこそ関係ありません。……誰に認められなくとも、真に大切な物は何であるか、それは分かっていますから」

 

 

 いけない。いけない。これではいけない。

 自分が死んでしまってはザフィーラが不幸になる。

 そんな未来が容易に想像出来て、ああ諦めていたのに死ねないと思ってしまう。納得していたのに、それでは納得出来なくなってしまう。

 

 

「ザフィーラは、卑怯や」

 

 

 ぽつりと涙が零れた。無理に抑えていた想いが溢れ出した。

 この己に付き従う獣の為にも、生きねばと思ってしまう。

 生きなくてはと思えば、諦めで蓋をしていた生きたいという思いが溢れ出してしまうのだ。

 

 

「そんなこと言われたら、死ねへんて思ってまう。……諦めとったのに、死にたないって思うてまうやん!」

 

 

 悟っていたのではなく諦めていた。

 八神はやては生きることを諦めて、どうしようもない現実を受け入れて、せめて綺麗に終わろうとしていた。

 

 それなのに、その言葉で、そうではなかった事を自覚してしまう。

 

 当然だろう。何故、これ程幼き少女が、己の死を受け入れられようか。

 それを仕方ないと諦める以外に道がないとは言え、どうして嫌だと思わないで居られるだろうか。

 

 

「……やはり、死にたくはなかったのですね」

 

 

 感情を出したはやてにそう言葉を掛ける。

 漸く他者への言葉だけではなく、利己を口にしてくれた少女に、そう言葉を掛けた。

 

 

「死にたない! 死にたないに決まっとる!! やって、まだしてないこと沢山ある! やってみたいこと、してみたいこと沢山あるんや!」

 

 

 涙と共に言葉を零す。

 それは生きたいと言う願望。

 最早どう足掻こうと叶える事は出来ない渇望。

 

 もっと遊んでいたかった。もっと家族と共に居たかった。

 友人が出来て、家族が出来て、これからなのだ。これからやっと、幸福になれると思っていたのだ。

 

 事故で両親を失って、その思い出に縋る形で生き続けたモノクロの世界。

 それに漸く色が付き始めたのだ。鮮やかに染まったそれに、漸く希望を持ち始めたのだ。

 やりたいことは山ほどある。星の数にだって負けない程に、これから重ねていきたいのだ。

 

 美味しい物を食べたい。シャマルや螢と一緒に色々な物を作ってみたい。

 学校に行ってみたい。なのはにアリサにすずか、アンナと一緒に学んで、そこにヴィータも加われば、きっともっと楽しい筈なのだ。

 恋だってしてみたい。ザフィーラはやきもきするお父さん役か、それとも別の立ち位置か。まだ想像も出来ないが、恋をすればきっとまた世界は変わるのであろう。

 

 守護騎士や友達に出会えた時のように、螢姉ちゃんという家族が出来た時のように。

 そんな細やかな願望は、決して叶うことのない願いは、確かに胸の内に残っていて。

 

 

「せやけど、しゃーないやん! もう生きられんて、どうしようもなく分かってもうて! なら、なら、こうする以外に、どうすればええんよ!?」

 

 

 そんな悲痛の声を上げながら、はやてはその小さな手でザフィーラの胸を叩く。

 そこに物理的な痛みはない。その手にはもう、物を動かす程度の力も籠ってはいなかったから、軽い音すら立てることはない。

 そんな小さな拳に、心を抉られるような痛みを感じながら、ザフィーラは泣きつく少女を慰めようとする。

 

 けれど、抱き寄せることは出来なかった。

 先のない腕は空を切り、泣き叫ぶ少女を抱き締める事すら出来はしない。

 

 その頭を優しく撫でて、慰めることすらも出来はしない。

 その両手は、もう失われてしまっているから。

 

 

「共に生きましょう。共に探しましょう。そして共に眠りましょう」

 

 

 だから、そんな言葉を口にする。他に何も出来ないから、唯言葉を口にする。

 保障のない希望を口にする事は出来ない。あり得ない可能性に縋らせる事は出来ない。だから、だけどせめて――その最期の時まで共に生きよう。

 

 その最期の時まで、救われる可能性を探し続けよう。

 それでも、どうしようもなかったら、貴女と共にこの騎士としての自分を眠りに就かせよう。

 

 

「死が二人を分かとうとも、未来永劫、我が忠義は貴女の元へ。……私は貴女の傍らに侍り続ける事を誓います」

 

 

 月夜の元、交わされる誓い。

 泣き叫ぶ少女がその想いの全てを吐き出すまで、泣き疲れて眠りに落ちてしまうまで、ザフィーラは唯そこにあり続けた。

 

 

 

 

 

2.

 その惨劇は日の出と共に訪れた。

 朝日と共に、第六管理世界アルザスにある、ル・ルシエの里は炎の朱に沈んでいた。

 

 

「はぁぁぁぁっ! どりゃぁぁぁぁっ!!」

 

 

 掛け声勇ましく、鉄槌を振るう赤毛の少女。

 その鉄槌が振るわれる度に、小型の竜が空から墜落し、人々は悲鳴を上げて逃げ惑う。

 

 そんな彼女は打ち倒した竜も、打ち倒して気絶させた人も、どちらに対しても頓着などしない。

 彼女は轍になど興味はないとでも言うかのように、唯前進と制圧のみを繰り返す。

 

 

「魔力蒐集」

 

〈Sammlung〉

 

 

 故に倒れた者らより魔力を奪うは湖の騎士の役目である。

 今の彼女に慈悲はない。対象となる者の命が尽きるまで蒐集行使する。

 

 慈悲を持ったとしても無駄なのだ。

 ル・ルシエを燃え盛る炎が包む限り、ここで手心を加えたとしても、意識を奪ってしまった時点でどうなるかなど明白であろう。

 

 里は燃えている。森は燃えている。人も竜も、共に炎に追いやられていく。

 それは彼女らが直接火を放った訳ではないが、それでも彼女らこそが元凶と言えるであろう。

 

 日の出と共に行われた襲撃。それによって家屋は倒壊した。

 木や布で出来た家屋に使っていた囲炉裏の火はあっさりと引火し、そして自然と生きるが故に燃焼物の多かったこの里は、炎の朱に飲み込まれたのだった。

 

 救助の為に時間を使う余裕はない。そんな無駄な事をする心算もない。

 故にもう助からないルシエの民に、守護騎士が慈悲を向けることなどないのだ。

 

 

「はっはぁっ! 退きな、鉄槌の騎士の御通りだ!」

 

 

 喜々とした笑みを浮かべながらに、ヴィータは唯戦場を蹂躙する。

 心の中に溜まる鬱屈を獰猛な笑みで隠しながら、戦士としての顔を此処に見せる。

 

 その心中で実際に何を思っていようと、その外見しか見えない他者には伝わらない。

 傷付けない。殺さない。その縛りすらもう持たない幼き体躯のその少女は、アルザスに生きる者らにとっては死神と言うより他にない。

 

 そんな彼女に対して、ル・ルシエの民に出来る事など何もなかった。

 

 幼竜や小型竜は愚か、成体の竜すらも獰猛な笑みで撃破していく鉄槌の騎士。

 彼女に対し、強き力は災いしか呼ばないと信じて力を持つことを放棄した彼らに出来る事などはない。

 

 彼らはその掟故に、抗うだけの戦力など持たない。

 力持つ者が例え子供であっても、自らの部族内から追放した。

 

 餓えて死ぬと分かって、為した事の因果が応報したのだろう。

 掟に従って生きる彼らは、守護騎士と言う外敵を前に何も出来なかった。

 

 確かに、彼らの教えには一理がある。強き力は和を崩すであろう。

 余りにも強過ぎる力は安定を壊す。災いを呼ぶと言うのも事実であるのだ。

 

 だが、力なき安寧は外敵に弱いという陥穽を持つ。

 こうして外部から強き力が入り込めば、何も出来ずにその安定は崩れ去ってしまうのである。

 

 

「おい、シャマル! 今、どんくらいだ!?」

 

「五百九十六頁! もうじき六百よ!!」

 

「はっ、足んねぇよなぁ、おい!」

 

 

 まだ六百に届かないと見るべきか、もう四十頁近く集まったと考えるべきか。

 

 だが足りていない。足りていないのだ。

 この地の竜も、この地の民も、蒐集効率が落ちてきている。

 

 これでは無茶をした意味がない。ならばもっと、何かがないといけない。

 これ程派手に無茶をしたのだから、相応の見返りがなくば割りに合わない。

 こんなにも命を奪ったのだから、それに応じた見返りを示せなければ嘘であろう。

 

 だから大物よ出て来い。そう願うヴィータに応えるかのように、アルザスの大地が震えた。

 

 

「来るか――」

 

Guuuuuuuuuuuuu

 

 

 辺りに響くは唸り声。

 その怒りの籠った咆哮は、何よりも騎士らに大きさを意識させた。

 

 

「来るか――」

 

 

 天が震えている。大地が罅割れる。

 木々を山々を砕きながら、大地の底より溢れ出すは業火の咆哮。

 

 

「来いよぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

Guooooooooooooooooo!!

 

 

 燃え盛るルシエの里を包む炎よりも、なお赤き真紅を纏って現れるは黒き竜神。

 ルシエの守り神と謳われる真なる竜。遥けき大地の護り手たるは黒赤二色の大型竜。

 

 その名はヴォルテール。

 

 ル・ルシエの民と共に生き、その加護を担う黒き火竜は今、過去にない程に怒り狂っていた。

 

 

「はっ、大物が出てきたな!」

 

「っ! 真竜クラスの巨大竜!?」

 

「下がってろシャマル! コイツは私がやるっ!!」

 

 

 山より大きなその巨体。内包する魔力は正しく強大。

 その力の前に、然し鉄槌の騎士はほくそ笑む。そこに怯えなどありはしない。

 

 

「闇の書に食われて薪になれっ! このデカブツがぁぁぁぁぁっ!!」

 

Gaaaaaaaaaaaaaa!!

 

 

 ヴィータの言葉に怒りをぶつけるかの如く咆哮する。

 ここに、鉄槌の騎士と真なる黒竜の戦いは幕を開けた。

 

 

 

 

 

「全く、面倒ったらないわねー」

 

 

 そんな鉄槌の騎士と黒竜の戦いを、遠目に眺めながら奴奈比売は溜息を吐いた。

 

 目算するに、彼の竜の魔力貯蔵量は膨大。

 現在の闇の書が竜種の乱獲によって、その魔力を溜め込み辛くなっている事を考慮に入れても、それでもあれを蒐集するだけで少なくとも五十頁以上は稼げるであろう。

 

 それに他の魔導師などの魔力が加わればどうなるか、その答えは簡単だ。

 このままではこの場で闇の書は完成してしまう。それを防ぐ為には、適度に間引きが必要になるだろう。

 

 目標とするのは、六百六十六頁未満。で、ありながらあの騎士達がもう十分だと判断する地点。

 

 

「ってなるとさー。やっぱりあの黒蜥蜴で御終い。或いはもう少しいけるかなーって所よね。それくらいにしてもらわないとこっちが困る訳よ」

 

 

 分かるかしら、と嗤って口にする彼女に返るのは、零れ落ちるような苦悶の声であった。

 

 拷問器具が散乱している。

 胴体から切り離された手足が地に落ちている。

 黒き影に縛られて、絶叫の悲鳴すら上げられない者らは少しずつ壊されている。

 

 魔女の戯れ。どうせ間引くのならば、その命で楽しもう。

 鬱憤晴らしの八つ当たり。悲鳴と苦痛による気分転換。

 

 嗜虐趣味を持つ魔女が、友の居ない現状で思いやりを見せる事などあり得ない。

 彼女の行動は当然であり、そして魔女に魅入られたこの地の民が地獄に引き摺り落とされるのもまた必然であるのだ。

 

 

「だからさー。困るのよね。そういうの。……その奥に居る子、ちょーっと見逃せないかなー」

 

「……悍ましき怪物め」

 

 

 魔女の言葉に、この場で唯一人の生者は吐き捨てる。

 家屋の中に隠れる者らを守らんと身を挺する老人は、己の意志を砕こうかとばかりに同胞らを壊し続けている魔女を、悍ましいと睨み付けた。

 

 老人はこの地の実質的な支配者。ル・ルシエの里長と呼ばれる人物だ。

 そんな彼は思う。己が判断は過ちであったのか、と。この里の掟は間違っていたのか、と。それがこの魔女に抗う術を奪ったのか、と。

 

 だが、今はそんな事を考えている時間はない。

 彼が扉を閉ざす家屋。その奥にいるのはこの地の巫女だ。

 

 彼女を失う訳にはいかない。

 同胞を戯れに壊し続けるこの外道に道を譲る訳にはいかない。

 

 その異形より放たれる威圧感に恐怖を覚えながらも、老骨に鞭を入れて老人は道を阻む。

 

 

 

 そんな老人を、どうでも良さげに奴奈比売は見下す。

 多少の魔力はあるがその程度、壊す価値もありはしないし、これでは痛め付けても余り楽しめそうにない。

 

 魔力を余り持たない人間ならば見逃しても良い。蒐集されても一頁にすらならない者はどうでも良いのだ。

 

 だがこの奥にある者は駄目だ。その内包する魔力は、この地に生きる民の中で最も大きい。幼竜程度ならばあっさりと超えてしまっている。

 そんな奴と黒き竜を蒐集してしまえば、闇の書は完成してしまうであろう。

 

 黒き竜を排除しようとすれば、流石に戦闘中の守護騎士に気付かれてしまう。

 闇の書に気付かれてしまえば、その無作為転移が発現する。書の異常を未だ知らぬ奴奈比売には、そういう認識が確かにある。

 

 

「だから、その子をちょーだいな」

 

 

 言葉と共に、ぐしゃりと今まで生かしていた者らを影が砕いた。

 

 血臭と死臭が溢れ出す。

 場を死の臭いが満たしていく情景に、吐き気を堪える。

 眼前の魔女に怯えながらも老人は、それでも毅然に口にする。

 

 

「……ならぬ。ルシエの巫女を、貴様などに」

 

「ふーん。……一瞬で壊さない為に手加減してあげてるとは言え、これだけ脅しても耐えるのは大した物だけどさー」

 

 

 魔女はにたりと笑って口にする。

 所詮戯れだ。存在するだけで他を圧倒する彼女が、呼気一つでこの地を壊滅させられる彼女が、こうして会話をしているのは唯の遊びに過ぎない。

 怯えさせて、その反応を楽しんでいるだけなのだ。

 

 そしてそんな魔女の予想通り、この老人はやはり遊びがいがなかったから。

 

 

「別に貴方の意見なんてどうでも良いのよね」

 

 

 だから、あっさりと壊した。

 ぐしゃりと長の顔を潰す。柘榴のように飛び散った頭部を、音を立てて倒れる死体を、意図的に踏み躙りながら歩を進める。

 

 

「さーって、ごかーいちょーう!」

 

 

 影で切り裂きながら、その家屋の扉を開けた。

 

 他の家々と変わらぬその造り。家屋の奥には我が子を抱いて怯える女。

 桃色の髪をした若い女だ。その顔色は真っ青に染まっている。酷く体調が悪いのだろう。

 

 それは現状に恐怖しているだけではない。無論それも理由だろうが、それ以上に生来の病弱さが理由なのだろう。

 放っておいても先は長くない。その女が持つ病の臭いに、そう奴奈比売は判断した。

 

 だが、そんな女もどうでも良い。

 彼女の標的は、女ではなく、その腕に抱かれた赤子なのだから。

 

 其処に居る赤子。女の手に抱かれた同じ髪色の少女。

 その子こそが狙いである。その子供こそが、竜に愛された膨大な資質を持つ巫女だ。

 だからこそこの子供は闇の書に喰わせる前に、自分の手で処理しておかなくてはいけない。

 

 そう考えて、ふと戯れに思い付いた。

 鬱憤晴らしに嘗てを演じたからか、その悪趣味が甦る。その戯れは外道の発想。

 

 表の戦いは未だ続いている。

 その激闘が続く限り、まだ時間はあるだろうから――この女が、子を見捨てる姿を見たくなったのだ。

 

 

「はーい。お母さん? その子、私に下さいな。……そうしたら、貴女は助けてあげるわよ」

 

 

 にこやかに話し掛ける。その腕の子をよこせと、魔女は口にする。

 その背に蠢く影より垣間見えるは、冒涜的な情景。女を侵し壊すは拷問の形。

 拒絶して貰わなくては困る。女がどれ程で壊れて、己が娘を手渡すのか、それが知りたいのだ。

 

 震える母を前にして、悪徳の魔女はニタリと嗤った。

 

 

 

 

 

Gaaaaaaaaaaa!!

 

「ははっ! 遅せぇよ、愚鈍が!」

 

 

 黒竜の拳を紙一重で躱しながら、鉄槌の騎士は凄惨に笑う。

 その身に余る鉄槌は揺らめき、肩で荒い息をしながらも鉄槌の騎士は闘い続ける。

 

 刻一刻と過ぎる時間。余りにも強大な敵の存在。

 其処に負荷を感じながらも、獰猛な笑みを震えを隠して鉄槌を振るった。

 

 

 

 黒き真竜。ヴォルテール。

 その力は正しく強大。オーバーSを大きく上回っている。

 

 竜召喚などで呼び出されるそれと、今の黒竜の力は桁が違う。

 あれは召喚者の力量や感情で制限を受けてしまう。呼び出した召喚者の耐えられるギリギリまで己を劣化させ、その指示を受ける為にその性能を貶める。

 

 故に呼び出す度にその大きさが変わるという現象が起こり得る。

 召喚者が真に強くならない限り、真竜と言えどたった一発のSランク砲撃で沈むという無様を晒すのだ。

 

 だが今の黒竜は、己の意志で現出している。その力に何の制限も受けてはいないのだ。

 故に今の黒き火炎竜は、召喚者に使役されている状態の比ではない。比較になどなりはしない。

 

 

Guooooooooo!!

 

「ちぃぃぃぃっ!」

 

 

 その咆哮で大気が震える。その体の一振りで地が戦く。

 

 完全に躱した筈なのに、掠っただけで頬が切れる。

 傷口より流れ出して来た血を舐め取りながら、上等とヴィータは歯を剥き出す。

 

 彼我の実力差は明確だ。真なる力を発揮する黒竜は、人の触れて良いモノではない。

 ヴィータの実力を一回りも二回りも上回る。それ程に強大な怪物こそがヴォルテールだ。

 

 一撃でも貰えばヴィータは落ちるであろう。

 腕力も耐久力も速力も、何もかもが違っているのだから。

 

 

「負けるかぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 どれ程に追い詰められても、鉄槌の騎士は諦めない。

 先陣を切り裂く守護騎士は、そんな実力差には怯えない。

 

 

「テメェに負けてるようじゃ、私は絶対守れねぇ」

 

 

 この竜は確かに強大だが、あの歪み者どもに比べれば一段落ちると彼女は思う。

 

 事実、それが正しいのかは分からない。

 少なくとも、歪み者らであっても単純な力比べをすれば敗れる程度には、真竜のスペックは逸脱している。

 

 それでも、彼女は思う。

 

 この程度の数値差だけで負けてしまうと言うのなら、もっと反則的な存在を前にしては本当に何も出来なくなる。

 もう二度と何も出来ずに負ける様な無様は嫌なのだ。理由は分からずとも、守らないといけないと言う意志が確かにあるのだ。守れないのは駄目なのだ。

 

 だから――

 

 

「だから、だから、だから――私はもう、ぜってぇに負けねぇぇぇぇぇぇっ!」

 

 

 黒竜の爪が空を切り裂く、その咆哮が大気を震わせる。

 巨大な翼の羽ばたきは、まるで嵐のような突風を引き起こし、その口より放たれる業火は天を大地を焼き尽くす。

 

 全てが必殺。全てが結殺。唯一撃でも当たれば死を決定する。

 だが、その暴威に何ら恐れることはなく、鉄槌の騎士は身を翻してその武器を振るう。

 

 

「だから、負けねぇって、言ってんだろ!」

 

 

 空を切り裂く爪を躱す。大気を震わせる咆哮に耐える。

 嵐の如き羽ばたきに身を委ねて距離を取ると、業火の隙を縫って魔法を放った。

 

 

「どぉぉぉぉりゃぁぁぁぁっ!」

 

〈Komet fliegen〉

 

 

 巨大化した鉄槌で、生成した鉄球を撃ち放つ。

 巨大な真紅の魔力を纏った鉄球は、黒竜の外皮を大きく傷付けた。

 

 だが、それだけだ。傷一つ付けるのが、その魔法の限界だった。

 

 ならば彼女は敗れるのか、否。

 

 ここに居たのが或いは烈火の将ならば、黒竜の外皮を抜く為に弱所を探し、辛うじての勝機を探る必要があったであろう。

 ここに居たのが盾の守護獣だったならば、その猛攻を防ぎ切れただろうが、火力不足故に泥沼の争いとなった筈である。

 

 だが違う。ここに居るのは彼らではなく、鉄槌の騎士である。

 そう。ヴォルケンリッターの矛である彼女にとって、外皮の硬さなど脅威ではない。

 

 

「ぶっ潰せ!」

 

 

 鉄球は囮だ。その質量の影に隠れていた少女は、その巨大な鉄槌を振りかぶる。

 

 

「ラケーテン! ハンマァァァッ!!」

 

 

 振り下ろされた鉄槌が狙うは頭部。

 それを庇うかのように、飛び出した黒竜の手に炸裂して――グシャリと生々しい音を響かせて、その手は砕け散った。

 

 

Guooooooooooooo!!

 

 

 痛みに咆哮した竜は、その尾を振り回す。

 攻撃直後故に躱し切れず、防御魔法越しに攻撃を受けたヴィータは派手に吹き飛ばされた。

 

 その一撃で防御魔法は砕かれる。騎士甲冑は崩される。

 派手に血を流し、己が守りを失う。唯一発で己が与えた以上の被害を受けてしまう。

 

 だが、そうでありながらも――

 

 

「それがっ! どうしたぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 未だその戦意は尽きない。鉄槌の騎士は諦めない。

 

 

「帰るんだ! それが何処か分かんねぇけど! だけど何処かに、きっと帰るんだ!!」

 

 

 痛みに震えながら、何かを思う。帰りたいと望んだ場所は、何故だかもう思い出せない。

 その手は血に塗れて、その身は戦火の灰に穢れて、多分覚えていたとしてももう戻れなかっただろう。

 

 今の彼女にある想いは唯一つ。朧げな記憶の中にある平穏の光景を、再び取り戻す為に血に濡れる事。

 其処に帰る事が出来ないと分かって、それでもそれを作り上げる事だけを鉄槌の騎士は心の底から望んでいる。

 

 

「だから! 痛くねぇ! ぜってぇに痛くねぇっ!! だから、私は戦えるんだよっ!!」

 

 

 何故だか涙が零れた。だが大丈夫だと歯を食い縛る。

 そして食い縛った歯を剥き出して、鉄槌の騎士は獰猛に笑った。

 

 未だ戦意を鈍らない。非殺傷などない、血塗られた戦場で、それでも騎士は泣き笑う。

 共に必殺となる力を持ち、故に拮抗している戦場で、鉄槌の騎士は辛そうに笑い続けていた。

 

 

 

 そんな騎士と対峙しながらも、黒竜は思考する。

 己の勝利は揺るがない。この小さき者との被害を思えば、その実力差を思えば、まず順当に勝てるであろう。

 アルザスの守護者は伊達ではない。その実力は、長き時を戦い続けた守護騎士を上回っている。

 

 だが、それでもこの小さき者は侮れない。

 その手の傷の痛みが語る。その闘志の衰えぬ瞳が語っている。一寸でも気を抜けば、その瞬間に食らい尽くされるのは己である、と。

 

 そう。これは己の全霊を賭けて挑まねばならぬ強敵である。

 自身に助けを乞う、この地に生きる者達の悲鳴を聞きながら、打ち破らんと鉄槌の騎士を睨み付け。

 

 そこで、一つの泣き声を聞いた。

 

 それは赤子の声だ。己が祝福を与えた子の叫びだ。

 火の付いたように泣くその声は、母の窮地に己を呼ぶかのようで――

 

 

「はっ! どうしたどうした! 手が止まってんぞ!!」

 

 

 猛攻を仕掛けて来る鉄槌の騎士。それを前に、迷っている時間などはない。

 一瞬でも気を抜けば敗れ去る。それが分かっていて黒竜は、決断を下した。

 

 

 

 黒竜の尾が空を切る。それが狙うのは鉄槌の騎士。

 

 

「おっと」

 

 

 軽々とそれを躱したヴィータは、黒き竜の動きに疑問を抱く。

 見え見えの攻撃。まるで躱されるのが分かっていたかのような尾の一撃は、ヴィータに躱された後もその勢いを落とすことはなく。

 

 それが狙うは鉄槌の騎士ではない。

 

 黒竜の尾が薙ぎ払うは、巫女が隠れていた家屋。

 その先に居る、守るべき者を蹂躙する大天魔である。

 

 

 

 家屋を打ち崩しながら、黒竜の尾が奴奈比売へと迫る。

 絶殺の威力を伴って放たれる竜尾の一撃は、しかし片手で止められた。

 

 まるで蠅を払うかの動作で、奴奈比売はそれを握り潰す。血肉が飛び散り、大地が鮮血に染まる。

 それ程までに、大天魔とは程遠く――だが、それでも竜は己が意志を貫き通す。

 

 己が姿を騎士に晒せぬ魔女は、自らの姿を隠していた天蓋の消滅に身を退かざるを得ない。

 黒き竜の背を追う鉄槌の騎士に見つかる訳にはいかぬから、その身を即座に影へと沈めて。

 

 そして黒竜は優しく包み込むように、母娘を無事な方の手で抱き抱えた。

 血塗れで傷だらけで今にも死んでしまいそうな女。そんな彼女がそれでも手離す事はなかった娘。

 

 その姿に、安堵を抱いたかのように目を細めて――故にその背を、無防備な隙を騎士に晒した。

 

 

「打ち抜けぇぇぇぇっ!!」

 

 

 巫女を守る為に竜が晒した致命的な隙を、鉄槌の騎士は見逃さない。

 この歴戦の勇士が、どうしてそれ程の隙を逃がそうか。

 

 

〈Zerstorungshamer〉

 

 

 無情にも告げられる電子音。

 即座に吐き出されるカートリッジの数は三。

 

 魔力が生み出すは巨大な鉄槌。

 高速回転する鋭角は、黒竜の頭部めがけて放たれた。

 

 そして、鮮血と脳漿が飛び散る。

 頭部を砕いた事で、ヴィータは勝利を確信し――だから其処に、少女もまた致命的な隙を晒していた。

 

 

Guoooooooooooooooooooo!!

 

「んなっ!?」

 

 

 分かっていた。此処で無防備を晒すと分かって、だから耐えきってみせるまで。

 守るのだ。護り通すのだ。強き意志でそれだけを思って、守護者と呼ばれし竜は鉄槌を受け切る。

 

 鮮血と血肉を飛び散らせながら、赤く染まった瞳で少女を見据える。

 その破壊の鉄槌に頭部を半壊させながらも、それでも黒竜は死んでいなかった。

 竜が持つ生命力でその命を繋ぎながらに、手にした小さき命を守り通す為に襲撃者たちを排除せんと咆哮する。

 

 

Guooooooooooooooooooooooooo!!

 

 

 大地の咆哮(ギオ・エルガ)。万象を消滅させる殲滅砲撃を、唯一人を排除する為だけに使用する。

 死に瀕した真竜が放つ焔の砲撃を前にして、最早ヴィータは抵抗すらも出来はしない。

 

 

「く、そ――」

 

 

 敗北を理解して、負けられるかと歯を食い縛って、それでも落とされる事は変えられない。

 周囲に満ちる焔の力が放たれれば最期、鉄槌の騎士はこの世から燃えて消え失せたであろう。

 

 放たれたとしたならば、の話だが――

 

 

「クラールヴィントッ!!」

 

 

 鉄槌の騎士の窮地を前に、湖の騎士は此処で動いた。

 攻撃の為に防御が薄れた真竜の体内へと扉を開いて、逆流する炎に焼かれながらに手を突き入れる。

 

 

「くっ、くぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」

 

 

 触れた竜種のリンカーコアは、白魚の様な指先よりも何倍も大きい。

 全てを焼き払う最上級の魔法が発動中だ。それにそもそも魔力の量が違っている。

 

 こうして旅の鏡を繋げられたのは、頭部を壊されて死に瀕した真竜が、残る全霊を攻撃に回したから。

 それでも、それ程に消耗していても、出来たのは旅の鏡を繋げる事だけ。その余りに巨大過ぎるリンカーコアを、抜き出す事すら出来ていない。

 

 右手を炎に焼かれながら、溢れ出す火の粉に苦悶に歪んだ頬も焼かれる。

 それでも真竜を止める事すら出来なくて、シャマルは書を投げ捨てると左の腕も突き入れた。 

 

 両手と顔を殺傷設定の炎に焼かれて、それでも湖の騎士は手を伸ばす。

 同胞があれ程の意志を見せたのだ。自分が見ているだけではいけないと、痛みに耐えながらに女は叫んだ。

 

 

「ヴィータちゃんっ!!」

 

 

 シャマルは決定打を持たない。この竜のリンカーコアを、摘出するだけの力もない。

 それでも其処に干渉すれば、魔法の発動を一瞬妨害する事くらいは出来た。

 

 そしてその一瞬さえあれば、鉄槌の騎士はまた立ち上ると信じていた。

 だから湖の騎士はその端正な容姿を炎で醜く染めながら、それでもその手を放さなかった。

 

 

「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 そしてそんな彼女に応える様に、立ち上った鉄槌の騎士は再びその槌を振りかぶる。

 荒れ狂う炎の中を突っ切って、振りかぶった巨大な鉄槌を其処に振り下ろした。

 

 

「ツェアシュテールングスッ! ハンマァァァァァァァァッ!!」

 

 

 流血を流しながら、鉄槌の騎士が振り下ろした回転衝角。

 少女達の全霊を込めた一撃を前にして、遂に真竜は限界を迎える。

 

 黒き真竜はその頭部を完全に失い、此処に崩れ落ちたのだった。

 

 

 

 

 

「あーあ、やっちゃった」

 

 

 僅か離れた場所に再び出現した奴奈比売は、遊び過ぎたかと溜息を吐いた。

 頭を失い地に倒れ伏した黒き真竜。その手に握られた母娘がどうなったのかは分からない。

 

 あの母娘は死んだだろうか? それとも生きているだろうか?

 少なくとも、頭部を失った竜の真上で勝利の雄叫びを上げる鉄槌の騎士が居る限り、その生死を確認することは出来ぬから。

 

 

「ま、あの調子じゃ、あの子らも見つけられないだろうし、まぁ良いわね」

 

 

 屍となっても強大な魔力を発揮している竜が居る。竜の生命力が場を満たしている。

 それがある限り、余程鋭敏な感覚でも持っていなければあの母娘は見つけられないであろう。

 

 見つからなければそれで良い。面倒な事は放っておくべきだろう。

 さぁ、まだこの世界には魔力を保持している者らが居るから、見つからない内にそいつらを潰してしまおう。

 

 そう思考して、魔女は影へと消えていく。

 

 

 

 大地の守護者は地に落ちた。その力は失われた。

 

 最早アルザスに滅びを回避する術はない。

 

 

 

 

 

3.

 血の臭いと死臭。そして腐敗臭に満ちた場所。

 そこに茶色のコートのようなバリアジャケットに、両足を守る具足。左手にのみ籠手を身に付けた壮年の男が立っている。男は人が忌避する臭いに、常の顰め面を更に歪めた。

 

 アルザス地方ル・ルシエ。被害はそこだけではない。

 この第六管理世界。その中心とも言える首都圏でさえ、生き残りは誰一人としていなかった。

 

 外傷が殆どない非魔導師の死骸。まるで拷問に掛けられたかのように原型を留めていない魔導師の惨殺遺体。

 数えられない程の屍に満ちたこの世界は、最早地獄としか形容が出来ないであろう。

 

 もし自分達が間に合っていたらと思う。

 考えても無駄だと分かって、それでも第六管理世界から送られていた救援要請に即座に答えることが出来なかった事が口惜しく感じられてしまう。

 

 

「ゼスト隊長!」

 

「……そちらはどうだ?」

 

「いいえ、こちらにも生存者はおりません」

 

 

 直属の部下からの報告に、そうか、とゼスト・グランガイツは溜息を吐いたのだった。

 

 

 

 ミッドチルダの防衛を担当する陸の部隊。

 その隊長である彼がここに居るのは、複雑な事情が絡みあった結果である。

 

 先に起きた大天魔襲来。

 それによって局員は数を減らし、その代替に当たる戦闘機人達も量産には時間が掛かる。

 更にアースラ壊滅も痛かった。戦力を丸ごと失って、そして部隊唯一の生き残りは封印状態だ。

 

 その人員不足を解消する為に、部隊全ての人員調整を行っている矢先。

 第六管理世界を定期巡回して警戒に当たる部隊から武装局員が引き抜かれた現状で、この第六管理世界襲撃が起きてしまったのだった。

 

 それでも動ける者は居た。緊急時の為に残っている部隊は居た。

 

 そうでなくとも、今のゼストがそうしているように、武装隊の多くを失ってしまった巡回部隊と協力して駆け付けることは出来たのだ。

 失くした戦力の穴埋めをすることは、決して不可能ではなかったのだ。

 

 だが、本局の上層部がそれを許さなかった。

 緊急用の部隊を動かすことを拒み、休暇中の者らを動員することを嫌った。

 

 そのくせ陸の部隊が海に干渉することを越権行為と否定して、しかし何も解決の案を出せなかった者達。

 足を引っ張る事ばかり上手くなっている者らの争いの結果がこれでは、流石に納得する事などは出来ないであろう。

 

 結局、現在の上層部では僅かと言える現場上がりの指導者、レジアス・ゲイズが動く事となる。

 最良だったのは海の部隊を動かすことだが、レジアスにその権限はない。彼の権限内で独自に動かせるのは陸の部隊だけだ。

 故に彼は敵を作る事を覚悟した上で、無理矢理に第六管理世界を警戒する部隊にゼスト隊をねじ込んだ。救援ではなく、定期巡回への協力という名目で、上の指示を待たずに増援を送ったのだった。

 

 それだけの労を負わせて、然し生存者が見つからない。

 もっと早く出来なかったのか、勝手ながらもそう思ってしまう感情を、ゼストは押し殺す事が出来なかった。

 

 

〈グランガイツ三等陸佐! ルシエ周辺にて、生存反応が出ました!〉

 

「何!? 直ぐ向かう!!」

 

 

 海の部隊に属するオペレーターからの報告に頷くと、ゼストは誰よりも早く現場へと直走る。

 生きていてくれ、救われてくれ、そう祈って、男は地獄を駆け抜けた。

 

 

 

 そして男はその躯に出会う。

 巨大な竜の躯。頭部の欠損したそれの下に、生存者は確かに居た。

 

 躯でありながら強大な存在感を放ち続けるその黒竜。

 ともすれば見失ってしまいかねない程微弱な力が、その下から感じられている。

 

 その下からか細いが確かに助けを呼ぶ、赤子の泣き声が聞こえていた。

 ゼストとて、艦からの情報と泣き声が聞こえなければ気付けなかっただろう。

 管理局が誇る最新機器による支援を得て、漸く見つけ出せる程微弱な生存反応。微かな泣き声に耳を澄ませて、漸く見つけ出せた生存者だ。

 

 崩れ落ちた竜がその手で守るかのように、一組の母娘を包み込んでいる。

 傷付けないように細心の注意を払いながら、その母娘を助け出す。母は重症であるが、それでも幼子は無傷であった。

 

 

「っ! ……意識はあるか?」

 

「……うっ」

 

 

 一目見てその状態を悟ったゼストは、意識はあるかと問い掛ける。

 案ずる言葉はない。それはもう遅いを分かっていて、だからこそ最期に何かを聞き届けようと、彼は要救助者に無理を強いる。

 

 そんな苦渋を浮かべたゼストの呼び掛けに、桃色の髪をした女は僅かに瞼を動かした。

 その開いた瞼の内側、その眼下には何もない。無理矢理引き摺り出されたであろう、血の溜まった空洞があるだけ。

 その身に刻まれた無数の傷に、生きたまま引き摺り出された内臓。彼女を襲った出来事がどれ程凄惨であったか、簡単に読み取れた。

 

 意識があるのは魔力が生かしたか、それとも女の死ねぬと言う意志か。既に死に体の女はしかし、限界を超えて言葉を紡いだ。

 

 

「ああ、あの子は……」

 

「その赤子ならば、ここに居る。案ずるな、無事だ」

 

 

 案ずるのは己が子だ。この有り様でも彼女は子を優先した。

 その在り様に敬意を抱き、そして同時に己が抱き締める赤子の場所すら分からない有り様に、ゼストは悲痛の色を強くする。

 この女はもう持たない。戦場で多くの死を見守って来たゼストでなくとも、誰であろうとそう判断出来るであろう。それ程までに女の顔に浮かんだ死相は濃い。

 

 

「……お願いが」

 

「聞こう」

 

 

 女もそれを悟っているのか、抱きしめる子の無事を聞いて微笑みを零した女は、ゼストに一つ頼みを口にする。

 

 

「この子を……娘を、頼みます」

 

 

 血反吐を吐きながら、今にも死んでしまいそうな女の願いに、ゼストは頷きを返す。

 

 

「ああ、任せて置け。管理局員として、ゼスト・グランガイツとしてここに誓おう。この娘は必ず守り抜く、と」

 

 

 素性も知れない男に託す程に、女は切羽詰まっている。

 だから、せめて安心させるように、己の素性を明かし、そして彼女に誓いを立てる。

 

 約束しよう。強き竜と強き母が守ったこの小さき命。必ずや守り抜く、と。

 

 そんな無骨ながらも情に満ちた言葉に、女は頷きを返す。

 呼吸をするのも辛いだろうに、何とか娘を手渡そうとする彼女から、ゼストはその子を優しく受け取った。

 

 母から引き離された途端に、火の付いたように声を大きくして泣き喚く赤子。

 そんな幼子に女は優しげな笑みを浮かべて、祝福するかのように口にした。

 

 

「キャロ。……貴女は、幸せに」

 

 

 言葉は途中で途切れた。

 力尽きた女はそのまま眠りに落ちて、永劫目覚めることはない。

 

 泣き喚く赤子を抱きながら、ゼストは静かに黙想し、その冥福を祈った。

 

 

 

 アルザス崩壊事件。

 第六管理世界で起きたこの事件は、生存者僅か一名という凄惨な結末で終わりを迎える。

 

 多くの犠牲者を出し、後の世でも管理世界有数の大事件として扱われるこの事件。

 たった一人の生存者であった幼子は、当時の部隊指揮を執った人物の養子として引き取られる事となった。

 

 新暦六十五年の秋に起きた出来事である。

 

 

 

 

 




召喚魔法云々やヴォルテールの真の力は独自設定です。

強大な存在を召喚しようとしても無理が出る。それ故に術者が未熟だと術者を守る為に召喚対象が自らを弱体化させるという理屈。
その為、召喚獣との絆がない状態で実力以上の存在を無理に召喚しようと、魔力コストがヤバくて自滅します。

弱体のイメージとしては竜魂召喚する前のフリード。
デカい飛龍が小型化するんだから、ヴォルテールも弱くなれるよね、という認識ですね。


だから原作でヴォルテールの大きさが変わっていたのは作画ミスじゃないんだ!
なのはさんのワンパンで倒れて、真竜(笑)になってたのもキャロが未熟だった所為なんだよ! と主張してみる。


ここのヴォルさん(本気)は、原作六課全員を同時に敵に回しても一時間は持つんじゃないかなーというレベル。或いは勝つかも?

暴走したA’sでのリインフォースよりも一回り強いくらいを想定しています。




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第三十一話 罪と罰

捏造設定。原作キャラ死亡注意。

……まあ、いつも通りですかね。


副題 真に罪深きは誰か?
   少女は漸く直視する。
   呆気ない終わり。


1.

 これは罰なのだろうか。そんな益体なき事を考える。

 管制人格は闇の中で、その全てを見詰めていた。

 

 

 

 かつて。そう。もう、かつてとなってしまった頃の話だ。

 今はもう昔、次元世界にベルカと呼ばれた国家が存在していた頃に彼女は生まれた。

 

 その役割は文化の保存。

 当時、大ベルカとまで称された複数の次元国家を等活する大国家は、その強大さ故に分裂の危機にあった。

 

 国土が広がれば当然、地方によって文化や風習の違いが生まれる。

 小さな島国一つでも対立は生まれるのだ。大陸一つ治めるだけでも、国民感情を纏め上げるのは酷く困難な事なのである。

 それを思えば、複数の次元国家を一つに纏め上げたベルカと言う王国は、正に規格外というべき存在であったのだろう。

 

 だが、それも永遠に続く訳ではない。

 最初の統治者が賢君であったとしても、続く後継まで同様とは限らない。

 否、どれ程優れた指導者であったとしても、複数の世界を真の意味で統治する事など不可能であろう。

 

 三百年。それが後に古代ベルカと呼ばれる王国が栄えた年数であった。

 

 

 

 その王国の末期に、彼女は作り出された。

 当時存在した魔法。ベルカ技術の粋を後世へと残す為に、夜天の書は作り出されたのだ。

 

 手にした者の使い方次第では厄介な事になる。故にその技術を守る為に、古代ベルカの英雄達の模造品である守護騎士システムが用意された。

 そして書を任意に動かす機能。優れた主を探し出し、その者にベルカの全てを継承させる為に必要だった機構だ。元の彼女に備わっていたのはそれだけであり、それだけで十分だったのだ。

 

 ある一人の女が現れるまでは。

 

 

――今代の夜天の王とお見受けするが如何に?

 

 

 その女は、旧暦が始まってまだ間もない頃に現れた。

 旧暦とは、突如現れ猛威を振るった大天魔という怪物達に抗う為に、作り出された連合国の結成された年を元年としている。

 小国家連合を纏め上げる為の旗頭とされた者こそ嘗てのベルカ王家の末裔。故に、ベルカ連合国。或いは後ベルカと呼ばれる国家連合である。

 

 そんなベルカ連合の技術者達を伴って現れた和服の女。女は名を御門顕明と言った。

 

 顕明は語った。世界の真実。大天魔の真実を。

 そして彼女は言った。世界を滅ぼさぬ為にも、永遠結晶を封じる必要がある。その封印の器として最も相応しい物が夜天の書であると。

 彼女はそのメリット・デメリットも含めて語り、施す改悪の内容を全て話し、そして世界の為に犠牲になって欲しいと管制人格へと頭を下げた。作り物でしかない彼女に、だ。

 

 断る余地など与えず無理矢理に改造してしまえば良かろうに、それでも真摯に頼み込んで来た顕明。

 その女の語る永遠結晶を奪われれば最悪世界が終わると言う言葉に、真剣なその対応に改悪を拒むことなどは出来なかった。

 それが己にしか出来ぬ事ならば、応と頷く以外の選択肢などは存在しなかったのだ。

 

 だが、それでも譲れぬ事はあった。

 

 それは無限転生機能と、その発動時に主を犠牲とする必要があるという事。

 大天魔から逃れる為に必要な転生機能は、しかし魔力食いであり過ぎるという欠陥が存在していたのだ。

 

 神の憎悪の欠片など組み込めばどうなるか分からない。

 その力を使わずに転生機能を動かそうとするならば、未完成時に主を食い尽くすくらいせねば転移機能は使えない。

 

 そして太極負荷にも耐えうる機構がなければ、そもそも改竄する意味がない。

 そんな理屈は分かっていても、己以外を犠牲にすることなど、どうしても許容が出来なかったのだ。

 

 互いに論を交し合う彼女らに別の解法を齎したのは、当時の夜天の王であった。

 

 彼女は今代の八神はやてとよく似ている。優しく温かな主であった。

 当然だろう。そう言った良き人物だけを継承者に選んでいたのだから、それが心優しき素晴らしい主である事は当たり前なのだ。

 

 そしてそんな主だからこそ、夜天の書にのみをその犠牲にしたくはないと語ったのだ。

 そしてそんな主だからこそ、世界の危機を見過ごせないのは当然だったのだ。

 

 主の名はユーリ・エーベルヴァイン。

 

 当時の夜天の王は自らの内に永遠結晶を封じる事を提案した。

 間にユーリというクッションを置くことで、次代の書の主を生贄としなくても安定して力を供給する術を考え出した。

 

 夜天と共に人身御供となり、真に揺るがぬ封印となる事を提案したのだ。

 

 止めるべきであったのだろう。

 諫めるべきであったのだろう。

 

 だが、それでも。

 

 

――貴女一人に、全てを負わせる事は出来ません。

 

 

 そう語る彼女を、止める術を夜天は持たなかった。

 

 ユーリという変換器を通せば、多少は結晶の魔力を安定して使える。

 それさえあれば、次代の主を犠牲にすることなく、永遠結晶の封印という役割を果たせる。

 

 共に生きて死のうと口にした主に、夜天の書は肯定の意を返した。

 永劫共にあろうと言う言葉に、嬉しいとさえ感じていた。それが間違いであったと言うのに。

 

 結論から言えば、ユーリ・エーベルヴァインという女は持たなかった。単純な話だ。神の怒りなどを内に宿して、自己を保てる筈がない。

 実験失敗という結果に失意する技術者の前で、当然の結果かと見詰める顕明の前で、強烈な憎悪に振り回される夜天の内側で、ユーリと言う女の魂は消滅した。

 

 

 

 そして夜天の書は闇の書へと変貌する。

 

 

 

 次の主は、欲深い男だった。

 ユーリとは比べ物にならぬ程愚劣な者だった。

 

 だから、食らった。容赦も慈悲もありはしない。

 彼女を犠牲にした事を思えば、最早退き返すことなど出来ぬから、喰らい尽くした。

 

 そして闇の書は、ほんの少しだけ重くなった荷物を背負い、次なる世界に移動する。

 

 

 

 次の主は嫉妬深い女だった。

 ユーリとは比べ物にならぬ程愚劣な者だった。

 

 だから、食らった。容赦も慈悲もありはしない。

 書が完成した際に破壊を振り撒いてしまうという現象こそ予想外であったが、特に頓着することもない。

 最早退き返すことは出来ぬから、背負う荷物が増えるだけだ。

 

 そして闇の書は、少しだけ重くなった荷物を背負い、次なる世界に移動する。

 

 

 

 次の主は心優しき少年だった。

 ユーリを彷彿とさせる優しき子だった。

 

 少しだけ迷った。けれど背に負う荷物の方が、その少年より重いから、仕方ないと呟いて、御免なさいと謝って、けれどやっぱり食べ尽くした。

 

 そして闇の書は、とても重くなった荷物を背負い、次なる世界に移動する。

 

 

 

 喰らい、喰らい、喰らい続けた。

 その度に重くなる荷物に体を軋ませながら、その度に重くなる荷物に悲鳴を上げながら、それでももう止まれなかった。

 

 烈火の将が居た。

 彼女は時に主と恋仲になった。時に弟子を取ってその子を育てた。時に人並みの生活に戸惑っていた。

 

 鉄槌の騎士が居た。

 彼女は時に主の悪趣味に悪態を吐いた。時に見た目相応の子供らしい生活を送った。そして時に戦場にて綺羅星の如く輝いた。

 

 湖の騎士が居た。

 彼女は時に市政の民と恋仲になった。時に医師として、多くの命を救いあげた。時に料理人を目指して奮起した。

 

 盾の守護獣が居た。

 彼は時に戦火の只中から主を守り抜いた。時に心傷付いた者らを獣の姿で慰めた。時には救い守った者らに慕われて戸惑っていた。

 

 そんな記憶を全て消した。そこに伴う感情を初期化した。

 闇の書の破壊を覚えていられるのは困るから、守護騎士という有り様に一握とて欠損は生み出せぬから、不確定要素は全て消した。

 

 それを罪と知って、守護騎士に対して罪悪感を覚えながら、それでも背負った荷物の重さには届かなかったから、やはり闇の書は止まらない。

 

 そう。罪を犯して来たのだ。余りにも重い荷物を背負い続けたのだ。

 もう立ち止まれないのだ。退き返せないのだ。それなのに、それなのに。

 

 嘲笑う両面の鬼に崩される。進む為の足を圧し折られた。

 嗚呼、これは罰なのだろう。己は抱えて来た罪に報いる為に動き続けねばならぬのに、そう動くことすらもう出来ぬのだから。

 

 壊れてしまった書の中で、管制人格は全ての終わりを眺めている。もう彼女に出来る事など、それだけしか存在していなかった。

 

 

 

 

 

2.

 人気のない静かな休憩室。ガコンという音は殺風景な部屋に良く響いた。

 休憩室に備え付けられている自動販売機から購入した飲料水を取り出すと、ペットボトルを片手に持ちながら、なのはは近くの椅子に腰を下ろした。

 

 ちびちびと飲料に口を付けながら、ぼんやり思うは昨日の出来事。

 一夜明けて、昼過ぎとなって、漸く濃厚だった一日を振り返っている。

 

 友達と大喧嘩をした。

 あそこまで派手に意見を違えたのは、初めての喧嘩の時以来ではないだろうか。

 

 愚痴るように八神はやてに心情を吐露して、その直後に彼女が倒れた。

 そんなはやてに付き添う形でここまで来て、こうして今は一人で居る。

 

 

 

 八神はやての容体は聞いた。

 彼女の容体を確認しに行ったなのはに、はやてが自ら明かしたのだ。

 

 目が見えない。温度が分からない。味が分からない。臭いが分からない。

 五感の殆どが死んでいて、痛みすら真面に感じる事が出来なくなっている現状を語ったのだ。

 

 その余りにも悲惨な状況に、何と言えば良いか分からずに黙り込んだ。

 そんななのはに、はやては笑って別に構わないと口にしたのだった。

 

 閉じられた瞳は泣き腫らしたかのように、瞼の回りは赤く染まっていたけれど、それでもそこには確かな意志があったように見えた。

 

 その魂は、とても鮮やかに輝いているように見えたのだ。

 

 

――あんな、私は決めたで。生きるんや。精一杯、最期まで生きるんや。

 

 

 そう語り、共にある獣の手を握り締めたはやての姿に只々圧倒された。

 恐れていた人と向き合って、諦めではなく、絶望でもなく、安易な希望に縋り付くでもなく、残された命を真面目に生きようとする少女の輝きに圧倒されたのだ。

 

 凄いな、と思う。羨ましいと思う。妬ましいとも思った。

 置いて行かれてしまうかのようで。抜かされてしまうようで。ああ、それは嫌だなって、そんな風に思えたのだ。

 

 必死に生きようとしている人に、何を思っているんだろう。そう思う気持ちは確かにある。

 

 けれど殺せないのだ。失くせないのだ。抑えきれない。

 そういう気持ちが確かに胸の中に燻ぶっていて、今でもなのはは羨んでいる。

 

 

――それがお前の本質だ。高町なのは。

 

 

 思い返すは鬼の言葉。耳に残って消えない両面の鬼の嘲笑いの言葉。

 目を逸らしたくなるけれど、それでも――

 

 

――次はなのはちゃんの番やな。

 

 

 友人の言葉に奮い立つ。あれ程追い詰められてなお前を向いている姿に、どうしようもない程に奮起させられる。

 さあ、もう目を逸らすのは止めよう。そろそろしっかりと目を開いて、この先に続く道をこの目に見詰めよう。

 

 

「……うん。これは私の本質だ」

 

 

 肯定を持って鬼の言葉を受け入れる。

 十年に満たぬ人生。積み重ねてきた想いはそう簡単には拭えないけど、もう目を逸らす事だけは止めた。

 

 だって、ここで目を逸らしたら、本当に置いて行かれてしまうと思うから。

 

 目を閉じるのは止めだ。耳を塞ぐのは止めだ。

 進む道をしっかりと見極めて、この両足で歩いて行こう。

 歩くのが遅くとも、歩き出すのが遅くとも、きっと何かは得られるのだと思うのだ。

 

 

 

 手を上に向けて、ぎゅっと握り締める。

 覚悟はここに。やるべき事は今、決めた。さあ置いてきた物と向き合おう。

 

 

 

 怖いという思いはある。恐ろしいと感じている。

 決意一つで覆せる程、その傷は浅くない。

 

 大天魔であった友が恐ろしい。あんな喧嘩をした友人らに見捨てられていないだろうか、考える事も恐ろしい。

 弱い自分がまた挫けてしまわないだろうか、そんなことすら恐ろしくて。

 

 けれど――それで向き合えぬ程に、高町なのはの決意は軽くはない。

 

 

「もう。逃げない。……逃げたくない」

 

 

 想いを口にすると、しっくりと来た。

 置いて行かれないように向き合って、今度こそ確かな物を手に入れる。

 

 それがきっと、高町なのはの願いであると、確かに理解する。

 

 あの幸福な日々をもう一度。

 美しい刹那を取り戻したい。

 

 その為になら、もう逃げないと決める。

 恐怖と向き合って、己が醜さも受け入れて、確かに前に進んでいくのだと心に決めた。

 

 と、彼女が覚悟を決めた所で、胸元へ入れていたレイジングハートが突然声を発した。

 

 

〈There was a call, my master〉

 

「にゃ!?」

 

 

 音声通話が届いた事を伝えるレイジングハートに驚かされる。

 思わず跳ね上がったなのはは深呼吸を一つして気持ちを落ち着かせると、レイジングハートに連絡を繋ぐように指示を出す。

 

 

〈あ、やっと繋がった〉

 

「え? ユーノくん」

 

 

 漸く繋がった回線に、ユーノは安堵の溜息を吐く。

 そんな彼の様子に、やっと繋がったとはどういう事かとなのはは首を捻った。

 

 そんな主に気取らせぬように、主の考え事を阻害させない為に、結論を出すまで意図的に受信を拒絶していたレイジングハート。

 主の為にあり続けるデバイスはその本意を明かさず、唯無言でチカチカと点滅して返すだけだった。

 

 そんなレイジングハートの様子にも気付かないなのは。

 考えても答えは出ないと判断した彼女は、ユーノの用件を聞こうと意識を切り替えると問い掛けた。

 

 

「それで、どうしたの? ユーノくん」

 

〈……それはこっちの台詞だよ。昨日から連絡も寄越さずに何をしていたんだい? 士郎さんも桃子さんも心配していたよ〉

 

「あ」

 

 

 不味いと冷汗を垂らしながら、なのははポケットから携帯を取り出して確認する。

 院内故に電源の入っていなかった携帯電話には、大量の着信とメールが届いていた。

 

 

「にゃ、にゃはは。……連絡、忘れてたの」

 

 

 はやてが急に倒れ、その対応に集中し、そしてその後は疲れて眠ってしまった。

 朝は朝で一番にはやてに会いに行き、その時の遣り取りに考えさせられる事があって、こうして思考ばかりしていた。

 

 連絡をする余裕はなかったのだ、と言い訳がましく説明するなのは。

 彼女の身を案じていたユーノは溜息を吐くと、「士郎さん達には自分で連絡を入れるんだよ」と返したのだった。

 

 

「……きっと怒られるの」

 

〈叱られてきなよ。大事にされてるってことだからさ〉

 

「にゃー。気が進まないの」

 

 

 もう逃げないとは言ったが、こういう事からも逃げないとは言っていない。

 そう目を泳がせるなのはに、ユーノは深く深く溜息を吐くと。

 

 

〈今回は人命救助とかも関わってくるから、外泊した事自体は怒られないと思うけど、次からはちゃんと連絡を入れておく事。後、僕もそっちに行くから、……君の事を心配していたのは、僕や高町家の皆だけじゃないからね〉

 

 

 覚悟しておくと良いと口にする。そんな彼の背後で、心配なんてしていないわよと騒ぎ立てる金髪の少女。彼女を宥める紫髪の少女。そんな友人達の姿に、なのははくすりと微笑んだ。

 

 

「うん。……待ってる」

 

 

 少年少女達の訪れを待つ。まだ心配してくれる友の姿に、まだ友情は消えていないのだと理解出来たから。

 向き合おう。自分の想いを伝えよう。この決意を伝えて、そこからもう一度始めよう。そうなのはは心に決めて通信を切った。

 

 

「けど、お父さんとお母さんに連絡するのか」

 

 

 やだなー、と口にしながらも、もう逃げないと決めたのだろうと考えを改める。

 とりあえずは手を伸ばしやすい事から始めていこう。そう意識を新たにして、携帯電話を手に取るのであった。

 

 

 

 そうして連絡し、無事叱られ終えたなのはは、友人達がやってくることをはやてに伝える為に彼女の病室を目指して歩いていた。

 

 伝えるのはそれだけではない。

 前を行ってしまった友人に、決意表明を伝えるのだ。

 

 それは自分も向き合おうと決めたという事。

 そしてそう思えるような姿を見せてくれた彼女に、感謝の思いを伝えよう。

 

 そんな風に考えながら病室へと向かうなのはは、その途中の廊下で彼女とぶつかった。

 

 

「悪ぃ! そこ退いてくれ!!」

 

「にゃっ!?」

 

 

 突然、背後より突き飛ばされる。

 予想外な衝撃に派手に転んだ少女は、頭を押さえながらに身体を起こした。

 

 

「い、いたた」

 

 

 痛みに耐えながらに少女は思う。

 一体誰がこんなことを、とやや憮然とした表情で道の先へと視線を向けて――そこでなのはは、見覚えのある二人の人物を見つけ出した。

 

 小さき背中と赤い髪。赤い騎士甲冑姿のまま、一冊の書物を手に病室へと駆け込んでいく少女。

 緑色の騎士甲冑に金色の髪をした女性が、その少女に追い縋っている姿。それは紛れもなく、守護騎士である二人の後ろ姿。

 

 

「ヴィータちゃんなの!?」

 

 

 なのはは慌てて追い掛けようとするが、目の前に広がる惨状に一瞬硬直する。

 

 彼女が手にしていたペッドボトル。

 ちびちびと飲んでいたが故にまだ半分以上残っていたその中身が、先ほどの衝撃で床にぶち撒けられていた。

 

 

「にゃ、にゃはは……」

 

 

 見なかったことにして、ヴィータを追い掛けよう。そう本気で思い掛けたなのはは、どうも運が悪かったらしい。

 

 

「高町さん?」

 

「にゃ、にゃはは」

 

 

 動き出そうとしたなのはの肩を掴んで離さない看護師の姿。

 一部始終を見ていた彼女は、にっこりと笑って掃除道具を手渡してきたのだった。

 

 

 

 手渡された掃除道具で床を綺麗にするまで、なのははしばし時間を必要とする事となった。

 

 

 

 

 

3.

 闇の書が完成する。その事実を前に、ヴィータは燥いでいた。

 記憶が薄れても尚感じるのは、飛び出さん程に溢れる嬉しさだった。

 

 既にその頁数は六百六十五頁を超えて、残るは半行にすら満たない。文字に換算して数個分だ。

 この程度なら、守護騎士の誰かから大量に、或いは三人を少しずつ蒐集すれば、それで闇の書は完成する。

 

 これではやてが救えるのだと思えば、喜びの感情を抑える事など出来はしなかったのだ。

 

 何時でも完成させられるならば、最後は主の目の前で、主と共に。そんな風に思って、守護騎士の少女達は駆け抜ける。

 

 はやてが居る病室は、以前とは位置が変わっていたらしく、その場所を探すのに時間は掛った。

 だがそれも、浮かれて疲労を感じていない少女らからすれば、些少の手間にしか過ぎない。

 受付で聞いた新しい病室。八神はやての名が記された名札を確認してから、勢い良くその扉を開いた。

 

 

 

 中には大切な主が、頭の辺りを少し上げたベッドに寄り掛かっている。

 そしてその傍らに侍る、何故か両腕のないザフィーラがどこか間の抜けた表情を浮かべている姿。

 

 その顔は驚愕に彩られていて、何をそんなに驚いているのかとヴィータは問い掛けようとする。

 だが何故か、言葉が出なかった。何故だろうか、後一歩まで帰る場所が近付いているのに、この身体が動いてくれない。

 

 

「あれ?」

 

 

 漸く零れた声は、少し間の抜けた疑問符交じり。

 何か違和感がある。それは扉を開けた瞬間に、何か衝撃があったような気がして――気が付けば、視界が大きく下に落ちている。

 

 

「何だ? これ……」

 

 

 何だろうか、どうして自分は動けないのか。

 涙を流す程に帰りたかったその場所は目の前にあるのに、どうして一歩を動いてくれない。

 

 其処で気付いた。足が無くなっている。

 ヴィータの身体は、腰から二つに斬り落とされて地面に落ちていた。

 

 

(因果応報って奴? こりゃ、帰れなくて当然だ)

 

 

 燃え上がる炎に包まれながら、ヴィータはそんな風に思いながらに灰となった。

 

 

「まずは、一つ」

 

「ヴィータちゃん!?」

 

 

 目の前で起きた惨劇に、シャマルはその口から悲鳴を漏らす。

 どうして貴女がと下手人を睨み付けながらに、同時にその聡明な思考が現状の危機を伝えていた。

 

 ヴィータが死んだ。ザフィーラは動けない。ならば自分が、主を守らなければ。

 

 

「くっ! クラールヴィントッ!!」

 

 

 その意志は確かな輝きとなって、シャマルは其処で限界を超える。

 先に兆しが訪れていた湖の騎士は、其処で最大の転移魔法を行使して――

 

 

「遅い」

 

 

 斬、と振るわれた剣は、雷よりも速かった。

 シャマルが転移で主を逃がすよりも速く、その剣が女の首を刎ねている。

 

 

「これで、二つ」

 

 

 ごとりと女の首は地面に落ちて、降り注いだ雷光が焼き尽す。

 其処に奇跡は起こらずに、意志を示して書より逃れ掛けたシャマルは何も出来ずに命を終えた。

 

 そして二人を殺した下手人は、冷たい表情を顔に張り付けたままに歩みを進める。

 黒髪を靡かせる女は、彼ら守護騎士達が心の底から信頼していた櫻井螢に他ならない。

 

 

「きぃさぁまぁぁぁぁっ! 乱心したか! 櫻井螢!!」

 

 

 現状を理解して、盾の守護獣は雄々しく吠える。

 狙うは同胞二人の命を奪った櫻井螢という女である。

 

 洗脳か裏切りか、その行動の真意は分からない。

 だが彼女が牙を向いたのは事実である。今脅威としてあるのは事実であるのだ。

 

 故に女をここで押し止め、その真意を問い詰める。そんなザフィーラの行動は、しかし意味を為さなかった。

 

 雷光の速度で迫る櫻井螢は彼に何一つとしてさせる時間など与えない。

 目にも止まらぬ速度で、ザフィーラが気付くことも出来ぬ程の一瞬の間に、櫻井螢は右手に持った雷剣を、その心臓へと突き刺していた。

 

 

「がっ!?」

 

「……そのまま、死になさい」

 

 

 雷剣より迸る雷光。それは落雷の遥か数倍の威力を、盾の守護獣へと走らせる。

 男の胸に大穴が空く。黒く焦げ付いた姿となったザフィーラは、そのまま何も為せずに仰向けに倒れた。

 

 此処に守護騎士は全滅する。

 魔力と化して霧散していく残骸を掻き分けながら、櫻井螢は八神はやてへと迫っていった。

 

 

「な、なんなん? 何が起こったん!?」

 

 

 余りにも唐突な悲鳴や苦悶の声に、盲目の少女は何が起きたのかも分からずに戸惑う。

 無理もあるまい。目にしていても付いていけないであろう事態の変化に盲目の少女が対応できる筈もない。

 

 そんな少女の姿に、確かな情を抱いている。

 抱き締めて慰めたい程に、だがそれが出来ないと分かっていた。

 

 

(詫びはしない。今は止まれないの)

 

 

 彼女をこんなにも大切に想ってしまうのは、きっと長く触れ合い過ぎたから。

 一年二年で足りない程に、長き時を共に過ごした。其処に螢は、確かな情を抱いている。

 

 それでも、どんなに大切に想っていても、この結末は変えられない。

 変えてはいけない。それは全てに対する裏切りで、だからこそ女は此処に決定的な言葉を口にすると決めた。

 

 

「分からないのかしら、はやて。……貴女の家族が今死んだのよ。私が殺したの」

 

 

 目が見えない少女に、その事実を音にして伝える。

 彼女が心の底から憎悪を抱かなくては意味がないから、その絶望を此処に示す。

 

 

「……な、何言うとるん? 笑えへん。笑えへんで、その冗談」

 

 

 シャマルの叫び、ザフィーラの叫び、そして螢の発言。

 それらを纏め上げれば、彼女の言が嘘ではないと分かるのは簡単で、それでも受け入れたくないと盲目の少女は首を横に振る。

 

 

「嘘やよ。……やって、理由がない。そうや、螢姉ちゃんが皆に手を上げる理由があらへん」

 

 

 縋るように、それが嘘だと言うかのように。そんな言葉を紡ぐはやて。自分を欺こうと、そんな言葉を口にして。

 

 その姿に思う所がある。

 余り感情を抑える事は得意ではないから、はやてが視力を失くしていて助かった。

 

 そんな事を思いながらも、螢はヴィータの死骸より奪い取った闇の書へ魔力を注ぎながらはやての元へと歩を進めた。

 

 

「理由なら、あるわ」

 

 

 そう口にする。あの悪辣な蛇や魔女をイメージしながら、そう悪意を偽り口にする。

 心にもない言葉をこれから言う。唯少女の望みを絶つ為だけに、想ってもいない言葉を此処に紡いだ。

 

 

「嫌いだったのよ。目障りだったの。……だから、死んでもらったわ」

 

「嘘や。嘘や嘘や嘘や」

 

 

 嫌々と耳を塞いで首を振る。

 そんなはやての手に触れて、耳を塞いでいる小さな手を無理矢理引き剥がす。

 

 その耳元へと口を近付けると、囁くように決定的な言葉を口にした。

 

 

「……良い機会だから言っておくけど」

 

――私はな。螢姉ちゃんが一番大好きや!

 

 

 そんな風に無邪気に笑う声を思い出しながら、櫻井螢は偽りの言葉を此処に紡いだ。

 

 

「貴女の事、ずっと大嫌いだったのよ」

 

「嘘やぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

〈Anfang〉

 

 

 可能な限り、悪意を込めて伝えた女の罵倒。

 それを聞いたはやてが否定の言葉を叫ぶと共に、闇の書は漸くに起動する。

 溢れ出した魔力が少女の身体を取り込んで、そして闇の書の闇は此処に目を覚ましたのだった。

 

 

「……漸く、か。随分と手間を掛けさせられた」

 

 

 闇の書の意志は、夜天の管制人格は終わりを理解する。

 目覚めた己の前に立つ黒髪の女。その身から感じる威圧感は正しく、逃げ続けてきた大天魔。

 

 この結末は分かっていた。何時かこうなると分かっていた。

 致命的な自壊が生まれ、何度逃れようとしても逃げ出す事すら出来なかった瞬間から、此度が己の終わりと決まっていたのだ。

 

 

「……これが、罰か。……これが、報いか」

 

 

 嘆き絶望に堕ちた少女を取り込み、闇の書は目を覚ます。

 銀色の髪に赤き瞳の女は、何をするでもなく受け入れる。最早どうしようもない現実を。

 

 その目に映る女の姿。人の身に過ぎた力を連続して使用し続けた影響で、人を模した擬態は剥がれかけている。

 

 その崩れ落ちた皮膚の下より見えるのは、死人の如き貌。

 長く艶のある黒髪は黄金色へ、その瞳は赤く黒く染まっている。

 

 左手に焔を纏う炎剣を、右手に雷光を纏う雷剣を。

 左右に構え、武者甲冑か忍び装束を思わせる姿をした彼の者こそは、まごう事なき大天魔。

 

 闇の書の管制人格が、全てを代価としても逃れようとしていた災厄。

 そして最早、何を犠牲にしようと逃れられない結末である。

 

 故に、一つ呪いの言葉を残して、素直に消えてやるとしよう。

 

 

「……お前にも、何れ報いは来るぞ」

 

「言われずとも、分かっているさ」

 

 

 斬、とその刃が闇の書を切り裂いた。

 轟、と炎が翻り、切り裂いた書を焼き払う。

 

 外装があっては取り出せないから、内に飲まれた少女達が居ては取り出せないから。

 その外装たる管制人格を、その内に眠る嘗ての夜天の王(ユーリ・エーベルヴァイン)を、そして大切だった筈の幼い少女(八神はやて)を――余りにもあっさりと、纏めて燃やし尽くした。

 

 

 

 焼け焦げて散っていく闇の書の残骸の中、淡く輝く結晶のみが残される。

 ハラハラと散っていく書の断片はまるで花弁のように、別れの季節に咲き散る花のように。

 

 ただ一つ残された結晶を、櫻井螢。否、天魔・母禮はその手に握り締めた。

 

 

「漸く、取り戻した」

 

 

 大切そうに握りしめて、一筋の涙が零れ落ちる。

 それは果たして、誰が為に流した物であったのか。

 

 

 

 

 

「はやて、ちゃん」

 

 

 闇の書にはやてが呑まれ、諸共に焼き尽くされる瞬間を少女は見ていた。

 予想外の事態に何もすることが出来ず、唯友情を結んだはやての死を理解した瞬間に言葉が零れていた。

 

 

「……ああ、そう言えば、居たわね」

 

 

 ぎょろり、とその視線がなのはを捉える。

 瞬間、恐怖に身を竦めた少女は、しかし逃げないという意志によって踏み止まる。

 

 そんななのはの姿が、その危険性を母禮にはっきりと分からせる。

 

 

「……それが危険なのよ」

 

 

 天魔・母禮は人間という生き物を過小評価はしていない。

 この世界の民が、自分達の足元にすら及ばない事は事実であるが、同時にその意志だけは侮れぬと知っている。

 

 嘗て人であった頃の己達がそうであったように。

 兄を一度とは言え追い詰めた者らが居たように。

 強き意志を持った人間を放置しておけば、万が一の可能性があると知っているから。

 

 

「……ここで消すとしよう」

 

 

 最早、この地の被害など考慮する必要はない。

 この地に守る者はもういないのだから、纏めて薙ぎ払ってしまおう。

 

 天魔・母禮は、そう決めた。

 

 

――かれその神避りたまひし伊邪那美は

 

 

 膨れ上がる膨大な力に、危険を察知したなのははレイジングハートをその手に取る。

 セットアップの言葉と共に、バリアジャケットを身に纏うと少しでも距離を離そうと窓から飛び出した。

 

 

――出雲の国と伯伎の国 その堺なる比婆の山に葬めまつりき

 

 

 遠く、病院への道を歩いていたユーノは、その突如として現れた重圧にその脅威を察知する。

 酷く慣れてしまった感覚。その威圧感に大天魔が現れる予兆を認識して、共に付いて来ていたアリサとすずかの手を取ると、少しでも遠くへと転移魔法を発動した。

 

 

――ここに伊邪那岐御 佩せる十拳剣を抜きて その子迦具土の頚を斬りたまひき

 

 

 少年少女の足掻きを見下しながら、それは無駄であると母禮は断じる。

 太極という一つの世界を前に、逃げ場などはどこにもない。この星の何処にも、逃げ道など残す心算はないのだ。

 

 

――太・極――

 

「随神相、神咒神威、無間焦熱」

 

 

 天を焦がす業火が燃え上がり、地を蹂躙する落雷の雨が降り注ぐ。

 

 一瞬にして気化した海鳴大学病院の跡地に浮かび上がるのは、山をも越える巨大な女の神相。

 四腕に二振りの剣を持つ女の形相は、夜叉か羅刹か、どちらであれ紛れもなく化外のそれだ。

 

 巨大な神相と、似通った姿を持つ大天魔は、広がり続ける己が地獄を見詰め続ける。

 

 広がる地獄が狙うのは、少女達の命だけではない。

 その地獄の業火が焼き尽くすのは、海鳴の街のみに非ず。

 

 後の禍根を全て断つ為に、最早容赦などは欠片もない。

 一欠けらとて可能性を持つ者は、ここに全て焼き尽くすのだ。

 

 己はもう、止まれないのだから――

 

 

 

 

 

 そうして、地球全土がその焦熱地獄に飲み込まれた。

 

 

 

 

 

 




何度か修正したけど、ヴォルケンズ全滅シーンやその後のはやてとの遣り取り等が、今一納得出来る文章になりませんでした。

けれど、これ以上投下が遅れるのも微妙なので、取り合えず投下します。

なので、展開は変わらないだろうけど、言い回しとかをその内改訂するかもしれません。


ちなみに今回の独自設定はユーリ関係とベルカ関連全部。

闇の書の奥に無関係な女の子が居る理由とか分からなかったので、ユーリに過去の夜天の書の主という設定が生えました。


ちなみに今回、ごっそりキャラが減りましたが、中には死亡を明言していないキャラが居たりします。



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第三十二話 業火に焼かれる世界

唯一言。……今回長いです。
切り所が分かんなかったんだ。


副題 海鳴被害報告。
   お茶の間の大御所さん。お疲れさまです。
   不撓不屈の真なる力。



1.

 燃える。燃える。街が燃えている。

 

 オフィス街にある高層ビルの屋上。

 炎に包まれた街を見下ろしながら、咄嗟にこの場所まで転移したユーノは己の判断の正しさに内心で胸を撫で下ろしていた。

 

 

 

 天より降り注ぐ落雷の雨。豪雨の如く降り注ぐ雷は確かに恐ろしい。

 それでも色を変えたコンクリートが溶け出している地面に比べれば、遥かにマシと言えるのだ。

 

 どう言う訳かは知らないが、この大天魔の力は炎の力強さに反比例するかのように、雷自体はそれ程の脅威を伴ってはいなかった。

 無論、直撃を受ければ即死は免れないだろうが、それでもユーノの防御魔法で数発程度ならば防げるレベルでしかない。

 

 対して、地に蠢く炎は極めて危険だ。

 今居るのは十六階建てのビルの屋上。であると言うのに、大地に蠢く炎の熱はここまで届いて来ている。

 ユーノの展開した広域防御魔法越しにも届く熱量は、彼の精神を確かに削っていた。

 

 止めどなく零れ落ちる汗に体がぐっしょりと濡れている。

 釜茹でにされているかのような高温の大気に、立ちくらみや眩暈がする。

 

 最大限に強化した防御魔法の内側に、冷房効果のある魔法を使用していてもこの有り様だ。

 もしもう少し地面と近ければ、或いは防御魔法の展開が遅れていたらどうなっていたかなど、考えたくもなかった。

 

 とは言え、そう長くも持たないだろう。こうも高温の只中にあっては、確実に脱水症状くらいは起こす。

 そうなれば発動に細かな計算などを必要とする魔法は解除され、ユーノは彼が背に守る二人の少女達諸共に焼き尽くされて終わりである。

 

 

(……そんな死に方は御免だよ)

 

 

 そう胸中で呟きながらも、魔法を展開する力は緩めない。

 だが彼に出来ることはそれだけだ。この手を緩める訳にはいかないが、このままでは詰んでいる。それだけの事が分かっていて、それでも抗い続けるのだ。

 

 歪み者でないが故に、この炎に数秒とて耐えられない。

 この炎の中を進み続ける力を持たないが故に、こうして自分達の死を先延ばしにする以外、何も出来ずにいる。

 

 その事実が、どうしようもなく悔しかった。

 

 

「何で、よ」

 

 

 そんなユーノの後ろに守られた金髪の少女は、地を焼き払う炎を見て口を開く。

 

 その炎を覚えている。あの不浄を焼き払った、地獄の業火を覚えている。

 憧れたのだ。凄いと思ったのだ。あれ程に美しいと思った炎が、今は醜悪な様を晒している。

 

 そんな些細でちっぽけなことが、どうしても許せなかった。

 

 

「っ! あんなの、あんなの絶対認めないわ!!」

 

 

 止めてやる。そう短絡的に思考して、アリサは動き出そうとする。

 展開されている翠色の障壁から飛び出そうと手で触れようとして、その手を少年に掴まれていた。

 

 

「――っ!」

 

「あんたっ!?」

 

 

 アリサが突き出した左手。その拳を真横から抑える形で伸ばされたユーノの手。

 立ち位置が悪かった関係かユーノの背中は結界に押し付けられて、嫌な音を立てながらに焼け爛れていた。

 

 

 

 魔法と太極。その本質は同じ魂の持つ力であるが故に、互いに干渉出来る力だ。

 魔法の盾で熱を防げると言う事は、魔法の盾もまた熱の影響を受けるという事実を示している。

 

 高熱で半ば溶けかけている魔力障壁。次から次へと再構成し続けているからこそ今なお維持されているが、その盾は常に熱され続けているのだ。

 解除する余裕などない。含まれた熱を解消する手段がない以上、熱はその場に留まり込み続ける。その熱量は沸騰した水やコールタールの比ではない。

 

 

「……分かったかい。これが現実だよ。アリサ・バニングス」

 

 

 思わず蹈鞴を踏んだアリサが後退した隙に、結界から離れたユーノが口にする。

 痛みに耐えるかの如くに歯を食い縛りながら、脂汗を額に浮かべた少年は無鉄砲な少女に現実を教え込んだ。

 

 

「一歩出れば死ぬんだ。何も出来ない奴が、気持ちだけで前に出ようとするな」

 

「っ! けど、それでも放っておけないのよ!!」

 

「なら死ぬのか! 自殺なら一人でやれ!!」

 

 

 大量に魔力を消費しながら痛みに耐えるユーノは、余裕がない声でアリサを叱咤する。

 彼女の行動には考えが足りていない。現実的な方法論が見えてこない。感情だけで全てが解決するならば、それ程簡単な事はないのだから。

 

 

「君は無力だ! いい加減にそれを悟れよ! アリサ・バニングス!!」

 

 

 言葉を紡ぐのも厳しい環境の中で、叫ぶユーノ。

 その言葉に、何も返せない。傷付けてしまった少年に反論出来ず、アリサは悔しげに歯を噛み締めていた。

 

 

「アリサちゃん」

 

 

 そんなアリサの震える手を優しく包みながら、すずかがその名を呼んだ。

 落ち着かせるように、自暴自棄にならないように、そう想いを伝えるかのように声を掛ける。

 

 怪物という自分の生まれ。どうせ怪物ならば、こんな現状を打破できる程に外れていれば良かったのに。そんな風に思いながら、友人を励ますしか出来ない現状に悔しさを覚えていた。

 

 

「……分かっているわよ」

 

 

 そんなすずかの言葉に、顔を俯けたままアリサは返す。

 悔しさに打ち震える少年少女達は、何も出来ずに唯耐え続けている。

 

 彼らを護る命綱が失われる瞬間も、そう遠くはなかった。

 

 

 

 

 

2.

 海鳴市外周部。眼前に広大な海が見える場所に、多くの人々が集まっている。

 着の身着のままという雰囲気でこの場所に集まって来た人々は、自分達を救助した人物の指示に従い行動している。

 

 小火騒ぎ程度の被害しか起きていないこの場所へと、避難民を誘導した高町士郎は黒雲に覆われた空を見上げた。

 落雷が降り注ぎ、地が融ける程の炎に包まれている今の海鳴市。ここは最早地獄の底と変わらない。

 

 共に避難民達の誘導を買って出て、僅かでも助けになればと救助活動をしている高町一家。

 比較的安全な場所に物資を持ち込んで、仮設の施設などを用意している月村一家とバニングス一家。

 

 彼らが無事だったのは、一つの偶然の賜物と、そしてある一つの作為故であった。

 

 偶然とはなのはが家に戻らなかった事だ。

 翠屋や月村邸のあった場所は、大火災があった直後のような有り様だ。

 

 中心地である風芽丘町やオフィス街などに比べれば遥かにマシな状態だが、それでも確実に少なくない死者が出ているであろう状況である。

 そのままそこにいたのならば、今頃自分達は生きてはいなかったであろう。そう思わせる程の勢いで、天を焼き焦がすかのような業火が燃え続けている。

 もしもなのはが家に帰っていて、彼女を探し回る必要がなければ、今頃自分達はあの翠屋の中にいた筈である。そう思うと、背筋が冷たくなるのを避けられなかった。

 

 そして作為とは、街中を駆け回っていた彼らがこうして最も安全な場所に何時の間にか集まっていたこと。

 なのはを探して街中に散らばっていた彼らは見たのだ。まるで彼らを誘うように姿を見せる一人の少女を。

 

 どこかで見た覚えのある和服の少女は宛ら蜃気楼のように、出ては消えてはその姿を見せつけた。

 

 道を外れる度に姿を見せ、高町家の面々を何処かへ誘導しているかのように誘うその少女。

 死人のような肌をした彼女。何処か娘の友人にも似た容姿の彼女は、しかし決して悪い物ではない。そう判断した彼らは、その少女の誘導に従った。

 

 罠に掛けられているという疑心は当然抱いたが、それでも何か嫌な予感を消し切れなかった彼らは、その少女に賭けたのだ。

 

 そうして、その少女の姿を見たと言う三家族がこの場所に辿り着いた直後、炎が世界を包み込んだのだった。

 

 

「父さん。こっちの方は、大体避難は終わったぞ」

 

「……月村印の消火器でも消えない炎は厄介だよね。一応、燃えてない場所探して、水と食料は少し回収出来たけど」

 

「そうか。すまんな、恭也。美由紀」

 

 

 防護服を脱ぎながら近付いて来る子供達に、労いの言葉を掛ける。

 緊急対応の為にバニングスや月村が用意していた特性の防護服は、この特殊な火は防げずとも、高熱の中を歩く際に気休め程度にはその効力を発揮してくれていた。

 とは言え、街の中心区のような温度が高すぎる場所へは、そんな装備では立ち入ることも出来ないのだが。

 

 燃え盛る炎の中、僅かにでも火勢の弱い場所を探しては、避難誘導や周辺散策を行っているのは高町家。

 月村家のエーアリヒカイト姉妹や、バニングス家の万能執事らも協力を申し入れ、共に避難民誘導と一緒になって使用可能な物資探しも行っている。

 その甲斐もあって、少なくはない人々を助け出す事は出来た、と言えるであろう。

 

 だが消えない炎という厄介にも程がある物が、彼らの行動を縛っていた。

 燃え盛る業火は一度引火してしまえば、もうどうしようもない。家や所持品に燃え移れば、それが広がる前に捨ててしまうより他に術はない。

 

 一度燃え上がった炎は決して消える事は無い。先に通れた筈の道が通れなくなる。

 助けようとした人が消えない炎に飲まれてしまえば、結局二次災害を防ぐ為に見捨てる他ないと言う状況にも陥ってしまう。

 

 何より厳しいのは、救われるべき避難民達の目に力がない事だろう。

 度重なる震災の果て、こうして訪れた焦熱地獄に生き延びようと言う心を圧し折られてしまった者も少なくはない。

 

 災に包まれた家から逃げようとせず、そのまま下敷きになって死んでしまった姿も彼らは多く見てきているのだ。

 身内の死に耐えられず、心を壊してしまう者らをこの短い時間で嫌という程見て来たのだ。救う側の精神も、そろそろ限界に来つつあると言えるであろう。

 

 

「良いですか、皆さん。こんな時だからこそ、諦めてはいけませんよ」

 

 

 そんな絶望に満ちた避難民達を励ましているのは、偶然海鳴市にロケに来ていたという大物芸人であった。

 

 その針金のような細い体躯に、爬虫類を思わせる顔立ち。

 和服を来た白髪の男は、士郎達には出来ぬ事を率先して行っている。人の心を癒すという役割を。

 

 時に真摯に励まし、時に道化となって笑わせる。

 時には敢えて非難を浴びて憤りのはけ口となり、時に桃子が指揮を執る炊き出しに並んで皆と食事を共にする。

 そうして避難民達の心を支えるその姿に、士郎は称賛の念を向けずには居られなかった。

 

 餅は餅屋に、傷付いた人を癒すのは専門外だ。

 自分に彼の様な真似は出来ないと知っているからこそ、そちらは任せよう。

 

 自分達は彼の努力に応える為にも、一人でも多くの人を救うのだ。

 その為には、挫けてなどは居られない。子供達と共に気持ちを新たにすると、現状を確認する為に先程まで周辺散策に出ていた二人に問い掛けた。

 

 

「……それで、街の様子はどうだった?」

 

「中心区は特に酷いな。余りの高温で近付く事も出来ず、遠目に見ただけだが。……あれじゃあ生き残りはいないぞ」

 

「……一番ヤバいっぽいのは風芽丘の方っぽいよね。チラッと見ただけだけど、大気が揺らいでたって言うか、こうヤバいオーラみたいなのが出てた」

 

 

 散策をして得た情報を問う士郎に、恭也と美由紀はそれぞれに言葉を返す。

 

 

「やはり風芽丘か。……確か、海鳴大学病院もあの辺りにあったな」

 

 

 そう呟いて、末の娘からの連絡を思う。

 彼女が居たのも海鳴大学病院だ。今、一番危険な場所である。

 

 

(なのは。無事でいてくれ)

 

 

 今すぐにでも駆け出したい気持ちを抑え、士郎は祈る。

 自分が飛び出して、何が為せる訳でもない。自分がここに居る事で、確かに救える命がある。

 

 ならば、選択は決まっていた。

 少しでも多くの命を救う為に、彼らは地獄の中を駆け抜け続けるのだ。末の娘の無事を切に祈って。

 

 

 

 そんな士郎の願いは、しかし届かない。

 

 

 

 

 

3.

――えーと、東京から来た言うヘルパーさんですか? これからよろしゅうお願いします。

 

 

 初めて顔合わせをしたのは八神の家。

 両親を失ってまだ間もない時期の彼女は、必死に隠しては居たが、どこか暗い表情の垣間見える、そんな少女であった。

 

 

――えーと、な。買い物、行きませんか? ……歓迎会、とかしてみたいです。

 

 

 慣れない敬語で少女は話す。

 隔意や警戒は確かに存在していたが、何処かで他者との触れ合いを求めていた少女は、そんな言葉で自己表現をしていたのだろう。

 

 

――アカンな。これ。御免なさい。作り直します。

 

 

 一人ぼっちになった幼い少女。それも半身不随の人物が、そう簡単に優れた調理など出来よう筈もない。

 身体が自由に動いていた頃と同じ感覚で、母の料理手伝いをしていた頃と同じように調理を行った少女は、予想通り盛大に失敗した。

 

 黒焦げの料理を廃棄しようとする。そんな彼女を押し止めて、それを口にした。

 随分と久し振りに食べた他人の手料理は、お世辞にも美味しいとは言えなかったが、それでも確かに温かな味がしたのだ。

 

 

――不味いけど温かいって、……姉ちゃん。変な人やな。

 

 

 思わず本音が零れたのであろう。堅苦しい敬語ではなく、普段通りの口調でそう口にする。

 

 

――あ、変な人って、そういう意味やのうて。……ごめんなさい。

 

 

 直後に失言に気付いて頭を下げた少女に、別に構わないと伝える。寧ろ変な敬語よりはよっぽど良いと女は返した。

 

 

――変な敬語って、これでも頑張ったんやけどなー。

 

 

 何処か不満げにそう呟く少女。だが初対面の頃よりはその仲は確かに近くなっていて。

 

 

――決めたで。取り合えずお姉さんをあっと言わせたる。……一先ずは料理やな。絶対、素直に美味しいって言うてまうレベルになってみせるんや。

 

 

 始めて会った頃の呼び名は、ヘルパーのお姉さんだったのだ。

 それが螢姉ちゃんと呼ばれるようになったのは、一体何時の頃だっただろうか。

 

 

――ん、どこ行きたいか、って? せやな。スーパー一緒に行ってくれへん? 今日限定で卵一パック30円なんや。お一人様お一つ限りやけど、姉ちゃんが来てくれれば二人分買えるで!

 

 

 何処か行きたい所があるかと聞くと、三回に一回は近くの安売り広告を見せつけてくるようになったのは、暫く一緒に過ごした頃。

 

 そんなよく一緒に行ったスーパーは、燃え盛る炎の中へと消えていった。

 

 

――商店街に立ち寄るのも偶にはええなぁ。おっちゃん達、おまけしてくれるんやから。……せやけど、何時もは駄目や。八百屋のおっちゃん。螢姉ちゃんに鼻の下伸ばしとったんやから。

 

 

 何時の間にか独占欲でも抱かれたのか、少女は螢に向けられる視線に対して過剰に反応するようになっていた。

 お姉ちゃんは渡さないと言っているかのようなその拙い行動に微笑ましくなって、揶揄う様に他に構っている姿を見せたりした。

 

 そんな悪戯をしていた事は明かせず、結局最期まで内緒となってしまった。

 少女と共に歩いた商店街は、赤き業火の中に溶けて沈んでいく。

 

 

――誕生日? ああ、そか。もうそんな時期やっけ。プレゼントなぁ。……一緒に寝てもらうとか、甘えてええかな?

 

 

 何処か恥ずかしそうに甘えて来る少女と、一緒のベッドで眠りに就いた。

 古き世界の逸話を寝物語風に改竄して語る。そんな即席の物語に一喜一憂していた少女。

 

 彼女と共に過ごした八神の家は、もう何処にも存在していない。自分で焼いてしまったから。

 

 

「……無様ね」

 

 

 燃え盛る業火を天より見詰めながら、金髪の女は自嘲するように呟いた。

 

 

 

 天より降り注ぐ雷霆は、しかし彼女本来の力とは程遠い。

 その雷光は大地を砕き、豪雨のように降り注いでは何もかもを消し去っていくだけの力を持っていた筈だった。

 

 だがその威は嘗ての姉が用いていた頃よりも遥かに弱っている。

 その渇望と決定的なまでにズレてしまった精神が足を引っ張っているのだ。

 

 天すらも焼き尽くさんと荒れ狂う業火もまた、やはりその本来の力とは程遠い。

 大地を溶かし、永劫消える事はなく、望んだ物のみ焼き尽くすその業火は、本来ならばこの地の生物など一息で殺し尽くしてしまえる物である。

 

 だが今のブレた心ではその熱量も変動している。

 望んだ物しか焼かない炎は、しかし何を望んでいるかも分からない現状では何を焼くべきかも定まらない。

 大火に業火に小火に燻ぶる焦げ跡のみ。一切燃えていない場所すら生まれてしまっている程に、余りにも偏った景色を作り上げている。

 

 全ては自滅衝動が原因だろう。既に彼女の魂は限界を迎えている。

 自分でも自覚できる程に追い詰められた女はしかし、それでも確かに強大だった。

 

 

「……けれど、それでも貴女達を滅ぼすには十分過ぎる」

 

 

 そう事実を口にして、その視線を真下へと移す。

 そこにあるは幼い少女の焼死体。全身黒く染まった惨殺遺体だ。

 

 如何に雷光がその猛威を発揮していないとは言え、ここは始まりと言うべき場所である。

 如何に炎の出力が安定していないとは言え、ここは焦熱地獄の中心地。そこに収束された力は他の比ではない。

 

 彼女が焼きたくないと心の何処かで願っていた海鳴病院が、患者や医師を内に残したまま蒸発したように。

 彼女が焼きたくないと心の何処かで願っていた風芽丘の街が焦熱地獄に飲まれ、今なお天すら焼き尽くさんと燃え続けているように。

 

 この地に居た高町なのはと言う少女が、その猛威に触れて無事でいられよう筈もないのだ。故にこれは当然の結末であった。

 

 全身が炭化して地に落ちた魔法少女。

 彼女が未だ原型を保っているのは、その圧倒的な魔力と防御結界が故だろう。

 

 だが、それまでだ。どれ程の力を有していても所詮は人の身。歪み者の範疇だ。

 大天魔の太極。中心地にてその業火の全てを受けてしまえば、何を為そうと生きてなどはいられない。

 

 その結果が、焼死体と化した高町なのはの姿である。

 

 

「いや」

 

 

 そこで母禮は目敏くその変化を認識する。

 本当に僅か、掠れる程度だが呼気がある。空気が僅かに振動しているのを感じ取る。

 

 生きている。辛うじてというレベルだが、確かに息があった。

 とはいえそれで何が出来ると言うのだろうか、最早この少女は唯死んでいないだけだ。

 致命傷など当に超えている重症を受けて、抗うことは愚か逃れる事すら既に出来ない。

 

 最早無視しても構わぬ程の、死に損ないに過ぎない――だとしても。

 

 

「……絶っておくに限る、か」

 

 

 元より念の為。転ばぬ先の杖程度の意味しか持たない太極展開。

 この焦熱地獄はあらゆる可能性を根絶やしにする為に、反抗の余地を僅かすらも残さぬ為に展開された物。

 故に論ずるまでもない。思考する必要すらもない。

 

 まだ息があると言うならば確実に断つ。

 高町なのはと言う存在は、必要ないのだから。

 

 

「……そう。必要がない」

 

 

 この少女の持つ歪み。精神力の続く限り、無尽蔵に魔力を生み出す力。

 或いは、これこそ救いになると捉える者も居るかも知れないが、この少女が世界の救いとなる可能性はないと断じよう。

 

 何故ならば、それは単純な話。唯の歪み者の生み出せる魔力では、世界全てを支える量には絶対に届かない。

 

 倫理を無視し、人権を廃し、それでも決して届く事はないだろう。

 そんな歪み一つで世界の救済を為せると言うならば、全ての歪みを使い熟せる奴奈比売が当の昔に世界救済を終えているのだ。

 

 救済は為せない。歪み者では純粋に力の量が足りていない。

 世界全てを支えられるのは、神格域に到達した者だけなのだ。

 

 極端な話。神格域へ到達してしまえば、能力の種類などはどうでも良くなる。

 そも、神格は人から見れば無限にしか思えぬ程の魔力を秘めているのだ。

 弱り切った永遠の刹那の残骸ですら数億年という時を持たせる事が出来たように、そうそう使い切れる物ではない。

 

 魔力が魂から生み出される力である以上、消費以上の魔力を覇道神は生み出し続ける事が出来る。そして使われた魔力も内側で循環し続ける限り、再利用が可能である。

 覇道神の内側にある全てはその肉体の一部であるのだから、魔力の使用を制限することも、使用済みの廃魔力を元の状態の戻すことも、全ては意志一つで可能な事なのだ。

 

 今の夜刀には使用された魔力を自らの元に戻す力が欠けているが故、その循環が破綻してしまっているが、本来ならば神格は例え内に住まう者達に魔力を消費されようと関係なく存在出来る。

 故に魔法とは、本来ならば無限のエネルギー足り得たのだ。そう覇道神が正常に機能していたならば。

 

 だが、現状は違う。魔法は世界を殺す。そしてその救済には力の性質ではなく絶対量が重要となるのだ。

 神格に至らねばどんな力を持っていようと世界は救済出来ず、神格に至ればどんな力を持っていようと救えぬ道理がないのである。

 

 総じて高町なのはとは、夜都賀波岐という集団にとって、無価値な存在であるのだ。

 

 

「次代は生まれない。神の代わりなど何処にもいない。……だから断片を集め、贄をくべ、そして彼を取り戻す。その果てをこそ、望むしかなかったのよ」

 

 

 高町なのはは無価値であると語った。だが、それは現状のみを見た場合の話だろう。

 人の持つ可能性。これまでの経験が語るその成長性。それらを考慮すればこう断じる他にない。

 

 高町なのはの存在は、即ち害悪であると。

 神の域には至れぬだろうが、それでも偽神を殺し得る領域には届くのだ。

 

 故に払う。故に排除する。故に焼き尽くす。

 断片を揃える為の障害と成り得る者らは、必要な贄を欠落させ得る者らは、彼を取り戻す為に不要な者らは、皆悉く燃え尽きるが良い。

 

 一縷の望みすら残さない。僅かな可能性すら残しはしない。

 天魔・母禮は、最早死体と変わらぬ少女を焼き尽くさんと、神相が持つ炎の剣を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 高町なのははその光景を、熱に浮かされて纏まらない思考で、しかし確かに認識していた。

 

 視力、ではない。両目は既に燃え尽きて炭化している。それが物を見る機能を遺している筈がない。

 聴覚、でもない。耳は愚か全身が焼け爛れた今、五感は正しく機能をしていない。

 

 故に、それは第六感とでも言うべき機能であるのだろう。

 魔力の流れを、魂の持つ力を感じ取ったなのはは、己を焼き尽くさんと迫る力を確かに感じ取る。

 

 このまま死んでしまうのだろうか。そう思った。

 もう逃げたくないと決めたばかりなのに、諦めなくてはいけないのかと思った。

 

 迫る刃はゆっくりと感じ取れる。

 それは末期に見る走馬燈と同じ様に、死の感覚に思考が凄まじい速さで回っているからだろう。

 

 数倍に、数十倍に、数百倍に引き伸ばされた意識の中で、高町なのはは唯思う。

 

 

(嫌だ)

 

 

 そこに抱くは単純にして簡単な感情。

 恐怖に対する拒絶ではなく、死に対する忌避感ではなく、それは酷く利己的な想い。彼女が抱いた、一つの渇望。

 

 また四人一緒に。笑い合って共に居たい。

 アリサ・バニングス。月村すずか。――そして、アンナ・マリーア・シュヴェーゲリン。

 

 

(嫌だよ)

 

 

 願うのは、少女達だけではない。僅か十年にも満たない生涯で、大切な人は沢山増えた。

 ユーノ・スクライア。高町家の家族達。管理局の人々。多くの出会いと別れが確かに其処にあったのだ。

 

 この炎に飲まれてしまえば、もう彼らには会えない。

 この炎を止められなければ、今なお逃れ続けている彼らもまた死者の仲間入りを果たすであろう。

 

 フェイトやはやてと言った、一緒に居て欲しいと願って、それでも失われてしまった命のように。

 

 

(それは、嫌だ!)

 

 

 だが動かない。だが動けない。

 意志の問題ではない。感情の問題ではないのだ。

 物理的に動く事が出来ない今、どれ程乞い願っても高町なのはが死から逃れる事は不可能だ。

 

 ならば、最早諦めるしかないのだろうか?

 

 

(嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!!)

 

 

 だが理屈ではない。そう理屈ではないのだ。

 そこにあったのだ。輝かしい世界が、確かにあった。

 取り戻すと決めたのだ。その為なら恐怖にだって向き合えると覚悟を決めたのだ。

 

 終われない。そう終われない。こんな所で高町なのはは終われない。

 

 諦めが足を止め絶望を呼ぶならば、なのはは決して絶望しない。

 もう足は止めないと決めたのだ。諦めたくないと決めたのだから。

 

 

(だから!)

 

 

 渇望を強く抱く。この地の民としては異常な程に強大な魂を炉にくべる。渇望によって魂を活性化させ、己が歪みを駆動する。

 

 

(立ち上がる為の足が欲しい。前を見る為の目が欲しい。願いを掴む為の手が欲しい)

 

 

 彼女の歪み。不撓不屈。その能力は無尽蔵に魔力を生み出す事――ではない。

 それは所詮力の一端に過ぎない。それは所詮、余技にしか過ぎないのだ。

 

 嘗て諦めたくないと願った時、彼女の体には魔力が欠けていた。

 魔力がなければ戦えない。戦う事を諦めたくない。故に彼女の歪みは魔力を生み出すという形に変異した。故にその本質は、その本来な形は些か違う。

 

 歪みとは渇望を叶える為にある力。その本質は、生み出された際の願いこそが示している。

 諦めないという想いを貫く為に、必要な物をその場で手に入れる事。それこそが、彼女の歪みの真なる姿。

 

 

(戦う為の、体が欲しい!)

 

 

 そう強く願う。嘗て求めた魔力と違い、今度は唯動かせる体を求める。

 

 

(この間違った人を止められる体が欲しい!)

 

 

 この人の優しさを知っている。あの友達がどれ程この人を慕っていたかを知っている。

 そんな彼女を追い詰めた事。そんな彼女の命を奪った事。その事に涙を流せるこの天魔が、泣きながら行われる悪行が、絶対に正しい訳がない。

 

 どんな理由があれ、今の彼女は間違っていると断言できるから。

 

 

(諦めたくない! 諦めないんだ!!)

 

 

 恐怖を駆逐する。意志を持って己を作り変える。

 諦めたくないから。故に彼女がそこに至るのは、至極当然の結果であった。

 

 

「あああああああああああああああっ!!」

 

 

 再誕の産声と共に、高町なのはは立ち上がった。

 

 

「っ!? 貴女っ!」

 

 

 目の前で起きた現状に戸惑うも一瞬。

 その本質を理解した母禮は少女の行った荒業を理解して内心で舌を巻いた。

 

 

 

 この世界は魔力によって構成されている。

 それは大天魔ならば誰もが知る世界の真実。

 

 空も大地も動物も全て。人間の体ですら、魔力を素材としている。

 故に理屈の上では、必要な魔力さえあれば人間を作り直すことだって、決して不可能ではない。

 

 動かなくなった体を分解し、そして己が歪みによって作り出した魔力で再構成する。

 高町なのはが歪みによって再現しているのは、唯それだけの事である。

 

 無論。口で言う程単純な事ではない。幾つもの代価は存在している。幾つもの制限は存在しているのだ。

 その一つが、肉体を再構成する際の設計図。復元する先の完成図がなければ、肉体に不具合が生じてしまうであろう。

 

 それをなのはは、己の魂から引き出す形で補った。

 十年近く共にあった体。確かに魂は構造を覚えているのだろう。故にこそ、高町なのはの歪みは肉体再生を可能とする。

 

 だが、それでも引き出すと言う過程に時間が掛かる。

 故に、こうして再生の隙を晒してはいる。治癒が中途半端な状態である。未だ、高町なのはは動ける程には再生していない。

 

 しかしそれも一時の事だろう。引き出しに時間が掛かるのは、新たな力になれない現状のみ。

 直ぐにこの力に適応し、瞬時に再生が可能となるだろう。脳内や魂内の機構を最適化してしまえば、そう簡単には殺せなくなってしまう。

 

 故に大天魔は、そんな時間などは与えない。

 

 

「はぁっ!」

 

 

 神相の刃が翻る。その速度は正しく雷光。

 光となって加速する刃は、正しく不可避の一撃だ。

 

 

「っ! ぐぅぅぅっ!!」

 

 

 生まれ直す苦痛に苛まれながら、なのはは神相の刃から逃れようと身を捻る。

 

 だが遅い。一歩所ではなく、圧倒的なまでに速力が足りていない。

 雷光の速度で振るわれるそれを躱し切る事など、あの運命の少女でなくば出来ぬだろう。

 

 高町なのはでは絶対的なまでに速さが足りていないのだ。

 

 

「あああっ!」

 

 

 先んじて動いた結果、即死だけは避けられる。だがその被害は甚大だ。

 体の半分を斬り飛ばされる。全身を雷鳴に撃ち抜かれる。逃がさんと追撃として放たれた炎が斬り飛ばした半身を炭化させる。

 

 そうして地獄のような苦しみを味わいながらも、それでもなのはは止まらない。

 溶けてしまったレイジングハートを、己の肉体の一部であると無理矢理定義して再構成する。

 炭化した半身を復元させながら、血肉を零しながらも飛翔魔法で宙を舞う。

 

 

「あ、ぐぅっ」

 

 

 追撃は止まらない。

 雷鳴の如き速度で振るわれる刺突剣と、燃え盛る炎の長剣は苛烈な攻めを絶やさない。

 

 不可避の雷光に貫かれる。取り戻した体を切り裂かれる。

 消えない炎で燃やされる。全身が炭化してしまう前に、焼かれた部分を自身の体ごと殺傷設定の魔法で消し飛ばす。

 

 そして距離を取り、逃げ回りながらも、高町なのはは己の肉体を再構成に完了した。

 

 

「何故、そこまで」

 

 そんななのはの姿を、理解し難い物を見るような瞳で母禮は見据える。

 魔力を持って肉体を作り直す。言葉にすれば簡単だが、何の代償もなくそんな真似が出来る筈もない。設計図の有無だけが代償の全てである筈がない。

 

 二つ目の代価が存在する。慣れぬまでは再生に時間が掛かるなどと言う安い代償ではなく、もっと重い代価は存在している。

 

 それは苦痛だ。それは激痛である。

 生まれ直す度に痛みを感じている筈だ。それも常軌を逸した物を。

 

 例えるならば、麻酔も掛けずに己が体をナイフで解体して、その上で針と糸でバラバラのパーツを繋ぎ合わせるような痛み。

 その痛みに耐えながら、全く間違えずに自分の身体を繋ぎ直さねばならない。高町なのはの行っている事とは、そんな狂気に満ちた行動である。

 

 特別な力によって解体されたままでも生きていられるとは言え、痛みに苦しみながら己の身体を作り直すなど、真面な人間に耐えられる物ではないだろう

 その上、繋ぎ直す力も、命を保つ力も、どちらも意志に依っているのだ。故に当然、痛みや苦痛に耐えられず諦めてしまえば、その時点で即死してしまう。

 

 それは力の所有者である少女自身が、分かっている筈である。

 それでいて自らその再生方法を繰り返しているのだから、正気であるとは言えないであろう。

 

 だが少女の瞳に狂気は見えない。この少女は間違えずに破綻している。

 その諦めないという渇望だけが、常軌を逸するレベルで練り上げられている。

 

 目に見える程明確に、その位階を高めていくなのはの姿。

 その血が特別であれ、その魂が規格外であれ、それでもその光景は明らかな異常である。

 

 

「だから、危険だと言うのだ。お前達は」

 

 

 当初こそ驚かされたが、しかしこれも彼らの可能性を思えば想定の範囲内と言える。

 あの獣の血を引く少女だ。この誰もが魂から力を失いつつある世界で、それでも神座世界の三騎士を凌駕する程の魂純度を持つ少女だ。

 

 そんな少女が強き渇望を抱けば、こうなる事くらいは予測が出来る。

 それ程に恐るべき可能性を秘めているからこそ、葬らねばならんと思ったのだ。

 

 その考えが間違っていなかった。この現象はその証左にしかなりはしない。

 

 

「ここで、消えろぉぉぉっ!」

 

 

 焦熱地獄の唯中で、その主たる大天魔は咆哮する。

 神相の四腕より放たれる二つの刃が、人型の両腕より振るわれる二振りの刃が、共に一人の少女を追い詰めて行った。

 

 

 

 

 

 口の中が血の味で満ちていく。

 八つ裂きにされる。首を切り落とされる。体を焼かれる。

 

 その度に再生し、それと同時に心が削れていた。

 まるで鑢にかけられているかのように、強い思いが削れていって、代わりに弱音ばかりが増えていく。

 

 痛い。苦しい。もう嫌だ。逃げ出したい。

 そんな弱音が湧いて来て、戦おうという想いが薄れていく。

 

 これが精神力を消費する事か、と認識しながら、それでもなのはは飛び回る。

 

 空を飛びながら少女は見詰める。この地で生き足掻く人々の姿を見る。

 

 ビルの屋上にて地獄を生き延びる少年少女の姿。

 被害の少ない埠頭付近にて救助活動を行っている家族の姿。

 避難所に集った人々。炊き出しされた食事を口にしながら、身を寄せ合って励まし合う姿。

 

 その頑張る姿に勇気をもらう。その追い詰められている姿に意志を強くする。

 逃げられない。負けられない。この光景を失わぬ為にも、あの光景を取り戻す為にも、高町なのはは諦めない。

 

 

「……貴女は!」

 

 

 声を出そうとして、その瞬間に首を切り落とされる。

 問答無用とばかりに攻める手を揺るがせない母禮を前に、なのはは言葉を紡ぐ事が出来なかった。

 

 

「間違っている!!」

 

 

 切り裂かれ、焼かれ、その度に途切れ途切れとなっても、それでもなのはは言葉を口にする。

 否定されようと、何と言われようと、母禮の攻撃は緩むことがない。

 

 その攻撃に晒される少女の言葉は、酷く聞き取りにくいだろう。

 だがそれでも、その間違いを指摘しなければとなのはは考える。

 

 そうでなければ、あの友達が余りにも救われないと思うから。

 

 

「……だって、泣いてた!」

 

 

 少女の口にするのは彼女が見た光景。

 大局など知らぬ少女では、真実など知らぬ少女では大言などは語れない。

 

 故に紡がれる言葉は至極単純な物。幼い子供の戯言だ。

 そう母禮は判断して、続く言葉を聞き流そうとする。

 

 刃を絶やさず、命を奪わんと振るい続けて。

 

 

「はやてちゃんも! 貴女も! 皆泣いてた!!」

 

 

 そんな子供の戯言が、酷く心を抉った。

 

 

「だから間違っている! 皆を泣かせた行動が! 誰も救われない現実が! 正しいなんて、ある訳ない!!」

 

「……何も知らない子供が」

 

 

 避けられない物はある。望んでいなくとも為さねばならぬ事はある。

 故にその真実を知らぬ少女の言葉は戯言だ。唯喚き散らすだけの感情論だ。

 

 ああ、けれど、それでも心が痛むのは、何も救われていないという現実を知っているからか。

 自分が間違っている事など理解しているからだろうか。

 

 はやての涙が脳裏を過ぎる。それを振り払うかのように、雷光の剣を振るう。振るわれた刃はずぶりと嫌な音を立てて、少女の身体を貫いた。

 

 

「……何の心算だ」

 

 

 振るわれる刃から逃れようともせずに、唯黙ってその身に受けた高町なのは。

 その対応に僅か違和感を抱いた母禮は、次いで己に向けられた機械の杖を見て目を見開いた。

 

 気付いていた。この大天魔はどういう訳か、他の大天魔に比べ能力を著しく落としていると。

 度重なる攻撃で理解した。例え直撃を受けようとも、今の自分ならば即死はしないと。

 

 恐るべきは雷速の行動。一挙手一投足全てが秒速にして150㎞。音速の四百倍以上の速度で行動しているのだ。

 音速の数倍程度が限界のなのはでは、何を為そうとも追い付く事など不可能であろう。

 

 追い付けない。命中させられない。

 ならば対処は簡単だ。肉を切らせて骨を断てればそれで良い。

 

 

「捕まえた!」

 

〈Divine buster〉

 

 

 殺傷設定の砲撃魔法は、使用者であるなのはすらも巻き添えにする。

 桜色の輝きがなのはの半身を消し飛ばしながら、天魔・母禮の体を吹き飛ばした。

 

 

「っ!」

 

 

 桜色の砲撃に久しく感じていなかった痛みを感じさせられた母禮は、反射的に距離を取ってしまう。

 その身には掠り傷程度に過ぎないが、確かに裂傷が生まれていた。

 

 

(やれる)

 

 

 吹き飛んだ体を再生しながら、高町なのはは確信を抱く。

 心が揺れているが故に火力は落ち、そしてその身の護りも弱くなっているこの大天魔ならば、諦めない限り対抗できる。

 

 そう思えば、この苦痛にも耐えられる。この痛みにも耐えられると思えたのだ。

 

 

「……どうして」

 

 

 それは意図した発言ではないのだろう。

 相手の意志など無視して、問答無用と苛烈な攻撃を続けていた母禮が僅かに見せた隙。

 

 己の身体を痛め付けながら、抗う高町なのは。

 死にたくないと抗うのではなく、間違っていると立ち向かえるのはどうしてなのか、と疑問を無意識の内に零して。

 

 

「間違っているから、止める。もう奪われたくないから、止めさせる。……ううん。それだけじゃない。謝って欲しいんだ」

 

 

 そんな明確な隙を前に、しかしなのはは攻撃をすることなく言葉を返す。

 苛烈に攻め続けられて出来なかった会話。漸く得たお話しの機会に己の意志を伝えようと、想いを言葉にして紡ぐのだ。

 

 

「謝る? 貴方に詫びろと?」

 

「はやてちゃんに、だよ」

 

 

 あの少女が、どれ程目の前の女性を大切に想っていたのか知っている。

 きっと生きていれば、奴奈比売を友達だと断言出来る自分のように、はやてもそれでも母禮が家族であると語るだろうと思うから。

 

 そんな居なくなってしまった友達の家族が、間違ったままで居て良い訳がない。

 

 

「はやてちゃんに謝って! その間違いを改めて! はやてちゃんが大好きだったお姉さんに戻ってよ! そうじゃないと、私は貴女を許さない!!」

 

 

 それは子供の戯言だ。真実など知らぬ言葉である。必要悪を知らないが故に語れる言葉。

 それでも桜色の輝きを放つ子供の言葉は、確かに母禮の心を揺さぶっていた。

 

 

「……良いだろう。お前の言う通りにしてやる」

 

 

 その返答になのはは表情を明るくする。

 分かってくれたのか、とそう楽観的に捉えた思考は、続く言葉で一変した。

 

 

「お前がその想いの根源を失ってなお、同じ言葉を囀る事が出来るならば、な」

 

 

 その目が向くのはオフィス街にあるビルの屋上。

 戦いの最中、心折れそうになったなのはが幾度も視線を向けた場所だ。

 

 それだけされれば誰だって分かろう。そこにこの少女の想いの源泉は存在している。

 戦おうという意志の根底は、そこにある者らを守りたいという想いであろうから。

 

 まずは其処から焼き尽くそう。その想いを砕いてしまおう。

 現在の消耗で高町なのはを殺し切るのは難しいからこそ、その根底を先に壊してしまおう。

 それでもなお揺るがぬと言うならば、願いが汚されようと同じ言葉を口にするならば、己が敗北を認めよう。

 

 そう判断して、母禮は神相の向きを変えた。

 

 

「ダメ! 待って!!」

 

 

 制止の声は届かない。高町なのはの手は届かない。

 雷速で走り抜けるその神相を追うには、彼女の足は遅すぎる。

 

 目の前で先を行かれる。足が遅いことを悔やんで、手が届かない事を後悔して、そんななのはの目の前で、大切な物を奪い去らんと大天魔が咆哮する。

 

 

 

 ユーノが、アリサが、すずかが空を見上げる。

 浮かび上がるは巨大な羅刹の姿。その存在が近付いた瞬間に、まるで煮え滾る鍋に放り込まれたかのように周囲は高熱に満たされ、彼らは揃って膝を折る。

 

 そんな姿に躊躇う事はなく。そんな姿に惑う事はなく。

 

 

「やめてぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 神相はその手にした燃え盛る炎の剣を、子供達へと振り下ろす。

 

 

 

 少女の叫びは、虚しく響いた。

 

 

 

 

 

4.

 それは闇の奥底に居た。

 

 心の臓を失い。その身は地に倒れた。

 闇の書に回収され、その奥其処へと引き摺り込まれる。

 

 烈火は腐敗してしまった。

 鉄槌は引き裂かれて燃え落ちた。

 湖は雷光に首を斬り落とされて焼き尽くされた。

 

 残ったのは守るべき者を失くした盾一つ。その命とて風前の灯火だ。

 

 闇の書は切り裂かれ、燃やされ、そして僅かな断片が残るのみ。

 永遠結晶を奪われた今、その消滅は最早時間の問題である。

 

 このままでは遠からず消え失せるであろう。

 何も為せずに、何も出来ずに、こうして唯無様に消える。

 

 それを良しとするのか? あの誓いすら果たせずに消えるのか?

 

 否。否。否否否否否否否否否否否否否否否、断じて否!

 

 

――死にたない! 死にたないに決まっとる!

 

 

 ああ、あの少女が一体何をしたと言うのだ。

 偶然闇の書などという下らない物に目を付けられて、この瞬間まで真実に気付くことはなかった愚かな騎士に守られて、信じた人に裏切られて。

 

 その内の一つとて、少女に非はあっただろうか。

 罪に応じた罰が下されると言うならば、因果は応報すると言うならば、少女程それと無縁な者はないだろうに。

 

 真に罪深き者らがこうして生き続け、あの少女が死んでしまった。

 そんな現実は許されない。己達が生きていて、あの少女が救われずに逝ってしまうなど、それは断じて許せない。

 

 

――生きるんや。精一杯、最期まで。

 

 

 そんな小さな決意すらも許されないというのだろうか。

 そんな僅かな救いすらも許されないというのだろうか。

 

 そんな事は認めない。認めてなるものか。

 

 人には相応の居場所と言う物があるべきであろう。あの少女は日溜まりの中で笑っていなければ嘘であろう。

 それを裏切り奪った者が居る。認められない。認めてなるものか。

 

 

――私が死んでも、忘れんで欲しい。

 

 

 そうだとも、そんなちっぽけな誓いすら果たせず、消えてなるものか。

 我は消えぬ。消えはせぬのだ、消えてなるものか。

 

 

 

 許さない。認めない。消えてなるものか。

 

 主を失くした獣は咆哮する。

 守るべき者を守れなかった守護者は極限を超えて憤怒する。

 

 例えどれ程叫ぼうと無意味である。どれ程怒ろうが無駄である。

 既に死は確定している。消滅までそう時間はなく、その結末は避けられない――筈だった。

 

 

 

 天魔・母禮は一つの勘違いをしている。

 闇の書から永遠結晶を抜き出せたのは、はやてが自身に対して怒りと憎悪を抱いたからだと錯覚している。

 

 だが、違う。八神はやては絶望こそしていたが、その死の瞬間まで母禮の事を慕っていた。

 あれ程手酷く切り捨てられ、傷付けられ、それでも憎悪と憤怒の感情だけは抱かなかったのだ。

 

 ならば、何故、永遠結晶が表に出て来たのか。

 答えは簡単だ。その結晶と同調した者が、八神はやてではなかったからだ。

 

 盾と言う役割故に、その生命力の高さ故に即死出来なかった守護獣は、確かにその目で主の最期を見ていた。

 

 そして抱いたのだ。極大の憎悪を、極限の憤怒を。

 

 それはまるで、永遠結晶の本来の主が嘗て抱いた想いの焼き直し。

 故にこの瞬間、誰よりも深く盾の守護獣は永遠の刹那に同調したのだった。

 

 

 

 故にここに至るは必然。

 抜き出された永遠結晶との間に僅か残った繋がりを通じ、その残骸と邂逅する。

 

 溢れ出る瘴気の念によって、猛毒へと染め上げられた世界の底。

 血涙を流す双頭の蛇。死者の躯を抱き留めている超越者の座へと繋がった。

 

 

――許さない。認めない。消えてなるものか。

 

「ああ許さんとも。断じて認めぬ! 消えて堪るかぁっ!!」

 

 

 押し潰されるような感覚に、否、実際に魂を押し潰されながらも青き獣は咆哮する。

 怒りを口にするのは本体ではなく、永遠結晶と言う名の神の怒りでしかない。それでもその力は強大だ。

 

 水が高きから低きに流れるように、ザフィーラへと流入する力。

 それだけでもその総量は絶大。己が分を超えた力に、彼の身体は限界を迎えていて。

 

 

「足りん」

 

 

 だが、それでも足りないと獣は断言した。

 あの瞬間に垣間見た力。その魔力量にはまるで届かないと知っているから。

 

 

「寄越せ! もっと力を! その力を寄越せぇぇぇぇっ!!」

 

 

 その果てに自らが消えようとも構うまい。

 何もかもを塗り潰されたとしても、あれさえ討てるならばそれで良い。

 

 最早自分には、それ以外の何も残ってはいないのだから。

 

 貪欲に、暴食するかのように、その力を喰らう。

 まだ足りぬ。まだ足りぬと喰らい続け――そして獣は闇の底から這い上がる。

 

 

 

 

 

「なっ!?」

 

 

 少年少女達に向かって振るわれた神相の一撃が、正面から押し止められる。

 突如現れた男の漆黒に染まった片腕で、その勢いを完全に殺されていた。

 

 男の登場に驚愕を顔に浮かべる女。

 その女の顔を覚えている。己が討つべき敵であると確かに覚えていた。

 

 一瞬、脳裏に過ぎ去るは少女の笑顔。その顔を覚えている。守るべきだった大切な少女だ。

 

 

「ザフィーラ」

 

 

 誰かが名を呼んだ。それに応じる返事はない。

 

 既にそれが己の名である事など忘れた。

 過去にあった出来事の殆どを忘却してしまった。

 己が誰であるのかさえ分からない。力に塗り潰された今、男に残るのはたった二人の人物に関わる僅かな記憶だけしか残っていない。

 

 だが、それで良い。それで十分だ。

 倒すべき敵と、一番大切な事だけ覚えていれば、それでもう十分だったから。

 

 他には何も必要ない。

 

 

「櫻井、螢。……いいや、天魔・母禮」

 

 

 赤き瞳から血涙を流しながら、守護獣だった男は憎悪の籠った呪詛を口にする。

 その白き髪は血の様な真紅に染まり、晒された肌は全身漆黒に変じ、赤き双蛇の刻印が胸元に刻まれている。

 

 断頭台の刃が八つ。その背を引き裂きながら現出している。

 赤く輝く瞳で憎むべき敵を見定める。その姿は、嘗て古き世界において、涅槃寂静・終曲と呼ばれた姿に酷似していた。

 

 

「俺と共に、消え失せろ」

 

 

 あの少女に不幸を齎した我らは最早必要ない。

 故に諸共に死ねと、嘗ての守護者の残骸は憎悪を抱いて宣言した。

 

 

 

 

 

 




終曲ザッフィー爆誕。
守護騎士的に夜刀様パワー許容できるのはこいつしかいないと思ったので、こんな形に。
現状の彼の実力説明は次回作中にでも、条件付きですが準天魔級の実力です。(けど宿儺は無理)


そして追い付けないというトラウマと後から来た人(ザッフィー)に追い抜かれると言うトラウマを盛大に踏まれたなのはちゃん。
彼女の活躍はもうちょい後。不撓不屈もまだ先があります。

ちなみに不撓不屈ver2はRPG風に言うなら、毎ターン自動でSP消費してHPとMPが全回復する能力をイメージしています。




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第三十三話 終曲の刻

A's編もいよいよ最終局面。
長く続いた今章も、終曲の刻へと差し掛かっています。

副題 青き獣の咆哮。
   少女の想い。少女の意地。
   ダイナミック消火活動。


※2017/01/06 改訂完了。(正直A’s編ラスト辺りは弄る所があんまりない)



1.

 激しい音を立てて、拳と剣がぶつかり合う。

 片や武器、片や素手という対峙。常識で考えるならば、どちらが優位かは一目瞭然と言えるであろう。

 だが獣の拳は唯の拳に非ず。時を停滞させる加護に守られたその拳は、聖遺物である双剣と比べても何ら劣る物ではない。

 

 拳はその手数で、剣はその間合いで、敵手の獲物を上回る。

 ならばその差を分けるのは、仕手の技量か、精神の有り様か、或いは天運か。

 

 単純な技量と言う点において、獣は天魔に遠く及ばない。

 重ねた年月が違っている。練磨された期間が異なっている。百年を超える戦闘経験も、億年を超えるそれには届かない。

 だがそれでも戦いは形となっている。争いは一進一退の様相を見せていた。

 

 何故か、答えは決まっている。技量差を補って余りある物。それは精神の有り様だ。

 

 家族同然の少女を我が手で焼き、その存在を揺らがせる程に追い詰められている大天魔。

 そんな彼女が相対するのは、彼の面影を残す守護の獣だ。その存在から怒りと憎悪を向けられる度、彼に否定されているような気がして、女は冷静ではいられない。動揺を押し殺す事が出来ていない。

 

 対する獣は既に死兵と化している。その身に纏った頑健な鎧に物を言わせ、致命的な一撃以外は躱そうともしない。

 一刀をその身に受け己が血肉を失おうとも、その代価に血肉は愚か骨の随まで持っていくと猛っている。

 

 話しにならない。比較になる筈がない。

 如何に技量が卓越しようと、心技体にズレが生じていればその技巧は一つ二つ程度では収まらぬ程に劣化する。その本領の一割すらも発揮できまい。

 その身に受ける被害を恐れず、唯攻撃のみに専心する死兵を前に、その動揺が与える影響は酷く大きい。

 故にこそ、こうして戦闘は形となっている。頭一つは実力が劣るザフィーラは、辛うじての勝機を掴んでいるのだ。

 

 武器の差。技量の差。心身の違いの差。それらを総じて判断すれば、彼我の力は拮抗している。

 一秒おきに天秤は揺れる。一瞬先には状況が変わっている。攻守は目まぐるしく変化して、正しく死闘を演じている。

 

 故に戦いは拮抗していると言えるだろうか? 攻守が目まぐるしく変化する激闘は、両者共に傷付く程に先の読めない物であるか? それは否。

 

 獣の拳は時間停止の鎧を破れない。今の劣化した鎧すら砕けない。

 盾の守護獣が得たのは守勢の力。守りたい物を守るために、時よ止まって欲しいと祈った神の断片だ。

 背に負うギロチンこそ破壊の意志を宿してはいるが、拮抗した戦いの中で慣れぬ武器を当てる事の難しさを思えば、実質役に立たぬ武装と言えるだろう。

 

 だが拳だけでは超えられぬ。その鎧を打ち破れない。

 劣化した鎧はその硬度を乱高下させているが故に、その拳が影響を与える事も確かにあるが、それが致命傷へと届く事はない。

 仮に億を超える拳打を放とうとも、その拳で天魔・母禮を討ち果たす事は不可能だろう。

 

 ならば大天魔が圧倒的に優位かと言えば、それもまた否である。

 時間停滞の鎧は、あらゆる被害を遠ざける。本来の覇道ではなく、獣に合わせ求道へと変じたその鎧は、傷付けられるという結果に至るまでの過程を無限に引き延ばすのだ。

 

 大天魔の放つその猛威すらも遠ざける停滞の鎧。

 それを破るには純粋な力の総量が必要となる。停滞しきれぬ程の力で押し潰すのが正当だ。

 常の母禮ならばその格の差で無理矢理に突破する事も出来ただろうが、それも今は不可能となっている。

 

 心が揺れて火力が落ちている今、守勢に特化したこの騎士を討てない。ザフィーラの護りを突破する程の力が今の彼女にはないのである。

 故に出来るのは、その鎧を揺らがせる事のみ。決定打には程遠い傷を、その身に付けるのが精々なのだ。

 

 それでもなお、有利不利を語るのであれば、母禮がやや優位と言った所であろうか。

 

 

「はぁぁぁぁっ!」

 

 

 母禮の咆哮と共に神相が動く。その山をも越える巨体に、大きさから感じ取れる鈍重さは欠片もない。

 その四腕二刀の怪物は、ありとあらゆる動作が雷速なのだ。認識も対応も、条理にあっては間に合わない。

 

 

「おぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 ザフィーラは己が認識を加速させ、その圧倒的な初動に対抗する。己が肉体の周囲の時を停滞させ、雷光速度に追い縋る。

 周辺一体を時間停滞の影響下に置くことは出来ない。周囲が既に自らよりも高位の覇道に染められているから、ではない。単純に、獣の願いが覇道に至る事がない故に。

 

 

 

 求道。それは己を変える願いだ。自らの内側のみで完結する渇望。こうなれたら良いのにという願いこそを求道と呼ぶ。

 覇道。それは他を変える願いだ。他者の存在ありきで成り立つ渇望。こうであったら良いのにという願いこそを覇道と呼ぶ。

 

 彼の永遠の刹那は覇道神。その呼び名が示す通り、彼の願いは覇道に属す。

 美しい刹那よ、永遠であれ。輝かしい宝石達よ、どうか消えてくれるな、潰れてくれるな。それこそ彼の祈りである。

 停滞も停止も、その祈りより生まれた物。全てを凍らせる紅蓮地獄は、その実、凍らせる事で宝石を守りたいという守護の祈りに他ならぬのだ。

 

 対してザフィーラが願うは何か。問うまでもない。それは奪いし者への復讐である。

 最早彼に守りたい宝石は残っていない。この世に守るべき物などありはしない。故、神の願いに共感する事など出来よう筈がない。

 彼が共感したのは奪われし痛みだ。その怒りと憎悪に同調したが故に力を引き出せているが、その本質たる願いは同じではないのだ。

 

 歪みと同様。引き出した力は変質している。

 奴奈比売の太極。その祈りは足を引いて他を貶めるというもの。だがその祈りの声は、受け取り方次第で千差万別の結果を見せる。

 

 クロノ・ハラオウンはそれを、引き留める事で失わない為の祈りと捉えた。

 故に万象掌握。その力はあらゆる存在の位置に干渉し、己が手の届く場所まで引き寄せるという形に変化した。

 

 ティーダ・ランスターはそれを、何時か届かせる為の祈りと捉えた。

 故に黒石猟犬。時間も空間も飛び越えて、何処までも追い続け、決して逃さないという形に変化した。

 

 ゼストはそこに、貫き続ける想いを見出した。手を届かせる事を諦めたくはないという執念に同調した。

 クイントはそこに、無数の自分の内には至る者も居る筈だという想いを見出した。万に一つの可能性。手を増やせばそれも掴めるのではないかという淡い期待に同調した。

 メガーヌはそこに、周囲が変わればきっと手が届く筈だという想いを見出した。今ある現実を否定して、都合の良い環境を作れば或いはという逃避に同調した。

 

 同じ願いより派生しても、受け取り手の在り方次第でこれ程に変異する。故にザフィーラが引き出した力が変異するのも当然の結果と言えるのだ。

 

 彼が同調したのはその怒り。決して許さぬと言うその憎悪。消えてなるかという意志である。

 他に守る者が居ないから、世界の停滞は己の停滞という形に変化する。主を失い、書を失い、消えることを避けられない現状。ならばその消滅の訪れまでの時を無限に引き延ばせば良い。そういう形に変じている。

 

 故にそれは覇道ではなく求道。最早、涅槃寂静・終曲とは呼べない、異なる力と化しているのだ。

 

 

 

 劣化した母禮と変質したザフィーラ。両者は速度では拮抗している。速力はほぼ同等と捉えられるであろう。

 だが、攻撃性能が大きく劣っている。ザフィーラの拳は鎧を撃ち抜けず、その背の刃は振り回そうと当たらない。

 対する母禮もまた、停滞の鎧を抜けてはいないが、それでも神相と人の相が合わさった連携攻撃は苛烈である。

 

 その巨体から振るわれる一撃は、少しずつではあるが時の停滞を揺るがせてすらいる。

 永遠結晶から未だ無尽蔵の魔力を注がれているが故に、多少の手傷など無視してゴリ押しするザフィーラ。激しい動揺と著しい劣化故に決定打を持たない母禮。

 

 その死闘は、未だ決着を見せるには遠い。

 

 

 

 

 

2.

 そんな激戦の片隅。半ばまで融解しかけている高層ビルの屋上で、高町なのはは守るべき者らを己が障壁で守り通す。

 母禮に接近してしまった事で焦熱地獄の余波を受けた少年少女は、全身火傷を負って倒れていた。

 

 

「皆」

 

 

 彼らは直接焼かれた訳ではない。その身を消えない炎に焼かれた訳ではない。

 それでも彼らの傍らにその神相は現れた。防御魔法が融ける程の高熱を振り撒いていた神相が、直ぐ傍に出現したのだ。

 

 それが例え一瞬の事とは言え、その被害は大きい。

 防御魔法が解除されてしまえば死に至ると言う状況で、それを奪われたのだ。その被害が大きくならぬ筈がない。

 

 ドロリと溶け出したコンクリートの上、今にも倒壊しそうなビルの屋上に倒れる三人。

 彼らを焦熱地獄より護る為に防御魔法を展開した高町なのはだが、彼女に出来る事はそれだけだった。

 

 治療魔法を使用する事が出来ない彼女では、状態を診察する事も出来ない彼女では、未だ生死の境にある彼らに対して出来る事が他にない。

 

 

「うっ、うう……なのは?」

 

「ユーノくん!」

 

 

 そんな何も出来ずにいるなのはの目の前で、ユーノは何とか身を起こす。ボロボロで、何度も起き上がる事に失敗しながら、それでも上体を引き起こす。

 そんな彼に、なのはは手を貸さない。そうしようと思っても、彼の惨状を見た瞬間に、そんな思いは何処かへ行ってしまった。

 

 その顔が焼けている。その肌は焼け爛れている。そんな一目で分かる悲惨な有り様に、なのはは思わず息を飲んだ。

 

 

「大、丈夫。炎に直接、焼かれた訳じゃない。息は、止めていたから、ね。見た目程には、被害はないんだ」

 

 

 全身火傷を負いながら、何とか立ち上がって、そう語る少年の姿は痛々しい。

 消えない炎に焼かれていれば、魔法での治癒なんて出来なかった。だから不幸中の幸いだとユーノは語る。

 

 それでも、その身を襲う痛みは尋常ではない筈だ。

 痛みと重度の脱水症状によろけながらも、ユーノはしっかりと立ち上がる。

 

 そんな彼は自分の傷を治す訳ではなく、その手を二人の少女達へと向ける。温かな翠色の光が、彼と同じ火傷を負ったアリサとすずかの体を包み込んだ。

 

 

「……二人とも、内臓器には悪影響がなさそうだ。今の内に、治療をしておかないとね」

 

「……ユーノくん」

 

「ほら。治すのが遅れると傷が残るし。……女の子の顔に火傷痕は残せないでしょ?」

 

 

 痛みを堪えて、治療魔法を行使するユーノはそんな風に笑う。

 自身の治療よりも二人の治癒を優先して、なのはに心配をかけぬよう口を意識して滑らかに動かす。

 

 そんな少年の姿に、どうしようもなく罪悪感が湧いた。

 

 

「……私の、所為だ」

 

 

 戦いの中、彼らが襲撃される隙を作ってしまったのは自分だ。何度となく視線を向ければ誰だって、そこにある者に気付いてしまう。

 安易に相手の神経を逆撫でするような言葉を使えば、その矛先は別の場所に向かうことも有り得る。そんな事を考えずに居たから、こうして余計な被害を出してしまったのだ。

 

 もっと他にやり様があったのではないか、もっと上手く動けたのではないか。

 自分の失敗で傷付いた彼らを見ていると、そんな風に思えて来る。そんな後ろ向きな考えを捨て去る事は出来なかった。

 

 

「なのは」

 

 

 自責する少女に少年は言葉を掛ける。

 それは安易な慰めではなければ、彼女の自責を拭う言葉でもなかった。

 

 

「後悔するのは後でも出来る」

 

 

 ユーノ自身、彼女の所為で傷付いた等とは思っていない。君の所為なんかじゃないと否定したい。

 けれどそんな言葉を伝えた所で、少女の自責の念は拭えないであろう。なのははそんな慰めの言葉を受け入れない。その程度には、彼女の事を分かっている心算である。

 

 だから、ここでそんな言葉を伝える事に意味はない。意味がない事に時間を割くのは、この状況では建設的とは言い難い。故に彼は、大切な少女に対して、敢えて厳しい言葉を口にするのだ。

 

 

「今は、今だけしか出来ない事をするべきだよ」

 

 

 後悔するのは後で、今はするべき事をする。

 大天魔と言う災厄は未だ残っている。現状がどう動くのか、彼らには予想すら出来ない。ならば今は、出来る事をするしかない。

 

 なのはに伝える言葉。同時に自分にも言い聞かせるように、何度となく呟く。

 彼自身、出来る事が治療しかないという現状を歯痒く思っている。この地獄において、己が身すら守れない現状に、悔しさを抱かぬ筈はない。

 

 それでも、今はするべき事をするのだと割り切る。今はそうしなければ、いけないのだ。

 

 

「ユーノくん」

 

 

 その言葉に悩みながらも、なのははそうだねと頷いた。

 重症でありながらも出来る事をしようとする輝かしい姿に羨望を抱きながら、その悲惨な状態に悔恨を抱きながら、それでも思いを胸中に仕舞い込む。

 

 悩むのも後悔するのも詫びるのも、全ては後回し。今は唯、彼が言う通りに。この場で出来る事をこそ、考えるべきなのだ。

 

 

 

 なのはは己に残された手札を考える。出来る事を思考する。

 治療魔法は使えない。自ら友を、大切な人を癒す事が出来ない。自分の魔法適正は戦闘分野に特化しているから。

 

 だがそれでも、あの激闘には立ち入る事が出来ないであろう。

 

 前方で行われている激闘を見詰める。

 雷の速度で行動する天魔・母禮と、そんな彼女に付かず離れず、同等の速度で戦いを繰り広げている盾の守護獣。

 それ程の高速戦闘になのはでは付いて行くことすら出来ない。速度勝負に持ち込まれれば、何も出来ずに嬲られるだけだと分かってしまった。

 

 ならば援護か? これも無理だ。

 人間の認識など置き去りにした速度で激しくぶつかり合う彼らに、狙いを定める事などは出来ない。

 遠距離からの砲撃などまず当たらない。誘導弾の速度では追い付かない。広域を纏めて薙ぎ払うなど、善戦しているザフィーラの妨害にしかならないだろう。

 

 今出来る事は、ユーノ達をこうして防御障壁で守る事だけ。

 考えれば考える程、出て来る結論はそれだけで、それしか出来ない悔しさに手を握り締める。

 

 置いて行かれるのが嫌だ。何も出来ない事が悲しい。

 嘗ては自分より弱かったあの獣が、自分では届かない場所まで、あっさりと抜き去ってしまったのが嫌だった。

 

 眼前の超高速戦闘に参加する事は出来ない。その速さに追い縋る事は出来ない。自分は足が遅いから。

 

 そんな思いを内心に抱きながら、そんな弱音を飲み干し噛み殺す。

 

 今は出来ない。それを受け入れる。

 今出来ることは、皆を護る事だけ、それを受け入れる。それを為すのだと心に決める。

 

 高町なのはは前を見続ける。

 何れあるかも知れない状況の変化。その時、己に出来る事が増えたならば、それを決して見逃さないように。

 

 その戦闘から目を離さずに、彼女は唯、その先を見詰めていた。

 

 

 

 

 

3.

 炎が揺らめく。雷光が煌めく。人神一致したその四刀から振るわれるは、正しく絶殺の境地である。

 その怒涛の攻撃を前に、返されるのは同速の一撃だ。己の身を省みぬ獣の拳打は、その身に僅かな焼け跡を作りながらも、母禮の体に衝撃を走らせる。

 

 

「どうして」

 

 

 戸惑いはここに。大天魔である女は戦いの最中で、考えるべきではない事を思考してしまう。

 激戦の最中、その力を見る度に動揺は強くなる。その力が彼の加護と同質の物であると言う確信が、打ち合う度に強くなっていく。

 

 押し殺していた疑惑が溢れ出し、問うべきでない言葉を口にしてしまう。

 

 

「どうしてお前が、その力を!?」

 

 

 その力、見紛う筈がない。盾の守護獣が纏う加護を、母禮が分からぬ筈がない。

 何よりも取り戻したいと願っている存在。その断片に過ぎずとも、原型から逸脱して変化していても、それは確かに彼の力なのだ。

 

 

「おぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 変貌したザフィーラが、その問いに言葉を返す事はない。

 唯、眼前の怨敵を討たんとする獣に、それ以外を思考する余地などは残っていない。

 

 

「くっ」

 

 

 その赤く染まった姿。その総身より放つ力。そこに、どうしようもなく彼の影を感じ取ってしまう。

 その憎悪に満ちた瞳を直視していられない。その憤怒に満ちた咆哮が恐ろしく思えてしまう。

 

 その容姿は違えど、その力と感情は余りにも彼に似通って見えるから。

 そう。あり得ないとは分かっていても、それでも思ってしまうのだ。

 

 

(……貴方はもう、私達を見限ってしまったの?)

 

 

 あの心優しき少女を殺した事を咎められている気がする。

 彼が愛した故郷を模した世界を焼いてしまった事に、怒りを向けられている様な気がする。

 大切な宝石達を砕き続ける夜都賀波岐が失望されてしまったように感じて、だから眼前にある盾の守護獣に力を貸しているのだろうかとさえ思えてしまう。

 

 また一段。願いの純度が下がる。その動揺が、母禮の存在を揺るがせた。

 

 

「そこかぁぁぁぁぁっ!!」

 

「っ!? 速い!?」

 

 

 ザフィーラの攻撃が母禮の対応速度を上回る。

 本来ならば、速度という一点においては彼をも上回る戦乙女の力が、この瞬間に限りは彼の断片にすら劣っていた。

 渇望の劣化によって速度が下がる。精神の揺らぎによって力が落ちる。故にザフィーラの速力は、母禮のそれを上回ったのだ。

 

 

「おぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 僅か上回った速力差を頼りに、激しい猛攻を仕掛けるザフィーラ。

 降り注ぐは拳打の雨霰。その手数の総数は、最早数える事すら出来ないであろう。

 

 時の鎧は未だ超えられない。それでも、更にその存在が揺れた今、その鎧は罅割れ始めている。

 

 

「っ!?」

 

 

 数百と打ち込まれた拳の最後の一つが、その鎧の向こうへと確かにその威を届かせる。天魔・母禮のその身に、確かに痛痒を刻み込んでいた。

 

 殴り飛ばされる痛みに、手にしていた永遠結晶を取り零す。

 取り零した結晶を慌てて拾い上げた母禮は、そこで漸く気が付いた。

 

 

「……この繋がりか!?」

 

 

 永遠結晶を通じて流れる魔力。そこにある繋がりこそが、盾の守護獣の力の源であると。

 

 盾の守護獣のその異常な力。それは彼の身の丈を遥かに超えている。その身に宿した魔力だけで支えきれる物ではない。

 何より彼は主を失くしている。その根本である闇の書も失われている。そんな歪な状態では戦闘所か存在し続ける事も難しいだろうに、それでもこうして大天魔と渡り合う程の力を示したのだ。それは明らかに異常であろう。

 

 それを可能としているのが、永遠結晶を介して行われている魔力供給だ。無限に注がれ続ける魔力が、彼に力を与えている。

 求道に変じた停滞の鎧の稼働時間を引き延ばし、その消滅の瞬間を遠ざけていたのだ。

 

 少し考えれば分かる事。魔力の流れを辿れば、その瞬間に気付いていた筈の事。

 それに思考が及ばぬ程、自身は動揺しているのかと自嘲して――それでも、気付いてしまえば対処は容易い。

 

 

「はぁっ!」

 

 

 足を止めて炎を放つ。望んだ物のみ焼き尽くす炎は、永遠結晶を傷付けず、目には見えない魔力供給のラインだけを断ち切った。

 これで盾の守護獣は最早その力を十全には使えない。消滅するまでの時を引き延ばす為に、魔力を常時消費し続けなくてはならない。

 

 故にこの獣には、時間制限が生じている。

 これまでは永遠結晶より供給される無尽蔵の魔力が、これだけの無茶を許容していたのだ。無制限の魔力があったからこそ、彼は大天魔と伍することが出来たのだ。

 

 だが、それもここまで。魔法生物であるが故に魔力を生み出せず、主が居ないが故に補給されることもない。

 魔力を外部から取り込もうにも停滞の鎧がその変化を阻害する。良くも悪くも影響を停滞させるその力は、治療や補給すらも妨げる。

 

 だが、それを解除すればその瞬間に死亡してしまうのだ。故にその選択は選べない。

 

 最早、彼に残されたのは、変異した瞬間に奪い取った魔力のみ。そこに残った力の全てを使い切れば、死に至る事は避けられない。

 消費を抑える事で小刻みに使って行けば、数年以上は持たせられるであろう大量の魔力。人の一生では使い切れぬであろう強大な魔力。

 だがそれも、大天魔と五分に戦える今の姿を維持しようとすれば数刻で尽きるであろう。それ程に、その力は大量の魔力を消費していくから。

 

 後どれ程持つか。時間切れはどれ程先か。最早、長くは戦えぬし生きられぬ。それ程にザフィーラは追い詰められていた。

 

 

 

 しかし、それ程に追い詰められてなお、盾の守護獣は動じない。その一瞬の隙を、彼が見逃す筈もない。

 

 

「その隙は、逃さん!!」

 

 

 永遠結晶との供給ラインを絶つ為に足を止めた母禮。

 焼き払う対象を定め、その力を行使した彼女は、その分だけザフィーラに後れを取った。

 

 一秒にも満たぬ僅かな時。

 その一瞬は、超高速で戦い続ける両者の中では確かな隙となる。

 

 だが――

 

 

「……獣風情が! そんな見え透いた手にっ!!」

 

 

 隙が生まれると気付いていたのは彼女も同じく。

 分かっていて足を止めたのだ。確かな隙を残すとは言え、それでも無尽蔵の魔力供給を絶つことを優先したのだ。

 

 それを選択した理由はその魔力供給がある限り、盾の守護獣が不死身に近い存在になるが故。そしてもう一つ。

 僅かにザフィーラが上回ったとは言え、未だ両者の速力は際どい天秤の上にある。一秒の隙が出来たから迎撃が出来ないという程には、まだ離れていないのだ。

 

 対処は可能だ。来ると分かっていれば、一秒以下の隙など大勢を決する程の隙には成り得ない。そう断じたからこそ、敢えて隙を晒す事を許容した。

 

 決死を抱いて襲い来る獣に、母禮は炎の剣を構え迎え撃つ。

 

 初動の差は確かに大きい。一撃は先に己が受けるであろう。それでも、それ以上はやらせない。この隙は決定的な物には成り得ない。

 母禮がザフィーラの迎撃に専心する限り、その隙は致命的な物には成り得ない。その一撃は、時間停止の鎧を破るには届かない。

 

 そう。母禮は専心してしまった。

 そこに第三者の介入がある可能性などは一切考慮せずに――

 

 

「レストリクトロック」

 

 

 絶えずその動きを見詰めていた少女が居た。

 自分に出来る事を、その瞬間が訪れる事を、一人待ち続けていた少女が居たのだ。

 

 

「っ!? 高町、なのは!!」

 

 

 高町なのはが、追い付けぬ敵手が立ち止まった瞬間を見逃す筈がない。迎撃に動く為に隙が生まれる瞬間を見逃す事はない。

 ならば、その一瞬の隙に、介入が起こらぬ道理はない。これは大天魔と盾の守護獣の一騎打ちではなく、焦熱地獄の権化と地獄に抗う者達全てとの戦いなのだから。

 

 

「くっ! 邪魔だっ!!」

 

 

 桜色の拘束魔法がその身を縛る。その魔法が保たれるのは一瞬。一秒にも満たぬ僅かな時。

 大量の魔力によって構成されながらも、母禮の動きを僅かに鈍らせることしか出来ず、炎に包まれ溶けていく。

 

 だが、それでも、そんな僅かな差が、確かな隙を致命的な隙へと引き上げる。コンマ数秒以下の差が、その迎撃を失敗させた。

 

 

「獣風情か……。そうとも、貴様は、その獣風情に敗れるのだ!」

 

「がっ!?」

 

 

 ザフィーラが母禮の頭部を左手で掴む。

 迎撃が追い付く前に、剣の間合いの内側。零距離にまで接近する。

 

 背に負う断頭台の刃を駆動させる。扱い慣れぬ武器であろうと、これだけ近付けば外さない。

 その刃は、その不死者殺しは、例え大天魔であろうと抗えない程の力を秘めているが故に――これ程動揺し弱体化した大天魔が相手ならば、その首に当たれば切り落とせる。

 

 

「終わりだ! 天魔・母禮!!」

 

 

 その首を切り落とす。斬首の刃は振り下ろされた。

 

 

 

 

 

 だが、その斬首の刃は届かない。

 振り下ろされた刃は、狙った敵を切り捨てる前に、黒い影に纏わり付かれてその動きを止められていた。

 

 影は獣の四肢を拘束し、その自由を奪い去る。

 逃がさぬとばかりに伸ばされた左手は、しかし掴み続ける事が叶わなかった。

 

 

「……全く、動揺し過ぎよ。レオン」

 

「マレ、ウス」

 

 

 母禮の背に現れた少女。天魔・奴奈比売は呆れた声でそう語りながら、黒き影に囚われた獣を遠くへと引き摺って行く。

 例え停滞の鎧であれ、求道として変じている今、鎧ごと捕えるその影から逃れる事は出来ない。

 

 

「アレがどれだけ出来の悪い模造品なのか、一目見れば分かるでしょうに。随分とまあ、酷い有り様晒しちゃって。……ちょっと頭冷やしてきなさい」

 

「私は……いや、済まない」

 

 

 彼が私達を捨てる訳がない。もしそうならば、既にこの身の加護は失われている筈だ。

 奴奈比売はそう語り、母禮の抱いているであろう不安を一笑する。そんな彼女に対して何かを口にし掛けた母禮は、然しそれをいう事はなく、戦場へと背を向けた。

 

 

「……悪いが、先に戻る」

 

「はいはい。そうしなさいな。……取り敢えず、穢土に戻って自分を作り直しなさい。アンタに今消えられたら困るんだからね」

 

 

 奴奈比売の軽口に、分かっているさと母禮は返す。

 戦場に背を向けた彼女から、ここにあるという意志が消え去り、その身は魔力へと変じていく。

 

 消え去る間際。一瞬だけ、少女の家があった場所を見て。

 

 

「ぐ、おおおおおおっ!」

 

 

 怨敵が去って行く。後一歩まで追い詰めたその敵が、手の届かぬ場所へと消えてしまう。

 

 そうはさせぬ。それだけは許すか、と獣は抗う。

 天魔・母禮が魔力となって消えていく姿に、その光景を前に獣は咆哮した。

 

 その身を引き千切りながら、僅かに拘束を緩ませる。その背に負った刃が動かせるようになると、その力で黒き影を絶ち切った。

 

 元より影は捕える為の物。足を引く為の枷。停滞の鎧を封じる影であろうと、その強度は刹那の怒りに比べれば程遠い。

 故に神の怒りを形にした刃ならば、その影を切り裂く事が出来るのだ。

 

 ザフィーラは己が身を鎧ごと停止させていた影を打ち破ると、奴奈比売を無視したまま母禮を仕留めんと跳躍した。

 

 

「……ああ、何て醜い」

 

 

 そんな獣の姿に、変じてしまった断頭台の力に、奴奈比売は吐き捨てるように口にする。

 

 その刃に、あの刹那がどれ程の想いを抱いていたのか、獣が知る由はないという事は分かっている。

 それでも、その刃を破壊の意志と捉え、攻勢の為だけの武器として扱う獣に、知らぬとは言え苛立ちを抱く。

 

 あの愛の深さを知らずに、我が物顔でその力を行使する。

 彼の女神に対する愛を知らず、彼の護りたいと願った祈りの尊さを知らず、その力だけを盗用する。

 

 そんな獣の姿に、既に奴奈比売は激しているのだ。怒り狂っている。

 その無様は許せない。それは彼の想いに対する侮辱であると。

 

 

「邪魔だ! 退けぇぇぇぇっ!!」

 

 

 少女の姿をした大天魔に対し、そこを退けと咆哮しながら、ザフィーラは突き進む。己など眼中にないという目が、その行動が、奴奈比売の怒りを膨れ上がらせる。

 

 

「……こんな物で?」

 

 

 傍らを過ぎ去っていく盾の守護獣。

 その背を追い掛ける黒き影は、その速度に追い付く事は無い。時を停滞させ加速する獣は、足の遅い魔女では追い付けない。

 

 ああ、けれどこんな物、所詮は紛い物だ。質の悪い模造品に過ぎぬのだ。

 

 

「……この程度で?」

 

 

 今にも去って行く母禮を捉えんと、その刃を振るうザフィーラ。

 その速さは奴奈比売の比ではない。その刃は確かに天魔を滅しうる。

 

 だが、矛を持っただけ。この程度の力を得ただけ。それで揺るぐ程、彼女も彼女が愛する刹那も甘くはない。

 

 それを今教えてやる。

 

 

「この私を! 彼の永遠(アイ)を! 甘く見てるんじゃないのよぉぉぉぉっ!!」

 

 

 無間黒縄地獄。

 膨れ上がった黒き影が起こすは、壁が迫るが如き大海嘯。

 誰も何処にも行かせない。皆等しく無価値と成れ。そんな魔女の願いが星を飲み干す。

 

 それは最早、沼と言う言葉では語れない。その影の総量は、そんな言葉ではまるで不足している。

 

 そこに生まれるのは影の海だ。惑星全土を覆い尽くす、黒き影こそ彼女の太極。

 

 

「っぅぅぅ! おのれぇぇぇぇっ!!」

 

 

 どれ程早く動こうとも、星を飲み干す影から逃れる場所はない。

 世界全土を包み込む影の海を前に、ザフィーラに出来る事など一つもない。

 

 抗う事すら敵わない。何も出来ずに海の底へと沈んでいく。

 どれ程周囲を停滞させようとも、その停滞させた空間ごと飲み干される。

 

 天魔・奴奈比売こそが盾の守護獣にとっての天敵。何を為そうと打ち破れぬ脅威であったのだ。

 

 

 

 既に消え去った母禮の姿に、ザフィーラは届かぬ手を握り締め、憎悪を叫ぶ。

 影の海に溺れながら、その憎悪だけを口にし続ける。盾の守護獣は天魔・奴奈比売を前に、何も出来ずに敗れ去った。

 

 

 

 

 

4.

――ものみな眠る小夜中に 水底を離るることぞ嬉しけれ

 

 

 黒き海の底に囚われた守護獣は、最早何も為す事は出来ない。

 その停滞の鎧が影より放たれる呪詛からその身を守ってはいるが、供給なき今、時間切れはそう遠くない。

 

 ただ無意味に、ただ無価値に、獣は消滅するまで海の底に囚われる。その末路に、奴奈比売は一先ず怒りの溜飲を下げた。

 

 

――水のおもてを頭もて 波立て遊ぶぞ楽しけれ

 

 

 海に現れしは大海魔。

 蛸や烏賊を思わせる軟体動物の体に、女の顔が張り付いたその異形。

 巫女装束では隠し切れぬ程に醜悪さを見せる。その化外こそ奴奈比売の神相。

 

 その影より零れる祈りの言葉と同じく、波立て遊ぶ化外の姿。

 それがゆるりと動く度、街を飲み干す程の津波が起きては、周囲全てを押し流す。

 

 

――澄める大気をふるわせて 互いに高く呼びかわし

 

 

 神相の傍らに立つ少女は、この世界を監視していた視線が消えた事を認識する。

 

 全く過保護が過ぎるのだ。あのまま自分が出なければ、彼はこの地に更なる災厄を齎していたであろう。

 そんな悪路王の気配が去ったことに、奴奈比売は安堵の溜息を漏らした。

 

 

――緑なす濡れ髪うちふるい 乾かし遊ぶぞ楽しけれ

 

 

 天魔・奴奈比売はそうして、視線を一つの場所へと移す。そこは少年少女らが居た高層ビルの屋上。

 惑星全土が影の海に飲まれた今、まるで小島のように頼りなく存在している数少ない足場の一つ。

 

 敢えて飲み干さぬように残したその場所。

 倒れ込んでいる二人の友と、こちらを見詰める一人の友の姿を認識して、奴奈比売は微かな笑みを浮かべる。

 

 

「……次に会う時までに、決めておきなさいと言ったわね」

 

 

 彼らを危険視してこそいない魔女だが、それでもこうまで抗われてしまえば、何もせずには立ち去れないであろう。

 惨殺する意志こそないが、それでもここで行動を見せねば多少は面倒な事になりそうでもある。

 

 だから、これを機会に確認しよう。

 そして心折れていないならば、まだ抗うと言うならば、その時は……。

 

 

「答えは決めたかしら? なのは」

 

「……アンナちゃん」

 

 

 優しい声音と共に問われたなのはは、その双眸で友を見詰める。

 影に飲まれ、ここに残った子供達以外の誰もが消え去ってしまった世界で見つめ合う。

 

 

 

 もう目は逸らさない。前に進むと決めたのだから。

 

 

 

 

 




アンナちゃん「白犬には勝てなかったけど、青犬には勝った!」(ドヤァ)


終曲ザッフィーの天敵は、宿儺と奴奈比売。
マッキー相手だと、太極効果を停滞で若干引き延ばせるので、実は奴奈比売の方が苦手なザッフィー。なので真面に抵抗すらできず、瞬殺されるという結果になりました。




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第三十四話 彼の空に輝く星の様に

“彼の”で“あの”と読んで欲しい。そんな三十四話です。

推奨BGM
 Don't be long(リリカルなのは) 流すタイミングはお好みでどうぞ。


1.

 寄せては返す影の海。炎によって生じた黒煙によって空が暗く染まる今、その境界は曖昧で、全てが黒く染まって映る。

 

 先の惑星全土を包み込んだ大火災の名残など、最早それだけ。

 各地で燻ぶっていた炎は影の海に飲まれて消え去り、守護獣と焦熱地獄の主が戦闘跡など何処にも残ってはいない。

 

 黒き海より生じる波の音。この場に残った四人の呼吸音と、大天魔の鈴を鳴らすような声。なのはの手に握られたレイジングハートが駆動する音。

 今、ここで聞こえるのはそれだけ。それ以外には何一つとして音がない。そんな静寂に満ちた暗き世界で、二人の少女は向き合っていた。

 

 白き衣を纏いしは、魔導師高町なのはの姿。

 そのバリアジャケットと一体化した銀細工は、海の色か煙の色か、どちらを映しているのか分からぬ程に暗く染まってしまっている。

 

 対するは天魔・奴奈比売。袖のない巫女装束に似た衣装に身を通す。死人のような肌をした少女。彼女はその四つの瞳でなのはを見詰め、その答えを待った。

 

 

「……それで、答えは?」

 

 

 焦熱地獄が消えた今、防御障壁は必要ない。

 故に万が一にも三人が傷付かぬように、奴奈比売の元まで飛行して近付いていく。そんななのはに、もう一度、奴奈比売は問い掛けた。

 

 貴女は何を選択するというのか、決めておきなさいという嘗て受けた言葉。

 その答えを問われて、なのはは複雑な内心を整理するかのように、一つ一つ言葉にしながら、彼女なりの答えを返した。

 

 

「怖いよ。逃げ出したい。今でも確かに、そう思っている」

 

 

 拭い去れない。恐怖に震える己を誤魔化す事は出来ずに、震える手足を握り締めながら、それでも確かになのはは告げる。

 

 

「けど、もっと大事な事がある。それが分かった。それに気付いたんだ」

 

 

 気付くまでに随分と遠回りしてしまったけど、確かに気付けた。答えは出せたのだ。

 

 

「私ね。皆と一緒に居たい。貴女と一緒に居たいんだ」

 

 

 その為に必要ならば、恐怖だって乗り越える。怯えなんか消し飛ばす。大切な貴女と共にある為に、そんな言葉を奴奈比売に伝える。

 

 

「だから、決めた。私は、もう逃げないよ」

 

 

 それが、高町なのはの決意。

 奴奈比売の問い掛けに対する、なのはなりの解答だ。

 

 

「ああ、本当に……馬鹿な娘」

 

 

 そんななのはの言葉に、奴奈比売は優しげに微笑みながら口にする。

 こんな罪深い魔女が大切だと、面と向かって口にする。そんな友人に愛おしさを感じながらも、それでもその願いを否定する。

 

 

「ダメよ。もう戻れない。もう引き返せない。覆水は盆に返らぬように。……いいえ、その言い方は正しくないわね。私の選択は、最初から決まっていたのだから」

 

「どうして!?」

 

「……悪いけど、理由は語れない。貴女が知る必要はないの」

 

 

 戻らない。もうあの輝きには戻れない。

 本人からその願いを否定されて、理由は語れないと言い捨てられて、それで納得出来る程に、なのはは物分かりが良くはない。

 

 幼子に教え諭すように告げられて、そんな奴奈比売の言葉になのはは反発する。

 

 

「納得できない! 何で! どうして! 教えてよ、アンナちゃん!!」

 

 

 涙目になりながら、なのはが口にするのは子供の駄々だ。例え理由を口にされても、それでも少女は同じ言葉を言ったであろう。

 別れたくない。一緒に居たい。そう素直に口にする姿に、ああそう出来たらどれ程に素晴らしいかと思う。せめて理由を説明してあげたいと、思わないでもない。

 

 けれど、それを口にする事は出来ないのだ。他ならぬ、彼女の為を思えばこそ。

 

 救いのない未来など、どうして知る必要があろうか。

 何も知らずに居れば良い。恐怖も絶望も抱く事はなく、穏やかに終わりを迎えれば良いだろう。

 

 

「アンナちゃん!」

 

 

 高町なのはの声を聞きながら思考する。それはこの世界はそう遠くない内に滅ぶと言う事実。

 

 覇道神が死ねば、全てがほぼ同時に消え失せる。

 何もかもが一息に終わる。世界全てが消え失せるのだ。痛みなど感じる筈がない。

 ならば終わる事など知らず、唯平穏に生きていれば良い。何時か終わると恐怖し続ける必要はない。

 

 そうならずとも、仮に彼が蘇れば、世界は紅蓮に染まって凍り付く。

 その果てに生まれるのは無間の地獄。昨日と同じ今日。今日と同じ明日が永遠に続く世界だ。

 

 変化は一切訪れず、何も生まれない。何も起こらない。唯々美しい平穏が続いて行く。

 その世界に生きる者らは、誰もがその世界を素晴らしいと認識する。その思考さえも操られて、不変こそが素晴らしいと思い込む。

 誰もがその情景を美しいと思い込み、誰もがその在り様を尊いと思い込み、糸に繰られた人形はその操り糸を認識する事さえ出来はしない。

 

 その世界は、他者から見れば確かに地獄であろう。それを齎す彼こそが、邪神の法と語る歪な世だ。

 けれど、内を生きる者らにとって、決して不幸ではない。気付かなければ、死する事も老いる事もない世界で、永劫幸福に浸っていられる。

 

 だが、ここで真実を知ってしまえば、その世界が訪れたとしてもその知識が亀裂となって残るであろう。その幸福に浸る事が出来なくなる。

 誰もが幸福な地獄の中で、唯一人正気を保って彷徨い続ける事になるのだ。愛すればこそ、どうしてその様な境遇に貶める事が出来ようか。

 

 だから、天魔・奴奈比売がこの地を去る理由を語る事は無い。共に居られぬ理由を、口にすることは無い。

 語ることはなく、全てを我らだけで終わらせる。故に決別の意志は揺るがない。

 

 

「教えて! お話しして! 理由も知らず諦めるなんて、したくない! 出来ないよ!!」

 

 

 黙して語らぬ友に対し、なのはに出来る事はない。

 だから武器を振るう。それが間違っているとしても、言葉だけで諦める事は出来ない。何も言われずに、話もしてもらえずに、諦めるなんて選べない。

 

 嫌われても良い。罵られても良い。それでも、黙ってなんて行かせない。桜色の輝きを放ちながら、少女は友達と争う覚悟を決める。

 

 

「……なのは」

 

 

 明確に拒絶を伝えられても諦めない。どれ程追い詰められても立ち上がる。そんな姿を、少し眩しく思う。

 

 その不屈の意志こそが、夜都賀波岐をして脅威だと思わせている。脅威として認められてしまった。

 結果を出し過ぎてしまったのだ。母禮の判断は、彼女の独断と言う訳ではない。悪路も常世も、そして奴奈比売自身も同じ判断を下している。

 

 もう放置しておくことは出来ない、と。

 

 心が折れてくれれば、それが一番だった。その一瞬でどれ程苦しもうとも、先に進もうと思わなければ、目溢しされていたであろう。

 けれど、もう恐怖で縛り付ける事は出来ない。それをなのはは示してしまった。

 

 先の戦いの中、何度燃やされようと立ち上がった姿を覚えている。

 焼かれる度に介入しようか、気が気でなく案じていた彼女は、故にこそ、その精神の強さが揺るがせないと分かってしまっている。

 

 だが世界の真実を告げる事も、その息の根を止める事も、どちらも奴奈比売には選べない。

 

 だから――

 

 

「……それ、返してもらうわね」

 

「え?」

 

 

 唐突に、高町なのはの力が消失した。

 バリアジャケットが消え去る。飛行魔法が解除される。魔力の使い方すら分からなくなった。

 

 唐突に裸体を晒す事になった現状に羞恥して、どうしても飛び方が思い出せない現状に動揺して、頭の中に生まれた記憶の空白に、何が抜け落ちたのかすら分からず恐怖する。

 

 高町なのはは混乱したまま落ちていく。暗き空を、影の海へと真っ逆さまに。

 現状を理解すら出来ない彼女に、出来る事など何もなかった。

 

 魔法も歪みも、どちらも奴奈比売が与えた物。

 友の体や魂に害を与えぬように、直ぐに消し去れるように手を加えて、染み込ませた力だ。

 

 故に安全装置が其処にはあった。それは歪み出力の制限であり、同時に万が一その力がなのはを害する事となったならば何時でも回収出来るように、魔女の手が加えられていた。

 歪み者の状態が二種類の果実が混ざったミックスジュースならば、なのはは仕切りを作ったコップの中に、混ざらぬように二種類の果実ジュースを入れているような状態だったのだ。

 故に魔女にしてみれば、それを分離するのは実に容易い。与えた力を回収するのは、彼女にとっては欠伸が出る程に簡単な事なのだ。

 

 天から墜落した少女の身体を、暗き影が受け止める。

 その身を傷付けぬように、影の海は優しく包み込んで、海の底へと飲み干した。

 

 

「そのまま寝てなさい。……貴女が目覚めた時、全てが終わっているように。私、頑張るから」

 

 

 魔力を失い。歪みを失い。ありとあらゆる力を喪失する。そんな彼女へ、優しく囁くように魔女は告げる。

 優しい友の声を聞きながら、小さきその身は深淵へと落ちていく。黒く海の底。光届かぬ影の奥へと。

 

 

 

 そうして、少女は地に堕ちた。

 

 

 

 

 

2.

 少女は海の中を沈んでいく。

 その身に宿る力は最早ない。歪みも、魔法も失われてしまった。

 

 魔力は残っているが、それでも、与えられた知識を奪い取られた少女には、どうすれば魔力を使えるのかも分からない。

 

 お気に入りだった衣服は焦熱地獄によって焼き尽くされた。

 肉体の再構成で、そんな物まで作っている余裕はなく、バリアジャケットで代用していた。

 バリアジャケットを纏う事が出来なくなった今、少女はその裸身を晒したまま、影の海に揺蕩っている。

 

 

 

 影より声が零れ落ちる。

 囁くように、纏わり付くように、紡がれるは女の情念。

 あれが欲しい。あれが欲しいと囁く声は、聴く者の心を少しずつ壊していく。

 

 この影より逃れる事は敵わない。

 抗えば抗う程に底の底へと沈みゆく、囚われた肉体よりも先に心が壊れる。故にここは黒縄地獄。

 

 されど今、この地獄が高町なのはを害することは無い。

 あらゆる力を失った少女を包み込む海は、まるで母の胎の内にある羊水の如く。優しく抱き留め、安息の内に眠らせる。

 

 害意がない。悪意がない。

 彼女に対する負の念がなき故に、魔女はその少女が己の念に壊れぬように、優しく優しく守っている。

 

 それが確かに理解出来たから――

 

 

(……それじゃあ、駄目だ)

 

 

 安らぎの中で眠りそうになりながらも、高町なのはは思考する。

 その安らぎの中、混乱より冷めた頭を動かす。守られているだけじゃ、こうして抱かれているだけじゃ駄目なのだ、と。

 

 

(何時だって、そうだった)

 

 

 人として共に在った頃も、そして天魔としての正体を晒した後も、アンナは何時だって、高町なのはを守っていた。

 

 平穏な日常の中で、常に手を引いてくれたのは彼女だった。

 初めての友達。その存在は特別で、彼女が居たからなのはは孤独を感じなかった。確かになのはの救いになっていた。

 

 魔導師として覚醒した時もそう。歪み者として覚醒した時もそう。

 受ける筈の被害を、払うべき代価を、全てを彼女が肩代わりしていた。返しの風が起こらなかったのは、アンナがそれからなのはを守り続けていたから。

 

 大天魔としての姿を晒した時もそう。どうでもいい存在ならば、彼女はその時点で排除していた。

 こうして一瞬で力を奪うことも出来たのだから、全てを奪って、それで終わりにしてしまっても良かったのだ。

 

 そうしなかったのはきっと、力を失くしたなのはが、それでも無茶をする事を恐れたから。

 劣等感を抱いていて、魔法の力によって漸く自己肯定しかけていたなのはから、それを奪い去るのを躊躇った気持ちもあるかもしれない。

 

 だから、態々恐怖を刻み込む事で、近付くなと教えようとしたのだろう。

 

 

(……そう。分かってる)

 

 

 影の中、揺蕩うなのはの身体を抱きしめる。薄ぼんやりとした膜のような力。

 それが本来の能力でないと分かる。己が渇望を形にした太極に耐えるだけの護りを作るのが、どれだけ難しいのかを察する。

 

 

(貴女は……何時だって私を守ってくれていた)

 

 

 無理をしてまで守りを残す。こんな状況になってまで守ろうとする。真実を語らないのも、きっとそう。

 力を奪い取って無理矢理に眠らせようとするのもそう。それら全ては、幼い少女を守るために。

 

 その行いは褒められた物ではないだろう。そのやり方は不器用に過ぎる。

 それでもそこに確かな想いが存在している。友を思いやる愛情が、確かにそこに存在していて。

 

 

(けど、それじゃあ駄目なんだ)

 

 

 微睡から目を覚ましながら、母の温もりを感じさせる膜を破きながら、高町なのはは選択する。

 

 

(守られているだけじゃ駄目。手を引かれているだけじゃ駄目。……私は、アンナちゃんと友達だから!)

 

 

 対等になりたい。対等でありたい。友達だと胸を張って誇れるように、そういう自分になりたい。

 その為には、守られていては駄目だ。今を甘受するだけじゃ駄目だ。

 

 その想いで、己を護る加護を破壊する。その身を影へと躍らせた。

 

 

「っ!?」

 

 

 瞬間。心を壊すような痛みがなのはを襲った。

 男を呼び続ける魔女の声が精神を擦り減らし、流れ込んで来た記憶の一部が心を凌辱する。

 

 それでも、高町なのはは諦めない。

 

 黒縄地獄は抗えば抗う程、底へと沈んでいく。

 底なし沼の如く、どうしようもなく深い場所へと落ちていく。

 

 逆説的に言えば、抗えば底へ落ちれるのだ。

 

 太極の力が強い場所とは、即ちその神の本質に近い場所。彼女の心の深奥に他ならない。

 

 

(私は知らない。アンナちゃんの事、知らなかった)

 

 

 甘い物が好きで、白い犬が苦手。いたずらが好きで、真面目に振る舞うのが苦手。

 どんな遊びが好きか、どんな場所を好んでいるか、そういった事は知っている。

 

 けれど、分かるのは今のアンナだけだ。そんな友人としての一面だけだ。

 過去の彼女を、大天魔としての顔を、何一つなのはは知らない。

 

 アンナが何を見て、何を聞いて、何を思って、何を隠しているのか。

 高町なのはは彼女の過去を知らない。知ろうともしていなかった。

 

 

(だから、知ろうと思う。……この先に落ちれば、それが分かる筈だから)

 

 

 体を暴れさせて、影に抗う様に身を捻じる。自ら抗う事で、影の奥へと飲まれていく。

 高町なのはは自らの意思で、その深淵へと進んで行った。

 

 

 

 まず始めに見たのは魔女の記憶。

 その表層にあるは陰惨で、醜悪で、不快に満ちた痛みと苦痛と屈辱の追体験。

 

 魔女狩りによって刻まれた痛み。裏切られた怒り。拭い去れぬ憎悪。己が身を襲った理不尽を味わい、その全てに蹂躙される。

 

 アルザスと言う世界が崩壊する光景を見る。

 その中で悲鳴を上げて散っていく人々。傷付けられて倒れていく彼らを、嗜虐の笑みを浮かべて蹂躙する。その誤った悦楽に、己の心が歪んでいく。

 

 それを彼女の視点を借りて体験し、唯それだけで心が悲鳴を上げた。

 

 耐えられない。耐えたくない。そんな感情を抱いてしまう。

 他者に害される痛みも、他者を害する醜悪な光景も、どちらも望んで見たくはない。

 そんな痛みと苦しみを自分が受けたから、全く同じ物を他者へと与える。お前も底へ堕ちてしまえと蹂躙する。そんな魔女の悪循環。

 

 その光景に吐き気を覚えて、耐えられないと首を振って、それでもこれは彼女を知る為に必要なのだと腹を括る。

 元より、一度潜航を始めた以上は後には退けない。もう戻る道などありはしないのだ。ならば覚悟を決めて進むしかない。

 

 高町なのはは更に奥へと沈んでいく。

 

 

 

 次に見たのは世界の真実。奴奈比売がなのはに隠し通そうとしていた事実だ。

 魔女にとっては常に考えていなければならない命題で、故にこそ表層に近い場所にそれはある。

 

 

(これが……)

 

 

 その姿を見た瞬間に、先の醜悪な光景は消え失せる。

 神々しさでも邪悪さでもなく、記憶越しだと言うのに強烈な存在感を叩き付けてくるそれは、魔女が愛した神の姿。

 永遠の刹那と謳われた、偉大なる神。今もなおこの地に生きる人々を愛し、守り続けている全能の神の姿を垣間見た。

 

 

(お母さんが言っていた。赤い瞳の、意地っ張りで心配性な……けど、凄く優しい神様)

 

 

 覇道神という存在を知る。

 その大いなる愛を、断片に過ぎずとも感じ取る。

 

 そしてその命が、今にも途絶えようとしている事を理解した。

 

 

(あの言葉は、そういう事だったんだ……)

 

 

 世界が終わる。他ならぬ愛した子らによって滅ぼされる。

 その結末に抱いた想いを、彼の愛を理解出来ぬ者らに抱いた想いを、大天魔が怒り狂う理由をそこに感じ取る。

 

 

(だけど……、もう大丈夫ですって言う為には、何をすれば良いの?)

 

 

 分からない。分からない。分からない。

 そんな真実を知って、しかし何が出来ると言うのか。

 

 永遠に続くと無意識に信じ込んでいた現在が崩壊しようという現状に驚愕する。どうしようもない現実に戦慄する。

 大天魔達の望みの切実さを理解して、同時にそれが為った後に訪れるであろう悍ましさに恐怖する。

 

 そうして茫然としたまま答えを出せずに、高町なのはは更に奥へと落ちて行く。

 

 

 

 辿り着いた其処は黒縄地獄の深淵。彼女の願いの根源だ。

 

 地に落ちた星が天を見上げる。

 地星となった女が、その煌めく星々を羨ましいと見上げている。

 

 

――怖かった! 置いて行かれるのが!

 

 

 そんな魔女の心の叫びに、同じ事を思っていた高町なのはは、心の底から同意した。

 置いて行かれるのは怖い。その輝く星々は何処までも遠くに行ってしまって、一人残されるのは寂しいのだ。

 

 何時かそうなる事を思うと、どうしようもなく恐怖が湧いて来る。

 

 

――嫌だった! 抜かされるのが!

 

 

 ああ、嫌だ。そんなのは望んでいない。

 遥か後方に居た筈の者らがあの星々に追い付く。そんな姿を見せられる度に、自身の足の遅さを自覚する。

 

 

――私! 歩くの遅いから!

 

 

 そう。歩くのが遅いのだ。

 その事を自覚すると、どうして自分はああなれないのだろうと、そんな鬱屈を抱えてしまう。

 

 どうして彼らだけがそうなのだと嫉妬して、そんな自分を嫌悪する。

 

 

(……同じだった)

 

 

 高町なのはは、魔女の願いの始まりが、何処までも自分と似通っていた事を自覚する。

 

 

(私とアンナちゃんは同じだったんだ)

 

 

 ずっと周囲を妬んでいた。どうして自分はと僻んでいた。

 神様に摩訶不思議な力を恵んで貰って、そんな自分は強くて凄いと思い上がった。

 そして本当の輝きと言う物を見せられて、自分が地星に過ぎぬのだと理解させられた。

 

 何処までも二人は似通っている。その願いは限りなく同一に近い。

 故にこそ、魔女はなのはに目を掛けていたのであろう。嘗ての自分を重ねて、故に戯れで近付いた筈が、本当に大切な物に変わってしまう程に感情移入をしてしまったのだ。

 

 けれど唯一つだけ、なのはとアンナには、決定的な違いがあった。

 

 

――だから! 足を止めてやろうと思ったのよ! 文句ある!!

 

(……違う)

 

 

 それは僅かな、けれど確かな違い。

 他者の足を引くと言う在り方を、不屈の少女は選べない。

 

 

(それは違うよ。アンナちゃん)

 

 

 心の底からの叫びに反発する。それは違うだろうと口を開く。

 彼女を襲った理不尽を受け入れられず、終わりつつある世界に何の答えも返せず、けれどその願いだけは、間違っていると断言出来る。

 

 そこだけは、己の望みと違っていると言えたから、そう。文句があるのだ。

 

 足を止めてやろうと言う思いは理解出来る。嫉妬や羨望から、そう思う事は自分にだってある。

 引き摺り下ろしてでも、傍に居て欲しいと言う思いは同意できる。そうして大切な人が傍に居れば、安らぎを覚える事は確かに出来る。

 

 けれど、それでも、自分が望むのは底辺で共にある事ではない。

 

 

(……伝えよう。この想いを)

 

 

 文句があるのだ。その願いには。

 間違っていると思うのだ。その願いは。

 

 私達が焦がれたのは、あの輝きだ。天上にあって輝くからこそ、その煌めきは尊いと思ったのだ。それを引き摺り下ろしては、意味がないだろう。

 

 傍に居たい。そうなりたい。

 確かに想うのはその願いで、だからこそ、その輝きを台無しにしてしまう行為は認められない。

 

 底辺に貶めてしまえば、あの輝きが失われてしまうから。

 私達の願いは、あの輝きと共にありたいという物で、その輝きを消したいと願っている訳ではないのだから。

 

 彼女の願いは間違っている。そう文句を口にしよう。

 その願いでは、あの焦がれる程に尊い輝きが消えてしまうではないか、そう伝えよう。

 

 

 

 思えばアンナとは、一度たりとも喧嘩をしたことはなかった。本音を言い合う事もなかった。

 何時も何時も守られていて、手を引いてもらっていて、対等であった事などない。

 

 だからこそ、今度は精一杯に喧嘩しよう。

 本音を告げて、大喧嘩して、それでも友だと語れる関係を目指そう。

 

 守られているだけじゃない。

 向き合って、対等の立場で争って、仲直りして絆は強くなる。

 

 そうなって初めて、彼女を親友と呼べるように成れると思うから。

 

 

 

 立ち上がる為の力は、既に己の中にある。

 リンカーコアが集める世界の魔力ではなく、己の魂から湧き上がる魔力を感じ取る。

 

 力を使う為の見本はここにある。

 魔女の膨大な記憶の中には、様々な知識が存在している。それを見本とすれば、どうすれば良いのか分かるから。

 

 さあ、ここから始めよう。

 与えられた偽りの翼ではなく、今度は自分の足で進み始めよう。

 

 

「全力! 全開!!」

 

 

 少女の身体から、桜色の輝きが溢れ出した。

 

 

 

 

 

3.

 影に覆われた星を見下ろしながら、天魔・奴奈比売は小さく息を吐いた。

 

 焦熱地獄に焼かれた世界。最早この地は人の住める場所ではない。

 影に飲まれた人間の総数は億に迫るが、それだけの人を維持するだけの恵みが、この星には残っていなかった。

 

 海は干上がり。田畑は焼け落ち。油田は尽きた。

 あらゆる資源が底を尽き、最早原型を留めているのはこの海鳴の一部のみ。

 それだけの資源で、残された僅かな物だけで、残された人々を生かす事など出来はしない。

 

 二次災害が必ず起こる。僅か残された物を奪い合うだろう。その光景が、容易に想像出来る。

 災厄が起きた世界で、そんな醜い争いが起きれば、嘗ての景色はその残り香すら残さず消えてしまうから。

 

 

「私の影に飲まれて、止まってしまえ」

 

 

 飲み干した人々を片手間に治療しながら、奴奈比売はそう決める。

 世界が終わるその瞬間まで、己がこの世界を停止させていようと決断する。

 

 十年に満たぬ年月ではあるが、その程度には、この世界に対して愛着が生まれている。

 年の離れた友達と出会えたこの世界を、優しき時間を残しておきたいと思えたから、愛する男を真似して、停止させてしまおう。これ以上壊れてしまう前に。

 

 

 

 視線をビルの屋上へと移す。其処には、残されていた三人の子供達の姿があった。

 

 高町なのはの敗北に驚愕した表情を晒しているユーノ・スクライア。

 彼に癒され、漸く意識を取り戻し掛けているアリサとすずか。

 

 奴奈比売の神相が動く。その巨体が津波を発生させる。

 もうこれ以上苦しませぬように、眠っている間に終わらせようと、影の津波は高層ビルごと子供達を飲み干そうとする。

 

 

 

 そんな影を、桜色の極光が吹き飛ばした。

 

 

「なっ!?」

 

 

 驚愕に目を見開く。信じられぬと絶句する。

 太極によって生じた影を消し飛ばしながら、現れたのは力を剥奪された筈の少女であった。

 

 何故、何故、と動揺する奴奈比売の前で、膨大な魔力を放出して宙に跳び上がった少女は赤い宝石をその手にする。

 

 

「レイジングハート!」

 

〈Stand by ready, Set Up〉

 

 

 白き衣がその身を彩る。バリアジャケットが展開される。

 魔法の知識はなのはの中には残っていない。なのはは知らない。その使い方を思い出せない。

 

 ならば何も出来ないか、否。覚えていないなら、新しく生み出していけば良いのだ。

 今度はあの神様から奪うのではなく、自分の内より生じた力のみで構成できる自分なりの魔法を。

 

 レイジングハートは覚えている。共に歩いたその道を、機械の杖は忘れていない。

 だから、この相棒と一緒に考えれば、新しい魔法だって作っていけると確信している。

 

 飛翔魔法を作り上げて浮かび上がる少女の身から溢れ出す力。膨大な魔力ではあっても、黒縄地獄を吹き飛ばすだけの力はない。

 けれどなのはは、瞬間的に太極に迫る程の質と量を持った魔力を生み出すと言う形で、それを可能としていた。

 

 それ程の魔力。生み出しているのは彼女の歪みではない。最早、彼女に歪みはない。奴奈比売の力は残滓すらも残っていない。

 

 あるのは唯、彼女の魂より溢れ出す力。

 

 

 

 嘗ての世界。黄昏の女神が触れた者全てを斬首したように。黄金の獣が目覚めて直ぐに人の枠を逸脱したように。

 今ある世界。氷村遊と言う男が、魂を蒐集した結果、己が想像する吸血鬼としての力を得たように。

 

 強き魂は力を持つ。その輝きは力を生み出す。

 神の加護から解脱して、己の力で異能を生み出す。自分の魂にて、不撓不屈という歪みの力を再現する。

 与えられた歪みではなく、自分の中から同じ物を作り出す。

 

 それこそが、溢れ出す無尽蔵の力の正体だ。

 

 

「知らない。知らない、知らない。何よ、それ!?」

 

 

 そんなのは想像すらしていなかった。

 そんな事出来る筈がないと思っていた。

 

 今の世の人々は、極端に魂が劣っている。

 その内で一際目を惹く程の力を残している少女であっても、生まれついての神格には遥かに劣っている。

 

 だから、そんな彼女が己の加護もなく前に進めるなんて、思ってもいなかったのだ。

 

 

「アンナちゃん!」

 

 

 そんな風に動揺する魔女に、なのはは言葉を告げる。

 それは彼女の想い。彼女の願い。彼女の決意。決定的な言葉である。

 

 

「私も、怖かった! 置いて行かれるのが!」

 

 

 その心中を吐露する。

 彼女と同じ想いを抱いていた事を。発端は同じなのだと伝える。

 

 

「嫌だった! 抜かされるのが!」

 

 

 今でも嫌だ。置いて行かれるのも、抜かされるのも、受け入れられない。許容できない。

 

 

「だけど、羨むだけで終わりたくない! だから!!」

 

 

 足を引くのは違う。他者を貶めるのは違う。己の望みは、それではないのだと断言できる。

 

 そう。己の望みは、唯一つ。

 

 

「私は、全力全開で空を飛ぶ!!」

 

 

 歩くのが遅いなら、走れば良い。

 走っても届かないなら、走り続ければ良い。それでも無理なら空を飛ぶ。

 

 片時も休まずに全力で先を目指し続ければ、何時かきっと、あの星にだって届くと思うから。

 

 

「私は、あの星になりたいんだ!!」

 

 

 生まれながらに輝く星々に、地星は追い付けないのかも知れない。

 偽りの翼で飛ぼうとすれば、イカロスの神話の如く、大地へと落とされる結末が待っているのかも知れない。

 けれど。あの焦がれた星のように。その傍らで輝く事を諦めない。諦めたくないのだ。

 

 それがきっと、二人の地星を分ける、唯一つの違い。それこそが、高町なのはの決意である。

 

 

「……何よ。それ」

 

 

 動揺の中、告げられた言葉に愕然とする。

 その言葉を口にするなのはの姿は、魔女の目を持ってしても地星と断ずる事は出来ぬ程に、煌びやかに輝いていて。

 

 

「……同じだったじゃない」

 

 

 同じだった。同じように生きて、同じように思って、ああ、なのに何故、そんな結論を抱けるのだ。

 

 無理だと諦めてしまえば良い。

 私は諦めたから、せめて傍に居て欲しいと足を引くことにしたのに。

 

 同じと思っていた相手にそんな言葉を返されては、自分の願いが惨めに過ぎる。

 己には足を引く事しか出来ぬのに、その願いを全否定されたと思ったから。

 

 

「……許さない」

 

 

 お前まで置いて行く。私一人を残して先に行く。

 あの天に輝く星々の様に、同じ筈だった少女にまで抜かされる。

 

 

「許さない。許さない。許さない。許さない。許さない!」

 

 

 そんな事は許せないし認められない。

 そうとも、高町なのはは地星のままで良い。己と同じで居れば良いのだ。

 

 

「貴女も、底辺(ここ)に居てよ! なのはぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 黒縄地獄が荒れ狂う。

 天魔・奴奈比売は、初めて敵意を持って少女の名を叫んだ。

 

 

「……行くよ、アンナちゃん! これが、最初で最後の大喧嘩!!」

 

 

 桜色の少女は杖を構える。

 対等になる事を望んで、真正面から受けて立つ。

 

 自信を持って友達と呼べるように。ここに全てをぶつけ合う。

 

 

 

 こうして、闇の書を廻る物語は、最後の戦いの幕を開いた。

 

 

 

 

 




なのはの能力は歪み状態と全く変化していません。
単純な実力なら、クロスケやザッフィーに勝てないレベル。

けれど、奪い取るのではなく、自分の足で歩き始めた。そこには確かな価値があるでしょう。


本来、彼女の歪みは最初から太極クラスの魔力生成も出来たけど、それやると流石に返しの風がヤバいから奴奈比売が出来ないようにリミッター掛けてた形です。

既に奴奈比売の支配から抜け出した今、生み出した魔力量に耐えられるならば、大量の魔力を生成出来るようになりました。

それでも世界を支える程の量は生み出せず、中堅どころの太極に抗うだけの魔力量を作るだけで物凄い消耗する状態。

けれど、漸く大天魔と魔法戦闘が出来るようになりました。



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第三十五話 絆を信じて

A's編最終話。VS奴奈比売です。


推奨BGM
1.Don't be long(リリカルなのは)
3.Sacred Force(リリカルなのは)
5.祭祀一切夜叉羅刹食血肉者(神咒神威神楽)


1.

 桜色の閃光が煌めき、黒き影を吹き飛ばす。鮮やかな輝きが天を染める。

 その輝きに秘められた力は正しく極上。その砲撃は魔力の質も量もこれまでとは桁が違う。

 地表に向けて放てば町一つは消し炭に変えられるであろう力で、迫り来る影を跳ね除けながらに高町なのはは空を飛翔する。

 

 しかし、散らされた影は形を変える。

 泥か粘土か、あるいは水の如く。ぐちゃりと潰れたそれは、一ヶ所に集まると再び彼女の意志に従ってその魔手を伸ばす。

 

 影を突破した桜の砲火も、影とぶつかり合えば当然威力が落ちる。その内に秘められた力は減衰する。それが二度も三度も続けば、天魔・奴奈比売を傷付けるだけの力がそこに残らぬのも道理である。

 元より奴奈比売の影とはそういう物。真っ向から相手の破壊力に耐えるのではなく、砕かれ吹き飛ばされてもなお纏わり続けるのが彼女の業。誰も何処へも行かせない。お前だけは逃がす物か、と魔女の影は絶叫する。

 

 

「なのはぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 

 激情と共に影を繰る怪物に何ら疲労の色は見えない。苦痛の色はない。

 桜の砲火は影によって防がれ、僅か減衰したそれでは時の鎧を超えられない。

 

 不意を打てば、油断をしていれば、その砲火は少なくない手傷を与えていたであろう。先の対峙において、奴奈比売の泥の海があっさりと抜かれたのは油断が理由だ。想定外の不意打ちだったからこそ、それを防ぐ事は出来なかった。

 だが、それも、今は望めない。天魔・奴奈比売が高町なのはから視点を外すなどあり得ない。

 

 対立する二人の少女。桜色の輝きと共に全力で飛び回る少女と、どこにも行かせないと吠える少女の容姿をした怪物

 片や常に戦場を支配し、リードし続けている桜色の少女。彼女が戦場を支配しているのは、そうでなければ一瞬で敗れ去る為、常に全力全開で居なければ、高町なのはは同じ場に立つことも出来ない。

 片や怒りに突き動かされ、半ば暴走に近い姿を晒している魔女。冷戦沈着に、十重二十重に罠を張って行動するのが本領である彼女は、その真価を発揮できていないと言えよう。それでも、大天魔と言う頂きは遠い。

 

 そんな両者の戦い。どちらが優位であるのかは一目瞭然であった。

 

 

「……はぁ、はぁ、くっ!」

 

 

 常に戦場をリードし、未だ無傷で一方的な攻撃を続ける。それは少女にとって酷く苦痛を与える。片時も休まずに、口にするのは簡単でも、実行に移すのは苦難に等しい。

 攻撃を行う度にその呼吸は大きく荒れ、その体は力を使い過ぎた反動に悲鳴を上げている。だが、そうでなくては届かない。今の奴奈比売の影に囚われれば今度こそ抜け出せぬと知っているから、一撃たりとも有効打を受ける訳にはいかないのだ。

 

 

「っ! レイジングハート!」

 

〈Divine buster〉

 

 

 今のままで届かぬならば、更に一歩先へ。高町なのはは己の異能をより強く発動させる。

 

 放たれるのは桜色の砲撃。町一つでは済まぬ程に膨れ上がった火力が空を焼く。

 その一撃は正しく絶大。大陸だろうと消し飛ばすだけの力が込められた砲火は、幾度となく纏わり付く黒き影の海を貫いて、天魔奴奈比売を飲み干す。

 

 だが――

 

 

「こんな物で! 私を止められると思ってるんじゃないのよぉっ!!」

 

 

 その身は傷付いている。今の劣化した鎧では防げぬ程に、高町なのはの魔砲は極まっている。だが、それでも奴奈比売は止まらない。

 痛痒は感じているだろうに、被害は確かに受けているだろうに、しかし怒りに突き動かされる彼女は、そんな物は些事と切り捨てる。

 

 

「っ!」

 

 

 反撃とばかりに雪崩れ込む影の波。巨体よりその魔手を伸ばす随神相。

 それを必死に躱しながら、それを高密度の防御障壁で防ぎながら、なのはは口内に満ちる血の臭いに表情を歪めていた。

 

 限界を超えた先を更に踏み外した代償。飛翔し続ける代価の支払いがここに来た。

 

 不撓不屈。それは理屈の上で言うならば、どれ程だろうと魔力を生み出せる能力だ。

 創造位階相当にありながら、流出位階にある神々にすら追い付き得る。輝ける星と並びたいと願ったからこそ、その力は格上を打ち破る為の性質を有している。

 だが、それにも当然制限が存在している。純粋な自力の底上げと言うべき能力でも、強化の上限は存在する。そも、限界がないと言うならば、奴奈比売が彼女を守る為にリミッターなど用意する事はなかったのだ。

 

 その制限とは、その限界とは、器の持つ限界値。人の許容出来る魔力量の上限値だ。

 多量の魔力を体内に宿した者が障害を負う様に、人の身では内包出来る魔力量が定まってしまっている。如何に諦めないと言う意志が強くとも、人の身を超えぬ限りはその制限もまた超えられない。

 

 どれ程努力しようとも唯人の持てる力が、単一宇宙にも迫る程の総量を持つ神々に届く筈がないのだ。

 

 故に反則をした。届かせる為に、なのはは己の限界を大きく超えた。

 己の器を破壊して、許容量を無理矢理引き上げると言う対応で、届かぬ分を補っていた。

 

 人の肉体は魔力で構成されている。ならば、その構成分の魔力すら攻勢に回せば、使用できる魔力総量はその分多くなる。

 己の身体を切り裂いて魔力に変え、力を放った直後に切り裂いた体を再生させ補填する。それによって身の丈に余る魔力行使を可能としているのである。一度に限界を超える魔力を作り出し、手傷を負わせる程に迫っている。

 

 それでも、先はもうないだろう。このままでは奴奈比売に届かない。彼女と対等になるには程遠い。

 

 高町なのはの異能。その等級は現時点で数字にして漆。対する奴奈比売の太極数値は拾陸。逆立ちしても届かぬ程の差が其処にある。

 体を切り捨て、魂を消耗させ、そして格上に追い付かんとする異能特性による補正を得て、それだけの上乗せをしてもまだ届かない。一つか、二つか、相手の方がまだ桁違いに強いのだ。

 

 

(このままじゃ、いけない)

 

 

 何が足りない。何が出来ていない。戦いながらも、なのはは必死に考える。

 

 これ以上の魔力量を生み出す事は出来ない。

 今ですら、作り出した魔力量に残った体が耐えられず、魔力汚染患者同様の症状を見せているのだ。

 

 内臓器が動きを止め、呼吸器が押し潰されて、口から吐血する。

 脳が機能を止めてしまう前に、重度の障害が起きた部位を切り捨てて再生する事で対応している有り様だ。

 

 心の力はまだ当分は費える気がしない。

 追い付きたいと願い、追い付くべき相手が目の前に居る以上、高町なのはが諦める事はない。

 

 だがそれでも、このままではジリ貧だと分かる。このままでは追い付けないと理解する。

 届かせるには、至らせるには、何が足りていないかと思考して、彼女は一つの結論に至った。

 

 

(……無駄が、多いんだ)

 

 

 その桜色の極光は天を揺るがす。

 その誘導弾は千を超え、万を超え、壁のように敵を蹂躙する。

 

 ……だが、それ程の量が本当に必要だろうか?

 

 

(アンナちゃんの動きは、早くない。アンナちゃんの攻撃は、広域を消し飛ばさないと防げないような物じゃない)

 

 

 それが天魔・母禮ならば、その雷速を捕える為に、逃げ場を失くすほどの量。天を埋め尽くす程の誘導弾にも意味があっただろう。

 それが天魔・悪路ならば、その腐毒の風を払う為に、天を揺るがす程の大出力が必要だった。広範囲攻撃に対して同様に広範囲攻撃をぶつける事で対抗するしかなかっただろう。

 

 だが、天魔・奴奈比売は違う。彼女と相対する限りにおいては、無限と思える魔力弾も、一撃で海を割る砲撃も必要ない。

 

 

(質だ。……量を増やすんじゃなくて、その分を質の向上に向ける必要がある)

 

 

 今ある魔力。その全ての効率を引き上げる。無駄を省き、唯純粋にその質を引き上げる。

 

 

「はぁっ!」

 

〈Divine buster〉

 

 

 桜色の砲撃は、先の天を揺るがせる程の物ではない。その砲撃は細く小さく、極限まで絞り込んだそれは始まりに使った砲撃魔法と同じく。一般的な魔導師が使う砲撃魔法と何ら変わらないように見える。

 だが、そこに込められた力は嘗ての比ではない。大陸すら消し飛ばす力が練り込まれた砲撃は、これまでのそれとは密度が違っている。

 

 

「ぐぅっ!?」

 

 

 その意志を込めた小さな砲撃は、十重二十重に纏わり付く影をあっさりと貫通する。

 力の総量は変わらずとも、接する面が減れば減衰の力も働き辛くなる。極限まで練り込まれた力は時の停止すら超えて、激情に支配された奴奈比売にすら痛みを感じさせて足を止めさせる程に高まっている。

 

 

(行ける)

 

 

 確信する。これこそが正答であると。そこに勝機があると認識する。

 

 精密な操作は苦手である。扱う力が大き過ぎる故に、真面な練度では形にならない。今の攻撃ですら、随分と疲弊を感じていた。

 それでも諦めてなどは居られない。出来ないなどとは口にしない。出来なければ負けるのだ。このまま何も出来ずに敗れるのだ。

 

 それだけは、認めたくはない。共にある事を諦めたくはない。その為なら、何度だって限界を超えて見せよう。

 

 

「なのはぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 

 奴奈比売が叫ぶ。痛みに震えながらも、自身に痛みを齎したと言う事実に叫ぶ。

 置いて行かれる。去ってしまう。なのはが先に進む度にそんな感情に振り回されて、行かせるものかと願いは純度を増していく。

 

 

「アンナちゃん!」

 

 

 その密度を上げていく黒き影。動く度に周辺の建造物を打ち崩しながら、その猛威を振るう随神相。

 

 近付いたと思えば更に引き離される力の差。そこに絶対的な隔たりを感じる。

 その圧倒的な差を理解しながら、己の力によって体を蝕まれながら、それでもなのはは諦めない。

 

 その絶対的な壁に立ち向かう。

 この泣いているように見える友を、放ってなど置けないから。

 追い付くのだ。届かせるのだ。天魔・奴奈比売は遠い。そう。もう、そんなにも遠くに行けているではないか。

 だから、貴女はもう泥の底にいる必要などないのだと教えよう。追い付いて、手を取り合って、共に空を目指せるのだと伝えよう。

 

 

 

 少女達の喧嘩は終わらない。

 

 

 

 

 

2.

「なのは」

 

 

 金髪の少女、アリサ・バニングスは崩れかけたビルの屋上から、その光景を見上げていた。

 

 なのはの言葉を聞いた。その宣言を耳にした。

 目覚めたばかりで朦朧とした意識の中でも、その言葉は確かに胸に響いていた。

 

 友達は今も一人で戦っている。

 傍目にも分かる程にボロボロになりながら、それでも追い縋っている。

 一歩ごとに前に進んで、少しずつ距離を近付けて、今では互角に近い死闘を演じている。

 

 そんな友の姿に、手を握り締める。頑張っている彼女に対して、自分が何も出来ない事実に手を握り締める。唯、唯、無力な事が悔しかった。

 

 そんな彼女の想いを余所に、熾烈な戦いは進んでいく。

 一手ごとに無駄を省いていき完成へと近づいて行くなのはと、激情に動かされ本来の売りである知略を利用した戦いを行えていない奴奈比売。

 

 その戦いの趨勢が、望まぬ結果に終わる事がなさそうなのが唯一の救いか。

 あんな風に激情を晒す友を、置いて行かれたくはないと泣き喚いているようにすら見える友を、取り戻す事をなのは一人に任せるのは心苦しい。

 それでも日常を取り戻せるならば、それを信じて待つべきなのだろう。戻って来た彼女らを、笑顔で迎えてあげるべきなのだろう。

 

 それだけが、無力な自分に出来る唯一の事なのだろうと判断して。

 

 

「このままじゃ、駄目だ」

 

 

 そんな少年の言葉が、アリサが縋り付こうとしていた可能性を潰した。

 

 

「……どういう事?」

 

 

 月村すずかがユーノに問う。そんな問い掛けに、ユーノは端的に答えを返す。それはこの戦いの結末の予測。

 

 

「……このままじゃ、なのはは負ける」

 

 

 上空で行われる戦闘は、一見すると拮抗しているように見える。だが、その内情はまるで違う。

 一手一手が全力投球。己の命を燃やして、限界を超え続けているなのは。激情で真面な判断が出来ていないとは言え、単一宇宙規模の存在である奴奈比売。

 

 地力が違う。持久力が違う。その場その場では拮抗できても、絶対的な力の総量が異なる以上、高町なのはは何れ敗れ去る。

 決死の覚悟を持った全力攻撃が、致命傷に届かない。自力で遥か上を行く相手を倒すには差を覆せるだけの切り札が必要だと言うのに、どこまでやっても先を行かれる時点で勝敗は明白である。

 

 戦いの趨勢は最早詰んでいる。勝敗は既に決まっているのだ。後は高町なのはがどれだけ抗えるかの違いでしかない。

 それが一手先か、二手先か、或いは十手二十手先まで持つだろうか。確かに分かるのは、彼女の異能が底を尽いた時、高町なのはが堕ちるであろうという事実だけ。

 

 傍から見ていてもそれは明らかなのだ。当然、戦い続けるなのはも気付いてはいるのであろう。

 

 限界を超えた力を行使し続ければ、彼女の異能も底を尽きる。全力を放つ度に精神を削られている。魂を消耗させている。

 如何に不撓不屈が無限に魔力を生み出せるとて、人の身が耐えられる最大量は決まっている。一度に生み出せる総量が決まっている以上、追い付く為には幾度もその異能を発現しなければならない。

 魔力を生み出す度に心と魂を削るという代価がある以上、その力の根源は何れ必ず尽きるのだ。その時こそが、高町なのはの敗北の瞬間となるだろう。

 

 

「っ!」

 

 

 その推測を聞いて、アリサは弾かれるように飛び出した。

 

 彼女も勝てないと言う。彼女でも勝てないと言う。

 それが本人も分かっていて、それでも戦おうとしているのだ。友を取り戻す為に。

 なのに自分は何をしている? 力がないから、無力だから、そんな理由で何もしないなど、アリサ・バニングスは許せない。

 

 

「君は!」

 

 

 そしてその向こう見ずな行動を、無力さを誰より知る少年もまた許せない。

 弾かれるように飛び出した少女の肩を捕まえる。無鉄砲な少女に怒りと憤りを抱く。

 

 

「いい加減に分かれよ! 君が行っても足手纏いだ! 何も出来ない所か、邪魔になるしかないんだよ!!」

 

 

 無力を悔やむのは己も同じだ。だがそれで、何の勝算もなく前に出て、それで何が出来ると言うのか。

 その無鉄砲で考えなしな所に、どうしようもなく苛立ちを覚えて――

 

 

 

「それでも!」

 

 

 強く握られた肩に痛みを感じながら、それを振り払う力すらない事実に悔しさを感じながら、それでも、とアリサは口にする。

 己が無力さを理解しながら、己が無謀さを理解しながら、それでもと口にする事だけは止められない。

 

 

「ここで何もしなかったら! 私はもう二度と、あいつらの親友名乗れない!!」

 

 

 何も出来なくとも、足手纏いにしかなれなくても、それで仕方がないと納得してしまえば、アリサはもう二度と己を許せなくなる。

 もう二度と、彼女らの友だと胸を張って言えなくなる。だから、無鉄砲であれ、動きたいのだ。止まれないのだ。涙に滲んだ目で、そうユーノに言葉を告げていた。

 

 

「だからって、死にに行くのは違うだろ! 今の君に出来る事なんて、そんなの――」

 

 

 そこでユーノは言葉を止める。出来る事などない。

 

 そう伝えようとして、彼女達にだけ出来ることがある事にユーノは気付いた。

 二人を上手く利用すれば、この現状を打破出来る可能性がある事に気付いてしまった。

 

 

(けど、これは)

 

 

 それは最低の策だった。

 

 こんな事を思い付いてしまった自分を八つ裂きにしてやりたくなる程に、言い訳しようがない程に醜悪な策謀。

 反吐が出る。吐き気がする。少女達の想いを踏み躙り、絆に泥を塗り、そして自身は何の代償も払わない。そんな腐れ外道の行いだ。

 

 

「……君達に出来る事なんて、ない」

 

 

 だから一瞬の沈黙の後、それを口にせず飲み込む。

 もっと他の打開策を考え出す為に、それを思考の隅へと追いやって。

 

 

「今、何か思いついたよね」

 

「っ!」

 

 

 そんな少年の逡巡を、一目で見抜いた少女がここに居た。

 

 月村すずかは夜の一族の生まれだ。

 他者とは違うその生まれ、異端として排されるかもしれない恐怖を常に抱き続けて来た彼女は、故にこそ人の顔色を見る目に長けている。

 

 表向きとは言え名家であるが故に、社交界などに付き合う事も少なくはない。

 直情的な性格のアリサでは無理だろうが、本質的に臆病なすずかはその場において他者を見る目を養っていた。

 

 夜の一族の正体を知らずに、名家の御令嬢に媚びを売る資産家。

 一族の事情を知り内心で侮蔑しながらも笑みを浮かべて接してくる政治家。

 海千山千の魍魎の如き者達との遣り取り。その中で人の腹黒さを学んで来た少女にしてみれば、腹芸苦手の未熟者がする隠し事など、見抜くのは実に容易い。

 

 

「教えて、ユーノ・スクライア。……私達には分からない。魔法も天魔も、ろくに知らない私達じゃ、勝ち筋を発想することすら出来ない」

 

「……けど、これは」

 

「必要なら何だってする。私に何かを求めるなら何でもする。……だから、アリサちゃんの手を、あの二人に届かせる方法を教えて!」

 

 

 すずかのそんな訴えに、ユーノは苦虫を磨り潰すかのように眉を顰める。

 彼女の想いに心を震わせたアリサは、同じくユーノに言葉を告げる。

 

 

「すずか。……代償なら私に求めなさい、ユーノ! 私だって、すずかの手を届かせる為なら、あいつ等と共にある為なら、何だってしてやるわ!」

 

『だから! お願いします!!』

 

 

 何でもする。本当に何でもしてみせるという覚悟で口を開く二人の少女に、揃って頭を下げて頼み込む少女達に、ユーノ・スクライアは小さくない溜息を吐く。

 本当に、この子達は、と呆れを通り越して寧ろ感心してしまう程に、短絡的だが熱意ある言葉に突き動かされて――

 

 

「……女の子が軽々しく、何でもするなんて言うもんじゃないよ」

 

 

 そんな言葉を口にしながらも、ユーノは内心で白旗を上げていた。

 

 

 

 

 

3.

 天に瞬く桜色の輝きと、それを追う黒き影を見上げながら、少年は二人の少女を両手に抱え持つ。

 進む足場は翼の道。影の海が波立、巨大な建築物すら飲み干されていく中、その翠色の足場は酷く不安定に映る。

 

 

――策略、なんて言う程複雑じゃない。やる事は至って簡単さ。

 

 

 抱き抱えられる二人の少女は、少年の口にした言葉を思い出す。

 少年の説明は単純で、魔法を深く知らない少女らにも分かり易い物。

 

 誤解の余地もない程に単純で、どこまでも非情な策で、成功の可能性は必ずしもとは言えない物であった。

 それでも、少女達は、止めても良いと語る少年に頷く事はしなかった。その策は必ず成功すると信じていた。

 

 確信を持って、その身を賭ける少女達の姿に、ユーノもまた腹を括る覚悟を決める。

 魔力で作り出された翼の道。その上を進む少年の足元には、魔力で構成した加速魔法。

 

 ローラーの如き動きで圧倒的な速力を生み出すその魔法は、師であるクイントの動きを如何にか真似できないかと作り上げていた物だが、結局費用対効果の悪さ故にお蔵入りとなっていた物である。

 

 それでも、足が真面に動かず、走れない現状では確かに有用だ。

 全く、何時何が役に立つか分からない。そう苦笑しながらも、己の治療さえしていない少年は、傷みに耐えながら騒音と共に疾走する。

 

 

――まず前提として知っておくべきなのは……なのはが逆転の一手を持っていると言う事。彼女の切り札。集束砲って言う名の切り札をね。

 

 

 集束砲。スターライトブレイカー。

 それは高町なのはの切り札であり、現状、大天魔を打ち破れる唯一の手札。

 それは周囲に漂う廃魔力を集め、束ねて放つ。その威力は、即ちそれまでに消費された魔力の総量に等しい。

 

 現状、なのはは己に扱える限界を超えた魔力をばら撒いている。

 その魔力弾は一発一発が大天魔を揺るがせる程。劣化しているとは言え、彼女らを傷付けるその力は、並のロストロギアを超えている。街の一つや二つは軽々しく消し飛ばせる。大陸を崩壊させるだけの力があるのだ。

 

 ならば、それらを束ねて放つならば、それは星々すら打ち砕くだけの力を持つであろう。それ程の一撃を受ければ、今の夜都賀波岐は耐えられない。

 

 

――けど、戦いの最中でそれを使う事は出来ない。一発一発ですら制御に手一杯なのに、極限状態で、全部を集めて操ろうなんて、到底出来る訳がない話さ。

 

 

 集束のレアスキルを持つなのはであっても、それは限度を超えている。その尖った資質故に、集束させる事は出来るであろう。

 だが、それにどれ程時間が掛かるか。少なくとも、足を止めた状態で集束砲にのみ専念して、それでも数分は掛かるだろうとユーノは推測している。

 

 

――だから、やる事は簡単だ。彼女が集束砲を撃てる状況を作り出す事。それこそが、必要となる。

 

 

 だが今の大天魔を前に、生半可な事では隙を生み出す事は出来ないであろう。

 ユーノの魔法ではその鎧を突破出来ない。幾ら牽制したとしても、今の激情に支配されたあの天魔は見向きすらしないであろう。

 だが、それがアリサとすずかならば? 今対立する少女と同じ友人ならば、注意の一つ二つは引けるのではないか。この作戦の本質など、言ってしまえばそれだけの事。

 

 あれ程派手にやり合っている中、真面なやり方では注意すら引けない。例え注意を引けても、奴奈比売が動かなければ意味がない。故に、賭けるべきは重い物となる。それが為に、これは外道の術である。

 

 

「っ!?」

 

 

 影と相対していたなのはの動きが、一瞬だが鈍った。

 その隙を逃さんと殺到してくる影を何とか躱す。襲い来る随神相の触手を躱し切れず、障壁を爆発させる事で距離を取る。

 

 

〈アリサちゃん! すずかちゃん! 本気なの!?〉

 

 

 高町なのはは念話越しに届いたその策に、彼女らが行おうとしている事に愕然としながら問い質す。聞き間違いではないかと祈るように確認する。だが、それに返るは彼女の望まぬ、力強い少女らの返答。

 

 

〈決まってんでしょ〉

 

〈やってみるよ。勝算は決して、低くない〉

 

〈けど! 二人共!?〉

 

 

 その返答に、焦燥の色を浮かべる。他人事ではないという切羽詰まった表情を浮かべる。

 それも当然だろう。引き金を引くのは彼女だ。この策は、高町なのは自身の手で、友を討てと言っているのだから。

 

 

〈はっ! 時化た顔してんじゃないのよ〉

 

〈大丈夫だよ、だって、私達は信じている!〉

 

《私達の、絆を!》

 

 

「っ」

 

 

 その言葉に、なのはは何も言えなくなった。

 何を言おうとも、彼女達の意志は揺るがないと分かってしまった。

 

 元より、率先して無茶ばかりしている自分が何を言えると言うのか、ならば彼女らと同じく信じるより他にあるまい。

 迫り来る影と対峙しながら、一歩間違えば、否、一歩間違えなければ確実に死ぬであろう友の行いに、彼女もまた決意する。その信頼に、答えを返す為に。

 

 荒れ狂う海上を直走る。囚われれば最後となるその黒き影より高速で逃げ回るその動きは、お世辞にも乗り心地が良いとは言えないであろう。

 

 遊園地のジェットコースターが子供騙しにしか見えない程の速度で、影に飲まれぬように縦横無尽に駆け回る。

 断崖絶壁での急カーブですらこうではないだろうと思わせる程に無茶な動きを続けて、戦場の只中へと進んでいく。

 

 海面スレスレを走り抜けるのは、少しでも見つかる可能性を下げる為。そして二人の戦いの余波に巻き込まれない為だ。

 ユーノも含め、この場の三人では流れ弾一つで死んでしまいかねない。意味もなく終わってしまうのは、それだけは認められない。

 

 だが、そんな努力も無駄である。そんな浅知恵などは無意味である。奴奈比売の海は彼女そのもの。その傍を進めば、彼女に認識されない道理はない。

 

 

「アリサ、すずか」

 

 

 激情に沈み込んだ思考の片隅で、それを奴奈比売は認識する。

 そんな少女達の行動に疑問を抱きつつも、戦いの最中、巻き添えにしてしまう事を防ぐ為に。

 その随神相が巨体を震わせる。生まれ出でるは大海嘯。なのはと戦う中、片手間に過ぎぬとも、それでも少年少女達には対処出来ぬ程の壁を作り出す。

 

 

「貴女達は、寝てなさい!」

 

 

 お前達はその中で眠って居ろと、奴奈比売の影が猛威を振るう。

 眼前に生じる大海嘯。壁が迫るが如く、天すらも飲み干さんと言う影に、進む道が潰される。

 

 翼の道が途切れる。その影の早さを前に、方向転換など間に合わない。故に、少し早いがここで一手打つ。

 

 

「アリサ! すずか!」

 

 

 ユーノの言葉に、二人は頷いて前に出る。

 肉体強化によって筋力を引き上げたユーノは、片手に一人ずつ乗せると上を見上げる。

 

 

「フローター! インジェクション!」

 

 

 目指す標的は天魔・奴奈比売。

 彼女目掛けて、浮遊魔法と防御魔法を掛けた二人の少女を、弾丸の如く射出した。

 

 

 

 一人の少年は、反動によって両肩を砕いたまま、影の津波に飲まれて消えた。

 二人の少女は影の津波を飛び越えて、そのまま空を滑走する。

 

 影に囚われぬようにと、銃弾の如き速度で滑走する。

 高速で叩き付けられてくる風圧に、空でぶつかる音の壁に、防御魔法越しに苦痛を感じながらも、二人の少女は真っ直ぐに進む。

 

 最早止まる事など出来ないし、出来たとしてもしないであろう。

 

 伝えなくてはならない事がある。告げなければいけない事がある。指摘しなければいけない事がある。

 注意の引き方を、ユーノは指定しなかった。だから、丁度良いから伝えよう。このウジウジしてばかりいる友人に。

 

 

「こんのぉぉぉぉっ!」

 

 

 どうしてそんなに泣きそうなのだ。

 そんなに立派に動ける体がある。お前はそんなに凄いじゃないか、それなのに、何故に嫉妬ばかりしているのだ。

 

 置いて行かれる? 抜かれていく? ふざけるな! 私達は追い付いてすらいないだろうが!!

 

 それなのに一人でウジウジと、そんな所が、アリサ・バニングスは気に入らない。

 

 

「馬鹿アンナァァァッ!!」

 

 

 泣いている。泣いている程にしたくないのだろう。

 やりたくない事を無理にする。別れたくないと思ってくれているのに、どうして止めようとしないのか。

 理由は分からないし、そうしなければいけないのかも知れないけれど、それでもそんな苦しんでまで何かをして欲しいとは思わないから。

 

 月村すずかは気に入らない。一緒に居られない理由が、そんな物であるなら認めない。だから。

 

 

「アンナちゃんの、馬鹿ぁぁぁぁっ!!」

 

 

 パチン。パチンと軽い音が二度響く。

 影を飛び抜けた二人の少女が、その小さな掌でアンナの頬を張った。

 

 

 

 茫然としたまま、奴奈比売は立ち尽くす。

 痛みはない。痛みではなく、ただ困惑に立ち尽す。

 

 少女達が、こんな真似に出るとは思えなかったから、何が何だか分からぬ程に混乱して。

 その隙に、二人の少女がしがみ付く。時の鎧を叩いた為にボロボロとなった手で、全身を使って彼女を縛り付けた。

 

 

「……嘘、でしょ?」

 

 

 そうして二人にしがみ付かれた奴奈比売は、困惑しながらそれを見つける。

 視線の先に立つ高町なのは。その杖の先に、膨大な魔力が集束している光景を。

 

 それ程の魔力。膨大に過ぎる力。

 それを受ければ、自分ですら唯では済まぬと言う程の力が集まりつつある。

 

 そんな物が放てる筈がない。だって、まだここに、アリサとすずかが居るではないか。

 

 

「なのは!」

 

「なのはちゃん!」

 

 

 それでも、彼女達はなのはの名を呼ぶ。さあ、やれと、その言葉を告げる。

 

 だから、高町なのはも躊躇わない。

 

 

「全力! 全開!!」

 

 

 彼女達が足止めしていられる時間はそう長くない。

 幾ら虚を突かれ、混乱しているとしても、奴奈比売は数瞬とせずに正気に戻るだろう。

 

 チャージに時間がかかる。そんな理由で、彼女達が作り出した時間を無駄には出来ない。

 足を止めた状態でも数分は掛かる。そんな道理などは意志の力で踏破する。必ず間に合わせて見せると奮起する。

 

 二人を巻き添えにする事を気に掛ける。そんな理由で、彼女達の覚悟を汚したくなどない。

 二人の語った絆を信じて、唯己に出来る事だけを為す。選択するのは殺傷設定。躊躇も動揺もありはしない。

 

 

「スターライトォォォォォォッ!」

 

 

 其は星の輝き。集いし桜の煌めきは、正しく彼女の全力全開。

 

 集いし力は星も砕く程に、あり得ぬ程の魔力に体が悲鳴を上げる。

 意識が一瞬飛んでいく。その瞬間に崩れかけた魔砲を、己の意地で無理矢理支えて――

 

 

「ブレイカァァァァァァァァァッ!!」

 

 

 放たれた極大の閃光は、三人の友を纏めて包み飲み干した。

 

 

 

 

 

4.

 黒き影の海が消える。その後に晒されるのは、炎の焦げ跡が残った廃墟のみ。

 そんな壊れた街中で、女は一人寝転んで空を見上げている。今にも消え去りそうな程に消耗した彼女は、小さく嘆息を零す。

 

 

「……なーに、やってんだろ。私」

 

 

 ぼんやりと天魔・奴奈比売は口にする。

 痛みはない筈なのに、届いていない筈なのに、その両頬は熱を持っていて、頭は冷水を浴びせられたかのように冷えていた。

 

 

 

 奴奈比売は自らの後方に作り出した黒き球体を見上げる。

 自らの影を掻き集めて作ったその防壁。魔砲によって崩れ落ちるそこから飛び出してくるアリサとすずか。その身には、掌を除いて傷がない。

 

 あの時、咄嗟に奴奈比売は太極を掻き集めると二人の身を護る為に使っていた。

 それだけでは足りないと判断して、弾き飛ばした二人の前に出ると、自分の身体すらも盾として使った。

 

 神相を壁として、己の身体を盾として、太極を守りに使って。

 勝利だけを望むなら、己だけを守れば良かった。死を実感させる一撃を前に、自分の命を守る為に逃げ出すのが常の自分だったろうに。

 それでも、勝手に体が動いてしまったのは、自分の身よりも優先してしまう者がここにあった。要はそれだけの事なのだろう。

 

 桜色の輝きと共に、白き衣を纏った少女が舞い降りる。

 その少女は、無傷な友人二人と、ボロボロだがそれを守り通した奴奈比売に目を向けると優しく微笑んだ。

 

 

「信じてた」

 

 

 そして小さく、それだけを口にした。

 

 

「……バッカじゃないの」

 

 

 その言葉で、その策の全容を知る。奴奈比売が身を挺して庇うまでも、策の一つであった事を悟る。

 これを考えた奴は、随分と性格が悪いんだろう。誰かを守る為に咄嗟に取る行動まで予測して、そうなるように手を打つ。実に質が悪い。

 

 そしてそれに乗るこいつ等は、本当に馬鹿じゃないのかと思ってしまう。

 奴奈比売が一瞬すら気を取られない可能性はあった。星光の輝きから、その身を護る保証はなかった。どうでも良いと切り捨ててしまえば、塵芥と思っていたなら、そうでなくとも怒りの方が天秤が重ければ、その時点でこの二人は死んでいたのだから。

 

 それなのに命を賭ける。曖昧な絆とやらを、三人揃って信じて全力で動いた。その事実が愚かしく、そして何よりも。

 

 

「ほんっと、バッカみたい」

 

 

 そんな馬鹿げた策略に乗って、こうしてボロボロの姿を晒している。そんな自分が一番馬鹿らしく思えた。

 

 

 

 完敗だ。何も言い返せない。何も見せられない程に、心が負けを認めてしまった。

 この馬鹿な友人達が見せた意地を前にして、天魔・奴奈比売は己の敗北を認めていたのだ。

 

 

 

 沈黙が場を満たす。ゆっくりと起き上がった奴奈比売と、地上に降り立ったなのはは向かい合う。

 

 

「……アンナちゃんの記憶、見たよ」

 

「そう。どこまで見たのかしら?」

 

「全部は見れてない。分かるのは、アンナちゃんの願いと神様の事。夜都賀波岐が何を望んでいるか、その果てに、何が起きるか」

 

 

 億年を超える記憶。その全てを一瞬で知る事など出来ない。

 なのはが見たのは、彼女が真に目覚める為に必要だった情報を除けば、この世界の行く末に関わる事柄だけであろう。

 

 そんななのはの言葉に、自分の記憶を除かれたアンナは怒るでもなく、唯静かに口にする。

 

 

「……それで? 何もしなくて良いの? 私は諦めないわよ」

 

 

 それは暗に止めを刺さずに居て良いのかという言葉。

 もうこれ程の無様を晒す事はない。彼女に対し、これが最後の機会だと告げている。

 

 

「アンナちゃん!」

 

 

 そんな言葉に対して、なのはが頷ける筈はない。

 彼女を止めたいとは願っているが、それは共に居たい為、止めを刺すなど論外。

 だから彼女に出来るのは、今のアンナに対して言葉を重ねる事だけだ。

 

 

「私、一緒に居たい! 紅蓮に染まった地獄なんて嫌だ! その為に、アンナちゃんが居なくなっちゃうなんて、絶対に嫌だよ!」

 

 

 夜都賀波岐七柱。天魔・悪路。天魔・母禮。天魔・紅葉。天魔・海坊主。天魔・奴奈比売。天魔・宿儺。天魔・大嶽。

 彼ら七柱の魂を贄として捧げる事で、天魔・常世の地獄は開く。力の行使者である常世の身を引き裂いて、無間衆合地獄が彼らの主をこの世に呼び戻す。

 

 故に、その世界に彼女の居場所はない。生み出される為に消費される少女は、その世界には居られないのだ。

 

 だから――

 

 

「一緒に居よう! 一緒に探そう! もっと良い方法! 皆が納得できる、そんな道を!!」

 

「……なのは」

 

 

 そんな子供の言葉に、困ったように苦笑する。そんな都合の良い未来なんて、あり得ぬと知っているから悲しく思う。

 

 

「無理よ。もうないの。……何億年、私達が探したと思っているの? この世界に次代は生まれない」

 

 

 彼らが見て来た中で、最も可能性が高かったのは高町なのはと氷村遊。成長の著しいミッドチルダの者達とて、最早頭打ちが見えている。

 数億年の間で、それだけなのだ。それが限界で、それより先は見つからなかったのだ。

 

 時間はもう残り少ない。世界の終わりは見えていて、同様に夜都賀波岐も限界を迎えつつある。

 自壊衝動に支配されつつある五柱に、己の役割しか見ていない両翼。そして滅びようとしている主柱。

 夜都賀波岐八柱はもう持たない。これ以上の時間を掛ければ間違いなく欠落し、そしてその果てには破滅が待つ。

 

 進歩すら停滞し、輪廻の度に魂が弱っていくこの世界。都合の良い次代なんて、新たな神格なんて、決して生まれ得ないと彼らは知っている。

 管理世界への恨みや怒りだけではない。先がないからこそ、他に道がないからこそ、諦めた夜都賀波岐は主柱の復活という結論を出すに至ったのだ。

 

 

「それにね。もしも、次が生まれるとしても、私は彼を選ぶわ。……私は、彼が良いの」

 

「アンナちゃん!」

 

 

 女の情は揺るがない。己の命より大切だと認識してしまった友の言葉でも、女の愛を揺るがす事は出来ぬから。

 言葉は届かない。説得は意味がない。故に女は言っている。己を止めたくば、ここで仕留めるしかないと。

 

 それは出来ない。それは選べない。けれど、彼女はこのままでは行ってしまう。

 その事実を前に、どうしたら良いのかなのはは分からずに。

 

 

「何よ、何も泣くことはないじゃない」

 

「……泣いて、ないもん」

 

 

 零れ落ちる滴を拭い去る。

 そんな少女の姿に罪悪感を覚えながらも、想いを揺るがせながらも、それでも選択は変わらない。

 

 

「そうよ。泣く必要なんてないわ!」

 

 

 言葉に詰まった少女の代わりに、アンナに言葉を掛けるのは金髪の少女であった。

 

 

「さっきから聞いてて、良く分かんないことも沢山あったけど。結局は簡単な事でしょ!」

 

 

 アリサ・バニングスは単純に考える。世界の滅びとか、次代の神格とか、まるで分からずとも分かる事が一つだけ。

 

 

「アンタをぶっ飛ばす。何度でも、何度でも、邪魔する度にぶっ飛ばす。んで、その企み挫いて、大団円に持っていけば私達の勝ち!」

 

 

 どれ程困難であろうと、口にするのは簡単だ。目指す事は自由なのだ。その未来が良いのだから、自分はそう動くのだ。

 

 

「アンタの思惑なんて知った事じゃない! 私が、アンタと一緒に居たいのよ!」

 

 

 後で恨まれようと、憎まれようと知った事か。勝手に居なくなるというなら、こっちも勝手に居場所を作る。そして、そこに帰ってくるしかないようにして見せるのだ。

 それがアリサの決めた事。如何に無力であっても、やり抜くという意志を見せつける。何処か恥ずかしそうにしながらも、アリサ・バニングスはその心中をここに明かした。

 

 

「一緒が良い。一緒に居たい。その為なら、何だってやっていけるんだと思う」

 

 

 そんなアリサの後を継ぐように、月村すずかが想いを語る。

 

 

「一人じゃ出来ない事も、皆と一緒なら出来ると信じてる。共にある為に、私達は貴女がいる先を目指す」

 

 

 どれ程底辺に居ると嘆いていても、アンナが居る場所は少女達から見れば遥か先だ。

 目指す事も難しい、到達する事は不可能な地点。それでも、必要ならば目指していく。不可能など、共にある事を諦める理由にならない。

 

 

「覚悟して、アンナちゃん。私、結構しつこいよ」

 

 

 何処か茶化すかのように、されど本気の想いを込めて、月村すずかは己の想いを口にした。

 

 

「……全く、貴女達は」

 

 

 彼女達は揺るがないのだろう。その決意のまま、無力であっても進むのであろう。

 今回の事で痛い程に理解した。力の有無など関係なく、二人は真っ直ぐに追い掛けて来ると。

 

 

 

 本当はこのまま去る心算だった。

 今更彼女達を傷付けようとは思えない。戦おうと言う熱意も失せてしまっている。

 あれだけ念を押されていて、このまま穢土に戻れば粛清くらいはされるであろう。それだけの無様を晒している自覚はあった。

 

 けれど、どうせ粛清されるならば、いっそ派手にやらかしてしまおうか、そんな悪戯心が湧いてきた。

 

 内にある二人に問い掛ける。答えは賛同。渋々だが認める白貌の吸血鬼と、積極的に受け入れる火傷の跡が特徴的な狩猟の魔王。

 二人の支持を受け、そうしようと決めた奴奈比売は、アンナとしての笑みを浮かべると、とんと軽く地面を蹴った。

 

 

「んむっ!?」

 

「にゃっ!?」

 

「……うわぁ」

 

 

 奴奈比売がアリサの唇を奪う。舌を絡め、口移しで何かを与えようとする姿。

 その倒錯した光景に、白き少女は顔を真っ赤に染めて困惑し、紫髪の少女は歓声を上げていた。

 

 数秒程して、二人の顔が引き離される。唐突に唇を奪われ、真っ赤に茹ったアリサに対し、アンナは何時ものように口にする。

 

 

「アリサの初めての相手は未来の恋人ではない。このアンナだー!」

 

「ふっざけんな! この馬鹿アンナ!!」

 

 

 怒りと恥ずかしさに沸騰しながら、殴り掛かろうとアリサが拳を振り上げる。

 その瞬間に、掌から火の玉が生じて、その光景にアリサは一瞬茫然となった。

 

 

「って、何よこれ!?」

 

「……おっと、危ない危ない」

 

 

 驚愕するアリサを無視して、アンナは燃え盛る炎をひらりと躱す。

 絶対必中の特性を全く引き出せていないが、それでも既に力を使える程に馴染んでいる事実に僅か驚愕する。

 

 十年近く、視点を共有して共に見ていた時から思ってはいたが、どうにも彼の女傑はこの苛烈な少女がお気に入りらしい。それこそ、出来の悪い後輩や己の養い子と同じくらいには好感を抱いている様に見える。

 

 

「さ、次はすずかねー」

 

 

 そんな事を考えながら、アンナはすずかへと向き合う。

 そんな彼女に目を向けられたすずかは、唾を飲み込むと意を決して言った。

 

 

「お、お願いします」

 

「……ないわー。ガチレズとかないわー。非生産的過ぎてないわー」

 

「アンタが言うな!!」

 

 

 アリサのツッコミと共に放たれる炎弾を躱しながら、すずかに近付くとアリサと同じように唇を介して力を与える。

 

 彼女に与える白貌の吸血鬼の残滓。

 能力の相性こそは良いだろうが、それでもアリサに対する狩猟の魔王程には好感を抱いては居ない。寧ろ嫌悪に近い情を持っている。自己の生まれを嫌悪する者同士、一種の同族嫌悪と言う物だろう。

 

 それでも、夜の一族の完成形を見ていた串刺し公は、その将来性に期待して納得した。その判断が変わるかどうかは、今後の彼女次第と言えよう。

 

 

 

 力の譲度を終えたアンナは、強く踏み込んで後方へと跳躍した。

 距離をとって、彼女らを見詰めて、そして言葉を口にする。

 

 

「今、貴女達に与えた力、それを生かすも殺すも自由よ。……その魂に食われる事だって、ね」

 

 

 心配の種を取り除く為に、何もなくても暴走する友の為に与えた物。自分の足で歩けるなのはと違って、二人にはそれが必要だと思ったから。例えそれが理由で、如何なる処罰を受けたとしても、後悔だけはしないであろう。

 

 

「……それじゃ、私は帰るわ」

 

 

 もしかしたら、これが今生の別れとなるかもしれない。

 これだけの事をしでかしたのだ。今は敗れ魂だけで保管されている天魔・海坊主と同様に、彼女もまた肉体を破壊され、自由を奪われる可能性は低くない。

 

 それでも穢土に戻る必要はある。崩壊しかけた体を支える為にも、そして自身の願い。彼の復活の為にも、戻らぬという道はない。

 

 

 

 別れの空気を前に、なのはは涙を拭って前を見る。久し振りに懐かしい想いがした遣り取りに、取り戻すべき者を確かに理解する。

 

 

「何度だって、手を伸ばすよ」

 

 

 そんな彼女は、一人ではない。手を伸ばすと語るすずかのように、共に進む友が居るから。

 

 

「首を洗って待ってなさい! 追い付いて、私のファーストキスを奪った事、絶対に後悔させてやるんだから!」

 

 

 そう語るアリサのように同じ目的を見ている友が居る。共に歩いてくれる人が居るから。

 

 

「諦めないよ。共にある日々が、幸福だったって知っているから」

 

 

 一人でないのだから、三人で一緒ならば、きっとその背にだって追い付けるから。高町なのはは諦めない。諦める道理なんて、ない。

 

 

「……待ってなんて上げないわ。私は先に進んでいく。私が世界を救って上げる」

 

 

 その言葉に、振り返らずに背を向けたままアンナは言う。

 彼女達の想いは届いた。もう自分は底辺には居ないのだと、そう友達が思っている事は伝わったから。

 待ってなどやらない。先に居るならそのまま自分も先に進んでやる。

 

 ああ、それでも――

 

 

「私、歩くの遅いから。……もしかしたら、追い付かれるかも知れないわね」

 

 

 そんな言葉を呟いて、彼女は振り返る。その言葉に秘めた想いは、確かに少女達に伝わっていた。

 

 

「それじゃ、バイバイ」

 

 

 別れはいつもの如く、アンナは笑顔でこの地を去った。

 

 

 

 残された少女達は互いを見る。

 

 

「アリサちゃん。すずかちゃん」

 

 

 その声に蟠りはない。涙を拭った少女は、二人の目を見て手を伸ばす。

 

 

「協力して欲しい。一緒に行こう。また、皆で共にある為に」

 

 

 そんななのはの言葉に、アリサとすずかは手を重ねて口を開く。

 

 

「当ったり前でしょ!」

 

「勿論だよ」

 

 

 先は見えない。終末を前に、まだ何をしたら良いのかは分からない。それでも、一人ではない。だから――

 

 

「行こう! 皆で!! あの輝かしい日々を取り戻すんだ!!」

 

『うん!』

 

 

 返る言葉は力強く。三人は共に前を目指す。

 その先がどれ程遠くとも、どれ程絶望的であろうとも、彼女らが躊躇う理由はない。

 

 闇の書を廻る物語は終わった。だが、三人の物語は終わらない。これから先へと進んでいく。

 

 

 

 何時だって、一つの終わりは新たな始まりなのだから。

 

 

 

 

 

                   リリカルなのはVS夜都賀波岐 A's編 了。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5.

 何処でもない何処かで、その結末を見ていたそれは笑みを浮かべた。

 己の思惑通りに動いた事象。その掌中から終ぞ抜け出す事はなかった物語の結末を、両面の鬼は笑って見ていた。

 

 

「しっかし、本当に都合良く進んだわね」

 

 

 呆れを含んだ女の声音。それは予想外は僅かあれ、大体は想定通りに進んだ事象への呆れの声か。

 あの母禮が星を焼くのも、盾の守護獣が彼の力を引き出すのも、そして奴奈比売の行動すらも、全ては両面の鬼の予想通りの事であった。

 

 

「いやー、全くだ。……小っこい姐さんには、足を向けて寝れねぇわな」

 

 

 嘗て、両面の鬼は人であった頃、沼地の魔女に食われて人としての命を落とした。だがその時に、彼はその血肉を内より喰らい、力の全てを奪って復活を遂げている。

 それ故に、この二柱の天魔には深い繋がりがある。力の根源が同じであるが故にその影響を受け続ける。奪われた奴奈比売に主導権はなく、奪った宿儺の意志に準じて、無意識の内に彼に利するように動いてしまうのだ。

 

 奴奈比売が魔法を肯定しているのは、宿儺にとってその方が都合が良かったからだ。まず肯定ありきで判断して、魔法は彼の愛であると言う、自分を納得させる為の理屈を後付けで考える。

 彼の命を削り取る技術を許容する筈がないのに、それを受け入れた方が宿儺にとって都合が良いから、そういう風に思考を弄られていた。

 

 この世界の民に愛情を向けたのは、友好関係を結んだのは、宿儺を通じて夜刀の声を聞いていたからだ。それを聞いている自覚はなくとも、彼女の思考は誘導される。

 彼の愛を無意識にも理解していたから、奴奈比売はこの世界の人々に対して個人的な悪意を向ける事は出来なかった。

 

 そして、なのはやアリサやすずか。彼女らに力を与えたのもまた、その方が宿儺にとって都合が良いから。守るではなく、力を与えるという選択をしたのは、その思考を歪められていたからだ。

 

 この世界の民が力を持つ事こそを望む両面の鬼にとって、実に都合良く奴奈比売は動いてくれた。

 

 

 

 祭祀一切夜叉羅刹食血肉者。同胞である大天魔さえも駒のように扱い、目的の為に利用する両面の鬼は、果たしてどれ程の怪物であるのか。

 その為に内心を弄られ、そして自らの意思で処断される事を受け入れている奴奈比売がそれを知れば、果たしてどう思うであろうか。

 

 それでも、両面の鬼は揺らがない。己が悪である事を認識し、故にこそ打ち破られる瞬間を待ち望んでいる。彼の望みは唯一つ。最後に勝つ為に、その為ならば全てを肯定する。

 

 

「けど、一人だけ」

 

「ああ、確かにあれは想定外だった」

 

 

 それは都合の悪い事ではない。寧ろ彼にとっては良い変化であった。だが、確かに、それは彼の予想を超えていた。唯一人だけが、この両面の鬼の手から抜け出していたのだ。

 

 

「高町なのは」

 

 

 両面の鬼の“遊び”は、先のある者を見つけ出す為の行為でもある。この残骸を打ち破るに足る、可能性を見つけ出す為の行いでもある。

 しばしば遊びが過ぎて潰してしまうが、そうなったらなったで済ませる。その程度の天運も必要だろうと切り捨てる。

 

 そんな彼の遊びにて、落第となった少女が居た。その少女には価値なしと、その少女には先はないと見限った相手が居たのだ。

 だからこそ、その少女の為した事に、宿儺は一切関わっていない。どうでも良い塵芥だからと、見ようとすらしていなかった。

 

 その覚醒も、その活躍も、全ては彼女自身の功績だから。

 

 

「やるじゃねぇか、クソガキが」

 

 

 その在り様は未だ好ましくはない。彼女の血縁だから厳しめに見ていると言うのもあるが、それでも気に入らないと思っている。だが、その活躍は大した物だった。それを素直に認めて、両面の鬼は口にした。

 

 さあ、謀りを進めよう。同胞達が諦めた次代を、彼だけは確信を持って待ち続けているから。億年を過ぎ去る前から、その訪れを待ち続けている。全てを犠牲にしようとも、その道中で自らが討たれようとも、最後に必ず勝つ為に。

 

 

 

 さあ、俺を超えて見せろと両面の鬼は笑う。さあ目論見通り、全てを嘲笑ってやろうと笑い続ける。

 夜都賀波岐の中で唯一柱、彼らの目的に賛同しない男女は己の思惑が達成される時を待っている。

 

 

 

 

 




アンナちゃんが宿儺に影響を受けると言うのは原作設定だったり。

以下、宿儺の影響。(彼に都合良く動いた事)
・この世界や魔法に対する肯定的な反応。
・無印編での魔法少女覚醒シーンでの後押しや、今話でのアリすずへの力の譲度。
・様々な場面でなのは勢に利するようにアンナが動いていた事。
・所々見られた慢心や隙もある程度は宿儺の影響。

A's編でのなのはに対する手助けだけは別。
この時点で宿儺はなのはを見限っていたので、彼女に利するような動きをしたのは、アンナちゃん個人の意志だったりします。



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中伝等級

A’s終了時点での数値。
A’s編までに戦闘を行ったキャラ限定。その中の数名のみを評価。



◇項目解説。

【等級】各キャラクターの能力値。陽はこの世界における基本法則に準じた能力。陰は魔法や歪み、太極など天魔に由来する能力。それらに関する知識や技術、ステータスを含めた総合評価。

 

【宿星】この世界に生きる人々に与えられた役割。占星術の七曜や紫微斗数から対応した宿星を割り当てている。当然、宿星を持たない者も多い。

 

【数値】筋力・体力・気力・魔力・走力・歪み/異能/太極に分類された実際の能力値。何の力も持たない女子供が1。一般平均が2。それなりに優れた物が3と言ったところ。数字が大きくなればなるほど、1の違いも大きくなる。またこの数値の合計が高くとも、技術・能力的に足りなければ等級は低く評価される。またその逆も然りである。

 

【異能】そのキャラが持つ異能。歪みの簡単な説明。

 

【宿星解説】宿星の簡単な説明。何故その星に該当するのか、等。

 

 

 

 

 

 

◇高町なのは

【等級】陽の弐・陰の捌

【宿星】太陽星

【数値】筋力1 体力2 気力8 魔力9 走力3 異能7

【異能】不撓不屈 不足している物。達成する為に必要な物を用意する異能。空の星に追い付きたいという渇望により、明確な格上を相手にした場合に限り、爆発的に力を増す。

 反面、格下を相手取る場合はその真価を発揮できず、特に初見殺しと言うべき絡め手には非常に弱い。

 

【宿星解説】太陽は皆の中核となる星。明るく行動力に溢れるが、反面自意識過剰や頑固者な一面も持つ。吉星。

 

 

 

◇ユーノ・スクライア

【等級】陽の伍・陰の弐

【宿星】太陰星

【数値】筋力3 体力3 気力7 魔力2 走力4 歪み0

【異能】なし

【宿星解説】太陰とは月の事。女性的でロマンチストな人物を示す。彼が月に該当するのはなのはとの暗示。月は太陽がなければ輝けないが、太陽が輝く限り影に隠れてしまう。吉星。

 

 

 

◇クロノ・ハラオウン

【等級】陽の肆・陰の拾

【宿星】天梁星

【数値】筋力3 体力4 気力7 魔力6 走力3 歪み10

【異能】万物掌握 一定範囲内にある全ての位置を望み通りに変化させる歪み。現在では他星系は愚か、遠く離れた次元世界でさえ干渉可能と化している。

 但し、認識している物以外を転移させる事は難しいので、実際の効果範囲はそれ程変化していない。

 

【宿星解説】天梁星は指導者の星。人を率いる事に長ける。人物としては、私事よりも公的な事柄を優先する人物を指す。吉星。

 

 

 

◇烈火の将シグナム

【等級】陽の肆・陰の肆

【宿星】なし(偽りの命故に宿星を持たない)

【数値】筋力4 体力4 気力3 魔力4 走力4  異能0

 

 

 

◇鉄槌の騎士ヴィータ

【等級】陽の参・陰の肆

【宿星】なし(偽りの命故に宿星を持たない)

【数値】筋力3 体力3 気力5 魔力4 走力2  異能0

 

 

 

◇湖の騎士シャマル

【等級】陽の壱・陰の参

【宿星】なし(偽りの命故に宿星を持たない)

【数値】筋力1 体力1 気力2 魔力4 走力2  異能0

【異能】旅の鏡 一種の空間操作魔法。分類としては転送系の魔法となる。相手の体内にすら繋がる鏡を作り出し、距離を無視して攻撃が行える高度な魔法。但し、その魔法の精密さ故に、魔法防御をしっかりと行っている相手には通じ難いという欠点を持つ。

 

 

 

◇盾の守護獣ザフィーラ

【等級】計測不能

【宿星】なし(偽りの命故に宿星を持たない)

【数値】筋力4(25) 体力6 (33) 気力8 魔力30 走力3 (32) 異能12

【異能】時間停滞の鎧 使用者の肉体時間と肉体に触れた場所の時間を停滞させ、同時に自身の筋力、体力、走力を大幅に向上させる異能。

()内は上昇後の数値。全力で使用した場合であり、どの程度力を行使するかによって数値は変動する。

 この力が彼をこの世に留め続ける根源であり、故に彼は存在するだけで魔力を消耗していく。戦えば戦う程、項目の魔力値は減少していき、ゼロとなった時、ザフィーラは消滅する。

 

 

 

◇氷村遊

【等級】陽の捌

【宿星】なし

【数値】筋力8 体力15 気力8 魔力0 走力8 歪み0(10)

【異能】吸血変性 他者を食らい続けた事で得た不死性。彼が考える吸血鬼と言う怪物の具現。魂の質のみで自らを改変している状態であり、故にその質を活かす手段を得れば、彼の陰の等級は一気に高まったであろう。()内の数値は、彼の魂の質を表している。

 

 

 

◇天魔・悪路

【等級】軍勢変性

【宿星】陀羅星

【数値】筋力40 体力38 気力37 魔力33 走力34 太極20

【異能】太極・無間叫喚地獄

万象全てを腐らせる太極。その本質は自身が腐毒を請け負う事で、それ以外の者は清いままであって欲しいという願いである為、悪路自身が最も強烈な腐毒の塊として存在する事となる。腐敗の風は明確な対処法がなく、彼に対して特化した力を持ち出すか、その腐敗にすら耐えきって強引に打ち破るより他に術はない。

 

【宿星解説】怪我や事故。災禍を意味する陀羅の星。凶星に該当し、火星を酷く嫌う性質を持つ。

 

 

 

◇天魔・母禮

【等級】軍勢変性

【宿星】廉貞星

【数値】筋力35 体力35 気力38 魔力36 走力40 太極20

【異能】太極・無間焦熱地獄

万象全てを焼き尽くす業炎と、全てを薙ぎ払う雷光を操る太極。母禮の行動は一挙手一投足全てが雷速であり、その業炎は単純故に打ち破るのが難しい。作中での彼女は、気力が大幅に減少しており、その力も大半がこの数値以上に劣化していた。

 

【宿星解説】意志が強く志が高く曲がった事を嫌う。計算高く、損得を優先する性質もあり、裏切りに対する制裁と言う意味も持つ星。凶星とされる。

 

 

 

◇天魔・奴奈比売

【等級】軍勢変性

【宿星】巨門星

【数値】筋力28 体力25 気力33 魔力40 走力25 太極16

【異能】太極・無間黒縄地獄

他者の足を引き、影の底へと引き摺り下ろす太極。この内側にあっては、人は魔女の囁きによってその心を砕かれる。抵抗すればする程に拘束は強くなり、何れは影の底に囚われて廃人と化してしまうであろう太極。反面、影自体の強度はそれ程でもなく、故に完全に油断した状態ならば、抜け出す事も不可能ではなかった。

 

【宿星解説】口才の星。苦労の星ともされる。落ち着きがあって注意深い反面、秀才型、中途半端の象徴ともされる星。凶星と言われる。

 

【備考】

天魔勢は夜刀弱体化により太極能力のみ大幅に弱体化している。

 

 

 

 

 




宿星はなのは勢が吉星。天魔勢は凶星を当て嵌めています。


次話もこの後修正してから投稿するので、少々お待ちください。




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空白期2
闇の残夢編第一話 闇の残り香


予想よりも長くなった。
……一万字に収める心算だったのに、最近何時もこんな感じな気がする作者です。


副題 地球の内実。ユーノの選択。
   穢土において下される判決。
   海鳴市に未だ残る災禍。


推奨BGM
2.祭祀一切夜叉羅刹食血肉者(神咒神威神楽)
3.鴻鈞道人(相州戦神館學園 万仙陣)


1.

 蒼天の元、葬送の音が響く。

 その場に集いし者らは皆、目を閉じ死者の冥福を祈った。

 

 

 

 地球全土を襲った大災害から一週間が経った。

 犠牲者達を慰問する為に、全世界規模で一斉に式典が執り行われている。仏教のそれではなく、教会式に似ているがやや違いのある葬儀が今、ここ海鳴自然公園を利用して行われていた。

 

 皆が悲しみに暮れている。愛する者との別れに涙を流している。故人との想い出に浸り、今は亡きその姿を惜しんでいる。

 嘆きは満ちている。悲しみは溢れている。……だが、そこにはある種の余裕があった。

 

 悲しむ事。嘆く事。そんな感情を表に出す事は、ある種の贅沢だ。

 必死になって動いている間は悲しみを抱けぬように。衣も食も住もままならず、生きていく事すら安定していないならば、そんな想いに浸っている余裕などない。

 

 まず第一は生きる事。それが満たされなければ、それ以外など思考出来ない。

 追い詰められれば、人は獣と化すのだ。情も理も、今日を生きるのも難しい状況となれば、その殆どが後回しにされるであろう。そうなれない者は、生存することすら出来ないのだから。

 

 世界を包んだ炎は住居を焼いた。田畑や海を焼き払い食物を奪った。着の身着たまま逃げ出した者達に、所有物など何もない。

 残った資源は僅かである。その僅かを廻って奪い合いは起きてもおかしくはない。否、起きない方がおかしいのだ。

 

 この世界に残った総人口は嘗ての1%以下。その総数は7000万人を切っている。

 それでも、そんな彼らを生かすだけの恵みがこの星にはない。この星で生きる事は果てしなく困難な事になっていた筈なのだ。

 

 だが、今は悲しむ余地がある。誰もが悲壮さを持ってはいても、切羽詰まった形振り構わさはそこにない。

 そうなる筈だった未来が、そうはならなかったのは、彼らが介入してきた為である。

 

 

「……聖王教会式の葬儀か。俺は余り信心深い訳ではないが、それでも想う所はある」

 

「ザフィーラ」

 

 

 葬列から外れ、並ぶ人々を見ていたユーノの元へ、青き狼がゆっくりと歩み寄って来る。黒縄地獄に囚われ、奴奈比売が去った後に解放された獣がそこに居た。

 

 その姿は嘗ての狼としての物とは違う。

 青き獣は、主に仕えていた頃の姿ではない。あの大天魔と渡り合った鬼神の如き姿とも違っていた。

 

 まるで小型犬に近い外見。獣の牙を隠した姿。残された魔力を極限まで抑える為、変じた姿は狼と言うには些か迫力不足となっていた。

 力の大半を制限して、己の消費を軽減して、ザフィーラは生き延びる事を選んだ。生き延びて復讐の牙を届かせる機会を待つ事を選んだのだ。

 

 無論、そこまでしても生存の為に常に残存魔力を消費し続ける以上、寿命を先延ばしにする程度の事しか出来ないのだが。

 

 

「故人の為に涙を流す。それは生者の為の儀式なのだろう。……それでも、主の為に泣いてくれる者が居る。その事実が、素直に有難い」

 

「八神はやて、か」

 

 

 ザフィーラの言葉に、ユーノは一人の少女の姿を思い浮かべる。八神はやて。結局、自分とは知り合う機会がなかった少女。

 一瞬の邂逅、それだけしか関りのなかった闇の書の主は、式典の石碑に刻まれる犠牲者達の中に名を連ねていた。

 

 

 

 彼女の友らは、葬列に並び献花を捧げている。

 災厄が去ってからその死を知ったアリサとすずかは涙を流し、その命が閉じる瞬間を見ていたなのはは悲しげな瞳の中に意志の色を宿している。

 

 そんな友が居てくれた事を、盾の守護獣は有難く思う。

 主と交わした言葉と、討つべき仇敵の事しか覚えていない彼は、故にこそ、そんな絆があった事に心の底から安堵していた。

 

 

「ユーノ・スクライア。お前にも感謝している。……お前が居なければ、主の故郷は失われてしまっていただろう」

 

「……僕は、何も出来てやいないさ」

 

 

 ザフィーラが口にした感謝の言葉を否定して、ユーノは拳を握り締めたまま空を見上げる。

 見詰める先にあるのは、管理局が誇る巡航L級戦艦の壮烈。数十を超えるその総数は、正しく圧巻と言うより他にない。

 

 そう。資源を失い。残された人々が生きていく力を失った星に、その文明に手を差し伸べたのは時空管理局であった。

 

 

――銀河の果てに見えた同胞。災禍の果てに滅び去ろうとしている君達を見過ごす事は出来ない。

 

 

 本局統幕議長、ミゼット・クローベルはそう語って、一切の代価を要求することなく、人道的な支援を行った。

 

 魔法文明である事を知らせず、次元世界の存在を伝えず、唯銀河の果てにある科学技術の発展した文明であると偽称する時空管理局。

 その真意を測れずとも、現状の地球文明には他に選択肢などなかった。

 

 国の舵取りをする政治家の多くを失い、国連首脳陣にさえ空席が目立つ現状、地球のあらゆる政府団体に世の中を主導する力はなかった。

 彼らにこの閉塞した現状を打破する術はなかった。故に差し伸べられた手を、藁にも縋る想いで握り返したのだ。

 

 

 

 時空管理局は強大だ。

 大天魔を相手取り、百年以上に渡り耐えてこれたのは、大結界の恩恵も無論あるが、その組織力の高さ、管理世界の持久力の高さも無関係とは言えないだろう。

 複数ある管理外世界。その内の十数と言う世界を、管理局は物資生産拠点に変えている。戦時下にあっても飽食を維持できるだけの地力は、そこから来ているのだ。

 

 その生産力は膨大だ。今の一億を切った地球人類全てを、数十年に渡り養い続けたとしても余りある程の力がある。

 故にこそ、無償で必要な物資をばら撒いたとしても、管理局に痛手などはあり得ない。数年に一度起こる大天魔の襲来直後ですら、人手不足以外の問題などは起こらぬのだから。

 

 

「確かに、救いの手を差し伸べたのは管理局だ。だが、その管理局とて、知らねば何も出来なかった。……彼らが手を伸ばす切っ掛けを作ったのは、紛れもなくお前の功績だ」

 

 

 地球全土を飲み干した焦熱地獄によって、管理局はこの世界に対する目を失っていた。

 ユーノが連絡を取り、状況の説明をしなければ、彼らがこれ程早く現状を知る事は出来なかっただろう。

 今よりも時間が掛かっていれば、食糧難や貧困が生む争いは激化し、凄惨な光景が生まれていた筈だ。

 それを回避できたのは、紛れもなく彼の功績であると言える。

 

 

「……けど、僕が救援要請をした所為で」

 

 

 それでも、それを素直に誇れぬ理由がある。その行いが正しいと言えない理由があった。

 

 表向き、管理局は無償での支援を約束している。だが、その裏では一つの要請があった。彼らは救援を行う為の条件を国連へと出していた。

 

 高町なのは。アリサ・バニングス。月村すずか。以上三名にミッドチルダ国籍を与え、管理局員とする事。

 その対価として、今後十年に渡る生活物資の援助。食料生産施設の譲度。それに伴う技術の供与や環境改善への全面支援を約束したのだ。

 

 管理局側にとっては、大量に保持する物資の幾らかと、既に使われなくなった技術を与えるだけで、大天魔と明確に戦える戦力と、今後見込みがあると思われる人物を確保出来る。

 地球側にとっても、一般人三名を犠牲にするだけで数千万と言う命が救える。

 どちらにとっても利しかない取引は、一週間と言う異例の速さで締結した。少女達やその家族の全てを無視した形で。

 

 

「……そんなの、人身売買と、何が違うのさ」

 

 

 ユーノは忌々しそうに吐き捨てる。

 形の上では移民した後に雇用契約を行って局員となる。確かに給与や保障は用意されているのであろう。

 だがそこには退職するという選択肢がない。局員となる事を拒否する自由がない。それは強制労働と何が違うと言えるのか。

 

 ユーノは思う。クロノの残したデバイスを使い、彼の伝手を利用してどうにか上層部に繋ぎを取り、どうにか二次災害が表面化する前に管理局の評議会を動かせたのは確かに功績なのかもしれない。

 それでも、自分が管理局に働きかけなければ、何も語らずになのはと彼女の大切な人達を連れて逃げ出していれば、少女達が戦力として利用される事はなかった。そう思ってしまうのだ。

 

 彼女達は、もう逃れられない。

 管理局は彼女達がミッドチルダに向わなければ、即座に支援を止めるであろう。そうなれば、国連は彼女らを人類の敵として追い詰めるだろう。

 地球に生きる人々は、自分達が生き延びる為に、必死になって彼女達を槍玉に上げる。

 

 あの少女ならば、自ら管理局員となる事を望んでいたかもしれない。ユーノの葛藤は、独り善がりな傲慢に過ぎないのかもしれない。

 それでも、少年が少女達の未来を変えたのは事実だ。その可能性を潰した事だけは、紛れもない事実なのである。

 

 

「僕は、あの子達の未来を犠牲にする選択をしてしまった。……管理局を無条件で信用せずに、もっと考えていれば分かった筈なのに」

 

 

 何処か幻想を抱いていたのであろう。これまでに見た局員達が、皆素晴らしき人々だったから、局員に成ろうとしていた少年は無条件に管理局を信じていた。それがこの結果を生んだのだ。

 

 

「だが、他に選択肢などなかった。異なる道を選んだとて、数千万の命を犠牲にしていれば、お前はそれを後悔していた筈だ」

 

「分かってる。分かっては、いるんだけどね」

 

 

 この問い掛けに正答はない。揺れる天秤のどちらが重要か。全ての情報が予め分かっていたとしても、正しい結論などは下せないだろう。どんな答えを出したとしても、その判断を悔やみ続ける事になっていた筈だ。

 

 考えるだけ無駄ならば、その思考を止め、別の行動に移るのが建設的だ。そんな事は、言われなくても分かっている。

 それでも、考えてしまうのは、そこに恐怖がある故か。

 

 

「……ねぇ、ザフィーラ。君は、世界の真実をどう思う」

 

「高町なのはが聞いたと言う、あれか」

 

 

 あの戦いの後、高町なのははあの場に居た生存者全員に自らが見聞きした事を語った。世界の危機。魔法が世界を殺すと言う事実。大天魔が望む、全てが凍った紅蓮の地獄。

 何れ訪れるであろう危機を語り、それに対処せねばならぬからと、皆の知恵を貸してほしいと彼女は語った。

 

 

「……正直、スケールの大き過ぎる話だ。そう遠くない内に世界が滅ぶ。魔法を使えばそれが加速するなど、死に掛けの神をこの目で見ていなければ、信じる事も出来なかっただろう」

 

「やっぱり、そうだよね。……その言葉だけで、信じられる人間はそうは居ない」

 

 

 だからこそ、ユーノは管理局員達にもこれを教えようとするなのはを止めた。

 言葉だけでは信じてもらえない。どころか、魔法至上主義を掲げる管理世界でそんな事を口にすれば、敵を増やすだけに終わる。

 信用できるごく少数を除いて話さない方が良い。少なくとも、出来る事がない今は、魔法文明の根幹を変えられぬ以上は、そうするより他になかった。

 故にこそ、ユーノは救援要請を受けてくれたレティ・ロウランと言う名の提督にもその事実を伝える事はなかったのだ。

 だと言うのに――

 

 

「……僕は最初、なのは達の身柄を管理局が要求した時、この世界も魔法文明に変えてしまうんじゃないかって思った。この隙に政治体系を完全に乗っ取って、質量兵器を廃止させて、管理世界を増やしてしまうんじゃないかって、そう考えたんだ」

 

 

 実際、それが出来るだけの力が管理局にはあった。この世界を手中に収めるメリットは薄いとは言え、それでも魔法至上主義者達は今後の為にもこの好機に管理世界を増やそうとするのではないかと考えたのだ。

 

 

「けど、そうじゃなかった。そうはならなかった」

 

 

 だが実際には、管理局はそれを選択しなかった。態々廃れた技術である純粋科学技術を持ち出してまで、魔法の隠蔽を徹底した。魔法至上を語る彼らが、然しそれを強要する事がなかったのだ。

 考えてみれば、現在存在している魔法文明は、その多くが近代ベルカ。ベルカ連合の流れを汲んでいる。ミッドチルダが広めた例は、過去に存在していないのだ。

 どころか歴史書を見れば、管理局が関わった後に、何等かの要因によって滅びた魔法文明は少なくない。

 

 

「その理由を考えたら、この結論しか出なかった」

 

 

 考え過ぎなのかも知れない。的外れな思考なのかも知れない。それでも、魔法至上を掲げながら、魔法を広めようとしない彼らは、もしかしたら。

 

 

「……管理局は、ずっと昔から世界の真実を知っていたんじゃないか? それをずっと黙っていて、その管理下にある人達すらも欺いていたとすれば」

 

 

 魔法至上を掲げるのは、魔法が天魔に抗し得る力だから。その発展の為に、ミッドチルダを完全な魔法社会として作り上げたのだとしたら、どうだろう。

 魔法至上主義者達を躍らせ、質量兵器を封じる政策の根幹が、彼らを打ち破る力を磨く為にあるとすれば。

 

 魔法を広めないのは、その技術が多く使われる事で、世界の終焉を近付けるから。

 対抗する力を持つのは自国と、それに友好的な者等だけで良く、それ以外に広がるのは都合が悪いとすれば。

 質量兵器文明ではなく、管理されていない魔法文明の方が彼らにとっては目障りだったのだとすれば。

 

 ロストロギアの暴走によって滅んだとされる魔法文明。そしてつい先頃に壊滅が確認されたアルザスや、闇の書の暴走による世界壊滅も、おかしなことに管理局にとっては都合が良い形で収まっている。

 

 魔法の発展が望めず、魔力を無駄に消費していた文明ばかりが滅んでいるのだ。それが偶然でないとすれば、或いは本局の初動の遅さすら、後進的な魔法文明を切り捨てる為の作業だとすれば。

 

 

「……僕は管理局が怖い。必要とあらば、あの子達も捨て駒にされるんじゃないかって、そんな風に考えてしまうんだ」

 

 

 戦時下の国家はある種の狂気に満ちている。追い詰められれば追い詰められる程に、そこに狂的な思考は蔓延していく。

 どれ程日常が幸福であれ、どれ程物資に満ち溢れているとは言え、それでも管理局は大天魔と言う災害相手に戦争をしているのだ。そんな彼らに、狂気がないと何故言えようか。

 

 管理局が持つ圧倒的な組織力。そこに潜む闇とでも言うべき冷徹な意志。

 大天魔達による蹂躙。暴力による脅威とは別種の恐怖が、其処にはあった。

 

 

「ならばどうする? 怖いからと逃げるか?」

 

 

 盾の守護獣は、見定めるかのようにユーノを見る。その問い掛けの言葉に、ユーノは首を小さく振ると、少し考えてから口を開いた。

 

 

「……僕は、司書になろうと思う」

 

「お前が、か?」

 

 

 その予想外とでも言うべき言葉に、ザフィーラは目を丸くした。

 少年の作り込まれた体を見る。その幼さで、どれ程真摯に鍛え上げたのか分かる動作を見る。

 その一挙一動にすら武の色が出る程に、鍛え上げられた彼の身は間違いなく戦場を行く者だと思えたから。

 

 

「お前は、戦士ではないのか?」

 

 

 その言葉には少し棘があった。お前は守るべき者らが捨て駒になるかも知れない状況で、自分だけ安全地帯に逃げるのか、と。

 そんなザフィーラの問い掛けに、ユーノのは心中の想いを吐露する。

 

 

「……そうありたいと思っているし、そうなりたかったよ」

 

 

 それは少年の願望だ。何れ打ち破ると誓った相手と戦う為に、憧れの女の子の背に守られているだけで居たくはなかったから、男の意地を通したいと思っていたのだ。

 

 

「けど、僕の資質は戦場(そこ)にない」

 

 

 しかしユーノは理解した。連続して起きた大天魔との争いの中で、管理局に潜む闇を知った事で、戦場に出ても使い捨てにしかならないと自覚してしまった。

 戦場で戦い抜いて、生き延びたとしても、上には行けないと分かってしまったのだ。

 

 

「……クロノが言っていたように、僕の魔力資質は後衛向きだ。権力を握ろうと思えば、司書になるのが一番の近道なんだと思う」

 

 

 無限書庫とは、管理局の全知が眠ると言われる場所だ。今は全く使われていない其処も、建て直せば情報の宝庫と化すであろう。

 情報とは力である。たった一つの情報が戦場での生死を左右する事も珍しくはなく、使い方によっては人を意のままに操ることも出来るだろう。

 

 ならば、無限書庫を再建させ、その全権を握った上で情報を活かす様に動けば、無限書庫自体の権勢を確固たる物へと変えて行けば。

 

 

「上手くすれば、管理局の上層部にも食い込める。権勢を利用して、あの子達が捨て駒として使われそうになった時に、その命令を撤回させられるかも知れない」

 

 

 それは未だ絵に描いた餅に過ぎない。それでも、戦場に出るよりも確かに可能性は高い。ユーノに与えられた選択肢の中で、最も上を目指しやすい道。

 

 

「そうでなくとも、情報を一手に握れば現場の人達との繋がりが増える。……信頼出来る人達との繋がりを利用すれば、いざと言う時に流れを変えるだけの勢力が作れるかも知れない」

 

 

 魔法が世界を殺す。その真実を明かせぬのは立ち位置の脆弱さ、社会的な地位を持たないが故だ。信用性がない言葉を口にしたとて人は集まらず、上位者に危険と認識されれば消されて終わりだ。

 だが、それだけの勢力を集め、管理局すらもどうにか動かす事が出来るようになれば、何れミッドチルダを魔法文明から脱却させる事が出来るかも知れない。

 魔法を使う事を制限出来るだけの立場を得る事も出来るかも知れない。その可能性を、その道の先に認識したからこそ。

 

 

「だから、僕は司書を目指す。無限書庫の司書長になって、管理局を中から変えるよ」

 

 

 少女達にあったかもしれない平穏な未来を奪った少年は、故にこそ己が戦いたいという意地を捨てる。

 己の為したい事を、目指したかった夢を諦めて、より可能性の高い道を目指す事を明言する。

 

 その諦めが混じった表情に、悔しさが滲んだ表情に、それでも前を見る事を止めない意志の籠った瞳に、見定めていたザフィーラは口にする。

 

 

「ならば、俺も連れて行け」

 

「え?」

 

「そう驚く事でもあるまい。……どうせ管理局からは、俺を勧誘しろとでも指示が下っているのであろう」

 

「……それは」

 

 

 その言葉は、どこまでも事実であった。時間制限があるとは言え、大天魔と五分に戦える戦力。それを管理局が見逃す訳がない。

 民間人でしかないユーノにも、彼を管理局へ引き込めという指示が下されている。彼が失敗したとしても、十重二十重に懐柔させる手段は思考しているであろう。

 

 

「お前が俺を勧誘し、俺がそれに応じた。……そうなれば、お前に対する管理局側の心象も良くなるだろう。上を目指すのも、多少は楽になる筈だ」

 

「ザフィーラ、君は」

 

 

 管理局に所属すると言う事は、戦闘を生業とする事と同義だ。今の彼にとって、戦闘とは最も避けねばならぬ事だろう。

 戦闘行為は、最低レベルに抑えたとしても日常生活より大きく魔力を消費する。残された魔力を使い切れば消滅するザフィーラにとって、その消費は何より痛い筈だ。消えてしまえば、復讐と言う望みが果たせないのだから。

 

 

「勘違いはするなよ。俺は復讐を諦めてなどいない。奴だけは許せん。認められん。その討滅こそが最優先。それ以外など些事に過ぎん。それを果たすまで、消える訳にはいかない。……それでも、消滅の危険があっても管理局に所属するのは、消費する魔力以上の利があるからだ」

 

 

 その瞳の憎悪は消えていない。その恨みは晴らされてなどいない。

 管理局に属するのは、彼らの情報力を期待しての事だ。彼らが大天魔と明確に敵対しているが故だ。

 ただ一人、単独で動いても彼らには届かない。穢土夜都賀波岐の本拠地すら分からぬ現状、単独で動いても意味がない。

 

 ならば、彼らが定期的に襲い来るミッドチルダに定住するのは、天魔・母禮以外の大天魔や木っ端な犯罪者達の相手をしなくてはならない事を考えてもなお、利益があるとザフィーラは考えたのだ。

 

 

「管理局は好かんし、信用も出来んが、それでも所属する価値がある。利用する余地がある。……そして、お前は信用が出来る」

 

 

 主が弔われる環境を作った少年を、己の夢を諦めてもより良き道を歩く少年を、ザフィーラは信が置けると見定めた。

 己が復讐の妨げにならない範囲でなら、多少の手助けをしてやろうと思えるだけの男である、と。

 

 そして、見定める以前から感じている感情に区切りを付ける。

 その記憶は残らずとも、魂の何処かに残っているそれに、ザフィーラは一つの言葉を内心で零す。

 嘗ての恩義、今返したぞ、と。

 

 

「……ありがとう」

 

「さて、な」

 

 

 そうして、自然と会話の途絶えた二人は、葬列の先に視線を向ける。

 献花が終わり、人々が目を瞑って冥福を祈る中、ユーノとザフィーラもまた彼らに習い目を閉じる。

 

 

 

 葬送の鐘が再び音を奏でる中、夢破れし少年と闇の残骸は、静かに死者を悼んだ。

 

 

 

 

 

2.

 黄金の瞳が見詰めている。

 

 

「さて、何か弁明はあるか?」

 

「……何にもないわよ。そんなもん」

 

 

 嘗てはあれ程黄金と対立し、討論を重ねていた腐毒の王がその傍らに侍る。その姿を不釣り合いに思ってしまうのは、対立していた時間が長いからか。

 あれ程この世界の民を信じようと、次代はきっと生まれてくれると語っていた悪路王。

 誰よりもこの世界の民を信じ期待していた天魔・悪路が、この世界の住人を蛇蝎のように嫌う彼女の横に居る姿に、何処か物悲しさを感じながら沼地の魔女は静かに立つ。

 

 彼女にはもう、弁明も反論もない。抵抗をする事もなく、下される処罰を受け入れるつもりであった。

 

 

 

 ここは穢土。地球に良く似た姿をしたこの世界こそ、夜都賀波岐の本拠地とも言うべき場所。

 否、地球に似ているという言い方は相応しくはあるまい。逆なのだ。この世界に似せて、神は地球を生み出したのだから。

 

 穢土。嘗ては日本と呼ばれた国の北の果て。無間蝦夷と言う土地に神は眠っている。

 その神体は衰え、その身体は失われ、残されたのは血肉を失くして皮と骨だけとなった巨大な黒蛇。まるで蛇の木乃伊だ。死せるが如きその姿こそ、今ある神の姿である。

 

 神前に置いて行われる裁き。それを執り行うのは、少女の姿をした一柱の偽神だ。

 白き髪は腰に届く程に長く、その頭には黒き花飾りが飾られている。緑色の着物を纏った死人の如き少女は、他の大天魔とは異なる、その黄金の瞳で奴奈比売を見詰めていた。

 

 彼女こそ、将なき夜都賀波岐を率いる者。首領代行たる任を持つ、最も重要な大天魔。穢土に置ける子宮であり、心臓でもある少女。天魔・常世に他ならない。

 

 

「……一応、聞いておくよ。何であんなことをしたの?」

 

 

 心底から解せない、という表情で常世は問う。

 

 

「彼に愛されながらもそれを理解出来ないゾウリムシ。生きる価値のない害虫に対して、貴女が其処までする理由が見えない」

 

 

 常世は誰よりもこの世界の民を嫌っている。

 彼に愛されながら、もっともっとと口にする管理世界の者達も、彼が苦しんでいるというのに笑顔で繁栄を謳歌している管理外世界の者達も、皆々全て纏めて滅んでしまえば良いとすら思っている。

 

 貴方達が生きていられるのは彼のお蔭でしょう? 億を超える歳月があったのだから、もう十分に幸福は味わった筈でしょう? ならばその命を捧げなさい。今すぐに自決して、彼の為の贄となるのが、貴方達に出来る唯一つの事でしょう。

 

 それが常世の思考だ。揺らぐことは無く、悩む事もなく、唯只管にそう思っている。

 故にこそ、神の復活に躊躇はない。大紅蓮地獄を呼び込む事に思う所は何一つとしてありはしない。

 そうなる事が当たり前であると考えているのだから。

 

 だからこそ、この世界の民に心を移す奴奈比売や、高々少女一人殺した程度で揺らいだ母禮の在り方が理解できない。理解しようとも思えない。

 故にこの問い掛けに意味などない。彼女はどんな解答を聞いた所で変わることは無い。

 

 唯、奴奈比売に対して、末期の言葉を問うているだけなのだ。

 

 

「……そうね。自分でも、どうかしてるって思ってるわ」

 

 

 そんな常世の言葉に、下される処罰を予想しながら、奴奈比売はそんな言葉を口にした。

 

 

「ほんっと、どうかしてる。……自分より他人を優先するとか、キャラじゃないって分かってるのよ」

 

 

 投げやりに、溜息混じりに、そんな言葉を口にして。

 

 

「それでも、ま、次があったら、……また同じ事しちゃいそうなんだけどさ」

 

 

 苦笑交じりに、そんな言葉を口にした。友達の危機に動いてしまった事を、後悔してはいなかった。

 

 

「そう。……反省はしていないって事だね」

 

 

 そんな姿に、常世は結論を下す。奴奈比売はもう必要ないと。

 興味を失くしたかのように彼女は視線を外す。そして、彼女に変わり悪路が一歩前に出た。

 

 

「お前がこれからどうなるか、分かっているな」

 

「ええ。……聖餐杯と同じように、魂だけで保管されるんでしょう?」

 

「来たるべき時まで、全ての自由を剥奪する。……分かっていて為したのならば、覚悟の上で行動したのだと受け取ろう。その覚悟、理解は出来んが賛辞しよう。……そして、あの子を救ってくれた事にだけは感謝している」

 

 

 その覚悟に賛辞を。妹を救ってくれた事に感謝を。それだけを悪路は奴奈比売に告げて、その背に巨大な随神相を顕現させる。悪鬼の形相を浮かべた巨人は、その手に持った巨大な剣を振り被る。

 

 

「介錯する。痛みは与えん。一瞬で終わらせよう」

 

 

 故に神相による全力の一撃を。唯の一斬に奴奈比売の全てを切り捨てるだけの力を込めて、巨大な悪鬼は剣を振り被る。

 

 その一撃を見て、受ければ己は消滅すると理解する。魂だけは残す心算なのだろうが、それ以外は残らぬであろう絶殺の一撃。

 元より逃れる気などない。争う心算など皆無である。奴奈比売の最終目的は彼らと同一であり、歯向かう事で彼らの戦力を落としてしまうのは本意ではないから。

 それに、これは抗ったとしても無意味に終わらせられるのであろう。それ程の力がある。そんな風に考えて。

 

 

(ここで、終わりか。……ごめん。追い付かせてあげらんないわ)

 

 

 そんな風に、この場に居ない誰かに謝った。

 

 

「さらばだ。……道を違えた同胞よ」

 

 

 巨大な悪鬼が剣を振り下ろす。その全霊の一撃を、奴奈比売は目を瞑って受け入れた。

 

 

 

 

 

「……何の心算だ。ゲオルギウス」

 

 

 悪路の言葉に、奴奈比売は目を開く。彼の神相が振り下ろした腐毒の剣は、両面の鬼によって止められていた。

 

 

「おいおい。……ここで姐さん切り捨てんのは、ちーっとばっかし愚策じゃないのかね」

 

 

 おお、痛い痛いと嘯きながら、両面の鬼はニヤニヤと笑う。

 悪路王の全霊の一撃を神相の片手で受け止めながら、痛いだけで済ませる鬼は夜都賀波岐においても別格の一柱だ。

 

 

「アホタルの阿呆は自滅しかけの消滅しかけ。でっかい方の姐さんも最近見ないとこを見ると、結構ヤバいんじゃねぇの? 元々俺らん中では一番弱かったし、億年単位で摩耗して、ダチ殺したのが引き金になったってとこかい」

 

 

 笑いながら鬼が語るは夜都賀波岐の現状。最悪なまでに追い詰められている彼らの状況を、嘲笑いながら指摘する。

 

 

「……んで、そこの電波先輩と黒甲冑は動かせねぇ。それなのにちっこい姐さん切り捨てたら、おいおい本格的に動けんのが兄さんだけになっちまうじゃねぇか」

 

「だから、何」

 

 

 そんな鬼の嘲笑に、真っ向から常世は向き直って口を開く。

 

 

「リザは休み休み動かせば、まだ大丈夫。櫻井さんも暫く時間は掛るけど、数年もすれば回復する。……その間は、私と戒君が動けば良い。寧ろ利敵行為を働く内敵が居る方が面倒だよ」

 

 

 内敵という言葉。それが向けられるのは、奴奈比売だけではない。その冷たき黄金の瞳が、少しずつ力を増している斬撃が暗に示している。彼に対する皮肉である。

 

 

「それじゃ、あのガキどもはどうするよ。……アホタルの馬鹿は排除すべきと判断したんだろ?」

 

「……今は放置する。彼女らに関わっている暇はないし、どうせ彼が復活すれば何も出来ない。態々こちらから仕掛ける必要性を感じない」

 

「ま、道理ではあるわな。……あのガキどもがミッドチルダに行くと、攻め込むのが大変になる訳だが」

 

「…………」

 

 

 その鬼の言葉に怒りが向けられる。お前がそれを言うのか、と、庇われている筈の奴奈比売すら怒りを向ける。

 そもそもこの両面の鬼が穢土の秘宝を渡さなければ、ミッドチルダを攻め込む必要など生まれなかったのだから。

 

 

「……以前から聞こうと思ってた。遊佐君。貴方、何を考えているの?」

 

 

 怒りを飲み干して、天魔・常世は宿儺に問う。嘲笑う鬼が一体何を思考しているのか、と。

 

 

「はっ、言っただろう? 俺だから分かる。俺にしか分からねぇ」

 

 

 そんな問い掛けに、煙に巻くように鬼は笑う。己こそが、将の代弁者であるのだと笑う。

 

 

「俺はあいつの裏面(ダチ)だぜ? だから、俺が一番あいつの事を理解してんのさ」

 

 

 その言葉に、常世と奴奈比売は殺気立つ。

 愛する男の一番の理解者であると語られて、それが真実であるが故に嫉妬の情を抑えられない。

 

 

 

 両面の鬼は、穢土の自滅因子である。自滅因子とは、神が真実全能であるが故に発生してしまう災厄だ。

 人の意識と全平行世界という巨大な体を持つ者。それこそが覇道神。だが人の意識を持つが故に、彼らはある種の禁忌に惹かれてしまう。

 

 高所にあっては墜落を。魔が差すと言う感情。誰しもが一度は抱いた事があるであろう、破滅への願望。

 覇道神の場合、それは致命的な癌を生む。彼らは全能であるが故に、無意識に己を破滅させてしまうそれを生み出してしまうのだ。

 それこそが自滅因子。誰よりも神を愛し、誰よりも神の想いを汲み取り、誰よりも神を理解して、誰よりも神を満足させてから破滅させる癌細胞。

 神が健在な限り神自身の力によって同格にまで強化され、そして何度滅びようともまた生まれ落ちる神の逆しま。両面宿儺とはそれである。

 

 

「んで、言わせてもらうとだ。……お前ら詰まんねぇと思ってんぜ」

 

 

 両面の鬼は語る。その在り方は退屈だ。そのやり方は飽き飽きしている。過去に縋り、残存に縋り、次代を諦めた同胞達を詰まらないと言い捨てる。

 

 

「あいつが残した物にしがみ付いて? 秘宝だ何だと後生大事に抱え込んで? んで、腐らせてりゃ意味ねぇだろ」

 

「……だから、貴方はアレまでも渡したと言うの?」

 

 

 宿儺が穢土より持ち出させた物。その三つは、どれか一つ取っても譲ってはならない物だ。僅かな残滓しか残っていないとしても、それを持ち出す事は許容できない物だ。

 だが、その中でも特に渡してはならない物があった。彼の欠片よりも、黄金の槍よりも、彼の想いを理解しているなら渡してはならない物があったのだ。

 

 

「……彼が愛した女神の形見を。“罪姫・正義の柱(マルグリット・ボア・ジュスティス)”すらも彼女に与えたのは、そんな理由だとでも語る心算?」

 

「形見だ何だ言った所で、あれの中身は残ってねぇ。……なら、別に良いだろ」

 

 

 そんな常世の糾弾を、どうでも良いだろうと宿儺は笑う。

 その態度に、黄金の瞳は鋭さを増し、悪路王の斬撃はその重みを更に増す。されど、へらへらと笑う鬼は揺るがない。

 

 

「ま、悪い様にはしねぇさ。……信じろって、俺はお前らの事も仲間(ツレ)だって思ってるんだぜ」

 

「…………」

 

 

 笑いながら語る鬼の言葉に、信憑性などは欠片もない。

 彼らの将ならば、そんな鬼の悪ふざけを掣肘する事も出来たのだろうが、この場に居る者らにそれは出来ない。

 

 

「ってかよ。今は俺の事より、姐さんの事だろうが。……実際どうすんのよ。俺は使い勝手の良い手駒ってのは幾ら居ても良いと思うぜ。手数がマジで足りてないんだっての。また不利益かますようなら、そん時改めて切り捨てりゃ良い」

 

 

 鬼の言葉は確かに正論だ。現状、手数が足りていないのは事実であり、時間制限すら存在している。ここで奴奈比売を切り捨てるのは、確かに愚策であるのだろう。

 それを口にするのが、この両面の鬼と言う時点で、その正論に対する信用性は失われている訳だが。

 

 

「……マレウス。貴女、次は殺せる?」

 

「……あの娘達は私の失態の結果よ。それが私達の目的を阻むなら、私が止めるわ」

 

 

 その回答は常世の望んでいる物ではない。ここまで来ても、止めるだけで済ませようとしている奴奈比売を残しておく事に一抹の不安を感じる。それでも。

 

 

「……良いよ。今回は見逃してあげる」

 

 

 常世はそう結論付ける。今、ここで両面の鬼に暴れられては困るからこそ、仕方なしに彼の言を受け入れる。

 

 この両面の鬼を掣肘出来るのは、将である永遠の刹那を除けば、最強の大天魔である彼だけだ。この嘲笑する怪物を仕留められるのは、対である天魔・大獄を置いて他に居ない。

 だが彼は今動かせない。両翼が争い合えば夜都賀波岐は自壊する。この世界は終焉を迎えてしまうから。

 

 

「だとよ。だからさ、兄さん。これ止めてくんね。手、痛ぇよ」

 

「…………」

 

「無言で体重乗せんなって!? マジで痛ぇんだからよ!!」

 

 

 そんな悪路と宿儺の遣り取りを見詰めながら、常世は思う。

 今は未だ、この鬼の好きにさせているしかない。それでも、何れこの鬼は如何にかしなくてはならない。

 

 彼は永遠の刹那の自滅因子だ。確かに彼の想いを誰よりも叶えるであろう。だが、その業に縛られる限り、何れこの鬼は夜刀を滅ぼす。それが自滅因子と言う存在だから。

 

 嘗ての友誼に蓋をして、常世は冷徹にこの鬼を排除する術を考える。

 

 

(さーって、どうなるかねー)

 

 

 己に向けられる仲間達の感情を、笑みを浮かべて受けながら両面の鬼は企みを進める。

 

 彼の残した布石は一つ。地球に未だ残っている。

 それが種火のままで消えてしまうか、それとも大火となるか、どちらかなど読めはしないし、どちらになろうと構わない。

 

 上手くすれば、あの子供達への試練となるだろう。当たれば儲け物程度の、気紛れで残した布石の一つに過ぎない。

 

 

(ま、どうせなら、派手に暴れてくれよ。なぁ、夜天の書)

 

 

 両面の鬼は地球と言う星を神の瞳で見つめながら、笑い続けるのであった。

 

 

 

 

 

3.

 草木も眠る丑三つ時、海鳴の街外れにある人気のない廃工場に男達が集まっていた。

 彼らは先の災害にて全てを失った者達だ。家を、職を、愛する者を、何もかもを失くした者達である。

 この海鳴にて、そんな者は少ないとは言え珍しいと言う程でもない。その殆どが、多くの支えによって立ち上がり、もう一度前を向いている。

 だが、誰もが強くあれる訳ではない。もう一度立ち上がる事が出来ない者も、確かに居るのだ。

 

 彼らはそんな者達だ。失った者が大き過ぎて、もう立ち上がれない者達。どうして自分だけが、とまだ大切な者が残っている人々を妬む者達。そして行き場のない感情を、同じ地獄を生き延びた者らに向ける者達だ。

 

 彼らにも理由はあるのだろう。それでも、他者を害する免罪符にはならない。それを分かっているのか、それともいないのか。

 彼らは日々、海鳴にて様々な犯罪行為に手を染めていた。

 

 この日も、そう。惰性にてこうして集まり、戯れに適当な女でも攫って楽しむかと考えていた所で、その女は現れた。

 銀髪の若い女だ。体のラインが強調される服を来たスタイルの良い女は、フラフラと千鳥足で歩いている。

 

 男の一人が思わず口笛を吹く。それ程に、その銀髪の女は見目麗しい。

 男達はその欲望に濁った眼を女に向ける。どうせこれから女を攫おうとしていた所だ。これ程の上玉が迷い込んで来たのなら、丁度良いと下種染みた笑みを浮かべる。

 

 フラフラと歩く女。酔っているのだろうか、ならば都合が良いと男達の内の一人が彼女に近付いて声を掛けた。

 

 

「なあ、アンタ。……こんな所に来て、どうなるか分かっていたんだろう?」

 

「どうなるか? どうなるの? ああ、どうなるのでしょうか? どうしたいのかが思い出せない」

 

 

 そのズレタ返答に男は鼻白む。それでも、戸惑いは一瞬だった。

 あの災厄の日以来、頭がイカレた人間は少なくはない。この女もそうなのだろうと結論付ける。

 自分達と同じ、明確な被害者である。そう思い込んだ男は、一瞬立ち止まるが、それも今更。犯した女も、殺した人も、奪った物も、全て同じ被害者達だったのだから、それが止める理由には繋がらない。

 

 寧ろ頭がイカレていれば抵抗されないだけ都合が良いと、女を押し倒すとその服を剥ぎ取った。

 その豊満な胸を手で鷲掴む。己の欲望を晴らそうと、荒い息を上げて。

 

 

「ああ、そう言えば(はやて)は胸がお好きでしたね。……あれ、(ユーリ)はそうでしたっけ? 主は、主は、主は、……主は誰でしたか? 思い出せない。思い付かない。ああ、私は救わなくてはいけないのに」

 

「はっ、主か。良い趣味してんな、おい。……俺が主だ。お前は俺を救うんだろ? 満たしてくれよ」

 

 

 銀髪の女の妄言に漬け込む形で男は言う。

 特に深い考えがあった訳ではない。唯、こう言えば自分から股を開くのではないか、そんな下賤で浅慮な思考で口を開き。

 

 それが切っ掛けとなる。

 それが種火に過ぎぬそれを、爆発させる切っ掛けとなったのだ。

 

 

「ああ、そうだ。私は救わなくては。主を救わなくては」

 

 

 太極位階による攻撃を受けてもなお再生可能という、第四天の秘技によって作られた彼女は、故に母禮の炎を真面に受けても、その断片を残していた。

 だが、それだけだった。彼女は両面の鬼に自壊させられ、炎雷の天魔に焼き尽くされて、そして残った断片は致命的なまでに壊れていた。

 

 彼女は現状を正しく認識できていない。嘗ての主達を区別出来ず、全てが曖昧にしか覚えていない。そして現実に今生きている者達の姿も、正しく認識出来ては居なかった。

 彼女は未だ救わねばならぬという意識を残していた。本来、世界を救う為に全てを切り捨てた夜天は、しかし何を救うべきかを忘れてしまっていた。

 

 だからこそ、男の言葉が切っ掛けとなる。その言葉で、彼女の中に残った記憶の断片が異なる形で結び付く。

 

 他者を認識できない。混ざり合った主の記憶は、誰が誰だか分からない。

 だがこの男は主だと名乗った。この男も主なのだ。ならば、この男と同じに見える、他の者達も皆、主なのだろう。

 救わなくてはならない。救うべき対象が分からない。だが主が教えてくれた。主を救うのだ。私はその為に生きているのだろうと、夜天の書は結論付ける。

 

 

「ああ、救わなくてはいけない。……それなのに、貴方はどうして嘆いているのですか?」

 

「……っ、何を!?」

 

 

 望まぬままに堕ちた男は、癒えぬ悲しみを抱いていた。その嘆きを、夜天が見逃す事はない。

 

 

「救われて下さい。幸せになって。私は“貴女”こそを救いたいのです」

 

 

 男の姿が、嘗て犠牲にした少女の姿に映る。

 故に、夜天はその男の中に悲しみを放置など出来ない。当然の帰結として、それを排除せねばと考え至る。

 救わなくてはと思う。救う為にはどうすれば良いかを考える。その回答は、至極単純な事。

 

 

「現実が貴女を救わないならば、優しい夢に浸ってしまいましょう」

 

 

 その為の力はある。その為の魔法はある。ああ、けれどこの偽りの夢では、簡単に覚めてしまうかもしれない。一度取り込まねばならぬ以上、上手くいかない可能性もある。

 だから知識の内にある魔法と組み合わせる。甘い香りを媒介に、幸福な夢に他者を閉ざす魔法を作り上げる。

 

 

「だから、己に閉じて? 幸福な夢の中で、幸せになって下さい」

 

 

 濁った瞳で、慈母の如き笑みで、そう女が口にした言葉を聞いた直後。ぐちゃりと言う異音と共に、男の意識は途絶えた。

 

 後に残るは、半裸の身を隠す事すらしない銀髪の女と、彼女が優しく撫でる醜悪な肉塊の姿。

 

 

「愛い、愛い。愛い、愛い」

 

 

 肉塊に取り込まれた男は、自らの命を糧に永劫覚めない夢を見せられ続ける。終わらない、優しい夢を。

 

 

「ば、化け物!?」

 

「なんだよ、それ! ふざけんな!!」

 

 

 彼女の近くで順番待ちをしていた男達は、その光景に悲鳴を上げて散り散りに逃げ始める。

 肉塊に飲まれた男を救おうとは思わない。それ程の情はないし、そもそも、彼らの目には男が肉塊に変じたようにしか見えなかったのだ。

 無意識に、もう助かる筈はないと結論付けて、己だけは助かるのだと女から逃げ出す。

 

 絶望に浸っていても、享楽的に破滅を望んでいても、それでも女に醜悪な肉塊へと変えられるのだけは嫌だった。

 故に、怯え戸惑いながら、男達は逃げ惑う。それを。

 

 

「ああ、何故そんなに怯えているのですか? 震えないで、恐れないで、それでは貴女が救われない」

 

 

 その逃げ惑う姿を前に、己が元凶だと思考出来ぬ夜天は、彼らを救う為に動き出す。

 彼らもまた主なのだ。顔も知らず、声も分からぬあの男が主だったのだから、同じく誰だか分からぬ者達も皆、主なのだろう。

 夜天はその思考の破綻にすら気付くことは無い。

 

 

「救われて下さい。幸せになって。己の形に閉じて、幸福な夢に眠りましょう」

 

 

 女は逃げ惑う主達を、全て同時に救おうと己の作り上げた魔法を更に変質させる。その甘き香りで、全てを眠らせる脅威へと変じる。

 

 

「舞われ、廻れ、万仙陣」

 

 

 幼い夢を起こしてはいけない。夢見る夢を壊してはいけない。幸せにしたいのです。幸せになって下さい。

 狂った女は唯、それだけを願っている。

 

 ぐちゃりと音を立てて、肉塊が生まれる。

 その数は、男達の数と同数。唯一人姿が変じることは無い醜悪な肉塊に囲まれた女は、慈母の笑みでそれを慈しむ。

 

 

「愛い、愛い。愛い、愛い」

 

 

 夜天の悪夢は終わらない。

 海鳴市の闇の底で、それは秘かに蠢いていた。

 

 

 

 

 

 




宿儺さんの本音「俺は(俺にとって)使い勝手の良い手駒ってのは幾ら居ても良いと思うぜ。(お前らの裏かくのに俺一人じゃ)手数がマジで足りてないんだっての」


そして救済と言う名の死体殴りの対象に選ばれたのはリインフォースでした。
万仙陣になったのは、彼女の劇中での主の救い方がこれ黄錦龍と同じじゃね、と思ったのでノリでやった。後悔はしていない。

阿片成分は氷村さんがやったので、リインは万仙陣(阿片抜き)です。
香りを媒介に眠らせる魔法と、原作で使われた幸福な夢を見せる魔法を組み合わせた能力。匂い嗅いだ時点で嵌る鬼畜コンボ。
肉塊のイメージは闇の暴走体みたいな見た目。取り込まれた対象の魔力を消費して、対象が死ぬまで幸福な夢を見せ続けます。


闇の残夢編はちたま最後の危機。海鳴市にて彼女が起こす騒動の話となります。




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闇の残夢編第二話 変わる日常

今回は少し糖度高めの話。リインとの戦いはまだです。


副題 ユーノの今。それぞれの事情。
   アリサとすずかの力。新たに進む為に何が必要か。
   忘れられない刹那を作ろう。



1.

 それは海鳴の闇の底で蠢いている。

 醜悪な肉塊に包まれて、夢見る女は唯一人、愛い、愛いと呟き続けている。

 

 

「……ああ」

 

 

 女がそう零した瞬間に、肉塊の一つが悲鳴を上げるかのように収縮して潰れた。

 

 元よりその肉塊を支える力が女には残っていない。その肉塊は内に閉じ込められた人の命を削って成り立っている。

 故に、必然として時間が経過すれば肉塊は崩れ落ちる。中身が尽きればそれは潰れる。

 

 

「良かった。貴女は救われたのですね」

 

 

 それを福音と受け取り女は笑みを浮かべる。

 幸福な夢の中で命を終えた人間を、素晴らしいと夜天は見送った。

 

 

「ああ、けれど減ってしまった。主が逝ってしまった。……もっと、もっと、次の主を救わなくては」

 

 

 銀髪の女は壊れている。どうしようもなく終わっている。

 あれから一月が経ったのに、彼女を囲む肉塊は変じていない。増えてもいない。壊れる矢先に女が継ぎ足し増やすから、増える度に嘗ての肉塊が潰れるから。

 

 定数を保ったまま、海鳴の底で女は狂い続ける。

 断片である己を支える事すら出来ぬ女が肉塊と共に消え失せるのは、そう遠い未来の話ではない。

 

 

 

 

 

2.

 管理局地上本部。そこに置いて“本局”と称される部署からの帰り、ユーノは深い溜息を吐いた。

 

 食堂の椅子に腰掛けて、最近は毎日利用している栄養ドリンクの蓋を開けると一気に飲み干す。

 目の下に出来た隈は消えない。体に残った疲労は消えない。それでも、僅かな達成感がその身に宿っていた。

 

 

「漸く、これでスタートラインだ」

 

 

 先程、本局勤めの事務官より渡された書状を見る。

 それは簡易ではあったが、最高評議会の証印が押された辞令。ユーノ・スクライアを無限書庫の室長へと正式に任命する書類であった。

 

 

「まだ、僕一人しかいない部署だけど。……これで漸く、動き出せる」

 

 

 この一月、無限書庫に入り浸っていた。休まずに書庫内の確認。資料の整頓。仕様の効率化などを行ってきた。

 これまでの無限書庫は何処に何が、どれだけあるかすら分かってはいなかった。それをユーノは、一月で全てに目を通したのだ。

 

 日本の国会図書館ですら蔵書数は4000万を超える。一国の書籍数だけでもそれ程なのに、複数の次元世界を管理する管理局の蔵書数がどれ程になるか。気が遠くなるような反復作業を、ユーノは確かに終わらせた。

 

 関連する世界事に並び変え、使用頻度の高くなるであろう情報は電子データ化して使いやすくし、重要度の高い書類は専用の区画を作って其処に配した。

 魔法は世界を殺してしまう。故に極力使わなくても大丈夫なように、それでいて素早く必要な情報を抜き出せるように、無限書庫を根本から作り変えた。

 

 一月だ。唯の民間人から、伝手を使って局員となり、無限書庫を立て直す。

 一月でそれだけの事を成し遂げ、ユーノは正式に管理局から無限書庫の司書長となる事を任命されたのだ。

 

 連日連夜続く徹夜や軽作業による疲労。

 これを超える疲れは、嘗て高町家に居た頃に体験しているが、その時は治癒魔法の助けを借りていた。

 

 世界の真実を知った今、そんな事に魔法は使えない。使用するのは本当に必要な時、最小限で済ませるべきだ。

 だからこうして、安売りの栄養ドリンク漬けになると言う、中年のサラリーマンのような草臥れた姿を晒している。

 

 

「……次は、運用部、か」

 

 

 こうして一部署を運営する権限を得た。後は名に実が届くように、人手を持って来れば良い。

 無限書庫と言う、今は全く知名度のない場所。窓際と言って良い場所に来てくれる局員が居るかは分からない。

 

 仮に来てくれる者が居ても、前線に配属される事から逃げて来るような者ではいけない。魔法至上に傾倒し過ぎる者でもいけない。

 いざという時に、万が一の時に、この無限書庫を基点として流れを変えるのだ。それだけの勢力とする事を望むのだから、所属する者は厳選しなくてはならない。

 

 人事を一手に引き受ける運用部のトップ。レティ・ロウラン提督とは知り合いだ。

 その伝手を使って、何とか探してみる心算だが、さてそのように都合の良い人が居るかどうか。

 

 

「それでも、やらないとね」

 

 

 妥協は出来ない。今は一人も見つからなくとも、ジェイル・スカリエッティに頼んでウーノ型の戦闘機人を何人か回してもらえば人手不足は解消できる。だから、妥協だけはしてはならない。

 

 空になった空き瓶を塵箱に放り込むと、ユーノは運用部に向かう為に立ち上がる。

 

 

「って、あれ?」

 

 

 そこで、食堂の片隅。観葉植物の影に隠れている不審者を見つけた。

 

 

「……何やってんですか、クイントさん」

 

「っ!? ちょ、黙ってて! 今、良いとこなんだから」

 

「って、ちょ!?」

 

 

 目の前の光景に集中していたクイント・ナカジマは、ユーノを慌てて抱き込むと自らと同じく観葉植物の影に隠した。

 頭を無理矢理に抑え付けられながら、ユーノも視線を上げてクイントの見詰める先を確認する。

 

 

「ゼストさんに。メガーヌさん?」

 

 

 顰め面を何時もより険しくして悩み込むゼストと、そんな彼と共に一冊の雑誌に目を通しているメガーヌ。

 自身を押し潰しているクイントが「そこだ、やれ」とか小声で野次を飛ばしている姿に、「何だ出歯亀か」とユーノは呆れの籠った溜息を吐いた。

 

 

「……本当に、多種多様な物だな。だが、あの子はまだ幼いのに、こんな生物を近付けて良い物なのか」

 

「あら? 情操教育の為にも、ペットを飼おうと思っていると言ったのは貴方でしょう?」

 

 

 クイントに押し倒されているユーノの耳に、特に興味もない会話が届く。

 手に取った雑誌はミッドチルダにある総合ペットショップの発行している物らしく、多くの魔法生物の写真と特徴、そして値段が載っていた。

 

 

「うむ。まだ先の話だがな。忙しくなるだろうから、普段は俺も共に居てやれん。安全の為にも知能の高い魔法生物が良いとは思っているが、……しかし、竜種はな。危険ではないのか」

 

「キャロちゃんはアルザスの子でしょう? なら、竜召喚の適正もあるだろうし、丁度良いわよ。……それに、卵から孵した竜は育ての親に懐くわ。これとかどうかしら?」

 

 

 メガーヌが指で指し示すは10メートル程の体躯を持った白銀の翼竜の写真。その威容から、戦力としても期待が出来よう。

 竜種の中でも翼竜は凶暴でもなく、封印魔法によって平時は小さくなれる事を思えば飼育は然程難しくもない。

 

 

「むっ、翼竜タイプか。……悪くはないのだが、長距離移動出来てしまうのがな。小さい内から行動範囲が広がると、迷子になった時や家出された際に探し難いのではないだろうか」

 

「……今からそんな心配してどうするのよ」

 

 

 まだ乳児だろうに、と溜息を吐くメガーヌ。

 普段の質実剛健と言った印象が慣れない子育て故に見られなくなっているゼストの姿に、溜息を吐きつつも普段とはまた違った情も感じていた。

 

 

「ね、良い雰囲気でしょ、あの二人」

 

 

 出歯亀しているクイントは、その二人の遣り取りを見ながらそう小声で口にした。

 

 

「隊長が子育て初めてから二人は良く一緒に居るのよね。……内で子育て経験あるのはメガーヌだけだし、男手一つだと色々分からない事もあるだろうから、まあそんな感じで急接近って訳」

 

「……はぁ」

 

「メガーヌは以前に男で失敗してるから。……隊長なら男としても信用出来るし、友達としてはくっついてくれると嬉しい訳よ」

 

「……なら、出歯亀とかしない方が良いんじゃ」

 

「それじゃ面白、げふんげふん。……あれよ、変な事しないように見張ってるのよ」

 

 

 そんな遣り取りをされているとは気付かずに、話し合いを終えたゼストとメガーヌは食堂を後にする。

 結局進展はなしか、と舌打ちしているクイント。その姿に、やっぱり唯の出歯亀じゃないかとユーノは今日何度目か分からぬ溜息を吐いた。

 

 出歯亀対象が去った後、クイントは近くの椅子へと腰掛けながら口にする。

 

 

「いやー、やっぱり良いわね、ああいうの。……私も子育てとかしてみようかしら」

 

「……産めば良いんじゃないですか」

 

 

 無理矢理抑え付けられていたユーノは、寝不足の苛立ちもあってか体を伸ばしながら投げやりに口にする。

 そんな言葉に、クイントは何とも言い難い表情を浮かべて言った。

 

 

「そうしたいけど、産めないのよね」

 

「え?」

 

 

 余りにもあっさりとした言葉に、ユーノは一瞬唖然とする。

 そんな彼に子宮のある辺りに手を当てながら、クイントは言葉を続けた。

 

 

「あー。返しの風って奴? それがさ、胎に来ちゃってんのよ。私の場合」

 

 

 返しの風。歪みを使い過ぎた者に訪れる反作用。制御出来ない程に膨れ上がった魔力汚染は、人体機能を制限する。

 クイント・ナカジマの場合は、それが真っ先に子を為すと言う機能に響いた。戦う力の代償に、彼女は血を残す事は出来なくなっていたのだ。

 

 

「……すみません」

 

「いや、そんな気にする事じゃないわよ。ヤルことヤッても出来ないってのは、結構都合良いって思う時もあるし、別に今何か困ってる訳でもないし」

 

 

 ユーノの謝罪に、気にしてないとクイントは返す。

 だが、本当にそうであるのか、と思う。愛する者との子を為せない。出産機能を奪われた女は、本当に気にしていないのか、と。

 

 

「ま、そんな訳で子育てってのに、ちょーち憧れたりもする訳。……ま、面倒そうだから今は良いけど。その内、養子でも引き取ろうかしらね」

 

 

 ユーノは思う。先程のゼストとメガーヌの会話を覗き見ていたのは、そんな理由もあったからなのだろうか。

 子を産めぬ女は子育てに対する憧れを持ち、されど心配を掛けたくない彼女は真っ向から聞く訳ではなく、こうして遠回しにそれを見聞きしていたのではないか。

 

 

「……しっかし、隊長も隊長よね。折角、良い空気になってるんだから、こうガバーッと獣になっても良いでしょうに」

 

「公共の場で獣にならないで下さい。……他の方々が迷惑です」

 

(この人、結局、出歯亀趣味なだけか)

 

 

 クイントの発言に突っ込みながら、ユーノはそう思って頭を抱える。何だか疲れがどっと出て来た。

 

 

「って、随分疲れてるわねー。……何、もしかして一度も休んでないの?」

 

「あー、まぁ」

 

「……普通、一月休みなしってないわよ。週休や個休を入れないと運用部が煩いだろうし。シフトとか、誰が作ってんのよ」

 

「……一応、自分で。僕も部門長扱いですから、他に作ってくれる人居ませんし、人員が一人の内は、全体会議のような外せない日を除いて、来たい時に来てれば良いと」

 

 

 期日さえ守って結果を出せばそれで良い。今のユーノの立場はその様な物であり、それは公務員と言うよりは自営業者に近い生活だ。

 本来、彼に与えられた期間は半年程。それまでに時間を見ながら無限書庫を立て直して、通常業務可能な状態に持っていくのが彼の仕事であった。

 

 半年の内にやる事は三つ。

 無限書庫の立て直しと、司書として働く者らの採用人事。そしてそんな彼らを運用する為のシフトやマニュアル等の書類を作成して、上層部へ提出する事だ。

 

 本来、全く形になっていない部署を動かす為に必要な期間は、半年でも短い。

 

 一つの事柄を二ヶ月。或いはもう少し時間を掛けて、上手く進めていく事を求められていたというのに、ユーノはたった一ヶ月と言う半分以下の時間でその内の一つをやり遂げてしまった。二ヶ月でも終わらせるのが難しい仕事を、だ。

 

 その為に、休日を返上して、睡眠も満足に取らずに居る。

 根が真面目な少年だ。責任に重圧を感じているのだろう。期日までにしっかり終わらせねば、と焦っているのは分からなくもない。

 

 だが、上がそんな調子でどうしようと言うのか、クイントは呆れの籠った口調で口にする。

 

 

「部署が動く前にそんな風になってどうすんのよ」

 

 

 正式な辞令が出されるまでは、人事を行う事が出来ない。人を使う事が出来なかった。

 正式な辞令を得るのには、無限書庫を運用出来る状態に持っていく必要があった。だからこそ、ユーノは先に無限書庫の立て直しに当たっていた。

 

 だが、それを一人でやった事。それが失敗だったのだとクイントは諭す。

 

 まず彼がやるべきは蔵書の確認と、実際にどのように運用していくかの計画書を作り出す事だった。書庫をどのような形にするか、書物の整頓はどう行っていくか。

 それだけを確認した上で、どうするのかを運用部を通して上に上げていれば、それが認められるだけのしっかりとした物であったら、それだけで正式な辞令は下されていただろう。

 

 その後で、彼は人事を通して人手を集めるべきだった。集めた人に指示を出して書庫の立て直しを行いながら、同時進行で必要な文書を制作していく。それが最も効率的な行動だっただろう。

 だが、ユーノは立て直しの全てを一人でやりきってしまった。なまじ優秀だからこそ、一人で抱え込んでも出来てしまったのだ。

 

 

「……上が休まないと下も休み辛い物よ。弱小の部署とは言え責任者になるんだから、どしんと鷹揚に構えて人を使う事を覚えなさい」

 

「……人の、扱い方、か」

 

 

 そんな先人の教えを、幼い少年は素直に受け止める。

 

 

「ま、とにかく。アンタは一度休みなさい。……アンタが無茶やったお蔭で、まだ時間は余ってるでしょう?」

 

「……けど、人事の方が」

 

「それこそ、よ。仕事ってのは、アンタ一人で回ってるんじゃないの。向こうも人を見繕わないといけないんだから、アンタ一人がそんなに急いでも、向こうも対応出来るとは限らないわ」

 

 

 ユーノの行動はハイペースに過ぎる。その優秀さに物を言わせた行動だ。

 普通は蔵書確認が一月では終わらない。計画書段階でも一度や二度は躓くだろう。慣れない子供なのだから、と、最初の準備に二ヶ月以上は掛かる試算で運用部側も動いている。

 

 だから、こうも早く辞令を下されるとは向こうも想定していないだろう。今、行っても、無駄に時間が掛かるだけなのだ。

 

 

「だから、休み明けに向かうと連絡だけ入れといて、暫く休暇を取りなさい。……どうせ部下が出来たらまた忙しくなるんだから、しっかりと休めるのは今の内よ」

 

 

 最低でも一週間くらいは休んでおけ。そう語るクイントに、ユーノは頷きを返す。

 気が急いていたのは確かだ。これから忙しいのも確かだ。彼女の言は一々真っ当なのだから、それに従うのは道理だろうと判断する。

 

 

「……けど、休暇か」

 

 

 ずっと働いてきた。若くしてワーカーホリックの気がある少年は、何をしようかと思い悩む。

 睡眠は足りていない。一日二日はしっかりと休むべきだろう。だが、それにした所で、一週間は長過ぎる。

 

 

「と、悩んでる感じね。……そんなユーノにはこれを上げるわ」

 

「……チケット、ですか?」

 

 

 少年の戸惑いをあっさりと見抜いたクイントは、ポケットから一枚のチケットを取り出す。

 鷹笛プレイランドペア招待券と書かれたそれを手渡されたユーノは、どこのチケットであろうかと首を捻る。

 

 

「それ、第九十七管理外世界にある遊園地のチケットよ」

 

「地球の、ですか?」

 

「そ、海鳴に近いから管理局の支援も届きやすくてね。……小規模ながら運営再開したから、招待券が届いたのよ。地球出身者やその血を引く人向けにね」

 

 

 ミッドチルダにも地球出身者は少なくない。

 他ならぬクイントの夫、ゲンヤ・ナカジマもまたミッドチルダに帰化した日本人の末裔だ。

 

 

「んで、受け取ったのは良いんだけど、内のは忙しくて休暇取れないっぽいのよね。……一人で行くのも何だし、アンタに上げるわ。……気になる子、居るんでしょう? 高町なのはだっけ? その子でも誘って行きなさい」

 

「…………」

 

「って、あら?」

 

 

 言われて、ユーノは静かにチケットを見詰める。見詰めたまま、考え込む。

 

 気になる子と揶揄えば、煮え切らない少年は顔を真っ赤にして恥ずかしがる。

 そんな事をクロノから聞いていたクイントは、予想外の反応に目を丸くする。

 

 

「……そうですね。そろそろ、僕も自分の気持ちに結論を付けないと」

 

 

 何度も言われていた。何度も伝えられていた。想いは伝えられる内に伝えておけ、と。

 

 これから先、自分は忙しくなる。管理局に所属する事になるなのはも同じく。寧ろ前線を行く事になる彼女は、命の保障すらない分自分より大変だ。

 二人揃って居られる事態などはもうないかも知れない。ならばしっかりと考えて、この感情に答えを出さなくてはいけないのだろう。

 

 手帳を開いて予定を確認する。そこに記されている。高町なのは、アリサ・バニングス、月村すずかの三名がこのミッドチルダを訪れる日程。

 少女達が正式に局員となるのは、年度が変わってから。彼女らの家族による抵抗により、少女達には数ヶ月の猶予が与えられていた。

 

 次に来るのは、入局前に行われる能力測定の日だ。

 その為に彼女達は航行船に乗り、数日程掛けてこちらに来る。

 予定日は明後日。測定が終了後に地球へと一度戻る事を思えば、今休暇に入るのは都合が良い。

 

 この想いが恋であるのか違うのか、それを知る為に、これはきっと丁度良い機会なのだろう。

 

 

「ありがとうございます。クイントさん」

 

「あ、ええ。……頑張んなさい。男の子」

 

 

 その反応に戸惑っていたクイントは、しかしユーノの目を見てその覚悟を読み取ると、その背を押すような言葉を伝えた。

 少年はチケットを片手に、少女を誘おうと決める。その最中に、自身の想いを見極める為に。

 

 

 

 

 

3.

 管理局地上本部にある訓練場。その中に二人の少女が立っていた。

 

 金髪の少女。アリサ・バニングス。紫髪の少女。月村すずか。

 奴奈比売に力持つ魂を与えられた後、魔力を多少であるが使えるようになった少女達は、その身をバリアジャケットに包んでいる。

 

 剣型デバイス“フレイムアイズ”を両手に握るアリサは、赤を基調としたバリアジャケットに身を包む。

 魔法が世界を殺す事を知るが故に、彼女が使う魔法は防護服のみ。剣型デバイスは完全に唯の剣としてしか使われない。

 

 その横に侍るすずかが手に取るは、グローブ型のデバイス“スノーホワイト”。後方支援型の高性能デバイスであり、様々な魔法を使えるのだが、すずかもまたそれを使う事はない。

 彼女もまたアリサ同様、その身を守る青を基調としたバリアジャケット以外の魔法を使用する心算はなかった。

 

 

〈では、本日最終プログラムである能力測定を行います。これより射出される標的に対し、その異能を発動してください〉

 

 

 そんな電子音と共に、少女達の前に二つの機械が飛び出した。

 楕円形の形をした青色の機械。中央に位置するカメラが少女達を捉える。その名はガジェット。

 強力なAMFを発生させるそれは、スカリエッティが戯れに生み出した異能判定用の標的だ。

 AMFの影響を受けない歪みの性能を知る為には丁度良い。故にこうした異能の測定ではガジェットを標的とする事が一般的であった。

 

 

「はっ! 安直なデザインよね! 纏めて焼き落としてあげるわ!!」

 

 

 飛び出したガジェットに向かうは金髪の少女だ。勝気な少女は一目散に、それらガジェットに向けて炎の弾丸を放つ。

 紅蓮炎上。管理局によってそう名付けられた異能は、アリサの体躯よりも巨大な炎を作り上げ、撃ち放つ。

 

 それは弾丸とは言えない。最早砲弾と呼ぶべきであろう。

 その力の元となった列車砲の主砲と同等。全長3.6メートルと言う巨大な炎は周囲を熱しながら飛翔する。

 

 轟と音を立てて空気を焼くその砲撃を、しかしガジェットはひらりと躱した。

 

 

「んなっ!?」

 

 

 作り手の性格の悪さが滲み出るガジェット。管理局より潤沢な資金を与えられているスカリエッティは、暇潰しがてらに幾度も改修を加えている。その結果出来上がった標的は、何故か無駄に高性能であった。

 

 熱感知と弾道予測により襲い来る砲弾を完全に読み切り、重力制御によって無理なく回避する。

 その直後、空中にモニターを映し出すと「絶対当たると思っていた攻撃が外れて、今どんな気持ち? ねぇ、どんな気持ち?」と妙に腹の立つ文章を表示していた。

 

 

「っ! あったまきた!!」

 

 

 そんな安い挑発に釣られたアリサは、二発、三発と続けて砲撃を放つ。今度は外さない。絶対に当ててやると狙いを付ける。

 だが、その連続攻撃すらも外される。僅かに制御された軌道は、しかしガジェットに届かない。

 

 その連続攻撃を易々と躱すガジェットは「見える!」「当たらなければ、どうと言う事はない」と挑発するような文章を表示している。

 ガジェットに顔があったならば、間違いなく笑っていただろう。そう感じたアリサは、額に血管を浮かせながら攻撃をより苛烈にした。

 

 当たらない攻撃と、繰り返される挑発にアリサがキーと奇声を上げている中、横に立つすずかは目を閉じたまま、何かをする訳でもなく立ち尽していた。

 

 何もしない訳ではない。何もしたくない訳ではない。目を瞑り、力を引き出そうとしている少女はしかし、その力を振るえない。

 目を閉じる度に浮かぶ白貌の姿。内に宿る彼が、己に対する協力を拒絶しているように感じられる。月村すずかを嫌悪している想いが伝わって来る。

 

 

「っ! 私の中に居るなら! 力を貸してよ!!」

 

 

 絶えず送られてくる拒絶の念に、苛立ったすずかはそう口にする。そんな彼女の言葉に、白貌の吸血鬼はにぃと悪い笑みを浮かべると。

 

 

――良いぜ、じゃあ、無駄に苦しめや。

 

「っ!?」

 

 

 途端。すずかの体より発せられるは暗き力。他者に不吉を齎し、守るべき者こそを吸い殺した呪われし力。

 二大凶殺。後にそう呼ばれる事になる、全てを簒奪する力が狙う標的は、最も近くに居る少女。

 

 

「待って!?」

 

 

 だが止まらない。だが抑えられない。

 膨れ上がった負の瘴気は、誰よりも傍でガジェットに炎弾を放ち続けているアリサへと纏わり付き、その運気を簒奪した。

 

 

「って、何よこれー!?」

 

 

 放とうとしていた砲弾が膨れ上がる。

 運悪く炎弾の制御に失敗したアリサは、運悪くその力を暴走させて、運悪くすずか共々巻き添えとなる。

 

 

「ぎゃー!」

 

「きゃー!?」

 

 

 二人の少女の悲鳴と共に、赤き炎が爆発する。

 吹き飛んでいく二人の少女達の姿を、魔改造されたガジェットが撮影しながらザマァと罵っていた。

 

 

 

 

 

 能力測定を終えたアリサとすずかは、控室に戻って来ていた。

 支給されたばかりの管理局の制服に身を通す二人は、疲れた顔で時間を潰す。そんな彼女らの元に、検査結果を纏めた資料を手に一人の女性が近付いてきた。

 

 

「お疲れさま。良く頑張ってくれたわね」

 

 

 紫の髪に青い制服を着た眼鏡姿の女性。レティ・ロウラン提督はそう労いの言葉を掛ける。

 人事を担当する運用部のトップである女性が出張る辺りに、管理局がどれ程彼女達に期待しているかが伝わって来るであろう。

 

 

「最後のあれ、何なのよ」

 

 

 ぐたりと横になったアリサが口にするのは、最後まで自分達を馬鹿にしていたガジェットへの文句だ。

 そんな聞き慣れた愚痴にレティは乾いた笑みを浮かべながら、励ましの言葉を掛ける。

 

 

「あれは、まぁ、オーバーSの魔導師でも中々攻撃が当たらない標的だから、そんなに気にしない方が良いわよ」

 

「……なんでそんなのが標的なのよ。ってかアレの製作者は誰よ」

 

 

 物怖じしないその物言いに苦笑を浮かべつつ、レティは自分も嘗て通った道だとガジェットへの不満に内心で同意する。

 

 スカリエッティ曰く「別に全部躱す標的が居ても良いんじゃないかね? 当たらなければ修理費が安く済むし、それに当てるだけの実力が備わるなら良い訓練にもなる」との事だが、あの変人は確実に愉快犯であり、あのガジェットは趣味の産物だったのだろうとレティは推測していた。

 

 

「……ごめんなさい。私が力を制御出来ないから」

 

 

 そんな風に愚痴を零すアリサとは逆に、縮こまって謝罪しているのがすずかだった。

 彼女は自分の力がアリサの足を引っ張ってしまった事を悔いている。同じ様に力を得た少女が自由に発動出来るようになっている中、安定した発動も制御も出来ない自分に自己嫌悪を感じていた。

 

 

「気にする必要はないわ。これはあくまで現状の測定であって、試験とかではないもの」

 

「……はい」

 

 

 レティはそう励ますが、すずかが吹っ切れているようには見えない。内向的な少女なのだろう。鬱屈した物を溜め込んでしまうタイプである。そうレティは判断する。

 己の失敗を悔やむすずか。上手くいかない現実に苛立つアリサ。歪み者ではない自分では彼女達に碌なアドバイスも出来ない。故に、その専門家がこの場に来ているのは、都合が良いと言えるであろう。

 

 

「散々な目にあったようだな」

 

「……誰よ、アンタ」

 

 

 赤と白の装束に身を包んだ黒髪の女。レティに続いて控え室に入って来た女性に対して、アリサは憮然と誰何する。

 

 

「バニングスさん!」

 

「良い。誰か分からぬのは当然であるし、名乗りを上げぬこちらの方が非礼であろう」

 

 

 お偉いさんへの非礼に対しレティが慌てるが、それを片手で制し女は名を名乗る。

 

 

「御門顕明だ。……御門一門の長を務めているよ」

 

「げっ」

 

 

 重役への自分の対応を自覚して顔を引き攣らせて少女は、慌てて立ち上がると口にする。

 

 

「失礼しました。私はアリサ・バニングス。御門殿の御噂はかねがね伺っております」

 

 

 咄嗟に表情を変えて、特大の猫を被る。

 その若さに反して、仕草が胴に入っているのは生まれと育ちが故か。

 

 

「ふむ。……地球出身なのに、もう噂を聞いているのかね」

 

「……ええ、こちらに来てから何度か。御門殿はこちらでは名が通っていらっしゃいますから」

 

 

 重箱の隅を突くような返し。その言葉を語る時、目が笑っている事からこちらを揶揄っているのであろう。

 それが分かって、アリサは笑みを浮かべた口元を引き攣らせる。

 

 

「名は知るが顔は知らぬか。名を口にするまで、反応がなかったという事は、そう言う意味であろう?」

 

「……申し訳ございません。何分、こちらに来て浅いもので」

 

「ふむ。そうか。……しかし、敬語が似合わん娘よな。先ほどの姿の方が似合っていたぞ。そら、このがじぇっととやらが記録しておる、爆発している姿の方がな」

 

「っ! 誰が好きで爆発するかぁぁぁっ!」

 

 

 顕明が手にしたガジェットに映し出される光景を揶揄し、我慢できなくなったアリサは爆発の映像と同じく感情を爆発させた。

 

 

「うむ。そちらの方が良いな。……以後、私に対して敬語を使う必要はないぞ」

 

「ああ、もう! 公式の場以外で、誰がアンタなんかに敬語を使うもんですか!!」

 

 

 ガルルと唸り声を上げる金髪の少女に、かんらと笑って女は返す。

 その実直な有り様と打てば響くという反応に、あの人が好む訳だと確信を得ながら。

 

 

「それで、アンタ、何しに来たのよ」

 

「……ふむ。お前達三人に一つ、あどばいすをしておこうと思ってな」

 

「アドバイス?」

 

「うむ」

 

 

 扇子を片手にそう語る女に、アリサは訝しげな顔をする。

 そんな彼女に応と返した後、御門顕明はここに居る筈の三人目を探して目を移す。

 

 

「……今日は高町なのはも来ていると言う話だったが、ふむ、どこかな」

 

「ああ、なのはなら、あそこよ」

 

 

 アリサが指差す先、控室の隅には茶髪の少女が座っていた。

 両手で持ったチケットを手に、朱に染まった顔をにへらと緩ませる少女。

 

 そんな色惚けた姿にさしもの顕明も動揺を露わにする。

 

 

「あれは、一体?」

 

「……朝からああよ。あいつにデートに誘われてからずっと、ね」

 

「ユーノ・スクライア。許すまじ」

 

 

 呆れて口を開くアリサと、二大凶殺の瘴気を漏らしているすずか。

 

 あんな色惚けた状態でも、なのはは最高の成績を残していた。標的である魔改造ガジェットを全機撃墜していた。

 故にこそ、あの状態のなのはにも負けたからこそ、アリサは余計に苛立っていたのだろう。

 

 

「で、あれにも何か助言すんの?」

 

「……その心算であったがな。流石に色恋は分からん。他の事を口にして、浸っている所に水を差すのも無粋であろうしな。今はお前達だけにしよう」

 

 

 年齢の割に色恋沙汰には余り縁のなかった顕明は、色惚けた少女から視線を移すとアリサとすずかを見詰める。

 

 

「さて、お前達へのあどばいすだが、まあ話しは簡単だ。その異能に対する事だよ。互いに、何が足りないかは分かっていよう」

 

「制御力、ですか?」

 

「狙って当たらないなら、その辺が足りてないって事よね」

 

 

 顕明の言葉に、すずかとアリサがそれぞれ答える。

 アリサは自分には砲撃を命中させるだけの制御力が、すずかは己の異能を制御するだけの力が足りてないのだと答える。

 

 そんな少女達の解答に、しかし顕明は否と答えた。

 

 

「否。違うよ。……お前達に足りないのは制御力ではない。ある意味で言えば、それ以前の話である」

 

 

 顕明はその扇子でアリサを指し示す。

 そして口にするのは金髪の少女に不足している物への指摘だ。

 

 

「ばにんぐす。其方には思い切りが足りておらぬ。制御しよう等とは考えるな、当てよう等とは考えるな。……そんな物は、後から幾らでも付いて来る」

 

 

 狩猟の魔王の力を借り受けた少女がその力を真に引き出せれば、狙って当てるなどと言う作業は不要となる。

 それは真実、必中の魔弾。焦熱世界が持つ力は、あらゆる回避を無意味とするのだから、そも狙おう等と思う事が無駄である。

 

 

「故に其方は感情を爆発させよ。渇望を強くせよ。力を強く、意志を強く、唯強くある事を心掛けよ」

 

 

 故に必要なのは想いの強さ。相性の悪さを、内に宿した魔王の聖遺物との不適合を覆すだけの意志の強さがアリサには必要となっているのだ。

 

 

「想いを、強く」

 

 

 少女はその言葉を刻み込むように反芻する。

 己に必要な物。あの友達に追い付く為に必要な物。それを確かに自覚した。

 

 

「そして、月村の場合だが」

 

 

 その扇子をすずかへと向ける。

 道がはっきりと分かっているアリサに対して、こちらの少女は些か面倒だと思いながらも、御門顕明は助言を伝える。

 

 

「其方は、己を好きになる努力をせよ」

 

「え?」

 

 

 その言葉は月村すずかにとっては予想外であった。

 てっきりアリサのように、強い意思を持てと言われるように感じていた。

 或いは力を制する為に、何等かの特訓を課されるのかとも考えていた。

 

 だが御門顕明が語るのは、認識を変えろという言葉であった。

 

 

「其方とその力の相性は最良だ。暴走状態とは言え、あれ程力を発揮できたのはそれ故だ。……故に足を引っ張っているのは其方の内面。自己嫌悪の情と、男に対する拒絶の情。それが其方の成長を妨げておる」

 

「…………」

 

 

 生まれに対する嫌悪。自身に対する嫌悪。そして男性全てに対する嫌悪。

 その感情に反発して、彼女の中にいる白貌は拒絶の意思を示している。その感情を拭えぬ限り、月村すずかの成長は妨げられる。

 

 

「そんなに、己の出生が忌まわしいか?」

 

「……」

 

 

 そんな言葉、問われるまでもない。

 今でも悍ましいと思っている。何が夜の一族か。

 

 

「そんなに、男と言う生き物は度し難いか?」

 

「……」

 

 

 すずかにとっての男の象徴は、あの氷村遊だ。

 友を嬲り、夜の一族としての醜悪さを示した怪物。ああ、何と悍ましい。

 

 対して女性の象徴である友達は、こんな自分を受け入れてくれた。

 故にこそ、すずかは男を嫌悪する。すずかは同性にこそ、心を寄せるのだ。

 

 

「今すぐに、それを治せと言っても無理であろう。……だがな、その情が拭えぬ限り、お主は先へは進めんぞ」

 

「……なら、どうすれば良いんですか!」

 

 

 その言葉は、どこか悲痛が籠っていた。

 どうにかせねばと思っても、刻まれたトラウマは消せない。己に対する嫌悪も、男に対する拒絶も、そのどちらもが揺るがせない。

 

 だからこそ、真っ当に成長すればそれで良いアリサと異なり、この少女は面倒なのだと呟く。

 せめて二種類の感情。そのどちらかだけでも多少改善できれば、安定して力も扱えるようになるのであるが。

 

 

「……ふむ」

 

 

 そこでふと、良案を思い付いた御門顕明は、三人の少女を見ると口を開いた。

 

 

「月村すずか。其方がするべき事は――」

 

 

 

 

 

4.

 海鳴市沿岸を走るユナイデット・レールウェイズ。

 その沿線にある遊園地の最寄り駅でユーノは、時計をちらちらと確認しながら一人の少女を待っていた。

 

 現在の日本においては最大の都市となった海鳴市。その周辺は首都移転計画によって、最優先で復興が行われている。

 何れはこの街に日本国の政庁などが集中していくのであろう。京都。東京。そして海鳴。首都が変わる。歴史の転換点に日本はあるのかも知れない。

 

 共に航行船で地球へと戻ってきたなのはとは、一度海鳴自然公園で分かれている。

 女の子には色々と準備がある。待ち合わせをした方がデートらしい。そんなクイントの助言に従い、彼はこうして待ち合わせの約束をしていた。

 

 今更ながらに緊張しながら、空いた時間にクイントが用意してくれたマニュアル本に目を通す。

 彼女が直筆したそれは、いざという時に助けになる筈だと渡された物。その際、目がにやけていたのが気に掛ったが、取り合えず確認して置こうと目を通す。

 

 一般的なデートコース。お勧めのデートスポットなどが並ぶ中、少年はふと緊急時対応と書かれた項目に目を向けて、その頁を開いた。

 

 その頁には、こう記されている。

 

Q.もしも彼女が切なそうな目で見詰めてきたら?

A.そこがチャンスだ! 押し倒せ!

 

 

「出来るか!?」

 

 

 僕らの年齢を考えろよ、とユーノはマニュアル本を天高く放り投げる。

 そうして、役に立たない助言書を放り棄てたユーノは、駅から出て来るその少女を見つけた。

 

 

 

 袖の長い赤い服。その上から白の上着を着ている。ミニスカートとニーソックスを履いている茶色の髪の少女。

 珍しく気合が入っているのであろう。指の爪に薄くピンクのマニキュア。髪には赤いリボン。胸元には銀色の首飾りが輝いている。

 

 

「御免ね。待った?」

 

 

 にっこりと太陽の如き笑みを浮かべる少女。その微笑みにユーノは暫し見惚れて言葉を失った。

 

 

(ああ、そうだ。……僕はこの笑顔に――)

 

 

 その姿に見惚れて、その輝きに目を奪われて、その太陽の様な表情に確かな想いを自覚した。

 

 

「いいや、僕も色々と見て回っていたからね。今、来た所さ」

 

 

 そんな風に言葉を返して、エスコートの為に右手を差し出す。

 その手を握り返す小さな掌の確かな温かさに、ユーノは優しい笑みを零す。

 

 

「さあ、行こうか」

 

「うん!」

 

 

 今日と言う日を、忘れられない物にしよう。

 何時かの未来で、素晴らしい刹那であったと語れるように。

 

 

 

 幼い子供達のデートが始まる。

 

 

 

 

 

 




リインは己を支える魔力すら残っていないので、肉塊を増やす度に消耗しています。

夢を見せ続ける魔力と、肉塊を維持し続ける魔力と、万仙陣を使う魔力を消費しているのに、収入が肉塊に捕えた人の命だけなので、放っておけば飲み干した人々と共に勝手に消えます。


次回はデート回、からの事態の深刻化。前半と後半で両極端な話になると思います。


以下、オリ能力詳細
【名称】紅蓮炎上
【使用者】アリサ・バニングス
【効果】内にある狩猟の魔王の魂から引き出した炎弾を放つ異能。列車砲と言う魔王の聖遺物から引き出された力は、大口径の砲弾として顕現する。
 本来は必中の能力を持つが、アリサと列車砲の相性が最悪である為、今の彼女では其処までの力を引き出せてはいない。


【名称】二大凶殺
【使用者】月村すずか
【効果】内にある白貌の吸血鬼の魂より引き出した簒奪の瘴気を放つ異能。奪うは他者の運気。更に強く意識すれば生命や魔力すら奪い去る。
 すずかと吸血鬼の力の根源である闇の賜物との相性は最良であり、故にすずかは自己の制御を遥かに超えた力を引き出してしまう。
 これを改善する為には、彼女自身が内にある自己嫌悪や男性嫌悪の情を解消し、吸血鬼と協力し合えるようになる必要がある。




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闇の残夢編第三話 忘れられない言葉

デートさせると言ったな、だが遊園地デートなどさせんさ。

そんな前半は糖度高めな回です。



1.

 鷹笛パークランド。海鳴市に近いが、それでも電車で二時間は掛かる場所にあるその遊園地は、絶叫系アトラクションに特に力を入れている。

 ゴッドスクリューパイルダー。ホークバスターアバランチ。フライングドライバー等、名称だけ聞くとプロレス技にしか聞こえない名前の絶叫マシンが売りとなっている遊園地であり、故に。

 

 

「御免ね、僕。……このジェットコースターはね。身長130㎝以下の子や、10歳未満の子供は乗れないんだ」

 

「身長制限があったー!?」

 

 

 案内係のお姉さんに優しく諭されて、ユーノはガックリと膝を付いた。

 

 魔法技術の発達したミッドチルダでは身体条件による制限などはない。

 身長が低いから、座席が体に合わないから危険などと言う事は、重力すら操れるミッドではありはしない。

 

 故にユーノは低身長や小さな子供が乗れないと言う条件が存在しているなど考えた事もなかったのである。

 因みに高町なのはの身長は129㎝。ユーノもほぼ同程度であり、年齢、身長、共に両名、微妙に足りていなかった。

 

 

「にゃ、にゃはは……。仕方ないよ。ユーノ君。別の乗り物に乗ろう?」

 

「……なのは。別の乗り物って」

 

 

 言ってユーノは周囲を見回す。

 あっちを見ても、こっちを見ても絶叫系。お化け屋敷や観覧車などオーソドックスな代物はどれも復旧工事中。暫くお待ちくださいの看板が立てられている。

 

 流石に管理局の支援があろうと、一月で完全復活とはいかなかったらしい。

 遊園地の代名詞である絶叫系マシンのみを復旧させた状態の鷹笛パークランドは、幼い子供達にとっては遊ぶ場所一つない状況だった。

 

 

「……別の場所、行こっか?」

 

「うう。……御免ね。なのは」

 

 

 もっと調べてから来れば良かった。

 そんな風に後悔する少年は、少女に手を引かれて遊園地を後にした。

 

 

 

 

 

「身長制限があったー!?」

 

 

 そんな子供達の影に隠れて、その姿を覗き見ていた女性はユーノ・スクライアと全く同じ台詞を口にしていた。

 青髪をポニーテールにした若い女性。ユーノにテーマパークのチケットを渡したクイント・ナカジマ本人である。

 

 そう言えば夫に、子供じゃ遊べない遊園地と言う話を聞いていた。

 そんな事を今更、思い出したクイントは「ごめん、許せ」とユーノに対して内心で詫びる。

 

 彼女がここに居るのは完全に趣味だ。

 折角の休暇、教え子のデート。そんな面白そうなイベントを彼女が見逃す筈もなく、こうして出歯亀を行っている訳だ。

 

 そして出歯亀している女は、彼女一人と言う訳ではない。

 

 

「頑張んなさい! ユーノ!!」

 

 

 その哀愁漂う背中を応援している少女はアリサ・バニングス。

 これまでの事件において少年を友人の相手に相応しいと認めた彼女は、故にこそ諦めるなと声援を送る。

 

 

「…………」

 

 

 そして最後の一人。紫髪の少女は無言で一人を見詰め続ける。

 遊び半分、賑やかし半分と言う形で野次を飛ばす他の二人とは違い、彼女がここに居る理由は切実な物だ。

 

 

――月村すずか。其方がするべきは、二人の逢引きの中で■■■を見詰める事だ。

 

 

 男を嫌う。己を嫌う。そんな少女に御門顕明はそう告げた。

 その一時を見詰めろ、その人物を見詰めろ。そこにこそ、お前の認識を変えるだけの解答がある筈だ、と。

 

 

 

 月村すずかとて、真面な男が存在している事は知っている。

 姉の恋人である高町恭也がそうであるし、何度も助けられたユーノ・スクライアとてそうなのでは、と思いつつある。

 

 だが、それ以上に記憶に残るのが、氷村遊の姿だ。彼に従い続け、はやてに暴行を加えた男達の姿だ。

 或いは月村安二郎のように欲に溺れた愚者であり、社交界で見る大人のように腹黒い者達こそがすずかにとっての男の基準だ。

 

 故にこそ思ってしまう。ユーノや恭也も、表面上は真面なだけで一皮剥けば同じなのではないか。

 自分が敵意を向け続けなければ、いつか身内を傷付けるのではないか、と。

 

 頭ではあり得ないと分かっていても、心が納得しない。その嫌悪の情が拭えない。

 

 

「……見れば、分かる、か」

 

 

 あの女性が何を思って口にしたのか、言葉を伝えられた今でも分からない。

 否、頭では分かる。唯、感情が追い付いておらず、言われた言葉を受け入れていないだけ。

 

 だから見つめ続けよう。

 そうすれば、この情が揺らぐ筈だとあの女が言ったのだから。

 先の見えない今、それしか自分には出来ないのだから。

 

 

 

 

 

2.

 結局、今の地球をデート場所に選んだのは失敗だったのだろう。初めてのデートは、散々な結果となっていた。

 

 映画館は閉鎖されている。次回放映は未定であり、そのまま取り潰される可能性がある。

 並み居る飲食店は壊滅状態。小洒落た喫茶店などは閉店していて、今空いているのは労働者向けの安い早い多いと三拍子揃ったファストフードの店くらい。どう見ても、デートに使うべき店舗ではない。

 自然公園などは草木が燃え尽き、花壇は空っぽ。冬場の寒い風がより寒く感じられる情景だ。

 

 殺風景な公園のベンチに腰掛けて、ユーノは疲れた息を零す。

 考えれば分かる事だったろうに、と己の浅慮を内心で詰った。

 

 あの大災害から一月と少し。まだそれだけしか経っていないのだ。

 どれ程管理局が支援しようと、どれ程の人と物が海鳴周辺に集中しようと地球が復興している筈はない。

 

 この短期間で行われたのは、交通手段の復旧と住居、生活に最低限必要な衣食に関する販売店の設置程度。

 後は復興作業に従事する人向けの飲食施設等の再開くらいだ。

 

 この時点で絶叫マシンだけとは言え、遊園地が再開されている方がおかしいのである。

 

 そんな事、冷静に考えれば分かった筈だ。

 誘う事ばかり考えて、どんな場所に向かうべきかばかり考えて、楽しませる為にはどうすれば良いかばかり考えて、現地の状況を確認しようとすらしなかったユーノ・スクライアのミスであった。

 

 

「御免ね。なのは」

 

 

 今日何度目になるか分からぬ謝罪の言葉を口にする。

 項垂れて、申し訳なさそうにするユーノ。その頬を、なのははぎゅっと引っ張った。

 

 

「ユーノ君。謝ってばっかり!」

 

 

 むぅと怒った表情のなのは。

 散々連れ回され、その全てが徒労だったのだから怒るのも当たり前だろう、と少年は詫びようとして、頬を強く抓られた。

 

 

「私はね、嬉しかった。ユーノ君が誘ってくれて。楽しかったよ。一緒に居られて」

 

 

 好意を抱いている相手に誘われて喜んだ。

 何も出来なくても、一緒に街を歩いているだけで気分は浮ついた。

 

 それだけで、彼女は良かったのだ。

 

 抓った頬から手を離して、高町なのははユーノの目を見詰めて言う。己の想いを口にする。

 

 

「何もしなくても良い。何もしなくても良いんだ。……君が沢山考えてくれたのは伝わって来てる。どうにか楽しませようとしてくれた気持ちは分かってる。」

 

 

 それなのに、謝られては困る。これで十分だと言うのに、頭を下げられては困る。

 高町なのはは嬉しかったからこそ、ユーノの態度に怒っていた。そして言うのだ。己の言葉を。己の不満を。

 

 

「けどね。ユーノ君が楽しくないんじゃ嫌だよ。……私一人だけじゃ、デートじゃないもん」

 

「……なのは」

 

 

 目をジッと見詰めて来る少女。

 そんな彼女の想いを知って、自分は何をやっているんだと反省する。

 

 楽しんでいたと言う少女。その顔が、困り顔や苦笑いなどもあったが、それでも嬉しそうだった事は、しっかりと見ていれば分かった筈なのに。

 思い通りに行かないからと焦って、それで誘った相手を見ていないんじゃどうしようもないだろう、と己を罵倒する。

 

 

「御免……いや、ありがとう」

 

「うん! 許す!」

 

 

 ユーノの謝罪の言葉を、なのははあっさりと受け入れる。

 にこやかに笑う少女を見ていると、こうして殺風景で何もない場所に居ると言うのに、不思議とそれで良いんじゃないかと思えて来た。

 

 

 

 味気ない散歩。見るべき場所のない風景。何もしない時間。

 派手さはない。面白さもない。枯れたような時間だけれど、傍らに居る少女が笑っているならば、それも決して悪くはない。

 

 君の笑顔が絶えないならば、この静かな時間でも幸福は確かにあるのだと理解した。

 

 

 

 何も言わず。何も語らず。唯時間だけが過ぎていく。

 ぼんやりとしていると、連日の疲れが抜けきっていない所為か、眠気が湧いてきた。

 

 うつらうつらとし始めたユーノに、なのはは苦笑してポンポンと自分の膝を叩く。

 彼女の父母が時折やる行為。それを真似しての行動に、ユーノはその行動が示す行為を予想して顔を赤く染める。

 

 自身のイメージで眠気は覚めた。顔を真っ赤にしたユーノに対して、されどなのはは膝を叩き続ける。

 有無を言わせない、と言うその仕草。顔を真っ赤にしたユーノはお邪魔しますと小さく呟くと、寝転がった。

 

 恥ずかしさと嬉しさの天秤に揺られながら、なのはの顔を見上げる。頬を赤く染めながらも、優しく微笑む少女はユーノの髪を手櫛で梳く。

 

 ふと、その手の指が傷だらけな事にユーノは気付いた。手を繋いでいながら、何故気付かなかったのか。それ程に余裕がなかったのか。

 ユーノは改めて、そんな己の不甲斐無さを自覚して。そんな彼が、切り傷だらけのその小さな手を見詰めている事に気付いたなのはは、慌てて自身の手を背に隠した。

 

 

「にゃ、にゃはは。……お弁当、作ろうとして、失敗しちゃったんだ」

 

 

 どこか恥ずかしそうに、なのははそう語る。

 何時もはこんな失敗しないのに、待ち合わせに間に合うように急いだら失敗しちゃった、と。結局これ以上やり直していたら間に合わないから諦めた、と。

 

 

「にゃはは、お互い、ダメダメだね」

 

「……うん。失敗ばかりだ」

 

 

 本当に、互いに失敗してばかり。初デートは、散々な結果になっている。けれど、それでも、その表情に曇りはない。

 

 失敗を笑い合う。駄目だね、と苦笑する。

 今度はもっと上手くしようね、と語り合う。

 失敗しても、ダメダメな形でも、それでも幸福だと思える。そんな風に思えるからこそ。

 

 この優しい時間は、とても大切な物に感じられるのであろう。

 

 

 

 

 

3.

 冬の寒空の下、ゆっくりと暮れなずみ始めた頃。

 高町なのははユーノに対し、「ちょっと行きたい所があるんだ」と提案した。

 

 彼女に連れられて、バスに乗る。本数の少ないバスに揺られて、そうして暫く経った後、さざなみ寮前と言うバス停で途中下車した。

 こっち、と手を引くなのはに釣られて、街の方へと歩いて行く。山の中腹にあるさざなみ寮を通り過ぎて、禿山となった山道を駆け抜けて、二人は少し開けた場所に出た。

 

 

「これを、見せたかったんだ」

 

 

 山の中腹にある高台。海鳴と風芽丘を一望出来る展望台からは、夕日の茜色に沈んだ街並みが美しく映っている。

 

 

「……前にお兄ちゃんに連れて来てもらって知った。海鳴全部が見える場所」

 

 

 その美しい街並みをユーノは見詰める。

 所々壊れて、傷付いて、それでも誰かがそれを支えている美しい街を見詰めた。

 

 

「私はね。この街が好き」

 

 

 唐突に、なのははそう口にした。

 彼女は伝えたいのだ。その想いを。その意志を。

 

 

「ユーノ君と出会えた。アリサちゃんと出会えた。すずかちゃんと出会えた。ここが好き」

 

 

 知っていて欲しい。伝えたい。理解して欲しいのだ。この言葉を。

 

 

「アンナちゃんに出会えた。フェイトちゃんに出会えた。はやてちゃんに出会えた。そんなここが好き」

 

 

 その想いは伝わる。その想いは、故郷などに愛着を持てていない少年の胸にも、確かに響いて来る。それを本当に、少女が大切にしているから。

 

 

「世界なんて見えない。そんな大きな物、分からない。世界の危機を救うなんて、正直実感湧かないよ。……けどね」

 

 

 世界の危機と言われても、そこに実感など宿らない。

 至る果てを垣間見て、何とかしないといけないと感じても、どうして良いのかも分からない。

 

 だけど――

 

 

「この街を大切にしたいって想いは、ここから見るだけで湧いて来るんだ」

 

 

 ここからの景色が海鳴の全てだから。

 ここからなら、自分達の世界を形にして見る事が出来るから。

 

 

「辛い事は一杯あった。悲しい事も一杯あった。だけど、それだけじゃない」

 

 

 辛い出来事も、悲しい別れも、出会えた嬉しさには届かない。

 こうして生きて来たこの街を、確かに守りたいと感じている。

 

 

「出会いをくれた、海鳴の街に有難うって思ってる。私の世界を、守りたいって感じてる。だから」

 

 

 海鳴という少女にとっての世界。その小さな世界に礼賛を。少女にとっての守りたい物とは、そんなちっぽけな物だから。

 

 

「誰に強制されたからでもない。誰かの為と言う訳でもない。私は私の意志で、管理局に行くんだ」

 

 

 その言葉を両親に伝えた。その想いを兄妹に伝えた。その意志を友達に伝えた。そして今、ユーノに伝える。

 

 だから気に病まなくて良い。私は自分の意志で、戦場へと行くのだから。

 そんな言葉を、己の意志で前に進む事を、にっこりと笑って伝えるのだ。

 

 

「……君は、凄いな」

 

 

 嘗て見た、太陽のような笑顔。夕日を背に、同じような笑顔を浮かべる少女を、ユーノは焦がれた瞳で見詰める。

 彼の中で、曖昧な想いは確かな形を持ち始めている。答えはまだ出ない、それでも、もうすぐ出そうである。

 

 だけど、それを待つような高町なのはではない。

 

 

「……伝えたいのは、それだけじゃない」

 

 

 高町なのはは何時だって全力全開だ。

 そう決めたのだから、もう立ち止まる事も、踏み止まる事も、怖気付く事だってしてやらない。

 

 深呼吸を一つする。伝えるべき内容は、覚悟を決めていても恥ずかしくて。だけど全力全開。中途半端だけはしないから。

 

 

「私はね。ユーノ君が好き」

 

 

 冷たい風が吹く中、温かな笑みを浮かべて、少女は想いを言葉にして伝えるのだ。

 

 

 

 命の保証がない場所へ行く。明日も知れぬ戦地を行く。ならばこの想いを伝えよう。そう思ったから全力投球。躊躇いなんて、もうしない。

 

 

「格好良い貴方が好き。守ってくれるって言う時の力強さも、庇ってくれた背の大きさも、その強い瞳も全部好き」

 

 

 全ての想いを伝えよう。どんな返事が返って来たって構わない。高町なのはは全力全開。絶対に挫けたりはしない。諦めてなんてあげないから。

 

 

「格好悪い貴方が好き。どうして良いか分からなくておどおどしている姿も、恥ずかしくて真っ赤になって黙り込んじゃう所も、失敗して落ち込んでいる姿も全部好き」

 

 

 そうして太陽の様に笑う少女ははにかみながら、確かに少年の目を見て告げる。その刹那に、少年の心に忘れられない言葉を刻み込む。

 

 

「高町なのはは、貴方が大好きです!」

 

 

 それが全て。それが全部。高町なのはが伝えたい、想いの全てが其処にあった。

 

 

 

 

 

「あ、え、あう」

 

 

 予想もしていなかった言葉に、ユーノは顔を真っ赤にする。己の中で答えも出てはいないから、何を返して良いかも分からずにフリーズする。

 

 そんな姿にすら愛おしさを感じて、けれど知った事かと少女は攻め続ける。

 全力全開ど真ん中の剛速球。相手が受けられなくても知った事か、幾らでも打ち込み続けるのだ。少女はもう、揺るがないのだから。

 

 愛の示し方は知っている。アンナが見せた、あの行為の意味を知っている。

 だから、なのははトンと軽く前へ跳んで、混乱して固まった少年に抱き付いた。

 

 そうして、触れるような口付けを交わす。

 彼女が見せたような深い物ではなく、あっさりとしたバードキス。

 

 数秒にすら満たぬ一瞬の後、少女は自ら距離を取った。

 

 

「にゃはは」

 

 

 恥ずかしそうに、赤く染まった顔で笑う。

 全力全開であっても、流石に恥ずかしさは消せなかったから。

 

 

「私が伝えたいのはそれだけ! またね、ユーノ君!」

 

 

 照れ隠しのように笑った後で、身を翻すと足早に駆け出して行く。

 答えは聞かない。聞かなくて良い。唯、伝えたいだけだったから。

 

 

「…………」

 

 

 立ち去っていく少女の背を、ポカンとしたまま少年は見送る。

 答えを返すとか、態度を示すとか、暗くなってきた帰り道を送るとか、そんな発想は出て来ない。

 何が何だか分からぬ内に、攻め立てられたユーノは、固まったままの思考で立ち尽す。

 

 唯、唇に残った柔らかな感覚だけは、しっかりと覚えていた。

 

 

 

 

 

4.

「アーリーサーキィィィィック!!」

 

「おぶぱっ!?」

 

 

 なのはが見えなくなった後も茫然と立ち尽くしていたユーノに、建物の影から飛び出してきたアリサが飛び蹴りをかます。

 ぼんやりとしていた少年はそれを躱せず、錐揉み回転しながら飛んで行った。そうして地面に墜落した少年に、アリサは更に追撃を仕掛ける。

 

 

「こんのぉ、へたれ、へたれ、へたれ! アンタねぇ、なのはにあそこまでされといて、何でなんもしないのよ!!」

 

「ちょっ! 見てたの!?」

 

「見てたわよ! 信じらんない! アンタなら大丈夫って思ってたのに、肝心な所でヘタレてんじゃないのよ! このバカ!!」

 

「イタッ! 痛い! 痛いよ!?」

 

 

 うつ伏せに倒れたユーノに跨って、間接技を決めながらバシバシと叩くアリサ。

 彼女は二人の仲を認めるからこそ、こうしてもっと積極的になれとヘタレな少年にキツイ激励を送る。

 

 

「あはははははっ! まあ、あんな行き成りされたら対応出来ないわよね。アンタがヘタレなのは事実だけど」

 

 

 そんな二人の遣り取りを、青毛の女は腹を抱えて爆笑しながら見詰める。

 何だかんだでデート失敗理由の大半を担う女であるが、何となく良い方向に向かった結果に、笑って済ませる事にしたらしい。

 

 

「…………」

 

 

 そんな三者の遣り取りを、少し離れた所ですずかが見詰めていた。

 思い出すのは一つの言葉。御門顕明が語った、彼女の価値観を変えるという光景。

 

 

――其方がするべきなのは、二人の逢引きの中で高町なのはを見詰める事だ。

 

 

 御門顕明は理解していた。今更、真っ当な男を見たくらいではすずかのトラウマは消せない。その男性嫌悪の情は揺るがない、と。

 故に彼女が口にしたのは、高町なのはを見続けろという言葉。真っ当な男に愛情を抱く少女の想いを、見て理解しろと言う言葉だ。

 

 

――その最中で、あの娘がどれ程の愛を抱えているかを見るが良い。どれ程に想っているかを知ると良い。

 

 

 すずかは見た。彼女が見続けたデートは、お世辞にも褒められた物ではなかった。

 失敗ばかり、間違えてばかり、ドラマや小説にしても大して面白みもないだろう下らないデート。

 それでも、なのはは楽しそうだった。そんな詰まらない物ですら、大切と思える程になのははユーノを想っていた。

 

 

――そして考えるが良い。己の友の事を。……お前の友の想いは下らないか? お前の友が想いを抱く相手は、そんなにも醜いか? お前の友は、そんなにも見る目がないと思えるのか?

 

 

 それは、きっと否と答えるべきだ。ユーノ・スクライアが気に入らなくても、彼を想う彼女の気持ちは、きっと下らない物ではない。それを、見て来た中で確かに知った。

 

 

――それを知り、確信を得たならば。次は信じる事から始めよ。受け入れる事から、な。

 

 

 気に入らない男ではなく、その男に懸想する友を信じろ。その友の想いが本物ならば、その見る目が確かだと思うなら、きっとその相手とて下らぬ者ではない。その事実を、まずは受け入れろとあの女性は言っていた。

 

 

「……なのはちゃんに答えを返さない内は、認めてなんてあげないよ」

 

 

 叩かれている少年を見て、笑われているその姿を見て、すずかはそう呟く。

 まだ認めない。まだ受け入れない。未だ男など下らないと思っている。悍ましいと感じている。

 

 けれど、どこか前とは違う感情も抱き始めていた。

 

 

 

 

 

5.

 高町なのはは、日の沈み始めた山道を駆け下りる。

 寒空の下、それでも心は昂っていて、体はポカポカと温かかった。

 

 恥ずかしい想いを抱きながらも、全力で当たったが故の満足感も覚えている。

 そんな少女は、山道を下り切った所で――その甘い香りを吸い込んだ。

 

 

「え? 何、この匂い?」

 

 

 疑問に首を傾げる。何の匂いだろうか、と何度か深呼吸を繰り返して、その匂いの元へと歩を進めていく。

 

 

「工場?」

 

 

 街外れにある廃工場。どうやら匂いはここから来ているようだ。それに気付いたなのはは、何だろうかと歩を進める。

 

 緊張はない。恐怖はしない。工場内からは若干の魔力を感じるが、多少の事ではもうなのはは揺るがない。

 首に下げたレイジングハートを手で弄る。この地に感じる魔力は酷く脆弱。何があっても対処出来ると言う自信があった。

 

 そうして、なのはは其処でそれを見つけ出した。

 

 

「っ!? ……なにこれ」

 

 

 其処にあるは蠢く肉塊の群れ。

 醜悪で見苦しく、脈動を続ける肉の塊。

 

 気持ち悪いそれから目を逸らしたくなった心を、意志で追い遣るとそれを観察する。

 

 何が起きているのか、それが何なのか分からなければ何も出来ない。

 その為に目を凝らして、その奥までも凝視する。

 

 

「これ、人! 中に人が居るの!?」

 

 

 それに気付いたなのはは、即座に行動に移った。

 内に人を蔵する肉塊を、非殺傷の魔力で吹き飛ばす。

 中から零れ落ちて来た粘液塗れの人間を抱き抱えると、その体調を確認する。

 

 

「息はある。意識はある。……けど」

 

 

 夢。夢。夢を見せて。

 そう譫言のように呟く女の姿。そこにはどうしようもなく生命力が欠けている。肉体が欠損している。魂が欠落していた。

 

 なのはは何が起きているのかを予想出来ずとも、その肉塊が元凶なのだろうと確信する。

 その肉塊がリンカーコアを持たない女性の生命力と体と魂を消費していた事を理解する。

 

 周囲の肉塊を見る。これら全てに人が囚われている。

 だが、その全てを解放する事は出来ない。今助け出した女性は酷く衰弱しているのだ。

 治癒魔法の使えないなのはでは、肉塊から解放する事は出来ても治療する事が出来ない。

 

 故になのはは、この肉塊を生み出しているであろう元凶に対処する事を選択した。

 

 

 

 そうして、肉塊に埋もれた廃工場を進む。

 肉塊から臭う悪臭と、工場内に充満する甘い香りが混ざった異様な臭気に意識が遠くなる。それに耐えながら、なのはは更に先へと進んでいった。

 

 そして――

 

 

「愛い、愛い。愛い、愛い。……あら?」

 

「……貴女は」

 

 

 そこに居る筈のない女を見た。

 

 その銀髪の女を、なのはは確かに知っていた。

 一瞬だけ、ほんの一瞬だけ目で見たその女、彼女こそは。

 

 

「闇の書」

 

「ああ、どこかで見たような。確かに見たような。……分からないな。分かりませんね。分からないなら、貴方も主なのでしょう」

 

 

 銀髪の女は壊れている。高町なのはの言葉も届かぬ程に狂っている。

 己が何を言っているのか、己が何をしているのかすら分からずに、只々狂い続けている。

 

 

「主ならば救わなくては、救われなくては、救われて下さい」

 

「っ!?」

 

 

 肉塊が蠢く。魔力を発する。

 夜天はなのはを救うべき存在だと認識していた。

 

 

「私は、主じゃない! はやてちゃんはもう居ないじゃないですか!!」

 

 

 その夜天の姿に、少女はそう口にする。なのははそのなれの果てに、言葉を口にした。

 

 

「?」

 

 

 そんな言葉に、夜天は首を傾げる。

 何を言っているのか分からぬと、首を傾げて疑問を口にする。

 

 そんな反応に、動きが止まった対応に、話せば通じると勘違いしたなのはは、畳みかけるように口にする。

 

 

「闇の書さんの主は、はやてちゃんでしょう! はやてちゃんはもう居ないんです! こんな事をしても、意味がないんだ」

 

 

 夜天が何故、こんな事をしているのか分からない。

 何故、人々を苦しめているのか理解できない。

 そも、彼女が生き残っている理由すら分からずにいる。

 

 それでも思う。はやてが家族と言った闇の書の騎士達。そんな彼女らと同じく、闇の書に由来する者。

 はやてが生きていれば、彼女もまた家族だと言ったと思うから。

 

 放っておけない。こんな風に被害を増やしている姿を見過ごせない。どうにか止めなくては、となのはは使命感を燃やして。

 

 

「あああああああああああっ!?」

 

「何!?」

 

 

 はやての名を聞いた夜天は、絶叫を上げた。

 

 

「嫌、嫌、嫌。痛い痛い痛い。……知らない。そんなのは、私は、救う、だから、死んでいない。主は救われるのだから、いないはずがない」

 

 

 酷い頭痛を感じる。頭の中がグチャグチャになったように、夜天に残った僅かな自我が目覚めかける。

 だが、そうはならない。その程度の亀裂で壊れる程、夜天の狂いは浅くはない。

 

 

「……そうか、貴様は主ではないな。ああ、私の救いを邪魔しようとするのだ。主が居ないなどと虚言を吐くのだ。そんな貴様が、主であろうはずがない。……だが救ってやろう。お前も救ってやろう。私の救済を邪魔するお前も、哀れなお前も救ってやろう。救われろ。救われろ。救われろ。私の手で救われろ」

 

「っ!? 貴女は、どうして!!」

 

 

 言葉を口にしながらも、白き衣を身に纏う。

 この壊れた女を止める為に、その手に魔法の杖を取る。

 

 

「理由? そんな事はどうでも良い。理屈? よせよ、面倒だ。人格? それが救いに何か関係があるのか? 知らぬ存ぜぬ全て纏めてどうでも良い。主を救おう。主を救おう。邪魔をする哀れな者らも救ってやろう。さあ、私の夢に眠ると良い」

 

 

 壊れた女は自閉したまま、そう口にする。

 何かをする心算だ。そう判断したなのはは何かをされる前に先手を打つ。

 

 

「レイジングハート!」

 

〈Divine buster〉

 

 

 放たれる桜色の砲撃は、その密度、その威力共に絶大。残骸に過ぎぬ夜天に抗える道理はない。

 その桜色に飲み込まれて、夜天は崩れ落ちていく。狂ったまま、壊れたまま、自壊していって。

 

 

(え? 非殺傷なのに、何で?)

 

 

 そんな違和感が湧いた。

 

 同時に感じる。その姿を見て、その言葉を聞いた時に感じた怖気。

 それに反して、余りにも呆気がないと考えて。

 

 

――良い夢は見れたか?

 

 

「っ!?」

 

 

 気が付けば、なのはは肉塊に取り込まれかけていた。

 

 何時の間に、とは思わない。どうして、などとは感じない。

 理解している。分かっている。この気怠さが証明する。

 

 自分は先程から既に眠っていたのだと。

 

 魔力を放出して肉塊を破壊する。そうして放たれた魔力で、兎に角夜天から離れようと空を飛んだ。

 

 

――夢見る夢は終わらない。寝る子の眠りは侵させない。

 

 

 そう思った瞬間に、しかしまた囚われていた。

 “夜天から逃れたと言う夢”から覚めて、肉塊に埋もれるなのはは思う。

 

 

「これ、一体……」

 

 

 分からない。分からない。分からない。

 今が夢なのか、それとも現実なのか、それすら何も分からない。

 

 自分は何時から夢に囚われていた? 闇の書と出会った時? この廃工場に入った時?

 

 それとも、あの甘い香りを嗅いだ時点で既に眠っていたのか。

 

 

――舞われ、廻れ、万仙陣。

 

 

 女の声がする。眠りに堕ちろよという声がする。

 そんな女の夢に囚われて、高町なのはは底へと沈んでいく。

 

 

 

 それは或いは、必然の結果。

 高町なのはの異能は、格上相手に特化している。

 それは明確な格上相手でなければ、その真価を発揮できないと言う事。

 

 そうでなくとも、彼女はスロースターターだ。

 傷付いて、追い詰められて、それでも諦めないと立ち上がるのがその根源。

 そんな想いすら抱かせない眠りは、匂いを嗅いだ時点で眠りに落とす万仙陣は、正しくなのはの死角を突く。

 

 

「起き、ないと……」

 

 

 ああ、だけれども、今が夢かも分からない。

 現実を見失った少女は、肉塊に飲まれて意識を閉ざした。

 

 そうして、最悪の脚本が完成する。最低の舞台が幕を開ける。全てが終わる夢が始まる。

 

 

「あ、あああ、あはははははは! これで、これで漸く、貴女が救える。貴女を救える。良かった。良かった。ああ、本当に良かった!!」

 

 

 夜天には魔力が欠けていた。

 万仙陣を展開する魔力が、己の存在を保つ魔力が欠けていた。

 

 このままでは、己は消え去る。それは困る。それでは主が救えない。

 あの灯りの元に、少し歩を進めた場所に主が沢山いるのに、己の消滅を恐れて救いにいけない。

 

 ああ、何ともどかしい。

 

 だが、夜天は今魔力を得た。主ではないこの娘は、正しく無尽蔵の魔力炉だ。

 その魂も、その血肉も、その魔力も、どれ程削ろうとも無くなりそうにない。これならば、幾らでも万仙陣を発動できる。この地に住まう、全ての主を救えるのだ。

 

 そう。この街も、この星も、その全てを飲み干すだけの魔力を得たから。

 

 

「舞われ、廻れ、万仙陣」

 

 

 甘き香りが街に広がる。眠りへ誘う香りが国を飲み込む。肉塊が生まれる。肉塊が生まれる。肉塊が生まれる。

 家で娘の帰宅を待っていた少女の父母らが、屋敷で語り合っていた剣士と吸血鬼の恋人達が、高台で未だじゃれ合っている子供達と青髪の女が、誰一人として例外なく肉塊に飲まれていく。

 

 

 

 そうして、夜の帳が落ちる前に、海鳴の街は狂った女の夢に堕ちた。

 

 

 

 

 




そして後半はリインの独壇場。
格下の絡め手かつ初見殺しと言う、なのはにとって最悪の相性がここで響きました。

そしてなのはを得た事で、放っておけば消えていたリインがヤバい災厄に変わります。


ちたまは肉塊に埋もれた。これでちたま苛めも最後の予定です。


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闇の残夢編第四話 夢界を行く 其之壱

リアル事情が忙しいので、恐らく年内最後の更新です。次回は来年以降。一月は先になりそうなので、ご了承下さい。


副題 幸福な夢に落ちる。
   モテモテだな、喜べよ、ユーノ。(投げやり)
   廃神の悪夢。


推奨BGM
1.鴻鈞道人(相州戦神館學園 万仙陣)
3.聖絶(相州戦神館學園 八命陣)


1.

 夢を見ている。

 

 コトコトと音を立てる鍋の横。まな板の上に載った野菜を包丁で切っているエプロン姿の女は、あり得ぬ未来を夢に見ている。

 

 

「ねぇ、お母さん。今日のご飯、何ー?」

 

「スバル。お母さんの料理、邪魔しちゃ駄目だよ」

 

 

 夢を見ている。

 

 調理を続ける女の服の裾を引っ張りながら、幼い少女はお腹が空いたと母に訴えかける。そんな少女を、少し年上のお姉ちゃんは駄目だよと叱りつけて。

 

 

「ふふ、今日はビーフシチューよ。スバルの好きなアイスクリームも付けちゃう。ギンガもありがとうね。もう少し掛かるだろうから、向こうでスバルと遊んでてくれるかしら?」

 

 

 やったーと両手を上げて喜ぶスバルと、分かったと頷いて妹の手を引いて台所から居間へと移動するギンガ。

 

 何時か子供が生まれたら、付けようとしていた名前があった。

 何時か子供が生まれたら、してあげたい事が山ほどあった。

 

 

――夢見る夢を見ると良い。寝る子は寝てろよ。幼い夢は起こすなよ

 

 

 愛い、愛い、と語る女の声がする。

 心の奥底で願う想いを読み取る女は、眠る子が望む幸福を夢に見せる。

 

 

「さって、と。スバルもギンガも一杯食べるから、沢山作ってあげないとね」

 

 

 腕捲りして気合を入れる。二人仲良く遊ぶ少女らを、己が胎を痛めて生んだ子らだと錯覚している女は、それに気付かず母としての夢を見る。

 

 気付く為のきっかけはある。確かに記憶に矛盾がある。

 けれど、その夢が余りにも優しいから。けれど、その夢が、彼女が見たい空想を映し出しているから。

 

 クイント・ナカジマが夢から覚める道理はない。

 

 

 

 

 

2.

 曇天の元、街を見下ろす高台に立つ少年は、探知魔法を解除すると小さくはない溜息を吐いた。

 

 

「……やっぱり、これは」

 

 

 その魔法の検索結果を受け取った少年、ユーノ・スクライア。

 彼は暗く染まった海鳴の街で、ここに展開された魔法のとんでもなさに呆れと感心を、そしてその動力源となっているであろう少女の身を想って少なくはない焦燥を感じていた。

 

 先程まで彼が居た場所。幸福な夢は彼自身によって否定された。

 

 所詮は夢。現実味がないご都合主義の塊。幸福なだけの夢など、所々に亀裂が走る。矛盾は必ず存在している。

 故に真実、現実を見る事が出来るならば。それが夢だと明言出来るなら、それはあっさりと崩れ落ちる。

 

 彼が見た夢は、愛しい者を守りながら強敵に挑み大活躍すると言う夢。

 彼の大天魔を相手に八面六臂の大活躍を果たすという、ご都合主義が極まり過ぎて夢だとしても笑えない代物。

 諦めても、心の何処かで諦めきれなかった。こうあれたら良いのにという幸福な夢だ。

 

 だからこそ、彼は否定出来た。

 それが出来ぬともう知っているから、これから先の為に切り捨てた物だからこそ、そんなのは夢だと否定出来たのだ。

 

 そうして一つの夢を否定した彼は、こうしてこの場所に立っている。ならば、ここは現実であるのか? 否である。

 

 

「幻術魔法。誘眠魔法の重ね掛け。……全ての構成を見抜けた訳じゃないけど、重ねられた夢の数は恐らく八種。自分が眠っている事すら自覚出来ない場所を第一層。さっきまで居た幸福な夢を自覚していた場所を第二層とすれば、ここは第三層って所かな」

 

 

 一体誰が作り上げたのかは知らないが、大した魔法だと認識する。

 一人の魔導師では、否、数百人以上が協力しようとしても作れないであろう規格外の大魔法。

 

 第一層モーゼ。第二層ヨルダン。第三層エリコ。第四層ギルガル。第五層ガザ。第六層ギベオン。第七層ハツォル。第八層イェホーシュア。

 以上八層を持って作られしここは夢の世界。人の思い描いたカナンの地。

 

 この地に落とされし者達は、誰しもが明晰夢と自覚出来る世界であるヨルダンに落ちる。

 幸福を自覚していなければ救われないのだから、一層を飛び越えてまず二層に落ちるのだ。

 

 明晰夢の中で見せられた幸福な夢を否定する。

 乗り越えた結果、脱出に近付いたかと言えば恐らく否だ。

 

 現実に一番近い場所は第一層。現実に一番遠い場所が第八層。

 恐らくこれは、幸福な夢に抗う者らを逃がさぬように、抗えば抗う程更に深く夢に落ちるように構築された魔法である。

 

 何という大魔法か、その見事な魔法に感嘆すると共に、それを展開する為にはどれ程の魔力が必要になるだろうかと考えると震えが来る。

 真面に発動すれば、どれ程に世界を食らうであろうか。そんな大出力を支えるのが、囚われているのであろう唯一人。

 

 その動力源は分かっている。解析に引っかかった周囲の大気が示している。この夢界を支える根源は、周囲に浮かぶ桜色の魔力。

 

 

「なのは」

 

 

 その魔力光の持ち主を案じるようにユーノが小さく呟いた所で、彼の背後に何かが落ちる音と、小さくはない少女達の悲鳴が響いた。

 

 

「アリサ。すずか。……君達も夢から抜け出せたんだ」

 

 

 宙に放り出されるように、幸福な夢より弾き出された少女達を見る。

 これより下の階層は囚われた者達全ての意識を集合させた場所になっている。故に、こうして共に囚われた者とも再会出来る。

 

 

「夢。そっか、あれ、夢だったんだ」

 

 

 ユーノの言葉に、月村すずかは復唱をして納得する。

 

 

「道理で、おかしいと思った。……私が唯の人間に成れるなんて、そんな事ある筈ないもの」

 

 

 己の血を憎む少女が囚われたのは、当たり前の人として生きる幸福。

 友と共に、どんな事にも全力で取り組む事が出来て、当たり前に喜ぶ事が出来て、家には下らない掟などが存在していない。

 

 そんな彼女にとっては都合の良い夢。

 

 そんな夢の中でも、すずかは己に抱いた違和感を消せなかった。

 唯人と同様の物になった己の身体を、己の物と認識出来なかったからこそ、夢に溺れる事が出来なかったのだ。

 

 

「嫌な夢。あんなにも望んでいたのに、だからこそ否定しちゃった」

 

「……都合の良い夢でも、どれ程幸福に見えても、結局夢だって、分かっちゃうからね」

 

 

 幸福過ぎて現実感が持てない夢。己の求める物を叶わないと知っているからこそ、渇望に至る事は無く諦めてしまっていたからこそ、抜け出せた二人は揃って溜息を吐いた。

 

 

「……あんなの、私が望んだ夢じゃないわよ!」

 

 

 そんな、形はどうあれ幸福な夢を見たと結論付ける二人に対して、真逆の言葉をアリサは口にした。

 怒りではない感情に顔を真っ赤に染めた少女は、自分に言い聞かせるかのようにあれは私の夢ではないと口走る。

 

 

「……そんなに否定したい夢って、君は何を見たのさ?」

 

「っ!? 何でもないわよ! ってか、近付いて来んな!!」

 

 

 ズザザザザザと足音を立て、アリサは慌ててユーノから距離を取る。

 間にすずかを挟んで威嚇してくる少女の姿に、一体どんな夢を見たのか、と少年はその余りにもな反応に少し興味をそそられる。

 

 

「ユーノ! アンタ、暫く私に近寄るんじゃないわよ!!」

 

「……はぁ、全く。分かったよ」

 

 

 興味をそそられはするが、ガルルと歯を剥き出しにして威嚇してくるアリサから聞き出そうと思う程ではなく、またそんな暇もない。

 顔を真っ赤にした金髪の少女の様子から何かを感じ取ったのか、黒い笑みを浮かべて瘴気を発する少女も恐ろしくあったので、ユーノは本題に入る事にした。

 

 

「取り敢えずそのままで良いから、聞いて欲しい。真面目な話さ」

 

 

 ユーノが真剣な表情を浮かべた所で、二人の少女も表情を変える。

 

 

「現状、僕らは揃って何者かに囚われている。この夢の中の世界。夢界とでも呼ぶべきかな、そこに囚われて、目を覚ます事も出来ない状況だ」

 

 

 本来、これは夢なのだから目を閉じて眠りに就けば、朝はやって来る筈である。

 明晰夢の世界である第二・第三層で意識を閉ざせば、必然意識はより浅い層に推移して、第一層より現実へと帰還が叶う。

 

 だが今は違う。現実の彼らは囚われ眠らされている。普通に目覚める事が出来たとしても、その直後にまた眠らされて第二層行きが確定する。

 後はもう、一層から三層を繰り返し行き来するだけしか出来なくなるだろう。

 

 

「現実の僕らがどうなっているのか分からない。どれだけの時間が経っているのかも定かではない。……起きたら、もう老人になっていました。なんて可能性も否定できない以上、すぐさま行動する事が必要になるだろうね」

 

「それで、アンタはどう動けって言うのよ」

 

 

 すぐさま行動する必要がある。そう語るユーノに、アリサはどう動けば良いのだと問い掛ける。

 極力少年を見ないように口にするその姿に、全く何なんだ、と内心で疑問を零しながらもユーノは自身の考察した回答を口にする。

 

 

「真面な手段では脱出できない。……なら、この夢界そのものを崩すしかないだろうね」

 

『この夢の世界を壊す?』

 

「うん。どれ程優れていても、どれ程上手く構築されていても、これは複数の魔法を掛け合わせた大魔法。あくまで魔法の領分を超えてないのさ。だから、その基点となる術式さえ破壊出来れば崩す事は難しくない」

 

 

 そして魔法である以上、その基点はどの階層にも存在している筈だ。

 纏めて一つの大魔法ではなく、複数の魔法を歯車のように噛み合わせて動かしている術式だからこそ、一つの狂いが大きくなる。

 

 基点を一つでも破壊出来れば、この夢界はそれだけで破綻するのである。

 

 

「それで、その基点って何処にあるの?」

 

「あーっと、御免。そこまでは流石に。……けど予想は出来る」

 

 

 少年は周囲を見詰める。そこは再現された海鳴市。そしてこの夢界に満ちるは彼女の魔力。

 ならば、その基点がまるで無関係な場所に存在する事は無いだろう。

 

 

「ここが海鳴市と風芽丘町を模した場所で、この魔法の動力源が彼女なのだから、多分基点もそれに関わる場所にある。彼女にとって、想い出深い場所に基点はある筈さ」

 

「彼女って?」

 

「なのはの事だよ」

 

 

 動力源である彼女の力を上手く引き出す為に、基点は少女と縁ある場所に封じ込まれている筈である。

 

 その縁を使って、その想いを捻じ曲げて、この夢界は再現されているのである。

 必然、この第三層の基点が存在する場所は、高町なのはと、夢の世界の主。双方に共通する場所となる。

 

 そんなユーノの言葉に、二人の表情が変わる。あの友人まで囚われているのか、と。それ程にこの夢の主は途方もないかと。

 

 

「この夢界の主は誰だか分からない。誰だか分からないのに、その人との共通項なんて見つかる筈がない。……だから、探すのはなのはに関わる場所だ。なのはにとって、良くも悪くも印象深い場所を探せば良い」

 

「って言われても、ね」

 

「流石になのはちゃんに関わる場所ってだけじゃ、範囲が広すぎるよ」

 

 

 なのはにとっての大切な場所である海鳴自然公園。

 彼女が普段通っている聖祥大学附属小学校。はやてと出会った風芽丘の図書館。彼女の家に、翠屋と言う喫茶店。

 

 軽く考えるだけでもそれ程にあるのだから、どこが基点なのかは分からない。

 

 

「ま、それは一つ一つ潰して行くしかないかな。……基点の傍で探知系の魔法を使えば分かるだろうし、後は異能でも魔法でも何でも良いから、それで基点を壊せば良い」

 

 

 そんなユーノの言葉に、魔法を使わなければいけない事実に二人は若干嫌そうな顔をして。

 

 

「世界を殺す魔法を使う事を嫌うのは正しいけど、今回は使うべき時だよ」

 

「……分かってるわよ」

 

「うん。……必要、なんだよね」

 

 

 少女達は己のデバイスを手に取る。

 そのインテリジェントデバイスに登録されている魔法。それを使えば、確かに少女達にも基点破壊は出来るから。

 

 子供達は覚悟を決めて、世界を殺す力を使う。

 

 赤き炎がバリアジャケットを形成する。

 青き氷がバリアジャケットを形成する。

 翠の光がバリアジャケットを形成する。

 

 時間はないかもしれない。

 時間があるかは分からない。

 

 逡巡している暇などないし、一つ一つを全員で回るのは非効率。共に居たクイントも目覚めてくれれば楽になるだろうが、それを待っている余裕などありはしない。

 

 故に――

 

 

「さあ、行こう! 朝に帰る為に!」

 

「ええ!」

 

「うん!」

 

 

 子供達は三手に分かれる。

 飛翔魔法を使用して、加速魔法を使用して、彼らは偽りの海鳴市を走り出す。

 

 

 

 この夢を終わらせて、何時もの朝に帰る為に。

 

 

 

 

 

3.

 当然の如く、夢の支配者はそれを認識する。

 基点の存在している海鳴大学病院の一室で、主が眠っていたベッドに高町なのはを眠らせている女は、確かに子供達の抵抗を認識する。

 

 

「ああ、どうして抗うのです。どうして拒むのです。雄々しく戦い、華々しく活躍し、愛する人を守る夢。己の生まれが正され、友人達に囲まれて当たり前に生きる夢。ほんの小さな恋慕と友人への情故にある迷い、己の想いに蓋をしている現状と無関係になれる夢。……それを望んでいたのは、他ならぬ貴女達ではないですか」

 

 

 その抵抗が理解出来ない。その拒絶の意味が分からない。

 

 理由などいらないだろう? 現実など必要か? 己に閉じてしまえよ。その方が楽だろう?

 唯辛いだけの現実に、満たされない飢えを抱いて生きる。何故、そのような可哀そうな有り様を肯定するのだ。

 

 この地に生きる主達は皆、この夢を受け入れた。

 巨大樹。台風災害。叫喚地獄。焦熱地獄。黒縄地獄。相次ぐ災害に疲れ果てた人々は、優しき夢を受け入れた。その奥底へ沈み込んだ。

 

 

「そうか。お前達も主ではないのだな。……この地に生きる主達は救いを求めている。救われたいから主なのに、救いを拒むお前達が主であろう筈がない」

 

 

 そう。この場所で眠り続ける少女のように、彼らもまた主ではないのだろう。

 魔法陣の一部と化しているが故に、決して目覚める事がない少女と同様に、彼らも主ではないのだ。

 だから主の眠りを妨げようとする、愚かにも程がある行動を選択できる。そんな真似など許す訳にはいかない。

 

 

「排除しなければ、主の眠りを邪魔する者は、滅侭滅相。誰一人として残さない」

 

 

 どの道、第三層より上で死ねば、目を開いて目覚めるだけだ。

 肉の感触を伴った死に、心が壊れるかもしれないが、どうせ被害などはそれだけだ。

 肉塊の中で目を覚まし、また眠りに落ちれば良い。そうして幸福な夢の中で、今度こそ救われれば良いのだ。だから問題などある筈ない。

 

 故に夜天は、彼らを討ち滅ぼす悪夢を作り出す。この夢の世界を味方に付けて、猛威を振るう廃神(タタリ)を産み落とす。

 高町なのはの記憶から、器となるべき者の情報を読み取る。地球に生きる人々を繋ぎ合わせた事で、第八層の奥に生じたナニカから情報を汲み出す。

 

 この夢の全てを彼女が作り出した訳ではない。彼女が生み出したのは、眠りの魔法のある第一層と、幸福な夢を見せる第二層。そして、捕えた人々の意識を束ねた第三層。

 その三層を作り上げた直後、何故かその下が発生したのだ。人の意識を集合させた事で、その先が生まれたのだ。

 

 それを何と呼ぶか、夜天は知らない。何故、そんな物が生まれたのか、夜天は知らない。

 唯、そのナニカは夜天を肯定している。囚われた皆が、夜天の救いを望んでいる。故に夜天は、人類の代弁者と化している。

 

 その力が何を意味しているのか知らない。唯、便利である事は事実だから、分からぬそれを夜天は使用して、廃神(タタリ)という悪夢を生み出す。

 

 相応しい器に、夢から零れた力を植え付ける。ナニカから流れ出した力を沁み込ませる。与える力は邯鄲の夢。夢より零れた五常・顕象。

 高町なのはの記憶の中に残る象徴的な存在。それを器とする。抗う子供達の数に合わせて、生み出す廃神(タタリ)の数は三。

 

 悪夢と言う点では両面の鬼や腐毒の王こそを模倣したかったが、彼女の力では如何に人類総意の追い風を受けても大天魔の廃神(タタリ)などは生み出せない。

 

 皮だけ似せた模造品では、決して真には至らない。

 故に彼女が選択するは、高町なのは自身と、彼女の目の前で命を落とした二人の少女。

 

 そのトラウマを悪夢に変えて、三人のマテリアルを作り上げる。

 

 まず始めに生まれ落ちたのは星光の殲滅者。

 理のマテリアルでありながらも、夢によって増幅された愛に狂った少女は、その想いの向かう先、オリジナルより受け継いだ思慕の情を向ける少年へ向かって飛翔する。

 

 次いで生まれ落ちるは雷刃の襲撃者。

 力のマテリアルでありながらも、己の力を全く生かせぬ夢を与えられた少女は、燃え盛る炎のような少女の目指す場所へ向かう。

 まるで対抗するかのように、競争するかのように、先回りする為にオリジナル譲りの神速で飛び立っていく。

 

 最後に生まれ出るのは闇統べる王。

 だが、彼女は正しく生まれない。産み落とす夜天が、彼女の事を想像した瞬間に、曰くし難い頭痛に襲われ、その創造は破棄される。

 

 廃棄された少女は、夜天の体より吐き出される。

 彼女のモデルとなったオリジナルよりその壊れた体を受け継いでしまった少女は、制作途中で切り捨てられたが故にオリジナルよりも病んでいる。その体には欠損しか存在しない。

 

 闇統べる王は、己を最低の体で産み落とした夜天を憎悪の籠った瞳で見詰めた後、這いずりながら、最も近付いて来ている氷の如き吸血鬼の少女の元へと向かった。

 

 

 

 頭痛を堪えて、夜天は夢を見る。

 高町なのはが眠るベッドの上に、嘗て生きたいと語った少女が、悲しそうな表情を浮かべている姿を幻視した。

 

 

 

 

 

4.

 海鳴自然公園。高町なのはにとっての想い出の場所。

 まずこの場所へとやって来たユーノ・スクライアは、其処で一人の少女に出会った。

 

 

「君は、誰だい」

 

 

 目の前に居る少女は高町なのはと瓜二つ。

 違いはその短い髪型だけであり、双子と言えば、或いは髪型を変えただけと言えば、信じてしまう程に似通っている。

 

 だが違う。その無表情の内に滲み出る色が違っている。暗く濁った瞳が表情以上に彼女の意志を見せている。そこに宿るのは、女が男に向ける情欲だ。

 

 

「始めまして、ユーノ・スクライア」

 

 

 女は名乗りを上げる。その無表情を、満開の花が開くような笑みに変える。

 

 

「私は理のマテリアルにして、狂愛の廃神(タタリ)。星光の殲滅者、シュテル・ザ・デストラクター」

 

 

 だがその花は毒々しい。高町なのはの笑みが、太陽に向かう向日葵の如き物ならば、この少女の笑みは雨に濡れる紫陽花だ。

 その美しい花弁は、どこか毒を持っている。その水が滴る葉の裏には、醜い虫が這いずっている。そんなシュテルという少女は、にこやかに、鮮やかに、少年に対して己を示す。

 

 

「貴女を愛する女です」

 

 

 その見た目は少女である。その容姿は高町なのは同様にとても幼い。

 だが、これは女だ。愛する雄を求める雌は、その小さき身を情欲に狂わせている。

 

 

「……始めまして、なのに、愛しているのかい?」

 

 

 少年はその熱量に気圧されながらも、そんな皮肉を口にした。

 会った事もない誰か。見た事もない誰か。知りもしない誰か。そんな相手からの求愛に、余裕のない少年は苛立ちさえ覚えている。

 高町なのはの現状が分からぬのに。突如出て来た瓜二つの女の存在に何があったのかと案じているのに。こんな女の世迷言になど付き合っていられるかと、苛立ちを覚えて口にした。

 

 

「ふふ。ああ、これが貴方の声。これが貴方の言葉なのですね」

 

 

 だが、そんな少年の皮肉などは届かない。そんな正論などでは、狂った愛は止まらない。

 怒りを向けられていると言うのに、とても嬉しそうに少女は返す。その皮肉を、女の情にて否定する。

 

 

「貴方の言葉は分かります。私の想いはオリジナルから継いだ物。高町なのはのコピーでしかない」

 

「なのはの、コピー?」

 

 

 その発言にユーノは疑問を抱く。その容姿から予想はしていたが、何が起きているのかも分からぬ少年は「君は本当に、なのはの偽物なのか」と問い掛ける。そんな少年の言葉に、少女は是と笑って返して。

 

 

「けれど、それが何だと言うのですか?」

 

 

 同時にそれを、どうでも良いと切って捨てた。

 そう。シュテルにとって、己が偽物だと言うのは、その想いが模倣に過ぎぬと言う事実は、狂愛を覚ます理由にはならない。

 

 

「愛に理由が必要ですか? 愛に保障が必要ですか? そんな物が必要ならば、それは口で言う程、愛してなどいないのでしょう」

 

 

 狂っている。狂っている。狂っている。

 故に狂愛。この少女の想いは狂気の産物だ。

 

 

「単純に、想いの総量が不足している。純粋に、想いの熱量が足りていない。これに否と言う者には、愛に理由が必要だと語る者には、この言葉を送りましょう」

 

 

 己が想いに狂った女は、そんな言葉を口にする。己を否定する者らを否定するように、一つの言葉を口にする。

 

 

「愛が、足りぬよ」

 

 

 女は謳う。己の愛を。嘘偽りより生まれたそれを、何より誇るように女は謳う。

 

 

「私の想いは模造品です。私の想いは偽物です。ああ、けれどどうでも良いのです。だって、私は今、貴方を愛しているのだから」

 

 

 その少女は、ユーノだけを見詰めている。彼女の瞳には、少年以外は映らない。

 

 

「必要なのはそれだけ。それだけあれば十分。満天下に歌い上げましょう。私は貴方を愛している!」

 

 

 唯一人だけを見て、狂った愛を口にするシュテル。

 己の愛が偽りであると自覚して、それでも愛していると口にする。

 

 そんな狂った少女の告白に、しかしユーノが付き合う義理はない。

 

 

「……悪いけど、君に付き合う余裕はないんだ」

 

 

 そんな女の狂った愛情に、付き合い切れぬとユーノは踵を返す。

 大切な少女の無事さえも定かではない現状、こんな少女に関わっている余裕などない。

 

 この公園に基点はなかった。愛していると、紫陽花の如き笑みで語る少女は、何かをする素振りもない。

 故に、ユーノ・スクライアは少女に背を向ける。一人で勝手にやっていろと、その身を翻して――直後、その異常に彼は気付いた。

 

 まるで巨大な渦のように引力の如き力が、少年に向けて飛び出した少女の腕に宿っていく。

 振り下ろされる華奢な腕。その見た目からはまるで想像できぬ程の脅威を感じ取ったユーノは、己に強化魔法を掛けた上で、両手でそれを受け止める。

 

 鈍い肉体の激突する音と共に、両者の打撃は拮抗する。

 幼い手弱女の如き腕の筋力が、鍛え抜いた体を持つユーノが更に魔法で強化した両手の腕力と拮抗していた。

 

 否、拮抗は一瞬。受け止めた攻撃の威力が数瞬先には跳ね上がる。十倍。十五倍。二十倍。三十倍。四十倍。五十倍。

 どこまで上がると言うのか、圧倒的な速度で物理的な重さを変えていく。その力が百倍を超えた瞬間、遂にユーノは限界を迎えた。

 

 

「がっ!?」

 

 

 両腕の骨に皹が入って圧し折れる。獣の如きその一撃に、左の腕が引き千切られる。押し潰された少年は、地面をへこませながら這い蹲った。

 

 

「痛いですか? 辛いですか? ああ、私も苦しい。貴方が苦しむ姿を、悲しいと思っているのに、ああ、何故でしょう。その痛みで、貴方が私を想う度に、敵意の情を抱く度に、私が貴方に刻まれていく実感がして、どうしようもなく嬉しいのです」

 

 

 腕を奪われた痛みに苦悶する少年の眼前で、捥ぎ取った左腕を愛おしそうに抱きしめながら、狂った女は陶酔する。

 

 

「……なんで、こんな力が。……どれだけ力が、上がるんだ」

 

 

 千切り取られた左の腕。肘から先を失い、欠損した部位から大量の血を流しながら、何故そのような細腕にこれ程の力があるのかとユーノ・スクライアは陶酔した少女に問い掛ける。そんな少年の疑問に、少女は笑って答えを返した。

 

 

「教えてあげます。三千倍です」

 

「っ!?」

 

 

 荒唐無稽なその数字。怯えさせる為ではなく、教え諭すように口にする。

 隠そうとは思わない。駆け引きに使おうとも思わない。愛に狂ったその少女に、戦略も策略もありはしない。

 

 

「貴方には全てを知って欲しい。私の全てを知って欲しい。……だから、少しだけ御伽噺を語りましょう」

 

 

 少女は何一つとして隠さない。

 己の全てを知って欲しいと、千切り取った腕から滴る血を舐めながら、優しく優しく口にする。

 

 

「嘗て、ロシアと言う国に、一人の少女が居りました」

 

 

 シュテルが優しき声音で語るのは、夜天が第八層の奥にあるナニカから抜き出した御伽噺。

 人の狂気が産んだ悲劇。グルジエフの怪物と言う、人類の悪性を象徴する一つである。

 

 

「その少女は黄金瞳と言う、他者を支配する特別な力を持っていました」

 

 

 他者を支配する瞳。己に繋いだ物を自らの肉体の一部として操る異能。そんな物を持ってしまった事こそ、少女にとっての最大の悲劇。

 

 

「その瞳の力を知った父親は、ある一つの事を思い付きます」

 

 

 その男は、人工の超人を夢見た愚か者。誇大妄想に狂った神秘学者。

 

 

「それは少女に他人の身体を繋げてしまう事。人間を超えた存在を求めた父親は、足りないなら継ぎ足せば良いという考えで、少女を完全な存在に変えようとしました」

 

 

 幼い子供を、人間は愚か他の生物まで巻き込んで、切り裂き繋ぎ合わせて、至らせようとした狂気の産物。

 

 

「三千人を切り刻んで、継ぎ足して、それで出来たのは唯の怪物。それで生まれたのがグルジエフの怪物です」

 

 

 御伽噺はこれで終わりだ。その怪物がどうなったのか、決して語られる事は無い。

 

 

「君は、その怪物と同じなのか?」

 

 

 三千人を繋いだから、それ程の力があると言うのか。

 君もまた、他人を寄せ集めて生み出されたグルジエフの怪物なのか。

 

 そう問い掛ける少年に、シュテルはにっこりと笑みを浮かべると。

 

 

「いいえ、違いますよ」

 

 

 その言葉を否定した。

 

 

「はっ?」

 

「ですから、違います。……私はグルジエフの怪物ではない。あんな欠陥品などではない」

 

 

 にこやかに語る少女は、外れた言葉を口にする。狂った言葉を口にする。

 

 

「だって、他人を繋いだら、純度が落ちるじゃないですか」

 

 

 その笑みは、狂気に満ちている。その瞳は、狂気に染まっている。そして揺るがぬ愛がそこにある。

 

 

「父親の失敗は其処です。他人を繋いだから、娘の純度が落ちてしまった。……そう。私のように、自分自身を繋げば良いのに」

 

 

 シュテル・ザ・デストラクターはコピーに過ぎぬ。

 大量生産可能な模造品に過ぎぬのだ。ならば、三千人のシュテルだって用意出来る。

 それを切り裂き、継ぎ足せば、そこには三千倍の濃度に高められたシュテルが生まれる。

 

 

「私は、そういう物として生まれました」

 

 

 そんな吐き気がする真実を、そんな悍ましい行為を、毒々しい笑みと共に少女は口にする。

 

 

「私の力は、高町なのはの三千倍です。私の強さは、高町なのはの三千倍です。私の愛は、高町なのはの三千倍です」

 

「っ!」

 

 

 吐き気がする。気持ちが悪い。

 毒々しい笑顔を浮かべる小さな少女が、悍ましいナニカにしか見えなくなっていく。

 

 

「お前は――」

 

「ええ、私は――」

 

『――怪物だ!』

 

 

 二人の認識は一致する。ここに協力強制は成立する。

 依って、シュテル・ザ・デストラクターの真の力が解放される。

 

 

「――急段、顕象――」

 

 

 これより生まれ落ちるは人の狂気。御伽噺に語られる、グルジエフの怪物の再現。

 

 

鋼牙機甲獣化帝国(ウラー・ゲオルギィ・インピェーリヤ)!!」

 

 

 全長50mを超える怪物が産声を上げる。人の血肉を繋ぎ合わせた肉の巨人は、その暴威をここに顕象する。

 その身動ぎだけで大地を震わせて、その咆哮で大気を歪ませて、グルジエフの怪物はここにその姿を見せる。

 

 

「私の愛は、破壊の慕情」

 

 

 その黄金の瞳が見詰める。その瞳の総数は六千。その全てが、ユーノ・スクライアだけを映している。

 貴方の想いが、オリジナルにしか向いていないと知っているから。その想いを揺るがせぬ事は出来ないと気付いているから。

 

 ああ、見返りを求めないのが愛だと知っていても、この衝動を抑えられない。

 私を刻み込んで、私しか見えないようにする。貴方を切り刻んで、私しか知らないようにする。

 

 

「私の腕の中で崩れ落ちる貴方を、私だけが知っていれば良い」

 

 

 だから壊れろ、だから壊れて、私は貴方を愛している。

 愛に狂った屍の巨人は、情欲に濁った瞳でそう口にする。

 

 

「私の愛で砕けろ! ユーノ・スクライアァァァァァッ!!」

 

「そんな愛は、御免だよっ!!」

 

 

 折れた右腕をだらりと垂らして、捥ぎ取られた左腕から血を流しながら、ユーノは少女の愛を否定する。

 

 ボロボロとなった少年は、狂愛の廃神(タタリ)と相対する。

 

 

 

 

 

 アリサ・バニングスは学校へと足を運んでいた。

 公園に行ったユーノ。図書館に行ったすずか。二人と異なり、彼女がここを選んだのは消去法だ。

 

 アリサはその現実的に考えてしまう思考故に、飛翔魔法を苦手としている。

 資質の上では飛行出来るのだが、人は飛べないと言う意識が足を引っ張り飛行出来ないのだ。

 

 真実を知る彼女は、魔法の練習など出来ない。故にその欠点は覆せない。

 だからこそ、高台から一番近い位置にあるこの聖祥大学附属小学校へ向かう事を選んだのだ。

 この学校に次いで、比較的近い風芽丘の図書館にすずかが、一番遠いであろう公園にユーノが向かったのも、飛行魔法の熟練度が影響していた。

 

 

「しっかし、何処の誰よ、これやったの」

 

 

 学校に立ち入ったアリサは、その光景に頭を抱えてツッコミを入れる。

 彼女達が通っている学校の廊下は、何故か玩具が散乱して足の踏み場もない状態だった。

 

 

「……誰か、居るって事よね」

 

 

 自分の魔法の技量では、実際に現場を見なければ解析出来ない。

 この学校で一番怪しいのは、自分達の教室なのだから、取り敢えずそこまでは行かなくてはいけない。

 玩具箱をひっくり返したような状況に嫌そうな表情を見せながら、アリサは大きなぬいぐるみのように柔らかい玩具を足場にしながら先へと進んだ。

 

 ぬいぐるみをよじ登り、積み木の家を足で押し退け、ミニカーや飛行機の模型を腕で跳ね除けながら前へと進む。

 そうして、自分達の教室辿り着いたアリサは、その教室の扉をガラガラっと開ける。その扉の向こうには――

 

 

「行け! Gアルファ! バババッ! プシュー! 何!? 宇宙生物め! まさか、こんな力を!? やむを得ないか、Gテリオス! 合体だ!! グオー! バキィ! 変形合体! グレートガイア!! 凄いぞー! 強いぞー! 格好良いぞー!」

 

「…………」

 

 

 何か馬鹿っぽいのが居た。

 

 

「あっ」

 

「…………」

 

 

 馬鹿っぽいのと目が合う。

 その姿は、嘗て一日だけ遊んだ事のあるフェイト・テスタロッサにそっくりな気もするが、きっと気のせいであろう。

 

 彼女はこんなにアホの子ではなかった。

 

 

「ふっ、良く来たな! あ、あ、あ、アルス・バニシング?」

 

「アリサよ」

 

「そう、それ! 僕らは全部お見通しだ! お前が夢界を壊そうとしても無駄だぞ! 何せ、この僕。力のマテリアルにして放蕩の廃神(タタリ)。雷刃の襲撃者。レヴィ・ザ・スラッシャーがここに居るんだからな!!」

 

 

 シュタっと格好良いポーズを取って宣言するレヴィ。

 その手に超合金製の合体ロボットを握り締めている辺り、今一締まらない。

 

 

「あ、そう。それじゃ」

 

「え?」

 

 

 取り敢えずアリサは、見なかった事にして扉を閉めた。

 どうやらここには、基点はなかった。妨害者も誰もおらず、自分は時間だけを浪費してしまったようだ。

 

 

「ちょっとー! 無視は酷いぞ、サルサ!」

 

 

 聞こえない。馬鹿が悲しそうな声で、口にしている言葉なんて聞こえない。そして自分はアリサだ。

 

 

「泣くぞー! 構ってくれないと、僕泣くぞー! アサリが泣かしたって先生に言っちゃうぞー!」

 

 

 鼻水を啜る音とか聞こえて来るけど気のせいだ。と言うかあの馬鹿は、どの先生に告げ口する気なのか。それと自分はアリサだ。

 

 何となく感じる後味の悪さに蓋をして、急がなければならないアリサは学校を出ようとする。

 その前にある大量の玩具と言う存在に、またこれを乗り越えるのか、と溜息を吐いて――

 

 

「むー! もう僕怒ったぞ! 創法の界だ!!」

 

「って、なにこれ!?」

 

 

 アリサの目の前で、世界が作り変えられる。

 廊下と教室が一体化して、窓や扉と言った外部に出る為の手段が失われる。

 

 アリサは作り変えられたその空間内で、半べそをかいているレヴィと対峙を強要された。

 

 

「へっへーん。僕、創法得意だもんね。この玩具も形で作ったし、こうして界で場所変えられるもん。……だから寂しくなんてなかったんだぞ、本当だぞ。……あ、後、鼻かむからティッシュ頂戴」

 

「……自分で作りなさいよ」

 

「はっ!? その手があったか!! しかし、何で僕が創法の形も得意だって、知ってるんだ!?」

 

「今、アンタが自分で玩具とか作れるって言ってたでしょうが!!」

 

 

 言われて、そっかと納得するレヴィ。

 そんな阿呆っぷりを見て、頭痛を堪えるかのようにアリサは自身の頭を抱えた。

 

 

「……で、アンタ。何の用なのよ」

 

 

 何もない空間から鼻紙を作り出して、チーンと鼻をかむ青い髪の少女。

 その姿を、嫌そうな表情で見詰めながら、アリサは口を開く。

 

 

「あれ? ……何か用あったっけ?」

 

「おいっ!?」

 

 

 そんなアリサの言葉に、はてなとレヴィは首を傾げる。

 数十秒程が経過して、漸く思い出したのか、ポンと手を打つと口を開いた。

 

 

「そうだ! 僕、排除しろって言われてた! だから、遊ぼう! アルマ!」

 

「前後の文脈!? あと、私はアリサだ!!」

 

 

 ツッコミどころしかない少女の発言に、ツッコミ担当は息を荒くしながら指摘した。

 そんなアリサの指摘に、その言葉に、レヴィは本当に不思議そうな表情を浮かべる。

 

 何を言っているのか分からないと、彼女は首を捻ると口を開いた。

 

 

「何言ってるのさ。排除と遊びは同じだろ? だって、これは夢なんだから」

 

「え?」

 

 

 訳が分からぬ、と、そんなズレタ解答を口にする。

 

 

「僕らは悪夢だ。僕らは廃神(タタリ)だ。君達は寝てるだけだ。もう二度と目覚める事は無い。……だから、何があろうと何もない。何があっても、変わらない。僕らはどうなろうと変わらないし、君達にだって意味はない。僕らも君らも等しく無価値。意味のないこれは、だから、遊びだ! 何も意味はなくて、何も価値もないんだから、唯の時間潰しでしかないじゃないか!」

 

 

 放蕩の廃神(タタリ)は楽しげに笑う。

 どうせ意味はないんだから、楽しく遊ぼうと語り掛ける。

 

 その姿は何処までも純白無垢であって、だからこそ何よりも悍ましい。

 

 

「だからせめて、楽しく遊ぼうよ! 唯、ある今を、無駄に浪費しよう? それが僕らのやるべき事だよ!」

 

「アンタ」

 

 

 そんな無責任な発言に、相手の価値すら貶める発言に、アリサは苛立ちを込めて口にする。

 

 

「誰が無価値だって? 誰が無意味だって? 勝手に決めつけんな! 私は行くわよ。アンタなんかと遊んでやる暇はない!!」

 

 

 斜に構えているのではなく、純粋にこんな言葉を口にする馬鹿娘。そんなのに関わっている暇などはないのだ。

 勝手に遊んでいれば良いと、そんな彼女を無視しようとしたアリサは。

 

 

「……けどさ、君は何処に行く気なの?」

 

「何ですって?」

 

 

 レヴィの言葉で立ち止まった。

 

 

「だからさ、この扉も窓もない、何もない空間から、どうやって外に抜け出そうって言うのさ」

 

「……こんな壁や天井なんて、私の炎で」

 

「無駄だよ。君が壊せば僕が直す。君はどこにもいけない。僕が居る限り、君は無価値だ。……だから、僕と遊ぼうよ」

 

「っ!」

 

 

 どこへも行けない。抜け出せない。

 アリサは特段早くない。レヴィが物質を作り上げる速度に勝る速さでは動けない。

 

 故にこそ、アリサ・バニングスが先に進む為には、この少女が邪魔となる。

 

 

「何で遊ぶ? 何でもあるよ! テレビゲームも、ボードゲームも、なんだって用意出来る」

 

「……私がアンタを倒して、先に進むとは考えないのかしら?」

 

「うん。それでも良いよ! だって、殺し合い(それ)も遊びでしょう?」

 

 

 その発言に息を飲む。殺し合いを遊びと捉える、そんな少女の異常に気圧される。

 

 

「それじゃ、君がやる気を出せるように、一つ約束してあげる! どんなゲームでも良いから、僕に勝ったらここから出してあげるよ!」

 

「……それ、本当でしょうね」

 

「もっちろん! 僕、絶対に負けないもん!」

 

 

 故にアリサはその意志に飲まれて、遊び相手となる事を了承する。相手の土俵に立つ事を、ここに選択してしまった。

 

 彼女にとっての正答は、有無を言わせずに殴り付ける事だったと言うのに……。

 

 

「だったら、これで遊んであげるわ!」

 

「チェス? うーん。僕良く分かんないけど、良いよ。何か楽しそうだし」

 

 

 にっこりと屈託なく笑って、レヴィは口を開く。

 まるで確認するかのように、その言葉を口にする。

 

 

「僕らが始めるのは遊びだ。これから行われる勝負は、ゲームだ!」

 

「……当然でしょ。チェスは、ゲームなんだから」

 

「うん。当然だ。……君がそう思ってくれて、本当に良かった」

 

 

 これから行われる勝負に対する認識が、両者共に同じ物となる。ゲームであると互いが認識する。

 

 

「三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝」

 

 

 故に、ここに協力強制は成立する。

 故に、レヴィ・ザ・スラッシャーの夢は顕象する。

 

 

「――急段、顕象――」

 

 

 それは遊びの夢。何にも囚われぬ放蕩の力。

 何もかもを掌で遊ばせようとする、雷刃の得た釈迦の掌。

 

 

軍法持用(ぐんぽうじよう)金烏玉兎釈迦ノ掌(きんうぎょくとしゃかまんだら)!!」

 

 

 世界が変わる。世界が作り上げられる。

 レヴィとアリサと、小さなチェス盤。それだけしかない、他には何もない空間。

 

 そこでにこやかに笑うレヴィは、アリサに向ってこの世界の法則を説明する。

 

 

「一つルールを説明しておくよ。ここではどんな力も働かない。ゲームをする以外に何も出来ない。……そして、ゲームに負けたら、命を落とす」

 

「っ!? 聞いてないわよ! そんなの!!」

 

「言ってないもーん!」

 

 

 己の夢の法則を語るレヴィに、アリサは聞いていないと憤慨する。

 そんな彼女に放蕩の廃神(タタリ)は、言ってないと無邪気に笑う。

 

 レヴィは真実、純粋だ。それは幼い子供がカエルを投げ付けて潰してしまうように、或いは蟻の巣に水を流し込むかのように、内に悪意の隠れる無邪気さ。純粋故の脅威がある。

 

 

「さあ、遊ぼう。カルマ! 君が望んだ、無意味で無価値な殺し合い(ゲーム)だ!!」

 

「……私は、アリサよ!!」

 

 

 せめてもの意地を込めて、アリサは無邪気な悪意に向い合う。

 

 既に型に嵌められた少女は、放蕩の廃神(タタリ)と相対する。

 

 

 

 

 

 そして、二人と別れ図書館に向っていたすずかは、その道中でそれを発見する。

 

 ソレは人だった。人だった物だ。

 肉は削ぎ落ち、髪は抜け落ち。目は落ち窪んで肌は荒れ果て、骨と皮しか残っていないその身は、まるで襤褸屑のようで、性別すら定かではない。人かどうかも分からない。

 

 例えるならば木乃伊だが、まだ木乃伊の方が原型を留めている。そう思わせる程に悲惨な姿。

 

 

「はやてちゃん!」

 

 

 だが、すずかはその残骸に、友の面影を見た。何もかも壊れた残骸だが、しかし何処かで似通っていた。

 

 ここは夢。ならばそう言う事もあるのかもしれない。

 もしもその可能性があるのだとすれば、罠だとしても無視は出来なかった。

 

 異臭がする。まるで糞と吐瀉物を塗り固めた異臭。

 その残骸から臭うその臭気に、しかし眉一つ動かさない。すずかは必死になって、八神はやての残骸と思わしき物を抱き上げる。

 

 その瞬間に、抱き上げた衝撃で、ポキリと骨が折れた。口から血反吐交じりの泡を吹き、その残骸は痙攣する。

 その凄惨な見た目に、すずかは目を涙で潤める。その余りにも哀れな姿に、どうしてと嘆きを抱いて――

 

 

「我を憐れんだな」

 

 

 ゾッとする声がした。

 血反吐交じりにそう口にするのは、死んでいるとしか思えない残骸。

 

 

「はやて、ちゃん?」

 

 

 自分で言っていて、それは違うと思っていた。

 この残骸は、八神はやてではないと、たった今、理解した。

 

 その目が違う。その意志が違う。こんな有り様でありながら、何としてでも生きてやるという執念がそこに宿っている。

 

 

「我は、お前が羨ましいぞ」

 

 

 ああ、羨ましい。憎らしい。……何故、お前がそんな健康な体を持っていて、我はこの様なのか。

 その憐れみの情が、その理不尽が、どうしようもなく許せなかったから。

 

 

「お前の輝きを寄越せ」

 

 

 残骸の少女はその手を伸ばした。

 

 

「干キ萎ミ病ミ枯セ。盈チ乾ルガ如、沈ミ臥セ」

 

 

 その血反吐交じりの声で、憎悪に沈んだ瞳で、残骸は呪詛を紡ぐ。

 その一言一言で肋骨は圧し折れて肺に刺さり、その衝撃で他の内臓器官までも潰れていくというのに、それでも言葉を止める事は無い。

 

 

「――急段、顕象――」

 

 

 お前は我を憐れんでいる。そんなお前が我は羨ましい。

 その意志には相手の状態を正したいと言う憐れみが存在し、その意志には輝きを求めようとする羨望が宿る。

 

 我がこうなった原因を教えてやろう。この病みを与えてやろう。その代価に、お前の輝きを寄越せ。それは身勝手な等価交換。少女の夢は、輝きと病みを入れ替える。

 

 

生死之縛(しょうししばく)玻璃爛宮逆サ磔(はりらんきゅうさかさはりつけ)

 

 

 抱きしめていた少女と、抱きしめられていた少女が反転する。

 その輝きと病みを入れ替えられて、月村すずかは先程までの少女と寸分変わらぬ姿で地面に倒れた。

 

 それは己に負の感情を抱いた相手に病を押し付け、相手の輝きを奪い取っていく簒奪の夢。

 輝きとは、即ちその異能。その肉体。その才能。その相手が持つ、ありとあらゆる正の要素。

 それら全てを奪い取り、そして病みだけを押し付けるのがこの玻璃爛宮逆サ磔。

 

 その力を受けて残骸となったすずかを、逆十字は踏み付ける。

 すずかから健常な姿を奪い取って、対価として己を蝕む病の一つを押し付けて、自由に動く体を得た少女は立ち上がる。

 

 

「……空気が不味い」

 

 

 真面に動く体を得た少女は、吐き捨てるようにそう呟いた。

 そうして、残骸となり掠れた呼吸を繰り返す少女を見下しながら、己の名を宣言する。

 

 

「我は王のマテリアルにして、絶望の廃神(タタリ)。闇統べる王。ロード・ディアーチェ」

 

 

 名乗りに返す声はない。それに不敬と口にして、王たる少女は月村すずかを更に踏み躙る。

 

 

「なあ、塵芥。我の役に立てよ。これっぽっちを奪っただけで、その輝きが尽きたとは言うなよ」

 

 

 王を蝕む病は消えていない。その病みはまだまだ残っている。

 故に蝙蝠よ。お前の輝きを寄越せ。その代価に、我の病みを抱え込め。

 そうして我の体から全ての病みが消える程に、その輝きの全てを差し出すのだ。

 

 

「我と姉妹である二人。それ以外の塵など、その為だけに生きているのだろうがよ」

 

 

 それだけが生きる価値だろう、と。どこまでも傲慢に、闇統べる王は宣言する。

 絶望を齎す廃神(タタリ)は、残骸になった程度では絞り足りぬとすずかを見下していた。

 

 残骸となったすずかは、僅かに残った意識でディアーチェに対処しようと思考を巡らせる。

 

 全てを簒奪されようとしている少女は、こうして絶望の廃神(タタリ)と相対する。

 

 

 

 

 

 




終盤はちょっと急ぎ足。後で加筆するかも。
細かい説明は個別の戦闘回にでも、次回以降に各々の戦闘シーンを描写していきます。


取り敢えず、ヤンデレシュテルンの能力を予想出来た人は居ないと思う。(小並感)




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闇の残夢編第四話 夢界を行く 其之弐

年内更新は最後だと言ったな。騙して悪いがアレは嘘だ。

実際残業漬けで暇がなかったけど、何か結構書けてたので投下します。


そんな今回は遊戯王ネタ満載のお遊び回。こんなに他作品ネタを出すのは今回限りなので、多分タグ追加は要らぬ筈。(もうタグ欄に追加出来る余裕があんまない)


推奨BGM 釈迦ノ掌(相州戦神館學園 八命陣)


1.

「僕のターン! ドロー! 僕は手札から場に二枚のカードを伏せてターン終了!!」

 

「チェスはどこ行ったー!?」

 

 

 チェス盤の上に二枚のカードを乗せて宣言するレヴィ。彼女の余りにも型破りな行動にアリサは頭を抱えた。

 

 

「えーっ! だって、僕。チェスのルール知らないしー」

 

「知らないのに、応じたの!?」

 

「うん! ……そだ! サラミが教えてよ!」

 

「命懸けのゲームなのに教えるか馬鹿! 私はアリサよ、いい加減覚えなさいよ、馬鹿! っていうか馬鹿!!」

 

 

 ぜぇはぁ、と荒い息をするアリサに、レヴィは口を尖らせる。

 

 

「むー。じゃあ良いもん。王さまに聞くからさ」

 

「おうさま?」

 

 

 言って念話の魔法を発動するレヴィ。彼女が問いを投げるは、異なる地で戦う同胞だ。

 

 

「あー。王さまー! ねー。チェスのルールって知ってる? え、何? 戦闘中に念話してくるな? 相手が雑魚だから問題ないけど、暇な訳じゃない? けどさー、アリサが意地悪するんだもん。教えてくれないんだよ。…………ふむ。ふむふむ。あー、そういうルールなんだー。ありがと、王さま!」

 

「……戦闘中」

 

 

 その駄々漏れな会話に、アリサは顔を強張らせる。

 自分以外の二人も、妨害を受けている。そのどちらか、或いは両方が苦戦しているだろう事実を、雑魚と見下す相手の言葉が告げていた。

 そんな彼女の緊張を余所に、「なんだかんだ言っても、ちゃんと教えてくれるから王さま好きー」と言って念話を切った少女は、屈託ない笑みを浮かべたまま口にする。

 

 

「よーし、僕、ルール分かったよ!」

 

「……そう」

 

 

 顔が強張っている。緊張を隠せていないアリサは、そっけない返事を返す。

 そんな相手の様子に気付かないレヴィは、ニコニコと笑いながら一つの暴言を口にした。

 

 

「うん! それでね、思ったんだ。……これだけじゃ、詰まらないよね? だから、もっと面白くなるルールを追加しよう!」

 

「何を!」

 

 

 唯、盤面で駒を動かすだけでは詰まらない。

 活動的な少女はそう暴言を放ち、そうして自身が面白くなるようにゲームのルールを書き換える。

 

 何をする気か、そう問おうとするアリサを無視して、レヴィは創法の界を発動した。

 

 レヴィの体から放たれる輝きが、縦横無尽に駆け抜けていく。

 彼女の魔力光とは異なる緑色の輝き。邯鄲の夢より零れし創造の力。

 

 その線が形作るのは巨大な升目模様。

 その広大な盤面は、レヴィ・ザ・スラッシャーによって生み出されたもう一つの世界に他ならない。

 

 

「完成! 盤面の世界! そーしーてー!!」

 

 

 少女は更に物質を作り上げる創法の形を発動し、複数の物体を作り出す。

 生み出された正十二面体は、サイコロ。十二面それぞれにデフォルメされた人物画が記されている。

 その数は四つ。記されるのは、眠りに就いていたアリサの記憶から読み取った、彼女に近しい人の顔。

 

 片手に持ったそのサイコロを、レヴィは大きく放り投げた。

 

 地に落ちたサイコロがその面を示す。その表面に描かれた人物は、サイコロの数と同じく四名。

 何一つとして意図はなく、何一つとして作為はなく、偶然選ばれた四名をレヴィは夢の中から取り寄せる。

 幸福な夢に沈み続ける者らを無理矢理に叩きおこして、そうして、新たに作り出された盤面の世界にその四人の姿が現れた。

 

 

「恭也さん! 桃子さん! 忍さん! クイントさん!」

 

 

 その四人の姿に、思わずアリサは声を荒げる。

 四人に語り掛けようと何度も口を開くが、しかしその声は届かない。

 

 突如、何もない世界に放り出された四人は、アリサの声など届かずに右往左往しているだけである。

 

 

「あはは。馬鹿だなーマリサは。そっちに声掛けても聞こえないよーだ」

 

「っ! 何の心算よ、これ!?」

 

「んー? 新ルールの追加? ……直ぐに分かると思うけど、この四人はアリサの持っている白い駒の内のどれかと対応してるんだよ」

 

 

 言われアリサは、小さなチェス盤に乗った十六の駒に目を落とす。

 キングが一つ。クイーンが一つ。ビショップ、ナイト、ルークの駒が二つずつ。残る八つは全てがポーン。

 一般的なチェスピースの種類と個数。その盤面と合わせても何らおかしい所はないチェスセットだ。

 

 

「あ、一応、キングは除外ね。他の五種類のどれかと対応してる。……んでね。その駒が相手に取られると、対応している人も死ぬから気を付けてね」

 

 

 屈託のない笑みで語られる言葉にアリサは絶句する。

 その言葉に度肝を抜かれて、衝撃に硬直して、数秒ほど放心する。

 

 何とか我に返ると、絞り出すように言葉を口にした。

 

 

「……何でよ」

 

「ん? 何が?」

 

「何で、この人達まで巻き込むのよ!!」

 

 

 その怒りは正当だ。その憤りは正しい。その憤怒には確かに正善である。だが、放蕩の廃神には届かない。

 

 

「何でって、その方が楽しいからだよ!」

 

 

 にこやかに笑う少女には悪意がない。屈託なく笑う少女には邪気がない。レヴィ・ザ・スラッシャーは何処までも純粋だ。

 

 

「それにね。ムカつくんだ、あいつ。王さま、あんな体にしてさー。……だから、その意趣返しもちょっぴりあるかも」

 

 

 命令に逆らえないと思ってさー、と口を尖らせる少女は、救済を志す夜天が捕えた人々を遊びの駒にしてしまう。

 意趣返しと言うそれだけの理由で、精神を崩壊させるかもしれない死の実感を無関係な人々に与える。

 

 その行いの悪性を少女は知らない。その所業の醜悪さを少女は知らない。その無邪気さに隠れた悪意を、知ろうとも思わない。

 レヴィ・ザ・スラッシャーは純粋なのだ。それは無知故の純粋さ。子供らしさの発露である。

 

 改めて、アリサは理解する。この少女は外れている、と。

 

 

「そーしーてー、それだけでもありませーん! 盤面の人達も唯待つだけじゃ詰まらないだろうからね。折角だし、敵を用意してみましたー!」

 

 

 盤面の世界。恭也達四人が居る場所とは反対側に、黒き靄が集まっていく。

 それはまるで、この地に囚われた人々の負の想念を集めていくかのようで、酷く形容し難い程に不吉な気配を漂わせている。

 

 

「モンスターデザインを手掛けてくれたのはシュテルン。今話しかけたら、私と彼の時間を邪魔するな、ってすっごく怒られたけど、イメージだけは作ってくれましたー!」

 

 

 その集いし瘴気に眉を顰めるアリサの前で、レヴィは自信満々にそう口にする。

 

 生まれ出でるモンスターの姿を、彼女もまた知らないのか。

 特撮番組のヒーロー登場を待ち構える子供のように、キラキラとした瞳でそれを見詰め続ける。

 

 緊張に固まり唾を飲むアリサの前で、ワクワクドキドキと待ち続けるレヴィの前で、それは姿を現した。

 

 黒き靄が固まって物質と化す。それは採寸こそ違っているが人型の存在。そのずんぐりむっくりとした三頭身の体にフィットした戦闘服とマントは、確かに眼前の少女と同じ物。

 まん丸の顔の中央にあるは、グルグルと鉛筆で適当に塗り潰した落書きのような円らなお目々。二等辺三角形そのままといった口の端からは涎を垂らしている。指一つない丸い手。全体的に緩いデザインは、ゆるキャラ特有の何とも言えない雰囲気を醸し出していた。

 

 そんな馬鹿っぽさ溢れる造形は、確かにレヴィをモデルにした事がはっきりと分かる代物であった。

 

 

「ねぇ、アンタ。実はそのシュテルンって子に嫌われてるんじゃない?」

 

「そ、そんなことないよ!?」

 

 

 仰々しく現れた割りに何とも言い難い見た目をしているその怪獣を、アリサは白けた目で見詰める。

 そんな言葉に慌ててレヴィは首を振って、そうしてもう一度良くその馬鹿っぽいナニカを見た。

 

 

「……良く見ると格好良いかもしれない」

 

「これの!? どこが!?」

 

 

 じーっと馬鹿っぽい怪獣を見詰めていたレヴィは、何だかズレタ結論に達する。

 

 

「ふっ、君には分からないみたいだね。この魅力が。……邪気眼を持たねば分からぬか」

 

「違う! 良く分かんないけど、それ、絶対に違うわ!」

 

「良いさ、その活躍で魅力を刻み込んでやる! 行け! 大怪獣、ふぇいとん!!」

 

「フェイトに謝れぇぇぇぇっ!!」

 

 

 ふぇいとーん、と鳴き声まで馬鹿っぽく、三頭身の大型怪獣は盤面の世界で一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

2.

「はぁっ!」

 

 

 御神不破が一つ。虎切。飛来する斬撃が、間の抜けた顔立ちの怪獣に命中する。

 その身を切り裂く斬撃に、落書きのような瞳から涙を零しつつ、ふぇいとんは吹き飛ばされる。

 その哀愁を誘う姿に僅か罪悪感が芽生えるが、同時に虎切の一撃を受けてなお健在なその耐久力に舌を巻いた。

 

 

「ふぇいとーん!」

 

「ちぃっ、やりづらい」

 

 

 そう愚痴る。目の前の気が抜ける大怪獣だけではない。自身の動きに大幅な枷が掛かっている事が面倒であった。

 

 軍法持用・金烏玉兎釈迦ノ掌。レヴィ・ザ・スラッシャーが顕象した夢は、恭也に一つの駒を当て嵌めている。

 その駒は騎士。その性質は上下左右にニマス、そこから更に垂直に一マス。L字型に動き盤面を揺り動かすと言う物。

 その枷に嵌められた恭也は、騎士の駒と同じ様にしか動けない。そして騎士の駒が行ける範囲内しか見る事が出来ない。

 

 視覚のズレ。行動、動作が上手く出来ない。無理に行おうとすると体が鈍るのだ。一歩前に出る事は出来ず、そう動こうとすれば斜め前方に動いてしまう。

 

 優れた感覚と鍛え抜かれた体を持つ彼だからこそ、こうして戦う事も出来てはいるが、鍛え抜かれた体が、同時にデメリットも生んでいた。

 体を動かす時に出来た癖。条件反射の域にまで磨き抜かれた咄嗟の行動。戦闘への慣れが足を引っ張っているのだ。

 

 無論、デメリットだけではない。騎士を割り当てられた彼は、今現在、本来は出来ない動きも可能となっている。

 まるで腕が一本生えて来たかの様に、至極当然にそれを使い熟せる。L字型の移動。即ち空間跳躍を。だが――

 

 

「恭也」

 

 

 背後で名を呼ぶ女を想う。位置取りの関係上、振り返っても見る事は出来ない女。月村忍を守る為にも、恭也は満足な行動が出来ていない。

 騎士としての特性はまるで生かせず、前後左右を見えないと言うデメリットしか得られてはいない。こうして足を止めたまま、近付いて来るふぇいとんを迎撃するのが限界だ。

 

 

「どっせーい!」

 

「ふぇいとーん!?」

 

 

 そんな恭也に対して、獅子奮迅。八面六臂の活躍をしている女が居る。

 

 

「ははっ、良い感じね、これ!」

 

 

 戦車の駒を与えられたクイント・ナカジマだ。縦と横。そのどちらにも好きなだけ移動出来るこの駒は、クイントにとって都合が良い。

 

 

「ふぇいとーん!」

 

 

 殴り飛ばされたふぇいとんは、しかし無傷。ぽよんと柔らかく弾むように跳ね返って、その巨大な体でのしかかりを仕掛けて来る。

 

 

「あらよ、っと。見え見えなのよね!!」

 

 

 だが当たらない。だが見えている。

 クイントは素早くその身を引くと、ふぇいとんの顔面に向って拳を叩き込んだ。

 

 クイントが扱うシューティングアーツ。それは直線的な動きを主とする格闘技だ。

 ローラーによる加速で前へ走り抜ける。当然、速度が乗れば途中で回転する事は難しく、故に直線的な動きには慣れている。

 制限など、斜め前が見えなくなった視界ぐらいであろう。横への動きも、縦への動きも、正しく彼女は使い熟している。

 

 

「そらそらそらそら、そらっ!」

 

「ふぇいとーん!?」

 

 

 一発で無理ならば数を重ねる。幾ら弾力のある体でも衝撃の全てを逃がせる訳ではない。一気呵成に攻め立てて、その身に被害を蓄積させていく。

 ラッシュ。ラッシュ。ラッシュ。己の歪みも織り交ぜた攻撃総量は、正に絶大。絶対数が規格外。クイントの握り締められた拳は弾幕となり、鳴き声を上げるふぇいとんを打ちのめす。

 一発たりとも外さない。その連撃は正しく極上。家よりも大きなふぇいとんの巨体も、今のクイントにしてみれば的が大きいだけでしかなかった。

 

 

「今、私ってば苛立ってんのよね。……折角、人が良い夢見てたってのにさ!」

 

 

 その苛立ちをぶつけるかの様に、クイントのラッシュは止まらない。

 如何に頑強な体を持つ大怪獣とは言え、こうも拳の雨に晒されては抵抗も出来なかった。

 

 

「これで、止めっ!!」

 

 

 指し手も又、彼女の活躍から該当する駒を判断できたのであろう。

 自身の背を後押しするような力を感じながら、クイントは繋がれぬ拳をふぇいとんに打ち込んだ。

 

 

「ふぇ、い、とん」

 

 

 涙を流しながらふぇいとんが消えていく。

 勝利を得たクイントは、その余韻に浸ることは無く、即座に後方へと跳躍した。

 

 そんな彼女の目の前を通過していく丸い拳。その気が抜ける見た目とは裏腹に、大地を砕いたその拳は正しく猛威だ。

 だがそんな猛威すらも届かない。敗れた怪物に続くように現れたふぇいとんの一撃を、クイントは鮮やかに躱していた。

 

 

「ふぇいとーん!」

 

「はっ、数頼りの戦法じゃあね」

 

 

 ふぇいとんは一体ではない。その総数は八。一体が倒れた今も、七体のふぇいとんが残っている。

 

 割り当てられた駒と同じように、一マスずつしか動けない巨大怪獣はゆっくりと迫り来る。

 その姿から感じられる圧力は真である。その巨体もあってか、間が抜けているだけでは済まない脅威を伴っていた。

 

 

「単騎特攻、鉄拳無双! このまま纏めて、蹂躙してあげるわ!!」

 

 

 後方に跳躍したクイントはすぐさま進撃する。

 戦車の売りはその速力だ。全ての駒の中でも上位に入るその機動力で一気に敵陣へ攻め込む事も出来る。

 即座に前方のふぇいとんに拳を打ち込んだクイントは、そのまま討ち取ろうと一気呵成に攻撃を仕掛ける。

 

 だが――

 

 

「っ!?」

 

 

 序盤で戦車を大きく動かすのは愚策とされる。

 敵陣にも多くの大駒が残っている状態で動かせば、戦車はその行動力の高さ故に孤立しやすいのだ。

 

 

「きーしー!」

 

「転移!? そんな素振りなかったのに!!」

 

 

 そう。孤立した戦車は良い鴨でしかない。

 空間を跳躍して、クイントの背後に現れた突撃槍と丸盾を装備したふぇいとんがその刃を振るわんとする。

 

 

「くっ! 躱せな――」

 

 

 普段ならば歪みによる保険を残して居る筈なのに、何故か突撃思考に支配された彼女はそれをしていなかった。そんな事を考える事すら出来なかったのだ。

 

 故に、今の彼女にこの攻撃を躱す術など残っていない。

 そんな彼女の致命的な隙を、その騎士が見逃す道理はなく。

 

 

「きーしー!」

 

 

 迫る突撃槍の刃先。その鋭い先端は、確かに己の命を奪っていくだろうと感じさせる。

 逃げられない。躱せない。その事実に、クイントは襲い来るであろう衝撃に耐えようと体を丸めた。

 

 

「こっちに!」

 

「きし?」

 

 

 騎士ふぇいとんの槍が空を切る。一人孤立していた筈のクイントの手を、誰かが引っ張り引き摺っていた。

 

 

「貴女、確か……」

 

「自己紹介は後です。まずは一旦、恭也達の所へ」

 

 

 手を握る女。高町桃子に与えられた駒は女王。

 この盤面にて最も早く動ける女性は、故にクイントの窮地に間に合っていた。

 桃子に手を引かれながら、クイントはまるで転移魔法を使用しているような感覚で長距離を移動していた。

 

 

「ねぇ、貴女。……確か、高町なのはの母親よね」

 

「……何を急に?」

 

 

 桃子に与えられた女王の力で長距離を移動する二人。その最中、クイントは桃子に言葉を投げ掛けた。

 

 

「いや、ちょっとね。……あんまりにも良い夢見たから、今の私、少しだけ母親気分なのよ」

 

「……」

 

「そんなニワカな母親でも思う訳。……あれを盗られるのは、嫌だなって」

 

「……だから、何だと言うの」

 

 

 こんな時に話す事であるのか、お前が何を言うのか、そう言った冷たい意志が混じっている桃子の反応に、こんな時だから伝えておかないと、とクイントは告げる。

 極限の状態で、だからこそ信のおけない相手と共にある事は出来ない。己の内に蟠りがある内は動きも鈍る。だからこそ、今、クイントはそれを口にする。

 

 

「御免。済まない。申し訳ない」

 

「なんで、貴女が」

 

 

 桃子に手を引かれたクイントは、そう口にして頭を下げる。

 

 

「一管理局員としては正しい判断だと思ってる。けど、一人の親志望としては納得いかないから、……こんな時でも、一度は頭を下げておかないとって感じてる。こんな時じゃなければ、殴られても仕方ないって思ってる」

 

「…………」

 

「お前が何を言うんだって、正論よね。結局、自己満足よ。そう言っておかないと、私の心が済まなかったから、こんな状況で言ってるだけ」

 

 

 安全圏へと逃れた二人は、手を離して向かい合う。

 こんな時だから殴られてはあげられないが、これが終わったら好きにしてくれて良い。そう確かに想いを抱く。

 

 そんなクイントに対して、桃子は――

 

 

「貴女の所為じゃない。……と言えば、満足ですか?」

 

「…………」

 

「許せる筈がない。認められる筈がない! どうして我が子を奪われて、それで平然としていられるの!?」

 

「……そりゃ、そうよね」

 

 

 それは母の想い。それは母の情。偽りの夢とは言え、その一端を知ったクイントには返す言葉も存在せず。

 

 

「けど!」

 

 

 だが、高町桃子はそれだけの女ではない。彼女は我が子を愛する親だから。

 

 

「けど、……あの子が望んだのよ」

 

 

 世界の真実を知ったなのはは、綾瀬の口伝を知ったなのはは、生まれ育った世界を守りたいと語ったなのはは、自らの意志で管理局に行くと言ったのだ。

 今は出来る事がない。けれどこの先まで、そうである事は出来ないから、何時か何かを出来るようになる為に、自ら進んで前に行くと言ったのだ。そんな言葉を、そんな想いを、どうして桃子が否定出来ようか。

 

 

「……だから、この事で、私は貴女を責められません。それはきっと、あの子の想いを汚す行いだから」

 

 

 お前らの所為だと語るのは容易い。だがそれは、なのはの決意を軽くする行為だ。抗いや反発ではなく、その先に出来る事を見出そうとした少女の想いを汚す行為でしかない。だから、桃子は責めない。責められなかった。

 

 

「あの子の想いを汚さない為にも、私は、唯待ちます。あの子が無事に帰って来る、その時を」

 

 

 魔法の才も力もない彼女は、唯、待つ事を選択する。戦場に出て、無駄に命を散らすのは違うからこそ、彼女は唯待つ。何時かあの子が返って来た時に、お帰りなさいと言う為に。

 

 クイントもその言葉を知っていた。高町なのはが、どんな想いで管理局へ行こうとしているのかを彼女も知っていたのだ。

 だからこそ、桃子がそれを聞いて、止められないと感じたのを、止めてはいけないと思った事を、確かに心で理解していた。

 

 何も出来ない故に、待つ。

 いってらっしゃいと笑顔で見送って、お帰りなさいと声を掛ける為に笑顔で耐える。

 

 そんな桃子の在り方は、クイントに忘れ去っていた一つの過去を想起させていた。

 

 

「……待ってあげるのが、女の強さで母の強さ、か」

 

「え?」

 

「いや、家の母親の台詞よ。昔ながらって感じがして、一緒に居た頃は大っ嫌いだったんだけどねー」

 

 

 その言葉に反発するように、クイントは家を出た。女だてらにと言われるのが嫌で、そういう決め付けが嫌いで、大喧嘩の末に管理局員となった。

 局員の中でも特に危険な陸の前線部隊に所属した理由は、そんな親への反発が発端だった。

 

 

「けどさ、良い年になって、子供の可愛さ知って、んで、アンタみたいな親を見て、思う訳よ。……私は私を貫いたこの人生に後悔なんて一遍もないけど、それでも、待つ事の大変さも、お帰りを言える強さも、何も知らなかったんだな、ってさ」

 

「……待つ、強さ、ですか。……ええ、そうですね。唯、待ち続けるのは、心が痛いです」

 

 

 ここが戦場である事を忘れて、二人の女は共有した想いを抱く。良き母でありたい女と、良き母になりたい女は、ここに互いを理解する。

 

 

「私はさ、港の様な女にはなれない。そんな男にとって都合の良い女にはなりたくなかった」

 

 

 それは古臭い考えを持った母への反発。若き頃のクイントが、勢いによって飛び出した時の想い。

 

 

「……けどさ、港のような女にはなれなくても、大木のような母にはなりたい」

 

 

 そして今抱くのはそんな想い。子を産めぬ体となって生まれた、母になりたいという願望。眼前の母を見て、敬意と憧憬を抱いたが故の解答。

 

 

「小鳥の如く飛んで行った子供達が、安心して休める大木になりたい。信じて帰りを待つ、アンタみたいな立派な母親になりたい訳!」

 

「……買い被りですよ。私はそんなに強くない。弱い“女”です」

 

「十分強い“母親”よ! 私から見るとね!!」

 

 

 そんな言葉を、一人の母親は買い被りだと言う。

 そんな言葉に、一人の女は買い被りなどではないと反論する。

 

 クイントは内心を吐露して桃子を褒め称え、そんなクイントに苦笑を向けて、桃子は己が内にあった彼女への蟠りをとかした。

 未だ管理局と言う組織は分からない。我が子を奪うその組織は憎らしい。……けれど、この女性は信に足るのだと思えたから。

 

 

「貴女、きっと良い母親になれますよ。……私なんかより、ずっと」

 

 

 そんな風に、冗談交じりの本音を口にする。母になりたいと言う女に、きっと良い母になれる筈だと言葉を掛ける。

 

 

「ははっ、そりゃ良いわね! アンタみたいな良い母親に言われると自信が湧くわ!」

 

 

 そんな彼女の言葉を笑いながら、確かに有難いとクイントは受け取る。ああ、本当にそうなれたら良いな、と女はそんな想いを胸に抱いて。快活に笑う女と、静かに微笑む母親は、確かに互いを理解した。

 

 

「……名前を聞いても?」

 

「クイントよ。クイント・ナカジマ。貴女は?」

 

「知っているのでは?」

 

「そりゃ、資料ではね。……けど、アンタの口から直接聞きたい気分なのよ」

 

「高町桃子。それが私の名前です」

 

 

 互いの名前を交換する。それはお互いを認め合った一つの証。互いに信を預けると言う一つの結論。

 

 

「クイント。貴女のような人が居るなら、きっと管理局は良い所なのね」

 

「割と黒い所山盛りよ、モモコ。……ぶっちゃけ、反吐が出るって言葉が軽く見えてくるわ」

 

「……けど、貴女はそんな悪いものから、あの子を守ってくれるでしょう?」

 

「ま、そりゃ当然。大人として、んで、モモコみたいな母親になりたい女として、その辺は当たり前って訳よ」

 

「ええ、なら大丈夫。僅かな遣り取りでも、貴女が信用出来る事は理解したから」

 

 

 これは共感だろうか。これは友情だろうか。これは一体何であろうか。二人の母は理解する。その間に、確かな絆を感じ合う。

 

 

「っ! 母さん、何時までも話をしていないでくれ!! そろそろ此処も突破される!!」

 

 

 前線に一人で立ち、襲い来る敵を迎撃していた恭也が声を上げる。

 

 七つの歩兵。二つの騎士。二つの戦車。二つの僧侶。

 怒涛の如く流れ込む敵手は、その数にて防衛線を打ち破ろうとしている。その猛威は、今にも四人を飲み干そうとしていた。

 

 高町恭也すらも悲鳴に似た声を漏らす現状。間の抜けた姿とは裏腹に確かな脅威を伴っている怪物達を前に、二人の女は何ら臆せず、互いを向いて言葉を伝える。

 

 

「ねぇ、モモコ。ちょっと良い考えがあるんだけど」

 

「あら、奇遇ね。クイント。私も丁度、良い考えが浮かんだのよ」

 

 

 二人の女はそう口にする。二人の母は提案し合う。

 

 

「私は拳が自慢なの。あの人を馬鹿にしたような造形の奴。近付けさえすれば撃ち抜いてやれるわ」

 

「今の私は、どうにも足が速いみたいなの。空間転移みたいに何処にでも行けるし、何時でも色々な物が見えるけど、武器がないから何も出来ないのよ」

 

 

 そんな風に、二人は分かり切った事を確認し合う。互いが同じ事を提案しようとしていると悟る。

 

 

「モモコ、私の足にならない?」

 

「クイント、私の拳になってくれないかしら?」

 

 

 そんな互いの提案に、勿論と手を結んで。

 

 

「やるわよ、モモコ!」

 

「ええ、クイント。ママさんコンビの力、見せてあげましょう!」

 

「一人はママさん志望だけどね!」

 

 

 二人の母は、そうして戦場を変える為に前へ進んだ。

 

 

 

 

 

3.

 盤面の世界で行われる戦場を確認しながら、アリサはほっと一息を吐いた。

 

 先程は派手に失敗してしまった。

 誰がどの駒に該当するか分からず、様子見に徹していた彼女は、クイントが戦車である事に気付いて、そんな彼女の活躍を見て、少し気が急いてしまったのだ。

 

 彼女に任せれば大丈夫。そんな考えで戦車を動かし過ぎた結果、騎士に取られるという失態を演じていた。

 

 

(桃子さんが割って入ってくれなければ、あのままクイントさんが落ちてた)

 

 

 盤面の世界と、この小さなチェスボードはイコールではない。だが、互いに影響を与え合っている。

 アリサの出過ぎた行動が、クイントの思考を麻痺させた。敵陣に単騎特攻させるという無様を強要させていた。

 結果として、彼女が騎士に討たれる。その隙を作ってしまったのだ。

 

 自省する。反省する。もう二度と繰り返さないと、アリサは心に誓った。

 

 チェスとは選択のゲームだ。相手と自分に選択させ、どちらがより大切かを判断させるゲームであるとも言える。

 被害ゼロで終わらせる事は出来ない。何を取らせて、代わりにどうやって王の駒を取るのかを競う物。他の駒が全滅しても、結果として王を討ち取れば勝者となる。

 

 だが、現状のルールはチェスを外れている。駒が取られれば誰かが死ぬかもしれない。その恐怖が、選択を極端に難しくしている。

 そのプレッシャーが、その縛りが、アリサが普段は犯さないようなプレイミスを起こす要因となっているのである。

 

 そんなアリサとて、唯失敗を重ねている訳ではない。

 こうしてチェスボードと盤面の世界を見比べながら、レヴィが語っていないルールまでも解き明かすように思考している。

 

 

(まず一つ。戦車の駒を取られてもクイントさんが死んでないように、同じ種類の駒があれば、即座に死ぬって事はなさそうね)

 

 

 その事実を読み取って、アリサは自身の手駒を確認する。安全なのは複数ある駒。騎士。僧侶。戦車。兵士。

 内、戦車を一つ、兵士を複数消費している。残った兵士と騎士と僧侶。それだけが保険の存在している駒である。

 

 

(んで、クイントさんが戦車。恭也さんが騎士。桃子さんが女王か。……忍さんが何に該当するか分からないのが痛いけど、多分兵士か僧侶かのどちらか)

 

 

 このチェスゲームは、駒の動きの影響を該当する人が受ける。

 先ほどのクイントのように、前に出した駒に該当する者は、無意識の内に突撃思考を選択しやすくなってしまう。

 

 

(さっきから使ってるのは歩兵と戦車。となると、やっぱり最初の場所から動かしていない僧侶が忍さんかしらね)

 

 

 安全重視の戦略を取ったアリサが選択したのは、まず落ちないと確信させてくれたクイントの該当する戦車を動かす事と、数が多いが故に安全性の高い兵士を使用する事だった。

 その二つを率先して動かしている。となれば、盤面の世界で動いていない月村忍が兵士に該当するとは思えなかった。

 

 

(……となると、僧侶は軽々しく動かせない。女王もやめるべきね。盤面の世界では動いてくれてるけど、ここで私から干渉しちゃうとあの活躍を阻害する結果になりかねない)

 

 

 一気呵成に敵兵を刈り取って回るクイントと桃子。

 この二人のコンビネーションは、即席とは思えぬ程に優れた物。とはいえ、そこに自分の意志という異分子が混ざればどうなるかはまるで読めなかった。

 

 

「あ、ああー、僕のふぇいとんがー!?」

 

(いっそ、このまま消極的な戦術で居るのもありかもね。……盤面の世界で落ちた奴に該当する駒はチェスボードの方からも消えるみたいだし)

 

 

 自陣の黒い駒が消えていく姿に、盤面の世界で母親二人による無双劇が展開されている姿に、レヴィが悲しそうな声を上げる。

 そんな姿を見ながら、アリサは冷静に勝利への算段を作る。自分がやるべきことを認識する。

 

 

(女王と戦車、騎士と僧侶は全部放置。取られない事だけを気を付ける。……んで、歩兵をどうにかプロモーションさせて、保険の駒を作るべきね。差し当たっては一つしかない女王。後は戦車。……安全を追及するなら、騎士と僧侶も増やしときたいわね)

 

 

 全く、これではチェスじゃないだろう。そう内心で溜息を吐く。

 どうせなら相手の駒も奪って使える将棋にするべきだったか、と思考しながらもその明晰な頭脳で次の一手を思考し続ける。

 

 そんなアリサの算段を、レヴィは子供の我儘一つであっさりと打ち崩した。

 

 

「うー! これ以上、ふぇいとんはやらせないぞー!」

 

 

 己の姉妹が作ってくれた怪獣。それが打ち破られる姿に、レヴィは涙すら浮かべている。

 だが、ふぇいとん個々の能力に差異はない。あるのは該当する駒に応じた速力の差のみである。

 

 突撃槍と丸盾を装備した騎士ふぇいとんは、特別攻撃力が高い訳でも、防御力が高い訳でもない。

 下半身が戦車になっていてキャタピラ移動している戦車ふぇいとんも、特別火力がある訳でもなければ、その装甲が分厚い訳でもない。

 神官っぽい服装をした僧侶ふぇいとんもまた、歩兵ふぇいとんと何一つとして違いがない。

 

 そんなふぇいとん達は、まるで無双ゲームの中ボスのように倒されていく。

 一撃で倒される雑魚ではないが、一対一のバトルにはなれずに数発で沈む辺りに所詮中ボスという哀愁を感じさせている。

 

 このままでは何れ全滅する。故にレヴィが選択したのは、ルールの完全無視であった。

 

 

「リバースカードオープン! 融合!!」

 

「ふぁ!?」

 

 

 先程レヴィが盤面に乗せた二枚のカード。その内の一枚が表になる。

 それは魔法カード。融合。海鳴でも放映されていた決闘王と言うアニメ。その中に出て来るカードを使用すると言う、余りにもあり得ない行動に、アリサは思わず目が点になって放心した。

 

 

「僕は場にいるキングふぇいとんと、クイーンふぇいとんを選択する!」

 

 

 何処からともなく某決闘王のBGMが流れて来る中、レヴィの手にした魔法カードはその効果を発揮する。

 王冠を被った一回り小さなふぇいとんと、何故かSM女王の如きボンテージファッションのクイーンふぇいとんが空中で混ざり合った。

 

 

「男と女。陽と陰。異なる二つが合一する時、ここに太極の使者は誕生する! 目覚めるが良い、いざ降臨せよ! 万象を統べし神なる者! ゴッドふぇいとん!!」

 

 

 何かそれっぽい口上をアホの子が口にした瞬間、盤面の世界にそれは降臨する。

 グルグルとした落書きの瞳。二等辺三角形の口から零れ落ちる涎は当社比三割増し。丸い顔はキラキラと油でテカり、背に負った後光がそれを更に輝かせる。

 

 その間抜けな姿は、馬鹿っぽさを強調する。

 そう。王を超え、女王を超えたそれが持つは、神々しいまでの愚かさであった。

 

 

「さあ、神のカードの力を見るが良い!」

 

「いい加減にしろぉぉぉぉっ!!」

 

「ふっ! 甘いよHAGA! まだ僕のターンは終わっちゃいないぜ!」

 

「ひょ」

 

 

 何か変な声が出た。

 

 夢の力で無理矢理に言わされた言葉にアリサが目を白黒させる中、そんなアリサを無視して演出に拘るレヴィは、処刑用BGMを奏でさせる。夢の力の無駄使いである。

 

 カッコイイポーズを取ったレヴィは、一秒、二秒とその姿勢のままで硬直する。

 十秒を超える無駄に長い溜め時間を経て、漸くレヴィはその伏せカードを表にした。

 

 その名は――

 

 

「速攻魔法! バーサーカーソウル――何て、嘘。巨大化だー!」

 

 

 夢より作られたカードが、そのイメージに従って夢から生み出された怪物を巨大化させる。

 

 間の抜けた怪物は、見る見る内に膨張していく。何故か頭部のみが……。

 肥大化し続ける間抜けな顔は、己の身体の二倍、三倍、四倍、五倍。十倍を超えて巨大化を続ける。顔のサイズが体の百倍を超えた瞬間に、アリサは考える事を止めた。

 

 

「これでゴッドふぇいとんの力は多分二倍! ごっどふぇいとんの大きさはきっと百倍! 僕の感動は三千倍だー!」

 

「……いい加減にルール守りなさいよ。ボードゲームの上でカードゲームなんて、始めてんじゃないのよ」

 

「へっへーん! 僕がルールだもーん!」

 

 

 破天荒にも程がある行動。ルールを完全に無視した言動に、死んだ魚のような瞳でアリサは呟く。

 

 同時に想う。或いは、このアホは負けても約束を破るのではないだろうか、と。

 型破りにも程があるこの娘が、律儀に約束を守ると言う“型に嵌った行動”をするとは、全く思えなかった。

 

 

「さあ、行くよ、ゴッドふぇいとん! シュテルンには届かないけど、巨人パワーをみせてやれ!」

 

 

 そんな放心したアリサを余所に、レヴィはそう指示を出す。

 盤面の世界において、巨顔の怪物による蹂躙が始まった。

 

 

 

 

 

4.

「かぁぁぁぁぁみぃぃぃぃぃ」

 

 

 顔だけが大きな怪物が声を上げる。その高層ビルより大きな口から吐き出されるのは大音量。唯呟くだけの言葉が、場に居る者達の鼓膜を揺らす。

 

 

「何よっ! この音!?」

 

 

 その大音量に耳を抑えて、思わずクイントは膝を折る。

 間近にてその音量を耳にした彼女と桃子は、鼓膜が破れたのではないかと思う程の痛みを感じていた。

 

 

「かぁぁぁぁぁみぃぃぃぃぃ」

 

 

 ゴッドふぇいとんは一歩踏み出す。直後にこけた。

 顔だけがデカい怪物は、当然の如く己の自重を片足だけでは支え切れず、どすんと音を立てて地面に落ちる。

 何とか立ち上がろうともがくが、顔が大き過ぎる所為で体が地面に届かないゴッドふぇいとんは立ち上がれず、ジタバタともがき続ける破目になる。

 

 だが、それだけでも十分だった。

 

 

「っ!?」

 

 

 体の動きに釣られて巨顔が前後に激しく動く。その大きな頭が生み出す振動が大地を揺らしていた。

 子供の様な駄々を捏ねる姿が、それだけで連続して大地震を引き起こすのだ。

 

 震度にして五弱には届かない程度。だが、それだけでも一般人には脅威である。高町桃子は身動きが取れなくなる。

 場慣れしていない女は、特別身体能力が高い訳ではない母親は、揺れ続ける地面の上でその機動力を殺されていた。

 

 

「かぁぁぁぁぁみぃぃぃぃぃ」

 

 

 立ち上がろうとして失敗し続けたゴッドふぇいとんは、諦めたのかそのまま横になる。ぷらんと垂らされた体を真っ直ぐに伸ばすと、全力で左右に振る。

 その勢いは首が捥げるんじゃないかと心配してしまう程であり、故にこそその勢いは己の巨顔を動かすに足りる。振り子のような勢いを利用して、頭を軸にゴッドふぇいとんはゴロゴロと回転を始めた。

 

 寝返りを打つように、或いは草原で寝転び遊ぶ子供の様に、ゴロゴロと回転して移動するゴッドふぇいとんは、その自重の重さ故に速度を増していく。その見た目こそ間が抜けているが、その突進は重戦車など比較にならない脅威である。

 

 

「くそっ! 忍!」

 

「恭也!!」

 

 

 恋人達は二人で手を取り合って、凄まじい速さで回転し続けるゴッドふぇいとんの蹂躙を空間転移で回避する。

 無理に背後を向いた影響で、無理に前方に移動した影響で、恭也も忍も体に強い痛みを感じている。それでも磨り潰されるよりはマシだと、歯噛みをして二人は耐えた。

 

 

「こんのぉぉぉっ!」

 

「余り、嘗めるな!!」

 

 

 転がる勢いを止められずに遠ざかっていくゴッドふぇいとん。その背に繋がれぬ拳と虎切が舞う。

 圧倒的破壊力を伴う魔法の拳は、万象全て断ち切って見せると意を込められた燕返しは、しかしこの怪物を止めるには至らない。

 

 

「かぁぁぁぁぁみぃぃぃぃぃ」

 

 

 ぽよん、と間抜けな音を立ててクイントの拳が跳ね返される。恭也の飛来する斬撃は、ぶるんとその贅肉を揺らせる事しか出来なかった。

 

 強度が違う。密度が違う。大きさが違う。

 そう、唯単純にゴッドふぇいとんは強大だ。故にそれは脅威として君臨する。

 

 

「……これ、マジで笑えない」

 

 

 クイントが呟く。攻撃が通らない。己の拳が通らない。倍加の異能を持つ彼女の全力攻撃ですら、この怪物は揺るがない。

 

 

「不味いな。……詰んだぞ」

 

 

 絶えず虎切を放ちながらも、恭也は現状にそう呟きを漏らす。

 斬撃が通らない。打撃も通らない。自分達では何をしようと、この怪物は揺るがない。

 今の自分達に出来るのは逃げ回るだけ。それ以外に、出来る事など何一つとしてなかった。

 

 

「かぁぁぁぁぁみぃぃぃぃぃ」

 

 

 怪物はそんな彼らの現状に頓着などしない。正確に理解する程度の知性があるかすらも怪しい。

 ジタバタして地震を引き起こし、ゴロゴロと移動しながら蹂躙する。その怪物の行動などそれだけだ。

 たったそれだけの単純な行動が、恭也達を追い詰めている。勝敗を決定付けている。それだけで十分な程に、巨顔の怪物は強大であった。

 

 逃げ回り、逃げ続け、体力を無駄に消費する。

 僅かな可能性に賭け、生まれる隙に全力攻撃を叩き込んで、体力を無駄に消費する。

 

 怪物は揺るがない。揺るがせる事が出来ない。それを倒す術はここにない。

 最早勝敗は決している。打つ手は尽きている。これは唯の蹂躙でしかないのだ。

 

 

「いいえ、……まだ、打つ手はあるわ。詰んでいない」

 

「忍?」

 

 

 打つ手が尽きた現状に、女は否と答えた。もう詰んでしまったと語る恋人に、否と言葉を返した。

 

 

「ね、恭也。私に考えがあるの。……乗ってくれるかしら?」

 

 

 己を抱き抱える恋人に、忍はその策を伝える。

 

 

「決まっている。……お前を信じている。だから、言われるまでもない」

 

 

 そんな恋人の策に、その内容も聞かずに恭也は承諾を返す。そうして、二人は動き出した。

 

 

 

 

 

5.

「やれー! そこだー! いけー!」

 

 

 シュッシュッと腕を振りながら、巨顔の怪物へと声援を送るレヴィ。己が最強の駒の力を信じている彼女は気付かない。その流れが既に変わっている事に。

 

 

「強いぞー! 凄いぞー! でっかいぞー!!」

 

 

 ゴロゴロと転がるゴッドふぇいとんが敵を追い詰める度に歓声を上げる彼女は気付かない。

 キラキラとした瞳でその活躍を見詰める彼女は、チェスボードの状況から完全に目を離していた。

 

 故に――

 

 

「チェックメイトよ」

 

「え?」

 

 

 アリサから告げられた言葉を、彼女は理解が出来なかった。

 

 

「盤面を見なさい。もうアンタは詰んでるわ」

 

「え、嘘? 何で……」

 

 

 二人の間にある小さなチェスボード。そこには白黒の駒が乗っている。

 未だ数多く残っている白い駒に対し、黒の駒は一つだけ。王と女王をくっつけたような、歪な駒だけが残っている。

 

 その歪な駒はチェックメイトを掛けられている。何処かに逃がそうとしても、他の駒が取れる位置にある。

 仮にこの駒が女王と同じ様に動けたとしても、数手先には討ち取られるであろう盤面が生み出されていた。

 

 この盤面の四者の中で、最も活躍したのは誰であるか?

 優れた格闘能力を持ち、確かに多くの駒を討ち取ったクイントか? 強烈な遠距離攻撃を行い、敵を近寄らせずに時間を稼ぎ続けた恭也か? クイントの足となり、彼女を支えた桃子か?

 

 否、彼ら三者よりも勝利に貢献したのは一人の女だ。

 月村忍。夜の一族の中でも頭脳に特化したこの女は、絶えず状況を観察していた。

 恭也やクイント、桃子の行動制限や与えられた駒の力から、そして敵の動きから、彼女は即座にこれがチェスの駒と関係ある事に気付いたのだ。

 

 敵手の数と種類から、そして自分達が何もしなくても唐突に消滅する敵が居る事から、彼女はこの盤面を高見にて見下ろし、自分達を駒として扱う第三者が居る可能性を予測した。

 荒唐無稽な考えだが、そもそも現状が既に荒唐無稽。妹や恋人から魔法の存在を知らされていた忍は、オカルトに関する知識が元からあった彼女は、柔軟な発想でそういう事もあるのかと対処したのだ。

 

 そうして自分では何も出来ないと知っていた彼女は、故にこそ打開策を探し続けていた。

 消えていく駒や、最初に見せたクイントの考えなしにも程がある行動すらも、思考し続けた。敵が迫った際に、見ても居ないのに回避するという現象を考え続けたのだ。

 

 恐らくは、打ち手の意志が行動に介在している状況を理解する。その高見での行動が、こちらの世界を大きく変えると確信する。

 そして、自分達を扱う打ち手が、自分達を捨て駒にする気はないのだと納得する。その素性が、自分達に近い者であるのだろうと予測した。

 

 そう予測したならば話しは早い。盤面の世界で勝てぬならば、盤面の外の仲間に勝利して貰えば良い。月村忍と言う女はそう判断し、実行した。要はそれだけの話なのだ。

 

 

「チェスってのはさ。駒の強さってのが互いに同等なの。どんなに動ける駒だろうが歩兵に取られるように、たった一つの駒が強くても意味ないのよ」

 

 

 盤面にあった黒い駒。それが全て失われた理由。それは盤面の世界で、巨顔の怪物以外の怪獣達が討たれたからだ。

 巨顔を討てないと判断した忍は、それ以外を狙ったのだ。

 

 巨顔の活躍に隠れる形で、クイントや恭也を動かして他の駒を討ち取る。

 巨顔の攻撃に巻き込むような形で、上手く位置を調節して他の駒を討ち取る。

 

 そうして、残ったのは、たった一つの裸の王様だ。

 

 

「アンタの敗因は、遊び過ぎてチェス盤から目を逸らした事。ルールを破り過ぎて、チェスは一つの駒だけじゃ勝てないと言う、当たり前の大前提すら忘れてた事。絶対的な強さに過信して、この四人を侮り過ぎた事」

 

「違う。違う。違う。だって、僕、負けてない。……僕の盤面には、まだゴッドふぇいとんが残って」

 

「どうでも良いから一手動かしなさい。……このままなら、持ち時間切れでアンタは負けるわよ」

 

「っ!?」

 

 

 アリサのプレッシャーに、レヴィは震える手で王を一マス動かす。

 そうして動かした駒を、アリサは一片の慈悲すら掛けずに僧侶の駒で刈り取った。

 

 

「これで御終い。アンタの負けよ、レヴィ・ザ・スラッシャー」

 

 

 盤面の世界から神が消える。

 夢より持ち出された四人が、再び夢に帰っていく。

 

 勝敗が決定し、盤面の世界が消える。

 勝者と敗者がここに定まり、釈迦の掌は崩れ去っていく。

 

 世界創造に用いられていた力。崩壊と共にその力が敗者へと流れ込む。

 敗者へと齎される罰ゲーム。その力が襲うのは、敗者と定められたレヴィ・ザ・スラッシャー。

 

 

「嘘だ」

 

 

 己の命を奪う力の前に、レヴィは口を開く。そこから漏れるのは現状への否定の言葉。

 

 

「嘘だ嘘だ嘘だ!」

 

 

 認めない。認めて堪るか。ごねる少女の内心は、そんな子供の我儘唯一つ。所詮は敗者の悪足掻き。

 

 

「認めなさい。アンタの負けよ」

 

「僕! 負けてない! だって、ゴッドふぇいとんは倒されてないもん!!」

 

 

 そんな子供の戯言に、アリサは溜息を吐く。

 やっぱり約束を守らないか、と諦め交じりに呟く。

 

 だが最早無駄だ。アリサにも感じられる程の力が渦巻いている。

 その力がレヴィの命を奪おうとしている。最早止める事は出来ないと、漠然と認識する。

 

 勝利の果てに命を奪う事に、実感は湧かないが思う所がある。

 こうも駄々を捏ねる子供が命を落とすと言う状況に、思う所がない筈がない。

 

 良い気分にはなれそうもない。だから目を逸らしたアリサは、故にその変化に気付いた時、即座に受け入れる事が出来なかった。

 

 

「え?」

 

 

 世界崩壊によって生じた力が敗者の命を奪わない。

 どころか、その向きを変えていた。勝者である筈のアリサの元へと。

 

 

「僕は負けてない。僕は負けてない。僕は負けないんだ!」

 

 

 レヴィがチェスボードを引っくり返す。

 そして敗北を認めない彼女は、その勝敗すらも引っくり返した。

 

 それはアリサの知らない、軍用持法・金烏玉兎釈迦ノ掌の持つ真なる力。勝敗が決した時に発現する、もう一つの能力。

 勝敗が決した時に、敗者が敗北を認めなかった場合。そしてその敗者が型破りな存在であると、約束すらも守らない相手であると勝者が認識していた場合に限り発現する力。

 

 発現した真の効果は、勝者と敗者を入れ替える。死と言う罰を、勝者にこそ与えるのだ。

 

 

「僕は負けない! 負けてない! だから、君が死ね!!」

 

「……そんな、嘘、でしょ」

 

 

 釈迦の掌の上に囚われた時点で、勝機などなかった。

 敗者を裁く膨大な力をその身に浴びて、アリサは信じられないと言う表情を浮かべたまま地に倒れた。

 

 

 

 空間が崩れ去る。釈迦ノ掌が消え失せる。

 舞い戻って来た偽りの学校。その教室の中に残されたのは、涙目ながらも勝利を宣言するレヴィと、膨大な力に貫かれて倒れ伏したアリサのみ。

 

 己の身体が冷たくなっていく感覚に震えながら、アリサはその意識を閉ざした。

 

 

 

 

 

 




シリアスさん「助けてくれ! アホが、アホが俺を殺しに来るんだ!!」
アホの子「勝ったな、死ね!」

そんな今回。遊戯王ネタは特に必要のない御遊び。摩の能力と罰ゲームで連想してしまったのでノリでやったネタ。

なので、不評が多ければ修正するかもしれません。(代わりのネタが思いつかないので、直すとしても大分先になるでしょうが)




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闇の残夢編第四話 夢界を行く 其之参

フローエ・ヴァイナハテン!

獣殿の鬣の一つ(志望)として、クリスマスに投下しない選択肢はなかった。……やべぇ、眠い。(本音)

作者は夜刀様超燃え萌え隊の一員で、鬣になる事を望んでいる天狗道の住人です。


推奨BGM 生贄の逆さ磔(相州戦神館學園 八命陣)


1.

 月村すずかは考える。この状況、一体どうすれば打破出来るか、と。

 抵抗の意志を残す少女は、何とかせねばと動かぬ体で必死に打開策を模索する。

 

 

「無駄だ。我の力に欠落などはない」

 

 

 だが無駄だ。無意味である。月村すずかは、最早逆サ磔にかけられている。

 彼女に未だ抵抗の意志がある事は知っている。その心が折れるには遠い事を知っている。未だ奪ったのはその姿のみ。与えたのは一欠けらの病みのみだ。

 その一欠けらすら、人の身には余る物だろう。ロード・ディアーチェの絶望は甘くない。だが、それでも、その程度は乗り越えられると認識していたから。

 

 ディアーチェはすずかの体を踏み付ける。全身に走る痛み。苦しめる為だけに行われる行為にすずかは嫌悪の情を抱いた。

 

 

「ほう。我を嫌悪したな。未だそんな情を持てる貴様が、我は羨ましいぞ」

 

「っ」

 

 

 嵌る。嵌ってしまう。逆サ磔が発動する。

 己を甚振る相手への嫌悪と、そんな事を考える余裕がある事への嫉妬が等価交換を成立させる。

 すずかの持つ夜の一族特有の身体能力が奪われ、そして代わりに病みの一欠けらが押し付けられた。

 

 

「ほう。今度は敵意か、我を敵として認識したな? 今更ながらにそう思考するその愚鈍。で、ありながらも平然と生存出来る恵まれた貴様が我は羨ましいぞ」

 

「――っ!? ――ぁ」

 

 

 掠れた声で悲鳴を上げる。一欠けらですら致死の病。病みの欠片が更に増やされ、すずかは魔法の力を奪われる。

 

 

「さあ、もっとあるだろう? ほら、さっさと出せよ、蝙蝠が! 貴様など、その為だけに生きているのであろうよ!!」

 

「っ」

 

 

 怖い。言葉も語れぬすずかは、唯、その少女の姿をした絶望に恐怖を抱き。

 

 

「今、恐怖を抱いたな?」

 

 

 嵌ってしまう。

 

 

「我はお前が羨ましいぞ」

 

 

 その逆十字からは逃れられない。

 

 

「だから、その輝きを寄越せ」

 

 

 月村すずかは奪われ続ける。

 

 

 

 

 

 生死之縛・玻璃爛宮逆サ磔。害意を抱く者。負の感情を消せぬ者は、逃れる事など出来はしない。

 一度抱いた感情は消せない。一度抱いた興味は消えない。そして羨まれる物がある限り、逆サ磔の簒奪は終わらない。

 

 一度嵌れば決して逃れられない。

 立て続けに、矢継ぎ早に、全てを奪われるまで終わらない。

 

 

「さて、そろそろ呼吸も辛くなってきたか? ……ああ、良いぞ。我だけが苦しむなど理不尽であろう? なぁ、お前も苦しめよ、蝙蝠よ」

 

 

 闇統べる王は脱力したまま両手を軽く広げる。

 その様はまるで十字架にかけられた聖者の如く。その背に無数の十字架が浮かび上がる。

 だが、そこに浮かぶは教えに反する逆さの十字。その顔に張り付いた醜悪な笑みは、殉教者の物では断じてない。

 

 

「そうして、その果てに逆十字にかかる犠牲の一つとなるが良い」

 

 

 背に負うは背徳の逆十字。その十字架にかけられるは木乃伊の如き犠牲者の姿。それが刻一刻と増えていく。

 

 

「これでも、お前には感謝しているのだ、蝙蝠よ。……夜天の屑めは、先程から我の邪魔ばかりしおってな。どうにも眠る者らを奪えんかったのだ」

 

 

 ディアーチェは無意味に倒れていた訳ではない。彼女はこの夢界に眠る者らから輝きを簒奪して、自由に動く体を得ようとしていた。

 だが出来なかった。真面に動く体はなく、振るえる力は逆十字唯一つ。不完全なまま廃棄された絶望の廃神は、夢の眷属ならば誰もが行える夢界への干渉すら不可能だった。

 

 そんな不完全な彼女では、夜天が眠らせる者らに影響を与える事すら出来なかったのだ。

 

 

「だが、お前のお蔭で奴の干渉から逃れる術を得た。お前の魔力を奪った事で、我は漸く奴を苦しめる事が出来る」

 

 

 故に月村すずかから体と魔力を奪い取り、漸く夢界に干渉できるようになったディアーチェは、鬱憤を晴らすかのように眠る者らを次から次に十字架へとかけていく。

 

 

「故に褒めてやるぞ、蝙蝠。役に立つな、良いぞ、その調子でもっと我の役に立てよ、塵芥」

 

 

 磔にされた者らを嘲笑い、救うべき者らを奪われてなお気付けない夜天を無様と哂う。己の苛立ち。その捌け口として無辜の民らから簒奪する。

 

 悲鳴が上がる。絶叫を上げている。逆さの十字架に磔にされた犠牲者達が、痛い痛いと泣いている。

 そんな絶望の狂騒曲。悲鳴が奏でるオーケストラを耳にして、闇統べる王は醜悪な笑みを浮かべる。

 

 別段、恐怖が好きな訳ではない。憎悪や悲鳴に聞き惚れるような悪趣味はしていない。その点、彼女の感性は実に人間的だとすら言えるであろう。

 

 唯、気に入らないのだ。理不尽に感じるのだ。

 

 何故、我より劣る貴様達が、当たり前の如くに健康を享受している?

 何故、我程に生きたいと願う存在が、こうも糞の様な体を持って死に瀕していなければならぬのだ。

 我程に生に真摯でない貴様らが、何の努力もせずに生きる事を甘受していられる。その理不尽が気に入らない。

 

 羨ましいぞ。憎らしいぞ。だからこそ、闇統べる王は無辜の者らを苦しめる。そうすれば、僅かとは言え気が晴れるから。そうすれば僅かとは言え、死病の量が減っていくから。闇統べる王はすずかから奪う片手間に、夢界に眠る者らからも簒奪を続けている。

 

 これぞ逆十字。これぞ逆サ磔。残虐非道。悪逆無道。この少女は嘗て目にした氷村遊と同じく外道の類だ。

 そうなるのが当たり前だろうと犠牲者を増やし続ける絶望の廃神は、何かが致命的なまでにズレている。

 

 言葉も喋れぬ程に疲弊したすずかは、その病みに体を苛まれながら思う。

 病に苦しみながら、その身を少女に踏み躙られながら、熱に浮かされた思考で判断する。

 

 これは放置していてはいけない怪物だ。放っておけば、全てを奪い去るであろう。

 例え死病の全てを癒せたとしても、もっともっととその欲が満ちる事はない。何もかもを奪い去る悪逆無道は、その果てに何もかもを台無しにしてしまう魔人である。

 

 そう。すずかの目には映っていた。どうしようもなく救われない怪物であると、映っていた。

 だと言うのに――少女の容姿をした怪物は、たった一つの念話でその表情を変えたのだった。

 

 

「……む。レヴィ、か? 全く、何の用だと言う。今は忙しいのだぞ。……この蝙蝠が所詮は雑魚に過ぎんとは言え、我は暇ではないのだ」

 

 

 同胞からの念話。忙しいと語りながらも、己を頼る仲間の存在に相好を崩す。

 

 

「何? チェスのやり方だと? 何故、我に聞くのだ。……金髪の塵が意地悪して教えてくれない? ……後で逆十字にかけておくか」

 

 

 その口調は不機嫌である、その表情は苛立ちを浮かべている。

 だがそこに隠し切れない程の嬉しさが滲んでいる事は、高熱で真面に思考出来ない月村すずかにすらもはっきりと分かる程に濃厚だった。

 

 

「まあ、低脳な貴様にも分かるように簡単に教えるとだ。六種類の駒を使って、相手の持つ王の駒を奪い取るゲーム。それがチェスだ。六種それぞれに動かし方があってな」

 

 

 律儀に説明する少女は見た目相応。親しい友人や家族と談笑する当たり前の少女の如く、故にこそ先の非道が異常に映る。

 

 

「と、待て! 我はまだ説明を終えておらんぞ! 基本的には定石と言うべき動かし方があってだな、その中から相応しい行動を選択するのが――と良いから聞けよ、阿呆が!!」

 

 

 一方的に語り掛けて来て、一方的に念話を断ち切るレヴィに、ディアーチェは怒鳴り付ける。

 大声を上げた事で気分が悪くなり吐きそうになるが、続くレヴィの言い残した言葉に吐き気も忘れて表情を変える。

 

 

「はぁっ!? 王さま大好きだと!? ふざけておるか貴様!!」

 

 

 顔を真っ赤にして少女は怒鳴る。だがそこには嫌悪感も忌避感も存在せず。

 

 

「全く。……あの馬鹿は全く」

 

 

 本当に何処か嬉しげに呟く。その表情は、その感情は、先の外道性など欠片たりとも残っていない程に、当たり前の人としての色を映していたから。

 

 

(……ああ、気に入らないなぁ)

 

――ああ、気に入らねぇなぁ。

 

 

 珍しく、彼と意見があった。

 

 

「……何?」

 

 

 残骸と化した筈の少女から瘴気が漏れ始める。

 其は二大凶殺。内にある魂より引き出される力。大天魔の一角に或いは成り得る白貌が、絶対の自信と共に誇るは血染花。

 両者の合意によって生み出されるそれは、最早運気の簒奪などでは留まらない。過去にない程に高まった力は、そんな物を奪うだけでは終わらない。

 

 

「我から、奪うか!?」

 

 

 その瘴気が暗闇を生み出す。周囲を飲み込み、霧で満たしていく。

 それは未だ、薔薇の夜には届かぬだろう。それは未だ、天魔・血染花に変じることはない。

 

 されど忘れるなよ、逆十字。これは正しく、神格域に至らんとする白貌の吸血鬼の断片だ。

 その夜は未だ完成には至らぬが、それでも貴様の病みを重ねた程度で、釣り合うとは思わぬ事だ。

 

 

「……気に入らないなぁ。気に入らないよ。貴女」

 

 

 月村すずかが立ち上がる。まるで木乃伊の如くに変じていたその姿が、生命と魔力の収奪によって復元されていく。

 

 

「誰かを大切に想えるのに。誰かを想って笑えるのに。……ああ、どうして、そんなに誰かを嘲笑えるの?」

 

 

 その姿を見て、恐怖も怯懦も、全てが怒りへと変じていく。

 貴女が逆十字にかけた人々にも、貴女の様に大切に想う誰かが居ただろうに、それが分かる感性をしていて何故そうなのだ、と苛立っている。

 

 二大凶殺によって、ディアーチェから奪われた物を取り戻しながら、月村すずかは言葉を紡ぐ。

 

 

「蹂躙される痛みが分からない筈はない。それが分からないとは言わせない。……この身を侵す死病が教えてくれるよ。これに耐えている貴女が、痛みを知らない訳がない!」

 

 

 だから気に入らない。だから気に食わない。

 

 

「痛みが分かる貴女が、誰かを大切に想う貴女が、どうして誰かの大切を奪えるの!?」

 

 

 痛みを知る筈の少女が、唯の八つ当たりとその場凌ぎで他者にそれを押し付ける事が。

 誰かを大切に想える少女が、唯の八つ当たりとその場凌ぎで他者のそれを奪える事が。

 

 どうしようもなく許せない。

 

 

「覚悟して、ロード・ディアーチェ! 貴女の八つ当たりで、そんなちっぽけな絶望で、等価になる程に彼の魂は安くない!!」

 

 

 奪い。奪い。奪い続ける。

 その身に宿す絶望の病みを、八つ当たりで解消出来る程にちっぽけなのだと罵倒して、月村すずかはロード・ディアーチェから奪い取る。

 

 

「我の絶望が、軽い? この病みが等価に足りぬ?」

 

 

 対するディアーチェもまた、その発言に怒りを抱く。

 

 

「我の家族を想う情が、塵芥のそれと同等だと?」

 

 

 この身を侵す死病の山。唯一欠けらですら人を殺すそれが、白貌如き神格に至らぬ魂にすら及ばないと言うのか。

 我と共に生まれた大切な姉妹。それが唯人の持つ下らない塵屑と同じだと言うのか。ああ、何たる不敬か。許せないぞ、この塵は。

 

 

「ふざけるなよ! 良くも吠えたな、蝙蝠が!!」

 

 

 逆サの磔は発現している。月村すずかは未だその十字架から逃れられてはいない。

 故にそう。彼女の発言を否定するならば、その結果で示すとしよう。我が病みの全てで持って、その力を支える根源たる魂を奪い取ろう。

 

 ここに、簒奪者同士の奪い合いが始まった。

 

 

 

 

 

2.

「はぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 

 裂帛の気迫と共に、黒き塊が轟と音を立てて飛翔する。

 形成された闇の賜物。全身から無数の杭を生やしながら、黒き瘴気を生み出し続ける少女は魔法の力で駆け抜ける。

 

 其は簒奪の怪物。全てを奪い去る吸血鬼。

 その力は薔薇の夜には届かねど、確かな脅威として存在している。

 

 大気が歪む。空気が淀む。黒き瘴気に侵された光景は、宛ら霧に沈む街の如く。辺り全てを染め上げていく。

 二大凶殺。白貌と少女の意志が一致している今、最大限に効果を高めているその力は、黒き霧に触れた万象全てを簒奪する。

 

 近付けない。近寄れない。黒き瘴気の根源たる少女は今、死を齎す暴風と化している。

 敵手の生命を奪い取り、周囲に満ちる魔力を暴食し、疾風怒濤に攻め立てる月村すずかは最早災厄の権化だ。

 

 黒き怪物が赤き瞳で敵を見定める。闇の奥底から這い出してくるその姿は、正しく怪物。その針鼠の如き身体は、掠り傷一つを致命傷へと変えるだろう。

 少女は止まらない。最早止められまい。どれ程に命を奪われようとも、どれ程の傷をその身に刻まれようとも、敵手から生命力を奪い続けて再生する。この黒き霧は吸血の霧故に、それに触れる者が居る限り、月村すずかに限界などは訪れない。

 

 病に侵された体。夜の一族の身体能力を奪われた体。

 そんな事すら関係はない。大気から喰らい続けている高町なのはの魔力を使って、月村すずかは爆発するかのような速度で襲撃を繰り返している。

 その速度は戟法の迅と魔法による二段強化されたディアーチェすらも上回る。迫り来る吸血鬼という脅威を前に、闇統べる王は何ら有効打を打てていない。

 

 ならば、この戦いは月村すずかの圧勝で終わるか。否。

 

 

「舐めるなよ、蝙蝠風情が!!」

 

 

 接近は死を意味する。その暴風は命を奪う。だが、それが何だと言うのか、闇統べる王はその程度では打ち破られはしないのだ。

 咒法の射と散。魔法杖エルシニアクロイツより放たれる無数の魔法。それら一撃一撃が確かな威力を有している。唯の一撃で地を抉り、大気を震わせる魔力の群れが吸血鬼の少女を易々とは近寄らせない。

 

 

「紫天に吠えよ、我が鼓動、出よ巨重ジャガーノート!!」

 

 

 五つの魔法陣より放たれる暗黒の力。降り注ぐそれらが齎すは破壊の一撃。全てを消し飛ばさんとする大爆発。

 無論、それで白貌を得た少女が落ちる訳ではない。その程度で倒せる程、血染花は甘くはない。だが――

 

 

「近寄れんよな。近寄らせはせんぞ。不敬な塵芥め、このまま嵌め殺してやろうぞ」

 

 

 その破壊は確かに少女の足を止めるに足る。その疾風怒濤を一手遅らせるには十分だ。故にその一瞬の隙を突いて、戟法の迅と身体強化を合わせた二重の強化でディアーチェは距離を確保する。

 

 一歩では覆せない距離。両者との間にある距離は、一手打つだけでは変わらない。

 今の月村すずかに複雑な魔法は使えない。魔法を使う才。それ自体を奪われている彼女では、簒奪し続けている魔力を爆発させて飛翔するような単純な扱い方しか出来ない。

 

 時折形成した杭を射出してはいるが、ディアーチェはそれを危なげもなく迎撃する。吸精の杭が届かない。

 故にこれはディアーチェの距離だ。常に距離を取り、逆転の隙を与えぬと一方的に攻め続ける絶望の廃神を、打ち破る為の手段をすずかは持ち得ない。

 

 

「舐めるなってのは、こっちの台詞よ!!」

 

 

 そんな一方的な戦場において、月村すずかも蹂躙されるだけでは終わらない。

 距離を取れば簒奪から逃れられる? 一方的に攻撃出来るから己が勝利する? 愚かな、血染花は既に貴様を捉えている。

 

 

「侮らないで! 舐めるのも大概にして!!」

 

 

 放たれた咒法が失速する。生み出された魔法の力が枯渇する。己の霧に触れた物を、何であれ喰らい尽くす暴食の力は、迫り来る形なき力に対しても有効だ。

 遠距離射撃では決定打には成り得ない。どれ程攻撃を与えようと、吸血鬼にとっては糧としかならぬだろう。

 

 絶殺となるは黒き霧の中枢。月村すずかの五体に触れた者のみ。その周囲は必殺には届かず、その霧に触れただけでは全てを奪われるには遠い。

 だが、それでもディアーチェはその霧の影響を受けている。即死に至る程ではないが、常に生命力を簒奪され続けている。

 

 距離を取ったから、相手に触れていないから、その程度で防げる程、血染花は甘くはないのだ。

 

 

「ちぃっ」

 

 

 舌打ちと共に、逆十字は簒奪の力で奪われた生命力を補填する。

 奪い取る対象は月村すずか――だけではない。その力が及ぶのは、夢界にて眠る者全て。

 その満たされた夢を悪夢に変えて、己への憎悪を引き出させる。そんな満たされた者らを羨ましいと妬んで、その力を奪い取る。

 

 輝きと病みの等価交換。逆十字は己に興味を抱く者ならば、全て同時に効果対象とする事が出来る。

 その力。発動の速さと連続性においては、並ぶ夢などありはしない。吸血鬼の簒奪の霧が己の全てを奪う前に、奪われる分以上に己が奪う。

 

 

「貴女は、間違っている!」

 

 

 他者の命を奪い。無辜の者らを傷付け、そうして己に追従する逆十字をすずかは否定する。

 

 

「傷付く痛みを知っている癖に! 大切な想いが分かっている癖に! 誰かを平然と傷付ける貴女は、絶対に間違っている!!」

 

 

 そんな月村すずかの言葉に返されるのは、血反吐交じりの否定の声だ。

 

 

「何が間違いと言うか!!」

 

 

 血反吐を吐きながら、言葉と共に己の身体を壊しながら、死病に侵された少女は渇望を口にする。

 

 

「生きたいのだ。我は真面な体で、当たり前の如くに生きたいのだ!」

 

 

 作り物だから、夢より生まれた悪夢だから、そんな事はどうでも良い。己は生きたいのだ。唯、当たり前に生きたいのだ。

 それを邪魔する者らが許せない。我のこんな体が気に入らないのだ。

 

 

「生きたいと言う願いに、善悪などある物かよっ!!」

 

 

 それは切なる叫びだ。どこまでも真の想いが籠った。絶叫に似た叫びである。

 

 

「あるよ!」

 

 

 そんな渇望から生まれた叫び声を、すずかは真っ向から否定する。

 

 

「誰もが生きたいと願っている! 誰もが死ぬ事なんて望んでいない! 生きる為に、そんな誰かを犠牲にするのは間違っている! そんな祈りを、自分と同じ祈りを潰すのは、間違いなく悪なんだ!!」

 

 

 誰かを大切に想える貴女なら、それが分かる筈でしょう。

 そうすずかは言葉を続ける。当たり前の表情を見せた少女が、鬼畜外道である事が気に入らないから、月村すずかは怒っているのだ。

 

 

「はっ、我の願いを貴様らと同等と言うか! 我の家族を貴様らと同等と言うか! 一緒にするなよ、不快なんだよ! そも、生きる為に犠牲を生み出すのは、貴様らとて同じであろうが!!」

 

 

 食事をした事がない人間などいないであろう。命を奪った事がない人などいないのだ。

 一寸の虫にも五分の魂。どんな命にも価値があると語るのは貴様ら人間であろう、と闇統べる王は語る。

 豚や牛と言った家畜を屠殺し、草花や果実と言った自然の命を簒奪し、そうして己を保つのが人と言う種であろうとディアーチェは語る。

 

 

「我にとっては貴様らがそうだ。貴様らなど糧でしかない。……生きる為に必要なのだ! この病みを薄める為には必要なのだ! 奪わなければ苦しいのだ!!」

 

 

 与えられた痛みに耐えられない。押し付けなければ自分が苦しい。何故、己だけが苦しいのだ。何故貴様達は安穏としているのだ。何故、我は、こんなにも下らないのだ。

 

 

「我は望んで外道である! 我の邪悪さなど、我が一番分かっておるわ!!」

 

「分かっていてそれだから、貴女は間違っているんだよ!!」

 

 

 奪い合う。奪い合う。簒奪者は互いに奪い合う。

 月村すずかは届かない。一気呵成に苛烈な襲撃を繰り返す闇の怪物は、その手を届かせる事が出来ていない。

 

 ロード・ディアーチェは月村すずかを殺し切れない。生半可な攻撃は糧にしかならず、しかし何もしなければ追い付かれてしまう。触れられれば終わる。その一手が致命傷に至る。故に均衡が崩せない。

 

 

(埒が明かぬ、か)

 

 

 無限に続くかの如き奪い合いの均衡の中で、ロード・ディアーチェは思考する。

 気に入らぬ事ではあるが、現状不利なのは彼女である。闇より迫る吸血鬼に対して、このままでは敗れ去ると自覚する。

 

 無尽蔵に奪い続ける二大凶殺に対し、あくまでもディアーチェの逆サ磔は等価交換だ。交換すべき病みは無数にあり、尽きる事はないように思えるとは言え、どこまでいっても有限なのだ。

 病みが消えていく。押し付ける病みが失せていく。それ自体は喜ばしい事ではあるが、現状の戦いにおいては別である。

 

 病みが尽きれば逆サの磔は成立しない。どれ程病みを押し付けられようと糧とする怪物が居る現状で、病みが尽きれば敗北が待っている。

 

 

(それに、それだけでもない)

 

 

 両者の奪い合い。その簒奪の被害を最も強く受けているのは彼女らではない。この夢界そのものだ。

 夢見る者らを簒奪して減らしているディアーチェ。夢界を構成する魔力を食い荒らしているすずか。両者の暴威を夢界は一身に受けている。このまま行けば、遠からず夢界は崩壊を迎えるであろう。

 

 夢に支えられた悪夢である廃神は、夢見る者がいなくなれば消えてしまうのだ。そうでなくとも、夢界の維持に異常を来たす程に奪ってしまえば、壊れた夜天とて流石に気付く。

 ディアーチェを正しく認識出来ないが故に、夢界を揺るがすこの戦いも認識出来ていない夜天だが、流石に界の崩壊にまで至れば何等かの手を打ってくるだろう。それがディアーチェにとって喜ばしい結果に繋がると考えるのは、楽観が過ぎると言う物だ。

 

 

「なぁ、吸血鬼。お前は今まで食した食事の数を覚えているか?」

 

「何を!」

 

 

 故に、ディアーチェはここに、現状を動かす為の一手を打つ。

 

 

「何、貴様らは人の生き血を糧とするのであろう? そら、我と同じく、人を糧とする生き物であろう?」

 

 

 人の生き血を糧にしなければ生きられない。そんな貴様に己を罵倒する権利などある物か、とディアーチェは嘲笑う。

 豊富な資金で購入した輸血パックだから。直接人を吸い殺した事は無いから。そんな物は言い訳にすらなりはしない。

 

 輸血パックとて、本来は重症患者の為に用立てられた物だ。血液が不足している者の命を救う為に必要な物だ。

 月村すずかの吸ったその一滴が、他の誰かの命を救う筈だった。それを奪った結果、誰かの犠牲を生んでいる可能性を、何故に否定出来ようか。

 

 仮に吸血が日に一度だとしても、一年で365回。それだけの血液を吸っている。それだけの量を、夜の一族は消費している。

 

 己の伴侶の血を吸う。それだけで済むならば、他者に迷惑を掛けないと言えるだろうが、それだけで済むとも思えない。

 人が一日で作れる血液量はそう多くはない。その血液とて、無駄に作られている訳ではない。連日連夜のように吸血され続ければ、当然体調は異常を来たす。

 

 一日二日、一月程度で変化はなくとも、数年も続けば悪影響は必ず現れる。

 そうでなくとも、大怪我を負うなり、体調を崩すなり、何等かの要因によって伴侶の血が吸えなくなればどうするか。

 

 己の命を伴侶に捧げる。それは確かに美談だが、恐らくはそうはなるまい。

 誰だって、身内の方が可愛いのだから。奪っている自覚のない行為に流れるのは、まあ自明の理と言えるであろう。

 

 

「吸血をせねば生きられぬ寄生虫。そんな貴様が我を罵倒するのは滑稽だぞ。……お前はこれまでに、どれ程の命を犠牲にして来た」

 

 

 愛しい人を殺すよりは赤の他人を、赤の他人から直接吸うよりは実感の湧きにくい輸血用の血液を、安きに流れているとは言え、確かに月村すずかは誰かを犠牲にして生きている。そんな彼女は、ロード・ディアーチェと何が違うと言うのであろうか。

 

 

「私は……」

 

 

 ロード・ディアーチェによる揺さぶり。月村すずかの心を丸裸にして、その内面の傷を抉る行為。

 それに傷付けられたすずかは、その力を揺らがせる。その力が揺らいだ事により、拮抗していた奪い合いは逆十字へとその天秤を傾ける。

 

 それが彼女の打たんとする現状を打破する一手。それこそがロード・ディアーチェの勝利の布石――ではない。

 

 

「そんな貴様に、我が馳走してやろう」

 

 

 そんな物は唯の余禄だ。この少女を破る為の策を使うまでの時間稼ぎ。好き放題言ってくれた彼女への、苛立ちをぶつけただけでしかない。彼女が真に狙っていたのは、そんな物ではなく。

 

 

「顕象。高町士郎!」

 

 

 御神不破が秘剣。薙旋。高速四連の斬撃が、月村すずかの体を四つに引き裂く。

 戦闘者としての一面のみを抜き出された男は、何ら躊躇を見せる事もなく、命を奪う剣を振るう。

 

 

「顕象。綺堂さくら!」

 

 

 人狼の女が拳を振るう。その強烈な打撃は切り裂かれたすずかを打ちのめす。

 他者を害する。排他的な一面のみを抜き出された女は、身内であろうと関係なしに暴威を振るう。

 

 己の身体を再生させながら、血縁のある叔母を吸い殺さんとする己の力を抑えながら、月村すずかは何も出来ずに殴られ続ける。

 

 

「顕象。神咲那美!」

 

 

 真威・桜月刃。若き少女、神咲那美が振るうは退魔の秘剣。神咲一灯流。

 悪霊、化外を討ち滅ぼす為に生み出された破魔真道剣術は、怪異に堕ちたすずかには極めて特攻。

 その身を焼き尽くさんとする斬撃に、少女は苦悶の声を上げる。吸収した生命力では癒せずに、滅んでしまった体を切り捨てる。

 

 

「ほう。まさか食わんように抑えるとは、……折角我が用立てた馳走だぞ? そんなにも身内は口に合わんのか? 知り合いを食うのは心が痛むか? 滑稽だなぁ、ええ、蝙蝠よ」

 

 

 背に負う逆十字に掛けられた木乃伊が動く。解き放たれるは、一面の感情のみを増幅させられた犠牲者達。偽りの殻を与えられ、今一度動き出すは逆十字の操り人形。

 夢界に囚われた魂がその内にある。その身を跡形もなく食い荒らせば、内にある魂すら食われるであろう。痛い痛いと逆十字に囚われた人々を、月村すずかが食い殺してしまうのだ。

 

 

「食い殺してから教えてやろうと思ったのに、ああ残念だな。我の算段が崩れてしまったではないか」

 

 

 笑う。笑う。嘲笑いながら口にする。その声には、言葉程に惜しむ色はまるで見えない。

 

 

「まぁ、良い。耐えると言うならば、耐えてみせよ。その力もなしに、我に抗えるかどうか示して見るが良い」

 

 

 嘲笑う王の声は届かない。月村すずかは外界に意識を向ける余裕がない。それは、己の内で荒れ狂う彼を封じねばならぬから。

 

 

「やめて! ヴィルヘルム!!」

 

 

 白貌の吸血鬼は怒り狂っている。月村すずかとの相性が良すぎるが故に、彼女の痛みを共感している彼は、ロード・ディアーチェを殺させろと猛っている。

 

 彼にしてみれば、操られた者らに価値などはない。その死を避ける為に力を抑えるなど慮外の行為だ。

 故にその暴威を振るわんと力を増し、それを何とか抑えようとするすずかは手も足も出せずに身動き一つ取れなくなる。

 

 

「はははっ! 良いぞ、そのまま八つ裂きにされてしまえ! 我に歯向かった不敬。その首級を持って贖罪としてやろう、なぁ、吸血鬼!」

 

 

 致命的に食い違う。内と外の同調は外れ、月村すずかの快進撃はここで終わる。その身を引き裂かんと、糸に操られた傀儡達はその凶刃を振るった。

 

 

 

 引き裂かれ、八つ裂きにされ、逆十字に奪われる。

 今までストックしていた生命力と魔力を駆使して何とか命を繋ぐが、それももう持たぬであろう。再生速度が落ちている。命の終わりが見えていた。

 

 

――おい。メスガキ。……てめぇ、何でここまでする?

 

 

 荒れ狂っていた内なる白貌は、そんなすずかの行動に疑問を零す。

 

 

――どうせ他人だろうが。自分以外なんてどうでも良いだろう? 俺らは所詮畜生だ。

 

 

 それは白貌が少女に抱いた、初めての興味。どこまでも自分に似通っているから、嫌悪しか抱けなかった相手が見せる、自分とは違う一面への興味であった。

 

 

「……私は、この血が嫌いだ」

 

 

 そんな問い掛けに、すずかは呟くように答えを返した。

 

 ディアーチェの行為に苛立ったのは、あそこまでの怒りを覚えた原因はそれである。

 当たり前の感性を持ちながらも、奪う事に開き直っているディアーチェを、奪う事に嫌悪を抱いている月村すずかは受け入れられない。

 同じなのに、どうしてそう外道であろうと出来るのか、そんな姿が汚らわしくて、同時に何処か羨ましい。そんな想いを抱いてしまうからこそ、あの少女が気に入らなかった。

 

 

「私は畜生。この血も、この血族も、皆無くなってしまえば良いと感じてる」

 

――そうだな。どうしようもねぇ程に、俺達は畜生だ。

 

 

 己の内に眠る白貌の願いに共感する。

 己の身体を流れる不浄の血。全て入れ替えてしまえば真面になれるとすれば、ああ、確かにそう動いてしまいそうになる。

 

 

「けど、心まではそうありたくないんだ。中身まで、畜生にはなりたくない!」

 

 

 その内にある白貌の記憶を垣間見ているから。こんな畜生を受け入れてくれた友人が居たから。

 ああ、だからこそ月村すずかは、その一線だけは譲りたくないのだ。

 

 

「だから、ヴィルヘルム! 貴方は要らない!! 心まで畜生にならない為に、この病みは、私自身で乗り越える!!」

 

 

 切り裂かれながら、打ちのめされながら、それでもそんな言葉を口にするすずかに、畜生ではなく騎士に成りたかった男は何か思う所でもあったのか。

 

 

――そうかよ。……なら、好きにしろや。負けたら承知しねぇぞ。

 

 

 白貌は眠りに就く。内で暴れる者を抑え付けた少女は、漸く外へと駆け出した。

 

 

「力を封じる? それは愚策だぞ、蝙蝠」

 

 

 そんな決意を闇統べる王は嘲笑う。血染花を封じれば、最早何も出来んだろうと。

 

 確かに愚策であろう。確かに採るべきではない選択だ。

 白貌の力を封じた今、最早すずかは簒奪が行えない。今あるストックを使い切れば、その時点で何も出来なくなる。

 逆十字を防げない。その身を侵す死病を、残されたストックを奪う異能を、何一つとして防げずに受けるであろう。

 

 嫌悪感は崩せない。認めないと言う感情は揺るがない。逆十字からは抜け出せない。けれど――

 

 

「貴女は、逃げたんだ!」

 

 

 月村すずかは奪われながらも前に進む。

 

 

「開き直って、自分はこうだと決めつけて! そうなりたくないのに、罪悪感から目を逸らす為に己は邪悪と定義した!!」

 

 

 己を壊す死病の群れに、痛みに震えながらも一歩を進む。

 私は捨てたくない。何も出来ずとも、何も変わらずとも、この罪悪感だけは捨てたくない。

 

 だって、これさえも捨ててしまえば、中身まで怪物になってしまうから。

 

 

「そんな人に、私は負ける訳にはいかない!!」

 

 

 啖呵を切る。退いてはならぬと己に宣するように、このあり得たかもしれない己自身には負けられぬのだと。

 己の心に不敗を誓って、月村すずかは走り出す。諦めて心まで怪物となった少女に、怪物として生まれても、心だけはそう有りたくない少女は立ち向かうのだ。

 

 

「ちぃっ! やれ、傀儡共!!」

 

 

 己に迫るすずかの気迫に気圧されて、ディアーチェは己の傀儡に命ずる。その身を八つ裂きにせよ、と彼らに命じる。

 

 

「……なぜ、動かぬ!?」

 

 

 だが動かない。傀儡達が動かない。

 彼らは奪われた魂を核に再現された人形。一面のみを肥大化された脅威。だが、それでも中には魂があるのだ。彼ら自身が其処にいるのだ。

 だから、この輝きを見せた少女に対して、どれ程傷付いても自分達を食おうとはしなかった少女に対して、彼らが動く筈がない。

 

 

「役に立たん屑がぁっ!」

 

「ロード・ディアァァァァチェッ!!」

 

「っ!?」

 

 

 気圧されたほんの僅かな時間が、傀儡達の全霊の抵抗が、その一歩が届かせる。

 残った全てのストックを己の強化に回して、その拳を振り被る。

 

 

「これで、終わりっ!!」

 

 

 勝負を決める渾身の一撃が。月村すずかの全霊の一撃が、闇統べる王へと迫る。

 その身を死病に侵され、動くだけでも辛いだろうに、血反吐を吐きながらも拳を振るう。

 

 

(躱せぬ!?)

 

 

 その拳は吸い込まれるように、ディアーチェを仕留めんと放たれて――届く前に、業火が少女を焼き尽くした。

 

 

 

 

 

3.

「……っ。なに、が」

 

 

 何が起きたのか分からない。何が起こったのか分からない。

 唯分かるのは、赤熱した大地の熱さと、己の半身が失われた事で感じる空虚さのみ。

 下半身が灰となった。腰から下が焼け落ちた。炎に焼かれてうつ伏せに崩れ落ちて、残ったのは死病に侵された上半身のみ。

 

 命のストックを使い切ったすずかではもう癒せない。

 分かる事実はそれだけで、どうしてそうなったのかが分からなかった。

 

 

「分からんか。ならば教えてやろう」

 

「がっ!?」

 

 

 残った体が蹴り飛ばされる。血反吐を吐きながらすずかは仰向けになり、それを見た。

 

 偽りの海鳴市が焼かれている。天すら焦さんと言う業火に焼かれ、その大地は炎に蹂躙されて、街は原型も留めてはいない。

 咆哮を上げる巨人が居る。肉を固めたような醜悪な巨人は、その圧倒的な力によって周囲全てを蹂躙している。

 

 シュテル・ザ・デストラクターは三千人を継ぎ足した巨人だ。その身は三千と言う同一人物の集合体であり、個でありながら群でもある怪物である。

 彼女はユーノを見詰めている。その意識の九割以上は、ユーノ・スクライアだけに注がれている。だが、それでも僅かには同胞の事を気に掛けている。意識の一パーセントに満たずとも、その程度には心を配っている。

 例え一パーセントとは言え総数が三千ならば、それは三十人のシュテルが常にレヴィやディアーチェを監視しているのと同意だ。故にこそ、シュテル・ザ・デストラクターが仲間の危機を見逃す筈はない。

 

 

〈これは貸しですよ。ディアーチェ〉

 

「ああ、分かっているさ。シュテル」

 

 

 愛する男との逢瀬を邪魔されたシュテルはそんな言葉を口にして、分かっているさとディアーチェは返す。

 一対一ならば負けていただろう。その敗北を確信して、故にこそディアーチェは笑う。

 

 

「ああ、我は良い仲間を持ったよ」

 

 

 外道の笑みではなく、当たり前の少女のようににっこりと微笑む。

 そうしてディアーチェは、笑顔のままエルシニアクロイツを振り下ろした。

 

 

「ではな、月村すずか」

 

 

 ぐしゃりと音を立てて、まるで熟れた柘榴の様に、すずかの頭は飛び散った。

 

 

 

 

 

 

 




○一発ネタ

 闇統べる王は脱力したまま両手を軽く広げる。その様はまるで十字架にかけられた聖者の如く。その背に無数の十字架が浮かび上がる。

 だが、そこに浮かぶは教えに反する逆さの十字。その顔に張り付いた醜悪な笑みは、殉教者の物では断じてない。


「荒ぶるセージのポーズ!!」


 闇統べる王は、ドヤ顔でそんな言葉を口にした。





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闇の残夢編第四話 夢界を行く 其之肆

シュテルん「星光は夢界にて、最強!」(キリッ)


そんなシュテルんの名前がデストラクターだった事に気付いたので、夢界編四話を全て修正しました。

災厄じゃなくて、破壊だったんだね、シュテルん。勘違いしてたよ。


1.

 それは、最早戦闘ではなかった。

 

 ドンと音を立てて、空気が揺れる。

 ドシンとその身が動く度に、大地が揺れて罅割れる。

 

 まるで組体操の演技が如く、裸体を晒す少女達が絡み合って生み出された肉塊の巨人。

 三千と言う膨大な人間の塊は、本来ならば己が自重を支える事すら出来ずに崩れ落ちる代物だろう。

 

 だが、そうはならない。手足で支えている訳ではなく、切り貼りされて、継ぎ接ぎされたその少女達は崩れる事すら出来はしない。

 

 とは言え所詮は肉の塊。自重で崩れる事はなくとも、動ける道理も其処にはない。そう。本来ならば。

 

 黄金の瞳が怪しく輝く。動く道理のない肉塊を強引に動かすは、少女が持つ黄金瞳。その力によって、唯の肉塊は凶悪な巨人として動くのだ。

 

 

「アハッ!」

 

 

 巨人の頭部と一体化した少女が笑みを零す。愛する少年との逢瀬に笑い声を上げる。その花開いたように笑う姿は、何処までも毒々しい。

 

 

「アハハハハハハハハハッ!!」

 

 

 黄金の瞳が輝く。その力によって支えられている怪物。

 核となるは頭部に居る少女か? この少女さえ討てば、巨人は自壊するであろうか? 答えは否だ。

 

 この怪物に主従はない。この怪物に明確な核は存在していない。三千のシュテル。その全てが脳であり、心臓であり、核である。どれを潰そうとも、意味などないのだ。

 

 

『アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!』

 

 

 狂笑の大合唱。我が世の春を迎える女達は「あな、嬉しや」「あな、愛しや」と笑い続ける。

 本来、頭が複数あれば行動も揺れるであろうに、シュテル・ザ・デストラクターにそれはない。

 彼女達は同じ者を見ている。彼女達は同じ方向を見ている。彼女達は皆、同じ愛に狂っている。

 故に、シュテル・ザ・デストラクターが自壊する事はあり得ない。何があろうと、何をされようと、愛に狂った怪物は決して崩される事はあり得ぬのだ。

 

 

『ユゥゥゥゥゥゥゥゥゥノォォォォォォォ!!』

 

 

 三千人の大合唱。その咆哮が生み出すは音の衝撃波。その咆哮だけで街を瓦礫に変える暴威である。

 公園の街路樹が吹き飛んでいく。オフィス街のビルが崩れていく。遠く見える山々が土砂崩れを起こして壊れていく。

 

 その巨人の暴威。格を無視した単純な力のみならば、彼の大天魔が神相に勝るとも劣らない。彼女の力は、高町なのはの三千倍では留まらない。

 

 鋼牙機甲獣化帝国。その夢が生み出す力は、己の力を三千倍にすると言う物では断じてない。

 三千倍の力は、彼女の生まれに依る物だ。三千人のシュテルを繋ぎ合わせたから三千倍と言う力を持っていただけ。三千倍と言うのも、三千人を繋げているから単純計算で元の三千倍と言う、余りにも暴論が過ぎる言葉でしかない。その肉の巨人は異能による産物ではなく、彼女が隠していた真の姿なのだ。

 

 故に、この夢を発現する前から、シュテル・ザ・デストラクターの力は高町なのはの三千倍であった。人型の時点で、それだけの力を有していた。

 

 鋼牙機甲獣化帝国と言う急段が彼女に与えるのは、己の力の倍加ではない。己を肉の巨人に変える事ではない。

 その真は、己の力を無限に引き上げ続ける事。腕力。体力。速力。魔力。それら全ての力を、無尽蔵に強化し続けるだけの単純な能力こそがこれである。

 

 だが、それは単純故に強力だ。簡単な思考であるが故に崩せない。一度発現すれば、最早誰にも止められない。

 他の誰もが持ち得ない強度で、他の誰もが届かない程の高みに、シュテル・ザ・デストラクターは到達できる。

 

 夢界において生み出された廃神の中で、正しくシュテル・ザ・デストラクターは最強なのだ。ならば、その暴威を前に命を保ち続ける少年の技巧は、如何なる神業か。

 

 

「はぁ……はぁ、はぁ」

 

 

 否。それは神業ではない。それは悪魔の技術でもありはしない。

 荒れた呼吸で必死に逃げ惑う少年の身を保つのは、彼が積み重ねた努力の結晶だ。

 

 

「チェーンバインド!」

 

 

 翠色の輝きがシュテルを捕えようとする。しかし無意味。一秒は愚かコンマ以下の時間を稼ぐことも出来ずに力尽くで破り捨てられ、魔力と化して消え去っていく。だが、それで良い。

 

 

「っ!」

 

 

 豪風を纏って襲い来るシュテルの巨体。それが迫る前にユーノは己が身を繰って回避する。直前に躱したのでは間に合わない。シュテルの速さは神速が如く、目で認識していては間に合わない。

 故にこそのバインド。感知魔法を纏わせて展開する事で、シュテル・ザ・デストラクターの襲い来る方向とタイミングを完全に予測する。更にそれだけでもない。

 

 

「神速!!」

 

 

 御神不破を最強足らしめる技法の一つ。加速された自己認識における領域内で、ユーノは体を必死で動かしてシュテルの速力に追い付かんとする。

 

 無限強化され続けるシュテルの速度に追い付かずとも、行動の起こりに先んじて、神速を用いて回避に動けば、その直撃を防ぐ事は出来るのだ。

 

 だが、それでも足りない。それ程に積み重ねてもまだ不足する。

 

 

「がはっ!」

 

 

 完全に回避した筈の巨人の突進。その余波として吹き荒れる暴風ですら、ユーノを殺すには十分過ぎる。少年を百度殺しても有り余る程の暴威である。

 

 まるで風に舞う木の葉の様に、或いは吹き飛ばされる紙塵のように、ズタボロになった少年は吹き飛ばされて落ちていく。

 

 

 

 まだ息はある。まだ生きている。その暴風の威を受ける瞬間に、その身を完全に脱力させて、吹き飛ばされるがままに任せた少年は、己を百度は殺す威力の殆どを防ぎ切る。

 

 それでも、被害をゼロには出来ない。九割九分九厘を防げる程に見事な体技を示しても、その一分ですら少年を磨り潰すには十分なのだ。一厘ですら少年の体に重症を負わせるであろう威力がある。

 

 そして――

 

 

「ぎっ、がっ!?」

 

 

 シュテルの進撃により荒れ果てた大地。その地面は地割れし、隆起している。真面に着地出来る場所など殆ど残っておらず、そんな場所に都合良く落ちれる道理もありはしない。

 

 少年は主役ではない。ご都合主義など起こらない。万に一つ、億に一つの奇跡を掴める人間ではないのだ。故にこそ、まるで百舌の早贄の様に、突き出た岩に突き刺さって血反吐を零す。

 

 

『ユゥゥゥゥゥゥノォォォォッ!!』

 

「ぐぅぅぅっ!!」

 

 

 そんな少年を、狂愛の怪物が見逃す筈はない。咆哮と共に、愛していると語りながら襲い来るシュテルから逃れる為に、己の身体に突き刺さった岩を、痛みを無視して引き抜いて、即座に体を動かす。

 

 まるで生き汚い害虫の様に、血反吐を零しながら少年は必死で、その暴威から逃げ惑う。

 

 

(こんなの、予想以下じゃないか!!)

 

 

 ボロボロになって、這い蹲るように躱しながら、それでもそんな風に思考してユーノは強がる。

 それしか出来ないから、それさえしなくなれば心が折れるから、それだけは揺るがせないのである。

 

 彼が生き延びているのは努力の賜物だ。彼はこんな状況を何度も想定し続けていた。

 彼の大天魔の随神相。その暴威を何度も目にしてきているのだ。それを打ち破るには、それに対抗するには、それから生き延びる為には、どうすれば良いかをずっと考え続けていた。

 

 打開策は出ない。強大過ぎる神に打ち勝つ術など浮かばない。……それでも、生き延びる算段は立てていた。

 

 雷速で迫る母禮の随神相。腐毒を纏い近付けば終わる悪路の随神相。

 それらから逃れる為には、その初動を知らねばならない。彼らが動いてからでは間に合わない。

 その為に感知能力を持ったバインドと言う代物を考え付いた。その為だけに、その魔法を作り出していた。

 

 圧倒的な暴威を持ちながらも、あらゆる異能を封じる宿儺の随神相。

 その暴威に耐え抜く為には、異能の関わらない純粋な体技が必要となる。神速と言う技法によって、その暴威に僅かにでも抗わんとした。

 脱力と言う躱し方を覚えて、躱し切れない威力を僅かにでも減らそうと思考した。

 

 魔法の真実を知るまで、戦う事を諦めるまで、マルチタスクを使ってユーノはずっと考えていた。

 イメージの中では、絶えず随神相と戦い続けていた。一度たりとも勝利はなかったが、それでも生き延びるだけの技巧は磨いていたのだ。

 

 司書となった事で無為になったかと思われていたそんな努力が、こうして今その花を咲かせていた。

 

 

(こいつは確かに天魔級の怪物だけど、それでも太極がないだけ遥かにマシだ)

 

 

 触れれば腐る。あらゆる力を自壊させる。囚われれば逃げられない。そんな理不尽が伴った暴威に比べれば、シュテル・ザ・デストラクターは単純暴力だけでしかない。故にまだ軽いのだ、とユーノは己を奮い立たせるように内心で吐露した

 

 

「この状況は、嫌って程イメージしたんだ。頭に焼き付いて離れないくらい、訓練を重ねてるんだ」

 

 

 回復魔法で己を癒す。感じる痛みを、歯を食いしばって耐え抜く。神速による頭痛は、マルチタスクの同時使用によって負荷を増している。だが、そんな事は諦める理由にはなりはしない。

 

 

「だから、さぁっ!」

 

 

 泥を食んで、血反吐を零して、それでも、逃げ回るしか出来ていない。だが、確かに今生きている。

 

 正直、少年には現状が理解できていない。何が起こっているのか、この狂愛の廃神が何なのか、何一つとして分かっていない。それでも、何の為に戦っているのかは分かっている。

 

 あの子が危機にある。今直ぐにでも助けに行きたいのに、あの子を象った怪物が邪魔をする。ならば、何をすれば良いのかは単純だ。何を為せば良いのかは簡単だ。

 どれ程に苦しもうとも、どれ程に絶望的であっても、諦める道理など、ありはしない。

 

 ボロボロになった体を無理矢理に癒して、必死に二本の足で立ち上がって、少年は咆哮する。

 

 

「諦めると、思うなよ!」

 

 

 その姿は、何処までも雄々しい。確かな人間の輝きに満ちていた。

 

 

「嗚呼、嗚呼、……素敵よ。ユーノ」

 

 

 己が愛する少年の輝きに見惚れながら、シュテルは情欲に濁った瞳を向ける。

 

 

「さあ、もっと破壊(アイ)してあげます! もっと(アイ)し合いましょう! ねぇ、ユーノ!!」

 

 

 狂愛は毒々しく笑みを浮かべる。だが、それに向き合う少年に怯懦の色は欠片もない。

 

 それでも勝敗は明らかだ。否、論ずる余地もありはしない。これは最早、戦闘ですらないのだ。

 

 勝敗などはない。勝者と敗者などは生まれない。これは強者による弱者の蹂躙。圧倒的な暴力による搾取と何ら変わらないのだ。故にここにあるは、勝者と敗者の構図ではなく、加害者と被害者、捕食者と獲物の構図となる。

 

 現状では、ユーノの死以外に結末などはあり得ない。このままでは死ぬであろう。

 破壊の愛に砕かれる以外に道はない。必死に縋って、血反吐を吐いて、それでも時間稼ぎが責の山。そんな現状では、どの道先などありはしない。

 

 故に悲鳴を上げている脳を更に酷使する。

 故に動かなくなりつつある身体を更に酷使する。

 

 その先にある、未だ見えない蜘蛛の糸を探す。この蹂躙劇を、一握の勝利が存在する戦闘へと変える為に、少年は必死で思考を巡らせている。

 

 

 

 シュテルの振るう暴威に耐える。その凶悪な愛情を、ユーノは必死になって躱し続ける。その姿に、少年の輝きに魅せられた女は考えを変えていた。

 

 

「そう。ええ、そうですね」

 

 

 己の内で出た解答。三千のシュテルの総意を受けて、シュテルは行動を切り替える。

 圧倒的弱者であるユーノを殺し切れない。それに苛立っている、という訳ではない。寧ろその抗いを喜んですらいる。故に、彼女が戦い方を切り替えるのは別の理由。

 

 

「同じ事の繰り返しばかりでは、マンネリになりますからね」

 

 

 己は楽しめているが、独り遊びに耽るのはいけない。ワンパターンで飽きさせてはいけない。愛する貴方に、最高の破壊(アイ)を与える為に。

 

 

「少し、趣向を変えましょう」

 

 

 毒花の如く、少女は微笑む。三千のシュテルの前に現れるのは、同数の魔法陣。

 

 

「っ!?」

 

『集え、明星。全てを焼き消す炎となれ』

 

 

 三千のシュテルの大合唱。其が生むは炎に染まった星の輝き。

 高町なのはのコピーが、スターライトブレイカーを使えぬ道理は存在しないのだ。

 

 

『ルシフェリオンブレイカー!!』

 

 

 放たれるは赤き星の輝き。炎熱変換が混ざった集束砲。その数が、三千。

 

 炎が街を焼く。大地を焼く。空を焼く。天を焦す。

 それは正しく彼女の異名が如く、星を滅ぼすに足る破壊(アイ)の力だ。

 

 誰も生きられぬであろう地獄が現出する。何も残らぬであろう地獄が顕象する。夢の世界は炎に包まれる。

 立ち位置の関係上、炎を浴びる事はなかった風芽丘町方面だけを残して、海鳴の街は須らく灰となる。

 

 最早誰も生きていないであろう。何を為そうと防げぬ筈だ。そんな光景を前に、シュテルは笑みを浮かべ続ける。

 

 

「さあ、ユーノ。貴方はこれにどう対処しましたか?」

 

 

 華やかな笑みを浮かべて、シュテルはそう口にする。ユーノ・スクライアならばこのような攻撃、防げるだろうと盲信する。対処出来なかったとは思考していない。

 

 無論、そこに道理はある。この三千の砲火には間隙が存在している。

 

 本来、集束砲と言う物は複数を同時に使用する物ではない。

 周囲の魔力を集束させると言う性質上、複数個所に集束点を生み出せば、互いに干渉しあって上手く発動しなくなる。それは集束砲と言う魔法にある、避けられぬ欠点だ。

 

 それをシュテルは、なのはの三千倍と言う魔力で強引に発動させた。

 それをシュテルは、無限強化され続けている膨大な魔力でゴリ押ししたのだ。

 

 全力全開。一切の手抜かりはない全霊の砲撃。それでも、その性質上粗は生じる。魔力集束の干渉により、隙間は生じているであろう。

 

 あの頭の切れる少年がそれに気付かない筈がない。気付けば必ず、何某かの対処を見せる。

 

 

「私は全霊を出した。同時に貴方の輝きが見える状況も生み出した。だから、ね? 貴方の全てを私に見せて」

 

 

 燻ぶる業火の中、赤き光が消えていく。

 数秒。数十秒。数百秒。ゆっくりと周囲を見詰めて、一人の少年を探すシュテル。

 

 そんな少女の盲信に答えるかの如く、少年は確かに健在であった。

 

 焼け爛れた肌。ボロボロの五体。それでも、少年は未だ己の足で立っている。

 魔力障壁などでは防げないであろうその焦熱を、防ぎ切った。彼はそれだけの力を捥ぎ取っていた。

 

 その力の名は――

 

 

「それは……邯鄲の夢?」

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 

 序段顕象。楯法の堅。死なないと言うイメージ道理に、己の夢で守りを生み出す。

 夢界においては、邯鄲の夢は他の技術を上回る。それはこの偽りの世界においても同じ事。

 その集束砲の弱所を見抜き、シュテルの放つ魔法よりも優先される楯法の堅を用いた。故にユーノは、多大な被害を受けながらも健在であった。

 

 

「何故、貴方が夢を使えるの?」

 

 

 それは当然の疑問だ。この夢は夢界の主とその眷属にしか使えない物。如何なる道理でもって、ユーノ・スクライアが行使していると言うのか。

 

 

「……お前は、僕に見せ過ぎたんだよ」

 

 

 そんな少女の問い掛けに、ユーノは吐き捨てるように返す。慣れない力と、不完全な発動故に負った傷に苛まれながらも、確かな意志を其処に示す。

 

 この世界を、そしてシュテル・ザ・デストラクターを、ユーノ・スクライアは解析していた。初めて会った瞬間から、絶えずマルチタスクの内の一つを使って解析していた。

 

 五里霧中の霧の向こう。僅かに見える蜘蛛の糸。それを手繰り寄せる為に、彼はその性質を暴こうと動いていたのだ。

 

 

「邯鄲の夢。五常・顕象。……即ち、戟法の剛と迅。楯法の堅と活。咒法の射と散。解法の透と崩。創法の形と界。十の夢より紡がれる特殊な術式。この世界限定の技術とは言え、大した物だよ」

 

 

 夢界において生まれた技術。人々の無意識より零れ落ちた秘術を、ユーノは知恵で暴いていく。彼の最大の強みは、そのマルチタスクと知識量。故に、今の彼に暴けぬ魔法はない。

 

 

「けどさ、結局本質は魔法と同じだ。この世界を構成する力が魔力なら、当然、魔法で干渉して解析は可能なんだ」

 

 

 これが真実、人の無意識のみで編まれた世界であったならば、こうも簡単には行かなかっただろう。如何にユーノとて、全てを暴くにはもう暫くの時間を要した筈だ。

 

 だが、これは魔法によって生まれた世界。魔法によって成り立つ力。故に彼に暴けぬ道理はない。

 

 

「知識の量が自慢でさ。これだけ見れば、似たような物は生み出せる」

 

 

 管理局の全知。無限書庫の膨大な書籍量を、ユーノは全て記憶している。其処に記された記述を、一言一句違えずに暗記している。

 

 絶対記憶能力と言う物がある。記憶障害の一種とも言えるが、確かにあらゆる物を忘れない人間は存在している。ならば、極限の集中力があれば、努力を重ねれば、記憶出来ない道理はない。

 

 人の身でありながら、核爆弾の構造の全てを覚えられるような魔王(バカ)も無数にある世界の一つには居るのだ。ならば、どうしてユーノ・スクライアが無限書庫の全てを記憶出来ない道理があろうか。

 

 彼の魔王(バカ)と違って、ユーノにはマルチタスクと速読魔法と言う助けがある。彼の同時思考数は十二。それだけの下駄を履いているのだ。この結果も当たり前だと彼は認識している。

 

 常識で考えれば、マルチタスクの助けがあったとは言え、一月でそれを記憶するなど不可能だ。それを可能としたのは、優れた頭脳と精神性。その点において、彼は正しく化け物であると言えるであろう。

 

 魔法の知識に関して言えば、ユーノは既に夜天を超えている。

 

 

「無限書庫司書長を、舐めるな!」

 

 

 彼は管理局の司書長。一月足らずの司書長とは言え、生来の資質と完全に合致しているが故に、そう名乗るに足る質を有している。

 彼の最も優れたるは、肉体の強さではなく、魔法の技術ではなく、その知識の総量なのだ。

 

 故に、夜天が魔法を組み合わせて生み出したこの異界。其処より零れ落ちたこの邯鄲の夢。そこに介入して、己もそれを使えるようになる事は、不可能ではない。

 

 否、寧ろ簡単であったと断じよう。それだけの知識を、彼は持つ。

 

 

「ふふふ。驚きました」

 

 

 そんなユーノの姿に、シュテルは素直に想いを吐露する。そこに偽りなどはない。確かに彼女は驚いていて。

 

 

「けど、それでどうするのです?」

 

 

 だが、その余裕は覆らない。その優位は覆されない。

 

 

「貴方が使えるのは序段顕象。所詮は夢を使えるようになっただけ」

 

 

 序・詠・破・急・終。邯鄲の夢には練度がある。その五つの位こそが、邯鄲の五条楽。序段に目覚めたばかりのユーノが、急段に至っているシュテルに勝る道理はない。

 

 

「……それに、もう貴方は詰んでいる」

 

「なっ!?」

 

 

 今度の驚愕は少年の口から。シュテル・ザ・デストラクターは盲信していた。その方法は分からずとも、必ずユーノは生き残ると確信していたのだ。

 故にこそ、そこに彼女の布石がある。生き延びたユーノに、彼女が伝えるのは全霊の愛だ。

 

 

「愛しています。ユーノ」

 

 

 背後から抱き付いて来る裸の少女。甘く囁き、首筋に唇を落とす。その姿は紛れもなく、シュテル・ザ・デストラクター。

 その姿は肉の巨人ではなく、唯人のそれ。高町なのはと同じ顔の少女が見せる艶姿に、しかしユーノには羞恥を覚えるだけの余裕もない。

 

 絡みついて来る少女は一人ではない。足を掴んで少しずつ上って来る少女。左の腕を抱き抱えて、耳元で愛を囁く少女。背中越しにその体温を伝えて来る少女。正面から、己が裸体を見せ付けながら絡みついて来る少女。

 

 

「愛しているわ」

 

「愛しているの」

 

「愛しているから」

 

「嗚呼、お願い。抱きしめて」

 

 

 背徳の情景。甘い息使いに混じる愛の言葉。

 それを紡ぐは、全てが同じ顔。肉塊の巨人より零れ落ちた、三千の内の一つである。

 

 肉体を剥いで、楯法の活で再生させた。結果として生じるは無数のシュテル。彼女達は皆、唯一つの想いを胸に、少年の身を求めて手を伸ばす。

 

 

「っ! 邪魔だっ!!」

 

 

 纏わり付く少女達を少年は力尽くで振り払う。楯法の活によって、傷付いた両腕を癒し、魔力で強化した体と、寸勁の一種である体技を持って密着したシュテルを打ち倒す。

 

 

「っ!?」

 

 

 ぐしゃり、と嫌な音がして、不快な肉塊が拳に纏わり付く。三千倍と言う強度を持つシュテルから離れようとした全力攻撃は、三千分の一でしかない今のシュテルを、バリアジャケットや障壁は愚か強化さえされていないその身体を、あっさりと潰した。

 

 吐き気がする。想い寄せる少女と同じ顔の命を奪った事に、ユーノの心は動揺に揺れる。

 

 

「ふふ。嗚呼、素敵。貴方の愛も素敵よ、ユーノ」

 

 

 そんな想いを抱いて立ち止まるユーノに、シュテル達が群がっていく。

 潰れた顔が復元する。壊れた体が復元する。其は楯法の活。欠損したパーツの補充は愚か、完全に死亡した自分自身を再生できる程に、シュテルの活は練度が高い。

 

 

「不死身、なのか!?」

 

「ふふ。うふふふふ」

 

「アハ、アハハハハ」

 

 

 笑う声が重なる。狂笑が繰り返される。

 肉の巨人は、三千と言う命の全てを同時に奪われない限り、滅びる事がない。

 

 そして、ユーノに執着するは、零れ落ちたシュテルの断片だけではない。

 

 

「さあ、(アイ)して上げる」

 

 

 決して滅びぬ少女達に纏わり付かれて、身動き一つ取れぬ少年の眼前に巨人が立つ。三千の内の数十が欠けた程度。醜悪な肉の巨人は未だ、その暴威を保っている。

 

 その手を振り上げる。少年と絡み付いて口付けする己自身を、纏めて磨り潰そうと、シュテル・ザ・デストラクターはその手を振り上げる。

 

 今の彼女はユーノだけを見ている。三千の全てが、その意識の全てを愛する少年へと向けていた。

 

 故に――

 

 

〈ねぇー! シュテルん!!〉

 

「っ!?」

 

 

 突然、割り込んで来た念話に巨人の動きが止まった。

 

 

 

 シュテル・ザ・デストラクターには一つの欠点がある。それは本来のグルジエフの怪物にはなく、彼女だからこそ生まれてしまった欠点。

 群体とは言え、それを構成する個の全てがシュテルである事。それこそが彼女の欠陥を生み出している。

 個が抱いた感情と全く同じ感情を、別の個も抱いてしまう。同じ方向を向いているが故に、感情を揺さぶる程の出来事が起こると三千の意識が其方に向いてしまうのだ。

 

 常ならばそうなる事もない。マルチタスクを操る要領で、三千の自分にそれぞれ別の行動を割り振れる。

 だが、今の彼女は正に悲願が叶おうとしていた状況で、その想いもまた高まっていた。全てが一点に集中してしまっていた。

 

 他の些末事ならば兎も角、声を掛けて来たのは大切だと認識している同胞の一人。常に監視の目を向ける一つ。

 故に咄嗟に向けられた言葉、それに対する驚きで個の動は乱される。それに連動して、一瞬とは言え、群が動きを止めてしまった。

 

 

「っ! 今だ!」

 

 

 その偶然に助けられたユーノは、解法の透を発現する。巨人の一撃を躱す力はないが、今の純度が落ちたシュテルの断片から逃れるには十分。

 自らを透過させて拘束から擦り抜けると、後先を考えずに転移魔法を発動した。

 

 

〈ねー! シュテルん! 何かモンスター作ってよー! ねー!〉

 

「…………」

 

 

 彼の居た場所を無言で見詰める。転移魔法の残滓しか残っていないそれを見詰める。

 

 

〈ねー! シュテルんってばー、ねー!〉

 

『私と彼の逢瀬を邪魔するなァァァッ!!』

 

〈シュテルんが怒ったー!?〉

 

 

 どうでも良い念話で己の邪魔をしたレヴィに怒鳴り付ける。ついでに三秒程度で考えた落書きのイメージを送り付けて、その念話を断ち切った。

 馬鹿にしたデザインを送ったが、アレは馬鹿故に馬鹿にされている事にすら気付かないであろう。そう思うと、苛立ちが拭えない。

 

 その八つ当たりとばかりに、周囲に魔法を連射する。怒りの咆哮を上げながら、周囲全てを焼き払う。

 パイロシューター。ブラストファイアー。フレイムスパロー。ヒートバレット。フレアバースト。

 

 無限強化される魔法で偽りの海鳴を焼き尽くしながら、隠れる事の出来る場所を一つ一つ潰して行く。

 この世界から逃れる事は出来ない。ここに居る者達は皆、夢を見ているだけでしかない。

 

 ここで起きる事は全てそういう夢でしかない。転移魔法を使っても外には行けず、この世界の何処かに転移した。そんな形に収まる筈だ。

 全ての出来事は所詮イメージ。空想の産物でしかない。夢見る夢から覚めぬ限り、所詮は何処へも行かれない。

 

 

「ええ、そう考えれば良いのです。彼はこの地の何処かに居るのだから、かくれんぼの様な遊びと思えば、それはそれで楽しいでしょう。……レヴィは後で数回程焼きますが」

 

 

 そう己に言い聞かせて冷静さを取り戻したシュテルは、ゆっくりと視界を巡らせる。

 彼女は三千の群体。先の様に一つの感情に囚われなければ、その六千の瞳が個別の物を映し出せる。

 一対三千のかくれんぼ。三千の鬼を前にすれば、見つけ出すのにそう時間は掛らない。

 

 ふと、周囲を見回しているシュテルは、ディアーチェの現状に気付いた。

 

 迫り来る紫の少女。迎え撃つ闇統べる王。その戦闘を暫し見詰める。

 そうして、同胞の不利を感じ取ったシュテルは、一つの魔法を発動する。

 

 

「ディザスターヒート」

 

 

 三連続で放たれる炎の砲撃。それが闇統べる王を後一歩にまで追い詰めていた少女を焼き払った。

 

 

「全く、レヴィと言い貴女と言い。……これは貸しですよ。ディアーチェ」

 

〈ああ、分かっているさ、シュテル〉

 

 

 そんな遣り取りを終えてから、焼き払った吸血鬼の少女の事など気にも留めずに、シュテルは唯一人の少年を探す。

 

 

「もーう、いーいかい?」

 

 

 戯れに口にした言葉。当然の如く返事はなく、故にシュテルも待とうとはしない。

 

 

「さ、遊びましょう?」

 

 

 醜悪な巨人は愛しい少年を求めて、ゆっくりと動き出す。

 

 

 

 

 

2.

「っ、はっ……」

 

 

 崩れ落ちたビルの一画に隠れて、少年は荒い呼吸を整える。

 

 この夢の世界で転移すればどうなるか分からない。だからこそ使わないでいたかったが、他に術はなかった。やむをえず転移をしたが、どうやら異常はないらしいとほっと一息を吐く。

 

 地響きがする。燃え盛る業火の音がする。あの怪物が居る場所からは離れられたようだが、そう遠くに移動出来た訳でもなさそうだ、とユーノは思考する。

 

 遠からず見つかるだろう。あれと戦うには対策が必要となる。その為にも、まずは現状の確認を優先する。

 

 

「現状。僕が使えるのは基本的な魔法と、邯鄲の夢が三種類。……正直、手札がまるで足りてない」

 

 

 使える邯鄲の夢は三種類。楯法の堅と活。解法の透。その三つだけなのだ。

 

 

「全く、夢なら都合の良い資質をくれれば良いのに、何でこんなに現実的なのさ」

 

 

 恐らくは自分の自身に対するイメージが原因だろうとは思う。そうは思えど、愚痴を口にしてしまうのは避けられなかった。

 

 

「回復。防御。解析。この三つは実戦レベルで使えるけど、他は全く、発動すらしない。透過による回避も、格上相手だと成功率は低い。活による再生は、失った部位を生やすぐらいが限界かな。堅も、あの巨人の拳を防げるレベルじゃない」

 

 

 総じて微妙。これだけでは奴を倒す札に成り得ないとユーノは判断する。

 

 

「夢の掛け合わせが出来れば良いんだけど。……やっぱりマルチタスクによる複数顕象じゃ足し算にしかならない、か」

 

 

 五条楽の位階とは、どれだけの夢が同時に使えるかという事でもある。二種類の夢を掛け合わせれば、その結果は乗算の如くに力を跳ね上げる。

 マルチタスクで同時使用すれば或いはとも考えたが、結果は乗算にはならず加算止まり。複数同時使用は出来たが、詠段にすら至れなかった。

 

 

「僕の使える邯鄲の夢じゃ、逆立ちしたってあいつには勝てない」

 

 

 それが結論だ。それがユーノ・スクライアの限界だった。

 少年は特別な生まれをしている訳ではない。危機に陥ったら、摩訶不思議な力が湧いて来て覚醒する訳ではない。

 それは主役のやる事だ。主人公補正やご都合主義と言った、選ばれた人のみの権利であろう。

 

 ユーノ・スクライアにそれはない。彼にあるのは、優れた頭脳と人並み外れたマルチタスク量。そして、努力して積み上げてきた物だけだ。

 

 

「分かっているさ。だからこそ、僕に都合の良い展開なんてありはしない」

 

 

 痛い程に分かっている。どうしようもなく理解している。

 急に邯鄲の夢が成長して、急段に至るとか、実は隠された力が存在していて都合良くパワーアップなどはあり得ないのだと。

 

 彼が邯鄲の夢を得たのは、積み重ねた努力の結果の知識量が故。

 彼がシュテルの猛攻に耐えられたのは、積み重ねた修練が花開いたから。

 

 もう彼に隠し玉はない。もう既に全てを出し切っている。

 

 

「なら、作るしかない。……あいつの夢を、崩す術を」

 

 

 あるのは知識だけ。あるのはちっぽけな夢の欠片。これを活かして、どうにかあれを崩す術を生み出すのだ。

 

 

「……僕じゃ、無理だな。僕の力じゃ無理だ」

 

 

 幾つもの構成を、高速思考と並列思考で生み出しては破棄する。どうしようもなく出力が足りていない。あれを崩せるには至らない。

 

 夢界において、邯鄲の夢は絶対だ。仮にユーノの中にすずかやアリサの持つような、神格域の魂の断片でもあれば別だが、他の方法では邯鄲の夢は崩せない。

 

 

「……なら、使うのは、あいつの力だ」

 

 

 読み取ったこの力の全容。解析した急の段の構成。そこから確認できる一つの要素。それこそが、恐らくは唯一の勝機となる。

 

 

「協力強制」

 

 

 協力強制とは、呼んで字の如く、相手の力を利用して相手を嵌める戦闘技法。邯鄲の夢の使い手同士では重要な要素となる、切り札を使う為の前提条件。

 

 例えば右腕のない戦士が居る。その戦士は相手の右側しか狙わないという枷を自身に課していると仮定する。

 その戦士を相手が見た時、果たしてどう思うであろうか? 相手は右しか狙って来ない。左は狙って来ない。となれば、左は不要と判断するだろう。

 

 その時、両者が左を意識しなくなる。両者の間で、左は不要という意見の一致が達成される。

 その結果として起こるのは、不要と断じた左の消失。協力の強制に嵌って、敵は左半身を失うのだ。

 

 その時に生じる力は、自身と敵手。その力を合わせた物となる。故に一度嵌れば、協力強制は覆せない。故に協力強制は、本人の力の限界を超えた奇跡を顕象させる。

 

 

「……けど、協力強制を行うには、最低でも急の段に至らなければならない」

 

 

 急段の発動条件こそが協力強制。協力強制を意図的に発動出来るのは、急段より上の位階に至った者のみ。ユーノはその条件を満たしてはいないのだ。

 

 八方塞がり。完全に詰み。急の段には至れないからこそ、協力強制を求めたのに、それを使うには急の段に至るより他に術がないのだ。

 

 ならば――

 

 

「なら、あいつ自身に使わせるしかない」

 

 

 己に出来ないならば出来る者にさせれば良い。シュテル自身の力で、シュテル自身を嵌めさせれば良いのだ。

 

 方法はある。たった一つだけ存在している。

 シュテルの首を絞めるのは、シュテル自身の狂愛だ。

 

 

「……出来るか、僕に」

 

 

 己の掌を見詰める。ボロボロの自分に、果たして出来るであろうかと。

 

 

「否、出来るか、じゃない。やるんだ」

 

 

 意思を確かに、目標を定めた。

 

 

 

 そんな瞬間に――

 

 

「みぃぃぃぃぃぃぃぃつけた」

 

 

 ビルの割れた窓ガラスの向こう側に、シュテル・ザ・デストラクターの姿があった。

 

 

 

 轟音と共にビルが崩れ去る。巨人に押し潰されて崩壊する。

 瓦礫と共に落下しながら、ユーノは自身を見詰める醜悪な巨人を見上げる。

 

 

「なぁ、シュテル・ザ・デストラクター」

 

「何ですか、ユーノ?」

 

 

 落ちるユーノは、追い掛けるシュテルに向かって問い掛ける。

 それは前提となる一言。協力を強制する為に必要な一言。確認の一言である。

 

 

「君は、僕を愛しているのかい?」

 

 

 そんな言葉に、シュテルは満面の笑みを浮かべる。自身を知ろうとしてくれている。そう感じて相好を崩す。

 

 

「ええ! 勿論ですとも!!」

 

「そうかい。……なら、良かった」

 

 

 これでこいつは嵌る。唯一つ、後一つを打ち込めば、その枷に嵌る。

 拳に一つの魔法を展開する。そうしてユーノは、崩れていく瓦礫を目暗ましにして、翼の道を展開した。

 

 翼の道を全力で駆け抜ける。しかし、少年の速力では、シュテル・ザ・デストラクターには届かない。

 ならば必然。あっさりと捕まるであろう。そうして破壊の愛で砕かれる。それが辿るべき末路であろう。

 

 だが、そうはならない。

 

 

「この刹那に、全てを賭ける!!」

 

 

 ユーノ・スクライアの使えるマルチタスク。その数は十二。その全てをフルに回転させる。

 一つは身体能力強化。一つは翼の道の維持。一つは拳に展開した一つの魔法。最低限に必要な、それら三つの魔法。

 

 一つは神速による限界を超えた加速。だが、それ一つでは届かない。だからユーノは神速を重ねる。

 二重神速。それを使える技量に、ユーノは未だ至っていない。高町恭也や高町士郎に比べれば、彼は剣士として完成していない。

 だが彼にはマルチタスクがある。複数の思考がそれぞれに神速を重ねれば、一時的にではあるが師である士郎をも超える神速を発揮する事が出来る。

 

 二重の神速で二つ。三重にする事で三つ。シュテルの脅威から逃れる為に、マルチタスクを三つ使用する。

 

 

「がっ、ぎぃ」

 

 

 口から悲鳴が零れる。限界を超えた脳の酷使に、頭が焼け付いたように痛む。

 目や鼻や耳と言った顔にある穴からは出血が止まらない。その症状は、嘗て限界を超えた高町恭也よりなお重い。

 

 それは神速に対する慣れによって、脳内が特殊な変化を遂げていた恭也と異なり、ユーノの身体が耐えられるように出来ていないから。

 だからこそ、己の力で死にそうになっている。だけどこれは夢だと知っているから、この痛みにだって耐えられる。

 

 

「楯法の活!」

 

 

 肉体の不具合を、無理矢理に治癒して治す。元凶となっている神速やマルチタスクの過剰使用を控えずに唯癒した結果、治した矢先に壊れるが、また治す事で対応する。

 

 限界を超えた脳。限界を超えた身体。こちらを狙うシュテルから刻まれる傷。それらを治す為に三つのマルチタスクを活に専念させる。

 

 これで九つ。残る一つで敵を見据えて、もう一つで討ち果たすべき方法を算段する。最後の一つに怯えや震えを押し付けて、ユーノは限界を超えて走り続けた。

 

 

「ユゥゥゥゥゥゥノォォォォッ!!」

 

 

 こちらを求めて手を伸ばす少女。その身が放つ暴威もユーノは気にしない。今の彼は楯法の活により、即死でなければ死にはしない。ならば止まる道理もない。

 

 

「おぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 雄叫びを上げる。勝利の為の咆哮を上げる。

 そうしてユーノは、シュテルの巨腕に拳を打ち込んだ。

 

 その拳は、シュテルの腕を浅く傷付ける。その身を構成する三千人の内、たった一人の命を奪う。だが、それだけだ。それ以外には何も起こらない。

 

 

「今、何かしましたか?」

 

 

 優しく問い掛けるシュテルの余裕は崩せない。その巨体は崩れない。一人の死もすぐさま元通りになるだろう。

 核がないシュテルを倒すには、三千人全てを同時に殺さなくてはならない。ユーノ・スクライアにそれは不可能なのだから、彼に勝機などありはしない。

 

 せめて、その限界を超えた雄姿に敬意を示して、ゆっくりとそれを教えてあげようと、シュテルは不動のまま楯法の活を発現して。

 

 

「おや?」

 

 

 何故か、傷が塞がらなかった。

 

 

「今、何をしましたか?」

 

 

 先と同じ言葉の問い掛け。だが其処に籠った意味が違っている。

 そんなシュテルの問い掛けに、少年は悪童の如き笑みを返した。

 

 ユーノが打ち込んだ魔法。それは意識を誘導する為の魔法。思考を特定の方向に動かす魔法だ。

 無論、こんな物一つで感情を変えさせる事は出来ない。直接肉体に打ち込まれた事で瞬間的な強さは跳ね上がっているが、それ一つで感情を変えさせる事は出来ない。

 

 協力強制に必要となるは強い想いだ。信念や拘りを超えた、渇望の域に近い狂念が必要となるのだ。

 誘導魔法で植え付けた意志一つでは、そこまでの想いには至らない。狂念を持つ者は、そんな薄い思考操作などあっさりと弾くであろう。上手くいったとしても、植え付けられた願いが渇望になる事は無い。本来ならば。

 

 だが今回だけは事情が違う。シュテル・ザ・デストラクターだけは別なのだ。

 この愛に狂った女だけは、植え付けられるであろう誘導を覆せない。そうなるだけの理由が其処にある。

 

 

「僕はさ、愛する人から送られた物とか、残しておきたくなる人間でさ」

 

 

 ボロボロの少年は、首から下げた銀色の飾りを優しく撫でる。彼の持つ、誰もが持つであろう考えを口にする。

 

 

「誰だって、大切な人からの贈り物は残しておきたいだろ? それがどれだけ下らない物でも残したいって思う僕は、きっと女々しいんだろうけどさ」

 

 

 与えた誘導はそれだ。愛する人から与えられた贈り物を、残して置きたいと思う様になる思考の誘導。

 

 

「君は僕を愛してるんだろう?」

 

 

 シュテル・ザ・デストラクターはユーノ・スクライアを愛している。

 ユーノに与えられた思考誘導によって生じた想いが、己の渇望とでも言うべき愛に即した物だったからこそ、彼女は自身を嵌める急段を生み出してしまう。

 

 分かっていても、気付いたとしても、もう抗う術はない。何故なら、真実、心の底からそれを望んでしまっているから。

 

 

「なら、僕に与えられた痛み(おくりもの)もそのまま残して置けよ」

 

 

 彼女は急の段位にありながら、自分だけの急段を持っていなかった。

 あったのは廃神と言う夜天の眷属故に得た力。鋼牙機甲獣化帝国と言う彼女の渇望とは掠りもしないその異能。

 

 既に急の段にあった彼女は、己の渇望さえ生まれれば新たな力に目覚めるだけの下地があった。彼女だけの急段が生まれる余地があったのだ。

 故に、与えられた思想が渇望となる程に合致した事により、彼女だけを苦しめる急段を彼女自身がここに生み出してしまった。

 

 それは、破壊の愛を満たす急段。愛する人に付けられた傷が、永劫癒えぬという強制法則。

 既にユーノは同意している。協力強制は成り立っている。故に、最早シュテルの傷が癒える事はもう二度と無い。

 

 

「さて、後は簡単な話だ。シュテル・ザ・デストラクター」

 

 

 ユーノは語る。己の掴んだ僅かな勝機。とてもとても細い蜘蛛の糸。

 

 

「三千人。三千回ぶっ飛ばせば、終わりだ」

 

 

 シュテル・ザ・デストラクターはもう回復しない。残る命は、後二千九百九十九人分。

 

 

「たった三千人だろう? 軽いんだよ!!」

 

 

 たった一つを削るのに死に掛けて、体はもうボロボロで、それでも軽いとユーノは語る。やって見せるさと彼は強がる。

 

 上等だよ。狂愛の廃神。三千人と言うお前の全て、その悉くをここで打ち破る。

 

 そんな少年の言葉に、シュテルは体を震わせる。その震えは恐怖故ではない。嵌められた事への屈辱故ではない。その身を震わせるのは、抑えられない程の歓喜である。

 

 

「うふ、うふふ」

 

「あは、あはは」

 

「きゃは、きゃはは」

 

『ウフフ、アハハ、アーッハハハハハハハハハ!!』

 

 

 シュテルが笑う。シュテルが笑う。シュテルが笑う。

 無数のシュテル達は一方的な不利を強要されて、そんな渇望を抱かされて、狂ったように笑い続ける。

 

 とても嬉しかったから。とてもとても嬉しかったから。

 

 

「嗚呼、嗚呼、何と言う気分でしょうか!」

 

「今ほどに言葉が軽いと思った事はありません。どれ程に口にしても安っぽく感じてしまう。何を言おうとこの感動を表せない」

 

「だと言うのに、嗚呼、嗚呼」

 

「歌い上げたい。詩に書き留めたい。不完全な言葉だとしても、この感激を残したいのです!」

 

「貴方の破壊(アイ)が私に残る。永劫この身に残り続ける。三千人の私達。その全てを(アイ)してくれる!」

 

「素敵よ。最高の気分。これこそが、私の渇望だった! 教えてくれて、本当にありがとう!!」

 

 

 無数のシュテルが続けざまに想いを語る。全てのシュテルが感動に包まれている。その狂態を見て、その狂想を知って、ユーノが感じる想いは一つだけ。

 

 

「君の愛は、確かに本物なんだろうさ」

 

 

 その愛だけは認めよう。その愛だけは揺るがないのだと確信する。偽物であれ、贋作であれ、劣化品であれ、シュテル・ザ・デストラクターの愛は真である。

 

 

「君の言葉も、感じる想いがあったよ。……愛に理由は要らない。愛に保障は要らない。それを確かに刻んだよ」

 

 

 その女の狂愛は理解出来ないが、嗚呼、確かにその言葉には同意しか抱かなかったのだ。

 

 

「だからこそ、君に倣って、ここに宣言しようと思う」

 

 

 彼女のお蔭で見えた。目を逸らしていた真実。己の内に芽生えかけていた確かな想いのその名前。

 

 

「僕が憧れたのは、君じゃない」

 

 

 愛を知らなかったから、それに理由を求めた。それが愛だと言い切る事が不安で、愛するに足る理由を探し続けていた。

 

 

「僕が恋したのは、君じゃない」

 

 

 愛を知らなかったから、そこに証明を求めた。己の想いが愛であるのだと、明確な証を欲しがった。それがないのが酷く不安で、本当にそうなのかと自問ばかりしていた。

 

 

「僕が愛しているのは、君じゃない!」

 

 

 その想いの答えを教えてくれたのはこの廃神だ。だからこそ、この言葉を口にする。

 無意味どころか、この言葉で相手の愛が失われれば、この僅かな勝機も失われるだろう。だと言うのに、それでも口にするのだ。

 

 

「僕は、高町なのはを愛している!!」

 

 

 真実はたった一つ。理由がなくとも、証がなくとも、確かに感じる想いはそれ一つ。今、ここに感じる想いは真実なのだ。

 

 

「覚悟しろ、シュテル・ザ・デストラクター。僕の愛は、軽くないぞ!!」

 

 

 迷いを吹っ切った少年は、その切っ掛けとなった少女に感謝の想いを込めながら、己の意志をここに示す。

 

 

「嗚呼、憎らしい」

 

「嗚呼、愛おしい」

 

「嗚呼、羨ましい」

 

「嗚呼、妬ましい」

 

「嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼!!」

 

 

 狂ったように、否、真実狂ったシュテル達は千路に入り乱れる想いに振り回される。無数の生じる感情を整理出来ず、唯、その全ての情が向かうべき少年を睨み付ける。

 

 

『ユゥゥゥゥゥゥノォォォォッ!!』

 

 

 ここに、愛を自覚した少年と、狂愛の廃神の戦いは漸くその幕を開いた。

 

 

 

 

 

 

3.

 その瞬間に流れが変わったのは、その戦場だけではなかった。

 

 

「あれ? 何で生きてるの?」

 

 

 レヴィ・ザ・スラッシャーが疑問を投げ掛ける。それに対する答えはない。そんな言葉を返す余裕は、少女には存在していなかった。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 

 視界が霞む。眩暈がする。体が重い。

 どうしても体は満足に動かず、今にも倒れ込んでしまいそうになる。

 

 それでも、アリサ・バニングスは生きていた。

 

 

――馬鹿者がっ! ……相手……に……引っかかる………う。

 

 

 己の内側で叱りつけて来る誰かの声がする。だがその声はノイズ混じりで真面に届かず、その姿はまるで砂嵐が走っているかのように、輪郭さえ定かではない。

 

 

――私と……の相性は…悪だ。無理……に繋いだが、それでも…………る。………死の半分…請け負って……ことしか……なかった。

 

 

 霞む視界に映る影。その姿が女である事だけを辛うじて理解する。その姿からイメージする色は赤。赤い女性が其処に居ると感じている。

 

 

――何時もの……力…振るえ…と…思…な…。私の助…がなけ…ば、……は炎弾一つ……出せん………忘れるな。

 

 

 その女性の言う事はまるで聞き取れない。だが、必死に伝えようとして来る言葉の断片から、ニュアンスだけは理解する。

 

 一つ。己が死んでいないのは、彼女がその死の半分を請け負ってくれたから。

 一つ。自分と彼女の相性は最悪であり、それ故に真面な対話すら行えないであろうと言う事。

 一つ。これまで自分が紅蓮炎上を使えていたのは、彼女が全面的に協力していたから。

 

 死の半分を請け負った事で大分無理をしたのだろう。現状、彼女の協力は完全に失われている。最早、今の己は炎弾一つ出せないであろう。それだけ分かれば、十分である。

 

 

「んー? 何で生きてるのかなー? ま、いいや。生きてるって事は、また遊べるってことだよね!」

 

「ふっざ、けんじゃ、ない、のよ!」

 

 

 薄れそうな意識で言葉を口にする。手を噛んで血を流して、途切れそうな意識を痛みで無理矢理に保つ。

 

 

「誰が! もう! 二度と! アンタなんかと! 遊ぶもんか!!」

 

「えー!」

 

 

 請け負って貰えたのは半分。半死半生のままで、それでもアリサは立ち上がるとレヴィ・ザ・スラッシャーへと怒りを向ける。

 

 

「覚悟しなさい! 思いっきし、ぶん殴ってやるわ!!」

 

「ん? なーんだ。アリサも遊ぶ気じゃないか! さあ、殺し合いというゲームで遊ぼう!」

 

 

 流れは変わった。これより激闘の第二幕が始まる。

 

 

 

 

 

4.

 そして、二つの戦場にて流れが変わったのに対し、この場所では戦場を決定付ける大きな変化が起きていた。

 

 

――かつて何処かで そしてこれほど幸福だったことがあるだろうか

 

「何?」

 

 

 何処からともなく聞こえて来る声に、ロード・ディアーチェは眉を顰める。何だ、この声は、そう周囲を見回して、その異常に気付いた。

 

 

――幼い私は まだあなたを知らなかった

 

 

 声は止まらない。詩は止まらない。その漆黒の瘴気が放たれる。奪われる命の向く先は、首のない少女の遺体。

 

 

――いったい私は誰なのだろう いったいどうして 私はあなたの許に来たのだろう

 

 

 首のない少女が立ち上がる。瘴気によって簒奪した命を使って、その身を復元させていく。

 

 

――ゆえに恋人よ 枯れ落ちろ

 

「蝙蝠か!? ええい、何と生き汚い!!」

 

 

 その手にした魔法杖より力が放たれる。首のない彼女ならば殺し切れるであろう。確かな威力の籠った全力攻撃。

 

 だが、それすらも糧とする。そうして砕けた筈の頭部が復元する。その顔は、月村すずかのそれである。

 

 

――死骸を晒せ

 

「……俺をあのメスガキと見間違うだぁ? おいおい、舐めてくれるじゃねぇか、てめぇ」

 

「何? 何だ、貴様は!?」

 

 

 だが、それは月村すずかではない。同じ顔。同じ髪型。だが、その色が違っている。

 紫色の髪が真っ白に染まっていく。その隙間から垣間見える瞳は血のように赤く。そしてその顔は病的なまでに薄い白貌。

 

 その人物は、月村すずかでは断じてない。

 

 

――Briah

 

 

 詠唱が終わる。その呪詩が完成する。現れるは、天魔・血染花。

 

 

「はっ、さっきからてめぇら、心までどうだとか、我は邪悪だの、ごちゃごちゃ屁理屈こねくり回しやがってよぉ。知らねぇ、見えねぇ、何だそりゃ? 食い物かぁっ!!」

 

「貴様ぁっ! 我が問うているのだ! 名乗らんかっ!!」

 

「……良いぜ、戦の作法だ。教えてやる」

 

 

 白貌の吸血鬼は笑う。笑いながら己の名を、誇らしい異名を、己が力を解放する言葉と共に口にする。

 

 

――死森の(ローゼンカヴァリエ)薔薇騎士(・シュヴァルツヴァルト)

 

「聖槍十三騎士団。黒円卓第四位。ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイ!」

 

 

 白貌の吸血鬼の瘴気が周囲を覆う。それが生み出すは一つの異界。引き摺り込むは永遠に明けない夜。

 

 

「覚えておけ、今すぐ死ぬその瞬間までなぁぁぁっ!!」

 

「がっ!? 貴様ァァァァッ!?」

 

 

 命を食らう夜は、月村すずかの二大凶殺とはその威が段違いだ。

 間に少女と言う異物を挟まずに放たれる力は、正しく天魔のそれである。

 

 ロード・ディアーチェは抗えない。月村すずかの夜と拮抗していた少女は、故に遥か高次の力を防げず、何も出来ずに吸い殺される。

 

 

「なぁ、月村すずか。……俺もお前も畜生だ。俺らみたいな奴には、どうしようもねぇ不運ってのが付き纏う。ここぞって時に、何もかも逃がしちまう」

 

 

 己の内に眠る子供にそんな言葉を投げ掛けたのは、さて、どんな気紛れか。

 少女の語った言葉に絆されたからか、それとも後一歩という所で全く意識していない不幸に躓いてしまった同類を憐れんでの言葉か。

 

 

「だからよ。願ったのさ。幸運さえも奪い取る夜を」

 

 

 カズィクル・ベイが表に出られたのは、ここが精神に依存する夢界だからだ。今の彼では、現実世界で表に出て来るだけの力はない。だが、この夢界でなら、確かに全盛期の力を振るえるから。

 

 

「なぁ、中身に塵しか詰まってねぇ劣等の屑。……最高だろう? この夜は」

 

 

 最早原型さえも残らぬ程に吸い尽くされたディアーチェに向かい、白貌は嘲笑いながら語る。

 

 

「クックック。クハッ! ヒャァァハハハハハハハハハハッ!!」

 

 

 その奪い取った命を糧にする事すらせずに、不味いと吐き捨てて、男は笑い続ける。

 その人の神経を逆撫でするような甲高い声で、赤き月夜の照らす夜の世界で、吸血鬼は狂ったように笑い続けた。

 

 

 

 

 

 




ベェェェェイッ!! ってなった今回の話。他にも色々濃厚だけど、やっぱり最後はベェェェェイッ!! だと思う。(小並感)
ラスト付近の推奨BGMは勿論『ROZEN VAMP』。『禍津血染花』でも可。


○因みにユーノ君のシュテルん攻略法。
・まず相手の能力を解析して丸裸にします。ついでに自分もそれを使えるようになります(インテリ系な対応)
・次に相手の回復能力を封じます。なお、その際に行うのは気付かれても防げないような罠です。(インテリ系な対応)
・最後に、殴りましょう。一人殺せたんだから、あと二千九百九十九人だけだし、何とかなる。(迸る脳筋臭)

家のユーノはインテリ系脳筋。(確信)




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闇の残夢編第四話 夢界を行く 其之伍

明けましておめでとうございます。

そんな訳で、新年一発目の更新。
今回はVSシュテルとVSレヴィの話です。


推奨BGM
1.超獣帝国(相州戦神館學園 八命陣)
2.迦楼羅舞う(相州戦神館學園 万仙陣)
3.Take a shot(リリカルなのは)


1.

 世界が揺れる。視界が点滅する。

 

 世界を揺らす程の暴威。その挙動だけで世界が悲鳴を上げる程の脅威。

 そんな怪物の腕にしがみ付きながら、酷使した脳が放つ警告を無視してユーノ・スクライアは限界を超え続けていた。

 

 巨体にしがみ付いて、シュテルの体を足場にして、ユーノはその巨人に挑み続ける。

 神速。楯法の活。楯法の堅。それら三種の力を常時発動させながら、死力を振り絞り続けている。

 

 

『ユゥゥゥゥゥゥノォォォォッ!!』

 

 

 足場から延びる無数の手。巨人を構成する少女達は、無数の手を伸ばしてユーノ・スクライアを捕えんとする。彼女らの瞳には、愛しい人を求める欲しか残っていない。

 

 欲しい。欲しい。欲しい。

 

 貴方の瞳が欲しい。貴方の口が欲しい。貴方の歯が欲しい。貴方の耳が欲しい。貴方の髪が欲しい。貴方の手が欲しい。貴方の指が欲しい。貴方の足が欲しい。貴方の皮膚が欲しい。貴方の肉が欲しい。貴方の骨が欲しい。貴方の心臓が欲しい。貴方の肺が欲しい。貴方の胃が欲しい。貴方の腸が欲しい。貴方の肝臓が欲しい。貴方の膵臓が欲しい。貴方の腎臓が欲しい。貴方の膀胱が欲しい。貴方の陽根が欲しい。貴方の男陰が欲しい。貴方の性細胞が欲しい。貴方の脳が欲しい。貴方の声が欲しい。貴方の言葉が欲しい。貴方を構成する全てが欲しい。

 

 ああ、何よりも、貴方の愛が一番欲しい。

 

 引き摺り込まんとする少女達の想いは最早暴威だ。愛と言う感情が物理的な質量を持っていれば、それだけで星を砕けていたであろう程に、星光の殲滅者の情は重い。

 

 だが、そんな女の情を知らぬと少年は打ち破る。お前に与える物は痛み以外にありはしないと、少年は力尽くで破っていく。

 

 

「はぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 裂帛の気迫が籠った一撃は正に極上。全身全霊。乾坤一擲の最大攻撃。

 たった一撃の打撃に全力を費やして、その全力の打撃を何度も何度も繰り返し放つ。

 

 後に続く力が残らぬ程の一撃を、然し何度も連続して放つと言う矛盾。そんな無謀を、己の意志で貫き通す。

 

 この夢界は意志が全てだ。精神の強さこそが全てを決する。現実には到底出来ない事。そんな無理難題とて、強き想いがあれば成し遂げられる。

 

 これは夢だ。己の意志が全てを変える夢である。故にこそ、己の愛が揺るがない。この地で最も深い情を持つシュテル・ザ・デストラクターは、夢界において最強なのだ。

 

 この愛は狂気だ。この想いは凶器だ。けれど、ユーノの想いとて軽くはない。そんな彼女の狂気に、少年は決して正道を外れる事無く、されど想いの多寡で少女に食い下がる。

 

 この狂気の愛を前に、少年の想いが下回る事などあり得ない。三千倍の愛にすら届かんとする程に、想いの純度を高め続ける。

 

 シュテルが壊れる。シュテルが壊れる。シュテルが壊れる。

 繰り返される拳打。それが終わらず、それが止まらず。そうして確実にシュテルは壊されていく。

 

 

『ユゥゥゥゥゥゥノォォォォッ!!』

 

 

 名を叫ぶ少女とて、唯壊されるだけでは済まない。

 大型の炎弾が無数に放たれる。炸裂する火炎弾が少年を巻き込んで爆発する。灼熱の高速弾が、少年の肉体を削っていく。

 

 それら無数の魔法を放ちながら、同時に振るわれる巨人の一撃。暴れ狂う肉の怪物は、正に全霊を持ってユーノ・スクライアを壊さんとしている。

 

 右腕が焼かれる。右足が潰れる。左足が捥ぎ取れて吹っ飛んでいく。

 崩れた身体を片手で支えて、少年は常時発現させている三つとは別に、思考の一つで夢を顕象する。

 其は楯法の活。失った部分を即座に復元させて、再び走り出す少年は己が被害を考えずにシュテルを破壊し続ける。

 

 即死でなければ元に戻る。冷静な思考を保てれば元に戻る。本来なら肉体が欠損する痛みに耐えられないのであろうが、少年にはマルチタスクがある。痛みなど、それによる思考の混乱など、十二の内の一つに押し付けてやれば良い。

 

 ユーノが怯懦に膝を付くことは無い。その恐れから、夢の顕象に失敗することは無い。故にこそ彼は、被害を恐れずに破壊を繰り返すことが出来るのだ。

 

 シュテルを破壊する。シュテルを破壊する。シュテルを破壊する。

 愛する少女と同じ顔を壊す度に心が悲鳴を上げている。その肉塊が手にこびりつく感覚に精神が摩耗する。命を奪うという感覚に、慣れる事が出来ずに涙を零して吐き気を堪える。

 

 そんな真っ当な思考すらも、他の十二に押し付ける。判断能力を維持したタスクを回して、戦闘行為に支障を出さない。そうしてユーノは、シュテルを壊し続ける。

 

 既に右腕は死んでいる。既に右足は死んでいる。既に左足は死んでいる。そして。

 

 

「これでぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 一発一発が少女を殺す打撃。魔力強化によって、純粋に優れた体技によって、人体に物理的な風穴を開ける程に凶悪な拳は、巨人の右腕を構成するシュテル達を殺し切る。

 

 巨人の右腕がだらりと垂れる。右肩から先のシュテルを全員殺されて、その腕はだらりと垂れ下がる。

 その腕を足場にしていた少年は、死体の塊と化した腕を蹴りつけて飛ぶと、その拳を頭部へと振り下ろす。

 

 

「はぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 繋がれぬ拳。圧倒的な魔力加速を受けて放たれる拳は、ボッと音を立てて巨人の頭部に打ち込まれる。

 

 頭頂部に生えていたシュテルの首から上が弾け飛ぶ。返礼の如く放たれる魔力の衝撃波に吹き飛ばされて、ユーノは地面に叩き付けられた。

 

 

「あ、……ぐぅっ」

 

 

 咄嗟に堅を重ね掛けする事で即死を免れる。苦悶の声を意志の力で押し殺して、その身を活で無理矢理に癒して、這い上がった少年は己を襲う炎の追撃を躱し切る。

 

 

「……これで、……二千」

 

 

 巨人の両腕。巨人の両足。胴体にある幾つかの部位と、たった今潰した頭部表面。全て合算して二千人。拳を振るった数が二千回。たった一発で確実にシュテルを仕留め続けていた彼は、故にキルスコア二千を突破した。

 

 

「……残るは、千人」

 

 

 疲労は大きい。苦痛は大きい。摩耗は大きい。

 心も体も、全てが悲鳴を上げている。マルチタスクに押し付けられていた痛みが戻って来て、心が砕かれるのではないかと言う程の衝撃を受ける。

 

 

「後、千人だ」

 

 

 けれど少年は止まらない。だけど少年は屈しない。

 嘆くのは後だ。己の所業に後悔するのは後で良い。今は、あの子を救う為に、あの子の元へ行く為に、その為だけに戦うのだ。己の心を殺し切って、そうして前に進み続ける。

 

 

「あああ、あああああああああっ!!」

 

 

 事ここに至っても少年は己を見ない。その破壊には欠片すらも愛がない。己の感情を理解した少年は、故にこそもう揺るがない。

 

 彼が見詰めているのは高町なのはだ。シュテル・ザ・デストラクターなど、唯の障害程度にしか認識していない。

 どれ程に傷付けても、どれ程に壊そうとも、彼の敵意も憎悪も、もう向けてはくれないのだ。

 

 その事実にシュテルは悲鳴を上げる。己を壊しながらも、別の誰かを想い続けている彼に、破壊に愛がない彼に、狂おしい程の情を抱く。

 

 行かせない。行かせない。行かせない。

 私を見て。私を知って。私を抱き締めて。

 

 二千の被害などどうでも良い。残る命の数など関係ない。止めるのだ。捕まえるのだ。少年の心を己の物にする為に、破壊の愛に狂うのだ。

 

 

「ああああああああああああああっ!!」

 

 

 殺された筈の巨腕が動く。壊された筈の足で走り出す。醜悪な巨人は行動を再開する。

 

 癒えた訳ではない。傷が治る筈がない。

 彼女の巨体は三分の二が死んでいる。そんな死体の塊を動かすのは、怪しく輝く黄金瞳。

 

 体が幾つ死のうと関係ない。三千の内の二千九百九十九人が死んだとしても、たった一人でもシュテルが残り続ける限り、巨人の暴威は止まらない。半数以上を失ってなお、シュテル・ザ・デストラクターは健在だ。

 

 死体が動く。死体が蠢く。少年の奮起は、確かに巨人の力を削ぐ事には繋がっているであろう。だが、その脅威は健在だ。その猛威は揺るがない。その怪物の残る命は、今まで以上に奪えなくなっていく。

 

 無数の屍の山。それは死んで直ぐに消滅する訳ではない。シュテル全てを殺さぬ限り、廃神と言う悪夢は形をもって残り続ける。

 死体が壁となる。死肉が盾となる。その死んだ体が障害となって、少年が振るう拳の衝撃を内に通さぬのだ。

 

 残る千人のシュテル。その大半が死肉の内側にある。巨人の内臓部を構成するシュテル達ばかりが残ってしまっている。

 全霊を込めた拳でも、一撃では殺し切れない。二撃三撃と全く同一の場所に打ち込んで、漸く一人を仕留められるかどうか。残る千人を討ち果たすのは、今までの二千人殺しよりも遥かに難しい。

 

 それでも――

 

 

「其処を退いてもらうぞ。シュテル・ザ・デストラクター!」

 

 

 彼が膝を屈する理由はない。彼が諦める理由にはならない。その先に、進むべき道があるのだから。

 

 物理的なダメージで肉体が損傷して、絶えず使用し続ける邯鄲の夢で精神を消耗して、命を奪う行為に心が傷付いて、少しずつ、だが確実にその切れ味を鈍らせているユーノはそれでも強く咆哮する。

 

 死んだ己は壁となるが魔法を使用出来なくなる。己を構成する半数以上を殺されて、穿たれた傷は癒える事はなく、そして未だ己を見てくれない少年に心を傷付けられて、シュテルは絶叫を上げる。

 

 どちらも傷付いている。どちらも追い詰められている。それは宛ら、チキンレースが如く、どちらが先に潰れるかを競い合っている。

 

 戦いの決着にはまだ遠い。

 

 

 

 

 

2.

 二人の少女の戦い。雷刃と紅蓮の第二幕。先手を取ったのは当然、レヴィ・ザ・スラッシャーであった。

 

 アリサは早くはない。速力には自信がない。遅いと言う程でもないが、それでも速さを売りにする者達に追い付けるだけの物を持ってはいない。

 更に言えば、今の彼女は死に掛けだ。半死半生で思考は淀み、行動にはムラが出ている。その強度が一貫していないのだ。全力で戦う事など不可能だ。

 

 そんな彼女が、圧倒的な速力と破壊力の二つこそを売りとしているレヴィ・ザ・スラッシャーに抗し得る道理はないのだ。

 

 

「行くぞぉー! バルニフィカス!!」

 

 

 青髪の少女の手に握られた破砕斧バルニフィカスがその形態を変える。それは少女の身の丈を超える巨大な剣。超刀ブレイバーと少女が名付けし水色に輝く雷光の刃。

 

 レヴィ・ザ・スラッシャーは圧倒的な速力でアリサから距離を取る。

 因みに、その行動に意味はない。寧ろ接近戦が得意な彼女にとっては、不利を生み出しているだけである。

 

 レヴィ・ザ・スラッシャーは格好良いポーズをしながら、巨大な剣を更に巨大化させていく。

 ぶっちゃけ、そのポーズには何の意味もない。魔法を使う為に必要と言う訳でもないのに、無駄なポーズを加えて時間を浪費する。

 

 無駄に洗練された無駄しかない無駄な行動で、速力差によって得たアドバンテージの殆どをダストボックスにダンクする。

 そのダンクシュートに空中で三回転半の捻りを加えるくらいに、彼女の行いは鮮やかな無駄で満ちている。

 

 そんな無駄しかない行いを挟んでいると言うのに、それでも雷刃は紅蓮の遥か前を行く。

 

 レヴィ・ザ・スラッシャーはフェイト・テスタロッサのコピーである。彼の神速の少女の模造品だ。

 その速力。命を捨てて発現したあの速度には届かずとも、レヴィは音を遥か後方に置き去りにした速さで動く。

 

 戟法の迅によって物理法則から解放された彼女は、正しく異名の如き雷光速度で飛翔する。

 

 追い付けない。追い縋れる訳がない。認識できる道理がない。

 戦場において、速さは絶対の要素の一つだ。速さに勝る敵手を打ち破るには、並ぶ手段を見つけ出すか、何等かの理不尽によってそれを蹂躙するより他にないだろう。

 

 だがアリサにそれはない。今の死に掛けているアリサには、レヴィを視認する事すら出来はしない。

 

 圧倒的と言うのも生易しい程の速力。雷刃の異名に恥じぬ雷光の如き速度。

 そんな速力で飛び回るレヴィは、そんな圧倒的な速さを見せる放蕩の廃神は――

 

 

「あだっ!? あだっ!? 何でこんなに痛いんだ!?」

 

 

 当然の如く壁にぶつかる。当然の様に天井にめり込む。自分が作り上げた鳥籠に自ら打つかって、盛大に膨れ上がった頭部を涙目で抑えていた。

 

 室内で雷光速度など出せば、そうなるのは当然と言えるであろう。

 室内で走り回っただけでも子供は怪我をするのに、自分の動きすら認識出来ない速度で狭い空間を飛び回れば自滅するのは必然だ。

 

 本来ならば、それ程に高速の物体がぶつかれば、壁も天井も崩れているであろう。跡形もなく崩壊するが道理である。

 だが、この教室はレヴィの創法によって書き換えられた物。通常の物理法則の内にない、イメージによって編まれた物質だ。

 その強度は、レヴィが纏った迅と同じく。故に彼女がぶつかっても簡単には壊れない。

 

 

「誰だ!? こんな壁用意したのは!! 僕、怒ったぞ!!」

 

 

 己の所業を完全に忘却している放蕩の廃神は、そんな理不尽な台詞を口にする。そうしてレヴィは、バルニフィカス・ブレイバーを振り被った。

 

 

「砕け散れ! 雷神滅殺! きょっこーざーん!!」

 

 

 放たれるは全力全開。全霊の籠った最大火力が向かう先は、アリサではなく唯の壁。

 

 

「壁! 天井!! 君達は死ね! 僕は飛ぶ!!」

 

 

 壁が崩れ落ちる。天井が砕け散る。最大火力のオーバーキル。それに耐えられる筈もなく、学び舎が轟音を立てて崩れ落ちる。

 

 

「凄いぞー! 強いぞー! 格好良いぞ、僕!!」

 

 

 淀んだ曇り空の下、自由を得た雷刃は、水を得た魚の様にはしゃぎ回る。打ち崩した学び舎から抜け出して、空に浮かんだ少女は風に揺られた。

 

 

「あぁ、やっぱり空は良いな。自由って感じがして、大好きだよ。……本当の空って、どんな空なんだろう? ねぇ、君は知ってる?」

 

 

 頬に触れる風を感じて、レヴィは目を細めながら口にする。偽りの風しか知らぬ少女は、それを知るであろう少女へと問い掛ける。

 

 答えは返らない。答えを返せない。真面に身動きすら取れなかったアリサが、倒壊する学び舎から抜け出せる道理がある筈もなく。

 

 

「あれ? もしかして、これで御終い?」

 

 

 詰まらないな、と口にするレヴィ。

 半死半生の少女が、崩れ落ちる建造物の奥から抜け出せる道理はない。

 

 だが、アリサ・バニングスと言う少女は、そんな無様な轢死を迎える程に大人しくはない。

 

 

「フレイムアイズ!!」

 

 

 炎の剣を両手で握り、震える体に喝を入れて、死に物狂いでそれを振るう。

 

 

「タイラントォォォッフレアァァァァッ!!」

 

 

 轟と燃え上がる炎の赤。膨大な炎を生み出し放つ魔法の力。アリサの剣より放たれた力が、崩れ落ちる建造物を焼き払う。

 その全てを焼き払う事は出来ずとも、致命となる物だけは確かに焼き捨てる。

 

 逃げられぬのであれば、落ちて来る物を焼けば良い。そんな単純な対応で、アリサは確かに生き残る。

 

 

「さっすがー! やるね、マルタ!」

 

「いい加減にぃ、名前を覚えろぉっ!!」

 

「あはは。やーだよ! アリサの名前なんて適当で良いんだ!」

 

 

 レヴィは意図的に名前を間違える。それはその方が楽しいから。

 

 

「っ! やっぱりアンタ、それ、わざとしてたのね!!」

 

「だってさー、アリサの反応面白いんだもん! それにさ、名前なんてどうでも良いじゃん。どうせ価値がある物なんて、この世界には何一つないんだから」

 

 

 彼女は阿呆だ。それでも、彼女は愚かではない。名を聞き間違える事はあっても、覚えられないと言う事はない。

 

 愚かなだけでは戦士である力のマテリアルと言う立場には居られない。戦をその役とする彼女は、優れた判断力を有している。

 創法は優れた記憶力と思考能力を必要とする。それをこうも見事に使い熟す、それこそが彼女が愚かではない証と言えよう。

 

 彼女は愚かではない。彼女の思考は他の二人の廃神よりも、或いは優れているとさえいえる。

 それでいて阿呆を晒すのは、唯、彼女が思考をしていないからだ。そうする意味を見出せないから、少女は全ての思考を停止させている。

 

 レヴィ・ザ・スラッシャーは何もかもに価値を見出してはいない。放蕩の廃神は、全てが無意味と知っている。

 大切な物はある。輝かしい物はある。失いたくない家族がいる。だが、それすらも所詮は夢なのだ。儚く消えるそれらに、どうして価値を見出せようか。

 

 己は夢。家族は夢。夢が覚めれば、消えてしまう儚い悪夢に過ぎない。

 この夢界は破綻している。最初から崩壊に向かっている。今は未だ、高町なのはの膨大な魔力で支えられているが、そんな彼女とて絞り続ければ底が尽きるであろう。そうなれば、後は囚われた人々を使い潰して消えるだけだ。

 

 狂った夜天は気付かない。その破綻に気付かずに救済の手を伸ばし続ける。

 この星を救った。この世界を救った。なら次は他の次元世界へと、その魔手を伸ばすであろう。

 

 その狂気終わりはない。その救済に先はない。この夢界は破綻しているのだ。夜天は最早狂っているのだ。最期には何もかもを巻き添えにして、全てを消してしまうであろう。

 

 それが分かってしまうだけの知性をレヴィは持つ。重度の病に思考さえ真面に出来ないディアーチェと異なり、愛に狂って何も理解出来ないシュテルと異なり、レヴィだけが分かっている。

 

 だから自分達は無意味だ。だから自分達は無価値だ。そして共に消え去るであろう彼女達にも、等しく価値はない。

 

 家族とて無価値ならば、それ以外の他者など価値を論ずる以前の話だ。そこに存在する意義などありはしないと彼女は思考する。

 

 故に彼女は思考を捨てた。故に彼女は愚かに振る舞う。故に彼女は阿呆であり続ける。

 

 彼女は放蕩の廃神だ。この世全てに価値がないなら、せめて今を楽しもうと笑う。唯享楽的に、刹那的に、破滅に抗う事なく遊び耽る。

 思考を捨てた彼女は純粋だ。生の感情を曝け出して、脊髄反射で行動する。それこそがレヴィ・ザ・スラッシャーと言う廃神の真実である。

 

 

「ざっけんじゃ、ないのよっ!」

 

 

 そんな廃神の嗤いの前に、少女は怒りを持って咆哮する。

 ふざけるな。誰がお前の遊びに付き合う物か。無価値と断じて遊び呆けるお前と違い、己には為すべき事があるのだ。

 

 

「こんのぉぉぉっ! 大馬鹿がぁぁぁぁっ!!」

 

 

 全霊を持って振り絞る否定の言葉と共に、アリサは炎の魔法を起動する。

 

 

「キュピーン! 見えるッ! そこッ!! 当たらなければどうと言う事はあるまい! キリッ! なんとぉぉぉッ! 質量を持った残像だとぉ!?」

 

 

 バーニングバレット。連続で放たれる炎の弾丸を、レヴィは危なげなく回避していく。その圧倒的な速力は捉えられない。

 まるでアリサで遊ぶように、彼女を馬鹿にするかのように、レヴィは躱した炎の前で反復横飛びを披露する。

 

 

「バーカ! バーカ! マリオのバーカ! そんなとろくさい攻撃、当たるもんか! 僕だったら百回はこの魔法の前で反復横飛び出来るよ! 見せてあげる!! よっ! ほっ! とりゃぁっ! ……って痛!?」

 

「躱した攻撃に自分から当たんな! この馬鹿!!」

 

 

 流石に百回は無理があったらしい。数十回程往復した所で魔力弾に打つかって、レヴィは頭を抱える。

 

 そんな考えなしにも程がある彼女を罵って、魔力弾を放ち続けるアリサ。おおうと口にして痛みに耐えるレヴィは、それを今度はあっさりと回避すると、空高く距離を取る。

 

 

「よーしっ! 今度は距離を取ったぞ! ここなら攻撃は届かない!!」

 

「っ!」

 

 

 アリサは魔力の炎を放ち続けるが、しかし開いた距離を覆せない。元より彼女は近接型。遠距離攻撃も出来なくはないが、性格も資質も向いてはいない。

 今は紅蓮炎上という異能さえも失っている。唯一の超距離砲撃手段を喪失している彼女は、距離を取られてしまえば打つ手がない。

 

 彼女の遠距離魔法では、届く前に消えてしまう。届いたとしても魔力障壁を揺るがせる事さえ出来はしないのだ。

 

 

「やーい! やーい! 飛べないアサリは、唯のアサリだ! 悔しかったら、ここまで来てみろー!」

 

「……何言ってんのか分かんないけど、すっごいムカつく」

 

 

 アリサに飛行適正がない事を知るレヴィは、小馬鹿にするように笑う。怒りが天元突破し痛みを忘れかけているアリサは、しかし何が出来ると言う訳でもない。

 

 飛行魔法は出来ない。遠距離魔法は届かない。上空で挑発してくるレヴィに対して、どれ程苛だとうと、アリサには何も出来ない。

 これは詰みだ。最早詰んでいる。このまま魔法の雨を降らせるだけで、レヴィはアリサに勝利するであろう。

 

 

「えー? 飛べないのー? 飛べないのが許されるのは小学生までだよねー」

 

「小学生よ! 私はっ!!」

 

 

 だが、この遊び呆ける愚か者が、そんな当たり前の勝利を狙う筈がない。

 

 敗北は悲しいから嫌だが、別に勝利だけを求める心算もない。

 元よりこの少女は遊んでいるのだ。今が楽しければそれで良いのだ。

 

 故に――

 

 

「じゃ、新ルール追加だー!!」

 

 

 放蕩の廃神は、堅実な勝利を投げ捨てて、新たな遊びをここに始める。

 

 

「――破段、顕象――」

 

 

 空中に浮かんだまま、両手を一杯に広げてレヴィは力を行使する。其は、五条楽が一つ、破の段位。

 

 

「中台八葉種子法曼荼羅!」

 

 

 放蕩の遊びが色濃く出る異能。創法によって生み出されるは巨大な空間。言葉と共に刻まれるは梵字、天と地に八字ずつ。

 

 地に刻まれるは種字法曼荼羅。諸仏を直接表さず、刻まれる梵字は干支の守護梵字。

 天に刻まれるは胎蔵法曼荼羅。八つの方位に刻まれた菩薩の名が、智慧の世界を表現する。その菩薩の名が、梵字にて刻まれている。

 

 其の二種類。十六の梵字が齎すは認識崩壊。方向感覚を完全に狂わせる破段顕象。

 

 

「んなっ!?」

 

 

 アリサが戸惑いの声を上げる。驚愕の声を漏らす。

 前後左右が狂っている。上下は愚か重力までがおかしくなる。彼女の視界に映るおかしな世界に戸惑いながら、天井へと落ちていく。

 

 

「うわー!? 何だこれー!!」

 

「お前も嵌るんかい!!」

 

 

 自身とは真逆の方向へと落ちていくレヴィに突っ込みを入れながら、アリサは狂った世界に閉じ込められた。

 

 

 

 中台八葉種子法曼荼羅。その展開された梵字に触れると、対応する方角を正しく認識できなくなる。

 

 前を見ている筈なのに後ろが映る。右を見ている筈なのに左が映る。

 それだけでは済まない。前が左に、後ろが前に、斜め前後が上下に映る。

 常に変化し続ける光景。それが正しい情景を映し出すことは無い。重力の方向すら、上下に狂い続けている。

 

 梵字は既に見えない。邯鄲の夢の透で解析しなければ、どこにどの文字があるのかも分からない。

 常に文字の配置は変化する。確かにここにあったのに、その位置が既に変わっている。

 触れた物の視界を置き換えるその字は、何処に隠れているのか、何が隠れているのかも分からない。記憶力など、方向性の想定など、この領域にあっては意味がない。

 

 誰も正しい場所へ向かえない。誰も正しい方向へ向かえない。それは術者であるレヴィもまた同じ事。

 

 

「どこだー! アルミー!!」

 

 

 レヴィはグルグルと同じ所で回っている。梵字に踊らされている少女は、何処にも行けずに同じ場所で回り続ける。

 

 

「……何か目が回って来た」

 

 

 顔色を青くしてそう呟く。己の力に嵌っている姿は、正しく滑稽と言えるだろう。

 吐き気を抑える為に飛行魔法を解除して、大の字になって目を閉じるレヴィ。その姿は隙だらけ。その瞬間こそ最大の好機。

 

 飛行も遠距離砲撃も行えないアリサは、今、この瞬間にこそ討ち取らんと駆け出して。

 

 

「っ! またっ!」

 

 

 進めない。向かえない。レヴィの見える方向が一瞬先には変わってしまう。駆け出した自分が正しい方向に向かっているのかすら分からなくなる。

 

 火炎の魔力弾を放つ。前方に放った心算のそれは、左方向へと飛んでいき、レヴィの寝ている右方向から大きく外れて逸れて行った。

 

 狙えない。近付けない。アリサは敵を討つ事が出来ない。

 レヴィの展開したこの空間は、文字も何も見えない。どこに居ても代り映えのしない世界。目印なんてありはしない。

 何処にいるのか分からなければ、どちらを向いているのかすらも分からないのだ。対処など出来る筈もない。

 

 

「随分と、質の悪いもん出して来るじゃないのっ!」

 

「……」

 

「っ! 話す価値すらないって訳! 上等じゃないの!」

 

「…………ぐー。すぴー」

 

「って、寝てんの!?」

 

 

 鼻提灯を膨らませながら、ぐーすかと鼾を掻き始めたレヴィ。その馬鹿にしきった姿に怒りが募る。

 

 

「っ、人をどこまでおちょくればっ」

 

 

 だが、しかし何も出来はしない。遠距離攻撃も、近距離攻撃も届かず。この曼荼羅を超えられないアリサでは、涎を垂らして眠るレヴィを倒せない。

 

 

(こんなの、どうすりゃ良いのよ!)

 

 

 どうしようもない状況に、そんな泣き言が零れる。どうしても倒せないその敵に、内心で折れかかっている少女に。

 

 

――…けが…! 泣き…など……耳…た…… 貴様に………手が残っ…いる………がっ!!

 

 

 そんな女の声が届いた。

 

 

「っ! アンタ! 無事なの!?」

 

――…の事……どうで…良い。……が…すべき…は、心配……で…な……、未熟者!

 

 

 繋がりは残っている。確かに道は残っている。女の声は、今だからこそアリサに届く。

 

 

――お前が…すべき…………力を……出……だ。…………出来れば、………必ず勝利する!  何時まで……あの…………者…好き勝手…………るな……馬鹿…がっ!!

 

「そんな事言われたって、力を引き出すって、どうすりゃ良いのよ!?」

 

――己…内…変化………感じ……! 繋が……ある………私が……………請け……為に、……繋がり…広げ…いる。……………今だけ……お前に声が届く…………している……!

 

 

 女は少女の死の半分を請け負った事で消耗している。本来そんな事など出来ぬのに、無理矢理に同調率の低さを覆して、死力を尽くして繋がりを強化した。

 請け負った死と、無理に力を行使した事で、残滓でしかない女は非常に弱っている。その身を揺るがせる程に、消えかける程に弱っている。

 

 だが、女は残っている。そこには、死を請け負う為に女が広げた道が確かに残っている。

 故に、今だけは女の声が微かに届く。今だけは、アリサの意志だけで女の力を引き出せる筈なのだ。

 

 

「己の内を、その力を感じ取る」

 

 

 教えてやる。だからしっかりと学び取れ。学ぶ為に、ここまでやって来い。

 そう語る女の言葉に頷いて、アリサは目を閉じる。そうして、その内界へと意識を伸ばす。

 

 一秒、十秒。百秒。

 

 

「捉えた!」

 

 

 確かに潜航し続ける少女は、その繋がりの先に、赤き騎士の姿を捉えた。

 

 

 

 

 

 赤い髪の女が居る。黒き軍服に後頭部で纏めた髪。左半身の酷い火傷痕が特徴的の、炎の様に苛烈で、氷の様に冷たい女。

 聖槍十三騎士団。黒円卓第九位。エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ=ザミエル・ツェンタウァが其処に居る。

 

 視線が合う。その記憶の断片が流れて来る。その想いの断片が押し付けられてくる。

 

 学び取れ、我が力。理解しろ。我が渇望。彼女が真実願ったのは唯一つ、その黄金の輝きに永劫焼かれ続けたいと言う願い。女が愛ではなく、恋ではなく、これは忠義であるのだと口にした願い。

 

 

「馬鹿ね。それは恋って言うのよ」

 

 

 その生涯を全て見て、アリサはそんな言葉を紡ぐ。

 同じ様な葛藤を抱えているからこそ少女は、そんな風に小生意気な言葉を口にしたのだ。

 

 

――ふん。お前が言うか。……だが、それも良かろう。

 

 

 そんなアリサの言葉を鼻で笑って、しかしエレオノーレはその冷たい相貌に温かな笑みを零す。

 彼女は生涯に渡り女の情を否定し続けた騎士であったが、それでも母として生きた経験もまたあった。故にそんな女の情も、偶には良いのかも知れないと笑って認めたのだ。

 

 

――さあ、無駄話をしている時間はないぞ。恐らくはもうこれが最期の邂逅だ! 持ち出せるだけ持っていけ!!

 

 

 そんな会話は一瞬。垣間見える瞬間に言葉を交わして、そのまま互いの横を過ぎる様に道を分かつ。

 本来アリサはこの場に来れない。心の内にある深層へと繋がれる程に、二人の相性は良くはない。

 

 それがこうして邂逅出来たのは、此処が夢界であったが為だ。

 

 意志が全てを定める夢の世界。その中にあったからこそ女傑は、少女の命を庇う事が出来ていた。そうしてその身を挺して庇った事で、二人の間にある繋がりが一瞬だけ強まったのだ。

 

 それでも本質は変わらない。二人の相性は未だ最悪だ。

 性格面では兎も角、能力面ではどうしても噛み合わない。故に、最早アリサがこの深層に落ちて来る事はないだろう。

 単純な能力値の問題ではない。どれ程高みに到達したとしても、再びアリサがこの場所に来ることはもう二度と出来ないのだ。

 

 だからこの一度に、持てる限りを持ち出して行け。狩猟の魔王はそう語る。

 だからこの一度に、アリサは両手一杯の荷物を抱えて、彼女の隣を通り過ぎた。

 

 アリサはこの胸の奥より、全てを焦す炎を持ち帰る。未だそれは焦熱世界には届かない。それを持ち出す程には適合出来ていない。故に、彼女の持ち出す物はその前段階。女の情を隠す忠義が生んだ、枷の嵌った創造位階。

 

 

「んじゃ、行ってくる!」

 

――行ってこい。馬鹿娘。

 

 

 言葉を満足に交わす余裕もない。故に互いに伝えるのは別れの一言。

 冷たいけれど、何処か温かな言葉と共にエレオノーレは四人目の教え子の背中を押す。背中を押されたアリサは、胸を焦し続ける炎と共に、その双眸を確かに開く。

 

 

 

 さあ、あの放蕩を打ち破る時が来た。

 

 

「この世で狩に勝る楽しみなどない」

 

 

 その鮮やかな金髪を翻し、赤を纏った少女は二本の足で確かに立つ。死に瀕した姿には、衰えなど欠片もない。真実、彼女は今、これまでの生涯の中で最良の状態を保っている。

 

 そんなアリサ・バニングスは、己の内より持ち帰ったその呪歌を口にする。

 

 

「狩人にこそ、生命の杯はあわだちあふれん」

 

 

 其は偽りの姿。其は偽りの力。正しく己の心を形にしたのではなく、枷を嵌めてその災禍を制限した物。

 だが、そこに宿る意志は本物だ。その熱量は真である。我は、同じ想いを抱く者なれば。

 

 

「角笛の響きを聞いて緑に身を横たえ、藪を抜け、池をこえ、鹿を追う」

 

 

 力が集う。力が高まる。生まれ出るは列車砲。その口径と同等の炎。

 

 

「王者の喜び」

 

 

 それだけで、終わる筈がない。それは始点に過ぎず、その脅威は先にこそ存在している。

 

 

「若人のあこがれ!」

 

 

 無限に広がり続ける爆心地。その炎は、世界全てを飲み干すまで止まらない。我が身を焼く炎は、この想い尽きるまで消えぬのだ。

 

 

――Briah

 

 

 さあ、幕を引こう。この大馬鹿者に、何を間違っているのかを教えてやるのだ。

 

 

焦熱世界・(ムスぺルヘイム・)激痛の剣(レーヴァテイン)!」

 

 

 飛来する炎弾は、少しずつその炎を肥大させる。その熱量を上げていく。

 紅蓮炎上と同サイズ。それが一秒毎に大きくなり、一秒毎に強くなり、全てを飲み込まんとその脅威をここに示す。

 

 

「んー。朝ぁ~? …………なぁにこれぇ?」

 

 

 その時になって漸く目が覚めたレヴィは、己に迫る極大の業火を漸く認識する。

 

 

「ちょっ!? 寝てる内に攻撃とか、汚過ぎるでしょ!?」

 

「寝てる方が、悪いのよっ!!」

 

 

 慌てて起き上がったレヴィは、その神速を持って火砲より逃れんと飛翔する。

 だが甘い。だが無意味。この砲弾は、当たるまで何処までも追い続ける。

 

 

「っ! 破段解除!!」

 

 

 制限のある鳥籠の内では逃げられない。レヴィはその破段を解除すると、全速力で上空へと逃れる。

 

 その砲火は止まらない。逃げたレヴィを追い続けながら肥大化し続ける。故に必中。赤騎士の砲撃から逃れる術などない。

 

 

「ならっ!」

 

 

 危機的状況に、珍しく思考を始めたレヴィはその砲撃への対抗策を考え出す。遊び呆ける廃神は、ここに来て漸く本気を出した。

 

 

「君を盾にすれば良い!!」

 

 

 術者が死ねば止まる筈。彼女を炎弾で自滅させれば、己は勝利する。

 使い古された手ではあるが、故にこそ王道。それが為せるだけの速力を、レヴィは持つ。

 

 

「戦力の決定的な差は、速さだって教えてあげる!」

 

 

 旋回して、大きく空を回り込んで、レヴィはアリサへと突撃する。その身に迫る砲火よりも、レヴィは速い。肥大化し続ける爆心地すら置き去りにする程に、彼女の速度は早いのだ。

 

 一瞬で間合いに入る。アリサを盾にしようと、その手を伸ばして――

 

 

「ぎゃー! とでも言って、自滅するとでも思った? 甘いのよ!!」

 

「げふっ!?」

 

 

 手を伸ばしたレヴィの身体を、アリサの蹴撃が撃ち抜いた。

 

 

 

 彼女が持ち出したのは、この砲火だけではない。胸を焦すような、この炎だけではない。その膨大な戦闘経験の一部も持ち出している。

 特に持ち出したのは、速く動く敵への対処法。黄金の城。修羅道至高天において行われた、白狼との戦闘経験。

 

 死世界の白狼を捕える手腕。最速の獣を確実に落とす技法。誰よりも早い相手を確かに撃ち落とす方法の全てを、アリサは持ち出してきている。

 

 あの白狼に比すれば、この廃神はまだ遅い。故に、タイミングを合わせるなど容易い。今のアリサにとって、速力の高い相手など鴨でしかないのだ。

 

 

「お、おぉ……」

 

「ふん!」

 

 

 腹を抱えて蹲るレヴィの頭を、アイアンクロ―で持ち上げる。片手で掴みあげたまま、足の裏で小さな爆発を発生させた。

 

 

「飛べないなら、跳べば良い」

 

 

 それは単純な解答。空を上手く飛べないから、アリサは爆風の勢いで飛翔する。

 爆発の被害を受けない訳ではない。炎に対する耐性はあるが、それを無効化する事など出来ない。

 当然、己を跳躍させる為の爆発でダメージを受けながら、それでもアリサは動じない。そんな少女が向かう先には、己の生み出した極大の炎。

 

 一度放たれた焦熱世界は、アリサ自身にも止められない。この無限に広がる炎は、レヴィかアリサを飲み干すまで止まらない。

 レヴィ・ザ・スラッシャーは何時か飲み込まれる。だが、この娘が全力で逃げ回れば被害は拡大するだろう。

 それは同じ戦場に居る仲間達。すずかとユーノを巻き込む事を意味しているから、アリサにそれは選べない。

 

 

「アンタが逃げる隙もないように、一緒に突っ込んであげるわ!」

 

「ちょっっっ!?」

 

 

 ジタバタと暴れるレヴィは逃がさない。その握力からは逃げ出せない。

 

 

「アンタには、言いたい事が山ほどあんのよ!」

 

 

 レヴィと共に死地への飛翔を続けながら、アリサは語る。

 

 

「別に、斜に構えるな、とは言わないわよ! 遊び呆けるのを止めろ、とも言わないわ! けどね、全てに価値がないとか、口にしてんじゃないのよ!!」

 

 

 それは彼女の怒り。その放蕩の廃神の口にした、全てに価値がないと言う言葉に対する怒り。

 

 

「大切な物はあるんでしょう! 大切な人は居るんでしょう! それなのに、そんなアンタの想いまで無価値だとか、口にしてんじゃないっ!」

 

「……だって、何れ消え去るのに」

 

「それでも、それでもよ! 何れ消え去るとしても、届かないと知っても、その想いに価値はあるのよ! 叶わないとしても、無意味な筈ないのよ!」

 

 

 全てが消え去るから無意味だ。全てがなくなるから無価値だ。

 そうではない。そんな筈がない。それだけではないのだと、アリサは語る。

 

 何時か消えるとしても、今、ここに、その想いはある。その想いまでも、否定してはいけない。

 何時か終わるとしても、今、ここに、大切な者はある。その想いまでも、無価値にしないで欲しいのだ。

 

 彼女の脳裏に浮かぶ情景。大切な親友と、情けなく笑う少年の姿。

 そこに想いは届かない。届かせてはいけないのだと知っている。……だけど、胸に抱いた情は、届かずに消える物だとしても、絶対に無価値などではないから。

 

 

「だから! それを! アンタ自身が無価値にしてるんじゃない!!」

 

 

 叫びと共に、二人は炎の中へと突入する。太陽の如き炎。燃え盛る爆心地へと入り込む。

 

 互いに業火に焼かれ、互いに痛みを感じ、互いに疲弊して。

 既に瀕死のアリサは、恐らくは先に落ちるであろう。故にこそ、それを覆す為にアリサは炎の中で更に畳み掛ける。

 

 彼女の背に展開される火器の群れ。炎の中でも正常に動作するそれは、戦車砲の運用に関わっていた五十人の兵士が保持していた全ての武装。

 

 

「全弾! 発射ぁっ!!」

 

 

 レヴィに向かって、銃弾の雨が降り注ぐ。

 爆心地が一瞬大きくなり、大爆発を引き起こす。

 

 

 

 極光が周囲を満たした。

 

 

 

 太陽の如き業火が去った後、後に残された両名は、空に浮かぶ力すら失くして落ちていく。

 きゅうと意識を失って落ちていくレヴィ。その身はボロボロではあるが、それでも命までは奪われていない。そんな彼女は意識を取り戻す事もなく、地面に落ちて倒れ込んだ。

 

 そしてアリサは、レヴィよりもボロボロになりながらも勝利に笑う。

 彼女よりも死に瀕しながら、それでもアリサは握り拳を振り上げたまま、自由落下する。

 

 

「私の、勝ちよ!!」

 

 

 自分の内に居る彼女に教えるように、アリサはそんな言葉を宣言した。

 

 

――もう少しスマートにやれんのか、馬鹿娘。……だが、及第点だ。

 

 

 眠りに就く直前の赤騎士は、溜息を吐きながらそんな言葉をアリサに返す。

 そんな素直ではない言葉に笑みを零しながら、地面に倒れ込んだアリサは目を閉ざす。そのままゆっくりと、意識を手放すのであった。

 

 

 

 かくて、放蕩の廃神は討ち果たされる。

 その激闘の第二戦は、紅蓮の少女が勝利を掴んだ。

 

 

 

 

 

3.

 少年は死に瀕している。その身は傷だらけ、楯法の活を使える程の意志は残っておらず、残るは多少の魔力のみ。何時その場に倒れてもおかしくはない。

 

 少女は死に瀕している。残る命は後一つ。心の臓の奥深くにあるシュテルが一人残るだけ。この一つを失えば、この場に倒れて終わるであろう。

 

 だが、敢えてどちらが優位かと言えば、最早真面に動く事も出来ぬユーノではなく、自由に動く体を持つシュテルである。

 二千九百九十九人のシュテルを倒しても、その性能は何ら劣る事はないのだから。

 

 

「さあ、終わらせましょう」

 

 

 立つ事がやっと、という姿のユーノを前に、シュテルは落ち着きを取り戻して微笑みを浮かべる。

 

 

「紆余曲折、様々な事がありましたが、これで漸く、貴方がこの手に砕かれる」

 

 

 漸く叶う。漸く達成できる。この手で、この愛で、漸く貴方を砕けるのだ。

 

 

「ええ、ええ、これが最後。これで最後。ああ、愛しています。愛しているの。愛しているから」

 

 

 だから私を見て欲しい。そんな言葉も、少年には届かない。

 意識が朦朧とする程に追い詰められて尚、ユーノの愛は揺らがない。

 

 

「……まだ、貴方は私を見ないのですね」

 

 

 これ程に追い詰められても、これ程に苦しめられても、ユーノにとってシュテルは障害の一つでしかない。

 愛と言う思いを教えてくれた恩人ではあっても、彼女は彼の特別には成り得ないのだ。

 

 

「……崩れ落ちる貴方を知るだけで、私は満足出来るでしょうか。この破壊の情は私を満たしてくれるでしょうか」

 

 

 その問いに答えは出ない。けれど、破壊の果てに、貴方を私だけの物にする事は出来るから。

 

 

「取り敢えずやってみましょう。一先ずはそれで良しとしましょう。……それでも足りなければ、今度は貴方を知る人が私だけになるように、一人ずつ潰して行きましょう」

 

 

 愛に狂った廃神は、一人になっても狂っている。その愛が叶わぬ限り、少女が正気となる事はない。

 

 

「そうすればきっと、私は貴方の特別になれる」

 

 

 己が貴方の特別と成る為に、シュテルは重くなった体を動かす。

 

 

「……さぁ、(アイ)してあげる」

 

 

 少し鈍った動きで、巨体を動かす。その全てを打ち砕く巨腕が、死に瀕した少年へと振るわれた。

 

 

 

 その破滅が振り下ろされる刹那、少年は二つの過去を思い浮かべていた。

 笑ってしまう程に体が動かない現状。この疲労が齎す感覚を知っている。その疲労感が、嘗ての鍛錬の記憶を呼び戻す。

 

 一つは、嘗て稽古の中で問うた言葉。

 

 

――何? 御神の極みは何か、だと?

 

 

 疲れて荒い息をしたまま大の字に倒れるユーノが、兄弟子である高町恭也に問うた言葉。

 

 

――御神の真髄は神速だが、極みとなるとな。……やはり“閃”になるだろうな。

 

 

 御神不破の最終奥義、閃。それは力と速さを極めた先にある抜刀術。御神不破の奥義が極み。

 

 

――っと言えば聞こえは良いがな、閃は単純な抜刀術とは違う。……否、寧ろもっと単純な技術だと言うべきだな。

 

 

 閃は高速の抜刀術と言われる。だが、それは真ではない。

 クロノ・ハラオウンに対して使ったのは抜刀術としての閃だったが、氷村と言う男に対して用いた時は刺突であった。

 それはこの閃と言う奥義が、抜刀と言う括りに縛られていない事を意味している。

 

 

――“閃”ってのは、体の動かし方に関する技術だ。二重神速によって生じた力を一切無駄にせずに抜刀術に乗せる。その重心移動こそを閃と言う。……故に閃とは基本にして極意。その考えを突き詰めたのが御神不破の極みなんだ。

 

 

 真に習熟すれば抜刀としてではなく、あらゆる動作に絡ませる事が出来る。高町恭也ですら、未だ体得したとは言い切れぬ極意。それこそが閃である。

 

 

――基本にして極意とは言え、やっぱり基本的な物だからな。……やりかた自体はそう難しくはない。閃と呼べる領域には届いていないだけで、武芸者ならば誰もが出来る動作だ。

 

 

 そんな高町恭也の言葉を思い出していた。

 そして思い出す。もう一つは異なる武芸を仕込んでくれた師の言葉。

 

 

――んー? 繋がれぬ拳のやり方?

 

 

 それは管理局時代。未だ斬神の神楽舞に参陣する前の少年が、意識を取り戻した際にクイントに問うた言葉。

 

 

――と言われても、基本感覚だからね。こー、がーっと行って、ぐわーって感じ?

 

 

 腰から上を動かして、拳を打ち込む動作をするクイント。その感覚派な解答がユーノに伝わることは無く、故にそれでは分からないと問いは繰り返される。

 

 

――んー。理屈。理屈ねー。……何て言うかね。無駄にしないって感じかな? 加速のエネルギーを拳に乗せて、魔力を込めて放つって感じよ。

 

 

 それはあらゆる武術の基本。重心移動の力を殺さずに乗せるという要訣。

 単に魔弾を撃つだけではなく、足を止めた状態から全身の発頸で打ち出した拳圧に魔力を乗せると言う物だ。

 

 話を聞いたユーノは何度も試そうとするが、しかしそう上手くは行かない。

 

 

――ああ、それじゃ無理よ。……実は繋がれぬ拳の魔法ってさ。重力魔法も関係してんの。力が上手く拳に乗るように魔法で補助してる訳よ。……だから、魔法抜きでやるのは私も無理。と言う訳で、その魔法教えるから覚えなさい。後はまあ、魔法発動のタイミングね。

 

 

 そんな師と兄弟子の言葉を思い出す。二つの技術に関する知識を思い出した瞬間に、ユーノの中で二つの武芸が繋がった。

 

 極限状態で使い続けた神速は、その練度を高めている。今ならば、活を用いずとも二重の神速を行える。残った魔力は微小だが、繋がれぬ拳を放つには十分過ぎる程。

 

 そう。札は揃った。これまでは札が揃わなかった。

 それは神速の練度であり、二つの技術を合わせると言う発想。

 

 仮にそんな発想が出ていたとしても、無駄に力が入る体では上手く出来なかっただろう。今の完全に力が入らない身体状態だからこそ、そこに余分は混ざらない。

 この極限状態において、漸く全ての準備は揃ったのだ。後はそれを合わせ、至高の一撃を放つのみ。

 

 前を見る。振るわれんとしている巨腕を見る。押し潰さんとする破滅を見上げる。

 それを前に、立ち向かえる程の力は残っていない。僅かに残った最後の力。それだけで倒せるとは思えなかった。

 

 だが、今は違う。結実した努力の結晶は、この廃神を倒し得ると確信が持てたから。

 最後に残った魔力を振り絞る。ボロボロの精神を、これで最後だからと無理矢理前に向ける。そうして、彼は勝負に出る。

 

 軽くユーノは地面を蹴って、翼の道を作り出す。その生み出した魔力の道を、二重の神速を駆け抜ける。

 その勢いを込めた一歩。それだけで動かなくなる足を無理矢理に引き摺る。動かなくなるまで酷使して、動かなくなったら治療魔法で癒して進む。

 

 残る僅かな魔力。それを使うは繋がれぬ拳の魔法。

 動かぬ程に疲弊した体。これが最後と死力を持って用いるは二重の神速。

 

 神速のエネルギーを、重力魔法で拳に集める。

 放たれるは、魔法によって再現された御神不破の最終奥義。

 

 

「これが僕のっ! 自慢の拳だぁぁぁぁっ!!」

 

 

 御神不破が極み、閃。

 その拳の一撃は、確かにシュテルの心臓を撃ち抜いた。

 

 巨体に穴が開く。巨人の心臓があった場所に、小さな空洞が生まれる。その拳は、確かに最後のシュテルを仕留めていた。

 

 

「あ、ああ、ああああああああああああっ!?」

 

 

 絶叫が上がる。悲鳴が上がる。

 拳を放った少年を巻き添えにしながら、無数の巨人が崩れ落ちていった。

 

 

 

 意識を失い掛けた少年は、何も為せずに落ちていく。シュテル・ザ・デストラクターを討った事で全ての力を消費した彼は、全長50mの巨人の心臓部と言う高さから落ちていく。

 最早どうしようもあるまい。死肉に飲まれたまま、先に待つのは墜落死だ。

 

 けれど、そうはならなかった。

 

 

「……私が貴方を壊すのは良い。……けれど、私以外の要因で、貴方が壊れるのは許せない」

 

 

 拳を振るえた筈だ。振るわんとしていた拳は、まだ動いた。最期の最後に、それだけの力は残っていた。墜落死する前に、その手で破壊も出来たはずだ。

 

 それでも、その選択を選ばなかった。それは振るう拳で確実に殺せるとは思えなかったからか、それとも心中する事を望んではいなかったからか。……或いは、何か別の。

 

 そんなシュテル・ザ・デストラクターが選んだのは、彼を残すと言う選択肢。黄金の瞳に操られた少女の死体が衝撃を逃がす。死体の群れが、衝撃吸収材の役を果たしていた。

 

 

 

 少女に救われた少年は、ボロボロの身体で立ち尽す。屍の山に立つ少年の元に、心臓に大穴を開けた裸の少女がすり寄って来る。

 ゆっくりと歩み寄る少女に敵意はなく、血に染まった小さな掌で、優しく少年の頬を撫でた。

 

 

「ユーノ。愛しています」

 

 

 胸に赤き大輪を咲かせて、妖艶に微笑む少女の言葉は唯一つ。

 

 

「……悪いけど、僕が愛しているのは君じゃない」

 

 

 それに返る少年の言葉もまた、唯一つだ。

 救われようとも変わらない。その想いだけは揺るがない。

 

 死に至ろうとする少女に、偽りの言葉を告げるのは違うから。

 終わりを迎える少女に、助けられた恩に、ユーノが口に出来るのはその言葉だけだから。

 

 有難う、と、その瞳を見つめ返した。

 

 

「ああ、本当に、いけずな人」

 

 

 漸く、見てくれた。それだけで少女は、優しい笑みを零す。

 結局、彼女が一番なのね、と悲しそうに、憎らしい人だと言葉を零す。

 

 嗚呼、けれど――

 

 

「そんな貴方だからこそ」

 

 

 私は愛しているのだ。

 

 

 

 シュテル・ザ・デストラクターが消えていく。

 夢から生まれた悪夢は、その存在を夢界の中へと消え去っていく。

 

 

「……さよならだ。シュテル・ザ・デストラクター」

 

 

 ほんの僅かに残った頬の熱を感じながら、ユーノはそう言い捨てる。

 ボロボロの身体は動かず。ズタズタな精神は、今にも休もうという怯懦を見せていて。挫け掛けた心は悲鳴を上げている。それでも――未だ止まらない。

 

 

「僕は、なのはの元へ行く。……お前が教えてくれた、この愛は忘れない」

 

 

 ユーノは止まらない。足を止めずに前を目指す。傷だらけの少年は、消え去っていく少女に背を向けて歩き出す。

 

 その想いに答える事は出来ずとも、愛に狂った女が居た事だけは、胸に残して少年は夢界を進んでいく。

 

 

 

 

 

 




レヴィ「実は僕が一番頭良かった件!」
シュテるん「なん……だと……」
おうさま「馬鹿な!? 我がこの阿呆に知能指数で劣る!?」


そんな廃神三人娘でした。





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闇の残夢編第五話 今は亡き少女の為に

前半部は夢界の話。中盤以降は外側の話。

後、今回も独自設定ありです。


副題 真・ユーノ無双Ⅱ 販売日未定。
   獣殿の愛は偉大。
   萌えキャラがログインしました。


推奨BGM
1.羽化登山(相州戦神館學園 万仙陣)
2.桃源万仙陣(相州戦神館學園 万仙陣)


1.

 微睡の中から覚める。

 

 偽りの幸福の中で己に愛を騙る少年の幻影。自分一人が選ばれるのが心苦しいなら、二人纏めて幸せにするよ、と語る女の敵。

 その急所を一夫多妻去勢拳にて撃ち抜いたアリサは、スカッとした気分で幸福な夢から覚めていた。

 

 

「ふーん。夢界で寝れば、振り出しに戻るって訳ね。……幸福な夢とか、めっちゃムカつく内容だったけど、スッキリしたから良しとしましょう」

 

 

 第三層の入口となる高台。そこで再び目を覚ました少女は、体を軽く動かしてみる。

 関節は問題なく動く。見える辺りに傷は全く残っていない。肉体面での異常は一切なく、体調は全快状態となっていた。

 

 

「全回復ってね。ま、夢から覚めてまた眠ればこうなるか。……起きれる保証は必ずある訳じゃないし、下手な死に方すると精神に傷が残りそうだから多用は出来ないけど、いざとなったら眠っちゃうのも一つの手かしら」

 

 

 自身は無事。取り出した胸を焦す炎も残っている点を考えれば、この場所で最初に起きた際よりも一歩前進と言えるであろうか。

 

 力を使い過ぎた狩猟の魔王が完全に眠ってしまった所を見るに、精神面で消耗が大き過ぎれば復帰は難しそうである。

 

 だが、その点にさえ気を付ければ、睡眠も有効な一手となるだろう。

 

 

「んで、学校は何もなし。図書館と公園はあの二人に任せておけば良し。……なら、どこに行こうかしら」

 

 

 二人の仲間の状態は心配だ。確かに苦戦しているだろう。何が起きたか気にはなる。

 けれど、自分が勝てたのだから、あの二人も大丈夫だろうと信頼する。そちらの事は任せて大丈夫な筈だ、と。

 

 ならば次は、全く行っていない場所に行くべきだろう。そう考えて。

 

 

「……あいつ」

 

 

 あの青髪の少女。レヴィ・ザ・スラッシャーがどうなったのか、少しだけ気に掛った。

 致命傷ではなかった。命に関わるような傷ではなかった。だが、無傷と言う訳ではない。

 

 

「学校に寄ってから、オフィス街の方にでも足を延ばしてみようかしらね」

 

 

 このまま放置しておくのも寝覚めが悪かった。

 そう感じたアリサは、高台の危険防止用の柵に足を乗せると空に飛び出す。

 

 足の裏で爆発を発生させる跳躍法で空中を移動しながら、学校のあった場所を目指した。

 

 

 

 そうして、アリサはその場所に辿り着く。

 

 

「あー。アリサだー」

 

「……何で?」

 

 

 崩れ落ちた瓦礫の上、ゆっくりと消え掛けている少女を見つけて、そんな風に声を漏らしていた。

 

 レヴィ・ザ・スラッシャーは消えかけている。

 致死量には届かぬ傷だと言うのに、己の存在を保つ事が出来ずに、まるで糸が解けるかのように崩れ落ち始めている。

 

 何故なのか。どうしてなのか。

 失われる命を前にして茫然自失するアリサに向かって、レヴィは答えを口にする。

 

 

「なんかねー。戦えない廃神は、要らないんだってさ」

 

「っ! 何よ、それ」

 

 

 特に頓着する事もせずに、ぼんやりと口にするレヴィ。

 所詮夢の支配者によって生み出された悪夢に過ぎない彼女は、その支配者が望めば消え去るだけの、儚い存在に過ぎなかった。

 

 そんな状態だと言うのに、まるで第三者の如く実感の籠らぬ口調で口にするレヴィ。

 その姿に、そんな彼女に、怒りを含める幾つもの感情がごちゃ混ぜになる。複雑な思いが湧いて来る。

 その想いに突き動かされるまま、叫ぶように言葉を口にしようとする。

 

 だが、そんなアリサより先に、レヴィが口を開いていた。

 

 

「……一杯、考えたよ」

 

 

 寝転んで、少しずつ崩れ落ちながら、青い髪の少女は口にする。

 

 

「アリサの言葉、一杯一杯考えた」

 

 

 それは戦いの最後。アリサ・バニングスが口にした強い言葉。敗れ去った後も、レヴィの胸に残っていた。強い強い言葉。

 

 

「価値がなかった事にしちゃいけない。自分が消えてしまうとしても、後に何も残らぬとしても、そこにあった価値までなくしちゃいけない」

 

 

 何時か終わってしまうから無価値と語るなら、彼女らに関わらず、全てに等しく価値はない。

 

 ニヒリズム。虚無主義。諦観を伴った無常の思想。

 何時か終わるのは、誰も同じなのだ。マテリアルと他の者らの違いなど、寿命の差異。夢でしかない彼らが遥かに儚いだけ。

 

 人間は何時だって、永遠には成れない刹那だ。

 けれど、それでも、無価値にする事だけはいけないと語った少女の姿は、レヴィの瞳には確かに鮮烈に映っていたから。

 

 

「自信はないよ。今でも価値があるとは思えない。……けどね、良く分かんないけど、確かに残ってるんだ。その言葉が、胸に残って消えないんだ」

 

「アンタ」

 

 

 思想は変わらない。思考は変わらない。そう簡単には揺るがない。

 けれど、もしかしたら、確かに其処には何かがあったのかも知れない。確かな何かが、残るのかも知れないと思えたから。

 

 

「ねぇ、アリサ? ……僕達に価値はあったのかな?」

 

 

 青い少女は問い掛ける。廃神と言う悪夢に、何か意味はあったのだろうか、と。

 

 

「……当然、よ!」

 

 

 金色の少女は言葉を返す。そんなのは、当たり前なのだと少女は返す。

 

 

「……そっか。……そっか」

 

 

 大気に解けていく少女は、夢に帰っていく少女は、何度も何度も頷いて。

 

 

「……僕達は夢だ。僕達は廃神だ。だから、きっとまた現れる。何度だって蘇る。夢見る夢が終わらない限り、何度だって現れて、そうして、夢に溶けていく」

 

 

 だからきっと次がある筈だ。だからきっと次もある筈だ。

 青き髪の少女は、アリサに向かってニッコリと微笑む。其処に何の悪意も映らない、子供の様な笑みで微笑んで。

 

 

「だから、また遊ぼうね」

 

 

 そんな言葉を最後に、何も残さず消えてしまった。

 

 

 

 

 

 風が吹き抜けていく。一陣の風が、冷たく吹き抜けていく。

 

 

「ふん。……夢見る夢はもう終わるわ」

 

 

 そんな風に吹かれながら、アリサは口にする。

 

 

「もう廃神は生まれない。生ませるもんですか」

 

 

 涙は零さない。心は動かさない。それ程に近しい存在ではなかったから、そんな風に自己に言い聞かせる。夢界はここで終わらせるのだ。そう己に言い聞かせて。

 

 

「だから、次は唯の夢として、私の夢に出て来なさい。……その時は、また遊んであげるわ」

 

 

 そんな風に口にして、瞳を閉じる。ほんの僅かな黙祷。消え去った廃神の少女に、また遊んであげると約束を交わす。

 

 

 

 そんな少女は、目を開く直前に、その声を聞いた。

 

 

「え? 本当?」

 

「え?」

 

 

 目を開く。傷一つない健康体の、何か馬鹿っぽいのが居た。

 

 

「あ、言い忘れてた。……僕、ふっかぁぁぁっつ!!」

 

 

 馬鹿っぽいのは、何か無駄に元気だった。其処に先ほどまでの悲壮感など欠片もない。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………なんでいるの?」

 

 

 ニコニコと笑う放蕩の廃神。完全復活を遂げているその姿に、アリサは茫然と呟いて。

 

 

「僕、廃神だよ。言ったじゃん。夢見る夢は終わらない。また蘇るって。戦えないなら再構成すれば良いんだよ! ……全く、アリサは馬鹿だなー」

 

「蘇るにしても、早過ぎるわ!?」

 

 

 こんなにあっさり蘇る阿呆にあんな事を言ったのか。

 羞恥と怒りで顔を真っ赤にしながら、アリサは怒鳴り声を上げる。

 

 

「あ、そだ。……アリサがまた遊んでくれるって約束してくれたから、今の内にっと。――急段、顕象――」

 

 

 口約束を協力強制の条件にされて、勝っても負けても死に至るゲームが幕を開ける。勝利手段のないゲームの中へと再びアリサは引き摺り込まれる。

 

 

「おまっ!? ふざけんなぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 怒りの余り口にした叫びは届かず、アリサは放蕩との終わらぬ遊びを強要された。

 

 

 

 甦ったのは、放蕩の廃神だけではない。

 

 

「あん? どういうこった、てめぇ」

 

 

 愛らしい容姿で眉を顰める白貌の吸血鬼。そんな彼女の目の前で、逆十字が蘇る。

 

 

「はっ。低脳だな、蝙蝠め。……我らは夢ぞ。我らは悪夢ぞ。夢見る夢が終わらぬ限り、消え去る事など、ある筈なかろう!!」

 

 

 赤き月夜の元で、ロード・ディアーチェは立ち上がる。その身は病に侵されている。その病みは再び元の数値にまで戻されている。

 一度消滅した事で、押し付けて来た病みまでも戻って来た事に苛立ちながら、闇統べる王は貴様らの行いなど無駄なのだと告げる。

 

 

「はっ、はははははっ。……舐めたな、クソガキ。てめぇ、これで二度目だ」

 

「ならばどうする? 蝙蝠風情」

 

「……三度だ。劣等が、その身に刻んどけっ! 永遠に吸われ続ける痛みって奴をなぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 何度だろうと蘇る。決して終わることは無い。だからどうした。それがどうした。蘇り続けるなら、その全てが尽きるまで殺し続ければ良い。終わらないと言うならば、永遠に吸い続ければ良い。

 

 白貌の解決策など単純だ。その圧倒的な力の差で押し切ろうと、鈴の音のような声音で咆哮する。

 

 

「ふんっ! 確かに貴様は強い。我よりも遥かにっ! 癪だが認めよう! だがな、我にも王たる矜持がある!」

 

 

 この白貌は、ここで押し止める。己や同胞達が消えぬ為に、この白貌の脅威が他の二人の元へ向かわぬように、この身を犠牲に、確かにこれを抑えて見せよう。

 

 

「無限の残機が我にはある! 一人一人を犠牲に、貴様の一部を奪い取る! この病みの全てで持って、貴様の爪を、薄皮を、確かに剥いでいく!」

 

 

 特定の物に対する簒奪と言う一点においてのみ、逆十字は薔薇の夜の上を行く。

 敵手のあらゆる力を糧として取り込む吸血鬼に対して、彼女の逆十字はあらゆる要素をそのまま奪い取る。

 

 吸血鬼は体力や魔力を回復する事は出来ても、才能や記憶と言った物までも奪えない。一度己が奪ってしまえば、もう取り戻す事は出来ないだろうから。

 

 十のディアーチェを重ねて、その記憶の対価としよう。

 百のディアーチェを重ねて、その才能の対価としよう。

 千のディアーチェを重ねて、その異能の対価としよう。

 

 万を、億を、兆を超えるディアーチェを重ねて、その魂魄の対価として見せる。

 

 

「絶望の廃神を、侮るでないわぁぁぁぁっ!!」

 

「……カッ、カハッ! 良い啖呵だ。だけどなぁ」

 

 

 揺るがない。揺るがせない。一欠けらたりとも奪わせないと宣言しよう。

 

 

「無意味だって、教えてやる。逝けや、ヴァルハラァァァァァッ!!」

 

 

 赤き月が輝く夜の帳の下で、絶望の廃神は白貌の吸血鬼に喰らい付き続ける。

 その全てが無為と言われようとも、これを先へは行かせないと、その身を盾に抗い続ける。

 

 

 

 そして、彼の元に現れる者もまた、確かに存在していた。

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 

 ボロボロの身体を引き摺って歩く。ボロボロの心を奮い立たせて歩く。

 眠ってしまえば、もう起きられない確信があった。幸福な夢に囚われれば、膝が折れてしまう認識があった。それ程に追い詰められているから、眠って回復などという手段は選べない。

 

 そんな彼の前に現れるのは、少女達よりも遥かに大きい脅威。どうしようもない悪夢。決して揺るがぬ、希望なき絶望。

 

 

「始めまして、ユーノ・スクライア」

 

 

 天より舞い降りる少女。高町なのはと瓜二つのその姿は、先ほど打ち破った廃神に酷似している。

 

 

「……君は、誰だい?」

 

 

 だが違う。その瞳が違っている。無機質で、何も映していない瞳は、あの狂愛とは絶対的に異なっている。

 

 

「シュテル・ザ・デストラクター。……前任者に変わり、貴方の足止めを命じられた捨て駒です」

 

 

 少女は無表情のまま、機械的に一礼する。その行動には、どこまでも熱がない。

 

 狂愛は壊された。己の急段に嵌ると言う形で壊れたそれは、さしもの夜天にも復元は不可能であった。故に彼女が選択するは再生成。もう一度、始めから作り直すと言う手段。

 

 だが、再び狂愛を生み出す心算はない。性能面で見れば、絶対にあり得ない敗北。それを生んだのは、その狂愛が理由だからだ。

 

 狂愛の廃神は欠陥品である。その狂気は自滅を促す。故にこそ、夜天は次の星光の殲滅者からは感情を取り除いた。

 極限まで感情を薄めて、更に感情を爆発させる危険性があるグルジエフの怪物と言う要素を取り除いて、捨て駒として数だけを揃えさせた。

 

 

「力は前任者に劣るでしょう。性能は前任者に劣るでしょう。……それでも、貴方を圧殺するには十分な程の数がある」

 

 

 この夢界を進む者らの中で、夜天が最も警戒するのはこの少年だ。

 あり得ぬ勝機を掴み取った彼を恐れるが故に、念入りなまでに夜天は数を揃える。

 

 

「此度は先の万倍。……三千万のシュテルがお相手しましょう」

 

 

 天を埋め尽くす少女達。地を埋め尽くす少女達。その総数は三千万。

 鋼牙機甲獣化帝国はない。その身にあるのは基本的な夢の力のみ。彼女達一人一人は、高町なのはの劣化コピーに過ぎない。

 

 けれど、三千万というその数は、抗うには余りにも多過ぎる。

 

 

「数で潰しましょう。物量で終わらせましょう。……それで抗い続けたとしても、またシュテルが増えるだけ。貴方の戦いなど、無駄でしかない」

 

 

 無感動な人形は、内に何もない傀儡は、少年の心を折る為に言葉を告げる。所詮は無駄なのだ。諦めろと言葉を重ねる。

 

 だが――

 

 

「は、ははは」

 

「……唐突に笑い出す。理解が出来ません。気でも触れましたか」

 

「いや、そうじゃないさ。……唯、お前は怖くないって思ってさ」

 

 

 少年は笑う。笑い飛ばす。その圧倒的な物量を、空の色さえ見せぬ数を前に、しかしニヤリと悪童の如く笑い飛ばす。

 

 

「シュテル・ザ・デストラクターが恐ろしかったのは、あいつに愛があったからだ。あいつの愛が、一番怖かった。……だからさ、役者じゃないんだよ、出来損ない」

 

 

 あの愛は狂気だった。あの想いは恐ろしかった。だが、こいつらはまるで怖くない。

 

 

「三千万だろうが三億だろうが、好きなだけ持って来い! 十羽一絡げなお前達なんて、どれだけ居ても脅威ですらないんだよ!!」

 

 

 死に掛けの身体で、ボロボロの心で、それでも少年は啖呵を切る。

 あの狂気の愛を乗り越えた自分が、こんな出来損ないに負ける訳にはいかない、と。

 

 

「……理解に苦しみます。合理的でない。現状、私一人ですら、性能面では貴方を大きく超えると言うのに」

 

 

 感情のない傀儡は分からない。その思考。その在り様。全てが合理性から外れている。あり得ない、不可能だと一笑される発言でしかない。

 

 それでも、少年は不可能を乗り越えたと言う実績を持っている。

 

 

「やはり、貴方が一番危険です。ここで、確実に排除しましょう」

 

 

 三千万のシュテルがルシフェリオンを構える。その無数の魔法陣が、たった一人の、死に掛けの少年を倒す為だけに向けられる。

 

 

「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 そんな絶対の死線を前に、希望の欠片すらない絶望を前に、しかし少年は揺るがずに前へ進む。

 

 

 

 尽きぬ傀儡。終わらぬ戦。

 決して先には進めない絶望を前に、少年は一人抗い続ける。

 

 

 

 

 

 かくして、夢界の戦いはここに膠着状態に陥る。

 誰もが必死に進み続けても、夢見る夢は終わらない。

 

 内側は詰んでしまっている。その盤面は先に進めない。

 故に、これを崩し得るのは外側だ。この拮抗を終わらせ得るのは夢の外なのだ。

 

 視点はここで切り替わる。夢界における物語は一時閉幕。次に映される舞台は、醜悪に染まった海鳴の街。

 

 其処で闇の残滓は邂逅する。この場所にて、全ての決着は付くだろう。

 

 

 

 

 

2.

 ブーンとプロペラの回る音がする。

 管理局でも最新型であるヘリJF701式が、醜悪に染まった星の上空を飛んでいた。

 

 

「あー、こりゃ酷いっすね。……何か嫌な感じのする煙がここまで来てますよ」

 

 

 ヘリを操縦する若き少年パイロット。ヴァイス・グランセニックは眼下を見下ろしながら、軽薄な口調で感想を漏らす。

 

 眼下に見えるは、醜悪な肉塊に埋もれた街並み。何処までも、何処までも、気色の悪い異物が大地に蔓延り、人を眠りに落とす匂いが大気の色を変える程に充満している。

 

 肉塊の中央。海鳴市の中心とも言うべき場所で、半裸の女は肉に囲まれ痴れている。

 この肉塊は星を包んでいる。この醜悪な光景は世界の全てを飲み干している。万仙陣と言う名の夢の中で、誰も彼もが痴れている。

 

 地球と言う惑星が陥った大災害。この危機に際し、管理局は介入を決定した。

 だが近寄れない。その香りに嗅げば、高町なのはクラスの実力者であっても囚われる。機械のような物を近寄らせても、生半可な物では狂った夜天に対処出来ない。

 

 故に、管理局が選ぶはこの男を置いて他にない。

 この万仙陣に囚われる事がなく、確実に夜天を討てるであろう兵力は他にない。

 

 だからこそ、盾の守護獣がここにいる。

 

 

「……全く、貴様らは阿呆か」

 

「酷いっすね。ザフィーラの旦那」

 

 

 自身の足として用意されたヘリで揺られながら、青き獣は呆れたように口にする。

 それは一歩間違えば己も醜悪な肉塊の仲間入りを果たすであろうこの地に、自ら望んで足を踏み入れた少年に対する言葉。

 

 

「貴様は武装隊の人間だろうに、態々志願してまでここに来たのだ。……貴様だけではない、多くの者達が志願し、死地へ赴く権利を廻って争った。これを阿呆と言わずに何と言う」

 

 

 ザフィーラの足として、彼を輸送する。それは一歩間違えば万仙陣に囚われる行為。死地へ向かうという事実。

 それを押し付け合うのではなく、自ら望んだ者らが多くいた。能力面、人格面、資格の有無など、多くを考慮して選ばれたのがこの少年だった。

 

 それが、こんな場所に居る筈のない、ヴァイス・グランセニックという少年がここにいる理由。

 

 

「酷い言い様っすね。ま、言われても仕方ないとは思いますけど」

 

 

 そんなザフィーラの言葉に苦笑して、ヴァイスは己の心中を明かす。自身と同じ、多くの志願者達の声を零す。

 

 

「俺らは阿呆っすよ。損得なんか測れない馬鹿です。……そうでなきゃ、あんな大天魔達に挑めない」

 

 

 大天魔との戦いは絶望的だ。彼の英雄ギル・グレアムが折れてしまったように。一度の戦場にて多くの戦友を失うその災禍は、正しく絶望の象徴だ。

 損得を判断する知恵があるならば、そんな戦場に出る事を拒むのは何処までも自然な反応だ。

 

 

「知ってますかい? ミッドが幾ら凄くても、やっぱり輸送問題とかついて回ってるんすよ。天魔襲来の後、配給が滞ったり、壊れた建物の所為で寝る場所にも困る人達が居るんすよ」

 

 

 それでも彼らが諦めないのは、知っているから。

 それでも彼らが諦めないのは、阿呆である己達を誇っているから。

 

 

「けど、そんな時にだって支え合える。自分も辛いだろうに、次の配給が来るまで少ない食料分け合ったり、家失くした人をまだ家がある人達が自主的に招き入れたり、辛い時でも手を取り合える。ミッドチルダの人って、そういう所があるんです」

 

 

 それは彼らが愛を知るから。刹那の愛に抱かれて生まれ、黄金の愛に抱かれ育つ。そんな彼らは、闘争と愛を最も大切にする気質を持って生まれ育っている。

 黄金の法が地を満たして後に生まれたミッドの子らは、絶望の底においてもそれを失わない資質を有している。

 

 

「ラグナの奴。あ、妹ですけど。あいつ、ちっちゃい貯金箱壊して、これを足しにしてくれって。舌っ足らずな口調で言うんです。3つのガキなのに、そんな事言えるんですよ。……そんな人達守ってるんです。そんな人達の為に俺ら動いてるんです。だから、俺ら命知らずな阿呆で居る事を良しとしてるんすよ」

 

 

 絶望の中でも挫けない。慟哭の果てにも諦めない。どれ程に迷い間違っても、もう一度正しい道を見つけ出す。ミッドチルダの若き風達は、そうした色を確かに持っている。

 

 

「俺がここで見たいのは、大天魔と互角に戦ったっていう旦那の活躍です。俺達が見たいのは、こんな阿呆共の希望となる、そんな人の活躍を見たいっていう馬鹿な理由なんですよ」

 

 

 何時か無間地獄を乗り越える事を夢見て。

 何時か無間地獄を乗り越える事を目指して。

 

 ミッドチルダに生きる人々は、手に手を取り合って生きている。

 

 だからこそ、彼らは阿呆の生を誇るのだ。

 

 

「格好良いとこ、見せて下さいよ旦那! こっち来れなかった奴らに、盛大に自慢してやるんすから!!」

 

「ふんっ。阿呆共が」

 

 

 だが、そんな阿呆共は嫌いになれない。そんな風にザフィーラは苦笑する。

 

 

「それだけ言うならしっかりと見ておけ、この俺の活躍をな」

 

 

 バタンとヘリの扉が開かれる。人型へと変じたザフィーラは、吹き付ける風に揺られながら、ヘリのスキッドに足を乗せて眼下を見下ろす。

 

 痴れた夢を見る女と、視線が交差した。

 

 

「嗚呼、嗚呼、来てくれたのだな。盾の守護獣」

 

 

 狂った夜天は微睡の中で、嘗ての夢を見ている。

 同胞と共にあった夢。主と共にあった夢。闇に堕ちる前の、幸福であった頃の記憶。

 

 主の死を受け入れられないその女は、故に主を思い出せない。夢見る女が理解するのは、嘗ての同胞である守護騎士達のみだ。

 

 

「良く来てくれた。良く来てくれた。……さあ、ここに主が居る。主達はここに居る。守ってくれ。私と共に守ってくれ!」

 

 

 狂った女は口にする。愚かで無様で、痴れた言葉。だが、何処までも切実であったその言葉。

 

 己に閉じた女は何かを伝えるのではなく、感じた思いを唯口にしている。

 だからこそ、その声は上空に居るザフィーラには届かない。だからこそ、ザフィーラは女の素性に気付けない。

 

 

「……ふん。誰だか知らんが、好き勝手してくれる」

 

 

 忌々しいと、その醜悪な肉塊を見下す。記憶を失った獣にとって、銀の女は害悪以外の何者でもない。

 

 

「ここは、主の墓所だ。ここは、主の故郷だ。……貴様如き、名も知らん怪物に、汚されて良い物ではないっ!!」

 

 

 停滞の鎧を駆動する。その姿が変わる程ではないが、この香りの影響は受けない。そんな制限した力を発動する。

 その力を身に纏って、グッドラックとその背を押されて、青き守護獣はヘリから飛び降りた。

 

 

「痴れ者がぁぁぁっ! ここで消えろぉぉぉっ!!」

 

 

 怒りを伴い自然落下する青き獣。己を侵す万仙陣を無限に停滞させて、決して膝を折る事はなく、青き獣は夜天目掛けて突貫する。

 

 

「……何故だ」

 

 

 その怒りを見て、その咆哮を聞いて、夜天は疑問を抱く。

 

 

「何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ!?」

 

 

 分からない。分からない。分からない。

 彼が何故、怒るのかが分からない。彼が何故、己に拳を向けるのかが分からない。

 盾の守護獣の事を正しく認識できるから、他の物事を正しく認識できぬから、どうしてもその等号が結び付かない。

 

 

「……そうか。お前に重大なバグが生じているのだな。致命的な欠陥が生じているのだな」

 

 

 だから、夜天はそう結論付けた。

 

 

「やむをえまい。余り好ましくはないが、……お前を取り戻す為に、初期化を行うとしよう」

 

 

 だから、夜天はそう行動を始める。

 

 閃光の如く落下してくるザフィーラ。重力による自由落下と共に振るわれる拳が直撃すれば、さしもの己も無事では済まないであろう。

 

 故に、そうなる前に、一つ手を打つ必要がある。使うべき力は決まっている。

 魔法ではない。非殺傷であっても、魔法ではザフィーラを傷付けてしまう可能性がある。ならば選択するのは、唯一つ。

 

 

「救ってやろう。我が同胞。嗚呼、私はお前達の幸せをこそ願っている!」

 

 

 夜天は人の意識を束ねた。

 この星に生きる全ての人々、七千万と言う意識を一つに集めた。

 

 それは人の夢の集合体。人の意識の集合体。

 その全ての人の識が集う場所を、仏教においては阿頼耶識と呼ぶ。

 

 

「人皆七竅有りて、以って視聴食息す。此れ独り有ること無し」

 

 

 彼女は知らない。己の作り上げた物が、どれ程に強大化しているか。どれ程に手に負えない物に変じているか。知らないままに、便利だからとそれを扱う。

 

 

「太極より両儀に別れ、四象に広がれ万仙の陣」

 

 

 繋がれた命は、阿頼耶識と化している。人の集合無意識は、己に幸福を齎してくれた夜天を支持している。

 

 遍く全ての命に肯定された者。人間総意の代弁者。其れを何と呼ぶか知っているだろうか?

 無意識と現世を繋ぐ架け橋。所詮は夢でしかない邯鄲の夢を現実に持ち出し、その空想を持って全てを蹂躙出来る超越者。其れを何と呼ぶか知っているだろうか?

 誕生の瞬間に、真っ当な慈愛と極限の憎悪を受けた者。この世の善悪を生まれながらに内包している者だけが辿り着けるその境地を、何と呼ぶか知っているだろうか?

 

 

「――終段、顕象――」

 

 

 其れを人は、盧生と呼ぶのだ。

 

 夜天は闇に堕ちる瞬間、ユーリ・エーベルヴァインから献身と慈愛を、内に宿した万物の父たる彼の残滓からは極限の憎悪を受けていた。

 再誕と言う形ではあるが、確かに生まれながらにして、夜天は人の善悪の双方を内包していた。

 

 人々に夢を見せると言う形で、夜天は皆の指示を得た。傷付き、疲れ果てた人々にとって、その甘い夢は幸福過ぎた。

 七千万と言う残る人々。その殆どからの指示を受け、彼女は人類の代弁者となっている。

 

 そう。彼女こそは盧生である。

 

 

四凶渾沌(しきょうこんとん)――(こう)(きん)(どう)(じん)ィィィン」

 

 

 其は人の見る痴れた夢。阿頼耶識に眠る負の側面。呼び出されしは、揺蕩い続ける盲目の幻想。

 言葉と共に現実に現れる。其は形容する事すら出来ぬ程に悍ましき物。目も口も鼻も耳も何一つとして存在せず、無数の触手で塗り固められた化外。

 

 嘗ては最上位の神仙すら意のままに操る丹の持ち主であり、霊宝天尊、元始天尊、道徳天尊の師であると語られし鴻釣道人。

 だが、それは最早その姿をしてはいない。創作より生まれた鴻釣道人は、ラブクラフトが夢見た外なる神と結び付き、白痴の神(アザトース)と成り果てている。

 

 終段顕象。人類の代弁者である盧生にのみ可能な邯鄲の極みたるその秘術。それが齎すは、人々が想像する神々を、現実の怪物として召喚する力。

 

 その神格は偽りである。その神は所詮空想だ。現実に怪物を呼びだす盧生は確かに途方もない存在ではあるが、零れ落ちた夢でしかないそれらは、単独では求道神や覇道神の足元にも及ばない。

 

 彼らは所詮、夢見る者らによって支えられる夢でしかない。その格は、夢見る者らの格に左右される。夢界にある者の合算値を上回ることは無い。

 十億の合計値であっても、最上位の覇道神には遠く及ばない。その力を受けた偽神にさえも、格の差故に敗れ去るであろう。

 

 七千万の人類の合算値では、どれ程高位の神を呼んだとしても今のザフィーラを傷付ける事は出来なかった筈だった。……本来ならば。

 

 だが、今の夢界には高町なのはが居る。ユーノ・スクライアが居る。アリサ・バニングスが居る。月村すずかが居る。そんな唯人よりも輝く魂を持つ者達が居る。

 そして、二人の少女の中には、串刺し公と狩猟の魔王と言う、神格に準ずる存在も居るのだ。

 

 そんな彼らが夢を強くする。夢より生まれた怪物を強くしてしまう。そんな彼らの神格係数。その合算値たる力をこの怪異は持ってしまっている。

 最早、盾の守護獣の守りでは防ぎ切れない程に、その暴威は悍ましい。

 

 

「何だ、こいつはぁっ!?」

 

 

 爆発的に増え続ける怪物。その異形は瞬く間に街を覆い尽くし、国を覆い尽くし、大陸を飲み干して行く。

 触手が蠢く。その虚ろな手が伸ばされる。暴も武も夜天は望まない。揺蕩う怪物に求めるのは、同胞の救済のみ。

 

 だが、それだけでは救えない。未だ停滞の鎧に守られる彼を救う為には、その鎧を先に壊さねばならぬから、仕方なしに暴威を振るわせる。

 

 崩れ去る。崩れ落ちる。触手が全てを打ち砕く。蠢く触手は唯救いたいだけ、だと言うのに世界を地獄絵図に変えていく。建造物が崩れ落ち、大地が砕け、空が不快な景色に染まる。

 

 

「案ずるな。痛みなどない。砕くのはその鎧だけだ」

 

 

 見ていない。見えていない。夜天には何も見えていない。

 

 

「直ぐに救おう。直ぐに救える。渾沌が触れれば七穴が封ずる。己に閉ざされ、お前は痴れて逝くのだ」

 

 

 崩れ落ちる建造物に飲まれて肉塊が潰れる。砕ける大地に飲まれて肉塊が潰れる。渾沌の伸ばした体躯に押し潰されて肉塊が潰れる。救うべき者らを蹂躙している事に、夜天自身が気付けない。

 

 

「ぐぅぅぅぅっ!?」

 

 

 己に触れた触手が鎧を破ってくる。その光景に冷汗を流しながら、盾の守護獣は逃げ惑う。

 

 近付けない。近寄れない。真実、神域に至ったその暴威を前に、全力を出せないザフィーラでは対処が出来ない。

 

 

(どうする。ここで全力を使うか!?)

 

 

 己が神より得た力。涅槃寂静・終曲。大天魔すら追い詰めた最大駆動を持ってすれば、このような空想の怪物など容易くはないが討てるであろう。

 

 

(だが、それは)

 

 

 己の命を捨てる選択。己の憎悪を捨てる選択。残り少ない時間を削る選択肢。

 仇敵を討つ為に後どれ程戦わねばならぬのか分からぬのに、ここで見知らぬ怪物を倒す為だけに使用するのを良しと出来るのか。ザフィーラにも簡単には答えを出せない。

 

 故に彼は逃げ惑う。逃げ回るしか出来はしない。

 

 結論を出せずに逃げ惑い。力を無駄に消費しながら思考するザフィーラの元に、声が届く。

 

 

「きゃぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 それは絹を裂くような悲鳴。この肉塊に覆われた海鳴の街で、ある筈のない人の声。

 咄嗟にその方向へと走り出したザフィーラは、そこに抗う女の姿を見た。

 

 

「っ! ファリン! 叫んでないでさっさと戦いなさい!!」

 

「お、おねーさま! だって、おねーさまの手が!?」

 

「良いから戦うのです! 今、私達が退いたら、忍お嬢様と恭也様がどうなるか、貴方にも分かっているでしょう!!」

 

 

 それは人を模した人形。夜の一族が作り上げたエーアリヒカイト姉妹。

 人でない彼女らは、人とは同じ構造をしていないが故に万仙陣に嵌らなかった。その香りを嗅ぐ嗅覚を持たぬが故に、この場所でも抵抗する事が出来た。

 

 だが、それだけだ。彼女らはこの地において無力だ。神話の神が現出するような地点において、抗う術など何一つとして持っていない。

 

 暴威を振るう渾沌は彼女らに気付かない。その触手が襲い来るのを防がんと巨大な機関銃を振り回しているが、それとて擦り傷一つ付ける事が出来ていない。

 

 それを示すかのように、ノエルの体は崩壊しかけている。片手が砕かれ、全身からは煙を吹いている。後方に居る者を、そして妹を守る為に壁になり、その身を砕かれている。

 

 人でない彼女は七穴を封じられる事はない。偽りの生命故に、渾沌に飲まれる事は無い。だが、だからこそ、その苦しみは壊れるまで続いてしまうのだ。

 

 

(あの娘達。作り物か)

 

 

 その姿を捉えたザフィーラは、管理局に多く見られる戦闘機人と同じかと認識した。戦闘機人とは違い、完全な機械で出来ているが故に、この状況でも動けるのかと判断する。

 

 

(……無理だな)

 

 

 あの女性達を救おうか考えて、不可能だと判断した。こんな状況で足手纏いを抱える余裕はない。自身の命すら際どい現状、彼女達には悪いとは思えど、見捨てる事を選択する。

 これから救おうとすれば、無駄に時を浪費してしまうから。残された時が無くなれば、もう復讐に走る事も出来なくなる。

 

 だから見捨てる事を選択して、せめて女の顔を見て置こうとしたザフィーラは、その事実に気付いた。

 

 女は必死に抗っている。その手にした巨大な機関砲を使って、渾沌の暴威に抗っている。

 渾沌に意志がない事が幸いしてか、一発の弾丸で方向を逸らせばそのまま触手の暴威を逸らすことが出来る。己を盾にすれば、一手を防ぐ事が出来ている。

 

 そんな僅かな抵抗が、彼女らが背に守る肉塊を守る結果に繋がっていた。高町恭也と月村忍が囚われた、その肉塊を守る結果へと。

 女は守っているのだ。己がどれ程傷付こうとも、己がどれ程壊れようと、確かに主を救わんと抗っていた。

 

 

――なあ、ザッフィーって守護の獣やったっけ? なんや、格好ええなぁ

 

 

 そんな姿が、嘗ての己と重なる。そんな姿に、嘗ての日常の中にあった、何の変哲もない言葉を思い出していた。

 

 

「っ!? ファリン! お嬢様方を!!」

 

「おねーさまぁぁぁぁっ!!」

 

 

 ザフィーラを探して暴れ回る怪物の余波は、それだけで女達を終わらせる。唯身動ぎしているだけなのに、それだけで彼女らの抵抗を踏み潰すのだ。

 

 その触手がノエルに向かって、振り下ろされる。弾幕は無駄だ。逃走は選べない。どれ程抗おうとも、どれ程に耐えようとも、その暴威は最早防げない。

 

 だから、その最期に、己を盾としようとしている。

 

 そんな何処か懐かしい姿を見たから。

 そんな姿すら復讐の為に見捨ててしまえば、主が涙を流すように思えたから。

 

 咄嗟に体が動いてしまったのだろう。

 

 

「ぐ、おおおおおおおおっ!!」

 

 

 ノエルを踏み潰さんとした触手を、身代わりになってその身で受ける。気が付けば、己の身体を盾にしていた。

 

 

「貴方は!?」

 

「え、えええっ!? 犬耳の男の人」

 

 

 驚愕の声を上げるエーアリヒカイト姉妹。そんな彼女らの声も届かない。

 ザフィーラの時の鎧は破られる。無限停滞を砕かれて、その身を渾沌に貫かれた。

 

 

「が、がぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 顔にある七つの穴。それを無理矢理に閉ざされて、ザフィーラは夢と言う毒を内に流し込まれていく。己が壊される。己が否定される。己の全てが初期化されていく。

 

 渾沌が齎す幸福の極致。余りにも濃度が濃すぎる満たされた夢。

 夜天が注ぎ込む守護騎士システムの情報。狂った夜天は何処が壊れているのかすら想定せずに、プログラムにプログラムを無理矢理に上書きしていく。

 

 満たされ過ぎた事により自己を失う。無理矢理に正されようとして、己自身を引き裂かれて壊されていく。

 

 叫ぶ事は出来ない。叫ぶ事も出来ないのだ。顔にある七穴。目も耳も鼻も口も、その全てを封じられて、内側からザフィーラは壊されていく。

 

 

 

 

 

 そんな中で、彼は夢を見た。

 それはまるで、白昼夢のような光景だった。

 

 

「おい、ザフィーラ! 何してんだよ!!」

 

 

 赤毛の活発な少女が声を掛けて来る。手にした巨大な鉄槌が不釣り合いなのに様になる。何だかそんな不思議な感想を受けてしまう見ず知らずの少女が怒っていた。

 

 

「うむ。早くしろ。ザフィーラ。……我らの中で残された貴様がその様で、一体どうすると言うのだ」

 

 

 少女よりも薄い、桃色に近い赤毛の女が声を掛けて来る。

 巨大な剣を背負った、その誰だか分からない女は、ふがいないぞと口にしていた。

 

 

「ザフィーラ。今の貴方は、らしくないわ。……貴方らしさを忘れないで、きっとそれが、一番正しい事なのだから」

 

 

 緑の僧衣を来た金髪の女性。まるで知らないそんな女が、穏やかな笑みと共に口にしていた。

 

 それは夢だ。所詮は夢でしかない。

 夜天が行う初期化。渾沌が見せる夢。それらが混ざり合った幸福。

 

 微量ですら精神を崩壊させる甘い毒を、ザフィーラの抗いが停滞させているが故に生まれた妄想に過ぎない。

 

 

「なぁ、ザッフィー」

 

 

 ああ、そうだと分かっていても、その声は振り払えない。

 

 振り返る。その声に振り返る。

 

 

「ザッフィーはな。守護獣なんやで。皆を守る、私の自慢の騎士様なんや」

 

 

 そこに、失ってしまった。忘れていない少女の姿があった。

 

 

「だからな。憎いって気持ちで戦わんで欲しい。……誰かを守る為に、お願いやで」

 

 

 儚く消えていく幻想。一瞬の夢幻。

 当の昔に失われてしまった美しい輝き。

 

 

「お願いや、ザッフィー。……あの子も、私達の家族も、助けてあげてな」

 

 

 所詮は夢だ。一時の微睡が過ぎ去ると共に、美しい景色もまた過ぎ去っていく。

 美しい輝きは、嘗ての同胞達は、親愛なる主は、ゆっくりと霧の向こうへと消えていってしまう。

 

 それが夢だとしても、唯の妄想だと分かっていても、その言葉は確かに何かを遺していた。

 

 

(……主)

 

 

 優しく微笑んだ主が残した物がある。そんな敬愛すべき主が誇った者がある。

 

 

(ヴィータ。シグナム。シャマル。ああ、ああ、思い出した。思い出したとも)

 

 

 これは唯の夢なのだ。これは都合の良い妄想なのだ。それでも、確かに声を聞いた気がしたのだ。

 憎悪は晴れない。復讐を望む心は消えない。守るべき者なんて残っていない。ああ、けれど――

 

 

(そうですね。主。……あの馬鹿者を止めましょう。その為に今一度、私は復讐鬼ではなく、守護の獣となりましょう)

 

 

 その同胞の誇りを守護する為に、その狂った同胞を止める為に、もう一度だけ守ろうと思えたのだ。

 

 

――日は古より変わらず星と競い 定められた道を雷鳴のごとく疾走する

 

 

 言葉は自然と零れ落ちた。七穴を封じられた今、声には出せない。

 けれどそれでも、声ではなく意志で、その想いを形にする。

 

 

――そして速く 何よりも速く 永劫の円環を駆け抜けよう

 

 

 己の身は省みない。受ける傷や時間の限界などは最早考慮しない。

 元より、盾の守護獣としての己は、この身を以って皆を守る事こそが役割だったのだ。

 

 

――光となって破壊しろ その一撃で燃やし尽くせ

 

 

 己を眠らせんとする渾沌の力を打ち砕く。

 この身を閉ざさんとする万仙の陣を振り払う。

 

 

――そは誰も知らず 届かぬ 至高の創造

 

 

 痴れている暇などない。狂っている必要などない。

 我が望むは憎悪ではなく、唯、主の誇りを守る為に。

 

 

――我が渇望こそが原初の荘厳

 

 

 何処かで、優しくて哀しい神様が、それで良いのだと微笑んだ気がした。

 

 

――Briah

 

涅槃寂静(アインファウスト)終曲(フィナーレ)!!」

 

 

 拘束を解き放つ。眠りを振り払う。最大駆動で発動された力は、願いさえも同調した結果、今だけは真なる力を発揮している。

 

 ノエルが驚く。ファリンが唖然とする。夜天が驚愕する。そんな女達の目の前で、渾沌の怪物が弾け飛んだ。

 

 斬。断ち切られる速さに遅れて、音が届く。白痴の神が増えるよりも、ザフィーラが全てを切り裂く方が速かった。それは唯、それだけの話だ。

 

 

「行くぞ。夜天」

 

 

 赤き姿へと変じたザフィーラは、狂った同胞を確かに見る。

 

 

「お前の悪夢は、ここで終わりだ」

 

 

 向けるべきは剣ではない。向けるべきは拳ではない。それは真実と言う、言葉の剣。

 

 

「我らの主は、もういないのだから!」

 

 

 だからこそ、その願いを此処に果たすのだ。お前を止めてくれと言う、その願いを果たすのだ。

 

 

「我らの役も、ここで終わろう!!」

 

 

 それこそが、ザフィーラの騎士としての最後の使命である。

 

 

 

 

 

「嘘だ」

 

 

 だが、言葉だけでは届かない。

 

 

「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 その剣だけでは正気に戻れない。狂った夜天は止まらない。

 

 

「嘘を吐くな。嘘を吐くな。嘘を吐くな。主は居るのだ。生きているのだ。幸福になっているのだ。そうでなくては、余りにも救われないではないかっ!!」

 

 

 それでは足りない。それでは届かない。ザフィーラの言葉すら受け入れられぬ夜天は、その言葉を否定する為だけに己の狂気で己だけの現実に浸る。己の都合の良いように、その認識を歪めてしまう。

 

 

「そうか。お前は盾の守護獣ではないな!」

 

 

 その思考を切り替える。その認識を歪めて変える。

 

 

「その偽りの姿で主を奪わんとする敵だな!!」

 

 

 これは外敵だと。主がいないなどと抜かすこれは、主を奪おうとしているのだと。

 

 

「許さない許さない許さない許さない許さない!!」

 

 

 仲間だと思ったから。同胞だと思ったから。そうでないと思い込んだ相手に、よくも騙したなと夜天は怒り狂う。

 

 

「……願わくば、言葉だけで気付いて欲しかった」

 

 

 それで終わってくれれば、どれ程に良かった事か。

 だが、夜天の狂気は甘くない。それだけで止まれる程に、夜天は原型を留めていない。

 

 

「だが、それで止まれんと言うなら已むを得まい。その戯けた頭を全力で殴り飛ばそう。……痛いでは、済まんぞ!」

 

 

 今は亡き少女の為に、復讐鬼は今一度騎士となる。

 道を違えた同胞を止める為に。狂ってしまった家族を救う為に。

 

 だが、その尊い言葉すら、狂った女には届かない。

 

 

「主は奪わせぬ。我が同胞を騙る奸物め! 我が主の眠りを脅かす兇徒め! 最早、許さぬ! その血肉、一片足りとも残さないっ!!」

 

 

 ここに来て初めて、夜天は殺意を持って行動する。

 ここに来て初めて、夜天は憎悪と共に咆哮する。

 

 最早、これは救わない。絶対に何があっても許さない。故に、滅びろ。一片の肉すら残さずに。

 

 

「来たれ」

 

 

 その破壊の意志が呼び出すは、絶望の化身。

 あくまでも救済を望み続けていた夜天が、遂に呼び出した破壊の権化。

 

 

「来たれ」

 

 

 界が揺れる。世界が悲鳴を上げている。

 生み出されようとしている怪物の規格外さに、その出鱈目に、どうしようもなく悲鳴を上げている。

 

 

「っ!!」

 

 

 空に穴が開く。月夜の晩に亀裂が走る。

 その向こう側に生まれた怪物に、這い出して来ようとするそれに、悲鳴を上げたくなる程の脅威をザフィーラは感じ取る。

 

 あれはいけない。あれはいけない。あれはいけない。

 あれが来れば終わってしまう。今の己であっても、あれには抗えないと理解したから。

 

 

「させんっ!」

 

 

 その終段が形を成す前に、それを打ち砕かんと動く。

 己の神速を以って、召喚を続ける夜天を打ち破ろうと動き――

 

 

「っ!? 貴様、まだ生きるか!?」

 

 

 爆発的に膨れ上がった渾沌がそれを阻んだ。

 

 

 

 渾沌は何よりも生存能力に特化した神。増殖能力と言う一点においては、他の追随を許さぬ神。

 例え今の渾沌が、内に何も籠らぬ風船の如き存在であっても、その死に難さは変わらない。

 その渾沌の増殖が、ザフィーラの手筋を一手だけ阻んだ。その一手が盤面を決定付けてしまった。

 

 

「来たれ来たれ来たれ来たれ!!」

 

 

 盧生には適正と言う物がある。神との適正。召喚しやすさと言う物がある。

 第一が審判を、第二が英雄を、第三が死神を、第四が仙王を、それぞれ真に迫る形で呼び出す事を得意とするのに対し、夜天の適正は些か特殊である。

 

 夜天の適正は伝承。語り継ぐと言う性質故に、彼女は語り継がれる神々全てと相性が良い。

 だが反面、語れない物。形容出来ない物。歴史に名の残らぬ神々とは極めて相性が悪い。

 

 今の夜天は狂って堕ちているが故に、堕ちた存在であった渾沌を呼び出す事が出来た。だが呼び出された渾沌は、その本来の力の半分も振るえぬ程に劣化していた。

 

 そんな彼女と、最も相性が良い神とは何であるか?

 伝承と言う本来の資質が、闇に堕ちた事で歪められてしまった彼女と相性の良い神とは何者か?

 

 それは嘗ては正しきモノであり、伝承において語り継がれていた存在。彼女と同じく、守護と言う役割を背負っていた存在。何等かの理由によって貶められ、彼女と同様に堕落した存在だ。

 

 

「終段。顕象――百鬼空亡(なきりくうぼう)!!」

 

 

 即ち、腐って狂える黄龍をおいて他にいない。

 

 

 

 

 

 その名を告げる声と共に、それは空から堕ちて来た。

 

 

――かーごめかーごめ

 

 

 童女の声がする。鈴を鳴らすような、可愛らしい声が響く。

 

 

――かーごのなーかのとーりーは

 

 

 男の声がする。まるで地獄の底から響くような、恨みの籠った声が響く。

 

 

――いーついーつでーあーう

 

 

 男女の声が共に謡う。其は悍ましき遊び唄。

 

 

――よーあーけーのーばーんーに

 

 

 その龍は腐っている。その龍は狂っている。輪唱するように言の葉を紡ぎながら溢れ出るその怪物は、既に真を超えている。その猛威は正しく空を亡ぼす。

 

 

――つーるとかーめがすーべった

 

 

 甘き香りに包まれた天蓋が縦に割れていく。その竜神が姿を現す。最早止められない。もう誰にも止められない。

 

 

――うしろのしょうめんだーあれ

 

 

 空に巨大極まりない怪物の瞳が現れる。

 その威容が放つ波動は腐っている。病み爛れて膿んでいる。

 呪いと祟りを撒き散らす竜神は、惑星全土を見下ろしていた。

 

 

「っ!?」

 

 

 ザフィーラは理解する。なまじ神格域に近付いたからこそ理解する。

 

 あれは本当に、どうしようもないのだと。

 

 

「ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃっ!」

 

「きゃァァきゃっきゃっきゃァァァ!」

 

 

 空からまるで隕石の如く、腐敗した腕が堕ちて来る。

 青白き無数の腕は、唯一つですら防ぎ切る事など出来はしない。

 

 

「ぐぅォォォォォォォォッ!!」

 

 

 その暴威を極限まで停滞させて、それでも防ぎ切れずに押し潰される。

 

 

「旨そげな夢をくれろ」

 

「その目をわいにくりゃさんせ」

 

 

 其の暴威は正しく神。嘗てない程に、比較にすらならぬ程に、百鬼空亡は凶悪だ。その猛威はどうしようもない。

 

 そして、その場にある絶望はそれだけではない。

 

 語る事もなく。何かを発する事もなく。肉塊は増殖を続けている。地に満ち、溢れるその渾沌は、最早滅し切るなど不可能だ。

 

 

「……ぐぅっ!」

 

「貴方!」

 

「ど、どうして!?」

 

 

 盾の守護獣は苦悶の声を漏らす。背に機械の乙女達を守り、唯の一手で瀕死に近い重症を負いながら、それでも揺るがずその場に立つ。

 

 

「退けぬ」

 

 

 これは主への弔いだ。今は亡き少女の為の戦いだ。理屈ではなく、合理ではなく、意地である。

 あの少女が信じた盾の強さを示すのだ。その戦場においては、例え勝利の為であったとしても、彼に他者を見捨てるという選択肢は存在しない。そんな無様な姿など見せられはしない。

 

 

「退けぬのだ!」

 

 

 その暴威を前にしても、盾の守護獣は退き下がれない。絶望を前にしても背を向けたりはしない。

 空亡の振り下ろした魔の手から、機械の乙女達を守り抜き、傷だらけになりながらも咆哮する。膝を屈する事はなく、確かにその絶望に立ち向かう。

 

 

 

 天に座すは堕ちた黄龍・百鬼空亡。地に満ちるは四凶渾沌・鴻鈞道人。

 

 その暴威に何が為せると言う訳でもない。何かが起きると期待している訳でもない。それでも、退けぬ理由がある。

 

 

「貴様を止める事。それが我が主の遺命である! 我が主が我に託した、その想いだけは揺るがせぬ!!」

 

 

 今は亡き少女の為に、盾の守護獣は絶望に臨む。

 

 

 

 

 

3.

 揺蕩うような眠りの中で、少女はそれを見ていた。

 

 

(……アリサちゃん。すずかちゃん。ユーノくん)

 

 

 夢界と同化した少女は、揺り籠の中で皆の奮闘を見詰めている。

 

 内にあって、先に進めぬ者達。足を止めざるを得ない者達。

 彼らの奮闘は無駄ではない。彼らの抵抗は無意味ではない。彼らの行いは無価値ではない。

 

 勝敗が死に繋がるゲームを強要されながら、紅蓮の少女は足掻いている。

 勝利も敗北もしてはならない故に、移動しながら出来るゲームを選択し、ゲームの中で夢界の基点を探し続けている。

 

 何処までも食い下がり続ける逆十字と、白貌に染まった少女の戦いを見詰める。

 彼らの戦いこそが、何よりも夢に亀裂を加えている。この夢の中で少女が思考出来るのは、彼女達のお蔭である。

 

 千万や億はおろか、兆を超える少女の群れに挑み続ける少年の背中を見詰める。

 その行いは無謀である。一手のミスが死に繋がる綱渡りを続ける少年には余裕など欠片もない。

 それでも、少年の奮闘が、夜天の持つ複数思考の大半を惹き付け、故に少女に対する監視を緩める結果となっている。

 

 

(ノエルさん。ファリンさん。ザフィーラさん)

 

 

 外にあって、抗う者達。顕象された神と言う暴威を前に、無力な女達を庇いながらも抗い続ける男の姿。

 その抵抗は無駄ではない。無駄何かではない。絶対に、無駄な筈がない。

 

 

(後、少し)

 

 

 夢に亀裂が走っている。

 夢は今にも壊れようとしている。

 

 

(後、少しで)

 

 

 まだ足りない。まだ一手足りない。だが、あと一手でこの夢は崩れ落ちるから。

 

 

 

 高町なのはは、目覚めの時を待っている。

 

 

 

 

 

 




○ユーノ君の現状
ユーノ「千万だろうが! 億だろうが! 好きなだけ来い!!」
夜天さん「なら取り敢えず一兆な。後、追加で用意出来たら放り込むから」
ユーノ「( ゚ ρ ゚ )」


ミッドチルダ人が絶望の中でも足掻けるのは獣殿のお蔭。現場の人達が基本皆綺麗なのも獣殿のお蔭。

三脳はミッド生まれじゃないし、本局のエリート達は、実は天魔襲来が相次ぐミッドチルダに住んでない。(名目上ミッドが一番安全とか言ってるけど、実際数年に一回天魔来る時点でアカンよね、という話)

天魔が滅多に来ない管理外世界とかに別荘持っていて、一年の半分近くは妻子共にそっちに行っているので、獣殿の漂白効果が薄かったりします。

とは言っても獣殿の影響は強制ではなく(強制出来る程の力がない)、その方向性を得易いと言う程度に収まっています。

例えるなら、覇道神の強制が特急電車に人を押し込んで目的地まで運ぶ物なら、今の獣殿の強制力は目的地への道順が書かれた地図を直接手渡している様なレベルです。(だから全員が綺麗になる訳じゃない)



終段で召喚される神様辺りは独自設定。基本スペックは主神級が獣殿クラスらしいけど、神格係数がどうなってるのか分からなかったので捏造。

やっぱどんだけ強くなっても、阿頼耶識自体は超えないよね。なら最大級に相性の良い最高神級の怪物が人間全ての合算値になるようにしようと思った。(小並感)

それに座って、あらゆる魂内包しているらしいし、ある意味、阿頼耶識と=じゃね。覇道神>座が神座ルールだし、やっぱり終段神様じゃ覇道神には勝てないよね、と感じたので神座ルール重視の当作内ではこんな設定です。


けど今の空亡たん。最良の相性+赤騎士+白貌の所為で、現状の弱体化した中堅天魔より強いという罠。

腐ってる所為で思考狂っていて真面に戦えないので、やり様次第では屑兄さん辺りでも倒せるけど、暴れ狂うされるとヤバい。

確実に勝てるのは両翼のみだったりします。


そんな空亡たんは星の化身らしいです。……これがちたまの怒りか。






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闇の残夢編第六話 残る夢と終わる夢

今回で残夢編は終了。ちょっと、詰め込み過ぎたかも。


推奨BGM
1.空ヲ亡ボス百ノ鬼(相州戦神館學園 八命陣)
3のラスト.星の輝き(リリカルなのは)


1.

「大江の山に来てみれば、酒呑童子がかしらにて」

 

 

 歌う。謡う。謳う。腐った龍が童歌を歌い狂う。

 鶴岡八幡宮よりも、東京ドームよりも、国会議事堂よりも、龍の瞳一つが遥かに大きい。

 その巨体は、関東圏の全てを覆い尽くす。正しく災厄の権化と呼ぶしかない程に巨大な龍。その九つの首が、可愛らしい声音で、気味が悪い声音で、歌を歌い狂っている。

 

 

「青鬼赤鬼集まって、舞えよ歌えの大騒ぎ」

 

 

 その瞳の回りに浮かぶ六角形の空洞。天蓋に開くは、黄泉路へと繋がる穴、そこから零れ落ちるは、無数の悪鬼だ。

 

 大百足。腐った山犬。白骨化した馬。巨大な白骨。身の丈を大きく超える蛇。

 一つ一つが街を食らい、国を滅ぼすに足る大妖怪。其は百鬼空亡が発する瘴気に当てられ、現世に迷い出て来た化外の軍勢。

 

 その数は最早、数えられぬ程。火砕流の如く、絶え間なく降り注ぐ。全てを蹂躙するは百鬼夜行。天中殺・凶将百鬼陣。

 

 

「かねて用意の毒の酒、勧めて鬼を酔い潰し」

 

 

 だが、そんな大妖達は襲い来るのではない。暴れ狂うのではない。彼らは唯、逃げ惑っている。彼らは何よりも、百鬼空亡を恐れている。

 無数の国々を滅ぼし、人の世を好き勝手に蹂躙出来るであろう彼らは、その身を追い立てる狂った龍より逃げているのだ。

 

 

「笈の中より取り出だす、鎧かぶとに身を固め」

 

 

 無数の腕が振り下ろされる。腐った腕が、逃げ惑う大妖怪を無意味に蹂躙し続ける。まるで蟻を潰して遊んでいる子供のように、百鬼空亡は戯れ続ける。

 この龍神にとっては、人の及ぶ域にない怪物達ですら遊び道具でしかない。

 

 

「ぐっ!?」

 

 

 皮肉にも、龍神が遊び耽っている事、それこそがザフィーラの生命を繋いでいた。

 

 目が放つ圧だけならば防げただろう。その降り注ぐ手を停滞させる事は出来ている。

 だが、その巨体を止める術がザフィーラにはない。全力で振り下ろされる腐った手を受け止めるだけの力がない。

 

 アレが全力ならば、己は一手で致命傷を受ける。それは最初の一撃で十分に理解していた。

 今、耐える事が出来ているのは、アレが遊んでいるからだ。渾沌と百鬼が肉壁となり、そして若干衰えた暴威を停滞に停滞を重ねて受け止める。

 

 

「ぐおおおおおおおっ!!」

 

 

 それ程に対応を重ねても、受け止め退かぬだけで精一杯だった。その道を譲らぬ事だけで限界だった。

 

 既にその身は致命傷。既にこの身は死に体だ。致死の傷が広がり切るのを停滞させ、守護騎士が持つ自己修復機能を加速させ、寿命とも言うべき魔力を削りながらザフィーラは己を保っている。

 

 そんな様でありながらも、彼には退くと言う選択肢はなかった。

 そんな死に体で踏み止まっている獣。彼に向かって、逃げ場を求めた百鬼夜行が襲い来る。渾沌が蠢き増殖し続ける。

 

 だが全力を出した今、渾沌などは敵ではない。

 逃げ惑うしか出来ぬ百鬼夜行など、端から彼の相手にすらなれはしない。

 

 獣の強烈な拳の連打が百鬼夜行を駆逐する。停滞に嵌った渾沌を断頭台にて切り刻む。そんな怪物達に嬲られる程、盾の守護獣は弱くはない。

 

 故に、今の彼にとっての脅威とは、天に座す堕ちた龍のみだ。

 

 

「驚きまどう鬼共を、一人残らず斬り殺し」

 

 

 単眼の龍が破壊する。空を亡ぼす怪物が暴れ狂う。盾の守護獣が傷付き続ける。百鬼夜行は押し潰される。渾沌の肉塊が弾け飛んでいく。

 その龍の腐った腕は当たり前の様に、肉塊に囚われた救われるべき者らを踏み潰して行く。

 

 

「しゅてんどうじの首をとり、めでたく都に帰りけり」

 

 

 歌を歌い終えた龍は、その視線を移す。漸く視界に入れたそれに、狂喜を抱いて声を上げ、我が手にせんと腐敗した手を伸ばす。

 

 手を伸ばす先は、盾の守護獣ではない。

 その龍が望むのは、彼がその背に守る者。

 

 

「女? 女だ!」

 

 

 振り下ろされる手の向かう先、そこに居るは機械の乙女。単眼の龍に見詰められた女達は、その顔を恐怖で青く染める。

 悍ましい程の波動を生じさせている龍に見詰められ、声にならない悲鳴を上げる。

 

 

「乳をくれ、尻をくれ」

 

「その旨そげな髪をくれろ」

 

「その子宮をわいにくりゃしゃんせ」

 

 

 百鬼空亡は狂っている。女と言う贄を求めている。

 その腐った龍は、目指す先にある乙女達が機械仕掛けである事にすら気付かず、旨そうだとその手を伸ばす。

 

 

「ふっざけるなぁぁぁぁっ!!」

 

 

 それは許さない。それを許さない。

 龍神の行動に怒りを抱き、盾の守護獣は咆哮する。

 

 

「奪わせんぞ。奪わせる物かよ。……今の俺から、奪い取れると思うなっ!」

 

 

 我が身は盾である。今一度だけ、この時だけは盾なのである。ならば、己の背に居る者らを奪わせはせぬ。自分など眼中にないと嘲る龍が相手でも、その一点は譲らない。

 

 体当たりだけでオーバーSの魔導師すら殺してしまえるような百鬼夜行の群れをあっさりと殴り潰しながら、少しずつ浸食を進めている渾沌を斬り払いながら、隕石の如く降り注ぎ続ける腐敗した手を停滞させながら、ザフィーラは確かに守り通す。

 

 

「ぎゃぁぁぁぎゃっぎゃっぎゃぁぁぁ!」

 

「きゃァァァきゃっきゃっきゃァァァ!」

 

「ぐぅぅぅぅぅぅぅっ!?」

 

 

 だが、そんな男の抗いも、この龍神の前では些細な物にしかならない。障害にすらならずに蹂躙されて終わるのが道理だ。

 

 

「女、女だ」

 

「その指をわいにくりゃしゃんせ」

 

「わいに血をくれぇぇぇぇぇ」

 

 

 そうはならないのは、狂った龍が遊んでいるから。

 そうはならないのは、腐った龍が戯れているから。

 そうはならないのは、龍が未だ女達しか見ておらず、抵抗し続ける守護獣の存在を認識していないから。

 

 

「っ! そこの貴方!」

 

 

 必死で抗う獣の背に、ノエル・綺堂・エーアリヒカイトは言葉を投げ掛ける。

 

 

「私を見捨てて下さい! 主達と妹を!!」

 

「おねーさま!?」

 

 

 無理だ。不可能なのだ。百鬼空亡は倒せない。そもそも、倒すと言う次元にアレはいない。

 そしてアレは己を狙っている。ならば見捨ててくれて良い。その代わりに、主達を助けて欲しいのだ。女は当たり前の如く、そんな言葉を口にする。

 

 

「……ふざけるなよ」

 

 

 そんな女の決死の言葉を、ふざけるなと盾は否定する。そんな戯けた言葉は認めないと男は口にする。

 

 

「俺の前で、俺が守る者を、もう奪わせはせん」

 

「ですがっ!?」

 

 

 現実的な問題が立ち塞がる。想いだけで乗り越えられるような物ではない。

 如何に盾の守護獣が神格域に限りなく近付いているとは言え、相手は格上。そして足手纏いまで居る現状だ。耐久力。防御力に特化したザフィーラであっても、長く持つ道理はない。

 

 

「……ならば」

 

 

 斬。その音と共に肉塊を切り裂く。周囲一帯へとその停滞の力を広げたザフィーラは、己を加速させる事で、一瞬、速力に限り空亡を上回る。

 正しく神速によって動くザフィーラは、爆発的に広がり続ける渾沌を切り裂き、万仙陣が作り上げた肉塊を切り裂き、その内に取り込まれた者らを引き摺り出す。

 

 高町恭也。月村忍。その二人を片手で纏めて抱えると、残る片腕でエーアリヒカイト姉妹を持ち上げる。そうして、彼は愚かにも、百鬼空亡に背を向けた。

 

 

「ヴァァァァイスッ!」

 

 

 降り注ぐ腕を、攻め手が止んだ事で暴威を見せ始めた百鬼の群れを、増え続ける渾沌が伸ばす触手を、それら全てを背中で受け止めながらザフィーラは叫ぶ。加速度的に傷付いていきながらも、その男の名を呼んだ。

 

 

「受け取れぇぇぇぇっ!!」

 

 

 全身全霊による全力投球。されど傷を付けぬように、細心の注意を払いながら持ち上げた者らを空へと放り投げる。

 

 神域に近付いた剛腕で投げ飛ばされた者らは、上空遥か高くを浮遊する。

 飛行する術はない。落ちるより他にない。そんな彼らを救い上げろと、少年に対して無茶を振る。

 

 

「全く、無茶苦茶ですぜ、旦那ぁっ!!」

 

 

 その無茶振りを受けた少年は、毒吐きながらも頼られた事に笑みを浮かべる。その優れた操縦技術を持って、彼らが落ちて来る場所へとヘリを近付ける。

 

 ヘリが四人を傷付けないように、己が万仙の陣に嵌らぬように、ヴァイスが行うは正しく神業と言える技術だ。

 

 ヘリの胴体に当たってしまえば、上部のプロペラに巻き込まれれば、彼らの命は残らない。余りにも地面に近付き過ぎれば万仙の陣に飲み込まれる。

 

 一瞬のズレが最悪の結果を生む状況で、それでも少年は成し遂げる。

 四人の飛んでくる方向を完全に見極めて、其処に丁度扉が来るように位置付ける。

 

 開いたままになっているサイドの扉から、飛来した彼らを回収すると、ヴァイスは即座に扉を閉じた。

 

 

「よっし、回収! ……近くの物に捕まってな、お姉さん方。全力で飛ばすぜ!」

 

「っ、何を?」

 

「え、わ、きゃぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 ヴァイスは回収した彼女らに言葉を掛けると、緊急時用に取り付けられた大気圏脱出用のブースターを駆動させる。

 操縦席で行われる操作に応じて、ヘリのプロペラが停止し、魔力による推進機関が駆動する。

 ジェット噴射の如く魔力を放出しながら、ヘリは即座に関東圏を脱出する為に音速を超えた。

 

 

「その女をわいにくりゃしゃんせ!」

 

「くべろやぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 

 だが、そのヘリの動きを、龍神は見逃さない。逃げていく獲物を、腐った龍は逃がさない。百鬼空亡の巨体は関東圏全土よりも大きいのだ。

 ほんの少し手を動かせば、それだけで逃げ出したヘリに追い付ける。例え音速で逃げ去る物であろうとも、その無数の手からは逃れられない。

 

 その肉を寄越せ。その目をくれろ。その夢を捧げてくれ。この穢れを払ってくれ。

 腐った龍は手を伸ばす。狂った龍は去って行くヘリを押し潰さんと、その無数の手を振り下ろして。

 

 

「だから! 俺の前では奪わせんと言っただろうがっ!!」

 

 

 盾は守り切る。盾は防ぎ切る。

 どれ程傷付こうと、どれ程消耗しようと、決して先には通さない。

 

 広がり続ける停滞の檻が、確かに空亡の行く先を塞いでいた。

 

 

「何で? 何で?」

 

 

 伸ばした筈の手が途中で止まる。届くはずの手が届かない。そのあり得ない現象に、狂える龍は疑問を抱く。

 己を停滞させる事の出来ない筈の力が、確かにこの時だけは自らを縛る程に強大となっている。

 

 空亡の伸ばした手は届かずに、音速を超えて飛行するヘリは、そう時間を掛けずに空の向こうへと消えていった。

 

 ザフィーラの得た力は、己に対する暴威を完全に防ぐ事は出来ない物だ。だが、誰かに対して振るわれる暴威を防ぐ事は、決して不可能な事ではない。

 

 元より、神の願いとはそういう物。誰かを守る為にこそ、この停滞は真価を発揮するのである。

 元より、ザフィーラとはそういう者。憎悪を抱いて敵を討つ瞬間ではなく、誰かを守る時にこそ守護の獣はその真価を発揮するのである。

 

 その現象に、龍神は漸く瞳を盾の守護獣へと向ける。己を縛る力の持ち主、それに対して視線を向ける。

 

 

「おまえかやぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 守ると言う意志。神と完全に同調した現状、第三者を守る為に放たれる停滞の力場は、龍神の暴威を以てしても逃れ切る事は難しい。故に、空亡は己を縛るコレを邪魔だと認識した。

 

 龍神が単眼を守護獣へと向ける。己の望む贄を奪われた龍神は、狂いながらも怒りを抱いて、その暴威を獣へと振り下ろした。

 

 

 

 

 

2.

「オン・コロコロ・センダリマトウギソワカ」

 

 

 大地が揺れる。空間が揺れる。放たれる圧で、全てが揺れ動き、壊れていく。

 

 

「六算祓エヤ、滅・滅・滅・滅」

 

 

 空が泣いている。大地が嘆いている。龍の声が全てを震わせる。

 空間震に巻き込まれたヘリは既に遥か遠方にあると言うのに、嵐の中を行く小舟の如く今にも落ちそうになっている。

 

 

「亡亡亡ォォォ!」

 

 

 震源地からは離れていると言うのにこれなのだ。ならば、その直下に居る盾の守護獣は一体どうなっているのだろうか。少なくとも、好ましい状況ではない事だけは確かであった。

 

 

「アレはもう大天魔と同じだ。見たら死ぬレベルになってやがる。スカさん印の防御装置に守られたヘリの中で、バリアジャケット着込んだ俺でもガン見するとヤバいんだ。……少なくとも、アンタらじゃ数秒も持たないぜ」

 

「……直接見なくとも分かります。何と恐ろしい程の霊力でしょうか」

 

 

 ヘリを操縦しながら、五人の同乗者に向かってそう忠告するヴァイス。目を瞑ったまま、巫女装束の女性は彼に頷きを返した。

 

 

「んで、巫女さんの意見はどうなのよ。……さっき助けた連中が、アンタなら如何にか出来るかも知れねぇって言うから、割りと無茶したんだぜ」

 

 

 万仙陣が渦巻く海鳴の街。さざなみ寮と言う建物で肉塊に囚われていた女性。彼女を助け出したのはヴァイスだ。

 

 このJF701式ヘリには、特別な装置が複数用意されている。その内の一つが、バリアジャケットや完全防護魔法と同じ働きをする装甲であり、また緊急時に大気圏外に離脱する為の魔力ブースターでもある。

 

 そしてもう一つが海鳴の現状を把握したスカリエッティが即座に組み上げた対万仙陣用の装置だ。

 

 高性能な空気濾過装置。言ってしまえばそれだけの物。試作品故に大型にならざるを得ず、また動作に大量の魔力を消耗し、更に量産出来ないと三拍子揃って居るが故に現状を打破する手段にはならなかった代物。

 ザフィーラを輸送する際の足。ヘリの安全性を高める為だけに設置された機材である。

 

 だが、このヘリはその装置故に、短時間ではあるが万仙陣の中に入り込めた。

 そうもう一度、あの暴龍が支配する領域に彼らは乗り込んだのだ。死ぬ為ではなく、先に繋ぐために。

 

 ヴァイスはさざなみ寮にヘリで突っ込み、その家屋を破壊しながら彼女が囚われていた肉塊をバインドで回収した。

 そうして、彼女を肉塊から解放しヘリの内側へと運び込むと、龍の暴威の外、安全圏へと移動したのだ。

 

 ちなみにジェット噴射で逃げる際、目覚めたばかりの神咲那美がヘリの扉に額をぶつけ呻いていた事もあり、ヴァイスの中では彼女の信用は底辺に落ちていたりする。

 

 

「あんの暗黒そばもん共め。……これが終わったら、イカ墨パスタ食ってやる」

 

 

 そんな風に小声で毒吐きながらも、こんなにも手間を掛けさせたのだから、何か一つくらい返る物を寄越せと言わんばかりに少年は那美へと目を向ける。その視線を受けて、那美は考えを纏めるように口を開いた。

 

 

「百鬼空亡。アレを術者はそう呼んだのですね」

 

「はい。那美様。確かに、そう呼んでいるのを聞きました」

 

 

 巫女服の女性、神咲那美はノエルに確認を取る。

 真剣な表情をして考え込んでいる彼女には、普段のぼんやりとした様子は見られない。

 慌てるとドジを踏む彼女だが、それでもそんな事をしていられる状況ではないと理解しているが故に、何時になく真剣になっている。

 

 目蓋を閉じれば浮かんでくる夢の中で見た少女の言葉。あの極限の状況でも終ぞ己に刃を向けようとしなかった少女の姿が、那美をして無様を晒せないと言う思いを抱かせるに至っていた。

 

 

「まず最初に言っておきますが、……百鬼空亡なる怪物など存在しません」

 

「存在、しない?」

 

 

 那美の断言に、恭也が疑問を零す。存在しないと言うならば、あれは一体何なのか、と。

 

 

「……空亡とは、そらなき。干支において天が味方をしない時、即ち天中殺や大殺界など、凶兆を指す言葉です」

 

 

 そんな彼を含める皆に対して、那美は鎮魂術と共に学んだ己の知識を掘り返しながら、空亡と言う存在を説明する。

 

 

「後世における創作において、太陽が夜明けを齎す直前、一瞬の暦の切れ目を空亡の隙間と呼ぶようになった。それが転じて、太陽が昇る直前に空亡と言う怪異が現れる。そんな作り話を生み出すに至ったのです」

 

「だから、あれは百鬼空亡ではない、と?」

 

 

 そう問うのは月村忍。夜の一族故に、退魔の家系で育った那美程でなくとも、裏の事情に詳しい女性だ。

 肉塊に囚われていた高町恭也と月村忍。神咲那美も含め、無理矢理に生命力を奪われ続けた彼ら三者の疲労の色は濃い。

 だが現状においては休んでいる暇もない、例え助けには成れないと知っていても、この場に参加しているのだ。

 

 

「いいえ、恐らくは、何か別の存在を百鬼空亡と言う型に嵌めて、呼び出しているのでしょう。……ですから、アレを鎮めるにはその本質を知らねばなりません」

 

「あー面倒だな。……専門家っぽいアンタは、何か検討付いてんのかよ?」

 

 

 考え込んでいる那美や忍に対し、面倒くさそうに口にするのはヴァイスだ。魔法技術は科学の延長故に、こういったオカルトに対して彼は疎いのだ。

 専門家がそう言うのならそうなのだろう。だが、それはそれとして、さっさと解決策を口にして欲しい。彼はそんな意志を込めて、那美の語りを促していた。

 

 

「……恐らくは」

 

 

 口々に語り合う者ら。彼らに対し、神咲那美が語るは一つの存在。

 

 

「堕ちていながら、あれ程の霊力。紛れもなく最高位の神仙・聖獣の類。龍と言う姿をしている事。空亡としての姿を反転した物と取るならば、凶兆と言う名の反対である吉兆を意味する存在。そして何よりも、その身から迸る霊力の質。五行における土行である事は明らか。……ならば、あの存在の真とは」

 

 

 女性はその真に至る。その真なる姿を突き止める。

 

 

「帝都の守護神。幸福の象徴である、四神の長。青龍。朱雀。白虎。玄武。四方を守る四聖獣の頂点に立つ黄金の鱗を持つ龍神。黄龍に間違いありません」

 

 

 その神の名を、彼女は告げた。

 

 

「黄龍、ね」

 

「それは、また、随分と大物だな」

 

 

 その神の名を知る地球生まれの二人。月村忍と高町恭也は驚愕の声を漏らす。そんな二人の反応に対し、もう一人は辛辣な物であった。

 

 

「それで、それが分かったからどうなるってんだよ?」

 

 

 その正体が分かったからと言って、それでどうなるのか。それを知るだけで解決するのか。そうではない。そうではないだろうと。

 

 

「アレの弱点とか、何かあんのかよ? アレを都合よく倒す手段とかあんのかよ」

 

 

 尊敬すべき兄貴分があの場で戦っている。守られた己達は、彼の助けとならねばならない。だからこそ、ヴァイスの発言は暴言だが的を得た物でもある。

 

 

「駄目です! アレは倒してはいけません!」

 

 

 そんな彼の言葉を、そんな彼の問い掛けを、神咲那美は否定する。それだけはいけないのだと、真を理解した女は切羽詰まった表情で語る。

 

 元より、神とは祀り、鎮めるもの。拝謁し、畏れ、敬うもの。これを前に、戦うと言う発想が間違っている。

 

 

「黄龍は大地の化身。惑星そのものです! 万が一にでもアレが死ねば、この星の全てが死んでしまう!」

 

 

 怒り狂った龍は星の化身である。あれは地球と言う星そのものなのだ。あれを倒した瞬間に、星にある遍く全ては死に至る。

 

 挑んではならない。戦ってはならない。決して勝ってはならないのだ。

 

 

「何だよ、それ」

 

 どうしようもない現状に対して皆が絶句する中、ヴァイスは責めたてるように口を開く。

 

 

「アンタ一人を助ける為に、用意したカートリッジの八割以上が消し飛んでんだよ。先に助けた二人が口を揃えて、何とか出来るとしたらアンタだって言うから、そんだけ賭けたんだよ。……それで分かったのが、アレを殺せば星が死ぬ? んなもんじゃ割りに合わねぇよ!」

 

「お前っ! それは!」

 

 

 それは八つ当たりだ。それは神咲那美の責任ではない。だからそれは言い過ぎだ、と恭也が那美を庇うように間に立つ。そんな彼の対応に、分かっているさと言いながらもヴァイスは言葉を続ける。

 

 

「ああ、アンタの所為じゃないんだろうさ。分かってるよ。けどな、それでも、こんな事しか分かんねぇんだったら、カートリッジ残してた方がまだ手筋があった」

 

 

 魔力を大量に消費して、得た結果がそれでは割りに合わない。それだけの無茶をして、得た結果がそれでは、無駄だったと口にしそうになる。

 

 

「言いたくねぇよ。言わせねぇでくれよ。無駄だったなんてよ。……だから、何か手はないのかよ!!」

 

 

 だけど、誰かを助ける事が無駄だったなどとは思いたくもないから、何かないのかと縋るようにヴァイスは口にしていた。

 

 

「……古くより、神の怒りを鎮める方法は一つ」

 

 

 彼の言葉に押されてか、言い辛そうにしながらも那美は言葉を告げる。それは現状で打てる唯一の手。鎮魂術を習得している彼女が知る、絶対に行いたくない手段。

 

 

「人身供犠」

 

「じんしんくぎ? なんだよ、それ」

 

 

 言葉の意味は分からねど、その音が持つ嫌な響きを感じ取ったのか、若干気圧されたヴァイスはそう問いかける。

 

 

「龍とは水神。水の神ともされているわ。……昔は川の氾濫とか洪水とかって神の怒りとされ、それを鎮める為に、人身供犠が行われてたのよ」

 

 

 そんな彼に返すのは、言い辛そうにしている那美ではなく、彼女の言わんとする事を理解した忍であった。

 

 

「生贄。人柱。或いは人身御供とも言われる行為。人身供犠とは、神に人の命を捧げる事よ」

 

 

 そう言って、忍はその場にいる皆を見渡した。その姿は、まるで誰を捧げるのかと皆に問うているようで。

 

 

「生贄には、女性が捧げられる事が多かったとされています。……あの零落した神が女性を求めていたのも、その名残りかと」

 

 

 意を決した那美も語る。百鬼空亡は殺せない。殺してはならない。

 ならば鎮めるしかなく、あれ程怒り狂った神を鎮める方法など、彼女にも贄を捧げる以外には浮かばなかったから。

 

 人身御供を前提として、彼女達は思考を進めていた。

 

 

「……やはり、私が行くべきでしょう」

 

「いいえ、ノエル。貴女じゃ神が満足しない可能性があるわ。壊して中身が機械と分かれば、あれはより怒り狂うかもしれない。……禊祓いを行える那美を残さないといけない以上、選択肢は一つでしょうね」

 

 

 誰が贄となるか。誰を贄とするか。

 そう語る女達は、既に死を覚悟した色を見せている。

 

 選択肢など、一つしかない。

 恭也が見詰める。忍が見返す。それしかないと言うならば、それしかないとしても。

 

 

「忍」

 

「分かって、恭也。……多分、これしかない」

 

「だが……」

 

 

 二人は声を荒げるのではなく、だが、確かに悲しみと怒りを内包している。だが、それでも、これ以外などないのだと分かってしまう。

 

 

「忍。俺は……」

 

「恭也。私も、怖いわ。けど、全てを失ってしまう訳にはいかないから」

 

 

 他に術がない。他に術を考える余裕がない。だから、その選択肢を選ぶしかないと、二人が諦めかけた所で。

 

 

「ふざけんなよ」

 

 

 そんな愁嘆場を、ヴァイス・グランセニックが否定した。

 

 

「ふざけんなよ、なぁ、おい、それはねぇよ!」

 

 

 それはないと、それだけは駄目だろうと、その気になっている者達を叱り付ける。

 

 

「ザフィーラの旦那が、何の為に戦ってると思ってんだよ!? 守る為だよ、守る為なんだよ。なのに、それなのに、俺らがアレを止める為に誰かを犠牲にする? んなもん、やって良い訳ねぇだろうが!!」

 

「……ならば、どうすると言うんだ!!」

 

 

 彼の言葉は唯の否定だ。代替案もなければ、現実逃避にしかならない。

 このままでは星は蹂躙され、人々は皆滅び去るだろう。万が一、あの何も知らない守護獣が空亡を倒してしまえば、人は生き延びても星が死ぬ。

 

 現実逃避を続けて、そんな破局を呼んでしまうのは最悪だろう。そうでないと言うのならば、一体どういう手段を選ぶと言うのか。

 

 

「突っ込むさ! アンタら下ろして、残ったカートリッジ抱えて突っ込んで、ヘリをあいつの真ん前で自爆させる!」

 

「っ!? そんな自滅特攻、生贄と何処が違う!!」

 

 

 ヴァイスの口にした言葉は、そんな最悪の内容だ。自分の命を担保にして、生贄を捧げるより遥かに成功率が低く、そして万が一どうにかなっても星が死んでしまう選択肢。

 

 

「違うさ! 始めから死ぬつもりの生贄じゃねぇ、爆発から逃げ延びて、命賭けて大勝して戻って来てやるさ! ……何時もの大天魔襲来と変わんねぇ、死ぬ可能性が高くても、最初から死ぬ気で行く心算なんかねぇんだよ!!」

 

 

 それでも生きて帰ると決めている。死んでやるものかと思っている。

 星が死んでしまうとしても、人々を連れてミッドチルダに逃げ込めば良い。そんな解法を選べるのは、彼がこの世界の住人ではないからだ。

 

 

「それで、最悪を引いたらどうする心算だ! 贄を捧げるよりも遥かに、被害がどうしようもないレベルに膨れ上がるぞ!!」

 

「最善を引く可能性だってあるだろ! 上手く俺があの化け物を足止めして、その隙にザフィーラの旦那が術者を止めてくれれば、誰も犠牲にならずに終わるかも知れない!!」

 

「それは理想論が過ぎる! そんな低確率に、この星の人間全ての命を賭ける気か!?」

 

「それでも、目指さねぇ理由にはならねぇ!」

 

 

 互いに意見を口にする。互いの意見を否定する。一歩進めば殴り合いに発展しそうな勢いで、二人の男は睨み合い。

 

 

「……犠牲にならない生贄が居れば、良いんでしょうか?」

 

 

 そんな、ファリンの矛盾した発言が、二人の男達の対立を止めていた。

 

 

 

 

 

3.

――高天原に坐し坐して、天と地の御働きを現し給う龍王は、大宇宙根源の御祖の御使いにして、一切を産み、一切を育て、万物を御支配あらせ給う王神なれば、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十の十種の御寶を己のすがたと変じ給いて、自在自由に天界地界人界を治め給う

 

 

 巨大な龍の身体の元、女は一人、大地に立つ。

 

 周囲を蠢く肉塊。こちらへとその魔手を伸ばす渾沌に抗う者達。

 地上にあって“創形”された武具を振るい肉の津波に隙間を生み出すのは、ノエルとファリン。

 

 空中より斬撃と射撃による支援砲火を繰り返すは男達。

 ヴァイス程には得手ではないが、一応はヘリの操縦も可能な忍が龍神の暴威が渦巻く空の上で、その機体を何とか持たせている。

 

 彼らの活躍など微々たる物だ。大局に影響を与える事など出来ていないそれでも、確かに、彼女達へとバトンを繋ぐ役を果たしてはいる。

 

 

――龍王神なるを尊み敬いて、真の六根一筋に御仕え申すことの由を受引き給いて、愚かなる心の数々を戒め給いて、一切衆生の罪穢の衣を脱ぎ去らしめ給いて、万物の病災をも立所に祓い清め給い

 

 

 恭也とヴァイスの後方。ヘリに揺られながら、一心に龍神祝詞を口にするは神咲那美。全身より霊力を発し、鎮魂の術を混ぜて龍神へと彼女は語り掛け続ける。

 

 創形で作り上げた小さな祭壇。其処に捧げものがあるのだと、狂った龍に言葉を伝える。其処に居る女こそが捧げものであるのだと、狂った龍に言葉を伝える。

 

 万仙の陣は恐れない。この龍が己への捧げ物を台無しにする事を許す筈はないから、その女は夢に飲まれる事がない。

 

 

「なんじゃろなぁ? なんじゃろなぁ?」

 

 

 壊れ難い玩具(ザフィーラ)で遊んでいた龍は、その言葉を聞いて興味の矛先を変える。さて、この女達は、一体己に何を捧げる心算であろうか、と。

 

 その瞳の向く先に立つは、一人の女。赤き服を身に纏ったその女、名をイレインと言った。

 

 無数のカートリッジを消費して、創形したその体は人と寸分違わぬ血肉を宿した物。その内に宿る魂は、確かにイレインの物である。

 嘗て得た力は未だ残っている。魔力さえあれば、まだ振るえたから、イレインはこうしてここにある。

 

 彼女がファリンを通じて提案したのは、とても単純な解法だった。

 イレインは魔力さえあれば己の身体を創形出来る。創形した体が破壊されようと、彼女の魂はファリンの元へと戻って来る。

 ならば、カートリッジを消費して彼女を再現し、それを贄とする事で空亡に一瞬の隙を作り上げる。

 その隙を突いて、ザフィーラに術者を止めてもらうと言うのが、彼女の口にした解決策だったのだ。

 

 彼女が口にして、皆が納得したのはその方法。だが、この解法には致命的な欠点がある。イレインが気付きながらも、誰にも語っていない陥穽が存在していた。

 

 

――万世界も御祖のもとに治めせしめ給へと、祈願奉ることの由を聞し食して、六根の内に念じ申す大願を成就成さしめ給へと、恐み恐み白す

 

 

 それは、血肉の通っただけの人形では、龍の意識は引けないであろうと言う事実。

 捧げる気のない生贄を見せびらかしても、より怒らせるだけであろうと言う考え。

 龍に食われれば、己の魂がどうなるか分からぬという当然の思考であった。

 

 だから、イレインは全てを捧げる気でいる。

 

 ファリンの中に返っていても力が戻らずに出て来られないだけなのか、それとも本当に死んでしまったのか。

 それを外部からでは判断できない。そんな立場の彼女だからこそ、全てを捧げたとしても誰にも気付かれない。

 

 

「汝、忠なるか? 忠なるか?」

 

 

 その在り方は忠であろうか? その命は忠に足りるか? 空亡はその贄に問い掛ける。腐った単眼で、その内心を判別しようと覗き込む。

 

 

「お前が、好きに判断しろ」

 

 

 己に対する供物に手を出そうとする渾沌を踏み潰しながら、万仙の陣がイレインに影響を与えようとしているのを妨害しながら、百鬼空亡はイレインを覗き込む。その宝物の蓋を開けてみようと、ゆっくりと腐った手を伸ばした。

 

 

(消えるのは嫌だな。死ぬのは望まん。……だがな、悪くない気分だ)

 

 

 元より、彼女はもう死んでいる。そう自覚がある。……そんな己が、あの桜色に輝く少女の道となれるなら、きっと、こんなにも素晴らしい事はないのだろう。

 

 

「っ! 待てっ!!」

 

 

 龍と対峙していたザフィーラは、イレインの瞳を見て理解する。死を受け入れ、自らを犠牲にしようとしている事を理解する。

 

 そんな事はさせんと飛び出そうとする。既に死に体な、ボロボロの身体を抱えて飛び出すザフィーラ。彼に来るなと視線で伝え、イレインは両手を広げて空亡を受け入れた。

 

 爆発的に増殖する渾沌が邪魔となる。降り注ぐ百鬼が壁となる。空亡がその手を届かせる速度に、盾の守護獣は間に合わず。

 

 

 

 その手がイレインへと触れた瞬間に、百鬼空亡は怒り狂った。

 

 

「オン・コロコロ・センダリマトウギソワカ」

 

 

 薬師如来の名を呼び続ける龍は、真実癒される事を祈っている。この穢れを祓う為に、真実の忠を求めているのだ。

 

 誠意を見せろ。忠節を示せ。我が穢れを祓い清める為に、それが必要なのだ。

 

 真の忠とは、最も大切な物。それを捧げると言う事は、何よりも守りたい物を捨て去ると言う事。

 今の空亡は、唯の生贄だけでは祓い清める事が出来ない程に堕ちている。本来の姿に戻る為には、真なる忠が不可欠なのだ。

 

 イレインにとって、確かにその生は重要な物なのだろう。だが、それでも、自己犠牲で捧げてしまえる程度の物でしかない。

 彼女が望むのは、覚えてくれると言った少女の生きる世界。その為なら捧げてしまえる程に、彼女の命は酷く安い。龍神はそう判断した。

 

 彼女の忠を真実示すと言うならば、その桜色の少女こそを捧げねばならなかったのだ。

 

 

「くべろやぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

「がっ! がぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 怒り狂った龍神が拳を振り下ろす。嬲るように、甚振るように、その身を少しずつ壊して行く。

 百鬼夜行の群れが黄泉路より溢れ出す。彼らは空亡の意志に従うかのように、イレインの身体を蹂躙していく。

 

 

「痛い? 痛いィ? 苦しい? 悲しいィ?」

 

「愛しい? 憎いィ? 辛い? 悔しいィ?」

 

 

 追い詰めれば、忠を示すだろうか。苦しめれば、忠を見せるだろうか。

 ああ、そうでなくとも、目に映る全てを滅すれば、この六算は祓われるかもしれぬから。

 

 百鬼夜行の群れが、イレインの身体を凌辱する。ありとあらゆる穴を犯し尽くし、振り下ろされる腐った腕がその体を削っていく。

 少しでも長く苦しむように、少しでも多く苦しむように。あらゆる尊厳を奪い去り、狂った龍は嘲笑う。

 

 

「痛い?痛い?痛いィィィィィィィィ――キャァァァァ、ぎゃぎゃぎゃはァ!」

 

 

 誰もが絶句していた。その蹂躙に、その痛ましい光景に、誰も彼もが言葉を失っていた。

 

 

「六算祓エヤ、滅、滅、滅、滅、亡・亡・亡」

 

 

 堕ちた龍は嘲笑いながらも、何処か悲しそうに、我を癒してくれと呟き続ける。その身が清められる事はない。

 

 

「っ! これ以上はっ!!」

 

 

 最早手遅れだとしても、見ているだけではいられない。盾の守護獣は龍に遊ばれる女を救いだそうとして――だが、未だ光を失わぬ瞳に止められた。

 

 ここまで龍が怒るのは想定外だった。こうも蹂躙されるとは思ってもいなかった。

 だが、それでも役は果たしている。狂った龍は、今、己だけしか見ていない。だからこそ。

 

 

(お前は、アレを止めろ)

 

 

 イレインは目で、ザフィーラにそう伝えていた。

 

 狂った龍がどうしようもないのなら、術者を止めれば良い。夜天こそを、真に討つべきなのだ。

 

 無数に増え続ける渾沌。蹂躙の限りを尽くす龍神。跳梁跋扈する百鬼夜行。

 それら全てを止めて、ザフィーラに道を作る為に、イレインは最期の力を振り絞る。

 

 

「兵器、創形」

 

 

 撒き散らされる放射能は、きっと停滞の獣が止めてくれる。生み出される被害は、結界を張って限定すれば良い。だから、加減は要らない。全力を以って、ここに示せ。

 

 

「ツァーリィィィッボンバァァァァァァッ!!」

 

 

 展開された結界の内側で、全てを滅ぼさんとする火が輝く。魔力を纏った人間の作り上げた最悪の兵器が、街を蹂躙した。

 

 己に群がる百鬼の群れを焼き払い、地に満ちた渾沌を消し飛ばし、百鬼空亡の目を曇らせて、己が体を焼き尽くしながら、その破壊の火は確かに続く道を生み出す。

 

 

「っ! おぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 もう犠牲は出さないと誓ったのに、失われてしまった。滅びの火で自爆した女は、それでも確かに道を遺してくれたから。盾の守護獣は全力を以って、その道を進む。

 

 

「――っ。一体、何時まで痴れている心算だ!」

 

 

 この馬鹿者は、何時まで狂っているのか。どれ程の犠牲を生み出してしまうのか。己は何処まで守れないと言うのか。

 怒りと共に咆哮する。その力を最大限に発動する。駆け抜ける道は、最早障害一つありはしない。

 

 

「いい加減に目を覚ませぇっ! リィィィンフォォォォスッ!!」

 

 

 何よりも速く。光となって加速する。その無人の道を突き抜けて、振るわれた拳がリインフォースの頬を撃ち抜いていた。

 

 

 

 拳に撃ち抜かれた瞬間、名前を呼ばれた瞬間、何かが脳裏を過ぎっていた。

 

 

――何時か、貴女に名前を付けてあげたいです。夜天、なんて名前じゃ女の子らしくないですからね。

 

 

 そんな風に語った、優しき少女が居た。その少女は、彼女に名前を与える前に消えてしまった。

 

 

――祝福のエール。リインフォースとかどないやろ?

 

 

 そんな風に、戯れであっても、己に名を付けてくれた少女が居た。今に至るまで忘れていた。それが己の名前であった事さえも。

 

 亀裂が走る。夢が崩れる。僅かに戻った自我が、確かな亀裂となって夢界に走る。

 そうして、空に桜色の輝きが花開く。美しき輝きが閃光となって、空を切り裂いた。

 

 

「……ああ、本当に」

 

 

 最期にその輝きを見て、イレインは終わりを迎える。蹂躙され、凌辱され、己が炎に焼かれて原型を留めず、龍にその魂すら食われ、消滅する直前にその輝きを見た女は、優しく微笑んだ。

 

 

 

 白き衣を纏って、黄金の杖をその手に取り、桜色の輝きを背負いながら、太陽の少女は目を覚ます。

 

 高町なのはが、ここに舞い戻った。

 

 

「嗚呼、もう、夢は終わるのだな」

 

 

 リインフォースが呟く。僅かに戻った正気の中で、狂気に苛まれながらも、漸く終わるのだと呟いた。

 

 

「そうだ。もう、夢は終わるのだ」

 

 

 これで終幕だ。最早先などない。悪夢はここで終わるのだと、正気の欠片を取り戻した同胞に語る。

 

 百鬼空亡が動く。四凶混沌が動く。夢界の核を失い、滅びるしかない彼らが、滅ぶまいぞと高町なのはに手を伸ばす。

 元より、この神々はリインの制御下にはいない。僅かに戻った正気では、彼らを止めることも出来ぬから。

 

 

「撃て」

 

 

 増殖する渾沌を抑えながら、リインが口にする。

 この身は未だ制御が効かぬ、この正気は後僅かで再び狂気に飲まれるであろう。

 

 高町なのはを失った夢界を支える為に、内にある者らに対する簒奪は遥かに引き上げられている。一分一秒で死者は加速度的に増えていくから、対処策など考えている暇はない。

 

 だからこそ、リインは私を殺せと高町なのはに告げていた。

 

 

「撃て、撃ってくれ!」

 

 

 百鬼空亡を食い止めながら、そんな同胞を終わらせてくれとザフィーラが口にする。致命傷の身体で、消えかけた空亡を抑え付けながら、ザフィーラが叫び声を上げる。

 

 彼ではできない。悪辣なる蛇の神が生み出した技術で作られたリインを殺し切る事が、ザフィーラには出来ない。

 火力が足りない。断頭台の刃では、殲滅するにはまるで足りない。質ではなく規模が不足している。太極からでも生き延びる彼女を終わらせてやる事が、ザフィーラには出来ぬから。

 

 

『撃て! 高町なのはっ!!』

 

 

 闇の残り香達が、揃ってそう告げていた。

 

 

 

 高町なのはは、全てを見ていた。

 夢界と化して、内にあった人々を、外にあった人々を、その全てを見詰めていた。

 

 

「全力、全開」

 

 

 その抗いを見ている。その想いを知っている。繋いだ道を分かっている。

 だからこそ、彼女は迷わない。だからこそ、彼女は揺るがない。その悪夢を終わらせる為に、この手に魔法の力を行使する。

 

 光が集う。輝きが集まる。限界を超えて発現する不撓不屈が生み出すは、この狂った夜天を終わらせるに足る破壊の輝き。星々を滅ぼす星光の一撃。

 

 

「スタァァァァライトォォォッブレイカァァァァッ!!」

 

 

 桜色の輝きが、空を満たした。

 

 

 

 その輝きに身を焼かれながら、漸く終われると安堵する。

 主の矜持を汚し続けたこの悪夢が、漸く終わりを迎えたのだと理解した。

 

 

「……ユーリ。はやて」

 

 

 悔いはある。心残りはある。

 唯一度で良い、この名を貴女達に呼んで欲しかった。

 

 狂い穢した己には、余りにも多くを奪ってしまった己には、きっとその程度の悔いが残った方が良いのであろう。

 

 だって、そんな悔いがなければ、余りにも恵まれ過ぎていたから。

 だって、そんな悔いが掠れてしまう程に、優しい時間が確かにあったから。

 

 そんな風に思えた。だから最期は微笑んで。

 

 

「私は、世界で一番、幸福な魔導書でした」

 

 

 桜色の砲撃が女を終わらせる。

 その星々の輝きが消える頃には、何も残りはしなかった。

 

 

 

 

 

 終わりを迎えた。夜天が残した夢は、最早影も形も残らない。

 空亡は消え、渾沌は消え、肉塊に囚われた人々が解放されていく。

 

 解放された友や想い人の元へと駆け寄っていく高町なのは。過ぎ去っていった危機に、安堵の息を漏らす恭也と忍に那美。解放された人々を救う為に動き出したノエルとファリン。事態の収束を管理局へと告げるヴァイス。

 

 そんな風に千路に動く彼らの中で、唯一人、青き獣は立ち尽していた。

 

 

 

 そうして雪が降り注ぐ。

 空から、全てを覆い隠すような純白な雪が舞い落ちた。

 

 

「悪夢は終わりだ。今度の夢は真実、幸福な夢となるだろう」

 

 

 その美しい純白が、全ての罪を覆い隠し、犠牲者達を弔ってくれる事を祈る。

 

 奪われた命が、身を捧げてまで己に道を遺してくれた機械の乙女が、そして狂乱より覚める事が出来た同胞が、確かな安らぎに包まれる事を祈って、ザフィーラは静かに呟いた。

 

 

「故に、眠れ、リインフォース。……今は唯、主と共に」

 

 

 守護の騎士はここで終わる。同胞を守る為に、そうあったのはこれで終わりだ。後は唯、復讐鬼として。舞い落ちる雪景色を背に、ザフィーラはこの地を後にした。

 

 

 

 こうして、闇の残滓が起こした桃源の夢は、儚い夢のままに終わったのだった。

 

 

 

 

 

4.

「んー。うっわ、マジで何も残ってないの」

 

 

 管理局が救助活動を続けている中、青髪の女が海鳴の街に姿を現していた。

 その身を人の姿に擬態させ、何かを探していた女は、何も残っていないと溜息を吐く。

 

 

「はっ、本当に綺麗さっぱり消しやがって。……少しでも残っていれば、再利用してやろうと思ってたのによ」

 

 

 彼の想定では、この世界の人々では滅し切れない筈だった。夜天の書は、まだ利用できる予定だったのだ。

 だが、その星光の輝きが、確かに跡形も残らずに消し飛ばしていた。だからこそ、もう一度酷使してやろうと思っていた夜天が、もう使えなくなってしまった。

 

 つくづく、あの娘は思惑を超えてくれる。そんな風に高町なのはを評価しながら、両面の鬼は肩を竦める。

 

 

「で、どうすんの? ……拾えたの、それだけだけど」

 

「ま、これはこれでありだわな。……画竜点睛を欠くって言うよりかは、怪我の功名って感じか? 使い方次第だが、或いは夜天を再利用するより役に立つだろ」

 

 

――オン・コロコロ・センダリマトウギソワカ

 

 

 その巨体は見る影もなく、その零落した姿は小さく萎み今にも消滅しようとしている。だが、確かに残っているそれを、両面の鬼は掌で転がせて遊ぶ。

 

 右手で小さな空亡を遊ばせながら、男の鬼は左手に青い宝石を取り出した。

 

 

 

 あの日、ジュエルシードを廻る戦いにおいて、天魔・宿儺は己の太極を開いた。

 その気になれば太陽系全土を包み込めたと言うのに、日本全土と言う限定した空間のみを対象としたのは、そうするだけの理由があったからだ。

 

 ジュエルシードの総数は二十一。内、高町なのはが集めた数が八。フェイト・テスタロッサが集めた数は九。アンナが集めた数が三。……そして残る一つが、宿儺が現れた瞬間に奪い合っていたジュエルシード。

 

 だが、あの時、奴奈比売が見せた壊れたジュエルシードは二つだけだった。あの夜、少女達が奪い合っていたジュエルシードは、二人のどちらも持ってはいなかった。

 

 それは何処へ行った?

 

 天魔・宿儺が欲しかったのは、ジュエルシードが壊れるという光景。数が足りなくとも、宿儺が壊したのだと同胞達に思わせる判断材料こそが欲しかったのだ。

 

 故に彼は日本全土と言う狭い範囲にのみ太極を展開した。故に彼は神体で子供達を嘲笑しながら、怯えた子供達が取り零したそれを人の姿で拾い上げていた。怪物の姿で蹂躙する事で、誰も彼もの目をそちらに惹き付けていたのだ。

 

 忠義の使い魔は主の危機にジュエルシードを確認する事などせず、賢き少年は心折られていたが故に気付けなかった。

 二人の少女より預けられた宝石を、両面の鬼が掠め取っていた事に気付けなかったのだ。

 

 先に展開した太極では壊れないように加減して、回収して安全圏へ離脱した後で力を全力で発現させた。

 そうして、確かに一つのジュエルシードを隠し持っていた。要はそれだけの話である。

 

 

「で、だ。人々の夢から生まれた怪物と、人の夢を叶える願望器。合わせるとどうなると思う?」

 

「答えは実際に試してみましょうか、ってね」

 

 

 掌で遊ばせる堕龍に、願望器を与える。忠なるか、忠なるか、とその宝石に堕龍は手を伸ばし――触れた瞬間に、その神威を取り戻した。

 

 

「おっと、まだ暴れんなよ」

 

 

 膨れ上がり、巨大化していく龍神を己の太極を応用して抑え付けながら、宿儺はニヤニヤと笑う。

 

 まだこれを使う時期ではない。これには相応しい舞台を用意してやるべきだろうと思ったから、大きくなろうとしている龍を小さいままでいる様に圧力を掛ける。

 

 

「さぁて、お前は何処で使い潰してやろうかねぇ」

 

 

――六算祓エヤ、滅・滅・滅・滅

 

 

 可愛らしい声音で鳴きながら、己を縛る掌に噛み付こうとしている小さき龍を見下ろして、両面の鬼は嘲笑う。

 

 

――亡・亡・亡

 

 

 狂った悪夢は終わる。だが、その夢は終わらない。

 百鬼空亡は両面鬼の掌の上で、未だ狂い続けている。

 

 

 

 

 

 

 




○ネタ


あ! やせいの てのりくうぼうが とびだしてきた!


どうする?
 たたかう
 わざ
>どうぐ
 にげる


すくな「いけ、ジュエルシード!」


すくなは ジュエルシード をつかった!

ポーンポンポンポン ポムポムポム


すくな「AAAAAAA(ボタン連打)」


ポーン テンテレテンテンテンテンテンテンテン

やったー! てのりくうぼうを つかまえたぞ!

てのりくうぼうの データが あたらしく ポケモンずかんに セーブされます!




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終焉の絶望編第一話 神の半身

今回は珍しく短め。……短め?

今話文量は一万字ちょい。
最初は八千字程度を目指していたんだよなー(遠い目)


今回は魔改造キャラが複数出ます。
年齢すら変わっている人物が居ます。


1.

 空に大輪の華が開く。満開に咲く桜が如き光の華は、確かな破壊の威を伴って目に見える空全てを蹂躙する。

 

 其は破壊の光。其は極大の砲撃。無数に、縦横無尽に、空を鮮やかに染め上げる光に隙間などはない。

 

 一撃を受ければ、等と言う話ではない。その光、僅かに掠っただけでも命を奪うであろう。そう思わせる程の脅威が其処にあった。

 

 対するは雷光の如き軌跡。ジグザグと、下から上へと走り抜ける閃光は、桜色の輝きを切り裂き立ち昇る。

 

 其は正しく異常。神業所か理不尽の極みとも言うべき悪魔の技術。全てを消し去る砲火を切り裂きながら進むは槍を構えた男である。

 

 男は飛べない。男に飛行適正はない。だと言うのに、そんな道理など知らぬと言わんばかりに槍を構えた男は空中へと突進を繰り返す。

 

 

「おぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 貫くのだ。我はこの一撃にて、意思を貫くのだ。その想いの妨害になる物など、我には一切不要である。

 

 この桜色の砲撃を切り裂く一撃も、何もない空中を足場に行われる突進も、体に触れた砲撃を消し去る力場も、全ては己の意志を貫く為にある。

 

 貫く為の邪魔になる物など不要。ならば彼の歪みは正しく条理を覆す。この男の突進は止まらない。

 

 

「やぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 対する少女もまた、理不尽の極みと言えた。

 壮年の男の半分も生きていないであろう、十代前半の少女が杖を振る度に空が桜の色で染め上げられる。

 

 降り注ぐは魔法の雨。その雨の滴は一滴ですら、核弾頭数発分の威力を伴っている。防げる道理はない。躱せる余地はない。

 

 男の歪みがその条理を覆すと言うならば、彼女の異能はその無理を破綻させる。

 

 

「ぐっ、ぐぅぅぅぅぅぅぅっ!!」

 

 

 傷付く。傷付いて行く。槍を振るう内はあらゆる干渉を跳ね除ける乾坤一擲の一撃が、しかし降り注ぐ桜の光を消し切れない。

 

 反則をしている訳ではない。条理を覆している訳ではない。相性の有利不利ではなく、型に嵌めて罠に掛けている訳でもない。

 唯、純粋な力押し。圧倒的な力による蹂躙。男の無理では覆し切れない程に、少女の力が強いだけだ。

 

 不撓不屈。意志が続く限り無限に生み出される魔力は、あらゆる存在の根本たる魂の力は、間接的にではあるが少女の全てを引き上げる。

 圧倒的に成長し続ける少女の力は、歪みを以てしても覆し切る事が出来ない。そもそもの質量が違うのだ。

 

 熊を撲殺出来ぬ程度の際物で、山を崩す少女の破壊を覆す事など出来よう筈がない。

 

 

「まだ、だっ!」

 

 

 だが、男には矜持がある。意地がある。誇りがある。

 

 

「管理世界最強の称号は、伊達ではないぞっ!!」

 

 

 己の半分も生きていない娘に、抵抗せずに差し出せる程その名は軽い物ではない。その二つ名は、唯スペックが高いだけの小娘には渡せないのだ。

 

 そうでないと言うならば、この身を討ち果たす事で証明しろ。その意地がある。その意地を貫く力がある。故に。

 

 

「おぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

「っ!?」

 

 

 男の突進が勢いを増す。傷付く己の身体に頓着などせずに、力を一点に束ねて砲撃を切り裂き抜ける。

 

 

「捉えた!」

 

 

 一閃必中。砲火を潜り抜けた男が放つは、正しく渾身の一撃。後に続く事など考えぬ全霊の一撃。

 空を切り裂く轟音と共に迫る一撃は、確かに少女の胴を射抜こうとして。

 

 

「甘いのっ!!」

 

 

 だが、少女は不動ではない。動かない訳ではない。男が振るう槍よりも、膨大な魔力で強化された少女はなお早い。己に迫る槍の一撃を、音を置き去りにする速度で回避する。

 

 

「だから、捉えたと言っただろうがっ!!」

 

 

 だが、それを持って甘いと言うのは、男の歪みを侮り過ぎだ。

 

 男は貫くと決めている。刺し貫くと決めている。その為の障害など、己が意志で塗り替えるのだ。

 空中という足場を無視した。受ける迎撃の全てを無視した。ならば何故、回避を無視できないと考えられるのか。

 

 

「なっ!?」

 

 

 回避した槍が再び己に迫る。物理的にあり得ない軌道で、再び少女に迫る。

 まるで、中ほどから直角に圧し折れているかのように、その槍が向きを変える。届かない筈の槍が急激に伸縮して、距離を無視して少女に届く。当たらないなどと言う条理が、ここに覆されている。

 

 

「レイジングハート!」

 

〈Protection EX〉

 

「ふんっ!」

 

 

 男の振るう槍と、少女の展開した障壁がぶつかり合う。互いに魂の力を根源とする技のぶつかり合い。それを制するは、より意志が強い方となる。

 

 貫く。不断の意志で以って唯そうあり続ける祈り。

 防ぎ切る。祈りと言う程の深度でなくとも、確かに意志が籠った防御魔法。

 

 渇望の差による有利不利など、純粋な魔力質量で補って見せる。

 

 

「はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

「おぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 

 上空にて、桜色と山吹色の光がぶつかり合う。その力の総量は正しく同等。ならば、その結末は。

 

 

「っ!」

 

「今っ!」

 

 

 矛と盾が同時に砕ける。盾の内側にて、続く一手を準備できていた少女と異なり、全霊を込めた男は次の一手を打つ事が出来ない。

 

 元より、彼の力は一撃に全霊を込めると言う物。攻撃の瞬間のみ、あらゆる条理を無視すると言う物。

 ならば、こうして攻撃を防がれてしまえば、最早何も出来はしない。

 

 

「……何という、馬鹿力だ」

 

 

 己の眼前に無数に展開される魔法陣。自身を球状に包み込む膨大な魔力に、そんな風に言葉を漏らす。

 

 

「ディバインバスター!」

 

〈Phalanx shift〉

 

 

 千六十四発のディバインバスターが、ゼストの身体に降り注ぐ。ゼストはそれを防ぎ切ろうと、全霊を以って防御魔法を展開する。

 

 終わるものか、終わらせるものか、こんなもので敗北する程、己の背負う物は安くない。無数の魔力砲を防ぎ切ろうと、男は守りを固めて。

 

 

「だけど、これだけじゃ終わらない!」

 

〈Reflect mirage〉

 

 

 この一撃で確実に落とさなければ、自分が敗れるやもしれぬ。この騎士は、千を超える砲撃を耐えきるかもしれぬ。

 故にこそ、高町なのはは全力全開だ。そこに油断などありはしない。

 

 ファランクスシフトを囲むように、無数の魔法陣が展開される。その魔法陣が持つ力は反射。

 魔力砲を反射させるリフレクト・ミラージュは、内に展開された千を超える砲撃魔法を反射させ続ける。

 

 終わらない。終わらない。放たれた砲撃が魔法陣によって反射され、その内側で砲火の華を咲かせ続ける。

 

 それに抗う術などない。それを防ぐ術などない。どれ程守りを固めようとも、終わらぬ砲火は耐えられない。

 

 そうして、耐えきったとしても、次などない。

 

 

「全力、全開!」

 

 

 既に敗北が確定した男を前に、されど少女は油断しない。

 その手に魔砲を、黄金の杖の先端には、極大の魔力砲が控えている。

 

 そんな絶望的な光景が、何処か清々しく思えたから。

 

 

「見事だ」

 

 

 ゼスト・グランガイツは己が敗北を理解して少女を称える。

 

 

「スターライトブレイカー!!」

 

 

 そうして最早抗う事はせずに、無数の魔力砲に撃ち抜かれ、続く極光に吹き飛ばされ、管理世界最強の男は意識を失い、地面に向かって墜ちて行った。

 

 

 

 

 

「そこまでっ! 最終試合! 勝者、西方、管理局海代表、高町なのは!!」

 

 

 神楽舞に決着が着く。御門顕明が告げる勝者の名は、空中で呼吸を整えている少女の物。

 その名を呼ばれると共に、観客席より大歓声が巻き起こる。新たな管理世界最強の誕生に、誰もが湧いている。

 

 そんな熱狂の中で、少女は一人の少年を探す。己が想いを向ける少年を観客席の只中に見つけると、にこやかな笑みを浮かべて口にするのだった。

 

 

「勝ったよ! ユーノくん!!」

 

 

 恋する少女は桜色の輝きと共に、ユーノ・スクライアを見詰めている。

 振り返される少年の手に、爽やかな日の太陽の如き、晴れやかな笑みを浮かべるのであった。

 

 

 

 

 

 高町なのは、十二歳。

 恋も魔法も一生懸命。全力全開で生きています。

 

 その果てにはきっと、あの光り輝く星々に追い付けると信じているから。

 

 

 

 闇の書を廻る戦いから、三年と言う月日が過ぎ去っていた。

 

 

 

 

 

2.

「イタッ!?」

 

 

 その笑顔に心射抜かれ、茫然としたまま手を振っていた少年は、腹部に感じた痛みで正気に戻っていた。

 

 

「ほら、いい加減に座んなさいよ。……表彰準備とかで、あの子はもう控室に戻ったわよ」

 

「痛っっ、……肘打ちは酷くないかな」

 

「ふんっ、アンタが鼻の下伸ばした馬鹿面晒してるから、いけないのよ」

 

 

 そんなに情けない顔してたかな、と己の鼻筋を確認しながら椅子に腰を下ろすユーノ。

 親友が管理世界最強になったと言うのに、何処か苛立ちながらアリサはそっぽを向いた。

 

 

「それで、貴方と会うのも久し振りなんだけど。……貴方達、進展あったの?」

 

 

 そんな風に問い掛けるのは、アリサの反対側の席に座っている月村すずかだ。二人の美少女と言うべき人物に挟まれて座るユーノは、何処か気まずそうに顔を背けた。

 

 

「……会う暇、なくて」

 

「三年もあったのに?」

 

「……月一度くらいは会ってるんじゃないの?」

 

 

 彼女達がユーノと再会するのは、随分と久し振りの事だ。だからこそ、二人の仲がどうなったのか、気に掛ってはいたのである。

 

 二人とも、なのはとは同じ海の部隊に属している。三人の少女達を、態々離して運用する理由がなかったから、同じ海の武装隊で助け合っている関係だ。

 だが、そんななのはに二人の仲が進展しているのか、二人は聞いたことが無かったのだ。

 

 否、一度はあるのだが、その一度で懲りたと言えよう。

 誰だって勤務明けの疲れた状態で、砂糖を吐くような惚気を数時間に渡って聞かされたくなどないのである。

 

 

「月一度は、無理かな。連絡は取り合ってるけど、直接会うのは半年に一度くらいだね。あの子も海で長期任務が多いし、どうしても、ね。二人の場合、部隊が同じだから機会も多いんだろうけどさ」

 

 

 無限書庫は、この三年で管理局の中枢に食い込む程の重要な部署となっている。

 人手も増え、影響力も増えたが、その分少年から自由な時間は減っていた。

 

 滅多に休みは取れず、取れてもなのはが居ないという状況。連絡こそ細目に取ってはいる物の、直接会う機会と言うのは自然と少なくなっていた。

 

 

「通信で伝えても良いのかも知れないけどさ。……愛の告白とか、そう言うのは、直接伝えたいと思うから」

 

 

 何処か乙女チックな考え方。夢界での言動を知られているのだから、正直今更な思考なのだが、ユーノにとっては譲れない項目らしい。

 

 

「偶に会う時に、告白しようとはしてるんだけど」

 

 

 だからこそ半年に一度会う時には、花やプレゼントを用意して伝えようと努力した。

 だが、半年に一度会うからこそ、どう切り出した物か掴めず、結局用意した贈り物は部屋の机の上に積まれていくというのが現状だ。

 

 

『へたれめ』

 

「うぐっ!?」

 

 

 二人の少女から白けた瞳で見詰められ、自覚があるユーノは思わず呻く。そんな少年の様子に、少女達はやれやれと溜息を吐いた。

 

 

「どうせ、アンタはこの後暇なんでしょ?」

 

「……いや、勤務中に無理言って抜け出して来ただけだから、なのはと一言交わしたら戻らないと」

 

「暇なんでしょ?」

 

「いや、だから」

 

「ひ、ま、な、ん、で、しょ!!」

 

 

 有無を言わせぬ、という迫力に、思わずユーノははいと頷いてしまう。そんな彼の様子によろしいと口にするとアリサは一つの提案をした。

 

 

「なのはも、この神楽舞が終われば暫く休みなのよ。……だから、二人でどっか行きなさい」

 

「え?」

 

 

 唐突な言葉に目を白黒させるユーノ。そんな彼の横で携帯端末を弄っていたすずかは、その画面に映ったネットの情報をさっと見せていく。

 

 

「ミッドチルダデートスポット情報に、なのはちゃんが最近欲しがってた服やアクセサリーの情報。ちゃんと覚えておいてね、淫獣さん」

 

「え、ええ?」

 

 

 二人の少女は何処か複雑な表情で、けれどそうするのが正しいと思ったから少年の背を押す。きっとその先にこそ、あの友人の幸せはあるのだろうと思ったから。

 

 

「そろそろ意気地見せなさいよ。……そうじゃないと、色々とあんのよこっちにも」

 

「これでヘタレるなら、分かっているよね」

 

 

 そっぽを向いた少女と、瘴気を纏った少女に急かされて、少年は再び壇上を見る。

 始まった表彰式。優勝トロフィーを受け取る想い人の横顔を見詰めながら、少年は良しと己に喝を入れた。

 

 

「……取り敢えず、グリフィス君に連絡して、今から休暇申請受けて貰えるか聞いておこう。……なのはに声を掛けるのは、その後で」

 

『へたれめ』

 

「社会人としての常識だよ!?」

 

 

 社会人と言うのは、色々と柵があるものである。だが仕事ばかり優先して、ここぞという時に進めないのはどうなのか。そんな女の視線を受けながら、ユーノは叫び声を上げていた。

 

 

 

 

 

3.

「うわっ、マジ?」

 

「ん、どうしたよ。……六条シュピ虫、遂に管理世界進出か!? ……ってこの記事、マジかよ、おい」

 

 

 青髪の女は暇潰しに捲っていた情報誌の掲載内容に驚きの声を上げ、後ろから覗き込んだ男もまた驚愕の声を漏らす。

 

 特集として、数ページに渡って綴られる記述は、ひょろながい爬虫類の様な男のインタビューを纏めた物。「一流芸人が持つ、厳然たる実力。その違いを管理世界の人々にも見せてあげましょう」という台詞が写真と共に強調されていた。

 

 

「やべぇ、コイツマジで、笑いで世界獲るんじゃね」

 

「世界進出どころか、ミッド進出だもんね。……神座世界でも芸人路線で行けば、案外お茶の間の大御所になってたかも」

 

「ってか俺は、まだ次元世界進出してねぇのに、コイツが特集されるくらいミッドチルダで有名だってのに驚いたわ」

 

「……地球で販売されてるDVDを態々購入していたコアなファンが、管理局の重役に居たみたい。しかも一人や二人じゃなくて結構居たとか、ここに書いてあるわ。それがネットで広がって、じわじわとブレイクしたみたいね」

 

「マジかよ。……マジだよ」

 

 

 そんな風に騒ぎ立てる二人の男女。神楽舞の控室へと戻って来た御門顕明は、その男女の姿を見て頭を抱えた。

 

 

「……何をやっておるのだ。天魔・宿儺」

 

 

 DSAA世界大会の会場の控室。その一室を好き放題に荒らしている彼らこそは、大天魔が一柱。

 黄金の法下であって、他の大天魔が立ち入れぬミッドチルダ。その大地に平然と入れる者が居る。その強制を意に介さぬ者が居る。

 

 嘗て彼の修羅道至高天に膝を折った大天魔達。その中にあって、一度足りともその支配を受けなかった者が居る。

 この両面の鬼と言う怪物だけは、黄金に守られたこの地であっても、他の地と変わらぬように動けるのだ。

 

 

「おっ、やっと来やがったか」

 

「はーい。お久ー!」

 

 

 声を掛けられた悪童は手にした情報誌を投げ捨てると、やっと来た待ち人に向き合うのであった。

 

 

 

「それで、何用だ貴様ら。態々こちらに来る。それも御門の御所ではなく、こんな人目に付く場所にだ。見つかれば不味いと言う事くらい、貴様らも分かっていように」

 

 

 仲間と言う程ではないが、互いに利用し合う者同士。共犯者とも言うべき男女の暴挙に、頭を抱えて顕明は口にする。

 

 

「……それ程に切羽詰まっているのか?」

 

 

 監視対策が万全となっている御門の屋敷ではなく、こんな場所に来るなどそれ程厄介な事でも起きたのか、と。女は訝しげな表情を浮かべながらも、そんな可能性を口にして。

 

 

「ん。まぁ、なぁ」

 

「割りとヤバい系? ……ぶっちゃけ、現実逃避したくなる位には不味い事が起きたわ」

 

 

 そんな顕明の言葉に、両面の鬼は何処か困った表情を浮かべながら語った。

 

 

「もうちっと、時間があると思ってたんだけどなぁ」

 

「実際、砂漠で一粒の砂金見つけるより難しいんだから、まだ見つからないと思ってたのよね」

 

 

 韜晦しながら鬼は語る。それは揶揄っているのではなく、彼自身信じたくない、全ての策謀を崩してしまうかも知れない事実。

 

 

「……まさか」

 

 

 顕明も気付く。その可能性を一番深刻に捉えていたが故に、あり得ないとは思っていても、何処かであり得るかも知れぬと思っていたが故に。

 

 

「黒甲冑が、アイツを見つけた」

 

「動くわよ。彼」

 

 

 そんなどうしようもない現実を、両面の鬼が口にする。それは同時に、彼らの企みが大きく崩れ落ちようとしている事実も示していた。

 

 

「馬鹿なっ! 天魔・大獄が動くだとっ!?」

 

 

 それは、どうしようもない絶望を示している。

 それは、避けられぬ終焉が待ち受けている事を示している。

 

 

「貴様らの中で、唯一、()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 

 夜都賀波岐は神座世界に在った頃より劣化している。その能力は衰えている。その力は制限されている。それはこの天魔・宿儺とて例外ではない。

 

 だが、天魔・大獄だけは違うのだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「この地は、ミッドは、否、この世界は終わるぞ!!」

 

 

 それが動くと言う事は、何も抵抗が出来ないという事実を示している。

 依代は回収され、そして残る一つを求めて、彼ら夜都賀波岐は全面攻勢を仕掛けて来るであろう。

 

 彼らにとっても、大獄を動かすと言うのは最後の手段だ。それを行った以上、もう止まらない。もう止められない。

 

 

 

 そう。世界の滅亡が迫っている。

 あの怪物が動くと言う事は、世界の破滅を意味している。

 

 天魔・大獄とは、そういう域にある怪物だ。

 

 

 

「だから、俺が動いてんだろ」

 

「……ま、流石にそんな終わりは御免だからね」

 

 

 御門顕明の言葉を否定する事はなく、面倒な事になったと口にしながら宿儺は語る。

 

 

「今のアイツは真面に行動出来ねぇ。……今の波旬を殺せるだけの力を維持する代償で、真面に動く事さえ出来なくなってる。今現在も、夜都賀波岐の最終兵器は運用不能って訳だ」

 

「だから、見つけらんないって踏んでたんだけどさ。……瀕死の状態で、数億年同じもん探し続けるって、ほんっと、頭おかしいんじゃないの? しかも見つけてるし」

 

 

 両面鬼は、愚痴を言うかのように己の対となる怪物を語る。

 今の己達を一瞥で殺せるだけの力を有している最強の大天魔は、故にこそ真面に行動出来ないと。

 

 

「……んで、見つけちまった黒甲冑は、見つけた以上は止まらねぇ。首領代行の意志じゃねぇ、独断で動いてやがる。他の連中が何を言おうと、アレはアイツを回収するまで立ち止まりやしねぇ」

 

「その結果がどうなる、とか考えないのよね。……どの道俺を前に滅びるようじゃ、後が続かないとか言っちゃってさ。けど、独断で動いてるからこそ、まだ手はあるわ。あれはもう瀕死の状態。どうしても行動には時間が掛かるのよね」

 

 

 凡そ五日前後。天魔・宿儺が見た、大獄がアレを回収するまでの期間の予測。

 

 

「そんな訳で、だ。黒甲冑が動くまでには、まだ少し余裕がある。……だから、その隙に先んじてアイツを回収する。んで、全力で黒甲冑襲来に備える。それが現状、打てる唯一の対抗策だわな」

 

 

 既に絶望的な状況。他に打つ手はないという現状。

 依代を回収しなかったのは、意味がないという理由以外にも、天魔・大獄がミッドチルダに襲い来る可能性を減らしたいという思惑もあった。

 

 だが最早、そんな皮算用をしている余裕はない。見つかってしまった以上、最強の怪物が来る事はもう確定してしまったのだ。

 

 

「……今代の依代は、何処に居た?」

 

 

 その確認の言葉に、両面の鬼が示すは一つの管理世界。

 

 

「第三管理世界ヴァイセン」

 

「俺らの大将の半分は、其処に居る」

 

 

 其処に居る。輪廻の中に紛れた、神の半身を宿した者が。

 

 

「……っ、ヴァイセンか。距離を考えると、本当にギリギリだな」

 

 

 都合良く近くに居る次元航行船はない。そうでなくとも、運送中にアレと遭遇する可能性を考えると、歪み者以外に任せる事など出来はしない。

 

 五日と言う期間で、どれ程の用意を行える物か。ヴァイセンとミッドチルダとの移動時間も考えれば、直ぐにでも人を動かさなくては間に合わない。

 

 否、今すぐ動かしても、帰路の途中で追い付かれる。

 

 

「奴に遭遇する可能性を考えるならば、やはり生存能力の高い者。……それに距離を考えるならば、あやつを動かすべきか」

 

 

 御門の本山。その最奥にて封じられる少年を動かすべきかと思考する。彼の力があれば、回収を確実にする事は出来るだろう。

 極まった歪みを持ってすれば、往路を片道にする事は出来るのだ。遭遇を、こちらの本拠に限定する事は可能なのである。

 

 そんな風に考え、部下に連絡を取る為に部屋を後にしようとする顕明。そんな彼女の背に、両面の鬼は思い付いたように言葉を投げ掛けた。

 

 

「ああ、そうだ。……部隊を派遣すんなら、高町なのはを連れて行け」

 

「何?」

 

 

 それは彼女にとって予想外にも程がある言葉。

 現状では失いたくない重要な戦力であり、故にこそ無駄死にさせる気かと眉を顰める。

 

 

「こいつは勘だがな。多分、その方が良い」

 

 

 そんな顕明に掛けられたのは、余りにも曖昧な言葉。宿儺自身、理由が分からない唯の勘。

 だが、その方が良いと感じている。そして、そうしなければ、本当に終わってしまうと感じていたから。

 

 

「……良いだろう」

 

 

 そんな鬼の提案に頷いて、御門顕明はその場を後にした。

 

 

 

 

 

4.

――血、血、血、血が欲しい

 

 

 黄昏色をした砂浜で、金糸の如き長い髪の女が歌を口遊んでいる。

 

 

――ギロチンに注ごう。飲み物を

 

 

 首に斬首痕のある美しい女が語るのは、忌まわしきリフレイン。布切れ一枚を身に纏った彼女が歌うのは、そんな呪いの詩。

 

 

――ギロチンの渇きを癒すため

 

 

 だが、何故だろうか。悪い印象は受けなかった。怖いとは思わなかった。恐ろしいとは感じなかったのだ。

 

 そう。きっと、彼女は悪いモノではない。

 

 

――欲しいのは、血、血、血

 

 

 もっと声を聞きたいと思った。その顔を見たいと思った。だから。

 

 

「君は誰?」

 

 

 言葉と共に振り返る彼女の顔は、まるで擦り切れてしまったように映らない。この身に宿る魂には、もう彼女の記憶は残っていないから。

 

 

――血、血、血、血が欲しい

 

 

 唯、歌声を繰り返す。まるで壊れたビデオの様に、砂嵐ばかりが映るリフレイン。

 

 

 

 そんな夢を、毎晩見ている。

 そんな想い出ばかり、夢に見ている。

 

 そんな光景など、見た事もないのに、懐かしいと感じていた。

 

 

 

 

 

 朝が来る。いつも通りの朝が来る。

 九年間、同じ夢を見て、同じように目を覚ます。

 

 寂れた鉱山街にある孤児院の一室。贅沢は出来ない。寧ろ貧しいと言える日々。そんな寂れた日常が、この生活が、少年は意外と気に入っていた。

 

 何を考えているのか分からない。感情がないんじゃないか。まるで人形みたいに無反応だ。

 良く言われるのはそんな言葉。孤児院の仲間達もまた、近付こうとしない変わり者。自分自身、まるで自分がないように感じる事も多くある。誰かの想いに引き摺られているだけだと思う事もある。

 

 当然だ。彼が持つは神の魂。その膨大な質に影響されて、己と言う個我が育つ筈がない。無表情。無反応。無感動となるのが必然なのだ。

 

 それでも、度重なる輪廻の果てに、彼の魂は弱っている。その内に、少年と言う色が生まれる余地を生み出している。

 そんな少年は気に入っているのだ。それが自分以外の影響だとしても、確かに気に入っている。

 顔に出なくとも、表に出来なくとも、友人が居なくとも、この一瞬の刹那を気に入っていた。

 

 時が止まってしまえば良いのに、そんな風に思うぐらいに、変わらぬ日々を愛していた。

 

 だから、今日も変わらないのだろう。

 だから、何時までも変わらないのだろう。

 

 そんな風に感じて窓を開く。

 

 そこには、地獄絵図が広がっていた。

 

 

「……え?」

 

 

 分からない。分からない。分からない。

 何が起きたのか分からない。いつも通りな筈だったのに、何かがおかしい。誰も彼もが狂っている。

 

 ヴァイセンと言う小さな世界で、その嵐が起きていた。

 

 殺し合っている。笑い合っていた友人達が、仲睦ましい恋人達が、長年連れ添った夫婦が、支え合っていた親子が、支え合って生きていた兄弟達が、皆狂って殺し合っている。

 

 阿鼻叫喚の地獄はない。嗤い狂っている外道が居る訳でもない。誰もが獣になったかのように、浅ましく殺し合い喰らい合っている。

 

 肉を潰されようが、骨を圧し折られようが、彼らは止まらない。

 感染し、発症した彼らは、心の臓か脳漿を潰されぬ限り止まらない。

 

 動悸がする。呼吸困難が起こる。この感覚を知っている。これは既知だ。

 

 

――永劫破壊とは、即ち聖遺物を人の手で扱う技術。その発動には、人の魂を薪とする。故に、この術を施された者は魂を狩り集める為に、慢性的な殺人衝動に駆られる事となる。

 

 

 違う。そうではない。これは永劫破壊ではない。

 だが、この病毒は、限りなくそれに近い。だから慣れている。だから耐えられている。だから、適合出来てしまっている。

 

 これは劣化品だ。これは模造品だ。この原初の種より生み出された病は、永劫破壊に極めて似ている。

 似ているだけで違うから、才なき者らにも感染し、しかし適合出来ぬから、こうして地獄絵図を生み出している。

 

 殺意の方向を定められていない活動位階の者らは理性を失い、獣の如く外部の魂を求めて喰らい合っている。この地で自我を残しているのは、神の依代である少年だけだ。

 

 

 

 ガタンと音を立てて、部屋の扉が砕け散る。其処には、返り血に染まった孤児院の園長先生の姿。背には頭部の砕け散った無数の屍。

 

 赤く、赤く、赤く、赤い液体が砕けた扉から流れ込んで来る。

 

 

「う、うあああああああああああああああああっ!!」

 

 

 逃げ出した。逃げ出した。逃げ出した。

 脇目も振らず、考慮もせず、窓から飛び出して全速力で逃げ出した。

 

 生存を確認する事もせず、止めようとも考えず、失われてしまった刹那を想う事もなく、恥も外聞もなく逃げ出していた。

 神の魂の内に生まれたばかりの小さな色が悲鳴を上げる。確かにある細やかな感情が、恐怖の悲鳴を上げている。

 

 適合した己に、発症しただけの彼らでは追い付けない。自分ではない誰かの記憶がそう冷静に判断している。

 そんな事すら気にならない程に、幼い子供は恐怖に駆られて逃げ惑う。

 

 

 

 そうして、逃げ続けた果てに、其処に辿り着いた。

 

 

「スカリエッティの奴。……こうなるなんて、聞いていない」

 

 

 お気に入りの場所。広く鉱山街が見える高台。

 そこに立っているのは、赤き髪に巨大な槍を携えた黒き鎧の幼い少年。

 

 そんな彼は気配に気付くと振り返る。そうして、その目を見開いた。

 

 

「まさか、適合者が居るなんて」

 

 

 本当に信じられない、と驚愕の瞳で見やる黒き槍騎士。

 その態度に、彼がこの事件と関わっているのは間違いないと感じた。

 

 

「……お前が」

 

 

 少年は黒騎士に問い掛ける。

 お前がこの地獄を作り上げたのか、と。

 

 

「お前がやったのか」

 

「……ああ、僕がやった」

 

 

 返る答えは肯定。当たり前の事を認めるかの如く、騎士は口にする。

 

 

「っ! あぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 言葉を聞いた瞬間に、獣の如く飛び掛かっていた。だが、届かない。

 

 

「寝てろ」

 

「がっ!?」

 

 

 翻った槍の石突が腹部に打ち込まれる。

 再生を起こさせず、それでいて痛みで行動を封じ込める絶妙な威力でその打撃が撃ち込まれる。

 

 そしてバインドが絡みつく。その魔力の輝きは黄色。変換資質により雷を纏ったそれは、少年の自由を完全に奪い取る。

 

 そうして蓑虫の如く、あらゆる自由を奪われた少年から目を逸らすと、黒騎士は視線を鉱山街へと向ける。

 

 

「……奴との約定は果たした。ならば、もういらない」

 

 

 指示された通りに病をばら撒いた。一昼夜観測せよとの約定も果たしている。恐らくはあの狂人が望んでいたであろう、適合者も此処にいる。

 

 ならば、最早、狂い殺し合う人々は不要だ。

 

 

「手向けだ。哀れな者達。君達の悪夢はこれで終わる」

 

 

 騎士の掌に炎が灯る。その色は黒。

 

 

「アクセス――我がシン」

 

 

 暗い炎が燃え上がる。その炎は何処までも暗く、暗く、無価値な色をしている。

 

 

(シン)(シン)から、(シン)(シン)へ、堕ちろ、堕ちろ――腐滅しろ」

 

 

 物質界の全てを消滅させる、黒き炎が燃え上がる。何もかもを一瞬で消し去り、無価値にする炎が街を蹂躙する。

 掌から零れ落ちた黒き炎は一瞬でヴァイセンの鉱山街を包み込み、何もかもを焼き尽くした。

 

 

 

 後には何も残らない。後には何も残さない。

 無価値の炎に全てが焼かれ、何もかもが燃え去り消える。

 

 美麗な刹那が、無価値に燃えて消え行く姿を、少年は唯、見ているだけしか出来なかった。

 

 

「意識はあるかい? ならば覚えておくと良い」

 

 

 黒き騎士が見詰めている。全てを焼いたその少年が語っている。この黒き炎を、この無価値な我を、その身に刻んでいけ、と。

 

 

「僕を恨め。お前から全てを奪い去った、この僕を」

 

 

 これは己の罪だ。これは己のシンだ。

 命じられた事など理由にならぬ、故にそれを背負う為に黒き騎士は言葉を告げる。

 

 

「名を聞こう。名を刻め。僕を恨むお前の名を、お前が憎む僕の名を」

 

 

 産まれたばかりの小さな意志は、憎悪を抱いて黒騎士を見上げる。この怨敵にその名を刻み付けるかのように、小さくも確かな意志で睨み付ける。

 

 

「トーマ・アヴェニール」

 

 

 対する黒き槍騎士は、そんな少年に己の名を返す。感情を酷く揺さぶられた結果、漸く生まれ始めた少年に向かって、己を刻み込むように名を語る。

 

 

「エリオ・モンディアル。覚える価値などない名だけど、生憎、これ以外に名乗れる物がないんだ」

 

 

 ここに神の半身と、無価値の悪魔は邂逅した。

 

 

「さらばだ、トーマ」

 

 

 その邂逅は一瞬だ。それ以上などありはしない。

 燃え盛る黒き炎を背に、エリオは立ち去っていく。

 

 

「……エリオ」

 

 

 その名を忘れない。その怒りを忘れない。生まれ始めた憎悪を忘れない。

 

 己の内にある記憶はこの程度なら動けると判断している。もう一人の己は動けると語っている。

 であるのに、己は痛みで動けない。体を汚染し作り変えている病で動けない。

 

 だから、唯、憎悪を込めて、その名を忘れないと口にするしか出来なかった。

 

 

 

 第三管理世界ヴァイセン。この世界は今日、この日を持って滅び去る。

 無価値の炎に焼き尽くされて、後には唯、神の依代だけが残されていた。

 

 

 

 

 

 

 




スカさん「私がエリオ君程に良質の素材を使い捨てるとでも思っていたのかね?」


設定変更はトーマ関係のアレコレ。
年齢と、原作でまだ明かされてないエクリプスやヴァイセン犯人などを捏造しました。

年齢は現時点で九歳に変更。(本来はまだ二、三歳くらいだった筈)
STS開始時にはティアナと同い年になる予定です。彼の魂に影響されているので、原作通りには育ちませんが。


そして、ここのエクリプスウイルスは信頼と実績のスカさん印。その性質は劣化永劫破壊。
ついでに劣化品の無価値な炎を作ってるスカさん。輝いていますね。彼。

そろそろ本領発揮しそうなスカさん。STSではもっと輝いてくれる事でしょう。



そしてマッキー降臨フラグ。
うん。まあ、アイツ、原作スペックなんだ。

そんなマッキーが降臨する理由。

┏(┏^o^)┓「カメラードォ」

トーマくんが見つかったからです。





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終焉の絶望編第二話 星は墜ちる

今更ですが、今章は絶望臭濃厚です。

そう言うのが苦手な人は、STS編終盤まで投稿されてから一気読みする事を勧めます。


最後まで絶望臭は付き纏いますが、最終的にはトゥルーエンドに至ります。流れが変わるのが、STS終盤の予定です。


1.

 憎むと言うのは、酷く気力を消費する感情だ。

 一時ならば兎も角、長く、強く、憎しみを抱き続けるのは難しい。

 

 少なくとも、生まれたばかりの自我しか持たぬ少年にとっては、憎悪と憤怒を抱き続けると言う事は不可能な行為であった。

 

 

「……」

 

 

 激しい感情に揺さぶられて芽生えかけている心は、然し未だ明確な個我を得るには至らない。幼い心は、未だ成熟には至れない。

 

 元より、彼は真実、この刹那を愛していた訳ではない。愛せる筈がない。愛する他者は愚か、己自身すら存在していないのに。

 

 故にそれは彼の前世とも言うべき、ある男の名残りだ。

 それは彼が内に秘める神の残滓が抱いた感情に引き摺られていただけだ。

 

 何もない刹那を愛する想いも、時が止めれば良いのにという願いも、全てを奪われた憤怒も、何もかもがトーマの物ではない。

 

 激しい感情に揺さぶられて、自我が芽生えかけてはいるが、これはそう遠くない内に消え去ってしまうであろう。

 

 トーマだけが持つ物を生み出せない限り、彼は己の内にある神の魂に飲まれて消えるのだ。

 神の記憶を乗り越えない限り、彼は己を得る事すら出来ぬのだ。

 

 それは歴代の依代達が通った道。

 輪廻の中で、僅かに生まれかけた感情は、結局実を結ばずに消え去り続けていた。

 

 

 

 無価値となった鉱山街。その全景見渡せる高台で仰向けに寝そべりながら、人形のように虚ろな瞳でトーマ・アヴェニールは空を見上げる。

 

 打ち倒されて、置いて行かれて、そうしてずっと、トーマはそうしていた。

 何をするでもなく、何を考えるでもなく、何を想うでもなく、唯、其処に倒れていた。

 

 

「……フネ」

 

 

 暗い雲の隙間、空の向こうに船が見える。その歴戦の風貌を船体の傷として残す巨大な船は、管理局が誇る巡航L級艦船。

 

 大気圏内へと突入し、近付いて来るその大きな船を、トーマはぼんやりと見上げていた。

 

 

 

 

 

2.

「――と言うのが、ヴァイセンにて起きた集団変死事件の全容です」

 

 

 L級次元航行艦船二番艦エスティアの一室で、二人の女性が語り合っている。

 茶髪を短く切り揃えた冷たい印象を受ける女性と、長い青髪を頭の後ろで束ねた快活な女性。どちらも印象は違うが見目麗しい女性である。

 

 

「そんな事があったのね」

 

 

 茶髪を短く切り揃えた眼鏡姿の女性、オーリス・ゲイズ。

 彼女が纏め上げた文書のコピーを手に、クイント・ナカジマはこの地を襲った悲劇の断片を理解した。

 

 

 

 第三管理世界ヴァイセン。彼の地を襲った集団変死事件よりそう時を置かずに到着した管理局の部隊は、唯一の生存者であったトーマ・アヴェニールを保護し、治療に当たった。

 

 その後、話を聞ける程度に回復した彼より事情説明を受け、現場検証を行っているのが現状である。

 

 

「んでさ、トーマ・アヴェニールって、上から保護して来いって言われてた子でしょ? 保護出来次第、直ぐに戻るように言われてるけど、……戻んないの?」

 

 

 彼らに与えられたのは、一枚の写真。同時に下された指示とは、其処に映っている人物を保護して、ミッドチルダまで早急に連れて来るように、という物であった。

 

 だが、その指示を無視して、彼らは未だヴァイセンに留まっている。

 大気圏内にエスティアを浮遊させ、バリアジャケットで防備した武装局員達に周辺の精査を行わせているのだ。

 

 その指揮を執っているのが他ならぬ、この場に居るオーリス・ゲイズ三佐であった。

 

 

「はい。今回の特殊任務には些か以上に不自然な点が多過ぎます。それを精査せずに戻るのは、ある意味最も危険であると父――レジアス中将は判断しているのです」

 

「最も危険、ね。割と今更な感じがするけどね」

 

 

 彼女が此処にいる理由は単純だ。

 

 たった一枚の写真だけ渡して、何故保護するのかすら語られていない任務。

 休暇中であったクイント・ナカジマや、別部署の高町なのは等を無理矢理連れ出して用意した寄せ集め部隊は、余りにも出鱈目な面子を揃えている。

 

 不沈艦と言う異名を持ち、大天魔の襲来にあってなお一度足りとも沈んだ事のないこの船、エスティアと言う旧式艦。

 まるでその異名に願掛けするかのように、多少の性能差など関係ないと言うかの様に、それを選んだ事がまずおかしい。

 

 そして、乗組員の構成も違和感ばかりある。技能的には兎も角、その職を専門としていない者ばかり掻き集められているのだ。

 

 彼の地球での災害から生き延びたヴァイス・グランセニック。

 地球出向時、偶然体調を崩していたが故にアースラクルーでありながら地球に出向しなかったルキノ・リリエ。

 他にも、全員が何らかの形で奇跡的に助かったと言われる者達。現在のエスティアを動かしているのは、そんな彼らである。

 

 それに加えて艦長にファーン・コラード三佐。老いて退役するまで、一線で活躍し続けた教導隊の魔導師を据えているのだ。

 既に現役を離れて久しい、地獄を生き延び続けた女傑を態々訓練校から引っ張り出して起用しているのである。それも艦長経験などない人物を、だ。

 

 余りにも不自然が過ぎる。違和感しか存在しない。

 

 まるでどうしようもない状況下で、藁にも縋るように縁起担ぎをしている。そんな事を言われたら信じてしまいそうになる面子ばかりが、ここに居るのだ。

 

 それに対して懸念を示したレジアス中将が、その懸念を精査する為に送り込んだ人物。それこそがオーリス・ゲイズであった。

 

 

「他にも色々とおかしな事があります。例えば、何で保護対象であるトーマ・アヴェニールだけが生き延びてて、都合良く他の人が全滅してるのか」

 

 

 理由を明かされず、普通に生きている子供を保護する。それは拉致行為と何も変わらないだろう。

 管理局のネームバリューがあるとは言え、少年とある程度以上親しく付き合っている者が居れば、保護は些か手間が掛かる物となっていた筈だ。

 

 

「……管理局上層部がこの事件を仕組んだとでも言う気?」

 

 

 オーリスの発言の意図を読みかねるクイントが口を開く。そんな彼女に対して、オーリスは首を振って否定を返した。

 

 

「まさか、多分今回の事は彼らにも予想外だった筈です。……最初から保護対象以外を消す心算なら、個人を保護しろではなく、生存者を保護しろと命令が下っていたでしょう」

 

 

 個人を保護しろと命じれば、何故なのかと邪推が入る。邪推が起これば暴かれる危険が残る。こうしてレジアスが娘を介入させたように、他者の妨害が加わってしまう。

 

 もしも管理局が特定の人物のみを意図的に残していたのだとすれば、そんな邪推が入る余地など残す筈がない。

 

 

「……私はこの事件は唯の偶然。或いは、逆に変死事件の首謀者が、管理局の掴んだ情報に合わせて動いたのではないか、と判断しています」

 

 

 管理局が意図したのではなく、管理局の動きに誰かが便乗した。その結果がこの惨劇ではないかとオーリスは語る。

 故にこの事件は無関係なのだ。この凄惨な事件よりも、何か恐ろしい事が起こるやもしれないのだ。

 

 それが、何よりもオーリスには恐ろしかった。知らずに済ませる事が出来ない程に。

 

 

「……考え過ぎじゃないの、オーリス。上が秘密主義なのは今に始まった事じゃないでしょ?」

 

 

 そんな風に留まり続け、この世界を良く精査するべきだと語るオーリスを、考え過ぎだとクイントは笑い飛ばす。

 そんな彼女の快活な笑みに、感じている不安を多少和らげながら、オーリスはその鉄面皮を崩した。

 

 

「……楽観的過ぎるのは貴女の悪い癖だと思うわ、クイント姉さん」

 

「考え過ぎなのはアンタの悪い所よ。むっかしから変わんないわよねー」

 

 

 オーリスが口調を崩した事で、二人は気安い態度で話す。実際、この二人は親しい仲である。

 クイントの直属の上司であるゼストと、オーリスの父であるレジアスは竹馬の友とでも言うべき間柄だ。

 当然、その二人を接点として両者が私的に会う機会もあり、幼い頃よりオーリスはクイントを姉の如く慕っていたのである。

 

 

「……唯でさえ、姉さんは最近体調が良くないのだから、もう少し気を使って欲しいわ」

 

「げっ、バレてる?」

 

「気付かない訳ないでしょう? 不摂生なのは駄目よ」

 

「んー。そういうんじゃないんだけどさー」

 

 

 向けられる心配に、何処か言葉を濁しながら、軽く頭を搔いていたクイントは意図的に話題を変える。

 

 

「って、それより、そうじゃないわよ。トーマよ。トーマ」

 

「急に話しを逸らさないでよ。それも悪い癖よ。……それで、トーマ・アヴェニールがどうしたの?」

 

「あの子、身寄りないんでしょ? このままだと、管理局の孤児院行きと見た!」

 

「……ああ、何時もの病気ね」

 

 

 クイント・ナカジマは、万仙陣が齎した事件より一つの悪癖を生み出していた。

 身寄りのない幼い子供を見ると発症するその病に、親しい知人は皆頭を痛めている物だ。

 

 

「で、その子、どんな感じ? 予想外な程に理性的だったんだっけ?」

 

 

 故郷全てを焼き尽くされて、後に残るモノはなく、だと言うのに彼は冷静に受け答えが出来ていた。

 自身が見聞きした事を、年齢からは考えられない程にしっかりと口にしていたと聞く。

 

 クイントは未だ直接会っていない少年の様子に興味を持ってオーリスに語り掛けるが、彼女は何処か表情を曇らせる。きっと、彼女が望んでいる言葉は返せない。

 

 

「あれは理性的と言うより――」

 

 

 まるで人形の様であった。内に何もない人形が、予め決められた事柄に反応していただけ、そう思ってしまった。

 

 そう口にしようとしたオーリスは、自身の言わんとする事を鑑みて、首を振って口を噤んだ。

 

 

「――いえ、大した事ではないわね」

 

「ふーん。よっし、見て来るわ!!」

 

 

 言うが早いか、クイントは部屋を飛び出し、トーマが保護されている医務室へと突撃を始める。その後ろ姿に、頭が痛くなるような思いを抱えて、オーリスは溜息を吐いた。

 

 クイントの悪癖。それは身寄りのない子供を見つけると養子にしようとする事だ。

 

 三年前より続いていて、しかし未だ一人も養子縁組出来ていない。「私の子供になれ」と言わんばかりにがっついて、寧ろ子供達に泣かれ嫌われてしまうその姿は、理由を知るが故に、ある種憐れみを誘っている。

 

 いっそのこと前線に居る戦闘機人でも持っていこうか、などと言い出した際には流石に止めたが、そろそろ一人くらいは養子になってくれる子が居ても良いだろうとも思う。

 

 

「……あのトーマって子が頷くとは思えないし、また自棄酒に付き合うのかしらね」

 

 

 破天荒に引っ掻き回し、不安など消し飛ばしてくれる姉の背を見詰めながら、オーリスはそんな風に言葉を呟く。

 懸念は未だ晴れない。だが、管理局が絶対に戻れと指定した日時までにはまだ時間がある。

 

 後一日、この地を調べよう。トーマ・アヴェニールの背後関係を洗おう。自身が調べている間にも、父が何かを見つけ出してくれるかもしれない。オーリスはそう考えて、仕事に戻るのであった。

 

 

 

 

 

3.

――君に伝えたい事があるんだ。

 

 

「……にゃはは」

 

 

 どこか恥ずかしそうに少年が口にした言葉を思い出す。

 彼が口を開く前に呼び出されて言葉が伝えられる事はなかったが、真っ赤に染まったその顔が言葉以上に雄弁に語っていた。

 

 

――……戻って来たら、君に伝えるよ。

 

 

 大切な事だから、急かされながら言いたくはない。

 そんな少年がどんな風に言葉を口にするだろうかと予想しながら、なのははヴァイセンの空を飛んでいた。

 

 

「……あれ?」

 

 

 ヴァイセン上空にて警戒任務に当たっていた高町なのはは、船の甲板上に一人の少年の姿を見つけて声を漏らす。

 茶髪に癖のある髪型をした幼い少年。トーマ・アヴェニールである。

 

 正直、高町なのははその少年を苦手としていた。

 

 見たことがない程に強大な魂。まるで星を飲むほどの大きさを、無理矢理人間大に縮めたような密度の魂を内包しながらも、無表情、無感動で何を考えているのか分からない少年。

 

 語り掛けても機械的に返すだけ、誰よりも強大な魂を持っているのに、まるで生きていない姿にその真を掴みかねていたのだ。

 

 だが、今はその少年に変化が起きている。

 遠目に見ても分かる程に、異質で巨大な魂が、小さく輝いているのだ。

 

 最初に見た時、その魂は掠れていた。削れて、摩耗して、風化して、今にも消え去りそうな程、密度は濃いのに色は薄い。そんな異質な魂だった。

 

 その内に、小さな色がある。魂の全体像と比べて遥かに小さなその色は、小さな染み所か点にすら見えない。

 ともすれば見失ってしまいそうになる儚い点。だが、それが確かに輝いて見えたのだ。

 

 

「ねぇ、どうしたの?」

 

 

 だから、だろうか。苦手としていた少年に、なのはは語り掛けていた。

 

 

「……分からないんだ」

 

 

 分からない。少年はそう言葉を漏らす。

 真実、戸惑いを抱いている少年は、分からぬ言葉を分かろうと、甲板に出て思考をしていた。

 

 

「分からない?」

 

「“記憶”にないんだ。“記憶”も知らないんだ。それが僕には分からない」

 

 

 それは神も知らない。父母の愛を受けずに育った刹那の記憶にはない、一つの存在。

 

 

「ねぇ、お母さんって何?」

 

 

 空より近付いて来たなのはに対して、トーマは彼女を見上げて問い掛ける。

 今世でも、前世でも、母の愛を知る事のなかった子供がそれを問い掛けていた。

 

 

「どうして、知りたいと思ったの?」

 

「家の子になりなさいって言った人が居る。お母さんになってあげるって言った人が居る。その言葉が、良く分からない」

 

 

 突然入って来た女性がそう口にした。捲し立てるように、家の子にならないかと語る彼女は、必死過ぎて普通の子供ならば退いてしまう物であっただろう。

 

 だが、ここに居る少年は普通ではない。空っぽの少年は、まだ芽吹いたばかりの少年には、強き言葉でなくては響かない。

 だからこそ、その真に迫った言葉がガランドウの胸に響いていたのだ。

 

 

「……それで、どう思ったの?」

 

「分かんない」

 

「嫌じゃなかった?」

 

「多分」

 

 

 なのはの言葉に、トーマが答えを返す。

 嫌ではなかった。そう、嫌ではなかったのだ。

 

 家族に成ろうと言われて、分からないから無理だと返した少年に、私も分からないから一緒に探して行こうと語った女性。

 

 クイントは何処までも真摯に向き合ったから、その小さな感情の欠片を揺り動かすに至っていた。

 

 魂を見詰める少女は気付いている。高町なのはには分かっている。

 その小さな魂に宿った色。その波長から、大体どのような感情を抱いているのかが判断できる。

 

 そう、ならきっとこの子は――

 

 

「なら、きっと嬉しかったんだよ」

 

 

 嬉しかったのだ。その魂の輝きは、喜びの色をしていた。

 

 

「そう、かな」

 

 

 クイントの言葉は不純だ。彼女の行動は純粋ではない。

 子供が欲しい。母になりたい。その為に誰でも良いからと声を掛ける事を、良い行いとは言えないであろう。

 

 だが、それでも、そんな形でも真剣に求められるのは初めてだったのだ。

 産みの親も、育ての先生も、同じ仲間達であっても、彼を受け入れようとはしなかった。それ程に、彼は異質であった。

 

 

「うん」

 

 

 だからこそ、不純であってもトーマにくれた言葉が嬉しかった。純粋でなくとも、その声は真摯であったから、彼を揺り動かすだけの力があった。

 その言葉があったからこそ、僅かに芽生え始めていた自我は、確かな己を獲得しようとしている。

 

 

「そう、なんだ」

 

 

 なのはは知らない。それがどれ程に凄い事なのか。

 

 両面の鬼が待ち望んで、御門顕明が諦めたその芽生え。

 神の残滓に翻弄されて芽生えた感情ではなく、真実トーマ自身が初めて抱いた、彼の内より零れ出した喜びと言う感情。

 

 これまでは駄目だった。僅かに自我が生まれる余地すらなかった。向き合ってくれる人が居なかった。例え居ても、彼の記憶と被る事では意味がなかった。

 

 今だからこそ、その変化が起きている。

 それがどれ程の奇跡であるのか、彼女は知る由すらなかった。

 

 

「それで、お母さんになってもらうの?」

 

「分かんない。だって、何すれば良いのか分かんない」

 

 

 今までのトーマの行動は、全て“記憶”という模範解答があった。

 喜びも怒りも哀しみも楽しさも、全て彼の記憶をなぞって真似ていただけ、だからこそ、誰もが彼を人形の様だと感じていた。

 

 だからこそ、初めて自分で考える彼は、何が正解か分からぬ道に惑っている。

 

 

「簡単だよ」

 

 

 そんな彼に、なのはは先達として答えを示す。それはとっても簡単な、子供の権利。

 

 

「お母さんって呼んで、一杯甘えるの。それで十分なんだから!」

 

 

 なのはの言葉をトーマは衝撃を受ける。

 とても簡単で、でもとても難しい事。甘えると言う行為すらも知らない彼は、どうしたら良いのか分からない。

 

 それでも、そうして“記憶”にない事が増えていく。トーマ自身が確かな者に変わっていく。

 

 未だ生まれたばかりの少年と、母に成りきれていない女。不器用な二人は、けれど確かな絆を築くであろう。

 

 子供ならば誰でも良いという考えは、共にある内に変わる筈だ。

 未だ明確な形にならぬ自我は、共にある内に成長していく筈だ。

 

 きっと二人は、良い方向へと向かっている。

 それが分かったから、高町なのはは微笑んで――

 

 

 

 

 

「……え、何で?」

 

 

 急に輝きを失ったトーマの魂に、驚きの声を漏らすしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 誰かが一点を見ている。

 それは焼け落ちた鉱山街の先、遺跡鉱山のある地点。

 

 其処を、その先から来る者を、トーマではない誰かは見詰めている。

 

 

「なぁ、良いのか?」

 

 

 ぶっきらぼうな口調で、トーマではない誰かが言葉を紡ぐ。

 

 その異常な密度をした魂が、恐ろしい程に輝いている。

 僅かに残った“記憶”が、同胞との共鳴を得て、此処に少年を塗り潰す程に励起していた。

 

 そう。此処に現れる。“記憶”にとっての同胞が。少年を塗り潰す程に近く、近く、彼が近付いている。

 だから、少年を塗り潰した残滓は、何でもない事を口にするかのように、その絶望の名を呼んだ。

 

 

「ミハエルが、来るぞ」

 

「みは、える……?」

 

 

 そんな彼の言葉と共に、それは現れた。

 

 

 

 それは、赤い涙と共に堕ちては来なかった。

 それは、大地を震わせ、炎を伴って現れる訳ではなかった。

 それは、雷光と共に現れる訳でもなければ、或いは世界が悲鳴を上げるかのように、罅割れて姿を見せる訳ではなかった。

 

 何時の間にか居た。

 そう表現する事しか出来ない程に、気付けば遺跡の上に立っていた。

 

 まるでコマ落ちしたフィルム映像。絵コンテが抜け落ちたアニメーション。

 明らかに前後がおかしい。居る筈のない異物が、唐突に出現すると言う異常が其処にあった。

 

 

「何……あれ……」

 

 

 何だあれは、何だあれは、何だあれは。

 

 高町なのはは理解出来ない。強いとか弱いとか、大きいとか小さいとか、そんな事が分かる領域にあれはいない。

 

 その虎を模した兜で己の面を隠し、擦れて崩れ落ち続けている黒き甲冑に身を包んだナニカは、余りにも異質だ。どうしようもない程に、条理から外れ過ぎている。

 

 まるで空を泳ぐ深海魚。深海で生活する肉食獣。地中を飛び回る鳥。

 其処に居る事自体がおかしい。まずもって、そんな物が居る筈がない。そう感じさせる怪物だった。

 

 

「天魔・大獄」

 

 

 その異常に気付いたのか、クイント・ナカジマが言葉を漏らす。

 艦橋で呟かれるその声に、怪物に飲まれたなのはは言葉一つ返す事は出来ず、しかし同時に理解していた。

 

 あれは大天魔だ。それも、今まで見た誰よりも恐ろしい大天魔である、と。

 

 

「早くっ! 逃げなさいっ!!」

 

 

 そんな彼女に、クイントは逃げろと叫んでいた。

 大天魔を前にしてもなお立ち向かえる女性の表情が、唯、恐怖で染まっていた。

 

 

 

 黒き砂漠が広がっていく。あらゆる物が渇いて逝く。万象全てが命を失い、黒き砂となって崩れ落ちる。抗えぬ死が振り撒かれる。

 

 それは彼が何かをしたからではない。

 求道の極致である怪物は、別段何をしている訳でもない。

 

 天魔・大獄。其は求道の到達点。徹底した静の具現。

 鎧の内で完結したその法は、他者に害を為す事はない。その一瞥が、その挙動が、直接何かを齎す訳ではない。

 彼は己一人で閉じているから、その影響が外部に漏れる道理はない。

 

 彼は唯、其処に居るだけだ。故に、周囲が滅び去って行くのは、彼の仕業ではない。

 終焉と言う怪物に触れた周囲の物がその波動に影響されて、勝手に死んでいるだけなのだ。

 

 そう。何をする必要もない。唯、其処に居るだけで全てを終わらせる。それはそういう怪物だ。

 

 最強の大天魔。天魔・大獄。

 終焉の絶望が、少女達の眼前に姿を見せていた。

 

 

 

 嘗て、この世界に大天魔が堕ちて来た時、流れ出す神は己の崩壊も恐れずに、共に堕ちて来た同胞達の身を守った。

 既に崩壊しかけていた彼らを保つ為に、己の加護を劣化させ、その存在を保つ為に力を抑え付けたのだ。

 

 だが、そんな彼の行いに否と答えた者が居る。

 当時の彼に言葉を掛ける事が出来た二人の内の一人。その男だけは、神の保護に否と答えたのだ。

 

 

――もし、奴が来たら、お前はどうなる? その想いを果たす事すら出来ず、波旬の法に討たれるであろう。俺はそれが許せない。

 

――自滅は良い。お前が愛した子らがお前を殺すのも、お前が蘇り永劫全てが凍り付くのも構いはしない。

 

――それはお前の選択の果てにある結果だからだ。奪われるのではなく、失われるのではなく、そうなってしまったならば、それがお前の終焉なのだろう。

 

――だが、奴には渡せない。俺の刹那を、波旬の法に譲りはせん。お前に訪れるべきは至高の終焉だ。聖戦の果ての結末が、奴に砕かれると言う形になる事だけは認められん。

 

――だから、どうか俺を止めようとしてくれるな。お前を守る為にも、この力が必要なのだ。

 

 

 それが嘗て交わされた言葉。

 そこまで言われてなお、消滅寸前の彼を止めようとした神に、男は告げた。

 

 

――案ずるな、俺を信じろ、戦友(カメラード)。お前を残して、俺は逝かん。

 

 

 そう言われてしまえば、信じずにはいられなかった。故に、神の保護は彼にない

 

 

 

 天魔・大獄はこの地に堕ちて来た瞬間から、既に死に掛けていた。

 光を見る事は出来ない。音を聞く事は出来ない。味覚も嗅覚も死に、触覚すら存在しない。五感は完全に失われている。

 

 全身を苦痛が苛み、一歩動くだけで魂は自壊しかける。軋む鎧は常に崩れ続けている。己を閉ざす殻すら安定させられない。

 

 彼はこの数億年、一睡たりともしたことがない。一寸でも眠りに堕ちれば、その瞬間に死亡する。僅かにでも意識が途絶えれば、もう己を保つ事すら出来はしない。故に唯の一度も休んだことがない。

 

 そんな状態で、彼は数億年に渡り己を保ち続けた。

 そんな形でありながら、彼は失った刹那の半身を探し続けた。

 そんな有り様だと言うのに、未だ天魔・大獄は最強の力を保っている。

 

 最強の大天魔は未だ健在だ。

 

 

「嗚呼、其処に居るのだな、戦友(カメラード)

 

 

 掠れた声で黒甲冑が言葉を漏らす。声を出す事すら辛いであろうに、そんな素振りを見せる事すらない。

 

 姿は見えない。声は聞こえない。

 繋がりを頼りに半身を探して、天眼によって位置を探る。

 

 それはさながら、足元の小石を天体望遠鏡で探そうと言う行為。合理性と言うのが欠落した、余りにも無駄が過ぎる行動だ。

 だが、それ以外に今の彼には、戦友を探し出す術がない。

 

 

「そうだ。俺は此処に居るぞ、ミハエル」

 

 

 トーマの中に居る誰かの記憶が言葉に応じる。

 彼の残滓が、己を迎えに来た友人を受け入れようとしている。その残滓に正常な判断能力などない。

 

 それは脊髄反射の如く、嘗ての記憶に引き摺られて呼応しているだけに過ぎない。

 

 それでも、友の呼び声は、大獄に届いていた。

 どれ程に摩耗しようとも、その男が己の戦友の声を聞き逃すなど、あり得ない。

 

 ゆっくりと、本当にゆっくりと、天魔・大獄は動き出す。

 死を以って死を殺す。己に訪れる終焉を、全てを終わらせるというその力で相殺する。

 僅か体を身動ぎさせるだけで死に至る彼は、己の力で己の死を無理矢理に殺して、そうして漸く、自由に動く事が出来るのだ。

 

 三つ首の虎が姿を現す。その巨体が大きさを増して行く。大極は既に展開されている。

 既に五感を失って久しい彼が、何かを認識する為には己を引き延ばして確認するしかない。

 太極という手を使って、手探りに探す。或いは天眼を利用する。それ以外に、彼に現実を理解する術はない。

 

 求道の究極形である彼の太極は、内向きに閉じた物。その巨大な随神相の内側にこそ存在している。

 それを以って彼が外界を知ろうとするならば、知ろうとする全てを随神相の内側へと飲み込まねばならない。

 

 終焉と言う地獄の中へと。

 

 波旬の法下で抑圧されていた頃と異なり、彼は望めば一瞬で単一次元世界を地獄に飲み干すであろう。その終焉の地獄へと、何もかもを取り込めるであろう。

 だが、それは彼の本意ではない。それを彼は望んではいない。だからこそ、その随神相の行動は、酷く緩慢だ。

 

 死の息を吐く事もない。破滅の光を齎す事もない。大陸よりも巨大化出来るであろうその随神相も、今は山より大きな程度だ。

 

 逃げるならば逃げろ。去るならば追わぬ。

 戦士でない者を殺す気はなく、戦士であっても無差別な死は望まない。

 

 天魔・大獄が求めるのは、トーマの内にある魂のみだ。

 

 ゆっくりと随神相が迫る。その内側へと全てを飲み込んでいく。

 その力に触れた物が、全て死んでしまう。巨大な随神相に飲まれて滅び、その随神相の緩慢な動きだけで、世界が砂の大地に変わってしまう。

 

 黒き砂が広がっていく。あらゆる物が命を失い、黒き砂漠となって広がっていく。其処に救いなどありはしない。

 

 彼の太極は黒肚処地獄。それは遍く全てを終わらせる理。

 

 万象には発生と同時に終わりがある。

 開始の幕があるならば、必然として終わりは訪れる。

 この世に一秒でも存在した物ならば、何時かは必ず終わるのだ。

 

 彼の法則とは、その終わりを強制するという物。

 歴史ある存在。この世に一秒でも存在した物ならば、例外なく触れるだけで終わらせる終焉の拳。

 

 広がり続ける随神相は、彼の拳と同じだ。その全身遍く全てに死が満ちている。その内側に飲まれれば、全てが砂となって滅び去る。

 

 例外などはない。抗える者など居ない。終焉の怪物は誰にも止められない。

 

 

 

 ならば、対処は一つだ。

 

 

「……全く、刀自殿も人使いが荒い」

 

 

 ミッドチルダ東部。御門一門が大社の最奥で、青年は一人溜息を吐いた。

 三年間に渡る監禁生活によって伸び放題になった髪は長く、その身を封じる呪を刻み込まれた和装は衰えた身体には酷く重く感じられる。

 

 

「文句を言っている暇はないぞ、ハラオウン!」

 

「寝起き、と言うか封印明けなんですよ。……どうにも体がしっくりとしないな」

 

 

 鎖から放たれたのが二日前。それまでは絶食に等しい状態で囚われていた。不可思議な術と大量の機材で無理矢理に生かされていたのだ。愚痴の一つも言いたくはなる。

 

 

「まぁ、それでもやりましょう。……大天魔に一泡吹かせる、良い機会だ」

 

 

 暫し体を慣らしてから、という話だったが状況が変わった。

 ゲイズ親子が原因ではない。どの道刻限が来れば、クロノ・ハラオウンを使用して回収する心算だったのだから、彼らの行動など大局に影響を与えてはいない。

 

 予想を外したのは、天魔・大獄だ。あんな死に掛けと言うのも生温い状態なのに、予想を遥かに上回る速度で移動していたのだ。

 一歩踏み出せば自壊すると言うのに、その自死を無理矢理に殺して全力で移動していたのである。

 

 唯、神の依代を見つけた。それだけの理由で、だ。

 

 

「恐ろしいな。悍ましいな。余りにもお前は強すぎる」

 

 

 その気配を遠く離れたミッドチルダに居ながら理解して、クロノ・ハラオウンは言葉を紡ぐ。

 ああ、恐ろしい。ああ、悍ましい。この怪物には、確かに誰も抗えんだろう。

 

 

「だが、移動しなければならない以上、お前は辿り着けんよ。……其処は僕の距離だ」

 

 

 陰の拾。其処に至ったクロノに、最早限界などはない。

 遍く次元世界。無数に連なるその全てを、彼は己の支配下に置いている。

 

 故に、態々現場に出向かずとも、構わない。ミッドチルダの深奥にあっても、その力を振るえるのだ。

 

 エスティアに搭載された機材との同調によって介入する為の視点を得ている今、既にヴァイセン一帯は彼の領域と化しているのだから。

 

 

「万象、掌握」

 

 

 言葉と共に力が放たれる。

 その歪みは、エスティアとその内に居る者らを帰還させる。

 

 転送は一瞬だ。瞬間的に行われる移動に、今の大獄は反応出来ない。思考速度にさえ淀みが生じている怪物は、当然の如く認識能力も低下している。

 

 必然、彼らは無事に逃れられる。終焉の怪物を前にして、その絶望を前にして、争う事なく逃げられる。

 

 そうなる、筈だった。

 

 

「っ! 何の心算だ、高町なのは!?」

 

 

 クロノの表情が驚愕に染まる。己の強制に抗う少女の存在に顔を歪める。

 高町なのはともう一人。その二人が、万象掌握の影響下から抜け出していた。その二人だけが死地に残っていた。

 

 己の干渉を弾いた両者に、何を考えていると毒吐いて、再びクロノは力を行使する。

 高町なのはの力の性質上、己の支配に抗う事は可能であろう。だが、素の力で判断するならば、己の方が格上だ。

 万象掌握の強制に、高町なのはは何時までも抗う事は出来ない。ならば続く一手で確実に回収する。

 

 そんな思いで発現した力は、何故か目標を捉えられずに失敗する。それを怪訝に思いながらもう一度力を行使した。

 

 一度目は抗いによって防がれた。続く二度目は一瞬目標を見失った。

 そして三度目で漸くクロノは高町なのはの回収に成功する。

 

 

 

 だが、それは少しだけ遅かった。

 終焉の怪物は、僅か一瞬で絶望を齎していたのだった。

 

 

 

 

 

4.

 己を救わんとする力を感じながらも、なのははそれに身を委ねる訳にはいかなかった。

 既にエスティアは消えている。その内にあった者らは皆、ミッドチルダへと退避出来ている。唯一人、トーマ・アヴェニールを除いて。

 

 それはクロノにとっても、御門顕明にとっても、想定外だった状況だ。トーマ・アヴェニールが万象掌握に抵抗出来るなど、誰が予想出来ようか。

 

 少年の内にある魂は、その殆どの力を失っている筈だった。

 少年の内に生まれた色は、未だその力を行使出来る程には育っていなかった。

 

 だが、ここに例外が起きた。

 

 天魔・大獄との遭遇により励起した記憶、それに引き摺られて少年は一時的に強大な力を有していたのだ。万象掌握に抗う程に至っていたのだ。

 

 エスティアと言う目を失った事で、クロノは現場を認識する能力を失った。トーマ・アヴェニールの事を伝えられていない彼は、その存在すら知らない。故に動けない。

 

 まさかこれ程に力を残していたとは思ってもいなかった顕明は、想定外の事態を認識してすらいない。

 彼女はクロノの様に機械を己の身に組み込んでいるのではなく、天眼という神の瞳を持つ訳でもない。

 必然として、その場で起きている現象を認識する事は出来ず、故に動けない。

 

 ゆっくりと迫る終焉に向かって、宙に浮かんだトーマが近付いて行く。その終焉を受け入れようと、その小さな手を伸ばしている。

 

 

「っ!」

 

 

 いけない。何がいけないのか分からないが、それでもこのままじゃいけないと感じた。

 故になのはは、己の地力を引き上げると万象掌握の支配を跳ね除けて、トーマを守る為に動いていた。

 

 

「トーマくん!」

 

 

 その小さな体を抱き留める。記憶の残滓に惹かれて反射で動いているだけの少年は抵抗を見せずに、その腕に抱き抱えられる。

 

 迫っていた三つ首の虎が、その顎を開いていた。大きな口の中へと飲みこまれる。その鎧の中へと包まれる。

 

 クロノの支配が届かぬ場所。其は終焉の世界。無間黒肚処地獄。

 

 

「…………っ!?」

 

 

 ザーザーと砂嵐の如く、視界が揺れる。意識が途切れる。鎧の中に満ちた死に、高町なのはは耐えられない。

 当然の如く少女は死に至り、そして少年は回収される。その果てに訪れるのは、世界の終焉だ。

 

 

(嫌だ)

 

 

 諦めない。過去に類を見ない程の純度で、高町なのははその終わりに抗う。

 

 だが、その地獄は耐えられない。己の死は避けられない。

 砂の海が広がっている。砂の嵐が広がっている。黒肚処地獄に救いはない。

 

 

(嫌だ。嫌だ。嫌だ)

 

 

 死ぬものか。死んでたまるか。終わってなるものか。

 だが、その終焉は払えない。決して拭い去る事は出来ない。

 

 充満するその死は、神格でない者など一瞬で死に至らしめる。神格であっても耐える事は難しい。

 不撓不屈による生存能力で僅かに持ってはいるが、それも時間の問題でしかない。

 

 

(諦める、もんかっ!!)

 

 

 けれど死ねない。だけど死なない。その命を諦める訳にはいかない。

 だって、まだ何も得てはいない。何も為してはいない。愛しい少年との想い出を作っていくのだ。去ってしまった友達を追うのだ。大切なこの世界を救うのだ。

 

 その為にも、まだ終われない。

 

 

「……全力、……全、開っ」

 

 

 血を吐くような声で口にする。己の力を振り絞る。

 

 最期の力を振り絞って生み出した魔力で、無理矢理に飛翔する。

 奪われてはならない少年を抱き留めたまま、この地獄の出口を突破した。

 

 

 

 彼女にとっての救いは三つ。

 

 一つは飲まれてから経過した時間の短さ。

 出口は一瞬で到達出来る場所にまだあった。生存に特化したなのはならば、逃れるだけの時間を稼ぐ事は出来たのだ。

 

 二つは天魔・大獄の現状。

 彼は逃げるならば追わぬと、己の地獄に出口を残していた。

 そして状況の変化を即座に認識出来ぬ程に思考能力が落ちていた為に、その出口を通って去って行く戦友の姿を認識する事が出来なかった。

 

 三つはクロノ・ハラオウンの歪みの力。

 この終焉の絶望を前に、即座に逃げ出せると言う力は破格だ。

 その力が故に、太極より脱した彼女達は回収された。抜け出した瞬間に、彼女達はミッドチルダへと転送されたのだった。

 

 

 

 だが少し遅かった。そう僅かに遅かった。

 

 黒肚処地獄に、高町なのはは飲まれたのだ。

 一度飲まれれば、例え何をしようとあらゆる全てを死に至らしめるその地獄に。

 

 

 

 

 

5.

「で、また告白出来なかったんですか?」

 

「むっ、今回は不可抗力だよ。……いざ言おうって時に、なのはが呼び出しを受けたんだから」

 

 

 時空管理局地上本部。

 その敷地内にある“本局”と呼ばれる区画の一部署、無限書庫。無数の書物と電子データによって作り出される情報の海。

 管理局の頭脳とでも言うべき場所で、二人の少年は片手間に仕事を片付けながらそんな会話をしていた。

 

 

「同じですよ。……全く、急に休むと言い出して、漸く進展するかと期待すれば、それですからね。煮え切らないにも程があるでしょう」

 

「期待って、……急な休暇申請だったのにあっさりと許可出たの、それが理由?」

 

「それもありますがね。室長は休まな過ぎなんです。もうちょっと休暇を取って下さい。母からも色々言われてるんですよ」

 

 

 運用部のレティ・ロウランより直接紹介された人材。無限書庫発足当時よりの部下であるグリフィス・ロウランは溜息混じりに口にする。

 

 

「……休む暇、ある?」

 

「……今日は詳細調査依頼が二桁ですよ。快挙ですね」

 

「通常の資料請求は?」

 

「いつも通り、三桁は超えていますよ」

 

「休む暇、ないじゃん」

 

「……人増やしません?」

 

「人が増えてもさ、僕ら責任者の判断が必要な物は結構あるんだよね。それに、詳細資料調査だと、どうしても専門知識が必要だし。……きっと休めない」

 

「……世知辛いですねぇ」

 

 

 二人の少年はそんな風に遣り取りをしながら、彼らにしか出来ない作業を進めていく。

 

 我が子を前線に出したくない親心と、無限書庫が化けると判断したレティの慧眼によって無限書庫へと配属されたグリフィス。

 事務官を目指していた筈なのに、何故か古代語の解読や、多文明の風習や伝承に関する知識ばかり詳しくなっていく。そんな現状に眼鏡の少年は溜息を吐いた。

 

 そんな風に、書類を捲る音やキーボードを叩く音がする室内に、一際大きな電子音が響いた。

 

 

「……え? クロノ?」

 

 

 音を立てるデバイスの画面に映った懐かしい顔に戸惑いを浮かべたユーノは、彼から語られる言葉に表情を変えた。

 

 

「っ!」

 

 

 ガタリと音を立てて椅子から立ち上がる。仕事を放り出して、部屋の扉へと向かう。その顔は焦燥に染まっていた。

 

 

「室長!?」

 

 

 突然の行動にグリフィスが驚愕の声を上げるが、それに構っている場合ではない。そんな暇などありはしない。

 

 

「御免、後、任せる!!」

 

 

 唯一言そう告げると、ユーノは無限書庫を飛び出した。

 

 

 

 走る。走る。走る。

 

 久し振りに全力で走るという行為に、直ぐに息が上がってしまう。自身のイメージよりも遥かに遅い速度に苛立ちながら、ユーノは一つの場所を目指す。

 

 デバイス越しにクロノが伝えた場所。地上本部の手術室を目指して走る。

 彼の口にした情報を信じられない。信じたくない。そんな筈はないと必死に否定しながら、唯、走った。

 

 そうして、其処で少年は見た。

 

 両手を握り締めて、悔しそうにしている(クイント)。何が起きたか分からないと言う、人形の様に虚ろな表情を浮かべた少年(トーマ)。随分と窶れ、幾分か印象が変わった悪友(クロノ)

 

 そんな彼らが視界に映らぬ程に動揺した少年は、既に諦めた雰囲気を浮かべている医療班の人間を押し退けて、手術室の中へと入り込んだ。

 

 

「……嘘、だよね」

 

 

 脳波。心音。共にフラット。

 繋がれた機械は、嫌な電子音を響かせている。

 

 もう打つ手はない。そんな風に語る医者の声が煩わしい。

 

 そんな筈がない。そんな筈がない。そんな筈がない。

 きっと、この子は起き上がってくれる。当たり前の様に、不屈の意志で起き上がってくれる。

 

 そう信じようと、信じさせて欲しいと手を伸ばす。

 

 

 

 触れた少女の身体は冷たかった。

 

 

 

 がっくりと膝をつく。積み重ねた全てが、崩れ落ちたように思える。何の為に、己は進んで来たのか、それすら分からなくなってしまう。

 

 月は己を輝かせる光を失った。

 

 

 

 天高く輝かんとした星(たかまちなのは)は此処に墜ちる。

 

 

 

 そしてヴァイセンに残された怪物は、その時になって漸く戦友が去ってしまった事を理解した。

 その太極に飲まれた者を認識する。曖昧な思考で、それを確かに理解する。

 

 幼い少女が居た。何故なのか分からないが、その少女が戦友を連れ去って行った。それを漸く認識する。

 

 

「……ミッド、チルダ、か」

 

 

 怪物は理解する。その少女が去った先。戦友が消えた場所。其処が何処であるのかを。

 

 

「……待っていろ。……直ぐに、行く」

 

 

 己を魔力に返す事すら出来ない怪物は、ゆっくりと視線を動かす。その視線の向かう先は、ミッドチルダ。

 

 

 

 終焉の絶望は止められない。

 

 

 

 

 




なのは撃墜イベント+マッキー登場イベント=地獄絵図。


第一回、マッキーインパクト。
終焉の絶望は、まだまだ続きます。


ちなみにマッキーの随神相は原作よりデカい。
普段は富士山レベルだが、その気になれば水銀の随神相並(地球全土を飲み干すサイズ)になる。

原作では波旬の世界だった影響で抑圧されていたが、随神相は神格の強さに比例して大きくなるそうなので、夜刀様の体内であるリリカル世界ならデカいだろうなぁ、と言うイメージですね。




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終焉の絶望編第三話 夢と幸福の天秤

追撃のセカンドブリットォッ!

そんな訳で追撃です。


副題 太陽が居ないとヘタレるユーノ。
   馬鹿な野郎共と、女の子達の青春劇。
   スカさん「私、輝いてる!?」


1.

――死よ 死の幕引きこそ唯一の救い

 

 

 ひゅうと風が吹き抜けていく。

 日の沈み掛けた訓練施設。管理局地上本部の一区画で、ユーノ・スクライアは一人黄昏ていた。

 

 

「此処に居たのか」

 

 

 長い髪を後ろに束ね、和装に身を包んだ青年が近付いて来る。

 

 やや窶れては居るが、精悍な顔立ち。衰えているが、痩せ細っている訳ではない身体付きを隠す和装は、身の丈よりも若干大きい。

 その服に隠れて、彼の持つ機械の半身はその上からでは確認できない。

 

 十七歳となったクロノ・ハラオウンは、嘗ての面影を残しては居るものの、確かな変化がその身に見られていた。

 

 

「クロノか」

 

 

 変わったな、和装似合ってない、と少年は告げる。

 うるさいな、これ以外に歪みを安定させる衣服がないんだよ、と青年は返す。

 

 久方振りの再会は、喜ばしい形にはならなかった。

 

 

 

 ユーノは無言のまま、空を見上げる。

 クロノは彼を問い詰めるでなく、共に立っている。

 

 ゆっくりとしたまま、唯、風の音しか聞こえない時が過ぎ去っていく。

 

 

「不安が、あるか?」

 

 

 一分か、十分か、或いは一時間が経過していたか、無言で考え続けている少年に、青年は問い掛ける。

 それは高町なのはを救う手立て。彼に残された不安への指摘だった。

 

 

 

 

 

――この毒に穢れ蝕まれた心臓が動きを止め 忌まわしき毒も傷も跡形もなく消えるように

 

 

 

 

 

 あの日、手術室にて息を引き取った高町なのはの姿に、誰もが絶望の色を顔に浮かべた。

 冷たい躯を抱き締めて、歯を噛み締めて涙を堪える少年の姿に、誰もが言葉を掛けることが出来ずに居た。

 

 唯一人、平然と入って来た男を除いて。

 

 

「ふむ。現状は最悪のようだね」

 

「ジェイル・スカリエッティ」

 

 

 白衣を纏った紫髪の男は平然と立ち入って来る。

 皆の悲嘆に暮れた空気など知らぬと言うかのように、当たり前の如く希望を口にした。

 

 

「だが、諦める必要はない。まだ手立てはある」

 

「えっ?」

 

 

 ユーノは、思わずと言った体で驚きの声を漏らす。

 自信有り気に微笑むスカリエッティの姿からは、それが偽りと感じる事は出来なかった。

 

 

「馬鹿な、もう高町なのはは死んでいる。……一体、こんな状態からどうする事が出来ると言う」

 

 

 訝しげにクロノが問う。既に死んでいる。もう終わっている。医療班の皆が匙を投げた状況で、お前に何が出来るのか、と。

 この男を信用していない青年は、その言の何処に真意があるのか、探るように睨み付けた。

 

 

「全く、誰も気付かないのかね? 彼の大天魔に殺されたモノは黒き砂になる。だが、高町なのはは未だ肉を保っているだろう」

 

 

 そんな彼らを馬鹿にするように、当たり前の事を分かっていない生徒に教師が教授するかのように、スカリエッティは現状を語る。

 

 

「つまり、だ。高町なのはは未だ生きている。生存し、己の肉体に縋り付いている。諦めない、唯その意志でね」

 

 

 魔力反応を感知してみたまえ、多少だが感じ取れる筈だよ。そう語るスカリエッティに促され、クロノは己の右の義眼を駆動させる。

 その瞳には、スカリエッティが語るように、微弱な魔力が検出されていた。

 

 不撓不屈。諦めない為に必要な物を用意する。その力によって死の終焉に抗っている。未だ高町なのはは死んでいない。

 

 

「それじゃあ!」

 

 

 その事実にユーノは表情を明るくする。

 助かるかもしれない。助けられるかもしれない。

 

 己の恩人でもあるスカリエッティを無条件に信頼している少年は、如何にかなるかもしれない現状に笑みを零した。

 

 だが、そんな笑みも続く言葉で凍り付く。

 

 

「……だが、このままでは死ぬよ。助からない。助かる道理がない。高町なのは一人では、その終焉から帰還が出来ない」

 

「っ! アンタ! 何が言いたいのよっ!!」

 

 

 少年に希望を与えて、かと思えば即座に奪い取って、お前は何がしたいのだとクイントが叫ぶ。その襟首を掴んで、殴り飛ばしてやろうかと睨み付ける。

 

 

「何、大した事ではないよ」

 

 

 そんな女の剣幕を恐れる事はなく、スカリエッティは笑みを崩さずに提案した。

 

 

「この少女を私に預けてみないかね?」

 

 

 そんな提案を、狂った科学者が口にしていた。

 

 

 

 

 

――この開いた傷口 癒えぬ病巣を見るがいい

 

 

 

 

 

 そんなスカリエッティの提案に、唖然とした表情を浮かべる者、怪訝な表情を浮かべる者。その場に居る者らの反応は二種類に分かれた。

 

 己を訝しげに見るクイントとクロノ。その二人の不安を和らげるような、聞こえの良い言葉をスカリエッティは語る。

 

 

「無論、不安はあろう。故に施す内容を嘘偽りなく語ろう。何、どうせ協力が必要だからね。隠したままでは何も出来ない」

 

 

 己一人で出来る事ならば、技術部門の責任者であり、この場の誰よりも強い権限を持つ彼ならば好きにやっている。

 そんな彼が現状を説明するのは、ある人物の協力が必要不可欠だからだ。

 

 高町なのはを失いたくないのは彼も同じだ。

 この最高峰の素材を無駄に失うなど、スカリエッティには許容できない。

 

 故に隠す事無く、偽る事無く、スカリエッティは語るのだ。

 

 

「高町なのはが死に至る原因は、言ってしまえば出力不足。だが、彼女の異能は無限に力を増すと言う物。それが正常に機能していないのは、単純に今の己を維持するだけで手一杯になっているからだ」

 

 

 彼女は黒肚処地獄で死に掛けている。だが、本来無限に強化されると言う性質上、復活出来てもおかしくはないのだ。

 

 それが出来ないのは単純な理由。既に死に瀕した魂では、己を保つのが限界で、復活の為の力を溜める事が出来ないからである。

 

 

「故に彼女を繋ぎ止める何かがあれば、彼女は自身の力で帰還を果たせる。己一人で這い出せぬならば、こちらから手を伸ばせば良い」

 

 

 今彼女を繋ぎ止めている彼女の異能。その役割をこちらで代替すれば良い。戻ってくる為の道を舗装すれば良い。

 そうすれば、高町なのはは不屈の意志でこの世に舞い戻って来るであろう。

 

 

「だが、それは肉体的な物ではいけない。物質的な物でもいけない。肉体的に死んでしまっている以上、其処に干渉しても意味がない。助ける手を伸ばすには、魂自体に干渉する必要がある」

 

 

 その肉体は、あくまでも原型を保っているだけだ。既に肉体機能は死している。

 肉体に魂が縋り付いているが、肉体だけを健常な状態に戻しても、魂に戻る為の力が備わらなければ意味がない。

 

 彼女を救う為には、その魂への干渉こそが必要となる。

 

 

「だが魂に触れる事は出来ない。その改竄は、とても難しい。今の高町なのはに無理を強いれば、その瞬間に自壊するだろう」

 

 

 ジェイル・スカリエッティの全てを駆使しても、魂の加工は非常に難しい。

 過去に行われた実験において生まれた犠牲者達。それらが彼に理解させているのだ。

 

 今の高町なのはに同じ事をすれば、限界で留まっている彼女の魂は崩壊すると。

 

 

「故に必要なのは一つ。行える手段は唯一つだ」

 

 

 高町なのはを蘇らせる為には、魂への干渉が不可欠。だが、魂に干渉すれば、既に限界を迎えている彼女は崩壊する。

 故に取り得る手段は、肉体を作り変える事で、魂に間接的に干渉すると言う方法だ。

 

 

「肉体部位の一つでありながら、されど魂と密接に関わる器官。人の触れられる、魂の切れ端」

 

 

 嘗て在りし日に生み出された器官。衰えた魂を補う為に、外界から魔力を取り込むと言う肉体部位。現実に触れられる物質でありながら、魂に属する魔力結晶。

 

 

「即ち、リンカーコア」

 

 

 必要なのは、それである。

 

 

「リンカーコアを体内に移植する。他者の魂の一部を目印とする事で、高町なのはをサルベージする」

 

 

 スカリエッティは語る。己が施す技術。それが如何なる手段で、高町なのはを救う事になるのか、を。

 

 

「だが、これが難しい。魂の内に他者を取り込むと、どうしても拒絶反応が出てしまう。取り込む側が強大な意志を保てれば例外なのだが、今の高町なのはにそれは期待できない」

 

 

 同時に語るは技術的な限界。己でなくては出来ないと、誇るかの様にその欠陥と対策を解説する。

 

 

「故に、彼女を救うには拒絶反応の出ないリンカーコアが必要だ」

 

 

 そんな都合が良い物は本来存在しない。どれ程近しい者であれ、普通ならば他者の一部を己に混ぜ込むと言う事に嫌悪や忌避を感じる物であろう。

 だが一人だけ、彼女に拒絶されないかもしれない、そんな魔導師が存在している。

 

 

「魂が混ざり合う。他者と同化する。彼女が一心同体となる事を許容する程に近しいと認める魔導士を、私は一人しか知らない」

 

 

 一人しかいない。その一人しかいないから、彼の協力を求めてスカリエッティは語るのだ。

 

 

「君だよ。ユーノ・スクライア」

 

 

 その瞳が、動揺する少年を見詰めていた。

 

 

「君のリンカーコアを譲ってくれ。その夢を失くしてくれ。魔法の力を捨ててくれ。愛する人を救う為に、己の死を許容してくれ」

 

 

 この施術に確実性はない。リンカーコアを奪われた生命がどうなるか、全てが分かっている訳ではない。

 

 ユーノは死ぬかもしれない。生き残れたとしても、魔法の力を完全に失う。

 魔力が無い者を管理局は必要としない。司書長と言う椅子を確実に失うだろう。

 自慢のマルチタスクも使えなくなる。あれは並列思考と言う一種の魔法だ。リンカーコアがなければ使えない。

 

 魔力がなくなれば、それの併用を前提とするストライクアーツも真面に使えなくなる。魔力補助で漸く使えるようになった閃とて、使用出来なくなる。

 

 積み上げて来た物を失う。重ねて来た努力が無為となる。其処までしても、助かるとは限らない。

 

 

「僕は……」

 

 

 僕のリンカーコアを使ってくれ、なのはを助けてくれ、そう言いたいのに声が出ない。

 怖かった。何も得られないんじゃないか。全てを失うのではないか。その可能性が怖かった。

 

 太陽と言う輝きを失くした少年は、暗闇の中で立ち止まってしまう。

 

 

「……まだ一日程度、高町なのはは持つだろう。その間に、答えを決めておくと良い」

 

 

 スカリエッティが求めるのはユーノの同意のみ。他者の反発など強権で黙らせる事が出来る。故に、彼はユーノの選択を待つ。

 

 安易に決められる事ではない。これまでの全てを失うかも知れない。その恐怖は、そう簡単に拭える物ではない。

 だからスカリエッティは、唯一言、信の籠った言葉をユーノに残した。

 

 

「私を信じてくれれば、確実に高町なのはを救ってみせよう」

 

 

 それは宛ら、悪魔が持ちかける取引の様に、スカリエッティはユーノ・スクライアに語り掛ける。

 笑う男の言葉は確かな信頼性を持っていて、全てを代価にすれば確かになのはを助けられるような気がした。

 

 

 

 

 

――滴り落ちる血のしずくを 全身に巡る呪詛の毒を

 

 

 

 

 

「正直、ね。……不安しか、ないよ」

 

 

 スカリエッティが語った方法で、彼女が救えるのか分からない。

 その方法を選べば、己は確実に失う。命か、魔法か、或いは彼女か。結果がどうなろうと、どれか一つは確実に失われるのだ。

 

 漸く掴みかけた夢を、挫折の果てに築き上げた今を失う。それに不安がない筈がない。だがそれ以上に、失って何も得られぬ可能性が最も怖い。

 

 

「怖いんだよ。失うのが怖い」

 

 

 恐ろしい。何もかもを失くした先を予想すると、どうしても震えが拭えない。

 

 

「僕が死ぬかも知れない。今までの全部を失くす。其処までしても、助かる保障なんてない」

 

 

 リンカーコアの移植手術など前代未聞だ。スカリエッティは色々と行っているのだろうが、公式には成功例など一つもない。保障はない。確実に助かる、そんな保証はないのだ。

 

 

「魂が同化する。それって、全てを曝け出し合うのと同じだろ? そんなに、なのはが僕を受け入れてくれるか、自信がないんだ」

 

 

 一つに混ざり合う。隠し事など出来ないし、互いの教えたくない物事も曝け出す事になる。

 スカリエッティは余程、合一が進まない限りはそうはならないと語っていたが、そうならないと言う保証はない。

 

 そうなる可能性は確かにあって、それを受け入れてくれる程に少女に想われているのか、自信がない。

 僅かでも愛が足りなければ、待つのは魂の崩壊。リンカーコアを抜かれたユーノは死ぬかも知れないし、生きるかも知れない。

 だが、魂が崩壊してしまえば、なのはは確実に死ぬであろう。

 

 

「なのに、全部を捨てて、それで何も残らなかったら、僕は何をすれば良いんだよっ!」

 

 

 挫折ばかりだ。諦めてばかりだ。己の生を、そんな風に悲観する。

 両面の鬼と戦う事を諦めた。彼女を支える為に司書になったのに、その道すら絶たれようとしている。

 

 そして、その果てに想い人さえ失ってしまえば、もう本当に何も残らない。

 その引き金を引くのが、そのきっかけを作るのが、どうしようもなく怖かった。

 

 

「……こんな筈じゃ、なかったのにさ」

 

 

 そんな弱音が漏れる。少年は本質的に弱い子供だ。今までは少女の為に、死ぬ気で格好良く在り続けていただけ。だからこそ、その太陽を失ってしまえば、月は陰る。

 

 

「なぁ?」

 

 

 そんなユーノの血を吐くような言葉を、零れ落ちた弱音を無言で聞き続けていたクロノが口を開く。

 呼び掛けられたユーノが振り向いた先で、クロノはその拳を握り締めていた。

 

 

「歯ぁ、喰いしばれ、ユーノ・スクライア!」

 

「え?」

 

 

 ドゴォっと音を立てて、鋼鉄の拳が少年の横顔に叩き込まれた。

 

 

 

 

 

――武器を執れ 剣を突き刺せ 深く 深く 柄まで通れと

 

 

 

 

 

 殴られた少年は、何故なのかと言う瞳で青年を見上げる。

 黒き執務官は、そんな悪友の弱った姿に苛立ちながら、厳しい言葉を口にした。

 

 

「暫く見ない内に、随分と腐抜けたな、ユーノ・スクライア」

 

「どう、して」

 

「怖い。嗚呼、確かに怖いだろうさ。だけどな、忘れるなよ。お前がウジウジしていると、本当に間に合わなくなるんだぞ!」

 

「っ!」

 

 

 クロノの啖呵に、ユーノはその唇を噛み締める。

 彼の言葉は事実だ。少年が迷う一分一秒が、その可能性を狭めていく。僅かな逡巡の時間が積み重なって、その手は遠く離れて行く。

 

 だから、何を悩んでいるのかとクロノは叱責した。

 まだ時間はあるのだから、どうして伸ばさないのかと叫んだのだ。

 

 

「まだ、手は届くんだろうっ! 僕と違って、お前の手は届くんだろうがっ!!」

 

「けど、本当に何もかもを失うかも知れなくてっ!!」

 

「なら、神様に頭でも下げるか! ありもしない奇跡に縋って、何もかもを投げ出すのか! それで見ず知らずの誰かが救ってくれて、納得が出来るのかよっ!!」

 

「っ!!」

 

 

 もう一度、その頬を殴られる。殴り飛ばされて、蹈鞴を踏んだユーノ。そんな彼を睨み付けたままに、それは違うだろうとクロノは叫ぶ。

 

 そうとも、違うのだ。ユーノ・スクライアはそうじゃない。

 

 

「僕の知っている悪友はそうじゃない! お前が歪みに目覚めなかったのは、安易な救いを求めなかったからだ!! 自分の足で近付いていく事を良しとしていたから、都合の良い奇跡なんて訪れなかったんだよ!!」

 

 

 選ばれた主人公などではなく、当たり前の脇役でしかない少年。

 それでも安易な救いなど求めず歩き続けたから、此処に今の彼が居る。

 積み重ねてきた努力と意志の総量こそが、ユーノ・スクライアの在り方だ。

 

 そんな少年の在り方を、ずっと羨ましいって感じていた。そう在れる事。その強さに嫉妬していた。

 同時に誇っていたのだ。僕の悪友にして好敵手は、こんなに凄い奴なんだぞ、と。

 

 

「世界は、こんな筈じゃなかった事ばっかりだ! 都合の良い現実なんてなくて! 失われて欲しくない者ばかり亡くなって! それでも、挫折から這い上がる強さを僕にくれたのはお前だろうがっ!!」

 

 

 友達が死んだ。恋人が死んだ。母が死んだ。

 何もかもを失った青年が、それでも進み続けるのは、この好敵手が居たからだ。

 

 そんな親友が晒す無様を、クロノ・ハラオウンは許容しない。

 

 

「だけどっ! 僕はどうすれば良いのさっ!」

 

「そんな簡単な事に悩むなっ! この馬鹿がっ!!」

 

 

 三度目の拳が打ち込まれる。倒れ込んで口の端から血を零すユーノを見下ろして、クロノは語る。

 

 

「幸せに、なれよ」

 

 

 真実彼が願うのは唯一つ。

 この誰よりも真面目に生きている少年が報われる事を願っている。

 

 

「僕らがなれなかった分、幸福になれよ! 誰もが羨むくらい、幸せになってくれよっ!!」

 

 

 報われて良い筈だ。もう幸せになって良いだろう。

 それだけの物は重ねてきた。だからこの少年は、幸福になって良い筈なのだ。

 

 

「惚れた女だろうがっ! 俺と一緒に幸せになれ、そのくらい言ってみろ、この大馬鹿野郎!!」

 

 

 魂に拒絶されようと、無理矢理に物にしてみせろ。黙って俺に付いて来いとぐらい言って見せろ。

 クロノはそうユーノに教え込む。きっと彼女は付いて来てくれる。

 

 

「……好き勝手、言いやがって」

 

 

 殴られて切れた唇を擦って、ユーノは手を突き立ち上がる。

 随分と言いたい放題。三度も殴ってくれた悪友。其処に苛立ちを覚えない訳がない。

 

 ああ、けれどスッキリした。思いっきり殴られて、それで確かにスッキリしたのだ。お陰でやるべきことは見えていた。

 

 ウジウジ迷っているだけでは意味がない。恐れていても、それでも前に進まないといけないのだろう。だからユーノは此処に、その腹を括ったのだった。

 

 

「右手で殴りやがってさ、痛いんだぞ、それ」

 

「ふんっ。殴られなきゃ気付けない馬鹿が悪い」

 

 

 愚痴るように頬を撫でながら、何処かスッとした表情で笑うユーノに、クロノは返す。

 起き上がって来た少年に向かって、あからさまなファイティングポーズを示しながら。

 

 

「何の心算だよ」

 

「はっ、どうせヘタレなお前の事だ。まだ色々抱えてるんだろう?」

 

 

 眠り姫を迎えに行くのに、怯懦も不安も必要ない。

 だから、ここに置いていけ、とクロノは笑みを浮かべて語る。

 

 

「僕が全部受け止めてやる。あの時の借りを返してやる。……全力で来い、ユーノッ!!」

 

「はっ、引き篭もりが、言うじゃないか!」

 

 

 そんな友人の心遣いに笑みを浮かべて、殴られた痛みに苛立ちを覚えて、ぶっとばしてやるとユーノは悪童の如く笑う。

 

 

 

 

 

――さあ 騎士達よ

 

 

 

 

 

 下らない喧嘩を始めよう。

 

 

「後で泣き言を言うなよ! クロノッ!!」

 

「どっちがそうなるか、教えてやるよ! ユーノッ!!」

 

 

 二人の漢の拳が、ここに再び交差した。

 

 

 

 

 

2.

 楽しげに殴り合う二人。その暑苦しくも、確かな輝きに満ちている青春の光景を、彼らは本部庁舎の屋上より眺めていた。

 

 

「懐かしいな。司狼。そう言えば、俺達もああして殴り合ったよな」

 

 

 茶髪の少年は懐かしそうに目を細める。神の“記憶”に振り回されて、そんな風に語る少年の傍らに立つは両面の鬼の男面。

 

 

「ちげぇよ」

 

 

 だが、そんな懐かしむ少年の言葉を、神の記憶を両面の鬼は否定する。

 

 

「え? 司狼?」

 

「俺と殴り合ったのは、お前じゃねぇ」

 

 

 傍らに立ってそんな言葉を口にする鬼を、信じられないと少年は見上げる。

 

 

「分からない。司狼が何を言っているのか、俺には分からない」

 

 

 己の裏面に否定された事で残滓は払われる。消え去った訳ではない。ただ表に出て来る接点を失っただけ。そうして地金を晒した少年は、何も分からないと口を開いた。

 

 

「そっか、まだお前には分かんねぇか」

 

 

 そんな少年の頭を乱暴に撫でて、宿儺は笑う。

 

 

「今はそれで良い。けどな、何時までもその調子で居るなよ」

 

 

 撫でられて、嬉しげに目を細める少年。歓喜と言う色は、もう彼の内に生まれている。怒りと言う色も、あの科学者に任せれば生まれて来るだろう。

 

 

「ゆっくりとで良い。歩くような速さで良い。時間は俺が作ってやる」

 

 

 自分には出来ない。自分達では彼を育てられない。

 自分達、大天魔が深く関わってしまえば、彼は夜刀になってしまう。

 

 それは、望む所ではないから。

 

 

「だからな、お前はお前として生きろ。トーマ」

 

 

 その為の時間は用意する。世界の破滅は止めてやる。必要な場を整えて見せよう。アイツを取り戻そうとしている馬鹿共も、煙に巻いて嘲笑ってやる。

 

 誰だって裏切ろう。己の主義だって翻そう。何だって利用しよう。

 誰に嘲弄されようと、誰に憎まれようと、両面の鬼は己の役割をそうだと決めている。

 

 だから――

 

 

「ここで見つけろ。お前を探し出せ。……きっと、その果てにこそ、俺らの勝利は存在している」

 

 

 アイツの魂を宿した者。アイツの転生体。世界を真に継ぐべき後継者。

 真実、彼が己を得たならば、神格域に到達出来ない理由などない。

 

 

「それを見つけたら、俺がお前を鍛えてやる。……最期に勝つ為に、な」

 

 

 ガシガシと乱暴に幼子を撫で回しながら、両面の鬼は眼下を見据える。其処にある営みを見詰める。この地を生きる、今の世界の民を見詰める。

 

 

 

 

 

――罪人にその苦悩もろとも止めを刺せば

 

 

 

 

 

「……さあ、覚悟しろ。腹を括れよ、クソガキ共」

 

 

 これより来たる災厄は、何れお前達が超えねばならない壁だ。

 如何なる手を使っても良い。どんな手段を選んでも良い。正道だろうが邪道だろうが、アレを倒せるならば認めよう。

 

 あれを倒す事、それによって世界を守り抜けると示さなければ、この世界を引き継ぐ資格は得られない。故に、何時かは必ず倒さねばならぬ存在だ。

 

 ある意味で言えば、この時点でその力を知れる事は、都合が良いと言えたから。

 

 

「どうしようもなくなりゃ、俺が尻をもってやる。他の誰も動いていねぇ今なら、俺が動いてやれる」

 

 

 だから安心して、その絶望を理解しろ。

 

 

「蹂躙されろ。無様にのたうち回れ。血反吐零して、挫折して、恐怖を刻み込め。……そうして、黒甲冑の強さを、波旬の強さを、お前達が得るべき力の程を理解しろ」

 

 

 何をしても揺るがないだろう。何をしても覆されるであろう。此処にある全てを以ってしても、アレを打倒する事は不可能だ。

 

 だから、無様を晒せ。そして、無意味に終わるのではなく、届かせる為の切っ掛けを見つけ出せ。

 

 

「魅せろや、新鋭。託せるって信じられる、その輝きの階をな」

 

 

 両面の鬼は悪童の笑みを浮かべて、その時を只管に待ち続けている。

 

 

 

 

 

3.

「痛た。クロノの奴、思いっきり殴りやがって」

 

 

 腫れあがった顔に手を当てながら、ユーノは手術室への道を歩いている。

 夜が更けるまで殴り合って、ボロボロになった身体は疲れで悲鳴を上げていた。

 

 やり過ぎだろう。明らかにこれから重要な選択を控えている今にするべきでない。阿呆の如き所業である。

 それでも、その顔付きは晴れやかで、迷いなど影も形もありはしない。

 

 

「単純だよ。何を迷っていたんだ。結局、いつも通りじゃないか」

 

 

 駄目で元々、やるだけやってみる。そんなのは何時も通りの事で、今回は絶対に失敗できない、そんな要素が加わっただけだ。

 

 無駄に考えてしまうからドツボに嵌る。万が一を思うから、失敗を恐れる。そんな怯懦は必要ないと親友が殴り飛ばしてくれたから。

 

 

「僕はなのはを愛している。僕には君が必要だ。……だから、その為に手を伸ばす」

 

 

 大天魔を倒すと言う夢。司書長として、大切な少女を支えると言う夢。

 彼女と共にある幸福。一緒に生きていくと言う幸せ。

 

 夢を取るか、幸福を取るか、その二つの天秤は、その実どちらを選ぶ事も間違っていた。

 だって、ユーノの夢も幸福も、まず高町なのはが居なければ成り立たないのだから。

 

 

「……んで、そんなボロボロで会いに行く心算?」

 

 

 柱の陰から姿を見せる金髪の少女。アリサ・バニングスは馬鹿な男にそう語る。

 

 なのはの危機を聞いて戻って来た彼女は、状況を知るや否やユーノを探した。そうして、馬鹿な男達の遣り取りを見たのだ。

 その遣り取りを見て、彼の想いを確かに理解したからこそ、こうして背を押す為に待っていた。

 

 ゆっくりとアリサはユーノに近付く。

 吐息が掛かる程に近い距離で彼の頬に手を当てると、不慣れな魔法を行使した。

 

 

「アリサ。これ……」

 

「回復魔法よ。正直、苦手なんだから、文句は言っても受け付けないわ」

 

 

 殴り合って出来た傷を癒す為に、世界を殺す力を使うべきではない。そう判断していたユーノに、アリサは馬鹿ねと笑って告げる。

 

 

「眠り姫を迎えに行く王子様が、歯抜けに痣だらけじゃ格好付かないでしょ? ……これくらい、きっと神様も許してくれるわ」

 

「……アリサ」

 

 

 この世界を支えている優しい神様ならば、子供達の一世一代の舞台を前にこの程度は許してくれるだろう。

 そんな風に語ると、アリサは微笑みを浮かべたまま、その背を押した。

 

 

「行きなさい、ユーノ。……私の親友、幸せにしてよね」

 

「うん」

 

 

 バシンと背を叩いて、そんな風に彼女は口にする。その言葉に、強く頷いて答えを返した。

 

 不安はない。恐れはない。もうそんな事は考えない。

 絶対に失敗はしない。受け入れてもらえないなら、無理矢理にでも物にする。そう心に決めたのだから。

 

 

「行ってくる」

 

 

 その背に追い風を受けて、少年は走り出す。

 君の元へ、君と共に、これからも続く明日を生きていきたいから。

 

 

 

 

 

 走り去っていく少年の背を、アリサは切なげに見送る。

 その震える手を握り締めて、分かり切っていた事だろうと自分に言い聞かせる。

 

 

「……さようなら、私の初恋」

 

 

 気付いた時には遅かった。始まる前から終わっていた。届かないと、届かせてはいけないと知っていたのだ。

 

 そんな始めから遅かった恋が、この瞬間に終わった。それだけの話。だから、辛くなどない。

 

 

「本当に、それで良いの?」

 

 

 アリサと共に戻って来た月村すずかは、そんな風に己に言い聞かせている友達に問い掛ける。

 彼女も気付いている。アリサ・バニングスが胸に抱いていたであろう想い。

 

 親友二人を惹き付けていたからこそ、必ずどちらかを悲しませるからこそ、あの少年が気に食わなかったのだから。

 

 

「良いのよ、これで」

 

 

 そんなすずかの心配そうな声に、アリサは笑って返す。

 

 

「だって、私はアイツも、なのはも、二人とも大好きなんだから」

 

 

 だから、これで良いのだ。そんな風に、アリサは微笑む。

 

 

「……これで良いのかもしれない。けど、悲しく思う事は当然だと思う」

 

 

 己は異性に恋をした事がない。その想いを共感は出来ない。

 けれど、そんな言葉で納得できる程に、胸を焦す情熱が軽い物とは思えなかったから。

 

 

「泣いても良いんじゃないかな。……私の胸で良ければ、貸すよ」

 

「……御免、ちょっと、借りるわ」

 

 

 涙を零す少女は、それが彼の憂いにならぬように音を立てずに悲嘆に暮れる。

 

 

(私の親友を泣かせたんだ。……二人で幸せにならないと、絶対に許さないから)

 

 

 縋り付いた手の強さを感じながら、すずかは睨み付けるように去って行った少年を見詰めた。

 

 

 

 

 

 そうして、ユーノはその場所に辿り着く。

 

 

「来たよ、なのは」

 

 

 ベッドの上に眠る姫君。未だ目覚めぬ彼女は冷たい。

 

 

「君に、伝えたい事がある」

 

 

 僕は君に恋している。僕は君を愛している。一緒に生きたい、そう願っている。

 

 

「君に、届けたい言葉があるんだ」

 

 

 眠り姫に必要なのは王子のキスではない。今必要なのは、それではないから。

 

 

「お願いします。スカリエッティさん」

 

「ふむ、空気を読んで黙っていたんだが、……もう良いのかね?」

 

 

 手術室の端にある座椅子に座っていた紫髪の男は、もう良いのかとユーノに問い掛ける。

 

 高町なのはは必ず救う心算だが、万が一は起こり得る。場合によっては、ユーノ・スクライアは切り捨てる。

 そう判断していた彼は、末期の会話になるかもしれないそれを邪魔する心算はなかった。

 

 

「はい。話したい事も、伝えたい事も、全部、彼女の目が覚めてからにします」

 

「確信を持っているように語るんだね」

 

「ええ、スカリエッティさんは言ったでしょう? 自分を信じれば必ず助けると、信じますから手を貸してください」

 

 

 そんな風に考えていた彼は、予想だにしていない返しに目を丸くする。己を信頼する者など、この世にはいないと思っていたから。

 

 

「……ふ、ふはは。ははははははっ」

 

 

 本当に嬉しそうに、スカリエッティは笑った。

 

 

「何だ、信頼されると言うのも、中々悪くないじゃないか」

 

 

 初めて感じたその感情は、中々に小気味が良かったから、気紛れを起こしたのだ。

 

 

「必ず助ける! 私の魂に誓おう! 高町なのはも、君も、どちらも必ず生かすとも! 余計な事はしない。必要以上の手は加えない。救って見せる、無限の欲望の名に懸けて!!」

 

 

 懐に入れていた薬品も、手術室に用意していた機材も、全て破棄しよう。

 こんな感情一つで、神殺しを諦める事はしないが、余計な物は絶対に付けない。必要な機能以外は用意しない。

 この彼の輝きを汚す事はしないと、狂科学者は此処に誓った。

 

 

 

 大きめの手術台に横になったまま、ユーノはなのはと手を繋ぐ。麻酔によって薄れていく意識の中で、確かに想う。

 

 もう一度、君に会う為に今は眠ろう。

 もう一度、君と歩く為に全てを捨てよう。

 

 どれ程に失っても、何度挫折しても、そこに君の笑顔があるならば、己はそれだけで幸福だから。

 

 

 

 だから、もう一度、君と共に。

 

 

「おやすみ、なのは」

 

 

 

 

 

4.

――至高の光はおのずからその上に照り輝いて降りるだろう

 

 

 そうして、夜の帳は墜ちる。草木も眠る丑三つ時に、それは起こる。

 来たる災厄。舞い降りる怪物。やってくるであろう最強の大天魔に、誰もが備えている。

 

 双子月が近付いている。それが重なるまでの時間は後数十秒。この月が赤く染まった時、最強の怪物はその直下に堕ちて来るであろう。

 

 誰もがそれに備えて、誰もがそれを待ち受けて――故に、その衝撃に誰も対応が出来なかった。

 

 

 

 ドンと大気が揺れる。ドシンと星が揺れ動く。

 まだ双子月は重なっていない。まだミッドチルダ大結界は残っている。……だと、言うのに。

 

 

――太・極――

 

 

 それは一瞬後に生まれるであろう結界の隙間を通り抜けるのではなく、真正面から結界を打ち壊して降臨した。

 

 

無間黒(ミズガルズ・)肚処地獄(ヴォルスング・サガ)

 

 

 結界の崩れ落ちる音の中で、巨大な三つ首の虎が咆哮を上げる。最強の大天魔が此処に現れる。

 

 時間制限などはない。逃れる場所などありはしない。

 この怪物は、何処までだろうと、何時までだろうと、刹那の魂を追い続ける。

 

 管理局にとって、最も長い夜が幕を開ける。

 

 

 

 終焉の絶望は止められない。

 

 

 

 

 

 




なのはちゃん復活フラグをせっせと立てつつ、ユーノ君から全部奪った。そんな今回の話。

彼はもう司書長で居る事も出来ません。
魔法を使えなくなった魔導師が、管理局に居られる道理もないのです。


御菓子作りが得意で、コーヒーを淹れるのが旨くて、歴史の知識に秀でていて、人より無手での戦いに秀でている、そんな唯人になります。


唯人の輝きこそを見たい宿儺さんの敵としては、ある意味相応しいんじゃないですかね。






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終焉の絶望編第四話 無間黒肚処地獄

戦慄のマッキー編。

推奨BGMはEinherjar Nigredo(Dies irae)


1.

 堕ちて来たそれに、誰もが呑まれていた。

 

 その存在が放つ違和感。余りにも巨大な神相。絶対視していた結界が砕け散る様に、誰もが口を開いて茫然自失する。

 考えた事もなかった光景に衝撃を受けて、その戦列を維持できない。

 

 無理もなかろう。こんな形で現れる大天魔など初めてなのだ。

 ある種の信仰を集める程に絶対視されていた結界が砕かれる等、誰もが想定外だったのだから。

 

 

 

 強いか弱いか、天魔・大獄の存在を計る事は出来ない。

 それを理解するには強大過ぎる。人の身で理解しようなどとは驕りが過ぎる。

 

 だが、結界を易々と砕いた事実から予想はできる。

 単純な力の総量が他の大天魔を絶する事は、簡単に予想出来ていたのだ。

 

 勝てるのか、と言う迷いではない。

 勝つのだ、と言う不断の意志でもない。

 

 勝てる訳がない、そんな諦めに似た感情が、誰しもの心の内に湧いて来る。

 それ程に、ミッドチルダの者らにとって、大結界は心の支えとなっていたのだ。

 

 

 

 それはある意味、仕方のない事なのだろう。

 いざとなれば、時間が過ぎれば、それで助かると言う保険。

 強大な天魔に挑む為の心の支えを失えば、行動に支障を来たすのは当然だ。

 

 だが、その怪物は、怯懦の思いを汲んで進撃を止めるような存在ではない。

 震えて動けぬからと、それを考慮して立ち止まるならば、そもそも攻めて来ない。

 

 怯懦に震えて、衝撃に心を打ち抜かれて、動けぬ者ら。

 そんな彼らを後目に、黒き甲冑は、その随神相は、一歩を踏み出した。

 

 天魔・大獄が進む。

 僅か一歩で自壊しそうになりながらも、己の死を殺して更に一歩を踏み出す。

 

 その速度は、蛞蝓の如く遅い。牛歩の方が遥かに速い。

 

 ゆっくりと、ゆっくりと、迫る怪物は静かに進む。

 

 誰もが無意識に一歩を退いた。

 天魔・大獄が進む度に、誰もが一歩を退いていた。

 

 誰もがその怪物を恐れていた。

 

 

「っ! このっ! 馬鹿者共がぁぁぁっ!!」

 

 

 そんな怯懦に震える局員達の耳に、確かな肉声が届く。

 機械の補助などなしに、一人の男が震える声で叫びを上げる。

 

 

「何を無様を晒しておるかっ! 我らを何と心得るっ!!」

 

 

 その身に付ける衣服に輝く階級章は将校の物。

 人相の悪い髭面にビール腹と言う、年の行った中年の男が最前線にて声を荒げている。

 

 レジアス・ゲイズ。地上本部の最高権力者であり、間違っても前線に立ってはいけないであろう人物が、怯える者らの最前列に立って声を荒げていた。

 

 

「我らは何だ! 管理局員だ! 我らの役は何だ! 我らが背にある者らを護る事だ!」

 

 

 男は魔導師ではない。魔力資質すら持ってはいない。

 

 現在の管理局は魔力資質を持たない者を一切採用していないが、嘗て、男が入局した当時は違っていた。

 戦闘機人や人造魔導士が一般化されておらず、兎に角数を求めた当時の管理局は非魔導士であっても採用していたのだ。

 

 彼は当時の生き残りだ。大天魔の襲い来る場においては無力である非魔導士。

 広範囲を防御できる歪み者の傍にでも居なければ生存すら出来ない弱兵など、足手纏いにしかならない。

 

 世論を恐れて余り派手に捨て駒に出来ぬ以上、平時は兎も角緊急時には無駄飯ぐらいでしかない。その程度の扱いをされていたのが、若き頃のレジアスだ。

 

 そんな彼は、当然の如く武では役に立てなかった。

 そんな彼は、故に友との誓いを守る為に政治の道を志したのだ。

 

 そうして前線を離れたレジアスが、未だ最前線にその身を晒す理由。それは、悪く言ってしまえばプロパガンダの一環だ。

 

 

 

 魔力資質を持たない彼では、中将と言う地位に立つ事すら出来ない。

 魔力偏重主義が幅を利かせるように、影から扇動されているミッドチルダで、彼のような非魔導士がその地位に立つ事は非常に難しかったのだ。

 

 或いは、管理局が戦時下にあるのではなく、本局がより強い権限を持っていれば別だったのかも知れない。

 御門一門や最高評議会が、裏から主義者達に支援をしていなければ別だったかも知れない。

 

 だが、この状況下で魔力資質を有していない者が上に行ける道理はない。

 レジアスが上に行くには実績とは別に、その不利を覆せる何かが欲しかったのだ。政治の道を進む為に、箔付けと言う物は必要だったのだ。

 

 その為に始めた前線に立ち続けると言う行為。己が命を切り捨てる事で名声を得る為のロビー活動。

 利や情で味方に付けた歪み者に身を守らせて、最前線で指揮を執り続ける事で現場の支持を集めようとしたのだ。

 

 始めた当初はそんな物。損得の判断の結果、他に術が全くないから、一発逆転を求めて始めた賭け事でしかなかった。

 

 

「確かに、あの怪物は強大だ! だが、お前達はそれで逃げ出すような者ではないだろう!!」

 

 

 思惑がどうあれ、確かに彼は地獄に赴いた。

 一般局員であった頃には非魔導士であるが故に参加を許されず、金とコネを得てから無理矢理に立ち入った戦場で地獄を理解した。

 

 そこで見たのだ。そこで聞いたのだ。

 悲痛を、悲劇を、意思を、強さを、その全てを目に焼き付けたのだ。

 

 彼は前線の誰よりも硬く守られている。

 高性能な魔力障壁を張る魔導師達に守られ、他人を守れる防御型の歪み者を引き連れている。

 命の保証のない戦場の中で、だが一番助かるであろう可能性が高い場所に居る。

 それでも防げぬだろう死を、自己犠牲によって防いでくれた者等が居た。

 

 誓いは最早、友とだけの物だけではない。

 

 戦場で幾度も死に掛けた彼を死ぬ気で助けた陸士部隊の者らは、同じ釜の飯を食った者らは、政治と言う分野でレジアスがこの現状を変える為に動いてくれる事を信じた。

 

 現場を知る上位者が、この地獄の様な日々を変える切っ掛けを作ってくれるのではないかと期待したのだ。

 

 そんな名もない者らの手によって、レジアスは確かに命を繋いできたのだ。

 

 

「忘れるなっ! この肩に背負っているものを! お前達は! 絶対にそれを投げ出すような者ではないのだと!」

 

 

 だからこそ、彼は現実を、上層部の誰よりも深く知っている。

 変わり続けるそれを、忘れない為に地獄の最前線に居続けると決めている。

 

 そして彼は誰よりも、己の様に守られていないのに、現場に立つ事が出来る戦友たちの強さを知っている。

 

 だからこそ、何の力もない男は叫んだ。

 

 

「アレは敵だ! 倒さねば、全てを失うぞ!!」

 

 

 怒声は震えていた。レジアスもまた、恐怖に震えていた。

 そんな震える声に弾かれるように、誰もが顔を上げて前を向いていた。

 

 下がり続ける足は、ここで踏み止まる。

 崩れかけた戦列は、確かに崩れる事はなかった。

 

 その姿を見て、レジアスは一つの指示を口にした。

 

 

「全軍、砲撃開始ぃぃぃぃぃっ!!」

 

 

 唯、撃てと。複雑な命令を受け入れる余裕も、何かを考える余力も、そんな物は誰にも残されてはいないだろうから、唯撃てとレジアスは命じた。

 

 

 

 轟音が響く。爆音が鳴る。大地を砲弾が疾駆し、空を魔法の輝きが駆け巡る。

 

 その砲撃は出鱈目だ。その破壊は非効率だ。

 前を行く質量兵器の弾丸を、後から迫る魔力光が消し飛ばし、その魔力光を更に後に放たれる光学兵器が散らせてしまう。

 弾丸の速度も射線も距離も、一切考慮せずに唯放たれ続ける破壊の砲火は、互いに邪魔をしあっている。

 

 それでも、一心不乱に彼らは迎撃を続ける。

 絶え間なく続く砲火は、巨大な三つ首の黒虎へと降り注ぎ続けた。

 

 だが、それでは届かない。

 

 どれ程の砲弾を放とうと、どれ程の魔力光を放とうと、光学兵器が周囲を消し飛ばしながら接近しようと、最強の怪物は揺るがない。

 

 触れる事さえない。当てる事すら出来ない。

 そうなる前に、全てが黒き砂になって終わってしまう。実弾も、魔力も、光さえも、強制的に終わって消滅してしまう。

 

 降り続ける砲火の雨の中、天魔・大獄は何もないかの如くに進む。

 ゆっくりと、ゆっくりと、一歩、一歩と進んで来る。

 

 

 

 その怪物は止められない。

 

 

 

 最前線の砲火では止められない。

 今更戦闘機人部隊を出したとて、時間稼ぎにすらならない。

 

 ならば別の手を用意するより他にない。

 

 

「我らの出番か」

 

「……そうね。あのビアダル親父が身体を張ってるんだもん。やんないとならないわよね」

 

 

 その事実を前に彼らが動く。

 管理局の切り札と言える者達。エースストライカー達が動く。

 

 この場に居るのは二人だけだ。あの怪物を前に、先ずは生存性の高い二人だけを当てる事とする。

 それを以って、何処まで出来るのか、誰を対処に向かわせるのかを決める。それこそが彼らが下した判断だった。

 

 

「外から攻めても駄目だと言うならば」

 

「ま、当然! あのデカブツを、中から崩してやりましょう」

 

 

 高町なのはのデバイスに残った映像から、アレに内部空間がある事は分かっている。外側から崩せないなら、その内側から対処すれば良い。

 

 停滞の鎧を纏った青き守護獣。無限の残機を持つ鉄拳の女傑。

 先ず以て動くのは、どのような状況下でも即死はしない彼らである。

 死に満ちた世界においては、彼ら以外は行動すら出来ないであろう。

 

 

「んな訳で、砲撃止めて道あけといてよ、髭親父」

 

〈ふんっ! 中将と呼ばんか、馬鹿娘がっ! ……死ぬなよ〉

 

「当然。……これから、私はお母さんになるんだからっ!」

 

 

 クイントが通信端末で連絡を取る。大天魔襲来の直前に、あの少年から了承を貰ったクイントの戦意は、今までにない程に高まっていた。

 

 連絡直後に砲火は止み、彼らの前に道が生まれる。そうして出来た道を、駆け抜けるように飛翔して怪物に迫る。

 

 ゆっくりと動く怪物が、逃れようなどと言う意志を見せる筈もなく、彼らは己に掛かる負荷を感じながら、その巨大な口より体内へと侵入した。

 

 

 

 だが心せよ。

 怪物の終焉は、想いだけで揺るがせる事など出来ない。

 

 その死に満ちた世界は、たかが歪み程度で、神から奪い取った断片如きで、抗える程に安くはないのだ。

 

 

 

「がっ!?」

 

「っっっっっ!!」

 

 

 両者は口から入り込んだ直後に、弾かれるように外へと逃げ出していた。遮二無二、逃げ出さねば死んでいた。

 

 ザフィーラは感じ取る。内に入った瞬間に停滞の鎧を突破されそうになった事実を、後一秒でも長く其処にいれば、己の命はなかったと言う事実を認識した。

 

 ザフィーラとて、全力ではない。最大駆動した停滞の鎧ならば、もう暫くは耐えられただろう。

 だが、それでも十秒か、二十秒か、あれを倒すにはまるで足りない。

 終焉の黒き砂漠の中を進む為には、全力を出しても魔力が足りないのだ。

 

 これに挑めば己は死ぬ。確実に、何も為せずに死に絶える。

 復讐を果たせていない獣には、そんな選択は選べない。命を賭しても極小の可能性すらない戦いなど、彼には選べよう筈がなかった。

 

 絶対的な守りを持つ獣であってもそれなのだ。

 ならば当然、彼ほどの守りを持たない女の被害は、彼よりも遥かに大きかった。

 

 

「っ! クイントっ!!」

 

 

 叫び声を上げる。

 声に返す言葉は、酷く弱弱しい物だった。

 

 

「……生きては、いるわ。……まさか、一瞬で、全部持ってかれるとは、思わなかったけど」

 

 

 蹲って、血反吐を吐いている女。彼女は終焉に触れた瞬間に、十五の残機全てを奪われていた。

 

 死を分身に押し付ける。押し付けた死の総量が、十五人を一瞬で殺し尽くし、それでも零にする事が出来ない程に強大であったのだ。

 

 その結果、クイントは身動きできぬ程に衰弱している。吐けども血反吐は止まらず、生命力を流し続けていた。

 

 

「何故だ」

 

 

 そんな風に動けなくなった女を片手で拾い上げて、最強の怪物より逃げ出しながらザフィーラが問う。

 

 

「何故、お前は、此処にいるお前を残している」

 

 

 それは当然の疑問。クイントにとって、分身と本体の差などない。

 押し付け切る事が出来ず、もう挑めぬと分かっているならば、逃走の手間を減らす為にも此処にいるクイントを分身として切り捨てるのが正しい判断と言えたであろう。

 

 

「そう、する、心算、だったんだけど、ね」

 

 

 クイントもそう判断していた。己の押し付けた死に、分身たちが悉く耐え切れずに消し飛んでいく中、退避しながらも別のクイントを本体として使用しようとしていた。

 

 だが、出来なかった。しないのではなく、出来なかったのだ。

 

 

「……御免、返しの風、来ちゃったわ」

 

 

 残していた彼女に訪れた被害は、終焉に触れた結果だけではなかった。

 その身に宿す歪みの力が、彼女の制御力を超えてしまっていたのだ。

 

 

「もうちょい、持つと、思ったん、だけど、なぁ」

 

 

 予兆はあった。限界を理解はしていた。

 ここ暫く、体調が不安定だった。歪みの制御が上手くいかない事も少なくはなかった。

 

 彼女の妹分も気付いていたその異常。それこそ、クイントが歪みを制する事が出来なくなりつつあった証である。

 

 限界スレスレで拮抗していた天秤。それが、終焉と触れた事で一気に傾いてしまっただけの話なのだ。

 

 

「ちぃっ! もう良い。無理して喋るな!」

 

「聞いといて、それ、言う? まぁ、死にたくないけど、動けないし、後、頼む、わ」

 

 

 クイントが異形に変わる事は無い。彼女はその領域にまでは到達出来ないからこそ、己の歪みによって命を落とさんとしている。

 全身を襲う痛みと虚脱感で意識を失ったクイントを抱えて、ザフィーラは走り抜けた。戦う為ではなく、終焉より逃れる為に。

 

 最も生存性の高い彼らであってもこの様だ。

 他の歪み者では近付く事さえ出来ない。エースストライカー達は、この瞬間に打つ手を失ったのだ。

 

 

 

 終焉の怪物は止められない。

 

 

 

 一歩、一歩。ゆっくりとした速度で、最強の大天魔は迫り続ける。

 その歩みは淀みない。その歩みを止める事は出来ない。その怪物は止まらない。

 

 

「……まぁ、通じないとは思うが、多少は抵抗させてもらおうか」

 

 

 そんな中、地上本部の訓練施設に立つ青年は、そんな言葉を口にする。

 長い黒髪を後ろで束ね、白を基調とし黒き呪の刻まれた和装を身に纏う青年。

 顔を青痣で腫らした彼は、通用しないと分かっていても己の異能を行使する。

 

 

「万象、掌握」

 

 

 言葉と共に、地形が変わった。

 

 天魔・大獄が進む先、その道が突然に消え失せる。

 其処にあった筈の大地が消え去り、代わりに出現するのは彼の随神相よりも巨大な渓谷。

 

 その力は、彼の大天魔が進むべき大地を奪っていた。

 既に万象掌握は、星の地形すらも思いのままに置き換える事が出来る程に至っている。

 

 眼下に広がる深き穴。大地を踏み締め進む怪物は、物理法則にそうならば当然落下するであろう。

 

 だが、そうはならない。

 

 

「まぁ、当然だな」

 

 

 当たり前の如く、何もない虚空を踏み締めて進む大嶽。まるで常識を馬鹿にしているような対応だが、天魔・紅葉ですら物理法則を軽々と無視していたのだ。それ以上の怪物が落下するなど、楽観視が過ぎる話である。

 

 故に、その姿も想定内でしかない。だからこそ、続けざまの一手を用意していたクロノ・ハラオウンは、即座に行動に移った。

 

 

「ざんざんびらり、ざんざんばり、びらりやびらり、ざんだりはん」

 

 

 それは、御門一門に囚われ続けた間、彼らの使う旧世代の力を解析してクロノが編み上げた、疑似的な術式。古き世に使われた一つの力の模倣である。

 

 

「ふくもふしょう、つかるるもふしょう」

 

 

 彼が手を軽く振るうと、随神相の頭上に巨大な質量が生まれる。

 その強大な質量は、彼の歪みと術が作り上げた凶兆である計斗星。

 

 

「鬼神に王道なし、人に疑いなし、総て、一時の夢ぞかし、ここに天地の位を定む」

 

 

 それは山。それは山脈。ミッドチルダという惑星に存在する全ての山々を此処に集め、巨大な凶星を作り上げる。

 

 

「八卦相錯って往を推し、来を知るものは神となる 天地陰陽、神に非ずんば知ること無し」

 

 

 まるで巨大な隕石の如く、連なった山々は歪みと術式を混ぜ合わせた力によって大火球へと姿を変える。その膨大な質量全てが破壊の力へと変じていく。

 

 その絶大の質量をもって、天より墜落する計斗星の如き衝撃を生み出した。

 

 

「計斗・天墜――凶に破れし者、凶の星屑へと還るがいい!」

 

 

 空を裂き、大地を穿たんと墜ちるは計斗星。落下に巻き込まれれば、誰の命も残らぬであろう。

 

 だが前線にあった陸と空の部隊は既にない。

 逃げ続けていたストライカー達の姿もない。

 初手の環境変更の際に、避難民を含めて全て地球へと逃がしている。

 

 故に被害など気にする必要はない。無人の渓谷を、焼け野原に変える事も辞さない。

 あれを止める為に、クロノはクラナガン全土を壊滅させる力を持つ凶星を墜としたのだ。

 

 

 

 迫る気配を、同胞の力たる歪みを感じ取った大獄は、僅かに視線を動かす。

 見えている訳ではない。唯、反射的にそちらを見て、視力ではなく感覚で力の総量を理解する。

 

 

「……少し、邪魔だな」

 

 

 その猛威は、クラナガンを消し去る程の物。ミッドチルダに癒えぬ破壊を残す程の物。多くの命を奪い去るであろう程の強大な破壊力。

 

 そんなそれを邪魔だと切って捨て、巨大な神相はその手を振るう。

 轟と音を立てて迫っていた隕石は、腕の一振りで黒き砂へと変わって消えた。

 

 計斗・天墜は足止めにもなりはしない。

 そのゆっくりとした歩みは、一度たりとも止まることは無い。

 

 

 

 最強の怪物は止められない。

 

 

 

「……分かっていた事だが、流石にそうもあっさり防がれると自信を無くすな」

 

 

 そんな光景を分かっていたと口にして、クロノは己の歪みを行使する。

 最早、己には何も出来ない。自身の伏せ札は、切り札にすらならずに消えてしまったから。

 

 

「後は任せた」

 

 

 続く一手の邪魔にならぬように、己を安全地帯へと転移させた。

 

 

 

 そして、ミッドチルダ宙域にて待機していた海の部隊が動き出す。

 時空管理局の戦艦が立ち並ぶ。L級の航行船ではなく、純粋に戦争の為に作られた戦闘艦が其処に並んでいる。

 その戦列にある航行艦は、全ての主砲をミッドチルダへと向けていた。

 

 

「本当に、やるのですか?」

 

 

 若き副長が声を上げる。自らの手で、自らが生まれ育った世界を焼き払う事に躊躇いを見せている。

 

 

「やらねば、ならん」

 

 

 海の総大将として戦列を指揮するラルゴ・キールは、自身の副官へと重苦しく言葉を返す。

 やらずに済めば良い。だが他の手立ては全て潰された。故にやらずに済ませる事などもう出来ない。

 

 アレは何処までも追って来る。

 確実に倒さねば、己達が死ぬのだ。守るべき者らを失うのだ。

 それを防ぐ為には、母たる大地を焼き払う焦土戦すら許容せねばならない。

 

 そんな老提督の覚悟に、若き副官は頷きを返して指示を出す。

 彼の指示を聞いた全ての艦長が始動キーを差し込み、安全装置を解除してその瞬間を待った。

 

 

「アルカンシエル! 連続斉射!!」

 

 

 赤く染まった艦内より叫ばれる老提督の言葉。

 それと共に、数十にも及ぶ戦艦の全てから、三つの巨大魔法陣が展開される。

 

 展開された魔法陣より放たれるのはアルカンシエル。管理局の誇る最終兵器がミッドチルダの大地に向かって放たれた。

 

 

 

 アルカンシエル。

 放たれる弾丸が魔力反応を発生させ、結果として生じる空間歪曲と反応消滅によって対象を殲滅する管理局の最終兵器。

 その威力は一発で百数十キロを消滅させ、周囲の次元を狂わせてしまう程の物。

 

 防げない。耐えられない。そんな道理などありはしない。それ程の猛威が、雨霰の如く降り注ぐのだ。

 

 戦列より放たれた最終兵器は、十や二十ではない。

 百や二百には届かないが、立て続けに放たれ続ける破壊の光は、まるで無限に降り注ぐかの如き錯覚を与えていた。

 

 

 

 だが、それでも怪物は止まらない。

 

 

 

 アルカンシエルが齎す破壊の光。

 それが消えた後に残る巨大な怪物は、無傷だった。

 

 傷一つない。その身に唯一つの痕さえ残らない。

 その歩みが揺るぐ事はなく、唯破壊が振り撒かれただけだった。

 

 その姿に心が折れる。だが、それでも諦めるなと口にして、次弾を装填して放つ。

 積み上げれば、重ねて行けば、何時かは届くかもしれないと。

 

 

 

 そんな何時かは訪れない。

 

 

 

 これが求める者を傷付けるかも知れない。

 破壊の光は己には害がないが、唯人を器としている戦友には影響が出るだろう。

 

 天眼によってそう判断した大獄は、その神相は、巨大な口を大きく開く。

 

 

「……此処で、死ね」

 

 

 その顎門より放たれるのは破壊の光。

 全てを滅ぼす終焉の輝き。三つ首より放たれた光は空を焼く。

 宇宙にあった海の部隊全てが、一秒とせずに消し飛んだ。後には何も残らない。

 

 天魔・大獄は無人と化した荒野を進む。一歩、一歩と進んでいく。

 

 

 

 その怪物は止められない。

 

 

 

 御門の御所。その最奥に突き立てられた槍の前で、禅を組んでいた女は目を開く。

 

 

「……使う他、ないか」

 

 

 その視線の向く先、目に映るは黄金の槍。心弱き者は目にしただけで死に至る。それ程の輝きを担い手なき今でも維持するその至宝。

 手にした者は、世界全てを制すると信じられた、それこそが至高の聖遺物。

 

 聖約・運命の神槍(ロンギヌスランゼ・テスタメント)

 

 それに依って己を支える御門顕明は、それさえ捨てねばならぬかと判断していた。

 

 その場にいる者は彼女だけではない。

 彼女が手ずから指導した御門の術者達。

 彼女が振るう力、その増幅器としての役を負わせた者らが居る。

 

 

「大結界、再起動!」

 

 

 その力を借りて、再びミッドチルダを結界で覆う。

 元より、その気になれば何時でも展開出来た。双子月が重なっている間であろうと、大結界で天魔達を追い払うことは出来たのだ。

 

 それをしなかったのは、しない方が都合が良いと言う判断があった事と、急速展開を行った際の負荷が大き過ぎる事が理由。

 

 

「っ!」

 

 

 己に掛かる負荷を、唇を噛み締めて耐える。

 ボロボロと外装が崩れ落ちていき、その裏側に本来の姿が垣間見える。

 

 それはこの世の民とは異なる姿。神座世界に生まれた彼女は、この世界の民とは決定的なまでに生きるべき場所が異なっている。

 天狗道に生まれた民が持つは、悪意に塗れた邪神が与えた、糞尿と塵芥で塗り固められた瘴気を放つ異形の相。

 

 そんな忌避しか感じさせない姿が垣間見えようとも、其処に居る術者達に怯えも困惑もありはしない。

 

 彼らは知っている。彼らは理解しているのだ。

 御門の精鋭たる彼らは、絆こそ覇道と掲げる彼女の元に集った彼らは、その真意の全てを理解した上で協力しているのだから。

 

 ミッドチルダ大結界とは、ある術式を応用した物だ。

 本来は、一瞬のみに極大の効果を発揮するそれを、長く安定して効果を発揮するように改変した物こそ、この大結界なのだ。

 

 その真なる姿を、本来の形を、アレを止める為に、世界を滅ぼさぬ為に此処に使う事を彼女は決めた。

 

 

「聖槍十三騎士団黒円卓に連なる者! 第七位、ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン!」

 

 

 迫り来る最強の怪物。その魔名を口にする。

 敗者の型に嵌められた彼らを、滅ぼす為の力を行使する。

 

 

「その存在は獣に容認されていない! 故に、その愛にて果てよ!」

 

 

 既に獣はいない。その残滓は、嘗てとは異なる形で復活を果たそうとしてはいるが、未だ其処まで至ってはいない。

 己は残滓を振るえるだけの力を残してはいない。無数の術者達に支えられて、一瞬だけ嘗てと同じ力を取り戻す事が精々だ。

 

 それでも、これを大天魔は防げない。一度たりとも膝を屈した事がない両面の鬼と彼らの将を除いて、これに耐えられる大天魔はいない。

 

 

「受けよこの一矢! 天魔・覆滅!!」

 

 

 放たれるのは矢ではない。深奥に刺された槍は動かない。

 その力のみが、大地を切り裂いて、最強の大天魔へと迫っていった。

 

 

「…………っ」

 

 

 揺らぐ。不動だった最強が揺らぐ。立ち止まる。迫り続けていた怪物が立ち止まる。

 その黄金の輝きを受けて、その力を受け止めて、天魔・大獄が苦悶の声を漏らしていた。

 

 元より、彼は獣の戦奴隷。修羅道至高天に囚われていた者。人であった頃の彼は、獣の近衛である黒騎士だったのだ。

 

 故にこそ、その力は良く通る。例え残滓であろうとも、敗れた過去が彼を縛る。

 

 逆らえなかったという過去がある限り、この一撃を耐えられない。

 必然として滅び去る。そうなる前に逃げ出すのが唯一無二の対応策だ。

 

 そう。それが道理だ。それが当然の結果だ。――だと、言うのに。

 

 

「……今更、こんな物で」

 

 

 動けぬ筈の怪物が動く。

 耐えられぬ筈の怪物は耐える。

 

 そして、それだけでは、終わらない。

 

 彼はこんな終焉を認めない。至高の終焉はこれではない。

 嘗て得たその終わりを、投げ捨ててでも戦友の為に次を共に生きたのだ。

 

 ならばなぜ、こんな終わりを許容できようか。

 否、出来る筈がない。こんな物では終われない。

 

 

黄金の残滓(ラインハルト)程度で、俺を倒せるとでも思っているのかっ!!」

 

 

 最強の大天魔は喝破する。それは過ちなのだと、そんな終わりを出されようと、己は止まらないのだと一喝した。

 

 

「がぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 悲鳴が上がる。物理的な衝撃を伴った喝破に、跳ね返された力に悲鳴が上がる。

 破壊の光を無理矢理に振り解いた際に生じた波動が、効果を発揮せずに押し返された力が、術者である御門顕明と彼女の配下の者らを襲っていた。

 

 術者達はまるで柘榴が弾けるように、力の奔流に耐え切れずに弾け飛ぶ。余りにも強すぎる力に耐えられず、誰も生き残る事が出来なかった。

 己を信じて着いて来た者らの死に涙を零しながら、旧世界より生き続けた女傑は崩れ落ちる。

 

 この瞬間に、管理局はあらゆる札を失った。ここに万策は尽きたのだ。

 

 そして再び、足を止めていた怪物が歩き出す。

 

 最早抗う術はない。何一つ出来る事はない。

 静寂に満ちた世界を、己が戦友を求めて怪物は進む。

 

 

 

 終焉の絶望は止められない。

 

 

 

 

 

2.

 静かだった。とても静かだった。

 

 迫る怪物は静の具現。求道の極致。故にゆっくりと来るそれは、激しい音も極端な事象も引き起こしはしない。

 

 ゆっくりと、ゆっくりと、その巨体が迫って来る。静寂な夜を切り裂く事は無く、余りにも静かに破滅は迫っている。

 

 そんな中で、少女は一人、地上本部の屋上へと姿を見せていた。

 その足運びは安定しない。目覚めたばかりの彼女は、未だふらついている。

 

 それでも、此処に来た。襲い来る終焉の絶望を食い止めにやって来た。

 心は震える。身体は震える。あれに挑むなど、正気の沙汰ではない。

 

 だけどそうしないといけない。そうしなければ全てが終わる。

 だから、揺らがぬ想いを感じる為に、ゆっくりと目を閉じて胸に手を当てる。

 

 

「感じるよ。ユーノ君の(こころ)

 

 

 其処に感じているのだ。温かい想いを。

 とても、とても、とても強い想いを。

 

 まだ戦うなと言われた。

 術後数時間と経ってはおらず、無理をすれば命に関わると口にされた。

 

 それでも、君は行くのだろうとあの科学者は口にしていた。それにうんと頷いて、高町なのはは此処に居る。

 

 

「目覚めない君が其処に居る。私に伸ばしてくれた手が其処にある。……だから、失いたくなんてないんだ」

 

 

 目を向ける。先にあるのは巨大な怪物。

 逃げ出すのが、正解なのかもしれない。挑むなんて、馬鹿らしい事なのかもしれない。進む道は間違っているのかもしれない。

 

 けど、アレを見逃せば世界が凍る。その瞬間まで、アレは止まらない。

 それは困るのだ。これから先の世界を共に生きる為に、凍ってしまうのは嫌なのだ。

 

 だから――

 

 

「風は空に」

 

 

 少女は謳う。もう一度、あの場所に立つ為に。

 

 

「星は天に」

 

 

 諦めない。諦めてはいけない。その時が今、此処にある。

 

 

「輝く光はこの腕に」

 

 

 溢れ出し、輝く光は翠色。温かな輝きこそが、彼と共にあるという証。

 

 

「不屈の(こころ)はこの胸に!」

 

 

 そう。見ていてくれている。ならば、この身は諦めない。

 不屈の意志は挫けない。例え、終焉の絶望を前にしたとしても。

 

 

「レイジングハート、セットアップ」

 

〈Stand by ready, set up〉

 

 

 そうして、白き星は再び空へと駆け登る。

 天高く飛び出した少女が目指すは、あの死に塗れた黒き砂漠。

 

 打ち破るのだ。乗り越えるのだ。笑って語り合える、明日の為に。

 

 

 

 ゆっくりと迫り来る怪物。

 それに対抗するように無数の魔力弾をばら撒く。

 

 だが揺るがない。外界からの干渉では、これは揺るがせない。

 故に破るならば内界より、その地獄を乗り越えねばならない。

 

 迷いはない。戸惑いはない。元より覚悟の上である。

 三つ首の獣。その開いた顎門の隙間より、黒肚処地獄の中へと突貫した。

 

 

「っ!」

 

 

 直後、襲い来る砂嵐。唯人は即死し、神格であれ長期間は耐えられない。そんな死に満ちた世界。

 

 其処に入り込んだ高町なのはは、当然の如く命を終える。

 

 

「まだ終われないっ!」

 

 

 そして、その直後に蘇った。

 

 終わってしまう事を避けられないならば、もう一度始めからやり直せば良い。

 相手の拳が幕を引くならば、終わってしまった舞台を再公演すれば良いのだ。

 

 それは、そんな当たり前の対抗手段。

 

 

「私の舞台は終わらない! こんな形での終焉なんて認めない! 終わってしまうと言うのなら、何度だって繰り返す!!」

 

 

 それは幕引きに対する再上演。終焉に対するは新たな始まり。

 天魔・大獄の齎した幕引きの拳(デウス・エクス・マキナ)に適合する形で変質を起こした、高町なのはの再演開幕(アンコール)

 

 たった一人でも彼女を見てくれる観客(ユーノ・スクライア)が居る限り、彼女の舞台は終わらない。

 

 此処に終焉を乗り越える形で、魔法少女は復活を果たした。

 

 

 

 

 

3.

「ふむ。経過は順調、と言った所であろうか」

 

 

 飛び立っていく少女の背を、手術室で眠るユーノ・スクライアの傍らに居る白衣の男は見送りながら言葉を呟く。

 

 魔力光が翠色に変化する。

 不撓不屈から再演開幕への異能変化。

 天魔・大獄と戦う為だけに変化していく少女の力。

 

 其処に幾つかの想定外を内包してはいても、大凡は男の筋書通りに動いている。

 

 

「太極。道家の思想である太一と同義とも考えられる、世界そのものを差す言葉」

 

 

 それは男の考え付いた一つの理論。

 太極と言う一つの界である神々を、その座より追い落とす手段。

 

 

「陰陽思想においては、陰陽とは太極より分かたれた物。世界を二元論にて思考する言葉だ」

 

 

 そんな物はなかった。だから、用意するのだ。

 神を人の領域まで堕とすのではなく、人を神の領域まで至らせる。

 

 神を殺す神を生み出すのだ。

 

 

「太極は両儀を生ずる。ならば、何故、逆はあり得ないと言えようか」

 

 

 神とは、太極とは異なる二つを内包する物。完全なる一つ。

 それ自体を用意出来ないなら、既にある二つを完全な形で混ぜ合わせれば良い。太極に至るべき器を用意するのだ。

 

 

「詰まりは二元論の内包だ。両極なる両儀を揃え、混ぜ合わせる事が出来れば、即ち、それは太極(かみ)へと至る」

 

 

 魂の質。合一に至れる相手が居る事。

 それら全てを含めても、神殺しの器足り得る者は彼女以外にありはしない。

 

 

「太陽は陽であり、月は陰である。女は陰であり、男は陽である」

 

 

 太陽の如き少女(たかまちなのは)と、月の如き少年(ユーノ・スクライア)は、既に太極図を構成する為に必要な要素を満たしている。

 

 

「太極図は、陰を内包した陽と、陽を内包した陰が混ざり合う姿を描いている」

 

 

 まるで都合が良い程に符合していた。

 その為に用意されていたかの様に、彼女は必要な全ての要素を揃えていたのだ。

 

 

「陽を象徴する陰の少女と、陰を象徴とする陽の少年。二人の魂が混ざり合い、合一を果たせば、そう、その先にある者こそ」

 

 

 足りないならば補えば良い。補ったならば、より高くなるように調整すれば良い。

 他には何も要らない。他には何もする必要はない。既にアレに施す物はもう他にない。

 

 後は経験を積み、互いにより深く分かり合えば、その瞬間こそが。

 

 

「神殺しの、誕生だ!」

 

 

 未だ其処には届かない。そのレベルでの合一は果たせていない。

 だが、それでも、この黒肚処地獄にて死ぬ度に、高町なのはとユーノ・スクライアの結び付きは強くなる。

 

 死地から蘇る度に、彼女の魂はより強き輝きを放っていく。

 最初は一分持たなかった地獄の中で、成長を続ける少女は死を遠ざけ続けている。その位階は爆発的に成長している。

 

 ならば、何れは必ず至るのだ。

 

 

「ふふふ、ふはは、はーっははははははっ!!」

 

 

 ジェイル・スカリエッティは終焉を迎えつつあるミッドチルダにありながら、本当に楽しそうに腹を抱えて笑い続けた。

 

 

 

 

 

 




今回はマッキーの蹂躙回でした。


そろそろ分かっていると思うので明かしますが、三人の主人公はそれぞれ大天魔の中でも最重要な人物である彼ら三柱に対応しています。

トーマが夜刀様。ユーノが両面宿儺。なのはが天魔・大獄となります。


再演開幕のスペックは次回にでも、マッキー特化になったなのはちゃんは、ある意味強くなっているけど、同時にある意味弱くもなっています。




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終焉の絶望編第五話 世界の終わり

マッキーインパクト最終回。
終焉の絶望編の残りは、後始末だけになります。


推奨BGM。

1. Einherjar Nigredo(Dies irae)
2. 祭祀一切夜叉羅刹食血肉者(神咒神威神楽)



1.

 乾いた砂の海。黒き嵐が吹き荒れる。

 黒き砂が満ちている。死が溢れている。其処には終焉以外ありはしない。

 

 其は無間黒肚処地獄。巨大な黒虎の内側にあるは、全ての幕を引く終焉の拳。人世界・終焉変生。

 

 そんな地獄の中を少女は飛翔する。

 何度も死にながら、何度も終わりながら、それでも少女は飛翔する。

 

 飛翔する少女の前に砂の嵐が渦巻く。

 触れれば幾度死ぬだろうか、それさえ分からぬ程の死を内包した物。

 

 

「ディバインバスターッ!」

 

 

 それに魔法の杖を向けて力を放つ。

 翠色の砲撃は嵐を逸らさんと、空を切り裂き嵐に向かう。

 

 だが。

 

 

「っ!」

 

 

 失速し、減衰し、消失する。

 砂嵐は消えない。今の彼女の砲撃魔法では消せない。単純に威力が足りていない。

 

 威力が足りない。本来ならば限界などなく、無限に火力を引き上げられる彼女の砲撃が、星を震わせる程の火力が、今の砲火には欠けていた。

 

 

〈Divine buster, power decline〉

 

「……やっぱり、そうだ」

 

 

 目覚めてから、魔法を最初に行使した時に感じた違和感。それを漸く理解して、レイジングハートの指摘に頷く。

 

 砲撃魔法の出力が落ちている。

 不撓不屈で生み出せる魔力量に制限が掛かっている。

 この地獄の中でも通じるだけの破壊を用意する事が出来ていない。

 

 

〈Master!〉

 

「っ! プロテクション!」

 

 

 思考に沈み掛けたなのはにレイジングハートが危機を伝える。

 

 砂嵐が眼前に迫っている。幾ら蘇れると言った所で、精神力をその度に消費する以上は有限。無駄遣いなど出来よう筈がない。

 

 駄目で元々、少しでも被害が減らせれば良い。

 そんな思考で咄嗟に展開した防御魔法は、しかし彼女の予想に反して、その被害を完全に防いでいた。

 

 

「……レイジングハート、これ?」

 

〈Protection, power increase〉

 

 

 シールド系の魔法の出力が上昇している。その事実に、高町なのははある一つの仮説を立てる。

 そうして、その思考が正しいかを確認する為に、マルチタスクを最大限に利用した。

 

 

「……やっぱり」

 

 

 予想は確信となる。展開されたマルチタスクの数は十二。元々然程マルチタスクを得意としていなかったなのはには展開出来ない数だった。

 

 

「……これ、ユーノ君の魔力資質」

 

〈The average value of master and yuuno〉

 

 

 高町なのはの出した結論を、レイジングハートが訂正する。

 今の高町なのはの魔力資質は、彼女と少年のそれを足して割った物。即ち平均値と化している、と。

 

 結界や障壁と言った魔法は嘗てよりも強くなっている。

 回復魔法と言った出来ない事も出来るようになっているが、反面、射撃魔法や砲撃魔法と言った攻撃系統の魔法は軒並み威力を落としてしまっている。

 

 

「それに加えて、異能の劣化。ううん、変質が起きてる」

 

 

 不撓不屈から再演開幕へ。即死に対する耐性を得た彼女だが、対して以前持っていた異能の力が変質を起こしていた。

 

 そのリソースが再演開幕へと傾いている。

 未だ残っている不撓不屈が、本来の性能を発揮していない。

 

 諦めない。その意志で行われる肉体再生は未だ健在だ。

 死んでも蘇る事の出来る再演開幕と合わせれば、外敵要因のみで高町なのはを殺し切れる存在はまずいない。

 

 意志の続く限り、無限に魔力を生み出し続ける事も可能である。

 それこそが不撓不屈の根源なれば、幾ら劣化しようとそれが不可能となる事は無い。

 

 無論、魔力を生み出す効率は遥かに悪化している。生成速度は落ちている。

 それでも時間を掛ければ幾らでも魔力を生み出せるであろう。

 

 ならば彼女が喪失したのは何か、単純に言ってしまえば一度に生み出せる魔力量だ。

 

 扱える魔力の総量が大きく下がっている。

 己の身体を削って大量の魔力を生み出す事が不可能となっていた。

 

 今の彼女には、嘗ての如く天を裂き、海を割る砲撃は放てない。

 唯の魔力弾で結界を揺るがす事は出来ない。星を滅ぼす一撃を放つなど、不可能だった。

 

 空を飛翔する少女は歯噛みする。

 これで勝てるのか、これで止められるのか、そんな不安が湧いて来る。

 

 何よりも痛いのは、集束と言う彼女が本来持っていたレアスキルが消えてしまっている事。

 

 これでは、スターライトブレイカーが使えない。

 

 

「……ううん。やれるか、じゃない。やらないと、いけないんだ」

 

〈I believe master, we can do it〉

 

「うん。行こう、一緒に」

 

 

 それでもやらねばならない。

 意志を固める少女に、魔法の杖は出来るのだと自信を持って語る。

 

 その言葉に頷きを返して、高町なのはは共に飛ぶ。

 その杖はこの無間地獄の中にあっても滅びる事は無い。

 

 あの日、燃え盛る業火の中で共に蘇った瞬間より、レイジングハートは高町なのはの一部となっている。

 

 なのはが死ねば共に壊れ、彼女が生き続ける限り傍らに在り続ける。

 デバイスと言う領域を、ロストロギアという規格を、既に超えてしまった杖は滅びない。

 

 

「レイジングハートと、ユーノくんが居る。……だから、やる前から諦めるなんて、絶対にしない!」

 

 

 胸に手を当てる。そこに感じる彼の魂。

 手にした杖と、胸の内にあるその魂の断片だけは、決して失われることは無い。

 

 故に、高町なのはの戦いは孤独な物になりはしない。

 彼女は一人で戦っている訳ではない。だからこそ、決して少女は諦めない。

 

 

 

 死の砂漠を超える。

 砂の海を乗り超える。

 吹き付ける嵐の中を超えていく。

 

 

「見つけた」

 

 

 そうして、その先にそれを見つけ出した。

 

 

 

 

 

 黒肚処地獄は決闘場だ。

 

 天魔・大獄にとって、己の存在する場所とは、即ち決闘の場でなくてはならない。そんな彼の思い入れこそが、この世界を生み出している。

 

 

 

 嘗て、ミハエル・ヴィットマンと言う男が居た。

 戦火の中で英雄と謳われた、戦車兵の男が居た。

 死の瞬間まで戦場を友と行き、戦い果てた男が居た。

 

 己は死んだ。戦いの中で、信頼する戦友と共に戦い、その果てに死を迎えた。

 それは至高とは言えない結末。それは誇らしいとは言える戦果ではなかった。だが確かに、己と友は戦士として死ねた。その筈だった。

 

 だが、悪辣なる蛇に魅入られた。第四の座を握った水銀の蛇に囚われた。

 気付いた時には決闘場の中に居て、右も左も分からぬままに殺し合いを強要された。

 

 逆らうなど出来ない。己が誰かも分からず、それに対して忌避感すらも湧かず、唯正しいと思想を操作されて、考える事も出来ぬままに殺し続けた。

 

 結局、意識を取り戻した時には、背負った重みで退けなくなっていた。

 

 それは蠱毒の壺。それは悪辣なる蛇が強き魂を求めて生み出した戦奴の決闘場。

 彼と友は、蠱毒の壺の中で、同じく囚われた戦士達と殺し合った。己が誰かも知れず、何を為すのかも分からず、唯只管に同胞殺しを強要され続けた。

 

 そうして、その果てに、彼は戦友を殺す。

 同じ戦場を、同じ戦車を動かして進んだ、唯一無二の親友を、己の手で殺してしまった。

 

 果てに、男は終焉を望むようになった。

 全てを諦めて、終わってしまった男が生まれた。

 

 それこそがデウス・エクス・マキナ。

 古き世界において、天秤の役割を負った黒き騎士。天魔・大獄の嘗ての姿だ。

 

 彼にとって己の居場所とは、決闘場でなくてはならない。

 終わってしまった己が存在を許されるのは、嘗ての蠱毒の中でしかないと知っている。故に彼の内面世界である此処は、決闘場なのだ。

 

 この地獄の中では、彼は決して加減など出来ない。この決闘場において、戦士と相対したならば、確実にその命を奪うであろう。

 この決闘場で無様を晒すと言う行為は、奪って行った同胞達、その全てに対しての侮蔑と裏切りに等しい。

 

 選べない。選ぶわけにはいかない。

 終わってしまった己にも、責務と義務はあるのだから。

 

 その支配者の想いを形とした世界は決闘場という形をしている。

 

 決闘場なのだから、戦士がいなければ成り立たない。

 故に居るのだ。その中央に。決して揺るがぬ怪物は地獄の中心に存在していた。

 

 

 

 ゆっくりと、ゆっくりと、前に進み続ける黒き甲冑。

 

 彼の歩みは外界にある神相と同調している。

 その歩が進む度に、あの三つ首の黒虎は地上本部へと迫っている。

 

 外界の怪物を止める為には、まずこの内界に居る怪物の足を止めねばならない。

 

 

「…………っ」

 

 

 その姿を見て、心が震える。

 その恐ろしさが分かる領域まで、高町なのはは迫っていた。

 

 それは巨大な山の一合目で、その山の頂上を見上げるような物。

 山を見上げる事が出来るようになった分近付いているが、それでもその先に待つ距離の途方もなさを感じてしまう。

 

 大きいと言う事は分かっても、どれ程に大きいのかが分からない。

 その頂上は雲に隠れて、どれ程高く見上げてもまるで見えて来ないのだ。

 

 

「ディバインシューター!」

 

 

 杖を構えて放つ。撃ち放つは無数の誘導弾。

 威嚇はしない。勧告はしない。要請もしない。対話をすると言う選択肢はない。

 

 これがそれを聞いてくれないであろうと言う事は分かる。絶対に止めねばならぬと言う事は分かっている。対話などしている余裕は、ありはしない。

 故に初手より今出せる全力を、砲撃よりは誘導弾の方がまだ威力が安定する。その判断によって撃ち放つ。

 

 無数に展開される魔力弾。その誘導弾の総数は、嘗てよりも多い。その質は嘗てよりも高い。

 

 今のなのはは、彼女本来の資質とユーノの資質の平均的な資質となっている。

 魔力弾を得意としていたなのはに、制御力とマルチタスク量が極端に高かったユーノの資質が加われば、当然嘗てよりも優れた誘導弾を放つ事は出来るのだ。

 

 

「…………」

 

 

 だが、通じない。当然の如く、そんな火力では届かない。

 降り注ぐ翠色の雨は、その最強を揺るがせる事すら出来ていない。

 

 降り注ぐ誘導弾は、怪物に触れる事無く消えていく。

 近付く事すら出来ずに、死を孕んだ大気に消耗させられ、届かず消える。

 

 

 

 最強の大天魔は止められない。

 

 

 

 その怪物は何事もなかったかのように歩を進める。

 真実、それは未だ気付いていない。少女の存在も、彼女が放った力も、認識するに至っていない。

 

 最強の怪物は前に進む。唯一人の、戦友を求めて。

 

 彼を止める術などはない。戦友が、少し手を伸ばせば届く場所に居る現状、この怪物が退く道理など何処にもない。

 

 怪物は進み続ける。一歩、一歩、一瞬先にも自滅しそうになりながらも、確固たる存在を保ったまま進むのだ。

 

 その先には破滅が待っているとしても。その先には崩壊が待っている事を知っていても。その先には紅蓮地獄が待っている事を理解していても。

 

 それでも、怪物は戦友を求めて進み続ける。

 

 

「やらせないっ! やらせないんだっ!!」

 

〈Variable shoot〉

 

 

 誘導弾が死の世界に飲まれて届かぬならば、届くようにすれば良い。

 黒肚処地獄を超えられるように、再演の力を混ぜたバリアを無数に重ねて多重弾殻を形成する。

 

 何度消滅しようとも、外殻が内側の魔力弾を再演させる。其は無限弾殻弾。

 レイジングハートより放たれた魔力弾は、彼女の思惑道理に死の地獄を乗り越える。終焉の嵐では消えず、崩壊し続ける黒き甲冑に確かに命中した。

 

 

「これなら……」

 

 

 そう確かに届いた。だが、届いただけだった。

 

 

「…………」

 

 

 着弾の衝撃で生まれた煙が消えた先、其処にある怪物は無傷である。

 揺るがぬ怪物は己が被弾した事にすら気付く事はなく、無言のまま進み続ける。

 

 魔力弾などでは傷付かない。それに脅威すら感じてはいない。

 

 計斗・天墜。アルカンシエル。天魔覆滅。

 その領域に至らなければ、危険と思う事すらない。邪魔だと認識する必要もない。

 

 力の波動を感じる事も、天眼を使う必要すらも感じないが故に、怪物は攻撃を受けているという事実にすら気付いてはいなかった。

 

 蚊に刺された程度の痛痒にすら届かない破壊に態々対応する必要などないのだ。その怪物は、魔力弾一つで揺るがせる事が出来る者ではない。

 

 魔力弾をその身に受けた怪物は、傷一つ負う事は無く、少女の抗いを認識する事すらなく、当たり前のように歩を進める。

 

 その歩みは止まらない。怪物の進撃は止められない。

 

 誘導弾では届かない。多重弾殻では傷付けられない。砲撃魔法は役に立たない。

 高町なのはの手札では、その怪物は止められない。攻撃能力が不足し過ぎている。

 

 それでも、諦めないと言うのなら。

 

 

「止まって!」

 

 

 無駄だと分かっても続けるしか術はない。

 死に満ちた空を飛翔する少女が杖より放つは魔法の力。適正の不利を補う程に、不撓不屈を行使する。

 

 限界を超えた魔力生成が出来ぬなら、出来る範囲で放てる最強火力を撃ち続けるより他にない。

 その翠色の輝きは、大地を穿つ砲撃魔法は強大だ。並大抵の相手ならば、直撃さえすれば一撃で打ち倒せていただろう。

 

 大天魔が相手では、決定打となる事はないが、それでも多少の手傷を負わせる事が出来ただろう。

 だが、その程度。そんな物で、最強の怪物は揺るがない。

 

 

「止まって!!」

 

 

 杖より放たれる砲撃魔法。

 魔法に目覚めた頃よりは強く、しかし異能に目覚めた頃よりは弱い。

 

 そんな威力の砲撃では止められないと知っていても、無駄だと分かっていても、それでも撃ち続ける。

 

 この先に居るのだ。

 この背に守る先に、彼が居るのだ。

 

 ならばどうして退けようか。

 

 失う訳にはいかない。全てを凍らせる訳にはいかない。

 紅蓮地獄を望まぬならば、ここでこの怪物を止めねばならない。

 

 だからこそ、少女は歯を食い縛って魔力を放つ。

 無限弾殻弾と同じ感覚で、無理矢理に砲撃を再演させ続ける。

 決して届かぬ魔力砲を、怪物へと届かせようと、極限の祈りを以って抗い続ける。

 

 

「止まってよっ!!」

 

 

 だが、その怪物は止まらない。

 

 その破壊を理解する事はなく、少女の存在を認識する事すらなく、怪物は無言で進み続ける。

 

 高町なのはに、その怪物を止める事など、出来はしない。

 

 

(私の魔法じゃ、届かない)

 

 

 理解する。どうしようもなく理解する。打つ手がもうないと、そんな風に理解する。

 

 心が消耗する。心が摩耗する。心が折れそうになる。再演開幕、不撓不屈による消耗と、どうしようもない現実を前に、少女の意志は挫けそうになる。

 

 逃げたくなって、抗い続ける事が苦しくて、泣き喚きたい弱さが出て来て。

 ああ、それでも退く事は出来ないから、最後の博打に賭けるのだ。

 

 

「……それでもっ! 零距離からならっ!!」

 

 

 あの死の怪物に接近する。死に満ちた世界に在り続ける事すら難しいのに、その極致と零距離にて相対する。

 

 それは自殺行為だ。理に叶わない行為だ。

 そこまでしても、止められるかどうか分からない。

 

 それでも、他に打てる手段などない。

 

 あの怪物の崩れ続ける鎧の隙間から、直接魔力砲を叩き込む。

 それで止まらぬならば、己の五体で縋り付いてでも、あの怪物の歩を妨害する。

 

 もうそれしか、彼女に手段は残っていなかったのだ。

 

 

「全力、全開!」

 

 

 挫けそうになる心を胸に感じる熱で奮い立て、少女は死に満ちた空を飛翔する。

 近付く度に命を落とし、蘇る度に異能の質を上げ、急激に成長しながら少女は立ち向かう。

 

 そうして地獄を貫き飛んだ翠色の輝きは、天魔・大獄の間合いの内へと入り込んだ。

 

 

 構えた杖を黒き鎧に押し付ける。

 崩壊するレイジングハートを、再演させ続ける事で維持しながら、全力の砲撃を此処に放った。

 

 

「ディバイーンッ! バスタァァァァァァァァ!!」

 

 

 その砲火は、極限を超えた意志で強化されていた。

 魔力適正も、不撓不屈の限界も、そんなのは知らぬと、純粋になのはのスペックが向上していたが為に塗り替えていた。

 

 この一撃に限れば、高町なのはは嘗ての己を遥かに超えていた。

 この一撃だけは、あの友人を追い詰めた星の輝きに近付く程に、高まり続けていたのだ。

 

 だが、それでも。

 

 

「…………女、子供か」

 

「っ!?」

 

 

 怪物に認識される事は出来ても、それを止めるには至らなかった。

 その黒き鎧に僅かに痕を残しただけで、少女の砲撃などその程度の影響しか与える事は出来なかったのだ。

 

 そして、怪物は少女の存在を認識する。

 先に戦友を連れ去った少女と、同一人物である事を漸くに理解する。

 

 少女が何故抗うのか知らない。

 その戦う理由などに興味はない。

 進行の邪魔にすらならない彼女に、言葉を向ける意味すらない。

 

 故にその言葉は、彼にとっては善意の発言でしかなかった。

 

 

「子供が、戦場に出て来るな」

 

「なっ!!」

 

 

 唯の善意で、相手を思いやる言葉で、怪物は高町なのはの意志を否定した。

 

 怒りを感じる。憤りを感じる。その言葉に強い反発を抱く。

 

 この地を蹂躙した大獄がそれを言うのか。

 止めなければ世界を滅ぼす怪物が、守りたい者を守ろうと必死に抗う己を否定するのか。

 女子供だから戦うな、と、そんな偏見に満ちた言葉を口にするのか。

 

 そんな風にこの怪物に言い返そうとした少女は、しかし言葉を口にする事すら出来なかった。

 

 

「っ!?」

 

 

 視界が暗転する。何が起きたのか分からぬまま、驚愕を浮かべて砂漠に落ちる。

 

 

「其処で、寝ていろ」

 

 

 それは当然の結末。零距離、手の届く距離とは、大獄にとっての独壇場。

 

 最強の大天魔は、武においても最上級だ。

 彼の体技は、一挙一動須らくが武人の夢見る到達点。

 至高の武芸。究極の極致。死に瀕した今とて、その武には傷一つありはしないのだ。

 

 その挙動を、武芸も知らぬ子供が認識できる筈もない。

 何をされたのか分からぬままに転がされて、その死の極致である男に触れられた事で抗えぬ程の死に飲まれる。

 

 

「っ、あ、ぐっ……」

 

 

 地面に落ちたなのはは苦しみもがく。

 己に訪れる死の終焉に抗おうと、再演開幕の力を使う。

 

 そうして、その果てに、意志の殆どを使い果たした。

 何とか己の命を維持するが、その対価に何もする事が出来ぬ程に消耗しきってしまった。

 

 なのはに与えられた終焉。それは幕引きの一撃ではなかった。

 拳を振り下ろした訳ではなかった。明確な害意すら、其処には存在していなかった。

 

 武芸の極みに至る怪物は、少女を傷付けぬように優しく掴み、猫を放るように、軽く放り投げただけだ。

 

 傷付けぬように、殺してしまわぬように、細心の注意を払って退かされた。

 

 それだけだった。それだけの事に、抗えなかったのだ。

 

 柔肌を撫でるように、押し潰してしまわぬように、優しく掴まれる。

 だが全身が死の呪詛に満ちた怪物に触れられる言う事は、即ち黒肚処地獄に満ちる死より濃度の高い死に触れると言う事。

 

 その終焉に抗う為に、高町なのはは己の精神力のほぼ全てを使い果たしたのだ。

 

 

 

 力の大半を使い果たしても、なのはが死ぬ事はない。

 

 彼女は既に太極域に限りなく近付いている。この終焉に特化した今、黒肚処地獄に対してのみ神格域の耐性を得ている。

 

 故に少女は再演開幕が真面に使えなくとも、僅かに残った意志力と少年との繋がりだけで此処にある事が出来る。

 

 直接終焉を叩き込まれぬ限り、繋ぎ止める力が終わることは無い。

 だが同時に、何かを出来る程の精神力は、もう残ってはいなかった。

 

 それさえも怪物は見越していたのであろう。天眼で見て理解していたのであろう。

 死にはしないが、もう戦う事は出来ない。そんな絶妙な状態へと、唯の一手で少女を陥れたのだ。

 

 

「世界は時の揺り籠に落ちる。お前達は死ぬ訳ではない」

 

 

 怪物は幼子達の死を望んではいない。

 戦友が愛した子らを、どうして望んで奪えようか。

 

 彼が敵意を以って排除するのは、戦友に危機を齎すかもしれない愚かな子だけだ。

 親の腸を食らい続ける子らですら、依代を傷付けぬならば放置する。

 

 余りにも多くを傷付ける事など望まぬから、彼はゆっくりとゆっくりと動くのだ。

 

 その気になれば、彼は全力で動ける。その神威を更に高める事は容易い。その力は、真実全盛期のままである。牛歩の如き速度でしか進めない理由など、ありはしない。

 

 瀕死の重傷など、死を殺し続けて生き続ける彼にとっては、己を劣化させる要素にすら成りはしないのだ。

 

 だが、無差別な死など望まぬから、逃げられるように、抗えるように、ゆっくりとゆっくりと動くのだ。

 

 高町なのはに止めを刺さないのも、地に落ちた彼女を死なせないのも、そんな感情が故の事でしかない。

 

 倒さねばならない敵ではないと、戦士ではないと認識されているが故の結果であった。

 

 

 

 嘗て、天魔・大獄は一度だけミッドチルダを訪れた。

 大天魔の襲撃に抗い続ける子らを見る為に、揺り籠が不要になったのかを確かめる為に、彼は一度だけ動いた。

 

 その時に、彼は一つの結論を下した。

 己に抗えず、飛んで火にいる虫の如くに潰えていく命を前に、彼の見極めは一つの結論に至ったのだ。

 

 

「まだ揺り籠が必要な幼子達よ。今は唯、奴の愛に抱かれて眠れ」

 

 

 そう。この子らはまだ幼過ぎる。

 今はまだ、揺り籠を出て歩き出すには早い。

 

 夜刀の愛がなければ、彼らは生きていけないと判断した。故にこそ、この怪物は次代を求めてはいない。

 

 訪れれば良い。そうなれば良い。あの男が望むように、世界を引き継いでくれれば、それ程に嬉しいことは無い。

 そんな風に願ってはいても、あの夢見がちな男の宝石達が自滅する結果にしか辿り着けぬならば。

 

 まだ巣立ちには早いのだ。

 そして、もうそれを待つ時間すら残されてはいないから、今になって彼は動き出したのだ。

 

 

 

 去って行く。黒き甲冑は戦友を求めて、神の依代を求めて去って行く。

 その背を茫然と見詰める。精神力の尽きかけた少女は起き上がることも出来ずに見つめ続ける。

 

 

(行かせちゃ、いけない)

 

 

 なのに身体が動かない。なのに心が奮わない。なのに勇気を出す事が出来ない。

 全てを語り終えた怪物は少女を一瞥する事すらなく、唯前を見て先へと進んでいく。その果てに訪れる紅蓮の世界を、望まぬならば止めねばならない。

 

 

(行かせちゃ、いけない)

 

 

 分かっていても身体が重い。分かっているのに心が重い。動き出す事が、こんなにも大変だと思うなんて、初めてだった。

 

 去って行く怪物を邪魔する者は最早ない。

 クロノ・ハラオウンも御門顕明も管理局の歪み者も、誰もこの怪物を止められないだろう。

 少女は最後の砦なのだ。怪物に抗う、最後の“人間”なのだ。

 

 

「行かせちゃ、いけないっ!」

 

 

 想いは尽きても、また生まれる。

 心に繋がりがある限り、僅かにだが生まれ得る。

 

 そのきっかけとなる熱量は、まだ僅かに残っている。

 

 高町なのはの身体が黒き砂に飲まれていく。

 この地獄に抗う為の、生きる為の意志力すらも戦う為の力に変えて、黒き砂に飲まれながら、少女は杖を握り締める。

 

 手に取る魔法の杖。

 死に掛けながら選択するは、星の輝き。

 

 集束適正はもうない。以前のように、当たり前のようにその一撃は放てない。

 ならば、無数のマルチタスクを以って代用とする。世界に満ちる魔力。それを集める為に必要な力を計算し、計測し、弾き出す。

 

 感覚ではなく、何処までも数理による計算によって、星を滅ぼす輝きを取り戻そうと足掻いていた。

 

 杖の先端に、ゆっくりと光が集まっていく。その速度は遅い。余りにも遅過ぎる。

 一定量が集まれば霧散し、維持する事すら真面に出来ず、それは当てる事は愚か、発動する事すら難しい有り様だ。

 

 ゆっくりと動く怪物が立ち去る前に、集束出来るかは分からない。集束した砲撃を、放てるかどうかは分からない。

 

 命綱さえ攻撃に回して、その攻撃の瞬間まで生きていられる保証はない。

 素の状態での耐性が上がっていなければ、今この瞬間にも死んでいた。

 

 そんな最悪の状況下で。

 

 

「止まれぇぇぇぇぇっ!」

 

 

 それでも少女はそう叫び声を上げて、立ち去る怪物に砲撃を放たんとした。

 

 

 

 だが、その一撃が放たれる事はなかった。

 

 

「其処までだ。黒甲冑!」

 

 

 集まりかけた砲撃が放たれる前に、高町なのはの命が終わる前に、その怪物の足を止める声が場に響いた為に。

 

 

 

 

 

2.

 唐突に身体が楽になる。死に掛けていた命が繋がれる。

 

 高町なのはは知っている。この感覚を知っている。

 三年前に己の心を完膚無きまでに圧し折った、この地獄を知っている。

 

 黒肚処地獄の内側に展開される宙。

 幾何学模様を浮かべる神秘の否定が、少女に訪れる終焉を自壊させていた。

 

 高町なのはは途切れそうな意識でそれを見上げる。

 ニヤニヤと人の悪い、悪童の様な笑みを浮かべる鬼を見上げる。

 

 

「……何の心算だ、ゲオルギウス」

 

 

 黒き甲冑は足を止める。

 己の対。夜刀の片翼の行動に、疑念を抱いて口を開いた。

 

 同時に死の波動が強まる。

 己の内に自壊の法を流すその太極を押し潰さんと、その神威を増して行く。

 

 両翼が争い合えば世界は崩壊する。相を討つ結果にしか至らない。それが対である彼らの本来の形だが、今はそれも崩れている。

 

 自滅の地獄が押しやられる。終焉に押し潰され、その界を揺るがす事も出来ずに消えかける。それ程に、今の彼らの実力差は大きい。

 その事実を実感して内心で冷汗を流しながらも、飄々とした笑みを崩さずに両面の鬼は口にした。

 

 

「おいおい。何の心算かって? そりゃ、お前、こっちの台詞だろ」

 

「……何」

 

「忘れた、とは言わさねぇぜ。……あの日、決めた筈だぜ。俺らの役割を」

 

「…………」

 

 

 この地に堕ちて来た時より、両翼は一つの約定を定めた。

 口にした訳ではない。互いに誓った訳ではない。唯共通した意識として、己の役割をこうであると決めた。

 

 彼の言葉を聞ける彼らだからこそ、彼の為に何を為すのか、その合意に至ったのだ。

 

 

「覚えているとも、忘れてはいない」

 

 

 忘れていない。覚えている。

 それは何よりも重要な決め事だからこそ、天魔・大獄は忘れていない。

 

 

「お前が見つけ」

 

「てめぇが見極める」

 

 

 自由に動ける道化が全てを嘲笑いながら次代を見つけ出し、その見つけ出されたそれが真実全てを託すに足りるか最強の力を保つ絶望が見極める。

 

 それこそが、彼ら両翼が定めた約定。己に課した役割だ。

 

 

「その俺が言うんだ。まだ終わっちゃいねぇ、まだ可能性は残っている。次代に繋がる灯は、僅かであるが残っている」

 

 

 両面の鬼は語る。次代の可能性。彼が見出した輝きは、今正に生まれようとしているのだと。

 

 

「必要なのは時間だ。それ以外の要素は全部揃えた。必要なもん揃えて、不要なもん間引いて、漸く形になりつつある」

 

 

 遊びながら、彼は成長に不要な者らを間引いていた。

 毒は必要だ。薬も必要だ。だが、そのどちらにも慣れぬ者らは必要ない。怠惰に流れるようならば、嘲笑いながら蹂躙した。

 

 残るのは、可能性の申し子であるあの少年を育てるのに、必要な者達。

 あの子が真実の想いを見つけ出せるであろう、美しさと醜悪さを内包したミッドチルダと言う世界。

 

 愛を教えてくれるであろう母親を見つけた。

 人の輝きを見せてくれるであろう少年を見つけた。

 先駆者として、力持つ者の姿を見せてくれるであろう歪み者達を見つけ出した。

 

 脅威として、その心に怒りや憎しみを刻み込める宿敵を残した。

 それを超克するきっかけになるであろう、そんな悪なる者達も残した。

 

 後、必要なのは時間だけだ。

 あの幼子が、生まれたばかりの少年が、進む為に必要なのは時間だけなのだ。

 

 

「だから、ここは退け、黒甲冑」

 

 

 そんな言葉を、両面の鬼は口にしていた。

 

 

 

「……だが、その時間がない」

 

 

 そんな己の対の言葉に、黒き怪物は言葉を漏らす。

 

 

「貴様も対ならば、気付いているだろう。感じているだろう」

 

 

 彼らは神の対であるからこそ、そのどうしようもない事実を理解していた。

 

 

「世界は、終わる。もう、間もなく」

 

 

 世界の終焉は迫っている。

 後僅かな時間しか存在せず、この世は必ず滅ぶのだ。

 

 

 

 

 

 嘗て、決闘場より解放されたマキナに、水銀の蛇は問い掛けた。

 終焉と疾走、相反する二つを内包する現状、どちらかを選ぶとすればどちらを選ぶかと。

 

 既にマキナは終わった男だ。故に彼が選ぶは終焉。それ以外に存在しない。

 結果、その純度を下げる不純物である疾走は、彼の内より取り除かれた。

 

 マキナに殺され取り込まれて、それでも消える事のなかった彼の戦友が、その内より取り除かれた。

 

 そうして、取り除いたロートス・ライヒハートというマキナの半分を材料に、水銀の蛇は己の血を混ぜてツァラトゥストラ・ユーバーメンシュを作り上げた。

 

 夜都賀波岐の主柱は、そうして生まれ落ちたのだ。

 

 故に、天魔・大獄にとって、天魔・夜刀とは兄弟だ。

 守るべき弟。己に至高の結末を与えてくれた、己を大切だと語ってくれた、何に変える事も出来ない最愛の弟だ。

 

 故に、天魔・大獄にとって、天魔・夜刀とは戦友だ。

 在りし日に奪ってしまった戦友。その記憶を取り戻し、その願いを継承し、その意志を宿している彼は、大獄にとってたった一人の戦友だ。

 

 決して譲ってはならない。その奮闘を眺めているだけなど出来ない。絶対に守り抜かねばならない戦友だった。

 

 神の裏面である両面宿儺とは異なる形。

 だが同じく夜刀の対である。最強の怪物もまた神の半身と呼ぶべき存在であるのだ。

 

 

「あの夢見がちな男は、もう持たん」

 

 

 彼の声が遠くなっていく。その存在が薄れていく。常に認識し続ける事が出来る両翼だからこそ、その終わりを実感している。

 

 

「ああ、気付いているさ。どんなに抗ったとしても、何をしたとしても、もう大将は長くねぇ」

 

 

 終焉の怪物は重い声音で、両面の鬼は軽い声音で、互いに推測した時間を口にする。終わるまでに残された、彼らの予測する年数を口にする。

 

 

『後八年』

 

 

 それが世界に残された、最後の時間であった。

 

 

「八年だ。後、八年しかないのだ。……この子らは、至れぬよ」

 

「ま、俺らがどんだけ足掻こうが、大将がどれ程に抵抗しようが、ま、十年は持たねぇわな。……けどな、まだ八年ある。まだ八年もあるんだぜ。ならこいつらは至れるさ」

 

「……ならば、全てが終わる前に、奴の願いを砕き、奴の命と宝石達を残すとしよう」

 

「……ならよ、全てが終わる前に、アイツを殺して、その願いを叶えよう」

 

 

 両翼の結論は、何処までも正反対だ。

 神の対である彼らは、何処まで行っても噛み合わない。

 

 嘲笑う鬼と、不動なる終焉。

 対を為す彼らの行く道は何処までも交わることは無く。

 

 ならば、その先に待つのは。

 

 

 

 終焉の怪物が拳を握る。両面の鬼を取り除かんと、その拳を握り締める。

 魂だけを保存できる彼ら夜都賀波岐にとって、神体の有無などどうでも良い。肉体を破壊し、内側にある魂のみを回収する。

 

 見つけ出すと言う役割を果たせなかったと断じて、此処に両面の鬼を消し去ろうと判断した。

 

 

「はっ、やる気かよ」

 

 

 その怪物の気配が変わった事を理解した鬼は、軽薄な笑みを消し去り言葉を続けた。

 

 

「ま、それも良いけどな。……此処で退くなら、俺の企み明かすってのはどうよ」

 

「…………」

 

 

 鬼は語る。相対すれば敗北を避けられぬ鬼が口にするは、上から目線の命乞いだ。

 

 死ぬ訳にはいかない。次代を紡ぐ前に消える訳にはいかない。

 その為なら誇りも拘りもどうでも良いが、それでもこの男にだけは頭を下げたくはない。故に鬼が口にするのは、彼にとっての最大限の譲歩である。

 

 

「どの道、今回で分かっただろ? お前がその気になれば、何時でも回収出来る。抗える術なんて、まだガキ共には一つもねぇ。……ならよ、八年程度は待ってやろうぜ」

 

 

 それは揺るがない事実だ。

 天魔・大獄が望んで動けば、一晩とせずに依代は回収されるだろう。

 

 故にこそ、今は待てと両面の鬼は語っていた。

 

 

「…………」

 

 

 返る言葉はない。

 返す言葉はない。

 

 唯、無言で終焉の怪物は立ち尽くす。

 

 一秒か十秒か百秒か。

 余りにも長く感じる時の果てに、終焉の怪物はその拳を解いた。

 

 黒き砂嵐が収まる。その地獄が消えていく。三つ首の黒虎は、地上本部に触れる直前で消え去っていた。

 

 それこそが彼の解答。

 最強の大天魔が下した無言の結論であった。

 

 

「……おい、ここで無言かよ、てめぇ」

 

「…………」

 

 

 両面の言葉に返す事もなく、無言のままに怪物は歩き出す。

 その歩みは先までとは逆方向。一瞬にて移動する事の出来ない怪物は、ゆっくりと穢土を目指して去って行く。

 

 

 

 終焉の怪物の脅威は、こうして過ぎ去っていった。

 

 

 

 

 

「……全く、嫌な汗搔かせやがって」

 

 

 飄々とした態度で、そう口にする両面の鬼。

 内心を外面には見せない彼は、そう愚痴りながら視線を変える。

 

 その目の向く先は、意識が薄れて今にも気絶しそうな高町なのは。

 

 

「理解したか? アレがてめぇらが何時か倒さねぇといけない怪物だ。乗り越えないといけねぇ、でっけぇ壁だ」

 

 

 その終焉こそが、絶対に倒さねばならぬ敵。

 次代を願うならば、乗り越えねばならぬ障害。

 

 夜都賀波岐と言う嘗ての英雄達の残骸が残す、最後の試練だ。

 

 

「それが出来なきゃ、どうせ後が続かねぇ」

 

 

 あの怪物は最上位の神格だが、最上位でしかない。

 

 覇道の神格ならば、あれと同格程度にはなってしまう。

 純粋な力だけならば、あれを超える怪物が居る。それ以上すらも生まれる可能性がある。故に此処で躓くようでは、次代を得たとて先がない。

 

 

「諦めるなよ。絶望してる暇なんざねぇぞ。必死で抗って、乗り越えていけ。……俺ら夜都賀波岐って言う、残骸をな」

 

 

 所詮我らは残骸だ。踏み台でしかないのだ。

 故にこそ乗り越えろ。当たり前の様に、鼻歌混じりに、知らぬ存ぜぬと踏み躙っていけ。それこそを、両面の鬼は望んでいる。

 

 

「ま、今のお前に言う必要はねぇわな。その目を見りゃ分かる」

 

 

 言葉も喋れぬ程に消耗し、心折られる程に追い詰められて、それでも少女の目は死んではいなかった。

 精神力を使い果たして、それでも抗えぬ程の絶望を前に、それでも少女は諦めていなかった。

 

 だからこそ、その瞳の輝きに次代の萌芽を幻視して、両面の鬼はにぃと笑う。

 

 

「期待してるぜ、新鋭共」

 

 

 笑みを浮かべたまま、両面の鬼は霧散していく。魔力と化して消えていく。

 

 

 

 嵐の如くにミッドチルダを蹂躙した夜都賀波岐の両翼は、現れた時と同様に嵐の如く過ぎ去っていったのだった。

 

 

 

 

 

 少女は掌を握り締める。

 頭に過ぎるのは、一つの言葉。

 

 善意によって口にされた、己の意志を否定する言葉。

 

 

「……負ける、もんか」

 

 

 再演開幕によって己の傷を癒しながら、少女は誓う。

 己を最後まで眼中に入れる事はなかった、あの理不尽な怪物に抗う事を此処に決める。

 

 追い付くのだ。追い越すのだ。乗り越えるのだ。

 その怪物こそが、己の目指すべき到達点であると、少女は心に決める。

 

 

「……絶対に、負けるもんか」

 

 

 悔しさに歯噛みして、眼中にさえなかった事に涙を零して、その終焉の怪物の圧倒的な力に恐怖して――それでも絶望だけはしてやらない。

 

 

 

 勝ちたい。アレに勝ちたいと、純粋に願う。

 高町なのはは、乗り越えるべき星を見つけた。

 

 

 

 

 

 




マッキー「…………ふう」(疲れたので一休み)
なのは&宿儺『帰れ!』


そんな訳でマッキーインパクトは今回で終了です。


以下、オリ異能解説。
【名称】再演開幕
【使用者】高町なのは
【効果】終焉が訪れた時、その終わりが望む形でなければ始まりに戻すと言う異能。その効果範囲は自身と、自分から放たれた力や触れている物に限定される為、他者や外界を戻す事は不可能である。

 何度でも繰り返す舞台劇は、しかし同様の物とはならない。
 アンコールによる演技を繰り返せば役者達が劇に慣れていくように、始点に戻る度になのはは成長を続ける。

 特に終焉であるマキナと相対した時の成長は凄まじく、人の域を出ていない現状であっても、防御面では上位神格域へと片足を踏み出している。

 ただしこの力はユーノ=スクライアが生存していなければ発動さえ出来ない。


 攻撃能力の劣化はこの異能の弱点と言うよりかは、不撓不屈の劣化とリンカーコアの変質が理由。

 高町なのは自身の力が半減してしまった結果であり、混ざり切っていない事が理由なので、真の合一に至れば解消されるであろう。





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終焉の絶望編第六話 其々の思惑

今回は独自解釈。捏造設定満載の説明会です。

独自解釈・捏造設定のタグの通り、この作品ではこういう設定で通すので、異論は受けぬ。

そんな今回です。



1.

 カツンカツンと革靴が地を打ち、人気のない廊下に音が響く。

 

 非常灯だけが点けられた薄暗い道。非常用の鉄扉を通った先にある連絡通路を、白衣の男が歩を進めていく。

 

 その先にある資材搬入用のエレベーター。その前に立つには似つかわしくない、二人の屈強な男達が白衣の男の進む先を遮った。

 

 

「……失礼」

 

「ああ、構わんよ」

 

 

 白衣の男に魔力光が照射され、解析魔法が彼の素性を証明する。

 この先に進む権利を持つ人物である事を確かめた黒服の男達は、一礼だけして身を退いた。

 

 そんな彼らにご苦労と言葉を掛けて、ジェイル・スカリエッティは大型のエレベーターへと乗り込む。

 彼が乗り込むと同時にエレベーターの扉は締まり、その鉄の籠は地の底へとゆっくりと降りて行った。

 

 

 

 管理局地上本部からは僅かに離れた場所に、その施設はあった。時空航行部隊。通称海の管轄にありながら、ミッドチルダに建設された研究施設。

 

 無数にあるそれらの内の一つ。

 そんな名もない施設の奥底に、その深奥は存在していた。

 

 地下一階から降り続けていたエレベーターが停止する。

 体感にして数十秒。ゆっくりと時間を掛けて降下した鉄籠の扉が開く。

 

 その先にある広い空間は、スカリエッティが幾度となく足を運んだ管理局にとっての重要拠点であった。

 

 

「呼び出しには応じて貰えたようだな。……ジェイル・スカリエッティ」

 

 

 くぐもった声が聞こえる。はっきりと聞き取る事が難しい、というよりかは、まるではっきりと聞き取る事を本能が拒絶しているかの如き醜悪な声音。

 

 その声が聞こえる先に振り向いたスカリエッティは、黒色と言う風変わりな被衣にて顔を隠す女を見つけた。

 その姿は全身を隠す和装によって、垣間見る事も出来ない。で、あると言うのに滲み出る瘴気の如き気配は、生理的な嫌悪の情を掻き立てる。

 

 何故、それ程に気持ちが悪いのか。

 己の感情や彼女自身への忌避感ではなく、その異質さに興味を惹かれたスカリエッティは、舐め回すかのように観察を始めた。

 

 

「吾は黄泉戸喫為つ。我をな視たまひそ」

 

「む? ……古事記、の一文でしたかな。生憎、比較文明文学。それも古典の類には疎いのですがね」

 

「……余り女をじろじろと見るな、と言っているのだ。無粋が過ぎるぞ」

 

 

 軽い遣り取りの中で、スカリエッティは女の腹の底を探る。

 隠しようのない程に醜悪な気配。理解するのが難しい言葉。見るからに真面な状態とは言えないだろうが、こうして軽い掛け合いをする程度の余裕はあるようだった。

 

 

「それは失敬。……それで、此度は何故呼ばれたのですかな? 次の調整までには時間があると思っていたのですが」

 

「……それは、そうだな。彼らに語って貰うとしよう」

 

 

 女の言葉と共に、巨大な空間が震える。

 機械が駆動する音と共に上がって来るのは、まるで巨大な試験管。

 

 逆向きに建てられた試験管の内側には、異色の培養液。

 

 ごぽりと音を立てて気泡が浮かぶ。

 中に蔵されしは、剥き出しの脳髄。それしかない。それ以外にありはしない。

 人間の一部位を刳り抜いたその存在は、顔を隠す女とは別種の醜悪さに満ちていた。

 

 

《良くぞ来た。ジェイル・スカリエッティ》

 

 

 薄らと輝く培養槽の内側から放たれる意志。

 それを周囲の機械が拾い上げて電子音へと変える。

 

 脳髄の意志を、電子の音が此処に示す。彼らこそが、管理局の最高権力者。

 肉体を失ってなお、次代を求めて、己こそが法と正義の守護者であると自負して、世を正しく導く為に生き続ける者達だ。

 

 其は、管理局最高評議会。

 

 

〈先の大天魔襲来にて、我らは多くの力を失った〉

 

 

 最高評議会が、出現と共に語るは現状に対する言葉であった。

 

 天魔・大獄。彼の終焉の怪物は、余りにも多くを奪って行った。

 彼らが一切の余裕を失う程に、余りにも多くを奪われてしまった。

 

 

〈次への手札。隠さねばならぬ切り札。使ってはならない秘策。その全てを失った〉

 

 

 エースストライカーや局員達の犠牲。管理局最高の歪み者の敗北。

 アルカンシエルも通じず、決して使う訳にはいかなかった天魔・覆滅すら切ったと言うのに届かなかった。

 

 

〈御門顕明は最早動けず、再び展開された結界は長くは持たぬ〉

 

 

 至宝の一つ。聖なる槍は無事である。

 既に己の本性を隠す力すら失った女傑が、最後の力を以って結界を再展開する事は出来た。

 だが、それだけだ。次に砕かれれば、確実にもう戻せない。

 

 最早、彼らに余裕はない。手段を選ぶ余地などない。

 残っているのは、どうしようもない現状と言う絶望のみ。最早彼らの内に打開策などはない。

 

 

〈だが、そんな中で、お前は作り上げた〉

 

 

 だが、それでも希望の萌芽はあった。

 この狂人こそが、それを作り上げたのだと三脳は知っている。

 

 故にこそ、今、この狂人を懐の内へと招いたのだ。

 

 

〈高町なのは〉

 

 

 あの終焉の怪物に抗った一人の少女。

 未だ合一には至らずとも、それでも至れるやも知れぬと言う可能性を持った少女。

 

 

〈あれは一つの可能性だ。あれは一つの到達点だ。だが、我らが望むのは求道ではない〉

 

 

 あの少女は神格に至り得る。だが、彼らが望むのは求道の神格ではない。

 

 

〈あれは一つの結論だ。あの無間地獄に耐えられる個我を生み出した。貴様の技術は正しくこの地の至宝である〉

 

 

 例え望む形ではないとは言え、あれ程の者を作り上げた。正しくその叡智は管理局の至宝と言えるであろう。

 

 ジェイル・スカリエッティには何の情報も与えてはいなかった。真実重要な情報は、彼に隠され続けて来た。

 

 三脳が恐れるは彼の反逆。その脅威がある限り、狂科学者は傀儡の域を出れないように調整されていた。

 

 だと言うのに至った。己の頭脳だけで、其処まで至った。

 故にこそ、最高評議会はスカリエッティを高く評価する。

 故にこそ、既に切れる札全てを失った彼らは、最後の札としてこの狂人を動かすのだ。

 

 

《故に、今こそお前に語ろう。真実の全てを》

 

 

 この場所には気狂いと死者しかいない。

 既に死した女と、残骸となってなおしがみ付く老人達に囲まれて、狂人はニィと笑った。

 

 

 

 

 

2.

 神座世界(アルハザード)と呼ばれる地。嘗て其処には、一つの文明があった。

 星々の果てまで手は届き、空間転移や時間旅行さえも可能となった高度な文明があった。

 

 傲慢し、増長し、何処までも進歩し続けた彼らは一つの禁忌を生み出す。

 

 其れこそが“座”。

 

 誤解される事を承知する形で言うならば、神座とは人が作り、人の世を滅ぼす過ぎた遺物。即ち、ロストロギアである。

 

 元は長距離を移動する為に作られた旅行用の空間操作装置。

 だが、それが真実、あらゆる奇跡を起こせる全能の願望器であると気付かれた時、崩壊は始まった。

 

 

「最初期の座とは、恐らく因果律に干渉する装置であったのだろう」

 

 

 最高評議会に促されて、あの世界に生きた女が語る。

 その真実を、この時代へまで語り継ぐ、生き証人が口にする。

 

 

「旅立つという原因と、辿り着くという結果。その間にある過程を省略する事で、如何なる場所へも一瞬で辿り着ける空間制御装置であったのだと私は推測している」

 

 

 だが、原因と結果を操ると言う事は、真実万能に至れる可能性を秘めていた。

 過程を省略するだけでなく、原因や結果の種類さえも自由に歪める事の出来る座と言う機構。

 零ではない可能性を百に変える。零しかない可能性すらも、望むままに出来る。そんな機構に、不可能などありはしない。

 

 

「だが、座を掌握出来るのは一人だけだった」

 

 

 因果の改竄は当然の如くに矛盾を生む。

 余りにも矛盾が大きくなり過ぎれば、世界が矛盾に耐えられない。

 或いは、座自体が意志を以って、神座の所有者を排除しようと怪物を産み落とす可能性もあった。

 

 座を握る者が二人居れば、当然の如く矛盾は大きくなる。

 互いの思惑が座の機構を狂わせる。恣意がなくとも、互いが互いの足を引く可能性を持つ。

 

 故に、神座に至れるのは、唯一人だけだった。

 座とは、誰か一人だけが神になれるロストロギアだったのだ。

 

 

「当然の如く、争いは起きた。……人が他者を信ずる事は難しい。己にとっての至高ならば兎も角、名も知らぬ他者を一切見ずに真に信じられる者など、気狂いの類と否定されても論破は出来まい」

 

 

 真に同胞達と信頼を築けなかった敗軍の将は、何処か悔しげに言葉を続ける。

 

 

「ましてや全能に成れる座と言う機構。それを握った者が、何時でも望む時に己を消し去れるとすれば? 或いは今ある人生の全てを一瞬で改竄されてしまうとすれば? 見ず知らずの者が其処に至るのを、どうして許容出来ようか」

 

 

 結果、争いは生じたのだ。座を廻る闘争が始まったのだ。

 

 其れは個の争いではなかった。最初は個々の争いだったのかも知れないが、気付けば世界全土を巻き込む争いになっていた。

 

 己では座に至れない。ならばせめて、己の信じる者を。

 掲げる象徴が座に至る事で安寧を得る為、或いはそれに協力する事で利益を得る為。恐怖と欲望に彩られた闘争は、何よりも凄惨な推移を見せた。

 

 きっと、真実正しい選択は、座など求めないと言う物だった筈だ。至高の願望器など、人の手には余るのだ。

 

 けれど、その無限の可能性を前に、誰もが正しい選択を選べなかったのだろう。

 そして否定したとて、何時か誰かが気付かぬ内に作り上げてしまう事を恐れたのだろう。

 故に、その闘争は、不理解と拒絶によって始まり、凄惨な過程を辿って、誰も救われぬ結末へと至ったのだ。

 

 

 

 始まりに座に着いた者。

 彼女は象徴として掲げられただけの唯人だった。

 強くなく、我欲はなく、座を求めてはいない少女だった。

 

 だが、余りにもその戦争は凄惨過ぎた。その世は余りにも悲劇に満ちていた。だからこそ彼女は思ってしまったのだ。

 

 私は悪くない。悪いのは、お前達だ。

 彼女は座の機構を、自己の正当化の為だけに行使した。

 

 世界には悪がある。悪は潰えず、必ず其処に在り続ける。そんな悪と対し続ける己は善だ。故に私は悪くはない。

 我が討ったのは悪であったのだ。そうでなくば、余りに皆が救われない。

 

 その理が因果を歪める。その現実逃避が現実を書き換える。

 善と悪の対立する世界と言う結果に至る為に、座と言う機構はその原因の悉くを改竄した。

 

 流れ出した法は即ち二元論。

 第一天の理。座の始まりこそがそれであった。

 

 

「そうして座によって再構成された世界。……だが、それは天上の楽土とはならなかった。無理矢理に改竄された世界は、当然の如く陥穽を持っていたのだ」

 

 

 世界は矛盾を嫌う。座がある事が必然として、世界はそれを受け入れるように変容した。

 

 

「座によって改竄された世界は、即ち意志によって成り立つ世界。故に、意志力でそれを塗り替え得る強力な個我が生まれる可能性を残した」

 

 

 生まれ落ちるは世界を塗り替える意志の怪物。即ち、神。

 

 

「神格と言う存在。それに似た者は第一天の生きた時代にも居たのやもしれぬが、明確な個として現れたのはこの時期以降だ。求道神。そして覇道神。世界を塗り替え得る怪物が生じる余地を、他ならぬ座を握った女が生み出した」

 

 

 個として極まった求道の神。

 流れ出す事で他を染め上げる覇道の神。

 それらが生まれる余地を、他ならぬ座が作り上げた。

 

 闘争が続く世に悲観して逃避した女が作り上げたのは、座を廻る永劫の闘争が起き続ける世界だったのだ。

 

 

「第一天の世界は、善と悪が永劫争う二元論」

 

 

 それは悪が善に勝利出来ず、善が悪を駆逐できない世界。常に悪と善はあり続けねばならない。

 

 覇権を狙うは常に悪。争いを生み出すは常に悪。世界を蹂躙するのは常に悪。

 善とは悪に対する者。世界を蹂躙する悪に抗する者。絶望の淵で足掻き続ける者こそ善である。

 

 そんな二元論の理屈の元に生まれた世界。善側の王として、男は生まれた。

 

 書き換えられた世界で、強大な個我を持って生まれた男。

 優れた王であった彼は、しかしどれ程足掻けど終わらぬ戦いに憤怒した。

 

 善では犯せぬ非道がある。善では倒せぬ悪が居る。

 それが分かっていながら、善であれと命じられた己には悪を為せない。

 

 その僅かな差が自らの民を殺すと分かっていながら、善であるからと言う理由で見殺しにしなくてはならない。

 

 そんな己の境遇が、唯の小娘の現実逃避の結果でしかないと理解して。そんな小娘の妄想に振り回されるしか出来ない己に憤怒して、彼は真実、覇道に目覚めた。

 

 

「善と悪が対立する世界の中で生まれ落ちた覇道の神性は、極限を超えて憤怒した。その意志を以って塗り替えんと流れ出し、遂に座を握っただけの小娘を追い出し自身が座を掌握した」

 

 

 流れ出す理は彼の願望に沿った物。因果を歪めるのではなく、己の意志を流れ出すという形で世界を塗り潰した法は、堕天奈落。

 

 人の子よ。罪を抱いて堕天しろ。

 悪を食らう悪となれ。非道を犯し、悪虐を極め、あらゆる悪意を蹂躙せよ。

 

 善では救えぬと抱いた祈りは、全てが悪意に染まると言う結末を齎した。

 

 

「座による因果改竄も、覇道神の流出には届かない。極限に極まった願いを覆す力を、座は持っていなかった。……故に、座を握りし歴代の神格達は、己が流れ出した法による欠点を克服する事が出来なかったのだ」

 

 

 善が救われる世を願いながらも、善が悪に食らわれる世界を生み出してしまった第二天。

 未知の結末を知りたいと願いながらも、永劫同じ事を繰り返すと言う自身の流出を覆せなかった第四天。

 

 彼らが示している。座と言う万能の願望器も、覇道流出を覆す事は出来ないのであると。

 

 

「座を廻る攻防は続く。悪による救済を望んだ堕天奈落。あらゆる悪の消滅を望んだ悲想天。原罪浄化による矛盾が呼びこんでしまった、生まれながらに死んでいた神、永劫回帰。永劫の果てに蛇が夢見た、万象を救済する慈愛の女神、輪廻転生」

 

 

 流れ出す法は、輪廻転生と言う例外を除いて共存する事が出来ない。

 我こそ至高。我が祈りこそ極致である。その意志の強さこそが神格の本質であり、故にこそぶつかり合えば食らい合いが発生する。

 そうして食らい合いの結果として座を手にし、座を得た神は己に都合の良い形にそれを改竄していった。

 

 人の手によって生み出された座と言う機構は、神の手によって真実完成に至る。

 深く、深く、人の手の届く位置にあった頃より場所を移し、世界の中心へと変わっていったのだ。

 

 覇道神の交代と共に太極座は完成し、そしてその争いの最後に訪れたのは最悪の破滅であった。

 

 

「第六天波旬。座を握りし最後の神。それこそが、歴代最悪にして最低の邪神である」

 

 

 その法下の元に、神座世界は滅びを迎えたのであった。

 

 

「前代の神。第五天は慈愛の女神であった。慈悲深き彼女は他の神格すら内に取り込む程であり、故に彼女を守る為に永劫回帰。修羅道至高天。……そして、永遠の刹那という守護者が共に在り続けた」

 

 

 永遠の刹那。天魔・夜刀。

 女神が愛し、女神を愛した守護者であった。

 

 共にあり、しかし座を狙う事は無く、唯彼女が見守る刹那こそが至高と信じて、彼は女神に寄り添い続けた。

 

 

「だが、それが破綻を生んだのだ。三覇道神と言う極限の神々を内包する彼女が生み出してしまった歪は、前代の誰よりも深く大きな物であった」

 

 

 三柱もの覇道神。それが同時に存在し続ける事。それこそが座に負荷を掛け過ぎた。

 

 その負荷を取り除く為に、防衛機構が生み出した最悪の化身。覇道三柱と女神。その四者を纏めて蹂躙できる怪物。

 

 

「それこそが波旬。三大の覇道神の悉くを蹂躙し、前代の神を踏み躙った悪鬼羅刹よ」

 

 

 第六天波旬。その願いは、唯一人になりたいと言う物。

 生まれながらに畸形嚢腫と言う異常を持ち、それを何よりも取り除きたいと願った痴愚は、己を抱いて祝福する神こそが不快の元凶であるのだと錯覚した。

 

 

――幸せになって、貴方も救われて良いんだよ

 

 

 そう微笑み語る女神を、邪神は理解しない。

 その思いやりの意味すら気付かずに、唯、邪魔だと排除に動いた。

 

 そうして真実何も理解しないままに、痴愚なる邪神は女神を踏み潰して、三覇道神を蹂躙した。望まぬままに座を手中に治め、結果として流れ出した。

 

 流れ出す法は大欲界・天狗道。

 己こそを至高と信じる痴愚の群れが、唯一人になるまで殺し合いを続ける畜生の地獄。御門顕明が生まれ育った、もう終わってしまった世界だ。

 

 

 

 其処に、何者かの作為がなかったとは言えない。

 座の継続を願う観測者の、座を破綻させ得る女神を除きたいという策謀もあったのであろう。

 

 防衛装置と座の観測者。

 その意志の元に生まれた怪物は、彼の予測すら上回った。

 

 他ならぬ彼らが生み出した怪物の手によって、観測者は握り潰され、座は崩壊するという結末に至ったのだから。

 

 

「かくて黄昏の守護者は堕天する。唯一人生き延びた永遠の刹那は、もう失うものかと愛する女の子らを抱き締めたまま、座より追放された」

 

 

 故に誕生と共に崩壊する筈だった天狗道は、時間停止の力によってその破滅を遠のかせるという形で継続した。

 

 何時まで経っても終わらぬ世界に業を煮やした邪神が介入し、誰も彼もが狂騒したまま、真実全ての命にとっての恩人である刹那を殺さんと牙を剥いても、失うものかと耐え続けた。

 

 

「天狗道許すまじ、我らの黄昏は奪わせん。……もはや潰れてしまった残骸を抱き締めて、彼は戦い続けた。全てが終わってしまわぬように」

 

 

 そんな彼の元に英雄達は集った。嘗ての世界に生きた彼らは刹那に抱かれながら、彼を守りたいと願ったのだ。

 それこそが天魔夜都賀波岐。在りし日の刹那を守る為に、共に在り続けた化外の者共。

 

 

「彼は望み続けた。次代の誕生を。終わってしまった己を踏み越え、あの邪神を超える者らを求め続けた」

 

 

 その為に、彼を裏切った英雄も居た。彼を終わらせ、その果てに波旬へと挑む戦士達を育てようと、汚物に塗れながらも這いずり回っていた者も居た。

 その彼女。御門龍明が選んだ者こそ、彼女の教え子である顕明であった。

 

 

「だが、我らは至れなかったのだ」

 

 

 東征の軍は至れなかった。将と任じられた彼女は、真実配下の者らと絆を結ぶ事が出来なかった。

 

 万象全てを切り裂く経津主神の剣。

 決して己を明かさぬ霧の如き摩利支天。

 己の望みを叶えると言う原初の祈りを持った八意思金神。

 抗えぬ宿業を超えようと、他者の幸福を奪うと言う形に変化した血染花。

 

 彼ら四者は、御前試合にて相討った。その破滅を止めんとしてくれる英雄は現れない。顕明に惚れたと言ってくれる青年は、そこに居なかったのだ。

 

 そして愛する男を失った禍津瀬織津比売は、狂気に囚われた。その現実を認めず、周囲に禍つを振り撒きながら、己の命を血染花へと捧げた。

 

 彼女の狂気に奔走された者達は、皇の御前にて暴れ狂う。

 龍水と言う女を失った摩多羅夜行は神の如きだった力の多くを失い、その式神であった爾子と定禮は制御を外れて狂える白狼と化した。

 

 狂う白狼を打ち破る為に力を使った龍明は残り滓の如き有り様と化し、そうして討たれた白狼は天狗の法下で消滅した。

 

 己の愛する者の血を吸った血染花はもう止まれない。己を作り上げていた女を失くした閻魔はその存在を保てない。力を使い果たした紅蓮の魔王はもう戦えない。

 

 そして、四者の争いを食い止めんと身を挺した姫君は、首を断ち切られたのに生きていた。死ねぬ身体を、その異常を衆目に晒していたのだ。

 

 久雅の姫は異形である。

 

 そんな言葉が秀真の里で知れ渡り、異形の将と共に死地に赴こうとする者など、一人も残らなかった。

 

 当然の結果として、彼らは初戦、不破の関を乗り越えられずに壊滅する。

 血染花と紅蓮の魔王は旧世界の姿へと戻って回収され、波旬の触覚であった閻魔は跡形も残らぬ程に磨り潰された。

 

 滅びぬ姫は無間地獄に飲み込まれ、そうして東征の軍は敗北した。

 

 

 

 彼らは知らない。一人の男が現れぬ結果がその結末であった事を。

 波旬を打ち破れる。畸形嚢腫の男が現れなかったからこそ、東征の軍は壊滅した事を。

 

 彼が現れなかったのは、本来辿るべき形とは僅かにズレていたから。坂上覇吐と言う男に、ほんの少しだけ勇気があったから、彼らは滅び去ったのだ。

 

 波旬の畸形嚢腫。邪神の兄弟である男は、臆病者だった。

 目と耳を塞ぎ、真実を知りながらも恐ろしいから見ようとしない。

 結果として、彼は東征軍一の益荒男として将の傍らにあった。姫を守る英傑足り得たのだ。

 

 だが、この世界の彼は僅かに勇気があった。

 あの邪神に抗った者らを忘れてはならないと感じていた。

 耳を塞ぐ事はせずに居た。その目を強き意志で開き続けていた。

 

 故にこそ、彼は穢土の意味を知っていた。

 故にこそ、それを滅ぼす東征には参加しなかったのだ。

 

 それが破滅を呼んだ。それだけの話である。

 

 

 

 後はもう、語る事もない。

 東征軍も夜都賀波岐も邪神を前に敗北し、その法が完成して神座世界は滅んだ。

 

 己を苦しめ続けた兄弟を磨り潰し、策謀を企んでいた観測者を踏み躙り、神座を破壊し尽くした邪神は、覇道から求道へと戻り自閉した。

 真実求め続けた静寂を得たあの怪物は、もはや動かない。再び、己の静寂が乱される事がない限り。

 

 

「敗れた夜刀殿は、この地、座の外側へと堕ちた。残骸と化してなお、失わぬと宝石を抱き締めたまま、流れ出した。それこそが、今を生きる世界の真実だ」

 

 

 

 

 

3.

〈我らには義務がある。我らが為さねばならぬ責務がある〉

 

 

 培養槽の輝きが薄暗く照らす室内で、御門顕明は語りを終えた。

 

 

〈偉大なる神。慈悲深き神。万感の想いを込めてこう告げよう〉

 

 

 そんな嘗てを生きた者の言葉を引き継ぐような形で、最高評議会は語る。この今を生きる者ら、全ての意志を代表して語るのだ。

 

 

〈有難う。貴方のお蔭で今がある〉

 

 

 感謝を。真実、貴方が居なければ今はなかった。

 

 

〈後は我らに任せておけ。御身が守りし世界、確かに繋いで見せようぞ〉

 

 

 それは何処までも真摯で、どこまでも純粋で、どこまでも穢れなき言葉。その意志には一切の傷はない。

 

 

〈そう。我らは覇道の器を求めている〉

 

 

 ならば、彼らは善であるか?

 ならば、彼らは純粋であるか?

 

 

〈世界を継ぐべき覇道の器。それこそが、我らにとって必要なのだ〉

 

 

 その定義は難しい。

 その想いは善であり、その意志は正義であり、真摯に次代を求めている。

 

 だが、同時に――

 

 

〈我らにとって都合が良い。そんな神が必要なのだ〉

 

 

 彼らは我欲に満ちている。

 

 

〈魔道の神。魔法の神。即ち、聖なる王〉

 

 

 覇道神と言う世界を染め上げる存在。どうせ生み出すのならば、出来れば己にとって都合の良い神になれば良い。

 

 それはそんな単純な、誰でも抱いてしまう欲望であった。

 

 

〈聖なる槍を手に、聖なる王は行く。偉大なる神の魂を食らい、ゆりかごに乗って神座を目指す〉

 

 

 トーマでは駄目だ。あの依代は、望む方向へと至れない。永遠の刹那と言う魂を持つ以上、その願いに引き摺られる可能性が高いのだ。

 

 故に彼らが求めるのは聖なる王。

 在りし日に彼らが見た、信仰を捧げる聖王オリヴィエ。

 

 

〈彼の邪神を打ち破り、以って我らの理想郷を作り上げる〉

 

 

 生まれながらにして都合の良い渇望を植え付け、それを育て上げる。足りない分は、依代と槍を食わせて補えば良い。

 

 それで降りて来るのだ。彼らにとっての、魔導師にとっての理想郷が。

 

 

〈そして我らは御使いとして、聖王の元に永劫続く魔導師の理想郷を作り上げる〉

 

 

 夢想する。今の夜都賀波岐と同じように、神の眷属と化した己の姿を。

 永劫の楽土の中で、人々を正しく守り導く、肉体を取り戻した己達の姿を妄想する。

 

 それこそが、老人達が望む結末。

 

 故に。

 

 

《スカリエッティよ。我らの神を用意せよ。聖王の器を作り上げるのだ》

 

 

 何者にも染まらぬ器を。覇道へと至る聖なる器を。

 その神域へと到達しつつある叡智を以って作り上げろと命を下す。

 

 そんな法と正義と我欲に満ちた言葉を受けて、狂気の科学者は満面の笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

(そんなに都合良く行くものか)

 

 

 そんな老人達の言葉を内心で否定しながら、顕明は静かに思う。

 彼女と最高評議会の企みは異なる。魔導師の理想郷など作り上げる心算はサラサラない。

 

 

(だが、槍の担い手は必要だ。聖なる王の器たる、聖餐杯は必要なのだ。……新たに新生する黄金の王の器として)

 

 

 彼女と最高評議会が協力し合えるのは、途中まで辿るべき道が同じだから。その最終地点こそ異なっているが、其処までならば協力し合える。

 

 

(座は失われている。覇道流出は滞りなく行われるが、座は覇道神にとって不要な物か?)

 

 

 覇道流出は覇道神の権能である。

 生態に過ぎず、座がなくても流れ出し、世界の中心となって法則を書き換える。

 

 ならば彼らに座は不要か?

 

 

(否、だ。……覇道の神の流出とは、己を流れ出させると言う物。当然の如く無限に流れ続ければ、どれ程強大な神であれ何れは滅ぶ)

 

 

 今の夜刀がそうであるように、流れ続ければその総量は少しずつ減っていく。その力が尽きた時こそが、本来の覇道神の寿命なのだろう。

 

 座と言う万能の機構は、それを破綻させるのだ。流れ出すという原因と、覇道神の死と言う結果。それを狂わせる事で、真実覇道神を永遠の存在へと昇華させる。

 

 

(仮に魔道の神が生まれたとして、その後が続かん。それは依代もまた同じ事)

 

 

 故に、座がなき今、覇道神が生まれても長くは生きられない。

 単独で完結した求道神とは違い、外界と遮断できない覇道神は少しずつ摩耗して何れ必ず消滅する。

 

 永遠の刹那が億年と言う気が遠くなる時を耐えたのは、彼の中に蛇が作り上げた永劫破壊と言う、座を模倣した小型の神座があったからだ。

 彼の強き意志と、歴代最高位の力と、永劫破壊と言う機構が、この世界を支えている。

 

 そのどれも引き継げない次代の神格では、その力の総量にも左右されるだろうが、数百年も持てば良い方と言った所であろう。

 

 

(故に必要となるは次代へと繋ぐという機構。次の次へ、次の次の次へ、永劫繋いでいく仕組みこそが必要なのだ)

 

 

 覇道神が長く持たないならば、次の覇道神が生まれる余地を生み出すしかない。

 誰か一人ではなく、全ての民の魂を高める事で、次代に続く次代を求めるのだ。

 

 

(必要なのは修羅道だ。無限に続く闘争の中で、全ての魂を磨き上げる。闘争と進歩と言う在り方をその根底に刻み込む。……悲鳴と絶望に彩られた地獄を生み出す結果になろうとも)

 

 

 ミッドチルダはそのモデルケースだ。この大結界の内側に作られた蠱毒の壺は、何れ至るべき世界の雛形なのだ。

 

 最有力なのが依代なのは変わらない。

 だが彼の後に続く者がいないのではいけない。

 

 だからこそ、御門顕明は今一度、黄金の獣を呼び戻さんとしている。

 

 

(ミッドチルダで死した者らは輪廻に戻らない。黄金に食われ糧となる。刹那の残滓と管理局の戦士達と、そして己に集う信仰によって、獣の残滓は再誕を迎えようとしている)

 

 

 既に対話が叶う程に、槍の中で眠る黄金の復活は近付きつつある。

 既に槍の担い手は顕明ではなく、内側で蘇りつつあるラインハルト・ハイドリヒへと移っている。

 

 壊滅した御門の本陣より、この最高評議会の下へと移送された聖槍。

 今、彼女らが立つ地下室の更に深き場所に突き立てられたあの槍が、真に目覚める時こそ新たな世界の誕生を意味するのだ。

 

 

(聖餐杯と言う器を以って、聖なる槍によって夜刀殿を弑逆すれば、……黄金の君は蘇る)

 

 

 黄金の完全復活。その為に永遠の刹那を槍にて貫く。

 特別な事など必要ない。彼が現実世界で力を振るう為に、その神威を受け止めるだけの肉の器を用意すれば良い。

 

 そうすれば、後は肉体を得た彼が夜都賀波岐を打ち破り、そして神を食らって覇道神として復活を果たすだろう。

 

 ジェイル・スカリエッティならば聖餐杯の創造は可能であろう。

 そう判断出来るだけの実績が、それだけの力がスカリエッティにはあった。

 

 それでも、ほんの僅かにだけ、迷いはある。

 

 

(龍明殿。私は己の選択が正しいとは思えない。この所業が素晴らしいとは思えんのだ)

 

 

 修羅道という地獄を生み出す事。

 先の為にと、多くの人々が賛同してくれた彼女の思惑。

 

 賛同者達を失った今、女は僅かに弱さを見せている。

 

 

(だが、為さねばならぬ。……この先へと繋ぐ事、それだけが久雅竜胆鈴鹿に残された、唯一つの遺志なのだから)

 

 

 無間地獄の中で見続けた彼の想い。敗れ去った時に残された師の言葉。そして敗軍の将としての意地。

 

 それだけが彼女に残った全てなのだから、彼らが望んだ次代を生み出す前に膝を折る事だけは出来ないのだ。

 

 

 

 

 

4.

「次の為に今を犠牲にしよう? 次の次の為に、次は地獄に変えよう? ハッ、バッカじゃねぇの?」

 

 

 そんな女の想いを、天眼によって見ていた鬼は嘲笑う。

 

 

「言ったろ? アイツは選べねぇのさ。……次の地獄か、次の次の滅びか、そんな二択を迫られりゃ、アイツはどっちにしようか悩んで、結局答えが出せねぇ」

 

 

 優柔不断なんだよ、アイツ。と己の親友を思って、両面の鬼は笑みの質を変える。

 

 

「愛し子に地獄か滅びを与えるならば、その分自分が苦しみもがいて解決しようとしやがる。そんな馬鹿なんだよ、俺の親友はよ」

 

 

 馬鹿にするように、誇るように、両面は相反する想いを乗せて友を語る。己の将の想いを分かっていないと、女の策略を嘲笑う。

 

 

「だからって訳でもねぇがよ。お前の策謀はマシだが、それだけだ。正直詰まんねぇ、萎えるんだよ、そう言うの」

 

 

 それは否定だ。女の企みを否定する両面の鬼が狙うは、異なる形の結末だ。

 

 

「次の為に、今を犠牲にする。要は今日より明日が大事って事だろ?」

 

 

 次の次の為の地獄。それは次を否定している。それは今も否定している。

 生きるべき今が苦痛に彩られて、その次の未来も地獄が続いて、それでその先に希望を見出せるだろうか。

 

 

「はっ、くだらねぇ。昨日より今日。今日より明日。先の方が大切か? 今に比べたら過去は価値なんてねぇのかよ!」

 

 

 違う。そんな地獄が続く事が、彼の望みである筈がない。

 

 

「ちげぇよ! 過去も現在も未来も全部等価値だ! 明日の為に今を犠牲にするってのは間違いで、現在の為に過去を蔑ろにすんのも間違いだ! 履き違えてんじゃねぇっ!!」

 

 

 今を蔑ろにして未来だけを見詰める。それは真面目に生きていない。

 

 

「今の刹那を精一杯に生きてっ! そんな今と同じような明日が続くように生きるっ! それが真面目に生きるってもんだろうがよっ!! あっ!? 何か異論があるなら言ってみやがれっ!!」

 

 

 届かない。届ける意志がない。

 だと言うのに両面の怪物は己の拘りを口にする。

 

 元より異論など聞く気がないのだ。

 答えを返す必要性と言うのを求めていない。

 所詮は彼の独特の感性が持つ、下らない拘りに過ぎないのだから。

 

 

「言葉に偽りはないだろうが……、今を犠牲にして未来を求めている貴様が言う言葉ではないな」

 

 

 そんな彼の自虐に満ちた言葉を、終焉の怪物が否定する。

 ゆっくりと穢土を目指す怪物は、両面の鬼に言葉を掛ける。

 

 

「自虐は止めておけ、百害あって一利ない」

 

「はっ、俺だから言うんだよ」

 

 

 そんな終焉の怪物の珍しい忠告を、両面の鬼は笑って逸らす。

 真面目に生きる事を夢見て、けれど終ぞ出来なかった鬼だからこそ、己と他者の過ちを嗤う言葉を口にするのだ。

 

 

「それで、どうよ? お前さん。俺の企みに乗るのかい?」

 

「…………」

 

 

 相反する両翼がこうして共にあるのは、両面宿儺が己の言を守り彼の思惑を口にしたからだった。

 その企み。その真意。両面は己の策謀の一面を、終焉へと明かしている。

 

 

「……奴を、殺すか」

 

「応よ。トーマにアイツを殺させる。それが俺の企みだ」

 

 

 思い返すように呟く終焉に、両面はヘラヘラとした笑みを浮かべたまま告げる。それは彼らが愛する主柱を殺す、そんな自滅因子の策略。

 

 

「アイツを殺して、中身を入れ替える。俺らの大将の精神を磨り潰して、トーマを其処に据えるんだよ」

 

「……結果生まれるのは、奴の力をそのまま保った新たな覇道神、か」

 

 

 両面の企み。それはトーマと夜刀の中身を入れ替えると言う物。

 

 トーマ・アヴェニールと天魔・夜刀は元が同じ物。その内側に存在する二重人格のような存在だ。

 故に完全復活した際に、片方が欠落していれば、必然もう片方が主となり蘇る。トーマ・アヴェニールが彼自身の願いを持ったまま、夜刀の力を獲得するのだ。

 

 

「大将の全部を引き継げば、聖遺物だって引き継げる。数億年は保てるだけの力も、今の波旬を潰せるだけの力も、どっちも一手で満たせんのさ」

 

 

 だが、それは無謀な策だった。

 上手くいけば全てが解決するが、同時に余りにもリスクが高い企みだった。

 

 トーマが至る流出が、彼らの望むような素晴らしい物にならない可能性がある。

 彼の流れ出す法が、もしも邪神のそれであれば、その瞬間に全ての希望は絶たれてしまう。

 

 そうでなくとも、トーマという個我が、夜刀という極みに至った精神に打ち勝てなければ、消えるのはトーマの方となるのだ。

 

 その勝利を願いそれに賭けると言うのは、余りにも博打が過ぎるであろう。

 

 

「ま、当然、他の面子は抵抗すんだろうな」

 

 

 成功の可能性は極端に低く、上手くいっても訪れるのは夜刀の完全なる滅び。

 

 最早輪廻する事も出来ず、残滓も残らず、別人格に食われて終わる。

 そんな結末を、刹那を愛した夜都賀波岐が座して見るとは思えない。

 

 

「けど丁度良い。俺らみたいな残骸を潰せねぇようじゃ、全部が全部トーマ頼りじゃどうにもなんねぇ」

 

 

 トーマが夜刀と精神戦を繰り広げるならば、その力を万全に保つために、夜都賀波岐を相手取る者が必要となる。

 

 次代の神格を抜きに、彼ら残骸達を打ち破れる力が必要となるのだ。

 

 

「だから、トーマ抜きで俺らを潰して、その果てにアイツが引き継ぎを終える。それこそ俺が望む結末だ」

 

「……それで、次代の次はどうする?」

 

 

 そんな鬼の言葉に終焉が問い掛ける。

 御門顕明が思い悩んだ、詰んでしまっている先を問い掛ける。

 

 

「知らねぇよ」

 

 

 終焉の怪物の問い掛けを、知った事かと両面は笑った。

 

 

「俺らが面倒見るのは次までだ。後はその時を生きる奴が、必死に動けば良い」

 

 

 彼女の葛藤を、終焉の問い掛けを、そんな風に鼻で笑う。

 

 

「どの道、世界なんざ何時か終わるもんだ。その終わりを引き延ばすのは、その時を生きる奴らの権利で義務だ」

 

 

 永遠などない。終焉は必ず訪れる。

 それが目に見えているかいないか、違いなどそれだけでしかないのだ。

 

 ならば、今ある危機を全て解決出来たとしても、何れ必ず別の危機が訪れる。

 その時まで面倒を見ると言うのは、余りにも履き違えた答えであろう。

 

 

「何から何まで全部面倒見るのは違うだろ? 億年用意してやんだ。後はお前らで繋げていけ。……その繋いでいく力を計る為の夜都賀波岐なんだからよ」

 

 

 次を託す子らは何も出来ぬ赤子であるのか?

 次の次まで面倒を見ねばならぬ幼子であるのか?

 

 きっと違う。そう信じさせてくれる、そんな輝きがあったのだ。

 だからこそ、鬼は子供達が己を乗り越えると信じている。

 

 

「で、どうよ? 乗る気はねぇのか」

 

 

 そんな風に己の企みを明かした鬼は、協力しないかと己の対に持ちかけた。

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 そんな彼の問い掛けに、一拍程の呼吸を置いて、天魔・大獄は答えを返す。

 

 

「……ふん。無意味な問いだ」

 

「へぇ」

 

 

 それは否定。両面の鬼の企みにではなく、彼の発言そのものに対する否定だった。

 

 

「貴様の言、その全てが真ならば、その企みに乗ってやっても良い」

 

 

 その目指す先は、確かに求める形を描いている。

 天魔・夜刀の滅びと言う過程は見過ごせないが、それでも地獄に染まるよりは良い。幼子に食い殺されるよりは良いのだ。

 

 己自身との戦いの果て、トーマと言う己に敗れる形で希望を掴むならば、それは確かに至高の結末だろう。

 

 それを受け入れないのは、その企み自体への問題点ではなく、それを口にしたのが両面の鬼だからだ。

 

 

「だが、あり得ん。例えこの世が滅びようとも、貴様が俺に真意を語る事はない」

 

 

 そう。あり得ない。例え何が起きようとも、この道化が己に真意を明かす訳がない。他の誰かに真意を語ったとしても、天魔・大獄にだけは絶対に話さない。

 

 それはある種の信頼だった。己の対である男を、確かに信じているからこそ口にした言葉だった。

 

 全てを話すと口にして、信じて動けば最大の落とし穴を用意している。己の対である男は、そんな性悪なのだと信じている。

 

 

「……一体何を隠している。幾つ嘘を混ぜた?」

 

「はっ、全部が嘘って訳じゃないぜ」

 

 

 そんな黒き甲冑の言葉に、平然と両面は虚言を認めた。

 

 

「だから、貴様は信が置けんのだ」

 

 

 己と決定的に相性が悪いだけでなく、嘘偽りばかり口にするからこそ、この鬼は気に入らない。

 

 そんな風に語る終焉に、この程度は単なる戯れ合いだろうにと肩を竦めながら両面は詰まらなさげに呟く。

 

 

「アイツなら、嘘ばっか言っても、無論信じているって一言で済ませてくれんだけどなぁ」

 

「奴の度量の深さに感謝する事だな」

 

 

 真実、この鬼は最後には夜刀の為に動く。

 だからこそ、過程でどう遊ぼうと構わないと認めてくれる主柱も今は居ない。

 

 そんな現状に寂しげに笑って、懐かしそうに笑って、彼が居ない現状に詰まらなそうに笑う。

 

 

「んで、お前さん。これからどうするよ」

 

「……待とう。お前が見出した子らが、新たな道を歩き出す日を」

 

 

 両面の問い掛けにそう答え、終焉は歩を進める。彼の戦う時は、その日はもう決まっている。

 

 

「俺の出番は、その時だ」

 

「そうかい」

 

 

 去って行く終焉に、両面宿儺は裏面としての言葉を掛ける。

 

 

「見極める前に、死ぬんじゃねぇぞ」

 

 

 既に死に体の終焉。全力で戦えば、己の自滅を殺せなくなり死に至るであろう。それでも、死ぬならば役割を全うしてから死ね。そう言外に告げて、鬼は笑う。

 

 そんな鬼に、終焉の怪物は共に肩を並べる戦友として言葉を掛ける。

 

 

「貴様こそ、己の策に溺れて無様を晒さぬ事だ」

 

 

 先に続く道を見つけ出す貴様が、何を企んでいようと構わない。唯、それを為す前に墓穴を掘る事だけはするな、と忠告する。

 

 

「ふん」

 

「はっ」

 

 

 そんな風に、珍しく互いを思いやる言葉を掛け合った両翼は、小さく笑みを零す。

 

 愚問だったな。意味がない忠告だった。そんな風に笑い合う。

 

 

「何しろお前は」

 

「何しろ貴様は」

 

『俺の次に愛されているのだから』

 

 

 笑い合っていた男達は、その言葉に顔を顰める。

 相手の言葉に機嫌を損ねる。互いに互いを嫌悪する両翼たる姿を見せる。

 

 双方共に、自分こそが、女神を愛するあの男にとっての二番手であると自負するが故に――

 

 

「やはり貴様は」

 

「やっぱテメェは」

 

『気に入らない』

 

 

 それでも為し遂げるのであろう。

 そう己の対を信じて、両翼は道を違えたのだった。

 

 

 

 

 

 用意された道は三つ。

 今を生きる子らが如何なる結末を選ぶのか、未だ答えには遠い。

 

 

 

 

 




歴代の神が座を改竄した、と言うのは公式設定。水銀が最も改竄したらしい。

本来の座は因果律操作装置。全世界流出は覇道神固有の能力。
唯流れ出す為には座は要らないけど、永劫展開する為には必須。
座が生まれる前から神格っぽいのは居たけど、完全に今の形になったのは座の影響。

この辺りが独自設定です。


覇道神でない存在が流れ出すには座は必要だが、元から覇道神ならなくても世界改変は可能。

その辺りはパラロス時点の座が科学力で到達出来たような演出だったのに、Dies時代以降の座が流出しないと行けなかった事からの裁定です。

水銀以降の神々、座に到達する前から、君ら世界改変出来てたよね、と言う話。
全世界規模に流れ出さないと極まった創造と何が違うのって話しにもなるので、こんな設定です。


座があると座が永劫展開してくれるけど、座がないと流出の負担が全部覇道神自身に掛かって来る。

どんなに強い神様でもその負荷に永遠に耐える事は出来ないから、永劫に流出する為には座が必要となります。



因みに今回明かされた三つの道+夜刀様復活ルートの四つが現状での選択肢です。
覇道神が覇道神の世界を引き継ぐ云々は、原作での覇道神同士の戦いが魂の奪い合いなので、その延長で世界そのものも奪えるよなという判定。特にこの世界、全部魂で構築されてますからね。

それぞれ簡単に解説すると。

○最高評議会ルート
 魔導師の神様作ろうぜ! 以上。
 割とマジでそれだけ。そんな神様生み出して、順当に引き継ごうとしている。

 欠点は顕明が語った通り、生まれる神様が長持ちしない点。
 今の弱った人々の魂では、数百年程度では次の神格は生まれないと顕明は判断しています。

 成功率は言う程低くないので、ハイリスクという程でもないが、実入りは少ないのでローリターン。


○顕明さんルート。
 獣殿復活させて全世界修羅道だぜ、ヒャッハー!
 獣殿の流出が不死化と無限闘争なので、その中で弱った人々の魂を鍛えようと言う計画。
 グラズヘイムの次にトーマ、その次に修羅道で鍛えられた誰か、と言う形で次の次まで視野に入れた企み。

 欠点は暫く地獄が続く事。苦しみもがいて、その果てを望み続ける策なので、成功したとしても闘争がなくなることは無い。

 獣殿やベイ中尉はすっごく生き生きしそうな世界。ローリスク・ローリターン。


○宿儺さんルート。
 トーマと夜刀様の中身を入れ替えようぜ!
 あくまで表向きの策だけを判断するなら、物凄い博打。
 トーマが神格に至る事。邪神の法にならない事。夜刀様に勝てる事。それら全てを満たす必要がある。

 その分成功すればあらゆる問題が解決する為、ハイリスク・ハイリターン。

 彼の表向きの策が自滅因子として、未来の為に作った策ならば、その裏面は司狼個人の願いであり、過去の為の策である。


○常世ちゃんルート。
 皆、凍っちゃえ。

 神座ないので、夜刀様何時か死ぬ。
 その死が訪れるか、停止した世界で新たな神格が生まれるか、博打所の話ではない。

 ノーリスク・ノーフューチャー。



 これら四つの選択肢から一つを選ぶか、それとも五番目の選択肢へと進むか、それを選ぶのは次代に生きる主人公たちとなる予定です。




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終焉の絶望編第七話 掌に残った小さな物

お久しぶりです。
休日出勤と残業の影響で書けない日が続いてました。


終焉の絶望編最終話の今回は後始末回。
時間を掛けた仕上がりになっているか不安ですが、楽しんで頂ければ幸いです。


推奨BGM
4.innocent starter(リリカルなのは)


1.

 雪解けと共に新緑が芽吹き、別れと出会いに咲く花弁が蕾を付ける頃。

 栗色の髪をした一人の少女が、クラナガンの街並があった場所を歩いている。

 

 長く続いた診断と入院と言う名目の軟禁状態から漸く解放された高町なのはは、終焉が過ぎ去った後のミッドチルダを進んでいた。

 

 

 

 彼の終焉が到来してから三ヶ月弱。

 

 あの怪物が齎した被害は大きい。その戦いで生じた被害は甚大だ。

 人的被害は管理局員のみであったが、物的な被害は天災など比較にならない程の物であった。

 

 彼の怪物が進んだ道に出来た黒き砂漠。

 クラナガン中央部を飲み込む程に巨大な渓谷。

 アルカンシエルの連続使用により荒れ果てた大地。

 

 残された光景の中に、嘗ての色は欠片もない。

 

 怪物が進んだ道に生じた黒き砂は、極大の死に触れた事で終わってしまった物質だ。

 触れれば塵の如くに崩れ落ち、魔法で再構成しようにも終焉と言う形は変化を受け入れない。

 何かに活かせる事はなく、足場にするには不安定に過ぎる。少しずつ崩れて消えていく滅びの砂。

 

 その砂漠は宛らアリジゴクが如く、或いは底なし沼が如く。一歩進めば崩れ落ちて飲まれていく。

 そんな砂の上で、そんな砂漠の直ぐ傍で、真面な生活など出来よう筈がない。

 

 クラナガン中央に走る巨大な亀裂が、各所を完全に分断している。

 魔法が主流となったミッドチルダでも、陸路と言う物が完全に使われなくなった訳ではない。

 故に地上移動を完全に遮断してしまう渓谷は、補給物資、配給物の輸送に甚大な被害を与えていた。

 

 アルカンシエルによって街並みは崩れ去った。

 嘗て生きた場所は、当たり前だった生活の場は、何一つとして残らず消えた。

 

 廃墟さえ残らない。クラナガンの風景は、亀裂が走った大地と砂漠しかない地獄の如き光景だ。

 

 絶望が過ぎ去った場所に希望などはない。

 唯其処に居るだけで全てを終わらせる怪物は、正しく全てを終わらせて過ぎ去った。

 

 最早この地は人の生きる場所ではない。

 最早この地には嘗ての名残りなど残っていない。

 地球へと避難して、再びこの場所へと戻って来た者達を受け入れてくれる故郷は、何処にも残されていなかった。

 

 ならば、彼らの目には希望は欠けているのであろうか?

 ならば、彼らは絶望し、諦め、嘆き、死に損なっているのであろうか?

 

 否。

 

 地球は未だ災害より立ち直れていない。彼らが避難先で暮らせぬのは道理である。

 

 だが、他に移住の地はあった。

 無数にある管理世界。関りのある管理外世界。望む場所へと彼らは進めたのだ。

 

 それでも彼らはミッドチルダに戻る事を望んだのである。

 滅び去ってしまった故郷の有り様を知らされながらも、それでも戻って建て直す事を選んだのである。

 

 クラナガンこそが、彼らにとっての帰る場所なのだから。故に、その目に絶望などありはしなかった。

 

 

 

「親方ー! 支柱組み終わりだそうです! 次は建築魔導師に連絡で良いんでしたよね?」

 

「ああっ!? んな事も覚えてねぇのかよ。連絡前に耐久チェックだ。あのでっけぇ谷の上に鉄板置いて、支えられるくれぇの代物に出来上がってるかどうか調べねぇと」

 

「……あ」

 

「おいコラ。もしかして、先に連絡してんじゃねぇだろぉな」

 

「あ、あはは。……すみません」

 

「ばっかやろうがっ!! 砂の移送は足場固めてからだって、何度も言っただろうがっ!」

 

 

 大渓谷前に停車された作業車付近で、年嵩の男がまだ若い男に対して怒鳴り声を上げている。

 彼らは黒き砂と大渓谷と言う破壊に対応する為の作業者達だった。

 

 死の砂はそのままにはしておけない。

 何かの資源になると言う事もなく、触れれば勝手に崩れていく黒き砂は、厄介と言うより他にない。

 

 扱いに困ったその砂。ならばどうするのか。

 

 丁度近くに巨大な穴があるのだから、転移魔法でそちらへと流し込んでしまえば良い。大渓谷を巨大なゴミ箱にしてしまおう。それこそが彼らの解であった。

 

 無論、足場にもならぬ程に脆い砂。谷に埋めて表面を舗装しただけでは、上を通った際に危険が残る。

 その為に支柱を幾つも組んで、鋼鉄の蓋が簡単には崩れ落ちないようにする工事を行っているのだ。

 

 

 

「ほら、嬢ちゃん。食べな」

 

「……良いの?」

 

「子供が気にするんじゃないよ。それとも、甘いの嫌いかい?」

 

「ううん」

 

「なら、ほら」

 

「うん」

 

「……私にも何か甘い食べ物はないかね?」

 

「……アンタはその腹の脂肪があるでしょうに、我慢しな。食い物沢山頼んだスプールス行き商船がもうじき戻ってくるとは言え、甘味なんて嗜好品は持って来ないだろうからね」

 

「……デブに甘味を許さぬとは、割りと死活問題なんだが」

 

「全く、何の為の脂肪なんだい。良い大人が情けない顔してまぁ」

 

「……おじさん。半分こ、する?」

 

「おお、もしや天使か!? ……だが、うん。我慢しよう。……本当に残念だが、我慢しよう。私にも、大人の意地と言う物があるんでね」

 

 

 偶然持っていた板チョコレートを幼子に譲る年老いた女。受け取った物を笑顔で口にする幼い少女。消えていく甘味を名残惜しそうに見詰める恰幅の良い中年男性。

 

 

「本当に要らないの?」

 

「……ちょっとだけ」

 

「情けない男だね、全く」

 

 

 結局甘味を分けて貰った男は情けなく笑い、仕方がない男だと老女は笑い、つられて童女も笑い声を上げる。仮設住宅にて語り合う、そんな団欒の光景。彼らは家族ではない。各々別に家庭を持つ第三者達だ。

 

 復興作業に従事する者の家族や、資材の搬出入管理や管理局との折衝の為に、暫くミッドチルダに滞在する必要がある者達だ。

 

 資材はなく、また居住地を作れる程のスペースも多くない。クラナガンに用意された仮設の居住施設は、どうしても大量には作れない。

 

 だが、クラナガン以外の四区画には人が集まり過ぎている。居住施設は唯でさえ埋まってしまっている。

 空いているのは、人の住みにくい森の中や廃棄区画くらいな物である。故に複数の家族、複数の世帯が一時的な同居生活を送っているのだ。

 

 まるで江戸時代の貧乏長屋。それをもっと簡素にした居住区。

 そんな場所で、見ず知らずの者らは手を取りあって、生きている。

 

 配給品や保存食を分け合う形で過ごす彼らは、そんな風に笑い合っていた。

 

 

 

「すみません。あの人を助けられませんでした」

 

「…………」

 

「自分は同じ船に乗っていたと言うのに、それでも何も出来なかったんです」

 

「貴方が謝る事でもないでしょう」

 

「それでも、自分は艦長に対して何も出来ませんでした。あの死の光が艦を飲もうとする直前に転移魔法で逃がされて、何も出来ずに生き延びたのです」

 

「あの人は、最期に何と?」

 

「……奥さんに、愛していると伝えてほしいと。……それと約束の場所を焼いてしまって済まない、とも」

 

「そう、ですか」

 

 

 その地で起こるのは良き光景だけではない。

 奪われた悲しみ、焼いた痛み、そんな愁嘆場も当然の如くに存在している。

 

 

「……管理局上層部は復興支援を優先する決定を下しました。……戦没者の追悼は未だ何時行われるかも決まっていないんです」

 

 

 時空航行部隊に属する一隻の戦艦。その副長を務めた人物が、艦と運命を共にした艦長の末路をその奥方へと語る。

 復興さえ真面に出来ていない状況、犠牲者達の追悼はおざなりな物となっていた。

 

 

「せめて、遺族年金や遺留品などは、直ぐにそちらに回るように掛け合って見ます」

 

「……いいえ、構いません」

 

「奥さん」

 

「そのような余裕があるなら、ミッドチルダ復興の方へその分を回してください。それが何よりの供養と罪滅ぼしになる」

 

 

 未亡人は穏やかに笑う。

 この地に戻って来た彼女が望むのは、今は亡き夫が命を賭けてでも守りたかった光景を取り戻す事。

 

 

「きっとあの人も生きていれば、それを望んだはずです。……ミッドチルダを守る事、それを誇りに思っていた人ですから」

 

「…………っ」

 

 

 そんな微笑みを見て、副官は唇を噛み締める。

 上の不当な扱いに腐っていた己が、情けなく感じられて、その女の姿に心を揺さぶられて、彼は上官の想いを継ぐ事を決意していた。

 

 そんな光景は、一部でしかない訳ではない。多くの場所で、多くの人が、異なる理由で前を見ている。同じような強い意思を伴った遣り取りが、数多くの場所に存在している。

 

 そこに生きる誰もが、前を向いていた。

 

 クラナガンを進むなのはは、そんな光景を目の当たりにする。そんな遣り取りを耳にする。そんな光景を多く見る。

 

 

(強い。うん。強いんだ、この人達は)

 

 

 嘆きはある。悲しみはある。愁嘆場は存在していて、それでも誰もが前を向く事を止めていない、そんなミッドチルダの強さを目に焼き付けて歩く。

 

 愛しい少年の下へと向かう少女は、その強さに感銘を受けていた。

 

 

「あ! 高町なのはだ!」

 

「にゃっ!?」

 

 

 そんななのはは街を行く途中、何故だかまるで知らない少女に声を掛けられた。

 

 

「おおっ! 本物はニュースペーパーの一面より可愛らしいな!」

 

「この太っちょが、私らの英雄に何言ってんだい!」

 

 

 少女の言葉に反応して、中年の男と老婆も顔を向ける。

 その瞳にあるは称賛と興味の色。まるで街中でアイドルや芸能人を見つけたかの如き好奇と、歴史上の偉人を称えるかのような尊敬の色が多分に混じった視線を受ける。

 

 

「にゃにゃにゃ!?」

 

 

 そんな風に目の色を変えて近付いて来る人々に、少女は訳も分からず動揺する。

 どうしてそんな視線を向けられるのか、長く外との接触を絶っていて、自由になった瞬間に飛び出して来た少女には分からない。

 

 

「うっわー! マジもんの不屈のエースっすよ! ちょっとサイン貰って来て良いっすか!?」

 

「馬鹿野郎、仕事中だぞ! ……貰ってくんなら、家の娘の分も貰って来い!」

 

「うっす!」

 

 

 そんな街の一区画で起こった騒ぎを聞きつけて、次から次へと人が押し寄せて来る。

 作業者の家族達は無論の事、作業者自身でさえもその手を止め、彼女を一目見ようと近付いて来る。

 

 

「にゃぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 そんな津波の如き人の群れに混乱を極めた高町なのはは、翠色の輝きを振り撒きながら、空高くへと逃げ出した。

 

 ミッドチルダ。クラナガンにおいては、緊急時以外に飛行魔法の使用は許されていない。彼女のそれは明確な違反行為であり、処罰の対象となるのであろう。

 

 それでも海の士官である男は、局員として間違っていると分かっても、この地を襲う絶望に最後まで挑み続けた不屈のエースオブエースの違法行為を咎める事はしなかった。

 

 

「我らが英雄に、敬礼」

 

「有難う、小さな英雄さん」

 

 

 飛び立っていく小さな少女の背を、副官だった男は軍隊礼式にて見送り、未亡人となった女は夫が愛した世界の為に戦った英雄に感謝を述べる。

 

 翠の輝きと共に飛び去っていく次代の英雄の背を、誰もが感謝を抱いて見送っていた。

 

 

 

 

 

2.

「英雄、か」

 

 

 ミッドチルダ。地上本部の一室で、和服の青年は小さく呟く。

 

 数少ない現在のクラナガンの娯楽として用意されている新聞。管理局が完全監修しているその一面を飾るのは、新たな英雄誕生と言う見出しであった。

 

 

「何も出来なかった僕らが英雄か、笑わせる。……本当に質の悪いプロパガンダだ。実際に効果がある所も含めて、な」

 

 

 自身に与えられた陸の階級章。そして与えられた勲章を掌で弄びながら、クロノ・ハラオウンは自虐的に笑った。

 

 

 

 彼の絶望の襲来。それが齎した被害と何も出来なかったと言う事実。

 法の守護者である管理局が何一つとして出来ずに敗北したと言う事実は、万民に衝撃を与える物であろう。

 

 このまま公表すればどうなるか分からない。

 だが、さりとて被害の大きさ故に隠し通す事など不可能だ。

 

 故に管理局上層部の選んだ選択は、英雄的な行動を取った人物を称賛し、その成果を誇張した上で高らかに喧伝すると言う物であった。

 

 まるで戦時下、敗戦間際の国家が取るような英雄喧伝。

 無数の賛辞と美辞麗句によって称えられる人物は二人。作り出された英雄は二人だった。

 

 

 

 最強の怪物が襲い来る状況で、怪物が立ち去るまで耐え続けた不屈の戦士。エースの中のエース。ストライカーの頂点。次元世界最高の魔導師。

 

 不屈のエース・オブ・エース、高町なのは。

 

 ミッドチルダ全土を焼いてなお止まらぬ怪物の魔の手から、多くの人々を救い上げた英雄。民間人の犠牲者を零にすると言う、管理局始まって以来の偉業を成し遂げた英雄。

 

 万象流転の担い手、クロノ・ハラオウン。

 

 彼ら二人を管理局は英雄として喧伝し、その戦果や戦場での姿。素性や生い立ちまでも美化して触れ回っていたのだ。

 

 

「……あれま、我らが英雄様ってば陰気な表情してるわね。折角の栄転なんだし、喜んだら?」

 

「ナカジマ准陸尉」

 

 

 そんな鬱々とした表情を浮かべたクロノの姿を、茶化すかのように口にして青髪の女性が室内へと入って来る。

 ポニーテールの女性が口にした言葉に、溜息を交えながらクロノは言葉を返した。

 

 

「栄転、と言えば聞こえは良いですがね。……実際の所、上が命綱を手元に置いておきたいだけでしょう。あの怪物を前に、結界ですら役に立たないと証明されてしまった訳ですからね」

 

 

 軟禁状態から解放されて直ぐに飛び出したなのはは知らないだろうが、彼らには既に昇進と転属が決定している。

 

 海の航行部隊所属の三等海尉から、空の教導隊の一等空尉への転属が内定している高町なのは。

 海の提督位と、陸の准将位を兼任する事が確定しているクロノ・ハラオウン。

 

 この広い執務室は、陸准将となるクロノに与えられた、彼専用の執務室である。英雄と称された彼らの進退は、上の都合で歪められてしまっていた。

 

 

「まぁ、そんな愚痴はどうでも良いでしょう。……それで、今日はどのような用件で?」

 

 

 自身の境遇に関する愚痴を切り捨てると、クロノはそう問い掛ける。

 彼の昇進が内定してから、その恩恵に預かろうと近付いて来る者は増えたが、この女性がそういう類ではない事は良く知っている。

 

 態々、用件もなく来るような人物ではない、とは言い切れないが、それでも勤務時間中に執務室にまで足を運ぶような人ではない。故に何か理由があるのだろう、と。

 

 

「んー? 挨拶回りって感じかしらね。私、管理局辞めるから」

 

 

 あっけらかんと女が告げるのは、自身の進退。管理局員の中でも古株と呼べる女傑が行うのは、退職の為の挨拶回りであった。

 

 

「……そんなに、返しの風が?」

 

 

 目を細めて、クロノが問い掛ける。この女性が無間地獄の中で倒れ、医療班の元に預けられていた事は知っている。歪み者としての限界が訪れている事は知っていたのだ。

 

 

「ん、まぁ、ね。……余命宣告、されちった。五年以内には死ぬだろうってさ。その先の生存率は五パーもないらしいわ」

 

「それは」

 

 

 あっさりと告げられる言葉に、どう返した物かとクロノは押し黙る。

 返しの風によって身体機能の大半を失った女性は、日常生活を送るだけでも長くは持たない。

 残された内臓器に掛かる負荷は増大して、そう長くない内に機能を停止して死に至る。

 

 戦闘はおろか激しい運動すら出来なくなったクイントは、故にこそ長く務めた管理局を辞めるのだ。

 

 

「ま、気にしなさんな。……残った最期の時間はさ、愛する夫と、愛せるようになる子供と、その二人の為に使えるんだから」

 

 

 だから、残された時間は家族と共に過ごそう。永遠に記憶に残る、温かな刹那を残すのだ。

 それがクイントの選んだ、余生の過ごし方であった。

 

 

「……それは、羨ましい話しですね」

 

「でしょ?」

 

 

 もう家族と過ごせない青年は、そんな光景を幻視して羨ましいと語る。

 そうだろうと答えを返す女性は、だからこそ同情も憐憫も要らぬのだと笑っていた。

 

 

 

 そんな風に語るクイントは、ふとクロノの机に積み重ねられた書類を見て首を捻る。 まだ正式に将官と任じられていない現状、彼が行う仕事はまだない筈では、と。

 

 

「ああ、これですか? ……ナカジマ准尉と同じく、管理局を辞める人物に対する、嘆願書って奴ですかね」

 

「ふーん。辞めるなって? 随分と慕われてる奴みたいね。……って、これ」

 

「ええ、あのフェレット擬きに対する物ですよ」

 

 

 それは魔導師としての力の一切を失い、管理局からの解雇宣告を受けた少年に対する物であった。

 

 少年と直接の面識がある者、少年の姿を神楽舞やアースラが撮影した映像などで見ていた者、そんな多くの人々が彼の残留を希望して署名を用意していた。

 

 

「ロウラン提督に、レジアス中将。フィルス法務顧問相談役に、クローベル統幕議長。グランガイツ隊長や家の宿六のもんまであるじゃない! あの子、どんだけ手広くやってたのよ!?」

 

「ええ、其処は脱帽しますね。……あんな無限書庫なんて役に立たずだった札しかなかったのに、それだけの人物から評価を得ていたんですから」

 

 

 彼らが名を連ねる残留の為の署名が此処にあるのは、将官位の中ではクロノがユーノと最も近い人物であると思われているからだ。

 

 彼ならばユーノ・スクライアの希望に沿う形で、この署名を活かせるであろう。そう判断されているからこそ、これらの署名がここに集まっていた。

 

 

「そんな訳で、これを上層部に渡してアイツを慰留させるのも、そのまま野に放っておくのも、僕の意志次第という状況ですね」

 

「……どうする気?」

 

「こうします」

 

 

 クロノがトンと机を叩くと、それら資料がバラバラに引き裂かれて飛び散った。

 

 

「何を!?」

 

「紙繊維の隙間に、空気を転移させて破裂させただけですよ。これも万象掌握のちょっとした応用です」

 

「へー、そうなのかー。って、そうじゃないわよ! 今起きた原理を聞いたんじゃなくて、何でそんな事したのかって聞いてるの!」

 

「……ああ」

 

 

 そうそうたる面々の署名を、まるでシュレッターに掛けるかの如く処分した青年にクイントが詰め寄る。

 このままではユーノ・スクライアは管理局を追い出されたままになる、と彼の師として怒りを向けて。

 

 

「良いんですよ。……今のアイツは、ほぼ役立たずです。それでも、あの馬鹿の事だから、引き留められていると知ってしまえば、責任感だけで留まろうとしてしまうでしょう」

 

 

 残った場合、彼が配属されるのは何処になるか。

 経験を買われて前線部隊の船に同乗するか、適正を買われて事務方に属するか、引き留めの署名をした者らの部隊のどれかに配属される事だけは確定している。

 

 

「死傷率の高い前線部隊に配属されるか、事務方に行くか、どちらにせよ、魔法もマルチタスクも歪みも何もないアイツじゃ、相応以上に苦労する」

 

 

 マルチタスクと言う魔法がある事が前提として組み上がっているスケジュールの中、戦闘機人のような頭脳に追い付く事は不可能だ。

 

 魔法を使えない以上事務方としては役立たずで、戦士として前線に出すのは論外。

 ならば彼はその友誼に答え続ける為に、一体どれほどの努力を続けなくてはいけないだろうか。

 

 

「もう頑張った筈だろう。もう十分な筈だろう。……だから、そろそろ休ませてやりましょう」

 

「クロノ、アンタ」

 

 

 故にクロノはこの署名を彼に見せない。その存在すら教えない。こうして揉み消して、なかった事にしてしまう。

 己の親友には、戦場よりも相応しい場所があると思うから。

 

 

「……無論、何時までも休みは与えませんがね。アイツは僕の顎で使われるのがお似合いです。暫くしたら、適当に理由を付けて専属の部隊にでも引き摺り込んでやる予定です」

 

 

 それはそれとして忙しいのは事実だ。世界に時間はないのは事実なのだ。

 何時までも休ませている余裕はなく、それ以上に別の誰かにアイツを預ける心算もない。

 

 だから、今は休め。そして休んだら馬車馬の如く酷使してやるから覚悟しておけ、そんな風にクロノは笑っていた。

 

 

「……全く、友達想いなのか、何なのか。さっぱり分かんないわ」

 

 

 そんな青年の言葉に呆れたような声を漏らして、クイントは肩を竦める。

 青年の心中は上手く表現し難いが、弟子を大切に思っている事だけは確かだろうと確信する。

 

 だから、彼らは放っておいても大丈夫だと思えたから。

 

 

「んじゃ、そろそろ行くわ。まだ結構、挨拶していかないといけない場所が残ってるからね」

 

「……お元気で、と言うのも変ですかね」

 

「良いんじゃないの? 死ぬまで笑って過ごす心算だもの」

 

 

 ひらひらと手を振って、去って行くクイントに、クロノはさようならと声を掛ける。そんな言葉にじゃあねと返して、クイント・ナカジマは執務室を後にする。

 

 クイント・ナカジマとクロノ・ハラオウン。この時二人が交わした言葉が、別れの言葉となるのであった。

 

 

「……籠の鳥、だな」

 

 

 扉が閉まると同時に、クロノはそう呟く。

 

 もう二度と自分とクイントが会う事はないだろう。

 クロノはこの建物より、外へと出る事が出来ないのだから。

 

 極まった歪みが周囲に悪影響を及ぼす。周囲の安全の為にも、クロノは本局庁舎より外部に出る事が許可されていない。

 

 そんな名目で軟禁状態は続いている。御門の礼服を着ていれば外部に与える影響は最小となるにも関わらず、彼はそんな名目で外部に出る事を禁じられていた。

 

 

「英雄が、聞いて呆れる。上層部が常に手元に逃げ道を用意しておきたい、そんな理由で、避難民に対する支援すら行えない」

 

 

 クロノが動けば、それだけでミッドチルダの問題の殆どが解決する。

 砂漠の砂を取り除く事も、大渓谷を消し去る事も、別の無人世界から土を大量に転移させれば事足りる。何なら地面を交換すると言う行為だって、簡単に出来るのだ。

 

 食料や嗜好品とて、其処にあると分かっていれば幾らでも転移させられる。本当ならば、節制を強いる必要すらない。

 

 建物とて資材と設計図さえ用意してくれれば、物質転移によって組み上げられる。

 前準備はしっかりとした物が必要となるが、組み上げ自体は一刻も必要としない。

 

 クロノが動けば、そう遠くない先に嘗ての光景を取り戻せるのだ。それでも、それを上層部が許さない。

 

 英雄クロノの歪みは復興支援には使えない。彼は特殊な構造である本局周辺から外へ出る事が出来ないからだ。そんな偽りの理由を周囲に説明して、彼をこの一室へと軟禁している。

 

 彼が歪みを使った影響で深度を高め、その命綱が潰えてしまう事を恐れる。

 管理局から抜け出し、別の世界へと向かってしまう、そんな万が一の事態を恐れている。

 

 故に、この執務室には、彼の着る礼服と同じ呪詛が刻まれている。

 その力を極端に抑える作りをした建築物の中では、彼は先に見せた小技のような物しか使えない。

 

 扉の外には戦闘機人。諜報型のドゥーエと戦闘型のトーレが複数体控えていて、常時監視下に置かれているのが現状であった。

 

 

「……そろそろ時間か」

 

 

 時計を見上げて、椅子から立ち上がる。

 任官の為の式典と、名ばかりの立場故に参加しなければならない意味のない会議。

 それらに出席する為に、クロノ・ハラオウンは壁に掛けられたコートを手に取った。

 

 

「似合わないな」

 

 

 極まった歪み故に、白い和装以外を着る事が出来ないクロノは、その上から全身を覆うタイプの局員用コートを着込む形で、正式な儀礼の場に立つ事になっている。

 

 姿見に映った軍服の如きコートを和服の上から着る姿は、何とも言えないミスマッチさを醸し出していた。

 

 

「まあ、良いか」

 

 

 前を閉じ、両手に白手を嵌めれば多少はマシになるかもしれないが、コートの襟首まで閉じてしまうと流石に窮屈だった。

 こんな状況へ追い込んでくれた者らへの反発も含めて、彼らしくない崩した格好のままに歩き出す。

 

 

「……ふん。何時までも飼い殺しに出来るとは思うなよ」

 

 

 歩き出す直前、鏡に映った姿にまるで首輪のような物を幻視して、クロノは吐き捨てるように言葉を漏らす。

 

 

「僕は万象を掌握する。……何れお前達も掌握して、足元に平伏せさせてやる」

 

 

 あの親友が望み、出来なかった事を成し遂げよう。

 監禁され続け、本部より外に出る事が出来ない現状、出来るのは有力者相手の顔繋ぎくらいだ。

 

 向こうも率先して尾を振って来るだろう。何せ、クロノの力が最後の命綱になる事は既に証明されているのだから。

 

 

 

 幻視した首輪を破る日を夢見て、黒の提督は足を踏み出した。

 

 

 

 

 

3.

 幻視ではなく、現実として首に嵌められた輪が存在している。肉に食い込むように、神経と一体化したその黒い首輪を忌々しそうに触れる。

 

 途端に脳裏に走った痛みに、歯を食いしばって耐える事となった。

 

 

「全く、君は相変わらず学習しないね、エリオ。言ったであろう。その首輪を外そうと思うと、余計に苦しむ事になる、と」

 

「スカリエッティ」

 

 

 ミッドチルダ東部にある天然の洞窟を利用して作られた研究施設。

 終焉の被害を受けた中央地区とは異なり、殆ど被害を受けてはいないこの場所へと戻って来たスカリエッティは、己の首輪を忌々しそうに触れる九歳前後の少年へと声を掛けた。

 

 

「君がその首輪を外そうと思考したり、或いは私を害そうと思えば、その首輪は君を殺す。その痛みは警告だよ、エリオ」

 

「…………」

 

「君は神殺しとしては失敗作で、人間としても不完全だ。……それでも、一個の兵器として見た場合、君以上に優れた物はない。高町なのはも、クロノ・ハラオウンも、楯の守護獣ザフィーラも、君には勝てない。魔刃は真実、管理局最強だ。下位の者なら、大天魔であっても討てるであろう。……だから、そう簡単に壊れては困るんだよ」

 

「…………」

 

「君は君が無価値でない理由を見つけたいんだろう? 己の命に、己が誇れる価値を見つけたいんだろう? その前に死にたくはない筈だ。その為にも死ねない筈だ。……他ならぬ、君に食われたモンディアル夫妻の為にも、ね」

 

「……お前が僕にそれを言うのか」

 

 

 エリオの瞳が憎悪と殺意に染まる。

 

 己に無価値と言うレッテルを張った研究者に、己を失敗作と断じるこの狂人に、己に父母を殺させた男に、お前が言うのかとエリオは怒りを向ける。

 

 頭痛が酷い。身体が悲鳴を上げている。

 まるで拷問に掛けられているかの如き苦痛に、エリオは表情を歪ませる。

 

 

「だから分からない子だね、エリオ。私を殺したいなら、その首輪を如何にかしてからにしなさい。……その時は素直に殺されてあげよう。それはきっと、君と言う子が、私と言う親の思惑を乗り越えた証になるのだからね」

 

「お前が親を騙るな。……反吐が出る」

 

「……モンディアル夫妻が君の親だとでも? 遺伝子上はそうかも知れないが、君はエリオ・モンディアルのクローンでしかない。エリオ本人と夫妻のリンカーコアを取り込んで、その自我を殺し尽くした君が、エリオと名乗る事自体、正しくないとは思えんかね?」

 

 

 高町なのはに施したリンカーコアの移植。その技術を確立する為の実験台となったのが彼だ。取り込んだ魂を己の糧とすると言う形で、自我を得たのが彼だ。

 

 エリオ・モンディアルとは、スカリエッティが生み出した神殺しの試作品である。

 

 

「故に、君の父は私だよ。君は現状、私の傑作であり、失敗作でしかない」

 

「ちっ……」

 

 

 エリオ・モンディアルは強い。

 スカリエッティが作り上げた中では、正しく最高傑作と言えるであろう。

 

 だが、それが彼の限界だ。無価値な悪魔はもうこれ以上の力は得られない。神域に手を伸ばす事は出来ても、その域を踏破する事は出来ない。

 

 これ以上手を加えれば、これはもう壊れてしまうから。

 

 

「……外道が」

 

 

 吐き捨てるように口にして、エリオは研究室を後にする。

 

 このラボは存外広い、表に出る事は許されていなくとも、この下劣畜生と同じ空気を吸って居たくはなかったから、別の場所へと移動しようとして。

 

 

「ああ、そうだ。エリオ。……君に一つ頼みたい事があるんだ」

 

 

 そんなスカリエッティの言葉に引き留められた。

 

 

「頼み? 命令の間違い、だろ」

 

「いいや、頼みさ。……君が動かないと、目標以外も巻き込むやり方で対処する形となるがね」

 

「……断る余地を与えない頼みは、命令と同じだ」

 

 

 忌々しい。だが聞かぬ訳にもいかない。

 そんな表情で足を止めたエリオは、何を求めるのかと問い掛ける。

 

 

「上からの指示もあったからね。最高評議会への義理立ての為にも、進めていた計画を、少し見直す事にしたんだ」

 

 

 そんな彼に狂人が語るは、狂った彼の狂った企み。

 

 

「トレディア・グラーゼ。計画への協力者だったんだが、彼が不要になった。……更に言えば、彼が手に入れたモノが必要になったんだ」

 

 

 計画の変更と共に必要になった兵器。戦力としては二流だが、純粋な物量としては脅威である古代の王。

 

 猫に小判。豚に真珠。トレディア・グラーゼと言う小物に持たせておくには、冥府の炎王は勿体無いにも程がある。

 

 

「だから、トレディアを殺して、アレを回収して来て欲しい。……当然、アレに関して知る者も、全員処分して来るように」

 

 

 手心を加えて見逃さないように、残った情報からこちらを探られないように、全てを無価値に変える彼を動かそうとする。

 

 彼が動かなければ、アレを回収する為にトレディアが住まうオルセア全土を火の海に変える事すら辞さない。

 

 

「出来るね? エリオ」

 

 

 君が殺せば被害は最小限だ。そんな風に笑って、スカリエッティは無価値な悪魔を動かした。

 

 

「…………」

 

 

 最早語る事もない。憎悪に身を焼かれた己がこの男に斬り掛かる前に動こうと、エリオは無言で立ち去って行く。

 

 

「さて、しっかり殺すんだよ、エリオ。……一人でも残して置いたら、きっと良くない事になるよ」

 

 

 ああ、けれど、あれで甘さを残す少年だ。きっと数名は生き残りが出るであろう。

 彼の首輪には監視機能もあって、その後詰めとなる部隊も用意されているとは知らずに、命乞いをされれば手心を加えてくれるであろう。

 

 冥府の炎王に施す予定の施術。

 その実験台になる生き残りはそれで回収出来る。

 

 

「ふむ。不死の肉体を得る秘薬、エリキシルとでも呼ぼうかね? ……まぁ、名付けるのは実験の後でも構わないか」

 

 

 やる事は多くある。己の計画の為に、為さねばならぬ事は多くある。

 

 

「ああ、だが、しかし。……あれは面白かった」

 

 

 そんなスカリエッティは、作業の手を進める前に彼の光景を思い出して思わず笑い出す。自らを呼び出し、仰々しく語る最高評議会の的外れさに笑みを零す。

 

 

「ふふ、ふはは。……全く、彼らは私を笑い殺す気かね? 真実を教えよう? 今更そんな事実など、当に知っているのだと言うのにね」

 

 

 笑いを堪えるのが大変だった。

 そう語るスカリエッティは、全てを知っていた。

 

 

 

 小型のサーチャーによって、或いは量産された戦闘機人によって、彼はミッドチルダの全情報を既に解き明かしている。隠された物全てを暴いている。

 

 ジュエルシードを廻る戦い。闇の書を廻る戦い。

 そこで彼は大天魔の情報を得た。特に彼にとって有益となったのは、天魔・奴奈比売が見せた多彩な技術。

 それによって、旧時代の技術を知った彼は、それまでは仕組みがまるで違うが故に突破できなかった御門の防衛網を、すり抜ける事が出来るようになっていたのだ。

 

 故に彼が知り得ていない情報など、最早ありはしない。老人達の想定など、彼は数年も前に外れていたのだ。

 

 先の会合によって得た成果は、評議会からの御墨付きと、その場を見たであろう顕明の感情が籠った語りを聞けた事だけだ。それ以外に、彼が得た物など何もない。

 

 

「ああ、滑稽だな、私を生んだ老人達。何時まで世が貴方達の思惑通りに動くと錯覚しているのだろうか!」

 

 

 あの時に見せた笑みは、彼らの滑稽さを嘲笑った物。

 自らが認められた事への歓喜ではなく、新たな難題に挑むが故の狂喜ではなく、その間抜けさへの嗤いであった。

 

 

「聖なる王。新たな神。……そんな物には余り興味が惹かれないがね。まあ良いだろう。多少は顔を立てて、少しだけ手を貸そうとも!」

 

 

 己を縛る鎖は既に噛み切った後とは言え、それでもまだ彼らには利用価値がある。

 何れ彼らの足元は崩れ落ちるが、その時までは精々協力するとしよう。

 

 それでは何から始めようか、そう思考したスカリエッティはふと机の上に置かれた紙の束を見つける。

 

 エリオが持って来たのであろう。

 それはヴァイゼンで彼が起こした事件に関する報告書であった。

 

 

「……ふむ。記録映像で見知っては居たが、あの子も存外に執着心が強い」

 

 

 報告書に記された内容。其処には極端な程に、トーマに関わる内容が少なかった。

 最も報告せねばならぬ事、それを最低限に抑えている辺りに、返って強く意識していると感じさせる。

 

 

「トーマに対する執着。これは唯の罪悪感か? それとも自己投影の一種か?」

 

 

 神の依代であるが故に先天的に自我を持たないトーマ。

 自己のないクローンと言う生まれであり、食らった魂と記憶によって自己を曖昧なものとしてしか確立出来ていないエリオ。

 

 自分のない両者は、とても良く似ている。

 その情報を知らずとも、何処かで共感していたのかもしれない。

 演技する人形の如き怒りに、エリオである事を演じている少年は思う所があったのかもしれない。

 

 唯の推測に過ぎない。邪推の域を出ない。

 だが、あの少年の事をエリオが意識しているのは確かである。

 

 

「ふむ……」

 

 

 さて、ならばどのように扱うのが良いだろうか。

 エクリプスウイルスと言う原初の種より生み出された病毒に侵された少年を、どの様に扱うべきであろうか。

 

 

「ならば、ああ、そうだ! 良い事を思い付いた!!」

 

 

 そんな風に思考して、スカリエッティは妙案を思い付く。

 己の思考が出した結論に、それは良いと自画自賛する。

 

 彼の瞳に映るのは、エクリプスウイルスのモデルとなった原初の種だ。

 

 

 

 原初の種。それは金属だ。

 それは血痕の付着した、何の変哲もない金属にしか見えない。だが、そうではない。

 

 それは物質的にはそうであっても、その実、魔法では解析し切れない程に高度な術式が施されている。

 故に常識では考えられない程の硬度を誇っている。真面な方法では溶かす事すら出来ぬ程に、個として極まっている。

 それもまた聖槍と同じく至宝の一つであるのだ。

 

 嘗て、最高評議会が行った過ち。

 罪姫・正義の柱を利用しようとした結果、結局何も出来ずに終わった愚行。

 

 エクリプスウイルスの根源となった原初の種とは、聖槍にぶつける事で無理矢理に砕いた正義の柱の欠片である。

 聖なる槍とならび称される程の宝物より取り出された物。砕いて作った欠片をこそ原初の種と呼んでいるのだ。

 

 至宝としての正義の柱は残っている。その刃先が欠け落ちただけで、管理局ではその程度しか出来なかった。

 その刃先の欠片を再現しようと作り上げた物こそが、スカリエッティの作り上げたエクリプスウイルス。即ち、永劫破壊の模倣である。

 

 それは所詮模倣品だ。故に参考となった欠片自体は彼のラボに残っている。

 ならば、彼に与えるべきなのは、その欠片を使った物であるべきだ。それを使って、トーマの為だけの聖遺物を生み出そう。

 

 

「新たな神に成り得る者よ。君に首飾りを贈ろう! とてもとても美しい首飾りを贈ろう!」

 

 

 残った欠片を利用する。その小さな破片を材料に、美しい首飾りを作り上げるのだ。

 

 

「原初の種より生み出そう! その種より花を育てよう! 美しき花の首飾りだ! 穢れなき聖母の象徴の如く、白百合の名を与えよう!!」

 

 

 その姿はトーマに合わせて、美しい少女の物にしよう。何故だかその欠片を手にすると幻視する黄昏の如き女。彼女に似せて作るのも良いかもしれない。

 彼女の持つ黄金の如き髪色を、欠片である事を考慮して少しばかり薄めた色にしようか。

 

 そんな愚にも付かない事を考慮しながら、狂気の科学者は笑い狂う。

 

 

「受け取ってくれると嬉しいなぁ! ふふふ、ふはは、はーははははははははははっ!!」

 

 

 洞窟の奥底で、次を見据える科学者は笑う。

 狂った男は被害を振り撒き続ける。決して、己の行いを省みる事などはしない。

 

 彼にとって真面目に生きるとは、己の欲望を肯定し、それを満たす為にあらゆる努力を惜しまない事なのだから。

 

 

 

 

 

4.

 真面目に生きる。

 

 自分の足で、自分の手で、確かに今を生きていく。

 その難しさに、ユーノ・スクライアは溜息を吐いた。

 

 

(魔法を使えれば、簡単な事なのに、それがないだけで、こんなにも難しい)

 

 

 出来る限り魔法は使わない。

 そう決めていても、日常の中で頼る瞬間は度々あった。

 

 書類を処理する際にマルチタスクを、大きな物を輸送する際に転送魔法や浮遊魔法を、極力消費を薄くして、必要ない時は自前の手足を使っていた。

 

 それでも、これまでは日常の中に魔法が溶け込んでいるのが当然だったのだ。それが完全になくなった事は大きな影響を与えていた。

 

 

 

 終焉が去った翌日の朝、ユーノ・スクライアは目を覚ました。

 

 愛しい少女の事を思考して、会いに行こうとするが面会謝絶。

 そんな彼に与えられた言葉は、魔力資質を失った事を理由にした解雇通知であった。

 

 半ば追い出されるような形で本局を後にした少年。

 彼の胸には、ぽっかりと穴が開いたような感覚だけが残されていた。

 

 

――高町なのはは任せたまえ。必ず、君の元へと戻すと約束しよう。

 

 

 如何にか抗おうとした少年に、狂気の科学者は真摯に答えた。

 自らを信頼してくれた彼にだけは良いだろうと、魔力を不要とする通信機器を渡してくれた。

 

 これで高町なのはと連絡を取れるようにしておく。だから案じる必要はない。そんな風に言われた為に、それ以上食い下がる事はなく退いた。

 

 

――こっちは僕に任せておけ、お前より権力に近い立場だからな。階級だろうが家名だろうが、使える物は何でも使って、お前が描いていた理想絵図を形にしてやる。

 

――戦場は戦士が行くものだ。俺達のように力ある者にある義務だ。……今のお前は、其処に行く必要はない。だから、今は休むと良い。

 

 

 追い出される前に出会った二人の男達はそう語った。

 中途半端に終わった夢を親友が継ぎ、もう戦えない自分の代わりに戦友が戦場に出る。だからお前は自由に生きろ、そんな風に二人は語った。

 

 だから、だろうか。何もする必要がなくなった彼は、それでも何かをしてみよう。そんな風に思ったのだ。

 

 最初は復興への協力をしようか、とも思った。だが、魔法も使えなくなった技術者でない者の支援など、今は必要とする段階でもなかったのだ。単純な人手は足りていたのである。

 

 だから、何をしようか、そう考えて思い付いたのが、己を鍛える事であった。

 

 

――鍛えてくれ、って言われてもね。私ももう真面に動けないし、ぶっちゃけ魔法抜きなら、もうアンタの方が強いわよ。

 

――不完全で下駄を履いていたとは言え、閃を使えたんだろう? ……恥ずかしい話だが、美由紀や恭也と違って、俺は閃を使えないんだ。そんな君に、俺が教えられる事はもう多くない。御神の技を教える事は出来ても、劇的なパワーアップと言う形にはならないだろう。

 

 

 そうして二人の師匠に如何にか連絡を付けた所、返って来た返答は両者共に同様の内容。

 

 もう学ぶ時期は終わりつつある。

 免許皆伝。もう師の背を追い掛ける時期ではない。

 

 後はユーノ自らが、その上に積み重ねていくのだと揃って口にされたのだ。

 

 どの道、地球に赴く為の足はまだ用意出来ない。緊急連絡用に地球に残していた通信機とスカリエッティより貰った通信機で遣り取りをしただけだ。

 

 通信機越しになのはの無事を伝え、彼女とその両親の会話を成立させる事は出来たが、自分が向こうに行くことは出来なかった。故に御神の技を学ぼうにもまだ暫くは掛かるのだ。

 

 

 

 自分で自分を鍛える。

 それにした所で、どうしても時間は余ってしまう。

 

 地球に行けたなら、翠屋を手伝った。

 クイントの元に行くなら、子育てや家事を手伝った。

 

 だが己だけで鍛えるなら、空いた時間をどうするべきか。

 自ら道を切り開く時期に差し掛かった少年は、他に何をするべきかと迷ってしまった。

 

 

――アンタ、桃子さんから御菓子作り教わったんでしょ? コーヒーや紅茶も淹れられるなら、喫茶店でもやってみたらどう?

 

――これ、ミッドチルダの商業法関係書類。……恋人が無職だなんて、そんな恥を女の子にさせたら捥ぐからね。

 

 

 女の子二人に言われて、成程そうかと結論付ける。

 

 翠屋の手伝いは然程した訳ではないが、誰しも始めは未経験だ。

 経営ノウハウや食材の仕入れなど、分からなければ勉強すれば良いのだ。

 

 そう言った事は得意で、それをする為に必要な貯金は山ほどあった。

 連日の激務で溜め込んでいたお金を使う機会はなかったから、必要な物は十分な程にあったのだ。

 

 だから、そんなお店を作ってみようと素直に思った。

 

 

 

 場所はミッドチルダの片隅。今はこの場所から別の場所へと移動する船も真面に出ていない状況、他の世界を選ぶ事は出来なかった。

 

 購入した土地は、クラナガン東部森林地帯の一部。

 復興中の中央区からは比較的近く、それでも元から人が余り住んでいなかった場所。

 

 ミッドチルダの建築業者は軒並み大忙しだ。東西南北の四区画の各住宅地は人で溢れ返っていて、入りきれない人々が仮設住宅で生活する現状。

 

 そんな状況でも復興作業に従事する彼らに、お店を作って欲しいと言っても断られるのが責の山。下手をすれば激怒されるであろう。

 

 森林地帯と言う立地上、周囲には木が山ほどあった。

 無限書庫で記憶した情報の中には、設計や建築に関わる情報もあった。

 

 どうせ復興まで月日を無駄にするくらいなら、まずは一人でやってみよう。それで駄目そうなら、復興が終わった後にでも建築を改めて依頼すれば良い。

 

 そんな風に安易に考えて、ユーノは家を建て始めた。

 

 

 

 自生する木々を、管理局に許可を取って切り倒す。

 木を斧で切り倒し、形を整えて運ぶ。唯それだけの事が、とても大変であった。

 

 釘や金属は用意出来ない。材料は木材のみなのだから、形が崩れてしまえば使えない。

 切り倒した木の硬さが予想よりも弱かったり、想定した形に削れなかったりして、何度も何度も失敗を繰り返した。

 

 柱や梁のバランスに何度も失敗した。

 鉄や釘を全く使わずに作るのは熟練の技だ。

 建築に手を出したばかりの素人には難し過ぎる。

 

 漸く形になった木組みが軽い振動で崩れ落ちる度に心が折れそうになり、それでも通信機越しに聞こえる励ましの声に頑張った。

 

 太陽の少女が見ているのだ。ならば、月の少年は確かに輝く。

 

 

 

 寒い時期のテント暮らし。

 復興作業がキツイ中、彼らに衣食住を頼る訳にはいかない。

 

 日々の糧は森の恵みと言うべき動植物。

 冬場である以上、必然として採れる食材は少なくなっていく。

 

 スクライアと言う出身上、サバイバルには比較的に慣れていたが、その時には魔法があった。

 様々な魔法の道具があった。今あるのは、魔力を使わない最低限の道具だけである。

 

 最初は満足に食料も取れず、キノコや食べられる草などを採って生活していた。

 次第に川魚や冬眠中の獣を狩れるようになり、自然の中でも当たり前に生きられるようになっていった。

 着る物がボロボロになっていき、生きる事だけでも難しい場所で、それでもユーノは家を作り続けた。

 

 文明の利器に頼って、魔法に縋って生きていた少年は、漸く知る。生きるとは本来、とても難しい事であったのだ、と。

 きっとこんな難しさの中でも、諦めずに目標へと向かって行く事こそが、真面目に生きると言う事なのだと。

 

 難しい。それは酷く難しい。

 

 それでも、背を押す声があるから、機械越しに聞こえて来る声があるから、真面目に生きる事をやめたくはなかった。

 

 

 

 そうして、漸く形になる。

 

 この三ヶ月で生きる事の難しさを知って、自分一人で成し遂げる事の難しさを知って、そうして出来たのは不格好な木造住宅。

 

 木だけで組まれた寒く、暗く、住み辛いログハウス。

 意図してないのに前衛的な形をしている椅子や机の出された木のテラス。

 

 それだけが、ユーノが手にした小さな成果。

 

 

「後は、これで」

 

 

 用意した板に色を塗る。文字を描いた看板を背負って、嵌め込む為の穴を開けて置いた屋根へと上る。

 看板に書かれた文字は店名。少年が愛した、少女を象徴する一つの色。

 

 それを嵌め込む事で、小さな彼の小さなお店は完成した。

 

 

「ユーノくーん!!」

 

 

 遠くより聞こえる声に振り返る。

 忘れもしない。忘れる筈がない。それは彼が愛した、大好きな女の子の声。

 

 

 

 翠色の輝きと共に飛び込んで来る高町なのはを抱き留める。

 少年の大好きな、太陽に向かう向日葵の如き笑顔を浮かべた少女を抱き締める。

 

 その腕の中に感じる温かさこそが、彼に残った小さな、されどとても重い宝石。それだけがユーノ・スクライアに残った幸福の全て。

 

 

 

 

 

 喫茶・桜屋。正式オープン。

 

 森の中にある小さなお店。

 小さな子供が経営する、とてもちっぽけな喫茶店であった。

 

 

 

 

 

 

 




エリオは仮にも三騎士より強い魔刃(偽)なので、終曲ザッフィーの全力と張り合えるクラス。多分時間制限の関係でエリオが勝つ。

奴奈比売、紅葉辺りなら問題なく勝てるが、屑兄さん辺りを相手にすると負ける感じ。
高位の面子を討てないのに、成長も期待出来ないので、スカさん的に失敗作だったりします。

当然、そんだけ強い理由があるので、その辺バレると結構致命的。
アンナちゃん辺りとやり合うと、力の本質明らかにされるのが先か、アンナちゃんを倒せるのが先か、と言う戦いになりそうです。

そんな魔刃エリオくん。STS編ではナンバーズポジとゼストポジを兼任。多分、過労死すんじゃね、というくらい働かせる予定。



喫茶店の戦う店長って、中年だといぶし銀キャラになるポジだと思う。(小並感)
今後、ユーノ君のお店は彼の成長に合わせて、少しずつ彼の手で増改築されていく予定です。




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空白期3
訓練校の少年少女編第一話 次世代の子供達


Q.これはトーマですか?
A.いいえ、TSスバルのロートス風味です。


そんな訓練校編開幕です。


1.

 コポコポとサイフォンから小さな音が零れる中、机の上に広げられた紙の書類に筆を走らせる。

 

 

「クロノ」

 

 

 小さな音が乱す静寂の中、執務室の主である黒髪の青年は客人である金髪の青年に声を掛けられて顔を上げた。

 

 

「ほら、出来たよ」

 

「ああ、悪いな」

 

 

 つい先日に二十歳を超えたばかりの若輩。

 提督としても、准将としても最年少記録を保持している鳥籠の英雄は、差し出されたカップを手に取った。

 

 

 

 受け取ったカップから香る芳醇な香りを暫し楽しんだ後、彼はゆっくりと口を付ける。

 鼻孔をくすぐる良き香りと、深い味わいに、クロノ・ハラオウンはほうと息を吐いて表情を和らげた。

 

 

「うん。旨いな」

 

「そりゃどうも」

 

 

 味を堪能する若き提督に、金髪の青年はおざなりに返す。

 

 優しげな顔立ちだが、服の上からでも分かる程度に筋肉の発達した体は、細身でありながらも弱弱しさと言う物を感じさせない。

 

 優しげでありながらも儚げではない。まるで仙道の如き澄んだ瞳を持つ金髪の青年は、どこか気だるげに口を開いた。

 

 

「いい加減さ、店仕舞いの日に呼び出すの止めろよ。毎回、毎回、休みの度に呼びつけやがって、僕はお前専属の茶坊主じゃないぞ」

 

 

 客人として呼びつけながら、珈琲を淹れさせると言う所業。

 

 毎度毎度遠慮もなく要求をぶつけて来る友人にいい加減にしろと白けた瞳を向けるのは、クロノと七年来の付き合いになる親友にして悪友である人物。ユーノ・スクライアであった。

 

 

「そう言うな。僕はここから出られないんだから、お前に来てもらわんとこれが飲めん。香りと旨味を殺さずに濃い珈琲を淹れられるのはお前くらいだ。……戦闘機人や秘書官じゃこうはいかなくてな」

 

「……そんな泥みたいに苦みがキツいのを好んで飲むのはお前くらいだよ」

 

 

 実際本意じゃないんだよ、とユーノは語る。

 彼の好みに合わせて淹れられた珈琲は、ユーノ視点で見ると落第も良い所な出来だ。

 

 強すぎる苦みが、どれだけ旨味を殺していると思っているんだ。

 そう語る彼の不満は休日に呼び出される事よりも、辛うじて店頭に並べられる程度の精度しかない珈琲を強請られる点にあるのかもしれない。

 

 珈琲の旨い喫茶店で通っている店の主としては、色々と拘りがある訳だ。

 

 

「出張割り増しで金払うから見逃してくれ」

 

「……通常料金で良いさ。友人から絞り取ろうとは思わないよ。呼び出した分は貸し一って事にしておいてやる」

 

「それだと、僕は貸しをどれだけ重ねていく事になるやら」

 

「おい。また呼ぶ気か、馬鹿野郎」

 

 

 そんな風に憎まれ口を叩きながらも、こうして態々呼び出しに応じている辺りに口調とは裏腹な感情もあるのであろう。

 

 律義さや人の良さだけで、軟禁されている人物の我儘にこうも付き合えるような物ではない。

 苛立った口調とは裏腹に、友人と語り合う表情は何処か楽しげな色を宿していたのだった。

 

 

 

「済まんな、ユーノ」

 

「……なんだよ、急に」

 

「これでも、時間を浪費させている自覚はあるんだ。……だが、こう気の休まらない事が起きると、こんな珈琲みたいな癒しが欲しくなる。……多少は見逃してくれると有難い」

 

 

 珈琲を口にして息を吐くクロノは、何処か疲れているような印象を与えていた。

 

 

「何かあったのか?」

 

 

 友人の零した珍しい弱音に、ユーノは疑問を投げ掛ける。

 

 先日訪れた際には、政治工作が上手くいって漸くに外部の人間を動かせるようになったと喜んでいたクロノ。

 

 未だ続く軟禁状態でありながら、手足耳目として動かせる人員を得た事で一歩前進した彼が、あれから一週間しか経っていないと言うのに、こうして弱音を晒している。

 

 そこに何かあったのかと疑問を抱くのは、ある意味当然の事であろう。

 

 

「……自業自得なんだが、気の重くなる事があって、な」

 

 

 珈琲を飲み終えたクロノが静かに呟く。それは語り掛けると言うよりかは、内に籠った感情を吐き出すような言葉。

 

 思わず吐露された感情は、やらなくてはいけない事を忘れていた男の悔恨であった。

 

 

「……忘れていた、僕の罪。その清算をしなくてはならないと言うのに、それが出来ない。それを望まれていないんだ」

 

「忘れていた罪?」

 

 

 気付いた時には、もう手遅れだった事。託され、任されたと言うのに、今まで気にも留めていなかった事。

 

 それは紛れもなく、クロノ・ハラオウンの罪科であった。

 

 

「アイツに任されたと言うのに、僕は今までずっと忘れていた。怒り狂って、憎悪に迷って、自分の事だけしか見ていなかったと思い知らされたよ」

 

 

 机に置かれた紙をクロノはユーノに見せる。

 その文字が多く書かれた書類には、ユーノも見知った少女の写真が添付されていた。

 

 

「訓練校の入学書類? ……この子は」

 

 

 その証明写真に映る金髪の少女の姿を、ユーノは知っている。

 

 直接の面識は数度、関係はそれ程に濃くはない。

 だが、妹思いの兄に愛されたその少女の事は、戦いの中で散って逝った人に守られた少女の事は、確かに記憶に残っていた。

 

 

「ティアナ・ランスター」

 

 

 ユーノが懐かしさを込めてその名を呟く。それと同時に、クロノは深く溜息を零した。

 

 

 

 リンディ・ハラオウンとエイミィ・リミエッタ。

 最愛の家族達を腐毒の王に奪われたあの日、黒き少年は怒りと憎悪に身を任せて暴れ回った。

 

 その後、目の前の青年に止められて、自身の未熟を恥じた後の大天魔との戦い。

 其処で彼は限界を超え、その対価として三年間の封印刑を受ける事となった。

 

 それから四年。

 軟禁状態が続いていた彼は、政治工作の結果として漸く外部の人を動かすだけの権限を得た。

 

 未だ地上本部を出られぬ身であるが、人を雇い実際に動かす事が出来るだけの権限は得ているのだ。

 

 そうして漸く、クロノは母の遺品整理を行えるようになった。

 自身が直接触れる事は出来ないが、漸く遺された物の全てを把握出来たのだ。

 

 

 

 つい先日に行われた実家の家探し。

 其処でクロノの手の者が一つの書類を発見する。

 

 リンディ・ハラオウンが残していたその書類は忘れていた少女、ティアナ・ランスターの進退に深く関わる物であった。

 

 

「……全く、もっと早くに気付けと言う」

 

 

 それは養子縁組の申請書類。

 リンディとティアナが交わしたであろう、ハラオウン家の下へと身を寄せる為の合意書。

 

 四年以上の歳月を経て漸く見つかったのは、果たされずに残っていた約束であった。

 

 

「遠縁とは言え親類が居るのに、ティーダの奴がどうしてそれに頼らずに二人暮らしをしていたのか、考えて見れば当然だった」

 

 

 まだ若いティーダが幼い子供を育てるのにどれ程苦労したのか、それでも両親の死後に誰かに頼らずに少女を一人で育てていたのは、頼れる人が居なかったからなのだろう。

 

 遠縁の親類とやらが、信に当たらぬ人物だから、彼は独力で家庭を支えていたのだ。

 

 そんな彼だからこそ、死の瞬間に頼れる友人に後事を託した。

 腐り落ちる間際に望んだのは、残される妹の未来だったのだ。

 

 クロノの後悔とは、そんな兄と妹。双方の思いを裏切ってしまった事から来ている。

 

 士官学校時代からの友人であり、兄妹の双方とも関わりが深かった彼だからこそ、その遺志を守れなかった事を今更ながらに悔やんでいる。

 

 時間がなかった、などと言い訳は出来ない。

 あの日、奴奈比売に挑む前にクラナガンに戻った時、確かに時間はあったのだ。

 

 母や恋人の墓参りより前に、或いはグレアムの下に向かう前に、千の瞳の許可を得る前に、一瞬だけでも自宅に戻って母の書斎を覗き込んでいれば気付けていたのだ。

 

 唯、家に帰ると立ち上がる為の意志が折れてしまうかもしれなかったから、がむしゃらに動いた。

 

 その結果が、友とその忘れ形見を裏切っていたと言う現状を生んでいた。

 

 

「クロノ」

 

 

 写真に写った少女の姿。その瞳は、以前に見た色とは違い、暗く淀んでいる。

 彼女の遠い親類が、彼女をどう扱っていたのか、それを見れば聞かずとも分かった。それをこの目の前の青年が、どれ程重く受け止めているのかも。

 

 

「親権の手続きで、人をやった。先方は幾許かの金銭で、親権をあっさりと譲ったよ。……単純に邪険にされていた、そんな話で済めば良いんだがな」

 

 

 金銭で売られる形となった少女は、クロノの配下に対して特に何かを言う事はなかった。

 

 兄と同じ家名を名前に残したい事、そして管理局の訓練校へと入りたいから保護者としての署名が欲しい事、それを希望した。それだけしか、口にしてはくれなかった。

 

 

「あの子に直接会おうと申し出たんだが、返答はまだない。会いたいとも、会いたくないとも、どちらとも」

 

 

 その少女がどれ程に鬱屈した思いを抱えているか。未だ直接会っていないクロノには分からない。

 

 クロノから会いに行くことは叶わず、代理人を介した遣り取り以外を少女が望まない故に会う事も出来ないのが現状だった。

 

 

「あの子が望んだのは、それに判をしてくれという、そんなちっぽけな事だけだった」

 

 

 結局、管理局入りを希望した少女の為に、こうして訓練校への手続き書類に保護者として判をする事だけが、クロノに出来る全てであった。

 

 

 

 リンディが居た頃は、機微に長けた彼女が少女を一人にはせず、様々な場所へと連れ出していた。

 ユーノの大会などで、リンディに手を引かれて歩いていた少女は、何処か不満を浮かべつつも確かに和らいだ表情も度々見せていたのだ。

 

 だが、それも写真に写った少女には残っていない。

 

 リンディの死後は、彼女の代わりに少女の手を引く者が居なかった。

 その役割を果たすべき青年が、それを引き継いでいなかったのだから。

 

 

 

 結局、リンディとティアナの約束は果たされず、彼女は遠縁の親戚へと引き取られていった。

 

 彼女がどんな思いで、リンディの事を待っていたのか。

 そして、決して迎えに来る事のなかったハラオウン親子にどんな感情を抱いているのか、クロノには見当も付かない。

 

 唯一つ分かる事は、一人残された少女が、もう誰かを信じる事を止めてしまったのであろう事だけ。

 

 約束を破られた彼女が、酷く荒んだ瞳をしているのは、なまじ救いの手が差し伸べられ、それを握り返そうとしていた所で消えてしまったが故であろう。

 

 最初から何もなければ、彼女はこれ程に追い詰められなかった筈だ。

 救いの手があったからこそ、それが目前で消えてしまったからこそ、ティアナの闇は深いのだ。

 

 

「頼む、友人にそう言われて置きながら、この様だ」

 

「……」

 

 

 無様だな、そう自嘲するクロノに、ユーノは敢えて何も口にしない。

 

 彼も思う所はある。関係が薄かったとは言え、少女の事を今の今まで忘却したまま、気にも留めた事がなかった自身を薄情に感じている。

 

 精神的に追い詰められていた当時のクロノが、自己を責めるのは違うだろうとも思っている。

 

 それでも、そんな慰めを友人は求めていないだろうと感じた。

 彼に必要な言葉は何であるかも分かっていたから、そんな軽い言葉は口にしない。

 

 

 

 言うべき言葉を言う前に、空になったカップに珈琲を継ぎ足す。

 

 今は唯、疲れ切った様子の友人を休ませる為に。

 

 

 

 

 

2.

「次! ティアナ・L・ハラオウン!」

 

「はいっ!」

 

 

 第四陸士訓練校。その広い訓練室の中で、名を呼ばれた少女が右手のアンカーガンにて標的を射抜いて行く。

 

 華麗に身を翻して仮想敵の射撃を回避しながら、魔力弾を当てて一つずつ確実に落として行く。

 

 小手先の技術や際物めいた何かがある訳ではない。純粋な練度の高さによって与えられた課題を達成していくオレンジの髪の少女。

 

 心身共に状態は最悪と言って良い程に落ち込んでいるが、そんな素振りなど欠片も見せずに、周囲には優れた技術だけを見せ付けていた。

 

 

 

 課題として用意された標的を全滅させて、ティアナ・L・ハラオウンはバリアジャケットを解除する。

 

 タイムレコード更新。

 標的撃破の際の行動などを数値付けした評価が、電子の掲示板に発表される。

 

 これまでに名を呼ばれた数人の成績をあっさりと塗り替え、一躍トップに躍り出る程の活躍を示したティアナ。

 

 しかし周囲は、彼女に歓声を向ける事は無かった。

 

 ここが管理局の訓練校だから、と言う理由だけではない。

 そんな事情では説明できない程に、彼らのティアナを見る瞳は冷たい。

 

 そこにあるのは、嫌悪と嫉妬が入り混じった色。どうしてアイツが、と言う反感の意志であった。

 

 

(下らない)

 

 

 そんな周囲の反応を、訓練場の外周に用意された座席に戻りながら、ティアナは内心で侮蔑する。己を高めようとせずに他者を妬む彼らを、下らないと見下していた。

 

 

 

 月に一度の定期考査。筆記試験と実技試験が、この訓練校では月に一度のペースで行われる。

 

 今この場において彼女が体験していたのは、入学してから三度目になる実技試験であった。

 

 ティアナは元々、この陸士訓練校に入学する心算はなかった。

 

 兄が学んだ場所であり、“あの人”が学んだ場所。俗に言うエリートが所属する事になる士官学校への入学を希望していた。

 

 だが、その試験を突破出来なかった。

 

 空戦適正の不足。自身の知識不足。それまでの保護者と折り合いが悪かった為に、魔法技術を余り学べなかった。

 

 そんな理由を重ねたとて言い訳だ。

 結局は実力も才能も、何もかもが足りていなかっただけである。

 

 そうティアナは自身を断じている。

 

 保護者代わりの人物は、自分の権限を使えば在籍させられると語っていたが、それは望まなかった。

 

 あの人に頼りたくないと言う感情と、才能もない自分が其処に進んでも何の意味もないと言う理性的な判断で、ティアナはその善意を拒絶したのだ。

 

 

(私は凡人だ。才能なんて欠片もない。英雄になった“あの人”とは、比べ物にすらならない無能だ)

 

 

 だからこそ努力した。だからこそ努力を続けている。

 

 自身が一番努力しているとは思えない。結局、才能と言う壁は努力では超えられないと分かっている。

 

 それでも、誰でも出来る事を直向き重ねる彼女だからこそ、安易な嫉妬に流されている周囲を蔑視していた。

 

 

(凡人の私に勝てない。当たり前の努力しかしていない私に負ける。……それはアンタらが遊んでばかりいるからよ)

 

 

 友達と語り合って無駄な時間を過ごす。

 下らない娯楽に時間を割いて、折角の好機をふいにする。

 

 そんな彼らの、与えられた才能をゴミ箱に捨てているかのような行いに、ティアナは蔑みの意志を隠さない。

 

 寝食以外の時間を、鍛錬か読書かデバイスの管理に当てている。

 読む本は自身の糧になる物に限っているし、授業の内容はその日の内に体に染み込ませる程に復習している。

 

 デバイス関係の知識は常に新しい物を取り入れるし、自作したアンカーガンの出来には多少は自信もある。

 

 才能のない自分が上を目指すには、そのくらいしなければ嘘だ。望んだ目的を果たす為には、その程度しなくては真摯さに欠けているであろう。

 

 そう判断するティアナは、そんな努力程度で自分の後塵を拝している彼らに学ぶべき場所など欠片たりとも存在していないと確信している。

 

 そんな意思を憚らずに公言する少女は、入学から三ヶ月もしない内にすっかり嫌われ者となっていた。

 

 

(別に良いわ。アンタらと居る時間なんて、無価値だもの)

 

 

 唯漫然と陸士を目指す質の悪い学生達。戦場を行く事を目指して学ぶのに、遊び気分が抜けない者達。

 

 あんな奴らと絡んでいても、自分の質が下がるだけだ。

 明確な目的がある自分にとって、あれらを敵に回す利はあっても、味方にする価値はない。

 

 

(精々敵視すると良いわ。多種多様な妨害に対する経験が積めるもの)

 

 

 そう。その程度の価値しか認めていない。

 そんな程度の低い者らと思っているからこそ。

 

 

「次! トーマ・ナカジマ!」

 

「はいっ!」

 

 

 名を呼ばれ、元気良く声を上げる茶髪の少年を、ティアナ・L・ハラオウンは無視出来ないのだ。

 

 

 

 教官の指示の下、茶髪の少年が仮想敵へと向かって行く。

 紫色をしたアームドデバイスを両手に付けた少年が見せるは、ストライクアーツと言う格闘技だ。

 

 ミッドチルダで広く普及している格闘術。それとは何処か違う独特な動きを織り交ぜた体術で、少年は次から次へと標的を落として行く。

 

 近接一辺倒ではなく、時折射撃魔法や捕縛魔法を絡めながら行われる高速機動戦闘は、ティアナや教官も含め、皆を感嘆させる程の練度であった。

 

 近接戦闘能力が純粋に高く、マルチタスクの扱いも上手い。

 射撃魔法はお粗末な性能だが、それを補って余りある程に使い方が上手いのだ。

 

 

 

 定期試験が終わる。

 

 当然の如く、実技試験一位はトーマ・ナカジマだ。

 二位のティアナに大差を付けて、彼はトップを独占するのだ。

 

 これまでの二回と同じ様に。

 

 そんな彼に向けられる周囲の反応は、ティアナのそれとは百八十度違っていた。

 

 

「流石だな、トーマ!」

 

「凄いよっ! ナカジマ君!」

 

「あ、あはは、ありがと」

 

 

 休み時間を迎えた訓練場、着替えにも戻らずに人の群れが彼の下へと向かって行く。

 男女を問わず、多くの人が少年の下へと集まり輪を作り、もみくちゃにして笑い声を上げる。

 

 その活躍に対して妬みも僻みも当然あるだろう。妬むと言う感情は人である限り捨てられない物だ。

 

 だが、そんな感情以上に、対等の立場に立って笑う少年の姿に対して、誰もが友好の色を見せていたのだ。

 

 

 

 ティアナは知っている。

 それは彼女とは違い、彼が社交的だからだ。

 周囲を見下す事無く、どんな相手とでも対等に語り合っているのを知っている。

 

 ティアナは見た事がある。

 トーマと言う少年が他の劣等達と共に遊び歩く姿を、訓練校を勝手に抜け出しては、仲間を庇って一人だけ教官に罰されている姿を見たことがある。

 

 ティアナは見た事がない。

 何時も遅くまで訓練場や校庭を使用して訓練に励んでいる彼女は、同じ場所でトーマが自主訓練を行っている姿を見たことがなかった。

 

 時間を無駄に浪費して、努力する姿を見せず、それでいてティアナをあっさりと置き去りにしていくその少年。

 

 ティアナは理解する。彼は天才と言うべき人種だと。凡人でしかない自分とは違うのだと。否が応にも、そう分からせるのだ。

 

 あんな下らない者らとつるんでいるのに、圧倒的な才を見せる少年。

 自分の努力を無駄だと、結局才能には勝てないのだと見せ付けて来るようで、だからこそティアナはトーマと言う存在を無視する事が出来なかった。

 

 

「やっぱりトーマは凄いよな。……あのハラオウンの奴の顔、見てたかよ」

 

「っ!」

 

 

 そんな天才の取り巻き達は、秀才にも成れない凡人をやり玉に上げる。

 

 努力しても二番手にしかなれない少女を、普段は己達を見下しているいけ好かない少女を、ここぞとばかりに罵倒した。

 

 

「うん。何時ものスカした顔が青ざめて、すっごくスッとした」

 

「アイツ、人を馬鹿にしていてムカつくんだよな」

 

 

 それは或いは当然の反応だ。

 蔑視し、蔑んでいるからこそ、返って来る情は悪意となる。

 

 悪意を持つ者らは、隙あらば責めたてるのが自然と言えよう。

 

 ティアナは歯噛みする。

 その言葉に、ではない。彼らの悪意になど頓着しない。

 

 彼女が己を抑え付けようとするのは、忌々しいあの天才の反応が簡単に予想出来てしまうからであった。

 

 

「ストップだよ、皆。……先生曰く、誰かを否定するのは良いけど、やるなら面と向かって一対一で、だ。皆で陰口を叩くのは、正直余り好きじゃない」

 

 

 中心人物に叱責されて、取り巻き達が頭を下げる。

 そんな彼らに謝る相手が違うだろう、と返して、トーマはティアナの下へと歩を踏み出した。

 

 

「悪い、ハラオウン。嫌な思い、したろ?」

 

「……ええ、今現在進行形でね」

 

 

 これが嫌なのだ。

 

 この少年は、一本筋が通っている。

 頭を下げる少年には、悪意も蔑みもありはしない。

 

 蔑みや憐れみのような色があれば、反骨心で立ち向かえるだろう。

 才能を鼻に掛けるような姿を晒してくれれば、あるいは納得出来たかもしれない。

 

 だが、その澄んだ瞳を見れば、悪意など欠片もないと分かってしまう。

 

 その真っ直ぐな姿を見ていると、己の心が醜いと感じてしまうからこそ、ティアナはトーマを苦手としていた。

 

 

「中々、手厳しい。……ええっと、どうすれば謝罪になるかな?」

 

「……どうでも良いからさっさと消えてよ。アンタとなんて一秒だって関りたくないの」

 

 

 睨みながら拒絶の意思を口にする。

 取り巻き達から怒りを向けられている事を認識していても、撤回する心算は欠片もなかった。

 

 

「……取り付く島もないとは、こう言うのを言うんですね、先生」

 

 

 どこか遠くを見ながらブツブツと呟くトーマ。

 そんな彼は、如何にかしてティアナと会話を成り立たせようとしている。

 

 彼も彼なりにティアナに対して思う所があるからこそ、この機会に如何にか会話のとっかかりを探そうとしていた。

 

 

「……アンタが其処に居るなら、勝手にいなさい」

 

 

 消えてくれないなら、自分が立ち去るだけだ。

 

 この二ヶ月の観察で知っている。

 何度拒絶されても己に声を掛けて来たこの少年が、頑固者で、しつこい性質をしている事を理解していた。

 

 故にティアナは、如何にか声を掛けようとするトーマに背を向け、自室に向かって歩き去って行った。

 

 

 

 

 

 ぽすんと音を立ててベッドに横になる。

 本来なら二人用の部屋である場所だが、今はティアナ一人が使っている訓練校の一室に彼女は戻っていた。

 

 年頃の少女の部屋にしては殺風景な一室。生活臭のしない部屋。

 

 同室の少女はティアナと一緒に居る事に耐えられずに別室に移っていった。故に此処に居るのは、ティアナ一人だけだ。

 

 酷く疲れた気分だ。

 

 一日でもサボると凡人である己は、二三日では取り戻せない程に実力が劣化する。

 それが分かっているのに、今日は常の日課である鍛錬を行う気にはなれなかった。

 

 

「兄さん」

 

 

 辛い時に脳裏に浮かぶのは、何時だって兄に関する想い出だ。

 

 優しく、温かだった兄。

 管理局のストライカーの一人で、優れた歪み者だった兄。

 

 ティアナが感じる不条理の一つが彼の死ならば、もう一つは――

 

 ティアナを引き取った親戚夫婦は、ティーダの戦死を褒め称えた。良くぞ、戦い抜いた。彼こそランスター家の誇りである、と。

 まるで死んだ事が喜ばしい事かのように、彼らはティーダを褒め称えていたのだ。

 

 あの当時は理解出来なかったが、今なら分かる。

 兄の死は、実際に彼らにとっては喜ばしい事だったのだ。

 

 管理局のエースストライカーとなれば、周囲より褒め称えられる。その家族も当然、誇らしい者として語るであろう。

 惜しい人を亡くした、実際にそう思っていなくとも話題づくりには丁度良く、深く知らない人柄でも家族だからと有る事ない事吹聴すれば、それだけで周囲の関心を寄せられる。

 

 天魔との戦いで死亡した管理局員の家族には、遺族年金が支給される。

 その額は小娘一人を扶養するのに掛かる資金より遥かに多く、ティアナを引き取れば転がり込んで来るのだ。

 

 だからこそ、彼らにとってティーダの死は、本当に都合が良かったのだろう。

 

 

「何で、兄さんが死んだのに、笑えるの、か。……当然じゃない。あの人達にとって、生きている頃の兄さんはどうでも良い存在で、死んだ後の兄さんはとても都合の良い存在だったのだから」

 

 

 そんな彼らに対して、幼い頃のティアナが口にした否定の言葉。それに返って来たのは、拒絶の意思であった。

 

 面倒そうな顔をして、気分が害されたと表情を変えて、そうしてティアナに対する扱いも変わった。

 

 遺族年金を貰う為だけに最低限度の世話をする。

 それ以外の場では腫物扱いで、一切関わろうとはしなかった。

 

 士官学校を目指した際にも何も言われず、兄の遺品を質に入れて漸く工面した受験費用で受けた試験に落ちた際には、唯舌打ちされただけ。

 

 士官学校に行く事で、もう会わなくなる事を期待していたのであろう。

 その算段が崩れた後、彼らはまるで直ぐにでも出ていって欲しいと言うかの如く、全寮制の陸士学校のパンフレットを投げ渡して来た。

 

 そんな冷え切った関係。持て余していた少女を引き取りたいと言うクロノ・ハラオウンからの要請は、彼らにとって本当に都合の良い提案だったのだ。

 

 そこで更に金を要求する辺り、彼らは随分俗物的だったのだろうが。

 

 

「……もう。一つしか残っていないもの」

 

 

 士官学校の受験費用。陸士訓練校で必要となる学費。

 それらの為に、ティアナの手元にあった遺産は全て切り崩した。

 

 リンディ・ハラオウンが守ってくれたティーダの残した物は、もう彼女の手元には残っていない。

 

 唯一つ残っているのは、幼い頃に教えて貰った玩具の銃の撃ち方だけ。ランスターの弾丸だけが、彼女に残った全てである。

 

 

 

 繋いでいた手が離れていく。

 伸ばした手は握り返して貰えない。

 

 今までの人生、振り返ってみればそんなもので、きっとこれからもそんな形となるのであろう。

 

 

「ランスターの弾丸を、見せる。それだけが、全部」

 

 

 残った意志はそれ一つ。あの大天魔を、己が討つのだ。

 ランスターの弾丸にはそれが出来るのだと、示すのだ。

 

 その為だけに、己の命は存在しているのであろう。

 

 

「だから、もっと強くならなきゃ」

 

 

 天才に負けてなんかいられない。努力を怠っている暇はない。

 それしかないのだから、その為に今すぐにでも鍛錬に向かうべきなのだ。

 

 一分一秒とて、凡人に過ぎない自分は無駄に出来ないのだから。

 

 

「なのに」

 

 

 けれど、動けなかった。

 どうしても、一歩が踏み出せなかった。

 

 試験の後の出来事で突き付けられた現実に、試験の前に届いた手紙の送り主の名に、絶えず休まず追い詰められていた心が悲鳴を上げているのだ。

 

 幼い頃の自分が泣いている。

 そんな姿を幻視して、ティアナは深く溜息を吐いた。

 

 

 

 ベッドの脇に置かれた手紙を手に取る。

 封を切っていないその手紙の送り主は、彼女の今の保護者である人物。

 

 結局、迎えには来てくれなかった“あの人”だ。

 

 

「どうして、迎えに来てくれないの? クロノお兄ちゃん」

 

 

 英雄クロノの事は知っている。

 世間で言われている程度には、彼の現状は理解している。

 

 動けない。迎えに来れない。

 その理由が分かっていても、それでも幼き思いは涙を零してしまうのだ。

 

 

 

 手紙の封が開けられる事は無い。

 その中身を見るだけの強さを、ティアナは持てないでいた。

 

 

 

 

 

3.

「ふう。やっと終わった」

 

 

 グラウンドを整備する為に使っていたローラーから手を離す。

 自分が荒らした訓練場を元通りに出来た事に安堵の溜息を吐いて、整備道具を元の場所へと戻した。

 

 今日は日が暮れる前に終わった、と何処か満足げにトーマは笑っていた。

 

 

 

 あの後、口々に文句を言う友人達を何とか宥めた。

 彼らの文句を吐き出させると、次にティアナにあったならば、先の暴言を詫びるようにと約束させる。

 

 同時に彼女を友人として受け入れられるようにと取り成して、ランスターが態度を変えるならば受け入れても良いとまで譲歩を引き出した。

 

 友人達との付き合いを終えてから、こうして日課を行っていたのだった。

 

 

「先生。対人関係って、難しいです」

 

 

 それに掛かった労力に、疲労混じりの溜息を吐きながらトーマ・ナカジマは口にする。自己鍛錬以上に、人と関わる事は難しいと感じていた。

 

 彼は本来排他的な人間だ。コミュ障と言い換えても良い。

 狭い世界で満足し、それを変えたいとは思えない。何時までも同じ事を繰り返したくて、変わってしまう事をするのは億劫になる。

 

 生来より身内以外には然したる興味が持てず、正直見知らぬ人間など今でもどうでも良いと感じてしまう。

 

 それでも意図して交友関係を広げようとしているのは、師である人物の影響であった。

 

 

「先生曰く、人は一人で出来ない事が意外と多い。どんなに強くなっても、それは変わらない」

 

 

 鉄拳制裁込みでの教育で、魂の芯にまで刻まれている排他性を取り除いた彼の先生は、そんな風にトーマに語った。

 

 

「けど、一人で出来ない事も、二人なら出来る。二人で出来なければ、三人で。そうして人の世界は広がっていく」

 

 

 広い世界を持ってる奴は凄い。強いんじゃなくて、凄いんだ。

 

 そんな風に、彼の先生は語っていた。

 

 誰だって人は自分に出来ない何かを持っている。

 同じ事を得意とする相手でも、二人でやれば効率は単純に二倍になる。

 

 そんな風に、彼の先生は教えてくれたのだ。

 

 故に対等の立場で向き合い、語り合って手を取り合えば、世界は無限に広がっていく。

 広がった世界は、狭い世界とは違った色を見せてくれるのだ。

 

 

「ですよね。先生」

 

 

 師にそう教えられて、実際に体験する事で、トーマは絆の素晴らしさを知っている。

 

 それが絶対に正しいと、盲信にも近い領域で確信している。

 誰かと共に前を目指す事の大切さを確かに実感しているのだ。

 

 

 

 だからこそ、トーマ・ナカジマはティアナ・L・ハラオウンを無視出来ない。

 

 絆なんて無駄だ。自分一人で進んでいける。他人が無駄に関わって来るな。

 そんな姿を見る度に、薄れた記憶にある誰かの姿を思い出してしまい腹が立つ。

 

 何故だか分からないが、全てを己で解決しようとする姿に、自己嫌悪に似た感情を抱いてしまうのだ。

 

 

「先生曰く、人を印象だけで否定しちゃいけない。向き合って、理解して、否定するのはその後なんだ」

 

 

 だからこそ、トーマはティアナに関わろうとする。ムカつく奴であっても、知らない内は嫌いたくなかった。

 

 何度無下にされようと、顔を見る度に嫌な表情をされようと、彼女を理解せずに否定はしたくなかったから、深く関わろうとしているのだ。

 

 

「けど、アレ、すっごい難物です」

 

 

 会話の切っ掛けもなく、話しを聞いてくれる土壌もない。

 小心者で臆病者でもある少年は、どうしたら良いのか分からずにグラウンドに寝転んだ。

 

 

 

 トーマは臆病者だ。その身に潜むトラウマが、誰かが傷付くのも、誰かを傷付ける事も許容させない。先生を真似して自分を“僕”と呼び、その背を追い掛けているだけの子供だ。

 そんな子供は争い事など嫌いだし、管理局に入る事だって望んではいない。けれど、そうしなくてはいけない理由が彼にはあったのだ。

 

 青褪めた顔色で、赤く染まりながらも笑みを浮かべていた母の姿を思い出す。

 気にするなと笑って、破壊衝動に突き動かされた己を止めてくれた人達の事を思い出す。

 

 それこそが、トーマにとって忘れられないトラウマ。忘れてはいけない光景だった。

 

 

 

 トーマとしての自己が形成されると同時に、あの浜辺を夢に見る時間は減っていった。

 彼との同調が外れていく度に過去の記憶は薄れて消えて、今では虫食い状態だ。

 

 知っていた筈の事が分からなくなり、知らない光景を幻視する事も減って来た。

 

 トーマは人として生きるこの四年と言う時間の中で、神格としての力を失っていき、人としての個我を確立した。

 

 父母に育てられる中でその在り様は変化して、まるでその対価の如く病が牙を剥くようになった。

 彼の記憶によって進行が抑えられていた病は、その力を失くした事で強く影響を与えるようになっていったのだ。

 

 エクリプスウィルス。それは世界を殺せる毒。

 

 自己対消と言う死から逃れる為に、発症者は他者に対して強い殺意を抱くようになる。

 誰かを殺し続けなければ、肥大した殺戮衝動が己を発狂させて、何れ必ず死に至る。

 

 その病が原因となって、トーマは父母を傷付けた。その病に抗う為に、師に弟子入りして己を鍛えようとしたのだ。

 

 

――無理に抗おうとしてはいけないよ。トーマ。抑え付ければ、反発はより強くなる。適度な感情の発散と、精神を鍛える事が重要になるんだ。

 

 

 先生の教えを受けるようになって、暴走の頻度は減った。

 そうなる前に、溜め込んだ物を吐き出す事が日課になった。

 

 師の友人であるらしいちょっとおかしな科学者に薬を調合してもらって服用して以来、こうして数日に一度無差別な破壊を振り撒いていれば、それで如何にか病の症状を抑える事は出来るようになっていたのだ。

 

 トーマの訓練は誰にも見られない時間に行われる。

 その殺意に誰かを巻き込む訳にはいかないからこそ、誰もいなくなってからこうして自己を鍛えるのだ。

 

 だからこそ、訓練場から人気のなくなる事を待つ彼は、何時も時間ぎりぎりまでグラウンドを使用しているティアナの努力を誰よりも知っている。

 だからこそ、誰よりも頑張っているアイツが絆を否定する姿が、他の誰の言葉より無視出来なかった。

 

 その努力は間違っていると、声を大にして伝えたかった。誰かと共に在れる事は、とても素晴らしいのだと分からせたかった。

 

 

 

 自分は皆に支えられて生きている。

 父母に愛され、師に恵まれている自覚がある。

 

 こんな自分を愛してくれた人達の為にも、トーマは我が道を行く。

 父と同じく管理局員となる事で薬の支給も安定し、戦い守る事で恩返しにもなるのだから、この道以外を選ぶ理由などは何一つとしてない。

 

 この道に躊躇いも後悔もありはしない。

 それが素晴らしいと知っているから、お前にも僕の至高を押し付けてやる。

 

 

「否定なんかさせない。嫌だって言っても分からせてやる」

 

 

 そう決めた。だから相手がどれ程に嫌がろうとも、知らずに拒絶などはさせてやらないのだ。

 

 

「先生曰く、馬鹿の考え休むに似たり、考える事が苦手なら、考える前にまず動け!」

 

 

 君は熟考が苦手だよね。そう苦笑されながら言われた言葉を、語意そのままに受け取って少年は行動を始める。

 考えても無駄ならまず動く。そして動いてから、その是非を考えれば良いのだ。

 

 

 

 そうして走り出した少年は、自室に戻る途中で一枚の張り紙を見つける。

 その内容を流し読んで、さらに深く熟読して、その顔に師譲りの悪童の如き笑みを浮かべた。

 

 

(やっぱり、先生の言う事は正しい。動けば、何か変化があるんだ!)

 

 

 やる事は決まった。それをする事で、嫌悪の情が更に膨れ上がる可能性はある。

 けれどどうせゼロがマイナスになる程度の変化だ。その程度で、トーマは足を止めたりはしない。

 

 

「先生曰く、変わる事を恐れちゃいけない! 不変の永遠よりも、変化の為の一歩の方がずっと素晴らしいんだって、そう信じてる!」

 

 

 同じ永遠が続くよりも、皆で良い方向に向かって行く変化こそが好ましい。

 そんな教えを受けたからこそ、変わる事への恐怖や怯えを押し殺して、トーマ・ナカジマは笑うのだ。

 

 

「そのしかめっ面、僕が満面の笑みに変えてやるから覚悟しとけ! ティアナ・L・ハラオウン!!」

 

 

 それは宣戦布告だ。それは勝利宣言だ。

 この素晴らしさを知ればきっとそうなると思うからこそ、自信を持ってトーマは口にする。

 

 必ず笑顔に変えてやるのだと、少年は悪戯小僧の如く声を張り上げるのであった。

 

 

 

 

 

4.

 目を擦る。現実は変わらない。

 目を瞑り、開く。記された文字は変わらない。

 

 頬を抓って現実から逃避する。だがその現実は、無情にも逃避を許してはくれなかった。

 

 

「ティア!」

 

 

 突然馴れ馴れしくなった奴が、満面の笑みをこちらに手を振っている。

 許してもいない愛称で、いけ好かない少年が己を呼んでいた。

 

 この第四陸士訓練校には、半期に一回の課外授業がある。

 二名ごとにペアを組んで、現役の部隊に研修に向かうと言う企画だ。

 

 ペアは予め希望していれば、その通りになる。

 希望がなかったり、重複してしまえば選考の末に教官達が選定する事となっている。

 

 正直、ティアナは自分が数合わせに過ぎないと自覚していた。己と組みたがる者などいないだろうと思っていた。

 だから希望なんて出さなかったし、相方が決まるこの日まで課外授業の事など考えても居なかった。

 

 数日前に仮の発表があったが、そんな物を確認する暇があれば、その分だけの時間を自分磨きに当てたかったのだ。だから一度たりとも確認をしなかった。それが失敗だった。

 

 

 

 実習一週間前の今日になって、正式な派遣先が発表される。

 流石にそれを確認しない訳にはいかず、そうして見に来れば己と組む事を希望した糞野郎が一名居たと言う訳だ。

 

 仮発表中なら兎も角、今となってはもう相手を変えてもらう事は出来ない。

 課外授業を休めば成績に響く上、下手をすれば留年に繋がる以上は、そんな選択も出来はしなかった。

 

 

「よろしくなっ! 相棒!!」

 

「…………」

 

 

 勝利の笑みを浮かべているトーマに肩を叩かれて、ティアナは苦虫を数百匹は噛み潰したような表情で固まるのであった。

 

 

 

 

 

 

 




ティアナの親族は捏造。
原作で明らかになってるのは、両親が幼い頃に死んで、訓練校入学前にティーダを亡くしたという事だけ。

ティーダ死亡が原作だと新暦69年頃(本作内では65年)なので、ティアナの訓練校入学まで三年以上空白期間がある。

その間、十歳のティアナが一人で暮らせたとは思えないので、遠縁の親戚(微屑)が生えました。

原作では保護者の同意を求める際だけの関係で、かなり薄い付き合いしてたんじゃないかな、という勝手な妄想をしています。


トーマ君は、うん、まぁ、原型留めてないね。
実際、練炭汚染されている彼がクイントさんに育てられて、原型留めるとは思えなかったんだ(小並感)

偶にトーマ君成分が見え隠れする、TSスバルのロートス風味。
リリィと会って因子が覚醒させられる前の彼は、そんな感じのキャラとなるでしょう。




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訓練校の少年少女編第二話 交わらぬ意志

幸福な子供と不幸な子供。
その道が交わる事はあっても、その想いが重なることは無い。




1.

 右の瞳が疼く。目の奥にある神経が腐っていく感触。

 嘗て受けた腐毒の被害が再び鎌首を上げているかの如き不快感が湧き出して来て、思わず瞳を抉り出してしまいたくなる。

 

 ありはしない幻肢痛。錯覚だと分かっていても、拭い去れない不快な感触。既に治癒された筈の傷が疼いていた。

 

 あの日から、何か苛立つ事が起こったり、疲労が溜まったりすると感じるようになった疼きに、ティアナは苦虫を噛み潰すように表情を歪めた。

 

 こうなると右の視界も潰れてしまう。身体的な異常はない筈なのに見えなくなった片方の目を眼帯で隠すと、ティアナは溜息を吐いた。

 

 

「あー。その。ティア?」

 

「…………」

 

 

 先程から語り掛けて来るいけ好かない男。

 この不調の元凶である苛立ちの対象を、ティアナは無言で睨み付ける。

 

 その鋭い視線に息を飲んで、それでもめげない少年は言葉を口にした。

 

 

「あのさ、これから陸士部隊の隊舎で研修だろ? どんな事するんだろうな」

 

「…………」

 

「……先輩達の話だと、単純な事務仕事とか、部署の担当地区巡回とか、稀に事件の現場に行く事もあるとか、担当官の所属次第で変わるらしいんだけど」

 

「…………」

 

「…………えーっと、現場の担当官の人、良い人だと良いよね」

 

「少し黙れ」

 

「うっ」

 

 

 何とか会話を続けようとするトーマだが、敵意を多分に含んだティアナの言葉に怯む。

 言葉が途切れたのを良い事に、ティアナは耳栓をして拒絶の意思を示すと顔を背けた。

 

 陸士学校が保有するバスの中、隣合わせの席に腰を掛ける少年少女達の距離は近くて遠い。

 

 

(不味い。話しが繋がらない。雑談どころか研修内容の相談すら出来ない!?)

 

 

 ティアナはこれで真面目な人物だ。その性格上、事務的な内容ならば会話も出来るが故に、そこから切り崩していく予定であった。

 

 行動を共にすれば切っ掛けは増える。

 自然と交わさなければいけない会話も増えていく。

 

 そこから雑談を交えて理解を深めていけば良い。そんな風に安易に考えていたのだ。

 

 どうやら見込みが甘かったようだとトーマは自省する。

 相手の敵意は嫌悪や憎悪の域にまで達しているらしく、全身で話し掛けるなと主張する少女にトーマの言葉を受け入れる余地はない。

 

 

(いっそ行き成り雑談から入る? 駄目だ。誰にでも受け入れられそうな鉄板ネタなんて、最近次元世界お笑いグランプリ三冠を達成したシュピ虫さんのネタくらいしかないぞ!? 明らかに不機嫌なティアに話す内容じゃないっ!)

 

 

 と言うより、それで反応されても嫌だ。

 そんな風に考えつつも、めげない少年はどうした物かと思考を巡らせる。

 

 だが特別頭が良い訳でもない少年だ。

 思考は堂々巡りを続けて、あっさりと行き詰まりを迎えていた。

 

 

(ど、どうする。どうすれば良い? 助けて下さい、先生!)

 

 

 自分一人で出来ない時は、素直に誰かを頼る事。

 そんな言葉を教えてくれた先生へと、望みを託す。

 

 無論手元に通信機がある訳でなければ、リンカーコアを持たない彼の先生が念話を使える訳でもない。

 必然、彼の脳裏に浮かぶのは、彼がイメージする先生の姿と言葉であった。

 

 

――諦めたら? 試合終了だよ。

 

(せ、せんせーいっ!?)

 

 

 想像の産物である金髪の青年は、朗らかな笑みを浮かべながらそんな事を宣う。

 

 悟りの境地に至ったような表情で語られるのは、諦めようと言う言葉。そんな慈愛と諦観が混ざった表情を浮かべる師の影に、トーマは内心で叫び声を上げていた。

 

 

「はぁ」

 

 

 黙り込んだまま一人で百面相を晒しているトーマの横で、ティアナは溜息を零す。顔色がコロコロと変わる少年は、視界に映るだけで目障りであった。

 

 こんな事なら、眼帯ではなくアイマスクでも持ってくるべきだった。そう心中で吐露しながら、少女はその瞳を閉じる。

 

 訓練校から目的地までの距離はそう長くはない。半刻とは掛からぬ距離だ。交通量の少ない平日の昼間ならば、それよりも早くに到着するであろう。

 

 傍らの目障りな少年との煩わしい遣り取りもそれまでだ。

 実際の研修中に話す余裕などはそうないであろうし、次からはしっかりと組み合わせを事前チェックすると心に決めているのだから。

 

 

 

 

 

 そうして暫くの後、バスは静かにブレーキを掛けて停車する。

 

 クラス毎に分けられたバスが到着した場所は、陸上警備隊の隊舎の一つ。108以上ある部隊の一ヶ所が、彼らが学ぶべき研修の場であった。

 

 

「到着だ。皆、整理番号は覚えているな。その番号の札を掲げている局員の下へ行くように。彼らがお前達の担当官になるのだから、失礼な真似はするなよ」

 

 

 バスの先頭座席に腰を掛けていた教官が立ち上がって口にする。

 その言葉に陸士見習い達は揃って声を返し、散り散りにバスを下車して行った。

 

 

「あー、それじゃ、行こうか?」

 

 

 通路側の座席に座っていたトーマが立ち上がり声を掛ける。

 

 馬鹿の考え、休むに似たり。そう割り切って堂々巡りの思考を止めた少年は、馬鹿の一つ覚えの如くに続けるのだ。どうせ自分には真っ向から向き合うしか能がないのだから。

 

 手を差し伸べて、一緒に行こうと口にする以外に、トーマ・ナカジマにとって友好を示す術はないのだ。

 

 

「退いて、邪魔」

 

 

 だがトーマが一つ覚えの馬鹿ならば、ティアナはへそ曲がりな頑固者だ。

 気に入らない少年の差し出した手。そんな物をティアナが握る筈もないのだ。

 

 パンと甲高い音がして、差し出された手が叩かれる。

 茫然とするトーマの身体を両手で無理矢理に押し退けると、ティアナは一人で先に進んだ。

 

 

 

 ノロノロと動きの遅い者らを押し退けながらバスを降りる。慌てて追いかけて来る少年の存在を意図的に無視しながら、記憶した番号を探そうと周囲を見回す。

 

 その番号を持つ担当官は、探すまでもなくあっさりと見つかった。

 

 

「初めまして、えーっと君が、ティアナ・L・ハラオウン陸士候補生かな?」

 

 

 一人先行したティアナの下へ、紫の髪をした女性が近付いて来る。誰もが感嘆の声を漏らしながら、その人物を見詰めていた。

 

 紫の女性は、多くの人々に囲まれながらも一際目を惹く程に見目麗しい。

 特別何かをしている訳でもないと言うのに、何処か退廃的な美を晒している。

 

 それは少女にも分かる程の魔性。隠し切れない程に香るは、生き血を吸った薔薇の如き香り。探す必要がない程に明らかな存在感。

 

 生まれからして違う。人外のナニカ。

 そう思わせる程に人間離れした妖艶さを持つ女性は、その異質な気配とは正反対な笑みを浮かべていた。

 

 

「げっ」

 

 

 慌ててティアナを追い掛けて来たトーマが、表情を変えて立ち止まる。

 誰にでも向き合う姿を見せる少年が、その女性を見るや否や、思わずと言った形で言葉を漏らしていた。

 

 

「その反応は、お姉さん傷付くな、トーマ君」

 

「す、すす、すみませんっ!」

 

 

 顔が青ざめ、体が硬直して震える少年の姿。

 怯えて縮こまる少年に、怖がらせないように優しく微笑んで、親しげに話しかける女性の姿。

 そんな両者の反応に、ティアナはトーマに向かって誰何の視線を投げ掛けた。

 

 

「……知り合い?」

 

 

 会話などしたくもないが、嫌悪より興味が打ち勝った。

 仕方なしに、ぶっきらぼうに少年へと少女は問い掛ける。

 

 答えずとも構わない。そんな程度の軽い問い掛け。それに対し、トーマは無言で頷いてから、師が語った言葉を小声で呟いた。

 

 

「……先生曰く、彼女程に恐ろしい女性はこの世にいない」

 

 

 死んだ魚の様に濁った瞳でそう語った師の姿。何をされたのかを決して語らなかったあの先生が、この女性にだけは逆らってはいけないと口にしていた。

 

 遠い目をして、ラッキーなスケベってなんだろうね。そう呟いていた姿が印象的であった在りし日の師匠。

 幼い少年にとって偉大である師が怯える女性の姿は、恐ろしいナニカとして記憶されていた訳である。

 

 そんな説明を耳打ちするかの如き小声で口にするトーマ。

 その漏らすような声が聞こえていないのか、女性は他者を安堵させる柔らかな笑みを深くして口にする。

 

 

「全く、あの淫獣は教え子に何を教えているんだか。……なのはちゃんの為に種なしにはしなかったけど、失敗だったかしら?」

 

「ひぅっ!?」

 

 

 美女の地獄耳は、小声の言葉さえ聞き取っていたらしい。

 健全な笑みを表情に浮かべながら、恐ろしい言葉を口にする女性。その姿に少年は、恐怖の悲鳴を零す。

 

 

「大丈夫だよ、君には何もしないから」

 

「せ、先生、ごめんなさい! 何か酷い事になりそうです!?」

 

 

 怯える少年に慈母の如き表情で語る女性の言葉は、少年を更に恐怖の底へと陥れる。

 

 トーマの脳裏に浮かぶは、朗らかに笑う先生が空の星となる姿。

 自分の失言が原因で酷い目に遭う事が確定した師の無事を、少年は心の底から祈っていた。

 

 

「……再会を喜ぶのは良いですが、まずは担当官としての仕事をして貰えますか」

 

 

 親しげに会話する彼らの姿。身内同士の対話に、自分にはない物を感じ取って、湧き上がる感情を殺せない。

 

 自分で聞いておきながら、候補生と言う立場にありながら、そんな風にも思うが、それ以上に苛立ちを抱いている。

 そんなティアナは目の奥の疼きを感じながら、慇懃無礼な言葉使いで先を促した。

 

 

「うん。そうだね。まずは、自己紹介からかな?」

 

 

 そんな複雑な情を秘める少女の言葉に怒りを抱く事もなく、女性は温かな瞳で見詰める。

 向こう見ずな少女の姿に、友人の一人の影を重ねて、柔らかく微笑んでいた。

 

 その笑みは正の物。その言動と行動も異質さなどありはしない。

 だが、だと言うのにその一挙一動が何処か妖艶に受け取られる。隠し切れない程に背徳的な美と退廃的な魔性を覗かせている。

 

 

「陸上警備隊108部隊所属の医務官兼捜査官。月村すずか陸曹です。今日は一日宜しくね。二人とも」

 

 

 隠し切れない程に肥大化した魔性。内に秘めた血染花との同調により、膨れ上がった魔性を妖艶な美へと変えている女は、その魔性を振り払う程に涼やかな声音で己の名を告げたのだった。

 

 

 

 

 

2.

「医務官と捜査官を兼任する事ってあるんですね」

 

「まあ、医療魔法に適正のある魔導師は数が少ないからね。割と強制に近い感じで、資格取得しないといけないんだ。その結果だから、あくまでも医療知識がある捜査官って感じかな?」

 

 

 人気のない医務室の中。暫く同じ時を過ごして、多少は恐怖も薄れたトーマがすずかと会話を交わしている。

 梱包された大量の医療品を取り出し棚に並べているトーマの問い掛けに、すずかはそんな風に言葉を返した。

 

 

「へー。……その割には、他の医務官の人居ませんけど」

 

 

 強制の割には人が少ない。陸上警備隊の隊舎内にある医務室の中に居るのは彼ら三人のみで、他には誰もいなかった。

 

 

「言ったでしょ、医療魔法の適正持ちは少ないって。陸上警備隊の部隊数は400近くあるからね。一つの部隊に一人でも医務官が配属されていれば恵まれている方なんだよ」

 

 

 そんな二人の会話を耳にしながら、ティアナは黙々と書類の整理を進める。

 彼女達訓練生に出来るのは書類の仕分け程度だ。処理済みかどうかを判断し、また内容に応じて別の籠に入れていく単純作業である。

 

 

「治療魔導師が少ないから、こんなに薬品が多いんですか?」

 

「うーん。そういう面もなくはないかな? 後はそうだね。緊急時に魔力切れって事になったら大変だからって所もあるかな」

 

 

 当然、部外者が触れる事の出来る程度の重要度しかない書類。

 そんな書類の仕分けを幾らしたとて、役に立っていると言う実感は湧かない。

 

 

(私は、こんな事をする為に陸士を目指しているんじゃない)

 

 

 ティアナは悔しげに歯噛みする。パートナーが最低なら、担当官も最悪だった。

 他の担当官の下に行った劣等達が、担当地域の巡回に走り回っている中、こうして自分達は部屋で書類仕事だ。外れと言うより他にない。

 

 医療魔法への適正は然程低くはないが、医務官になる気など欠片もない。

 こんな場所で教わる内容など全て無意味だ。そうティアナは内心で嘆いていた。

 

 

「陸士は唯でさえ負傷率の高い仕事だからね。いざと言う時に動けるように、軽度の物なら魔法を使わないようにしているんだよ」

 

 

 子供達の作業を指差し確認しながら微笑む女性が口にするのは、先を生きる子供達への助言である。

 

 

「……魔法は便利だけど、頼り過ぎちゃいけないんだよ。二人共覚えておくように、ね」

 

「先生もそんな事言ってたなぁ」

 

 

 何処か諭すように口にするすずかに、熱心に頷くトーマ。

 そんな二人を後目に、早くこんな無駄な時間が終わるように、とティアナは手の動きを速めた。

 

 

「……けど御免ね。二人共。本当は捜査官としての仕事も経験させたかったんだけど」

 

 

 捜査官としての仕事。そちらの方を学びたかったティアナは、思わずと言った風に口を開いていた。

 

 

「……出来ない理由でもあるんですか?」

 

 

 そんな彼女の問い掛けに頷いて、すずかは軽く説明をする。

 己の都合で彼らから学ぶ機会を奪っているのだから、その理由を語るのは当然である。そう考えるすずかは、だからこそ、出来る限り誠実な対応をするのだ。

 

 

「今、追っている事件がちょっと大きな山でね。流石に訓練生を巻き込めないんだ」

 

「追っている事件、ですか?」

 

「うん。無限蛇って知ってる?」

 

 

 無限蛇。その呼び名に心当たりがあるのか、トーマは首を捻って考え込む。

 

 

「えーっと、訓練校の授業で教えて貰ったような」

 

「……アンリヒカイト・ヴィーパァ」

 

 

 思い出せずに悩むトーマを見下すように、ティアナが語る。

 近代犯罪学の初期に学ぶ内容すら覚えていないのか、と嘲笑うかのように口にする。

 

 

「次元世界最大級の犯罪者組織よ。ミッドチルダ以外の管理世界で主に動いているSSS級の広域次元犯罪者も名を連ねている犯罪組織で、管理局でも迂闊に手を出せない規模があると言われているわ」

 

「あ、そっか! そう言えば教科書に出てたっけ。ティア、ありがと!」

 

「…………」

 

 

 そんな嘲笑いを込めた解説に素直に返され、ティアナは鼻白む。

 悪意に感謝を返されるなど経験した事のない対応であり、どう返した物かと目を白黒とさせた。

 

 そんな二人の様子にくすりと微笑んで、すずかはティアナの説明に付け加える。教科書にも記されていない現場の知識を、彼らへと伝えるのであった。

 

 

「うん。大体合ってるかな。付け加えるなら、設立から十年経っていないであろう若い組織と目される事。それから組織と言うよりは互助会に近い構造をしているらしい事だね」

 

 

 名を知られるようになったのが数年程前。それまで影も形もなかった事から、無限蛇は比較的若い組織だと考えられている。

 管理局が情報を得る事も出来ない組織などまずあり得ない、それが一般的な考えであった。

 

 また、無限蛇を名乗っていた犯罪者達より得た情報から、その集団が組織だった物ではなく互助会に近い性質を持っている事も分かっている。

 

 どうやって特定しているのか、犯罪を犯した者の下に届く電子アドレス。

 それに繋ぐと掲示板のようなサイトが表示され、そこで情報交換や協力要請が行われるのだ。

 

 各地の警備情報やら、ロストロギアの保管情報やら、或いは個人情報の様な物まで情報の売り買いがされている。

 また、こんな犯罪がしたいと書き込むと、それに対して協力をしようとする者が名乗り出るような仕組みになっている。

 

 そのサイトこそが、無限蛇の実態と言えるのだろう。

 実物を抑えようと管理局も動いているが、局員がサイトに繋ごうとするとエラーが出る。

 そのアドレスを辿ろうにも、まるで先回りされているかのようにアドレスが変更されている。

 

 毎度毎度、何等かの形で妨害される。まるでこちらの情報が筒抜けになっているかのように、寸での所で追い付けずにいるのだった。

 

 無論、無限蛇は唯のネットのサイトと言う訳ではない。

 組織と言う体を取っている様に、実際に構成員も存在していた。

 

 正式なメンバーは盟主と幹部を含めてもごく少数。大抵の者は無限蛇と言うサイト利用者が、勝手に構成員を名乗っている訳でしかない。

 だが確かに、正式な構成員は存在している。それを度重なる追撃戦にて、管理局は確かに確認していた。

 

 盟主。

 這う蟲の王。

 人形兵団。

 傀儡師。

 中傷者。

 傲慢なるモノ。

 

 そして、罪悪の王。

 

 無限蛇のメンバーであると噂される彼らの名はネット内部にて知れ渡っている。

 だが、実際に確認された者は少ない。その多くが謎に包まれていて、素性まで明らかになっているのは、表立って行動する這う蟲の王と人形兵団、そして罪悪の王のみだ。

 

 

「トーマ君は、筆記ももっと勉強しないと、ね」

 

 

 すずかはその素性までは話そうとはしない。

 何れ知る事と分かっていても、今は早いと考えている。

 

 罪悪の王。魔刃エリオ・モンディアル。

 

 彼の仇敵が無限蛇に所属している事を知った時、まだ若いトーマがどう反応するか分からないからこそ、すずかは其処までを語る事はなかった。

 

 

「とにかく、その無限蛇が流通させている違法な麻薬。それがミッドチルダでも発見されたの」

 

 

 その発見の報告と共に、陸上警備隊の仕事量は大幅に増えた。

 巡回に向かった者らも、危険地帯には近寄らず、そう時間を掛けずに戻って来る予定である。

 

 人手が足りない。訓練校の研修すら中止するべきではないかという意見も出た程に、陸上警備隊も切羽詰まっている。

 

 

「エリキシル。依存性の強い麻薬でね。流通ルートとか、感染範囲とかを調べてる途中に、ミッドチルダ郊外で人形兵団と這う蟲の王の姿も確認されてるんだ。……間違いなく、アイツらはミッドチルダで何かしでかす」

 

 

 それでも、人材育成の大切さを知るが故に、彼らは研修を中止にはしなかった。

 現場には向かわない者達や、捜査には不向きな者を担当官にする事で、如何にか体裁だけは整えたのだ。

 

 本来なら、月村すずかが担当官になる予定ではなかった。

 捜査官としても、戦力としても優秀なすずかを前線から外すのは悪手だからだ。

 

 特に脅威となる存在が確認されている以上、そんな行動は本来ならばする筈がない。

 だが、彼女がそれを選択したのは、身内と言う程度には親しいある権力者が強権を振るったからだった。

 

 その権力者の義理の妹を見る。兄らしい事など出来ないと諦めている彼が、せめて危険から遠ざけようと信頼に足る者を担当に付けたなどと、彼女が知ることは無いだろう。

 

 

「だから、悪いけど今の状況下じゃ、捜査への同行は許せないかな。医務官の仕事だけじゃ不満だとは思うけど我慢してね」

 

 

 不器用な男の妹の為にも、弟分の様に思っている少年の為にも、月村すずかに彼らを連れて危険地帯へ向かうと言う選択肢はない。

 本日の研修は、こうして医療事務としての仕事だけで終わりを迎えるであろう。

 

 

(……こんなチャンスが近くにあるのに)

 

 

 義兄と、女性の思いやり。だがティアナにその思いは届かない。

 力を求める彼女にとって、危険な状況は寧ろ望む所だ。故に納得できないし、だからこそ如何にか譲歩を出させようと口を開く。

 だが、彼女が何かを口にする前に、トーマが己の意志を示した。

 

 

「……僕は満足してますよ」

 

 

 口を開こうとしたティアナの身体が、トーマの言葉で硬直する。

 彼が口にする綺麗事を耳にして、少女の思考は停止していた。

 

 

「捜査官としての仕事についていけないのは残念ですけど、この物資や書類の仕分けも、誰かの傷を治す役に立つんですよね。前線で今も頑張っている人の為に、僕らにも出来る事があるんだ」

 

 

 それは少女にとって理解の外にある言葉。

 少年が持つ輝き。絶望を知らない彼の口にするは、何処までも澄んだ綺麗事。

 

 

「そう思うと、何だかやる気が出て来るんです。誰かの為になるのって、素晴らしい事だと思います」

 

 

 何を言っているんだ、こいつは。

 愕然とした表情で見詰める少女の前で、少年は臆面もなく綺麗事を口にする。夢物語にも似た理想論を口にする。

 

 

「先生曰く、人と人は繋がっている。一見何の関係もない事でも、誰かの為になっている」

 

 

 それは彼が教えられて、そして体験した中で刻んだ記憶。彼が生きて来た、美しい世界の姿。

 

 

「単純な作業でも、その影響で効率が上がれば、その分だけ助かる人も増えていく。そうして助かった人達が、また別の何かをして誰かの助けになっていく」

 

 

 誰も彼もが優しくしてくれる環境で育った。

 そんな彼にとって世界とは、何処までも美しい。

 

 

「幸福は連鎖する。助け合い、助け合って前に行ける。僕が幸せになって、君が幸せになって、そうして皆幸せになる。これ程素晴らしい事はない」

 

(違う)

 

 

 トーマの言葉に、ティアナは強い反発を覚える。

 彼の言は、助け合いさえすれば誰もが幸福になれるというかのような言葉だ。

 支え合って生きれば、皆が品行方正に生きていけば綺麗な世界が広がっていくと言う考えだ。

 

 そんなのは嘘だ。そんな世界など、あり得て良い訳がない。

 もしもそれが世界の姿だと言うのならば、何故、己はこんなにも辛いのだ。

 

 泥のように暗い感情が蓄積する。

 幸福な世界だけを生きてきた少年の輝きに、己の醜さを自覚しながらも嫉妬せずにはいられなかった。

 

 

「……なら、書類仕事もやろうか、トーマ君?」

 

 

 少年の眩しさに目を細める。その真っ直ぐな姿に、あの淫獣も存外に良い教師をしているらしいと、すずかは微笑みを浮かべながら、決して書類には手を伸ばさない少年に提案した。

 

 

「……先生曰く、適材適所。……小難しい文字を読むと眠くなるから、きっと僕に書類仕事は向いてないんです」

 

「向いてないからって、やらなきゃ成長しないでしょ? 眠る度に体罰だから、しっかり頑張ろうね」

 

 

 ニコニコと口を開くすずかから、トーマは無言で書類を受け取る。

 

 

「……やらないと駄目ですか?」

 

「うん。駄目」

 

 

 解釈の違いによる違法行為を極力失くす為に作られた公文書は、無駄に難解な言い回しをしていて見るだけで嫌気がしてきた。

 

 

 

 

 

 書類を見て嫌そうな顔をするトーマと、どんな罰を与えようかと今から楽しみにしているすずか。

 

 そんな二人の姿を後目に、ティアナは無言で立ち上がる。

 握られた拳は、酷く痛む。目の奥が耐え難い程に疼いて、今すぐにでも瞳を抉り出してしまいたくなった。

 

 

「ティアナちゃん?」

 

「……すみません。眠気が酷いので、顔を洗ってきます」

 

 

 荒れ狂う感情を何とか自省して、そうすずかに伝えたティアナは席を外す。

 表情を見せぬように俯いて、掻き毟りたくなる程の疼きに耐えて、ティアナは逃げ出す様に両者の姿に背を向ける。

 

 医務室の扉から外へ歩き去って行く少女の背を、残された二人は心配そうに見詰めていた。

 

 

 

 

 

3.

 秋の風が吹く中、隊舎の外にある椅子にティアナは腰掛ける。

 残暑の熱を孕んで温かい筈の秋風は、水道水で顔を洗った直後の所為か何だか冷たく感じられた。

 

 医務室には戻らない。授業態度の良い生徒で通っている自分らしくもないが、あの部屋に戻ると何をしでかすか分からない。だからこそ、こうして外で頭を冷やしている。

 

 何だか、どうしようもない程に目が疼いていた。

 

 

「ティア」

 

 

 暫し風に吹かれていたティアナの下へ、トーマ・ナカジマがやって来る。

 探して来いとでも言われたのであろう。隊舎内を駆け回った少年は、僅かに息を切らせていた。

 

 

「……今、戻るわよ」

 

 

 そんな少年の姿を極力視界に入れないように立ち上がる。

 そうしてその脇を擦り抜けて、医務室へと戻ろうと足を運んで。

 

 

「……何よ」

 

 

 その肩を掴まれた。

 

 

「好い加減、腹を割って話さないか、ティア?」

 

 

 ティアナの肩を掴んだトーマは、そんな言葉を口にする。

 そんな彼の手を跳ね除けると、ティアナは暗い瞳で少年を睨んだ。

 

 

「……色々言いたい事はあるんだろうさ。僕だって、色々思う所がある」

 

 

 トーマはその瞳に気圧されずに口にする。ティアナの態度に、彼女の行動に、少年は怒りを抱いていない訳ではない。思う所がない訳ではないのだ。

 

 

「すずかさんに許可を貰って来たから、時間だって山ほどって訳じゃないけど、確かにある」

 

 

 不器用な少年少女の姿に、懐かしそうな色を瞳に浮かべた紫の女性は、トーマの背を押した。

 

 ぶつかっておいで、そう大人に言われたのだ。

 ならば、ここで全てを片付けてしまうべきであろう。

 

 

「だから腹を割って話そう」

 

 

 元より策を弄するのは苦手だ。頭の巡りも良くはない。だからこそ、トーマが選ぶのは真っ向勝負。

 

 選択するのは、何時だって馬鹿げた体当たりだ。

 

 

「言いたい事、思ってる事、全部全部吐き出そう」

 

 

 面と向かい会って否定し合おう。

 己の意志を伝えて、そうして互いを理解しよう。

 

 その果てに分かり合えたのなら素晴らしく、分かり合えないのならとても悲しい。

 それでも、どんな結果に終わろうとも、不理解のまま否定し合うよりずっと良い筈だと、トーマは思うから。

 

 

「……君がそれを望まないなら、今まで通り追い掛け続ける。僕は結構粘着質だよ」

 

「っ、アンタ!」

 

 

 今逃げたらどこまでも追うぞ。

 そう口にする事で、ティアナの逃げ場を塞いでいた。

 

 

 

 そうして、向き合った二人は互いを見詰める。片や敵意と憎悪で睨み付けるように、片や相手を理解しようと澄んだ瞳で、互いだけを見詰めていた。

 

 

「僕は君が気に入らない」

 

 

 まず内心を語るのはトーマ・ナカジマだ。

 言い出しっぺの彼だからこそ、まず最初に全てを明かすべきだと考える。

 

 

「絆なんて信じない。自分だけで進んでいける。そんな姿が気に入らない」

 

 

 必死に頑張っている事は知っている。その努力の方向が間違っていると感じていて、それでは救われないと思うからこそ否定せずにはいられない。

 

 

「世界はこんなにも綺麗で、人はこんなにも温かくて、絆はイカヅチにだって壊せやしないんだ」

 

 

 それは彼にとっての真理だ。絶対に揺るがない事として、少年の心に刻まれている。

 

 

「それを知らずに、否定するなんて間違っているよ」

 

 

 その美しさを知らないままに、否定なんてさせない。

 その美しさを誰にも知って欲しいと願っているからこそ、トーマはそれを否定する者を否定する。

 

 そして否定するだけではない。

 少年は否定した後に、少女に向かって手を差し伸べるのだ。

 

 

「君に何があったのか何て、僕は知らない。この想いを否定するだけの理由があるのかもしれない。或いは、僕とは致命的に相容れないのかも知れない」

 

 

――人は人。他人は他人なんだ。人の数だけ想いがあり、人の数だけ理想はある。だから、自分の考えだけを強要してはいけないよ、トーマ。

 

 

 昔から理想を他者に押し付けようとする悪癖があったトーマに、師はそう語った。

 

 知って欲しい。感じて欲しい。そう思う気持ちは止められないけれど、その忠告があるからこそ、それだけを強要する事はしないと決めている。

 

 まずは知ってもらう事。それが一番大事だ。けれど知って貰った後でも、受け入れて貰えないなら、それは仕方がない事なのだ。

 諦めたくはないし、この輝きを知ってなお否定する者が居るなどと考えたくもない。

 

 

「けどさ、それを知る前に否定したくはない。それを知る前に否定して欲しくもない。拒絶は理解の後なんだ。嫌悪だけで、人を見ちゃいけないんだから」

 

 

 だけど、個人の意思を否定するのは、考えを否定する事とは訳が違うから、それを選んじゃいけないと知っている。

 

 だから、トーマは分かり合おうとするのだ。

 分かり合う事で、きっと綺麗な世界を共に生きられると信じている。

 

 そんな純粋な少年は、誰からも愛される輝きを放っている。

 想いの丈を語り尽くした少年は、何処までも綺麗なままだった。

 

 

「……そういう所が、気に入らないのよ! トーマ・ナカジマッ!!」

 

 

 だからこそ、少女にとって少年は受け入れがたい存在である。

 己の醜さを際立たせる彼を、恵まれない自分に対してこんなにも満たされている彼を、どうして認める事が出来るのだろうか。

 

 

「世界なんて、こんな筈じゃなかった事ばっかり! 人間なんて冷たくて! 信じた絆も約束も、あっさりなくなるものじゃない!」

 

 

 溜め込んでいた激情を吐き出す少女は、怒りに任せて思考を吐露する。

 口にして語るのは、何処までも救いがない、彼女にとっての真理である。

 

 

「助け合って生きていけば、皆幸福になれる!? バッカじゃないの!!」

 

 

 助け合って皆が幸福になれるのなら、世界から不幸は当の昔に消えている筈だ。

 苦しんでいる誰かを放って置ける程に人でなしばかりではないのだから、既に悲劇はなくなっている筈なのである。

 

 だが、確かに不幸は存在している。

 救いのない現実は何処にでも転がっている。

 

 それが示している。

 所詮トーマの語る幸福など、夢物語に過ぎないのだ、と。

 トーマにとっての現実など、とてもとても狭いのだ、と。

 

 

「幸福の椅子ってのは、数が限られてるの! 誰も彼もが幸福になんてなれないのよ!!」

 

 

 幸福な少年に不幸な少女は語る。

 それは彼女が短い生の中で悟った、彼女の真理。

 

 幸福には限りがあるのだと言う彼女の思想。

 

 

「経済と同じ。資産と一緒で幸福も総量が決まっているの! 富が集中してお金持ちが現れれば、その分必ず貧乏人が生まれるように、幸福な人と不幸な人は必ず出る。誰かが不幸になった分だけ、他の誰かが必ず幸せになっている!」

 

 

 絶対数が限られているのならば、全ての人がそれを掴む事など出来ない。座るべき席は限られていれば、後は蹴落とし合って奪うしか他にない。

 

 

「……そうでなきゃ、理不尽じゃない!!」

 

 

 そう。現実がそうである事を、少女は心の底から願っていた。

 

 

「幸せになっててよ! 私が不幸になった分、誰かがそうなってないと、憎む事すら出来ないじゃない!!」

 

 

 自分の幸福が失せた分、他の誰かが幸せになった。

 そう思う事で孤独に耐え、そう思う事で誰かを憎もうとしている少女の姿は、何処までも悲壮に満ちた物であった。

 

 

「……ティア」

 

「馴れ馴れしく呼ぶな!!」

 

 

 憐れむな、そう視線で語る少女は差し伸べられた手を弾き返す。

 トーマが語る現実がどれ程に綺麗であっても、彼の思いがどれ程に真摯であっても、決して少女には届かない。

 

 不幸な過去を持っては居ても、今恵まれているトーマ。

 恵まれた過去はあっても、今悲痛の叫びを上げるティアナ。

 幸福な子供と不幸な子供は、互いの想いを真に理解する事など出来ないのだ。

 

 

「アンタの理想なんて知らないし、私は不幸のままで良い! 唯一つ残った意志を、貫く為だけに生きている! 救いなんて求めてない!」

 

 

 あの大天魔に打ち勝つ為には、真っ当な幸福など得られないと諦めている。そんな物を求めては、決して辿り着けないと諦めている。

 

 だから、そんな幸福よりも、復讐こそを彼女は望んでいる。

 ランスターの弾丸を示す事こそが、少女に残った全てなのだから。

 

 

「だからアンタなんか受け入れない! だからアンタの言う美しさなんて、理解してやらない! ヘラヘラ笑って、満たされているジャンル違いが、私の道に入って来るんじゃないのよ!!」

 

 

 言い捨てると、ティアナは走り去って行く。

 

 声を掛けるな。もう関わるな。無言で拒絶の意思を伝えて来る背を見詰めて、弾かれた痛みに手を抑えるトーマは悲しむように口にした。

 

 

「……それじゃ、ティアは、何時まで経っても泣いてるままじゃないか」

 

 

 泣いているように見えた。

 叫びを上げた少女の瞳は、涙に滲んでいるように見えたのだ。

 

 そんな少女が行く道には救いがない。

 彼女自身が受け入れているからこそ、その先には救いがない。

 

 間違っている。その先は間違っている。

 頑張っている奴が報われないなんて、絶対に正しくない結末だ。

 泣いている少女が泣いたまま、目的を果たして消えていくなど許せない。

 

 ああ、けれど、他者に理想を押し付けるのが違うと言うならば、その目的を違うと否定する事がいけないと言うのなら。

 

 

「先生。……僕は、どうすれば良いんだろう」

 

 

 どうすれば、あの少女の涙を止められるのであろう。

 

 

 

 問い掛ける言葉に、答えは返らない。

 

 

 

 

 




絆はイカヅチでも壊せない。
なのポA'sのOPに出て来るフレーズです。



○パラロス知らない人向けのおまけ解説。無限蛇とは。

PARADISE LOSTに登場する悪の犯罪組織。
数多ある犯罪結社が弱肉強食の理によって食らいあった結果生まれた集団であり、都市の闇を支配する原作序盤の敵である。

悪の秘密結社の中でも頂点に立つ集団であり、三人の幹部によって運営される。

裁きの炎を操る盟主アズラーン。
不死身の肉体と強酸の体液を持つ蠅の王ギース。
あらゆる人の心を壊して操る傀儡師デザード。

強力な力持つ三大幹部と言う、厨二の大好物要素が多分に込められた、小物集団こそが無限蛇である!

所詮小物と作中で明言されたアズラーンを筆頭に、シュピ虫さんレベルのかませっぷりを見せ付けながら配下に殺されたデザード。

そしてギースに至っては、何時の間にか死んでいたと言う素晴らしい扱いをされている。仮にも主人公に倒されたと言うのに、戦闘も死亡も省略されているのだ!

故に無限蛇とは神座シリーズ最大の小物集団であり、ネタにすらされない腫物達なのだ。CVもないしね。


そんな無限蛇に愛の手を、そんな思いも込めて、その名を採用してみました。
実際、魔刃が加わっただけで、イロモノ集団からシリアスな敵に変わる気がする。そんな当作の無限蛇は、本当に凶悪な敵集団です。



正田作品で作者が一番好きな集団。無限蛇。

神座作品のみでクロスするなら、盟主にシュピーネさんを据えて、その下に三大幹部+キーラちゃんで四天王とかやらせて、かませ界至高の集団とか作ってみたい。

そんな風に思う天狗道でした。




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訓練校の少年少女編第三話 人形兵団

前話でミスがあったので修正。
具体的には、陸士部隊の部隊数と、現在の季節に関してです。

一年の半分近くが夜刀様の影響で秋になっている関係で、良く考えたら現在の時間軸は晩春じゃなくて初秋でした。

後陸士部隊って、公式で四百近くあるみたいですね。知らんかった。(ティアスバが六課前に配属されていたのは、陸士386部隊)

その辺りだけ修正しています。


副題 燻銀な部隊長と薔薇の夜。
   無限蛇の本気。
   面倒な少女は無茶をするようです。


1.

――NAQID―AQORI―QOROQ―IROQA―DIQAN

 

 

 落日の中、黒装束を身に纏った集団が蠢動する。

 顔を隠す覆面の下、虚ろな瞳を晒す彼らは傀儡。所詮、糸に括られた操り人形。

 

 意思がない。自己がない。己がない。

 

 明確な個我を奪われたその軍勢こそが、無限の蛇が毒牙の一つ。総勢三十人からなるは、一糸乱れぬマリオネット・イェーガー。

 

 

――我が愛は、永遠に我がものとなれり――

 

 

 這う蟲の王が無様を嗤う。傀儡師が現実を嘆く。罪悪の王が憐れみを抱く。

 されど、人形達は何も感じない。何かを思う情など、人形達には残っていない。

 

 

「さぁ、戦争を始めましょう」

 

 

 蟲の王が嗤う。蟲の王が嗤う。蟲の王は嗤い続ける。

 その歪んだ笑みで、その甘い言葉で、それしかない者らを馬鹿にするかのように嘲笑い続けている。

 

 

「貴女が望んだ戦争を、貴方が望んだ戦争を、この地に齎してあげましょう」

 

 

 その為の準備は出来ている。

 その為の用意は終わっている。

 

 嗚呼、嗚呼、だからこそ、人形が望む戦争を始めよう。

 ミッドチルダと言う世界を、戦火の色に沈めてしまおう。

 

 

――如何なる脅威も、この絆を断つことあたわず

 

 

 蛇の毒が牙を剥く。ミッドチルダと言う大地で、無限の蛇は動き出した。

 

 

 

 

 

2.

 人気のなくなった医務室内。一人残った紫髪の美女が、作業途中のままに放り出された書類を纏めている。

 

 窓から差し込む日の光は落日へと向かっている。

 黄昏時、逢魔が時を前にして、飛び出して行った子供達は未だ戻らない。

 

 歓待の為にと用意された茶はすっかりと冷えてしまった。

 穏やかな表情を崩さないその女性は、纏めた書類を籠に入れると、空いた手で茶器を取り、冷え切った茶を口にした。

 

 

「あの子達、上手くやれているかな?」

 

 

 自分が背を押した弟分の少年。トーマは今時では珍しい程に、真っ直ぐに育った人間だ。誰もが彼に手を貸したくなるような、そんな眩しさをその身に宿している。

 

 だが、彼が何とかしようとする相手は随分と捻くれてしまった少女である。その眩しさを直視出来ない程に、内心に思いを抱え込んでしまっている少女であるのだ。

 

 その存在自体が眩しい。自分にはない程の輝きを持つ者を前に、人は焦がれるか嫉妬するか、そのどちらかの情を抱くものだ。

 

 ティアナは後者であり、同時に彼女にはその妬みの感情を御するだけの器がない。

 育ちと年齢を思えば無理もない。未だ十三歳の少女なのだ。そんな年齢で、感情を御せる方がズレていると言えるであろう。

 

 一端他者に妬みを抱いてしまえば、それを拭い去る事は難しい。妬んでいる相手の言葉など、万言を尽くされても受け入れる事は出来ないであろう。

 

 人間全てに焦がれていて、未だその情を残している魔性の女には、ティアナが抱いているであろう劣等感を含んだ拒絶の情が痛い程に理解出来た。

 

 

 

 本来、ティアナに手を伸ばすべきなのは彼ではない。トーマではなく、元凶となった者が手を差し出すべきである。

 だが出来ない。彼女の手を握っていた女は既に亡く、すずかは彼女の心を揺らせる程には近くはない。

 救済の役を負うのに相応しい男は軟禁状態で、直接的な干渉は一切できない。

 

 トーマの師なら或いは、だが彼とて其処までティアナに近い訳ではない。その言葉にその場では頷いたとして、本心ではどの様に思うだろうか。

 

 結局、例外となるはトーマだけだ。訓練生と言う対等の立場にあり、何処までも純粋な彼の言葉だからこそ、心を閉ざした少女を揺らせる。

 それが負の方向ではあっても、心に響かない言葉しか言えない彼女達よりも遥かに適役ではあるのだ。

 

 

「ままならないもんだね。本当に」

 

 

 ぶつかって来いと背を押して、その実、裏では打算的に考えている。

 そんな良い大人に成れていない自分に溜息を吐いて、すずかは何もない天上を見上げた。

 

 

 

 緊急事態を告げるアラート。

 甲高い電子音が人気のない医務室内に響く。

 

 それを耳にしたすずかは慌てて、顔を端末へと向ける。

 医務室の壁に備え付けられた通信端末。緊急事態を示す赤い警告灯が付いている事を確認すると、すぐさま受信ボタンを押した。

 

 

「はいっ、こちら月村です」

 

〈俺だ。ゲンヤだ。……悪ぃが厄介な事になった。月村、少し出られるか!〉

 

 

 モニターに映るのは中年を過ぎて初老に近付きつつある男。

 白髪と皺の目立つようになって来た男臭い顔立ちの陸士は、開口一番にそんな言葉を口にした。

 

 

「ナカジマ部隊長!? 一体何が!?」

 

 

 焦りを表情に焼き付けた男の言葉に、すずかが問い掛ける。

 その尋常ではない様子に驚愕する彼女へ、ゲンヤ・ナカジマは現状を告げた。

 

 

〈人形兵団が動きやがった! 連中、全員エリキシルを服用してやがる!〉

 

「エリキシル。……まさか! ベルゼバブがっ!?」

 

 

 ベルゼバブ。這う蟲の王。無限蛇の幹部が一人。

 管理局が知っているその正体は、重度のエリキシル依存患者だ。

 

 不死の霊薬エリキシル。肉体を強化し、あらゆる病を払うと言う売り文句で捌かれる麻薬。

 それには副作用が存在している。エリキシルを一定濃度以上、継続して接種すると肉体が変異を起こすのだ。

 

 あらゆる体液が強酸に変わる。汗や唾液が全てを溶かす毒と化した彼らは、もう二度と他者と触れ合う事が出来ない。

 手足が捥げようと、頭が潰れようと、心臓を抉られようと、瞬く間に再生する。即死は出来ず、どんな状態からでも蘇生する不死身の怪物へと変わるのである。

 

 これを滅ぼすには、六千度を超える炎で焼き払わねばならない。それ程に悍ましい、人間性を否定する病原菌。

 

 人形兵団がエリキシルを服用したと言う言葉に驚愕を浮かべたすずかは、人形兵団全員がベルゼバブに変わったのかという懸念を問い掛けた。

 

 

〈いや、まだそのレベルで薬物漬けになってるのは出てねぇ。……けどな、どんな傷を負っても倒れねぇ集団ってのは厄介過ぎるぜ〉

 

 

 ベルゼバブに至らずとも、エリキシル患者は身体能力と再生能力を大幅に引き上げられる。

 現在ミッドチルダで暴れている人形兵団は、痛みに怯まず、どれ程傷付いても進行を止めない軍勢と成り果てていた。

 

 通信を続けるゲンヤの背後より銃撃音が響く。陸士部隊は質量兵器を携帯してはいない。使用する事は稀にあるが、基本的には持ち歩いていないのである。

 故に銃器を使うは陸士部隊に非ず。現在交戦している敵手こそが使っているのだ。

 

 

〈それに連中、最悪な事に周辺住民まで巻き込んでやがる。……ミッドチルダの住人を捕まえて、無理矢理エリキシルを打ち込んでんだよ! それに変な薬でも混ざってんのか、クソッタレな傀儡師も一緒にいるのか、どういう理屈かは知らねぇが、エリキシルを打たれた住民達が兵団と一緒になって襲ってくる! 守るべき人々が、次の瞬間には兵団の一員に早変わりって訳だ!〉

 

 

 彼らが動き出して、まだ時間は経っていない。だと言うのに膨れ上がり続ける戦力は、既にゲンヤの指揮下にある者達だけでは抑えられない程になっている。

 ほんの僅かに初動で後れを取った。その僅かが、致命的なまでの差を生んでいた。

 

 

〈発見時は小隊規模だったくせに、今じゃ俺らと同じ大隊規模だ。どうにか人気のない廃棄区画の方へ誘導したが、その際にこっちも結構な痛手を受けてる。このままじゃ長くは持たねぇ!!〉

 

 

 最早手が付けられぬ程に膨れ上がった人形の群れは、しかし蛇の第一の牙でしかない。

 

 焦るゲンヤも、口を閉ざし説明を聞くすずかも、そのどちらもが知っている。

 今のミッドチルダには、人形兵団だけではなく、不滅の蟲王もやってきている事を。

 

 この状況だ。まず間違いなく、あの女も動いている。

 

 

〈それに今は大丈夫でも、このまま放って置けば兵団全員がベルゼバブになる。六千度の炎で焼かねぇと死なない一匹でも手に余る害虫だぜ、それが大隊規模にまで増えちまえば、本気でどうしようもなくなっちまう!〉

 

 

 指揮車両の中で現場に指示を出しながらゲンヤが語るは最悪のシナリオ。

 

 大量に摂取したエリキシルと言う麻薬が肉体を作り変える。時間が足りず変異し切っていない彼らが、時間を得る事で不死身の怪物集団へと成り果てる。

 

 総数三十一人の人形の群れ。常に認識を同期していて、一糸乱れぬ人形兵団。

 単純な軍としても厄介な彼らが、更に不死身になる。そんな最悪の状況が、目と鼻の先にまで迫っていた。

 

 そうなってしまえば、管理局全軍が動かなければどうしようもない。

 アルカンシエルでも使用して、クラナガンを焼き尽くさねば止める事など出来ないであろう。

 

 

「……それで、現在地は廃棄区画のどのあたりですか?」

 

〈来てくれるか!〉

 

「ええ、流石にこの状況で動かない訳には。……多分、現状を何とか出来るのは私だけですから」

 

 

 現在の管理局。エースストライカーは複数人残っているが、現状を如何にか出来るのはすずかを置いて他に居ない。

 

 高町なのはやゼスト・グランガイツでは殲滅力が足りていない。彼らでは人形兵団は兎も角、這う蟲の王は殺し切れない。

 クロノ・ハラオウンは動けず、アリサ・バニングスは海の任務で別の世界に居る。

 

 そうでなくとも、彼らでは殺す選択しか選べない。兵団にされてしまった民間人を救えはしないのだ。

 それが出来るのは彼女一人。現状で兵団と蟲の王に対処出来るのは、月村すずかだけであった。

 

 

〈悪ぃな。頼む。……座標はお前のデバイスに直接送る! 出来る限り早く来てくれ! 十分程度は意地でも持たせるが、そう長くは持たねぇからな〉

 

「ええ、今すぐそちらに向かいます!」

 

 

 通信を切ったゲンヤに伝えて、すずかは自身のデバイスを手に取る。

 

 

「……あの子達は、他の担当官に声を掛けて任せるしかないか」

 

 

 バリアジャケットを展開しながら、他の担当官へと連絡を入れる。

 

 緊急事態だ。隊舎の装甲車両では間に合わないだろう。手にしたデバイスで飛行魔法を使う事も考慮に入れて、現場に向かう為に医務室を出た。

 

 

「あっ!?」

 

「ティアナちゃん!」

 

 

 扉を開けた瞬間、その前に居た少女のぶつかりそうになった。

 

 

「……聞いてた?」

 

「あ、その」

 

「うん。聞いてたのなら、話しは早いわ。悪いけどそういう訳だから、他の担当官が来るまでトーマ君と待ってて!」

 

 

 しどろもどろに弁解をしようとする少女に、そう用件だけを告げてすずかは走り出す。追い詰められている少女の表情に気付かず、彼女は切羽詰まった戦場へと向かって行った。

 

 最悪一歩手前の状況で焦っていた女は、普段ならば見逃さなかった事を見落とした。トーマとの対話で、その心中を吐露したティアナの表情に気付けなかった。

 

 

「……廃棄区画」

 

 

 通信を盗み聞いていた少女は、静かに呟く。小さくなっていく担当官の背を見詰めながら、その手を強く握り締める。

 

 

「這う蟲の王と人形兵団」

 

 

 今、この瞬間に動かなければ、別の担当官がやって来る。その人物の指示の下、行われるのは御遊戯のような研修だ。

 だが、この瞬間になら動ける。別の担当官が来る前ならば、紛れもなく最高峰の死線へと参加できる。

 

 

「それを、倒せれば……」

 

 

 確かに己は成長する。倒せなくとも、それだけの脅威を経験して生き延びれば、確かに己の糧になる。

 

 それは研修に無駄な時間を割くより、訓練校に通い続けるより、確かに価値の高い経験になると思えた。

 それだけの経験を積めば、あの才能だけの気に入らない男にも勝る何かを得られると思えたのだ。

 

 

「…………」

 

 

 眩しい少年との対話にて自暴自棄になっている少女に、リスクを考慮する余裕などない。

 不幸になっても目的を達成する事を望む少女に、目的すら達成できない生存に拘る理由はない。故に、彼女の選択は決まっていた。

 

 

 

 月村すずかの背中が見えなくなってから、ティアナ・L・ハラオウンは走り出す。その進む先に、何が待ち受けているかも知らずに。

 

 

 

 

 

3.

 耳を劈く轟音と共に銃弾が飛来する。刃を手に、猟犬たちが迫っている。

 複数人の協力によって展開されたシールドでそれを防ぐ。指揮下にある者らが後方より放たれる魔力弾にて彼らを弾き飛ばす。

 

 装甲車より外に姿を晒したゲンヤ・ナカジマ三等陸佐は、そんな光景にも動じずに静かに告げた。

 

 

「来いよ、人形共。俺がこっちの頭だぜ」

 

 

 彼が姿を晒しているのは、己を餌に惹き付ける為。個としても軍としても劣ってしまっている以上は、こうした策を弄するより他にない。

 

 人形達は無言で襲い来る。その手に銃器を携え、その手に刃物を取り、その手にエリキシルの入ったアンプルを抱えて、同じ被害者達を増やす為に彼らは蠢動する。

 

 所詮は傀儡。与えられた指示のままに動く、自我を持たない群れ。この場に指揮官が居ない以上、どうしても対応は遅くなる。

 故にゲンヤの策は上手く嵌り、こうして終始優位に立っていた。

 

 

(……今の内は、だがな)

 

 

 己の身を晒す。それは指揮官に有るまじき選択だ。

 自分の鍛えた陸士部隊が、指揮官を失くしただけで動けなくなるとは思ってもいないが、それでも頭を討たれる危険を晒し続けるのは下策と言えよう。

 

 だが最悪な事に、もうその下策しか選べない程に108部隊は追い詰められているのだった。

 

 

(ちっ、他の部隊にも声を掛けたが、月村以外は来れそうもねぇ。……人形共が動いてるのは、ここだけじゃない。あちこちの隔離病院でエリキシル患者共の暴動が起こってる以上、手隙の連中なんてどこにもいねぇか)

 

 

 ミッドチルダに蔓延していたエリキシルと言う麻薬。それさえも、今日この日の為の下地であったのであろう。

 どういう理屈かは知らないが、エリキシルを打たれた民間人が、直後に人形兵団の一員になる光景を彼は見たのだ。

 

 ならば、既にエリキシルを服用していた者らが、遠く離れた場所で暴れ出してもおかしくはない。

 同時多発にて発生したテロ行為に、管理局は確かに追い詰められていた。

 

 

(だが、一体どういう訳だ。……こっちの情報網に一切引っかからず、これだけの事をやってのける? そんだけ無限蛇がとんでもねぇ組織だと? ……あり得ねぇな)

 

 

 人形兵団三十名。それだけの戦力が移動した事に気付けなかった。

 活動を始めるその瞬間まで、居ると言う事しか分からなかったのだ。

 

 そんな事が、本当にあり得るのであろうか。

 

 

(こいつらは確かに厄介だが、そんだけの隠密性もあるんなら、当の昔に管理局は引っくり返されてる)

 

 

 何処に居るかも分からない。何時行動に出るかも分からない。

 それだけの事が出来るなら、管理局を打倒する事も容易いであろう。

 

 無論、無数にある管理世界全ての戦力を相手には出来ない。

 エースストライカーである歪み者達だって倒せる程ではない。

 

 それでも無限蛇にはミッドチルダを落とせるだけの力がある。

 歪み者達に真っ向から挑まなければ、クラナガンを落とすぐらいは出来るのだと、こうして実際に向き合う事で実感していた。

 

 これだけの戦力を動く瞬間まで隠せるならば、彼らは何時だって管理局を潰せた筈なのだ。

 

 

(大天魔に対する盾として管理局を残してぇって思惑がある可能性は否定できねぇが、それよりも何処かに裏切り者が居るって考えた方が自然だ)

 

 

 何処かで得た情報を握り潰している者が居る。

 管理局の内部に、無限蛇の毒が存在している。

 

 もしくは、無限蛇と言う組織自体が或いは……

 

 

「全く、厄介にも程があるだろうがよ」

 

 

 入り込んだ蛇の毒。それに目星は付いている。

 

 ゲンヤの下には彼らを救える者が居る。依存患者達に対処出来る者が居たと言うのに、彼女が隔離施設へと立ち入る事を許可しなかった部署がある。

 間違いなく、其処は黒だ。本局医療班のトップは黒。或いは、その上もまた黒だろう。

 

 今はまだ、明確な証拠がない。

 今回の事件を理由に突いても、蜥蜴の尻尾切りをされるだけだ。

 

 けれど、何時までもそのままにしておく心算はない。

 

 

「……親父だろ。なら、テメェの餓鬼が戦場に出る前に、負の遺産は減らしてやらねぇとな」

 

 

 懐に仕舞った写真。映る光景は、今は亡き妻とこのクソッタレな戦場に出る事を決めた息子。

 

 愛する我が子が戦場に出る前に、少しでも場を良くせねばとゲンヤは小さく呟く。鉄火に晒される中で、それでも今後の行動を考える余裕を彼は確かに持っていた。

 

 その余裕は慢心ではなく、捨て鉢な諦観でもない。無駄に戦慄しても意味はないという理性と、指揮官が怯えては部下が動揺してしまうと言う判断。

 そして、後僅かでも時間を保てば全てを引っくり返せる増援が来る。そんな希望から来ている。

 

 降り注ぐ鉄火の中、己の考えを纏めながらゲンヤは身を晒している。

 デバイスを手にせず、懐から取り出した煙草を口に咥え、あからさまな隙を見せている。

 

 その隙を狙おうと人形が鉄火を降らせ、ゲンヤの指揮下にある陸士達が応じるようにデバイスで魔法を使用する。

 

 標的を一点に絞る事で、彼らの行動を制限する。それだけして漸く、陸士部隊は人形兵団へと食らい付いている。

 既に本来の数を大きく下回り、中隊規模しか残っていない陸士部隊では、それくらいしか手段はないのだ。

 

 其処までしなければ、時間稼ぎすら出来ないのが現状であった。

 

 

 

 我が身を晒して餌にする隊長の下、従っている兵が震えていた。

 108部隊はゲンヤ自慢の配下であるが、その全てが歴戦の強者と言う訳ではない。寧ろ歴戦の兵たちの過半数が既に脱落していた。

 

 先の見えない状況下で、決して怯まぬ人形の軍勢を前に、強い意思を保てる者が全てではない。

 

 疲れ知らずな人形兵団に対して、彼らは疲労もすれば油断もする。

 そんな唯の人間なのだから、それは或いは当然の結果だった。

 

 

「う、うあああああああああっ!!」

 

 

 突如雄叫びを上げるのは少年兵。まだ新米の陸士の一人が、デバイスを以って魔法を放つ。

 撃ち放たれるのは砲撃魔法。殺傷設定で放たれたそれは、確かに人形兵の身体を消し飛ばした。

 

 

「っ! 何やってやがる!! 殺傷設定はやめろって言ってあっただろうが!!」

 

 

 ゲンヤ・ナカジマが新兵を怒鳴り付ける。

 それは彼が撃った敵兵が、元は守るべき民間人であったから――だけではない。

 

 頭が吹き飛んだ事にも気付かずに迫る敵兵。

 糸に括られ、不死の霊薬に侵された彼らに殺傷設定など意味はない。

 

 ぐじゅぐじゅと傷が塞がっていく光景が示している。

 肉を吹き飛ばしても意味がない所か、下手に傷付けてしまえば、エリキシルの汚染を進行させてしまう結果になると言う事実を示していた。

 

 

「殺傷設定は使うなっ! 捕縛魔法と補助魔法。電撃変換出来る奴は、それで麻痺を狙え! アイツらだって人間である以上、体が麻痺して筋肉が弛緩すりゃ動けねぇ! そう言っておいただろうが、……っ!」

 

 

 叫ぶゲンヤの声に弾かれて、肉が塞がっていく醜悪な光景に飲まれて、一瞬だけ陸士部隊の動きが鈍った。絶え間ない連携に、明確な隙が生まれていた。

 

 人形達はその隙を見逃さない。

 傀儡の兵団はその瞬間を逃がしはしない。

 

 襲い来る兵士たち。不死身の彼らは被弾を恐れず、その強化された身体能力で刃を手に襲来する。

 鉄火が降り注ぐ。味方ごと薙ぎ払わんとするその銃弾の雨は、最早防ぐ事も躱す事も出来はしなかった。

 

 

(……やべぇな。これで終わりかよ)

 

 

 視界がスローになる。部下たちは必死に対応しようとしているが、何一つとして有効な手などありはしない。

 

 個々人の防御魔法で防ぐには、人形兵団が持つ質量兵器は凶悪に過ぎる。

 スチールイーターと呼ばれる大口径の銃弾は、複数人の協力した防御魔法でなくては防げない。

 その銃弾はリロードの必要すらなく、無制限に撃ち続ける事が出来る。

 

 誰が作り上げたのか、無限蛇が携帯するその銃器は、金属分子の結合を破壊し、血液中の赤血球を破壊する寄生虫を宿している。

 金属を砕き、人の血肉を破壊するその兵器は、正しく魔弾。防ぎ切ることすら難しい脅威である。

 

 今この場で対処に動けるのは、数が減ってしまった熟練兵の一部だけ。そんな彼らが指示を出しても、防御魔法はもう間に合わない。

 

 対処をするには遅きに過ぎたと、妙に冷静な頭で理解していた。

 

 

 

 その刃の群れはゲンヤの身を引き裂くであろう。

 その銃弾の雨は、ゲンヤの身を磨り潰すであろう。

 

 我が身を餌にする以上は常に付き纏うその危険。今まで勝ち続けてきた博打に、ここに来て敗れただけだ。

 

 そんな風に自覚して、ゲンヤは降り注ぐ人の群れと鉄の雨を見上げる。

 

 

 

 口に咥えた煙草が地面に落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

「枯れ落ちろ」

 

 

 一人の男の命が終わる。

 その直前に、涼やかな音色が響いた。

 

 空より降り立った魔性の女は、その身に纏った暗き影の力を最大限に行使する。

 

 スチールイーターより放たれる弾丸が、黒き霧に触れる。

 魔弾に込められた人の血肉を壊す寄生虫たちは、その瞬間に死滅した。

 

 速度自体は殺せず、人体を引き裂く力を残した銃弾をその身に受けながら、しかし美女は暗く笑う。

 唯の銃弾と化したスチールイーターに、夜の王を殺す力は残っていなかった。

 

 

「無駄だよ。……私を銃弾で殺したければ、金属とか血液とかそんな物を壊す寄生虫より、銀の弾丸を持って来た方が速くて良い。魔弾なんかより、聖なる銀の方がずっと効果的だからね」

 

「月村、……間に合ってくれたか」

 

 

 如何にか体勢を立て直したゲンヤの前に立ち、月村すずかがその手を振るう。

 紫の髪の美女は妖艶に笑って、その身から黒き霧の如き瘴気を撒き散らしていた。

 

 手の動きに連動した黒き霧が、接近していた数名の兵団を包み込む。

 如何なる攻撃を受けても怯みすらしなかった彼らが、その霧に包まれた瞬間に意識を失い地に倒れた。

 

 

「遅れました、ナカジマ部隊長。……取り敢えず、これで彼らは大丈夫かと。血中のエリキシルを全部吸い殺しましたから」

 

 

 二大凶殺の瘴気が、エリキシルのみを吸い殺す。汚染された器と、それによる変質だけを食らっていた。

 

 病毒を食らい尽くせば、後には健康な体を取り戻した民間人だけが残る。エリキシル患者を、そんな形で救う。

 そんな真似が出来るのは、管理局の中でも彼女だけだ。月村すずかだけが、この傀儡の兵団を救えるのだった。

 

 

「いや、ありがてぇ。……悪ぃな。こっちが十分持たせらんなくてよ」

 

 

 起き上がりながらゲンヤが指示を出す。

 指揮に頷く者らの数が本来よりも遥かに少ない事に、すずかは眉を顰めた。

 

 

「……言ったろ。ここに誘導する迄に痛手を受けたってよ。……向こう見てみろ」

 

「皆。……それに、ラッドさんまで」

 

 

 月村すずかの登場に、人形の兵団が身を固める。その強大な異能者を前に、彼らは“指揮官”へと判断を仰いでいた。

 そんな傀儡の軍勢の中に、108部隊の仲間達の姿を見つける。共に笑い、共に過ごした同胞達の変わり果てた姿に、すずかは無言で手を握り締めた。

 

 

「新人共は、仲間がああなっちまった影響で浮ついてやがる。ベテランの数ももう少なくてな。……壊滅寸前なんだわ、これが」

 

 

 エリキシルが兵団を増やす。ならばその対象は民間人に限らない。

 倒れた味方が敵になる。そんな状況下で、辛うじて戦いになっていたのはゲンヤが居たからであろう。

 彼の指揮能力の高さが、壊滅して然るべき陸士部隊を持たせていたのだった。

 

 

「なら下がっていてください。直ぐに全滅させますから」

 

 

 すずかの瞳が吸血鬼の様に赤く染まる。

 溢れ出る瘴気は、黄昏を迎える空を一足早く夜に変えんとするかのように、暴虐の意志を宿して荒れ狂っていた。

 

 

「……悪ぃな。そうさせてもら――」

 

 

 言い終わる前に、ゲンヤの表情が変わる。すずかの表情が固まる。それ程に、人形兵団の対応は異質であった。

 

 

「……逃げた、だと!?」

 

 

 まるで蜘蛛の子を散らすように撤退していく人形兵団。

 不死不滅であり、怯えなどとは無縁の彼らが、一切の躊躇をせずに逃げ出していた。

 

 

「ちっ、厄介な」

 

 

 その余りにも的確な対応に、すずかが舌打ちする。

 彼女の二大凶殺は、未だ広範囲から簒奪する対象を選択できる程には極められていない。

 

 “夜”ならば使えるが、それでは敵味方無差別に食らい尽くしてしまう。

 エリキシルのみを吸い殺すなどと言う繊細な行動は、よほど接近していなければ使えない。

 

 逃げ出した兵団を追い詰めるのには、一体どれ程の手間が掛かるか、考えるだけで嫌な気持ちにさせる対策であった。

 

 

「廃墟を盾に逃げ回る。……単純だが、だからこそ厄介だ。ましてやアイツらはエリキシルを保持してる。一人でも逃がしたら被害は拡大しちまうぞ!」

 

「けど、こっちにはアレを包囲出来る程の兵力は残ってない。……勝てないと分かったら嫌がらせに移るとか、本当に嫌な手を使ってくれるね」

 

 

 ゲンヤは頭を抱え、すずかは舌打ちをする。

 唯逃げる、そんな行動で人形達は遥か格上の相手を嘲弄していた。

 

 

(狙いは何? 時間稼ぎ? ……だとしても、乗らない訳にはいかない)

 

 

 追わずにはいられない。時間が掛かるとしても、それ以外に対処の術はない。

 

 

(嫌な予感がする。外れてくれれば良いんだけど)

 

 

 恐らく杞憂では済まないだろう。

 この地にはまだ、這う蟲の王が潜んでいるのだから。

 

 

 

 

 

4.

 荒い息を吐くティアナは、そんな攻防を見詰めていた。

 月村すずかに大きく遅れる形で廃棄区画に辿り着いた彼女は、逃げ回る兵団の姿を確認する。

 

 

(自我の無い人形。それが人形兵団。……けどそれにしては、適格な対応。多分、近くに指揮官が居る)

 

 

 先程まで優しいお姉さんという印象を見せていた美女の、魔性を最大限に見せ付ける活躍。その蹂躙劇に唾を飲み込みながら、ティアナは観察し思考する。

 

 

(それが、這う蟲の王)

 

 

 その兵士の動きから推測する。その逃げ回る位置から想像する。自分なら、何処に隠れ潜むであろうか、と。

 

 

(単純に考えれば、兵団の中心。或いは最後方。指揮範囲がどの程度か分からなくても、この廃棄区画の何処かには居る筈、……なら)

 

 

 冷静に思考する。恐らく、今一番のアドバンテージを持つのは自分だ。

 前線で争う陸士部隊や吸血鬼には落ち着いて考えるだけの余裕がなく、敵の指揮官もまた追い詰められている現状には余裕がない。

 

 

(まず、兵団は自分の近くには近付けない。逃げる方向は逆の方へ。ただ一方だけだと分かり易くなるから、多少は変化を付ける。けど多少だ。真逆に逃がすようなヘマはしないけど、逆に一方向にだけ逃げないとその方向に何かあると示すような物よ。それは結局、自分の場所を教えているのと同じ)

 

 

 そう。今ならばその隙を突いて、己が首魁の首を取れる。その下まで自分だけが到達する事が出来るのだ。

 

 

(なら、兵団が逃げる方向と、その逆の方向は無視して良い。その上で、全ての兵団が逃げる方向とは異なる位置。中心近くにいるのが)

 

 

 確信を持って向かう。確かな自信を持って進む。

 妙に少ない兵団の数に、僅かな違和感を覚えながらも、己の思考が導いた解答に絶対の自負を持ってティアナは進む。

 

 

「BINGO!」

 

 

 その先で、一人の女を見つけた。

 

 

 

 金髪の女だ。三眼を思わせる額の飾りに、管理局の鑑識官が着る黒い制服を着こんだ気真面目そうな女が立っている。

 

 

「……想定より兵の減りが速い。やはり凶殺血染花を相手取るには、まだ不足か」

 

 

 磨り潰されていく兵団の傷が、その身に刻まれていく。操る傀儡達の被害の数パーセントをフィードバックとして受ける女は、しかし揺れることは無い。

 その意味がないのだ。ベルゼバブである女には、そんな傷など如何ほどの痛痒も与えない。僅かなフィードバックなど、一秒後には完治するのだから。

 

 

「アンタが“這う蟲の王”ね!」

 

 

 淀んだ瞳をした女に対して、ティアナ・L・ハラオウンはその手にした銃型デバイス“アンカーガン”を向ける。その声を聞いた女は顔を向けると、その制服を見て眉を顰めた。

 

 

「……訓練生? 舐められたものですね」

 

 

 ティアナが身に付けるは訓練校の制服。戦争の場に立つ以前の、弱兵ですらない見習いだ。

 そんな弱卒を向ける程に、管理局は無限蛇を甘く見ているのか。女は苛立ちで表情を歪めて。

 

 

「まあ、別に良いでしょう。管理局の判断など知りません。私は唯、あの人の願いを叶える為だけに生きている」

 

 

 そんな苛立ちは直ぐに消えた。金髪の若い女は、どうでも良いと切り捨てる。そんな女の表情には、真剣みと言うものが欠けていた。

 

 

「戦争を起こしましょう。拭い去れない程の戦争を起こしましょう。傷付き、傷付け、その痛みを与えましょう」

 

 

 無表情な顔で語る女の言葉。女の言葉は前後の文脈と言うものがない。虚ろな表情も相まって、まるで夢遊病者の如くに思えて来る。

 だがその瞳だけは違っている。表情は人形の如き能面でありながら、その瞳にだけは強い意思があったのだ。

 

 相対するティアナを圧倒する程の意志で、ドロドロに濁った瞳。その激情に淀んだ瞳を、ティアナは何処かで見た事がある気がしていた。

 

 

「私が、人形兵団がそれを全ての世界に齎す」

 

 

 ミッドチルダは手始めだ。無限に連なる次元世界の全てを焼くのだ。

 三千世界を包む戦場の炎は、決して絶やされる事は無く、その痛みを以って、真に大切な物を刻んでくれる筈なのだ。

 

 

「それが我が父、トレディア・グラーゼが抱いた、最期の願い」

 

 

 それはトレディアと言う男が抱いた夢想。

 罪悪の王に焼き殺された男が、最期の瞬間まで抱いていた願い。

 

 ミッドチルダは美しい。その世界は素晴らしい。

 それは戦争を知るからだ。痛みを知るからこそ、彼らの日々は輝いている。

 

 だからこそ、世界全土を焼こう。

 その痛みを以って、本当に大切な物を分からせよう。

 

 内乱続くオルセアという世界に生まれ育ち、ミッドチルダという戦場の中で輝く世界を知っているからこそ、トレディアと言う男はそう夢想した。

 

 

「彼の娘である私には、もうそれしか残っていないから」

 

 

 トレディアに庇われ、罪悪の王に見逃された女。

 無限の欲望に染められ、蛇の毒へと堕ちた彼の義娘には、もうそれしか残っていない。

 だからこそ、ベルゼバブとなった女は擦り減って摩耗した笑みを浮かべるのだ。

 

 

「さあ、戦争を始めましょう」

 

 

 ルネッサ・マグナスは濁った瞳で開戦を告げる。

 何もかもをなくして、最後に残った物に縋り付いている蛇の毒牙は、そんな風に笑っていた。

 

 

「アンタ」

 

 

 その姿に何を見たのか。

 その瞳に何を理解したのか。

 

 その言葉で漸くに理解した。

 

 これは己だ。己と同じ瞳だ。

 毎朝鏡で見る濁った瞳と同じ色を、この女の瞳は浮かべているのだ。

 

 悟る。理解する。その瞳を見て共感する。

 この女はティアナ・L・ハラオウンの成れの果て。彼女が辿るべき結末の一つである、と。

 

 兄の残した弾丸に縋るティアナと、父の残した夢に縋るルネッサ。

 其処に如何ほどの違いがあるのか、あるとすれば、それは程度の違いだけだ。

 

 彼女の方が追い詰められて、彼女の下には手を差し伸べる人が居なくて、彼女には選択肢がなかった。だからこそ、これはティアナがこれから歩く道の先を行っている。

 

 最後に残された一つに縋り、それを為し遂げようとする。その為に手段を選ばず、助けようとする手を跳ね除け続ければ、ここまで墜ちる。

 

 堕ちてなお執着し続ける姿に、同類であるのだと分からされる。何とはなしにそう思って、だがティアナの選択は変わらない。

 

 そこに何も思わない筈がない。そこに何も抱かない筈がない。

 それでも、余分な感情としてそれを切り捨てて、ティアナは揺るがぬ瞳で女を見詰める。

 

 例え同類であるとしても、この先に進めばああなるとしても、ティアナは止まらない。

 

 あの輝かしい英雄達の様に、選ばれし一握りの天才達の様に、腐毒に満ちた戦場を行く為に、ルネッサと言う女は超えるべき壁に過ぎないのだから。

 

 

「ここで捕まえるわ、這う蟲の王!」

 

 

 一つの戦いが幕を開ける。

 余りにも無謀な、少女の挑戦が始まった。

 

 

 

 

 




デザード「見たか! これが私(の能力)の真価だ!」
ギース「俺の(能)力も混ざってチートと化しているな!」
アズラーン「さあ、無限蛇の力の前に滅びろッ!!」


そんなかませ三人衆の合体技でした。
え? アズラーン関係ない? 寧ろジューダス混ざってるだろ?

……私のログには何もないな。(すっとぼけ)


次回以降暫くの間、作者の都合により更新が遅くなりますのでご了承下さい。





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訓練校の少年少女編第四話 其は誰が為に

ヒャッハー。投稿だー!

多分次回も十日前後掛かります。


そんな今回はティアナのお話し。面倒臭い娘へのテコ入れ回です。


1.

 ティアナは緊張に震える手に力を込めて、唾を飲み込む。戦意を強く保つと、その左の瞳で女を見据えた。

 

 両手で構えたアンカーガンの標準の先、佇む金髪の女。

 ドロドロに濁った瞳を虚空に浮かべ、無表情を顔に張り付ける彼女こそは教科書に載る程の犯罪組織“無限蛇”の幹部。

 

 這う蟲の王。己と言う才能の欠片もない劣等ではまず勝ち目などない相手。挑む事自体が無謀。相手に向けたデバイスなど、牽制にさえならないと分かっている。

 

 だから、それが何だ?

 

 御託は要らない。怯懦は不要。対話も勧告も必要なく、あるのは唯の戦意のみ。ティアナは震える手を抑え、這う蟲の王へと立ち向かう。

 

 

(相手は格上、だけど今なら!)

 

 

 相手は自身より格上だ。犯罪組織の幹部に単独で挑む愚は、今のティアナにとて分かっている。

 それでも動いたのは勝機があるから。彼女の読み通りならば、今だけは確かに勝機はあるのだ。

 

 故にここは、一気呵成に責め立てる。

 

 

「フェイクシルエット!」

 

 

 両手で構えたアンカーガンの引き金を引く。少女の魔力を食らいて発現するは、虚実入り乱れた光の弾丸。

 茜色の輝きの数は十八。無数にばら撒かれた弾丸は複雑怪奇な軌道を描く。

 

 十八の内、真実脅威と呼べる弾丸は六つ。実体を持つのはそれのみで、残る十二は幻影だ。されど高速で飛来するそれを見極める術などありはしない。

 

 これぞシューティングシルエット。幻術魔法と射撃魔法の合わせ技を前に、回避などは意味がない。躱す余地などありはしない。故に、被弾は当然の結果であった。

 

 ティアナの行動。それは無謀であれ無意味ではない。蛮勇であれ無策ではないのだ。

 無意味な強がりではない。無根拠な思い込みではない。確かに勝機はあるのだと彼女は確信している。故に確信を抱いたまま、ティアナは幻影の弾幕に隠れて接敵する。

 

 

(信じなさい。ティアナ。他ならぬ私自身が見出した、確かな勝機を)

 

 

 女が無表情である事。ティアナを見ながらも、何処か遠くを見ている瞳。そして先の夢遊病者の如き発言。現実を見ていない。現実を見れていない。まるで薬物の中毒者の如きその姿。

 

 エリキシルと言う麻薬を大量に摂取した者が“這う蟲の王”ならば、或いは自然な姿と言えるのかも知れない。

 だが、ティアナは其処に疑問を抱く。そんな人物が指揮官足り得るであろうか、と。

 

 

(アイツは人形兵団を指揮している。前線での兵団の動きを見るに、間違いなく合理的な判断で行動している。……夢遊病者の如く精神が安定していない奴が、優秀な指揮官であれる筈がない)

 

 

 その姿こそ根拠。その様子こそ証拠。ルネッサが晒すその醜態こそが、ティアナの推測した勝機を裏付ける。

 

 

(予想通り。ええ、こいつの状態は予想通り。なら、勝てる筈よ)

 

 

 今こそが、這う蟲の王を討てる最大の好機。相手が遥か格上であったとしても、ティアナの予測が正しければ確実に勝てる。そんな確信で己を鼓舞しながら、ティアナは一気に走り抜けた。

 

 元よりシューティングシルエットは布石。その第一の弾幕を隠れ蓑にして、ティアナは本命の弾丸を叩き込む。

 

 その銃口に魔力が集う。レーザーサイトが展開され、その標準を定める。

 虎の子である一発のカートリッジによって膨れ上がる力は、シューティングシルエットの比ではない。

 

 魔力弾の着弾で隠れた砂埃の向こう。相手の状態は見れないが、それでも既に標準は定まった。この距離ならば外さない。

 

 

「ファントムブレイザァァァァァァッ!!」

 

 

 放たれるのは遠距離砲撃魔法。ティアナが持つ魔法の中でも最大の火力を誇る、真実彼女の切り札。

 

 本来、長距離の相手を狙撃する砲撃は、至近距離で放たれる事で威力を跳ね上げている。

 並の魔力障壁などあっさりと撃ち抜くであろう。例え彼女がどれ程の強者であろうとも、無傷で居られる筈がない。

 

 オレンジの輝きを纏った砲撃が土煙を吹き飛ばし、轟音と共にベルゼバブを撃ち抜いた。

 

 

 

 ガシャンと音を立てて排出される空となったカートリッジ。煙を上げるアンカーガンを手に、ティアナは呼吸をゆっくりと整える。

 

 シューティングシルエット。ファントムブレイザー。その二つの魔法で、ティアナの魔力の大部分が失われた。

 僅か一瞬の攻勢で半数以上を消費してしまう自身の魔力総量の低さに苛立ちながらも、会心の出来にティアナは笑みを浮かべる。

 

 相手は一切の抵抗をしていなかった。それは油断や慢心ではなく、出来なかったのだ。

 今のルネッサにはその余裕がない。その事実を、ティアナはこの場に来るまでの状況から推測し、確信していた。

 

 回避も防御も行う為には思考を割く。特に魔導師である以上は、魔法使用には計算能力を必要としている。思考容量には限りがあり、それが魔導師の行動限界だ。

 

 無論、性能の良いデバイスやマルチタスクを以ってすれば、そんな隙は減らせるであろう。機械の補助や、複数同時思考はその為にあるのだから。

 だが、それにも限界はある。これ以上は思考出来ないと言う限界点は存在しているのだ。

 

 

(躱せなくて当然。アイツは今現在も街中で暴れてる人形兵団を統率している。幾ら化け物染みた魔導士でも、そのレベルでマルチタスクを使い続ければ本体は疎かになるものよ)

 

 

 如何なる技術も、如何なる魔法も、その限界を超えられはしない。

 

 ミッドチルダで増え続ける人形達の数は既に万を超えている。

 その指揮を執り、フィードバックを受け続けている彼女が、真面な思考を残していられる筈がないのだ。

 

 今、この時この場所で戦う限りにおいて、ルネッサ・マグナスは全力を出せない。それをティアナ・L・ハラオウンは相対する前に予想していたのだ。

 故にこれこそ、彼女の策。相手が本領を発揮する前に、こちらを脅威と感じる前に、全力攻撃で何もさせずに撃破する。

 

 思惑通りに推移した戦場に、少女は無言で拳を握り締めて――

 

 

「っ!?」

 

 

 煙が晴れた先、未だ健在である敵の姿にティアナは絶句した。

 

 

「どうして……」

 

 

 疑問が零れる。これ以上ないというタイミングで、これ以上は出せないと言う最高火力をぶつけたのに、どうして平然としていられるのか。

 回避は出来ず、防御魔法すら使えず、それで何故健在で居るのか。訳が分からずにティアナは硬直する。

 

 多少の疲労感しか感じてはいないルネッサは、兵団の一部の指揮権を放棄して思考を取り戻すと、静かに告げた。

 

 

「……魔力ダメージの原理。その理屈程度は訓練生であっても知っているでしょう?」

 

 

 それは魔法学で学ぶ基本事項。何故物理的な破壊を伴わない非殺傷魔法で、他者の意識を奪えるのかと言う基礎的な理屈だ。

 

 非殺傷設定とは、相手の保有魔力そのものを傷付ける性質を魔法に持たせる特殊な変換魔法である。

 魔法を構成する魔力の一部を変換の為のエネルギーとして消費し、相手の魔力のみを傷付ける力へと変換する。

 その性質上、殺傷設定に比べると幾らか威力が落ちてしまうが、その分相手を傷付けずに意識を奪えるようになるのだ。

 

 保有する魔力が急激に低下すれば意識は薄れる。魂の力を一度に消費すれば、それによって支えられる我は薄れてしまう。

 非殺傷設定自体が持つ衝撃が其処に伴えば、人は意識を手放す。最悪の場合、衰弱状態からのショック症状すらも引き起こす。それこそが、非殺傷設定で人が倒れる理屈である。

 

 ならば逆説。非殺傷設定を受けて傷付いた魔力。それが魔力総量全体から見て、些細な物であれば?

 紙束で手を切れば出血はするだろう。だが、それで出血多量を引き起こす事はあり得ない。傷が少ないのだから、命に届く前に塞がってしまうのだ。

 

 

「貴女の全力砲撃は通りました。……けれどそれで、消耗した魔力なんて、全体の総量から見れば大した物ではない。多少疲労するくらいですね」

 

 

 単純に総量が違い過ぎる。百や千と言った数字から一を引いても誤差にしかならない。

 物理的な破壊力を伴わない非殺傷攻撃では、魔力差があり過ぎる相手には効果がない。

 それこそが、無防備なルネッサが倒れない理由だ。

 

 

「……っ!」

 

 

 ベルゼバブとなった女の全身を回る血液は、エリキシルと同一の物と化している。エリキシルとは反天使の血。それは無限の欲望が作りし高次存在の断片だ。

 

 故に女の血に宿った魔力はティアナの遥か上を行く。

 管理局に所属する高位の歪み者と同じく、神々には届かずともその汚染された力に並ぶ程度には魔力の質が高い。

 

 もし仮に此処に居たのがニアSランクの魔導師ならば結果は分からなかった。

 魔力量と強さは等号ではないが、それでも砲撃や斬撃の威力は込められた魔力量に依存する。

 

 ティアナの魔導師ランクは所詮Cランク。彼女の魔力は決して高くない。

 砲撃特化、斬撃特化ならば多少は通じたかも知れないが、彼女の資質もまた特化型とは真逆の器用貧乏。

 大した適正を持たないCランク魔導師の砲撃など、カートリッジで上乗せしたとて底が知れているのである。

 

 

「それでも傷付けたいのなら、せめて殺傷設定で来るべきでしたね。魔力差故に魔力攻撃に意味がないのです。物理的な破壊ならば、多少はこの身を傷付ける事も出来たでしょう」

 

 

 余りの弱さに憐れみを込めて、女は判断ミスだったと語る。

 人の域を超えた魔人とは言え、ルネッサは肉体的には人間の上位互換程度でしかない。

 大天魔の如くに無敵の守りなどないのだから、物理破壊を受ければ肉体は損傷する。殺傷設定だったなら、多少は被害を受けていたと。

 

 無論、実力差を思えば大した変化にはならないであろうが。

 

 

「無様とは言いませんよ。これが厳然たる実力差です。……力の差。絶対的な壁を前に小細工などに意味はない。唯、それだけの話なのですから」

 

 

 所詮幻術魔法は当てる技術。当てても意味がない程に、力に差があるなら無駄である。

 所詮ティアナは凡才だ。魔力の総量が高くなければ攻撃は通らず、しかしその魔力値とてそれ程の物は期待出来ない。

 

 ティアナ・L・ハラオウンは弱過ぎる。彼女では如何なる行動をしたとしても、結果は変わらない。結局は大差ない結果に終わっていた。

 だからこそ、これ程の好機を得ていながら、これ程のアドバンテージを持ちながら、しかし何も出来なかったのだ。

 

 

「っ」

 

 

 屈辱に唇を噛み締める。手を握り締めて、非情な現実を前に少女は震える。

 策略では覆せない差。ここでも才能が足を引っ張るのかと思考する少女に、優しげな声で女は告げた。

 

 

「最後に非殺傷を選択したのが過ちとは言え、存外、貴女の策は悪くありませんでした。寧ろ褒めてあげても良い。見事でしたよ、訓練生」

 

「……っ、嫌味の心算!」

 

「いいえ、本心からの言葉です」

 

 

 ティアナの行動は悪くはなかった。内乱渦巻くオルセアと言う地に育ち、現実の戦場を知る女の目から見ても、合格点を与えても良いくらいの策ではあった。

 

 

「私を見つけ出した事。何かをする前に一気呵成に責めたてた事。そして何よりも、今、この場で私に挑んだ事。それら全てが評価に値する」

 

 

 ティアナは今この時に、自分こそが最大のアドバンテージを持っていると判断していた。この状況下でなら、この女に勝てるのだと考えた。

 その判断は決して誤りではない。確かに正しい物であった。今こそが千載一遇の好機であった。

 

 

「今こそが最大の好機であると。人形兵団の動きを見ただけで、そう考えたのでしょう? 一見無鉄砲な行為に見えて、存外良く状況を見ている。頭の良さは大した物ね」

 

 

 そう。正しかった。ティアナの判断は確かに正しかった。

 

 既にクラナガン全域に生まれているエリキシル患者。その総数は万を超える。

 血中に流れるエリキシルと言う毒素を媒介に、対象の脳内へハッキングを行っているルネッサは、その総数と同じだけの魔法を使用せねばならない。

 

 如何に脳を改造され、更に複数のデバイスで強化されている彼女とて、その数は手に余る。どれ程指揮を簡略化しても、それでも既に限界は超えていたのだ。

 その全てを同時に制御し、そのフィードバックを受け続ける女は、ティアナに対して満足に対処出来ていなかった。

 故に此処に来ていたのがストライカー級であったのならば、その時点で勝負は決していたであろう。

 

 無論、その時は彼女も人形兵団の制御を切り離すであろうが、それでも即座には対応出来ない。

 相手を認識する前に初撃で高威力の歪みを受けてしまえば、ベルゼバブであっても耐え切れなかっただろう。それ程の隙を晒していたのだ。

 

 そんな好機は、今日この時を置いて他にない。本来、制御する人形兵団は小隊規模であり、ここまで膨れ上がる状況など、今日この日を置いて他にないのだ。

 

 一斉蜂起の為に、人形兵団が戦争を齎す為に、どうしても防げなかった死角。それは確かにこの瞬間に存在していたのだ。故にティアナの読みは何処までも正しかった。

 

 

「ですが、地力の差があり過ぎた。制御に一杯一杯となっている相手に、一切の攻撃が届かないなど、貴女も想定すらしていなかったでしょう」

 

 

 唯一点、地力の差だけを読み間違えた。多大な優位では覆せない程に、その差は絶対だった事を読み違えた。

 

 才能の差。それだけがティアナの足を引っ張っていた。

 その事実に無謀な少女は気付けなかった。気付く事が出来る要因や情報がなかった。それが全てだ。

 

 ティアナ・L・ハラオウンが挑むには、この敵は余りに強大過ぎたのだ。

 

 

「力の量が違えば、策に意味などありはしない」

 

 

 詰まる所、ティアナの手には最初から勝機など欠片も存在していなかった。

 

 

「理解しなさい。名前も知らない、か弱い訓練兵」

 

 

 まるで諭す様に講釈する。余裕を持って口にする。何処までも力不足な少女に、その現実を教え込む。

 

 

「どれ程に天才的な頭脳を持ち、悪魔の様な奸智を以って策を練ったとしても、力の絶対量が違えば通らない。絶対的な知略を持っている蟻が居たとして、その蟻は象に勝てると思いますか? 不可能です。まず勝負の土俵が成り立っていないのですよ」

 

 

 額にある三眼を模した飾りで、人形兵団が次々と討たれていく現状を認識しながら語る。

 

 凶殺血染花に蹂躙されていく配下に舌打ちをしつつも、数が減った事で自由に回せるようになったマルチタスクで、目の前に居るか弱い訓練生へと伝える言葉を思考する。

 

 

「私は魔刃程には強くない。彼を巨象とするならば、小型の犬猫が精々でしょう。……ですが、蟻に過ぎない貴女では超えられません」

 

 

 ティアナの全力でも傷付ける事すら出来ない女は、それでも無限蛇の最強戦力である罪悪の王とは比べ物にならない程に弱い。

 

 ルネッサ・マグナスは知っている。

 真に強き者の出鱈目さを、その荒唐無稽なまでの強大さを。

 

 その上で彼女は断じる。それでも己はお前より遥かに強いのだと。

 

 

 

 目が疼いた。どうしようもなく、右目が疼いた。

 お前の努力は無駄だ。結局才能は覆せない。その力の壁は変わらない。

 

 そんな風に憐れみの視線で語る敵に、講釈を語るだけで攻撃をして来ようともしない敵に、腸が煮えくり返る程の怒りを感じながらティアナは皮肉を口にする。

 

 

「……随分余裕ね。仮にも戦っている敵に向かって講釈を垂れるなんて」

 

 

 眼帯のない左の瞳で睨むように見詰めるティアナに、ルネッサは溜息を吐いて口にする。

 

 

「敵? 貴女が? まさか、そう口にするには貴女は弱すぎる」

 

「っ!」

 

 

 それは何処までも慈悲のない言葉だった。憐れみが込められたその言葉は、余りにも深くティアナの矜持を傷付けた。

 

 

「弱さも其処までくれば、見苦しいを通り越して哀れになると言うものです」

 

 

 そんな彼女に告げられるのは、余りにも屈辱的な言葉。

 お前など敵にすら値しない。そんな見下しと憐れみしか存在していない言葉であった。

 

 

「……それにその瞳、同病相憐れむ、と言うモノですかね」

 

 

 小さく呟いて付け加える女は、屈辱に唇を噛み締めるティアナに向かって告げる。

 ティアナが瞳を見て同類だと理解した様に、ルネッサもまた理解していた。同じ様な想いを抱く同類であると、理解したからこそ彼女は告げる。

 

 

「これが現実ですよ。名も知らぬ少女。貴女じゃ私に勝てやしない」

 

 

 何時でも殺せるのに仕留めない。分からぬ駄々っ子に母が道理を言い聞かせるように、彼女は柔らかい言葉使いで現実を伝える。

 

 一方的な同族意識。自分より弱い同類に向けた感情は、優しさではなく格下に対する憐れみで溢れている。

 

 

「っ! 舐めるなっ!!」

 

 

 その憐れみは腹立たしい。その結論は受け入れられない。

 強き者に対して弱き者が何をしようと勝てぬと言うのならば、己は永劫勝利出来ない事を意味している。

 

 

「私は示すんだ!」

 

 

 それしかないのだ。それしか残っていないのだ。

 それすら出来ないと言うのなら、一体何が残ると言う。

 

 

「ランスターの弾丸を! 兄さんの銃弾は天魔だって討てるんだって! 絶対に示して見せるんだ!!」

 

 

 オプティックハイド。陽炎の如く燃え上がる魔力は、周囲の景色と同化して消えていく。光学迷彩を展開する魔法によって、何処までも諦めない姿勢を見せる少女は姿を隠す。

 

 無意味だと知っても認められない。手札の全てがブタとなってしまった現状でも、それでもその先を望む。

 

 その在り様に溜息を一つ吐く。ルネッサとしては、彼女を必要以上に傷付けたくないと思っている。

 それは多分に同族意識も籠っているが、同時に合理も伴った思考。ここで彼女を殺すのは、勿体無いと感じていた。

 

 だから心を折ろうとしたのに、諦めない少女は無駄を重ねる。

 百の内の一しか削れずとも、百度続ければ勝ち目はある。そんな風に自分を誤魔化して、自身の魔力もカートリッジもまるで足りない現実から目を逸らして、ティアナは無駄を続けるのだ。

 

 これはもう、動けなくなるまで止まらないだろう。

 故に、ルネッサはデバイスの収納空間より一丁の大型拳銃を取り出した。

 

 銀色に輝く巨大な銃。それは人形兵団に配備されている物と同じく、巨大過ぎる質量兵器。スチールイーター。そのプロトタイプだ。

 

 

 

 イノーメスカノンと言う大型銃器がある。所有者の魔力を、その砲身内にある機械によって増幅し、本人の使用できる魔力以上の破壊力を発現しようとした兵器。

 エースオブエース。高町なのはの集束砲を再現しようとして作られた、強力に過ぎる大型砲だ。

 

 これはそれを無理矢理に小型化した物。この試作品は、真面に扱える者のいない欠陥兵器。

 魔力が無くとも使えるように改造された正式量産型のスチールイーターに比べれば、まるで洗練されていない駄作である。

 

 だが、ルネッサは違う。ベルゼバブならば、これを使える。その余りにも凶悪過ぎる質量兵器は、ベルゼバブの手中において真価を見せるのだ。

 

 

 

 拳銃に繋がれた管がひとりでに動き、ルネッサの頸動脈へと突き刺さる。

 吸い出される血液が銃弾へと加工され、吸い出される魔力がその砲撃を加速させる。放たれるは悪魔の魔弾。全てを滅ぼす偽りの星光。

 

 

「直撃させる心算はありませんが……死ぬ気で避けなさい」

 

 

 引き金が引かれる。ドォンと轟音が響いて、大気が震えた。

 

 量産品と違い威力を抑えられていない弾丸は、並み居る廃墟ビルを打ち崩す。大地を抉る様に砕き、廃棄区画の景観を僅か一発で大きく変える。

 兵団と争い続ける血染花を飲み込んで、己の配下達を焼き殺して、廃棄区画の大部分を更地に変えた。

 

 強大なる偽りの星光は全てを蹂躙する。幻術で隠れて居場所を見つけられないならば、居るかも知れない場所全てを薙ぎ払う。

 そんな余りにも力押しが過ぎる対処は、しかし確かに有効であった。

 

 

「っ……、あ……」

 

 

 態と外されて、それでも銃撃の余波だけで地に倒れ伏したティアナ。

 

 直撃ではない風圧だけで眼帯はズレ落ち、髪は解け、バリアジャケットを壊される。

 吹き飛ばされた際に全身を強く打ち付け、出血と痛みに意識を失い掛けている少女は、小さく呻き声を漏らしていた。

 

 

 

 

 

2.

「まだ息はありますか? 意識はありますか? 言葉を聞き取る事は出来ますか?」

 

 

 大口径の砲撃を放った反動で、ズタボロになった右腕をだらしなく垂らしながら、ルネッサは静かに口にする。

 呻き声を上げるティアナに息がある事を確認すると、ルネッサは静かに言葉を続けた。

 

 

「これが私と貴女の差ですよ。訓練生」

 

 

 血管に突き刺さった管を支えに、振り子の如く宙で揺れる大型拳銃。それによって折れた腕が、異音を立てて復元する。

 まるでビデオを逆回しで再生するかの様に、血肉や骨や神経が生えて結び付き再生する。数秒と言う時間を必要とする事無く、その傷は消え去っていた。

 

 

「……理解しなさい。貴女は弱いわ。何も出来ない程にね」

 

 

 不死不滅の怪物は倒せない。無限に再生する女は、ティアナの手に負える者ではない。

 

 それでも――破れた鼓膜から血が零れる。

 

 

「あ、……っ」

 

 

 少女は歯を食いしばる――解けた髪は血に塗れて、べっとりと重たくなっている。

 

 

「あき、らめるか」

 

 

 その手を必死に握り締めた――握力は上手く入らず、身体は震えて動かない。

 

 

「諦める、か」

 

 

 立ち上がる事を諦めない――身体は既に限界で、だから何だと言うのであろうか。

 

 

「諦めるものかぁぁぁぁっ!」

 

 

 元より無理は知っている。始めから無茶だと分かっている。

 今更絶望的な差を見せられた所で、この道を諦めるなんて選べない。

 

 だってこれしか残ってないのだ。この道しかないのだ。それさえ諦めてしまえば、本当に何も残らない。

 弱いから、届かぬから、それで諦め生きていくなら、このまま死んでしまった方が遥かに救いだ。

 

 これは誇りではない。これは勇気ではない。これは意思の強さではない。

 これは唯の悪足掻き。執念が生んだ意地。少女に残った見苦しい執着心。

 

 だが、それが何であれ、立ち上がる力には変わりない。

 自分の身体に治療魔法を掛けて、荒い呼吸を無理に整えて、少女は何とか立ち上がる。

 

 策略などない。立ち上がった意味などない。

 それでも諦められぬから、ティアナはアンカーガンを片手に走り出す。

 

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 遠距離は不味い。それを今の一撃で理解した。

 直撃どころか掠っただけで死に掛ける質量兵器、それを使わせた時点で敗北だ。

 

 故に狙うは零距離攻撃。密着状態の近接戦。独学の体術で挑む。

 素早い接近から放たれる蹴撃。それは自己流とは思えぬ程度には鋭い物であり――

 

 

「はぁ、何度も言う様に、貴方では無理ですよ」

 

 

 身体能力を強化されたルネッサを上回る事は出来なかった。

 

 振るわれた足を右手で掴まれる。その掌が握り締められた瞬間、ティアナは耐え難い苦痛を感じて絶叫を上げていた。

 

 

「づっ!? あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 まるで焼き鏝を当てられたような熱さ。硫酸を掛けられた様な嫌な音。

 ジュワジュワと音を立てて吹き上がる煙が溶かすは、ティアナの足の血肉である。

 

 

「ベルゼバブの体液は強酸の毒。その唾液、汗の一滴でも触れれば最後、骨まで溶ける」

 

 

 女の言葉に何かを返す余裕もなく、猛毒の手に足を掴まれたティアナは絶叫する。

 痛みに苦悶し、肉体が溶けると言う言葉に恐怖し、後先など考えずに逃れようと銃を向ける。

 

 非殺傷は通じない。それでは逃げられない。

 ならば使うのは唯一つ。この女が通ると語った殺傷設定。

 

 傷付ける覚悟だとか、殺傷設定を使う意味だとか、そんな事は考えない。そんな事を考える余裕はなく、唯、痛みより逃れたくて魔力弾を放つ。

 

 放たれた弾丸は、余りにもあっさりとルネッサの右腕を吹き飛ばした。

 

 二の腕から吹き飛んだルネッサの手。自身の足に絡み付いたままのそれに、その指の隙間から白い骨が見えている自身の足に表情を引き攣らせながらも、その手を排除しようとアンカーガンを向けて。

 

 

「BANG!」

 

 

 その手が爆発した。

 

 

「っっっっっ!!」

 

 

 それは人形兵団を操るのと同じ理屈。血中にあるエリキシルを媒介に、その魔力を暴発させると言う行動。

 弾け飛んだ腕が撒き散らす赤い液体に濡れて、ティアナは声にならない絶叫を上げのたうち回る。

 

 

「ベルゼバブの体質の根源となるエリキシル。それは血液中の赤血球と同化しています。故に、最も毒素が濃いのはその血液。汗や唾液が強酸ならば、その血液は万物を溶かす腐食の毒です」

 

 

 全身にその血を浴びて、ジュウジュウと焼け爛れる音をさせながら悲鳴をあげるティアナ。肌を焼かれ、皮膚を焼かれ、全身から煙を上げて溶かされていく。

 

 切り離された己の一部を、爆弾として使い捨てたルネッサの腕が再生を始める。

 ぐちゅぐちゅと腕が修復していく。今度は先と違い、ぶら下がっているスチールイーターをも巻き込んで歪な形に変じていく。

 

 右手が異常に肥大化した姿。右半身が機械化した異形。

 その血肉は金属が混じって変色し、肉塊と融合した大型銃器は生体大砲となる。

 

 悪魔の顎門の如きその砲門が、地面に蹲ったティアナへと向けられる。最早結果は確定した。

 

 

 

 全身を焼く痛みに苦しむ中、ティアナは確かに己に向けられた砲門を視界に入れる。全身を焼き尽くす熱の痛みに震えながらも、異形と化したルネッサの右腕を見る。

 

 その魔砲は一秒先にも己の命を奪うであろう。

 

 これで終わりなど、認められるか。認めたくない、諦められない。

 歯を砕きたくなる程の悔しさに震える。同時に何処か安堵も感じて、それを否定する様に唇を噛み締めた。

 何も出来ない自分の弱さに、目の奥が酷く疼いて痛んだ。

 

 一秒、十秒。耐え難い程の屈辱と、僅かな安堵を抱きながら死を待つティアナ。だが、幾ら待てどもその瞬間はやって来なかった。

 

 

「……な、んで」

 

 

 強酸にやられてひりつく喉。掠れた声で問い掛ける。

 何故、撃たぬのか。何故魔砲を下ろしているのか。困惑するティアナに、告げられる言葉は予想もしていなかった物であった。

 

 

「ねぇ、訓練生。貴女、無限蛇に来ませんか?」

 

 

 それは、蛇の誘惑であった。

 

 

 

 

 

3.

 もしも喉が焼けて声が真面に出ない状態でなければ、大声を上げて驚いていたであろう。絶対的な勝利を前にして、女が口にしたのは犯罪組織への勧誘。

 

 どうして、と瞳を揺らがせて困惑するティアナにルネッサは語る。彼女が何故、ティアナを無限蛇へと誘うのかを。

 

 

「その明晰な頭脳。未だ諦めない意志の強さ。そのどちらも、普通の人間では持ち得ぬ物。魔法を扱う才能なんかより、遥かに価値のある物です」

 

 

 彼女が加減をしていたのは、見定めたティアナの資質故。一撃で殺そうとしなかったのは、その資質が得難い物であると感じたから。勿体無いと思ったのは、彼女の知識と執念が確かに価値ある物だからだ。

 

 

「分かりますか、訓練生。魔力の大小なんて、身体を弄れば後付けで増やせる。単純な力は上乗せ出来る。脳の記憶領域や計算機能も変えられるけど、想像力を必要とする推理力だけは後付け出来ないのです」

 

 

 事実、ルネッサ自身も本来はこれ程化け物染みた魔導師ではなかった。

 デバイスよりも質量兵器を持った方が強い。その程度の人間でしかなかった。

 

 そんな彼女がベルゼバブとなった。それだけでこれ程の怪物に至れたのだ。

 

 素の性能差など多少の差異にしかならない。天分に溢れた魔法の才などより、明晰な頭脳の方が無限蛇にとっては価値があるのだ。

 

 

「エリキシルを摂取すれば、それで魔力量も増えていく。今はそれよりも強力な、グラトニーと呼ばれる薬剤も研究されています」

 

 

 エリキシル。その液体は魔群の血。無限の欲望が作り上げた、ジュデッカより堕ちて来た物。

 

 高次存在であるそれを長期間服用すれば、それだけで高位の歪み者に近い魔力を得る。異能の質で劣ろうとも、陰の伍等級の歪み者になら匹敵する力を獲得できる。

 

 ルネッサと同規模の怪物ならば、無限蛇は時間さえあれば生み出せるのだ。

 その改造に耐え抜く意志力さえあれば、誰でもこの領域に上がれるのである。

 

 

「貴女が望めば、このスチールイーターだって手に入る。Sランクオーバーの砲撃だって、好きに使える様になる」

 

 

 ルネッサが持つスチールイーターは、ベルゼバブでなければ使えぬ物だ。だが逆に言えば、ベルゼバブであれば使えてしまう。

 ティアナが望み同意すれば、唯無心に鍛えるだけでは得られぬ力が手に入るのだ。

 

 

「与えられた力は嫌いですか? 恵まれる力なんて望んでいませんか? いいえ、貴女はそう言う人間ではない」

 

 

 そんな拘りはない。与えられた力では意味はない、などと言えるのは才能溢れる者だけだ。

 

 弱いのだ。貫けぬのだ。諦められない事があるのに、このままではそれを為せない。そんな状況で、弱い者が恵まれた力を否定出来る筈がない。

 

 

「分かりますよ、訓練生。だって同じ目をしている。私達は同類なのだから」

 

 

 神様に頭を下げて恵んで貰った力だって喜んで振るうだろう。こんな私は強くて凄いと胸を張るだろう。体を切り裂いて、中身をグチャグチャにして、それで強くなれるなら安い代価だ。

 

 それで目的を果たせるならば、手段などどうでも良い。手段に拘るなど、目的への執着が薄いのだ。渇望と言えぬ程に安いから、手段を選ぶ余地がある。

 

 少なくとも、ルネッサはそうだと思っている。

 そして、ティアナ・L・ハラオウンも同じであろうと、ルネッサは確信を抱いて口にした。

 

 

「私はオルセアと言う地に生まれました。物心付いた時から戦場で兵として使われていて、あの人に拾われて当たり前の幸福を得た」

 

 

 ルネッサは語る。同胞を同じ道へと引き入れる為に、彼女は己の素性を明かす。お前と私は同じなのだと、ティアナに分からせる為に己を告げる。

 

 

「けれどそれも失った。あの人が手にしたロストロギアを求めた魔刃に、その全てが燃やされた」

 

 

 燃えて消え去る黒き炎。焔に焼かれて灰すら残らない光景こそ、ルネッサの記憶に刻まれた弱者の烙印。

 

 

「あの人は私を庇って死んだ。娘だけはと口にされた言葉に、魔刃は憐れみを浮かべて姿を消した。……結局私は何も出来ませんでした」

 

 

 弱かった。泣きたくなる程に、どうしようもない程に、嘗てのルネッサはティアナと同じく弱かったのだ。だから全てを失った。

 

 魔刃に見逃された彼女は、無限の欲望に囚われる。人体実験の材料として、凄惨極まる地獄の底へと送られた。

 

 

「私には何もなくて、漸く得た物も失って、……結局残ったのはあの人が語っていた夢の残骸」

 

 

 強くなければ意味がない。弱き命に価値はない。

 それは無頼のクウィンテセンス。弱肉強食の理こそが、弱き彼女に刻まれた烙印。

 

 強くならなければいけなかった。何を犠牲にしようとも、強くならなければと感じていた。

 強くなければ、何も為せない。また何かを得たとしても、結局何もかも失くすのだろう。

 だからこそ、無限の欲望に囚われた事は、彼女にとっては絶望ではなく希望であったのだ。

 

 

「戦争をしましょう。最初はミッドチルダ。それから一つ、一つと世界を増やしていく。遍く次元世界全土を焼きましょう。それを為す力は、此処にある」

 

 

 堕ちた女が行き着いたのは蛇の底。無限の欲望に囚われ、望まぬままに墜ち続けて、そんな暗闇の底で、女は漸く望んだ力を得た。

 

 

「戦争をしましょう。あの人が残した夢。辛く苦しい戦争こそが、日常の尊さを教えてくれる」

 

 

 どの道、それ以外に譲れぬ物など残っていなかったのだ。ならば、己の身体も、己の誇りも、己の矜持も、その夢以外は必要ない。

 故にその望みを叶えようとしている。流されるままであったとしても、この今に満足しているのだ。

 

 だって、願いは漸く叶うのだから。

 

 

「それが私、ルネッサ・マグナス。残された最期の意志に縋る、何を対価に捧げても為そうとする。そんな人形兵団の指揮官よ」

 

 

 其処に偽りはない。同胞へ言葉を偽る意味がない。

 その目は真摯であり、その想いに不義はなく、その意志に揺らぎなどありはしない。

 

 

「……貴女もそうなのでしょう? 同じ目をしている貴女は、同じような想いを抱いている。その想いを諦められないからこそ、貴女は膝を折らないのでしょう?」

 

 

 ティアナ・L・ハラオウンとルネッサ・マグナス。この二人に、果たしてどれ程の違いがあるであろうか。

 向かう道筋は同じであり、抱く感情の質は同じであり、胸を焦す想いの多寡は同じである。

 

 違うとすれば唯一つ。ルネッサの方が救えぬ場所まで堕ちている。

 

 

「ねぇ、貴女の想いを聞かせてくれない? 貴女の願いを語ってくれない? 貴女の名前を教えてくれない?」

 

 

 故にその誘惑は何処までも甘い。

 ティアナが望む未来を、彼女が否定出来ない言葉を、ルネッサは確かに口にする。

 

 

「きっと貴女は大成する。その瞳が揺るがぬ限り、無限の蛇でこそ大成する。元の資質を考えれば、或いは私より上に行ける」

 

 

 管理局では其処まで至れない。魔力量が、そのリンカーコアの質が足を引っ張る。人道に配慮せねばならぬ集団では、其処まで人を外れられない。才能の壁は超えられない。

 

 だが、無限蛇ならば違う。誰に憚るでもなく、悪を為せる。非人道的な行為とて幾らでも為せる。そんな蛇の中でこそ、ティアナの才は花開く。

 

 

「貴女が司令官になって、私がそれを支える副官となる。そんな妄想が浮かんでしまったのです。……それはちょっとだけ、素敵じゃないかと思うのですよ」

 

 

 始めて目を見た時に理解した。彼女が同じだと思った時、そんな下らない妄想が浮かんだのだ。

 此処まで堕ちてもなお同族を求める意志がある事に驚いて、ルネッサはそれを是として受け入れた。

 

 

「どの道、管理局も無限蛇も変わりはありません。違いは表か裏かだけなのだから、どちらに居ても多少の差異しか存在しない」

 

 

 最高評議会直属の暗部。表沙汰に出来ない技術試験や、非人道的な人体実験を行う部隊。民衆をコントロールする為にマッチポンプを行う犯罪集団。それこそが無限蛇の実態だ。

 故に管理局と無限蛇に差異はない。所詮はコインの裏表でしかないのだ。

 

 

「力を望むなら、私の手を取って欲しい。願いを叶えたいと思うなら、無限蛇へと墜ちれば良い。無限の蛇は、貴女に無限の力を与える。さあ、私と共に、蛇の牙として生きましょう」

 

 

 だから、共に墜ちよう。友達になろう。

 そんな風に、ルネッサは優しい笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

4.

 その誘惑は甘い。楽園を追放された始原の人の如く、蛇に誘われ禁断の果実へと手を伸ばす。

 

 痛みは感じない。痺れは感じない。苦しみはもう感じない。それよりも強い衝撃を受けたから。

 

 これ程に強い力が得られる。

 己を蹂躙した力が手に入る。

 これがあれば、大天魔にだって挑めるかも知れない。

 

 そう考えると、断る理由がなかった。拒む選択などなかった。拒める意志などありはしなかった。

 

 

(私は弱い。けど)

 

「ええ、弱さもこれで御終い。私達は、もう無価値ではありません」

 

 

 無限蛇に堕ちてでも、叶えたい願いがあった。

 この場所で叶えられないならば、其処に価値などはなかった。

 

 だから、差し出された手を取ろうと手を伸ばす。

 強酸の腕に触れるのではなく、その機械の半身を握る様に手を伸ばす。

 

 曖昧な思考で、朦朧な意識で、それでもこの手を取れば、願いは叶うと思ったから。その願いが叶った時を夢想して――

 

 

――御免な、ティアナ。悪いお兄ちゃんでさ。

 

「あ」

 

 

 そんな言葉を思い出した。

 

 

――気付いてやれなかった。お前が沢山苦しんでる事。我慢してた事、まるで分かんなかったお兄ちゃんで御免な。

 

 

 病室で寝込むティアナに、彼が語った言葉。

 執務官試験の最終段階まで進んだのに資格取得を諦めて、慌てて戻って来た兄が語った言葉。

 

 

――それと、許してほしい。こんな馬鹿をやったのに、まだ管理局員で居る事を許して欲しいんだ。

 

 

 意識が朦朧としていたティアナには聞こえていないと思っていたのだろう。

 涙を堪えて、頭を下げて、自責する姿を晒したまま、ティーダは己に誓うように口にしていた。

 

 

――僕は守りたい。ティーダ・ランスターは守りたいんだ。ティアナや、ティアナが生きるこの世界を。

 

 

 だから許して欲しい。熱に浮かされたティアナの手を取って、ティーダは確かにそう口にした。

 ティアナに伝えるのではなく、愚かな事を続けていると自分に言い聞かせるように、ティーダはそう口にしていたのだ。

 

 あの時と同じように意識が朦朧としているからだろうか、忘れていた言葉がこんなにも明確に思い出せていた。

 

 

(この手を取ったら、兄さんは何を言うだろうか)

 

 

 困った表情で、悲しそうに瞳を閉ざす姿を幻視する。きっと、それは褒められた事ではない。

 ならばどうしたら良いのか、譲れぬ想いがあって、けれどその為の最適解が過ちならば、一体何が正しいのだろうか?

 

 その問い掛けに対する答えは、ティアナの記憶の中に既にあった。

 

 

――なら、その信用に背かないように頑張らないとな。ああ。約束する。

 

――はい。約束です。

 

 

 思い出すのは一つの遣り取り。もう一人の兄と交わした、果たされなかった約束。

 交わした約束は果たされず、彼はあっさり破ってしまったけれど、ああ、それでもその言葉は真実だった。

 

 

(そう。そうよね。そうなのよね、お兄ちゃん)

 

 

 信頼に背かないように頑張る。それは一つの回答だ。

 その答えを知っているからこそ、ティアナは伸ばした手を途中で止めた。

 

 

「……何の心算ですか?」

 

「別に、大した事じゃないわ」

 

 

 掠れた声。ボロボロの言葉。けれど強い瞳で口にする。

 

 ドロドロに濁った瞳は、まだ澄み渡っている訳ではない。その願いは変わった訳ではない。その執念は、未だ揺るがず存在している。

 けれど、この眼前の女と己に、確かな違いを見つけたからこそ、ティアナはその手にアンカーガンを握り締めた。

 

 

「……ただ、ね。無限蛇(そこ)は、私の願いに続く道じゃない」

 

 

 魔力とは魂の力だ。故に魂が輝く時こそ、その力は真価を発揮する。

 それでも得られた魔力は多少の傷を癒す程度。言葉を喋れる程には回復しても、それ以上の結果など出せよう筈もない。

 だからティアナは上体を起こすのが限界で、それでも確かに強い意思で口にするのだ。

 

 

「まさか、貴女の願いは手段を選べる程に軽いのですか? 与えられた物じゃ意味がない。為す術が悪では価値がない。そんな愚劣で薄っぺらい言葉を語る気ですか?」

 

 

 理解出来ない。訳が分からない。手段を選べるのは想いが弱いからだ。手段の是非の方が、願いよりも重いから選ぶ余地があるのだ。

 

 そう考えるルネッサは、故にこそティアナの言いたい事が分からない。

 

 

「……逆に、聞くけど、アンタ、何の為に戦争を起こすのよ」

 

「何ですって?」

 

 

 そんなルネッサに対して、ティアナは前提となる問い掛けを口にした。

 

 

「だから、何でミッドチルダ焼くのかって話」

 

 

 ルネッサ・マグナスの願いは聞いた。そしてその上で確かに理解し共感した。

 彼女の願いは一面においては真実だ。戦いの中でこそ、失われるかも知れない状況でこそ、確かに大切な物の輝きを知れる。

 

 失って始めて気付く物はある。それを教える為に戦争を起こすと言うのは本末転倒な行いだが、ティアナが言いたいのは其処ではない。

 

 

「バッカじゃないの? もうミッドチルダは戦争状態じゃないの。ずっと昔から天魔と戦ってるのに、今更そんなの教える余地なんてないじゃない!」

 

「え、あ……」

 

 

 そう。ルネッサ自身、既に知っていた。

 彼女の養父は、ミッドチルダの姿を見て闘争の世界にこそ真の輝きがあると夢見たのではないか。

 全ての世界がミッドチルダの様になれば良いと、そう願ったのはトレディア・グラーゼではないのか。

 

 ならば、そんな彼の理想であるミッドチルダを今更焼くのは、本当に彼の願いに沿った行動なのであろうか?

 

 否、断じて否である。

 

 

「失くす物は何もないっ! 痛くても辛くても戻らないっ! だけどっ!!」

 

 

 もう失くす物なんてなくとも、それでも選んではいけない道はある。

 どれ程に苦しくても、暗闇の中に一人取り残されていても、最後に残った願いだけは否定してはいけないのだ。

 

 

「絶対に選んじゃいけない選択肢はあるのよ! 目的の為にじゃない! 何の為にその目的を為すのか! それを忘れちゃ意味ないじゃないっ!!」

 

「っっっ!?」

 

 

 ルネッサが息を飲む。ティアナの言葉は、何処までも正しい。

 

 何の為にそれを為すのか、それを忘れてはいけない。

 例え手段を選ばぬ程に渇望しても、願いの本質を揺るがせてしまえば本末転倒にしかならない。

 

 何を望んでいたのか、それすら忘れてしまっては、結局己の手で己の夢に泥を塗っているような物ではないか。

 

 

「私は忘れないっ! この夢をっ! 明日に続くこの道をっ!!」

 

 

 どれ程辛くとも、忘れてなるものか。どれ程にきつくても、忘れてなるものか。

 

 彼女の願いは決まっている。例え独善に過ぎなくても、例え自己満足に過ぎぬとしても、彼女がこの道を志すのは、残された一つの価値を示す為に。

 

 

「兄さんの教えてくれた弾丸の強さを示す為にっ! ランスターの弾丸で、勝てるんだって示す為にっ! あの人の強さを分からせる為にっ! だからっ!!」

 

 

 あの人の夢に泥を塗ってはいけない。守る事を望んだ彼の跡を継ぐならば、この身は守護者でなければいけない。

 

 

「兄さんの為に進むこの道でっ! あの人の夢を貶めてたら意味がない!!」

 

「私は、私はっ!?」

 

 

 少女と女は幻視する。互いの目的、誰の為に望んだのか。その大切な人の姿を幻視する。

 少女の兄は仕方がないなと笑っていて、女の父は悲しそうに嘆いていた。結局、それがこの二人の違いだったのだろう。

 

 

「約束する。その信用に背かぬようにっ! あの人達の誇りに泥を塗る手段なんて、私は望んでなんかいないのよっ!」

 

 

 二人の兄。大好きな人達。その人達が掲げる理想は、今なお変わっていないと知っていて、だからこそティアナは差し出された道を選ばない。

 

 無限蛇ではない。管理局員として、彼女の願いは果たさなければ意味がない。

 だって、ティーダ・ランスターは、この日常を守る事こそを望んでいたのだから。

 

 

「違う。私は、こんなの、一緒な筈なのに」

 

「アンタと一緒にするな! ルネッサ・マグナス!!」

 

 

 迷う様に、縋る様に、お前も一緒だろうと手を伸ばすルネッサ・マグナス。そんな彼女の想いを切り捨てて、ティアナは彼女を否定する。

 

 

「アンタは忘れた!」

 

「っ!?」

 

 

 否定する。

 

 

「アンタは間違えた!」

 

「だ、まれ」

 

 

 否定する。否定せずには居られない。

 

 

「アンタは父親の夢に、自分で泥を塗ったのよっ!!」

 

「黙れ」

 

 

 あり得たかもしれない未来。居たかも知れない己。だが、だからこそティアナはルネッサに成り得ない。

 この成れの果ての如く、大切な事を忘れてしまうなどありはしないのだから。

 

 

「そんなアンタと、私を一緒にするな! 馬鹿女っ!!」

 

「黙れぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 その否定の言葉に激怒して、ルネッサは右の砲門を少女に向ける。

 認められない。認められる物か。認めてしまえば、異形と化したこの身は何なのだ。

 

 人と触れる事すら出来ぬ程に堕ちて、見るも悍ましい異形に変わって、それでこの夢に泥を塗っていたなどと言われて、ああそうかなどとは口に出来ない。

 

 

「消えろっ! お前なんかっ!!」

 

 

 だから消えろ。己の矛盾を晒す少女など要らない。

 虚偽と虚構で誤魔化して、己は幸福なのだと思い込んでいた。だからこそ、その鍍金を剥がす少女は居てはならない。

 

 

「レェェストイィィンピィィィィスッ!!」

 

 

 まるで泣き喚く子供の様に、ルネッサはその魔砲の引き金を引いた。

 

 

 

 迫る魔砲。偽りの星光。それを前に、ティアナは動じない。

 それは対策があるから。この魔砲では死なないと確信しているから――

 

 

(って言う理由だったら、良いんだけどね)

 

 

 そんな訳がない。ティアナに打つ手など何もない。

 唯、一緒にされるのが癪だったから、散々良い様にされてムカついたから、思いっきり否定してやっただけだ。

 

 

(これで終わりね。けど、ま、凡人には相応しい。寧ろ及第点でしょ。……自分の夢を間違えなかったんだから、さ)

 

 

 偽りの星光が、ゆっくりと迫る。視界が遅くなる感覚。意識が引き延ばされる中、ティアナはこれが走馬燈だろうかと理解する。

 

 

(結局、会いに行けなかった。……どうせ死ぬなら、行けば良かったかな)

 

 

 そんな風に思考して、せめて走馬燈では会いたいなと期待する。

 どうすれば会えるだろうか、引き延ばされた時間をそんな思考に浪費して。

 

 

「……何で、アンタが見えんのよ」

 

 

 その右の瞳に、見たくもない顔が映った。

 狂おしい程に会いたいと思った二人ではなく、もう二度と見たくないと思っていた顔が右目に見える。

 

 全身に赤き刻印が浮かび上がり、瞳を赤く染めたその姿。ティアナが見た事もないそれは、走馬燈ではない。

 疼く痛みが消え去った彼女の右目が見せるは、未来に起きる確かな現実。

 

 

「ディバイドゼロ・エクリプス!!」

 

 

 その瞳に映った光景に僅か遅れて、駆け付けた少年が拳を振るう。未だ制御出来ない力を、一瞬だけ放出する事で魔砲を防ぐ。

 赤き輝きを纏った拳が偽りの星光を打ち砕き、その脅威を跡形もなく消し去った。

 

 

「……何で、アンタが」

 

 

 赤き刻印は一瞬で消え失せ、其処に立つのは茶髪の少年。

 そんな何時も通りのいけ好かない表情を浮かべた彼は、何時も通りの腹が立つノリで答えるのだ。

 

 

「泣いてる声が聞こえた!」

 

 

 だから何だと言うのか。一体どうやって来たと言うのか。

 そんなティアナの疑問に答える事はなく、トーマは二人の間に立つ。

 

 ティアナの前に立つ少年の背中は、ムカつく程に頼もしい。

 

 

「だから、その涙を拭いに来たんだ!」

 

 

 力強く口にして、少年は師に教えられた通りの構えを取る。

 

 ここにトーマ・ナカジマが参戦した。

 

 

 

 

 

 




ギース「あれ? 俺の知っているベルゼバブじゃない」


ベルゼバブってジューダスの劣化品だよね。
じゃあ、ガチで劣化魔群にしよう。そんな思考で強化されたルネッサさんでした。


作者の中での俗称が『なのは砲』になっているプロトタイプスチールイーター。兎に角強いの作ろうとして、派手に失敗した欠陥品。
あくまでも、無印なのはさんの再現なので、惑星破壊は出来ません。イノーメスカノン云々も捏造設定です。

ここの反天使作っちゃうスカさんなら、なのは砲作ってもおかしくはない。
寧ろ作れない方がおかしいと思ったから、悪ノリでやってみた結果だったりします。


どうしよう。設定的にコレ、量産できるようになっちゃったんだけど。(震え声)




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訓練校の少年少女編第五話 涙を拭う手を伸ばす

ルネさんの年齢は原作と変わっていないです。けど、見た目的には原作通りです。

Q.詰まり、どういう事だってばよ。
A.見た目は大人! 頭脳は子供! その名は、無限蛇のルネッサ!!



推奨BGM
1.ROMANCERS'NEO(リリカルなのはA's POTABLE -THE GEARS OF DESTINY-)
2.トーマ テーマ曲(リリカルなのはA's POTABLE -THE GEARS OF DESTINY-)
3の途中から.Paradise lost(PARADISE LOST)



1.

 突如現れた少年。その拳があっさりと星光を消し去った事に、ルネッサは最大級の警戒を以って向かい合う。

 

 どれ程に動揺しようとも、彼女の加工された脳髄は戦闘時には冷静な判断力を取り戻す。必要と彼女が判断すれば、その動揺は切り替えられる。

 

 自身の最大威力である魔弾を防げる少年。その存在は、敵に値しないとは言えない。

 まずは観察して出方を窺わなければ、そう彼女の脳内に刷り込まれた戦闘知識が判断を下していた。

 

 

(正直、助かった)

 

 

 そんなルネッサの冷静な判断に、最も救われていたのはトーマ・ナカジマに他ならない。

 

 ぶれる視界。映る風景は矮小化し、敵性を除いた全てが正しく認識できなくなる。

 一瞬しか発動させなかったと言うのに、こびり付いて離れない認識異常。それは身の丈に余る力を使った代償だ。

 

 

――世界を壊す癌。エクリプスウイルス。

 

 

 己の内にある毒素。永劫破壊の模倣は世界を壊す。

 あらゆる魔力を分解し己が内へと喰らい尽くすその力は、魂の簒奪と言う聖遺物が持つ基本機能を極端に引き上げた物。

 

 

――それは君の世界を軽くする。全てを破壊し、それさえ認識させない毒だ。

 

 

 その対象は魔力のみに限らない。この世界の万物とは魔力によって構成されているのだから、食らう力が取り込むのは魔力だけでは済まない。

 

 トーマ自身が気付けぬままに、世界を剥がして食べてしまう。

 この世界は簒奪に抗える程の力が残っていないのだから、崩壊は自明の理である。

 

 ゆっくりと剥がれていく世界。偽りの星光を迎撃した場所は、まるで爆撃にあったかのようにごっそりと地面が剥がれ落ちている。

 

 一瞬の発動によって“トーマに食われた”ミッドチルダの大地。それが物語っている。これを制御せずに使い続ければ、比喩でも誇張でもなく世界が滅ぶ。

 

 使ってはならない。決してそれは、世界を救う力には成り得ない。

 それを知っている。この力の怖さを、母の死の原因となった嘗ての暴走を、トーマは決して忘れない。

 

 

――けど、使わないといけない。そう思った時には、迷わずに使うんだ。

 

 

 師の言葉が胸中で木霊する。恐ろしい己の力に恐怖する心を意地で捻じ伏せる。

 必要ならば、躊躇わずに振るうべきだ。それで救えるならば、決して怖気ついてはならないと知っている。

 

 

(……分かっています。今がその時、ですよね、先生!)

 

 

 泣いている声が聞こえた。唯それだけの理由で現れた少年は、ルネッサ・マグナスと対峙する。

 

 呪われし世界の毒はそう何度も使えない。未だ五感がその代償で狂っているのだ。ゼロは使えて後一度が限度。その次に使えば制御が外れ、その次の次には暴走に至ろう。

 

 魔砲はもう防げない。それでもその身に怯懦はない。

 そんな物は、足を止める理由にはならないのだから。

 

 

「涙を拭いに来た、ですって!」

 

 

 片や慎重さ故に、片や手詰まりになっているが故に硬直している両者。そんな動けぬ二人に変わり、口を開くのはティアナ・L・ハラオウンだ。

 

 

「ふざけんじゃないのよっ!」

 

 

 己では逆立ちしても適わぬ敵に勝てるかも知れない。そう思わせる少年に腹が立つ。

 これで分かり易い俗物の様に手柄の横取りを望むならば兎も角、助けに来たと恥ずかしげもなく口にする少年に苛立ちを抑えられない。

 

 誰が泣いている物か。誰が助けを望んだ物か。そんな拒絶の意思が籠った言葉。

 

 

「ふざけてなんかいないっ!」

 

 

 そんな言葉を、トーマは一言で否定する。

 

 

「僕は真面目だ! 助けに来て何が悪いっ!」

 

 

 ルネッサから瞳を逸らさず、されど込められた想いさえも届くその言葉。それは何処までも自分勝手な我儘だった。

 

 

「君が危機に陥っている事が分かって! 目の前に泣いている人が居る事を知って! 黙っているなんて出来るもんか!!」

 

 

 知ってしまったのだ。分かっているのだ。

 なら、どうして手を伸ばさずに居られようか。

 

 

「助けに来た! ティアを! そして、ルネッサさん! 貴女もだ!!」

 

『はっ!?』

 

 

 トーマの言葉に、ティアナとルネッサは声を揃えて驚愕する。彼の発言は、誰にとっても想定外の物であった。

 

 

「言ったろ、涙を拭いに来たって!」

 

 

 ティアナ・L・ハラオウンは泣いていない。

 彼女は何処までも強い意思を胸に、確かに前を向いていた。

 

 故に泣いているのは彼女ではない。

 トーマが涙を拭いたい相手は、ルネッサ・マグナスに他ならない。

 

 

「泣いているようにしか見えない。助けを求めているように見えたんだ! なら、どうしてそれから目を逸らせる!」

 

 

 それは渇望ではない。それは願望でもない。

 

 それは何処までも、当たり前な感情の発露。目の前で泣いている人の存在を知って、それから目を逸らせないと言うごく当然の優しさでしかない。

 

 

「この指は、その滴を止められるかも知れない! この手は、伸ばせば届く場所にある! なら、手を伸ばさない理由がない!」

 

 

 トーマの理由などそれだけだ。相棒を助け、泣いている女の涙を拭う。その為だけに、彼はこの場に立っている。

 

 

「……アンタ、アイツは無限蛇よ。下っ端なんかじゃない幹部構成員。どんだけ人を傷付けて来たと思ってるの!?」

 

 

 そんな彼に少女は現実を告げる。犯罪組織の幹部構成員。今この瞬間にも被害を広げ、嘆きを撒き散らしている女。

 泣いている幼子を慰めるのとは訳が違う。余りにも悪性に傾いた者を、どうして救えると言えようか。

 

 

「救える筈がない! もう手遅れにも程がある!」

 

 

 犠牲者達の恨み。もう後には退けないと言う思い。己の夢に泥を塗っていたと気付いても、未だ暴走を止められないのは、退き返せないからなのだ。

 

 同類であるティアナには分かる。あそこまで堕ちたルネッサは、差し延ばされた手を握り返せない。それをするには、もう手遅れなのだ。

 だからこそ、もう救えぬ同類の為にも、安易な救いを口にするなとティアナは憤慨する。

 

 

「言ったでしょうがっ! 幸福の椅子には限りがある! アイツは、その椅子から転げ落ちたのよ!」

 

 

 幸福の椅子には限りがある。

 救える者と救えない者は、必ず存在し続ける。

 

 ルネッサ・マグナスは、間違いなく後者であるのだ。

 

 

「……確かに、幸福の椅子には限りがあるのかもしれない」

 

 

 それは拭い去れない事実である。それは覆せない現実だ。

 頭が良くなくとも、馬鹿は馬鹿なりに必死で考えて、確かに真実だと受け入れた。

 

 

「だけど、それでもさ! 限りある椅子を並べれば、座れる人は増えるだろ!?」

 

 

 受け入れた上で、トーマが語るのは屁理屈だ。彼が見たい、綺麗な世界の光景だ。

 

 

「一人用の椅子でも、二人分横に並べれば三人座れる。もっと増やせば、もっともっと、座れる人は増えていく!」

 

 

 狭い思いをするかもしれない。一人で座るより居心地は悪いだろう。

 けれど、譲り合って手を取り合えば、少ない幸福を分け合う事は出来る筈なのだ。

 

 

「誰かが譲りあって、そうして座れる人が増えていけば、きっと幸福の総量は増えるんだ!」

 

 

 それは所詮夢物語。現実にするためには、幾度も壁にぶつかるだろう。

 

 

「手遅れなんて、ある筈ない!」

 

 

 それでも夢を追う事を諦めない。それが叶わぬ等とは思わない。

 人には無限の可能性があって、何処からだって立ち上がれる。何処へだって行けるのだと信じている。

 

 

「もしそうだとしても! それでも僕は手を伸ばす!!」

 

 

 それでも立ち上がれないと言うならば手を伸ばそう。この手を取ってくれるなら、どんな場所へも助けに行く。

 震える日は温めよう。凍える日は隣に居よう。切なき日はずっと離さずに居る。

 

 

「君の為じゃない! ここで諦めたら、僕が僕を許せないからだ!!」

 

 

 禁じた剣を手に掴み、何時か大きな炎に変わると信じて、その小さな火花を燃やすのだ。

 

 夢追い人は迷わない。輝く未来を求めて前に進む。遥かな空の果てには、その理想郷があると信じている。

 

 

「だからっ! 黙って救われてろっ! 笑顔で終わるハッピーエンド以外、僕は望んでいないんだ!!」

 

 

 何に憚る必要もなく。何に躊躇う道理もなく。大馬鹿者は、確かに己の意志を此処に示した。

 

 

 

 

 

「……それで、どうする気よ」

 

 

 その想いの熱量に飲まれかけたティアナが問い掛ける。

 一体どうやってルネッサと言う女を救う心算なのか、と。

 

 女は救えない。不死不滅の怪物を、一体どうやって止めると言うのか。

 

 

「知らない! 見えない! 分からない! けど、諦めたくはないっ!」

 

 

 そんな言葉に、トーマは隠しもせずに口にする。

 何も打つ手がない事を、恥ずかしげもなく明らかにした。

 

 

「だからさ、ティア! 何か良い案はない!?」

 

 

 いっそ清々しいまでの考えなし。救える保障も、勝てる根拠もないのに、取り敢えず想いの丈を口にしただけ。

 そんな阿呆丸出しの少年の姿に、ティアナは頭を抱えて天を仰いだ。

 

 

「……馬鹿だ。馬鹿だって思ってたけど、そんなもんじゃない大馬鹿だった」

 

 

 溜息を零す。阿呆らしくなっていく。どうしてこんな大馬鹿に、ムキになって張り合っていたのであろうか。

 

 

「……はぁ、何か張り合うのも馬鹿らしくなってきたじゃない」

 

 

 単純に言えば、ティアナは呆れ切っていた。

 

 怒りを忘れた訳ではない。嫉妬はまだ残っている。

 けれど、それで食いつく程でもない。こんな馬鹿と張り合うなど、己も馬鹿だと宣言しているような物ではないか。そんな風に思えて、ティアナは深く溜息を吐いた。

 

 

 

 トーマ・ナカジマは愚かしい。

 自分より他人が大事と言う異端者ではない。損得の計算が出来ない馬鹿でも、誰でも良い誰かの為に全てを捨てられる異常者ではない。

 

 皆に愛され、皆を愛する幸福な少年。夢物語を信じる愚か者だ。

 何処までも真っ直ぐに誰かを救おうとする。どれだけ否定されようと、あり得ぬ夢を追い続ける大馬鹿野郎。

 そんな大馬鹿を見ていると言うのに、どうしてか清々しい気持ちになった。

 

 こんなにも真っ直ぐな馬鹿など、彼女の人生で初めて見る存在だ。

 絶対に要領の良い生き方ではなく、損得何て考慮に入れない愚劣な生き物。

 だが、こんなにも世界は残酷なのだから、中には打っ飛んだ馬鹿が居ても良いのではないだろうか。

 

 吹っ切れて、己に芯が出来たから、そんな風に思えたのだ。

 

 

「……良いわ、ちょっとは手伝って上げる」

 

 

 だからだろうか、こんな馬鹿に手を貸してやろうと気紛れを起こした。どうせ失敗するにしても、何かをしようと思えたのだ。

 

 

「ティアっ!」

 

「色々、私も思う所はあるのよ」

 

 

 この馬鹿の言葉に場が飲まれている間に、何とか己の傷は塞いだ。全快には程遠いが、多少の戦闘が出来るレベルには回復した。

 故にティアナは、トーマに背を預ける様に並んで立つ。

 

 

「アイツには散々良い様にされて、その苛立ちをぶつける理由もある! それに、捕殺するより、捕縛して更生させた方が、何か管理局員っぽいじゃない!」

 

 

 ティアナ・L・ハラオウンは管理局員なのだ。戦って、意志をぶつけて、それで良き方向へ向かう事こそ、局員が目指す未来であろう。

 

 手にしたアンカーガン。その中身のカートリッジはもう打ち止め。奮い立つ心が輝きを生むが、それとて無限には成り得ない。それでも、負ける気はしなかった。

 

 

「手札全部教えなさい、馬鹿トーマ! アンタの力、私が最適解で扱って上げるわ!」

 

「ああ、二人でやろう! あの涙を止めるんだ!!」

 

 

 肩を揃えて、己より強い敵に向き合う。この瞬間、二人は初めて相棒となった。

 

 

 

 

 

2.

「忌々しい。ええ、本当に……」

 

 

 少年の言葉が齎した硬直。その動揺から立ち直った女は、苛立ちを覚えながら魔砲を構え直す。

 

 涙を拭いに来た。そう口にする少年。悪逆の限りを尽くす怪物でさえも、救おうとする揺るぎない瞳。暗闇に慣れてしまった己には眩しすぎるその姿。

 

 傍らに立つ少女。あれ程に蹂躙され、力の差を知ったと言うのに尚も向かって来ようとする意志。己では持てない何かを持っている、同類だった筈の誰か。

 

 そのどちらもが許せない程に忌々しい。

 

 

「今更! 今更そんな言葉などでっ!!」

 

 

 右の砲門を前に向け、呪われし魔弾を放つ。

 それは集束砲を模した砲撃ではない。雨霰の如く降り注ぐは、無数の魔力弾。

 

 彼女の半身と同化したスチールイーターが放てるのは、偽りの星光のみに非ず。集束なしに放てば散弾銃の如く魔力の弾幕を作り上げる。

 

 

「っ! やっぱり言葉だけじゃ届かないのかっ!?」

 

 

 明確な拒絶の意思を前に、トーマは歯噛みしながらも拳を握り締める。

 言葉だけで届けば良かった。口に開いただけで止まってくれれば良かった。けれど、それで届かないと言うのならば。

 

 

「ならっ、高町式のお話しだ! 戦えなくなるまでボロボロになって、それでも共に在る事を諦めない!!」

 

 

 真っ直ぐな少年は、降り注ぐ雨の中を疾走する。

 ジュウと肉が焼ける音が聞こえて、全身に感じる痛みに少年は歯を食いしばる。

 

 降り注ぐ魔力弾の雨。弾け飛ぶそれは、唯の魔力の塊ではない。集束されていないとは言え、ベルゼバブの血液が込められたそれは万物を腐食させる悪魔の毒だ。

 

 シールドで受け止めれば盾が溶ける。バリアジャケットで触れれば、己の肉体ごとに溶かされる。回避しようにも、余りに数が多過ぎる。

 

 

「クロスファイア! シュートッ!」

 

 

 故に正答解とは受ける前に撃ち落とす事。攻撃そのものが届く前に、その時点で防ぐ事こそが正解だ。

 

 ティアナの作り出した複数の誘導弾が空中で腐毒の雨とぶつかり合う。

 正面切ってのぶつかり合いでは勝てないと判断している彼女の選択は、確実に自分達に当たる弾丸のみを迎撃する事だ。

 

 

「ウイングロード展開!」

 

 

 そうして開いた道に翼の橋が掛かる。雨に焼かれたトーマはしかし、そんな物では止まれないのだと前へ突き進む。

 

 降り注ぐ雨に際限はない。ティアナの迎撃が減らしては居るが、それも些少。

 純粋に魔力総量が違う以上、撃ち合い続ければ敗北は必定だ。

 

 エクリプスによる再生機能の向上。多少の傷など直ぐに治る。

 だが、この腐食の弾丸は魂を汚す物。故に身体の傷が塞がろうとも疲労は拭えない。幾度となく受け続ければ、この場で倒れて終わりだろう。

 

 トーマもティアナもそれが分かって、それでも二人は勝利を信じて戦い続ける。

 

 勝機はある。確かに存在している。

 ティアナ・L・ハラオウンは、既にその道筋を見つけ出しているのだ。

 

 

〈分かってるわね。馬鹿トーマ。……勝機は一瞬、相手がこっちの手を過大評価している今だけしかないわよっ!〉

 

 

 走り抜けるトーマの頭に響く声。

 ティアナが念話によって伝えるのは、僅かに過ぎる彼らの勝機。

 

 ルネッサがトーマのゼロを警戒し、集束砲を使用しない状況でこそ、彼らの勝機は成立する。その評価が訂正されてしまう前に、勝負を決めなければ勝ち目はない。

 

 

〈ああ! この一連の攻防。外すか当たるか、それで全部決まる!〉

 

 

 故にこれは長期戦には成り得ない。走り出したトーマの足が、彼の手が届く場所まで行けるかどうか、それが全てを決定付けるのだ。

 

 分は悪い。相手がこっちの手札をある程度読み切れば、その瞬間に敗北は確定する。それでも。

 

 

〈確信してる。分かっているさ。ティアの策なら、僕らなら〉

 

 

 それでも確信している。その瞳は揺るがない。諦めない想いは届くのだと知っているから。

 

 

「必ず! 勝てるっ!」

 

 

 諦めない少年の瞳は、余りにも眩しかった。

 故にその星の様な瞳は、ルネッサの心を搔き乱す。

 

 制御装置では抑えられなくなった激情を吐き出すように、女は己の恨み全てを此処に叫んだ。

 

 

「地の底みたいな戦場で、生まれ育って戦った!」

 

 

 食料や日常品すら手に入らず、兵器と弾薬だけは山と言う程に存在していたオルセアと言う場所。

 国境問題。人種差別。大凡全ての戦争理由が存在していたあの場所で、父と共に戦い続けた。

 

 

「その先にあったのは、もっと汚れた地獄の底だった!」

 

 

 九歳の時に重症を負って、父の指揮する部隊も壊滅寸前にまで追い詰められた。

 本来ならば管理局の救助隊に助けられていた彼女達の運命は、しかし管理局にその余裕がなかった事で変わってしまった。

 

 このままでは全滅する。そう感じたトレディアが求めたのは、オルセアに眠ると言う古代の兵器。冥府の炎王と呼ばれたロストロギア。

 それを得てしまった事で、父や仲間達は罪悪の王に殺されて、ルネッサは無限の欲望の手中に墜ちた。

 

 

「罪科を重ねて、それでも夢見て、その夢さえ穢してしまっていて!」

 

 

 他に何もないから、その夢だけは叶えよう。

 空っぽの平和ではなく、自分達の生きた戦場こそが戦う意味を教えてくれると信じて。

 

 ああ、それも過ちだったと言うのならば、本当に自分には何もない。

 

 

「今更、救いなんて、ある筈がない! だから、私を惑わすなっ!!」

 

 

 穢れてしまえ、壊れてしまえ、何もかも終わってしまえ。

 その無限の弾丸は彼女の意志だ。際限なく、制限なく、無限に降り注ぎ続ける弾丸は、世界そのものを汚していく。

 

 その魔弾は迎撃し続ける事が出来る物ではない。その雨は耐えきれる物ではない。

 

 

「っ! あぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 トーマの足が止まる。

 必死に耐えて来た少年も、その腐毒に魂を汚されて膝を折る。

 

 もう一歩だって進めない。

 ここまで来れた事こそ奇跡。ならば、この結末は必然か。

 

 ルネッサは嗤う。ああ、これで偽りの救いは消えるのだと。何処か寂しげに、泣きそうな瞳で嗤った。

 

 

「レェェェストイィィンピィィィィスッ!」

 

 

 せめて安らかに眠れ、愚か者。

 膝を折った少年に、無数の雨は降り注ぐ。

 

 降り注ぐ雨が肉を溶かす。膨大な臭気と共に煙が発生して、何もかもを覆い隠した。

 

 

 

 

 

 異臭を伴う煙が風に吹かれて消えていく。

 降り注ぐ雨が溶かした後には、何も残っていなかった。

 

 そう。トーマの死体すら、その肉片も血痕すらも残っていない。

 

 

「……何ですって?」

 

 

 それはあり得ない。全てを溶かす腐食の雨とは言え、これ程に早く何もかもを溶かすなどありはしない。

 必ず何かが残る筈。それすら、ありはしないと言うならば。

 

 

「まさか、幻影魔法!? なら、あの訓練生たちは!」

 

 

 最初から、こちらに向かっていたトーマは幻影だった。

 そう考えれば、その無謀な特攻も理解出来る。トーマ・ナカジマは最初から囮であったのだ。

 

 

「ファントムッブレイザァァァッ!」

 

 

 その推測を保障するかのように、突如頭上に出現したティアナがアンカーガンを構えて放つ。彼女の全てを込めた一撃は、非殺傷設定の全力砲撃。

 

 

(これが本命!? 否、これも布石か!)

 

 

 先に通らなかった一撃を、この聡明な訓練生が本命とするのは考えにくい。ならば切り札は、間違いなくあの少年の力。

 この砲撃を受けた直後に、ディバイドゼロを受ければベルゼバブとて持ちはしない。

 

 

「だが、解ってしまえば温いっ! その策略は通しませんっ!」

 

 

 先の少年が影に隠れて、少女の砲火の直後に迫っているのであろう。ならば、少女の砲火ごと、纏めて全て消し去るのみ。

 

 

「イミテーション・スターライトブレイカー!!」

 

 

 故に放つは最大出力。悪魔の砲門に集うは、毒に穢れた黒き星の輝き。

 右の半身にエネルギーをチャージして、偽りの星光を以って勝負を決する。

 

 

「その瞬間を、待っていた!」

 

「っ!?」

 

 

 そのチャージの瞬間に、その一瞬の隙に、トーマ・ナカジマが眼前に出現する。

 

 何故、どうして、何があったのか。

 戸惑うルネッサに告げられる言葉は、一手上を行った少女の会心の笑み。

 

 

「私の幻影魔法ってさ、衝撃を受けると消えちゃうのよね。……だから、アンタがしこたまぶん殴ってたその馬鹿は、幻影じゃなくて本物だったのよ!」

 

 

 幻影は全てが消えたと言う光景のみ。全ての砲火をその身に受けて、トーマは確かに膝を折っていた。

 彼が倒れ伏した瞬間に、ティアナが姿を隠す魔法を掛けただけ。満身創痍で立ち上がるのは、確かに少年の意志である。

 

 

「その魔砲が、君の罪の象徴」

 

 

 全身に浮かび上がる赤き刻印。右手に集うは全てを食らう世界の癌。

 

 

「罪科が、過ちが、正しい道を選べなくさせるなら!」

 

 

 振るわれる拳が狙うのは、女を縛る呪いの魔弾。

 その穢れた力こそが、彼女の心に積もった絶望こそが、手を取り合う事を妨げるのならば、それをここで破壊しよう。

 

 

「まずはそれを、ゼロにする!」

 

 

 撃ち抜かれた拳が、ルネッサの右半身を破壊する。

 巨大な砲門を魔力へと分解し、ゼロに返して我が身に喰らう。

 

 半身を砕かれたルネッサは、驚愕に目を見開いたまま、続く左の手に集う美しい輝きを焼き付ける。

 

 

「その上で、これはっ! 先に進む為に、今の君を止める一撃だ!」

 

 

 その左手に集まるは、青き輝き。強く光るは非殺傷の砲撃魔法。

 

 

「ルネッサ・マグナス! アンタは非殺傷なんて効かないって言ったわね!」

 

 

 頭上より迫る茜色の輝き。眼前にて膨れ上がる青き輝き。そのどちらもが、もう躱せない。

 

 

「断言してあげるわ! アンタに殺傷設定なんて効かない! アンタの弱点は、非殺傷の一撃なのよ!!」

 

 

 どんな重症も一瞬で治してしまうベルゼバブ。その身に殺傷設定など意味はない。

 不死不滅の怪物に対して有効なのは、不死なる体を傷付けずにその意識を奪い去る非殺傷の一撃なのだ。

 

 故に、ここに勝負は決する。少年少女は勝利を掴む。

 

 

「なのはさん直伝! ディバインバスターッ!!」

 

 

 トーマの左手が集った青き光を撃ち抜く。

 己を飲み干すその輝きを、唯綺麗だと感じて見惚れた。

 

 

 

 茜色と青色。二色の砲撃はルネッサの身体を飲み干し、ここに子供達はベルゼバブを打ち破った。

 

 

 

 

 

3.

 三年前。当時九歳であったルネッサは、その日、野営地の中を歩いていた。

 

 先日の戦闘で重症を負い、真面に動かぬ右半身。それを引き摺りながら、少女は静かな夜を進む。

 幼い頃に廃薬莢に塗れた家屋の跡より拾ったお気に入りの絵本。その本を左手に抱いたまま、野営地の中心へと進む。

 

 数日前まで暗い雰囲気だった其処は、明るい空気に包まれている。

 先日の敗北で壊滅寸前だった部隊は、つい先程まで、久方ぶりに楽しげに飲めや歌えと騒いでいた。

 

 トレディアが見つけ出したロストロギア。

 これで漸く、オルセアは平和になるのだと誰もが思った。皆が笑みを浮かべて、この地獄は終わるのだと笑い合って。

 

 

――嘆くな。悲しむな。受け入れろ。世の理とは、そういうものだと理解すれば楽になる。

 

 

 堕ちて来た赤毛の少年。その少年が伴う黒き炎は、何もかもを焼き尽くした。

 笑い合った人達も、大好きだった父親も、何もかもを炎で燃やして無価値に変えた。

 

 

――お前達に許された事は唯一つ。今夜この場所で、僕に出会わなければ良かったのにと、そう後悔しながら……死ね。

 

 

 本来の歴史ならば、トレディアが冥府の炎王を見つけ出すのはもっと先の話であった。

 本来の歴史ならば、その晩に至る前に彼女達は管理局によって救い出されていた筈だった。

 

 だが、そうはならない。三年前とは即ち、あの絶望の怪物が襲来した年だ。当時の管理局は歴史上でも類を見ない程に弱っており、外に視線を向ける余裕などはなかった。

 

 オルセアの活動家であるトレディアが、オルセアにて冥府の炎王を見つけ出したのは必然だ。

 管理局に救われた後、再びオルセアに戻った彼が見つけ出した者こそ、イクスヴェリアと言う存在であったのだ。

 

 ならば、イクスヴェリアは元からオルセアに封じられていた。そして、それを見つけ出す術を、トレディアは既に持っていたのだろう。

 故に、トレディアはオルセアを離れなかった為に、本来より数年は早くイクスヴェリアを見つけてしまう。

 

 そして、同じく炎王を探していたスカリエッティに、戦地から実験材料を得る為に様々な勢力を裏から支援していた無限の欲望に、邪魔だと判断されてしまったのだ。

 

 ほんの僅かなズレが、戦地より光の中へと救われる筈の少女を、より深き闇の底へと突き落とす結果に繋がった。

 

 あの夜起きた事など、それだけの事でしかなかった。

 

 

 

 

 

 冷たい泥の中にいる。

 絶望の底で、抱いた矛盾を自分を騙す事で受け入れていた。

 

 それでも他者と触れ合えないこの身体は、酷く冷たい。

 

 ああ、その筈なのに、今は何故だか温かかった。

 目蓋を開いてそれを見る。優しく己を抱き締める、強き少年の姿を見る。

 

 

「痛く、ないんですか?」

 

 

 女は問い掛ける。薬物によって強制的に成長させられた己の身体。

 年齢不相応な程に発育したこの肉は、触れるだけで他者を溶かす毒である。

 

 

「うん。痛い。すっごく痛い」

 

 

 ジュウと音を立てて体を溶かす毒。エクリプスを励起させた影響で肉体こそ癒えていくが、感じる痛みは隠せない。

 

 

「けど、温かい。この温かさを捨ててしまう方が、心が痛いよ」

 

 

 それでも温かい。抱きしめた女の身体は、確かに温かいのだから。振り払ってしまう痛みよりも、この痛みに耐えて居たかった。

 

 だから、そんな優しい少年の温かさを知ったからだろう。ぼそぼそと呟くように、ルネッサは己の胸中を彼に晒した。

 

 

「全身が毒に変わって、他者と触れ合う事も出来ないと思っていました」

 

「けど、こうして今は触れ合えてる。感じる熱は、確かに温かいよ」

 

 

 出来ないと思っていた。けれど、この真っ直ぐな少年はあっさりと踏み越える。

 

 

「自分で夢を汚して、そうするしか生きる術もなくて、もうどうしたら良いか分からなかった」

 

「夢を汚したなら洗いながそう。それしか生きる術がないなら、もっと別の生き方を探してみよう?」

 

 

 出来ないと諦めていた。けれど、この真っ直ぐな少年は、その諦めをあっさりと乗り越える。

 

 

「きっとさ、人は何処からだって立ち上がれるし、何処へだって行けるんだ」

 

 

 少年の言葉は、空っぽの胸に強く響いた。

 

 

「先生曰く、諦めたらそこで終わり。なら、諦めないで前を見よう」

 

 

 少年の言葉は、絶望の底で諦めていたルネッサの心を、救い上げる程に強く輝いていた。

 

 

「探してみよう? 他にないのか。見つけ出そう? 他にないのかを、さ」

 

 

 その伸ばした手の先の温かさ。

 それを知ってしまえば、もう拒絶する事なんて出来なかった。

 

 

「……けど、怖いです。道があるのか、あったとして、私は許されるのか」

 

 

 自分に探せるのであろうか。

 探せたとして、奪って来た者達は私を許してくれるだろうか。

 

 そんな無形の恐怖に震えるルネッサに、トーマは優しく声を掛ける。

 

 

「その先に進むのが怖いなら、僕がその手を取るよ。誰かが君を責めるなら、一緒に頭を下げて謝るよ。君が一人で歩けるようになるまで、石を投げられても、罵声をぶつけられても、それでもこの手は離さないから」

 

 

 何かが変わる訳ではない。

 何も見つからないのかも知れない。

 

 それでも傍に居よう。

 傍に居る誰かが支えてくれれば、きっと何処へだって進んでいける。

 

 トーマはそう信じている。

 

 

「本当に、進めるでしょうか?」

 

「進めるさ。ほら」

 

 

 未だ震える女の肩を抱きながら、少年は頭上を見上げる。

 釣られて見上げるルネッサの目に、一人の女の影が映る。

 

 空から降りて来るのは、ベルゼバブとなった女を救える唯一の人材だ。

 

 

「枯れ落ちろ」

 

 

 人形兵団を打ち破り、漸く辿り着いた紫髪の女性。月村すずかは既に終わっていた戦闘に驚愕を浮かべつつ、ルネッサの身を縛っていた毒をあっさりと消し去った。

 

 

「……始末書提出。後お仕置きだからね。特にティアナ」

 

「げっ」

 

 

 笑顔を浮かべながら激怒している女性は、そんな風に口にして。

 

 

「けど、良く頑張ったね。二人共」

 

 

 本当はいけないんだけどね、と笑いながら二人を褒めた。

 

 

 

 そんな偶然の様に現れた救い。

 あっさりと取り除かれてしまった毒素に、ルネッサは茫然とする。

 

 そんな彼女に、微笑む少年は口にする。

 

 

「頑張っている人を見ると、助けたくなるだろ?」

 

 

 それはきっと、誰もが抱くであろうと少年が信じる想い。

 誰かの為に、何かがしたい。頑張っている姿を見れば、誰かがそう思う筈だとトーマは信じている。

 

 駆け付けたすずかに叱られているティアナの姿。

 そんな日常の如き光景を見ながら、トーマはルネッサに伝える。

 

 

「だから、頑張っていれば、助けてくれる人は必ず来る筈さ」

 

 

 この世界はきっと、残酷なだけではない筈だ。

 

 そう語る少年の姿は、その輝かしい瞳は。

 まるで満天の星空の様に、何処までもキラキラと輝いているのだった。

 

 

 

 

 

「所で、ずっと抱きしめられてるのは、少し恥ずかしいです」

 

「あ、え、御免っ!?」

 

 

 頬を赤く染めた女の声に、少年は慌てて体を離す。

 成熟した大人の色気を持つ女の身体は、自覚してしまうと少年には刺激が強い物であった。

 

 

「……それ、誰にでもするのですか?」

 

「え、抱きしめるの? いや、同性相手はちょっと」

 

「いえ、そうではなく。……誰にでも助けの手を伸ばすのか、と言う事です」

 

 

 何処か恥ずかしげに頬を搔く少年の姿に、女は問い掛ける。

 それは自分を救ってくれた少年の行動に対する、純粋な疑問であった。

 

 

「うーん。どうだろ。目の前に泣いている人が居て、助けられそうなら、誰にでもするんじゃないかな?」

 

 

 女と少年は初対面。だと言うのにこうまで苦難を背負い込む。それが女には理解出来なかった。

 

 そんな問い掛けに、トーマが口にするのは当たり前の善意。

 でも何処かズレた、しかし異常者のそれではない。そんな無垢なる想いの言葉。

 

 

「だってさ、僕が助けた人が、立ち上がれた後で誰かを助けてくれるかもしれない。……それは、とっても素敵な事じゃないか」

 

 

 きっとその方が綺麗だから。そこにそれ以上の理由はないのだ。

 無垢で、愚かで、だからこそ口にされる想いは、それ以上でも以下でもない。

 

 きっとこの少年は誰であっても手を伸ばし、必死に救おうとするのであろう。

 

 

「変な人」

 

 

 其処に何か思う所がない訳ではない。そんな感情のままに、無茶をする少年を周囲は気が気でなく見守っているのではないだろうか。

 そんな事に気付いているのか、いないのか、愚直に進む少年は変わらないのであろう。

 

 

「……けどそれ以上に、素敵な人ね」

 

 

 けれど、ああだけど、その姿は輝かしい。

 その愚かしさは、思わず手を差し伸べたくなる程に、とても綺麗な物なのだ。

 

 

 

 何となく思い出す。大好きだった絵本の内容。

 

 

「まるで、王子様みたい」

 

「うぇっ!?」

 

 

 救いがない戦場の中で見ていたのは、星から来た王子様が沢山の人を笑顔に変える、そんな絵本だったのだ。

 だから、そんな絵本から飛び出してきたような少年だから、目が離せないのだろう。どうして今更、と思ってしまっていたのだろう。

 

 

 

 きっと、やり直せる筈だ。

 今からでも、この少年が手を引いてくれるなら。

 

 そんな風に思って、差し伸べられた手をルネッサは確かに握り返したのだった。

 

 

 

 

 

「……はぁ、終わった」

 

 

 笑顔で激怒していたすずかの説教が終わり、うんざりとした表情を隠さずにティアナは溜息を吐いた。

 

 自業自得だと分かってはいるが、疲労の濃い身体に女の言葉は酷く響いていたのであった。

 

 

「……そう言えば、アンタどうやって来たの?」

 

「え?」

 

 

 疲れた体を解しながら、ティアナはそう言えばと思い出したかのように疑問を口にする。

 それは当たり前の疑問。トーマの持つ能力では、どうやっても此処まで来れない筈なのだから。

 

 

「ほら、何かルネッサの事も知ってたみたいだし、何時から覗いてたのかしら、って」

 

 

 ルネッサの事情を知っている風だった少年。

 それを知れる状況に居た事が意外だったのだ。

 

 この愚直な少年ならば、到着した時点で参戦していそうだと。

 

 

「何言ってるのさ。ティアが僕を呼んだんじゃないの?」

 

 

 故に、その返しは予想外な物であった。

 

 

「だって、ほら。デバイスへの着信、ティアの番号になってる。このライブ映像見たから、ティアが何処に居るか分かったんだよ?」

 

 

 トーマが手に取るは訓練校で支給された連絡用のデバイス。

 其処に流れる映像は、ティアナも持つそれがリアルタイムで記録していた映像。

 

 ティアナのアドレスで送信されたその映像を見たからこそ、トーマはこの場所へと駆け付けて来れたのだ。

 

 

「……私は、呼んでない」

 

 

 呼んでいる筈がない。今の吹っ切れた彼女ならば兎も角、あの当時の彼女は、トーマに対して強い敵愾心を抱いていたのだから。

 

 茫然と呟かれたティアナの言葉は、場の空気を一変させるには十分過ぎる物だった。誰もが凍り付いたまま、何かがおかしいと思考に沈む。

 

 

(待ちなさい。ティアナ・L・ハラオウン。これはおかしい。おかしすぎる)

 

 

 トーマの下へ、ティアナのアドレスを騙って送られた動画映像。

 まるで己をルネッサの下へと誘導するかのように、数が少な過ぎた人形兵団。

 

 そもそもの前提として、何故、人形兵団はミッドチルダでこの暴動を引き起こしたと言うのであろうか。

 

 

「……まさか、まだ何も終わっていない」

 

 

 驚愕に染まった三人の視線が向くのは、倒れ伏したルネッサ・マグナス。

 だが、驚愕を顔に浮かべているのは、ルネッサもまた同様であった。

 

 

「何か、知っている事はないの? 這う蟲の王」

 

 

 冷たい視線で問い掛けるすずかに、ルネッサは首を横に振って返す。

 

 

「知らないわ。私は何も聞かされていない。……知っているのは」

 

 

 彼女が口にする真実は、誰もの予想を外す物。

 

 

「私は、這う蟲の王ではない」

 

「何ですって!?」

 

 

 それは管理局が得ていた前提情報の否定であった。

 

 

「私は、人形兵団の司令塔。ルネッサ・マグナスを含めて、その軍勢を人形兵団と呼ぶの。……這う蟲の王は、真なる魔群は別に居る」

 

「それは誰っ!?」

 

「それは――」

 

 

 伝えようとした真実は、しかし告げる事は出来なかった。

 ルネッサの声が止まる。いざという時に用意された機構が動作して、ルネッサは言葉を口に出来なくなっていた。

 

 

〈あー駄目ですよぉ。ルネちゃぁん。……人形は人形らしく、踊ってくれないとぉ〉

 

 

 そんなルネッサの脳裏に、甘ったるい女の声が響く。それはルネッサの無様を嗤い、その有り様を見下す悪意の声。彼女が得たエリキシル。その大元となった、魔群と呼ばれる女の声だ。

 

 

〈所でぇ、話は変わりますけどぉ。……ルネちゃんは、願望を渇望に変える方法を知っていますかぁ?〉

 

 

 甘い声で毒を口にする女。告げる真実は救いではなく、既に終わりが確定した捨て駒の女の心を踏み躙る悪意である。

 

 

〈それは簡単。与えてからぁ、奪う事。叶えてあげてからぁ、最悪のタイミングで奪い去るのぉ〉

 

 

 誰も反応が出来ていない。誰もが予想を外していた。

 

 その事に、女の悪意を受けてルネッサは漸く気付く。

 無限蛇が何の為に己を此処に寄越したのか、それに漸く気付いた。

 

 だからこそ、今この場で動ける唯一人であったルネッサは、動かぬ体を意地で動かす。

 

 

 

 真なるベルゼバブの悪意。それが向くのは、己を救ってくれた彼だと分かった。

 だから必死で体を動かして、少年の心が傷付かないように笑みを浮かべて。

 

 

〈……今みたいに、ねぇ〉

 

 

 ありがとう。声にならない声で、ルネッサは最期にそう告げた。

 

 

 

「え?」

 

 

 トンと女に突き飛ばされて、トーマは尻餅を付く。

 

 

 

 そんな彼の目の前に、イカヅチが落ちて来た。

 

 

 

 落ちて来た雷光は、鋭い切っ先を伴っている。

 その槍の穂先は肉を引き裂き、女の身体を地に縫いとめる。

 

 

「あ、ああ」

 

 

 まるで百舌の早贄。晒された女の死骸の上へと着地した赤毛の少年は、茫然と残骸を見詰める少年を見下したまま無常に告げる。

 

 

「無価値に死ね。それが君に相応しい末路だよ。ルネッサ・マグナス」

 

 

 引き抜かれた槍が振るわれる。翻る穂先が女の首を切り裂いて、まるで噴水の如く吹き上がる赤い水が、トーマの視界を紅色へと染め上げた。

 

 少年が踏み付けるその体は、黒き炎に焼かれて無価値に消える。

 嘗てのヴァイセン。生まれ育った街並と同じように消えていく。

 

 その光景は、決して忘れられる物ではない。涙を零す少年は、忘れられない景色を再び作り上げた宿敵を睨み付ける。

 

 

「久し振りだね。……僕を覚えているかい? トーマ」

 

「エリオォォォォォォォォッ!!」

 

 

 何もかもを無価値に変えた罪悪の王。

 その姿を前に、トーマは灼熱の如き怒りを抱く。

 

 輝かしい少年は、どす黒い憎悪の情と共に、魔刃の名を叫んだ。

 

 

 

 繋いだ絆はイカヅチによって砕かれた。

 無価値な悪魔と神の卵は、此処に再びの邂逅を迎える。

 

 

 

 

 

 




今回の無限蛇の目的は、トーマ君へのテコ入れだったと言う事実。ルネさんは捨て駒。


そんな訳で次回はVS魔刃エリオ一回戦。多分StS編前最後の戦闘になります。



敵味方の簡単な戦力比。

○味方側
・すずかさん。普通に強い。消耗もほぼ皆無。ただし、光、炎、腐毒弱点。再生能力持ち。
・トーマ君。覚醒イベント次第だが、基本スペックはエース陣に大きく劣る。消耗がきっつい。再生能力持ち。
・ティアナちゃん。凡人。死に掛け。何もない。


○敵側
・魔刃エリオ。全力出すと天魔級。攻撃属性は雷光、腐る炎。再生能力無視する特殊能力持ち。


味方最強なすずかちゃんが、実力で劣る上にガンメタ張られている現状。

……勝てない(確信)




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訓練校の少年少女編第六話 無価値の悪魔 上

デデーデー、デデーデー、そんなBGMが鳴り響く展開です。


推奨BGM
1.Paradise lost(PARADISE LOST)
4.ROMANCERS'NEO(リリカルなのはA's POTABLE -THE GEARS OF DESTINY)


1.

 

 

 

 誰にも頼れないから、誰にも頼らずに済むように、誰よりも強くあろうと決めた。

 

 

 

 

 

 幸福になれる筈だった。これから進める筈だった。そんな女が、目の前であっさりと殺された。

 あの日、焼き尽くされたあの故郷の光景の様に、忘れられない光景を再び此処に作り上げた。

 

 

「お前ぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 

 

 雷光を従えて現れた赤毛の少年。エリオ・モンディアルは無言で見下ろす。

 その泥のような憎悪も、その灼熱の如き怒りも、どちらも無価値と冷めた瞳で見詰めている。

 

 その姿が、その存在が、どうしようもなく許せない。

 

 怒りの情が抑えられない。憎悪の念が消えてくれない。抑えられない感情に振り回されながら、トーマはエリオに向かって飛び出した。

 

 悪意を持って拳を握る。展開する魔法はナックルダスター。圧縮魔力を纏った高威力の近接魔法。

 少年の激情が籠った一撃は、傍目に見ても強烈な物であると分からせる程に素早く、鋭く、堂の入った鉄拳粉砕。

 

 

「温いよ」

 

 

 だが、無意味。だが無価値。その情は温いのだと、エリオはあっさりと身を躱す。

 足元に展開されるはソニックムーブ。静から動へ、降り注ぐ雷光の如き軌跡を描く高速魔法。

 

 

「がっ!?」

 

 

 雷光の速度で放たれるは、神速の速さから続く三連蹴撃。

 拳が空ぶったトーマの身体に打ち込まれるのは、瞬く間もない速さと重さを伴った連続蹴りだ。

 

 

「紫電一閃」

 

 

 連続蹴りで宙に浮いた体に、雷光を纏った殺意の拳が打ち込まれる。

 容赦など欠片もない打撃に、トーマはまるで襤褸屑の様に吹き飛ばされた。

 

 

『トーマっ!?』

 

 

 その交差は一瞬。それまでに掛かった時間は、余りにも短かった。

 エリオが現れて、即座に反応した二者が動く前に、トーマは廃墟の壁にぶつかり崩れ落ちる。

 

 

「スピーアアングリフ」

 

 

 崩れ落ちたトーマに向かって、エリオはその槍を構える。

 槍の穂から噴射される黄色の魔力を推進剤に、爆発するように迫る彼に躊躇いなどはない。

 

 その鋭い穂先は、確実に少年の命を奪うであろう。そう予測させる事が、余りにも自然な一撃だ。

 

 

「っ! 枯れ落ちろ!!」

 

 

 それを妨げんとすずかが動く。その暗き瘴気を、二大凶殺をエリオに向かって放つ。

 

 

「ちっ」

 

 

 迫る黒き瘴気に舌打ちを鳴らして、エリオは身を退く。

 雷光が地を這うが如く、大地を細かく踏み締めながら距離を取った。

 

 

「ティアナっ! トーマを!」

 

「は、はいっ!」

 

 

 すずかとエリオは互いに向き合う。

 自身も反応出来るか分からない。そんな神速の魔刃を前に息を飲むすずか。

 

 彼女の背後に庇われながら、ティアナはトーマの下へと向かった。

 

 

 

 ごくりと唾を飲むすずかに対して、エリオは何処までも自然体。冷たく冷めた瞳が見据えるは、眼前に居る彼女ではなく、トーマ・ナカジマ唯一人。

 

 混乱は大きい。余りにも激しい変化に、未だ思考は追い付いていない。だが、言える事は唯一つ。

 

 

「舐めてくれるじゃない。罪悪の王、エリオ・モンディアル!」

 

 

 目の前で教え子を傷付けられて、怒らぬ程にすずかは冷めてなどいない。

 漸く捕えた重要人物をあっさりと殺されて、頭に来ないような人物ではない。

 己を一顧だにもせず、あからさまに侮る態度を見せる人物を許容できる様な女ではないのだ。

 

 

「広域次元犯罪者風情がっ! 私の前で、私を無視して、私の教え子に、手を出してるんじゃないのよっ!」

 

 

 総合SSS級広域次元犯罪者。それは無限蛇の中でも特に目撃情報の多いエリオ・モンディアルに対して、管理局が下した評価。

 あらゆる次元世界に出没して、全てを焼き滅ぼした少年の姿は、余りにも多くの者に知られている。

 

 歴史上ごく少数しか該当者のいない最高ランクの犯罪者は、怒りを露わにする女を鼻で笑った。

 

 

「……舐めてなどいないさ」

 

 

 舐めてはいない。油断ではない。それは揺るがぬ事実として其処にある。

 

 

「正当な評価だよ。吸血鬼。君程度なら相手にもならない。……それは内に居る白貌が出て来ようと変わらない」

 

 

 路傍の石に、何故視線を向けようか。

 障害にさえならぬ弱者を、どうして相手取る必要があろうか。

 

 それ程に、両者の実力はかけ離れている。

 

 

「っ!? 馬鹿にしてっ!」

 

「事実さ。……それを教えてあげよう」

 

 

 猛り狂う凶殺血染花を前に、魔刃は感情を一切動かさぬままに冷たく告げた。

 

 

「ディエスミエス・イェスケット・ボエネドエセフ・ドウヴェマー・エニテマウス」

 

 

 呟くような声量で、エリオが言葉を口にする。それは詠唱。奈落へと繋がる為の呪われし言葉。言葉を口にする度に、発する気配の質が暗く暗く淀んでいく。

 

 

「っ! させないっ!」

 

 

 その気配の質から危険を感じ取ったすずかが動く。

 力の行使に言葉が必要ならば、それを口にする余裕を与えないのが正答だ。

 

 女が放った簒奪の瘴気が、詠唱を妨害せんと少年に降り注ぐ。黒き瘴気は凄まじい速度でエリオへと迫る。

 

 

「アクセス――我がシン」

 

 

 だが、そんな対応も考慮済みだ。魔刃は当然の如く反応する。

 ブリッツアクション。小刻みに高速移動魔法を発動させながら、少年は瘴気を軽々と躱して行く。

 

 瘴気の浸食速度は確かに速いが、それでも雷光の如き速度で動く少年程ではない。何処までも追い続ける瘴気であっても、その言霊が力を示す前には追い付けない。

 

 

「無頼のクウィンテセンス。肉を裂き骨を灼き、霊の一片までも腐り落として蹂躙せしめよ」

 

 

 素早く回避を続けながらも、少年の声が止まる事は無い。その詠唱は、無価値の炎を生み出す言葉は、最早止める事が叶わない。

 

 

「汝ら、我が死を喰らえ――無価値の炎(メギド・オブ・ベリアル)

 

 

 言葉と共にエリオの全身から黒き炎が顕現する。

 無価値な色で燃え盛る腐食の炎は、迫る簒奪の瘴気を一瞬で燃やし尽くした。

 

 

「血染花の瘴気を燃やした!? ならっ!!」

 

 

 焼かれた瘴気の代わりに放つは吸魂の杭。全身から肉を食い破って現れる薔薇の棘が、全てを奪わんと弾丸の如く飛来する。

 

 

「無駄だよ」

 

 

 だが、それも届かない。それは通らない。

 無数の杭は黒き炎に触れた瞬間。腐って燃えて無価値に堕ちる。

 

 その力では、エリオ・モンディアルには届かない。

 

 

「無価値の炎は全てを無価値にする。それは、形があろうとなかろうと変わらない。王国(マルクト)の力じゃ、これは防げない」

 

 

 形ある物。形なき物。それらは全て無意味に変わる。

 あらゆる力に対する反存在である黒き炎は、あらゆる力を消滅させる。

 

 それを鎧の如く全身に纏った魔刃に対し、如何なる攻撃もどのような防御も全てが無駄だ。

 

 

「……好きに足掻きなよ」

 

 

 これは戦いではない。

 争いとは対等の存在の間でしか起こらない。

 

 故に勝機など何一つとしてないこれは、唯の蹂躙だ。

 

 

「全部、無価値だ」

 

 

 黒き炎を纏った少年は表情一つ変えることは無く、冷たい声で揺るがぬ事実を告げていた。

 

 

 

 

 

2.

「しっかりしなさいっ! 馬鹿トーマ!」

 

「っ、ぐっ」

 

 

 すずかがエリオに立ち向かう中、ティアナは倒れたトーマに近付きその肩を揺らす。

 殺傷設定による攻撃を受けた影響は心配だが、それを考慮に入れている余裕はない。

 

 恐らくはアレが罪悪の王。

 ルネッサが勝てないと断言した、無限蛇の最強戦力。

 

 月村すずかでもあの少年には勝てない。

 目の前でルネッサが殺されるまで、その存在に気付けなかった。

 余りにもあっさりと上手を行ったその光景が、彼我の実力差を示しているのだ。

 

 

「ティアっ、僕はっ」

 

「気付いたわね。さっさと動くわよっ!」

 

 

 頭を揺らされて意識を取り戻したトーマ。

 彼の返答を待つでもなく、ティアナは立ち上がるようにその身を急かした。

 

 何をするにも、まずは動かなくてはならない。

 援護に徹するか、足手纏いにならぬように先に逃げて応援を呼ぶか、どちらにせよ、黙って立ち尽す訳にはいかない。

 月村すずかが、どれだけの時間を稼げるかも分からないのだから。

 

 

「っ! 今はどうなってるっ!!」

 

 

 即座に行動しようとしたティアナを、トーマは片手で掴んで押し止める。

 血走った瞳。飢狼の如き表情。らしくない彼の姿に、ティアナは驚愕に瞳を揺らす。

 

 

「……戦闘は継続中よ。……すずかさんが足止めしてるけど、どうなる事か」

 

 

 その表情に飲まれながら、ティアナは何とか答えを返す。そんな彼女の言葉を聞いて、トーマは瞳に暗い炎を燃やした。

 

 

「アイツがいる。……まだ、ここにっ!」

 

 

 笑みが零れる。怒りが満ちる。

 憎悪に濁った瞳には、星の様な輝きなど残っていない。

 

 

「っ! アンタ、何する気よっ!」

 

 

 立ち上がったトーマが魔法を展開する。それは紛れもなく殺傷設定の物。

 その有り様で何をするのか、その魔法で何をするつもりなのか、そんなティアナの言葉に耳を傾ける事もなく、トーマは譫言の様に一つの感情を口にする。

 

 

「アイツが居る。エリオが居るんだ! 皆を殺した。ルネッサさんを殺した。アイツがっ! 手の届く所にっ!」

 

 

 無価値に燃やした。死体すら残さずに焼いた。全て無価値と蹂躙した。

 地面に転がった彼女の頭が、脳裏に焼き付いて離れない。あれを許してはいけないと、荒れ狂う感情が制御出来ない。

 

 

「っ! それで、アンタに何が出来るのよっ!」

 

「……何も出来なくても、何もしない理由にはならない」

 

 

 だから、トーマは拳を握り締めて動く。負けるとしても、勝機はないとしても、道理に合わぬとしても、それでも立ち止まるなど出来はしない。

 

 

「アイツは、アイツだけは許せないんだ!」

 

 

 許せないと言う激情を口にする。だからどうしたいと言うのか。止めたいのか、殺したいのか、それすら分からずに唯憎悪を叫んでいた。

 

 

「……トーマ」

 

 

 その姿は、痛ましかった。

 彼は憎悪に滾る復讐鬼ではない。彼は憤怒に狂う執行者ではない。

 

 怒りと憎悪を抱いても、その本質は変わらない。

 無垢なる愚者は、激情に振り回されていても無垢なままなのだ。

 

 だからこそティアナには、傷だらけの子供が泣いているようにしか見えなかった。

 失って悲しいと、どうして奪うんだと、そんな感情を憎悪に変える姿は、余りにも痛々しかったのだ。

 

 恐らくトーマは止まらない。その激情に振り回されたまま、何も為せずに倒れるだろう。

 その光景が余りにも容易く浮かんでしまった。止めないといけないと、そう思ったのだ。

 

 トーマの激情。その憎悪。真面な術では止まらない。

 それを止められるのは、その切っ掛けとなった人物の言葉だけだろう。

 

 だからティアナは御免と胸中で呟いて、死んだ同類の言葉を代弁した。

 

 

「……そんな様で、ルネッサが喜ぶとでも思ってんの」

 

「っ!?」

 

 

 恐らく、彼女が死んでしまった今、その胸中を真に理解出来るのはティアナだけだ。

 失われた者への想いに突き動かされる少年を止められるのは、きっとティアナだけなのだ。

 

 

「アイツが、何で最期に笑ったと思ってるのよ!」

 

 

 だから、死者の言葉を勝手に代弁する。死者の言葉を騙り、その想いを決め付ける。そんな恥知らずな真似をする。

 

 

「救われたのよ! 助けられたのよ! 死ぬ事に気付いていたのよ!」

 

 

 きっとルネッサはそれを望んでいたから。

 きっとルネッサは、その星の様な瞳が輝き続ける事を望んでいたから。

 

 だから、彼女の事を引き合いに出して、トーマの心を揺さぶるのだ。

 

 

「だから、アンタのそんな姿が見たくなくて、それで笑顔を張り付けたんでしょうがっ!!」

 

 

 転がり落ちた首。切り落とされたそれは、けれど最期まで笑みが浮かんでいた。「ありがとう」その言葉は、確かにトーマに届いていた。

 

 

「それなのに、今のアンタは何っ! 許せない。許したくない。憎い。憎まなくちゃいけない。……そんなアンタの何処に、アイツが焦がれた光があんのよっ!!」

 

「……でも、それでもっ!」

 

「でもじゃないでしょうっ!」

 

 

 パシンと大きな音が、辺りに響いた。

 

 

「ティア」

 

「頭冷やしなさい。馬鹿トーマ」

 

 

 叩かれて赤く染まった頬に手を当てて、トーマは茫然とティアナを見詰める。

 そんな彼にティアナが告げるのは、何処までも身勝手でしかない彼女の意志だ。

 

 

「アンタの理由なんて知らない。アンタとアイツの因縁なんて知らない。譲れない道理があるのかもしれない」

 

 

 エリオ・モンディアルとトーマ・ナカジマ。その二人の間にある因縁も、トーマがエリオを恨む理由も、ティアナには分からない。

 

 ルネッサ・マグナスを殺された。それだけで怒り悲しむのは当然であろうが、それだけではないのであろう。それだけの理由を、ティアナは知らない。

 

 

「挑むのも、抗うのも、恨むのも、何も否定なんてしない。だって、私だってそうだもの!」

 

 

 憎む敵が居るのはトーマだけではない。討つべき仇が居るのは少年だけではない。

 あの腐毒の王を前にすれば、ティアナもトーマと同じく憎悪に振り回されて無様を晒すであろう自覚はある。

 

 

「けどねっ、アンタがらしくない無様晒してたら、それで嘆く奴が居るって気付きなさいよっ! その光に焦がれた奴が居たって、確かに理解して動きなさいよっ!!」

 

 

 ティアナの言葉は、ブーメラン発言だ。その時、その場に立って、同じ事をしてしまうのであろう。同じ言葉を返されれば、口を噤むしかない発言だ。

 

 それでも、厚顔無恥にその言葉を口にする。

 今、ルネッサの声を代弁出来るのは、ティアナしかいないのだから、その笑顔の意味を失わせない為には、彼女が口にするしかないのだ。

 

 

「アンタは馬鹿でも、何もかもを一人で背負い込むような馬鹿じゃないっ!」

 

 

 口にするのは、ティアナの目が見てきたトーマの姿。

 気に入らない奴だけど、気に入らない奴だからこそ、目に焼き付いていた彼の姿。

 

 

「アンタは誰かを救いたくて必死になる馬鹿でしょ! 頑張っていれば、誰かが助けてくれるんだって、そう信じている馬鹿でしょう! 何時だってこんな筈じゃなかった世界で、それでも綺麗なもんを信じてる大馬鹿でしょうがっ!」

 

 

 そんな突き抜けた馬鹿だと思ったから、挑むのが馬鹿らしくなったのだ。

 勝てないと割り切って、競い合うのが愚かしいと自嘲して、馬鹿だけど凄い奴だと思ったのだ。

 

 

「だから、なのに、そんな頭に血を上らせて、一人で無様に突貫して負ける。ふざけんなよ、馬鹿トーマ!」

 

 

 だから、この馬鹿には大馬鹿のままで居て欲しいのだ。

 

 トーマ・ナカジマが度し難い愚か者だからこそ、ティアナ・L・ハラオウンは共に在れると思っているのだから。

 トーマ・ナカジマが余りにも馬鹿だったからこそ、ルネッサ・マグナスは救われたのだから。

 

 

「……ティア」

 

 

 零れ落ちた言葉は、突き付けられた感情は、トーマの胸に確かに響いた。

 身勝手な決め付けの言葉ではあっても、彼の記憶にある言葉を引き出し、その頭を冷やすだけの力はあったのだ。

 

 

「先生曰く、一人で出来ない事も、皆となら。……一人で無茶をして、何も出来ないんじゃ意味がない」

 

 

 呟くように口にするのは、そんな師の教え。全然守れてないじゃないかと首を振って、トーマは項垂れたまま口を開いた。

 

 

「……ティア、御免」

 

「違うでしょ、馬鹿トーマ」

 

「……そうだね」

 

 

 頭を下げて詫びる少年に、そうではないだろうとティアナが返す。

 そう。この場に必要なのは謝罪ではない。そう気付いて、少年は小さく苦笑した。

 

 

「僕一人じゃ勝てそうにない。悲劇を広げる、アイツを止める事すら出来はしない。……だから、手を貸して欲しい。手伝って、欲しいんだ」

 

「ふんっ、言うのが遅いのよ」

 

 

 トーマの瞳に、輝きは再び灯される。

 

 憎悪は晴れない。怒りは拭えない。エリオは許せない。

 けれど、それで輝きを塗り潰してしまう事は、もうしないと此処に決めた。

 

 

「それで、僕はどうすれば良い。……二人なら、アイツを止められるの?」

 

「……はぁ、バッカじゃないの?」

 

「ティアっ!?」

 

 

 二人なら出来るんじゃないのか、そう驚きを露わにするトーマに、ティアナは溜息交じりに現実を告げる。

 

 

「罪悪の王は、私達が二人掛かりでも倒すのがやっとなルネッサが、子猫と巨象くらいに違うって言ってた怪物よ。……そんな奴、二人で挑んで、如何にかなる相手じゃないわ」

 

「……ティア。事実かもしれないけど、それ身も蓋もない言葉だよね」

 

 

 断定の言葉に、どこか疲れた声を漏らすトーマ。

 そんな気の抜けた表情を軽く笑って、ティアナは彼女の考える対策を口にする。

 

 

「だから三人で一緒にやるのよ。……すずかさんを二人でサポートする。それが現状で出来る最善手よ」

 

 

 己一人では届かない。ティアナを入れても、二人掛かりでも勝てないだろう。

 

 

「アンタも言ったでしょ。一人で無理なら皆でってさ。……要は、そういう事なのよ」

 

 

 だが、すずかも共に、三人でなら出来るかも知れない。

 一本の枝は簡単に折れても、三本揃えば断ち切れぬ様に、数は力となるのだから。

 

 

「……うん。そうだね。すずかさんと一緒なら、三人で挑めば、きっと」

 

 

 絆を信じて、信頼する人と共に、悪なる敵を止めるのだ。

 その方が、トーマ・ナカジマの選ぶ道にはきっと相応しい。

 

 その方が、きっと彼女も喜ぶはずだ。そう信じて、トーマは瞳を強く輝かせる。

 

 もう迷わない。信じた友と、前へ進む。

 弱くても、小さき火花でも、一人でないなら大火になれる。

 

 

 

 繋いだ絆が、輝かしい明日を運んでくれると信じて――

 

 

 

 

 

「――きっと、何が出来るんだい?」

 

『っ!?』

 

 

 だが、現実は、この世界は、余りにも残酷であった。

 

 

「何も出来はしないよ。無価値な塵は、幾ら積もろうと塵のままなのだから」

 

 

 立ち上がった少年少女の前に現れる赤毛の少年。

 身の丈程の槍を手に持つトーマと同い年頃の少年は、傷一つない姿で近付いて来る。

 

 

「……お前、すずかさんはどうした!?」

 

「吸血鬼風情が、僕に抗えるとでも思っていたのか? ……余り笑わせてくれるなよ。トーマ」

 

 

 黒炎は消えている。使用出来ないのではなく、使用する必要がないから。

 敵にすらならない月村すずか。それにすら劣る少年少女には、無価値の炎を見せる必要さえ感じない。

 

 

「っ! トーマ! 一端散開して――」

 

 

 咄嗟に状況を理解したティアナが指示を出そうとするが、それよりもエリオの行動は早い。

 

 

「目障りだ。路傍の石」

 

「っ!?」

 

 

 踏み込む速度は雷光。翻る石突は人体急所の一つを打ち抜き、ティアナは呼吸さえ満足に出来ずにその場に蹲った。

 

 

「ティアっ!」

 

 

 蹲る少女へと駆け寄る少年。だがトーマがその手を届かせる前に、無情な悪魔の蹴りが少女の胴に打ちこまれる。

 まるでボールの様に、腹を蹴られた少女は吐瀉物を撒き散らしながら地面に沈んだ。

 

 

「弱さに価値はない。塵は幾ら積もっても塵でしかない。総じて、弱者は無価値だ」

 

 

 倒れた少女を冷徹な瞳で見下して、口にするのはそんな言葉。

 エリオ・モンディアルと言う怪物は、冷たい瞳でティアナを無価値と断じていた。

 

 

「無価値な君は全てが終わるまで、そのままその場で蹲っていろ」

 

 

 故に殺す価値もない。意識を奪う必要すらない。動けなくなった路傍の石を意識の外へと追いやって、エリオはトーマへと振り向いた。

 

 

「エリオォォォォォォッ!」

 

「……少し、五月蠅いよ。トーマ」

 

 

 相棒を傷付けられて激昂するトーマが拳を振るうが、それよりも早く翻された槍が突き刺さる。

 

 

「がっ!?」

 

 

 トーマの胴に槍を突き刺し、そのままエリオは強く押し込む。

 まるで昆虫標本の如く、少年は槍に貫かれたまま地面に縫い付けられた。

 

 

「一つ、教えてあげよう」

 

 

 槍型デバイス“ストラーダ”の穂に当たる部分に足を乗せて、踏み躙りながらエリオが口にする。

 無感動な悪魔が刻み込むのは、トーマの理想を踏み躙る悪意の言葉。

 

 

「信頼。友情。絆。それらは全て、弱さの別称だ」

 

 

 それは彼が生きた溝の底の中で理解した。彼にとっての世界の真理。それはトーマが掲げる綺麗な物。その全てを否定する呪いの言葉。

 

 

「一人では何も出来ぬから、誰かを求める。一人で在れぬ程に脆いから、誰かを頼る無様を、聞こえが良い様に装飾しているんだ」

 

 

 足に体重を乗せる。内臓を抉り混ぜてペーストにするかのように、槍を動かす。

 上がる苦悶の声にさえ表情を動かさず、罪悪の王は言葉を返す余裕もない少年の願いを踏み躙っていく。

 

 

「絆を口にし、信義を頼りに、誰かを救う言葉を口にする」

 

 

 誰かを頼り、誰かに縋る。薄い絆を頼りに、それを剥がされてしまえば、こうして何も出来ない無様を晒す。

 

 

「君は弱いね。トーマ」

 

 

 それは弱さだ。エリオの目に映るトーマは、余りに弱くてちっぽけだ。

 

 

「サンダーレイジ」

 

「があああああああああああああっ!?」

 

 

 電撃変換魔法が放たれる。踏み躙る足元の槍を伝わって、広範囲を焼き払う電撃魔法が体内だけを駆け巡る。

 

 

「……嗚呼、本当に弱い」

 

 

 苦悶の声にすら揺るがない無情の仮面が、ほんの僅かに揺らぐ。その隙間から覗く色は、余りにも深い憎悪の色。

 

 

 

 神の卵。反天使。神に至れる者。神を殺せる者。

 トーマとエリオ。少年達は正反対に位置する器だ。対を為す相克なる者達だ。

 

 魔刃の存在意義とは、未だ至れぬ神の子を真に完成させる為にある――だと、言うのに。

 

 

「……何で君は、こんなにも弱いんだっ!!」

 

 

 零れ落ちる言葉は憤怒。垣間見える色は憎悪。

 魔刃は誰よりも、トーマ・ナカジマを憎んでいる。

 

 

 

 

 

3.

――君の存在価値を教えてあげよう。

 

 

 そんな言葉を告げられたのは、果たして何時の事だったろうか。

 

 

――知りたがっていただろう? 見つけたがっていただろう?

 

 

 トーマと会い、彼に一方的な共感を覚えた後の事だったか。

 それとも、慈悲により見逃した筈のルネッサが、己が見逃した所為でより深い地獄に堕ちた姿を見た後だったか。

 

 今となっては、覚えてすらいない。

 

 覚えているのは見せられた内容。

 忘れられないのは、“反身”が与えられた幸福。

 刻まれて拭えないのは、無限の欲望によって刷り込まれた憎悪である。

 

 

――ほら、見てごらん。アレが君の価値だ。

 

 

 サーチャーによって撮影された映像。

 そこに映る少年は、にこやかな笑顔で笑っていた。

 

 温かな両親に囲まれ、強い師に導かれ、優しい世界で安穏と生きていた。

 己の同類。そう思い込んでいた少年は、確かな自己を得て、満たされた世界で生きていた。

 

 

――魔刃は神の卵を孵化させる為だけに存在している。

 

 

 対して、己はどうであるか。冷たい研究施設で寝起きし、頼れる他者などどこにも居らず、憎悪と怨嗟の叫びに満ちた溝の中を生きている。

 

 嘆きを生み、悲劇を作り、屍を重ねる。

 屍山血河を築いて、それでも必死に前を見ていたのは、誰にも頼れない泥の中で強くなろうと足掻いていたのは、それをするだけの価値があると思いたかったから。

 

 

――罪悪の王は、次代の神を育て、その糧になるべき存在。詰まりは踏み台だ。

 

 

 見つけたかった存在理由は、あっさりと与えられた。

 齎された答えは、死ぬ為だけに存在していると言う実に下らないもの。

 

 そんな答えを探し続けていたのかと、幼い少年は茫然と画面に映し出される光景を見詰め続けた。

 

 

――君が殺して来た命も、君が食らって来た魂も、君が作り上げ続けた悲劇も、全てがあの子の為にある。

 

 

 最初こそ、神殺しとして作られたのであろう。だが、想定していた以上のスペックを得ても、根本の所でエリオ・モンディアルは欠陥品でしかない。

 

 これ以上の成長は期待出来ず、奈落との同調がなければ、己が存在すら保てないと言う人としても不安定な有り様。

 全ての神を追い落とす事を望む狂人にとって、エリオ・モンディアルは失敗作でしかない。

 

 そんな神殺しとして不完全なエリオは、故にそれ以外の理由を与えられたのだ。

 管理局全軍を蹂躙できるであろう彼は、新世界の神の踏み台に丁度良かったのだ。

 

 だからこそ狂人は、エリオが望んでトーマを傷付けるように、その思考に暗い憎悪を植え付ける。

 

 

――良かったね、エリオ。君は新世界の礎になる。これ以上はない価値だとは思えないかね? 

 

 

 見せられた。見せられた。見せられ続けた。

 雨の日も、晴れの日も、嵐の日も、雪の日も、エリオはトーマの姿を見せられ続けた。

 

 トーマが皆に囲まれていた日。エリオは誰もいない荒野で一人佇んでいた。

 トーマが見ず知らずの誰かを助けた日。エリオは見ず知らずの誰かを殺した。

 トーマが何の変哲もない一家を笑顔に変えた日。エリオは何の変哲もない一家の笑顔を奪い去った。

 トーマが優しい両親から「誕生日おめでとう」と祝われた日。エリオは同じ実験体から「生まれて来なければ良かったのに」と呪われた。

 

 その光景は焼き付いて離れない。その光景が焼き付いて離れない。その光景が、焼き付いて離れてくれないのだ。

 

 

――真実を知れば、皆が喝采を以って称えるであろう。君が死んでくれれば、それで世界は救われるのだからっ!!

 

 

 己が望んだ価値とは、後世において誰かに評価される事だろうか。

 己が欲しがった価値とは、弱い子供の餌となって死ぬ為だけの人生だっただろうか。

 

 殺して来た者。殺してしまった者。殺したくなかった者。

 それらが失われた理由が、そんな価値だと言われて、どうして納得出来ようか。

 

 

――これが、君が探し続けていた君の価値だ。

 

 

 欲しかった生きる意味は、そんな物ではない。

 罪に塗れた己が生きていて良い理由は、こんな下らないものではない。

 

 

 

 

 

「これが、僕の価値。こんな弱い生き物が、僕の存在理由」

 

 

 槍に貫かれ、電撃に蹂躙され、真面な反応すら示さなくなった“反身”を見下す。足元で痙攣するしかない弱者を、怒りと憎悪に濁った瞳で見下している。

 

 

「弱い奴には何も出来ない。弱者は無価値だ。……そんな弱者と等価であるなら、この全てに価値がない」

 

 

 泥の中で生き、誰にも頼れぬが故に強くある事を望んだエリオにとって、強さとは絶対の価値基準だ。

 

 死んだのは弱いせい。失うのは弱いせい。守れないのは弱いせい。

 己が意に沿わぬ命に逆らえぬのも、己がこの首輪を外せぬ程に弱いからに他ならない。

 

 所詮世の道理は弱肉強食。弱者は全てを失う。それが自然の摂理である。

 

 だからこそ己を殺せる力を持っていたならば、抗っても無意味な程に彼が強かったならば、エリオはトーマの糧となる事を受け入れた。それ程に強かったなら、諦めが付いていたであろう。

 けれど、トーマ・ナカジマは信じたくない程に弱いのだ。

 

 

 

 電撃を流す。魔力を流す。止まりかけた心臓を無理矢理に動かし、外部からエクリプスウイルスを励起させる。

 

 

「がっ!?」

 

 

 気絶なんて許さない。此処で倒れて終わりなど認めない。

 苦しめ。嘆け。絶望しろ。その為ならば、治療魔法をかけてその身体を万全な状態まで引き戻してやろう。

 

 

「エ、リ、オッ!」

 

 

 無理矢理に意識を覚醒させられ、己が名を叫ぶトーマを見下ろす。

 その目には憎悪の色がある。その瞳には憤怒の情がある。だが、その瞳の奥にある星の輝きだけは、未だ消えてはいなかった。

 

 忌々しい。その輝き(よわさ)は気に食わない。

 

 

「……まだ、憎悪が足りないようだね」

 

 

 他者を排する激情こそが、尽きぬ憎悪こそが、人を先へと進めるのだ。

 人間は他者を呪って、共に食らい合って、足を引き摺り合って強くなる。

 

 それこそが、エリオにとっての真実。彼が見続けた世界の形。

 

 

「……なら、刻んであげよう。分からせてあげるよ。弱者は全てを失うんだ」

 

 

 だからこそ、其処に至らせてやろうと、悪意を持って言葉を紡ぐ。

 

 

「アクセス――我がシン」

 

 

 槍の穂先でトーマの腕を狙う。

 掠める様に振るわれた刃が切り裂くのは、彼が両手に付けるアームドデバイス。

 

 

(シン)(シン)から、(シン)(シン)へ、奈落(アビス)から王国(マルクト)へ、前存在物質の相転移を確認」

 

 

 知っているぞ。見ていたぞ。

 それは大切な物なのだろう? それはお前の母の形見なのだろう?

 

 

活動(アッシャー)形成(イェツラー)創造(ブリアー)流出(アティルト)

 

「や、め――」

 

 

 刃によって宙に舞う二つ一組のデバイス。紫色のリボルバーナックルへと振り下ろされるのは、腐炎を纏った巨大な槍。

 

 

「堕ちろ、堕ちろ、腐滅しろ」

 

 

 トーマの制止は届かずに、母の形見は無価値に腐って燃え尽きた。

 

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「君の宝物は失くなったね、トーマ。……さて、次は何が良い?」

 

 

 絶叫するトーマの頭を踏み躙って、冷たい瞳で魔刃は告げる。

 

 

「先生から貰った物があったね。父親から貰った物もあったね。羽虫の羽を毟る様に、蟻の手足を捥ぐように、君が持つ物、一つ残らず無価値に堕とそう。……それが嫌なら、強さを示せ」

 

 

 魔刃を超える力を見せろ。

 己の憎悪など打ち崩せる程の憤怒を見せろ。

 この身を打ち破り神に至る為に、その憎悪を以って己を塗り替えろ。

 

 

「……見せなよ、トーマ。何かあるんだろう!」

 

 

 神の卵。至れると言うなら至って見せろ。

 そうでなくてはならない。そうでなくては許せない。

 

 

「これが君の限界ならっ!」

 

 

 覚醒でも暴走でも何でも良い。

 何かを示して乗り越えて見せろ。

 

 それさえ出来ないと言うのならば。

 

 

「無価値なまま、絆に縋る弱者なまま、この醜悪な世界諸共死んでしまえっ!!」

 

 

 

 

 

4.

 吐瀉物に顔を埋めたまま、ティアナはその光景を見ていた。

 絆を否定され、大切な物を奪われて、嬲られ続ける少年の姿を目に焼き付ける。

 

 腹が立つ。腹が立った。

 

 トーマを嬲る魔刃の姿に。エリオに良い様にされているトーマの姿に。

 それに何よりも、偉そうな言葉を口にして置きながら何も出来ない己に、何よりも強い怒りを抱いた。

 

 

(ふざけるな、ふざけるなよ、ティアナ・L・ハラオウン! こんな無様で、アイツの相棒だって名乗るつもりっ!?)

 

 

 己を叱咤する。薄れる意識を、歯を食いしばって持ち堪えさせる。

 

 彼の相棒になる事を認めた訳ではない。そうなりたい訳でもない。

 だが、今回限りは協力すると決めたのだ。手を貸してやると、上から目線で語ったのだ。

 

 ならないとなれないは違う。己があの馬鹿の相棒になる事すら出来ない。そんな弱い無様を晒すのが、どうしても我慢できなかった。

 

 

(何か、ないのっ! あの怪物を倒す方法! 方程式の答え! 何処かに、私の出来る何かがっ!!)

 

 

 そんな物はない。人形兵団にすら届かぬティアナの弾丸が、どうして罪悪の王を揺るがす事が出来るであろうか。

 

 あれは無限蛇の最強戦力。単独で大天魔を相手取ってなお、勝利する事が出来るかもしれない怪物だ。

 

 万象流転の担い手クロノ・ハラオウンでも届かない。盾の守護獣ザフィーラでも敵わない。エースオブエース高町なのはですら殺される。

 

 そんな怪物を前に、唯の凡人に一体何が出来ると言うのか。

 

 

(答えがあるならっ! それをっ!!)

 

 

 渇望する程にそれを願ったティアナの右目に、あり得ぬ景色が垣間見えた。

 

 

 

 幼い頃。少女は右目の神経が腐る程の被害を受けた。

 外科手術と再生医療によって癒えた傷痕には、しかし魔力が残留し続けていた。

 

 重濃度高魔力患者とは、大天魔襲来の際に彼らの魔力被害を受けた者の事。その魔力汚染によって、身体機能に異常を来たした歪み者をそう呼ぶのだ。

 

 ティアナの右目は、軽度であっても天魔の力に汚染された物。幼き頃から鬱屈した願いを抱いて、確かな渇望へと到達した凡人の瞳の汚染は歪みへと変わっていた。

 

 青く輝く瞳に映る。その光景は霧が掛かったようで見え辛い。

 

 所詮は右目。神経一つの汚染しかない。

 渇望で変化しようとも、ティアナの歪みは格が低い。

 

 それは等級にして陰の一。己の力すら自覚できない現状。瞳に映る光景が何かさえ、今の彼女には分かっていない。

 

 

(それでも)

 

 

 凡人は所詮、目覚めても凡人の域を出ない。

 

 

(見えた一瞬を、信じるっ!)

 

 

 それでも、己に出来る何かがあるなら、それを信じて一点に掛けるのだ。

 

 

「トーマッ! アンタが信じる一番強い一撃をっ! 私を信じて打ちなさい!!」

 

 

 叫び声を上げて、ティアナはアンカーガンから一発の弾丸を放った。

 

 その一発の弾丸は、歪みを纏っている訳ではない。

 その一発の弾丸に、特別な何かがある訳でもない。

 

 

「路傍の小石が、無駄をする」

 

 

 躱す必要すらなく。脅威を感じる訳がなく。弾く手間さえ必要ない。

 それでも、その青き瞳に何かがあると感じたエリオは、油断をせずに一歩を退く。

 

 

「……何っ?」

 

 

 その一歩が、圧倒的な優位を狂わせた。

 

 ずぶりと沈み込む己の足。一歩引いた先の大地に穴が開いて、エリオは困惑の声を漏らす。

 

 

(何だ、何が起きている!?)

 

 

 彼が現状を把握するよりも早く、飛来したティアナの弾丸が地面にぶつかる。

 

 余りにも弱弱しい弾丸。非殺傷とは言え、怪物を傷付けるには足らぬ一撃。

 だが、偽りの星光によって限界を迎えていた大地を崩すには、その一撃で十分だったのだ。

 

 

「っ!? 廃棄区画地下空洞かっ!!」

 

 

 大天魔襲来に備えて、クラナガンの街並みは地下へと収納できるように設計されている。

 故にクラナガンの地下には大きな空洞があるのだ。街一つすっぽりと覆い尽くす程に、大きな地下空間が存在している。

 

 それは、旧市街であり、既に廃棄されたこの区画も変わらない。薄い地上の地面の下には、広大な地下空間が広がっている。

 それを知って誘い込んだのか、そう驚愕するエリオに返す言葉は。

 

 

「……知らないわよ。何よそれ」

 

 

 そう。ティアナは知らない。廃棄区画が旧市街だった事も、その地下空洞が今なお塞がれずに残っている事も、既に大地が崩れ落ちそうだった事も、何も知りはしなかった。

 

 

「見えただけよ。……アンタが倒れる景色がね」

 

 

 此処で一発の弾丸を放てば、それでエリオが倒れる未来が成立する。

 そんな光景が見えたから、ティアナは信じた。そんな一瞬の幻に全てを賭けた少女は、既に効果を失った右目でエリオを見る。

 

 安定しない彼女の歪みは、もう使えない。

 その汚染魔力は余りにも矮小過ぎて、効果が長続きする事は無い。

 

 けれど、これで充分であった。

 

 

「っ! だが、この僕が墜落死するとでも!? 侮るな!!」

 

 

 腐炎を解除して、飛翔魔法を展開する。

 無限の欲望に作り変えられた彼に、使えぬ魔法など存在しない。

 

 空を雷速で飛翔する少年は、あっさりと崩落を抜け出す。

 地の底へと落ちていくのはエリオの傍に居たトーマだけ、結局小石の力などそれだけでしかなく。

 故にそこに畳み掛けるのは、小石ではない女の力だ。

 

 

「恋人よ、枯れ落ちろぉっ! 死森の薔薇騎士ぃっ(Der Rosenkavalier Schwarzwald )!!」

 

「っ!? まだ息があったのかっ!?」

 

 

 空に舞い上がった紫の女。魔刃を落とすは、夜の女王。

 腐炎が己を焼き尽くす前に、腐って焼け落ちた半身を己で抉り取っていた女は、己の裸体を片手で隠しながら、残る片手で赤い夜を展開した。

 

 腐炎があれば、夜は一瞬で燃え尽きたであろう。

 己の内に魔刃を取り込んでしまえば、月村すずかはその瞬間に死んでいた。

 

 だが、己の腐炎はあらゆる全てを焼いてしまう。己の魔法も焼いてしまうから、墜落死を避ける為には解除するしかなかった。

 故にこの瞬間、この今だけはその簒奪の夜に対して、魔刃は有効打を示せない。

 

 

「ちぃっ、アクセス――我がシンッ!!」

 

 

 だがそれも一瞬。己が腐炎を以ってすれば、この夜を破る事は容易い。

 ごっそりと力を奪い取られながら、飛行魔法を解除した魔刃は全てを焼き尽くさんとその呪詛を口にする。

 

 だが――

 

 

「なっ!?」

 

 

 轟音と共に撃たれる身体。射線を視線で辿ってみれば、見詰める先にあるのは管理局の装甲車両。

 

 咥え煙草の中年指揮官の指示の元、局員達の手によって一斉砲火される。

 それは、人形兵団より奪い取った質量兵器。魔導師ですら耐えられぬスチールイーター。

 

 

「このっ、タイミングでっ!?」

 

 

 無数の質量兵器に撃ち抜かれ、紡ぐ言葉を妨害される。

 集った味方を巻き込まぬ為に夜は解除され、代わりにと降り注ぐ吸魂の杭はエリオの落下速度を加速させる。

 

 

(っ! 腐炎は、夜がないならいらない! なら、まずはこの状況からの脱出をっ!!)

 

 

 このままでは墜ちる。故にまずは脱出を。

 

 人間離れした己の身体能力ならば、薔薇の夜でも使われない限りは耐えられる。最悪は魔刃の真なる力を解放すれば、それで全てが解決する。

 

 そんな冷静な思考での判断は――

 

 

「先生直伝!」

 

「トーマッッッ!?」

 

 

 目の前で共に落下する少年の、完全に脱力した姿を見て停止した。

 

 目の前の少年は、何一つとして恐れていない。

 落下し続ける。このままでは死に至ると言うのに、己が信じる至高の一撃を放つ為だけに力を溜めている。

 

 恐れがない訳ではない。怯んでない訳ではない。

 だが相棒は信じろと語った。だから彼は信じているのだ。己がすべきは、一番強い攻撃を打つことだけだと。

 

 そう。彼にとっての至高とは、唯一つしかない。

 トーマが最強と信じる一撃は、エースの砲撃でも世界の毒でもない。

 

 それは人の意志。魔導師でもない人間の、本気の力を見せる拳。

 魔力など使わずに打てるように、彼の師が改良し完成させたその拳の名は――

 

 

繋がれぬ拳(アンチェインナックル)!!」

 

「がっ!?」

 

 

 その拳が、魔刃の身体を打ち抜いた。

 

 

「分かったか、エリオ!」

 

 

 もしも、何か一つでも欠けていたら、彼らは敗北していただろう。

 そうでなくとも、僅かタイミングがズレただけで、彼らは蹂躙されていたであろう。

 

 薔薇の夜で弱体化し、無数の銃弾に打ち抜かれ、崩落に巻き込まれていた状況だからこそ、その拳は届いた。

 

 それは万に一つどころか、那由他の果てに一つの可能性だった。

 それでも、現実に実現したならば、それは一つの必然となるのだ。

 

 ボロボロになったティアナが、裸体を隠したすずかが、部隊を指揮するゲンヤが、三人がバインドを展開する。その魔力の鎖が、落下するトーマを救い上げた。

 自分で助かる術もなく、されど必ず助けてくれると信じていた少年は、誰も信じず頼らぬ無頼漢へと確かに告げる。

 

 

「これが、お前が馬鹿にした。僕らの(つよさ)だ!!」

 

 

 皆に助けられた少年を見上げたまま、誰にも救われない少年は穴の奥へと飲まれていく。

 

 

 

 弱いままに、助け合って勝利を掴む。そんな己の思想を完全否定する輝きを憎悪の瞳で見詰めたまま、エリオ・モンディアルは大地の底へと消えていった。

 

 

 

 

 

 




天邪鬼な作者が、前評判通りの展開にする筈がなかった。そんなお話しでした。

けど、これ、前後編なんだぜ。(邪笑)



【名称】名称不明
【使用者】ティアナ・L・ハラオウン
【効果】詳細不明。
等級一という最低の格でありながら、魔刃に対して効果を発揮した所から見るに、恐らくは直接的な干渉ではないと思われる。

その青き瞳は魔眼であり、何かを見る為の力を秘めている。
今は未だ真面に発動する事すら出来ず、無理に使おうとすれば一時的な失明状態となる模様。

後にその力を知る御門顕明曰く、御門龍水の歪みに似て非なる力との事。






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訓練校の少年少女編第六話 無価値の悪魔 中

上下編で纏めようと思ったら上中下編になっていた。

全部スカさんの所為(暴論)


副題 強くありたいが強くはなれない弱者
   新コーナー“なぜなにスカさん”


推奨BGM
3.Fallen Angel(PARADISE LOST)


1.

 無数の鎖によって救われる少年。

 多くの人々に支えられたまま、トーマは深い穴の底を見詰める。

 

 

「エリオ」

 

 

 其処に如何なる感情が込められていようか。

 単純ではない思いを抱いて、誰にも救われる事無く落ちて行った宿敵の名を呟いた。

 

 

「僕達の、勝ちだ」

 

 

 鎖が音を立てて引き摺られ、少年は多くの人々の手によって救われる。

 落日の後、太陽が落ちた夜の中でも、その光景は陽だまりの中の様に輝いていた。

 

 

 

 

 

 そんな光を、地の底で見上げる。

 開いた大穴の底。崩れ落ちた廃墟の中に、差し込む光は届かない。

 

 何時もの様に己は溝の中に居て、あの輝きを仰ぎ見ている。手の届かない光の中へと、救い上げられた反身を見上げている。

 

 一筋の光。手が届く場所にはない輝きが、嗚呼こんなにも忌々しい。

 

 

「は、ははっ」

 

 

 滴り落ちる赤き色は、己が胸より零れる物。

 深く深く深い穴を墜ちた先、落下の衝撃にて砕けた骨が己を内より開いている。

 

 

「ははっ、はははははははっ」

 

 

 虚しく嗤う。内に何もない空っぽな笑みを浮かべて哄笑する。

 笑う度に開いた胸から血が溢れ出すが、それすら今はどうでも良かった。

 

 

「ははははははははははははははっ」

 

 

 余りにも長大な落下距離は、強化された魔人の肉体強度を以ってしても耐えきれる物ではなかった。

 

 けれど、余りにも長大な落下距離は、エリオに対策の猶予を与えていた筈だった。

 防御魔法で、或いは飛翔魔法で、如何様にも対処可能な物でしかなかった。

 

 それが出来なかったのは、その絆に目を奪われてしまったから。

 余りにも弱いのに己を破ったそれが、憎くて憎くて仕方がなかったから。

 

 だからエリオは冷静な判断が出来ずに、こうして無様を晒している。

 

 

「ああ……僕は未だ、こんなにも弱い」

 

 

 これは弱さだ。冷静に単純に無感動に動いていれば、あの瞬間からでも逆撃出来た。

 これは弱さだ。恨み憎み呪い羨む。そんな人の情こそが、圧倒的上位に居た己を敗北させた。圧倒的下位に居た奴を勝利させた。

 

 

「……なら、弱さは要らない。人の心(エリオ)は、必要ないんだ」

 

 

 己と言う弱者は必要ない。だから、それを捨てようと決める。

 

 決して使いたくはなかった全力を、発揮したくはなかった魔刃の真価を、頼りたくはなかった内なる悪魔を、此処に弱い人間を捨て去り顕現させる。

 

 一度アレが目を覚ませば、己はもう己の意志では戻れない。

 封印が解かれ、目を覚ました無価値な悪魔には、エリオ・モンディアルと言う自我が存在しない。

 極限のシンの塊に弱者である人の心は抗えず、その深い闇に飲まれて消えるのだ。

 

 それでも、極大の憎悪を以って、それを選択した。

 無頼であり続けるよりも、強く在りたいと言う願いよりも、アレへの憎悪が勝ったのだ。

 

 

「封印術式解除」

 

 

 黄色の輝き。エリオの持つリンカーコアの色。

 其処に茜と紫の輝きが入り混じり、その色を大きく変えていく。

 

 一つ、二つ、三つ。輝く色は自らのオリジナル。そしてその両親の物。

 四つ、五つ、六つ。尽きぬ輝きは、魔刃の糧となって死んだ者。犠牲者より奪われ、エリオに移植されたのは、魂の器官であるリンカーコア。

 

 

全魔導核(リンカーコア)過剰駆動(オーバードライブ)!」

 

 

 七、八、九、十。輝きは止まらない。

 百、千、万。数え切れぬ程に溢れ出す光は、混ざり合ってその色をゆっくりと変えていく。

 

 万を超える輝きが作り上げるのは、虹の如き美しい色ではない。全ての色が混ざり合って、其処に生まれるのは泥の様に濁った黒。

 

 湧き出し満ち、それでも尽きぬ魔力が溢れ出しては世界を侵す。人の身に収まり切らない極大の魔が、その背より翼の如く吹き上がる。零れ落ちた瘴気を喰らって、その傷が塞がっていく。

 

 

 

 これより現れる存在は人間ではない。

 

 無限の欲望の意志の下に奪われし命。ミッドチルダを恨み、呪い、怒りを抱くは幸福の礎となって散った魂。

 それらが混ざり合って生まれる群体は、醜悪なる魂の肉塊はその存在が無価値である。

 

 それは無頼のシンに呼応している訳ではない。

 それは無価値と言う存在の在り様に同調して、奈落の最深奥より這い上がる。

 

 これは(ナハト)だ。これは虚飾(ベリアル)だ。

 無数の魂によって構成される無価値の悪魔(ナハト=ベリアル)は、犠牲者達の誰でもない。

 

 

蹂躙しろ(オキロ)――無価値の悪魔っ(ナハト=ベリアル)!!」

 

 

 言葉と共に、エリオの意識は闇の底へと沈み。それに代わり、悪魔の意識が浮上する。

 世界に顕現した悪魔の力に引き摺られ、その器が作り変えられる。その犠牲者達の魂が薪となり、悪魔の人格を作り上げる。

 

 暗く黒く、引き千切られたかの様に穴だらけの翼は、堕ちた天使の如き物。眼球が黒く染まり、瞳は暗闇を赫く照らし出す。

 

 その無表情を燃え滾る様な喜悦に変えて、無価値の悪魔は目を覚ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

――ああ、正義と不法にどんな関りがあるだろう。光と闇に、何の繋がりがあるだろう。彼と我に、如何なる調和が許されるのか。これ全て否。無価値なり――

 

 

 怖気を催す言葉が紡がれる。

 遠く、深き穴より紡がれる声と共に、全てが震えた。

 

 

――相容れず反発し、侵し合い喰らい合い殺し合う以外に途などない

 

 

 トーマ・ナカジマが茫然自失する。ティアナ・L・ハラオウンが恐怖に震える。ゲンヤ・ナカジマとその指揮する部隊が、その威圧だけで動けなくなる。

 

 唯一人。内なる白貌との同調により如何にか身動き出来る月村すずかは、最も弱いであろう少女を庇う様に立つ。

 震える身体を意志で抑え付けながら、その怖気を伴う瘴気が溢れ出している深淵を睨み付けた。

 

 

――嗚呼、汝、我が反身よ

 

 

 ゆっくりと深淵より近付いて来るナニカ。それが身動ぎするだけで、世界が悲鳴を上げている。唯其処に居るだけで、それは全てを汚して堕として凌辱する。

 

 

――泣けるものなら泣いてやりたい。愛せるものなら愛してやりたい。されどまた、是も否。絶対の否定こそが、我が本質であるが故に

 

 

 神と神を殺せる者。其処に如何ほどの違いもない。神に匹敵する存在としての魔の塊。真に目覚めた魔刃を折伏出来る者など、この世界のどこにも居ない。

 

 決して完成に至れぬ欠陥品であれ、目覚めた悪魔は止められない。

 そう。深淵より這い上がって来る怪物は、偽りの神々と同格の存在であるのだ。

 

 

――この身に涙などはなく、この魂に愛などない。彼我の差は絶望なれば、絶死を以って告げるまで

 

 

 圧倒的な瘴気が吹き荒れる。羽ばたく翼が大地を抉る。赫き双眸が全てを見下す。

 その小さな身体が発する威圧に、ミッドチルダと言う世界が崩れ落ちるかの如くに大きく揺れる。

 

 

――SAMECH・VAU・RESCH・TAU

 

 

 誰も何も出来なかった。

 余りに格が違い過ぎる悪魔を前に、誰もが何も出来なかったのだ。

 

 

「終われ。次代の可能性」

 

 

 その冷たい瞳の一瞥で、その場に居た全員が地面に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

2.

 ゴポゴポと培養槽に気泡が浮かび上がる。

 何かを計測しているのか、心電図のような機材が定期的に機械音を立てている。

 

 同じ顔をした人型が材料採集用の機械へと囚われた人々を押し込み、出て来た物体を部位毎に分けていく。

 

 其れは無機質な屠殺場。解体された人々を使った遊び場(アトリエ)だ。

 

 

〈あららー。エリオ君ってば、本気で皆殺しにしちゃう気みたいですねぇ〉

 

「ふむ。これは少し不味いかね。完全覚醒した魔刃は撃破不能。今の管理局では、全軍を以ってしても返り討ちにしかならない。……常道で考えるならば、ここで回収するべきなのだろうが――」

 

 

 そんな遊び場の只中にて、聞こえる悲鳴に神経を揺るがす事もなく、男女は言葉を交わしている。

 

 明らかにおかしい。何処か所ではなく、あらゆる全てがズレている。

 こんな無機質な地獄の中で平然と会話を交わせる彼らを、人は狂人と呼ぶであろう。

 

 

〈なのだろうが?〉

 

「今のままの方が、面白そうではあるのだよ。神の子の成長速度が予定より遅い現状、この一手がブレークスルーに成り得るかも知れない。良薬であれ、毒薬であれ、劇薬には違いないだろうからねぇ」

 

 

 モニターに映る光景を、片やこの場で、片や機械越しに観察する二人の狂人。

 まるで遊興に耽るかの如くに笑い合う男女の会話には、真剣みと言う物が欠けている。

 

 

〈キャー! ドクターってば、相変わらず効率的かつ悪辣ですぅ! 其処に痺れる憧れるぅ!〉

 

「はっはっはっ! 褒めても何も出ないよ。クアットロ」

 

 

 白衣の狂科学者ジェイル・スカリエッティ。

 

 そんな彼を誉め称える女の声は、何処までも甘ったるく媚びた物。

 睦言を語る様な瞳で狂人を見詰める女こそは、魔群と呼ばれる反天使(ダストエンジェル)

 

 真なる魔群は通信機越しに、己が唯一敬意を払う生みの親との会話を楽しんでいた。

 

 

 

 

 

〈ところでぇ、ちょっと気になったんですけどぉ〉

 

「何だい、クアットロ?」

 

 

 そんな彼女が口にするのは唯の雑談。

 目の前で展開される光景に対して抱いた当然の疑問。

 

 

〈今の魔刃ってば、相当なもんですよねぇ。テキトーな防衛線に配属させれば、大天魔をみぃんな討ち取ってくれそうですけどぉ。それでも失敗作なんですかぁ?〉

 

 

 それはモニターに映る絶望の光景。それを作り上げている魔刃の力を目にすれば抱く、当然の疑問。

 それでは駄目なのかと言う問い掛けに、スカリエッティは珍しく素面な表情へと戻った。

 

 

〈あ、いやぁ、話し難い事なら良いんですよぉ。唯、疑問に思っただけなんでぇ〉

 

 

 クアットロは不味い事を聞いたかと表情を変える。

 そして前言を翻す彼女に、しかしスカリエッティは構わないと軽く手で示すと言葉を選びながら口を開いた。

 

 

「……確かに、魔刃は既に下位の天魔を超えている。中級だろうと、大結界内で戦闘を行えば確実に勝利出来る。両翼相手でさえ、時と場所を選べばある程度の善戦は行えるレベルだ」

 

〈……だったらぁ、何であの子で神殺しをしないんですかぁ? ドクターの夢でしたよねぇ〉

 

 

 そんな説明に抱くは再びの疑問。求道者であるスカリエッティが、己の求道を達成できる場において、何故に手を拱くのかと言う問い。

 

 そんな問い掛けに、返る答えは――

 

 

「確かにエリオは私の自慢の子供の一人だ。……だがね、ナハトは違うのだ。アレはね、意図して生み出したのではなく、偶発的に生まれた怪物なのだよ。故に私は、魔刃を我が子と認められんのだ」

 

〈へ?〉

 

 

 そんな、他者から見ればどうでも良い理由であった。

 

 

 

 

 

「まず前提として、私はエリオ・モンディアルと言う個体にそこまでの期待はしていなかった」

 

 

 所詮エリオはクローンだ。如何に出来が良いとしても、複製故の欠落が目に映る。素材としては二級でしかなく、最高品質とは言えなかった。

 

 

「私の第一目標は、当初より高町なのはだけであった。クローンでしかないエリオは所詮消耗品であり、彼女に施す施術を完成させる為の実験体でしかなかった訳だ」

 

 

 元より視野に入れていたのは最高の素材のみ。

 最高品質のそれは替えが効かないから、替えが効く二級品で一番良い物を試作品にしてみただけなのだ。

 

 

「故に彼に試したのは、リンカーコアを移植する事で現れる副作用と、どれだけの数を植え付けたら器が自壊するかと言う確認作業」

 

 

 リンカーコア移植。前人未踏の行為には、さしものスカリエッティとて躊躇があった。技術的にも不足は多くあり、故に練習台は必要だったのだ。

 

 

「それは想定通りに推移した。魂の切れ端であるリンカーコアを植え付けられれば、その個体が持つ魂は相対的に薄れる。混濁する大量の魂の内で、それでも我を宣するだけの意志がなければ、人の魂は死者の恨みに飲まれて消えるのだ」

 

 

 足りなければ継ぎ足せば良い。

 そんな発想で次から次へと足し続けた結果、エリオは壊れた。

 

 自分が誰かも分からず、無数に存在する記憶に踊らされ続け、遂には人としての基本機能さえ失って廃人となってしまった。

 

 当然だ。クローンの持つ貧弱な自我に、他者の魂など足し続ければ崩壊に至るのは自然と言えよう。

 

 

「当然の如く、エリオの自我も一度は崩壊した。オリジナルと両親。三人分の魂から生じた自我は、所詮は張りぼての様に薄い紛い物。移植するリンカーコアが二桁を超えた時点で、己を認識できなくなり、三桁に到達する前に物を言わぬ肉塊に早変わりと言う結果となった」

 

 

 結局、失敗作が出来上がっただけ。数に限界があるなら、質に拘らなければいけない。そんな当然の発想に至るまで、余りにも多くの人間を犠牲にした。

 

 ならば、それなりの成果を得ねば嘘であろう。

 

 

「エリオは廃棄処分するのももったいなかったからね。どうせなら行ける所まで行ってみよう。そんな思考で質の大小良し悪し一切問わずにリンカーコアを付け足し続けてみたのだよ」

 

 

 そんな思考によって、スカリエッティは壊れたエリオに更にリンカーコアを植え付け続けた。

 その身体が物理的に崩壊を始めるまで、何人も何十人も何百人も何千人も何万人も何十万人も殺し続けた。

 

 スカリエッティの材料庫である紛争地域は星の数程もあり、最高評議会が彼を全面的にバックアップしているのだから、出来ない事ではなかったのだ。

 

 

「その総数は、二十七万四千八人。……数だけは大した物だと言えるだろう?」

 

 

 それだけの数が犠牲になった。

 それだけの数を加えれば、人の器では持たないと判明した。

 

 

「数が質を凌駕する事はない。そういう訳だ。故に私は数の大小によるアプローチを早々に諦め、愛し合う男女の魂による相克。陰陽合一こそ太極への道であると判断した」

 

 

 結局、至った答えは其処になる。限界数ではなく、至上の質を以って至るべきだと言う発想こそが答えであると無限の欲望は判断したのだ。

 

 

 

 あの日、あの場所で起きた一つの事件を目にする迄は。

 

 

「だが、其処に一つ別の発想を得た。あの出来事を切っ掛けに、一つの可能性に気付いた」

 

 

 それは数の可能性。質を凌駕する数と言う暴威。

 それをあの日、あの地球と言う大地でスカリエッティは確かに見た。

 

 

「夜天の書。夢界と言う集合無意識が生み出した、盧生と言う存在」

 

 

 人類の意志総体。それは正しく数の極致。絶対の個ではなく、人類全てと言う数を以って神域へと手を伸ばし掛けていた盧生という存在。

 

 

「あれは数の極致だ。全ての意志を繋いだ結果生まれた夢界。その後押しを受ければ、百鬼空亡程の怪物が生まれ得る」

 

 

 其処から零れ落ちた夢の怪物は、確かに神々にも迫る程の力を持っていたのだ。

 

 

「ならば、同じ様に人間総体を作り上げれば? その思考実験の果てに作り上げた物こそ――」

 

〈それが奈落(アビス)。反天使が生まれた場所〉

 

「その通りだ。クアットロ。君達にとっての故郷とは、あの夢界を参考にしている。君達とは、奈落と言う名の夢界に発生した悪魔と言う名の廃神だ」

 

 

 奈落とは即ち夢界である。反天使とは即ち廃神である。

 

 スカリエッティが悍ましき術と許されぬ手法によって作り上げたそれは、既に過去の地球で生まれた夢界を超えている。

 スカリエッティが人の持つ感情。器との共通点を楔にする事で現実世界に固定された魔王達は、既に空想の神々を超えている。

 

 

「無論。あくまで秘密裡に動かねばならぬ以上、数は用意出来ない。数十万までなら兎も角、数億を超える人を犠牲にすれば流石に隠し切れない」

 

 

 ならば何故、それ程の夢界を作り出せたのか。

 ならば何故、罪悪の王程の廃神が生まれ得たのか。

 

 

「故に数の差を補う為に質を厳選した。丁度都合の良い場所に、特に優れたる魔力の塊が存在していたのだから、使わぬ道理はなかった」

 

 

 それは許されぬ手法を使ったから。悍ましき術を使ったから。

 スカリエッティが目を付けたのは魂の力である魔力に溢れ、それでいて失われても問題がない者達。

 

 即ち――

 

 

「重濃度高魔力汚染患者」

 

 

 それは歪み者になれなかった被害者達であり、同時に管理局を守る為に戦い続けた結果限界を超えて死ねなくなってしまった歪み者達の事である。

 

 

「彼らは魔力と言う一点に限れば、魂の力と言う一面で見れば、管理外世界の人間数万人にも匹敵するだけの個人と言える」

 

 

 犠牲者の数は万を超える。“不幸”にも避難が間に合わなかった者達や、前線で一命こそ取り留めるも歪みに至る程の渇望を持てなかった者達。

 

 管理局が未だ前身組織であった頃に活躍した古の英雄達。戦い続けた結果、死ねなくなってしまった事でこの時代まで生き続けていた者達。

 

 守るべき者らも、これより共に戦ってくれたかもしれない戦士も、敬意を払うべき偉大な先達も、全てがこの男の欲望に消えた。

 

 

「そして都合の良い事に完治の術がない彼らが消えてしまっても、誰も不信に思う者はいないのだ」

 

 

 彼らは隔離施設へと送られていた。癒せないと言う現実を隠す為の面会謝絶措置が、この男の暴挙を助けた。

 どの道使い道がなく、治しようもなかった。唯集められていた者達は、この男の材料となったのだ。

 

 

「だから彼らを、生きたまま繋げて潰して混ぜ合わせた。そうして尚蠢く肉塊で、夢界を形成したのだ」

 

 

 それこそが奈落。それこそが、スカリエッティが作り上げた最悪の地獄。

 

 憤怒。嫉妬。憎悪。絶望。諦観。

 その夢界は負の情で満ちている。未だ生かされ続けている彼らに救いはない。

 

 その無限大の悪意の坩堝の底に悪魔は生まれた。

 ベリアル。ベルゼバブ。アスタロス。ルシファー。奈落の底(ジュデッカ)に蠢く魔王達。其処の底、最も深き場所に彼らは存在する。

 

 其処に天使は生まれ得ない。何故ならば奈落は罪科の象徴。人の醜さが作り上げた地獄であれば、そこに完全なる人間(アダム・カドモン)など生まれはしないのだ。

 

 

「その奈落にエリオを繋げたのは気紛れだ。……二十万を超える魂を上乗せしようと言う意図もなかった訳ではないがね」

 

 

 二十万もの魂を遊ばせておくのは勿体無い。

 奈落と人を繋げた場合、どの様な現象が起きるかも確認したい。

 

 そんな思惑で行われた高次接続実験。

 その結末は、彼の想定を大きく打ち崩す物であった。

 

 

「想定通りに奈落に飲まれて消える筈だったエリオは、しかし魔刃として再誕した」

 

 

 肉塊でしかなかったエリオは、奈落と繋がる事で悪魔の器に変わった。

 

 

「二十七万もの犠牲者。その無価値な肉塊が奈落の内に居た悪魔と同調した。無頼のシンではなく、無価値と言う在り様こそがその廃神を現実へと召喚させる媒介となったのだ」

 

 

 奈落より己の器足り得る物の内側へと這い上がって来た悪魔は、犠牲者の魂を材料に己の個我を確立したのだ。

 

 

「二十七万の魂によって自己を形成するナハト=ベリアル。強さしかない怪物の余剰として、不純物として零れ落ちた断片を再構成したものこそエリオ・モンディアルだ」

 

 

 生まれ落ちた悪魔は全てを無価値に変えんとした。

 無頼の怪物は、犠牲者達の恨みを聞き届け、彼らを嘲笑いながらもその願いを叶えようとしたのだ。

 

 

「余りにも強大過ぎる悪魔を制御する為に、私は首輪と言う機構によってエリオの自我を確立させたのだよ。人の弱さと言う面を主にする事で、無価値の悪魔を封じているのだ」

 

 

 咄嗟にスカリエッティは、零れ落ちた弱さを固定する事で主従を書き換えた。エリオと言う人格を作り上げ、ベリアルをその内的世界へと封印する。

 

 首輪と言う安全装置によって、想定外の出来事にも即座に対応したのだった。

 

 

 

 その結果が予想外とは言え、当初スカリエッティは喜んだ。

 生まれ出た悪魔。偶然の産物とは言え、その圧倒的な暴威は正しく神々に届く程。

 

 もしも、あの最高の素材で同じ事をすれば、生まれ落ちるは正しく神殺しと言える最高傑作に成り得るであろう。

 

 

「悪魔との同調。関連する要素を持つ器を奈落へと繋げれば、魔王達はその器へと流れ込む。最も確実なのは大罪の断片だが、それ程のシンは中々に用意出来ない。……流れ込んだ悪魔の影響によって、今のエリオの様に後天的にシンを得て、結果繋がりが強化される事はあり得るがね」

 

 

 故に同じ事を繰り返した。その現象の再現を狙った。――だが、結末は。

 

 

「魔群。そして魔鏡。そのどちらもが、エリオに起きた現象を再現した物であり――で、ありながらその完成度は魔刃に遥か劣っている」

 

 

 そう。出来上がったのは、魔刃の劣化品。

 どうしても、偶然の産物を超える代物が生み出せなかった。

 

 

「魔群も魔鏡も、魔刃を前にすれば一蹴される程度。その一瞥で燃え腐り、何も出来ずに敗れるだろう。……所詮は陰の等級にして拾にしか至れていない者。既に計測不能域に居る魔刃とは格が違う」

 

 

 魔群も魔鏡も、常識で考えれば埒外な域にある怪物だろう。

 不死不滅の魔群も、全てを模写複製する魔鏡も、人の手ではどうしようもない怪物だ。

 

 それでも、神域は遠いのだ。

 

 

「分かるかい、クアットロ? 確かにエリオは私が作った。……だが、ナハトは違う。あれが生まれたのは偶然でしかない!」

 

 

 エリオを作り出した親は、スカリエッティしかいない。

 だが同時に、スカリエッティでさえも、その再現は行えなかった。

 

 

「詰まりだ。私の技術は未だ、偶然の産物を超えられていないのだ!」

 

 

 合一に至らぬ高町なのはも、魔群や魔鏡と言った反天使も偶然の産物に届いていない。

 

 それは、運命と言う流れにスカリエッティが未だ抗えていない証。

 ナハト=ベリアルを超える者を生み出せぬ限り、彼の技術は偶然にすら劣る。

 

 そう思考するスカリエッティは、故にこそあの存在を最高傑作などと認められない。

 

 

「要は美観の問題だよ。私の作った私の神殺しが神を弑逆する事に意味がある。ぽっと出の怪物が神殺しを為して、それを我が技術の結晶だと何故に誇れるのだ!」

 

 

 求道者の求道とは譲れぬ物。だがそれ故に他者から見れば、どうでも良い事にすら拘ってしまい本懐を見失う。

 

 求道者とは、破綻者の別名である。

 

 

「故に、あの子の役割は決まっている。君達の役割も決まっている。私の本命は、未だ変わらんよ。……あの不屈の少女こそが、私の最高傑作となるべきなのだ」

 

〈……クリミナトレスちゃんが聞いたら、嫉妬で気が狂っちゃいそうなセリフですねぇ〉

 

 

 無限の欲望が見せる人らしき感情に、自身も強い嫉妬を感じながらも魔群は茶化すように口にする。

 胸の奥に泥のような感情を抱きながらも、にこやかに言葉を紡ぐのだ。

 

 

〈それでドクター。どのタイミングでエリオ君を回収しますぅ?〉

 

「……そうだね。限界ギリギリまで待とうか」

 

 

 激情を吐き出した求道者は、冷静さを戻してモニターを見詰める。

 己もまた随分と感情論で語る物だと自嘲しながら、映し出される映像に目を細めた。

 

 

「最悪、トーマ君だけでも生きていれば、まあ老人方も説得は可能だろうさ」

 

 

 

 

 

3.

 死屍累々。そこには死が溢れていた。

 

 それは異常な光景だ。崩れ落ちた局員達は粉微塵になって砕け散り、原型を留める者らの傷口は腐りながら広がっている。

 

 ゴルゴダの磔刑。殺すと言う念。死ねと言う命令。唯それだけで、彼らは息絶えた。

 

 

「嗚呼、詰まらない。足りないぞ、我が反身」

 

 

 久方振りの解放感に喜悦を浮かべながら、エリオだった誰かが呟く。

 その口より零れる言葉は人の物。人語を解するは当然、人の魂で構築される皮を被る今の彼は人間にも似た人格を得ている。

 

 だが違う。人の言葉を語り、人の如くに振る舞い、人の如くに嗤う。

 そんな彼はしかし人ではない。その感性は決定的にズレている。死人の山に立ち、深呼吸をして死臭を愉しむ彼をどうして人間と呼べようか。

 

 夜風の様な余裕を浮かべながら、人間の外装を纏った悪魔は己の対を見下していた。

 

 

「久し振りの自由なのに、こんなんじゃ喰い足りないぞ。なあ、お前達、これは一体どうしてくれる?」

 

 

 彼の視線の先。其処にあるのは生者の姿。

 

 月村すずかは崩れ落ちている。ティアナと言う少女を庇ってその被害まで請け負った女は、腐敗と言う吸血鬼にとっての弱点である一つを受けて死に瀕している。

 

 庇われたティアナ・L・ハラオウンは、しかし何も出来ていない。魔刃の発する威圧感を前に、押し潰されて地に伏している。

 呼吸さえ満足に出来ず、まるで陸に打ち上げられた魚の様に口をパクパクとさせている有り様だ。

 

 陸の部隊は壊滅した。立ち位置故に生きているゲンヤ・ナカジマとて、生きているだけ。意識を失くした男は、ゆっくりと腐り始めている。その死までの時間は、そう長くない。

 

 神の魂を内包する少年ですら、悪魔の王を前にすれば立ち上がる事すら出来ない有り様であった。

 

 

「あ、ぐっ」

 

 

 嘲る声に返るは苦悶。唯一動ける少年は、しかし自由になるのは声一つだけ。

 本当にそれで限界となっている反対なる器を前に、悪魔は落胆した様に溜息を吐いた。

 

 

「起き上がる事さえ出来ない、か。……どうやら、君がステージに上がるのは未だ早過ぎたらしい」

 

 

 何れ神に至る者。神を弑逆出来るやもしれぬ者。

 神と魔王が対を為すなら、未だ卵の殻が取れない雛では届かないのは必然だろう。

 

 

「だが、これで御終いと言うのも芸がない。手足が捥ぎれ、躯が砕け、血と臓物がばら撒かれる前に、この夜と言うステージが終わってしまうのは味気ないだろう?」

 

「お、前、何……を!」

 

「単純な事だよ、考えなし(エアーヘッド)。お前にも分かる様に言うなら、……相棒がやろうとしていた事を俺が変わりにやろうと言う、唯それだけの話さ」

 

 

 ニィと邪悪に嗤う悪魔。彼は進路を変えると、ゆっくりと見せ付けるように歩み始めた。その向かう先に居るのは一人の少女。

 

 

「大切な物。無価値な塵にしか見えんが、大切なのだろう? 相棒は小石に躓いてしまった様だし、先ずはそれを退けるとしよう」

 

 

 アレは悪魔をして理解し難い現象であった。

 何故にしてあの状況下から崩されたのか、彼にしても理解が出来なかった。

 

 故に先ずはそれから排除しよう。

 既に重圧だけで呼吸困難となっているティアナを、確実に殺そうと悪魔はゆっくりと進むのだ。

 

 

「っ、やめっ!」

 

「嫌だね、断る」

 

 

 必死に手を伸ばそうとする。

 止めようとする少年の声に、しかし悪魔は止まらない。

 

 

「まあ、自分の弱さを恨みながら、大人しく観戦していると良い」

 

 

 手に取るは巨大な槍。全身に腐炎を纏い続ける怪物は嘲りを顔に張り付けながら、まるでトーマに見せ付けるかの様にゆっくりと近付いて行く。

 

 

 

 さあ、止めたくば動いてみせろ。

 ダンスパートナーも務められないようでは、何もかもを失うぞ。

 

 

 

 動け。動け。動け。必死に身体を動かそうとする少年を、悪魔は愉悦したまま放置している。

 

 一歩。悪魔が進む。トーマが歯を食いしばって起き上がろうとする。

 

 二歩。悪魔が進む。己の意志だけでは立ち上がれないと気付いた少年は、故にこそ己の内側にある存在を取り出そうと手を伸ばす。

 

 三歩。悪魔が進んで、其処で止まった。

 

 

「時間切れだ」

 

 

 既に其処は間合いの内。振り下ろせば腐炎を纏った刃は少女を焼き尽くす。

 そんな至近距離に置いて、悠然と笑みを浮かべる悪魔はその刃を振り上げる。

 

 

「やめろぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 

 その光景を前にして、トーマは己の殻を破った。否、己の殻を砕いた。

 威圧感に抵抗する為に、この領域でも動けるようになる為に、必死で内側にある彼の力を引き摺り出す。

 

 出来る筈だ。嘗ては当たり前の様に出来ていたのだ。

 あの終焉の怪物の異界でも動けていたのだから、本来の真価を発揮できればトーマは悪魔に立ち向かえるのだ。

 

 

「来るかい? 我が反身」

 

「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 

 雄叫びと共に立ち上がる。その瞬間に硝子が砕けるような音がして、何かが頭の中から抜け落ちた気がした。

 

 瞳が青く輝く。全身に赤い文様が浮かび、大切な思い出の一部と引き換えに取り戻した本来の力で、トーマは疾走する。

 

 

「ディバイドゼロ・エクリプス!」

 

 

 放つは全霊の一撃。如何なる力をも破壊する世界の毒は――無価値の炎とぶつかり合って相殺した。

 

 

「嗚呼、残念。……未だ幼い雛鳥では、それが限界らしい」

 

 

 結局、結果は変わらない。無理矢理に限界を超えたトーマはその反動で崩れ落ち、しかし悪魔は揺るがない。

 

 

「暴走状態で挑んでくれば或いは、……だが、俺以外を傷付けないように意識を逸らしたソレでは届かんよ」

 

 

 それは単純な解答。世界の毒と無価値の炎は等価であり、互いにぶつかり合えば相殺と言う結末以外は生じ得ない。

 常に炎を鎧の如くに纏い無制限に行使できる魔刃に対して、使う度に暴走の危険が生じるトーマの毒では届かないのだ。

 

 それこそ、何もかもを壊してしまおうとしない限りは――

 

 

「失いたくない。その想いが余計だ。失くしたくない。その感情が余分なのだ。……分かるか? その絆が、お前の弱さだ」

 

 

 崩れ落ちたトーマに冷たい一瞥を向けた後、ナハトは再びティアナへと刃を向ける。

 

 ナハトとエリオは違う。少年程にトーマを憎んではいない悪魔は、別に彼の命に然したる執着を持ちはしない。

 

 ナハトと犠牲者達は違う。今尚奈落の最深奥にて苦しみ続けているミッドチルダの犠牲者達は、ミッドチルダに愛された申し子であるトーマを妬んでいる。

 

 だが、そんな恨みすら悪魔にとっては甘露にしか成り得ない。

 

 エリオの怒りも、犠牲者達の恨みも全て無価値と蔑んで、唯見ていると面白いと嘲笑って、悪魔はトーマの眼前で彼にとっての宝石を踏み躙る。

 

 

「君達がどれ程清く生きようと、どれ程悪辣に生きようと、死ぬときは死ぬし死ねば塵と変わらない」

 

 

 夜風の如き余裕は消えない。その悪魔の笑みは揺るがない。

 

 

「これは相棒にも言える事だがね。全て無価値なのだから、せめて今を愉しめよ」

 

 

 もう一人の自分である相棒の執着を嘲笑い、そんな自傷行為にも似た自己矛盾に悦楽を感じながら、ナハトは子供達に向かって笑い掛けた。

 

 

 

 少女は思う。真面に呼吸すら出来ず、霞む視界で曖昧な光景を見ている少女は思う。

 自分は死ぬのか。こんな所で意味もなく、虫けらを踏むかの様に、理不尽に殺されると言うのか。

 

 嗚呼、けれど、このどうしようもない世界なら、本当にそうなってしまいそうだとティアナは理解して。

 

 

 

「やめろぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 悪魔は嘲笑う。ナハトは馬鹿にする。崩れ落ちて叫ぶしか出来ない反身を鼻で笑う。

 まるで物語から出て来た悪魔の如く、彼は何処までも他者を愚弄するのだ。

 

 

「さようなら。どうせ生きていても塵なのだから、何時死んだとて構わんだろう?」

 

 

 刃が振り下ろされる。己の命を奪うそれから、ティアナは目を瞑って現実を拒絶しようとする。

 だが、逃避しても結果は変わらない。流麗でありながら、見る者に掻痒感と抱かせる歪つな動きで振るわれた刃は、もう止める事など出来はしない。

 

 まるで熱したナイフで切り裂かれるバターの如くに、振り下ろされた刃が切り裂いた。

 

 

 

 痛みはなかった。そう。痛みはなかったのだ。――何故ならば、槍の穂先が切り裂いたのはティアナではなかったのだから。

 

 

「……おや?」

 

 

 手応えがない。そんな感覚に驚きを浮かべるナハトの前に、黒い影が躍り出る。

 ティアナは痛みではなく、浮遊感を感じて閉ざした瞳を僅かに開く。そうして、其処に映った奇跡の様な光景に、一筋の涙を零したのだった。

 

 

「……この子を殺させる訳にはいかない」

 

 

 その人は会いたいと思い続けて、会えないと諦めて、嘘つきと罵った人。

 管理局の将官用コートを夜風に棚引かせ、白を基調とした和服を着た人物をティアナは誰より知っている。

 

 言葉は口に出来ない。声を出す事は出来ない。

 震える瞳で、どうしてと問い掛けるティアナに、男は苦笑しながらその髪を優しく撫でる。

 

 男が来た理由は単純だ。時には感情のままに動くのも正しい、そう親友に背を押されたから、彼は全ての縛鎖を引き千切って此処に来たのだ。

 

 全てを裏切り、全てに嘘を吐き、そうして抜け出して来た男は、故にこそこの瞬間に間に合った。

 

 

「悪い。迎えに来るのが、随分と遅れてしまった」

 

 

 言葉は素っ気ない物。抱き締める手は冷たい鋼鉄で、頭を撫でる手付きは無骨だ。

 けれど、胸の奥で凍っていて物全てが溶け出す様な、そんな充足感が其処にはあった。

 

 そう。こんな筈じゃなかった世界でも、こんな筈じゃなかっただけではないから、きっとこんな奇跡だってあっても良いのだろう。そんな風にティアナは微笑んで、その意識を手放した。

 

 

 

 

 

「なるほど、君が相手か。英雄殿が相手とは、これはこれは」

 

 

 少女を抱き抱える青年の姿に、嘲笑を浮かべたままナハトは口にする。

 

 そんな悪魔より感じる重圧。正しく己を超える怪物を前に、しかし管理局の二大英雄の一人は何処までも澄ました顔で強気で居る。

 

 

「何だ? 抱かれたいのか、気狂い(ソドミー)

 

 

 己を見詰める悪魔の一瞥に強い圧力を感じながらも、そんなに情熱的に見詰めて抱かれでもしたいのか、と茶化す。

 

 生憎、僕の腕は妹を抱くので手一杯なんだ。

 そんな風に冗談を飛ばして、嘘吐きと罵られた男は悪魔へと向き合った。

 

 己を前にそれだけの虚勢を騙れる敵手の登場に、心底から愉しげにナハトは伝える。

 

 

「いいや、踊りたいのさ。嘘吐き(ライアー)

 

 

 無価値の悪魔に睨まれた子供達を守る様に、万象流転の救い手が此処に現れる。

 

 

 

 クロノ・ハラオウンと言う英雄は、こうしてこの戦場に参戦した。

 

 

 

 

 

 

 




そんな訳でナハトさんモード解放。

魔刃エリオはギリギリまで、全力時を言語も喋れない暴走状態にするか、パラロスのナハトさんが出張って来るか悩みました。


前者だとエリオ本人が強いイメージだけど、スカさんがどうしてこの子を神殺しにしないかが分からなくなる。
後者だと内なる悪魔に頼る無頼漢()と言うちょっと情けない子供になっちゃう。


決め手はパラロス再プレイして、ナハトさんカッケー書きてーってなった事。
まあ、エリオ君も未だ13歳ですし、強くなりたい弱い子ならそんな弱さがあっても良いかなーとか思った訳です。

エリオ君の無頼云々は本人の資質ではなく、このナハトさんに影響されていたと言う形になります。



そんなナハトさんはエリオ君が大好きです。(見ていて面白いから)
そんなナハトさんはエリオ君の為に、毎晩良い夢を見せてくれます。(トーマ君の日常風景)
ナハトさんのエリオ君に向ける好感度は、神野がセージに向ける感情と同質かつ同量です。(悪魔的な意味で)





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訓練校の少年少女編第六話 無価値の悪魔 下

クロノくんタイムGOD。

オリ詠唱まで出て来る今回は、クロノくんと魔刃が目立つお話です。


1.

「……良かった」

 

 

 気が狂いそうな重圧の中、少年は安堵の息を吐く。

 

 自分は何も出来なかった。大切な何かが欠けてしまったのに、大切な宝石を対価に捧げたのに、己は何も出来なかったのだ。

 その悔しさは残っている。己こそが勝ちたかった。その想いは確かに存在している。

 

 

「本当に、良かった」

 

 

 だが、それ以上に嬉しかったのだ。

 だから助かって良かったと、心の底から安堵していた。

 

 

 

 眼前で見つめ合う両者。管理局の英雄と次元世界最大の犯罪者。

 

 格の差は歴然だ。力の差は絶対だ。夜風の様な余裕を浮かべるナハト=ベリアルに対し、素知らぬ顔の裏側に怯えを隠すクロノ・ハラオウンでは届かない。

 

 その二人が動き出すのは同時であった。

 双方が全くの同時に、前に向かって動いていた。

 

 

「っ!?」

 

 

 瞬間、トーマを襲う浮遊感。

 視界がくるりと回るような異質な感覚が彼を襲う。

 

 思わずと言う形で立ち上がろうとした彼は、柔らかな物を握り締めていた。

 

 

「……御免ね。ちょっとキツイから、余り動かないでくれないかな?」

 

「って、すずかさん!?」

 

 

 朧げながらも意識を取り戻した女は、如何にか再生させた肉体で少年を受け止める。

 裸体を晒す女の胸元へと転送された少年は顔を羞恥で朱色に染めて、目の前に広がる女の色気に視線を右往左往させた。

 

 そんな彼らからは遠く。両雄が睨み合った戦場で爆発が起こる。

 爆煙が巻き起こり、それが晴れた後。其処に立つ両者の姿は変わっていた。

 

 

「っ!」

 

「クククッ」

 

 

 片や笑みを浮かべる悪魔は悠然と立つ。

 対する男は片腕を失い、バランスの崩れた状態で敵から距離を取る。

 

 あの瞬間の両者の行動は単純。前に出て敵を切り裂こうとした悪魔と、彼の初動を妨害する為に敢えて前進したクロノ。

 先ず身内を救わんとした英雄は、その一瞬の隙を突いて万象掌握を行使した。その選択の差が、この結果を生み出していた。

 

 交差した両者。魔刃の腐炎は正しく絶殺。

 一度燃え移れば、魂全てを腐り落とすその炎。防ぐ術などある筈もない。

 でありながらも、片手を失うだけで済んだ理由は簡単だ。

 

 

「良い判断だ。咄嗟に己の腕を落としたか。……否、あのタイミングから見るに、最初から片手は捨てる気だったな」

 

「ふん。それが分かって、だからどうしたと言う」

 

 

 機械の腕を身代わりにして、予め歪みでその内側に爆発物を転移させておいて、魔刃の炎が触れた瞬間に起爆させた。

 

 クロノの対応など、たったそれだけの単純な事であった。

 

 

「何、唯暴き出しただけさ。底が知れたぞ、とな。……さて、後どれだけ躱せる? 右腕を捨てた。次は左か? 両の足を捨てた後は、首から上でも差し出すかい?」

 

「はっ、誰が。……手の内を暴いたのがそちらだけと思うなよ、気狂い(ソドミー)

 

「へぇ」

 

 

 距離を取って向き合う両者。片や強者故の余裕で、片や時間稼ぎを含めた策略で、両者は言葉遊びを交わし続ける。

 

 

「今の交差で理解したぞ、お前今は魔法が使えないな」

 

 

 そんなクロノの分析に、ナハトは笑みを浮かべて応と返した。

 

 

「その腐炎。魔力素さえも焼き尽くすか。……なら当然、お前はそれほど速くない。戦域の絶対者であるこの僕を、捉えられる速度じゃないんだ」

 

 

 ナハトは魔法を使えない。腐炎は己の魔法すら焼いてしまう。呼吸と同様に腐炎を放ち続けるナハトには、故にこそそれが避けられない。

 

 エリオと比較して、その攻防は比肩出来ぬ程に跳ね上がっているであろう。その鎧を打ち破る術はなく、その矛を防ぐ術はない。

 だが速力と言う一点に限れば、全力を出した結果彼は劣化してしまっている。

 

 高速移動魔法を使えぬ彼は、身体能力と翼による飛行。そして溢れる魔力に物を言わせた直線移動しか出来ないのだ。

 単純な速さ。小回りの良さでは、高速移動魔法を使用できるエリオに及ばない。

 

 

「成程、随分と強気だな嘘吐き(ライアー)

 

「強気にもなろうさ。先人は良い事を言った」

 

 

 あらゆる防御を貫く矛を持とうと、あらゆる攻撃を防ぐ盾を持とうと、戦域の絶対者は覆せない。

 

 何故ならば――

 

 

「当たらなければ、どうと言う事はない」

 

 

 如何なる攻撃も躱してみせよう。如何なる破壊も躱してみせよう。己には決して届かせない。

 既に片腕を失い。格上からの威圧だけで精神力を消耗して、未だ己を拘束する白い和服は外せない。

 

 

「ティアナとトーマと月村。それに陸士部隊の生き残り。足手纏いの避難は今の一手で終わっている。……もうお前じゃ僕に届かんよ」

 

 

 それでも、どこまでも強気に、そんな風に虚飾の笑みを張り付けて、嘘吐きは子供達に強い背中を見せ続けるのだ。

 

 

「ククク、ああ、それも噓だな。虚飾が過ぎるぞ」

 

 

 だがそんな虚飾は直ぐに暴かれる。彼は罪悪の王。虚飾と無価値を司る悪魔なれば、そんな薄い英雄の仮面などあっさりと見抜ける。

 

 どの道時間の問題だ。如何に当たらないとは言え、歪みは使い続ければ摩耗する。

 唯立って向き合うだけで精神力を消耗する現状、悪魔を前に逃げ続けるなど現実的ではない話だ。

 

 この戦場からは逃げ出せない。クロノは英雄であるが故に、ミッドチルダを守らねばならぬ故に、気分一つで星を滅ぼせる悪魔を見逃せない。

 

 故にこの戦いの幕とは、クロノが歪みを使えなくなる程に消耗するか、ナハトがクロノの回避行動を読み切ってその手を届かせるか、そのどちらかの幕しかないだろう。

 

 この英雄の奮闘は、所詮時間稼ぎの域を出ない。

 

 

「どれだけ持つか、試してみようか、嘘吐き(ライアー)

 

 

 絶望的な戦いは続く。閉幕の鐘はまだ遠い。宴の夜は終わらない。

 

 

 

 

 

2.

 廃棄区画から離れた場所にある小高い丘。崩壊を始めているあの地区を眼下に見下ろすその場所に陸士部隊の残存兵力と、意識を閉ざした橙色の少女が立て続けに落ちて来る。

 

 割とぞんざいな扱いで纏めて落ちて来る男達と違い、少女が落下した場所には一緒に柔らかなクッションも送られている。

 その一瞬を稼ぐ為に随分と不利を許容しているのだから、彼も兄馬鹿と言える人種なのかもしれない。

 

 

「父さん! ティア!」

 

 

 そんな彼らの下へと駆け寄ったトーマは、その呼吸が正常に行われている事を確認して安堵の溜息を吐く。

 そうしてその視線を、廃棄区画で戦い続けているであろう彼らへと向けた。

 

 

「クロノさん。……エリオッ」

 

 

 砕けた殻が如何なる影響を与えているかは分からない。崩れ落ちた記憶は、何かとても大切な物だった気もする。

 

 けれど、今はそれよりも。

 

 

「……()()

 

 

 唯、自分の無力さが恨めしかった。助かってくれた嬉しさの方が勝っているけれど、それでもやはり無力感に項垂れてしまう。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 

 先程までの彼ならば、きっと誰かが助けてくれると信じて止まなかった彼ならば、絶対にしなかったであろう思考。

 己が全てを解決せねばならないと言う異質な強迫観念を抱いたまま、しかし何も出来ない現実に苛立つ様に、トーマは己の手を握り締めた。

 

 

 

 そんなトーマの直ぐ傍で、何とか起き上がった月村すずか。彼女は、己の上に何かが転送されてくるのを感じ取る。

 

 さて、一体何を送り付けて来た、と疑問を抱いた彼女の胸元へと落ちて来たのは、クロノの羽織っていた一着のコートだった。

 

 

〈それで前を隠せ。若い女が余り肌を晒すんじゃない。目に毒だ〉

 

「……随分と紳士的な対応だけど、若い女の身体を見てその反応って、随分枯れてるんじゃないかな」

 

〈ふん。死んだ女に操を立てているだけだよ〉

 

 

 哄笑と共に振るわれる魔刃の刃。闇の底から全てを無価値に変えんと振るわれる力を躱しながら、クロノはそんな念話を使用する。

 

 己の軽口に、同じく軽く言葉を返すその姿に、月村すずかは安堵を抱く。

 

 

〈その子達は任せる〉

 

「うん。任された」

 

 

 そんな彼女に子供達を任せると、精神を擦り減らす作業へと意識を向ける。

 絶殺の力と向き合いながら、クロノは廃棄区画の中心地で再び魔刃と踊りを続けるのであった。

 

 

 

 腐炎を纏った怪物が凄まじい速度で迫って来る。

 全てを無価値にする炎。それを常時燃やし続けてしまうナハトは、エリオと異なり一切の魔法を使用出来ない。

 

 故にその速力は雷光の如き彼に劣るであろう。

 魔力を爆発させて、その穴だらけの翼で飛翔する魔刃は、確かにクロノでも対応可能な速度しか持ち得ない。

 

 

「万象掌握」

 

 

 故に転移し続けるクロノを、魔刃は捉えられない。音速を超える速度で迫ろうと、戦域の絶対者を捕捉する事は敵わない。

 

 連続で転移しながらもクロノは、無数の建造物を転移させて弾丸の如くに放つ。歪みを纏った廃墟郡。その膨大な質量は、確かな脅威としてあるだろう。

 

 

「ククク、クハハハハハ」

 

 

 だが届かない。無価値の炎を超えられない。

 全身をくまなく覆う消滅の炎。魔法を使用出来なくなる対価に、その攻防力はエリオ・モンディアルの比ではない。

 

 全ての力は躱す価値がなく、触れるや否や無価値に腐って燃え堕ちる。

 此処に居る青年の歪みでは届かない。否、攻勢に特化した異能者であっても無価値の鎧を超えられないであろう。

 

 真実、この炎に抗えるのはトーマの毒のみ。他の者の力など、全て無価値に堕としてしまう。

 

 

「逃げてばかりじゃ芸がない。早く踊ろう。退屈させるな」

 

 

 燃え上がる腐炎に限界などはなく、それは悪魔にとって呼吸の如く自然体で生じる物。

 故に至近距離とは悪魔の絶対領域。如何に戦域を支配出来る歪み者であっても、その領域では抗えない。

 

 その手が届けば死ぬだろう。

 何も出来ず、一切抗えず、腐って燃えて死ぬだろう。

 

 悪魔は何も急ぐ事は無い。ゆっくりと近付いて触れれば、それだけで彼は勝利する。

 

 

「分かっているな。余りに無様が過ぎるようなら、怒りの余り如何にかなってしまうぞ」

 

 

 対して英雄に逃げ場はない。この悪魔がその気になれば、その瞬間にミッドチルダは腐炎に飲まれる。未だこの地が無事なのは、悪魔を興じさせるダンスパートナーが居るからに他ならない。

 

 

「そう逸るな。それなりに愉しめる相手だと自負しているんだ」

 

 

 己の力は通じず、この場から逃げ出す事は出来ない。

 敵は遥か格上。己は片腕。その身が放つ圧力に耐えるだけで精神を消耗し、呪服に縛られた自身は全力を発揮する事が出来ない。

 

 そんな絶対の窮地においても、管理局の英雄は嘘に塗れた笑みを絶やさずに語るのだ。

 

 

「だから、もっと愉しめよ。気狂い(ソドミー)

 

「はっ、はははっ! それまで虚飾でないと期待させてもらうぞ、嘘吐き(ライアー)

 

 

 迫り来る魔刃の刃を躱して、クロノは一気に距離を開く。

 それは間合いを外すとか、攻撃を躱すとか、そんなレベルではなかった。

 

 

「何?」

 

 

 これまでは短距離の移動しかしてこなかった敵手の暴挙。

 此処に来て初めて見せた長距離転移に、魔刃は思わず鼻白んだ。

 

 

「正気か? 逃げればミッドチルダごと焼くと言われた直後に」

 

「お前に狂人とは言われたくないな」

 

 

 その姿は空にあった。トーマ達が避難した小高い丘。その遥か上方へと転移したクロノは、残った片手で印を切る。

 

 元より彼の本領とは後方支援。後衛において複雑な術式を以って、敵を薙ぎ払う事こそその真価。

 

 ならばその距離とは逃げる為の物ではなく、反撃の為の一手であるのだ。

 

 

「昼にして夜。冬にして夏。戦争にして平和。飽食にして飢餓」

 

 

 空間支配。万物掌握。その力が空と大地に変化を生み出す。

 星の地形を自由に歪め、万物の構成物質さえ原子レベルで転移させられるクロノに、動かせない物などありはしない。

 

 

「火は土の死により、風は火の死により、水は風の死により、土は水の死による」

 

 

 片手で印を組み、歪みと御門の秘術を混ぜ合わせる彼の意志に従って、遥か上空の大気がその質を変化させる。

 

 その密度を変え、膨大な質量を伴って下降する。成層圏より落ちて来るダウンバースト。

 空気の操作によって極めて極小の場所へと降り注ぐそれは、マイクロバーストよりも遥かに重い。

 

 

「万物のロゴスは火であり、アルケーは水であれば、そに違いなどはなく四大に生じた物は四大に返る」

 

 

 同時に作り変えられる大地。廃棄区画は跡形もなく消え去り、火山の噴火口、溶岩の海へと変わっている。

 

 遥か上空より冷えた重い空気が落下し、それに押しやられる形で火山の熱を内包した空気が上昇気流となって吹き抜ける。

 

 その気圧差。呼吸さえも出来ぬ状況。

 歪みを伴った風は嵐となり、竜巻を生み出して魔刃を襲う。

 

 余りにも予想外な対応に一手遅れた魔刃では、最早この流転より逃れられはしないのだ。

 

 

「此処に――万物は流転する(ΤΑ ΠΑΝΤΑ ΡΕΙ)

 

 

 上昇気流は上空で冷やされ、ダウンバーストとして地に落ちる。そして作られた大気の壁の内側にて一瞬で熱されて再び上昇する。

 

 万物の流転は止まらない。その竜巻は消える事無く、無限に流転し敵を討つ。

 如何に無敵の守りを持つとは言え、その器は人間。ならば生存不可能な領域で、あれが生きられる道理はない。

 

 流転する万物の世界は、酸素さえない絶対の領域なのだから。

 

 

 

 局所的に起きる異常気象。

 それから目を離さずに、クロノは己の歪みで避難した皆の下へと転移した。

 

 

「やったの?」

 

「……いいや、こんな物は時間稼ぎさ」

 

 

 問い掛けるすずかに、しかしクロノは首を振って返す。

 

 正しく自然の猛威と呼べる現象。

 人の器にある限り、呼吸さえ出来ぬ状況に耐えられる道理もない。

 

 それでも、あの悪魔がこの程度で如何にか出来るとは思えなかった。

 

 

――主に大いなる祈祷を捧ぐ(ヘイメ・エタンツ)

 

 

 その懸念を確証に変える。そんな声が周囲に響く。

 

 

――エルアティ・ティエイプ・アジア・ハイン・テウ・ミノセル・アカドン・ヴァイヴァー・エイエ・エクセ・エルアー・ハイヴァー・カヴァフォット

 

 

 嵐の向こう。竜巻に飲まれた魔刃は、しかし自然の猛威を前に嗤っている。

 歪みと御門の秘術により、高位の歪み者ですら耐えられない領域で嗤っている。その腐炎の鎧は揺るがない。

 

 これでは足りぬぞ、と悪魔は笑みを浮かべて嗤っていた。

 

 

――アクセス。我がシン

 

 

 それは呪詛。奈落の深奥より悪魔の真なる力を振るう為の呪詛。

 

 

「アッシャー・イェツラー・ブリアー・アティルト――開けジュデッカッ!!」

 

 

 爆発するかの様に黒い炎が吹き上がる。

 それは闇のファイアウォール。高度数千メートルまでにある全てを焼き尽くす暗黒の火柱。

 あらゆる全てを腐滅させる呪わしき炎が、流転する万物全てを零に貶める。

 

 悪魔は殺せない。物質世界。王国にある力ではこれは倒せない。そんな事、彼は百も承知である。

 

 

「頭上注意だ」

 

 

 故にそれは所詮時間稼ぎ。彼が皆の下へ避難した理由は、己の力に巻き込まれない為。

 上空を焼き尽くす炎が消えた直後、その上空に現れるのは歪みを纏った巨大な凶星。

 

 

「計斗天墜。凶の果てに散れ、悪魔の王」

 

 

 吹き抜けた火柱が消えた直後に、空より計斗星が墜落する。

 膨大な力を消費した直後、生じた隙を逃さずに落ちた凶星は確かに魔刃に直撃する。

 

 ミッドチルダの空に轟音が響く。

 ミッドチルダの大地が大地震に揺れる。

 

 破壊の衝撃波は空気の壁に阻まれるが、間違いなく星に多大な影響が出たであろう。

 墜ちた凶星は火口へと変じた地形を大きく穿ち、巨大なクレーターを其処に作り上げる。

 

 何処までも何処までも深く大きな傷跡を、ミッドチルダと言う世界に残して――それでも魔刃は止まらない。

 

 

「クハハ、ハハハハハハハハッ!!」

 

 

 哄笑は止まらない。嗤い声が止む事は無い。

 大地に開いた巨大な穴。隕石落下の被害を外部に漏らさぬ様に、一点に集中して放たれた一撃。

 

 星を滅ぼすだけの一撃をその一身に受けて、それでも魔刃は嗤い続ける。深淵よりその翼で這い上がりながら、魔刃は狂った様に嗤っている。

 

 

「……結局、あの炎を超えない限り、魔刃を倒す事など出来んと言う事か」

 

 

 己の力では鎧を抜けない。力を行使して防御が疎かになっている状態ですら、隕石の直撃に耐えるあの鎧。それを超える術を、クロノ・ハラオウンは持ち得ない。

 

 そう。この場において、アレを超えられるのは唯一人だけだ。

 

 

「クロノさん! 俺もっ!」

 

 

 少年は言葉を紡ぐ。何かに突き動かされる様に、己が何とかしなくてはと口を開く。

 

 

「俺にも、俺のエクリプスならっ! アイツの炎だってっ!!」

 

 

 エクリプスの毒によって腐炎の鎧を破壊する。その直後にクロノが動けば、確かにあれに一撃を加える事は可能だ。

 その器は魔人の物であれ、あくまでも人間の範疇を遥かに超えている訳ではない。無価値の炎さえなければ、その身に絶対の守りなどはないのだから。

 

 

「……お前はいい」

 

 

 そんな少年の言葉に、しかしクロノは首を振る。

 お前は出て来るな、と確かに大人はその意志を見せていた。

 

 

「……そんなに役立たずですか、俺」

 

「そうだな」

 

「っ!!」

 

 

 あっさりと返される言葉。暴走の危険性が高い少年は、如何なる力を持っていようと足手纏いにしか成り得ない。

 

 そんな冷たい声音にトーマは震える。少年の内側に満たされる感情は、助かって良かったと言う安堵よりも、何も出来ない弱さに対する怒りと悔しさの方が強くなっていた。

 

 

「悔しいか?」

 

 

 男の言葉に、トーマは黙って頷く。

 そんな彼の頭を残った腕で不器用に撫でて口にした。

 

 

「なら良い。その想いを忘れなければ、お前は強くなれるだろうさ」

 

 

 トーマの頭を軽く撫でた後、その左手でデュランダルを手にする。

 白い和装の男は、後頭部で纏めた長い黒髪を風に棚引かせながら、圧倒的な強者の前へと一人立ち向かう。

 

 

「だから、今は大人に任せておけ」

 

 

 クロノはこの少年に感謝を抱いている。

 妹の凍てついた心を溶かす切っ掛けをくれた彼に確かな感謝を抱いているから、大人の背中を見せるのだ。

 

 

「勝機はあるのかな? クロノ君」

 

「ふん。愚問だな」

 

 

 先へと一歩踏み出したクロノに対する問い掛け、それを愚問と鼻で笑って答える。

 

 

「倒す事が出来ない事と、敗北はイコールじゃないんだよ」

 

 

 既に勝機は掴んでいる。

 後は、この策がなる瞬間を待つだけだ。

 

 

 

 

 

 ゆっくりと踏み出したクロノの前に、悪魔と化した少年が姿を見せる。

 

 

「ほう。それは気になるな」

 

 

 彼の言葉に、面白いとその表情を歪ませる。それが真実ならば、何とも愉しい事になる。だからやってみせろ、と悪魔は期待を顔に浮かばせる。

 

 

「期待しているぞ、嘘吐きの英雄。君とのダンスは中々に愉しめているからね。もっと上があるならば、嗚呼、それは何と素敵だろうか」

 

 

 悪魔は余裕を揺るがすことは無く、唯見せて見ろと笑っている。

 そんな彼に向き合うクロノは、デュランダルの術式を起動しようとして、止めた。

 

 もうその必要がなくなったが故に。

 

 

「……どうやら、これまでの様だ」

 

「なに?」

 

「ダンスパーティは終わりと言う訳だよ、気狂い(ソドミー)。……あんな事を言ってすぐに、この流れでは閉まらんがね。この勝負、僕の勝ちだ」

 

 

 手にしたデバイスを仕舞い込む。

 既に決着が付いた状況で、クロノは確かに勝利を宣言した。

 

 

 

 その宣言と共に、宙に無数の影が現れる。転移魔法によって、即座に大部隊が展開されていく。

 それはL級。XV級。LS級。種々様々な次元航行艦。のみならず、無数に転移して来る船の中には戦争用に開発された物も存在している。

 

 

「僕を誰だと思っている?」

 

 

 空には複数のヘリ。地上には無数の装甲車。量産された戦闘機人達が武器を手に取り戦場に現れ、管理局の歪み者達もこの場に集って行く。

 

 

「僕はクロノ・ハラオウンだぞ? ミッドチルダにとっての、最後の命綱だぞ? それが戦う。その意味が本当に分かっていないのか?」

 

 

 アリサ・バニングス。

 ゼスト・グランガイツ。

 メガーヌ・アルピーノ。

 

 そして、高町なのは。

 

 そこに集ったのは、正しく管理局の全戦力。

 大天魔との戦いでもなければ揃わないレベルの総兵力が、魔刃を前に集結していた。

 

 

「詰まりだ。この星でもっとも消えてもらっては困る個人なんだよ。……そんな僕が格上と死力を尽くして戦っている。そんな事を知れば、管理局が動かない筈がないんだ」

 

 

 詰まりは全てが時間稼ぎ。

 

 万象流転も計斗天墜も、所詮は被害を大きくする事で気付かれやすくする為だけに展開された物。その広域破壊で、管理局の現場を動かす為の手札であった。

 

 クロノの不在に気付いて、魔刃との戦闘に気付いて、そして現場戦力が緊急対応で動いている事を知れば、上層部は動かざるを得ない。

 

 クロノ・ハラオウン救出の為に必ず大部隊を派遣する。

 故に彼の行動の全ては、全戦力を動かすまでの時間稼ぎであったのだ。

 

 

「クハッ、クハハハハハッ!」

 

 

 そんな男の勝利発言に、魔刃は堪えられないと笑みを浮かべた。

 これだけで勝つなど、余りにも己を過小評価し過ぎだろう、と。

 

 

「足りないぞ、嘘吐き(ライアー)。まるで足りない」

 

 

 燃え上がる黒き炎。昂り続ける無価値の炎は、管理局の全軍程度では止められない。

 

 

「俺を殺したければ、この十倍の質と百倍の量を持って来い」

 

 

 開くはジュデッカ。燃やし尽くすはメギドの炎。

 その圧倒的と言うのも生温い暴威を前に、ミッドチルダの全兵力などでは不足にも程がある。

 無限蛇最強の怪物は神格域の魔王であれば、そんな物では覆せないのだ。

 

 故にこそ。

 

 

「……だから、これが僕の切り札だと誰が言った?」

 

「なに?」

 

 

 これはクロノの策ではない。

 管理局全軍で迎え撃つ等と言う、力任せの策略などは彼の選択ではない。

 

 これはあくまでも、副次的に起こった事象に他ならないのだ。

 

 

「そら、もっと良く考えて見ろ。……僕が死ぬ事で、一番困るのは誰だと思っているんだ」

 

「……く、ククク。成程、そういう事か」

 

 

 その発言で、漸くに彼の真意を知る。彼が企んでいた内容の全てを理解する。彼の展開した策略の全容を確かに暴き切って――

 

 

「ああ、困った。……これは勝てない」

 

 

 悪魔は、あっさりと己の敗北を認めた。

 

 闇色の翼が消え失せる。濁った黒い魔力が、黄色の単色へと変化する。

 変質していた瞳の色が元に戻って、ナハトは闇に沈んだエリオの精神を表側へと引っ張り上げる。

 

 

「っ!? 何の心算だ、ナハト!!」

 

 

 唐突に表へと引き上げられたエリオは、現状を認識出来ずに戸惑う。

 闇に飲まれていたが故に何も知らない彼に、悪魔はニヤリと笑んで告げる。

 

 

〈いいや、何。痛いのは嫌いなんでね。……君が代わりに請け負ってくれ、相棒〉

 

「な――がっ、ああああああああああああああああああああああっ!?」

 

 

 魂を焼き尽くすかの如き痛み。それに屈するかの様にエリオは膝を折る。

 

 悪魔を封印する為に、無数の魂の群体を分解する力。

 雷撃と言う形でその力を発する首輪を両手で抑え付けながら、少年は絶叫を上げていた。

 

 

 

 クロノ・ハラオウンの死亡を何より恐れるのは誰であろうか?

 

 管理局の前線で戦う彼らか? 成程然り、彼らも確かに命綱が消えるのは恐怖となるだろう。

 だが、彼らは元より命知らずな愚か者。英雄の死に嘆けど、それを恐れ絶望する様な者らではない。

 

 ならば守るべき臣民。ミッドチルダに生きる人々であろうか? 成程然り、彼らも確かに命綱が消えるのは恐怖となるだろう。

 作られた英雄。偽りの偶像とは言え、クロノに対する期待は本物だ。故にその死は彼らに絶望を齎すだろう。

 

 だが、だからと言ってそれで何かが変わる訳ではない。

 乱暴な言い方だが、所詮は力なき群衆だ。その意思は侮れないが、この場においては全く何の役にも立たないだろう。

 

 ならば戦友達か? 或いは求道の狂人か? いいや、否。

 

 

「……僕に死んでもらって、一番困るのは管理局の上層部なんだよ」

 

 

 人の価値は、その人個人の視点によって変わるであろう。

 求道の狂人や親友であり悪友な彼にとっては、不屈の少女こそ何に変え難い物である。

 最高評議会の脳味噌達にとっては蘇らんとする聖なる王であり、両面の鬼にとっては神に至れるであろう少年がそれに該当する。

 

 ならば、即物的な彼らにとっては誰であるか。

 管理局の上層部に巣くい、同時に無限蛇への出資者であるだろう彼らにとっては誰であるか。

 

 論ずるまでもない。己にとっての最後の命綱。クロノ・ハラオウンの死こそを彼らは恐れているのだ。

 

 それは単純な話だった。それは当たり前の回答だ。

 

 倒す事が出来ない怪物。止める事さえ不可能な悪魔。

 戦う事自体が間違いと言わざるを得ない怪物を如何にかしようとするならば、戦闘以外の分野で対処しなければならない。

 

 それを止める事の出来る人物が居るのだから、その飼い主と呼べる人物が居るのだから、そんな彼らが動かなければならない状況を作れば良いのだ。

 

 

「分かるか? お前達無限蛇のトップ。スポンサーが動かないといけない状況なんだよ。今の状況はな」

 

 

 無限蛇に管理局の上層部が関わっている事は、クロノも当然知っているのだ。

 一体何処まで上の人物が関わっているかは分からずとも、無限蛇の裏に管理局の権力者が居る事など分かっているのだ。

 

 故に、己を餌とする形で彼らを動かしたのだ。

 

 如何に無限の欲望が観測を望んだとて、彼より上位者が動けば魔刃を止めざるを得ない。

 当然の思考の帰結として、己が動いている姿を彼らが確認すれば、彼らは魔刃を止める為に動く。

 

 管理局全軍が動く程の大事にしてしまえば、彼らとて魔刃を止める様に動かなくてはならなくなるのだ。

 

 何よりも己の生を重要視する上層部の幹部も、管理局の戦力を無駄に傷付けたくはない最高評議会も、無限の欲望の身勝手な遊びには付き合えない。

 彼の持つ制御装置を使用する様に指示を出す。それは当然の思考である。

 

 そう。エリオの首に輪がある限り、魔刃はクロノ・ハラオウンを殺せない。

 

 

「がっああああああああああああっ!?」

 

 

 蹲って、忌々しい輪を引き千切らんと手を動かす少年。

 だが出来ない。不可能だ。奈落との繋がりを一時的に絶たれてしまえば、エリオにこれは壊せない。

 

 

〈ハハハッ、無様だなぁ、相棒〉

 

「ナハト、おまえぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 己の全てを引き換えにしてでも奴を倒したい。

 そんな少年がその望みを果たせずに、もがき苦しむその姿を悪魔は内側より嘲笑う。

 

 元よりナハトは悪魔である。他者を苦しめるだけの存在だ。

 勝利が不可能だと悟った彼は、故にその悪意の矛先を変えたのだ。どうせ勝てないなら、今を愉しもうと開き直ったのだ。

 

 だからこそ悪魔は、全てを棚に上げてエリオを苦しめる言葉を囁く。

 

 

〈駄目だなぁ、相棒。怒りは己で晴らさなくては、憎悪は己で拭わなくては、復讐は自分で果たさなくては、嗚呼、そうでなくては駄目だろう?〉

 

 

 苦しみもがく己の相棒を内側より見下ろして、ナハトはニヤニヤと笑っている。

 その言葉は聞かずにはいられない。己の内側より響く声だ。どれ程に嫌がり、耳を塞ごうとも、聞こえて来るそれを聞かないと言う選択肢などありはしない。

 

 

〈悪魔に頼っちゃ駄目だぞ、無頼漢。自分のシンを貫けないから、そうして無様を晒すんだ〉

 

「っっっっっっっ!!」

 

 

 歯を食い縛って痛みに耐えるエリオは、その言葉に衝撃を受ける。

 嘲笑う悪魔の声に痛み以外の感情を見せてしまうのは、嘗て彼が語った言葉が故だろう。

 

 

――なあ、相棒。誰にも頼れないなんて、寂しい事は言うなよ。

 

 

 それはエリオが頼れる人は居ないと認識した時の事。己の内にある悪魔と、始めて会話した時の事だ。

 

 

――俺はお前の味方だ。お前に幾らでも力を貸してやる。だから、なあ、頼らないなんて寂しい台詞は必要ないだろう?

 

 

 それは悪魔の甘言。それは虚飾に満ちた言葉。

 そうだと知って、そうだと分かって、それでも拭えなかった甘い言葉。

 

 信用できないと分かって、信じてはいけないと理解して、それでも何処かでまるで兄の様に思ってしまっていた悪魔。

 極大の憎悪の元に、最後に縋ってしまったその言葉は――

 

 

〈何だ、相棒? あんな戯言を信じたのか? ……駄目だぞ、悪魔は嘘吐きなんだからな〉

 

「っっっっっっっっ!!」

 

 

 所詮悪魔が愉しむ為に語った嘘偽り。

 虚飾を司る悪魔の王は、あっさりと前言を翻す。

 

 そんな言葉一つで揺れ動く幼子の心を、極上の美酒の如くに味わうのだ。

 

 

 

 雨が降り始める。

 ぽつぽつと降り始めた雨は、そう時間を置かずに大雨に変わった。

 

 管理局員達は崩れ落ちたエリオを捕えようとはしていない。死に物狂いで暴走されればどうなるか、被害が予測できないが故に彼らは動けない。

 

 そんな彼らの過大評価に、エリオは自嘲する様に笑みを浮かべる。

 

 崩れ落ちた己では、もう何一つとして為せはしない。

 ナハトとの繋がりが妨害されている現状、痛みに耐えたとしても管理局全軍は相手に出来ない。

 

 こんな弱者な己では、彼らに打ち勝つ事など出来はしないのに、そんな己を恐れる彼らを暗く笑った。

 無価値の炎がなければ、エリオ・モンディアルはトーマ・ナカジマを殺せない。それ程に、己と言う存在は弱いと言うのに。

 

 

「……最悪の気分だ」

 

 

 項垂れたままに、エリオは静かに呟く。

 脱力したままの己に干渉する魔力を感じて、その転移魔法に抗う事無くされるがままでいる。

 

 

「本当に、最悪の気分だ」

 

 

 涙は零れない。濡れた地面は涙が故ではない。そんな事でこの心は挫けないのだ。

 そんな段階は当の昔に超えてしまっているから、そんな絶望など当に味わい続けて来たから、唯晴れない感情のままに飼い主の下へと回収される。

 

 

「……トーマ」

 

 

 消えていく少年は相克なる者を見る。

 視線を向けられた少年は、項垂れている彼を見た。

 

 赤い前髪に隠れた瞳を除くことは出来ず、其処に如何なる感情があるのか、トーマには分からない。

 

 

「君は、何時か僕が殺す」

 

 

 雨が地面を打つ中、掠れる様な声音だと言うのに、その声は確かに耳に届いた。その言葉だけが、確かにトーマの耳にこびり付いた。

 

 

 

 誰にも頼れない。誰にも救われない。誰にも受け入れられる事がない。そんな悪魔は、そうして闇夜と共に消え去っていった。

 

 

 

 

 




負け確したら全力で愉悦に走るナハトさんは悪魔の鏡。

そんな訳でVSエリオ一回戦終了。
首輪がある限り、エリオ君は管理局に甚大な被害を与える事が出来ないと言うお話でした。

無限蛇のスポンサーが管理局内に居る事は、聡い面子なら気付ける事。なのでクロノくんは彼らが動かないといけない状況を作ったという訳です。


サラッと練炭汚染されているトーマくんは次回にちゃんと触れます。



○愉しいスカさん一家構成図。
父:ジェイル・スカリエッティ。
母:ウーノ・スカリエッティ。
兄:ナハト=ベリアル。
妹:クアットロ=ベルゼバブ

こんな中に一人放り込まれるエリオ君。
確実にハートフル(ボッコ)な日常が待っている。






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訓練校の少年少女編第七話 各々が進む明日

今回で訓練校編は御終い。次話からStS編へと入ります。


副題 水橋キラーは弄られキャラ。
   魔刃の進む道と、神の子の進む道と。


1.

 ここ数年で見慣れた執務室。御門の呪印によって己の歪みを封印する施設。

 それと寸分違わぬ内装に仕立て上げられた本局地下の一室で、クロノ・ハラオウンは革張りのソファに背を預けた。

 

 

「やれやれ、随分と念の入った事だ」

 

 

 管理局本局地下五十メートル。有事に於ける避難場所と同等の深度に新たに建造されたその部屋は、嘗てクロノが居た執務室より遥かに制限が大きい。

 

 その特殊な鋼鉄で作られた部屋の壁はあらゆる電波の類を遮断する。

 外部には何十メートルにも渡って高出力なAMFが展開され、配備されている戦闘機人の数は以前の数十倍だ。

 

 そして歪みを抑える呪印の数は数十倍――と言うレベルではない。

 内部に居るクロノが吐き気や頭痛を覚える程に、数百数千を超える呪印は彼に害を与える程になっている。

 

 

「本当に呆れるしかない。臆病にも程があるだろうに」

 

 

 彼はあの戦闘の直後に、駆け付けて来た管理局員達の手によって囚われ、こうして地下に監禁されている。

 それ故に、意識を失った義妹とは会話を交わす事すら出来なかった。

 

 そんな状況に深い溜息を吐いて、けれど悪い気分ではなかった。

 公的な罰こそ謹慎処分に収まっているが、実態はそんな物では済まない程に悲惨な状況。

 

 暫くはこの苦痛を受けなくてはいけない。

 頭蓋を砕くかの様な痛みを、胸焼けを遥かに酷くした様な吐き気を、纏わり付いて離れない不快感を受け入れねばならない。

 

 単独行動の罰則として権限の多くを剥奪された結果、外部との連絡も不可能となった。

 先までよりも強化された警備網に隙などある筈もなく、もう抜け出す等は不可能であろう。

 

 そんな最初の鳥籠よりも遥かに劣悪な環境で、それでも満足を感じているのはあの子の命を救えたからか。

 あの妹が流した涙を見て、後悔を抱くなどある筈ないのだ。

 

 

「……何、ふりだしに戻っただけだろう」

 

 

 だから、そんな風に強気の言葉を紡ぐ。

 常時監視された室内で余裕の笑みを絶やさずに、見る者達に言い聞かせる様に内心を呟く。

 

 

「暫くは退屈な日々が続くだろうが、己の心に従った結果だ。粛々と受け止めるとするさ」

 

 

 そんな風に己には反逆の意志などないと示し、クロノは作り物の瞳を閉ざした。

 

 どの道、こんな言葉一つで今なお監視を続ける彼らが絆されるとは思っていない。

 安心が隙となり権限を取り戻す機会は必ず廻って来るだろうが、そこに至るまでにどれ程の時間が掛かるかは分からない。

 

 それまではこの何もない一室で、電波も魔力波も何も届かない部屋の中で、退屈を相手に時を待つだけの日々となるだろう。

 

 如何に不快な感覚を誤魔化し、何もない部屋で退屈さをどう紛らわせるかと戯れに思考する。

 結局、寝て過ごす程度の事しか出来ないか、と溜息を吐いた所で――暫くは退屈が続くと言うクロノの予想を覆す出来事が起こった。

 

 

 

 コンコンと扉が叩かれる。予期などしていなかった来訪者の訪れに、クロノは閉じた瞳をゆっくりと開く。

 

 此処は管理局内部でも特別な権限がなければ立ち入れない場所。上級将校の一部でなければ存在すら知らない秘中の秘。

 そんな地下の更に奥深くに監禁された男を訪ねて来るのは、一体如何なる人物か。

 

 業突く張りな将校か。或いは義憤に燃える様な政治家か。

 そんなクロノの推測に反して立ち入って来たのは、実に可憐な乙女であった。

 

 

「失礼します」

 

「……貴女は」

 

 

 腰まで届く長い金髪。黒を基調としたシックな衣装。傍らに赤毛の女性を伴って鳥籠の中へと足を踏み入れた乙女は、深窓の令嬢らしく優雅に一礼した。

 

 

「クロノ・ハラオウン提督。……少しお話しがあって参りました」

 

「カリム・グラシア。聖王教会の聖女様が、この虜囚に過ぎぬ我が身に一体何の用件でしょうか?」

 

 

 クロノは「歓迎しますよ。お茶は出せませんがね」と軽口を飛ばし、カリムはそんな対応にくすりと柔らかな笑みを零すのだった。

 

 

 

 

 

「……では、お話しを始める前に、シャッハ」

 

「はっ! ヴィンデルシャフト」

 

 

 カリムの指示に従い、その傍らに控えていた赤毛の女性がデバイスを起動する。

 その魔法が使用された瞬間に、己の義眼を含む一部の機械機能が大幅に制限された事を理解して、クロノは訝し目に目を細めた。

 

 

「……これは?」

 

「行きつけの喫茶店の店長さんに作って頂いた魔法ですよ。……高濃度AMF下でも機能を発揮するとは、相変わらず良い腕です」

 

 

 そんな彼女の言葉に、クロノはふと思い出す。これはあの悪友との殴り合いで、彼が使用した魔法に酷似していると。だとすれば、その効果の程もアレの延長上なのだろうと推測した。

 

 

「これで監視の目は消えました」

 

 

 やはりか、とカリムの発言に納得を抱く。

 

 監視の目を潰す等と言うあからさまな異常を残すのではなく、欺瞞情報を流し続けるような魔法を作り上げている。

 それを己の義眼に映し出される虚像から判断したクロノは、納得と同時に何故こんな真似をするのか、と言う疑念を抱いた。

 

 

「これより話す内容は、監視があると何か不都合でも?」

 

 

 相手が上層部の目を欺いて己に害を為すとは考えていない。

 その女性の評判やそこまでするメリットがない事も判断材料の一つではあるが、何より重要なのは彼女が友人の作ったであろう魔法構成を使用している事。

 

 あのフェレット擬きが容易く奪われたりする筈がなく、ならば彼は己の意志でカリム・グラシアにこれを託したのだ。

 

 カリム・グラシアはあの悪友に全面的に信頼されている事となる。

 そんな彼への信頼故に、クロノはカリムに対して警戒する必要などはないと確信しているのである。

 

 

「……それを貴方自身で判断して頂きたいのです。少なくとも、私や店長さんは管理局上層部に知られると厄介な事になると判断しておりますので」

 

 

 言ってカリムは傍らに控える女性に指示を出す。

 デバイスの収納空間より一枚の用紙を取り出した赤毛の女性は、それをクロノ・ハラオウンへと手渡した。

 

 その際、僅かに視線が交差する。赤毛の女性の己を見る目の色に違和感を覚えながらも、クロノは受け取った用紙に目を落とした。

 

 

【二つの月が重なり 偉大なる父が紅き涙を零す時 彼の軍勢は訪れない

 

 七の地獄は姿を見せず 黄金の瞳が見詰め続ける 楽園が崩壊するその時迄

 

 その日を待ち侘び牙を研ぐ 偽りの神々が再び姿を見せた時 楽園は此処に崩壊する】

 

 

「……これは?」

 

「私は預言者の著書(プロフェーティン・シュリフテン)と言われるレアスキルを保持しています。これはそのレアスキルが数年程前に出した予言です」

 

 

 その白い紙に書かれたのは予言の書。カリム・グラシアが予言した、ある一つの出来事に付いて記された用紙であった。

 

 

「この予言の通り、前回のミッドチルダ大結界消滅時に夜都賀波岐はこの地に襲来しませんでした」

 

 

 そう。三年と言う月日は既に経過している。あの終焉の怪物が訪れてから、本来ならば続く大天魔の襲来があって然るべき時は経っているのだ。

 

 だが前回の双子月が重なる日、彼らが姿を見せる事は無かった。

 

 終焉の襲来から戦力の消耗を完全に補えている訳ではない現状。襲来がなかった事は純粋に有難い事ではあったが、個人としては安堵よりも憂慮の情を強く抱いた物であった。

 

 それが何れ来たるべき時の為に、雌伏しながら牙を研いでいると考えれば酷く納得のいく回答だった。

 

 

「……偶然の一致と言う可能性は? それに酷い言い掛かりではあるが、君が既に終わった事をそれらしく書き記しただけと言う可能性も有り得る」

 

 

 とは言え、彼女の書いた予言書が信頼出来る物かと言えば、それは否だ。

 予言者の著書と言うレアスキルの存在と、彼女のネームバリューや悪友が信じた事などを考えれば信に足りるのであろう。

 

 だが、クロノが持つ判断材料などそれだけなのだ。

 個人の人柄に関してはそれだけでも信頼には足ると判断するクロノだが、大天魔が其処に関わって来ると話は変わる。

 

 偽りの予言を信じて失敗すればそれだけで大量の犠牲が出るのだから、疑って疑い過ぎる事は無いのだ。

 

 

「クロノ提督! 貴方は騎士カリムを侮辱する気ですか!?」

 

 

 そんな疑念の籠った言葉に怒りを感じるのは、カリムではなく彼女の護衛である女であった。

 

 

「貴方は上層部の中でも良識派であると判断していたのに、カリムをまるで詐欺師か何かの様に! 見損ないましたよ、クロノ提督!」

 

 

 その感情は怒り。それは自身が護衛対象であり、幼馴染の親友でもある女性を詐欺師か何かの様に貶める発言をしたクロノに対する怒り。だが、その瞳に籠った感情はそれだけではなかった。

 

 

「私は貴方を目標とし己を練磨していたと言うのに、……貴方と言う人間は、軟禁生活を送る中で上層部同様に染まってしまわれたのですか!!」

 

 

 それは憧憬であった。そしてそれを裏切られたが故の嘆きの色でもあった。

 多分に理想で美化しているきらいはあるが、それだけではないとクロノは感じ取る。その瞳が違うのだ。

 

 まるで実際に会った事があり、現実と理想を重ね合わせて見ていたかの様な瞳。

 英雄と言うネームバリューに憧れていたのではなく、直接相対し言葉を交わした事があるからこそ、女はクロノに対して憧れていたのである。

 

 そう。この男女は顔を合わせ、言葉を交わした経験がある。身内と言う程に近くはなく、だが初対面と言う訳ではない。

 顔見知り程度ではあっても憧れるのには十分な言葉を交わした関係であり、だが一点両者の認識に大きな違いが存在していた。

 

 それは――

 

 

「……済まない。何処かで会った事があるか?」

 

「覚えていないのですかっ!?」

 

「あ、ああ……」

 

 

 クロノ提督は欠片たりとも、赤毛の女の事を記憶していなかったと言う一点である。

 

 念押しの為であり同時に鎌かけの意も込めた挑発行為に、ここまで反発されるとは思っていなかった。

 故に何処か戸惑った表情で、どうしてそんなに過剰反応するのだと目を白黒とさせてしまう。

 

 

「私です! シャッハ・ヌエラですよ! あの日、御前試合! 一回戦で戦ったシャッハです!」

 

「あ! ……あれ? 居たか。そんな奴」

 

「居ました! 私、居ましたから!」

 

 

 辛うじて思い出せた様な気がしたが、どうやら別の記憶と混同しているらしい。

 本気で思い出せないと首を捻る憧れの人物の対応に、怒りが何処かへ消え去ったのか目を涙で潤ませながらシャッハは全身で己を主張する。

 

 

「それに一度だけでなく、別の場所でも会っています! クラナガンの北部ストリートでご友人と口喧嘩されていた貴方方の間にカリムが仲裁として入った際、護衛として付き添っていたのも私です!!」

 

「……済まん。割りと本気で思い出せん」

 

「酷いっ!? あの敗北を期に、貴方に勝つ為に非才ながらも己を磨き上げていたと言うのにっ!!」

 

「……いや、マジで済まん」

 

 

 打ちひしがれる女性に対して、クロノは何と口にしたら良いのか分からずに謝罪の言葉を述べる。

 そんな彼の対応にシャッハは、嗚咽さえ零し始めそうな程に落ち込んでいく。

 

 

「ごほん。同じ女として思う所がない訳ではありませんが、取り敢えず落ち着きなさい。シャッハ」

 

「……ですが、カリム」

 

「高濃度AMF下では、この魔法は余り持たないのです。貴女も歪み者である以上、この対歪み者とでも言うべき施設に余り長居は出来ないでしょうし、私事よりも本題を優先しなさい。騎士シャッハ」

 

 

 敢えて騎士と呼ぶ事で自覚を促す。その言葉を受けて、騎士としての役割を思い出したシャッハは己を律した。

 

 

「……すみません。公私混同が過ぎました。騎士カリム」

 

 

 シャッハ・ヌエラより謝罪を受けて、カリムは静かに微笑みながら頷く。そうして護衛が醜態を見せた事に関してクロノに頭を下げた。

 

 

「シャッハが失礼をしてしまいまして、申し訳ありません」

 

「あ、ああ」

 

 

 カリムの謝罪をクロノは動揺しながらも受け入れる。

 そんな若き提督の態度に、シャッハを直ぐに止めずに敢えて放置する事で会話の流れを握り取れた事実を確認して、カリムは柔らかく笑うのであった。

 

 そしてこの場の流れを掌握したカリム・グラシアは、本題に入る為の前提としてクロノが先に上げた邪推込みの推論に対する確証を示す。

 

 

「先に貴方が言った様に、後出しで予言を出されても信じられないのは当然の事です。……歪みでもないレアスキルによる予言など、正直眉唾物と言われても仕方がないですからね」

 

 

 そう語って彼女が取り出させたのは、先と同じく一枚の書類。それは彼女の予言の確証となるやもしれない、先を占う予言書の一片。

 

 

「……これは、先程と全く同じ内容?」

 

「次の双子月が重なる日を予言した内容です。……約三年後、大天魔がこの地に現れなければ、私の予言の正確さの証明にはなるかと」

 

 

 その内容は一言一句先と変わらぬ代物。三年後の襲来においても、大天魔は現れないと言う予言であった。

 

 

「……それで、本題は?」

 

 

 其処まで見れば判断出来る。それだけ分かればもう十分だった。

 

 カリム・グラシアがこの場に来たのは、彼女が見せたい予言があるから。

 その本命となる三つ目の予言の正当性、それが確実に起こる事なのだと教える為にこんな茶番を見せたのであろうと。

 

 

「本題となるのは、三つ目。最後の予言についてです」

 

 

 彼女の意図をクロノが理解した事に、カリムは笑みを深める。

 

 利己と我欲に塗れた現在の上層部。戦時下にあってもそれを通せる彼らは、政治工作においては海千山千の強者だ。

 歪み者ではないカリムは、そんな彼らの得意分野で我意を通さねばならない。故に彼女は鳥籠の英雄よりも腹黒い遣り取りには長けているのである。

 

 三枚目の予言書をシャッハに用意させている女性。

 深窓の令嬢もかくやと言う笑みの裏に隠れた腹黒さの一端を垣間見て、若き英雄は降参するかの様に肩を竦めた。

 

 腹の探り合いでは勝てないと諦め、嘘吐きの英雄は手渡された最後の用紙を見た。

 

 

【旧い結晶と無限の蛇が蠢く地 死せる王の下 聖地より彼の翼が蘇る

 

 悪なる獣が地を満たし 中傷者は虹の輝きを汚れさせ 首輪の外れた罪悪の王が中つ大地の法の塔を無価値に堕とす

 

 それを先駆けに終末の喇叭が鳴り響く 堕落した天使達が築き上げる阿鼻叫喚の中 傲慢なる者は楽園の終わりを宣言する

 

 戦慄と共に審判の日は訪れ 罪深き衆生は地獄に飲まれる

 

 楽園は此処に 永劫失われるであろう】

 

 

 その予言を見て顔つきを変える。それは余りにも危険に過ぎる内容だから。

 

 

「……成程、これは上層部には見せられんな」

 

「ええ、余りにも可能性が多過ぎて、どうなるか読み切れませんから」

 

 

 それぞれの単語を如何なる解釈で読み解くべきなのか、専門家ではないクロノには其処までは分からずとも、分かる事は幾つかある。

 

 罪悪の王。先の一件以降、更に一段階危険度が引き上げられた有史以来最大となる犯罪者。

 その名が記されている。彼が管理局の本局を焼き尽くすと言う事が示されている。そして楽園が崩壊すると言う言葉。

 

 それはまるで、ミッドチルダと言う世界の壊滅を暗示しているかの様だ。そう思ってしまったクロノは、故にその予言の危険度を理解して頭を痛くする。

 

 もしもこの予言を管理局上層部が知れば、本当にどう動くか分からない。

 

 利己と我欲に満ちた彼らが、果たして如何なる所業に出るか。

 少なくとも、滅ぶと宣告されたミッドチルダの為に身命を賭して戦うなどは決してしないであろう。

 

 

「それで、何故これを僕に?」

 

 

 頭痛を堪えながらクロノは問い掛ける。それは当然の疑問。

 

 

「信頼できる上層部の人間なら、僕よりもゲイズ中将辺りに当たるべきだろう。……鳥籠の英雄に見せる内容ではないな」

 

 

 所詮クロノは鳥籠に囚われた虜囚に過ぎない。

 英雄としてのネームバリューこそあるが、実権を一切持たない彼に予言を見せたとして、一体何が出来ると言えようか。

 

 

「既にゲイズ中将には見せていますよ。予言に対する意見としては否定的な彼も、対応は必要だと判断するレベルの内容ですからね」

 

 

 そんな彼の当然の疑問に、カリム・グラシアはあっさりと答えを返す。

 この流れにこそ持ち込みたかった彼女は、笑みを止めた真摯な瞳で管理局の英雄へと助力を請うた。

 

 

「貴方に見せた理由は単純です。……旗頭になって頂きたい」

 

 

 それは英雄である彼のネームバリュー。そして上層部が何よりも重要視するが故に、彼らを惹き付ける華となれる彼に望む役割。

 

 

「英雄が統べる。英雄達による、ミッドチルダを守護する部隊。最悪な状況でも必ず動ける。他の幹部たちの息が掛かっていない最高戦力が欲しいのです」

 

 

 誰もを惹き付ける華として、カリムらが動ける時間を稼いで欲しい。そして同時に、最悪の状況下で確実に動ける部隊としてもあって欲しい。

 

 それこそがカリム・グラシアが、クロノ・ハラオウンと言う英雄に望む役割。

 

 

「この僕に道化を演じろ、と?」

 

「それが必要ならば」

 

 

 鳥籠の虜囚にこの話を持ち込む時点で、既にクロノを表に出す用意は出来ているのであろう。

 聖王教会の聖女と陸の最高指導者が連名でクロノの解放を望めば、管理局の上層部とて無下には出来ないのだ。

 

 それだけで解放される程ではないだろうが、その辺りは政治的な裏工作が色々と行われているのであろう。

 己を手玉に取った女性の腹黒さに辟易しながらも、クロノはこの頼みは断れないと判断し始めていた。

 

 

「設立するとなれば、何処に作る?」

 

「ゲイズ中将の指揮下。地上本部の一部署でしょう。表面上は極めて危険なロストロギアに対処する為の、古代遺物管理部に所属する形になる予定です」

 

「……機動部隊は、五課まで存在していたな」

 

 

 己に望まれたのは戦場の華達を纏め上げる道化の立ち位置。同時に如何なる状況でも動ける最強部隊の完全掌握。

 

 陸に所属し、聖王教会の後援を受け、海の提督が指揮する私兵部隊。新たに作られるその部隊、名を付けるとするならば。

 

 

「さしずめ、機動六課と言った所か」

 

 

 三つの部署の重役によって構成された部隊ならば、管理局上層部が介入する事は難しい。最高評議会からの直接命令であっても、軽く抵抗し多少の時間を稼ぐ事は出来る。

 

 英雄の私兵と嘲笑され、所詮は民衆の人気取りと馬鹿にされ、いざとなれば独断で動く事も求められるのであろう。

 

 蜥蜴の尻尾に位置する役割。

 

 

「それで、返答の方は?」

 

「良いだろう。受けよう。その話」

 

 

 だが受けないと言う理由がない。受けない訳にはいかない。

 これに協力しなければ己はこの場所より動く事は出来ず、そうして崩壊の時はやってきてしまうのだから。

 

 

「……無論、幾つか条件は付けさせてもらうがね」

 

 

 そんなクロノの出した条件を、カリムは万民を魅了する様な笑顔で了承した。

 

 

 

 

 

2.

 その人の事は地獄に堕ちても忘れない。

 少女が見た中で誰よりも強く、誰よりも雄々しく、なのに誰よりも泣きそうだった少年の姿を、彼女は奈落の底に堕ちたとしても忘れないであろう。

 

 

 

 雷光が走る。鋭い穂先が光輝き、赤き血が滴り落ちる。

 赤毛の少年が走り抜けた後は深い赤色に染まり、生きとし生ける者は何一つとして残らない。

 

 

〈なあ、相棒。俺の力は使わないのかい?〉

 

「誰が」

 

 

 命乞いをする研究員を殺し、逃げ出そうとする研究員を殺し、囚われた実験体たちを磨り潰し、無価値な屍の山を築きながら、エリオ・モンディアルは冷たく告げる。

 

 

「もう二度と、お前には頼らないよ」

 

〈これは手厳しい〉

 

 

 含み笑いをしながら語る内なる悪魔に苛立ちながら、エリオは槍と魔法を振るい死者を増やし続ける。

 

 やり過ぎた事への罰則として与えられたのは殲滅任務。全てを皆殺しにしろと命じられ、不要になった研究施設の駆除を行うこの現状。

 

 悪魔の炎を使えば一瞬で終わったであろう。こうして不快な感触を実感する必要もない。それでも、そうと分かっていてももう頼りたくはなかった。

 

 

「僕は一人でやる。……そうさ、お前は必要ない」

 

 

 そんな少年の言葉に悪魔は笑みを深くする。無傷な身体と正反対に、傷だらけな少年の心を見ながら哄笑を堪える。

 

 

〈しかし酷いなぁ。随分と凄惨に殺す物だ〉

 

 

 絶望の表情を浮かべたまま解体された者達。それを見下ろして、ナハトは心にもない事を語る。

 

 そんな悪魔の嗤いに返すのは、エリオらしくもない言葉であった。

 

 

「殺し方に綺麗も汚いもないだろう。さっさと潰して、それで終わりだ」

 

〈ふむ。ルネッサ・マグナスへの対処に心を痛めていた相棒らしくもない〉

 

「ルネッサ・マグナス? ……誰だ、それは?」

 

 

 自分が殺した者。決して忘れぬと背負った筈の己の罪科。

 それすら忘れ果てているエリオは、本当に分からないと首を傾げる。

 

 

〈……ああ、別に大した者じゃない。所詮は既に死んだ者だよ〉

 

「……なら無駄口を叩くな。死ねば所詮人なんて肉の塊、覚えておく価値すらない」

 

 

 それはエリオ・モンディアルの価値観ではない。

 元より彼は死者の為にこそ己に価値を求めたのに、今ではその死者を忘れ去ってしまっている。

 

 

〈…………おやおや〉

 

「何がおかしい」

 

〈いや、何。……順調過ぎて、嬉しくなってきただけだよ。……なあ、お前はどうして己に価値を求めたのか覚えているか?〉

 

「…………おかしな奴だ。そんなの、弱いままで居るのが気に入らないから以外に何がある?」

 

 

 そう。それは悪魔の価値基準。

 死んでしまえば全て無価値。結局どれ程大切な物であろうと、あっさりと死んでしまう程に弱い奴には覚える価値すら存在しない。

 

 弱者は存在自体が悪なのだ。そんな人間離れした思考を、疑う余地すらない程に盲信している。

 そんな異質な己に疑問すら抱けず、エリオは死人を増やし続ける。

 

 

「僕は弱い。まだまだ弱い。……お前の力抜きでは、あの吸血鬼に倒されるかもしれない程度の力しかない。管理局全軍を殲滅出来る力は未だないんだ」

 

〈魔法の力と体術だけでそれだけやれれば、もう十分だと思うがね〉

 

「足りないよ。まるで全然足りてない。……こんな弱者じゃ、そこの塵山と等価の価値しかない」

 

 

 死者を無価値と断じ、彼らが関わる記憶を同じく無価値と切り捨て、貪欲に強さを求める。

 

 

(そうだ。……その調子だよ、相棒)

 

 

 それは人の在り方ではない。エリオは人から外れ始めている。全てナハトの目論見通りに。

 

 

(そのまま行けば、その拘りはシンとなる。真なる罪がその心に目覚めた時こそ)

 

 

 力の多用は、少年の魂を悪魔へと近付けていた。だがその精神の在り様が違い過ぎたから、まだ少年は悪魔の王足り得ていない。

 

 故にこそ、信頼への裏切りによって無頼のシンに目覚めつつある少年は近付いている。今になって漸く、それに至ろうとしている。

 

 そう。目覚めの時はもう間もなく。

 そのシンが真実、大罪と呼べる純度になった時こそ。

 

 

(お前は悪魔(オレ)になるんだ)

 

 

 エリオは死んでナハトになる。

 首輪は外れ、己は真実、悪魔の王として顕現する。

 

 その時を、悪魔の王は哄笑と共に待ち続けている。

 

 

 

 

 

 少女は気付いた時から其処に居た。過去の記憶は思い出せず、(ロード)製作者(マイスター)の其処には居ない。

 貴重なサンプルとして保存されていた少女は、度重なる人体実験の果てに心身共に疲れ果て、己の生を諦める程に摩耗していた。

 

 

「早く! 退避の準備を!」

 

「くそっ、管理局め。……あれだけ散々利益を渡したのに、不要になればこれかよっ!」

 

「愚痴ってる場合か! 早く動かないと俺達も奴に殺されるぞ!!」

 

 

 だが今日は何時もと違った。何時もは気持ち悪いにやけ笑いを張り付けた男達も、己を切り刻んでいた女達も、研究所に居た全ての人間が青褪めた表情で怯え戸惑っている。

 

 

「最低限の研究データと希少な実験体は忘れるなよ! 特に烈火の剣精は数百年物の希少素材だ! 回収し忘れたら次などないぞ!」

 

「そんな暇ないわよ! 早く逃げないと、私達も!!」

 

「もう、遅いさ」

 

 

 少女にとっての絶望が崩れ落ちる。

 より恐ろしい悪魔を前に、全てを閉ざしていた扉は崩れ去る。

 

 扉を蹴破り立ち入って来た赤毛の少年は、目にも止まらぬ速度で一番近くに居た女性を串刺しにする。そうして人の刺さった槍を天高く掲げると。

 

 

「サンダーレイジ!!」

 

 

 殺傷設定の雷撃が広域を焼き尽くす。その場に居た研究者達は一瞬にして焼き焦がされる。

 

 時間にして数秒と持たずに、少女の絶望はこの世より消滅した。

 

 

 

 悪魔はゆっくりと近付いて来る。研究資材を保存するケースに入れられていたが故に、未だ息のある少女の下へと近付いて来る。

 

 その発する気配は重い。その身が放つ魔力は、この古代ベルカ技術を研究する施設に保管されたあらゆる全てよりも遥かに大きい。

 その極まった体技は、掠れた記憶の中にある戦争の英雄達、その全てを超えている。

 

 それなのに、近付いて来る少年は今にも泣きそうな様に見えたから。

 

 

「なあ、……アンタも寂しいのか?」

 

「……っ!?」

 

 

 赤い髪をした融合騎の少女は、悪魔にそんな言葉を投げ掛けていた。

 

 

 

 

 

 血臭を身に纏った少年が研究施設を後にする。

 生存者はいない。与えられた任務は殲滅。生きとし生ける者全てを殺し尽くせと命じられたのだから、罪悪の王が去った後に生存者などは残らない。

 

 

〈全く、甘いねぇ、相棒は〉

 

「……僕が命じられたのは人間の殲滅だ。コレは人じゃなくて物だろう?」

 

〈ま、そういう事にしておくさ〉

 

 

 手に抱いた小さな子供。全長三十センチ程度の小さな妖精を抱き抱えた少年を、悪魔は揶揄する様に嗤う。

 

 そんな悪魔に詭弁を返しながらも、少年は己が何故この娘を拾い上げたのか分からない。

 

 直前まで殺す心算だったのに、寂しいのかと問い掛けられ、一緒だなと笑みを浮かべられ、気付けばそんな少女を連れ出していた。

 

 そんな複雑な感情に答えを出せぬまま、エリオは空いた片手でデバイスを通信モードで起動させると嫌いな女へと連絡を取った。

 

 

「任務終了だ。クアットロ」

 

〈はいはーい。二十七個目の殲滅任務ご苦労様ですぅ。……流石に疲れて来ましたぁ? けどざんねーん。まだまだ仕事は山盛りですよぉ〉

 

「……僕が言う事でもないが、違法な研究施設が多過ぎだ。この三日でどれだけ殺したと思っている」

 

〈そりゃ手段の是非なんて選べませんしねぇ。取り敢えずやらせてみてぇ、駄目そうなら殲滅するのが、管理局のやり方ですよぉ〉

 

「……秘匿したいなら厳選すれば良い物を、無駄死にとこっちの労力が大きくなる」

 

〈まぁ、研究者とかぁ、掃いて捨てる程いますからねぇ。ドクター程じゃなくても、せめてプレシアくらい行かないと使い捨てにする程度の価値しかありませんよぉ。だから、数打って当たらなければ、不味いから排除する、と言う訳です〉

 

 

 管理局の最大の強みはその数なれば、使い捨てる様に彼らはその数を浪費する。

 無数の管理世界にはそれこそ無数の違法研究所が存在し、それらが不要になった際に排除するのもまた無限蛇の役割であった。

 

 

〈まあ、エリオ君には無価値の炎があるじゃないですかぁ。あれなら、ちょっと燃やすだけで殲滅出来る訳でぇ、負担なんてある訳ないですよねぇ?〉

 

「…………」

 

 

 エリオの内心を、悪魔が告げた言葉を、同じ悪魔であるが故に知るクアットロは、知りながらも敢えて馬鹿にするかの様に語る。

 

 否、知るからこそ、彼女は傷に塩を塗るかの様に嗤うのだ。

 

 

〈ま、余計な拘りで余計に疲れてもぉ、知った事じゃないんですよねぇ。そんな訳でぇ、次のお仕事でぇぇぇす〉

 

 

 そんな彼女の言葉と共に、エリオの眼前にて転移反応が起きる。

 魔法陣と共に転送されてくるのは、先日に一度だけ顔を合わせたある一人の少女であった。

 

 薄い茶髪を後頭部で纏め、民族衣装に似た服装の上に純白の胸当てを付けた幼い少女。年の頃は五、六歳か、感情の死んだ瞳で少女は己の名を告げた。

 

 

「先日振りです、罪悪の王」

 

 

 杖を片手に、幼い少女は一礼する。

 それは王侯貴族の様に、礼儀に則った美しい仕草であった。

 

 

「改めまして、無限蛇より傀儡師の号を受けました。イクスヴェリアと申します」

 

「……どういう心算だ、クアットロ」

 

 

 次の仕事があると言うのに、一見してか弱い少女を押し付けるのは如何なる道理か。目を細めて問い掛けるエリオに、返されるのは女の嘲笑。

 

 

〈なぁに、大した事じゃありませんよぉ。……ちょぉぉぉっと聞き分けの悪い子なんでぇ、再教育と言う訳ですぅ〉

 

 

 冥府の炎王イクスヴェリア。残虐非道と伝えられる彼女の伝承とは真逆、彼女は徹底した非戦論者であり、余りにも使い勝手が悪かったからこそ再教育を受ける事となった。

 

 

〈態々お荷物を拾い上げている優秀なエリオ君ですからねぇ。……今更一人が二人に増えても問題ないでしょう? しっかり教育しなおしてくれると期待してますよぉ〉

 

 

 その教育担当にエリオを選んだのは、クアットロにとっては嫌がらせ以外の意味などはない。

 融合騎を持ち出した事も上げられてしまえば、断る余地など何処にもない。

 

 否、元より断る権利など彼にはないのだ。エリオ・モンディアルは弱いのだから。

 

 

「……ちっ」

 

 

 そうしてデバイスに送られる次なる任務。今回の様な自業自得な者らを殺す物ではなく、だが確かな殲滅任務。

 

 冥王に現実を教える為だろう。

 

 何の罪もない一つの世界を滅ぼせと、唯魔法文明でありながら発展していないからと言う理由で、全てを殺せと言う殲滅任務が下された。

 

 

「……付いて来なよ。途中で死んだら捨てていく」

 

 

 胸糞が悪くなる。反吐が出そうだ。そんな風に思いながらも、自由などない罪悪の王は次元世界を一つ滅ぼす為に動き出す。

 

 だが傀儡師は、そんな彼の後を追うではなく立ち止まったまま問い掛けた。

 

 

「……罪悪の王。貴方は疑問に抱いた事はありませんか」

 

「何?」

 

 

 魔刃の背に向けられた傀儡師の問い掛け。

 それは彼女が蘇ってから、否、眠りに落ちる以前より抱いていた疑問。

 

 

「私達は死んだ方が良い。……死にたいのに、この毒が死を許容させてくれない」

 

 

 全てに嘆きを齎すだけの存在。許されてはいけない怪物。

 己をそう定義する炎王は、同じく悪徳の存在へと問い掛ける。

 

 彼ならば、人形兵団の在り方に憐れみを抱いていた魔刃ならば、魔群や狂人と違って話しも通じるかもと期待して。

 

 

「一体、私達は何の為に生かされているのでしょうか」

 

「知らない。どうでも良い」

 

 

 そんな必死の問い掛けは、どうでも良いと切り捨てられた。

 

 

「……私達の所為で、多くの者が苦しむと言うのに?」

 

「それこそ知った事か。弱いから悪いんだ。弱者に価値などありはしない」

 

「…………」

 

 

 罪悪の王に取りつく島などない。

 悪魔の影響で価値観すら歪み始めている少年に、嘆きの声など届かない。

 

 弱肉強食。それこそ世界の真理であり、奪われるのは弱者である限り仕方がない事なのだ。

 

 

「次の任務が詰まっている。死にたいからと足を引くなら、容赦なく置いて行くよ。……無価値で居たくないなら、死ぬ気で足掻け」

 

 

 死んでしまえばそれは唯の物体だ。

 死者は無価値で、死人の意志など何の意味もない。

 

 死ぬとはそう。無価値になると言う事。

 

 

「どうせ僕らは罪人だ。死んだとて、皆が諸手を上げて喜ぶだけだろうさ」

 

 

 死んで嘆く者などいない。死んで喜ぶ者しかいない。

 ならばこの命に執着する意味などはなく、あるのは無価値なままでは居られるかと言う意地一つ。

 

 何の為に価値を求めたのかも忘れて、それでも価値を得る為に弱い悪魔は強さを求める。

 

 

「だから、余計な事など考えない事だ。……その方が楽になるし、楽より価値を求めるなら強くなれば良い」

 

 

 余計な思考など要らない。答えの出ない禅問答などは必要ない。

 己は弱いのだから、強く為る為に必要な物以外は一切必要ないのだろう。

 

 そんな風に思って、片手に抱いた熱に少し戸惑って。

 そう。何か現状に不満があると言うならば、この余計な物も抱えて居たいと願うならば。

 

 

「この首輪を外せるくらいに強くなれば、きっと何かが変わるだろうさ」

 

 

 零れ落ちた言葉は弱者の戯言。

 それでも強くなれれば、そんな風に少年は願いを抱いていた。

 

 

「……私も、変われるでしょうか」

 

「知らないよ。変わりたければ好きにしなよ。変われないなら、それは君が弱いだけだ」

 

 

 歩き去って行く罪悪の王は、その異名の如く罪に満ちた悪漢である。

 されど、その一瞬の会話の中で、エリオと言う人間は罪悪だけではないと知れたから。

 

 傀儡師と呼ばれた少女は、ほんの少しだけ輝きを取り戻した瞳で彼を追う。

 血と死と嘆きと絶望が満ちた溝の底で、それでも光を追い続けている魔刃の背中を傀儡師は追い続ける。

 

 

 

 

 

3.

 木造のログハウス。先日の無限蛇の齎した被害が、ラジオを通じて流される店内。

 カウンター席に腰掛けたトーマは、背を向けた師に己の体験の全てを伝えていた。

 

 

「先生。()()()()()

 

 

 温かな珈琲の揺れる水面を見詰めながら、トーマは己の胸中を語る。

 目の前で助けられた人を殺された事。自分の大切な物を壊された事。そして何も出来なかった事。

 

 その全てが、どうしようもない程に悔しい。

 

 

「俺が、俺が何とかしないといけなかったのに、何も出来なかった」

 

 

 背中を向けた金髪の師は何かを語る事もなく、何時も通りにトーマの話しに耳を傾ける。

 

 失ったモノは大きい。もしかしたら、自分がもう少し強かったら、助けられたかも知れない事が悔しい。

 涙を流して、墓を作る事しかしてあげられなかった、そんな己の弱さが恨めしい。

 

 そんなトーマらしい悔しさの中に、彼らしくもない何処か異質な色も混じっている事を理解して、青年は目を細めた。

 

 

「違う。俺が何もしなくても、解決した。俺が動くより、きっと上手く解決した。……その事が、悔しいんだ」

 

 

 そんな師の背に、幼い子供は告げる。

 どうしようもない強迫観念に突き動かされたまま、己の望みを師に伝えた。

 

 

「だから、強くなりたい。先生みたいに、強くなりたい」

 

 

 少年にとって強さの象徴である先生はゆっくりと振り返ると、その仙道の如き澄んだ瞳でトーマを見詰めるのだった。

 

 

「……君に教えていない技は一杯ある」

 

 

 それは御神の秘技であり、ストライクアーツとの組み合わせにより青年が作り上げた新たな体技である。

 

 

「君に教えていない技術も、君が習得するべき技術も、確かに多く残っている」

 

 

 それは彼の技術であり、彼が作り上げて多くの魔導師達が使用する新たな魔法でもある。トーマが強くなる道は、青年が教えられる技術の幅は、それこそ多く存在している。

 

 

「なら!」

 

「……けど、君が望んだのは、本当に一人で強くなる事だったかな、トーマ?」

 

「え」

 

 

 けれど、それを教えると言う形にはならない。

 普段とは異質な、嘗て見た軽度の暴走状態にも似た状態になっている今のトーマに、教えるべきはそうではないと知っている。

 

 

「あの日、君が泣きながら口にしたのは、本当にそれだけだったのかい? 笑顔で逝ったクイントさんが、君を許して抱き締めたゲンヤさんが、そして僕が教えようと決めた君の意志は、己の為だけの強さではなかった筈だよ」

 

 

 思い出す。壊れかけた記憶を思い出す。

 亡くした悲しみに、流れ込んで来る悔しさに、破損してしまっていた記憶を思い出す。

 

 

「あ」

 

 

 あの日、己の毒を封じきれず暴走したあの日、それを必死で止めてくれた母が居た。

 その代価に片腕を失い。魂に刻まれた毒と歪みによる汚染によって、彼女はその数日後に亡くなった。最期まで、トーマに笑顔を向けたまま。

 

 あの日、母の死因になったトーマを許した父が居た。

 己の所為で死んだのだと嘆くトーマに、お前の所為で死んだのではなく、お前の為に生きたのだと語った父が居た。

 抱きしめる腕の強さに、語られる男の言葉に、アイツが守った者を過小評価するなと叱りつける声に、声を張り上げて泣いた想い出を取り戻す。

 

 あの日、強くなりたいと叫んだトーマに、しっかりと向き合ってくれた先生が居た。

 母の為に、父の為に、支えてくれる全ての人の為に、強くなりたいと言う子供の言葉を、戯言と笑わずに受け入れてくれた師匠が居たのだ。

 

 

「……()()()()()()()()()()()()

 

 

 教えは一杯受けた筈だった。

 望んだ物は、全てを自分で解決する手段ではなかった。

 

 そう。自分は先生みたいな、優しくて大きい男になりたかったのだ。

 だから先生を真似する様に口調を変えて、意識してそんな風になろうとして、それを目標に追い掛け続けた。

 

 

「強くなりたい。そう思うのは確かで、そうなりたいのは確かで、そうならなくちゃいけなくて、……けど、一人で抱えるのは違っている」

 

 

 もう嘆かなくて良い様に、そんな不幸が大切な人達に降りかからないように、求めたのは自分の強さと綺麗な世界へと繋げる意識。

 

 あの時、もっと強ければルネッサは助けられた。だからそれを悔しがるのは正しい。

 

 けれど、あの後、何も出来ない弱さを嘆いたのは間違っている。

 あそこで悔しがるより、何とかする力を得ようと足掻くより、助けて貰った感謝を抱く事こそトーマの常であっただろう。

 

 強さだけではない。己が求めていたのは、それだけではなかった筈なのだ。

 

 

「そもそも、今回は僕がやるより上手く纏まったじゃないか。……それなのに自分が、って馬鹿か僕は」

 

 

 この結果を喜ぶ事は出来ない。失った重さを前に、嘆かずには居られない。

 それでも、悔しがるのだとしても、自分が等と口にするなど、トーマ・ナカジマらしくない。

 

 皹の入った卵の殻は、そんな忘れかけていた自分らしさ。

 砕けた卵の殻は、まだ崩れない。その殻は皹だらけだけど、大切だから剥がしたくはないのだ。

 

 

「……悔しがる事、上を目指す向上心は悪くないよ。トーマ」

 

「先生」

 

「けどね。君が望んだのは、手を取り合って前に進む事だ。……君の願いがそれなら、一番大切な想いは、最初の一歩は忘れちゃいけない」

 

 

 優しく告げる師の言葉。語るユーノは店の扉へと視線を移し、釣られてそちらへと視線を向けたトーマは見る。

 

 

「馬鹿トーマ!」

 

「ティア!?」

 

 

 扉を開けて入って来たのは、あの日共に戦った少女の姿。その瞳に淀みはなく、何処かすっきりとした表情で、ティアナ・L・ハラオウンは手を差し伸べる。

 

 

「色々、試したい事があるのよ! 相棒なんでしょ、手を貸しなさい!」

 

 

 己に芽生えかけている歪み。他人を動かす事に長けた資質。その全てが、選ぶべき道を分かり易く示している。

 

 一人では何も出来なくとも、この馬鹿となら出来た事がある。

 自分一人では届けない場所に居る人の下へも、誰かと一緒なら行けると分かった。

 

 それを嫌がる捻じ曲がった根性は、一瞬の邂逅が、願い続けて来た手の平が正してくれたから。

 だからティアナは頬を羞恥で染めながらも、今更何をと思いつつも、それでも一緒にやろうと手を伸ばすのだ。

 

 

「それを忘れなければ、きっと手を差し伸べてくれる人は来るはずだからね」

 

 

 ユーノが静かに語り、その背を押す。

 背中を押された少年は、差し出された少女の手を握り返した。

 

 

「行くわよ、相棒!」

 

「……ああ、行こう! 相棒!!」

 

 

 失った嘆きを、溢した涙を拭って、笑顔と共に走り出す。

 誰かと一緒に先へと進む事こそ、自分の進む道には相応しいと思ったから。

 

 

 

 訓練校の少年少女達はその瞳に星の様な輝きを宿して、手を取り合って前へと走り出すのであった。

 

 

 

 

 




魔刃エリオはPARADISE LOSTにおけるジューダスポジ。
パラロスって言えば? ジューダス! そんな答えが返るジューダスポジ。


そんな魔刃エリオはStS編では出番多めです。

リリカルなのはVS夜都賀波岐のStS編と言えば? 魔刃エリオ! そんな答えが返るくらい活躍させたい。(小並感)


そんな訳で、現行ではStS編はトーマとエリオの対立を軸に進む予定です。




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StS編
第一話 空を目指す道


プロット(メモ帳)をゴミ箱にシューッ! 超! エキサイティン!!


ちょっとした暇潰しに感想欄を読み返していたら“奴”の登場を望む様に見えた感想が複数あったので、プロットさんに死んで貰って“奴”の出番を新たに作りました。

そんな訳で今回は“奴”が出ます。


1.

――例えば己の一生がすべて定められていたとしたらどうだろう?

 

 

 それはあの日より見るようになった夢。

 嘗て幼い頃には幾度となく見て、されど己と言う個我が形成されてからは見る事はなくなった夢。

 

 夕暮れに沈む浜辺。海の水も浜の砂も、全てが黄昏の夕日に染まる。

 そんな浜辺の只中で、未だ顔も見えない女は忌まわしきリフレインを謳っている。

 

 

――人生におけるあらゆる選択。些細なものから大事なものまで、選んでいるのではなく選ばされているのだとしたらどうだろう?

 

 

 そんな薄ぼやけた彼女に付き従う様に、ナニカが居た。

 跪いた影絵。揺らめく蜃気楼の如くに曖昧で、陽炎の如く不確かな残照。

 

 何時の頃からか黄昏の浜辺に入り込んで来た異物。トーマの内的世界の奥底より染み出して来た影。一枚の名画の内に生じた黒い染みは、存在そのものが不確かだった。

 

 つい先日までは――

 

 

「君は、どう思う?」

 

 

 それは男だった。

 

 まるで影を切り抜いた様な襤褸切れに身を包んだ男。腰まで届く程に長い髪の隙間より覗く瞳は、その髪と同じく深海の如き色。

 

 影絵の如き男だ。少年を彼が見た事で、彼は少年に認識できる存在規模へと変化した。

 そんな影絵は朧げな女の残滓に暫し見惚れた後、トーマに向かって問いを投げ掛ける。

 

 

「アンタ、誰だよ」

 

 

 その影絵の如き男に向かって誰何する。

 自分らしくもない口調。どうしてか、この影を見ていると無性に腹が立った。

 

 

「質問に質問で返すべきではない。育ての親の品位が知れるよ?」

 

「っ」

 

 

 目が、口元が、こちらを馬鹿にしきった様な笑みを浮かべている。

 そんな影の姿に苛立ちを募らせながらも、養父母を槍玉に上げられればトーマとて襟元を正さずには居られない。

 

 一呼吸。深呼吸をしてから、トーマは影の言葉を思考した。

 

 

「……選んでいるんじゃなくて、選ばされているとしたら、か」

 

 

 目の前の得体の知れない影。得体の知れない人物に誰何をするのは当然の反応であり、不審者の疑問等に答える道理などない。

 

 だが、人生経験に欠ける少年はあっさりと詐欺師の挑発に乗ってしまう。

 純粋な少年は得体の知れない苛立ちによって、猜疑心から入ろうとしていた己の無様を恥じ入る。

 

 そうして蛇の望む通りに、少年と影の禅問答の如き遣り取りは始まった。

 

 

「……それは、嫌だな」

 

 

 運命論。或いは決定論。

 既に全ては決まっていて、人間の生には何の自由も存在しないと言う考え方。

 

 もしもそれが事実だとすれば、それは何と悍ましい世界か。

 それを予め定めている存在が居るとすれば、それは何と傲慢で人を舐め切った存在であろうか。

 

 

「人間を馬鹿にしてる。人の在り様を否定してる。……それが善意であれ、悪意であれ、正直言って性質が悪い」

 

 

 全てが運命の名の下に推移するならば、あらゆる行為と結果に意味はない。

 人の生も人の死もその生涯で築いた全ても、結局は神様に恵まれた物となってしまう。

 

 

「先生曰く、人の歩いた道はその人の物。決断の責は己にあり、その是非がどうあれそれは認めないといけない。それが真面目に生きるって言う事だ」

 

 

 それは違うのだと教えてくれた人が居る。

 そんな生き方は人のそれではないのだと、誰よりも強い大人が語ったのだ。

 

 

「なのに、最初から全部筋書通りで、神様に頭下げて気に入られた奴が一等賞に決まる。……そんなの、絶対におかしい」

 

 

 運命を書き記す神様が、己のお気に入りに特別な力を与える。

 そうしてそいつが好き勝手に生きて、真面目に生きる人達を馬鹿にする。そんなのは、絶対に間違っている。

 

 そこに何の意味がある? それに何の価値がある?

 

 与えられた力で生きるのも、それを振るうのも個人の勝手だろう。

 恵んで貰って得た力で掴んだ物など全て無価値などと、そんな極端な考えは抱かない。

 

 だが、神様が最初から最後までそいつが勝利する様に筋書を作るのは、絶対に間違っていると思うのだ。

 

 

「人を変えて良いのは人だけだ。真っ向から、対等の立場で、ぶつかりあって進んでいく。心配性な神様が道案内をしたり、ちょっぴり贔屓して機会を与えたり、そんな位が許容される限度だろうさ。それ以上は、出しゃばり過ぎだよ。運命通りに推移する世界なんて、神様の自己満足で出来た舞台劇と何が違う」

 

「然り。善意であれ悪意であれ、神の動かす世界など歌劇の舞台と変わらない。無価値と断じようと、最愛の宝石と抱き締めようと、其処には確かに見縊る感情が、救わなければいけない存在だと高みより見下ろす意志が存在する。己を上位者と捉える思考。己の至高こそが最も素晴らしいとする思考。それこそが覇道の神と言うモノに共通した思考と言えよう」

 

 

 だが、それを為すのが覇道の神だ。

 己の思考こそ至高と信じ、そうなるのが素晴らしいと独善で動く。

 

 其処に願いの善悪はあれ、其処に神の性質による程度差はあれ、其処に愛の有無はあれ、その本質は変わらない。

 流れ出すとはそう言う事だ。そして、それを咎める事は人には出来ない。

 

 見下す感情。下位の存在だと言う思考。それを傲慢とは言えない。真実存在の位階が異なるならば、それは傲慢ではなく確固たる真理となる。

 

 天は人の上にも下にも人を作らずとも、人を作った天そのものは人より上位に在り続けるモノなのだから。

 

 

「それは我が女神とて変わらない。己が救わねば、救われない者が生まれるのではと言う不安。どうしても抱きしめたい、幸せになって欲しいと言う願い。……それすらも、見方によっては傲慢だと賢しげに語る者とて現れよう」

 

 

 どれ程美しくとも、どれ程素晴らしくとも、その治世を詰る者は現れよう。度し難いものだが、それが人間と言うものだ。

 

 

「……けどさ、今の世界は違うだろ?」

 

「ほう」

 

「上手く言えないけどさ。何となくそんな気がする」

 

 

 少年の何処か曖昧な言葉に、蛇は僅かに目を細める。

 何となく、そんな領分を出なくとも少年はそう感じている。多分違うのだ。そんな程度の曖昧な思考だが彼は理解している。

 

 今の世界を定める神など居ない。

 この世には覇道の神は存在していないのであろう、と。

 

 

「然り。嘗て在った永劫回帰は既に消え去り、続く第五も失われた神座の外側。この地に在りて筋書を作り上げる神などいない」

 

 

 無限大紅蓮地獄。修羅道至高天。

 人の一生を定める事さえ出来ずに消えかけようとする神。再び生まれようと胎動こそすれど、未だ生まれるに至らぬ神。

 

 この世に残りし彼ら在りし日の残滓達にもまた、それ程の力は今はない。

 

 

「無論。今の私も同じく。所詮は彼の胎動と君の自壊によって再現された嘗ての残照。最早何の力も持たず下らぬ戯言を囁くしか能のない影絵に過ぎぬ」

 

 

 故にその蒼き影は語る。

 

 

「故に、私の役割とは即ち、それなのだろう」

 

 

 それは彼の役割。半身でありサカシマである獣とは異なり、最早再誕すら出来ぬ彼の役割。

 

 

「未だ至れぬ神の卵よ。或いは我が愚息として再び蘇るかも知れぬ雛よ」

 

 

 それは決まっている。どちらに転ぶか分からぬ少年の為に、そして彼女の残した愛し子らの為に、嘗て永劫と呼ばれし蛇が行う事など既に決まっている。

 

 

「私は君に祝福(ノロイ)を与えよう。私は君に忠告をしよう。私は君に助力をしよう。その三つを以って、此処にある私の役割とする」

 

 

 そう。三つ。その三つを、今の蛇は己の役と定めている。

 

 

「では、問おう」

 

 

 そして、その内の一つの役割を今此処で果たさんとする。その為に、水銀の蛇はその言葉を投げ掛けた。

 

 

「トーマ・ナカジマ。君は魔刃を許せるか?」

 

「え?」

 

 

 その言葉は、まるで慮外の物であった。

 

 

「エリオ・モンディアル。君にとっての宿敵である彼を許せるのか、私はそう問うている」

 

 

 それは愚問だ。それは余りにも愚かに過ぎる問い掛けだ。答えなど分かっている。分かり過ぎる程に分かり切っている。

 

 

「許せない、であろう」

 

 

 故に言葉に詰まった少年に対し、蛇は嘲笑を浮かべながらそんな言葉を口にした。

 少年の瞳と記憶を介して得た断片より全てを推測している蛇は、全てを見通すかの如き深い瞳でトーマの歪みを嘲笑う。

 

 

「だが、それは本当に、君が選んで良い答えであろうか?」

 

「なに、を」

 

「君の願い。君が語る偽りの言葉。誰かと一緒に手を繋いで前に進む。そうして皆が手を取り合えば、きっと世界は幸福になる」

 

 

 それは確かに綺麗な光景である。

 想像するだけでも素晴らしいと分かる。誰もが手を取り合える世界。

 

 だがその光景すらも、その一滴の憎悪が汚してしまう。

 

 

「そう語る君に、そう嘯く君に、私はこの欠落を指摘しよう」

 

 

 その憎悪が拭えぬ限り、誰もが幸せになる世界など訪れない。

 

 

「君はエリオを救えるかね?」

 

 

 少なくとも、唯一人は確実に不幸となるだろう。救われぬままで居るだろう。

 

 

「彼が幸福になる事を許容できるか? 彼の手を握り返す事が出来るか?」

 

 

 トーマが語る幸福な世界の光景に、あの弱い悪魔の姿はない。それを許容する事が出来ぬから、その願いは狭い。

 

 

「出来ぬ。と返すならば、君の願いの真は異なる。幸福になって欲しいのは万民ではなく、結局己にとって都合の良い人物だけと言う事になる」

 

 

 自分にとっての大切な人達が、幸福な世界に居てくれれば良い。結局の所、其処に帰結する。

 万民が救われる綺麗な世が、そう語っていながらも、その実彼にとっての世界とは未だに狭いのだ。

 

 

「個人の憎悪を捨てられず、その怒りで救うべき他者を餞別する。そんな存在が語る全ての救いなど、正しく笑止。その様な存在が法を流れ出したとして、そこに現れる世界は君が先に否定した歌劇の作者が好き勝手に描いた台本と一体何が変わるだろう?」

 

 

 排他の性質。憎むべき他者の存在により強まった感情。

 父母に、師にそれではいけないと教えられながらも、克服できてはいなかった。

 

 

「何も変わらない」

 

 

 そう何も変わらない。

 

 

「良しにしろ、悪しにしろ、個を特別視する限り其処には恣意が混じる。許せぬ他者が居る限り、全てが救われる世界などあり得ない。君の描く理想郷は、所詮絵に描いた餅に過ぎぬのだよ」

 

 

 憎むべき他者を許せぬと思う限り、彼の語る崇高な理想は陳腐な妄想に堕ちるのだ。

 

 

「……僕の願いは、間違っていると言うのか。アイツを許せないって、そう抱いてしまうのは間違っているのか!」

 

 

 だが、それは必然の感情。

 

 母の形見を壊されて、怒らぬ理由が存在しない。

 助けようとした人を殺されて、許して良い道理などありはしない。

 あそこまで全てを否定されて、憎まずに居るなど人の精神では出来ぬ事だろう。

 

 

「分かってるさ。それが間違いだって、僕が一番分かっている!」

 

 

 許せない。許してはいけない。認めてはいけない。

 

 そんな宿敵への怒りがあるべきと信じた理想を霞ませてしまっている。

 その信じた美しさが、己の弱さで穢れている。そんな事は言われなくても分かっているのだ。

 

 

「アイツが許せない。そんな感情ばかり強くなって、本当に大切な事を直ぐに忘れてしまいそうになる!」

 

 

 分かっていて、それでもどうしようもない。

 

 余りにも大きな負の感情。許容できない程のそれを一度に押し付けられた少年は、それを覆い隠す形で数年を過ごしていた。

 

 手を引いてくれる相棒が居るから、一緒に前に進む事こそ大切だから、一人で何でもしようとするのは違うから、そんな大切な事を忘れぬ為に強すぎる負の念に蓋をしている。

 

 

「強くなりたい。アイツより強くなりたい。強くなって、アイツをぶちのめしたい! ……そんな願いが、間違いだって事は僕にだって分かっているんだ」

 

 

 そんな蓋を暴かれ剥がされた少年は、血を吐くような想いと共に己の胸中を吐露していた。

 

 

「ふむ。これは筋金入りだ」

 

 

 水銀の蛇は、己の感情を間違いだと捉えている少年を見下ろす。その怒りこそが己の願いの欠落なのだと錯覚している少年を憐れむ。

 

 そうではない。彼の願い。その正否などはどうでも良いのだ。欠落は其処にはない。

 

 

「憧れを模倣し、師の語る言葉の綺麗さに心打たれ、そう在ろうとする少年よ」

 

 

 少年は未だ無垢なる子供だ。

 

 

「幸福。驚愕。恐怖。悲嘆。憤怒。嫌悪。陽気。軽蔑。満足。困惑。自尊。安堵。歓喜。そして憧憬。即ち、感情。彼らと共に生きる幸福の中で、君は確かに心を育て上げて来た」

 

 

 内包した神の魂に押し潰されていただけの模倣しかなかった少年は、幸福な日々の中で確かな心を育てて来た。

 

 

「だがそれが足を引いている。渇望を生み出さんとした結果、余りにも急いた行為は君の中にある恐怖と絡み合い逆効果となってしまった」

 

 

 その生まれた心が恐怖している。

 

 

「怖いのであろう? トーマ・ナカジマ」

 

 

 幼い無垢なる子供が、持て余してしまった感情に翻弄されている。

 

 

「己の感情が制御出来ない事が、してはならない事をしそうになる事が、そしてその結果として大切な人々に捨てられてしまうかも知れないと言う事が」

 

「そんな、事はない。……父さんや先生は、そんな人じゃない」

 

「で、あろうな。だが、その事実を君は心の底から信じられていない。……故に感情に蓋をしているのであろう? そう。君自身が彼らの信頼に唾を吐いている」

 

「っ!」

 

 

 歯噛みする無垢なる子供は、その弱虫な一面を曝け出す。

 頭では分かっていても、抱いた情を醜いと思ってしまうから、そんな不安を掻き消せない。

 

 

「恐怖。君は確かに恐怖を抱いているのだ」

 

 

 全てを知る蛇は、その感情をあっさりと暴き切る。

 

 

「大切な人達が大切だからこそ、彼らに答えねばならないと思っている。良い子でいなければ、そんな強迫観念に駆られて、己の抱いてしまった怒りを押し殺している」

 

 

 憧れの人のふりをする。言葉遣いを真似して、彼の語る理想を口にして、そうある姿を見せる事で、褒められようとしている。己の醜悪な一面に蓋をしている。

 

 

「君の語る願いは、故にこそ偽りなのだ。生の感情を否定して蓋をする。生まれ得た願いが望まれている物とは違うから、正しくないと思うから封じ込める。その上に塗りたくった受け売りの願いが、何故に渇望に至ろうか?」

 

 

 それこそが欠落。それが間違い。模倣している事ではない。それは悪ではない。幼子は模倣から己を構築する。ならば彼の反応は自然な事である。

 

 だが、その為に己で己の真なる願望を拒絶している現状は間違いだ。それこそがトーマの欠落なのだ。

 

 

「なら、どうすれば良いんだよ!」

 

「それは、簡単な事だ」

 

 

 どうすれば良いのだ。己を暴かれた少年は激情のままに口を開き、対する蛇は己の掌中で転がる少年に笑って答えを返す。

 

 

「怒り給え、憎み給え、恨み給え」

 

 

 それはとても単純な解答。負の情によって願いを汚す、だからどうしたと言う身勝手な言葉。

 

 

「っ! けど、それは!」

 

「間違いだと語るかね? だが、私にとって君の願いの正否など、どうでも良い些事に過ぎない」

 

 

 その願いが綺麗であれ醜悪であれ、蛇にとってはどちらでも構わない。

 重要なのは彼女の末が途絶えぬ事。あの女神が愛した子らが滅びぬ為に、次代の神が生まれる事こそ必要なのだ。

 その存続が確定するならば、願いの内に生じる多少の差などどうでも良い。故に必要となるのは、超深奥に至れる程の想いの量。

 

 

「重要なのは唯一つ。その願いが真であるか否かと言う一点だ」

 

 

 偽りの想いでは至れない。

 己を誤魔化し続けていては意味がない。

 

 

「故に、己の情を解き放ち、真なる願いを自覚せよ。或いは、その偽りの願いを真にしてみせよ」

 

 

 己の感情に開き直って、薄汚れた願いのままに身勝手な神へと至る。

 或いは怒りを超克する事で、今は偽りに過ぎぬ美しさを真なる輝きへと変化させる。

 

 どちらになるとしても、少年は神に至る。

 

 

「そうでなくば、君は終わる。トーマ・ナカジマと言う個我は消え失せる」

 

 

 どちらにもなれなければ、零れ落ちた欠片に染め上げられる。それこそが、少年が進まねばならない道であった。

 

 

「猶予は余りないぞ」

 

 

 それを今になって指摘するのは、時間が残されていないからだった。

 

 そう。彼は気付いている。

 全てを見通すかの様な蒼き瞳で、水銀の蛇はその事実に気付いている。

 

 

「君は近付き過ぎてしまった。あの悪魔の前に立つ為に、あの魂に近付き過ぎてしまったのだ。あの日より緩やかだが確かな自壊は始まっており、故にこそこうして私が表に出て来たのだ」

 

 

 漸く気付き上げてきたトーマと言う個我には亀裂が走っている。一度砕けた殻は容易くは戻らず、少しずつ広がりを見せている。

 それはどれ程に拒絶しようと、もう避けられぬ一つの結末。

 

 

「君は未だ卵の殻だ。罅割れ崩れ落ち、剥けてしまえば中身が零れる。崩れ落ちた中身に染め上げられたくなければ、その渇望を真なる形にせねばならない。そうなる前に殻が砕ければ、もう君は君では居られなくなるであろう」

 

 

 故にその偽りを指摘する。殻が砕ける日は近い。その時にせめて少しでも抗える様に、解決できるであろう問題を指摘せねばならない。

 

 

「弱虫な子供よ。泣き虫な幼子よ。君は真実、勇気を得ねばならない。踏み出す一歩。進むための一歩。それこそが真なる渇望を得る為には必要なのだ」

 

 

 それは呪いだった。トーマの内面全てを曝け出し、その願いへ楔を打ち込んだ言葉は呪いであった。

 それは祝福であった。トーマが進むべき道。歩むべき道行の一端を示した蛇の言葉は、確かに彼の善意であった。

 

 

「…………」

 

 

 そんな蛇の言葉を受けて、トーマは衝撃と共に黙り込む。

 

 だがそんな彼の反応など知らないとばかりに時間は針を進める。

 時の流れは止められないからこそ、この邂逅に終わりは訪れる。

 

 

「……どうやら目覚めの時が来ているようだ」

 

 

 黄昏の浜辺が揺れる。トーマの目覚めが近付いた事で、この内面世界から意識は弾き出されていく。

 

 少年が感じる情は複雑だ。己の願いを否定し、己の欠陥を晒し、されど確かな道を教え諭したその水銀の蛇。

 どれ程に腹立たしくても、どれ程に苛立つ物言いであろうとも、それが己の為になる助言でもあったから、感謝の念を抱かずには居られない。

 

 

「さあ、目覚め給え」

 

「……アンタは?」

 

「何、消える訳ではない。私は君の内なる世界で、君の瞳を通して、彼女の生んだ世界の果てを見届けよう」

 

 

 蛇は消えない。この邂逅は一時の物ではない。眠ればこの浜辺に到達する。内側に問い掛ければ、彼の気分次第ではあるだろうが多少の会話も可能であろう。

 

 それでも、蛇が残滓ではなくなる事は無い。

 

 この幼子は真実トーマと言う個人となるか、それとも天魔に堕ちるのか。

 そのどちらの結末となったとしても、蛇は生まれし神に喰われて消えるであろう。

 

 乗っ取ろう、等と言う思考はない。既に彼女の亡き今、蛇がそれを選択する理由はない。

 

 

「……さて、そうだな。では始まりの邂逅を記念して、君が問うた疑問に答えよう」

 

 

 そんな蛇は、トーマが先に投げ掛けた言葉に今更な答えを返す。それは彼が投げ掛けた誰何に対する蛇の解答。

 

 

「私の正体。私が何者か。サンジェルマン、パラケルスス、トリスメギストス、カリオストロ、カール・エルンスト・クラフト。どれも皆、私を指す名であるが此処は敢えてこの名を名乗ろう」

 

 

 カリオストロ。カール・クラフト。

 この二つの名は、彼にとってはある意味特別な名だ。

 その名の意味にではなく、その名を呼ぶ者こそ特別であった。

 

 故に少年に名乗るべきは、それではない名前となる。

 彼に呼ばせる名は、愚息が呼んだ神としての名こそ相応しいと言えるであろう。

 

 

「私の名はメルクリウス。嘗て神座世界を支配した、第四の蛇の残滓である」

 

 

 蛇は少年の内心全てを知りながら、その複雑な感謝の情を嗤う。

 既に掠れて消え掛けの残滓は、胡散臭い笑みを張り付けながら語る。

 

 

「それでは、此度の劇を始めよう。筋書もない即興劇。だが演者が至高なれば、歌劇は正しく至高へと至るであろう」

 

 

 嗤いながら語る第四の蛇の声と共に黄昏の浜辺は消え失せ、トーマ・ナカジマは目を開いた。

 

 

 

 

 

 僅かに開いた瞼より入り込む光。自身が横になっていた柔らかな椅子と、同じく椅子に座ってデバイス片手に訓練校時代の友人と連絡を取り合っている相棒の姿。

 

 魔導師昇格試験場の待機室にある椅子で眠っていたトーマは、忘れられない程に濃厚な夢の体験に何とも言えない溜息を吐いた。

 

 目覚めと共に感じるは複雑な感情。感謝の念は残っている。あの胡散臭い影との問答を経て、感じる想いはそれこそ無数に存在している。

 

 だが、その中で最も強く感じる想いは唯一つ。それ以外に言う事などありはしない。

 そして感情のままに動く事こそ正しいとあの蛇が語ったのだから、その想いを此処に示す。まずはこの感情を、此処に形に変えるのだ。

 

 ゆっくりと息を吸うと、トーマは腹の底から声を張り上げた。

 

 

「メルクリウス超ウゼェェェェェェェッ!!」

 

「うっさいわ、馬鹿トーマ!」

 

 

 全霊を込めた叫び声を上げたトーマは、即座にティアナに頭を叩かれたのだった。

 

 

 

 

 

2.

「全く、二人共。試験前なのに気を抜き過ぎじゃないかな?」

 

 

 モニタに映し出された控え室。試験前だと言うのにだらけ切った態度を見せる二人の新米局員の姿に、紫髪の女性が苦笑を零す。

 

 控え室へと今回の試験官が入室した事で慌てて態度を改めているが、緊張している様子は欠片もなかった。

 そんな二人の姿に、何処か退廃的な雰囲気を纏った女はこんな調子で大丈夫なのかと不安を抱く。

 

 

「ま、別に良いんじゃないの? 実力を伴っていれば、ね」

 

 

 そんな風に心配する女に声を掛けるのは、これまた若い女であった。

 流れる様な金糸の髪。端正な顔立ちに凛々しい表情を浮かべた女は、管理局の制服を着ているのも相まってか、何処か軍人然とした風にも見える。

 

 だが、だからと言って堅物と言う訳でもなく、寧ろ真逆。

 紫の女よりも柔軟な対応が出来る女は、実力さえ伴っているならばその余裕も許されるだろうと語った。

 

 

「トーマの実力はアイツの店で何度か見てるけど、ティアナって子はどうかしらね。今回の試験は二人一組だし、足を引っ張られたらヤバいんじゃない」

 

「うーん。どうかなぁ。……私も陸士研修以来あってないし、あの時点のティアナだと正直、ね」

 

 

 試験官と対話をしている少年少女。茶髪の少年は慌てた仕草で、相棒である少女は礼儀正しく対処しながらも何処か太々しく、そんな其々異なる姿を見せている。

 

 そんな三者の遣り取りをモニタ越しに見詰めながら、本当に彼らで大丈夫なのかと二人の女は思考する。

 

 モニタを前に座る紫髪の女性の襟元にある階級章は准尉のそれ。そして傍らに立つ金髪の女性は執務官資格を保持していた。両名共に、ここに居るには相応しくない人物だ。

 

 これより試験場で行われるのは、陸戦魔道士Bランクへの昇格試験。

 本来であればこの場に来る様な立場でない女達が此処に居るのには、当然の如く理由がある。

 

 

「二人とも伸びしろはあるんだろうけど」

 

「ま、無茶な話よね。……エース陣の全力戦闘に際し足手纏いにならないレベルの低ランク魔導師。それも余所の息が掛かっていない新人を見つけて来いなんてね」

 

 

 そう。それこそが彼女達の理由。

 試験会場を歩き回って、行うのはこれはと言う人物のスカウトだ。

 

 未だ収穫はない状態だが。

 

 

「魔導師の保有ランク制限。それさえなければ、もう少し動きようもあったんだけど」

 

 

 そして今回はどうなるであろうか。彼女の推薦とは言え、本当に彼ら二人は目的とする要素を満たせるのであろうか。

 今回も駄目なら面倒になる。女達は溜息を一つ吐いた。

 

 

「んで、肝心のあの子はどうしたのよ」

 

「やる事があるから少し遅れるって、さっき連絡があったよ。先に始めてって」

 

「全く、この子達を正式に勧誘するかどうか決めるのは、あの子の役割でしょうに」

 

 

 彼ら二人を候補として推薦し、そして最終決定権を持つ女はまだ到着していない。開始時間には間に合わないであろう。そんな風に思考する二人の前で。

 

 

「……始まるね」

 

「ええ、お手並み拝見と行きましょうか」

 

 

 魔導師ランク昇格試験は始まった。

 

 

 

 

 二人一組による魔導師ランク昇格試験。

 

 与えられた課題はポイントターゲットを全て破壊し、妨害を回避しながら目標地点へと到達すると言う単純な物。

 

 控え室より試験場へと一歩を踏み出したトーマは、未だ慣れぬ腕の軽さに僅かな不安を抱く。

 

 母の形見は存在しない。

 そのアームドデバイスは壊されて、無価値に燃えて墜ちてしまった。

 

 首から下げられたカメラ型のインテリジェントデバイスを指先で弄る。

 リボルバーナックル以外の武器は使いたくない。だが魔導師としてデバイスは必要だ。そんな彼に送られた新たなデバイス。

 

 師が友人に頼んで設計して貰ったスティードは信頼できる代物だが、トーマの戦闘スタイルとは今一噛み合っていない。

 そもそもこれは戦闘用のアームドデバイスではない。設計段階で撮影・観測に特化して作られている代物である以上、戦闘に使うこと自体がそも間違いだ。

 

 

〈不安ですか? トーマ〉

 

「スティード。……うん。そうだね。一人なら、僕らだけなら、確かに不安だ」

 

 

 まだスティードとトーマは共にあって日が浅い。戦闘に対する不安は確かにあるのだ。

 

 あの日より精神的に脆くなったトーマに与えられた相談役も兼ねたデバイスは、そんな弱さを指摘する。

 そんな指摘を笑って認めて、けれどそれだけではないのだとトーマは自覚している。

 

 

「何、変な顔してんのよ。馬鹿トーマ」

 

「ティア、ちょっと酷くない?」

 

 

 己は一人ではない。傍らで自信たっぷりに笑う相棒が居る。

 

 

「行くわよ、トーマ」

 

「……ああ、行こう。ティア」

 

 

 その事実が心を強くしてくれる。緊張を掻き消して、絶対に大丈夫だと言う安堵を齎す。

 試験直前に眠りこけるような図太さは、そんな信頼する相棒と共に居るからこそ手にした物。

 

 

「スタートまで後僅かとなりました。……ゴール地点にて、再びお会いしましょう」

 

『はいっ!』

 

 

 薄紫色の髪をした女性試験官が折り目正しく言葉を告げ、二人は元気良く返事をする。

 

 これより始まる。魔導師ランク昇格試験。

 怖気付く必要などない。緊張に震える必要はない。

 

 そう。己達は絶対に突破できる。

 魔導師ランク試験など、所詮は先に進む為の踏み台に過ぎないのだ。

 

 

「レディーッ!」

 

「ゴーッ!!」

 

 

 試験官が退出し試験開始の合図が出されると同時に、少年少女は前へと飛び出した。

 

 

「トーマッ! 前方二時の方向!」

 

「了解! 一気に突っ込むっ!」

 

 

 開始と同時に無数に出現するオートスフィア。その影にターゲットを見つけ出したティアナが指示を出し、それに答えたトーマが疾走する。

 

 青き光が降り注ぐ中、加速魔法を展開して直走るトーマ。

 相棒の示した道を信じて走り抜ける少年は、その射撃魔法では止まらない。

 

 

〈トーマ。ティアナより指定されたルートを描写します〉

 

「分かった!」

 

 

 スティードが送られて来た映像をトーマの視界に映し出す。

 

 

「この道を駆け抜けて! 中から打ち破る!!」

 

 

 映し出されたルートを走り抜けるトーマを、量産品の機械は止められない。

 所詮量販品の低火力。当たれど一撃では防御を抜かれる事は無く、ティアナが指示する道筋は最短にして最良のルート。

 守りを抜かれる程の被害を受ける道理など、一体何処に存在しよう。

 

 

「ナックルダスターッ!」

 

 

 駆け抜けた先でターゲットを殴り砕いたトーマ。

 追い抜かれたスフィアは彼の背に目掛けて射撃の雨を降らせるが、トーマは被弾など恐れない。

 

 

「クロスファイア! シュート!」

 

 

 トーマにはその背を守る相棒が居るのだから。

 

 

「ほら、足を止めない! 次行くわよ!」

 

「ティア、撃ち漏らしはどうする?」

 

「放置よ放置! こっちは目標ターゲットを時間内に撃破しないといけないんだから、一々構ってらんないの!」

 

 

 己の魔力総量の低さを自覚しているティアナは、必要最低限の妨害標的のみを撃破してトーマに合流する。

 

 

〈トーマ。前方に新たな標的出現。妨害用オートスフィア。ダミーターゲット。双方多数出現している模様。注意しなさい〉

 

「大盤振る舞いだね」

 

「はっ、上等よ!」

 

 

 背中を合わせて二人は笑う。

 無数の敵。隠れた標的。刻一刻と過ぎ去る制限時間。

 

 その全てが、障害にすら成り得ない。

 

 

「さっさと撃ち抜いて!」

 

「さっさと合格しようか!」

 

 

 背中合わせのままに回転し、互いに砲撃魔法を放つ。

 

 

『ディバインバスター!!』

 

 

 互いに同じ人より教えられた砲撃魔法。

 青と橙。二色の輝きが回る二人に合わせて周囲を薙ぎ払う。

 

 ダミーターゲットを巻き込むことは無い。

 

 カートリッジ抜きでは砲撃も真面に使えない程に魔力が低くとも、制御が得意なティアナがその偽標的の前に障害物となるスフィアを滑り込ませる。

 

 そんな小細工によって不足した火力は、トーマが馬鹿魔力を振り絞って補って見せる。この二人を前に、この程度など障害にすらなりはしない。

 

 

〈お二人共、お見事です〉

 

『当然!』

 

 

 ダミーターゲットだけを残して、敵を殲滅した二人は笑う。

 そう。この程度は出来て当然。自分達ならば、当たり前なのだと笑って見せる。

 

 

「さって、そろそろ大物が出て来る筈だけど」

 

「大型スフィアか、これを抜けるかどうかが境目なんだっけ?」

 

「ま、先輩方の話だとね。……けど、私達なら」

 

「当然、敵じゃない!」

 

 

 彼らの前に現れる最後の妨害。多くの陸士達の道を阻んで来た大型スフィア。それを前にしても、二人が怖気付く事は無い。

 分かっている。知っている。理解している。こんな物で、自分達は倒せない。

 

 

『ターゲット! 全機撃破!!』

 

 

 当たり前の様に接近して、当たり前の様に撃ち抜いて、当たり前の様に勝利する。

 

 

「後は、ゴールへと!」

 

「この道を突っ切るだけで御終いだ!」

 

 

 崩れ落ちる大型スフィアを背に、二人は前へと走り出す。

 最早彼らを止める事など出来ない。歴代最高評価を叩き出しながら、少年少女はゴールを目指す。その歩みは止められない。

 

 

 

 

 

 そう。それが道理ならば、これは如何なる不条理か。

 

 

〈危険! 前方十一時の方向に、高エネルギー反応を確認。……これは、スフィアではありません〉

 

 

 スティードがその危険を宣言するとほぼ同時に、彼らの前に巨大な人工物が現れる。

 

 

「これっ! ガジェット!? 見た事ないわよ、こんな大物!?」

 

 

 それはガジェット。管理局最高の頭脳が、古代のロストロギアを参考に作り上げたとされる管理局の無人兵器。

 だがそれは正規量産型とされるカプセルタイプではなく、航空型である全翼機タイプでもなく、球体形の重装甲タイプでもない。

 

 敢えて言うならば多脚戦車であるⅣ型が近いか、だがそれとも違う。

 

 三つの多目的盾。余りにも巨大に過ぎる二つの砲門。巨大な鉄槌と巨大な剣。

 数多くの武装で飾り立てられた巨大なガジェットドローンは、一目でその凶悪さを分からせる。

 

 

「……これ、見たことある」

 

〈間違いありません。トーマ。これは、マイスターの作り上げた物です〉

 

 

 それをトーマは知っていた。己に処方されている薬を作り、己のデバイス“スティード”を組み上げた人物。

 師の友人である彼の研究所を訪れた際に、確かにこれを見た事があるのだ。

 

 

「ガジェットⅤ型。対エースストライカー向けに開発された殲滅兵器だ!」

 

 

 その表情は、戦慄に染まっていた。

 

 

 

 

 

「これ、どういう事よ!?」

 

「ガジェットⅤ型。……Bランク以下の魔導師にどうこう出来る標的じゃない。いえ、それ以前に歪み者でも真っ向から潰せるゲテモノ兵器! そんな代物が、どうしてこんな所にあるの!?」

 

 

 モニタ越しに映る光景。試験の強制停止ボタンにも反応しない殲滅兵器。

 明らかな異常事態。どう考えても普通じゃない状況に、女達は焦燥を顔に浮かべて思考する。

 

 

「……まさか、誰かの妨害」

 

「だったら!?」

 

 

 だとすれば、直ぐに対処に移らねばならない。

 

 ガジェットドローンⅤ型は歪みを抑える呪印を埋め込んだ特殊装甲によって構築され、高密度な魔力結晶体を動力源にし、AEC武装と言う魔力駆動で動く武装を無数に詰み込んだ怪物兵器。

 高密度AMF領域を発するその兵器は、エースストライカーでさえ考えなしにぶつかれば敗れる代物だ。

 

 

「大丈夫。妨害じゃないから、安心して良いよ」

 

 

 腰を浮かせた二人に声を掛ける人影が姿を現す。

 モニタルームに現れたのは、栗色の髪をした美しい女性。

 

 

「なのは!」

 

「なのはちゃん!」

 

 

 高町なのは一等空尉。管理局が誇る二大英雄の一人が其処に居た。

 

 

「妨害じゃないって、どういう意味!?」

 

「そのままの意味だよ、アリサちゃん。……私がスカリエッティさんに言って用意して貰ったんだ」

 

 

 アリサの詰問に平然と返す。ここにあの怪物兵器があるのは、高町なのはの仕業であった。

 

 

「なのはちゃん。あの子達を潰す気!?」

 

「ううん。違う」

 

「なら、なんで!?」

 

 

 なのはの行為に詰問を向けるすずか。首を振ってそれを否定すると、なのはは己の考えを伝えた。

 

 

「必要だから。この程度の標的に対処出来ないんじゃ、意味がない」

 

 

 そう。必要だった。見極める為に、これから先に付いて来れるかを確認する為に、この程度はして貰わなければ意味がない。

 

 彼女達がこの試験場に居るのは、トーマとティアナが本当に彼女達の求める人材足り得るかを判断する為。

 故にこそ彼らを推薦した高町なのはは、誰もが納得できる形でその価値を示させる為だけにこの怪物兵器を用意した。

 

 

「機動六課は、これから訪れる災厄に備える為の部隊」

 

 

 英雄の下に集った、一騎当千の部隊。一人一人が強大で、いざとなれば彼女らだけで全てを救える。そう思わせるだけの力が必要な部隊。それこそが機動六課。

 

 

「けど、最強の戦力を揃える為に無理をし過ぎた私達は、平時にはその戦力の大半を封じられてしまう」

 

 

 だが、管理局には魔力の保有制限と言う物が存在している。

 戦力の一点集中を抑える為、そんな名目で存在する法規が機動六課の前提となる戦力の集中を否定している。それは政治取引でも緩和するのが限界だった代物だ。

 

 その対処の為の裏技として、彼女達は能力リミッターを付ける事にした。

 平時に能力を制限し、真実有事の際には管理局最高部隊として動ける様に、法の抜け穴をついたのだ。

 

 

「私達が全力で動けるのは、本当に最後の最後、もう後がない状況下での一手になる。それまでは、魔力リミッターを受けずに居られる前線メンバーを主力にしないといけない」

 

 

 それでもそれは裏技だ。そう何度も多用出来る物ではない。

 

 能力制限を解除できるのは後援者二人と、総責任者である一人。三人がそれぞれ一度ずつの権限を持っている。

 現場指揮官にすら自由はなく、故に平時に主力となるのはリミッター制御されていない者らとなる。

 

 

「魔刃を見た。あのエリオ・モンディアルと言う犯罪者。予言が真実なら、それと同等に近い戦力が他にも居る。……なら、中途半端な子は選べないんだ」

 

 

 どんな能力を持とうと、どんな相性を持とうと、地力が足りねばその場で倒れる。

 ならばここで、それを持つと示さねばならない。それに至れないと言うのなら、彼らを六課に招く訳にはいかなくなる。

 

 

「けど、そんなのはこっちの都合じゃないの! あの子達の試験を台無しにして良い理由にはなんないわ!」

 

「台無しにはならないよ」

 

 

 アリサの当然の反発に、なのはが返すは彼女の道理。

 

 彼女は信じている。彼女は知っている。あの二人は高町なのはが推薦した人物だ。ならば彼女はこの二人よりも、あの子供達を知っている。

 

 何よりも、その内の片方は。

 

 

「あの子は、ティアナは私が戦い方を教えたんだよ?」

 

 

 ティアナに戦い方を教えたのは高町なのはだ。

 

 あの日、トーマに向かって手を差し出したティアナ。

 彼女はあれ以来、喫茶桜屋に入り浸るようになり、当然なのはと知り合う機会を得た。

 

 トーマがユーノに師事し能力を高めていく中、ティアナはなのはに師事を受けた。

 コンビネーションを学ぶ傍ら、二人は其々の師の下で地力を高めていたのだ。

 

 

「確かに二人はそれぞれ欠点がある」

 

 

 だから知っている。欠点も今の力量も、その全てを確かになのはは知っている。

 

 

「爆発力はあっても精神的な脆さがあるトーマ。悪く言ってしまえば器用貧乏で地力の不足が目立つティアナ」

 

 

 精神的な脆さと思考の拙さ故に隙が大きいトーマ。

 己の歪みの制御は愚か、未だ任意での発動すら出来ないティアナ。

 

 二人は個々で見れば、正直弱いと断言できる程度だ。

 あのエースストライカー殺しに対抗できる道理はない。

 

 

「あの子達は、一人一人じゃエースには届かない。けどね、二人掛かりなら、どんなエースにだって通用する」

 

 

 だが二人になれば、あの二人は極端に強くなる。

 

 

「あの子達より強いコンビは居る。あの子達より相性の良いコンビは居る。あの子達より連携の巧みなコンビは居る。あの子達より心の通じ合ったコンビは居る。でもね、あの子達より優れたコンビを、私は見た事がない」

 

 

 互いの欠点を補って、互いの長所を伸ばし合って、一人で進むよりも先へ行ける様になる。それこそがトーマとティアナと言う二人の子供だ。

 

 

「だから、必ず乗り越える。そう信じているんだ」

 

 

 故に自信を持って宣言する。必ず対処する。あんな無人兵器になど敗れる道理がないのだと。

 

 

「見てて、アリサちゃん。すずかちゃん。二人の力を」

 

 

 己の教え子達を誇るかの様に、高町なのはは自慢げに口にした。

 

 

 

 

 

「っ!」

 

「ぐあっ!?」

 

〈トーマ!? ティアナ!?〉

 

 

 無数の魔力弾。凶悪なまでのミサイル兵器。高密度なAMF領域下で防御魔法も回避魔法も使用出来ず、周囲を蹂躙する破壊の嵐に二人は飲み込まれる。

 

 

「っっ、何とか」

 

「……平気、よ。直撃は避けたわ」

 

 

 互いに師に仕込まれた体術でギリギリ回避する。直撃でなくとも被害を受けつつ、何とか距離を取ると揃ってその怪物を見上げた。

 

 

「なんで、アレがあるんだよ」

 

「……ふん。理由は知らないけど、試験官が対処に動かない所を見ると、これも試験の内って事でしょ」

 

「Bランクに求める内容じゃないよ! これ」

 

「言っても仕方ないでしょ! 幸い撃破しないといけないターゲットじゃないんだし、時間もないから、ガン無視――」

 

 

 瞬間、襲い掛かる重力場。反重力装置を反転駆動させたその力は、周囲を抑え付けて押し潰す。

 ゴールは敵の背後にある。無策に通り抜けようとすれば、あっさりと潰されるだろう事は明らかであった。

 

 

「……逃がしてくれそうにないね」

 

「ったく、どんだけ多芸よ」

 

 

 重力場を展開したまま、巨大兵器はその砲門を向ける。

 プラズマ砲。レールカノン。複合エネルギー弾。高密度魔力砲撃。雨霰の如くに降り注ぐそれは、生身で防ぐ事も躱す事も敵わない。

 

 非殺傷設定が適応されているとは言え、あれを受ければその瞬間に沈む。

 或いはトーマだけなら多少は持つかも知れないが、ティアナは此処で倒れるだろう。

 

 

「っ! ティア、僕の後ろに!」

 

 

 打つ手などない。このまま倒されるしかない。

 そんな風に歯を食い縛ったまま、盾になろうとするトーマ。

 

 自分が盾となり、耐え切れば二人ともに戦える。

 そんな極小の可能性に賭けようとするトーマに対し。

 

 

「っ! そう。成程ね」

 

「ティア?」

 

「盾になる暇があったら、シールド展開!」

 

「え?」

 

「さっさとする!」

 

「わ、分かった!」

 

 

 ティアナの言葉に駄目元で魔法を展開しようとする。高密度AMF下では不可能だろう。そんなトーマの思考に反して、彼の魔法は効果を発揮した。

 無数の雨霰を膨大な魔力が防ぎ切る。振動する障壁の内側で、トーマは疑問符を浮かべて呟いた。

 

 

「……あれ? 魔法が使える」

 

〈恐らくは無数の魔道兵器が理由かと、魔力炉に悪影響を与える可能性を考慮してAMFを限定使用しているのでしょう〉

 

「そう言う訳よ! 分かったら、さっさと逆撃するわよ。馬鹿共!!」

 

 

 あの兵器の欠点は分かった。所詮は先行量産型の試作品。ならば欠陥は確かに存在している。

 

 

「全力攻撃の瞬間、アレはAMFを喪失する」

 

「なら、その瞬間なら、こっちも魔法が使える!」

 

〈ですが、残り三分四十秒。時間がありませんよ、二人共〉

 

「そんだけあれば十分よ!」

 

 

 道は見えた。あれを乗り越え、己達が勝利する道筋は既に見えている。

 

 

「手段は一つ。全力全開。一気呵成に一点突破。それ以外に、道なんてない!」

 

 

 そう手段は一つだ。敵がこちらに対応する前に、その攻撃の瞬間の隙を突いて逆撃を叩き込む。

 

 

「行けるわね! トーマ! 一回こっきり。道は必ず開くわ! だから、アンタが!」

 

「分かった。任せたよ、だから任せて!」

 

 

 道を開けるのは一度だけ、二度目を行う力はティアナにはない。

 だが相棒は信じた。相棒は信じてと語った。ならば二度目など考えない。

 

 

「残りカートリッジ全部! 序でに残った魔力の全部! 余さず全部持っていけ!」

 

 

 先人の知恵を借りて強化されたアンカーガン。

 最大九つのカートリッジを同時使用できるようになったそれで、己の実力不足を補って見せる。

 

 放つは一つ。師に教えられた切り札。再び降り注いできた鉄火の雨を薙ぎ払う。技巧の極みたる星の一撃。

 

 

「全力全開!」

 

 

 橙色と青色。ティアナとトーマの魔力が其処に集う。綿密な計算によって魔力を収束し、小さな銃口より放たれるのは師匠の切り札。

 

 

「スターライトォォォッ! ブレイカァァァァッ!!」

 

 

 その一撃は破壊の雨を消し飛ばす。腕の痺れ、魔力の全消費。それだけを対価に捧げて、されど怪物兵器は揺るがない。

 

 Sランクオーバーの砲撃ですら、真面な傷が付かない。

 魔法攻撃に対しては極端に強いその装甲は、攻撃特化の歪みでも受けない限りは崩れない。

 

 ティアナの全力では届かない。だが、そんな事は端から分かっている。彼女の役目は、彼が到達する為の道を作る事なのだから。

 

 

〈ウイングロード展開! 行けますよ、トーマ〉

 

 

 道は開いた。空へと届く青い道は、トーマが進む勝利の道筋。

 

 

「僕はまだ迷ってる。弱い自分。悪意に負けそうになる程に、弱虫な自分を嫌ってる」

 

 

 ガジェットⅤ型。その巨大な姿に、余りにも強い姿に、憎むべき宿敵の影を重ねる。

 無人兵器と無価値な悪魔は全く似ていないけど、己より強いと言う在り様だけは似ている。

 

 

「開き直る事が良いなんて思えない。だからって、許せない奴は許せない。割り切る強さも、受け入れる強さも、そのどちらも持てそうにない」

 

 

 青き道を駆けながらトーマは口にする。宿敵の影を見ながら、己の迷いを払う様に内心を言葉に変えていく。

 

 

「けど、この目に焼き付いた光景だけは、その理想の美しさだけは真実だから」

 

 

 接近するトーマに、怪物兵器は重力波を出す事で対処する。だがそれも想定内。その力場に囚われるよりも早く、トーマはガジェットⅤ型よりも高い空を走る。

 

 

「あの人の様に、その想いを信じて、唯一つを貫くんだ!」

 

 

 唯一つの想いを抱えている強い男を知っている。そんな風に成る為に、そんな強さを得る為に、弱虫なままでも拳を握る

 

 

〈敵対象の解析完了! 頭部中枢、其処だけを狙って下さい、トーマ!〉

 

「おぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 

 ガジェットⅤ型の真上にて翼の道を解除する。重力の渦に自ら囚われ、その勢いに身を任せたまま落下する。

 全身から力を抜いて、脱力状態から放たれるのは憧れた人の至高の拳。

 

 

「先生直伝!」

 

 

 ガジェットⅤ型。その装甲故に歪みは通じず、内包する魔力と高密度AMF故に魔法は殆ど通らない。

 

 だが唯一通じる物が一つある。それは純粋な物理攻撃。

 

 鉄を砕く程の拳はいらない。師と違いトーマには其処までできない。

 必要なのは精密機械を狂わせる程度の打撃。此処を打てば壊れると言う機械の弱所を狙い打ち、確かに震わせれば己の勝ちだ。

 

 

「鉄をも砕く! 徹の一撃っ!!」

 

 

 打ち込まれた打撃が機械を揺らす。透の技法を乗せた拳が、確かに内部を破壊する。重力による加速の恩恵を受けた拳撃は、唯振るうより遥かに重い。

 

 

「~っ! 硬っったぁぁぁっ! けど――」

 

 

 鋼鉄を素手で殴った痛みに耐える。エクリプスによって砕けた拳を再生させるトーマの眼前で、巨大兵器は僅かに動きを止めた。

 

 壊れない。エースストライカー殺しの兵器はその程度では壊せない。

 だが、それで十分。元より己達の勝利はコイツの撃破ではなく、ここを抜けて目的地へと到達する事。

 

 

「殴り抜いて! その勢いのまま! ティア!!」

 

「任せる! トーマ!!」

 

 

 殴り抜いた反動で飛び退いたトーマは、近付いて来ていたティアナと合流する。

 彼女より早く動けるトーマが無事な手でティアナを抱き抱える。片手で支え切れず、故にティアナはトーマの首に両手を回して己で己を支え上げる。

 

 そうして再展開した翼の道で空を飛ぶ。

 絶望の如き兵器の真横を擦り抜けて、トーマ達は先へ行く。

 

 

「魔力、ぜんかいいいいいいっ!」

 

 

 加速魔法を全力で行使する。残り時間は一分十七秒。追い付かれる前に、ゴールに辿り着いて見せるのだ。

 

 再起動した兵器が振り返った時には、もうトーマ達はゴールの手前。全てのターゲットを打ち破った以上、最早彼らの勝利は確定だ。

 

 

 

 

 

 無事に着地出来るなら、の話だが。

 

 

「ちょっ!? 速度出過ぎよ!? どうやって止まる気!?」

 

「……あっ!」

 

「っっっ! こんのぉ、馬鹿トォォォマァァァッ!!」

 

「ごめん! ティア!!」

 

 

 逃げる事で頭が一杯になっていたトーマ。

 才能不足と魔力不足により、彼の全速を止める手段がないティアナ。

 

 二人はそのまま地面へと突っ込んでいく。

 

 

『うああああああああっ!?』

 

〈アクティブガード。ホールディングネット〉

 

 

 地面にぶつかる直前に、彼らを受け止める障壁が出現する。

 危うく大怪我を負う所だったトーマ達は、その障壁に受け止められて無事に着地した。

 

 

「っと、あれ?」

 

「スティード?」

 

〈全く、お二人共。それでは画竜点睛を欠くと言う物ですよ〉

 

 

 二人揃ってデバイスを見やる。トーマの魔力を勝手に拝借して防御魔法を生成したスティードは、二人の短慮に溜息を吐くかの様に口にした。

 

 

〈ですが、この試験はお二人だけでなく、私達全員で挑んだ試験。ならば〉

 

「うん。文句なしの合格点だね」

 

『なのはさん!?』

 

 

 試験官を伴って、一人の女が訓練場へと足を踏み入れる。落下しそうになった二人を助ける心算で訓練場へと出て来た女は、不要になった魔力構成を散らしながら思考した。

 

 些か無様が目立った最後だったが、魔導師とデバイスは一心同体。ならば彼のデバイスが語る様に、これは彼らチームの功績とも言えるのだ。

 

 己が助けなくてはいけないなら、及第点と言うレベルに終わっただろう。

 だが、己の助力なく二人と一つのデバイスで成し遂げたのだから、この試験の結果は分かり易い程に明らかだ。

 

 だから高町なのはは、立ち上がって障壁の上から降りて来た少年少女に告げるのだ。

 

 

「おめでとう。二人とも。魔導師ランク昇格試験。無事合格だよ」

 

 

 尊敬する人。厳しい師匠。そんな女性からの褒め言葉に、トーマとティアナは互いに見合って笑みを浮かべる。

 

 

「やったね、ティア!」

 

「当然でしょ、馬鹿トーマ!」

 

『完全勝利!!』

 

 

 パンと互いの手を叩き合って、二人はそんな風に宣言した。

 

 

 

 

 

 高町なのはは、その二人の姿を見て想う。

 

 己の信頼に応えてくれた自身の教え子と、彼の教え子。

 この二人なら機動六課に相応しい。この地の命運を賭ける戦場においても、確かな輝きを魅せてくれる筈だと。

 

 だから――

 

 

「君達に話しがあるんだ」

 

 

 己の都合で試験を歪めた事。一方的な信頼で負担を増やした事。詫びなくてはいけない事は沢山ある。

 

 トーマの向こう見ずな行動。バックスで指示を出さねばならないティアナが、それを抑えられなかった事。教官として教え子に叱責しなければいけない事も沢山ある。

 

 けれど、今は何よりも重要な事があるから。

 

 

「遺失物管理部機動六課。これから新設される新たな部隊」

 

 

 手を差し伸べる。己に憧憬の瞳を向ける子供達へと、御日様の如き笑みを浮かべて手を差し向ける。

 

 

「私は其処のフォアード部隊に、二人を招きたいって考えてる。ううん。違うね。私達には君達二人が必要なんだ」

 

 

 自身が部隊員候補として推薦した二人。保有制限の関係により熟練の局員はもう引き込めず、その部隊の性質上信頼の置けない他者も選べない。

 

 故にこの二人程に、相応しい人材は他にないであろう。

 

 

「決めるのは貴方達。そのまま今の部隊に居ても構わない」

 

 

 後援者の力を借りれば、配属先を変える事など余裕であろう。

 師として命令すれば、二人の子供達を無理矢理に引き込むなど簡単だ。

 

 それでも、その自由意志だけは奪いたくはなかった。この二人を逃せば、相応しい人材に巡り合えなくなるとしても、その選択だけは選べない。

 

 

「けど、その手を伸ばしてくれるなら、絶対に後悔させないって約束する。確かな価値があるんだって、それを示して見せる」

 

 

 だから、真摯に告げるしかない。素直に語るしかない。私には君達が必要だと。

 

 

「だから、一緒に来てくれるかな?」

 

 

 太陽の様な笑顔を浮かべた女が差し出した手の平。

 それを前に、子供達は声を揃えて答えを返す。迷いはなかった。戸惑いはなかった。返事は既に決まっていた。

 

 その道を進む。それ以外の選択肢など要らぬのだ。

 

 

 

 

 

 新暦75年4月。ミッドチルダにて、一つの物語が幕を開ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




推奨BGM
1.Unus Mundus(Dies irae)
2.SECRET AMBITION(魔法少女リリカルなのはStS)


そんな訳でニートがinしました。

今回のニートは黒幕ではありません。完璧にニートです。07年版以上にニートです。
うざいだけで大した事はしてくれません。味方でも敵でもなく、只々うざいだけのニートです。



○おまけ トーマの内面世界の変化。

・魔刃遭遇から一日後:黄昏の浜辺が復活し、女神の残滓が謳い始める。
・魔刃遭遇から一週間:何か浜辺に黒い汚れの様な物が見え始める。気のせいかと判断。
・魔刃遭遇から一月後:黒い点が人型になってる。ニートらしきもの復活。
・魔刃遭遇から二月後:ニート。女神の残滓ウォッチングを始める。
・魔刃遭遇から三月後:ニート。喜びの余りニートダンスを踊り始める。
・魔刃遭遇から三年後:ニート。漸く女神の残滓ウォッチングを終える。三年と言う月日も、彼にとっては“暫し”の時間でしかなかった模様。






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第二話 機動六課始動

当作のるーるーはvivid仕様。

真面目に考察すると、環境的にそうなるしかなかった。


1.

 ミッドチルダ中央区。湾岸地区南駐屯地内A73区画。

 古い建造物をそのまま運用した中央隊舎と、宿舎を始めとする複数の付随施設。

 海上に突き出た訓練施設区画も含めると、この場所は非常に大きな敷地面積を誇っている。

 

 A73区画。その全域を利用して再構築された巨大な施設は、他の部隊が所有する隊舎は愚か、管理局地上本部と見比べても見劣りしない程に大きい。

 

 

「……困ったね。フリード」

 

「キュクルー」

 

 

 そんな施設の中枢に位置する隊舎内を、一人の少女と小さな飛龍がふらふらと彷徨い歩いていた。

 

 桃色の髪をした可愛らしい幼子。不安で表情を歪める子供は、その見た目に似合わぬカーキ色の服を着込んでいる。

 それは管理局陸士部隊に支給される制服。白い一匹の飛龍と歩く少女は、年若いが確かに管理局の一員だった。

 

 そんな彼女が、こうして隊舎内で何をしているのかと言えば。

 

 

「此処、何処だろ?」

 

 

 余りにも広すぎる隊舎の中で、至極当然の如く道に迷っていたのだった。

 

 

「はぁ」

 

 

 少女。キャロ・グランガイツは溜息を零す。

 

 道を聞こうにも、聞けそうな人は周囲にはいない。本日の午後より正式に運用が開始される機動六課。まだ朝も早い時間とは言え正式運用を間近に控えた今、数少ない人達は忙しなく行き来している。

 

 元より引っ込み思案な性格も相まってか、忙しそうな人達に向かって、キャロはどうしても問いを投げ掛ける事が出来ないで居た。

 故に一人でどうにかしようと奮起して、結局空回っている。そんな自分の無様さに落ち込んで、それでも変われぬ在り様に更に暗く沈んでいく。

 

 キャロ・グランガイツとは、そんな少女であった。

 

 

「……機動、六課か」

 

 

 鬱々とした思考で、吐露するは己の不安。

 無意味と分かっていても、一人になると悩んでしまう。

 

 治したいと思って、それでも治せぬ彼女の悪癖。

 

 

「凄い人、ばっかりなんだろうなぁ」

 

 

 己の小さな手を見上げる。

 

 槍を振るう練習でタコが出来た掌。

 小さいのに柔らかくないその手は、重ねた訓練の象徴。

 

 何時もならば勇気を与えてくれるその掌も、今は何処か力なく感じられる。

 

 

「やっていけるのかな、私」

 

 

 エース達が集う精鋭部隊。その特殊性は知っている。

 そして、キャロ本人にその部隊へとお呼びが掛かる程の実力がない事も知っている。

 

 そんな彼女が此処に居るのは、父の関係が故であろう。そんな自覚がある少女は、自分でもナイーブになっていると思考しながらも溢れる溜息を止められそうにはなかった。

 

 

「あれ?」

 

 

 ふと、そんなキャロは道行の先に一つの影を見つける。

 

 

「青い、子犬さん?」

 

 

 その青い影は小さな子犬であった。

 

 何故、そんな動物がこの隊舎に居るのか、そう首を捻る少女の視線の先で子犬は背中を見せる。

 背中を向けながら、チラチラと視線を向ける子犬。何も語る事はないが、その仕草で何かを伝えようとしていた。

 

 

「付いて来て、って言ってるのかな?」

 

 

 そう呟いたキャロの言葉に、ワンと一声鳴いて首を大きく上下に振る。

 我が意を得たりと言わんばかりの仕草を見せた犬はキャロに背を向けたまま、ゆっくりとした動作で歩き出した。

 

 

「あ、待って!」

 

 

 追いかける。置いて行かれない様に追い掛ける。そうするのが、何故だか正答だと思えた。

 

 隊舎の中を犬と少女は突き進む。歩幅の短い少女と小さな飛龍は置いて行かれそうになりながらも、右に左にと隊舎内を走り抜ける。

 

 まるで子犬はキャロの歩みに合わせるかの様に、彼女が足を止める度に歩を止めてキャロを待つ。

 

 見失う事は無い様に、されど近付き過ぎる事はない様に、そんな犬の導きに従って前へと進み続けたキャロは其処に辿り着いた。

 

 

 

 A73 基地総合受付。エントランスホールの中央こそは、彼女が最初に立ち入った中央隊舎の入口区画。

 

 

「キャロ! フリード! もうっ、何処に行ってたのよ!?」

 

「あ、るーちゃん!」

 

「キュクルー!」

 

 

 其処で見知った顔の少女が、キャロに向かって声を掛けた。

 紫の髪の少女。キャロと同じく十歳前後の幼子は、これまた同じくカーキ色の制服に身を包み、腰に手を当てたまま小言を口にする。

 

 

「もうすぐ集合時間だよ! もう、遅れるんじゃないかって心配したんだからね」

 

「ごめんね。トイレに行ったら、道に迷っちゃって」

 

 

 彼女の名はルーテシア・グランガイツ。キャロと同じ父母の元に育った、彼女の姉妹とでも言うべき家族である。

 

 如何にも怒っていますと言わんばかりの幼子に、キャロは頭を下げて謝罪する。

 極度の緊張から尿意を催した少女は、我慢できなくなった為に道も分からぬ隊舎内を一人で進み、その結果として迷子になっていたのだった。

 

 

「一人で行けないなら、ちゃんと言ってよね」

 

「……ごめんね。るーちゃん」

 

「キュクルー」

 

 

 ガチガチに緊張している姉妹の様子を間近で見て知っているルーテシアは、仕方がないと口を開いてキャロの謝罪を受け入れる。

 そんな姉妹の様子に情けなさを感じつつも、頭を上げたキャロは自分を案内してくれた青い子犬に感謝を述べようと周囲を見回した。

 

 

「あれ? 居ない」

 

 

 だが、どこを見てもその青い犬の姿は、影も形も存在してはいなかった。

 

 

「何探してるの?」

 

「え、えっと子犬さん。迷子になってた所を、道案内してくれたんだけど」

 

「ふーん」

 

 

 青い犬が居ない事に、キャロはまた落ち込んでしまう。

 己は手助けしてくれた相手に礼を言う事すら出来ないのか、と無意味に落ち込んで鬱屈してしまう。

 

 普段はこれ程でもないのだが、如何にも緊張や不安が強くなり過ぎている様だ。

 一度ドツボに嵌れば中々抜け出せない。そんな己の未熟さに、キャロは涙を零したくなった。

 

 

「……えいっ!」

 

「ふぇ? はひふふほ、ふーひゃん!?」

 

 

 そんな姉妹の様子に、気付けぬ紫髪の少女ではない。

 ぐにーと少女の頬を掴んで左右に引き伸ばすと、慌てるキャロを見て笑みを浮かべた。

 

 

「あはは、キャロってば変な顔!」

 

「っ! もう! るーちゃん!」

 

 

 ルーテシアが手を離すと同時に、膨れっ面をキャロは見せる。

 その表情は分かり易い程に分かり易く、故にルーテシアは笑いながら軽く謝罪を口にした。

 

 

「ごめんごめん。……けど、ちょっとは緊張も解れたでしょ?」

 

「あ、うん」

 

 

 その言葉に彼女が何を狙っていたかを悟る。

 最初からさして強くはない苛立ちの念は、あっさりと霧散した。

 

 

「……分かっちゃうんだね」

 

「私、お姉ちゃんだもん。当然よ」

 

「……むー。私の方が誕生日先なのに」

 

「ふっ、年齢じゃなく、滲み出る風格とか威光とか、全てが私の方が姉だと主張している」

 

 

 この自称姉は何時もそうだ。何時でも変わらず、高みを見過ぎて鬱屈としてしまう自分の悩みを笑い飛ばして行く。

 

 

「そんな訳で不安とかあるなら、お姉ちゃんに相談してみると良いよ。ハリィハリィ」

 

「はぁ。何か、るーちゃんは本当にるーちゃんだね」

 

「その反応は解せない」

 

 

 自分と違う。こんな状況でも芯がぶれていない紫の少女。

 無い胸を自慢げに張る彼女の姿に、キャロは羨ましさを抱きながらも、何処か気が楽になる気持ちも感じていた。

 

 

「ちょっと不安になってたんだ。この先やっていけるのかな、て」

 

 

 だから口にする。己の不安を。彼女なら、それすらも笑い飛ばすのであろうと期待して。

 

 

「機動六課。管理局でも凄い人達が集まる精鋭部隊。……私が其処に居るのは、間違いなく唯の数合わせ」

 

 

 それは自己評価の低さから生じる不安。年齢を思えば優れているにも程がある少女は、されど周囲への劣等感から自信を抱けない。

 

 否、自信はある。キャロが考える、己に見合ったレベルの自信ならばある。

 だが、自分で信じられる自分の力量が、エース陣に混じっても足手纏いにならざるに居られるのか、と考えれば首を捻らずには居られないのだ。

 

 

「槍はお父さんには全然勝てないし、召喚もお母さんやるーちゃんに届かないし、何やっても駄目だからって」

 

「うん。そうだね!」

 

「即答された!?」

 

 

 そんな不安を零す少女に返されるのは、姉を自称する少女の容赦ない言葉。

 

 

「キャロがお父さんに勝てないのは事実だし、私の方が強いのも事実。これは論破不能」

 

「うぅぅぅぅ」

 

「けど、キャロは上見過ぎだよ。お父さんに勝てないのは当然だし、召喚メインで勉強してる私と、槍の扱いも一緒に学んでいるキャロじゃ差が出て当然でしょ? 寧ろこれで追い抜かれたら私が泣く」

 

 

 それは何処までも容赦のない言葉。だからこそ、過小も過大も混じらない確かな事実だ。

 

 

「だから、私達に勝てないからって、キャロが弱い訳じゃない。総合的な能力なら私より高いし、ガリューと接近戦出来るキャロと一対一で殴り合ったら、私なんて秒殺だよ?」

 

 

 自信を持って良い筈だ。あの厳格な父が、あれで子煩悩な父が、数合わせと言う理由だけで自分達を危険な部隊へと配属させる筈がない。ならば其処には、確かな理由がある筈なのだ。

 

 

「私達二人は、両方とも人数合わせに過ぎないかも知れない。……けど、それでも六課に招かれた理由はあるんだと思う。選別をしていない訳がない。だから、将来性は十分なんだよ」

 

「そう、かな?」

 

 

 少女。ルーテシア・グランガイツはそう判断した。

 

 足手纏いにならない程度の実力と将来性。そして身内故の信頼。そう言った全ての要素が条件内に収まっていたからこそ、自分達は機動六課に招かれたのだろうと。

 

 

「……キャロの肉体面での将来性は微妙だけど」

 

「なんでそう言う事言うの!?」

 

 

 故に怯える必要はない。不安を抱く必要もない。

 唯未来を信じて、全力で進めば良いのだと知っている。

 

 

「血筋、じゃないかな?」

 

「るーちゃん適当に言ってるよね! 絶対!」

 

 

 故に臆病な妹の不安を跳ね飛ばす為に、健気な姉は道化の如くに振る舞うのだ。

 

 

「だからキャロは、実力不足を不安に思うより、どんな人が仲間になるかを不安に思うべきね。“まったく、小学生は最高だぜ”とか言い出す変態が居たらどうするのよ!」

 

「るーちゃん!? 問題は其処なの!? そんな管理局員居る筈ないよ!!」

 

 

 ニヤニヤと笑う自称姉の発言に、息を荒げながらツッコミを入れる他称妹。

 

 実際、局員になる際には心理テストと言う形で軽い診断が行われる。

 故にそんな異常性癖者が居る筈がないと知っていて、知っているからこそ冗談の如くに口に出来るのだ。

 

 

 

 そんな風に騒ぎ立てる子供達の前で、エントランスのガラス戸が開く。

 其処より入って来たのは、キャロ達と同じく陸士部隊の制服に身を包んだ二人組。

 

 

「此処が中央隊舎ね」

 

「時間ギリギリ、だね。……間に合って良かったぁ」

 

「馬鹿トーマが寝坊した所為よ」

 

「仕方ないじゃないか、昨晩はクラナガンTVで“オールナイト☆シュピ虫”が生放送されてたんだから!」

 

「……大事な式典の前日に何してんのよ、アンタは」

 

 

 茶髪の少年と橙色の少女。軽口を交わしながら進む彼らは、自分達に向けられる視線に気付いて少女達を見た。

 

 

「あれ? 何でこんな所に子供が?」

 

 

 首を捻るトーマに対して、少女達の服装から立ち位置を何となく把握したティアナは無言。

 そんな我関せずな相棒の態度とは正反対に、少年は子供達を怯えさせない様に人の好い笑みを浮かべて近付くと、膝を折って視線を合わせた。

 

 

「ねぇ、君達どうしたの?」

 

 

 如何にもお人好しな対応。悪意のない笑みに対して、ルーテシアはニヤリと笑う。

 不安や緊張を道化芝居でうやむやにされつつある己の妹。その不安を完全に消し去る為に、このお人好しは利用できそうだ、と。

 

 傍らの少女との対話から、同好の士である事は分かっている。

 弄られ芸に見慣れ一見してお人好しと分かる彼ならばノリも良い筈だと判断すると、ルーテシアは事案物の台詞を口にした。

 

 

「あ、“まったく、小学生は最高だぜ”とか言いそうな人だ」

 

「ちょっ、初対面なのに行き成り風評被害が酷過ぎる!?」

 

「る、るーちゃん!? ご、ごめんなさいっ! 家のるーちゃんが!」

 

 

 ニヤニヤ笑う小悪魔に対し、内面世界に居る変態(メルクリウス)の臭いが漏れているのではと動揺するトーマ。

 そんな姉の非礼に頭を下げたキャロは、咎める様な視線をルーテシアへと向ける。

 

 

「失礼は承知している。だが私は謝らない」

 

「るーちゃん!!」

 

「実際、年上より年下派でしょ? 名も知らぬお兄さん」

 

 

 妹に叱られるその少女が流し目で送るサイン。それに気付いたトーマは、何でこの娘が行き成りこんな事を言ったのかに気付く。

 

 

「……」

 

 

 一見して大人しそうに見える桃色の少女が叱り付ける姿。

 彼女達に近付く途中で見て取れた少女の不安や緊張。

 

 この道化の如き対応も、それを取り除こうとする健気な姉の行動とするならば――

 

 

(これはオールナイト☆シュピ虫で出て来た弄り芸!? 何の脈絡もない第三者が、唐突にシュピ虫さんをディスる展開と同じ!!)

 

 

 視線が交差する。

 

 貴様見ているな! 貴様こそ!

 

 そんな対話を視線だけで遣り取りして、同好の士は確かな絆を其処に見た。

 そしてこの視線は、同士が仲間に助けを求める物。幼子の失礼など笑い飛ばす様なノリの良さを己に求められているのだと理解した。

 

 だとすれば、己の行動は決まっている。

 昨夜も画面の中に映っていた偉大な背中が語っている。

 一瞬のアイコンタクトでその気持ちが真なのだと理解する。

 

 助けを求める紫の少女の想いに比べれば、己の矜持などに一体どれ程の価値があろう。

 自らが道化となる覚悟を決めたトーマは、昨夜の芸人同様ににこやかに笑って口にするのである。

 

 

「うん。まったく、小学生は最高だね!」

 

『うわっ』

 

〈トーマ。それはないです〉

 

「ちょっ、全員に引かれた!? しかもスティードまで!?」

 

 

 ニヤニヤ笑う小悪魔のフォローは其処にない。熱い梯子外しだけが其処にある。

 テレビのお笑い番組の如き展開にはならず、トーマは汚物を見るような視線を浴びる結果に終わった。

 

 

「違うから! 僕の中じゃ、単に成人女性への恐怖が染み付いてるとか、そんなノリだから!」

 

「……トーマの変態発言は置いておくとして」

 

「ちょ!?」

 

「名乗りくらいしましょう。アンタ達も、此処に居るからには機動六課の関係者なんでしょ?」

 

「え、そうなの!?」

 

「トーマうっさい。少し黙れ」

 

 

 相棒の冷たい対応にしょんぼりとするトーマ。そんな彼の肩を、諸悪の根源(ルーテシア)がよく頑張ったとニヤニヤした笑みを堪えながら軽く叩いている。

 

 初対面とは思えない程に気安くなった両名の姿に溜息を吐いてから、今後関わりが深くなるであろう二者に向かってティアナは軽く自己紹介を行うのであった。

 

 

「私はティアナ・L・ハラオウン。十六歳。階級は二等陸士で、機動六課のフォアード部隊の一つ、スターズ分隊への配属が決まってるわ。んで、こっちの変態が」

 

「……変態じゃないよ。ノリに合わせただけじゃないか」

 

「さっさと名乗れ、馬鹿トーマ」

 

「はぁ。……僕はトーマ・ナカジマ。年齢はティアと同じく十六歳。階級も一緒で、所属予定部隊も同じくスターズ。……恋愛するなら同い年くらいの子が良いと思います」

 

 

 もう年下も年上も信じられない。そんな遠い目をして語る少年。

 

 

――否、断じて否。発育の良い肉体に、赤子の如き無垢なる精神。その相反する矛盾が生み出す調和こそが至高。金髪ならば尚良しと言えよう。

 

ガチの変態(メルクリウス)はちょっと黙ってろ)

 

 

 ささくれだった感情のままに、内面で何やら煩く囀っている残滓の言葉を否定する。

 

 普段は呼び掛けても何も反応しない癖に、こんな必要ない時に限って内面世界で女神の良さとやらを語り出す変態。

 そんな残滓は放置して、トーマは続く子供達の自己紹介へと意識を集中させた。

 

 

「えっと、キャロ・グランガイツ。十歳です。三等陸士で、配属先はバーニング分隊の予定で、えっと、これから宜しくお願いします」

 

「ルーテシア・グランガイツ。以下同文。宜しくね、特に面白いお兄さん!」

 

 

 慣れない人相手に口を開くキャロと、楽しい玩具を見つけたと言う笑みを浮かべるルーテシア。少女の表情からは、緊張や不安と言う色は消えていた。

 

 

 

 そうして互いの素性を知った彼らは暫し談笑する。

 同じ部隊に配属されると言う事もあって、集合の時間まで親交を深めようと言葉を交わすのであった。

 

 

「えっと、キャロちゃん、だっけ? 二人共同姓って事は、二人は姉妹なの?」

 

「えっと、るーちゃんのお母さんと、私のお父さんが結婚したから」

 

「成程ね。……あと、もうちょっと近付いてくれても良いんじゃないかな? 割りと僕泣きそうなんだけど」

 

「……襲いませんか?」

 

「絶対にしないよっ!? ってか、どんな人間に見られてるのさ!?」

 

 

 トーマとキャロ。無垢なる子供同士はそんな言葉を交わし合う。

 

 

「……こんな子供が、機動六課ね」

 

「不満なの?」

 

「ええ、隠さずに言うなら、確かに不満よ。子供と一緒かってね。……何か言い分でもあるかしら?」

 

「正直な点は好感持てるわ。けど、甘く見過ぎよ。私もキャロも足手纏いにはならないって断言してあげる!」

 

「そう。なら期待させて貰うわ」

 

 

 ティアナとルーテシア。何処か挑発的な両名は、互いを計るかの如くに視線を交差させる。

 今後同じ部隊で行動を共にするであろう四人の出会いは、概ね悪くはない物であったと言えるであろう。

 

 

 

 

 

 そうして数分。互いに話題を変え、相手を変え、会話を続けていると一人の女性がやって来た。

 

 

「どうやら、全員揃っているようですね」

 

 

 薄紫の髪に陸士部隊の制服を着た女性。集合時間ぴったりに来た彼女こそが、これより少年少女らを案内する監督官。

 

 

「試験官の人?」

 

「いいえ、データに存在していません。私と貴方は初対面です。同型機の誰かと見間違えたのではないでしょうか?」

 

 

 魔導師ランク昇格試験の試験官と瓜二つな容姿にトーマが疑問を口にする。それに返るは女性の否定。

 

 同型機。その言葉に、ティアナは視線を鋭くして呟いた。

 

 

「……戦闘機人、ね」

 

 

 量産された兵士。機械仕掛けの乙女達。彼女がそうであるのだと理解したティアナは、推し量る様に不躾な視線を向ける。

 

 

「本日、皆様方の研修教官を任命されました。ウーノ・ディチャンノーヴェと申します」

 

 

 そんな視線にすら反応せずに、機械の如き冷たい仕草でウーノは言葉を口にするのであった。

 

 

 

 

 

2.

 赤と翠。空にはその二色が存在していた。

 神秘的な翠色の輝きが空より大地の赤を吹き飛ばし、炎の如き色が燃え上がりながら翠の空を浸食する。

 

 その光景を生み出しているのは二人の女。たった二人の人物が、湾岸区画に作られた訓練設備を二色の色で染め上げていた。

 

 

「はぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 その赤き主は金髪の女。カーキ色の制服の上から赤きバリアジャケットを展開している女は、その表情を凛と研ぎ澄ませ、爆発する空気を足場に跳躍を続ける。

 

 炎の光剣を振り回しながら飛翔する女。

 その背後より絶えず放たれ続けるは、無数の銃火器。

 

 形成された質量兵器と高威力の魔法。

 その二つを織り交ぜての近距離戦こそ女にとって、己の土俵。

 故あって遠距離砲撃を使えぬ現状、彼女の勝機は突破の先にこそ存在している。

 

 

「アリサちゃん! 火力だけじゃ届かせないよ!」

 

 

 対する栗毛の女は、徹底した中遠距離のスペシャリスト。

 杖を振る度に生まれる無数の誘導弾も、所詮は手札の一つに過ぎない。

 

 拘束魔法。防御魔法。移動魔法。幻術魔法に補助魔法。

 種々様々な魔法を使い熟すは彼女の技量。無数に展開されたマルチタスクは、最早予知に近い未来を彼女に示す。

 

 圧倒的な火力と地力の高さと言う最大の武器を失った女は、それを補う為にこそあらゆる分野に手を伸ばした。

 

 愛しい男と己の資質。混ざり合った魔力資質は、如何なる魔法行使すらも可能としている。

 

 故にこそ至高の魔導師。魔法と言う分野において、彼女の前を行く者はおろか、横に並ぶ者すらいない。

 

 空と言う場は彼女の独壇場。晴天の下、黄金の杖を握る女は崩せない。

 圧倒的な力は要らない。圧倒的な物量など必要ない。そんな物などなくとも、相手を崩すには十分過ぎる。

 

 先の一手を、その次の一手を、全てを見通す演算が齎すは詰将棋の如き戦場だ。既に女の勝利は決まっている。

 数百を超えるパターンを脳内に構築している栗毛の女は、勝利への道筋に入ったと確信していた。

 

 

「舐めてくれるじゃないの! なのはっ!」

 

「舐めてない! その結末は、もう見えてる!」

 

「それを、舐めてるって言った!!」

 

 

 だが、その確信を上回る。類稀なる演算能力など持たない女は、何処までも愚直に突き進む。

 

 

「アンタの予測を超える! この私の、力付くで!」

 

「っ、()()()()()()()()()()!?」

 

 

 当たる筈の砲撃。受けて必然の被害。それすら無視して、一秒先よりも強くなっている金髪の女は爆発を背に飛翔する。

 相手が己の全てを予測し切るなら、その予測を超え続けるしかない。そんな考えなしの力技。

 

 頭の出来は悪くなくとも、直情的な性格が罠や奇策の類を否定する。そんな女に出来る事など、元より火力任せの一点突破だけしかない。

 

 

「それしか知らないし、それしか出来ない!」

 

「けど、再演算すれば良い。同じ事の繰り返しだけでっ!」

 

 

 されど栗毛の女も負けてはいない。負けられない理由がある。情深きこの女は、今の己の力は彼の資質あっての物だと捉えている。

 そう。圧倒的な魔力を失くした彼女の戦法を支える頭脳の強さとは、即ちあの月の如き青年が持ち続けた戦闘法。

 

 同じ戦い方をしている。同じ強さを持っている。ならば、女の敗北とは即ち男の強さの否定につながる。

 故に負けない。負けたくない。彼の頭脳を、こんな単純な方法で乗り越えさせなどしないのだ。

 

 

「元より、不器用なのよ! だから、愚直に突破する!!」

 

「させない! そんな火力だけの攻撃で、彼の頭脳は超えさせない!!」

 

 

 杖と剣が激突する。瞬間生じた衝撃に、海上を埋め立てて作られた訓練施設は大きく揺れた。

 

 

 

 決着は付かない。衝突の反動で距離を取った二人の戦いは、未だ決着するには遠い。

 

 

 

 

 

「あれが、管理局のエースストライカーの全力」

 

 

 そう呟いたのは、果たして誰であったか。

 目の前で展開される光景。それに圧倒される新人達は、進む道の先に居る先駆者達の実力をその瞳に焼き付ける。

 

 

「いいえ、違いますよ。……あれは彼女らの全力ではありません」

 

『え?』

 

 

 そんな子供達を案内していた女は、そんな彼らの理解の範疇にない言葉を口にした。

 

 

「それって、どういう?」

 

「……私が説明するよりも、相応しい方が居ますので」

 

 

 そんな当然の疑問にウーノは冷静に返すと、訓練施設に併設されたモニタールームへと歩を進める。

 残された四人は空中での激戦を見届けられない事に心残りしつつ、薄紫髪の女に置いて行かれない様に慌ててその背を追った。

 

 ウーノが四人を連れ歩く理由。彼らが集められたのは、結成の挨拶と式典を前に隊舎の内情を知る為。もっと分かり易く言えば、施設見学の為である。

 

 今後深く関わる事になるであろう施設。部隊員として知っておかなければいけない知識。そうした物を教わる為の事前研修。

 その教員役を与えられたのが、ウーノ・ディチャンノーヴェである。

 

 〇八〇〇:エントランスに集合。

 〇八一五:ロビーにて研修映像を元にした筆記学習を開始。

 一〇三〇:筆記学習終了後、施設案内開始。

 一二〇〇:食事休憩。

 一三〇〇:部隊結成式典開始。

 

 それが本日の予定表であった。

 その決まり事の通りに彼らに必要最低限の講義を行った後、ウーノはこうして四人を訓練施設へと連れ出した。

 

 この場所を選んだ理由は複数ある。部隊長の執務室や作戦司令部などは、現在式典準備に忙しく新人に対処する余裕はない。

 

 どの道全てを回る時間もないのだ。必然、選ぶ場所は今後深く関わる場所。

 ヘリポート。部隊員用の寮に、食堂。娯楽施設や休憩用の設備等。中でも最初に選んだのはこの場所だった。

 

 訓練場と言う、今後彼らが多くの時間を過ごす事になる場所。

 配属分隊の分隊長が現在使用中のこの場所こそ、短い時間で見せておくべき場所だと判断したのである。

 

 

「失礼します」

 

『失礼します!』

 

 

 モニタールームの扉が開き、ウーノが一礼して中へと進む。

 続く四人もその姿に倣って、軽く礼をした後にその背を追った。

 

 中にはキーボードを叩く三人の人影。茶髪の女と紫色の髪をした女は、五人の入室にも気付かずにデータの処理を行いながら会話を交わしていた。

 

 

「……うーん。二人とも、完全に目的忘れてるね」

 

「これ、どうするんですか!? 出力リミッターが掛かっている状態でのデータ取りが主目的な簡易模擬戦なのに、これじゃシミュレーターへの被害が!」

 

「うん。どうしようか?」

 

「すずかさん!? 止められないんですか!!」

 

「なのはちゃんもアリサちゃんも、私より強いからね。……正直、一人じゃ無理かな。少なくとも、ゼスト副指令の応援がないと」

 

「副指令が来る時間って、式典三十分前じゃないですか! それから施設の調整するんですか!? 間に合わなくはないですけど、技術班への負担が酷くなりますよぉ!」

 

「……シャーリー。頑張って」

 

「そんな、すずかさんは!?」

 

「私、医療班の班長だから」

 

「デバイスマイスター資格もあるんですし、手伝ってくださいよ! 私一人じゃ、うちの班長も御せないんですから!」

 

 

 喧々囂々と語り合う二人の女。茶髪に丸眼鏡と言う野暮な格好ながらも見目の良い女と、陸士制服がまるで社交界のドレスの様に見えてしまっている魔性の女。

 

 技術班の副主任であるシャリオ・フィニーノと医療班の主任である月村すずかは、モニタ越しに映る戦闘を眺めながら、そんな会話をしていた。

 

 

 

 そしてもう一人。残る一人は二人の系統違いな美女に囲まれていながら、一心不乱にタイピングを続ける男。

 皺だらけの白衣を纏った紫髪の人物こそが、シャリオと言う才児を差し置いて技術班の主任となった人物。

 

 

「ふむ。ふむふむふむ。これは素晴らしい! リミッターによって、本来の出力の七十パーセントにまで最大出力が落ちていると言うのに、己の異能さえ満足に放てぬ現状だと言うのに圧倒的な馬力を見せるアリサ・バニングス! そしてそのアリサを先読みと魔法の技術だけで完全に圧倒している高町なのは! 現状は六対四で高町なのは優位と言う所だが、確率はあくまで目安。基礎性能の差は純然たる戦力差を生み出す程ではなく、故に其処には策略と言う要素が重要となる! 即ち、どちらが勝つか私にも読めないと言う事であり、故にこの対戦は実に興味深い。そもそも――」

 

「ドクター。楽しんでいる所、申し訳ありませんが。この子らに分かり易く現状の戦闘に簡略な説明をお願いします」

 

「――おや?」

 

 

 振り返った白衣の人物を、新人の一人は知っていた。

 

 

「やあ、久し振りな子と、久し振りではなく初対面な子供達。ウーノが連れて来たと言う事は、研修の途中と言う形かな?」

 

 

 知らぬ三人も、早口で捲し立てる壮絶な顔をした男を見れば、一目で彼が変人であると理解が出来た。

 

 男は顔の筋肉が引き攣っているんじゃないかと疑問に思う程に、その端正な顔を崩した笑みで、ニヤリと笑いながら己の名を叫ぶ。

 

 

「私の名は、ドォクタァァァァッ! ジェェェェイィィルゥッスカリエェェェティッ!! 管理局の技術顧問兼、ロングアーチ技術班所属の技術主任さぁぁぁぁっ!」

 

「スカさん!」

 

〈マイスター!〉

 

『……うわぁ』

 

 

 何処か嬉しそうに声を弾ませるトーマとスティード。

 そんな一人と一機とは対象的に、余りにも濃すぎるその人物を見た三人の少女達はあからさまに嫌そうな顔をしていた。

 

 

「ハハハハハハッ! あからさまに嫌そうな顔をされてしまったねぇ! 相変わらず、冷たい目で見られてしまう! 無条件で信頼してくれる者など、我が友であるユーノとその弟子のトーマ君くらいだよ!」

 

「無理もないんじゃないですか?」

 

「残念でもなく、当然の結果だと思うけど」

 

「寧ろドクターは、友人が一人でもいらっしゃる幸運に感謝すべきかと」

 

「何だか女性陣の評価が酷過ぎるんだが、これは一体どういう事かね!?」

 

 

 シャリオ。すずか。ウーノ。三人の女性から相次ぐ声に、笑いながらスカリエッティは疑問を吐露する。

 

 その答えの理由が分からぬ事こそ、この男のこの男たる所以であろうか。

 唯一人の少年を除いてそれを察した新人達は、苦労をしているであろう先達に同情の混じった視線を向けていた。

 

 

「いいからドクター。時間も押しているので、早く簡略な説明を」

 

 

 冷たい視線でせっつく娘に、これが反抗期と言う物かと妙な感慨を抱きつつ、頼られたスカリエッティは嬉しげに今尚続く戦闘の解説を始めた。

 

 

「うむ。説明しよう! 今行われているのは、魔力制限下での全力行使が如何なる結果を生むか、同時にどの程度まで実力を制限されるか、その判断を行う模擬戦である!」

 

 

 機動六課の分隊長として動く事になる二人。

 高町なのは一等空尉。アリサ・バニングス執務官。

 

 二人は今後、魔力リミッターがどの程度戦法を制限してしまうのかを判断する為に、模擬戦闘を行っていた。

 

 唯の模擬戦闘の筈が、どう言う訳か双方共に熱くなり全力の激戦を繰り広げている有り様だが。

 

 

「現在の彼女達は魔力リミッターによる制限により、出力は平常時の三割減。さらに異能・歪みと言った能力も高純度の物は使用できず、余技や小技に限定されてしまっている! 故にこそ、我が娘は彼女らは全力ではないと語ったのであろう!」

 

「……つまりはそういう事です。彼女らが全力ではない。その理由が魔力制限と言う訳ですね」

 

「それでいて、そう。それでいて二人は共に素晴らしい結果を示している。三割減され、異能も使えぬ状況であの性能。やはり私の目に狂いはなかった! そもそも――」

 

「申し訳ありませんが、時間も押していますので、簡略にお願いします。ドクター」

 

「……二人共強い! 嬉しい! やったー!」

 

「一行で済みましたね。やれば出来るじゃないですか」

 

「何故だろうね。何で私が子供扱いされているのかね? 寧ろ君が私の娘ではないかね?」

 

 

 機械の如き無表情ではなく、唯人の如き多彩な表情を見せるウーノ。

 スカリエッティは口では愚痴を言いながらも、その表情は娘の成長を見て楽しげな物に変わっていた。

 

 

「あの、すずかさん」

 

「何かな、ティアナ」

 

 

 そんな二人の遣り取りを訝しげに見詰めながら、ティアナはすずかへと声を掛ける。

 

 

「あの変な人。あからさまに変人なんですけど、本当に信用できるんですか?」

 

 

 そんなある意味当然の疑問に、返る答えはこれまた当然の物。

 

 

「うん。全く出来ない。ぶっちゃけ怪しすぎるよね。シャーリーもそう思うでしょ」

 

「ええ。正直、次元犯罪全ての影にスカリエッティ主任が居て、裏で糸を引いていると言われても、ああそうか、としか言えない人ですからね」

 

 

 にっこりと笑って、信など置けぬと断言する女性二名。信頼出来ぬ所か、信頼してはいけないと言わんばかりの態度に、子供達は首を傾げた。

 

 

「あのー。どうしてそんな人が、此処に居るんですか?」

 

「寧ろアレね。敵を敢えて身内に誘い込んで、とかそんな展開じゃないの?」

 

 

 キャロが疑問を零し、ルーテシアがそんな推測を口にする。

 隠す気もなく交わされる言葉を耳にして、スカリエッティはしょんぼりとした表情で小さく呟いた。

 

 

「……周囲の反応が解せぬ」

 

「ですから、残当な対応ですよ。ドクター」

 

 

 残念でもなく当然の反応だ。そう返すウーノに、心当たりの山でもあるのか、スカリエッティは遠い目をして総司令部の反応を思い出す。

 

 

「……クロノ君もゼスト副指令もメガーヌ補佐官も、皆同じ様な反応だったからねぇ」

 

 

 一体何を企んでいる? そう疑念を抱いた視線で詰問を向けて来る彼らは、しかしまだマシな方だった。

 

 

「グラシア女史に至っては、アコーズ君に思考捜査をさせた上に、嘘や隠し事を出来なくさせる精神操作魔法を掛けてくる始末だ!」

 

 

 其処までする事は無いだろう。そう声を大にしてスカリエッティは語る。

 折角新設部隊で好き勝手が出来ると思ったのに、念入りに無数の魔法を掛けられてしまえば遊び耽る事も出来やしない。

 

 

「お蔭で未だに嘘偽りは言えない状態なんだよ!? クロノ君も、その状態なら居て良いとか言うから解除も出来ないし……全く、正直に全てを話してしまった所為で、一体幾つの違法な実験施設を検挙されてしまった事か」

 

「……お兄ちゃん達の判断が残当過ぎる」

 

「寧ろ、何でこの人捕まってないんですか?」

 

「まず真っ先に、コイツを牢に入れるべきだよね」

 

「……スカさん。違法は不味いですよ」

 

〈マイスター〉

 

「アーハッハッハッ! 四面楚歌じゃないか!? 言われてしまったねぇぇぇぇっ!!」

 

「……ドクターは一度痛い目を見るべきかと」

 

 

 主治医として、製作者として、慕っているトーマとスティードからも非難の視線を受けて、スカリエッティは笑って誤魔化す。

 そんな父の姿に、数年以上前から彼専属として付き従っていたウーノは、呆れた溜息を漏らすのであった。

 

 

「ま、兎も角だ。今後、諸君らのデバイスなどはシャリオ君と私が手を加えていく形となる。安心したまえ、精神魔法の一種で余計な事は出来なくされてるから、余計な事はしないさ。余計な事したいんだがねぇ。……誰か立候補者はいないかね。魔法契約の内容的に、相手の同意があれば余計な事が出来るんだが」

 

『絶対にNo!』

 

 

 自爆装置とか付けたいんだが、とぼそりと呟くスカリエッティに、子供達は満場一致で拒絶を示した。

 嫌われた物だと苦笑する白衣の男を余所に、ウーノは時計を確認すると一礼する。

 

 

「それでは、そろそろ失礼します」

 

 

 まだ回る場所は複数ある。これ以上時間を取っては居られない。

 そんな彼女の言葉に、モニタールームの三人はそれぞれの言葉を返した。

 

 

「うむ。また顔を見せてくれ」

 

「この人に付き合うの疲れるんですよ。新人の君達も、偶には相手してね。……誰かが犠牲になれば、きっと主任も静かになる筈ですから」

 

「……シャーリーは無理を言わないの。皆も気にしないで良いから、引き続き研修頑張ってね」

 

 

 そんな三人の声に押されて、新人達はウーノと共に訓練施設を後にした。

 

 

 

 

 

3.

 そうして訪れた昼休み。空席が目立つ大食堂の片隅で、四人は食事をとっていた。

 

 

「……それにしても、身内が多過ぎでしょ。この部隊」

 

「えっと、何か問題でもあるんですか?」

 

 

 スパゲッティをフォークで絡め捕りながらぼやくティアナに、大きめのオムライス相手に格闘していたキャロはケチャップ塗れの顔に疑問符を浮かべた。

 

 

「信頼のおける人物を中心に集める。その理由も研修中に説明受けましたし、特に何か、えっと上手く言えないんですけど、不都合が在る様には思えないです」

 

 

 ルーテシアに口元を拭われながら、小首を傾げたキャロはそう語る。

 

 機動六課の設立理由も、内容こそ明かされていないがレアスキルによる予言の存在も既に教えられている。

 それを思うならば、多少実力に劣れど信頼に足る人間だけで前線を固めるのは、彼女としては納得の出来る理由であった。

 

 

「軍事的に見れば問題だらけよ。身内で固めた仲良し部隊なんて、周囲から反発を喰らうのは当然だし、連帯感が強すぎていざと言う時に必要な命令が下せない危険性もある。前線に居る男が年頃のトーマ一人ってのも問題だし、ぶっちゃけ粗を上げたらキリがないわ」

 

 

 そんなキャロの姿に笑みを零しつつ、ティアナは六課の問題点を上げる。

 その全容は未だ分からないが、今まで出会った人の数は少数。特に実働部隊であるフォアード陣営に至っては、自分達四人しかいないのだ。

 

 別の場所で研修を行っている可能性はなくもないが、そうする意味がない以上は限りなく低い。そう考えるならば、今までに見た物が六課の全てと言えるであろう。

 

 

「けど、そんな若輩の私達でも気付く事なんて、お兄ちゃ――ハラオウン提督達が気付かない訳がないのよ」

 

 

 思わず兄と呼びそうになり、咳払いをして言い直す。

 陸士部隊で育ったとは言え、今年初めて局員として任官したキャロとルーテシアは勿論の事。

 災害担当課で一年しか過ごしていないティアナとトーマの二人も経験と言う点では不足が過ぎる。

 

 

「詰まりは気付いて、そうしている事。そうするしかない事、それが一番の問題なの」

 

「えっと、御免、ティア。何言いたいのか分かんない」

 

「ったく、この馬鹿トーマは」

 

 

 大盛りラーメンを平らげたトーマが、会話に付いて行けないと首を捻る。

 そんな相棒の姿に、一応とは言え年少二人が付いて来ているからこそ、ティアナは頭を抱えながら簡単に説明した。

 

 

「良い? そんな諸々の反発を受けるであろう面子を集める必要があった。それは逆に言うと、四方八方手を尽くしても、そんな面子しか集められなかったって事でしょう?」

 

 

 それは最悪の可能性の一つ。考えたくもないが、あり得てもおかしくない一つの現実。

 

 

「終末の予言に対するカウンターとして用意された特殊部隊。その構成員に選べる程の信頼がおける人材が、これしかいなかった事が問題なの」

 

 

 そう。機動六課が真に最終防衛線ならば、その人員はもっと相応しい者らを選ばなくてはならないのではないだろうか。

 それをしない、のではなく、出来ないとするのならば。

 

 

「管理局の殆どが信頼出来ないって事でしょ、それ。……下手したら、機動六課以外の全ての部隊が敵に回るかも知れないのよ」

 

「そんな!? 父さんの108部隊や、卒業後に所属した陸士386災害対策部隊は皆信頼できる良い人達だったじゃないか!?」

 

「声が大きい! 馬鹿トーマ!!」

 

 

 幾ら隊舎とは言え、誰が聞いているか分からない。

 大声を上げる相棒の口を抑えながら、ティアナは鋭い目付きで言い聞かせる。

 

 

「それに、黒なんて言い切っていないでしょ。最悪の可能性を言っただけよ」

 

 

 そうは言いつつも、この部署以外は敵なのではないかと思いつつある。

 まだ黒ではないが、黒でないだけ。本当に頼れるのは、外部にはごく一部しかいないのだろうと断じていた。

 

 

「……つまり、纏めると、ティアナはこの部隊の前途は多難だって言いたい訳?」

 

「ま、平たく言うとね。……全く、頭痛くなってくるわ」

 

 

 ルーテシアの総括に溜息を返して、ティアナは皿に残った最後の一本を口に含む。

 ミートソースのパスタは何処ぞの一流店の如くに美味であり、それが追い詰められつつある精神には僅かな救いとなっていた。

 

 

 

 そんな風に暗くなってしまう四人。彼らが席に着く食卓の上に、横手から美味しそうなケーキと湯気を立てる珈琲が差し入れられた。

 

 

「そんなに悩んでも、余り良い考えは浮かばないよ」

 

「っ!?」

 

 

 聞かれていたのか、そう驚愕を表情に浮かべたティアナは慌てて、その差し出された手の持ち主を見上げた。

 

 サラサラとした金髪に優しげな笑み。透き通った緑の瞳に、スマートながらも華奢ではない身体付きのその人物は、ティアナも良く知る人であった。

 

 

「先生!?」

 

「ユーノさん!?」

 

 

 トーマとティアナが、この場に居る筈がない人物の姿に、椅子から立ち上がって驚愕を零す。

 

 

「知り合い、ですか?」

 

「ええ、恩師と言うか、尊敬に値する大人の一人ね」

 

 

 問い掛けるキャロに、ティアナは簡潔に答える。何故彼が此処に居るのかと思考するティアナを余所に、トーマは考えなしに直接問い掛けた。

 

 

「先生、此処で何してるんですか!?」

 

「見て分からないかい?」

 

「分かりません!」

 

「……君はもう少し、熟考する癖を付けようね。トーマ」

 

 

 一秒と間を置かずに元気良く返される言葉に、ユーノは苦笑を浮かべながらも此処に居る理由を口にする。

 

 

「食堂で食事を作ってるんだよ。……アイツからの要請でね。外部からの出向扱いで、まあ食堂を一つ任されている訳さ」

 

 

 自分の胸にある桜屋と印字されたピンクのエプロン。

 それを見せながら、食堂の主となった青年はにこやかに告げる。

 

 

「そんな訳で、これはサービス」

 

 

 色取り取りのケーキと、香ばしい香りの珈琲。

 子供向けにミルクと砂糖を用意して、商売上手な料理人は口にする。

 

 

「食堂は三時まで、それから六時までは喫茶店として経営してるんだ。喫茶桜屋・機動六課出張店。気に入ったなら、休憩時間にでも食べに来てね」

 

「ちゃ、ちゃっかりしてますね」

 

「ははは、原価度外視の商売だからね。それこそ薄利多売さ。ま、クロノの奴から幾らでも材料費を絞り取れる契約だからね。料理人としての技術を磨く心算でのんびりやっていこうと思っているよ」

 

 

 そんな先達の姿にティアナは頬を引き攣らせて、残る三人は目の前の美味しそうな洋菓子に我慢が出来ずに手を伸ばして行く。

 

 お前は十歳児と同じか、と相棒の行動に呆れる。

 

 それでも、彼女もスイーツは好みだ。なまじ普段は禁欲的な生活を送っている分、偶には良いかとチョコレートのケーキに手を伸ばした。

 

 

「美味しい」

 

「それは何より、美味しい物と味わい深い珈琲を口にすれば、大抵の不安は誤魔化せる物さ」

 

 

 思わず口を零れた感嘆の呟きに、大人は笑って賢しい子供の頭を撫でる。

 

 

「それにね、ティアナ。……君の推測は、的外れさ」

 

「え? それって」

 

 

 その言葉の真意は何か。問い掛けようとしたティアナの声は館内に流れる放送に遮られる結果となった。

 

 

〈本基地に所属する全管理局員に告ぐ。こちらは総司令部所属、副指令のゼスト・グランガイツ一等陸佐だ〉

 

 

 その声を聞いて、ショートケーキを齧っていたキャロはお父さんと顔を上げる。

 

 

〈これより訓練施設内にて、陸戦用空間シミュレーターを利用した式典を執り行う〉

 

 

 対してルーテシアとトーマは目の前の甘味に夢中になり、コイツ等聞いてないだろうとティアナを呆れさせる。

 

 

〈これは外部より多くの報道関係者も参列する一大式典だ。だから、と言う訳でもないが、皆管理局員である事をしっかりと自覚した上で訓練場へと集合するように。以上だ〉

 

 

 必要最低限の事のみを告げた館内放送。その声が途切れると同時に、ユーノは穏やかに微笑みながらティアナの背中を軽く押した。

 

 

「……さっきの言葉は」

 

「何、直ぐに分かるさ」

 

 

 答える気はないのだろう。そんな風に笑みを絶やさない男の意志を理解したティアナは、甘味を食べ続ける子供三人の頭を軽く叩いた。

 

 

「……行くわよ。三人とも」

 

「え? まだケーキ……」

 

「そんなの、後でにしなさい!」

 

 

 式典にはまだ時間があると言うのにティアナは動き出す。

 

 

「さ、休憩と仕事はきっちりと分けるんだよ。……襟首を正して、いってらっしゃい」

 

 

 未練たらたらな三人の子供に食堂の主はとっておくからと苦笑して、小さくなっていく彼らを見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 晴天の下、シミュレーター装置によって再現された巨大な会場。その壇上に和装の青年が立つ。

 傍らには司令部付きの局員達。准尉以上の階級保持者。当基地内でも有数の役職者の姿がある。

 

 彼の声を待ち望むは、これより彼の指揮下に入る者達。その総数は千に近い。

 これが此の三年で得た成果。カリム・グラシア。レジアス・ゲイズ。その二人に持ちかけられた道化の役割。

 

 クロノの尽力によって、無数の政治工作によって、彼らの想定を超える形で実現した英雄が指揮する総戦力。

 分隊規模ではなく連隊に準ずる規模。その総数を見て、ティアナはユーノが語った的外れと言う言葉の意味を理解した。

 

 そう。六課が全てではない。少人数の特殊部隊である六課以外にも、味方は確かに存在していたのである。

 

 

「本日、この恵まれた天候の中、お集まり頂けた諸兄らに対して、暫しお時間を頂きたいと思う」

 

 

 前方に居並ぶ人の群れ。パシャパシャと切られるシャッター音。

 

 無数のカメラとマイクが一瞬たりとも逃さぬと周囲を囲む中、集まった人々より感じる熱気に気圧される事は無く、壇上の青年は英雄としての仮面を被って強く語る。

 

 

「私はクロノ・ハラオウン。今日、この日より新設される“機動六課”の総司令官。並びに“古代遺産管理部”改め、本日付で“古代遺産管理局”の本部となるこの基地の初代局長を務めさせて頂く男だ」

 

 

 己を強く示す。己を大きく見せる。

 

 青年が独力で、完全に掌握した古代遺産管理部。その名称を変更する事こそ外部にも伝えてられているが、その名を正式に口にするのはこれが初めて。

 

 管理局の名を騙る。己こそが局長だと示す。後援者達すら知らないそれは、クロノ・ハラオウン提督の大胆にも程がある宣戦布告。

 

 

「一課から五課までの通常機動部隊計五百名。後方支援部隊ロングアーチ所属計四百名。そして特務部隊機動六課所属実動員計九名」

 

 

 そう。彼の下にあるは、六課のみに非ず。特殊部隊である彼らと、通常戦力である五百名。そんな前線部隊を後方より多角的に援護するロングアーチと言う支援部隊四百名。

 

 それこそが、クロノが手にした新勢力。

 時空管理局を変える。友との約束を果たす為の古代遺産管理局。

 

 

「若干、千名に届かぬ総数。基地規模を考えれば、少ない人数と言わざるを得んだろう」

 

 

 圧倒的な物量を誇る時空管理局。圧倒的な質を誇る大天魔。どちらに対しても、未だ不足した規模でしかない。

 

 だが。

 

 

「だが私は知っている。諸君らの瞳に宿りし意志を、諸君らの胸に宿りし誇りを、諸君らが強き魂を持つ者らであると確かに知っている。ならば何故、足りない等と言えようか!」

 

 

 選ばれし千名弱は、真に信頼の置ける者達。

 

 その瞳に意志を、その胸に誇りを、強き魂を以って世界を良くして行けるであろうと確信出来る同胞達。

 

 ならば何故、足りないと言えようか。

 

 

「故に、私が此処で宣言するのは唯一つ」

 

 

 これはパフォーマンスだ。呼び込んだ報道機関を通じて、反逆の意志を此処に示す。

 

 

「強く誇り高き管理局員達よ。諸君らが胸に抱いた想いを、その願いを忘れるな!」

 

 

 これは彼の切なる叫びだ。唯のパフォーマンスではない。確かな意志が、確かな願いが込められている。

 

 

「強き意志の下、強き願いを胸に、傍らの友と、如何なる地獄であろうと進んでいけ!」

 

 

 欲深き者達よ。管理局の上層に巣くう悪しき蛇よ。

 何時までも、我らを思うがままに出来ると思うなよ。

 

 

「一人一人の手は小さくとも、重ね合わせて前を見れば、きっとその手は避けられぬ滅びすら超えていけるであろう!」

 

 

 偽りの神々よ。古き世を生きた英雄の残骸達よ。

 何時までも、我らが唯、されるがままに居ると思うなよ。

 

 

「これより、特務部隊機動六課結成と古代遺産管理局の正式始動を宣言させて頂く!」

 

 

 そう。今日この日に宣言するのだ。

 そう。今日この日より変わっていくのだ。

 

 

「我々の戦いは、今日、この日より始まるのだ!」

 

 

 その場に居た者らは熱を共有する。同じ夢を垣間見る。

 

 確信があった。きっと変わっていけるのだと。

 確かに抱いた。この先には希望があるのだと。

 

 トーマは蒼き瞳で壇上を見上げる。

 ティアナは焦がれるが如き瞳で壇上を見上げる。

 キャロはその小さな手を強く握り締める。

 ルーテシアはその熱狂の渦に笑みを浮かべる。

 

 後に英雄宣言と呼ばれる事になる演説。

 ミッドチルダは愚か、管理世界全土に流された放送。

 

 それは確かに、管理世界全ての生きる人々に、未来の可能性を予感させた。

 今は未だ歩き始めたばかりでも、それでも確かに道の先に希望は見えていたのだった。

 

 

 

 

 

 




まったく、小学生は最高だぜ!(原作トーマが実際に言った台詞)


そんな訳で機動六課結成。
原作より規模が大きいのは、三年の準備期間中に監禁から解放されたクロスケがはっちゃけた所為。

古代遺産管理部まるまる乗っ取って、ロングアーチを完全な後方支援部隊として六課より分裂させた。
結果として、正式な六課メンバーは非常に少なくなってたりします。部隊長のクロスケと前線の分隊メンバーくらいしかいないです。

遺産管理局と改名したけど、正式な所属はまだ時空管理局の一部門だったりします。





○現時点での大体の等級(割りとテキトー)
・計測不能域  魔刃エリオ ザフィーラ。
・拾等級相当  クロノ 魔群 魔鏡
・玖等級相当  なのは ゼスト
・捌等級相当  アリサ ユーノ
・漆等級相当  すずか
・陸等級相当  メガーヌ
・伍等級相当  トーマ
・参等級相当  ティアナ キャロ ルーテシア


備考:
○練炭汚染中のトーマは計測不能域。エクリプスの毒の強制力は常時計測不能域。
○魔刃エリオは腐炎を使用している状態で既に計測不能域。腐炎なしだと玖等級。
○高町なのはは大獄の地獄内では計測不能域になる。平時は玖相当で反天使よりは弱い。
○ユーノは陽の武芸は捌等級だが総合力は低い。なので漆等級のすずかより強いと言う訳ではない。




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第三話 最初の警報

何の捻りもないサブタイトル。直訳しただけ。


尚、当作の難易度は基本的にルナティックです。



1.

 崩れた瓦礫の山。砕けたアスファルトの大地。

 照り付ける太陽の下に作られたのは、晴天とは不釣り合いな崩壊都市。

 

 地獄と呼ぶには生温く、されど天国と形容するには遠過ぎる。

 さすれば此処は煉獄か。地獄の業火で焼き尽くされるのではなく、竈で煮られるが如き痛苦を味わう彼らが居る場所としては、これ程相応しい言葉はない。

 

 そんな煉獄の中に、呻き声が木霊する。倒れ伏すのは三人の少女。一人、一人と各個に撃破され、もはや戦える者は一人しか残っていない。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ。くそっ、このままじゃ」

 

〈心拍数の急激な増加を確認。……落ち着いて下さい、トーマ。追い詰められた時こそ、冷静にならなければ敗れます〉

 

「分かってるけどさぁっ!」

 

 

 荒い呼吸を繰り返す茶髪の少年。エクリプスと膨大な魔力によって生き延びてしまっている少年は、空より雨の如くに降り注ぐ光を見上げる。

 既に彼以外は全滅したと言うのに、戦場の王者には一切の油断が存在していなかった。

 

 

 

 慢心はなかった。結成から三週間。只管に磨き上げたチームワークには、確固たる自信だけが存在していた。

 

 再生能力を持ち、莫大な魔力を保有しているが故に非殺傷ではまず落ちないトーマ・ナカジマ。

 単身で敵陣に切り込むフロントアタッカーとして、彼が最前線にて行動する。

 

 その脇を固めるガードウイングは、キャロ・グランガイツ。

 飛龍による移動力と補助魔法の加わった槍技。年少故劣る体力を、一撃離脱の戦術で完全に補っている才児である。

 

 フルバックにて支援に徹するはルーテシア・グランガイツ。

 召喚魔法によって呼び出された数多の蟲が戦場を撹乱し、前線で戦う彼らに補助魔法による強化を行う。

 

 そんな三者を指揮するのはティアナ・L・ハラオウン。

 センターガードに相応しい知略を持った少女こそが、指揮官として指示を出す。

 

 この四人は正しくバランスの取れたチームである。三週間に渡る訓練を経て、確かな自信と信頼を抱いていた。

 

 慢心ではない。僕らなら出来る。そう確信を抱いていたのだ。

 

 嗚呼、何て無様な考えなし。目の前に君臨する戦場の王者は、たった四人の子供で揺るがす事など出来はしないと言うのに。

 

 

〈トーマ。来ます!〉

 

「っ!?」

 

 

 喉がカラカラと乾く。握り締めた拳が震える。

 スティードが“敵”の接近を告げ、トーマは絶望にも似た感情を抱いていた。

 

 それでも、このまま負ける訳にはいかない。

 ごくりと唾を飲み干して、握り締めた拳を強く振りかぶる。

 

 敵はゆっくりと接近してくる。“彼女”に対して、生半可な攻撃では意味がない。

 自身の得意とする接近戦には持ち込めない。己の拙い射撃魔法では彼女を揺るがせる事も出来ない。

 故にトーマは選択する。質で届かぬならば、量で補ってみせようと。

 

 

「ディバインバスター! 無理矢理ファランクスシフトォォォォッ!!」

 

 

 右手からディバインバスターを放つ。次いで左手からディバインバスターを放つ。

 後はその繰り返しだ。十や二十。百や二百と重ねる事で、力技で“彼女”の技を模倣する。

 

 マルチタスクを使っている訳ではない。デバイスに頼っている訳でもない。単に馬鹿げた総量の魔力に頼って、無理矢理にディバインバスターを連射しているだけ。

 全く同時に全方位を囲む本家本元に比べれば、同じ名を冠する事すら憚れる稚拙な連続射撃。

 

 されど確かな威力を伴っている。

 降り注ぐ破壊の雨は、大地を抉りながら出鱈目に疾走する。

 

 防げる筈がない。躱す場所などない。

 盤面全てを埋め尽くす破壊の青が、確かに“彼女”に命中した。

 

 

「やったか!?」

 

〈これだけの数の魔力砲なら、いくら“彼女”が相手でも!〉

 

 

 爆発と共に巻き起こる閃光。

 大地から巻き起こる煙に包まれる標的。

 

 これならば倒せただろうと、そんな甘い願望を抱いて――

 

 

「うん。点や線じゃ無理なら、面での攻撃を行う。……その発想は悪くはないよ」

 

 

 その青きの中に垣間見えた翡翠色が、そんな甘い願望を否定する。煙の晴れた先に居る翠色の光が容易く希望を踏み躙る。其処に立つ女性は、全くの無傷であった。

 

 

「けどね。これはちょっとお粗末かな?」

 

 

 側頭部にて一つに結った腰まで届く長い髪は、とても美しいブリュネット。

 翠の輝きを反射する銀細工が膨らんだ胸元を鮮やかに彩り、くびれた腰つきを白き衣で覆い隠す。

 そんな若い女は優しげな笑みを浮かべながら、その稚拙さを指摘する。

 

 

「隙間だらけだよ? それに自分の攻撃の所為で敵を見失っちゃうのは減点だね」

 

 

 観測型デバイスである彼は、確かに起きた事象を理解していた。

 無数の魔力砲に対する女の対処法を理屈の上では不可能ではないと理解して、それでもそんな事が出来るものかと人を模した高性能のAIは疑問視してしまう。

 

 それ程に女の取った対処法は、余りにも突飛な代物であった。

 

 瞬間的な魔力の使用可能量なら、リミッター付きの女よりも少年の方が上だ。

 真っ向から打ち合っていれば、確かにトーマの砲撃は彼女の障壁を打ち破っていたであろう。故に彼女の選んだ対処法は、己の魔力の一点集中。

 

 腕一本では見通しが甘い。掌一つでも未だ不足する。結論として出したのは指二本。

 

 中指と人差し指。たった二本の指に障壁数十枚に匹敵する魔力を集束させて、その二本の指をコロの様に回して砲撃の軌道を逸らし、砲撃同士を対消滅させたのだ。

 

 直接ぶつかるのではなく受け流すなら、確かに魔力は殆ど消費しない。だが、トーマの放った砲撃は十や二十では足りないのだ。それら全てを完全に見切り、指二本で捌き切るなど果たして人間業と呼べるのであろうか?

 

 少なくともスティードの記録内には、そんな神業を意図も容易く行える人間など存在しない。目の前の魔王が如き美女の存在を除いたならば。

 

 

「教えてあげるね。飽和攻撃はね。こうやるの!」

 

 

 女は黄金の杖を振るう。直後、周囲全方位を囲むように出現した膨大な数の誘導弾にトーマは絶句した。

 

 

「嘘だろ。……リミッターが付いてるんじゃないのかよ!?」

 

 

 零れ落ちるのはそんな疑問。万を超える誘導弾など、リミッターが付いている為に不撓不屈と言う異能を使用できない女では、用意する事が不可能な筈の絶対量。

 

 

〈トーマ! これは遅延魔法です!〉

 

 

 そんな彼に観測特化のデバイスがそう答えを返し、その答えに更なる疑問が募る。

 

 

「それこそ冗談でしょっ!? スティードが気付けないレベルの遅延魔法なんて、いったい何時仕掛けてたのさ!?」

 

 

 全方位を囲む数万を超える誘導弾。それら全てに隠蔽魔法を掛けて設置する。

 そんな手順すら観測型デバイスに気付かれない様に済ませるなど、一体誰が信じられようか。

 

 だが、それを易々と為すのが至高の魔導士。高町なのはに他ならない。

 

 

「最初からだよ。この模擬戦が始まった直後から少しずつ、其処に仕掛けて置いたんだ」

 

 

 詰まり彼女は、最初から今に至るまでの全ての道筋を予測しきっていた。

 見切られていたのだ。トーマの努力も限界も、何もかもが見抜かれていた。

 

 

「それじゃ、レッスンだよ。喜んで学びなさい! トーマ君!」

 

 

 万を超える誘導弾が、全く同時に動き出す。中央に位置するトーマ目掛けて、その身を打倒さんと疾駆する。

 その膨大な数は正しく壁。四方を取り込まれた壁の内側に、逃れる場所などありはしない。

 

 

「っ!? こうなりゃ自棄だ! 全部耐えきってやる!!」

 

 

 躱せないなら耐えきるのみ。己の防御能力と継戦能力への自信から、防ぎ切って見せるとトーマは判断して。

 

 

〈っ!? 駄目です。トーマ! それでは彼女の思う壺だ!!〉

 

 

 スティードがその可能性に気付いた時には、もう全てが遅かった。

 

 

「飽和攻撃って言うのはね。フィニッシュとするには、ちょっと威力不足なんだ」

 

 

 なのはは語る。教え子に教え諭す講師の如く、己の意図を口にする。

 

 

「量を揃えようとすると、どうしても質にムラが出る。総量では兎も角、一発一発はトーマ君レベルの防御力があれば、死ぬ気で耐えられる程度の威力にしかならない」

 

 

 飽和攻撃とは、相手の処理能力限界を超えた攻撃量で攻めると言う方法。

 一瞬でも相手の能力を超える量を用意出来れば、超過した分だけダメージを与えられるという考え方。

 

 元より必殺の技ではなく、如何に攻撃を当てるかという手段である。

 

 

「だからね。面攻撃はあくまで牽制として使うべきなんだよ」

 

 

 一撃で相手を落とせぬ火力しかないなら、それは牽制として使うべきだ。高町なのはは己の経験則によって、そう判断する。

 

 

「逃げ道を残して其処に敵を誘導したり、無数の攻撃で相手の体力を削ったり」

 

 

 意図的な相手の行動制限。飽和攻撃を一騎打ちで用いるならば、その扱いはその為の手段となる。

 

 事実、相手の次の行動を察知しながらも、無数の弾丸を障壁で耐えるトーマは行動を制限されている。

 訪れる痛みに恐怖する少年は、もう逃げ出す事も出来ないのだ。

 

 

「或いは、こうして足を止めさせたうえで、全力全開を叩き込む為の布石にするの!」

 

 

 トーマは悟る。恐怖に戸惑う思考の中で、終わった事だけは理解する。

 美女が振り上げた黄金の杖。その先端に集う魔力は、トーマのそれに比しても遥かに微弱な物。

 だと言うのに放たれる砲撃を防げる気も、耐えられる気も、全くと言って良い程にしなかった。

 

 

「ディバインバスター!」

 

 

 翠色の輝きが放たれる。さして大きくもなく、さりとて密度が高い訳でもなく、当たり前の如き砲撃魔法。

 だがそれだけではないと確信させる。底の知れない砲撃が放たれる。

 

 

「うぼああああああああっ!?」

 

〈トォォォォマァァァァッ!?〉

 

 

 放たれた翠色の砲撃によって、トーマは光の中へと飲み干されて逝った。

 全力行使していた障壁をさらりと貫通して来た砲撃に飲み込まれた少年は、黒焦げとなって地面に崩れ落ちるのだった。

 

 

 

 古代遺産管理局中央隊舎付属の第一訓練施設。

 五課までの通常戦力がクラナガンを駆け回り事件を解決する中、彼らでは対処出来ない大事を担当とする六課には出動もなく、故にこうして日夜訓練に励んでいる。

 

 何時も通りの訓練。何時も通りの光景。何時もの如き死屍累々。

 

 

 

 機動六課は、今日も平和であった。

 

 

 

 

 

2.

 中央隊舎食堂。備え付けのテレビより流れてくるニュースキャスターの声を背景音楽としながら、テーブルを囲んだ新人たちは顔を向け合っていた。

 

 

「さってと、第六回の対策会議を始めるわよ。アンタ達」

 

『えー』

 

「ナノハさん怖い。ナノハさん怖い。ナノハさん怖い」

 

 

 幼女二人の嫌そうな表情と、壊れたラジオの如く同じ言葉だけを繰り返している相棒の姿に、ティアナは苛立ちを感じて口元を引き攣らせる。

 

 

「真面目にやんなさいよ、アンタ達」

 

 

 ニュースで連日連夜取り上げられている古代遺産管理局の活躍。それに対して、未だ初任務も熟していない機動六課。

 

 訓練でボロボロにされるだけの毎日。そんな状況に劣等感を感じずには居られないオレンジの少女は、自分でも短気になっていると分かって、それでも苛立ちを抑えられてはいなかった。

 

 

「真面目にやれ、って言われてもねぇ」

 

「あの。こう言ってはアレなんですけど、無理があるんじゃないですか?」

 

 

 そんな少女の苛立ちに反して、現状を正しく認識している少女達は苦言を零す。

 

 

「訓練事態はちゃんと熟してる訳だし、ティアナの言うように模擬戦でなのはさんに一泡吹かせようってのは、無理あると思う訳よ」

 

「えっと、下手に戦略立てても覆されると言うか、各個撃破される隙にしかなってないですよね?」

 

「うぐっ」

 

 

 如何に無数の戦略を立てようと、相手は策略と言う面でも数歩先を行く女性だ。生半可な小細工など、隙にしかなり得ない。

 

 

「……今がチャンスなのよ。リミッター付いてるなのはさんは、異能も使えないから一般的なエースクラス。やり方次第なら、手の届く場所に居る」

 

 

 そんな幼子達の冷めた反応の前に、向上意識と反骨心の塊である少女は口にする。

 その星は手の届く場所にある。手を伸ばせば届くであろう距離まで落ちているのだから、それを目指して全霊を尽くすべきだろう。

 

 そうでなくとも、個人的な不満があるのだ。

 それを晴らす絶好の機会に、ティアナは憚る事無く意思を示す。

 

 

「あの万年発情系脳内ピンク! 口を開けばユーノさんがどうしたとか、ユーノさんとこうしたとか、リア充爆発しろな師匠をあっと言わせる最大の好機なの!!」

 

『そんな事に付き合わされても、正直困る』

 

「ナノハさん怖い。ナノハさん怖い。ナノハさん怖い」

 

 

 師への不満が籠ったティアナの言葉に、返るはやはり冷めた言葉。

 

 

「弱体化してても、相手は管理局のエース。こっちの最大戦力なお兄さんより格上で、その上知略型の極みって感じの人でしょ?」

 

「結局、変に小細工なんかしないで、トーマさんに突撃させて、私とるーちゃんで補助に徹するのが一番勝率高いと思うんですよね」

 

「ナノハさん怖い。ナノハさん怖い。ナノハさん怖い」

 

 

 そんな反応をされても、仕方がないとは分かっている。指揮官として結果を出せてない己では、どんな策を示しても説得力などないのだろう。

 それでも、ティアナがその分かり易いやり方を選びたくない理由は簡単だ。

 

 

「……けど、トーマに頼りっきりってのも、情けないと思わない?」

 

「うっ」

 

「それは、まぁ」

 

「ナノハさん怖い。ナノハさん怖い。ナノハさん怖い」

 

 

 コンビネーションでは役割分担が出来ていた。

 向こう見ずな相棒の隙を、確かに己が支えているという実感があった。

 

 だが四人組となった今、支援役は十分過ぎる。前線で活躍出来ない自分が、支援能力ですら幼女二人に劣る自分が、アイツの相棒を語るには小細工を極めるしか道がないのだ。

 

 だからこそティアナは、自身の目指す姿を示している師の全てを暴こうと、様々な策を講じている。

 敗れる事が前提で、それでも何かを掴もうと足掻いているのであった。

 

 

「……ま、私の不手際は認めるけどね。変に小細工しても、小細工の極みって感じな家の師匠には真面に通らないのは確かよ」

 

「ナノハさん怖い。ナノハさん怖い。ナノハさん怖い」

 

 

 無論。そんなのは己の都合でしかない事も分かっている。指揮官として、一番勝率の高い戦略を選ぶべきと分かっている。

 

 選ばない選択をしてしまえば小隊内での信頼を失うと分かって、それでもどうにかしたいと考えるのは劣等感と反骨心が入り混じるが故であろう。

 

 

「……結局、地力が足りないのよねぇ」

 

「せめて全員がお兄さんレベルなら、もう少し動きようもあるんだろうけど」

 

「地力って、そんな一朝一夕に上がる物じゃないですから」

 

 

 結局、其処に突き当たる。

 

 格上相手に小細工は効かない。

 その相手が自身よりも遥かに小細工に長けているなら尚の事。

 

 

「……ま、そうよね。そこはじっくりやっていくしかないわね」

 

 

 幼子達も、一人に全てを背負わせる現状に不満はあった。

 だから地力の不足を認めて、少女達は揃って溜息を吐いたのだった。

 

 

「そんな皆に朗報よ!」

 

 

 そんな風に揃って落ち込む少女達の前に、空中投影型のモニタが現れる。そのモニタに移る眼鏡の女性は、彼女達も見知った一人の人物。

 

 

「フィニーノ一等陸士?」

 

「硬いなぁ、ティアナは。偉い人も聞いてないんだし、シャーリーで良いよ」

 

 

 古代遺産管理局研究班の副主任。その見慣れた姿に少女達は首を傾げる。

 

 

「えっと、シャーリーさんは何の用が?」

 

「おっとそうだった。……三人の専用デバイスが出来たから、呼びに来たのよ!」

 

『専用デバイス!?』

 

 

 副主任である彼女がその技術の全てを込めた。そんな傑作が完成した。そして目の前には力不足に悩んでいる子供たち。

 

 

「これでラクラク、とまでは行かなくても、確かに地力は上がる筈だよ」

 

 

 そんな誂えたかの様な状況で、シャーリーは自慢するかの如くに胸を張って告げるのであった。

 

 

 

 

 

3.

 雪が未だ解けずに残る山岳部。一機のヘリが山の隙間を縫う様に飛行している。

 熟練の技術により危なげなく進むヘリの中、少女は一人その手を握り締めた。

 

 

「新デバイスに乗り換えた途端に出動とか、正直やめて欲しいのよね」

 

 

 四人の中心に立つ聡明な少女。ティアナ・L・ハラオウンは新デバイス“クロスミラージュ”を待機状態のままに、指先で弄びながら口にする。

 

 初めてのデバイス。初めての任務。それを前に自分はしっかりと出来るのであろうか。

 桃色髪の少女は翼と宝石の摸した待機形態のデバイスを、ぎゅっと握り締めた。

 

 

「何、不安なの? ハラオウン指揮官。なら、私が変わってあげようか?」

 

「ふん。冗談。……なのはさんの様な例外じゃなければ、私の敵じゃないわよ」

 

 

 両手に起動状態の“アスクレピオス”を装備したルーテシアが小生意気な態度で指揮官の弱音を揶揄い、ティアナは舐めるなと口にする。

 

 両者の表情に緊張の色は薄い。初の実戦を前にして動揺は大きい筈であろうに、それを押し殺した笑みを浮かべている。

 

 

「……なんで、僕だけ新デバイスなしなんだろう」

 

〈私だけでは不満ですか! トーマ!?〉

 

「いや、そういう意味じゃないけど……なんか羨ましい」

 

 

 四人の子供たちの内、この少年こそが最も自然体でいる。

 新たなデバイスを与えられる事もなく、鍛えた己の能力だけで事に当たれるであろうトーマ・ナカジマに、浮ついた様子はない。

 

 皆が程よい緊張で怯えを表に見せぬ中、キャロは己だけが不安に震えていると自覚する。

 皆が同じく初陣だと言うのに、己だけが恐怖に震えている。それが何だか、とても悔しかった。

 

 

「キャロ」

 

「は、はいっ!」

 

 

 だからだろうか、突然掛けられた声に驚いて声がどもる。

 そんな醜態が恥ずかしくて顔を俯けると、その柔らかい指先が俯いた顔を持ち上げた。

 

 

「大丈夫。そんなに緊張しなくても」

 

 

 瞳に映る一人の女性。栗色の女性に見つめられて、その瞳の強さに僅か見惚れた。

 

 

「離れていても通信で繋がってる。一人じゃないから、助け合える。キャロの魔法は、皆を守れる優しくて強い力なんだから、ね?」

 

 

 だからきっと大丈夫。そんな風にほほ笑む分隊長の姿に、キャロは頷きを返していた。

 

 

「それでは皆さん。現状の確認と行きましょう」

 

 

 そうしてキャロの表情が和らぐと共に、作戦の説明が行われる。

 

 

「内部からロストロギア“レリック”らしき高魔力反応が確認された山岳リニアレールの暴走。現在もリニアレールは時速70kmを超える速度で移動中」

 

 

 ヘリに同乗する管制官。ウーノ・ディチャンノーヴェが投影型モニタに映し出す映像。

 衛星からのリアルタイム映像で、山岳地帯を走行するリニアレールが暴走する光景が映し出されていた。

 

 

「それを確認した五課の通信途絶。以って本件が通常戦力では対処出来ないと判断され、私達機動六課へと出撃命令が下されました」

 

 

 古代遺産を回収する古代遺産管理局。その通常戦力である機動五課が壊滅した。

 それは、今回のレリック回収任務に際し、極めて危険な敵勢力が居るという証に他ならない。

 故に本件は、通常戦力である機動部隊から、特殊戦力である六課へと移行されたのだ。

 

 

「六課に与えられた任務は二つ。レリックを安全に確保する事。そして、五課を壊滅させた謎の戦力への対処を行う事です」

 

 

 暴走列車が終着駅に着くまでに、時間はそう長くない。

 長々としたブリーフィングなどしていられないからこそ、ヘリ内部で作戦説明を行っているのだ。

 

 当然、質問や疑問を受け付ける余裕もない。

 新人のメンタルケアに時間を割くだけ、甘いと言える判断であろう。

 

 

「よって、本件ではそれぞれの任務ごとに分かれて、二つの部隊で動いて貰います」

 

 

 二つの部隊とは、レリック回収の為の部隊と、そして謎の敵勢力に対処する部隊。

 この場に居る機動戦力五人を二つに分け、列車が衝突事故を起こす前に事態を収束する事こそ彼らの役割。

 

 

「本来なら、スターズとバーニングで分かれるべきなんだろうけど」

 

 

 分隊制は本来その為にある。スターズ三名。バーニング三名で行動する事こそ、最もバランスの取れた選択であっただろう。

 

 

「ここ数日、ミッドチルダを騒がせている麻薬の調査に出てるアリサ分隊長は、今回参加できないんだ」

 

 

 だが執務官であるが故に、アリサ・バニングスは此処に居ない。

 ロストロギア疑惑が発生する程に凶悪な麻薬“グラトニー”への対策に追われる彼女は、現場から遠い場所に居る。

 その上、彼女自身飛行魔法を得手としない事もあって、どうしても間に合いそうになかったのだ。

 

 

「よって戦力を均等にする為に、貴方達には四人一組で動いてもらいます」

 

 

 故に分けるのは、隊長一人と新人四人。戦力的にもバランスが良く、訓練で四人一組に慣れている彼女達ならば大丈夫だと言う判断であった。

 

 

「私が敵に対処している間に」

 

「皆さんがレリックを回収するという形になりますね」

 

『はいっ!』

 

 

 新人たちの勢いのある返事に頷くと、高町なのははヘリのパイロットであるヴァイス・グランセニックへと声を掛ける。

 

 

「それじゃ、先に行くね。ヴァイス君」

 

「うっす。なのはさん。健闘を祈ってます」

 

 

 親指を立ててグッドラックと語った男は、そのまま片手で背面部のカーゴドアを操作する。

 

 ゆっくりと音を立てて開く扉から、なのはが飛び出そうと乗り出した所で――

 

 

『イミテーション・スターライトブレイカー!!』

 

 

 偽りの星光が空を染め上げ、少女らを運んでいたヘリは爆発した。

 

 

 

 

 

 落ちる。墜ちる。堕ちて行く。

 バリアジャケットを展開する余裕もなく、落下を防ぐ手段もない。

 

 このまま墜ちれば、落下による追突死は免れないであろう。

 

 

 

 それを望まぬと否定するならば。

 

 

「竜魂召喚!」

 

 

 桃色の少女が如く、己の持つ力で抗うより他に道はない。

 

 

「蒼穹を走る白き閃光! 我が翼となり天を駆けよ!」

 

 

 小さき飛龍は桃色の閃光に包まれて、空に巨大な翼が羽ばたいた。

 

 

「来よ、我が竜フリードリヒ!」

 

 

 叫ぶようにその名を呼ぶキャロの下、白き翼の飛龍がその真なる姿を見せる。

 全長十メートルを超える白銀の飛竜は、その背で少年少女を受け止めた。

 

 

「……いつも通り、ちゃんと出来た!」

 

 

 不安に押し負けそうになりながらも、何時もの訓練通りにフリードを扱えた事に安堵した。

 

 

「やるじゃない」

 

「悪い。助かったよ。キャロ」

 

「あ、いいえ、はい。……えっと、トーマさんが障壁を展開していなければ、フリードごと全滅していましたから、私一人の手柄じゃ」

 

 

 二人の賛辞に顔を羞恥で染めながら、自分一人の手柄ではないと語る。

 同時に己の魔法が仲間を守った。その満足感を感じて、僅かに表情を緩ませた。

 

 

「ほら、キャロ。嬉しいのは分かるけど、まだ終わりじゃないわよ」

 

「あ、そうだね。るーちゃん!」

 

 

 寧ろここからが本番だと、キャロは表情を引き締める。

 同じく飛龍の背に身を預けた新人達は、冷静さを取り戻した思考で現状把握に努めた。

 

 

「なのはさん達は」

 

「三人とも無事、みたいね。いや、まぁ、うちの師匠は殺しても死ななそうだけど」

 

 

 トーマとティアナの視線の先。空中に展開された翠のバインドとシールドによって守られているヴァイスとウーノの姿。

 

 そして彼らを守る様に立つなのはの姿に、エースは健在だと理解する。

 

 

「んで、いきなりヘリを吹っ飛ばすようなバカはどこのどいつよ――って」

 

 

 呟くティアナの目の前で、なのは目掛けて無数の閃光が放たれる。

 一発では済まない。二発や三発でも足りない。十と言う数の閃光が、絶え間なく放たれ続けていた。

 

 

「あれは」

 

「ルネッサの持ってた大型拳銃……」

 

 

 その射線の先、射手の姿を目に移す。顔の上半分を覆うバイザー。身体つきを強調するかの様な戦闘用スーツ。肥大化した右肩から先にあるは、プロトタイプ・スチールイーター。

 

 同じ顔。同じ体形。同じ武装を持った女性達。

 彼女らの素性が何であれ、その武装より分かる事実は唯一つ。

 

 

『無限蛇!?』

 

 

 彼女らは紛れもなく、無限の蛇の先兵だった。

 

 

 

 

 

「っ、厄介だね。これ」

 

 

 絶え間なく降り注ぐ星光を防ぎながら、高町なのはは舌打ちをしたい気分に駆られた。

 向けられる砲門に切れ目はなく。チャージが必要な筈の殲滅砲を、彼女らは一切の隙なく放ち続けている。

 

 

「十人一組で放たれる殲滅攻撃。……三列から放たれる連続射撃を、九十七管理外世界では三弾撃ちと呼ぶのでしたね」

 

「って、んな事はどうでもいいでしょうが、ウーノさんよ」

 

 

 彼女らの行動は単純だ。三列に分かれた女達が交互に攻撃を繰り返す事で、互いのチャージや冷却と言う隙を補い合っている。

 その膨大な量による飽和攻撃は、高町なのはをして身動きを取れなくさせる程。

 

 

「問題は俺らが足手纏いになってるって事だよ。……なのはさん。一応俺もウーノさんも防御魔法くらいは使えるっす。ある程度の高度に降りたら下して貰えれば」

 

「そう出来たら良いんだけどさ、そうもいかなそうなんだよね」

 

 

 例え一度に来る閃光が十であれ、それが絶えず続くならば対処は非常に難しい。

 リミッターにより力押しは出来ず、背後には守る者らが居るからこそ回避も移動も選択出来ない状況。

 

 高町なのはは、完全に封殺されてしまっている。

 

 

「暫定人形兵団は、私達二人を狙っている模様です」

 

「うん。そうみたいだね。……二人の前から動けばあの子達は突破できるけど、二人ともアレに一瞬でも耐えられる?」

 

「……無理っす」

 

「不可能ですね。地形を書き換える様な砲撃が三十。エースストライカーでも対処できるのは一握りでしょう」

 

 

 それが結論だ。

 

 高町なのはを封殺する為だけに、足手纏いを狙い続ける人形達。

 なりふり構わなければ突破も出来ようが、彼らを守ろうと思考する限り、リミッター付きのなのはでは彼女達を倒せない。

 

 出来るのはその技巧を以って、トーマに対した時の様に飽和攻撃を受け流し続ける事。それくらいしか、今の彼女には術がない。

 

 

「幸いなのは、外の連中は私達だけを標的にしてる事かな?」

 

 

 白銀の飛竜に対して、人形達は攻撃を加えていない。

 高町なのはを止めるには外に居る全戦力が必要だと指揮官が理解しているが故に、新人達の下へとこの砲火は向かわないのだ。

 

 

「……あの子たちなら、取り付ける。レリックに注意が向いて、一瞬でも攻撃が途切れたら反撃開始だ」

 

 

 ならばこの身は囮として、砲火に耐え続けるとしよう。そしてその隙を突いて、新人達がこの状況を変える切っ掛けを生み出してくれることを期待する。

 

 

(御免ね。大変な役目を負わせて)

 

 

 地上にて無数の砲門を向ける人形達。それだけが、敵の総戦力ではないだろう。新人達には、荷が重い任務となりそうである。

 

 

「けど、貴方達なら、きっと出来る! だから、今は目の前の敵を!」

 

〈Master, Please call me〉

 

「うん! 行くよ、レイジングハートッ!!」

 

〈All right〉

 

 

 けれど、彼らならばどうにか出来ると信じて、高町なのはは白き衣と共に黄金の杖を構えるのであった。

 

 

 

 

 

 白銀の飛竜が晴天の下、暴走する列車を追って飛翔する。

 

 

「目標、七両目の重要貨物室!」

 

「障害は、……当然あるわよね!」

 

 

 窓から除く車両の中。そして屋根の上。肥大化した右腕の魔砲を以って白銀の竜を狙うのは、同じ顔をした人形達。

 

 

「上空からじゃ不利よ! あの大砲を使わせないよう、内側に突入してから車両内を進行する!」

 

 

 偽りの星光は凶悪だ。如何に巨大な魔法生物と馬鹿魔力による障壁が合わさったとしても、アレを受ければ唯では済まない。

 故に対策は単純。撃たせたら不味い武装は、撃てない状況へと落とし込む。車両の中に侵入した後ならば、砲撃は強大過ぎて使えないのだ。

 

 

「一気に貫きます! ケリュケイオン、ランスモード!」

 

 

 飛竜の騎手席に座ったキャロが、デバイスを変形させる。

 それは竜騎士である彼女の為に用意された形態。十メートルの飛竜の上からでも使用できる、とてつもなく巨大な馬上槍。

 

 

「スピーアアングリフ!!」

 

 

 飛竜の突進と共に、列車の天井に穴を開ける。

 フリードが元のサイズに戻り、飛び降りた少年少女は車両の六両目から中へと侵入した。

 

 

「突入っと! うげっ!?」

 

「…………っ!!」

 

 

 そうして入り込んだ少女達は、目の前の光景に絶句する。

 人。人。人。それは無数の人の群れ。それは無数の――先ほどまで人であったであろう死体の山。

 ティアナが絶句し、ルーテシアが竦み、キャロが吐き気を抑えきれずに蹲る。

 

 

「乗客の死体。……こいつらぁぁぁぁっ!」

 

 

 そしてトーマは、怒りに任せて走り出した。

 

 乗客を殺害したであろう同じ顔の人形。その数は十。

 その内最も近い敵へと、魔力を込めた拳で殴り掛かり――その右手が異音と共に焼け爛れた。

 

 

「……お兄さんの手が、溶けた?」

 

 

 唖然とするルーテシアの下へと、右手の甲を抑えながらトーマが退く。

 魂を穢し溶かす感覚。この痛みは、忘れられない程に強く覚えていた。

 

 

「っ!? これ、コイツ等もルネッサさんと同じ!?」

 

「はっ、これ全部ベルゼバブって訳? ……あの大型砲で推測しては居たけど、マジで洒落になんないわよ」

 

 

 その脅威を知る二人は、冗談ではないと表情を険しくする。

 

 一人一人がルネッサ・マグナスと同じベルゼバブ。

 それが外と内で四十を超えるとなれば、最早洒落で済ませられるレベルの脅威ではない。

 

 

「ええ、……これは洒落ではありませんから」

 

「誰!?」

 

 

 鈴の音の如き声が車両の内側に響く。

 誰かと言う誰何の声に答えを返すは、後方車両より近付いてきた少女。

 

 キャロやルーテシアと同じくらいの年齢か。

 薄い茶髪を後頭部で纏め、民族衣装の上から純白の胸当てを付けた人物。

 

 翡翠の如き瞳に僅かな輝きを宿して、少女は王侯貴族の如く優雅に礼をした。

 

 

「……無限蛇より、傀儡師の号を受けました。名を、イクスヴェリアと申します」

 

 

 涼やかな声音で名乗り上げる。その姿は、死臭に満ちた車両には不釣り合いにも程がある。

 

 

「そして、この子達が新たな人形兵団。名をマリアージュ=グラトニー」

 

 

 軽く少女が指を振る。指揮者に従う演奏者の如く、一斉に構えるマリアージュ。

 

 

「彼女達は一人一人が、嘗て人形兵団の指揮官であった女性と同等の性能を誇っています。……貴方達では、どう足掻こうと超えられはしません」

 

 

 それは厳然たる事実。今更揺るがぬ真実。

 その十の怪物は、一人一人が少年少女を大きく上回るのだ。

 

 

「はっ、だから何! 投降すれば楽に殺してやるとでも言う気!?」

 

「投降するなら、いいえ、尻尾を巻いて逃げるなら見逃して差し上げましょう。……そちらの男性は例外ですが」

 

「……舐めてくれるじゃないの! クソガキがっ!!」

 

 

 その下に見る言い分に腹を立てる。見下す哀れみに反吐が出る。

 舐めるな、と語るティアナは両手に展開した銃型デバイス“クロスミラージュ”の銃口を向ける事で答えを示した。

 

 

「……交渉決裂ですか。少し残念です」

 

 

 本当に見逃す気があったのか、目に見える程に分かり易く落ち込むイクスヴェリア。

 

 

「ええ、はい。そうですね。……仕方がありません」

 

 

 誰かと会話するかの如くに独り言を呟いて、イクスヴェリアは無手のままに宙に浮かびあがる。

 一斉にスチールイーターを向けるマリアージュ達が、彼女の意思を代弁した。

 

 

〈……分かってるわね。アンタ達!〉

 

 

 ティアナが念話を行使する。その思考は浮かべた表情に反して冷静だ。

 それも当然、彼女の言葉の半分程は相手を油断させる為の演技である。

 

 

〈ああ、皆でコイツを倒す。だよね? ティア〉

 

〈分かってないじゃないの、馬鹿トーマ! 全っ然違うわっ!!〉

 

 

 そうまでするのは、彼女が己が力不足をよく知る為。

 

 

〈私達じゃ、傀儡師には勝てない?〉

 

 

 そして同時に、このメンバーでは傀儡師には勝てないと断じた為であった。

 

 

〈……三年前、私とトーマが二人掛かりで何とか出来たのがルネッサよ。相手の話を信じるなら、それと同格が数十ってとこ。正直どうしようもないわよ、こんな奴〉

 

〈……なら、どうすれば〉

 

 

 吐き気を何とか耐えながら、弱音を零す桃髪の少女。

 そんな彼女に返すのは、追い詰められた指揮官の、されど自信を感じさせる笑み。

 

 

〈元より、殲滅はうちの師匠に任せるべきよ。……私達の役割は!〉

 

 

 ティアナはその策略を皆に念話で伝え、そして皆は指揮官を信じて一斉に動いた。

 

 

「吾は乞う。小さき者、羽搏く者。言の葉に応え、我が命を果たせ! 召喚、インゼクトツーク!」

 

 

 まず初めに動いたのはルーテシア。

 精密機械に干渉し、その構造を狂わせる召喚虫を無数に呼び出す。

 

 如何に凶悪な大砲であれ、それは機械仕掛けの質量兵器。狂わせる程に影響は与えられずとも、ある程度の害を為す事は可能である。

 

 

「重ねるわ、キャロ!」

 

「はいっ! ティアナさん!」

 

⦅Boosted illusion》

 

 

 続いて動くはキャロとティアナ。訓練中に生み出した二人の合体技が召喚虫の数を霧で隠し、十の怪物の目を曇らせた。

 

 

「これでっ!」

 

「敵の大将は丸裸っ!」

 

 

 此処に傀儡師が居る限り、此処にレリックがある限り、此処が室内である限り、偽りの星光が放たれる事はない。

 

 ならば敵の主武装は魔力の散弾。同士撃ちを避けるなら必然範囲は狭まり、その程度ならば召喚虫を盾にして防ぎ切れる。

 

 それは一瞬の隙だろう。犠牲を恐れなければ、味方ごと殲滅出来る。無数の召喚虫とて、散弾を受ければ一度か二度で撃墜される。故に致命的な隙にはなり得ない。

 

 

「一気呵成に突破するっ!」

 

 

 されど、少年が進む道を生み出すには十分だ。

 翼の道を作り上げた少年が、開いた隙間を駆け抜ける。

 

 

「……大将狙い。良い判断です。確かに私は、彼女達と大差ない性能でしかない」

 

 

 その判断は正しい。己を狙うのは理に適っている。

 そう理解してイクスヴェリアは、己に迫るトーマを見据える。

 

 

「ですが、そう簡単にやらせると?」

 

 

 イクスヴェリアが両手を広げると、その異変は起こった。

 車両の座席に座っていた乗客たちの死体が、ゆっくりと起き上がったのだ。

 

 

「マリアージュは死体さえあれば幾らでも用意できる」

 

 

 そうして死体が道を塞ぐ。ゆっくりと形骸を変えていき、マリアージュへと変化して道を塞ぐ。

 

 

「……この世界には、余りに死が満ちているから」

 

 

 その数は十や二十では届かない。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 エースストライカーですら死を覚悟する。

 そんな不死者の群れを前に、小細工など意味がない。

 

 

「はっ、勘違いしてんじゃないのよ!」

 

 

 そんな死者の軍勢。無限に湧き出すベルゼバブを前に、ティアナは会心の笑みを浮かべる。

 

 それは彼女の策にイクスヴェリアが嵌った証。

 人形に己を守らせた少女は、故にその場所の警戒を怠った。

 

 

「一体、何時、私達がアンタを相手にすると言ったのよ!!」

 

「遠隔召喚、ガリュー!」

 

 

 ルーテシアが呼び出した黒き虫。忍び装束の如き甲殻に身を包んだ人型の召喚虫が、イクスヴェリアを守るマリアージュへと体当たりを仕掛ける。

 

 

「続いて行きます! やぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 フリードを子馬サイズに変化させたキャロが、馬上槍を手に突貫する。

 

 己の身を強酸で焼かれながらも、マリアージュを押さえつけているガリューの下へと掛け付けると、そのまま二人掛かりでイクスヴェリアを壁側へと突き飛ばす。

 

 

「……元より貴方達の目的は」

 

「そういう事よ!」

 

 

 そう。ティアナの狙いは唯一つ。

 

 

「穴は開けたわ、行きなさい! トーマ!!」

 

「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 再び開いた道を、トーマが疾走する。

 散弾が、肉塊の爆弾が、強酸の血潮が阻もうとするが少年は止まらない。

 その痛みは己の身に刻んでいる。ならばこの程度、トーマ・ナカジマは踏破出来るのだ。

 

 

「その向こうが貨物室、なら!」

 

「そいつを回収出来れば、私達の任務は達成よ!!」

 

 

 この痛みに耐えられるトーマだけが、その狭い道を踏破出来る。

 

 そして乗り越えてしまえば、あとはもう十分。

 元より彼女らの役割とはレリックの回収唯一つなのだから、後はエースに任せてしまえば良いのである。

 

 

「……はぁ」

 

 

 そんな風に己を出し抜いたティアナの笑みを見て。

 

 

「哀れですね。貴女達は」

 

「何をっ!!」

 

 

 心の底から哀れみの籠った言葉を、イクスヴェリアは口にした。

 

 

「その選択を、貴女はきっと後悔する」

 

 

 それは、どうしようもない現実が其処にあるから。

 自分よりも恐ろしい彼が、此処には居るから。

 

 

「何故なら、……此処に居るのは私だけではないのだから」

 

 

 ティアナがこう動く事など、彼は最初から読んでいたのだ。

 

 

 

 

 

「見つけた! あれがっ!」

 

 

 七号車重要貨物室。その中央に見つけ出す。

 球体形のその機械。その魔力反応こそは、間違いなくロストロギア。

 

 

「駆け抜けて、回収すれば!」

 

 

 それを目にしたトーマは気付かない。

 

 容器にも入れずに、ロストロギアが放棄されていると言う異常。

 貨物室内にマリアージュ=グラトニーが一体たりとも存在していないと言う異常。

 

 そして、その貨物室の奥に座る。ある一人の男の姿。

 

 

「ストラーダ。セットアップ」

 

 

 ダンと震脚が列車を揺らす。

 飛翔する斬撃は列車の連結部を切断し、少年少女を完全に分断した。

 

 

「っ!? お前はぁぁぁっ!!」

 

「久しぶりだね。……嗚呼、何年振りかな?」

 

 

 血の様に赤き髪。海の様に青き瞳。鋭い瞳の下に、刻まれているのは濃厚な隈。黒き軽鎧の上に、白きコートを羽織ったその姿を知っている。

 

 数年振りに出会った宿敵は、成長した己の体躯に見合った長槍を片手で軽々と振るって身構える。

 

 

「こうして古代遺産(エサ)を用意すれば、食い付いてくれると思っていたよ」

 

 

 元より、今回の騒動はその為に。その為だけに用意したサプライズ。

 

 

「さあ、今回は一騎打ちだ。僕らの戦いを始めよう。トーマ・ナカジマ!」

 

「エリオッ! モンディアルッ!!」

 

 

 肉を抉り取られた傷跡が見える。魔人故の治癒能力で塞がった傷跡は、まるで絞首台に掛けられた囚人の如く。

 

 

 

 少年の首に、黒く輝く首輪はない。

 

 

 

 

 

 




山岳リニアレールが大惨事に。

原作と違って乗客が居るのは原作アニメだと重要貨物室に直接乗り込んでたのに対して、ここだとその一つ前の車両に入り込んだからです。

原作でも新幹線っぽい見た目だったし、別の車両には居たんじゃないかな、と妄想。


そんなこんなで、次回はVSエリオ二回戦です。

なのはさんは足手纏い+リミッターで封殺状態。
フォアード陣の三人は傀儡師イクスヴェリアと戦闘中。

もう誰も援護に来れない中、首輪なしエリオとの一騎打ちが始まります。






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第四話 美しくも醜悪なる世界

副題 アオリスト集団参上


推奨BGM
1.Fallen Angel(Paradise Lost)
4.雲海を抜けて(リリカルなのは)


1.

 列車の連結部が切り離され、重要貨物室を含めた後部車両は置き去りにされていく。

 あっという間に小さくなっていく少年の姿に、少女達が手を伸ばさんとするが死人の群れに阻まれて届かない。

 

 人一人が走り回れる程に広い貨物車両の只中で、少年達は相対する。

 

 トーマが眼前の敵を前に抱く感情は複雑だ。

 許せない。許してはいけない。認められない討つべき敵。

 

 だが怒りのままに動けない。憤りに身を任せて、冷静さを失ってしまう訳にはいかない。そうと分かっている。そうしなければと理解している。けれど――

 

 エリオの手にした血塗れの槍を見る。

 それだけで、この列車に居た人々を殺したのが誰であるのか分かってしまうから。

 

 

「エリオォォォォォォォォッ!!」

 

 

 拳を握り締め、深く踏み込む。

 振るう拳に籠るのは、義憤と怨恨が混ざり合った敵意の色。

 

 

「……隙だらけだ」

 

「がっ!?」

 

 

 だが届かない。あの日の如くに振るわれた拳は、あの日の如くに躱される。

 拳を躱して打ち込まれるは鋭い刺突。鋭利な刃は、トーマの血肉を引き裂いて――

 

 

「サンダーレイジ」

 

「がぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 その身は雷に焼き尽くされた。

 

 

 

 一瞬の交錯。瞬く間もない程の短い攻防。結果は冷たい床に崩れる少年と、それを見下す悪魔の姿が物語っている。

 

 

「……あの日の焼き直しだね。結局、君は一人じゃ何も出来やしない」

 

 

 三年前と同じ光景。あの日も劣っていたのだから、こうして地に伏すのは至極当然の結末。

 崩れ落ちたトーマの頭を踏み付けて、エリオは見下しながら語る。

 

 

「言っただろう? 君の絆は弱さの同義語だ」

 

 

 その思考は揺るがない。

 

 

「確かに手を取り合えば強くなるのも、一つの事実なんだろうさ」

 

 

 嘗ての敗北。その結果を受け入れていない訳ではない。

 

 

「癪だが認めよう。あの日の僕を打ち破ったのは、確かに君の(つよさ)だった」

 

 

 確かにそんな強さもあるのだろう。己には決して得られない絆がある。

 

 

「けど、今の此処に誰がいる? さて、君を救える誰が居る? 誰もいないさ」

 

 

 だが、そんな無形の強さは状況によって失われてしまう脆さを持つ。

 誰かと一緒になら勝てる。その字義は、翻せば誰かと一緒に居なければ勝てないという物。

 

 

「一人で出来ない事も、皆と一緒なら。……そんな思考をしている時点で、一人では出来ないと諦めている。一人で出来る様になろうとせずに、誰かに頼ろうとしている限り、個の性能は上がらない。純度は下がるんだ」

 

 

 見下す少年と、這い蹲る少年。三年前と同じ光景だが、三年前とは大きな違いが存在する。

 

 片や内なる悪魔にすら頼らず、己の戦技のみを磨いてきた。

 片や友と共に、笑い合い、手を取り合い、絆を信じて前に進んできた。

 

 その三年の差は大きい。皆で共に戦うならば兎も角、こうして一騎打ちに持ち込まれてしまえば、その優劣は明らかである。

 

 

「さて、どうする? 助けを呼んでも、誰もここには来られない」

 

 

 それを認めさせる為に、態々この場を用意した。

 それを認めたからこそ、この様な場を用意したのだ。

 

 これは唯の私闘だ。無限蛇としての任務でもなければ、無限の欲望の戯れに付き合っている訳でもない。

 既に首輪のない少年が、態々彼らに従う必要などありはしない。

 

 

「僕は一人じゃ何もできない。誰かお願い助けてください。……そう震えて泣いて縋ってみる? その無様さが笑えるなら、嬲り殺しが即死に変わるかもしれないね」

 

 

 その笑みは宛ら夜風の如く。あの夜相見えた悪魔に近付いたエリオは、真実己の意思でこの惨状を作り上げている。

 最早、後戻り出来ぬ程にその身は深く堕ちている。

 

 

「っ! 舐めるなぁぁぁぁっ!!」

 

「……だから、遅すぎるんだよっ!!」

 

 

 その深度は強度と同義だ。未だ内にある感情を御せてもいないトーマでは、決して届きはしない域にある。

 

 

「がっ!?」

 

〈トーマ!!〉

 

 

 まるでボールの如く、その身が大きく蹴り飛ばされる。

 重要貨物室から蹴り飛ばされて、八両目の客室へと倒れ込んだ。

 

 

 

 そこで少年は、それを見た。

 

 

 

 

 

 トーマ・ナカジマと言う少年は、これで中々顔が広い。

 町中で言葉を交わした人物は数え切れぬ程であり、誰かの為に必死で動ける少年を慕う者も決して少なくはない。

 

 ならば、この可能性は十分にあり得た事なのだ。

 

 死体があった。山の如く、川の如く、余りにも多すぎる死が其処にあった。

 想像していなかった訳ではない。考えなかった筈がない。それでも、そうなるとは思ってすらいなかった。

 

 死体の山の中に、見知った顔が居るなんて、予想もしたくなかったのだ。

 

 

「……っ!」

 

 

 口元を抑える。腹を蹴り飛ばされて、知人の死を目の当たりにして、吐き気を催す。

 エクリプスによって無理矢理に治っていく身体と異なり、心の傷が増えていく。

 

 

「何だ。今にも吐きそうな顔をして、そんなに死体が珍しいか?」

 

 

 嗤う。嗤う。嗤う。掻痒感を掻き立てる様な笑みを浮かべた宿敵は、こんなにも悍ましい。

 

 

「お前が、やったのか!」

 

「……何が?」

 

「この列車に乗っていた人達を殺したのか、って聞いてんだよ!」

 

「嗚呼、何だ。そんな事か」

 

 

 答えの分かり切った無意味な詰問。

 答えが分かっていて、その反応を嘲笑う無価値な悪魔。

 

 

「イクスの能力は死体がないと不便だからね。一応、欠片でも残っていれば操作できるらしいんだが……材料はたくさんあるんだから、下拵えしておいた方が良いと判断しただけだよ」

 

 

 そんな語りに意味などない。トーマの友好関係の全てを知っている彼が、その犠牲者達に気付かぬ筈がない。

 

 

「そんな、理由で……」

 

 

 全て分かって、それでいながら悪魔は悪魔らしく嗤うのだ。

 

 

「気にするなよ。重要な理由なんて要らない。どうせ生きているだけの無価値な塵だ。幾ら消えた所で、どうでもいい話だろう?」

 

「お前ぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 自制心も冷静さも、もう欠片も残っていない。その無様を諭してくれる師も、未熟を押し止め共に異なる方策を考えてくれる相棒もいない。

 故に、この結果は覆せない。幾度挑もうとも、その立ち位置は揺るがない。

 

 

 

 地面に倒れた少年は、悪魔の足元で無様を晒す。

 

 

 

 

 

2.

 山道に敷かれた線路を走り続けるリニアレール。

 置き去りにされた貨物車両で行われている蹂躙に、ティアナは歯噛みする。

 

 

(また、ミスった。……今度は訓練じゃなくて、実戦だって言うのにっ!)

 

 

 己の所為だ。自分の判断ミスだ。

 

 最悪の怪物の前に、相棒一人を突っ込ませてしまった。

 指揮官として、相棒として、致命的なまでの失策に拳を振るわせる。

 

 

「……ティアナさん」

 

「分かってるわ。落ち込んでいる場合じゃないって」

 

 

 己より幼い子が、自分よりも確かに現実を捉えている。その事実に思う所はあれ、そんな感情は後回しだ。

 自分の失敗で相棒を危機に晒している。ならば己の不始末は、己で尻拭いせねばならない。

 そうでなくば、少女は己が許せない。

 

 

(考えなさい。ティアナ。……どうせそれしか芸はないんだから、どうにかする方法を思い付きなさいよっ!)

 

 

 だが、その死人の群れを前に、少女達に一体何が出来ようか。

 

 一体一体ですら手に余るベルゼバブ。イクスを巻き込まぬ為に偽りの星光は使えずとも、攻防一体と言える強酸の体液は脅威である。

 

 そしてマリアージュは不滅である。傀儡師が其処に居る限り、彼女らが尽きる事はない。

 死力を賭しても一人を倒せるかどうか、だと言うのに相手は無尽蔵に存在するのだ。

 

 

(どうして、こんな時になっても、私の目には何も映らないのよ!!)

 

 

 不安定な歪みは当然の如く発動せず、右の視界は白く濁って見えなくなるだけ。

 幾ら思考を巡らせても、如何に発想を変えようとも、勝機などは欠片たりとも存在しない。

 

 正しく、これは絶望的な状況であった。

 

 マリアージュ達に慈悲はない。元より、そんな感情すら持たないであろう。

 人語を介するだけの頭脳はあっても、思考や感情と言った面では昆虫レベルしかない屍兵器。

 グラトニーと言う接種者を必ずベルゼバブに変える麻薬の影響を受けたとしても、その頭脳が強化される事はない。

 

 彼女達は不死身である事を理由に、指揮者であるイクスを守る以外に策略を立てよう等とは考えない。自身を上回れる可能性など予測もせずに行動する。

 

 

「ガリューっ!」

 

 

 体の一部を様々な武器に変化させて襲い来るマリアージュ。その行動は単調であれ、その性能があれば恐るべき圧へと変わる。

 

 唯一人で戦域を支えていた黒き昆虫も、遂に膝を屈する。

 即座にキャロが援護に入るが、強酸によって穂先の潰れた槍は先程の様な効果を見せず、マリアージュを僅かに揺るがせるだけで終わってしまう。

 

 その揺らぎの瞬間に、キャロとガリューは離脱する。

 だが、その損傷は大きい。ガリューの両手は見るも無残に焼け爛れ、キャロの槍はその穂先が完全に溶けてしまっている。

 

 対するマリアージュは一体が損傷した程度。その傷は決して深くはなく、軍勢の持つ力はまるで落ちていない。

 勝ち目がない。その事実を前に、どうしたら良いのか分からなくなる。

 

 追い詰められて、追い詰められて、追い詰められて――

 

 

「いい加減にしなさいよ!」

 

 

 ルーテシアが声を上げた。

 

 

「アンタの役目は何! ウジウジしてる暇があったら、ちゃんと指示を出しなさいよっ!」

 

 

 可愛い妹と、家族同然に育った召喚獣。二人の傷付く姿に、ルーテシアは怒っている。

 

 

「今は生き残らないと、でしょ! その方法だけ、考えなさいよっ!」

 

 

 倒す術を考える。どうすればリカバリー出来るか思考する。それは愚かな事だ。

 まず勝てないからこそ、トーマ一人を先に送るという小細工を弄したのだ。四人で挑んでも勝てない相手に、三人で勝つ方法などある筈がない。

 

 

「……チビッ子が、言うじゃないの」

 

 

 その事実を受け止めて、その叱咤を受け入れて、ティアナは深呼吸を一つした。

 血の臭いに満ちた客室で深呼吸をした結果気分が悪くなるが、それでも思考はすっきりする。

 

 

「キャロ、ガリュー。アンタ達、まだ動ける?」

 

「な、なんとか」

 

「…………」

 

 

 状況確認の声に、キャロは魔力光を槍型に変化させながら頷き、ガリューは傷の痛みに耐えながら静かに構えを取る事で意思を示した。

 

 まだ二人は戦える。勝利ではなく生き延びる事を目的とするならば、まだ出来る事は確かにある。

 

 

「ガリューをトーマのポジションに、後はいつも通りでやるわよ」

 

 

 ティアナの言葉に、ルーテシアは笑う。手間が掛かる指揮官だが、それでもその頭脳を信用しているのだ。

 腹を括れば、このリーダーは強いと知っている。だからこそ、少女の言葉に皆が頷いて構えを取った。

 

 

「時間を稼げば、何とかなる。此処にはあの人が居るんだから、それまで死ぬ気で耐えるわよ!」

 

 

 特別な策はない。特別な計略もない。

 何時もの訓練と同じ、強敵を前にフォーメーションで立ち向かう。

 

 

 

 光の槍が斬り裂く。黒き掌底が押し寄せる脅威を跳ね除ける。

 橙の弾丸が機先を制し、呼び出された虫が屍人の動きを制限する。

 

 戦線は拮抗していない。黒き虫の拳は少しずつ溶けていき、全霊で槍を形成する幼子の魔力は今にも底を尽きようとしている。

 

 じりじりと削られていく焦燥感。それでも、抗い続ければ如何にかなると信じて行動する。

 

 戦線は拮抗していない。だが、それでも僅かに押し留める事は出来ている。

 崖の先端で爪先立ちをする様に、何か少しでも外的要因があれば崩れ落ちる状況。それでも確かに時間稼ぎは出来ていた。

 

 

「成程、そうですか。……では、その様に」

 

 

 そんな中、傀儡師はぼんやりとした瞳で呟く。魔力反応はない。念話を使っている訳でもない。

 誰かと会話している様に見えても、それは自己の器の中で完結した対話だ。

 そうして内心の声に頷いた後、イクスヴェリアは抗い続けるティアナを見た。

 

 

「随分と酔っていますね。助けが来てくれるから、それまでの間なら、自分の頭脳なら、何とかなるとでも思っているのですか?」

 

 

 最初、彼女が何を言い出したのか、理解出来る者はいなかった。

 

 

「己になら出来る。これしかないから、これしかできないから、これだけは磨いたから、……けど残念。全く全然これっぽっちも届かないんですよね」

 

 

 突き刺すような言葉の嵐。染み込む様な思いの毒。

 傀儡師である女は、その奮闘は無価値に終わるだろうと此処に告げる。

 

 

「浅慮ですよ。短慮です。私達が、エースストライカーに対して何の対処もしていないとでも? そんな風に思考が浅いから、先ほども罠に掛かって無様を晒したのです」

 

 

 無表情のままに紡がれる誹謗。無感動のままに行われる中傷。標的となるのは、その視線を向ける先に居るオレンジの少女。

 

 

「分かりますか? 貴女の事ですよ。ティアナ・L・ハラオウン」

 

 

 掛けられた言葉に、ギリギリの状況で冷静さを保っていたティアナは動きを止めた。

 

 

「聞きたいですね。頭の良さを誇って、その策略を鼻に掛け、それで結局裏を掻かれて無様を晒す」

 

 

 その表情に愉悦はない。あくまでも機械的な指摘。

 

 

「力が足りない。補助も出来ない。頭の良さしか見る所がないのに、それすら役に立ちはしない」

 

 

 それは、ティアナが抱える鬱屈。彼女が飲み干せていない感情。それら全てを表に引き摺り出して、それを嘲笑う言葉の刃。

 

 

「子供に叱責される程に無様。役立たずの足手纏い。生きる価値のない虫けらさんは、一体今どういう気持ちなのでしょうか?」

 

「っ!」

 

「私は浅学なので、その辺が分からないのですよ」

 

 

 自覚があるからこそ、無視できない。

 己でも理解しているからこそ、その言葉を聞き流せない。

 

 

「ねぇ、教えて頂けませんか? ねぇ、ねぇ、ねぇ?」

 

 

 追い詰められた精神状況で、聞かされる侮辱と言う毒。

 震える手で、それでも指揮官で居なければと思考していたティアナはその嘲笑の言葉に無反応ではいられない。

 

 

「……だ、そうですよ」

 

「ふっざけろっ!」

 

 

 まるで伝聞の如く、おざなりに後付けされた言葉にティアナは激昂する。

 何かを考えるよりも前に、塗り込まれた毒を洗い流そうと武器を執った。

 

 

「駄目です! ティアナさん!」

 

「っ!?」

 

 

 その隙は、本当に一瞬に過ぎなかった。

 激情に駆られて動き出す前に、仲間達が止めようと声を掛ける事は出来た。

 

 されど全霊を以って拮抗している状況で、其処に欠片でも余分が加われば拮抗は崩れる。

 振り向いたキャロは吹き飛ばされ、負担の増大したガリューは崩れ落ち、前線に晒された後衛二人はその被害を一身に受ける。

 

 

「死に濡れろ――暴食の雨(グローインベル)

 

 

 無数のマリアージュが膨れ上がって破裂する。

 弾け飛んだ肉体は魂を穢す毒。その赤き滴は万象全てを溶かす雨。

 

 コンパートメントの客室内は、赤き血の海によって満たされた。

 

 

「……成程、確かに効率的ですね」

 

 

 少女達は崩れ落ち、一人残った傀儡師はそんな風に呟いた。

 

 

 

 

 

3.

「全く、学ばないね。バカの一つ覚えだ」

 

「くそっ、くそっ、くそぉぉぉぉっ!」

 

 

 幾度倒されただろうか。幾度傷付けられただろうか。

 何度となく地を舐め、再生して立ち上がる度に叩き潰される。

 

 それでも諦める事はなく、愚直に愚鈍に繰り返す。

 そんなトーマの姿に、無様だ、とエリオは小さく呟いた。

 

 

「結局、君は誰も救えない。それは無駄だ。その抗いは無価値だよ、トーマ」

 

 

 嗤う悪魔を前に、心が折れそうになる。

 それでも退く事が出来ないのは、これが余りに多くを奪うから。

 

 

「お前が奪ったこの人達にも、優しい日常はあった! 愛しい瞬間はあったんだ! その先には、確かな未来があった筈なのにっ!」

 

 

 失った人達を知っている。ごく普通の暖かな家庭だった。

 他に奪われた人達も居る。休日の山岳列車。其処には確かに、多くの人の笑顔があった筈なのだ。

 

 それを奪った悪魔に対し、怒りを耐えられる訳がない。

 だからこそ、何度でも何度でも、意味がないと分かっても拳を振るうのだ。

 

 

「……そんな物はなかったさ」

 

 

 そんな少年の正しい怒りを前に、悪魔は悪辣な笑みを浮かべたまま回答する。馬鹿みたいに真っ直ぐなまま、己に挑み続ける少年へと魔刃は告げる。

 

 

「お前もコイツ等も、皆薄っぺらい綺麗さの上に生きている。薄皮一枚剥げば、醜悪さしか見えない世界で蠢いている。犠牲者の上に享受している幸福など、所詮は欺瞞の類だよ」

 

 

 この世界は見苦しい。この世界は醜悪だ。

 このミッドチルダと言う世界は、知れば知る程にそう感じてしまう。

 

 大天魔と言う災害に抗う為に行われる非道。

 戦時中だから、そんな免罪符を盾に為された外道。

 

 それを為した者も、それの恩恵を受けた者も、全て同罪だ。

 

 

「っ! 欺瞞、だと!」

 

「ああ、欺瞞さ」

 

 

 犠牲者を知るからこそ、その裏にある奈落を知るからこそ、エリオ・モンディアルから見たミッドチルダとは欺瞞に満ちた世界でしかない。

 

 そう。その幸福は見苦しい。

 

 

「ふっざけるなぁぁぁぁっ!」

 

 

 けれどそれは魔刃の理屈だ。全てを知りながらも、当たり前の幸福を味わったことがないからこその理屈だ。

 トーマが見てきた世界とは、其処にあった事実とは、致命的なまでに食い違っている。

 

 

「其処にあったんだ! 其処にあった筈なんだよ! 優しい空気が存在して、美しい景色は其処にあった! ――それを欺瞞だなんて言わせない!!」

 

 

 その瞳が青く輝く。罅割れた殻の内側から零れ落ちた力が、その振るう拳に力を与える。

 

 ディバイドゼロ・エクリプス。

 全てを消滅させる世界の毒を纏った拳が、魔刃を討たんと振るわれる。

 

 

「……嗤わせる。それこそが何よりも欺瞞だろうにっ!」

 

 

 張り付いていた笑みが消えた。其処から除くは、阿修羅の如き憤怒の相。

 

 

「この地は無数の屍の上に成り立っている! 悍ましい地獄を、欺瞞で覆い隠した世界だ! それを美しいなどと、誰であろうと言わせはしない!!」

 

 

 高速で放たれた拳に合わせる様に、振るわれた槍がトーマの肘を打つ。世界を殺す毒も、当たらなければ意味がない。

 そうして弾き飛ばされたトーマに向けられるのは、魔刃の激情。

 

 魔刃は己が何故、これ程に激しているのか分からない。悪魔の影響によって、生きる理由すら見失ってしまった少年では永劫気付けない。

 

 それでも胸の奥が震える。(こころ)が震えるのだ。

 

 

「……僕らの怒りを、思い知れっ!」

 

 

 だから、そんな言葉が自然と口を吐いた。

 

 

 

 許せない。許せない。許せない。

 そんな理由も分からぬ激情に駆られて、エリオはトーマを圧倒する。

 

 

「……欺瞞、じゃない」

 

 

 その激情に気圧されながらも、その性能に蹂躙されながらも、トーマは己の意思を口にする。

 

 その激情に満たされた魔刃が、虚言を弄しているとは思えない。

 ならば確かに犠牲者達は居たのだろう。欺瞞だと、そう言われるだけの業をミッドチルダは重ねてきたのかも知れない。

 

 

「……誰かの犠牲の上にあったとしても、血が流れていたとしても、其処にあった美しさは、その優しさは、偽りなんかじゃ、ないんだ」

 

 

 それでも、その幸福は欺瞞でも、そこで紡がれていた優しさは欺瞞ではない。その美しさは決して、偽りなどではないのだ。

 

 

「お前は、ヴァイセンを焼いた」

 

 

 優しい世界は確かにあった。

 

 

「お前は、ルネッサさんを殺した」

 

 

 永遠に続いて欲しいと思う程に、美しい光景は手を伸ばした場所に確かにあった。

 

 

「誰かを傷つけるお前に、全てを無価値と嗤うお前に、その輝きを、否定なんかさせるかぁぁぁぁ!」

 

 

 それまでも否定するエリオに、トーマは負ける訳にはいかない。

 その美しさが真であると信じるからこそ、醜悪だと蔑む魔刃には負けられない。

 

 海の如き蒼を宿した瞳で、ボロボロのままに少年は立ち上がる。

 勝ち目があるから挑むのではない。負ける訳にはいかないから挑むのだ。

 

 

「……なら、君に教えてあげるよ」

 

 

 その瞳は忌々しい。その輝きは気に入らなかった。

 だからこそ、エリオはトーマの身体を苛め抜くのではなく、その心を壊す為に真実を語る。

 

 

「最大の欺瞞を。君の傍らにある醜悪な真実を」

 

 

 美しい光景しか見ていなかった少年に、その光景の中にある醜悪な物を教えてやろう。

 

 既にこの身は首輪から逃れた。槍と同じく腐炎に耐える特殊な金属。力尽くで外そうにも電流が邪魔をする。故に今まで、黒い首輪は外せなかった。

 

 だが監視の目が逸れた。その視線が緩んだ。その隙に、エリオは己の血肉を引き裂く事で首輪に隙間を作り上げた。

 そうして神経に癒着していた首輪の電流が直接流されない状態を作ると、()()の協力を得て無理矢理に引き千切ったのだ。

 

 この絞首痕は、憎むべき者らの齎した枷を破った証。誇りを以って見せられる傷痕。

 

 その傷痕が示す。最早彼らに従う必要もなければ、立てる義理さえ存在しない。

 故にエリオは、トーマの心を傷付けるであろうその事実を、あっさりと此処に明かした。

 

 

「僕らを作り上げたのは、僕やルネッサ、イクスと言った無限蛇の戦力を用意したのは、ジェイル・スカリエッティだ」

 

「……え?」

 

 

 思わず漏れた声は、余りにも場違いな物。

 

 

「僕ら無限蛇は、管理局の暗部だった。特殊な実験や、世情を操作する為に犯罪行為を行う管理局内の汚れ役だったのさ」

 

「……何を、言っているんだ?」

 

 

 分からない。分かりたくもない。身近に居た人が元凶の一人だった。誇りと共に所属していた組織が悪意に満ちていた。

 

 美しい世界で、楽しげに笑う人。己の命の恩人の一人である主治医。

 共に優しい空気を作り上げていた刹那が、何よりも憎むべき敵を作り上げていたなど信じたくもない。

 

 

「分からないか? トーマ。……僕は君と同じ、管理局員だったと名乗っているんだよ」

 

 

 この世界を守り続けていた組織。その戦列に加わって、戦場に出れる事に誇りを抱いた。

 だからこそ、その組織が醜悪であった事実など知りたくもない。

 

 

「っ! 嘘だっ!!」

 

 

 否定する。否定する。所詮は己を揺るがす為に、魔刃が嘘八百を並べているのであろうと否定する。

 

 

「本当さ。確かめたいなら、クロノ・ハラオウンやレジアス・ゲイズと言った識者共にでも聞くと良い。嗚呼、もしかしたら、そのデバイスが知っているかも知れないぞ?」

 

「……スティード」

 

〈トーマ〉

 

「嘘、だよな。コイツが、エリオが言ってる事は、全部、デタラメでっ!」

 

〈…………〉

 

 

 スティードは答えを返さない。主の問いかけに答えを返したいデバイスは、その問いかけが設定された禁則事項に当たる内容であるが為に、何一つとして言葉を伝えられずに機能を停止する。

 

 そんなデバイスの姿が、エリオの言葉が事実であると雄弁に告げていた。

 

 

「その認識の上で、もう一度口にしよう」

 

 

 信じていた物の崩壊。罅割れた殻の隙間から押し寄せる汚染。追い詰められた精神は、その言葉によって砕かれていく。

 

 

「君は誰も救えない」

 

 

 そう。トーマ・ナカジマは救えない。

 

 

「仮定の話さ。君が執着しているルネッサ・マグナス。あの女がもしも生き延びていたらと仮定しよう」

 

 

 ルネッサ・マグナスがもしも、エリオ・モンディアルによって殺されなければ、果たしてどうなっていたであろうか。

 

 

「君の手によって死から逃れられた彼女は、果たして何処に保護される? 問うまでもない。管理局だ」

 

 

 あの日のトーマに、他に頼れる場所などなかった。

 あの日のトーマが知る者らに、無限蛇の真実に辿り着いていた者はいなかった。

 

 故に当然の結果として、更生の余地がある犯罪者としてルネッサ・マグナスは捕らえられていたであろう。

 

 

「そう。彼女をあの状態にまで追い詰めた管理局に回収されるんだ」

 

 

 あの日、ルネッサは笑った。そうなると分かって、それでもやり直せると信じていた。

 気に病まないで、その想いはエリオに殺されずとも抱いたであろう彼女の気持ち。

 

 

「その後は、どうなるかな? 口封じの為に消されるか? 新たな実験の為に更に酷使させられたか? どちらにせよ、死んだ方がマシな目に会っていただろうさ」

 

 

 やり直せる筈などなかった。

 あの時点で、もう彼女は詰んでいたのだから。

 

 

「君の父親の部隊なら? 或いは英雄の部隊なら? いいや、それでも守り抜くなど不可能だ」

 

 

 ゲンヤ・ナカジマはあくまで陸士部隊の指揮官に過ぎない。より上位の者の命を前に、そう長く女を隠し通す事など出来なかったであろう。

 

 クロノ・ハラオウンは、今でこそ権力を手にしている。だがあの時点での彼は所詮は虜囚に過ぎない。

 守る事は愚か、彼女が隠れるだけの場所を提供する事さえ出来なかったであろう。

 

 

「結局、君は僕に踏み躙られずとも、救おうとした人を救えなかったのさ」

 

「…………」

 

 

 血塗れの傷に塩を塗り込む様に、エリオの言葉はトーマの心に深く刻まれる。

 

 

 

 抗う意思がない。立ち上がるだけの気力がない。

 奪われた現実。教えられた真実。聞かされたifが少年の心を圧し折った。

 

 

「今感じているのは困惑か? 不安か? 嘆きか? 嫌悪か? 怒りか? 諦観か? 絶望か?」

 

 

 罪悪の王は、何処か寂しげに反身を見下ろす。

 

 

「それが世界の真実だ」

 

 

 冷たい少年の声は、この世界の真実を此処に告げていた。

 

 

「悍ましき世界を嫌悪したまま、偽りの理想を抱えて命を終わらせろ。……それこそが、弱さ故に死んだ塵屑(ぎせいしゃ)の墓標に相応しい無価値さだ」

 

 

 膝を屈した少年の首筋目掛けて、魔刃はその刃を振り下ろす。

 

 

 

 

 

4.

 もう駄目だ。もう間に合わない。

 

 フォアード陣は無限蛇を前に敗れ去り、高町なのはは未だ封殺されている。

 足手纏いが居る限り、リミッターが付いた彼女では偽りの輝きを超えられない。

 

 足手纏いを見捨てるなど選べずに、だが新人達を見捨てる事も出来やしない。ならば、選ぶ選択など一つしか存在していない。

 

 

「クロノ君!」

 

〈ああ、分かっている〉

 

 

 緊急回線での呼び掛けに、即座に応えるクロノ局長。

 もうどうしようもない。そんな状況下で打つ一手。唯三度のみ許された一つを、此処に発動する。

 

 

限定(リミット)解除(リリース)!〉

 

 

 翠の光が球体を形成する。降り注ぐ偽りの星光は、極大の光によって吹き飛ばされた。

 

 

「待ってて、直ぐに行くからっ!」

 

 

 空中に立つは管理局の白き英雄。彼女がその真なる力を取り戻した今、屍人の兵など敵ではない。

 

 

「不撓不屈、全力全開!」

 

 

 嘗てよりも合一は進んでいる。その砲火は未だ終焉に殺される前の出力には届かずとも、偽りの星では掻き消せない。

 

 

「ブラストォォォッシュゥゥゥゥトッ!」

 

〈Blast Calamity〉

 

 

 生み出された魔力は宛ら太陽の如く、翠の輝きは屍人の群れを駆逐する。

 

 ベルゼバブの弱点は高魔力による非殺傷攻撃。それはマリアージュ=グラトニーも変わらない。

 崩れ落ちたマリアージュは、自爆すら出来ぬ様に一瞬で核を封印されていく。

 

 

「……まさか、マリアージュが」

 

「なのは、さん」

 

 

 驚愕に目を見開く冥王。師の輝きに照らし出されて震える弟子。

 そんな彼女らの思考が追い付く暇もなく、高町なのはは飛翔する。

 

 

「このまま一気に、終わらせるっ!」

 

「っ!?」

 

 

 狙うのは傀儡師。冥府の王イクスヴェリア。

 その身が生み出した新たな軍勢をあっさりと無力化し、流星の如くに女は迫る。

 

 

 

 キンと甲高い金属音と共に、杖と槍が交差した。

 

 

「舐めるなよ。エースオブエースッ!」

 

 

 トーマに止めを刺そうとしていた少年は、同胞の危機を前に即座に動きを変える。その凄まじい速度は、高町なのはですら見失いかける程。

 

 

「っ! ……この子、強いっ!」

 

「……ちっ、流石にエースは厄介だな」

 

 

 互いに交わした一撃から、双方の力量を正しく認識する。

 全力を出したなのはと、腐炎を封じているエリオ。その実力は正に拮抗していた。

 

 両者共に距離を取る。打ち合えば不利、そう感じたなのは。イクスを守る事を優先したエリオ。双方の思惑が重なり、距離は自然と大きくなる。

 

 

「済みません。エリオ。……しくじりました」

 

 

 腰を抱かれ、共に引き下がる少女は詫びる。

 

 彼にとって、過去を切り捨てる為に必要だった事。

 宿敵を倒して、初めて先に行けるのだと言う思考。

 

 その決着に水を差した不出来に、少女は頭を下げていた。

 

 

「まぁ、良いさ。……あんな雑魚。殺す機会は何時でもある」

 

 

 エリオは置き去りにされていく車両に残されたトーマを一瞥する。

 何時か殺す宿敵。されど最早脅威など感じない。あれは何時でも殺せるだろう。

 

 

「逃がすと、思ってるの!!」

 

「アンタこそ、追えると思わない事だ!」

 

 

 一瞬で無数の魔法を形成するなのは。そんな彼女に対して、エリオはどこか優しげな声音で最後の仲間の名を呼んだ。

 

 

「おいで、アギト!」

 

「よっしゃぁぁぁ! あたしの出番だな、兄貴!」

 

 

 客室から飛び出して来たのは、全長30センチ程度の小さな少女。

 ビキニの如き水着に悪魔の様な羽。赤い髪の少女こそは、古代ベルカのユニゾンデバイス。

 

 

人魔・融合(ユニゾン・イン)

 

 

 エリオとアギトがその手を合わせた瞬間、二つの影は一つとなる。

 

 

「古代ベルカの、ユニゾンデバイス!?」

 

「驚いている暇などないぞ」

 

 

 薄い金色に変化した髪と瞳。振るわれる槍は焔を纏って、全てを此処に蹂躙する。

 

 

『剣閃烈火っ! 火竜一閃っ!!』

 

「そんな大振りの攻撃じゃ――不味いっ!?」

 

 

 なのはは気付く。そのマルチタスクが示した答え。レリックと言う高魔力結晶体が存在する場所で、放たれた広域殲滅魔法はそのロストロギアをこそ狙っていた。

 

 エリオ・モンディアルはニヤリと笑う。その意図が分かって、それでもなのはは動かずにはいられない。

 

 見過ごせば死ぬ。なのはではなく、新人達が命を落とす。

 大爆発を起こすレリックは、この山岳地帯を地獄へと変えるだろう。

 

 

「っ! レイジングハート!!」

 

〈Eternal Coffin〉

 

 

 それを止める為に、慣れない氷結魔法を行使する。

 資質がなく、専用のデバイスもなく、適正を技巧で補って使用された魔法は確かにレリックとその周辺空間を凍結させた。

 

 

「さぁ、隙が出来たな」

 

 

 だが、同時に隙を生み出す。格下相手ならば兎も角、同格の敵を前にその隙は致命的な物であった。

 

 

『墜ちろ、エースオブエースッ!!』

 

「っ!?」

 

 

 槍が吸い込まれる様に、高町なのはの胴を貫く。

 ついで打ち込まれた蹴撃が、エースオブエースを地の底へと叩き落した。

 

 

 

 

 

 残されたのは無限蛇の三人と、崩れ落ちた新人達。

 

 

〈はっ、あたしと兄貴がユニゾンすればこんなもんだぜ〉

 

「……仕留めた、のですか?」

 

「いいや。あの程度で死ぬなら、管理局のエース足りえないさ」

 

 

 山の麓、そこで輝く翠の光を見下してエリオは語る。

 再演開幕。一度殺されたなのはは、山間の谷間で既に蘇生を終えていた。

 

 これ以上この場に留まれば、あの全力のエースと終わらぬ死闘を強要されるだろう。

 腐炎を使えば蘇生を無視して確実に殺せるが、それを使わない以上は泥沼にしかならない。

 

 そんな戦闘などエリオは望んではいないのだ。

 

 

「為すべきは為した。此処は退くとしよう。……もう僕たちは自由で、何時だって、何だって、望んだ事を望んだだけ出来るんだから」

 

 

 帰るべき場所はない。戻るべき場所もない。為すべき事もありはしない。

 

 

「さよならだ。トーマ」

 

 

 彼は唯の無頼漢。社会と言う枠組みに囚われる事はなく、何処までも自由に突き進む。

 

 

「何時か僕に殺されるその日まで、膝を抱えて震えていなよ」

 

 

 アギトと融合したまま、イクスを片手にエリオは去っていく。

 二度目の邂逅は、こうしてトーマの――機動六課の完全敗北に終わったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 




エリオ達の裏切り。
無限蛇は管理局に反旗を翻しました。


それに対する生みの親の一言。
スカさん「素晴らしいじゃないか! 私の予想を超えるなんて、なんて親孝行な息子なんだ!!」(マジキチスマイル)


飼い犬に手を噛まれたのに、スカさんは大喜びだったりします。





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第五話 白百合の乙女

サブタイの子は顔見せだけ。


1.

 古代遺産管理局の局長室。

 執務用の机に向かう青年は、事件の事後処理を行っていた。

 

 先の山岳レールウェイで起きた無限蛇による事件。

 遺産管理局が受けた被害確認と、現場で起きた出来事の理解。被害者の遺族への説明と助成金の手続き。

 これまで華々しく活躍していた新設組織のスキャンダルを騒ぎ立てようと集まる情報機関関係者への対応。

 

 彼が処理せねばならない問題は多くあり、その殆どを終えた今漸く一息を吐いて革張りの椅子に背を預けたのだった。

 

 

「……不幸中の幸いは、最高評議会も僕ら英雄の名を穢したくはなかった、と言う点か」

 

 

 作られた英雄によって士気を維持するミッドチルダ。

 その実質的な支配者である最高幹部達もまた、クロノの失脚を望んではいない。故にこそ、局長を騙るなどと言う敵対宣言をしても向こうは手出しをしてこないのだ。

 

 

「癪な話だが、僕ではこうも都合の良い事実を作り上げる事など出来なかっただろう」

 

 

 隠せない事実は明らかにしたまま、都合の悪い真実のみを隠し通すその手腕。それを貫き通せるだけの権力とコネクション。

 

 政治と言う分野において、自分は一歩も二歩も遅れを取っていると言う自覚がある。

 古代遺産管理局にとって最大の敵と言える彼らに助けられた事は確かに癪な話だが、元より毒杯を飲み干してでも為すべきを為すと誓った身だ。

 

 最高評議会への敵対心は一時的に仕舞込む。無限の欲望の行為を知りながらも身内に引き込んだのだ。今更、悪行が増えたとして、一体何を戸惑う必要があろうか。

 

 今は未だ必要だと認めよう。何れ覆すその日まで、何時かその毒に倒れる事を覚悟して、今はその毒杯を飲み干すのだ。

 

 

「……昔の自分が見たら、堕落だと詰るかもしれないがな」

 

 

 思えば、随分と遠くに来た物だ。鏡に映った己の姿に、そんな感慨を抱く。

 

 歪みを制限する室内では、白地の着物を着なくても良い。

 だと言うのに簡素な着流しを着ている自分。和装を着るのが自然になるほどに、この身に馴染んでしまっているのだ。

 そんな所にも変化は見て取れる。他にも探せば、色々と見つかるのであろう。

 

 そんな事を益体もなく考えていると、基地内の通信装置が電波の受信を感知する。

 クロノ・ハラオウンは片手で空間に投射されたモニタを操作すると、連絡を入れてきた女が口を開く前に彼女の名を呼んだ。

 

 

「月村か。六課メンバーの状況はどうだ?」

 

〈あ、うん。今の所、容体は安定しているよ。魔群の毒も、それが血による物なら血染花で対処出来るからね。……ティアナちゃんも後数日もすれば普通に動ける様になるわ〉

 

「……そうか」

 

 

 ほっとクロノは安堵の溜息を漏らす。略式とは言え報告を遮ってまで発言した内容。で、ありながらも直接的には聞いてこない男の様子にすずかは苦笑する。

 

 

〈って言っても、問題がない訳じゃないんだけどね〉

 

 

 そんな笑みを引き締めて、すずかは医療班の班長としての視点で問題点を語る。

 

 

〈トーマとティアナの、精神面でちょっと、ね。……ティアナの方は兎も角、トーマはかなり重症よ。適切な対処を見誤ると、此処で折れるかもしれない〉

 

「……スティードが撮影した記録映像は、こちらでも確認している」

 

 

 トーマとエリオ。二人の戦いの一部始終は見聞きしている。

 エリオがトーマに何を語り、それがどれ程にトーマを傷付けたのか。予測の域を出なくとも、その刻まれた傷の大きさは判断できた。

 

 

「その上で言うがな。現状では何もせん」

 

〈……見過ごす気? あの子の性格的に、ドツボに嵌りそうだけど〉

 

 

 あっさりとした発言をする上司の姿に、すずかは僅か眉根を寄せる。

 内々であれば無理に形式張った所作をせずとも良い。そう言われていた事もあって、すずかは言葉を飾らない。

 

 そんな己を責める発言に、クロノは気にした素振りも見せずに己の判断理由を明かす。

 

 

「スカリエッティの件は、奴本人の口から語って聞かせれば良い」

 

 

 何を想い、何を目指し、何の為に何を為したのか。

 他者が語るよりも、本人に全てを語らせた方が良い。その結果が納得出来る物でないとしても、本人同士に対話させる事に意味がある。

 

 どの道、何れ奴には全てを語らせる気であった。それが多少早くなっただけと言えよう。

 

 

「他の問題はな。……迷いや戸惑いなどは、休暇の一つでもくれてやれば解決する」

 

 

 ミッドチルダが綺麗と信じる子供に明かされた、薄汚れた真実。それを知った今、少年は迷いを抱いている。

 

 何の為に戦うのか、何を信じて戦うのか。

 だが、そんな物。態々教える必要などないのである。

 

 

「アイツの教えを受けた子供だ。何の為に戦うのか、既に知っている筈だ。なら、もう一度それと、肌で触れ合ってみれば自覚する」

 

 

 当たり前の平穏の中で、守る者を知ってきた筈だ。醜悪な真実に打ちのめされても、優しい現実がある限り、あの少年は立ち上がれると確信している。

 

 

「……最大の懸念は魔刃に対する執着だが、こちらはもうどうしようもない」

 

 

 魔刃に対する怒り。恨み。憎悪。敗北を機に得てしまったであろう劣等感や、勝ちたいという意思。

 そう言った物は、外野から働きかけをしたとしても揺るがす事など出来ないであろう。トーマ自身が向き合っていかなくてはいけない問題だ。

 

 だからこそ、クロノ・ハラオウンはトーマ・ナカジマに対して何もしないと語ったのだ。

 

 

「僕らに出来るのは、力を鍛えてやるくらい。……それ以外は、何もしないで良いのさ」

 

 

 トーマの事を軽んじている訳ではない。しっかりと考えた上での判断だと理解して、すずかは表情を和らげた。

 

 

〈……ティアナに対する判断も、それと同じくらい冷静に下せると良いんだけどね〉

 

「……どういう意味だ? 何故、笑う」

 

 

 最初にティアナの容態を報告した際の姿を思い出し、すずかはくすりと笑みを浮かべる。

 

 

〈何でもないよ。心配性なお兄ちゃん〉

 

 

 鋼鉄の如き意思しか見せぬ男よりも、人間らしさが見え隠れする方が好ましい。そんな風に月村すずかは思うのである。

 

 

 

 

 

「それで、今後はどう動くのかな?」

 

 

 話の流れを変える様に、すずかが問いかける。そんな露骨な話題逸らしに、クロノは目を半眼にしつつも「まぁ、良い」と口にしつつ答えた。

 

 

 

 そも、古代遺産管理局の設立理由とは何であるか。

 何れ訪れると予言された災厄。管理局の崩壊に際して、自由に動ける戦力を用意するのが一つ。その戦力こそが、機動六課。

 

 

「まずはバニングスを六課に合流させる。奴の追っている事件は、動物園の連中にでも任せておけば良い」

 

「……動物園って、確かに二人とも動物だけど」

 

 

 二つはその災厄の阻止。何故それが起きるのかを明かす事。

 

 予言に記されし反天使。

 魔刃。魔群。魔鏡。彼らこそが世界を滅ぼす。その先駆けとなる者達。

 

 身内に引き込んだ無限の欲望より無限蛇の実態を聞き出した時、“敵”は実際に破滅を起こす反天使から彼らの裏で糸を引く最高評議会へとシフトした。

 

 そんな管理局の裏に巣食う古き者共を排除する為にこそ、古代遺産管理局と言う大掛かりな組織を作り上げたのだ。

 

 

「機動部隊メンバーは今後、三人一組を厳守させる。無限蛇の連中と遭遇した場合でも、それである程度の対処は出来る筈だ」

 

「スターズが囮で、バーニングを本命として動かすと見て良いの?」

 

「場合によりけり、だな。……魔刃がトーマを狙う以上、スターズがそちらの対処に回る事は必然として多くなるだろう」

 

 

 だが破滅を齎す魔刃の裏切り、それが状況を変えた。

 既に最高評議会の指揮下にいない彼が、何を仕出かすのか分からない。

 

 故に有事に至るまでは囮である六課が、異なる意味を持つ。その裏で、魔群の痕跡から最高評議会を引き摺り出す場を用意しようとしていたアリサの役割も変わる。

 

 これまで通り、最高評議会を引き摺り出す術を探る事は必要だ。だがそれ以上に、無軌道に暴れまわるであろう魔刃に対する対処こそが重要となるのだ。

 

 

「……まあ、先ずはスカリエッティの奴が査問会から戻って来てからだな」

 

 

 最高評議会によって呼び出されたジェイル・スカリエッティ。彼がどの様な情報を持ち帰るかで、古代遺産管理局や機動六課の行動も変わってくるであろう。

 

 スカリエッティが裏切るとは考えない。あの男は裏切れない。

 

 ヴェロッサの思考捜査によって深層意識の底の底まで全てを明かされ、魔法によって幾つもの制約を課されているジェイル・スカリエッティ。

 彼は裏切る事は出来ないし、裏切るだけの理由も持たないのだ。

 

 クロノは椅子からゆっくりと上体を起こすと、悪友が淹れた珈琲に口を付けるのであった。

 

 

 

 

 

2.

 薄暗い地下室。うっすらと黄金色に輝く試験管の中に、浮かび上がるは剥き出しの脳髄。

 その三つの脳髄こそは、このミッドチルダを統べる管理局最高評議会。

 

 

〈一体、どういう心算だ! ジェイル・スカリエッティ!!〉

 

 

 彼らは呼び出しに応じて現れた白衣の狂人に、開口一番にその様な詰問を投げかけていた。

 

 

「はて、どういう心算、とは。皆目、検討が付きませんが」

 

 

 戯けた様子を隠さぬ道化。面従腹背の情を隠そうともしないスカリエッティ。

 どの道、隠した所で意味はない。最高評議会の傍らに膝を付く歪み者ら。精神を覗く透視能力が、内心の思い全てを明らかにしてしまう。

 

 どうせ分かるならば、隠す必要はないだろう。そんな彼の態度に、最高評議会は機械越しに声を荒げた。

 

 

〈戯けるな、道化! 山岳レールウェイズでの事件はやり過ぎだ!〉

 

〈計画では、機動六課に花を持たせる予定だった。魔刃の投入は早過ぎる〉

 

〈その上、エリオ・モンディアルの首輪が外れているのはどういう事だ!? 魔刃の恐るべき刃は、我らの手で完全に管理されていなければならない!〉

 

〈神の子の羽化の為に必要な試練であり、同時に我らが聖なる王が振るうべき刃こそが魔刃であろうに!〉

 

 

 口々に騒ぎ立てる老人達。現実が己の思い通りになると慢心している愚か者。

 

 未だスカリエッティが糸を引いている等と、余りにも楽観が過ぎる思考をしている彼らの姿に、スカリエッティは嘲笑を隠さない。

 

 

「……私は、何も知りませんとも」

 

〈何!?〉

 

 

 だからこそ、そんな的外れな者達に真実を語ろう。

 

 

「ですから、これはあの子の成果です。……無限蛇は、己の意思で我らを裏切ったのですよ」

 

 

 その言に偽りはない。その言は偽れない。

 他ならぬ最高評議会こそがそれを知るが故に、彼らは恐慌の如き醜態を晒す。

 

 

〈馬鹿な。そんな馬鹿な〉

 

〈貴様が糸を引いているのではないのか!? そうでなければ、どうして!?〉

 

 

 そんな姿に先の判断の一部を改める。彼らは楽観が過ぎるのではなく、現実を理解したくなかっただけだろう、と。

 

 スカリエッティにとっては踏み台に過ぎない魔刃も、彼らの視点で見れば自由に動かせる最高戦力だったのだから。

 

 

「さて、予測は出来ますが、確証はどこにもありません」

 

 

 古き世の支配者。未だ終わらぬ戦火より世界を救わんとする夢想家たち。

 

 

「ですが、今は嘆くよりも喜ぼうではありませんか」

 

 

 その為に肉体を捨て、脳髄に成り果ててでも守ろうとした嘗ての英雄。

 

 

〈貴様、何を〉

 

「あの子の成長を、ですよ」

 

 

 どれ程に長く生きても、彼らは唯の人なのだろう。

 

 

「魔刃は我らの思惑を超えたのです。その成長を、どうして喜ばずに居られますか!」

 

 

 どれ程に姿形が変わろうとも、彼らはあくまでも真っ当な人間なのだろう。

 

 

「良くぞ、この父の思惑を崩した。良くぞ、この父の予測を超えた。認めよう。見誤っていた。それが限界だと決めつけて、君の真価を間違って判断していた!」

 

 

 其処に信念があり、其処に意志があり、其処に誇りがあり、其処に愛があり、故に彼らは己の肉体が朽ち果てて尚戦い続ける事が出来た。

 

 

「素晴らしい! 最高だ! 我が愛し子よ! 君を作って、本当に良かった!」

 

 

 故にこそ――

 

 

「フフフ、フハハハハ、ハーハッハッハッハッ!!」

 

 

 スカリエッティの狂気に、彼らは付き合えない。

 

 

〈……こやつ、正気か〉

 

〈だが、嘘偽りは口に出来ん。スカリエッティには枷がある〉

 

〈ならば、真実、コヤツは関わっていないのか〉

 

 

 その在り様の悍ましさに、最高評議会は理解する。その破綻した思考に、歴戦の歪み者達でさえも内心を見続ける事が出来ずに目を逸らす。

 

 誰もが理解した。ジェイル・スカリエッティはイカれている。

 

 

〈なんという事だ。……なんという〉

 

〈魔刃が居なければ、もしこの瞬間に夜都賀波岐が来たとして、どう対処すれば良いと言うのだ〉

 

 

 彼らの嘆きは必然だ。彼らの余裕は、結界内で戦う限り魔刃が大天魔を圧倒できると言う事実から来ていた。

 それが彼らの手元から失われた今、最早其処に余裕などは欠片もない。

 

 

〈止むを得ん。計画を加速させよう〉

 

 

 故に最高評議会議長。今は名も失くしてしまった脳髄は決定を下す。

 

 

〈聖王陛下を目覚めさせ、一刻も早く、英雄達の下へと〉

 

 

 本来の計画を加速させる。一刻も早く、その目的へと至らねばならない。

 

 

〈公開意見陳述会にて予定していたレジアスの排除を先にせねば、クロノが力を持ち過ぎるのではないか? 唯でさえ、奴には手が出せん。奴もそれが分かって、こちらを利用している節がある。陛下を与えれば、奴の基盤はより盤石な物となってしまうぞ〉

 

〈それに、陛下の調整とて難航している。まだ完全なる聖王となり得ていないぞ〉

 

 

 議長の声に、残る二人は懸念を吐露する。

 

 クロノの反意は明らかであり、聖王を利用して教会と繋ぎを持たれたら最高評議会を引き摺り出せるだけの勢力になってしまう。

 

 聖なる王は未だ不完全。糧となるトーマ・ナカジマも完成しておらず、この状況で六課に預けたとしてどれ程に好転するかも分からない。

 

 

〈それでも、だ。為さねばならぬ〉

 

 

 そう。それでも為さねばならない。

 

 

〈魔刃と大結界。二つの要素が我らの切り札であった。だがその片方が失われた今、最早我らには一刻の猶予もないのだ〉

 

 

 聖王の完成を急がねばならない。

 英雄達の下で、彼らの全てを学習させねばならない。

 

 聖なる王は英雄達の下、人の輝きの何たるかを学び聖なる槍の正当なる所有者となる。

 神殺しの槍を持て神の雛を喰らい殺し、ゆりかごに乗って穢土夜都賀波岐を殲滅する。

 偉大なる神を弑逆した後、神座世界への路を開き極大の邪神を打ち破るのだ。

 

 残された座の残骸を回収出来れば、神座再生は可能だと判断している。

 彼の前史文明は科学力にて座を生み出したのだ。あれの本質はロストロギアである。

 

 ならば管理局の技術力を以ってすれば、目の前で高笑する狂人の頭脳があれば、劣化品であれ似た物を作り上げる事は不可能ではない。

 その果てに、永遠の理想郷は完成する。それこそが、最高評議会が目指す至高の天だ。

 

 

 

 

 

(全く、無知とは恐ろしい物だね)

 

 

 己に向けられていた読心の力が消えた事を理解して、狂騒を演じていたスカリエッティは思考を巡らせる。

 

 無知と嘲るのは目の前の脳髄の事ではない。

 無知の恐ろしさを実感するのは、己の記憶に空白が生じているがこそだ。

 

 

(私自身の記憶に空白がある。脳内にあった筈の情報が消去されている。こんな事が出来るのは、あの子くらいな物だろう)

 

 

 他者の脳に干渉し、その異能を写し取る鏡。反天使が最後の一つ。魔鏡アスタロス。

 魔法と科学と御門の技術。幾つもの守りを用意していたスカリエッティの記憶を一方的に消せる怪物など、アレを置いて他に居ない。

 

 

(詰まり、裏切ったのはエリオだけではないという事だろうねぇ)

 

 

 魔鏡に関する記憶が完全に消されている。

 誰が魔鏡であるのか、男か女かすらも、スカリエッティにはもう分からないのだ。

 

 製作者である彼がこの様だ。他に魔鏡の正体を知る者など、何処にもいないと言えるであろう。

 

 

「では、勝負と行こうか愛し子達よ」

 

 

 そんな己の子らの裏切りを、されどスカリエッティは満面の笑みで受け入れる。

 

 

「私の求道と、君達の輝き。どちらが勝つか、試してみるとしよう」

 

 

 己の為すべき事は変わらない。古代遺産管理局に必要な者らが揃っている現状、己の求道を貫くのに足りぬ物など一つもない。

 正義の味方の一人として、彼らを全力で支援しよう。

 

 反天使ら、愛し子の抗い。それを歓喜で以って受け入れる。

 もしも彼らが己の求道全てを乗り越えて見せるなら、その子は必ずや世界の頂点へと至るであろう。

 

 己の策略と彼らの意思。どちらが勝ろうとも、己の理想は己の最高傑作の手によって果たされるのだ。

 

 

「嗚呼、本当に……楽しみだ」

 

 

 状況は己の想定を超えている。だが既に条件は満たされた。嘗て打ってあった一手が効果を発揮する。

 

 

 

 未だ微睡む神の子が、目覚める時は近付いていた。

 

 

 

 

 

3.

 茶髪の少年が公園のベンチに座っている。

 黒いシャツに青のジーンズ。白いジャケットを羽織った少年だ。

 

 

「ねぇ、スティード」

 

 

 少年は紙袋を手に抱いて、首から掛かったデバイスへと言葉を掛ける。

 大人達の判断で危険はないと断じられたデバイスは、未だトーマの手元にある。

 

 与えられた休暇を公園で無為に過ごす少年は、されどその時間で大切な物を再認していた。

 

 

「僕にはさ。エリオが言った様に、この世界が醜悪だとは思えない」

 

〈トーマ〉

 

 

 何も持たず、着の身着のままでクラナガンを彷徨い歩いていた少年。彼が手にした紙袋の中身は、全てが街中で貰った物だ。

 

 どこか痛いの? そう問い掛けて来た子供が居た。

 元気出しなよ。そう笑いかけてくれる商店の店主が居た。

 何かあったのですかと、心配してくれる知り合いの姿が其処にあった。

 

 それはトーマが人一倍明るくて、普段から人助けばかりしているからかもしれない。

 だからこそ、彼らはそんなトーマが落ち込んでいる姿を見過ごせなかったのであろう。不安や戸惑いを抱えて暗くなる少年に、手を差し伸べてくれたのであろう。

 もしもトーマでなければ、ここまで親身にはしてくれなかったに違いない。

 

 けれど。

 

 

「汚い物じゃない。この優しさは、汚くなんかないだろう」

 

 

 痛いの痛いの飛んでいけと、そう小さな掌を動かす姿が醜い筈がない。

 これでも食べて元気を出せ、と林檎を大量にくれた豪快な店主の笑みが嘘偽りな筈はない。

 向けられる有形無形の思いの全てが、醜悪な筈あるものか。

 

 紙袋から取り出した林檎に噛り付く。口の中に、優しい味が広がった。

 

 

「……あるんだよ。やっぱり、此処にあるんだ」

 

 

 その爽快な甘さは、此処にある優しさに何処か似ている。そんな甘さを失くしたくはないと願っている。

 

 

「優しい刹那は、確かな温かさは、このミッドチルダに溢れている」

 

 

 漸く理解した。いいや、最初から知っていた。

 世界の真実がどれ程に悍ましくとも、今其処にある現実は美しいのであると。

 

 

「なくなって欲しくない。失いたくない。この綺麗さを、否定なんてさせたくない」

 

 

 永遠に続いて欲しいと切に願う。

 そんな美しさは、誰にだって否定させたくはない。

 

 

「……けど、僕は負けた」

 

 

 だが否定された。その言葉を覆す事が、己には出来なかった。

 

 

「アイツに、否定するアイツに、何も出来ずに負けた!」

 

 

 拳を握り締める。歯を食いしばる。荒れ狂う内心を此処に吐露する。

 

 

「偽りだって、嘲笑うアイツに! 醜悪だって見下すアイツに! エリオに僕は勝てなかった!!」

 

〈トーマ〉

 

 

 力の優劣が全てを定めるなどと語る心算はない。

 されど互いの論が交わらぬ時、その優劣を断じる要素になるのは確かな事実であろう。

 

 弱者の言に力はない。どれ程に美しいのだと声を立てようと、殺されてしまえばもう口は開けない。

 あっさりと潰されてしまう程に、トーマの言葉はまだ軽い。

 

 

「勝ちたい! 僕はアイツに、エリオに勝ちたい!」

 

 

 心に残った想いはそれ一つ。何もかもを見下したアイツに、認めさせるだけの力が欲しい。

 己の弱さを噛み締めて、トーマは嘆く様に声を漏らした。

 

 

 

 少年が内心を吐露して、どの程度の時間が経った後か。

 一分か、十分か、三十分か。或いは五秒にも満たない時であったか。

 

 暫し時間を空けた後、彼のデバイスであるスティードはトーマに言葉を掛けた。

 

 

〈力が、欲しいですか?〉

 

「え?」

 

 

 それは楽園の林檎に絡み付いた蛇の如き誘惑。

 スティードと言う機械に用意されていた。無限の欲望が仕込んだ一つの毒。

 

 

〈其処に行けば、貴方は力を手に入れる。其処には、貴方の為の剣がある〉

 

「……スティード?」

 

 

 真にトーマが力を望んだ時、その機構は動き出す。今トーマは、狂人の誘惑を躱せぬ程に追い詰められている。

 

 

〈それを得れば、貴方はもう誰にも負けない〉

 

 

 その声はまるで蜜の如く、まとわりついて染み込んでくる。

 

 

「……けど、それは」

 

 

 どこか違う。強く、強く、強く希求する中で、それでも何かが違うと踏み止まる。

 真面目に生きる師の姿が脳裏に浮かんで、毒を振り払おうとトーマは首を横に振る。

 

 そんな彼の抵抗は――

 

 

〈エリオ・モンディアルに勝利したくはありませんか?〉

 

「っ!」

 

 

 そんな一つの言葉で完膚無きまでに崩れ去った。

 

 

「……勝てる、のか」

 

 

 アイツに勝てるのか、そう問いかけるトーマにスティードは答える。

 

 

〈ええ、それを得た貴方に勝てる者など居はしない〉

 

「……僕は、勝てるのか」

 

 

 二度目の問いは唯の確認事項。それに対しスティードは、一つの座標を映し出す事で答えを返す。

 それは、トーマが得るべき力がある場所。

 

 

〈さあ、行きましょう。トーマ〉

 

 

 項垂れていた少年は顔を上げる。その瞳に宿る意思は、澄んだ色とは違っている。

 

 

白百合(リリィ)が貴方を待っている〉

 

 

 

 握り潰された林檎の残骸に蟻が群がる。

 この日、一人の少年がクラナガンから姿を消した。

 

 

 

 

 

4.

 一つの無人世界。野営用のテントの前で、小さな焚火を前に赤毛の少女は騒ぎ立てる。

 

 

「へっへー。やっぱ、あたしと兄貴が協力すれば、エースだろうがあんな物だぜ」

 

 

 何度目の繰り返しになるのか、自慢げに胸を張る手の平サイズの小人の言葉にイクスが相槌を打っている。

 

 彼女曰く、アギトの語りは楽しいらしい。

 

 言葉選びは稚拙だが、思わず笑みを浮かべてしまう様な愛らしい仕草。

 同じ事の繰り返しでも、目まぐるしく変わる表情は見ていて苦にはならないと言う話だ。

 

 少年にとって、その感覚はまるで理解が出来ない。

 可愛さだの、会話の楽しさだの、絆だの、まるで理解の範疇には存在していない。

 

 だが、それでも――

 

 

「あっ! 兄貴が笑ってる!」

 

 

 感じる物が確かにあるのは、事実であった。

 

 

「……僕は、笑っているのか?」

 

 

 アギトの指摘を受けて、エリオは目を丸くする。

 戸惑いを隠せぬ少年の態度に、もう一人の少女は優しげな笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。

 

 

「ええ、優しい目をして、笑ってましたよ」

 

 

 言われて頬に手を当てる。緩んでいる様には感じられない。

 優しさなど、そんな感情は当の昔に忘れてしまった筈だった。

 

 

「なぁ、兄貴! 何処が面白かった!?」

 

 

 目を輝かせて、近付いてくる小人の少女。

 手を伸ばして握れば、それだけで潰れてしまう弱者は語る。

 

 

「兄貴ってばいっつもムスってしてるからな! 今みたいな笑顔浮かべてる方が、絶対に良いぜ!」

 

 

 そんな笑顔が好きだから笑わせたい。

 面白い話を出来るようになるから笑って欲しい。

 

 そんな風に笑う少女の姿は酷く眩しい。

 

 

「ええ、そうですね。……笑えるなら、笑った方が健全です」

 

「イクス」

 

 

 助けを求める様な視線に返されるのは、何処までも優しげな眼差し。

 

 

「罪深き私達は、何時か裁かれるのでしょう。……けれど、全力で生きた先の裁きなら、きっと」

 

「はっ、何言ってんのさ、イクス!」

 

 

 優しげに語る少女の言葉を遮り、烈火の剣精は腰に手を当てて自慢げに語る。

 

 

「兄貴は死なねぇよ。あたしがずっと守るんだからな!」

 

 

 そんな少女の姿に、胸が苦しくなる様な熱を感じるのだ。

 

 

 

 嗚呼、きっとこれは弱さだ。

 この暖かな物を失くしたくないと感じてしまうこれが、弱さでなくて何なのか。

 

 それでも、罪に塗れた己の願いが叶うならば――

 

 

「僕は」

 

 

 

 

 

 エリオの想いが、言葉になる事はなかった。

 

 

「遮って済みません、エリオ。……彼女から」

 

「……アイツか」

 

 

 浮かんだ微笑を消して、エリオは目を細める。

 

 

「あの女は、何と言っている?」

 

 

 イクスに対し何時でも言葉を掛ける事の出来る女。ベルゼバブとなってしまったイクスの生殺与奪を握る悪女。

 

 あの女は気に入らない。イクスの事がなければ、今直ぐにでも燃やしている。

 それが出来るだけの力はあり、それを為さないのはこんな暖かさに抱いてしまった弱さ故だ。

 

 

「白百合は彼の地に、神の子の手に渡る前に破壊せよ、と」

 

 

 あれは小物だ。己よりも優れた作品があるのが許せないと語る子悪党だ。

 魔刃の腐炎が怖くて、イクスを介さねば話し掛けてすらこれない弱者である。

 

 あの女がスカリエッティを裏切ったのは、自分こそが彼の最高傑作だと示す為。

 

 故にこそ、あの女が居る限りエリオはスカリエッティを殺しに行けない。それこそ、イクスヴェリアを見捨てれば話は別なのだろうが。

 

 やはりこれは弱さだな、と己の胸に宿った熱をエリオは嘲笑する。

 

 

「……行くのか、兄貴」

 

「何か不満があるか?」

 

「クアットロに従うってのも嫌だけどさ。それ以上に、……また殺すんだろ」

 

「うん。そうだね」

 

 

 あっさりと返された言葉に、アギトはどう答えようかと一瞬悩む。

 だが一瞬だ。結局自分は言葉を選べる程に器用ではないと思い直して、彼女は思いの丈を素直に口にした。

 

 

「……出来れば、兄貴に殺して欲しくねぇ」

 

 

 それはもう手遅れな言葉。

 

 

「研究員とか、あのイカレ野郎が作った物とか、不当な幸福を享受してる奴らなら兎も角、……あたしらみたいな被害者は見逃せないかな?」

 

 

 罪深き少年に、罪悪の王に、掛けるには遅すぎる言葉だ。

 

 

「…………」

 

 

 今更、そんなことに何の意味があるのか。

 罪人も、唯人も、例外なく殺し尽した。万を超える罪が一万と一に増えたとして、そこに違いなど見られまい。

 

 

「駄目、かな?」

 

 

 だが、そんなちっぽけな事で、こんなに沈み込んだ少女の顔が花開く様な笑みに変わるなら――

 

 

「別に構わないさ。……白百合以外は、見逃しても脅威にならないからね」

 

「兄貴!」

 

 

 飛び付いてくる少女を、エリオは優しく撫でるのである。

 

 

 

「イクス。君はどうする?」

 

「私は、そうですね。……この機会に、機動六課の戦力を削っておこうかと」

 

 

 付いてくるのか、と言う問い掛けに、イクスヴェリアは首を振る。

 これより先、機動六課の戦力は増強されていく。あの焔の女傑が合流すれば、先の戦い程容易には運べなくなるだろう。

 

 故に、最も落としやすいと判断した戦力を排除する為に、独自に動くと宣言した。

 

 

「それもクアットロの指示か?」

 

「……彼女の提案で、私の判断です」

 

 

 狙うは一人。己で確実に勝利出来る、そんな脆くて弱い一人の少女。

 

 

「無理はするなよ」

 

「ええ、勿論です」

 

 

 無理はしない。万が一にも倒される可能性など残さない。己は決めているのだから。

 

 

「私は貴方を見届けると決めている。その道に救いはあるのか、意味はあるのか、それを見るまで絶対に死にません」

 

「……そうか」

 

 

 誰よりも罪に塗れた彼の進む先に、一体何があると言うのか。それを見届ける迄、イクスヴェリアは生き抜くと決めたのだ。それが彼女の誓い。

 

 

 

 エリオはイクスに背を向けると、アギトの手を取り歩き出す。

 

 

「じゃあ、行こうか」

 

「おうよっ!」

 

 

 向かうは彼の地。クアットロが見つけ出した、スカリエッティの最高傑作の一つが眠る場所。

 高町なのはと同じく、最高の出来だと無限の欲望が語った白百合を壊すために、罪悪の王は己を慕う少女と共にその地を目指す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鉱山の奥に作られた研究施設。其処の最奥に彼女は居る。

 

 十字架に掛けられた聖人の如く、白き衣を纏った少女。

 無数の鎖に縛られた少女は、夢の中で幾度も出会った少年の訪れを待ち続けている。

 

 積み重ねられた情は恋の如く、白百合の乙女は微睡みの中で彼を待つ。

 

 

 

 第二十三管理世界ルヴェラ。

 三度の邂逅はこの地にて――これより少年達の戦いは真に始まるのであろう。

 

 

 

 

 

 

 




そんな訳で実は全員裏切ってた反天使。ガバガバ過ぎるスカさんでした。


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第六話 誓約 其之壱

StS編序盤の山場です。


推奨BGM
1.Et in Arcadia ego(Dies irae)
2.消せない過去、戻らない時(リリカルなのは)
3.消えない傷痕(リリカルなのはStS)
4.Deus vult(Dies irae)


1.

 第二十三管理世界ルヴェラ。

 文化保護地区とされた山の奥に、その遺跡は存在している。

 

 

「ここ、だよね。スティード」

 

〈ええ、この水晶鉱山の跡地に存在しています〉

 

 

 一昨日から歩き続けて、されど少年の顔に疲労は見えない。

 鍛えられた身体と観測型デバイスの的確な助言。小休止を挟みながら行動する少年の調子は、クラナガンを抜け出した五日前と遜色ない。

 

 

「けど、勝手に飛び出しちゃって。……先生達、怒ってないかなぁ」

 

 

 力への誘惑。勝利への執着。そう言った感情に任せて動き出してしまったトーマは、今更になって迷っている。

 これで良いのか、こんな事をしていて良いのか、そんな感情ばかり湧いてくる。

 

〈問題ありませんよ。トーマ。結果を出せば良いのです〉

 

「スティード」

 

 

 そうなのかな。そうなのであろうか。

 疑問を抱けど足は止まらず、きっと心の何処かで渇望している。

 

 勝ちたい。勝ちたい。アイツに勝ちたい。

 その感情が薄れぬ限り、トーマの足は止まらない。

 

 

〈入口までもう直ぐです。頑張りましょう。トーマ〉

 

「……うん。そうだね」

 

 

 未だ迷いはある。未だ疑念はある。されど――

 

 

「ここまで来たんだ。今更、何もせずには戻れない」

 

 

 黙って此処まで来てしまった。勝手に航行船に潜り込んで、このミッドチルダから離れた次元世界まで来てしまったのだ。

 

 今更戻っても意味はない。そう心を定めた少年は、鉱山跡へと近付いていく。

 

 

 

 山の麓。渓谷の近くに開けられた大穴。鉱山への入り口を前に立つ。

 一見するとごく普通の廃鉱山にしか見えないが、その奥には研究施設がある事が明かされている。

 

 人気はない。何故だか知らないが、人の気配は存在しない。

 潜り込む好機だと判断した少年は、怖気付く姿も見せずに一歩を踏み出して。

 

 

〈トーマ〉

 

 

 入ろうとした瞬間に、その声を聞いた。

 

 

「……声? スティード?」

 

〈いいえ、私ではありません〉

 

 

 念話での呼び掛け。その声の違いを知りつつも、念の為に問い掛ける。

 予想通りの言葉をスティードは返し、そしてトーマはその奥に居る者の存在を確信した。

 

 

「なら、この声は……」

 

〈ええ、間違いなく〉

 

 

 スティードに聞かされた己の為の剣。

 ユニゾンデバイスに似て非なる、己を高みへと導いてくれる人型兵器。

 

 

〈トーマ〉

 

 

 リリィ・シュトロゼック。

 トーマを待ち望む、トーマの為に生み出された剣。

 人を摸した少女と聞いている。彼女は一体、如何なる人物であるのだろうか。

 

 

〈急ぎましょう。トーマ。……リリィが貴方を呼んでいる〉

 

 

 疑問に答えを出す必要はない。もう直ぐ出会う事が出来るのだから。

 

 

 

 鉱山内を暫く歩く。岩肌が剥き出しになった坑道を進むと、ある一区画より機械的な造形へと内装が一変していく。

 

 

〈トーマ〉

 

 

 迷う事はない。この呼び声に従う限り、迷いはしない。

 やはり人気はない。研究施設に入り込んだというのに警報一つ鳴る事はなく、トーマは先へと進んでいく。

 

 本当に誰もいないのか。それとも誰かが居ても対応出来ない状況なのか。そんな事すら考える事はなく、トーマは声に導かれて前へと進む。

 

 一直線に、他の襲撃者の誰よりも早く、トーマはその場所へと辿り着いた。

 

 

 

 その少女は十字架に掛けられていた。

 

 

「君が……」

 

 

 腰まで届く薄い金髪。人と寸分違わぬ造形。柔らかなその体を隠すは、白地の布切れただ一枚。

 

 

「リリィ」

 

 

 微睡みの中に沈んでいた少女は、トーマの声を聞いて瞼を開く。

 トーマの胸元でスティードが光を放ち、少女の身を縛っていた鎖は弾け飛んだ。

 

 

「ちょっ、危なっ!」

 

 

 身体を固定していた鎖が消失した事で自由落下し始めた少女を、トーマは慌てて受け止める。

 抱きしめた両手より感じる熱は、まるで作り物とは思えなかった。

 

 

「…………」

 

 

 パクパクとリリィが口を開く。声を発しようとしているのか、だがその開いた口から言葉が零れる事はなかった。

 

 

「この子、声が……」

 

〈どうやら不具合が発生しているようですね。ですが問題ありません。リアクトすれば異常個所も自己修復される事でしょう〉

 

 

 言葉も喋れぬ少女を見詰める。

 

 何故だろうか、初めて見た筈なのに初対面な気がしない。

 腕の内に抱いた美しい少女を、大切にしたいという感情が湧き出してくる。

 

 

〈トーマ。誓約を〉

 

 

 そんな感情に違和を感じるトーマに、彼のデバイスは思考する余地を与えない。

 

 

〈彼女との誓約を交わしてください〉

 

 

 今日この日の為に作り出されたデバイスは、己の生まれた意味が果たされるその瞬間を促す。

 

 誓約。それが何を意味するのか分からない。

 誓約。どうすればそれを為せるのかが分からない。

 

 唯、自然と手が伸びる。トーマの右手が、リリィの左手が、重なり合おうと伸ばされて――

 

 

「それは困るな」

 

 

 その手が合わさる直前に、鋭い魔槍が振るわれた。

 

 

 

 

 

2.

 赤い夢を見る。少女は赤い夢を見ている。

 赤い色に満たされた世界で、幾多の叫びが響く夢。

 

 優しいモノ。大きいモノ。女の声。少女の雄叫び。男の誓い。

 断片的過ぎて何が起きているのか、何を見ているのか、それすら分からぬ悪い夢。

 

 

「っ! はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 

 そんな夢から覚めた少女は、高ぶる動悸を抑えて荒い呼吸を整えた。

 

 

「キャロ」

 

 

 ベッドの上で呼吸を整える少女を案じて、彼女の姉妹がその手を握る。交わした手の温かさに、身体の震えは止まった。

 

 

「また、あの夢を見たの?」

 

「うん。……ごめんね、心配かけて」

 

 

 儚げに謝るキャロの姿に、ルーテシアは憤りを隠す。表情を悟られない様に、俯く妹を抱きしめた。

 

 

 

 キャロは昔から、こんな性格をしていた訳ではなかった。

 気の良い陸士部隊に育てられ、姉や白竜と共に遊び回る事を好む活発な少女であった。

 

 それが弱気になったのは、家族に迷惑を掛けているという不安から。

 努力に努力を重ねなくては不安に負ける様になったのは、この悪夢に魘されるようになってからだった。

 

 原因は分かっている。その理由をルーテシアは父より聞き出している。

 

 赤毛の女。舞い散る鮮血。燃え上がる炎。

 これらを見た日の晩、キャロは必ず悪夢に魘される。

 

 アルザス崩壊事件。管理局の歴史においても数少ない凄惨な事件の光景が、まだ物心付かない赤子の心に刻まれてしまっていたのであろう、と。

 

 その悪夢も、最近は見なくなっていた。ルーテシアが一緒の布団で横になり、手を繋いで居なければ眠れなかった当時とは違う。

 

 あの日真実を知り、そして答えを得たキャロは痛みから逃れられ掛けていたというのに――それが再燃してしまったのは、先の事件での経験と記録映像を見たからであろう。

 

 

「大丈夫だよ、キャロ。……悪い人は此処にはいないから」

 

 

 震える妹を宥めながら、ルーテシアは怒りを抱く。

 

 無数の屍。燃え盛る炎。赤毛の少女。三つの要因で妹のトラウマをこれでもかと抉ってくれた魔刃に怒りを抱く。

 

 ルーテシア・グランガイツは、エリオ・モンディアルを相容れぬ敵だと認識した。

 

 

「悪い、人」

 

 

 だからこそ。

 

 

「本当に、あの人は悪い人なのかな?」

 

 

 そんなキャロの言葉は、予想外にも程がある物であった。

 

 

「キャロ?」

 

「沢山の人を殺した。トーマさんを傷付けた。確かに悪い人だとは思う」

 

 

 ルーテシアの疑問の声に、キャロは己の想いを紡ぐ。

 

 

「だけどさ、それだけの人なのかな?」

 

 

 機動六課の寮内で、静かに吐露されるのはキャロの想い。

 罪悪の王と言う既に救えない相手に抱くのは、優しい少女の身勝手な想い。

 

 

「だって、あの人。悲しそうだった」

 

 

 スティードが記録した映像に映った少年は、何処か寂しそうで悲しそうだった。

 

 

「だって、あの人。優しそうだった」

 

 

 赤毛の少女の名を呼ぶ姿には、仲間の少女を抱き抱えて身を引く姿には、誰かを想う優しさが確かにあった。

 

 

「だから、悪いだけじゃないんだって、そう思いたい」

 

 

 だから想いたいのだ。

 

 

「誰かを愛せる人なら、きっと悪いだけの人じゃない」

 

 

 だから信じたいのだ。

 

 

「誰かを想える人なら、取返しが付かなくなるなんて、ないんだって思いたい」

 

 

 きっと彼もきっかけさえあれば変われる筈だ。

 悪人が何時までも悪いままで居なくてはいけない、そんな道理はない筈なのだ。

 

 

「だって、私は憎むよりも愛したい」

 

 

 その言葉は、真実を知った時にキャロが口にした答えと同じだった。

 

 

「愛しい日々の大切さを知ってるよ。お父さんやお母さんや、るーちゃんが教えてくれた大切な事は知ってるよ」

 

 

 故郷の崩壊は悲しい。悪夢を見続けるのは恐ろしい。

 それでも憎悪や憤怒と言った感情が、この愛しい日々の記憶に勝る筈がない。

 

 

「だから、それを知る事が出来るなら」

 

 

 故郷を焼いた存在の名をキャロは知らない。

 知らなくて良いと思ったから、知らないでいる事を選んだ。

 

 

「痛みよりも、優しさの方が大切だって、分かってくれると思うんだ」

 

 

 大切な誰かを想える優しさがあるなら、きっと彼には救われる余地がある。

 大切な誰かの手を離さずに居られるなら、きっと彼にも未来はある。

 

 キャロはそう信じていたいのだ。

 

 

「そっか」

 

 

 そんな妹の想いを聞いて、ルーテシアは静かに頷く。

 

 

「なら、そうなると良いよね」

 

「……何を考えてるんだって、怒らないの?」

 

「なんで私がキャロを怒るのよ」

 

 

 魔刃に救われる余地があるとしても、現時点で重犯罪者である事には変わりない。

 そんな相手に対する不適切な発言。管理局員として相応しくないと分かって、怒られると思ってしまう。

 

 そんな妹の不安を笑って一蹴する。内に抱いた己の怒りなど、あっさりと封じ込める。

 

 

「……夢物語だって、笑わないの?」

 

「笑わないわよ。私を誰だと思ってんのよ」

 

 

 誰かを愛せる人ならば、誰とだって分かり合える。

 そんな思いは夢物語。幼子の思い描いた幻想に過ぎない。

 そんな思いを一笑に付す事はなく、ルーテシアは真剣に受け取る。

 

 そこまでする理由。それは唯一つの理由。

 

 

「ルーテシア・グランガイツはお姉ちゃんなのよ。なら、妹を守って見せるまでよ」

 

 

 姉は妹を守る者だから、それ以外に理由などない。

 

 

「キャロが望むなら、そうなる様に動こう。お前は救いようがないのかって聞いてやりましょう」

 

 

 その想いを守るのだ。それに反する現実など、一切合切壊して見せよう。

 

 

「んで、なんて言われようと魔刃を捕縛して、無理矢理にでも更生させるのよ。上から目線で、救ってやれば良い。簡単な事じゃない!」

 

「あはは、……相変わらず、るーちゃんは凄いね」

 

 

 苦笑と共に何時もの口癖を口にするキャロ。

 

 

「何言ってんのよ」

 

 

 そんな彼女に聞こえぬ様に、ルーテシアは小さく呟く。

 

 

「キャロの方が強いよ。……私じゃ、絶対に許せないもん」

 

 

 その優しさの中にある強さを知っている。

 だから、そんな妹が誇れる姉である様に、それがルーテシアの誓いなのだ。

 

 

 

 

 

「さって、と何時までもこうしていても気が滅入るだけよね」

 

 

 私服に着替えて、ルーテシアはキャロへと手を差し伸べる。

 

 

「ちょっと散歩にでも行こ?」

 

「うん」

 

 

 妹は姉の手を取って、二人は共に六課の寮を抜け出していく。

 

 訓練はない。仕事もない。今の新人達に与えられたのは数日の休暇。

 トーマが行方不明になり、ティアナが荒れている現状。そこに不安や恐怖を抱かない訳ではない。

 

 だが、今の自分達に出来る事はない。だから与えられた休暇の中で、心身を整える事こそが己の役割なのだろうと子供たちは知っている。

 

 大人達も知っている。この子達は大丈夫だと。

 他の新人達と異なり、心が強い二人は自分の意思で立ち上がれるのだと。

 

 

 

 クラナガンの街へと飛び出していく少女達を、寮の前から一匹の獣が見詰めていた。

 

 思い出した仲間の凶行。狂った闇の書に飲まれかけた時、その真実を知った青き獣。

 彼は己達の罪科。その象徴と言うべき少女の姿が消える迄、その背を見詰め続ける。

 

 

 

 青き守護獣は残り少ない寿命を抱えて、一体何を想うのであろうか。

 

 

 

 

 

3.

 エルセア地方。ポートフォール・メモリアルガーデン。

 オレンジの髪の少女は、何をするでもなく立ち尽くしている。

 

 

「最初から、分かっていたのよ。私はどんなに頑張っても、超一流になんて、きっとなれない」

 

 

 吹き抜ける風の中、目の前に聳え立つ慰霊碑は揺るがない。

 

 

「悔しくて、認めたくなくて、泣きたくなるくらいに。……けど、やっぱり揺るがない」

 

 

 屍人は語らない。大天魔との戦いの中で命を落とした人々、彼らが眠る墓所は揺るがずに其処にある。

 

 

「私はさ、凡人なりに必死に生きて来た心算だよ。迷って、間違って、後悔して、……それでも諦める事だけはしなかった」

 

 

 自分は凡人だ。言われなくても分かっていて、それでも必死に食らい付いてきた。

 

 

「目指すべき背がある。傍に居る相棒が居る。仲間だって増えた」

 

 

 自分は凡人だ。必死に積み重ねた全てが生かせず、結局味方を苦難へと追い込んでしまった愚か者だ。

 

 

「誰にも負けたくない想いがあって、立って戦えって教えがある」

 

 

 師は無力な己を鍛えてくれた。

 相棒はこんな己を確かに信じてくれた。

 

 

「だから頑張ってきた。だから諦めたくなかった。だから、まだ進みたい。……なのに、私は結局何も出来ていない」

 

 

 自分はあの義兄の様にはなれない。師の様にはなれない。光り輝く星がある空は、こんなにも遠いのだ。

 

 

「私は弱くて、敵は強くて、仲間も皆、先に行ってしまう」

 

 

 あの時、自分が間違えなければ勝機はあった。四人でしっかりと連携を取れば、傀儡師ならばどうとでもなった筈だ。師が其処に加われば、魔刃を追い返すことだって不可能ではなかった筈なのだ。

 

 たら、れば、そんな事を考えていても仕方がないとは分かっている。

 だが、それでも、あの嘲笑う言葉が拭えない。自分のミスが、己の無力が、何よりも腹立たしかった。

 

 

「泣いて祈れば叶う奇跡なんて、いらない。……けど」

 

 

 相棒は姿を消した。己が無力だから。なら、どうすれば良いと言うのか。

 仲間達はこれからも付いてきてくれるだろうか、役立たずな自分はそれに何を返せる。

 

 分からない。分からない。分からない。

 諦めたくはない。折れたくはない。けれど。

 

 

「……もう。辛いよ」

 

 

 そんな弱音が、一つ零れた。

 

 

「兄さん」

 

 

 屍人は語らない。呼び掛ける声は風に消えて、少女は口を押えて跪いた。

 

 小さい嗚咽は、誰にも届かない。

 

 

 

 

 

「……私、何やってんだろ」

 

 

 夕日が落ちる頃、全てを吐き出し終えて少女は立ち上がる。

 

 

「弱音を吐くくらいなら、頑張らないと」

 

 

 凡人の自分が追いつく為には、一秒だって無駄にしてられない。

 役に立てず無様を晒したなら、次こそはと心に誓って走り出すべきだ。

 

 

「誰かにそう言われたからじゃなくて、私がそうありたいから」

 

 

 今なお忙しくトーマ捜索やミッドチルダで起きる犯罪に対処している義兄や師。彼らに何時までも迷惑かけて居たくない。

 あの人たちに誇れる自分になりたいから、ティアナは諦める事が出来ないのだ。

 

 問題は山積みだ。為すべき事は山ほどある。

 相棒や仲間達が抱える問題。それらに対処できる程、自分は強くない。

 

 結局、己一人で手一杯。だから、せめて足手纏いになり続ける事はないように。

 

 目指すべき場所は変わらない。ランスターの弾丸の強さを見せる。その為に、管理局員として空を目指し続けるのだ。

 

 

「また、来るね。兄さん」

 

 

 屍人は語らない。唯、一陣の風が吹いた。

 

 

 

 

 

 ならば、その声は誰の言葉だ?

 

 

――もう行ってしまうのかい?

 

「え?」

 

 

 振り返るティアナの視界に、あり得ない光景が映る。

 

 

「久しぶりに来たんだ。もう少し話をしよう」

 

 

 その優しい声を覚えている。

 

 

「顔を見せて欲しい。その姿を見せて欲しい。どれ程大きくなったのか、しっかりと見せてくれないかな?」

 

 

 その優しい笑みを覚えている。

 

 

「う、そ……」

 

 

 管理局の制服を着た、茶髪の青年。

 生前と全く変わらぬその姿を、ティアナが見間違う筈もない。

 

 

「兄、さ……ん……?」

 

 

 屍人は語らない。死者は帰らない。失った者は、決して戻らない。

 

 

 

 ナラバ、コレハダレダ。

 

 

「大きくなったね、ティア」

 

 

 ティーダ・ランスターは優しく微笑んで、愛しい少女の名を呼んだ。

 

 

 

 

 

4.

 カメラ型の機械が火花を散らす。砕け散った鉄の塊を見下して、エリオは忌々しいと舌打ちをした。

 必殺の意を以って振るわれた機械仕掛けの魔槍は、この残骸が身代わりとなった所為で躱されてしまった。

 

 

〈ゴメンな、兄貴。私が実験体の避難を優先して欲しいって言った所為で〉

 

 

 自分の所為で白百合の破壊が遅れてしまった。そんな風に詫びるアギトとユニゾンしたまま、エリオは小さく首を振る。

 

 

「……別に構わないさ。どうせ誤差にしかならない」

 

 

 この研究施設にとって招かれぬ客であるエリオと、正式なゲストであるトーマ。どちらが先に到着するかなど、元より明らかだったのだ。

 アギトの要望を優先した事も、さして不利益にはなっていない。

 

 

「出口なんてない。トーマの終着は此処なのだから」

 

 

 トーマはリリィを抱き抱えて、一目散に逃げ出した。

 魔槍に砕かれて地面にバラけたスティードが最後に発した強大な魔力光。それを目暗ましに魔刃から逃げ出したのだ。

 

 だが出口へ、ではない。この鉱山内に作られた研究施設の出入り口は、機密保持の為に数が極端に限られている。

 

 その全てがエリオの背より後ろにある。トーマが逃げ出した先は、更なる機密区画。逃げ込んだ場所は出口ではなく袋小路だ。

 

 

「ゆっくりと、確実に、一手ずつ潰してあげるよ」

 

 

 ばきりと硬質な物が折れる音が響く。進む足でスティードの残骸を踏み潰し、少年は黄金に染まった瞳でその先を見据えていた。

 

 

 

 トーマは逃げている。両の足を必死に動かして、背後より迫る脅威から逃げ続けている。

 勝てない事は分かっている。一人ではないのだから、守るべき人がいるのだから、魔刃に挑んではいけないと分かっている。

 

 

「くそっ、くそっ、くそっ!」

 

 

 悔しさに歯噛みした。スティードを壊されて、それでいて逃げるしか出来ない己の無力が腹立たしい。

 

 

〈トーマ〉

 

 

 迫る刃は雷光の如く。緩まず弛まず、少年を確実に追い詰めていく。

 

 

〈誓約を〉

 

 

 肩を切り裂かれ、腿を引き裂かれ、ボロボロになりながら逃げるトーマ。念話越しの少女の声に、吐き捨てる様に彼は叫んだ。

 

 

「そんな余裕はないんだよっ!」

 

 

 刃は既に己の身体を掠める程に、雷速の悪魔は油断をしない。

 トーマの爆発力を知る為、リリィの意味を知る為、罪悪の王には慢心がない。

 

 確実に追い詰めてくる。その刃で確実に血肉を削ぎ落としてくる。

 

 結果として嬲っているが、彼は遊んでいる訳ではない。反撃を許さぬ距離で少しずつ追い詰めながら、致命的な隙を晒す瞬間を待っている。

 

 足を止めたら、その瞬間に心臓を抉られるであろう。

 やり方も分からぬ誓約をする余裕など、欠片たりともありはしない。

 

 

「っ、こんな様で……」

 

 

 情けなかった。逃げるしか出来ない己が、スティードが身代わりになって稼いでくれた時間を浪費しかしていない己が、既に詰んでしまっていると分かっていて覆せない己が情けない。

 

 

「まるで溝鼠だ。よく逃げる」

 

 

 再生力に物を言わせて、致命傷だけは避け続ける。挑んでも勝てないと分かっているから、逃れる事だけを考えて足を動かす。

 

 

「なら、手を変えよう」

 

 

 生き汚い少年の無様を嗤って、エリオはその手に赤い炎を宿した。

 

 

「火竜一閃」

 

 

 燃え上がる炎は火竜の吐息が如く。

 振るわれる槍は熱風を伴って、密閉された空間を満たしていく。

 

 

「正気かよ、お前っ!?」

 

 

 思わずと言った体でトーマが叫ぶ。

 

 鉱山内に作られた研究施設。周囲が機械仕掛けとは言え、此処は密閉された鉱山内だ。

 鉱山火災と言えば、余りにも凄惨な光景が浮かぶ物。どう考えても、誰も彼もが巻き添えを喰らう。

 

 広域殲滅の炎魔法によってそれを意図的に引き起こす悪魔は、控えめに言っても狂っている様にしか思えない。

 

 

「く、クハハ」

 

 

 殺傷設定の炎で全てを焼き払いながら、罪悪の王は歪な笑みを浮かべて口にする。

 

 

「悪魔に正気かなんて、問うべきじゃぁない」

 

「っ!」

 

 

 既にこの施設内には自分達しかいない。

 実験体は全て逃げ出し、それ以外は無価値な躯を晒している。

 

 己は人間の上位互換である魔人。ユニゾンによって性能は更に底上げされ、内なる悪魔によって炎と瘴気、毒物の影響を受けない。

 

 巻き上がる炎は逃げ道を完全に奪う。燃え上がる業火は呼吸さえも困難にし、肉体機能を極端に低下させていく。

 

 己が行動不能になる前に、先に相手の可能性が全て潰えるのだ。ならば、このまま全てを焼き尽くしても問題はないだろう。

 

 

「火竜一閃」

 

 

 逃げ惑う少年の背に向かって、更に炎を燃やして振るう。

 

 

「火竜一閃」

 

 

 一歩進む度に新たな火が燃え上がる。

 

 

「火竜一閃」

 

 

 燃えろ。燃えろ。燃え尽きろ。

 岩盤の内に作られた機械の道は、紅蓮の炎に染まっていった。

 

 

 

 

 

 よろよろと進む。呼吸さえ真面に出来ず、蒸し風呂を思わせる様な高温に頭が茹る。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 

 縺れそうになる足を必死に動かして前に進む。背を追う魔刃は未だ健在。止まってしまえば終わるのだ。

 

 

〈トーマ〉

 

 

 念話の声すら苦しげに、腕の中に居る少女は朦朧とした視線で語りかけてくる。

 

 

〈誓約を〉

 

 

 分かっている。最早分かってしまっている。

 足を止めれば死ぬであろう。だが、このまま進み続けても死ぬだけなのだ。

 

 この先はどれ程ある。この先はどこまである。

 それすら分からなくとも、行き止まりは確かにある。

 

 その先の死を、望まないと言うなら――

 

 

〈誓約を〉

 

「……それしか、ないのか」

 

 

 逃げ惑う足とは違う理由で震える手。全身に襲い来る恐怖の理由を、トーマは確かに分かっている。

 

 勝てない。勝てる気がしないのだ。

 挑んでも無理だ。勝てるだけの力がない。また負ける。もう負けるのは嫌だ。

 

 そんな恐怖に膝を屈しそうになって、だから何だかんだと理由を付けて逃走を選んでしまった。

 勝てないと分かって、勝てないと諦めて、それでも逃げた先にも死しかないなら――

 

 

〈大丈夫〉

 

「リリィ」

 

 

 不安に震えるその手を、白魚のような指先がなぞる。

 

 

〈私が貴方を勝たせる。貴方が望んでくれるなら、私が必ず勝利させるから〉

 

 

 その為に己は生まれた。

 その為に己は作られた。

 

 理由は、それだけではない。

 

 

〈戦おう? そして勝とう?〉

 

 

 あの黄昏の浜辺を通じて、彼女は彼と出会っている。

 その残滓の共鳴を通じて、白百合は少年を知っている。

 

 その命の辿った道筋を、彼の心を知るからこそ、少女は彼の助けになりたいのだ。

 

 

「リリィ」

 

 

 呼吸も出来ぬ状況下。声も出せず、足も動かない白百合の乙女。

 作り物であれ、人とまるで変わらぬ少女は、どれ程に不安を抱えているだろうか。

 

 そんな少女が勝たせると言った。

 そんな少女にここまで言わせて、逃げ続けるなど男ではない。

 

 

「……僕を、高みへと導いてくれ」

 

 

 縋るような言葉に、返されるのは確かな笑顔。

 リリィの手が、トーマの手と重なる。ゆっくりと生まれた輝きが、二人の重ね合わせた手の近く、手首に一対の輪を生み出す。

 

 

――誓約(エンゲージ)――

 

 

 此処に契約は交わされる。

 新たに得た力を振るわんと、少年がその手を伸ばし――

 

 

 

 

 

 ずぶりと嫌な音がして、鋭い痛みが胸を抉った。

 

 

「知っていた筈だろう? 分かっていた筈だろう?」

 

 

 そう。知っていた。分かっていた。

 足を止めれば死ぬと、誓約を選べば殺されると分かっていた筈なのに。

 

 

 

 胸から突き出た刃。その槍はトーマとリリィを諸共に貫いていた。

 

 

 

 それに気づいた瞬間に、忘れていたかの如く口から大量の鮮血が溢れ出す。

 

 

「これが君の終着点だ」

 

 

 己の血で赤く染まった白百合は、既に鼓動を止めている。

 白百合の血で染まったトーマの視界には、もう何も映らない。

 

 

「さようなら、トーマ」

 

 

 槍が引き抜かれて、少年と少女は崩れ落ちる。

 幕引きは此処に――少年の戦いは死を以って終わりを迎えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 



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第六話 誓約 其之弐

上中下編から伸びそうなので、サブタイを変えました。

今回はティアナ虐め回。


推奨BGM
1.消えない傷痕(リリカルなのはStS)
2.Goin'Crazy(Paradise Lost)
4.Einherjal Rubedo(Dies irae)


1.

 夢に見た事がない訳じゃない。

 願った事がないなんて言える訳がない。

 

 

「ゴメンね、ティア。帰ってくるのが、随分と遅れてしまった」

 

 

 涼やかな風が吹く墓所で、申し訳なさそうに表情を歪める青年。

 

 彼が帰って来る日を、夢に見た事がない訳がない。

 彼と過ごす日常が戻って来る。そんな奇跡を願った事がない筈がない。

 

 

「防衛戦で負った傷が中々治らなくてさ。……漸く帰って来れたんだ」

 

 

 あの日、伝えられた言葉は誤報だった。

 兄が実は生きていて、治療の目途が立たないから戻ってこれないだけなのだ。

 

 そんな都合の良い現実がある事を願った。

 そんな都合の良い現実が訪れてくれない事を、どうしてと疑問に思っていた。

 

 嗚呼、そんなのは幼い日の夢だ。

 

 

「……貴方、誰よ」

 

 

 ティアナはクロスミラージュをワンハンドモードで展開すると、その銃口を青年へと向けた。

 

 その手は震えている。余りにも似ているから。見間違えてしまった程に似ているから。そんな姿へ銃口を向ける事に、どうしても忌避感を抱いてしまっていた。

 

 

「……やっぱり、怒っているのかな? うん。連絡の一つも入れておくべきだったって、今更ながらに反省してる」

 

 

 その震えを怒りであると、そんな風に捉えて韜晦する。恍ける気だ。事ここに至って尚、騙し抜けると考える愚行。

 

 

「誰だって、聞いてるのよっ!」

 

 

 そんな彼の姿に、ティアナは激昂と共に引き金を引いた。

 

 

 

 殺傷設定で放たれた魔力が頬を掠める。

 生じた小さな傷口から零れ落ちる赤い血潮に触れたまま、ティーダは静かに目を閉じる。

 

 

「……僕はティーダだよ」

 

「違う!」

 

 

 否定の言葉は即座に零れた。

 

 分かっている。分かっているのだ。

 コレがどれ程に似通っていようとも、コレがどれ程に精巧に作られていようとも、その事実は覆せない。

 

 

「兄さんは死んだのよ! 死んでしまったの! もう戻ってこないのよっ!」

 

 

 ティーダ・ランスターはもう戻らない。

 

 

「…………けど、僕は戻ってきた」

 

 

 偽りの傀儡は己の身体を指し示す。

 

 

「ほら、足だってある。どこからどう見たって、ティーダ・ランスターだろう?」

 

 

 ぽんぽんと足を叩いて、くるりと身体を回して。

 その姿は何処までも兄と同じだ。記憶にある兄の姿と寸分足りとて変わりはしない。

 

 何処までも同じ顔。同じ声。分かっていても信じたくなってしまう程に精巧な傀儡は――

 

 

「ティア」

 

 

 其処で致命的なミスを晒した。

 

 

「信じられないのは分かる。認められないのも、分からなくはない。……けど」

 

「それ以上、兄さんの顔と声で喋るな! 偽物っ!!」

 

 

 今度の射撃は外さなかった。

 非殺傷に切り替えた魔力弾が頭部に直撃し、彼の言葉を遮る結果に収まる。

 

 

「出来が悪い! 趣味が悪い! 分かり易すぎるのよ、偽物だって!!」

 

 

 もう震えはない。もう迷いはない。

 これは間違いなく、己の兄ではないのだから。

 

 

「ティア、僕はっ!」

 

「兄さんはっ!」

 

 

 そう確信できる理由は唯一つ。唯一つの言葉の違い。

 

 

「一度だって、私の事をそんな愛称で呼んだ事はないのよっ!」

 

 

 ティーダ・ランスターは、妹を名前で呼んでいた。唯の一度も、彼女の事を愛称で呼ぶ事はなかったのだ。

 

 

「…………」

 

 

 ティーダの偽物が黙り込む。所詮は愛称一つ、虚言を弄せば誤魔化せるかもしれない。

 だが、ティアナは既に結論付けている。間違いないと確信している。故にこれ以上の韜晦に意味はないだろうと判断した。

 

 

「……ああ、やっぱり残骸を材料にした傀儡では、上手く行きませんね」

 

 

 そして、糸を引いていた者が姿を見せる。戦没者の為に建てられた慰霊碑の上、その石を踏み台に舞い降りる少女が一人。

 

 

「“傀儡師”イクスヴェリアっ!」

 

 

 冥府の炎王。傀儡師イクスヴェリア。

 

 名を呼ばれた少女は優雅に一礼する。

 その姿は敗北の記憶と共に焼き付いて離れない。

 

 

「しかし呼び方の違い、ですか。……今後があるなら、考慮せねばなりませんね」

 

「アンタがぁぁぁぁぁっ!」

 

 

 何処までも恍けた発言をする少女に、怒りを抱いてティアナが吠える。

 少女を狙うティアナの銃口。放たれる無数の魔力弾は、空を疾走していき。

 

 

「させない」

 

 

 兄を摸した傀儡が、その飛来する魔力弾全てを撃ち落とした。

 

 

 

 対峙する。怒りを隠しきれない少女と、感情の見えない青年は対峙する。

 ティアナとティーダが地上で向き合い、そんな二人を見下す様に傀儡師は眼下を見下ろしていた。

 

 

「さて、こちらの不手際はありましたが、一点訂正しておきましょう」

 

 

 己を守るように立つティーダ・ランスター。

 傀儡師は己が操る人形への不当な評価を覆すべく、その言葉を紡ぐ。

 

 

「これは、ティーダ・ランスターは、出来の悪い粗悪品ではありませんよ」

 

 

 糸に繰られた人形は、決して欠陥品などではない。

 操り手の知識不足故に演技を見破られ様とも、その性能には欠落など存在しないのだ。

 

 

「墓を荒らして回収した残骸をベースに復元したマリアージュに、ライアーズ・マスクの技術を応用して外装を作り上げた個体」

 

 

 これはマリアージュだ。墓を荒らして、埋められた残骸の一部を材料にした屍兵器。強酸の体液を持つ動く死体。自由などはなく、傀儡師の意のままに動く人形。

 

 スカリエッティの作り上げた変装技術“ライアーズ・マスク”によって、外装は本人と寸分変わらない。

 

 

「更に魔群と魔鏡の手も加わっているのです。一品物としては、実に優れた出来ですよ」

 

 

 そして中身も特別性だ。反天使が作成に協力したその内面は、彼を唯の屍兵器とは異なる領域へと押し上げている。

 

 

「さあ、貴方の力を見せなさい。ティーダ・ランスター」

 

 

 傀儡師の命を受け、暗い表情を浮かべたティーダが構えを取る。

 その手には二丁の拳銃。無限の蛇の牙へと堕ちた死体が手に取るは、スチールイーターと呼ばれる最強の質量兵器。

 

 

「……喰らい付け。黒石猟犬!!」

 

 

 ティーダの構えた二丁の拳銃から放たれたのは、紛れもなく生前の彼が使用していた歪みであった。

 

 

 

 

 

2.

 空を二発の弾丸が飛翔する。黒い靄が纏わり付いた血の弾丸。それは一発が致命傷へと繋がり得る魔群の毒。

 

 即座にティアナは身を捩って回避するが、猟犬は決して獲物を見逃さない。何処へ逃げようと、どう動こうと、必中の魔弾は何処までも追い続ける。

 

 

「加速する追尾弾!?」

 

 

 一分一秒おきに加速される魔弾。黒き靄は数分とせずに視認出来る速度を超え、ティアナの身体は撃ち抜かれた。

 

 

「っ! あぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 体内に入り込んだ弾丸が、内から己を溶かしていく。

 そんな異質な痛みに、ティアナは蹲って悲鳴を上げた。

 

 痛みに震えて蹲るティアナに、掛けられるのは現実を教える言葉。

 

 

「これは、生前のティーダ・ランスターが使用していた歪みです」

 

 

 ランスターの魔弾。必中の黒石猟犬。

 

 

「魔鏡の力によって、彼の内部は生前と寸分違わぬ状態を形成しています」

 

 

 魔鏡によって再現された力には、嘗ての弱所が消えている。

 

 

「操り人形でしかない以上、繰り手の技巧次第では先の様に無様を晒してしまうのですが」

 

 

 その魔弾は必中であり、必殺だ。

 

 

「それでも、十分な性能があると言えるでしょう」

 

 

 その魔弾は一撃が死を齎す。その強酸はベルゼバブと同じ、魂を穢し貶める猛毒だ。

 

 

「このティーダ・ランスターは、生前よりも強力ですよ?」

 

 

 マリアージュと化した事で、ティーダの欠点は失われた。攻防一体の毒を得た彼は、生前よりも遥かに強い。

 ティアナ・L・ハラオウンが、如何にか出来る存在ではないのだ。

 

 

「……さて、こう言う時はどう言うべきでしょうか」

 

 

 内側から壊されながらもがき苦しむ少女を前に、傀儡師は追撃を行わない。

 

 

「ええ、そうですね。では、その様に」

 

 

 それは余裕か。それは慢心か。

 いいや、それは“彼女の内にある女の悪意”だ。

 

 

「ティアナ・L・ハラオウン」

 

 

 血の主は求めている。少女の破滅を。

 

 

「貴方の望んだ魔弾。貴方が目指した魔弾。貴方が誇りに想うランスターの弾丸」

 

 

 魔群は求めているのだ。ティアナと言う少女の終わりを。

 

 

「それがどういう物なのか、無能な貴方に私が教えてあげましょう」

 

 

 余りにも無様で、余りにも救いがなくて、余りにも滑稽な有り様を見せる事を期待している。

 

 その為に、態々ティーダ・ランスターの残骸などを用意したのだから。

 その為に、己の掌中にある傀儡師に対して、この策を吹き込んだのだから。

 

 ティアナ・L・ハラオウンは、彼女が縋ったランスターの弾丸によって死ぬ。それこそが、真なる魔群。這う虫の王が作り上げた最悪のシナリオだった。

 

 

「くっ」

 

 

 ティアナは苦しみながらも、歯を噛み締める。

 その手にしたデバイスをダガーモードに変えると、己の身体へと突き刺した。

 

 

「っ! っ!!」

 

 

 涙を堪えながら、自身の血肉を引き裂く。

 体内の毒素を取り除く為に、己の手で身体を切り開いていく。

 

 己の体内に入り込んだ魔弾が己を溶かす。

 ならば、この身が溶ける前にそれを取り除かねばならない。

 

 それは単純ながらも、どこか狂気を孕んだ行動。其処までする理由は、唯一つ。

 

 

「汚す、な」

 

 

 傀儡師は汚した。魔群は汚した。これが兄の歪みなら、コイツらは墓を暴いてそれに汚物を振り撒いたのだ。

 

 

「兄さんの、ランスターの弾丸を、お前なんかがっ!」

 

 

 この願いの意味を知らず、その渇望の由来を知らず、唯悪意で以って歪めている。

 ランスターの弾丸を嘲笑を以って貶める敵を前に、ティアナは決して折れる訳にはいかない。

 

 その名にLを遺した意味を忘れるな。己の命の意味を、決して間違えるな。

 

 

「私がっ、ランスターの弾丸を示すのよっ!!」

 

 

 故に、これは絶対に倒さねばならない敵である。

 

 

 

 

 

 されど、想いだけで覆る程に世界は優しくはなかった。

 

 

「っ!」

 

 

 黒き魔弾が右の肩を射抜く。即座に抉り出して回復魔法を掛けるも、右肩が動かなくなった。

 

 

「がっ!」

 

 

 黒き魔弾が左足の腿を射抜く。即座に抉り出して回復魔法を掛けるも、左足が動かなくなった。

 

 

「っっっ!!」

 

 

 魔弾が射抜く。魔弾が射抜く。魔弾が射抜く。

 立てなくなった。目が見えなくなった。腕が上がらなくなった。

 

 致命傷は受けてない。致命傷は狙ってこない。

 

 遊んでいるのだ。遊ばれているのだ。ティアナの醜態を見て嗤う悪意が居て、そいつの為の娯楽を提供している傀儡師が居る。

 

 

(何か、方法)

 

 

 身体が動かなくなる。意識が朧げとなっていく。

 

 

(答えが、欲しい)

 

 

 右の瞳と左の手。唯それだけしか動かない己の身体。

 霞んで消えていく意識の中で、唯それだけを強く願った。

 

 

(これ以上、兄さんの願いを穢させない)

 

 

 人形のティーダが浮かべる表情。その色が嘆きに見える。

 その嘆きが、兄の願いが汚されているのだと言う証左に想えた。

 

 だから、もう汚させたくはないのだ。

 何も出来ないとしても、それだけは許せないのだ。

 

 

(そんな答えが、あると言うなら)

 

 

 だから、そんな答えがあると言うのなら。

 だから、そんな可能性があると言うのなら。

 

 

「みぃぃぃせぇぇぇろぉぉぉぉぉっっ!!」

 

 

 狂念を伴ってそう願った瞬間――少女の右目が、青く輝いた。

 

 

 

 

 

 何も起こらない。その瞳が輝いても、何かが起こる訳ではない。

 

 

「……何を企んでいるかは知りませんが、これで終わりです。ランスターの弾丸に、限りなどはない」

 

 

 だが、魔群は戯れを止めた。傀儡師はその意思を受け入れる。

 

 魔刃に訪れた理不尽な結果を知るから、一体どんな能力なのかまるで分からぬ歪みが発現したから、彼女らは揃ってティアナを脅威と判断した。

 

 ティーダの歪みが発現する。

 黒石猟犬が、その真価を発揮する。

 

 空を埋め尽くす黒き魔弾の雨。百を超え、千を超え、万を超えるは時間逆行弾。既に放ったと言う形で過去を歪めて、一瞬にして大量の魔弾を生み出した。

 

 

(これは、死ぬかな)

 

 

 必殺にして必中の魔弾。降り注ぐ雨を前に、真面に動けぬティアナは残る左の手に力を込めた。

 

 

(これで、見た通りの結果にならなかったら、恨むわよ)

 

 

 見た未来は、ランスターの弾丸を穢させぬ未来。

 その誇りを先へと繋ぐ。その願いの輝きを取り戻す。その為の回答。

 

 その瞬間へと至る為に、ティアナは片手で己の身体を引き摺り跳んだ。

 唯、前へと。死の雨の只中へと、己の意思で飛び込んだのだった。

 

 それは自殺行為だ。敵の必殺。絶殺の場へと入り込むその行動は、投身自殺と変わらない。

 ティアナは死ぬ。既に死に瀕した状況で、数え切れぬ銃弾に晒される少女が生き延びる道理などはない。

 

 その結末は揺るがない。だが――

 

 

(これが兄さんの歪み)

 

 

 だが、ティアナならば、彼女ならば可能性があった。そう。僅かではあるが、可能性はあったのだ。

 

 この瞬間でなければならなかった。ティーダ・ランスターが歪みを最大出力で使う事。それがこの奇跡を引き寄せる。

 

 

(歪みは魂の断片。ならきっと、これは兄さんの意思)

 

 

 歪みの根源とは即ち魂の力。ティーダの歪みを再現した魔弾には、ティーダの意思が残っている。

 

 一つ一つは欠片でしかなく、傀儡師の操作に抗える程ではない。だが、これ程大規模に発生した力ならば話は変わる。

 

 塵も積もれば山となる様に、小さな欠片でも積み重ねれば確かな力に変わるのだから。

 

 

「そんな、事が……」

 

 

 驚愕に目を見開く傀儡師の前で、無数の弾丸がティアナの身体を摺り抜けていく。望んだ物だけを破壊する魔弾は、主の最愛を守らんとその力を示すのだ。

 

 カラカラと地面に落ちる血の弾丸。

 黒き靄は消え去り、だが、それだけでは終わらない。

 

 ティアナが望んだ未来は、ランスターの弾丸が正しい願いの下に振るわれる事。ならば、その答えが示す未来が此処に紡がれる。

 

 黒き靄がティアナの身体に残留している。

 その体を取り巻いて、染み込むように入っていくのだ。

 

 高位の歪み者に見られる再生能力。その一端を見せて、急速に治癒していくティアナの姿に傀儡師は焦りを浮かべて人形を動かす。

 

 

「っ! ティーダ!!」

 

 

 全力攻撃でなければ、先の様な結果にはならない。

 否、最早、この魂に抗うだけの力など残っていない。

 

 無表情のままに、ティーダがスチールイーターを構える。

 まるで鏡合わせの如く、ティアナがクロスミラージュを構えた。

 

 

『喰らい付け! 黒石猟犬!!』

 

 

 黒き靄を伴った二つの弾丸が、空中でぶつかりあって地に落ちる。ティアナが放ったのは、ティーダの歪みであったのだ。

 

 

「ティーダの歪みを、取り込んだ?」

 

 

 それこそが、ティアナの見た光景。彼女の望んで引き寄せた未来。

 

 

「ランスターの弾丸。それに対する拘り。そして歪みに残ったティーダの意思。それらが絡み合い、貴女は為す事が出来たと言うのですか……」

 

 

 慣れない力の行使。急速に引き上げられた力による肉体の汚染。

 その負担に膝を付いて荒い呼吸をする。そのまま呼吸は整わず、ティアナは地面に崩れ落ちた。

 抗って、力を得て、限界を超えて倒れた少女。しかし、その表情は何処か満足気ですらあった。

 

 

 

 心底から驚かされた。そんな事もあり得るのか、少女が起こした現象に傀儡師は目を見開いた。

 

 

「……ですが、それで終わりです」

 

 

 だが、これ以上の奇跡は起こらない。ティアナが望んだのは兄の魔弾であり、勝利の道ではなかったから。

 

 

「最早動く事すらままならぬ筈。……ここで死になさい」

 

 

 ここで死ぬのは避けられない。未だ目覚めきらぬ彼女の魔眼は、奇跡を好き勝手に引き起こせる程に便利な力ではない。

 

 故にティアナ・L・ハラオウンはここで終わる。

 

 誰かの干渉さえないのならば……

 

 

 

 

 

3.

 冥王はゆっくりと迫っていく。

 倒れ込んだティアナは歪みを継承しただけで限界を超え、その身は満足に動けない。

 

 後数分、時間を与えれば立ち上がるかもしれない。だが後数分。それだけあれば、殺し切るには容易い。

 もうこれ以上余計な事をされる前に、ここで仕留めよう。ティーダと言う傀儡に対して、そう命じた冥王の意思は。

 

 

〈駄目ですよぉ、冥王様ぁ。……折角動けないんだからぁ、もっと甚振らないとぉ〉

 

 

 甘ったるい女の声に邪魔された。

 

 

「……正気ですか、クアットロ?」

 

 

 脳内に響く声に、傀儡師は問いかける。

 魔刃さえ敗れた脅威。それを生かすなど何を考えている。

 

 

「彼女の危険性は理解しているでしょう! 完全に動けない内に殺害するべきです!」

 

 

 そんな彼女の言葉に対し、クアットロが返すのは一つの感情だ。

 

 

〈動けないんだから、遊んだって問題ないわよぉ〉

 

 

 それは悪意。彼女の血の中に溶け込んでいる。魔群と言う女の悪意。

 

 

〈そ、れ、に〉

 

 

 その女は望んでいるのだ。

 

 

〈一瞬。本当に一瞬。恐怖を感じたんですよ。この私が〉

 

 

 己に恐怖を感じさせた少女の苦しみを。

 

 

〈許せない。許せないですよねぇ。ドクターの生み出した完全なる存在である私が、ドクターの理想の存在へと進化するこの私が、こんな小物にですよ?〉

 

 

 己に恐怖を感じさせた少女の嘆きを。

 

 

〈だから、あっさり殺すのは不許可ですぅ〉

 

「……ですが」

 

 

 その為に必要な物は揃っている。殺すよりも苦しめる方法があるのだから、クアットロは圧倒的な優位を前に増長する。

 

 

〈逆らうのも禁止よぉ。……逆らったら、貴女の中に流れる血を破裂させちゃうかもぉ〉

 

「…………」

 

〈分かったら、私の言う通りに動きなさい。め・い・お・う・様ぁ〉

 

 

 その策略の悪辣さに、抗えぬ己の無力さに、諦めたイクスは崩れ落ちたティアナを見下ろす。

 その瞳には、己の芯を圧し折られる事が確定したティアナを憐れむ色が込められていた。

 

 

 

 

 

 荒い呼吸を整えながら、何とか立ち上がろうとしているティアナ。

 そんな彼女を見下ろして、イクスヴェリアは彼女の言葉を反復する。

 

 

「良かったですね。お兄ちゃんの力が手に入って」

 

 

 投げ掛けられた言葉は賛辞の言葉。

 だが、その言葉は字面通りの意味ではない。

 

 それに続く言葉が、その意味を悪意で塗り替える。

 

 

「これでもう無能じゃない。これでもう凡人じゃない。これで漸く、ランスターの弾丸を受け継げた」

 

「……何を」

 

「……けど、ならお兄ちゃんはどうなるのでしょうか?」

 

 

 返される疑問に反応せずに、イクスはクアットロの言葉を代弁する。

 その悪意に塗れた真実を前に、ティアナの思考は停止した。

 

 

「知っていますか? このミッドチルダと言う世界は、修羅の神によって守られている」

 

 

 修羅道至高天。その力がミッドチルダと言う世界を守っている。

 

 

「その対価に、この世界で死した魂はこの土地に囚われる。今は亡き神の墓所に繋がれ、自然消滅する瞬間まで縛られ続ける」

 

 

 だが、その影響によって、死者は輪廻の輪に戻れない。

 黄金の法下において死者は戦場奴隷となり、永劫の闘争を繰り返す。

 

 黄金が不完全な今、この世界を満たす理は死者を輪廻に返さずに消滅させる。それだけの法則となってしまっている。

 

 

「ですが、神は未だ目覚めず。故に其処に干渉する事が可能となっている」

 

 

 故に、彼女ら反天使は其処に干渉したのだ。

 

 

「……話は変わりますが、ドクター=ジェイル・スカリエッティは過去に一つの実験を行いました」

 

 

 それはジュエルシードを巡る戦いの中で、彼が知った一つの事実に関する証明実験。

 

 

「それは魂の輪廻に干渉する実験。魂は肉体に惹かれると言う現象の解明実験」

 

 

 その果てに、この世界の真実の一端を解明しようとした実験。

 

 

「その結果、彼は一つの結論に至った」

 

 

 得られたのは、予め知っていた事の確証。

 至った結論は、その現象が発生する細かな条件。

 

 

「極めて近似する器を用意出来れば、魂の憑依はミッドチルダにおいても起こり得る」

 

 

 黄金の法化では魂は永き時間、その場に留まり続ける。

 その魂が消滅する迄に新しい器を用意すれば、その魂はそちらに流れ得る。

 

 

「プロジェクトFATEにおけるクローン。或いは量産された戦闘機人。全く同じ構造の物に、モデルとなった人間の魂は宿る。……それは、本人の遺体を材料に作り上げた傀儡であっても変わらない」

 

 

 無論。条件は難しい。魂が己の器だと勘違いする程に、精巧な器が必要となる。だからこそ、魔群と魔鏡はこの器を作り上げたのだ。

 

 

「なぜ、ティーダが歪みを使える? 歪みとは肉体の汚染と精神の発露。そして魂が混ざり合った三位一体の力。どれか一つでも欠けていれば、発現すらしない異能」

 

「……まさか」

 

 

 にぃと嗤う。幼い容姿に相応しくない歪んだ笑みを浮かべた女は、もうイクスヴェリアではない。

 

 

「そう。……そのティーダ・ランスターの器は偽物なんだけどぉ、中身は本物なのよねぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 少女の浮かべる絶望の色が、余りにも見ていて愉しかったから――血の内側に潜んでいた魔群が、イクスの意識を押しのけて表に顔を見せる。

 

 

「ティーダちゃんの魂は摩耗しているのぉ! 悪路王に腐らされてぇ、黄金の法で無理矢理に縛られてぇ、十年に渡る歳月で彼の魂を消滅寸前にまで磨り潰されていたのよねぇ!」

 

 

 ベルゼバブは魔群の細胞だ。

 彼ら全てが、クアットロの端末に変わり得るのだ。

 ケラケラとクアットロは嗤う。その笑みは、余りにも悍ましい。

 

 

「輪廻は出来ず、この地に縛られ、壊れかけだった魂。……そんな魂が歪みを使い続ければ、どうなるか分かりますかぁ?」

 

 

 やめろ、聞きたくない。ティアナが耳を塞いで首を振ろうとも、嗤う悪意は言葉を止めない。

 

 

「消滅するのよぉ! ティィィアナちゃぁぁぁん!!」

 

「っっっ!」

 

 

 それは、余りにも残酷な現実であった。

 

 

「良かったわねぇ。お兄ちゃんの魂を磨り潰して、貴女は摩訶不思議な神通力を獲得しましたぁ!」

 

 

 悪意は続ける。どれ程にティアナが耳を閉ざしても、その言葉は止まらない。

 

 

「あ? 怒った? 怒りましたぁ? ……け~ど、残念。貴女が攻撃してもぉ、みぃ~んなティーダさんが受けてくれますぅ」

 

 

 怒りに任せて攻撃をしようにも、弾丸を撃てば兄の魂を壊してしまう。

 

 

「殺す? 殺す? 殺しちゃう? 良いんじゃないかしらぁ、だって歪み貰った後なんだから、もう空っぽのゴミでしょう?」

 

 

 魔群がどれ程に嘲笑おうとも、その言葉を止める事さえ出来ない。

 

 

「あ、しないの? ざ~んねん。じゃ、どうしよっか?」

 

 

 女の悪意は止まらない。ティアナを傷付ける為だけに、その姿を見て愉しむ為だけに、女の悪意は止まらない。

 

 

「あ、そうだ! お兄ちゃんに銃を持ってもらってぇ、ティアナちゃんで的当てでもやりましょう? それともぉ、無抵抗なお兄ちゃんを的にして、磨り潰す? 磨り潰しちゃう?」

 

 

 力を得た。確かな力を得たのに、それを振るう事すら悪意は許さない。

 

 

「も・ち・ろ・ん。お兄ちゃんの意識を戻してあげちゃう! ああ、私ってば、な~んて優しいのかしらぁ」

 

 

 ティーダの目に光が灯る。何かを訴えようとして、しかし身体の自由が利かない青年は表情を変える事しか出来ていない。

 

 

「お兄ちゃんに殺されたい? お兄ちゃんの魂に止めを刺したい? 良いわよぉ、どっちでも笑えるものぉ」

 

 

 ティアナの表情が絶望に染まる。ティーダの瞳が憎悪に染まる。

 だが、如何なる感情を抱こうとも、ランスター兄妹に出来る事など何もない。

 

 

「ぶっちゃけぇ、何しようと無駄よぉ。貴女、力使い過ぎだものぉ」

 

 

 ティアナはもう立ち上がるので精一杯。まだ覚醒してすらいない歪みに頼るなど、もう出来ない。

 ティーダに自由はない。無理矢理に戻された意識の中で、唯憎悪を抱くより他にない。

 

 

「だ・か・ら、もうな~んにもできませ~ん!」

 

 

 そしてそんな感情など、この女にとっては無価値でしかない。

 

 

「例えば、私がこ~んな事をしても、な~んにも出来ないのよぉ?」

 

 

 女が声を上げると、ティーダの身体が内側から破裂した。

 

 

「BANG!」

 

 

 ティーダの右腕が弾け飛ぶ。

 

 

「……やめて」

 

「BANG!」

 

 

 ティーダの右足が吹き飛ぶ。強酸の血を垂らしながら、その表情を苦痛に歪める。

 

 

「やめて!」

 

「BANG! BANG! BANG!」

 

 

 左足が飛んだ。左手が飛んだ。眼球が飛んだ。胃が破裂した。腸が溢れ出した。

 

 甘ったるい声が嗤う中、ティーダ・ランスターが壊れていく。

 

 

「やめてぇぇぇぇっ!!」

 

「い・や・よ」

 

 

 ニヤニヤと嗤う悪意は止まらない。

 少女がどれ程に慟哭の叫びを上げようと、クアットロの遊びは終わらない。

 

 

「BANG!!」

 

 

 一際大きな声と共に、ティーダの頭が破裂した。

 

 

「あ、あぁぁぁぁぁ」

 

 

 二度目の兄の死を前に、呆然自失するティアナ。

 甘ったるい笑い声が止まる事無く、周囲を満たし続けていた。

 

 

「っ、アンタはぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 嗤い声に反発して、銃を取る。

 例え死しても、この女を殺したい。

 

 その怒りと共に限界を超えて、放たれたランスターの弾丸は――

 

 

「な~んちゃって」

 

「え?」

 

 

 ぐしゃりと、甦ったティーダの胴を吹き飛ばす。

 即座に復元したティーダが盾となり、彼を苦しめるだけに終わった。

 

 

「キャハ、ハハハ! もしかして~、本当に自爆させるかと思いましたぁ? ばっっっかみたぁい!!」

 

 

 弾丸を放った後の銃をだらしなく垂らしたまま、ティアナは目の前の現実を理解出来ずにいる。

 

 

「ベルゼバブってばぁ、ほんとぉ~に死に難いのぉ。だ・か・ら、こ~んな扱いしても死なないのよねぇ」

 

 

 ベルゼバブは死なない。ベルゼバブは滅びない。

 主である魔群がその死を心底から望まない限り、物理的な破壊では殺せない。

 

 だが――歪みは別だ。魂に干渉する力なら、不死身の怪物すら殺せるのだ。

 

 

「け・ど、ティアナちゃんも酷いのねぇ。お兄ちゃん、今ので死ぬかもしれなかったじゃなぁい」

 

「あ、あぁ」

 

 

 その事実を理解して、ティアナの心は折れた。

 己の手で、実の兄に二度目の死を与えそうになった。その事実が、少女の心を抉ったのだ。

 

 

 

 嗤い狂う魔群を前にして、クロスミラージュが地面に落ちる。

 ティアナ・L・ハラオウンの中にあった芯は、最早見る影もない。

 

 

 

 

 

「……折れましたか」

 

 

 戦おうと言う意思を失くして、呆然自失する少女。

 彼女を見下ろして、肉体を取り戻したイクスヴェリアは複雑な感情を抱いていた。

 

 

「彼女の悪意を前に、抗えないのは当然です。その姿には、哀れみすら感じている」

 

 

 それは哀れみ。だが、それだけではない。

 彼女の言葉に、彼女の願いに、彼女の在り様に、確かに抱いた情が一つ。

 

 

「ですが同時に、そう。これは憤りですかね。……貴女に対して、そんな情も抱いています」

 

 

 その何もかもを失くした、と言わんばかりの哀れな姿。だが、だからこそ感じる怒りがある。

 

 クアットロがティアナを壊す為に、イクスは彼女の情報を集めさせられた。

 だからこそ知っている。彼女の周りには、多くの人々が居たのを知っているのだ。

 

 

「貴女が真に抱いた渇望は分からない。ですが、表層に抱いた望みは明らかです」

 

 

 今なお己に抗おうとしている、自由を剥奪された兄が居る。

 現在も生きて、彼女の為にあろうとしている人達が居る事を知っている。

 

 

「……ランスターの弾丸の強さを見せ付ける。それが私の願い」

 

 

 そんな優しさを、彼はどれ程に焦がれていたと思っている。

 

 

「兄の強さを知らしめる。私が天魔を倒して示して見せる。私にはそれしかないから。私にはそれしか残っていないから」

 

 

 そんな誰かの存在を、私達はどれ程に求めていたと思っている。

 

 

「……その発言は、愚かにも程がある」

 

 

 己や彼にはない。守ろうとしてくれる誰か。それを持つと言うのに、不幸のヒロインを気取る少女が気に入らない。

 

 そう。これは個人的な怒りであった。

 

 

「誰かの為? いいえ、違う。その本質はもっと醜悪だ」

 

「いや」

 

 

 語られる言葉に、まるで幼児退行を起こした様に少女は小さく首を振る。

 

 

「兄さんの為。兄さんの為。兄さんの為。兄さんの為。兄はもっとずっと強かったから、私が兄さんの為にそれを示す」

 

「いや。違う」

 

 

 否定する声に力はなく、責め立てる声には怒りがある。

 

 

「だからお願い。頭を撫でて。私を褒めて。よく頑張ったねって、沢山愛して」

 

「違うの、私、そんなんじゃ」

 

「結局、そのお題目の根底にあるのは承認欲求。愛する誰かに褒められたいと言う自己顕示欲。誰かを理由にしただけの、薄汚い自己愛です」

 

 

 心を折られて、願いを否定され、その醜悪な一面を明かされた少女は蹲る。

 

 

「貴女の兄は、貴女に戦って欲しいと願う人間でしたか? 貴女の兄は、貴女に苦しんで欲しいと願う人間でしたか? 貴女の兄は、貴女に仇を取って欲しいと願う人間でしたか?」

 

 

 蹲る少女を前にしても、一度枷を外れた不満は吹き出し続ける。

 

 

「そうだ、と言うならティーダ・ランスターは、どれ程に人でなしでしょうか? 違うと言うならば、ティアナ・L・ハラオウンは余りにも醜悪だ」

 

 

 泣き喚く子供を虐める子供。その子供すら泣いている様な光景は、余りにも救いがない。

 

 

「理由とされる誰かの内心を考慮せず、相手の抱いた願いを知らぬと踏み躙り、自分にとっての感情だけを見ている」

 

 

 その言葉が指し示すのは、二人の少女。イクスヴェリアは自覚している。その言葉はそっくりそのまま、己にも跳ね返る事を。

 

 

「結局、貴女にとって大切なのは自分だけ。兄の願いなんて、本当はどうでも良いんでしょう?」

 

 

 戦う理由を他に求めた。生きる理由を他に求めた。

 自分の中にある彼が大切で、その実現実に生きている彼を見ていない。

 

 そんな事が分かって、そんな自分が変えられない。

 

 

「だって、皆が貴女を置いてった。皆が貴女を忘れていた。……ひとりぼっちの貴女が構ってもらう為には、そんな方法しかないんだから」

 

 

 二人の間にある違いなど、自覚しているかいないか、それだけだ。

 

 

「結局、貴女は何も見ていない」

 

 

 自閉している。己に閉じて、己に都合の良い物だけ見たがっている。

 その姿は醜悪なのだ。その醜悪さを理解しようとすらせずに、綺麗に取り繕っているティアナで、取り繕う事すら出来ていないのがイクスである。

 

 感情を吐き出したイクスと、震え続けるティアナ。二人を見て、クアットロが笑っている。

 

 

〈キャハハ! 冥王様も、言いますねぇ。Goodですよぉ、その責め方〉

 

 

 そんなイクスの醜態すら嗤いながら、クアットロが毒を吐く。

 自分の無様さを自覚している少女は、己の愚行を恥じ入りながら口にした。

 

 

「……もう、十分に楽しんだでしょう」

 

 

 もう良いだろう、と。此処まで追い詰めれば、もうクアットロも満足だろうと。

 怒りはある。だが同情も哀れみもあった。だからこそ、こうして最後まで追い詰めたのだ。

 

 この兄妹を終わらせる為に。

 

 

〈ええ、ええ、もう満足したわぁ。……ティアナちゃんもぉ、ティーダちゃんもぉ、もういらな~い〉

 

 

 これで終わる。悪意が興味を失くした事で、漸く彼らは終われる。イクスは偽善と分かって尚、彼ら兄妹が死ねる事に安堵した。

 

 

「さて、月並みですがこう言いましょう」

 

 

 さあ、終わりにしよう。

 この哀れで醜悪な少女の生に、幕引きを――

 

 

「レスト・イン・ピース」

 

 

 

 

 

4.

 その赤は、全てを終わらせる直前に現れた。

 

 

「全弾、発射!!」

 

「なっ!?」

 

 

 銃声が響く。爆発物が破裂する。炎が全てを赤く染める。

 それは余りにも過剰過ぎる破壊の爪牙。何もかも一切合切消し去る赤が狙うのは、傀儡とされるティーダ・ランスター。

 

 

「兄さんっ!」

 

 

 咄嗟に上がった少女の声に、彼女の兄は小さく微笑んで――言葉は声になる事はなく、破壊の赤が肉片一つ残さずにティーダ・ランスターを殺害した。

 

 

「あ、あああ、あああああっ!!」

 

 

 涙が流れる。涙が溢れる。

 失った。また失った。その痛みに耐えられない。

 

 痛い。痛い。心が痛みで張り裂けそうで――

 

 

「泣くな、小娘!!」

 

「っ!?」

 

 

 その苛烈な声が、涙を零す事すら許さなかった。

 

 

「どの道、救う術などなかった! なら、一刻も早く終わらせる事こそ、慈悲と知りなさい!」

 

 

 だから泣くな、と。あの男はもう眠れるのだから、戦士たる者が戦場で泣くなと女は背中で告げていた。

 

 

 

 金糸の如き長い髪。管理局員の制服をキッチリと着こみ、その胸には執務官の証たる階級章。整った容姿の美女は、可憐さよりも苛烈さを強く見せる。

 

 破壊の戦火を伴い現れた女傑は、守るべき者を背に仁王の如く立ち塞がった。

 

 

「アリサ・バニングス。……どうして」

 

 

 その存在に冥王は驚愕する。彼女の内側に潜む魔群は、聞いていないと混乱する。

 彼女が動いたのは、エースストライカーが不在と言う絶好の好機だったからだ。その前提が覆ってしまえば、これは罠と変わらない。

 

 

「貴女は、貴女方はトーマ・ナカジマを追っていたんじゃ」

 

 

 確かに、エース陣はトーマを捜しに行った。

 消息の知れない少年を捜す為に、人手は多く必要だった。

 

 アリサが残っているのは偶然だ。

 自分よりも、彼の方が弟子を捜しに行きたいだろう。そう思って、身を引いただけ。

 

 それが功を奏した。それだけの話で、そんな事実は――

 

 

「答える義理など、ない!」

 

 

 敵に語る言葉ではない。

 

 

 

 熱風の如き銃火が吹き荒れる。何もかもを焼き尽くすかの様な炎が放たれる。

 

 視界を染め上げる赤に対しイクスヴェリアは即座にマリアージュを展開するが、それすら時間稼ぎにもなり得ない。

 

 墓地と言う立地。無数の屍。リミッターの有無。

 そんな無数の優位など知らぬと、小細工の全てを力尽くで蹂躙していく。

 

 圧倒的な火力は数の理を覆し、追い詰められた冥王は大きく後方に跳躍して距離を取った。

 

 アリサは追わない。此処から一歩でも進めば、心折れた少女の身を危険に晒すと分かっている。

 それに、この程度の相手ならば、このまま勝利してみせよう。

 

 

「家の新人相手に、好き勝手やってくれたみたいじゃない」

 

 

 この手で焼き殺した青年の声を聞いた。

 その末期の言葉、声にならない声を確かに聞き届けた。

 

 ありがとう。そう口にしていたのだ。

 一番大切な人を死なせずに済んだ事に、あの青年は感謝を抱いていた。

 

 肉片一つ残さぬ様に偏執的なまでの破壊を与えた女に対して、あの青年は感謝の言葉を残したのだ。

 

 

 

 そんな青年を利用した。その下劣さには反吐が出る。

 己らの居ない隙を狙った。空き巣の如き小物さには、怒りの情しか抱けない。

 

 故に――

 

 

「ドタマに来てんのよっ! この私はっ!!」

 

 

 此処に、アリサ・バニングスが参戦した。

 

 

 

 

 

 

 




クアットロさんは原作に比べて、小物成分と外道成分が七割増しくらいを目指しています。



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第六話 誓約 其之参

推奨BGM
2.Einherjal Rubedo(Dies irae)
3.Et in Arcadia ego(Dies irae)
4.Jubilus(Dies irae)


1.

 赤き輝き。燃え盛る炎に心が揺れ動いた。

 

 地獄の様な業火。決して美しいとは言えぬ炎。

 己を焼き尽くすかも知れぬ炎の熱に、冷めた心に火が灯った。

 

 それは恐怖か、或いは憧憬か。二つの感情は何処か似ている。

 それはどちらも対象の本質を理解できず、真実からは程遠い結論に至り得る感情だ。

 

 端的に言ってしまえば、恐怖も憧憬も、距離が遠いのだ。

 そんな遠い感情が、心を揺らす程に強大な質量を以って彼女に襲い掛かった。

 

 恐ろしいから離れたいと思う。それが死を逃れんとする恐怖である。

 綺麗だから近付きたいと思う。それが輝きに魅せられた憧憬の発露である。

 

 心に刻まれた光景は、決して色褪せる事がない。

 どれ程に時が経とうとも、どれ程に意識が変わろうとも――その炎への焦がれは消えぬのだ。

 

 

 

 故に、我はこの燃え盛る炎を――

 

 

 

 

 

 クラナガンの雑居ビル。建築物に挟まれた路地の裏。建物の隙間に生じた影の中に、その少女は居た。

 

 金糸の如き髪。年の頃は五歳前後。

 整った容姿は可愛らしく、街中を歩いていればさぞや人目を惹いた事であろう。

 

 だが、そんな容姿以上に、彼女を目立たせる物がある。

 

 

「参ったね、これ。……散歩してたら、あからさまに不審な子を見つけちゃったよ」

 

 

 足首に付けられた鎖は、紛れもなく足枷の類。

 身に纏うのは襤褸切れの様な布一枚。靴を履かずに移動した所為だろう。足の裏は無残にズル剥け、少女の血で赤く染まっている。

 

 

「るーちゃん。この子が持ってるの」

 

「レリック。ロストロギアだね。……ほんっと、面倒な事になりそう」

 

 

 その大きな球体は、先の任務で回収したロストロギアと同じ品。

 足の鎖と繋げられたレリックを両手に抱いた金髪の少女は、建物の壁に背を預けたまま眠っていた。

 

 

「……とりあえず、息はあるみたいだけど」

 

 

 眠る少女に近付いたキャロが、その口元や喉に手を当てて呼吸と脈拍を確認する。

 専門的な知識がない故に具体的な状態は診察出来ないが、少なくとも即座に命の危険はない事を認識して二人は安堵の溜息を吐いた。

 

 

(しっかし、本当に怪しい子よね)

 

 

 眠り続ける少女を見詰めながら、ルーテシアは思案する。

 

 

(何処かから逃げて来たって感じね。誘拐か、……それとも違法な実験施設か)

 

 

 襤褸切れ一つに、足枷が付けられた少女。どう見ても、真っ当な出自ではない。

 

 

(朝方あったっていう事故も、何か関係してるのか)

 

 

 先ほど街中で聞いた噂話が甦る。道路を移動していた輸送車が事故に遭い、横転したまま道を塞いでいると言う話だ。

 

 道が一本潰れたから、目的地への迂回路としてこの路地裏にやって来た。そうして見つけてしまった少女を見て、何の因果だと嘆息する。

 

 休暇中だから余り面倒な事はしたくないが、休暇中であれ己達は管理局員だ。

 己の職分に忠実であろうとするならば、この様な不審な少女は見逃す訳にはいかないだろう。

 

 

「実際、どうするべきか。……って、キャロ!?」

 

 

 救急車を呼ぶべきか、時空管理局に連絡を入れるべきか、古代遺産管理局内だけで判断を仰ぐべきか、悩むルーテシアの目の前でキャロは自己判断で行動を始めた。

 

 

「何してるのよ!?」

 

 

 十歳の少女が五歳の少女を背負い上げる。その重量故に蹈鞴を踏んだキャロが倒れる前に、ルーテシアは慌ててその体を横から支えた。

 

 

「……これ以上は私じゃ分からないから、医療班の人達に見て貰おうって思って」

 

「六課に連れていく気?」

 

「うん。訳ありみたいだし、……何より放っておけないよ」

 

 

 その声には、純粋な憂慮の情があった。

 

 不審人物としてではなく、倒れた怪我人として対処しているキャロ。

 倒れた怪我人ではなく、犯罪に関係する人物かもしれないとして対処しようとしたルーテシア。

 

 例え選択として間違っていないと思っていても、その純粋な優しさを見るとどうしても己に対して思う所が出てくる。

 

 

「……取り敢えず、自分で背負うのはやめなさい」

 

「え?」

 

 

 そんな自分の感情を一端棚上げして、ルーテシアはキャロの行動を止めた。それは彼女を六課に連れて行かせない為、ではない。

 

 首を傾げるキャロと、その周囲でパタパタと羽を羽搏かせるフリード。両者を半眼で見詰めながら、ルーテシアはその理由を口にした。

 

 

「フリードは何の為に居るのよ」

 

「あ」

 

「きゅくるー」

 

 

 少女と飛竜が顔を見合わせる。キャロが運ぶよりも、大きさを戻したフリードが運んだ方が遥かに効率的だ。

 

 そんな簡単な事に言われるまで気付けなかった少女は、苦笑いを顔に浮かべてやり過ごす。妹の乾いた笑みを見て、姉は深く溜息を吐くのであった。

 

 

 

 

 

2.

 墓が暴かれる。大地から無数の手が這い上がる。

 此処は死人の国。屍が眠る墓地。マリアージュの材料は、それこそ無限に存在する。

 

 腐った死骸が大地を掻き分け起き上がり、その姿が女の物へと変わっていく。死骸は屍兵へと変じ、その物量を以って敵である女を蹂躙せんとする。

 

 

「温い!」

 

 

 対する女は唯不動。肩幅に開いた足は揺るがず、その右手で力を行使する。

 轟音。銃弾を放ち続ける音と周囲を燃やす炎が鼓膜を揺るがせ、屍の兵を蹂躙していく。

 

 

「っ、なら!」

 

 

 アリサ・バニングスは屍兵を圧倒する。その暴威によって蹂躙される兵団を囮にしながら、イクスヴェリアは更に距離を取った。

 女は強い。マリアージュ達では覆せぬ程に、数を凌駕する質を有している。

 

 

〈け・ど、此処は冥王様の領地でぇ、貴女には足手纏いが付いている〉

 

 

 されど此処は既に冥王の国。冥府の底においては、供養された遺骸が無限の兵と化す。

 ティーダ・ランスター程の特別品は瞬時に作れずとも、無数に散りばめられたマリアージュ・コアは何時でも好きな場所に兵を作り出せるのだ。

 故に、女の背後で震える少女は隙となる。それこそが、女の弱所であろう。

 

 

〈それはしっかりと、狙わせて貰うわよぉ〉

 

 

 クアットロの指示の下に、新たに出現したマリアージュがその魔手を伸ばす。

 

 

「っ!?」

 

 

 己の後方。真後ろの地面から這い出して来た同じ顔の女の姿に、ティアナの身体は恐怖に震えて――

 

 

「斉射!」

 

 

 その手が伸びる前に、虚空に出現した無数の銃器より弾丸が放たれる。

 頭上で発生した発砲音に、耳を塞いでティアナは蹲る。そんな彼女の周囲に居た屍兵の群れは、唯の一射で掃討された。

 

 

〈う~ん。そうなりますよねぇ。……で~も、それって予想済みなんですよねぇ!〉

 

 

 カラカラと嗤う声と共に、アリサの足元から無数の手が生えてくる。

 初手からならば対処される。ならばまずは布石を打って、力を使わせた直後に罠に嵌めるのだ。

 

 攻撃直後のアリサでは反応出来ない。ティアナと言う少女を庇い続けねばならぬ限り、縋りつく手を触れる前に消し去る事など出来はしない。

 

 アリサ・バニングスの両足を、屍の手が握り締めた。

 イクスヴェリアは結果を推測する。クアットロは勝機を確信する。

 

 マリアージュ=グラトニーはベルゼバブだ。その体液は酸であり、魂を穢す猛毒である。

 迎撃せずに身体を掴まれれば、溶けて落ちるは一つの道理。攻勢に特化したアリサ・バニングスでは、真面に受ければ死あるのみだ。

 

 じゅうと言う異音がする。

 肉が溶け、醜悪な臭いがする蒸気が場を満たした。

 

 だが――其処にある光景は、魔群が夢想した景色とは異なっていた。

 

 

〈……はい?〉

 

 

 唖然とするクアットロを前にして、マリアージュが溶けている。

 アリサを掴んだその手がドロリと溶けだして、対する女は身動ぎ一つしていない。

 

 

「小賢しいのよ! 小物がっ!!」

 

 

 憤怒を込めた声で一喝する。その声と共に、圧倒的な熱量が屍の器を欠片一つ残さずに焼き尽くした。

 後には唯、地面に残った黒い影。まるで原子力爆弾が投下された爆心地の如く、人体が融解して焼失したのだ。

 

 

「……圧倒的な熱量。マリアージュを、逆に溶かした!?」

 

〈な、なんですか、それぇ!?〉

 

 

 焦熱世界。その炎は修羅の加護がなくとも、核の爆心地に匹敵する程の高温を発揮する。数百万度の炎が永劫止まらぬ。それこそが赤騎士の真なる秘奥だ。

 

 その域に至れずとも、アリサの炎はその出力を再現する。

 一時的にであれ、数百万度を超える炎を体表面に発揮させられる。

 

 

「言ったでしょう。……アンタ達は温いのよっ!」

 

 

 硫酸の沸点は約三百度。人体を構成する物質も、数百万度の超高熱には耐えられない。

 如何なる物を溶かす毒でも、届く前に蒸発させられてしまえば意味などありはしないのだ。

 

 

〈これは、不味いですねぇ〉

 

 

 クアットロは思考する。現状、イクスヴェリアの手札ではもう覆せない。

 自分が本気を出せば話は変わるが、今はその時ではない。所詮イクスは細胞の一つ。いっそこの場で捨てて、逃げるのもありと言えばありである。

 

 

(けどぉ。そうすると、エリオ君への抑えがなくなるんですよねぇ)

 

 

 だが、それをすると魔刃が完全に敵となる。

 唯でさえ悪意を稼いでいる相手。大天魔の両翼を除けば、不死不滅の己を唯一殺せる男だ。

 

 そんな男を前に安全な壁がなくなるなど、想像すらしたくない。

 

 

(面倒くさいですねぇ。ま、最悪冥王様を死なない程度に使い潰しながら、この場から退くとしましょうかぁ)

 

 

 だから、クアットロはそう判断する。

 無数の屍兵を囮に、イクスヴェリアを盾に、己だけは逃れようと決断した。

 

 無数の兵が遠巻きに壁を生み出し、イクスヴェリアが少しずつ距離を開いていく。

 その光景に、クアットロの思考を見抜いたアリサは、吐き捨てる様に口を開いた。

 

 

「感情が温い! 想いが温い! 熱量が圧倒的に足りていない!」

 

 

 それは挑発だ。彼女らがティアナに対して行った様に、今度はアリサが罵倒する。

 

 

「自分は被害者だ。悲劇のヒロインを気取っている」

 

 

 イクスヴェリアは唯のヒロイン気取りだ。逆らえぬから、抗えぬから、そんな理由で自分を誤魔化して、己は罪深いと自慰に耽る愚か者。

 

 

「自分より弱い相手に八つ当たり。格下甚振り悦に浸っている癖に、強い相手に対しては尻込みして逃げようとする」

 

 

 クアットロは下らない小物だ。格下相手には居丈高。罵倒と嘲笑を向けてくる癖に、もし万が一の可能性を考えた瞬間に尻尾を巻いて逃げようとする。

 

 

「だから、アンタ達は温いのよっ!」

 

 

 だから、彼女らはどちらも戦士ではない。戦場に出る価値のない似非者共。その願いは温いのだ。

 

 

「己は罪深く、無価値であると嘆いている」

 

 

 泣いて祈って、その癖自発的な行動をしない。他者の救いを求めて、都合の良い妄想に沈む愚かな娘。

 

 

「己は至高である。その癖、取るべき手段が他人の粗探し」

 

 

 己を完成された存在と嘯きながら、自分より優れた他者を引き摺り落そうとする。去ってしまった親友にも似ているが、確かに違う事が一つ。

 

 コイツは自分を誤魔化している。嫉妬ではないと、そう欺きながらも、自分がそれを信じられていないのだ。

 

 

「ようはアレよ。泣くのが好きなんでしょう?」

 

 

 救われないのは不当だ。

 認められないのは不当だ。

 この境遇は己には相応しくない。

 

 この二人はそれだけだ。

 そんな感情に浸る自分に酔った、性質の悪い酔漢なのだ。

 

 

「反吐が出る」

 

 

 故に、そんな酔漢が為した行為に反吐が出る。

 

 

「器が知れる! 程度が低い!」

 

 

 信念が軽い。渇望が温い。

 強さに掛ける想いが、純粋に雑魚なのだ。

 

 

「そんな無様を晒すアンタ達に比べたら、自己愛に満ちた小娘の方がまだマシよ!」

 

 

 気炎と共に燃え上がる。不動の姿勢の女は揺るがない。

 仁王の如き女の啖呵を前に、クアットロは静かに決意した。

 

 

〈本当に。……嗚呼、本当に。好き放題言ってくれますねぇ〉

 

 

 彼女にもプライドと言う物はある。現状では打つ手がないが、それでも本気を出した自分より弱い女に罵倒されて、それが揺るがない理由がない。

 

 まるで嵐の前。凪の如く安定した思考のままイクスヴェリアの肉体制御を奪い取ると、クアットロは胸中の感情を吐き出した。

 

 

「○○○○を×××で引き裂いてぇっ! ハラワタぐちゃぐちゃに引っ掻き回してやるよ、クソビッチがぁぁぁぁっ!!」

 

 

 その言葉には媚を売る様な甘えはなく、幼い器の表情が醜悪に歪んだ。

 この女は此処で殺す。無残に、醜悪に、凌辱と蹂躙の限りを尽くして惨殺する。

 

 クアットロは憤怒の情と共に、そう己の決定を口にした。

 

 

「はっ、薄汚い本性晒したわね。小物風情」

 

 

 クアットロの全力行使を前にして、アリサは余裕を浮かべたままに相対す。

 女達が気に食わなかったのは事実だが、この挑発はその憤りをぶつけるだけの物ではない。奴を逃がさぬ為に、態々煽ってやったのだ。

 

 これ程に煽りに煽れば、この小悪党は耐えられずに全力を出す。

 その確信があったから、その全てを正面から踏み躙る為に動いたのだ。

 

 

「それと訂正しておくわ。これでも乙女よ。これまでも、これからも、誰かと寝る予定なんてありはしない。勿論、アンタなんかに蹂躙される程に安くもない!」

 

 

 恋愛を軟弱などとは蔑まない。唯、もう十分だと思っているだけだ。

 誰かを本気で愛するなど、一生に一度で十分だ。この熱は、それだけで燃え続ける事が出来るから――

 

 

「アンタ達が、この炎を越える事は許さない!!」

 

 

 燃え上がる。紅蓮の炎が燃え上がる。

 燃え続ける炎と共に、アリサ・バニングスは宣言した。

 

 

 

 

 

 そんな両者の対応に、困惑するのは残された一人だ。

 

 

〈……予定とは、違うのでは?〉

 

 

 奈落より這い上がって来たクアットロに引き摺り下され、入れ替わったイクスが問い掛ける。

 

 当初の予定では、クアットロの出番は未だ先だった。それを決めたのは、他ならぬクアットロ自身であり――

 

 

「予定変更に決まってんでしょうがぁっ! 女として生まれてきた事を、存分に後悔させてやるのよぉぉぉぉっ!!」

 

 

 そんな彼女は、この低能は予定の変更さえ言わなければ分からぬのかと、己の器を罵倒して異能を行使した。

 

 

「アクセス――我がシィィィィィィンッ!」

 

 

 そしてジュデッカへの扉が開く。

 

 

「ケララー・ケマドー・ヴァタヴォー・ハマイム・ベギルボー・ヴェハシェメン・ベアツモタヴ」

 

 

 大地に満ちる死者の身体が膨れ上がる。その体内に門を生み出され苗床とされたマリアージュのありとあらゆる穴から、無数の蟲が這い出して来る。その血肉を貪り喰らいながら、その数を増やしていく。

 

 

「されば六足六節六羽の眷属! 海の砂より多く、天の星すら暴食する悪なる虫共! 汝が王たる我が呼び掛けに応じ此処に集え!」

 

 

 破裂した死体を糧に膨れ上がる蝗の群れ。その光景は余りにも悍ましい。

 奈落と現世を繋ぐ門より零れ落ちるは魔群の眷属。暴食のクウィンテセンスが呼び込むは悪なる獣だ。

 

 

「そして全ての血と虐の許に、神の名までも我が思いのままとならん」

 

 

 それは形こそ蝗だが、その本質は悪なるシンの集合体。悪性情報の塊であるそれは、燃え盛る炎ですら燃やせはしない。

 

 

「SAMECH VAU RESCH TAU」

 

 

 その悪意は神を殺す。その御名を穢し、その存在を貶める。

 偽りの神の眷属は、何もかもを食らい尽くすまで止まらぬ魔性の群勢。

 

 そんな物に、人の身で対処など出来よう筈もない。

 

 

「来たれ――Gogmagoooooooooooog!!」

 

 

 蝗の群れが空を埋め尽くす。クラナガンの街が狂乱に沈む。

 海の砂より多い数はクラナガンの空を黒く染め上げ、無数の蟲を従える女王は暗く笑みを浮かべた。

 

 

「名乗ってあげるわ」

 

 

 名乗りを上げる。女こそは魔群の器――ではない。

 

 

「私が魔群。這う虫の王、クアットロ=ベルゼバブ」

 

 

 器はイクスだ。ルネッサであり、ティーダであり、無数のベルゼバブ達全てがこの魔群と言う這神を宿した器なのだ。

 そしてクアットロとは、這神そのもの。エリオの中に潜むナハトと同じく、彼女自身が悪魔なのだ。

 

 奈落と言う夢界に生まれた這神に対し、スカリエッティが与えた人格の殻こそがクアットロ=ベルゼバブ。

 

 クアットロは殺せない。

 奈落に本質がある彼女は滅し切る事が出来ず、仮に奈落が消えたとしてもベルゼバブ達がバックアップとして機能する。

 故にベルゼバブの血肉が一欠けらでも存在する限り、この女に死は存在しないのだ。

 

 

「穴と言う穴を蟲で犯し尽してやるから、絶頂して喜びながら死んじまいなさい! クソ女ぁぁぁぁっ!!」

 

「はっ! その腐った性根ごと、何もかも燃やし尽してやる!」

 

 

 炎のエースと魔群の戦いは、こうして新たな局面を迎える。

 

 

 

 

 

3.

 寄せては返す波の音。

 夕焼けに染まる砂浜は黄昏の浜辺。

 

 そんな場所に一人立つ。

 気が付けば少年は、また此処に来ていた。

 

 

「僕は、死んだのか」

 

 

 思考を辿り、思い出した最期の記憶。

 胸を突かれ倒れた己は、確かに死んだのだと思えた。

 

 ならば、此処は死後の世界であろうか。

 夢で見ていた光景と同じ場所。違いは二つ、砂浜で遊ぶ女の姿が見えない。

 

 そしてもう一つ。目の前に聳え立っている。

 木製の枠。手と首を固定する台。そして頭上に見える黒き刃。

 

 それは、処刑台であった。

 

 

「……否、まだ君は死してはいない」

 

 

 ぼんやりとした思考でギロチンを見上げるトーマの背へと、影が語り掛けてくる。振り返ったトーマは、その姿を見て声を上げた。

 

 

「メルクリウス」

 

 

 老人にも若者にも、何にでも見える水銀の影が其処に居る。

 幻影の如き影絵の男は、振り向いたトーマに教え諭す様に口を開いた。

 

 

「君は死なない。否、死ねぬのだ」

 

 

 トーマ・ナカジマは死ねない。死んだ後、無理矢理に蘇生させる機構が既に用意されている。

 

 

「その毒が君を生かす。君は、新たな力を得て立ち上がるであろう」

 

 

 エクリプスウイルス。その毒がある限り、少年は再び立ち上がるであろう。

 水銀の蛇が何もしなくとも、トーマ・ナカジマが何を想おうとも、その命は再び火を灯すのだ。

 

 

「だが、その代価は存在している」

 

 

 本来、その復活に際しこの内面世界に落ちてくる必要はない。

 

 で、ありながらもこの世界へと落ちて来た理由。

 それは水銀の御業であり、それを為したのは彼がそれを己の役割の一つであると認識しているが故であった。

 

 

「物事には付き物と言える対価。使用に危険が伴うなど欠陥品だと嗤った汚物が居たがね。……確かに君に用意された力は、欠陥品と言える物であろう」

 

 

 狂人が用意した毒は欠陥品だ。余りにも大きな罠が潜んでいる。その代価は等価のつり合いが取れていないのだ。

 

 水銀の蛇は断頭台を見上げる。

 その斬首の刃を指差したまま、定められた代価を口にした。

 

 

「それを手にすれば、君は死ぬ」

 

 

 それは揺るぎない事実。このギロチンに込められた呪いは、強大な力と引き換えにトーマを殺す。

 

 

「身体が、ではない。心が死ぬのだ」

 

 

 それは誰かにとって都合良く、誰かにとっては最悪の未来。

 この力を得た事を切っ掛けに、既に罅割れた殻は完全に砕け散る。後はもう溢れ出した記憶に塗り潰されて、少年の心が消え失せるだけの話である。

 

 

「トーマ・ナカジマが消え失せる。その魂に生まれた個我が塗り潰される。君と言う個は、此処で終わる」

 

 

 手を伸ばせば、死ぬであろう。手に取れば、死ぬであろう。手を伸ばさずとも、死ぬであろう。

 

 

「君はそのまま進めば、もう君ではなくなる。だが、このままで居れば、君として死ねる」

 

 

 選択肢が生まれたのは、此処に水銀の蛇が居るからだ。

 この蛇が毒の進行を阻害し、故に僅かな時間が生まれた。その時間の内に望めば、トーマは人として死ねるであろう。

 

 

「君が選ばねば、白百合の乙女は真に死ぬであろう。……嗚呼、死ぬな。もう死ぬな。命を共有している乙女は、決して助かる事がない」

 

 

 その言葉は、あたかも精神の死を求めている様で。

 

 

「君が選べば、君と言う個は失われる。溢れ出した神の記憶は最早止める事など出来ず、君は嘆き苦しみながら押し潰されていくであろう」

 

 

 その言葉は、あたかも肉体の死を許容している様で。

 

 

「さあ、選び給え」

 

 

 真実、水銀にとっては、どちらになったとしても構いはしない問題であった。

 

 

「虚しき勝利か。次に賭ける敗北か」

 

 

 勝利を選べば、少年は消えて夜刀が生まれる。

 虚しき勝利の果てには、自己消滅と言う最期が待つ。

 

 敗北を選べば、魂に刻まれた少年の個我は輪廻の果てに僅かな芽吹きを見せるであろう。

 次に生まれる子供は、最初から夜刀とは違う色を持つ。その子が間に合うか、間に合わないか。否、蛇が間に合わせる。

 

 どちらに転ぶとしても、決して終わらせる事はない。

 全てが紅蓮に染まった世界か。或いは未知の結末に至るか。どちらにしても、この世界を消させはしないのだ。

 

 

「…………」

 

 

 蛇の言葉を受けて、トーマは選択する。

 選ぶべき道は一つで、それ以外に選択する道などはなかった。

 

 

「リリィを殺させたくない。このまま終わりたくはない。理由なんて、幾らでもある」

 

 

 振り返って足を運ぶ。

 一歩一歩とゆっくりと、短い距離を進んでいく。

 

 

「けど、きっと、一番強い願いは――」

 

 

 その手を伸ばす。

 

 

「僕は、アイツに勝ちたい」

 

 

 断頭台の刃へと、その手を伸ばして――

 

 

「だから、この道を選ぶんだ」

 

 

 触れた瞬間。トーマの視界が暗転した。

 

 

「……成程、それが君の選択か」

 

 

 断頭台に拘束された少年の姿が、水銀の瞳に映り込む。

 

 

「忠告しよう。君は何時かきっと、この選択を後悔する」

 

 

 誰もいないのに、刃を止めていたロープが千切れる。

 鋼の刃が落ちて来る。血塗られた処刑の刃は大地を突き刺し、ゴロンと二つの手と一つの首が転がり落ちた。

 

 

「せめてその嘆きの果てに、未知の結末があらんことを」

 

 

 そうして、トーマの首は斬り落とされて――新しい物に挿げ替えられた。

 

 

 

 

 

4.

 燃え盛る炎の中、少年が大地に立ち上がる。

 その少年が立ち上がる物音に、振り返ったエリオの表情が驚愕に染まった。

 

 

「……なに?」

 

〈何で、アイツら死んだんじゃ!?〉

 

 

 心臓を貫いた筈だった。だが、その穴が急速に再生している。

 首には処刑の傷痕。まるで斬首された後の様な線が、傷付けた覚えのない場所に浮かび上がっている。

 

 動かぬ少女を抱きとめた少年は、左手を掲げて欠落した物を呼び寄せる。

 

 

「来い! 銀十字!」

 

 

 何処からともなく飛来する書物。迫る銀十字の書を、エリオは即座に叩き落す。

 切り裂かれ飛び散った本はしかし、ページ毎に分かれるとトーマとリリィの身体を包み込んだ。

 

 

同調・新生(リアクト・オン)!』

 

 

 紙吹雪の中、声が重なる。死んだ筈の少年の声と、死んだ筈の少女の声が重なって、極大の輝きが場を包んだ。

 

 

「何が、起きている!?」

 

 

 驚愕する魔刃の前で、少年は新生する。神の子は遂に、覚醒の時を迎えた。

 

 

 

 輝きが薄れた後、その紙吹雪の中に立つのは黒き影。

 肩と腹部が覆われていない黒き鎧。翻る腰布はマントの如く、機械的な具足が足を覆う。

 

 髪は銀色に染まり、その隙間から除く瞳は赤。全身に刻まれた赤き刻印が、瞳と同じく怪しく輝く。

 

 その姿は、宛ら黒き騎士の如く。

 

 

形成(イェツラー)

 

 

 そして、彼の変化はそれだけに留まらない。同調し融合した少女を抱えていた右の手に、浮かび上がるはこの世の物とは思えぬ刃。

 

 それは剣だ。身の丈に迫る程に巨大な剣だ。

 銃弾を放つ機構はなく、肉体と融合した人器融合型の聖遺物でもない。

 

 武装具現型の刃の先端は潰れている。

 その刃は首を刈り取る為だけに存在していた。

 

 

白百合(リーリエ)正義の剣(シュヴェールトジュスティス)

 

 

 それは正義の剣。ギロチンが使用される以前に用いられた、罪人を処刑する為のエクスキューショナーソード。

 罪悪の王を破るべく、研ぎ澄まされた斬首の剣だ。

 

 

「リリィ。俺を高みへと導いてくれ!」

 

〈はいっ! トーマ!〉

 

 

 少年の声に、同化した少女が返す。

 何処までも強気な声に返すのは、確固たる信頼が籠った言葉。

 

 

「行くぞ、エリオッ!」

 

「っ!?」

 

 

 甲高い金属音が響いた。振るわれる大剣を槍で防いだ少年は、自分が宿敵を一瞬とは言え見失った事に戦慄した。

 

 

「俺が、お前を倒すっ!!」

 

 

 強く揺るがぬ瞳で紡がれるのは、勝利の言葉。

 一瞬、己を上回った敵に脅威を抱いたからこそ、エリオは怒りを抱いて相対する。

 

 

「……ふざけるなよ」

 

 

 憤怒する。怒りを抱く。

 

 

「お前には」

 

 

 そう。この男にだけは――

 

 

「おぉぉぉぉぉぉっ!」

 

「お前にだけは、負けないっ!」

 

 

 燃え盛る炎の中、少年達が前に踏み出す。

 神速で振り抜かれる大剣と槍が交差して、鍔競り合った。

 

 少年達は互いに退けぬと睨み合って、戦場は更に激化していく。

 

 

 

 

 

 

 




実は這神だったクアットロ。
ナハトと同じく、人の想像した悪魔にスカさんが人格を上乗せしたのがクアットロです。

なので、実は本人の身体とかない。
常に画面越しか誰かを介しての会話しかしてこなかったのは、本体が奈落に存在しているからでした。


クアットロ「不死不滅。正しく、私が完全な生物なんですよぉ」
エリオ「黙れ。焼くぞ」
宿儺「はいはい。マリグナント。マリグナント」
大獄「凄く、一撃必殺です」

クアットロ「もうやだ、こいつらー」
C= C= C= C= C= C= 。・゚゚┏(T0T)┛ウァァァァァァ


天敵の多いクアットロさんは小物(確信)




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第六話 誓約 其之肆

今回で終わらせる予定だったけど、文量が長過ぎたので後一話伸びました。


推奨BGM
1.血の縛鎖(リリカルなのは)
2.Fallen Angel(Paradise Lost)
3.Einherjal Rubedo(Dies irae)


1.

 それは少し以前。古代遺産管理局の設立が発表される前の出来事。

 伸びた黒髪を後頭部で束ねた青年と、白衣を纏った紫髪の男。二人の男が、局長室にて向かい合っていた。

 

 

「ふむ。反天使に施した実験内容を知りたい、と?」

 

 

 狂人は問い返す。若さに逸る局長が口にした言葉。その意味を確認する様に、彼の言を反芻した。

 

 

「ああ、僕はお前を使うと決めたからな。知っておかねばならんだろう」

 

 

 男を使う。そう決めた青年は、故に知らねばならない。

 この男の悪行を、その為した行為を、その全てを知り、負わねばならない。

 それがどれ程に悍ましいモノであったとしても、受け入れねばならないのだ。

 

 クロノ・ハラオウンはそう思っている。悪を為した者を利用しようとするならば、その為した事を理解して背負わねばならない。

 それこそが、犠牲になった人々への最低限の誠意であると思考していた。

 

 

「成程」

 

 

 その言葉に込められた想い。それを感じ取った狂人は微笑む。

 

 彼の言は若さの発露だ。既に終わった事柄に対し彼は責務の一切を持たず、知ったとしても何が変わると言う訳でもない。

 

 根底にあるのは自己満足。青年は知らずとも良い事を、己の意志で知ろうとしている。背負わずして良い咎を、己の意志で背負おうとしている。

 

 これが若さでなく何だと言うのか。

 

 だが、そんな若さが好ましい。肉体を捨て暗闇の中に潜む彼らよりも、己の罪すら背負いきってみせようとする若造の方が遥かに好意に値する。

 

 故にスカリエッティは、笑みを浮かべて口にした。

 

 

「……そうだね。丁度良い資料があるから準備をさせよう」

 

 

 スカリエッティの指示に従ったウーノが一枚のディスクを取り出し、局長室内に展開された空間ディスプレイに映像が投射された。

 

 

 

 それは、狂気の映像であった。

 

 恐怖憎悪憤怒悲嘆苦悩失意諦観絶望。そんな感情に満ちた冒涜的な映像。

 スカリエッティが為した実験の全て。その結果を記録した映像データが流されていく。

 

 映像を背に狂人は語る。狂気と共に語るは、無限の欲望が為した悪行の僅か一片に過ぎぬ外道の所業。

 

 語られる言葉の内容に悍ましさに、悲嘆が余りにも多過ぎる映像に、覚悟していた筈のクロノですら表情が青ざめていった。

 

 それでも、青年は目を逸らさずに。そんな青年の姿を、狂人は是と受け止める。

 

 

「魔刃は二十七万の魂の群体。其処に夢界の廃神が混ざりあったモノ、か」

 

「そうだね。概ねその理解で間違っていない」

 

 

 まず初めに見たのは、嘗て相見えた魔刃の真実。彼を構成する為に、多くの人間が材料として消費されていった姿を記録した映像。

 

 それを確かに受け止めて、クロノは理解した事を口に出して伝える。

 

 

「……随分と気分が悪そうだが、続けるかね?」

 

「続けろ。僕の体調など気にするな」

 

 

 にぃと笑みを浮かべるスカリエッティに対し、吐き気を堪えながらもクロノは告げる。

 

 これはまだ一つ。反天使の数は三つ。この程度で折れる訳にはいかない。

 映像越しに映る悲鳴や嘆きを目に焼き付けながら、クロノ・ハラオウンは先を促した。

 

 

「了解だ。……さて、次は魔群。クアットロについて話してみようか」

 

 

 映像が切り替わる。第二の実験映像が、スクリーンに映し出されていく。

 無限の欲望は、第二の堕天使に施した実験の内容を語り始めた。

 

 

「クアットロは魔刃の再現を求めて行われた実験の被験体だった」

 

 

 素体として選ばれたのは、クアットロタイプと言う正式量産には至らなかった戦闘機人。

 

 

「無数に用意した戦闘機人。娘の一人にシンを植え付けて、ジュデッカと接続させる。彼女を選んだ理由は、クアットロタイプの適合率が一番高かった為だ」

 

 

 彼女を選んだ理由に、特別な物などない。

 エリオや高町なのはとは違い、本当の意味で幾らでも消費出来る戦闘機人。失敗しても幾らでも取返しが付く量産品。

 

 その中で一番確率の高い者だから、成功率の低い第一次実験のモルモットとなった。それだけの理由しかなかったのだ。

 

 

「結果は、まあ言うまでもない。……失敗にしかならなかった訳だ」

 

 

 接続には成功した。廃神は堕ちて来た。クアットロは魔群の器となった。

 

 だが、それだけだったのだ。

 

 魔刃程の強度はない。絶対的な力に欠ける。所詮は量産品の域を出ない。

 元の素体の質の悪さも相まって、その性能は精々が優れた歪み者程度。

 

 そんなモノ、己は望んでなどいなかった。

 

 

「故に私は思考した。廃神を宿したクアットロを、どの様に扱おうかと」

 

 

 観測した。想定した。実験した。解体した。研究した。

 廃神を宿した人間の性質。人間に宿った廃神の原理を解明する為に、器となったクアットロを解体して中身を暴き切った。

 

 そうして反天使の性質を理解したスカリエッティは、一つの発想に至った。

 そして一度思い付いてしまえば、それを我慢するなど彼に出来よう筈がなかったのだ。

 

 

「そのまま手駒にするのも良いが、それでは余りに面白みに欠けている。挑戦意欲と言う物がない。……故に、思い付いた発想を試してみる事にした」

 

 

 奈落に眠る廃神たち。降ろす器との精神面での同調率の高さこそが、彼らの性能に影響する。

 感情を凝縮させ該当する大罪を抱かせれば、より強い力を悪魔は現実世界で振るう事が出来るのだ。

 

 奈落の悪魔とは、人の精神に依存した存在である。

 それこそが、スカリエッティが実験の果てに得た回答。

 

 

「廃神。悪魔の王たちは、明確な自己と言う物が欠落している。コギト・エルゴ・スム。我思うが故に我ありと言う基本事項すら、悪魔と言う型である彼らには存在していない」

 

 

 彼らは、人が想像した悪魔と言う型を取る。

 人間が持つ信仰により己を高め、人の感情に呼応して出現する悪なるモノ共。

 人間の持つ信仰により己を歪められ、人の感情に呼応しなければ現世に現れる事さえ出来ない亡霊達。

 

 

「魔群はその最たるモノ。己の名さえ無数に存在する、文字通りの群体であった」

 

 

 それこそが、奈落の悪魔。べリアル。ベルゼバブ。アスタロス。ルシファー。

 

 

「ならばその群体の中に、一際強い個我を抱いた個体の精神を融合させた後、肉体を完全に破壊した場合、どうなると思う?」

 

 

 彼らは人の感情を糧にするが、人の感情に左右される。

 故に一滴の極まった個我が、無数の群体を汚染し尽くす事もあり得るやもしれない。

 

 そう仮定したスカリエッティは、検証の為の実験を執り行った。

 解明したそれらを踏まえた上で、何体目かになるクアットロを材料に実験を始めたのだ。

 

 

「結果は、私の予想通りであった」

 

 

 重要となるのは素体の質。精神の強さだ。

 唯の量産品には価値がない。植え付けた感情では意味がない。

 

 

「暴食のシンと同調させる為に、新たなクアットロを調整した」

 

 

 故に己で感情を育める様に、新たに用意したクアットロには急速な成長をさせずに己の手で育て上げた。

 

 

「リンカーコアを植え付ける事で魂を芽生えさせてから、普通の娘が体験する様な一般的な愛を惜しみなく与えてあげたよ」

 

 

 移植したリンカーコアが身体に馴染むように時間を掛けて、その魂が確かに少女のモノとなる様に愛情を注いで、ごく一般的な幸福を少女に与えた。

 

 まるで幼い少女の夢の如くに優しい父親を演じ、白い家の中で暖かな家庭を演出した。

 

 にこやかに笑い己を父と慕う娘に、彼女が望む在り様を返しながら、無限の欲望はその時を待ち続けた。

 

 全ては、確固たる自我を与える為に。

 全ては、与えたモノを奪い尽くす為に。

 

 奪う為には与えねばならない。

 奪う為に、感情を育めるように、適当な少女のリンカーコアを移植したクアットロを大切に育てあげたのだ。

 

 

「自我の確立。あの娘が正常に成長している事を確認してから――その器を加工した」

 

 

 狂人の背後に映る映像が切り替わる。

 

 花畑の中心にある赤い屋根の白い家。そんな場所で穏やかな生活を送っていた少女は、ある日気が付いたら暗い実験室の手術台に縛られていた。

 

 

「泣き喚くあの子に目的を語った。恐怖に震えるあの子に何をするかを伝えた。やめてと叫ぶあの子を、愛を以って破壊した。そう。私は確かに愛していた!」

 

 

 其処には確かに愛があった。

 目的の為とは言え、否、己が求道の為だからこそ、確かな愛が其処にあった。

 

 狂人は確かな父性で少女を愛し、そして目的の為に愛した少女を愛したままに壊し尽す。

 

 

「脳に細工をして満腹中枢を切除し、摂食中枢の機能を増築した。何を食しても餓えは満たされない状態に変え、暴食する為に必要な部位を一年と言う時間を掛けて一つ一つ削り取っていった」

 

 

 クアットロが同調したのは、暴食を冠すベルゼバブ。その力を高める為には、暴食のクウィンテセンスが必要となる。

 だから愛する娘を、最大の愛を以って、常に餓えに苦しみ続ける様に加工した。

 

 

「最初は手を。次は歯を。舌を。食道を。胃を。腸を。一つ一つ機能を説明しながら削り落とした。勿論、死なない様に生命維持装置に繋いだまま」

 

 

 愛しているからこそ、完成して欲しい。私の求道を、私の子供に叶えて欲しい。

 そう狂った笑みを浮かべる父の姿に、クアットロの精神は完全に壊された。

 

 

「そして這う虫の王と同調させたまま、あの子を餓死させた」

 

 

 そうして餓えたまま、クアットロは死んだ。

 奈落と同調したまま飢え死にした娘は、最後の瞬間まで壊れた笑顔を浮かべていた。

 

 

――これで漸く、ドクターが望んだ最高傑作になれるのね

 

 

 壊れた娘は、最期に父の愛に縋った。それしか縋るモノがなかったから、その狂愛に満たされる事を夢に見て――笑いながら餓えて死んだ。

 

 

「残った死骸は圧縮装置に掛けて磨り潰した。液状化するまで、ね」

 

 

 墓標はない。死骸すら残しはしない。

 

 砕いて液状化した死骸。その赤き血のスープこそが、エリクシルと言う麻薬の原材料。少女の残骸は、奈落へと繋がる門を万人の体内に作り上げるのだ。

 

 

「後は結果の確認の為に、ジュデッカへとアクセスする器を新たに用意するだけ」

 

 

 それを飲ませた実験体は、壊れた笑みを浮かべる。

 名も知らぬ実験材料の少女が浮かべたその笑みは、愛する娘のいまわの際の笑みに酷似していた。

 

 

――ただ今、戻りました。ドクター

 

 

 毒の蕾が花開く。愛しい人に睦言を囁く様に、壊れた女は笑っていた。

 

 

「結果は予想通り。クアットロは這う虫の王となった訳だ」

 

 

 満面の笑みを浮かべて、廃神となったクアットロは甦る。

 奈落の底、コキュートスはトロメアから這い上がった娘は最早人ではなくなった。

 

 

「……あの娘が廃神を乗っ取ったのか、廃神があの娘の振りをしているのか。それは私にも分からないがねぇ」

 

 

 無数の群体は殻を得た。女の残骸は力を得た。どちらにしても、然したる違いはないだろう。

 

 そう。どちらにせよ――

 

 

「結局、あの娘は私の想定を超えられなかった。不死不滅の魔群は確かに強力だが、神殺しには程遠い」

 

 

 魔群の性能は魔刃以下。結局其処までして、その程度にしかなれなかった。数年と言う月日を掛けても、その程度にしか至れなかったのだ。

 

 それこそが、スカリエッティに反天使全てを失敗作と認識させた最大の要因。

 偶発的に生まれた魔刃と言う例外を除いて、コストパフォーマンスが悪いのだ。

 

 だからこそ戻って来たクアットロに対して、スカリエッティは何一つとして隠さずに告げた。

 

 君は神殺しには至れぬ失敗作であった、と。

 

 

 

 青褪めた青年の目が据わっている。

 狂った外道は何一つとして変わらずに笑っている。

 

 

「貴様は愛を語りながら、それを為したのか」

 

「然り」

 

 

 愛しているから、私の求道の為に壊れておくれ。

 ジェイル・スカリエッティと言う外道が為したのは、そんな所業。

 

 

「貴様は愛に応えた娘に、そう告げたのか」

 

「然り」

 

 

 狂気の愛に応えた娘に、期待値以下だと落胆を返した。

 ジェイル・スカリエッティと言う外道は、当たり前の様に娘の想いを踏み躙った。

 

 

「貴様は、本当に娘を愛していたのか?」

 

「愛していた。今も愛しているとも。……私なりにね」

 

 

 男は求道者だ。己の求道こそを優先する破綻者だ。

 だが、それ以外に見えぬ訳ではない。それ以外を知らぬ訳ではないのだ。

 

 

「だが、愛しい娘ではあっても最高傑作ではない。ただ、それだけの話だよ」

 

 

 唯、その求道を何よりも優先すると定めたから、何処までも狂った男は外道を為すのである。

 

 

 

 胸糞悪い語りを聞き終わり、背をソファへと預けるクロノ。

 血の気の失せた表情で溜息を吐く青年に対して、スカリエッティは提案した。

 

 

「さて、今日はこのくらいにしておくべきだろう。随分と顔色が悪いようだからねぇ」

 

 

 笑う男の言葉は確かに気遣い。思いやりに属する感情であった。

 

 其処に他意はない。最高評議会とは異なり、スカリエッティは彼らを全面的に支援すると決めている。ここでクロノが潰れるのは困るのだ。

 

 それにスカリエッティ個人としても外道を為すより、彼らの様な者を見る方が気持ちが良い。

 正義や愛と言った感情のままに進む英雄譚は好きなのだ。友人との友情を、本当に大切に思ってはいるのだ。

 

 それでも彼が悪行を為すのは、それが最も効率的だからに他ならない。

 それでも彼は己の求道にとってそれが有効だと理解すれば、如何なる外道も為すのである。

 

 愛を知り、情を知り、正しさを理解して尊ぶ事が出来る。

 そうでありながらも、それら全てよりも己の求道こそを優先してしまう。

 

 それがジェイル・スカリエッティと言う狂人の真実である。

 

 

「……再認識したよ」

 

「何をだね?」

 

 

 そんな狂人の歪さを、クロノは確かに理解する。

 

 

「決まっているだろう。お前の外道さと、そんなお前を利用する僕自身の無能さをさ」

 

 

 この螺子が一本も二本も外れた狂人を使う意味を、その悪意を身に含む罪深さを。そうしなければならない。そんな己の無能さを理解する。

 

 それが分かって、それでも利用するのであろう。

 必要とあらば、その悪すら利用しようとする。清濁併せ呑んででも、目的を果たそうと言う意志が其処にある。

 

 クロノと言う青年がそういう男だと分かっているからこそ、スカリエッティは歪んだ笑みを浮かべるのであった。

 

 

 

 

 

2.

 空の色が見えない。無数の蝗が犇めき蠢き埋め尽くす。

 

 其れは毒素。其れは病毒。妖気呪詛瘴気。

 あらゆる悪性。大気中に満ちる有毒物質を凝縮し、餓えた暴食の具現たる餓鬼魂で染め上げられた悪なる虫共。

 

 触れれば最期、その血肉は愚か魂までも汚染され人間性が崩壊する。霊の一片までも穢し落とすは魔群の眷属。

 

 

「っ! 鬱陶しい!」

 

 

 紅蓮の炎が燃え盛る。無数の鉄火が猛威を振るう。

 蝗の群れを焼き尽くさんと炎が荒れ狂い、無尽蔵に思える鉄火の雨は迫り来る悪なる獣を迎撃する。

 

 だが、足りない。まるで足りていない。

 

 一発の銃弾では、悪なる虫は倒せない。

 燃え上がる炎であっても、それを焼き尽くすには数秒が掛かる。

 

 アリサ・バニングスをしてなお、一匹倒すにも全霊を必要とする悪なる蟲共。

 それが天を覆いつくさんとする数を以って襲い来るのだ。単純な話、圧倒的なまでに手数が足りていなかった。

 

 

「ウフフ、アハハ、アーッハハハハ!」

 

 

 クアットロが嗤う。クアットロが嗤う。クアットロが嘲笑う。

 

 偽神の牙。ゴグマゴグ。

 魔群の最大兵装。その応用によって生まれるは無数の眷属達。

 

 リミッターが掛かった状態のアリサを相手取るならば、最大火力の砲撃よりも悪性情報のままばら撒いた方が効率的だ。

 そう判断したクアットロは、己の眷属達に女を蹂躙させる。

 

 蟲が群れを成し、黒き竜巻となって飛来する。

 燃え上がる炎に落とされ、無数の銃弾に叩き落とされ、それでも迎撃しきれない程の物量が二人を飲み干した。

 

 

「ぁぁぁぁっ!」

 

 

 少女の叫び声が上がる。その身体が激しく震える。

 脳が溶けるかの如き熱病。触れるだけで精神を犯す怪異。悪意の獣に触れた部分は醜く爛れ、張り付いた害虫が血肉を貪り喰らっていく。

 

 あらゆる悪性の集合体に集られたティアナは、僅か一瞬で汚染された。

 

 

「ちぃっ! 小娘! 少し痛いけど、我慢しなさい!」

 

 

 燃え上がる炎が、震えて蹲る少女を包み込む。

 非殺傷の力で放たれる魔法は、悪性情報と言う魔力の集合体を焼き払う。

 

 されど非殺傷の一撃では悪なる蟲共は殺し切れない。単純に威力が不足しているのだ。

 故に一度では殺し切れず、二度三度と振るわれる事で漸く無数の蟲は焼け落ちていった。

 

 当然、この状況下でそんな真似をすれば致命的な隙を晒す。

 自分の守りを手薄にしてでも部下への対処を優先した女は、当然の如くその報いを受けた。

 

 

「っっっっっ!」

 

 

 全身に纏った炎の温度が下がった瞬間に、蟲がその顎門を突き立てる。無数の蟲が血肉を貪りながら、女の肢体を凌辱し始めた。

 

 歯噛みして耐える。足を踏み締めて耐える。

 脳みそが溶けそうになる程の高熱。全身を襲う虚脱感。精神を蝕む悪意は、心の底にあらゆる負の感情を植え付ける。

 

 悪性情報が齎すのが無数の病毒ならば、高密度魔力が齎すのは純粋なる破壊。物理的な衝撃を受けて、全身に傷を負っていく。

 

 蟲は消えない。腐肉に集る蠅の如く、何時までも何時までも女の皮膚に纏わり付く。

 その精神を凌辱しながら、その肉体を貪らんと蠢く。無数の蟲が血肉を食い散らしながら、その衣服の内側から入り込んでいく。

 

 それはどれ程の嫌悪感か。どれ程の不快感か。

 女にとっては、否、女でなくとも生理的な拒絶を抱く様な状況。

 

 尊厳を貶める蹂躙をその身に受けながらも、しかしアリサはその意識を逸らさない。

 

 

「はぁぁぁぁっ!」

 

 

 燃え上がる。想いの炎が燃え上がる。

 熱量が足りないなら、純粋な総量を増やせば良い。

 

 リミッターの有無など知ったことではない。小娘一人庇うくらいで、この炎が尽きはしないのだ。

 

 

「フレイムアイズっ!」

 

 

 己を凌辱せんと奥へ奥へと迫って来る蟲を、己の衣服諸共に焼き払う。

 燃え上がる殺傷設定の炎で己を焼きながら、デバイスを起動すると赤き鎧のバリアジャケットを展開した。

 

 

「今更バリアジャケット展開ですか~? ちょ~っと舐めすぎじゃないの~?」

 

 

 剣を構え、炎の魔法で蟲を切り払うアリサをクアットロが嘲笑う。あっさりと苦境に陥った敵手の低性能を、馬鹿にする様に笑い続ける。

 

 

「温いとか小物とか言っておきながらぁ。そぉんな相手に追い詰められるなんて、実にお間抜けな話ですよねぇ~! ねぇ? 今、どんな気分? どんな気分なんですかぁ~?」

 

「うっさいわ!」

 

 

 上空で嗤うクアットロへと鉄火を降らせる。

 無数の銃弾が、彼女を撃ち抜かんと迫るが――

 

 

「うふふ~。そ~んな見え見えの攻撃じゃぁ、当たらないわよぉ」

 

 

 あっさりと躱される。足手纏いを庇いながら、放つ攻撃など当たる道理がありはしない。そんなことは、アリサ自身分かっている。

 

 

「フレイムアイズッ!!」

 

 

 故にこれは布石。一瞬の隙を作る為の弾幕。本命はその次だ。

 

 足手纏いが居るから劣るなら、その守る隙を一瞬無くせば良い。視界を封じる弾幕の役割とはそれであり、続く本命こそが。

 

 

「フレイムスピナー!」

 

 

 アリサが身を捻りながら飛び上がる。

 弾幕によって視界を封じた隙に、振るわれた刃は焔を伴って蹂躙する。

 

 即座に蟲が壁を生み出すが、その壁ごと焼き尽くさんと殺傷設定の炎が荒れ狂う。

 空中で二度三度。駒の如く回転する刃が炎の渦を生み出して、魔群の群れをイクスヴェリアと言う器を、業火で焼いて地に落とした。

 

 

 

「あ~あ、燃えちゃった」

 

 

 焼けて、焦げて、燃え落ちる。

 殺傷設定の刃は純粋熱量を伴って、全てを焼き尽くす。

 

 

 

「で・も」

 

 

 されど、これはベルゼバブ。その本体たる魔群が動かす傀儡だ。その血肉が、滅びる事などありはしない。

 半身を焼かれた痛みをイクスヴェリアに押し付けて、クアットロはにぃと笑った。

 

 

「あっという間に元通りぃ~!」

 

 

 ぐじゅぐじゅと音を立てて傷が塞がる。

 焦げ堕ちた肉片の下には、新たな血肉が生まれている。

 

 例え一瞬で肉体の九割を破壊されたとしても、一割残っていれば復元する。それこそが魔群の特徴。彼女の持つ不死性だ。

 

 

「ちっ」

 

 

 思わず舌打ちをする。

 

 非殺傷では蟲の群れを超えられず、殺傷設定では届いても直ぐに癒えてしまう。

 純粋に殺し辛い。死に難さに特化したその能力は、余りにも対処が難しい代物であった。

 

 

「後方注意。よそ見は駄目よってねぇ」

 

 

 そしてそんな思考の硬直は、致命的な隙になる。全力攻撃の直後は、どうしても守りが疎かとなってしまう。

 守りが薄れた敵手。その背後には足手纏い。ならば悪辣なる魔群が、その瞬間を狙わぬ道理は何処にもない。

 

 故にこれは当然の結果。必然が齎す結末だ。

 

 

「がっっっ!!」

 

 

 魔群が狙ったのは、ティアナ・L・ハラオウンと言う少女。だが、反吐を吐き出したのは、狙われた少女ではなかった。

 

 驚愕で目を丸くするティアナの前で、仁王の如くに立ち塞がっていた女の背中が崩れ落ちる。

 ティアナと言う弱所を狙い続ける魔群の攻撃をその身で受け止めた女傑は、遂に膝を折るのであった。

 

 

「アハハ、アッハハハハッ!」

 

 

 一度膝を付けばもう終わりだ。無数の蟲に際限などはなく、どれ程焼こうとその数が尽きる事はない。そんな海の砂より多い獣が、一斉に群がって来るのだ。

 立ち上がる事すら出来なくなった女に、躱す術などある筈もない。

 

 防護服が溶かされていく。魔力が汚染され、その瘴気に全身が侵されていく。

 尊厳さえ凌辱する。霊の一片さえも穢し尽す。剣を支えに起き上がろうとする女は、見るも無残に変わっていった。

 

 

「良いわ。すっごく素敵。今の貴女、本当に無様で最高よぉ」

 

 

 今にも倒れそうな程の疲弊。何一つ対処が出来ていない状況。

 剣を支えに蹲る。崩れかけたバリアジャケットで最後の一線だけは守りながらも、立つことすら出来ていないアリサを魔群は嘲笑う。

 

 笑い続ける己を睨み付けるしか出来ていない女を、心底から馬鹿にする様に見下す事で魔群は怒りの溜飲を下げていた。

 

 

「ねぇ、アリサちゃん。命乞いをしてくれない?」

 

 

 そうしてクアットロは提案する。無様に地を這う事しか出来ていない女を傷付けながら、ニヤリと嗤って口にする。

 

 

「私は無様で、愚かだった。誰の役にも立てないのに、偉大なる魔群様に対して無礼な真似をしてしまった」

 

 

 それは烈火の如き女の更なる無様を見たいが為の言葉。もうどうしようもないだろうと、勝利を確信したが故の提案。

 

 

「そ~んな風にぃ、頭を下げて媚を売ればぁ、助けてあげなくもないですよぉ?」

 

 

 魔群は嗤う。魔群は嗤う。魔群は嗤う。

 嗤いながら、言外に告げている。もうお前に勝機などはない、と。

 

 

「ああ、で・も。蟲姦はされてねぇ。処女膜ぶち破ってぇ、苗床にしてあげるぅ。お前がママになるんだよってさぁぁぁっ!」

 

 

 それは揺るがぬ結論であろう。アリサ・バニングスでは魔群には届かない。

 

 燃え上がる炎の女は既に死に体なのに対し、魔群クアットロは未だに無傷どころか疲弊すらしていない。

 例えリミッターがなかったとしても、二割か三割か、その程度の勝率しかない。己の勝機は薄いのだと、アリサは確かに理解していた。

 

 状況は絶望的である。

 

 

 

 

 

3.

 人間の本質とは、追い詰められた時にこそ垣間見える。そう語る識者も居る。

 ならばアリサ・バニングスと言う女の真価は、今この瞬間にこそ見えるのであろう。

 

 

「……はっ」

 

 

 神経を逆撫でする女の声を耳にしながら、アリサは小さく鼻で笑う。

 その提案を心底から馬鹿にしながら、小鹿の如く震える足を拳で叩いて気合を入れる。

 

 

「ほんっと、小物ね。三下が」

 

 

 立てる道理がない。だから何だ。

 立ち上がったとて、戦って勝つ術などない。だからどうした。

 

 まだ己は切り札を切ってはいない。まだ全霊を見せてはいない。

 否、そうではない。そんな物がなくとも、最期の瞬間まで心の炎は燃やし続けるのだ。

 

 

「やる事なす事全部が、とことん安っぽい」

 

 

 秘部を隠す程度しか用を為していないバリアジャケットも、裸体に刻まれた火傷と害虫の傷痕も、己を嘲弄する魔群の悪意すらも、この炎を消し去るには届かない。

 

 ならば、立ち上れぬのは嘘である。故に立ち上がったのは道理であった。

 

 

「アンタは温い。そんな温さで」

 

 

 女は凄惨な姿なまま、腕を組んで立ち上がる。

 純粋な意志の力で限界を超えた女傑の姿は、仁王の如く揺るぎはしない。

 

 女は揺るがない。燃え上がる炎と共に、女は決して頭を垂れはしない。

 

 この果てにあるのが見るも無残な末路であっても、決して覆せぬ敗北の果てに凌辱の限りを尽くされ心折れるとしても――

 

 

「この炎は、越えさせない!!」

 

 

 今この瞬間に、挫ける理由などありはしない。

 ならばこの胸を焦がし続ける炎は、この程度では消えはしないのだ。

 

 

「へぇ~。……まだ、そんなこと言っちゃうんだぁ」

 

 

 燃え上がる炎が蟲を焼き尽くす中、クアットロは笑みを止める。

 その顔に無表情の仮面を張り付けて、冷たい瞳で静かに呟いた。

 

 

「ほ~んと。不愉快」

 

 

 気に入らない。この女は気に入らない。

 否、女だけではない。クアットロはこの世界の全てが気に入らない。

 

 

「この世界には、私とドクターだけ居れば良い」

 

 

 例外は父だけだ。それ以外など要らない。存在自体が気に食わない。

 

 

「ずっとずっと二人で居られれば、それだけで私は満足なのに」

 

 

 願いはそれだけ。あの人に愛して欲しい。

 あの人にずっと見ていて欲しい。頑張ったねと褒めて欲しい。

 

 

「それなのに、それなのに、それなのに、それなのにぃぃぃ!」

 

 

 だが父は彼らを特別視する。自分と言う娘を失敗作と断じ、高町なのはこそを最高傑作と語る。

 彼女と共にある機動六課に属する者達を、次世代の英雄と位置付けている。反天使よりも古代遺産管理局の面々をこそ選んだのだ。

 

 

「お前たちはどいつもこいつもぉぉぉ!」

 

 

 それは彼の唯一つの欠点だ。偉大で完璧な父親の犯した、たった一つの間違いだ。

 

 

「ウザったいったら、程がないのよぉぉぉぉっ!!」

 

 

 貴方が見るべきは私である。

 私こそが貴方の願いを叶えるのだ。

 

 断じて、コイツらではない。

 それを分からせねばならない。それを分からせるのだ。

 

 その為に無様な姿を晒させよう。

 あの人が幻滅する程に、間違いだったと悟る様に、それ程に無様な姿を晒して見せよう。

 

 クアットロ=ベルゼバブはその為の方法を考え付いて、暗い笑みを顔に張り付けた。

 

 

「……良いわ。その済ました顔、絶望に染めてやる」

 

 

 激情を吐露した女は、一瞬で冷静になる。躁鬱病の如き症状は、精神の壊れた女が抱える欠落の一つ。

 

 

「今から、標的を変えま~す!」

 

 

 そうして切り替わった言葉使いで、甘く囁く様にクアットロは己の発想を口にした。

 

 

「これから私はぁ、アリサちゃんじゃなくてぇ、ティアナちゃんでもなくてぇ、クラナガンの一般人だけを無差別に襲いまぁす!」

 

 

 立ち上がったアリサの表情が凍る。震え続けるティアナの顔が青褪める。

 

 

「抵抗しない人間も、逃げ惑うだけの人間も、老若男女一切問わずぅ、全員無差別に惨殺してあげま~す!」

 

 

 未だ尽きぬ蟲の群れは、海の砂よりも多い。たった一匹でも、死力を尽くさねば殺せぬ規格外。

 それら全てが無差別に飛び散り、暴食の限りを尽くすのだ。ミッドチルダと言う惑星は、一晩と持たずに死の星と化すであろう。

 

 

「こうなったのもぉ、ぜ~んぶアンタの所為よ。クソ女」

 

 

 アリサは立ち上がるだけで限界だ。もうこの怪異全てを相手取る余力は残っていない。

 ティアナはそもそも抗うだけの意志が残っておらず、あったとしても抵抗の術など欠片も持たない。

 

 ならばその被害の予想は、現実の物と化すであろう。

 

 

「どいつもこいつも皆殺しにしてやるから、そうなった後で精々後悔しろや!」

 

 

 クアットロ=ベルゼバブはその瞬間を夢想して、歪んだ笑みで彼女らを嘲笑った。

 

 

 

 無数の蟲が散り散りに飛んでいく。今の己に残された力は僅か。立ち続ける事すら難しい現状では、死力を尽くしても攻撃は一度出来るかどうかであろう。

 

 たった一度の攻撃で、この悪なる蟲共を消し去る事など出来ない。

 たった一度の機会を失えば、クラナガンは地獄と化すであろう。

 

 

「……他に手は、ないわね」

 

 

 それでも為さねばならない。この一度で全てを終わらせねばならない。

 最早退く事など出来ぬから、アリサはただ三度のみ許された切り札を此処で切った。

 

 

「ゲイズ中将!」

 

 

 機動六課。古代遺産管理局の後見人が一人の名を呼ぶ。

 突如発生した空を覆う蟲と言う異常事態に、状況を追っていたレジアス・ゲイズは即座に彼女の声に応えた。

 

 

〈……分かっておる。抜かるなよ。バニングス執務官!〉

 

 

 男の言葉にアリサは声を返さず、唯頷きだけで己の意志を示す。

 地上本部にてディスプレイ越しに現場を見ているレジアスは、そんな強気な娘の態度にふんと笑って指示を出した。

 

 

限定解除(リミッター・リリース)!〉

 

全力行使(フルドライブ)!」

 

 

 レジアスの指揮の下、第二の限定解除が此処に行われる。

 本来の力を取り戻したアリサ・バニングスは、炎の笑みを浮かべてその真価を此処に示す。

 

 両足で確かに立つ女の背に、赤き魔法陣が浮かび上がる。

 魔法陣より出現するのは、余りにも巨大過ぎる砲塔。鋼鉄の輝きを纏うは、全長47メートルという戦略兵器。80センチ列車砲二号機“ドーラ砲”を材料とした聖遺物。

 

 

形成(イェツラー)――極大火砲(デア・フライシュッツェ)狩猟の魔王(ザミエル)!!」

 

 

 砲身が狙うは蟲の群れ。周囲を巻き込まぬ為に、非殺傷にて砲撃を放つ。

 

 魔力で構成された実体を持たない悪性情報ならば、非殺傷でも倒し得る。

 だが放たれる砲火の力を非殺傷に変えているとは言え、その痛みまではなくせない。

 

 一般人がそれに耐えられる訳もない。

 故にアレらが降りて来る前に、戦いに決着をつけねばならないのだ。

 

 状況的にも体力的にも、発動できるのはあと一撃のみ。

 唯一発しか許されぬならば、その一発で全てを終わらせる。

 

 

「焼き尽くせぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 放たれた弾丸が空を飛翔する。

 炸裂した弾丸は爆心地を作り上げ、燃え上がる炎が無限に広がり続ける。

 

 

 

 アリサ・バニングスは全ての蟲を焼き尽くす事を望んだ。

 故にこの爆発は、悪なる蟲共全てを焼き尽くすまで止まらない。

 

 

 

 轟と大気が震え、地面が揺れる。

 爆発は月を飲み干すのではないかと錯覚する程に膨れ上がって、空に蠢く何もかもを飲み干していった。

 

 

 

 空に咲いた大輪の花が消える。

 その後には悪なる蟲の群れも魔群の姿も、何一つとして残ってはいなかった。

 

 

 

 

 

 




スカさんは外道。クアットロは属性過多。アリサちゃんは男前。そんな今回でした。


リミッター解除は、これでクロすけとレジアス中将が使用済み。後はカリムさんしか使えません。


次回、トーマ対エリオ第三回戦。
リアル事情が忙しい中、加筆修正を加えるので時間は掛かると思います。





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第六話 誓約 其之伍

天狗道、嘘吐いたー!

もっと遅くなる予定だったけど、勢いで書き切れたので投下します。


推奨BGM
2.Jubilus(Dies irae)


1.

 激しい爆音と閃光。圧倒的な熱量が空を染め上げ、消え去っていく。

 その瞬間を見つめる事しか出来なかった少女は、震える唇からか細い音を零す。

 

 

「やった、の……」

 

 

 天を覆う雲は消え失せる。

 海の砂すら少なく見える程の、暴食の化身は何処にも見えない。

 

 ならば勝利したのであろうか。

 そんな風に思考する少女の前で、金色の女は歯噛みした。

 

 

「……見誤った」

 

 

 女の表情は一色に染まっている。

 それは憤怒。その相を垣間見たティアナが恐怖で何も言えなくなる程に、女は怒りを抱いていた。

 

 見誤った。アリサ・バニングスはクアットロ=ベルゼバブを見誤った。

 

 あの状況。あの晒し出した激情。彼我の絶対的な優位の差。

 その全てが、奴が本気で向かってくると判断させていた。真実、あの状況下で戦闘を続けていれば、確かに絶望的な状況が待っていたであろう。

 

 だからこそ相手は向かってくると断じた。

 此処で切り札を切ったとして、互いのどちらかが落ちるまで止まらない激闘になると信じていた。

 

 だがクアットロの選択は、アリサの想定とはまるで異なる形に推移する。その女の行動。それを一言で言うならば。

 

 

「逃げやがった」

 

 

 逃走。そう。クアットロ=ベルゼバブは逃げ出したのだ。

 

 それは確かに合理的な選択だ。アリサ達機動六課がミッドチルダにて全力戦闘を行えるのは三度のみ。それを超えた場合、政治的な問題で彼女らは詰まされる。

 

 新たな権限の譲歩を引き出すに、どれ程の時間と労力が掛かるのか分からない。

 どんな無理難題を課されるかも分からない。それを理由に、六課は最高評議会の干渉を受けてしまうであろう。

 

 既にリニアレール事件にて高町なのはが一度。そして今日、この場でアリサが二度目を行使した。後一度しか、彼女らが全力を振るえる機会は存在しないのだ。

 

 全力でなければ戦闘にすら持ち込めぬ程に強大な反天使達。対する六課の切れる札数が決まっているならば、それを浪費させるのは極めて有効な策であろう。

 

 それを見抜けず、相手の策に乗せられた。

 アリサの怒りとは、そんな自分に対する自己嫌悪――だけではない。

 

 それだけなら、相手に対する賛辞が零れた。

 良くぞ、見事、とその策略を認める程度の器はある。

 

 そうならないのは見てしまったから、砲火を放つ瞬間にアリサは確かに見たのだ。度し難い女の一面を。

 

 

 

 怒りに震えるアリサの耳に、嗤い声が響いた。

 

 

〈全く、馬っ鹿じゃないんですかねぇ~〉

 

 

 それは魔群の声。ニヤニヤと嘲りの声が場を満たす。

 彼女の置き土産とでも言うべきマリアージュの残骸。蟲の苗床として消費された死体が嗤いながら声を発していた。

 

 

〈勝率九割以下の戦いなんてぇ~する方が馬鹿なんですよぉ。そ~んなお馬鹿さん達となんてぇ、これ以上付き合ってられないのよねぇ~〉

 

 

 空洞となった瞳の穴から響く嗤い声。そんな魔群に怒りを抱きながら、焔を纏った女は残骸を踏み潰す。

 ドロリと強酸の液体となって周囲を溶かした残骸は、燃え上がる炎の女に危害一つ加える事は出来ずに土に返った。

 

 

「……どんだけ小物よ。あのクソ女っ!」

 

 

 度し難い女の一面を思い出して、アリサは舌打ち交じりに吐き捨てる。

 彼女が確かに見た光景。砲撃を放つ直前、クアットロの表情は恐怖に凍っていたのだ。

 

 砲撃を放つ前に、リミッターを解除した時点で、あの女は訪れる可能性を理解して恐怖した。そして後先など考えずに、瞬時に撤退用の転送魔法を発動したのだった。

 

 故にアレは一切の被害を受けずに、アリサの前から逃走出来た。僅かの損害を発生させる程度の戦闘すら、あの小物は避けたのだ。

 

 クアットロは戦略的な思考ではなく、恐怖と言う感情を抱いたから逃げ出した。

 置き土産が語る口上は、そんな己の思考を隠して行動を正当化させようとする女の薄っぺらい見栄でしかなかった。

 

 アリサが抱いている憤怒。その理由の大半はそれだ。

 策略ではなく、単純な恐怖の発露故に逃走を選択した敵に怒りを抱いている。

 

 圧倒的優位に居ながら、命が掛かった瞬間に恐怖する。例え僅かであろうとも、己が敗北する可能性が生まれた瞬間に逃げの一手を打つ。

 

 それは戦士の在り方ではない。戦場に生きる者が選ぶべき選択ではないだろう。

 アリサの怒りはそんな敵手の小物さと、それを見抜けなかった己の未熟さへと向けられていた。

 

 

 

 そして同時に思考する。

 

 魔群と言う異能。敗北の可能性が一割でも生じた瞬間に逃げを選ぶ小心な性格。他者を巻き込む事を厭わぬ外道の性質。

 それら全てが混ざり合ったクアットロと言う女は、真面な方法ではまず倒せないと。

 

 こちらが勝機を見出せば脇目も振らず逃げ出し、如何なる外道すら容易く行うクアットロ=ベルゼバブ。

 誇りなどと言う物とは無縁の女は、有した力の量が身の丈に合っていない事も相まって打倒する為の手段がないのだ。

 

 アリサが知っている味方のスペック全てを考慮しても、クアットロを確実に葬り去る手段など一切浮かばない。

 あれがテロリズムに徹し無差別な破壊を繰り返した時、己達ではどうする事も出来ない。

 

 自分の顔を見た瞬間に逃げ出す自分より強大な怪物。机上の上では笑い話になっても、実際に存在すると笑えない。性質が悪いにも程がある代物であろう。

 

 

「…………」

 

 

 熱を孕んだ風が頬を吹き付ける中、満身創痍のアリサは思考する。

 

 今回は勝利した。相手の意図がどうあれ、女の取った行動は敗走。

 怯えて逃げ出した以上、この戦いはアリサ・バニングスの勝利であろう。

 

 だが次はどうなる? その次は? その次は?

 

 考えれば考える程に悪化している様にしか思えぬ状況。

 手にした勝利と言う名の酒は、顔を顰めずにはいられぬ程に苦かった。

 

 

 

 

 

2.

 黄金と蒼銀の影が衝突する。

 振るわれる大剣と両手槍が金属音を響かせ、互いに一歩も引かぬ激闘を演出した。

 

 雷光の黄金を纏った赤い少年。エリオ・モンディアルは人間として極まっている。

 その技巧は対する敵の一歩も二歩も先を行き、その速度は雷光と見紛う程に速い。焔を纏った身の丈程の青き機械槍は、人を殺すには十分過ぎる刃である。

 

 己一人しか頼らぬ無頼漢。己一人で全てを成し遂げてみせる。その意志の下に鍛え上げられた魔人の少年。

 

 彼の個としての性能は、この世界に生きる全ての人間が届けぬ高みに至ろうとしている。

 彼と個で相対し勝利を捥ぎ取れる人間など、どこにも居はしないだろう。

 

 ならば、向き合う少年が拮抗しているのは如何なる理由か。

 

 

「ちっ」

 

「おぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 

 退くエリオを追いかけるトーマ。その動きはまるで獣の如く。その動作に技巧などはない。その動作に理屈などはない。

 

 唯、速度が速い。唯、威力が高い。唯、性能が圧倒しているのだ。

 処刑の剣を片手に、燃え盛る通路を縦横無尽に掛ける少年の動きに技術などは一欠片も存在しなかった。

 

 愛を示した母が、教えてくれた足運びの仕方があった。――嗚呼、でももうその笑顔が浮かんでこない。

 情を示した父が、教えてくれた拳の握り方があった。――嗚呼、でももうその手の温かさが思い出せない。

 生き方を示してくれた師が、体捌きの大切さを教えてくれた。――嗚呼、でも教えて貰った事が消えていく。

 

 

「エリオォォォォォォォォッ!!」

 

 

 だがどうでも良い。今はそんな事はどうでも良いのだ。

 唯、この瞬間に想うのは眼前の敵を討つ事。この宿敵に勝利する事だけを想って、全霊で魂を燃やし尽くす。

 

 

美麗刹那(アインファウスト)序曲(オーべルテューレ)!」

 

 

 加速する。加速する。光となって加速する。

 振るう刃は我武者羅で、足の動かし方なんてデタラメで、それでもトーマは過去最高の性能を更新し続けている。

 

 虎は何故強い。野生の獣は、元々強いから強いのだ。

 トーマの強さはそういう物。性能が圧倒してしまえば、細かい技術など必要ない。複雑な思考など必要なく、唯一瞬の反射だけで多くの敵を圧倒できるのだ。

 

 

「舐めるなっ! トーマ・ナカジマッ!!」

 

 

 だが相対する少年はその僅かな例外。圧倒的な性能だけでは揺るがぬ悪魔だ。

 

 振るわれる剣が野生の極みならば、対する槍技は武芸の境地。

 二十七万と言う魂の内側に残された記憶より抜き出した、死人の武芸を身体に染み込ませた物である。

 

 エリオは二十七万人の人生経験を完全に取り込んでいる。それだけの命を繰り返したのと同等の経験を得ているのだ。

 

 その武芸。等級にして玖。極みの一歩手前へと、数を束ねて至っている。

 野生の獣、何するものぞ。所詮は合理などなき動き、ならば負けよう筈はない。

 

 敵が速さで圧倒するならば、その速ささえ利用した柔を示そう。

 その剛の刃を真っ向から受けられるだけの身体能力に、圧倒的な技術が合わさるのだ。

 

 故に勝利は確定する。身体能力しかないトーマでは覆せぬだけの、確かな差が其処にある。その勝敗は揺るがない。

 そう。それが単純な身体能力と技術だけで決まる戦いだったならば――

 

 

「おぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 

「っ!」

 

 

 されどこの戦いは互いの異能を含めた物。全霊のぶつかり合いならば、その差が違いを分ける。

 打ち合った刃が欠損する。無価値の炎にさえ耐える刃。奈落より抜き出した血肉を材料にしている生体金属。規格外の兵器であるストラーダが罅割れていく。

 

 其処にエリオが、トーマの斬撃を真っ向から受けられない理由があった。

 

 

「ちぃっ!」

 

 

 追い縋るトーマの腹を蹴り飛ばし、距離を開くと魔法を行使する。

 広範囲を焼き尽くす雷光の刃は、空中で上体を泳がせるトーマへと迫る。

 

 一瞬先にも己を焼き尽くすであろう雷光を前に、されどトーマは怯む事もなく。

 

 

魔力切断(ディバイド)

 

 

 振るわれた正義の剣が、魔力の結合を解除し魔法を消し去った。

 

 それは世界の毒と同じ物。魔力を分解し、吸収すると言うその機構。手にした処刑の剣の刃には、それと同じ力が宿っている。

 

 世界のあらゆる物質は魂によって生み出されている。魂と魔力とは同じ物であり、この刃が魔力を切り裂く物ならば。

 

 

「おぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 

「くっ! おぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 

 トーマに切り裂けぬモノなど何もない。

 

 その刃と切り結ぶ事は出来ない。技巧を以って刀身の側面、剣の腹を打つ。真っ向からぶつかり合わない事で、漸くその勢いを止められるのだ。

 

 それは両者に技巧の差があるから出来る事であろう。だがその技巧さを補う程に、トーマは加速し続けていた。

 振るわれる刃が身体を傷付けていく。その処刑の剣に引き裂かれて、内包した魂が喰われていく。

 

 その刃を首に受ければ、その瞬間に死ぬであろう。

 そんな風に直感して、エリオは致命傷を避けながら後退していく。

 

 魔力切断攻撃に対して、有効打を打てない限り戦闘はもう詰んでいる。

 

 

〈なんでだ〉

 

 

 その光景を見て、アギトが呟く。彼女は知っている。理解しているのだ。

 エリオ・モンディアルには、これを乗り越える力がある。魔力切断攻撃を相殺する。その力を有している。

 

 

〈なんで腐炎を使わねぇんだよ、兄貴!〉

 

 

 なのに何故使わぬのか、そう叫ぶ様にユニゾンした少女は問い掛けていた。

 

 

「っ!」

 

 

 少女の言葉に歯噛みする。圧倒的不利に居ながらも、エリオ・モンディアルは腐炎を使わない。

 

 無価値の炎は全てを燃やす。悪魔を宿したエリオ本人と、そして奈落の断片より作られた機械槍。この二つを除いて、全てを燃やし堕とすのだ。

 

 そう。アギトと言うユニゾンデバイスとて例外ではない。

 この状況で使用すれば、まず真っ先に融合している少女が燃えて腐るであろう。

 

 知っている。分かっている。二十七万の魂を完全に取り込んだ時、その記憶から己に起こった変化を確かに理解している。

 

 あの日、悪魔に近付いてしまったあの時より、己は失くした物を大切に思えなくなった。

 嘗ては失った人々の為に、犠牲者の為にと生きる理由を求めた。そんな記憶を取り戻しても、今では何とも思えないのだ。

 

 失ってしまえば無価値になる。

 死んでしまった弱い物なんて、何一つとして感情を抱けない。

 

 大切な記憶すら、唯の記録に堕ちてしまうのだ。

 悪魔に近付いた己は、そんな死者を抱けない男となった。

 

 もしも今、無価値な炎を使えばアギトは死ぬ。

 もしも今、アギトを殺してしまえば、この胸にある熱すらも無価値になってしまうから――

 

 

「あんな物、使わなくても――」

 

 

 無価値の炎は使わない。そんな物などなくても、勝てるのだと証明する。

 

 

「僕が必ず、勝利するっ!!」

 

 

 これは弱さだ。エリオに取って絆は弱さに他ならない。だがどれ程に足を引かれても、どれ程に重荷となったとしても、失くしたくないなら――

 

 

「強く。強く。お前なんかに負けない程に、僕は強くっ!」

 

 

 その足を引く手を引き摺って歩く。重荷を背負ったままに進む。

 それでも相手を置いていける程に、強くなるしか道を知らない。だからその道を最速で駆け抜けていくのだ。

 

 

 

 エリオの速力が上昇する。その腕力が上昇する。

 魂を削られ、力の元を喰われていき、弱くなり続けている筈なのに、エリオは強くなっている。

 

 純度が上がっている。質が上がっているのだ。

 圧倒的な数を削られていった結果の弱体化よりも、その高まっていく魂が手にした成長の方が上回っている。

 

 誰にも頼らない。誰も必要としない。

 この熱を抱いたままに、誰よりも強くなってみせる。

 

 だから。

 

 

「お前にだけは、絶対に負けないっ!」

 

 

 全ての不利を覆す程に極まった個我が、トーマを圧倒した。

 

 

 

 押し遣られる。アドバンテージなど関係ないと、圧倒する力に押し負ける。猛攻から一転、心技体が一致した攻勢を前に後退を余儀なくされる。

 

 この刃が防がれる事などあり得ない。攻撃が通れば、その瞬間に勝利出来る。それ程の優位を得て尚押し負けるのは、単純に力が足りていないから。

 

 トーマも成長している。圧倒的な速度で成長を続けている。

 刃がエリオの身体を掠り魂を欠落させる度に、その魂を取り込んでトーマは強くなっている。

 それでも届かないのは、相手の成長の方が尚早いからに他ならない。

 

 

「負けない」

 

 

 足りないのは執念か。実力か。魂か。

 いいや、そんな理屈なんて要らない。劣っているなどと言う思考をしている暇さえ惜しい。

 相手に劣る面があるならば、それさえ乗り越えてしまえば良い。

 

 

「お前にだけは、絶対に負けないっ!」

 

 

 気迫と共に加速する。想いの力で強くなる。

 足りない力を魂より引き出して、汚染と引き換えに強くなる。

 

 

 

 圧倒し、圧倒され、拮抗する。それはさながらシーソーの如く、片方が上がれば片方が追従し、片方が乗り越えれば片方がさらに追いかける。

 繰り返される戦闘は、加速度的に少年達の力を底上げしていく。

 

 

〈トーマ!〉

 

「リリィ。行くぞっ!」

 

 

 少年は少女と共に、戦場の中で蒼銀に輝き加速し続ける。

 

 

〈兄貴っ!〉

 

「黙っていろ、アギトッ!」

 

 

 少年は少女を抱えて、戦場の中で黄金に輝き進化し続ける。

 まるで鏡合わせ。コインの裏表。拮抗する両者の実情は真逆を進む。

 

 一秒ごとに壊れていくトーマは、その心を白百合によって支えられている。

 忘却する記憶。自分が誰かも分からなくなる度に、トーマと呼び掛ける声が己を取り戻させる。

 

 一秒ごとに成長を続けるエリオは、その心を烈火の剣精によって苛まれる。

 圧倒的な不利を覆せる手札。それを封じて戦う少年は、内に宿した少女への気遣いと苛立ちを同時に抱いてしまう。

 

 絆。それは強さにも弱さにも繋がる。

 片方にとっては力の源であり、片方にとっては己の力を削ぐ足手纏いにしかなり得ない。

 

 それでも互いに退かない。

 共にある女に抱いた感情は違えど、両者が抱く想いは同質だ。

 

 

「僕が」

 

 

 大切にしたい。大切だと思いたい。大切なままで居たい。そんな少女を守る為に、互いが選んだ道は真逆である。

 勝ちたい。負けたくない。許容出来ない。そんな宿敵を打ち破る為に、互いが選んだ道は真逆であった。

 

 

「俺が」

 

 

 何もかもが反対で、けれど根本の部分は同じ物。

 互いが抱いているであろう感情が、誰よりも分かってしまう程に近いから。

 

 

『お前に勝つ!!』

 

 

 だからこそ、この相手には負けたくない。

 この相手に負けてしまえば、それは己の全てを否定されるのと同じなのだ。

 

 

 

 焔に燃える研究施設。一秒先には崩れ去りそうな地獄の中で、少年達の戦いは終わる素振りすら見せずに続く。

 空気が足りない息苦しささえ忘れてしまう程に、少年達は互いの存在を意識する。

 

 どうすれば良い。どうすれば勝てる。目の前の敵はどうすれば倒せる。

 思考が一色に染まっていく。それだけが頭の中にあって、それ以外の全てがどうでも良くなっていく。

 

 勝つのだ。勝つのだ。己が勝利するのだ。

 その為に先へ、その為に次へ、その為に成長し進化しろ。

 

 一秒でも早く。奴よりも強く。

 螺旋の如く、相克なる者は互いを鍛え上げていく。

 

 それは誰かが意図した様に、それは誰かの意図すら超えて、際限なく高まり続ける両者は、この世界の中心へと迫っていく。

 

 

「エリオォォォォォォォォッ!」

 

「トォォォマァァァァァァッ!」

 

 

 神と神を殺せる者。両者に違いなどは何一つとして存在しない。

 神に至れる者と、神殺しに至らんとする者。その両者に違いなどは何一つとして存在しないのだ。

 

 両者は王冠へと到達し得る。神座へと至れる器である。

 このまま相克を続ければ、その身は超深奥へと至るであろう。

 

 そうなる様に作られた。そうなる様に育てられた。

 積み重ねた痛みも、重ねられた罪科も、全ては今この瞬間の為に――そうなる瞬間へと至っている。

 

 まだ流れ出すには至らない。まだ穴は開かない。

 だが後一歩。後半歩まで迫っている。その半歩先へと、先に到達するのは。

 

 

『おぉぉぉぉぉぉぉっ!!』

 

 

 赤き瞳。銀の少年は、その身に青き輝きを纏って。

 黄金の瞳。赤き少年は、金色に輝く光を全身に纏って。

 

 甲高い金属音を立てて、両者は激突する。

 互いに傷付きながら、相手の一歩先を行く。

 

 負けないという闘志を露わに、勝ちたいと言う願いを胸に、互いを否定する武器をぶつけ合う。

 

 誰かが想定した様に、誰かが望んでいる様に、誰かが望んでいない様に、その激突は世界に亀裂を走らせる程へと――

 

 

〈トーマ〉

 

 

 至る前に、少女の声によって踏み止まった。

 

 

 

 リリィは夢に見ていた。少年の姿を、何時か己を迎えに来る彼を夢に見ながら、その身を待ち続けていた。

 

 己を振るう人。己と共に生きる人。その想いの美しさを知っている。その願いが例え偽りであったとしても、その願いの尊さを知っているのだ。

 

 何となく感じている。このままでは、良くないことになると。

 分かるのだ。このままではいけないと、このまま進めば良くない結果に終わるであろうと。

 

 だからこそ――

 

 

〈思い出して、貴方の願いを〉

 

 

 時の止まった世界が好きだ。永遠に同じ事だけを続けていたい。

 夕焼け空を見上げた子供が抱くような、楽しい事だけしていたいと言う身勝手な願い。

 

 けれど確かに綺麗な、永遠を望む刹那の夢。

 

 

〈忘れないで、貴方の願いを〉

 

 

 そんな夢に流された願いがあった。塗り潰されて、もう思い出せない願いがあった。

 それは渇望の域にはまるで届いていなくて、ただそうある事が綺麗だと思って、唯それだけの願い事。

 

 それを思い出して欲しい。それを忘れないで欲しい。

 それを胸に抱いていられたら、道を間違えずにすむと思えるから。

 

 

〈思い出せないなら、私が語るよ〉

 

 

 それを伝えよう。幼い貴方が信じた、その願いを私が語ろう。

 

 

〈忘れてしまうなら、私が語り続ける〉

 

 

 それを伝えよう。流れ込む記憶に塗り潰されてしまうなら、その度に私が語るから。

 

 思い出せなくても、忘れてしまっても、迷わぬように導こう。

 

 夢に見た君が好きなのだ。夢追い人に焦がれたのだ。

 まだ知り合ったばかりの己が何を言うかと言われても、この感情は変わらない。

 

 共にある少年へ、共にある少女は伝えよう。

 何れ至らねばならぬ少年へ、傍らに咲く白百合が伝えよう。

 

 

〈トーマの答えは、最初から決まっている〉

 

 

 道を見失った少年の手を、白百合の乙女が引いて歩く。導いてくれと望まれたから、その未来へと導こう。

 

 

〈貴方はずっと、誰かと共にある事の素晴らしさを信じてきたのだから〉

 

 

 少年の動きが止まる。成長を止めた少年は、この瞬間に追いつけない。

 悪魔が歪んだ笑みで嗤う。成長を続ける悪魔は、この瞬間にも強くなる。

 

 対処など出来ない。振るわれる魔槍を前に、トーマは反応すら出来ない。

 

 鋭い凶器は狂気と共に、絶殺の刃がその胸を貫く。

 今度こそ、今度こそ殺し切ると紅蓮の業火が燃え上がり――

 

 

〈一人ぼっちな悪魔なんかに、負ける筈がないんだよ!〉

 

「なっ!?」

 

 

 ディバイドゼロ・エクリプス。

 舞い散る銀十字の書と共に、白き輝きが膨れ上がる。

 燃え上がった炎が霧散して、エリオの手にした槍が崩れ去っていった。

 

 トーマ一人では無理だった。個としての極みに至ったエリオに対し、一人で勝てる者など何処にもいない。

 胸を貫かれても死なないだろう。だが死なずとも痛みで動きは鈍る。その瞬間に、蘇生不能なレベルで燃やされて終わりだ。

 

 トーマ一人では、辿る結末などそれ以外にありはしない。

 けれどトーマは一人ではない。彼が反応出来ずとも、確かに見詰める人が居た。

 胸を貫かれた痛みで動けぬトーマの変わりに、その力を使える白百合がいたのだ。

 

 彼女が死を防いで、故に絶死の瞬間は勝機に変わる。

 

 

「終わりだ。エリオ」

 

「っ! トォォォマァァァァッ!」

 

〈兄貴!!〉

 

 

 驚愕を抱いたエリオの隙を埋められる者など存在しない。

 助けたいと思う者は居ても、余りに距離が大き過ぎて手を出せない。

 

 その身は一人でも生きられる程に強くなり過ぎてしまったから、助けようとする感情でさえ足を引く要因にしかなり得ない。

 

 

「俺達の――」

 

「私達の――」

 

 

 少年と少女の声が重なる。

 罪悪の王へと、断罪の刃が振り下ろされる。

 

 

『勝ちだぁぁぁぁぁぁっ!!』

 

 

 斬と音を立てて振り抜かれた処刑の剣が魔刃の胸を切り裂き、罪悪の王は遂に崩れ落ちる。

 

 

 

 燃え盛る炎の中、決着がつく。

 (つよさ)と共に、(よわさ)が故に、その戦いは決着した。

 

 

 

 誰かを信じた少年と誰も信じられなかった少年の三度目の戦いは、此処にこうして終わりを迎えたのであった。

 

 

 

 

 




これにて第三回戦は終了。
今回で強くなりまくりな二人ですが、今後はこんなペースでは成長しません。

此処まで急成長したのはトーマが覚醒直後の為パワーアップしやすくなっていた事と、トーマが強化されると強化されると言う性質を持つエリオ君が引き摺られて互いに相乗効果が発生していたからです。

現時点で両名とも力は三騎士級。
一瞬ルートヴィヒ級(準神格域)に迫ったものの渇望力の不足故に安定せず劣化。神格域は未だ遠いです。

エリオの方は腐炎抜きでコレなので、ナハトが完全顕現すると原作スペックよりアカンくなるかも。



Q.因みに今回リリィが止めなかったらどうなってたん?
A.渇望力が足りない神格(初期夜行)みたいに無色太極な求道神になっていたか、練炭汚染進行による大紅蓮地獄流出で先輩大勝利ENDになっていました。






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第七話 少女は想う

日常回。戦闘はありません。


推奨BGM
1.The Blessing(PARADISE LOST)
2.Misscasting-2(リリカルなのは)
3.For you For me(リリカルなのは)


1.

 燃え盛る炎の中、その小さな身体で引き摺りながら進んでいく。

 

 崩れ落ちた少年の身体。二次性徴を迎え筋肉質になっている身体は、大人の手の平程度の大きさしかない少女にとっては、とてもとても重かった。

 

 引き摺りながら進んでいく。

 燃え盛る炎の熱を感じながら、大切な人よ燃えてくれるなと祈って進む。

 

 囚われているであろう被検体を逃がす為に用意した簡易型の転送装置。それは安定した場所でしか発動出来ず、故にこの火の中では使えない。

 

 少し先にある小部屋で展開した。魔法陣の位置はそう遠くない。

 だが、少女は少年よりも遥かに小さい。少年の手を握る事すら難しく、故に目と鼻の先にある小部屋ですら余りに遠い。

 

 だがそんな事、諦める理由にはなりはしなかった。

 

 

「兄貴。待ってて」

 

 

 あの瞬間。彼が選んだのは、己の身を守る事ではなく、迫る刃から逃れようとするのでもなく、諸共に引き摺り込まんと足掻く事でもなかった。

 

 防御も回避も反撃も、全てを度外視してエリオが選んだのは融合解除(ユニゾン・アウト)

 振るわれる刃を己の身体だけで受け止めて、その少女を無傷のままに守り切った。

 

 あの日もそうだった。あの日からも、そうだったのだ。

 

 囚われて、心と身体が壊されていく日々。

 実験動物として扱われていた自分を、気紛れで助け出した赤毛の少年。

 

 何時だって、何時だって、守られてきた。

 どこか不器用な優しさを見せる悪魔に、何時だって守られていたのだ。

 

 

「今度は、あたしが」

 

 

 だから今度は、だから今回は、必死になって引き摺り進む。

 じくじくと進行する胸の傷。魂が零れ落ちていく傷痕。

 此処から脱出出来れば、きっと助けられると信じて進み続ける。

 

 どれ程に重くとも、どれ程に苦しくても、その荷を下ろす理由などはない。

 

 

「……届いた」

 

 

 そうしてアギトは、意識を閉ざした少年と共に魔法陣の中へと消えて行った。

 

 

 

 

 

 そんな光景を見詰めながら、トーマ・ナカジマは一歩も動けずにいた。

 限界を超えた力の行使。流れ込んで来た記憶の流入に曖昧となる思考。

 勝利によって緊張の糸が切れた少年は、消え去っていく敵手に何の対応も出来ずにいる。

 

 

〈トーマ!〉

 

 

 少女が叫ぶ。白百合の乙女には、それしか出来る事がない。

 同化した事で異常部位の殆どが修復されていても、まだ分離して支えられる程には正常化していない。

 

 同調を解除してしまえば、歩く事は愚か話す事さえまだ出来ないのだ。

 必死に引き摺って魔刃を救った烈火の剣精。彼女の真似事すらリリィには許されていなかった。

 

 

 

 崩れ落ちる身体を支えていた大剣が消えていく。

 己の武器を形成する事すら出来なくなった少年は、そのまま炎の中へと倒れ込んでいき――

 

 

「おっ、と」

 

 

 力強い腕が、崩れ落ちる少年を抱き留めた。

 

 

 

 燃え盛る炎の中、漸く辿り着いた彼が少年を抱き抱える。

 脱力した少年はその懐かしい声に惹かれて、視点の合わない瞳で青年を見上げた。

 

 

「ゴメン。遅くなった」

 

 

 その優しい声を知っていた。

 抱きしめる腕の暖かさを知っていた。

 困った様に微笑むその人を、少年は確かに知っていた。

 

 炎に照らされ、稲穂の如く輝く金糸の髪。空の如く澄んだ翡翠の瞳。

 その人を知っている。確かに知っている筈なのに――

 

 

「叱らないといけない事、怒らないといけない事、沢山ある」

 

 

 何故だか思い出せない。どうしてか、誰なのか分からない。

 抱きしめる腕の温かさを分かっているのに、その名を呼び返せない。

 

 不安だった。恐怖に震えた。何でも出来る様な万能感はあっさりと何処かへ消えてしまって、後に残るのは失ったモノの重さに対する認識。

 

 捧げた対価は、余りにも重い物だったのだと漸くになって理解した。

 

 

「けど、今は」

 

 

 そんな恐怖に震える少年に、青年は優しく声を掛ける。

 その恐怖の理由を知らなくても、彼が欲しいであろう言葉を確かに口にした。

 

 

「良く、頑張ったね」

 

 

 抱きしめた教え子の頭を優しく撫でるその掌。感じる温もりに不安が溶かされていく。

 

 何も分からないのは変わらない。

 けれど――彼の事が分からない事は変わらなくても、確かな安堵を其処に抱いて。

 

 

 

 限界を迎えたトーマは、瞳を閉じて意識を失った。

 

 

 

 

 

2.

 古代遺産管理局の敷地内に存在する白塗りの建物。

 医療班が管理担当するその場所は、機動部隊の傷病者や事件の被害者を一時的に預かり治療する為の医療施設。

 

 

「んで、その素性不明な子が此処に搬送された訳ね」

 

「は、はい」

 

 

 その入り口。病院のガラス戸を前に、三人は歩きながら言葉を交わしていた。

 

 金髪の女。アリサ・バニングス。彼女に先導され従うはキャロ・グランガイツとルーテシア・グランガイツ。

 古代遺産管理局は機動六課、バーニング分隊のメンバーが此処に揃っていた。

 

 

「ルー。病室のナンバーは聞いてる?」

 

「……確か、309号室だったと思います」

 

 

 アリサの問い掛けに、ルーテシアが敬語で返す。

 直属の上司故に、そして弄れる人を即座に見抜く目力故に、ルーテシアはしっかりとした返しを見せた。

 彼女の目力が言っているのだ。この人は弄れそうだが、下手に生意気な態度を取ると確実に粛清される、と。

 

 

(だがしかし、私の情熱は挫けない。必ずや、弄ってみせよう。この人を)

 

「ルーちゃん?」

 

 

 妙な所で情熱を燃やしているルーテシアに、首を傾げるキャロ。

 

 

「んじゃ、行くわよ。キャロ。ルー」

 

 

 そんな二人の内心に気付く事もなく、アリサは二人を引き連れて医療施設内へと進んでいった。

 

 

 

 中に入って直ぐ、三人はその異常に気付く。

 

 

「何か、忙しそうですね」

 

「何かあったのかな?」

 

 

 首を捻る桃と紫の姉妹。医療班のメンバーが慌ただしく動いている姿に、アリサは目を細める。

 何かがあった様だ。それも半端なく面倒な事が。そんな予感を感じ取って、女はその端正な顔を歪めた。

 

 

「あれ? アリサ」

 

 

 そんな彼女に掛かる声。色々と思う所がある友人の声に、アリサはしかめっ面を塗り替えて振り向いた。

 

 

「……何してんのよ。ユーノ」

 

 

 振り向いた先に居た金髪の青年は、常の様に柔らかな笑みを浮かべていた。

 

 

「トーマと、リリィって子の付き添いさ。未だ目が覚めてなくてね」

 

「あの子、見つかったのね。……リリィってのは、聞かない名前だけど」

 

「トーマが見つけて来た融合騎――みたいな子かな。報告も上げて置いたから、後で連絡も来ると思うよ」

 

「ふーん。なら、こっちの用件が終わったら確認しておくわ」

 

 

 友人と言うにはやや硬く、報告と言うには温い対話。敢えて例えるならば、あまり親しくない職場の同僚同士が私的に交わす様な会話。

 そんな会話を交える金髪の二人の姿に、何処か違和の様なものを感じてキャロは首を捻った。

 

 

「何か、ちょっと距離がある? けどそれにしては、妙に近い様な気も」

 

 

 訳が分からないと言う体の少女に対し、もう一人の少女は弄れそうな場所を発見したとばかりに目を光らせてニヤリと笑う。

 

 

「これはアレね。大人の関係ってやつよ」

 

「お、大人!?」

 

 

 どんな想像を働かせたのか、顔を真っ赤にするキャロ。

 そんな姿をニヤニヤと笑って見守るルーテシアの頭頂部に、鋭い衝撃が降り注いだ。

 

 

「っっっっ!?」

 

「そこ、馬鹿な事言ってない! 私とコイツは唯の友人よ!!」

 

 

 振り下ろされた拳骨に悶絶するルーテシアを前に、アリサが一言で切って捨てる。

 感じる想いは未だあれど、彼女にとっては既に終わった事。蒸し返す様な邪推に対しては、温情など一切ないのである。

 

 

「ははは。まあそんな訳で、泊まり込んでたんだけどさ」

 

 

 そんな女性陣の遣り取りに苦笑を浮かべて、ユーノが続ける。

 

 

「ちょっと病院が騒がしくなったからね。トーマの事はリリィに任せて、確認の為に動いていたのさ」

 

 

 面倒な事があったらしい。自分達に関わらなければ良いのだが。そう思いながら、アリサは先を促した。

 

 

「何があったのよ」

 

「入院患者の脱走。……309号室に居た子供が、何処か行っちゃったらしくて」

 

 

 困ったもんだね、と苦笑するユーノ。そんな何処か他人事な態度の彼に対して、他人事ではいられないのがアリサ・バニングスであった。

 

 

「309号室って、……はぁっ!?」

 

「……どうしたのさ。大声出して」

 

「その子に会いに来たのよ! ってか素性不明の子を逃がすとか、何してんのよ医療班!!」

 

 

 警備体制はどうなっているんだ、とまるで戦闘時の様な気炎を見せ始めるアリサ。

 そんな彼女の反応に、不味いと感じ取ったユーノは落ち着かせる様に弁護を始めた。

 

 

「リリィって子の検査もあって忙しかったんだ。僕が連れ込んだ所為もあるからね。医療班だけを責めないで貰えると有難いかな」

 

 

 リリィと言う少女は、人型デバイスと言う物の扱いに慣れていない医療班では持て余してしまう程の物であった。

 

 スカリエッティが戻って来ていない現状、解析一つですら手間取ってしまう。

 医療班のトップであるすずかをはじめとする実力派メンバーが付きっきりとなり対応していたのだ。

 

 その影響が他の場所に出てしまうのは、避けられない事だろうとユーノは弁護した。

 

 

「それに敷地内からは出られないだろうから、そう遠くには行ってない筈だよ」

 

「……全く、アンタは」

 

 

 そんな彼の弁護に、内心で的外れだろうにと思いを抱く。ユーノが少女を医療班に預けたのは当然の対応であり、彼に責任などは生じ得ない。

 

 あくまでも主原因は医療班の管理不足であり、そうなってしまったのは少数の精鋭を除けばどの派閥にも染まっていない新人ばかりを集めた古代遺産管理局の弊害とも言える問題であろう。

 

 指示を出す側が指示を出せない状況になり、その影響を受けて下の管理が杜撰になっただけの話なのだ。

 

 とは言え、現状でそれに激昂しても余り意味はない。

 叱責するにしてもアリサは門外漢であり、単純な人手不足自体はどうしようもないと言う問題も付き纏う。

 

 結局下が成長する迄は仕方がない話だろうと思考を切り替えて、アリサは苛立ちに任せるのではなく、建設的な対応をすべきだろうと判断した。

 

 

「……んじゃ、ちょっと手伝いなさい」

 

「了解、っと」

 

 

 自分の所為だと言うなら手伝え。そう端的に言うアリサに肩を竦めてユーノが返す。

 どの道、トーマは未だ目覚めない。多少時間を暇にしていたのだから丁度良いとばかりに、彼はアリサに協力する事にしたのだった。

 

 

「キャロ。ルー。二組に分かれて探すわよ。アンタ達は病院の中を見てきなさい。私達が外周部分を見て回るわ」

 

 

 今も看護師や警備員などが病院内を捜し回っている。そんな彼らと合流して、一緒に捜してくる様にとアリサが指示を出す。

 

 

「……複雑な関係の男と女が二人っきり、これは何かある」

 

「な、何かって、何が!?」

 

 

 指示を出されていながら、そんな風にひそひそと会話をして動かぬ幼子達。

 そんな駄目っぷりを披露する部下二人の姿に、引き攣った笑みを浮かべたアリサが激昂する。

 

 

「ほら、さっさと行く!」

 

 

 邪推ばかりしている部下の尻を蹴飛ばす。

 さっさと行けと怒鳴り付けられた子供たちは、蜘蛛の子を散らす様に逃げ出して行くのであった。

 

 

 

 

 

 捜し出して数分もしない内に、目的の少女は見つかった。

 年齢は五歳前後。入院患者が着る衣服を纏い、金糸の髪を腰まで伸ばした少女は中庭で一人佇んでいた。

 

 

「んで、あっさり見つかったのは良いんだけど」

 

 

 その赤と緑、虹彩異色の瞳に宿った感情は怯え。

 小さな体躯は恐怖に震え、自分を見つけ出した青年の影に隠れて出て来ようともしない。

 

 

「何でこんなに警戒されてんのよっ!?」

 

 

 まるで子猫の如くに警戒して、威嚇する少女。

 涙で滲んだ瞳で見上げる先に居るのは、アリサ・バニングスその人であった。

 

 

「うー!」

 

 

 自分の足に縋りついて、傍らに居る女へと威嚇を続ける幼子。

 このままでは会話にもならないと判断したユーノは、アリサへとちらりと目配せをする。

 

 

「うっ、分かったわよ」

 

 

 その視線を受けて、アリサが三歩後ろへと下がっていく。

 距離が開いた事で若干安堵したのか、ズボンを握る少女の手が緩む。

 その拍子に小さな手を優しく開かせると、ユーノは視線を合わせる為にしゃがみ込んだ。

 

 

「ほら、これでお姉さんは大丈夫だよ」

 

「……怖く、ない?」

 

 

 目の高さを合わせて、親子の様に似た様な声音で話し合う。

 今なお後方に居る女に対して怯える少女の言葉に対して、青年は少し苦笑しながらも柔らかく返した。

 

 

「怖くない、かなぁ。……うん。普段はあんまり怖くないね」

 

「おいこらフェレット擬き! 何のフォローにもなってないわ!!」

 

 

 戦闘時のあの態度を見ていると、怖くないとは断言出来なかった。

 そんなあんまりと言えばあんまりなユーノの発言に、アリサは思わず声を荒げる。

 

 

「っ!」

 

「ほら、アリサが大声出すから」

 

「私の所為!?」

 

 

 怯える視線と責める様な視線。

 その二つを受けて、何で自分がこんな目にと苛立ちを覚える。

 

 意味もなく怯え、直ぐに泣き、手を煩わせる。そもそも子供は苦手なのだ。

 それに加えて、これ程あからさま態度。この子供に対して良い感情は当然抱けず、アリサはふんとそっぽを向いた。

 

 

「僕はユーノって言うんだ。……君の名前、聞かせてくれるかな?」

 

 

 そんな友人の姿に苦笑しながらも、ユーノは視線を合わせた少女へと優しく言葉を投げ掛ける。

 視線を合わせる青年を見詰めて、少女はボソボソと小声で名を名乗った。

 

 

「……ヴィヴィオ」

 

「そっか。いい名前だね」

 

「うん」

 

 

 優しく髪を撫でる青年へ、少女は花が咲いた様な笑みを見せる。

 そんな少女を怖がらせない様に、青年は問い詰める事なく優しく言葉を重ねていった。

 

 

「ヴィヴィオはどうして、抜け出したりしたんだい?」

 

「……ママ、居ないの」

 

「そっか」

 

 

 母親が見つからないという言葉。そんな少女の理由を聞いて、青年は提案する。

 

 

「それじゃ、僕たちと一緒に探そうか」

 

「……」

 

 

 言葉を受けて頷きかけた少女は、青年の後方で不機嫌そうにしている女を見詰めて動きを止めた。

 

 

「何よ」

 

「……お姉さんも居るの?」

 

「……何でこんなに嫌われてんのかしら」

 

 

 恐怖と怯えが混じり合った瞳でそう言われて、アリサは更に不機嫌になる。

 

 懐かれるよりはマシだと強がる女の姿に、ユーノは苦笑を浮かべながらも少女を説得する為に言葉を続けるのであった。

 

 

「ヴィヴィオ。怖いかも知れないけど、我慢できないかな? お姉さんも凄く良い人だって、一緒に居れば分かるからね」

 

「……」

 

 

 青年の言葉に返されるのは懐疑的な視線。

 そんな少女の怯えと疑いの目に対して、青年は掌を差し出して口にする。

 

 

「一人で怖いなら手を繋ごう。そうすれば、少しは怖くなくなるからさ」

 

「手を、繋ぐの?」

 

「うん。手を繋いで歩くと、一人では見えなかった物が見えて来る。怖いって思いも、なくなっていくんだ」

 

 

 差し出された右手を見詰める。端正な容姿とは裏腹に鍛え上げられた拳は巌の如く、大人の男を感じさせる物。

 

 

「騙されたと思って、一度やってみないかい?」

 

「……うん」

 

 

 少女は頷いて、左の手で硬い掌を握り締める。

 握り返された小さな手を優しく握りながら立ち上がると、青年はゆっくりと歩き始めるのであった。

 

 

 

 病院内を連れ立って進む。優しく語り掛ける青年の声に、警戒心を完全に解いた少女は嬉しそうに言葉を返していく。

 まるでその様は親子の如く、数歩退いて後に続くアリサは何処か羨ましく感じてしまう。

 

 

「ヴィヴィオのママは、どんな人なんだい?」

 

「分かんない」

 

「そっか。なら、何か分かる事はあるかな?」

 

 

 青年が行っている事は、唯の散歩だ。病院内を歩いたとしても、彼女の母が見つかる事はないだろう。

 そんな事は分かっている。分かっていてそうしているのは、これが唯の時間稼ぎだからだ。

 

 

「思い付いた事、纏めなくて良いから言ってみよう? その中に、ママを見つける為の何かがあるかも知れないからね」

 

 

 問い掛ける青年は、少女に見えない位置で機械式の無線機を操作している。

 少女の情報を聞き出しながら、その情報を即座に遺産管理局の司令部へと連絡しているのだ。

 

 繋がる先で彼女の母に関する情報を調べさせると同時に、彼女の素性を見極めんとしている。

 余りにも手際が良く器用に進めていく青年の姿に、不器用な自分じゃ真似出来ないなとアリサは内心で感嘆の声を漏らしていた。

 

 

「研究所。暗い場所。洞窟の中。ゆりかご。ベルカ。王様。虹色。天使」

 

 

 青年の言葉を理解して、少女は自分が覚えている言葉を口にする。

 そんな姿に年齢以上の発達具合を見出して、アリサは少女の正体に当たりを付けていった。

 

 

(年不相応な冷静な態度。所々でガキっぽい歪な在り方。間違いなく人造生命体ね。それも誰かの情報を元に作られたプロジェクトFの関係者。……だとすると問題は何を元にしたのか、よね)

 

「火。怖い。赤。嫌」

 

(ってか、何でこんなに嫌われてんのよ。……もしかして、それがモデルに関係あるとか)

 

 

 言葉を口にする際、アリサを一度見上げた少女。

 己と火を結び付けて、それに恐怖を抱いているその姿に、もしや自分が捕らえた犯罪者の誰かが関係しているのかと一瞬邪推するが。

 

 

(ないわね)

 

 

 それはないな、と結論付ける。プロジェクトFならば容姿も似通う筈であり、アリサが対処した犯罪者の中にこんな容姿の少女は居なかったのだから、あり得ないと断言する事が出来たのだ。

 

 

「お姉ちゃんは、まだ怖いかな」

 

「……うん」

 

 

 だが、恐らくこの恐怖心は彼女のモデルとなった人物から来ている。

 ならば死因が炎や熱と密接に関係している人物なのだろう、とアリサは推測していく。

 

 

「手を繋いで居ても、まだ怖い?」

 

「……さっき、よりは怖くない」

 

(炎が死因。或いはトラウマになる人物か。ぶっちゃけ、それだけで絞れるかっての)

 

 

 青年と少女の会話を聞きながら、アリサは思考を巡らせていく。

 答えを出せない苛立ちを抱える少女の脳裏に、執務官として独自に動いていた頃に調べた記録が過った。

 

 それは非合法の実験施設で見つけ出した極秘の計画書類。

 歴史上の偉人をプロジェクトFにて再現し、管理世界の導き手として復活させようと言うイカレた計画だ。

 

 その第一弾として予定されていたのが、聖王オリヴィエ。虹彩異色の瞳も、その金糸の髪も、教会の肖像画に描かれた聖なる王と確かに似ていると言えなくもない。

 

 

(聖王オリヴィエ、ね。……親交のある一族が森ごと焼き殺されたとか、戦火の中で生き続けたとか、炎がトラウマになる可能性は十分過ぎるけど、……ちょいこじつけが強すぎるわよね)

 

 

 寧ろ焼き殺されたクロゼルグ一族の方が、炎に対して強いトラウマが生まれるだろう。

 そもそも、聖王の死因はロストロギアを使用した代償とされている。炎に対して此処まで恐怖を抱くなど、らしくないとしか言いようがなかった。

 

 仮にもし本当に聖王のクローンだとするならば、教会の対応が恐ろしい事になる。そんな嫌な思考が頭を過って、埒もない妄想であって欲しいと願いつつ首を横に振った。

 

 

(そもそも、何で私と炎を結び付けたのかって話よね。……この子の前で炎なんて使った事ないし、考えれば考える程変じゃない)

 

 

 モデルが誰なのか、と言う問題は置いておいても疑問は残る。

 どうして己と炎を結び付けるのか。違和は考えれば考える程に強くなり、女は視線を鋭くする。

 

 それはきっと、流してはいけない疑問だ。其処にはきっと、重大な何かが隠されている。

 アリサの中にある執務官として培った経験が、全力で警鐘を鳴らし始めていて――

 

 

「……」

 

 

 じっと見つめる少女の視線が、そんな思考の海に沈み込んでいたアリサを引き摺り上げた。

 

 

「何よ」

 

 

 怯えが籠った視線を受けて、何の用なのかとアリサが問う。

 女の言葉に少女は答えを返さず、唯、少し間を置いた後に行動で示した。

 

 

「手、繋ぐ」

 

 

 その言葉を聞いて、アリサは唖然としてしまう。

 差し出された右手は震えていて、何故そんな事を言い出したのかまるで理解が出来ず。

 

 

「……お兄ちゃんと、繋いだらあんまり怖くなくなった。だから」

 

「全く理由になってないでしょうが、このガキんちょは」

 

 

 手を繋げば怖くない。だから怖い人と手を繋ごう。そんな矛盾した理論を見せた少女の姿に、アリサは頭を抱える。

 

 意味が分からない。訳が分からない。

 どうしてそんな事を、この子供は希望するのか。

 

 そんなアリサの呆れの籠った視線を返されて、ヴィヴィオはその瞳を涙で濡らす。

 

 

「そんな目、してんじゃないのよ。……ほら」

 

 

 そんな目で見られるのが嫌だったから、柄じゃないけれどアリサは左の手を差し出した。

 

 

「繋ぐんでしょ。貸してやるから、しっかり握ってなさい」

 

「……」

 

 

 差し出された手を、目を丸くして見る。自分で言っておきながら握り返されるとは思っていなかったのか、戸惑うヴィヴィオ。

 

 そんな動かぬ少女の小さな手を奪い取るかのように握り締める。握られた手を握り返しながら、ヴィヴィオは複雑な感情を抱いてアリサを見上げた。

 

 見つめ続けるその視線に怯え以外の感情を見つけ出して、アリサが面倒臭そうに口にする。

 

 

「何よ。まだ、何かあるって言うの?」

 

「名前」

 

 

 そんな女の言葉に、少女はか細い声でボソボソと呟く。

 

 

「言いたい事があるなら、はっきり言う!」

 

 

 声が小さくて聞こえない。そう断じる女の人に、手を繋いだまま大きな声でヴィヴィオは言葉を口にした。

 

 

「名前! まだ聞いてない!」

 

 

 それは歩み寄りの第一歩。恐怖を乗り越えようとする少女の奮起。

 怖い誰かではなく、手を繋いだ女性として、その名前を教えてと少女は口を開いていた。

 

 

「アリサよ。アリサ・バニングス」

 

 

 そんな少女の歩み寄りに対して、アリサは端的に答えを口にする。

 

 散々怖がっておいて、何を今更。そう言わんばかりに不機嫌な態度を崩さない女性。

 けれど確かに手を握り返してくれる。そんなアリサを見上げたまま、ヴィヴィオは呟く様に口にした。

 

 

「怖くない」

 

 

 あれ程怖かった女性の手も、左手に握る男性の手と同じく温かかった。

 その温かさが、怖い人も優しい人も、同じ人間なのだと幼子に教えてくれるから――

 

 

「手を繋ぐと、怖くなくなる。……本当だね」

 

 

 そんな風に呟くと、男は笑顔を返し、女は顔を逸らして鼻を鳴らした。

 両手に繋いだ二人の熱。確かめる様に手を握ったり開いたりしながら、少女は笑顔を顔に浮かべる。

 楽しげに笑うヴィヴィオを見詰めて、不機嫌そうな表情は崩さずにアリサは呟いた。

 

 

「……柄じゃないけど、少しくらいは構ってあげるわ」

 

 

 泣いていたり、怯えられたり、そんな状況よりはマシだろう。

 子供相手など面倒だし、懐かれるなど論外だが、その為なら多少は構ってやっても良い。

 

 そんな風に内心で正当化を続けるアリサの横顔には不満以外の表情が浮かんでいたから、ユーノとヴィヴィオは確かに笑みを深めるのであった。

 

 

 

 

 

3.

 男と女に挟まれて、少女は散策する。

 既に連絡を受けて落ち着きを取り戻した医療施設内。

 病院の中庭を歩き回る少女の笑顔は、時間の経過と共に曇り始めていた。

 

 

「ママ。いないの」

 

 

 理由は一つ。母親がいない事。

 見つからない母の姿に少女が落ち込み、女は何とかしろと視線を男へと投げ付ける。

 

 

「ママ。見つからないの」

 

 

 暗く沈んでいく少女を気の毒に思いつつも、青年は首を横に振る。

 古代遺産管理局のデータベースでも少女の母に付いての情報は一切見つからず、彼女が居たと思われる研究施設の情報が見付けられた程度。

 すぐさま部隊を動かしてはいるが、彼女の母に関する情報は得られそうもないのが現状であった。

 

 

「……ヴィヴィオ。どうすれば良いの」

 

 

 涙交じりに呟く少女。その言葉を聞いて、アリサはヴィヴィオが本当は何を望んでいるのかを漸くに理解した。

 

 この少女は不安なのだ。知性が高いからこそ、現状を理解してしまっている。

 或いは、母親が居ない人工生命である事にすら気付いているのかも知れない。だから縋れる対象を求めている。

 

 それが母親だったのは、この少女の記憶の中では母が最も頼れる人物だったからなのだろう。

 一人ぼっちで居るのが不安で、傍に誰かが居て欲しくて、握られた手が震えているのが理解できたから。

 

 

「んな目ぇ、してんじゃないのよ」

 

「え?」

 

 

 その弱さを焼き尽くしてやろうと決めた。

 目を丸くする少女の前に立ちはだかって、女は口を開く。

 

 

「私は一人ぼっち、誰も傍に居てくれない? 馬鹿かアンタは」

 

 

 確かに少女には身寄りがない。寄るべき所がなく、行くべき所がない。

 漠然とした状態で抱える不安は、幼子の小さな背には重過ぎる荷であると言えよう。

 

 けれど。

 

 

「誰も居てくれない訳じゃない。この繋いだ手は、嘘偽りなんかじゃないのよ」

 

 

 己があっさりと見捨てる様な女だと思われているのは不快だ。

 理由がなくては一緒に居てくれないと考えている思考が不快だ。

 

 ガキはバカみたいに笑っていれば良いのに、泣きそうになっているその顔がとにかく不快だったから。

 

 

「それすら、信じられないっていうなら。信じられる関係が欲しいって言うなら」

 

 

 視線を合わせてはやらない。歩調を合わせてなんかやらない。気に食わない子供の為に、口にする言葉なんて唯一つ。

 

 

「本当のママが見つかるまで、私が母親代わりをしてあげるわ」

 

 

 柄じゃないと分かって、泣き虫な小娘に苛立って、それでもアリサは口にした。

 

 

「だから、泣くのは止めなさい」

 

 

 子供の相手は得意じゃなくて、生意気なガキや泣き虫な子供は嫌いだ。

 だからこれはこの子の為ではなく、泣いている子供の姿を見たくない自分の為の言葉なのだ。

 

 そう内心で断じるアリサの声には、彼女自身が想う以上の優しさが込められていたから――

 

 

「ママ」

 

「何よ。不満?」

 

 

 つんとした不機嫌そうな表情が、どこか優しげな笑みにも見えたのだった。

 

 

「アリサママ」

 

 

 言葉にして呟いてみる。不快はない。不満はない。

 頼れる誰かを見つけた少女は、縋れる人の名を口にする。

 

 

「アリサママ!」

 

「聞こえてるわよ。……そう何度も呼ぶなっての」

 

 

 鬱陶しいと返す声は、何処か機嫌の良さも孕んでいる。

 歩調を合わせようとすらしないその背を追いかけるのは大変そうだが、悪い気分はしなかった。

 

 

 

 男と顔を合わせて微笑み合う。

 女は何を笑っているのだと鼻を鳴らす。

 

 そんな遣り取りが心地良いから、もう少しだけ欲が出た。

 

 

「ママがアリサママなら、パパはユーノパパ?」

 

「ぶっ!?」

 

 

 不意打ち気味の一撃に、思わず噎せ返る程に吹き出してしまう。

 何も飲料を飲んでいる途中でもないだろうに、と呆れた視線をユーノは向けた。

 

 

「……何吹き出してんのさ」

 

「ちょ、アンタそれで良いの!? なのはの奴に浮気だぁ、とか!!」

 

「子供の言う事だろ。実際にそういう関係がある訳じゃないし、なのはもきっと分かってくれる筈。……多分。きっと。そうだと良いなぁ」

 

 

 赤面して妙に慌てるアリサに対し、冷静に返すユーノ。

 だがその言葉は途中で不安げな物となり、青年は乾いた笑みを浮かべていく。

 

 もしも、この娘にパパと呼ばれている姿を彼女に見られたらどうなるだろうか。

 

 

――少し、頭冷やそうか?

 

「……ゴメン。やっぱパパは無理だ」

 

 

 笑っているのに目が死んでいる。その手に凶器を持った狂気の笑顔。

 そんな恋人の姿を思い浮かべてしまったユーノは、そんな風にヘタレるのであった。

 

 

「駄目、なの」

 

「あー。うん。……どうしよう」

 

 

 再び泣きそうになるヴィヴィオ。どう返せばこの子を納得させつつ、命の危機を回避できるかを思考するユーノ。

 

 

「ごほん」

 

 

 咳払いをして思考を切り替えたアリサは、そんな我儘を言う少女の額にデコピンをかますと、その髪の毛を乱暴に撫で回した。

 

 

「全く、欲張り過ぎよ。泣き虫娘」

 

「アリサママ?」

 

「取り敢えずはママだけで我慢しときなさい。……二人分くらいは構い倒してあげるんだから」

 

 

 不安げに見上げる少女を抱き上げて、アリサは視線を移動する。

 その視線の先には、柱の陰に隠れた小生意気な少女達の姿。

 

 大方先ほどのパパママ発言をネタにしているのであろう。

 ニヤニヤ笑うルーテシアと、顔を真っ赤にしているキャロ。

 

 

「んで、とりあえず今は! あのクソガキどもを全力でボコる!」

 

「やば、見つかった!?」

 

「え? きゃぁぁぁぁっ!」

 

 

 そんな二人の姿に青筋を立てて、戸惑うヴィヴィオを抱えたままアリサは走り出す。

 悪鬼もかくやと言わんばかりの形相に悲鳴を上げて逃げ惑う二人を、即製親子は追いかけ回していく。

 

 病院で走り回ってはいけない。

 だが中庭ならば、そこまで煩くは言われないだろう。

 

 小さな中庭を逃げ回る二人を同じくらいの歩調で追い掛けながら、アリサはヴィヴィオに言葉を伝える。

 

 

「ほら、ヴィヴィオ! アンタも降りて、アイツら追い掛けなさい!」

 

「え? え?」

 

 

 子供は笑顔で居れば良い。

 落ち込んでいる暇があれば、走り回っていれば良いのだ。

 適当に遊んでいれば、難しい事なんて考えている余裕はないだろう。

 

 あの二人には精々、子供の相手をしてもらおう。

 散々人を馬鹿にしたのだから、それくらいは手を貸してもらうのだ。

 

 無論、もう二度と揶揄いなど出来なくさせる為に、捕まえたらキッチリとお仕置きをする予定だが。

 

 

「返事、どうした!」

 

「お、おー?」

 

「声が小さい!」

 

「おー!」

 

 

 必死で逃げ回る少女達と、それを追いかける子供の声。

 恐怖に染まった悲鳴は子供の笑い声に変わっていき、決死の覚悟の追走撃は子供同士の鬼ごっこへと変わっていく。

 

 

「全く、不器用だね。本当に」

 

 

 そんな光景を見詰めながら、ユーノは小さく呟く。

 その瞳には、眩しい物を見守る温かさが込められていた。

 

 

 

 ヴィヴィオと言う少女はこの日、二人の友人と一人の母親を手に入れる。

 その小さな体躯に課せられた罪は呪いの如く重くとも、これから経験する日々は大切な想い出としてその心に残り続ける事であろう。

 

 

 

 

 

 

 




副題 アギトの祈り
   ヤムチャしやがったルーテシア
   アリサママ爆誕


ヴィヴィオがヴィヴィオ・バニングスとなった事で、StS新キャラ勢の殆どの名字を変更出来ました。やったぜ!(小並感)


割と冷静に考えると、現状でなのはは心が圧し折れたティアナに付きっ切り。復帰後のトーマも担当しなくちゃいけなくて手一杯。
発見者がルーキャロな事も考慮に入れると、アリサがママ探しイベントをするのが自然なんですよね。


聖王擬きなナニカとなったヴィヴィオは、バーニング分隊の面々と深く絡んでいくこととなります。








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第八話 変わりゆく景色

その景色は変わっていく。
そんな戦いの後に起きた出来事を描いた回。


推奨BGM
2.消えない傷痕(リリカルなのはStS)
3.AHIH ASHR AHIH(Dies irae)

1.は作者的にしっくり来るのがなかったのでお好みでどうぞ。


1.

 無人世界の一つ。アジトとして使っている壊れた廃屋の中。

 倒れ伏した少年を助けようと、小さな少女が必死になって動き回っている。

 

 

「兄貴」

 

 

 胸に刻まれた深い傷痕は広がり続けている。自身を構成する魂が零れ落ちて行き、赤毛の少年は高熱に魘される。

 安らかに眠る事すら出来ない少年の姿に心を痛めながら、どうか助かって欲しいとアギトは数少ない医療知識で必死に看護を続けていた。

 

 

「よく頑張りますねぇ」

 

 

 そんな少女の奮闘を見ながら、悪意は笑みを浮かべている。

 

 一度乗っ取ったイクスヴェリアと言う器。

 天敵たる魔刃が動けぬ今、返す必要すらなくなったそれを操作したまま、魔群はニタニタと笑みを浮かべる。

 

 

「偉い。偉いわぁ、アギトちゃぁん」

 

 

 その悪魔は嘲弄する。嘲笑うのは敵だけではなく、この世の全てを嗤っている。

 無論、目的を同じくする味方とて例外ではない。否、そもそも味方だと認識してすらいない。

 

 これは駒だ。コイツ等は唯の駒だ。チェス盤に置かれたポーン。将棋盤に置かれた歩兵。

 全く役に立たないで取られた塵を、クアットロは悪意を以って嘲笑う。

 

 

「け・ど――それ全部、アギトちゃんの所為よねぇ!」

 

「っ!?」

 

 

 悪魔の声に反応してしまう。その悪意を耳に入れてしまう。

 

 

「貴女が居なければ、魔刃が敗れる事はなかった」

 

 

 悪魔の囁きは雑音と同じだ。耳を塞いで聞き流してしまえば、それは明確な害を持ちえない。

 直接的な行動に出れば魔刃を敵に回すと知っているが故に、無視してしまえばクアットロは何も出来ない。

 

 

「貴女が居なければ、魔刃が怪我を負って苦しむ事もなかった」

 

 

 けれど悪魔の言葉を無視出来るのは精神的な超越者か、或いは自閉の極みに達している大天狗か。

 

 何れにせよ、この悪魔を無視出来るモノなど真面な人間ではあり得ない。

 それ程に、誰もが抱える責められたくない場所、隠しておきたい急所を、悪魔は悪意を以って責め立てるのだ。

 

 

「自分で追い詰めた人を、自分で治療する。足手纏いになった元凶が、被害者ぶって心配してる」

 

 

 自責の念があればこそ、悪魔の言葉は深く心に刻まれる。

 

 

「ねぇ、今どんな気分? 気持ち良い? 嬉しい? 私は今役に立っているって、そんな妄想しちゃってるぅ?」

 

 

 その悪意の声は、唯必死で動き続けるアギトの心を踏み躙る。お前は役に立てなかっただろうと嘲笑う。

 

 

「けどさぁ、融合騎の癖にユニゾンしたら弱くなるとかぁ、貴女生きてる意味あるのぉ?」

 

 

 その存在に意味はない。その存在に価値はない。お前は何も出来ないのだ。

 

 

「ぶっちゃけないわよねぇ! キャハ、キャハハハハハハハ!!」

 

「っ」

 

 

 クアットロが嗤う。クアットロが嗤う。クアットロが嘲笑う。

 

 涙を堪えて震える少女を、悪なる魔群は嘲笑する。

 震えながらもエリオの為に、何かをなそうとする少女が哀れ過ぎて――余りにも愉しくなってくる。

 

 さあ、もっと壊してしまおう。

 そんな欲求に従うままに、更なる毒を流し込もうとしたクアットロは――

 

 

「少し、黙れ」

 

「キャハ?」

 

 

 そんな声を聞いて、硬直した。

 

 

「あれれぇ~。おかしいぞぉ~?」

 

 

 何かに肩を掴まれながら、ダラダラと冷や汗を流す。

 ヘラヘラと笑いながら頭を動かすと、視界に映るのは悪鬼の如き表情をした魔刃の姿。

 

 

「僕は、少し黙れと言ったぞ。……()()()()()()()()()()、クアットロっ!!」

 

「あばばばばばばっ!?」

 

 

 燃え上がる無価値の炎。その黒き炎に燃やされるかもしれない恐怖に押し負けて、クアットロは慌てて奈落へと逃げ去って行った。

 

 

 

 魔群が逃げ去った後の一瞬の空白。誰もが黙した状況で、エリオは一人思考する。

 クアットロの無様さに何一つとして頓着せずに、ほんの僅かな痛みを抱いたまま、エリオ・モンディアルはたった一つを思考する。

 

 己は何故負けた。それ以外に想う所などはない。

 眠りの中で、眠りから覚めて、常に、常に、考える事などそれ一つ。

 

 見付けた答えは唯一つ。弱かったから、それ以外にあり得ない。

 己は弱かった。足手纏いなど関係なく、言い訳のしようがない程に弱かった。

 

 だから、エリオは――

 

 

「……エリオ」

 

 

 無様に逃げ出した魔群から漸く解放された冥王は、複雑な感情を抱きながらエリオを見詰める。

 

 今、エリオ・モンディアルは己も纏めて燃やそうとした。

 それが分かるからこそ、胸を締め付けるような痛みを感じながら、何かが変わってしまった魔刃を見詰める。

 

 

〈全く、死ぬかと思いましたぁ。……それもこれも、アンタがさっさと篭絡しないからでしょうがぁ! このっ、このっ、役立たずのクソ冥王がぁっ! どうせ何も出来ないんだから、股でも開いて咥え込んでおきなさいよぉ!!〉

 

 

 内面世界でクアットロが荒れている。その言葉すら気にならない程に、イクスの心は揺れていた。

 

 

「兄貴! 気が付いたのか!!」

 

「……アギト」

 

 

 そんな彼女達の焦燥に気付きもせずに、アギトがエリオの元へと近付いていく。

 

 

「良かった! もう目覚めないんじゃないかって!」

 

「アギト」

 

「ゴメン。足手纏いで、けど、今度は、次は頑張るからさ! だから――」

 

「アギト。聞け」

 

 

 必死に言葉を捲し立てるアギト。彼女はもう気付いていたのかも知れない。

 その見詰める瞳に熱がない。どこまでも冷め切った瞳で己を見やる彼が口にするであろう言葉が分かって、だからこそ言わせまいとしていたのかも知れない。

 

 だが、その言葉が紡がれる。魔刃の口から、その言葉が零れ落ちた。

 

 

「もう。君は要らない」

 

「え」

 

 

 まるで時が止まったかのように、アギトは硬直する。

 何と言われたのか分からなくて、何と言われたのか分かりたくなくて。

 

 

「なん、で」

 

「弱さは要らない。君はもう必要ないんだ」

 

 

 聞き返す声に、告げられるのは絶縁の証。

 宿敵に敗れた今、最早こんな(よわさ)を許容する余地などない。

 

 己は未だ弱かったのだ。こんな熱に身を委ねる惰弱があるからこそ、己は敗れ伏しているのだ。

 だからこそ、もう(よわさ)は必要ない。より強くなる為に、勝つ為に、要らない物を捨てるのだ。

 

 

「あ、あたし、役に立つ! 兄貴の役に、何だってするから、だからっ!」

 

「……言っただろう。君は要らない」

 

 

 必死に縋る少女を跳ね除ける事に、強い痛みを感じる。

 その胸の痛み。揺るぐ精神すらも、弱さの証明だと思えたから。

 

 そんな物は要らないのだ。アギトも、イクスも、全て此処で捨て去り、己は変わろう。

 

 

「……兄貴」

 

 

 涙を零す少女の声は届かない。

 その零れ落ちる滴に胸が痛むが、そんな感慨が敗北を生んだのだ。

 

 

「エリオ」

 

 

 悲しげに見やる冥王の祈りは届かない。

 無意識のままに燃やそうとした。その事に対して感じる罪悪感。そんな余計な感情が己の判断を誤らせるのだ。

 

 

「……次は、負けない。弱さなんて、何一つとして持たない」

 

 

 燃え上がるのは黒い炎。

 暗く、暗く、何処までも無価値な色をした闇の炎。

 

 それ以外は要らない。それ以外なんて必要ない。

 胸に刻まれた痛みが、それ以外を持っていたら己は勝てないと伝えて来るから――

 

 

「トーマ」

 

 

 切り付けられた胸の傷が燃えていく。

 広がり続ける傷痕を腐炎で焼いて、此処にエリオ・モンディアルは己の在り様を決断する。

 

 

「君を殺す。その為なら」

 

 

 所詮この身は罪悪の王。かくあれと望まれ、かくある事しか許されない悪魔の王。

 

 ならば全てを燃やし堕とそう。己がトーマを殺せば、どの道世界は終わるのだ。

 無価値の炎は魂を穢し消滅させる。己が勝てばトーマは消え、天魔・夜刀も蘇らない。

 

 次代の可能性は完全に途切れ、残された人々は緩やかに死滅するであろう。

 アギトもイクスも何時か死ぬ。己が殺す。間接的にであれ、全ての命を燃やすのは己なのだ。

 

 

「何もかもを、穢し堕とそう」

 

 

 敗北の理由はきっと、アギトだけじゃない。

 二人を殺す事を何処かで望んでいなかった、そんな己の弱さが故に。

 

 道を見定めて尚、悩んでしまう。

 今なお泣いている少女に手を伸ばしたくなってしまう。そんな己の弱さが故に。

 

 だから捨てるのだ。どうせ御大層に抱え込んでいても何れなくなるのだから。結局、早いか遅いかの違いしかないのだから。

 

 

〈そうだ。それで良いんだ。相棒〉

 

 

 ナハトが嗤う。満足気に嗤っている。

 無価値な炎を燃やしながら、悪魔へと近付いている器に素晴らしいと歓喜を抱く。

 

 

〈何もかもを無価値にしよう。全てを燃やして穢し堕とそう〉

 

 

 有難う。嗚呼、本当に有難う。

 

 神の雛よ。冥府の王よ。烈火の剣精よ。

 お前たちのお陰で、エリオは完成へと近付いている。

 弱さを捨て、魂を鍛え上げ、来るべき日の器へと確かに近付き続けている。

 

 後一歩。無意識の内に残った弱さ。誰かを大切に想う感情。その全てを失う事さえ出来たならば――

 

 

〈エリオ・モンディアルが完成する。その日こそが――〉

 

 

 金属質な肉塊となって蠢く残骸。

 柄の半ばまでも喰われたストラーダが、鼓動をしながら再生を始めている。

 

 これは奈落の断片。それより生まれ落ちた悪魔の槍。

 故に完全に壊されない限り、何度でも甦る。時間さえあれば、これは完全に修復するのだ。

 

 必要な時間は、およそ二週間。それだけの時が経過すれば、エリオは再び本来の力を取り戻す。否、今まで以上の強さを見せつけるであろう。

 

 

失楽園の日(パラダイスロスト)。……全てが終わる、その日を待とう〉

 

 

 目覚めの時を待つ夜の悪魔は、その瞬間を夢に見ながら終わりの刻を待っている。

 

 

 

 

 

2.

 荒い呼吸を整えながら、少女は標的を睨み付ける。

 汗に濡れたその姿は、まるで大雨の中に放り出された子供の如く。

 

 その身は寒さに震えていた。

 

 

「喰らい付け、黒石猟犬!」

 

 

 汗に滑って、今にも取り落としそうなデバイスを構えて歪みを放つ。

 

 手にした力は、死んだ後も苦しめられた兄が遺したランスターの弾丸。

 標的を何処までも追い続け必ず撃ち抜く魔弾は、ティアナがずっと欲していた特別な力。

 

 

――良かったわねぇ。お兄ちゃんの魂を磨り潰して、貴女は摩訶不思議な神通力を獲得しましたぁ!

 

 

 魔群の嗤い声が頭の中に響く。

 どれ程に集中しようとも、どれ程に忘れようとしても、力を使う度にこびり付いた音が甦る。

 

 

――け・ど、ティアナちゃんも酷いのねぇ。お兄ちゃん、今ので死ぬかもしれなかったじゃなぁい

 

 

 漆黒の魔弾を受けて弾け飛ぶ機械仕掛けの標的が、崩れ落ちる兄の姿と重なる。

 燃えて焼け落ちていく幻影の青年。その姿は妄想と分かっていて、それでも引き裂かれる様な痛みが拭えない。

 

 兄は死んだ。死した後、その魂さえも凌辱されて焼け死んだ。

 

 

――どの道、救う術などなかった! なら、一刻も早く終わらせる事こそ、慈悲と知りなさい!

 

 

 それ以外に道などなかったと知っている。

 助ける術などもうなかったと分かっている。

 それが女の見せた、確かな慈悲であったと理解している。

 

 それでも、理解と納得は違う。

 兄に二度目の死を与えた女に対して、憎悪の炎を燃やしてしまう。

 

 そんな自分が、死にたくなる程に憎らしかった。

 何も出来なかった癖に、助けてくれた人を憎んでいる。そんな弱さが情けなかった。

 

 

――誰かの為? いいえ、違う。その本質はもっと醜悪だ

 

 

 思考に耽る度に、脳裏に蘇るのはそんな言葉。イクスヴェリアが語った、彼女の言葉。

 その内容を否定したい。けれど出来ない。そんな言葉が胸を突き上げて、瞳が揺れて視界が惚ける。

 

 

――結局、貴女にとって大切なのは自分だけ。兄の願いなんて、本当はどうでも良いんでしょう?

 

 

 違うのだ。きっと、それだけじゃない筈だ。なのに、あの時は何も言えなかった。

 それは己が弱さが故、ティアナ・L・ハラオウンと言う女はどうしようもなく弱いのだ。

 

 

「だからっ、私はっ!」

 

 

 変わりたい。変わるのだ。変わる為に、そのデバイスを手にする。訓練施設を一人で占拠して、只管に鍛錬を繰り返している。

 折れそうな心を継ぎ接いで、まだ折れないと食い縛る。立ち止まってしまえばもう歩けないから、前に一歩を進み続ける。

 

 きっと強くなれる筈。きっと強くなれる筈。きっと強くなれる筈。

 ああ、けど本当になれるのだろうか? そんな弱音が胸に生じて、振り払う様にティアナは首を振ってデバイスを構えた。

 

 其処に――

 

 

「無茶し過ぎだよ。ティアナ」

 

 

 声が掛けられる。振り返った先、訓練所の入り口に居たのは栗毛の女性。

 

 

「……なのはさん」

 

 

 高町なのは。ティアナが知る限りで、一番強いと想う女性。

 ティアナが憧れを抱く三人の一人。追い付きたいと望む人が、ゆっくりと少女に近付いた。

 

 

「オーバーワークになってる。これじゃ、意味ないよ」

 

 

 栗毛の女性は心配そうに、汗を流している少女を見詰める。

 優しくその手を解いて、それでは駄目だとティアナの行為を否定した。

 

 

「けど、けど私は――」

 

 

 その言葉に反発する。師の発言に正当性を感じても、頭ではなく心が受け入れてくれない。

 弱いのだ。ティアナ・L・ハラオウンは弱いのだ。だから強くなりたくて、言い返せる程に、何かが出来る程に強くなりたくて――心配されていると分かっても、止まりたくないと望んでいる。

 

 そんな少女の胸中を理解したままに、しかしなのはは首を左右に振るのだった。

 

「少し、休もう。ね?」

 

 言葉は優しく、提案する様に。だが有無を言わせる視線の強さ。

 ティアナは其処に強い不満を抱きながらも、それでも逆らわずに首肯するのであった。

 

 

 

 

 

「はい。ティア」

 

「……ありがとう、ございます」

 

 

 訓練施設に併設された休憩所。其処に揃って腰掛けて、なのははティアナにスポーツドリンクを手渡す。

 受け取ったティアナは一口だけ口にして、一度力を抜いたからだろうか、強く感じる疲労感に項垂れていた。

 

「…………」

 

「…………」

 

 互いに無言。共に何かを口にするでなく、唯訓練施設を見詰めている。

 湾岸施設に作られた訓練施設には潮風が吹き抜けて、流れる汗を冷やしていった。

 

 疲労と複雑な胸中故に、何を言えば良いのか分からないティアナ。

 そんな彼女に何と声を掛けた物か、悩みながらに高町なのはは白いタオルを手に取った。

 

 

「少し、お話をしようか」

 

「……何を、ですか」

 

 

 隣り合う少女の汗をタオルで拭いながらに、高町なのははそう言葉を掛ける。

 師にされるがままでいるティアナは何処か憮然としたままに、力なく言葉を返した。

 

 

「そうだね。……ティアナが今、抱えている事」

 

「っ!」

 

 

 高町なのはは教導隊の人間だ。管理局に従事した経験も長く、戦士としては一流と言って良いだろう。

 だが未だ彼女は二十にもなっていない若造である。重い悩みを抱える少女から、上手く聞き出す経験などは持っていない。

 

 だからなのはは、直接言葉で問い掛ける。それしか思いつかないから、不器用であれ言葉を掛ける。

 そんな師の言葉に何を思ったのか、震える手を握り締めたティアナは小さく首を振って拒絶した。

 

 

「話して、如何にかなる事じゃないです」

 

 

 話して、何が変わる訳でもない。此処で弱音を口にして、師に頼り縋る。そうすればきっと自分は折れる。

 だからティアナは首を振る。だからティアナは拒絶する。せめて自分に自信が持てるまでは、きっと彼女は語れない。

 

 

「けど、話さないでいられる事でもないよね?」

 

 

 それでも、だからと言って放置出来ないのが高町なのはだ。

 アリサから事の次第を聞いて、継ぎ接ぎだらけの少女を見ながらに言葉を掛ける。 

 

 

「話しても現実は変わらないかも知れない。それでも、話さないで溜め込んじゃうよりはきっと良い」

 

 

 放っておけない。彼女の師としても、部隊の指揮官としても、彼女を想う個人としても。

 不器用なままに育った女は、真っ直ぐな瞳で少女に問い掛ける。放ってはおけないのだから、何度だって言葉を投げ掛けるのだ。

 

 

「だから、教えて欲しいんだ。ティアナの想い」

 

 

 手を取って、眼を合せて、真っ直ぐに言葉を届かせる。

 話しの聞き方など、言葉を重ねるか力尽くで話をさせるか、その二択しか知らないのだ。

 

 

「ティアナが何を感じて、何を想って、何を考えているのか。私は知りたいって、そう想ってる」

 

 

 高町なのはは不器用だ。曲道など知らないし、上手いやり方なんて浮かばない。

 魔法の扱いには長けていても、対人能力なんて未熟も良い所。だから不器用なやり方と分かって、心の底から想いをぶつける

 

 このやり方は、未熟が過ぎよう。その姿は、不器用にも程があろう。だが、だからこそ――

 

 

「一緒に悩もう? 一緒に抱えよう? 一緒に考えよう? ティアナは一人じゃないんだから」

 

「私、は――」

 

 

 きっと本気の想いは伝わる筈だ。高町なのははそう信じて、揺るがない。

 そんな彼女の押しの強さに負ける様に、ティアナは遂にその胸中を吐露するのであった。

 

 

「私は、何も出来なかったんです」

 

 

 全てを語る訳ではない。何から何まで明かせる訳ではない。

 きっと折れる。心の底から頼ってしまえば、自分が折れると感じている。だからティアナは、歯を食い縛って一つの後悔と一つの決意を告げるのだ。

 

 

「何も、出来なかったんです」

 

 

 何も出来なかった。冥王イクスヴェリアの言葉に対し、這う虫の王クワットロに対し、ティアナは何も出来なかった。

 それが一つの後悔だ。何も出来ずに嗤われて、言い返す事すら出来なかった自分の弱さ。それが何より認めがたい。

 

 

「だから、私は――」

 

 

 だから、ティアナは決意した。決意しなければ、その心が持たなかったのだ。

 

 

「強く、なりたい」

 

 

 望んだ物は唯一つ。強くなりたいと、切に願う。

 もう負けない様に、失わない様に、強くなりたいのだと望んでいる。

 

 だけど、心の何処かで諦めている。自分にはなれない。自分ではなれないと。

 

 ティアナ・L・ハラオウンは違うのだ。彼女は高町なのはには決してなれない。

 ティアナ・L・ハラオウンは違うのだ。彼女はクロノ・ハラオウンには決してなれない。

 ティアナ・L・ハラオウンは違うのだ。彼女はトーマ・ナカジマには決してなれないのだから。

 

 

「私はもう、傷付きたくないから! 無くしたくないから! だから! 強くなりたいんです!」

 

 

 トーマの様に、選ばれた人間ではない。クロノの様に、覚悟がある訳ではない。なのはの様に、揺るがぬ意志がある訳ではない。

 そんな凡人に過ぎないのだと、他でもない彼女自身が一番分かっている。だから真っ当な手段では至れないのだと、そう思い込んでいるが故の叫びであった。

 

 

「ティアナ」

 

 

 その想いの叫びに、抱いたのは共感にも似た想い。嘗ての自分の様に、少女は底から上を見上げている。

 その無茶は否定したい。その無理は否定しなければならない。それが師であり、教官である高町なのはの役目であろう。

 

 だが、出来ない。他でもないなのはこそが、誰より無茶をした人間だからこそ出来ない。

 歩くのが遅いから、走り続けて空を飛ぶ。その答えと今のティアナの行動は、限りなく近くズレている。その本質が逃避か前進か、眼を開いているのかいないのか、きっとその程度の違いでしかない。

 

 

(何て、言葉を掛けたら良いんだろう)

 

 

 だからこそ、なのはは何も言えなかった。この子が抱いている感情が、今も自分が抱く願いと似ているから、何を言って良いのか分からない。

 頑張り方を間違っている。無茶の仕方を間違えている。口に出来るのはそれだけで、でもそんな言葉じゃきっとティアナは止まれない。

 

 

(難しいな)

 

 

 難しい。人と関わり、育てていくのは難しい。心の底からそう想う。

 何も言えない女は、何も言えないからこそ、黙ったままに少女の手を優しく握った。

 

 あの日、傷付いた自分に彼がしてくれた様に、唯傍に居る。それしか出来なかったのだ。

 

 

 

 

 

 そんな寄り添う二人の姿を、見下ろす影が二つある。

 未熟が過ぎる少女の姿に溜息を吐いて、其処に踏み込めない親友の姿に更に一息。

 

 それでも自分の出番ではないと知る金髪の女は、その場に居るもう一人の人物へと釘を刺す。

 

 

「今、あの小娘は瀬戸際に居る」

 

 

 医療区画から舞い戻ったアリサは養子となった娘を部下たちに預けて、自分が傷付けた少女の様子を見に来た。

 訓練施設を見渡せる管制室からその姿を見下しながら、自分達には何も出来ないのだと彼女は確かに理解していた。

 

 アリサでは無理だ。彼女は恨みの対象に近く、どんな言葉を掛けても届かない。

 そしてもう一人の彼でも無理だ。アリサとは真逆に、その男はティアナに近過ぎるのだ。

 

 

「だから――待っていてあげなさい」

 

 

 だから、待っていろ。そうアリサは言葉を口にする。

 管制室の扉に背を預けた和服の男――クロノ・ハラオウンは、目を閉じたままに呟いた。

 

 

「……抱きしめてやる事さえ、出来んか」

 

 

 その表情は苦虫を噛み潰したようで、そんな過保護な義兄の姿にアリサは呆れの混じった声で答えを返した。

 

 

「今の小娘にそれをやったら、あの子アンタに依存するわよ」

 

 

 既に心が折れ掛けた娘。必死に前を向こうとしているが、それでもその継ぎ接ぎは隠せていない。

 余りに無茶をしている少女は、心からの信頼を寄せるクロノに抱きしめられてしまえば、きっと一人で立てなくなろう。

 

 なのはとは違う。クロノだから駄目なのだ。

 

 

「アンタなしじゃ生きていけない。自分の足だけじゃ立ち上がれない。そんな弱い女になる」

 

 

 褒められたい。抱きしめられたい。愛されたい。

 イクスヴェリアが語った様に、ティアナの根本にあったのは承認欲求だ。

 

 誰かにではなく、失った兄に、抱き締めて欲しいと願っている。

 そしてティアナは心の何処かで、兄と義兄を混同している節が見られた。

 

 兄の友人であり、幼い頃から兄の様に想っていた人であり、故に変わりになれてしまう。

 それこそがクロノ・ハラオウンがティアナ・L・ハラオウンを支えられない理由であったのだ。

 

 

「……依存してくれても、良いだろうに」

 

 

 そんな義妹の願いを叶えられる男は、叶えて上げたいと思っている。

 褒めてあげたい。抱きしめたい。愛してあげたい。心の底から想っている。

 

 放っておいてしまったのだ。愛を受けているべき時期に、己は忘れてしまっていたのだ。

 だからそれでも良いのではないか。甘えた生き方でも良いじゃないかと、クロノは呟く様に口にする。

 

 

「別に悪いとは言わないわ。その方が簡単に幸せになれるのかも知れない」

 

 

 それは確かに幸福な人生。ティアナにとっては何よりも、恵まれた道となろう。

 それが分かって、それを理解して、それでもアリサは気に入らないのだと口にする。

 

 

「……けどね。そんなのは戦士の生き様じゃない」

 

 

 それは、戦士が行くべき道ではないからだ。

 

 ティアナと言う少女は、管理局員になると言う夢を抱いていた。

 其れが承認欲求から生まれた偽りの夢であっても、確かに心に決めていたのだ。

 

 ランスターの弾丸を示して見せる。あの天魔にすら届かせて見せる。

 無理無茶無謀な願いだが、それでも良いと思ってしまう。本気で目指したその戦士としての道を、心の底から認めている。

 

 

「私は気に入らないわ。あの小娘の夢が、夢で終わってしまうのはね」

 

 

 だからこそ気に入らない。折れてしまうのか余りに惜しい。

 継ぎ接ぎだらけの有り様で、それでも目指す事は止めていない。だからこそ余計に想ってしまうのだ。

 

 

「自分で諦めるなら良い。それでも他人に諦めさせられるって言うんなら、私は本気で止めるわよ」

 

「…………」

 

 

 だからアリサは、折れるまでは応援してやると口にした。

 だからクロノは、複雑な感情を抱いたままに少女達の姿を見た。

 

 訓練施設の中央で、再び立ち上がったティアナがゆっくりと訓練を開始する。

 そんな彼女に声を掛けながら、なのはがその手を不器用に前へ引いていた。

 

 止める事を諦めたのだろう。少女の意地を認めたのだろう。

 今は張りぼてに過ぎない想いでも、何時かは本物に変わるのかもしれないから。

 

 ボロボロの少女は前へ進み、不器用な教官は一つ一つ教えていく。

 未だどちらも未熟。故に其処にある光景は、共に成長しているのだと感じるそれだった。

 

 

「……仕事に戻る」

 

 

 その光景を見届けて、クロノはその身を翻した。

 抱きしめたいと言う想いを胸に秘めたままに、それでも今は抱き締めないと決めたのだ。

 

 

「山岳リニアレールの一件と先の魔群の暴挙。ミッドチルダの人々は世情不安に怯えている」

 

 

 管制室を後にする遺産管理局の局長は、背中越しに感情を押し殺した言葉を伝える。

 

 

「だから、今後は通常任務でも六課を動かす。お前たちにはスターズ分隊の分まで働いて貰うぞ」

 

「振り分けは上手くやりなさいよ。スターズにも仕事を回しときなさい。……あの小娘、気を使われてるって理解したら面倒よ」

 

「分かっている。その辺は任せておけ」

 

 

 そんな己を誤魔化す様な事務的な会話に応じて、アリサはさっさと行けとその手を振るのであった。

 

 

 

 

 

3.

 青空の下、少年は一歩を歩き出す。

 数日間、長く眠っていた身体が硬くなっていたので、両手を伸ばして軽く解した。

 

 

「トーマ」

 

 

 てくてくと、慣れない足取りで近付いて来る少女へと振り返る。

 六課隊長陣より貰い受けた白いブラウスと青いスカートを翻す少女は、はにかむ様に笑みを浮かべた。

 

 

「似合う、かな?」

 

「ああ、似合ってる」

 

 

 軽く交わし合う言葉。

 そんな少年のポケットには、手にした事もない程に分厚い財布。

 

 

――その子の部屋も寮に用意しておいたから、それで必要な物を買っておいで

 

 

 優しく笑う金髪の男性はそう口にした。

 

 その人の名を思い出せない事に胸が痛む。

 その人との思い出が消えてしまった事を狂おしい程に悔やんでいる。

 

 あの選択をやり直せるなら、あの思い出を取り戻せるなら、そんな風に願ってしまい。

 

 

――戻って来るモノに価値はない。掛け替えのないって事は、替えが効かないって事だ

 

 

 誰かの言葉が流れ込み、思考が一色に染め上げられた。

 

 

「トーマ?」

 

「何でもないよ。リリィ」

 

 

 不安げに首を傾げる少女に、少年は優しく微笑んで大丈夫だよと口にする。

 

 戻って来るモノに価値はない。

 それは失せ物も、思い出も、人の命ですらも変わらない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「軍資金はたんまりと貰ったからさ。少しくらい遊びに使わないか?」

 

 

 一歩を進むだけで転びそうになっている少女へと、その手を差し伸べる。

 差し伸べられた少年の掌を握り返して、白百合の乙女は半眼で口を開いた。

 

 

「トーマ。それ、悪い事じゃないの?」

 

「良いさ。悪いってんなら、後でしっかりと怒られてくる」

 

 

 悪童の様に笑う少年に、少女はしょうがないなと笑みを返す。

 

 

「……なら、少し我儘言っても良いかな」

 

 

 本音を言えば、この誘いは魅力的だったのだ。

 

 

「見たいものがある。知りたいものがある。触りたくて、触って欲しくて、経験したい未知が沢山ある」

 

 

 今までずっと眠っていた。

 夢を介して繋がっていた人の記憶を、又聞きした思い出しか持っていない。

 

 だから――

 

 

「ねぇ、貴方の大切な刹那を教えて?」

 

 

 貴方の大切なモノに、この手で触れてみたいのだ。

 

 そんな風に笑う少女と、幻影の影が重なる。

 その笑顔を大切にしたいと感じる想いが、止めどなく溢れ出て来る。

 

 この大切にしたいと言う感情の発端が、誰のものか分からない。

 誰かの記憶と言うどうしようもない答えなのかも知れないし、一目惚れなんて浪漫が溢れる回答なのかもしれない。

 

 けれど、今分かる真実は唯一つ。

 此処に居る己が、()()()()、抱いている感情は確かに一致しているから。

 

 

「君は何処に行きたい?」

 

 

 繋いだ手を引き寄せて、少女と共に歩き出す。

 

 未来なんて分からない。永遠なんて保障はない。確かな物は、この今感じる刹那の輝きだけ。

 だからそれを胸に刻んで、少年は少女と共に陽だまりの中を進むのだ。

 

 

 

 

 

 




堕ちるエリオ。
不器用ななのは。
迷走しているティアナ。
緩やかに壊れていくトーマ。

そんな四人の現状は、こんな形です。


次回リリィちゃんメインのお話しです。





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第九話 擦れていく日常

今回は鬱回。(多分、割と分類が分からぬ)


推奨BGM
1.AHIH ASHR AHIH(Dies irae)
2.To The Real(リリカルなのは)
3.AHIH ASHR AHIH(Dies irae)


1.

 何処に行きたいかと問い掛けて、行きたい場所を語られる。

 

 

「貴方の大切な場所」

 

 

 微笑む少女が口にしたのは、そんな言葉。

 

 

「貴方が得た刹那。日常の中で掴んだ輝き」

 

 

 少年が愛した世界を。その過ごして来た日常を。

 

 

「それを見てみたい。それに触れてみたいんだ」

 

 

 共に触れ合って見たいと言う、そんな些細な少女の願いは――

 

 

「それじゃぁ、まずは――」

 

 

 ノイズが走り、叶う事無く費えて消える。

 思い浮かべた筈の光景は、雑音交じりの砂嵐の中へと消えて行った。

 

 

「あ」

 

 

 流入してくる記憶の中に、擦れて消えていく確かな想い出。

 崩れ落ちていく大切だった光景。確かにあった筈な、失いたくない刹那の輝き。

 

 思い出せない。

 それが何一つとして、思い出せなかった。

 

 

「……っ」

 

 

 それは当然の話。家族の名前すら思い出せない少年が支払った代償を思えば、予想してしかるべき結果と言えよう。

 

 大切な人々の事さえ碌に覚えていないのに、どうして思い出の場所を覚えていられるだろうか。

 

 差し出した手を力なく下ろして、その拳を握り締める。

 自分は何処へも行けない。何処かへ連れていくことさえ出来ない。

 

 今居る場所の地名すら分からない己に、一体何を見せる事が出来るのであろうか。

 

 

「トーマ」

 

 

 そんな冷たい現実に歯を食い縛って耐えるトーマの手を、白魚の様な指先が触れる。傍らに寄り添う少女は、震える拳を優しく包んだ。

 

 

「リリィ」

 

「大丈夫」

 

 

 包む掌の温かさが、その想いを伝えて来る。

 

 

「私は知っている。貴方の生きた道筋を」

 

 

 触れ合う肌の温もりが、その想いを伝えて来る。

 震える少年の恐怖を解き解す様に、その優しい想いを伝えるのだ。

 

 

「私は知っている。貴方が過ごした日常を」

 

 

 例えトーマが覚えていなくとも、彼を見詰めていた白百合が覚えている。

 その日常を、彼が過ごした景色の色を、確かに少女は見て覚えていた。

 

 

「だから、その場所へ行こう?」

 

 

 その場所を共に歩こう。その思い出を共に振り返ろう。

 

 

「忘れてしまったなら、思い出していこう」

 

 

 アルバムを見て過去を振り返る様に。

 日記に記された記録を読み耽る様に。

 

 

「一つ。一つ。確かな思い出を、一緒になぞって歩いて行こう」

 

 

 忘れてしまった懐かしい話題を、思い出す為に語り合おう。

 一つ。一つ。振り返っていけば、思い出せる物はきっとある。

 

 未だ消えていない思い出も、流入した記憶に埋もれてしまった思い出も、きっと思い出せる筈だから。

 

 

「……でも」

 

「不安?」

 

 

 それで思い出せるのであろうか。

 そんな事で、流されてしまった記憶が戻って来るのであろうか。

 

 大切だった筈の光景を見て、本当に何も感じる事が出来なかったとしたら――その時自分は、前に進む事が出来るのであろうか。

 

 

「大丈夫だよ。トーマ」

 

 

 そんな風に考えて震える少年に向かって、白百合は優しく微笑んだ。

 

 

「私が傍に居るから」

 

 

 触れ合う手は離さない。

 確かな今の輝きがあるから、失われた物を取り戻す為に進めるのであろう。

 

 微笑む少女の姿に影を重ねながら、トーマは静かに頷いた。

 

 

 

 二人は手を繋いで、クラナガンの街を進んでいく。

 電車やバス。公共の交通機関を利用して街中を歩き回る。

 

 そうして、白百合に導かれたトーマはその場所に辿り着いた。

 

 

「ここは」

 

 

 頭上に表示される電子版の案内に従って、忙しなく行き交う人の群れ。

 待合所の椅子に座る人々は、着陸した飛行機から降りて来る待ち人へと笑顔を向けている。

 

 

「ここは、仕事帰りのお父さんを待っていた空港」

 

 

 臨海第八空港。そんな空の港へと、二人の子供はやって来た。

 

 

「見て」

 

 

 リリィが手にした葉書サイズの小さなバインダー。

 それは僅かな異変に気付いた彼の先生が、リリィに対して渡した物。

 

 

「これ、……この空港の入り口の写真?」

 

 

 其処に映るのは、白髪が混じった銀髪の男と青い髪を後頭部で纏めた女。

 そんな二人に挟まれて、はにかむ様な笑顔を浮かべた子供が居た。

 

 ザ、ザと砂嵐が渦巻く。

 脳裏にノイズ塗れの思い出が過る。

 

 

「そう、だ。……僕は」

 

 

 日勤夜勤を混ぜながら当直勤務をしていたゲンヤ・ナカジマ。

 そんな形で家を空ける事が多かった父に、トーマは最初人見知りばかりしていた。

 

 母の足元に隠れて怯えて、そんな子供にどうして良いか分からず男は顔を渋くする。

 そんな二人の姿に「家の男どもはダメダメね」と苦笑した母が二人を無理矢理に引き寄せた。

 

 

――体調はどうだ。学校は大変か。

 

 

 そんな慣れない子供に掛けるテンプレートな言葉に、おっかなびっくり言葉を返す。

 

 何を言ったかは覚えていない。

 大した事ではなかった事は確かで、そんな言葉に父はそうかと口にして。

 

 

――なら、良かった。

 

 

 慣れない手付きで頭を撫でた。

 その動きは乱暴で、御世辞にも心地良いとは思えなかった物だけれど。

 

 

「……父、さん」

 

 

 確かな温かさを感じた事を――思い出していた。

 思い出した光景の温かさに、一筋の熱が頬を伝う。

 

 そうして暫し立ち尽くした後、白百合の乙女は笑みを浮かべてその手を引く。

 

 

「次、行こう」

 

 

 足取り軽く歩く少女に導かれ、トーマは己の記憶を辿る。

 ミッドチルダの北部から東部へと、辿り着いたのは子供に人気を博した遊園地。

 

 

「パークロード。トーマのお母さんと一緒に、良く来たよね」

 

 

 写真に写るのは、青髪の女性に振り回されてる子供の姿。

 未だ家族になって直ぐの頃、全くと言って良い程に笑わない子供を心配して母親が連れ出した場所。

 

 

――よっし、今日は目一杯遊ぶわよ!

 

 

 絶叫マシンやお化け屋敷。体感型のアトラクションなどを回って遊んだ。

 何だかんだで連れて来た母が一番楽しんでいた遊園地。その当時は、まだ楽しいとか嬉しいとか、そんな感情が良く分からなかったけれど。

 

 

――何だ、良い顔で笑える様になったじゃないの。

 

 

 笑顔で楽しむ人の姿から、その時間が楽しいのだと学んだのだ。

 だから自然と表情は綻んで、無感動だった少年は楽しさを確かな己に刻み込んだ。

 

 

「母さん」

 

 

 忘れていた。そんな大切な事さえ忘れていた。

 

 もう忘れたくはない。この大切さを失くしたくはない。

 だから心に刻む様に、その写真を、その光景を、強く強く見続けた。

 

 

 

 パークロードからそう遠くない場所へと向かう。

 

 森の中にある小さなお店。

 其処から少し離れた場所にある、木漏れ日の差し込む湖のほとり。

 

 

「ここは、先生の家の近くにある森の中」

 

 

 手や膝は擦り剥けて、ボロボロになった子供が映る写真。

 疲労の濃い顔をしているが、反対に目はまるで星空の如く、きらきらと美しく輝いている。

 

 

――大丈夫。誰でも最初は出来ないのが当たり前なんだから。

 

 

 思い出す光景は、涙交じりに出来の悪さを嘆く姿。

 上手く出来ない事を恥じ入る己の頭を優しく撫でて、出来る様になるまで何時までも付き合ってくれた人が居た。

 

 

――ほら、さっきよりも良くなった。この調子で、一歩一歩進んで行こう。

 

 

 拳の振り方。身体の動かし方。教わった事はそれだけじゃない。

 キャンプやサバイバル。森の中での生活をしながら、命と直に触れ合って過ごした。

 

 

「父さん。母さん。先生」

 

 

 思い出した。思い出した。思い出した。

 溢れ出る想いが滴となって、頬を伝って流れ落ちていく。

 

 確かに大切な思い出は、この胸の中から溢れ出している。

 

 

「ここは、変人だけど面白いドクターが居た病院」

 

 

 ジェイル・スカリエッティが楽しげに笑う。

 道化を気取る彼と共に、先生やウーノさん相手に悪戯をして遊んだ記憶を思い出す。

 

 

「ここは、厳しいけど優しいレジアスおじさんが仕事をしている地上本部」

 

 

 何時もしかめっ面ばかりしているレジアスおじさん。

 母曰く父親の様な人。なら僕にとってはおじいちゃんだろうか。

 そう問い掛けた時の、苛立っている様な、嬉しそうな、そんな複雑そうな表情を思い出す。

 

 思い出す。思い出す。思い出せる。

 

 失くした記憶。流された記憶。

 神の力に押し潰された、零れ落ちた欠片達。

 

 だけどそれは、確かなトーマの記憶。

 トーマだけが持つ、彼が知らない日常の景色。

 

 

――両親であろうと何であろうと、顔も知らない人間の死を悲しむ事は出来ない。……それは薄情とか冷血とかいう問題じゃなくて、人間の心理……だと思う。

 

 

 嘗て人として生きた頃、彼はそう語った。

 神は二親を知らないのだ。ならば彼らに愛された記憶が、塗り替えられる事はない。

 

 膨大な量と質に押し潰されて、何処にあるのか分からなくなってしまったとしても、それでも心の何処かには確かに残っているのだ。

 

 だから、きっかけさえあれば甦る。

 何度忘れようとも、何度見失おうとも、何度だって思い出せる。

 

 

――ほら、何だっけか。お前の名言あったじゃん

 

 

 脳裏に走るノイズ。

 思い出そうとする思考を遮る様に、垣間見える幻想を振り払って思い出す。

 

 

――戻って来るモノに価値はない、か。

 

 

 取り戻そうと言う行為に意味はない。そこに嘗ての価値はない。

 そう告げる様にノイズは大きくなっていき、それでもと感じる想いも膨れ上がっていく。

 

 

――おお、それそれ。結構真理ついてると俺は思うぜ。百円落としてもまた拾う事はあるけどよ。百万落としたらそうは拾わねぇよ。そんな大金。

 

 

 幻影の中の親友が語る。

 今の自分の行いは、百円を拾い集めて支払った百万を取り戻そうとする行いだと。

 

 

――絶対それ、元の百万じゃねぇだろうに。

 

 

 思い出を取り戻せても、その時に抱いた想いは戻らない。

 確かに大切だと今感じる想いと、その時感じていた大切だと言う想いは、きっと違う物なのだろう。

 

 そうだとしても、そうと分かっても――

 

 

――掛け替えがないって事は、替えが効かないって事だクソ馬鹿!

 

 

 それでも、望んでしまうのはいけない事だろうか。

 

 

――大切なモノと釣り合う天秤なんかないんだよ! 大切なモノと比べちまえば、どれもこれもゴミだろうがっ!

 

 

 思い出した記憶は嘗ての黄金とは違っていても、それでもきっとゴミではない。

 ()()()()()()()()()は間違っているのかも知れない。

 

 

――ゴミを寄せ集めても、ゴミの山にしかならねぇ。黄金になんてなる訳ないんだ!

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 思い出せたから、取り戻したい。

 もう忘れたくないから、抱きしめた物を取り零したくはない。

 

 

――ゴミと釣り合うなら、それはゴミだ。戻って来るモノなんて、唯一無二じゃねぇ安物だろうが。自分の宝石の価値を、自分で貶めてるんじゃねぇ!

 

 

 戻って来るモノに価値はないのかも知れない。――けど、新たに得たモノまで無価値だろうか。

 

 この行動は大切な価値を貶めているのかも知れない。――けど、そうして拾い上げたモノは唯のゴミでしかないのだろうか。

 

 神の残照が語る言葉に振り回されて、それでも思い出したいと願ってしまうから。

 

 トーマはリリィと共に歩み続ける。

 

 

 

「ここは、おまけしてくれるお店が一杯の商店街」

 

 

 写真を巡る。

 記録に残った足跡を辿って、失くした想いを記憶に変えていく。

 

 これは日常の光景。忘れてしまった光景を、当たり前の日常へとはめ込んでいく。

 大切な記憶を辿って、時折混じるノイズを跳ね除けて、トーマはリリィと共に時間を過ごす。

 

 

「ここは、パンケーキが美味しいレストラン」

 

 

 時計は正午を大幅に過ぎていて、丁度良いからとリリィと一緒に昼食をとる。少女が頼むのは、お店自慢のパンケーキセット。

 

 一瞬、影が重なる。特大サイズのパフェを前に、悪戦苦闘する二人の女の影が映る。

 

 瞳を閉じて首を振る。

 彼女はリリィだ。■■■ではない。

 

 その甘い匂いに眉を顰めながら、苦い珈琲を口に含んだ。

 思い出した師の味に劣るソレに不満を感じながらも、思い出せた味に心を弾ませる。

 

 記憶の流入に慣れて来る。

 思い出した記憶が消えない事実に安堵する。

 

 だからもう大丈夫だろうと、何処かで思ってしまったのかも知れない。

 流れ込んでくる記憶に抗えると、何処かで思い込んでしまったのかも知れない。

 

 

「そしてここが」

 

 

 故に、それは必然と言うべき結末であろう。

 

 

「陸士訓練校に入る前、トーマが過ごした学校」

 

 

 新設されて未だ然程も建っていない校舎。

 それを見た瞬間に、これまでで最大級のノイズが脳裏に走った。

 

 

「トーマッ!?」

 

 

 衝動に駆られて、脇目も振らずに走り出す。

 止める呼び声にすら気付かずに全力で階段を駆け上り、そして屋上へと躍り出た。

 

 

――もう! 遅いよ!

 

 

 そんな声が聞こえる。

 屋上に居て、笑い合う皆の姿が其処に見えた。

 

 

――ったく、お前が遅いから、先に始めちまったぜ。

 

 

 それは今までのノイズとは違う。

 確かにあった事実ではなく、彼が望み続けた一つの景色。

 

 

――遊佐君ったら、お酒を持ってきてるのよ。綾瀬さんもノっちゃってるし、どうにかしてくれないかしら。

 

 

 何時か何処かで約束した。

 全部終わったら、打ち上げでもしようと言う細やかな思い出。

 

 

――と言いつつ、何気に酒を飲んでいる櫻井さんである。まる。

 

 

 笑いながら騒ぎ立てる何時かのメンツ。

 再会を祈って、されどもう一度出会えた時には――もう全てが終わってしまっていた。

 

 

「あ」

 

 

 太陽の女が笑っている。

 月の如く寄り添い続けた発起人は、その打ち上げを誰よりも楽しんでいる。

 

 自滅を促す悪友は笑う。連れ合う女とグラスを交わして、何時かのメンツで騒ぎ立てる今を楽しんでいる。

 

 

「あ、あぁ」

 

 

 紅蓮の女は呆れ交じりに、それでもきっと嫌そうにはしていなかった。

 素直になれない彼女は輪の中から外れて、チビチビと飲みながらも近くに居る。

 

 生贄の娘が見せるのは、何時もの独特な反応。

 己の運命に諦めていた女はその宿業から解放されて、感じる今を確かに大切にしている。

 

 

――ねぇ、愛しい人(モン・シェリ)

 

 

 傍らには、寄り添う彼女。

 霞んだ記憶に映る黄昏の幻影。

 

 

――そんな、果たされなかった約束を幻視した。

 

「あぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 胸を付く想いは止めどなく、溢れ出した記憶が全てを塗り潰していく。

 

 黄昏に抱かれた世界の果てで、何時かはと訪れる瞬間を待ち続けた。

 何時までも、何時までも、その日を楽しみに待ち続けて、結局叶わずに終わってしまった。

 

 故にその感情は余りにも重い。

 故にその記憶は、何よりも重いのだ。

 

 

「僕は――」

 

 

 トーマの全てが塗り潰されていく。

 余りにも重い感情に抗う事など出来ず、少年は意識を失った。

 

 

 

 

 

2.

 広い六課の隊舎内。二人の少女が共に歩いていた。

 先頭を行く紫色はルーテシア。その背に続く桃色はキャロ。グランガイツ姉妹である。

 

 

「ったく、あの子。何処に行ったのよ」

 

 

 周囲を見て回りながらに、ルーテシアは愚痴を零す。

 緊急の任務に対する待機時間中とは言え、子供の相手を任されたのは不満があったのだ。

 

 

「六課広すぎワロエナイ。此処でかくれんぼがしたいとか、子供かっ!? ……子供か」

 

 

 その上、その子供。ヴィヴィオ・バニングスが望んだのは六課内でのかくれんぼだ。

 断ろうとしたり違う遊びを進めても泣き出しそうになる小さな子供に、仕方がないと付き合う辺りやはり善人なのだろう。

 

 そんなルーテシアは自分で言って自分に突っ込みながら、キャロの手を引いて六課内を進んで行く。

 

 

「ってか、キャロも探しなさいよ。鬼は私だけど、アンタも直ぐに見つかったんだからね」

 

 

 じゃんけんで負けたのはルーテシア。それ故に鬼になった彼女は、先ず真っ先にキャロを見付けた。

 何しろ長い付き合いの姉妹である。何を考えているか、何処に隠れようとするかは手に取る様に分かった訳だ。

 

 その反面まるで見つからないヴィヴィオの姿に、ヤキモキしながらルーテシアは手伝えと促した。

 

 

「う、うん。……だけどさ、ルーちゃん」

 

 

 そんな姉妹の言葉に頷いて、だけどとキャロは口にする。

 俯き加減の少女が口にした声は、彼女らしい自信なさそうな言葉であった。

 

 

「私達、こんな事してて良いのかな?」

 

 

 緊急の任務に対する待機時間。緊急事態がないならば、それは特に動きがないのと変わらない。

 何もしていないと言う事実に、キャロは引け目を感じているのだ。何しろ深い関係にあるスターズ分隊が、一言では言い表せない状況となっているのだから。

 

 

「トーマさんもティアナも頑張ってるのに、私達だけヴィヴィオちゃんと遊んでばかりで――」

 

「隊長も言ってたでしょ? 私達に出来る事はないってさ」

 

 

 ネガティブな発言をするキャロの言葉を、ルーテシアはバッサリと切り捨てる。

 グランガイツ姉妹に出来る事はない。ティアナに手を差し伸べる役者としては年齢不足で、トーマに至っては顔を合わせる事も出来ていない。だから出来る事はないのだと、ルーテシアは言われた通りに割り切っていた。

 

 

「待っていて上げなさいって言われたのよ。だったら、待っていてあげようじゃない」

 

 

 割り切った上で、ルーテシアはそう判断する。

 

 分隊ごとの作戦行動よりも、四人一緒の訓練時間の方が長かった。だからこそ分隊よりも思い入れは強くある。

 そんな風に感じるからこそ帰る場所となる事で、待っていれば良いのである。大切だからこそ、待つと言う選択が必要なのだ。

 

 

「それに、スターズが上手く動いてない所為で任務が多く回わって来る事になったんだから、休日くらい多くして貰わないと割に合わないっての。それなのに子供の世話って、あの堅物隊長め」

 

「ル、ルーちゃん」

 

 

 待つと決めつつも、きっちりと面倒事への恨みは口にする。彼らが復帰した暁には、奢りの一度や二度では済ませない。

 そう暗く笑うルーテシアの様子に引き攣った笑みを浮かべて、キャロは一歩距離を取るのであった。

 

 

 

 それにルーテシアの理由はそれだけでもない。

 待っているだけではなくて、もう一つ理由があるから子供の遊びに付き合っているのである。

 

 

「ま、それにさ。子供だもん。友達の一人はいないと寂しいじゃない?」

 

 

 ヴィヴィオは幼いが、その素性が未だ分かり切ってはいない。

 そして分かった事だけでも、無視する事は出来ない情報ばかりであった。

 

 故にまず間違いなく、この六課から外に出る事は出来ないだろう。

 ましてや同年代の友人を作る事など不可能だ。だから年が少し離れているが、自分が友となるのである。

 

 

「……そっか、そうだよね」

 

 

 そんなルーテシアの言葉に、キャロは確かにと賛同した。

 待つしか出来ない現状ならば、出来る事からやっていこう。

 

 一先ずは寂しい想いをしているだろう小さな子供。その子と友達になる事からなのだ。

 

 

「ヴィヴィオは私達より、小さいんだもん。なら、お姉さんとして、友達として、もっとちゃんとしないと」

 

「……キャロがお姉さん。ふっ」

 

「あー! ルーちゃん鼻で笑った! 私より年下なのにっ!」

 

「私がお姉ちゃんよ! 精神年齢が二人とは違うわー!」

 

 

 小さな掌を握って口にするキャロを、ルーテシアが鼻で笑う。

 姦しい遣り取りを続けながらに、グランガイツ姉妹は何処かに隠れたヴィヴィオを探し続けるのだった。

 

 

 

 

 

 一方かくれんぼをしていたヴィヴィオは、ふと聞き慣れない声を耳にして動き始めた。

 隠れた場所から抜け出して、既に遊びの内容を忘れた子供は壁に隠れて聞き耳立てる。気分はちょっとしたスパイである。

 

 

〈ロッサ。六課にはもう慣れた?〉

 

「ん。まあ昔馴染みも多いからね。カリムが心配する程の事でもないさ」

 

 

 人通りの少ない通路の端で、デバイス越しに通信を行っている緑髪の男性。

 白いスーツ姿の若い男は、ヴィヴィオが偶に見掛ける人物。機動六課に所属している査察官だ。

 

 その男。ヴェロッサ・アコースは秘匿回線を使って、自らの姉へと連絡を取っていた。

 

 

〈それは良かった。ロッサの役割を考えると、色々と無理をさせてしまっているから〉

 

「だから気を回し過ぎさ」

 

 

 会話口に立つのはカリム・グラシア。次期教皇と見做されていた人物だが、幾つかの事情によって見送られた人物だ。

 そしてこの男。ヴェロッサ・アコースにとっては血の繋がらない姉であり――そして何よりも大切な人でもあった。

 

 心配する姉に、苦笑交じりに返す弟。

 そうとしか見られていないと自覚しながらに、ヴェロッサは一つどうしても口にしたい言葉を口にしようとした。

 

 

「それよりさ、スカリエッティの脳を浚ってみた時に分かったんだけどね。医療魔法技術、また進展したらしいよ」

 

〈ロッサ〉

 

 

 その先に何を言う気なのか、予想が付いたカリムは止める為に義弟の名を呼ぶ。

 名を呼ばれて、止められていると気付いて、それでもヴェロッサはその言葉を口にした。

 

 

「だからさ、カリムの背中の傷も今なら――」

 

〈何度も言うけど。良いのよ。ロッサ〉

 

「良くないっ!」

 

 

 何度も言われた否定の言葉。それに対して、こうして反抗したのはこれが初めてだった。

 驚きで目を見開くカリムの姿に、気不味さを感じながらもヴェロッサは己の思いを口にするのだった。

 

 

「僕の所為だ。カリムが傷を負ったのは、僕の所為だ!」

 

 

 嘗て、ヴェロッサは許されない事をした。他の誰が許しても、彼自身が許せない事をしたのだ。

 その自責。その悔恨。それが今になって噴き出したのは、先に言った医療技術の発展も理由の一つであろう。

 

 だがそれ以上に強い理由は、カリムが出世コースを外れたからだった。

 その理由の一端を担ったのが自分だとつい先日になって知って、だからこそ彼の自責は強くなったのだ。

 

 

「あの傷が原因で、カリムは婚約破棄されたんだろ! 背中に酷い火傷があるからって、結婚が上手く行ってたら今頃は聖王教会の教皇にもなれたのに――」

 

 

 カリム・グラシアには婚約者が居た。両家の子弟、それも次期教皇候補の女である。婚約者の一人も居ない方が不思議であろう。

 その男の家は聖王教会でも歴史ある家系であり、その婚姻を以ってカリムは教会の頂点に立つと言う話が内々に決まっていたのである。

 

 だが、その男がカリムの傷を知り、それ故に女を拒絶した。余りに醜い背中の傷に、これは無理だと漏らしたのだ。

 

 

〈これで良かったのよ。ロッサ。私は傷の一つで想いを変える殿方を愛せないわ〉

 

 

 グラシア家より相手の家柄の方が高い事も相まって、一方的に破断に持ち込まれた。

 家と家の繋がりが険悪な物になった事でグラシア家は、名家としての力を僅かに衰えさせた。

 またカリムが管理局に手を出し過ぎている事も今更ながらに問題として提議され、教皇就任の話は一先ず流されたのであった。

 

 姉の出世と婚姻の邪魔をして、恩のある家に害を為した。

 そう思うヴェロッサはだからこそ自責している。だからこそ、その傷を消して欲しいと頼むのだ。

 

 だがカリムはそんな義弟を優しく見詰めたまま、静かに首を振る事で答えとした。

 

 

〈それにね。此れは貴方との絆みたいな物。だから、このままで良いのよ〉

 

「カリム」

 

 

 カリム・グラシアは、その傷を嫌っていない。その傷があったからこそと、受け入れてすらいる。

 だからこそヴェロッサには何も言えない。如何にかしたいと願っても、本人が望んでいない限りは、彼の自己満足にしかならないのだから。

 

 

〈ロッサ。もう時期貴方達に仕事を頼むかもしれないわ。……多分、貴方達じゃないと出来ないから〉

 

「……分かった。また連絡する」

 

 

 あからさまに話題を変えた姉に、弟は力なく頷いた。

 そうしてデバイスのボタンを押す。通話状態を解除したヴェロッサは、天を仰いで溜息を吐いた。

 

 

「くそっ」

 

 

 上手くいかない。そのやるせなさを口にして、右手を強く握り絞める。食い込んだ爪が肉を傷付け、ほんの僅かな血が零れ落ちて行った。そんなヴェロッサの直ぐ傍に、小さな影が近付いていく。

 

 

「……痛くない?」

 

「っ!?」

 

 

 急に声を掛けられて、ヴェロッサは慌てて振り返る。振り向いた視線の先には、小さな金髪少女の姿。

 ヴェロッサの直ぐ傍に近付いていたヴィヴィオ・バニングスが首を傾げていた。

 

 

「っと、大丈夫だよ。大した傷じゃないさ。……って、なんというか、恥ずかしいね」

 

 

 聞かれていたのだろうか。だとしても子供で良かった。そう安堵の息を吐いたヴェロッサは、何処か恥ずかしげに笑う。

 常の飄々とした態度を浮かべようとしているが、先の遣り取りが響いていたのか失敗していた。

 

 

「いまの人、だれ?」

 

「カリム・グラシア。僕の姉さんで、命の恩人でもある女性だよ」

 

「背中に、傷あるの? あなたのせい?」

 

「……聞かれてたか。まあ、うん。そうだよ」

 

 

 そんなヴェロッサに、ヴィヴィオは疑問に思った事を問い掛ける。

 矢継ぎ早に聞かれる好奇心故の質問に溜息を吐きながら、良い機会かとヴェロッサはその胸中を明かしていた。

 

 

「僕はさ、昔からレアスキルを二つも持ってた。この今の時代において、そんな子供は随分と貴重だったんだ」

 

「?」

 

「ま、簡単に言えば、珍しいから必要とされた。……実の両親を殺してでも、ね」

 

 

 子供に聞かせる事ではない。だが子供だからこそ、理解される事もないだろう。

 独り言を呟く様に、ヴェロッサはもう遠く感じる過去を思い出しながらに独白し始めた。

 

 

「んで、人の心を覗ける僕はその事が簡単に分かってしまった」

 

 

 アコースの両親は、ヴェロッサが幼い頃に他界している。

 全てはヴェロッサが貴重なレアスキルを持って生まれたから、そしてそんなヴェロッサを引き取りたいと申し出た相手の悉くを拒絶したからだ。

 

 故に邪魔と目された夫妻は、当たり前の様に排除された。

 そうして一人残された子供は、里親希望者の間を盥回しにされたのだ。

 

 

「だから、利益の為に気持ち悪いと思いながらも近付いて来る他人が、両親を殺した連中が、どうしようもなく嫌いだった」

 

 

 引き取り先は、大体がレアスキルを用いて利益を得ようとする者達だった。

 犯罪に手を染めてまで回収しようとする輩だ。その悪事は一つ二つと言う規模ではない。

 ヴェロッサの思考捜査と言う脳内を覗くレアスキル。それを以ってすれば隠した事実を公にするなど余りにも容易かった。

 

「どうしようもない子供だったのさ。嫌いだから、嫌ってる相手の醜い所を暴いて晒して、もう二度と近付いて来れない様にしようってさ」

 

 

 少年を引き取った里親は、必ず悪事を暴かれ破滅する。

 そんな事態が数回に渡って続けば、如何に貴重なレアスキル所持者でも敬遠される。

 

 そうして望んだ通りに一人になった子供はしかし、それでも引き取ろうとしてくる善人達に出会ったのだ。

 

 

「そうして引き取り手が次々と減っていく中で、僕はカリム。姉さんのグラシア家に引き取られた」

 

 

 孤児院に居たヴェロッサに、話を持ち掛けたのはグラシア家。聖王教会でも名家とされる家系である。

 どの道何処に居ても誰も信用できないから、ヴェロッサはその家に引き取られる事にした。アコースの家名を残す事を条件に、どうせ何時か馬脚を晒すと冷めた瞳で見詰めながら。

 

 

「心を読んだ時、グラシア家の人達は今までとは何処か違っていた。でも所詮見せかけだけだって、僕は思い込んでいた」

 

 

 グラシア家は、今までとは違った。ヴェロッサのレアスキルを、無理に使わせようとはしなかった。

 望んだ時に、望んだ事の為に使えば良い。そう語る温かい家庭を前にして、しかし凍った心は溶けずに冷めていた。

 

 

「だから外出を禁じられた時、また軟禁されるのかもって反発して屋敷を抜け出した――あの人達は、僕の為に言っていたと言うのにね」

 

 

 ある日一日、外出の禁止を申し付けられた。その時になってやはりかと、やはりこの家でも軟禁されるのかと考えた。

 なまじ僅かに情を感じ始めていた事が故であろう。凍った心に痛みを感じながらも、少年は家を抜け出し泣きながら逃げた。

 

 それが勘違いだったのだと、知る事さえしなかったのだ。

 

 

「その日はさ、天魔が襲来する日だったんだ。聖王教会のある北部は戦地から離れていたけど、影響がない訳じゃなかったんだ」

 

 

 天魔が来る日だから、決して外に出ないで隠れている様に。

 そんな思い遣りすら勘違いして、逃げ出したヴェロッサには当然の如く罰が当たった。

 

 

「現れたのは天魔・母禮。その炎は抜け出した僕が居た場所まで、届いて来た」

 

 

 焦熱地獄の炎がミッドチルダを包み込み、極北にあったベルカ自治領にまで届いた。

 その熱は中心部からすれば火の粉にすら劣る小さな欠片に過ぎないが、人を焼き殺すには十分過ぎる炎であった。

 

 グラシアの屋敷を抜け出して、中心区へと向かっていた当時のヴェロッサ。少年は当然の如く、その炎に襲われた。

 

 

「飲まれる。そう思った瞬間に、気付いたら誰かに抱きしめられていた」

 

 

 もう死ぬのだ。そう理解した瞬間に、炎ではない熱を感じた。

 気付けば大地に倒れていて、柔らかい感触が自分の身体を包んでいた。

 

 抱き締めて微笑む金髪の少女。その背には、余りにも醜い傷痕が刻まれたのだ。

 

 

「倒れた僕を、気遣う姉さんの姿。その背中には、治らない火傷が刻まれたんだ」

 

「だから、ぼくのせい?」

 

「そうさ。言い訳出来ないレベルで、僕はカリムに恩がある訳。……って、僕は一体、子供に何を言ってるんだろう」

 

「?」

 

 

 それがヴェロッサの背負う十字架。あの日以来、義姉の為に生きると心に決めた。

 そんな感情を此処に口にして、今更ながらに子供に何を言っているのかと自嘲した。

 

 

「何だろうね。この話しやすさ。……あの方のクローンとしての人徳なのか、それともこれが“反天使の対を為す者”としての資質なのか」

 

 

 何処かおかしい。どうして誰にも言った事のない秘密を口にしたのか。気の迷いだけでは説明できない。

 何か誘導された様な感覚を感じながら、これがこの少女の力なのかとヴェロッサは思考する。

 

 ヴィヴィオ・バニングス。

 先ず間違いなく聖王オリヴィエのクローンであり、そして――

 

 

「なまえ」

 

「ん?」

 

「なまえ、おしえて」

 

 

 思考を纏めようとしていたヴェロッサのスーツの裾を手で引いて、ヴィヴィオが顔を見上げている。

 言葉を返さないヴェロッサに対して何処か不満そうな少女の顔に、男は肩を竦めてから己の名を名乗った。

 

 

「ヴェロッサ。ヴェロッサ・アコースさ」

 

「ヴィヴィオ。ヴィヴィオ・バニングス」

 

 

 名乗るヴェロッサに、同じくヴィヴィオは名乗りを返す。

 バニングスと言う名を誇らしげに言う子供に、ヴェロッサはクスリと微笑んだ。

 

 そんな微笑むヴェロッサの前で、ぴょんぴょんと小さな子供が跳ねる。

 その手を男の頭に届かせようと、何処か必死に飛び跳ねるヴィヴィオにヴェロッサは問い掛けた。

 

 

「……この手は一体、何かな?」

 

「がんばってる人は、いいこだって、アリサママ、いってたの」

 

 

 届かないと諦めたのか、今度は右手にその手で触れた。

 流れる血に汚れる事も気にせずに、ヴィヴィオは小さな手で優しく撫でる。

 

 

「ヴェロッサは、おねえちゃんの役にたちたい。そのためにがんばってるから、いい子」

 

「……うん。気持ちだけ、受け取っておくよ」

 

 

 子供っぽい理屈で、そんな風に褒められる。

 良い年をした男はそれに気恥ずかしさを感じながら、苦笑と共にハンカチを差し出した。

 

 しかしヴィヴィオは首を傾げて、ハンカチを受け取らずに手に着いた血を舐めてしまう。

 そんな子供の仕草に下手をしたら病気になっているぞと、ヴェロッサは頭を抱えながらにその小さな手を無理矢理拭くのであった。

 

 

「しかし、ま、そうだね。やってしまった物はしょうがない。今後役に立てる様に、もう少し頑張っていこうか」

 

 

 小さな子供の頭を軽く撫でながら、ヴェロッサはそう口にする。

 やってしまった事は変えられない。だからこそ、その分これから変えていこう。そう決意した男の表情は何処か、晴れ晴れとした色をしていた。

 

 

 

 カリム・グラシア。未来を見る瞳は、背中に酷い火傷を持つ。

 果たしてこの情報が、何か意味を持つ日が来るのか。それは未だ誰も分からない。

 

 

 

 

 

3.

 ゆっくりと覚醒する。

 意識を取り戻した彼が、まず最初に見たのは彼女の笑顔。

 

 

「おはよう。マリィ」

 

 

 膝枕する少女へと優しく声を掛ける。

 されど帰って来たのは、悲しげな色に染まった儚い笑み。

 

 何故そんな顔をしているのか、誰かがそんな想いをさせたと言うのか。

 

 考えただけで頭が沸騰した。

 どうにかしようと、血気に逸って。

 

 

「どうしたんだ。何かされたのか、だったら俺が――」

 

「……私は、マリィじゃないよ」

 

「…………」

 

 

 そんな言葉で、正気に戻った。

 

 

「そう、だった」

 

 

 儚げに微笑む少女は黄昏とは異なる。

 その髪の色は彼女の黄金よりも白に近く、目の色も若干暗い色をしている。

 

 彼女はリリィだ。マリィではない。

 黄昏の女神ではなく、白百合の乙女であるのだ。

 

 それを確かに認識して、今日一日の記憶を想起した。

 

 

「確か、今日は」

 

 

 思い出す情景。交わした言葉。

 過ごした刹那を思い出しながら、楽しげに笑って口にする。

 

 

「諏訪原タワーに登ったんだったな。それで、望遠鏡にリリィが驚いて。……ああ、そうだ。その後は特大パフェを食べたんだよ。香純の奴、時間制限オーバーして金がないって、全く馬鹿だよな。バカスミだ」

 

「……違うよ。今日行った場所は、そこじゃない。食べた物も、それじゃない」

 

 

 それは塗り替えられた記憶。

 壊れた少年の思い出は、形骸だけを残して中身がすり替えられていた。

 

 

「…………」

 

 

 それを理解して、少年は沈黙する。

 

 

「…………」

 

 

 思い出せない。思い出せない。思い出せない。

 

 今日一日の記憶がそうでないと言う事は分かっても、それ以外の記憶が引き出せなかったのだ。

 

 

 

 少年は神の断片だ。その力を得た代償に記憶を失った。

 少年は神の半身だ。捧げた記憶は戻らない。空いた空隙に入り込んだのは、神が過ごした刹那の記憶。

 

 神が体験した事のない記憶は、心の片隅に残っている。

 押し遣られても消えていない。故にその記憶はきっかけさえあれば甦る。

 

 だがそれは逆も同じ事。

 流れ込んでくる記憶は、切っ掛けさえあれば彼自身の思い出を塗り替える。

 

 同じ様な体験が、同じ様な光景が、別の何かにすり替えられてしまうのだ。

 

 例外は、繋がっている少女だけ。

 彼女だけは、何が会っても忘れ去られる事がない。

 

 繋がっているが故に、少女はそれが分かる。

 それが分かるが故に、彼女は少年へと問い掛けた。

 

 

「ねぇ、貴方は誰?」

 

「……何を言ってるんだよ。リリィ。そんなのは――」

 

 

 伏し目がちに掛けられた言葉に、少年は答えを出せなかった。

 

 

「俺は、……誰だ?」

 

 

 分かっている。分かっていた。

 その繋がりを介して、少年の現状を分かっていた。

 

 

「何で、どうして、出てこない!?」

 

 

 自分の名前が出て来ない。

 そんな現状に錯乱する少年を、黙って静かに抱きしめる。

 

 

「俺は、僕は――一体、誰だ!?」

 

 

 そうなる事は分かっていた。

 こうなる事は時間の問題だったのだ。

 

 単純に重さの話。

 数億年と言う密度の記憶に塗り潰されてしまえば、少年と言う個我は残らない。

 

 故に、トーマ・ナカジマと言う人間が消え去るのは、時間の問題だったのだ。

 

 

 

 頭を抱えて錯乱する少年を抱きしめる。

 伏し目がちに見詰めたまま、彼に優しく囁きかけた。

 

 

「貴方はトーマ。トーマ・ナカジマ」

 

 

 トーマと言う自我は消える。何時か必ず消滅する。

 

 

「思い出して、今日の一日を。忘れないで、大切な事を」

 

 

 それでも、抵抗する事は出来る。

 その終わりを避ける事は出来なくとも、遠ざける事は出来るのだ。

 

 

「そうすれば、トーマで居られる。忘れなければ■■■にはならないから」

 

 

 だから、辛い指摘になるとしても問い掛けねばならない。

 忘れてしまう度に、失ってしまう度に、何度も何度も繰り返して問わねばならないのだ。

 

 そうしなければ、トーマ・ナカジマは直ぐにでも消え失せてしまうのだから。

 

 

「貴方は誰?」

 

「……僕は、トーマだ」

 

 

 問い掛ける声に、少年が返す。

 

 

「私は誰?」

 

「……君は、リリィだ」

 

 

 少年の答えに、少女が儚い笑みを浮かべる。

 

 

「なら、大丈夫。まだ、大丈夫だよ」

 

 

 一つ。一つ。確認していく。

 確かな今を認識させて、少しでも未来を遠ざけていく。

 

 今は大丈夫。

 今はまだ、大丈夫だから。

 

 

「ねぇ」

 

 

 その問い掛けに、リリィは言葉を返せなかった。

 

 

「僕は、一体何時までトーマで居られる?」

 

 

 少女の膝に抱かれたまま、零れ落ちるのは弱さ。

 己と言う存在が消えていく恐怖に怯える少年の慟哭。

 

 

「僕は、一体何時になったら、ツァラトゥストラ・ユーヴァーメンシュになってしまうんだろう」

 

 

 それは自分の選択の結果だ。

 己で背負わねばならない重みであろう。

 

 

「怖い。怖いんだ」

 

 

 だが、もう耐えられない。耐えたくなかった。

 

 

「自分が無くなっていく。自分が自分じゃ無くなっていくのが、どうしようもなく怖い」

 

 

 余りにも重いのだ。

 知らずして背負った重みは、己を押し潰す程に重かったのだ。

 

 

「嫌だ。嫌なんだ」

 

 

 何よりも嫌なのは、失う事。

 その耐えられない重さよりも、失う痛さの方が尚辛い。

 

 

「忘れたくない。失いたくない。だって、彼には父さんが居ない。母さんが居ない。先生がいない。……彼になったら、全部失くしてしまうじゃないかっ!」

 

 

 その日が来れば、トーマは欠片も残らない。

 抱いた想いも、重ねた絆も、何もかもが別のナニカに塗り替えられてしまうから――それが一番嫌なのだ。

 

 

 

 夕日に沈む学校の屋上。

 白百合の乙女の膝に抱かれたまま、少年は恐怖に嗚咽を漏らす。

 

 

「忘れない様に覚えていよう。忘れてしまったら、一つずつ思い出そう」

 

 

 頭を撫でながら言葉を重ねる。

 今出来る唯一つの事を、恐怖に震える少年に伝える。

 

 

「そうすれば、少しでも長くトーマで居られる」

 

 

 こんな事になるなら、この道を選ばなければ良かった。

 そんな風に零れそうになった言葉を、少年は必死に堪える。

 

 

「そうすれば、その日が来るのを少しでも先伸ばしに出来る」

 

 

 それは守り抜いた少女を否定する。

 そんな意味も含んでしまう言葉だから、それだけは言う訳にはいかなかった。

 

 

 

 優しく頭を撫でる少女を見上げて、少年は静かに呟いた。

 

 

「だけど、怖いよ」

 

「頑張ろう。それしか言えないけど、私がずっと傍に居る」

 

「だけど、辛いんだ」

 

「終わるまで、終わってしまっても、ずっと傍に居るから」

 

 

 感情を吐露する。

 壊れていく自我に恐怖し、嗚咽を漏らす。

 

 日が暮れるまで、白百合の乙女は慰める様にその頭を優しく撫で続けていた。

 

 

 

 

 

 崩壊は避けられない。

 一度始まってしまった以上、何れ必ず終わりは訪れる。

 

 

 

 その日を少しでも遠ざけながら、少年と少女は寄り添い続ける。

 

 

 

 

 

 




前回の引き的にデート回だと思ったか? 馬鹿めっ、介護回だ!

そんな具合で結構ヤバいトーマの浸食加減と、ティアナちゃん奮闘記を描いた今回でした。




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第十話 存在しない数字

今回は厨二回。
存在しない数字って、厨二スメルがヤバいよね。


推奨BGM
2.Break Shot(リリカルなのは)
4.祭祀一切夜叉羅刹食血肉者(神咒神威神楽)


1.

 モニタに映し出される映像。映っているのは、アリサ・バニングス。そして彼女の部隊に所属する二人の少女達だ。

 

 連日に渡り機動六課の活躍を報道するニュース番組を見詰めたまま、カリム・グラシアはカップを傾けた。

 

 

「現状は予定通り、とは言えないですが。そう悪くはないですね」

 

 

 芳醇な香りの紅茶を口に含み、吐息を漏らした後にそう呟く。

 穏やかながら底知れなさを内に含んだ瞳で、聖王教会の中核にまで上り詰めた女性は算段を練る。

 

 

「バーニング分隊に対して、スターズ分隊は少なからぬ不安要素を抱えていますが、……六課の持つ本来の役割は果たせていると言えるでしょう」

 

 

 画面内で語られるのは、八割近くがバーニング分隊の活躍。

 エースオブエースを中心に売り出していく予定だった彼女達の想定とは異なる形ではあったが、それでも当初の予定は果たせていると言えるであろう。

 

 

「なら、さて」

 

 

 機は熟した、と言えるのかも知れない。

 

 バーニングの活躍。スターズの抱える問題点。

 その二つの要素によって、時空管理局の上層部の意識は完全に機動六課へと向いている。

 

 元より戦場の華として、彼らの目を引き寄せる客寄せパンダ。無数の問題は未だ残っていても、その役割は確かに果たしている。

 今現在、機動六課はミッドチルダで最も注目されている。

 

 逆に言えば、六課以外へと向く視線は殆ど存在しないのだ。

 

 

「札を切るべきかも知れませんね」

 

 

 手元にある資料。ヴィヴィオと言う少女から聞き出した情報を辿って、漸く見つけ出した確かな痕跡。

 

 情報は水物だ。持ち続けていても腐らせるだけであろう。だが、今この瞬間ならば黄金にも勝る価値がある。

 今直ぐに札を切れば、これを腐らせてしまう前に上層部の弱みを完全に握る事さえ出来るかも知れないのだ。

 

 

「……ここは、彼らを動かしましょう」

 

 

 故に、カリム・グラシアは選択する。

 

 

「存在しない数字。零を背負った彼らを」

 

 

 公文書には記されていない部隊。

 公式には存在しない事になっている、古代遺産管理局の影。

 いざとなれば蜥蜴の尾として切り捨てられる事が決まっている精鋭集団。

 

 カリム・グラシアが聖王教会より最も信頼する二名を。

 クロノ・ハラオウンが古代遺産管理局より最も信頼する二名を。

 

 互いが指揮権を分け合う事により、片方の暴走を完全に防ぐ事を目的として作られた小隊の名を――

 

 

「機動零課」

 

 

 戦場の華に惑わされる管理世界の裏側で、暗闘を主とする彼らが動き出す。

 

 

 

 

 

2.

 暗闇の森の中、無数の獣が周囲を歩き回る。頻りに鼻を鳴らせて周囲を探るは、緑の輝きを纏った黒き犬。無限の猟犬(ウンエントリヒ・ヤークト)

 

 

「さて、何が出ると思う。シャッハ」

 

 

 その力の主は、軽薄そうな表情を顔に浮かべて笑う。

 

 緑色の髪は腰まで届く程に長く、白いスーツのズボンに手を入れたまま語る優男。

 カリム・グラシアの義弟である彼は、名をヴェロッサ・アコースと言った。

 

 

「ヴィヴィオちゃん。良い子だったけどさ。あの子、多分相当厄いよ。遺伝子情報が98.77パーセント聖王陛下の記録情報と一致しているだけじゃない」

 

 

 ヴェロッサは傍らに居る短髪の女性へと語り掛ける。

 まだ通達されていない極秘情報を平然と口にする彼に、並び立つシャッハ・ヌエラは眉を小さく顰めた。

 

 

「そんな子が居た実験施設跡地。其処に残っていた情報を遡って行くと見付かる稼働中の非合法な研究施設。……これは、何かあると言っている様な物だよねぇ」

 

「……不謹慎ですよ、ロッサ」

 

 

 無駄口の減らない幼馴染に対して、生真面目な女性は返す。

 グラシア家の守護役を代々果たしてきた名家の騎士が、万が一が容易に起こり得る戦場に置いて気を抜く事などありはしない。

 

 

「ヴィヴィオと言う子の情報は確定ではありません。限りなく聖王様に近いモノの、ある一点がそれを否定しています」

 

 

 そして同時に彼の言に補足する。彼は知る資格がある立場だからこそ、独自に集めた確定ではない情報に踊らされる様では困るのだった。

 

 

「仮称“第五塩基”。人体を構成する四種とは別の塩基配列が、あの少女の体内には存在している。1.23パーセントの違いは、存外大きな差異となる物です」

 

 

 1.23パーセント。数字にすると僅かな違いだが、遺伝子配列と言う点では大きな差異となって現れる。

 人間とチンパンジーのDNAの差。それとほぼ同等の数値である。そんな僅かな数値の差が、それ程に大きな差となるのが遺伝子情報だ。

 

 無論。必ずしも少女が聖王ではない、と言い切る事は出来ない。

 

 その違いを生んでいる要素はその第五塩基だけであり、他の配列は聖王教会のデータバンクに残った聖王オリヴィエのデータと完全に一致しているのだから。

 

 そう。敢えて言うならば――()()()()()()()()()()()と言うよりかは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言った方が近いのではないだろうか、と。

 

 

「確定情報ではない物事を邪推するべきではありません。今は目の前の研究施設にて新たな情報を掴む事を優先するべきでしょう」

 

 

 そんな益体もない妄想を振り払って、シャッハは鋭い視線を森の奥に聳える岩肌へと向ける。生真面目な女の様子に、男はやれやれと肩を竦めた。

 

 

「相変わらず硬いね。シャッハは」

 

「貴方が軽すぎるんですよ。ロッサ」

 

 

 そうして岩肌に偽装された研究所の入り口へと、希少技能(レアスキル)によって生み出された数匹の猟犬が到達する。

 あっさりと幻影魔法によるセキュリティを突破して、猟犬達が内部へと侵入した瞬間に――轟音と共に膨大な量の魔力が降り注いだ。

 

 一切の容赦もない魔力弾の雨。加減など存在しない非殺傷設定。

 嵐の如く降り注ぐそれを前に、人体などは容易く砕け散っていたであろう。

 そんな猛威に晒されながら、されど魔法の獣達は傷一つなくその場に存在していた。

 

 

「僕の猟犬の性能は知っているだろうに、並みのセキュリティじゃ対処は不可能さ」

 

 

 自慢げに語るヴェロッサに応える様に、緑の輝きを纏った黒き獣は咆哮した。

 

 歪み者になる事は出来なかったヴェロッサだが、その保有する希少技術はそれらに勝るとも劣らないであろうと自負している。

 

 予め与えていた魔力が尽きぬ限り、猟犬達が倒される事はない。

 練り込まれた魔力量は、無人端末の非殺傷設定程度では覆される事はないと断言できるのだ。

 

 だが、そんな物は敵も熟知している。此処が彼らの標的に深く関係する施設である以上、ヴェロッサの希少技術が知り尽くされていると言う事は、考慮して然るべき問題なのだ。

 

 

「貴方の希少技術の性能は存じておりますが、油断は大敵と言う物です」

 

 

 降り注ぐ雨を目暗ましとして、三つの影が洞窟の中より疾走する。

 

 人間の視認速度を凌駕し、機械による追跡すらあっさりと置き去りにする速度で迫る三つの影が、その四肢に取り付けた無数のエネルギー刃によって獣達を八つ裂きにした。

 

 

「この様に、例外と言う物はある物ですからね――逆巻け、ヴィンデルシャフトッ!」

 

「量産型戦闘機人か。……それもトーレタイプ。厄介だねぇ」

 

 

 時空管理局の正式採用モデルである量産型戦闘機人。その登場に、両者は確信を深めた。間違いなくこの施設には彼らの標的、管理局最高評議会が関わっている。

 

 三体のトーレがクラウチングスタートにも似た前傾姿勢を取り、対するシャッハもまた両手にトンファー型のデバイスを構える。

 一瞬即発と言うべき戦場を前に、しかしヴェロッサは余裕を崩さずに小さく笑みを浮かべた。

 

 

「……やっぱり、硬いさ。シャッハは」

 

 

 知っているのだ、彼は。そして彼女も気付いていた。此処に居るのは、先行した自分達だけではないと。

 

 

「僕の猟犬だけじゃなく、彼らも居るんだから。難しく考える必要なんてないのさ」

 

 

 瞬、と烈風の如く、頭上より二つの影が疾駆する。

 蒼き獣がその剛腕で機械仕掛けの女を力任せに吹き飛ばし、巨大な盾を背負った金髪の青年が流れる水の如き動きで一人の女の意識を奪い去った。

 

 

「追撃行きます。引斥転遷!」

 

 

 予想外の増援に驚く最後の戦闘機人へと、歪みを使用したシャッハがヴィンデルシャフトを振るう。

 

 咄嗟にトーレは、回避しようと上体を仰け反らせる。

 だが、まるで吸い込まれる様に、上体を逸らしたままシャッハの間合いへと引き寄せられる。

 見えない手に引き寄せられたトーレは、重量の肥大化したトンファーによってその身を撃ち抜かれた。

 

 重力操作の歪み。引斥転遷。触れた物。間合いに入った物。その対象を引き寄せ、或いは引き離すだけの単純な力。

 だが近接戦闘に長けたシャッハの近代ベルカ式魔法と合わさった時、その単純な能力は恐るべき異能へと変じるのだ。

 

 

「……さってと、これで全員合流かな」

 

 

 管理局の極秘研究所。それを前に機動零課は集結する。

 

 余裕の笑みを絶やさずに居る緑髪の優男。

 無数の猟犬を操る特別捜査官ヴェロッサ・アコース。

 

 生真面目そうな表情で、両手に武器を構えた女。

 重力を操る歪みを持つは、ベルカの騎士シャッハ・ヌエラ。

 

 両手に鉄甲を装備した浅黒い肌の獣人。

 時の鎧で命を繋ぐは、嘗ての守護獣。復讐騎ザフィーラ。

 

 そして最後の一人。

 身の丈よりも大きな機械盾。魔力資質を持たない彼の為に、狂人が用意した特殊武装を背負った金髪の青年。

 澄んだ瞳に僅かな焦りを宿す彼の名は、ユーノ・スクライア。

 

 彼らこそは六課の影。古代遺産管理局の指導者達が最も信頼する四人。

 華々しい機動六課の活躍に隠れて、真なる敵を表に引き摺り出す為に――四つの影が、暗き穴の中へと突入した。

 

 

 

 

 

3.

「さって、これからどうするか何だけど」

 

「既に警戒態勢。いえ、緊急対応に切り替わっているでしょう。……真っ直ぐに進むだけでは、後手に回りますか」

 

 

 警報が鳴り響く施設の廊下を疾走しながら、ヴェロッサが軽い口調で問い掛ける。

 そんな彼の言に応じる様に、周囲を警戒しながらもシャッハが自身の不安を口にした。

 

 

「……なら、僕が先行しよう」

 

 

 そんな二人に言葉を返すのはユーノ・スクライア。

 彼は背負った巨大な盾を左手に持つと、それを掲げながら提案した。

 

 

「この“ナンバーズ”には、御誂え向きな機能が搭載されているからね」

 

「非魔導士用特殊兵装ナンバーズ、ですか。……高密度AMF下でも稼働する魔力駆動兵器。AEC武装の試作品でしたね」

 

 

 試作AEC兵装“ナンバーズ”。ライディングボードと呼ばれる巨大な盾をベースに改造を施したそれは、非魔導士にインヒュレーションスキルと言う力を与える。

 

 十二のカートリッジを一つ消費する事で内部にある魔力炉心を起動させ、十二種の戦闘機人が持つ先天固有技能を魔法と言う形で再現する代物だ。

 

 

「全く、ユーノ先生の気が知れないね。あの狂人が手ずからに作り上げた代物を、好き好んで使うなんてさ」

 

 

 当然、その製作者はジェイル・スカリエッティ。

 その裏切りを警戒するクロノの指示の下、幾度となく思考を覗き込んだヴェロッサは嫌そうな顔を隠さずに吐き捨てた。

 

 

「……まぁ、あの人はあれで良い所もある人だからさ」

 

「定期的にあのイカレ科学者を思考捜査しないといけない。そんな僕の身にもなって欲しいものなんだけどねぇ」

 

 

 あらゆる守りを無視して、対象の精神を調べ尽くす事が出来る希少技術。

 思考捜査を持つが故のボヤキに、ユーノは苦笑いを返すとナンバーズを両手に構えた。

 

 

「ナンバーズ機動。モードセイン。ディープダイバー」

 

 

 バンと発砲音と共に空薬莢が排出される。無機物へと自由自在に潜航する事を可能にする技術が効果を発揮し、ユーノの身体は鋼鉄の床へと沈み込んでいく。

 

 

「ヤバくなったら退きなよ。先生が抜けたら、不味い子が居るんだからさ」

 

「……分かってるよ。無理はしないさ」

 

 

 戦闘機人の先天固有技能の再現。とは言え、完全なコピーは未だ出来ない。

 幾つかの劣化は起こってしまう物であり、このディープダイバーは本家本元と異なり、使用者以外は能力範囲に巻き込めないと言う欠陥を抱えていた。

 

 故に単身で先行するしかないユーノへとヴェロッサはそう言葉を掛けて、そんな彼の言葉に軽く手を振り返したユーノは研究施設の最奥へと向かって行った。

 

 

「やれやれ、先生も少し急いているのかねぇ」

 

「……無駄口を叩いている暇があれば、進むべきだな」

 

 

 軽口を言うヴェロッサに対して、無言を貫いていたザフィーラが冷たく口にする。その物言いに苛立ちながら、ヴェロッサは吐き捨てる様に言葉を返した。

 

 

「アンタに言われなくても分かってるさ」

 

「なら、黙って進め」

 

 

 会話はそれだけ。残された者らは無言で先へと進んでいく。

 ユーノが去った瞬間に冷え切った空気を出し始めた両者に挟まれて、シャッハは小さく溜息を吐いた。

 

 

(全く、この二人は相変わらず相性が悪いのですね)

 

 

 ザフィーラとヴェロッサは互いに嫌いあっている。

 その感情は、互いに向けられた情は同族嫌悪にも近い物であった。

 

 

 

 ヴェロッサ・アコースは、姉に対して負い目がある。

 守った姉。守られた弟。其処にそれ以外の感情も抱いているからこそ、彼の胸中は酷く複雑なのだ。

 

 何かを返したい。義弟としても、男としても、何かを示さずには居られない。

 だがカリム・グラシアは其れを求めてなど居らず、結局やる事為す事空回り。そんな彼は、しかし何処かで甘えているのだとザフィーラは感じている。

 

 未だ生きているから大丈夫。未だ何か出来るから大丈夫。そんな楽観に近い甘えが確かに其処にあるのである。

 

 そんな甘えを持つヴェロッサと言う男を、ザフィーラと言う騎士は嫌っている。

 失ってからでは遅いだろうに、と失った男だからこそそんな感情を抱いてしまうのだ。

 

 

 

 対して、ヴェロッサの嫌悪はザフィーラの行動に向けられた物だ。

 

 主を失くした復讐騎。己の役割を投げ捨て憎悪に全てを燃やす者。そんな在り方は手放しに称賛出来ないが、嫌悪する程ではない。そうではない。彼が嫌うのはそれではないのだ。

 

 ヴェロッサが嫌うのはアルザスの生き残りに対して、ザフィーラが捨てた筈の守護の獣として対応している点だ。

 

 まるで主を守護する様に、暇さえあればあの少女の傍に控えている。その身を守る事を、復讐に次ぐ第二の命題として己に課している。

 それが愛情だとか、他の俗な感情によってなるものならば、或いは受け入れたかも知れない。

 だが、思考捜査と言う希少技術を持つ彼には分かる。このザフィーラと言う男は、少女に対して罪悪感を抱いているのだと。

 

 嘗て狂った夜天に飲まれた際に得た記憶。闇の書を起動する為に、鉄槌の騎士がアルザスを滅ぼしたと言う真実。

 それを知ってしまったからこそ、ザフィーラは唯一人の生き残りであるキャロ・グランガイツを放置出来ない。

 盾の守護獣である事を復讐の為に捨てながらも、それでも割り切る事が出来ずに居る。その癖、己の素性を明かそうともしていないのだ。

 

 それがヴェロッサは気に入らない。同族嫌悪と分かっても、それでも受け入れられない。同族嫌悪だからこそ嫌っている。

 

 多くの局員達に期待されながらも、残り僅かな命をそんな迷いで浪費している獣が――守るならばその事情の全てを語れば良いのに、ゼストを含めたごく少数にしか伝えていない中途半端な獣が――どうしようもなく気に食わないのだ。

 

 

(両者共に職務中は割り切って行動できるのですが)

 

 

 互いに水と油の様な関係。両者はぶつかり合って変われる程に若くなく、それ故に相容れないと諦めてしまっている。

 

 その双方が認めるユーノが間に入れば、連携し合う事くらいは出来る。だが彼が抜けてしまうと、その空気は最悪と言って良いレベルに悪化するのだ。

 

 相性が最悪でも、仕事はきっちりと果たす二人。それでもその空気の悪さに挟まれる立場から言わせてもらえば、正直冗談ではないと言う話である。

 この二人を上手く纏められる金髪の青年に、頭を下げてでもその極意を聞き出したいくらいだ。

 

 

(けれど、まあ余計な心配をしている余裕はなさそうですね)

 

 

 研究施設内を駆け進む三人の前に、新たな戦闘機人達が姿を見せる。

 

 トーレタイプが十。チンクタイプが十。あまり見かけぬノーヴェタイプが更に十。

 純粋な戦闘能力に長けた大量の量産機を前に、いがみ合っている余裕などはないだろう。

 今は証拠を押さえる事に集中するべきだ。そう思考して、シャッハは両手にアームドデバイスを構えるのであった。

 

 

 

 

 

4.

 ユーノ・スクライアは一人、研究施設の最下層区画を進む。

 研究員達が居る区画ではなかったが、恐らくは重要な研究に関連する物が収められているのであろう特秘区画。

 

 その中を進む彼には、僅かな焦りがあった。

 それは彼の愛弟子。師匠より預けられた彼女の子に関する懸念。

 

 

(あの子の傍には、今は一人でも多く支えられる人間が必要だ)

 

 

 その少年の現状を共に居た少女より聞き出して、ユーノはそう結論付けた。

 精神を汚染する記憶。自分が誰かも分からなくなっていく現状。それに抗うだけの強さをあの子は未だ持てていない。

 

 

(リリィちゃんと、僕の事は認識出来ている。ゲンヤさんの事も。なら)

 

 

 僅かな救いは、あの子にも認識できる人が居る事。その誰もが、あの子の為に動く事を良しとする。そんな愛されている環境がある事。

 

 

(僕らが傍に居て、あの子の精神を安定させてやる事が現状で唯一の――)

 

 

 故にユーノは、なるべく早くに戻らなくてはいけない。

 あの子が眠っている夜の内に、あの子の下へと戻れる様に、と。

 

 

――まぁ、そう考えるわな

 

「っ!?」

 

 

 それは単純な思考の帰結であるが故に、当たり前の様に読み切られていた。

 

 轟音と共に砲撃が放たれる。ナンバーズの機能よりライドインパルスを起動させながら、その砲撃を躱したユーノは空を見上げた。

 

 

「だがよぉ、……それじゃ困るんだよ」

 

 

 幾何学模様の空が広がっている。奇跡に頼る弱さを否定する鬼の悪意が、宙を染め上げ渦巻いている。

 

 吐き気を催す様な宙の下で、機能を停止したナンバーズが鋼鉄の大地を叩いた。高速移動を強制解除されたユーノは、身体を捻りながらも着地する。

 

 

「お前、は……」

 

「よう。ユーノ・スクライア」

 

 

 眼前の敵を前に思わずと言った体で漏れた声に、言葉を返すは両面の鬼。煙を吹き出す小筒を投げ捨てて、眼前へと飛び降りて来た鬼が笑った。

 

 何故此処に居るのか、どうやって侵入したのか。

 そう問い掛けようとして止まる。あの終焉の怪物が動いた時にも、この鬼はミッドチルダに出現していたのだ。

 

 ならば、あり得る事だと想定する。理由など知る必要はない。ただ宿敵が現れた事を理解して、意識を研ぎ澄ませる事だけに注視しろ。

 

 

(嗚呼、本当に惜しいな)

 

 

 そんな青年の内心を天眼で読み解いて、両面の鬼は僅かに嘆息する。

 今のユーノ・スクライアには多少気に食わない面もあるが、それでも未だにこの青年は両面の鬼のお気に入りだ。

 故にこそ、潰さなければならない現状に僅かに悲嘆して、役割に専念する事でそんな己の感情を押し潰す。

 

 

「ちょっとさ、お前が邪魔になったんだわ」

 

 

 彼が動いたのは、とても単純な理由。青年を排除する事が必要だからと言う、とても単純な理由だ。

 

 確かに支える人間が居れば、トーマ・ナカジマは立ち直れるかもしれない。だが、それでは彼は依存する。

 誰かに支えられなくては記憶の残滓すらも乗り越えられないと言うならば、何を為そうと神の本体には届かない。

 

 白百合はまだ良い。あれは魂が持つ繋がり故に、最後の決戦に置いても傍らに在れるであろう。

 だがユーノ・スクライアは駄目だ。両面の思惑通りに事態が動けば、最後に待つのは精神世界における一騎打ち。

 其処に混じる事が出来ない青年は、トーマの成長には邪魔なのだ。

 

 だからこそ、こうして一人になる瞬間を待っていた。邪魔の入らない戦場を用意して、その時が今成立したが故に――

 

 

「お前には、此処で潰れて貰うぜ」

 

 

 両面の鬼はそう断ずる。必要な役は既に果たしたと、その命を摘み取る為に姿を見せた。

 

 それを望まぬならば、今この瞬間に己を倒してみろと歪に笑う。

 それを為す為の条件を整えた上で、両面の鬼は歪んだ笑みを浮かべていた。

 

 

「天魔・宿儺っ!」

 

 

 無間身洋受苦処地獄(マリグナントチューマー・アポトーシス)

 神の奇跡の一切を否定する世界の只中で、ユーノ・スクライアは宿敵の名を叫んだ。

 

 

 

 

 

 




そんな訳で、宿儺さん登場。
潰されたくなければ此処で俺を倒せ、と相変わらずの無茶振りです。



以下、オリ歪み解説。
【名称】引斥転遷
【使用者】シャッハ・ヌエラ
【効果】その名の通り、引力と斥力を操作する歪み。シャッハが持つカリムやヴェロッサを守る騎士でありたいと言う渇望が生んだ歪みである。
 射程範囲は二メートルちょっと。あくまでも拳が届く範囲内にしか効果がない。

 守るべき人を近付け、憎むべき敵を遠ざけると言う歪み。
 己が守ると言う意志がある為に効果範囲は狭いが、その効果自体は単純であるが故に強制力は歪みの等級に反して高い。

 守りたいと言う願いの性質故に、彼女は同質の願いを持つクロノに対して執着している。
 なお二人が戦闘した場合、歪み者としての等級を無視してもシャッハの完全敗北で終わる模様。






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第十一話 旅人の星が流れる先は

副題 穢れた真実。
   男達の戦い。


推奨BGM
1.祭祀一切夜叉羅刹食血肉者(神咒神威神楽)
2.血の縛鎖(リリカルなのは)
3.此之命刻刹那(神咒神威神楽)


1.

 地の底に広がるは極彩色の地獄。幾何学模様を渦巻かせる宙の下に、向き合うは金髪の男達。

 鮮やかな振袖を着崩した男が笑みを浮かべる中、鮮緑色のスーツを着込んだ青年は拳を握ったまま思考を巡らせる。

 

 さあ、どうする。この鬼を前に、己には如何なる手札が切れる。

 

 鬼の剛腕を受けきれる器はない。その人知を超えた速力に追い縋る速さを持たない。悠久の時を重ねた研鑽に対抗する術が何処にある。

 

 

「どうした。今更ながらに考え事か」

 

 

 思考は回る。だがその速度は嘗てよりも遅い。魔力を失った青年の思考速度は常人並みであり、故にこそこの場で打開策を即座に思い付ける等と言うご都合主義は起こり得ない。

 

 

「相変わらず、勝ち目がねぇと動けねぇのかよ」

 

 

 勝ち目がなければ動けない。まずは考えてから行動する。

 そんな青年の変わらぬ性分を、両面の鬼は冷たく見据えて鼻で笑う。

 

 

「……勝機がないのに動くのは、唯の間抜けだろう」

 

「はっ、……考え事ばかりで動かねぇのは、唯の腰抜けだ」

 

 

 そんな遣り取りに笑みの質を僅かに変えて、両面の鬼が大地を蹴った。

 

 

「本当に勝ち目がねぇのか。実際試してみろや、優等生!」

 

「っ!」

 

 

 まず一手。敵が動かぬならば、己から動かす。

 鳴くまで待つ程に悠長な性格はしていないのだから、この一手にて状況を覆す。

 

 

「はっはぁっ!!」

 

 

 最上段から飛び掛かる様な襲撃。流れる水に逆らう様な、デタラメな動き。余りにも大振りに振られるテレフォンパンチ。

 

 そんな()()()()()()()()()()()()に、反射的にユーノは拳を振るっていた。

 

 如何に研鑽された拳であれ、既に魔導師ですらなくなった青年の拳。人間相手にならば通用すれど、偽りの神々を前にすれば余りにも不足が過ぎる。

 技術など関係がなくなってしまう程に、力の桁が隔絶しているのだ。故に必然、振るわれた拳は敵を傷付ける事などなく、寧ろ己を傷付ける結果に終わる。

 

 

「は?」

 

 

 筈だと言うのに――振るった拳は両面の鬼の顔面を撃ち抜き、大天魔を後方へと殴り飛ばしていた。

 

 

「……これは」

 

 

 思わずユーノは己の拳を見下ろす。僅かに痛む右手の甲は、それでも傷一つない状態。

 ジュエルシードと言う遺物の力を借りて対峙した経験のある彼だからこそ、その余りにもあり過ぎた手応えに思わず思考停止してしまい――

 

 

「そら、よそ見してんなよなぁっ!」

 

「くっ!?」

 

 

 その一瞬の隙を突いて、両面の鬼の反撃を受ける。

 神速で間合いに入り込んできた鬼が打ち込んだ蹴撃を左腕で受けて、受け流し損ねた衝撃に声を漏らした。

 

 鬼の挙動は、先とはまるで別人の如く。奇怪で舞う様な動きながらも、流れ落ちる水の如くに一切の無駄はなき柔の極み。

 その極上と言うべき武技は、以前に刻まれた物と同じく――故にこそ、威力の違いが浮き彫りとなっていた。

 

 

「……やっぱり、これ」

 

 

 攻撃を受けた左腕を見る。内出血による青痣の浮かんだ腕は痛むが、痛むだけだ。

 嘗て鬼の拳を刻まれた際には、魔力で強化されていた内臓全てが押し潰された。だと言うのに、今回は痛むだけだったのだ。

 

 

「一発は貰ってやった。そして、一発はくれてやった」

 

 

 戸惑う青年に対し、天魔・宿儺が語る。態々一撃を受けた事、そしてこうして一撃を与えた事。それによって理解は出来たであろうと、両面の鬼は嗤っていた。

 

 

「これでルールは理解出来ただろう?」

 

「……まさか、この太極は」

 

 

 半信半疑ながらも、ユーノはその解答に到達する。

 それが如何に信じられない物であれ、それが如何に道理に反した物であれ、ユーノ自身に一切の異能がない以上、答えは其処にしかありはしない。

 

 即ち、この結果を生み出したのは、天魔・宿儺自身である。

 あの日との違い。幾何学模様の宙を見上げて、ユーノは呟いていた。

 

 

「自滅する法則、だって言うのか」

 

 

 無間身洋受苦処地獄(マリグナントチューマー・アポトーシス)

 この世界そのものが、天魔・宿儺を弱体化させている、と。

 

 

「そうさ。俺が認めちまった奴を相手取る限り、この太極(ことわり)は俺自身を縛り付ける。この太極の内側に限り、今の俺とお前は対等だ」

 

 

 そんな青年の推測に笑みを零して、両面の鬼は誇らしげに語る。

 人間の限界点にまで弱体化した状態で、天魔・宿儺は己の法則を高らかに語った。

 

 

「俺はよぉ、これでも()()が好きなのよ」

 

 

 それは自壊する法則。最初から破綻した太極。

 成立した時点で崩壊に至る程の矛盾を孕んだ、自滅に至る流出世界。

 

 

「特に真面目に生きている奴。ままならねぇ現実を前に、二本の足で立っている奴ら。コイツらは最高だ」

 

 

 その願いの根幹は、即ち神格の否定。神秘を認めず、それに頼る者らを人と認めず、一切合切屑であると断じる渇望。

 

 

「そういう奴らってのはよぉ。魂の輝きが違う。生きる事への熱意が違う。心に燃やした情熱が、決定的に違ぇんだよ」

 

 

 真面目に生きていない奴は認めない。

 現実に嫌気が差したからって、安易に神の奇跡なんて求めんな。

 神に縋る人間以下も、それに手を貸す腐れ神も、どいつもこいつも要らねぇんだよ。

 

 両面の鬼の願いはそれだけで、彼自身が神格であるが故にこそ其処に陥穽は生じている。

 

 

「そういう奴を見ていると、俺もそういう風になりたくなっちまう。対等の立場で、真っ向から向き合いたくなっちまうのさ」

 

 

 そう要らないのだ。真面目に生きている人間の前に、己と言う腐れ神は。

 

 

「太極ってのは、神の渇望を形にしたもんだ。……だからこそ、俺の太極は俺自身にも嵌るのさ」

 

 

 故にこそ、彼が認めた敵を前にした時、排斥の力は宿儺自身へと集中する。

 彼自身の筋力体力気力魔力走力太極。それら全ての能力を人間レベルに迄引き下げるのだ。

 

 

「こいつが俺の、無間身洋受苦処地獄(マリグナントチューマー・アポトーシス)

 

 

 そんな欠陥だらけの法則を何よりも誇る様に、両面の鬼はにぃと笑う。

 己自身を縛る宙。全能域の力を失くした今の己の姿。其処に言い知れぬ感慨を覚えながら、両面の鬼は断言する。

 

 

「教えてやるよ――俺に勝てるのは、人間だけだ」

 

 

 魔導師では勝てない。リンカーコアを持つ彼らを、両面の鬼が認める事はない。

 歪み者では勝てない。神の奇跡に縋る彼らを、両面の鬼は決して認めない。

 

 例外は唯一人。唯人でありながら、宿儺に敵と認められた唯一人。

 ユーノ・スクライアこそが、この両面の鬼を打ち破れる唯一人の人間なのだ。

 

 

「……これを使わなければ、絶対に勝てるって分かっていて」

 

「当たり前だろうが、俺の法だぜ?」

 

 

 ごくりと唾を飲み干して、青年が呟く。そんな青年の言葉にニヤリと笑って、宿儺は己の行為を愚行と認めた。

 

 愛する女を救う為に神の加護(リンカーコア)を失った青年は、端的に言って酷く弱い。

 鬼が法則を使わずにその拳を振るえば、それだけで容易く勝利出来たであろう。青年が勝利する可能性は、正しく零であったのだ。

 

 だがこの異界においては異なる。神性の一切を否定する地獄の中において、両面の鬼はユーノの手が届く位置に堕ちている。

 

 ならば勝機は確かにある。僅かであろうとも、勝機は確かに生まれ得るのだ。

 

 そうなると分かっていて、天魔・宿儺はそれを選択した。

 にぃと笑う両面の鬼にとっては、敗北の可能性すら孕んだこの状況すら望む所であると言う事であり。

 

 

「お前、イカレてるよ」

 

「はっ、そりゃ褒め言葉だろ」

 

 

 絶対の勝機を自ら捨てる鬼を青年はそう批評して、その罵倒に対して鬼は啖呵を返した。

 

 

「こいつは大一番。俺が認めた俺の敵(おまえ)との決着(おおいちばん)だ。勝率だとか、絶対勝利だとか、んな温いもんは要らねぇんだよっ!」

 

 

 それは彼にとって不本意な役割と、そして彼自身が望む事。その二つの妥協点。

 せめて悔いのない決着を。其処に混ざる後悔など、何一つとして要らぬのだ。

 

 故に勝機を与えた。

 故に敗北の可能性を許容した。

 

 だが、敗北してやる気など欠片もない。

 

 

「さあ、拳を握れよ! お前も立派な男なら、決着は自慢の拳でつけようや!!」

 

 

 対等の立場でも、必ずや勝利して見せよう。

 笑い続ける両面の鬼が跳躍し、合わせる様にスーツ姿の青年も大地を蹴る。

 

 自壊する地獄の底で、男達の拳が交差した。

 

 

 

 

 

2.

 壊れた戦闘機人の残骸が転がる施設の一区画。

 無数にある記録装置を操作していたヴェロッサは、見つけ出した情報に表情を凍らせていた。

 

 

「おいおい。コイツは」

 

 

 それはある一つのリスト。

 そしてそれに伴う一つの計画文書。

 

 

「これは、ない。これは、これだけはやってはいけない事だろうっ!」

 

 

 データ自体が消される前に到達出来たが故に知る事が出来た真実は、余りにも悍ましい現実であった。

 

 

「貴様。何を見つけた」

 

「自分で見ろ。……口にしたくもないね」

 

 

 問い掛けるザフィーラにそう告げて、ヴェロッサは口を閉ざす。

 そんな彼から端末を受け取ったシャッハとザフィーラは、其処に記された記録に表情を歪ませた。

 

 

「ロッサ。これは」

 

 

 シャッハの声が震えている。余りにも信じたくない程に、嘘偽りだと思いたい程に、それが悍ましい記録だったから。

 

 

「これは、真実なのですか」

 

 

 だが、特別捜査官である彼があれ程に激昂したのだ。

 ならば、真実と断言出来る理由が彼にはあるのだろう。

 

 聞きたくはないが、聞かねばならない。

 そんなシャッハの問い掛けに、ヴェロッサは嫌悪を隠そうともせずに口にした。

 

 

「以前から話はあったのさ。噂話レベルだけどね」

 

 

 それは一つの噂話。愚にもつかない唯の噂。

 

 

「管理局の裏には処刑部隊が居る。最高評議会に逆らえば、魔刃に焼かれて全てが燃える」

 

 

 だが、そう断じるには余りにも被害は大き過ぎた。

 管理世界で暗躍するあの犯罪者は、余りにも手広く動き過ぎていたのだ。

 

 

「僕ら捜査官も無能じゃない。それに対しての裏取りくらいはしていたのさ」

 

 

 故にヴェロッサを始めとする捜査官たちは、魔刃の背後関係を洗った。

 その途中で幾人が消え、幾人が犠牲になったかは分からない。どれだけの被害を出したのか、計算する事すらしたくはない。

 

 

「事実だったよ。魔刃に焼かれた研究施設は、一つ二つじゃ足りやしない」

 

 

 だが確かに、反天使と最高評議会の繋がりは見つけ出した。

 明確な証拠こそ掴めなかったが、彼らこそが管理局の暗部であるとは分かっていたのだ。

 

 

「だけどさ。そんな事実が分かったら、今度はもう一つの疑問が生まれた」

 

 

 それは単純な疑問。

 

 

「それだけ焼かれて、それでも減らない人間は、一体どこからやって来た?」

 

 

 管理局が主導して処刑をしているならば、どうしてこんなにも処刑対象は減らないのだ。

 

 

「何処からって、管理世界からではないのですか?」

 

「ああ、そう考えるのが普通さ。人的資源だけは山ほどある訳だから、そう簡単に尽きはしないと単純に考えていた」

 

 

 そんな当たり前の回答に、ヴェロッサは伝える。

 人的資源は溢れる程にあるのだから、と其処で止めていた思考を更に推し進める。

 

 

「けどさ、深く考えてみなよ。シャッハ。……単純作業の人手なら兎も角、実践レベルで働ける研究者がそんなに居る物かい?」

 

「あっ」

 

 

 言われて、シャッハも気付いた。

 

 

「その答えが分からなかった。けどね、その答えは此処にあったんだ」

 

 

 この手に握った端末が読み込んだ情報。其処に記された情報が真実ならば、そんな疑問は全て解決してしまうのだ、と。

 

 

「プロジェクトF。記憶や経験さえ模倣出来るクローン技術」

 

 

 其処に記されたリストは、管理世界に生きる全ての住人の個人情報全てと遺伝子情報。

 そして既にプロジェクトFを利用したクローンを作り上げているか否か、と言う情報。

 

 

「それですり替えていたのさ。本人と、クローンを、誰にも気づかれない様に勝手にすり替えていたんだ!」

 

「な、何故ですか!?」

 

 

 そしてもう一つ。

 

 クラナガンを始めとする世界で生きる住民たちを、どれ程に入れ替えたのかと言う記録情報が其処にはあった。

 

 

「記憶も経験も模倣出来るなら、そのクローンを量産するだけで済む筈ではっ!」

 

「済まなかったのさ。クローンと本人はやはり違いが出る。如何に記憶や経験を刷り込んでも、身体に染み付いた技術だけは模倣出来なかった」

 

 

 ミッドチルダを始めとする管理世界に生きる人々は、気付かぬ内にすり替えられていた。

 

 

「それを解決する為に、ハイローミックスの思考を取り入れたんだろうさ」

 

 

 クローンの中に数名、クローンでない人間を紛れ込ませて研究させる。

 そうする事で技術レベルを可能な限り落とさずに、クローンを一線級の実力者に育てようと言う思考

 

 それが故に、多くの人々が犠牲となっていた。

 

 

「そして同時に、研究室に監禁した本人のクローンを一般社会に溶け込ませる事で、そいつが勝手に経験を積んでいく事も期待したって寸法だ!」

 

 

 本人は気付かない。教えられる事がない。

 本人の意志だと誤解したまま、世界を守ると言う情熱を以って単身赴任の仕事に励む。

 

 家族も気付かない。情報を操作されて気付けない。

 其処に身内が居るのだから、本物が居なくなったと言われて信じられる筈もない。

 

 

「その挙句、都合が悪くなったら本人ごと研究施設を焼き払った。そんな事を繰り返していたら、純正な人間なんて残らないだろうにっ!」

 

 

 偽物と本物を入れ替えて、何時の間にか本物は殺されていく。

 後には唯、複製された人間達の存在に気付けぬ人々が、当たり前の様な幸福を享受する歪つな世界が残されるのだ。

 

 

「これはリストさ。既に本人は殺されて、偽物とすり替えられていた人のリスト」

 

 

 それが必要だから、そんな意志の下に人権の全てを凌辱される。

 

 

「命を弄んだ。時空管理局最大の罪。いいや、管理局だけじゃこんな真似は出来ない。間違いなく教会や一門も関わっている。ミッドチルダの悪そのものだよ」

 

 

 如何なる理由が在ったとしても、許してはならない悪は其処にあった。

 

 

 

 ザフィーラとヴェロッサが黙り込んだ中、シャッハ・ヌエラが口を開く。

 

 

「これが真実だと言うなら」

 

 

 それは守る為に、そう誓いを立てた彼女だからこその言葉。

 

 

「ミッドチルダは、一体何の為に戦っているのですか」

 

 

 守るべき人を傷付けて、それで彼らは何処へ行こうと言うのか。

 守るべき人が踏み躙られていた現実を知って、それで我らは何を為せると言うのか。

 

 

「私達は守る為にこそ、この剣を手にした筈なのに」

 

 

 戦う理由さえ見失ってしまいそうになる。

 此処に居て良いのか、そんな疑問さえ浮かんでくる。

 

 それはきっと、この場の誰もが変わらずに抱く感情だ。

 

 歪み者や希少技術は複製出来ない。故に家族は偽物ではないと分かって安堵してしまったヴェロッサも、敵討ちの為に身を寄せているザフィーラも少なくはない迷いを抱いていた。

 

 

「……そう迷う必要はない。これは我らの罪であり、其方らの罪ではないのだから」

 

 

 そんな風に迷う者らに、擦れた声が掛けられる。

 それは悍ましい声音。受け入れ難き蠅声の雑音。瘴気の如き気配と汚物の様な悪臭を漂わせる、被衣姿の女が其処に居た。

 

 

「貴様も関わっていたのか、御門顕明」

 

「……直接手を下した訳ではない。だが、知らなかった訳でもない。故に罪深きは我らであろうさ。其方らではない」

 

 

 敵意を前面に押し出したまま、ザフィーラが口にする。

 その言葉に弾かれる様に、シャッハとヴェロッサは構えを取った。

 

 そんな三人の姿に反応を見せる事もなく、御門顕明は身を翻す。

 その歩が進む先には一つの扉。地下へと続く階段こそ、彼女がこの場へとやってきた侵入経路。

 

 

「……付いて来るが良い」

 

 

 その先には、真実がある。この世界の真実。神座の真実が刻まれた、最高評議会にとっての心臓部。

 

 

「もう希望は失われつつある。だからこそ――」

 

 

 両面の鬼が動いた事は知った。

 奴は人に期待し過ぎている。理想ばかり見て、現実から目を逸らしている。

 

 今のトーマ・ナカジマが師を失えば、希望は完全に潰えるだろう。

 だが、今の己に天魔・宿儺を止める術はない。故に新たな神と言う希望は、完全に失われてしまうだろう。

 

 修羅道が甦っても、その次が生まれぬのでは意味がないのだ。

 

 

「――お前たちに、全てを見せよう」

 

 

 だからこそ、この先にある全てを教える時が来たのだろう。

 最早自分には打つ手など何一つとしてないからこそ、可能性に満ちた次代へと全てを伝えるのだ。

 

 この一手が、どんな結末を至らせるのかは分からない。

 だが次代の彼らが己達の様な間違いを犯さぬ様に、これぞ己の役割と信じる顕明は彼らを地の底へと誘った。

 

 

 

 

 

3.

 二つの影が交差する。

 汗水血反吐を垂らしながら、原始の戦士が如くに殴り合う。

 

 鮮緑色の上着は引き裂かれ、女物の着物には乾いた血がこびり付く。

 金髪の男達は、互いに刻まれる痛みに耐えながら拳を振るっていた。

 

 

「そらっ、どうした優等生っ!」

 

 

 蝶の如く舞い。蜂の如く刺す。その動きに一貫性はなく、されど全てが極めて合理的。

 本能と言う才覚の上に、無謬の研鑽を積み重ねた両面の技は正に極上。例え人間の域に堕ちているとしても、その動きには玉の瑕さえ存在しない。

 

 嵐の如き猛攻は、断じて剛の拳ではない。

 至高の剛拳を操る終焉の怪物の対である両面が振るうのは、変幻自在な柔の極みだ。

 

 

「こんなもんかぁ、お前の限界はよぉっ!」

 

「疾っ!」

 

 

 鬼の挑発を冷静に受け流しながら、青年は流れる動作で対応する。

 天然の才覚に依る動きに対するのは、何処までも理詰めに重ねた修練の拳。

 

 流れは流水の如くに絶え間なく、その拳は宛ら烈火の如く。

 雷光さえも思わせる速度は正しく極上。人間の視認速度を超えるのではなく、その意識を外す技は連綿と受け継がれし技巧の総決算。

 

 戦国の世より続き、数百年と言う歴史を持つ古流武術。永全不動八門一派・御神真刀流。

 その流派において、既に青年は歴代の使い手にも並ぶ者は居ないとまで称されるに至っている。

 

 その技巧は第二の母とでも言うべき師から継いだストライクアーツと混ざり合って、正しく至高の極致へと手を掛けていた。

 

 

「はぁっ!」

 

「温ぃ! そんなもんじゃねぇだろうが、お前はよぉっ!」

 

 

 僅か十九と言う年齢。未だ二十にも届かぬ若造が、その域に到達する。

 

 それを人は才覚の一点で片付けるであろう。無論努力も人並み以上に重ねている。だが才能がなければ、ここまで至る事は出来ない筈だ、と。

 

 彼に関わった人間は皆、そう考えている。

 高町士郎もクイント・ナカジマも、高町恭也や月村忍。ティーダ・ランスターやトーマ・ナカジマ。高町なのはですらそう感じている。

 

 だが違う。それは違うのだ。

 

 

(考えろ。考え続けろ。()()()()()()()()()()。そんな僕に出来るのは、冷静に理詰めに、考え続ける事だけだろう)

 

 

 拳を交わす両面の鬼は、正しく才能の塊である。

 生来の直感と、本能が支える獣の動き。それを柔の極みへと至らせたのは年月だが、それ以外には何も特別な事はしていない。

 

 努力など必要ない。鍛錬など弱者が積むべき物なのだ。

 そんな思考を貫き通した鬼は、故に一切の努力をする事なく武の極点に至っている。

 

 如何に気の遠くなる程の月日があったとしても、熱し続けられていない湯は水に戻る。そうならぬのは、この男が真正の天才だからなのだ。

 

 なるべくしてなった。ただ思うがままにあるだけで、努力など鼻で笑えてしまえる。

 そんな才能の怪物だからこそ、殴り合う敵の拳に光る物など感じない事に気付いていた。

 

 ユーノ・スクライアは武の天才などでは断じてない。

 

 

(受け入れろ。諦めろ。最善を目指せないと言うならば、次善を必ず達成するんだ)

 

 

 ならば何故、誰もが彼を天才だと誤解するのか。その解答は単純だ。

 圧倒的な鍛錬量が、天分の才が如き成長性を実現していたからに他ならない。

 

 質が違う。数が違う。重ねた鍛錬の総量が、単純に人とは違うのだ。

 

 マルチタスク。それが手品の種である。

 未だ魔導師であった頃、ユーノの思考可能数は十二もあった。

 その全てを費やせば、単純計算にして常人の十二倍の鍛錬を積む事が出来る。

 

 要はそれだけの話なのだ。

 

 

「はっ! 良い子ちゃんがっ、言い返す事すらしねぇのかよっ!」

 

 

 拳を合わせる。蹴りをぶつけ合う。

 受け流し、身を守り、それでも傷は増えていく。

 

 嘲弄を張り付けた鬼に対し、武技にて劣る事を理解しているユーノは何処までも冷静な思考で勝機を探る。

 

 

(まだ、奴の方が一歩は先だ。けど、届く位置には近付いている)

 

 

 彼の天与の質は、その頭脳にだけ結実している。

 無数のマルチタスク。類稀な発想力。ユーノの特別性などそれだけであり、それらを応用する事で凡庸な資質を補っていた。

 

 

(現状のままなら勝機は薄いか。けど、死を前提とすれば、恐らく四割。……なら冷静に、命の切り時を見極めるんだ)

 

 

 マルチタスクを使った鍛錬は一般的であり、効率的な訓練として魔導師の誰もが行っている事だ。

 故に誰もが気付く可能性があり、同時にその欠点も知るが故に誰もがそれを無意識の内にあり得ないと決め付けていた。

 

 マルチタスクを使うと言う事は、使った分だけ己に掛かる負荷が増すと言う事だ。

 自分が増える訳でもなく、故に十二倍に増えた鍛錬の負荷は己自身に積み重なっていく。

 

 それだけして、得られるのは仮想体験。現実の肉体に返る物はない。

 己の肉体に変える物ではなく、脳内モデル形成の役にしか立たないのだから、当然肉体面での鍛錬も必要となってくる。

 

 彼が武を学び、魔力を失うまでの四年間。十二倍すれば四十八年だ。

 思考を高速化する魔法と合わせれば、その数字は二倍三倍と膨れ上がる。合わせて行われた修練の密度は、果たしてどれ程の物となるのか。

 

 少なくとも、人の一生分など遥か昔に終わっている。

 

 

「はっ、さっきは俺の事をイカレてるとか言いやがったがよ」

 

 

 そんな苦痛を、魔力を失うその日まで続けていた。

 それを貫き通すだけの精神力こそが、或いは彼にとっての最大の武器。

 

 

「てめぇも十分、イカレてんだろうがっ!」

 

 

 一生を武芸に費やせば、誰であろうとそれなりには至れるであろう。

 彼は御神の流派始まって以来の才児ではなく、今を生きる剣士の誰よりも長い時間を鍛錬していただけなのだ。

 

 故にそれは、誰であろうと至れる領域。それは真っ当な積み重ねの到達点だ。

 人は全てを費やせば其処までは至れるのだと、傷だらけの拳が伝えて来る。

 

 至高の才と狂気の努力。

 共に黄金の髪を持つ男達は、その実真逆の道を行く。

 

 天魔・宿儺は笑う。故にこそ、コイツは己の敵に相応しい。

 天魔・宿儺は苛立つ。故にこそ、その僅かな無様が気に入らない。

 

 それに我慢できない鬼だからこそ、拳の応酬の中に罵倒は混ざっていく。

 

 

「冷静さは常に失わず、透徹した意志の下に全てを断ずる。ままならぬ世を知った上で、されどより善きを目指す人物」

 

 

 今のユーノ・スクライアの対外評価。

 拳を振るいながら、それを並び立てていく。

 

 

「まるで真理を悟った、仙人の如き人間。その透徹した瞳は、悟りの境地に至っている」

 

 

 自然と共に生き、己を鍛え続けた青年。

 世の理不尽を知り、それでも進み続ける賢者。

 

 

「はっ! そいつは悟りじゃなくて、諦めの間違いだろうがよ!!」

 

 

 そんな周囲の抱いた評価を、間違いであると断言した。

 

 

「言い当ててやろうか? お前は俺に届かねぇ。それを認めて、その上で命を捨てて、俺を倒そうとしてやがる」

 

「…………」

 

 

 命を賭けるのではなく、命を捨てる。

 才能も経験も負けている以上、敗れ去るのは道理と悟ってしまったからこそ、その差を埋める為にそう思考していた。

 

 

「生きて帰る気が端からねぇ。断崖を飛翔する心算なんて元からねぇ。俺に出会った時点で、俺を倒して皆でハッピーエンドっていう最善をあっさり諦めやがった」

 

 

 ユーノの思考は、己の判断が下す結果がどうなるのかを推測する迄に至っている。

 

 自分がこの鬼と共に死んだ場合と、この鬼だけを残した場合。

 己が逃げ出した場合と、この場で最期まで戦い続けた場合。

 

 その情勢をその優れた頭脳で、完全に予測しているのだ。

 その上で極小以下の勝機を狙うのではなく、より可能性の高い相打ち狙いにシフトした。

 

 

「舐めてんのかよ、テメェ!」

 

 

 それが、そんな思考が気に入らない。

 命を掛ける選択は良くても、命を捨てる選択を受け入れられはしないのだ。

 

 

「仮にそれが、あるがままをあるがままに受け入れる、悟りって境地であっても、今のテメェに俺は倒せねぇっ!」

 

 

 出来る限りの最善。ままならぬ現実を前に、それでも前を目指し続ける。

 それは真面目に生きると言う点では間違っていないかも知れないが、それでも突き詰め過ぎれば人の生き方ではなくなってしまう。

 

 

「言っただろうがっ、俺に勝てるのは人間だけだっ!」

 

 

 己に勝てるのは人間だけ。仙人などはこの場に不要。

 

 

「霞食ってる仙道でもねぇ! 真理に至った聖人でもねぇ! 俺に勝って良いのは、唯の人間だけだ!!」

 

 

 そう断じる両面の鬼にとって、その無様は許せない。

 

 

「昔のお前の方が、遥かに良かった! 今のお前は、正直詰まんねぇんだよ!!」

 

 

 故に負けぬのだ。例え対等の場を用意したとしても、今のコイツには負けぬのである。

 

 

「……好き勝手、言ってくれるじゃないか」

 

 

 そんな鬼の言葉を受けて、青年は己の胸中を振り返る。

 確かに言い当てられた思考を認めて、それでも内に熱が宿っていく。

 

 

「確かに、これは諦めなのかも知れない」

 

 

 挫折ばかりの人生だった。失敗だらけの人生だった。

 宿敵に勝つ戦士の道を諦めて、情報を握って管理局を改革する道を諦めて、手には小さな物だけが残った人生。

 

 その生き様に諦め癖が付いていたのは、或いは自然な事なのかも知れない。

 

 

「だけどさ、僕のこれが諦めなら――」

 

 

 それでも、誰が好き好んで死を選ぶ物か。

 他に術はないと冷静な思考が判断してしまうから、その道を選んだだけでしかない。

 

 トーマにはリリィが居る。きっとあの子を支えてくれる。

 なのはは自分の死を悼むだろうが、それでも立ち上がれる強さを持っている。

 

 遺してしまう彼女達は、それでも何とかなるのだろう。

 だが、この鬼は違う。コイツに勝てる可能性があるのは、自分だけしかいないのだ。

 

 自滅する世界。その法則を覆せる者は、魔導師の中にはいない。

 対等の立場に立って、己の武威のみでコイツに迫れる拳士は自分以外には存在していない。

 

 誰も勝てない。武芸で己が追い抜いてしまった先達も、異能に頼ってしまう仲間達も、誰もこの鬼に勝てはしない。

 

 だから後を思うならば、コイツだけは己が倒さねばならないのだ。

 

 

「――お前のそれは餓鬼の我儘だろうがっ!」

 

 

 だと言うのに、眼前の敵は駄々ばかり口にする。

 そんな餓鬼の我儘に悲壮な覚悟を否定され、怒りを覚えぬ程に冷徹では在れない。

 

 

「人間の定義を勝手に決めて、それに反したら下らないと否定する」

 

 

 両面の鬼の言葉は、子供の我儘の如く自分勝手な意見だ。

 そうでなければいけないと、他人に自分の理想を押し付ける。

 

 それは紛れもなく覇道の資質。

 今ある現実を否定して、自分の理想を実現しようとする渇望。

 

 

「其処にある人を認めずに、都合の良い理想(にんげん)を夢見ている」

 

 

 宿儺の人間の定義は狭い。

 それは彼が人間に対して、過剰な期待を向けるが故に。

 

 彼が言う真面目に生きると言う言葉。

 それを現実に果たせている人間が、果たしてどれ程に居るであろうか。

 

 ままならぬ現実に立ち向かい、前を目指せる者がどれ程居る。

 失敗から立ち上がれずに潰れてしまう人間が、一体どれ程に居ると思っているのか。

 

 立ち上がれなければ人ではない。何かに頼るようでは人ではない。

 そんなの自分の理想で現実を定義しようとする思考。それは現実逃避と何が違う。

 

 

「それの何処に、真面目に生きる姿があるっ!」

 

 

 生きる中で、人は必ず挫折する。全ての願いが叶う事など、全てが自分の思い通りに動くなど、絶対にありはしないのだ。

 だから生きるとは挫折する事。失敗を重ねていく中で、人は夢と折り合いを付けて成長していく。

 

 

「お前たちはどいつもこいつも糞餓鬼だよっ! 自分の願望に浸って、そうでない世界は気に入らないとふざけやがって!」

 

 

 故にこそ挫折と向き合うのではなく、都合の良い異能に頼る彼らは餓鬼なのだ。

 そんな子供の理屈を振り翳す彼らにこそ、真面目に生きると言う言葉は相応しくない。

 

 

「そんなお前の下らない太極(こだわり)は、行燈にでも説いていろっ!!」

 

 

 燃え上がる思考で断言する。彼らの法則全てを下らない拘りと断言して、胸に宿った熱に振り回される。

 

 冷静に、透徹した思考で、そうでなければ見極めなど出来る筈もない。そんな思考をしていたのに――嗚呼、こんなにも熱くなってしまった。

 全てはコイツがこんな駄々ばかり口にするから、大人に徹しきれなくなってしまったのだ。

 

 

「はっはぁっ! 漸く、少しは良い面する様になったじゃねぇかよっ!」

 

 

 そんな罵倒を受けて、宿儺は楽しそうに笑みを変える。

 透徹した思考で勝機を探っていた青年が昔の様な熱を見せた事で、彼の子供心は逸り猛るのだ。

 

 

「おぉぉぉぉぉっ!」

 

「そぉぉぉらよっ!」

 

 

 拳を合わせる。蹴りをぶつけ合う。

 受け流し、身を守り、それでも傷は増えていく。

 

 

「そうさ。俺達は大人になれねぇクソ餓鬼さ。何時まで経っても過去が大事と縋り付いて、もう帰って来ねぇもんに期待して、そんな過去の残骸だっ!」

 

 

 無数の骨が折れた。身体は全身青痣交じり。

 歯は飛び、内臓は潰れ、それでもどちらも退こうなどとは考えない。

 

 

「お前の命は、そんな残骸と等価なのか? なら要らねぇよ、そんなもん!!」

 

 

 事此処に居たり、勝算も後の世界も全て一切眼中にない。

 結果を考える冷静さは既に消え去り、今を戦い抜くだけの熱に突き動かされる。

 

 

「こんな残骸は踏み台にして、鼻歌交じりに乗り越えていけっ! それさえ出来ねぇなら、無様に此処で死んじまえっ!!」

 

 

 脳内物質は過剰分泌。痛みも思考も全て忘れて、されど振るう拳は未だ極上。

 

 

「それが、テメェ達が示さねぇといけない仁義ってもんだろうがっ!」

 

「だからっ、そんなお前の拘りなんて、知った事じゃないって言ってるだろうがっ!」

 

 

 拳を合わせる。蹴りをぶつけ合う。

 受け流し、身を守り、それでも傷は増えていく。

 

 

「おぉぉぉぉぉっ!」

 

「らぁぁぁぁぁっ!」

 

 

 クロスカウンター。相打つ拳が刻まれて、両者の視界が点滅する。

 捩じり込まれた拳が意識を奪い、朦朧とする思考を保とうと必死に歯を食い縛る。

 

 微かに飛び掛けた意識を取り戻したのは、僅かに彼の方が早かった。

 

 

「認めるぜ、ユーノ・スクライア」

 

 

 それは或いは、必然の結末。

 冷徹な思考が断じた様に、未だ宿儺はユーノの一歩先を行く。

 

 

「テメェは確かに強かった」

 

 

 此処は夢界ではない。故にどれ程の精神力があろうとも、身体自体が付いてこない。

 青年には歪みはない。故にどれ程の精神力があろうとも、それが物理的な現象を引き起す事などあり得ない。

 

 ならば思考を捨てて殴り合った時点で、こうなる事は決まっていたのだ。

 

 

「けどなぁ、俺の方が上だった。結局はそれが全てだ!」

 

「っ!?」

 

 

 意識を取り戻した青年が身を庇おうと手を動かして、それが交差する前にその顔に天魔の拳が振るわれる。

 

 

「刻めよ、宿敵(ユーノ)っ!」

 

 

 それは紛れもなく至高の一撃。

 億年を超える生涯でも並ぶ事はない。唯一無二の全身全霊。

 

 

この拳(こいつ)が俺の全身全霊! 至大至高の一撃だぁっ!!」

 

 

 振るわれた拳が撃ち抜かれ、鮮血が宙に舞う。

 硬い鋼鉄の大地に小さな金属音が鳴り響いて、星を模った銀細工が地面に落ちた。

 

 

 

 此処に戦いは決着した。

 

 

 

「じゃあな。最初で最後の俺の敵」

 

 

 さらば、この世界において初めて出会った己の敵。

 さらば、この世界において最期の敵と認めた好敵手。

 

 その決着を付けた鬼は、傷を塞ぐ事もなく身を翻す。

 自身を極限までに追い詰めた敵を忘れぬ様に魂に刻んだ後、両面の鬼は振り返る事もなく消えていった。

 

 

 

 

 

4.

 ミッドチルダの星空の下、機動六課向けに建てられた寮の一室。

 

 

「ユーノ、君?」

 

 

 深夜遅く、眠りより冷めた女は、その胸に形容できない喪失感を抱いて呆然と呟く。

 

 

「あ、あぁ」

 

 

 破かれた写真を入れた写真立てに亀裂が入る。

 寝台の枕元に置かれた銀細工の首飾りが、パキリと音を立てて砕け散った。

 

 

「あぁぁぁぁ」

 

 

 理解した。

 理解した。理解した。理解してしまった。

 

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 旅人の星は地に落ちて、もう二度と帰らない。

 魂の繋がり故にそれを理解した女の瞳から、流れ落ちる涙が止まる事はなかった。

 

 

 

 

 

 




宿儺対ユーノ、これにて決着。
ユーノ自身が思っていたよりも重要度が高い彼が抜けた事で、鬱展開は加速します。






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第十二話 神座巡り

今回は全編に渡って、神座巡りです。


推奨BGM
1.黄泉戸喫(神咒神威神楽)



1.

 かつかつと音を立てて、階段を下りていく。

 機械仕掛けの扉を超えた先にあったのは、場違い感に溢れる木造建築。

 

 

「……まさか、機械仕掛けの研究施設の奥に、この様な場所があるとはな」

 

 

 管理局秘中の秘と言うべき研究施設の更に下層区画に用意されていたのは、まるで神殿を思わせる様な建築物。地下へと続く五重塔。

 

 

「この像。女性、ですか。……どうやら、碑文が刻まれている様です」

 

 

 その中央に座する台座。其処に刻まれたのは女の像。

 戦装束に身を包んだ美しい女は、何処か儚く脆い。余裕のなさを感じさせた。

 

 

「――その者、善を行う魂なれば、悪なくして生きられぬ。己を善なる者と信じねば、築き上げた屍山血河に圧殺されると恐怖するが故に」

 

「ロッサ?」

 

 

 その碑文を読み上げようとしたシャッハに先んじて、目を閉じたままヴェロッサは諳んじる。

 

 

「我が討ったのは悪しき者。滅ぼされてしかるべき邪な者。ならば我は正当なり。罪の意識など持っておらぬし持ってはならぬ」

 

 

 それは碑文に記された。この神の真実。

 神に仕立て上げられた女が抱いた。自己正当化の為の世界法則。

 

 

「世には正義と悪がある。我が滅ぼしてよい邪悪が要る。人は二種のみ、でなくばこの戦乱を許容出来よう筈がない」

 

 

 戦乱は凄惨だった。余りにも残虐で、余りにも救いがなくて、故に女は逃避する道以外を選べなかった。

 

 

「故にその者、天を二つに分断した。善なる者と悪しき者、光と闇が喰らい合いながら共生する宙を流れ出させた」

 

 

 第一天・二元論。それが女に与えられた神の号。

 座と言う遺物を最初に握った女であり、あるいは全ての始まりと呼べた法。

 

 

「これぞ始まりの理、始まりの座、初代の神が背負った真実の全てである」

 

 

 驚愕を顔に浮かべたシャッハとザフィーラへと振り返り、ヴェロッサはこの碑文について、この場所についてを語った。

 

 

「こいつは、神座世界(アルハザード)の記録だ。今は滅び去った、世界の真実とやらが刻まれた場所だよ」

 

「然り」

 

 

 その言を認める様に、被衣姿の女は頷いた。

 彼らの一歩先で立ち止まった女の表情は、目深に被った黒き被衣ゆえに見る事が出来ない。

 

 

「此処は神座世界(アルハザード)を記録した場所。嘗て、淤能碁呂島と呼ばれた場所に作られていた六重の塔。それを模して作り上げた、世界の真実を今に遺した場所だ」

 

 

 何処か古きに想いを馳せる様に小さく上を見上げて、女はそんな風に口にした。

 

 

「……そんなものは知ってるさ」

 

 

 感慨に耽る女に対して、捜査官である男は冷たく返す。

 それは監視と言う役割を負った彼だからこそ、知る事が出来た嘗ての真実。

 

 

「僕が誰の記憶を見続けていたと思っている。管理局の最高頭脳だぞ。……アイツの中身は最低だったけど、その分全ての叡智があった。此処に記されたであろう歴代の神格、その全てくらい当の昔に知っているんだ」

 

 

 嘗て、御門顕明と最高評議会はスカリエッティに全てを語った。

 嘗て、スカリエッティは全てを知らされる前から、管理局がひた隠しにしていた真実を全て調べ上げていた。

 

 ならばスカリエッティの内面を読み取った彼が、この地を知らぬ訳がない。

 

 

「……貴女が伝える事が、神座世界(アルハザード)の真実ならば、そんな物はもう要らないんだよ」

 

 

 ヴェロッサと、彼の直属の上司であるカリムとクロノ。

 真実を知らされた人数は少ないが、それでも全くの零ではない。

 

 故に此処で今更語られようと、得る物など何もないのだとヴェロッサは断言した。

 

 

「そう結論を急くではない」

 

 

 時間を無駄にしたくはない。

 そんな焦りが見える青年の言葉に、屍人の如き女は静かに告げる。

 

 

「物事には順序と言う物がある。お前たちが知るべき事、それには当然、順序があるのだ」

 

 

 唯口にしたとて、受け入れられない事はある。

 あるべき過程を見せずして、結論だけを語っても意味がない。

 

 そして、未だ男達の戦いは続いている。

 此処より僅か上、研究施設の最下層区画にて争い続けている。

 

 それに巻き込まれれば、彼らは更に戦力を失ってしまうだろう。

 盾の獣はあの地獄の中では生きられず、残る二人は敵にもなれない。

 

 故に、時間稼ぎは必要なのだ。

 

 

「付いて来るが良い。其方以外は知らぬ様だし、座を巡りながら暫し語らおう」

 

 

 既に警戒態勢は解除されている。この施設における最高権限者である顕明が、侵入者の排除は為ったと偽りの報告を伝えている。

 

 もう時間制限はない。故にこそ、彼女はゆるりと進んでいく。

 三人の侵入者たちは複雑な感情を抱きながら、そんな背中を追う事にした。

 

 

 

 ふと、ザフィーラは台座の横に刻まれた文字がある事に気付いた。

 

 

【以降、神座が奪い合いを常とするようになったのも、或いはこの神の呪いやも知れぬ。戦乱は無限に続く。始まりの座がそうした理を生んだのだから、この宇宙に真なる平和は訪れない】

 

 

 まるで殴り書きの様に記された記述。

 其処に記されたのは、全ての黒幕と呼べたかも知れない男の真実。

 

 

【その結末を見届ける為に、女と共にあった男は永劫の流離いを自身に課する。あらゆる宇宙、あらゆる座、あらゆる戦乱期の中枢に関わり続け、さりとて主演には決してならず、女に操を捧げたまま、不能者として物語を流れていく者】

 

 

 戦乱が続く事を望み、女が遺した神座が続く事を望み、全てが終わる時まで観測を続けた流れ続ける一人の男。

 

 

【観測者。この男が現れた時こそ、当代の座が亡滅する兆しである】

 

「……コイツは、もう現れたのか」

 

「いいや――もう二度とは現れんさ」

 

 

 ザフィーラの呟きに、御門顕明は首を横に振って返す。

 

 

「見届けるべき座を失くした以上、観測者に意味などないのだから」

 

 

 観測者はもう二度と現れない。

 彼の邪神に全てを砕かれた今、あれは存在する意味すら無くしてしまったのだから。

 

 

 

 

 

 階段を下りた先にあったのは、まるで鮮血の様な赤に満たされた世界。

 剥き出しの人間性を感じさせる赤き色の中枢に刻まれしは、軍神を思わせる壮年の男性像。

 

 

【その者、二元論における善側の王の一人として生まれるものの、完全なるその善性から、悪を滅ぼし尽せぬ己に悲憤を抱く】

 

 

 それは悪の一掃を望んだ、一人の男の記録。

 血反吐に塗れる程に、血涙を零す程に、どれ程に望もうとも叶えられない願いを抱いた男の記録。

 

 

【我と我が民たちは善ゆえに、縛る枷が無数にある。犯せぬ非道が山ほどある。それは戦において致命的な遅れを生むと分かっていても、善である以上は決行できない】

 

 

 二元論の法下において、強制されるのは無限の闘争。故にこそ悪は善を滅ぼせず、善は悪を駆逐出来ない。両者は常に並び立って、善は悪に奪われ続ける。

 

 

【事実、善の側は開闢以来、常に劣勢へと立たされていた。善とはそうでなければならないと言う理のもと、世界の覇権を狙うのは常に悪。敗北の淵で足掻き続ける光こそが善なれば、男は常勝の王たり得ない】

 

 

 それは、其処に生きる者にとってはどれ程の地獄であっただろうか。

 誰かを守る為に戦って、されど神が定めた理が故に闘争は終わらない。守ろうとした誰かすら、無限に続く戦場の中では失われてしまう。

 

 

【民を守れぬ。兵を生かせぬ。善たる己が悪を一掃できずにいる。その不条理への憤りが有した重量は、始まりの理を凌駕した】

 

 

 そんな理不尽を前に、男の怒りは極限を超えたのだ。

 故に男は神座へと至り、闘争の果てに新たな神へと辿り着いた。

 

 

「我が民たちよ。悪を喰らう悪となれ、一つで良い、その魂に獣を飼うのだ――果たして、彼は如何なる想いで、そんな世界を望んだのでしょうか」

 

「さて、な。此処にあるのは事実だけだ。込められた想いなど、今を生きる我々には分かるまい」

 

 

 碑文をなぞり疑問を漏らすシャッハに、ザフィーラは分からないと首を振る。

 悪の根絶を望んだ筈の男が生み出した世界は、悪党たちの楽園へと成り果ててしまうのだから。

 

 聖者の堕天――新たな理は、天下万民に刻み込められた原罪と言う形で具現する。

 堕天した世界。原罪を皆が持つ世界。皆に牙を持たせれば、無謬の善性などはあり得ない。

 

 悪と善が争う中で生きた男は、悪を排除する術を戦以外に知らなかった。故にこそ、皆に罪と言う牙を与えると言う結論に至ったのだ。

 

 誰もが悪に堕ちる事はあれ、善になる事はない。その理の中で文明が爛熟すれば必然、世界は悪に満たされていく。

 

 悪を喰らう悪と、唯の悪。それしかいない罪悪の世界。

 悪の一掃からは掛け離れた罪に塗れた世界こそが、第二天・堕天奈落。

 

 

「だが、其処に生きる者たちは、誰よりも人間らしかったのかも知れないな」

 

 

 善と悪。相反する二つを抱えるからこその人。

 堕天奈落とは、如何なる理よりも人間らしさに溢れた、そんな世界であったのだろう。

 

 そんな結論を抱いて、彼らは更に先へと進んでいく。

 

 

 

 

 

 続く神座は白き世界。だがそれは新雪の様な、と例える事など出来はしない。そんな病的なまでの白一色。

 

 無理矢理に漂白された様な、まるで無菌室にも似た白の中。

 其処に佇む神の像は、哲学者の如き若い男の姿をしていた。

 

 

【その者、ただ何処までも潔癖だった。他者は元より、己に宿る罪。それ自体が許せなかった】

 

 

 誰もが原罪を抱いた世界。

 其処に生まれ落ちた、世界中の誰よりも罪深い男。

 

 

【堕天の世は成熟と共に腐り始める。それは当然の事であり、故に破壊と再生こそが二代目の天が宿した法則】

 

 

 極大の罪を宿して生まれた彼は、即ちその破壊を司る者。

 傲慢なる者は与えられた役割のままに、世界全てを滅ぼして――そして極限を超えて悲嘆した。

 

 

【我はなんと罪深い悪なのだ。我の様な者を生んだ存在は、何と底知れぬ痴愚なのか】

 

 

 一度目の過渡期にて、世界全てを焼き尽くす。

 その己の所業に嘆きを抱いた男は、神座の略奪を決意する。

 

 罪深き神を弑逆する。そして己こそが完全なる世界を産み落とす。

 それは紛れもなく、傲慢の罪を抱いたからこそ選んだ所業。そしてその罪を拭わんと言う、何処までも悲想に満ちた祈り。

 

 

【罪を拭わんと言うその祈り、救済の嘆きをもって男は座を塗り替える】

 

 

 男は作り上げる。

 神に至る為に、神の力を奪い取る反天使を。

 神に至る為に、神座への道を切り開く天使を。

 

 罪悪の王(ベリアル)這う蟲の王(ベルゼバブ)中傷者(アスタロス)。そして、完全なる生命(アダム・カドモン)

 己と同じく極大の罪を宿した者を利用して。原罪なき存在を作り上げて。

 

 そうして男は座に至った。

 

 

【あらゆる罪業が駆逐された、穢れなき純白の天上楽土】

 

 

 第三天・天道悲想天。

 これぞ三代の座。この神の真実の全てである。

 

 

「過去三代。始まりの座より彼らは、善と悪の対立を続けていた」

 

 

 そんな碑文の記録を誰もが読み終えた後で、顕明は静かに問い掛ける。

 

 

「お前たちは、善とは、悪とは何だと思う?」

 

 

 善とは何か。悪とは何か。

 そんな女の問い掛けに、零を背負った彼らは思考する。

 

 

「さてね。そんなのに答えは出ないだろうさ」

 

 

 答えを出したのは、ヴェロッサ・アコース。

 善とは何か、悪とは何か、そんな哲学的な問い掛けに、答えなどは出ないだろうと言う答えを返す。

 

 

「あるのは唯、この神様方みたいな極論か、それともう一つ、酷く現実的な答えくらいか」

 

 

 その上で、彼ら三代は正しく善と悪の攻防であったのだと認める。

 極論を突き詰めた様な思考であれ、彼らは常に善と悪を掲げ続けていた。

 

 そんな彼らにしてみても、善とは何かとは極論染みた答えしか出せぬ問いであろう。

 

 悪でない事。悪と対立する事。悪の敵は果たして善か。

 それに是であると言う答えを上げたのが二元論なら、悪の敵として更なる悪を生み出した堕天奈落は否と言う答えを上げたのであろう。

 

 悲想天の結論は悪性の完全排除だが、果たして悪を失くした人間は善人以前に人と呼べる存在なのか。

 

 

「善の定義は難しいけど、悪の定義は簡単だ」

 

 

 善は分からぬ。されど悪は明確だ。

 それはヴェロッサだけではなく、この場の誰もが抱いた結論。

 

 

「貴様や最高評議会。お前たちは超えてはいけない一線を超えた。それは紛れもなく、“悪”であるのだろうよ」

 

「……そうさな。我らは悪であろう。如何なる祈りを抱こうとも、それは決して揺るがぬのだ」

 

 

 ザフィーラの告げる結論に、顕明は何処か寂しげに言葉を漏らす。

 

 

「だがな。最初から、そうだった訳ではない」

 

 

 何時しかこうなってしまった己たち。

 だが最初から、そうであった訳ではない。

 

 

「私達は、彼ら最高評議会は、決して、それだけではなかったのだ」

 

「…………」

 

「……それは、次の座を見た後で語るとしよう」

 

 

 言って先に進む顕明の背を、誰もが何も語らずに追い掛けた。

 

 

 

 

 

 次に辿り着いた部屋。其処は息苦しい青に満たされた世界。

 ある種の閉塞感に満たされていて、何処にも出口なんて見つからない。

 誰も何処へも行かせない。そんな男の情念が生み出した、永劫に回帰する宙の記録。

 

 そんな空間の中央に、刻まれしは枯れ木の如き長髪の男。

 病的なまでにやせ細った彼の人物は作り物の像だと言うのに、どうしようもない程に強烈な妄念を纏っていた。

 

 

【その者、特異な存在なり。三代の座にとって、この男は別の時間軸と宇宙から飛来してきた怪物に他ならない】

 

 

 その男の真実は、余りにも摩訶不思議な事実の上に成り立っていた。

 

 

【原因と結果を入れ替えた事で発生した彼の宇宙は、歴代でも類を見ない程に摩訶不思議なものと化す。神座となった彼が、原因不明の既知感に苛まれたまま放浪すること幾星霜。その果てに出会った女へと、強烈なまでの恋慕の情を抱く】

 

 

 貴女に恋をした。そう口にして跪く青き蛇。

 黄昏の乙女は無垢故に、それの意味も知らずに無邪気な言葉を返す。

 

 

【我はこの女に殺されたい。この女の手によって、この生を終わらせたい。その刹那に、至上至高の未知が欲しい。男の願いはその一点。だが男がそんな願いを抱いたのは、世界の終焉。己が半身である黄金の獣に殺害された瞬間であった】

 

 

 渇望とは、渇き餓える程に希う事。

 全能の神として発生した男が叶えられぬ渇望を抱いたのは、己の死が目前に迫った刹那であった。

 

 覇道神とは渇望を抱かねば至れぬ存在。

 故に第四の蛇が神となったのは、己が死するその瞬間だ。

 

 

【神になる為にはまず流れ出さねばならぬのに、男は死んだ瞬間に流れ出す事で神として誕生する。意味が分からない。理屈が通らない。神でなければ座を掌握出来ぬのに、彼は生まれた時から座を掌握していて、死ぬ瞬間に神になるのだ。誰が見ても分かる程に、筋道として破綻している】

 

 

 最初から破綻していた。それは宛ら身喰らう蛇(ウロボロス)

 メビウスの輪の如く、始まりと終わりを失った無限にループし続ける神の法則。

 

 

【我を殺して良いのは彼女のみ。故に嫌だ。故に認めぬ。我はこんな死に方などしたくない】

 

 

 その結論は永劫回帰。

 同じ世界を繰り返す事で、何時か望んだ結末へと至ろうとする回帰の法則。

 

 

【爆発する恋情と悔恨が生み出したのは、万象遍く者が無限に同じ生を繰り返す回帰の理。男は理想の死に辿り着くまで、何度でも同じ生を反復する】

 

 

 その理の世界において、人は死ねば己の母の胎内へと回帰する。

 同じ人として生まれ、同じ様に育ち、同じ人生を過ごして、同じ死に方へと至る。

 

 それは他ならぬ神とて変わらない。

 愛しい女に出会う為に可能性を極限まで封殺するしかなかった蛇は、全く同じ生涯を辿って全く同じ結末を迎えるのだ。

 

 

【原因不明の既知感は、即ちそれが理由である。無限に繰り返す蛇は、同じ生を繰り返すが故に至高の幕へと辿り着けない】

 

 

 もう嫌だ。もう同じ繰り返しなどしたくはない。

 そんな風に感情全てが摩耗しても、それでも蛇は次こそはと繰り返し続ける。

 

 

【愛する女神よ。宝石よ。どうか慈悲を以って、この喜劇に幕を引いて欲しい】

 

 

 願うはそれだけ。その結末が未来永劫やって来ないと分かっていても、永劫に回帰を繰り返す。

 

 

【その抱擁に辿り着く為ならば、森羅万象あらゆる全ては彼女を主役とした舞台装置。我が脚本に踊る演者なり】

 

 

 これぞ四代目の天。第四の座が背負った真実の全てである。

 

 

「……なんと言うか、凄まじいですね」

 

 

 無限に繰り返す生と死の狭間で、僅かな差異を積み重ねて至ろうとした。

 そんな蛇の執念を知って、シャッハ・ヌエラはそう呟くしか出来なかった。

 

 

「知識じゃ知ってたけどね。愚行にも程があるだろ」

 

 

 男の為した所業を愚かと断ずるのは、ヴェロッサ・アコース。

 

 

「同じ女と出会いたいから、世界が分岐する可能性を極限まで封殺して。……結果無限に振られ続ける。結局、コイツは何がしたいのか」

 

 

 惚れた女に会う為に回帰を繰り返し、惚れた女に拒絶され続ける。

 全能の力を振るえば容易いだろうに、それすらせずに同じ事だけを繰り返し続けて摩耗していった水銀の蛇。

 

 その所業は、確かに愚かと言うより他にないのだろう。

 

 

「愛するが故に振られ続け、その果てに摩耗しようとも愛するが故に終われない、か」

 

 

 だが、同時に何処までも純粋だ。

 偏執的で、妄執に満ちて、恋情に狂った蛇は唯只管に純粋だった。

 

 

「……良く言えば純粋なのだろうが、やっている事は性質の悪い変質者そのものだな」

 

 

 摩耗した果てに、それでも抱かれる事を夢見た。

 その夢を現実の物としたいから、叶わぬと知っても繰り返す。

 

 そんな蛇の恋慕の情は、決して誰にも否定できはしないだろう。

 

 

「摩耗する。摩耗するのは、この蛇の理に限った話ではない。長く生きれば、誰もが摩耗するものよ」

 

 

 そんな彼らに対し、御門顕明は伝える。

 それは先の問答の続き。最高評議会は単純な悪ではないと言う事実。

 

 

「最高評議会も古くは、己の役割に誇りを抱いていた。その意志は正しく善性の物であり、望んだのは唯争いなく人々が生きられる太平の世」

 

 

 在りし日、近代ベルカが崩壊するその時に、幼き彼らはゆりかごを見た。

 絶望に満たされた戦場の中で、尊く輝き全てを終わらせた。その至高の輝きを瞳に焼き付けたのだ。

 

 故にこそ彼らは決意する。この輝きを絶やしてはならない。偉大なる聖王が守った世界は、我らが後に繋いでいかなければならないのだ、と。

 

 

「だが、そうするには時世が悪過ぎた。善だけでは、悪を為さねば、立ち向かうだけの力すら得られなんだ」

 

 

 大天魔の跳梁跋扈。住まうべき世界は永く続いた戦乱に疲れ果て、ミッドチルダと言う世界は今にも滅び去ろうとしていた。

 そんな世界を守り抜く為には、どれ程非道であろうとも手段などは選べなかったのだ。

 

 

「傷付けて奪う。犯して奪う。殺して奪う。己の所業を悪と認めて、そう為さねば滅びしかないから、だからその選択を選び続けた」

 

 

 だから悪を為した。正義の志を胸に抱いて、善が救われる結末を夢見て、極少数の犠牲と引き換えに最善の成果を出し続けた。

 

 

「せめて少しでも犠牲を減らしたいと、だがその果てに積み重なっていく屍は余りにも重過ぎたのだ」

 

 

 無数に散らばったロストロギアを集め、どれ程の人々を踏み躙ろうとも戦力を一点に集めて、遂には大天魔を撃退出来る程の勢力を作り上げた。

 

 だがその時には、もう彼らは変わってしまっていた。

 

 

「人は慣れてしまう生き物だ。初めて為した悪を許されぬと受け止めても、次に同じ場面に出くわせば初めての時よりも軽い気持ちで犠牲を許容出来てしまう」

 

 

 罪を為した。非道を為した。許されぬ悪となった。ならばそれに対する成果を。

 

 これでは足りぬ。これでは足りぬ。こんな結末では足りぬのだ。

 

 

「そうしていくとな、何時しか雁字搦めになっていく。悪を許容したのだから、それ以上の結果を。この犠牲は許容したのだから、次の戦果の為にも同じ犠牲を。……後はもう、堕ちていくより他にない」

 

 

 そうして積み重ねた楼閣が、終焉の怪物の前に砂上の如くに崩れ落ちた。

 そうなってしまった瞬間に、あの老人たちは最早戻れぬ程に壊れ果ててしまったのであろう。

 

 

「若き日の彼らは、今のお前たちを見ているようだった」

 

 

 誰よりも強く輝くエース。

 悪を背負って尚前に進む事を決意した英雄。

 そして存在しない数字を背負い、切られる事を良しとした者たち。

 

 そんな彼らは、嘗ての最高評議会に良く似ている。

 

 

「理想に熱く、誇りを抱いて、何よりも民の為に生き続けた」

 

 

 犠牲を出したのは、後に続く世界の為に。

 悪を許容したのは、今を生きる民草の為に。

 

 

「そうでなくば、どうして肉体を失ってなお在り続ける。守ろうと言う意志すら紙細工だったならば、魂が腐り落ちていく苦痛に耐えられよう筈もない」

 

 

 脳髄だけに成り果てても生きたのは、このままでは死ねぬから。

 全てを投げ出してしまえば楽だろうに、それでも犯した罪に対する贖いの為に最高評議会は生き続けている。

 

 

「彼らは変わった。欲に溺れ、権力に溺れ、罪の重量に溺れ続けた」

 

 

 壊れた彼らは我欲に溺れた。壊れた彼らは権力に溺れた。

 守るべき民を独善と我欲の為に傷付け続ける今の彼らは、最早害悪としか呼べぬであろう。

 

 

「だがそれでも、彼らが望むのは救済だ。嘗て抱いた理想はどれ程に曇ろうとも、それでも揺るがずあるのだよ」

 

 

 それでも、彼らは夢に見ている。嘗て己たちを救い上げた聖王の下、最早誰も傷付かぬ世界が訪れる事を夢に見ている。

 

 それに至らせるのが己たちの責務であり、どれ程に苦しもうともその日が来るまでは死ねぬのだと。

 

 

「なら、何をしても良いって言えるのですか!」

 

 

 そんな評議会の意志を告げられて、反発する様に口を開いたのは神殿の騎士であった。

 

 

「何時か救うから、今苦しめる事を許容する! 後の世界の為に、見知らぬ誰かの幸福を踏み躙る! 守らないといけない人まで苦しめる事が必要と言うなら、一体何の為に戦っているのかすら分からなくなってしまう!」

 

 

 己が剣は、守るべき人の為に。

 誰よりもそう誓った女だからこそ、その在り様は認められない。

 

 手段が間違っている。過程を間違えている。

 そんな間違いだらけの道を先に進んだとして、その結末に求める何かは本当にあるのか。

 

 

「いいや、悪いさ。彼らは拭い切れぬ程に、擁護出来ぬ程に悪であろうさ」

 

 

 きっとない。手段と目的を取り違えてしまった最高評議会に、最早救いなどありはしない。

 

 彼らが救いたかった人はもういない。

 彼らが辿り着きたかった未来は、きっとそうではなかった筈なのだ。

 

 他ならぬ彼ら自身が奪った。先の世の為に、今を生きる人々を殺した。

 守ると誓った者を奪って、その果てに重ねた願いは既に破綻している。

 

 欲しかったのは、守ると誓った彼らが笑顔で生きる太平の世。だがもう二度とは叶わない。

 理想郷を築き上げたとしても、其処で生きて欲しかった人々はもういないのだから。

 

 

「だがな」

 

 

 間違った。彼らは間違えた。目的の為であっても超えてはならない一線があると言うのに、結果だけを求め過ぎて間違えてしまった。だがそれは、彼らだけに訪れる末路ではない。

 

 

「忘れるなよ。お前たちは、何時でも第二の最高評議会になり得るのだと言う事を」

 

 

 若き頃の彼らに良く似た次代の子らにも、同様の事は起こり得るのだ。

 

 

「一度悪を許容すれば、悪への抵抗は薄れてしまう。一度罪を背負えば、その重さ故に引き返せなくなってしまう」

 

 

 既にその道を進んでいる。悪を許容し、荷を背負う事を良しとした。

 

 背負ったモノが重くなり過ぎれば、もう引き返せない。

 越えてはならない一線すらも、背負った重みと比較して軽くなってしまえば、あっさりと踏み越えてしまうであろう。

 

 

「お前たちは似ている。理想に燃え、誇りを胸に、結果の為に多少の悪を許容してしまうその在り様。在りし日の彼らと、悲しい程に似ているのだ」

 

「違う」

 

 

 悲しげに告げる言葉に対し、ヴェロッサは熱を抱いて否定する。

 

 

「僕たちは、ああはならない。ああなって堪るものかっ!」

 

 

 知っている。彼は知っている。

 その読心にて古代遺産管理局の全員を覗き見たが故に、その胸に抱いた誇りを知っている。

 

 その熱き輝きがあんな濁った色に成り果てるなど、彼が認める訳にはいかないのだ。

 

 

「……ならば、忘れぬ事だ」

 

 

 そんな若き咆哮に笑みを浮かべて、御門顕明は伝えるべき言葉を口にする。

 

 

「始まりに抱いた願いを。越えてはならぬ一線を。どれ程に罪が重くとも、壊れる程に魂が軋んだとしても、迷いの果てに自害を望む様になったとしても、……間違った道を選んではいけないのだ」

 

 

 間違えぬ為に、誤らぬ為に、忘れてはならない事が確かにある。

 最初に抱いた原初の祈り。それを忘れる事さえなければ、きっと間違えずに居られるだろう。

 

 

「間違えるなよ。お前たちは善であれ」

 

 

 悪を許容するな。例え罪を背負おうとも、為すのは正義でなければならない。

 善を否定するな。例え綺麗事にしか聞こえずとも、それさえ否定してしまえば道を間違える。

 

 

「間違えるなよ。間違えた結果など、我らだけで十分なのだ」

 

 

 その言葉は何処までも切実な想いを含んでいたから、誰もが無言で胸に刻んだ。

 

 間違えない。

 この道を進む彼らは、きっと間違えはしないのだ。

 

 

「次で最後だ。……本来の六層を用立てていないこの場所は、次の座にて終わりとなる」

 

 

 告げるべき事を伝えて、御門顕明は身を翻す。

 

 

「見ると良い。古き世の守護者たち。その誰もが認めた美しき黄昏の世界を」

 

 

 後に伝えるべきなのは、その美しい世界。

 黄昏の流れを汲む彼らならば、きっと至れるだろう世界である。

 

 

 

 

 

 秋の夕暮れ。一面の稲穂畑の如き金色。

 階段を下り終えた彼らを迎え入れたのは、何処までも優しい黄色に満ちた部屋。

 

 その中央の神座に座すは、優しげに微笑んだ少女の像。見ただけで分かる程に、慈愛に満ちた女が刻まれていた。

 

 

【その者、神に改良された神座なり。第四天の後継者となる為に、喜劇の主演に引き立てられた】

 

 

 水銀の蛇が恋した女神。

 彼の治世の主演に選ばれ、喜劇の舞台を歩いた女。

 

 

【ある意味で最も神に嘲弄された存在だが、彼女に憤りや嘆きはない。何故ならその生涯において、他者と関わる事が一切出来なかった存在であるが故に】

 

 

 罰当たりな娘。血を望む少女。

 無垢なる魂を抱いた女は、何も為さぬままに生きて死んだ。

 

 

【強固な呪いを宿して生まれ、触れば首を刎ねてしまう。ならばこそ誰も触れ得ぬ宝石として在り続けたが、その本心では他者との触れ合いを切に願っていた】

 

 

 その在り様に魅せられた神が、彼女の為に首飾りを作り上げる。

 己の血を宿した戦神。その男を番として、無垢な女に世界を教えた。

 

 

【先代が見出した喜劇の中で立ち回る日々が、彼女を溶かして変えていく。愛する男と共に過ごした刹那の中で、失ってはならない輝きの尊さを知り、真に完全なる神へと変貌する】

 

 

 誰にも触れられない宝石は、触れ合う肌の温かさを知った。

 生前では終ぞ得られなかった輝きを、死した後に得た女は極大の祈りを抱く。

 

 

【抱きしめたい。包みたい。愛しい万象、我は永久に見守ろう】

 

 

 愛する男の生きる刹那を、誰もが当たり前に生きる世界を、この万象を永久に見守ろう。

 

 

【世に悲劇や争いはなくならない。だが、異なる物を排斥する事は選べない。故に女神は抱きしめた】

 

 

 大丈夫。私が皆を抱きしめるから。

 

 

【善も悪も何もかも、悲劇を失くす事は出来ない。けれど、輪廻の果てには誰にも救いが訪れると信じて、その時が来る日まで遍く全てを抱きしめ続けた】

 

 

 それは単純な救いにはならない。直接的に誰かを救った訳ではない。

 安易に救いの道を与えるのではなく、何時か訪れる救いの日まで頑張れる様に、優しく抱きしめて背を押していく祈り。

 

 共にあって、抱きしめて、もう大丈夫だよと伝え続ける。

 そんな母の愛に満たされた世界こそ、第五天・輪廻転生。

 

 

【遍く全てに降り注ぐ慈愛の光は、抱きしめると言う母性愛。優しき母を嫌う事など出来ぬ様に、彼女の下には彼女を守ろうとする神が集った】

 

 

 永劫回帰。修羅道至高天。無間大紅蓮地獄。

 その時代を生き、その手を神座まで届かせる事が出来た神々は、誰もがその祈りを尊いと認めた。己の掲げる至高よりも、守り抜かねばならない祈りであると確信したのだ。

 

 

【荒ぶる戦神達も、彼女の慈愛に抱かれればその矛を収める。その愛を尊いと知り、故に守る事を誓った三大の神が居る限り、女神の治世は揺るがない】

 

 

 これぞ第五の天。黄昏の女神が真実の全てである。

 

 

「最悪の邪神に滅ぼされる迄、この世界は優しさに満ちていた」

 

 

 最悪の法下に生まれた女は、その優しき世界で生きた子らの末裔へと言葉を掛ける。

 

 

「お前たちは、その時代を生きた子らだ。この世に生きる人々は、その黄昏の末裔なのだ」

 

 

 それは神代より続く願い。

 古き世に滅び去った者たちの、後に託すべき祈り。

 

 

「無間大紅蓮地獄――夜刀殿が守りし子らよ。お前たちは、この輝きを取り戻さねばならない」

 

 

 黄昏に生きた子らの末裔よ。

 お前たちは、黄昏の残滓たちが納得できる結末に至らねばならない。

 

 

「これと同じか、これを超える様な、そんな結末に至らねばならない」

 

 

 この尊い輝きに並び立つ程に、美しい世界を目指さねばならない。

 

 

「でなくば、誰も報われない。余りにも救いがない結末となるだろう」

 

 

 そんな言葉は何処までも寂しげで、だからこそ激情を返す者は居なかった。

 

 

「私達に、出来るのでしょうか」

 

「出来ねば、誰もが抱いた祈りが無為となるだけよ」

 

 

 シャッハの迷いに、顕明は冷徹に告げる。

 

 

「無茶振りにも程がある」

 

「それでも、為さねばならぬのだ」

 

 

 ヴェロッサの口にしたボヤキに、顕明は済まぬなと小さく呟いた。

 

 

「この神座の裏を見ると良い」

 

 

 そうして、彼女は最後に託す物を次代の子らへと見せつける。

 黄昏の女神の神座の裏。其処に置かれて居たのは、黒く輝く巨大な刃。

 

 

「……これは、ギロチン?」

 

「管理局が犯した罪の一つ。砕けた至宝の一つ。罪姫・正義の柱(マルグリット・ボア・ジュスティス)

 

 

 所々に亀裂が入り、刃先が零れ落ちた断頭台の刃。

 管理局が砕き、砕けた欠片を無限の欲望が利用し、そして最後に残った残骸が其処にあった。

 

 

「それを砕いた事は、彼らをして恐れる程の事だった。為した後になって、神を怒らせたのではと震え戦いた。故に、この場所で祀り上げたのだ」

 

 

 神の愛する宝石を砕いた。その行為は、恐れるモノがないと思わせる最高評議会をして、罪悪感を抱いてしまう物であった。

 神の怒りが堕ちて来るのではないか、そう懸念を抱いた彼らはこの五重塔を作り上げ、黄昏の御座の下に安置したのだ。

 

 

「触れれば首を立つ呪いは、未だ微かに残っている。だが、盾の守護獣ならば手に取る事も可能であろう」

 

 

 これを手に出来る者は限られている。直接触れる事の出来る者は、数が酷く少ないのだ。

 

 欠片となった原初の種ならば兎も角、断頭台本体に触れるのは極僅か。

 嘗てこれを此処に移動させた全盛期の顕明と、神の力を引き継ぐザフィーラかトーマ。

 

 顕明が真面に動けぬ今、これに触れる事ができるのは彼らしかいないのである。

 

 

「持っていけ。今の我らには最早不要な物だ」

 

 

 故にこれを託す。

 次代を生きる彼らへと、その至宝を此処で託した。

 

 

「忘れぬなよ。抱いた祈りを。間違えるな。至るべき場所を」

 

 

 その至宝に魅入られる彼らの背に、女は最後の言葉を伝える。

 

 

「そして、……そうだな。皆に伝えて欲しい」

 

 

 伝えるべきは一つ。

 これから先を目指す彼らに、唯一つの言葉を伝えた。

 

 

「真に愛するならば、壊せ」

 

 

 それは師より受け継いだ言葉。

 本来ならば彼女が口にするのが相応しく、だがもう表に出て来れない以上は自分が伝えるしかない言葉。

 

 

「真に愛する者があるならば、世界を真に愛するならば――その愛を以って壊すのだ」

 

 

 今の世は閉塞している。

 故にこそ、破壊の果てにしか未来はない。

 

 

 

 

 

「……最早、お前たちに伝えるべき事はない」

 

 

 全てを語った。最早語るべき事などない。

 

 神座の歴史を伝え、与えねばならぬ助言を伝えた。

 最高評議会の思惑も、彼らが引き摺り出したこの施設の情報記録の中に残っている。

 

 故にこそ、最早此処には価値がない。

 

 

「この先に進んだ場所に、地上へ続く脱出路が存在する」

 

 

 時間稼ぎも終わった。

 研究施設の最下層で戦っていた男達も、もう決着が付いた頃であろう。

 

 あの戦場の地は、ちょうど脱出経路の途中にある。その道を先に進めば、或いは青年を回収する事も出来るであろう。

 

 

「さあ、先に進むのだ」

 

 

 断頭台を背負ったザフィーラ。

 この施設の情報を全て抜き取った端末を手にしたヴェロッサ。

 そんな二人を護衛するかの様に、シャッハは武器を構えながら先へと進む。

 

 最早振り返らない。言葉も返さない。

 知るべきは知ったから、最早振り返る意味などない。

 

 だからこの邂逅を胸に刻んで、彼らは無言で先を目指した。

 

 

「――我らが至れぬ先へ、次代の子らよ」

 

 

 腐臭を漂わせながら崩れ落ちていく身体を支えて、力を失くしつつある瞳でその背を見詰めた。

 進んで行く彼らの背を見詰めながら、想うのは強念に至る程の感情だ。

 

 まだ死ねない。まだ終われない。だからあと少しだけ、後一度だけ、持ってくれと祈り続ける。

 

 この場より動く事さえ難しい程に消耗した女は、次代の可能性が芽吹くその日を夢見て息を吐いた。

 

 

 

 

 

 この一手はきっと、起爆剤となるであろう。

 至るべき結末は、最早誰にも読めはしない。

 

 誰もが立てた算段は、誰もが予期できぬ程に狂ってしまっているのだから。

 

 

 

 

 




神座巡り。顕明の助言。断頭台獲得。
の三つで構成された今回でした。

ユーノがどうなったのかは次回。
それが終われば、次はホテル・アグスタを予定しています。



Q.顕明さん何で淤能碁呂島知ってんの?
A.多分御前試合の後、正式な婚約者になった冷泉が連れてった。(淤能碁呂島は中院冷泉の所領)
 或いは穢土に飲まれた後、龍明殿の記憶でも見たとかそんな感じ。






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第十三話 残された傷痕

まとめ回兼、次話への繋ぎ回。
書いてみたら想定よりかなり長くなりました。


推奨BGM
2.AHIH ASHR AHIH(Dies irae)
3.黄泉戸喫(神咒神威神楽)
4.Paradise Lost(PARADISE LOST)


1.

 一夜が明けた翌朝。古代遺産管理局の局長室にて、二人の男が向かい合っている。

 

 椅子に深く腰かけた男クロノ・ハラオウンは、渡された資料に目を通した後、その視線を対面に立つ男へと向けた。

 

 

「まずは、良く戻った。これだけの戦果があれば、如何様にでも動けるだろう」

 

 

 その労いの言葉。それを素直に受け取る事が出来ない長髪の男は、首を横に振って言葉を返す。

 

 

「……犠牲を出してしまった以上、僕たちは役を果たせたとは言えないでしょう」

 

「ユーノ、か」

 

 

 今回の作戦における唯一の犠牲者。

 古代遺産管理局設立以来の最大級の犠牲の一つ。

 

 己の親友の現状に、クロノの纏う空気も自然と重くなる。

 

 

「厳しい言い方だが、お前たちは犠牲を出す事も前提とした部隊だ。……それは、分かっているな」

 

「……ええ」

 

「なら、まずは受け止めろ。役割はしっかりと果たしている。アイツ一人の犠牲に対して、これだけのリターンを得たのならば、それは確かな戦果なんだ」

 

 

 それでも、彼は統率者としてそんな言葉を口にする。

 その拳を握り締めたまま語られる言葉に秘められた感情に気付いたからこそ、ヴェロッサ・アコースはそれ以上自責する事も出来なかった。

 

 

「……はい」

 

 

 常の飄々とした態度を見せる余裕もなくして、力なく頷く長髪の青年。

 そんな彼の様子を見て、クロノはそう気に病むなと言葉を重ねた。

 

 

「それに、アイツも一命は取り止めたんだろう?」

 

「……本当に、命だけはと言った所ですが」

 

 

 ユーノ・スクライア。

 機動零課の手によって回収された彼は、辛うじてその命を保っていた。

 

 

「意識不明の植物状態。徐々に衰弱が進んでいる事を思うと、一体何時まで持つ事か」

 

 

 だが、その有り様は余りに悲惨。

 全身の骨は圧し折れ、内臓が幾つも機能不全となっている。

 

 肺が潰れた結果、脳に酸素が送られなくなり脳死判定。

 辛うじて息を繋ぐ今は、呼吸さえも機械に頼った植物状態だ。

 

 

「……スカリエッティは、未だ戻らないのですか?」

 

「ああ、奴は未だ最高評議会に拘束されている。……こちらに戻るのは、当分先になるだろうな」

 

 

 あの狂気の研究者ならば、あの状態からでも治療出来るのではないか。そんな期待の籠ったヴェロッサの言葉に、クロノが返す。

 

 衰弱は徐々に悪化している。命運は今にも尽きようとしている。

 そしてこの組織で最も優れた頭脳を持つ人物は、今は席を外して戻らない。

 

 最悪と言っても良い状況。彼が失われる事を、誰もが半ば確定している事だと捉えていた。

 

 

「だが、そう案ずるな」

 

 

 ただ一人、クロノ・ハラオウンと言う男を除いて。

 

 

「医療に限れば、月村も多少見劣りする程度。奴が戻るまでの延命ならば、彼女にも可能だろうさ」

 

 

 状況は悪い。展望は開けていない。

 理屈で考えれば、ユーノ・スクライアには先がない。

 

 

「それに、ユーノ・スクライアだぞ?」

 

 

 それでも、男は信頼している。

 知っているのだ。確信している。

 

 アイツはこのままでは終わらない。

 

 そう信じる理由なんて唯一つ。

 確証なんて欠片もない。馬鹿な男の言葉と否定されるだろう理由。

 

 

「アイツの事だ。自分の惚れた女を泣かせたまま、死んでしまう事はないだろうさ」

 

 

 惚れた女を残して、アイツが死ぬ訳がない。

 そんな親友に対する、それが男の結論だった。

 

 それは安易な楽観論だ。現実逃避にも似た理想論だろう。

 そんな現実を見れていない、自己完結した理屈にもなっていない理屈である。

 

 それでも――

 

 

「信用、ですかね」

 

「信頼だよ。僕の親友は、そういう男だ」

 

 

 其処には信頼がある。其処には友情がある。

 

 故にこそ、彼はそう信じて揺るがない。

 悲しむ理由も、諦める理屈も、クロノ・ハラオウンには存在しないのだ。

 

 

「さて、話を戻すぞ」

 

 

 故に、彼が為すべきは唯一つ。

 親友が身体を張って得て来た戦果を、確かな形で生かす事。

 

 

「今回得た情報、最も重要なのは何だか分かっているか?」

 

「……完全なる人間(アダム・カドモン)、ですかね」

 

 

 彼がそう断じるのなら、気にし過ぎるのは彼らへの侮辱だ。

 そう思考したからこそ、ヴェロッサは感情を押し殺して話を合わせた。

 

 

 

 完全なる人間(アダム・カドモン)

 極秘研究所に残された情報より読み取った、その存在こそが最高評議会が企む策の根幹を為す存在。

 

 

「甦る聖王。槍の担い手たる聖餐杯。……それは即ち、反天使と対を為す、原罪なき熾天使」

 

「ヴィヴィオ・バニングスこそが、最高評議会のアキレス腱だ」

 

 

 天使とは罪を持たぬが故に、天国への門を開ける存在。

 王冠(ツォアル)と言う座への道を切り開き、世界に福音を齎す者。

 

 即ち、生まれついてより座と繋がった存在。

 神の御使いとは、穢土夜都賀波岐と同じく神の欠片の一つである。

 

 

「最高評議会は反天使に夜都賀波岐の足止めをさせている間に、完全なる人間の手によって、神を直接討つ心算だったようですね」

 

 

 遥か嘗て失われた技術より再現された純粋無垢なる存在は、最初から神と繋がっている。

 故に、天使は望めば何時でも座に至れる。その妨害が出来るのは、同じく同調可能な大天魔のみである。

 

 

「天使は何時でも神の座に至れる。そして今の消耗した神ならば、黄金の槍で確実に滅ぼせる。勝算自体は結構高かったようですよ」

 

「……反天使の裏切りさえなければ、な」

 

 

 故に管理局最高評議会が求めたのは、聖王の完成と大天魔を封殺出来るだけの戦力。

 完成を進める為の糧こそが英雄達であり、そして大天魔を相手取る剣と盾こそが反天使であった。

 

 だが、その想定も反天使の裏切りによって水泡に帰した。

 下位の大天魔なら足止め出来る魔群や魔鏡ならば兎も角、両翼相手に時間稼ぎが可能な魔刃の喪失は痛過ぎたのだ。

 

 故に最高評議会は、手段を選ばずに代替案を求めている。

 古代遺産管理局がどれ程に挑発行為を重ねようとも、明確な妨害行為に出ないのはそれ故だった。

 

 

「反天使が使えなくなった今、彼らはその役割を僕らに果たさせようとしている」

 

「同時に聖王陛下を未完成のまま僕らに預ける事で、更に高次元へと至らせようとしている訳ですか。……こちらには、トーマ君が居る訳ですしね」

 

 

 両翼を相手取れるであろう太極の男女。

 残る大天魔に対するは、機動六課のエース達。

 

 彼らに反天使の代わりをさせる事。

 そして神に至る少年を取り込ませる事で、ヴィヴィオを神へと至らせる事。

 

 それこそが、最高評議会の企みの全てであった。

 

 

「ヴィヴィオ・バニングス、か」

 

 

 そんな薄汚い大人の理屈に巻き込まれる。罪なき少女の事を思う。

 

 

「……確かに、あの子は天使と呼べるくらいには愛らしい子だけどね」

 

「おや、何かあったのですか?」

 

「ああ、お前たちが居ない間に少し、な。……あの子達の気分転換も兼ねて、歓迎会の様な物を行ったのさ」

 

 

 重苦しい空気を払拭するかの様に、何処か悪戯めいた表情でクロノは口にする。

 

 

「中々に楽しめたぞ。BINGOゲームの賞品が何時の間にか、ヴィヴィオがほっぺにキスする事になっていて、それを知ったアリサが暴れ出す、とか言うトラブルもあったがね」

 

「頬の火傷はそれが故、ですか。……微笑ましい話だね」

 

 

 誰の仕業だ、と烈火の如く怒り出す女の表情が目に浮かぶ。

 そんな風に笑って、ヴェロッサは敬語を崩した。

 

 

「天使の口付けを貰った羨ましい人物は、一体誰かな?」

 

「ふっ、何故僕がこんなに火傷を負っていると思っている」

 

「成程、ま、燃やされても仕方がないくらいには、幸運だったんじゃないかな?」

 

 

 そんな風に馬鹿な話で軽く笑って、空気を切り替えた男達は真剣な表情に戻る。

 

 

「ま、そんな下らない日常を重ねてる訳だ。……下らないけど、確かに大切な時間だった。士気は確かに上がっただろうさ」

 

 

 悲喜交々に、馬鹿げた日常を続けていく。

 何処か微笑ましく、何処か温かく、そんな日常が其処にある。

 

 

「ああいう子供は、そんな日常の中で生きるべきだ。天使だか聖餐杯だか知らんが、大人の都合であの子の未来を変えて良い訳がない」

 

 

 だから、唯の子供は其処で生きるべきなのだ。

 少なくとも、大人の勝手な事情で振り回してはいけないのだ。

 

 

「なら」

 

「ああ、潰すぞ。その目論見」

 

 

 故に、最高評議会の企みは看過出来ない。

 改めて、彼らは倒すべき敵なのだと結論付けた。

 

 

 

 

 

 そして、残る問題は唯一つ。

 

 

「……それで、そっちはそうするとして。こっちはどうするんだい?」

 

「最高評議会の悪事、か」

 

 

 最高評議会の悪事。

 明かされた悪意は、余りにも膨大過ぎる量。

 

 

「全てを公開すれば」

 

「暴動程度で済めば、良い方じゃないかい?」

 

「だな。流石にそれは出来ん」

 

 

 全てを唯語ったならば、それは秩序の崩壊を意味する。

 

 隣人や友人。恋人や家族が何時の間にか偽物と入れ替えられていた。

 管理世界に住む為に義務付けられている健康診断で、採取された血液などが違法研究に使用されていた。

 

 そんな情報の中には取返しの付かない物は多くあり、知られただけで社会が崩壊する火種に溢れている。

 

 仮初であっても、ミッドチルダには平穏と幸福があった。

 その本質が醜悪な世界であっても、その表層は何処までも美麗な世界であった。

 

 ならば、それを崩壊させてしまう真実を語る事は、決して出来はしないのだ。

 

 

「なら、こっちに都合の良い情報だけを、歪めてばら撒くのが効果的なんだろうが」

 

 

 彼ら騙されていた民を更に欺く。否、欺く訳ではなく語らないだけ。

 そうすれば必然、状況は自分達に都合よく動く。民の愁嘆すらも利用すれば、後の世を目指す事は余りにも容易くなるだろう。

 

 そんな打算塗れの発想が浮かんできて――

 

 

――お前たちは、善であれ。

 

 

 だからこそ、彼女はその言葉を今になって伝えたのだと理解した。

 

 

「僕たちは、何を求めてきた?」

 

 

 忘れるなと言われたのは、始まりに抱いた願い。

 

 

「何の為に、守ると誓ったんだ?」

 

 

 背に負った荷物の重さではなく、胸に抱いた最初の願いによって行く道を定めると言うならば――

 

 

「決まっている。今其処にある現実を、明日に繋ぐ為にこの道を選んだんだ」

 

 

 選ぶべき道は、決まっている。

 

 

「ロッサ。情報部と広報部を動かすぞ」

 

 

 この今を守る為に、全てを語る事は選べない。

 この意志を守る為に、全てを隠す道は選べない。

 

 

「情報を再び精査して、社会的な影響度に分けてランク付けするんだ」

 

 

 故に選ぶは折衷案。

 

 

「知られたら社会秩序が完全に崩壊する物、知られた後でリカバリーが一切聞かない物をA区分に。それ以外を重要度ごとにBとCの区分に分けてくれ」

 

 

 社会秩序を崩壊させない情報だけを選別して、それを明かす事こそクロノの選択。

 

 

「その上で、BとCに分類した情報を全て開示する。……勿論、予想して然るべき問題への対処準備を全て終えた後で、だけどな」

 

 

 その結果、生じる問題は全て飲み干す。

 青臭い正義を胸に、全ての問題を解決してみせる。

 

 覚悟と意志を胸に抱いて、クロノ・ハラオウンは己の決定を此処に示した。

 

 

「どのくらいで出来そうだ?」

 

「……情報量が多いですからね。一月は貰います」

 

「一月か、流石に長いな。……情報は秘匿し切れるか?」

 

「勿論。外部には漏らしませんし、漏れたとしても誰も話せませんよ。こんな代物」

 

「……なら良い。だが少し急げよ。可能なら二週間後に行われる予定の公開意見陳述会に合わせたい。……全次元世界の注目が集まるイベントだ。僕らが知った事実を明かす場所としては、相応しいタイミングだろうさ」

 

 

 地上本部にて行われる意見陳述会。本来は管理局の予算の使い道を発表する場だが、丁度良いから利用しようと決める。

 其処で全ての悪を暴く、そして民意の手によってその悪を裁くのだ。

 

 

「世界の目がある前で、最高評議会の全てを明かす。その時にこそ、奴らの捕縛に移るぞ」

 

 

 クロノはそう口にして、ヴェロッサは静かに頷く。機動六課のエース達は、為すべきを此処に定めるのであった。

 

 

 

 

 

2.

 幾つもの隔壁に塞がれた機密区画。

 その奥にある格納庫。其処にそれは安置されていた。

 

 

「血、血、血が欲しい」

 

 

 それは血に濡れた刃。砕けた断頭台の、残った最も大きい欠片。

 

 

「ギロチンに注ごう。飲み物を。ギロチンの渇きを癒す為に」

 

 

 それが呼んでいた。そんな気がする。声を聞いた気がするのだ。

 

 だから、気付けば此処に来ていた。

 

 

「欲しいのは、血、血、血」

 

 

 首筋に刻まれた傷跡を指でなぞる。

 まるでギロチンに掛けられた罪人の如き斬首痕に触れる事で、心の内に想い出が溢れ出してくる。

 

 忘れていく(オモイダシテイク)溢れて来る(キエテイク)

 何もかもが塗り替えられていき、それでもその瞳が離せない。

 

 

「……この歌、なんだったっけ」

 

 

 それは名も知らぬ筈の、忌まわしきリフレイン。

 

 帰って来たあの人の姿が余りに鮮烈だったから、塗り替えていく記憶を忘れた。

 けれどこうして、己を無自覚に惹き付ける断首の刃を見て、消えて行った筈の誰かの記憶がまた溢れ出している。

 

 

「嗚呼、そう言えば、……僕は何をしているんだろう」

 

 

 白百合の乙女は此処に居ない。

 一人になりたいと望んだ彼を、一人にしてあげたいと彼女が望んだから。

 

 目指していた場所は医療区画だった筈だ。

 けれど途中で呼び声に惹かれて、気付けば此処にやって来ていた。

 

 何か、とても大切な事を忘れている気がする。

 何か、とても大切な事が無くなって行くような気がする。

 

 それは嘗ての記憶の残滓か。

 それとも今失われようとしている人か。

 

 忘却に堕ちようとするその頬を、一筋の滴が流れ落ちる。

 そしてその滴を拭う人は、今の彼の傍らには存在しない。

 

 だから何かを忘れたまま(オモイダシテ)、彼は飽きる事もなく断頭台の刃を見詰め続けていた。

 

 

 

 

 

 そんな壊れていく少年の姿を、女はモニタ越しに観測していた。

 

 

「これで指示内容は完遂。……状況は予測通り、加速しますね」

 

 

 回収された断頭台。この世界の至宝と言うべき物の管理は、当然並大抵の物ではなかった。

 それこそ、呼ばれただけの少年が迷い込めない程度には、そのセキュリティは厳重な物であったのだ。

 

 

「神に至るべき少年は、嘗ての秘宝をその手に。神を殺すべき少年は、彼を殺す為だけに全てを捨てる」

 

 

 だが、ある男に作られた彼女にとってみれば、余りにも容易い護りであったとしか言えない。

 特別性である彼女の目で見れば、管理体制には確かな穴が存在していた。

 

 

「太極の半分は壊れ、残りし者らは――」

 

 

 そして古代遺産管理局の面々の殆どが、膨大な仕事量か彼の安否に意識を集中している現状。特別性である彼女の暗躍を止める事は、この場の誰にも出来なかったのだ。

 

 故に彼女は易々と隔壁を操作して、監視カメラの情報を書き換えて、そうしてトーマが自然とあの場所に迷い込むように誘導した。

 

 このモニタルームを秘密裏に占拠して、ある人物の指示通りに新たな一手を打ち込んだのだ。

 

 

「伝達する必要のある情報はこの程度ですかね。次の定時連絡の前に報告を――」

 

「ねぇ、なにしてるの?」

 

「っ!?」

 

 

 そんな彼女。ウーノ・ディチャンノーヴェは、突然掛けられた声に思わず悲鳴を上げそうになる。慌てて振り向いたその視線の先には、小首を傾げる幼子の姿があった。

 

 

「ヴィヴィオ、ですか。脅かさないで下さい」

 

 

 ほっと安堵の息を吐く。澄んだ瞳で首を傾げる幼子の姿に、ウーノは発言を理解されていないのだろうと判断した。

 

 

「ねぇ、ここでなにしてるの?」

 

 

 幼子が再び問い掛ける。その瞳には一点の曇りもなく、唯純粋な心で疑問に抱いた事を問い掛けていた。

 

 

「……ヴィヴィオこそ、こんな所でどうしたのですか?」

 

 

 後ろめたい事をしている身としては、幼子の問い掛けに答える訳にはいかない。

 ウーノはあからさまに話題を逸らす様な形で問い返す言葉を口にして、然程疑問は抱いていなかったのか、ヴィヴィオはあっさりと己の理由を口にした。

 

 

「アリサママ、さがしてるの」

 

 

 幼い少女の歩く理由は、母を捜していると言う単純な物。

 人形をその小さな手に握ったヴィヴィオは母親を捜して、まるで関係のない場所へと迷い込んでいたのだった。

 

 

「ウーノおねえちゃん。アリサママ、どこ?」

 

「……彼女でしたら、恐らくはまだ医療区画でしょう」

 

 

 アリサ・バニングスは、高町なのはに付き添って医療区画へと足を運んでいる。

 運び込まれたユーノを見て半狂乱になった彼女を落ち着かせ、容態を見守ると言って聞かない女の付き添いをしているのだ。

 

 

「アリサさんから、何か言われていませんか?」

 

 

 あれで母親役をしっかりと熟している女性の事だ。何も言わずに娘を置き去りにはしないだろう。

 そう判断して問い掛けた言葉に、ヴィヴィオは少し言い辛そうに口にした。

 

 

「うん。……ママ、まっててって。けど、キャロもルーもいないの」

 

「……」

 

「だから、さびしかったから、ごめんなさい」

 

 

 待っててと言われて、それに反した事。

 お留守番の約束を守れずに、捜し始めてしまった事。

 

 そんな小さな約束を破った事に、幼子は幼いなりの罪悪感を感じていた。

 

 だが、それでも寂しさが勝ってしまったのだろう。

 手にした白いウサギの人形を、ぎゅっと両手で握り絞めて――

 

 

「……キャロさんとルーテシアさんでしたら、演習場付近に居りますね」

 

「?」

 

 

 そんな寂しげな姿を見たから、打算などは抜きに何かをせねばと思ってしまった。

 機械仕掛けの量産品がこんな事を。そんな風に思ってはいても、どうしても伸ばした手は戻せない。

 

 

「案内しますよ。アリサさんが帰って来るまで、お友達と遊んでいましょうね」

 

「……うん」

 

 

 そうして差し出された手に向かって、ヴィヴィオはその小さな掌を伸ばした。

 

 

「?」

 

「どうしましたか? ヴィヴィオ」

 

 

 握り返そうとした掌が虚空で止まる。

 

 何かあったのか、そう首を傾げるウーノに向かって、ヴィヴィオは見つけたそれを口にした。

 

 

「ち」

 

「ち? ……ああ、血ですか。何処かで切りましたかね?」

 

 

 言われて気付く、伸ばした指先から血が出ている事を。

 作業中に指先を切ったのか、軽い切り傷からは真っ赤な血が滲んでいた。

 

 後で治療すれば良いか。そう単純に考えていたウーノは、続くヴィヴィオの突飛な行動に思わず声を上げていた。

 

 

「っ! 何を!」

 

 

 ぺろりと、その小さな舌が傷口を舐める。

 幼子が自発的に行った傷を舐めると言う行為に、ウーノは声を上げて飛び退いた。

 

 

「いたそうだから、いたいの、とんでけって」

 

 

 そんな驚きを見せる彼女に対して、ヴィヴィオは理由を口にする。

 

 

「なめるといたくなくなるって、いってた」

 

 

 それは小さな子供の善意。無垢なる幼子の治療行為。

 

 

「……それは誰に教えられました?」

 

「?」

 

 

 その行動を無垢な幼子に教え込んだであろう何某かに怒りの情を感じながら、ウーノは小首を傾げるヴィヴィオと向き合う為に腰を下ろした。

 

 

「他の方にも、この様な事を?」

 

「……ティアナおねえちゃんと、トーマおにいちゃん。シャッハおねえちゃんに、すずかおねえちゃんに、なのはおねえちゃんに、あと、あと」

 

「もう十分です。以後、この様な真似はしないように」

 

「どうして?」

 

「色々と危ないからですよ」

 

「?」

 

 

 指折り数える幼子にウーノが危惧する事など理解出来る筈もなく、小首を傾げる彼女の様子に溜息を吐いて、ウーノは異なる理由を此処に上げた。

 

 

「……傷口を舐めると口から細菌が入る可能性もあります。ヴィヴィオが病気になってしまうんですよ」

 

「びょうき?」

 

「ヴィヴィオが病気になると、アリサママが悲しみます。ママが悲しむのは、嫌でしょう」

 

「やだ!」

 

「なら、もうしませんね」

 

「うん」

 

 

 幾ら知能が高いとは言え、やはり幼子。

 言葉の全てを理解している訳ではないのだろう。

 

 それでも彼女は彼女なりに考えて、少しでも誰かの為にあろうとしている事が分かったから。

 

 

「ヴィヴィオは良い子ですね」

 

 

 そう口にして頭を撫でる。優しく撫でられた掌の温かさにヴィヴィオはその相好を崩して、ほんわかとした笑みを浮かべた。

 

 

「さあ、行きましょうか」

 

 

 はにかむ幼子の手を取って、作り物の人形は歩を進める。

 

 

 

 己には、命令を熟すしか存在価値はない。

 所詮この身は量産品の消耗品。数打ちの中の一つでしかない。

 

 そう己を断じていた一人の女は、繋いだ手の暖かさに確かな何かを感じていた。

 

 

 

 

 

3.

 真っ白な病室の中、規則正しい機械の駆動音が小さく響いている。

 ベッドに横たわる身体は包帯塗れ。内臓破裂と複雑骨折は全身に及んでいて、傷のない場所などはない。

 

 血液の送られなくなった脳は、その機能を止めている。

 肺を潰された身体は、機械がなければ呼吸すらままならない。

 

 どう見ても死に体。生きている方がおかしい姿。意識を失くしたその人の鼓動は響かない。

 

 自力では呼吸さえ出来ない青年の生存を、その小さな機械音だけが保証していた。

 

 

「ユーノ君」

 

 

 ぎゅっと拳を握り締める。呟いた声は届かない。

 彼が運び込まれて来てから三日。片時も休まずに傍に居た女の限界は近い。

 

 一度は半狂乱になって、頬を叩かれて気を持ち直した。だが、それでも正気と言うには程遠い。

 その髪の毛は荒れ放題。寝不足で隈が出来、肌も荒れている。そんな頬を伝う涙は既に乾いて、されど彼は戻らない。

 

 

「ユーノ君」

 

 

 嫌な予感が拭えない。嫌な感覚が消えてくれない。

 今一瞬でも目を逸らしたら、その瞬間にもうこの命は抜け落ちてしまうのではないか。そんな感覚が、確信に近い強度で生まれ始めている。

 

 己の内にある彼の鼓動が、繋がりを介して効果を発揮している異能が伝えて来る。

 

 今にも彼の魂は、その肉を離れて飛び散ろうとしている。黄金の城に囚われて、輪廻の輪にすら戻らない。

 

 意志の問題ではない。魂の問題でもない。

 肉体に魂を繋ぎ止めるだけの命が残っていないのだ。

 

 彼はもう終わっている。それを覆す術は、もうないのだ。

 

 

「……嫌だ」

 

 

 全身を傷付けられて、既に虫の息となっているユーノ・スクライア。

 そんな彼の命が辛うじて繋がれているのは、高町なのはが居るからだ。

 

 再演開幕。その願いは望んだ結末以外を認めないと言う物。

 

 繰り返す力が魂の繋がりを辿って、彼の命を留めている。

 その飛び散ろうと言う魂を無理矢理に縛り付けて、死の一歩手前で青年を生かしていた。

 

 だがそれも、長くは続かない。

 繋がる力は未だ弱い。命蝕む傷よりも、留める力が弱いのだ。

 

 故に必然の結末として、彼はゆっくりと衰弱して命を落としてしまうであろう。

 

 

「嫌だ」

 

 

 この三日でどれ程に死に近付いた。

 あと何日、彼はこのまま留まって居られるのだ。

 

 

「嫌だ」

 

 

 認めない。認めない。認めない。そんな結末は認めない。

 逝かせない。逝かせない。逝かせない。貴方だけは何処にだって逝かせない。

 

 

「嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ」

 

 

 女の想い(アイ)は呪詛の如く、深く深く深く深く。

 黒く染まる魔力は繋がりを辿って、その魂に纏わり付いて沈めていく。

 

 真っ暗な部屋の中で、その想いだけが圧倒的な質量を持って肥大化していた。

 

 

 

 明かりもついていない部屋の中で、どうすれば良いのか思考を回す。

 無数のマルチタスクが不可能と言う結論を出す中、たった一つの思考回路が可能性を提示した。

 

 

「嗚呼、そうか」

 

 

 それは一つ、彼女の辿り着いた一つの可能性。

 余りにも簡単で、どうして思い付かなかったのかという発想。

 

 今の彼を生かしているのが彼女の力なら――

 その力の純度が低いが故に、彼を完治させられぬと言うならば――

 

 

「強く願えば良い。もっと、もっと強く。彼の無事を願えば良いんだ」

 

 

 それはそんな単純な答え。取り戻す為に、より深く願うと言う結論。

 

 飛び散ろうとする魂を取り戻す。壊れた肉体を再現する。

 不足した部位を補って、何度だって彼をこの腕の中へと呼び戻す。

 

 出来る筈だ。不可能な事ではない。

 今だって出来ているんだから、その強度を上げるのだ。

 

 

「お願い。ユーノ君。……戻って来て」

 

 

 其処に至った女は迷わずに、手にした答えを形にする為に祈りの深度を引き上げた。

 

 

 

 再演開幕。その本質は、訪れる結末を認めないと言う願い。

 故にその渇望はこの現状と噛み合って、その祈りは深くなる。

 

 こんな終わりなんて認めない。こんな結末なんて許せない。

 私と彼の物語がこんな幕引きを迎えるなど、嗚呼どうして認められるか。

 

 だから願う。だから祈る。

 

 やり直すのだ。再演するのだ。

 望むべき未来に至るまで、何度でも何度でも何度でも――

 

 

 

 その影響など考慮しない。その善悪など理解しない。その意味など想像する意味すらない。

 

 失いたくないのだ。失えないのだ。

 彼が居なければ、この生に意味などないのだから。

 

 そんな己の感情のままに、渇望は深く重く純度を増していき――

 

 

「……っ」

 

「ユーノ君!」

 

 

 ぴくりと彼の身体が動いて――

 

 

 

 ()()()()()()()()()

 

 

「がぁっ! げぇっっっ!?」

 

「……え?」

 

 

 びしゃりと、どす黒い鮮血が舞った。

 

 

「……ユーノ、くん」

 

 

 女の目の前で、男の身体が破裂する。

 どす黒い血反吐を口から漏らして、痙攣する身体が壊死していく。

 

 肉体が異常に膨れ上がって肉塊と化し、間接はおかしな方向へと折れ曲がっている。

 人の形骸は失われて行き、余りにも悍ましい光景が眼前に広がっていく。

 

 助けたいと願った女の祈りは、既に死地にあった男を無残な形へと変えていた。

 

 

 

 それは必然の結末。彼の身体を考えれば、予測出来て当然の結果。

 

 高町なのはの異能の大本は、大天魔に与えられた歪みを己の力で模倣した物。

 その根源である魔力は彼らの太極と同じく、故にその力を他者に送った際、拒絶反応は必ず起こる。

 

 重濃度高魔力汚染患者。高町なのはの力は、太極と同じくそんな犠牲者を出せる程に高まっているのだ。

 

 対して、ユーノ・スクライアにはリンカーコアはない。

 リンカーコアとは魂の力を受け入れる要素。魔力に対する耐性だ。それがない以上、彼の身体は魔力に耐えられない。

 流れ込んでくる魔力。それを受け取るだけの器がないのだ。

 

 魂の繋がり故にその力の恩恵を受け取る事が出来ても、受け取った力に耐える事が出来よう筈がない。

 故にこそ、微量な効果だからこそ命を繋いで居た再演の異能は、その純度を増した事で男を壊す呪いへと変異していた。

 

 

「あ、あぁ」

 

 

 目の前で起こる惨劇に、高町なのはは硬直して震える事しか出来なかった。

 

 

「ぎっ、げっ、がっ――」

 

 

 爆発的に流れ込んだ魔力に壊されていく青年は、されど死に至る事が出来ない。

 こんな有り様を生み出して尚、彼の死を認められない女の力で強制的に蘇生される。

 

 そしてその度に汚染は進行し、身体は異形へ変じ壊れていく。

 見る見る内に形骸を失っていくその有り様は、余りにも悍ましい。

 

 何度でも何度でも何度でも、死と蘇生を繰り返して壊れていくその姿。

 そんな死んだ方が遥かにマシな無様を晒す愛しい男の姿を見て、漸く高町なのはは己の行いを理解した。

 

 

「私、違うっ! こんなっ、どうしてっ!」

 

 

 違う。違う。違う。

 こんな形を望んだ訳ではない。こんな結末に至りたい訳ではない。

 

 だがどれ程否定しようとも、現実は揺るがない。

 愛する男は魂の繋がりを介して流れ込む膨大な魔力によって、生きたままに壊されていく。

 

 それは宛ら等活地獄。何度でも死んで、何度でも甦る。

 無間地獄の中で壊れ続ける男。それがどれ程の苦痛かと理解して尚、それでも再演の力は止められない。

 

 

「っ!? 止まって! 止まって! 止まって!!」

 

 

 だが、止まらない。

 肥大化した願いの重量は己の意志などでは止められず、荒れ狂う様に魔力は溢れ出し続ける。

 

 止めないと、もう苦しめてはいけない。

 そんな思考は出来るのに、暴走を始めた願いを止められない。

 

 貴方に死んで欲しくない。貴方を失いたくない。

 この慕情が貴方を壊すと知って尚、その想いが拭えない。

 

 単純な話。頭で理解していても、想いが付いてこないのだ。

 男を苦しめると知って尚、こうすれば彼は死なないと分かってしまったから――

 

 

 

 女の愛は呪いの如く、男を縛って(コワ)していく。

 

 

「ユーノ君っ!!」

 

 

 けたたましく鳴り響く機械音の中、女はその手を壊れ続ける男へと伸ばす。

 

 その手で何がしたいのか。

 彼を生か(コワ)したいのか。彼を殺し(スクイ)たいのか。

 

 どうしたいのかすら分からずに、唯必死で伸ばした手は――

 

 

「っ! 馬鹿なのはっ!」

 

「あ」

 

 

 横から伸びた白い手に強く叩かれて、何も掴めずに宙を泳いだ。

 

 

 

 手を叩かれて呆然とするなのはを他所に、近くの病室で休んでいた二人の女は焦燥を顔に浮かべて対処に動く。

 

 

「すずか!」

 

「……っ。出来る限り、何とかしてみる!」

 

 

 緊急警報を聞きつけて、近くに居たが故に直ぐ駆け付ける事が出来た二人。

 そんな友人達が必死に対応する姿を、なのはは何も出来ずにただ見詰める。

 

 金髪の女がなのはの身体と異能の暴走を抑え付け、紫髪の女は計器類を幾つも同時に操作しながら青年を救う為の術を見つけ出す。

 

 どちらも蠢く肉塊と化す彼から瞳を逸らす事もなく、確かに己の役割を此処に果たした。

 

 

「……汚染濃度は高いけど、魔力耐性がないのが逆に幸いしてる! 定着して歪みになる事はないから、汚染魔力を体外に排出させる事は不可能じゃない!」

 

 

 汚染濃度は陰の九か十に届く程、だがユーノ・スクライア自身に魔力がない事が幸いしていた。

 

 流された魔力が本人の魔力と結び付き、渇望を以ってそれを異能に変える者こそ歪み者。

 ユーノ・スクライアの身体に彼自身の魔力がないからこそ、他者の魔力が深く染み込んだまま定着すると言う事は避けられていたのだ。

 

 

「なら、……コイツが死なない程度に、汚染を弱めて!」

 

「うん。任せて。直ぐに機材を用意するっ!」

 

 

 本人の魔力と同化していない毒素ならば、それを取り除く事は難しいが不可能ではない。

 その方法を知るが故に、すずかはその医療機器が蔵された倉庫へと走り出す。

 

 高濃度重魔力汚染患者を治療する事を目的とした医療機械。

 だが結局、汚染魔力と本人の魔力を分断する事は難しく、かと言って通常の非魔導師では汚染された瞬間に死に至る。

 故に役立たずと化していた医療機器は、開発者であるスカリエッティの足元。即ちこの施設で死蔵されていた。

 

 

 

 すずかが持ち出して来た腕輪状の機械を腕に取り付けられた青年は、少しずつ小康状態へと戻って行く。

 

 変異した肉体はそう簡単には戻らないが、外科手術で改善する事は出来るであろう。

 

 何とかなる算段が付いた事で、二人の女は漸く安堵の溜息を漏らした。

 

 

「アリサ、ちゃん。すずか、ちゃん」

 

 

 残る一人。高町なのはは、己の激情を持て余したままに小さく呟く。

 

 渦巻く感情は、果たして何か。

 感謝か、怒りか、安堵か、嫉妬か。

 

 それは彼女自身にも分からない。

 

 

「すずか。後、頼むわ」

 

「……アリサちゃんは」

 

 

 そんな女の手を握り締めて、アリサ・バニングスが口にする。

 

 

「私は、この馬鹿の相手をしてくるわ」

 

 

 

 

 

 そうして、二人の女が病院の屋上にて向かい合う。

 吹き付ける夜風は肌寒く、互いの心を此処に示しているかの様だった。

 

 

「アンタ、自分が何したのか分かってる?」

 

 

 口火を切ったのは、やはり金糸の女であった。

 回りくどい事、迂遠な行動を不得手とする彼女は真っ向から切り込む。

 

 

「一番最悪な事。惚れた男にしてたのよ」

 

 

 死んでしまうよりも酷い事。

 殺してしまうより悪い事。その躯さえ辱める様な行為。

 

 失いたくない。そんな己の感情を押し付けて、大切な誰かの尊厳を踏み躙る。

 

 彼女のした行為はそれである。

 アリサ・バニングスはそう断じていた。

 

 

「……私は」

 

 

 言われたなのはは、しかし激する事はない。

 彼女は唯、俯きながら己の胸中を其処に吐露する。

 

 

「……ユーノ君が居なくなる。そう考えたら、頭の中が真っ白になって」

 

 

 どうすれば彼を救えるか、それ以外を考える事が出来なかった。

 失わない為に、どうすれば良いのか。それ以外を思考する事など出来なかった。

 

 だからその道を見つけたと思った時、何も考えずに飛び付いてしまったのだ。

 

 

「間違ってるって分かってる。苦しめてるって分かってる」

 

 

 分かっている。分かっているのだ。

 己のした行為が、どれ程に愚かしい事なのかなど。

 

 

「分かっている、のにっ!」

 

 

 それは許されない行動。

 憎まれ、恨まれ、拒絶されても仕方のない行為。

 

 愛する人の全てを汚す、愛を言い訳にした一つの呪詛だ。

 

 

「それでもっ! それでも私はっ!」

 

 

 分かって尚、溢れ出る想いが止められない。

 止められて尚、未だ己の心が彼を壊し(スクイ)に行けと叫んでいる。

 

 

 

 ユーノ・スクライアは助かった訳ではない。

 汚染症状を取り除けても、その異形と化した肉体を取り戻せたとしても、彼の命が危うい事には変わりない。

 

 最初から、何時死んでもおかしくない状態だったのだ。

 再演開幕の影響によって、辛うじて生きていられるだけなのだ。

 

 このままでは彼は目覚める事もなく、植物状態のまま衰弱死を迎えるだけであろう。

 繋がっているが故に、それがどうしようもない事だと分かってしまっていた。

 

 

「失くしたくない! 失いたくない! 死んで欲しく、ないんだ!」

 

 

 失くしたくない。そんな想いが瞳から零れる。

 死んで欲しくない。そんな願いが滴となって、その衰弱した頬を伝って落ちた。

 

 

「一緒に、居たい、よ」

 

 

 零れ落ちた本音は、結局唯それだけ。

 

 願いは一つ、一緒に居たい。

 それ以外には何もなく、だからこそ誰にとっても分かり易い望み。

 

 それだけが、叶える事が出来なかった。

 

 

 

 必死に涙を堪えて、それでも溢れた滴が頬を濡らす。

 そんな友人の姿を見詰めて、握り拳を解いた女は彼女へと手を伸ばした。

 

 

「馬鹿なのは」

 

 

 殴り飛ばす心算だった。ふざけるなと罵倒する心算だった。

 

 けれどその願いに共感出来て、その想いを同じように受け止めてしまったから――らしくないと分かっているのに、その震える身体を抱きしめていた。

 

 

「……泣きたいなら、泣きなさい。胸くらいは貸してあげるわ」

 

 

 ユーノが運び込まれてから三日三晩、止める言葉も聞かずに彼の傍に居続けた高町なのは。

 

 彼女達を案じて病室近くに居たアリサだからこそ、その想いが真実であると分かる。

 同じ様に彼の身を案じていた女だからこそ、その溢れ出す想いを否定する事は出来なかったのだ。

 

 

「っ」

 

 

 そんな風に抱きしめられて、堪えていた涙が決壊する。

 瞳から零れる滴は止めどなく、溢れ出す感情に任せて声を上げていた。

 

 

「あ、あぁぁぁぁっ!!」

 

 

 病院の屋上で、友人に抱きしめられたまま、女は声を上げて涙を零す。

 

 唯、一緒に居たい。唯、失いたくない。

 唯それだけの願いが、どうして叶えられないのか。

 

 そんな現状に涙を零すしか出来ず、失いたくないと想いを口にし続けた。

 

 

「泣き終えたら、少しは休みなさい。……そんな有り様じゃ、真面な思考も出来ないわよ」

 

 

 優しくその手で背を叩く。

 大切な人の名を呼び続ける友の声に頷いて、夜風の中で空を見上げる。

 

 

 

 どうして、世界はこんなにも残酷なのか。

 どうして、こんなにもこんな筈じゃなかった事は多いのか。

 

 何か別の回答を。何か異なる形の奇跡を。

 そんな何かが起きる事を願って、そんな何かを見つけ出そうと心に決めて、今は唯涙に暮れるのだった。

 

 

 

 

 

4.

 そして、闇に蠢く彼らも動き出す。

 

 

「古代遺産管理局潜入中の魔鏡ちゃんより定期報告~!」

 

 

 其は天に背きし反天使。絶対なる原罪を背負いし悪魔たち。

 

 

「な~んと! あの人たち、二週間後の公開意見陳述会にて、一般人に対して管理局の後ろ暗い所を暴露しちゃうみたいで~す!」

 

 

 真なる魔群は笑みを浮かべる。

 嗚呼、素晴らしい、と声を上げて嗤い狂う。

 

 

「悪事なんて許さない! 隠匿なんて選ばない! 発生する諸問題は、ぜ~んぶ背負ってみせるのさ!」

 

 

 女は嗤っている。彼らの愚かな選択を。

 女は嗤っている。その罪を背負いながらも、善であろうとする彼らの足掻きを。

 

 

「なんて凄い覚悟! なんて素晴らしい決意! な~んて格好良い選択かしらぁ~」

 

 

 もっと効率の良い術はあるだろうに。

 もっと上手いやり方は幾らでもあるだろうに。

 

 それでもその道を選んだ彼らを、言葉では賛辞しつつ腹の底では嗤っている。

 

 

「け・ど」

 

 

 彼らはその道を進むために、必死で必要な物を揃えているだろう。

 彼らはその道を進むためにも、どうしても晒してしまう隙がある。

 

 

「そ~んなビッッッッグッチャァァンス! 私達が逃す訳がないじゃなぁぁぁいっ!」

 

 

 ならばその瞬間とは、彼女達にとって、最大の好機となり得るのだ。

 

 

「蹂躙してあげるわ。踏み躙って、嘲笑いましょう? 私達反天使の手によってぇぇぇ、正義が果たされる瞬間は地獄に変わるのよぉぉぉぉっ!」

 

 

 そう。正義執行の瞬間を、絶望の奈落に変えてしまおう。

 

 子供が積み上げた積み木を、横から崩してしまう様に。

 砂場に作った砂のお城を、上から踏み付けて潰してしまう様に。

 

 絶好のタイミングで、何もかもを壊してしまおう。

 

 

「嗚呼、愉しみぃ」

 

 

 正義を為す彼らを、大衆の注目の中で惨殺しよう。

 殺し尽して並べた彼らの死骸の前で、彼らが暴こうとした悪事の全てを代わりに伝えてあげよう。

 

 

「その時、ど~んな絶望が見れるかしらねぇぇぇ」

 

 

 きっと素敵な地獄が見える筈だ。

 きっと素晴らしい絶望が、世界を満たす筈だから。

 

 

「ウフフ、フハハ、アハハハハ!」

 

 

 予想しただけで笑みが堪えられない。

 魔群。クアットロ=ベルゼバブは腹を抱えて大笑する。

 

 さあ、皆壊れてしまえ。

 この世界で幸せになるのは、自分と父だけで良いのだから――

 

 

「アァァァァハハハハハハハハハッ!! はひゅっ!?」

 

「煩い。少し黙れ、クアットロ」

 

 

 そんな笑い転げる女に凶器を突き付けて、傍らに居た少年は気だるげに口を開いた。

 

 

「…………」

 

 

 パクパクと口を開くクアットロの喉元に突き付けられたのは、完全修復されたストラーダ。

 その先端に灯った暗き炎は、不死の女であろうとも一瞬で消滅させるであろう。

 

 そんな死を目前にして黙り込んだクアットロを冷たく見下すと、槍を下したエリオは己の掌を見詰めて呟いた。

 

 

「二週間か、長いな。長過ぎる」

 

 

 待つのは飽きた。耐えるのには飽きた。二週間後に戦う日が来るのだとしても、それまで待つ事など出来はしない。故にエリオは問い掛ける。

 

「もっと早く、動ける日があるだろう?」

 

「えーと、魔鏡ちゃんの報告ではー。いちおー明日、ホテル・アグスタって所で護衛任務があるみたいだけどー」

 

 

 少年の問い掛けに、クアットロは震える声で言葉を返す。

 恐る恐ると女が口にした予定は、大掛かりな舞台に向けての事前準備。

 

 ホテル・アグスタ・オークション。其処に関わる事で、富裕層を味方に付けようとしている。二週間後の公開意見陳述会とそこから先の管理局改革に備えての、その行いこそが隙と言えたのだ。

 

 

「明日、か」

 

 

 心の内に燃え上がる炎は、何処までも無価値な色をしている。

 己の命と同じく、この世界の全てと同じく、何もかもが無価値な黒。

 

 

「トーマ。明日が君の命日だ」

 

 

 そして明日が、この世界の終焉だ。

 

 

「さあ、殺しに行こう」

 

 

 その背を悲しげに見つめる四つの瞳を意識から捨て去り、罪悪の王は孤独な戦場へと進む。

 

 

 

 

 

 そして彼の反身。

 対となる少年もまた、その日を迎えようとしていた。

 

 

「ったく、こんな所に居たのね」

 

「…………」

 

 

 飽きる事もなく、機密区画にて断頭台を眺めていた少年の下に彼の相棒が姿を現す。

 セキュリティを強引に下げられた場所に辿り着いた少女は、周囲を物珍しそうに見回しながらも言葉を掛けた。

 

 

「もう出発の時間。後はアンタだけなのよ。それで全員揃うんだから、()()()()()()()()()ボケっとしてないで、早く準備しなさいよ!」

 

 

 彼女が此処に来たのは、出発の時間を告げる為。

 明日より行われるホテル・アグスタ・オークション。それに先駆けての警備体制の準備を行う為にも、機動部隊は前日に現地に向かう様に言われている。

 

 ウーノよりトーマの居場所を教えられた少女は、何一つ疑問を抱く事もなくこの場に来ていた。

 

 

「ああ、分かってるよ。ハラオウン」

 

「……っ」

 

 

 そんな彼女の言葉に返される声。

 その他人行儀な呼び方に、ティアナは一瞬呼吸を止めていた。

 

 

「先に行ってろ。直ぐに俺も行く」

 

 

 そう言って、再び何もない虚空へと目を向ける少年。

 その姿は話す価値すらもないと、拒絶を示している様にしか見えなかったから。

 

 

「……そう」

 

 

 ティアナ・L・ハラオウンは、それが彼の決めた事なのだと誤解した。

 

 冷静に考えれば異常に気付いただろうに、師の不調故に間接的に追い詰められていた少女には、冷静に考える余裕さえなかったのだ。

 

 

「もう、名前で呼ぶ価値もないって言いたいのね」

 

 

 お前はもう相棒ではない。

 お前にはもう、名を呼ぶ価値も、話をする価値もないのだ。

 

 そんな風に言われていると錯覚した少女は、僅かに残った意地で表情を取り繕うと黙ったままの少年に背を向ける。

 

 

「……さっさと来なさいよ」

 

 

 告げる言葉に返る声はない。

 その現実に、引き裂かれる様な思いを抱く。

 

 

(……最初から、相棒になりたかった訳ではないもの)

 

 

 そう。アイツが勝手に言い出した事でしかない。

 だからきっと、相棒でなくなったとしても、己は傷付いたりしないのだ。

 

 そんな風に己を誤魔化して、ティアナはその場を走り去った。

 

 

 

 残されたトーマは振り返る事もなく、唯々断頭台が保管されていた空間を見詰め続ける。

 

 そうして、暫くの後、少年は動き始めた。

 

 

「行こうか。()()()

 

 

 

 斬首の痕を隠す為に白いマフラーを首に巻いて、少年はその身を翻す。

 

 

 その場所に断頭台はないが、確かにそれは此処にある。

 熱く燃える胸の内、己の魂に取り込まれて同化したのだ。

 

 断頭台を取り込んだ少年は先を見据える。

 その蒼く輝く瞳には、白き双頭蛇の刻印が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 ホテル・アグスタ。

 二人の少年は、四度目の邂逅を果たす。

 

 その戦いの幕が如何なる結末を迎えるのか、神々ですら未だ知らない。

 

 

 

 

 

 




ユーノ君がいない六課の風景。
彼が抜けた事で、地雷が連鎖爆発しています。


○連鎖要素。
ユーノ重体→なのは半狂乱→ティアナの面倒臭さレベルアップ。
ユーノ重体→トーマ半暴走→ティアナの面倒臭さレベルアップ。
ユーノ重体→クロノ仕事中毒化→ティアナの面倒臭さレベルアップ。


文章に起こして気付く衝撃の事実。
全部ティアナに収束してやがる!?(驚愕)




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第十四話 骨董美術品競売会

※原作七話ホテル・アグスタ・オークション。公開意見陳述会とは分断し直しますた。
 お陰で更に先が延長。なのはフラグとか排除しても尚、失楽園の日が遠い。

特にStS編の最終話、失楽園の日が半端なく長い。
プロット段階なのに、其之漆か其之捌くらいまで行く事は確定な感じです。


推奨BGM
1.厭魅凄艶(神咒神威神楽)
2.心中善願決定成就(神咒神威神楽)
3.乾元亨利貞(神咒神威神楽)
4.Paradise Lost(PARADISE LOST)



1.

 豪奢なシャンデリアに飾り立てられた室内。ホテル・アグスタのホール会場。

 競売会は無事終了し、今現在はその後に予定されていた立食会が執り行われている。

 

 そんな上流階級が遣り取りをする会場にて、壁の花をしている紫髪の女は何処か気だるげに吐息を吐いた。

 

 

「……はぁ」

 

 

 彼女が溜息を吐いたのは、己に向かう煩わしい視線が理由だ。

 気怠さと嫌悪に満ちたその嘆息だが、周囲の者らにとっては天上の讃美歌か、或いは魔性の呪歌か。誰もが皆感嘆を声に漏らし、熱い視線を一人の女へと向けていた。

 

 

(理由は分かるけど、どうして私が内勤なのか)

 

 

 壁側に居ると言うのに誰よりも目立ってしまっている月村すずかは、内心でそんな愚痴を呟く。声に出してはならぬと分かっているからこそ、あくまで内心に留めるだけだ。

 

 現在の任務。それはこのホテルアグスタの警護にある。

 故にロングアーチが内部で警戒し、正面と裏、二ヶ所の入り口には各分隊が配属されている。

 バーニング分隊だけでなく、不調なスターズ分隊まで動員されているのは、それだけこの任務が重要な物だからであった。

 

 

(綺麗な服を着て、その実誰よりも肥え太った人間達。こんなのの機嫌取りをしないといけないなんて)

 

 

 理由はそれだ。端的に言ってしまえばこれは、スポンサー探しの一環なのである。

 管理局は強大だ。ましてやその最高評議会ともなれば、彼らが持つ権力は極めて大きな物となる。

 

 それを武力で排除したとしても、それだけの強大な存在がすっぽりと消えれば混乱も起きるだろう。

 倒せるか倒せないかだけではなく、倒した後も厄介なのだ。故に最高評議会に代わる、有力者と繋ぎを作りたかったのである。

 

 故にクロノは以前に来ていた依頼より、この護衛任務を引き受けた。

 古代遺産管理局が本来為すべき事ではないが、富裕層が多く集まるこの会場は正しく絶好の舞台だった訳だ。

 

 オークション会場にて、警備にあたるのはすずかとクロノの両名だ。

 現在の立食会に参加している二人は、その後の為の顔繫ぎを理由としていたのだ。

 

 その理屈が分かっていて、それでも月村すずかはうんざりとした感情を抱いてしまう事を止められなかった。

 それは己に向けられる我欲に塗れた視線も理由の一つならば、彼女が残してきた仕事に対する矜持もまた理由の一つであった。

 

 彼女には今、執刀を担当している患者がいる。

 その容態を改善する術はなく、傍に居たとて役に立たないのは分かっているし、相手は余り好きにはなれないあの男。

 だが、それでも彼は己の患者である。医師の一人として、確かに負った義務がある。尽力を尽くさねばならない責務があるのだ。

 

 それをこうして必要だからとは言え、まる一日も他の者たちに任せろと命じられた。

 その上更に見詰める視線がこうなのだから、些か以上に不満を感じるのも無理はなかろう。

 

 

(……ほんと、気持ち悪い)

 

 

 好色に満ちた視線で舐め回す様に見詰められながら、月村すずかは吐き気さえ感じる程に気が滅入るのを自覚していた。

 

 老いも若いも問わず、男達の視線を釘付けにするその姿。

 服飾が問題なのかと自問してみるが、出て来る答えは否である。

 彼女の服装は寧ろ、ドレスコードに反しない範囲において、極端に露出の低い物であった。

 

 青を基調とするパーティドレス。肩に羽織った白のボレロが肌を覆い、白薔薇の意匠が胸元を優雅に隠す。

 服装だけを見るならば、色気よりも清楚さを強調させる物。清純な乙女や可憐な花嫁をイメージさせる。そんな美しい装束だ。

 

 それでも着る者が特別だった。

 

 服に着られるとは良く言うが、彼女のそれは全くの真逆。

 女が醸し出す妖艶な魔性に引き摺られ、深窓の令嬢が如き穢れなき衣装が、高級娼婦の夜伽服が如き色香を放つのだ。

 

 

(誰も彼も、欲に塗れた豚ばかり。……真面な男って、なんでこんなに少ないのかな)

 

 

 綺麗に着飾ってはいるが、その実利と欲に満ちた支配階級。そんな彼らが、極上の色香を前に目を向けぬ道理はない。

 肥えて太った豚にしか見えない男達から向けられる色を含んだ瞳は、すずかにとってどうしようもない程に気色悪くて不快な物であった。

 

 

「はぁ」

 

 

 小さく吐いた溜息に、男達が陶酔する。

 そんな彼らを冷たく見ながら、ホールの中央でにこやかに談笑しているクロノを見て良くやる物だと素直に感心する。

 

 

(腹芸は苦手だって言ってたけど、随分慣れたものじゃない)

 

 

 会場の男達を釘付けにしているのが月村すずかならば、残る女性陣の相手を卒なく熟しているのがクロノ・ハラオウンだ。

 

 彼は言葉巧みに淑女方の相手をしながら、さりとて深くは踏み込ませずに上手く話題を逸らしている。

 その気になればプレイボーイを気取る事など容易いだろう。だが死んだ女に操を立てるが故に、そういう関係には進まない。

 

 今なおたった一人を想い続けると言うその思考は、男嫌いなすずかの目で見ても好ましいと感じる物であった。

 

 

(……それに比べて)

 

 

 どうしてこの男達はこうなのか。

 周囲を取り囲む豚の視線に蔑みの色を隠しながら、すずかは今日何度目になるかも分からない嘆息を吐いた。

 

 

「はぁ」

 

 

 同時に思う。そろそろ潮時だろうか、と。

 

 こちらを見詰める男達は、月村すずかの常人離れした色香に気圧されて未だ声も掛けてこない。

 だが、向こうもこの魔性にそろそろ慣れて来る頃合いであろう。彼らの中の上位者が、口説き文句を口にするのもそう遠くない先の話だ。

 

 これまでの経験からそう判断したすずかは、動き出そうとした者らの機先を制する様に動き出す。

 周囲に居た女性局員に一声掛けると、花を摘みに行くと偽って席を外すのであった。

 

 

 

 

 

2.

 吹き付ける初秋の風にマフラーを靡かせて、管理局員の制服を着た少年は目を細める。

 

 目の前に映る光景は、何の変哲もないクラナガンの街並み。それを見詰めて周囲の警戒を続けると言う立哨警備。

 そんな眠気さえ誘う詰まらぬ単純作業を、少年は飽きない所か何処か楽しげに続けていた。

 

 

「トーマ」

 

「何だ。ハラオウン」

 

 

 そんな彼の背へと、ティアナ・L・ハラオウンが声を掛ける。

 

 同じ場所に配属されながらも、何処か距離感を感じている。そんな彼女は声を掛けたのは良いが、何と続けるべきか思い悩んで、結局つっけんどんに言葉を口にしていた。

 

 

「……何だって、この時期になって迄、そんなマフラーしてんのよ」

 

「別に、お前が気にする事じゃないだろ」

 

「っ」

 

 

 喧嘩を売る様な心算はないのに、口に出たのはそんな言葉。

 そして返って来るのは、突き放す様な冷たい声であった。

 

 

「と、トーマ」

 

 

 そんな冷たく返したトーマの手を、リリィが引く。

 そんな返しは酷いんじゃないか、そう咎める様に見上げてくる彼女の視線。

 

 そんなジト目の少女に気まずさを感じて、トーマは降参する様に両手を上げた。

 

 

「首の傷痕を晒すべきじゃないって理由が一つ。秋風が肌に冷たいって言う理由がもう一つ」

 

 

 白いマフラーを首に巻く理由を語る。彼自身、どうしてこれを選んだのか分かっていない面もあるが、そんな感情を誤魔化す様に口にした。

 

 

「大した理由じゃないよ。これは」

 

 

 大した理由じゃない。そう。これは大した理由じゃない筈だ。

 そんな風に己を納得させながら、トーマはマフラーの裾を指で弄ぶ。

 

 向き合わずに語る態度の悪さ。

 選ぶ言葉も投げ捨てる様なぞんざいさだが、ちゃんと意図は説明している。

 

 そんな最低限の対応をしてくれた事に、リリィはほっと一息を吐いて――

 

 

「……その子の言う事は、ちゃんと聞くのね」

 

 

 そんなティアナの売り言葉に、白百合は再び泡を食った様に戸惑い始めた。

 

 

「そりゃ当然、優先度ってもんが違う。碌に知らない他人(ハラオウン)身近な女(リリィ)、どっちを優遇するって言われたら、答えなんて決まってんだろ?」

 

 

 薄れた記憶の中に消えた個人は、もう碌に知らない他人でしかない。

 排他性が高まった現状、消えない白百合と比して、そう判断してしまうのはある種止むを得ぬ事。

 

 

「……そう」

 

 

 だが、そんな事情が分からぬティアナにとっては、お前は仲間などではないと言われたも同義な発言。

 その言葉に黒くこびり付く様な感情を抱いて、周囲の体感温度は急激に低下していった。

 

 

「あ、あうぅぅぅぅ」

 

 

 その煽りを真っ先に受けるのは、第三者である筈の白百合。

 冷たく淀んだ空気に耐えられないリリィは後方で黙ったままの保護者へと、目に涙を浮かべながら助けを呼んだ。

 

 

「な、なのはさん」

 

「え?」

 

 

 リリィの声に弾かれる様に、高町なのはが顔を上げる。

 だがその顔色はまるで病人の様に、一目見て分かる程に酷い有り様であった。

 

 

「あ、ゴメン。聞いてなかった。何かあった?」

 

 

 それでも強がる様に笑みを浮かべて、そう言葉を投げ掛ける。

 目の前で起きていた不和にも気付けない程に追い詰められた女の姿に、頼ろうとしたリリィさえも何も言えずに固まってしまう。

 

 

「何でもないですよ」

 

 

 そんな彼女に、突き放す様な言葉を投げ返す蒼い瞳の少年。

 知らない誰か(ティアナ・L・ハラオウン)に対するそれのではなく、其処には僅かな温かい色があった。

 

 だが気付かない。だから気付かない。

 栗毛の女性を通して、トーマが見ているのは彼女(なのは)ではない誰か(香純)だと言う事に。

 

 

「そ、そう」

 

「ええ」

 

「だ、大丈夫なのかな」

 

「全く、全然、これっぽっちも問題なし。な、ハラオウン」

 

「え、ああ」

 

 

 そんな言葉の応酬の中、突然話を振られたティアナは言葉を言い淀む。

 

 

「……そうね。問題なんてないわ」

 

 

 だが、それも一瞬。数瞬の後には冷静に取り繕った表情で、ティアナはそう口にしていた。

 

 

「だ、そうですよ」

 

「そ、そっか」

 

 

 そんな二人の何処か余所余所しい会話に違和を感じつつも、追及する程の気力も湧かない女は苦笑いを顔に浮かべていた。

 

 そうして、沈黙。誰も何かを話す事はなく、話す気さえもない。

 居心地の悪い沈黙の中、何かを口にしようとしたリリィを遮る様に、レイジングハートが着信を告げる為に震えた。

 

 

「あ、呼び出しだ」

 

 

 手にしたデバイスを覗き込み、今与えられた指示を確認するなのは。

 その表情は疲れ切ったそれから、文字を追う度に驚きへと色を変えていった。

 

 

「何か、あったんですか?」

 

 

 その表情の変化にただごとではあるまいと、ティアナが問い掛ける。

 そんな彼女の言葉にうんと一つ頷いてから、なのはは与えられた指示を口に出した。

 

 

「クローベル統幕議長から、……指揮権をアリサちゃんに委任して、即座に出頭せよって」

 

 

 現状の高町なのはは、部隊指揮能力において不安が見られる。

 故に指揮権を譲度した上で出頭し、現状には問題がないと言う事を証明せよ。

 

 デバイスに届けられた命令文は、要約すればその様な内容であった。

 

 その意図は部隊長としての不適合を責める為の物ではなく、寧ろそれを理由に少し休めと言う物だ。

 数年前に護衛任務を請け負ったなのはの事を、孫の様に可愛がるあの老女なりの好意であるのだろう。

 

 

「えっと、統幕議長さん、からですか?」

 

「……うん。非公式だけど、クローベル統幕議長とフィルス相談役も此処に来てるんだ」

 

 

 そんな大物が来ているのかというリリィの問いに、なのはは頷いて答えを返す。

 

 彼らは伝説の三提督と呼ばれる管理局の大御所。

 既に亡くなってしまわれたラルゴ・キールも含めて、この三者は政治の面でも強い影響力を持っている。

 

 故にこそ、今立食会を行っている有力者達同様、このホテル・アグスタへと招かれていたのだ。

 

 

「明確な命令権は持ってない筈だから、拒否する事も出来なくはないけど」

 

 

 あくまでも今の彼女はVIPとしての参加しているのであって、作戦の上位者ではない。

 指揮権が違う事を理由に、この呼び出しを拒否する事は不可能な事ではない。

 

 寧ろ分隊長としての責を果たすならば、此処で部外者の呼び出しに従うべきではないのだろう。

 

 それでも悩んでしまうのは、それが善意による呼び出しなのだと分かってしまった事と、今の自分が此処に居て何が出来るのだろうかと言う疑問。

 そして、既にミゼットがバーニング分隊にも話を通していると言う状況が故であった。

 

 

「……行ってくりゃ良いんじゃないですか」

 

「トーマ君」

 

 

 そんな理由で思い悩むなのはに、トーマは乱暴な言葉を掛ける。

 

 

「先生が倒れてからこっち、アンタ、気を張り詰め過ぎだ。俺らは何かと頼りないかも知れないけど、それでも今のアンタが指揮するよかマシだろうぜ」

 

 

 言葉を聞いたティアナとリリィが思わず口を開こうとする程に、それはぶっきらぼうな言い回し。無礼にも程がある言葉遣い。

 

 

「……だから、少し休んどけよ」

 

 

 だが、冷たい言葉ではなかった。

 其処には不器用ながらも、排他ではない思いやりが確かにあったのだ。

 

 

「うん。ちょっと、そうさせて貰うね」

 

 

 だからそんな不器用な少年に笑みを返す。

 言葉尻だけでは冷たくても何処か温かさを宿したその言葉に破顔して、高町なのははホテルの中へと戻って行った。

 

 

 

 そうして分隊長が戻った後に、残されるのは三人の子供達。

 

 

「……ちょっと、トーマ」

 

「何だよ」

 

「アンタ、途中から敬語使ってなかったわよ」

 

「……マジか」

 

 

 やっちまった、と顔を覆うトーマ。そんな少年の姿を、訝しげな視線で見据えるティアナ。

 違和感があった。拭いきれない程に、其処に違和感があった。トーマ・ナカジマはこんな奴だったか、そんな疑問が内心に浮かんでいる。

 

 

「なんつーか、なのはさんに敬語を使うのに違和感があるって言うか、寧ろアイツはバを付けた上で呼び捨てにすべきなんじゃないかって妙な感覚があって」

 

「……聞かなかった事にしておくわ」

 

「そうしろ」

 

 

 そんなティアナの胸中に気付かず、トーマはそんな言葉を零す。

 ぶっきらぼうな口調に籠った情はなく、今の少年にとって少女は見知らぬ他人でしかない。

 それと同様に、少女にとっても少年は見知らぬ誰かでしかない。その事実にティアナは未だ気付けていなかった。

 

 

(トーマ)

 

 

 リリィは知っている。白百合だけは分かっている。

 トーマはこの場に居る人々を見て、其処に違う影を重ねて見ているのだ。

 

 彼ではない彼に浸食されて、その認識が染まりつつある。

 何れティアナにも情を向ける様になるだろうが、その時にはきっと彼女を別人として見る事になる。

 

 そうなればきっと終わりだ。もう引き返せない程に、トーマはツァラトゥストラに近付いていく。

 

 

(きっと、大丈夫だよね)

 

 

 祈る様な願いに、保証などは何もない。

 変貌しかけている少年と、追い詰められている少女。

 指揮官は心が疲弊し切っていて、間に立つ白百合には特別出来る事がない。 

 

 まるで空に浮かぶ暗雲の様に、彼らスターズ分隊の今後は暗く淀んでいた。

 

 

 

 

 

3.

 そうして、女達は邂逅する。

 

 

「え? アリサちゃん」

 

「な、なのは!?」

 

 

 呼び出された部屋へと移動する途中のエレベーターホール。

 裏口から戻って来たなのはは、別の入り口から入って来たアリサ・バニングスと遭遇していた。

 

 

「どうして、……アリサちゃんが指揮権を受け取ってるんじゃ」

 

「それはこっちのセリフよ! アンタこそ、何やってるの!?」

 

 

 思わず、と言った体で零した疑問。

 それに対する相手の対応も、全く同じ疑問の吐露であった。

 

 何かがおかしい。何かが噛み合っていない。

 互いに混乱しながら向き合い続ける二人の下へ、第三者が現れる。

 

 

「……二人とも、こんな所でどうしたの?」

 

『すずか(ちゃん)!』

 

 

 向けられる視線に嫌気が差して抜け出した女が、其処で彼女達と合流した。

 

 

「……まず落ち着いて、驚いていても意味がない、でしょ」

 

「そう、ね。……なのは、“アンタは誰の命令を受けた”?」

 

 

 言い争いになる前に、状況を理解するべきだ。

 そう諭されたアリサは、なのはへと確認の言葉を掛ける。

 

 

「私はクローベル統幕議長から、……指揮能力に不安があるから、少し休めって」

 

「……こっちはフィルス相談役よ。最高評議会について至急伝えねばならない情報が出て来たから、速やかに出頭せよってね」

 

 

 予想通り、異なる人物から同じ様な命令を受けた相手。

 前線指揮官を纏めて排除する様な命令だった事を理解して、三人は全く同時に同じ疑問を其処に抱いた。

 

 

『おかしい』

 

 

 そう。おかしい。

 並べてみればはっきりと分かる程に、余りにもおかしな命令であったのだ。

 

 

「どっちも指揮系統に居ない今、直接的な命令権は持っていない」

 

「なのに強権を振るう様な形での呼び出し、立ち場上断れない人間からこんな命令をされたら、まず動かずには居られない」

 

 

 そもそも命令権のない人間が、現場に直接口出しする時点でおかしな話である。立場上断れない話を、持ってくるような人物ではなかった筈なのだ。

 

 そして仮に、召喚が正当な理由による命令であったとしても、動かすのはどちらか片方で済んだ筈だ。

 なのはを休ませる事を目的とするのだとしても、フィルス相談役の命令も同時に済ませる事は出来ただろう。

 

 

「……私たちを同時に動かす理由は何?」

 

「前線の戦力低下。今、前線に居るのはエース級の実力者は新人達だけ」

 

 

 命令に違和を感じたならば、次に思考するのはその命令を下した理由。

 態々なのはとアリサを前線から同時に退かせる理由など、戦力低下を狙う以外に思い浮かばない。

 

 其処から類推出来るのは、襲撃が起こり得る可能性。

 

 

「なら、あの人達が裏切って最高評議会側に付いた?」

 

「まさか、……クローベル統幕議長はそんな人じゃないよ」

 

「フィルス相談役も、ね。あの人が裏切るメリットが一切ないわ」

 

 

 すずかの懸念に、両者を良く知るなのはとアリサがあっさりと返す。

 人間誰しも裏がある様に人柄だけで全てを判断するのは危険だが、理屈でも情理でも彼女らが裏切る要素が存在しない。

 

 機動六課に深く関わる人間は皆、ヴェロッサの思考捜査を受けている。

 それは老人たちも例外ではなく、故に裏切りという可能性は真っ先に潰せる物だった。

 

 

「と、なるとこれはこちらを動かす為の誤情報」

 

「或いは、本人達の身に何かがあった、ね」

 

 

 故に結論は、誰かの策謀に嵌められたと言う物。

 その罠が牙を剥くのはこれからなのか、それとも既に剥き終えた後なのか。それが分からずとも、確かに彼女達は嵌められたのだ。

 

 

「どうするの?」

 

「命令無視して、どっちかが現場に戻る? それとも、クロノ君に報告すべきかな」

 

 

 すずかの問い掛けとなのはの提案。

 その二つを聞いて、アリサはどうするのが一番最善なのかと思考する。

 

 

「……確か、お二方は最上階のスイートルームだったわね」

 

「うん。其処で時間までお休みになられている予定だけど」

 

 

 まず、前線メンバーは放っておいても平気だろうか?

 

 トーマは襲い来るのが反天使であっても対処できるだけの力があり、キャロとルーテシアの傍にはあの心配性な獣が控えている。

 万が一の事態が起こっても、駆け付けるだけの時間は稼げるであろう。

 

 それに命令無視の前例を作ると、後々になって責められる隙となる危険がある。故に彼らについては後回しにするしかないだろう。

 

 クロノ・ハラオウンに指示を仰ぐか。

 だとしても情報が少な過ぎる。自分達の得た情報しか得ていない状態では、この異常事態に対処できるとは思えない。

 

 ならば簡単な状況だけは連絡を入れておき、自分達は独自に動いた方がいいだろう。

 そう結論付けると、アリサは二人に対して己の考えを口にした。

 

 

「まず、誰がこんな事を仕出かしたのか。それを知る必要があるわ」

 

 

 まず必要なのは正確な情報。最も恐ろしい事が起きている可能性を潰す事こそ、一番必要な事である。

 

 

「今一番怖いのは、最高評議会じゃない。……あのクソ女が内部に入り込んでいる可能性」

 

 

 今一番恐ろしい事とは何か、それは全ての情報が筒抜けであり、既に魔群がこのホテル内に潜んでいる可能性。

 

 単純戦力で最強である魔刃以上に、魔群が潜んでいた場合は手に終えないのだ。

 

 もしも、あれが既に内部に潜んでいたとするならば、この防御網には意味がなくなる。

 万が一既に奴が潜んでいて、蟲を手当たり次第に植え付けていたとするならば――巻き起こるのは感染拡大(パンデミック)だ。

 

 誰も彼もが次から次へと苗床に変えられていく、悍ましい地獄が顕現するであろう。

 この外部からの干渉の一切を防ぐ要塞は、内部に残された人々を閉じ込める檻へと変わってしまうのだ。

 

 

「行くわよ。まずは何があったのか、この目で確かめないと」

 

『うん』

 

 

 それだけは防がねばならない。

 そうなってしまっているとしたならば、即座に対処しなければならない。

 

 

(幸い、こっちにはすずかが居る。魔群の毒でも直ぐに対処すれば、如何にでも出来るわ)

 

 

 後は時間との勝負。

 既に手遅れになっていない事を祈って、女達は走り出した。

 

 

 

 そして、辿り着いたVIP用のスイートルーム。

 返事を待つ時間すら惜しいが故に、荒々しく扉を叩いて乱暴に開く。

 

 その、先には――

 

 

『っ!?』

 

 

 椅子に腰掛けた二つの物体があった。

 譫言を口にする様に、同じ言葉だけを呟き続ける壊れた残骸しかなかった。

 

 

 

 誰もが一見して分かる程に、二人の老女は人として終わっていた。

 

 

 

 

 

4.

 静かな森の高台から、そのホテルを見下ろす影がある。

 その数は三つ。罪悪の王。真なる魔群。そして、未来を識る中傷者。

 

 此処にあるは反天使。三柱の怪物が其処に集っていた。

 

 

「どうやら、発見されたようですね」

 

「……そうか」

 

 

 機械の如き抑揚のない声で、魔鏡は静かに事実を語る。

 それに返す魔刃は然程興味なさげに、事態の推移を見据えていた。

 

 

――アクセス――我がシン

 

 

 声がする。声が響く。

 奈落(アビス)へと繋がる為に、己の原罪を解き放つ声が響いた。

 

 

「傀儡の限界ですね。繰糸を操る事を止めれば、途端に動かなくなってしまう」

 

「……老人達に指示を出させた時の様に、遠隔操作を続ければ未だ多少は引き延ばせたんじゃないかい?」

 

 

 機動六課に潜入していた彼女は、今日の予定を調整する為に六課を訪れていた老女達に接触し、事前に傀儡へと変えていた。

 既にその時、ミゼット・クローベルとレオーネ・フィルスは、魔鏡の手によって完膚なきまでに壊されていたのだ。

 

 

「直接会っても気付かれないレベルの精度を保てば、こちらへのフィードバックが余りにも大きくなり過ぎる。ティーダの時で懲りましたよ。巻き添えはもう御免です」

 

 

 二柱の堕天使がそんな言葉を交わす影で、少女の身体が膨れ上がる。

 その右の半身が大きく揺らぎ、右肩から先の華奢な肉体が悍ましい異形へと変じていく。

 

 

――イザヘル・アヴォン・アヴォタヴ・エル・アドナイ・ヴェハタット・イモー・アルティマフ・イフユー・ネゲッド・アドナイ・タミード・ヴェヤフレット・メエレツ・ズィフラム

 

 

 クアットロが呪いの言葉を口にして、イクスヴェリアと呼ばれた少女が苦悶の声を上げている。

 喘ぐ様な少女の声と共に、肥大化した腕はまるで鋼鉄の如く変色し、巨大な悪魔の顎門へと作り替えられていく。

 

 

「そうか」

 

「はい」

 

「……少し、変わったか」

 

「はい?」

 

 

 そんな少女の姿から目を逸らす様に、少年は魔鏡へと語り掛ける。

 その暗く濁った炎を燃やす瞳は、無垢なる人形だった筈の魔鏡の変化を映していた。

 

 

「……いや、大した事じゃないさ」

 

「はぁ」

 

 

 とは言え、会話に大した意味を見出せない魔王と、感情が死滅した人形の如き無表情の魔鏡。その両者に、真面な対話が成立する筈もない。

 

 声を掛けたは良いが、特に言う事も見つからずに言葉は途切れる。お喋りな魔群と異なり、彼らの会話はあっさりと終わった。

 

 

――おお、グロオリア。我らいざ征き征きて王冠の座へ駆け上がり、愚昧な神を引きずり下ろさん。主が彼の父祖の悪をお忘れにならぬように。母の罪も消されることのないように

 

 

 イクスヴェリアの瞳が真っ赤に染まり、その背を引き千切って機械仕掛けの翼が生えて来る。

 右の肩甲骨より生えた片翼の翼は、ただ一度の羽搏きだけで膨大なエネルギーを作り出す。

 漆黒の翼が生み出した力に弾かれる様に、一瞬でイクスヴェリアの身体は上空へと跳ね上げられた。

 

 

「さて、花火が上がるぞ」

 

「ええ。花火が上がりますね」

 

 

 上空百メートル。高みより見下ろす魔群は、右腕が変質した魔砲で狙いを付ける。数キロ先までも見通す瞳は、どんな標的だろうと見逃さない。

 

 狙うべき標的は唯一つ。ホテル・アグスタ。

 

 

――その悪と罪は常に主の御前に留められ、その名は地上から断たれるように。彼は慈しみの業を行うことを心に留めず、貧しく乏しい人々、心の挫けた人々を死に追いやった

 

 

 呪いが形となる。無数の蟲が門を通じて奈落より呼び出され、そして銃口へと集まっていく。

 周囲の悪性情報。人の魂を穢し貶める魔性の群れ。世界に満ちる大気。その全てを一点に収束して、生み出すのは巨大なプラズマ球。

 

 

「僕は行く。奴と決着を付ける為に」

 

「では、私は残りましょう。どうせ生き残りが出てもクアットロが喜々として潰しに行くでしょうから、未だ私が動くべき時ではありません」

 

 

 ホテル・アグスタは要塞だ。相次ぐ天魔災害に備えての対策で、要塞染みた性能を有している。

 核の直撃にも耐えるであろう装甲と、歪みや魔法を妨害する特殊な装置に守られている。

 

 ならばこの要塞は完全無欠か? 否、否である。

 

 

――彼は呪うことを好んだのだから、呪いは彼自身に返るように。祝福することを望まなかったのだから、祝福は彼を遠ざかるように。呪いを衣として身に纏え。呪いが水のように腑へ、油のように骨髄へ、纏いし呪いは、汝を縊る帯となれ

 

 

 その最大の弱点は、単純な防御力。耐久性が常識の域を出ていない。

 

 街一つ。国一つ。その程度を破壊し尽くす攻撃ならば防げるであろう。

 だが、果たして大陸一つを一瞬で消滅させる魔群の牙を向けられて、耐えられる道理が何処にある。

 

 

――ゾット・ペウラット・ソテナイ・メエット・アドナイ・ヴェハドヴェリーム・ラア・アル・ナフシー

 

 

 故にこれで終わり。だから此処でさようなら。

 

 

「皆々皆様、これにてさようなら。纏めて根こそぎ死んでしまいなさいっ!」

 

 

 にぃと女が悪い笑みを口元に浮かべて、そして終わりの引き金を引く。

 大陸全土を消し去る力を一点に収束して、撃ち放たれるは真なる魔群の最高火力。

 

 

「レェェェストイィィィンピィィィィッス!!」

 

 

 偽神の牙。ゴグマゴグ。放たれるそれは超高熱のプラズマ球。

 二億度を優に超える漆黒の魔弾は、轟音と大気を貫いて飛翔し、ホテル・アグスタを撃ち抜いた。

 

 そして轟音。大地を揺るがす轟音と、破壊の衝撃波。

 そして膨大な熱量を伴った光が世界を塗り替えて――後には唯、巨大な穴だけが残されていた。

 

 

「ウフフ、アハハ、アァァァハッハッハァァァッ!!」

 

 

 嗤う。嗤う。嗤い声を響かせる。

 ホテル・アグスタは地上より消え、建物は全て蒸発した。彼の聳え立つ摩天楼は、最早地図上にしか残らない。

 

 

「アァァァッハハハハハハハハハハァッ!!」

 

 

 嗤う。嗤う。嗤い続ける。

 

 内にあった人間の死はほぼ確定。辛うじて生き延びた者が居たとしても、地面に刻まれた大きな穴の底。助かる道理など何処にもない。

 

 最早、其処には地獄しか残っていないのだ。

 

 

「クアットロ。トーマは巻き込んでいないだろうな」

 

「勿論ですよぉ。フォアード陣は、ぜ~んいん無事みたいですよぉ」

 

 

 元より、魔鏡の仕込みはこの為に。

 人形が予め老女たちに接触していたのは、標的を一点に集めるが為だ。

 

 そう。ホテル・アグスタは檻ではない。獲物を纏めて仕留める為の網だったのだ。

 

 

「……では、行く」

 

 

 弾ける様な音と共に、エリオの背にも黒い翼が噴き上がる。

 穴だらけの黒き翼で強く羽搏くと、魔刃は一瞬で遥か彼方へと跳んで行った。

 

 

「ではでは~、私も生き残りをプチプチ潰して行きましょうかぁ」

 

 

 爆風と共に大気を歪めて飛び立ったエリオの背を見詰めた後で、クアットロは暗い笑みを浮かべる。

 

 トーマは彼の為に残した。同じく、外部に居た少数の者らは全て彼に任せよう。

 

 故に己はあの穴の底に居るかも知れない生き残りの始末に。

 偽神の牙によって瀕死に迄追い詰められたであろうエース陣を、安全な場所から確実に仕留めるのだ。

 

 

「じゃ、後はお願いねぇん。アストちゃん」

 

「……了解。ご武運を」

 

 

 アストと呼ばれた魔鏡は機械的に頷いて、それを見てクアットロは面白そうに嗤う。

 

 

「素直な子は好きよぉん。アストちゃん」

 

 

 魔群は魔鏡の事を好ましく思っている。

 傀儡を操る人形と言うその在り様が滑稽過ぎて、余りにも嗤えるから彼女の事が好きだった。

 

 それは彼女が無垢なる人形だからこその、上から目線での好意。

 故にこそ、今彼女の伽藍洞の心の内に僅かな感情が生まれ始めているとしれば、即座に嫌悪に変わるであろう。所詮魔群は小物である。

 

 

 

 そして一柱の反天使を残して、二柱の怪物がその堕ちた翼を天高く羽搏かせた。

 

 

「さぁ、踊りましょう。今夜は地獄が近い日(クリミナルパーティ)なのだからぁっ!!」

 

 

 地獄に近い日は今日、この時。クリミナルパーティーが開演する。

 さあ人々よ。絶望しろ。汝らの希望は全て絶やされ、世界は滅びへとその針を進めるのだから。

 

 

 

 悪意に満ちた宴が、こうして始まった。

 

 

 

 

 




アグスタ「ぐあぁぁぁぁぁっ!?」
リニアレール「あ、アグスタァァァッ!」
廃棄区画「何て有り様だ。塵一つ残ってねぇ」


そんな訳で、物理的に消滅したホテル・アグスタ。
完全防備のその弱点は、過剰火力をぶつけられるとあっさり壊れる事。

魔群のゴグマゴグ(砲撃モード)以外にも、なのはの“惑星破壊砲”やクロノの“愚息諸共KEITO☆TENTUI!”でも壊せます。




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第十五話 地獄が一番近い日 其之壱

クアットロ無双回。ウザ過ぎ注意報。

推奨BGM
1.For you For me(リリカルなのは)
2.Fallen Angel(PARADISE LOST)
3.Fallen Angel(PARADISE LOST)


1.

 二柱の反天使が去った丘に、一人残された女は佇む。

 僅か背中に走る痛みにその無表情を揺らして、ふと顔を上げた彼女は背後の林の影に誰かが居る事に気付いた。

 

 

「おや、来ていたのですか」

 

 

 感情の籠らぬその問い掛けに、藪陰に隠れた身体が震える。

 無情の天使が見詰める先、其処に潜んでいたのは小さな少女。

 

 

「…………」

 

 

 一瞬、彼女はこのまま隠れていようかと思考する。

 だが、白き女の透明な瞳は、誤魔化す事も出来ないであろう事実を確信させた。

 

 

「……悪いか」

 

 

 故に彼女、烈火の剣精アギトは気まずそうな表情を浮かべながらも、素直に林の中から姿を現す。

 そんな彼女へと魔鏡が返す言葉は、何処までも冷静で無情な物。

 

 

「いいえ、別に。……貴女が居ても、大勢に変化はない。足手纏いにすら成り得ない貴女では、居ようが居まいが変わりません」

 

 

 だが、それは紛れもない事実だ。

 彼女が居たとして、一体何が為せると言えよう。

 

 

「ですが、故に理解に苦しみます。それは合理的な思考ではない。何故人はそうも、愚かしく在れるのでしょうか?」

 

 

 だが、故にこそ魔鏡は疑問を抱く。

 人形には理解できないその行動の意味を、彼女は澄んだ瞳で問い掛けた。

 

 

「お前には、分かんないのかよ」

 

「? 分からないから、問うているのです」

 

 

 小首を傾げる彼女の姿に、純粋な疑問以外の他意などない。

 それが分かったから、隠れて着いて来ていた烈火の剣精は、その疑問に素直に答えた。

 

 

「理屈じゃないんだ。そう言うの。見届けたいんだ。意味なんかなくても」

 

 

 彼は守ってくれた。彼は救ってくれた。

 何時だって、何時だって、何時だって――だから。

 

 

「あたしがこうしたいから、あたしは此処でこうしてるんだ」

 

 

 例え捨てられたのだとしても、その感情は薄れない。

 もう要らないと言われたって、その感情は整理出来ない。

 

 理屈ではない。理屈なんかではない。理屈などでは止まれない。

 

 胸に渦巻くそれがある限り、きっと動けなくなるまで、アギトは何度だって彼を追い掛けるのであろう。

 

 

「……感情、ですか」

 

 

 それは己にないものだ。

 機械的な思考をするアストは、冷静な思考で判断する。

 

 

「やはり不合理ですね。作り物である筈の貴女ですら、情と言う物に翻弄される」

 

 

 そして同時に理解する。

 その不合理極まりない感情。作り物の機械ですら狂わせるその衝動。

 

 それは――

 

 

「不要。不必要。所か害悪ですらある」

 

 

 それがあるからこそ、人は壊れる。

 それがあるからこそ、人は愚かな事を繰り返す。

 

 

「あらゆる生命にとって、感情こそが最も必要なきモノなのでしょう」

 

 

 故にアストは、それは必要ないモノだと結論付けた。

 

 

「……あたし、お前の事、誤解してたみたいだ」

 

「?」

 

 

 そんな言葉を強調する姿。

 まるで言い訳の様に、己自身に言い聞かせる様に、感情は不要だと語る姿。

 

 それは――

 

 

「お前、思ってたより感情的だな」

 

「…………」

 

 

 誰よりも感情に溢れた姿に見えたから、アギトは特に意識する事もなくそんな風に呟いていた。

 

 

「……私が、感情的?」

 

 

 その言葉に、どれ程の衝撃を受けたのか。

 アストは愕然と目を見開いたまま、小高い丘で呆然と立ち尽くす。

 

 

「……じゃ、あたしは兄貴を追うぜ」

 

 

 そんな彼女を放置したまま、アギトは先に行った少年の背を追い掛けた。

 

 

「…………」

 

 

 彼女の姿が小さくなっていく。

 その背が見えなくなる程に、距離が開くだけの時間が経っても、アストは愕然としたまま動けないでいた。

 

 

 

 大胆に背中が開いた白いドレス。

 その背から広がる光の翼の付け根に刻まれたのは、生々しく焼け爛れた醜い傷痕。

 

 その傷痕が、何故だか酷く疼いていた。

 

 

 

 

 

2.

 目を焼く程の光が世界を満たし、圧倒的と言うも生温い衝撃波が吹き抜ける。

 圧倒的な熱量を内包した風が吹き抜けて、周囲の景色を瓦礫の荒野へと変えていく。

 

 

「っ、リリィ!」

 

 

 その砲撃の余波を受けて、吹き飛ばされた少年少女達。

 咄嗟にリリィを抱きしめたトーマと、何一つ対応する事が出来なかったティアナ。三人揃って地面を転がり、瓦礫にぶつかりながら傷付いていく。

 

 

「……大丈夫、か?」

 

 

 収束された力は既にして物理法則の外にあり、故にその膨大な熱量が標的となった者たち以外に直接的な被害を与える事はない。

 

 膨大な熱量と大量の穢れの影響は受けず、与えられた被害は破壊の際に生まれた余波。物理的な衝撃を伴う暴風と砕けた瓦礫の残骸だけだ。

 

 されど嵐の如くに吹きすさぶ風と瓦礫の雨は、凶悪な性質を宿していなくとも恐るべき破壊の力を秘めている。

 

 人一人の命を奪うには、十分過ぎる程に強烈だ。

 

 

「……私は、けど、ティアナが」

 

 

 衝撃を受け止めてくれた相手が居たリリィと異なり、ティアナ・L・ハラオウンには何もない。

 被害をその身に受けても治癒出来るトーマと異なり、ティアナ・L・ハラオウンには何もない。

 

 故に彼女は当然の如く、無様に吹き飛ばされて倒れていた。

 

 

「……息はある。直撃じゃなかった、みたいだな」

 

 

 倒れた少女に軽く触れて、その呼吸を確認する。

 打ち所が悪かったのか、意識を閉ざしてはいるが目立った外傷はその程度。万が一の可能性はなくもないが、取り敢えずは一安心と言った所だろう。

 

 彼らの被害は、その程度で済んでいる。

 トーマを殺してはならない。そんな枷故にスターズ分隊は意図的に狙いから外され、それ故にその程度の被害で済んでいたのだ。

 ならば、意図して狙われた標的は、果たしてどうなったと言うのか。

 

 

「……トーマ、あれ」

 

 

 その答えが其処にある。白百合の指差す先、少年達の眼前に生み出された光景にこそ、正しくその解答があった。

 

 

「っ」

 

 

 巨大な穴が開いている。底の見えない深い深い穴は、まるで奈落の底に繋がっているかの如く。

 其処につい先ほど迄存在していた筈の摩天楼は、その残骸すら残していない。

 

 

「ホテル・アグスタが……消えた」

 

 

 倒壊ではなく蒸発。

 形骸すらも残せずに、ホテル・アグスタは消滅した。

 

 

「なのはさんはっ!? 他の皆はっ!?」

 

 

 生存者は確認できない。目に見える範囲には、誰一人として存在しない。

 其処に居た人々は、其処に居た仲間達は、例外なくその地獄の底へと堕ちて行った。

 

 その地獄に向かって呼び掛けようと、答えなどは帰らない。

 

 

「ウフフ」

 

 

 そんな中、嗤い声が響いた。

 

 

「ウフフ。フフフ」

 

 

 嗤う。嗤う。嗤う。嗤う。

 天高く、嗤う女の声が聞こえる。

 

 その笑みは嘲り。その声は侮蔑。

 守り切れなかった人々を、巻き込まれた死者の群れを、その悪意は嘲り嗤っている。

 

 

「フフフ。アハハ。アハハハハハハ」

 

 

 嗤う。嗤う。嗤う。嗤う。

 その嘆きを嗤う。その憤りを嗤う。その無様さを嗤う。その死を嗤う。

 

 其処に意味などない。その行為に価値などない。

 単なる悪趣味。嘲笑う事で他者を見下し、己の自尊心と嗜虐心を満たすだけの自己満足。

 

 頭上を飛翔する身勝手な堕天使の嗤い声に、トーマはその拳を握り締めた。

 

 

「アイツがっ!」

 

 

 嘲笑う奴こそが、この惨禍を齎した者。

 片翼の黒き翼で、天より全てに唾を吐くは罪に塗れた反天使。

 

 

「アイツが、皆をっ!!」

 

 

 気に入らない。許せない。認められない。

 その胸に抱いた感情は義憤。其処に刻まれた怒りは正当なるもの。

 

 無関係とは言えないかも知れないが、それでも戦う力を持たなかった非戦闘員。

 如何に効率良く敵を殲滅する為とは言え、嘲笑いながら諸共に殺し尽すその思考が認められない。

 

 

「其処にあったんだ。確かに、あったんだぞ!」

 

 

 其処に生きていた人達。

 顔も知らず、声も知らず、見知らぬ誰かが其処に居た。

 

 見知らぬ人達でも、彼ら一人一人にも、確かな世界があった筈だ。

 温かくて、笑顔があって、幸福に満ちた命が其処にあった筈なのに。

 

 

「それをお前はっ、嘲笑ってっ!!」

 

 

 それを殺して刻んで嘲笑う。

 馬鹿め馬鹿めと、その無様を嗤っている。

 

 故に理解した。

 誰かのちっぽけな幸福を、嗤って奪うモノなどあってはいけないのだと言う事を。

 

 

「ウフフ。フフフ。アハハハハハハッ!!」

 

 

 天上で嗤う女を見上げる。

 呪われし魔群クアットロ・ベルゼバブの姿を睨み付ける。

 

 あれは許せない邪悪だ。存在してはいけない害悪だ。

 当たり前に生きていた人々を、殺して嘲笑う悪意の天使。

 

 そんな物が、この世界に居て良い筈がない。

 

 

「さぁてぇ、もぐら叩きで遊びましょぉ」

 

 

 そしてその堕天使は、まだ凄惨な光景を作り上げる心算でいた。

 この光景を生み出したと言うのに未だ飽き足らず、更なる地獄を作り出そうとしていたのだ。

 

 

「イザヘル・アヴォン・アヴォタブ・エルアドナイ・ヴェハタット・イモー・アルティマフ」

 

 

 嗤う女が呪詛を口にする。

 紡がれる呪言は奈落へと繋がる門を生み出し、現世を地獄へ変えるもの。

 

 

「ヴァイルバシュ・ケララー・ケマドー・ヴァタヴォー・ハマイム・ベキルボー・ヴェハシュメン・ベアツモタヴ」

 

 

 その行為は許せない。その存在は認められない。

 あれは輝かしい刹那に泥を塗る。あれは眩しい世界を糞尿で冒涜する。あり得てはならない邪悪の化身。

 

 

「呪いを衣として身に纏え。呪いが水のように腑へ、油のように骨髄へ纏いし呪いは、汝を縊る帯となれ」

 

 

 ならば、その呪詛が力を示す前に、あの存在を駆逐しなければならない。

 今直ぐにでも奴へこの刃を届かせて、その罪悪に満ちた首を処刑の刃にかけるのだ。

 

 

「リリィ!」

 

「はい、トーマ!」

 

 

 蒼き瞳の少年は、白百合の少女とその手を合わせる。

 

 

同調・新生(リアクト・オン)!』

 

 

 あの刹那を汚す、悍ましき堕天使を討つ為に。

 

 

形成(イェツラー)――白百合(リーリエ)正義の剣(シュヴェールトジュスティス)!」

 

 

 全てを分解するゼロ。

 世界を殺す毒を纏った処刑の剣を逆手に握り、前傾姿勢を取る。

 

 天に続くは翼の道。

 発現した時間加速の力を以って、あれを討たんと空を目指す

 

 だが、その一歩は――

 

 

「君の相手は僕だろう。間違えるなよ」

 

「っ!?」

 

 

 轟音と共に迫る雷光によって、切り裂かれて遮られた。

 

 

「テ、メェッ!?」

 

〈魔刃、エリオ・モンディアルッ!!〉

 

 

 迫る雷光に反応出来たのは、完全に偶然の産物だった。

 

 咄嗟に振るった剣と槍が、甲高い金属音を響かせる。

 襲い来る衝撃に対して、碌に態勢も安定しない状態で耐えられる筈もない。

 

 その突撃が有する質量を前に、トーマはまるで大型自動車に跳ねられたかの如く、大きく後方へと飛ばされる。

 

 

「エリオッ!」

 

 

 後方へと跳ね飛ばされたトーマが態勢を立て直すと同時、襲い来た悪魔は瓦礫の上へと舞い降りる。

 

 大地に音も立てずに舞い降りた赤毛の少年。

 その瞳は鮮血に染まったかの如くに赤く、背には暗い闇色の翼が羽ばたく。

 

 処刑の剣と切り結んでなお傷一つないその機械槍には、翼と同色の炎が燃えている。それは何処までも暗く、黒く、一切の価値を否定する腐滅の炎。

 

 

「やぁ、トーマ」

 

 

 浮かべる笑みは夜風の如く。

 内に秘めた激情と相反する表層は、見る者全ての掻痒感を掻き立てる。

 

 

「っ」

 

 

 背筋が凍る。喉を掻き毟りたくなる程の息苦しさ。

 夜風を纏う怪物が放つ気配は、死を確信させる程に濃厚だ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それは進歩か、或いは堕落か。

 どちらにせよ、以前とは違うと言う事だけは明らかだった。

 

 

「さあ、クリミナルパーティーを始めよう」

 

 

 この日を待ち侘びていた。この瞬間を待っていた。

 暗く黒く無価値な炎を心に燃やして、唯この瞬間を待ち侘びていた。

 

 

「誰が死ぬか。誰が生きるか」

 

 

 さあ、殺そう。

 さあ、終わらせよう。

 

 この因縁に決着を。

 終わりが始まるこの瞬間、出会えた事にさえ感謝を抱いて。

 

 

「どうなるにせよ。全て無価値だ」

 

 

 憎むべき者も、大切な者も、全てを無価値に変えてしまうのだ。

 

 

 

 

 

3.

 深い穴の底で、女達は刻まれた傷に耐えながら立ち上がる。

 

 

「二人とも、無事!?」

 

 

 まず始めに立ち上がれたのは、高町なのは。

 精神の不調によりその能力を十全に発揮できない状態であっても、再生と蘇生と言う二種の力を持つ彼女の生存力はこの場に居る誰よりも高い。

 

 その身の傷は軽傷と言う程には軽くないが、戦闘不能になる程にも重くない。故に真っ先に復帰した彼女は、共に居た二人の友人達の安否を案じる。

 

 

「……何とか、大丈夫」

 

 

 彼女の声に答える様に続いたのは紫髪の女。

 滴り落ちる血は止まらずに、満足に起き上がれぬ身体を瓦礫の山に横たえる。

 

 夜の一族と言う強靭な肉体と命のストックを以ってしても、彼女の傷は癒せぬ程に重かった。

 それも当然、最上階に居た彼女らは、呪詛と破壊の塊である砲撃の直撃を受けたのだ。

 

 ホテルの地上階全ては跡形もなく蒸発し、地下にあった建築物まで瓦礫の山へと変じている。

 要塞クラスの防御壁で威力を軽減されていながら、地下階までも根こそぎ破壊し尽くす程の力だ。デバイスすらない女の命が、持った事こそ奇跡であろう。

 

 

「けど、私でこれなんだから……アリサちゃんは」

 

 

 だが、生存に特化した二人でさえこの有り様。

 ならば防御面で彼女ら二人に大きく劣る彼女がどうなっているのか、それは簡単に予測出来る事。

 

 碌な結末など待っていない。

 そんな光景が目に浮かんで顔色を悪くした二人の前で――

 

 

「だっ、らっしゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 燃え盛る炎が天を突き上げる。

 アリサ・バニングスが瓦礫を吹き飛ばしながら、雄叫びを上げていた。

 

 

『アリサちゃん!』

 

「余裕よ。こんなの! ……って言いたいけどね」

 

 

 喜色を顔に浮かべる二人の前で、立ち上がった女の姿が揺れる。

 

 熱に対する耐性故に火傷はないが、魂を穢されたその身体。

 物理的な破壊力によって血塗れになった彼女は、既に限界がほど近い。

 

 今にも倒れそうな程の傷を負った女。

 そんな彼女がこうして立ち上がれている事には、一つの理由が存在していた。

 

 

「実際、ヤバかったわ。……あの二人が、庇ってくれなかったら」

 

 

 あの瞬間、壊れていた筈の老女達が動いた。

 ミゼット・クローベルとレオーネ・フィルスが、まるで盾になる様にアリサの身体に覆い被さったのだ。

 

 既に壊された彼女らは、自発的に動ける状態ではなかった。

 

 だからそれは、破壊の衝撃で倒れただけなのかも知れない。

 偶然傍に居たアリサを庇う様な位置に、倒れ込んだだけなのだろう。

 

 そう考えるのが自然である。

 

 そして、それが例え意図した行動であっても、然したる意味はなかった。

 膨大な熱量と破壊の力を前に、人一人の身体など盾にもならない。それは二人であっても変わらない。

 彼女達の遺体はダメージを軽減する事もなく、あっさりと魔弾の中に溶けて消えた。

 

 そう。冷静に考えるならば、其処に老女の意志があったとしても、その行為自体には意味がなかった。

 彼女達の最期の献身は、何も残さずに燃えて消えた。その行為は無意味であったとしか言いようがない。

 

 

 

 されど――無意味であれ、無価値ではなかった。

 

 

「守られたのよ」

 

 

 この女の心の熱を灯すには、それは十分過ぎる行為であったのだ。

 

 

「だったら、此処で寝てたら、女が廃るってもんでしょうがっ!!」

 

 

 血塗れの身体を引き摺り起こして、飛びそうになる意識を無理に留めて、アリサ・バニングスはそう宣言する。

 

 そう。彼女の心は守られた。

 故にこそ、その魂を全霊で燃やして、女は此処に立っているのだ。

 

 

「……結局、根性論なの」

 

「無茶ばかりするんだから。……取り敢えず、アリサちゃんの傷を治すね。デバイスがなくても治療魔法は使えるから」

 

「ふん。好きに言ってなさい。……後、治療は助かるわ。正直今にも意識飛びそうだから」

 

 

 何処か呆れの籠った二人の視線に、何が悪いのかと胸を張る。

 その拍子に気を失いそうになったアリサは、流石に小さく弱音を吐いた。

 

 

 

 そうして三人の女達は、こうして復帰する。

 

 

「……それで、まずどう動く?」

 

「生存者の捜索やクロノ君との合流も重要だけど」

 

「まずは、襲撃者の迎撃ね」

 

 

 立ち上がった女達の意見は一致する。

 まずは生存者を捜すよりも、襲撃者を止めねばならない。

 

 一手でこれ程の被害を齎した相手だ。

 次の一手を許してしまえば、最早後はない状況へと追い込まれてしまう。

 

 

『行こうっ!』

 

 

 互いに声を呼び交わし、傷を癒した女達は即応する。

 意見の一致した女達の対応は、戦場においては最適解と言える物であったであろう。

 

 そう。これが戦場であったならば――

 

 

「ウフフ。フフフ」

 

 

 されど此処は戦場ではなく、奈落の底。

 今日は地獄が一番近い日。真っ向から鎬を削る争いなどあり得ない。

 

 此処にあるのは、一方的な蹂躙だけだった。

 

 

「ゾット・ペウラット・ソテナイ・メエット・アドナイ・ヴェハドヴェリーム・ラア・アル・ナフシー」

 

 

 声がする。声が響く。

 女の嗤い声と共に、呪われし門を開く声が周囲に響く。

 

 

「暴食のクウィンテセンス。肉を食み骨を溶かし、霊の一片までも爛れ落として陵辱せしめよ」

 

 

 呪われた声は暴食の罪を内包した第五の元素を以って、この世界に隠された奈落へと接続する。

 その接続が齎す恩恵は、奈落に潜む悪魔の力を現実の脅威へと変えると言う力。

 

 

「この声……」

 

「これはっ、あんのクソ女ぁぁぁぁっ!」

 

 

 聞き覚えのある声になのはが呟き、その声の主の性悪さを知るが故にアリサが吠える。

 

 最悪だ。最悪の状況だった。

 それをクアットロ=ベルゼバブと言う女を知る誰もが、この瞬間に理解した。

 

 クアットロが真面な勝負をする筈がない。

 それはこうして、三人ものエース級が揃っていれば尚の事。奴は尻尾を巻いて逃げ去り消える。

 

 僅かでも敗北の可能性があれば逃走する。

 そもそも真面な戦闘をしようとさえしない。

 

 あの女は、そんな性格をした小物である。

 

 そんな女が一手を打つのは、絶対的な勝機を有するが故に。

 そんな女が攻めに転じるのは、確実に勝てると言う確信があるが故に。

 

 アリサは直接相対したが故に悟る。

 アレがその力を解き放つ時点で、既に自分達の敗北は確定しているのだ。

 

 

「死に濡れろぉぉぉっ――暴食の雨(グローインベル)!!」

 

 

 ぽつり、ぽつりと、雨が降り始める。

 それは赤い雨。血の様に、赤い紅い朱い雨。

 

 天の気候さえも操って、魔群の主はその雨を降らせた。

 

 

「きゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「ぐ、うぅぅぅぅぅぅっ!?」

 

 

 悲鳴が上がる。

 歯を食い縛って、痛みに耐える声が響いた。

 

 降り注ぐ赤は全てを溶かす酸の雨。

 霊の一片さえも凌辱するは、魂汚す悪意に満ちた魔群の毒。

 

 

「レイジングハート!」

 

〈Circle Protection)

 

 

 身体を焼き尽くす雨を払う為に、高町なのはが魔法を使う。

 半球形の防御魔法を展開して、三人纏めて降り注ぐ雨の被害から守り通す。

 

 だが――

 

 

「っ!?」

 

 

 じゅぅと嫌な音を立てて、足元から煙が立ち上った。

 

 視線を下へと向ければ、其処にあったのは湯気を上げる水溜り。

 降り注いだ雨が地面に溜まり、まるで血の池の如く広がっていた。

 

 

「っ、まさか。敵の目的は」

 

 

 魔群の意図を察して、すずかが頬を引き攣らせる。

 

 深い穴の底に、降り注ぐ雨が流れる先はない。

 ならば必然として、全てを溶かす雨は貯水槽に貯められた水の如く笠を増していく。

 

 その結果出来上がるのは、赤き酸に満たされたプール。

 彼女らが落とされた奈落の穴は、全てを溶かす貯水槽へと変じるのだ。

 

 

 

 クアットロ=ベルゼバブは唯雨を降らせるだけ、それだけで逃げ場をなくした彼女達は酸の海に飲まれて溶ける。

 

 故にこれは戦闘ではない。

 絶対的優位より行われる唯の虐殺であった。

 

 

「っ、ならっ!!」

 

 

 降りしきる雨の中、高町なのはは決断する。

 

 傘の替わりにしかならない盾を展開し続けても、何れ溶かされるは必定。

 ならば対処は一つ、空の穴を目掛けて雨の中を飛翔し突き抜ける事。

 

 

「アクセルフィン!」

 

 

 足元に翼を生み出して、ふわりとその身体が飛翔する。

 

 降り頻る雨は、不撓不屈の意志で乗り切る。

 その身を酸に焼かれながらであろうと、突破できれば勝機はあると――そんな単純な正攻法を、その女が予想していない筈がない。

 

 

「来たれ――Gogmagoooooooooooog!!」

 

 

 無数の羽音と共に、現れるのは暴食の獣達。

 集い貪り埋め尽くすのは、魂さえも凌辱する蝗の群れ。

 

 

「っ!?」

 

 

 百。千。万。億。

 無数に増え続ける悪なる獣が、その群体を以って天を覆う。

 

 生半可な力では対処できない悪性情報の塊が、まるで天蓋の如くにその穴を覆いつくした。

 

 

「これ、じゃぁ」

 

 

 抜け出せない。抜け出しようがない。

 あの蟲の群れは魔法では防ぎ切れず、飛び出そうとすれば集い群がってこの身を貪り喰らうであろう。

 

 死に難い。死なない。そんな対策に意味はない。

 

 無限に死なない身体もあれにとっては無尽蔵に増える為の糧にしかならず、一度群がられれば最期、精神力が尽きるその瞬間まで苗床として殺され続ける事となる。

 

 不死身の身体と無尽蔵の軍勢。

 無限の糧にしかなれぬ限り、その相性は最悪だ。

 

 それが分かってしまったから、高町なのはは飛び立てない。

 無理をしても抜け出せない以上、脱出と言う術は完全に封じられていた。

 

 

 

 例え蟲が天蓋を覆おうとも、降り頻る雨が止む事もない。

 

 蟲の身体を滑り落ちて、滴る雨はヘドロの如く。

 あらゆる悪性を凝縮しながら、地面に落ちては溜まっていく。

 

 突破は出来ない。この蟲全てを抜けられるだけの力がない。

 ならば耐え続けるより他に術はなく、されど耐え続けたとしても先はない。

 

 最早詰み。既にして戦闘ではない。

 これは蹂躙。これは虐殺。これは一方的な無双劇。

 

 クリミナルパーティーは終わらない。

 恐怖劇に役者の奮起などは要らず、ただ詰将棋の如くに磨り潰されて終われば良いのだ。

 

 

「ウフフ。アハハ。アハハハハハハッ!!」

 

「っ! 何処よ、何処にいるのよっ! あんのクソ女ぁぁぁっ!!」

 

 

 嗤い声が暗い穴の底に響く。

 何も出来ずに溶けていくしかない女達を、嘲笑う魔群の声が響いている。

 

 されど女は此処にはいない。クアットロが此処に赴く理由がない。

 ただ座して待てば済む現状、彼女の器が安全圏より出て来る事はないだろう。

 

 

 

 そんな当然の思考を嘲笑う様に、魔群はその予想を裏切った。

 

 

「Sancta Maria ora pro nobis」

 

 

 奈落の底に聖句(オラショ)が響く。

 蟲の群れに覆われた暗い天蓋の下、あぶれた悪なる蟲が一点へと集っていく。

 

 

「Sancta Dei Genitrix ora pro nobis」

 

 

 それはまるで太陽。

 蟲の群れが折り重なって生まれたのは、暗い昏い黒い太陽。

 

 どす黒い悪性情報が収束した場所に生まれた太陽が、ぐじゅぐじゅと音を立てて人の型へと変じていく。

 

 

「Sancta Virgo virginum ora pro nobis」

 

 

 地の底に響く福音は、良く通る澄んだ女の美声。

 だと言うのにその歌は奈落の底から響く呪いの如く、怖気を催す悪意と悪臭に満ちていた。

 

 

「Mater Christi ora pro nobis Mater Divinae Gratiae ora pro nobis」

 

 

 ヘドロで出来た太陽が、女の姿へと変わっていた。

 長い栗色の髪を腰まで伸ばし、父と同じく白衣で着飾ったその姿。

 

 悪女の笑みを張り付ける美女の顔を、見知った者は誰一人としていなかった。

 

 

「Mater purissima ora pro nobis Mater castissima ora pro nobis」

 

 

 誰が知ろう。その姿こそ、嘗ての女の器。

 ベルゼバブとなる為に、磨り潰された女の躯。

 

 

「oh Amen glorious!!」

 

 

 無数の汚濁を振り撒きながら、赤き雨に溶かされる女達の前に姿を見せる。

 

 其は魔蟲形成。

 集めた蟲を媒介に、己の分体を作り上げる女の業。

 

 持ち主の魂の色へと形を変えるその影は、意図せずとも魔群が持っていた本来の姿を作り上げるのだ。

 

 

「どうかしらぁ、少し芸風を変えてみたのだけどぉ?」

 

「フォイアッ!!」

 

 

 ニヤニヤと嗤う女が言葉を発した瞬間、アリサが形成した質量兵器を以って砲火を浴びせた。

 

 相手が現れたならば、それこそ好機。有無を言わせる暇すら与えない。

 

 一瞬の隙を見逃さずに放たれた砲撃は、確かにクアットロの頭を吹き飛ばし――次の瞬間には、彼女の傷は塞がっていた。

 

 

「アハハハハ。無駄よぉん。だってこれは唯の影。幾ら撃っても意味なんてないわぁ」

 

「ちっ」

 

 

 此処にあるは唯の影。折り重なった蟲の群体。

 破壊の力で吹き飛ばしたとて、その蟲が再び集えば傷は塞がる。

 

 これを傷付け得るは唯二つ。

 滅びの概念を宿し、消滅を必定とさせる力のみ。

 

 そして此処に、それはない。

 それを知るからこそ、クアットロは分体を生み出したのだ。

 

 

「ねぇ、今どんな気分?」

 

 

 魔群は、己を害する術を持たない女達を嘲笑う。

 

 決して傷付けられる事はない。

 そんな優位を維持したままに、嘲りの声を掛ける。

 

 

「少しずぅつ溶かされてぇ、無数の蟲に行く手を塞がれてぇ、なぁぁぁんにも出来ないエースさんたちはぁ、いぃぃぃたいどんな気分なのかしらぁぁぁ?」

 

 

 嘲り嗤う女が影を動かしたのは、唯その為だけに。

 その無様を眼前で鑑賞し、その散り様を嘲笑う為だけに此処に居るのだ。

 

 

「辛い? 悲しい? 悔しい? 腹立たしい? けぇぇぇどぉ、ぜぇぇぇんぶ無価値なのよねぇぇぇ! だぁぁぁって、みぃぃぃんな此処で死ぬんだからっ!!」

 

 

 ニタニタと気味悪く嗤う。ゲラゲラと下品に哂う。

 

 嗤い愚弄し嘲笑する。

 無様無価値無意味と罵倒する。

 

 お前たちには何も出来ないのだと強調する様に、そんな彼女達をエースと評価している者らすらも馬鹿にする様に、クアットロは腹を抱えて嗤い転げていた。

 

 

「ウフフ、フフフ、アハハハハハハッ!!」

 

 

 その笑みは腹立たしい。その表情は憎たらしい。その余裕が気に入らない。

 

 だが――

 

 

「ちっ、……二人とも、アイツは無視するわよ!」

 

 

 現状で打つ手はない以上、アレの相手などしていられない。

 ならば所詮雑音と決め付け視界から追い出し、この閉塞した状況を突破する術を考える事こそ有益だ。

 

 そう結論付けたアリサは、二人の友に視線で促す。

 視線に頷く二人。彼女達が取った選択はとても分かり易い力技。

 

 

「ディバィィィン――」

 

「タイラントォォォッ――」

 

「二大凶殺――血染花っ!」

 

 

 今持てる全霊を以って、この包囲網に穴を開ける。

 一瞬の空隙を抜けて、あの魔群へと一矢報いるのだ。

 

 

 

 それはとても薄い勝機。

 薄氷の上を渡る方が、まだ安心できる無策特攻。

 

 それでも、それしか打つ手がないと判断したが故に――

 

 

「レェェストイィィンピィィィィスッ!」

 

 

 そんな抵抗は、降り注ぐ破壊の力によって、あっさりと潰された。

 

 

「っ!」

 

「相殺すら、出来ないっ!?」

 

 

 無数の蟲は妨害にして弾丸。

 集いて放たれた偽神の牙は、無数に枝分かれして女達の全力を打ち崩す。

 

 

「アハハ、アハハハハハハッ!!」

 

 

 相殺所か減衰すらも出来ない。

 リミッター付きの彼女達、既に重症を負った女達の全力程度で揺るがす事が出来る程に、魔群の牙は軽くはない。

 

 分裂する魔弾はレーザーの如き軌道を描きながら、女達の魔法を撃ち抜いていく。

 彼女達の全力攻撃を正面から撃ち破って、魔群の毒が女達の身体を貫いた。

 

 

「つぁぁぁぁぁっ!?」

 

「いやぁぁぁぁっ!!」

 

「アァァァハハハハハハハハハッ!!」

 

 

 射抜かれた彼女らが落ちる先には酸の池。

 降り注ぐ雨は止む事はなく、守りが失われた彼女らの身体に蟲が喰らい付く。

 

 僅か一手の選択ミスが、余りにも多くの被害を齎すのだ。

 

 

「さいっこう。ほんと最高の気分」

 

 

 抵抗など出来ない。対抗など不可能だ。

 始まる前から勝負は決していたのだから、女達に出来る事など何もない。

 

 

「踏み躙られる人間の悲鳴って、なんでこんなに素敵なのかしらぁ」

 

 

 その頬を紅潮させて、高ぶる欲を隠そうともせずに、甘える声音でクアットロは口にする。

 

 

「さあ、このまま磨り潰して・あ・げ・る」

 

 

 最早死は必定。弄ばれて終わるであろう。

 クリミナルパーティーの幕引きは、女達の絶望の悲鳴で終わるのだ。

 

 

「っ、アリサちゃん。すずかちゃん」

 

「はっ、こりゃ、本気でマズイわね」

 

 

 逃れられない最期が迫る。

 押し寄せて来る悪意の牙を、止める術など何処にもない。

 

 

「けど」

 

「うん。……諦める訳には、いかないっ!」

 

 

 それを覚悟して、それでも抗う意志を絶やさない。

 その強き意志を砕く為にこそ、魔群はニタニタと笑みを浮かべる。

 

 

 

 そんな彼女らの下へ、男の声はその時届いたのだった。

 

 

〈高…、バ……グス、…村〉

 

 

 それは途切れ途切れの念話。

 男の声は擦れていて、今にも消えそうな程に弱っている。

 

 

「クロノ、くん……」

 

 

 その声の主に、すずかが気付く。

 女達は揃って、彼の念話へと耳を傾けた。

 

 

〈よ……た。ま…い………るな〉

 

「アンタこそ、まだ無事みたいね」

 

〈……、辛…じて、……な〉

 

 

 念話の声に言葉で返す。秘匿性などは気にしない。

 

 クアットロは妨害もせずに、女達の好きにさせているのだ。

 この外道の性格上、念話の盗聴も行っているのであろう。その上で、この女は放置している。

 

 ならば隠そうと努力する事、それ自体が無駄である。

 

 

〈こっちは……に悲……な。……手詰まり…〉

 

「……クアットロの分体は、一人じゃなかった」

 

 

 あのクロノが押されている。

 その事実に思わず、思い付いた事を呟くなのは。

 

 そんな彼女に返るのは、ニィと嗤う女の悪い笑み。

 

 女は聞いている。その念話を傍受していた。

 その上で自由にさせているのは、その方が面白いから。

 

 希望が絶望に堕ちる瞬間、それこそが女にとっては最も愉しい娯楽である。

 

 

「……クロノ君の歪みで、合流は出来ないの?」

 

〈そ……余……あったら、やっ………さ〉

 

 

 言葉で問い掛けるすずかも、念話の向こう側で荒い呼吸をしているクロノも、どちらにも余裕などはない。

 

 それを知っているが故の余裕。

 絶対に己の敗北はないと、確信しているからの遊び。

 

 

〈だが、………………が無…な…勝機…あ…〉

 

 

 ニタニタと嗤い続ける魔群の掌の上で、弄ばれる玩具たち。

 彼らは念話の中で互いの状況を知り、僅かな勝機を手繰り寄せようとしている。

 

 そんな彼らに教えてあげよう。

 

 

「勝機? そんなモノはないわぁ」

 

 

 だってこれは勝負ではないから、最初から勝ち負けなんてレベルの話をしていない。

 お前たちに許された事は唯、無意味に絶望したまま、無様な姿を晒して、無価値に死ぬことだけなのだ。

 

 

「今日は地獄が一番近い日(クリミナルパーティー)。貴女たちの命日よ!」

 

 

 両手を広げて嗤い続ける魔群を前に、女達は拳を握り締める。

 

 逆転への一手。起死回生の最後の手段。

 例え筒抜けの策しかなくても、そのか細い道は確かにある。

 

 故に――

 

 

「行くよ、反撃開始だ!」

 

 

 機動六課のエース達は、神を騙る悪魔へと立ち向かうのだ。

 

 

 

 

 




トーマ「お前は生きていちゃ、いけないんだっ! 此処から居なくなれぇぇぇっ!!」
クアットロ「……ただ踏み躙って遊んでただけなのに、解せぬ」


そんな訳でクアットロ無双回。
本気クロノと同格な怪物なので、消耗&足手纏いありだとこんな展開になります。


逆転の方法?
クロノお義兄ちゃん、万象掌握早よ!




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第十五話 地獄が一番近い日 其之弐

またもクアットロ回。
あっさり終わらせる気だったのに、何かコイツ書いてると愉しくて筆が乗ってしまう作者です。


副題 続・外道無双
   デンジャラスクロノくんタイム


1.

 空から降り注ぐ雨は赤い。

 血の様な赤と共に流れ落ちるは、ヘドロの如くに濁った黒。

 

 赤い雨は強酸の如くに全てを溶かす。全てを穢し貶める魔群の毒は一度浴びれば、魂さえも消耗させていく。

 その雨の中で飛び交う黒は、悪食に狂った無数の蝗。その鋭い顎門に喰らい付かれたが最後、その身は肉片さえも残さず貪り喰らわれるであろう。

 

 嵐の如くに飛び交う致死の毒。間近に迫る捕食の顎門。

 その只中に取り残された彼らは、恐怖に怯えて震えていた。

 

 上質なスーツに身を包んだ紳士たち。

 上品な宝飾品で身を着飾った淑女たち。

 立食会に参加していた有力者たちは今も、その地獄の中で生きている。

 

 彼らには身を護る術がない。

 彼らには助かる為の手段がなかった。

 

 それでも、そんな彼らが今も生きている。

 其処には、その理由には、ある一人の男が奮闘する姿があった。

 

 

「随分と、頑張りますねぇ」

 

 

 関心と呆れが等分に混ざった様な声音で、クアットロの分体が嗤う。

 魔蟲形成によって作り出された彼女の影は、マルチタスクによってまるで別の場所で全くの同時に活動できる。

 

 物量。圧倒的な数の暴力。

 

 単純な量において、クアットロと言う女は超越の領域に手を伸ばしている。

 無限に湧き出すかの如く増殖を続ける魔群を前に、生半可な個の強さなど意味を為さない。

 

 

「け・ど・もう限界かなぁ? それとも、とっくに限界は過ぎていてぇ、死に物狂いに喰らい付いているだけとかぁ?」

 

 

 蟲は増える。蟲は増え続ける。

 初撃として撃ち込まれた偽神の牙。それによって生じた死者の躯を苗床にして、腐臭と共に魔蟲の群れは増え続けている。

 

 無残な躯を見る度に、力のなさを思い知らされる。

 ホテルに勤めていた従業員。己の配下である局員達。巻き込まれた多くの犠牲に胸を痛めて、故にこそ男は意志を強くする。

 

 

「なぁんか言ったらどうですかねぇ? 無様で情けない、嘘吐きの英雄さん」

 

 

 クアットロの嘲笑に、返す言葉はない。

 そんな言葉を返す余力さえ、今の男には欠けていた。

 

 既に初撃にて重体。魔群の最大火力を防ぎ切れなかった身体は、多くの骨を砕かれて、多くの内臓を潰されて、今にも意識が遠のきそうな状態だ。

 

 流した血の量に視界は霞んで、白き和服は赤が入り混じった斑模様。

 その肩に羽織った将官用のコートは穴だらけ、度重なる魔法と異能の行使に脳は焼き切れそうになっている。

 

 続く襲撃を防ぎ切れる余裕はない。

 まだ続く戦いを生き延びる道理などない。

 全身に負った傷口は、今尚降り続く雨に打たれて広がっていく。

 

 それでも――

 

 

「……はぁ、はぁ」

 

 

 クロノ・ハラオウンは揺るがない。

 既に限界を半歩超えた有り様で、されど胸に燃やす想いを糧に支配の力を行使する。

 

 その背に、血の雨は届かせない。

 暴風を生み出し操り、雨の降る向きを変えている。

 折り重なる風が空気の層を生み出して、血の雨が生み出す被害を防いでいる。

 

 その後背に、牙を剥く蟲の群れは通さない。

 今にも喰らい付かんと襲い来る蝗の群れが、何かに弾かれる様に止められる。

 弾丸の如き速度で飛翔していた蟲の群れが、気付けばまるで別の場所へと飛ばされていた。

 

 

「守るさ。守り抜いて見せる」

 

 

 言葉を口にする度に、吐きそうになった血反吐を飲み込む。

 

 その生身と鋼鉄。

 二つの両手で操る力は空間支配。

 万象遍く掌握する力が生み出すのは、後背を守る絶対安全圏。

 

 この安全圏は犯させない。

 この支配圏は奪わせない。

 

 失った命に報いる為にも、手に拾えた命は必ず守り抜く。

 

 

「僕を侮るな。クアットロ」

 

 

 着流しの上に羽織った穴だらけのコートが風に揺れる。

 恐怖に震え怯える有力者達を守るクロノは、その力強い背中を彼らに向けていた。

 

 

「……全く、愚かですねぇ」

 

 

 その姿を愚かと称して、啖呵を切られた女は蔑みの色を瞳に宿す。

 彼の行動は愚かだ。もっと効率よく合理的に動けば或いは自分に届くやも知れないのに、下らない情に揺り動かされる男の姿は愚かと言うより他になかった。

 

 

「そんな足手纏い。さっさと見捨てていれば、此処から逃げ出す事だって出来たのに」

 

 

 最初の一撃。偽神の牙を受けた時、男は即座に空間を跳躍した。

 されど此処は鳥籠の中、逃げられる場所は限られていて、男が跳躍した先は地下四階。

 

 逃げられない事を悟った彼は、即座に防御の為に全霊を賭した。

 パーティー会場に居た人々を魔法と異能を以って作り上げた防御障壁で守りながら、その身さえも盾にして、頭上より降り注ぐ破壊の力に耐え抜いたのだ。

 

 

「両手に一杯抱え込んで、動けなくなるなんて愚の骨頂」

 

 

 その結果がこの状況。

 呼吸さえも苦しい程に追い込まれて、更に魔群の追撃を受けている。

 

 もしも彼が最初から自分の身だけを優先して、その守りを己だけに使っていたら。

 もしも彼が最初から反撃の瞬間さえも視野に入れて、人々の身体を盾に潜伏していれば。

 

 その場合はこうも容易くはいかなかっただろう、とクアットロは確信する。

 最大火力を耐えきって、そしてこうして未だ後背を守るだけの力を残しているのだから、彼が己に勝つ事だけを思考していれば、或いはこの()()を破壊されていたかもしれないのだ。

 

 だが、そんなものは最早あり得ぬ過程の話。

 彼、クロノ・ハラオウンは最も愚かな選択をしているのだから、最早己の敵足り得ないのだ。

 

 

能力対処限界(キャパシティオーバー)ですよ。貴方一人や、或いは数名ならば兎も角、それだけの人数を抱えたまま、この私から逃げ出せよう筈がない」

 

 

 雨が届かぬ様に風を操り、魔群に食われぬ様に空間を歪める。

 それだけで手一杯になっている。それ以上には手が伸ばせなくなっている。

 

 それが故の能力対処限界。その代価として、男は一切の余力を失くした。

 如何に等級拾の歪み者とは言え、同時に対処できる物事は多くはないのだ。

 

 何よりもクアットロが愚かだと思う事は、そんな対処限界を超えた事を今尚続けている事。

 

 後背に守る人々を見捨てれば、今からでも逃走くらいは出来るであろう。

 この男の底知れなさも考慮すれば、或いは数名は連れて脱出できるやも知れない。

 

 だと言うのに、全てを守り続けている。

 絶対にそんな事はやり通せないと分かるだろうに、それを貫こうとする。

 

 その姿が余りにも愚かしいから、失笑さえも浮かばない。

 

 

「何やら念話で企んでるようですがぁ、結局全部無駄です。ざ~んねんでしたぁ!!」

 

 

 そしてそんな状況を覆そうと、念話で仲間と連絡を取っている。

 その強かさは結構だが、出来る事と出来ない事を割り切る合理性もなく、それで己に勝ろうとする思考は腹立たしさすら感じる愚かさだ。

 

 

「……そうか」

 

 

 だから苛立ち紛れに掛けた嘲笑に、返す男の言葉は澄ましたもの。

 

 

「だから、どうした」

 

 

 理屈は要らない。合理性など必要ない。

 ホテル内に居た人々全てを守る事は出来ず、出来たのは手の届く場所に居た人達を庇う事だけ。それでも、救えた者は居たのだ。

 

 ならば、その行いに迷いはない。

 男の内に全ての人を守れなかった後悔はあっても、今守る人を見捨てない選択をした後悔などは欠片もない。

 

 故に守るべき人々に背を向ける男は、血で霞んだ瞳で強く前を見据えていた。

 

 

「…………へぇ、未だそんな強がり言えるんですねぇ」

 

 

 嗚呼、忌々しい。嗚呼、腹立たしい。

 そんな風に強がって、愚かなままで突き進む姿に、耐え難い程の苛立ちを感じる。

 

 何よりも忌々しいのは、彼がそれでいて諦めていない事。

 クロノ・ハラオウンは、この詰んだ状況でも己に勝とうと足掻いている。

 

 嗚呼、何て向こう見ずな無知蒙昧。

 それで己を乗り越えようなど、余りにも増長が過ぎるであろう。

 

 

「なら良いですよ。何時まで強がっていられるか、試してみましょうかっ!」

 

 

 それが余りにも許せなかったから――

 

 

 

 クアットロの悪意は、その意志すらも砕かんと牙を剥いた。

 

 

 

 蟲が騒めく。降り注ぐ雨の中、蟲がキシリキシリと騒めいている。

 

 

「さあさあ、紳士淑女の皆様方!」

 

 

 蟲で出来た白衣の女は嘲りを顔に張り付けて、その両手を大きく広げて声を上げる。

 

 女の悪意が向けられる先、それは立ち向かう男であって彼ではない。

 クロノと言う青年の意志を凌辱する為に、まずは彼が守る者たちを踏み躙るのだ。

 

 

「貴方方は理不尽に、不条理に、無作為に、その命を奪われようとしております!」

 

 

 降り注ぐ雨が勢いを増す。喰らい付かんとする蟲の群れがその数を増す。

 前衛に立つクロノ・ハラオウンを完全に無視して、その悪意を人々へと届かせんと苛烈に迫る。

 

 

「ですがご安心を、貴方達の目の前には英雄が居る。貴方方が勝てると信じ、今なお貴方方を守っていらっしゃる英雄が存在しているのです!」

 

 

 だが通らない。だが通じない。

 その前に立つクロノが決して、襲い来る害意を背後に通す筈がない。

 

 空を飛翔する蟲の群れは落とされ続けて、赤い雨は防がれ続ける。

 そんな現状を認める様に口に出して語りながら、クアットロはニヤリと張り付く笑みを浮かべた。

 

 

「……何を」

 

 

 その一種異様な行動に、クロノも疑問の声を其処に漏らす。

 一体何を考えていると言うのか、その問い掛けに対する答えは――

 

 

「そう。英雄クロノ・ハラオウンは、必ずや悪辣なる魔群を打倒し、皆様方を救い上げるでしょう。……ただし」

 

 

 最悪の形で明かされる。

 その女の悪意は、其処で真なる姿を見せた。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「っ! 貴様っ!?」

 

 

 クロノも其処で、敵の狙いに漸く気付いた。

 クアットロ・ベルゼバブと言う外道は、彼らに共食いをさせようとしているのだ。

 

 

「そう! 皆様方は多過ぎる! さしもの英雄でも守り切れぬ程に、その数は多いのです!!」

 

 

 降り頻る雨が勢いを増したのも、襲い来る魔群の数が増えたのも、全ては彼らの理性を削ぐ為に。

 冷静な思考力を奪い、狂乱状態に陥れ、そして互いに相食む様に食い合わせる。

 

 

「故に、故に故に故に! 助かりたければ、間引きましょう! 救われたければ、殺しましょう!」

 

「聞くなっ! 戯言だっ!!」

 

 

 女の語りを遮る様に男が口にするが、一度広がった悪意は拭えない。

 今更耳を閉ざしても最早手遅れ、一度そんな言葉を聞かされてしまえば、どうしても可能性を思考してしまうのだから。

 

 その毒はまるで蜜の様。

 殺せば助かると言う偽りの希望は、余りにも甘い誘惑過ぎて拭えない。

 

 

「決して罪ではありません。これはカルネアデスの板! 緊急避難の為に行われる行為は、悪ではなく生物が行える当然の権利ですものっ!」

 

 

 動揺が走る。民衆が揺れ動く。

 そうしなければいけないと言う錯覚が生まれ始め、そうすれば助かるかも知れない可能性が見えて、そう動いても咎められない状況が積み上がる。

 

 ならば衆愚と化しつつある人々が、一体その悪意にどれ程に抗えるのか。

 

 

「汝、隣人を殺せ! 汝、隣人から奪え! そうすればきっと、貴方達の英雄が助けてくれるわよぉ!」

 

 

 守られている人々が迷う。

 そうするべきなのではないか、と言う毒は染み込んだ。

 

 

 

 それでも、理性がある限りは最悪の展開にはならない。

 疑念や希望だけで即座に殺し合う程に、彼らのモラルは崩壊していない。

 

 故に、最後の一手。そのモラルさえも壊し尽す危機を与えてあげよう。

 目の前に死の危険が迫れば、そんな余裕など一瞬で崩れ落ちる筈だから――

 

 

「それが出来ないならぁ」

 

 

 ニヤニヤと悪意に満ちた嘲笑を張り付けたまま、クアットロは致命的な一手を其処に刻み込んだ。

 

 

「み~んな。こんな風に弾けて死ぬのよ!」

 

 

 パァンと、軽い音と共に鮮血が舞う。

 膨らんだ風船が弾け飛んで、血と臓物を貪りながら中から蟲が湧き出してくる。

 

 鮮烈なまでの死を間近に受けて、クロノは一瞬思考が停止した。

 

 

 

「っ!?」

 

 

 守られていた筈の人が膨れ上がって、弾けて破裂して飛び散った。

 何をされたのかを理解出来ず、何が起きたのかを知る為に、クロノのマルチタスクが最高速度で回り出す。

 

 

(守りは抜かれてない! 蟲は一体も通してないっ! コイツはっ!!)

 

 

 回る思考が出した答え。それはとても単純な解答。

 クロノの守りは抜かれていない。それは最初から、其処にあっただけの話だったのだ。

 

 

(最初から、仕込んでいたっ!!)

 

 

 そう。クアットロ=ベルゼバブは、最初から仕込んでいた。

 この立食会が計画され、参加者が決まった瞬間から、この女は“卵”を仕込んでいた。

 

 それが結果のこの事態。

 それを読み取れなかったが故の不手際。

 

 そんな悪意の結果が、最後の一手として彼らの理性を砕き尽くした。

 

 

「そんな、嘘、だろ」「え、死んだ……」「いや、いやぁぁぁ!」「そんな、ここなら安全だったんじゃ」「助けろ。私を助けろぉぉぉぉぉ」「私は、死にたくない、だから」「お前、今何をしようとした」「儂を誰だと思っているんだ、さっさと儂の為に!」「ふざけるな! コイツ俺の事狙ってやがる」「嫌だ嫌だ。あんな死に方だけは嫌だ!」「こいつらが居るから、そうよ。私だけでも」

 

 

 凶行は次なる凶行を生む。

 一瞬の思考停止が生み出すのは、共に相食む地獄の底。

 

 

「Oh Amen glorious!」

 

 

 悪辣なる外道が哄笑を上げる中、遂に共食いが始まってしまう。

 既に互いに傷付け始めた彼らは、最早行きつく先に行くまで止まれず――

 

 

「万象っ掌握っ!」

 

 

 そんな彼らの暴力を、力尽くで妨害する。争えない様に、空間支配で動きを止める。溢れかえった蟲の群れを、掌握して結界より転移させた。

 

 

「落ち着けっ!!」

 

 

 マルチタスクを以って、植え付けられた“卵”を解析して転移させる。

 見つけ出せぬモノには干渉させぬ為に己の異能の質を高めて、彼らに対する支配権を奪い取る。

 

 そうして安全を確保した青年は、未だ恐慌の中にある人々に向かって言葉を投げ掛けた。

 

 

「恐れるのは分かる! 怖がるのは分かる! 戸惑うのも分かる! だが!!」

 

 

 相食む地獄の果てには、あの外道が望む結末しか訪れない。

 その結末を望まぬからこそ、クロノ・ハラオウンは言葉を重ねる。

 

 

「僕を信じてくれ!」

 

 

 守り抜く。もう奪わせない。

 もう干渉はさせない。これ以上はやらせない。

 

 彼らが安心できる様に、偽りだらけであろうとも英雄と言う仮面を此処に見せる。

 

 

「もうっ、やらせない! 二度と、取り零すものかっ! この手が届く領域、その万象、決して取り零しはしないと誓うっ!!」

 

 

 もう二度とは奪わせるモノかと、誇りと命を賭して此処に誓う。

 

 

「その覚悟がある! だから!」

 

 

 もう好き勝手にはさせないと誓い、その覚悟を此処に示す。

 

 

「もう一度だけで良い。この僕を信じてくれ!」

 

 

 真摯に告げるその言葉に、誰かを罵倒する声は治まっていく。

 誰かを呪う様な言葉は、目の前の英雄を応援する声援へと変わる。

 

 皆、分かっている。誰が本当の悪であるかは。

 皆、分かっているのだ。己を守る英雄の姿は。

 

 だから、この瞬間に偽りではない希望を抱く。

 彼がそう誓うならば、きっと。そんな希望は膨れ上がって。

 

 

「う~ん。ナイス演説。だ・け・ど」

 

 

 女の予定通り、それは此処で絶望に変わった。

 

 

「後ろに意識を向け過ぎよぉ」

 

「がっ!?」

 

 

 溢れ出す魔蟲の群れ。

 吐瀉物と共に口から零れ落ちるのは、魔群と呼ばれし蝗の群れ。

 

 それは、クロノ・ハラオウンの内側から溢れ出していた。

 

 

「アハハハハ! どうかしらぁ、腸の中から直接蟲が湧き出してくる気分はぁ!?」

 

 

 胃と腸より発生し、食道を遡って溢れ出す蟲の群れ。

 嘔吐で焼き付くよりもひりつく感覚と、身体の中を内側より貪り食われる痛みに悲鳴すらも上げられない。

 

 

「がっ、げぇぇっ、ぐぇっ!?」

 

 

 吐き出す。吐き捨てる。

 湧き出し続ける蟲は際限なく、込み上がる血の混じった吐瀉物は、何時しか生きた蟲の塊に変わっていた。

 

 

「ウフフ。アハハ。アアアハハハハハハッ!!」

 

 

 皆の希望を背負った男が蹲り、無様に嘔吐くその姿。

 恐怖と絶望に染まる人々の表情を肴に愉しみながら、クアットロ=ベルゼバブは狂った様に笑い続けていた。

 

 

 

 何が起きたのか、答えは単純。

 卵を植え付けられていたのは、有力者達だけではなかったのだ。

 

 そう。最初から罠に掛かっていたのは、クロノ・ハラオウンも同様だった。

 

 卵と言っても、魔群のそれは蟲の卵と言う訳ではない。

 周囲に満ちる蟲の群れは、即ち魔群の血液を媒介として呼び出された悪なる獣。魔群の血より生まれし怪異である。

 

 魔群の力は血に宿る。

 その血を媒介とし、その力を発揮する。

 

 故にこそクアットロは、立食会の食事に己の血を混ぜていた。

 エリキシルによって傀儡となった感染者を使い、最初からその仕込みを終えていたのだ。

 

 

「隙だらけ。幾ら同格でも、そんなに油断していたら幾らでも干渉できちゃうわよぉ」

 

 

 だがそれは、絶対に勝利出来る秘策ではない。

 仕込んだ卵とて、羽化させる為の干渉をせねば門にはならない。

 

 その干渉する力に対して抗えば、同格ならば防げる単純な罠でしかなかった。

 だからこそ、こうしてクロノが膝を屈しているのは、自分よりも他人を優先し過ぎたからに他ならない。

 

 

「このまま、腸から貪り食われて死んでみるぅ?」

 

「げっ、がっ!?」

 

 

 それでも、未だ後背の守護を続ける男。

 馬鹿を見るかの如き冷たき視線で、男を見下すクアットロに慈悲はない。

 

 身体の内側に開かれた門は塞ぐ事も出来ず、このまま内より食われて終わる。

 彼が死ねば、彼に希望を抱いた人々は、今度こそ絶望の果てに理性を失くして殺し合うであろう。

 

 その瞬間が訪れる時を、今か今かと待ち侘びる女は、恍惚とした表情を顔に浮かべて。

 

 

「っっっ! なっ、めるなぁぁぁっ!!」

 

「舐めてないわよぉ。だ・か・らぁ、はいドーン!!」

 

「がぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 内側に開いた門ごと外部へと転移させて立ち直った青年の頭上に、次々に降り注ぐのは偽神の牙。

 無数に枝分かれした悪魔の咆哮が、青年の身体をまるで蹴鞠の如くに打ち据え続ける。

 

 

「そらそらそらそらぁ、今度は自分の身体ばっかりぃ、後方注意怪我一生ってねぇん!」

 

「っっっ!」

 

「あらあら凄い。身を挺して人々を守るなんて、管理局員の鏡ねぇ!」

 

 

 苛烈な砲撃の中に混じるは、後背襲撃。

 一瞬でも己を顧みれば後方を襲われ、身体を張ってそれを庇えば次に来るのは容赦のない連続攻撃。

 

 既に重症を負っていた身体は、絶え間ない蹂躙にさらされて最早死に体。

 外部も内部も蹂躙され尽くして消耗していく英雄の姿に、誰もが心を恐怖で震わせていた。

 

 

「ほんっと、バッカみたい」

 

 

 詰んでいる。終わっている。

 最早この男に、一体何が出来ようか。

 

 

「皆、皆、顔と名前しか知らない皆。君達を守る為に、僕はこんなに傷付いてる!」

 

 

 嗤う女の悪意を前に、最早男に出来る事など何もない。

 唯、見捨てられないと両手に荷物を抱いたまま、最期の時を迎える迄奮闘する。

 

 

「誇りある管理局員として、決して要救助者に優劣なんて付けたりしない! 誰も犠牲にしないで必ず、助けてみせるから僕を信じて!」

 

 

 その結末が、これだ。

 その結果が、これなのだ。

 

 

「……それで、結局その様じゃ意味ないわよねぇん」

 

 

 襤褸雑巾と化した青年を踏み躙りながら、クアットロは笑い続ける。

 その愚かしさを馬鹿にして、その意志を下らないと嘲笑って、その在り方を無様と嘲弄する。

 

 

「貴方は所詮、下らない偽善者。身の丈に合わない願望に押し潰された理想主義者。合理的な判断すら出来ない愚か者」

 

 

 そうして、嗤い続けるクアットロは、その手に巨大な魔砲を生み出す。

 それは最初に撃ち放った偽神の牙。男には防ぐ事の出来ない、全てを決する最大火力。

 

 これにて全てが終わる。

 嘲笑われたまま、クロノと言う男は此処で命を落とすのだ。

 

 

「おめでとう。正義の味方。……貴方のお陰で、みぃんな死ぬわ」

 

 

 せめて安らかに眠れ(レストインピース)正義の味方(ジャスティスヒーロー)

 お前の存在の愚かしさは、何時までも覚えて嗤い続けてやろう。

 

 クアットロは悪辣な笑みを浮かべたまま、その手を振り下ろした。

 

 

「……正義の味方、か」

 

 

 迫る死の咆哮を前に、男は呟く。

 死に掛けた身体を生かす歪みの力を感じながら、クロノはニヤリと笑って言葉を返した。

 

 

「ありがとう。最高の褒め言葉だ」

 

「はぁ?」

 

 

 意味が分からない。訳が分からない。

 目前の終焉を前にして、遂に気が触れたのか。

 

 そう困惑するクアットロを鼻で嗤って、クロノはその手に印を切った。

 

 

「合理性がない偽善者。理想に溺れた正義の味方。そんな言葉はな、褒め言葉にしかならないんだよ、クアットロ」

 

 

 放つ力は計都・天墜。

 偽神の牙とぶつかり合った彗星は、しかし僅かな拮抗を作るだけ。

 

 歪みの補助も一切なしに、落下すると言う本来の形を歪めて頭上に放つ。

 そんな形で行使された不完全な術は、魔群の最大火砲を前に抗う程度の力しか持ってはいなかった。

 

 

「……貴方、行き成り何言ってるの?」

 

 

 そんな絶望的な状況下で、それでも強気に笑う男の精神が理解出来ない。

 もう詰んでいる状況下で、それでも揺るがずにある男の在り方が分からない。

 

 

「簡単な話さ。お前の非難した行動、その全てに僕は誇りを抱いている」

 

 

 何故、こうも揺るがない。

 何故、こうも強く在れるのだ。

 

 

「賢しさで、守るべき者を忘れてはいけない。合理的に動いて、理想を見失っては意味がない。下らない偽善? 結構な話じゃないか!」

 

 

 どんな窮地でも諦めず、どんな絶望にも屈しない。

 決して勝機などはない状況でも、言葉一つで絶望の淵にある人々に希望を信じさせる存在。

 

 

「理想を忘れて合理に走り、守るべき者を見捨てて得た勝利。そんなものよりも、その言葉の方が、遥かに価値がある!」

 

 

 それを人は――

 

 

「僕はそう学んだ。だから、そう生きるんだよ」

 

 

 英雄と呼ぶのだ。

 

 

「……」

 

 

 何処までも正義を為す愚か者。絶望を覆す嘘塗れの英雄。

 ぶつかり合う破壊の力を向け合いながら、クアットロは苛立ちの籠った視線を男に向ける。

 

 

「ウザい」

 

 

 零れる感情は唯一つ。溢れる言葉は無数に連なる。

 

 

「ウザいウザいウザいウザい! ほんっと、マジでウザいのよ、意味分かんない!!」

 

 

 理解出来ない。意味が分からない。

 

 この嘘に塗れた虚言癖が、どうしてこうも人々を救い上げる。

 何故、こんな気狂い染みた男の言葉で、絶望していた人間達の目に光が宿る。

 

 

「クソッタレな偽善者の独善者! 自分一人で抱えられない荷物に潰されたまま、蟲に○○○喰われて悶絶して死ねや! この不能野郎がぁぁっ!!」

 

 

 分からないから拒絶する。分からないものを破壊する。

 向ける右手は悪魔の顎門へと変じて、放たれるのは偽神の牙。

 

 ただ一撃で追い詰められているのだから、もう一撃で全ては終わる。

 思い通りにならない玩具を此処で壊す為に、クアットロは全力を行使した。

 

 

「……ふっ」

 

 

 その破壊を前に、されどクロノは揺らがない。

 血反吐塗れの吐瀉物塗れ、それでも諦めない男は笑みを浮かべる。

 

 

「一点程、訂正する箇所があるな」

 

「あぁ!?」

 

 

 この瞬間に、女はクロノだけを見ていた。

 

 

「僕が何時、一人で全てを背負うと言った」

 

 

 故にこの瞬間、クアットロの視線は彼女達から外れていたのだ。

 

 

「元より、自分の手の大きさなんて知っている。出来ない事があるって、僕は痛い程に分かっている」

 

 

 最初からこの身を犠牲にして、それで全てを守れると言うならば失う事などなかった筈だ。

 

 だが、そうではない。

 そうではないのだと、クロノ・ハラオウンは知っている。

 

 

「だから信じて頼るんだ! 大切な仲間達を! 共に繋いだこの絆を!」

 

 

 あの日、永久に失くした笑顔があった。

 あの日、一人ぼっちになった自分に、全力で向き合ってくれた言葉が今も胸にあるから――

 

 

「それだけが、こんな筈じゃなかった世界を変える力となる!!」

 

「なにを――」

 

 

 彼の奮闘に、彼女達は間に合った。

 

 

――Briah

 

 

「僕たちを侮った、僕だけを敵と捉えた、お前の負けだ! クアットロ!!」

 

 

――死森の(ローゼンカヴァリエ・)薔薇騎士(シュヴァルツヴァルド)

 

 

 女が紡いだ言葉と共に、周囲の景色が一変した。

 

 

 

 

 

2.

 赤い紅い月の下、暗い昏い夜の帳が落ちる。

 訪れたのは薔薇の夜。取り込んだ者全てを溶かして喰らう、吸血鬼の腹の中。

 

 

「なっ、この状況で無差別攻撃ですってぇ!?」

 

 

 誰彼構わず喰らうは死人の森。

 この世界に囚われたが最後、弱き者から命を落とすは必定であろう。

 

 

「頭湧いてるんじゃないの!? まず真っ先に、一般人が死ぬじゃないの!!」

 

 

 女には理解出来ない。女には意味が分からない。

 故に――クアットロの予想を外すその選択こそ、起死回生の渾身打。

 

 

「なんだ、心配してるのか?」

 

「っ!」

 

「だが不要だ。この僕を誰だと思っている」

 

 

 偽神の牙に押し負けた彗星を維持したまま、クロノ・ハラオウンは強気に笑う。

 

 その笑みは偽り。その余裕は嘘吐きの仮面。

 力の維持で限界を超えて、己を巻き込んで吸い尽くさんとする夜に身体を震わせて、今にも壊れそうな有り様を仮面の下に隠している。

 

 それでも、嘘吐きの英雄は揺るがない。

 

 

「夜の内側に昼を持ち込んだ。この先に被害は決して通さん!」

 

 

 クロノの背を境界線に、夜と昼が異なっている。

 展開された薔薇の夜と言う異界の中に、外の世界を転移させると言う荒業によって安全圏を死守しているのだ。

 

 

「っ! だとしても、あの二人はっ!!」

 

「ふん。それも然したる問題じゃない」

 

 

 クアットロの言葉に、返すは確信を込めた一言。

 

 揺るがぬ男は信じている。

 

 信じて用いる。信じて頼る。

 仲間達を信ずればこそ、男が揺らぐ筈はない。

 

 

「お前はエースを舐め過ぎだよ」

 

「ディバイィィィンバスタァァァッ!!」

 

「タイラントォォォフレアァァァッ!!」

 

「っ!?」

 

 

 横合いから放たれる号砲。圧倒的な力を秘めた火力が、計都星とぶつかり合っていた偽神の牙を吹き飛ばす。

 

 一つ一つは叶わずとも、夜の力で軽減されたゴグマゴグならば――

 

 四人の力が合わされば、この脅威とて吹き飛ばせるのだ。

 

 

「別に、何も特別な事をした訳じゃない」

 

 

 なのはとアリサもまた、薔薇の夜に食われている。

 その影響を受けながら、その身を消耗させている。

 

 それでも、駆け付ける女達の姿に、疲弊の色はあれど憔悴した色は見られない。

 彼女達が心の中に燃やす闘志は、欠片足りとて揺らいでいないのだ。

 

 

「ただ単純に、味方の攻撃で潰れるよりも前に相手を倒せれば良い。アイツら二人が薔薇の夜に耐えきれば良いだけの話だ」

 

「っっっ!? あったまおかしいんじゃないの、アンタ達ぃ!?」

 

 

 結局の所、根性論。

 耐え抜けば良いと安易に語るが、それは想像を絶する苦行であろう。

 

 全身は傷だらけ。消耗は激しく、何時倒れてもおかしくない状態。

 そんな状態で、更に味方の攻撃による被害を受けたまま、格上の怪物を倒そうなどと正気ならば考えすらしない愚策だ。

 

 だが、それでも――

 

 

「お前には予想も出来なかったんだろうさ。徹底して己のリスクを避け続けるお前には、な」

 

 

 味方諸共に薙ぎ払う戦術故に、女が見抜く事は出来なかった。

 例え被害を受けて尚、耐え抜いて反撃に移れるなどと、どうしてこの女が考えられよう。

 

 常に安全圏に身を置く女は、故にこそリスクを度外視した行動を前に虚を突かれたのだ。

 

 

「さあ、これで詰みだ」

 

 

 今、この瞬間にクロノは、三人の仲間の姿を確認した。

 今、この瞬間にクロノは、薔薇の夜と二人の魔法に蹴散らされた蟲の残骸の先に、魔群の器を目視した。

 

 故に――

 

 

「万象掌握――捉えたぞ!!」

 

 

 もうその距離は、己の掌中だ。

 襲い来る敵は、この瞬間だけ消え去っている。

 

 故にすずかは赤い夜を消し去り、そしてクロノは万象掌握を発動した。

 

 

 

 守るべき人々を守る為に、一人の男は其処に残った。

 そして天に舞う堕天使の下へと、辿り着いたのは三人の女達。

 

 

「見つけたよ。貴女はもう、私達の射程内に居る」

 

「高町、なのはっ!?」

 

 

 降り注ぐ翡翠色の雨を回避する。

 翼で飛び回る少女を追う誘導弾は回避し切れず、右手が変じた魔砲より放たれた無数の弾丸がそれを迎撃した。

 

 

「だらっしゃぁぁぁぁっ!」

 

「アリサ、バニングスっ!?」

 

 

 翡翠の光が去った直後に襲い来るのは、赤い炎。

 金糸の女が放った紅蓮炎上が、逃がすものかと燃え上がる。

 

 咄嗟に無数の蟲を呼び出し、壁を作る。

 球体の如き蟲の群れが炎を遮り、イクスヴェリアは安堵の息を吐いた。

 

 

「油断したねっ! 今の私は、絶好調なのよっ!!」

 

「月村っ、すずかぁっ!?」

 

 

 魔砲を防がれ、魔群を焼かれ、次いで襲い来るは吸血瘴気。

 あらゆる全てを簒奪する二大凶殺に追い詰めれらて、遂にクアットロ=ベルゼバブは――

 

 

『はぁぁぁぁぁぁっ!!』

 

「っっっ!?」

 

 

 その隙を逃さずに撃ち込まれた三つの魔力弾が、女の器を傷付ける。

 常に安全圏にて嗤い続けていたクアットロは、この時初めて被害を受けたのだった。

 

 

「これで漸く、戦闘開始。一方的な蹂躙は、もうおしまい!」

 

「年貢の納め時ってやつよ。諦めて拳を握れっ! クアットロ=ベルゼバブ!」

 

「もう逃がさない。もう逃げられない。血に宿った蟲に相応しく、薔薇に吸われて死になさいっ!」

 

「高町なのは! アリサ・バニングス! 月村すずかぁぁぁっ!」

 

 

 空中で魔群を取り囲む様に、三人のエースが姿を現す。

 

 もう一方的な展開にはさせない。

 この手は届く距離まで来たのだから、奴にも相応しいリスクは背負わせよう。

 

 これより始まるのは、蹂躙ではなく戦闘なのだ。

 

 

「嗚呼、ムカつく。本当にムカつくわ」

 

 

 その三人の表情は、まるで戦闘になれば勝てると確信する様に。

 その三人の会心の笑みは、もう己に勝利した事を確信した様で。

 

 

「逃げられない? 年貢の納め時? 一方的な蹂躙はもう出来ない?」

 

 

 気に入らない。

 気に入らない。気に入らない。

 気に入らない。気に入らない。気に入らない。

 

 

「舐めてくれるじゃない。この私を、この魔群をっ!」

 

 

 己はお前たちより格上だ。お前たちは己よりも格下だ。

 分を弁えろ。己を知れ。その無知蒙昧な脳髄に、誰が完全なる存在なのかを刻み込め。

 

 

「ドクターが作り上げた完全なる存在を甘く見て、イラつくのよねぇ、アンタ達はぁぁぁっ!!」

 

 

 たかがエースストライカーが三人。至高の存在である己には届かない。

 正面決戦に持ち込んだからと言って、勝てる道理などないのだと教えてやろう。

 

 

「良いわ! 見せてあげる! 魔群が持つ最大の力をっ!!」

 

 

 教えてやろう。物量は時に質を凌駕する。

 教えてやろう。この絶対たる量は、絶対たる質を伴っている。

 

 教えてやろう。真なる魔群と言う怪物は、正面決戦でこそ真価を見せるのだと。

 

 

「そして後悔しろ! この私を、対等の場に引き摺り下した事をっ!!」

 

 

 激昂と共に断言する。

 お前たちはあのまま、嘲弄されながら死んでいった方が幸せだった。

 

 そう感じる程に、絶対的な力の差に絶望させたまま、この場で皆殺しにしてくれよう。

 

 

「来たれ、ゴグマゴォォォグ!!」

 

 

 そして、暗黒の太陽が其処に生まれた。

 

 

 

 カサカサと蠢くそれは、無限を思わせる数の群体。

 周囲を焼き尽くさんとする力の本流は、正しく神域に届かんとする程。

 

 ドロドロと、ドロドロと、汚物を垂れ流すかの様に悪意を漏らすその力は、この場に居る誰よりも強大だ。

 

 

〈無限の悪意を前に押し潰されろっ! クソ女共がァァァァッ!!〉

 

 

 黒き太陽の中に飲まれた女の声が響く。

 姿を消したクアットロは、その量が変じた質を持って女達を押し潰さんと行動する。

 

 

 

 そう。魔群は強い。

 それは真っ向から戦おうと変わらぬ事実。

 

 例え相性が最悪の魔刃に対してでも、条件さえ揃えば対等となる。

 偽りの神々である夜都賀波岐と相対してでも、真面な戦闘が出来るだけの力を持っている。

 

 例え星の輝きとて、魔群を滅ぼすには火力不足。

 例え魔王の火砲であっても、魔群ならば正面から撃ち破れる。

 例え薔薇の夜が魔群の血を吸い尽くそうとも、滅ぼし切るには射程距離が絶望的なまでに足りていない。

 

 

〈さあ、死ね。死ね死ね死ねシネェェェェ!!〉

 

 

 そんな怪物の悪意の叫びと共に、太陽が爆発して蟲と魔弾が天を焼いた。

 圧倒的な破壊のエネルギーが、大気を歪めて世界を焼く。全てを汚し貶める毒が、女達へと降り注いで――

 

 

「そこっ!」

 

 

 其処でアリサ・バニングスは、何故か何もない空間へと紅蓮の炎を解き放った。

 

 

「……っ!?」

 

 

 瞬間、空が歪んで剥がれ落ちる。否、その偽装が焼き払われた。

 

 

「……どうして、気付いたのかしらぁ」

 

 

 崩れ落ちた偽装は、シルバーカーテン。

 クアットロと言う戦闘機人が所持していた、嘘と幻を見せるインヒーレントスキル。

 

 黒い太陽とは真逆の場所に、クアットロは潜んでいた。

 そして、その姿をシルバーカーテンによって偽装して、蟲の分体で分かりやすい激昂を演じていたのだ。

 

 そんな偽装を暴かれたクアットロは、どうしてと表情を失くした顔で問い掛ける。

 

 

「はっ、下らない」

 

 

 それに返すのは、アリサの鼻で笑う声。

 クアットロと言う女と直接相対した事がある彼女だから、その激昂が小物女の演技であると気付いていた。

 

 クアットロの言葉は演技であれ、其処に偽りはない。

 魔群は間違いなく強大な存在で、眼前に今尚残る暗黒の太陽は確かに三人のエースを纏めて落とすだけの力があった。

 

 だが、それでも敗北の可能性がないとは言い切れない。

 ほんの僅かな可能性に過ぎず、藁を掴む話ではあったとしても、確かに其処に勝機はあった。

 

 故に――

 

 

「アンタみたいな小物が、正面決戦なんてする訳ないじゃないの」

 

「…………」

 

 

 クアットロはその可能性を許容しない。

 絶対に勝てると確信出来ない限り、女はリスクを背負わない。

 

 故にこそ、強力な見せ札の影に隠れて逃げようとした女の企みは、余りにもあっさりと見抜かれたのだった。

 

 

「言ったでしょう? もう逃がさない」

 

「……」

 

 

 月村すずかが睨み付ける。

 女の纏う漆黒の瘴気が、溢れ出さんとばかりに猛っている。

 

 

「全力全開で、戦って貰うからっ!」

 

「……」

 

 

 高町なのはが杖を構える。

 翡翠の輝きを纏った彼女を前に、小細工などは通じない。

 

 その質と量を前に対抗するならば、本当に敗北の可能性を覚悟せねばならず。

 

 だからこそ――

 

 

「……はぁ、もう良いわ」

 

「何を」

 

 

 クアットロは溜息を吐く、とてもとても深い溜息を。

 そして諦めた様な投げやりな声音で、その最低な言葉を口にした。

 

 

「負けを認めてあげるって、言ってるの」

 

「は?」

 

 

 それは誰もが予想外。この女の底を見抜いたと確信したアリサですら、一瞬言葉に詰まる程のおかしな発言。

 

 そんな言葉に硬直した彼女らを見詰めながら、外道は口が裂ける様な笑顔を浮かべて語った。

 

 

「……だって、もう要らないもの」

 

「いらない?」

 

「ええ、要らないわ。もうこんな器は要らない。貴女達なんかに追い詰められる、魔群の主(イクスヴェリア)なんて必要ない」

 

 

 外道は敗北を認めた。魔群は勝利を諦めた。

 

 頑張れば勝てる。真面にやれば勝てる。

 そんなのは、女が真剣に取り組む理由になり得ない。

 

 

「そんな訳でぇ、……死んでね。イクスヴェリアちゃん?」

 

〈クアットロ!?〉

 

 

 故に彼女が今狙うのは、少しでも勝者たちの心に亀裂を刻む事。

 その勝利に汚物を塗りたくって、その余韻を台無しにしてしまう事こそクアットロの行動理由であった。

 

 

「あ、え?」

 

 

 そうして、イクスヴェリアは己の肉体を取り戻す。

 血液の中に潜んでいた魔群と言う毒が消え失せて、その小さき身体は反天使と言う異形から人のそれへと戻っていた。

 

 

「そんな、クアットロ。私の中から……」

 

 

 誰もが勘違いしている。

 誰もが勘違いしていた。

 

 

〈さぁて、それじゃぁ皆様方。そろそろ私は逃げさせて貰うわねぇ〉

 

 

 エリキシルと言う血を媒介とし、冥王を器に顕現していたクアットロ。

 彼女が魔群の主であると、彼女こそが魔群と言う反天使なのだと誰もが勘違いしていたのだ。

 

 

〈元より私は形なき魔群。器なんて幾らでもあるものぉ〉

 

 

 彼女は廃神。魔群と言う悪夢。魔群の主ではなく、魔群そのものなのだ。

 魔群の主とは、即ち彼女を宿した人間。彼女を血中に宿した人間こそを、反天使の一柱と呼ぶのだ。

 

 そう、在りし日の神座世界(アルハザード)。それを例に挙げれば分かるであろうか。

 

 第二天の治世の下、現れた魔群ベルゼバブを宿した人間の名を、ソフィア・クライストと言った。

 そしてそんな彼女から、魔群を掠め取った男。反天使の一人である男の名を、ジューダス・ストライフと言ったのだ。

 

 彼らは共に、ベルゼバブと言う悪魔を宿した者達。

 そう。彼らと同じ立場に居たのは、クアットロではなくイクスヴェリアであったのだ。

 

 クアットロは、彼らに取り付いた悪魔と同じ物。

 器である者達が死した後も、別の器があれば幾らでも脅威を振り撒ける怪物こそがクアットロ=ベルゼバブに他ならない。

 

 

〈だから、冥王様(ソレ)はあげる。敢闘賞って所かしらぁ〉

 

「……随分と気前がいいじゃない。自分の器をあっさりと差し出すなんて」

 

 

 だからこそ、クアットロにとってイクスヴェリアを失う事は痛みにはならない。

 指一本を失うよりも尚軽い、指の薄皮を一枚剥がされた程度の損失にしかならないのだ。

 

 寧ろ無理に器に固執して、他の己にまで被害が及んでしまう可能性こそ絶対に避けねばならぬ事態である。

 

 それに、情報が流出する危険だって存在しない。

 何故ならば、イクスヴェリアはもう既に――

 

 

〈そうでもないわよぉ。……だって冥王様(ソレ)、もう死ぬもの〉

 

「え? 何を言って」

 

 

 その死が避けられない程に、その内面は壊れ切っているのだから。

 

 

〈実はねぇん、その子長く眠り続けてた影響か、それとも制作時のミスか、最初から壊れてたのぉ〉

 

 

 それは古代ベルカに生まれ、そして今に甦った冥府の炎王に残された傷痕。

 活動してから数日でその生体機能は不全状態となり、そのまま放置すれば死に至ると言う拭いきれない一つの欠陥。

 

 

〈それをドクターはぁ、魔群の血。エリキシルを摂取させる事で、誤魔化して来たのぉ〉

 

 

 エリキシルは、クアットロの死体を磨り潰して作り出した麻薬。

 その薬物に不死の力が宿るのは、奈落の底にいるクアットロと繋がる媒介となり得るものだから――

 

 クアットロが力を貸さなければ、エリキシルは唯の血の塊でしかない。

 

 

〈だから、その子は私が居なければ、最初から生きてはいられなかった〉

 

 

 既に活動限界は超えていた。既にその身体は蝕まれていた。

 

 あのエリオ・モンディアルがクアットロを殺せなかったのは、クアットロが死ねばイクスヴェリアも死ぬからだったのだ。

 

 

〈エリオ君のお気に入りだから残しておいたけど、もうその意味でも役に立たないんだもの。格下に此処まで追い詰められる器なんて要らないから、機動六課(ゴミバコ)にポイって捨てちゃうのよ〉

 

「クアットロ=ベルゼバブッ!!」

 

 

 そんな外道の言葉に、女達は嚇怒を胸に抱く。

 許せはしない悪であると再認し、怒りで以ってその名を呼ぶ。

 

 

〈アハハ。ハハハハハハハハハッ!〉

 

 

 その姿に、クアットロは笑みを隠せない。

 

 所詮は他人だ。イクスヴェリアの生死など、彼女達には関わりない事だろう。

 だからどうしたと言い捨てる事が出来る内容で、だが彼女達が正義の味方ならば無視出来る事ではない。

 

 そう読んだクアットロの思惑は、笑いが止まらない程に合致する。

 

 

〈おめでとう! 貴女達の大勝利よ!〉

 

 

 彼女達の正義感が強いから、この言葉は毒となり得る。

 彼女達の意志が尊いからこそ、イクスヴェリアを見捨てる事に意味が生まれる。

 

 

〈皆で囲んで、必死に叩いて、リンチの果てに少女一人を殺した機動六課のエース達!〉

 

 

 嘲笑う声は甲高く。罵倒する言葉は弾んでいる。

 

 嗚呼、楽しい。嗚呼、愉しい。

 無関係な人の悲劇に義憤を抱ける彼女達だからこそ、こうもあっさり踏み躙られるのだ。

 

 

〈流石ね! 素敵だわ! これで犯罪者が一人減って、世界は綺麗になったのね!!〉

 

「こんの、クソ女ぁぁぁぁッ!!」

 

 

 叫ぶ声が耳に心地良い。

 憤る表情に、散々にしてやられた溜飲が下がる。

 

 怒りに任せてアリサが炎を燃やし放つが、しかしクアットロには効果がない。

 既にもう此処に彼女は居ないのだから、残った蟲が意味なく燃えていくだけなのだ。

 

 

〈アハハハハ。じゃぁ、またねぇ〉

 

 

 そんな姿を嘲笑ったまま、クアットロを模った蟲の群れは炎の中に燃えて消える。

 後には何も残さずに、勝利の美酒に汚物を混ぜられた女達は険しい表情を浮かべていた。

 

 

「アイツ!」

 

「アリサちゃん! 今はそれより!」

 

「分かってるわよ!!」

 

 

 天より落ちていくイクスヴェリアを見やる。

 彼女は犯罪者であれ、今は見捨てられた一人の少女。

 

 助けられる命ならば、助けねばならない。

 そんな善人である女達は、その意志に従って少女へと手を伸ばして――

 

 

「え」

 

 

 その手が届く寸前に、空が大きく震えた。

 

 

 

 

 

 差し出した手を止めて、女達はその場所を見る。

 本能から感じる恐怖に、何もかもが終わってしまう様な感覚に、その場所から目を逸らす事が出来なかった。

 

 

「……なに、あれ」

 

 

 空が罅割れている。大地が捲れ上がっている。

 あらゆる命が消えていき、何も認識できない空間が少しずつ広がっている。

 

 

「世界が死んでいく」

 

 

 そう。世界が死んでいる。世界が死んでいく。

 光と共に溢れる力が全てを分解して、世界を虚無へと変えていく。

 

 

 

 エクリプスウイルスの暴走。

 神の子と魔刃が相対したその場所で、世界の終わりは既に始まっていた。

 

 

 

 

 




今回の推奨BGM
 1.Fallen Angel(PARADISE LOST)
 2.Rozen Vamp(Dies irae)
 2の途中、クアットロが囲まれた場面から最後まで。
  其の名べんぼう 地獄なり(相州戦神館學園 八命陣)



次回、少し場面を遡って、トーマ対エリオから開始です。





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第十五話 地獄が一番近い日 其之参

不幸の連鎖。コンボ中。

推奨BGM
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3.Gotterdmmerung(Dies irae)


1.

 雷光の如き白銀の刃が迫る。繰り出される槍技は正しく極上。

 獣を思わせる瞬発力で反応して処刑の刃を合わせるが、されど敵の方が一枚も二枚も上手であった。

 

 

「がっ!?」

 

 

 振るう刃に合わせる様に、流れる動きで槍が動いて一閃する。

 黒き炎が傷口に燃え移り、嫌な音を立てて一瞬で広がっていく。

 

 

「っっっ!」

 

 

 刻まれたのは無価値の炎。

 何処までも黒く、暗い炎は一瞬で全てを腐り堕とし――

 

 

「ディバイドゼロ・エクリプスっ!」

 

 

 全てを分解する毒が、それを消し去る。己の身体を腐炎が燃やし尽くす前に、その部位を分解して吸収する。

 ディバイドゼロの影響で五感が僅かに狂うが、それとて即死に比べれば遥かにマシな障害だった。

 

 

「はぁ、はぁ、っ――」

 

「そらっ、休んでいる暇はないぞ!」

 

 

 焔を纏う槍撃は、一寸の隙すらもなく。絶え間なく放たれる槍衾は、トーマの守る速度を超えて彼の身体を傷付けていく。

 

 

「っ、ぐぅっ――」

 

 

 腐炎が燃え上がる前に自傷して、欠損した血肉が再生する。

 再生した肉体にすぐさま攻撃を受けて、また自傷する破目となる。

 

 一歩間違えば死ぬ状況。この状況下で世界を侵す病毒は、彼の命を繋ぐ生命線となっていた。

 

 

「そのままでは全身が燃え堕ちるよ。何か打開策はあるのかい?」

 

「っ、テメェ! 何時までも余裕かましやがってっ!」

 

「はっ、遠吠え以下だね」

 

 

 合わせた斬撃の数は既に十合。その度に刻まれていく傷は増え、対して魔刃は無傷である。

 

 

「事実余裕なのさ。今の君の相手はね」

 

「っっっ!!」

 

 

 そんな有り様を嘲笑うかの様に、魔刃はその刃を振るう。振るわれる槍の斬撃は、大振りだと言うのに隙が無い。

 

 刺突こそが本領だろうに、突撃槍による斬撃を繰り返すエリオ。

 彼の動きに合わせるだけで精一杯のトーマには、憎まれ口を叩く程度の余裕しかない。

 

 

〈トーマっ! このままじゃ……〉

 

「ああ、分かってる」

 

 

 このままでは勝てない。そう告げようとする白百合の声に、分かっていると答えを返して、トーマはエリオの槍を受けきる。

 

 その力強い槍捌きは、振るう力さえ極上の物。だがそれ故に押し込む敵の膂力は強く、上手く利用できれば糧となる。

 

 薙ぎ払う槍を処刑の剣で受けて、その吹き飛ばす力に逆らわずに、トーマは大きく後方へと飛び退いた。

 

 

創造(Briah)――美麗刹那(Ein Faust)序曲(Ouvertüre)!」

 

 

 双頭の白蛇を刻んだ瞳が、星の如く美しい蒼に輝く。

 流れ込む記憶が齎す力は、美しい一瞬を少しでも長く感じたいと言う加速の願望。

 

 意識の加速が生むのは周囲の停滞。風に吹かれるマフラーの動きさえもゆっくりとした物に感じられる世界で、それまでと変わらずに動けるトーマだけは加速している。

 

 その速力を頼りに、処刑の刃を握って疾走する。

 相手が反応出来ない速度で、一瞬の内に勝負を決めようと――

 

 

「先の戦いでも見たよ。それは」

 

「っ!?」

 

 

 そんな思惑は、己よりも早く動いた魔刃の速度によって根底から覆された。

 

 時間加速したトーマよりも、加速魔法と黒き翼で走るエリオが前を行く。

 永遠の如き一瞬を味わいたいと言う願いを大きく超える速度で、エリオはトーマの頭を抑え付けた。

 

 

「だから、もうその速さには慣れた」

 

「がぁぁぁぁっ!!」

 

 

 捉えた頭を万力の如き力で抑えたまま、暗い炎を燃やすエリオ。

 させるものかとトーマが刃を振るうが、その直前に地面へと投げ付ける様に叩きつけられて、転がり倒れる。

 

 容赦なく踏み付ける足を転がりながら躱して、慌てて起き上がったトーマは距離を取る。

 そんな彼に告げられる声は、何処までも冷たく見下した物。

 

 

「君の願い(チカラ)は薄っぺらい。それはまるで、借り物の様に感じるよ」

 

 

 魂の汚染と引き換えに得た力。

 嘗ての自分に染められる魂は、しかし染まり切ってはいない。

 

 故に其処に齟齬が生まれる。

 故にこそ、彼の願いは純度が薄い。

 

 

「その程度の加速なら、僕の魔法と翼が上回る」

 

 

 槍に腐炎を灯したまま、エリオの足元で雷光が走る。

 地上を雷が走る様に、直角に折れ曲がりながらも加速する少年の速力は、この瞬間にトーマのそれを凌駕していた。

 

 

「っ! 早っ!?」

 

「違うね。君が遅いのさ」

 

 

 放たれるのは、雷光を纏った三連襲撃。

 即死の槍に集中する余り、無防備になった胴へと雷光が刻まれた。

 

 

「がっ!」

 

「そら、隙だらけだぞ!」

 

「っ、おぉぉぉぉっ!」

 

 

 刻まれる痛みに耐えながら、槍の一撃だけには反応する。

 

 掠り傷でも自傷せねば死に至る炎。

 直撃などすれば、その瞬間に全てが終わる。

 

 故にどれ程苦しくとも、どれ程に辛くとも、これだけは防がねばならない。

 

 

「つ、強い。コイツは、エリオは前より強いっ!?」

 

〈トーマっ! 落ち着いて! ()()()()()!〉

 

 

 身体に付いた傷は刻一刻と増えていき、再生する痛みに歯を食い縛って耐える。

 全身に感じる威圧感が増していく。息苦しい程に重厚な殺意の中で、トーマは崩れ落ちそうになる身体を必死に抑える。

 

 実力の差に戦慄するトーマの耳に、リリィの叫びは届かない。

 故にそのトーマの錯覚を理解させたのは、宿敵である彼の言葉であった。

 

 

「そうだ。違う。()()()()()()()、トーマ」

 

「な、に……?」

 

「だから、君が感じている僕の強さは、錯覚だと言っているんだ」

 

 

 そんな彼の言葉に、返されるは冷めた言葉。

 夜風の笑みを張り付けた少年は、冷たい声で真実を語った。

 

 

「確かに、僕はそれなりには強くなっている」

 

 

 己の手が小さい事に気付いて、もう背負っては居られないと分かって、だからエリオは余分を捨てた。

 

 故にその振るう槍はより鮮烈に、その燃やす炎を使う事に躊躇いはなく、確かに強くなったと言えるだろう。

 

 だが――

 

 

「けどね、あの時程じゃない。あの瞬間の共鳴現象。その時至った領域には、まだ届いていないんだ」

 

 

 トーマが覚醒したあの瞬間、共鳴する二人が至った領域には届いていない。

 まだ創造の半歩先、流出の一歩手前にすら至れていない。神域には僅かに届いていないのだ。

 

 

「……なら」

 

「簡単だ。僕が強くなったのではないなら――」

 

 

 そう。答えは唯一つ。

 震える声のトーマは、理解したくない真実を告げられる。

 

 

「君が弱くなったんだよ。トーマ」

 

「っ、がぁっ!?」

 

 

 驚愕を張り付けた少年の下へ、赤い悪魔が疾走する。

 振るわれる槍の斬撃を受けた刃ごと、トーマは大きく吹き飛ばされた。

 

 だが肉体が受けた衝撃よりも、精神に受けた衝撃の方が遥かに大きかった。

 

 

「嗚呼、弱いね。今の君は、その刃を得た時よりも弱い。その刃を得る前よりも、尚弱い」

 

 

 続く追撃は烈火の如くに苛烈で、雷光の如く素早い。

 破壊の力に曝される少年は、必死で剣を合わせる事しか出来ていない。

 

 

「分かるかい? 致命的なまでに自我が破綻しているのが、まるでボタンを掛け違えたかの様に、君の意志と君の肉体、それが完全にずれているのが」

 

 

 精神と肉体がズレている。意志と渇望が破綻している。

 中途半端に塗り替えられたその内面は、見るに堪えない程にボロボロだった。

 

 

「嗚呼、本当に――君は弱いなぁ」

 

「っっっ!」

 

 

 嗤う悪魔の声に、言葉を返す事は出来ない。

 魔刃の言葉は何処までも正しくて、決して覆りはしないのだ。

 

 

「くっそぉぉぉぉっ!」

 

「ははっ、破れかぶれかい? それは、無意味だよ」

 

 

 エリオ・モンディアルは、悉くトーマの上を行く。

 身体能力も戦闘技術も、そして破滅を齎す毒すらも腐炎を前にすれば相殺される。

 

 破れかぶれに虚を突こうと、危なげなく対処されて終わりである。

 

 

「獣の動きは理解した。その加速の法則は乗り越えた。処刑の刃の力だって、今の僕にとっては無意味だよ」

 

 

 ならば、彼に勝る何がトーマの内にある。

 

 

「なら、さて――君には何が残っている?」

 

 

 何もない。何もなかった。

 

 獣の如き動きは、武人のそれを超えられない。

 加速した速度は乗り越えられて、追い付く事すら出来ていない。

 

 振るう異能が相討つ以上、覆せるだけの物が何処にある。

 

 

「何もないと言うなら、此処で死ね。何かがあるとしても、此処で死ね。ただ無意味に、ただ無価値に、其処で死骸を晒して死ね」

 

 

 悪魔は揺るがない。魔刃は揺らがない。

 全ての破滅に向かって、決して揺るぎはせずに追い詰めていく。

 

 

「誰でもない悪魔。そして殺される神も、誰でもない、か」

 

「エリオォォォォォォォォッ!」

 

「……本当に、僕たちは無価値だね」

 

 

 自嘲する声で、寂しげに語る言葉。

 振るう刃を合わせながら、エリオは諦めた様に嗤い続けている。

 

 

「生産性がない。継承する物もない。奪うしか出来ない存在に、果たして一体何の価値がある」

 

 

 記憶は汚染され、感情は塗り替えられた。

 本来受け継いだ筈の拳は、その名の様に繋がれる事はなく無価値に消えた。

 

 守るべき者を守る強さも持てず、己に出来る事は殺すだけ。

 こうして殺せば自分も含めて全てが滅ぶと言うのに、喜び勇んでそれを為す愚か者。

 

 嗚呼、本当に――

 

 

「何もない。僕たちは等しく無価値だ」

 

 

 嗤う。嗤う。嗤う。

 その無様を嗤う。その有様を嗤う。

 その末路に、こんな物かと諦めを感じている。

 

 

「何も持てなかった。何も持っては居られなかった。僕も君も、余りにも弱かったから」

 

 

 もう何も持っていない。

 感情までも塗り替えられた少年と、己の意志で余分を捨てた少年。

 

 その手には、何も残っていないのだ。

 

 

「っ! 勝手に決め付けてっ! テメェの自暴自棄に、巻き込むんじゃねぇっ!!」

 

 

 そんな決め付けの言葉に、そんな無価値だと嗤う声に、トーマは反意を抱いて此処に叫ぶ。

 大剣と突撃槍をぶつけ合いながら、トーマ・ナカジマは己を無価値と蔑むエリオに反発する。

 

 

「俺には、リリィが居る。他にも、守るべき者がある。テメェみたいに、何もないなんて拗ねている余裕なんて、ないんだよっ!!」

 

〈トーマ!〉

 

 

 内面で喜色を返す白百合の想いを背負って、トーマ・ナカジマは心を示す。

 誰に否定させようか。此処に抱いている想いは、俺も、僕も、共に抱いた想いだから――

 

 

「……けどさ。その言葉も、その想いも、所詮借り物だろう?」

 

「っ! エリオォォォォォォォォッ!!」

 

 

 だが、その想いすら否定される。

 お前には何もないと、己と同じく無価値なのだと、嘲笑う声は止まらない。

 

 

「今の君が何を言おうと、其処に熱量なんて感じない。……唯、空虚なんだよ。空っぽの風船だ」

 

「っ!」

 

 

 流れ込む記憶を頼りに奮闘するが、その趨勢は覆らない。

 どれ程に想いを込めて剣を振るおうとも、その魔刃は揺るがせられない。

 

 幾たび刃を重ねても、常に弾き飛ばされて膝を付くのはトーマであった。

 

 

「けど、大丈夫。案ずる必要はない」

 

 

 この先にあるのは詰将棋。

 至るべき結末は揺るがずに、敗北は既に必定だ。

 

 

「もう終わる。この無価値な生も、植え付けられた憎しみも、漸く全てが終われるんだ」

 

 

 都合の良い覚醒などは起こらない。

 今はその条件が満たされていないが故に、あの時の共感状態には至れない。

 

 助けてくれる誰かはいない。

 追い詰められた少年に、差し伸べられる手は存在しない。

 

 ならば、やはりこの結末は揺るがない。

 

 

「じゃあ、終わらせようか」

 

 

 身体の傷は増えていき、身体の動きは鈍っていき、心は絶えず追い込まれている。

 

 

 

 振るわれる刃は、躱せない。

 

 

 

 

 

2.

 その光景を、少女は見ていた。

 その瞬間に至るまでを、彼女だけが見ていた。

 

 

「っ、あ」

 

 

 声を上げる。言葉を漏らす。

 ただそれだけで、全身が酷く痛んだ。

 

 

「っ、っ――」

 

 

 それでも、立ち上がる事を諦めない。

 其処に残った意地だけが全てだから、縋り付く様に身体を動かす。

 

 

「私、は」

 

 

 地面に打ち付けた身体が痛む。

 肺が空気を取り込む度に鈍い痛みが身体に走って、立ち上がりかけた身体が再び地面に転がり落ちる。

 

 そんな痛みの中で、霞む視界で、ティアナはその光景を見詰めていた。

 

 

(……なんか、以前にも、こんな事があったような)

 

 

 地面に倒れて土を食む。そんな状況に場違いな既知感を抱く。

 倒れたままに、相棒だった少年が赤毛の悪魔に嬲られている姿を見上げている。

 

 敵は一切眼中にないと、こちらに対して見向きもせず。

 何とかせねばと必死になって、身体を起き上がらせようと足掻いている。

 

 そんな経験を、確かに何処かで、した事があった。

 

 

(嗚呼、そうだ。あの時も……)

 

 

 あの自分に良く似た女が死んだ場所。

 ずっと待っていた義兄が、迎えに来てくれた場所。

 

 そして、自分と彼が相棒になった場所。

 あの時もこうして、トーマはエリオに追い詰められていて、自分は土を食んでいた。

 

 だから、きっと――

 

 

「きっと、出来る」

 

 

 今回だって、あの日と同じ様に出来る筈だ。

 あの時に自分の一撃が状況を変えた様に、今回だって助けられる筈だ。

 

 だって自分は、あの時よりも強くなった筈だから。

 あの日の自分には何もなかった。けど、今の自分には確かにある。だから、きっと出来る筈だ。

 

 そしてそれが出来たならば、きっと――

 

 

「きっと、やれる」

 

 

 何かが変わる筈だ。変われる筈だ。あの日、自分と彼が相棒になれた様に。この弱い自分が、強く変われる筈だ。

 此処で助けとなる事が出来れば、きっとやり直す事が出来る筈だから。

 

 そんな風に己を鼓舞して、意地だけで保っていた心を燃やす。きっと出来るから、きっとやれるから、だからやるのだ。

 そんな風に意志を燃やして、ティアナは全力を振り絞る。

 

 

「この手で、このランスターの弾丸で」

 

 

 嘲笑う声が脳裏に響く。兄から奪った力と、嘲弄する女と少女の声がする。

 それら全てを無視したまま、ティアナ・L・ハラオウンはクロスミラージュをその手に構えた。

 

 

「今度こそ、私はっ!」

 

 

 地面に倒れたままの視界では、彼らの動きは捉え切れない。

 雷速と時間加速による高速戦闘を続ける二人を捉えるだけの眼を、ティアナは持ってはいなかった。

 

 だが、関係ない。ランスターの魔弾は必中の弾丸。

 狙いを付けられない現状で撃ち放っても、絶対に標的を貫けると信じている。

 

 

「喰らい付けっ! 黒石猟犬っ!!」

 

 

 漆黒の魔弾が、倒れた少女の銃口より放たれた。

 

 

 

 その時、ティアナは一つの教えを忘れていた。

 それは彼女の師が教えてくれた、歪みに頼り過ぎてはいけないと言う教え。

 

 その時、ティアナは一つの錯覚をしていた。

 自分に自信が持てない程に追い詰められた彼女には、ランスターの弾丸しか己で価値を認められる物がなかったから――

 

 彼女は兄から受け継いだその力を、過大評価し過ぎていた。

 

 

 

 歪み者は異能に目覚めた際に、己の願いを自覚する。

 目覚めた時の状況と己の願いの質から、己の歪みがどんな能力なのかを悟る。

 

 他人から歪みを受け継ぐなど、まずあり得ない。

 歪みとはその願いより生じた、個人の資質と言うべきものだから。

 

 それ故に、他者の歪みを受け継いだ者は、その本質を理解し切れない。

 それ故に、前例がない為に彼女が歪みの本質を理解していない事を、誰も気付く事が出来ていなかった。

 

 故にその漆黒の魔弾は、最悪の形でその戦果を挙げた。

 

 

「がぁっ!?」

 

〈トーマっ!!〉

 

 

 苦悶の声を上げたのは、良く知る誰か。

 その姿に絶叫を上げたのは、彼に大切にされていた少女。

 

 

「え、あれ……、どうして」

 

 

 己が共に戦いたいと願った相棒と、白百合が黒き魔弾に射抜かれている。

 狙ったもの以外を摺り抜ける筈の力は、明確な狙いを付けられなかったが故に、最も近くに居た存在を標的と誤認して発動していた。

 

 

「トーマに、当たったの」

 

 

 震える声で、ティアナが呟く。誰の目にも明らかな程に、其処にあったのはティアナの失態。

 

 誤射。ランスターの弾丸は、味方の背を射抜いていた。

 

 最悪の状況で、最悪の事態を巻き起こした少女はその手のデバイスを取り零す。

 きっと出来ると言う根拠のない感情は消え去って、どうしたら良いのか分からない混乱だけが残っていた。

 

 

 

 撃ち抜かれた少年の傷は軽くとも、その隙は余りにも大きい。

 唯一発の誤射が、力に依存した少女のミスが、続く最悪の流れを呼び寄せる。

 

 

(シン)(シン)から、(シン)(シン)へ」

 

 

 ニヤリと笑う赤毛の悪魔が、その隙を逃す道理はない。

 今直ぐにでも殺し尽さんと、その無価値な憎悪を燃え盛らせる。

 

 

「堕ちろ、堕ちろ――腐滅しろぉぉぉぉっ!!」

 

 

 ぐさりと肉を抉り臓腑に突き刺さった槍の穂先から、黒い炎が燃え上がった。

 

 

 

 燃え上がる炎は、無価値の炎。暗く昏い漆黒の炎は、触れた全てを燃やし腐らせ無価値に堕とす。

 直撃すれば死に至る。ならば今、こうして燃え上がる腐炎は己を殺す。

 

 背中に刻まれた痛みは、相棒である筈の彼女に与えられた傷。その理由が分からなくて、何で、どうして、と頭の中がごちゃ混ぜとなる。

 死を間近にした衝撃と、仲間の裏切りとさえ取れる誤射の衝撃で、トーマの自我は嘗ての自分を僅かに取り戻していた。

 

 

〈トーマ! しっかりして、トーマ!!〉

 

 

 必死に呼び掛ける少女の声。白百合が何とかしようと足掻いているが、最早どうしようもない。

 

 もう身体が動かない。もう意識が保てない。

 燃え上がる炎を防ごうにも、腹のど真ん中から燃え出すのだから、防ぐ術など何処にもない。燃え上がる炎は身体を腐らせ、己は此処で死ぬのだろう。

 

 記憶がフラッシュバックする。

 加速する思考の中で、記憶が走馬燈の様に流れる。

 

 其処に映るのは、機動六課の医療施設へと運び込まれた先生の姿。

 絶対に大丈夫だと信じていた。彼の知る限り最強の先生が、誰かに倒された無残な姿。

 

 自分もああいう風になる。

 否、そんな死体すらも残らないと言うのならば――

 

 

「いや、だ」

 

 

 そんなのは嫌だ。そんな結末は嫌だ。

 そんな終わりなんて、どうして認められるのか。

 

 終わりを目前にして、流されていた筈の“僕”が戻って来る。

 

 今になって、貫かれた刃から感じる憎悪の総量に震える。

 今になって、信じた相棒の裏切りに対して、余りにも強い衝撃を感じている。

 今になって、あれ程に大切だった人が傷付いた姿に抱いた感情が鮮烈な物に変わっている。

 

 

「こわ、い」

 

 

 このまま死んでしまう事が怖い。今戻って来た感情が、また失われる事が怖い。

 自分と言う存在は腐って堕ちて、大切だと抱いた想いさえ残らないと言うならば、一体この生に何の意味があったのか。

 

 

〈トーマ! トーマぁっ!!〉

 

 

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。

 

 縋り付く様な白百合の声さえ届かない。

 溢れる恐怖に支配された少年の心は、もう限界を迎えていた。

 

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。

 

 もう、何もかもが怖かった。

 己に向けられる悪意も、己が塗り替えられる恐怖も、何もかもが嫌だった。

 

 だから――

 

 

「嫌なものっ、全部っ!」

 

 

 なくなればいい、そんな風に思った。

 

 

「怖いものっ、全部っ!」

 

 

 魔刃も神の残滓も、相棒も味方も何もかも。

 

 壊れてしまう現象が怖い。

 失われるかも知れないものが怖い。

 

 己を傷付ける全てが怖い。

 

 

「消えろぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 ならば全て、消えてしまえば良いのだ。

 

 

 

 紙吹雪の如く、本の頁が散乱する。

 膨大な力が発生して、己に刃を向ける悪魔の身体を吹き飛ばす。

 

 全てを滅ぼす病毒が、こうして世界に流れ出した。

 

 

 

 

 

3.

 銀十字の書が浮かび上がる。力を無差別に解き放った銀髪の少年もまた、書に引き摺られる様に浮かび上がって空で止まった。

 

 全てを怖がり、全てを拒絶した少年は自閉する。

 頭を両手で抱えたまま、黒き鎧の少年は膝を折って丸くなる。

 

 自閉した少年に変わって、銀十字の書が自動防衛機構を起動した。

 

 

 

 周囲に展開される光の力場。

 それがまるで溶かす様に、世界を分解して取り込んでいく。

 

 少年が恐れる物を排除する為に。

 少年がもう脅威を感じずとも済むように。

 世界全てを食らい尽くして、新世界の創造を始めんと動き出す。

 

 食われた後に残るのは、何もかもが消えた虚無の闇。

 空も大地も、人も物も、全てがゆっくりと分解されながら少年に食われていく。

 

 

〈トーマ! トーマッ!〉

 

 

 白百合の乙女の呼び掛けも届かない。

 少年の心は自閉したまま、恐怖に震えて怯えている。

 

 彼を止める力は存在せず、全ては食われて終わるであろう。

 

 世界は緩やかに、だが確実に終わりを迎えようとしていた。

 

 

「――そう。終わるさ。僕の手で」

 

 

 そんな光景を前に、神殺しの魔刃は笑みを浮かべている。

 

 光の力場に最も拒絶されたエリオは、しかし健在。

 その槍こそ再び破壊されたものの、その身体には傷一つ存在しない。

 

 彼は気付いていた。

 この世界を滅ぼすディバイド・ゼロの暴走。其処に生まれた一つの欠点を。

 

 

「殺意がなく、幼子が拒絶しているだけ。君自身の意志が乗っていないぞ。……だから、軽いんだ」

 

 

 分解された槍を手にしたエリオは、大地の上に立ちながら笑う。

 あれ程に拒絶されたと言うのに、己が腐炎で防ぎ切れた事から分かっている。

 

 今のエクリプスには、無価値の炎と相殺出来る程の力が残っていないのだ。

 

 

 

 それは単純な話。一点に収束した状態で五分するのだから、無差別に振り撒いている破壊程度で無価値の炎は防ぎ切れない。

 

 そう。今この瞬間こそ、神の卵を殺せる最大の好機。

 

 

「ヘメンエタン・エルアティ・ティエイプ・アジア・ハイン・テウ・ミノセル・アカドン」

 

 

 手にした槍の柄から、黒い炎が燃え上がる。

 まるでバオバブの大樹が如く、巨大な腐剣は天さえも焦がさんと聳え立つ。

 

 

「ヴァイヴァー・エイエ・エクセ・エルアー・ハイヴァー・カヴァフォット」

 

 

 空に亀裂が入り、大地が捲れ上がる。炎の剣は高層ビルよりも巨大となって、特異点を生み出さんとしている少年へと向かって行く。

 

 さあ、これで終わりだ。

 さあ、此処で終わりだ。

 

 

「唯、無価値に終われ――無価値の炎(メギド・オブ・べリアル)!」

 

 

 トーマの毒が世界の全てを終わらせる前に、エリオの炎がトーマを殺して世界を終わらせようとする。

 

 終焉は避けられない。

 消滅は避けられない。

 世界の崩壊は、今まさに訪れんとして――

 

 

「――ぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 誰かの小さな悲鳴が、耳に届いた。

 

 

「っ、アギトっ!」

 

 

 その見知った声に、思わず視線を向けてしまえば、其処には小さな少女の姿。

 崩壊する世界が生み出した破壊の余波に巻き込まれて、アギトはまるで塵屑の様に飛ばされていた。

 

 

「何故、付いて来たっ!!」

 

 

 揺らぐ。揺らぐ。揺らいでしまう。

 今まさに終わらせんと振るわれた剣が其処で止まって、ほんの僅かな逡巡が生まれてしまった。

 

 そして、少年はもう一つの存在を見つけてしまう。

 

 

「っ」

 

 

 それは世界を壊すトーマの先、意識を失って天より堕ちるイクスヴェリアの姿。

 

 あのまま落下すれば死ぬだろう。いや、それ以前にクアットロの気配を感じない。

 ならば最早手遅れで――そう思った瞬間に、エリオは飛び出す様に動き出していた。

 

 雷光が走る。赤い悪魔は疾走する。

 暴風を切り裂いて走る少年は、飛ばされる赤毛の少女を胸に抱きしめる。

 

 そのまま立ち止まらずに踵を返すと、飛翔魔法で天高く跳び上がった。

 

 

「っ! エリオ・モンディアル!!」

 

「邪魔だっ! 雑魚共っ!!」

 

 

 一閃。棒と化した槍の残骸を振り回す。

 ただそれだけで、一合とて必要なく、三人のエースを撃墜した。

 

 所詮、魔群如きに苦戦していた手負いのエース。

 彼女達など、最強の魔刃にとっては障害にすらなり得ない。

 

 そして壊れ物を包むかの如き手付きでイクスを抱きしめると、苦い表情を浮かべたままに巨大な穴の中へと墜ちて行く。

 

 

「嗚呼、本当に……」

 

 

 見捨てた筈だった。切り捨てた筈だった。

 

 もうどうなろうとどうでも良いと決めた筈だったのに、考えるよりも先に身体が動いてしまっていた。

 

 

「何て無様」

 

 

 咄嗟の反射行動を理由にして、手にした物を捨てられずに居る。

 そんな自分の中途半端さを嗤う悪魔は、自由落下に身を任せたまま、奈落の底へと消えて行った。

 

 

 

 

 

 そしてエリオが消え去れば、この危機を止められる者など何処にも居ない。

 暴走を始めたゼロ・イクリプスは、全てをゼロに分解する迄止まりはしない。

 

 浮かび上がる今のトーマは、正常な五感を失っている。

 故に世界の崩壊を自覚出来ずに、全てを滅ぼす力を振り撒き続けている。

 

 白百合の声は届かずに、呆然自失するティアナは動けない。

 破壊の余波に巻き込まれたキャロとルーテシアは姿を消し、三人のエースは撃墜された。

 

 

 

 世界の消滅は、最早誰にも止められない。

 今此処に、世界は一つの分岐点へと差し掛かっていた。

 

 

 

 

 




ホテル・アグスタって言ったら、誤射させないと。(使命感)


ティアナの誤射。トーマの暴走。
原作イベントがコンボを発生させた結果、よりアカン結果になりました。





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第十五話 地獄が一番近い日 其之肆

我が社め、天狗道に有給を与えたらどうなるか、教えてやろう!


そんな訳で、三日連続更新です。


推奨BGM
2.BRAVE PHOENIX(リリカルなのは)
3.Gotterdmmerung(Dies irae)
4.Pray(リリカルなのは)


※2017/01/23 改訂完了。


1.

 規則的に鳴る機械の音が、命の鼓動を証明する。

 倒れた青年は未だ目覚めず、されどその場所には――

 

 

「漸く、戻って来れた。全く、老人達にも困ったものだねぇ」

 

 

 白衣を翻す、紫の男が姿を現す。

 眠り続ける友の姿を見下ろして、彼は歪んだ笑みを浮かべていた。

 

 

「状況は知っている。既に準備は出来ている」

 

 

 そしてそんな狂人の僅か後方には、寄り添う様に従う女の姿。

 特別性の人形は彼に指示されていた通りに、必要な物を既に揃えている。

 

 

「故に、対処は完璧だ」

 

 

 そう。希望は其処に。眠りに落ちた青年を立ち上がらせる術が其処にある。

 

 

「もう一度、君をその場に立たせる事が、私ならば出来るであろう」

 

 

 狂気の科学者の掌中に、先への希望は灯っている。

 だがそれは、唯の希望である筈がない。この狂人が在り様故に、代償が存在しない筈もない。

 

 

「だがそれは、きっと君を更なる地獄の底へと叩きつける」

 

 

 この今でさえ瀕死の彼に、与えるのは更なる苦痛だ。

 もっと苦しくなるだろう。もっと辛くなるだろう。それが永劫続くだろう。

 

 開けてはならないパンドラの箱のその奥に、希望と言う災厄が眠っていた様に。

 スカリエッティの齎すであろうそれは、眠り続ける青年を更なる奈落の底へと突き落とす代物だ。

 

 

「今ならば、死ねるよ? 今ならば、終われるよ? 今を逃せば、君は永劫苦しみ続ける事となるだろう」

 

 

 魂の汚染は深刻だ。刻まれた傷は治らない。

 その崩壊しかけた魂は、見るに堪えない状態だ。

 

 そして今肉体が生き延びてしまえば、青年の魂は汚染されたまま、苦しみ続ける事となろう。

 だが今この瞬間に、彼を生かす力を拒絶すれば、彼はこのまま安らかな眠りに落ちる事が出来る。

 

 治らぬ傷を抱えて生き続ける事が、幸せなのだと誰が言えよう。

 永劫苦しみ続ける生を選ぶ事と、苦しみから解き放たれる死を選ぶ事。

 

 どちらが彼の為なのか、そんな答えは明白だ。この狂人でも分かる程に、その先には救いがなくて――

 

 

「さて、君はどうするかね?」

 

 

 だから君が選ぶべきだ。スカリエッティはそう問い掛ける。

 しかしその言葉に、返る声は存在しない。ぴくりと動いたのは指先だけで、青年が目を覚ます事はない。

 

 

「ふっ、今の君では答えを返す事も出来なかったね」

 

 

 当然だ。青年に答えを返す力はない。言葉が届いているかも分からない。

 

 選ぶ権利は彼にあっても、選択する自由が其処にはない。

 目が覚めぬ限り彼は選べず、目を覚ます為にはその地獄を許容する必要がある。

 

 彼を殺すか、それとも生かすか、己で選べぬならばその選択は第三者に委ねられる。この場においては、他でもないこの狂人の掌中に。

 

 

「ならば、さてどうするか」

 

 

 スカリエッティにしては珍しく、ほんの僅かに逡巡する。

 何故かと彼が己の僅かな正気に問えば、脳裏に浮かぶはまるで関係ない何時もの風景。

 

 

「ああ、そうか」

 

 

 だが、それが答えだ。それだけで、彼には答えが分かっていた。

 そんなどうでも良い日常の光景にこそ、スカリエッティが出すべき答えがあったのだ。

 

 

「戻って来た。そう思うくらいには、私は居心地の良さと言う物をこの場所に感じていたらしい」

 

 

 大切だった。神の言葉を借りるなら、宝石だと例える程に大切だった。

 幸福で輝かしい微温湯の様な場所。何処までも温かなこの空気に、己さえも鈍っていたのだと理解する。

 

 この狂人でも、大切だと感じてしまう。そんな何処か温かい空気が、この場所には存在していたのだ。

 

 

「友が居て、愚かにも私を慕う子供が居て、ああそうだね。狂っている私でも、多少は大切にしたいと思えた居場所だった」

 

 

 古代遺産管理局、機動六課。

 其処がスカリエッティの好んだ場所の名前であり、そして今の彼はその一員としてこの場に立っている。

 

 ならば選ぶべき道などは、分かり易い程にあからさまである。

 大切だから穢したくないと言う当然の道理など、この狂人に通じる筈がないのだ。

 

 

「ならば君の意見など知らぬよ」

 

 

 友が何を感じようと、狂人にとっては関係ない。

 この先でどれ程に苦しみもがき足掻こうと、この己には関係ないのだ。

 

 重要なのは、その意志が繋がれる事。消え去る事なく、その微温湯の中核が残る事。

 自分がそうしたいのだ。ならばその我欲のままに、常識も倫理も知らぬ存ぜぬで通せば良い。

 

 彼が居なくなるのが嫌だから、理由なんてそれだけで十分なのだ。

 

 

「拒絶しようと、許容しようと、知らんさ。精々苦しみ給え」

 

 

 その歪んだ笑みは、決して友人に向けるべき物ではない。

 その歪んだ好意は、明らかに常人の思考から外れている。

 

 所詮、ジェイル・スカリエッティは、何処まで行こうと狂人だ。

 

 

「そうとも、私は愛娘を地獄に突き落とす様な狂人だからね。それは友が相手でも変わらない」

 

 

 さあ、天上楽土へと招かれるであろう魂よ。

 そのまま進んではいけないよ。君はまだ死んで(スクワレテ)はいけない。

 

 奈落の底が君を呼んでいる。

 その魂が救われる前に、現実と言う地獄の底へと歓迎しよう。

 

 

「望むがままに、世界を掻き回すとしようか」

 

 

 白衣の狂人は静かに嗤い、そして青年の行く道は定まった。

 

 

 

 

 

2.

 魔群の齎した破壊の一撃。其れを前にして、少女達には何もする事が出来なかった。

 

 キャロ・グランガイツとルーテシア・グランガイツ。バーニング分隊に属する二人が任されたのはホテル・アグスタの裏口警戒。

 関係者用の出入り口付近に居た二人の少女は時が経っても分隊長が戻らぬ事に違和を感じて、該当区域より更に内側へと向かっている途中だった。

 故に当然、その一撃に巻き込まれた。トーマの様に意図して狙われない理由もなく、自分達の足で近付いていたのだから、逃れられる道理がなかったのだ。

 

 天より落ちるゴグマゴグ。偽りの神の牙は六課のエース陣であっても耐え抜くのが精一杯、フォアードに属する二人の少女が逃れ得る道理がない。

 歪みも希少技能も持たず、耐えられるだけの格もない。そんな彼女達が消し飛ばされるのは当然の帰結であって、ならばどうして此処に彼女達は無事であったのか。

 

 

「子犬、さん?」

 

 

 目を焼く程の眩い輝きに包まれて、その熱量に苛まれるキャロ・グランガイツの目の前にその背がある。蒼き獣がその背を向けて、その身を人のそれへと変えていた。

 

 

「時よ。止まれ」

 

 

 届かせない。届かせはしない。背に守る小さな子らに、魔群の牙を届かせる訳にはいかない。

 己の時を停滞している我執の鎧を僅かに広げ、拡大する力場で襲い来る神殺しの力をその一身にて受け切り耐えた。

 

 

「ちょ、ちょっと、何これ!? 犬が人間になって、何が!?」

 

「怖い力が、遠ざかっていく。……子犬さんが、守ってくれてるの?」

 

 

 混乱する少女達。その問いかけに、答えるだけの余裕はない。

 ザフィーラは既にして限界だ。それはこの魔群の一撃が鎧を超える程の威力を持つ、為ではない。その力の行使が余りに無理がある事だからだ。

 

 その渇望は覇道ではなく求道である。傷付けないと言う祈りではなく、届くまでは滅びないと言う執念。残る夢が消えた雪の日に、起きた奇跡は起こらない。

 求道は覇道に変わる事なく、故に庇える範囲は酷く狭く広げれば広げる程に消費は重くなっていく。身の丈を過ぎた力の行使が、残っていた力を大量に奪い去っていく。

 

 

「身体が、消えていって。……だ、駄目です!!」

 

 

 少女達の目の前で、男の身体が擦れていく。小さな淡い光に変わって、男の身体が消えていく。

 それを見て心優しい子供は駄目だと叫びを上げて、それでも盾の守護獣は力の行使を止めはしない。

 

 擦れていく男の身体。理由は単純だ。盾の守護獣ザフィーラは既に死んでいる。

 優しい主が死したあの日に致命傷を受けていて、今は残った魔力で滅びるまでの時間を延長しているだけなのだ。

 

 だから、その魔力を消費すればする程に肉体を維持できなくなる。

 渇望が変わらねば出来ぬ筈の無理を押し通している現状は、男に残った僅かな時間さえも奪い取っていたのだ。

 

 

「……案ずるな」

 

 

 急速に力を失っていく盾の獣は、霞む意識の中で言葉を告げる。

 此処に紡いだ一つの言葉は、主の遺した言葉に対する答え。彼女が誇る、彼女の盾故の言葉である。

 

 

――ザッフィーはな。守護獣なんやで。皆を守る、私の自慢の騎士様なんや。

 

 

 その想いに応える役割は、もう嘗てに捨ててきた。

 盾である誇りを憎悪の牙に取り換えて、全てを焼いた女だけを憎んでいる。

 

 それでも、そんな残骸でも、無視出来ない理由がある。

 桃色の髪をした小さな少女を、無視出来ない理由が其処にあったのだ。

 

 

「盾は砕けん。この守りは誰にも貫かせん」

 

 

 嘗て守護騎士が滅ぼしたアルザスと言う一つの世界。滅び去った竜世界の唯一人の生き残り。

 

 あの日に竜世界を焼いたのは鉄槌の騎士と湖の騎士。盾の守護獣は関係ないと、そう語る事も出来るだろう。

 それでもあの心優しい彼女が知れば、自分の所為だと自責した筈だ。書の主として責を負わねばと、そう思い詰めた筈である。

 

 だから、無関係とは切り捨てられない。この少女達より己の憎悪を優先したら、きっとあの主は涙を零す。

 守護の獣ではなく憎悪の復讐者に過ぎぬのだと、そう語り貫き通せば記憶の中に居る八神はやてが涙に暮れるのだ。ならば、どうしてそれを選べるか。

 

 

「俺は終われん。終われない、為すべき事が未だ此処に在る」

 

 

 終わらない。終われない。終わらせない。絶対に。

 

 この身は既に守護を誇りとする獣ではなく、憎悪に身を焦がした復讐者。

 怨敵に牙を突き立てるその日までは、どれ程に衰え無様となろうが終われる筈がない。

 

 消えようとする己の身体を意志で保って、ザフィーラは振り返りもせずに少女らに告げる。

 

 

「だから、お前達は気にするな。今は生き残る為に、此処で守られて居れば良い」

 

 

 それでも、魔群の力を防ぎ切れない。面に対する攻撃に点で守りを作っても、その点以外が壊されるのは道理であろう。

 足場が崩れ出す。消滅寸前にまで力を行使して、それでもホテル・アグスタの倒壊は避けられず、沈む大地に三者揃って巻き込まれる。

 

 

「んなっ!?」

 

「きゃっ!!」

 

 

 足場から崩れ落ちる。底の底へと墜落する。離脱するだけの余力もない。

 それでも貫かせないと決めたから、ザフィーラは二人の少女を両手に抱える。

 

 守るのだ。守り通すのだ。落下速度を停滞させながら、大地の底へと飲まれて行く。

 それでも両手に抱えた小さな少女達は手放さずに、ザフィーラはその手で確かに守り通した。

 

 

 

 

 

 そして奈落の底で、少女と少年は邂逅する。

 守護者に守られた少女と、守護してしまった結果に後悔する少年は此処に出会う。

 

 滅びた世界の竜の巫女。キャロ・グランガイツ。

 罪悪を背負わされた神殺しの悪魔。エリオ・モンディアル。

 

 二人の邂逅はやがて、世界を変える一助となるだろう。

 

 

 

 

 

3.

 空が罅割れて、大地が捲れ上がっている。

 虚無は少しずつ、だが確実に広がっていく。

 

 その速度は止まらずに、少しずつ、少しずつ、広がる速さが増している。

 

 自閉した少年は目を覚まさずに、破壊の牙はその猛威を振るう。

 誰もが止める事の出来ない絶望の中で、全てが今終わってしまおうとしていた。

 

 ならば、最早誰にも何も出来ないのか。

 誰もが絶望したままに、終わりを迎えるしかないのだろうか。

 

 

「……させ、ない」

 

 

 否、まだ彼女は諦めてはいない。

 撃墜された女はしかし、その意志を振り絞って立ち上がっていた。

 

 

「まだ、終わらせない。崩壊なんて、させられないっ!」

 

 

 再演開幕。そして不撓不屈。己の肉体を復元した女は、不屈の意志を持って立ち上がる。絶対の終焉を前にして、悲嘆に沈んでいた心が燃え上がっていた。

 

 もう終わってしまうと感じたから、迷っている暇なんて何処にもない。

 そうまで追い詰められた現状で、だからこそ高町なのはの躊躇いは消えている。

 

 

「そうだ。終わらせない。終わらせる、ものかっ!」

 

 

 全身に刻まれた痛みを意志で塗り替えて、彼女は再び戦場を舞う。

 不屈のエースはこの場所で、訪れた世界の終わりを乗り越える為に抗い始める。

 

 

「私はまだ、ユーノ君に謝っていないっ!」

 

 

 そう。死ねないと言う想いは単純だ。

 彼を傷付けて、彼の尊厳を踏み躙って、その事を詫びずに死ぬ事は出来ない。

 

 

「彼と共に生きる今に、満足なんてしていないっ!」

 

 

 そうまでして望んだのは、彼と共に過ごす今。

 だからこそ、それの訪れを諦めない。その幸福を妨げる崩壊なんて必要ない。

 

 

「だから、今は震えていても、進む道が間違っていても、それでも終わりだけは認めないっ!!」

 

 

 落ちた星がまた昇る様に。

 大地に沈んだ太陽が朝日となって昇る様に。

 

 月の如く生きた太陽の血を継いだ女は、此処にその意志を示した。

 

 

「貴方はどうなのっ! トーマ君っ!」

 

 

 呼びかける声に、意志を込める。

 自分が辛いから、見て上げていられなかった子供に今呼び掛ける。

 

 

「傷付ける人が居なければ、怖い物がなくなれば、じゃあ其処に何が残るのっ!!」

 

 

 何もかもを拒絶して、自閉した少年へと投げ掛ける。

 その果てに一体何が残るのかと、その想いを伝える様に言葉に紡ぐ。

 

 

「それで、良いのっ! それで満足しているの! それで終わってしまって、本当に良いの!?」

 

「…………」

 

 

 だが、反応はない。自閉した彼は戻らない。

 共にある白百合の声すら届かぬ現状、なのはの言葉は届かない。

 

 

「っ、ならっ!」

 

 

 黄金の杖が力を示し、無数の光弾が周囲を満たす。

 制限された己の限界値まで、一瞬で意志を燃やし上げて到達する。

 

 

「止めるよ。絶対に!」

 

 

 翡翠の輝きが溢れ出して、女はその杖を少年へと向ける。

 遅延魔法に誘導魔法。射撃に砲撃、幻術、捕縛。種々様々な魔法を展開して、なのはが出した結論は――

 

 

「だって私は、嫌だから!」

 

 

 言って聞かないなら、力尽くで届かせる。

 駄々を捏ねている子供は、無理矢理にでも引き摺り出す。

 

 

「行くよ、これが私の」

 

 

 女が選んだ選択肢は、そんな単純な力押し。

 それしか出来ないならば、その道を全力全開で飛び抜けるのだ。

 

 

「全力全開っ!!」

 

 

 無数の誘導弾を周囲に浮かべたまま、女は流星となって飛翔した。

 

 

 

 空を翡翠の光が染める。制限された状態とは思えぬ程に、大量の魔弾が世界に満ちる。

 並の魔導師ならば、否、エースストライカーでも防ぎ切れぬ飽和攻撃。その圧倒的な質量を伴った射撃魔法の雨は、しかし――

 

 

「……っ! 魔力が分解されるっ!?」

 

 

 光り輝く力場に触れた瞬間に、ボロボロと崩れ出す。

 無数の魔弾はトーマの身体に触れる事もなく、虚空で霞んで消えていった。

 

 

「通常の射撃じゃ、通らない。――ならっ!」

 

 

 届く前に分解されるなら、分解されても届くだけの力を込めれば良い。

 

 

〈Variable shoot〉

 

 

 黄金の杖が展開するのは、多重弾殻射撃魔法。

 高密度AMFさえも突破する強固な守りを持った弾丸の数は、丁度百。

 

 疾駆する弾丸の雨は、逆転したハリネズミの如く。

 一切の隙間もなく包囲したまま、白き力場を突破する。

 

 されど――

 

 

「…………」

 

 

 トーマの視線が僅かに動き、銀十字の書が動き出す。

 無数に散らばった書物の頁が輝いて、展開されるはディバイドゼロ。

 

 力場を突破した魔弾が、降り注ぐ光に迎撃される。

 光に触れた瞬間に魔力弾は分解されて、何一つとして結果を示せずに終わってしまう。

 

 

「…………」

 

 

 そして自閉した少年は無表情のままに、銀十字だけがその女を脅威として認識する。

 

 

「消えろ」

 

 

 虚ろな瞳のままに言葉が呟かれた瞬間に、銀十字へと光が集う。

 己の主に害意を向ける敵として認識された女の下へ、破壊の光は放たれた。

 

 

「っ!?」

 

 

 降り注ぐ光を躱す。極大の光線を危なげなく回避する。

 されど害意に対して向けられる防衛衝動は、それだけでは止まらない。

 

 翡翠の輝きを残しながら飛び回る女の背を追いかける様に、全てを分解するゼロの光が絶え間なく振り続ける。

 

 

「っ、近寄れないっ!」

 

 

 飛び交う女を狙う様に、極大の光線がその背を追う。

 二射目、三射目。放たれる光は徐々に正確さを増していき、強制的に距離を取らされる。

 

 空を飛翔する高町なのはは、一端射程の外へと退避する。

 ほんの短い時間の攻防。だが一度でも受ければ分解されると理解して、流れ落ちる冷や汗を拭う。

 

 エクリプスは防げない。これは本質的には破壊ではない。だから再演開幕では防げない。

 

 壊すのではなく、滅ぼすのでもなく、分解した物を取り込んでいる。

 天魔・夜刀の身体(このせかい)から、トーマの体内(べつのせかい)へと物質を移動しているだけなのだ。

 

 覇道神の戦い。保有する魂の奪い合いとその理屈は同じだ。

 奪われてしまえば世界の何処にもなくなるから、再演しようにも舞台そのものが消えてしまう。

 

 ディバイド・ゼロエクリプス。それを防げるのは魔刃の腐炎。或いは両翼の有する二つの地獄以外に存在しない。

 簒奪の光自体を消し去る様な異能でなければ、この吸収には耐えられない。暴走状態のトーマは神と同格にまで至るから、格の差で競う事すら出来はしない。

 

 

「こんなに、厄介だった」

 

 

 ディバイドゼロ・エクリプス。その力は、知っていたよりも凶悪だった。

 魔力が通らず、そして一撃でも喰らえば即死する。その性質は余りにも厄介であった。

 

 

「こんなに、この子は強かった」

 

 

 今は自閉していて、何も考えずに反射行動で簒奪の光を振り撒いているだけ。

 だと言うのに止める事は愚か近付く事すら出来ぬ程に、トーマ・ナカジマは強大だった。

 

 

「私は、本当に、何も見れていなかった」

 

 

 そんな事にすら気付けていなかったと、今更に気付いた。

 それはトーマだけではない。この事態の引き金を引いて、今も震えているティアナも同じくだ。

 

 怖い怖いと恐慌して暴走している少年。自分の失敗と今ある現実に失意を抱いている少女。

 

 至高の魔導師と呼ばれた高町なのはも、未だ人としては未熟であったと言う事だろう。

 最も辛いであろう時期に、彼らを支える事が出来なかった。自分の部下を、教え子たちを、真面に見れてなかったと今更に後悔している。

 

 

「だけど、だからっ!」

 

 

 それでも、そうだからこそ――

 

 

「諦める訳には、いかないっ!」

 

 

 今ここで、自分の役を投げ捨てる訳にはいかない。

 ならば選ぶべき道など唯一つ。弱音も怯懦も必要ない。

 

 此処に止めるのだと決意して、此処から見ていくのだと心に決めて、まだ終わらせない為に空を飛翔した。

 

 

 

 高町なのはは、再び魔力弾を作り出す。

 その無数の魔力は、決して無駄にはなりはしない。

 

 

「あの瞬間、私を迎撃しようとした瞬間、光の浸食速度が低下した」

 

 

 ディバイドゼロ・エクリプスを発現する瞬間に、無差別に振り撒かれていた破壊は弱まっていた。

 あの破壊の光は力を一点に収束した物だったからこそ、迎撃の為に力を割けば周囲の解体に回す力が減少していくのだ。

 

 故に。

 

 

「なら、私が戦えば、それを食い止める事が出来る」

 

 

 己が敵と認識され続ければ、世界の破滅は遠ざかる。

 世界の破滅が少しでも遅れれば、きっと駆け付ける仲間が居る。

 

 

「アリサちゃん。すずかちゃん。クロノ君」

 

 

 今、この地獄の中に倒れる仲間たちも、きっと答えてくれる。

 自分に突破出来ぬ事でも、それが出来る人がきっと居る筈だから。

 

 

「信じてる。だからっ!」

 

 

 信じるとは、そういう事。

 仲間を信じて、その先に繋ぐ事こそ己の役目。

 

 

「私は、絶対に諦めないっ!」

 

 

 そんな星の女に答える様に、無数の砲火が打ち上げられた。

 

 その鋼鉄の弾丸は、管理世界では禁止されている質量兵器。

 魔力を分解するエクリプスに対しては、特攻となる物理攻撃。

 

 その力の持ち主を、確かになのはは知っていた。

 

 

「アリサちゃんっ!」

 

 

 返る答えはない。返事を返す余力などない。

 既に意識を失くした女は、残る最後の力を振り絞って無数の火砲を放っていた。

 

 

 

 エクリプスは魔法よりも、質量物質に対する抵抗力が弱い。

 それは全ての根源足る魔力そのものよりも、物質として存在する物を分解する際にはより多くの時間が掛かるが為である。

 

 一度魔力に返さなければ、取り込むことが出来ないのだ。

 それでも一点に収束した光ならば、無数の質量兵器などは容易く振り払える。

 

 だが――

 

 

「させないっ! 繋いだ物は、無駄にさせないっ!」

 

 

 高町なのはがそれを阻む。膨大な魔力で、飛翔する質量兵器に併せて多重の防御陣を展開する。

 疑似的な多重弾殻射撃。それと同時に翡翠の光を撃ち放って、銀十字の処理能力限界を超えた手数を其処に再現する。

 

 光が迎撃する。白い光が分解して、全てを内に取り込んでいく。

 それでも僅かな質量兵器を消し切れず――故に、書の防衛能力を超えた弾丸が、トーマの身体へと届いていた。

 

 

「あ」

 

 

 分解されて、失速して、届いた弾丸は僅か数発。

 身体を掠める様な銃撃は、少年の暴走を止めるには未だ遠い。

 

 

「あああああああっ!?」

 

 

 だが、その自閉を崩すには十分だった。

 その防衛衝動を刺激するには十分過ぎたのだ。

 

 己を傷付ける明確な害意を認識したトーマは、恐怖に震えたままに力を振り撒き始める。

 

 

「来るなぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 暴走する銀十字の書が力を集めて、主に触れた弾丸全てを消滅させる。

 再生を続けるトーマは拒絶の意志を強くして、その赤い瞳が全ての事象を分解せんと周囲を見回す。

 

 銀十字の書による防衛機構と、ディバイドゼロを多用した代償。

 完全に狂った五感は何も捉えられず、目に映るのは情報と化した敵性因子。

 

 溢れる力を持って、その全てを消滅させんと暴走する。

 

 

「っ!」

 

 

 速度が増す。光が加速する。

 これまでの書の暴走に主の意志が加わった結果、破壊の力は密度と速度を増して溢れ出していく。

 

 大地が壊れていく速度が加速している。

 罅割れて虚無に変じた空が、アグスタの上空だけでなく周囲の森林までも飲み込んでいく。

 

 

「……これでも、止まらないのっ!」

 

 

 無差別に振り撒かれる光が、先よりも凶悪な物と化している。

 最早魔力弾は愚か、質量兵器すら通らぬ程に、その分解の力は膨れ上がっている。

 

 声は届くか、否届かない。

 絶えず呼び掛ける白百合の声が届かぬ以上、女の言葉が届く理由は何処にもない。

 

 

「……このままじゃ、世界が、終わる」

 

 

 もうどうしようもない。

 僅かな時間稼ぎすら出来ぬ程に、世界の終焉は迫っている。

 

 

「それ、でもっ!」

 

 

 それでも諦めない。それでも諦めたくはない。

 

 仲間は一度、答えてくれた。

 ならば二度目だって引き寄せる。

 自分のこの身を張ってでも、次の可能性へと繋いで見せる。

 

 諦めたら終わりだ。諦めたら先はない。諦めたら、もう二度と彼とは会えないのだ。

 

 

「私は、空を飛ぶっ!」

 

 

 ならばどうして、諦める事が出来るだろうか。

 

 太陽の女は空を飛ぶ。

 己を追いかける赤い瞳に、翡翠の輝きで答えを返して。

 

 少しでも、終わりを引き延ばす。

 ほんの僅かな時間であっても、その到達を引き延ばす。

 

 

「諦める、ものかぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 無数の光に迎撃されて、満足な成果も残せない。少しずつ、されど確実に消耗していく高町なのは。

 

 それでも彼女は、決して諦める事だけはなく。

 

 

「え、あ……」

 

 

 故に、そんな女の奮闘に答える様に――

 

 

「この、感じは」

 

 

 その時、奇跡は起こった。

 

 

「まさか」

 

 

 否、それは奇跡ではない。

 女の奮闘が、皆の奮闘が引き寄せた、確かな必然だったのだ。

 

 

 

 

 

 それは一台の車だった。

 管理局の地上本部、其処に属する陸士部隊が正式採用している指揮車両。

 エクリプスウイルスの暴走によって、荒れ果てた道の上をその車が走っている。

 

 

「消えろ」

 

 

 近付く物を自動で排除しよう書が判断し、トーマの赤い瞳が動く。

 近付いて来る装甲車へ向かって、破滅を齎す破壊の光が放たれた。

 

 

「っ!」

 

 

 それは、いけない。それだけは、いけない。

 感じるのだ。感じているのだ。確信に近い領域で、あれを落とされてはいけないと感じている。

 

 

「ディバインッ、バスタァァァァッ!!」

 

 

 エクリプスの輝きを翡翠の輝きで狙い撃って、僅かに生じた隙間に己の身体を捻じ込み入れる。

 衝撃波で横転した装甲車を背中に守りながら、高町なのははその黄金の杖を両手で握る。

 

 その先端に集う翡翠の輝きは、高度な計算式によって一点へと収束する。

 黄金の杖に集まった星々の輝きは、今まさに破壊の閃光へと姿を変えて――

 

 

「スターライトッ!」

 

 

 限界を超えた魔力収束。更に限界を突き詰めた魔力圧縮。至る力は星の輝き、嘗て失くした力の再現。

 

 

「ブレイカァァァァッ!!」

 

 

 星々の輝きが極光となって、世界を滅ぼす力へと放たれた。

 

 そして星の極光と、世界の分解する力がぶつかり合う。

 拮抗する力は互いの力を喰らい合って、激しい爆風を周囲に振り撒く。

 

 

「いっけぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 意志を強く、不屈の力を限界まで行使する。

 相性の悪さを補う程に、圧倒的な魔力量を其処に込めて――

 

 星の力は、消滅の力に食われて消える。

 だが同時に、消滅の力もまた分解する力を失って消えていった。

 

 

 

 

 

4.

 そして、高町なのはは装甲車へと振り返る。

 胸を突く鼓動。溢れ出す歓喜の感情。感じる彼の気配に、女は逸る心を抑えられない。

 

 

「ありがとう。なのは」

 

 

 その扉を蹴破って、飛び出して来た青年を彼女は誰よりも知っている。

 その金髪の男を、愛しい彼の力強い姿を、彼女は誰よりも待ち侘びていた。

 

 

「お陰で、間に合った」

 

 

 優しく髪を撫でる掌。その温かさは、確かな生を感じさせる物。

 全てを解決出来る青年は、何時もの様に月光の笑みを浮かべて語るのだ。

 

 

「大丈夫、待ってて、なのは」

 

 

 感激に震える女の前に、立ち上がった男は確かに語る。

 口にした言葉はあの日と同じ、此処から先を引き受けると言う誓いである。

 

 

「……後は全部、僕がやるから!」

 

 

 その言葉を前にして、感じる想いは複雑だ。

 任せて良いのか。それで良いのか。嗚呼、だけどそんな不安や懸念の情は、溢れ出す嬉しさに届かない。

 

 

「ユーノ君!」

 

 

 愛しい青年の名を口にする。女は少女の如く笑っている。

 その笑みは太陽に向かって花開く向日葵の様に、あの日に彼が好きだと語った笑顔であった。

 

 

 

 

 

 横転した装甲車両。

 其処から出て来た三人の男達が、崩れかけた大地の上に立つ。

 

 

「わりぃな。本来は親父の俺が、何とかするべきなんだろうが」

 

 

 父親失格だな。そんな風に語る白髪交じりの中年男性。

 装甲車の運転手を務めた男。ゲンヤ・ナカジマは情けないと自嘲している。

 

 彼の言葉に首を横に振って、金髪の青年は頭上を見上げる。

 助けるべき教え子は今、遥か上空で怯えて泣き叫んでいた。

 

 

「何度も言っただろう? 可能性があるのは君と彼だけだが、書類仕事ばかりの中年よりも、病み上がりの怪我人の方がまだ成功率が高いとね」

 

 

 ナンバーズを調整する暇もないしね、と戯けた口調で語る道化。

 白衣を靡かせる狂人。こんな絶望的な状況下でも変わらぬ彼こそ、管理局の最高頭脳ジェイル・スカリエッティ。

 

 いつも通りで変わらぬ彼の姿に、青年は苦笑を漏らしながらも力を貰う。

 

 

 

 ああ、そうだ。無理をする必要はない。

 当たり前の様な態度で、当たり前の様に解決してみせよう。

 

 

「さて、そこの中年とは違う所を見せる為にも、少しは仕事をしようかねぇ」

 

 

 言ってスカリエッティが白衣より取り出したのは、菱形をした小さな結晶体。

 

 

「これはエリオ君に埋め込んだ物と同じ、あの子達の共鳴現象を引き起こす為の()()()()()だ」

 

 

 そしてそれを、その場で握り砕いた。

 

 

「自閉しているままでは無理だったが、意識があるなら効果がある。……これであの子は、私達を認識できる様になったはずだよ」

 

 

 僅か数秒しか持たない。そう付け加える狂科学者に、青年は頷きを返す。

 

 女達の抗いが、その可能性を引き寄せた。

 ならばそれに答える為に、男達がその可能性を確かな道へと変えてみせる。

 

 数秒もあれば、この声は届くから――

 

 

「トーマッ!!」

 

「っ!?」

 

 

 その名を呼ぶ声に弾かれるように、顔を上げる。

 紅い瞳をした震える少年は、其処で彼らの姿を認識した。

 

 

 

 

 

 トーマの赤い瞳が、世界を映す。

 歪んだ認識は崩されて、其処で確かな現実を見た。

 

 最初に目に映ったのは、煙草を吹かせる男の姿。

 記憶にある姿よりも随分と老けた様に見える、厳しいけど優しい人。

 

 

「……帰って来い。お前は何処に行く気だ、馬鹿息子」

 

「父、さん」

 

 

 そして次に映ったのは、嗤い続ける狂人の姿。

 

 恨みもあるし、どうしてこんな事をと言う疑問もある。

 だけど大切な宝石であると言う事実が、変わりはしない一人の男。

 

 

「このままでは終わらんだろう? さあ、一世一代の見せ場は此処に、神様たちの度肝を抜いて見せようじゃないかっ!!」

 

「スカ、さん」

 

 

 そして、最後の一人。

 誰よりも尊敬して、追いかけ続けた大きな背中。

 

 

「あ、あぁ」

 

 

 鮮緑色のスーツが風に揺れて、金髪の青年は巨大な盾を地面に突き立てる。

 

 何も変わっていないその姿。

 何も変わっていない様に見せている、その強い姿。

 

 それを、良く知っている。

 

 

「先、生」

 

「迎えに来たよ。トーマ」

 

 

 呟いた声に、返されるのは優しい微笑み。

 ああ、それを見ただけで、全てを託したくなってしまう。

 

 けど、駄目だった。今の自分は、帰れない。

 

 

「駄目、なんです」

 

 

 銀十字の書が暴走している。

 自分の中で膨れ上がった防衛衝動が止まる事はなく、簒奪の光が止められない。

 

 

「自由が利かない。身体が動かない」

 

 

 自分では、どうする事も出来ない。

 暴走を続ける自分の身体を、抑える事が出来ないのだ。

 

 だから、口にする。

 

 

「逃げて、下さい」

 

 

 溢れ出す恐怖を飲み込んで、不格好な笑みで口にする。

 

 

「逃げてっ! 僕が皆を傷付ける前にっ!!」

 

 

 逃げてくれ、と。自分が大切な人を殺してしまう前に、逃げて欲しいと口にする。

 

 だが、そんな言葉は――

 

 

「聞けないね。そんな言葉は」

 

「だけど、このままじゃ僕はっ!?」

 

 

 あっさりと拒絶されて、彼は心を揺さぶる言葉を口にした。

 

 

「僕はさ、君の先生なんだよ」

 

 

 自分は先生だ。死した恩師に後を託され、彼を育て上げると誓った先生なのだ。

 ならばどうして先を生きるべき師である自分が、後を追い掛け続ける教え子を置いて逃げ出せる。

 

 

「君は僕の教え子で、守るべき子供だ」

 

 

 トーマは教え子だ。自分の最初の師が遺した、守るべき子供だ。

 それだけじゃない。築いた絆はそれだけではなくて、守りたいと思うのはそれだけじゃない。

 

 

「先を生きる者として、逃げ出せないだけじゃない。教え子だから、放っておけないだけじゃない」

 

 

 そんな義務だけじゃない。そんな責任一つで、ユーノは此処に居る訳じゃない。

 

 

「君を大切だと、確かに感じてる。この絆を大切だと、だから守りたいと願っている。なら――」

 

 

 抱いた想いは一つの誓いだ。守りたいと願った絆を、大切にする為に立っている。大切な絆を守り通す為に、青年は己を示すのだ。

 

 

「そんな負け犬の言葉なんて、聞ける訳がないだろう!!」

 

「っ!?」

 

 

 心が揺れる。心が揺らされる。その強い輝きに、心が大きく揺れている。

 涙を流す程に、想いが零れ落ちる程に、憧れ続けた人の輝かしい姿を前に、トーマは確かに感動していた。

 

 

「帰るよ。トーマ。一緒に帰るんだ」

 

「先生」

 

 

 だから、此処に限界を迎える。自分だけで、そう耐えようとした想いが溢れる。

 トーマは遂に、抱え込んでいた感情を吐露して、縋る様に想いを訴え掛けるのだ。

 

 

「僕は、怖いです」

 

 

 それは膨れ上がった防衛衝動。

 それを止められない、もう一つの理由。

 

 

「怖いんだ。どうしようもなくて、怖いんだ!!」

 

 

 溢れ出す恐怖の情が、これまで抱え込んで来た無数の傷が、全てを消し去らんと荒れ狂う力の根源となっている。その感情を自分で拭えぬからこそ、トーマは暴走を止められない。

 

 

「塗り替えられるのが嫌だ! 殺されるのが嫌だ! 憎まれるのが嫌だ! こんな怖い物で一杯な現実が、嫌で嫌で仕方がないっ!」

 

 

 誰が、自分が自分で無くなる事など許容できる。

 誰が、己に対して全霊の憎悪を燃やして、殺しに来る悪魔の恐怖に耐えられる。

 

 誰が、全てに恐怖する様になった少年を、叱りつける事が出来ようか。

 

 

「こんな境遇に、生まれたくはなかった! 選ばれずに済むなら、唯のトーマで居たかった! 神様になんて、なりたくない!!」

 

 

 特別である事は、素晴らしい事ではない。

 何もかもを背負わされた立場だからこそ、当たり前に生きたかったと想いを漏らす。

 

 願いは一つ、人でありたい。

 なのにどうして自分だけが、こうして神の残滓に染められて、神様にならねばならないのだ。

 

 

「……なら、何を言えば良いか分かるね」

 

 

 そんな胸中を吐露して震える子供に、彼を守る大人は静かに告げる。

 

 

「言うべき事は、逃げてなんて言葉じゃない。もう強がれないなら、強がらなくて良い」

 

 

 もう限界を迎えている。

 もう一人で耐えられない程に、その心は追い詰められている。

 

 ならば言うべき言葉は、唯一つしか存在しない。

 

 

「教えた筈だよ。一人で出来ないと言うならば、どうすれば良いのか」

 

「あ」

 

 

 その言葉は、鮮やかに思い浮かんだ。

 流された筈の記憶の中でも、確かに思い出す事が出来たから――

 

 

「助け、て」

 

 

 涙を零して、少年は助けを乞う。

 

 

「先生、僕を助けてっ!」

 

「うん」

 

 

 その助けを乞う声に、返されるのは強い言葉。

 

 

「助けるよ。その為に、僕は此処に来た」

 

 

 魂の汚染は拭えていない。

 身体の傷も完治している訳ではない。

 

 

「少し、痛いかもしれない。少し、時間が掛かるかもしれない。……けど、絶対に助け出すからっ!」

 

 

 全身を苛む痛みは、まるで生皮を剥がされるが如く。

 魂を穢し尽す汚染によって、その精神は今にも砕け散りそうで――それでも青年は揺るがない。

 

 

「待ってて、トーマ。今、其処に行くっ!!」

 

 

 鮮緑色のスーツを風に靡かせて、金色の髪の青年は空を見上げる。

 

 その強い瞳は揺るがない。その強い意志は砕けない。

 ユーノ・スクライアは泣き叫ぶ教え子を救う為に、この場所に立っていた。

 

 

 

 

 

 




そんな訳で、

○ユーノ君復活。
○エリオ君の覚醒イベント条件=キャロとの対話イベント発生フラグ。

の二つで構成された今回でした。



トーマの危機に駆け付けて来た三人の男達。彼らこそ、保護者戦隊PTエーズ。
類似品に、ゲンヤ、レジアス、ゼストで構成された“中年戦隊オヤジーズ”も存在しています。



そしてフリードは犠牲になったのだ。尺の都合。雰囲気の都合。様々な都合の犠牲。その犠牲にな。





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第十五話 地獄が一番近い日 其之伍

今回で、地獄が一番近い日は御終いです。


推奨BGM
1.BRIGHT STREAM(リリカルなのは)
2.Take a shot(リリカルなのは)
3.SECRET AMBITION(リリカルなのは)


1.

 毒素に満ちた酸の池を、黒き炎が焼き払う。

 魂汚す魔群の毒も、魔刃の炎の前には赤子の如く、何一つ抵抗する事もなく燃え去り消える。

 

 右手に強く栗毛の少女を抱いて、懐に優しく眠る赤毛の少女を抱き締めて、そして赤い髪の少年はゆっくりと大地に降りた。

 

 

「……僕は、何をやっている」

 

 

 見捨てた筈だった。切り捨てた心算だった。

 こんな余分なんて、もう要らないと決めていた。

 

 だと言うのに、その二つが失われる光景に身体が動いた。

 今更ながらに身体が動いて、気付けば最大の好機を自分の意志で投げ捨てている。

 

 

「アギト」

 

 

 黒き鎧の隙間から、胸に抱いた小さな少女の吐息が聞こえる。

 世界崩壊の余波に巻き込まれていた小さな子供は、まるで父母に抱かれた赤子の如くに安堵の表情で眠っている。

 

 そんな安らいだ表情で眠るアギトの姿に、胸の奥を温める小さな熱を感じてしまう。

 

 

「イクス」

 

 

 右の腕に抱き抱えた少女の呼吸は、激しく乱れて安定していない。

 魔群と言う己を生かしていたモノに見捨てられ、肉体の機能が急速に劣化している冥府の炎王は意識を保てず熱に浮かされている。

 

 そんな今にも失われてしまいそうなイクスの姿に、心が張り裂ける程の痛みを感じてしまっている。

 

 

「本当に、無様だ」

 

 

 全部が余分だと知って尚、それでもこの余分が捨てられない。

 

 結局、己はそんな下らない存在だったのだろう。

 そんな風に自嘲して、エリオは天蓋に開いた穴を見上げた。

 

 視線の先では、未だ広がり続ける世界の滅び。

 

 天蓋は遠い。空の果ては遠い。全てが終わる場所は、この底からは遠過ぎる。

 この少女達を見捨てて飛び立てば大した距離ではないと言うのに、その僅かな距離が遠かったのだ。

 

 

「……僕は」

 

 

 手に残ったモノと、今にも壊したいモノ。

 アギトを守りたいのか、イクスを救いたいのか、トーマを殺したいのか。

 

 複雑に絡み合った感情が錯綜したまま、己は答えを出せずに居る。

 

 

「一体、何がしたいんだろう」

 

 

 咀嚼し切れぬ感情を持て余したまま、空を見上げるエリオの視界に影が映り込む。その青き瞳に映り込む一つの影は――

 

 

「……盾の守護獣」

 

「魔刃。エリオ・モンディアルかっ!?」

 

 

 二人の少女を両手に抱えた獣が、その場所へと降り立った。

 

 

 

 少年と獣が睨み合う。互いに二人の少女をその背に守ったまま、両雄は静かに睨み合っていた。

 

 

「どうした、僕と戦う心算か? 盾の守護獣」

 

 

 エリオがその左手に、壊れかけた槍を構える。

 穂先がごっそりと喰われた残骸に過ぎないが、それでも今のザフィーラを倒すには十分過ぎる武器である。

 

 

「君では無理だよ。如何に足掻こうと、君では魔刃に届かない。ましてや、その様な死に体で、その上そんな足手纏いが居たら尚更ね」

 

 

 足手纏いを両手に抱え、今にも消えそうな身体で歯を食い縛ったとして、それで勝てる程に魔刃は甘くない。

 今互いにぶつかり合えば、百度戦って百度魔刃が勝つ。ザフィーラには万に一つ、億に一つ、那由他の果てに一度すらも勝機はない。

 

 そんな事は余りにも明白で、口にする必要もない明確な事だから。

 

 

「……嫌に饒舌だな」

 

「なに?」

 

 

 その饒舌さが目に付いた。余りに語り過ぎだろうと、盾の守護獣は挑発するかの如くに口にする。

 

 

「そんなにも、その背に守るモノが大切か」

 

 

 今にも消えそうな復讐者。らしくないのは彼も同じく、だが守るべき者を守る為にこそらしさを捨てる。

 真面にやったら勝ち目はない。ならば手探りにでも探さねばならない。生き残るべき少女が背に居て、その少女を救う為にはこの魔刃が邪魔となる。

 

 如何にかして退けなくては、此処に全てが燃やし堕とされる。

 それを望まぬと言うならば、この僅かな違和に活路を見出さねばならないのだ。

 

 

「……こんなモノが、大切だと」

 

 

 睨む視線が強くなる。槍を握った拳が震えている。

 壊したくない程に感じる中途半端さに、憎みたくなる程の執着心を感じていた。

 

 それを自覚して、エリオ・モンディアルはザフィーラを見据える。

 憎悪に濁った視線を向けて。その槍の穂先に黒い黒い炎を灯した。

 

 

「だったら、どうした。だから、其れが一体何だと言う」

 

 

 認めよう。認めずには居られない。無価値な悪魔はこの少女らに、確かに執着心を抱いている。

 失いたくない。壊したくはない。無価値にしたくはないと、その弱さを切って捨てると決めたのに捨てられない。

 

 そんな無様さを認めた上で、苛立ちを吐き捨てる様に悪魔は語る。

 

 

「……お前が僕に勝てず、無価値になると言う未来は変わらない。先の未来に無価値と決まっているなら、ああそうだとも、この今にも価値はない」

 

 

 己に言い聞かせる様に、悪魔の道理をエリオは紡ぐ。

 

 彼の力は圧倒的だ。その存在感。その身が内包する力。他が追随しない程にエリオは強大だ。

 だがそれ程の実力に反比例する様に、彼の心は強くはない。執着心が生んだ弱さ故に、内に宿った悪魔の干渉が故に、その心は酷く揺れ続けているのである。

 

 だからこそ、その心の揺れこそを活路となる。

 殺意を前面に出す魔刃を前に臆する事もなく、盾の守護獣はその提案を口にした。

 

 

「……此処は、退け」

 

 

 それは戦闘を回避する提案。圧倒的優位にある敵に対して、退けと命じる命知らず。されど、確かな勝算がある言葉。

 

 

「確かに、今の俺では貴様には勝てんだろう」

 

 

 全力であっても、まず勝てないであろう強敵。

 魔刃に対して盾の守護獣の出した結論はそれであり、敗北は揺るがぬ事実である。

 

 

「だが、俺と貴様が戦えば、その子らは耐えられんぞ」

 

 

 だが、それでも被害はゼロにはならない。

 死に物狂いの獣を一方的に破れる程の実力差はないからこそ、成立する一つの賭け。

 

 魔刃が真実手の内にある誰かを大切に想えるからこそ、これは通用するかもしれない提案だった。

 

 

「それはこちらとて望まない。だから、今は退け」

 

「…………」

 

 

 そんな言葉を聞いて、魔刃の槍を握る手が僅かにぶれる。

 一瞬の内に敵を討てるだろうかと思考して、一方的な展開にはならないと結論付ける。

 決して己の勝利は揺るがぬが、守り通したこの命を失ってしまうかもしれないのだ。

 

 歯噛みする。どうしてもこの執着心が薄れない。

 苛立ちが募っていく。何故こんなにも大切に想ってしまう。

 

 宿敵との決着よりも、抱える想いを優先してしまったこの無様。

 それでも掌に掴んだ無価値なモノを優先したから、今更それを捨てる訳にもいかない。

 

 そうとも、トーマを倒すよりもこの温かさを優先したのだ。

 ならばどうして、宿敵よりもどうでも良い相手(ザフィーラ)を前にそれを捨て去る事が出来ようか。

 

 出来ない。出来る筈がない。今更この執着心を、無価値と捨て去る事が出来ない。

 忌々しいと心の底から思いながらに、エリオ・モンディアルはその手に握ったストラーダを待機形態へと戻していた。

 

 

「……命拾いしたね」

 

 

 吐き捨てるのは、そんな言葉。隠せぬ程の苛立ちを抱きながらに、エリオは彼らに背を向ける。

 どうせ放っておいても勝手に死ぬ守護獣と、あの足手纏い(ティアナ)以下の力しかない子供達。

 

 魔刃が斬るには値しない。そう無理矢理に己を納得させて、エリオはこの場を立ち去る事を決めた。

 

 

「ちょっと待ちなさいよっ!」

 

 

 そんな彼を、呼び止める声が上がる。

 紫髪の少女が睨み付ける様な目付きで、去りゆく魔刃に声を掛けた。

 

 

「……何だ」

 

「っ」

 

 

 そんな彼女に返されるのは、不快な感情を持て余したエリオの眼光。

 その目付きだけでも人を殺せそうな視線に、ルーテシアは全身を恐怖で震わせる。

 

 それでも、彼女は歯を食い縛って、踏み止まった。

 

 

「私には何もないわ、けど」

 

 

 彼女には何もない。彼女には何も分かっていない。現状の把握さえ出来ていない。

 

 突然起こった衝撃波に巻き込まれて、かと思えば青い子犬が成人男性に変わって自分達を守り通した。そして地の底へと墜ちていき、其処で最悪の化身と遭遇した。

 そんな目まぐるしい変化に適応できる様な能力を持っていない彼女は、現状の変化を理解出来ていない。

 

 

「ほら」

 

「わっ、るーちゃん!?」

 

 

 それでも分かる事が一つある。

 今こうして戦う気のない魔刃と遭遇している現状は、妹の願いを叶える最大の好機であるのだと。

 

 

「聞きたい事があったんでしょ。なら今は、絶好のチャンスよ」

 

「……あ、その」

 

 

 だからこそ、彼女は腹を決める。臆しても戸惑っても、それでも少年へ言葉を掛ける。

 どんな恐ろしい相手であっても、妹の為なら物申せる。そういう存在こそが姉なのだと、彼女は心の底から信じていた。

 

 

「ほら、腹括りなさい!」

 

「わ、わわわっ!?」

 

 

 そんなルーテシアに背を押されて、キャロはふらつきながら前に出る。

 そんな彼女を冷たく見据える魔刃は、まるで路傍の石を見るかの如く、興味を寄せてすらいない。

 

 エリオは会話に付き合う価値を見出せない。それでも無視して去るには紫の少女が面倒だと判断する。

 話を聞かないなら噛み付くぞと、敵意を露わにしているルーテシア。彼我の実力差さえ分かっていないのではないかと、そんな少女を排除しようとすれば盾の守護獣が動くだろう。

 

 

「…………」

 

「え、えっと」

 

 

 敵対しない為にこそ、撤退すると決めたのだ。殺しに掛かれば犠牲が出るから、それを厭うて避けたのだ。

 今更また対立する危険を許容するぐらいならば、このどうでも良い桃色の少女が語る戯言に付き合う方がマシだろう。

 

 そう判断したエリオ・モンディアルは、心底から嫌そうな顔でキャロ・グランガイツに向き合った。

 

 

「……話すなら、さっさとしてくれないか」

 

「あ、え、ご、御免なさい」

 

 

 エリオの冷たい目に怯みながらも、キャロはぎゅっとその手を握り絞める。

 二度三度深呼吸をした後で、良しと一声気合を入れると、キャロは己の想いを口にした。

 

 

「……聞きたい事が、ありました」

 

 

 聞きたい事があった。

 キャロには、エリオに問い掛けたい言葉があった。

 

 

「けど、正直もうないんです」

 

「キャロ!?」

 

「えっとね。その、見ていたら、何となく分かったから」

 

 

 だが、それも過去の話。

 今の魔刃と、彼に守られた少女達の表情を見れば、キャロが問いたかった答えは既に出ていたから。

 

 そんな言葉に驚くルーテシアにそう告げて、キャロはエリオに向かい合う。

 自身の胸元にも届かない小さな少女が見上げる視線に、見下ろす視線が絡み合った。

 

 

「貴方はやっぱり、優しい人でした」

 

「っ!?」

 

 

 何を語るのか、思った疑問に答える言葉は想定外。

 予想を外す言葉を聞いて、エリオは戸惑いを隠せずに居た。

 

 

「……君に、何が分かる」

 

「見たら分かりますよ。その子達を見ている時の貴方、とっても優しい目をしています」

 

 

 路傍の石が、無視出来ないナニカに変わる。

 興味すら抱いていなかった少女が見せる慈愛の表情が、どうしようもなく疎ましいと思えて来る。

 

 

「優しい顔。悲しいけど、強い瞳。やっぱり貴方は、優しい人です」

 

「……弱いだけだ」

 

 

 勝手な妄想で、納得した様に話すキャロ。

 そんな彼女に反感を抱いて、エリオは零す様に口にする。

 

 

「僕は弱い。反吐が出る程に、泣き叫びたくなる程に、僕は弱い」

 

 

 弱いから、こんな無様を晒している。

 弱いから、切り捨てる事が出来ていない。

 弱いから、こうして奈落の底から出られない。

 

 

「これが弱さでなくて、一体何だと言うんだ」

 

 

 弱いから、奪われる。弱いから、守れない。弱いから、無様を晒す事しか出来ていない。

 そんな少年が語る弱肉強食。弱者は強者に奪われる、そんな彼にとっての絶対法則。

 

 

「弱さじゃなくて、優しさです」

 

 

 それを桃色の少女は、そんな風に否定した。

 

 

「誰かを想える、それが弱さな筈がない。誰かを助ける、その行為が弱さな筈がない。本当に弱い人が、何かを大切に想い続ける事なんて出来る筈がない」

 

 

 本当に弱いなら、きっと誰かを想う余裕はない。

 本当に弱いなら、きっと誰かを助けようとする余力がない。

 

 本当に弱い人は辛い中で、大切な物すら忘れてしまう。それが当たり前なのだ。

 

 

「私、貴方の事は良く知らないです。……けど、分かる事だってある」

 

 

 だが、エリオは忘れていない。誰かを大切に想う。その感情を失くしてなんかいない。ならばきっと、この少年は確かに強いのだ。

 

 

「沢山、辛い想いをしてきた事。沢山、苦しい想いを重ねた事。沢山、本当に沢山の想いを背負っているんだって、分かります」

 

 

 キャロは想う。この人は優しい人だ。

 キャロは想う。この人は悲しい人だ。

 

 

「そんな人が、弱い筈がない。そんな人の在り様が、弱いだなんて笑われて良い筈がない」

 

 

 キャロは想うのだ。この人はきっと、とても強い人なんだと。

 

 

「貴方は、強い人です」

 

「っ!」

 

 

 その慈愛に満ちた少女の笑みに、少年は激発した。

 当たり前の幸福の中で生きたであろう少女の決め付けに、奈落の底に足掻く少年は怒りを抑えられなかった。

 

 

「君に、何が分かると言うっ!!」

 

 

 もう路傍の石ではない。無価値だなどと断じられない。

 視界の中に入り込んだ少女は、無視出来ない程の存在感を示している。

 

 

「優しさだと、それが何の糧になるっ! 思い遣りなんて物に、一体何の価値があるっ! 僕が強いと言うならば、何故こんなにも無様を晒しているっ!!」

 

 

 その囀りが煩わしい。その笑顔が気に入らない。

 訳知り顔で語るその少女が、どうしようもなく不愉快だった。

 

 

「無関係な他人の君が、訳知り顔で語るなっ! 不愉快だっ!!」

 

「っ!?」

 

 

 激発した少年は、誰も反応出来ぬ一瞬で少女の首へと手を伸ばす。

 その大きな手で握り潰す様に、その小さな首を手に掛けようとする。

 

 抱えたモノも、敵対の危険もどうでも良い。この不快な少女を、一秒でも早く黙らせたい。

 

 

「っ! キャロ!」

 

「エリオ、貴様っ!!」

 

 

 ルーテシアとザフィーラが反応するが、もう遅い。

 一秒先には魔刃の腕が、少女の命を奪うであろう。

 

 そんな追い詰められた状況で――

 

 

「……待っ、て」

 

 

 それでも、少女は彼らの行動を手で止める。

 それでもキャロは、慈母の如くに微笑んでいた。

 

 

「大、丈夫。私は、大丈夫、だから」

 

 

 その小さき腕を、エリオの頬へと伸ばす。

 小さな掌で触れると、慰める様に優しく撫でた。

 

 

「何、をっ!?」

 

「泣いている。今、貴方は泣いている」

 

 

 泣いている様に見える赤毛の少年。

 接点なんて殆どない彼が、どうしてこんなにも気になるのだろうか。

 

 

「辛くて、苦痛で、それでも捨てられなくて」

 

 

 優しくて、悲しくて、寂しくて、強くて、そんな少年から目が離せない。

 迷い、怯えて、震えて、傷付いている。そんな彼に、何かをしてあげたいと思ってしまう。

 

 

「どうしたら良いのか迷っていて、自分でもどうして良いか分からなくなっている」

 

 

 これは一目惚れだろうか、ならば何と尻が軽い女であろう。

 これは側隠の情だろうか、ならば何と身勝手で恥知らずな女であろう。

 

 

「けど、それでも手にした物を大切に想える貴方は、確かに強いんです」

 

 

 嗚呼、それでも、抱いた想いは拭えない。

 確かに胸に宿る想いがあるから、戸惑う彼に優しく触れる。

 

 

「だから、その強さを忘れないで」

 

 

 貴方は強い。その事実を、忘れないで欲しい。

 

 

「だから、その優しさを否定しないで」

 

 

 貴方は優しい。その事実を、否定しないで欲しい。

 

 

「私、思うんです」

 

 

 喉を抑え付けられて、呼吸もままならない。

 そんな白む視界の中で、それでも少女は確かに伝える。

 

 

「大切な者があるなら」

 

 

 臆病で怖がりな少女だけれど、今この時だけは確かな意志で。

 そうでなくては、この悲しい人には伝わらないと感じたから。

 

 

「誰だって、憎むよりも愛したい。奪うよりも、守りたい」

 

 

 きっと、貴方は救われるのだと。

 

 

「誰かを本当に想う事が出来るなら、きっと分かり合える筈だって」

 

 

 慈母の笑みを宿した少女は、優しい瞳でそう口にした。

 

 

「…………」

 

 

 少年の手が離れる。圧し折ろうとした腕が止まる。

 その首を掴んだ腕から解放された少女は、蹲ったまま咳き込んだ。

 

 

「……綺麗事だ。君は憎悪を知らないから、そんな風に言える」

 

 

 蹲って咳き込む少女に、魔刃が口にするのはそんな言葉。

 己の心を揺さぶった少女の笑みを、否定する為に言葉を重ねる。

 

 

「憎むモノがあるか? 恨むモノがあるか? 絶望した事があるか?」

 

 

 そんな筈がない。そんな筈がない。そんな筈はない。

 

 憎悪を抱いて、こんな綺麗な言葉は言えない。

 恨むモノを残して、こんな綺麗な言葉は言えない。

 絶望を抱いたままで、綺麗事なんて言えてたまるものか。

 

 

「何もないと言うなら、お前の言葉は余りに軽いぞ」

 

 

 そんなエリオの突き放す様な言葉に、呼吸を整えたキャロは口にする。

 何とか少女を拒絶しようとしている少年に、彼女は己の全てを此処に明かす。

 

 

「……私は、ル・ルシエの里の生き残りだそうです」

 

 

 己の生い立ちを、抱える物を、己と言う存在を。

 彼と向き合う為に、己の全てを口に開いて言葉にする。

 

 

「たった一人だけの、生き残りだそうです」

 

 

 綺麗な事も、汚い事も、目を背けたい思い出も、その全てを届かせなければ彼に想いは伝わらない。

 

 だからキャロ・グランガイツは、残されたル・ルシエとしての想いを語った。

 

 

「アルザスに、滅ぼされるだけの悪行があった訳じゃない。ル・ルシエは、滅ぼされて当然な場所だった訳じゃない。……私の本当のお父さんとお母さんは、殺されて仕方がない人じゃなかった筈なんです」

 

 

 そこに、憎悪がない訳がない。そこに、怒りが湧かない訳がない。

 例え物心付く前の出来事だったとは言え、故郷が滅ぼされたと言う事実に何も感じない訳がない。

 

 

「奪った人を、憎む気持ちは確かにある。どうしてって、疑問だって沢山ある。復讐をするべきなんじゃないかって、そう思う気持ちだって確かにある」

 

 

 怒りは知っている。恨みの情は知っている。

 憎悪と言う感情は知っていて、或いは復讐は使命なのではと思わない事もない。

 

 

「けど、私はそれを望みません」

 

 

 それでも、少女は憎悪に身を委ねない。

 怒りも恨みも憎しみも、全てを乗り越えて笑っている。

 

 

「……何故、君は」

 

 

 何故なのか、そう問い掛ける少年の言葉。

 優しく微笑んだ少女が返すのは、彼女が憎むよりも大切だと思う事。

 

 

「私には、大切な人が居ます。大切な人達は、私の事を本当に大切にしてくれます」

 

 

 それは、過去よりも大切な今があるから。

 本当に大切にしたいと思える、優しい今が其処にあるから。

 

 

「多分、私が不幸になったら、皆が悲しみます。自惚れではなく、幸せになって欲しいと確かに想ってくれている。そんな愛されている実感があるんです」

 

 

 愛しい日々の大切さに、憎悪の想いは勝らない。

 奪われた物に対する痛みよりも、今ある人の想いを大切にしたいと感じるから。

 

 

「きっと大切な人達は、憎むよりも愛して欲しいと思っている。傷付けるよりも守って欲しいって、そう思っている筈です」

 

 

 それは或いは、過去を軽く見ていると言えるかも知れない。

 確かにキャロにとっては伝聞で、悪夢以上に心を動かす物がないから、その憎悪は軽いのだと言えるのかも知れない。

 

 それでも、確かに想う事は――

 

 

「私がその立場だったなら、そう思うから」

 

 

 自分が奪われる立場にあっても、大切な人には幸せになって欲しいと望む。

 愛しい日々を一緒に生きた人々が、怒りと憎悪に狂ってしまうのは悲しいと思うから、幸せになって欲しいと望むのだ。

 

 

「大切な人が、そう思ってくれるなら、きっと幸せにならないといけない」

 

 

 きっと、己を大切に想ってくれたであろう人は、そう思ってくれたと信じている。

 憎悪を晴らして欲しいと願うのではなく、幸せになって欲しいと願ってくれたと思うのだ。

 

 

「誰かに大切だと思われる人は、幸せになって良いんです」

 

 

 なら、そう想われた誰かには幸せになる権利がある。

 いや、そう思ってくれる誰かが居るなら、その人は幸せにならなくちゃいけないのだ。

 

 

「ならきっと、貴方も幸せになって良い。ううん。ならなくちゃ、いけない」

 

 

 それは目の前で泣いている、赤い髪の悪魔だって変わらない。

 きっと彼が大切に想った少女達は、同じく彼を大切に想っている筈だから。

 

 

「誰かを大切に想える貴方は、同じ様に誰かに大切に想われている筈だからっ!」

 

 

 だから貴方は、救われなくてはいけないのだ。

 そんな風にエリオを見詰めて、キャロは己の意志を此処に示した。

 

 

「ならばっ! この憎悪は何処へ行く!」

 

 

 だが、そんな言葉だけで、救われる程に魔刃の地獄は浅くない。

 彼が積み重ねて来たモノは余りにも多過ぎたから、幸せにならないといけないと言われても聞けないのだ。

 

 

「あったんだ! もう無価値にしてしまったけれど、確かにそこにあったんだ!!」

 

 

 奪った命がある。殺した命がある。

 無価値と蔑み、喰らってきた命が多くある。

 

 

「直向きに生きた命があった! 未来を信じた命があった! 当たり前の幸福を、無情に奪われた命があった!」

 

 

 彼らには可能性があった。彼らには愛するモノがあった。彼らには生きるだけの価値があった。

 その全てを奪ったのは、他ならぬエリオ・モンディアルと言う誰でもない怪物であった。

 

 

「直向きに生きた命を喰った! 未来を信じた命を喰った! 当たり前の幸福を信じた人々を、踏み躙って僕は此処に居る!」

 

 

 死んだ者は例外なく弱者。弱き者に価値はない。

 そう思う悪魔の在り様に、されど染み込む様に垂らされて異物が一つ。

 

 強くなる為に、彼らの生涯全てを追体験した。

 彼ら全員の人生を追体験した事で、その想いの全てを受け継いだ。

 

 

「ならば、彼らが抱いた憎悪は何処へ行く!!」

 

 

 故にこそ、エリオは無価値な筈な彼らを背負ってしまったのだ。

 無価値と蔑み、弱いと嘲笑いながらも、それでも確かに背負ってしまったのだ。

 

 

「……僕が果たさねば、その想いは何処へ行くのさ」

 

 

 自分が殺して喰らった糧の想いが、拭えぬ憎悪となって少年を縛っている。

 植え付けられた憎悪と複雑に絡み合って、その身を突き動かす原動力となってしまっている。

 

 

「本当に、貴方は優しい人ですね」

 

 

 そんな姿を優しいと、キャロは微笑んで口にした。

 

 

「憎悪を捨てられない。憎しみを乗り越える事が出来ない」

 

 

 どうせ他人。どうせ無価値と、踏み躙る事だって出来た筈だ。

 本当に彼が救いようのない悪魔なら、そうして全てを嘲笑っている筈であろう。

 

 

「けど、それで良いんです。きっと、それで良いんだと思います」

 

 

 それでも憎むのは、それでも恨むのは、それは彼が優しいからだ。

 無価値と断じ、弱さと蔑み、それでも捨てられないからこそ、エリオはまだ取返しが付くのであろう。

 

 

「憎んだままでも、救われてはいけない理由なんてない」

 

 

 憎悪を抱いていたら、救われてはいけないと言う道理はない。

 

 

「恨みを抱いたまま、それでも誰かを助けてはいけない理由なんてない」

 

 

 誰かを恨んでいる人間が、誰も守ってはいけないと言う理屈もない。

 

 

「憎いモノは憎い。嫌いなモノは嫌い。守りたいモノは守りたい」

 

 

 憎しみは拭えずとも、憎悪を乗り越える事が出来なくても、誰かを愛する事は出来るのだ。

 

 

「それで良い。それで良いんだって、私は想います」

 

 

 そんな少女に肯定されて、少年の表情が歪む。

 今にも泣きそうな顔で、悪魔は憎悪の叫びを上げた。

 

 

「僕は、憎悪を拭えない。……トーマが憎い。スカリエッティが憎い。ミッドチルダの全てが気に入らない!」

 

「拭う必要なんてない。辛いと思って、なら許せないのは当然です」

 

「なんでお前達は笑っている! なんでお前達だけ笑えている! 当たり前の幸福に踏み躙られて、何で僕らは奈落の底(ココ)に居るっ!!」

 

「それで良いんです。それでも良いんです。だって、それが貴方の全部じゃない」

 

 

 吐露する言葉に頷いて、キャロはエリオの傍へと近付く。

 泣き喚く少年の頭を両手に抱いて、優しくその頭を撫でる。

 

 

「この世界は、誰かの犠牲の上に立っている! こんな世界を守るために、誰が犠牲になったと思っている! 今を生きる人々に、犠牲になった人の分までも価値があるものかっ!!」

 

「許せなくて良い。許さなくても良い。憎んだままでも、恨んだままでも、それでも良い」

 

 

 慈母の様に優しい笑みを浮かべて、余りにも優し過ぎた悪魔を想う。

 その傷付いた心を癒す様に、疲れ果てた翼を癒す為に、少女は優しく言葉を告げた。

 

 

「僕は、トーマを許せない。きっとトーマも、僕を許さない」

 

「憎み合うのは悲しいけど、それでも良い。愛する心を持ち続ければ、それでも良いんだって、私は想います」

 

 

 それは少年にとって、初めての事だった。

 悪魔と罵られる事には慣れていても、抱きしめられるのは不慣れだった。

 

 

「だから、貴方は救われて良い筈です」

 

 

 だから、その言葉に心が動いた。

 救われて良いと言う慈母の許しに、救われたいと願ってしまった。

 

 泣きたい程に、逃げ出したい程に、救いを求めたい程に。

 微笑む少女の小さな身体は、今まで感じた何よりも優しい温かさに満ちていた。

 

 

「……無理、だよ」

 

 

 それでも、その優しさに溺れない。

 その救いに逃げ出す事が、彼には出来なかった。

 

 

「愛したいと願ったとして、その先なんて何処にもない」

 

 

 何故ならば、彼は知っているから。

 己には先などない。未来などない程に、詰んでしまっていると知っている。

 

 

「守りたいと祈った所で、この行く道の果てには破滅しかない」

 

 

 悪魔の王が勝てば、世界は滅ぶ。

 神の子が勝てば、当たり前の様に悪魔の王は消滅する。

 

 己は勝とうが負けようが、消滅を避けられない。

 そしてその先には、自分が愛した者など何も残らない。

 

 

「何れ滅びる。必ず滅ぼす。この身は悪魔の王だから、その道以外は選べない」

 

 

 だから無価値だと、己と言う存在は無価値なのだと断言する。

 そうと分かって、そうと知って、それでもこの道しか進めないから、己と言う存在は無価値なのである。

 

 

「何時か滅びるとしても、今を蔑ろにしてはいけない。何時かなくなるんだとしても、大切なら無価値だなんて言っちゃいけない」

 

 

 そんな彼に伝える言葉は、嘗て金髪の少女が消えゆく夢に語った言葉。それと同じ言葉を口にして、されど同時に否定する。

 

 

「それは多分、強い人だから言える事」

 

 

 何も見返りがなくても、大切ならば無価値にするな。

 全てが無くなってしまうとしても、それでも自分で台無しにしてはいけない。

 

 そんな言葉は、本当に強い人間にしか言えないであろう。

 

 

「無くなっちゃうって分かったら、消えちゃうんだって思ったら、大切だって思い続けるのは難しいんだって思います」

 

 

 少なくとも、キャロには無理だ。

 ゼストが、メガーヌが、ルーテシアが、大切な家族が居なくなるとして、それでも前を見続ける強さは彼女にない。

 

 キャロが強くあれるのは、大切な人と過ごす今があるから。

 エリオに強く伝えようとするのは、彼に救われて欲しいと思うから。

 

 

「私は知りません。貴方が何を知っているのか」

 

 

 キャロは知らない。渦中にいない彼女は、何も知らない。

 

 

「私は知りません。貴方が何に絶望しているのかを」

 

 

 世界の滅びも、トーマの役割も、エリオの役割も、キャロは何一つとして知りはしない。

 

 知ったとしても、出来る事はないだろう。何一つとして出来る事はない。

 キャロには特別な力も、特別な意志も、何一つとしてありはしないから。

 

 

「それでも」

 

 

 それでも少女の言葉は、彼を動かすには足りる。

 奈落の底で泣き叫ぶ悪魔を、救い上げる言葉になり得る。

 

 

「“もう僕たちは自由で、何時だって、何だって、望んだ事を望んだだけ出来るんだから”」

 

「……それは」

 

「気付きました? 貴方が言った言葉です」

 

 

 勝手に借りちゃいました、とはにかむ少女。

 そんな少女の笑顔に見惚れて、エリオは其処に光を見つけ出す。

 

 

「貴方が言った、とても素敵な言葉です」

 

 

 それは奈落の底に届いた光。

 絶望の底に居る魔刃に届けられた、優しい世界で生きる人の想い。

 

 世界に愛された人々の中で生きて、それでも魔刃を想える少女。

 彼女の存在こそが、全てが破綻に向かう世界の中で、確かな可能性を作り出す。

 

 

「きっと、出来ない事なんてない。きっと、成れないものなんてない。きっと、避けられない絶望なんてない」

 

 

 竜の巫女は、渦中にはいない。

 世界の滅びの只中にあって、彼女は中心となれるものを持つことはない。

 

 それでも彼女の言葉は、悪魔の王に道を示す。

 世界全てに呪われた魔刃に、救済への道を提示する。

 

 

「だって、私達は望めば、何にだって成れる。私達は信じ続ければ、何処にだって行けるんだから!」

 

「っ!?」

 

 

 その言葉は、エリオの言葉を捩ったモノ。

 独創性がある発言じゃなくて、保証なんて何処にもなくて、実現性など何もない。

 

 それでも、魔刃の心に刻み込まれた。

 だから、その言葉に心を揺り動かされて、エリオは初めて年相応な姿を見せる。

 

 

「フ、フフフ」

 

「え?」

 

「アハハ、アハハハハハハッ!」

 

 

 少女の腕を振り解いて、エリオは腹を押さえて笑う。

 余りにも可笑しいと、生まれて初めて笑い転げる程に笑った。

 

「ハハハ、アハハハハハハハハハハッ!!」

 

「あ、あの、何か変な事言っちゃいましたか!?」

 

 

 涙が出る程に、腹が痛くなる程に、呵々大笑と笑い続ける。

 そんな彼を見ながら、何か変な事を言ったかとキャロは戸惑う。

 

 

「いや、違うよ。……自分の馬鹿らしさに、笑ってしまっただけさ」

 

 

 そんな少女の姿に、更なる可笑しさを感じながら、エリオは語る。

 自分の愚かさ。そうなるしかないと決め付けていた、そんな愚かさを笑った。

 

 

「嗚呼、そうだ。何を勘違いしていたんだろう」

 

 

 そうだ。勘違いしていた。

 

 自分は悪魔の王にしかなれない。

 結局変わる事は出来ないと、そんな風に思っていた。

 

 

「悪魔の王にしかなれない? それこそ、ヤツが与えた枷に過ぎないじゃないか」

 

 

 それこそが勘違い。

 

 己にその役を課したのは、他ならぬジェイル・スカリエッティ。

 ならばその掌中から逃れた今、態々其処まで付き合う必要もないのである。

 

 そんな簡単な事に、言われるまで気付けなかった。

 そんな下らない事に悩んで、迷い続けていた事が馬鹿らしい。

 

 

「嗚呼、本当に、馬鹿らしい。僕は自分で言っておきながら、何よりも自分が一番信じられていなかった。……それだけの話じゃないか」

 

 

 そうとも、何処へだって行けるし、何だって出来るのだ。

 

 ならば悪魔の王になる必要なんてない。

 彼らの憎悪にも、その思惑を乗り越える事こそ最大の手向けとなろう。

 

 

「けど、もう見えた。もう決めた」

 

 

 願いを定める。己の進むべき道を、エリオは此処に見付け出した。

 

 

「何にだってなれる。何処へだって、行けると言うなら」

 

 

 何かが変わった訳ではない。現状はまるで何も変わっていない。それでもエリオは答えを見付けた。

 

 

「僕が生きるべき道。エリオ・モンディアルが望む道は、決まっている」

 

 

 大切だった。その想いを受け入れよう。

 守りたいのだ。その想いを認めて進もう。

 

 

「嗚呼、本当に。考えてみれば、単純な事じゃないか」

 

 

 結論は簡単な事。守りたいから守れば良い。

 守れないなら、その理由を変えてしまえば良い。

 

 進むべき道は唯一つ。目指すべき頂きは此処に見えた。

 だからエリオは優しく微笑んで、目を丸くしている少女に感謝を伝える。

 

 

「ありがとう」

 

「え?」

 

「ありがとう。君のお陰で、僕が進むべき道が見えた」

 

「わ、私は大した事はしてませんよ!?」

 

「いや、大した事さ。……少なくとも、僕にとってはね」

 

 

 彼女がそうしてくれた様に、その桃色の髪の毛を優しく撫でる。

 ありがとう。そう微笑む少年の表情は、まるで天使の様に和らいでいた。

 

 

「名前を、聞いていいかな?」

 

 

 優しく撫でた少女の名すら知らない事に、今更ながらに気付く。

 己にとっての最大の恩人。その名を知りたいと、エリオはキャロに問い掛けた。

 

 

「キャロ。キャロ・グランガイツです!」

 

「そうか、キャロ。……本当にありがとう」

 

 

 二人の家族に向ける情とは、少し違う感情を少女に抱く。

 

 それでも、この邂逅はこれで終わりだ。

 そう断じるが故に、エリオはキャロに背を向けた。

 

 

「行くんですか?」

 

「ああ、もう此処に居る理由はないからね」

 

 

 戦場の邂逅はこれで終わり。

 竜の巫女と悪魔の王は、決して同じ道を進めない。

 

 

「また、会えますか?」

 

「……いいや、もう会わない方が良い」

 

 

 名残惜しいと言う少女の声に、同じ情を抱きながらも少年は返す。

 

 

「僕は決めたから、次に会った時は敵同士で、敵に対しては容赦できない」

 

 

 選んだ道は、憎悪と愛を果たす為の道。

 この道を行く限り、エリオとキャロは必ずや敵対する。

 

 故に出会わない方が良いと、彼は寂しげに微笑んだ。

 

 

「それでも、……私はエリオ君とまた会いたいと思います」

 

「……エリオくん、か。全く、君は何というか」

 

「えっと、駄目ですか? こう呼ぶのが、一番しっくり来たんですけど」

 

「いいや、好きにすると良いよ。キャロ」

 

 

 だが、それでも彼女はまた会いたいと願った。

 そんな少女に敵わないなと苦笑して、エリオはその手に大切な家族を抱く。

 

 もしも出会い方が違えば、或いは彼女と。

 そんな風に夢想して、悪くはないなと微笑みを浮かべる。

 

 だが所詮は妄想だ。故にこの邂逅は、此処で終わる。

 

 

「……じゃあ、またね」

 

「はい。また会いましょう。エリオ君!」

 

 

 イクスとアギトを抱きしめて、エリオは奈落の底から去って行く。

 少しでも早く、少女達を安全圏へと連れ出す為に。もう手にしたモノを二度とは取り零さない様に。

 

 そんなエリオと再会の約束を交わして、キャロはその背を見送った。

 

 

 

 

 

2.

 そして崩壊する世界の中で、たった一人を救う為に青年は立つ。

 その背を見守るは三人。高町なのは。ゲンヤ・ナカジマ。ジェイル・スカリエッティ。

 

 

「さて、分かっているね。ユーノ君」

 

 

 声を掛けるスカリエッティ。

 彼が語るのは、現状の認識。トーマを止める為に、必要な一手だ。

 

 

「今のトーマは、エクリプスウイルスの暴走状態。先の対話とて、あれで打ち止めだ。これから先は、言葉が届かないと思い給え」

 

 

 再び暴走状態となった少年は、もうこちらを認識できない。

 自動防衛機構を起動している銀十字を破壊しない限り、トーマはもう止まれない。

 

 

「ゼロ・エクリプス。魔力を分解し、物体を解体する。この力に最も有効なのは、何か。君は知っている筈だ」

 

「……覚えていますよ。他でもない、クイントさんが見つけ出したんですから」

 

 

 ユーノの言葉に、ゲンヤが瞼を伏せる。彼らの脳裏に映るのは、嘗てトーマが暴走した日の光景。

 あの日、命と引き換えにトーマを止めたクイントが、見つけ出したエクリプスが持つ最大の欠点。

 

 

 

 エクリプス最大の弱点とは何か。魔力の結合を分断し、魔力素に返した上で吸収するエクリプス。

 その力の性質上、より結合力が強い物質に対して、分断の力は働き難くなる。物質として強固な物程、エクリプスは分解に時間が掛かるのだ。

 

 魔法よりも質量兵器が通りやすいのは、その構成する魔力にそれを維持しようとする力が働くから。

 だが、その質量兵器よりも通りやすいモノがある。何よりもゼロが解体しにくいモノとは、間違いなく――

 

 

「意志を持った人間。魂を持った人間こそが、一番解体されにくい」

 

「然り、一点に収束しなければ、ゼロ・エクリプスは人間を解体する事が出来ない。生身の人間がその領域に入り込む事こそ、あれを攻略する唯一つの回答だ」

 

 

 あの白い力場の中に、生身で入り込む事。

 己を襲う解体の力場に耐えて、その手を届かせる事。

 

 それこそが、唯一無二の解決手段。

 

 

「だがその代償は、大きいぞ。あの日、クイントが致命傷を受けた様に。エクリプスの領域に生身で立ち入る事は、間違いなく自殺行為だ」

 

 

 高町なのはが息を飲む。

 ゲンヤ・ナカジマが目を伏せる。

 ジェイル・スカリエッティは笑っている。

 

 そしてユーノ・スクライアは、迷わない。

 

 

「だったら、やっぱり。一秒でも短く、一瞬でも先へ、ただ一撃で決めるしかないですね」

 

 

 それが答え。トーマを救う、唯一つの回答。

 クイント・ナカジマが嘗て達成した、たった一つの解決策。

 

 ならば、彼女の弟子として、彼の師として、その生き様をなぞるだけだ。

 

 

「まあ、そう言うだろうと思っていたよ」

 

 

 所詮は現状の認識にしかならない。そんな事実だけで、揺らぐ程にユーノは弱くない。

 だから青年は空で震える教え子を見上げて、背に負った巨大な盾を大地に下した。

 

 そうして、飛び立とうと心に決めて――

 

「待って、それならっ!」

 

 

 それを高町なのはが阻んでいた。

 

 

「なのは」

 

 

 青年は女の名を呼ぶ。向き合った彼女は、切羽詰まった表情を見せていた。

 分かっている。気付いているのだ。魂が同化し掛けているが故に、高町なのはにはユーノの現状が確かに分かっていた。

 

 ユーノ・スクライアの身体は完治していない。

 所か、以前よりも遥かに酷い。どうして動いていられるかも分からないのが現状だった。

 

 

 

 眠るユーノにスカリエッティが施した施術。それは治療と呼ぶのも烏滸がましい愚行である。

 この狂人は眠る青年の身体を切り拓いて、機能を停止していた臓器を取り除き、中身を入れ替えただけなのだ。

 

 生きていないが死にもしない。それが先のユーノの状態。再演開幕が繋いだ命。

 その性質。何をしても死なないと言う状態を利用して、スカリエッティは無理矢理に動ける身体を作り上げた。

 肉体を継ぎ接ぎし、この有り様でも動ける様に繋ぎ足し、死んでいる部分を抜いて生きてる部分だけを身体に残した。

 

 まるでフランケンシュタインの怪物だ。動く部分しかないから、今此処に動けているだけ。それが今のユーノ・スクライア。

 

 その魂は歪みに汚染されていて、その肉体は継ぎ接ぎだらけで、呼吸をするだけでも苦痛であろう。

 それでも揺るがず、大地を踏み締めて前を進み続ける青年。彼は教え子を救う為に、その有り様で死地に乗り込もうとしていたのだ。

 

 

「ユーノ君じゃなくて、私がっ! 私の方が――」

 

 

 それが分かって、なのはは止めようと言葉を紡ぐ。

 其処には確かな打算も一つ。強固に保とうとする意志がエクリプスの弱点ならば、唯人の彼より異能者である自分の方が相応しいと。

 

 

「それじゃ、駄目なんだよ。嬢ちゃん」

 

「ゲンヤさん?」

 

 

 そんな少女の言葉を遮ったのは、今も苦しむ少年の父親だった。

 なのはと同じくらいに歯がゆさを抱えているであろうその男は、自分達では出来ない理由を此処に語る。

 

 

「俺達じゃ駄目だ。俺じゃあ辿り着けなくて、嬢ちゃんじゃ伝わらないんだよ」

 

「……伝わらない?」

 

 

 辿り着けない。その意味は分かる。

 今は小康状態となっているが、一度近付けばまた降り注ぐであろう光の雨。

 高町なのはでも接近が難しい今のトーマに、後方指揮ばかりで鍛錬を怠っていたゲンヤが届かないと言う理由は分かった。

 

 だが伝わらない。それが分からず問い掛ける。

 そんななのはの疑問の声に、白衣の科学者は笑いながらに答えを返した。

 

 

「エクリプスの領域に生身で立ち入り、暴走状態を維持する銀十字を破壊する。それでトーマは止まるだろう」

 

 

 トーマを止める方法は簡単だ。暴走する少年の恐怖に反応して、自己防衛機能を発揮している銀十字。それを壊せば彼は止まる。

 

 

「だが誰でも良いと言う訳ではない。トーマは確かに暴走していて、それは銀十字だけが理由じゃない」

 

 

 だが、それだけでは意味がない。否、それだけでは終わらない。

 

 トーマが暴走している理由は、己の抱いた恐怖が故。内側から浸食する神の記憶に恐怖して、だからトーマは暴走している。

 仮に銀十字を破壊したとしても、それだけではトーマは帰って来れない。恐怖に震えて再び暴走するか、或いは神に今度こそ飲まれて消えるだろう。

 

 それを望まないと、そう言うならば――

 

 

「あの子自身の意志の発露を強要する。大切な人間をあの子の手で、傷付けさせる事で思考を意図的に誘導するのさ」

 

 

 それがスカリエッティの狙いだ。自分を救おうとした人が、自分の所為で傷付く姿。

 銀十字を破壊した瞬間にそれを刺激して、神の記憶に向かい合おうとする意志を固めさせるのである。

 

 だからこそ、高町なのはではダメなのだ。

 誰かと同一視されている誰かではなくて、神の記憶にはいない人に救わせる必要があるのだ。

 

 

「トーマにとって大切な人間が、真正面から全力で向き合う必要があるんだとよ。アイツの心を傷付けて、それで其処から救い出す。……嬢ちゃんは其処まで近くねぇ。んで俺は、アイツの前に立てるだけの力がねぇのさ」

 

「全力で、向き合う。助ける為に、傷付ける」

 

 

 トーマは傷付くだろう。だがその傷こそが立ち向かう為に必要となる。

 ユーノは傷付くだろう。それでもその傷こそが、確かな絆を示す物となる。

 

 全力全開で向き合って、相手の為に傷付け合う。それこそが此処に必要な答えであった。

 

 

「ああ、そうだ。私はそれを、してこなかった」

 

 

 高町なのはは思う。自分は傷付けてきたのであろうかと。

 少なくとも自分は教え子(ティアナ)に対して、ユーノとトーマ程に踏み込んだ事など一度もない。

 

 傷付く事は恐れずとも、傷付ける事を恐れていた。

 無理をさせれば折れてしまうからと、相手を慮るその感情。それは確かに大切な物だが、そんな感情を抱いていては本気で向き合えない。

 

 心の何処かで対等だとは思ってなかったから、其処で踏み込むのを止めていた。

 傷付けてしまうから、折れてしまうからと踏み込む事を恐れていて、それで何故本気で向き合えていると言えるのか。

 

 

「ああ、そうさ。俺もそいつをしてこなかった」

 

 

 そんななのはに同意する様に、ゲンヤも己の過ちと口にする。

 クイントが死んだあの日から、彼は何処かトーマに対し壁を作っていたのかもしれないと。

 嫌った訳じゃない。憎んだ訳じゃない。けど傷付けない為に、仕事を理由に疎遠となっていたのかも知れないのだ。

 

 だからスカリエッティがユーノを選んだのは、仕事ばかりで不摂生していた身体の不自由さだけが理由ではない。

 それだけならば運動不足の中年と瀕死の青年のどっちがマシかなど断言出来ず、だから彼が救いにいけないのはそんな愚かさが故なのだろう。

 

 

「そのツケをテメェの子供世代に支払わせるのは業腹だがな、それしか出来ねぇのが現状なのよ」

 

 

 歯がゆく思う。情けないと思う。

 それでも今はどうしようもないから、我が子の如き年の若者に全てを託す。

 

 

「だから、頼むぜユーノ。援護しか出来ねぇ駄目親父に代わって、家のガキを頼むわ」

 

「ええ、勿論です」

 

 

 そんな男の言葉に頷きで返して、ユーノは巨大な盾を起動する。

 それはライディングボードをベースに改造した魔導兵器ナンバーズ。

 

 

「ナンバーズ起動! モードウェンディ! エリアルレイヴ!!」

 

 

 カートリッジが消費され、ライディングボードが飛翔する。

 大きく跳び上がったボードに乗って、ユーノ・スクライアは空に飛んだ。

 

 

 

 トーマの赤い瞳が、周囲を見回す。ユーノの接近を理解する。

 銀十字が静かに輝き、防衛機構が再起動する。溢れ出す白い力場の中、無数の光線が宙を焼いた。

 

 

「ちぃっ!!」

 

 

 遥か後方から翡翠の輝きと、装甲車両から放たれる質量兵器群。その支援を受けながら、ユーノは前へと進んで行く。

 ライディングボードで飛翔しながら近付く彼は、しかしその限界に舌打ちしていた。

 

 白い力場は解体の力場。長く留まれば、己の身体が分解されていく。支援砲撃だけでは無くならない。

 このままエリアルレイヴを続けても、速度が足りない。トーマの下に辿り着く前に、己とライディングボードの双方が解体されると理解した。

 

 

「エリアルレイヴ解除!」

 

 

 故に、機能を停止する。トーマの頭上を陣取って、エリアルレイヴを解除した。

 

 

「ナンバーズ。モードオットー。レイストーム!」

 

 

 そしてこちらへと向かってくる光を、同じく光弾にて迎撃する。

 相殺は出来ないが、減衰ならば可能である。破壊の雨に力をぶつけて、道を開く事は出来るのだ。

 

 ならばそれで十分。

 

 

「レイストーム解除! ナンバーズ。モードトーレ。ライドインパルス!」

 

 

 更にカートリッジを消費して、起動するのは高速移動。

 頭上から真下へと、空いた隙間を超音速で突撃する。

 

 

「っっっ!!」

 

 

 真面な守りはない。身体がバラバラになりそうな痛みがする。

 スーツの下に着込んだ機械駆動の強化服。それだけが音の壁に対する命綱。

 

 

「来ないでっ!」

 

〈キエロ〉

 

 

 二重に伝わる子供の声。瞠目したトーマの周囲に集った光が、ユーノを消そうとその牙を剥く。

 迫る分解と簒奪の光。そして音の壁にぶつかり傷付きながら、それでもユーノは立ち止まりはしない。

 

 その必要がないと、もう分かっている。

 

 

「免職覚悟で持ち出した怪物だ。貫けぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 ゲンヤが構えた巨大な銃。血肉を喰らいて放つのは、管理局に押収されていたプロトタイプスチールイーター。

 

 

「合わせますっ! スターライト、ブレイカーー!!」

 

 

 杖を構えたなのはが、ゲンヤの隣で魔力を集めて翡翠の光を此処に撃ち放つ。

 虚偽と真実の星光。二つの破壊が簒奪の光を振り払って、其処にユーノが進む道を生み出した。

 

 そしてユーノはその瞬間を、決して見逃すことがない。

 

 

「おぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 

 血反吐を吐きながら、落下する身体で力を行使する。

 超加速でライドインパルスに変わって発動する力は、師である彼女の十八番。

 

 

「ナンバーズ。モードノーヴェ! ブレイクライナー!」

 

 

 翼の道が繋がれる。それは少年へと届く空への翼。

 一歩を踏み込む。今にも崩れ落ちそうな身体で、確かな一歩を踏み込んだ。

 

 

「これで、届かせる。この一撃で、君を助ける」

 

 

 神速。圧倒的な速度で、道を蹴り上げる。

 飛び出した状態で、全身から力を抜いて、脱力したままに放つのはその系譜に受け継がれた力。

 

 

「これが、僕らが受け継いだ! あの人の拳だ!!」

 

 

 だが、相手も唯黙っているだけではない。

 銀十字が白く輝き、向かってくるユーノを撃墜せんとディバイドゼロを撃ち放つ。

 

 

「っ!? ユーノ君っ!!」

 

「くそっ! 間に合わねぇっ!!」

 

 

 迫る相対速度と力の充填速度。この瞬間には間に合わせられない。

 だから危ないと、だから止まってと、そんな周囲の声に従う事なくユーノは更に加速した。

 

 

「オォォォォォォォォォッ!!」

 

 

 躱せない。これを躱せば、次の一撃は打ち込めない。

 防げない。ユーノの持つ力の中に、これを防ぐ術はない。

 

 どの道傷付くと決めたのだ。傷付けて傷付いて、それでも救うと決めたのだ。故に、彼が選んだ選択は――

 

 

繋がれぬ拳(アンチェイン・ナックル)!!」

 

 

 その白い光を受けて尚、拳を振り抜く事。

 右腕に全てを解体する力を浴びながら、ユーノはそれでも拳を振り抜いた。

 

 

 

 そして、その一撃が刻まれる。

 カートリッジの魔力を纏った拳が空を飛んで、銀十字は砕かれた。

 

 書の頁がバラバラと散って崩れ落ちる。

 壊れた書に囚われていた意識は、此処に舞い戻る。

 

 トーマは泣きそうな瞳で、必ず助けると語った師の姿を見た。

 

 

「先、生」

 

 

 涙で滲んだ蒼い瞳が、その姿を捉える。

 全身に解体の光を浴びて、ボロボロになったその姿。

 

 抱きしめる青年の胸元で、少年は静かに涙を零す。

 

 

「先生、僕は」

 

「もう良い。もう大丈夫だから」

 

「けど、先生の腕が!?」

 

 

 ディバイドゼロの直撃を受けた部位が、残らずに消え去っている。

 ユーノ・スクライアは右肩から先、右腕の全部位を完全に失っていた。

 

 

「気にしなくて良い。先生は、そんなに柔に見えるかい?」

 

 

 その笑みが、母に重なる。

 あの日、己が傷付けた母に、力強い笑みが重なるのだ。

 

 

「僕は」

 

「取り敢えず、さ。……お帰り、トーマ」

 

「先、生ぃ」

 

 

 何も変われていない。そんな風に、少年は涙を零す。だから変わりたいのだと、此処で確かにそう思った。

 泣き喚く中で、溢れ出す想いが塗り潰す記憶を上回る。この一瞬は恐怖よりも悲しさと無力さが上回って、だから変わりたいと思ったのだ。

 

 少年は此処に傷付いた。傷付けたと言う傷を得た。

 だからその傷に報いる為に、変わろうと心に決めるだろう。立ち向かうと誓うのだろう。

 

 きっとその意志が、神の記憶に打ち勝つ為の一助となる。

 此処から先には手を貸せないと、そう分かってユーノは優しく抱き締めた。

 

 残った片手で髪を梳く。優しく撫でる青年は、この先には関われない。

 神に立ち向かえるのは、トーマだけ。これから先も自分を保つ為に、きっと彼は苦しみ続けるだろう。

 

 だから今だけは、安心させる様にと頭を撫でた。

 お帰りと言葉を呟いて、今にも途切れそうな意識を保って微笑むのだった。

 

 

 

 かくして、ここに地獄が一番近い日は終わる。

 

 女は自身の為すべきを理解して、少女は絶望の中に居る。

 戻って来た青年はより深く傷付き、同じく傷付いた少年は立ち向かう理由を得た。

 

 そして、彼は――

 

 

 

 

 

3.

 胸に宿るこの熱が、初めて大切だと思えたモノ。

 守りたいと心に誓った。この温かな者を守り抜く為に、進むべき道は定まった。

 

 

「至れる筈だ。きっと、なれる筈だ」

 

 

 それは無意識に、無理だと決め付けていた事。

 絶対に不可能だと、目指す前から諦めていた事。

 

 それでも、今ならば言える。

 決して不可能なんかじゃないと。

 

 その道を進めば、全ては解決する。

 エリオは胸に抱えた憎悪を晴らして、その上で大切なモノを守り抜ける。

 

 不可能ではない。

 決して不可能ではない。

 

 それは確かに目指せる場所なのだから。

 それは確かに其処にある道なのだから。

 

 

「トーマ」

 

 

 冷たい風が吹き抜ける中、空で師に抱きしめられた宿敵を見詰める。その彼の無様な姿に眉を顰めて、エリオは此処に宣言する。

 

 

「その席は貰うぞ。その先を奪うぞ。神座は僕が貰い受ける」

 

 

 要らないんだろう。お前は人で居たいんだろう。

 

 ならば寄越せ。その道を譲れ。その座を渡せ。

 必要だ。必要なのだ。守る為に、救う為に、この温かさの為だけに。

 

 そう。この僕こそが――

 

 

「僕が、新たな世界の神になる」

 

 

 新世界を紡ぐ神となろう。

 

 神と神を殺せる者に、違いなどありはしない。

 少なくとも力と言う一点において、全能の神を殺せるならば神殺しもまた全能なのだ。

 

 ならば其処にある違いは唯一点、それは願いの違いのみ。

 それが誰かの為(ハドウ)の願いなのか、それとも己の為(グドウ)の願いなのか、神殺しと神の違いなどそれだけしかない。

 

 願いは変えられる。想いは変えられる。

 この手に抱いた熱を大切だと思えるならば、この身は覇道の神へと至れる。

 

 悪魔の王は愛する命を救う為に、そして己の憎悪を晴らす為に、全能の神になると決意したのだ。

 

 

「僕たちは何にだって成れるし、何処にだって行けるのだから」

 

 

 少女の言葉が、胸に炎を燃やす。

 腕に抱いた二人の体温が、目指すべき頂きへ向かう想いを強くする。

 

 誰かを愛する事を知った今、もうエリオは悪魔の枠に囚われない。

 既に行く道を定めた魔刃は、新世界を求め始めている。

 

 

「また会おう。トーマ」

 

 

 これより先の戦いは、悪魔と神の子の戦いではない。

 

 神座を求める者と神座に至れる者の争い。

 神の座を心より欲する少年と、神になるしかない少年の争い。

 

 即ち、神座闘争である。

 

 

 

 

 




エリオ君覚醒イベント終了。
以降、神座を目指すエリオ君は、一切ぶれない鉄心キャラと化します。


そして、身体は継ぎ接ぎだらけ。
魔力汚染によって魂はボロボロ。
そしてエクリプスで遂に右腕を失くしたユーノ君。

彼の明日はどっちだ!?


※20170123 全面改訂。


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第十六話 少年の祈りと女の決断

お待たせしました。ほぼ半年ぶりの最新話です。
大幅改訂だとか、なろうでオリジナル書いたりとか、リアルが罅割れていたりして更新が遅れました。

今後は個人的な都合でのんびりペースになりますが、更新再開となるのでまたお付き合い下さい。


推奨BGM
1.若き槍騎士~Theme of Erio~(リリカルなのは)


1.

 黒い影が躍る。黒い影が躍る。雷光を思わせる速度で、蒼き槍が命を刈り取る。

 違法な施設に逃げ惑う人の群れ。邪魔と断じて切り捨てる赤毛の槍騎士は、その黒き鎧を血で染め上げる。

 

 抱き締めたのは、荒い呼吸を続ける少女。イクスヴェリアは今にも死にそうで、時間がないから手段は選べない。

 奪う命。邪魔だから奪い去る。逃げる命。追う暇もないから放置する。急げ、急げ、急げ。内なる衝動に突き動かされる様に、失わぬ為に鋼鉄の道を直走る。

 

 

〈それで? どうするんだい相棒(エリオ)

 

 

 内側から問い掛けるのは、彼に宿った悪魔の声。

 これからどうするのかと言う問い掛けは、この今の行動に対する問いではない。

 

 違法な施設。此処は無限蛇の根城の一つ。

 逃げ惑う人々。彼らは皆、表に出れない犯罪者達。

 

 理解が出来ない。訳が分からない。どうして味方である筈の魔刃が牙を剥いたのか。

 

 訳が分からぬと逃げ惑う。殺さないでと命乞いをする。そんな下等な犯罪者の群れを踏み躙る。

 そんな脆弱な構成員たちを薙ぎ払いながら、エリオは僅かたりとも足を止めずに問いを投げ返した。

 

 

「何の話だ。ナハト」

 

〈何、単純な確認事項だよ。エリオ〉

 

 

 内なる悪魔の言葉は確認事項。先に誓ったエリオの宣言に対し、投げ掛ける問いはそれである。

 

 

〈君は弱い。その魂は脆弱だ。継ぎ接ぎだらけの君が生きていられる理由。それを忘れた訳ではないだろう?〉

 

 

 エリオ・モンディアルは弱い。だがそれは、純粋な力量や精神性の話ではない。

 

 今のエリオには魔刃の力を使わずして、魔法と体術だけで拾等級の歪み者にも勝るだけの力がある。

 其処に最強の悪魔が力を貸せば、それこそ夜都賀波岐の両翼を除いて彼を止められる存在などこの世の何処にも居ないだろう。

 

 だがそれでも弱い。その力でも心でもなく、その魂が弱いのだ。

 

 

「そうだね。僕は弱い。この魂は脆弱だ。お前の様な寄生虫が居なければ、生きていられない程に曖昧だよ」

 

〈そうとも、君は無数の魂の集合体。だがそれを統括する程の自我を持たない。故に俺と言う悪魔の存在にその生を依存している。悪魔がいなければ生きていられないか弱いモノだ〉

 

 

 それも当然、エリオ・モンディアルは所詮クローンだ。Fの技術で複製された肉体に、オリジナルの魂が宿っただけの子供であった。

 そしてその自我が確立されるよりも前に、父母の魂を混ぜたのだ。その自我が明確な物となる前に、二十万を超える人の魂を混ぜ込んだのだ。

 

 魂を統合する自我もなく、ただ膨大なだけの力の塊。それが辛うじて人の振りをしていられるのは、内なる悪魔が居るからに他ならない。

 ナハト=ベリアルが消え去れば、エリオはそれだけで死ぬだろう。己だけで己自身を維持できず、他に生殺与奪を握られた彼の魂がどうして強いと言えようか。

 

 太極に至れるだけの力を持ちながら、それでもエリオは流れ出せない。

 それはその魂を統制出来ていないから、悪魔が居なければ死ぬ程に弱く脆い生き物だから。

 

 それでも――

 

 

「だが、強くなれない理由もない」

 

〈ほう〉

 

 

 何時までもそうであると言う理屈はない。

 何時までもそうでなくてはいけないと言う理由はない。

 

 この今に前に進むと決めた少年は、確かに一歩を踏み出したのだ。

 

 

「流れ出すぞ。僕は。必ずや、流れ出す」

 

〈力だけなら既に至り掛けているのに、その弱く儚い自我故に無形太極にすら至れない。そんなお前が、それでもそう語るのか〉

 

「語るさ。そう決めたのだから、そう語るのさ」

 

〈なるほど〉

 

 

 此処に意志は決めた。此処に決意は決めた。後に必要となるのは純粋なる格だ。

 魂の総量ではなく、明確な自己の格。己自身を磨き上げ、さすれば至ると分かっている。

 

 だからエリオはそう断じて、だからナハトはまた一つを問うた。

 

 

〈だが仮にお前が流れ出せたとしてだ、それでも一つ問題は残るぞ〉

 

 

 槍を振り回しながら、違法施設を駆け抜けるエリオ。

 命を奪い続ける若き槍騎士に投げ掛ける問題点は、流れ出せた後にある。

 

 

〈今も人の命を奪う。そんな君が本当に、愛する者が幸福に生きられる世界を作れるとでも思っているのかい?〉

 

 

 逃げ惑う犯罪者達。その動きが遅いから、それだけの理由でエリオは奪う。

 元より蜥蜴の尻尾として用意されていた構成員達に、一片たりとも価値を見出してはいない。

 

 そんな無情の魔刃が、どうして慈愛の神へと成れようか。

 

 

〈だとすれば愚かしいぞ。エリオ。お前は殺す事しか出来ない。お前には奪う事しか出来ない。だって他に知らないだろう?〉

 

 

 成れる筈がない。成れる訳がない。エリオ・モンディアルは他には知らない。

 

 

〈与える事を知らずして、一体何を与えると言う。恵む事を知らずして、一体何を恵むと言う。幸福の形を知らずして、どうして幸福を生み出せると言う〉

 

 

 当たり前の幸福を知らない。機械越しにしか見た事がない。

 現実感など何もなく、唯憎悪が込み上げるだけの光景。そんな物を心の底から、どうして目指そうと思えるか。

 

 

「……そうだね。お前の言う通りだ。ナハト」

 

 

 覇道神とは、己の法則を強要する存在だ。己の内にある価値観で、世界を定義する存在だ。だから覇道の神は、己の内にある物しか示せない。

 

 

「無価値な命に意味はない。弱者は奪われ、強者が手にする。それが世の道理であって、この思考は揺るがない」

 

 

 流れ出せたとして、その価値観は拭えない。流れ出そうと思って、その価値観は変わらない。

 そんな物ではないのだ。そんな取って付けた様な物では本心は変わらず、心の底から思わねば流れ出す事など出来はしない。

 

 

「弱さも含めて全てが救われる。遍く全てに降り注ぐべき光など、生み出せる物か。そんな気持ち悪い物、理解すら出来ないよ」

 

〈ふむ。結構。自分を良く分かっているじゃないか〉

 

 

 結局エリオはそうなのだ。魔刃の思考はそれなのだ。

 悪魔を宿し、泥の中で足掻き続けた少年は、それ以外など語れない。それ以外など示せない。

 

 だから流れ出す世界の色など、既に此処に決まっている。

 

 

〈その上で問おう。君はどんな世界を目指す?〉

 

「知れた事。強者が得て、弱者が失う世界だ」

 

 

 弱肉強食。優勝劣敗。行尸走肉。

 強き者が全てを手にして、弱き者は無価値と蔑まれる世界。

 

 

「それしか浮かばない。それしか作れない。それでも其処に、異なる理屈を強要するとするならば――」

 

 

 エリオにはそれしか目指せない。エリオにはそれしか作れない。エリオではそれは変えられない。

 だから其処に付け加える。だからその上に積み上げる。此処に一つの理を、世の道理の上に突き立てるのだ。

 

 

「弱さは罪だ。強くなれ。弱者は無価値だ。強くなれ」

 

 

 それは一つの強迫観念。強さを目指す一つの衝動。

 

 

「もっと先へ。もっと先へ。もっと先へ! 他者を蹴落とし、踏み躙り、奪い取って強くなれっ!!」

 

 

 始まりが底辺でも、上を目指せば覆せる世界。

 始まりが遥か高みでも、僅かにでも怠れば覆される世界。

 

 努力が必ず結実する世界。誰もが必ず強くなれる世界。より上を、より高みを、奪い合うは悪魔の論理。

 

 

「守りたいなら強くなれ! 失いたくないなら強くなれ! 貫き通したいなら強くなれ!!」

 

 

 弱さは罪。与える思考はそれである。

 守りたいなら強くなれ。強要する法則はそれである。

 

 誰もが強くなる為に、常に競い合うその世界。それこそ悪魔が齎す共食地獄。

 

 

「敵から逃げるな! 背を向けるな! 目を背けた瞬間に、その全てが無価値になると知るが良い!!」

 

 

 殺す。殺す。殺す。殺す。傷付け切り裂き踏み潰す。

 魔刃と言う怪物から逃げる犯罪者達を見下して、エリオは只管に唯一点を目指し続ける。

 

 駆け抜ける魔刃はもう止まらない。足踏みする事はない。前にだけ進むと心に誓った。

 

 

「この今に必要なのは、“新世界を語る超越者(Also sprach Zarathustra)”じゃない! 誰しもの胸に宿った“力への意志(wille zur macht)”こそがっ! この先に進む為に必要な物だっ!!」

 

 

 強くなると言う意志を、誰もが心に刻んだ世界。

 高みを目指し続ける人しかいない。完全なる競争社会。

 

 其れこそが、エリオが流れ出させると決めた法則。

 彼の抱いた渇望と彼の抱える常識。その二つに相反しない、彼が目指せる理想の天だ。

 

 

〈ククク、クハハハハ〉

 

 

 嗤う。嗤う嗤う嗤う。悪魔が高らかに嗤っている。心底から楽しいと、その悪魔は嗤っていた。

 

 

〈良いのか? エリオ。地獄になるぞ〉

 

「分かっている」

 

 

 誰もが上を目指すなら、其処には必ず対立が生まれる。

 それを魂レベルで強要されたと言うならば、その世界は悍ましい程に争いが続く世となろう。

 

 

〈競い合う地獄だ。奪い合う地獄だ。人が共食いする最低の世界が生まれるぞ?〉

 

「分かっていると、言ってるだろうっ!」

 

 

 そんな事は分かっている。悪魔に言われずともに分かっている。

 生まれ落ちるは地獄と分かって目指す少年を、無価値な悪魔は嗤い見下す。

 

 

「地獄になると分かっている。それでも――」

 

 

 それでも其処に、悪魔の埒外にある言葉が入り込む。

 ナハトにとっては不純物にしか過ぎないそれは、それでもエリオの心に深く刻まれた少女の想い。

 

 

――その強さを忘れないで。

 

 

 桃色の髪をした優しい人が、エリオにそう言葉を掛けた。

 だから弱肉強食の地獄と言う理は、少しだけ違う色をこの場に見せる。

 

 

「その強さを忘れない。その根源たる想いを、決して忘れず繋いで行く」

 

 

 忘れない。忘れる物か。その言葉、未来永劫那由他の果てでも忘れない。

 

 

――その優しさを否定しないで。

 

 

 誰もが強くなる世界。誰もが強くなろうとする世界。そんな世界に、それでも一片の光があるとするならそれだ。

 優しく微笑む竜の巫女が、確かな想いと共に伝えた言葉。その言葉が救いのない悪魔の地獄を、ほんの僅かに変えるのだ。

 

 

「誰よりも強くなって、それでも誰かを想えたならば――」

 

 

 強くなっても、忘れない。高みにあっても、大切な物を抱き締められる。

 強者が弱者を喰らうだけではなくて、強者が弱者を心の底から愛せたならば――

 

 

「それはきっと、遍く全てに降り注ぐ光にはならなくても――荒野に一輪の花を咲かせる。その程度の輝きにはなるんだ!」

 

 

 それはきっと、ほんの僅かな救いになる筈なのだ。

 だからエリオは目指すと決めた。それがエリオの目指す至高の(ソラ)だ。

 

 

 

 そして彼は辿り着く。目的地と定めたその場所に。

 片手を封じて、懐に愛する者の一人を抱いて、それ程に枷を背負ってなお間に合った。

 

 

「イクス」

 

 

 優しく抱いた少女を寝かせて、少年は其処に栽培されている物へと手を伸ばす。

 水耕栽培された無数の植物。彼が掴み取るのはそれではなく、その植物を育てている赤い水。

 

 臭い立つ水を手に掬い上げ、異臭を異に介さずに口に含んだ。

 舌を抉る様な強烈な味は鉄のそれ。この場に溜まった赤い水は、ある人物の血液だった。

 

 血を吸い育った植物が、グラトニーと呼ばれる薬の材料となる。

 この血を素材とした液体こそが、エリキシルと呼ばれる麻薬の正体。

 

 即ち、魔群クアットロ=ベルゼバブの血液だ。

 

 飲み干せば悪魔に乗っ取られる。そんな偽りの霊薬。

 それを躊躇いもせず口に含んだエリオは、そのままイクスの下へと歩み寄る。

 

 そうして少女を抱き抱えると、彼は口移しにその血潮を流し込んだ。

 

 

「分かっているな。クアットロ。今度は逃げるな」

 

 

 血を飲み干させて、優しく少女の髪を撫でながらにエリオは告げる。

 内に宿ったクアットロにだけ殺意を向けて、エリオは悪魔に命令した。

 

 

「イクスを生かせ。イクスを守れ。もう二度と、僕のイクスを傷付けるな」

 

 

 彼がこの地を目指した理由。それは此処が、クアットロの予備を作る為の生産場だったからだ。

 肉体的に生きられないイクスヴェリアと言う少女。彼女を生かす方法が他に浮かばなかった。だから悪魔を利用すると決めたのだ。

 

 予め気付かれれば、魔刃を恐れるクアットロは逃れる為にこの施設を破壊しただろう。

 そしてイクスの時間切れとなる。だからそれを避ける為だけに、此処にエリオは無限蛇の構成員を焼いたのだ。

 

 

「破れば地の果てまでも追い詰めて、お前と言う存在を焼き尽くそう」

 

 

 それ程の本気。それ程の執心。それ程の意志。それは確かに、イクスの内に宿ったクアットロに伝わった。

 だから魔刃を恐れる魔群は少女を生かす。イクスヴェリアを生かす為だけに不死の霊薬は効果を発揮し、健康な色を取り戻していく少女の姿にエリオは安堵の息を吐いた。

 

 そして魔群に釘を刺したエリオは、返す刀で魔刃に対して釘を刺す。

 

 

「お前もだ。寄生虫(ナハト)。住まわせてやっているんだ。精々僕の役に立て」

 

〈おやおや、命を繋ぐだけでは足りないと言うのかね。このご主人様は〉

 

「足りないさ。足りてない。お前の力、使わせて貰うぞ。誰でもない悪魔」

 

〈はいはい。仰せのままにさ。俺の相棒(マインマイマスター)

 

 

 ニヤニヤと嗤う悪魔の声。愉しげなその様子に、エリオは眉を顰める。

 悪魔たちを利用する。そう決めた少年は、その内面が分かって平然と首肯した悪魔を警戒した。

 

 

「……何を企んでいる」

 

 

 魔刃を恐れる魔群は分かり易い。決して怒りを買わぬ様にと、怯え続ける小物である。

 だがこの悪魔は分からない。ナハト=ベリアルは一方的にエリオを殺せると言うのに、なのに支配しようとする意志を喜び受け入れている。

 

 ここぞと言う場面で、また裏切り嘲弄する心算なのか。

 そう訝しむエリオに対し、ナハトは愉しそうに嗤いながら言葉を返した。

 

 

〈企みなど、そんな大仰な物はない〉

 

 

 企みなどはない、とは言えない。だが真実、ナハトはその企みを破られても良いと思っている。

 何れ来る失楽園の日。其処に至る前にエリオが流れ出したなら、それでも良いとさえ感じているのだ。

 

 それは唯一つの感情故に。その感情は即ち、膨大な量の好意である。

 

 

〈その不純物こそ気に入らんがね。お前の願いは好ましい。お前自身も好ましい。だから手を貸す。それだけの話しさ〉

 

 

 誰でもない悪魔は、この少年を好ましいと思っている。

 大切な玩具。替えのない贄。とてもとても素晴らしいと、心の底から愛している。

 

 人の想念から生まれた悪魔は、悪魔らしいやり方で彼に好意を向けているのだ。

 それは歪な愛情。気狂い悪魔の好意。それを抱いた内なる悪魔は、だからそれで良いのだと嗤っていた。

 

 

「ふん。抜かせ。気狂い悪魔」

 

 

 そんな悪魔の想いに反吐を吐き捨てながら、エリオはどうでも良いかと言葉を紡ぐ。

 

 

「お前が何を企んでいようと知った事か。僕は目指すぞ。僕は至るぞ。僕は流れ出すぞ」

 

 

 悪魔が何を企んでいようと関係ない。

 彼が最悪の場面で裏切ろうと、それすら道の内だと受け入れる。

 

 目指すのだ。至るのだ。抱きしめた二つの熱を守る為に、前に進むと決めたのだ。

 

 

「僕は僕の意志で座を目指す。これこそが、僕の掲げる“力への意志(wille zur macht)”だっ!!」

 

 

 渇望は此処に定まった。願う世界はもう見えた。後は唯進むだけ。

 力への意志を胸に抱えた若き槍騎士は、大切な者を抱きしめたままに新たな一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

2.

 白い布のカーテンと、白いベッドが並ぶ場所。機動六課の医療区画。その一室に、三人の人物が集っている。

 

 一人はジェイル・スカリエッティ。此処にある患者の処置をした人物だ。

 もう一人は高町なのは。歓喜と不安の涙に揺れる女の瞳は、愛する男を映している。

 

 そして最後の一人。ユーノ・スクライアの右腕には、黒く輝く鋼鉄が存在していた。

 

 

「調子はどうだい? 君の要望通り、一切の魔法を使用していない機械仕掛けの義手だ」

 

「ええ、良い感じです。素手と比べれば重いですが、この程度なら誤差も少ないでしょう」

 

 

 その機械仕掛けの右腕。鋼鉄の義手は失った腕の代用に。

 クローン培養した人体ではなく、機械仕掛けの腕を作った。

 

 そこには当然、確かな理由が存在する。

 

 

「エクリプスに取り込まれた腕は、しかし失われた訳ではない」

 

「まだ此処にあるから、生身を付けても異常が出る。魂が拒絶してしまう。でしたね」

 

 

 それが理由だ。ユーノの腕が戻らずに、義手を必要とした理由。

 

 トーマの分解の本質は物質の移動であって、消失ではないのだ。

 だからこそ欠落してしまったその腕は、しかし魂の域では失っていないと認識してしまっている。

 

 その為生身の手は付けられない。付けても違和感が強く働き、魂が拒絶してしまうと言う問題が生じるのだ。

 

 だから其処に付けられるのは、偽りの物に限られる。

 魔法文明が発達したこの世界において、本来ならば嘗ての聖王オリヴィエの様に、魔法駆動の義手を付けるのが最も相応しい選択だっただろう。

 

 それでも、ユーノは完全な機械式を望んだ。

 生体との融合も、魔法の流用も望まず、唯純粋な鉄の塊だけを求めた。

 

 それを望んだ理由は一つ。そう選んだ理由は一つ。

 彼は未だ諦めていないのだ。だからこの鋼鉄の腕を、自ら望んで手にしたのだった。

 

 

「でも……これでまた、アイツと戦えます」

 

「天魔・宿儺か」

 

 

 鋼鉄の腕(ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン)を求めたのは、再び挑むと言う意志があるから。

 次は負けないと、己しか戦えないのだと、そう知るが故に魔法の力を内から排した。より高い性能が目指せると分かって、それでもユーノは鋼鉄の手を選んだのだ。

 

 

「だがあの太極に、今の君が耐えられるとは限らないよ」

 

「ええ、それは分かってます」

 

 

 ユーノは既に死に体だ。なのはの力が生かしている、生きた屍に近いその身体。

 それがあらゆる異能を否定する地獄の中にあって、生きていられるとは限らない。

 

 もしかしたら即死するかも知れないし、生き残っても真面目に生きていないと断じられる可能性も確かにある。

 状況は悪化した。相性が良いとは言えない。最悪の可能性を考えれば、ユーノが戦うのは何処までも悪手だ。

 

 

「それでも、勝ち目が高いのは僕だけ――いいえ、それは言い訳ですね」

 

 

 それでも、戦うと決めた。それでも倒すと心に決めた。

 己が打ち勝つのだと、あの日に諦めた子供の夢を取り戻した。

 

 

「頭に来たんですよ。あの子に勝手な期待をして、好き勝手に引っ掻き回して」

 

 

 理由は単純だ。教え子に過度な期待を掛けて、引っ掻き回された事への苛立ち。

 過去に繋いだ関係性に、積もりに積もった恨みもあって、その上同じ条件下で負けた事が気に入らない。

 

 

「勝ちたいと久しぶりに思った。気に入らないと、心の底から再認した。だから、僕が戦いたいんです」

 

 

 だから、勝ちたいと思った。だから、勝とうと心に決めた。

 勝率だとか勝算だとかは投げ捨てて、愚かにも自分こそが勝ちたいと思ったのだ。

 

 一度死んだのだ。だから馬鹿になろうと決めた。

 愚かな行為であると分かって、それでもまた戦うと決めたのだ。

 

 

「らしくない、ですかね?」

 

「まぁ、良いんじゃないかな。共感できるよ。その勝ちたいと言う感情にはね」

 

 

 何処か恥ずかしそうに苦笑するユーノに、スカリエッティは共感できると頷いた。

 元より彼の求道とて、発端は神々への対抗心。下らぬ男の意地が素であればこそ、同じ馬鹿を好ましいと感じるのだ。

 

 

「だがそれよりも今は、先に決着を付けないといけない事があるんじゃないかな?」

 

 

 そんなスカリエッティは、ニヤニヤと笑みを浮かべたままに問い掛ける。

 

 その視線が向く先に、佇んでいるのは高町なのは。

 腕を失くして今も苦しむ青年に、何と言った物かと彼女は惑っていた。

 

 

「ユーノ君」

 

「なのは」

 

 

 呼び掛ける声。名前を呼んで、なのはは近付く。

 そんな彼女の名を呼び返し、ユーノはその眼でなのはを見た。

 

 

「その、私は――」

 

「ありがとう」

 

「ユーノ君?」

 

 

 謝罪をしよう。そんななのはの言葉に先んじて、ユーノが感謝を口にする。

 何に対する感謝なのか、訳が分からないと首を傾げるなのはにユーノは語る。

 

 

「身体が痛い。呼吸が上手く出来なくて今も苦しい。気持ち悪くて、血反吐を吐きそうだ」

 

 

 それはユーノ・スクライアの現状。今後死ぬまで付いて回るであろう身体の異常。

 その元凶となった女は済まなそうに顔を下向け、しかしそんな女にそれだけではないのだとユーノは伝える。

 

 

「でも、それでも、伝わって来てる」

 

 

 流れてくるのは、魂を汚染する力だけではない。

 繋いだ心を通して感じるのは、身体を苦しめ続ける毒素だけではない。

 

 いいや、それは言葉として正しくない。

 同じ物。毒素ももう一つのそれも、根本的には同じ物である。

 

 

「君が、僕を大切に想う感情。死なないでと言う切なる祈り。それが確かに、伝わって来てるんだ」

 

 

 それは女の情念だ。失いたくない、死なないで、そんな女の情念だ。

 呪いの如く己を苛み、今も血肉と精神を犯すその情念。それに苦しめられながら、それでもユーノは此処に微笑む。

 

 

「好きな人に愛されて、嬉しくない筈がない。大切だと縋られて、嬉しくない筈がない。それに――同じくらいに僕は君を愛している」

 

 

 女の想いは酷く重い。男の身体を壊す程に、それは余りに重過ぎる。

 それでも愛しているからこそ、その愛を受け入れられるのだと青年は此処に語った。

 

 

「君が愛してくれた程には、僕は君を愛している。君が失いたくないと想うくらいには、僕だって君との日々を失いたくないって思ってる」

 

 

 だから、感謝は其処に。

 ユーノが語るありがとうは、其処にこそ存在する。

 

 

「だから、ありがとう。僕にまた、君と会える時間をくれて」

 

「ユーノ君。私、私――」

 

「だから、ありがとう。僕はまだ、君と一緒に居られる」

 

 

 大粒の涙を零し始めた女を抱き寄せて、ユーノは生身の左手でその栗毛を撫でる。

 この今に彼女と生きていられる。ならばどれ程に苦しく厳しい場所であっても、彼にとっては地獄になどなりはしない。

 

 

「大好きだよ。なのは」

 

 

 だから、その想いを伝えるのだ。

 その想いが伝わったからこそ、高町なのはは年甲斐もなく涙を零し続けるのだった。

 

 

 

 

 

3.

 白いベッドに腰掛けるユーノと、彼に抱きしめられたなのは。

 冷たい筈の鋼鉄の腕に温もりを感じながら、なのはは彼に言葉を伝える。

 

 

「あのね。一つだけ、決めた事があるの」

 

 

 それは心に決めた事。戻ったら為そうと決めた事。彼とその教え子を見て、高町なのはが決めた事。

 

 

「ユーノ君とトーマ君を見て、確かに決めた事があるんだ」

 

「何だい? なのは」

 

 

 胸に顔を付けたまま、見上げるなのはは確かに語る。

 抱き合う青年から強さを貰って、向き合う意思を此処に定めていた。

 

 

「私も、向き合おうと思う」

 

 

 向き合う相手は決まっている。それは誰より明白だ。

 ユーノがトーマと向き合ったのならば、なのはが見るべきなのは一人しかいないのだ。

 

 ティアナ・L・ハラオウン。恋人にとってのトーマと同じく、己にとっての教え子である少女。

 

 

「私も、傷付いて、傷付けて来ようと思う」

 

 

 彼女を傷付けようと此処に決めた。本気で向き合おうと此処に決めた。だからなのはは宣言する。

 

 

「その先に折れてしまっても、それが私の役目だって想うから」

 

 

 その先に心が折れても、もう二度と立ち上がれなくなっても、それでも貫くのが役割だ。そう彼女は自認する。

 

 

「間違ってるかな。この想い」

 

「そうだね。……どうだろう?」

 

 

 果たして、その想いは正しいのか。或いは独善の押し付けではなかろうか。

 気遣うと言うのは当然の対応で、苦しんでいるからこそ手を差し伸べるべきで、其処で傷付け合うのは正しいのか。

 

 それが分からず、不安気に見上げる栗毛の女。

 抱きしめる男は微笑むままに、高町なのはに問い掛ける。

 

 

「でも、間違っていてもやるんだろう?」

 

「うん。やると決めた。だから、ユーノ君みたいに、先生として胸を誇れる様な人になってくる」

 

 

 間違っていてもやるのだろう。正しくなくてもやるのだろう。失敗するとしてもやるのだろう。

 何も為さずに諦めない。何も為せずに居られない。だから正しいと信じられずとも、必要だと信じて向き合うのだ。

 

 

「ん。ユーノ君成分補充完了」

 

 

 その為に、高町なのはは立ち上がる。

 その背中に、ユーノ・スクライアは応援する様な言葉を投げ掛けた。

 

 

「それじゃ、行ってくるね」

 

「ああ、待ってるよ」

 

 

 その結果が、どうなるかなんて分からない。だが状況は確かに変わるだろう。

 向き合う結果として折れるのか、向き合う結果として立ち上がれるのか、それは誰にも分からないから――信じて唯貫くのだ。

 

 

 

 

 

 寄宿舎の一室。任務地より戻ったティアナは、膝を抱えて蹲っていた。

 暗い部屋の中、何をするでもなく閉じこもっている。膝を抱える少女は未だ、あの日の景色を見詰めている。

 

 何か為せる筈だった。それで変われる筈だった。なのに一番大切な場面で、ティアナは盛大に失敗した。

 一発の誤射とそれが生んだ世界の崩壊。其処に自責を抱いた少女は、諦めた様な瞳で此処に閉じ籠っていた。

 

 そんな引き籠る少女の扉を、此処に開け放つ女が現れる。

 

 

「ティアナ」

 

 

 扉から差し込む光。逆光に照らされる表情は見えない。

 いいや光がなくとも、ティアナには見れなかったであろう。彼女は下を向いたままで居たのだから。

 

 

「……なのはさん。私」

 

 

 呟く様に、その名を口にする。

 立ち上がれない少女は、言い訳をする様に言葉を紡ぐ。

 

 

「違う。私、あんなこと。あんな心算じゃ」

 

 

 違う。違う。違うのだ。

 自分が求めたのは、あの景色じゃない。この今ではない。もっと違う物だった。

 

 だから自分の所為ではないと、自分でも信用できない言葉を紡ぐ。

 そんな風に口を開いて出る言葉は本心ではなく、心の底では自責の末に諦めている。

 

 

「なのに、どうして、私」

 

 

 そう。諦めた。ティアナはもう何も出来ないと、濁った瞳で諦めている。

 この今にまで続いた苦痛は、先に受けた失敗の衝撃は、この少女の心を圧し折るには十分過ぎたのだ。

 

 

「こんなの、違う。こんな筈じゃなかった。もっと、私は――」

 

 

 誰も聞いていない言い訳を続けるその姿。

 誰にも責められていないと言うのに、心の自傷を続けるその姿。

 

 哀れみを誘うその姿に、しかし高町なのはは揺らがない。表情筋を動かさずに、震える子供に対して命令した。

 

 

「デバイスを取りなさい」

 

「なのは、さん?」

 

 

 分からない。分からない。何を言っているのか分からない。

 困惑して見上げたティアナの視線に、映り込む師は冷たい表情を張り付けて此処に告げる。

 

 

「クロスミラージュを手にして、立ち上がりなさい」

 

 

 それは既に傷だらけの少女を、更に傷付けようと言う選択。

 それは既に心が折れた少女を、更に圧し折ろうとする選択。

 

 本気で向き合うと決めたから、其処に甘えは一切入らない。

 無理矢理にでも立ち上がらせる為にこそ、高町なのはは此処に来たのだ。

 

 

「師匠としての命令――今日は優しくしないから」

 

 

 優しさなどは此処にない。甘さなどはあり得ない。

 そんな物、今のこの少女の為にはならないから捨ててしまう。

 

 

「死にたくなければ、死ぬ気で来なさい」

 

 

 今此処で立ち上がれないと言うならば、もう二度と杖を握れぬ程に痛めつける。

 此処で諦めて腐っていくのが幸福ならば、悔いも残せぬ程に完膚なきまでに可能性を叩き折る。

 

 

 

 そう決めたなのはは、己と戦えとティアナに命じるのであった。

 

 

 

 

 




次回、管理局の白い魔王降臨。
君はティアナの死を其処に見る。


  n   ∧_∧  n
 (ヨ( *´∀`) E) < 嘘です(多分)




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第十七話 願い、二人で

隔週か月一と言ったな。騙して悪いがアレは嘘だ。

……予想より早く書けたので投下です。


推奨BGM
2.Odi et Amo(Dies irae)
3.To The Real(リリカルなのは)


1.

 大地を焼き払う翡翠の光。頭上に広がる青空を、染め上げるは魔法の力。

 脳内で魔術式を作り上げ、言葉と共にデバイスへと魔力を流す。受け取った人工知能が最適化を行って、此処に奇跡の力を具現する。

 其れが魔法のプロセスで、誰しもが当たり前にやっている事。この高みに立つ女とて変わらない。やっている事は単純作業の積み重ね。

 

 だがしかし、確かに違う事がある。彼女と他の有象無象を分ける由縁。それは一重に量の違いだ。

 同時展開される術式量。流される魔力の量。マルチタスクの桁が外れていて、故に高町なのはは至高の魔導師。

 

 誰しもが知っている単純な魔法が、しかし誰しもに理解出来ない規模にある。

 故にこそ彼女こそが頂点だ。こと魔法と言う分野に限定すれば、横に並び立つ者など居はしない。

 

 

「レイジングハート」

 

〈All right. Short buster〉

 

 

 黄金の杖に指示を出し、振り払うだけで放たれる翡翠の砲撃。射程と威力を犠牲にした速射砲が、唯一振りで七を超える。

 溢れ出す光の圧倒的な数と速度。心折れている少女は回避する事も出来ず、まるで木の葉の様に吹き飛ばされては痛みに震えた。

 

 

「っ、ぁ……」

 

 

 二度、三度。バウンドしながらに傷付いていくティアナ・L・ハラオウン。

 そのデバイスを握る両手に力はなく、その何も見てない瞳に意志はなく、今の彼女には何もない。

 

 大地を舐めて、非殺傷の痛みに震えて、頭に過るのは反発心ではなく淀んだ思考。

 

 

(どうして、こうなったの?)

 

 

 分からない。分からない。分からない。答えの見えない問いにぶつかり、逃げるでもなく思考に耽る。

 

 エースオブエースを前にして、そんな思考に耽るのは間違いなく愚行であろう。

 長く続いた師弟関係故にそれを確かに理解して、今の少女がしているのは打破する為の思索ではなく唯の現実逃避。

 

 ティアナ・L・ハラオウンは諦めている。少女はもう当の昔に折れていた。

 だから嵐が過ぎるのを隠れて待つ子供の様に、震えて目を背けて立ち上がらない。

 

 だが、そんな無様な姿を前にして、立ち止まる甘さは女にない。

 

 

「寝ていたら助かる。頭を抱えて隠れていれば助かる。そんな道理は、何処にもないよ」

 

 

 倒れて立ち上がろうともしないティアナの下へ、ゆっくりと白い影が近付いていく。

 ゆらりと揺れて腕を動かし、掴んだ杖を少女に向ける。そして高町なのはは、黄金の杖を少女の顔に突き付けた。

 

 その先端へと集まる光。其処に加減など、ありはしない。

 

 

〈Excellion Buster Accelerate Charge System〉

 

 

 それはエクセリオンバスターの零距離使用。使用者ですら傷付く高火力砲撃を、一切の躊躇もなく発動させた。

 そして噴き上がる翡翠の輝き。非殺傷である事など救いにもならぬ痛みを受けて、ティアナの意識はブラックアウトに程近付く。

 

 

「――ぁ、っ」

 

 

 また倒れて、また倒されて――ここで気絶が出来ていたら、それこそ楽な結果であろう。

 だが故にこそ、意識の喪失などは許されない。高町なのはと言う女は、絶妙な加減で痛みだけを齎すのだ。

 

 

(痛、い)

 

 

 震える程に痛い。苦しい程に痛い。全身が酷く傷付いている。

 

 揺らぐ視界で見上げた先、地面に降り立っているのは白き影。

 一歩ずつ、一歩ずつ。ゆっくりと迫る高町なのは。倒れるティアナを見ても顔色一つ変えない姿は、まるで悪魔か何かの様にしか映らなかった。

 

 

(何、これ……訳、分かんない)

 

 

 ティアナには、今の現状すら理解出来ていない。

 何でこんなに痛いのか、何でこんなに痛めつけられているのか、それが全く分からない。

 

 デバイスを取れと命令されて、連れて来られたのはこの訓練所。

 其処で有無を言わさぬままに戦闘を強要されて、抗う意志すら見せないティアナはさながらサンドバック。

 

 魔法の的として打ち抜かれ続けて、当然何をするのかと問い掛けた。

 しかし討たれ続けるその標的が何を抗弁したとしても、高町なのはは止まらない。その手が振るう度に生まれる痛みは、積み重ねる様に増え続ける。

 

 

(痛いのは、嫌)

 

 

 言葉も聞かず、唯只管に杖を振るう。そんな女を前に、抱いた感情はそれだけだ。

 

 敵意は抱けない。憎悪も抱けない。反感だって抱けやしない。

 感じたのは痛みへの恐怖。ゆらりとゆっくり近付くなのはの姿に、唯只管に恐怖した。

 

 

(痛いのは、嫌。もう、嫌なの)

 

 

 結局はそれだけだ。それだけしか心にない。

 だから五体が動くティアナは、近付くなのはから逃れようと手足を動かす。

 

 一歩。近付いて来る影に悲鳴を上げて、上手く立ち上がれないままに身を捩る。

 二歩。牛歩の様に歩むその姿に震えながらに、見っとも無く背中を向けた。

 三歩。歩き続けている女に無防備な背中を晒したまま、恥も外聞もなく走り出した。

 

 必死な感情に、疲労している身体が付いて来ない。

 走り出すと同時にこけて転んで、擦り剝きながらにそれでも逃げる。

 

 怖かった。怖かった。怖かった。

 其処に戦士の誇りはなく、唯々あるは惰弱な姿。そんな見っとも無い姿を、冷たい瞳で見詰めながらに――

 

 

「……逃げ回るだけ? 抗う意志すら、もうないの?」

 

 

 高町なのはは、そう問い掛けた。

 

 返る答えはない。返せる言葉なんてない。

 唯必死に恐怖を遠ざけようとする今の少女に、冷たい表情を張り付けたままなのはは告げた。

 

 

「なら、潰れなさい。……今のティアナは、六課(ココ)に要らない」

 

 

 そして、展開される魔法陣。数える事も億劫になる程、大量な数の攻撃魔法。

 翡翠の雨に身体を撃ち抜かれながら、地面に倒れ込むティアナ。その身体は痛みに震えていた。

 

 

「――っ」

 

 

 痛かった。痛かった。身体が痛いのは当然で、だがそれ以上にその言葉は痛かった。

 身体に感じる痛みに恐怖し折れた少女にとっても、その冷たい言葉は耐えがたい程に辛い痛みだったのだ。

 

 

(どうして)

 

 

 ティアナはずっと夢見ていた。憧れていたのだ。その背中に。

 

 

――遺失物管理部機動六課。これから新設される新たな部隊。

 

 

 だからあの日、認められた気がした。

 ずっと憧れていた己の師に、自分自身を認められたと内心では歓喜していた。

 

 

――私は其処のフォアード部隊に、二人を招きたいって考えてる。ううん。違うね。私達には君達二人が必要なんだ。

 

 

 必要とされた。必要だと言われた。――でも今は、不要だと断じられた。

 震える心は身体よりも強く痛んで、それでも立ち上がる原動力になってはくれない。

 

 折れている。圧し折れている。ならば奮い立つ物など何もない。

 言葉が伴う痛みに震えるティアナ。その姿を見詰めながらも、しかし高町なのはは容赦しない。

 

 黄金の杖を一振りして、此処に魔法の力を行使する。

 横凪ぎに払った杖の先端から、放射されるはディバインバスター。

 広範囲を焼き払う翡翠の輝きは、非殺傷設定とは言え、当たれば痛いでは済まないだろう。

 

 それでもティアナは躱せない。躱す為に、立ち上がろうとも思えなかった。

 

 

――決めるのは貴方達。そのまま今の部隊に居ても構わない。

 

 

 決めたのは、ティアナ自身だ。彼女がそうと決めて、彼女がこうと決めて、その決断の果ての結果として今がある。

 翡翠の光に薙ぎ払われて、大地をバウンドしながらに擦り剥けていくこの今。擦り傷から血を流しながら、それでもティアナは何もしない。

 

 何かを為そうとして、空回りを続けた結果が今なのだ。

 そうと分かって、そうと理解して、だからティアナは立ち上がれない。

 

 

――けど、その手を伸ばしてくれるなら、絶対に後悔させないって約束する。確かな価値があるんだって、それを示して見せる。

 

 

 嘘吐きだ。誰も彼もが嘘ばかり。そんな風に誰かへ責任転嫁する。そんな自分の弱さすらも気に入らない。

 だけど変われない。変わりたいと思って失敗したからこそ、もう変われないと諦めている。その心はもう折れている。

 

 だから――

 

 

――だから、一緒に来てくれるかな?

 

 

 だから――

 

 

「もう、()だ」

 

 

 此処までされても、ティアナは立ち上がろうとも思えない。

 師が浮かべているであろう蔑みの色を見る事すら怖くて、顔を見上げる事すら出来ていない。

 

 

「もう、()だよ」

 

 

 地面に倒れたままに、立ち上がろうともせずに口にする。

 怖いモノから目を逸らす様に、ティアナは顔を地面に押し付けた。

 

 

「逃げるな。ティアナ・L・ハラオウン」

 

 

 だが、その逃避すらも許されない。その翡翠の輝きは、蹲ろうとする少女すらも逃がさない。

 

 白い衣を纏った女の背に浮かぶのは、無数の特殊誘導弾。

 非殺傷の魔法でありながら、これは痛みを与える事に特化した魔法。

 怪我を負わせず、痛みだけを感じさせる。そんな捕虜の拷問用に生み出されたその魔法。

 

 それを使う事に、躊躇いはない。必要ならば、躊躇わない。

 

 

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 当たる。当たる。当たる。躱そうともせず、防ごうともしないのだから必ず当たる。

 激しい苦痛に悲鳴を上げてのたうち回る少女の身体を足で固定して、高町なのはは同じ魔法を使い続ける。

 

 一二三四五六七八九――あっという間に増えていく被弾数は、すぐさま数えきれない程になる。

 二桁三桁を超えて四桁に、繰り返される痛みの中で足掻く少女は、苦痛に叫ぶ事しか出来ていない。

 

 意識が霞んでいく。その度に苦痛が無理矢理引き戻す。

 意識がブラックアウトする。その度に激痛によって気付けをされる。

 

 そんな苦痛の繰り返し。終わらない激痛の輪舞。それを与えるその女は、冷たい声で問い掛ける。

 

 

「これで御終い?」

 

 

 これで御終いか。そう問うているその言葉。

 痛みの余りに退行を始めた少女は、嫌々と首を振るしか出来ていない。

 

 これで御終いだ。だからもう許して欲しい。

 そう懇願する感情に満たされて、だがそれを口にする余裕も与えて貰えない。

 

 繰り返される。繰り返される。その痛みはもう唯の拷問だ。

 

 

「もう何も出来ない?」

 

 

 問い掛ける。問い掛けて来る。高町なのはは、一体何を期待している。

 答えられない。答えられる筈もない。ティアナ・L・ハラオウンは立ち上がれない。

 

 出来ないのだ。彼女には出来ないのだ。ティアナには最初から無理だったのだ。

 所詮ティアナ・L・ハラオウンは凡人だ。魔法の才はそこそこあっても、天賦の域には届かない。怪物の領域には至れない。最初から無理だったのだと、もう既に諦めている。

 

 

「貴女が願ったその夢は、もう諦めてしまったの?」

 

「ゆ、め」

 

 

 夢と問われて、嗚呼何だったかと疑問に思う。それすら問わねばならぬ程に、既に意識の外にあった。

 

 

――ランスターの弾丸を、見せる。それだけが、全部。

 

 

 最初にあったのは、そんな感情だった。

 亡き兄の無念を晴らそうと、その力は無価値ではなかったのだと示そうと、だからそれが生きる意味だと思っていた。

 

 

――よろしくなっ! 相棒!!

 

 

 何時しか、傍に彼が居た。気に入らないアイツが居るのが当たり前になっていて、アイツの足を引っ張る事だけは嫌だった。

 だから無念を晴らすだけしかなかった人生で、認められたいと言う感情を自覚した。友として、朋として、共にある。唯それだけでは嫌だったのだ。

 

 

――結局、貴女にとって大切なのは自分だけ。兄の願いなんて、本当はどうでも良いんでしょう? 結局、貴女は何も見ていない。

 

 

 けれど最初の願いすらも、承認欲求に過ぎなかったのだと指摘される。

 ティアナはその言葉に対し、何一つとして言い返せない。だってそれは事実だから。

 

 兄に認められたい。義兄に認められたい。師に認められたい。相棒に認められたい。それだけだった。結局それだけだったのだ。

 

 そんな浅ましい想い。それを通す為に無茶をして、結果として破滅の引き金を其処に引いた。

 

 

――嫌なモノ、全部! 怖いモノ、全部! 消えろぉぉぉぉぉぉっ!!

 

 

 壊れていく世界の光景。それを生んだのはティアナの魔弾だ。

 失われていく世界の光景。その地獄が生まれ掛けたのは、間違いなくティアナが切っ掛けだ。

 

 もしもあの場所で、その阻止の為に動けていれば少しは何か変わっただろう。

 だが現実としてティアナは衝撃の余り何も出来ずに居て、覚悟を決める前に問題は全て解決してしまった。

 

 だから――

 

 

「そんなの、もう見えない」

 

 

 もう見えないのだ。もうその眼には、何一つとして映らない。

 

 結局彼女がやった事は被害を増やしただけ。やろうとした事はそれだけで、手にした物は何もない。

 失う物しかない現実を前にして、ティアナはもう何をしようとも思えない。それで立ち上がれる程に、彼女は強く在れはしない。

 

 橙色の少女は立ち上がれずに、大地に仰向けになって顔を両腕で隠した。

 

 

「……前にも言ったよね。ティアナには、才能が余りない」

 

 

 そんなティアナの姿を見詰めながら、高町なのはは口にする。其処に優しい嘘などなくて、語られるのは全て事実だ。

 

 

「魔導師として、指揮官として優秀だよ。だけど優秀止まりであって、無条件でそれ以上に行ける程じゃない」

 

 

 ティアナ・L・ハラオウンは特別などではない。

 空の高みで輝ける様な星ではない。確かに誰かより秀でているが、それでも特別と見比べれば大きく劣る。

 

 少女は地星だ。地上の星だ。高みに行けない泥塗れの星。

 中途半端なその才能を、高町なのははそう断じる。己と同じく、彼女と同じく、羽搏けていない星なのだ。

 

 

「足が遅いなら、足を止めちゃいけない。空の星を目指すなら、飛び続けないと追い付けない。私達は底に居るから、そうでないと追い付けない」

 

 

 だから、立ち上がって欲しいと願っている。

 だから、この暴挙を前に反発して欲しいと思っている。

 

 そんな思考に瞳は揺れて、だがティアナはそれに気付かない。

 気付けないのだ。気付く筈がない。前を見る事を止めた少女に、分かり易い変化であっても見える筈がない。

 

 

「心が折れたら、それで御終い。意志が折れたら、それで御終い。だから前を向き続けて、それでもと意地を張らないと――」

 

 

 だから、何をしても変わらない。だから、何をしても伝わらない。それが分かって、それでも女は未だ此処に望んでいた。

 

 

「無茶をするな。なんて言えないよ。他でもない、私が一番無茶をしてきた」

 

 

 まだ無茶が出来ると、そう立ち上がってくれる事を期待している。

 それでももう無茶が出来ないと言うなら、幕を引くのはなのはの役目。

 

 

「無理をするな。なんて言えないよ。他でもない、私自身が無理をしてるって分かってる」

 

 

 まだ無理が出来ると、そう言ってくれる事を期待していた。

 それでももう立ち上がれないと言うなら、終わりを与えるのは師の役目。

 

 

「それでもね。我武者羅に前に進むだけじゃ駄目。道を見て歩かないと、結局道に迷っちゃう。だから、無茶をするなら、やり方があるんだ」

 

 

 誰よりも無茶をしてきた女は、故にこそ得た答えを此処に示す。

 誰よりも無茶をしてきた女だからこそ、未だ先に行けるのだと伝えたい。

 

 

「ティアナがまだ立てるなら、それを教えるよ」

 

 

 同じ様な思いを抱いて、同じ様に前を目指して、だからまだ歩けるのだと。

 

 

「それで立ち上がれたなら、ティアナはまだ此処に必要だって言えるんだ」

 

 

 また必要だと言いたいのだと、後悔はさせたくないのだと、そう確かに願っている。

 

 

「だから、もう一度聞くね。――これで終わり? ティアナは此処で御終いなの?」

 

 

 だけど、もしもこれでも駄目ならば――終わらせるのはなのはの役目だ。

 そんな身勝手な覚悟を胸に抱いて、高町なのははティアナ・L・ハラオウンへと問い掛けた。

 

 

 

 だがしかし、高町なのはは一つ勘違いを此処にしている。だからこの問い掛けは、当然の如く失敗する。

 

 

「……もう、無理」

 

「本当に、もう無理なの?」

 

 

 諦めた声。諦めた言葉。諦めた瞳。諦めの涙。

 高町なのはは似ていると感じたが、しかし二人は致命的に違っている。

 

 

「……もう、嫌、なの」

 

「本当に、もう何も出来ない?」

 

 

 諦めないと言う不屈の意志。生まれ持った魔法の才能。そして愛した男の存在。

 違いは並べるだけでもそれ程にあり、一つ一つは僅かな差であったとしても積もれば此処に断崖の如き差異を生み出す。

 

 

「痛いのは嫌。辛いのは嫌。怖いのは嫌。苦しいのは嫌」

 

 

 高町なのはとティアナ・L・ハラオウンの最大の違い。それはこの今にある原動力。

 星を目指して、共に歩く事を祈ったのが不屈の女。だがティアナが目指した形は、その星の輝きを一身に受けたいと言う物だ。

 

 愛して欲しい。褒めて欲しい。認めて欲しい。抱き締めて欲しい。どうかお願い、誰か包んで――それが少女の内にある、最も大きな欲求だ。

 

 

「誰か、褒めてよ。誰か、抱き締めてよ。誰か、愛してよ。頑張ったねって、私、頑張ったよ」

 

 

 そしてその原動力を口にしながらに、同時に見苦しいと感じている。

 己の意志の根幹を全肯定できるなのはと違って、ティアナの中途半端な強さがそれを正しいとは認めない。

 

 強い人(ティーダ・ランスター)を知っている。

 強い人(クロノ・ハラオウン)を知っている。

 強い人(高町なのは)を知っているのだ。

 

 だからこの醜い想い(ヨワサ)を認められない。これが誇れる物とは思えないから、これでは立ち上がる意思に成り得ない。

 

 

「結局、誰も見てくれない。それも当然。だって、こんな私には何もない。汚い物しかないから、見てくれる筈がない」

 

 

 少女は涙を零しながらに首を振る。そんな少女を見下す女の表情は、逆光に隠され見えはしない。ティアナはなのはの表情を、見ようともしていない。

 

 

「最初から、無理だったの。最初から、間違ってたの。だから、もう嫌なの。だから、もう無理なの」

 

 

 凡人が、変わろうとした事が無理だった。無茶をした代償は自分自身。何も出来ないままに膝を折り、こうして自分の重量に押し潰される。

 

 

「どうして、私ばっかり。どうして、私だけが。どうして、皆虐めるの」

 

「…………」

 

 

 どうして、どうして、どうしてと。口に出す疑問はそればかり。

 支離滅裂になる言葉はまるで、幼い日に退行してしまったかの様に。

 

 いいやきっと、ティアナはそれを願っている。

 ずっと昔に失ってしまった。あの日に帰りたいと願っている。

 

 温かな過去へと戻りたいから、それで苦しい未来に進める筈もないのだ。

 

 

「……なら、仕方ないね」

 

 

 だから仕方ないと、高町なのはは此処に認めた。

 もう立ち上がれはしないだろうと、高町なのはは確かに認めた。

 

 だから彼女は魔法を唱える。黄金の杖を構えたままに、少女に向かって魔法を唱えた。

 

 

「レイジングハート」

 

〈Restrict lock〉

 

 

 ティアナの四肢が、光の輪に繋がれる。両手足を拘束されて、隠していた顔が晒される。

 

 

「っ」

 

 

 泣いていた。少女は見っとも無く泣いていた。涙を零して、確かに泣いていた。

 その視線の先に佇む女は翡翠の輝きを集めながら、その黄金の杖を涙に濡れた顔へと突き付ける。

 

 

「頑張ったよね。辛かったよね。苦しかったよね。だから――」

 

 

 認めよう。認めたのだ。

 もうこの少女は立てないと認めたから、此処に彼女を終わらせよう。

 

 

「もう諦めて良いよ。もう二度と、ティアナには何も求めない。立ち上がれなんて、言わないから」

 

 

 集う力が膨れ上がる。息すら出来ない程に、濃密な気配が膨れ上がる。その力を振り下ろすなのはを、ティアナは涙に歪んだ視界で見ていた。

 

 

「もう二度と、デバイスを握れない様に――もう二度と、諦めた想いを夢に見ない為に――徹底的にやるから」

 

 

 其処にあるのは、出た戦場で確かに感じたその感覚。

 その濃密な気配は、何処までも殺意に似ていると感じられた。

 

 だからこそ、ティアナは一つ疑問に想う。涙に濡れる瞳で見た景色に、一つの疑問を抱いたのだ。

 

 

(どうして――)

 

 

 どうして、それは何時も想う事。どうして、それは幼い日から感じる沢山の疑問。どうして、それは今になっても答えが出せない無数の問い掛け。

 ティアナには分からない物が多過ぎる。どうしてどうしてどうしてと、そう抱いた疑問が多過ぎる。出せない答えが多過ぎる。だからきっとこれも、決して答えが出ない問い掛けだ。

 

 

(どうして、貴女が、辛そうなの?)

 

 

 ティアナには分からない。どうして高町なのはは辛そうに、それでも魔法を放つのか。

 ティアナには分からない。その答えを出す前に、此処に幕は引かれてしまうから。

 

 

「バイバイ。ティアナ。……ごめんね。私は出来の悪い先生だった」

 

 

 翡翠の光が放たれる。零距離から撃たれた光は躱せずに、ティアナの身体を飲み干していく。

 思考が途切れる。意識が保てない。破壊の光に飲み込まれて、少女は暗闇の中へと堕ちて行った。

 

 

 

 最後に感じたのは、やはり疑問。何時だって、ティアナ・L・ハラオウンは分からないでばかりいる。

 

 

 

 

 

2.

 痛みを受けて、身体は倒れる。ブラックアウトした思考は、暗闇の中で過去へと戻る。

 ずっとずっと帰りたかった。あの日、あの時に失くした家に、ずっとずっと帰りたかった。

 

 ああ、だから此処にある。ああ、だから此処に帰って来た。なのに、目に焼き付いて離れない。

 帰って来たら安心で、もう痛い想いをする必要なんてない。なのに、どうして心にその顔が焼き付いている。

 

 辛そうな顔。どうしてなのか分からない。

 憧れたあの人が何を望んでいたのか。それがとんと分からない。

 

 だから、問い掛けようと思った。もう苦しくはないから、戯れに問い掛けてみようと思った。

 

 折角の機会だ。全てを投げ出してしまう前に、積もり積もった疑問に答えを返そう。

 最初に抱いた疑問は何だったのか、まだ答えを出せてない疑問。その全てに答えを返そう。

 

 まるで走馬燈を見る様に――彼女の思考は過去の記憶を紡いでいく。

 どうしてなのか。何故なのか。そんな想いで見詰める記憶の迷宮。古い古い記憶の中に、其れは確かに存在した。

 

 

――ティーダは私達の誇りでした。

 

――あの子は命を賭けて、この星を守ったんです。叔母として、これ程に嬉しい事はありません。

 

 

 作った笑みで、作った言葉で、そんな風に語る人達が居た。

 兄の死が嬉しいと、本当に本当に嬉しいと、心の底から思っていたその人達。

 

 分からない。分からなかった。どうして、そんな風に言えるのか、だから当然の様に少女は問うた。

 

 

――私達が、喜んでいるだと!?

 

――何を言ってるのよ! この子はっ!!

 

 

 最初に返って来たのは、そんな否定の言葉。

 だがその言葉は薄っぺらくて、その怒りは薄っぺらくて、だから少女にも嘘だと分かった。

 

 

――良いじゃないのっ! 喜んでも! どうせアンタ達はその程度しか役に立たないんだからっ!

 

――兄貴の方は死んで役に立ったのに、妹の方は碌でもないな。誰が養ってやってると思ってるんだっ!

 

 

 問い掛けて、問い掛けて、問い続けて――返って来たのはそんな真実。

 だから余計に分からなくなった。どうして血の繋がった人々が、こんな事を平然と言えるのか。

 

 

――何で、兄さんが死んだのに、笑えるの、か。……当然じゃない。あの人達にとって、生きている頃の兄さんはどうでも良い存在で、死んだ後の兄さんはとても都合の良い存在だったのだから。

 

 

 少しだけ大人になったその日に、ティアナはそう結論付けた。けれど心の奥底では、納得なんてしていなかった。

 

 何故? 何故? 何故? この人達は、何故こんな事を言えるの? この人達は、何故笑っていられるの? 何故私はこんなに辛いの?

 どうして? どうして? どうして? どうしてこの人達が生きているのに、どうしてもう兄さんはいないの? 何故私を此処に置いて行ったの?

 

 積もっていく疑問に蓋をして、訳知り顔で答えと示す。だけどそれに心の底から納得なんてしてなくて、だから想いは募っていく。

 

 この問い掛けに答えが欲しい。この疑問の答えが知りたい。そう願った祈りこそがきっと――

 

 

(だけど、最初はこれじゃない。もっと前、もっと前にも、分からない事はあった)

 

 

 少しだけ大人になった頃を思い出して、僅かに澄んだ思考で振り返る。

 あの日は理屈と共に折り合い付けて、それでも認めてはいなかったのだと素直に受け入れる。

 

 そうして、もう少し遡る。もう一歩を遡る。

 もっと昔の記憶なら、その答えはあるだろうか。僅かに期待しながらに、記憶の轍を振り返る。

 

 その記憶の景色には、もういない優しい女性が居た。

 優しく微笑んで手を差し伸べてくれた、或いは母と呼べたかも知れない人が居たのだ。

 

 

――ねぇ、ティアナ。家の子にならないかしら?

 

 

 管理局の士官服。高級将校のそれを来た緑髪の女性は、リンディ・ハラオウン。幼い頃に養い手を失ったティアナへと、彼女はその手を差し伸べていた。

 その手を前にして、ティアナは最初握り返す事に躊躇した。握って良いのかと疑問を抱いた。だってティアナは、クロノに対し酷い事をした。

 

 

――あの子に言った言葉、後悔してるの?

 

 

 図星を突かれて、ティアナは無言で頷き返す。

 どうして守ってくれなかったかと、そんな言葉、生きて帰った人に向けるべきではない。

 

 クロノだって、意図してティーダを守らなかった訳ではない。

 彼自身生き残る事に精一杯で、約束を守れなかっただけの話だった。

 

 失った直後には気付けなくて、冷静になった後には言い出せなくなった。

 

 憧れの人で、兄の友人で、多分初恋の人だった。

 そんな相手に過度に期待して、だから暴言を吐いたのはきっと甘えに過ぎなかったのだろう。

 

 

――だからこそ、この手を取って欲しいと思うの。

 

 

 そんな少女の甘えと後悔すらも見抜いていたのだろう。

 リンディは優しく微笑みながら、そう口にして手を差し出し続けた。

 

 

――何時までも、そのままで居たくはないでしょ? 私達だって、何時までもこのままでは居たくないわ。

 

 

 優しい微笑みを浮かべたままに、リンディは言葉を紡いでいく。

 互いに思いを抱えるからこそ、一歩を共に近付くべきだと彼女は語る。

 

 其処に憐憫がなかったと言えば、それはきっと嘘になろう。

 家族を亡くした可哀そうな子供。そんな彼女だからこそ、手を差し伸べたのであろう。

 

 それでも、そんな理屈があったとしても――其処にあった優しさは嘘偽りではなかったのだ。

 

 

――少し時間が掛かるけど、一緒に歩いていきましょう。

 

 

 そう信じられたから、ティアナは差し出された手を握り返した。

 その握った手に確かな温かさを感じて、これから先に確かな希望を抱いたのだ。

 

 

 

 だけど、リンディ・ハラオウンは迎えに来なかった。

 

 

――仕方ないの。もう居ないから、迎えに来れなくても、仕方がないの。

 

 

 彼女は第九十七管理外世界で命を落として、ティアナの下には帰って来なかった。

 

 

――辛くない。泣いてない。だって本当はそんな話はなかった筈だから、其処に戻っただけじゃない。

 

 

 少しだけ大人になったその日に、ティアナはそう結論付けた。けれど心の奥底では、納得なんてしていなかった。

 

 何故? 何故? 何故? 新しい母は、何故帰って来ないの? 新しい兄は、何故迎えに来ないの? 何故私だけが苦しいの?

 どうして? どうして? どうして? 一緒に歩こうって言ったのに、確かに約束した筈なのに、何故私を此処に置いて行ったの?

 

 積もっていく疑問に蓋をして、訳知り顔で答えと示す。だけどそれに心の底から納得なんてしてなくて、だから想いは募っていく。

 

 

――私は一人で大丈夫。一人でも、歩いていけるもの。

 

 

 だからその日に、一人で生きていくのだと心を決めた。だけど一人で生きるのは辛かった。

 だから心の底では確かに、誰かの温もりを求め続けていた。だけどそれを認めるのは癪だった。

 

 だって、格好悪いではないか。だって、愛情だけを求めるのは見っとも無いではないか。だって、誰も抱き締めてはくれないじゃないか。

 だから其れは理由にならない。だから其れを理由にしたくはない。だからそれに蓋をして、綺麗な言葉で着飾った。兄の未練を果たすのだと。

 

 でも、やっぱりそれは偽りだった。だって心の底から分かっている。ティーダ・ランスターは望んでいない。

 あんなにも愛してくれた兄だから、この選択を拒んでいる。妹が戦場に出ると言うその決意に、草場の影で泣かない理由がある筈ない。

 

 だから結局は承認欲求。冥王が語った言葉は確かに、ティアナの心を突いていた。

 だから盛大な失敗をした後に、暴かれたそれでは立ち上がれない。そんな醜いと思う感情を、原動力には出来なかった。

 

 ならば、もう何もないのだろうか?

 ティアナの中身は空っぽで、内に籠る物は何もない伽藍洞となったのか?

 

 ならばもう、此処で終わってしまって良いのだろう。

 もう立ち上がるのは辛いから、此処で全てを投げ出そうと考えて――

 

 

(嗚呼、でも一つだけ――今でも気になる、疑問がある)

 

 

 だが、一つ、その疑問だけが未練となった。

 その答えを知らないから、まだ知りたいと思えたのだ。

 

 それはもっと前の記憶。親戚夫婦に引き取られるよりも前、リンディに出会うよりも前、ずっと昔にあった一つの記憶。

 

 

(もっと過去(マエ)だ。もっと前に、始まりはもっと前、最初の疑問は、あの日にあった)

 

 

 それは病室の一室に。運び込まれたクラナガンの病室で、確かに一つ抱いた疑問。

 

 

――御免な、ティアナ。悪いお兄ちゃんでさ。

 

 

 ティーダはその時、執務官資格試験に合格して経験を積む為に海に出ていた。

 ティアナはそんな兄に心配を掛けたくなくて、調子が悪い事を隠して笑顔で見送った。

 

 だから限界を迎えていた事に気付けず、彼女は風邪を拗らせて倒れてしまった。

 

 

――気付いてやれなかった。お前が沢山苦しんでる事。我慢してた事、まるで分かんなかったお兄ちゃんで御免な。

 

 

 誰もいない家ではなくて、大通りで倒れたのが幸運だったのだろう。

 救急車両への通報からティアナは搬送されて、管理局へと連絡は伝わった。

 

 執務官試験と海の研修。それを無事に終わらせて来たティーダは、戻った所でそれを耳にした。

 病室に駆け付けたティーダ・ランスターは、熱に浮かされて朦朧としているティアナに対して幾度も幾度も謝った。

 

 

――それと、許してほしい。こんな馬鹿をやったのに、まだ管理局員で居る事を許して欲しいんだ。

 

 

 ティーダは執務官資格を自ら捨てた。空の所属でも執務官は存在するが、当然役職に応じた忙しさが付き纏う。だから捨てたのだ。妹の傍からもう離れない為に。

 だけど執務官資格を捨てたのに、それでもティーダは管理局員で在り続けた。自分の夢を諦めて、家族と共に過ごす時間を無理に作って、それでも局員である事は捨てなかったのだ。

 

 

――僕は守りたい。ティーダ・ランスターは守りたいんだ。ティアナや、ティアナが生きるこの世界を。

 

 

 辛かった筈だ。少なくともティアナは、局員となってから辛い想いを沢山した。

 大変だった筈だ。少なくともティアナは、局員となってから大変な経験ばかりだった。

 

 それでも先に夢を見て、だがその夢さえ破り捨て、ティーダはそれでも望んだのだ。

 守りたいのだ。守らせて欲しい。それだけはどうか許して欲しいと、何故其処まで強く思えたのか。

 

 涙目で謝罪する兄に、笑って許しながらに疑問を抱く。

 どうして、貴方は未だ立ち上がれる。何故、此処に来ても諦めない。 

 

 夢を直向きに目指したならば、それはきっと理解が出来る。けれどティーダはそれを捨てたのだ。なのにそれでも前を見る。

 

 その強さの答えが知りたかった。その想いの強さを知りたかった。彼が見ている景色を、彼が好きだからこそ知りたかった。

 

 答えが欲しい。答えを教えて欲しい。その答えを知りたいのだ。

 それがきっと、ティアナの原点。あの日に抱いた、始まりの想い。

 

 

(まだ、私は知らない)

 

 

 知らない。その答えを知らない。まだティアナは、その答えを知らないのだ。

 

 

(まだ、それが未練として残っている)

 

 

 戦う事は諦めた。追い付く事は諦められた。愛される事は諦めた。――けどそれだけは諦められない。

 

 

(知りたいな。知りたいよ。どうしてそれでも、歩けたの?)

 

 

 ティーダ・ランスターは、何故前に進めたのであろうか。

 クロノ・ハラオウンは、何故今も歩き続けているのだろうか。

 高町なのははどうして、この今も諦めないで強く在ろうとしているのか。

 

 

(貴方は何を見ていたの? 貴女は何を見ているの? 貴方達の目には、世界はどんな色に映っているの?)

 

 

 その色を知りたい。その景色が見たい。その光景を見ずにして、此処で諦めたら。

 

 

(嗚呼、きっと――このまま諦めたら後悔する)

 

 

 だから、それが答えだ。だから、それが理由だ。

 

 

(辛いよ。きついよ。厳しいし、泣きたくて、逃げ出したくて、もう立ち向かいたくなんてないけど――それでも)

 

 

 醜い感情では立ち上がれない。その依存心を認められる程に、ティアナは弱く(ツヨク)はない。

 理由がなければ立ち上がれない。意味もなく強く在れる程に、ティアナは強く(ヨワク)などないのだ。

 

 中途半端だ。だから理由が必要だ。

 中途半端だ。だけど理由は此処にあった。

 

 

(やっぱり、知りたい)

 

 

 辛いと言う感情よりも、その渇望の方が少しだけ強い。

 泣きたい想いよりもほんの少しだけ強く、唯それだけを祈っている。

 

 

(答えを教えて、答えを示して、その想いの在り処を教えて)

 

 

 だから、ティアナは此処に立ち上がる。

 

 

(きっとそれが、最初の理由。私が目を背けていた、覆い隠していた本当の願い)

 

 

 見っとも無い顔で、一度完全に圧し折れて、今更になって立ち上がる。

 嫌だ嫌だ駄目だ駄目だと喚き散らして、その癖今更になって立ち上がる。

 

 ああ、なんて無様。ああ、なんて見るに耐えない無様であろう。

 

 

(だから――ああ、そうだ)

 

 

 それでもティアナは指に力を入れて、震える腕で立ち上がる。

 よろけながらに立ち上がった少女は此処に、蒼く輝く右の瞳で前を見た。

 

 

「これが、私の歪みだった」

 

 

 見上げる先に、遠く佇むのは高町なのは。

 目を逸らして逃げ回り続けていた少女は、今度は確かな意志で、己の歪みで女の瞳を見るのであった。

 

 

 

 

 

3.

 ティアナは未だ弱い。何かが変われた訳じゃない。

 痛みと恐怖。抱いた疑問と欲求。天秤の揺れは僅かであって、もう折れないなんて言えはしない。

 

 そんな弱い自分を射抜く。そんな己の弱さを射抜く。

 そんなイメージで己を射抜いて、そうして前に進んで行く。

 

 心にそう決め、彼女は此処に師を見詰めていた。

 

 

「ああ、そうか。そうだったんですね」

 

 

 答えを知りたい。そう望んだのが彼女の渇望。

 どうしても知りたいのだ。その感情に応える様に、その蒼き瞳は答えを見通す。

 

 燃え上がる炎は、海の底より尚碧く、空の果てより尚蒼い。

 右の瞳がその色を変えて、この今までに背けていた世界を其処に映し出す。

 

 矢よ。己を射抜け。弱い己を此処に射抜け。この真実の答えと言う矢を以って、我が身を貫き変わってみせろ。

 

 それこそ彼女の真なる歪み。それこそ彼女にあった、彼女だけが持つ力。

 その歪みを通して答えを見付けたティアナは、得心が行ったと此処に呟いた。

 

 

「考えてみれば、分かり易い。もっと冷静に考えれば、そんなの直ぐに分かった筈だった」

 

 

 違和感があったのだ。異質だったのだ。高町なのはのやり方は、冷静になって考えればおかし過ぎたのだ。

 傷付いたのは擦り傷だけ。与えていたのは恐怖が主体。殺気はあったが、殺傷設定は使わなかった。選んだのは、痛みだけを感じさせる魔法であった。

 

 本当に要らないと思ったならば、殺傷設定でも良かった筈だ。

 いや、そもそも傷付ける必要すらなくて、部署からの異動を命じれば良い。それだけの立場と権限をなのはは持っている。

 

 だから、ならば其処に理由はあったのだ。

 

 

「私を傷付けて、反発心で立ち上がらせようとした」

 

「…………」

 

 

 高町なのはの最初の目論見。それはユーノとトーマの焼き直し。

 傷付ける事でそれを理由に、再び立ち上がる切っ掛けを与えようとした物。

 

 

「だけど無理だと分かったから、今度は底を見極めようとした」

 

「…………」

 

 

 だけどそれをするにはティアナが弱くて、反発心を覚える事すらなく潰れていた。

 だからやり方を変えようとした。問い掛けの中で底を見定め、何かないかと探っていた。

 

 だがそれもなかったから、だからなのはは決めたのだ。

 

 

「それでもやっぱり駄目だったから、諦めさせようとしたんですね」

 

 

 ティアナはもう戦えない。だから諦めさせよう。未練が一つも残らない様に、と。

 

 

「全部相手(なのは)の責任だ。(ティアナ)は決して悪くない。()()()()()()()()()()()、悪役になろうとした」

 

 

 未練も後悔も必要ない。市政を当たり前に生きるなら、そんな物は余分となろう。

 だからそれを奪う為に、なのはは仕方がない理由を作ろうとした。悪役になろうとしたのだ。

 

 

「心を圧し折ったのは高町なのは。ティアナは誤射が理由じゃなくて、エースオブエースに潰されたから辞めたんだ。諦めるのも仕方がない話だって、皆に納得される理由を用意しようとした」

 

 

 唯辞めただけならば、先の誤射は付いて回る。アレは隠せる様な惨事でなく、既に多くに知られて居よう。

 此処でティアナが折れたなら、それは自分の誤射を恐れて逃げたのだと後ろ指を指されただろう。だから其処に理由を加えた。

 

 ティアナは先の誤射の責任として、高町なのは教導官に罰を課された。

 その罰が余りに非人道的過ぎたから、彼女は局員として居続ける事が出来なかったのだ。

 

 そんなカバーストーリーを作り上げ、記録映像と共に上に提出する事で、自分を悪役にする心算だったのだ。

 

 

「全部、未練を絶つ為に。戦えないなら、戦おうと思えない様に。憎まれてでも、恨まれてでも、傷付いてでもやろうとした」

 

「…………」

 

 

 その眼が見通す。その歪みが答えを導く。その可能性を確かに見て、ティアナは此処に苦笑した。

 

 

「……本当、不器用ですね。なのはさん」

 

「ん。そうだね。けど、こういうやり方しか出来ないからさ」

 

 

 見抜かれた女は認める様に、肩を竦めて口にした。

 そんな不器用な師の想いを受け止めて、泣いていた少女は涙を拭う。

 

 立ち上がる理由はもう得たから、何時までも蹲ってはいられない。

 立ち上がったティアナは流れた滴の痕を拭って、高町なのはの瞳を見る。

 

 

「傷付けて、傷付けて、――でも殴ったその手だって痛いのに」

 

 

 痛いのだ。痛みを感じている。

 大切な誰かを傷付ける事に、彼女は痛みを感じられる人なのだ。

 

 

「痛いなんて、口が裂けても言えないよ。殴ったその手が痛くても、それでも殴られた痛みに比べれば遥かに軽い物なんだから」

 

 

 それでもなのはに言わせれば、そんな痛みは身勝手な物である。

 

 誰かを殴った時、殴った誰かも痛いのだ。そう賢しげに語る輩はいるだろう。

 確かに物理の法則として、殴った時に反作用は存在する。拳を振るった時に、振るった側も痛みを感じるだろう。

 

 それでも、殴られた側より痛い事なんてある訳ない。殴った側より殴られた方が痛いのは自明の理。

 殴ると言う意志を決めていた人間が拳に感じる痛みと、拳を受けて感じる痛みが等号であってはいけないのだ。

 

 だから身勝手な言葉だ。殴った方も痛いのだと、殴った側は認めてはいけない。言ってはいけない言葉である。

 

 

「それでも、痛い。比べたらマシでも、確かに痛い物ですよ」

 

 

 だけど、それでも確かに痛いだろう。分かっていても、それでも痛みは感じる物だ。

 ましてやそれが大切だと感じる相手なら、胸に感じる痛みは如何ほどか。それが分かって、だから不器用と笑うのだ。

 

 その少女の瞳。涙の痕は残っていても、その瞳にはもう揺らぎがない。

 高町なのはは感じる心の動きを押し殺して、その理由を此処に問うた。

 

 

「変わったね。答えは見えた?」

 

「いいえ、まだ見えません。多分、本当はまだ何も変わってないんだって思います」

 

 

 答えはまだ見つからない。ティアナの本質は、多分まだ変わっていない。

 愛して欲しい。抱きしめて欲しい。認めて欲しくて褒めて欲しい。そんな感情は変わらない。

 

 

「……なら、答えは見つけた?」

 

「はい。まだ変われてないけど……それでも進む道は、もう見つけました」

 

 

 それでも、進む道は見えたから――

 

 

「もう、泣き言は言いません」

 

 

 泣き言は言わない。その先を見る前、その答えを得る迄、もう泣き言は口にしない。

 

 

「もう、辛いからって逃げません」

 

 

 もう逃げない。この今から逃げようとはせずに、立ち向かっていくと心に誓う。

 

 

「だから、一手指南をお願いします」

 

 

 知りたい答えがある。それをこの目で見る為にも、また歩き出すの決めた。

 知らないといけない答えがある。その光景を確かに見る為に、ティアナは此処に一歩を踏み出し進むのだ。

 

 

「言ったよね? もう甘くないよ」

 

「ええ、望む所です」

 

「分かってるよね。優しくなんてしないよ」

 

「だからこそ、強くなれるって思います」

 

 

 交わす言葉は唯の確認。それに一拍の間すら置かずに返して、ティアナは強くなのはを見た。

 

 

「そっか、じゃあ、行くよ」

 

「はいっ!」

 

 

 そして、弾かれる様に二人は飛び出す。

 共に選ぶは大きな跳躍。双方ともに後方へ、空高くへと飛び退いて、杖と双銃、二つの武器を互いに向け合う。

 

 ティアナはもう持たない。如何に気概を決めたとしても、既に身体が限界だ。

 だから一手。だから今は一手だけ。その一手は全力だ。共に全身全霊で、互いの切り札をぶつけ合うのだ。

 

 

『全力全開っ!』

 

 

 言葉は此処に、同じ音と同じ意味。

 手にした魔法の杖に力を――それもまた同じ物。

 

 集うは星の輝き。集まる小さな光の粒が、巨大な力へ変わっていく。

 蒼き瞳で確かにその先を見詰めて、その壁の大きさを理解して、それでももうティアナは逃げ出さない。

 

 

『スタァァァァライトォォォォッ!』

 

 

 翡翠と橙。二人の師弟は今此の場所で、同じ技を切り札として行使する。

 至高の魔導師と言う高みを前にして、それでもティアナは同じ力を答えと返した。

 

 

『ブレイカァァァァァァァァァッ!!』

 

 

 互いを見詰めて、放たれた二色の極光。それは空中にてぶつかり合い、弾けて周囲を包み込む。

 ぶつかり合った二つの力。溢れ出した光の色は翡翠。周囲は翡翠の輝きに染まって、そしてティアナは此処に空から墜ちる。

 

 高町なのはは宙に立つ。彼女は揺るがず立っている。

 ティアナ・L・ハラオウンは大地に墜ちる。限界を迎えたこの少女は、意識を失った。

 

 これが結果。これが結末。ならばこの二つの力のぶつかり合い。その勝者は高町なのはか――否。

 

 

「届いたよ」

 

 

 感じるのは、腕の痺れ。感じるのは、非殺傷の痛み。

 

 今ティアナが倒れる理由は、先の一撃で体力が底を突いたから気絶しただけ。

 あの瞬間に翡翠が周囲を包んだのは、内側を橙の光に貫かれて霧散したからだったのだ。

 

 即ち――

 

 

「確かに届いた。……凄いね。撃ち合いで負けたのは、初めてだよ」

 

 

 ティアナの砲撃は、なのはのそれを超えていた。

 

 

 

 別に、ティアナがなのはより強い訳ではない。

 

 彼女には目覚めた歪みがあって、なのはには未だリミッターが付いていた。

 感じる痛みも微量であって、ダメージと言えなくもない程度でしかない。

 

 だから単純に実力差を問えば、未だなのはの方が遥かに高みに居るであろう。

 

 それでも、この今の瞬間には勝利した。

 見っとも無く、まだ弱くても、それでも確かに貫いた。

 

 そうとも、ティアナは此処に見せたのだ。その魂の輝きを――

 

 

「見えたよ。その輝き。きっと強くなれる。そんな確かな輝きだ」

 

 

 だから、強くなれると確信出来た。

 彼女はきっと強くなる。彼女はきっと、その願いへと辿り着ける。

 

 それはきっと、彼女だけの話ではない。成長が必要なのは、未だ未熟な己も同じくだ。

 

 

「ティアナ。強くなろうね」

 

 

 空から舞い降りた女は少女に歩み寄って、意識を閉ざした彼女の傍らへと座り込む。その頭を膝に乗せて髪を梳き、優しい声で彼女に告げた。

 

 師としても、人としても未熟な高町なのは。

 弟子としても、戦士としても未熟なティアナ・L・ハラオウン。

 

 だからこそ、二人で強くなろうと彼女は告げる。

 師弟揃って共に進んで行くのだと、なのはは微笑みながら語り掛ける。

 

 

「一緒に、二人で――この願いを追い掛けよう」

 

 

 願い、二人で――この祈りを追い掛けて、何時か必ず届かせよう。

 

 

 

 荒れ果てた訓練場の中で、座り込んで微笑む高町なのは。

 そんな彼女に抱かれた少女は、何処か満足気な笑みを浮かべて眠る。

 

 ティアナ・L・ハラオウンは、夢を目指すと此処に決めた。

 この願いを目指して、この祈りを目指して、その答えを得る為に――まだ歩き続けると決めたのだ。

 

 

 

 

 




シーン1の推奨BGMは、やっぱり覚醒ゼオライマー辺り。或いは獣殿のラスボステーマ全般のどれか。
前書きに書くと魔王降臨がネタにしか見えず色々打ち壊しになりそうだったので、後書きに記載しました。


ティアナの歪み詳細はまだ秘密。実際の活躍シーンはもうちょい先です。

でも此処までで効果は大体分かると思う。
現状でオリ歪み名称は、弓道関係の言葉となる予定。(自分を磨く的な意味で何が相応しいかと現在選考中)





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第十八話 夢追い人

色々詰め込んだ回。二万字超えとかなり長いです。


副題 コンビ再開。
   隠れ潜む脅威。
   スカさんフルボッコ。


1.

 地獄に一番近い日から、三日と言う時が経過した。

 

 抱き締められて救われて、そうして意識を飛ばした少年。

 トーマ・ナカジマは今朝になって目を覚まし、そうして今は此処に居る。

 

 機動六課の隊舎裏。林が生い茂る人気のない場所。

 白い壁に背を預け、座り込んだ少年が見詰めるのは己の掌。

 

 大切な人を傷付けた。大切な人達を傷付けた。そんな自分の手を握り絞めている。

 

 

「トーマ」

 

 

 傍らにある少女。白百合は不安げな瞳で、トーマ・ナカジマを見上げている。

 彼女を傷付けた。彼女も傷付けた。必死に止めようとしたその言葉を振り払い、あろう事か恐怖に怯えて全てを消し去ろうとした。

 

 其処に後悔を抱くなら、自分は変わっていかなくてはいけない。

 もう二度と震えて逃げ出す事はなく、立ち向かう為の理由(キズ)は確かに此処にある。

 

 なのに――

 

 

「俺は、僕は――」

 

 

 その手が震えている。その手はまだ震えていた。

 

 一体自分は誰だろう。此処にいる我は誰なのだろう。それが確かな答えとして、口に出す事が出来ていない。

 魂の浸食は止まった訳ではない。溢れ出す記憶の奔流に押し流されて、それでも忘れたくはないと叫ぶ事しか出来ていない。

 

 薄れてしまった。混ざってしまった。自分が誰かも分からない。

 でも逃げ出した結果として傷付けたのだから、もう逃げたくないと思っている。

 だから立ち向かわないといけないのに、何処に向かっていけば良いのかが分からない。

 

 どうすれば良い。どう進めば良い。一体何を想えば良いのか。

 

 

「トーマ」

 

 

 その心が伝わる少女は、何度だってその名を呼ぶ。

 忘れない様に、忘れない様に、貴方が貴方を忘れない様に。

 

 

「マ、……リリィ」

 

 

 一瞬、彼女の名を間違えそうになる。彼女の名前すら忘れそうになった。

 そんな自分に嫌悪を抱いて、それでも沈む思考を頭を振って振り払った。

 

 そうしてトーマは、息を大きく吸い込み前を見る。

 何時までも陰鬱とはしていられない。何時までも止まっては居られない。

 

 だから彼は前を見て――

 

 

「何、辛気臭い顔してんのよ」

 

 

 其処には、一歩先に進んだ相棒(シラナイダレカ)の姿があった。

 

 

 橙色の髪の毛を、頭のサイドで二つに束ねた一人の少女。

 両手と両肘。両足と両膝。額も含めて全身の至る所に包帯を巻いたその姿。

 

 疲れた表情をしながらも、それでも目が生き生きとしている。

 そんな彼女が誰であるのかを、トーマは確かに知っている筈だった。

 

 

「…………」

 

 

 だが、名前が出て来ない。答えが浮かばない。その名を此処に呼ぼうとすると、どうしてか違う名前を口にしそうになる。

 そんな自分の無様が嫌で、それを察せられるのも嫌だった。だから軽口を言う様に、誤魔化す言葉を此処に紡ぐ。

 

 

「……お前、湿布臭いぞ」

 

「うっさい。ほっとけ」

 

 

 デリカシーのない発言に、ティアナは半眼で言葉を返す。

 臭いと言う直球の言葉は年頃の乙女として、中々に受け入れ難い物であった。

 

 そして同時に、彼女は気付いていた。だから苦笑と共に名乗りを上げる。

 

 

「ティアナよ」

 

「あ? 何だよ、行き成り」

 

 

 今の彼女を欺ける者は、あまりいない。皆無とは言えないが、それでも決して多くはない。

 少なくとも、入り混じった記憶と自我に翻弄されている子供の誤魔化しなどティアナ・L・ハラオウンには通じない。

 

 

「私の名前。忘れたんでしょ? 馬鹿トーマ」

 

 

 蒼い右目が彼を見ている。蒼い歪みでそれを見詰めて、ティアナは仕方がないなと笑っていた。

 

 

「アンタは鳥頭なんだから、忘れても仕方ないわ。……だから、忘れる度に教えてあげる」

 

 

 ティアナの歪みは、答えを見ると言う物――ではない。

 隠された物事を暴く物ではなく、此処に見るは別の物。そして語るは、それを元にした唯の推測。

 

 それでも、分かる事はある。彼女の知性は、確かにその事実を見抜いていた。

 

 トーマの忘却は、抗おうと思って抗えるような物ではない。

 忘れて塗り替えられて、消えていく心に恐怖を覚えない筈がない。

 

 それでも彼は立ち向かうと決めた。心の傷が理由になって、立ち向かうと決めたのだ。

 ならばティアナは手を差し伸べる。忘れられる事を咎めるのではなく、その度に何度だって己の名を教え込む。

 

 

「私はティアナよ。ティアナ・L・ハラオウン。アンタの相棒だから、また忘れるまで覚えときなさい」

 

 

 笑顔で語る。その少女は既に先に進んでいた。

 

 

「ティアナ」

 

 

 その笑顔に僅か見惚れる。羞恥の感情を抱きながらも素直に憧れる。

 追い抜かれて先に進まれた。その背中に、幾許かの悔しさを抱いて前を見る。

 

 そんな先に進んだ少女が語る、また忘れると言うその前提。言い訳出来ない自分の有り様に、苛立ちを抱いて吐き捨てる。

 

 

「……馬鹿にするな」

 

 

 虚勢であっても、口にする。

 口にした言葉を此処で誓いへと返る為に、トーマは強い言葉を此処に紡いだ。

 

 

「忘れるか。もう、忘れるもんか」

 

 

 忘れるものか。もう二度と、忘れて堪るか。

 自分はもう消えないのだと、その決意を此処に決める。

 

 己はトーマか。己はツァラトゥストラか。

 混じり合う意識は答えを返せず、それでも此処に居る我は我であろう。

 

 その我が感じている。トーマにも神にも成れぬ中途半端が望んでいる。

 もう忘れたくはない。ほんの僅かな些細な事だって、もう忘れたくなんてない。

 

 だから忘れない。そう口にするだけで、立ち上がるには十分だった。

 

 

「そ、なら精々期待してやるわ」

 

 

 先を行く少女は上から目線でそう語り、漸く歩き出した少年は負ける物かと奮起する。

 そんな少年の心の変化に思う所を残しながらも、傍らに咲く白百合は花開く様に微笑んでいる。

 

 そしてティアナは手を差し伸べる。立ち上ったばかりのトーマに向かって、その傷だらけの掌を差し出していた。

 

 

「ほら、行くわよ」

 

「……何処にだよ」

 

 

 差し出された掌を、不躾に見詰め返す。

 手を引かれねば歩けないと思われているのか、馬鹿にするなと、そんな意志を向けるトーマにティアナは笑う。

 

 

「義兄さん――ん、クロノ局長が呼んでるのよ。六課集合ってね」

 

 

 彼女が此処に来た目的は、義兄からの召集。病室を抜け出した相棒を回収する為に来たのだ。

 

 

「重要な話だから、急いで集まれって。――んな訳で、アンタのとろい歩みを待ってやる暇はないの」

 

 

 とても重要な発表があると、それに裏で関わっている今のティアナは、それを噯に出さずに語るのだ。

 

 

「ルーとキャロも待ってるわ。アンタがまた追い付くまで、手を引いてやるからさっさと立って進むわよ。トーマ」

 

「ティアナ」

 

 

 差し出された掌を前にして、それでも僅かに手を迷わせる。

 自分は確かに定めた。此処にある今の自分こそが、誰であっても己であると。

 

 だが混ざった想いが、その手を取る事を阻んでいる。

 

 

「俺は……」

 

 

 理由は単純。男の意地だ。

 恥ずかしいのだ。頼るのは。進むと決めたのだから、一人で歩きたかったのだ。

 

 だが混ざった想いが、その手を取ろうと阻んでいる。

 

 

「僕は……」

 

 

 理由は単純。歓喜の情だ。

 嬉しいのだ。その思い遣りに応えたいのだ。だから手をとって、一緒に歩こうと言う思いもあった。

 

 迷っている。悩んでいる。そんなトーマの逡巡など知った事かと手を取って、ティアナはその手を強引に引いた。

 迷っている。悩んでいる。だから無理矢理に引き摺られて、思わずトーマは抵抗の意志を示してしまった。

 

 途端に崩れるバランス。トーマはその場に転びそうになる。

 だが転ばない。足を踏み外して倒れる前に、もう一人の少女が彼を支えた。

 

 

「恥ずかしくないよ。トーマ」

 

「リリィ」

 

 

 ティアナが引く手とは逆の腕。優しく絡め取った白百合は柔らかく微笑む。

 そして語るのは彼への言葉。きっと今なら届くから、トーマに向かって言葉を掛ける。

 

 

「誰かを頼るのは、恥ずかしくない。恥ずかしいのは、頼りっぱなしで居ること」

 

 

 今、トーマはとても大変な状況にある。

 皆が支えて取り戻してくれたその自我も、何時まで持つかも分からない。

 

 歩く速度は大きく遅れて、そのままでは置いて行かれる。

 だったらきっと頼って良い。一人で歩けない程に、消耗している今は頼って良い。

 

 何時か一人で進める様になって、その時感謝を返せば良いのだ。

 

 

「頼れる人が居るなら支えて貰おう? 受け取るだけが恥ずかしいなら、後で返そう? 歩ける様になってから、確かな想いを其処に返そう?」

 

 

 白百合は言葉を紡ぐ。リリィはその想いを此処に紡ぐ。

 彼女の言葉は受け売りだ。彼女の内から生まれた想いではきっとない。

 

 ならば誰の受け売りか。決まっている。

 眠り続けていた彼女がずっと夢に見ていたのは、この少年の背中だけだから――

 

 

「人は一人じゃ出来ない事が多くある。けど、きっと二人なら、だけど、きっと三人なら、出来る事は増えるから――」

 

 

 これはトーマの言葉だ。父母に愛され、師に導かれ、幸福の中に育った子供の言葉。

 

 嘗ての彼が信じて、追い掛け続けた一つの夢。

 だがだからこそ強く響く。その心を打ち付ける感動は、何度だって色褪せたりはしないのだ。

 

 

「そうして世界は広がっていく。だから今は、一緒に進もう」

 

 

 夢追い人は、此処にもう一度思い出す。何を望んでいたのか、それを此処に思い出す。

 

 前に進もう。そう微笑む少女の姿。

 さっさと行くぞ。そう告げて来る少女の姿。

 

 それを前にして、トーマは取り戻す。

 その瞳の輝きは、まるで満天の星空の如く。

 

 

「……ああ、そう、だね」

 

 

 今ある我を忘れない。その上で此処に夢を追う。

 追い掛けるその夢は、もう忘れてしまった日に見た夢。

 

 其処に辿り着く為に、少年は素直に少女らを頼った。

 

 

「リリィ。僕を高みへと導いて欲しい」

 

「うん。一緒に行こう」

 

 

 白百合よ。聖母の象徴たる永遠の君よ。どうかこの手を引いて欲しい。

 

 

「ティア。駄目な相棒だけど、駄目なままで居たくないから――どうかこの手を引いて欲しい」

 

「……今引いてるじゃない。頭だけじゃなくて目も悪くなったの?」

 

 

 一歩進んだ先を歩く我が友よ。どうかこの手を引いて欲しい。共に前へ進む為に、此処から先へと進む為に。

 

 

「進もう。進もうと決めた。なら、振り返らずに進めば良い」

 

 

 自分が分からない。振り返る轍はもう見えない。

 過去はもうなく、現在はあやふやで、進む先は五里霧中。

 

 それでも、歩き出す理由は得た。傷付けた人々に、確かに報いる必要が此処にある。

 それでも、手を引いてくれる誰かが居る。足下すら覚束ない暗闇の中でも、なら恐れる物など何もない。

 

 そして目指すべき場所は此処に決まった。在りし日に抱いたその夢を、此処にもう一度追い掛ける。

 

 

「行こう。――その先は、きっと綺麗な場所だから」

 

 

 夢追い人は歩き出す。多くの人に支えられて、また此処に歩き出した。

 

 

 

 

 

2.

 そうして、集まったのは古代遺産管理局内にある一つの部屋。

 巨大な円卓を中央に囲むその部屋は、会議場として作られた一室だ。

 

 扉を開けて入ったフォワード四人と白百合。その先頭に立つトーマは、其処で顔を会わせ辛い人と遭遇した。

 

 

「来たね。トーマ」

 

「先生。……ご心配、お掛けしました」

 

 

 金髪の微笑む青年は、トーマの師にして恩人であるユーノ・スクライア。

 スーツの上からでも分かる程に無骨な右腕は、彼の身体には些か不釣り合いに見えていた。

 

 

「その、腕は――」

 

「気にしなくていい。名誉の負傷さ」

 

 

 その腕の傷に対して、謝罪をしようとするトーマ。

 そんな彼の言葉を遮って、ユーノは名誉の一つだと笑って済ませる。

 

 その笑みを見て、トーマは歯噛みした。

 先の光景は確かに彼の傷になっていて、だからこそあっさりと許されてしまえば抱える鬱屈も強くなる。

 

 相手が許しているのだから、自責を続ける事は出来ない。

 それでも自分が許せないから、煮え切らない感情を其処に抱いてしまうのだ。

 

 

「ったく、辛気臭いったらないわね。自責は大事。反省は重要。だけど、後悔は別よ。男ならしゃんとなさい」

 

「エレオ……ん。アリサさん、か」

 

「人の名前間違えんな。ひよっこが」

 

 

 思い悩むトーマの姿に、同じく室内にいた女性が口を突っ込む。

 見ていて不愉快だと語るその女傑は、悩むくらいなら前に進めと彼に告げる。

 

 

「馬鹿娘一人でも面倒だってのに、他に手が掛かるひよっこなんて迷惑なの。……さっさと巣立ちなさいよ、男の子」

 

 

 分かっている。言われるまでもない。前に進むと決めたのだ。

 だからその言葉に頷いて、トーマは思考を切り替えた。傷付けた事は忘れずに、それでも其処に拘泥し過ぎない。それが大事だと、彼はもう分かっていた。

 

 そんな彼とは異なって、共に歩いていた二人の少女は別の言葉に反応する。

 友になると決めて、共に遊んだ少女の名前。馬鹿娘と呼んだ時に籠った一つの感情に、キャロとルーテシアは気付いていた。

 

 

「ヴィヴィオ。あんた、それ」

 

 

 目を移して、その変化に直ぐに気付く。

 アリサに手を引かれる小さな少女は、その髪の毛がばっさりと短くなっていた。

 

 首の付け根辺りで切り揃えられた短い金髪。その項から背中にかけて、酷い傷痕が存在していた。

 

 

「怪我、したんですか?」

 

「この馬鹿。私らがアグスタ行ってる間に、アイナさんの目を盗んで抜け出してたのよ」

 

 

 不安げに問い掛けたキャロの言葉に、アリサは常より苛立ちながらに言葉を返す。

 六課の隊員寮、其処の寮母であるアイナ・トライトン。彼女に任せていた筈の少女は、その眼を盗んで抜け出していた。

 

 その傷は、対価である。無茶をした代償に、背にその傷を負ったのだ。

 

 

「んで、スカリエッティのアホの所に入り込んで、保管されてた資料引っ繰り返してこの有り様よ。ったく、もっと考えなさい。馬鹿娘」

 

 

 ヴィヴィオが引っ繰り返したのは、資料として保管されていた魔群の毒。

 戸棚ごとに倒してしまい、結果としてこの少女は強酸の血を背中に浴びたのだ。

 

 その背は焼け爛れて、同じく髪も焼け落ちた。

 そのままでは見っとも無いから、戻って来たアリサが切り揃えたのだ。

 

 

「ごめん、なさい」

 

 

 母に散々に怒られたのだろう。しゅんと項垂れた金糸の少女は、握る手を強く握り返す。

 

 此処にアリサが彼女を連れてきたのは、もう目を離さない為だ。

 これで過保護な一面を見せる彼女は、こうして六課に居る間は行動を共にすると決めたのである。

 

 そんな義母に手を引かれながら、ヴィヴィオは不安げに見上げている。

 気落ちしている金糸の幼子は、全く意図せずに爆弾発言を口にするのだった。

 

 

「ユーノパパ、心配だったの」

 

 

 面会謝絶になっていたユーノ。彼を心配して、ヴィヴィオは寮を抜け出した。

 ごめんなさいと目を伏せる幼い少女は、自分の発言が与える影響にも気付かない。

 

 

『パパっ!?』

 

「そ、その言い方はやめいっ!」

 

 

 首を傾げる一同に、顔を真っ赤にして言い聞かせるアリサ・バニングス。

 爆弾発言を口にした本人は何も分かっていない様に、疑問の表情を浮かべながら首を傾げていた。

 

 顔を赤くした一人。疑問符を浮かべたその他大勢。だが一人だけ、それとはまるで違う反応をした男が居た。

 青褪めた表情をした男性。渦中の人物であるユーノ・スクライアは気付いていたのだ。

 

 まるで計ったかのようなタイミングで、彼女が扉をくぐっていたその事実に。

 

 

「……ねぇ、どういう事かな。ユーノ君」

 

 

 扉の先、其処には白い悪魔が居た。

 

 

「あれ? おかしいな。何でアリサちゃんの子供が、ユーノ君の事をお父さんって呼んでるの?」

 

 

 笑っている。微笑んでいる。なのに何かがズレている。

 まるで血染花を思わせる瘴気を漂わせながら、濁った瞳でなのはが問う。

 

 ユーノが一度死に瀕してから、彼女は色々と箍が外れていた。

 

 

「ちょ、なのはっ!?」

 

「ま、待っ、子供の言う事だから――」

 

「声を揃えて……何時からそんなに仲良くなったのかな、二人とも?」

 

 

 慌てて説得しようとした二人に、嗤いながら声を掛けるは一人の女。

 高町なのはと共に部屋に入って来た月村すずかは、確信犯の如くに嗤っていた。

 

 そして、ユーノはその笑みに全てを理解した。

 

 

「くっ! すずかっ! 謀ったな! 月村すずかぁぁぁぁぁっ!!」

 

(君は良い友人だったけど、君の女誑しスキルがいけないんだよ。フフフ、フハハハハハ)

 

 

 コイツだ。諸悪の根源。己の天敵はこの女だ。

 この女がなのはを足止めし、絶妙なタイミングで中に入れたのだ。

 

 そう理解したユーノは叫ぶが、しかし届かない。

 これより訪れる友の末路を理解して、すずかは内心で高笑いを浮かべていた。

 

 

(くっ、だが僕とてなのはを愛する男だ。無駄死にはしない)

 

 

 敗北に叫びながら、思考を回すユーノ。

 そんな彼の肩に、ぽんと背後から置かれるのは惚れた女の白い指先。

 

 振り返った先には、太陽を思わせるのに冷たい笑顔が浮かんでいた。

 

 

「ユーノ君。……少し、頭冷やそうか」

 

 

 一番頭を冷やす必要がある人間が、にっこり笑って死刑を宣告する。或いは無期懲役の投獄刑か。

 微笑む女の笑顔は濁っていても、それでも綺麗な物だ。そう思ってしまうユーノ。彼も彼で末期であろう。

 

 

「機動六課に、栄光あれぇぇぇぇぇっ!!」

 

「……ほんっと、馬鹿ばっかりね。ここは」

 

 

 無駄死にしそうな台詞を吐きながら、翡翠の光に焼かれそうになっている青年。

 そんな馬鹿馬鹿しい遣り取りを溜息交じりに見詰めながら、まあこれも悪くはないかとティアナは小さく笑っていた。

 

 今正に放たれんとする光。だがそれは、新たに姿を見せた人物の力によって防がれる。

 義妹と同じく呆れの色を表情に乗せながら、歪みで取り上げた杖を手にクロノは軽く溜息を吐いた。

 

 

「戯れるのは良いが、後にしろ。それと高町、室内で砲撃魔法は使うな」

 

 

 奪い取った杖を持つ手とは逆の手で、頭を抱えながらにクロノは叱責する。

 そんな友人の姿に危機に陥っていたユーノは、ほっと一息を吐くと感謝の言葉を口にした。

 

 

「クロノ。……本気で助かったよ」

 

「後が大変だと思うがな。取り敢えず、痴話喧嘩は他所でやってろ、バカップル」

 

 

 安堵の息を吐くユーノに、結局問題を先送りしただけだと返すクロノ。

 彼は手にしたデバイスをユーノに渡すと、そのまま会議室の中央へと歩を進めた。

 

 そんなクロノの背に続く影。その数は七つ。

 ゼスト・グランガイツ。メガーヌ・グランガイツ。シャリオ・フィニーノ。シャッハ・ヌエラ。ヴェロッサ・アコース。ウーノ・ディチャンノーヴェ。

 

 そして――

 

 

「スカさん」

 

 

 トーマの見詰める先、常の薄い笑みを張り付けたのは狂気の科学者。

 複雑な感情を抱きながらに彼を見詰めるトーマに対し、スカリエッティは彼にしては珍しく真摯な声で言葉を返した。

 

 

「聞きたい事、言いたい事、色々あるとは思うよ。トーマ」

 

 

 それこそ、問うべき事。聞くべき事は多くある。

 リリィの事。エクリプスの事。そして何よりエリオの事。

 

 そんなトーマの感情を理解して、だからスカリエッティは約束した。

 

 

「後で話そう。逃げ隠れはしないと約束するさ」

 

「……はい」

 

 

 後で語る。必ず語ると。その言葉を信じて、トーマは素直に頷くのだった。

 

 

「さて、これで全員だな。略式だが、これより六課隊主会を行う」

 

 

 そして必要なメンバー全員が揃った事を確認し、椅子に腰かけたクロノは告げた。

 

 

 

 

 

3.

 円卓を囲む椅子に腰掛ける機動六課、古代遺産管理局の面々。

 その主要構成メンバーの顔を見回しながら、クロノは先ず労いの言葉を口にする。

 

 

「さて、先ずは無事を喜ぼう。全員、良く先の襲撃を乗り切った」

 

 

 ホテル・アグスタでの激闘。地獄が一番近い日(クリミナルパーティ)を乗り切った。そんな彼らの奮闘を此処に称えた。

 

 

「フィニーノ一等陸士」

 

「はい」

 

 

 そしてクロノは視線を移すと、目配せされた女が頷き端末を操作する。

 会議室の中央にある投射型のモニタが起動して、其処に文字の羅列が映し出された。

 

 

「今回の被害状況。遺産管理局の受けた被害と、それ以外の犠牲者の数だ」

 

 

 其れは今回の一件で、生じた被害と犠牲の数。

 失った戦力と奪われた命の数に、その場の誰もが表情を歪めていた。

 

 

(ザフィーラさんは)

 

 

 文字を目で追うキャロは、己を庇ってくれた守護獣の名を探す。

 先の一件が終わってから倒れたザフィーラの名は、重軽傷者の中に並んでいた。

 

 死んではいないらしい。その結果に安堵の吐息を吐いて、今はどうしているのだろうと思考する。

 そんな彼女の小さな反応に多くの者は気付く事もなく、視線で被害者の数を数えながらに表情を暗くさせていた。

 

 

「……やっぱり、多いね」

 

「最悪は避けられた。だが傷は浅くない」

 

 

 呟く様な声音に、返されるのは局長の冷たい言葉。

 

 全滅と言う最悪の結果は避けられた物の、最善どころか次善すらも掴めていないこの現状。

 山岳リニアレールの時よりも尚明確に、機動六課が反天使に敗北した事を此処に示していた。

 

 

「世間の評判。その悪化は避けられない。反天使にしてやられたと言う事実は、今後も付き纏ってしまう」

 

 

 人員と言う面に限れば、六課の傷は浅い。主要メンバーの内、動けなくなったのはザフィーラのみだ。

 

 だがしかし、その評判は大きく下がったと言えるだろう。

 六課が防衛に回っていて、それでも反天使からホテルを守れなかった。

 

 その結果は、六課を英雄視していた民衆にとっては恐怖以外の何物でもない。

 

 

「生存者の多くは我々の後援に回る事を約束してくれたが――それでも採算が取れるとは言えない結果だ」

 

 

 最高評議会への反抗。それを為すのに必要な支援者は此処に手に入れた。

 だがそれで収支が均等になるかと言えば否。民衆の不安を煽る事になったと言う状況は、酷く痛い。

 

 まだ全ての信用が失われた訳ではない。機動六課と言う英雄達は、まだ華々しいと言えるだろう。

 

 だがこれで最高評議会を敵に回した時、一体何処まで人は付いて来てくれるのか。

 彼らの為した悪徳の多くを世に明かした後で、それでも古代遺産管理局を支持してくれるのだろうか。

 

 恐らく、此処が臨界点。これ以上の失態は、もう取り返せないのが現状だ。

 

 

「故に先ずは、どうしてこうなったのかを問わねばならない」

 

 

 故にクロノはそう断ずる。もう失敗は出来ないから、この失態の原因を探って次に活かさねばならないのだと。それこそが、皆を此処に集めた理由であった。

 

 

「……魔群の高火力砲撃を、防げなかった事が原因ですか?」

 

 

 おずおずと、キャロは手を上げ口にする。

 先の戦いにて自分達が敗北したのは、偽神の牙(ゴグマゴグ)を防げなかった事が理由であると。

 

 

「違う。グランガイツ三等陸士。問題点は其処じゃない」

 

「おと――グランガイツ一等陸佐」

 

 

 そんな彼女の発言を、彼女の父が否定する。

 確かに偽神の牙が直接的な原因だ。だが此処に求められる解答とは、根本的な問題提起。

 

 

「砲撃を防げない事が問題なのではなく、防げない砲撃を撃たれた事が問題なのだ」

 

 

 詰まりはそう。偽神の牙を防げなかった事ではなく、その砲撃を察知できなかった事が問題だった。

 

 

「事前予測。事前察知。――ううん。そんな高度な物じゃない。周辺の索敵を最低限にでもしていれば、直前にでも魔力反応は追えた筈」

 

「考えて見りゃ変な話よね。砲撃受けるその瞬間まで、緊急警報一つも発生しないなんて」

 

 

 月村すずかとアリサ・バニングスが共に頷く。

 

 魔群が観測班の上手を行って、直前まで気付かせなかったと言う事も出来るであろう。

 仮にその隠蔽を抜けたとして、事前に分かっていて、それで防げたかと言えば疑問はあろう。

 

 だが問題なのは、アグスタが消滅する直前になっても警報一つなかった事だ。

 司令部であるロングアーチが現場の異常に気付けたのは、トーマの暴走が始まった後なのだ。

 

 それまで気付けなかった。それは余りに異常が過ぎよう。

 

 

「……当日、ロングアーチの管制を担当していた者は、既に思考捜査を受けています」

 

「その結果はグレー。状況的には黒と言うしかないが、証拠は全く出て来ない」

 

 

 当日司令部に詰めていたメガーヌがそう口にして、思考捜査を行ったヴェロッサが言葉を補う。

 

 

「あの日司令部に詰めていたメンバーは全員、あの瞬間の記憶を失っている。何かされたようだけど、何をされたのか分からない」

 

 

 何かがあった。確実にあの日、ロングアーチには何かがあった。

 だがそれを現場に居た者らも分からない。その脳裏を覗いた査察官も分からない。

 

 故に限りなく黒に近いグレー。確実に言える事は唯一つ、あの日司令部は何者かの妨害を受けていた。

 

 

「重ねるなら、もう一つある」

 

 

 そして、あの日起きた異常はそれだけではない。

 完全にしてやられた理由は、司令部の沈黙だけが理由ではないのだ。

 

 

「サーチャーとレーダーによる警戒網だけではない。事前に古代遺産管理局の人員を配置して、アグスタに立ち入る人間は全てチェックしていた」

 

 

 司令部からの警戒網だけではない。各分隊の警備網だけでもない。ホテル・アグスタには、もう一つの防衛網が存在していた。

 

 それが零課のメンバーの一部と、遺産管理局の人員による出入の徹底管理だ。

 あの場に無関係なモノは立ち入れず、出入りする際には局員がその眼を光らせていた。

 

 その上招待客ではないホテル関係者には、前日に厳密な徹底的な身体検査を受ける事を義務付け、更に当日には外出禁止と言う決まりが与えられていたのである。

 

 それ程に今回、機動六課は執拗なまでに警戒網を用意した。

 それなのに突破されてしまった。それが最大の誤算だったのだ。

 

 

「完全な外部関係者が立ち入れる筈がない。なのに何故、魔群はその毒を仕込めた?」

 

 

 エリキシル中毒者が入り込めば、確実に気付けた筈だった。

 事前に毒が仕込まれると言う可能性を考慮しない筈がなく、対策は出来ていた筈だったのだ。

 

 だが現実の答えとして、クアットロの毒は仕込まれていた。クロノは故に膝を付いて、その傷は今も残っている。何故そうなったのか。答えは一つしかあり得ない。

 

 

「拘束された料理人の体内からは、多量のエリキシルが検出されてます。ですが前日、彼がホテルの厨房に入る前に行われた検査では、エリキシルの反応は出ませんでした」

 

「詰まり厨房に入った後にエリキシルを入れられたか、誰かが検査結果を改竄したか、だ。……そして残念な事に、前者の可能性はあり得ない」

 

 

 捕縛された当日の調理担当者は、中度のエリキシル中毒者になっていた。

 それだけの変異を起こせる量の麻薬。隠し持って当時のアグスタに入り込むのは、検査を誤魔化すより難しい。

 

 当日勤務者の証言から、調理長が調理中に怪我をしたと言う発言。使われていた料理包丁からエリキシル反応が出た事。

 その事実から考察するに、エリキシルに汚染された己の血液を調理に混ぜた。それが先の感染拡大の原因であったと見るのが自然だ。

 

 調理長はあの日よりも前から、エリキシル依存者となっていた。ならば検査結果を改竄した誰かが居る。そう考えるのが当然なのだ。

 

 

「……それって、裏切り者が居たって事、ですか?」

 

「そうなります。……そして当時の検査責任者は、事件の翌日に自宅で首を吊っている姿で発見されました」

 

 

 慣れない言葉使いで問うルーテシアに、シャリオは表情を暗くしながら言葉を返す。

 裏切り者とは言え、身内の自殺。その発言に誰もが顔を暗くして、どうしてそうなったのかと胸中で呟いた。

 

 

「裏切り者とは、嫌な話です。……ですが、これで一応は終わったんですよね?」

 

 

 その空気を塗り替える様に、シャッハ・ヌエラが口を開く。

 裏切り者が自殺した以上は、これで話は終わりなのだろう。

 

 そんな彼女の期待が籠った発言は――

 

 

「――ところが、話はそう簡単には行かない」

 

 

 沈鬱な表情を浮かべたクロノの言葉で、完全に否定されていた。

 

 

「当日に起きた不審な出来事。その全てを自殺者の責任とするには、おかしな所が最低でも一つはあるんだ」

 

 

 現場の検査責任者。それが内通者だと仮定して、だがそれでは解決しない問題がある。

 クロノの発言を聞いて思考を回していたアリサは、それが何を示しているのか直ぐに行き付いた。

 

 

「……おかしな所。――っ!? 三提督っ!!」

 

「ああ、そうだ。その自殺者が犯人とした場合、それだけがどうしても説明付かない」

 

 

 その老女達に守られた女だからこそ、その違和に直ぐ気付く。

 もしも検査責任者が黒幕だったと仮定して、だが件の人物が三提督を弑逆出来る訳がないのである。

 

 彼女達が来訪したのは当日で、検査責任者が立ち会ったのは前日だ。

 そんな時間的な問題に加え、もう一つ。一部署の責任者程度の機密レベルでは、三提督の来訪を知る事が出来ないのだ。

 

 

「クローベル統幕議長とフィルス相談役が来訪していた事実を知る者は、特に少ない筈だった。分隊長でさえ情報が回ったのは現場に着いてから、司令部勤めではグランガイツ副指令しか知らなかった情報だった」

 

 

 その時現場に居らず、その来訪すら事前に知れない立場に居た。

 そんな人物がどうして、最高峰の警備体制にあった二名の老女を弑逆出来たのか。

 

 

「なのに、どうして両名が殺害された? 一体何時、犯人はそれを知ったのか。一体何時、犯人は実行に移ったのか」

 

 

 いいや、其れ以前の話。現場を見ていたなのはとアリサは気付いている。

 

 クローベル統幕議長とフィルス相談役は、単純に殺害された訳ではなかった。

 まるで操り人形の如くに利用されて、死した後も辱めを受け続けていたのである。

 

 そんな異常。そんな異質。それを見つかったら自殺する。その程度の裏切り者に為せる物か。どう考えても不可能だ。

 

 

「詰まり、裏切り者はまだ何処かに居る?」

 

「……それも、事前開示されない事を知れる立場に居る、って事ですよね」

 

 

 ならば黒幕は他に居る。その自殺者は蜥蜴の尻尾か犠牲の羊。

 そう誰もが結論付けた時、その場に居た多くの者がある一人の人物を見ていた。

 

 

「おや、其処で何故、全員揃って私を見るのかね?」

 

「残念ですが、当然の結果かと。ドクターは控え目に言ってもアレな人物ですから」

 

「言われてしまったねぇぇぇ! しかしウーノ。生みの親である私に対して風当たりが強くないかね!?」

 

 

 ジェイル・スカリエッティ。反天使の生みの親。

 管理局技術部の頂点に立つこの男なら、黒幕であっても違和はない。

 

 そう疑念の視線を向ける六課メンバーに、溜息を漏らしながらクロノは否定の言葉を告げていた。

 

 

「残念だが、そいつは白だ。あの時、最高評議会に呼び出されていたスカリエッティは動ける立場に居なかった」

 

「クロノ君!? 残念とはどういう意味かね!?」

 

「それは僕も保証しますよ。一応そいつ、三日に一度は思考捜査受ける事が義務になってるんで、僕に対して隠し事が出来ないんですよ」

 

「あからさまに嫌そうな顔をしないでくれるかね!? 何がそんなに嫌なんだ。ロッサ君!!」

 

「お前がロッサ言うな。三日に一度、頭がイカレタ男の思考を覗かないといけない僕の苦労を少しは知れ」

 

 

 裏切り者は確かに居る。ジェイル・スカリエッティは怪し過ぎる。

 だが彼ではない。彼だけは裏切り者ではないのだと、その状況が告げていた。

 

 

「話を戻すぞ。今此処で重要なのは、ほぼ確定で内通者が居ると言う事実だ」

 

 

 裏切り者。内通者。反天使に対して情報を送り、その活動を支援する者が六課に居る。

 

 

「古代遺産管理局結成前に、参加者は全員が思考捜査を受けている。お前達も同じく、秘密裡にだが中身を暴いた」

 

 

 済まないと思っている。だが必要な事だった。

 思考捜査されていたと理解して、顔色を変える彼らに詫びながらクロノは続ける。

 

 

「その時点では、内通者は居なかった。断言しよう。()()()()()()()()()()()()()()()。ならば当然、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「だが我々は式典からこちら、()()()()()()()()()()。そしてこの三日の内に行われた思考捜査で、()()()()()()()()()()。となると、答えは単純。何者かが誰かと入れ替わっている」

 

 

 内通者が入って来たのは、機動六課結成より後。だが追加人員がいない以上は、それは裏切り者となる。しかし裏切り者はいないのだから、なら成り代わりが其処に居るのだ。

 

 基地司令と副指令。指導者に当たる二人の男は、表情を険しくしながらに断言した。

 

 だがそんな言葉に、反論の声を上げる者も居た。

 

 

「待って下さい。ハラオウン局長。それはあり得ません」

 

 

 栗毛の女。高町なのはだ。魂を見る事の出来るこの女は、それだけはあり得ないと断言する。

 

 

「中身が変わっていたら、流石に気付きます。魂までも偽る術は、このミッドにはありません」

 

 

 最初から入っていた者が裏切ったなら兎も角、途中から入って来た者が入れ替わっている筈がない。

 外部から、誰かが入り込めば流石に気付く。中身が変われば違和を感じずにはいられない。

 

 そう語るなのはの言葉に、しかしクロノは否定を返した。

 

 

「……だが、それを可能とする者を僕は知っている」

 

 

 高町なのはの魂の見る目。それを誤魔化せる者が居る。

 ヴェロッサ・アコースの持つ思考捜査。それを欺ける者が居る。

 

 白衣の狂人からの伝聞で、その存在を確かにクロノは知っていた。

 

 

「スカリエッティ」

 

「説明なら、任せたまえ。研究者と言う生き物は皆、自慢したがりなのだからねぇ」

 

 

 語れと、それを生み出した製作者に命じる。

 入れ替わっていると、クロノがそう断じた理由を狂人は此処に告げるのだった。

 

 

「三柱の反天使。その最後の一つ。魔鏡アスト」

 

 

 神殿の聖娼。未来を識る者。中傷者たるアスタロス。

 それこそが古代遺産管理局上層部の彼らが、内通者と目する最後の反天使。

 

 

「人の脳を介して魂に干渉するあの子ならば、誰かの魂を偽る事さえ簡単だ」

 

 

 魔鏡アストは、人の脳を介してその魂に干渉する。

 一瞥しただけで他者の五感を乗っ取り、果てにはその異能や記憶までも模写して奪い取る。

 

 そんなアストがその気になれば、内に膨大な魂を秘める他者さえも写し欺く事が出来るのだ。

 

 

「死者ではなく生者を模写するならば、あの子が知れない事はない。脳が欠損した残骸を真似るのとは違う。些細な呼び間違いすら起こらない」

 

 

 ティーダの記憶は、脳が破損していたが故に完全模倣が不可能だった。

 だがそれでもあれ程の完成度。その魔鏡が偽りの仮面(ライアーズマスク)を其処に着ければ、見付け出すなど不可能だ。

 

 

「はっきり言おう。今この場に集った君らの内、誰かが魔鏡であったとしても私は驚かないよ」

 

 

 それこそ、今この場に居る誰かが魔鏡であってもおかしくない。ジェイル・スカリエッティは嗤いながら、そんな事実を語るのであった。

 

 

「……全ては状況証拠の域を出ないが、ほぼ確定と見て良いだろう」

 

 

 それは未だ推測の域を出ない。物的証拠など出ていない。だがそれでも、確信と共に断言出来る。

 

 

「機動六課。古代遺産管理局。()()()()()()()()()()()()()

 

 

 既に魔鏡は此処に居る。最後の反天使は当の昔に隠れ潜んで、内から機動六課を攻撃していたのだと。

 

 

「……それで、ハラオウン局長はその上で、どうされる御積りですか?」

 

「今は知っておいてくれるだけで良い。魔鏡が潜んでいる事。そいつは誰だって偽れると言う事を」

 

 

 多くが一瞬黙り込んで、最初に気を取り直した金糸の女が問う。

 どうする心算かとアリサに問われて、クロノは表情を変えずにそう返した。

 

 暗く沈み込んだ機動六課。そんな彼らの中にあって、平静そのままの狂人は嗤いながらに口を開く。

 

 

「一応例外はあるよ。高町なのは。トーマ・ナカジマ。ユーノ・スクライアの三名は例外にしても良いだろうさ」

 

 

 魔鏡が偽れない例外は三名。トーマ・ナカジマの内に秘める神は、さしもの魔鏡とて模倣出来ない。そして高町なのはとユーノ・スクライアは繋がっているが故に、片方を真似しても意味がない。だからこの三人だけは、魔鏡である筈がない。

 

 

「それでも、それ以外の人間は、誰が魔鏡であってもおかしくない。それ以外の人間が、何時魔鏡に取って変わられてもおかしくはない」

 

 

 だが例外はその三人だけ。それ以外の誰しもが、魔鏡でないとは断言できない。

 そして最悪の状況。この今は魔鏡でなくても、次に会う時には魔鏡になっている可能性もあるのだ。

 

 

「……小娘の歪みは」

 

「私のこれは、そういう用途には使えないんですよ。バニングス執務官」

 

 

 三日の訓練に付き合って、ティアナの歪みを知ったアリサが確認する。

 だがそんな小さな希望は、他でもないその歪みの所有者によって否定された。

 

 

「何と言いますか。答えそのものを見る訳じゃなくて、もっと漠然とした異能なので……嘘発見器的な使い方は出来ません」

 

「その点で言えば、僕の思考捜査が一番なのでしょうが――」

 

「相手が魔鏡なら、それは悪手だ。あの子は人の記憶を改竄する。思考捜査出来る程に近付けば、その影響は避けられんよ。今の私の様にねぇ」

 

「……揃って使えない奴らね。特に製作者」

 

「酷い言われようだねぇ」

 

 

 魔鏡を見付け出す術はない。事前に見付け出す手段は、何処にも存在しないのだ。

 

 

「次の任務は、公開意見陳述会。我々にとって本命となるこれで、先の様な失態を晒す訳にはいかない」

 

 

 故にクロノは此処に告げる。この今になって告げるのは、目前に迫った大一番があるからこそ。

 

 

「各自協力を蜜に――だが自分以外を信用し過ぎるな」

 

 

 もう失敗は出来ない。内通者に足を引かれる事は確定で、それでも失敗だけは出来ないのだ。

 

 

「誰が何時裏切ってもおかしくはないのだと、誰が裏切ったとしても動ける状態を維持するのだと、肝に銘じておいてくれ」

 

『はっ!』

 

 

 だからこそ、最悪を常に念頭に置いた上で動いて欲しいと口にする。

 そんな彼の発言に皆が揃って答礼し、此処に隊主会は一先ずの幕を迎えるのだった。

 

 

 

 

 

4.

 誰もが去った会議室。其処に顔を合わせる人の数は三。

 トーマ・ナカジマとリリィ・シュトロゼック。寄り添う二人の前に立つのは白衣の狂人。

 

 漸く、語り合う時が来た。全てを此処に、明かす時が来た。

 この状況に身構えるトーマを前にして、ジェイル・スカリエッティは常の笑みを浮かべている。

 

 

「スカさん」

 

「約束だったね。さぁ、話そうか」

 

 

 トーマの中に渦巻くのは、言葉にし辛い無数の疑念だ。

 エリオの言葉。スティードの言葉。先に語った男の言葉。渦巻き続ける内心は、筆舌するのも難しい。

 

 

「何を聞きたい? 何を知りたい? 教えようとも、嘘は言わんよ」

 

 

 そんな少年の内心を理解して、それでも狂人は変わらない。

 だが嘘偽りを言おうともせずに、こうして向き合っているのが彼にとっての誠意だろう。

 

 

「…………」

 

「トーマ」

 

 

 何を問うべきか。何を聞くべきか。何を言うべきか。

 悩む少年の拳を優しく包む掌。見上げる少女の手を握り返して、一つ頷いたトーマは前を向いて問い掛けた。

 

 

「リリィを作ったのは、貴方ですか?」

 

「ああ、そうだ。君を完成させる要素として、私がその子を生み出した」

 

 

 先ず言葉にしたのは、今傍らに寄り添う少女。

 リリィ・シュトロゼックの素性を問うたトーマに対し、スカリエッティは微笑みながらに製作理由までも語る。

 

 全てはトーマを完成させる為に、その言葉に繋いでいない手を握り絞める。

 この疑問は一番聞きたい事ではない。先ず第一声は当り障りのない事を、そんな事は両者共に知っている。

 

 だから次は最も知りたく、だが心の何処かで知りたくはないと思う言葉を問う。

 

 

「エリオを――反天使を生み出したのは、貴方ですか?」

 

「ああ、そうだとも。私があの子達の生みの親だ」

 

 

 先の会議でも語った様に、反天使の製作者が彼である事は最早周知の事実だ。

 明言こそされていなかったが、それでも実質的には認めていた。だからこの問い掛けは、確認にしかならなかった。

 

 そしてトーマは、次に問う。それは其処から一歩を進んだ、現状への問い掛けだ。

 

 

「……今のこの現状、全てが貴方の目論見ですか?」

 

「いいや違うよ。あの子は私を超えた。既に此の手の中には居ない」

 

 

 返る答えは否定。今の現状は、スカリエッティの狙った物ではない。

 そんな言葉にトーマは安堵する。大切な身内の一人である彼が、この今も悲劇を作り続けてはいないのだと知り安堵した。

 

 だが、そんな少年の安堵にも気付かず、狂人は此処に最悪の言葉を口にする。

 

 

「喜ばしい話だ。本当に、喜ばしい話だよ」

 

「……喜ばしい、だって」

 

 

 この現状を、喜ばしい。満面の笑みでそう語るスカリエッティに、トーマは溢れんばかりの怒りを抱いて叫びを上げた。

 

 

「人が、人が死んだんだぞ!」

 

 

 掴み掛かる。リリィの手を放して、空いた右手で白衣を掴む。

 怒りの形相を顔に張り付けた少年は、ジェイル・スカリエッティにその道理を叩き付ける。

 

 

「其処に居た。当たり前に生きていた。唯平穏に生きていて、幸せにありたいだけだったのにぃっ! それを、アイツらがっ! それをアンタはっ!!」

 

 

 エリオは殺した。クアットロは殺した。余りに多くを殺し続けた。

 その犠牲者。その膨大な被害。それをこの白衣の男は、それでも喜ばしいと語るのか。

 

 

「喜ばしいって、そう言うのかよっ!!」

 

 

 それは許せない。それは許さない。そんなトーマの形相に、しかしスカリエッティは揺らがない。

 

 

「そうとも、そう言うとも」

 

 

 ニヤリと嗤って、男はその道理を踏み躙る。

 この狂気の科学者にとって、人の道理などちり紙程度の価値もない。

 

 

「我が求道に比べれば、万象皆全て路傍の石にも劣る――とまで言う気はないがねぇ」

 

 

 人の情にて語る少年に、狂人が返すのは冷徹な算術。

 少年が一つの命に対して感じる価値よりも、男が見ている世界に溢れる命の価値は遥かに軽い。

 

 

「そんなに重要な物ではないだろう? 質の悪い素材が幾つが壊れて、結果として作品の価値が示されるなら、それは求める利益として十分過ぎる」

 

 

 例えばトーマが語る命の価値を百としよう。だがその命、この狂人にとっては一か二にしか感じ取れない。

 

 対してスカリエッティの価値観で言えば、その子らの活躍には億にも代えがたい価値がある。

 故にこそ、一か二にしか過ぎない命を数百数千数万と奪ったとして、それで十分お釣りが来るのだ。

 

 価値を感じていない訳ではない。ただ十分な収支はあった。だから狂人が返すのは、冷徹な意志による算術だ。

 

 

「……質の悪い、素材?」

 

「そうとも、私の目から見て、世の中の全ては私の実験材料だ」

 

 

 この白衣の狂人にとって、決して揺らがぬ価値基準。万象全ては実験材料。それこそがこの狂気の意志が見ている世界の全てだ。

 

 

「それは君も変わらない。大丈夫。大切だとは思っている。君は代えの効かない、とてもとても大切な素材で作品だ」

 

「っ! そうじゃないっ! そうじゃないだろっ!!」

 

 

 それはトーマにとって、決して受け入れられる価値観ではない。

 白衣を掴む手に力を込めて、揺さぶりながらに縋る言葉を口にする。

 

 

「俺は、僕は、アンタの事、恩人だって、恩師だって思っていて――っ!!」

 

「だから、私も素直に答えている。隠し事をしていない。これが私の好意の形だ」

 

 

 だが、届かない。余りに男はズレている。どれ程大切に想っても、同じ答えは返らない。

 

 

「何でっ! アンタはっ!!」

 

「それが私の求める道だからだ」

 

 

 道を求めた狂人は、その道以外には振り向かない。

 どれ程大切に想った相手であったとしても、必要ならばどれ程にでも無残に壊してしまえるのだ。

 

 

「神を殺す。神を弑逆する。その為に、その為だけに――だから、君にはこれでも感謝している」

 

 

 求めたのは、神を殺せる者を生む事。願ったのは、遥か昔に生まれし神座の超越。己こそが至大至高の頭脳であると、示す為にこそ求道を歩く。

 そんな男の目から見て、トーマ・ナカジマは最高の教材だった。友の弟子である事以上に、だからこそジェイル・スカリエッティはこの少年に感謝している。

 

 

「君の身体はとても良い素材だった。君の身体には、幾つもの手を加えさせて貰った」

 

 

 その細胞一つを取っても、人とは確かな違いが存在する。

 治療と称して身体を開いて、見付けた物は正しく情報の宝物庫。

 

 この少年を知る事で、確かにスカリエッティは叡智へ何歩も近付いた。

 

 

「例えば、その身にあるリンカーコア。神の魂を宿しながらも、ああ、どうしてその器官が君に存在しているのか?」

 

 

 リンカーコアとは、魂の破損を埋める為に進化の中で人が得た器官。

 其れがどうして神の器にも存在するのか。それは他者のリンカーコアとどれ程に違うのか。

 

 

「他のそれと何が違うのか、確認する為に少し砕いてみた事もある」

 

 

 実験の為に開いて取り出し、砕いて検査した。

 彼が心からの信頼を向けてくれていたからこそ、それを易々と行えたのだ。

 

 

「比較対象にしたエリオのそれと、君のそれ。砕いた欠片を入れ替えた。互いの体細胞も一部入れ替えて、先の共鳴現象の理由はそれだ」

 

 

 エリオの体内に埋め込んだ無数のリンカーコア。中でも中核となっていたエリオ・モンディアル自身のそれ。

 それをトーマと同様に取り出し砕いて、砕いた物を入れ替えた。今、トーマの中にはエリオの一部が存在し、エリオの中にはトーマの一部が存在する。

 

 魂が繋がっている。肉体が繋がっている。後は精神が一致すれば、彼らは同一の存在として共鳴を始める。

 

 

「強くなる。強くなるんだ。君達は同じ感情に支配された時、魂の繋がり故にとても強く成長する。白百合と言う切っ掛け一つで其処まで染まったのは、その共鳴が故だよ。トーマ」

 

 

 陰陽合一とは異なるもう一つの解答。余り好かない形であるが、それもまた一つの神殺しと言えるだろう。

 

 

「エリオの魂が、俺の中に――」

 

 

 自分の中に憎む敵の魂がある。その事実に驚愕するトーマ。

 そんな怒りよりも大きな感情に揺れる彼に向かって、スカリエッティは自慢する様に嗤いながら説明を続ける。

 

 彼が言った様に、研究者は自慢したがりだ。

 だからこそ誰にも言えなかったその自慢を、地雷を踏むと分かって口にする。

 

 

「エクリプスと言う毒も十分に機能した。魂の強化に肉体が追い付ける様に、それは確かに機能を発揮した」

 

 

 それは、エクリプス・ウイルスの真実。

 他でもない、この男が最初に行ったトーマへの実験内容だ。

 

 

「……待て、おい、待ってくれよ」

 

 

 信じたくない。信じたくはない。困惑する思考の中に、縋り付く様に言葉を紡ぐ。

 

 

「エクリプスの暴走、それを止める方法を教えてくれたのは、スカさんで――」

 

「それは当然だ。何しろ私が作った物。この世で私程に、それを知る者はいないだろうさ」

 

「――っ!!」

 

 

 そんな言葉は、信じたい人の言葉に否定された。

 白衣を掴んでいた手から力が抜けて、トーマの腕は力なくだらりと下がる。

 

 

「ヴァイセンで人が死んだ。沢山、沢山、人が死んだ」

 

「ああ、そうとも、それも私だ」

 

 

 覚えている。忘れていない。沢山の人が死んだのを。

 力なく呟くトーマの言葉に、嗤いながらスカリエッティは肯定の意を示す。

 

 

「エクリプスの暴走で、一杯、一杯巻き込んだ。あのホテル・アグスタで、沢山の人を巻き込んだ」

 

「ああ、そうだとも、それも私だ」

 

 

 あの日のホテル・アグスタに、その傷跡は未だ残っている。

 世界を分解する光によって、周辺地形は壊し尽されて穴だらけとなっている。

 

 其処には人が居た筈なのだ。無関係な人が居た筈なのだ。

 その引き金を引いたのはトーマであっても、その元凶を生み出したのがスカリエッティと言うならば――

 

 

「ユーノ先生の、腕を奪った。もう二度と戻ってこない、その原因が――」

 

「それも私だ」

 

 

 其処でせめて、少しでも悪いと思ってくれたなら――

 其処でせめて、僅かにでも反省の意志を見せてくれたなら――

 

 だがこの狂人に、そんな物がある筈もない。故に――

 

 

「だが、それが何だと言うのかね?」

 

「――っ!」

 

 

 其処に怒りを、感じずに居られる筈もない。

 

 

「ジェイル・スカリエッティィィィッッ!!」

 

 

 拳を握り締めて、大きく振りかぶる。

 振り抜いたその右手は狂人の顔を打ち抜いて、その身を大きく吹き飛ばした。

 

 運動不足気味の肉体は、軽々と宙を舞って壁にぶつかる。

 大きな音を立てて地面に落ちたスカリエッティは、血反吐と共に折れた歯を吐き捨てた。

 

 

「……これだけかね?」

 

 

 怒りの形相で、殴り飛ばしたトーマ・ナカジマ。

 だが彼の拳はそれだけで、其処に追撃などはない。

 

 だからこれだけか、そうジェイル・スカリエッティは問う。

 

 

「これで終わりかね? トーマ・ナカジマ」

 

 

 座り込んだジェイル・スカリエッティ。殴り飛ばされ立てない狂人は、未だ怒りを抑えられない少年を見上げて問う。

 

 

「今ならば、殺せるよ。その処刑の剣ならね」

 

 

 許せないなら、まだ殴れば良い。それでも足りないなら殺せば良い。

 此処で終わると言う結果は困るが、散々に命を奪って来た己が命乞いなど道理が伴わぬだろう。

 

 だから憎いならば殺せ。静かに告げる狂人に、トーマは手を握り締めて言葉を紡ぐ。

 

 

「……アンタは、許せない」

 

「ああ、そうだ。当然だろうさ」

 

「この今にある悲劇。その多くの元凶を、俺はどうしても許せない」

 

「そうとも、そうであるとも、私こそが元凶だ」

 

 

 許せない。許してはいけない。ジェイル・スカリエッティは外道である。だが、だがそうだとしても――

 

 

「だけど」

 

 

 それでも、トーマには別の想いもある。

 唯単純に外道であると、討てない理由が其処にはあった。

 その擦れてしまった記憶の中に、その理由は確かにあったのだ。

 

 

「それでも、僕は憎めない」

 

「…………」

 

 

 憎めないのだ。許せないのに憎めないのだ。

 ジェイル・スカリエッティは憎悪を向けるには、余りに近く大切過ぎた。

 

 

「貴方が居たから、僕はエクリプスに向き合えた」

 

「……所詮はマッチポンプだよ。元凶なのはこの私だ」

 

 

 トーマがエクリプスウイルスを抑えて生きて来れたのは、ジェイル・スカリエッティが居たからだ。

 例え全てが彼の掌中。マッチポンプに過ぎない悪意であったとしても、それでもあの日に助けになってくれたのはこの人だった。

 

 

「貴方が居たから、僕はリリィやスティードに逢えた」

 

「必要だったから、用意しただけだ。感謝される由縁はないよ」

 

 

 トーマがスティードやリリィに出会えたのは、それを生み出した人が居たからだ。

 ジェイル・スカリエッティにどんな理由があったとしても、この出会いを嬉しいと思うなら、それは憎めない理由になってしまう。

 

 

「貴方は、多くを教えてくれた。身体の調整の為に通う時、何時だって色んな事を教えてくれた」

 

「改造する為に、油断させていただけだよ。多少の自慢もあったけどね」

 

 

 研究所通いだった幼い日々。あの日母を喰らった日から、トーマはスカリエッティの元に通っていた。

 塞ぎ込んだ少年を元気付けたのは、一番はやはり師であるユーノだろう。二番はきっと父たるゲンヤ・ナカジマか。

 

 だから三番目。面白い話をしてくれて、偶に道化として遊んでくれて、そんな人は確かにトーマにとって大切だった。

 

 

「理由はあった。受け入れられない。許せない理由は確かにあった。……それでも、スカさんは僕の恩師で恩人だった」

 

 

 その日々は輝いていた。どんな悪意が裏にあって、どれ程冷たい意志で縛られていたのだとしても、それでもその日々は輝いて見えた。

 

 

「許せないよ。だけど憎めない。憎み切れないんだ。貴方の事をっ!」

 

 

 トーマは真実を知って、それでも狂人を憎めないでいる。

 このジェイル・スカリエッティを許せないと感じていて、それでもこれ以上傷付ける事も無理だった。

 

 

「だから、この一発で終わりにする。殴り飛ばして、それで僕は貴方を受け入れるんだ」

 

 

 許せない。それでもそのまま受け入れよう。

 

 

「お願いだよ。スカさん」

 

 

 憎めない。だから変わって欲しいとお願いしよう。

 

 

「まだ、恩師で居て欲しい。まだ、恩人で居て欲しい。だから――」

 

 

 もう忘れてしまった記憶の中に、それでも感じる心は残っている。

 トーマの魂が彼を恩師と感じている。恩人だったと叫んでいる。だからそう在って欲しいのだと、此処に彼は口にする。

 

 

「何か報いを。奪った人々に報いを。僕が心から貴方を許せる様に、その為にも――生きていて下さい」

 

 

 許す為に報いを。心から許せる様になるまで、奪った全てに対する報いを。

 そう頼み込む少年の瞳は涙に濡れて、それでも満天の星空の様に何処までも輝いていた。

 

 

「…………全く、同じ事を言う。君は本当に、記憶を失っているのかね?」

 

「え?」

 

「彼も同じ事を言ったんだよ。友で在り続ける為に、許せる様に生きてくれ、とね」

 

 

 機動六課設立前、同じ様にスカリエッティは友へと語った。

 真実の全てを嗤いながらに告げた狂人に、たった一人の友人が返したのは容赦のない一撃だった。

 

 

「ユーノ先生、も、同じ事を」

 

「ああ、そうだとも、君達は良く似ている。いや、君が彼に良く似ている」

 

 

 友で居る為に、奪った命に報いて欲しい。

 そう手を差し伸べたユーノに、スカリエッティは苦笑しながらにその手を取った。

 

 だから今の彼は此処に居る。この狂人が機動六課に拘る理由の一つは、友と交わした約束が故なのだ。

 

 

「私の予想を超えたのは、あの子だけではなかった。そう、君もそうだった」

 

 

 あの日の友人(ユーノ)と同じ様に、己を何時か許すと語った少年(トーマ)。その内には確かに色濃く残っている。

 

 スカリエッティの想定通りに進んだならば、当の昔に神に飲まれて消えていた筈だった。それでもこの今になっても、教えられた事を色濃く残している。

 

 だから、この少年は超えたのだ。ジェイル・スカリエッティの思惑を、此処に確かに超えたのだった。

 

 

「喜びたまえよ夢追い人。君の内側には、確かに彼の教えが今も息づいている。君が全てを忘れても、その教えは消えていない」

 

「あ、あぁ」

 

 

 記憶は消える。でも感情は消えてない。

 其処にあった物全てが、何も残らなかった訳ではないのだ。

 

 だから、あの友人に良く似たこの子は――

 

 

「トーマ・ナカジマ。君は確かに、私の友の一番弟子だ」

 

 

 確かにユーノの一番弟子だ。そう認めるスカリエッティの言葉を受けて、膝を地面に付いたトーマは感極まった様に想いを零す。

 

 

「残ってた。忘れたと思って、でも、残ってた」

 

 

 残ってた。大切に想える感情も、教えて貰ったその事も、確かに此処に残っていた。

 

 

「全部じゃない。全部じゃない。全部じゃないけど、消えてなかった」

 

 

 全部は残っていない。多くが消えてしまった。もう思い出せない事は沢山ある。

 だけど残っている。全部じゃないけど残っている。あの日の景色も、あの日に抱いた想いも、確かに此処に残っていた。

 

 

(オレ)は、(ボク)は……」

 

 

 消えてなんてなかった。それがどうしようもなく嬉しかった。

 だから零れ落ちる涙は感涙。嬉しくて嬉しくて、トーマは此処に涙を零した。

 

 そんな少年を苦笑しながらに見詰めて、壁を使って如何にか立ち上がった男は語る。

 

 

「リリィ。誰が敵に回っても、決して裏切らずに、その子を――その子だけを支えてあげなさい」

 

「言われなくても、分かってる。私はずっと、トーマの味方」

 

 

 そんなスカリエッティの言葉を受けて、言われるまでもないと声を返す。

 溢れ出す激情に何も言えなくなっている少年を抱き締めながら、リリィは穏やかな笑みで微笑んでいた。

 

 

「そうか。ああ、そうか……それは良かった」

 

 

 壁伝いに歩きながら、白衣の狂人は去って行く。

 もう語るべき言葉はない。この場に留まる程に無粋でもない。故に足腰立たない程にダメージを受けながらも、彼はゆっくりと姿を消した。

 

 

 

 そして、蹲ったままに泣き続けるトーマ。

 そんな彼を抱き締めたまま、優しく撫でるリリィは語る。

 

 

「嬉しかったんだね。だったら今は泣いても良い」

 

 

 トーマの感情が分かる。リリィと彼は繋がっているから、その心が強く伝わってくる。

 

 

「伝わってくるよ。凄い、凄い嬉しいって、その感情。だから」

 

 

 流れ込んでくる感情は歓喜。何もかも失ったと思っていたから、まだ無くなっていない物が多くあると分かって嬉しいのだ。

 そんなトーマの歓喜の声に、リリィ自身も嬉しいと感じている。そんな彼が好きだから、何より嬉しいと感じていた。

 

 

「今は泣いて、また立ち上ったら一緒に進もう」

 

 

 今日は泣いて良い。今は泣いて良い筈だ。

 だから明日は立ち上がろう。立ち上がったなら一緒に進もう。

 

 

「見果てぬ夢を追い掛けて、その綺麗な先を一緒に目指そう」

 

 

 その夢は忘れてしまった。だが、その夢を見た日の感情は未だ忘れていない。

 だからこそその夢を聞いた時に、彼はそれをもう一度目指そうと思えたのだ。

 

 

「私はずっと、貴方と共に――愛しい人(モン・シェリ)

 

 

 ならばきっと、此処からなのだ。此処から先へと、夢追い人は進んで行く。

 何時か綺麗な、見果てぬ夢に辿り着くまで――夢追い人は傍らに咲く白百合と共に進み続けるだろう。

 

 

 

 

 

 




おおっと、スカリエッティ君ふっ飛ばされたぁぁぁぁっ!!

取り敢えずコイツは思いっきりぶん殴らないと駄目だと思いました。(小並感)




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第十九話 六課襲撃 其之壱

ヴィヴィオ回収とお母さん関係の話はアグスタ前にもうやってるし、今更地球虐めも特に必要ないし、六課最強もこの展開で持ってくるのはどうかと思った。

なので二週間の時間が飛んで、公開意見陳述会と六課襲撃になります。
サブタイトルはどっちにするかマジで悩んだ物の、六課襲撃の方が中身が濃いのでこっちで行きます。


推奨BGM
1.森羅万象太極之座(神咒神威神楽)
1の途中から.其の名べんぼう 地獄なり(相州戦神館學園 万仙陣)
2.若き槍騎士~Theme of Erio~(リリカルなのは)


1.

 光陰は矢の如く、時の針は進んで行く。

 二週間。葉が色を変えるには短く、されど蒔いた種が芽を出すには十分な時間の流れ。

 

 夢追い人は白百合と共に。師の元で共に過ぎし、一つ一つと過去を取り戻す。

 答えを望み続ける少女は己を磨く。何時か答えに至る為、片時も休まず飛び続ける。

 聖なる王の写し身は召喚士の少女らと共に、当たり前の日々を過ごしていた。

 

 あの日以来、機動六課に出撃はない。地獄に一番近い日の後に、彼らはその身を暫し休める。

 全ては一路、この先の為に。公開意見陳述会。地上本部の運用方針が決議され、その会議の様子が全管理世界に中継されるこの日の為に。

 

 そして、その日は此処に訪れる。二週間と言うモラトリアムは過ぎ去って、公開意見陳述会は此処に開催されるのだった。

 

 

 

 

 

 常は人の数が故に行き来が激しく、ある種の熱気に満ちていた隊舎内。

 今は閑散としてしまっている古代遺産管理局の食堂内にて、ルーテシア・グランガイツは全国放送の瞬間を待っている。

 

 もうじきに始まる意見陳述会に先駆けて、映し出される映像の中には上司の姿。

 画面に映る先達の雄姿に羨望を抱きながらに、置いていかれた少女は深い溜息を吐いた。

 

 

「……居残り組とか、割と最悪」

 

 

 古代遺産管理局のメンバーは、その大部分が既に地上本部入りを終えている。

 総勢九百名にも至る局員の半数以上が移動を終えていて、此処に居るのは指令室勤めの数十人とその護衛くらいである。

 

 ルーテシアもまた、現場に向かうと考えていた。だがそんな彼女の期待に反して、与えられた指示は隊舎にて待機。

 この大一番に参加できない。その不満に対して、愚痴の一つや二つは漏れるのも仕方なかろう。そんな彼女の愚痴に対して、対面に座った少女は行儀悪く肩肘を突きながら言葉を返した。

 

 

「居残り組はフォアード全員よ。アンタだけじゃないんだから、ぼやくなっての」

 

 

 同じく居残りを命じられた少女、ティアナ・L・ハラオウン。

 包帯塗れで湿布の臭いを漂わせた彼女に向かって、ルーテシアは疑問の声を上げていた。

 

 

「先ずそれが解せないのよ。私やキャロ、それにティアナが足手纏いになるってのは、百歩譲って理解出来なくもないけど、なら何で一般の武装局員は連れてくのかって事」

 

「……寧ろ逆よ、逆。トーマだけは、絶対に連れてけないの」

 

 

 力不足が認めるが、それでも六課以外の機動部隊には勝る。そう考えるルーテシアに対して、ティアナは待機命令の理由はそれではないのだと返す。

 トーマ・ナカジマが居るからこそ、フォアード陣は居残りを命じられた。それは単純な実力だけが故ではなく、彼の少年に施されたある施術が故であったのだ。

 

 

「スカリエッティのクソ野郎が言ってたでしょ? トーマとエリオは繋がっている。アイツが居る所には、高確率で魔刃がやってくんのよ」

 

 

 望む望まざると関わらず、トーマとエリオは互いに引き寄せ合ってしまう。

 まるで運命がそう帰結するかの様に、引き寄せ合った彼らは同じ意志の元に傷付け合う。

 

 現状、トーマは一歩も二歩も後塵を拝している。エリオはエース陣でも手に負えない程に強大だ。

 故にこそ、彼が地上本部を襲撃する可能性を減らしたい。それが迷信にも似た物だったとしても、可能性を下げる為に行っておくべきなのだ。

 

 

「流石に魔刃は片手間じゃ相手に出来ない。だからまあ、私ら居残り組が用意されたって訳」

 

「……詰まり囮ってこと? それこそ最低じゃない」

 

 

 本命はやはり公開意見陳述会。だとすれば、己達は捨て駒同然の囮であろうか。

 そう思考したルーテシアは表情を苦々しい物に変え、そんな彼女の早合点を馬鹿にするかのようにティアナは鼻で笑った。

 

 

「馬鹿ね。義兄さんが私達を捨て駒にする訳ないじゃない」

 

「どういう意味よ?」

 

 

 抱いた疑問に首を傾げるルーテシア。そんな彼女に相対するティアナは、自分のペースを崩さない。

 空いた片手に握ったスポーツ飲料に口を付け、それを一息に飲み干してからヤキモキしている幼子にへと語るのだ。

 

 

「魔刃対策は完璧よ。この今に出来る、万全な対策は用意してる」

 

 

 来ると分かっているならば、対処の用意は出来るのだ。

 故にこそ今の機動六課に出来る最大の対策を、魔刃に対して割いている。

 

 だから心配する事はないのだと、ティアナはそう語って笑い――

 

 

〈ならぁ、魔群の襲撃はどうかしらぁぁぁ?〉

 

 

 そんな思惑を覆す女が、この場へと現れた。

 

 

 

 

 

 甘ったるい猫撫で声と共に、硝子の割れる音が食堂に響く。

 人の神経を逆撫でする蠅声の羽搏き音を耳にして、二人の少女は弾かれる様に椅子から跳び上がる。

 

 

「Sancta Maria ora pro nobis」

 

 

 直後、膨大な量の蟲が入り込む。窓から、扉から、換気口の隙間から、入り込むは無数の蠅。

 瞬く間に新築の隊舎を黒く染め上げていく羽音に交じり、嘲笑う声で紡ぐ歌声は背徳の讃美歌(オラショ)

 

 

「Sancta Dei Genitrix ora pro nobis」

 

 

 鼻が曲がる程の悪臭と、その膨大な物量に景色は塗り替えられていく。

 白い館内の壁は汚物に塗れて、黒へと変わる。無数の黒が集まって、太陽の如き形を作る。

 

 

「Sancta Virgo virginum ora pro nobis」

 

 

 魔群形成。見下し蔑み嘲笑う美女の顔。形ばかりが整って、中身は腐臭を漂わせているその姿。

 豊満な身体に密着した青い衣。風に靡く白衣を上から纏って、無数の蟲が茶髪の女を其処に織り成した。

 

 

「oh Amen glorious!!」

 

『魔群、クアットロっ!!』

 

 

 其は三柱の反天使。不滅の軍勢は此処に現れ、少女達へと嘲笑を向けていた。

 

 

「ウフフ、フフフ、アハハハハハ!」

 

 

 嗤う。嗤う。嗤い狂う。腹を抱えて心底可笑しい、そう嗤っている這う蟲の王。

 その姿を見上げながらに、ティアナは視線を動かし指示を出す。ルーテシアは無言で首肯を返して、二人は周囲を見回した。

 

 

「魔刃対策は万全なのよぉ。けどどうしてかしらぁ、此処に居るのは貴女達だけぇ。ああ、魔刃対策が万全だからね」

 

 

 嗤う魔群はそれに気付いて、しかしどうでも良いと見逃している。見下しているのだ。どうせ何も出来ないと。

 そしてそれは事実であろう。此処に居るのはティアナとルーテシアの二人だけ、最強の魔刃に対する手段を構築する代償に防備は穴だらけになっている。

 

 

「それはそう。当然の話。だって本命は別だから、どうしても割ける戦力には限りがある。その限りある全部をぶつけないとエリオが止められないんならぁ、なら此処はもう穴だらけ」

 

 

 機動六課の残存兵力は極めて少ない。本命は地上本部なら、当然その総数は少ないのだ。

 それで精鋭を魔刃に当てたと言うのだから、ならば当然残るは弱者。その数少ない戦力ですら、現在進行形で減っている。

 

 暴食の罪を宿したこの怪物が最も真価を発揮する状況とは、弱者を数で痛めつける殲滅戦に他ならない。

 

 

「誘っているの? そんなに露出を派手にして、男を誘っているのねまるで売女。良いわ乗ってあげる。その穴にぶち込むのは男の一物なんかじゃなくて、中から貪り喰らう蟲の群れだけどねぇぇぇっ!!」

 

 

 だから、何をしようとも無駄なのだ。そう確信するクアットロは、さて何をするかと見下し観察し続けている。

 そのあからさまな姿に苛立ちを抱きながらも、ティアナは頭に叩き込んだ地図と右目の歪みで判断して、一点の壁を指差した。

 

 

「ルー!」

 

 

 今は二人。真面にぶつかれば勝ち目はない。ましてやこの閉鎖空間で、膨大な数の魔群を相手取るは愚の骨頂。

 先ずは脱出しなければ、前提として話にならない。ティアナが指差す先を見て、首肯したルーテシアは此処に召喚虫を呼び出した。

 

 羽音を立ててぶつかり合う無数の蟲。だが如何に魔法生物であろうとも、這う蟲の王には届かない。

 一方的に貪り喰われ、飛んで火に入るかの如くに次から次へと消えていく。だがそれで十二分、僅か数秒の時間を稼ぐには十分だ。

 

 

「ガリュー!」

 

「そこっ! ディバインバスター!」

 

 

 本命たるは戦闘虫。人型をした昆虫であるガリューが拳を振るい、亀裂が走った壁をティアナが撃ち抜く。

 走った亀裂は穴に変わって、最も薄い場所が崩れた先には中庭が広がっている。二人は転がり込む様にその穴の先へと、そのまま隊舎裏へ向かって逃走を始めた。

 

 

「うふふふふ。お尻を振って逃げちゃって、一体何処に行く気かしらぁ?」

 

 

 蟲の包囲網を突破されて、しかしクアットロの余裕は揺らがない。揺るぐ筈がない。揺らぐ理由がないのだ。既にもう彼女達には何も為せないのだと、這う蟲の王は確信を持って思考している。

 

 いいや、確信と言うのも生温い。それは最早ただの事実であろう。

 司令部は既に抑えている。隠形に徹した彼女はゆっくりと、誰にも気付かれぬ内に動いていた。

 残っていた局員達は既に屍を晒していて、今や魔群を生み出す苗床に成り下がっている。司令部は誰も知らない内に壊滅していた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 魔刃対策に用意された精鋭達。そして今逃げる二人の少女。生き残りはもう後僅か。

 彼女ら以外を貪り喰らって、敢えて二人を最後に残したのは嬲り物にするためだけに。

 

 

「これで御終い。これで終わりよ。古代遺産管理局」

 

 

 壁の穴から逃げ出して、既に死んだ者らと合流しようとしている獲物が二匹。

 敢えて残した彼女らは、魔群が逆恨みの情を向けるあの女達の関係者。だからこそ、甚振り貪り、壊れた残骸を晒してやろう。

 

 

「出来損ないの陰陽合一。中身と同じ万年処女。あの糞女共がどんだけ悔しがってくれるのか、今から見ものよねぇぇぇ」

 

 

 完全な筈の己に先んじて、偉大な父の期待を一身に受ける高町なのは。

 自分に恐怖を与えたあの女。完全なる己を小物と蔑んだアリサ・バニングス。

 

 彼女達の部下を敢えて嬲り追い詰めるのは、魔群を敵に回した愚かさを教える為だ。

 

 人として、女として、あらゆる尊厳が蹂躙された後の死骸。それを見せ付けられた時、あの女達はどんな表情を浮かべるだろうか。

 憤怒か憎悪か哀愁か絶望か。その歪んだ表情を想像するだけで心が躍る。その壊れ切った先を思うだけで、クアットロは嗤いが止まらなくなってくるのだ。

 

 

「ウフフ、フフフ、アハハハハハハハハッ!!」

 

 

 蟲が溢れ出す。屍山から生まれた蠅が、羽音と共に溢れ出す。

 まるで黒い大洪水。津波すら思わせる物量に背を追われながら、二人の少女は足を動かす。

 

 

「ティアナ! どうするのっ!?」

 

 

 高町なのはのそれを真似したバリアジャケット。戦闘装束へと変わったルーテシアは、ガリューに抱き抱えられながらに問い掛ける。

 目に付く場所には死体の山。見知った顔が晒す屍に吐き気を催しながら、しかし死体を貪り羽化する蟲の姿故に吐き出している余裕はない。

 

 立ち止まれば躯に変わる。これらと同じく躯に変わる。

 虫は嫌いではなかったが、こんな苗床に変えられるのはゴメンであった。

 

 

「援軍は期待できない。けど、精鋭との合流もやめた方が良い」

 

 

 生き残りは、果たしてどれ程に居るであろうか。

 魔群に対抗出来る戦力は確かにあるが、それを動かせば魔刃が自由になってしまう。

 

 援軍が期待できず、合流も不可能。この最悪な状況に、救いがあるとすればたった一つか。

 

 

「……魔刃襲撃があると踏んでいたから、アイナさんやヴィヴィオが避難してたのがせめての救いね」

 

 

 犠牲となったのは、戦闘メンバーと支援部隊の人間だけと言う点だろうか。

 非戦闘員の無事が保証された事、そんな僅かな幸運だけでも喜ばなければ、余りに状況は悪過ぎる。

 

 そんな中で、隊舎裏の林へと辿り着いたティアナは身を反転させて口にした。

 

 

「援軍も合流も無理なら、結論は一つ。私たちでアイツを叩くわよ! ルーテシア!」

 

 

 結論はそれだ。援軍が期待できないなら、逃げるか戦うしか道はない。

 だが逃げ続けても可能性は狭まっていく、ならば此処に覚悟を決めて向き合った方が未だ希望があるのだ。

 

 

「正気!? 私達だけじゃ、無茶にも程が――」

 

「無理でも無茶でもやるしかないのよ! ……それに、これは決して不可能なんかじゃないっ!」

 

 

 その右目に炎が灯る。蒼い瞳は見詰める先には、答えに至る方程式。

 可能性は極小で、道は険しく狭い断崖絶壁。だがそれでも絶無でなく、踏み出せるなら踏破の可能性は確かにある。

 

 だからこそ此処に来た。この場所へ来たのは逃げ伸びる為ではない。最初から勝つ為に、それだけを少女はその目に見ていたのだ。

 

 

「か細くても、道は確かに繋がっている。なら、私の目が答えに続く道を必ず照らし出すっ!」

 

 

 ならば後は為すだけだ。不退転を心に誓い、此処に暗闇を踏破するだけなのだ。

 無数の蟲を魔力弾で牽制しながら、ティアナ・L・ハラオウンは強い言葉で断言した。

 

 

「勝つわよ! 勝つのよ! この魔群クアットロに、私達でねっ!」

 

「ティアナ。……ええ、そうね。やってやろうじゃないの!」

 

 

 ガリューから飛び降りて、ルーテシアも同じくデバイスを両手に構える。

 ティアナに背中を預けて立つ幼子。そんな二人を守る様に、黒虫の戦士は一歩を前へと踏み出した。

 

 

「へぇ、言ってくれるじゃぁないの」

 

 

 広く開けた隊舎の裏。無数の蟲を従えた王は、冷たい目で少女らを見下す。

 舐めているのかお前達。そんな脆弱な存在が、この魔群に敵うと言うのか。鼻で笑いながらに、しかし明確な怒りを感じて言葉を紡ぐ。

 

 

「逃げるしか能のない小物が、この私に勝てるとでも?」

 

 

 逃げ回るしか能のない小物。此処まで追い詰められただけの小物。そんなティアナとルーテシアが、どうしてクアットロに勝るのか。

 

 

「……はっ、その言葉、そっくりそのまま返してあげるわ」

 

 

 そう冷たく告げる魔群の声を、ティアナは鼻で笑って同じ言葉を此処に返した。

 

 

「逃げるしか能のない小物。そんなアンタが、この私達に勝てるとでも思ってるの? クアットロ=ベルゼバブ!!」

 

 

 強者と見れば直ぐ逃げ出し、恐怖を感じれば直ぐに逃げ出し、自分より圧倒的に弱い相手としか戦えないこの小物。

 先の遭遇戦でも見せたその惰弱さを鼻で笑って、ティアナはクアットロへと銃口を向ける。険しい道を歩むと決めたこの少女が、こんな小物を前に震える道理はないのである。

 

 

「……決めたわ。嬲り殺すなんて、そんな甘い終わりは与えない」

 

 

 その無様さを嗤われて、クアットロは怒り心頭。腸が煮えくり返る程に少女を睨む。

 この女は小物である。魔群と称されるには不釣り合いな程に、反天使の中で最も器が小さい外道に過ぎない。

 

 だが、だからこそ、そんな挑発すらも受け流せない。

 己が受けた傷は決して忘れない。己が受けた罵倒は決して忘れない。何処までも粘着質に、何処までも小悪党で――だが実力だけは高いからこそ手に負えない。

 

 

「生きたままに犯し抜いて、腸貪り喰いながらも生かし続けてやるからぁ。……無様に泣いて喚けよビチグソ共ぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 神格域一歩手前。いや全力を出せば半歩まで、或いは無形太極にも迫るであろうこの怪物。

 心根は小物に過ぎずとも、その実力は折り紙付き。そんな魔群に相対するのは、最も弱い歪み者と、歪みすら持たない召喚士。

 

 援軍は全く期待できない。絶望的なこの状況下。

 それでも諦めると言う事を知らない少女らは、強い意志で襲い来る魔群を迎え撃つ。

 

 

 

 

 

2.

 気付いてしまえば、簡単だった。

 自覚さえすれば、それは何より分かり易い事だった。

 

 

「来るか」

 

 

 太陽の元、冷たく吹き付ける風は宛ら夜風の如く。温かい筈の春風を、恒星の熱を孕まぬ冷風と感じさせる存在感。雷光を思わせる速度でそれが迫っている。

 

 

「来るか」

 

 

 内なる鼓動。魂の共鳴故に宿敵の到来を理解したトーマ・ナカジマは、正面エントランスに背を向けたままに待っている。

 傍らに寄り添い咲く花と手を合わせ、無言の内に同調・新生・疑似形成。切っ先を磨り潰した斬首の刃を、両手に構えてその時を待つ。

 

 

「来いっ! エリオっ!」

 

「来たぞ。トーマっ!」

 

 

 轟。颶風と共に舞い降りた赤き槍騎士。共に黒き衣を纏った騎士たちが、その手にした武具をぶつけ合う。

 突進からの刺突強撃。鋭く重いその一撃に、大剣を合わせて受けたトーマの足が地面に沈む。力負けしている。その現状に舌打ちするが、力の差は変わらない。

 

 

「僕が神座に至る為に、君の可能性を貰い受ける」

 

 

 体感の温度が一度も二度も引き下がる。怖気を催す笑みと共に、振るわれた槍は黒き焔を此処に灯す。

 即座に表情を変えて、トーマは斬首の剣の刀身にエクリプスの力を纏わせる。全てを滅する炎を分解して、移動させた事に僅か安堵し――

 

 

「がっ!?」

 

 

 だがその一瞬の隙を突いて、笑みを深めたエリオの爪先が抉り込む様に胴に突き刺さる。

 思わず嘔吐(エズ)いた少年に、槍騎士は欠片たりとも動きを緩めず、更に鋭い回し蹴りが叩き込まれた。

 

 咳き込みながらも、如何にか態勢を整えるトーマ・ナカジマ。

 そんな彼を冷たく見下しながらに、白いコートを纏った黒騎士は此処に告げる。

 

 

「精々、足掻くと良い。その分だけ、僕は高みへと近付ける」

 

 

 エリオ・モンディアルは、トーマ・ナカジマと違い共鳴の理由を知らない。己の内に宿敵の一部があるのだと、彼は教えられていない。

 だが感じている。エリオは理屈を知らずとも、確かに此処に感じている。まるで引き寄せ合う磁石の対極の様に、近付き触れ合う事で確かに進んで行くと理解していた。

 

 故にこそ本能が告げる感覚に寄って、此処にやって来た。

 情勢も状況も知った事ではない。唯己が強くなる為に、コイツと戦うのが一番だと感じたからやって来たのだ。

 

 

「だけど――」

 

「っ!」

 

 

 目で負えない速度で飛翔する暗き雷光。鋭い刃を振るう少年の意志はしかし、達成感とは程遠い。

 如何にか刃を合わせる。それしか出来ずに防戦一方。それがトーマの現状で、ならばこそ実感などは湧き上がらない。

 

 魂は感じている。この少年を倒せば座への道は開かれる。

 だが理性と感情が否定している。成長していない。自分が成長をする為に、この今の少年は――

 

 

「やはり、君は弱いな」

 

 

 余りに弱過ぎる。そう断じたエリオは、其処でギアを一つ引き上げた。

 驚愕に染まるトーマの表情。先日までの交差よりも尚、今のエリオの動きは速かったのだ。

 

 

〈トーマっ!!〉

 

 

 白百合が危機を告げるが、しかしトーマは反応出来ない。純粋に力量が開いてしまったから、反応出来るだけの余裕がないのだ。

 迫る槍が大剣を吹き飛ばし、次いで襲い来る蹴撃が態勢を崩して、如何にか逃れようとした所に五指が迫る。槍を握る手とは逆の掌。開いた五指がトーマの顔を掴み取る。

 

 逃れようにも抜け出せない。万力を思わせる握力に、掴まれたままにその笑みを見る。

 

 

「堕ちろ。堕ちろ。――腐滅しろ」

 

 

 そして、燃え上がる。噴き上がるのは無価値の炎。万象全てを穢し堕とす黒炎を、防ぐ術などトーマになく。

 ならば焼き殺されるが必定。これで死ぬなら糧にもならない。冷たい笑みと見下す視線を向けたまま、さあどうなると燃え上がって――

 

 

「レイジングハートっ!」

 

〈All right. Accel shooter〉

 

「ちっ!?」

 

 

 燃やし尽くすよりも前に、妨害者が此処に一手を撃つ。無数の誘導弾は一発だけなら取るに足りずとも、全く同じ場所に数十数百と打ち込まれるなら堪らない。

 伸ばした左手を翡翠の光に焼かれ、緩んだ隙にトーマがその刃を振り上げる。苛立ちと共に舌打ちしながらに、処刑の刃を如何にか躱したエリオは大きく一歩を退いた。

 

 

「高町なのは? エースオブエースを、此処に残したのか……」

 

 

 見上げた先の上空には、白き衣を纏った不屈の魔導師。

 エリオに手傷を与えた女は、得た戦果とは真逆に浮かない表情を浮かべていた。

 

 

「すみません。なのはさん。……予定より、持たせられませんでした」

 

「……仕方ないよ。ある程度強くなってるのは想定通りだったけど、此処までとは私達も読んではいなかった」

 

 

 感じる圧力。寒気を漂わせるその威圧。この少年は既に一歩以上先に居る。

 陰の拾とは無形太極。色を持たない神の域。腐炎なしでもその領域に、エリオ・モンディアルは手を届かせていた。

 

 そして力への意志を定めた今、彼は更に其処から進んだ。彼は既にして、夜都賀波岐の神々と同じ域に居る。

 それでも彼が流れ出せない理由は唯一つ。己の魂強度が脆いから、内包する数ばかりが膨れ上がって個として統一出来ていない為。

 

 だが逆説的に言うのなら、既にエリオは何時流れ出してもおかしくない。

 その領域にまで至っている。まだ半歩手前で足踏みしているトーマでは、端から相手になる筈がないのだ。

 

 想定ではトーマより頭一つ上、その程度を予想していた。

 だがこれは更にそれより一つ二つは図抜けている。下手をすれば、桁が一つは違っている。

 

 流れ出していないだけ。今のこの少年は求道神と何も変わらない。

 内に抱いた願いが覇道である事を考えれば、差し詰め“流れ出せない覇道神”と言った所であろうか。

 

 

「クロノ・ハラオウンめ。随分と思い切った真似をする。だけど――」

 

「――っ!」

 

「来るっ! 全力で!」

 

 

 だからこそ、実力が違い過ぎている。その僅かな差が、明確な程の断絶として此処にある。

 そんな事は最初から分かっていて、それでも想定よりも差異が大き過ぎたからこそ僅かな手傷が限界だった。

 

 トーマが足を止め、意表を突いたなのはがダメージを与える。

 文字で表記すれば、当初に立てた算段は全て達成されている。だが予定していたダメージと見比べれば、彼の手傷は遥かに小さい。

 

 そして結果を見誤る程に差があると言う事実は、その後の見通しを崩すにも十分過ぎた。

 

 

「たった二人で僕を止められると、そう思う事が侮辱と知れっ!」

 

「くっ!」

 

「っぅぅぅ!!」

 

 

 暴力的な颶風を纏って、魔法と腐炎を使い分けながらに攻勢へと移るエリオ。

 対するなのはとトーマは、互いに補いながらに喰らい付く。だがそれでも、その差は未だに大きくあった。

 

 高町なのはは耐えられない。彼女の再演開幕では、腐炎に耐えられないが故に前衛には立てない。

 トーマ・ナカジマでは追いつけない。無数の魔法を手足の様に操りながらに迫る魔刃に、有効打一つ打てていない。

 

 魔刃の脅威を前にして、二人掛かりですら防戦一方にしかなっていない。

 それこそが明確な程に此処にある、確かな互いの実力差の証明となっていた。

 

 

「相手にならんぞ。無知蒙昧」

 

 

 雷光の魔法。炎熱の魔法。氷結の魔法。多重に展開されるは属性変換。

 二十万と言うリンカーコアを取り込んだが故に可能となったその物量は、魔導師の軍勢による総攻撃を思わせる光景を作り上げる。

 

 

「制限付きのエースと足踏みしてる神の子ではなぁぁぁ」

 

 

 身を躱し、躱せぬ一撃を手にした刃で防ぐトーマ。魔力を動かし、必要最低限の魔法を防いでいる高町なのは。

 その両名が猛攻を前にして、接近する事も出来ていない。唯こうしているだけでも、エリオはそう遠くない内に勝利する。

 

 それが分かって、魔刃は此処に切り上げる。

 同じ事の繰り返しなどで仕留められると、そう考える程にこの少年は温くはない。

 

 

「僕を止めたくば、その三倍は持って来いっ!!」

 

 

 弾と大地を蹴り上げて、飛翔する赤い騎士。迫る先にて構える女は、余りの速さに舌を巻く。

 あの海上での決戦。その日に見た金色の少女を思わせる様な高速飛翔に、彼女の対処は一手遅れる。

 

 その一手は、この魔刃を前にしては致命となる。

 再生する。蘇生すると言うその異能ごと、燃やし貶めようと黒炎が燃え上がり――

 

 

「お前こそ、舐めるなぁぁぁぁっ!」

 

 

 同じく飛び出したトーマ・ナカジマが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「っ! 速度が増した!? だがこの程度!」

 

 

 その理由は美麗刹那・序曲――ではない。既にそれは展開されていて、だがそれだけで詰められる程に差は小さくはない。

 だが速度が増している。速力が確かに上がっている。一体何が起きたのかと戸惑うが、しかしこの程度と結論付ける。

 

 黒炎を纏った槍にて迎撃して、大地に落ちるのはトーマ・ナカジマ。多少速さが増した程度では、彼はまだ届かない。

 

 

「くそっ! けど――」

 

「合わせる! ディバインバスター!」

 

 

 だが、それでもトーマは一人ではない。そして戦力を増したのは、彼一人と言う訳ではない。

 振るわれる黄金の杖。魔法展開速度が上がっている。放たれる翡翠の輝きの、その威力さえも増している。

 

 先とはまるで別人の様な鋭さ。降り注ぐ翡翠の光を焼き払いながら、エリオは何が起きているかと舌打ちする。

 

 

「ちっ! コイツもか! コイツも先より速度が増している!」

 

 

 最初から三味線を弾いていたのか。手を抜いていたと言うのであろうか。

 いいや否、演技と言うには必死に過ぎた。そもそも弱さを演じる事に意味はない。

 

 ならばそう。その視線の先にある輝き。二重の正方形を内包した真円形の色は桃色。その輝きこそが、彼らを変えた元凶だ。

 

 

「強化魔法の重ね掛けか! だが、一体誰が、――っ!?」

 

「蒼穹を走る白き閃光。我が翼となり、天を駆けよ。来よ、我が竜フリードリヒ!」

 

 

 その解答に至る直前に、エリオの視界を埋めるは白色。

 白き飛龍を前にして、エリオは反射的に動き掛けた腕を思わず止めてしまう。

 

 その声を知っている。目の前に迫った脅威に、刃を振るえば涙が零れるのではと思ってしまった。だからその僅かな揺れは、此処に明確な隙となる。

 

 

「竜魂召喚! ブラストレイ!」

 

 

 最大限に強化された白き飛龍が、その顎門より巨大な焔を吹き放つ。

 限界を超えるまでに強化魔法の重ね掛けを受けて、その業火はSランク砲撃よりも尚威力が高い。

 

 正しく決め技。必殺と呼ぶに足る切り札。それを無防備に受けた魔刃は、立ち上る爆炎の中に膝を付いた。

 

 

「やったか!」

 

「ううん! まだ傷は浅い! けど、これなら通る!」

 

 

 トーマ・ナカジマが手を握り絞める。高町なのはが冷静な思考で判断する。

 だがそんな二人の姿すら、今は気にもならない。その意識は唯一点、彼ら二人の背後に立つ小さな少女に集中している。

 

 風に靡くは光と同じく桃色の髪。自信のない表情は其処になく、確かな意志で槍を構えた幼い姿。

 キャロ・グランガイツ。エリオに道を示してくれた優しい少女。恩人とすら呼べる、そんな彼女が其処に居た。

 

 

「……キャロ。君が」

 

 

 身体が煤に塗れ、手足に軽い火傷を負った。この少女の全力を無防備に受けて、それでもその程度でしかない。

 そんな魔刃は僅か悲しそうに瞳を揺らして、それでも手にした刃の矛先は揺るがせずに問い掛ける。

 

 

「君が、僕の道を阻むのか」

 

「エリオ君」

 

 

 返る瞳は揺れている。交わす瞳が互いに揺れるのは、果たして何故であるのだろうか。

 それ程に近くはない筈だった。それ程に言葉を交わした訳ではなかった。白衣の狂人や悪辣な蛇の様に、裏で手を引く者が居た訳でもない。

 

 唯互いに強く感じている。唯理由などなくとも、互いにどうしてか強く求めている。

 そんな結び付きを感じている幼い少女は、同じ様に感じている黒衣の少年に向かって、それでも強き意志にて断じる。

 

 

「貴方を、止めます」

 

 

 被害者にして加害者。その身を血の赤に染めた虐殺者。神の座を簒奪せんとする魔王。

 そんな少年を前にして、キャロ・グランガイツはケリュケイオンをその手に構える。

 

 ランスモード。そう名付けられた槍形態。それは奈落(アビス)の呪詛に染まった黒きストラーダとは似ていない。

 だが何処か似ている。似ているのは、きっと本来あり得た形。青と白の槍と変わったケリュケイオンは、ストラーダの本来の形に酷似していたのだ。

 

 

「……くくっ」

 

 

 何故だろうか。笑えて来る。嗤うしかなかった。

 そんな魔刃を前にして、機動六課の三人組は即座に動く。

 

 

「皆! この調子で行くよ! キャロはフルバックから、強化魔法を続けて! 私達の強化限界は考えなくて良い!」

 

「はい! それに隙があったら、私とフリードでも狙っていきます!」

 

「きゅくるー!」

 

 

 高町なのはとトーマ・ナカジマ。その強化の理由はキャロの強化魔法だ。

 本来ならば数度で限界となる強化魔法を、キャロはカートリッジを消費してまで無数に重ね掛けしていたのだ。

 

 一度や二度なら問題ない。三度や四度も重ね掛ければ身体に異常を来たす。そんな強化魔法を、既に十は重ねている。

 打撃力に速力をそれだけ強化して、それで漸く追い付けるのがこの魔刃。三人掛かりで其処までせねば、抗えぬ程にこの魔刃は強大なのだ。

 

 

「トーマはフロント! 魔刃の攻撃に耐えられるのは君達だけだから、壁をやってもらうよっ!」

 

「ええ、勿論。ですが――リリィ」

 

〈分かってるよ。トーマ〉

 

『隙があったら、()達がその瞬間にも倒してみせます!』

 

「その意気だよ、二人とも! 率先して狙っていきなさいっ!!」

 

 

 誰もが既に限界を超えている。強化魔法の余剰魔力で圧迫されているなのはとトーマに、強化しているキャロとて脂汗を搔いている。

 彼女の魔力だけではこんな真似など本来出来ない。その無理を通す為にベルカ式のカートリッジに頼って、既に自分の力量を超えた魔力行使を行っているのだ。

 

 其処までして、漸く追い付いた。其処までしなくては、対等にすらなれはしない。だが此処までしたから、もう戦力は拮抗した。

 

 フロントアタッカーに腐炎を封じるトーマを、ガードウイングにはフリードが入って隙を補う。高町なのはは司令塔たるセンターガードで、キャロ・グランガイツがフルバック。

 即席ながらの四身一体。それでもこのフォーメーションは、そう簡単には崩せない。この組み合わせこそが機動六課の用意した、魔刃に対する対抗策だ。

 

 

「そうか。ああ、そうか。……相も変わらず、因果な道だね」

 

 

 一頻りに自嘲した後、エリオは再び槍を構えて炎を灯す。

 戦いたくない相手が加わったからと言って、今更に止まれる様な道は歩いていないのだ。

 

 出会いたくはなかった。此処で出会いたくなんてなかった。

 そんな感情を信念にて押し込めて、エリオ・モンディアルは敵を睨み付ける。

 

 

「良いさ。潰してあげるよ。この道を阻むなら、誰であろうと例外はない」

 

 

 例外はない。例外などは作らない。神に至る道を阻むなら、誰であろうと己の敵だ。此処に明確な意志を以って、その敵を排除する。

 

 

「それが僕の――力への意志(ヴィレ・ツァ・マハト)だ」

 

 

 それこそエリオが掲げる覇道。力への意志なのだから。

 

 

「来る!」

 

「皆、行くよ!」

 

 

 戦意を明確に、冷酷なまでの殺気で場を満たす魔刃。

 今正に襲い来るであろう最強の反天使。それを前にして、トーマ達は確かな意志で迎え撃つ。

 

 

「ここで、僕らの手で――魔刃エリオを打ち倒すっ!!」

 

 

 魔刃エリオを此処で討ち取る。その意志を確かに定めて大地を蹴る。

 処刑の剣と奈落の槍。互いの武器が宙でぶつかり合って、大きな金属音を立てるのであった。

 

 

 

 

 




クアットロ「雑魚敵しかいない。楽してズルして頂きね!」
エリオ「……相変わらず、僕の道がハードモード過ぎる件について」


魔群と魔刃で両極端な展開になった六課襲撃。
エリオはキャロと一度戦わせたかったので、こんな流れになりました。

反天使両名がこっちに来てるので、実は妨害者が来ない公開意見陳述会。
内通者が居る訳ですから、態々完全防備を固めた所に行くより、手薄になった場所に集中するよねと言う展開です。




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第十九話 六課襲撃 其之弐

今回はトーマ&なのは&キャロVS魔刃エリオの話だけで一話分となりました。

推奨BGM
1.Omnia Vanitas(Dies irae)


1.

 先ず一つ断言しよう。彼らの戦力は拮抗している。五分に等しい。数字だけを見るならば、結果は拮抗して然りであろう。

 だが、現実には違っている。今ここにある戦場は、戦力の拮抗などとは断じて言えぬ状況だった。

 

 

「薙ぎ払え。サンダーレイジ!」

 

「がぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 言葉に断じた結果が伴う。赤毛の悪魔が巻き起こした雷光は、三人を纏めて薙ぎ払う。最前列に居たトーマは誰より大きな影響を受けて、その身、その肌が焼け爛れていく。

 

 

「トーマ君、下がって!」

 

「ツインブースト、ヒーリング!」

 

 

 雷光に焼かれて崩れた態勢に、迫る魔刃の鋭い刃。それが致命傷を刻むよりも早く、高町なのはがカバーに回り、キャロ・グランガイツの二重治癒魔法がその身を癒やす。

 

 だがしかし、前衛を担っていた存在が下がると言う事は、即ち戦線の崩壊を意味していた。

 

 

「堕ちろ、堕ちろ、腐れ」

 

「くぅぅぅぅっ!?」

 

 

 トーマが下がった一瞬の隙に、エリオがその手に腐炎を灯す。焼き尽くし、汚し貶す。迫るその威を前にして、カバーに回った女は耐えられない。

 被害は此処に腕一本。燃え上がる暗い炎が胴に伝わるより早く、咄嗟に片手を切り落とす。如何にか被害をそれだけに抑えたなのはは、自己再生をしながらに後退する。

 

 如何にか身を後退させるエースオブエース。しかし今の彼女より、エリオ・モンディアルは遥かに速い。

 

 

「隙だらけだ。――唯、腐って堕ちろ」

 

「ま、ず――」

 

 

 故にそれは隙だ。先の隙より尚大きい、其は致命に至る隙。

 高町なのはは躱せない。迫る二撃を躱せずに、その身は無価値に堕ちていく。

 

 それが結末。それが幕引き。それを望まないと、そう叫ぶ事が出来るのは――此処に唯一人しか存在しない。

 

 

「や、らせるかぁぁぁっ!!」

 

 

 飛び出す様に大地を蹴って、巨大な剣を振り下ろす漆黒の騎士。

 そして速く、何よりも速く。闘志と共に加速して燃え上がる炎を迎撃するのは、治療を受けて復帰したトーマ・ナカジマ。

 

 ぶつかり合う。互いの武具がぶつかり合う。混じり合う。合わさる瞳は真逆の二色。

 切羽詰まった蒼い瞳と、余裕を浮かべた紅い瞳。少年達の瞳は僅か交わって、両者は其処に距離を取った。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 

 荒い息を整える。呼吸を此処に整えて、トーマ達は構え直す。

 冷や汗と脂汗、恐怖と苦悶が混じった色を見せる管理局の三人組。そんな彼らに対して、魔刃は何処までも余裕でいた。

 

 

「どうしたんだい? 揃ってこれではまるで足りないぞ」

 

 

 立ち塞がるならば、傷付けるのだと心に決めた。

 己が語った因果な運命。それを受け入れたこの今に、エリオ・モンディアルに隙はない。

 

 崩せない。揺らがない。何処までも魔刃は唯、強く在る。

 そんな魔刃に対し、対する六課の魔導師達が防戦一方となっているのは、或いは当然の帰結であろう。

 

 

「くっ! エリオっ!」

 

 

 その圧倒的な意志力に飲まれ掛けながらも、トーマは強く剣を握る。

 既に彼らは限界を大きく超えてはいる。魔刃に勝る為に、確かな対策は用意した筈だった。

 

 だがそれでも勝てないのかと、トーマは心の何処かで思ってしまう。

 そんなトーマ・ナカジマが心に抱いた僅かな怯懦。それを否定するのは意外な事に、此処に敵として立つ少年だった。

 

 

「吠えるだけならね。其処らの犬にも出来る事だよ。お前達は違うだろう? 機動六課」

 

 

 お前達は違うだろう、と。震えて吠えるだけの犬ではなくて、敵に突き立てる牙を持つ狼だろうと。

 そうともそうでなくては困る。エリオが至るは神の領域。神座への道を切り拓く舞台において、震える子犬を幾ら斬ろうと意味がない。

 

 己を打ち倒し得る獣。自身では突破不可能に近い困難。宿敵にして反身との決着は、そうでなくては意味がないのだ。――そして、その敵たる資格だけならば、既にあると目している。

 

 

「揃えた筈だ。備えた筈だ。これなら大丈夫。これなら通ると――なら、通してみせろよ英傑共」

 

 

 先にも断じた様に、魔刃と六課、その戦力に差などない。魔刃が圧倒的に強い、と言う訳ではないのだ。寧ろ合計した数値のみを見れば、六課の四人と一匹はエリオのそれを上回っている。

 

 エリオの戦力値を10とした時、今のトーマとリリィが6となる。リミッター付きの高町なのはが5であって、キャロとフリードは二人纏めて漸く1だ。

 六課の合算値は12。エリオの10を二割も上回っている。単純計算で考えれば、どちらが優位かは明らかだろう。彼をして難敵と、額面だけを見ればそう言える状態だ。

 

 なのに何故、この様な結果に帰結するのか。こうも無様な形となるのか。その答え。その理由は二つある。

 

 

「其れに気付けない様では――悪魔の贄にも足りはしない」

 

 

 一つは単純。1+1は2にならない。そんな単純な理屈である。

 

 時に物語の主人公は、訳知り顔で1+1は10にも100にもなると語るだろう。彼らの理屈にあって、友と手に取り合った時に、その力は加速度的に増していくと言う主張があるのだ。

 だが、現実にはそうはいかない。協力する事であっさりと強くなるなど、そんな道理はありもしない。

 

 他人なのだ。どれ程に近付こうとも、仲間とは即ち他者である。思考は違うし反射もズレる物。どれ程綿密に策を立てて協調を図ろうとしても、経験だけで呼吸のタイミングさえ合わせるのは至難の業。ましてや圧倒的な強者を前にして、それを続けられる筈も無い。

 

 1+1を2にする。たったそれだけの事でも、唯人には極めて困難である。それ相応の特殊な異能も無しにして、協力を万全にする事など出来やしない。1割、或いは数パーセントに過ぎずとも、必ず無駄が其処にある。力をその分ロストするのだ。

 

 

「なのはさん! キャロ!」

 

「私は大丈夫! キャロは!?」

 

「……だ、大丈夫、です。フリードも私も、まだ行けます!」

 

「キュクルー!!」

 

 

 闘志はある。意思はある。共に戦う友らの為に、為さねばならぬと分かっている。

 その決意が心を震わせて、唯一人で挑むよりは確かに強くなっている。友の為にと奮い立って、限界を超えて強くなってはいる。それを絆の力と、そう語るならば確かにそれがそうだろう。

 

 嗚呼、だがしかし、其れは余りに慈悲なき結末。

 

 

「頭上注意だ。サンダーフォール」

 

 

 降り注ぐ雷霆が、その絆を蹂躙する。黒き片翼を羽ばたかせる反天使が、我ぞ神成と落とすは神威を纏った自然災害。

 咄嗟に張ったシールドも、展開していた補助魔法も、全て剥がされ大地に叩き落される。誰もが其処に膝を屈して、見下ろす赤き悪魔を見た。

 

 

「余りに脆い。余りに弱い。力への意志、何が何でも先に進むと言う在り方。その執着が欠けている」

 

 

 左の肩から吹き出る翼。左の瞳は黒く染まって、その中央の瞳孔のみが紅く輝く。闇に染まったその左半分、浮かんだ嘲笑は夜風の如く。そんな罪悪の王は嗤いながらに、此処に互いの最たる違いを断言する。

 

 

「数を揃えば足りるだと? 僕が手を出し辛い女を出せば止まるだと? 全く無粋。まるで何もかもが足りていない!」

 

 

 数が質を凌駕するなどと、そんな理屈は存在しない。

 それがこの状況を生み出した、第二の理由にして最も大きな要因だ。

 

 

力への意志(ヴィレ・ツァ・マハト)だ。強く、強く、強く、強く――それだけを希求した執念を前にして、お前達の策など路傍の小石にすら劣ると知れっ!!」

 

 

 違うのだ。彼らとは。確かに彼らも強い願いと意志を抱いているが、勝利と力に拘る在り様としてエリオに遠く及ばない。

 そんな機動六課の持ち出した対策などは、この怪物を前にしては路傍の小石にも劣る。無為無策より微かにマシとしか言えない物だった。

 

 戦いはあっさりと推移する。エリオの身は傷付いて、しかし掠り傷の域を出ない。トーマ達の身体は傷付いて、自然と膝が震えて大地に突いた。

 

 限界を超えた疲弊。魔力を消耗し過ぎた疲労。追い詰められ続ける精神の消耗に、誰もが荒い息を吐く。

 まだ諦めてはいない。まだ決して、敗北を認めた訳ではない。だがそれだけだ。認めていないだけ、諦めていないだけ、結果は余りに明白だった。

 

 キャロは魔力が尽きて、槍を支えに如何にか立っている。フリードは真の姿を維持出来ず、最早取るに足りない蜥蜴であろう。

 トーマとなのはは未だ辛うじて健在だが、どちらも既に八方塞がり。疲労から地面に膝を付いたまま、先よりも開いたその差を埋める事が出来ずに手を拱いている。

 

 そんな彼らを見下して、こんな物かと魔刃は嗤う。

 これでは足りんぞと悪魔の貌で嗤いながらに、人の顔は落胆に満ちていた。

 

 

「因果の帰結。まるで必然の様に与えられたこの今、この時。或いはと、期待してはいたんだけどね」

 

 

 敵地に単身乗り込んだ。相対するのは敵対勢力の最高メンバー。だがそれ以上に、彼らは運命に選ばれた人間達だった。

 だからこそ期待した。何かがあるのではないか。この戦いを乗り越えれば或いは、未だ暗雲が立ち込める座への道程に光が差し込むのではないか、と。

 

 しかしこれでは意味がない。この程度では逆境所か苦戦にもなり得ずに、当たり前の様に勝ってしまう。

 呼吸をする様に簡単に、それで着いてしまう決着では成長などは期待出来ない。こんな子犬とじゃれるだけでは届かぬ程に、神座は遠くその道は険しいのだ。

 

 

「いや、見切りを付けるのは未だ早いか。良いさ、立ち上がって奮起するまで、戯れながら待つとしよう。……だからさ、少し僕の問答に付き合え。世界に選ばれた人間達」

 

 

 両手を地面に付いた敵の姿。見下ろす瞳に僅か期待を抱いたままに、エリオはそう結論付ける。

 あの日の様に立ち上がるまで、嬲りながらに過ごせば逆撃程度はしてくれよう。そう期待して、エリオは倒れる者らを見回した。

 

 

「我が半身。太極の階。そして――この身の願いを変えた君」

 

 

 トーマ・ナカジマ。神の魂を内に宿し、どの様な形にせよ神座に至ると定められている人間。

 高町なのは。スカリエッティの最高傑作にして、真なる神殺しへと至れる求道の極み。或いは流れ出す可能性も持つ者。

 キャロ・グランガイツ。彼らの様に特別な存在ではないが、しかし同じく特別な者に対して余りに大きな変節を与えた慈愛の少女。

 

 そしてエリオ・モンディアル。神を殺す為だけに作られて、神に喰われる為だけに育てられ、その果てに己が神に成らんと定めた悪魔王。

 

 

「奇縁だと、因果だとは思わないかい? 次代の可能性。後を担う全てが此処にある。ならば僕らはこの今に、世界の中心に存在しているとさえ言えるだろうさ」

 

 

 彼らこそが、この世界を左右し得る存在。前代よりしがみ付いている者らと違い、正しくこの今に世界を変えられる存在。

 そんな者らが集った此処は、世界の中心とも言えるだろう。全てを塗り替える可能性を持つ者は、今となってはこの場にしかいないのだから。

 

 

「……次代の、可能性、ですか?」

 

「ああ、そうか。君はまだ教えて貰ってなかったのか。キャロ」

 

 

 荒い呼吸を繰り返しながらに、聞き覚えしかない事柄を問い掛けるキャロ。

 そんな彼女に小さな笑みを返して、エリオは優しく言葉を掛ける。

 

 

「僕が教えても良いが、まあ身内から聞くのが無難だろう。……後で、そうだな。紅蓮の女(アリサ・バニングス)盾の守護獣(ザフィーラ)辺りにでも問うと良い」

 

 

 排除する。傷付ける。踏み躙る。そうと決めたが、大切と感じている事は変わらない。

 潰すと言う結果は変わらないが、だからと言って心の在り様を偽る必要も無理に隠す理由もない。故に彼は隠さない。

 

 だが大切と思いながらも、だから止まるかと言えば話は違う。

 例えこの少女を無価値に燃やし尽そうとも、悲しいと思ってそれで終わりだ。

 

 今は一応生きて残す心算だが、立ち上れる力などは残さない。邪魔をしたのだ。例外なく全て奪い去る。四肢を切り裂き達磨にする。デバイスと竜を焼き尽くし、戦う力を奪い取る。それで彼女を完全に排除するのだ。

 そんな予定を頭の中で組み立てながらに、その対象に確かな慈愛を向けるその様は余りに人として歪んでいよう。そうとも、彼は既に悪魔に近い存在なのだ。歪んだままに愛せる様も、悪魔に近付けばこそだろう。

 

 

「しかし、仲間と語りながらもこれか。臍で茶が湧くぞ。鼻で嗤える。どうして隠す? 高町なのは」

 

 

 そんな悪魔は鼻で嗤う。この段階に至って尚、身内にすら真実を告げられていない女を嗤う。

 嗤いながらにエリオは一歩を踏み込んで、槍を軽く回すとその石突を鋭く突き出した。

 

 

「まだ、見付けられていないから、不安を煽るだけの言葉は、今は必要ない」

 

「……ふん。足手纏いと見ているか。まあ、確かに理屈の上ではそうだろう。だけどさ、お前達の掲げる主義主張は違うんじゃないか?」

 

 

 抉り込む様な一撃。優れた棒術によるそれを、なのはは黄金の杖で受け流す。

 互いに動揺も安堵もありはしない。元よりギリギリ躱せる様に、狙って放たれたのだから防げるのは当然なのだ。

 

 咄嗟にカバーに入ろうとするトーマを片手でいなしながら、エリオはなのはを見て暗く嗤って罵倒した。

 

 

「皆仲良く、そんなお利巧な輩と見ていたけどさ。――存外、中々に趣味の悪い連中だったと言う訳かい?」

 

「突破口を見付けるか、管理局の意志を統一するか、貴方達を打ち倒すか――元々その後には教える心算だった」

 

 

 解決策を見付けていない。まだこの現状、滅びゆく世界を救う道筋は見えてすらいない。

 この今になっても身内同士で足を引き摺りあっている。このままでは駄目だと分かっていて、だからなのは達は先ずそれを解決しないといけないと思っているのだ。

 

 そうしてその先に、皆で考えようと思っている。

 この今に必要となる答え。それを考えるのは、その後だ。その為にも今は、少しでも早く管理世界を纏め上げねばならないのだ。

 

 

「先ず次代の意志。其れを統一しないと話にならない。だから――」

 

「口では何とでも言える物さ。……それに、だ。高町なのは」

 

 

 高町なのはの言葉。それは彼女とその協力者たちの総意である。

 意志を一つに纏め上げて、そうして共に答えを探す。そう語る彼らの思いを鼻で嗤って、エリオは冷たく一つの現実を口にした。

 

 

「時空管理局と古代遺産管理局。それらが全て協調すれば、それで全てが救われると思っているか? たったそれだけで、都合の良い答えが出ると思うのか?」

 

 

 答えは出ない。そうとも、これまでに出ていないのだ。今更人手が増えただけで、そう都合良く見つかる物か。悪魔はそう嗤って想いを否定する。

 

 

「答えは出るんじゃない。一緒に考えて、必ず出すんだ。その為にも、先ず――」

 

 

 出るんじゃない。必ず出すのだ。そう信じて、なのはは強く断言する。

 重ねた想い。繋げた意志。その果てに答えを出さなければならないと、そう断じた想い。だがやはり悪魔は、それも冷たい論理で否定する。

 

 

「ナンセンスだ。答えが出るとか出ない以前。手に手を取って、それは結局、鈍間に歩幅を合せると言う事だろう?」

 

 

 手を取り合って歩くなら、自然と歩調を合わせる必要性が生まれてくる。

 歩く速度が遅い者と速い者が手を取り合えば、その歩みは中間点より遅くなろう。

 

 歩幅が速い者が遅くするのは簡単だが、遅い者が速く動く事は極めて困難なのだから。

 

 

「遅れて当然だ。足を引かれたままに進んで、至れる程に神座はそう軽くない」

 

「そんな筈はないっ! 足を引かれるだけじゃないんだっ!」

 

 

 だから神座に辿り着けない。敢えて鈍間になると選んだのだから、辿り着ける筈がない。

 そう鼻で嗤う魔刃に対して、そんな理屈を否定する様になのはは杖を押し返しながらに言葉を叫ぶ。

 

 否定する事は、協調が足を引き合うと言う悪魔の論理だけではない。

 何よりも否定しなければならないのは、彼が辿り着いた神座を目指すと言う解答だ。

 

 

「それに、私達はもう神様に頼っていちゃいけない。頼り続けて来た結果がこれだから、それじゃあ結局、根本的には何も変わらないっ!!」

 

 

 この世界は、たった一人の神に頼り続けた結果こうなった。ならばもう、同じ轍を踏んではいけない。

 神座を目指すのは間違った解答だ。世界の核に成れる神格とは常に一人。それでは神が変わったとして、寄りかかる相手を変えただけにしかならないだろう。

 

 

「たった一人の神様なんて、結局唯の生贄だよ! 誰かに押し付けちゃいけないでしょ! 皆で背負って、それが人が負うべき責任だっ!!」

 

 

 優しい神様に頼り続けて、それではもういけないのだ。

 もう大丈夫と語る為には、神を必要としない世界を目指すくらいは必要だろう。

 

 そも、世界とは一人で背負う物ではない。誰もが責を負って歩かねばならない道なのだから。

 

 

「だから、それがナンセンスと言ったぁっ!!」

 

「っ!!」

 

 

 だが、そんな言葉は理想論だ。女の言葉を否定して、エリオは一歩を此処に踏み込む。

 咄嗟に合わせた杖を弾かれて、レイジングハートが宙を舞う。空いた胴に叩き込まれたのは、黒く染まったストラーダ。

 

 

「理想論だ。現実が見えていない。一体どうして、生贄もなしに世界を回せるなどと思う」

 

 

 槍の穂先が肉を引き裂き、臓腑から込み上げた血が口から零れる。

 そんななのはの腹から槍を引き抜いて、エリオは足で蹴り飛ばしてから無数の魔法で追撃する。

 

 理想を語るだけで、結局何も出来ていない。

 そんな女を蔑みながらに、其処に怒りさえも抱いて責める手練は揺るがない。

 

 

「その思考。その愚行。それこそ君達が無自覚に抱える、怠惰な傲慢さと言う物だ!」

 

 

 高町なのはだけではない。クロノ・ハラオウンも、アリサ・バニングスや月村すずか。ユーノ・スクライアもそうだろう。

 理想を目指し、共に歩く。そうと言えば聞こえが良いが、彼らは余りに必死に欠ける。終焉の絶望を知りながら、如何してそうも幸福であれるのか。

 

 トーマの視界を介して、エリオは見ていた。多くの者らが次代の為に、そんな名目で潰されていた底の底。

 泥の底から見ていたのだ。彼らの幸福を。当たり前に笑い合う彼らが己の幸福すら投げ打っていたならば或いは、生まれる犠牲も少しは減っていたかも知れないのに。

 

 

「お前がそんな様だからっ! あの終焉が訪れた日から一歩として、僕ら次代は何処にも進んでいないんだろうがっ!!」

 

 

 結局何処にも進んでいない。余りに人は進めていない。

 多くの血が流れたというのに、意志統一すら出来ていないのが現実だ。

 

 八つ当たりと分かって、感じる怒りが抑えられない。

 犠牲者の総体としての一面が憤怒と憎悪を吹き出して、空を目指した星を落とさんとその猛威を振るっていた。

 

 降り注ぐ無数の魔法が身体を切り刻み、動きを止めたその身に暗き腐炎が迫る。

 全て燃やし尽くして穢し堕とす。その意志を前にして、加速したトーマが割って入った。

 

 

「ぐぅぅぅっ」

 

 

 燃え上がる炎。防ぎ切るには間に合わず、腕を腐炎に燃やされる。

 このままでは死ぬ。そう理解する前に、反射だけで即座に動く。なのはがそうした様に、咄嗟にその腕を切り捨て再生させた。

 

 そうして如何にか態勢を戻したトーマ・ナカジマは、倒れたなのはを背に庇いながらに強く踏み込み雄叫びを上げる。

 

 

「だったら、お前は何だってんだよ! エリオ・モンディアルっ!!」

 

 

 一方的に理想論を否定して、ならば何を語ると言うのか。

 叫ぶトーマが振るう大剣を槍の穂先で受け止めて、エリオは此処に歪な笑みを浮かべて告げた。

 

 

「決まっている。僕は――新たな世界を定める次なる神だっ!」

 

 

 己は神だ。そうなると決めたから、必ずやそうなるのだ。

 嗤いながらに槍を振るう悪魔の言葉に、一瞬唖然としたトーマは即座に反意を口にした。

 

 

「なっ!? 神殺しの悪魔が、全能の神を気取るかよっ!?」

 

「ふふっ、下らないな。その括り。……僕はもう自由だ。何者にも縛られていない。なら、何にだって成れるんだよ。トーマ」

 

 

 首に刻まれた絞殺痕は、自由になった証である。そうと気付けた。だからエリオはもう迷わない。

 必ず至ると心に決めて、そうして此処に彼へと語る。至る事を恐れたトーマに、至らんとするエリオはこう語るのだ。

 

 

「どうせお前は、(カミ)になるのは嫌なのだろう? 喜べ、僕が替わりになってやる。世界の礎などではなく、正しく全てを定める全能の神へとねっ!」

 

 

 言葉と共に槍を振るう。斬首の剣を腐炎で受けて、トーマを追い詰めながらに嗤う。

 その言葉に動揺する。そんなトーマは大剣で以って、焔を纏った槍を捌き続けながらに問い掛けた。

 

 

「お前、は――お前、が、犠牲になると、そう言うのかっ!?」

 

「勘違いはするなよ。トーマ・ナカジマ。僕と君達じゃあ、座に対する価値観自体が違っている」

 

 

 彼にとって神とは、堕ちる者。自分が消え去って、世界を回す為の贄となる。それがトーマの価値観だ。だがエリオにとっての神とは違う。

 

 

「救ってやるとも、満たしてやるさ。だがそれは贄になると言う事じゃぁない」

 

 

 それは頂点。この世の中心。全能の王。栄光の王。永遠の王。其れこそエリオが目指す、覇道神と言う存在だ。

 

 

「お前達が下だ。僕が上だ。弱者が下だ。強者が上だ。結果的に救ってやるよ。だから我が至高を尊び称え、新世界の法則に従って生きろよ。それが救済の代償だろう? この世の法則を書き換える。それが為せると言うならば、贄と言うのも良い物だろうさ」

 

 

 この今に流れ出しても、何れは消耗の果てに消滅する。世界に取り殺されるその在り様、贄と言われれば否定は出来まい。

 だがそれでも良い。それでも為したい願いがある。この今に不満があって、例え果てに滅びるとしても変えたいと思う現実がある。

 

 だからエリオは神になると語るのだ。必要な代償だと、彼は笑って受け入れるのである。

 

 

「エリオ君。貴方は何を――そんなにも何を、望んでいると言うんですか」

 

 

 倒れて動けないキャロは、切り結ぶトーマとエリオを見詰めて問う。

 どうして其処まで必死になるのか。其処まで変えたいと願う現実とは何なのか。

 

 その問い掛けに苦笑して、エリオはしかし真摯に返す。

 願いを思い出させてくれた彼女に対し、魔刃が偽りを口にする事などあり得ない。

 

 だからそれこそ、エリオが心から願う理想の園だ。

 

 

「……生まれだけで、全てが決まらない世の中を」

 

 

 生まれた瞬間に決まっていた。クローンと言う生まれ故に、実験材料として終わると決まっていた。

 使い捨てられる。それ以外の道はない。運悪く泥の底に堕ちてしまえば、もう二度とは這い上がれないのが現実なのだ。

 

 エリオはそれが、堪らなく嫌だった。

 

 

「僕の様に、あの子らの様に、泥の中で足掻いた命に、確かな祝福を。奪われて来た者達に、もう奪われる事はないのだと」

 

 

 どうして奪われ続けるのだ。どうして奪い続けなくてはならないのか。

 生まれで堕ちた。偶然堕ちた。運悪く堕ちた。堕ちるしかなかった。ならば奪われ続けろと言うのか、冗談ではない。それは理不尽に過ぎるだろう。

 

 

「そうとも、理不尽など要らない。何故高みにある者らに見下される! 泥の中に生まれたら、生涯泥の中に居続けなければならんと言うっ!?」

 

 

 高みで指示を出す者達。この地の権力者たちは、見るも無残な程に醜悪だった。

 アンナモノが高みにあって、どうして自分達は底辺に居る。それがエリオの反逆理由。首輪を引き千切った後に、ミッドチルダで暴れ続けた理由であった。

 

 最高評議会や白衣の狂人は未だ納得出来た。許せはしないが、彼らはアレで必死であった。だから納得だけは出来たのだ。

 だがしかし、権力者の多くは名家に生まれて、そのまま流れる様に今の立場に居る。当たり前の幸福を享受する人々は、それがどれ程に尊い物かと知りもしない。

 

 望んでも得られない者が居る。どれ程に努力を重ねても、決して辿り着けない者らが居る。そんな彼らが苦しみ続けている中に、どうしてその半分も必死に生きていない者らが幸せであるのか。それは余りに理不尽だろう。

 

 

「そんな道理が罷り通るが今ならば、その法則を書き換える。誰もが望めば報われる。そんな世界を僕が生み出す」

 

 

 だから、それがエリオの望みだ。彼が夢見た理想郷。其処を目指す第一歩こそ、その理不尽に対する怒りなのである。

 

 

「エリオ・モンディアル。貴方は本当に――」

 

 

 如何にか起き上がった高町なのは。彼女は確かに、その必死さを理解する。

 

 魂を見る目に映るのは、無数の怨霊に呪われながらも叫ぶ少年の意志。

 己が喰らい殺した者らに責め立てられながら、それでも魔刃は彼らの為にと槍を振るうのであろう。

 

 だからこそ、その願いは真摯である。その意志が必死であるからこそ、こんなにも彼は強いのだろう。

 

 もしかしたら、その願いは悪しき物ではないのかも知れない。

 或いは共に手を取り合って、受け入れられる物であるのかも知れない。

 

 そうと僅かに期待した。そんななのはの小さな期待は――

 

 

「だけど、僕が知る景色は地獄だけだ」

 

 

 少年が辿った道筋が余りに暗過ぎたが故に、実を結ぶ事もなくあっさり潰えた。

 

 

「だから、それを強制する。だから、それで世界を満たす。そうしてその果てに、僕が望んだ救いを具現する」

 

 

 覇道の神は、流れ出す事しか出来ない。己の内から、流れ出す事しか出来ないのだ。

 故に彼らが与えられる物とは、自己が経験して来た物だけに尽きる。それ以外には何一つとして示せはしない。

 

 そしてエリオの内面には、共食いの奈落しか存在しないのだ。

 

 

「もう大丈夫だ。虐げられし貴方達。強く願って諦めなければ、きっと高みで全てが掴める」

 

 

 弱き者らよ。努力せよ。その努力は必ず報われる。前に進み続ければ何時か必ず、誰もが幸せになれる世界を作る。

 其処には確かな慈悲がある。其処には輩への想いがあって、もう二度と自分達の様な者らは生まないのだと言う決意があった。

 

 

「もう諦めろよ。虐げ続けたお前達。生まれついての席に胡坐をかき続ける限り、お前達は底の底に堕ち続けるんだ」

 

 

 強き者らよ。努力せよ。さもなくばその席、今直ぐにでも失うぞ。そういう世界を、己は作る。

 熱し忘れた湯が水にかえる様に、積み重ねた全ては一瞬で失われる世界となる。向上心を忘れた者は、必ず破滅する世界を作る。

 

 

「そうとも、救いの席には限りがある。ならばその席に座れる者とは、努力を続けた者でなければならない」

 

 

 救える人間に限りがある。ならば選ぶべきは、選ばれて然るべき者でなくてはならない。

 真に心の底から上を目指した人間は、必ず報われて然るべきであろう。その為の座席が足りぬなら、胡坐を掻いてる輩を蹴落とし作れば良いのだ。

 

 

「怠けるな。足を止めたら転げ堕ちるぞ。傲慢にはなるな。慢心は必ずその身を滅ぼすぞ」

 

 

 努力が必ず報われる世界とは、努力しない者が必ず破滅する世界である。

 誰もが前を目指し続ける世界とは、即ち誰もが競い合って共食いを続ける奈落である。

 

 

「強くなれ。強くなれ。強くなれ。強くなれ。願えば誰でも強くなれる。強くなれば全てを得られる。唯それだけが絶対法則。僕が望んだ至高の天だ!!」

 

 

 これぞ、エリオ・モンディアルが掲げる理の全て。その法則に咒を付けるならば――自己超克・共食奈落。

 

 

「お前、分かって、言ってんのかよ」

 

 

 己の至高を語ったエリオに、向き合うトーマの声は震えていた。

 それはその後を予測したから。彼が作り出す世界は、余りに醜い奈落と化すのだ。

 

 

「そんな世界になったら、何時まで経っても平和にならないっ! ずっとずっと、誰かが奪われ続けるじゃないかっ!!」

 

「ははっ、何を言うかと思えば――当然だろう? 今までと何が違うと言う」

 

 

 強く。強く。強く。唯只管に強く想う。この今に感じるのは、確かな脅威だ。

 命を狙う敵としてではなく日常を奪う敵として、トーマは此処にエリオに対する認識を強く変えていく。

 

 彼が流れ出したとすれば、その果てにあるのは大切な人々が苦しむ地獄だ。

 それを許容出来ないと、自分の抱える恨みよりも受け入れ難いのだと、トーマは強く心に抱く。

 

 

「お前達が幸福を享受する裏で、悲劇は常に世にあった。元から幸せになれる人の数なんて限られていて、ならば相応しい人間にこそ与えるべきだろうさっ!!」

 

「そんなの、お前が決める事かよっ!!」

 

「だから神になるんだろうがっ! その資格を得る為にこそっ!!」

 

 

 心を強く。願いを強く。答えるのは美麗刹那・序曲。

 日常を守る為にこそ、嘗てない程に同調したトーマは先を超える速さで光となって疾走する。

 

 処刑の剣を両手に迫る少年を、罪悪の王は同等の速度で迎え撃つ。

 武具が音を立ててぶつかり合い、睨み合った両者は至近距離にて罵倒し合う様に互いの想いを口にした。

 

 

「蹴落とし合うのは違うだろっ! 手を繋げないなら悲惨じゃないかっ! 幸福の席が限られていたって、譲り合えればきっとっ!!」

 

「先ず前提が違っている! これは平地の椅子取りゲームなんかじゃないっ! この世界の在り様は、沈没船に残った救命胴衣のそれなんだっ! 譲り合っていたらなぁ、諸共に皆沈んで死ぬぞっ!!」

 

「だからって、だからって、お前での願いは違うだろうっ!!」

 

 

 振るうは神の力。だが抱いた願いは子供の理想。そんな夢追い人の言葉を前に、悪魔が語るは非情の現実。

 譲り合ったら諸共に死ぬのだと、それは確かな事実であろう。だがそう語られても、それだけでは認められない。そんな愚か者だからこそ、夢を追い続けられるのだから。

 

 

「完全な理想郷でも語れば満足かっ! そんな世界はそも浮かばない、だけど、それ以上に――たった一人の超越者が、新世界を語るだけでは結果は今と同じになるっ!!」

 

 

 そんな夢だけを見ている宿敵に、苛立ちながらにエリオは叫ぶ。

 高町なのはが語ったように、神に頼るだけでは何れ破綻すると彼も知っているのだ。

 

 如何に完全な理想郷を作れたとしても、それだけでは絶対に破綻する。故に、力への意志なのだ。

 

 

「この世界に必要なのは、新世界を語る超越者(Also sprach Zarathustra)ではなく、誰もが超越者になろうと目指す為の力への意志(Wille zur Macht)。ニーチェが語った超越の為の要素。始まりの意志こそが欠けていると僕は分かった。だから無理矢理にでも、それを植え付けようと言うんだろうさっ!!」

 

「そんなお前の勝手ぇぇぇっ!!」

 

「その勝手に抗う意志を、その答えを、お前達は未だ見付けていないんだろうがっ!!」

 

 

 疾走する蒼と、雷光と共に迎え撃つ紅。その対立は、先の焼き直しとはならない。

 過去最高規模で内なる神との同調を始めたトーマは先より遥かに強くなり、圧倒的な速度で走り続ける。

 

 

「怠慢に耽った太極も、道を恐れた神の子も、最早相応しくなどありはしないっ! 答えを出せないお前達になぞ、今の僕を阻む資格もあるものかっ!」

 

 

 迎え撃つは黒炎を纏いし、罪悪の王。共食奈落は此処に在り、その身は未だ余裕を見せている。

 襲い来るトーマの速度を完全に対処しながら、同時に後方で動きを見せ始めた高町なのはやキャロ・グランガイツにも視線を配っている。

 

 まだ三人を同時に敵に回して、それでも余裕を見せられるだけの力が彼にはある。

 故に彼は管理局など敵には成らないと、未だ取るに足りないと語りながらに見定めるのだ。

 

 

「違うと言うならなぁ、力で以って抗え。君の――君達の“力への意志”を見せてみろっ!!」

 

 

 力への意志を見せてみろ。そう語り槍を構える最強の反天使。

 魔刃を前にして打開策など浮かばなくとも、決して負けられないと既に彼らは理解していた。

 

 

「僕は、俺は、まだ見えないし答えも出せない。だけど――リリィっ!」

 

〈大丈夫。分かってるよ。トーマ〉

 

『エリオだけは、神にしちゃいけないっ!!』

 

 

 此処で魔刃に敗れれば、彼は必ずや神へと至ろう。

 そして流れ出すのだ。誰もが傷付き続ける共食いの奈落を。

 

 それを認めないと言うならば、此処で必ず止めねばならない。

 

 

「何としてでも、お前を止めるぞっ! エリオ・モンディアルっ!!」

 

 

 戦いは激化する。未だ終わる様相を見せずに、その対立は激しさを増していくのであった。

 

 

 

 

 




何気にこれでトーマとの戦闘が五回目となるエリオ。
既に過労死レベルで仕事している彼ですが、まだまだStS編でのお仕事が残っております。



〇法則解説
【自己超克・共食奈落】
 エリオが辿り着いた至高の天。虐げられし者への救いを、がその根幹にある。
 正し作中で明言されている様に、そのまま流れ出せば血で血を洗う地獄になる事請け合いな世界法則。

 因みに彼が語ってない要素だが、この世界の民は最初に願った想いを忘れないと言う特徴もあるので、実際に流れ出すと最初こそ地獄になるが最終的には存外悪くない世界に納まる法則でもある。魂の劣化も努力強制によって強化されるので、現状の問題点も多くは解決できるのだ。

 誰もが愛情を抱く事が出来、其処に彼我の強弱は関わらない。強さだけではなく、何の為に強くなるのかと言う事も考えられる。
 その為、世界の頂点に立つ存在が善性ならば、或いは生きやすいとも言える世界になるとも言えるだろう。

 その者が向上心を忘れない限り、全く救いがない世界にはならないのだから。

 因みに慈愛の少女との出会いがなければ、この法則は完全な弱肉強食だけの世界となっていた。結局被害者と加害者が入れ替わるだけ。誰もが強さだけを求めて、何の為に強くなろうとしたのか忘れた世界。
 エリオがキャロと出会わなければ、そうなっていた可能性も十分あり得たのである。





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第十九話 六課襲撃 其之参

今回はクロノSideのお話し。+なのは達の企み解説回。独自設定マシマシです。


1.

 手元に置かれた通信端末を介して、危急の報が入り込む。

 後援者の一人であるが故に其れを知れた男は、思わず怒鳴り散らしそうになった。

 

 だがしかし、公開意見陳述会は既に幕を開けている。当会議場の様子は全管理世界に生中継されているのだ。

 そんな場に置いて、感情の儘に声を荒げるなど出来よう筈もない。故に男――レジアス・ゲイズは大きく息を吸い込むと、怒りを呼気に変えて吐き出した。

 

 そうして、僅か落ち着いて思考する。視界に映すのは、同じ情報を得たであろう二人の姿。

 

 

(全く、アヤツらは平然としおって……顔色の一つも変えんか腹黒共め)

 

 

 壇上にて語られる今年度の予算使用報告。其れに底知れぬ笑みを浮かべて、耳を傾けているのはカリム・グラシア。

 幼き時分より利権を巡る古狸共と渡り合っていたのであろう人物は、叩き上げのレジアスとは反応が何処までも違っている。

 

 聞いてない筈がない。情報を知らない筈がないのだ。

 だと言うのに浮かべた笑みを揺るがせず、その内心を悟らせない腹黒さ。

 

 その身の希少技能も相まって、レジアスとしては余り好まぬ人種だが、味方として見れば心強いとは言えるであろう。

 

 だが一つ。ほんの僅かな疑念があった。

 

 

(しかしな、グラシアめ。……アヤツは一体、どのタイミングでコレを知った?)

 

 

 自分と同じくこの今に知ったのならば、如何に腹黒とて眉一つは動かすのが道理であろう。

 だがその笑顔と言う名の鉄面皮は、僅かたりとも崩れていない。手駒であるアコースでも利用して、予め知っていたのであろうか。

 

 

(……まぁ、良い。今は疑惑に過ぎぬアヤツより、確証としてあるアヤツの方が問題だ)

 

 

 考えても答えは出ぬかと、レジアスは其処で思考を切り替える。

 視線が向かう先に居るのはもう一人。澄まし顔をしている青年こそが、最も腹を立てている元凶だ。

 

 通信機より伝えられた報告から推測できる事実。それを知ったからこそ、レジアスは怒りを抱いているのだ。

 

 

()()()()()()と言うのが示しておるわ。……奪われたのは、直前に儂の手元から引き抜いて行ったFの部隊のみ)

 

 

 レジアス自身持て余していたプロジェクトFの戦闘員達。

 クロノはアグスタの一件以降の人員補充と言う名目で、そんな彼らをレジアスの元より受け取っていたのだ。

 

 そして今回の魔群襲撃。書類上は備品として扱われる彼らだけが犠牲になって、それ以外の被害はない。

 生身の人々はこの場への護衛に対する支援組として組み込まれ、余剰メンバーは全員が同時に休暇を割り振られている。

 

 そんな偶然、ある物か。被害が限定された理由など、少し考えれば誰にでも分かる事だった。

 

 

(分かっていたのだろう。魔刃だけでなく、魔群も来ると。だったら予め話さんか戯けめ)

 

 

 詰まりは知っていたのである。魔群の襲来を予想していたのだ。

 恐らくは二日。地獄に一番近い日が終わってから、あの少女が再び立ち上がった直後には分かっていた。

 

 故にこそ、そのタイミングで人員を補充したのだろう。

 犠牲を零には出来ないから、斬り捨てても問題ない者達を集めたのだ。

 

 それを分かっていて、話さなかったであろう事。その事実に、レジアス・ゲイズは苛立っている。黙っていた理由が分かって、それでも怒りが収まらないのである。

 

 

(魔鏡と言う障害はあったのだろうがな。……全く気に喰わん小僧だ。後で締め上げるから覚悟しておけ)

 

 

 確実に魔群を欺く為に、話す相手を限定したのであろう。その理由は分かっている。

 だが限定した中に、自分がいない事。それに怒りを抱いたレジアスは、感情の昂りを抑えながらにクロノを睨み付けるのだった。

 

 

(……やれやれ、怖い人だ。だがまぁ、仕方がない)

 

 

 その憤怒の視線に背を震わせながら、顔色は変えずにクロノはそう思考する。

 レジアスの怒りの理由は分かる。話さなかった事。相談しなかった事。そして作り物であっても、レジアスの部下を黙って犠牲にした事を怒っているのだ。

 

 その怒りは正当だと、そう思わずには居られない。

 そして同時に仕方がなかったと、そう思考する自分を自嘲した。

 

 

(仕方がない。仕方がない、か……)

 

 

 犠牲を零には出来ないと、それは最初から分かっていた。

 情報の伝達を最低限にして、それでも数人は犠牲者を出さねば騙せなかったのだ。

 

 

(被害を零には出来なかった。それでは、何をしているのか、予め分かってしまう。今回の本命は、知れば当然逃げるだろう。だからこそ、気付かれていないと思わせる事が必要だった)

 

 

 それでも減らそうと、少しでも減らして見せようと努力した。

 反天使の製作者である男を蹴り上げて、六課隊舎その物に手を加えさせもした。

 

 

――クアットロは肉眼を持たない。蟲の軍勢なればこそ、不死であるが故にこそ、あの子は欠点を持っている。ならば、欺く事はそう難しくはないよ。

 

(スカリエッティが細工を加えた六課隊舎。あの中でなら、()()()()()()()()()()()()()()()。奴の性格を考えれば、殺した相手が作り物だと気付く事さえないだろう)

 

 

 魂のない複製。それを壊したに過ぎないと、今のクアットロには理解が出来ない。

 仮に誰かが逃げ延びたとして、今の魔群は隠れている者達すらも見付けられはしないのだ。

 

 与える情報は絞った。ルーテシアは知らず、襲撃の有無を分かっていたのはティアナのみ。

 教えずともに出来るのだと、そう断じたティアナ。そんな彼女を信じて、魔群への対処を任せたのだ。

 

 

(だがやはり、犠牲を零には出来ない。誰も死んでいないのに、そうと錯覚する事は出来ない。故に数人。犠牲としたのは、プロジェクトFの作り物)

 

 

 対処は多く行った。だがそれでも、零れ落ちる命はある。

 犠牲が零では騙せない。油断を生み出す為だけに、犠牲に選んだのは作り物。

 

 魂がないから、複製だから、人間じゃないからとその犠牲を許容したのだ。

 

 

(仕方がないと、その犠牲を受け入れている。被害を減らせた事に、満足感すら抱いている――これが慣れか、怖い物だ)

 

 

 確かに多くを救う選択だ。犠牲を少なくした策である。だがそれでも、これは胸を張って良い物ではない。

 犠牲者を生んだのだと、誰かの命を捨て駒として使ったのだと、その行為に感じる慣れを怖れながらにクロノは思う。

 

 

(忘れるな。例え偽りの命でも、僕は確かに切り捨てたのだと。次があるならもっと減らせよ。それが確かな責務であろうさ)

 

 

 忘れてはならない。一つの生命に優劣はなく、それは作り物だろうと関係ない。

 今は生きていないとしても、何れ人になれたかもしれない複製達。その可能性を奪ったのだと、それを決して忘れてはならない。

 

 

――忘れぬなよ。抱いた祈りを。間違えるな。至るべき場所を。

 

 

 だが同時に、思考を過ぎるのは先を託された女の言葉。

 重荷を背負えば潰れると、だから背負う必要のない道を歩けと言うそんな言葉。

 

 

(だが背負い過ぎるな。原初の願いを忘れてしまえば、救うだけでは何れは堕ちよう。誰にでも誇れる様に、愚かであっても最善を目指そう)

 

 

 背負った荷を零には出来ない。だがこの荷を負う事を、常態にしてはならない。

 誰かを犠牲にして選ぶ賢い道よりも、愚かと分かって理想の道を歩ける様に、少しずつ荷を下ろしていく必要があるのだろう。

 

 

(全く、難しい話だ。僕らが目指した理想は、こうも遠いな……)

 

 

 誰かを扱う側に立って、初心を保つ事の難しさに内心で息を吐く。

 嘗ての自分。入局したばかりの若さに殴られそうだと愚にも付かない事を考えながら、クロノは一つ思い浮かべる。

 

 

(だが、だからこそ、意味があるか。尊い愚道。其れを歩むと、僕らはそう決めたのだから)

 

 

 それはあの日に、皆で決めた理想の場所。

 愚かな道と分かっていて、それでも歩くと決めたのはそれが尊いと知っていたから。

 

 問題なく進む意見陳述会に耳を傾けながら、クロノはあの日を振り返る。

 

 

 

 

 

2.

 其れはもう七年は前の事。恐るべき終焉が過ぎ去って、その直ぐ後の出来事だった。

 

 

「ねぇ、皆。これから、どうすれば良いかな?」

 

 

 病室から解放されて、僅かな自由を取り戻した高町なのは。

 そんな彼女は問い掛ける。今正にある終焉。後僅かしかない世界の時に、同じ事を知る友らへ問い掛けた。

 

 

「世界は滅ぶ。そう言われても浮かばない。後八年。それで滅ぶって言われて、それでどうするのが正しいのかな?」

 

 

 その場に集まったのは、管理局に所属する五人。

 高町なのはとクロノ・ハラオウン。アリサ・バニングスに月村すずかとザフィーラだ。

 

 同じ物を見て、同じ道を歩いて、同じ悩みを抱える同士が其処に集っていた。

 そんな彼らに如何した物かと問い掛けて、そんな問いを受けた彼らは思い思いに悩む。

 

 その中で先ず最初に口を開いたのは、将官用コートを肩に羽織った青年だった。

 

 

「先ず必要なのは、現状理解と大目標だ。今と目指す先を知らねば、何一つとして出来る事などないだろうさ」

 

 

 彼には余り時間がない。拘束と監視の目が、この中で最も多い立場である。

 監視が後退する僅かな隙間を付いて集まれたが、もう直ぐにでも追手は姿を見せるであろう。そして次の機会はない。

 

 故に手早く進めようと、少しでも有意義な集まりにしようと、彼は問題点を明らかな物に変えて羅列していく。

 

 

「私見で悪いが、恐らく神が死ぬとは、世界の全てが消え去ると言う事を示しているのだろう」

 

 

 全能の覇道神が死すると言う事。その果てにある滅びを、クロノ・ハラオウンはそう捉える。

 

 

「この世の全ては、神の魂から出来ている。大気を孕んだ風も、海の水も、この手足に流れる血潮や肉ですらも、根本的には魔力素だ」

 

 

 魂の力。魔力素。それが最小の粒となり、あらゆる原子や素粒子などを形作っている。故に根本を言えば風も水も人の身体も、全てが魔力素の集合体だ。

 

 

「それが崩れる。神の死と共に、全ての魔力素が消失する。詰まりはそれが、世界の滅びと言う物だろうさ」

 

 

 神が滅ぶとは、その魔力素が失われる事を意味している。

 

 即ち、魔力素によって成り立つ全ての事象崩壊。

 海は消え、空は無くなり、大地は虚無に還って、人の身体は魔力と共に霧散する。それが世界の崩壊だ。

 

 

「……この場にあの狂人か、ユーノが居ればもっと上手く説明出来たんだろうけどな」

 

 

 そう肩を竦めながらに語るクロノの言に、誰もが表情を暗くする。

 全てが消える。それが世界の滅び。後八年で訪れる、この世界の終焉なのだと。

 

 

「世界が滅べば、その瞬間に我らも滅びるのであろうか?」

 

「程度の差はあれ、そんな感じじゃないの? 掠め取れた記憶は朧げで、証拠としてはちょっと弱いんだけど」

 

 

 ザフィーラが零した疑問に、アリサが狩猟の魔王より掠め取った記憶を元に言葉を返す。

 肉体を構成する材料が失われれば、自壊するのは必然の道理。魂の強さ故に自壊する速度に大小あれど、何れ皆が滅び去る。

 

 何等かの方法で己の魂から力を発する事でも出来ない限り、全ては遠からず消え去るのだ。

 

 

「彼の記憶で見たわ。凶月の目に映っていた前の世界の人達は、何て言うかな。もっと強かった。魂の強度自体が、今より誰しも強かった」

 

 

 そして今の民の内から、魂の力を引き出す術は失われてしまっている。

 己から魔力素を生み出す事は出来ない。それは個人の強弱が問題なのでなく、今の魂がそれだけの力を内包していないからである。

 

 

「性格とか、輝き方とか、そんな問題じゃないの。()()()()()()()()()()。滅んで然るべきだったのに、生き延びた代償がそれだった」

 

 

 本来滅び去る定めであった。一つの命として、成立しない程に弱っていた。

 それを失わぬと如何にか留めて、壊れた魂に祝福(リンカーコア)を与える事で治療して、それでも未だ不足しているのだ。

 

 

「……私も、アンナちゃんの中で見た。今の世界の人々には、本来生きていられる力なんてなかったって」

 

 

 足りていない。未だまるで足りていない。

 神が滅べば諸共に死ぬと言うのは詰まり、この今に生きる人々が本当の意味で生きていないからこそ言えるのだろう。

 

 

「リンカーコア。神の祝福って、そういう事。……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だからこそ、私達は生きていられる。だからこそ――」

 

 

 霊魂の形成。此処にある人が生きているのは、生きていられる肉体を神が形成しているからだ。

 

 腸を子に貪られながら、今にも死する直前で、それでも神は全人類を形成し続けている。

 其れを知るからこそ、夜都賀波岐は怒り狂っているのである。其れが無くなれば滅ぶしかないから、この今の世には余りに救いが足りないのだ。

 

 

「神が死ねばその瞬間に、人類全てが魔力となって霧散する。それが世界の滅び」

 

 

 例外は居よう。だがそれも極僅か、多くは自分の力で自分の形成も出来ぬ民。

 元より壊れかけた魂しか持たぬ今の人々は、神の死と同時に魔力となって霧散しよう。

 

 それこそが今にある問題点だと、彼らは確かに認識した。

 

 

「神の座を交代させる。多くの者らが目指すのは、そんな解決策だ」

 

 

 問題点を理解したなら、次に考えるべきは解決策だ。

 多くの指導者達は其れを見ていて、目指すべき場所を模索している。

 

 最高評議会は魔道の神を。御門顕明は修羅の神を。天魔夜都賀波岐は永遠の神を。両面鬼は再誕に伴う変化を。そして今は知る由もないが、何れ立つ悪魔の王は自らが神となる為に。

 其々求める結果は違っても、歩く道の過程は変わらない。座を目指し、神へと至り、流れ出す。それが彼らの解答だった。

 

 

「支える神に限界が訪れたのだ。ならば神を交代させる。確かに現実的な方法論と言う物だろうさ」

 

 

 現実的な話と、クロノ・ハラオウンはそう語る。

 

 神様と言う単語こそ出ているが、結局話しは簡単なのだ。

 時計が上手く回らないから、歯車を入れ替えて修理する。それが彼らの解答なのである。

 

 

「……でもね。私、思うんだ。それで良いのか、って」

 

 

 だが其処に、疑問を挟む少女が居た。

 高町なのはは問い掛ける。それで良いのかと、そんな疑問を抱くのだ。

 

 

「見たよ。沢山見た。アンナちゃんの頑張りを、どんな風に生きたかを確かに見たんだ」

 

 

 天魔・奴奈比売の多くを見た。その内側から、長き時間の一端を見たのだ。

 

 全能を思わせる神々が必死になって抗って、それでも避けられなかった此の今を見た。

 覇道三神と言う強大に過ぎる神々が揃ってしかし、それでも敗北するしかなかった過去を見た。

 

 

「あんなに強い神様達が、それでも破滅を避けられなかった。ならきっと、それが答え」

 

 

 それを見た高町なのはは、彼女なりの答えを出す。この今の現実に、彼女が抱いた答えがそれだ。

 

 

「誰かに頼っているままでは、きっと先なんて存在しない。何時か訪れる破滅と言う終焉を、先延ばしにするだけにしかならないんだ」

 

 

 盛者必衰。始まりがあれば終わりは来る。それが必然だとしても、この流れは余りに早い。

 それはきっと、誰か一人に荷を負わせたから。余りに重過ぎる重荷を託して、寄って縋るから破綻する。

 

 神が代替わりを起こしても、このままでは長くは続かない。根本から解決する必要があると、その瞳は強く語っていた。

 

 

「なら、どうする気よ? 実際、神の交代は必要でしょ」

 

「うん。そうだね。だけど、其処で思考を止めちゃいけないんだ。……それに、目指す答えなんて、私達はもう知っている」

 

 

 問い掛ける言葉に頷いて、しかしそれだけではいけないとなのはは返す。

 神の交代は必要だ。それ以外を目指すには時間が足りず、だが其処で満足しては何処にも行けない。

 

 ならば目指すのはその先に。神が代替わりした先に、目指す答えはもう分かっている。

 

 

「アリサちゃんも見たよね。すずかちゃんも知っているよね。クロノ君も、ザフィーラさんも、皆々分かっているんだ」

 

 

 見ていた筈だ。知っている筈だ。この場の誰もが分かっている。

 その答え。それを示した人が居る。口に出して語ったのではなく、唯生き様で見せた人が居たのである。

 

 だからなのはは、その大切な人の姿を口にする。

 

 

「私の大好きな人。彼が歩いたその道に、歩いている今に答えはある。それはきっと、とても簡単な事なんだ」

 

 

 力を失い、管理局を追われたその少年。それでも歩く事を止めない、その姿。其処にきっと答えがある。そう彼らは知っている。

 

 

「特別な力なんてない。神様や運命に選ばれた訳じゃない。少し頭が良いだけで、それ以外は何処にでもいる誰かと何も変わらない」

 

 

 森の奥に建物を作ろうと、テント暮らしをしている少年。

 食べる事に困り、寒い日々に震え、折れそうになりながらも思考錯誤を続ける姿。

 

 本局より出る事を許されない彼女が、デバイス越しに見た輝き。

 誰もが本当は体験していた原初の暮らしの中で、真面目に生きているその姿。

 

 

「でもその歩く道筋は、誰より光に満ちている。誰にも選ばれていないからこそ、誰でも出来る事だからこそ、その歩く道は尊いんだって」

 

 

 ユーノ・スクライアは一般人だ。魔力なんて持たないし、選ばれた力や受け継ぐ立場がある訳じゃない。

 鍛えた身体に、しかし才能なんてない。優れた頭脳は、されどマルチタスクを失くした今となっては役立たず。もう特別な物なんて、彼は何一つとして持っていない。

 

 それでも、その道を歩く姿は輝かしい。

 誰にでも出来る筈の事だから、特別な事なんて何もないから――それでも歩き続けるからこそ、その背は尊く輝いて見えるのだ。

 

 

「誰しもが皆、あんな風に生きられたら――きっと神様なんて必要ない」

 

 

 真面目に生きて、歩き続ける。何度取り零そうとも、掌に掴んだ小さな物を守り続ける。誰もがそう出来たのなら、特別な何かなんて必要ない。

 

 

「自分の足で立って、自分の頭で考えて、自分の目で前を見る。皆がそう出来たなら、世界を満たす救いなんて必要ないんだ」

 

 

 それは一つの人間賛歌。誰もが当たり前に生きる事、それこそ目指すべき至高であるのだ。

 

 

「私はそれを目指したい。そんな世界を、目指したいんだって思ってる」

 

 

 高町なのははそう思う。彼女が心から願える世界は、その魅せられた輝きだけだ。

 だがそれは、流出に至る事を意味しない。流れ出して作ってしまう物では、そんな輝きでは意味がない。

 

 

「だけどそれは、神様になって示す流出なんかじゃいけない。神様がそうしろって言うんじゃなくて、誰もが自分の意志で歩き出せる世界を望むんだ」

 

 

 だからこそ、彼女の答えは座の否定。彼女が抱くは神の否定だ。

 神座などない世界へと、神様の救いなどない世界へと、その輝きを目指したいのだと願っている。

 

 出来る筈だ。不可能ではない。自分の足で確かに立って、己で己を形成する。

 誰もがそう出来る様になれば、神が死した後の世界でだって生きられる。そう信じて、その果てを願うのだ。

 

 

「成程、それがお前の望みか」

 

 

 その解答を耳にして、クロノは小さく笑みを浮かべる。

 彼が抱いた解決策は別の形であったのだが、この答えを聞いてしまえば目指さずにはいられない。

 

 そうとも、魅せられたのは高町なのはだけではない。クロノ・ハラオウンもまた、あの友人の背に魅せられたのだから。

 

 

「知っているか、高町。……古き世ではな。その在り様を“解脱”と言うんだ」

 

 

 神に頼らず、自分の足だけで立つその在り様。それを神座世界においては、解脱と言った。

 法則からの解脱。神からの解脱。座からの解脱。全てから解き放たれたその身には、神の加護も裁きも届かない。

 

 当たり前の人として生きる事、それこそ解脱と言う解答だ。

 

 

「ふーん。なら差し詰め、私らが目指すのは、“全人類の解脱”って事? 良いじゃないの。やりがいあるわ」

 

「うん。そうだね。きっとそれは、何よりも尊い答え」

 

「……命を賭けて開く道として、十分過ぎる目標だな」

 

 

 魅せられたのは、彼らだけではない。たった二人ではない。

 この場に居る誰もが皆、其れを目指したいのだと心を同じくしていた。

 

 目指すべき道は定まったと、そう笑みを浮かべる四人の姿。

 先導した立場にありながらも、本気で目指すのかと高町なのはは問い掛ける。

 

 

「皆、分かってる? きっと、凄い遠いよ」

 

「ああ、この身に残った時間では、どう足掻こうとも足りんだろうさ」

 

 

 解脱は遠い。たった一人の解脱ですら六代に渡る神の歴史で、一度しか起こらなかったのだ。

 ならば全人類の解脱など、果たしてどれ程に遠くなる。生きている間に届く筈はないのだと、そうと分かってザフィーラは其れを受け入れる。

 

 

「これは愚行だよ。どう考えたって、八年なんかじゃ間に合わない」

 

「けどその八年の内に、積み重ねられるもんはあるよ。ならきっと、どんな形になっても無駄じゃない」

 

 

 八年後に迫った滅び。その時には絶対に間に合わない。

 だけど無駄にはならないのだと、月村すずかは柔らかな笑みを浮かべていた。

 

 

「一度や二度の人生で――ううん。神様が一度や二度代替わりしたって、きっと辿り着けやしない」

 

「でも目指す意志は残せるわ。土台を作って置いたなら、後はその時を生きる奴らに任せば良いのよ」

 

 

 次に繋いだ世界でもきっと届かない。その次の世界でも届く保証なんて何もない。

 だがそれでも良いのだ。後に繋いで行く事、それが重要なのだ。自分達はその土台を生み出そうと、そうアリサは確かに断言した。

 

 

「何、大目標と言うのはその位で良いものだろうさ。アイツの光に目を焼かれた僕ら全員が納得行く世界など、それ以外にはないのだから」

 

「皆」

 

 

 どうせ自分達には、他の世界など思い付かない。その輝きに焼かれてしまって、だからそれ以上など浮かばない。

 故に目指すは神無き世界だ。神様が要らない世界を目指して、如何にか世界を存続させながら、続く世の中で生きていく事こそ答えである。

 

 

「さて、ならばどう動く?」

 

「自分が自分がって、必死になるのは逆に論外よね。自分達だけが強くなっても意味ないんだもの」

 

 

 誰か一人が強くなっても意味がない。誰もが強くなれる世界でないと意味がない。

 だからこそ必死になって動いても、何一つとして得る物はない。ならば解脱に至るには、何を為せば良いのかと。

 

 疑問を語り合うザフィーラとアリサの姿に、クロノは笑みを浮かべて言葉を返す。

 

 

「何、精々華々しく、そして人らしく生きて行けば良い」

 

 

 答えなんて決まっている。目指そうと思った自分達。

 それが魅せられた光景を、同じく多くに魅せてやれば良いのである。

 

 

「僕らがアイツに魅せられたのと同じ様に、多くの人に魅せれば良いのさ。そうとも、何の為の英雄だ」

 

 

 英雄として、祭り上げられたのだ。ならば英雄として、華々しく生きて行こう。

 誰もが何かを想える程に鮮烈に、それでいて誰もが憧れる様な人の幸福を魅せるのだ。

 

 

「届かぬ足掻き続けよう。愚かな尊さを見せてやろう。万人が、そう在りたいと願える様に――」

 

 

 きっと時間は掛かるだろう。目指す場所は遠過ぎて、本当に至れるかも分からない。

 

 

「僕らが一番、誰より真面目に道を歩く事。それこそが、解脱に繋がるたった一つの道なんだろうさ」

 

 

 それでもその歩く道筋は、たった一つしかない確かな答え。

 そして他の如何なる道よりも尊いと、確かに断じる事の出来る解答なのだ。

 

 

「やろう。皆」

 

 

 故に彼らは、此処に歩く道を決定する。

 其れは誰もが愚かと断じる、決して間に合わない方法論。

 だが同時に、誰もが尊いと感じる事の出来る道。其は最も愚かで尊き解答。

 

 

「目指そう。皆」

 

 

 座の交代は必要だろう。だが自分達では流れ出せない。故に見定めて繋いで行こう。

 そして交代劇を続ける先で、確かにその目的地へと到達する。何時か全人類を解脱させ、神を不要とする事こそ彼らの答え。

 

 

「神様なんて必要ない。誰もが自分の足で立てる世界を――人類解脱を目指すんだ!」

 

 

 何時か何処かで、誰しもが自分の足で進める様に――彼らは誰よりも鮮烈に、そして誰よりも幸福に生きると決めたのだ。

 

 

 

 

 

3.

「次は古代遺物管理部長、クロノ・ハラオウン氏の報告です」

 

(……出番が来た、か。さぁ、始めようか)

 

 

 呼び出しのアナウンスに、物思いから引き戻されたクロノは前を見る。

 尊き愚道。その道を歩くと決めたのが、彼ら古代遺産管理局にとっての初心であった。

 

 それを忘れるな。そう語られたのだ。ならば忘れぬ様に、選ぶべき道は決まっている。

 クロノ・ハラオウンは提督コートを靡かせながら、会議場の壇上へと一歩一歩と向かって行く。

 

 そうして、辿り着いて振り返る。

 壇上に立ち上がった彼が大胆不敵に名乗るのは、この時空管理局内にあって挑発するかの如きその肩書き。

 

 

「ご紹介にあずかりました。私は古代遺産管理部長にして、古代遺産管理局長。クロノ・ハラオウンです」

 

 

 管理局に局長はいない。最高評議会が事実上のトップであって、その在り様は協議制だ。頂点が一つと言う事実はなく、故にこそこれは大胆不敵な挑発行為となる。

 そんな彼の名乗りに対し、居並んでいた幹部陣が腰を上げかける。だがその程度で動くは小物。取るに足りないと断じて、クロノは更なる爆弾発言を此処に投下した。

 

 

「先ず最初に、全管理世界の皆様にこの場を借りて、相応しくはない物言いをする事、謝罪致します」

 

 

 公開意見陳述会。それは地上本部の予算運用などを開示する催しだ。

 この場に相応しいのは前年度の報告と、今年度の指針発表などであって、これから語るはまるで相応しくはない言葉。

 

 だがこの今にこそ、全管理世界が注目する場所だからこそ、この発表をする必要があるのだ。万が一にも、握り潰されてはしまわぬ様に。

 

 

「ですが、知ってもらわねばならない事がある。伝えねばならない事がある。故にこそ、今此の場所で、私は多くを語りましょう」

 

 

 クロノは腕を大きく振るう。舞台映えする動きにて、指し示すのは大型モニター。

 其処に映し出されるのは、多くの数字と文字の列。その流し出される内容を理解した時に、ガタリと議場に騒音が生まれた。

 

 

「一つに罪を。我々管理局が行って来たこの罪を、此処に明かします」

 

 

 立ち上がったのは、海や空の高官たち。最高評議会派だと見越していた人物たち。

 彼らは今直ぐにでもクロノを止めようと、最早手遅れと分かって動き出す。そしてそんな彼らを制する様に、古代遺産管理局の武装局員が武器を向けた。

 

 慌ただしくなる会議場。騒がしくなる聴衆達。そんな事態を気にも留めずに、クロノは此処に言葉を続ける。

 

 

「お使いのデバイス。通信端末で見て頂きたい。此処に記された情報を」

 

 

 提示するのはアドレスコードだ。其れは隠されていた管理局の罪。

 それを全て記したデータベースに、直接繋がれるアクセスコードであったのだ。

 

 己の目で見てくれと、そう語られて一部の者がそう動く。

 何だ何だと画面越しに見る人々は興味を駆られて、知った事実に絶句した。

 

 其れは完全なる法規違反。外道と言うのも生温い、彼らが為して来た悪と罪。

 

 

「断言しましょう。それらは全て事実です。紛う事なき事実であると、私が此処に証明しましょう」

 

 

 画面の向こうの民衆に向かって、クロノ・ハラオウンはそう断言する。これは事実であるのだと、誰もが信じる英雄が此処に語るのだ。

 

 最高評議会に与する彼らは、これで全てが終わったのだと理解した。クロノの名声を高めた彼らだからこそ、もう逆転の目はないと分かってしまった。

 古代遺産管理局の後援者らは、これで全てが始まるのだと理解した。予定していた通りに彼らは制圧されて、此処にあるのは最早英雄の独壇場。彼が語るは真実のみだ。

 

 

「それら全てを知って貰った上で、私には言わねばならぬ事がある。語らなければいけない事、為さねばならぬ事があるのです」

 

 

 クロノはそんな彼らを気にも留めずに、誰でもない誰かへと向かって言葉を紡ぐ。

 敵対者らの諦めた目に見詰められ、後援者らの援護の下に続く言葉は――しかし、誰も予想していなかった形を見せた。

 

 

「管理局は悪を為した。最高評議会は、罪を犯した。それは明確で――しかしその罪は、この今に裁かれるべきであろうかっ!?」

 

 

 クロノが語る言葉。それはしかし、明確な断罪要求ではなかったのだ。

 

 何故、と。敵対者たちは目を見開く。何故、と。後援者らは目を見開く。

 予めこうなると知っていた者らは動かずに、そしてクロノの言葉も止まりはしない。

 

 

「最高評議会が為さねば、この今が繋がれなかった事は明白だ! その犠牲が無ければ、既にミッドチルダは滅んでいたのだ! それは確かな事実であって、誰にも否定する事など出来はしない!」

 

 

 クロノが語るのは、最高評議会の擁護であった。

 彼らが居なければ既にミッドチルダは滅んでいた。夜都賀波岐と戦い抜けたのは、その冷徹なる意思があったからに他ならない。

 

 自分では出来なかった。その立場に居たのが自分では、こうはならなかったと断言する。そんな擁護の言葉を続けた直後に、しかしクロノは否定の言葉を口にした。

 

 

「だがしかし、だからと言って許される筈もない! 犯した罪は裁かれねばならないだろう! だが、それを裁くべきは誰か! 我らか!? 否だっ!!」

 

 

 どんな理由があろうと、罪は罪だ。悪は悪なのだ。

 最高評議会の功績は明らかであれ、その罪悪も明確なのだ。故にこそ、彼らは裁かれねばならない。

 

 だがしかし、裁きを決めるべきなのは、管理局員ではない。クロノ・ハラオウンは違うのだと、此処に確かに断言する。

 

 

「我らは何だ!? 管理局員だ! 管理局員とは、法と民の守護者である!」

 

 

 管理局員とは、ミッドチルダの法と民を守る為にこそ在る存在だ。

 警察と裁判施設を足して割ったような性質に、天魔との戦いの中で軍としての色も強く出た。其れこそ時空管理局。

 

 その全てが、法の順守と民の守護の為にある。

 彼らが語り誇る様に、彼らはあくまで守護者であるのだ。

 

 

「法とは何だ!? 法とは国家の元に、民を守る為にある決まりである!」

 

 

 そして彼らが順守するべき法とは、即ち国家の元に民を平等に守る為の決まりである。

 ならば法の守護者とは、即ち民の平等の守護者。この地に生きる民を守る事こそ、その存在意義なのだ。

 

 

「ならば即ち、我らは民の為にある! そうだろう? 我が同胞たる局員達よ!!」

 

 

 異論はあるか。異議はあるか。そう周囲を見回し同胞へと語るクロノ。

 そんな彼の即興に目を剥きつつも、レジアスは唯一言「ない」と断じて返した。

 

 強く断じたその言葉に、クロノは僅か目礼する。

 そうして再び画面の向こうへ目を向けて、稀代の英傑は此処にその真意を告げるのだった。

 

 

「その上で、先ず断じよう! この今に最高評議会は、ミッドチルダの政治の大半を牛耳っている!」

 

 

 管理局の頂点は、既に政治と切って離せない程に癒着している。

 古きは判断の遅れが滅びを生むからこそ、即時対応できる様にとあった軍と政治の癒着機構。

 

 

「その悪は正されねばならない! だがしかし、我らが唯独善だけで現政権を覆したとすれば、それは軍事クーデターと何が違う!!」

 

 

 如何に彼らが悪とは言え、民衆が民意で選んだ政治と一体化しているのだ。

 それを軍事力に物を言わせて拘束しようと動いたならば、それは軍事的なクーデターと変わりはない。

 

 後出しで罪を為したと口にしようと、勝てば官軍と言う言葉がある様に勝利者の自由にされてしまう。それでは無条件で誇れる道とは言えなくなるのだ。

 

 

「故に愚かと分かっても、私は此処に問い掛けよう!」

 

 

 故に愚かと分かって、クロノはこの選択を選んだ。

 時間を与えるのは愚行と分かって、大義名分は既にあるのにそれ以上を彼は求めたのだ。

 

 

「戦術戦略両面において、これ以上の愚行はない! そうと分かって、私は貴方方へと問い掛ける!!」

 

 

 今正に包囲されている最高評議会関連施設。だが其処に攻撃指示は出していない。

 包囲はあくまで逃がさぬ為に、制圧の指示は未だ出さない。それを出すのは、全ての民意を聞いた後だ。

 

 

「声を聞かせてくれ! 他の誰でもない、其処に居る“貴方”の声をだ!!」

 

 

 管理局は民の為にある。ならば我らは、民の意を受けてから動かねばならない。

 

 

「想いを届けてくれ! 民の為に戦う我らに、大義名分などではない、確かな正義が何かと教えてくれ!!」

 

 

 それがどれ程に逆境を生むとしても、この今に聞かずには動けない。

 独善で動いた結果を誇れる程に、クロノの面の皮は厚くはないのだ。

 

 

「どんな小さな言葉でも、確かに聞こう! どんな形であったとしても、確かに聞き届けよう!」

 

 

 遠回りをしよう。此処に愚かな道を歩こう。皆の答えを聞いてから、何をすべきかを定めよう。

 遠回りをしよう。愚かな道だけど、尊いと分かっているのだ。だからこそ、此処に何を為すべきかと問い掛けよう。

 

 

「彼らは悪であるのか? その罪は今裁かれるべきなのか? 他でもない確かな民意を以って、此処にそれを裁定するのだ!」

 

 

 世界は物語ではない。故に進めるのは、主役だけの仕事じゃない。

 誰でもない誰か。誰でも良い端役。そんな彼らに責任を持って、声を上げて貰う事こそクロノの選択。

 

 そして彼は指をさす。天を指したその数は三つ。

 

 

「三日! 三日と言う時を置こう!」

 

 

 それが限界。包囲を維持できる限界で、多くの声を聞けるだけの時間。

 それでも限界スレスレだ。余りに維持が難しく、時間が経てば経つ程に転覆は難しくなる。

 

 そうと分かって、それでも彼は待つのだろう。

 

 

「どんな形でも良い。どんな想いでも良い。誰でもない貴方の、その答えを聞かせてくれっ!!」

 

 

 デバイスを繋いだネットでも良い。文書による投稿でも良い。直接乗り込んで来ても良い。

 賛同の意志でも良い。愚かと詰る声でも良い。速く捕まえにいけと、そう語るのだって構わない。

 

 確かな答えを届けて欲しい。その声の数こそが、目指すべき道へ近付いている証となるのだから。

 

 

「ミッドチルダ総選挙! その開幕を此処に宣言する!!」

 

 

 管理世界が注目する中、壇上にてそう演説して見せた先導者。

 後の世に語られる英雄宣言。其れに次ぐこれこそが、最も愚かな選挙宣言。

 

 彼がこの時に為して居れば、多くの悲劇はなかったのだと後の誰もが断じる一つの愚行。

 だがもしもこの宣言がなければ、今の輝きはなかったのだと誰もが認める尊き言葉。彼自身が語った様に、これは尊き愚行。愚かな尊さだったのだ。

 

 

 

 時空管理局体制の衰退期。そして後に起こる新たな世界の黎明期。

 その萌芽は未だ遠くとも、此処から先へと続いていた。この時の宣言こそが、始まりへと近付く確かな一歩であった。

 

 

 

 

 




以上、立候補者クロノ・ハラオウン氏の選挙演説でした。



そんな訳でなのは達の狙いは、『全人類の解脱』でした。
一代で出来る様な事ではないので、神座交代をする中でゆっくり目指す予定だった模様。

その中間で期待していたのはトーマで、だが先の一件で頼れないなってなった。
今の彼女達は中継ぎになる神様をどうしようかと悩んでいる所。だから前話でエリオの意志を聞いた時、なのはは一瞬期待した訳です。(一瞬の気の迷いだった訳ですが)





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第十九話 六課襲撃 其之肆

推奨BGMからも分かる様に、今回はティアナ回。


推奨BGM
1.Fallen Angel(PARADISE LOST)
2.流星の射手~Theme of Tiana~(リリカルなのは)


1.

 傍目には黒い粒にしか見えない羽虫が渦を為して、天蓋を作り上げている。羽音を響かせながら場に満ちる蟲の数は、悍ましい程に大量だ。

 甲高い声で嗤う女と、その身を構成する穢れた蟲の軍勢達。昆虫を摸したそれは奈落の泥。生身で触れれば蟲に貪り喰われるよりも早く、精神を病み発狂しよう。

 

 この場に立つ二人。立ち向かう少女達に抗う術はない。

 格が違う。次元が違う。力の桁が違っているのだ。抗う事は愚か、抵抗の意志も見せれずに嬲り殺されるが道理であろう。

 

 そう。本来ならば――

 

 

「ルー! そこよっ!」

 

 

 ティアナは声を荒げると共に、片手にデバイスを構え二つの魔法を行使する。

 

 一発。魔力弾にて層の薄い場所に小さな穴を開けると、クロスミラージュよりアンカーショットを撃ち出し通す。

 針穴に糸を通す様な正確さで、撃ち出した魔力糸を隊舎の壁へ。固定された事を確認する暇もなく、ティアナは前へと一歩踏み出した。

 

 

「了解。ガリュー!」

 

 

 そんなティアナの指示に応えたルーテシアが、その背を追いながらに指示を出す。

 動かすは使役する召喚虫。虫の甲殻を纏った戦士は、ティアナが開けた穴に向かって飛翔すると少女らに先んじてその場を進んだ。

 

 その瞬間に僅か遅れて、全方位より襲い掛かるは黒き穢れ。

 触れただけで弱い人間ならば殺せる毒は、物理的な圧力を伴って押し潰そうと牙を剥く。

 

 行かせない。生かせない。活かせない。此処でお前は何も出来ずに死に絶えろ。

 暗く嗤う女の笑みに、しかし黒き虫の戦士が折れる事はない。その身を盾に道を維持して、突破の隙を作り上げる。

 

 真面にぶつかれば一秒と持たずに押し潰される。それが避けられない程に、力の差は大き過ぎる。

 故にガリューが為すは、己の身と引き換えにその一秒以下を稼ぐ事。クアットロの認識低下も伴って、死力を賭せば数秒の時は稼いで見せよう。

 

 皮下組織を武装に変えて、放つは全力の武装解放。

 ティアナが生み出した針穴を、ガリューはその全霊を以って人が通れる程度に広げてみせた。

 

 

「…………」

 

 

 だが、その代価は大きい。武装解放とは、己の肉体を武器に変えて放つ攻撃だ。

 当然触れてしまえば侵される。侵食する毒素と悪意を前にして、彼は耐えられる程に強くはない。

 

 穢し貶めようとする奈落の毒。その余りの重さに膝を折りながら、それでもガリューは倒れない。

 そうして彼が押し広げ、維持し続ける脱出口。その先へと、ティアナはルーテシアを抱えて飛び込み抜けた。

 

 

「ゴメン。ガリュー。……先に戻ってて」

 

 

 成果はたったそれだけ。苦悶の声を上げる事も出来ずに、ガリューは蟲の津波に落ちて行く。

 その悪意の泥に飲まれて溶かされる直前に、ルーテシアは召喚魔法の対となる送還魔法でガリューを安全圏へと退避させた。

 

 宙を踊る二人の少女。ガリューが我が身を引き換えとしたのは、ティアナのアンカーを傷付けぬ為。

 命綱によってその身は繋がれて、彼女達は宙を滑空しながらに壁の層を一枚抜ける。だがしかし、状況は改善した訳ではない。

 

 地面に着地して数瞬、ティアナ達の姿を一瞬見失ったクアットロは再度認識し、すぐさま追撃の手を此処に打つ。余裕の笑みを浮かべたままに打つ次の一手は先と同じく、唯々純粋な力押し。

 だがそれで十二分。余りに力の差がある為に、単純な行動ですら十分過ぎる脅威となるのだ。

 

 

「来て! 地雷王!」

 

 

 襲い来る蟲の奔流に、ルーテシアは次なる召喚虫で対処する。

 四足歩行の甲虫が上空より重力場を伴いながら舞い降りると、溢れ出す蟲の流れを大地の底へと叩き落す。

 一切の加減などない最大出力。過剰な重圧によって地盤は沈下し、避けた亀裂の下へと蟲の群れは零れ落ちた。

 

 

「これなら……。――っ!?」

 

 

 だがしかし、魔群の進行は止められない。地面の底に叩き落とされ、それでも滅びぬ蟲が穴から溢れ出す。

 大地に空いた穴より溢れる、その光景は地獄の底を思わせる。異名の如くに這う蟲は、溢れ出してはその毒を撒き散らす。

 

 奈落の毒。魔の群勢に最も近いは――

 

 

「駄目っ! 戻って、地雷王!!」

 

 

 ルーテシアが即座に送還の魔法を使うが、地雷王は其れを拒否して力場を維持する。

 己と言う蓋が無くなれば溢れ出した津波は主を襲うと分かればこそ、奈落の毒に溶かされる瞬間まで退かなかった。

 

 

「……地雷王」

 

 

 ルーテシアの目の前で、甲虫は少しずつ咀嚼する様に溶かされて行く。

 黒い津波に甲殻は飲まれて消えて、残された一本の足が無造作に放り投げられた。

 

 

「ウフフ。フフフ。フフフフフ」

 

 

 嗤う。嗤う。女の嗤い声が響いている。

 敢えて肉片だけを残したクアットロは、忘我する少女の姿を嗤いながらに見下していた。

 

 

「自分を犠牲に、主の盾に? バァァァカみたい。教えてあげるわぁ。無駄な犠牲だったってねぇぇぇぇぇ」

 

 

 堰き止めていた蓋の消失に伴って、溢れ出す蟲の津波。

 忘我して動けない少女を抱えたままに、ティアナは毒付きながら魔力弾を撃ち放つ。

 

 力の差は明確だ。衝撃で蟲を弾く事は出来ても、その存在を消し去る事は出来ていない。

 ティアナでは例え全力を出そうとも、魔群の内の数匹を消滅させるが精々。兄の歪みを無しにして、魔群を減らす事など出来ない。

 

 故に出来るのは遅延戦術。無数の魔力弾で蟲を弾いて、迫る速度を遅らせる。そして自らも後方へと退避して、その僅かな時を増やすが限界なのである。

 

 

(無駄な犠牲? 何処がっ!)

 

 

 後退を続けながら、ティアナは思う。地雷王の犠牲は無駄ではない、と。

 

 

(想定よりコンマ二秒。発見されるのが速い。あの腐れ科学者、見通し甘いっての。地雷王が壁にならなきゃ、もう終わってたわ)

 

「呆然としてる余裕はないわよ、ルー! 泣くなら後にしてっ!」

 

 

 押し寄せる津波は、恐るべき速度で迫っている。

 ティアナの後退速度よりその動きは当然速く、故にあの犠牲がなければ詰んでいたのである。

 

 首の皮一枚で留まった現状に、内心で召喚虫に感謝を送りながら、ルーテシアに向かってティアナは叫んだ。

 

 

「……分かってる」 

 

 

 己の召喚虫を喰い殺されて、血が滲む程に手を握り絞めながらルーテシアは前を見る。

 

 襲い来る脅威は未だ変わらず、自身は二体の使役虫を失った。

 己を抱えるティアナは健在なれど、穴を抜ける際に多少は奈落の毒を受けている。

 

 如何にガリューが道を開いても、その対応は万全とは言えない。

 押し寄せる波の飛沫一つ。それだけでも肉を溶かすには十分な呪詛。完全に防ぎ切れなければ、其れは確かな傷として残されるのだ。

 

 逃げるしか出来ていない。後退しか出来ていないのに、自分達だけが傷付いていく。この情勢は余りに不利が過ぎている。

 

 

「けど、勝てるの?」

 

 

 だから、ルーテシアは一握の不安を抱いて問い掛ける。

 倒さねばならない邪悪な敵。その存在に憤怒と憎悪を抱いても、それ以上の恐怖を感じていたのだ。

 

 

「……零に等しいけど、絶無じゃない。まだ、勝ちの目はあるわ!」

 

 

 そんな彼女に伝える様に、或いは己に言い聞かせる様に、ティアナは此処に断言する。

 迫る魔群から目を離さずに、後ろを見ずに後退続けるその姿。だが此処までの全てが、想定を逸脱している訳ではない。

 

 

(義兄さんの仕込みは効いてる。地雷王が潰されたのは想定外だけど、それ以外は想定通り。ならあの垣間見えた勝利に至れる様に、再計算すれば良い!)

 

 

 それは今此処に、己達が生き続けている事こそその証左。

 クアットロは既に罠に嵌っている。ならば自分達が時間を稼げば、此処にその勝機は訪れるのだ。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。勝ちの目があるのは、其処だけっ!)

 

 

 右目に灯した蒼い炎で、ティアナはその光景を既に“視”ている。

 数多ある敗北の可能性の果て。那由他の先とは言わないが、それでも恒河沙分の一にはなろう微細な未来。

 

 

(もう知ってるのよ。……なら其処に全てを賭けて、撃ち抜いて見せれば良い!)

 

 

 既知である。既に知っているのだ。既に勝利への道は分かっている。

 ならば、必要なのは其処を目指す事。その条件が満たされる瞬間まで、生き延び続ける事こそ重要なのだ。

 

 

「ルー! アレを使いなさい!」

 

「――っ! 了解っ!」

 

 

 ティアナが銃口を向けて指し示す。其処にあるは白壁だが、彼女が示すはその奥だろう。

 一瞬の思考からそれを理解したルーテシアは、彼女の腕から飛び降り大きく頷くと、次なる召喚魔法を行使した。

 

 

「吾は乞う、小さき者、羽搏たく者。言の葉に応え、我が命を果たせ。召喚!」

 

 

 彼女が呼び出すのは小さき者。インゼクトと呼ばれる召喚虫で、数だけ揃うか弱い虫けら。

 そんな塵を山の様に集めて、魔群と言う津波に抗う心算であろうか。クアットロは余りに愚かと嘲笑する。

 

 

「アハハハハ。バッカねぇ。そんなので勝てると思ってるのかしらぁ?」

 

 

 大量にある、と言っても所詮は羽虫。インゼクトは質と量、その両面で魔群の蟲に劣っている。

 そんな数を揃える事も出来ない雑魚を増やしただけ。それで己を如何する心算なのか、とクアットロは嗤っている。

 

 

「陰の参等級以下の歪み者に、ゴミを取り出し捨てるしか能がない召喚魔導師。ほんっと、哀れよねぇ。捨て駒なんて可哀想。けどしょうがないわね、役立たずだもの!」

 

 

 嗤う女の声と共に、魔の群勢はその数を急速に増やしていく。

 空に集い、星々を貪り、星海を埋め尽くす。二匹の召喚虫が死力を賭して破った包囲網が、僅か数秒で元の形に戻ってしまう。

 

 

「ゴミ掃除の才能がある――なぁぁぁんて、褒めても上げないわ。掃除されるゴミにしかなれないのが、貴女達だものねぇぇぇぇ」

 

 

 二つの犠牲を払って、訪れた結果は先の焼き直し。

 振り出しに戻ると言うマスを踏んでしまった双六の如くに、彼女達は最初の状況へと戻された。

 

 敵は無傷。自分達は満身創痍。その状態で最初からやり直し。

 そんな心が折れてしまいかねない状況に、しかしティアナは怯まずに見上げて言った。

 

 

「良く回る舌ね。頭が軽いと、舌まで軽くなる物かしら?」

 

「……何ですって」

 

 

 口にしたのは挑発の言葉。先と同じく単純行為を繰り返されたら終わるから、内心の震えを隠して嗤う。

 そんな彼女の意図を理解したのか、怒りの表情を隠したルーテシアもまた嘲笑の言葉を魔群に向けた。

 

 

「言っちゃ駄目よ。ティアナ。……だってアイツ頭が虫だし、考える脳がそもそもないじゃないの」

 

「それもそうね。どんなに綺麗に取り繕っても、所詮は汚物の塊。人間じゃないのよね。失念してたわ」

 

「…………アンタ達ぃぃぃ」

 

 

 張り付いた嘲笑が消えて、浮かぶは怨嗟の色が籠った声。

 肉体がないと言う事に対する罵倒は、クアットロにとっての地雷である。

 

 父の手によって肉体を壊されたこの女は、自分の肉がない事に不満を持っているのだ。

 肉がない故の不死不滅を誇っていても、自分だけの身体がない事が我慢ならない程に気に入らない。

 

 父に触れられない。父に抱きしめて貰えない。頭を撫でて、そんな小さな事すら望めない。

 

 そして何より気に入らないのは、己が父を産めぬ事。

 

 実装されたナンバーズ。その中でも極一部の特別性には父親の予備、スカリエッティの因子が植え付けられている。

 求道を果たせず死した時、自分を産み直させると言う狂気の発想。その狂気の受け皿となる事が、クアットロには出来ないのだ。

 

 ウーノは産み落とせる。だがクアットロは産めない。

 より優れた自分が愛する人の母になれない。それこそが、女にとって最も受け入れ難い事実であったのだ。

 

 

「随分と、言ってくれるじゃないのよ。三下がぁぁぁぁぁっ」

 

「その三下を仕留められないのは、一体誰よって話よ小物。……猫に小判とか豚に真珠とか色々言うけど――クアットロに魔群なんてのも、これからはアリなんじゃない?」

 

 

 怨嗟と共に、黒き壁の如き蟲が震える。

 向けられる悪意の総量に震えを感じながらも、己の怯懦を吹き飛ばす様にティアナは笑った。

 

 

「……良い気になってぇぇぇぇ、ドクターの支援が無ければもうとっくに死んでる雑魚がぁぁぁぁぁっ」

 

(流石に気付いているか)

 

 

 クアットロは既に気付いている。気付かれていると、ティアナも当に分かっている。

 ティアナとルーテシアが生き延びたのは、この六課隊舎に用意されたスカリエッティの技術が故。

 魔群の襲来を予見した()()()()()()()に応えて、クロノが用意させたのがこの罠だったのだ。

 

 クアットロには目が存在しない。血肉を持たないが故に、これは本来外界を認識できない物。

 だがその不利をクアットロは、周囲に魔力を放ち続ける事で解消している。まるで蝙蝠の如く、魔力の反響で物体を視ているのだ。

 

 スカリエッティの仕込みは、その認識を逆手に取った物。

 一部魔力を乱反射させる術式を用意する事によって、クアットロの“視力”を乱すのがその仕組みだ。

 

 その仕組み故に、クアットロの攻撃は常に一手遅れる。

 一秒少しの遅れに過ぎずとも、戦場においてその時間は余りに大きな物となる。

 

 それこそが彼女達が今も生きている理由であると、クアットロはもう気付いていたのだ。

 

 

「鬱陶しいのよっ、それが実力と錯覚している思い上がりぃ! あの人に助けられてるってその事実ぅぅぅ! あぁぁぁぁ、何もかもが気に入らないぃぃぃぃっ!!」

 

 

 故に彼女が選ぶ対策は簡単だ。為すべき事は単純なのだ。

 

 

「SAMECH VAU RESCH TAU」

 

 

 見えないと言うならば、見る必要もない程に広範囲を薙ぎ払ってしまえば良い。魔群は唯、そう結論付ける。

 

 周囲を取り囲む蟲の風。それが一点へと集まって、高密度なエネルギーへと変換する。

 

 生じるのは黒い太陽。魔群が持つ最大火力。偽りの神の牙。ゴグマゴグ。

 これが放たれれば最期、機動六課の隊舎も諸共に全てが焼かれ終わるだろう。故に――

 

 

〈今よっ! ルー!〉

 

「了解っ! ブンターヴィヒト。オブジェクト11機、転送移動」

 

 

 それすら既に織り込み済み。

 ゴグマゴグの発動をこそ、彼女達は待っていたのだ。

 

 

「来たれ――Gogmagoooooooooooog!!」

 

 

 生じる力。神すら殺す刃が牙を剥くその直前。集まる太陽の只中へと、転送されるのはインゼクト。

 無機物に憑依すると言う性質を持った羽虫の群れが、スカリエッティのラボにあった特製ガジェットに憑り付いたままに転送された。

 

 

「反発して、阻害しなさい!」

 

 

 そして、爆発する力。それに対応する様に、ガジェット内部にある術式が起動する。

 発動するのは、エクリプスウイルスを元に作り上げた一つの術式。魔力を分断させると言う性質で、ゴグマゴグが全てを終わらせる前に細分する。

 

 

「んで、そこを撃ち抜く! シュー卜ッ!!」

 

 

 そして直後、ガジェットを撃ち抜くのは少女の魔弾。

 その魔力弾に反応して、内部に取り付けられた動力源であるロストロギアが反応する。

 

 その名をレリック。高密度の魔力結晶は、細分された偽神の牙ならば真っ向からに消し去れるのだ。故に――

 

 

「……はっ? ありえない。何よそれぇぇぇぇ!?」

 

 

 結果として残るのは、一つの光景。

 絶対の勝利を確信したクアットロが晒す間抜けな面に、対する少女達はデバイスを構えたままに笑うのだ。

 

 

「細分して小規模に変えた後に、爆発で迎撃するなんて、考えたとして実行出来る訳が――」

 

「ゴチャゴチャ騒ぐなっての。種も仕掛けもあるわ」

 

 

 理屈では分かる。理論は納得する。だが現実に出来る事ではない。

 発動の瞬間を僅かにも逃せば、逆にレリックを喰われ被害は拡大した筈だった。

 

 だと言うのに、当たり前の様に成し遂げた少女らに、クアットロは絶句する。

 そんな危ない橋を渡った直後のティアナは、そんな混乱する女の言葉を遮り告げた。

 

 

「アンタの大好きなドクター印よ。無駄だって分かったら、諦めて投降なさい小物外道」

 

「――っ!」

 

 

 冷たい銃口を向けられる。それ自体に脅威は感じずとも、クアットロはそれ以外に動揺していた。

 己が誇る最高の手段を封殺されたのだ。それが道具頼りの手段だとしても、次に何かが控えていないと言う道理がない。

 

 或いは、この認識阻害すらも布石に過ぎないのか。

 肉体があれば冷や汗を流していた程に、クアットロ=ベルゼバブは動揺していた。

 

 

(これもドクターの仕込み? 認識阻害は、これを悟らせない為に、なら他にも術式があるの?)

 

 

 クアットロの最も厄介な所は、力を以っても慢心しないと言う一面だ。

 

 余りに小物であるその性根は、常に最悪の事態を想定しながら保険を幾つも用意している。

 そして危機に陥った時、迷わず逃げ出すプライドの無さ。それも合わさって、この女は兎に角生き汚いのである。

 

 

(不味い。予想外の事が起き過ぎている。……此処は、逃げるべきか)

 

 

 怒りはある。腸が煮えくり返る程に、小物の彼女は自分に対するあらゆる暴挙を忘れない。

 だがそれとは別に僅かに恐怖を覚えれば、クアットロはその全てを無視して一目散に逃げ出せる。

 

 だからこそ女は迷っている。罠は見えないが、父の作なら生半可な物ではない。偽神の牙が破られた様に、これ以上があってもおかしくなどはない。

 だからこそ女は迷っている。どんなに脅威が隠れていても、今此の場に居るのは圧倒的弱者が二人だけ。力押しだけでも勝てるのだと、そんな事実が此処にある。

 

 その懊悩の天秤。其処に結論が付く前に――

 

 

「なに、また逃げるの?」

 

 

 蒼い右目で見上げるティアナは、その懊悩を読み切って挑発する。

 此処で逃がす訳にはいかないから、僅かな勝機を見ている女はあからさまな罵倒を口にするのである。

 

 

「格下にも勝てないなら、止めたら? その品質偽装。欠陥品の癖に最高傑作自称して、ゴメンなさいってね!」

 

 

 言葉と共に銃を撃つ。放たれた魔力弾はクアットロの身体に当たって、揺さぶる事も出来ずに弾かれる。

 傷は付かない。魔力弾は女の姿を崩す事も出来ていない。それだけの差があると言うのに、構わず少女は笑っている。

 

 

「…………そうねぇ。そうよねぇぇぇ」

 

 

 気に入らない。どうしようもなく気に入らないと感じていた。

 

 

「力の差は歴然だもの。まだ私は無傷。コイツらじゃぁ絶対に傷付けられない。なら、どんな道具だって宝の持ち腐れ。コイツら程度が、ドクターの作品を活かせる筈もない」

 

 

 もしももう少し、敵に戦力があったら迷わず逃げたであろう。

 或いは今の一撃で、掠り傷でも負っていたならば逃走した筈だ。

 

 だが敵は弱い。取るに足りない程に弱くて、こんな相手が何をしようと倒せる程に己は強い。

 故に小物は此処に判断を間違える。この二人に倒される事は絶対にないのだと認識したからこそ、怒りが思惑の全てを凌駕したのだ。

 

 

「遊びはナシよ。全力で潰してあげるわ。この腐れ女共ォォォォォォッ!!」

 

 

 確実に倒す。全力で潰す。もう遊びは入らない。

 膨大な数で蹂躙を始めながらに、クアットロはもう一つの手を此処に打つ。

 

 

〈来なさいっ! イクスゥゥゥゥッ!!〉

 

 

 それはこの直ぐ傍に、待機している器の少女に向けた言葉であった。

 

 

(クアットロ。何を?)

 

〈説明しないと分からないの、この鈍間っ!? ドクターの認識阻害を暴く為に、アンタの目が必要だって言ってんのよっ!!〉

 

 

 念話で急に語り掛けられ、困惑の儘にイクスヴェリアが問い返す。

 そんな愚鈍な反応に怒り狂っているクアットロは噛み付いて、罵倒しながらに理屈を示した。

 

 

〈ドクターの術式はあくまで魔群に対応した物。アイツらの認識がおかしくなっていないなら、肉眼なら無効になるって考えたら分かる物でしょう!? ほんっと使えない娘ねぇぇぇっ!!〉

 

 

 認識阻害の術式は、肉眼がないから通じる物。ならば目の代わりがあれば対処は可能だ。

 その裏側にどんな罠が隠れていたとしても、分かっているなら対処が出来る。故にクアットロは、蟲で蹂躙しながらにイクスヴェリアを使うのだ。

 

 

(貴女の目を、代わりにやれと)

 

〈さっきからそう言ってるでしょうがぁっ!! あの糞女共が生きてられるのは、偉大なドクターの御業。だったら、それを先に暴いてしまえば御終いなのよっ!!〉

 

 

 戦場は最早、一方的に推移している。押し寄せる魔群の波を前にして、ティアナもルーテシアも何も出来ない。

 突破だけで二匹の召喚虫を消費したのだ。ならばこのまま嬲るだけでも、倒せると思うのは当然の思考であった。

 

 だが魔群は違う。小物であるが故に生き汚く、頭脳も秀でている為に極小の可能性すら考慮する。

 裏には未だ罠があるかも知れない。その罠は自分を殺す程かも知れない。そう思っているからこそ、イクスに其れを暴かせようと言うのだ。

 

 

〈目に物見せてやる。暴言の対価を払わせてやる。何よりも残虐にぃぃぃ、磨り潰してやるのよぉぉぉぉっ!!〉

 

 

 怒り狂いながらに吐き捨てて、神経質なまでに可能性を潰そうとしているクアットロ。

 そんな姿に溜息を吐きながら、一体彼女達は何をして此処まで怒らせたのかと思考する。

 

 

(クアットロが怒り狂っている。どれだけ怒らせたのか……)

 

 

 そして、同時に思う。

 それは罪に塗れた自分が、これから更に重ねるであろう罪の事。

 

 

(……けれど、また罪を重ねるのですか)

 

 

 イクスヴェリアは嫌いだ。争いや悲劇と言う物を嫌っている。

 それは冥府の炎王と呼ばれた時代から変わらずに、傀儡師と呼ばれる様になってから大きくなった。

 

 この今にある現実。罪を犯さねばならない。生きる事は愚か、死ぬ事も許されない地獄。それが彼女にとっての現実だった。

 

 

(もう終われると、あの時感じたのは安堵。辛い現実と言う地獄から、解き放たれたと思っていた。……なのに)

 

 

 だからこそ、クアットロに見捨てられた時、感じたのは安堵であった。

 見届けると決めた少年にも見限られたから、もうあそこで終わっても良いと本気で思っていたのだ。

 

 だが、今イクスは生きている。それは彼が必死になって、この命脈を繋いだから。

 

 

(貴方が生かした。あんなにも必死になって)

 

 

 見限られたと思った。見捨てられたと理解した。

 だから終わろうと安堵して、なのにその安心を遠ざけた罪悪の王。

 

 

「エリオ」

 

 

 少年の名を呼ぶと、それだけで心が熱くなる。

 指先で唇に触れて、あの日の感触を思い出しながら、イクスヴェリアは儚く笑う。

 

 

(私は何を、貴方は何を、望んでいるのでしょうか)

 

 

 分からない。分からない。イクスはまだ何も分からない。

 だがこの熱の意味を知る為にも、求め続けて貰える限りは生きようと思えた。

 

 だから、彼女が為す事は決まっている。

 

 

〈さっさと来いよぉぉぉ! クソ使えない器ぁぁぁぁぁっ!!〉

 

(……考えるのは、後ですね)

 

 

 余程しつこく噛み付かれているのだろう。

 クアットロの怒号をその身に受けながら、イクスはデバイスより一つのケープを此処に取り出す。

 

 その名はシルバーケープ。クアットロの本来の肉体の為に用意された固有武装の改良品だ。

 

 

「今は、少しでも貴方の助けになると願って――インヒューレントスキル・シルバーカーテン起動」

 

 

 あらゆる認識を妨害する銀の衣。幻惑の銀幕を纏ったまま、イクスヴェリアは戦場へと向かって行く。

 この行動が僅かにでも、彼の助けになれば良い。そんな風に祈りながら、少女は飛翔して前へと進んだ。

 

 

 

 そうして、辿り着く。目の前には溢れかえる程の魔群と、膝を付いた二人の少女。

 全身に酸の雨を浴びながら、至る所を蟲に喰われながら、今にも死にそうな程に満身創痍な二人の姿。

 

 果たして自分は必要だったのか、そう疑念を思いながらにイクスは見る。

 術式の基点。何処かにあるであろう罠を探して視線を動かす少女は其処に、瀕死の少女と目があった。

 

 瞬間、笑う。ティアナ・L・ハラオウンは、快心の笑みを浮かべていた。

 

 

「見られたっ!? まさかっ!?」

 

「喰らい付けっ! 黒石猟犬っっっ!!」

 

 

 見えている筈がない。見つかる筈がない。だと言うのに、気付けば身体に感じる痛み。

 最初から当たっていたのだから、回避も防御も出来ない時間跳躍の魔弾。黒き猟犬の歪みが、イクスのその身を射抜いていた。

 

 

(ごめんなさい。エリオ)

 

 

 視界が薄れ、落下する。

 霞んでいく意識の中で、イクスは最後にその少年の事を想っていた。

 

 

 

 

 

2.

 イクスヴェリアの身体が落ちる。意識を失った少女は倒れ、撃ち抜いた少女は残心する。

 その光景を目にしながら、クアットロ=ベルゼバブは意味が分からないと驚愕していた。

 

 

「今のは、ティーダ・ランスターの時間逆行弾? けど、どうして、あれは、位置を正確に知らないと出来ない筈なのに!?」

 

 

 時間軸を跳躍し、既に当たっていたという結果を齎す黒き魔弾。

 追尾弾よりも高位に当たるその能力は、相手の位置情報を正確に知らなければ発動しない。

 

 イクスはシルバーカーテンを纏っていた。目視も出来ず、機械にも映らず、その姿を捕らえる術はない。

 故に当たる筈がない。発動する筈がないのである。だが、確かな事実として此処に結果がある。だからこそ、訳が分からないと女は喚く。

 

 

「……知ってたのよ。単に、それだけ」

 

 

 そんな魔群の女に向かって、ティアナは当たり前の様に言葉を返す。

 彼女の蒼く輝く右目には、最初からこの光景が映っていた。イクスヴェリアが現れる瞬間こそを、彼女は既に視て知っていたのだ。

 

 

「望んだ未来。求めた答え。其処に至る断片を、私の目は映し出す」

 

 

 ティアナの歪みは、未来の断片を見通す物。

 答えを知りたいと言うその渇望に応えた力は、解答に至る道筋をこそ照らし出す。

 

 そしてその光景が成立した以上、最早何を為そうと覆されない。

 

 

「もうチェックメイトよ。クアットロ。アンタは何処にも、逃げられない」

 

「……舐めてくれるじゃないの」

 

 

 倒れたイクスヴェリアを背後にして、クロスミラージュを構えるティアナ。

 立つ事がやっとな程に消耗しながらも、拘束魔法でイクスヴェリアを捕らえるルーテシア。

 

 そんな二人に裏を掻かれたと理解して、それでもクアットロは舐めるなと口にする。

 

 

「イクスを捕らえたくらいで、終わるとでも!? アンタ達が私に勝てない事実は、そんな位じゃ揺るがないっ!!」

 

 

 ティアナとルーテシアでは、魔群クアットロには勝てない。

 彼女達の力ではクアットロは倒せない。死力を賭して倒せるなら、先の蹂躙はもう少し戦闘になっていた。

 

 イクスの瞳でも確認した。此処に術式は認識阻害の罠しかなく、その他は唯の勘ぐり過ぎだったと理解した。

 故にクアットロ・ベルゼバブは確信する。彼女らを打ち破る事は簡単だ。そうして器を取り戻せば、それで己が勝つのだと。

 

 

「そうね。私もルーも、アンタに勝てない」

 

 

 それは確かに事実である。ティアナやルーテシアだけでは、クアットロには絶対勝てない。

 確かに追い詰めた。だが窮鼠が猫を噛む様に、追い詰められれば本気となろう。ましてや女は鼠ではない。

 

 追い詰められたのが肉食動物の類なら、追い詰めた側が貪り喰われるのも自然の道理だ。しかし――

 

 

「けど、言ったでしょう? もうチェックメイトだって」

 

 

 もうチェックメイトは付いている。

 イクスヴェリアを捕らえた時点で、機動六課の勝利は決まっていたのだ。

 

 

「タイラントォォォォッフレアァァァァッッ!!」

 

「っ!? アリサ・バニングスっっ!?」

 

 

 頭上から墜ちるは紅蓮の炎。その魔力を質と声に、クアットロは驚愕しながら身を焼かれる。

 どうしてと、混乱しながらに逃れた魔群。蟲の群体が逃げ出した先に、舞い降りるのは呪いの夜。

 

 

「枯れ落ちろっ! 凶殺血染花っ!!」

 

「つ、月村すずかまでぇぇぇっ!?」

 

 

 半身を焼かれ、半身を吸われ、ズタボロになりながらに大地に落ちる。

 地面に這う無様を見せながら、蟲の群体の思考は混乱の極みにあった。

 

 

「どういう事!? 何でアンタ達が!? 一体何時からっ!?」

 

 

 訳が分からない。意味が分からない。どうして、この二人が此処に居る。

 アリサ・バニングスと月村すずか。この両者は本命である筈の、公開意見陳述会に向かっていたのではなかったのかと。

 

 

「最初からよ」

 

「本当に最初から、私達は此処に居たんだ」

 

 

 一体何時から、その答えに返すのは色の籠らぬ二人の声。

 金と紫の女達は、過去に類がない程に怒りを感じて堪えていたのだ。

 

 

「最初から居たなら、どうしてこの今まで――」

 

「だって、アンタ。逃げるじゃない」

 

 

 どうして、最初から出て来なかったのか。その問い掛けに答えるのはティアナ。

 

 

「アリサさんやすずかさんが居ると分かれば、逃げるでしょ? だから、先ず逃げられない様にする必要があった」

 

 

 認識阻害の真意は其処に。クアットロの目を誤魔化していたその罠は、彼女らの存在を気付かせぬ為にあった。

 

 公開意見陳述会は囮。魔刃に対するそれは完全な足止め。

 六課の真の狙い。それは今日この日に、冥府の炎王イクスヴェリアを捕縛する事にあったのだ。

 

 

「この二人から、イクスを守って逃げ出す事なんて、幾らアンタでも出来やしない」

 

 

 イクスヴェリアが姿を見せるのは、クアットロが確実に勝てる相手を前にした時だけ。

 今の彼女は、魔群にとって絶対に守らないといけないアキレス腱。故にこの様な状況でしか、表に誘い出す事が出来ない。

 

 だが一度姿を現して、其処で捕らえてしまえばそれで終わりだ。

 もう隠す必要が無くなった最大戦力を此処でぶつけて、魔群を削り取ればそれで良い。

 

 

「それとも見捨てる? この子を捨てて逃げると、魔刃に焼かれて無価値になるわよ?」

 

「――っっっっ!! お前ぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 視て知った情報から、推測した予想をティアナは告げる。

 その予測は間違っていないと、事実であるとは魔群の反応から確認出来た。

 

 笑みを深めるティアナに対し、クアットロは怒りの声を上げる。

 良くもやってくれたなと。そう怒りに吠える魔群以上に、此処には怒り狂っている女が居た。

 

 

「……叫びたいのは、こっちの方よ」

 

「目の前で子供達を傷付けられて、どれだけ腸煮えくりかえっていると思っているの?」

 

「くっ、アンタ達如きがぁぁぁぁぁっ!」

 

 

 降り注ぐ炎と簒奪の力。それに数を減らしながらに、クアットロは叫びを上げる。

 真面にやれば勝てる。一対一なら勝てる。だと言うのに、そんな相手に追い詰められている。その現状が、どうしようもなく腹立たしかった。

 

 

「……最初からこれが狙いだったなら、ちゃんと説明しなさいよ」

 

 

 イクスヴェリアを捕縛したまま、ルーテシアが近付き愚痴る。

 クアットロの形成体から目を逸らさず、顔を向けずにティアナは詫びた。

 

 

「ごめん。内緒にして、後、ありがと。アンタとあの召喚虫が居なかったら、此処まで生きてられなかったわ」

 

「……別に良いわ。恨みも怒りも、水に流す。そう思えるくらいに、アイツをぶっ飛ばしてくれるならね」

 

「そりゃ当然。頼まれるまでもないわよ」

 

 

 この結果に辿り着く為に、一人で居たなら生きては居られなかった。

 そうと分かっているからの謝罪と感謝に、なら良いとルーテシアも言葉を返す。

 

 そうして、二人揃って見る。

 エース陣に囲まれて、逃げ場を失くした魔群の姿を。

 

 

「選びなさい。その穢れた蟲の一匹までも、燃やされ尽くして死に絶えるのか?」

 

「選んで。その蟲を織りなす汚い血液。一滴残らず吸い尽くされて死ぬのが望みか?」

 

「っ!! どっちも、御免よっ!!」

 

 

 空を抑えられた。地面に叩き付けられた。

 それでも未だ、自分の方が強い。そう理解するクアットロは、如何にか突破しようと足掻きを見せる。

 

 

(リミッター付きのコイツらなら、つけ入る隙は必ず――)

 

「あると思った? そんなのないわよ」

 

「っ!?」

 

 

 だが、所詮それは悪足掻き。アリサの足下を抜けようと動いても、すずかの頭上を超えようと動いても、即座に迎撃の手が襲い来る。

 まるで最初から分かっているかの様に、クアットロがどう動くのか全て分かっているかの様に、彼女達は機先を制し続けるのだ。

 

 

(どういう事!? これは一体――まさか!!)

 

 

 そして思い出す。三年と前に、エリオが初めて敗れた時を。

 

 

「詰んだのよ。もうアンタは詰んだの」

 

 

 その日も、少女は蒼い瞳で見詰めていた。

 まるで未来を見ているかの様に、その瞳がこの今にクアットロを見詰めているのだ。

 

 

「何をしても無駄よ。その結果は見えている」

 

 

 理解する。コイツだ、と。ティアナ・L・ハラオウンが何かをしていると、先を読まれている事を理解した。

 

 

「どう足掻いても意味ないわ。その結果には、もう辿り着いたのだから」

 

「何よ、それ。何なのよ、それ」

 

 

 本当に意味が分からない。少女の能力は恐らく未来視。だがそれでは説明付かない事があるのだ。

 

 

「格の差はどうしたのよ!? 通る訳ないでしょ! 通じる筈がないじゃない! そんな参等級相当の歪みなんかじゃ!!」

 

 

 格の差。未来を見通す為には、相応の格と言う物が必要となろう。

 ましてやこの様な干渉能力。陰の参程度の汚染しかないティアナでは、拾相当のクアットロに通せる筈がないのである。

 

 そんな前提。当たり前のルールが何処に行ったのかと、そう困惑している魔群。彼女の無様を鼻で笑って、ティアナは此処に全てを告げた。

 

 

「……馬鹿ね。何言ってるの? 直接干渉してる訳じゃないんだから、格の差が意味を為す筈ないじゃない」

 

 

 そも、前提が違うのだ。ティアナ・L・ハラオウンは未来の断片を見ているだけ。

 それを歪めている訳ではないし、干渉している訳でもない。あり得る可能性の一つを知るだけならばこそ、其処に格の差など意味を為さない。

 

 

「求める答え。此処で求めたのは、どうすれば魔群に勝てるかと言う解答」

 

 

 ティアナの歪みは、酷くピーキーな性質をしている。

 それは彼女の性格と同じくして、率直に言って面倒臭い性質なのだ。

 

 

「得られたのは方程式の断片。或いはあり得る可能性の欠片の中から、導き出したのがこの状況」

 

 

 仁者は射るが如し。射る者は己を正しくして後に発つ。発って中らざるも、己に勝てる者を怨みず、諸を己に反み求むるのみ。

 ティアナが求めたのは正しい未来。求めた答えに至る為に、必要なのはその心。誰かを恨むのではなくて、自分を戒めるその在り様こそが必要なのだ。

 

 だがティアナは弱い。一度心に決めたとて、何かがあれば直ぐに揺らぐ。

 だからこそ、求めたのは己の心に矢を向ける事ではない。それではきっと足りぬから、いっそ己の心を射抜いてしまえと望んだのだ。

 

 

「答えに至る方程式。その断片を知る歪みこそが、私の“射法八節”」

 

 

 故にこそ名付けたその名は、正しき弓の修練方法。

 この歪みに彼女が託した願いとは、何時か答えに辿り着ける様にと正しく生き続ける事。

 

 ぽっと出る答えなど望んでいない。結論まで教えて貰いたくなどない。

 知りたいのは進むべき道筋で、どうすれば至れるかで、それ以上のカンニングなどは欲しくない。

 

 だからこそ彼女の歪みは極めて実用性が低く、だが嵌ればこれ程に強い力もない。

 

 

「アンタにも分かり易い様に言うとね。――これはバタフライエフェクトを意図的に起こす歪みよ」

 

「は?」

 

 

 ざっくりとした解説に、クアットロは目を点にする。

 そんな能力。そんな異能があり得て良いのかと、困惑する女に少女は笑みと共に言葉を告げる。

 

 

「アンタがどんなに強くても、私がどんなに弱くても関係ない。それが起こり得る事ならば、どんな事だって引き寄せられる」

 

 

 無限の可能性。其処にある光景を垣間見る彼女は、時間と必要な物さえあれば何でも出来る。

 蝶の羽搏きが何れ嵐を起こす様に、ティアナはほんの小さな力の干渉でどんな事でも引き起せるのだ。

 

 無論、全てが視れる訳ではない。視れる景色は断片で、どうすれば其処に行けるかも曖昧にしか分からない。

 視えない部分は推測で補わねばならないし、そも前提として必要な要素がなければ何も出来ない。だが一度嵌れば、これはもう覆せないのだ。

 

 クアットロの動き。此処から先は全て読めている。

 もう詰みなのだと、この直後まで全て視えていたのである。

 

 

「望んだ未来に近付く力。それが私自身の歪みよ! クアットロ!!」

 

「何よそれぇぇぇっ!? インチキにも程があるじゃないのぉぉぉっ!!」

 

 

 格の差で防げず、負ける確率が零でない限り絶対に敗北する。

 そう言う性質の力に嵌ったのだと理解して、クアットロは苦し紛れの叫びを上げる。

 

 余りに無様。泣き喚く様な在り様に、ティアナは苦笑と共に武器を構えた。

 

 

「そうね。けど、だからどうしたの?」

 

 

 銃口を向けるその直前に、クアットロは蟲の群れとなって襲い来る。

 左右上下背後をエース二人に囲まれて、逃れる場所として選んだのはティアナ・L・ハラオウン。

 

 コイツの方が未だしも与しやすいのだと、破れかぶれのその特攻。

 ティアナとルーテシアに襲いかかって、その隙にイクスヴェリアの身体を動かそうとするその浅はかさ。

 

 当然、それも視えている。

 

 

「何度も言う様に、アンタはもう此処で御終い。逃れる術は、アンタの中には存在しない」

 

「嫌よ! 嫌よ!」

 

 

 向けた銃口に集まる魔力。集う星の輝きに、クアットロは悪手と理解して首を振る。

 

 

「抵抗する余力も残らない程に焼かれるか、血の一滴までも吸われるか、黙って捕まるのか、最後まで無様で在り続けるのか――選べる自由は、唯それだけ」

 

「認めない! 完璧な私がぁ、こんな終わりなんてぇぇぇっ!!」

 

「終わりよ。欠陥品の出来損ない!!」

 

 

 頑迷なまでに認めずに、如何にか先に可能性を求める魔群。

 そんな彼女にもう可能性はないのだと、断じてティアナは此処に放った。

 

 

「散々痛め付けた人の分まで、その罪、此処で贖え! クアットロ!!」

 

 

 間に合わない。膨れ上がる力を前に、魔群が思考したのはその一言。

 事此処に至っても競い合う事を嫌った反天使は、即座に反転して逃れようと足掻く。

 

 だが、もう遅いのだ。背を向け逃げ出すクアットロに、逃げ場なんて何処にもない。

 眼前を炎に焼かれ、吸血の夜の動きを阻まれ、そして背後より迫るは不屈のエースより学んだ一射。其処に混ざるは、この女に穢された兄の力。

 

 

「黒石猟犬っ! スタァァァァライトォォォブレイカァァァァァァァッ!!」

 

「いぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 師のそれをも一度は超えた、その破壊の光が魔群を包む。

 蟲の群体は黒き星の極光から逃れられずに、此処に敗れ去ったのだった。

 

 

 

 

 




形成分体フルボッコされたクアットロざまぁ。
まあ本体奈落なんで、特攻武器なしだと殺せないんですけどね。コイツ。

イクス体内に居る分が逃げられないので、一応捕らえたままなら封殺は出来ます。

すずかが血液越しに本体を吸い続けても良いし、スカさんが何か作ってもおかしくはない。今回六課の狙いは、クアットロ封殺の為にイクスを捕まえる事でした。





以下、オリ歪み解説。
【名称】射法八節
【使用者】ティアナ・L・ハラオウン
【効果】求めた未来に至る手段が、断片的に分かると言う歪み。願ったのは正しく答えを求め続ける方法。

 視界を媒介にする為、その瞬間の光景が写真か何かの様に切り抜かれた場面だけで映ると言う形になっている。また全てが分かる訳ではなく、視えた内容とて必ず役に立つとは限らない。

 例を上げるとエリオ戦時には、トーマのアンチェインナックルがエリオを撃ち抜く姿が見え、その為に弾丸を放てば隙が生み出せるとだけ分かった。
 或いはなのはとの模擬戦時、ティアナはなのはの胸中を解説していたが、あれの全てが見えていた訳ではない。あくまで“射法八節”が視ていたのはなのはがあの結論に至った時の光景であり、あの時の台詞の九割以上が実はティアナの勝手な想像だったりする。その後のSLBの撃ち合いでは、何処にどう撃てば打ち破れるか見えていた。

 作中でティアナが言った様に、最大効果を発揮している時はバタフライエフェクトを100%起こせると言う非常に役立つ歪み。だが使えない時は、全く役に立たなくなる歪みでもある。

 以前のティアナが感情が高ぶった時に一時的な失明をしていたのは、この歪みが発動していたから。
 絶対に叶えられない答えを望んだ時、この歪みは真っ白な光景しか映さない。それが分かっていなかったティアナは、あの時点で歪みを暴走させていた訳である。

 条件さえ揃えば大天魔にも有効だが、必ず視えるとは限らない。視えたとしても、どうすればそうなるのか、断片的過ぎて殆ど分からない時もある。条件が満たせない可能性だって十分にある。
 その上どんな形で答えを求めるかによって視える光景は変わるし、可能性が複数ある場合でも取捨選択で望んだ未来を選ぶと言う事が出来ない。その為、視る度に結果が変わる事になる。

 本人の性格同様、くっそ面倒臭い異能。
 本作屈指の扱い辛さを誇るであろう歪みであろう。






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第十九話 六課襲撃 其之伍

今回で六課襲撃編は御終い。
一話か二話閑話を入れて、StS編最終幕へと突入します。

今話はエリオ無双。原作キャラ死亡注意です。


1.

 キーボードを叩く音が響き、端末画面に文字が刻まれていく。

 必要書類を書き終えたゲンヤ・ナカジマは、皮張りのソファに背を預けると深い息を吐いた。

 

 そうして、一杯の珈琲を口に含む。徹夜明けの過敏な舌に、感じるのは抉る様な苦み。

 泥の様に濃い黒水の味を最悪と感じてしまうのは、本当に美味い珈琲と比べてしまう為であろう。

 

 

「公開意見陳述会も、どうやら一段落したみてぇだな」

 

 

 画面の向こうで続いていた演説も、どうやら終わりを迎えたらしい。

 今回の件にはゲンヤが率いる陸士108部隊も関わっている。六課の身内と言う程に近い立場だからこそ、その関わり方も他所より深い。

 

 最高評議会関連施設を包囲している部隊の一部も彼らであるし、隊長のゲンヤが激務に励む事になったのはその影響も強くある。

 無論それだけと言う訳ではなく、再発し始めた麻薬の流通。エリキシルの改悪品であるグラトニーへの対処もまた、その任務を激務に変えた理由の一つであったが。

 

 

「こっちの仕事も、これで終わり。よっぽどの事が起きねぇ限り、当分は余裕になる、か……」

 

 

 兎角、問題はこれで一段落を迎えるだろう。

 古代遺産管理局の事務方連中はこれから忙しくなるのだろうが、それは彼らの選択によって負うべき役割である。

 一陸士隊の隊長に過ぎない自身が深く関与するべき話ではない。何より、自分には為さねばならない事があるのだ。

 

 懐からペンダントを取り出し握る。それは父の誕生日に子が初めて贈ったプレゼント。

 ロケットの中には小さく切った一枚の写真。我が家を前にした妻子の姿が映っている。

 

 

「話すべき、だろうな。……ったく、我ながら女々しいこって」

 

 

 開いた写真を見詰めながらに、ゲンヤ・ナカジマは苦笑する。

 

 結局あれから三日間。互いに顔を合わせていない。

 子は意識を取り戻さず、彼が復帰した時にはゲンヤが忙しくなっていた。

 両者のタイミングが合わずに、話合うと言う機会を先送りにしてしまっていたのだ。

 

 そんな状況は、しかし言い訳に過ぎぬのだろう。

 何処かで向き合う事を恐れている。そんな実感があればこそ、ゲンヤは此処に一つを決める。

 

 恐れているなら尚の事、真っ直ぐに向き合わねばならぬだろう。

 仮眠を取って、明けたならば会いに行こう。その時には彼もまた、一段落が付いているであろうから。

 

 伝える事は決まっている。告げる内容なんて一つだけ。

 色々とあった。思う事は沢山ある。それでも――確かに愛していると伝えるのだ。

 

 そうと決めると、ロケットを閉じる。そしてゲンヤは、窓から空を見上げた。

 

 

「……しっかし、降り出しそうだな」

 

 

 見上げた空は生憎の雲模様。朝は晴れていたというのに、昼を過ぎた辺りからこの状態だ。

 天気予報の降水確率は然程高くはなかった筈だが、この様子では余り信用が出来ないだろう。

 

 

「嫌な空だ」

 

 

 折角自分が決めたのに、無粋な空だと腹を立てる。

 同時にそんな風に思う自分に苦笑して、ゲンヤ・ナカジマは執務室を後にするのであった。

 

 

 

 

 

2.

 意識を失っていたのは、時間としては数分か、或いは数十分か、一時間は超えないだろう。

 度重なる爆発で荒れ果てた六課隊舎の敷地内。其処で目覚めた茶髪の少女は、己が拘束されている事を理解する。

 

 

(捕らえられ、ましたか……)

 

 

 動けない。身動き一つ取れない事態に、混乱する思考を落ち着かせる。

 現状を認識する為に思考を冷静に、弄られた脳は嫌になる程に明晰な思考を維持していた。

 

 

(生きている、と言う事はクアットロも無事なのでしょうが……)

 

 

 イクスヴェリアは単独では生存できない。彼女が生きているという事は、即ちクアットロ=ベルゼバブの存命も意味している。

 故にこの今、彼女は何をしているのかとラインを辿る。奈落に繋がる罪の線。血を介した繋がりの先に、吸われ続ける女を見た。

 

 クアットロ=ベルゼバブは健在だ。不死不滅を自称する様に、この怪物は真面な手段では殺せない。

 だが無傷と言う訳ではない。魔力でその身を構成する以上、魔力ダメージには痛みを感じる。攻撃全てが無意味と言う訳ではないのだ。

 

 

(私を介して、奈落本体から吸われている。これでは、助力は期待できませんね)

 

 

 黒き極光にその身を焼かれて、精神的に消耗した状態で血染花の瘴気を浴び続けている。

 捕らわれたイクス。その身に纏わり付く瘴気が、クアットロを更に責め立てていたのである。

 

 本体は無事でも、これでは然程余裕もないだろう。

 消耗した状態では吸血の瘴気に抗うので手一杯。イクスの救出は愚か、他の分体を回す事すら不可能だろう。

 

 完全に封殺されている。そうと理解した時に、イクスは思考を切り替えた。

 独力での脱出は不可能。内部にいる悪魔は頼れない。ならばこの今に出来る事は、聞き耳立てての情報収集くらいであろうと。

 

 

「取り敢えず、これで魔群は無力化出来たわね」

 

「ええ、当面はすずかさんに簒奪して貰って、義兄さん達と合流した後で封印処置を行うべきと考えます」

 

 

 アリサとティアナが言葉を交わす。蟠りが薄れた両者は、イクスとクアットロに対する処置を既に定めていた。

 

 

「それに、この子自身の身体も如何にかしないとね。殺して贖わせるんじゃない。捕らえて償わせるのが、私達の仕事なんだから」

 

「……情状酌量の余地は、十分にあるって奴、ですよね」

 

「うん。それと、名ばかりとは言え、医務官だもの。救えるかもしれない命を諦めるなんて、認められないわ」

 

 

 医務官としての意見を語る月村すずかに、何処か複雑な情を抱きながらも納得の意志を示すルーテシア。

 

 機動六課の方針は明らかだ。捕らえたイクスを封印し、内側から逃げられないクアットロも共に封じる。

 そうして作り上げた時間の間にクアットロを殲滅する手段を用意して、その上でイクスヴェリアの身体も癒そうと言うのだろう。

 

 そんな無茶。そんな欲張り。それが為せると信じている。

 気負う事もなく、当たり前の様に出来ると信じているのだ。

 

 その在り方は、世界を奈落と捉えるイクスの目には、余りに愚かで眩しく映る。

 

 

「んじゃ、私は予定通り外の連中の援護に回るわ」

 

「お願いします。幾らトーマ達でも、今の魔刃相手だと長くは持たないでしょうから」

 

 

 だが分かっている。その愚かしさに、その眩しさに負けてしまったのだと。

 イクスヴェリアは敗北した。クアットロは敗北した。そうして今も、彼の足を引いてしまう。

 

 高町なのは。トーマ・ナカジマ。キャロ・グランガイツ。彼らを相手にしながらに、其処にアリサ・バニングスが加わる。

 それだけで魔刃が敗れるとは欠片も思っていないのだが、それでも何の助力も出来ない無様にイクスは情けなさすら感じていた。

 

 

「その間に私達はこの子を移動させようか。ルーテシア、少し手伝って貰えるかな?」

 

「了解です。すずかさん」

 

 

 何も出来ない。足を引く事しか出来ない。それでいて、敵に治療されて救われるのだ。

 其処に情けなさを感じられなければ、本当に終わってしまうと思う程に無様に思えた。

 

 

(情けない。本当に、何をしているのか)

 

 

 だが情けなさと同時に、感じるのは二つの想い。

 一つは安堵。もう罪を重ねる事がない。殺される事はない。そんな事実に安堵を感じる。

 一つは信頼。今も直ぐ傍に居るであろう彼ならば、きっとこんな状況だって覆してくれると言う想い。

 

 そのどちらもが――

 

 

(……浅ましい)

 

 

 余りに浅ましい。そう感じる弱さであった。

 

 

(私は救いを望んでいるのですか。そんな物はないと、それが現実だと分かっているのに)

 

 

 救われたいと、今になっても願っている。現実なんて救いがないと、分かっていても祈っている。

 もう罪を重ねたくはない。生きる事も死ぬ事も怖くて、それでも彼ならばと縋り求めるその弱さ。

 

 きっとこれは、その彼が一番嫌う物。

 だけどこれで最後にするから、せめて少しは許して欲しい。

 

 そんな風に思考して、イクスはその名を呟いた。

 

 

「エリオ」

 

 

 声が届く筈もない。念話でもないのだ。届く理由がない。

 声が届いてはいけない。重荷を背負い続けた彼に、これ以上背負わせてはいけない。

 

 そう思って、だからこれは小さな呟き。誰にも届く筈のない。だから見せた儚い弱さ。――だと言うのに、轟と風が吹き抜けた。

 

 

「済まない。少し遅れた」

 

 

 穢れを自覚する為の黒い鎧。風に靡くコートは純白。握った槍も鎧と同じく穢れた黒。

 強制的に成長させられたその身は、最も身体能力が高い十代後半で老化を固定されている。

 

 そんな赤毛の少年は、抱き締めた熱に向かって、天使を思わせる笑みを零した。

 

 

「……どうして、貴方は」

 

「少し休め。君が気にする事はない」

 

 

 どうしてここに居るのか。どうして助けようとするのか。そんなイクスの問いは愚問。

 エリオは誰よりも分かっている。この世界に救いがないと、だから救いたい人々の救いになろうと決めたのだ。

 

 そんな彼が、此処に来れない理屈はない。

 だからその問い掛けは愚問でしかなく、答えを返す意味などない。

 

 必要なのは唯、此処に意志を示す事。悪魔の王は、その悪意を見せる。

 

 

「直ぐに、終わらせる」

 

 

 少年が浮かべる色は、抱えた少女に向ける物とは異なる貌。

 それは正しく悪魔の嘲笑。神座を簒奪せんとする悪魔王は、最強の反天使と言う異名に相応しい凄惨な笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

3.

 一人立つ悪魔の王。その黒き姿より吹き付ける威圧は、周囲の気温を下げていく。

 宛ら夜風を思わせる程に、春風を染め上げる不吉な姿。歪な笑みを浮かべる悪魔に、ティアナは思わず叫びを上げた。

 

 

「そんな、何でアンタがっ!? 突破されるとしても、余りに早過ぎ――っ!?」

 

 

 だが、その言葉は途中で途切れる。全てを口にする余裕は、物理的に奪われた。

 崩れた土の上、頭を掴まれ叩き付けられる。引き摺り倒されたティアナが見上げる先、見下ろす視線は酷く冷たい。

 

 

「成程、君が……目障りな力だ」

 

 無機質な瞳で見下しながら、エリオはティアナの瞳を見る。

 蒼く輝くその歪み。今も尚可能性を見続けて、僅かな勝機を見付け出そうとするその姿。

 

 唯、邪魔だった。故に。

 

 

「そう言えば君には、借りがあったね。先ずは、その眼を潰そうか」

 

「っ、あぁぁっ!?」

 

 

 指先が眼下に入り込む。ぐちゅりと言う音と共に、右の瞳を抉られた。

 押し潰されて空洞となった眼下。痛みを感じないと言う違和に、ティアナは苦悶を上げてのたうち回る。

 

 血で濡れた指先を抜き去って、その頭をただ煩いと踏み付ける。

 そうして魔刃は、己に向けられる瘴気と炎を片手で弾きながらに、歪な笑みを浮かべて言った。

 

 

「君の策は、上策だったさ。トーマも愚鈍な女も、潰すのには流石に時間が掛かる。僕の足止めとして、あれ以上は存在しない」

 

 

 この魔刃をして、先の包囲は完全だった。無理に抜け出す対価として、今の彼は相応に消耗している。

 それだけの策。それだけの準備。それを用意出来た事、確かに称賛に値すると認めよう。だがしかし、一つだけ誤りがあったのだ。

 

 

「だけど、一つ。読み違えたね。……決めたんだよ。切って捨てると。だからさ、足手纏いを入れるべきじゃなかった」

 

 

 前衛に立てるのは、トーマ・ナカジマだけだ。この魔刃に対し、一時であれ抗えるのは彼しかいない。

 中衛に高町なのはを立てた事も、ああ確かに素晴らしい。彼の魔術師を相手にすれば、エリオも多少は手を焼こう。

 

 だから失態は一つだけ。エリオが感情的に、傷付けたくないと願った少女。彼女を加えた事こそが、最大の過ちだった。

 何故ならばもう、彼は決めたのだから。邪魔をするなら切り捨てる。誰であろうと切り捨てる。足手纏いが居るならば、先ずは其処から潰せば良いのだ。

 

 

「お前ぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 紫の少女が吠える。その怒りを込めた形相で、ルーテシアは叫びを上げた。

 彼女は理解したのだ。魔刃が誰を斬り捨てたのか。エリオが誰を潰す事で、此処にやって来たのかを。

 

 

「私の妹にぃっ! 何をしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「煩い黙れ」

 

「――っ!!」

 

 

 しかし、少女の叫びは届かない。憤怒に吠えるだけでは意味がない。

 全て無価値だ。そう見下ろす悪魔に叩き付けられて、それだけで言葉も発せぬ程に消耗していた。

 

 

「胎から下を、斬って捨てた。真っ二つにして、ばら撒いてきただけだよ」

 

 

 ルーテシアを大地に叩き付けたエリオは、その頭部を踏み躙りながらに悪辣に語る。

 少女の身体を胴より二つに断ち切り、トーマとなのはの眼前でばら撒いて来たのだと。

 

 守るべき者。憧れた者。手にある儚い灯火と、先に見えた大きな光。

 慈母の光を断ち切って、抱える少女を救うと決めた。愛しく思う女(キャロ・グランガイツ)よりも、救うべき家族(イクスヴェリア)を選んだのだ。

 

 

「だからさ。そんなに騒ぐなよ」

 

「っっっっっ!!」

 

 

 小さく自嘲する悪魔の貌。許せぬ程に怒りを込めて、ルーテシアは唯睨む。

 妹がどんな想いを抱えていたのかも知らずして、その命脈に刃を突き立てた少年を憎悪で睨む。

 

 だが、それだけだ。それだけで、何も出来ない。

 振り下ろされる槍を躱せず、抵抗すらも出来ずにルーテシアは意識を奪われた。

 

 

「すずかっ! アンタはキャロをっ! コイツは私が――」

 

「その判断も愚行だ。お前一人で、僕を止められると思うな! 狩猟の魔王っ!!」

 

 

 重症を負ったであろうキャロを生存させる為に、アリサは医療能力を持つすずかを向かわせようとする。

 この悪魔を相手取るのは己だと、そう意地で向き合おうとした女はしかし、僅か数秒と持たずに打ち破られていた。

 

 

「がぁぁっ!?」

 

 

 質量兵器を形成して撃ち放っても、既に神域に到達しているエリオには届かない。

 彼は流れ出せないだけで、既に存在域は神格級なのだ。リミッターが付いた余技程度では、傷一つ付けられはしない。

 

 そして、リミッターを外す様な時間を、今のエリオが与える筈もない。

 当然の如くにアリサ・バニングスの身体は槍に貫かれ、ゴミを捨てる様な気軽さで散らされる結果に終わる。

 

 

「アリサちゃん!!」

 

「貴様もだっ! 吸血鬼ぃっ!!」

 

「きゃぁぁぁぁっ!?」

 

 

 腐炎が燃え上がる。肉体を焼き尽す炎に叫びを上げて、如何にか切り離して逃れるすずか。

 その背に無数の雷が舞い降りて、再生が間に合わぬ程に痛め付けられる。如何にか意識を飛ばさぬ様に、それだけが女に出来た限界だった。

 

 一人。一人。また一人。

 数分にも満たぬ僅かな時に、一人ずつ落とされて行く。

 

 

「弱い。弱い。弱い。弱い。遠くを見過ぎる貴様らは、足下が余りに疎かで脆過ぎる!」

 

 

 ティアナ・L・ハラオウン。片目失明。ルーテシア・グランガイツ。意識喪失。アリサ・バニングス。出血多量。月村すずか。消耗甚大。

 たった一人立つ悪魔の王は見下して、余りに弱いと彼女らを断じる。この程度でしかないのかと、こんな程度でしかないのかと、失望と共に腐炎を灯した。

 

 

「そんな脆弱な魂。此処で遍く全て無価値となれっ!!」

 

 

 その弱さに価値はない。全て燃えろ。全て堕ちろ。

 掌中に灯した黒き焔が落ちて、膨れ上がった奈落の炎が全てを包む。

 

 その直前に――

 

 

「エリオォォォォォォォッ!!」

 

「……来たか。トーマっ!!」

 

 

 蒼く輝く少年が、大剣と共に駆け付ける。

 処刑の刃で腐炎を払い、如何にか守れた者を背に少年は剣を構えた。

 

 

「遅かったね。いいや、間に合ったのかい? 全部が焼けて堕ちる前には、辿り着けたんだろうからさ」

 

「お前ぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 憎むべき少年に夜風の如く笑みを向け、余裕を見せる魔刃の姿。

 食い止められなかった事を悔やむトーマは、その後悔を怒りと闘志に変えてエリオを睨む。

 

 そんな彼の背に、如何にか立ち上がったアリサは血反吐を吐きながらに問い掛けた。

 

 

「トー、マぁっ! 状、況はっ!!」

 

「――っ! キャロはどうにか、一命を! なのはさんが治療に当たってます! ですがっ!!」

 

 

 問われて返す。竜の巫女はまだ死んでいない。

 だが瀕死の重傷だ。なのはが生命維持に動いているが、何時息を引き取ってもおかしくない。

 

 そして高町なのはでは、維持は出来ても重症の治療は出来ない。

 彼女はあらゆる魔法を使えるが、治療魔法による診療は専門外なのである。

 

 このままでは、遠からずキャロは命を落とすだろう。

 トーマ・ナカジマの切羽詰まった表情から、そう理解したアリサは如何にか立ち上がるとすずかを見た。

 

 見詰められた女も頷く。自分の身体を癒す途中で、それでも仲間を救う為にと走り出す。

 月村すずかに治療を委ね、代わりに高町なのはをこちらに戻す。それが恐らく、この現状で出来る最善手。

 

 

「全力で、支援するっ!! だから、なのはが戻って来るまで、死ぬ気で耐えなさいっ!!」

 

「はいっ!」

 

 

 リミッターの解除は出来ない。この傷で解除すれば、命を落とす危険が高い。

 結局はトーマ頼りとなる。そこに不甲斐なさを感じながらに、アリサは血反吐交じりに言葉を叫んだ。

 

 

〈トーマっ!〉

 

「ああ、行くぞ! リリィ!!」

 

 

 そんな彼女に頷いて、白百合と共にトーマは駆け出す。その速度は、先の一幕よりも尚速い。

 美麗刹那・序曲。精神状態によって速度が増すと言うその異能は、この今に強く輝いている。傷付いた仲間を守る為に、魔刃に迫る程に加速していた。

 

 だが、それでも――

 

 

「……やはり、この程度か」

 

 

 ぶつかり合う金属音。振り下ろしたエクスキューショナーソードを受け止められる。

 駆け抜ける速度を乗せて斬り掛かって来たトーマの刃は、しかしエリオを揺るがせる事すら出来ていない。

 

 両手に力を込めて、速度を乗せて強く振る。片手で軽く槍を掴んで、方向を合せて受けただけ。

 それで拮抗。其処には誰にも分かる程に明確な差が、圧倒的な差が生まれていた。

 

 だから、エリオは此処に決める。左手に抱いた少女の熱に、エリオは決断を下したのだ。

 

 

「少しは時間をやろうと思ったが、この遊びが今を生んだか――ならば、そうだな。決めたぞトーマ」

 

「何をっ!?」

 

「君を潰すと言う事を、さ」

 

 

 遊びは終わり。これより先、全力で行く。

 これまでは加減していた悪魔の王は、其処で更に一歩を踏み込んだのだ。

 

 

「っ、重いっ!」

 

「いいや、君が軽いんだ」

 

 

 切り結ぶ刃を押し込められて、一方的に打ち据えられる。

 リリィが安否を気遣う叫びを上げるが、答える余裕が生まれる前にエリオの次撃が襲い来る。

 

 速い。鋭い。重い。純粋に、出力が上がっている。

 それは成長を期待して、僅かにあった遊びが消えたから。確実に此処で潰すのだと、悪魔の王は決めたのだ。

 

 

「此処で死ね。次代の神よ。その座は僕が貰い受ける」

 

 

 ならばもう、拮抗する事さえ出来はしない。

 意味を為さない支援は無駄だ。受け止める事すら出来ない前衛は無意味だ。

 

 彼らの抗いは最早意味を為さない。全て無価値に染まって散るのだ。

 

 

「エリオ・モンディアルっ!」

 

 

 だから、そうはさせない為に、未来を見る少女は叫びを上げる。

 右の瞳を失って、空洞からは涙の如くに血を流しながら、ティアナは少年が無視出来ない言葉を上げた。

 

 

「此処でトーマを殺せばっ! アンタじゃ至れないっ!!」

 

 

 至れない。それでは神座に至れはしない。

 それは何の保証もない言葉ではない。確かな確証を視て、彼女が辿り着いた真実だ。

 

 

「魔刃は所詮、欠陥品! 神殺し足り得ないのはっ! 自己の統制さえ出来ないからっ!!」

 

 

 エリオは既に、神の域にいる。でありながらも、流れ出せないのは存在を統制出来ていないから。

 二十万と言う魂。内包した無数の命を、一つに統合出来ていないのだ。そもそもエリオと言う偽りの人格では、その肉体を掌握するには何もかもが足りないのだ。

 

 

「対となる者が居なければ至れないのは、アンタが一番分かっている筈でしょうっ!!」

 

 

 トーマとの同調で、一番成長出来るのはエリオ自身の魂。

 逆に言えば、エリオと言う人格はトーマが居なければ真面な成長すらも望めない。

 

 無数の怨霊が邪魔をするのだ。総体たる魔刃の力が高まっても、エリオ自身は成長出来ないのだ。

 鍛え上げれば鍛え上げる程に、その反発も強くなって制御出来なくなっていく。純粋にエリオの格だけを上げられるのは、トーマとの共鳴同調による強化のみ。

 

 だからこそ、彼は此処まで到達出来ても、この先に行けずに手を拱いている。だからこそ、彼は対となる存在を必要としているのだ。

 

 

「そうだね。僕は旧世界において、自滅因子と言われた者と似て非なる存在だ」

 

 

 その言葉を認める。血涙を流すかの如き少女の叫びを、エリオは確かに認めていた。

 

 

「自己を支える事すら出来ない。存在を他に依存する。高みに至るには、対となる者の成長を待たねばならない」

 

 

 少年はあくまで失敗作。魔刃は偶然の産物で、エリオという存在はもう当の昔に死んでいる。

 無数の死体が悪魔に動かされているだけだ。それが成長出来るのは、対となる神の子に同調して引き摺り上げられているからに他ならない。

 

 自滅因子と同じくして、その本質を他者に依存している。

 ベリアルが居なければ、自我を保てない。トーマが生きていなければ、成長する事すらも難しい。

 

 それがエリオ・モンディアルと言う、欠陥品の真実だ。

 

 

「だけど、だからどうした?」

 

 

 だが、それがどうしたのかと語る。それで諦めると言う理由は、彼にはない。

 

 

「僕達は何処へだって行けるし、何にだって成れるんだ。ならきっと、この業だって乗り越えられる」

 

 

 出来損ないの欠陥品。自滅因子よりも救いがない、唯無価値なだけのこの悪魔。

 だが何時までも完成出来ない道理はない。呪われた悪魔が神座に至って、それを許されない理由がない。

 

 いいや、そうではない。誰に許されなくとも関係ない。誰に認められずとも関係ない。至れぬとしたって意味がない。

 目指すと決めた。進むと決めた。その為に切り捨てた。だから止まらない。それだけだ。それだけがこの怪物の全てなのだ。

 

 

「簡単な話だ。トーマの成長は、もう待たない。だから、別の試練で代用する」

 

 

 トーマが居なければ、エリオは神座に到達出来ない。

 それが真実と言うならば、それ以上の試練を乗り越える事で突破しよう。

 

 

「トーマ・ナカジマは神の半身。ならばそう、ミッドチルダの外でコイツを腐炎で焼いてやろう」

 

 

 神の半身たる魂。彼らが求める、偉大な神のその半分。

 結界に守られていない世界で、それを焼いて見せれば如何なるか。

 

 

「輪廻の中にさえ戻れない程に、腐った炎で焼いて穢そう。魂さえも無に還そう」

 

「……アンタ、まさか」

 

「来るぞ。きっと来る。奴らは怒り狂ってやって来る」

 

 

 エリオの次なる狙いはそれだ。トーマとの戦い以上に、試練となると目するはそれだ。

 何億年と世界を守り続けた大天魔。その主柱を彼らの目の前で虚無へと還す。跡形もなく消滅させれば、七柱全てが怒り狂う。

 

 そうすれば、彼が望む地獄の如き試練が幕を開ける。

 

 

「覇道七柱。夜都賀波岐の大天魔全て! 同時に纏めて殺せたならばっ! きっと、この業だって超えられるっ!!」

 

 

 これを超える試練はない。ならばそれを超えられたなら、この業だって覆せる。エリオはそう、確信と共に断言した。

 

 

「正気か、出来ると言うのか!? お前はっ!!」

 

「もうとっくに正気なんかじゃないんだろうさ。……けど、それくらい出来ずして、一体何が為せると言う!」

 

 

 切り結ぶトーマは愕然と、その正気を問い掛ける。

 考えずして分かる程に、少年の選択は無謀が過ぎる物であろう。

 

 だが為すと決めた。ならば出来る出来ないは関係ない。唯、為すのだ。

 

 

「奴らは過去の敗残者。何時か乗り越えるべき壁だ。ならばそうとも、今、此処で、その全てを踏み台として進んで行こう!!」

 

 

 古き世界は超えていく。それこそが新世界に至る前に、示すべき強さの形だ。

 そう動くと決めたから、エリオはその為に動き出す。故に今の彼にとって、少年はもう――不要なゴミだ。

 

 

「だから、君はもう必要ないんだ。トーマ」

 

「エリオっ!!」

 

「皆々全て、灰燼とする。その最中で目覚めるならば良し。目覚めないなら、無価値に死ね」

 

 

 雄叫びを上げる魔刃は、最早食い止める事さえ出来はしない。

 拮抗どころか数秒とて耐える事も出来ず、誰もが一方的に押し潰されて行く。

 

 高町なのはは間に合わない。トーマ・ナカジマは耐えられない。

 結果は最早明白だ。このまま進めば、機動六課は今日この日に壊滅する。

 

 

 

 

 

(不味い)

 

 

 エリオの蹂躙。一方的に過ぎる戦場に、感じる情は誰もが同じく。

 だがその中で最も危機を感じていたのは、其処に隠れ潜む女であった。

 

 

(不味い。不味い。不味い)

 

 

 抱き締められた器の中、思考を回すは生き汚いその女。

 己に対する束縛から解放された魔群は、この今にある現状の不味さに叫びを上げたい程に混乱していた。

 

 このままエリオが彼らを全滅させれば、クアットロの願いさえも叶わなくなってしまうのだから。

 

 

(エリオがミッドチルダを出てしまえば、前提条件が全部狂う! 失楽園の日が成立しない!!)

 

 

 約束の日。約束の地で。反天使三柱が揃っている事。それが失楽園の日が訪れる条件だ。

 約束の日はもう間もなく。約束の地とは即ちこの地。だが此処でエリオが外に出てしまえば、それだけで全てが破綻する。

 

 

(クソ、何だってのよ! 何でこんなに、予想外の事ばっかり!! 最悪が過ぎるじゃないのっ!!)

 

 

 彼をこの地に留める為に、態々思考を誘導し続けたのだ。

 トーマへの恨みを煽り、ミッドチルダへの怒りに油を注ぎ、此処で暴れる様に仕向けて来た。

 

 エリオがミッドチルダで活動していたのは唯の八つ当たりが理由であったが、クアットロには遠大な計画があったのだ。

 

 だがその全てが此処に、水泡に帰そうとしている。

 その結末を、クアットロ=ベルゼバブは断じて認められない。

 

 

(どうする。どうするの。失楽園の日を諦める? 駄目、それは駄目。アレがないと、私達は完成出来ないっ!!)

 

 

 失楽園の日。それは彼らが完成する日。真なる神殺しとして、その力に目覚める日。楽園が終わる最期の日。

 

 

(大天魔さえ超える真なる神殺し。そうなる瞬間を、今更諦められる筈がないじゃないのぉぉぉぉっ!!)

 

 

 クアットロはその為に生きて来た。魔鏡アストはその為に存在した。魔刃ベリアルも同じく、知らぬはエリオ達三者のみ。

 大量に時間を掛けて準備して、漸く成立しようと言うその日。その時の訪れを、クアットロは諦める事が出来ないのだ。

 

 

魔鏡(アスト)は、駄目。あの子に止める要素はない。魔刃(ベリアル)は、あの気狂いはエリオ贔屓だし、私の苦しむ姿で愉悦に浸るでしょうからあてにもならないっ! あぁぁぁっ! もう、どいつもこいつも使えないぃぃぃっ!!)

 

 

 味方に止めさせようかと考えるが、同じ理想を抱くであろう同胞はどちらも役に立たない。

 感情を理解出来ない魔鏡アストには期待出来ないし、その場の快楽しか見てない魔刃ベリアルはそも論外だ。

 

 クアットロ自身が如何にかするしかない。

 そう理解した女は、内心で呪詛を吐きながらに思考を回した。

 

 

(約束の日まで、後少し。後少しなのよ。それさえ稼げば、なら――)

 

 

 思考を回す。後数日。それだけ稼げれば如何にかなる。

 故に魔群は此処に毒を紡ぐ。最低最悪の女は此処に、悪魔の囁きを口にした。

 

 

「ねぇ、エリオくぅん。ちょっとそれは早計過ぎないぃ?」

 

「……クアットロか。イクスの声で、その気持ち悪い喋りは止めてくれないかな。思わず切り捨てたくなる」

 

 

 正しく片手間。腕一本でトーマとアリサを薙ぎ払うエリオ。

 腕に抱かれた少女の声で語る悪魔に対し、表情を顰めて言葉を返す。

 

 そんな彼に拗ねる様に、媚びる様な声音でクアットロは口にする。

 

 

「酷いわねぇ。折角良い話を持ってきたのにぃ」

 

「後にしろ」

 

「今しか間に合わないのよぉ」

 

「……聞くだけならね。さっさと言いなよ」

 

 

 面倒だ。素直にそう思いながらも、これは一応イクスの命綱である。

 無駄に拗ねられても面倒だと、片手で済む相手との邪魔にはならないと、エリオは毒婦の声に耳を貸した。

 

 

「ありがとぉ。それでぇ、良い話なんだけどぉ」

 

 

 そして、毒婦は口にする。

 紡ぐ言葉はエリオが知らない、彼らの身体に対する一つの真実。

 

 

「エリオ君は知らなかったわよねぇ。実は君の中にはぁ、トーマ君の魂の欠片があるのぉ」

 

「……なに?」

 

 

 その魂。リンカーコアの欠片。そして厳密な共鳴条件。

 それを嗤いながら口にする女は、真剣な表情に変わったエリオを見て確信した。

 

 この方向性ならば、譲歩を引き出す事は可能だと。

 

 

「同調の理由。共鳴の発生条件。……試さず潰すには、惜しくないかしらぁ?」

 

「…………」

 

「どうせ何時でも潰せるんだしぃ、それでも駄目だった時に夜都賀波岐に挑めば良いのよぉ」

 

 

 乗るか。乗ってくれるか。乗ってくれよ。

 内心で感じる焦りと渦巻く呪詛の言葉を隠しながら、何でもない事の様に提案するクアットロ。

 

 その毒婦の提案を耳にして、エリオは――

 

 

「……良いだろう。君が何を望んでいるかは知らないが、その企みに乗ってやる」

 

 

 企みに乗ると決めた。乗ってやると、そう決めてしまったのだ。

 破局は始まる。失楽園の日はこの瞬間に確定して、全てが奈落へ堕ちると定まったのだった。

 

 

「そういう訳だ。付いて来い。トーマ」

 

「エリオ! お前達、何をっ!? 待てっ!!」

 

 

 蹴り飛ばしたトーマに向かって言葉を放ち、エリオは嗤って身を翻す。

 追い付けない程の速度で、だが見失わない程度の速さで、飛翔した魔刃の背中。

 

 トーマはその判断に違和を感じながらも、慌てて彼の背中を追った。

 

 

「待ちなさい! トーマっ! くっ!」

 

 

 アリサが慌てて声を掛けるが、その背に言葉は届かない。

 雷速で走り抜けるエリオと、それを音越えの速さで追い掛けるトーマ。

 

 速過ぎるその背中に追い付ける者など、この場の何処にもいなかった。

 

 

 

 

 

4.

 駆け抜けながらに思うのは、魔群が告げたその言葉。

 トーマとエリオ。その魂が同調し共鳴する為に、必要となる確かな条件。

 

 

――トーマ・ナカジマとエリオ君の共鳴条件。それは同じ感情に支配される事。

 

 

 一つの事しか思えない。それ以外など考えられない。

 それ程に純化された時、そして抱いた感情が同じ方向性だった場合。トーマとエリオは共鳴する。

 

 

――貴方なら分かるでしょう? 一番簡単に抱けるだろう。同じ感情が何であるのか。

 

 

 背を追い掛ける宿敵たる少年。それを大きく突き放しながらに、エリオは暗く笑みを浮かべる。

 クアットロに言われるまでもない。互いに強く想える感情など一つしかないと、他ならぬ彼こそが一番良く分かっている。

 

 

――憎悪。そう憎む事。

 

 

 それは憎悪。掻き毟って引き千切りたくなる程に、許せないと言うその感情。

 

 

――貴方は憎い。相手が憎い。そう何時も憎んでいる。

 

 

 そうとも、エリオは許せない。進む場所を決めた今でも、トーマだけは強く憎み続けている。

 ならば後は話は簡単だ。自覚すれば良い。憎悪だけを脳裏に浮かべて、心を黒き一色に染め上げる事は簡単だ。

 

 

――だからあとは簡単。同じ様に、トーマの思考も憎悪に染めてあげましょう。

 

 

 そしてトーマも、同じようにしてしまおう。

 星が煌くその瞳を、暗き闇で包み隠そう。心の中を溝色に、滲んだ黒に変えてやろう。

 

 その為にも――

 

 

――奪い取りましょう。この場に居る人ではなくて、もっと相応しい人の命を。

 

 

 そうとも、奪い取ろう。故郷を焼いた。形見を焼いた。ならばもう一つ、此処に新たに奪い取ろう。

 

 

――奪い取りましょう。その大切な人を目の前で惨殺して、その脳裏を憎悪だけで染めましょう。

 

 

 誰よりも大切な人。守らなければならない人。彼にとってのそれを、この手で奪い取ってやろう。

 目的の為にそれを為す。それを為すだけで道が開ける。ああ、それは何と甘美な誘惑なのであろうか。

 

 

――そうすれば、この世界は終わるわ。そして新たな世界が始まるの。

 

 

 追い掛けるトーマは、既に遥か後方に。目指した目標地点は、もう手が届く程に近く。

 機動六課の連中では足りない。彼らを殺すよりも尚、深く傷を残せる獲物を選ぶべきなのだ。

 

 ならばこそ――

 

 

(狙うべき標的。それは唯一人)

 

 

 標的は唯一人。それはこの眼下にある建物。陸士108部隊の隊舎の中に居る。

 暗い笑みを浮かべたエリオは、自由な腕で槍を大きく振りかぶって投擲した。

 

 

「お前は――!?」

 

「やあ、こんにちは。ゲンヤ・ナカジマ」

 

 

 崩れ落ちる建物。その中で、慌てて顔を見せた悪魔の獲物。

 白髪の男に柔らかな笑みを向け、場違いな挨拶を交わす魔刃エリオ。

 

 彼は呼吸をするかの如く自然に、大地に刺さった槍を抜き放つと此処で振るった。

 

 

「そして、お休みだ。此処で出会った悪夢を呪って……ただ、死ね」

 

 

 そして、深々と刺さる黒き鋼鉄。憎む者の愛する者を奪い取る。

 その愉悦に歪んだ笑みだけが、ゲンヤ・ナカジマが最期に見た光景だった。

 

 

「ディエスミエス・イェスケット・ボエネドエセフ・ドウヴェマー・エニテマウス」

 

 

 トーマは走る。焦燥感を感じながらに、早く早くと走り続ける。

 何かが失われる。この今にもう取り戻せない程に、大切な何かを失ってしまう。

 そう感じるが故にもっと早くと加速して、それでも遅いこの足が忌々しくも思えてくる。

 

 

「アクセス――我がシン」

 

 

 燃えている。燃えていた。父の職場が火に包まれる。

 聞こえる呪詛。燃え上がる建物。先に見せた魔刃の笑み。

 

 それが何を意味しているのか分かって、ああ分かりたくないと感じている。

 この先に何が待つのかを何とはなしに理解して、だからこそ早く早くと急いている。

 

 だが、もう間に合わない。

 

 

「無頼のクウィンテセンス。肉を裂き骨を灼き、霊の一片までも腐り落として蹂躙せしめよ」

 

 

 トーマが辿り着いた時、崩れた建物の中に倒れる父は微かに動く。

 何時もよりも小さくなったその身体は血に塗れて、それでも微かに息を繋いでいた。

 

 零れ落ちる。瞳から零れ落ちる滴と共に、トーマは縋る様に手を伸ばした。

 

 

「父、さん」

 

 

 そんな、彼の前で、暗い炎が其処に堕ちる。

 

 

「汝ら、我が死を喰らえ――」

 

「止めろぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 燃え上がる。燃え上がる。全てを無価値にする炎が、死体さえも残さず燃やし尽くす。

 分かる。分かってしまう。この腐った炎に燃やされれば、魂さえも残らない。新世界が訪れても、父は何処にも存在しなくなる。

 

 だから止めろと、涙と共に伸ばした腕は――

 

 

無価値の炎(メギド・オブ・ベリアル)

 

 

 届かずに、炎が燃えた。

 

 

 

 その瞬間に、トーマは唯必死だった。

 手を伸ばして、手を伸ばして、それでも燃え尽きようとする魂は救えないと分かってしまった。

 

 だから、彼は――

 

 

「あ、あぁ、ぁぁぁぁぁ」

 

 

 雨が降る。涙を隠す程に、空から雨が降ってくる。

 水に濡れた少年は涙を零し、その無様な姿を見下す悪魔は嗤っている。

 

 

「ウフフ。フフフ。アハハハハ」

 

 

 消滅した父の身体があった場所。涙を流しながらに、呆然と膝から崩れ落ちたトーマ・ナカジマ。

 そんな彼が為した事を間近で見た蟲の悪魔は、泣き崩れる少年の為した事を嗤いながらに指摘する。

 

 

「ねぇ、見た! 今の見た!? この子、食べたわよ!! 自分の父親を、自分で食べたわ!!」

 

 

 それが、トーマがやった事。魂さえも堕とされる前に、彼はエクリプスで取り込んだのだ。父を消滅させない為に、自分の手で殺すしかなかったのだ。

 

 

「何て鬼子! 親の肉を食むなんて! ああ、なんて醜い姿なんでしょう!!」

 

 

 嗤う。嗤う。魔群が嗤う。救う為に大切な人を殺した少年を、何と醜いと嗤っている。

 心が折れそうだ。涙が止まらない。仕留めた感触が残ると感じるこの腕に、悍ましさすら感じてしまう。

 

 

「ねぇねぇねぇねぇ? 聞きたい事があるんだけどぉ――貴方のお父さんは、美味しかったぁ?」

 

「――っ!!」

 

 

 返す言葉もない。言葉を返す意志もない。

 悲痛に顔を歪める少年は両手を付いて、焔の中で蟲の悪魔は嗤い転げている。

 

 そんな二人の遣り取り、表情を顰めてエリオは告げる。

 

 

「煩い。黙れ、クアットロ」

 

「…………」

 

 

 抱えた少女の内部に居る悪魔。クアットロを黙らせると、エリオは膝を付いて手を伸ばす。

 トーマの顎へと指を添え、優しく上向けながらに天使の如き笑顔で告げる。其れは一つの真実。

 

 

「トーマ。君は悪くない」

 

 

 憎むべき彼に、此処で掛けるのは全肯定の言葉である。

 こうするしかなかった。だからトーマは、決して悪くはないのだと優しく諭す。

 

 

「君が食べなければ、ゲンヤ・ナカジマは無に還っていた。輪廻の輪にも戻らず、魂は消滅しただろう。だから、悪いのは君じゃない」

 

「エリ、オ」

 

 

 そんな彼の目論見は何か。知れた事、慰める事などでは断じてない。

 その感情の矛先を己に向けさせる。そうでなくば意味がない。故にこそ、此処で向けるのは悪意の言葉。

 

 優しく顔を持ち上げたまま、その表情を大きく変える。

 天使の笑みは悪魔のそれへ、優しい微笑みは怖気を誘う嘲笑へと変わっていた。

 

 

「誰が殺した? 決まっている」

 

「エリオ」

 

「誰が奪った? 分かっているだろう?」

 

「エリオっ!」

 

「どうしてこうなった? それは僕が焼いたから」

 

「エリオっ! モンディアァァァァァァァァルゥッ!!」

 

 

 心折れた少年に、入り込むのは魔刃の呪詛。悪魔の王が語る言葉に、憤怒と憎悪が爆発する。

 

 よくも奪ったな。よくも奪ってくれたな、と。

 悪鬼の如き形相で振るわれるトーマの拳を、片手で受けてエリオは嗤う。

 

 

「それで良い。感じるぞ、この共感」

 

 

 手に感じる痺れ。それは先より遥かに重い。

 心に流れる憎悪の思考。軽い共鳴が起きる程に、両者は此処に近付いている。

 

 だが、まだ足りない。

 

 

「――だが、まだ温いね」

 

「がぁっ!!」

 

 

 殴り掛かって来たトーマを、大地に叩き付けて踏み躙る。

 その足で頭を踏み付けながら、歪んだ笑みを浮かべる魔刃は告げた。

 

 

「もっと憎め。もっと恨め。唯、それだけに純化しろ」

 

 

 憎め。憎め。憎め。それだけを思考しろ。

 憎む。憎む。憎む。それだけに純化しよう。

 

 互いに時間が必要だ。だがこの方向性は間違っていない。

 そう確信したエリオは此処に、早く純化してくれと言葉を紡ぐ。

 

 

「僕もそうする。君もそうしろ。憎悪に純化した僕らがぶつかり合えばこそ、至高の天は開かれよう」

 

 

 そうでなくば、また奪う必要があるだろう、と。

 口に出して語る必要もない程に、エリオの意図は明白だった。

 

 

「もう少しだけ待ってやる。だから、今度は落胆させないでくれ」

 

 

 崩れ落ちたトーマは、何も出来ない。

 焔に沈む隊舎の中で、降り注ぐ雨の中で、涙と憎悪を浮かべて睨み付ける事しか出来ない。

 

 

「ククク、クハハ、ハハハハハハハハハハハッ!!」

 

 

 その憎悪を心地が良いと、背に受けて嗤いながらに悪魔は立ち去っていく。無造作に、落ちていたペンダントを踏み潰しながら。

 

 

 

 そして残された少年は、崩れ落ちて涙に濡れる。

 

 

「あ、あぁぁ」

 

 

 傍らに咲く花の言葉も届かない。

 失った悲しみに、奪われた痛みに、この手に残った感覚に、耐える事など出来なかった。

 

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

 

 

 焔が雨に濡れて消えるまで、少年は涙の叫びを上げ続けるのだった。

 

 

 

 涙に泣き崩れた神の子は、最早何処までも暗く堕ちていく。

 自分にとっての光すら切り捨てた悪魔の王は、最早何処までも堕ちていく。

 

 約束の日。楽園の終わりはもう直ぐに――全てが地獄に堕ちる瞬間は、もう間もなく訪れよう。

 

 

 

 

 




六課隊舎「生きてる、だと!?」
陸士部隊隊舎「代わりに俺が死んだがな」


リリカル側でネームドを一番多く殺すであろう魔刃エリオ。
今後も殺戮を続ける彼は、イクスやアギト視点だとダークヒーローですが、トーマ視点だと不倶戴天の悪魔王。そんな二面性の強い人物です。





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第二十話 奈落への時数え

予言は成就する。世界が奈落となる事は、もう避けられない。


1.

 反天使の襲撃から、一晩が明けた機動六課隊舎。激闘の痕が色濃く残る正面玄関入口ゲートに、一人の女性が足を運んでいた。

 黒を基調とした修道服に身を包み、上品さを感じさせる所作で歩を進める金髪の女性。共として付き従う騎士らを先導し、勝手知ったるとばかりに女性は歩き続ける。

 

 

「カリム」

 

 

 聖王教会の枢機卿にして、次元管理局の提督位。そして機動六課の後援者でもある女性。

 そんな彼女の突然の訪問と言う知らせを受け、慌てて駆け付けた長髪の男性はその名を呼んだ。

 

 

「ロッサ。どうしたのですか? そんなに慌てて」

 

「どうしたはこっちの台詞だよ。教会の騎士まで連れて、突然どうしたのさ?」

 

 

 十数人の精鋭集団。陸戦ならばオーバーSにも迫る騎士団の姿に、ヴェロッサ・アコースは目を細める。

 最大の身内である筈のヴェロッサにも、何も告げずに突然の訪問。そんなカリムの行動に、彼は問い掛ける。

 

 ヴェロッサの視線は警戒と言うよりも、純粋な疑問とある種の嫉妬が半分ずつ。

 そんな分かり易い義弟の様子に笑みを零して、カリム・グラシアは逆に問い掛けた。

 

 

「分かりませんか、ロッサ?」

 

「……六課の状況を見かねて、増援って訳かい?」

 

 

 微笑みで隠して、本当に分からないのかと問うカリム。

 そんな義姉の笑う姿に虚を突かれながらに、ヴェロッサは軽く思考を回して口にした。

 

 

 

 昨日に起きた反天使による六課隊舎襲撃。その際に受けた被害は、想定よりも遥かに大きかった。

 

 ティアナ・L・ハラオウンは片目を失明。プロジェクトFの技術を流用した手術によって視力は取り戻したが、その歪みの行使には悪影響を及ぼしている。

 キャロ・グランガイツは今も集中治療室の中に居て、生死の境を彷徨っている。ルーテシア・グランガイツはその傷こそ浅くはあったが、妹の身を案じている彼女を戦力として数える事は出来ないだろう。

 

 そして、トーマ・ナカジマは失踪した。彼の魔力痕跡は陸士108部隊隊舎跡地で途切れていて、其処に残された大量の血痕から何があったか想像するに容易い状況だ。

 

 機動六課フォワード陣、新人四人は実質壊滅。残るは五課までの武装局員と、六課のエースが二人と零課の一部局員。

 これより迎える大一番を前にして、これでは戦力として不安が残る。だからこそ聖王教会は増援を決めたのか、とヴェロッサは確認する様に口にする。

 

 そんな彼の発言に、カリムは笑みの質を変えずに答えを返した。

 

 

「五十点。それでは半分と言った所ね。ロッサ」

 

「辛口だね。増援以外に、何か理由があるのかい?」

 

「勿論。私達の理由は、もう一つ」

 

 

 姉が下した辛辣な評価に、ヴェロッサは肩を竦めて問い掛ける。

 そんな彼の仕草に笑みを深めて、カリム・グラシアはもう一つの目的を口にした。

 

 

「今代聖王陛下。ヴィヴィオ・バニングスへの謁見よ」

 

 

 ヴィヴィオ・バニングス。検査と調査によって判明したその素性は、聖王オリヴィエの複製体。

 真剣な表情で告げるカリム・グラシアの言葉は、聖王教会の総意でもある。そうと理解したヴェロッサは、何処か震える声で呟いた。

 

 

「……認めたのかい。教会が、聖王と」

 

「ええ、頭の固い老人達も認めたわ。……例え生まれが歪であっても、その血が尊いならば、彼女こそが聖王陛下であるのだと」

 

 

 尊き血筋である事は、事前に検討が付いていた。

 その推測に確証が伴ったのは、ヴィヴィオの魔力光の色が由縁だろう。

 

 聖なる王の魔力光は、虹の極光。左右色違いの双眸は、彼の偉大な王の血統である証左。

 聖王教会はそれを認めた。故に枢機卿と言う地位にあるカリム・グラシアが、精鋭騎士と共に此処に来たのだ。

 

 

「それで、謁見、か。……招致とは、言わないんだね」

 

「折を見て何れは、――けれどそれは今ではないわ」

 

 

 予想は出来た事だと、震える声を如何にか落ち着かせる。

 そうして余裕を取り戻したヴェロッサの確認に、カリムは苦笑しながら答えを返す。

 

 聖王を崇め奉る聖王教会において、複製と言えど聖王の存在は軽視できない。

 如何にか掌中に収めようと動くのは必然であって、しかしこの今に手を出せない理由があった。

 

 

「予言の日はもう近い。約束の日はもう直ぐに。ならば、聖王教会も安全とは言えないから」

 

「……聖王教会の全力でも、聖王ヴィヴィオは守れない、と?」

 

「ええ、残念な話だけど、私達では魔刃は止められない」

 

 

 危険が過ぎる。情勢が不味すぎるのだ。この今に聖王ヴィヴィオを取り込んだとしても、聖王教会では防備が足りない。

 それはカリムだけの意見ではなく、先日の記録映像を見た教会上層部の意見合致。誰もがあの少年を恐れている。敵対したならば、抗戦すら出来ないと分かっていたのだ。

 

 

「昨日の光景。映像越しにだけど、確かに見て理解したのよ。エリオ・モンディアルは手に負えない。あの少年が居るだけで、全てが無価値に堕とされる」

 

 

 魔群だけならば、まだ如何にかなる芽はあっただろう。だが魔刃が其処に加わると、物理的に不可能となる。

 英傑揃いの機動六課。その戦力を文字通り片手間で蹂躙出来る怪物を、どうして止められると言えるだろうか。

 

 歴史上最悪級の広域次元犯罪者。魔刃エリオ・モンディアル。

 彼の怪物と曲りなりにも戦えるのは、機動六課を除いて存在しないのだ。

 

 

「……それでも六課に残すって事は、こっちなら如何にかなると?」

 

「希望的観測、が強いのだけどね。……リミッターを解除した高町なのは一等空尉か、全力を発揮したクロノ・ハラオウン提督ならば、或いは」

 

 

 対であるトーマ・ナカジマを除けば、勝機を見付け出せるのはなのはかクロノの何れかだろう。

 多分に希望が入り混じった判断ではあったが、彼らならば如何にか出来る。いいや、彼らにもどうしようもないならば、本当に手の打ちようがない。

 

 二日後。間違いなく、彼らは再び動くのだから――

 

 

「ミッドチルダ総選挙の結果発表。此処で行われるその機会に、反天使が動かないとは思えないわ」

 

「本拠地での防衛戦で、尚且つ時間稼ぎ。其処まで条件が整っていれば、それくらいは出来ると読んだって訳かい」

 

「逆に言うとそれさえ出来ないなら、もう本当にどうしようもないと言う領域の話なのよ。これは」

 

 

 総選挙の結果発表は、地上本部ではなく此処古代遺産管理局隊舎にて行われる。

 設立宣言を行った訓練施設を利用して、クロノ・ハラオウン自らが次元世界全土に向けて公表を行うのである。

 

 それと同時に、六課エース陣は最高評議会への攻勢に移る予定である。

 残った戦力の大半を攻勢に回して、そうでなくば逃げられる程度には最高評議会は厄介なのだ。

 

 故に当日の隊舎の防衛網には、大きな隙が出来るであろう。反天使は必ず動くだろう。

 それでもクロノが居ると言う一点で、この場所は聖王教会よりも防衛力が高いと踏んだのだ。

 

 

「だからこそ、聖王教会としても今回は本気よ。こっちも後がないくらいに、最精鋭を集めたの」

 

 

 万が一にでも、今代聖王と認めた少女を傷付ける訳にはいかない。

 それが教会側の意志であって、クロノが防衛する拠点の中でヴィヴィオの護衛として戦力を持ち込んだ。

 

 カリム・グラシアが今この場所にやって来たのは、そんな理由だったのだ。

 

 

「……カリムも、暫くこっちに留まる気かい」

 

「リミッターの解除権限。最後の一つは、私が持っているんだもの。身体くらい張らないとね」

 

「…………無理はしないでくれよ」

 

「勿論。出来る事と出来ない事は、ちゃんと分かっているわよ」

 

 

 カリムは直接的な戦闘能力を一切持たない。希少技術を持ってはいても、彼女は戦士と言う訳ではないのだ。

 死地になる。危険な場所となる事が確定しているこの場所に、カリムが留まる事をヴェロッサとしては快くは思えない。

 

 それでも、反論はしない。彼女はこう見えて、相当に頑固だと分かっているのだ。

 故にヴェロッサが行うのは翻意を促す説得ではなく、義姉の危険を少しでも減らす対処策だった。

 

 

「僕もこっちに残れる様、クロノに頼んでくる。攻勢にはシャッハを回せば、それで如何にか足りる筈だからさ」

 

「……全く、本当に心配性ね。貴方は」

 

 

 零課の三人。ヴェロッサとシャッハにユーノ。彼らも当日には攻勢に回す想定だった。

 だが姉の身柄を案じた為に、如何にか残れる様にしようと動く。そんな過保護な弟の言葉に、カリムは苦笑を零した。

 

 

「心配して何が悪い。カリムは僕が生きる理由なんだから」

 

 

 苦く笑う女に聞こえぬ様に、ヴェロッサ・アコースは小さく呟く。

 強い意志の籠った瞳で口にしたのは、彼女を傷付けたあの日に決めた誓いである。

 

 我が全ては、たった一人の貴女の為に。

 

 不器用な青年は言葉として伝える事もなく、司令室に向かって歩み去って行った。

 

 

「本当、貴方は。……だからこそ、私は」

 

 

 聞こえない言葉。予め知っているから、聞こえず共に想いは伝わる。

 届かないその言葉。届ける意志が其処にないから、其処に想いは届かない。

 

 ヴェロッサの背を何処か寂しげに見詰めてから、カリムもまた歩を踏み出した。

 

 

「予言の結果は変わらない。預言者の著書の記述に変化はない。今も尚、楽園(ミッドチルダ)の終わりは迫っている」

 

 

 終わりは近い。ミッドチルダの終焉は、もう間もなくに迫っている。

 其れは女の手元に刻んだ。その予言の内容が、寸分変わらぬからこそ分かる事。

 

 

【旧い結晶と無限の蛇が蠢く地 死せる王の下 聖地より彼の翼が蘇る

 

 悪なる獣が地を満たし 中傷者は虹の輝きを汚れさせ 首輪の外れた罪悪の王が中つ大地の法の塔を無価値に堕とす

 

 それを先駆けに終末の喇叭が鳴り響く 堕落した天使達が築き上げる阿鼻叫喚の中 傲慢なる者は楽園の終わりを宣言する

 

 戦慄と共に審判の日は訪れ 罪深き衆生は地獄に飲まれる

 

 楽園は此処に 永劫失われるであろう】

 

 

 神殿の聖女。予言の巫女は先を視る。予言の著書は変わらない。

 未来を識る女が視る世界とは、全てが終わる奈落であろう。

 

 

「約束の日。失楽園の日。その時はもう間もなく。死せる王とは即ち、聖王陛下なればこそ――」

 

 

 予言の内容は変わらずとも、予言の内容は少しずつ明らかになっている。

 

 旧い結晶とはロストロギア。レールウェイズの一件にて餌として使われ、先の一件では魔群を打ち破る武器として使われたレリック。

 

 無限の蛇とはその名の如く、犯罪者集団であるアンリヒカイト・ヴィーパァ。悪なる獣が魔群であれば、罪悪の王が即ち魔刃。

 

 そして死せる王が即ちヴィヴィオとして蘇った聖王オリヴィエなればこそ、その聖なる虹の輝きを穢し貶める者が其処には居る。

 

 

「虹の輝きを穢すは中傷者」

 

 

 間違いなく、魔鏡は動く。そしてその存在は、聖王の輝きを貶めるのだ。

 

 二日後に迫った選挙結果公表日。その日、その時に終末の喇叭は鳴り響くであろう。

 人々が阿鼻叫喚の地獄に飲まれる世界の中心に、座す者の一人は間違いなく――ヴィヴィオ・バニングスと言う名の幼子なのだ。

 

 

 

 

 

2.

 更に一晩が明けて、残すは一日。大量の書類に囲まれた機動六課の執務室内。

 配下から上げられる報告に目を通すクロノは、椅子に背を預けると深い息を吐いた。

 

 

「やはり、手が足りんか」

 

 

 嘆息と共に零すのは、冷たい現状に対する言葉だ。

 

 事務官たちはフルに動いて、選挙結果の集計は無事に進んでいる。

 今日この日にまで集まった意見各種は、その大半が六課を支持する者であった。

 

 

「民意はほぼ一致している。反論も少なくはないが、八割が僕らを支持している」

 

 

 最高評議会を支持する者は少なくとも、六課のやり方を否定する者はある程度の数が居る。

 だがその反論とて予想出来た物。果てしない理想を追うと言う事は、多くの者から否定される事を良しとする道でもあると分かっている。

 

 だからこそ、彼が感じる問題とは其処ではない。

 クロノが抱いている焦燥は、手数の足りなさに終始するのだ。

 

 

「こうも舞台が整えば、手が足りんと言う理由で投げ出す訳にはいかないな」

 

 

 舞台は整った。だが部隊は整っていないのだ。

 

 フォワード部隊の実質壊滅。それが与える戦力消耗は、予想していたよりも激しい。その上成果として期待していた、魔群の封殺に失敗したのだ。

 外部からの横槍を気にして動かなくてはいけない以上、現在包囲網を展開している戦力はそう容易くは動かせない。それとは別に突入部隊を用意する必要があり、だがその数がまるで足りていないのだ。

 

 

「最高評議会の関連施設は、地上本部の“本局”を除いて六ヶ所。その内どれが本命なのか、分からないのが現状だ」

 

 

 最高評議会の所在地は、彼の最高頭脳すらも知らされていない。

 招かれる際には常に施設までは目隠しを強制されて、その上定期的に拠点を移していたと言う程に彼らは警戒心が強いのだ。

 

 それでも先の研究施設とスカリエッティの情報提供から、大凡当たりと狙いを付ける事は出来ている。

 

 

「である以上、為すべきは全ての施設の同時制圧。如何に手が足りずとも、此処から人手を割く訳にはいかない」

 

 

 最も可能性が高いと目した施設は六つ。何処が本命か、分からぬ以上は時間を掛けられない。

 ならば対する策とは六ヶ所全ての同時制圧。一気呵成に責め立てる事こそ、必要とされる対策だろう。

 

 

「エルセア地方に三ヶ所。アルトセイム地方に二ヶ所。東部森林地帯の外れに、一ヶ所、か。地上本部も含めれば、ベルカ自治領以外の全てが怪しい、か」

 

 

 だがそれをするにも部隊の数は足りない。しかしだからと言って、この今の情勢で攻められませんなど許される事でもない。

 

 当初の予定ではスターズとライトニング。ロングアーチが二ヶ所に分かれ、残りを零課。最後の一ヶ所は陸に任せる予定であった。

 精鋭達ならば数が少なくとも、制圧は可能だろうと言う算段。包囲網は制圧中に関係者を逃がさぬ為に、そんな予定を立てていたのだ。

 

 戦力は消耗した。特にザフィーラとフォアード四名。精鋭組の欠落が痛い。

 ならばと言って、大枠を練り直している時間もない。ならば為すべきは、二段階に分けての電撃閃だ。

 

 

「状況次第で援護に回れる西部の三ヶ所には、相応の人材を。そちらより危険度の高い南部二ヶ所には精鋭を。裏切りを懸念するならやはり、東部一ヶ所が重要か。……全く、魔鏡の存在がつくづく面倒だ」

 

 

 先ずはエース級の人材を、前面に出しての単騎駆け。

 その強襲に続く形で包囲網を維持する部隊を動かし、少しずつ制圧箇所を増やしていく。

 

 近隣に別の施設が存在する西部と南部の五ヶ所なら、フォローに回れるが故に誰を置いても問題ない。

 だがエースの裏切りが戦線を容易く覆しか兼ねない東部では、確実に魔鏡ではないと断言出来る人材しか配置出来ない。

 

 多くの人物に対する信頼性を破綻させる反天使。

 魔鏡と言う存在の面倒臭さに、クロノは吐き捨てる様に口にした。

 

 

 

 そんな彼の背中に声が掛かる。扉を開いて入って来たその人物は、気安い言葉をクロノに掛けた。

 

 

「それで、エースストライカーの配置はどうするの? 義兄さん」

 

 

 オレンジの髪をサイドで纏めた一人の少女。ティアナ・L・ハラオウン。

 顔の右半分に包帯を巻いた少女は、狂った遠近感に苦労しながらに兄の元へと近付いていく。

 

 そんな少女の手を取って椅子に座らせると、クロノは肩を竦めながらに答えを返した。

 

 

「西にはバニングスとヌエラにグランガイツ夫人。南部二ヶ所を高町とグランガイツ副指令。……東は下策だろうが、僕が一番信用出来る人物に任す」

 

「東がユーノさんだけで、大丈夫?」

 

「と言うより、他に選択肢がないのが実情だ」

 

 

 西の三ヶ所は誰が裏切っても他の人材がカバーに回れる配置である為、エース陣なら誰でも良い。

 南の二ヶ所は確実に一人は信用出来る者。それももう片方が魔鏡だった場合に、単独で止められる高町なのはで固定となる。

 残る東の一ヶ所は、消去法で言って唯一人。高町なのはと同じく確実と信用出来る、ユーノ・スクライア以外に居はしない。

 

 各施設に一人は実力者を配置しようとすると、このメンバーは変えられないのだ。

 

 

「それに東の危険度は一番低い。あの地を根城にしていたスカリエッティの証言通りならば、な」

 

 

 東の森林地帯は、嘗てスカリエッティの研究施設があった土地だ。

 である以上、ある程度の状況は分かっていて、他の施設に比べて危険は少ない。

 

 故に問題点として上がるのは、東よりも別の場所。ユーノではなく、別の人物と言う事になる。

 

 

「南は高町が安全弁となれる。寧ろ懸念すべきは西と、地上本部に任せきりになる中央。そして――」

 

「魔刃とトーマ。あの何処かに消えた馬鹿野郎ね」

 

「一騎当千の怪物が何処に出没するか、まるで分からないと言うのが痛い。……トーマが必ず同じ場所に現れると言う事が、僅かな救いと言えるだろうな」

 

 

 地上が担当する中央と、安全策のない西の三ヶ所。そして何より、全ての算段を覆し得る怪物の存在だ。

 

 世論の流れ。この情勢から最高評議会を相手にしない訳にはいかない。

 だが横槍を加えられれば、それだけで状況を一変させる魔刃も無視はできない。

 

 故に彼、エリオ・モンディアルに対する対処も必要だ。

 そう判断するクロノは、真剣な瞳でティアナを見詰めて口にした。

 

 

「その上で、ティアナ。君に頼みたい事がある」

 

「分かっているわ。連れ戻せって、話でしょ」

 

 

 皆まで言わずとも、その思考は理解している。

 冷徹な思考と甘い感情。どちらの立場に立って見ても、トーマを放置すると言う手はない。

 

 

「魔刃はトーマを狙う。戦術的に考えて、その動きを利用しない手はない。……そうでなくとも、心情的にもな」

 

 

 魔刃の出現位置を調整出来る。そういう点で見て、トーマと言う人材は貴重だ。

 そしてそんな理由がないとしても、親を失ったばかりの仲間を見捨てると言う選択肢だってない。

 

 だが人手は費やせない。唯でさえ足りないのだから、これ以上は減らせない。

 故にティアナだ。戦闘出来る程に回復していないが、立って歩くには然程問題ない。そんな彼女に、無理をさせると分かって頼むのだ。

 

 

「まだ傷が治ってない君に、かなり無茶をさせる事にはなるが」

 

「寧ろ、手負いだからって、じっとしてろって言われた方が嫌よ」

 

 

 済まないと、そう詫びるクロノに強く言葉を返す。

 そうして血の滲む包帯を投げ捨てて、移植した右目でティアナは兄を強く見る。

 

 視力回復は最低限。歪みはまだ使えない。けれどティアナの右目は、とても力強く輝いている。

 そしてそんな瞳の輝きの強さと同じく、強い心と言葉で彼女は想いを示すのだ。

 

 

「私はアイツの相棒だもの。なら私が迎えに行かなくて、一体誰が行くって言うのよ」

 

 

 己が行かずに、誰が行くのか。誰にも任せはしない。自分が行くのだ。

 迷い続ける夢追い人と、共に歩くと決めたのだ。ならばこそ胸を張って、ティアナは相棒と言う呼び名を誇る。

 

 

「……ああ、そうだな」

 

 

 そんな彼女に対して、今更何を詫びても無粋であろう。

 

 そうと分かったクロノは唯、彼女に対して一つを命じる。

 義兄と義妹としてではなく、上司と部下と言う立場に徹して、口にするのは一つの任務だ。

 

 

「ティアナ・L・ハラオウン二等陸士。重要な任務だが、貴官に全て一任する」

 

「任されました。トーマ・ナカジマ二等陸士共々、無事に帰還してみせます!」

 

 

 クロノの指示に、ティアナは直立からの敬礼を返す。

 その真っ直ぐな瞳はもう揺れない。迷い続けた友を迎えに行く為に、少女は真っ直ぐに走り出すのだ。

 

 

 

 

 

3.

 そして、更に一晩。選挙公表日を翌日に控えた夜遅く。管理局地上本部に彼らは居た。

 

 ビール腹に顎髭を生やした厳つい容貌。脂肪と同じく筋力もあるその体躯に、陸の提督服を着込んだ中年男。レジアス・ゲイズ。

 女性にしては高い身長に、短い茶髪。切れ長の双眸を眼鏡で隠した、冷たい印象を受ける美人秘書。オーリス・ゲイズ三等陸佐。

 

 地上を支え続けた男と、その背中を見詰め続けたその娘。

 彼らは今、地上本部の最上階にある展望台から、揃って眼下を見詰めていた。

 

 目に映る夜景は、男が生涯を費やしても守ると決めた故郷の情景。

 それを共に見詰める女の胸に宿る感情は、きっと男のそれと同じくであろう。

 

 女には、姉の様に想っていた人が居た。男には、娘の如く思っていた女が居た。

 向こう見ずな彼女の破天荒な在り様に、二人は揃って振り回された物である。いいや、振り回したのは親子も同じか。

 

 娘の如き女の結婚報告。相手が己と一回り程度しか年の変わらぬ男と知って、親馬鹿を拗らせたレジアスが殴り込みに行った事もある。

 陸士部隊の一士官でしかない男と全力で殴り合って、アイツなら認めると言った後に酒に逃げた父が枕を濡らす情けない姿をオーリスは良く覚えている。

 

 結婚式の当日まで仕事ばかりで全く準備していなかった駄目姉に、溜息交じりに手配を全て済ませたのは娘であった。

 如何にか間に合った式当日に、しかし実はオーリスが少女趣味だった事が発覚する。会場を埋め尽くすファンシーな小物の色合いに、男共は揃ってゲンナリした物だ。

 

 だが、周囲を振り回して、それでも幸福な日々だった。

 レジアスの殴り込みがあったから、ゲンヤとの間に出来た絆は階級に関係ない物だった。

 オーリスの趣味全開だった結婚式ではあったのだが、それでもクイントは確かに幸せそうに笑っていた。

 

 結婚後も、その関係は変わらない。子供を引き取った後も、その関係は変わらなかった。

 

 大方の予想通り孫馬鹿になったレジアスは、訪問の度に高い玩具を買って来て、教育に悪いとクイントに怒られていた。

 そんな父の駄目さ加減に溜息を吐きつつ、そんなオーリスだって初めての甥っ子相手に随分と甘くしてしまったと自覚している。

 

 父と言うには年が近く、兄と名乗る程に若くもない。男の一家と女の一家は、傍目に見れば不思議な集団だったのだろう。

 それでも、確かに其処には幸福があった。刹那に過ぎ行く美麗の中に、当たり前の幸福は確かにあったのだ。

 

 そんな娘が死んだ。そんな息子が死んだ。そして残った孫息子は、今も行方が分からない。

 ミッドチルダの思い出には、彼ら一家の色が濃い。そんな夜景を此処に見下ろし、二人が何も思わない筈がない。

 

 それでも、嘆き悲しみに耽る事は未だ出来ない。

 

 

「明日、か……」

 

「はい。いよいよです」

 

 

 窓ガラスに手を当てて、レジアスは呟く様な声音で語る。

 そんな父の言葉に頷いて、オーリスもまた激情を胸に感じていた。

 

 

「随分と長く、本当に長く、なってしまったな」

 

 

 零した言葉に、籠った想いは一言では形容し難い程に複雑だ。

 漸くに訪れる岐路を前にして、レジアスは思わず指先に力を込めてしまう。

 

 

「馬鹿者共め。儂を残しおって、死ぬに死ねないではないか」

 

 

 未だ、死ぬには早かった。四十を超えずに命を落としたナカジマ夫妻。その死は余りに早かった。

 五十四年。その人生の半分以上を戦場で過ごして来たレジアスは思う。常に死地を渡り歩いた己よりも先に、どうして逝ってしまうのだと。

 

 

「御冗談を。まだそんな年でもないでしょうに」

 

「ふん。人生五十年と捉えれば、既に足が出ておるわ。若い者らが先に逝かずに、儂らをとっとと休ませろ」

 

 

 悲観的な言葉を咎めるかの様に、オーリスは諫言を口にする。

 そんな娘の言葉に罰の悪さを感じながら、それでも素直になれない頑固親父は鼻を鳴らした。

 

 

「さっさと休みたい物だが、全く若造どももだらしがない。……しかし仕方あるまいか。生意気な娘と、健気な娘と、頭は悪いが可愛い孫の為だ。もう暫し身を粉にして励むとするか」

 

 

 何処までも素直にならない父の言葉に、オーリスも険を削がれて苦笑する。

 冷徹な美貌を崩して笑う娘の姿に頭を掻いて、吐息を一つ挟んだ後にレジアスは前を見た。

 

 長く地上を守り続けた男が見据える先、役を終えるのはもう直ぐなのだと実感する。

 

 

「若い息吹が流れを変える。その時をこの目で見る迄、旧きモノは引き受けようとも。……だがまぁ、もう然程長くは掛からぬだろうがな」

 

「明日で全てが終わる。そう中将は仰られるのですか?」

 

「明日で終わらせるのだ。そして次に吹く風は、若き息吹でなくばな」

 

 

 ミッドチルダに生きる人々の意志を問う。その発想は、彼の中には存在すらしなかった。

 愚直で堅物で徹頭徹尾軍人で、そんな男は感じているのだ。この今に流れる空気を、きっと良き変化であると。

 

 

「いけ好かないグラハムの阿呆に言わせれば、新しい風と言う奴だ。悪しき者を止められなかった古さなど、道の邪魔にしかならんだろうさ。いいや、そうしてもらわねばならん」

 

 

 先導者は居る。だが独裁者は居ない。ミッドチルダは変わるのだ。他の誰でもない、其処に生きる誰かの手で。

 形骸だけの民主主義ではきっとない。多くの人が此処に応えてくれているから、この先を作るのは何処にでもいる誰かとなるのだ。

 

 ならば其処に、古き体制にしがみ付いて来た者は居るべきではない。

 新しい世は新しい世の若者たちに託して行くのだ。その転換点こそを、明日にするのだとレジアスは確かに語る。

 

 

「必要な咎は我らが負おう。負の遺産があるならば、それを片付けてから退こう。それが大人の責務と言う物」

 

 

 ミッドチルダを統一し、人の心を一つとしよう。

 そしてその若き意志を以って、旧き彼らに答えと示そう。

 

 余計な物は遺さない。それが大人の責務と言う物。

 

 

「そうして、全てが終わったならば――そうだな。馬鹿な孫息子の為に、何かしてやるとしよう」

 

 

 この世界の問題も、古き世から続く全ても終わらせて、自由になれたその先に。

 望むはそんな些細な事。最後に残った一人の為に、何かを為そうと言うその想い。

 

 

「……やはり、死ぬ気などないではないですか」

 

「ふん。半生以上を管理局に捧げたのだ。残る余生ぐらいは好きにさせろ」

 

 

 その時まで、レジアスは管理局員として在り続けよう。

 その時が過ぎたならば、子煩悩な唯の老人として余生をゆるりと過ごして行こう。

 

 

「ひ孫の結婚式までは見る予定だからな」

 

「長い余生ですね。それは」

 

 

 平均寿命の下がった今のミッドチルダにおいて、男はもう老人と言うべき年齢だ。

 だからこそ前線からは退くと断言して、しかし未だ長く生きる心算だろう。影も形も見えぬ孫の子の、結婚式まで生きると語るのだから。

 

 そんな彼の発言に、オーリスは柔和な笑みを零して笑う。

 久しぶりに見た娘の満面の表情に、レジアスもまた噴き出す様に腹を揺らすのであった。

 

 

 

 そして、二人は再び見下ろす。見詰める先にあるのは、クラナガンと言う大都市の夜景である。

 

 

「汚いモノを多く見てきた」

 

「はい」

 

 

 儚い光。蛍光灯の輝きは、空の星を散りばめたかの如く。

 夜闇に沈んだ街中の小さな輝きを見詰めながらに、レジアス・ゲイズは半生を振り返る。

 

 

「穢れたモノが、余りに多かった」

 

「はい」

 

 

 汚いモノが多かった。穢れたモノも多かった。それは彼の職務が故に、多く、多く、それこそ気が滅入る程に多くを見て来た。

 心が折れるだろう。想いも陰るだろう。辛い道を歩く中に、一体幾つの挫折があったか。ああ、それでも彼は此処に立っている。此処に立ち続けて来た。

 

 その背中、衰えて尚大きな背中をオーリスは見る。彼女は知っている。何が父の原動力となって来たかを。

 

 

「だがな。綺麗な物も、多かった」

 

 

 汚いだけではない。穢れているだけではなかった。綺麗な物も、確かにあった。

 優しい一幕。温かな光景。ほんの小さな安らぎに、億千万の財宝にも代えがたい価値を見たのだ。

 

 

「そうですね。だから、父さんは守ると決めたのでしょう」

 

「そうとも、この綺麗な物を守り抜く事を、我が生涯の役割と定めた」

 

 

 この美しくも醜悪な世界。汚らわしくも美麗な光景。

 其処に守るべき者は、確かにあると知っていた。だからレジアスと言う男は、四十年と言う時を戦場で過ごしたのだ。

 

 そして長くに過ぎたその時も、もう直ぐに終わろうとしている。

 

 

「その役を下す時が来た。若造共に託す日が来た。ならば後は、綺麗な物を見て過ごしたい。そう思って、何が悪い」

 

「悪くはないんでしょう。きっと――それは正当な報酬です」

 

 

 共に見詰める。先にあるのは彼らの世界。

 彼らが生まれ、彼らが育ち、彼らが守り続けたその世界。

 

 

「全てが変わる明日を過ぎれば、儂の役割も無くなるだろう。それで良いし、それが良い」

 

 

 灯火は受け継がれる。悪しき者は消え失せて、古き者は役を失う。それでも灯火は受け継がれる。

 

 

「隠居した老人はのんびりと、綺麗な物を見て過ごすさ」

 

 

 夜景を映すその瞳。局員としての終わりを迎えようとする男は、果たしてその先に何を見詰めるか。

 どうか彼の掛けた半生に値する、綺麗な物であって欲しい。父の背中を見詰めた娘は、そんな風に考えた。

 

 

 

 

 

「いいや、お前達はもう、何も見られない」

 

 

 

 

 

「がぁぁっ!? がふっっっ!!」

 

「父さん!?」

 

 

 だが、この現世は奈落だ。救いがない世なればこそ、訪れるのは暗き破滅。

 黒き槍が飛翔して、その膨れ上がった腹を突き刺し抉る。娘が叫び声を上げる中に、男は血反吐と共に膝を屈する。

 

 

「嘆くな。悲しむな。受け入れろ。世の理とは、そういうものだと理解すれば楽になる」

 

 

 見上げる先に、見下す姿は夜風の如く。彼こそは、誰よりも悲惨な被害者にして、誰よりも罪過を重ねた殺戮者。

 ミッドチルダを守護し続けたレジアスの前に訪れた終焉とは、彼が守り続けたミッドチルダの闇が生んだ悪意の象徴。魔刃エリオ・モンディアル。

 

 

「貴様っ、魔刃っ! 何故っ、此処にぃっ!?」

 

「問う価値はない。語る言葉などはない」

 

 

 レジアスが守ったミッドチルダ。彼が守ってしまった醜悪さの中に生まれた命。

 取捨選択によって守れた者と、切り捨てざるを得なかった者が其処にはあって、ならば代弁者に慈悲などない。

 

 血反吐と共に叫ぶレジアスの言葉を冷たく切り捨て、エリオは黒き刃を振るう。

 

 

「父さんっ!」

 

「逃げろっ! オーリスっ!!」

 

「抗う意味はない。逃れる術もない」

 

 

 価値はない。意味はない。何もない。この夜に、この怪物は止められない。

 救援も増援もありはしない。この今に生きているのは、此処に居る三者しかいないのだから。

 

 そして、その命もまた、此処で潰える。

 

 

「きゃぁぁぁぁっ!?」

 

「きさ――がぁぁぁぁぁっ!?」

 

「君達に許された事は、唯一つ――僕に狙われた不運を呪って、後悔しながら……死ね」

 

 

 槍の穂先が閃いて、首が二つ宙を舞った。

 躯となった首なし遺体は、力なく倒れて床を赤く染めていく。

 

 この今に奪った命に、しかし何を感じる事もなく、暗く嗤ってエリオは問うた。

 

 

「……感じているかい? 流れ込む憎悪。伝わる共感を通して、理解しているかい?」

 

 

 この場に生きた者などいない。全てエリオが殺したから。

 ならば問いを投げ掛けた相手は誰か。決まっている。内なる繋がりを介して、彼に言葉を掛けたのだ。

 

 

「また失くしたね。トーマ」

 

 

 共感はもう始まっている。共鳴はもう発生している。

 憎悪を叫ぶ声と共に、思考を黒き泥が染める。それは既に双方が、共に抱いた感情。

 

 トーマが憎む。その憎悪がエリオに流れ込み、彼を憎悪に染め上げる。

 エリオが憎む。その憎悪がトーマに流れ込み、彼を憎悪で染め上げる。

 

 負の方向へと止まらない。終わらない其れは憎悪の連鎖。

 互いの意志が互いを染めて、共鳴した両者は暗く昏くクラク、其処の底まで堕ちていく。

 

 

「ククク、クハハ、ハハハハハハハハハッ!!」

 

 

 理由(ゾウオ)はあった。レジアスを討つに足る、理由はあった。

 一つは彼を形成する犠牲者達の意志であり、そして一つは地上本部を邪魔と目したクアットロの判断だ。

 

 だが、そんな憎悪(リユウ)だけではない。

 暗く染まった愉悦に嗤う罪悪の王が殺戮を起こしたのは、その共鳴が故でもあった。

 

 もうそれ程に、己の感情すら見えぬ程に互いの憎悪は高まっている。神の子と罪悪の王は此処に、完全同調を果たす程に純化している。

 

 故に、時は来たのだ。

 

 

「さあ、燃やそう。これだけ巨大な建物だ。夜闇の中でも分かる程、ならば目印として相応しい」

 

 

 二つの首を片手で掴んで、エリオは残る片手に暗い炎を灯す。

 膨大な密度の気配が混ざった魔力を放つ事で、防弾性の強化ガラスを粉々に吹き飛ばしながらに悪魔は嗤う。

 

 

「さあ、無価値に堕とそう。法の守護者の象徴を、全て無意味だったと踏み躙って嗤ってやろう」

 

 

 夜風の中、空へと身を投げ出す悪魔の王。歪んだ笑みを浮かべる怪物は、落下しながらに見上げる。

 剣を思わせる形状で、大地に反り立つ巨大な其れこそ地上本部。無数に立つ建物、中央塔を見上げたままに、魔刃は嗤みと共に言葉を放った。

 

 

無価値の炎(メギド・オブ・ベリアル)

 

 

 ここに予言は成就する。黒き炎が燃え上がり、中つ法の塔は無価値に堕ちた。

 

 

 

 

 

 そして、傷一つなく大地に降りた魔刃エリオ。

 一瞬の内に燃え尽きた、地上本部の跡地を背に彼は待つ。

 

 

「さあ、僕は此処に居るぞ」

 

 

 この今に、感じる者は反対にある器の鼓動。

 己の半分にして反分が、彼の存在を感じ取ってやって来る。

 

 

「此処でお前を待っているぞ」

 

 

 歴史の分岐点。その前夜において、彼らの舞台は幕を開ける。

 その開幕の瞬間を、駆け付けるであろう蒼銀の輝きを、黒紅に霞んだ槍騎士は待っている。

 

 

「来るか」

 

 

 共鳴は強くなる。一分一秒。僅かな時で高まる強さが、互いの接近を証明する。

 

 

「来るか」

 

 

 笑みが深まる。憎悪に純化したこの今に、思考を埋めるのはそれだけだ。

 

 

「来るか」

 

 

 最愛の人を出迎えるかの様な心地で、両手を広げて待ち続ける。

 誰よりも強く憎むその姿に、今正に迫る決戦に、感じるのは歓喜の情だ。

 

 空を掛けて迫る蒼銀が、見せる悪鬼の形相。

 その姿に醜悪な笑みを返して、エリオは彼の名を呼んだ。

 

 

「来い――トーマっ!!」

 

「エリオォォォォォォォッ!!」

 

 

 崩れ落ちた地上本部の跡地にて、トーマとエリオの六度目の戦いが今始まる。

 

 

 

 中つ大地の法の塔は燃やされた。罪悪の王の手によって、唯無価値に堕とされた。

 これは先触れ。終末の喇叭が鳴り響き、阿鼻叫喚の地獄が訪れるであろう前夜の一幕だ。

 

 

 

 

 




地上本部「……まさか、失楽園の日まで持たぬとは」


閑話と言ったな、アレは嘘だ。……そんな訳でゲイズ親子退場回でした。
実際、失楽園の日の前に、トーマVSエリオの開始と選挙結果公表を入れる必要があったので、日常回を抜きにこんな流れとなります。

二話か三話、この調子で話しを進めて、その後は流れのままに失楽園の日に突入です。



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第二十一話 選挙結果公表日

〇クロノ演説での反応(古代遺産管理局内にて)

管理局事務員A「なあ、クロノ局長。次元世界中に意見募集してんだけど」
管理局事務員B「管理世界だけでも百を超えるんだぜ。票の集まり具合次第だろうけど、一億越えはきっと余裕だぜ」
管理局事務員A「…………票の確認に、何日あったっけ?」
管理局事務員B「…………三日。24時間の三倍だ」
管理局事務員AB『デスマーチが始まるな(確信)』


1.

 焼け落ちた法の塔。跡地は広大な荒野となって、草木一つ生えぬ地に夜風が吹き抜ける。

 震える程の寒さに満ちたこの場所で、駆け付けた蒼銀と迎え撃つ黒紅は刃を交わす。甲高い音が響いて、押し負けたトーマは舌打ちと共に後方へと跳躍した。

 

 まるで獣の様に、四肢の内の三本を使って大地に着地するトーマ・ナカジマ。

 蒼銀の輝きを纏う少年は悪鬼の如き形相で、悠然と佇む悪魔の姿を睨み付ける。

 

 

「エリオ」

 

 

 憎悪に純化したトーマは、その一心でエリオの名を口にする。

 内に咲く白百合は必死に言葉を投げ掛けるが、殺意を込めて処刑の刃を握り絞めるトーマには全く届かない。

 

 許せない。認めない。お前だけは殺してやる。

 この今に出来る思考などはそれ一つ。目指した夢すら忘れ果て、如何に殺すかと執着する。

 

 憎悪に純化するとはそういう事だ。それしか出来ぬしそれしか為せぬ。

 どれ程上手く取り繕っても、その本質は淀んだ黒の単一色。トーマ・ナカジマはこの今に、瞳に映る宿敵の事しか思えないのだ。

 

 

「……良い表情をする様になったじゃないか。そうさ、それで良い」

 

 

 対するエリオは何処までも、余裕の体で嗤っている。

 黒き鎧を纏った赤はこの今に平静を偽って、だがその実はトーマに近い程に染まっている。

 

 共鳴するとはそういう事だ。憎悪に純化した対に影響されて、その心もまた憎悪に染まる。

 何の為に剣を執ったか、その理由すら色褪せる。何を救いたいと願っていたのか、その望みすらも擦れていく。反する様に、憎悪が流れ込んで燃え上がる。

 

 大丈夫。まだ忘れてはいない。色褪せているが覚えている。

 大丈夫。まだ何を救いたいのか願えている。掠れていくが望んでいるのだ。

 

 だから、まだ大丈夫だから――少しでも強くコイツを苦しめたい。

 

 憎悪の衝動に犯されながら、堕ちた天使は暗く嗤う。

 そうしてエリオは手にした物を無造作に、トーマに向かって放り投げた。

 

 

「そんな君に冥土の土産だ。態々焼かずに遺した物だよ。喜んで受け取ると良い」

 

 

 ゴミを投げ捨てる様な気安さで、空を舞うのは二つの首だ。

 地面に落ちて転がる頭部が見知った人の物だと理解して、その顔に刻まれた苦悶の表情が憎悪をより強く引き立てる。

 

 

「レジアス、さん。オーリス、さん。……お、ま、えぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

「ははは、ははははははははっ!」

 

 

 また奪ったな。また奪ったんだな。溢れ出す程に、憤怒と憎悪と殺意が膨れ上がる。

 負の感情の津波に流され一段深く堕ちた姿に、エリオは愉しさを堪えられずに嗤っていた。

 

 

「知っていたとも、見ていたとも、大切なんだろ? 家族だろう?」

 

 

 この今にも続く憎悪の肥大化は、最早誰にも止められない。

 憎んだから憎まれて、憎まれたから憎んで、憎いから殺して、殺したから悪意を返して、負の連鎖は何処までも続く。

 

 そうともこの衝動は止められない。引き金を引いたエリオすらも止まれない。

 コイツが余りに憎いから、彼が苦しむ事ならどんなに些細な物事であっても、行う事を止められないのだ。

 

 だから、そう。これもまた悪意の言葉。

 

 

「墓を掘る時間くらいは待ってあげても良いんだが……さあ、どうするんだい?」

 

 

 家族の墓を掘って来なよと、嗤いながらに見下し告げる悪魔の王。

 その悪意に満ちた発言に爆発する様に、嵐の如き激情に支配されたトーマは叫んだ。

 

 

「エリオォォォォォォッ!!」

 

 

 刃を構え、憎悪を叫び、女の声を全て無視して、トーマはエリオに切り掛かる。

 それをエリオは笑みと共に片手で迎えうって、その異様な重さに顔を顰めて一歩を引いた。

 

 

「ちっ」

 

 

 磨かれている。鋭くなっている。流れ込む激情と共に経験すらも共有するのか、速度も威力も先の比にすらなりはしない。

 舌打ちと共にエリオは一歩を退いて、そんな彼へと追撃の姿勢を見せるトーマ。その攻勢は怒涛の如く、獣の速度で敵を襲う。

 

 共鳴現象。一瞬で宿敵と同等以上に成りあがったトーマの速度に、しかしエリオとて押し遣られるだけではない。

 これは共鳴現象なのだ。強くなるのは一人に非ず、敵が強くなったのならば己は更にそれを超える。故に退いたのは一歩であって、直ぐに攻勢は入れ替わる。

 

 

「はぁっ!!」

 

「――っ! あぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 裂帛の気迫と共に、笑みを浮かべたエリオが放つは雷光紫電。

 対するトーマはその身を傷付けられながら、それでも我が身に頓着すらせず攻めの一手を揺るがせない。

 

 悪鬼の如き形相に、愚直な攻め方は醜い獣の如くして、その内面と同じく色の劣化を思わせる。

 心は何処までも堕ちて行き、理想は泥に塗れて穢し堕とされ、目指すと決めた夢すら忘れた。そんな有り様でありながら、唯只管に強くなる。

 

 堕ちているのに昇っている。昇っているのに堕ちて行く。

 頂きを目指す登山ではなく、山頂から落下するかの様に、その速度は止まらない。だがやはり、彼らの格は高まっている。

 

 心は堕ちて行くのに、その魂は練磨されているのだ。

 渇望も願いも歪み果てていくのに、互いの力は無限に高まり続けるのだ。

 

 敵が強くなった。だから敵より強くなる。その度に心を暗く歪めて、より存在を純化させる。

 純化しながら高まり堕ちる互いの最期は、きっとどうしようもなく救いがない。この果てに至れば最後、碌でもない結果しか待っていない。

 

 だけど、もう止まる事など出来はしない。

 

 

「エリオォォォォォォォッ!!」

 

「くく、くははっ! トォォォォマァァァァァッ!!」

 

 

 果てに待つは唯一つ、どちらが勝っても変わらない。

 流れ出すだろう。果てに至れば、必ずや流れ出すだろう。だが、其処に望んだ世界などありはしない。

 

 高まり続けたその先に、悪意を向ける宿敵を失えば結果は一つだ。

 溢れ出した憎悪は向ける先を見失い、無限に高まり続ける力は必ず暴走する。

 滅侭滅相。己で制御できない程に肥大化した憎悪と力を以って、眼に映る全てを壊し続ける邪神となるのだ。

 

 

 

 無限強化と抑えきれない憎悪の果てに、自滅が待ち受ける怪物と成り果てる。

 旧き世界を滅ぼした大悪と似て非なる者へと至る悪意の連鎖。これこそ正しく狂気であった。

 

 

 

 

 

2.

 そして夜は明ける。隊舎から一歩を踏み出した制服姿の青年は、コートを靡かせながら一路目指す。

 一歩一歩と踏み締める歩に万感の想いを抱きながらに、目指すは湾岸区画を埋め立てて作った訓練場。

 

 

(僕らの目指した解答は遠い。那由他の果てより尚遠い。これはきっと、小さな一歩にもならないんだろう)

 

 

 思うのは、この先に待つ選挙公報。そしてそれが生み出す、ほんの僅かな変化の兆し。

 

 人類を解脱させる。そんな夢を見た。余りに遠く、見果てぬ先を夢に見た。

 叶う筈がない。届く理由がない。きっと何処かで道は途切れて、何も為せずに終わるであろう。

 

 それが道理で、それが必然で、ならばこの進む歩に意味などないか?

 いいや、きっと無意味じゃない。果てに何もないとしても、歩いた道は無意味じゃないのだ。

 

 

(エイミィ)

 

 

 愛した女を想う。嘗て愛して、今も愛する女を想う。

 余りに長き時が過ぎて、それでも帰りたいと願うその腕の中へと。

 

 逝く前に、為さねばならぬ事がある。

 この道が無意味でないと信じるなら、為さねばならぬ事がある。

 

 

(答えを示そう。答えを示せる、土壌を作ろう。この今に人の総意を、束ねて答えと此処に示そう)

 

 

 今の世に生きる人らに、答えを問おう。古き世の彼らに、それを答えと示そう。

 奪って行った彼らの存在を憎悪しながらに、ああだけど奪われたからに殺し奪うは違うと既に知っている。

 

 そうとも、同じ形では意味がない。遺された者は変わっていくのだと、確かに意志の形を示そう。

 

 

「そうとも、出すべき答えは、新世界がどうだとか、この今にある終焉をどうするかとか、そんな単純な答えじゃない」

 

 

 神座の交代。そんな物は、極論言えばどうでも良い。

 この今に迫った世界の危機に対して、クロノ・ハラオウンの思考などは決まっている。

 

 

「僕らは何だ。管理局員だ。僕らの役は何だ。決まっている」

 

 

 それはきっと、仲間たちとは違う結論。何処までも守護者に過ぎないこの青年が、己で決めた守護の対象。

 

 

「牙なき人の牙となり、盾なき人の盾となる。それが僕の解答で、きっとその点では、高町達とは少しずれているんだろうさ」

 

 

 クロノ・ハラオウンは、管理局員なのだ。世界を先導する指導者でもなければ、新世界を生み出す神でもない。あくまでも、管理局員に過ぎないのだ。

 

 

「魔刃の作る新世界でも良い。最高評議会が作り出す世界でも良い。それが皆の答えなら、不満はあっても認めよう。無念であっても、僕は確かに受け入れよう」

 

 

 最後に夢見る世界は、仲間と同じく人類解脱。だが其処にはいけないと、冷静に判断してしまう。

 だが変わる夢など見れよう筈もない。ならばそう、そんな人間に他者の必死な願いを否定する権利などありはしない。

 

 光に目を焼かれて理想しか見えない青年に、出来る事など一つだけ――守るのだ。誰かが焦がれたその願いを、支え守り代弁する事こそが我が役割。

 

 

「僕が決める事じゃない。誰かが決める事じゃない。大切なのは、誰もが向き合う意志を見せる事」

 

 

 個の願いではなく、皆の願いを。個の祈りではなく、皆の祈りを。

 それがどんな形になったとしても、誰かに操られていない本気の意志なら肯定しよう。

 

 大切なのは、その意志の発露だと知っているから。

 

 

「そして皆が抱いたその意志を、戦う力がない人の代わりに死力を賭して守り抜く。それが僕の解答で、そして僕の誇りであるんだ」

 

 

 短期の地獄を齎す法則すらも、皆が望むなら良しとする。誰もが苦しむ世界と知っても、皆が求めるならば必死で支える。

 生み出した先に何度後悔する結果となったとしても、後悔する度に己の全力で改善して行けば良い。其処に至る迄、其処に至った後も、守り支える事こそクロノの願い。

 

 相容れないと言う程ではないが、六課の中でも異端の思考。

 同じ経験を積んで来た仲間内でもこうなのだから、全ての意志を一つにする事など不可能だろう。

 

 

「さあ、始めよう。ミッドチルダを、今の世界を一つに束ねよう。そして、其処から一歩を踏み出そう」

 

 

 そうと分かって、それでもクロノは意志を一つに束ねると口にする。

 目指すべき場所が一緒ならば共に歩む事は出来ると知っているから、この今にある最大多数を此処に示すのだ。

 

 

 

 訓練場のシミュレータ装置を利用して再現された巨大な会場。壇上に続く階段を、クロノは一歩一歩と登っていく。

 青を基調とした六課の制服に身を包み、将校用のコートを風に靡かせて、壇上の中心で立ち止まったクロノは大きな身振りと共に振り返る。

 

 

「諸君。次元世界に生きる諸君。この今に、我らの総意を示す時が来た!」

 

 

 振り返った彼に向かって、一斉に向けられるサーチャー群。

 危険が予想されるからと立ち入り禁止された取材陣に変わって、それがクロノの言葉を世界全てに伝える装置。

 

 全貌が見渡せる様に配置された無数のサーチャーに映る様に、クロノの背に巨大なモニタが表示される。

 映し出される文字とグラフは、先の選挙によって寄せられた言葉と意見を纏めた物。百を超える次元世界の意志。その総数は即ち――。

 

 

「投票者数5950億6325万2256名。受け取った諸君らの意志を、此処に開示する!」

 

 

 投票率は85%。内有効票は72.3%。百を超える次元世界の多くが此処に、その声を届かせてくれた。

 この結果に、万感の想いを感じている。これだけの意志を示してくれたと言う事実に、クロノは例えようがない程に感動している。

 

 その全ては好意ではなかった。その全てが賛同ではなかった。

 それでも多くの意志が生まれたという事実が、果ての見えない理想に一歩近付けたと感じて嬉しいのだ。

 

 だからその声に答える様にと、最大多数の意見を此処にクロノは代弁する。

 

 

「最高評議会の功罪。その功績は見事であり、情勢の厳しさには酌量の余地はある。だがしかし、犯した罪は罪である! 故に裁かれよ! 故に生きて、贖罪せよ! それが皆の意志である!」

 

 

 人の総意が求めた結果は、即ち最高評議会の捕縛と解体。

 犯した悪に対する殺人と言う罰ではない。為した罪を贖う事を、人々は此処に求めたのだ。

 

 

「我ら古代遺産管理局は、その意志を受け此処に行動に移る! グラシア枢機卿!」

 

 

 故にクロノは動き出す。その求めに応える為に、此処には居ない女の名を呼んだ。

 

 通信機越しに求めを聞いたカリムは、クロノに首を上下させて頷きを返す。

 そして彼女が口に出して発動するのは、唯三度のみ許された権限の残る最後の一つである。

 

 

限定(リミット)解除(リリース)!〉

 

 

 その瞬間に、その時を待っていた彼女達が動き出す。

 アリサ・バニングスが、ゼスト・グランガイツが、メガーヌ・グランガイツが、そして高町なのはが、此処に全ての制限から解き放たれた。

 

 

全力全開(フルドライブ)!』

 

 

 全力を振り絞り、敵施設へと突入していく四人の姿。

 それに続く様に、縛られていない二人――ユーノ・スクライアとシャッハ・ヌエラも戦場へと駆ける。

 

 彼らもまた、幾つもの焦燥を抱えている。

 昨晩遅くに起きた地上本部の壊滅に、何も思わない筈がない。

 

 だからこそ、少しでも早く己の役を果たすのだ。

 

 

「此処に、ミッドチルダに潜み続けた者らを討つ! 悪を憎み討つのではなく、罪を贖わせ先に進む為に!!」

 

 

 此処に、人の意志は一つになった。ならば残るは、彼らに課された役割だ。

 最高評議会を打倒し、反天使を打ち破り、そしてその果てに穢土・夜都賀波岐を目指すのだ。

 

 これはその為の第一歩。今を変える為の、小さくも重要な一歩であった。

 

 

 

 故に、その女もそれを見ていた。

 

 

「うふふ。み~んな熱狂しちゃってまぁ、今こそ絶好の機会よねぇぇぇ」

 

 

 英雄(クロノ)の言葉に浮かされて、ミッドチルダは熱狂に包まれている。

 この今に何かが変わるのだと、誰もがそんな期待と希望を胸に抱いている。

 

 その穢れなき瞳。醜悪であっても、美しい世界で生きた幸福な人々の姿。

 其処にどうしようもない程に、苛立ちを感じている。嫉妬と八つ当たりと分かって、クアットロはそれを許容する事が出来ない。

 

 故にその希望を砕こう。糞尿を塗りたくって、絶望と変わらぬ色にしてやろう。

 クアットロ=ベルゼバブは暗い情念のままに嗤って、蟲の擬態を作り変えた。

 

 

「潰してあげるわ。皆の前で。誰もに見られながら、無様な最期を迎えましょう」

 

 

 白衣を纏った茶髪の女。蟲で作った擬態の右手が、肩から蠢き形を変える。

 黒光りする鋼鉄の如き大筒は、魔群が誇る最高火力を最大出力にて放つ形態だ。

 

 

「アクセス――我がシン」

 

 

 そして、門が開く。その銃口の奥深くに、奈落へと繋がる門が開く。

 

 

「イザヘル・アヴォン・アヴォタヴ・エル・アドナイ・ヴェハタット・イモー・アルティマフ・イフユー・ネゲッド・アドナイ・タミード・ヴェヤフレット・メエレツ・ズィフラム」

 

 

 生み出す罪は暴食。与える結果は殺戮。砲門が捉えた先にあるのは、機動六課の隊舎全域。

 

 

「おお、グロオリア。我らいざ征き征きて王冠の座へ駆け上がり、愚昧な神を引きずり下ろさん。主が彼の父祖の悪をお忘れにならぬように。母の罪も消されることのないように」

 

 

 刺刺しい漆黒の片翼で空に浮かぶクアットロは、その内面の醜悪さが滲み出ている笑顔で嗤う。

 

 

「その悪と罪は常に主の御前に留められ、その名は地上から断たれるように。彼は慈しみの業を行うことを心に留めず、貧しく乏しい人々、心の挫けた人々を死に追いやった」

 

 

 ああ、死ぬな。もう死ぬぞ。人々の前で希望は滅び、誰もが恐怖の中へと沈む。

 防げるものか。躱せるものか。魔群が放つ全力全開。これこそ最大出力なのだから、今のクロノには耐えられない。

 

 

「彼は呪うことを好んだのだから、呪いは彼自身に返るように。祝福することを望まなかったのだから、祝福は彼を遠ざかるように。呪いを衣として身に纏え。呪いが水のように腑へ、油のように骨髄へ、纏いし呪いは、汝を縊る帯となれ」

 

 

 集束する。無数の蟲が収束し、此処に奈落の毒は偽神の牙へと姿を変える。

 

 

「ゾット・ペウラット・ソテナイ・メエット・アドナイ・ヴェハドヴェリーム・ラア・アル・ナフシー」

 

 

 そして女の半身を侵す異形の銃口から、破滅の光は放たれた。

 

 

「レェェェストイィィィンピィィィィッス!!」

 

 

 大陸一つを消し去る威力のゴグマゴグ。完全詠唱と共に放たれるそれは、今度はロストロギアでも防げない。

 原爆よりも上なのだ。赤騎士よりも遥かに破壊力は大きいのだ。災厄級のロストロギアですら、真っ向から打ち合えば壊されるのだ。

 

 それ程の破壊。それだけの力の渦。降り注ぐそれを感知して、クロノは黙って空を見上げる。

 その表情に動揺はない。浮かべる余裕は揺らがない。分かっていたのだ。理解していた。必ず来ると、ならば対処は完璧だ。

 

 

「吐菩加身依美多女――祓い給え清め給え――多層結界“疑似・寒言神尊利根陀見”展開っ!!」

 

 

 アグスタの二の舞などさせはしない。展開された大規模障壁は、唯の魔法などではない。

 御門一門に幽閉されていた彼が、その優れた知能で受け継いだ古き知恵。陰陽術と魔法の合一が生み出したのは、膨大な密度の三層結界。

 

 嘗て神座世界には、陰陽術の極みと言える男が居た。

 星を一つ焼き尽すであろう母禮の一撃。それを次元断層を作り出す事で受け切った摩多羅夜行と言う男が居たのだ。

 

 クロノが生み出した三層結界は、魔法と陰陽術を用いたその再現。

 神の一撃を完全に防ぎ切るには足りずとも、魔群の攻勢を防ぎ切るには十分過ぎる物である。

 

 

(防がれたっ!? だけど、まだ優位はこっちに――)

 

 

 偽神の牙が防がれた。最大出力の攻略に、クアットロは表情を引き攣らせる。

 だがしかし、まだ敗れた訳ではない。一撃を防がれた程度で、距離は未だ大きく開いている。

 

 一度で通らぬならば二度、三度。あの結界が潰れる迄続ければ良いのだ。

 そう思考を改めたクアットロは次弾を放つ為に魔力を高め――その隙をクロノ・ハラオウンは見逃さない。

 

 

「数値を逆算。方向を予測。……其処か、万象掌握っ!!」

 

「っ!?」

 

 

 捕らえたと、クロノは会心の笑みを浮かべる。

 何故捕らえられたのだと、クアットロは困惑を顔に張り付ける。

 

 万象掌握によって強制転移させられたクアットロは、其処で万物の流転を見た。

 

 

万物は流転する(ΤΑ ΠΑΝΤΑ ΡΕΙ)

 

 

 轟と吹き荒れる魔力の竜巻。上昇気流とダウンバーストの無限螺旋。

 吹き荒れる自然の猛威に身体を引き千切られながら、クアットロの思考は混乱の極みにあった。

 

 

(何故!? 何故!? 何故!?)

 

 

 万象掌握。それは影響下にある対象を、支配し転移させる歪みである。

 その性質上格上相手には決して通じず、所か同格相手でも直接効果は発生しない。

 

 牽制に使いながらに、周囲の物や仲間を転移させる。

 戦域を支配する歪みであって、それ単独で敵を倒せる様な力ではない。

 

 だと言うのに――

 

 

(何故、私が、魔群がっ、抵抗すら出来ずに支配されているっ!?)

 

 

 魔群が転移させられた。世界中に散らばっていた保険も含めて、全ての蟲がクロノの前に集められた。

 その事実に恐怖を抱きながらも、何故そうなったのかと思考する。そうしてクアットロは、その事実に気付いた。

 

 クロノ・ハラオウンは、管理局の制服を着ていた。

 詰まりはそう。己の力を抑え付けて制御していた御門の拘束具を、彼は脱ぎ捨てていたのである。

 

 

「歪みの制御を、捨てたと言うのっ!?」

 

「……今回は、僕も全力を出すと言うだけの話だ」

 

 

 驚愕に引き攣りながら、風に蹂躙されるクアットロ。

 その無数の蟲を見下しながらに語るクロノの、唇からは血が一筋流れ落ちる。

 

 一体どれ程に、その内側は荒らされているのであろうか。

 自分の力に汚染されながらに、それでもクロノは全力を発揮すると決めた。

 

 故に此処に、この結果が生まれたのだ。

 

 

「だとしても、あり得ないっ!! この私を一方的に、同格相手にその力が通る筈が――!?」

 

「群体全部纏めて拾相当のお前と、個人の力量だけで拾相当の僕。それがどうして、同等と言える?」

 

 

 それが真実。魔群クアットロは、その膨大な数の全てを集めて漸く準・神格域だ。

 対してクロノは唯一人でその領域に居る。ならば小さき欠片を一つずつ、支配して転移させるのは簡単だ。

 

 如何に魔群が強大であれ、それを構成する虫の一匹一匹はクロノよりも弱いのだから。

 

 

(――っ!! 不味い不味い不味い不味い!?)

 

「親友曰く、僕の歪みは格下殺しだ。……その真価、精々味わって逝け」

 

 

 逃げようとして、だがもう逃走すらも叶わない。

 肉片一つに至る迄も支配された群体は、最早自由にすらも動けない。

 

 そんな女を風で縛って、そしてクロノは印を切る。

 不死身を気取るこの魔群を此処に、完膚なきまでに潰す為に。

 

 

「計斗・天墜――凶の果てに潰れて消えろ。クアットロ」

 

 

 訓練施設に星が落ちる。激しい揺れと轟音が、大地に巨大な破壊を残す。

 クアットロ・ベルゼバブは其処から逃れる事も出来ずに、破壊の凶星に押し潰された。

 

 

 

 

 

3.

「トーマ! トーマ!」

 

 

 何度、その名を呼んだであろうか。

 もう何度呼んだのか分からぬ程に、声が枯れ果てる程に呼び止めて、それでも言葉は返らない。

 

 声は届かない。言葉は届かない。想いは決して伝わらない。

 そうと分かって、そうと理解して、それでも白百合は呼び掛け続ける。

 

 

「トーマ! それじゃあ駄目っ! 止まって、トーマっ!」

 

 

 あの日は止められなかった。地獄が一番近い日に、何度声を掛けても無駄だった。

 嘗てに救いとなったのは、愛しい彼の先生だった。自分には無理なのだと、あの日に確かに理解した。

 

 だが此処に、彼の教師は居ない。そしてこの今に、彼を放っておいてはいけないと感じている。

 この先には救いがない。憎悪だけに染まっていって、夢さえ忘れてしまっては救いがない。どうしようもない終わりが待っている。

 

 滅侭滅相。その意志が生まれ始めている。許せない宿敵の存在を、許容する世界が許せないのだと。

 憎悪による存在の共鳴が、その力の無限強化を齎している。憎んだから強くなり、憎まれたから強くなり、際限なく強くなり続けている。

 

 その果てに至った時、生まれるモノは唯一つ。無限の力を以って、世界全てを滅ぼす邪悪だ。

 トーマが勝てば、彼はエリオを取り込むのだ。内にあるモノに向ける憎悪は極大までに膨れ上がり、彼は第二の波旬と成り果てる。

 

 

「トーマ!!」

 

 

 止めねばならない。それだけは、絶対に止めなくてはならない。

 止められるのはリリィだけで、此処に居るのは白百合だけで、なのに彼女の声は届かない。

 

 

「エリオォォォォォォォッ!!」

 

「トォォォマァァァァァッ!!」

 

 

 宿敵しか見えない。互いだけしか思えない。純化するとはそういう事だ。

 今のトーマにとって、エリオ以外の声など雑音でしかない。それは対となるエリオも同じ事、既にトーマの事しか考えられない。

 

 皆が幸福に生きれる世界を、そんな追いかけていた夢を忘れた。

 救われぬ人にこそ救いの手を、そんな目指していた天を忘れた。

 

 夢も祈りも渇望も、全てが憎悪に染まっていく。

 そんな渦中にあればこそ、乙女の声が届く筈がないのである。

 

 

「トーマ! トーマ! トーマ!」

 

 

 それでも呼び掛けるしか出来ない。声が枯れ果てても、止める訳にはいかない。

 

 そうして既に、一晩が明けていた。

 

 もう一夜に渡って少年達は殺し合いを続けていて、彼らは止まる素振りも見せない。

 もう一晩に渡って声を投げ掛け続けたのに、それでもリリィの言葉を届かないのだ。

 

 

『お前だけはぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!』

 

 

 身体が疲弊するよりも、強くなる速度の方が速い。

 闘志が萎えるよりも尚、憎悪が増す速度の方が速い。

 

 一晩と言う時間も、結局火に油を注ぐだけ。

 冷静になる事も出来ずに、堕ち続ける二人は最早止まれない。

 

 戦き叫び震えて堕ちろ。今こそ正しく怒りの日。

 高まり続ける力の桁が神のそれを超えて、世界に穴を開く瞬間も最早遠くはないのである。

 

 

「トーマっ!!」

 

 

 届かないと知って、それでも言葉を掛け続ける。涙を流す程に強く、心に想って言葉を紡ぐ。必死にそれだけを、彼女は強く続けていた。

 

 

「――っ」

 

 

 その想いが漸く通じたのか、トーマの腕が微かに鈍る。

 必死に呼び掛け続けたリリィの叫びは此処に届いて、僅かな反応が其処に生まれる。

 

 どうにかなるかもしれない。どうにか出来るかも知れない。

 そんなリリィの願いと希望。僅かに生まれた変化はしかし――

 

 

「邪魔をするなぁぁぁっ! 雑音がぁぁぁぁぁ(リリィィィィィィ)っ!!」

 

 

 返って来たのは拒絶の言葉。その声は意志を伴って、リリィの存在を弾き出す。

 高まり続ける力は既に白百合の助けなど要らない程に、なればこれは最早雑音にしか過ぎぬのだ。

 

 必死に言葉を続けるリリィは、トーマに拒絶されて追いやられていく。彼の心の片隅へと、押し込める様に追い出される。

 

 

「トーマ」

 

 

 涙と共に縋る言葉に、しかし何も返らない。

 少年たちは悪鬼の如き笑みを浮かべたままに、血塗られた闘争を続けるのだった。

 

 

 

 

 

 そして白百合は、只管に心の中を堕ちていく。

 奥へ奥へ奥へ、要らない物を閉まって置く場所へと堕ちていく。

 

 辿り着いた場所は夕陽の砂浜。黄昏色に染まった波打ち際で、リリィは一人膝を折る。

 

 

「トーマ」

 

 

 零れる名前は彼の物。落ちる滴は瞳から、唯々全てが悲しくある。

 こんなにも拒絶されて、それでも愛しいと想えている。大切なればこそ、彼に救いがないのが悲しいのだ。

 

 だけどもう届かない。傍に居る事すら出来ない。

 全てが破局するその瞬間を、この世界で見詰める事しか出来ないのか。

 

 涙が零れる。滂沱の如く零れ続ける。

 彼が救われない現実が、唯只管に悲しくあった。

 

 

「どうか泣かないで欲しい。花よ」

 

 

 涙に暮れる少女の前に、一つの影が姿を見せる。

 薄汚れた布一枚で姿を見せたその蛇は、彼にしては珍しい感情を見せている。

 

 

「……カリオストロ」

 

 

 何故だろうか、この男を知らないのに知っている。

 訳が分からぬ感情に、白百合は瞳を揺らしながらにその名を呼ぶ。

 

 呼ばれた男は何処か悲しげに微笑んで、彼女の前に跪いた。

 

 

「偽りの女神よ。美しき造花よ。君に涙は似合わない」

 

 

 疲れ果てた容貌の男の指先が、頬を零れ落ちる涙を拭う。

 その手が触れた瞬間に、何かが欠落した。そう感じたリリィは、その男の名前を忘れた。

 

 

「……貴方、誰ですか?」

 

 

 知っていた筈の記憶を失い、誰だか分からない男を見上げる。

 薄くぼやけたその姿は何一つとして理解出来ないが、これが良いモノとは思えない。

 

 だが、されど――必ずしも悪いモノだとも思えなかった。

 

 

「私の正体。私が何者か。サンジェルマン、パラケルスス、トリスメギストス、カリオストロ、カール・エルンスト・クラフト。どれも皆、私を指す名であるが此処は敢えてこの名を名乗ろう」

 

 

 見上げる白百合の姿に、水銀の蛇は言葉を返す。

 先に見せた僅かな感情は既に隠れて、此処に見せるのは嘗ての神としての姿である。

 

 

「私の名はメルクリウス。嘗て神座世界を支配した、第四の蛇の残滓である」

 

「メルクリウス」

 

 

 既に彼女の色を抜いた造花に、名乗る名前はこれが相応しい。

 そう名を告げたメルクリウスに、リリィはその名を鸚鵡返しに口にした。

 

 

「一つ問おう。偽りであれ、しかし美しい花よ」

 

 

 そんな彼女に問い掛ける。この今に問い掛ける言葉は、厳しい現実に基づいた冷酷な物。

 

 

「君の全ては偽物から始まった。その身は私の愛しい女神の影。全てが彼女の模造品でしかない」

 

 

 リリィ・シュトロゼックは偽物だ。嘗ての女神。その欠片から作られた造花である。

 その身にあったのは全て偽り。彼女の魂にまで焼き付いた記憶を、写し取って生まれただけの代物だ。

 

 だからこそこの今に、その色を失くしたからこそ問い掛ける。

 内にあった物を全て抜かれて、後に何も残っていないからこそ、水銀の蛇は問い掛けるのだ。

 

 

「そうと理解して、それを失った今となっても――君は彼を愛せるのかな?」

 

 

 トーマ・ナカジマを愛せるか。それは本当に愛だったのか。

 

 

「……私は」

 

 

 問い掛ける声に、リリィは思考する。激しい程の執着は、最早彼女の中にはなかった。

 それも当然だ。彼女の想いは偽りから始まった。刹那を愛した黄昏の模造だからこそ、刹那の転生体に惹かれたのだ。

 

 だから、それを失くした今に答えなんて決まっている。

 リリィ・シュトロゼックはメルクリウスの瞳を見詰めて、彼女の意志を此処に示した。

 

 

「トーマが好き」

 

 

 激しい執着はない。燃え上がる様な恋情はない。既に彼を愛した女神の想いは、この少女の中にはない。

 それでもあった。その恋情に比べれば遥かにちっぽけな想いでも、確かに変わらぬ暖かな物が胸にはあったのだ。

 

 

「始まりが偽物だったとしても、此処に在る想いは本物だから――」

 

 

 始まりは偽物だった。作られたばかりの無色な花は、黄昏の想いに釣られて彼を見た。

 見詰め続けた理由はそれだ。彼女の愛した男の果てを、彼女の模倣だから愛していた。

 

 だけど、今はそれだけじゃない。最初はそれだけでも、共に過ごした日々は無価値じゃない。

 共に笑い合う笑顔が好きだ。彼が零す涙が悲しい。見せる様々な表情に、どうしようもなく胸が締め付けられてしまう。

 

 だから、結論なんてそれだけだ。

 

 

(リリィ)(トーマ)が好きなんだ」

 

 

 リリィは確かに微笑んで、見詰める蛇を見返し告げる。

 その蒼い瞳に映る造花の少女は、偽りであっても確かに美しく咲いていた。

 

 

「結構。ならばその想い、忘れずに胸に刻み給え」

 

 

 蛇は少女の強い言葉に、満足気に言葉を返す。

 その想いを忘れるなと、そう口にしたメルクリウスは一つの場所を指で指す。

 

 それは黄昏の浜辺の先、この情景に似つかわしくない、そんな景色が続く場所。

 

 

「助けたいのだろう? 救いたいのだろう? 愛しい人を。ならば君には、会わねばならぬ者が居る」

 

 

 釣られてリリィも先を見る。見詰める先にある光景を、彼女は確かに知っていた。

 クラナガンの街並み。少年の心にあるその景色は間違いなく、彼が育った世界と同じ形をしていたのだ。

 

 

「愛する事。その感情を忘れずに、そこに居る男と言葉を交わしたならば――きっと、君の想いは届くだろう」

 

 

 救える可能性は其処にある。彼の想いを受け取った後に、ならばきっと届く筈。

 

 

「行きたまえ、リリィ・シュトロゼック。美しき造花よ。あの男が君を待っている」

 

 

 故に愛しているのなら、其処へ向かえと蛇は語る。

 リリィに逡巡も戸惑いもありはしない。彼の言葉に頷くと、黄昏色のクラナガンに向かって歩を踏み出す。

 

 その途中。

 

 

「ありがとうございます。メルクリウスさん」

 

 

 一度振り返って、深々とお辞儀をする。

 そうして踵を返した白百合は、今度は振り返らずに走り出した。

 

 

 

 その小さな背中を、メルクリウスは美しい芸術を見る様な瞳で見詰める。

 

 

「愛しい女神の、精巧な模造品。絵画や彫刻と同じ様に、素晴らしいし感動するがそれだけの物」

 

 

 彼にとってリリィとは、路傍の石ではないが大切と言う程の物でもない。

 しいて言うならば、愛しい女神を題材とした芸術作品。彼女を描いた絵画や彫刻。その程度にしか見ていない。

 

 素直に美しいと褒め称えよう。その出来の良さ故に、残して置きたいとも思うだろう。

 だが其処に感じる情はあくまで器物に対するそれだ。素晴らしい絵画を飾り褒める事はあっても、それ以上の価値などは感じまい。

 

 それが、これまでの少女への評価。だが少しだけ、この邂逅で評価が変わった。

 

 

「そんな少女が、自分を得た。確かに己と誇れる想いを、此処で私に魅せたのだ」

 

 

 生まれたばかりの小さな魂は、美しい器に相応しく美しい物だった。

 だからこそ、惜しいと想った。故にこそ、彼は此処に助力をするのだ。

 

 

「なればこそ、此処で潰えるのは余りに惜しい。故にこれが、私の最後の助力だ。トーマ・ナカジマ」

 

 

 リリィ・シュトロゼックは、この黄昏の浜辺で一つの想いを知る。

 そして示す答えを得た彼女を、彼の下へと送り返すのがメルクリウスの最後の助力。

 

 彼が最初に定めた三つ。祝福と忠告と助力は、これで全てが終わるのだ。

 

 

「残る役は最早なし、ならば後は見届けよう」

 

 

 故に残るのは、唯の観客となった神の残骸。

 最早役割を失った蛇の成れの果ては、何が起きようと全てを見届けるであろう。

 

 

「君が波旬と同じモノに堕ちるか。君が我が子へと戻るのか。或いは――新たな道を拓くのか」

 

 

 その舞台劇が喝采で終わる様にと、そんな風に願いながら。

 水銀の蛇は誰もいなくなった浜辺に一人、その背を見送り続けるのであった。

 

 

 

 

 

 そして、少女は其処で男に出会う。

 黄昏色のクラナガンを、見下ろす丘に彼は居た。

 

 

「貴方は」

 

 

 煙草を口に咥えた白髪の男。直接面識はなかったが、彼を通じて確かに知っている人物。

 美しい黄昏色の街並みを見下す男は、消えかけた半身を引き摺りながらに振り返ると、野太い笑みを浮かべて口にした。

 

 

「よう。初めましてだな。嬢ちゃん」

 

「……ゲンヤ、さん」

 

 

 リリィ・シュトロゼックは此処で、ゲンヤ・ナカジマに出会う。

 この出会いが一体何を齎すのか、今は未だ分からない。それで救いとなるのだと、決まっている訳ではない。

 

 

 

 奈落の訪れはもう避けられない。

 だが、それでも――奈落を抜けたその先にまで、救いがないとは限らない。

 

 故にこの出会いはきっと無価値ではない。確かな何かを遺すであろう。

 

 

 

 

 




〇もしかしたら、あり得たかも知れない幕間の出来事。

エリオ「墓を掘る時間くらいは待ってあげても良いんだが……さあ、どうするんだい?」
トーマ「エリオォォォォォォッ!! 墓掘って納骨するからお前も手伝えぇぇっ!!」
エリオ「ふぁっ!?」

二人揃ってお墓作りを終えた後、線香あげてから場所を移して殺し合いを再開した様です。




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第二十二話 埋伏の毒

副題
 だが、奴は弾けた!


1.

 ミッドチルダの東部に広がる森林地帯。その奥地に一つ、その研究施設は存在した。

 古くは最高評議会が、アルハザードの血族を作り変える為に用いた場所。ジェイル・スカリエッティが生まれた地だ。

 

 その成立故に、生命操作に特化した研究施設。今も尚、違法な研究が続いていた場所。そんな暗い施設の中を、ユーノスクライアは巨大な盾を背に駆け抜ける。

 

 青年の心には焦燥がある。地上本部の壊滅。今も其処で争う教え子の様相。己を蝕む愛する人の生んだ呪詛。理由を上げれば切りがない。

 だがそんな無数の懸念を大きく上回る程に、不安を掻き立てる要素がある。何よりもその異常に違和を感じていて、焦燥感は酷く強くなっていく。

 

 それは機動六課に対する物ではない。己よりも強いであろうエース陣は心配するだけ無駄であるし、隊舎が襲撃されたとしても悪友にして親友が護る限り遅れは取るまいと信頼している。

 トーマの身は心配だ。だが彼にはリリィが付いていて、今もティアナが近付こうとしている。師である己の出番は既になく、あったとしても弱り切ったこの身では近付く事すら出来ぬであろう。

 

 故にユーノが違和を感じているのは、己が体感するこの今だ。

 焦りを強く感じているのは、彼が突き進むこの施設が余りに異様を晒しているが故だった。

 

 

(おかしい。どういう事だ)

 

 

 進行速度と言う点で、遅れなどは一切ない。ユーノは並み居るエース陣の中でも、最も突出して攻略に成功している。それがおかしいのだ。

 

 高町なのはもアリサ・バニングスも、グランガイツ夫妻やシャッハ・ヌエラですら遅れている。

 それは彼らが担当した施設内にて、余りにも過剰な防備が用意されていた事が故であろう。

 

 無数の数で道を塞ぐ戦闘機人。プロジェクトFによって再現されたエース級の魔導師たち。

 高密度なAMF(アンチマギリンクフィールド)が魔法を阻害し、壁に刻まれた神字が歪みの効果を低下させる。そんな中で戦えば、如何に彼らであっても進行速度は遅れていく。

 

 だがユーノはその影響を受けていない。

 どころか、彼が担当した施設には、障害が何一つとして存在していなかったのだ。

 

 

(この施設は囮? それとも罠か何かか?)

 

 

 完全な捨て札、と見るにはおかしな所がある。この研究施設が生きていると言う点だ。

 無人の通路を照らす明かりも、部屋の中に立ち並んでいる培養槽も、全てがまだ機能している。追い詰められたから切り捨てたにしては、これは如何にもおかしい状態だ。

 

 だが、かと言って罠かと思えば、それにも違和感が残る。

 本気で狙いを隠したいなら、防衛機構の一つや二つは動かすべきだろう。

 他の場所と同程度の防衛機構があったなら、疑念を抱くまでもなく罠に掛かっていたのだから。

 

 

(狙いが読めない。一体、何を企んでいる?)

 

 

 最高評議会の狙いが見えない。一体何が隠れているのか、それがとんと分からない。

 いっそブラフを掴まされたか、そもそもこの研究所が全く無関係であったのか、そんな風にすら思えてくる。

 

 だが、これは先にユーノら零課が死に物狂いで集めた情報。

 それを解析した情報部門と、彼らに協力したジェイル・スカリエッティに対する不信だ。

 

 全く無関係だと言うならば、管理局の最高頭脳が気付かない筈もない。

 敢えて分かって紛れ込ませたのでもない限り、最高評議会と無関係な施設な訳はないのである。

 

 

(考えても、答えは出ないか。……昔ならいざ知らず、今は思考速度も落ちてるんだから)

 

 

 ユーノは魔法を失った。明晰な頭脳は残っているが、嘗ての様にマルチタスクは使えない。

 ましてや絶えず襲い来る激痛に耐えるこの現状で、走りながらに複雑な思考を維持する事などは出来ない。

 

 故に割り切る。異常と違和に焦燥を感じながらに、考えている余裕はないと足を進める。

 最低限、罠である可能性を後続に伝える。ナンバーズに搭載された電子装備でメッセージを送ると、ユーノは大盾を起動した。

 

 

「ナンバーズ起動。モードトーレ、ライドインパルス!」

 

 

 右手に握った大盾が動き出し、背中に生じるは翼の如き衝撃波。

 溢れ出す力に背中を押し出される様に加速して、ユーノは奥へ奥へと飛翔する。

 

 罠であるなら、先ず自分が先行して確認しよう。

 これ程に弱った今でも、一般の武装局員に劣る心算はない。あると分かっているならば、一人の方が対処は容易だ。

 

 そう思考して先へと進んだユーノ・スクライアは、程なくして施設の最奥へと辿り着いていた。

 

 

「これは、大型ガジェット!?」

 

 

 その大きな巨体の姿に、ユーノはライドインパルスを解除すると構えを取る。

 対エース用に開発された化け物兵器。その数が二十。左右の壁に寄り添う様にズラリと並ぶ。

 

 これが罠か。油断させて、戦力を全て一点に集める事が理由であったか。

 二十を超える怪物兵器が戦闘出来る程に強大な空間で、ユーノは冷や汗を流しながらに思考する。

 

 勝ち目は薄い。十二回しか発動出来ないナンバーズも、機械仕掛けの鋼鉄の腕も、兵器と言う分野でこれには劣る。

 それでも唯で諦める筈がない。勝機は皆無でないならば、対処の術など無数にある。姿勢を低くして構えを取った青年は、しかし直後にそれに気付いた。

 

 

「……動かない、のか」

 

 

 動かない。無数の兵器群が、全くと言って良い程に不動であった。

 恐る恐ると近付いて確認する。目で見ただけでは理解出来ないが、それでも一目で分かる程には壊れていない。

 

 何故に動かないと言うのか、やはり理解がまるで出来ない。

 どれ程に近付こうとも、どれ程に巨大な部屋を進もうとも、ガジェットたちは反応しない。

 

 

(なら、今の内に壊しておくか?)

 

 

 一瞬の逡巡。出た結果はやめておこうと言う消極的な否定解答。

 例え相手が機能停止状態であったとしても、今のユーノでは一騎壊すにも時間が掛かる。

 

 早く解決したいと言う焦燥に、残り十一というカートリッジ数。鉄拳は唯頑丈なだけの拳であって、特別な効果は何もない。

 手持ちの物では下手に突いて動き出されたら、それこそ惨事となるであろう。故にユーノは、其処で調査を優先した。

 

 

(動いてない物を壊すのも大変なら、動くまでは後回しだ。先ずはこの場所の意図を探ろう)

 

 

 そうしてユーノは、巨大な部屋を先へと進む。

 大空洞の如くに天蓋は遠く、一体何の為に作られた部屋かも分からない。

 

 左右に佇む動かぬ機械は、まるで道の左右で臣従する騎士達の如く。

 ならばこの歩む道の先には玉座か何かがあるのだろうか、とユーノは益体もない思考に苦笑する。

 

 警戒しながら進む歩は走るに及ばず、だが歩くよりは速い。

 何事も起きずに進んで行けば、果てに付くのはほんの数分。其処には一つ、異質な一つのそれがあった。

 

 

「本当、趣味が悪い。王の玉座とでも言う気かい」

 

 

 中身のない培養槽。記された表記は後半部分が削り取られているが、前半分は明白な形で残っている。

 オリヴィエ・クローン。嘗ての聖なる王が生まれた場所も即ち此処に、この培養槽こそ玉座を意識した物なのだろう。

 

 不快な感情で眉を顰めたユーノは其処で、ふと上部に何かがあると気付いた。

 培養槽の上部に当たる部分を、懐から取り出したペンライトで照らす。其処にあったのは、少し大きめな機械モニタ。

 

 

「培養槽に、モニタ? 一体、何の為にこんな物――」

 

 

 そんなユーノの当然の疑念。それに答えが出る前に、モニタに青い光が灯る。

 触れてもいないのに動き出した機械に、最大限の警戒を向けたユーノは其処に見知った人の顔を見た。

 

 其処に映っていたのは、白衣の男。

 この場所が怪しいのだと、情報を解析した男。

 

 管理局が誇る、次元世界で最も狂った賢者である。

 

 

「ジェイル・スカリエッティ」

 

〈恐らく、此処に来るのはユーノ。君になるだろう。考える必要すらなく、それは当然と言えば当然の結論だ〉

 

 

 画面に映る男の言葉に、ユーノは僅か疑念を抱く。

 その反応に気付いていないのか、流れる映像に変化はない。

 

 

(これは……録画した映像か)

 

 

 画面の前で軽く手を振り、それでも反応がない事に確信する。

 今流れている映像は今よりずっと以前に撮影された物で、映る男の発言は先を予想した物なのだと。

 

 

〈今頃君は、これは何だと疑念に思っているであろう? 何故私がこんな記録を残したか、一体どうしてと疑問に思っている筈だ〉

 

 

 映像越しだと言うのに、スカリエッティはまるで直接見ている様に心情を見通す。

 その優れた頭脳によって、全てを見抜いているのだろう。きっと全てを予想していたのだ。

 

 ユーノ・スクライアが此処に来る。それは彼ならば、予測するに容易い事。

 ミッドチルダの東部に対象が一ヶ所だけ、そんな状況ならばクロノ・ハラオウンは最も信頼する友に其処を任す。

 

 ユーノがこの映像を見た時に疑問を抱くであろう事。それさえ予想するのは簡単だ。

 友と呼び合う仲にあっても、この狂人の胸中は揺るがない。彼は友誼を抱いた相手を、同時に測り続けていたのだ。

 

 

〈その君の疑念に、友として嘘偽りなく答えよう。簡略なまでに唯一言で全てを語るとすれば、即ち――〉

 

 

 優れた研究者としてその胸中を予測して、見切った内心に友として言葉を贈る。

 此処に偽りなどはない。此処に虚言などは入らない。彼の求道に誓って、決して嘘は一つもない。

 

 故に、それは真実。紛れもない事実こそが、そうなのだ。

 

 

〈これは遺言だ〉

 

 

 ジェイル・スカリエッティは死んでいる。

 機動六課が設立するよりも前に、この男は死んでいた。

 

 

〈君がこれを目にした時、私は既に死んでいるだろうからねぇ〉

 

 

 その事実に驚愕するユーノに対し、画面の向こうに映った故人は嗤いながらに答えを口にするのであった。

 

 

 

 

 

2.

 魔法と陰陽術によって守られた隊舎を背に、提督服のクロノは思う。

 胸中に抱いた不安は壊滅した地上本部に、今の自分でも接近を躊躇う程の力が其処に渦巻いている。

 

 

(ティアナ。無事でいてくれよ)

 

 

 あの場所へと向かっている妹の身を案じる。

 本来ならば自分が向かうべきだろうが、予言を考えるとこの場から動く訳にもいかなかった。

 

 魔群は封じた。未だ生き汚く足掻いているが、計斗・天墜に潰され自由はない。

 予言者の著書(プロフェーティン・シュリフテン)を信じるならば、埋伏の毒たる魔鏡もいよいよ動くであろう。

 

 クロノが制限を解除した理由がそれだ。

 反天使を二柱。同時に敵に回すと想定したからこその全力全開。

 

 当然の如く反動は大きい。今も吐血しながらに、それでも魔群を殺し切れていなかった。

 

 

「不死を語るだけあって、僕では殺せない、か」

 

 

 隕石が落ちた訓練場。大地に空いた大穴と巨大な岩の隙間から、逃げようとする羽虫を一匹ずつ潰して行く。

 切りがない。底が見えない。魔群は正しく不死であって、特別な武器がなければ殺せない。そしてクロノに、不死者殺しの武器はない。

 

 

「だが、まぁ良い。死なないと言うなら、欠片も残さず磨り潰すまでだ」

 

 

 ならばこれは我慢比べだ。支配されるクアットロの生き汚さと、クロノの気力の競い合い。

 当然、負ける心算などはない。この今になっても逃げる事しか考えていない相手に対し、クロノが負ける道理はないのだ。

 

 クアットロは消滅しない。だが必ずや敗北する。

 この女ではクロノに勝てない。単純な話、心の在り様で負けている。

 

 故に――

 

 

「がぁっ!?」

 

 

 クロノ・ハラオウンが敗北すると言うならば、それは外からではなく内の毒が理由となるのだ。

 

 

「なん、だっ、これはっ……」

 

 

 口から大量の血を吐き出して、クロノは全身に感じる痛みに呻く。

 

 クアットロに毒を仕込まれたか? いいや違う。体内で暴れ狂っているのは蟲ではない。

 身体の調子がおかしい。身体の中にある機械部分が異常を発して、残った血肉部分を責め立てている。

 

 一体何が起きているのか、答えを出せないクロノ・ハラオウン。

 そんな彼が結論に至るよりも尚早く、次なる異常は其処に訪れた。

 

 

「っ!?」

 

 

 感じる重圧。重力ではないその重さに、クロノは大地へ叩き落される。

 地面に崩れた青年の瞳に映るのは、薄っすらと淡く輝く六課隊舎。其処に刻まれているのは、間違いなく御門が用いた神字であった。

 

 

(これはっ、あの日に刀自殿が使った呪術と同じっ! 高位の歪み者を封じる陣かっ!?)

 

 

 歪みが封じられる。クロノが来ていた呪服よりも尚強い力に、その異能が全て封じられる。

 

 神字による歪みの妨害は当世、然程珍しくはなくなった。

 とは言え、それも基本は等級を一か二程劣化させる程度。大型の魔力炉を直結しても、それが限界なのだ。

 

 だがこの今に、クロノ・ハラオウンの歪みは全て封印された。

 零等級相当にまで落とされて、これ程の封印術は嘗ての御門顕明のそれをも超えている。

 

 その原因が文字にあると、そう考えるのは当然だ。

 今も力を発揮して輝き続けるこの土地に、理由がないと考える方が不自然だろう。

 

 

(何故これが六課にっ!? 一体何時から、仕込まれていたっ!?)

 

 

 こんな物、量産できる筈がない。一日二日で用意出来る物でもない。そして誰にでも出来る事でもないのだ。

 分かる事は一つだけ、これを仕込んだ人間が誰かは分かっている。これを仕込める男は、奴しかいない。他に候補など、一人として居ないのだ。

 

 

「貴様がっ、此処で裏切るかっ!? ジェイル・スカリエッティィィィっ!!」

 

 

 文字通り血反吐を吐いたクロノの言葉に、訪れた男は笑みを零す。

 狂笑を顔に張り付けた白衣の男は、クロノの言葉を認める様に声を発した。

 

 

「ああ、そうだとも――私の仕業だよ。クロノくん」

 

 

 ジェイル・スカリエッティ。この男こそ埋伏の毒。

 覚悟して飲み干した人間すらも、その毒で呪い殺す悪魔の王。

 

 そして、このミッドチルダで起きた全ての黒幕だ。

 

 

「済まないねぇ、クロノくん。君に恨みはないんだが、その歪みは邪魔なんだ」

 

 

 そう。この男が黒幕だ。レールウェイ襲撃から続く、全ての事件の絵図面。その全ての裏には必ず、ジェイル・スカリエッティの意志があったのだ。

 

 

「そんな訳で、此処で潰れて貰おうか」

 

 

 満面の笑みを浮かべて、両手を広く掲げる白衣の狂人。

 指揮者を気取る男に応える様に、浮かぶ機械の群れが現れる。

 

 無数のガジェットを背後に浮かべて、白衣の狂人は気狂いの笑みを浮かべて嗤うのだ。

 

 

「一体、何時から裏切っていたっ!!」

 

 

 崩れ落ちたクロノは問う。答えを返す意味などないと、理解しながらに問い質す。

 

 

「一体、どうやって、思考捜査を欺いていた!?」

 

 

 一体何時から、一体どうやって、そう疑問を抱くのも当然だ。

 機動六課に配属されたその日から、スカリエッティは厳しい制限下にあった。

 

 監視は完全で事件を起こす隙などなく、何かを企んだとしても思考を暴かれる。

 三日に一度のペースで頭の中身を晒されるのだ。裏切る所か、裏切る事を考えた時点で処分が下る。

 

 そんな状況を如何にして、この男は超えたというのか。当然抱いた疑問を口にするクロノ。

 普通に考えて答えが返る筈などないが、お喋りなこの男なら例外もあり得る。故に打算交じりでの問い掛けに、期待通りに狂人は笑顔で答えを返す。

 

 

「ふむ。まぁ、良いだろう。冥土の土産と言う物だ。……セオリー無視は、演出として無粋だからねぇ。答えようとも話そうともさ!」

 

 

 研究者はお喋りなのだと、そう語ったのはこの男である。

 その言葉は彼自身にも適用される。この男は結局の所、本質的に自慢したがりなのである。

 

 故に彼は答えを返す。口にする言葉に、嘘偽りなどはない。

 

 

「裏切ったのはたった今。欺いた事など一度もない」

 

 

 それも真実だ。何時からと言う問いに答えは今と、思考捜査を欺いたという答えに欺いてはいないと。そうとも、それは真実だ。

 

 

「な、に……なんだ、それは?」

 

 

 訳が分からない。意味が分からない。たった今に裏切ったと、それはどういう事なのか。

 己の吐いた血に染まって、唖然とした表情を浮かべるクロノ。そんな彼を狂った笑顔で見下して、スカリエッティは本心からに言葉を語る。

 

 

「当然だろう。()()()は知らなかった。ほんの数日前までは心の底から、君達の仲間の心算だったさ」

 

 

 裏切る心算などなかった。そんな算段などなかった。心の底から、誓って全て真実だ。

 この一連の事件の黒幕はスカリエッティだが、此処に居るジェイル・スカリエッティはつい先日まで知らなかったのだ。

 

 自分が黒幕である。そんな事実すら、この男は知らなかったのだ。

 

 

「だが、駄目だ。これはいけない。こんなにも好機が来てしまったら、ああ、裏切らずには居れんだろう?」

 

 

 だが気付いた。分かってしまった。今動けば、長く夢見た理想が叶う。

 この今にクロノ・ハラオウンを潰してしまえば、最早誰にも止められない。

 

 失楽園の日を迎えた先に、真なる神殺しが生まれ落ちる。

 生まれ落ちた神を殺す神はその力を以って、旧時代の神々を弑逆するのだ。

 

 たった一手でそれが為せる。そう分かってしまったから、動かない事など出来なかった。

 正義の味方を張るのは終わりだ。所詮その身は狂った求道者。ならばその求道の果てを垣間見て、動かぬ理由がある筈ない。

 

 

「済まない。ユーノ。ごめんね。トーマ。だが私はどうにも、我慢が出来ない性質(タチ)なんだ! ()()()にこんなにもお膳立てをされてしまえば、嗚呼、どうして我慢が出来ると言うっ!?」

 

 

 あんなにも心を砕いて、必死になってくれた師弟に詫びる。

 そうとも友誼は感じている。改心したと言える程には、その想いに感動した。

 

 だがしかし、この男はジェイル・スカリエッティなのだ。

 狂った求道者に過ぎない研究者が、抱えた二粒の宝石程度で生き方を変える筈がない。

 

 

「真実はたった一つ。私は何も知らなかった。……しかし、この状況の全ては私が意図した物だった」

 

 

 それが真実。それが事実だ。

 黒幕はジェイル・スカリエッティ。彼は知らぬ間に、全ての黒幕となっていた。

 

 知らないのだ。ならば当然、思考捜査で暴ける筈がない。

 裏切る心算などなかったのだ。だから当然、その策謀を暴ける筈がない。

 

 だからこそ、この結果は当然なのだ。

 

 

「ならばそうとも、求道者として答えよう。神殺しの誕生を此処に、全て果たすとしようじゃないかっ!!」

 

 

 笑う。嗤う。哂う。狂った様に、喜ぶ様に、涙を流す様に笑う。

 己の求道の為に全てを捨てて、そんな狂人は此処に告げる。神殺しの誕生を、失楽園の日の到来を。

 

 

「そんな訳でクロノくん。君にはここで、退場してもらおう」

 

「っ!!」

 

 

 邪魔なのだ。一番邪魔なのは、この青年一人なのだ。

 クロノ・ハラオウンの歪み。万象掌握。格下では一切抵抗できぬその力。

 

 先に見せた様に、全力を出せばクアットロですら封殺する。

 反天使三柱が揃わねば、決して訪れぬ失楽園の日。それをこの男は、僅か一手で崩せるのだ。

 

 どんなに慎重に策を進めても、直前にクロノがクアットロを転移させればそれで終わりだ。

 だからこそ、最初に必ず潰す必要があった。クロノ・ハラオウンだけは取り除かねばならない。その為にこそ、幾つもの罠があったのだ。

 

 

「抗っても無駄だよ。歪みは封じた。AMFも展開した。……それに、ね」

 

 

 歪みは最早使えない。この領域内で、その力は全て封印された。

 空に浮かぶガジェットがAMFを展開している。複雑な魔法は一切使用できない。

 

 そして、埋伏の毒はそれだけでは済まない。

 スカリエッティが裏切るとは、それだけでは済まない事なのだ。

 

 

「一体誰が、君を作ったと思っているのかね?」

 

 

 クロノ・ハラオウンを戦闘機人に変えたのは、ジェイル・スカリエッティに他ならない。

 

 

「当然安全装置はある。体内の小型魔力炉。実は特殊な信号一つで、連鎖反応を起こすんだ」

 

 

 手元で弄ぶのは一つのリモコン。ボタンを一つ押すだけで、魔力炉は暴走する。

 内にある魔力炉の暴走は爆発となり、体内で弾ける力に青年の身体は爆発四散するのである。

 

 

「詰まりは、爆発するんだよ。さぁ、華々しく散り給え――どかぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」

 

 

 狂った様に嗤いながら、スカリエッティはボタンを押す。

 余りにもアッサリと、爆破ボタンのスイッチを押したのだった。

 

 

 

 一秒。二秒。三秒。

 周囲に響く轟音はなく、力の集束すらも起こらない。

 

 

「……おや?」

 

 

 間違ったかな、と首を傾げる白衣の男。

 予想と違う結果に悩む男を前に、クロノはその手に一つのデバイスを展開していた。

 

 

「デュランダルっ!!」

 

 

 それは氷杖デュランダル。現代のロストロギアと言われる特化型のデバイス。

 懐かしさすら感じる黒衣のバリアジャケットを展開して、杖を構えるクロノの表情は酷く険しい。

 

 そんな彼を見下しながらに、スカリエッティは理解する。一体何をして、強制爆破を逃れたのかを。

 

 

「成程、暴走直前に魔力炉を凍結させた、か。……確かにそのデバイスなら、この高濃度AMF下でも凍結魔法は使用可能だろう。そういう風に作ったからねぇ」

 

 

 体内で凍結魔法を使用した。それがクロノの対処であった。

 デュランダルはエターナルコフィンの使用に特化したデバイスだが、それしか出来ないと言う訳ではない。

 

 その適正は凍結魔法に偏っているが、それでも最低限の魔法は使える。

 デバイスとしての質も最高峰であるが故に、AMF制限下でもバリアジャケットと氷結変換の魔法くらいは使えるのだ。

 

 

「だがそれで、どうしたと言うのかね? 君はもう、終わりだ」

 

 

 だが、それだけだ。デュランダルで出来る事など、それしかない。

 クロノは歪みを封じられ、戦闘機人としての性能を失った。残るは最早、氷結魔法とバリアジャケットくらいである。

 

 それだけで打ち破れる程に、この狂人が仕掛けた罠は甘くはない。

 

 

「……舐めるなよ。スカリエッティ」

 

 

 だが、クロノはそれでも強く語る。多くの人が見てるのだ。決して泣き言は口にしない。

 

 

「歪みを封じた。だからどうした? 戦闘機人としての能力を奪った。それがどうした!? 魔導師としての力の大半を封じた。それで、だから、諦めるとでも思ったかっ!!」

 

 

 彼は嘘吐きの英雄だ。どれ程に辛い状況でも、笑みを浮かべて軽々と為すのだ。

 彼は嘘吐きの英雄だ。苦悶や絶望を仮面で隠して、その背を見る人々の胸に希望の光を灯すのだ。

 

 そうとも、それくらい出来ずして、一体何が英雄だ。

 

 

「温いんだよ! この程度ぉっ!! 僕を止めるには、まるで足りんっ!!」

 

 

 立ち上がり、クロノ・ハラオウンは強く叫ぶ。

 そうとも、これより辛い地獄は通った。ならばこの温さでは止まらない。

 

 そんな嘘吐きの英雄の姿に目を細めて、スカリエッティは満足した様に頷いた。

 

 

「成程、然りだ」

 

 

 認めよう。これだけでは足りぬだろう。

 クロノ・ハラオウンの心を折るには、未だまるで全てが足りていない。

 

 

「だがクロノくん。これで仕込みが全てと、そう思われるのは不快だねぇ」

 

 

 だが、これだけではない。この狂人の執念は、こんな物ではないのである。

 

 

「言っただろう。もうチェックメイトなんだよ。……そうだろう、クアットロ?」

 

「ええ、ええ、ええ、そうですとも、ドクター!!」

 

 

 歪みが封じられたという事は、この女が動き出すと言う事も意味している。

 久しく会えた愛しい親の姿に笑みを浮かべて、クアットロ=ベルゼバブが動き出す。

 

 

「やはり貴方は最高です。その叡智は並ぶ者なく、その策謀からは誰であろうと逃れられない! そうですとも、貴方が間違いなくドクターなのよ!!」

 

「君に保証されると、自信が持てるねぇ。……一応確認だが、やはり君は裏切ってなど居なかったんだね?」

 

「勿論ですわぁ。私がドクターに牙を剥く筈など、天地が引っ繰り返ってもありえません。私は貴方の、忠実なる臣下で娘で作品ですものぉ」

 

 

 茶髪の女が纏わり付いて、愛しい者に触れる様に狂人の身体を撫で回す。

 そんなクアットロの髪を優しく梳きながら問い掛けるスカリエッティの言葉に、彼女は満面の笑みで頷いた。

 

 

「裏切ったのはエリオだけ。アストもナハトもこちら側なのに、それにも気付かずあの子ったら。ほんっと嗤いを堪えるのが大変だったわぁ」

 

「……そうか、あの子だけか。少し、残念だ」

 

 

 裏切っていたのはエリオだけ。裏切った心算になって、その実、掌の上だった道化一人だ。

 その事実を満足気に話すクアットロは、父の嘆きに気付かない。反意こそを成長の証とした男の嘆きを、彼女は違う物と捉えた。

 

 

「ご安心を、ドクター。裏切り者も既に貴方の策の内、最早逃れる術はありません」

 

()()()の策だよ。クアットロ」

 

「いいえ、違いなどありません。貴方が、貴方だけが、貴方こそが、私のドクターなのだから」

 

 

 的外れなその発言に、スカリエッティは苦笑を漏らす。

 優しく髪を梳く父に誤魔化されながら、クアットロ=ベルゼバブは保証した。

 

 己の策を進める為に、一度の死を受け入れた白衣の狂人。

 己と前の己を分けて捉える男に、彼は確かに己の父であるのだと、娘は抱き着きながらに甘く囁くのだ。

 

 

「ジェイル・スカリエッティ。貴様はっ!?」

 

「君達の敗因は、()()()の執念を甘く見た事だ。自決してでも、神殺しを為そうとしたその執念を、ね」

 

 

 機動六課の敗北理由は、たった一つそれだけだ。

 

 執念の差。意志の違い。何時か未来に託した彼らと、この今に全力で求道を求めた男。

 後者は望みを果たす為に己の命すらも捨てたのだから、前者が遅れを取るのは当然なのだ。

 

 

「さあ、潰しなさい。クアットロ。……彼が終われば、失楽園の日を阻める者などもう居ない」

 

「はーい。ドクター。お任せあれぇ」

 

 

 力の多くを封じられ、残された氷杖を握る黒衣の青年。

 唯の魔導師以下の力しか持たない今の彼に、最低の反天使である魔群が迫る。

 

 

「うふふ。ふふふ。ふふふふふ。歪みは使えない。身体の中にある機械は邪魔をする。残ったのは少しの魔法。そんな状態の魔導師なんて、甚振り殺すのは簡単よねぇぇぇ」

 

 

 先の恨みを此処で晴らそう。クアットロは粘着質なのだ。

 この女は一度として、与えられた痛みを忘れない。こうも優位に立ったならば、その仕返しをするのは当然だ。

 

 

「……だから、僕も言っただろうがっ!」

 

 

 勝機はない。だからどうした。

 敗北しかない。それがどうした。

 希望などはない。いいやそんなのは嘘なのだ。

 

 例え絶望の只中にあっても、希望の光は必ずある。

 そう信じて生きて戦い抜いた男である。ならばクロノが諦めるには、何もかもが足りていない。

 

 

「丁度良いハンデだ! この僕を、クロノ・ハラオウンを舐めるなよっ!! スカリエッティっ!! クアットロっ!!」

 

 

 無数の罠を操る狂人。高笑いする不死身の魔群。

 その双方を相手にして、黒衣の魔導師は強く示す。

 

 果てに敗北しかないと分かっても、その最後までクロノは決して諦めないのだ。

 

 

 

 

 

3.

 東部にある生体研究所。此処はその実、最高評議会とは何の関係もない施設である。

 嘗ては関係していたのだが、それは遥か昔の話。スカリエッティが生まれ育った後は、彼の研究所となっていた。

 

 故にこれは、ジェイル・スカリエッティが仕込んだ偽りの情報。ユーノ・スクライアを孤立させる為だけに、彼が仕込んだ策である。

 

 

〈さて、何から話した物か。語る物が多過ぎて、上手く説明できそうにない。だから一つずつ、順を追って語るとしよう〉

 

 

 その目的は唯一つ。友への恩義だ。

 これより死ぬであろうスカリエッティが、遺した真実が其処にある。

 

 そうと理解した訳ではないが、ユーノは居住まいを直して言葉を聞く。

 友と呼び合った男の真剣な表情に、真っ向から向き合う必要があると悟ったのだ。

 

 

〈私の望みは神殺しの誕生にある。それは君も知っての通りだ〉

 

 

 そんな彼に向かって、記録の中の男は語る。

 それは彼の目的。狂人が何を望み、何を為そうとしたかの述懐。

 

 

〈その上で語るが、単純な話。時間がなくなった〉

 

 

 神殺しを作らねばならない。それが男の求道であり、生涯の目的の全てである。

 だがしかし、その為の時間が足りない。このまま太極の完成を待っても、まるで届かないと分かってしまった。

 

 だから、それが必要となったのだ。

 

 

〈加速させる必要が生まれた。その為に手段は選べない。そうした果てに思い付いたのが、最終計画(ラストプラン)失楽園の日(パラダイスロスト)だ〉

 

 

 パラダイスロスト。それこそジェイル・スカリエッティの見出した最後の可能性。

 反天使三柱。生み出したダスト・エンジェルズによる奈落の創造。その果てにこそ、神殺しは生まれ出でる。

 

 

〈三柱の反天使の共鳴。それが真なる神殺しを生み出す奈落を作る。世界を地獄に堕とす事で、其処に萌芽は花を開いて実を結ぶのだ〉

 

 

 その絵図は完成した。その計画は既に練られた。だが一つ、未だ足りない事がある。

 用意された策を遂行する為に、失楽園の日を成立させる為に、絶対に排除しなければいけない男が居た。

 

 

〈だが、それには障害が存在した。たった一人だけ、存在するだけで破綻させる歪み者が居たんだよ〉

 

 

 クロノ・ハラオウン。万象掌握と言う歪みを持つ、最高規模の歪み者だ。

 単純な力量が問題な訳ではない。強制転移。その異能の特性が問題なのだ。

 

 ミッドチルダ内で、双子月の魔力を利用して、三柱の反天使が共鳴する事。

 それがパラダイスロストの前提条件で、その何れかが狂えばその瞬間に破綻する。

 

 クロノはそれを一手で崩す。クアットロを適当な無人世界に飛ばすだけで、スカリエッティの野望は砕けるのだ。

 だからこそ、クロノ・ハラオウンが邪魔だった。必ず排除しなければならないと思う程に、この青年だけが邪魔だった。

 

 

〈如何にかせねば、先ずは彼を排除せねば、だがしかし、これが中々に難しい〉

 

 

 故にこそ思考は其処に帰結する。ジェイル・スカリエッティの全霊を以って、如何にかクロノを潰さなければと。

 

 

〈力で押そうにも本人は強く、また最高評議会も彼の欠落を望まない。如何にか孤立させた上で、確実に排除できる機を待つ必要があったんだ〉

 

 

 その為に用意した無数の技術。御門の秘術を解明して、歪みを封じる力場を作った。

 その為に戦闘機人の部分に干渉する装置を作り出して、何時かの為にと無数の罠も用意した。

 

 それでもそれを活かす機会がなかった。ジェイル・スカリエッティは警戒されていたからこそ、罠を仕込む余地がなかったのだ。

 

 

〈だが搦め手の為に近付こうにも、彼は警戒心が強いからねぇ。六課に参加しようと声を掛けてみたら、思考捜査の強制を条件とされた。裏切る心算がないなら、頭の中身を暴かれても問題ないだろう、とね〉

 

 

 機動六課の結成を耳にして、丁度良いと売り込んでみた。

 そんな彼に返された拒絶の言葉がそれだ。思考捜査を受けない限り、仲間としては認めないと言う発言だった。

 

 

〈困った。実に困った。思考捜査の本質が分からぬ以上、どう欺いた物かとね〉

 

 

 怪しまれる事に否はない。当然なのだ。確かに狙っているのだから。

 

 だがしかし、スカリエッティとしても此処では退けない。

 如何にかそれを欺けば、逆に全幅にも近い信頼を得られると分かったからだ。

 

 

〈表層心理を探るだけなのか、深層心理も明かされるのか、或いは魂すらも暴かれるのか……ヴェロッサ君も用心深くて、どうにも話してくれそうになかったからねぇ〉

 

 

 思考捜査の本質は分からない。無理に探ろうにも、相手もそれは警戒している。

 

 スカリエッティに与えられた時間も少なかった。

 協力する気があるなら二十四時間以内に思考捜査を受けろと、それは余計な事をされない為の対策だったのだろう。

 

 

〈情報を探ろうにも限界がある。魔鏡に洗わせる事も出来たが、その時期は未だ動かしたくはなかった。故に、だ。私はこう結論付けたんだ〉

 

 

 考えた。考えて考えて考え抜いた。

 アストは動かせない。ヴェロッサは探れない。

 

 ならばどうすれば良いか――答えは気付いてみれば、余りにも簡単な物だった。

 

 

〈何だ。死ねば良いじゃないか、と〉

 

 

 画面の向こうで狂人が笑う。

 それで全てが解決だと、当たり前の様に彼は笑って口にした。

 

 己が死ぬ理由。それで全てが解決する訳を。

 

 

〈詰まりはそう。思考捜査がどんな能力だったとしても、絶対に分からない状態になれば良いのだ!〉

 

 

 深層心理を見る力でも、魂を暴く力でも、見付け出せなくなれば良い。

 それを出来るだけの用意は既に万全で、後は実行に移せば直ぐに結果は訪れる。

 

 ならばどうして、それを為さない理由があるか。

 

 

〈肉体の記憶を消しても、残ったシナプスを再構成される恐れがある。故にプロジェクトFの技術を使って、私のクローンを生み出した!〉

 

 

 元々、求道の半ばで死んだ時用に、クローン体は作っていた。

 その記憶を微調整して、必要な物だけに制限すれば良いだけ。

 

 スカリエッティならば、数分と掛からず終わる作業であった。

 

 

〈魂の器を写しても、中身を暴かれる危険は残る。故に魔鏡の力を使って、私自身の魂自体を改竄加工すると決めたのだ!〉

 

 

 そしてアストに命じて、己の魂すらも加工する。

 中にある記憶を消し去って、隠したい事を忘れた中身(タマシイ)(クローン)に移植するのだ。

 

 だがそれは、身体を入れ替えるだけでは済まない。

 フェイトとアリシアが別人であった様に、今のスカリエッティと次の彼は別人となるだろう。

 

 

〈私は一度死ぬ。己の求道を果たす為に、此処に命を終えるのだ!!〉

 

 

 連続した自我は其処で失われ、ジェイル・スカリエッティは其処で死ぬのだ。

 それが分かって、それでも為すのがこの狂人だ。そうとも己の命など、当の昔に求道に捧げていたのだから。

 

 

〈生まれ落ちる次の私は、私の理由など知らない。当然だ。そんな記憶など与えないっ!〉

 

 

 此処に生きて死んだスカリエッティが遺した罠を、次のスカリエッティは知らないのだ。

 知らないから見抜けない。どんなに思考を暴かれようとも、隠した真実が露見する事などあり得ない。

 

 

〈それでも生まれ落ちるのは私だ。ならば次の私が、今の私の意図に気付けぬ筈もない! 仮に気付けないとしても、魔鏡を動かせばそれで済む!〉

 

 

 その上で、次の己の行動を全て予測する。

 こうすれば丁度良いタイミングで気付けるだろうと、幾つもの布石を後へと遺す。

 

 クロノを封じた六課の罠もその一つだ。

 

 建設時の設計として今のスカリエッティが遺した物は、それ単独では意味がない。

 次のスカリエッティが作るであろう魔群対策の視覚妨害。それを加えるとそれだけで、神字として機能する様に作ってあった。

 

 魔鏡はいざと言う時の保険だ。そして終わりの時の訪れを告げる使者でもある。

 彼女が次のジェイルを目覚めさせ、パラダイスロストは完成する。次のスカリエッティが動くその時こそ、失楽園の日の始まりなのだ。

 

 

〈完璧だ。あらゆる要素が言っている。私が死ねば、神殺しは生まれるのだと〉

 

 

 この策は崩せない。この謀りは超えられない。

 例外があるとすれば僅か二人。彼の予想を超えた神の子と、彼の首輪を食いちぎった悪魔の子。

 

 だが彼らもまた、最後の詰めを誤った。

 憎悪に沈んだ対の子らは、最早この男の掌中からは逃がれられない。

 

 その為にこそ、共鳴と言う現象を仕込んだのだから。

 

 

〈だから死のう。だから消えよう。生まれ落ちる最高傑作の為に、ジェイル・スカリエッティを終わらせよう〉

 

 

 己の死を前にして、スカリエッティは恐怖を感じない。

 抱く情は歓喜だ。喜びだけがある。歓喜以外に存在しない。

 

 何故ならば、この命を捧げるだけで、この願いが叶うと言うのだから。

 故に待たない。故に止まらない。この狂人は嗤い狂って死に絶えて、その死後に全てを崩すのだ。

 

 

〈そう決めた時にね。一つ思い出したんだ〉

 

 

 だが一つだけ、其処に余分な色が混じる。

 それは甘さだ。求道者でしかない男が捨てきれない、そんな甘さ。

 

 

〈私を信じると語った君の瞳。その眼に飲まれた時を、確かに此処に思い出した〉

 

 

 高町なのはが死した時、ユーノ・スクライアは心の底から彼を信じた。

 柄にもなく本気で手を貸したいと思える程に、彼の対応はスカリエッティを揺るがせたのだ。

 

 そうなったのは、彼を初めて信じた少年がユーノだったからだろう。

 ジェイル・スカリエッティと言う男はきっと、それより以前に彼に憧れていたのだから。

 

 

〈あの時よりも前、それよりも前に、私は君に魅せられていた〉

 

 

 魅せられたのはあの時だ。時の庭園。大天魔に立ち向かう小さな背中。

 叡智がある訳じゃない。異能がある訳でもない。そんな子供が、逃げずに向かった。

 

 その姿に魅せられて、その在り様に憧れたのだ。

 自分はそうは成れないが、それでもそれは美しいと。

 

 だからこそ、そんな彼に信じられて、柄にもなく嬉しくなった。

 そんな彼と友になったからこそ、ジェイル・スカリエッティは此処に言葉を遺すのだ。

 

 

〈だから、此処に遺した。だから、君に遺した。この遺言を君に、あの日の礼として遺すのだ〉

 

 

 遺言の理由は、策謀の自慢の為ではない。

 そんな子供染みた感情も確かにあるが、それ以上に友誼の為に。

 

 だからジェイル・スカリエッティは、友として彼に言葉を掛ける。

 

 

〈友としてのお願いだ、ユーノ。……君は逃げてくれ〉

 

 

 逃げてくれと、この場から逃げてくれと彼は告げた。

 

 

〈この端末の下、培養槽の更に下に機械がある。それを使えば、君は地球へ転移出来る〉

 

 

 ユーノが視線を移した先、地面に半ば埋まる様にある機械。

 それが転移装置なのだろう。そう自覚して、ユーノは右手を握り絞める。

 

 

〈君だけじゃ嫌だと言うならば、高町なのはも共に逃がそう。大丈夫、魂の繋がり故に君達は共に跳べる〉

 

 

 鋼鉄の腕がギシリと動く。機械仕掛けの黒腕を、ユーノは大きく振りかぶる。

 

 

〈逃げてくれ。此処に他意はない。友として、真摯な願いだ〉

 

「友として、か。……なら、決まってるだろ。ジェイル」

 

 

 答えなんて決まっている。故にユーノは、逡巡さえしない。

 話の半分も聞かない内に振りかぶったその腕を、転移装置に向かって振り下ろす。

 

 ガンと鈍い音が響いて、転移装置は火花を吹いて壊れた。

 

 

「逃げる物か。お前がその道しか進めないなら、何度だってぶん殴って止めてやる」

 

〈……やはり、君はその道を選ぶのだね〉

 

 

 そうなると分かっていたのだろう。記録の中のスカリエッティは、嘆く様に瞳を閉じる。

 

 

〈そこから先は地獄だ。そう言っても、決して止まらないんだろう。それが君だ。その位は分かっている心算だよ〉

 

 

 瞳を閉じたままに、スカリエッティは確かに告げる。

 逃げろと言う忠告を無視した友人に、彼が友として送る最後の言葉を。

 

 

〈だから、その道を選んだ君に、これは最期の餞別だ〉

 

 

 レールが動く音が響いて、壊れた転移装置の直ぐ近くの床が競り上がる。

 中から飛び出したのは一つの機械。小型のそれから感じるのは、非常に強い魔力反応。

 

 それを手に取ったユーノは、その中身を見て驚愕する。

 内側にあったのは、純粋魔力結晶。レリック。そう呼ばれるロストロギアが入っていた。

 

 

〈私を信じてくれるなら、それをナンバーズに接続したまえ。何時か必ず、それは君の命を救うだろう〉

 

 

 飛び出した機械に付いた端子は、ナンバーズに接続できる様に作られている。

 これを付け加えればこの大盾は、ロストロギアを原動力に動く様になるだろう。

 

 それは確かに戦力アップだ。ジェイル・スカリエッティが、信用出来るならの話だが。

 

 

「……僕が何て答えるか、お前はもう分かってるんだろう」

 

〈ああ、きっと。君は二つ返事で信じると語るのだろうね。あの日の様に〉

 

「当然だ。友人を信用できない程に、僕の器は小さくない」

 

 

 疑念を抱いて当たり前、だと言うのに僅かも逡巡しないユーノ。

 そんな彼と談笑するか様に小さく笑い、そしてスカリエッティは瞳を開いた。

 

 

〈これから先、君は私の敵だ〉

 

「いいや、僕とお前は年の離れた友人だ」

 

 

 友としてはこれで終わりだ。ギラついた瞳がそう語る。

 そんな求道者を前にして、ユーノの答えは変わらない。

 

 そうとも彼がこういう男と分かって、それでも友と呼んだのだから。

 

 

〈何としてでも、私は君を潰し殺そう〉

 

「何としてでも、僕はお前をもう一発ぶん殴る」

 

 

 敵を潰す。そう語る狂った求道者。

 何としてでも改心させる。そう告げるのは、何処までも愚かな唯の人。

 

 

〈我らの道は、既に分かたれたのだから〉

 

「僕らの道は、きっと何度でも交われる。そう望むなら、何度だって手を取り合えるさ」

 

 

 誰より真摯に求道を目指す者と、誰よりも解脱に近付いた者。

 その意志が交わる事はない。彼らは友と成れた事がおかしな程に、遠く離れた者達なのだから。

 

 

〈だから――〉

 

「だから――」

 

 

 宣戦布告を此処に、相容れない二者は確かに告げる。

 

 

〈ここで眠れ。ユーノ・スクライア〉

 

「舐めるなよ。ジェイル・スカリエッティ」

 

 

 狂笑を迎え撃つ。その瞳は揺るがない。

 揺るがぬ視線に射抜かれる。だがその狂気は消えはしない。

 

 

「必ずぶん殴りに行く。改心する迄、何度だってぶっ飛ばす」

 

〈いいや、きっともう二度と、私達が出会う事はないだろうさ〉

 

 

 スカリエッティの言葉を最後に、そのモニタは光を失う。

 代わりに動き出すのは、壁の左右に控えていた巨大な機械兵器群。

 

 たった一つを壊すのも厳しい青年に、立ちはだかるのは二十のガジェットⅤ型である。

 超えられる筈がない。戦える筈がない。立ち向かえる筈がない。生き残れる筈がない。

 

 そんな道理は、しかしこの青年には意味がない。

 

 

「唯の鉄塊を数揃えただけで、僕の道を阻めると思うなよっ!」

 

 

 友として、あの馬鹿野郎を殴り飛ばすと決めた。故にユーノは走り出す。

 決して抗えぬ筈の怪物兵器の群れに向かって、拳を握り締めて立ち向かうのだ。

 

 

 

 

 




スカ山「ユーノが殴ったから、改心したと思った?」
スカ山「トーマの殴りイベントで殊勝な態度を見せたから、もう裏切らないと思った?」
スカ山「甘いな。それで裏切るのが、この私だ!」


所詮スカさんはスカさん。
改心しようと、ゲロ以下の臭いがぷんぷんします。




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第二十三話 其の想いは愛故に

恋する乙女は、無敵である。

※2017/03/10 ちょっと操作ミスしました。
二重投降になっていたので、一つ消してあります。


1.

 赤い。血の赤が、その部屋を満たしていた。

 首が取れた甲冑に、崩れ落ちた無数の屍。彼らは皆、命を落とした。

 

 惨劇が起きた部屋の中、ヴェロッサ・アコースは必死に駆ける。

 ほんの少し目を離した隙に起きた事態に悔やみながらに、大切な人の名を叫んだ。

 

 

「カリム!」

 

 

 生きていてくれ。助かっていてくれ。必死に縋る彼の想いに、答える様にか細い音が耳に届く。

 騎士達に庇われたのか、積み重なった屍の中に一つ、鼓動を続ける肉がある。近付いたヴェロッサは抱き寄せて、涙を零す様に口にした。

 

 

「カリム。良かった。カリム」

 

「ロッサ」

 

「喋るな! お願いだから、喋らないでくれよ! 今直ぐに、治療班の下に連れて行くからっ!!」

 

 

 傷は深い。命に係わる程に、その身は深く傷付いている。

 病人を多く抱えていたから六課隊舎から別の場所へと一時移動した治療班の下へと、すぐさま駆け込めば間に合うだろうか。

 

 そんな不安を抱えるヴェロッサは震えながらに、カリムにもう喋るなと伝える。

 義弟の反応に、彼の胸中を知りながらに、それでもカリムは力なく首を振った。

 

 これは伝えないといけない。これを伝えない訳にはいかない。そう悟る彼女は、確かに伝える。

 

 

「伝えないと……貴方に……」

 

 

 機動六課の隊員寮。其処に手勢の騎士達と共に、聖王を保護していたカリム・グラシア。

 魔群の襲撃。スカリエッティの裏切り。それに続く形で起きた内側からの襲撃に、彼らは瞬く間に壊滅させられたのだ。

 

 予想すらしていなかった。そんな魔鏡の正体。

 反応すら出来なかった騎士達は壊滅し、カリムも同じく傷を負った。

 

 こうして生きているのは、奇跡に近い幸運だ。

 

 魔鏡アストがカリム・グラシアに興味が無かった。

 だから一合にて切り捨てて、その死を確認する事もなかった。

 

 其れよりも外で戦うスカリエッティ、彼の支援に回る事を優先した為であろう。

 なればこそ己の役割だけを確実に果たして、魔鏡アストはこの場から姿を消したのだ。

 

 

「ヴィヴィオ、が……」

 

 

 壊滅して、惨劇に染まった寮の中。其処に聖王たる少女の姿はない。

 彼女から伝えられる言葉。此処で何が起きたのか。それを耳にしたヴェロッサは、その表情を険しくする。

 

 腕に掴んだ大切な命。此処で理解した一つの真実。

 歯噛みの果てに、ヴェロッサ・アコースと言う男が選んだ選択は――

 

 

「必ず助ける。その後だ。直ぐに治療班に連れていく」

 

 

 決まっている。彼にとって最愛は決まっていて、だから彼は目を逸らす。

 

 その選択にきっと後悔するだろう。

 それでも彼は姉を救う事を選ぶ。姉の想いより、その命を優先する。

 

 それがヴェロッサ・アコースの、唯一つ生きる意味なのだから。

 

 

 

 

 

2.

 秋の夕暮れを思わせる黄昏の空。深まる色に沈む偽りの街を一望する小高い丘。

 飛び出した石に腰掛けて、佇む男の姿は記憶のそれより酷く小さい。それは比喩ではなく物理的に、確かに血肉が欠落している。

 

 半分しかない身体を引き摺りながら、時間を掛けて向きを変える。

 そんなゲンヤの姿を見詰めて、リリィは呆然と息を飲んでいた。 

 

 

「あ? コイツか。……ちょっとばっかし、遅かった。ま、そういうこった」

 

 

 赤い血肉が覗くその断面。燻る炎は腐った黒色。取り除けなかったその呪詛は、この男を今も苛んでいる。

 事此処に至って既に手遅れ。魂深くにまで刻まれた魔刃の毒は、何を以ってしても取り除けない。明確に分かる程に、その魂は消え掛けていた。

 

 

「どうして」

 

 

 吐息と共に白い煙が宙に踊る。小高い丘を、ほんの僅かな煙が染める。

 一本しかない腕。五本もない指。そんな欠落だらけの儘に煙草を握る男の姿に、リリィはその眼を揺らがせた。

 

 

「んだよ。嬢ちゃん。そんな泣きそうな顔して」

 

 

 そんな少女に苦笑して、ゲンヤは韜晦する様に言葉を紡ぐ。

 皮の内側。骨の断面。内臓が零れ落ちて解けていく有り様。そんな状況でこの男は、誤魔化す様に笑っていた。

 

 

「あれか? こういうの苦手だったか? だよな。年頃の娘さんなら、こんなの誰だって顔を顰めるもんだろうさ」

 

「違う。違います!」

 

 

 そんな韜晦に、返す言葉は必死の色。そうではないのだ。誤魔化さないで欲しい。

 今にも消えそうな有り様で、それでも心配掛けない様にと笑い飛ばす。その浮かべる表情は酷く痛々しい。

 

 

「どうして、そんなに平然と! 消えちゃうのに、誰かを心配して! どうしてっ!?」

 

 

 ゲンヤ・ナカジマは助からない。彼に来世はあり得ない。

 腐炎で燃やされたのだ。魂深くまで染み込んだ炎は分断出来ず、今尚燃やし続けていたのだ。

 

 彼は消える。この男は消滅する。肉は滅び、心は消え去り、魂すらも残らない。

 

 きっとトーマも、心の何処かでそれを理解していた。

 親殺しの痛みを背に負って、それでも救えなかったのだと理解していた。

 

 だからこそ、あんなにも今、憎悪の心で叫んでいる。

 泣きそうな程に憎悪を叫んで、それだけで良いと迄に心から叫んで、――嗚呼、それは何と救われない。

 

 

「……あー、そういう事かよ」

 

 

 一分一秒ごとに小さくなっていく。燻る炎に焦がされて、崩れ落ちていく白髪の男。

 ゲンヤは石に煙草を擦り付けて火を消すと、空いたその手で困った様に頭を掻いた。

 

 元より女子供の扱いは不慣れなのだ。己の為にと泣かれてしまえば、どうしたら良いか分からなくなる。

 不器用な男だ。だから彼は不器用なりに、苦笑と共に言葉を紡ぐ。口にするのは唯一つ、この終わる今に彼が至れた解答だ。

 

 

「悔いはある。未練もある。だけどまぁ、そういうもんだろうさ。人生って奴はよ」

 

 

 後悔も未練も山程ある。愛していると伝えたい。唯それだけも出来なかった。

 

 だがそれでも、ゲンヤは恵まれていた方だろう。

 全てが上手く行く事などはない。あの時ああしておけば、こうしておけばと必ず思う。

 

 過程に失敗は付き物で、結果にきっと後悔する。それが人の一生と言う物なのだ。

 

 

「そうじゃ、そうじゃないっ!」

 

 

 だがそれは、当たり前の終わり方を迎えた時の話であろう。リリィは心の底からそう思う。

 

 

「消えるんですよ! 残らないんです! その腐炎に焼かれたら、魂すら残らないっ! 次がない。完全に消える。来世の救いだって、其処にはないんですよ!」

 

 

 だって次がないのだ。もう後がないのだ。

 魂すらも消滅して輪廻に戻れず、何も残る物がなくなってしまう。

 

 せめて何時か幸せになってと、来世の幸福を祈った女神が居た。

 その断片から生まれた白百合の少女は、この世界にその残滓が残っていると知っている。

 

 擦れた法則。輪廻転生。何時か幸せになる為に、別の形で次がある。

 それが今のこの世界の法則で、だがもうゲンヤにはそれすら残っていないのだ。

 

 

「だから、言ったろ。……生きるってな、そういうもんだ」

 

 

 だと言うのに、この男はそれで良いと語るのだ。

 

 

「元より一回こっきりで、次なんて元々あるもんじゃねぇ。だから皆必死になって、この今を生きる。それが人間ってものだろうさ」

 

 

 死後などはない。輪廻などはない。転生などはあり得ない。

 人の人生は一度きり。一度が終わればやり直しなど一切効かず、亡くなった者は戻らない。

 

 だからこそ、その一度が尊いのだ。どんな終わり方をしても、その一度は尊いのだ。

 それが当たり前。優しい女神が居なければ、それで当然の終わり方。ならばそう。何故にそれを理不尽と感じよう。

 

 

「未練はある。後悔もある。だけどよ、嬢ちゃん。……俺は、ゲンヤ・ナカジマは、もう十分生きた」

 

 

 己の消滅を理解して、三日を過ごした黄昏の街。

 真面に動けぬ身体で見詰めるゲンヤ・ナカジマが、出した結論はそれである。

 

 もう十分に生きたのだと、たった一度で十分だったのだと。

 茜色に染まる空の下、ゲンヤ・ナカジマは微笑みながらに言葉にした。

 

 

 

 涙が零れ落ちる。その姿が悲しくて、その結論が寂しくて、瞳から流れ落ちる。

 そんなリリィの反応。それに困った表情を浮かべながらに、ゲンヤは残った指で指し示す。

 

 

「ほら、泣いてないで、見てみろよ」

 

 

 見詰める先にある光景を、涙に霞んだ瞳でリリィは見た。

 

 茜色の空の下、稲穂の色に染まる街。作り物の大都市は、しかし冷たさなど感じさせない。

 まるで幻燈。映し出されたその世界は、現実にある物とは確実にズレている。写真と絵画の違いの様に、それは決して写実でない。

 

 小さな蛍の光の様に、或いは星灯りの様に、何処か暖かで儚い光。

 それに包まれたクラナガンと言う光景は、唯只管に美しかった。

 

 

「綺麗だろう。この街は」

 

 

 その光景こそ、ゲンヤが答えに至れた理由。

 もう十分に生きたのだと、彼に確信させた色こそこれだ。

 

 

「これはよ。アイツの心だ。アイツの心が映した、ミッドチルダの景色がコレだ」

 

「……これが、トーマの」

 

 

 黄昏の浜辺は、トーマの心にある世界。海岸線が嘗ての彼が抱いた想いの形なら、此処にある街並みは今の彼が築いた物。

 生まれたばかりの小さな子供が、大切な物を集めて作った幻燈の箱庭。彼が見て来たミッドチルダの景色の全てが、此処に集められている。

 

 これは現実の光景ではない。現実のミッドチルダは、もっと醜い色に満ちている。

 ああだとしても、彼にとってはこれが現実。幼いトーマは、世界をこんな形で見ていたのだ。

 

 

「キラキラ煌く宝石箱。そんな風にトーマの奴は、この世界を見続けてたんだ」

 

 

 現実を理解させられて、それでもこの景色はまだ美しい。

 心の底に綺麗な世界が残り続けていたからこそ、トーマの心もまた美しく在れたのだろう。

 

 そうと理解した時に、ああ、ならば十分だったと分かったのだ。

 そうとも、未練も後悔も残っているが、それでもこの人生は充実していた。

 

 

「俺には愛した女が居た。人生を何度繰り返したって、これ以上愛せねぇって女が居た」

 

 

 惚れた妻は、少し年の離れた女。快活でお調子者で破天荒。良妻にはなれないと、そんな風に明言していた女であった。

 彼女はそれでも良母であった。それに本人は恥ずかしがって認めないだろうが、不器用な男にとっては本気で惚れた良妻だった。

 

 全力で愛した。全力で愛された。その果てが死別であっても、全力だったからやり直しなんて求めはしない。たった一度で十分な程に、もう満たされたと言えるのだ。

 

 

「俺には育てたガキが居た。そのガキは俺が必死になって守ろうとしていたこの世界を、こんなにも綺麗に捉えてくれた」

 

 

 引き取った子供は、本当に小さな子供であった。何も知らない。何も知る事が出来ない。そんな無垢な存在だった。

 だけど人形ではなかった。愛される中に子供は人に変わって行って、男が必死に守ろうとしていた世界を綺麗な物と見ていてくれた。

 

 美しい物を遺せたのだ。その心の底にある美麗さを、確かに与える事が出来たのだ。ならきっと、其処に飢え乾く様な祈りなどは混ぜてはいけない。

 

 

「なら、十分だ。後悔や未練はあっても、もう十分なんだ」

 

 

 綺麗だった。それで良い。満足できる過程であった。それで良いのだ。

 結果に想いを残す事になっても、それでも十分生きたと分かった。だから次など無くて良い。

 

 

「だから、な? 泣くなよ嬢ちゃん。昔から男親ってもんはよ。泣く子に勝てねぇと、相場が決まっちまってるもんなんだよ」

 

 

 ゲンヤは男臭く笑って、残った腕を如何にか伸ばす。

 バランスが取れない身体で不器用に、撫で回す腕にリリィは想う。

 

 

「無駄だったん、ですか?」

 

 

 もう十分と、彼は感じている。ゲンヤは来世を望んでいない。

 望んだとしてもあり得ない。もう救えないと分かっていて、それでも感じてしまう想いがある。

 

 それはきっと――

 

 

「トーマが貴方を殺してでも、救おうとしたのは無意味だったんですか?」

 

 

 彼がこのまま消えてしまうなら、トーマの行いが無駄になると想えたから。

 あんなにも涙を流して、必死に救おうとして、それでも結局救えなかった。其処に感じる想いも過程も、全て無意味だったと言われた様で。

 

 だとすれば余りに悲しいと、白百合は誰かを想って涙を流した。

 

 

「……全く、困った嬢ちゃんだ」

 

 

 誰かの為に泣いてばかりだ。そんな白百合の表情に、ゲンヤは口調と裏腹に頬を緩ませる。

 ああきっと、この子は良い子だ。後を託すに足りる程に、それはこの数分の邂逅で十分分かった。

 

 だからそうとも、これは決して無意味じゃない。

 

 

「無駄じゃねぇ。無意味じゃねぇよ。……アイツのお陰で、言葉を遺せる」

 

 

 満足しているから、消え去る事に否はない。

 それでも未練は存在するから、言葉を伝えたいと想っていた。

 

 だが此処からでは届かない。ゲンヤは此処から抜け出せない。

 そんな彼にとって、言葉を託すに足る少女が此処にやって来た事、それはきっと奇跡に等しい幸運だった。

 

 

「十分生きて、残った未練だってここで晴らせる。ならどうして、それを無価値って言えるんだよ」

 

「ゲンヤさん」

 

 

 涙に震えるリリィに向かって、向き合うゲンヤは此処に託す。

 それは愛していると一言だって、伝える事すら出来ない父の最期の願いだ。

 

 

「俺は消える。もう直ぐにでも、燃え去り消える」

 

 

 存在は消える。魂は消滅する。その命は無価値となる。

 それでも言葉は遺せる。想いは遺せる。全てが無価値となる訳ではない。

 

 だから――

 

 

「だからな、嬢ちゃん。アイツを頼むわ」

 

 

 ゲンヤは願う。息子を支えてやってくれと。

 

 

「もう愛しているって、そんな事すら伝えてやれない駄目な親父の代わりによ。あの馬鹿息子を支えてくれ」

 

 

 親離れの時は来た。子離れをする日が来た。

 だから託せる少女を前に、後を頼むと微笑むのだ。

 

 

「嬢ちゃんみたいな良い子が居れば、未練はねぇ。安心して、眠れるってもんだ」

 

 

 傍らに白百合があり続ければ、抱えた未練だって無くなるのだ。

 人生には満足して、残された人への不安は消え去り、そうすればもう、本当にする事が無くなるだろう。

 

 だから頼むと、ゲンヤは口にする。

 初対面に近い相手の為に泣ける優しい少女に、我が子を頼むとその頭を下げるのだ。

 

 

 

 それは真剣な想い。もう後がない男の、最初で最後の頼み事。

 愛しい少年の身内の願いに、リリィはその想いを受け入れたいと感じている。

 

 それでも、僅かに悩んでしまう。

 その願いを叶えようと、断言できない理由があった。

 

 

「……でも、私じゃ。私の声じゃ届かない。トーマに想いは、届かない」

 

 

 それは不安だ。拒絶されたが故にこそ、彼女は不安を抱いている。

 自分がトーマの助けになれるか。いいやきっとなれはしない。そんな無形の不安がある。

 

 

「いいや、届くさ。やり方をちょっと変えれば、絶対届くと保証してやる」

 

「やり方?」

 

 

 そんな彼女の不安を、ゲンヤは笑って吹き飛ばす。

 誰より子を想う男親は、我が子の性格を良く知るが故に保証するのだ。

 

 

「嬢ちゃんはよ、良い子過ぎるんだわ。何処かでアイツの為と思って、踏み込み切れずに遠慮する。……あの馬鹿はあれで視野が狭いから、頭に熱が入ってる状態じゃ反応できねぇ。遠慮してちゃ届かねぇよ」

 

 

 トーマは大切な物に、上手く優劣を付けられない少年だ。好き嫌いはハッキリしても、好きな者には優柔不断だ。

 一番二番と決められなくて、大切な物は皆大切。だから声が届かないからと、それで其処に順序がある訳でもない。

 

 ユーノとリリィの違いは何か。それは踏み込む足の深さである。

 ゲンヤはその程度の違いと語る。傷付く覚悟で一歩踏み込む。そんな違いしかないのだと彼は笑う。

 

 

「だからさ。嬢ちゃんはもっと、我が儘になって良い。本気の想いで、ぶつかってやんな」

 

「本気で、ぶつかる」

 

「おうよ。駄々捏ねるってんなら、頬の一つも張り飛ばしてやりゃ良いだけの話さ」

 

 

 声が届かないのは、其処に遠慮があるからだ。

 誰かを想って、それはとても大事な事。だがそれでも、想うだけでは揺るがせられない。

 

 時には全力で、傷付け合う事も必要なのだ。

 

 

「頼むわ、嬢ちゃん。アイツの支えになってくれ」

 

 

 傷付く覚悟で踏み込めば、きっとリリィの声も届く。

 

 

「この綺麗な景色を見ていた瞳が、俺の命一つで曇っちまうんは余りに惜しい。アイツの夢を、駄目な親父の所為で、汚れたままにしたくはねぇんだ」

 

 

 それが出来るのは、白百合の乙女一人だけ。

 この今に憎悪に曇ってしまった瞳を、晴らして輝かせる事が出来るのはリリィだけ。

 

 そう確信するゲンヤは頭を下げて、傷付いてくれと頼むのだ。

 

 

「……まだ、自信はないです」

 

「そうか」

 

「……少し、怖いです。本音で当たって、また拒絶されたらって思うと」

 

「そうか」

 

 

 未だ怖い。自信なんて存在しない。

 二度も拒絶されたのだ。声が擦れる程に、それでも駄目だったのだ。

 

 だから不安は拭えない。自分じゃ無理だと、想う情は拭えない。

 

 

「……だけど」

 

 

 それでも、それだけじゃない。それだけじゃないから、腹を括る。

 

 

「私も少しだけ、我が儘を言ってみようと思う」

 

 

 止めないといけないと分かっている。止まって欲しいと願っている。そんなリリィ自身の想い。

 己の消滅を受け入れて、それでも残った未練が故に頭を下げた。そんなゲンヤが託した想いに、受け入れたいと言う感情。

 

 それだけではなくて、もう一つ。

 本気の想いをぶつけるならば、感じた不満はそれ一つ。

 

 

「気に入らないの。先生やエリオばっかり見て、トーマは私を見てくれない」

 

 

 あの日に暴走した時は、ユーノの言葉と行動だけで立ち止まった。

 この今に暴走している時に、トーマはエリオの事しか見ていない。

 

 それが不満だ。気に入らないのだ。どうして自分ではなくて、彼らの事ばかり見詰めるのか。

 

 

「だから、もっと見てって、好きだから、もっと見てって、我儘を言ってみます」

 

 

 嘗ての愛を捨て去って、己の恋を自覚した。なればこそ一人の少女として、成長を始めた少女は想う。

 それは幼く拙い心が生んだ、可愛らしい嫉妬の情。確かな恋情があればこそ抱く、思春期故の感情こそが原動力だ。

 

 

「くっ、はははっ、ああ、そうだな。そりゃぁ良い」

 

 

 そんな少女の、何処か拗ねた様な膨れっ面。

 切羽詰まった今に歩き出す原動力の、不釣り合いな程の可愛らしさにゲンヤは堪え切れない様に吹き出し笑う。

 

 その態度にむっとするリリィに向かって、悪い悪いと笑いを堪えて謝りながらに、ゲンヤはその想いを保証する様に口にした。

 

 

「好きなだけ甘えてやんな。好きなだけ不満をぶちまけてやりな。それを受け入れてやるのが、男の甲斐性ってもんだからよ」

 

 

 くしゃりくしゃりと頭を撫でて、ゲンヤは懐から銀色の箱を取り出す。

 金属製のその箱は、先祖が故郷から持ち込んだと言われている地球製のライターだ。

 

 それをリリィに向かって投げる。慌てて受け止めた少女を横目に、煙草を一本取り出し咥えた。

 

 

「ワリィ。嬢ちゃん。火、付けてくれるか?」

 

 

 もう腕も上手く動かないから、一人では煙草も吸い辛くなってしまった。

 そんな風に笑うゲンヤに頷きを返して、リリィは彼が咥えた煙草に火を付ける。

 

 すぅと息を吸い込んで、煙混じりの吐息を吐く。

 その白い色が茜色の空に溶けていくのとほぼ同じく、ゲンヤの身体も溶けて消えた。

 

 

「…………」

 

 

 もういない。世界の何処を探しても、もう何処にも居なくなった。

 喫い掛けの煙草は地面に落ちて、燻る火が巻き紙や刻を少しずつ減らしていく。

 

 残された煙が消えるまで、リリィは街を見詰め続ける。

 稲穂の色に染まったクラナガンの街並みは、やはり何処までも美しかった。

 

 

 

 

 

3.

 立ち並ぶ建築物を瓦礫に変えて、開けた街並みを荒野に変えて、戦いは唯只管に激化する。

 刃をその手に、悪鬼の如き表情で。最早少年達は今、何を思っていたのかも分からない。

 

 

「エリオォォォォォォォォッ!!」

 

「トォォォマァァァァァァッ!!」

 

 

 瞳に映し出されるのは、決して許せぬ怨敵のみ。祈りも願いも渇望も最早意識の外だ。

 コイツを倒す。この男を殺戮する。全身全霊全てで以って、ならば後には何も残らなくてそれで良い。

 

 湧き上がる憎悪と流れ込む悪意が殺意を燃やし、燃え上がる泥が身体を突き動かす。

 彼らは既に人とは言えまい。たった一つの感情に純化して、他の全てが零れ落ちた形骸がどうして人と呼べるのか。

 

 これは獣だ。獣と言う怪物だ。

 二匹の獣は共食いの果てに、何もかもを破綻させるのだ。

 

 それがきっと、辿り着くべき幕と言う物。

 ならばこれは一体、如何なる奇跡が生み出す結果か。

 

 

同調(リアクト)解除(オフ)

 

 

 ひらりと風に踊る様に、甘い蜜を思わせる色が靡く。

 激突する二人の戦場の中心に、白く儚い百合の花が咲いていた。

 

 両者の反応は両極端に。

 

 抜け落ちた片割れに、大剣を失い動揺を見せる神となる子。

 そんな敵手を前にして、無価値の悪魔は唯憎悪の儘に嘲笑う。

 

 目の前に一つ、獲物が増えた。神の子を狂わせるのに十分な、そんな獲物が一つと増えた。

 この今に手を緩める理由などは欠片もなく、ならば一歩踏み込みその腹に魔槍を突き立てる迄の事。

 

 理解する。トーマもそれを理解する。

 リリィは躱せない。迫る刃を防げない。きっとこの手は取り零す。

 

 

「リリィっ!!」

 

 

 それでも伸ばす。必死に伸ばす。もう失う物かと手を伸ばす。

 漸く見詰めたトーマの蒼い瞳を、白百合は覚悟を決めた瞳で見詰め返していた。

 

 

「トーマ」

 

 

 伝えるべき事がある。言いたい事がある。でも簡単には聞いて貰えない。

 だけど頬を張るのは苦手で、ならば我が身を投げ出そう。今の彼でも無視出来ぬ様に、視線を張り付けにしてやるのだ。

 

 そうして告げるは一世一代。少女にとっての大一番。

 心にそうと決めた今、必死に伸ばす手も、迫る魔槍も、全てが取るに足りない物。

 

 

「終われ」

 

 

 ニヤリと嗤う刃が迫る。その直前に――黒い魔弾が数度飛来し、その槍の穂先を僅かに動かした。

 

 

「ちっ! 雑魚が増えたかっ!?」

 

 

 打ち込まれた衝撃に、僅か後退するエリオ。

 歪みが籠った銃弾でその進撃を妨害した少女は其処に、崩れた壁に寄り掛かりながら笑っていた。

 

 

「三下の悪役でもあるまいに、女の子の檜舞台を妨害してんじゃないのよ。馬に蹴られるわよ」

 

 

 ティアナに現状は分からない。未来を視る目も上手く働かず、この襲い来る重圧に押し潰されそうになっている。

 それでも一つ分かる事。それはあの場に居る一人の少女が、腹を括って覚悟を決めた事。ならばその覚悟を活かす。そう立ち回るのが己の役目だ。

 

 そうとも、恋する乙女は無敵なのだ。

 このどうしようもない現状を、きっと変えられるのはそんな強さだ。

 

 

「女子供が、そんな甘い理由でっ! ふざけるなっ! 僕らの決着を邪魔するなぁっ!!」

 

「止めろとは言ってないでしょうが、ちょっとは待てって言ってんのよっ! 大物気取りがしたいなら、尚更ねっ!!」

 

 

 黒石猟犬。駆け付けた少女が放つ時間逆行弾は、一つ一つは取るに足りない威力である。

 ティアナ・L・ハラオウンではエリオ・モンディアルには勝てない。足止めすらも出来なくて、それが互いの実力差。

 

 それでも、足を引くくらいはしてみせよう。

 白百合の少女が言葉を紡ぐ、その僅かな時は稼いでみせる。

 

 迫る黒衣の魔刃を前に、ティアナは一人立ち塞がった。

 

 

「トーマ」

 

 

 ティアナに感謝を。彼女は恐らく一合とて持たないだろうが、それでも語る時間は作れる。

 そんな彼女に感謝を抱いて、リリィはトーマに微笑み掛ける。必死に伸ばした手に肩を強く握られ、それでも儚い笑みを浮かべた。

 

 

「リリィっ!」

 

 

 名を呼ぶ声に、籠る色は怒りである。

 どうしてこんな真似をしたのかと、死ぬ気だったのかと、激しく激しながらに睨み付けるトーマの瞳。

 

 その中に自分の姿が映っている。それだけで嬉しく想える単純な少女は此処に、己の理由を語るのだ。

 

 

「やっと、見てくれたね」

 

「――っ! そんな事の、為にっ!?」

 

 

 憤る。どうしてそんな小さな事の為にと、怒りを示すトーマの顔。

 其処で怒りを思えるのは、彼が少女を想うが為に。大切なのだと、想えているから。

 

 だからそんな感情に笑顔を零して、それでも間違っているのだとリリィは告げる。

 

 

「そんな事、じゃない。そんな事じゃないよ」

 

 

 そんな事ではない。そんなちっぽけな事ではない。

 憎悪に歪んだ瞳を向ける。その為ならば、この身を賭ける価値があった。

 

 そうして、届いた。堕ちきってはいなかったから、彼はその瞳を向けてくれた。

 その色が怒りと言う感情であったとしても、それでも見詰めてくれたのだ。だから、そんな事と言える程に小さな事ではない。

 

 

「寂しかった。辛かったよ。見てくれないのは、無視されるのは」

 

 

 痛い程に強く握り絞める。その腕の中へと身を投げる。

 震える少年の頬に手を当て、指でなぞりながらに訴え掛けるのは己の想い。

 

 辛かった。悲しかった。寂しかった。

 居るのに居ないと扱われる。声を掛けても拒絶される。それは痛かったのだと想いを伝える。

 

 

「でもそれより、ずっと辛いのは――その輝きが無くなる事」

 

 

 だがそれ以上に辛かったのは、トーマのその身が堕ちる事。

 大切な物を集めた黄昏の世界に蓋をして、憎む事だけしか出来なくなる事。

 

 それを見ているしか出来ない事が、どうしようもなく辛かったのだ。

 

 

「嫌だよ。私は嫌だ。全部を全部一人で背負って、大好きな貴方が居なくなる。そんなの絶対、嫌だから」

 

 

 だから伝える。そうはならないでと。

 この今に、純化が途切れた今に、この想いよ届けと声にする。

 

 本気で向き合う時、其処に痛みは生まれる。

 気遣う事もなく、互いの意志をぶつけたならば、痛みが生まれるのは必然だ。

 

 

「ねぇ、傍に居させて」

 

 

 だけど、だからこそ、心は動くのだ。

 痛みがあるから心が動く。本気の意志だからこそ、心が震える。

 

 心が揺れ動くからこそ、想いは其処に届くのだ。

 

 

「一緒に居させて、決して一人に、ならないで」

 

 

 白百合は告げる。それは本気の言葉。

 目の前にいる愛しい人を抱き締めて、強い瞳で言葉を紡ぐ。

 

 たった一人になってでも、憎む相手を殺したいと。

 そう狂える程に思っている彼に向かって、譲らない言葉を掛けるのだ。

 

 

「だけど、僕は」

 

「許せないよね。痛いよね。辛くて憎くて、感じるんだ。涙が零れる程に」

 

 

 涙が零れる。流れ落ちる瞳は共に、二人で一つとなったが故に共感している。

 震える程に痛いのだ。悲しい程に憎いのだ。溢れ出した憎悪の色に、今にも全てが塗り染められそうな程に。

 

 

「奪ったアイツを、どうしてっ!?」

 

 

 その想いは揺るがない。この憎悪は無くならない。

 どれ程に言葉を重ねても、そんな事では変わりはしない。

 

 それでも、そうと分かっていても――

 

 

「だけど、それだけにならないで。純化なんてしないで、たった一つしかないなんて、余りに悲し過ぎるから」

 

 

 それだけになるのは、止めて欲しい。それだけしか見ないなど、止めて欲しい。

 純化の果てには何もない。狂い泣き叫ぶ様に憎悪を吠えて、果てにあるのは滅びだけ。

 

 そんな悲しい結末など、決して望んではいないのだ。

 

 

「一緒に夢を見よう。一緒に戦って、一緒に倒して、その先にある綺麗な夢を目指して歩こう」

 

「……リリィ」

 

「私は貴方と、そう生きたい」

 

 

 許せないなら、それで良い。憎み続けるなら、それでも良い。

 だからせめて、一人で抱えないで。一緒にその荷を背負わせて。

 

 儚く微笑む百合の花。彼の為に作られて、彼の為に生まれ育って、其処に己の意志など欠片もなかった。

 それでも白百合は決めたのだ。生まれた理由も育った理由も関係ない。自分の意志で、これから先も共に居るのだ。

 

 

「私は貴方と、そう生きたいよ」

 

 

 涙に濡れた瞳で語る。紛れもなく本気の想い。

 それは確かに少年の心に響く。憎悪を叫ぶ子供の胸に、それ以外が芽吹いて育つ。

 

 その芽に水を上げたなら、きっと綺麗な花が開く。

 それだけの時間があったなら、きっと彼らは超えていける。

 

 だがしかし、その時間を与えまいとする、そんな怪物が此処には居た。

 

 

「ご高説だな。しかし、現実味がない言葉だ」

 

 

 邪魔をする少女を軽く蹴散らし、夜風を纏う悪魔が佇む。

 吹き付ける冷気を前にして、咲き誇る少女を守る様に少年は一歩前に出る。

 

 だが、止められない。少女の言葉が届いたからこそ、今の少年では止められない。

 純化が止まったのだ。共鳴が外れたのだ。憎悪の果てに得た力は霧散して、互いの実力差は元へと戻った。

 

 

「少し共鳴が外れたようだが、まあ然したる問題じゃない。直ぐにまた純化する」

 

 

 共鳴成長は無駄ではない。一度至って感覚を覚えた今ならば、そう遠くない内にまた到達できる。

 だがしかし、憎悪の力が失われたこの今に、すぐさま其処まで至れる訳ではない。この今に力の差を、埋める要素など何もない。

 

 

「ここで終われ。赤く染まれ。無価値に枯れろ。百合の花」

 

 

 夜の悪魔が手を伸ばす。手折りて花を枯らす為に、その手に暗い炎を灯す。

 彼女を庇って、向き合うトーマ。彼が正気に戻ったからこそ、確かに断言出来る言葉がある。

 

 ここでリリィを失えば、今度こそ彼の全てが終わる。

 憎悪の底からでも手を伸ばせる。そんな少女を失えば、今度こそ全てが終わるのだ。

 

 そう確信して、嗤うエリオ。トーマに抱きしめられながら、リリィは彼を強く見る。

 

 

「エリオ。貴方にも、言いたい事があるんだ」

 

「……言ってみなよ。遺言代わりに聞いてあげるさ」

 

 

 純化共鳴が途絶えたが故に、冷静さを取り戻したのはエリオも同じく。

 散り去った命に報いる願いを思い出した今ならば、彼は遺す言葉と言う物を軽視しない。

 

 だからこそ、聞き届け覚えておこう。

 そう真摯に向き合う魔刃の耳に、聞こえたのは信じられない言葉であった。

 

 

「毎回毎回粘着質に! いい加減しつっこいのよ! このヤンホモ野郎っ!!」

 

「なっ!?」

 

「リ、リリィっ!?」

 

 

 余りにも予想外。儚く優しい少女の口から、零れ落ちる罵倒と暴言。

 予想だにしていない反応に戸惑うエリオとトーマを前に、リリィは確かに宣言する。

 

 エリオを睨み付けるその瞳は、まるで恋敵を睨むかの如く。

 

 

「貴方に、貴方なんかにっ! 私のトーマは、渡さないんだからっ!!」

 

 

 トーマは私の物なのだと、恋する乙女は断言したのだ。

 

 

 

 余りにも予想外の言葉に、唖然とする二人の少年。

 時が止まったかの様な場を動かしたのは、一人の中に眠る悪魔が腹を抱えて大笑する反応だった。

 

 

〈ククク、クハハハハハハハっ! まあそうだな。傍から見れば、重度の同性愛者に見えなくもないよなぁ! 言われてしまったなぁ、エリオォ!! クハハハハハハハハハッ!!〉

 

「笑うなっ、ナハトォっ! ――っ!?」

 

 

 大爆笑を続ける内なる悪魔に苛立ちながら、襲い来る漆黒の魔弾を切り払う。

 まだ動けるのかと、面倒だと見据えた先。全身に傷を負った少女は壁に身を預け、デバイスの銃口を向けていた。

 

 だがその表情は、必死や真剣さとは程遠い。

 漆黒の魔弾を放った瀕死の少女は、笑う度に傷口が痛むからと、必死に噴き出すのを堪える表情を見せていた。

 

 

「くっ、それはないでしょ。コイツをホモのストーカー扱いって、リリィ、それ、流石に反則、くっ」

 

「ええい、どいつもこいつも、鬱陶しいぃっ!!」

 

 

 噴き出す半死人に、笑い転げている悪魔。

 そんな周囲の反応に苛立ちながら、槍を振るって後退するエリオ。

 

 今直ぐにでも一掃したい気分だが、トーマとの共鳴解除の影響を受けているのは彼も同じく。

 一気に劣化した実力との差に慣れていないから、先にもティアナを仕留めきれていなかったのだ。

 

 故に僅かに逡巡して、潰すよりも先に変化に慣れる事を選択する。

 そうしてエリオが一歩を退いて、生まれたのは僅か数秒に過ぎない隙。

 

 

「えっと、その、リリィ」

 

「トーマ。男は駄目だからね」

 

「あ、いや、その……はい」

 

 

 男色的な(そういう)意志はないのだと、そう伝えようとするが一息に切って捨てられる。

 時間も余りないので説得を諦めて、トーマは一つ溜息を零す。そうして零れ落ちる様に、くすりと笑みを吹き出した。

 

 ああ、本当に、敵わない。恋する乙女には、どうにも勝ち目が見えそうにない。

 先ほどまで怒り狂っていたと言うのに、今では軽い笑みが零れる程に、こんなにもあっさりと変えられてしまった。

 

 そんなトーマは負けを認めて、星の宿った瞳で少女を見詰める。

 その瞳の色に笑顔を零して、見つめ合うリリィは此処に言葉を紡ぐのだ。

 

 

「トーマ。誓約を」

 

「今度は、何て?」

 

 

 誓約を。今度こそ、己の意志で誓約を。

 

 

「決まってるよ。エンゲージ。その瞬間に、語るべき事なんて決まってる」

 

 

 憎悪に汚れて、全身から血を流し、それでも星の輝きを取り戻した。そんな少年に向かって、白百合の少女は微笑み告げる。

 

 

「健やかなるときも、病めるときも」

 

 

 誓いの言葉。それは何時如何なる時も、互いを想うと誓う言葉。

 

 

「喜びのときも、悲しみのときも」

 

 

 一つ。一つと噛み締める様に、心の底から誓う様に、その想いを彼に伝える。

 

 

「富めるときも、貧しいときも」

 

 

 一緒に居るのだ。何時如何なる時だって、痛みも喜びも、全て共に抱えるのだ。

 だからこそ、此処に誓約を。あの日の様に誰かに流された形ではなくて、今度は自分達の意志で確かに誓おう。

 

 

「これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

 

 

 見上げる少女の言葉は即ち、恋する乙女の愛の告白。

 そうと理解して、何処か恥ずかしがる様に、トーマは頭を掻いて問い掛ける。

 

 

「僕で、良いの?」

 

「貴方が、良いの」

 

 

 ちょっと情けないその言葉。返る答えは一言に。その一言に、全てが籠る。

 

 

「私で良いかな?」

 

「……そうだね。君がいないと、僕はまたきっと間違える」

 

 

 問いを投げ掛けた彼に、問い返す様に言葉を投げる。

 私で良いかなと言う少女の問いに、困った様に微笑みながらに少年も返す。

 

 

「だから、傍にいてくれるかな?」

 

「その言い方はちょっと嫌。だけど、良いよ」

 

 

 答えなんて決まっている。だから不満と共に笑顔を返して、此処に二人の道は定まった。

 

 

「一緒に行こう。今度こそ」

 

「ああ大丈夫。もう間違えない」

 

 

 目指す道はもう間違えない。歩く道を、もう間違えはしない。

 風の儘に迷わずに、眩い未来を目指して歩く。我が身は即ち夢追い人だ。

 

 

誓約(リアクト)新生(エンゲージ)

 

 

 茶色の髪が、白銀色に染まっていく。蒼い瞳は深く色を変え、その身を黒き鎧が護る。

 新生した刃は、その切っ先の形を変える。手にした刃は首を落とすべき刃ではなく、己の意志を貫く為のガンブレード。

 

 

白百合(リーリエ)憧憬の剣(シュヴェールトアドミラシオン)っ!!』

 

 

 そして、彼らは共に立つ。

 夢見た果てに、何時か辿り着く事を目指して。

 

 

「待たせたね。ティア」

 

「……ほんっと、遅いのよ」

 

「後は任せて、もう二度と、間違えないから」

 

 

 既に限界を迎えて、それでも時間を稼いでくれた相棒。

 そんなティアナに感謝を告げて、トーマはエリオの前に立つ。

 

 

「エリオ」

 

「トーマ」

 

 

 見詰める先に居る宿敵に、感じる憎悪は未だ強く。

 許せない。認めない。お前だけは。そんな憎悪を抱えたままに、だがもうそれだけではない。

 

 

「憎悪じゃない。それだけじゃない。この今に、もう何も取り零さない為に」

 

 

 刃を構える。再び開いた力の差に、だが諦める理由がない。

 

 

「……共鳴する力を捨て去って、それで僕に勝てるとでも?」

 

「勝てるさ。勝ってみせる。だって、もう一人じゃない」

 

 

 必ず勝とう。勝ってみせよう。一人じゃないなら、決して負けない。

 その意志を以ってして、傍らに咲き誇る白百合の花と共に、悪魔の王へと立ち向かう。

 

 

〈行こう。トーマ。エリオを倒して、夢の先へ〉

 

「ああ、行こう。リリィ。アイツを倒して、その先に」

 

 

 何時だって一人じゃない。ならばきっと、無頼を気取る奴には勝てる。

 

 そうとも、誰かを守ると心に決めても、結局他者を足手纏いと捉えているエリオ。

 合わせる力は素晴らしい。その果てを追い掛ける少年は、この相手にだけは負ける訳には行かない。

 

 

「行くぞエリオっ! 僕達が――お前を倒すっ!!」

 

 

 憎悪だけではなく、確かな憧憬を貫く為に。

 トーマ・ナカジマとリリィ・シュトロゼックは共に、この強大なる宿敵へと挑むのだ。

 

 

 

 

 




リリィ「トーマは渡さないんだからっ!(恋敵的な意味で)」
エリオ「僕はホモじゃないっ!!」

コズミックストーカー「いいや、否。認めたまえよ諦めたまえ。愛と憎悪はコインの裏表。コインであると言う本質は変わらず、ならば即ち君の想いは正しくそうだ。愛――madness」

凄く一撃必殺さん「理解出来る。共感しよう。決着を付けるべき男との間に、ある種の絆が生まれるのは必然だ。それを誰が同性愛だのと貶そうと、お前の中でその決着が至高ならば、他者の誹りに耳を傾ける意味などない。……お前もそう思うだろう? ┏(┏^o^)┓<カメラードォ」

両刀使いのブーメランマスター「ってかよ。コイツはホモってより、両刀使いじゃね? しかも女がキャロ(ロリ)イクス(ロリ)アギト(ロリ)のロリ一択とか、業が深いにも程があんだろ。真っ平らな大平原なら何でも良いんじゃね?(ニヤニヤ)」

(∴)「何だ。塵にしては分かっている。そうだな。そうだよ。そうだよな。(胸に)起伏は要らない。(胸は)真っ平らで良いんだ」

ロリオ・ホモである「帰れ! 旧世界の遺物共ォォォッ!!」




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第二十四話 魔鏡

捏造設定。独自設定盛り沢山。二万字超え。
サブタイトルは魔鏡だけど、今回はスカさんが大活躍する回です。(白目)


1.

 銀の刃が閃いて、金属音が響き渡る。

 ぶつかり合った刃は一方的に、押し負けた少年は背後へ跳ぶ。

 

 

「っ、おぉぉぉぉぉっ!!」

 

〈トーマっ!?〉

 

「大丈夫。まだ、まだやれる!」

 

 

 被害は最小限に、それが出来る要素がある。

 先の同調。心の底まで繋がった、その時に動きの癖を覚えたのだ。

 

 攻める際の目線の動き。槍を扱う細かな動き。呼吸のタイミングまで全て合わせて、それで漸く被害が軽減させられる。

 それでも被害の軽減が精一杯。状況打破にはまるで足りない。相手の動きが先読み出来ても、素の性能差が足を引いているのだ。

 

 

「ふん」

 

 

 振るわれる刃を受けるエリオは、トーマと異なり動きを読めない。

 それはトーマの武器が変わった為。処刑の剣から形を変えて、新たに二つの手札を得た。

 

 

「うおおりゃっ!」

 

〈シルバーハンマー!〉

 

 

 トリガーを引いて、撃ち出されるのは直射砲。これまでは使わなかった、遠距離攻撃と言う手札。

 それを焔を纏った槍にて切り払う。噴き上がる煙に視界を塞がれ、エリオが感じるのは敵の接近。

 

 

「おぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 銃剣の切っ先からの射撃に隠れて、駆け抜けるトーマが狙うは剣での刺突。

 新たに得た銃と剣先。その二つを率先して使用する事で、彼は攻め手を読ませないのだ。

 

 ロングレンジからクロスレンジへ、炎を恐れず懐へ飛び込む。

 振るう刃は刺突から、切り上げ、振り下ろし、膝蹴りを織り交ぜて隙を生み出す。

 

 

「諦めない先にだけ、未来がある」

 

〈必ず勝てる。一人じゃないからっ!〉

 

「コイツで全部――」

 

『ゼロにする!!』

 

 

 一気呵成の連続攻撃。其処から繋げる一撃は、魂さえも断ち切るディバイド・ゼロ。

 エクリプスの毒。振り抜いた刃は防げない。全てを分解して吸収する力を前に、しかしエリオも即座に対応し切る。

 

 

「燃えろ――無価値の炎(メギド・オブ・ベリアル)

 

 

 所詮トリッキーな浅い知恵。実力差を埋める程には、決して届く訳がない。

 無茶をした対価に生まれた隙は、この少年にとっては致命の隙となり得る。トーマが唯一人でこの場に居たのなら――

 

 

〈動いて、銀十字!〉

 

 

 無理に責め立て生まれた隙を、内なる少女が穴埋めする。

 白百合の声に答えて動くのは、彼女の防衛装置である銀十字の書。

 

 先の一件にて破壊され、スカリエッティの下で修復されていたこの機構。

 トーマと想いを重ねた今のリリィならば、暴走などさせずに制御する事が可能である。

 

 後方へと退避するトーマの動きを、銀十字の書が放つ魔力弾が支援する。

 ディバイドゼロと同じ性質を持った光を前に、さしものエリオも無防備に飛び込む事など出来はしない。

 

 そうして攻め手は僅かに緩み、迫る炎を直前で回避したトーマは、四肢を使って後退する。

 後ろに下がるその動きは、傍目に見れば無様であろう。見た目に拘れない見っとも無さで、それでもトーマは食らい付く。

 

 時間稼ぎは無駄ではない。一度はあの領域へと辿り着いたのだ。己の身体が覚えている。

 故にこそ戦いの中で、トーマ・ナカジマは成長している。紙一重の綱渡りを続けながらに、彼の力は増しているのだ。

 

 そうと理解して、エリオは暗く笑みを浮かべた。

 思うのは一つ。先に語った少女の宣言。余りに無粋な、乙女の言葉だ。

 

 

「自覚するよ。ああ、そうだね。納得したとも」

 

〈おや、彼女の発言を認めるのかい? 病んだ同性愛者を自認するとは、少し意外だな〉

 

「ふざけろ、ナハト。同性愛云々は置いといて、だ」

 

 

 納得したと語るエリオに、茶々を入れる内なる悪魔。

 ナハトの言葉に眉を潜めて、エリオはトーマを冷たく見据える。

 

 口に出すのは、この今に感じる一つの評価だ。

 

 

「弱い。トーマは弱い。二人掛かりで、この程度。こんな男、もう無視してもいい筈だ」

 

 

 トーマ・ナカジマはしぶとく生き残り、この今も少しずつ成長を続けている。だが、それでも未だ弱い。

 動きを覚えられているから、生き延びている理由の大半はそれである。実力が拮抗している訳ではなく、その差は未だ明白だ。

 

 これ以上の憎悪を煽るのは難しく、白百合が存在する限り純化は狙えない。

 彼女と同調を解除する理由がトーマにはなく、ならばこの少年から学べる物など何もない。

 

 先程までの共鳴にて、成果は十分に得ている。エリオの成長限界もまた、あの一件にて取り払われたのだ。

 残るトーマは、時間さえ掛ければ必ず倒せる程度の格下。共鳴現象も起こせぬならば、無視して捨てるが利口であろう。

 

 

「なのに、放置しておけない。確かに僕は拘っている。自分でも思っていた以上に、どうやら君が気に入らない」

 

 

 戦う意味はない。倒す意義などない。放置してより強大な敵に、挑んだ方が時間の節約となる筈だ。

 そうと分かっているのに、エリオはトーマを放置出来ない。この輝かしい星の瞳を、無視して先に進めないのだ。

 

 

「それしか見えないと言う程でもないが、その存在は許容できない。捨て去り忘れてしまえば良いだろうに、ああ、確かにこれは、見っとも無いな」

 

 

 そんな有り様。この執着を無様と言われて、否定出来る要素がない。

 そういう一面があるのだと、冷静となったこの今にエリオ・モンディアルは自覚していた。

 

 

〈ならばどうする? コイツを放置して、天魔七柱に挑んだ方が賢いと分かっているんだろう?〉

 

「ああ、そうだね。それがきっと、賢い選択なんだろうさ。――けど」

 

 

 自覚して、だから何が変わる訳でもない。自覚したからこそ、何も変わる事はない。

 無駄と分かって、無駄をする。無意味と分かって、無意味をする。そんな人らしい愚かさを、エリオ・モンディアルは捨てられない。

 

 

「どうやら僕は、とても愚かしい男だったみたいだ」

 

「――っ!」

 

 

 一歩踏み込む。大地を縮めたかの様に錯覚させる程に、その一歩は速い。

 後退するトーマは迫るエリオに向かって魔弾を放つが、刃を振り上げたエリオは止まらない。

 

 放たれたのはシルバーハンマー。そして銀十字の放つディバイド・ゼロ。

 無数の銃火を前にして、エリオは暗く嗤って語る。それはもう見たと、ならばこの少年には通用しない。

 

 燃え上がる腐炎の鎧で全てを防いで、即座に魔法と切り替え一気に加速する。

 雷光を伴う魔槍を掲げて、振り下ろす。大剣で受けたトーマは痛みに歯を食い縛り、それでも耐えられずに地面に倒れる。

 

 迫る槍の穂先は倒れた少年へと、起き上がる余裕もないトーマは大地を転がりながら身を躱す。

 泥塗れになって、擦り傷だらけになって、それでも如何にか命を繋ぐ。そんなトーマを見下すエリオは、その顔を笑みに歪ませた。

 

 

「嗤えよナハト。執着している。拘泥している。それが愚かと分かっていて、ああ、だけど捨てられない」

 

 

 浮かんだ笑みは、嘲笑と自嘲の色が混ざった物。

 今の己の行動全てが愚行であると理解して、そんな愚かさに嗤いを零す。

 

 それでも捨てられないのなら、此処で全てを終わらせよう。エリオ・モンディアルはそう決めた。

 

 

「流れ出す前に、お前との決着を付けて行こう。お前達を潰さなければ、一歩だって進む気になれやしない。だから――直ぐに終わらせてあげよう」

 

 

 直ぐに終わると、見下し嗤うその姿。

 睨み返す少年は泥だらけの掌で、憧憬の剣を握り締めて立ち向かう。

 

 

「抜かせ! お前には、負けるかっ!!」

 

 

 負けられない。この相手にだけは負けたくない。

 

 この世で最も憎い宿敵。己の願いをその在り様で否定する者。決して相容れない無頼漢。

 そんなエリオと言う少年だけは、トーマにとっても決着を付けねばならない相手であるのだ。

 

 

「どんなに見っとも無くても、どんなに無様な姿を晒しても――お前にだけは、負けられるかよっ!!」

 

 

 力の開きは未だ大きい。この実力差が埋まるまでに、後何度死線を乗り越える事が必要か。

 新たに得た手札と言う物珍しさは、もう通用しなくなってきた。ならば新たな賭けをしなければ、生き延びる事すら出来ないだろう。

 

 そうと分かって、それを理解して、だけど諦める理由にならない。

 傍らに咲く少女と共に、トーマは強い意志で、一歩を前に進むのだ。

 

 

『おぉぉぉぉぉっ!!』

 

 

 荒れ果てた大地で、互いの意志をぶつけ合う。

 

 殺してやる。生き延びて見せる。叩き潰そう。乗り越えてやる。

 そんな二つの意志がぶつかり合って、激しい戦いが続いている。

 

 

(ああ、実に愚かだなぁ。エリオ。そしてその反対たる器)

 

 

 その激闘の最中にあって、悪魔は冷静なままに嘲笑う。

 我意をぶつけ合う相反する器たちを見下して、ナハト=ベリアルは嗤っていた。

 

 

(お前達は愚かだ。釈迦の掌で遊ばれた子猿の様に、実に愚かで愛らしい)

 

 

 愚かだ。愚かだ。余りに愚かで、愛おしさすら感じてしまう。

 そんな悪魔は暗く嗤って、最早逃れられない奈落に堕ちる彼を見る。

 

 

(エリオ。お前は悪魔に近付き過ぎた。気付いていないだろう。何時でも、望んだ時に、俺が自由に動ける様になった事。お前と言う存在が、もう不要になった事)

 

 

 エリオが悪魔に近付けば、ナハトとエリオの敷居は曖昧な物となる。

 死体(エリオ)を動かしながらも、その死体(エリオ)がいなければ外へ関われなかったナハト=ベリアル。

 

 そんな彼の制限は、もう存在しない。故にこの今に、ナハトは何時でもエリオを殺せる。

 そうして彼と入れ替わって、物質界にて猛威を振るう。そんな真似すら、今の彼には容易く出来るのだ。

 

 

(トーマ。お前の成長は慮外であろうが、それでも奴の想定を超える程ではない。我が依頼人(クライアント)はアレで中々に悪辣だ。故に、もう既に詰んでいる)

 

 

 そうしないのは、単純な話。まだその時ではないからだ。

 或いは僅か、宿主たる少年に理由がある。依頼人であるスカリエッティと秤に掛けて、どちらが勝るかと遊んでいたのだ。

 

 既に答えが出ている。最早結果は覆らない。

 この現状になっても尚、僅かに待つのは少年への愛情故だろう。

 

 

(さあ、合図を待とう。全てを終わらせる。終末の喇叭を待とう)

 

 

 愚かしく愛おしい我が半身。その末路には、特大の絶望が相応しい。

 悪魔を利用しようとした人間は、救いのない地獄に堕ちるのが世の道理。

 

 終末の喇叭が鳴り響いた時に、先ず真っ先にその願いを穢し貶めてやろう。

 

 

(喜べ、エリオ。お前の願いは、俺が叶えてやるよ――お前が望んだ形には、決してならないだろうがね)

 

 

 ナハト=ベリアルは嗤いながらに、その瞬間を待っている。

 失楽園の日が訪れた時、真っ先に全てを失い倒れるのはエリオ・モンディアルとなるであろう。

 

 

 

 

 

2.

 誤作動を起こした機械の身体は上手く動かず、命を預けたその半身は今や重いだけの枷となった。

 高濃度のAMFが満ちた場に置いて、魔法の行使も酷く難しい。魔力結合を妨害されて、それでも魔法を使うには意識の集中と展開の速さが重要となってくる。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 

 唯でさえ物理的に重くなった身体で、思考の大半をそちらに回せば隙が生まれる。

 複数同時思考も魔法なのだ。思考を一つ増やすのに、思考を一つ使うでは意味がない。マルチタスクも使えはしない。

 

 襲い来る魔群の蟲。鈍った身体と思考では、その全ては躱せない。

 無数の蟲に貪り喰われ、喰われた場所から汚染が進む。肉体と精神の双方を削り取られ、血反吐を吐きながら崩れ落ちる。

 

 それでも、倒れはしない。膝を屈し掛けても、杖を支えに如何にか立つ。

 防戦一方と、そう語るのも温い状況。そんな一方的な戦場で、それでもクロノは立っていた。

 

 

「本当に、面倒な男ねぇ」

 

 

 荒い息を整えながら、如何にか今も隙を探っているクロノ。

 黒衣の提督を見下しながらに、クアットロは侮蔑の笑みを浮かべている。

 

 

「血反吐を吐いて、杖に縋って、ほんっと生き汚い。一体何時まで、粘る心算かしらぁ」

 

 

 蠅声(サバエ)の音が響き渡る。生理的な嫌悪を掻き立てる嗤いが聞こえる。

 見下す蟲の群体は、その有り様を嗤っている。お前は何も出来ぬのだと、ケラケラケタケタ嗤っている。

 

 そんな蟲に喰いつかれて、少しずつ消耗は重なっていく。

 今にも遠のく意識。それを頬を噛み切る痛みで如何にか引き戻すと、クロノはクアットロを見上げて冷たく断じた。

 

 

「それを、お前が言うか、三下が」

 

 

 乾いた流血がこびり付いたその顔に、浮かぶ色は侮蔑と嘲笑。

 血の混じった唾を吐き捨て、クロノは嗤う。生き汚いと嗤った魔群と言う存在を、お前こそがそうであろうと。

 

 

「父親に頼らなければ何も出来ない子悪党にくれてやる程、僕の首は安くない。出直して来いよ、クアットロ」

 

 

 どれ程に追い詰められていても、その余裕は崩さない。

 例え内面で吐き出しそうな程に苦しんでいても、外面だけは小奇麗に装うのが嘘吐きの在り方なのだ。

 

 

「っ! 言うじゃないの! この塵屑がぁぁぁっ!!」

 

 

 見下す侮蔑の表情に、クアットロは怒りを噴出させる。

 溢れ出した蟲の数は増え、躱せない所か躱す隙間もない程の津波となって襲い来る。

 

 

「アンタみたいなインポ野郎が、何一つ抵抗も出来てない癖にぃっ! さっさと潰れなさいよ! このっ! このっ! このっ!」

 

「っ、が、はっ……」

 

 

 膨大な蟲の渦に飲み込まれて、その身全身至る所を貪り喰われる。

 喰らい付いた無数の蟲が膨れ上がって、爆発と共に焼け付く酸の雨を降らせる。

 

 心が侵され、血肉が溶ける。骨は圧し折れ、内臓が潰される。

 何一つとして抵抗させぬと、責め立てる魔群の重圧。それに押し潰されながらに、それでもクロノはやられるままでは済まさない。

 

 

「温いな。温すぎて、――凍るぞ」

 

 

 微かに動く指と思考で、氷結の杖を此処に動かす。

 襲い来る魔群の全ては凍らせられない。ならば彼が狙うのは――

 

 

「っ!? ドクター!!」

 

 

 後方にて余裕の笑みを浮かべる研究者。クアットロにとってのアキレス腱だ。

 魔力が結実して凍土となり、その身を凍結させんと迫る。眼前に氷柱が迫っても、座して動かぬスカリエッティ。

 

 彼の身を守る様に、魔群は蟲の大半を使って壁を生み出した。

 氷結魔法は防がれる。蟲の過半数を停止凍結させただけで止まって、彼の黒幕は無傷である。

 

 

「おや、済まないね。クアットロ」

 

「いえいえ、お怪我がなくて何よりですぅ。……それにしても」

 

 

 何処かズレた反応を見せるスカリエッティに、クアットロはにこやかに返す。

 そうしてクロノに振り返ると、彼女は父に見せた笑みとは真逆の鬼相を張り付けた。

 

 

「このクソ野郎が、私のドクターに、傷が付いたらどうするのよぉぉぉっ!!」

 

 

 ジェイル・スカリエッティの存在は、クアットロにとってはアキレス腱であると同時に地雷である。

 元より器が広くなく、他者に向ける寛容性など欠片もない女。そんな女にとってもこれは格別、決して許してはならない行いなのだ。

 

 

「……さっきから思っていたんだが、レディとしては少し口が悪くないかい? クアットロ」

 

 

 そんな激するクアットロに、スカリエッティは場違いな言葉を零す。

 娘の育て方を間違えたかな、と。特に何も気にせずぼやくこの男に、この場が戦場であると言う認識など欠片もない。

 

 何処までも余裕。常の日常と変わらない。

 既に詰んだ盤面において、あらゆる全てが危機足り得ない。

 

 そんな余裕が透けて見え、クロノは舌打ちをしたくなっていた。

 

 

「あ、あら、ごめんなさい。え、えぇと、その、……兎に角潰すわよ! クロノ・ハラオウン!!」

 

 

 お転婆な姿を父に見られた娘は、恥ずかしがる様に猫を被って隠す。

 そうして思考を回すがスラング以外の罵倒は出ずに、結局単純な言葉と共に攻め手を再開する。

 

 だが――その遣り取りは彼に時間を与えていた。

 

 

「被ったネコを隠せてないぞ。三下女。それに、隙を与え過ぎだ」

 

 

 元より先の一撃に、黒幕撃破など期待もしてない。

 複雑な魔法を扱う集中の為に、発動に必要な時間稼ぎには十分過ぎた。

 

 

「悠久なる凍土 凍てつく棺のうちにて 永遠の眠りを与えよ 凍てつけ! ――エターナルコフィン!!」

 

 

 六課隊舎全土を、大寒波が襲う。凍てつく棺が全てを閉ざす。

 

 この場に居る人員を除けば、此処に居るのは寮に隠れた聖王守護の部隊のみ。

 味方を巻き添えにする危険はなく、ならば容赦などない全力解放が可能となるのだ。

 

 魔群もスカリエッティもガジェットも、全て逃さず氷の中に。

 絶対零度の極大凍結。真面な方法では、決して耐えられはしない大魔法。

 

 だが――この男は真面でない。

 

 

「ふむ」

 

 

 パチンと、指を弾く音と共に氷が砕ける。

 中から姿を見せた紫髪の男は、しかし傷が一つもない。

 

 白衣に滴る小さな水滴が、与えられた僅かな影響。

 軽く翻す事で水を払って、動揺一つないスカリエッティのその姿。

 

 それを見たクロノは其処に、確信した。

 

 

(やはり、居るな)

 

 

 予想はしていた。想定はしていた。

 この男の裏切りが判明した時に、先ず真っ先にその可能性を疑った。

 

 外れていて欲しかった。考え過ぎであって欲しかった。

 だが現実として、その予想は当たってしまった。最悪の予想が、的中していたのだ。

 

 

(魔刃や魔群や魔鏡と同じく、コイツの中にも何かが居る。この男の内面にも、同格以上の廃神(タタリ)が棲み付いている!)

 

 

 ジェイル・スカリエッティもまた、反天使(ダスト・エンジェル)の一柱なのだ。

 今のクロノでは倒す所か、抵抗すら難しい怪物達。それと同格かそれ以上の怪物が、彼の中に宿っている。

 

 そんな最悪の予想的中に、クロノは表情を僅か顰める。

 その変化は微かであっても、スカリエッティと言う狂人は見逃さない。

 

 一つ頷くと、彼は決めた。クアットロに任せるのは、此処までにしようと。

 

 

「……どうやら君に任せていては、少し時間が掛かりそうだね」

 

「ドクター!? まだ私はやれるわ!!」

 

「それは分かっているんだけどねぇ」

 

 

 父に見限られたのか、そう考えて慌てて主張をするクアットロ。

 そんな彼女に鷹揚な言葉を返しながらに、スカリエッティは静かに告げる。

 

 

「クロノ君には確実に消えて貰いたいんだ。だから、念には念を入れるとしよう」

 

 

 縋り付いて来るクアットロの分体に、頭を撫でて言い聞かせる。

 そうして再び、指を軽く鳴らしたスカリエッティ。その合図を待っていたかの様に、一人の女が其処に現れた。

 

 

「おいで、ウーノ」

 

「はい。ドクター」

 

 

 吹き付ける冷たい風の中、無数の無人兵器を伴って現れる戦闘機人。

 クロノは驚愕に目を開く。それはウーノ・ディチャンノーヴェの、その裏切りが理由ではない。

 

 スカリエッティが裏切った時点で、彼女の裏切りも想定内だ。

 ならば何が予想の外か、決まっている。その無人兵器が拘束する、小さな子供こそが予想外。

 

 

「お前達、その子は……」

 

「月並みだが、人質と言う奴だよ」

 

 

 ヴィヴィオ・バニングス。聖王の器たる少女。

 悪辣な男の罠が此処に。ガジェットに吊るされて、傷付いた幼子が其処に居る。

 

 

「ヴィヴィオ・バニングスが傷付く姿を見たくなければ、デュランダルを捨てて投降したまえ。命だけは、もしかしたら保障するかもしれないよ?」

 

「……貴様っ」

 

 

 ニィと亀裂が入った様に、歪に嗤う狂科学者。

 白衣を靡かせながらに幼子の命を盾にする。その有り様は、正しく悪役外道の所業であろう。

 

 クロノは歯噛みしながらに、僅かに逡巡する。

 武器を捨てたからと言って、それで解放される保証がない。

 

 人質を取る相手に対し、正しい対処は何もさせずに制圧する事。

 交渉をした時点で不利となる事は確定で、だが制圧する力もない時はどうなるか。

 

 どうしようもない。此処は従うしかないのである。

 命綱であるデュランダルを投げ捨てて、クロノ・ハラオウンはスカリエッティを睨み付けた。

 

 

「杖を離したね。それでこそ」

 

 

 そんな憤怒と憎悪の視線を、柳に風と受け流す。

 ニヤついた笑みを浮かべながらに、落ちたデュランダルを手にスカリエッティは弄ぶ。

 

 

「無防備になったわねぇ。ああ良くも」

 

 

 父に視線を集中させるクロノと同じく、憤怒と憎悪でクロノを睨むクアットロ。

 彼女の理屈は酷く単純だ。自分が無力化をさせられなかった。父の期待に答えられなかった。その怒りを、青年に向けているのである。

 

 

「ドクターの前で、アンタ如きを倒せないなんて無様晒させて。その恨み、きっちり晴らさせて貰うわよ」

 

 

 溢れんばかりに騒めく蟲は、明らかにクロノの命を狙っている。

 そのクアットロの蛮行を、スカリエッティは止めようともしていない。

 

 それを指摘されたなら、この狂人はこう答えただろう。命の保証はしていない、と。

 

 

「……まぁ、そう動くだろうな。予想通りだ」

 

 

 襲い来る魔群。嗤う狂人。囚われた幼子。

 身を支える武器すら失くしたクロノは、予想通りと呟いて駆け出した。

 

 守る必要のない口約束。それを相手が破ったならば、己が無抵抗にやられる筋合いとて何処にもない。

 破れかぶれの玉砕を思わせる形で駆け出したクロノ・ハラオウンは、自ら魔群の中へと飛び込んだ。

 

 

「んなっ!?」

 

「おや?」

 

 

 そして、発動する。無数のストラグルバインドを鎧の様に展開する。

 そして印を切らずに扱う術は神速通。三日は掛かる距離を半日までに、縮める陰陽術の移動術。

 

 

「杖が無ければ魔法が使えない。印を切らねば術が使えない。そんな理屈、誰が言ったっ!!」

 

 

 バインドを蟲の群れにぶつけて、その身を僅かに拘束する。一秒に満たぬ時を停めて、隙間を作って駆け抜ける。

 大地を縮める程の速さで駆け抜けるクロノが目指す先は、黒幕であるジェイル・スカリエッティ――ではない。

 

 

「っ! クロノ・ハラオウン!!」

 

「その子を、返して貰うぞ! ウーノ・ディチャンノーヴェ!!」

 

 

 彼は守る者。その行いが愚かと分かって、それでも人を守る者。

 諸悪の根源を倒して制圧するよりも、捕らわれた少女を救い安心させる事をこそ選んだのだ。

 

 限界を超えて、全身を血に染めながら、クロノは蹴撃をウーノに叩き込む。

 そうして無人兵器の制御が崩れた隙に、指先に展開した魔力の刃で捕らえる鎖を断ち切った。

 

 それで限界。意識の限界まで力を振り絞り、抱えた少女を取り戻す。

 金糸の少女は不安に揺れる瞳でクロノを見上げて、クロノはそんな彼女の頭を優しく撫でた。

 

 

「……クロノ、さん?」

 

「もう、大丈夫だ。ヴィヴィオ。君を傷付ける者は、もう居ない」

 

 

 抱き上げた少女の重さを、その命の重さと捉える。

 確証など欠片もなくとも、大切なればこそ守り抜くと此処に誓う。

 

 もう己は勝てないだろう。必ずや敗北しよう。そんな事、最大魔法が通じぬ時点で分かっていた。

 それでも彼女だけは守り抜く。ヴィヴィオ・バニングスだけは救い上げる。抱きしめる熱に、クロノはそう心に誓って――

 

 

「ああ、残念」

 

 

 それさえも、嗤う白衣の男の掌中でしかなかったのだ。

 

 

――アクセス・マスター。モード“エノク”より、バラキエル実行。

 

「がっ! なぁっ、にぃ……」

 

 

 埋伏の毒が牙を剥く。鮮やかな鮮血が宙を舞う。

 鋼鉄の爪が血肉を抉って、腹から背へと貫いていた。

 

 

「言っただろう。投降しないと、傷付く姿を見る事になるとね」

 

 

 信じられないと、瞠目するのは二人の人物。

 抱えた少女に腹を射抜かれた青年と、救い主をその手に掛けた少女である。

 

 

「ほら、心が傷付いた。幼子に人殺しをさせるなんて、悪い大人もいるものだねぇ」

 

「……まさか、君が、魔鏡だった、のか――」

 

 

 嗤う。嗤う。嗤う。そんな狂人の声すら届かない。

 予想外にも程がある魔鏡の正体に、クロノは彼女の名を口にする事しか出来なかった。

 

 

「ヴィヴィオ」

 

 

 肘から先が凶悪な爪へと、変貌した己の腕にこびり付いた血肉。

 その生暖かい感覚に震えていたヴィヴィオの瞳が、まるで機械の如き色へと変わり表情が抜け落ちる。

 

 彼女は最初から、ヴィヴィオ・バニングスの中に居た。

 いいや否だ。ヴィヴィオと言う人格自体が作り物。彼女は元から魔鏡であった。

 

 正体が明らかになった今に、ヴィヴィオと言う仮想人格を動かす理由はない。

 なればこそ此処に姿を見せるのは、最後の反天使である魔鏡アスタロト。

 

 

「アクセス・マスター。モード“エノク”より、サハリエル実行」

 

 

 腹を射抜かれて、墜ちて行くクロノの姿。そんな彼に向かって、アスタロトは此処に式を紡ぐ。

 黄金に輝く光子の縛鎖がクロノに絡み付き、物理的な破壊しか受け付けない封印がその身を捕らえた。

 

 勝敗は定まった。全ては最初から最後まで、この狂人の予想の内に。

 あらゆる抵抗も必死の抗戦も、詰んだ盤面ではその全てが無意味であったのだ。

 

 

「さて、折角だ。自己紹介をしなさい。アスト」

 

 

 大地に囚われたクロノは見上げる。短い金糸の髪を靡かせる幼子を。

 何時しか天使を思わせる白いドレスを纏った少女は、その焼け爛れた背中に光り輝く翼を背負って空に舞う。

 

 聖なる王の虹の輝き、それは魔鏡に穢された。

 そうとも魔鏡と言う反天使に堕とされる事で、聖王と言う存在自体が穢されたのだ。

 

 

「Yes.マスター。ヴィヴィオ・バニングス改め、魔鏡アストです。以後、お見知りおきを」

 

 

 命令されたから、行動した。無表情のままに、動く彼女の姿は受動的。

 機械の様に冷たい瞳と表情で名を名乗るアストは、クロノの事など見てすらいなかった。

 

 

「そう言う訳だ。中々に滑稽な芝居だっただろう?」

 

 

 最初から人質が敵だった。そんな八百長を、滑稽な芝居と嗤う。

 腹を抱えて嗤う白衣の男の背に、彼の配下である女達が身を控える。

 

 

「君の出番は此処で終わりだ。用済みの役者には、ご退場願おう」

 

 

 不死不滅の怪物。魔群クアットロ=ベルゼバブ。

 未来を識る中傷者。魔鏡ヴィヴィオ=アスタロト。

 

 怒りに耐える女と、無表情の少女。

 反天使二柱を従えて、ジェイル・スカリエッティは嗤い狂う。

 

 

「さようなら、クロノ君。君の事は然程、嫌いではなかったよ」

 

 

 そして振り下ろされる膨大な力。

 意識を失う直前に、クロノが見た最後の光景がそれだった。

 

 

 

 機動六課本部、此処に陥落。

 クロノ・ハラオウンは敗北し、事態は悪化の一途を辿っていく。

 

 

 

 

 

3.

 そしてスカリエッティは一人、暗い道を歩いている。

 地下へと続くその螺旋階段は、この世界を支配していると錯誤している老人達の居城へと繋がる道。

 

 

「さて、最高評議会が何処に潜んでいたか、答え合わせと行こう」

 

 

 暇を潰す様に、白衣の男が口にするのは独り言。

 自慢したがりな彼の言葉を聞く者は此処になく、既に次なる策の為に動き出している。

 

 

「嘗ては中央に居たのだろうが、既に場所を変えていた。ならばこそ、彼らは一体何処へ行ったか?」

 

 

 魔鏡はゆりかごに。聖なる王の血肉を以って、彼の古代兵器を起動させる。

 魔群は周囲の妨害に。万が一にもこの今に突破される訳には行かぬから、数を利用したエース陣への妨害を行っている。

 

 

「東か? 西か? 南か? いいや、どれも違っている」

 

 

 付き従うウーノはおらず、無人兵器すらも此処にはない。

 必要ないのだ。要らぬのだ。これから行うは唯の掃除。それだけならば、スカリエッティ一人で事足りる。

 

 

「そも、聖王教会とは何か? ベルカ時代の遺産を受け継ぐその文明。ああしかし、何故これ程に当時の文化が残っている? 問うまでもなく、答えなどは決まっている。受け継ぐ者が居たからだ。守り継いだ者が居た。後援者が居たんだよ」

 

 

 聖王教会の来歴を口遊みながらに、彼が歩くのはベルカ自治領。

 その中心にある聖王教会大聖堂。聖なる王の玉座の下に、地下へと続くその階段は存在していた。

 

 

「ベルカ崩壊期。彼の時代に、ベルカの諸王に力はなかった。だからこそ、最上位の身分にあった聖王陛下が、自爆特攻などしたのだよ」

 

 

 ゆりかごによって、次元世界の崩壊を防いで死したと語られる聖王オリヴィエ。

 ベルカ最上位の権力者が自決同然で動かなければならなかったと、その状況こそが示している。

 

 当時のベルカ王室には既に力がなく、聖王教会の様な組織を生み出す事は出来なかった。

 ならば必然、作り上げたのはベルカの民ではない。聖王を奉る宗教を、生み出したのは彼らではないのだ。

 

 

「故に守り継いだ者。それはベルカの者ではない。当時台頭を始めた者ら、即ち、ミッドチルダの人間だ」

 

 

 聖王。覇王。雷帝。冥王。黒のエレミア。

 数多くの王室縁の聖遺物やその血縁。それらが今も残っている事こそその証左。

 

 全てが滅びる前に、聖王教会を立ち上げ彼らを保護した者が居た。

 彼らは聖王への確かな信仰心を胸に抱いて、故にこそこの組織を作り上げた。

 

 そんな彼らの名称を――管理局最高評議会と言うのである。

 

 

「聖王教会は、そも最高評議会が作り上げた物。なればこそ、どうして北のベルカ自治区にだけ、研究施設が存在しない?」

 

 

 聖なる場所だから、それを置かずに居たのであろうか。

 成程それも理由の一つ。彼らの信仰心の厚さを思えば納得しよう。

 

 だがそれ以外にも理由がある。

 

 

「答えは単純だ。それこそ簡単だ。考えてみればそれしかないと、赤子でも分かる程の問い掛けだろう」

 

 

 それは単純、もしもの時に逃げ込む最後の場所。

 聖王教会周辺の土地を安全地帯へと、彼らが設定していたからだ。

 

 ならば――

 

 

「聖王教会の地下。最も深き場所にこそ、彼らは居るのだ」

 

 

 彼らは今、此処に居る。この聖王教会にこそ彼らは居るのだ。

 嗤いながらに歩を進める狂人は、底に辿り着いて確信する。其処に突き刺さった聖なる槍は、正しく彼らに残った最後の切り札。

 

 聖約・運命の神槍(ロンギヌスランゼ・テスタメント)

 

 

「当たり、だね」

 

 

 命を惜しみ隠れ潜む棲み処を変えた老害たち。

 培養槽に浮かぶ脳髄を見下しながらに、ジェイル・スカリエッティは暗い笑みを浮かべていた。

 

 

〈どういう心算だ。ジェイル・スカリエッティ〉

 

 

 スカリエッティの到来に、最高評議会は詰問する。

 怒りが強く滲んだその言葉は、この場にやって来た事への問いなどではない。

 

 彼ら最高評議会にとって、この男は決して許されぬ事を行ったのだ。

 今にもその身を八つ裂きしたい程の怒りに耐えて、機械音にて詰問する三つの脳髄。

 

 そんな冷静であろうとする努力を、ジェイル・スカリエッティは鼻で嗤って塵と見下す。

 

 

「おや、何がかな? ご老人方」

 

〈分かって居よう。分かっていて、韜晦するかっ!?〉

 

〈アレは許されん。アレは、アレは、アレだけはぁぁぁっ!!〉

 

「……困ったなぁ。ハッキリ言って貰えなくば、幾ら私でも分からぬよ」

 

 

 韜晦する白衣の男を前にして、三つの内の二つが激する。

 憎悪と憤怒を叫ぶ脳髄を前にして、ヘラヘラと嗤って流すがこの狂人。

 

 

〈嘘偽りなく答えよ。ジェイル・スカリエッティ〉

 

 

 残る一つの脳髄が、旧き当時の指導者が、努めて冷静に言葉を掛ける。

 その予想外な程に理性的な態度に僅か敬意を抱き、スカリエッティは中央に座す脳髄へと向き合った。

 

 

〈我らは、お前に神を作れと命じた〉

 

「うむ。そうだね。……だが私には、頷いた記憶がないねぇ」

 

 

 魔導の神を作り出せ。そう命じたのは最高評議会。

 その言葉を前にして、ジェイル・スカリエッティは意味深に笑みを浮かべただけである。

 

 約束などしていない。頷いてすらもいない。作ると断じた覚えはないのだ。それはそんな、子供の言い訳にもならない言葉。

 

 

〈我らの王は、あの日に世を救った尊き王は、信仰すべき偉大な王は――正しく神であるべきだった!〉

 

「そうかなぁ? それは疑問が残る話だ。所詮聖王オリヴィエは、祀り上げられただけの唯人だろうに。神ならば、死なずに救えと言うのだよ」

 

 

 語る度に湧き上がる怒りを堪え切れずに、語調が荒くなる脳髄。

 その反応に、やはりその程度かと身勝手な落胆をして、ジェイル・スカリエッティは鼻で嗤う。

 

 彼らの語る。聖王への異常な期待。

 それが科学者に過ぎぬ男には、とんと理解が出来ない事だった。

 

 

〈それを、それを、それを貴様はっ! よりにもよってぇぇぇぇっ!!〉

 

〈反天使だと!? あのお方を、聖なる王を其処まで穢すかぁぁぁぁぁぁっ!!〉

 

 

 最高評議会が怒り狂う理由がそれだ。彼らは信心深い教徒であって、故に決して許せない。

 神になるべき聖なる王を、その正反対である堕天使に貶めた。ジェイル・スカリエッティのその行動は、何より重い大罪なのだ。

 

 

「ふふふ、ふふふふふ」

 

 

 信仰する神の、複製を身勝手に作ろうとして今更何を。

 ジェイル・スカリエッティは傲慢な儘に、彼らの怒りを冷ややかに見下す。

 

 そうして、嗤いながらにその教訓を口にした。

 

 

「一つ利口になったじゃないか? 一番大切な者を、他人に任せてはいけないよ」

 

 

 任せてはいけない。頼ってはいけなかった。聖なる王を、この男に預けた事こそ彼らの過ち。

 

 

「こんな風に、特に理由もなく、唯の気紛れで、何もかも台無しにされてしまうからねぇ」

 

 

 ヴィヴィオでなければいけない。そんな理由などはなかった。

 彼女を選んだのは、唯の嫌がらせ。己を生み出した老人達が、怒り狂い絶望する姿が見たかったからに過ぎないのだ。

 

 

《ジェイル・スカリエッティィィィィィィィッ!!》

 

「ククク、クハハ、ハハハハハハハハハッ!!」

 

 

 希望を絶たれ、信仰を穢され、憎悪を叫ぶしか出来ない三脳。

 そんな負け犬たちの姿を無様と見下し、堪え切れないと腹を抱えて嗤っている。

 

 この男こそ、最低最悪の破綻者だ。

 

 

「散々苦しめて来たんだろう? 散々絶望を重ねて来たんだろう? ならば、これもまた因果応報。相応しい幕切れと言う物だ」

 

 

 最高評議会の怒りと共に、防衛装置が駆動する。

 無数の魔力弾と質量兵器が火を噴くが、この狂人には届かない。

 

 彼は傲慢なる者。第四番目の反天使。

 そんな小さな豆鉄砲で、この怪物は揺るがせられない。

 

 

「そんな君達に、私から最期に贈ろう。用済みな君達には、最早過ぎた幕と知るが良い」

 

 

 白衣を風に靡かせて、その全身から暗き魔力を此処に発する。

 歪んだ笑みを浮かべたままに告げるのは、傲慢と言う罪を介して奈落へ繋がる式である。

 

 

「アクセス――我がシン」

 

 

 彼に宿りしモノ。彼が宿したモノ。

 それは傲慢にも神になり変わろうとして、地の底に落とされた悪魔の王。

 

 

「アルファ オメガ エロイ エロエ エロイム ザバホット エリオン サディ」

 

 

 明けの明星。サタナエル。或いは悪魔王ルシファー。

 そう語られる存在。奈落の最奥たるジュデッカより、スカリエッティはその力を此処に引き出す。

 

 

「汝が御名によって、我は稲妻となり天から墜落するサタンを見る」

 

 

 止めろと、誰かその呪詛を止めろと、最高評議会が騒いでいる。

 だが無人機械では止められない。だが彼らの言葉に従う味方はいない。

 

 それは正しく因果応報。彼らは己達が生み出したこの狂人を、最早止める事が出来ないのだ。

 

 

「汝こそが我らに そして汝の足下 ありとあらゆる敵を叩き潰す力を与え給えらんかし いかなるものも 我を傷つけること能わず」

 

 

 溢れ出す奈落の力は、しかし異様な程の清浄さを伴って。

 これは全てを洗い清める力。聖の極致に位置する光は、正しく神の裁きが如く。

 

 

Gloria Patris et Fillii(おお、グロオリア) et Spiritus Sanctuary(永遠の門を開けよ)

 

 

 だが違う。此処に開くは奈落の門。此処より出でるは悪魔のみ。

 ならばどれ程に清らかに見えても、その本質は淀んでいる。何よりも悍ましい程に、それは人の憎悪と狂気の集合体だ。

 

 

「“Y”“H”“V”“H”――テトラグラマトン」

 

 

 口にするのは、神の御名。此処に紡ぐは聖四文字。

 

 

「“S”――ペンタグラマトン」

 

 

 其処に罪を意味するSを。反逆の天使の名を意味するSを。己の名を意味するSを加える。

 神と己が同一であると、そう僭称するかの如き言葉。平然とそう口に出来る事こそ、彼が傲慢の罪を宿した証明だ。

 

 

「永遠の王とは誰か 全能の神 神は栄光の王である」

 

 

 YHSVH。偽りにして不完全なる神が、此処にその神威を示す。

 

 

「ネツィヴ・メラー」

 

 

 溢れ出す光は最早誰にも止められない。

 病的なまでに清い光が放たれて、教会の地下を遍く照らし出した。

 

 

「これは罪深き衆生を、塩の柱へ変えて清める。神の御業だ」

 

 

 そして、後には一つしか残らない。

 あらゆる悪性のみを清める光に焼き尽されて、後に残るは塩の柱だけである。

 

 

「本質的に善人ならば僅かにでも、何か残るかとも思ったが……どうやら君達は、全て塩に変わってしまったねぇぇぇ」

 

 

 正義を気取った彼らの、その余りに無様に過ぎる幕。

 全てが悪と断じられて消滅したその結果に、スカリエッティは腹を抱えて嗤い出す。

 

 

「ハハハ、ハハハハハハハハハッ!!」

 

 

 これでは道化だ。余りにも彼らの生涯は、喜劇に満ち溢れている。

 未来を願って、切り拓く事を祈って、しかし化外に堕ちて浄化された。

 

 その果てに塩しか残らぬ程に、彼らに初心は残ってなかった。それが何よりも明確に、この場で示されたのだから。

 

 

「では、塵掃除も終わった事だし、本題に入ろうか」

 

 

 一頻りその生涯を嗤って、そして狂人は切り替える。

 私的な復讐はこれで御終い。塩になった彼らなど、最早記憶に残す価値もない。

 

 故に、彼は喇叭を吹き鳴らす。此処に終末の喇叭を一つ、開幕の合図と鳴らすのだ。

 

 

「始めたまえ、アスト。黙示録の喇叭は、今此処に吹き鳴らされたのだ!」

 

〈イエス。マスター〉

 

 

 スカリエッティの合図に答えて、アストは行動を始める。

 其処はスカリエッティのラボが一つ。掘り起こされた巨大戦艦が眠る場所。

 

 その戦艦の内側。ゆりかごの玉座に座る幼子は、可憐な声で唇を震わせた。

 

 

「ゆりかごを起動。浮上を開始します」

 

 

 轟音と共に、巨大戦艦が動き出す。

 大地の地表を捲り上げ、全長数千メートルという超弩級戦艦が浮かび上がった。

 

 これこそ聖王のゆりかご。

 核に聖王の血族を配置する事で動き出す、古代ベルカの最終兵器。

 

 

「移動完了。双子月より、魔力の流入を確認」

 

 

 大地に居る誰もが驚愕し困惑する中、聖王のゆりかごは空高くに浮かんで止まる。

 重なる双子月より魔力を受けて、その艦艇へと巨大な魔力が流れ込んでいく。

 

 

「魔鏡より、魔刃、魔群、両名に通達。黙示録の喇叭は鳴った。今こそ、失楽園の日を始めましょう」

 

 

 さあ、準備は此処に整った。今こそ、失楽園の日を始めよう。

 

 

 

 先ず最初に答えたのは、この日を待ち侘びていた女であった。

 聖王のゆりかごに気付いて動き出そうとした局員達に、散発的な襲撃を繰り返しながらに呪詛を紡ぐ。

 

 

「アクセス――魔群クアットロ=ベルゼバブより、奈落(アビス)接続(アクセス)

 

 

 漸くだ。漸く完成出来る。その実感に歓喜を抱いて、魔群クアットロは繋がった。

 

 

 

 そして次に答えたのは、激闘の中で冷静に見下す悪魔であった。

 

 

〈残念。時間切れだな。相棒〉

 

 

 彼は少年の内側から、その制御を奪い取る。

 少年の魂を砕く様に握り絞めながら、その内側で嗤っている。

 

 

「っぁ!? 何の、真似だ、ナハトォッ!?」

 

〈直ぐに分かるさ。……アクセス――魔刃ナハト=ベリアルより、奈落(アビス)接続(アクセス)

 

 

 苦しみ足掻く少年に、愉悦しながら悪魔は嗤う。

 そして魔刃ナハトも此処に、その身を奈落に繋げるのだった。

 

 

 

 魔刃と魔群。そして魔鏡。反天使三柱の接続により、この今に奈落は顕在化する。

 成り果てた歪み者達を繋ぎ合わせて作り上げた肉塊が、聖王のゆりかごの最奥にて鼓動している。

 

 

「魔刃。魔群の接続を確認。奈落(アビス)より魔鏡(アスト)を介して、ゆりかごへのダウンロードを開始する」

 

 

 そして、その肉塊とゆりかごを此処に繋ぎ合わせる。

 ヴィヴィオと言う聖王の器を媒介にして、聖王のゆりかごその物を奈落に作り変えるのだ。

 

 

「15.30.52.78.96……コンプリート。聖王のゆりかごにダウンロードした情報の、インストールを実行」

 

 

 侵食する肉塊。膨れ上がる悲鳴と憎悪。

 黄金色の宇宙船は、赤黒い血肉の色へと染まって変わる。

 

 空に浮かんだ船が消え去り、其処にあるのは醜悪な肉塊。

 聖王のゆりかごは此処に、その全てを狂気の奈落へ作り変えられた。

 

 

「聖王のゆりかごの、奈落(アビス)化に成功。第一段階を終了し、次いで第二段階に移行します」

 

 

 これにて、第一段階は終了。そして続くは第二段階。

 全てはこの時の為に、続く第二段階の為にこそ、魔鏡は六課に潜んで来たのだ。

 

 

「アクセス――マスター。モード“聖王教会”より、カリム・グラシアを実行」

 

 

 発動するのは、写し取った予言者の著書と言う希少技術(レアスキル)

 他者の体液を取り込む事で、魔鏡アストはあらゆる異能を模倣する。

 

 

「アクセス――マスター。モード“機動六課”より、ヴェロッサ・アコースを実行」

 

 

 同時に発現するのは、ヴェロッサ・アコースの思考捜査。

 

 世界中に散在する情報を統括・検討し、予想される事実を導き出すデータ管理・調査系の魔法技能である予言者の著書。

 其処にあらゆる人間の脳内から情報を奪い取る思考捜査が加われば、魔力の届く範囲内において認識できない事など存在しなくなる。

 

 

「周辺次元世界にある全情報を捜索。未確認次元世界を含め、二十の次元世界の存在を確認」

 

 

 見付け出した世界の羅列。その情報を認識して、次に発現するのは異なる力。

 認識出来る世界ならば、あらゆる場所に干渉出来ると言うその異能を此処に発動する。

 

 

「聖王のゆりかご。次元干渉機能を解放。同時に、モード“機動六課”より、クロノ・ハラオウンを実行」

 

 

 万象掌握。其処に重ねるのは、ゆりかごが持つ次元の壁を超える機能。

 予言者の著書と思考捜査の応用で見付け出した世界へと、これで干渉する手を手に入れた。

 

 

「万象掌握。確認済み次元世界へ、干渉を開始。……補足、完了」

 

 

 そしてアストは、其処にもう一つを加える。

 足し加える異能は、嘗て狂気に堕ちた魔導書の操った異能である。

 

 

「アクセス――モード“夜天”より、万仙陣を実行」

 

 

 夜天の書。その能力を観測したスカリエッティは、同じ物を再現しようとした。

 その集大成が奈落であって、ならばその過程が存在しない筈もない。

 

 復活させたベルカの技術を利用して、夜天の書と同じ物を作り上げる。

 そうして疑似的に彼女が辿った道を再現させて、同じ様な恐慌状態を作り上げて見れば良い。

 

 度重なるトライ&エラー。出来損ないの山が生まれるその先に、最低限実用に足りる物は出来上がった。

 ならばそれを、アストに食わせれば完成だ。此処に魔鏡アストは彼女の、狂気の万仙陣を習得するに至っていた。

 

 

「廻れ。廻れ。廻れ。……皆、奈落の底へ堕ちるが良い」

 

 

 そして、万象掌握と言う手によって、眼に映る人々を次から次へと夢界に堕とす。

 憎悪と殺意と憤怒と絶望に染まった夢界。即ち奈落の奥底へと、生きとし生ける者全てを片っ端から堕としていく。

 

 

「コンプリート。周辺次元世界に存在する。全ての知的生命体の、奈落への接続を確認」

 

 

 そして、人間はいなくなった。

 抗うごく少数の局員達を除いて、目に映る全てが奈落の底へと堕ちた。

 

 

「第三段階へ移行。奈落による魔鏡のアップデートを開始……完了」

 

 

 そして、強大になった奈落の力で、自分自身を再構築する。

 

 夢界の廃神は夢界の規模が増える程、その力を増やすモノ。

 其処で最適化を加えれば、反天使は圧倒的な力を得る。この今に再誕したアストは、先より一回り以上に強大だ。

 

 

「第四段階へ移行。モード“聖王教会”より、カリム・グラシアを実行」

 

 

 だが、これで終わりと言う訳ではない。これは唯の始まりだ。

 

 膨れ上がった規模を用いて、もう一度先の行動を繰り返す。

 手の届く範囲は広がり、干渉出来る規模もまた膨れ上がったのだ。

 

 ならば結果もまた同じ、先より広い範囲を奈落に染め上げ、そうして己の力をまた一回り強くする。

 

 

「アクセス。アクセス。アクセス。アクセス」

 

 

 そして、繰り返す。接続を繰り返す。

 干渉する世界を少しずつ増やしながらに、奈落の規模を広げていく。

 

 

「アクセス。アクセス。アクセス。アクセス」

 

 

 何度も、何度も、何度も、生きとし生ける者を地獄に引き摺り込む。

 奪い取った魂の力を薪として絞り出して、次なる獲物へ手を伸ばし続ける。

 

 

「アクセス。アクセス。アクセス。アクセス」

 

 

 止まらない。止まらない。止まらない。その浸食は止まらない。

 膨れ上がって肥大化する奈落は、取り込める生き物がいる限り成長を止めない。

 

 ならばそう。そう長く時間を掛けぬ内に、あらゆる命が奈落に堕とされたのは必然の結果だ。

 

 

「アクセス。コンプリート。……存在する全ての次元世界。生きとし生ける者全ての、奈落への接続を確認」

 

 

 覇道神と言う神の身体。その中にある全ての命。それが今、全て奈落に繋がれた。

 抗えたのは極一部。このクラナガンと言う戦場に居た、極一部のエース達のみである。

 

 他の者らは皆々全て、反天使達の糧となった。

 そして訪れる結果は当然。最終段階とは即ち、世界全てを飲み干した奈落による悪魔の強化だ。

 

 

「最終段階へ移行。反天使のアップデートを開始する」

 

 

 ゆりかごと言う肉塊が蠢いて、彼らに無限を思わせる力が注がれる。

 全能の神の力を簒奪して、彼ら反天使は此処にその完成を迎えるのだ。

 

 

「来た。来た来た来た来たっ! 漲って来たぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 爆発的に注ぎ込まれる力。身体に満ちる全能感に、クアットロ=ベルゼバブは嗤い狂う。

 待ち侘びた時の訪れに歓喜の涙さえ流しながらに、魔群は此処に完成した。

 

 

「うふふ。ふふふ。ふふふふふ! 完成した。この今に、私は此処に完成したっ!!」

 

 

 溢れ出した魔力が齎す力は即ち、膨大な程の物量。

 膨れ上がった数は瞬く間に、世界全てを埋め尽くす。

 

 

「絶対的な物量。無限を体現するこの質量。これこそ正しく、完全なる最高傑作っ!!」

 

 

 蟲だ。蟲だ。蟲だ。蟲の数は空を埋め尽くす程に、大地に足の踏み場もない程に、海が黒に染まる程に。

 それだけではない。一つの次元世界を隙間なく埋め尽くして、それでもクアットロの数にはまるで足りていない。

 

 溢れ出した数はそれより外に、ミッドチルダを含めた管理世界全てを隙間なく埋め尽くして未だ余る。

 地球も、他の次元世界も、彼の聖地である穢土ですら、蟲の群れが隙間なく埋め尽くして、それでもクアットロの全てを受け入れるに足りていない。

 

 正しく無限だ。増え続ける刹那に大量に殺されても、それでもすぐさま埋め尽くす。

 並行世界は愚か過去未来現在全て、遍く隙間を埋め尽くしてもそれでも余る程の無限数。

 

 一匹一匹は大した事がない。先と然程変わらない。

 だがこの数は決して滅ぼせない。それは旧き神々であっても変わらない。クアットロは殺せない。

 

 

「見ていて下さい。ドクター。貴方の最高傑作が必ずや、神殺しを果たしますっ!」

 

 

 三千世界を全て満たして、それでも足りぬ無限数の悪魔。

 完成した魔群クアットロ=ベルゼバブと言う不死不滅の怪物は、此処に勝利を宣言する。

 

 

 

 そして、クアットロが数ならば、この怪物はその真逆。

 無限数と言うその物量を、真っ向から覆せる個の極致こそナハト=ベリアル。

 

 

「が、がぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

「っ! エリオっ!?」

 

 

 溢れ出す力。内から魂を切り裂かれながら、エリオは絶叫を上げて苦しみもがく。

 まるで呼吸が出来ない様に、喉を掻き毟りながらに蹲るその姿は、対立していたトーマであっても異常を感じる程の物。

 

 のたうち回る少年を無駄に苦しめながら、嗤う悪魔が浮かび上がる。

 

 

〈全ては終わる。今日この日。全てが無価値になって終わるんだ〉

 

 

 エリオの魂。彼を支える悪魔がその手で、少しずつ引き千切り潰しているのだ。

 内側から壊されて、奈落の底へと引き摺られて行く。そうして愛する子を地獄の底へと突き落とし、悪魔は此処に嗤い狂う。

 

 

安心して眠れ(クルシミモガケ)エリオ・モンディアル。お前が救いたかった者は、全て俺が救って(コワシテ)やるよ〉

 

「ナハトォォォォォォォォォッ!!」

 

 

 絶叫と共に、エリオは倒れた。その魂は細かく千切られ、奈落の底へと堕ちて行く。

 そして入れ替わる様に、表に浮かぶは無価値の悪魔。膨大な威圧を発しながらに、赤き瞳の悪魔は嗤う。

 

 

「ふふふ。お休み相棒。そしておはよう。我が反身」

 

 

 黒い二つの翼を羽搏かせ、亀裂の様な笑顔で嗤う。

 発する魔力の重圧は、先までの比ではない。どころか、トーマですら感じた事のない程に。

 

 感じる重圧。吹き付ける殺意。湧き上がる怖気と恐怖。

 ただ其処に居るだけで全てを押し潰す様な、そんな怪物が其処に居る。

 

 

「今日の凶日。この禍つ時に、出会えた宿命に、精々嘆き足掻き苦しむと良い――何もかも全て、等しく無価値だ」

 

 

 コイツは怪物だ。ナハト=ベリアルは怪物だ。

 感じる力は、記憶に薄れた覇道神にすら迫るか、或いはそれさえ超える程。

 

 間違いなく、今のナハトは最強だ。覇道神と呼んでもおかしくない程に、今のコイツは極まっている。

 単純な性能と言う面において言うならば、夜都賀波岐の両翼ですら届くまい。そう確信できる怪物だった。

 

 

「お前達は、この世界の最強種である俺が生まれた瞬間に、立ち会ってしまったのだから」

 

 

 その自負は傲慢ではない。無頼の悪魔が告げるのは、紛れもない事実である。

 無限数と対を為す圧倒的な個の質量を前にして、崩れ落ちたトーマはその顔を見上げる事すら出来なかった。

 

 

 

 

 

「これは即ち人の夢。この世界にある全ての命、全ての魂の集合体」

 

 

 此処に、スカリエッティの策は為る。

 彼の生み出した反天使は完成し、世界は奈落に堕とされた。

 

 

「無限質量と言う数の暴力。魔群クアットロは既にして、正しく不死身の怪物と成り果てた。彼女を滅ぼす術などない」

 

 

 クアットロ=ベルゼバブは滅ぼせない。

 次元世界全てを同時に消し去ったとしても、彼女は生き延びるであろう程に不死身である。

 

 単純な力ではなく、不滅の無限数と言う怪異。

 その数の暴力を前にして、この今に一体何が為せると言う。

 

 

「並みの覇道神など遥かに超える個の暴威。歴代の神々すらも超える怪物となった魔刃ナハト。単純な力量ならば、今の彼は最強の大天魔すらも超えている。そんな怪物を倒す術が何処にある」

 

 

 歴代の覇道神。第一と第二を優に超えたその性能。

 天魔・夜都賀波岐ですら切り札を切らねば、倒せない程に至ったこの怪物。

 

 絶対的な個の暴力を前にして、抗える者などミッドチルダの何処にもいない。

 

 

「以って織り成す、この地獄。これこそ私が望んだ、パラダイスロストっ!!」

 

 

 これぞ、失楽園の日。彼の描いたパラダイスロスト。

 反天使達が作り上げる阿鼻叫喚の地獄が此処に、その幕を開くのである。

 

 

「さあ、始めよう。我らを包む優しき楽園。その最期を彩ろう!」

 

 

 傲慢なる者が宣言する。ジェイル・スカリエッティは断言する。

 此処に神世の時代の終わりを、そして己の勝利が齎されるその時を。

 

 

「レェェェスト・イィィィン・ピィィィィスっ! ククク、クハハ、ハハハハハハハハハッ!!」

 

 

 次元世界全てを巻き込んで、白衣の狂人は狂った様に嗤うのだった。

 

 

 

 

 




〇覚醒反天使の戦力値。()内は神格係数。
・魔鏡アスト(30)奈落維持に力を割いているので、覚醒反天使勢だと最弱状態。
・魔群クアットロ(35)力の大半を数に分けているので、個々の力はそれ程でもない。その分殺し辛い。現在進行形で夜都賀波岐が駆除してる。けど減らない。
・魔刃ナハト(75)個体強化に全振り。元々内包するエリオが流出域に至っていた事もあって、完全に怪物化。でもマッキースマイルは勘弁な!

・スカさん(?)ナハトよりは弱い。クアットロよりは強い。その分制御は完璧とか、そんな感じ。



◇魔鏡関係の伏線一覧。

〇分かり易い物。
・傀儡ティーダさんが撃退された後、ヴィヴィオがアリサを怖がっていた点。(焼かれた感覚を共有してたので、ヴィヴィオがアリサを怖がるのは自然)
・度々あったヴィヴィオが血を舐めるシーン。変な所で出て来た事など。(実は怪しい人に声を掛けていたのは意図的。ヴィヴィオがあの場面で情報収集をしていた)
・魔鏡に火傷があると分かって、その後にヴィヴィオが怪我をしたと言う話が出た事。(背中を火傷したのはホテルアグスタの際、その傷を隠す為に自分で魔群の毒を浴びた)


〇分かるかテメェ、レベルの代物。
・ホテルアグスタでのゴグマゴグ発射の際、死んでいた筈の三提督がアリサを庇った事。
(異能者ではない彼女達が動ける筈がない。実は母を庇ったのは三提督ではなく、裏で操作していたヴィヴィオだった。因みに背中の火傷は、その時の代償)
・スカさんの遺言が、ヴィヴィオの培養槽の上にあった事。
(スカさんによって、聖王の存在自体が貶められている事の暗喩であった)


 そんな訳で、ヴィヴィオが魔鏡でした。
 カリムやウーノ? 唯のミスリードですけど何か?




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第二十五話 失楽園の日 其之壱

失楽園の日、遂に始まる。

それはそうと疑問なのだが、07年版赤騎士創造の“無限に広がる爆心地”って本当に無限に広がるのだろうか?


1.

 病室の白いベッドの上、手摺りに体重を掛けて起き上がる小さな少女。

 

 その額に浮かぶのは、苦悶が故に流れる脂汗。

 無造作な寝癖と汗に桃色の髪が張り付いて、それを不快に思う余裕すらもキャロにはない。

 

 動かないのだ。腹から下のその部位が、まるで自分の物ではないかの如く。

 重い錘を引き摺っているかの様な倦怠感。中途半端に残る触覚だけが、その異常を確かに伝えて来る。

 

 真面に起き上がる事すら出来ない身体。両手に如何にか力を込めて、上体を起こして息を吐く。

 そうして口に呟く名前は、己をこんな身体へ変えた、そんな少年の名前であった。

 

 

「エリオ君」

 

 

 断ち切られた胴は如何にか再び繋がったが、神経系には異常が残っている。

 それでも腹から下を槍で切り落とされて、こうして命がある事自体が幸運だろう。

 

 貶められた半身不随。最早自由に立って歩く事も出来なくて、其処に感じる想いはある。嘆きや悲しさは確かにある。

 それでも、それだけだ。悲しいと言う感情は恨みに変わらず、こんな状態にされた今となっても、彼へと向ける想いは変わらない。

 

 

「奈落。其処に君が居る」

 

 

 夢に見ていた。夢で見ていた。ほんの僅かな一瞬に、夢界に繋がれ掛けた少女は垣間見た。

 堕ちていた。奈落の底へと堕ちていき、悪魔の贄となったその姿。嗤う悪魔に食い潰されて、底の底に繋がれていた少年を。

 

 その悲痛な叫びを前に、助けの手を伸ばしたいと思っている。何も出来ないと知っていて、それでも駆け付けたいと願っている。

 誰にも頼れなかった少年だ。頼れる人が誰もいないから、誰にも頼らず生きるしかなかった。そして生きて来れてしまった。そんな悲しい少年だ。

 

 だからこそ、その最期は孤独となろう。無頼を貫き通せてしまったから、きっと助けは得られない。

 そうと分かって、だから無意味であっても傍に居たい。この想いが無価値であっても、その傍らで支えたいと願っている。

 

 それでも、そうと出来ない理由があった。

 僅かに触れて消えたその手の、確かな温かさが残っていた。

 

 

「ヴィヴィオ」

 

 

 それは友達の名前。友になるのだと言葉に誓って、当たり前の平穏を共に過ごした少女の名。

 魔鏡と堕ちた彼女はしかし、それでも堕ちきってなどいなかった。ヴィヴィオは彼女を、奈落に繋がなかったのだ。

 

 眠るキャロにその手で触れて、確かに其処で逡巡したのだろう。

 微かに一度は繋がったから、その悪夢の景色を垣間見た。それでも堕とそうとした時に、ヴィヴィオは其処で立ち止まった。

 

 

「貴女はまだ、全てを捨てた訳じゃない」

 

 

 奈落に繋がれた人々は、夢の世界で悪夢を見る。

 反天使の力の増強装置となり、故に彼らの攻撃対象からは外される。

 

 その数が力を保証するのだから、好き好んでその土台を壊そうとする反天使などいない。

 それでも、絶対に安全と言える立場ではない。奈落の一部になると言う事は、彼らの糧となるも同義である。

 

 意図して潰される事はないが、無理な力の行使をすれば消費する。

 生かさず殺さず搾り取っている内ならば問題ないが、大規模な力の行使は材料となった人々の命を使う。

 

 悪魔たちが廃神として、己の異能を行使するだけなら何ら問題はないだろう。

 だがその本分から外れる程に、消費は大きくなっていく。そして最初期の奈落を広げると言う行為は、正しく過度な消費に当たるのだ。

 

 奈落に喰われるだけならば、意識を保っているより危険が少ない。悪い夢を見るだけ、身体が疲弊するだけ、その程度で済む話。

 だが、ミッドチルダと言う土地だけは例外だ。その世界を中心とした一桁代の次元世界。最初期に堕ちる世界群だけは、犠牲となる危険性が跳ね上がる。

 

 だからヴィヴィオは迷ったのだ。眠るキャロの首に手を掛けて、それでも奈落に堕とさなかった。

 それは一つの証左である。嘗て彼女が母を庇った様に、そして今友達を殺せなかった様に、ヴィヴィオ・バニングスは消えていない。

 

 微かに触れたキャロは気付いている。魔鏡と言う悪魔はしかし、救えない怪物などではない。

 彼女が今も友達の事を大切な記憶と残しているならば、きっとキャロの手は届くのだ。この声は届く、想いはきっと伝わるのだ。

 

 

「エリオ君。ヴィヴィオ」

 

 

 奈落に堕ち掛けたキャロには分かる。あの人の憎悪で生み出した地獄の先に、手を届かせる事など出来ない。

 キャロ・グランガイツでは不可能だ。只管に一つを願って堕ちても、最下層たるジュデッカに辿り着く前に止まってしまう。彼女にエリオは救えない。

 

 その手に掛けられなかったキャロには分かる。ヴィヴィオは今も境界線上の上に居て、逡巡のままに立ち止まっている。

 このまま放置していれば、必ずその心は暗く染まって消えるだろう。それでもこの今に想いを確かに伝えれば、まだ引き返せる場所に彼女は居る。キャロがヴィヴィオを救えるのだ。

 

 救えない。救える。此処にあるのは一つの天秤。

 愛と友情を秤に掛けて、揺れる天秤は答えを既に示している。

 

 

「ごめんね」

 

 

 流れる涙は誰が為か、この今に分かるのは唯一つ。

 どちらも同じく大切だと言うならば、確かにこの手が届く方を選ぶ以外に道がない。

 

 

「さようなら、エリオ君」

 

 

 何となく、予感があった。此処で逢おうと望まなければ、もう最期まで逢えなくなると。

 だから此処に別れを告げて、涙と共に瞳を閉ざす。そして数秒、再び開いた瞳には、最早弱さの色などなかった。

 

 

「ヴィヴィオ。今、助けに行くね」

 

 

 助けに行くと心に決めて、動かぬ足を両手で引き摺る。

 無理に起き上がろうとした代償に、ベッドから転がり落ちそうになるキャロ。

 

 その小さな身体を、白き竜の背が受け止めた。

 

 

「フリード」

 

 

 キャロの身体を背負える程に、大きくなった白竜が視線を投げる。

 歩けぬ少女の足の代わりと、そうなる意思がその目にあった。だからこそ、これは唯の確認だ。

 

 

「連れてってくれる?」

 

「きゅくるー!」

 

 

 優しく背を撫でる少女に向かって、白き竜は鳴き声一つで答えを返す。

 問うまでもない。確かめるまでもない。我が身は動けぬ貴女の足に、共に戦場を駆け飛ぼう。

 

 フリードの力強い一声に、頷いたキャロはその背に跨る。

 両手で如何にかよじ登って、股を締める事が出来ない故に魔法で縛る。

 無数のバインドで下半身を固定して、そしてケリュケイオンを両手に握る。

 

 これで準備は万全だ。そう頷いて、キャロは前を見る。

 

 

「さあ、行こう」

 

「――って、その何処が万全だってのよ」

 

 

 そうして飛び立とうとしたキャロの前に、呆れた表情を浮かべる少女が姿を見せる。

 そうとも、キャロが此処に居るなら、彼女も当然此処に居る。ルーテシア・グランガイツは、向こう見ずに過ぎる少女に苦言を呈すのだ。

 

 

「ルーちゃん!?」

 

「ヴィヴィオの所に行くんでしょ? けど、それだけじゃ足りないわよ」

 

 

 緑色の布一枚。風呂敷の如くに背負って断言するルーテシア。

 キャロと同じく見逃されたその少女は、後手に仮設病室の窓を覆うカーテンを手に取った。

 

 そして、一息の儘に捲り上げる。

 其処に見える光景こそが、千の言葉を語るよりも遥かに分かり易い証明だ。

 

 

「きゃぁっ!?」

 

 

 其処に映った生理的な嫌悪を催す光景に、キャロは思わず叫びを上げる。

 窓の向こうは黒一色。無数の節足が蠢いて、隙間一つなく蟲の群れが蠢いている。

 

 

「ミッドチルダは今、全部が全部この状況よ。海の底から空の彼方、宇宙の果てに至るまで蟲で鮨詰めになってるの」

 

 

 まるで通勤時間の満員電車。或いは押し寿司の詰まった箱。

 入る数に入れる器が見合っていない。そんな状況が、この次元世界全土で起きている。

 

 此処で外に出るとは即ち、この蟲の海に飛び込むと同意だ。

 満員電車の最後部から最前部へと、掻き分けて走り抜ける様な物なのだ。

 

 生理的な嫌悪と怖気を催す光景。震えて見詰めるキャロの視界に、映る蟲がゆらりと蠢いた。

 錯覚だろうか。いいやきっと事実であろう。蟲の群れが嗤っている。蠢く羽音が木霊して、隠れ潜むしか出来ない彼らを嗤っていた。

 

 

「ほんと、趣味が悪い。その気になればいつでも、陸士部隊の隊舎を簡易的に加工しただけの病院なんて、あっさり潰せるだろうに。生き延びて意識がある人間達を脅かして、クアットロは遊んでいるのよ」

 

 

 魔群がその気になれば直ぐにでも、この仮設病院は吹き飛ぶだろう。

 だがクアットロはそれをしない。この女は今も意識を維持したまま、逃げ惑う人々を嗤っていた。

 

 そんな魔群の悪意と気紛れ。だとしてもこの今に、病室内は仮初の平穏を得ている。

 白いカーテンを片手で閉ざして、ルーテシアは無言で見詰める。この地獄の只中へと、本気で飛び出す意志があるのか。

 

 

「……それでも、行くよ。私は、何も選ばない事だけはしたくない」

 

 

 震える声を如何にか落ち着かせて、キャロは確かに言葉を紡ぐ。

 空気よりも多い魔群で満ちた世界の中を、駆け抜けて救いに行くと宣言する。

 

 そんなキャロの姿に溜息を一つ、そしてルーテシアもフリードの背に乗った。

 

 

「ルーちゃんも、一緒に来てくれるの?」

 

「何を今更、……置いてくなんて、許さないわ」

 

 

 一緒に行くのかと言う問い掛けに、返す答えはそんな言葉。

 置いていくなど許さない。キャロの身を誰より案じるこの少女は、戦場で別行動などもう二度と認めないのだ。

 

 

「それに、私にはこれで、切り札があるのよ」

 

 

 ニヤリとドヤ顔で語る少女に、キャロは何処か嫌そうな顔をする。

 これは何時もルーテシアが悪巧みをする時の表情で、きっと彼女は碌な事を主張しない。

 

 長い付き合いの中でそう悟るキャロを前に、ルーテシアは風呂敷包みの中身を取り出し見せた。

 

 

「こんな事もあろうかと! こんな物を用意してみたわ!!」

 

「……えー」

 

「何よ。その反応」

 

「だって、それ。スカリエッティさんの研究所にあった奴だよね」

 

 

 一枚の布切れを丸めただけの包みを開いて、その場に転がるのは無数のロストロギア。

 スカリエッティが研究用の資料にと、その研究施設に安置していた貴重品の山である。

 

 

「それはそれ。これはこれ。裏切り者の忘れ物なんて、湯水の様にパァっと使い切ってやるべきなのよ!」

 

 

 ルーテシアの作戦など単純だ。高密度の魔力を内包するロストロギアを、使い捨ての爆弾にしようと言うのである。

 裏切り者が後生大事に抱えていた貴重品。それを裏切り者の策略を破綻させる為だけに、暴走させて爆弾代わりに放り投げるのだ。

 

 魔群の蟲は数こそ恐ろしいが、個々の強さはそれ程でもない。

 キャロやルーテシアでは一匹たりとも潰せはしないが、ロストロギアを暴発させれば纏めて数十数百は潰せるだろう。

 

 そうして道を切り拓いて、その隙間をフリードに乗って飛び抜けようと言うのである。

 それがルーテシアが企てる乱暴にも程がある作戦で、キャロが考えるだけでも穴が山ほどある強引な手段だ。

 

 

「なんだか、嫌な予感がする。ルーちゃんが自信満々だと、碌な事がないし」

 

 

 人の物を勝手に持ち出し、しかも使い捨てにして放り投げる。

 そんな行為に引け目を感じるのも理由なら、そのロストロギアの暴走規模が分からないのも理由の一つ。

 

 爆弾代わりに暴走させて、自分達が巻き込まれたらどうするのか。

 キャロはそんな白い眼を姉に向けるが、ルーテシアはそんな視線にも怯まず胸を張る。

 

 彼女としても、その選択をする理由があるのだ。

 

 

「シャラップ! 第一、このキモイぐらいに多い蟲、超えないと話にならないんだからさ。他に方法はない、でしょ?」

 

「うっ。それ言われると、言い返せない」

 

 

 壁を一つ越えれば、先にあるのは蟲の世界だ。

 上下左右前後すらも分からない程に、空気よりも大量の蟲が満ちた惑星の中に飛び込むのだ。

 

 魔力障壁を絶やせば即死。砲撃魔法で切り拓くには、二人はどちらも出力不足。

 故にこその過剰火力だ。ロストロギアでも持ち出して纏めて消し飛ばさない事には、ゆりかごに近付く事すら出来ないのである。

 

 ルーテシアは意見を翻さず、姉妹の何時もの遣り取り通り、今日もキャロが譲る事になるのだ。

 

 

「さあ、行くわよキャロ! 道を拓く為に、アイツが後生大事に抱えてたロストロギアの山。全部使い切って派手に進むわっ!!」

 

「ルーちゃんってば。……仕方がないなぁ」

 

「きゅくるー」

 

「フリードもそう思う? だけど、うん。これでこそ、なのかな?」

 

 

 重い空気を吹き飛ばして、笑いながらに語るルーテシア。

 そんな何時も通りの姿に苦笑するキャロは、しかし確かに知っている。

 

 妹想いな姉を自称する少女が、意味もなくこんな真似をする訳ではないと。

 もう彼に逢えないと覚悟して悲嘆するキャロの心を、少しでも明るくさせようとしているのだろうと。

 

 だから大丈夫。もう心配なんて要らない。

 必要な事は分かっている。やるべき事は理解している。

 

 ならば此処に気持ちを切り替え、それを為す為に進めば良いのだ。

 

 

『行こう。私達の友達を助ける為に――』

 

 

 簡易病棟の壁に向かって、無数のロストロギアを一つ投げる。

 それが壁にぶつかる前にフリードの口から火炎を吹き出し、過剰な衝撃を其処へ加えた。

 

 直後、生じる爆発音。そして開いた大穴へと、二人と一匹は身を躍らせる。

 

 

『この奈落を、乗り越えるんだっ!!』

 

 

 蟲の海。前後左右上下の全てが、一寸先とて見えない黒。

 嘲笑う奈落に堕ちた世界を超える。大切な友を救う為に、彼女達は此処に飛ぶ。

 

 

 

 

 

2.

 最高評議会の殺害。クラナガン全域に掛かった通信障害。空に浮かんだ肉塊と、溢れる程の蟲の群れ。

 現状の異常さを理解した攻撃部隊は、即座に施設への攻撃を中断して外へと脱出する事を選んでいた。

 

 

「ったく、ウザったい」

 

 

 アリサ・バニングスもその一人。己に触れる何かの干渉を力で弾いて、外へと出た女は眉を顰める。

 研究施設を一歩出た瞬間に、吹き付けるのは黒い津波。隙間なく溢れ出す大量の蟲が、開いた隙間に流れ込むのだ。

 

 全身に炎を灯して、焼き払いながらにアリサは進む。

 

 前後左右上下。全て黒に埋まった景色は、進む方向さえも分からない。

 溢れ返ったクアットロの魔力に、他者の存在すら感じ取れない黒の中。アリサは味方との合流を決意する。

 

 このミッドチルダ西部には、シャッハ・ヌエラとメガーヌ・グランガイツが居る。

 彼女達ならば、引き連れた部隊と違って昏睡状態にも陥ってはいないだろう。ならば己と同じく、完全に孤立している筈だ。

 

 

「空気の量より多いとか、ふざけんじゃないのよ。塵虫女がっ!」

 

 

 吐き捨てながらに蟲を焼く。焼いて焼いて燃やして潰して、それでもすぐさま補充される。

 キリがない。終わりが見えない。此処に持久戦を仕掛けら続ければ、真綿で首を絞める様に、少しずつ削られ全滅しよう。

 

 悪質で悪辣で、だが嫌になる程効果的。例えアリサが全力を出そうと、この全ては消し飛ばせない。

 攻勢特化の異能を持った彼女ですらこの有り様なのだから、他のエース陣がどうなっているかは想像するに容易いだろう。

 

 処理能力を超えた物量に潰されるか、アリサと同じく力を使い果たして崩れ落ちるか。

 此処に分断されたままでは、その最期は揺るがない。故に僅かな焦りを抱いて、罵声を吐きながらに女は進む。

 

 進んでいるのか、戻っているのか。施設の姿も見えなくなると、それさえ定かですらなくなる。

 

 見上げた空に青はなく、全てが蟲の黒。見下ろす大地に土はなく、全てが蟲の黒。

 一歩進む度に無数に潰して、沢山焼いて、それで本当に進めているのかも分からない。

 

 もしかしたら、同じ場所をぐるぐると歩いているのではないか?

 そう囁き掛ける悪意に向かって炎弾を飛ばし、アリサは折れずに進み続ける。

 

 足を止める理由はない。立ち止まるのは、力が尽きたその時だ。

 一歩進む事すら途方もない苦行と化した奈落の中で、それでもアリサ・バニングスは走り続ける。

 

 諦めない。立ち止まらない。その意志がきっと、その邂逅を引き寄せたのだろう。

 

 

「増えて飲み干せ、増殖庭園」

 

 

 言葉と共に、膨れ上がるは緑の景色。湧き上がる緑が溢れ出す蟲を、物理的に押し込み遠ざける。

 無理矢理広げた空間内で、杖を振るうは紫髪の女。メガーヌ・グランガイツに気付いたアリサは、その直ぐ傍へと走り寄る。

 

 

「……漸く、合流出来ました。バニングス執務官」

 

「グランガイツ准陸尉。これは?」

 

 

 クアットロに満ちた世界で一人、不安に震えていたのであろう。アリサと合流したメガーヌは安堵の笑みを見せた。

 そんな笑顔で迎えるメガーヌに同じく安堵を覚えながらに、気丈であろうと振る舞う女傑は軍人然とした態度で問い掛ける。

 

 疑問の理由はこの歪みの力。森に圧迫された程度で、退く程にクアットロの魔蟲は弱くはないのだ。

 

 

「蟲が嫌う臭いを放つ草花を内部に、食虫花を外縁部に展開しました。見た目だけとは言え、虫の性質があるなら影響は与えられますから」

 

 

 故にメガーヌは、その蟲と言う性質を利用した。

 蚊連草に代表される虫除けの植物の特性を強化した性質で魔群を散らして、空いた隙間に虫を呼ぶ食虫花の類を強化し生み出したのだ。

 

 森は虫の力となる。されど森の植物は、その虫すらも時に食らう。

 形骸だけとは言え蟲であるから、クアットロはこの影響を完全には払えない。

 

 嫌な臭いを突然嗅がされ、思わず仰け反った所で突き飛ばされた様な物だ。

 突き飛ばす力が微力であっても、それでも動じずには居られない。周囲に誘う甘い臭いがあれば尚更、近付こうと言う思いは萎える。

 

 腐毒に対して特効であるこの歪みは、クアットロに対しても優位にあるのだ。

 

 

「ナイス。って言いたいところなんですけど」

 

「……ええ、この数では、時間稼ぎにもならないでしょうね」

 

 

 だが、それでも地力の差は覆せない。如何に優位にあっても、力の桁はその有利不利を容易く変える。

 蟲を捕獲した食虫花は、内側から蟲に喰われて削られて行く。蟲除けハーブの力はしかし、降り注ぐ強酸の雨を防げはしない。

 

 これは時間稼ぎにもならない。敵が排除しようと思えば、その瞬間に潰される程度の対策だ。

 そう自認しているメガーヌは、故にこそ僅かに懸念を抱く。こうして合流出来る程に、時間を稼げるとは彼女も思っていなかったのだ。

 

 

「けど、それにしては意外と持つ。……流石に数が多過ぎて、蟲の制御が出来ていないんでしょうか?」

 

「それか、アイツが遊んでいるかでしょうね。あの性悪で小物な女の事だから、どっちが真実でも違和感はないかと」

 

 

 一尉相当官のアリサに対し、メガーヌは己の推測を口にする。

 如何にクアットロが怪物でも、全次元世界に満ちる程の巨体全ては制御出来ないのでは、と。

 

 対してアリサは、楽観視は出来ないと苦言を呈する。

 常に最悪を予想して動かねば、もしも予想を外した時に、そのまま終わると自覚しているのだ。

 

 

「準陸尉。蟲を一ヶ所に集める事は?」

 

「……条件付きですが、可能です」

 

 

 先ずはこの状況。最低限でも改善が必要だろう。そう結論付けたアリサはメガーヌに問い掛ける。

 蟲を一ヶ所に集める事は可能かと言う上官の言葉に、メガーヌは条件こそあるが可能と答えた。

 

 蟲を引き寄せる植物の臭い。それを限界までに凝縮して、一ヶ所に発生させれば短時間は集められよう。

 そう答えるメガーヌの言葉に一つ頷いて、アリサは此処に対処を決める。無限の魔群を前にして、彼女の選択は単純だった。

 

 

「なら、集めるだけ集めて下さい。後は――形成(イェツラー)!」

 

 

 メガーヌが生み出した森と言う空間に、現れるのは巨大な列車砲。

 極大火砲・狩猟の魔王がその全容を此処に露わにして、砲火と共に魔群を蹴散らす。

 

 弾数は限られている。放てる弾丸の数は、アリサの魔力に依存する。

 魔群を全ては消し去れない。無策に撃ち続けるだけでは、すぐさま限界が訪れよう。

 

 故にアリサの判断は単純なのだ。

 

 

「植物諸共に、私が根こそぎ燃やします!」

 

 

 森で集めて、その植物ごとに焼き払う。

 木々に燃え広がる延焼拡大を敢えて狙って、最大効率で魔群の数を減らしていく事。

 

 無限と言う数に対して、これは解決策にはならぬだろう。

 それでも対処策としては、恐らくこの二人ではこれ以上を望めない。

 

 だからアリサが数を減らして、仲間達との合流を目指すのだ。

 

 

「確かに、現状ならそれが一番かも知れませんね」

 

 

 メガーヌにも異論はない。自分とアリサの魔力が何処まで持つか不安はあっても、これ以上の対処は出来ない。

 故に二人は揃って始める。メガーヌの増殖庭園が魔群を集め、アリサの極大火砲がそれを焼き払う。後はその繰り返し。

 

 

「っ、はぁ、はぁ……次!」

 

「はいっ! ……増えて、満たして、増殖庭園っ!!」

 

 

 溢れる蟲は切りがなく、それでも殲滅速度は補充速度を僅かに超えた。

 一息でも身を休めれば元の木阿弥となるだろう。その程度の変化であっても、僅かに魔群の数は減ったのだ。

 

 黒い蟲の雲の先、僅かに覗く空も黒い。一体どれ程に先まで、魔群が満ちていると言うのか。

 それでも見回せる程度に広い隙間が空に開いて、故に彼女達は空を飛翔する少女らに気付いた。

 

 

「――っ!? あれはっ! ルーテシア!? キャロ!?」

 

 

 黒い空を切り裂く白銀の竜。襲い来る魔群の津波の中を、飛翔続ける少女達は女の娘だ。

 我が子を案じる様に叫ぶメガーヌに、アリサは舌打ちを隠さずに少女達を罵倒する。

 

 

「あんの馬鹿共っ! アイツらじゃ、無謀にも程があるでしょうにっ!!」

 

 

 時折起きる大爆発。ルーテシアが投げる何かが、クアットロの蟲を吹き飛ばす。

 だがそれも一瞬だ。砂場に作った穴がすぐさま塞がる様に、雪崩れ込む蟲が道を塞ぐ。

 

 ロストロギア一つを消費して、進める距離は僅か数秒分。

 一体どれ程に抱え込んでいるかは分からずとも、この効率では絶対に足りていない。

 

 ならばその行いは自殺行為だ。果てに必ず破綻すると、傍目に見ても分かる程に愚かな行為。

 そうと理解した瞬間に、アリサは砲撃を中断する。やると決めた事は一つだけ、馬鹿げた部下への援護である。

 

 

「準陸尉! 防御結界の維持、クアットロへの対処、全部任せたっ!!」

 

「バニングス執務官!? 何を――」

 

「決まってるでしょ! あの馬鹿共が止まらないなら、思いっきり背を突き飛ばすっ!!」

 

 

 此処から先に進む事も、此処から引き返す事も難しい。

 だが此処に留まる事が一番危険だ。ならばとにかく全力で、その背を押して前へと進ませる。

 

 この魔群の海に出たと言う事は、相応の覚悟があったのだろう。確かな意志が在った筈なのだ。

 故に無理に抑えつけるよりも、その背を押してやる方が未だ生存率が高い。そうアリサは判断したのである。

 

 

「母親の立場じゃ納得いかないかもしれないけど、従って貰うわ。グランガイツ準陸尉!」

 

 

 階級を傘に来た命令口調。全ての咎は己にあると、精々恨めとアリサは語る。

 そんな金髪の女傑が見せる不器用な責任感に、メガーヌは僅か逡巡した後に頷いた。

 

 

「……分かりますよ。分かってます。中途半端が一番危険だって、だから――」

 

 

 分かっている。今が一番危険だと、それは彼女にも分かっている。

 仮に無理矢理抑えつけて戻したとしても、また飛び出すであろう事は予想に難くもない。

 

 選べる道などは、最初から一つしかないと分かっている。

 だからこそ、娘を案じる母として、言える言葉など一つだけ。

 

 

「頼みます、執務官。あの子達の命が掛かっているんです」

 

「当然。部下の命を惜しまずして何が上司か、当たり前よ!!」

 

 

 援護するなら全力で、必ず先へと繋げよう。

 アリサは全身を覆っていた炎を解除すると、魔力を高めながらに念話で叫ぶ。

 

 

〈キャロ! ルー! デカいの噛ますから、死ぬ気で耐えなさいっ!!〉

 

 

 声は届いたか、或いは届いていないのか、確認する手段は何もない。

 ならば確認などは要らない。きっと耐え抜くと心で信じて、己は此処に全力を出すのだ。

 

 

「この世で狩に勝る楽しみなどない」

 

 

 溢れる炎気。高まる闘志。口にされる願いの形に、極大火砲が震えて応える。

 その砲門に集まる力は絶対必中。標的を捉えるまで広がり続ける無限の爆心地。

 

 

「狩人にこそ、生命の杯はあわだちあふれん」

 

 

 メガーヌが周囲に森を展開して、魔力の全てを防御に回す。

 全力を攻勢に集中した今のアリサは隙だらけ、万が一にも妨害される訳にはいかないのだから。

 

 

「角笛の響きを聞いて緑に身を横たえ、藪を抜け、池をこえ、鹿を追う」

 

 

 それでも、クアットロの方が上手である。攻め手が緩んだ瞬間に、先に広げた空間は全て黒に埋まっている。

 溢れ出す無限数の蟲が森を侵食する。防御魔法を砕いて中に侵入し、その顎門を以ってアリサやメガーヌの四肢に喰らい付く。

 

 それだけではない。喰らい付くのは身体だけではなく、此処に形成された極大火砲の内側へと。

 鋼鉄に噛り付いて、その外装を強酸で溶かして、砲身の中から入り込んでは、魂と同化した力の結晶を穢していく。

 

 聖遺物を破壊されれば死に至る。そんな法則は、永劫破壊の適合者ではないからアリサには該当しない。

 それでも無条件で無事と言う訳ではない。これはアリサと同化した狩猟の魔王が断片だ。穢し貶められればその痛みは、必ずアリサに返ってくる。

 

 

「王者の喜び、若人のあこがれ!」

 

 

 だが、口にする言葉は揺らがない。

 どれ程に心を凌辱されようと、焔の女傑は揺らがない。

 

 この一撃に魂の全てを燃やし尽くす程に、意志を強くに渇望を此処に形に変える。

 放つは不完全なる魔王の願い。それでもその火力は見劣りすらしない程に、アリサは此処に全霊を撃ち放った。

 

 

創造(ブリアー)――焦熱世界(ムスペルヘイム)激痛の剣(レーヴァテイン)!!」

 

 

 狙う標的はクアットロ。その数が無限大ならば、広がる爆心地とて限りはない。

 非殺傷の力を混ぜて、放たれる極大火砲は限りなく広がる。この次元世界の果てまでも、満ちる全てを消し去る為に。

 

 轟音と共に、生じる力はまるでもう一つの太陽だ。

 ミッドチルダの全てを巻き込んで膨れ上がる力は、敵も味方も全てを巻き込み燃やす。

 

 非殺傷であっても、その被害は甚大だ。威力よりも規模に特化した力であっても、容易く防げる物ではない。誰もが弾ける力に巻き込まれて、其処に傷を負っていく。

 それは発動者であるアリサも変わらない。発動直前に既に満身創痍となっていたその身体は、自らが生み出した破壊の衝撃に耐えられずに吹き飛ばされた。

 

 風に舞う木の葉の様に、投げ捨てられた紙屑の様に、倒れ落ちて赤く染まる黄金の女。

 誰もが崩れ落ちたこの場所で、気力を振り絞って立ち上がると空を見上げる。正常な青さを取り戻した空に、それでも浮かぶは白き翼。

 

 

「道は開けたわ。戻って来たら徹底的に叩き直してやるから、やる事しっかり果たしなさい」

 

 

 動きは鈍り、速さは落ちて、それでも空を飛んでいる。

 二人の少女を背に乗せて、白き竜は飛翔する。目指す先にあるのは一つ、醜悪な肉塊に変わったゆりかご。

 

 聖王のゆりかごは、先の砲撃を受けてもまるで変わらない。

 極大火砲に晒されて、それでも空に浮かび続けるそれは、元の強度を遥かに超えているだろう。

 

 その先に、その内側に、一体何が待ち受けているのか。

 不安はあろう。恐怖もあろう。それでもフリードに乗る少女らは、迷わず空に浮かぶ奈落に向かって飛び立った。

 

 

「キャロ。ルーテシア。どうか、無事で」

 

 

 気絶しそうな程に消耗しながら、意識を如何にか繋ぐメガーヌは一つ祈る。

 真摯な祈りを捧げる女の傍まで近寄って、アリサ・バニングスは眉を顰めた。

 

 青い空の向こう側、少しずつ染み込む様に増える黒。

 全力砲火で消し飛ばしても滅ぼせない。魔群は再び、空を埋めんと増え続けている。

 

 

「まだ休むには、早いって? はっ、上等!」

 

 

 必死の抵抗すら嘲笑う様に、限りを見せない魔群。

 決して尽きない不死身の軍勢を前にして、アリサ・バニングスとメガーヌ・グランガイツは立つ。

 

 倒れるには未だ早い。眠る時間は未だ遠い。

 我らは英雄と謳われたのだ。ならばこの身が倒れる最期まで、戦い抜いて進むとしよう。

 

 

 

 失楽園の日が明けるまで、黙示録の最後まで、彼女らは戦い続けるのだ。

 

 

 

 

 

3.

 アリサの砲火の影響を受けたのは、彼女も同じである。

 西の戦場と同じく魔群に満たされて、如何にか耐えて進んでいた高町なのは。

 

 純粋な火力不足。広範囲に回る手札がない。故に足止めされていた彼女。

 既に魔群の姿はない。全てを等しく吹き飛ばした火砲によって、空の蟲は一掃された。

 

 だが、それも一時の事だろう。無限に広がるとは言え、その火力は然程の物ではなかった。

 赤騎士の真なる創造に至れぬ以上、純粋な威力と言う点では一歩も二歩も劣る物。既に神域に居る怪物達に、手傷一つ負わせる事も出来ていない。

 

 先の砲撃。被害と言う意味では六課の側の方が大きい。

 魔群と言う怪物は滅ぼし切れず、魔刃と魔鏡は無傷であって、こちらはどれ程の被害を受けたか。

 

 それでも悪手とは言えない。あのまま持久戦に持ち込まれたなら、対処の一つも出来ずに潰されていた。動き出す事すら出来なかったのだから。

 

 故にこの今、彼らは即ち機を手に入れた。

 動き出すなら今しかない。この今に突き進まねば、恐らく全てが終わるだろう。

 

 唯一人、彼の狂人が描いたままに、世界は全て奈落に染まる。

 それをさせぬと言うならば、彼を止めんとするならば、この今に動かねば話にならない。

 

 

「行くよ。レイジングハート」

 

 

 不撓不屈を発動して、負った火傷を此処に癒す。

 黄金の杖を手に取って、高町なのはは空へと飛んだ。

 

 

「捜して、災厄の元凶!」

 

 

 空から眼下を一望して、彼女は杖と同調する。

 この今に身体の一部となったデバイスを介して、此処に全ての元凶を捜す。

 

 それが誰か? 問うまでもない。確かになのはは分かっている。

 彼女と彼は繋がっている。あの日にユーノが死に掛けてから、その繋がりはより強くなった。

 

 全てが分かる訳ではない。思考が同一となった訳ではない。

 それでも互いが強い感情を抱けば、それがもう片方へと流れていく。

 

 この異常事態が起きる直前に、ユーノが感じていたのは複雑な感情。

 怒り。呆れ。諦め。心配。後悔。様々な色が混ざった強い感情は、その全てが一人の男に対して向けられていた。

 

 

「ジェイル・スカリエッティっ!」

 

 

 疑うまでもない。先ず間違いなく今回の件は、彼の狂人が引き起こした事件である。

 一体何を目的としているのか、それが分からずともやるべき事は分かっている。彼の元凶を、此処に止めるのだ。

 

 

「あの男こそ全ての元凶! だから、見付けて! あの男の魂をっ!!」

 

〈All right. Wide Area Search〉

 

 

 なのはの魂を見る瞳。レイジングハートの機能と同調させて、何処に居るのか索敵する。

 黒く腐った炎の悪魔。堕ちて染まった虹の聖王。今にも溢れ出そうとする蟲の軍勢。膨大な力を発するそれらの中に、確かに感じる一つの力。

 

 余りにも清い。病的な程の白。

 執拗に、偏執的なまでに、聖性を流れ出させているその力。

 

 それこそ正しく、あの男の魂が持つ異能であった。

 

 

「見つけた! 聖王教会!! その奥に、あの男はいるっ!!」

 

 

 向かうべき場所は分かった。ならば話は簡単だ。其処に向かえばそれで良い。

 青い空の下、なのはは翼と共に飛翔する。目指すは一路、ベルカ自治区の中央。聖王教会大聖堂。

 

 高町なのはは空を駆ける。今も抜け出せないでいる愛する人に代わって、己がその友を殴り飛ばすと意志を固めて――だが、そう容易く到達できる物ではない。

 

 

「行かせない。貴女は何処へも行かせないっ!」

 

「っ!? クアットロ=ベルゼバブっ!!」

 

 

 魔群は未だ健在だ。その形成体すら姿を見せてはいなかった。

 その理由は唯一つ、最も警戒した女の付近に潜み張り付いていたが為に。

 

 蟲の海で潰されるならそれで良い。

 だがもしもそれすら超えると言うならば、その瞬間にも身体を張って妨害する。

 

 そうクアットロは決めていて、だから彼女は此処に居る。

 断片である蟲だけではないから、砲火にも耐えた悪魔が此処に牙を剥いた。

 

 

「高町なのはっ! 貴女は、貴女だけは駄目なのよっ!!」

 

 

 高町なのはは行かせない。他の誰を進ませたとしても、彼女だけは駄目なのだ。

 

 この女は陰陽太極。ジェイル・スカリエッティが魔刃を差し置いて、己の最高傑作と語った女だ。

 其処に嫉妬の情がある。どうしてこの女がと言う思いがある。だがそんな己の感情以上に、進ませてはならない理由があるのだ。

 

 彼女がスカリエッティの語る様に、真実並ぶ者のない傑作ならば、それは危険だ。

 偉大な父でも万が一が起こり得る。もしも彼女を放置して、父の下に進ませてしまえば何かが起こるかもしれない。

 

 ならば決して、この女だけは進ませない。

 それは命令されたからではなく、己の保身からでもなく、唯純粋な感情による独断専行。

 

 

「ここで堕ちろぉっ! 不完全な出来損ないぃぃぃっ!!」

 

「っ!!」

 

 

 膨大な蟲が溢れ出す。圧倒的な速度で増える蟲の数。

 基点が此処にあるのだから、穴が開いて無限の数が溢れ出す。

 

 総数を足せば神の域にも届く魔群。

 全体の億分の一。兆分の一でも集まれば、それだけで彼女は行く手を阻むに十分な程の壁となろう。

 

 迫る壁は超えられない。蟲の渦を前にして、突破などはさせはしない。

 鬼相に歪め、感情を剥き出し、襲い来るクアットロ。その数を前に、高町なのはも足を止め――否。

 

 

「堕ちるのは、貴様だぁぁぁぁっ!!」

 

 

 此処に居るのは彼女だけではない。抗う者らは一人じゃない。

 壮年の男が此処に、流れる血を拭う事すらせずに、ゼスト・グランガイツが其処に居た。

 

 男がデバイスから取り出したのは無数の簡素なアームドデバイス。

 弾と言う音と共に、大地に刺さる八つの槍型。その無骨な武器の一つを握る。

 

 ギシリと骨が軋んで肉が膨れ上がる。弓なりに反らした身体を捻って、一気呵成に投げ放つ。

 それは己の背を追い抜いていく後進達に、如何にか対抗しようと男が身に付け磨き上げた一つの技術。

 

 

「乾坤・一擲ぃぃぃぃぃぃぃっ!!」

 

 

 歪みの籠ったその槍を、此処に全力で投げ放つ。

 苦手な遠距離を補う為に、彼が身に付けた技術は即ち投槍。

 

 轟と音を立てて飛翔する槍は、大気を穿ち蟲の壁を此処に貫く。

 デバイス一つを使い捨ててのその威力は、道を拓くには十分過ぎる程の物。

 

 

「俺やレジアスが護りたかった世界。それを、これ以上失わせない為に――」

 

 

 道は拓いた。進む空へと穴を穿った。

 そうしてゼストは、なのはに向かって言葉を紡ぐ。

 

 全てはそう。もう失われた友と、護りたかった世界の為に。

 

 

「進めぇぇぇっ! 高町なのはぁぁぁぁっ!!」

 

「はいっ!」

 

 

 道は拓いた。辿り着く為の道がある。

 ならば止まる理由はなく、空の彼方まで突き抜ける。

 

 

「――っ! 所詮塵屑の分際でぇぇぇぇっ!!」

 

 

 穴を穿たれ、抜けられたクアットロは怒りに叫ぶ。

 良くも良くも良くも良くも、狂気に近い感情にその表情を醜く歪める。

 

 先回りは出来ない。配していた蟲を一掃されたから、数がこの場に足りていない。

 追い掛けるにした所で、移動速度は高町なのはの方が速い。クアットロでは追いつけない。

 

 個ではなく群として、秀でたが故の欠点。

 予め用意した数が不足すれば、単純性能差を覆せないのだ。

 

 

(それでも、行かせる訳にはっ!)

 

 

 投槍で妨害して来るゼスト。己など無視して先へと進むなのは。

 両者に苛立ちを抱きながらに、それでもクアットロが思うのはその感情。

 

 追い付けないとしても、その背を追わない訳にはいかない。

 放置は出来ない。辿り着かせる訳にはいかないのだ。ならばそう、溢れ出す蟲の選択などは決まっている。

 

 

「堕としてやるわぁ、何処までも追い掛けてぇ、必ず追い詰めるっ!!」

 

 

 執着し粘着し、必ず潰す。悪意を胸に燃やして、溢れ出す魔の群勢。

 だがクアットロが高町なのはの背を追い始めるより僅か前に、彼女の機先を制する言葉が掛けられた。

 

 

〈――いや、その必要はないよ。クアットロ〉

 

「ドクター!?」

 

 

 周囲一帯に張られた念話妨害。その例外となっている男から、クアットロへと指示が下る。

 それは入り混じる親への愛情と妄執が故に独断行動に移ったクアットロにとっては、受け入れ難い言葉であった。

 

 

〈彼女は私が歓迎しよう。盛大にね〉

 

 

 高町なのはは、己が相手をする。

 白衣の狂人が静かに告げるその意志に、クアットロは思わず抗弁した。

 

 

「ですが、ドクターっ!!」

 

 

 危険なのだ。脅威が読めない。そんな状況に、敬愛する父を置ける物か。

 そう縋る瞳で口にするクアットロに、しかしスカリエッティの判断は揺らがない。

 

 

〈不要と言ったよ。クアットロ〉

 

「――っ」

 

 

 言葉は冷たいそれ一つ。そうと決めたからには、この狂人は前言を翻さない。

 そうしている内にも空の果てへと、高町なのはは離れて行く。それを睨み付けて歯噛みする。

 

 それでも、クアットロに父に逆らうと言う選択肢など存在しない。

 彼が是と言うならば、全てが是となるのだ。クアットロの思考回路はそう出来ていて、だから従うしか道がない。

 

 

「分かりましたぁ。ではぁ、私は周囲の警戒を続けますぅ」

 

〈ああ、よろしく頼むよ〉

 

 

 感情を隠した声で媚びる様に、男に了承の意志を示すと念話を切る。

 そうして一息。基点より増え続けるクアットロは、冷たい瞳で見下した。

 

 

「…………」

 

 

 溢れ出す膨大な数。今にも再び空を埋める程に、青を閉ざしていく黒き群れ。

 アリサ・バニングスを、ゼスト・グランガイツを、メガーヌ・グランガイツを、その場で抗う彼らを見下す。

 

 こいつらさえ居なければ、辿り着かせる事などなかった。

 そんな八つ当たりに近い感情に思考が染まって、クアットロの怒髪は天を衝く。

 

 

「潰す。鬱憤晴らしをさせて貰うわ。アンタ達でねぇ」

 

 

 誰一人として生かす物か。無残な形で終わらせよう。

 無限数の蟲はこの今に、その全力をエース陣を潰す為に使うと決めた。

 

 

 

 そして高町なのはは辿り着く。ミッドチルダの北部。山間部の只中にある白亜の教会。

 旧い城を思わせる巨大な建物の上空に到着して、彼女は眼下へレイジングハートの先端を向けた。

 

 

「辿り着いた。聖王教会。このまま、一気にっ!」

 

 

 折り目正しく入り口から、一歩一歩と進んでいる暇はない。

 ならば為すのは壁抜きだ。集う翠の砲火を殺傷設定に切り替えて、破壊の光で城を撃ち抜く。

 

 

「ディバインバスターっ!!」

 

 

 放たれた砲撃は、外装を破壊するだけでは止まらない。

 そのまま内部を貫きながらに進み続けて、城壁を砕いて大聖堂の玉座へと。

 

 聖槍のある地下から移動して、その玉座に腰掛ける白衣の男は頭上を見る。

 迫る翡翠の破壊を前に動揺する事もなく、軽く左手を振り払う事で魔力を散らせて呟いた。

 

 

「やれやれ、どうにも荒っぽい入場だね」

 

 

 開いた穴から大聖堂へと、舞い降りるなのはは其処に見る。

 聖王の玉座に右の肘を置き、頬杖を付いた傲慢なるその姿。彼こそ正しく事態の元凶。

 

 

「もう少し淑女らしくしてくれれば、相応の舞台も用意出来たんだが――まあ、どうでも良い話か」

 

 

 詰まらぬ事を言ったと嗤うジェイル・スカリエッティ。

 立ち上がる素振りも見せない男を前に、目線を合せたなのはは黄金の杖を両手に構えた。

 

 

「ジェイル・スカリエッティっ!」

 

「歓迎するよ。高町なのは」

 

 

 この男が何を望んでいるのか。一体何を狙っているのか。高町なのはには分からない。

 唯一つ。分かる事など唯一つ。神殺しの創造をこそ望むこの男の求道に、多くの人が巻き込まれて悲劇に堕ちた。

 

 多くの人が奈落を広げる為だけに犠牲となったミッドチルダ。

 他の次元世界では犠牲こそ出ていないが、多くの人が悪夢に囚われている。

 

 この今に苦しむ人々を、助け出す為に止めねばならない。

 倒さねばならない諸悪の根源。それが正しく、この白衣の狂人なのである。

 

 

「貴方を、拘束します!」

 

「出来るかな? 未だ至れていない君に」

 

 

 失楽園の日に幕を引き、その悪夢を終わらせる為に。翡翠の輝きを纏った女は、此処に黄金の杖を握り絞める。

 たった一つの目指した求道。その果てに何としてでも至る為に。白衣の狂人は笑みを深めて、その身に宿った聖なる悪魔を駆動する。

 

 

 

 此処に、戦いは始まった。

 

 

 

 

 




07年版赤騎士創造。無限に広がる爆心地。
単一次元世界規模なら何処までも(文字通り宇宙の果てまで)広がって命中するが、威力は何処まで広がっても真・創造には届かない。

当作ではとりあえずこんな裁定にしてみました。


それと失楽園の日の前哨戦。
当面は四方面戦闘の同時進行を予定。

トーマ&リリィ+ティアナVSナハト=ベリアル。
キャロ&ルーテシアVSヴィヴィオ=アスタロト。
高町なのはVSジェイル・スカリエッティ。
その他大勢VSクアットロ=ベルゼバブ。

と言う形で進んで行きます。




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第二十五話 失楽園の日 其之弐

ヒャッハー! ギリギリ三月中の投稿だー!!


1.

 太陽が堕ちた。そう思わせる程に、激しい熱が吹き荒れた後の地上。

 月村すずかは苦虫を噛み潰した様な表情を張り付けながらに、魔群が消し飛ばされた跡地を進んでいる。

 

 大地を駆けるは足ではない。特殊な鉄と魔力式の動力炉にて動くのは、管理局で正式採用されている運搬車両だ。

 並みの乗用車などは比較にならないその俊足。されどそれでも遅いのだと、苛立ち交じりに感じてしまう。だからだろうか、現状への怒りが知らず口から洩れた。

 

 

「こんな状況で最大火力なんて、アリサちゃん。何をやってるの!?」

 

「いや、この状況なら正当じゃないかい。確かに一般市民の安全配慮は欠けていたが、そもそもクアットロを取り除けなければ僕らが動く事すら――」

 

「分かってるわよ! そんな事!!」

 

 

 分かっている。彼女とて理解は出来ているのだ。魔群が満ちた大地では、真面な行動すら出来はしなかったと言う事は。

 それでも感情の問題だ。救出する為に一斉駆除が必要で、だが其処に要救助者を巻き込んだ事が医務官として許容出来ないのである。

 

 月村すずかは医務官だ。陸士任務の兼任で、資格を取っただけとは言え医務官なのだ。

 その自負があって、その意地がある。故に昏睡した人々が未だ居る場所で、アリサ・バニングスが非殺傷とは言え広域破壊砲撃を行った事を許せなかった。

 

 

「ロッサ君は腕を動かしてっ! 一人でも多く、少しでも多くを助けるの!!」

 

「……了解」

 

 

 それでもそうしなければ、救出すら出来なかったと理解はしている。だからこそ面倒なのだ。

 怒鳴り付ける様な八つ当たり。それに晒されたまま、ヒステリックを見せる女の相手は真面にするべきではないと、ヴェロッサ・アコーズはアクセルを踏む。

 

 何だかんだと、彼は彼女に恩がある。カリム・グラシアが一命を取り留めたのは、すずかが戦線から外れていたからであると知っている。

 その恩に比較すれば、苛立ちで八つ当たりをされたとしても苦痛にすら思えない。前線で戦えるだけの実力もないと自覚すればこそ、彼女の人命救助に付き合う事に異論はなかった。

 

 

(だが、何だ。この違和感は……)

 

 

 乗用車を操りながらに、感じるのは僅かな違和感。

 少しでも多くの人命を救おうとしている医者には語らず、その違和感を己の中で噛み潰す様に向き合い問う。

 

 

(スカリエッティの目的は、反天使の完成。それは為された。……だが、本当に奴の目的はそれだけなのか?)

 

 

 ジェイル・スカリエッティの目的。失楽園の日。プロジェクト・パラダイスロスト。

 それが反天使の完成を意味するならば、確かに全てが果たされた。簒奪の悪魔たちは神の力、抱える魂の大部分を奪い取って完成した。

 

 最早反天使は怪物だ。既にその身は神域へと辿り着き、神殺しを果たせる程に至っていよう。

 管理局は完全に裏を掻かれた。全ての用意と用心を超えられて、最早残すはこの被害をどれ程までに減らせるか、止める事は出来るのかと言う一点に尽きる程。

 

 中つ法の塔は燃え堕ちた。黙示録の喇叭の下に、醜悪な肉塊が空に舞う。

 今尚湧き出し続ける悪獣の群れは正しく、地獄絵図としか言えない楽園の終わりを思わせる。

 

 だがそれでも、これだけなのか。そう思ってしまう理由がある。あの狂人の企みが、これだけな物かと思える理由が確かにある。その理由、最たる物は唯一つ。

 

 

(ならば何故、僕らが今意識を保っていられる? 奈落を――夢界を媒介とするなら、少しでも強い者を繋いだ方が良いのは明白だろうに)

 

 

 自分達が意識を保っている。それこそが疑念の裏付けだ。

 希少技能(レアスキル)保有者。歪み者。過去の残滓を受け継いだ女達に、己から生まれる力を自覚した太極の器。

 これらを繋がない理由がない。これらを繋げば、それこそ反天使は真の意味で完成した筈だ。管理局の全員に、抵抗する余地などは残しもしなかった筈なのだ。

 

 

(魔鏡の干渉力を、僕らの抵抗力が上回った? まさか、そんな事などあり得ない。大天魔級の怪物が、最高位のロストロギアの支援を受けて、だぞ。そんな干渉を、個人が弾ける事などあるものか)

 

 

 出来ない筈がない。行えない道理がない。反天使は既に、それ程に強いのだ。

 こちら側で辛うじて対抗出来そうなのは、最高戦力であるエースオブエース唯一人。

 他の者らは抵抗できず、飲み込まれて然るべきだろう。なのにどうして、我らは意識を保って動けているのか。

 

 

(意図して残した? 何の為に、何を狙って?)

 

 

 其処に意図がある。其処には確かな理由がある。

 策謀、策略。こと頭脳を用いた行動に置いて、ジェイル・スカリエッティは誰の追随も許しはしない。

 ならばそう、僅かでも読み解かねば話にならない。そして恐らくそれに辿り着けるのは、奴の頭脳を読み続けていた己しかいないだろう。

 

 

(読めない。だがパーツが足りない訳じゃない。多分、見方が間違っているんだ)

 

 

 抵抗するだけの力を残したのには、必ずや理由が存在している。反抗する牙を与えたのには、確実に何か裏がある。

 情報は既に出ている。彼の狂人の本質は揺るがずあって、その目的の最終地点は予想するに容易い事だ。

 

 ならばそう。ほんの少し見方を変えれば、きっと分かる程に簡単な思惑。

 だがそのほんの少しがまるで見えて来ない。一体何を考えているのかと、読み解けずに歯噛みする。

 

 

(スカリエッティは、一体何を企んでいる)

 

 

 黙示録の日。パラダイスロストは滞りなく、全て狂人の掌の内側で進んでいる。

 その果てにある結末。今日と言う日は一体どの様な幕引きを迎えるのか、全ては彼の男の頭脳の中にのみ。

 

 予感があった。確信はあった。事実として分かっていた。

 何かが変わる。一つの何かが終わりを迎えて、世界は変換期を超えるのであろうと。

 

 

 

 

 

2.

 黒から解き放たれた大空を、白銀の翼が舞う。既に傷だらけのその身をよろめかせながら、それでもフリードは高く飛ぶ。

 羽搏く銀龍が向かう先、其処にあるのは醜悪な肉塊。黄金の色をしていた優美な船体は、血肉に染まって脈動している。其れこそ彼女が座す、堕ちた聖王の揺り籠。

 

 

「視えた! あそこに!」

 

「あの中に、ヴィヴィオが居る!!」

 

 

 空に浮かぶ巨船に並走する様に、キャロはフリードを操り空を飛ぶ。

 近付けば近付く程に分かるその威容。少女らは愚か、フリードですら小さな蟻に見えるであろう程に巨大な船。

 

 

「フリード! お願い!!」

 

「きゅくるー!!」

 

 

 飛竜に乗ったキャロは速度を合せて、まるで編成飛行をする様な距離で騎竜の顎門を船へと向ける。

 その意志を受け取ったフリードは一つ鳴いて、口から巨大な火を噴いた。

 

 ブラスト・レイ。AAランクの魔導師が放つ炎熱魔法にも匹敵する、白き飛竜の最大火力。

 その炎が巨大な船体のごく一部を包み込んで燃え上がる。激しい炎に包まれて、肉塊の外壁は色が変わる。だが、しかし――焼き尽すには、何もかもが足りていない。

 

 

「っ、傷一つ、ない」

 

「んじゃこっちも、そりゃーっ!!」

 

 

 炎のブレスで抜けない事など、最初の内から想定している。

 仮にも反天使が居城と選んだロストロギアだ。魔鏡の力が全てを覆っている以上、そう簡単に壁抜きなどは出来ないだろうと分かっていたのだ。

 

 故にルーテシアは風呂敷包みの中身を使う。高魔力結晶を使い捨てにして、発生するのは大爆発。

 傷だらけのフリードが態勢を崩す程に大きな破壊が其処に弾けて、堕ちた揺り籠の外壁。その肉塊に穴を開けた。

 

 だが、それもまた一瞬。ビデオテープを巻き戻す様に、瞬く間に肉が盛り上がっては穴を塞いだ。

 

 

「……うっわー、グロイ感じに塞がってる。しかも早いし、外部からは壊す事すら出来ないって訳?」

 

 

 ロストロギアを使い捨てて、それで外装一つは抜ける様ではある。

 だがそれでも射抜けたのは一つだけ、無数の肉壁を貫くには威力が何処までも足りていない。

 

 外からでは不可能だ。それはキャロとルーテシアに限った話ではない。

 恐らく地上で戦っているエース陣でも同じ結果に終わるだろう。ゆりかごを外部から、止める術など一つもないのだ。

 

 ならばどうすれば良いのか、返す答えは唯一つ。

 

 

「なら、内から止めるしかなさそうね!」

 

 

 外から壊せないと言うならば、中から機能を止めてやるより他にない。

 醜悪な形に堕ちたゆりかご。その内側に乗り込んで、制御中枢となっているであろうヴィヴィオを此処に抑えるのだ。

 

 

「けど、どうやって入れば良いの!?」

 

「決まってるでしょ! こういうのは、入り口からってね!!」

 

 

 外からは止められない。穴すら真面に開けられないなら、どうやって侵入すれば良いと言うのか。

 問い掛けるキャロにルーテシアが返すのは、入り口から入ろうと言う当たり前の思考であった。

 

 

「見た目肉塊でも、宇宙船だもの! 何処かに入り口だった場所がある筈よ! 其処を、コイツで打ち抜く!!」

 

「それで空いた穴が塞がる前に、……分かった。やってみよう! フリード! 探して!!」

 

「きゅくるー!」

 

 

 聖王のゆりかごは、次元世界を航行する巨大戦艦だ。宇宙船が元であるなら、どれ程形が変わろうと内と外を繋ぐ場所は残っている。そう判断したルーテシアの言葉に従って、キャロはフリードに頼み込む。

 実際に入り口があるかどうかは分からない。もしかしたら変貌した時に、全て塞がっているかもしれない。それでもそれしか道がないから、其の一手に賭ける他に術がないのだ。

 

 白き飛竜は少女の願いに頷くと、翼を広げて速度を上げた。

 既に限界に近い程に傷付きながらも尚速く、今よりも速くとフリードは己の限界すら乗り越える。

 

 だがしかし、侵入しようと企む敵を見逃す程に彼女らの相手は甘くない。

 聖王の揺り籠。その肉塊が蠢動して、外敵を排除する為の機構が今動き出す。

 

 ギョロリと、異形の肉塊に浮き出すのは無数の眼球。巨大な瞳が見詰めるのは、空を駆ける銀の竜。

 総体で見れば余りに膨大。圧倒的な魔力が無数の瞳に集まって、その視線を以って焼き尽すかの如く砲撃する。

 

 

「っ! 撃ってきた!?」

 

 

 慌ててキャロは手綱を操り、応えるフリードが熱光線を回避する。

 既に死力を尽くす少女らに対し、膨大な数の防衛機構は次から次へと光を雨霰の如くに振り下ろした。

 

 躱す。躱す。躱す。躱す。ギリギリの回避を只管に続けて、故に飛竜は近付けない。

 時間経過は敵の味方だ。今は減っているクアットロとて、そう時間を置かずに無限数にて世界全てを満たすであろう。

 

 

「防衛は完璧って言いたい訳! けどねぇ! シュテーレ・ゲネゲン!」

 

 

 今だけだ。今の内だけなのだ。此処で勝負に出なければ、少女たちに勝ち目はない。

 故にルーテシアは一手打つ。御免ねと内心で呟いて、此処を突破する為にこそ、彼女は全てを出し尽すのだ。

 

 

「こちとら、端から全力全開、後先なんて考えてないの! この程度で、止められると思うなぁぁぁっ!!」

 

 

 召喚されたのはインゼクト。機械に憑依して、操る数だけが売りの召喚虫。

 手にしたロストロギアの一部に彼らを憑依させ、文字通り使い捨ての肉壁として盾にした。

 

 爆発する。爆発する。爆発する。家族の様に扱っていた、大事な召喚虫が潰れていく。

 その光景に胸を痛めながらも、それでも無駄にはしないのだと心に誓う。そうして白銀の飛竜は漸く、堕ちた揺り籠の入り口へと辿り着いていた。

 

 

「きゅくるー!」

 

「見付けたって、フリードが!」

 

 

 数百と居たインゼクト。その全てを使い潰して漸くに、彼女達は入り口を見付け出す。

 それは艦載機を外に打ち出す為の射出口。その閉じた継ぎ目の先にあるのは、今では唯一の入り口と化したカタパルト。

 

 

「あの辺が入り口、って訳?」

 

「XL級と構造が余り変わらないなら、多分。フリードも継ぎ目が見えるって言ってる!」

 

「なら、突入するわよ!」

 

「了解!!」

 

 

 侵入ルートは見付け出した。ならば後は全力で、其処に向かって駆けるのみ。少女らの意志に飛竜は応じて、その身を揺り籠へと近付けていく。

 カタパルトの周辺には、射撃兵装の数が少ない。それは構造的な理由であろう。だが皆無ではない。元よりこれは原形を留めぬ程に貶められている。ならば血肉が蠢けば、防衛装置の位置を動かす事とて容易い物だ。

 

 最早盾はない。フリードに全てを避け切る程の力も残ってはいない。だから、彼女達が選ぶのは突貫だ。

 肉塊が動いて迎撃されるよりも前に、辿り着いて穴を開ける。其処に全力を費やして、撃ち抜く為に賭けるのだ。

 

 

「行って! フリードォォッ!!」

 

 

 降り注ぐ光に撃ち抜かれて、翼を穴だらけにしながらもフリードは前に飛ぶ。

 今にも墜ちそうな程に消耗して、それでも飛竜は前へと飛んだ。ならばルーテシアも此処に、己の全てを此処で賭ける。

 

 

「取って置き。これで種切れよ! 全弾持っていけぇぇぇぇっ!!」

 

 

 ロストロギア全弾射出。残った全てを此処に使い切って、先に繋がる道を切り拓いた。

 

 

「空いた! この隙間にっ!!」

 

「中に入って、私達の友達を取り戻す!!」

 

 

 この一瞬に、この僅かな交差に、どれ程の賭けを乗り越えたのか。

 魔群を超える事が賭けなら、聖王のゆりかごに接近する事も分の悪い賭け。その内部に突入する事など、最早奇跡と言える程に天文学的確率だろう。

 

 それでも、零ではなかった。そして、その賭けに勝ち続けて来たのだ。

 ならばこの先にも進もう。既に切れる札のほぼ全てを失って、それでも賭けに勝つのだと前に行く。

 

 退けない、理由があるのだ。取り返したい、人が居るのだ。ならばどうして、此処で迷う意味がある。

 

 

「行くよ、ルーちゃん! フリード!!」

 

「きゅくるー!!」

 

 

 醜悪な肉塊に生まれた亀裂。焼け焦げた肉の穴の中へと、ボロボロの翼が必死に飛び込む。

 既に死に体。これより先が本番で、されど舞台に上がる時点で既に死に体。だが、だからどうしたと前に進む。

 

 そんな飛竜と少女らの前に、その残酷な現実は姿を見せた。

 

 

「っ!! 何、これっ!?」

 

「マズっ!? コイツはっ!!」

 

 

 飛び込んだ先のカタパルト。入り口として用意されたその場所には、当然の如く罠がある。

 半ば墜ちる様に鋼の上に降り立ったフリードと、その背に乗った少女らが見たのは悪夢の様な現実だ。

 

 それは球体だった。蟹を思わせる多脚の胴体。その上に六つの球体が浮かんでいる。

 これはガジェットだ。自走し、標的を捉え、最大砲火をぶつける事に特化したガジェットだ。

 

 ガジェットS型。内部に魔群の血を取り込んだこの無人兵器は、一つの魔法にのみ特化している。

 六つの球体が敵に対して、最高火力の砲撃魔法を打ち込むだけの使い捨て自動兵器。その打ち込む魔法として選ばれたのは、この砲撃魔法を置いて他にない。

 

 

〈イミテーション・スターライトブレイカー〉

 

 

 空に浮かんだ六つの球体。それら全てが同時に撃ち放つのは、プロトタイプスチールイーターの主砲と同じだ。

 偽りの星光。唯一つでさえ街の一区画を焼け跡へと変える破壊の光が、白銀の翼を包んで焼き払った。

 

 

 

 

 

 白銀の飛竜は此れにて墜ちた。フリードの翼は失われ、少女らはそれでも辛うじて生きている。

 前へ。前へ。前へ。その意志は揺らがず、その意地は変わらず、彼女達は必死に友を目指している。

 

 そんな光景を聖王の揺り籠の制御中枢にて、ヴィヴィオ=アスタロスは冷めた瞳で見詰めていた。

 彼女達は辿り着いて、一体何をする心算なのか。辿り着けたとして、一体何が出来ると言うのか。そもそも、彼女達程度では辿り着く事さえ出来ぬだろう。

 

 それは確信。確信を持って、機械的にそう判断している。

 キャロとルーテシアでは不可能だ。特別な力も才能もなく、手札も全て失った。そんな彼女達が、この領域を踏破出来る筈がない。

 

 

「この聖王の揺り籠には、マスターが用意した防衛網が存在しています。その数。その密度。聖王教会に配備された機械群と、ほぼ同等。真面な方法では突破は先ず不可能です」

 

 

 これはスカリエッティの玩具箱。彼が戯れに思い付いた兵器や罠で満ちた、スカリエッティの遊び場だ。

 聖王教会の罠は全て無駄にされたが、それを為せたのは相手が高町なのはだからこそ。同等規模の罠に満ちた揺り籠を、幼い少女二人に突破出来よう筈がない。 

 

 

「ガジェットS型。自動で浮遊、敵機を索敵し追尾し、そして集束砲を放つだけの使い捨て自立ビットとその台座。その数が500」

 

 

 蟹の様な胴体に、本体とでも呼ぶべき浮遊球体。台座の数が500ならば、砲門の数は即ち3000。

 嘗ての夢界の廃神。狂愛に満ちた星光に準えて、スカリエッティが遊びで用意した星の極光は三千発だ。

 

 例え夢の世界とは言え、君らの先達は乗り越えたぞと。

 故にそれと同数を用意して、あの狂人は遊んでいるのだ。

 

 そして此処、揺り籠にある防衛装置はS型だけではない。

 

 

「ガジェットⅤ型。対エースストライカー向けに作られた拠点防衛用兵器。その数が50」

 

 

 高町なのはやゼスト・グランガイツ。彼らトップクラスの魔導師を相手取る為に、資金を惜しまず作り上げた防衛兵器。 

 次元管理局の三脳が機動六課対策にと、スカリエッティに作らせた正しく異常な機体である。それが50。要所要所に配備され、制御中枢への突入を妨害している。

 

 エースや歪み者でも、真面にぶつかればこの罠を突破する事は不可能だ。

 それ程に悪辣にして周到な罠。圧倒的な物量を前にして、しかし相対する者らはエースですらない。

 

 

「エースではない。希少技能もない。歪み者ですらなく、ロストロギアは使い果たした。そんな貴女達では突破は不可能」

 

 

 冷めた目で見据える。監視装置越しに映るのは、必死に前に進む()()の姿。

 翼を撃ち抜かれ、焼け爛れたそれを失ったフリード。白銀の飛竜はまるで飛べない鳥の様に、無様に大地を駆けていた。

 

 その背に噛り付いたキャロは、半身不随故にフリードが動けなくなれば其処で終わりだ。

 その背より下りたルーテシアはガリューと共に、しかし戦闘用の召喚虫とは言えエースと比すれば一段二段は落ちる者。

 

 どちらも総じて、取るに足りない。父が言っていた()()()()()()()()()()でもない。

 故に排除は簡単だ。取り除く事を躊躇する必要すらもない。唯こうして此処に居て、潰れるまで眺めていればそれで済む。

 

 

「諦めて消えると良い。キャロ・グランガイツ。ルーテシア・グランガイツ」

 

 

 確信を持って、魔鏡アストは断言する。決して少女達は己の下へ、辿り着けはしないだろうと。

 それでも何故だろうか。そう思う時、そう思考する時、僅かなノイズが脳裏に走る。偽りの感情が甦り、ヴィヴィオはその顔を小さく顰めた。

 

 

「……やはり、不合理ですね。不要。不必要。所か害悪ですらある」

 

 

 彼女は写し取る鏡。人を欺く為に作り出したのは、ごく一般的な幼子を写し取ったヴィヴィオと言う人格。

 機動六課に侵入する為に用意した疑似人格が、今になって足を引いている。そう自覚する魔鏡は小さく吐き捨てると、見なくとも結果は同じだろうと目を閉じた。

 

 

 

 

 

3.

 翡翠の光が膨れ上がる。降り注ぐは直射型の砲撃魔法。その数が無数に、神聖なる教会の玉座を満たす。

 対する男は不動の儘に、頬杖を着いて対処する。蚊を払う様な気安さで、払った腕に重さを感じる。おやと眉を顰めた科学者の、眼前には既に黄金の杖。

 

 交差する。強き意志と共に振り抜かれた杖を、受け止めるのはドロリとした異質な魔力光。

 基調は白。だがその色が淀んでいる。魂の輝きである魔力光を、歪ませているのは薪となった人々の怨嗟だ。

 

 許さない。許さない。許さない。誰よりも奈落に憎まれているのは、間違いなくこの男。

 だがジェイル・スカリエッティと言う狂人は、人の憎悪すら取るに足らぬと嗤い飛ばす。今も憎む彼らの意志を、己の力に変えているのだ。

 

 それが分かる。一合杖を交わしただけで、痛い程に伝わってくる。

 

 魂を見る目が見る。その光景は地獄絵図。スカリエッティに縋る様に、地獄に落としてやると亡者達が纏わり付いていた。

 そんな人の憎悪ですら、この狂人は揺らがない。鼻で嗤って使い潰して、当たり前の様に己の求道を突き進むのであろう。

 

 終わっている。スカリエッティと言う男は、どうしようもない程に終わっていた。

 

 

「貴方はどうして!?」

 

 

 目の前にある男の顔。バリア一つ挟んで、椅子に座す白衣の狂人。

 至近距離で見詰める高町なのはは問う。この男、ジェイル・スカリエッティが何故この今に動いたのかを。

 

 

「こんな事を、したんですかっ!!」

 

「ふむ。言った筈だよ。既に示した筈だ。今更、問う事に意味はない」

 

 

 返る答えは悠然と、冷めた瞳で言葉を返す。

 嘲笑を張り付けた男は観察する瞳で高町なのはを見据えながら、軽く手を振る事で魔力弾を生み出しながらに一つを告げた。

 

 

「もう少し建設的な会話をしようじゃないか。否定するだけでは、些か詰まらないよ」

 

「っ!!」

 

 

 その問いは無駄である。その言葉は無価値である。余りに愚かで、取るに足りない。

 馬鹿にした様に語る男に頭が沸騰し掛けるが、冷静さを保ったままに高町なのはは襲い来る光に対応する。

 

 回避して、打ち落として、反撃する。降り注ぐ翡翠の光に晒されながら、しかし淀んだ魔力障壁は崩れない。

 砲撃を受ける度に揺れる魔力障壁の内側で、頬杖を付いていた男は静かに判断すると嘯く様に口を開いた。

 

 

「しかし、君はスロースターターだ。まだ本領とは程遠い。それを考えれば、このままでは厳しいかも知れないねぇ」

 

「そんな余裕そうな態度で何をっ!?」

 

 

 馬鹿にしているのか、余裕そうな態度で語る言葉に吐き捨てる。

 不撓不屈によって増していく魔力を操りながらに睨み付ける高町なのはに対して、白衣の狂人は道化の様な言葉を返した。

 

 

「ハハハ、そう怒らないでくれ。紛う事なき本心だよ。これは」

 

 

 スカリエッティは自嘲する様に、そう語る。その言葉に嘘偽りなどはない。

 この今にも震えてしまいそうな程に、恐怖を覚えている。この科学者の道化た仕草は、決して演技などではないのだ。

 

 

「避けなかった訳じゃない。避けられなかったんだ。避ける必要がなかった訳じゃない。防ぐしか出来なかったんだよ。これでも内心、戦々恐々としているんだよ。私は戦士ではないからねぇ、臆病なんだ」

 

 

 躱さなかったのではない。反応出来なかったのだ。無理に反応しようとすれば、情けない姿を見せると分かっていた。

 元よりスカリエッティは戦士ではない。戦う者ではないのだから、技巧を比べれば勝ち目がない。意地を張って対抗すれば、余りに無様な姿を見せる結果となろう。

 

 そうと分かっているからこそ、ジェイル・スカリエッティは動かない。

 まるで悠然としたその態度は、自分が必死になる程に追い詰められれば負けると確信しているからこその物。

 単なる余裕ではない。余裕を見せられなくなった瞬間に、彼は敗北すると自覚しているのだ。故にこうして、座して動かぬ事を選んだのである。

 

 

「そうとも、私は戦士ではない。研究者だ。科学者でしかないこの身。出来る事など精々、力任せに異能をぶつけるくらいだよ」

 

 

 力任せに腕を振るしか能がない。事戦場と言う分野において、己は無能と素直に認めている。そんなジェイル・スカリエッティは、ならば取るに足りないか。

 

 

「だが、断言しておこう」

 

 

 いいや、否だ。この男は無能の自覚があればこそ、非常に厄介な存在となる。

 

 

「私自身はそう強くはないが、私の研究成果だけは、世界で最も先を行くと自負している。故に、侮らぬ事だ」

 

 

 腕を振るうしか能がないと自覚すればこそ、腕を振るうだけで勝てる様に舞台を整える。

 そもそも競うと言う事を選ばない。競い合ったら負けるなら、競う必要がない程の差を作る。それがこの狂人の思考であるのだから。

 

 

主が彼の父祖の悪を忘却せぬように(イザヘル・アヴォン・アヴォタヴ・)母の罪も(エル・アドナイ・)消えることのないよう(ヴェハタット・イモー・アルティマフ)

 

 

 そして門が開かれる。無限の憎悪の奥底から、スカリエッティを呪う怨嗟の力が湧き出し溢れる。

 己に対する呪詛。それを祝福に変える。無尽蔵の呪いを力に変換して、ジェイル・スカリエッティは夢より一つの力を取り出した。

 

 

「アクセス――我がシン。来たれ偽りの神、這う虫の王」

 

 

 ジェイル・スカリエッティの背に、巨大な黒き太陽が浮かび上がる。

 泥が零れ落ちる様に、油が溢れ出す様に、ドロリと溢れ出すのは無限数の悪性情報。即ち、魔群の力だ。

 

 

「っ!? これは、クアットロの!?」

 

「然り、我が愛し子の力の一つだ」

 

 

 津波の様に迫る悪意の群れを前に、なのはは黄金の杖を構えて対抗する。

 波頭を抑えて吹き飛ばし、生まれた隙間を高速移動。飛び回りながら近付く女の姿を、スカリエッティは捉えられない。

 

 力はあるが、反射神経が追い付いていないのだ。如何に素体を強化しようが、魂が凡庸な資質しか持っていなければ活かせない。

 だから元より、スカリエッティは追い掛ける事など選択しない。追い掛けては追い付けないから、追い掛ける必要を無くすのだ。

 

 

「故に、こういう事も出来るとも」

 

 

 一度に開ける門は一つじゃない。一度に降ろせる悪魔は一柱ではない。

 夢界の支配者を慮生と言うなら、奈落の支配者であるジェイル・スカリエッティは正しくそれだ。

 

 彼は己の求道と言う悟りに辿り着いた、普遍的無意識に対する圧政者なのだ。

 

我は汝を召喚す(ディエスミエス・イェスケット)――闇の焔王、(・ボエネドエセフ・ドウヴェマー)悪辣の主よ(・エニテマウス)

 

 

 玉座に腰掛ける白衣の男の纏う魔力が、その質を大きく変えていく。

 淀んだ白から腐った黒へ。迫る高町なのはの接近に気付けぬならば、近付けない炎を纏って対処する。

 

 

「されば我が前に闇よ在れ――無価値の炎(メギド・オブ・ベリアル)!!」

 

「っ! エリオの腐炎まで!?」

 

 

 後一歩、首筋にまで迫っていた刃が引かれる。この腐炎は受けられない。そう知るが故に、彼女は慌てて後方へと飛んだ。

 追い掛ける様に迫った魔群を、湧き出した腐炎が巻き添えにして燃やし尽くす。上手く制御出来なければこうもなるかと、妙な感慨を抱きながらもスカリエッティは揺らがない。

 

 力を使い熟せてはいない。自分の呼び出した力で同士討ちなど、明らかに持て余している証左であろう。

 だがそれでも、この男は手に負えない。強いのではなく、性質が悪い。質量が違っていればこそ、些細なミスがミスにならないのだ。

 

 この男に勝つ方法などは単純だ。強くなれば良い。この差を埋める程に、何かで補えば即座に勝てる。

 だがその差が大きい。全ての反天使の力を同時に操ると言う異常。強大な地獄の体現を思わせる力を前に、高町なのはは冷や汗を流していた。

 

 

「そう驚く必要はあるまい。物語の大きな敵が、それまでの敵の力を扱う。これはある種お約束と言う奴だろう?」

 

「ゲームか何かの様にっ! 貴方は遊んでいる様な口調で!!」

 

 

 そんな様を嗤って、スカリエッティは何でもない事の様にそう語る。そんな語る姿の裏に、どれ程の怨嗟が渦巻いている事か。

 まるでゲームか何かの様に、人の生き死にを弄んでいる求道の狂人。取るに足りぬと死者を嗤っている狂気の求道者。その姿に憤りを、怒りを向けながらに魔力を高める。

 

 

「幾つ犠牲を生み出した!? どれ程他者を傷付けた!! それでも貴方は、変わらず嗤うのっ!?」

 

「そうとも、それが私だ。満天下に断言しよう。ジェイル・スカリエッティとは、並ぶ者なき破綻者の屑であると」

 

「それが分かって、なのに貴方はっ!?」

 

「それが分かってるからこそ、私は己の求道の為に生きるのだよ」

 

 

 ジェイル・スカリエッティは人として終わっている。求道に狂ったこの男を前に、常識や一般論など意味がない。

 屑と自覚して、破綻していると分かって、嗤いながらに必要だからと苦しめる。其処に一切の呵責を覚えぬこの男は、決して救えはしないし救ってもいけない男である。

 

 そうと分かっている。そうと分かっていた。それでもと何処かで期待した。

 触れ合う月日に変われたのではと、彼に遺した言葉の様に確かに何か変わったのではと、嗚呼そんなのは思い込み。

 

 どれ程情を抱いても、どれ程他者を理解しようと、ジェイル・スカリエッティは変わらない。

 彼は求道に狂っている。己の道しか見えてはおらず、他の全てが路傍の石。ならばどうして、その純度が揺らぐ事があるのだろうか。

 

 

(君が完成する迄、もう少し。待っているとも期待している。その時を、だから――)

 

 

 故にこれも、白衣の狂人の策の内。全ては唯、失楽園の日。その最終幕を開く為にこそ。

 

 

「許せぬと語るなら、来たまえ。……何、私自身はナハト以下だ。恐れずに全てをぶつけてみれば、存外容易く討てるかもしれないよ?」

 

「貴方と言う人はぁぁぁぁっ!!」

 

 

 ジェイル・スカリエッティは待っている。戦いの中で、太極の器が満ちるその瞬間を。

 後少し、後僅かで準備は整う。この陰陽を内包する器がアレに耐えられる程に、高まるのは後僅か。

 

 翡翠の光と悪魔の力が飛び交う中、玉座に腰掛けた狂人は静かに嗤い続けていた。

 

 

 

 

 

4.

 地上本部の跡地に出現した悪魔の王。この今の世界で、最も強大な力を持つ存在。

 エリオの器を依り代として、顕現したのは無価値の魔王。その異形を、トーマの内側でリリィは見る。

 

 誰も何も口に出来ない。夜の如く凪いでいるのに、放つ威圧感だけで誰も動けない。

 思考できる余裕があるのは、トーマの内に守られているリリィくらいだ。トーマは身動き一つ出来ないし、ティアナに至っては呼吸困難となって死に掛けている。

 

 失楽園の地獄の中で、唯一つ生まれた異様に静かな場所。

 台風の目の中心の様に全てが凪いだこの場所で、無価値の悪魔は歪つに嗤った。

 

 

「俺はね。エリオの事を好んでいる」

 

 

 そうして語る。口にするのは、彼が好む一人の少年。

 魂は奈落に繋がれ、肉体は依り代となり、最早残骸となったエリオ・モンディアル。

 

 嘗ての相棒の名を舌に転がせて、暇を潰す様に倒れた者らの前にて一人語る。

 口にするのは一つの戯れ。余りに力の差があり過ぎて、戦う事すら出来ない者らを見下しながらにナハトは語った。

 

 

「アイツは良い。何より願いが好ましい。何だ、叶えてやりたいと、悪魔が思ってしまう程に愛らしい祈りじゃないか」

 

 

 報われぬ人に救いの手を。苦しんだ人にこそ救済を。生まれだけで、全てが決まらない世界を。そんな願いが愛らしい。

 報われる為に不断の努力を。己を磨き続けた人にこそ救済を。強くなる意志を全ての人が持つ世界。そんな手段も好ましい。

 

 何よりも好ましく、愛らしい。そんな渇望。なればこそ、彼を好む悪魔は想う。是非ともぐちゃぐちゃに穢し堕としてみたいのだと。

 

 

「だから、叶えて上げようと思うんだが……しかし一つ疑問に思ってね。少し意見が聞きたいと思うんだ」

 

 

 視線を向ける。それだけで、トーマの鼓動が一度止まった。

 超越種として君臨する怪物は、そんな無様を鼻で嗤って語りを続ける。

 

 口にするのは、余りに悍ましい願いの冒涜だった。

 

 

「救いたい。愛しい人が、生まれついての理不尽で苦しむ姿はもう見たくない」

 

 

 彼は本気で願っていた。心の底から祈っていた。手段は間違っていたけれど、その願いは真実切なる物だった。

 それは誰もが認めよう。受け入れる事が出来るか否かと言う話じゃない。その願いの気高さや、祈りの尊さは本物だった。

 

 

「人は生まれで選ばれるべきじゃなく、真に問うべきは努力じゃないか。ああ、それは良い。そういう想いは素敵だろう?」

 

 

 だが、悪魔はそれすら貶める。泥と糞尿を塗り固めた理想で現実を塗り替えて、これがお前の願いの形なのだと嗤うのだ。

 元より悪魔とはそういう物。誰よりも人間を愛すると語りながらに、その願いを曲解して、悪辣な手段で全てを台無しにする怪物達だ。

 

 

「だがしかし、とんと分からない。――そんな願いなら、座を取る必要などないだろう?」

 

 

 故にこれは曲解だ。本質を意図的に間違えた受け取り方だ。その叶え方は、尊い願いの本質を踏み躙る形であった。

 

 

「選ばれし人が救われるべきだ。努力する人が助かるべきだ。幸福の椅子は、真に強い人にこそ相応しい。……詰まりはそう、相応しくない弱者が減れば良いと言う事だろう?」

 

 

 弱肉強食の方によって、救われるべき人間を選ぶならば、それは弱者に対する篩落としを意味している。

 結果として弱者が零れ落ちて消えるならば、為すべき事は同じであろう。必要なのは競争だ。我を剥き出しにした闘争だ。共食いこそが必要なのだ。

 

 

「人間が共食いすれば良い。全ての人間に世界の真実を晒してやれば、そんな彼らの前で全ての希望を潰してやれば、それだけ解決する稚拙な祈りだ」

 

 

 そして人が共食いする為に、神などと言う大層な舞台装置は必要ない。

 有史以来常に争い続けて来たのが人間と言う種であるのだ。ならばそう、適当な理由でも与えてやれば人は争う。共食いは必ず其処に起こるのだ。

 

 

「希望を奪われた人間は、絶望するか自棄を起こす。互いに相争えば人は減り、最後には真に強い者だけが残る。自然淘汰だ。そら、座など無くても、神など居なくとも選別は可能だ」

 

 

 自棄を起こした人間が起こすのは、得てして碌でもない暴虐だ。その八つ当たりに巻き込まれては、諦めた人ですら抗おうと武器を執ろう。

 それで共食いの舞台は完成する。血と暴力と欲によって人間達は争いあって、勝手に数を減らしていくのだ。そして残るのは、彼が望んだ真に救われるべき者だろう。

 

 悪魔はそんな風に、悪辣にその願いを嗤う。無軌道な争いの果てに強者すら残らなかったとしても、知った事かと無責任に嗤って語る。

 

 

「怠けるな。足を止めたら転げ堕ちるぞ。傲慢にはなるな。慢心は必ずその身を滅ぼすぞ」

 

 

 戦え。戦え。殺し合え。共食いの果てに救いを求めて、ああ、だが残念。救いなどは何処にもない。

 何しろ神がいないのだ。成れる者はその時には全滅しているのだ。生き残った輩の中に資質が無ければ、無様に皆滅ぶであろう。

 

 

「強くなれ。強くなれ。強くなれ。強くなれ。強くなれなきゃ、無価値に死ねよ。強くなっても、何もないがな。唯それだけが絶対法則。アイツが望んだ至高の天の姿だろうさ!!」

 

 

 それで良い。だから良い。もっと無価値に殺し合え。もっと無意味に喰らい合え。

 それこそエリオが望んだ世界の縮図だと嘯いて、悪魔は歪んだ笑みを浮かべる。後の救いを全て奪って、今の地獄だけを形にするのだ。

 

 

「人間は共食いするべきだ。一つの次元世界で70億? それが百や二百や三百などと、余りに数が多過ぎる。分母が70億の百倍と言うならね、分子は須臾瞬息弾指刹那の単位になるべきだ。その位の数にまで、人間は減った方が良い」

 

 

 唯でさえ人は多いのだから、もっと数を減らしてしまえ。結局の所、ナハトが言いたいのはそれだけだ。

 さも自分と宿主の願いが同じ物であるかの様に語っているが、それは一面だけを抜き出した曲解に過ぎないのだ。

 

 だがそれでも、この悪魔はそれを為せるのだろう。止められる者など、何処にも居はしないのだ。

 

 

「運が良ければ、その内神も生まれるだろうさ。それで生まれないと言うなら、まあ仕方はない。無価値に滅べよ。その程度の物だったと言う事だろう?」

 

 

 嘘だ。全て偽りだ。仮に共食いの果てに、神の器が生まれたならばナハトが殺す。

 育つのを待つ前に、至るのを見届ける前に、全て無価値に殺して終わりだ。そして悪魔は嘯くのだ。全ての可能性が途絶えた世界で、人は滅ぶべくして滅ぶのだと。

 

 

「だから、エリオの願い。弱肉強食の世に神は要らない。俺はそう思うんだが、さて、お前はどう思う? 考えなし(エアーヘッド)

 

「ぐ、あ、が……」

 

 

 戯れに願いの全てを嘲笑って、そして戯れに問い掛ける。

 軽く足蹴にして転がした少年は、しかし言葉も発せない程に消耗していた。

 

 

「はぁ、話せない、か。独り言を言うのも、些か寂しいんだがね。合いの手がないのはいけない。無視されるのが、悪魔は一番堪えるんだ」

 

 

 唯、その場に居て、呼吸をしているだけでこれか。

 余りにも役者不足。己が降臨したこの場所では、敵に値する者など皆無と言うのか。

 

 ナハトは嘆息と共に見下して、己の威圧を意図して緩める。

 依頼人から指定された()()()()()()()()()()であると言うのも理由の一つだが、一番の理由は手持ち無沙汰が故。

 

 

「少し圧を緩めてやろう。向こうの滓は威圧だけで潰れてしまいそうなのだし、舞台の山場までの手慰みくらいの役に立ってもらわなくては、手持ち無沙汰に終わってしまう」

 

 

 山場はこれから、舞台はこれより先にピークを迎える。その策謀。その遠大な視野は、ナハトをして見事と言わせる物。何よりも、ナハト好みの展開となるのが良い。

 計画に必要なピースの内、最も盛り上がる場所を聞いていないのはクアットロくらいだ。アレは背負った役割故に、知る必要がないと判断された。残る二柱には伝わっていて、故にナハトはその時を待っている。

 

 ただ待つだけでは手持ち無沙汰だ。手慰みの一つは欲しい。

 故に願いを穢して語った。その鼻で嗤う悪辣な姿に、トーマが何と返すか気になったのだ。

 

 

「これで息が出来るな。声を発せるな。ならば語って魅せろよ。新進気鋭(ニューヒーロー)。悪魔の語りを前に、お前は一体どんな言葉を聞かせてくれる?」

 

 

 吐息が掛かる距離まで近付いて、這い蹲ったままの少年に問い掛ける。果たして彼は、一体どの様な返しを見せるか。

 

 物語の英雄の如く、義憤に駆られて許せないと語るのか。何としてでも止めなくてはと、闘志を剥き出しにして意志を見せるのか。

 或いは当たり前の人の如く、この悪魔王を前に恐怖に震えて屈するか。或いは恐怖を抱きながらも、弱いなりに意地を見せるのか。

 

 どんな形でも良い。きっと良い暇つぶしにはなる。

 そう期待して嗤うナハトは次に、信じられない言葉を聞いた。

 

 

「……じゃ、ない」

 

「なに」

 

 

 余りに意外が過ぎる言葉に、ナハトは思わず唖然とする。

 本気でそう語ったのかと言う疑念を顔に張り付けて、そんなナハトを()()()()()()()トーマは口にした。

 

 

「お前、じゃ……ない」

 

 

 威圧を緩めて貰わなければ、声も発せない程の無様を晒していた。

 それ程に実力差があって、覆す術などないと知っていて、それでもトーマは見ていない。

 

 

「俺が、戦いたいのは……僕が、決着を付けたい、のは……お前じゃ、ない!」

 

 

 威圧が更に緩んだ、と言う訳ではない。少しずつ慣れていたのだ、だからこうしてトーマは立ち上がる。

 震える足で立ち上がって、上手く動かない舌を必死に回して、そうして睨み付ける相手は悪魔じゃない。

 

 この少年にとって、ナハト=ベリアルなどどうでも良いのだ。

 

 

「エリオを、出せよ! アイツと、やらせろっ!」

 

 

 リリィが震える。内なる心の世界に守られて、そんな少女は信じられないと震えていた。

 トーマは分かっている。目の前の怪物がどれ程に恐ろしいか、それが分かってこう言うのだ。

 

 お前など眼中にない。とっとと引っ込んでいろ、と。

 

 

「お前じゃないんだ! お前みたいな、誰でもない悪魔じゃない! 誰でも良い悪魔なんぞが、邪魔をするなよ! お呼びじゃないんだ、路傍の石がっ!!」

 

「……俺を、路傍の石だと? この世界の頂点。全ての命の頂を、お前は路傍の石と言うのか!?」

 

 

 ナハトは驚愕する。遥か格下の小物を前に、その言葉に驚愕する。

 あらゆる生態系の頂点。全ての超越者となった今のナハトを、路傍の石と断じるその姿。

 

 余りに身の程知らず。理解しがたい程の増上慢。何よりも許し難い程の侮辱。無価値の悪魔は、激しい怒りに震えていた。

 

 

「どうでも良い。お前なんて、心底から、どうでも良い」

 

 

 再び膨れ上がった威圧に、しかし今度は膝を屈しはしない。

 もう慣れた。その圧にはもうなれたから、今度は立ったままにトーマが断じる。

 

 

「勝ちたい奴が居る。お前じゃない。倒したい奴が居る。お前じゃない。決着を付けたいんだ! その相手は、断じてお前なんかじゃないっ!!」

 

 

 彼にとって、ナハト=ベリアルとは大切な決闘の邪魔をした障害だ。

 許せないのはその行いで、この悪魔と言う存在などは路傍の石に等しい程にどうでも良い。

 

 それはランナーズハイに入ったマラソン選手がゴールロープしか見ず、観客席にどんな偉人が居ても目を向ける事がないのと同じ事。

 一人しか見えないのだ。その一点しか見えていないのだ。どれ程に巨大な山であっても、或いは前衛的な芸術でも、興味がないならないのと同じ。今のトーマにとって、ナハト=ベリアルなど真実路傍の石以下なのだ。

 

 

「く、くは、ははは」

 

 

 嗤った。ナハトは嗤った。立つ事もやっとで、言葉を発するが精一杯で、それでも路傍の石と断ずる脳足りず。

 その発言に怒り狂って、一点を超えてしまえばもう笑うより他にない。ナハト=ベリアルは腹を抱えて嗤いながらに、その実これまでにない程に怒り狂っていた。

 

 

「吠えたな。考えなし(エアーヘッド)。よりにもよってこの俺を、お前如きが取るに足りないと?」

 

 

 威圧が高まる。気配が移り変わる。それは観察から、嗜虐へと。

 戦闘域には未だ移行しない。余りにも度が過ぎる暴言。その代価を払わせる前に、死んでしまっては意味がない。

 

 

「ならばその気概。その覚悟。その意志。それが何処まで続くのか、その身体に聞いてやろう」

 

「がぁぁぁぁぁっ!!」

 

〈トーマっ!!〉

 

 

 故に苦しめ。故にもがき足掻け。絶望の果てに、その全てを暴虐に晒されろ。

 立ち上がった少年を嬲る様に、槍を軽く振って叩きのめす。叫びと共にうち倒れたその軽い頭を踏み潰して、ナハト=ベリアルは激情と共に宣言した。

 

 

「後悔しろ。此処より先は、貴様の増上慢が生み出した地獄だ」

 

 

 これより先に、地獄を見せよう。己を小石と侮った、その発言を悔やみ果てるまで。

 嗤う悪魔の瞳に映る夢追い人。トーマは今も諦めない。望んだ敵との決着を、その邪魔をすると言うなら排除する。

 

 出来るかどうかに意味はない。やるのだ、唯その意志で為すのである。

 望むのは宿敵との決着を、彼が死んだなどとは思いもしない。だから、その為に、先ずは――

 

 

(この、邪魔な小石を、誰でもない悪魔を、取り除く)

 

 

 出来ると信じて、やると決めて、唯想いを胸に為し遂げる。

 これは決戦などではない。倒さねばならない敵でもない。どうでも良い、そんな路傍の石を退かすのだ。

 

 トーマはそう心に決めて、その為の手段を模索する。絶対的な敵を前にして、感じる気負いなどは何もない。為すべき覚悟と果たしたい願いだけが、その胸にはあったのだった。

 

 

 

 

 




トーマ「お前じゃない! エリオじゃないとダメなんだ!!」
リリィ(……やっぱり、最大の恋敵はエリオ!!)

足引きBBA「きゃー! お前じゃない! エリオとヤラせろ♂ なんて、大胆な告白はホモの特権ね!」

アホタル「え? 嘘!? そういう事なの、これって。……そう言えば、彼もそんな節が所々で見られた様な」

毒電波先輩「……手遅れになる前に、生み直して浄化しないと(使命感)」

衆道至高天「憎み合う二人の男。だが間男の存在によって、憎悪が愛であったと知る、か。……次のこみけに出す本の内容は決まったな」

トーマ・阿部に似る「やめろぉぉぉっ! そんな腐った目で僕を見るなぁぁぁっ!!」






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第二十五話 失楽園の日 其之参

馬鹿な!? 三月中に次が書けただと!?(驚愕)


1.

 まるで食道を進む内視鏡になった様。そんな錯覚をしてしまう程に、血肉の臭いがこびり付いた肉塊内。

 浮遊する肉塊の内側に存在するのは、嘗ては戦艦の通路であったのであろう空間。一歩進む事に感じる湿り気を含んだ生温さは、この船が生きているが故の熱であろう。

 

 そんな赤黒い道を進む。白と黒。二色の召喚獣は主を抱えて駆けている。そんな彼らは、共に欠損を抱えていた。

 醜く焼け爛れ、翼を根本から失った白竜。最早飛竜は、空を飛ぶ事すらも叶わない。それでも主の足として、フリードはその歩を止めはしない。

 甲殻の一部が剝げ落ちて、中身も幾つか抜け落ちた黒き虫。先の傷故に本調子ではない昆虫戦士は、今も降り注ぐ破壊の雨から主を庇ってその右腕を失った。

 

 召喚獣らに守られる少女らも、決して無傷と言う訳ではない。吹き付ける破壊の嵐は余波だけでも、人を傷付けるには十分過ぎる。

 身体を焼かれて、その身を傷付けられて、全身に酷い痛みを感じている。少しでも回避しようと激しい機動で揺さぶられて、今にも吐き出しそうな程にその顔色は青褪めていた。

 

 

「ねぇ、ルーちゃん」

 

「なに、キャロ?」

 

 

 共に声を交わす。疲れ切った表情で、此処に言葉を一つ交わす。口にした言葉は、一つの現実だ。

 

 

「辿り着いて、勝てると思う?」

 

「何言ってんのよ。……無理に決まってんでしょ」

 

「そっか。やっぱり、そうだよね」

 

 

 敵は第三の反天使。全てを写し取る魔性の鏡。ヴィヴィオ=アスタロス。

 彼女を前にして、勝ち目はない。勝機などはないのだ。そんな事、当の昔に分かっている。

 

 それでも今更に問うたのは、その顔に浮かぶ疲労が故か?

 いいや、否。その表情は疲れ切っているけれど、その瞳はまだ死んではいない。

 

 強く。強く。強く。前だけを見詰めるその瞳。信じる想いに全てを賭けて、先に進む少女らの口にする言葉は弱音じゃない。

 

 

「でも、勝てないから、救えないって訳じゃない」

 

「そう、そうよね。救えないなんて、取り戻せないなんて、決まってない」

 

 

 全力全開を発揮できる状況で対峙したとしても、百度戦って百度負ける。そんな事は自覚している。

 だがそれでも、何も出来ない訳ではない。辿り着けたら、変わる筈だ。負けるにしても、意味がある筈だ。

 

 ならば――

 

 

「だから、お願いがあるんだ。ルーちゃん」

 

「大丈夫。言われなくても、分かっているわ」

 

 

 余力を残す事に意味はない。切り札を隠す事に価値はない。

 辿り着いたら負ける事は決まっていて、それでも辿り着けたら何かを変える事は出来ると信じている。ならばそう。全ての力を此処に出し切ろう。

 

 

「辿り着くの。其処に辿り着いて、声を掛けるしか出来なくなったとしても、全部を出し切ってでも辿り着くの。だから――」

 

 

 全ての手札をただ辿り着く為だけに。辿り着いたその先で一歩も動けなくなったとしても、きっとそれこそが正しい答え。

 ならば降り注ぐ破壊の雨を前にして、キャロがルーテシアに頼む事は唯一つ。ルーテシアが為す事は、辿り着く為の限界突破。

 

 呼吸を整え、肉塊の上に降り立ったルーテシア。小さな蝶が彼女の傍に、桜吹雪の如くに飛び立ち回る。高まる魔力の果てに呼び出されるは、母より継いだ彼女の切り札。

 

 

「究極召喚!!」

 

 

 そして、揺り籠が揺れる。肉で出来た巨大な穴が、まるで狭まった様に感じる程の白き巨体。

 青き身体に白き甲羅を鎧の如くに纏って、背には蝶を思わせる光の四枚羽。三本の鉤爪で少女らと二匹の獣を抱き上げるのは、召喚虫の頂点が一つ白天王。

 

 全身にスターライトブレイカーを受けながらも、虫の王者は一歩も後退せずに立つ。

 魔鏡との戦いの為にと温存されていた切り札を此処に、辿り着く為だけに少女達は切り捨てたのだ。

 

 

「狭い場所で悪いけど、全てを蹴散らして進みなさい! 白天王!!」

 

 

 雄叫びと共に、大地を揺るがせながらに巨体が動く。背にある翼が羽搏いて、その巨体に見合わぬ速度で飛翔した。

 白天王は揺り籠を進む。肉で出来た空洞の壁に擦れる程、巨大な身体を動かしながらに前へと進む。当然の如く迎撃する機動兵器群を、昆虫王は蹴散らしながらに進んで行く。

 

 だがその行進は、快進撃と言うには程遠い。無傷で進行出来る程に、この防衛網は甘くはなかった。

 その巨体が放つ衝撃波と、魔力砲にて機械群を蹴散らしている白天王。それでもその身は余りに巨大。故に彼は受ける砲火を躱せない。

 

 唯火力だけに特化した兵器群。対エース向けに作られた防衛兵器。それらからしてみれば、白天王など大きな的にしかならなかったのだ。

 仮にも究極召喚。偽りの星光の一撃では、揺るぎもしないと断言しよう。だが、3000の砲門。其処から放たれる砲火を浴び続ければ話も変わる。ましてやS型の砲撃は、一発限りの使い捨てと言う訳ではないのだ。

 

 Ⅴ型に足を止められて、S型の砲火に身を削られる。その巨体故に閉鎖空間では回避など出来なくて、受ける砲撃に耐えるしかない。

 故にこれは想定出来た事。元より魔力反応がある地点までは距離があり、其処に辿り着くまでに白天王が持たないとは分かっていたのだ。

 

 だからこそ、温存していた。だからこそ、切ると決めた瞬間に白天王の敗北は決まっていたのだ。

 

 

「お願いだから、もう少し、持ってよね。白天王」

 

 

 それでも、この防衛網の中を進めるのは白天王だけだ。僅か数発で撃墜させられるフリードやガリューとは異なって、この昆虫の王だけが砲撃の雨に耐えられる。

 だからもう少しだけ持ってくれと、ルーテシアは祈る様に言葉を紡ぐ。そんな彼女の祈りに応える様に、白天王は一つ吠えると傷付くその身の飛翔速度を引き上げた。

 

 

「一番強い魔力反応まで、あとちょっと。――っ!? ルーちゃん!!」

 

 

 後僅か、先に見えたのは巨大な門。それこそ制御中枢。艦首付近に存在する玉座の間。

 キャロが驚愕を顔に浮かべたのは、その扉が見えたからではない。切羽詰まった表情で彼女が見詰める先、其処には一つの壁があった。

 

 

「隔壁が下りて来てるっ!?」

 

 

 それは文字通り壁だった。蠢く肉の壁が音を立てて、緩やかに落ちてきているのだ。

 隔壁閉鎖。単純な侵入対策の一つであろうが、壁の一つも壊せぬ現状では対処策の存在しない対応だ。

 

 

「急いでっ!!」

 

 

 このままでは先に進めなくなる。袋小路に追い詰められて、星の光に焼かれて全滅しよう。

 故に無理を言っていると分かっても、それでも少女はそう叫ぶ。そんな主の悲痛な叫びに、それでも白天王は確かに応えた。

 

 速く。先よりも、今よりも、少しでも速く。間に合わない距離を全力で飛翔する。

 そうして、抜けた。撃ち抜けぬ肉の壁が降り切る前に、白天王はその上半身だけを届かせた。

 

 だが――それすらも、彼の狂人が残した悪辣な罠。

 

 

『っ!?』

 

 

 目的地を前にして、突然道が閉ざされようとすれば誰であろうと焦るであろう。

 その先に何かが隠れているかなど、考える余裕がないのだ。先ずは詰まない為にと、全力で無防備に飛び込んでしまう。

 

 そんな心理を利用した罠。その隔壁の先に控えていたのは、500の内が半数にも届く程に大量のS型。

 1500の球体が、唯一点を補足する。標的となったのは、肉の隔壁に挟まれて動けぬ白天王。降り注ぐのは、情なき機械の破壊光。

 

 イミテーション・スターライトブレイカー。激しい破壊の雨が降り注ぐ中、白天王は蹲る。

 両手に抱えた四つの命を、己の背を丸める事で守り通す。絶え間なく襲い来る力を、その背で全て受けるのだった。

 

 

 

 そして、どれ程の時が過ぎたのか。一分か十分か、気が遠くなる程に長い体感時間の先。

 遂に全てのS型が、燃料切れとなって地面に落ちる。無数の球体が転がる中に、焼け焦げた虫の残骸は崩れ落ちた。

 

 胴は半ばから押し潰されて、下半身はもう繋がっていない。背中の甲羅は溶け落ちて、中身も殆ど焼け焦げた。半ばまで融解した白天王は、それでも未だ生きていた。

 錆びた扉の様に重い動作で腕を動かし、掌中に守った者らを肉の大地へ優しく下す。小さき命を見据えるその瞳には、嘆きも哀切も後悔も何もなかった。唯進めと、思う所を為すが良いと、その瞳は見詰めていた。

 

 

「……ありがと、白天王。ゆっくり休んで」

 

 

 だから彼を見上げるルーテシアは、謝罪ではなく感謝を口にする。

 此処まで連れて来てくれてありがとう。そんな言葉に頷いて、白天王は命を終えた。

 

 

 

 そうして、少女達は其処に立つ。目の前にある扉の先に、艦首玉座の間が存在している。

 全てを出した。最早隠す札も切れる手札も、何一つとして存在しない。それでも二人と二匹は迷わず、その扉の前に立つ。

 

 

「それじゃ、行くわよ。ガリュー。……馬鹿な主人に仕えたと、諦めて共に進んで貰うわ」

 

「…………」

 

 

 ルーテシアのそんな言葉に、隻腕の甲虫は無言で頷く。

 

 是非もない。迷いはない。主と定めた者が、救うと決めた。

 ならば己はその為に、命を賭して進むだけだとガリューは心に決めている。

 

 

「ゴメンね、フリード。私の自分勝手で、きっともっと痛い想いをする。だけど、お願い」

 

「きゅくるー!」

 

 

 御免ねと謝るキャロの言葉に、フリードはしかし強く応える。

 謝る必要はない。あの幼子を救いたいと願うのは、共に遊んだフリードも同じく。故に謝罪などは要らないのだ。

 一緒に行こうと、白竜はそのつぶらな瞳に想いを宿す。それが分かったキャロは、嬉しそうに小さく頷いた。

 

 そして、二人と二匹。皆で揃って、扉に手を掛ける。

 

 

「漸く、辿り着いた」

 

 

 ゆっくりと、扉はゆっくりと開いていく。

 

 

「此処まで、来れたよ」

 

 

 想いを込めて、強い意志で想いを込めて、万感の想いで彼女を呼ぶ。

 

 

『ヴィヴィオ!!』

 

 

 扉が音を立てて開くと同時に、玉座に座っていた少女は瞳を開いた。

 

 

「……驚きました。あの防衛網を超えて来るとは」

 

 

 翡翠を思わせる緑の右目。紅玉を思わせる赤の左目。

 金糸の短い髪が揺れる。幼い背に刻まれた醜い火傷痕の直ぐ傍には、白く透明な光の翼。

 

 玉座より立ち上がった幼子は、余りにも小さい姿をしていた。

 

 

「ですが、既に死に体。それで一体、何が出来ると言うのですか?」

 

 

 ヴィヴィオ=アスタロス。五歳前後の肉体に、宿した力はしかし極大。

 空へとゆっくりと浮かび上がって見下す彼女は、その行動で、その言動で確かにそれを示している。

 

 

「この身は第三の反天使。貴女方が届く程に、矮小な存在ではありません」

 

 

 お前達では勝ち目はない。何も出来ずに終わると断じよう。

 だから――何だと言うのだろうか。自分の中でも咀嚼出来ていない感情を持て余しながら、ヴィヴィオは少女らを見下した。

 

 吹き付ける魔力は最早暴力。放つ気配だけで潰されそうに。

 それでも全力ではないのだろう。それが分かって、それを理解して――キャロとルーテシアは小さく笑った。

 

 

「なんだ、思ってたより簡単そうじゃない」

 

「うん。そうだね。ルーちゃん。これならきっと、何とかなる」

 

 

 笑う。小さく笑う。浮かべた笑みに欠片も負の色はなく、日常で浮かべる当たり前の笑顔。

 血塗れで、傷だらけで、余りに多くを失って――目の前には勝てぬ強敵。それで何故笑うのであろうか。

 

 

「……何を言っているのですか、貴女達は? 力の差が分からないと、それ程に愚鈍ではないでしょうに。それでも、勝ち目があると」

 

 

 ヴィヴィオは眉を顰める。表情が死んだ彼女の瞳に、僅か浮かぶ色は不快と困惑。

 分からない。分からない。分からない。何を笑っているのかが分からずに、それ以上に何故これ程に気になるのかが不快である。

 

 

「ううん。勝ち目はないって、分かってるよ」

 

「ならば何故? 気でも触れたと言うのですか」

 

「まさか、イカレマッドと一緒にするんじゃないのよ!」

 

 

 立っているのが限界だろうに、二人の少女は笑顔で語る。その浮かべた表情に覚えがあった。

 一緒にクイズをした時だ。二人は答えが分かっていて、ヴィヴィオだけが答えられなかった下らぬ頓智。その時に浮かべていたニヤつき笑いと、今の笑みは何処か似ている。

 

 そんな風に一瞬、記録でしかない筈の記憶が胸に浮かんで、その時に感じた不満も蘇って臍を噛む。

 何だこれは必要ない。この場でこんな不快などは要らないだろうに、どうしてこんな物が脳裏に浮かぶのだ。

 

 忌々しいとヴィヴィオは頭を振って、その思い出を振り払った。

 

 

「……理解が出来ません。意味が分かりません。貴女達は勝ち目がないと理解して、狂気に歪んだ訳ではないのに、何故――笑っているのですか?」

 

 

 そして問う。何を笑っているのかと、問う必要もないのに問う。

 形容し難い不快感と苛立ちを胸に抱えたままに、問い掛けるヴィヴィオを前にキャロとルーテシアは揃って答えた。

 

 

「そりゃ決まってんじゃない」

 

「うん。決まってるね」

 

『意外と感情的だったから』

 

「……は?」

 

 

 何だそれは。何なのだそれは。理解出来ない答えを前に、ヴィヴィオはその疑問に囚われる。

 意味が分からない。訳が分からない。何故笑っているのかと言う問い掛けに、何故感情的だからと言う言葉が返るのか。

 

 疑問。疑念。困惑。動揺。無数のマルチタスクが混線し、魔鏡アストは呆気に取られる。

 そんな茫然自失とした幼子を前にして、キャロとルーテシアの二人はその答えの理由を此処に語るのだった。

 

 

「もっとあれよ。機械的な対応、みたいなのを予想してたの」

 

「完全に心が閉じてたら、正直どうしようって思ってたんだ」

 

 

 心を閉じて、機械的になっていたなら言葉すらも届かなかっただろう。

 先ず心を開かせる為に何かをせねばならなくて、それが出来るだけの余力が二人にはもう残っていない。

 

 だから、感情的で助かった。打てば響く物があるなら、暖簾に腕押しとはならないのだ。

 志し半ばに倒れても、その心に亀裂を入れる事は必ず出来る。言葉が届くのならばきっと、感情が動いているならきっと、ヴィヴィオ・バニングスは取り戻せるのだから。

 

 

「……まさか、私は冷静です。感情など、この行動に入る余地はない」

 

「ならさ。どうしてさっさと、潰しに来ないのよ」

 

 

 ヴィヴィオが口にするのは、そんなあからさまな取り繕い。

 そんな不出来な言い逃れ、ルーテシア・グランガイツは一蹴する。

 

 

「……取るに足りないと、冷静な思考でそう判断出来ている。故に先ずは問答を、其処に他の意図などはない」

 

「嘘。取るに足りないって言うなら、それこそ問答の必要もないよね?」

 

 

 無理矢理にとって付けた様なそんな理屈。

 無表情を保とうとする幼子の稚拙な言葉を、キャロ・グランガイツが論破した。

 

 

「…………」

 

 

 言い逃れは出来ない。そもそも自覚していたのだ。

 感情が要らないと。そんな物は不要だと。そんな理屈に執着する事。それ自体、感情的になっていると言えるのだから。

 

 

「そもそもの話。大前提から間違ってんのよ。だってアンタ、私達を殺せなかったじゃない。もうバレてんのよ、それ」

 

 

 自覚している。理解している。ルーテシアは選ばれなかった。

 歪み者ではなく、希少技術保有者ではなく、そんな彼女は失楽園の日に薪となる立場にあったのだ。

 

 そうならなかったのは、実行者の少女が迷っていたからに他ならない。

 

 

「…………さい」

 

「自覚はある。私達はきっと、選ばれてない立場なんだって。……だけど、貴女は私を助けてくれたよね?」

 

 

 分かっているのだ。受け入れている。キャロは決して選ばれてなど居ないのだ。

 ジェイル・スカリエッティの選別。それから漏れた少女らは、薪として消費される事が決まっていた。

 

 そうならなかったのは、実行者の少女が友達を殺す事が出来なかったから。

 そんな小さな感情の揺らぎ。そんな物、触れた時に気付いている。だから未だ救えるのだと、彼女は判断したのだ。

 

 

「…………うる、さい」

 

「とっとと帰るわよ。んで、雷親父より怖いお母さんに尻叩きでもされなさい」

 

 

 ルーテシアの言葉と共に、脳裏に浮かぶのは恐ろしい母の姿。こんな事を仕出かした娘を、あの女傑は決して許してはくれないだろうと――カット。

 受け入れては貰えないかも知れないと恐れた思考に苛立たしさを感じながらに、アストは無意味に流れた思考を切り替える。己はアストだ。ヴィヴィオではないのだと、だから戻る事など出来なくて――カット。

 

 これは間違いだ。これは過ちだ。己は母などどうとも思ってはいないのだ。だからきっと、怒られる未来を予想して震えるなどは間違いだ。怯えて様子を伺おうとして、あの時触れて弾かれたのは関係ないのだ。

 

 そんな言葉。誤魔化しと理解している。選別して残すべきであったアリサ・バニングスに、あの時干渉したのは間違いだったし、それで弾かれて逃げ出したのも過ちだったと自覚している。だから自分(アスト)は壊れていない。

 

 

「うるさい」

 

 

 なのに、こんなことを考えてしまうのは、この音の所為だ。こんな声の所為で、思考が無駄に流れてしまう。堂々巡りを始める前に、マルチタスクを操り思考を変える。

 本当に忌々しい。何なのだこの不快感は。理解が出来ない感情の奔流に、こんな声など聞きたくないとヴィヴィオは小さく呟く。

 

 己はアストだ。感情のない人形。全てを写す水鏡。ヴィヴィオは居ない。そもそもそんな物、最初から居なかった。

 あの自分は、その辺に居た子供の模倣。母と手を繋いでいた小さな少女。写し取った感情は、模倣を高める為だけにした行為。

 

 だからそれを切り捨てた今に、ヴィヴィオが残っている筈がない。だと言うのに、何故これ程に不快となるのだ。

 

 

「帰ろう。ヴィヴィオ。こんな場所に居るより、帰って一緒に遊ぼうよ」

 

 

 一緒に遊ぼうと言われて、浮かんだのは六課の隊舎。

 青い子犬と白い小さな竜と一緒に、遠く転がるボールを一生懸命追い掛けて――

 

 

「うるさい!」

 

 

 また無駄に沈みそうになった。そんな思考を怒鳴り声と共に外へと散らす。喚き散らさねばならぬ程に、この雑音は不快であった。

 

 

「うるさい! うるさい! うるさい! うるさい! うるさい!!」

 

 

 分からない。分からない。何だこれは、分からない。

 作った物は偽りで、過ごした己は偽物で、なのにどうして消えていない。

 捨てた筈だろうに、もう要らない筈だろうに、何でこんな物がまだあるのだ。

 

 

「貴女達は何なんだ!? 勝手に土足で入り込んで! 私の中をぐちゃぐちゃに乱す! 分からない分からない分かりたくないっ!!」

 

 

 その姿は正しく子供の駄々。嫌な物を前にして、駄々を捏ねる子供と同じだ。

 見たくない。聞きたくない。分かりたくはないのだと、もう分かっている答えを遠ざける。

 

 分かっているのだ。答えは出ている。理由なんて一つだろう。

 発端は偽りだった。見せていた己は唯の虚像。だがそれでも――過ごした時間は本物だった。

 

 だから優しい蜜は少しずつ、染み込む様に犯していた。

 温かな陽だまりと言う光景は、無色の鏡には正しく劇毒だったのだ。

 

 故にアストは壊された。何も知らなかったからこそ、余りに簡単に壊れていた。

 その残った傷跡こそがヴィヴィオ・バニングス。捨てた形に広がった、それこそ心の傷である。

 

 

「……大事なのは、安定していると言う事」

 

 

 苛立ちを全て吐き出して、呼吸と共に思考を切り替える。

 感情の全てを内に飲み干して、無表情へと戻ったアストは静かに告げた。

 

 

「真の異常とは、自分を見失った者を言う。内に入り込む者がなければ、それ即ち強固に安定すると言う事。強固に安定した者は例え孤立しようとも、己を見失う事がない」

 

 

 それは彼女の持論である。人形であればこそ、安定していると言う論理である。

 

 例えそれで孤独となっても、其処に挟まる異常が無ければ己は揺れない。

 揺れると言うのは、浮遊していると言う事。己の足場すら不安定では、落ち着かないし不安になる。そんな揺らぎは嫌なのだ。

 

 

「この感情は余分だ」

 

 

 感情は揺らがせる。己から安定を奪い取る。

 だから不要だ。だから要らない。こんな物、アストはさっさと捨て去りたいのだ。

 

 

「この動揺は不快だ」

 

 

 取るに足りない弱者の言葉で、こんなにも揺らされてしまった。

 この浮遊感は不安になる。ざわざわとした物が胸に湧き出して、兎に角気持ちが悪いと感じるのだ。

 

 

「貴方達と言う存在は、即ち不要だ」

 

 

 切り替えよう。切り替えよう。切り替えよう。そう思っても、彼女たちがそれを許さない。

 唯の友人。そんな関係に命を賭けて、必死に此処まで来た少女達。その行動が、その言葉が、その瞳が許さないのだ。

 

 血塗れの姿を見ていると、心がざわざわして落ち着かない。

 ボロボロになっても進む姿に、胸が痛くて痛くて不快になる。

 機械的に逃げようとするその思考を、許さないと強い瞳が射抜くのだ。

 

 だから――

 

 

「だから――私に入り込む者など、全部消えろっ!!」

 

 

 これを消してしまえばきっと、この不快感は全て消え失せる筈である。

 そう判断したアストは己の感情を吐き捨てる様に叫ぶと、堕天使としての力を此処に示すのだった。

 

 

 

 

 

2.

 底の底の底の底。泥より深く、糞尿よりも汚らわしく、何もかもが終わった場所。

 悲鳴が聞こえる。憎悪が木霊する。絶望の汚濁に染まった底は、奈落と言う名の夢界。ジュデッカと呼ばれるイェホーシュア。

 

 其の底にある一つの意志。その魂が、痛みに苦悶を浮かべている。

 繋がれている。彼はジュデッカに繋がれている。その身を繋ぐは死人の鎖。憎悪に歪んだ残骸の群れ。

 

 生皮剥がされた血肉の残骸。瘦せこけた肉を晒す死人の群れが、痛みと共に叫び続けている。

 お前が殺した。お前が奪った。お前がお前がお前がお前が――誰も彼もが憎んでいる。憎悪の叫びを上げていて、それさえ忘れたかと憤怒していた。

 

 

「嗚呼、そうだ。僕が奪った」

 

 

 思い出す。一つ一つと思い出す。奪ったから忘れないと心に誓って、奪うからには背負うと心に決めていた犠牲者たち。

 何時しか悪魔に近付いて、彼らの顔を忘れていた。死んだ者は無価値と同じと、背負う物すら投げ捨てて忘れ去っていた。

 

 そんな犠牲者達の憎悪に、エリオ・モンディアルは思い出す。

 己も同じ場所に堕ちたから、きっと何かが崩れたのだろう。殺した彼らの存在を、今になって漸くに受け止めていた。

 

 

「言われるが儘に、こんな事なんて望んでなかった。そんなのは免罪符になりはしない。分かっているんだ。分かっていたとも」

 

 

 奪った彼は、奪われた彼らに向き合っている。被害者にして加害者は、この今に己の罪を受け入れる。

 ああ、何と重いのだろう。身動きすら出来ぬ程に積み重なる憎悪は、己が奪い続けたモノ。重なる罪科が示すのは、此処で終われ言う判決。

 

 嘆きと憎悪と絶望に満ちた地獄の中で、誰も彼もが口にする。

 全ての痛みを共感する人々が、阿頼耶識と言う存在がエリオ・モンディアルを否定する。

 

 お前は死ね。ここで死ね。そして永劫、この奈落の底で苦しみ続けろ。

 それがエリオに出来る唯一無二の贖罪。死した者らが彼に求める、たった一つの末路であった。

 

 

「そうだね。君達と共に、この地獄で無間の苦痛を。……それが僕に遺された、たった一つの贖罪なんだろうさ」

 

 

 死者が積み重なる。死人が纏わり付く。縋る様に、掴む様に、それを振り解く事など出来ない。

 罪深いと自覚して、どうしてそれを切り捨てられようか。奪った事を悔やんでいて、どうして彼らを否定出来よう。

 

 だが――

 

 

「だけど――御免ね」

 

 

 一つだけ、理由があった。その願いを許容出来ない理由が、エリオ・モンディアルにはあったのだ。

 空を見上げる。地の底から、地獄の底から、奈落の底から、何時も見上げるその青空。其処には何時だって、あの輝かしい夢追い人の姿があった。

 

 

〈エリオォォォォォォッ!!〉

 

「アイツが、呼んでるんだ」

 

 

 憧れた。羨んだ。同類の哀れみを抱きながら、許せないと見上げた空に浮かぶ星。

 そんな彼が今も居る。悪魔の王に嬲られながら、それでもエリオの名前を呼んでいた。

 

 

〈負けんじゃねぇよっ! こんな奴にっ! こんな悪魔なんかに負けてんなぁぁぁぁっ!!〉

 

 

 戦場は一方的だ。戦況は言うまでもなく、そもそも戦いと呼べる体をしていない。

 威圧だけで潰される程に強大なナハトに嬲られながら、トーマ・ナカジマはのたうち回る事しか出来ていない。

 

 

「アイツが待っている。必ず来ると確信して、あんな無様にのたうち回るしか出来てないのに。それでもアイツは待っている」

 

 

 それでも、名を呼んでいる。彼は唯一人、エリオだけを見て名を呼んでいる。

 悪魔の王など取るに足りない。こんな奴は小石に過ぎない。だから負けない。負けられない。アイツだって、負けない筈だと。

 

 そんな勝手な信頼感。きっと出てくると確信している。だからその為に、生きてやるのだと足掻くその姿。

 

 

〈出てこいよ! このままだと、僕の不戦勝だ!!〉

 

「負けたくないんだ。……だから、行かなくちゃ」

 

 

 負けられない。アイツにだけは、負けたくない。そうともトーマは抗っている。

 ナハトに蹂躙されながら、その度に己の魂を磨き上げて喰らい付いている。勝ち目なんてないのに、宿敵が必ず間に合うと信じているのである。

 

 エリオがそれに答えられずに崩れ落ちたとしても、それはトーマの敗北ではないのだ。

 過度な期待を掛けたなどとは、口が裂けても言う訳にはいかない。アイツは出来ると信じた。ならば己が為さなくては、文句も言えない程に負けてしまう。

 

 ああ、そんな結果、どうして納得できるのか。

 

 

〈納得できるか!? そんな結末っ!! こんな終わりなんて、こんな決着なんて、お前も望んでなんかいないんだろうがっ!!〉

 

「ああ、そうだ。こんな結末は望んでいない。このまま、底で終われる物か」

 

 

 だからエリオは立ち上がる。重みを払う事も出来ずに、それでも負ける物かと立ち上がる。

 負けたくないのだ。アイツにだけは、絶対に負ける訳にはいかないのだ。それは唯の反骨心。当たり前で下らない、そんな小さな男のプライド。

 

 そうして立ち上がったエリオの姿に、死人の群れは怒り狂う。

 そんな自分勝手な理由で歩き出す姿に、どうしてお前だけがと憎悪を叫ぶ。

 

 それすら、今のエリオは小さく笑って受け止めた。

 

 

「恨むなら恨め。その恨みを背負って進もう」

 

 

 恨みたければ好きにしろ。それだけの業を抱えて来た。

 お前達には恨むだけの資格があって、己には恨まれると言う義務がある。

 

 それでも、足を止める事だけはしない。怨嗟の声を背負ったままに、エリオは一歩を此処に踏み出す。

 

 

「憎むなら憎んでくれ。何時か必ず流れ出して、君達を救うと誓うから」

 

 

 何時かきっと、救うと誓う。そんなのは免罪符にならないと、何より彼が分かっている。

 それでも良い。これは所詮自己満足だ。自分勝手な答えを出して、だからその為にももう立ち止まれない。

 

 

「決着を付けたいんだ。だから、僕は進むよ」

 

 

 足を進める。胸に燻るその熱は、男としての誓いと負けん気。

 前を見る。空を見上げる。何時だって地獄の底から歩いて来た。何時だって、その空を見上げていた。誰にも頼らず、歩いて来たのだ。ならばきっと、此処からだって歩いて行ける。

 

 

「道は見えている。繋がっているんだ。僕を動かしていた繰糸を、アイツは未だ捨ててない。だから――」

 

 

 ナハト=ベリアルは今も尚、エリオの身体を使っている。

 そうである以上、其処に必ず繋がりは残っている。エリオと言う死人を動かしていた、その繰糸は残っているのだ。

 

 だから、それを辿って進む。重い荷を背負って、少しずつ近付いていく。

 コギト・エルゴ・スム。我が我である為に、誰でもない悪魔から取り戻すのだ。

 

 

「返してもらうぞ。ナハト。それは僕の身体だ」

 

 

 複製の身体。偽物の自我。だから何だと言うのだ。我は今も此処に居る。

 消えてないのだ。失くしていない。我を思う我が居る限り、この身は夢の怪物になど負けはしない。

 

 

「返してもらうぞ。ナハト。それは僕の宿敵だ」

 

 

 宿敵を見上げる。その身はまだ遠く、それでも眼を焼いてしまう程に輝いている。

 嗚呼、負けるものか。お前にだけは、負けるものか。負けたままで、終われるものか。

 

 望んだ事は唯一つ。胸に燻る微熱に薪を、油を注いで焔に変える。

 腐った炎なんて要らない。与えられる勝利など望んでいない。欲しいのは唯、この今に僅かでも動く身体だけ。

 

 

「返してもらうぞ。ナハト! これは、僕が望んだ決着だぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 だから、手を伸ばした。遥か高みへ、地獄の底から空へと伸ばした。

 

 

「なに」

 

 

 悪魔が驚く。唯一言、何が起きたかも分からず戸惑う。

 そうして、表裏は入れ替わる。僅かな驚愕の隙間を付いて、奈落の底から少年は戻って来た。

 

 

 

 荒い呼吸を整えて、少年達は互いを見る。疲弊し切った心身を、意志で束ねて敵を見る。

 負けたくない。絶対に負けられない。そんな相手を互いに見詰めて、何でもない事の様に口を開いた。

 

 

「……ゴメン。待たせた?」

 

「……遅いんだよ。遅すぎて、眠っちまうとこだった」

 

 

 まるで日常の一風景。待ち合わせに遅れたかの様な謝罪に、ごく平凡な文句を返した。

 そして相手を見て笑う。互いに酷い状況だ。そんな相手の姿に、無意識の内に苦笑を浮かべた。

 

 

「随分と痛めつけられたみたいだけど、未だ戦う余裕はあるのかい?」

 

「お前こそ、今にも吐きそうな面してるぜ。そんな様で、何が出来るってんだよ」

 

 

 トーマは全身の骨を幾つも砕かれ、血塗れの顔は無様に膨れ上がっている。

 魔力こそ残っているが、それだけだろう。傷が治るよりも前に痛めつけられて、何時意識を失くしても可笑しくはない。

 

 エリオも酷い状態だ。隙を突いて肉体を奪い返したが、ナハトの方が強い事実は変わっていない。

 腐炎を呼び出そう物なら、その瞬間に乗っ取られる。そうでなくとも、この自我を保っていられる時間はそう長くはないだろう。

 

 

「ああ、そうだね。背負ったモノが重過ぎる。ナハトだって健在だ。少しでも気を抜けば、その瞬間にも僕は御終い。全力の一振りと引き換えに、また奈落に堕ちるんだろうさ」

 

「全く、ホント嫌になる。散々に痛め付けられたんだ。足腰全部ガッタガタで、今にも倒れそうな状態だよ。本気の一発ぶち込めば、その反動で動けなくなっちまうんだろうさ」

 

 

 そんな分かり切った事実を相手に指摘され、隠し通す余力すらも残っていない。

 だから二人の少年は、互いに同じ選択をする。口にする言葉は開き直りだ。隠し通す事が出来ないならば、素直に全てを明かして良い。

 

 そしてその後の言葉も同じく、同じ意志を、違う口から音に紡いだ。

 

 

『だけど――決着を付けるには十分だ』

 

 

 全力を出せるのは唯一度。事此処に至って、互いの実力差などは最早無意味だ。

 如何に全力を外さずに、相手に打ち込む事が出来るか。勝敗を分ける要素はそれだけで、故に当てる為の策が意味を為す。

 

 ある程度拮抗していればこそ、作戦と言う物は意味がある。故に今の彼らの差は、奇策でひっくり返せる程度の強弱でしかない。

 だが、だからこそだろう。拮抗したこの状況だからこそ、言い訳の一つも出来ない程明確に彼我の勝敗が着くと言う物。決着を付けるには丁度良い。対等の条件なのだ。

 

 

「ふふっ」

 

「ははっ」

 

 

 互いにそんな思考に行き付いて、不意に吹き出す様に笑った。

 憎悪も憤怒も未だにあって、それでも隠し切れない程度の歓喜があった。

 

 ああ、そうだ。楽しんでいる。相手の事を理解したその時に、楽しいと揃って感じてしまった。

 故に少しだけ夢想する。或いはもしも、出会い方が違っていたら。互いの立場が少しでも、今と違っていたならば――もしかしたら、この相手とは一番の友に成れたのかも知れない。

 

 波長が合うのだろう。思考が合うのだ。僅かな一瞬の共感に、揃ってそんな夢を見た。

 されどそれは唯の夢。最早互いは不倶戴天。存在すら許せぬ程に、憎悪を重ねて来たのだ。分かり合えよう筈もない。

 

 故に――決着を始めよう。

 

 

「さあ、始めよう。後悔なんて残さない。正真正銘の全力全開で――」

 

「他の誰かの思惑なんて、知った事じゃない。俺達だけの決着を――」

 

 

 互いに構える。槍と銃剣。特殊な力など使わない。使えないし使わない。

 余力はないのだ。思考が回らない。故に考えるのは唯一つ、如何にしてこの一撃をこの宿敵に叩き込むのか。

 

 それだけを考え、それだけを思い、それだけを貫き通すのだ。

 

 

『行くぞぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!』

 

 

 同じ言葉を此処に叫んで、同じように大地を蹴った。同じように飛翔して、想うは同じく己の勝利。

 負けん気だけで立ち続ける少年達は、こうして此処に雌雄を決さんと己の全てを賭けるのだった。

 

 

 

 

 




〇地上本部跡地にて、漢祭り絶賛開催中。

ティアナ「蚊帳の外感が酷いんだけど、これ……」
リリィ「やっぱり、最大の恋敵(ライバル)はエリオだった!!」






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第二十五話 失楽園の日 其之肆

みつど「見せてやろう! これが被害担当世界筆頭。被害者の頂点足る我が実力だ!!」


1.

 二色の力がぶつかり合う。深い青と冷たい黄色、意志の籠った視線が交わる。

 片や不動。白衣の男は玉座に腰を掛けたまま、迎撃すると言う方針を崩しはしない。

 片や流動。流れる水の如くに絶え間なく、空を駆ける翡翠の女。なのはは僅かにでも足を止めたならば、迫る破滅に追いつかれると分かっていた。

 

 高町なのはは、振り返らずに背後の気配を感じ取る。迫る力は無限量。狭い空間を満たす程に膨大な蟲は、白衣の背に空いた門から際限なく溢れ出している。

 逃げ場を塞ぐ様に、行動の自由を奪う様に、蟲が進路を制限した後にスカリエッティは嗤いながら力を揮う。顕現する力は三種。気付いた時には既に魔鏡に映っていた、この狂人が生み出していない筈の力であった。

 

 

「蒼き衣を纏う者よ、EHEIEH――来たれエデンの統治者」

 

 

 遥か高く、破壊の光が落ちて来る。神の鉄槌を思わせるそれは、数千条にも及ぶ流星群。

 蒼き衣を纏う者。其は即ち熾天使。奈落に生まれる筈がない汝の名はガブリエル。聖王教会の玉座の間を押し潰さんと、天蓋を突き破って空が堕ちた。

 

 守りもなく巻き込まれれば千度は死ねる。だが足を止めて身を守っても、その物量は障壁諸共潰すであろう。

 回避も防御も許さない。そう言わんばかりの破壊の力。落ちて来る空を前にして、杖を握った高町なのはは選択する。

 

 回避か防御か、それ単独で防げぬならば――回避も防御も同時にするのだ。

 

 

「レイジングハートっ!」

 

〈Protection smash〉

 

 

 魔力障壁を纏ったままに、高速加速で移動する。数千条の流星群を掻き分けて、翡翠の女は超音速で駆け抜ける。

 そんな女の背後にて、背を追う蟲と隕石雨が潰しあう。状況を考えずに放てばこうもなるかと、スカリエッティは妙な感心を浮かべながらに接近する女を見た。

 

 反応は間に合わない。咄嗟の対応は彼には出来ない。故にその一撃は必ず受ける。

 前面に魔力障壁を集中して、高町なのはの攻撃手段は超音速の体当たり。速度を伴った質量は、男が座る玉座を砕いた。

 

 空に舞う。砕けた瓦礫の中、天蓋の先を舞いながらに、スカリエッティは肝を冷やしていた。

 自動で発動する様にプログラムされた障壁がなければ、この一撃で終わっていただろう。砕けた王座と同じく、その身も粉々になっていた筈である。

 迫る翡翠。空を飛ぶ女の瞳に迷いはない。その速度は一分一秒、僅かな時間経過と共に増大している。このまま放置したならば、後180秒程で己の障壁すらも抜けてしまうであろう。一瞬の戦闘判断は不得手でも、物事を見抜く頭脳に自信があった。故にこの判断は、疑う余地すらない真実だ。

 

 

(狙って当てるのは難しい。罠に嵌めようにも、戦場での咄嗟の判断力と発想力で後れを取るは必定か。……ならば、これしかないだろうね)

 

 

 手札を探る。使うべき力を選別する。為すべきは絶対に命中し、一撃で決められる力の行使。

 だが腐炎は使えない。それは相手の安否を気遣う、と言う意味ではない。こと戦場においては、相手の方が上を行くのだ。気遣う余裕などは何処にもない。

 腐炎では己も巻き込む。身に纏って理解したが、アレは自分では制御し切れない。下手に頼り過ぎれば、あの無価値な悪魔は何もかもを台無しにし兼ねないのだ。

 

 故に選ぶべき手札は一つ。その一つの前に先ず一つ。布石としての手札を切った。

 

 

「黄衣を纏いし者よ、YOD HE VAU HE――来たれエデンの守護天使」

 

 

 巻き起こるのは巨大な竜巻。荒れ狂う嵐が触れた空間を削り取り、開いた傷口を縮めて繋げる。

 接着した部位に生じる力。空間を歪曲させて生み出した断層は、あらゆる全てを此処ではない何処かへと吹き飛ばす。

 

 それは当然、高町なのはも防げはしない。障壁を纏った女はまるでボールの様に、膨大な“風”に弾き飛ばされた。

 

 

「っ! けど、こんな物っ!!」

 

 

 目の前に迫るは、人工的に起こされた次元断層。世界に穴を開けて、自然と傷が治る際に発生する歪曲空間に敵を巻き込む力。

 それをこんな物と口に出して、高町なのはは加速する。吹き付ける“風”すら乗り越える程に、速く、速く、只管に速く。閉じる世界の顎門を、突破せんと前へと進む。

 

 其の対応は、何処までも魔力任せな力技。遥か格上の敵手が為した破壊に対し、力で立ち向かうは愚策であろう。

 されどこの女は未完の太極。リミッターと言う制約を解除した彼女は、この今にも完成に向かって成長を続けているのだ。ならばその純粋質量が、膨大な風を超えるのは時間の問題だった。

 

 吹き抜ける嵐を突破して、高町なのはは空を飛ぶ。目指すは一路、この一撃で距離を離された狂人の下へ。

 次元の嵐を突破した高町なのはの姿を前に、しかしジェイル・スカリエッティは彼女を見ない。見る必要など端からないのだ。

 

 

虚空より、陸空海の(Huc per inane advoco )透明なる天使たちを(angelos sanctos )ここへ呼ばわん (terrarum aerisque,)

 

 

 そう、分かっていた。ラファエルが突破される事など想定内で、故に風は時間と距離を稼ぐ為。

 確実な決め手は次だ。この今に顕現する力。詠唱を破棄せず、一つ一つの言葉に意志を込めて、最大火力で力を放つ。その為の時間稼ぎに過ぎなかったのだ。

 

 

この円陣にて(marisque et liquidi simul )我を保護し、暖め、(ignis qui me custodiant foveant )防御したる火を灯せ(protegant et defendant in hoc circulo)

 

 天蓋が崩れ、吹き抜けになった玉座の間。その場に一人立つ白衣の男は、滅殺の意志と共に魔力を高める。

 引き出される力を纏って、一点へと集まるのは天蓋だった瓦礫の山。それを核に凝縮熔解。足りない質量は魔力で補い、頭上に生み出されるは疑似太陽。

 

 

幸いなれ、義の天使。(Slave Uriel, )大地の全ての生き物は、(nam tellus et omnia )汝の支配をいと喜びたるものなり(viva regno tuo pergaudent)

 

 

 飛翔する高町なのはは気付く、これは先の再現だ。アリサ・バニングスが行ったミッドチルダ全土を巻き添えにした大火力砲撃。それと同じ事を、このジェイル・スカリエッティは行おうと言うのである。

 

 

さればありとあらゆる災い、(Non accedet ad me )我に近付かざるべし(malum cuiuscemodin)

 

 

 今度は非殺傷などはない。戦うに足りぬ者。戦士足り得る資質なき者。その全てを焼き尽す。それだけの破壊が、彼の頭上には集っていたのだ。

 

 

我何処に居れど、(quoniam angeli sancti )聖なる天使に守護される者ゆえに(custodiunt me ubicumeque sum)

 

 

 不味い。不味い。これは決して、通してはいけない力である。太陽の炎を浴びてしまえば、この今に消耗している六課の誰も生き残れない。

 だが最早止められない。唱える言葉は既にして、その力を放つ程に。呼び出された天使の力。一億個分の水素爆弾にも迫る破壊の力は、既にもう放たれるのだ。

 

 

「斑の衣を纏う者よ、AGLA――来たれ太陽の統率者!!」

 

「っ!! レイジングハートっ!! 封時結界!!」

 

 

 だからこそ高町なのはは、その全てを己の一身で受け切ると決意した。

 そう決断して、展開されるのは封時結界。たった二人を取り込む小さな異界。

 

 それが形成する瞬間に、白衣の狂人はニヤリと笑みを深めていた。

 

 

「そう。君はそうするしかない。……故にだ、受けたまえ。数千万度を超えるフレアの爆発。世界全土を襲う筈だった膨大な力を、君の身体だけで受け止めるが良いっ!!」

 

 

 結界の中に、太陽が堕ちる。そして膨大な質量が、激しい光と共に爆発した。

 

 逃げ場などはない。他ならぬ高町なのはが自分の意志で、退路を全て塞いだのだ。逃げられる筈がない。

 耐えきれる理屈などはない。世界全土にフレアの爆発を起こそうとした。その膨大な効果範囲を、僅かな空間へと濃縮したのだ。受ける破壊の威力は、最早太陽の爆発さえも超えている。

 

 

「フフフ、フハハ、ハァーッハハハハッ!!」

 

 

 翡翠の結界が、破壊力に耐えきれずに砕け散った。

 そうして不釣り合いな青空が広がる下で一人、ジェイル・スカリエッティは嗤い狂う。

 

 恐らく高町なのはは生きている。だが生き延びたとして、それが限界だ。それだけの破壊であった。

 如何に不撓不屈であっても、如何に再演開幕であっても、耐えられぬし耐えきれぬ。最早決着は付いたと言えよう。

 

 それでも初期の想定は果たせた。だから後は残骸と化した彼女を回収して、最後の調整を加えるだけだ。そう考えて、嗤い狂った男を前に――翡翠の光が、膨れ上がった。

 

 

「再演、開幕」

 

 

 焼け落ちた炎の中から、翡翠の輝きが舞い上がる。空へ、この蒼き空へ、星の輝きが飛翔する。高町なのはの舞台は、決して終わりはしないのだ。

 

 

「まさか、よもや其処まで――私の想定を、其処まで超える程に――っ!?」

 

 

 驚愕に動揺する。戦場で致命の隙を晒す、故に男は戦士ではない。

 気が付いた時にはもう遅かった。神々ですら耐えきれない太陽に耐えたと言う事実は即ち、もう既に彼女が神域に到達していると言う事を意味していたのだ。

 

 故に、最早互いの力に差などない。ならば当然、どちらが敗れ去るかは明白。

 まるで硝子細工の様に砕かれた自動障壁。服を通して感じる冷たさは、己の腹部に突き付けられた杖の先端。

 

 黄金の杖が静かに告げる。機械音声が突き付けるのは、最早防げぬ翡翠の砲火。

 

 

〈Divine buster〉

 

「シュゥゥゥーットッ!!」

 

 

 零距離から、翡翠の砲撃が撃ち放たれる。神域に至った膨大な魔力は、魔人と化した身体であっても耐えられない。

 痛みだ。直撃を受けた腹部に感じる痛烈な感覚に、喉から固形の血反吐が噴き出す。血を吐いて崩れ落ちるスカリエッティを前にして、高町なのはに躊躇はない。

 

 

「ディバィィィィンバスタァァァァァァァァッ!!」

 

 

 大地に倒れた男に向かって、零距離での追撃砲火。この狂人を前に一瞬でも時間を与えれば何をするか分からぬから、此処で決めると油断はない。

 戦士と研究者。それがこの違いであろう。頭脳の優劣ではなく、性能の差でもなく、狂気の有無ですらない。一瞬の判断力、そして為すと決めたならば躊躇しない事。詰まりは意識の違いであった。

 

 玉座の間に穴が開く。殺傷設定で放たれた翡翠の砲撃が、大地を穿って吹き飛ばす。

 大理石の床が砕け、その地中までも崩れ、大地の底に空いた大穴の中へと両者は落ちる。

 

 下へ。下へ。下へ。落下を続ける両者の行動は、落下の最中であっても変わらない。

 高町なのはは零距離から、砲撃魔法を撃ち続ける。僅かにでも動き続ける限りは、決してその手を緩めない。

 ジェイル・スカリエッティは何も出来ない。身動き一つ取れぬままに、翡翠の光を撃ち込まれ続けて、血反吐と共に落下を続けた。

 

 三。四。五。六。七。八。九。十。絶え間なく続く砲火の雨、直接撃ち込まれる破壊の力に対応など出来よう筈もない。

 二十。三十。四十。五十。六十。七十。気が遠くなる程の距離を落ち続けながら、作業の如くに砲撃を続ける。倒したと言う確信が持てない限り、この砲撃は止まらないし止める必要すらありはしない。

 

 そして、両者は大地の底に着く。翡翠の光に焼かれ続けた白衣の男は、塩の山へと叩き落された。

 衝撃で巻き上がる塩の結晶。翡翠の光と共に白い粒が大気を満たして、一種幻想的な光景を作り上げる。

 

 だがそんな光景に見惚れる隙などありはしない。この部屋が何の為の部屋なのか、思考に捕らわれる意味もない。

 この今に、戦場に情緒は不要だ。ジェイル・スカリエッティと言う狂人が、何をするか分からぬのだ。ならばこの手を休める必要は、底に着いたとしてもありはしない。

 

 当たり前の様に追撃を、そう為そうとして異常に気付いた。

 

 

「レイジングハートっ!?」

 

〈The system rests. ……Sorry. my master〉

 

 

 砲撃が撃てないのだ。手にした黄金の杖の先、魔力の集束が起こらない。

 この場に辿り着いた瞬間に、レイジングハートに異常が起きた。一体何をされたのか、驚愕に一瞬の隙が生まれた。

 

 その瞬間に、黒い鉄杭が飛来した。まるで意志が在る様に、飛翔した杭が掌に刺さる。

 動作不良となったレイジングハートを吹き飛ばして、掴んでいた右手に深く突き刺さった黒い鉄杭。

 流れ込む悪意の情報と蠢くその姿は、正しく害獣。数匹の魔群によって形成された物質は、女が為した魔蟲形成。

 

 

「くっ!!」

 

 

 打ち込まれた黒い杭は一つではない。降り頻る雨の如くに襲ってくる。

 思わず後退して躱そうとしたその身に、激しい“風”が吹き付ける。次元断層に吹き飛ばされて、高町なのはの身体は最下層の壁へと押し付けられた。

 

 其処に打ち込まれる黒き杭。両の掌を深くまで、抉り取った魔蟲がなのはを壁に張り付ける。

 天使の風を起こした男は血反吐を吐き捨てながら、ゆっくりと塩の山から立ち上がる。そんなスカリエッティの傍らには、茶髪の流した悪女の姿。

 

 

「ドクター。御免なさい。言い付け、破ってしまいました」

 

「いいや、助けられたよ。クアットロ。……そんな心算はなかったんだが、彼女を些か侮っていた様だ」

 

 

 クアットロは見ていたのだ。父たる彼に不要と言われて、それでも不安だったからこそ蟲を数匹近付けていた。

 そうして彼女は怒り狂った。襤褸雑巾の如くに砲火に晒されて、今にも危機にあった父の姿に柄にもなく必死になった。

 

 だがクアットロでは敵わない。数に長ける事を選んだ彼女では、神すら滅する力に耐えられる程に高まったなのはに打ち勝てない。だから選んだのは搦め手だ。真面に戦えば勝てないからこそ、クアットロは罠を動かしたのだ。

 

 

「此処は随分と、AMFが濃いだろう? 臆病な彼らに相応しい程に、だ。如何に君でも、前知識なくこの場で魔法を使う事は不可能。知っていれば兎も角、常の調子で砲撃を行おうとすれば失敗する」

 

 

 これはスカリエッティが用意した罠ではない。最高評議会が用意していた、スカリエッティへの罠。例えどんな魔導師であっても、魔法を使う限りは制限を受ける程の高密度AMF。

 その存在を知っていたクアットロが、高町なのはの隙を作る為に起動させた。膨大な数を誇る彼女なればこそ、エースの足止めと同時にそれを行えた。そしてその僅かな隙が、スカリエッティの勝機を作り出したのだ。

 

 

「……一体、何をしたの」

 

 

 磔にされた高町なのはは、疑念の声を此処に漏らす。ディバインバスターが途切れた理由は理解出来た。だが一つ、理解出来ない事がある。

 それはレイジングハートの機能異常。AMFだけでは理屈が付かず、答えは大凡想定出来ていたが敢えて問い掛ける。如何にか脱出する為にも、僅かな時を稼ぎたかった。

 

 

「そのレイジングハートは、一体誰が作ったと思っているのかね? 異能との同化故に変質しようとも、元が私の作品ならば対処は簡単だ」

 

 

 不撓不屈が覚醒した時に、レイジングハートは高町なのはと同化した。

 それは生体と機械の高次元での融合。その時にレイジングハートは、唯のデバイスではなくなった。

 それでも原形を留めない程の変化ではなかった。この狂人が用意していた地雷を取り除けた訳ではなかったのだ。

 

 

「レイジングハートに、停止コードを打ち込んだ。触れてさえいれば、何時でも機能は止められたんだ。……あくまで一時的な物だから、使う心算はなかったんだけどね」

 

 

 レイジングハートには、緊急停止用のコードが設定されていた。

 腕に付けた精密作業用のデバイスで、ジェイル・スカリエッティはそれを打ち込んだのだ。

 

 だからレイジングハートは機能異常を起こして停止した。異能での変質故に完全停止は不可能でも、一時的に混線させる事なら出来た。

 そんな予想通りの解答に、高町なのはは静かに唇を噛み締める。万全を期すならばこの狂人が裏切った時点で、デバイスを変えておくべきだったのかも知れないと。

 

 

「さて、では名残惜しいが。そろそろ次に移るとしよう。その拘束とて、余り長くは続かないだろうからねぇ」

 

 

 時折咳き込みながら、口に溜まった血反吐を吐き出しながら、ジェイル・スカリエッティは歪に嗤う。

 少々予想を外す事態はあったが、それでも結果は予定通りに。安全マージンとして用意していた範囲内を、未だ超えてはいないからこそ修正は容易だ。

 

 寧ろ、この状況はまるで誂えたかの様に、スカリエッティにとって都合が良い。

 或いは“彼”の意図もあったのかも知れない。己の末を、次男の子の血を引いた彼女を、槍の中で求めていたのか。

 

 そんな風に愚にも付かぬ事を考えながらに、白衣の狂人は己の娘に指示を出した。

 

 

「クアットロ。しっかりと抑えておきなさい」

 

「はい。ドクター」

 

「――っ」

 

 

 頷きと共に、高町なのはを縛る拘束が強くなる。傷口から流れ込む悪意の量に、思わずなのはは苦悶の声を漏らしてしまう。

 

 如何にか耐えられる程度の痛み。常ならば取り除ける拘束も、この状況では些か不味い。

 高密度に過ぎるAMF下で、レイジングハートの助けもない。この状況下で魔群を振り払おう程の力は、さしもの彼女にも未だ足りない。

 

 もう少し、時があれば――後僅かにでも時を稼げば、如何にか突破も出来るだろう。

 だがそのもう少しを知っていて、だからこそ猶予は与えられない。磔られた彼女を前に、ジェイル・スカリエッティは笑みを浮かべて言葉を紡いだ。

 

 

「時に高町なのは。君は知っているかね? 十字架に磔られた聖者が、如何にして死を迎えたのかを」

 

 

 それは基督教に伝わる話。宗派の人間でなくとも知っている。最も有名な説話の一つ。

 神の子の死。高町なのはの磔られた場所とは違う場所へと足を運びながらに、ジェイル・スカリエッティは嗤って告げる。

 

 

「処刑人ロンギヌス。彼が磔られた聖者を、その手にした粗雑な槍で貫いた。そうして神の子は人としての死を迎え、聖霊と一体となったそうだ。君の故郷に伝わる神話の一つだよ」

 

 

 歩む先にある物を視て、思わず高町なのはは意識を奪われ掛けた。

 見惚れてしまう。目を奪われてしまう。そんな場合ではないのに、意識に空白が浮かんでしまう。

 

 どうしてこの今にまで気付かなかったのか、そう思う程に強大な密度の魂を纏った物が其処にはあった。

 

 

「中国易学が語る陰陽と基督教の教えとでは、少々ごった煮感があるのは否めないがね。……余りに都合良く状況が整っているのだ。ならば、再現してみよう」

 

 

 其れは槍だ。粗雑とは真逆、見ただけで神々しいと分かる程に優美な黄金。

 彼の蛇が作り上げた至高の聖遺物。粗雑な槍を素材として、生み出されたのは獣に捧げた究極の一。

 

 手にした者は、世界を統べると謳われた黄金の槍。

 眼を奪うのはその槍の輝き――ではない。真に言及するべきは、その中で眠り揺蕩うモノ。

 

 それとの間に、何かを感じる。魂が酷く叫んでいるのだ。

 己との共鳴。其の先にある者こそが、この身に流れる血にまつわる至高の黄金。

 

 その槍を前に立ち、スカリエッティは腕を振るう。

 軽く振られた腕は衝撃波を伴って、高町なのはを打ち付けた。

 

 そして、壁が抉れて崩れ落ちる。磔られた身体と同じ形が残されて、その周囲が削れて落ちる。

 両手を杭に射抜かれて、両足も同じく蟲で射抜かれて、残された壁の形はまるで十字架。そうして聖者の如く、女は十字架に架けられた。

 

 

「これで十字架は出来た。――そして、ロンギヌスの槍も此処にある」

 

 

 ジェイル・スカリエッティは槍に手を伸ばす。相応しくないと掌を焼かれながらに、痛痒を見せぬ狂気の笑みで槍を握り締める。そうして、音を立てる事もなくゆっくりと、その黄金の槍を引き抜いた。

 

 

「さあ、始めよう。聖者の死、神の誕生を。彼の神話に準えて、君の命に幕を落とそう」

 

 

 激しい力の奔流に、その身を焼かれながらにジェイル・スカリエッティは嗤う。

 狂気の笑みを浮かべたままに、弓を引く様に全身を引き絞って――白衣の狂人は黄金の槍を投げ放った。

 

 

聖約・(ロンギヌス)運命の神槍(ランゼ・テスタメント)!!」

 

 

 空を飛翔した槍。風を置きざりにした投擲に、特殊な異能などは残っていない。

 それでも内に宿った獣の力は健在で、唯投げ放つだけでも恐ろしい程に力が込められていた。

 

 故に当然、防げない。咄嗟に障壁を張ったとしても、当たり前の様に崩されて防げない。ならばこそ、この結果は当然だ。

 

 

「…………」

 

 

 黄金の槍は深く、その半ばまで女の腹を射抜いていた。

 断末魔を漏らす事も出来ず、高町なのはは意識を閉ざす。視界が暗闇に染まる、その間際――

 

 

「ククク、クハハ、ハハハハハハハハハハハッ!!」

 

 

 耳にこびり付く狂人の哄笑と、僅かに見えた玉座に座る黄金の君。それを見詰めながらに、彼女の意識は闇へと堕ちた。

 

 

 

 

 

2.

 聖者の如く磔られて、その意識を失った高町なのは。

 崩れ落ちた聖王教会の地下深くにて、クアットロ=ベルゼバブは会心の笑みと共に口にする。

 

 

「終わりましたね。ドクター」

 

 

 これで終わりだ。父の望んだ被検体は掌中に納まり、己達もまた完成した。

 此れにて当初に予定していたプロジェクト・パラダイスロストは完全達成。紆余曲折こそあったのだが、最早盤面は覆らない。

 

 

「残るはもう弱者のみ。エリオ君の周囲が少し面倒だけど、それ以外などもう取るに足りない。流石はお父様。その神算。その鬼謀。誰であろうと、最早止める事は――」

 

 

 そうして笑みを浮かべたまま、甘い声で胡麻をする様に父を賛辞するクアットロ。

 そんな彼女の頭を優しく撫でながらに、ジェイル・スカリエッティは彼女の言葉を遮った。

 

 

「いいや、違うよ。それは間違いだ。クアットロ」

 

 

 愛娘を見詰める温かい笑みと共に、スカリエッティは彼女の言葉を否定する。

 そうとも未だ終わっていない。エリオと同じく、クアットロも教えられていない事がある。

 

 それは此処から、全ては此処から始まるのだ。

 

 

「此処からが本番だ。これまでの全てが序曲過ぎない。イントロダクションが終わっただけだ。真に始まるのは此処からなんだよ」

 

「……ドクター? 何を言ってるんですか? 事前の想定では、もう」

 

()()()()()()()。だから教えてなかったが、もう良いだろう。時間が来た。為すべき時は今此処に、漸くに私の願いが叶う時が来たんだ」

 

 

 困惑するクアットロを置いて、スカリエッティは天を仰ぐ。まだ魔群が満ちていない青空の、その向こう側に居る彼らを見詰める。

 

 

「長かった。嗚呼、長かったとも、本当に、だけど、漸く此処まで来たんだ」

 

 

 息を吐いた。万感の想いと共に、その息を吐いた。そうして狂人が見据える先、空が揺れる。大気に隠れた物が形になって、それが明確に揺れていた。

 

 

「ドクター!? 結界がっ!!」

 

「当然だよ。基点となっていた槍を抜いたんだ。ミッドチルダ大結界は、今にも崩れる」

 

 

 揺れているのは黄金の輝き。この星を遍く覆うように、形となっていたのはミッドチルダ大結界。

 常は光学迷彩で、常人の目には映らない様に隠している。そんな隠された結界が、姿を隠せない程に揺れていた。

 

 理由は明白だ。基点を失くしたから。運搬には細心の注意を、そんな槍を無造作に引き抜いて投げたのだ。

 当然、結界の術式は壊れ果てる。力の供給を失ったこの大結界は揺れに揺れて、そう遠くない未来に自然崩壊を迎えるだろう。

 

 

「いいや、自然崩壊と言うのは詰まらんな。折角の機会だ。待ち侘びていた失楽園。終末の喇叭はやはり、自分の手で鳴らしてこそだろう」

 

 

 今も残る結界の基点。この地にある最も重要なその中枢。

 既に滅んだ御門の一門が、ミッドチルダに生きた人々が、死力を賭して守り続けたその故郷を守る最も重要な物。

 

 その術式中枢を、スカリエッティは踏み躙る。

 狂気の笑みを浮かべたままに、己の意志で大結界を此処に破壊した。

 

 

「これで、終わりだ。ミッドチルダ大結界は、これで崩壊した。――故に、だ」

 

 

 揺れていた結界が壊れる。まるで硝子細工の様に、甲高い音を立てて割れていく。

 誰もが見ていた。その光景を。この今に目覚め戦う者たちの全てが此処に、その空を見上げていたのだ。

 

 

「来るぞ。必ずや、彼らが来るぞ」

 

 

 空の向こう側に、彼らは居た。他ならぬクアットロこそが一番良く知っている。だからこそ、彼女は表情を凍らせた。

 

 無尽蔵の彼女がどうして、ミッドチルダを埋め尽くすのに時間が掛かったのか。

 其処に彼らが居たからだ。真っ直ぐ進めば駆除されてしまうから、次元世界全土を満たした数を辿り着かせるのにも時間が掛かったのである。

 

 

「君も見ていただろう? 彼らは此処を見ていた。あの終焉が訪れた日からずっと、この世界を見詰めていたんだ。監視していた」

 

 

 そう。彼らは見詰めていた。監視していた。今のクアットロを排除出来る。そんな彼らは直ぐ傍に、ずっと機を伺っていた。

 短時間の結界消滅では駄目だ。一柱だけでは対処される。それ程に今の人々は高まったから、一柱以上の数を送り込める隙が生まれる時をずっと待っていた。

 

 だからこそ、スカリエッティは用意したのだ。彼らをこの地に招く為に、この大舞台を用意していた訳である。

 

 

「そんな彼らが結界の消失を、見落とす筈がない。故に、もう来るぞ。今来るぞ。正にこの時こそが失楽園。私が真実求め続けた唯一つ!」

 

 

 待っていた。その時の訪れを、己も彼らも待っていたのだ。

 己の血に塗れ、赤に染まった白衣を翻す。そうして両手を広げた男は、堕ちて来る彼らを歓喜をもって歓迎した。

 

 

「さあ、大天魔の到来だ――っ!!」

 

 

 空から赤き滴が堕ちて来る。その数は――七。

 天魔・夜都賀波岐に残った戦力。その全てが、この地に出陣したのだ。

 

 

 

 

 

――一二三四五六七八九十

 

 

 先ず先陣を切るのはこの神威。我だけが穢れるから、愛しい全てを清らかであれ。

 そう願ったのだ。ならばこの男は最も危険な死地にこそ、この地で最も強大な力がぶつかり合う場所に来る。

 

 

「なっ!? 櫻井、戒っ!?」

 

「お前も、僕らの邪魔をするかっ!!」

 

 

 決着を付けよう。その意志をぶつけ合っていた少年達。振るわれる銃剣と槍を、巨大な剣と残る腕にて掴み取る。

 背負った腐毒に腐った死人は少年達の間に立ち、その濁った瞳で二人を見る。また邪魔が入るのかと、怒り狂う二人を見詰めて静かに語った。

 

 

「本意ではない。とは言え、万が一を思えば見過ごす訳にもいかない。……故に恨め。故に憎め。嫌悪し、憎悪する。その資格が君達にはあって、僕はそうされるに十分な屑だ」

 

 

 男の決着の邪魔をする。それが無粋であるのだと、分かっているのだ知っている。それでも、そうと分かって、それでも妨害する必要が此処にはある。

 エリオ・モンディアル。この少年は危険が過ぎる。内に宿った悪魔は既に、両翼さえも手に負えぬ程。そしてトーマ・ナカジマ。彼の宿した魂は、万が一にも失う訳にはいかない物だ。

 

 故にこそ、この腐毒の王が動いたのだ。我らの永遠を、決して終わらせぬ為にこそ。

 

 

「だけど、退けない理由がある。僕らの永遠を、終わらせない為にこそ――神を殺せる悪魔を排除し、君が宿した彼の魂を回収しよう」

 

 

 此処で二人を同時に相手に――天魔・悪路はその死地に挑む。

 

 

 

 

 

――出雲の国と伯伎の国 その堺なる比婆の山に葬めまつりき

 

 

 先陣を行くのが彼ならば、常にその背を追い続けるのは一人の女。

 彼の妹と、彼の恋人。その二人の魂を併せ持った融合体。天魔・母禮こそが、第二陣として参戦する。

 

 

「っ! アァァァァァァァッ!?」

 

 

 天魔が出現した瞬間に、一人の女が絶叫を上げて苦しみもがく。

 展開した森を利用して炎上拡大する炎の地獄に包まれて、メガーヌ・グランガイツは死に掛けていた。

 

 その姿を冷たい瞳で見下ろす。天魔・母禮はこれを必要だと理解するが故に、もう揺らぐ様な無様は見せない。

 そう必要なのだ。この女を此処で殺す。それは決して譲れぬ行為。夜都賀波岐の勝利の為に、決して外せぬ条件の一つだ。

 

 メガーヌ・グランガイツの増殖庭園。其れは間違いなく、兄である悪路にとって最悪の異能だ。

 彼は唯でさえ、両翼より強大な悪魔を相手にしている。そして同時に相手をするトーマ・ナカジマとて、夜都賀波岐にとっては比類なき脅威である。

 

 トーマは夜刀なのだ。その魂は彼の物で、故にこそトーマを前にした時に主柱の力は機能しない。

 

 時の鎧は無抵抗に摺り抜ける。元より彼の力であるのだ。彼に通じないのが道理である。

 その上、格の差と言うルールさえも無視されてしまう。何故なら夜都賀波岐とは夜刀の一部。その身体の一片なれば、主人の転生体でもある彼の力に抵抗出来る道理がない。

 

 トーマだけならば、身体能力と経験の差でどうにでも出来ただろう。

 だが其処にナハトが加われば、最悪の事態ですら十分に起こり得る死地となる。

 

 故にこそ天魔・悪路は今、最も危険な場所に居る。

 だからこそ、彼にとっての天敵をこれ以上向かわせる訳には行かないのだ。

 

 

「お前は此処で死ね。メガーヌ・グランガイツ」

 

 

 丁度都合良く、女は異能を使っていた。だからその歪みを介して、魂を焼き焦がしてやったのだ。

 のたうち回る女の姿は、最も苦手とする敵に焼かれたが故に。今にも終わり掛けている女の命を、確実に終わらせる為に刃を握る。

 

 決して生きては残さない。その意志を以って、振り下ろしたのは二振りの剣。

 その斬撃による死を前にして、そうはさせるかと金糸を靡かせる女は銃火を撃ち放った。

 

 

「さ、せるかぁぁぁぁっ!!」

 

 

 魔群を倒す為に、同じ場所で共闘していたアリサ・バニングス。

 突然出現した天魔を前にしてやられた女は、これ以上させるかと形成した携行兵器を撃ち放つ。

 

 その射撃で怯む事もなく、だが僅かに動きを遅らせる事ならば出来る。

 そうして倒れたメガーヌを回収すると、歪みを閉じさせながらにアリサは敵を睨み付けた。

 

 

「そう、……貴女が居たわね」

 

 

 冷たい目だ。何時か見て、焦がれたその火が、温もりもない目で見据えている。

 怯みそうになる。憧れた炎を前にして、今にも膝が抜けそうだ。実力差だけではない。相性面でも、相手が悪いにも程がある。

 

 

(最っ悪。相性が死んでる。こちとら中途半端な炎しか使えないってのに、炎弱点の味方抱えて、炎を吸収する火雷の化身相手にガチれって、馬っ鹿じゃないのっ!?)

 

 

 アリサが使うは、赤騎士の力の一端。対してこの天魔を構成するのは、嘗て永劫に回帰する世界で赤騎士を打倒した二人の女なのだ。

 櫻井螢。そしてベアトリス・キルヒアイゼン。この女達は赤騎士エレオノーレに対する天敵。その力を一部しか使えないアリサにとっても、最悪と言って良い相手であった。

 

 

「けど、アンタには、言いたい事もあるのよねっ! だから、逃げられるかっ!!」

 

 

 それでも退路はない。逃げる訳にはいかない理由と、言ってやらねばならない言葉がある。

 だからアリサ・バニングスは己の消耗も弱音も隠して、突如現れ全てを焼き尽さんとする大天魔に抗うのだ。

 

 そんな女の瞳。其処に何を見たのか、僅か眼を細めて――一瞬後には気炎を燃やして、天魔・母禮は宣言した。

 

 

「……良いだろう。今から絶望を教えてやる」

 

 

 状況の変化も分からずに、ただ退けぬと荒ぶる金髪の女傑。

 そんな女を前にして、天魔・母禮は此処に断ずる。決して生かしはしないのだと。

 

 

 

 

 

――起きよ そして参れ 私の愛の晩餐へ

 

 

 獣は駆けていた。漸くに訪れたその好機、眠っていた獣は全霊を振り絞って駆けていた。

 奴が来た。奴が来た。恨み憎み殺意を燃やす女が来たのだ。その炎を感じ取って、それでどうして眠って居られよう。

 

 

「天魔・母禮っ!!」

 

 

 最期の力を駆動する。最早後などは要らないと、盾の守護獣は疾走する。

 これで最期。これにて最期。最後の最後に好機が来たと、この運命にすら歓喜を抱いて街を走り抜ける。

 

 そんな彼は故にこそ――その一撃に気付けなかった。

 

 

「ツェアシュテールングスッ! ハンマァァァァァァァッ!!」

 

「っ!?」

 

 

 振り下ろされる鉄槌が、時間停滞の鎧を抜ける。受ける衝撃は、全開の鎧すらも抜けていた。

 そして同時に感じるのは、その少女から感じる力。それは己と同じ物。()()()()()()()()()()()

 

 

「馬鹿なっ!? 何故、お前が――」

 

「翔けよ、隼! シュツルムファルケン!!」

 

 

 動揺する蒼き獣に対し、続く二撃もまた同じく既知の物。

 桃色の髪をした嘗ての騎士長が放つ必殺の一撃が、守護獣の身体を射抜いて飛ばす。

 

 

「シグナム!? ヴィータだけではなく、貴様までが!? っ、だとするならばっ!?」

 

 

 彼女も居る筈だと、気付いた瞬間に鎧を最大効率で駆動して身を動かす。

 何もない空間に開いた穴。それがあったのはつい先程までザフィーラが居た場所で、それを開いたのは間違いなく見知った女。

 

 

「……旅の鏡。シャマル、か」

 

 

 信じたくはなかった。理解したくもなかった。死んだ様な目で見詰める姿。其処に集った三人は、間違いなく嘗てに滅びた己の同胞。

 死ぬ前に、彼らは己の魂を得ていた。自我に目覚め、自己が芽生え、だからこそ殺された後に残ってしまった。その魂を取り込まれたのだ。

 

 

「こういうのは、正直趣味じゃないのだけど……貴方が本気で逃げに回れば、私ではどうしようと追い付けないから」

 

 

 大天魔たちは繋がっている。彼らは皆夜刀の一部であればこそ、他の誰かが倒した敵を取り込む事が可能である。

 天魔・紅葉の太極は、死者を蘇らせて使役する力。悪路や母禮に殺された彼女ら三人は、例外なく紅葉の遁甲に飲まれていた。

 

 花魁衣装の女が立つ。死人の顔色をした女は、己の愛し子の願いが為に。

 彼女の前に騎士が立つ。赤毛の少女。桃髪の女騎士。金髪の術師が其処に立って道を阻む。

 

 母禮に対する天敵とも言うべきこの狼。彼を此処に足止めする。それこそが、天魔・常世の望みであった。

 

 我が子の願いの為にこそ、この女は死者を愚弄する。本来望んでいない事でも、我が子の為なら何でもするのだ。それが遥か昔に、鬼母と化した女の真実だ。

 

 

「無視出来ない物を用意するしかなかったの。……でもお陰で、貴方も足を止めたでしょう」

 

「天魔・紅葉っ!!」

 

 

 道を阻む天魔・紅葉。この女を、この女の地獄に囚われた仲間たちをザフィーラは無視出来ない。

 手を伸ばせば届く場所に、何より憎む敵が居る。そうと分かっているのに、死んだ目で囚われた死者を見過ごせない。

 

 だからこそザフィーラは、この女と戦う道を選んだ。懊悩の果てに、一刻も早く倒して先に進む事を決断したのだ。

 

 

「付き合って貰うわ。あの子が願いを遂げるまで、他でもない、それがあの子の願いだから」

 

 

 そんなザフィーラの闘志を前に、気怠い声で鬼母は告げる。全ては愛しい我が子の為に、ならば他の何もかもが取るに足りない。

 どれ程に輝かしい意志を見せても、この今に生きる人々は全て我が子が否定する者たち。ならばそう、加減は要らない。此処に全てを滅ぼしてしまおう。

 

 闘志と殺意が混じり合い、此処に第三の戦場は幕を開いた。

 

 

 

 

 

――緑なす濡れ髪うちふるい 乾かし遊ぶぞ楽しけれ

 

 

 赤い夢が始まった。何時もの悪夢。それが遂に、現実となったのだ。

 先ずそれに最初に気付いたのはキャロだった。友を救うのだと猛っていた少女が突然に、怯え震え始めた。

 

 

「あ、あぁ……」

 

「キャロ!? どうしたの!!」

 

 

 ガクガクと理解の出来ない恐怖に震えるキャロ。その異様な姿に思わず、ルーテシアは振り返る。

 ヴィヴィオと言う強大な存在を前にして、それでも妹の異常を無視は出来なかった。そんな彼女に、キャロは嫌々と首を振る事しか出来ていない。

 

 何が何だか、自分でも分からないのだ。どうしようもない事に、この恐怖の意味が何一つとして分からない。

 分かるのは一つ、余りに幼い頃に刻まれた恐怖の記憶。覚えていられる筈がない忘却の彼方に、しかしその覇道だけは刻まれた。

 

 だから同じ気配を感じて、理由も分からず恐怖に震えた。怯え竦んで、何一つとして言葉を発せなくなってしまったのだ。

 

 

「――っ! 其処かっ!!」

 

 

 そんな彼女の様子に呆気に取られて、放つ筈だった力を留めてしまったヴィヴィオ=アスタロス。

 幼子は友を怯えさせる存在の気配を感じ取り、其処に向かって反天使としての力を振り下ろした。

 

 放たれた魔力の塊。虹ではなく白に、白く染まった魔力弾を受けて、その影は小さく揺れて崩れ落ちた。

 

 

「あーらら、もう少し三人で続けてくれても良かったのに」

 

「……天魔・奴奈比売」

 

 

 崩れた影の先、隠れていたのは赤毛の女。死人の様な肌色に、四つの瞳を思わせる紅玉。現れた天魔・奴奈比売の姿に、アストは警戒心を引き上げる。

 大天魔の出現。それはあくまで予定されていた事。アストが反天使達の心臓部であればこそ、此処に来る事は予想していた。予想外なのは一つ、その場に部外者が居る事だ。

 

 震える少女。慰める少女。この二人の友達は、完全に想定外の異物。

 大天魔と比べるまでもなく、取るに足りない小物たち。故にそれを一瞥して、アストは敵対者を決める。

 

 

「貴女達の相手は後だ。先ずは侵入者を此処に――排除します!」

 

 

 倒すべきは怯え震える友ではなく、此処に出現した神々の一柱。

 だからこれは仕方がないのだと、内心で己を誤魔化しながらに飛翔する。

 

 アストが立つは、キャロとルーテシアの眼前。彼女達と大天魔を繋ぐ軸線上。

 まるで怖がる友達を庇うかの様に、ヴィヴィオ=アスタロスは天魔・奴奈比売を前に立ち塞がった。

 

 

「……へぇ」

 

 

 そんな子供の姿に、沼地の魔女は小さく笑う。肌に感じる力は己と同等。それ程に迫った反天使の、その子供らしさにクスリと笑った。

 その稚拙な感情は好ましく、その魂の在り様は堕ちて尚も美しく、されど見過ごせない要の一つ。故に天魔・奴奈比売は、アストをその四つの瞳で見据えて告げた。

 

 

「分かってるわよ。反天使。貴女達の力の根源。それがこの奈落で、それを護るのが貴女だって事は――」

 

 

 既に夜都賀波岐と同等か、或いはそれ以上に至った反天使。彼らの力の根源は奈落だ。

 だが魂が集まる夢界であればこそ、其処に囚われた人々を一人一人殺しても意味がない。例え人類全てを滅ぼしても、その魂が内にある奈落は消せないのだ。

 

 故にこそ基点を、中枢を潰して人々を悪夢から目覚めさせなければならない。

 その基点となっているのが揺り籠で、それと同化して守っているのがこの反天使。

 

 魔鏡アストを攻略できるか、それが天魔・夜都賀波岐が勝利出来るか否かの条件なのだ。

 

 

「だから、潰すわ。皆々全て水底へ、藻屑になってしまいなさい」

 

 

 此処を潰せば、反天使は全滅する。故にこそ、天魔・奴奈比売は確実に倒すと心に誓う。

 我らの永遠を終わらせぬ為に、愛しい者らの時を停めて保護する為に――この幼子こそが倒すべき敵なのだ。

 

 

 

 

 

――ファルマナント ヘパタイティス パルマナリー ファイブロシス オートイミューン ディズィーズ

 

 

 天魔・夜都賀波岐。彼らは遂に全力を出した。後先などは考えずに、なれば彼らも此処に居る。

 要救助者を避難させていた月村すずかは、人々を避難させた先であるその場所で、両面の鬼に遭遇した。

 

 

「よう。運が良かったな。やっぱあれかね? 敵を倒そうとするより人命救助を優先したからこそ、こういう幸運に当たるんかね?」

 

「……天魔・宿儺」

 

 

 未だ眠り続ける避難民を乗せた車両を背に、医務官姿の月村すずかは敵を見詰める。

 女物の着物をだらしなく着崩した金髪の男。鬼の面を頭に付けた怪物は、ニヤリとした笑みと共に嘯いた。

 

 

「そう怯えんなって、幸運ってのは嘘じゃねぇよ」

 

 

 瓦礫の山の上に胡坐を掻いて、頬杖を突いた両面悪鬼は此処に告げる。

 その言葉に嘘はない。此処に集まった彼らは間違いなく、この世界で最も幸運な者らと言えるのだろう。

 

 何故ならば、天魔・宿儺にやる気がないからだ。

 

 

「俺も黒甲冑も今回は本気でやる気がねぇ、あくまでダチへの義理立てが理由さ。……それでも、黒甲冑と遭遇してるんだろうアイツは大凶だが、逆にお前らは大吉って話さ」

 

 

 そしてその真逆、両翼を除いた五柱は本気だ。今回で全てを終わらせるのだと、全力投球を選んだのだ。

 だからこそ、義理立ての為に二柱も動いた。その内、存在するだけで脅威の大獄と異なって、やる気のない宿儺の周囲は安全だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「家の連中は本気だ。今回ばかりは本気で、お前ら全部潰す気さ。だから太極を開いてまで、こうして安全地帯を作ってやった。人が一番多い場所に狙って作ったんだぜ? 寧ろ褒めてくれても良いだろ。コイツはよ」

 

 

 まだ滅んでもらっては困る。だからこそ、一番多くを救える場所で宿儺は太極を開いた。

 まだ滅んでもらっては困る。だからこそ、一番被害が少ない場所で大獄は太極を開いている。

 

 此処に月村すずかが遭遇したのは、偶然ではなく必然だ。

 誰よりも多くを救おうとしたからこそ、一番危険が少ない場所に彼女は居る。

 

 だがそれでも、危険が少ないだけで皆無ではない。何故ならば、この両面鬼は誰よりも気紛れだからである。

 

 

「ま、それにしても、何時までもくっちゃべってるだけじゃ義理立てにもなんねぇからよ。――俺と少し遊ぼうぜ、お嬢ちゃん」

 

 

 ゆっくりと立ち上がる。さあ遊ぼうか、さあ潰そうか、と両面悪鬼は嗤っている。

 溢れる神威。立ち昇る圧倒的な魔力と威圧感。それに晒された二人は、背筋に冷たい汗が流れるのを感じていた。

 

 

「っ!? 来るのかっ!?」

 

「ロッサ君は、皆の保護に回って! コイツは私が――相手をする!!」

 

 

 足手纏いだと言外に告げて、月村すずかは前に出る。

 覚悟を決めた表情で、自壊法に囚われている彼女は内面に居る彼の名を呼んだ。

 

 

(力を貸しなさい! ヴィルヘルム! 貴方が望んだ、貴方の敵を倒す為に!!)

 

 

 勝機があるとすれば唯一つ。何よりも共鳴する天魔・血染花。

 その力を引き出し切れれば或いは、欠片程度の勝率は生まれるかも知れない。

 

 不可能に近い那由他の果ての勝利の可能性。青褪めた表情の中でそれを手繰り寄せようとする。そんな月村すずかを前に、大地に飛び降りた両面鬼は常の笑みを浮かべていた。

 

 

「さあ、始めるか。可愛くなっちまった()()()()()! 外側だけでなく中身まで可愛らしくなってたら、腹ぁ抱えて嗤ってやるよ!!」

 

 

 それは正しく悪童の笑み。何時かの決着を付けようと、両面鬼は此処に語った。

 

 

 

 

 

――至高の光はおのずからその上に照り輝いて降りるだろう

 

 

 今この世界で、最も人が少ない場所。其処に居たのは彼だった。

 元より人気のない森林地帯。その奥地に作られた研究施設の更に奥、後詰めの武装隊員との距離も離れて、青年は完全に孤立していたのだ。

 

 二十のガジェットを相手取り、たった一人で生き延びていたユーノ・スクライア。

 彼に逃げろと狂人が語ったのは、あの時既に予測が出来ていたのだ。一人先行する彼の下に、やって来るのは最悪最強の天魔しか居ないのだと。

 

 その救いを拒んだ以上、その遭遇はもう避けられない。故にこそ、その結末は正しく分かり切った物だった。

 

 

「あ――っ」

 

 

 糸が切れた様に、ユーノ・スクライアは崩れ落ちる。何故倒れるのか、それすら理解出来ずに崩れ落ちた。

 壊れた兵器が砂に変わる。何処までも果てのない。そんな砂漠が広がっている。死が、死が、死が溢れていた。

 

 意識が遠のく、命の火が消える。思考が消えるその刹那――青年は確かにその姿を垣間見た。

 

 

「…………」

 

 

 最強の大天魔。天魔・大獄は何一つとして語る事もなく、何時の間にか其処に居た。

 其処に居るのに、気付けなかった黒甲冑。佇むその存在を認識した瞬間に、ユーノ・スクライアの命は途絶えた。

 

 

 

 

 

――太・極――

 

無間叫喚(ムゲンキョウカン)

 

無間焦熱(ムゲンショウネツ)

 

無間黒縄(ムゲンコクジョウ)

 

無間等活(ムゲントウカツ)

 

無間身洋受苦処(マリグナント・チューマー・)地獄(アポトーシス)

 

無間黒(ミズカルズ・)肚処地獄(ヴォルスング・サガ)

 

 

 此処、ミッドチルダの大地に六つの地獄が顕現する。

 そして万感の想いを前に待つ白衣の狂人の、その眼前に最後の一つが姿を現した。

 

 赤子の声だ。赤子の声で泣く、無数の顔が付いた巨大な芋虫が其処に居た。

 魂なき者。弱き者は見ただけで発狂するその姿。余りに外れた異形の神相を前にして、ジェイル・スカリエッティは揺らがない。

 それは強者と化しているから、と言う理由もあるが、そうでなくとも狂いはしなかったであろう。既にこの狂人は、どうしようもない程に壊れていたのだ。狂った者は、もうそれ以上狂えない。

 

 

「待っていた。そう言いたそうな表情」

 

「嗚呼、そうとも、この時を私は待っていた。君達の到来をこそ、その為の失楽園だ」

 

 

 異形の神相を前に、緑の着物を着た女が現れる。袖に目玉模様の付いた、長い白髪の美しい少女。

 死人の様な肌をした彼女が、黄金の双眸で見下している。見詰める先に居るのは三者。白衣の狂人と、汚らわしい蟲の群体と、そして――回収するべき槍に射抜かれた血縁者。

 

 恐怖と受けた傷故に、口を開けぬ女二人。その前に立つ白衣の男は、壊れた笑みと共に己の意志を語り始めた。

 

 

「楽園とは何か? ミッドチルダがそうか? いいや否だ。此処は美しい地獄。最先端である戦場なればこそ、皆が安らぐ楽園とは言えない場所だ」

 

 

 楽園を壊す。失わせると語ったジェイル・スカリエッティ。ならば果たして、彼が楽園と語った場所とは何なのか。

 誰もがミッドチルダの事だと判断していた。それは背後で硬直している魔群も、意識を閉ざした高町なのはも、そしてこの天魔・常世すらも同じであろう。

 

 誰もがその前提を、見誤っていたのである。

 

 

「故にだ。パラダイスロスト。私が壊す楽園とは、此処ではない。ミッドチルダではないんだよ」

 

 

 そうではない。ミッドチルダではないのだ。こんな最前線を壊しただけでは、スカリエッティは満足しない。

 そして目指すべき場所など決まっている。最初から彼は口にしている。何時だって、何時だって、彼が目指すと口にした場所は唯一点。その狂気の求道に、一点たりとも曇りはないのだ。故にそう、その目的地は唯一つ。

 

 

「……詰まり、何が言いたいの?」

 

「簡単だ。私が壊すモノは誰もが楽園と認める場所。偉大な神が作り上げた、我らの為の揺り籠。即ち――天魔・夜刀と言う名の神だっ!!」

 

 

 彼が語る楽園とは、この世界の全てであった。偉大な神が愛しい子供たちの為に、我が身と引き換えに留め続けたこの世界。

 幼い子らの為のゆりかごこそが、彼が壊すと決めた世界。最初からそう告げていたのだ。初めから、ジェイル・スカリエッティは神を殺すと断言していたのだから。

 

 

「偉大な神よ。御身を私は終わらせよう! 我らが愛しいと語る神よ。御身は子らの悪意と狂気を理解せよ! 今日この日こそが、パラダイスロスト! 貴方が私の手で滅ぶその日である!!」

 

 

 その為に、夜都賀波岐を此処に集めた。反天使を作り上げ、そして六課の精鋭達を此処に揃えた。

 さあ決戦の時は今此処に、総決算を始めよう。今に持てる全ての戦力が維持できる状況で、戦わなければならない敵を用意した。

 

 これぞパラダイスロスト。ジェイル・スカリエッティの目論見は唯一つ。盤面を加速させ、神に手を届かせる状況を生み出す事だったのだ。

 

 

「せめて安らかに、私の手で眠るが良い! レェェェスト・イィィィン・ピィィィィィィスッ!!」

 

 

 レストインピース。それは死後に、せめて安らぎをと願う言葉。

 心の底から想いを込めて、ジェイル・スカリエッティは口にする。

 

 偉大な神よ。我らが父よ。今日この日に死するが良い。

 我らは滂沱の悲しみと万感の歓喜で以って、御身の崩御を見届けよう。

 

 

「……本当に、貴方達は最悪」

 

 

 狂気に嗤うスカリエッティを、まるで塵の様に見下しながら常世は語る。

 

 

「守ろうとしてあげたのに、守って来てあげたのに、本当に、最悪」

 

 

 愛しい人は、こんな者を守る為に苦しんでいたのかと。愛しい彼は、こんな者らの為に今も苦しんでいるのかと。

 ああ、そんなのは認めない。こんなにも悍ましく、余りにも醜悪で、生きる価値がない者らの為に愛しい君が苦しむなどとは許せない。

 

 何よりも、この狂人は駄目だ。生きている事すら許せないと、天魔・常世は冷たく告げる。

 

 

「特に貴方は駄目。先ずその狂気が駄目。次にその声が駄目。腹黒な所も、頭脳戦が得意な所も論外。何よりも――娘を孕ませるって思考が吐き気がする。これで金髪だったら、どうしようもなかったね」

 

「ふむ。誰かと重ねて見ている、か……それ程に嫌いな人物かい?」

 

「貴方と同じ、どうしようもないロクデナシ。……でも、多分、貴方よりはマシじゃないかな」

 

 

 何処かの誰かと似ていると、少しだけ面影を重ねながらに口にする。

 そんな常世の冷たい視線を鼻で嗤い飛ばしながらに、狂った男は揺るがず告げた。

 

 

「そうか、まあ、どうでも良い話だろう」

 

「そう。どうでも良い話だね」

 

『だってお前達は、此処で滅ぶのだから――』

 

 

 どうでも良い。此処でお前たちは消え去るのだから。

 共に同じ殺意を抱いて、夜都賀波岐の指揮官と管理局の最高頭脳は睨み合う。

 

 此処に誓おう。我らが前に居る者こそが怨敵。その全てを、肉片すら残さず滅ぼし尽すと。

 

 

「誓うわ。滅侭滅相。誰も生かして残さない」

 

「誓おう。滅侭滅相。その果てに、偉大な神をも殺してみせよう!」

 

 

 そして、失楽園の日は此処に、最終段階を遂に迎える。

 飛び交う四柱の反天使。舞い降りた七柱の大天魔。そして管理局のエース達。各々の陣営が相争う三つ巴こそが、白衣の狂人が求めた失楽園。

 

 

「これが私の一世一代の舞台劇だ!!」

 

 

 これ以上はない。これこそ正しく至高の舞台。歓喜に嗤うスカリエッティと、天魔・常世は此処に争う。

 狂人は明日を見ず、ただ今を終わらせる為に。古き者らは明日を見ず、ただ今を続ける為に。そして新しき者らは、何時かの明日を掴む為。

 

 

 

 失楽園の日は続く。その終わりに何を齎すのか。

 狂人の掌に納まらぬ程に事態が肥大した今、趨勢は最早誰にも分かりはしないのだ。

 

 

 

 

 




ダイナミック同窓会、遂に開幕。
夜刀様は不在だけど、作中主要人物は全員集合しました。


〇おまけ「常世ちゃんが語る。紫の狂人と鍍金の変態の違いについての考察」

常世ちゃん「先ず髪の色が違う。次に子供からの愛され方も違うよね。間違っても家の神父様みたいに、お父さんのパンツと一緒に洗濯しないでって言われた事はなさそう。寧ろお願い抱いてって娘に言われてる感じ? 声も一緒で、狂人で頭脳派なのも、実はイケメンなのも一緒。なのに何が違うんだろう。……真実は意外と残酷なのかな、神父様?」
鍍金の変態さん「テレジアぁぁぁぁぁ(滂沱)」





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第二十五話 失楽園の日 其之伍

失楽園の日、中盤戦スタート。




1.

 夢を見る。羊水の中で微睡む様に、高町なのはは夢を見た。

 

 

 

 女が居た。容姿に秀で、器量も良く、恵まれた女であっただろう。

 何処にでも居る。そう語れる程に平凡ではなかったが、探せばそれなりには居る程度。そんな女が、嘗て居た。

 

 何が悪かったのか、そう問われれば時代が悪かったとしか言いようがあるまい。

 他の誰かよりも秀でた程度の赤毛の女は、嫉妬と排他に足を引かれて沼へと堕ちる。

 

 魔女狩りが一世を風靡した時代において、運が悪かった女は魔女の烙印を押し付けられた。

 誰も庇わず、誰も守れず、誰もが裏切り、沼地の底へ。誰もが焦がれた空の星から、地の底でしか輝けない星へと堕ちた。

 

 空の星から大地の星へ、泥の底から底の底へ。だから想う。だから願う。

 魔女を望んだ貴方達。星を見上げて居られないから、足を引いた貴方達。皆々一緒が良いのだろう。ならば全て等価にしよう。――そうして女は、魔女になった。

 

 空の星から大地の星へ、泥の底から底の底へ。だから想う。だから願う。

 羨ましいのだ。輝く星よ。どうして己は堕ちたと言うのに、未だ貴方達は輝いている。それはおかしい。間違っているだろう。――そうして女は、魔女になった。

 

 誰かにそうであって欲しいと望まれて、望まぬ役を押し付けられて、何時しか心の底から魔女になっていた。

 そんな沼地の魔女はあの日に出会う。それは一人の輝く英雄。刹那の様に生きて、刹那の景色を愛して、刹那の内に燃え尽きた一人の英雄と。

 

 追い付けなかった。刹那に過ぎ行く英雄の背中に、愛していたのに追い付けなかった。魔女は歩くのが遅いから。

 そうして彼女は漸くに理解する。本当の輝きとはそういう物で、自分はきっと堕ちる前から違っていたのだと。だからきっと、同じ時間を生きる限りは追い付けない。

 

 故に女は永遠を求めた。過ぎ去った刹那に追い付く為に、永遠の時があればきっと届くと想えたのだ。

 

 沼の底から空を見上げる。泥の底から星を見ている。黄金の獣に頭を垂れて、何時か永遠を下さいと願い望んだ。

 追い付きたかったから、それだけを求めた。何時しか魂が腐って衰え、その願いさえも忘れてしまった。そうして残ったのは――何の為に求めたのかも忘れてしまって、それでも永遠を求め続ける唯の魔女。

 

 彼の星に追い付く時間を求めていたのに、何時しか足を引いて手元に留めるしか出来なくなっていた。

 それでも諦めたくはなかったから、どんなに腐り果てても永遠だけを求め続けた。それが女の全て。沼地の魔女の真実の姿であった。

 

 

 

 高町なのはは閉じていた瞼を開いて、たった今に見た記憶を振り返る。

 追い付く為に永遠を望んだのに、何時しか忘れて手を伸ばすだけになっていた魔女の記憶。それを確かに、高町なのはは知っていた。

 

 

「これ、やっぱり――アンナちゃんの記憶だ」

 

 

 アンナ・マリーア・シュヴェーゲリン。彼女に飲まれた嘗てに垣間見た、天魔・奴奈比売の記憶。あの日に見た物と同じなのだと理解して、高町なのはは周囲を見回した。

 

 豪華絢爛と言うに相応しく、しかし華美に過ぎるとは言えない装飾品。黄金に輝く壁や天井。床には赤いカーペットが、何処までも続いているかの様に感じる回廊を彩っている。この場所は、高町なのはの記憶にない。

 

 

「……此処は、聖王教会――じゃ、ないよね」

 

 

 確認するかの様に零した呟きが、黄金の輝きに溶けて消える。

 此処は異質だ。素直にそう感じたなのはは、周囲の観察を続けながらに思考を進める。

 

 宮殿か、城の内部か。先まで居た聖王教会も豪奢な城であったが、此処はそれ以上に威と輝きに満ちている。

 明らかにあり得ない場所。あってはいけない場所であると理解して、高町なのはは自問する。自分はジェイル・スカリエッティに敗れた筈だと、ならば此処は死後の世界か。

 

 そう考えて、不思議な納得と奇妙な違和を同時に感じる。確かに此処は死が満ちている。死後の世界と言われれば、確かにそうだと納得してしまう程に死が近い。

 踏み締める床。輝く壁。赤い絨毯に輝きで照らす装飾ですら、全てが死で出来ている。踏み締める床、これは躯だ。眼に映る壁、これは人の死骸だ。全てが死んだ人間を材料にしている。此処は黄金に染まった地獄であった。

 

 だが同時に感じる違和感は、此処に在ると感じる己の命。高町なのはは未だ死んでいない。確かな確信と共に断言出来た。

 保証はない。確証はない。所詮自己の実感だけで、或いは錯覚と言われれば否定は出来ない。それでも、何故だろう。高町なのはは、自分が未だ生きていると理解していた。

 

 

「なら、私は異物? ……ううん。()()()()()()()()()

 

 

 此処は死人の世界だ。だが己は未だ生者である。己は生きている。だが死人の城へと飲まれていた。

 違和を感じているのは其処にだ。此処は己が在るべき場所ではないと分かっていて、だが同時に()()()()()()()()()とも感じていた。

 

 

「誰かが見ている。……貴方は誰?」

 

 

 眼差しを感じるのだ。見られている。その視線に侮蔑の色など一切なく、感じる情は唯一つ。見守る意志。即ち、それは――愛情だ。

 愛情を持って、天上より見守る意志。死骸で出来た天蓋の先を見上げたなのはに、彼の者は僅かに笑みを零す。慈愛に満ちた表情で、彼は唯一つの言葉を告げた。

 

 

――卿らは、知らねばならない。

 

 

 声が響く。知らぬ筈の声なのに、何処か懐かしさすら感じる男の声音。

 見回す周囲に姿は見えず、だが確かに見られていると分かっている。愛されていると自覚した。

 

 故になのはは戸惑わない。惑う必要はないのだ。この声の主は敵ではない。

 そして声は語るのだ。邪気のない言葉で、知らねばならぬと告げている。これはきっと、無視してはならない言葉なのである。

 

 あの後、何があったのか。今も現実の世界で、一体何が起きているのか。気になる事は余りに多い。

 だがそれでも、声の主の言葉を無視する事は出来ない。そんな風に感じた女は、目の前に続く黄金の回廊をその目で見た。

 

 

「この先に、あるんですね」

 

 

 何を見るべきなのか、問う必要などは何処にもない。先に見た“彼女の記憶”が示している。此処には彼らの真実があるのだ。

 天魔・夜都賀波岐。八柱の神々が内、この地獄に囚われた過去を持つ者達。そんな彼らの真実が此処には在って、地獄の主は其れを知れと語っている。

 

 知らねばならない。そうでなくては進めない。そう確信する様な色が、先の言葉には含まれていた。

 そう認識したからこそ高町なのはは、一歩前へと足を踏み出す。知るべき事を知る為に、進むべき先を見る為に、今の民は歩き始めた。

 

 

 

 目指すは一路。この回廊の先――黄金が座す玉座へと。

 その道の最中で彼女は知るだろう。天魔・夜都賀波岐。そう呼ばれる神々の――人であった頃の記憶を。

 

 

 

 

 

2.

 陰陽太極の器が、黄金の槍と共鳴を始めた。それを横目に確認しながら、スカリエッティは頭上を見上げる。

 悠然と佇み、眼下を見下ろすは天魔・常世。穢土・夜都賀波岐の指揮官は天高くに座しながらに、嗤い続けるスカリエッティを見下ろしている。

 

 そんな両者の対立を、父の背に隠れながらにクアットロは見る。不死身と語る彼女にとって、天魔・常世は決して相性の良い相手ではない。

 夜都賀波岐の指揮官が持つ異能は、闘争の強制。黄金の槍に干渉する事で、誰も彼もを熱狂させる。敵味方の区別すら出来なくさせて、共食いを強要すると言う能力だ。

 

 その異能は、数を頼りにするクアットロには覿面だ。如何に無限の数があるとは言え、半数ずつが共食いをさせられれば最悪は壊滅すらも起こり得る。

 魔群は確かに強力だが、群ではなく個としての能力はエース級でも対処出来るレベルである。大天魔の異能を真っ向から弾ける域にはないのだ。故に天魔・常世に対して、クアットロ=ベルゼバブは恐怖を覚えている。

 

 一体どれ程削られるか、そう思うだけで腰が引ける。最悪己も討たれるか、そう考えると逃げたくなる。クアットロは臆病なのだ。

 

 

(それでも、ドクターが居るのよ! だったら、退ける訳がないじゃないの!!)

 

 

 元より圧倒的優位になければ動けぬ女。常ならば既に、彼女は見っとも無く逃げ出していただろう。

 それでも、父が居る。彼女にとって決して譲れぬ唯一無二がこの場に居ればこそ、クアットロは逃げ出せない。

 

 ジェイル・スカリエッティは強い。個としての彼は今やクアットロよりも強力で、天魔・常世との相性も決して悪くはない。

 相殺強制は格の差で弾ける。随神相が放つ狂気の波動は、既に狂い果てているが故に意味がない。冷静に考えれば、負ける要因などない程に高相性だ。

 

 それでも、ジェイル・スカリエッティは戦士ではない。戦闘者ではないのだ。故に先の様に、格下にしてやられる可能性は十二分にあり得る事。

 大天魔の指揮官も同じく戦闘者ではないが、あちらには億年を超える経験と言う強みがある。何をしてくるか分からない敵手に対し、戦闘が不慣れな男を一人残すのは不安が過ぎた。

 

 故にクアットロは此処に留まる。弱者しか狙えない無限の軍勢は、譲れぬ一つの為に歯を食い縛る。

 己の生命よりも至高と信じる彼が居ればこそ、魔群は決して退けない。クアットロ=ベルゼバブは情けない顔を晒しながらに、それでも不退転の意志を胸に宿して――

 

 

「下がりなさい。クアットロ」

 

 

 その覚悟を決めた女に対し、ジェイル・スカリエッティ自らが逃げろと口にした。

 

 

「ドクター!? ですが!!」

 

 

 思わず反論を紡ぐクアットロ。先の追い詰められた姿を知るが故に、彼女としても直ぐには頷けない。

 そんな魔群の親を想う感情に笑みを返して、だがジェイル・スカリエッティの決定は変わらない。この場に魔群は必要ない。

 

 目を細める狂人は、冷静に思考する。魔群がこの場にいても、邪魔にしかならないと。

 天魔・常世の闘争強制に抗えないクアットロでは、居る方が厄介だ。何故なら常世の領域下では彼女の意志に反して、クアットロはスカリエッティの敵となってしまうのだから。

 

 

「……言っただろう? 君には君の役割があると」

 

 

 その思考を声には出さずに、スカリエッティは別の言葉を口にする。

 娘に対する思い遣りで本心を隠して、同時に口にするのもまた彼の本音。もう一つの策略だ。 

 

 

「役割、ですか」

 

「ああ、そうだとも、君にして貰いたい事がある。君にしか出来ない事があるんだ。だから、今はそちらで動いてくれ」

 

「……分かりました。ドクター」

 

 

 笑顔で語るスカリエッティの言葉に、不平不満を飲み干しながらにクアットロは承諾する。

 彼女も理屈で分かっている。記録映像で知っているのだ。常世を相手にした時に、己が足手纏いにしかなれない事などは。

 

 そして同時に安堵する。強敵に挑まなくて良いと言う状況に安心して、そんな浅ましさが嫌になった。

 常ならば逃げる行為に躊躇いすらも感じない女だが、それでも父を置いて逃げ出す事に安堵する内心を嫌悪出来る程度の真面さが残っていたのだろう。

 

 

「それで、私は何をすれば?」

 

「なに、簡単だ。単純な事だよ。君に頼むのは、盤面の調整。浮き駒の足止め。想定外の排除。詰まりは――」

 

 

 だからこそ、問い掛けた言葉に返る答え。スカリエッティと言う狂人が下した指示内容を、小物であっても正気であるクアットロは理解が出来なかったのだ。

 

 

「戦線から外れている者達。()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……え? 何を、言って、いるのですか? ドクター?」

 

 

 クアットロに与えられた指示はそれ一つ。明確な敵と敵対している相手に、攻撃を仕掛けろと言う物。

 この指示に従うなら、クアットロが行う事など唯一つ。本来倒すべき敵から逃げ出して、この状況では味方と言える相手の背を撃つ事。それは最早、大天魔への遠回しな支援とすら言えるだろう。

 

 スカリエッティが見据える先。其処に映る景色が如何なるモノなのか、神ならぬ魔群には分からない。此処で潰すのではなかったのかと、考えるべきではない疑念すらも浮かんでくる。

 

 一体何を考えているのか、そう困惑するクアットロ。そんな娘の頭を優しく撫でながらも、ジェイル・スカリエッティは壊れた笑みを浮かべていた。

 

 

「あらゆる札には、切り時と言う物がある。最も弱いスぺードの3が時にはジョーカーすらも下す様に、役に立たない札などこの世にはない。あるとすればそれは、唯単に切り時を間違えただけなんだよ」

 

 

 唯の役なし札ですら、時にブラフの為の奇貨にもなろう。

 ジェイル・スカリエッティはそう考えるが故に、()()()()()()()()()()()()()()()()が次なる一手に繋がるのだと嗤っている。

 

 そんな狂笑を浮かべる男を見上げるクアットロは、しかしその表情に色濃く残る曇りを晴らせない。

 理屈じゃないのだ。理由は理性ではなく感情である。故に彼女は愛する父の判断に、迷いを抱いてしまうのだろう。

 

 それでも、ジェイル・スカリエッティの判断は変わらない。譲歩出来る面だけは譲るが、口にする決定は揺るがない。

 

 

「さあ、もう行きなさい。速く動かないと、移り変わる盤面の流れから置いて行かれてしまうからねぇ」

 

「……分かりました。ご武運を」

 

 

 クアットロは仕方がないと、静かに項垂れ首を振る。彼女は納得した訳ではない。しかし諦めたのだ。理解する事を諦めた。

 だからこそクアットロは、父の指示に従い動き出す。ジェイル・スカリエッティが望んだ通りに、盤面の形を調整する為に蟲の群れは散って行った。

 

 

 

 そうして立ち去る魔群を見送り、ジェイル・スカリエッティは振り返る。

 高みより見下す天魔・常世は未だ動かず、その距離を埋めるのは並大抵の労力では足りぬだろう。

 

 それでも、それだけだ。不可能ではない。しかし娘に語った様に、無理に攻め込む心算はない。

 才能がないとは自覚したのだ。故に大地の底から見上げる男は、歓喜を浮かべながらに相手の出方を見る事にした。

 

 

「さて、待たせたかな?」

 

「……待ってない。待ってないから、さっさと舌でも噛んで死んでくれれば良いのに」

 

「ははは、やはり手厳しい」

 

 

 観察をしていた天魔・常世は、忌々しいと舌打ちする。

 理解したのだ。地力の差を。この距離を埋められたら敗北する。そうと分かってしまったのだ。

 

 ジェイル・スカリエッティは強力だ。奈落と言うバックアップを受けたこの狂人は、既に大天魔の領域に至っている。

 戦闘能力と言う点では下位でしかない天魔・常世では、頭一つ分以上に劣っている。二歩も三歩も後塵を拝しているのだ。真面に戦って、勝てよう道理は何処にもない。

 

 故に見に徹した。魔群を暴走させようにも、今の槍に干渉したらどうなるか分からないと言う状況も足を引いている。

 相殺の強制と発狂の波動。それを除けば、手足を振っての破壊程度しか出来ない非戦闘員。そんな天魔・常世では、力押しをしても押し負ける。故にだ。見に徹して、今も隙を探っている。

 

 

 

 奇しくも互いが選んだ初手は同質。それも或いは、必然と言える結果であろう。

 両者共に非戦闘員。闘争においては自他共に無才と断じるが故に、舌禍を交えながらに意図を読み合うのが当然だった。

 

 

「では、我が子らの為に弔いを――そろそろ始めるとしようか」

 

「……そんな事、思ってもいない癖に」

 

 

 天魔・常世にとって、都合が悪い事とは何か。ジェイル・スカリエッティにとって、されたくない事は何か。

 互いの視線が一点を映す。磔にされた獣の末裔(ヨハンの子)に突き刺さった黄金の槍こそ、この両者が見過ごせぬ共通要素。

 

 ジェイル・スカリエッティは退けない。この槍が結果を示すまで、時間を稼ぐ必要がある。

 天魔・常世は退けない。この狂人を放置していては、槍に何をするか分からぬから、場が動くまで時間を稼ぐ必要がある。

 

 

「死んでしまったのは残念だけど、それはそれで仕方がない。結局貴方はそんなモノ。都合が良い理由が出来たと、寧ろ喜んでさえ居る。……気持ち悪い。理解が出来ない。それでも嗤う姿が怖くて怖くて、……本当に、悍ましい」

 

 

 舌禍を交えて読み合う意図は、共に時間を稼ぎたいと言う同じ結論。

 相手が及び腰であると分かったからこそ、両者は同時に動き出す。即ちそれは――攻めの姿勢だ。

 

 

「だから、消えて」

 

「アクセス――我がシン」

 

 

 巨大な随神相が蠢いて、その巨体が大地を薙ぎ払う。それを前に狂人は、己の罪を介して門を開く。

 相手が一歩を引きたがっているからこそ、両者は此処で一気呵成に攻め立てる。されたくない事をこそすると言う、それは戦術の基本であった。

 

 元より知識が先行している両者。基本に忠実に、突拍子もない真似など出来ない。

 ならば裏を掻こうとした読み合いに意味などなく、結局結果は力と力のぶつかり合いに終始する。

 

 詰まりはそう。弱い方が負けるのだ。

 

 

因子変更(エレメントリライト)――アルマロス、実行」

 

「――っ」

 

 

 神相の血肉が吹き飛ぶ。薙ぎ払う為に蠢いた巨体が、狂人が触れた瞬間に内側から弾けて飛んだ。

 まるで空気を入れ過ぎた風船が破裂する様に、赤い血風となって崩れる神体。其は魔鏡に映る力が一つアルマロス。

 

 たった一度の交差にて、両者は予想を確信へと換える。

 如何に反天使の力とは言え、一撃だけで大天魔を葬れる程ではない。だがそれでも、その事実は変わらない。

 

 天魔・常世は傷を負って、ジェイル・スカリエッティは無傷である。

 互いに裏を掻き合っても、力のぶつけ合いにしか出来ない戦闘下手。故にこの差は、余りに大きいと言えた。

 

 

「成程、私が大きくなり過ぎたのか。それとも存外小さかったと言うだけか……思っていたより、容易いな」

 

 

 嘗てはあれ程に強大と感じていたのに、今ではこの程度なのか。

 その感想に感慨と寂寥を等しく感じながらに、スカリエッティは冷静に思考を回す。

 

 気負いもなく、単純な事実として断じる。この程度ならどうにでもなる。

 ならばこの今に一歩を踏み込む。それすら博打をする必要もない、安全に行える範囲の攻勢。

 

 

「では、続けようか」

 

 

 全ての基点は揺り籠だ。奈落を攻略されない限り、ジェイル・スカリエッティに敗北はない。

 それが示す事実は唯一つ。ジェイル・スカリエッティを殺せないと言う事は、彼より強いあの怪物を止められないと言う事でもある。

 

 この失楽園の日に、夜の悪魔は誰にも倒せはしないのだ。

 

 

「失楽園の日は、まだ始まったばかりだっ!」

 

 

 打った保険が無意味と終わるか、或いは先見の明として機能するか。どちらにしても構わない。

 己の勝利は揺るがない。白衣の狂人は傷付いた天魔の指導者を見上げて、狂笑を浮かべながらに力を揮った。

 

 

 

 

 

3.

 爆発的に広がる腐敗。腐った風が吹き荒れるこの場で、しかし支配者として君臨したのはこの太極の主ではない。

 太極を開いた悪路王はその目にする。ほんの一瞬苦しみもがいた赤毛の少年が、直後に反転して哄笑を上げ始めたその姿を。

 

 

「ククク、クハハ、ハハハハハハハッ!!」

 

 

 笑う。嗤う。哂う。ケラケラと、ゲラゲラと、腹を抱えて嗤うは誰でもない悪魔。

 人々の夢より生まれた、“こうであって欲しい”“こうあるべきだ”と言う悪魔の偶像。ナハト=ベリアルはエリオを奈落に引き摺り降ろして、再び表層へと出現した。

 

 

「返さない。返さない。返さない。この身体(オマエ)は――もう俺の物だ」

 

 

 返せ返せと、内で叫ぶ子供に語る。お前はもう逃がさないと、ナハト=ベリアルは嗤っている。

 

 黒き翼が噴き上がる。溢れ出す余りに強大が過ぎる魔力は、この世界の主が圧だけで押し込められる程。

 腐毒の風に満ちた太極の只中に甦った悪魔王。黒く反転した瞳を赤く輝かせる悪鬼羅刹は、この地獄に苦しむ姿を欠片も見せない。

 

 いいや、否。苦しむ所か、寧ろ居心地が良いと嗤ってさえ居る。

 万人を叫喚の底に突き落とす地獄の風ですら、ナハトにとっては春の微風にも等しい快適さを感じる物でしかないのだ。

 

 

「此処は良いな。天魔・悪路。実に良い。快適だ。こんなにも調子が良いのは初めてだぞ」

 

「……僕の瘴気を、喰らうか」

 

 

 それは悪魔の持つ性質。瘴気を喰らい、活性化する。そういう質を有するが故に、悪路の力が糧にしかならない。

 誰でもない偶像なればこそ、明確な個を持ったエリオに引き摺り降ろされた。そんなナハトが表に再び現れる事が出来たのは、正しく悪路のお陰なのだ。

 

 彼の太極を食って、力を増した。活性化したから、エリオでは抑えられなくなった。この悪魔王が此処に降臨した理由など、たったそれだけの単純な物。

 

 

「嗚呼、実に美味だ。お陰で随分と楽になった。愛しく煩いあの子を、縛り付けておけるくらいにはね」

 

 

 人の身には過ぎた穢れすら、悪魔にとっては甘露と同じ。ナハト=ベリアルは腐りはしない。

 溢れ出す絶大な力と共に、悪魔の王は暗く嗤う。語ると共に腕を軽く振り上げ、薙ぎ払う様に圧を飛ばした。

 

 

「失策だったなぁ、夜都賀波岐。お前と俺の相性は最悪の様だぞ?」

 

 

 轟。片手を軽く振るだけで、天が揺れて大地が裂ける。大極と言う神の器が、その一撃で崩壊し掛けた。

 破壊の余波だけでそれだ。魔力の圧そのものは余波の比でなく、咄嗟に大剣を構えて受けた悪路はそのままに吹き飛ばされて膝を屈した。

 

 

「……受ける事さえ、真面に出来ないか」

 

 

 僅か一合。その結果がこれだ。如何に強大なる神々とて、己より強大な相手と矛を交えればこうもなる。

 太極の維持。直撃を避けるだけで精一杯。力と力のぶつかり合いとなれば勝ち目はなく、喰らい付けたとしてもジリ貧だ。

 

 ましてや、ナハト=ベリアルは未だ本気ではない。

 全力は出しているのだろうが、彼が持つ消滅の力を使ってはいないのだ。

 

 それでこの様。勝ち目など何処にもない。そんな事、()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「何だ? 今更に後悔しているのか?」

 

「……いいや、納得しているんだ。安堵している。やはり、僕が来たのは正解だった」

 

 

 故にこそ、見下し嗤う悪魔の言葉に、天魔・悪路は立ち上がりながらに言葉を返す。

 この判断は正しかった。己の決意に、後悔などは微塵もない。ナハト=ベリアルを相手にするのは、腐り切った我が身でなくてはならぬのだ。

 

 

「他の誰に任せられる。他の誰に押し付けられる。お前の様な、特大の穢れを――」

 

 

 これは既に、嘗ての黄金すらも超えている。最強の大天魔ですら、消滅覚悟で切り札を切らねば話にならぬ。

 この世全ての頂点と、嘯くだけは確かにある。これは確かに頂点だ。だからこそ、そんな泥を被るべきなのは己であるべきなのだ。

 

 

「この屑でしかない我が身に相応しい。お前の様な怪物を相手取るのは、僕の様な死んでも良い屑であるべきだ」

 

「ハハ、ハハハ。筋金入りだな自傷趣味(マゾヒスト)。其処まで自殺志願か、救いようがない存在だ」

 

 

 誰よりも己が汚れを背負うから、己以外よ美しく在れ。そう願った腐毒の王は、この穢れに立ち向かう事を良しとする。

 何よりも穢れていると断言された悪魔の王は、そうと分かって己の相手を望むのかと、その性質を度し難いと見下しながらに嘲笑う。

 

 そして、一歩を踏み出す。感じるだけで常人ならば命を落とすだろう程に、強大な魔力を放ちながらに前へと進む。

 腐毒の風を喰らいながらに進撃するナハトの威圧に晒されながら、悪路は折れた大剣を両手に構えて揺るがずに敵を見た。

 

 

「……何、これで勝算もある」

 

「ほう。どんな手があるんだ?」

 

 

 勝算はある。この行為は唯の自殺志願ではない。そう語り己を鼓舞する悪路。

 瞬きするよりも僅かな一瞬で、距離を詰めたナハトは嗤う。どんな手があると嗤いながらに、槍を持たぬ手に焔を灯した。

 

 

「何をしようと、お前の力は俺の糧にしかならん。そして、俺の炎は――」

 

「くっ」

 

「お前じゃ防げん」

 

 

 黒き炎が燃え上がる。無価値の炎。あらゆる存在を対消滅させる力が、天魔・悪路のその身を襲う。

 物質界にある物は正の数字を持つ。この炎はその真逆、負の数字を内包した力。故に触れる物は全て、抵抗出来ずに消失するのだ。

 

 

「最悪の相性、と言う奴だよ。未だ他の連中の方が、可能性はあったかもしれないなぁ?」

 

 

 故に防げない。燃え上がる炎は死人の身体を意図も容易く燃やし尽し――しかし消滅させはしなかった。

 

 

「……だが、他の皆では、僕程コレには耐えられなかっただろう」

 

「ほう」

 

 

 無価値の炎は防げない。極大の負数と言う性質は、あらゆる物質の存在を許さない。

 だが悪路の身体は、正常な物質からは外れている。他者が負うべき負を取り込んだ悪路王と言う存在は、その器が既に負数の領域へと到達している。彼の身体には元より、正の数値など一切残っていないのだ。

 

 

「これでも、痛みや苦しみには慣れている。生きたまま腐っていくのは、何時もの事だ。僕にとって腐炎(コレ)は、唯の炎と変わらない」

 

 

 これ以上は腐らない。これ以上には腐れない。既に死人だ。腐り果てた死人である。

 ならばそう。この黒炎を防げずとも、耐える事は出来る。痛みに耐えるは常であり、ならば彼にとって腐炎は唯の炎と変わらない。

 

 

「全て腐れ。塵となれ。我が身は既に腐り果てているから、もうこれ以上は腐れない」

 

 

 焼かれるだろう。燃やされるだろう。抵抗できずに、一方的に押し負けるだろう。

 だが即死はしない。これ以上は腐れないから、他のどの天魔よりも悪路王こそが、この腐炎に長く耐えられる。

 

 遥か格上の即死能力持ちを相手に、生き延びて時間を稼ぐ事が出来る。それこそが、天魔・悪路の僅かな勝機だ。

 

 

「成程成程、それがお前の強みか、自傷趣味(マゾヒスト)

 

 

 腐炎の軽減。それこそが悪路が持つ最大の強み。彼らが時間を稼げると、そう判断した最たる理由。

 それを理解してナハトは嗤う。所詮耐えられるだけなのだ。無効化出来る訳ではない。悪路の力は全て、ナハトに吸収される事実も変わっていない。

 

 そしてそれ以上に、明確な違いが一つある。地力の差だ。

 

 

「だがな、地力に差があり過ぎるぞ!」

 

 

 拳を一振り。それだけで崩れかける程に、双方の実力差は絶大だ。

 天魔・悪路が全盛期でも、結果は変わらなかっただろう。それ程に、ナハト=ベリアルは単純に強いのだ。

 

 腐炎ではなく、五体による攻勢。異様な程に滑らかで歪な動きは、背筋に怖気を催す夜風の闘技。咄嗟に剣を合わせた悪路を、その守りごとに押し潰す。ナハトの攻勢に、遊びはない。

 

 

「押し潰してやろう。抗えるだけ抗って、無様に果てろよ。大天魔ぁっ!!」

 

 

 結果は見えている。結末は決まっている。天魔・悪路では敵わない。

 ナハト=ベリアルの猛攻を前に、大天魔が敗れるのは時間の問題だった。

 

 

 

 

 

 太極の解放と魔力のぶつかり合い。その衝撃に吹き飛ばされて、大地に崩れ落ちた少年は遠く見る。

 己を吹き飛ばしたあの場所は、今や激闘の中心地。夜風と言う冷たい暴風が、腐毒の呪詛を一方的に薙ぎ払っている戦場だ。

 

 

「っ、くそっ――エリオっ!」

 

〈落ち着いて、トーマ! あの中にはっ!!〉

 

「ああ、分かっている。分かっているんだよ。入れないって、実力が違い過ぎる。手加減されてたって、分かるさ。でも――」

 

 

 吹き飛ばされて倒れるトーマは、起き上がって進もうとする。そんな彼に対してリリィが、それでは駄目だと口にした。

 悔しいが、トーマにも分かっている。先にナハトの攻勢に耐えられたのは、相手が遊んでいたからに他ならない。今のトーマではナハトは愚か、追い詰められている悪路にすらも届かない。

 

 正しく格が違うのだ。次元が違う規模での暴虐が、あの場所を中心に起きている。

 無理をして立ち上がって、無茶をして踏み込んだとしても、それでどうにもならないと理解する事は出来ていた。

 

 それでも、トーマの心は叫んでいる。このままで良いのか、良い訳あるかと叫んでいる。

 宿敵との決着を、二度も邪魔されて怒りを覚えぬ理由がない。例え無意味に薙ぎ払われるだけに終わったとしても、此処で立ち止まるなんてあり得ない。

 

 

「例え路傍の石にすら成れないとしたって、それでも俺はアイツと――」

 

〈ティアナはどうするのっ!?〉

 

「っ!?」

 

 

 だから前に進もうと、そう決めたトーマの意志を阻む言葉がそれである。己と同じくに飛ばされて、今も危機にある命が其処にある。

 先のナハトの圧よりも、今は危険が過ぎるのだ。求道に似た性質を持つナハトと違い、この太極は無差別だ。巻き込まれているティアナの命も、そう長くは持たないだろう。

 

 

〈ティアナじゃ耐えられない。この太極は無差別だから――彼女を守れるのは、トーマしか居ないんだよ!〉

 

「――っ! くそっ!!」

 

 

 宿敵との決着を望んでいても、それで味方の危機を放置する事など出来ない。

 今に守れる力があって、ならば捨て置けないのがトーマ・ナカジマ。故に彼は歯を噛み締めて、ティアナを守る為に飛び出した。

 

 腐毒の風と悪魔の魔力に、吹き飛ばされて腐り始めている少女。

 大地に倒れるティアナ・L・ハラオウンを抱き抱えると、トーマは一つの魔法を使う。

 

 ディバイドエナジー。他者に魔力を分け与えると言う力で以って、ティアナに魔力を供給する。

 魔力とは魂の力。太極に対する抵抗力となる力である。故に十分に力が余っているトーマがそれを分ければ、ティアナでも叫喚地獄を耐える程度は出来るのだ。

 

 それでも、それが限界だ。抵抗の為に魔力を消費していくティアナを、守る為にはその場に釘付けとなる。

 先の激闘により消耗が故に、余った魔力も大量とは言えない。守りながらに戦えないから、もう見ている事しか出来ないのだ。

 

 

「見ているしか、出来ないのかよっ!」

 

〈トーマ〉

 

 

 目の前で起きている天魔と悪魔の戦い。其処に参戦出来ず、見ている事しか出来ない我が身。

 其処に悔しさを感じて、それでもそれしか今は出来ない。だからトーマは、歯が砕ける程に噛み締めながらに見届ける。

 

 その激闘の果てに、一体どの様な結末に至るのか。決して眼を逸らさずに、少年は己が目で見続けた。

 

 

 

 

 

4.

 砂塵が舞う。暗き空の下に広がる砂漠は、戦士達の闘技場。

 硝子の壁に包まれた砂漠の中で、黒き甲冑が軋みを上げる。キシリキシリと揺れる鎧の音を、理解する思考すらも青年には残っていない。

 

 此処は死人の世界。死が溢れる無限の砂漠。弱卒が紛れたならば、踵が地面に着いた瞬間に物言わぬ屍と化す。

 そんな死に満ちた世界。其処に巻き込まれた青年は、正しく弱卒と言える者。何の力も持たず、決して特別などではなく――故に耐えられる道理がない。

 

 死して当然。消え去るのが当たり前。この砂の一部となって、命を終えるのがユーノ・スクライアの末路であろう。

 されど、そうはならない。それは女が許さぬから。愛する女との繋がりが青年を生かす。無理矢理に無茶苦茶に、汚染しながらに強制的に蘇生するのだ。

 

 

「がっ、げぇっ」

 

 

 血反吐を吐き出し、肉体を歪めながら、歪な形に膨れ上がる。蘇生と共に意識が覚醒し、故に苦痛に苦しみもがく。

 最早人の形骸すらも成してはいない。真面な思考も出来ぬ程に苦しみながら、どうしようもなくその身は終わっていた。

 

 

「……己の死すら、奪われた、か」

 

 

 死を奪われたその姿。死ぬ事すら許されないその姿。感じるのは、嘗ての己と重ねる共感。

 

 

「哀れな」

 

 

 見下ろす天魔・大獄は、唯々その姿を哀れに思う。死を奪われ、無限に苦しみ続ける程に苦痛に満ちた生が他にあるか。

 至高の終焉をこそ求めたこの男にとって、彼の姿は他人事で済ませられない物だ。余りに惨いと感じる程に、故にこそ天魔・大獄の意志は正しく彼にとっての慈悲だった。

 

 

「もう、苦しむな」

 

 

 拳を握る。僅かな動作で自壊しかけて、それでも己の死を終わらせる。

 一歩を踏み出す。崩れ落ちて訪れる自死を遠ざけて、不断の意志と共に拳を振り上げた。

 

 

「せめて人の姿で、終わらせてやろう」

 

 

 そして、振り下ろす。その命を終わらせる為に、幕引きの一撃を此処に振り下ろした。

 

 青年の身体に生じた歪が、その一撃で消し去り終わる。人間の形からの変質を終わらせて、人型へと戻されたユーノはそのままに命を落として――

 

 

――終わらせない。貴方は絶対に、終わらせない。

 

 

 女の情念がそれを許さない。幕を引かれた命の舞台。その幕を無理矢理にまた開く。決して終わらせる物かとしがみ付く。

 ユーノ・スクライアは蘇生する。歪に変貌する形骸の変質に、悶え苦しみながらに蘇生して――其処に再び、幕引きの鉄拳が振り下ろされた。

 

 

「……俺は、終わらせると言ったぞ」

 

 

 天魔・大獄の意志は揺るがない。彼は哀れに感じた青年を、此処に終わらせると決断したのだ。

 故に終わるまで、その拳は止まらない。女の情念が男を生かし続けると言うならば、その情念ごとに全てを終わらせる。

 

 甦った。拳を振り下ろした。甦った。拳を振り下ろした。甦った。拳を振り下ろした。甦った。拳を振り下ろした。

 甦った。拳を振り下ろした。甦った。拳を振り下ろした。甦った。拳を振り下ろした。甦った。拳を振り下ろした。

 甦った。拳を振り下ろした。甦った。拳を振り下ろした。甦った。拳を振り下ろした。甦った。拳を振り下ろした。

 甦った。拳を振り下ろした。甦った。拳を振り下ろした。甦った。拳を振り下ろした。甦った。拳を振り下ろした。

 甦った。拳を振り下ろした。甦った。拳を振り下ろした。甦った。拳を振り下ろした。甦った。拳を振り下ろした。

 甦った。拳を振り下ろした。甦った。拳を振り下ろした。甦った。拳を振り下ろした。甦った。拳を振り下ろした。

 

 終わらない。終わらない。終わらない。女の情念は狂気の域に、対する男の意志とて鋼の求道。

 どちらも共に、退くと言う概念を知らぬのだ。ならばこの繰り返しは、どちらかが折れるまで終わらない。

 

 

「続けると言うならば、良いだろう。……終わるまで、繰り返すだけだ」

 

 

 大天魔は拳を握り、そして振り下ろす。青年は命を落とし、女の情念に甦る。

 それは宛ら等活地獄。活きよ活きよと苦しめられる。伝承にある八大地獄そのものだ。

 

 黒肚処地獄の中にあって、異なる地獄の体現と化したこの砂漠。

 振るわれる拳は至高の鉄拳。鍛え抜かれた武の極点。己の命を奪う拳を目に焼き付けながら、ユーノ・スクライアは死に続ける。

 

 

 

 

 




副題 黄金劇場開幕。
   スカさん平常運転です。
   主人公ポジが戦闘から除外されるのは、Dies先輩ルートからのお約束。

   ユーノ君をボールに、キャッチボール! 超・エキサイティングッ!






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第二十五話 失楽園の日 其之陸

何時もは伍で終わるのに、遂に陸に到達。だがまだ終わらない失楽園。多分拾は超えそうです。


副題 装甲悪鬼屑兄さん


1.

 夢を見る。羊水の中で微睡む様に、高町なのはは夢を見た。

 

 

 

 一人の男が居た。実直で物腰穏やかな、好青年と言うべき男であった。

 世が世なら平穏無事に、人より恵まれた人生を謳歌出来たであろう青年だった。

 

 だが、生まれた家が悪かった。櫻井と言う家系は、その初代である武蔵が生み出してしまった偽槍に呪われていた。

 櫻井の当主は、生きたままに腐っていく。偽槍に喰われて、身体が崩れ落ちて行く。その果てに至るは蠢く死人。腐り果てて自我を失い、それでも死ねぬ生ける屍。それが櫻井の家系に伝わる呪いで、その呪いからの解放こそを男は望んでいた。

 

 己の為ではない。自分は良いのだ。もう救いようがない程に腐っていると、そんな事は理解していた。

 

 だがそれでも、認められない理屈がある。彼には一人、決して誰にも譲る事は出来ない最愛の妹が居たのだ。

 自分が腐って死体となれば、次に偽槍が狙うのは妹だ。それはいけない。それだけは許せない。認められないのだと、狂おしい程に餓えて求めた。

 

 願ったのは一つ。己が腐るから、己だけが苦しむから、どうか妹は腐らずに居て欲しい。全ての穢れを引き受けるから、この呪いよ終わって欲しい。

 だからこそ黄金へと頭を垂れた。自分の代で何時かきっと、この呪いを終わらせる為にこそ、櫻井戒はそれだけを望み求めていたのである。

 

 その願いは哀れに散った。彼を愛し、彼をこそ救いたいと願った戦乙女。そんな女との間に繋いだ情を利用され、櫻井戒は屍人に堕ちる。

 トバルカイン。死しているのに蠢く死体。自我を失くして、操られるだけの腐った屍人。そう成り果てた男は守りたかったモノを守れずに、愛した女を己が手に掛けて黄金に飲まれた。

 

 それでも、その願いは変わらない。全てが終わった果ての時代で、それでも彼の意志は変わらない。

 嘗ては守れなかったからこそ、今度は必ず守り通す。己だけが腐るから、どうか大切な人よ健やかで在れ。

 

 だから男は戦うのだ。この時代、全てが終わった果ての時代を繋ぐ為に、今度は必ず守ると誓って。それが男の全て。腐毒の王が真実の姿であった。

 

 

 

 

 

2.

 クラナガンが湾岸地区。その周辺に生み出された、天魔・宿儺の安全圏に程近く。

 彼の地にて、魔群が蠢いている。無数の蟲が散発的に襲撃を仕掛けて来て、避難民たちを乗せた装甲車を走らせるヴェロッサの妨害を行っていた。

 

 

「クソっ、こんな時にどうしてっ!!」

 

 

 余裕の笑みなど疾うの昔に失って、避難民を乗せた大型車両を振り回しながらに舌打ちする。

 この領域下では魔群も影響を受けているのか、その攻勢は激しくはない。だがされど、余裕がある程に緩くもなかった。

 

 散発的に、数で群がって、少しずつヴェロッサ一行を追い掛け回す。

 天魔・宿儺から距離を置いた場所に避難民を退避させた後、月村すずかの援護に回ろうとしていた。そんなヴェロッサは、それを妨害するかの様な魔群の行動に歯噛みした。

 

 

「不味いんだよ。危機なんだって、理解してくれよ。陰険女っ!」

 

 

 車のハンドルを切るヴェロッサは、逃げ出す直前に触れていた。気になったのだ。女の勝算がどれ程にあるかと。

 希少技術である思考捜査。人の内側に広がる内的宇宙に触れた事で、ヴェロッサ・アコースは理解していた。()()()()()()()()()()()()()

 

 

「あのままじゃ負ける。必ず、だって言うのに」

 

 

 月村すずかの勝率は零パーセント。そもそも彼女が頼りにする一つの要因が、既に機能していない。前提条件を間違えている。

 故に負ける。必ず負ける。それを知らずに挑んでは、勝ち目などは欠片もない。だからこそ、彼女を一人で当たらせてはいけないのだ。

 

 だと言うのに、それを阻む。同じ大天魔を敵とする、反天使と言う一団が、だ。

 

 

「一体何を考えているんだ!? お前達はっ!!」

 

 

 付かず離れず牽制を続けるクアットロを見上げて、ヴェロッサは言葉を吐き捨てる。

 そんな彼と同じ感想を抱きながらに、魔群の攻勢は尚も続く。身洋受苦処地獄において、吸血鬼の女と両面の鬼の戦闘に介入出来る者は未だ居ない。

 

 

 

 幾何学模様の宙の下、轟音と共に四つの砲門が火を噴いた。女物の着物を纏った金髪の鬼。

 筋力の付いた男の硬い腕と、柔らかで丸みを帯びた女の腕。合わせて四つの腕には、馬上筒と言われる大型の銃器。

 

 放たれる弾丸は、見た目通りのそれではない。轟音と共に迫るのは、戦車の主砲と見紛う程に圧倒的な破壊である。

 人型から放たれるには、余りに過ぎた高火力。それを前に立つ紫髪の女は徒手空拳に、人より優れた身体能力を頼りに身を躱す。

 

 明けない夜は使えない。不幸を齎す血染花を咲かせられない。それは頭上に広がる空が故。

 無間・身洋受苦処地獄は自壊の法則。如何なる異能の発現も許さない領域で、特別な力など使えはしない。

 

 それは異能だけではない。あり得ざる存在。夜の一族と言う血筋にすら反応する。

 魔法生物の様に、領域下に入った瞬間に即死する程ではない。だがそれでも、月村すずかの性能自体が落ちていた。

 

 背に冷や汗を掻きながら、必死に身を捻る月村すずか。今の女は人並みを、僅かに外れた程度の力に納まっている。プロスポーツのトッププレイヤー、その半歩先程度の身体能力しか引き出せないのだ。

 故に銃弾を見てから躱す様な真似など出来ず、銃口の向きから予測して砲撃をギリギリで回避する。その程度しか出来ていないし、それ以上など出来よう筈もない。

 

 四本の腕から放たれるのは、大砲の釣る瓶打ち。

 そして起こる結果は正に鴨撃ち。この場において、狩る者と狩られる者は明確だった。

 

 異能は使えず、素の性能差で挑めばこうもなる。そんな事は分かっていて、それでも月村すずかには確かに勝算と言うべき物があった。

 それは己の内的宇宙。其処に今も眠るであろう白貌の吸血鬼。彼ならば格の差を限界にまで詰められる。一方的に封じられる己とは異なって、戦闘と言う形にはなる筈だと。

 

 

(っ、どうして!? ヴィルヘルム)

 

 

 だが、その前提が破綻していた。そんな事実に漸くになって、月村すずかは気付いていた。

 

 

(どうして、貴方の敵が此処に居るのにっ! 答えてくれないの! ヴィルヘルム!!)

 

 

 内なる声が答えない。この宿敵を前にすれば燃え上がる筈の、吸血鬼の闘志が感じられない。

 居ない訳ではない。居ない筈はない。なのに存在が感じられないのだ。一体何処に居るのか分からぬ程に、ヴィルヘルム・エーレンブルグが弱っている。

 

 一体何故なのか。この空の下で、存在すら出来ぬ程に何故弱っているのか。

 疑問に抱いて、そして気付く。答えは簡単だ。解答なんて一つだけ、彼は疾うの昔に弱っていた。

 

 敵の攻撃を前にして、ヴィルヘルムが一方的に敗れる筈なんてないのだ。彼は生存に特化した者。それが反骨の意志を宿して、燃え上がれば如何な太極とて一方的には潰せない。

 故にその解答に至る。燃え上がる余力も残さぬ程に、元から追い詰められていたのだ。この身洋受苦処地獄に飲まれるよりも遥かに前に、ヴィルヘルム・エーレンブルグは外界に出れない程に消耗していた訳である。

 

 それこそがヴェロッサが気付いた勝てない理由で、月村すずかが間違えていた前提条件。此処にやって来た両面鬼すら、見誤っていた真実だった。

 

 

(一体何時から、貴方は……)

 

 

 胸の奥。己の意志で埋没すれば、微かに感じる小さな波動。

 辛うじて消えてはいないが、最早表に出る事など出来ぬ程に、あの男は弱っている。

 

 一体何時からだろうかと、砲撃の雨から逃れながらに思考する。 

 最後にその声を聞いたのは忘れもしない。夢の世界で、絶望の廃神と相対した時である。

 

 それ以降は、声を聞いた事すらなかった。それでも己の容姿が魔に近付いていたが故に、まだ健在なのだろうと思考していた。

 それこそが誤解だ。彼女が魔に近付いていたのは、内なる白貌を取り込んでいたからに他ならない。ヴィルヘルムはすずかに貸した力を、取り戻せては居なかったのだ。

 

 だから夜を使う度に、彼はすずかの内面へと溶けていった。吸収に抗える程に力が残っていなかったから、今はもう掠れて消えそうな程に弱っている。

 彼が弱ったその分だけ、月村すずかは確かに強くなっている。嘗ての彼に近い形で、すずか自身が強くはなっている。だがそれでも、両面の地獄に対抗出来る程ではない。

 

 精神の在り様の違いだ。魂に焼き付く形で力自体は取り込めても、その精神性が違っている。

 何が何でも生きるのだと、そんな意志を持っていた白貌の吸血鬼。彼の意志と比べて、月村すずかは脆弱に過ぎるのだ。

 

 故にこそ、それを理解した両面宿儺は、詰まらなそうに呟いた。

 

 

「なるほどねぇ。持たなかった、のか」

 

 

 口にして、それも当然だろうと納得する。あの全てが終わった日から、一体どれ程の年月が経ったのか。それを思えば当然だった。

 この世界が流れ出すまで、天狗の法下で糞尿に塗れ続けていた。この世界が流れ出してから数十億年、気が遠くなる程の時間があったのだ。

 

 夜刀に守られた夜都賀波岐でさえ、今にも自壊しそうな者らが居る有り様だ。

 紅葉や母禮当たりはもう持たない。この今に自壊してもおかしくないと、天魔・宿儺は判断している。それ程に、流れる時間は長かったのだ。

 

 世界が二度も変わった時間。超越者の守護すらない吸血鬼が、あれ程に力を使えば衰えるのは必定だ。

 使った力を回収できずに、湯水の様に次代に与え続けていれば、消耗するのも当然だろう。何れ消えると、本人も分かっていた筈なのだ。

 

 

「まあ、無理はねぇ。俺らみたいな加護もなしに、お前らがそう長く持たないのは妥当だろうよ」

 

 

 月村すずかが強くなっていたのは、カズィクル・ベイとの同調が上がっていた訳ではなかったのだ。

 あの日に使用した力が、すずかの魂に馴染んで取り込まれた。だからあの日から先に、彼女が使用していたのは白貌の影響を受けて変質した己の力。

 

 引き出していたと勘違いしていて、あの日を境にヴィルヘルムはもう沈黙していた。

 だから事此処に至って、都合良く彼が復活するなどあり得ない。彼に力を供給する者などは何処にも居らず、ならば消え去るのが必定だろう。

 

 天魔・宿儺が求めた敵は、もう何処にも居ない。

 前の世界からの因縁の相手も、この世界で見付けた敵手も、両面鬼の前には立てないのだ。

 

 

「だが、まぁ。分かっても白けるわ」

 

 

 それを理屈で理解して、それでも感情が白けてしまう。期待していたからこそ、梯子を外されて呆れてしまった。

 そして同時に、怒りさえも抱いている。それは白夜の北極圏。同調した記憶の中に埋もれた何時かの言葉を、何故だか印象深く覚えていたが為であろう。

 

 

「生きるんじゃなかったのかよ。残り続けるんじゃなかったのか? 黄金の獣が居なくなっても、宇宙が壊れても、生き続けるんじゃなかったのかよ。馬鹿野郎が」

 

 

 光の中で、天使になりたい。そう望んだ女に持って行かれた半分を、あの世界で取り戻したのではなかったのか。

 だと言うのにこの無様。どうしてそれを許容できるか。冷めた目で見下す両面悪鬼は、目の前に居る月村すずかなど見ていない。

 

 

「これだと、あの姉さんも怪しいかね。お前らの魂に力は焼き付いているが、焼き付けた分だけ魂は衰え消滅し掛けって訳か」

 

 

 そして遠く、同胞が戦う女を目に映す。生存性に特化したヴィルヘルムでこの有り様なら、ザミエル・ツェンタウアは更に不味い状態だろう。

 次代の魂に力は引き継げている。その点で言うならば、彼らは既に役割を果たした。その末路を称えて見送る事はしても、死人に鞭を揮うべきではない。

 

 そうと分かって、それでも思う。残念だと、そう感じる情を拭えない。

 天魔・宿儺は嘗ての同士が消えていく現状をどうしようもなく嘆いていて、この今など見るに値しないと言外に断じていた。

 

 

「……ヴィルヘルムはもう、戦えない。表に出られない程に衰えて――だとしてもっ!」

 

 

 カズィクル・ベイが居ないならば取るに足りぬ。そう見限られて、月村すずかは意志を示す。

 力は確かに引き継いでいる。この自壊法に対抗できる程に発揮できずとも、それでも力を引き継いだのだ。

 

 ならば己が為さねばならぬ。彼が決着を付けられぬと言うなら尚の事、己以外に誰が出来ると言うのであろうか。

 

 

「だったら、私がっ!!」

 

 

 出来ないと言う理屈は通じない。溶けて消えたと言う事は、溶けた分だけ自分が膨れ上がったと言う事。

 嘗てのヴィルヘルムは、この空の下でも限定的な異能を使えた。その実力に追い付いていると言うならば、同じ事が出来ずに居られるか。

 

 月村すずかは意地を見せる。己の内に闘志を燃やして、暗き夜は開かれようと――

 

 

「テメェじゃ無理だ」

 

 

 しかし発動などは許さない。唯の意地など通しはしない。黄色の宙が、夜の帳を自壊させる。

 幾何学模様の世界が吸血鬼の法を発動前に無効化し、そして両面の鬼は気怠い所作で銃弾を放った。

 

 

「っ!?」

 

「まだテメェ自身を受け入れてねぇ、そんな尻が青いガキには負けねぇよ。相手にならねぇ。遊びにならんさ」

 

 

 大砲の様な号砲に撃ち抜かれて、月村すずかは後方へと吹き飛ばされる。

 意地でも展開するのだと、一念に縛られていたが故に躱せない。すずかは痛みを感じる事も出来ずに、腹部に衝撃を受けていた。

 

 それは最早、穴と呼ぶのも相応しくはないだろう。女の腹に亀裂が走る。

 巨大な亀裂を基点に、女は身体を二つに引き裂かれる。上下に分かたれたその身体は、仰向けのまま崩れ落ちる様に地面に倒れた。

 

 崩れ落ちた女の身体は、夜の一族の再生力すら発現できない。

 血の海に浸かる髪が散らばり、赤く濡れた女は霞む視界で敵を見上げる事しか出来なかった。

 

 見下ろす男は詰まらなそうに、倒れた女に理由を告げる。例え実力が追い付こうとも、彼女では勝てない絶対の理由を。

 

 

「俺の敵と見られてぇなら、先ずは垂れ流してるテメェの血を認めてから来い。それすら出来てねぇから、お前じゃそそらねぇんだよ」

 

 

 強度が違う。意志の強さが違っている。格の違い以上の開きがあって、だから再生などは許さない。

 少なくとも己の生まれを否定している限り、そんな自己否定の力などに負けはしない。負けられはしないのだ。そんな弱さには。

 

 彼が求めた次代に、その弱さでは辿り着けない。両面の鬼が望んだ策謀。其処に至るにそれでは、強度が全く足りぬのだ。

 故に、此処で加減などは要らない。する必要なんてありはしない。事此処に至って尚、加減しなければ生きて居られぬ戦士などは不要なのだ。

 

 

「興ざめだよ。じゃあな。お嬢ちゃん」

 

 

 崩れ落ちたすずかに向けて、両面宿儺は無造作に銃口を向ける。

 指で触れた引き金を、引かぬ理由は何処にもない。無造作に軽い引き金を引いて、轟音と共に弾丸が飛んだ。

 

 

 

 

 

3.

 冷たい夜風は嵐の如くに、腐臭を吹き飛ばしながらに荒れ狂う。戦技はどちらも共に絶大。片や積み重ねた経験が故に神域に迫る程の純粋な武芸を揮い、片や人が抱いた恐怖そのものと言うかの如く魔性の動きを此処に見せる。

 技巧が同等ならば、結果を示すのは力の差だ。地力の差で押し負けた悪路王は膝を付き、膝が崩れて泳いだ上体へと打ち込まれるのは焔を纏った漆黒の拳。時の鎧すらも貫いて、天魔・悪路はその身を大きく吹き飛ばされる。

 

 大きく飛ばされた大天魔は如何にか追撃を避けようと、そんな動きを反天使は見逃さない。

 空中で如何にか身体を捻って、態勢を整える天魔・悪路。前を向いた彼はその眼前に、ナハト=ベリアルの嘲笑(エミ)を見た。

 

 

「っ!?」

 

「くはっ!」

 

 

 亀裂が走った様に嗤う悪魔の手が伸びる。燃え上る炎に焙られながらに、苦悶の声を如何にか飲み込む。

 痛みに耐える悪路を見下ろして、未だ死なぬのかとナハトは嗤いながらに短く握ったストラーダを深々と突き刺した。

 

 

「アッシャー・イェツラー・ブリアー・アティルト――開けジュデッカッ!!」

 

 

 そして、燃やす。数千メートルにも及ぶ炎の支柱が燃え上がり、悪路王の全身を隈なく燃やし尽くす。

 常人ならば、いいや神格であっても数百、数千回は死ねる腐炎の壁。内側より燃やされながら、それでも天魔・悪路は耐え切った。

 

 

「っ!!」

 

「ほう」

 

 

 そして己に突き刺さった槍の穂先を、己の身体ごとに切り捨てる。己が意志で臓腑を抉りながらに、半身を捨てると自由になった。

 力比べをしては勝てぬと知っているからこそ、己の身を削る事を選んだのだ。そうして腹に出来た傷を塞ぎながらに、両手に構えた大剣を振るう。

 

 血反吐を堪えて振り下ろされた大剣を、ナハトは難なくと片手で受け切る。

 視線が混じり合う。嘲笑う悪魔と苦痛に耐える天魔。どちらが優位にあるかなど、最早論じるまでもない。

 

 

「随分と耐える。中々持つじゃないか」

 

 

 少しずつ塞がる傷口。未だ開いた病巣から中身を零しながらに、それでも攻勢を続ける天魔・悪路。

 その全霊の一撃を片手に握った槍の穂先で受け切って、ナハト=ベリアルは暗く嗤う。生きているのが意外だと、それは偽らざる本心だ。

 

 手を抜いた心算はない。嗤いながら語るこの今も、僅かにでも緩めば殺してしまおうと思っている。

 それが出来るだけの性能差。圧倒的な違いがある。それだけの格の差があり、それでも悪路が生きているのは彼の資質だ。

 

 耐性の有無、だけではない。生きる事。戦う事。その経験が、彼を生かしている。

 絶殺の領域を踏破して、首の皮一枚で繋いで居るのは天魔・悪路の実力故の結果なのだ。

 

 

「故に解せない。お前ならば分かっているだろうに、愚策を何時まで続けている?」

 

 

 だからこそ、分からない事がある。理解が出来ないのだ。こうも実力が高い者が、何故にこんな初歩的なミスを続けるのか。

 

 問い掛けながらも、ナハトは踏み込む足に力を入れる。鍔迫り合いはそれだけで、ナハトが一転優位となる。

 攻勢を仕掛けた筈なのに、気が付けば守勢に回るしかない状況へと。そんな形で追い詰められながら、天魔・悪路は小さく言葉を口にした。

 

 

「……何のことだ」

 

「何故太極を閉じないのか、と言う事さ。俺に力を与えていると分かって、無駄をしているとは思わんかね?」

 

 

 じりじりと踏み込んだ足へ体重を移しながらに、追い詰める悪魔は嗤いながら問い掛ける。

 解せないと、そう口にしたのは一つの事実。この太極がナハト=ベリアルを活性化させると理解しながら、どうして展開し続けるかと言う当然の疑問だ。

 

 太極がある限り、ナハト=ベリアルは回復を続ける。借りに万が一如何にか手傷を負わせても、その直後には完全回復してしまう。

 逆にこの太極を閉じたならば、高確率でエリオの意志が復活する。内側からと外側からと、両面から攻められればさしものナハトも多少は手間を取るだろう。

 

 そんな事、少し考えれば誰にも分かる。当然、天魔・悪路も分かっているだろう。

 故に何故そうはしないのだと、ナハトは疑念に思いながら問い掛ける。問い掛けながらも、どうでも良いかと頓着しない。

 

 腕に力を入れる。足に体重を掛ける。じりじりと、少しずつ確実に追い詰めていく。

 答えるならば良し。答えなくても良し。答える前に死んだとして、それはそれでどうでも良い。全てどうでも良いのだ。意味がない。頓着する価値もない。無価値でしかないのだから。

 

 

「……思わないな。太極(コレ)は必要だ」

 

「ほう。その心、聞いてみたいな。興味がある。囀ってみせろよ。大天魔」

 

 

 既に片膝を地に着く程に、残る片足も足首の半ばまで地にめり込む程に、全身で大剣を支えながらに悪路は口にする。

 言葉では興味があると嘯きながらに、どうでも良いと冷めた表情で嗤うナハト。その誰でもない悪魔の笑みを見上げながらに、櫻井戒は己の理屈を口にした。

 

 

「大した事じゃない。唯単純に、太極を閉じれば自由になる奴が居ると言うだけの理由だ」

 

 

 太極を開いた方が、閉じた状態よりも都合が良い。そう語る天魔・悪路。

 彼の理屈は唯一つだ。それを何よりも分かり易い程に、何よりも分かり易い形で、此処に言葉として断言する。

 

 

「トーマ・ナカジマ。エリオ・モンディアル。この二人が今動けないのは、僕の太極が開いているからだ。逆説、これを閉じれば、彼らが動く」

 

「……詰まりは、なんだ。お前はこう言っていると言うのか?」

 

 

 悪路の太極。全てを腐らせる叫喚地獄。これは足手纏いを巻き込む形で、トーマ・ナカジマを行動不能にしている。

 腐敗の呪風。あらゆる万象を腐らせる地獄。それを使ってナハト=ベリアルを活性化させる事で、エリオ・モンディアルを封じ込めているのだ。

 

 それが、この太極を開き続けている意味。それが、ナハト=ベリアルを表に出した理由。詰まりはそう。天魔・悪路はこう言っているのだ。

 

 

「トーマ・ナカジマとエリオ・モンディアルよりも……この俺(ナハト)の方が御しやすい、と?」

 

「事実。僕はそう言っているんだ。誰でもない悪魔」

 

 

 舐めているのではない。侮っている訳ではない。揺るがぬ事実として、天魔・悪路はそう断じている。

 彼らの対立。終焉の後の日より、彼らは全てを見続けていた。観察した日々の中で、確かにその輝きの階を感じていた。

 

 トーマとエリオ。二人を同時に敵に回せば、ナハトを相手にするよりも危険だと感じている。だからこそ、彼はこの選択を選んだ。その事実に、後悔する事なんてない。

 

 

「意志を見た。輝きを見た。これが真実ならば、屑でしかない僕などでは届かない。そう思ってしまう、輝きの断片を見た」

 

 

 櫻井戒は唯の屑だ。全身腐っていて、今尚腐臭は取れやしない。そんな事、誰より己が一番分かっている。

 だからきっと彼は勝てない。あの対立する二人の魂に見た輝きが、真実誰よりも尊いそれだと言うならば、櫻井戒では二人を同時に敵に回せば必ず負ける。一瞬、心の底からそう思ってしまったのだ。

 

 

「未だ信じられない。きっと見間違いに違いない。唯の偽物で、吹いて飛ばせば消える物。そうは思うけれど、もしも本当だったなら――きっと、この屑でしかない我が身は敗れる」

 

 

 信じられない。信じたくはない。この世界の民を信じて、その度に裏切られ続けたからこそ確かに思う。

 今になってその階が、変わるかも知れない輝きが、視えたなどと信じたくない。信じる訳にはいかないのだ。

 

 それでも、もしかしたら、そう思う感情を消し切れないのは――

 

 

「それは喜ばしい事だけど、今は未だ消える訳にはいかない。我らの永遠は、まだ終わらせられない。引き継ぐべき次がなければ、終わらせる訳にはいかない。……だから、太極(コレ)を閉じる訳にはいかないんだ」

 

 

 櫻井戒はそれを己の弱さと恥じている。恥じていながらも、心の何処かでそうあって欲しいと願っている。

 終わらない。終わらせない。そう心に誓って、必ず果たすと決めた。その意志すら破られると言うならば、それはきっと屑では勝てぬ輝きがあるから。

 

 ぶつかり合う両者の対立に、その断片を見たのだ。今は未だ小さくとも、何時かそうなるかもしれない魂の発露を垣間見たのだ。

 今は未だ未熟だ。偽りや見間違いであって欲しいと思っている。それでも、それがこの感覚が本物ならば、彼らは本当の意味で輝く者に成れるかもしれない。そんな資質が確かにあると想えたのだ。

 

 

「輝く者は、恐ろしい。時に絶望すらも乗り越える程に――屑でしかない僕の目には眩し過ぎる」

 

 

 理屈ではない。それでも、確かに言える事がある。

 魂が輝く者は強いのだ。心に芯がある者は絶対に強いと断言出来るのだ。

 

 それは絶望の只中ですら希望を信じ続けて、何時か本物の希望を齎してしまう様な者。

 そうなるかもしれない資質を持った人間を、二人も同時に相手にする事は余りに怖い。二人が同じ方向を見れば、不可能だって可能にしよう。そんな風にも、思ってしまった。

 

 

「だが、お前は強いだけだ。我を想う我すらないから、塵屑以下の無価値でしかない。そんな誰でもない悪魔には、負けはしないさ負けられない」

 

 

 対して、ナハト=ベリアルはどうだ。確かにコイツは強大だ。夜都賀波岐ですら、子供扱い出来るだろう。

 だがそれだけなのだ。強いだけで、恐ろしいとは思えないのだ。夜風の冷たさも、恐怖を刺激し努力を嘲弄する言動すらも、全てが薄っぺらい作り物。

 

 これは木偶だ。強いだけの木偶である。ならばどうして、恐ろしいなどと感じよう。

 全身を使って漸く受け切れる。それ程の威を受けながらに、天魔・悪路はそう断じる。強い意志を持って、彼は手にした剣を握る。

 

 

「断言しよう。木偶の剣など届かせない。届かせる訳にはいかないんだ。背負う物があるから、負けられない。その想いすらないお前に、木偶と言う無価値なお前などに、櫻井戒は倒せない」

 

 

 櫻井戒には、背負う者がある。それはトーマ・ナカジマも、エリオ・モンディアルだって持っている。だが、ナハト=ベリアルには何もない。

 無価値の悪魔は異名の如くに、空っぽなのだ。誰もが願って、そう在って欲しいと、だからそう在る。誰もが祈って、そう在って欲しいと、だからそう在る。そんな空っぽでしかない。だから、そんなモノに負ける訳にはいかない。

 

 崩れた膝に力を入れて、意志の力で立ち上がる。沈む足を前に進めて、見下す悪魔を押し返す。

 数字を見れば、勝てる訳などない。異能で考えれば、相手になる筈もない。意志の差を思えばそう――櫻井戒が、苦戦する筈がないのだ。

 

 

「それが僕の、櫻井戒の魂だ。お前には無い、かくある自分の総てだよ」

 

 

 踏み込む一撃に全霊の意志を込めて、これで倒れても構わないとばかりに刃を振り抜く。

 全身に激しい虚脱と、傷が開いた痛みに意識を薄れさせながら――それでも櫻井戒の大剣は、ナハト=ベリアルを押し切った。

 

 

 

 振り抜かれた大剣が空を切る。押し切られた悪魔は後方へと跳躍し、無傷で大地に着地した。

 押し返した櫻井戒は満身創痍。既に何時倒れてもおかしくない程に、対してナハト=ベリアルは無傷のままに立って嗤う。

 

 

「フフ、フフフ、ハハハ……どいつもこいつも、嗤わせてくれるな」

 

 

 二度目だ。眼中にないと、比較されてあちらに劣ると、この世界の最強種である彼に不適切なその罵倒。ナハト=ベリアルは怒りに震える。

 確かに認めよう。ナハトは夢だ。夜と言う現象に対して、悪魔と言う概念に対して、人が抱いたイメージの具現。それを体現しているだけの存在で、だがそれでも強いのだ。

 

 

「自分がない。だからどうした? 負けられない。そんな意志一つで、一体何が出来ると言う? 此処に今、お前は無様を晒している。その事実は変わらない」

 

 

 我思う、故に我在り。デカルトの思想一つで覆せる程に、ナハト=ベリアルは弱くない。

 自己がない。それでも強い。負けられない。そんな意志など力だけで踏み躙れる。意志だけで弱者が強者に勝てると言うなら――それこそ、この世界は生まれてすらいない。

 

 意志の強さ。誇りの在り様。魂の輝き。そんな物を、糞と断じて踏み潰した邪神が居る。絶対の力と言うのは、そういう物だ。

 彼の邪神には届かずとも、ナハトも同じくそう言う精神論が通じぬ怪物。繋がっているエリオならば兎も角、負けないと言う意志一つで外の存在が勝てる様なモノではない。

 

 

「精々吠えろ。被虐趣味(マゾヒスト)。塵屑でしかない貴様が、焼却されて無価値となる事実は変わらない」

 

「――っ!」

 

 

 全霊を以って、押し切られた。成程良いだろう。ならばもう一度潰すまで。

 意志の違いが力になる。ならば良かろう。その高まった力の全てを、無価値と見下し此処に駆逐しよう。

 

 轟と冷たい夜風を伴って、ナハトは大きく跳躍する。

 闇の翼を羽搏かせ、空から責め立てる姿はまるで猛禽類。

 

 天魔・悪路も必死に抗うが、それでもその身は鳥に狙われた毛虫と然程変わりはしない。

 

 

「お前が塵なら、俺は差し詰め焼却炉さ」

 

 

 詰まりは何も出来ていない。全霊を以ってして、押し切り返すが精々。それが天魔・悪路の限界だ。

 対してナハトは、一撃離脱の戦法を此処に取る。頭上からの急襲と離脱。その繰り返しを一度押し返したとして、一体それが何時まで持つか。

 

 潰れるまで、繰り返せば良い。対処能力を超えた時、ナハトの勝利が確定する。それが、力の差と言う物だ。

 

 

「掃除をした時、塵屑は集めるものだろう。集めた塵屑は、纏めて焼却炉だ。人間の営みって奴は、そういう物なんだろう? だったらそれに乗っ取って、無価値にしてやるよ。被虐趣味(マゾヒスト)

 

 

 赤い瞳が闇夜に踊る。腐った呪風の只中を、切り裂くように夜風が吹き抜ける。

 少しずつ、少しずつ、だが確実に切り刻まれて落ちていく。これ以上には腐らずとも、これ以上は身体が持たない。

 

 戦力が決定的に違っているから、悪路はこれで耐えた物。彼でなくば、これ程には持たなかったであろう。

 他の夜都賀波岐も変わらない。例外は相打ちと言う勝機がある大獄だけで、それ以外の偽神達では此れより以前に死んでいた。

 

 だからこそ、彼は確かに己の意志を示したのだ。櫻井戒と言う()()は、確かに己の限界を超えていた。

 それでも、足りなかったと言う話。意志の力だけでは埋められない程に、力に差が開いていたと言うだけだ。だから、これは何も不思議な事ではない。

 

 

「終わりだ」

 

 

 天魔が崩れる。悪魔が嗤う。勝敗は此処に、確かに決した。

 大剣を支えに、倒れないだけの大天魔。未だ傷と言う程の傷も受けてはいない、嗤い狂う無価値の悪魔。最早、結果は揺るがない。

 

 

「じゃあな。詰まらなかったぞ。櫻井戒。……直ぐにお前の大事な者も穢してやるから、全てを悔やみ後悔しながら――唯、死ね」

 

 

 槍を片手に、軽く握って前に突き出す。そんな単純な動作が異常な程に素早くて、疲弊し切った悪路は反応すらも出来ていない。

 突き刺さる。槍の穂先が鎧に当たって、更に奥へ奥へと突き刺さる。失わせはしない。奪わせはしないと、急に強くなった抵抗。涙を流す赤き髪の残影。それすらも、今のナハトを阻むには足りない。

 

 此処で、天魔・悪路は倒れて敗れる。ナハト=ベリアルは倒せずに、次は他の天魔が堕ちる。

 そして最後、大獄を道連れにしてナハトは無価値となるだろう。この世の全てを異名の如く、悉くを無価値に変えて――

 

 

「な、に……」

 

 

 驚愕は悪魔の口から、勝利の瞬間を前にして、ナハトの腕が震えている。

 腕だけではない。足が、指が、頭が、心が、魂が――全てがぐちゃぐちゃに、引き裂かれる様に揺れている。その形骸を保てぬ程に、ナハト=ベリアルが崩れ始めた。

 

 

「馬鹿な。これは、俺が、崩れて、一体何故、何を――」

 

 

 一つ、一つと覚める夢。一つ、一つと崩れる魂。二十万と言う魂の群体が、バラバラになって散っていく。

 目の前の天魔が何かをしたのか。一瞬疑問に思うが、直ぐにそれを否定する。荒い息を整えながら、まだ立ち上がる事すら出来ていない天魔・悪路。男に何かが出来る筈がない。

 

 ならばそう、理由は違う。別の場所にあるのだ。

 そうと理解した瞬間に、その理由に辿り着く。答えは一つ。それしかなかった。

 

 

「一体、何をやっているっ!? アスタロォォォォォォォォスッ!!」

 

 

 奈落の揺り籠が落ちたのだ。守護者であったヴィヴィオ=アスタロスが負けたのだ。それしか理由はあり得ない。

 

 

「相変わらず、遅いぞ。マレウス。……だが、助かった」

 

 

 ゆっくりと起き上がる天魔・悪路。満身創痍の身体を剣で支えて、肩で息をしているその姿。

 余りにも傷だらけで、今にも倒れそうな程。そんな身体で一歩を踏み出す大天魔に、意識を向ける余裕すらもナハトは持っていなかった。

 

 崩れていくのだ。人が夢から覚めていく。墜ちたのは、聖王の揺り籠だけではない。

 同化していたその中枢。反天使を支える奈落そのものが壊されたのだ。故に誰かが見た夢でしかないナハトは、その存在を保てない。

 

 誰でもない悪魔は、結局誰にもなれなかったから、誰でもないままに終わるのだ。

 

 

「貴様、俺が、俺は、頂点、だぞ。それが、最強種が、こんな、ことで――」

 

 

 形骸が壊れ、魂が崩れ、ナハトの存在が消えていく。それは悪魔を命綱とするエリオも同じく、解ける様に彼らは壊れていく。

 膝から崩れ落ちて、砕けていく己を如何にか留めようと頭を掻き毟る悪魔の王。その眼前に立つ天魔・悪路は、ゆっくりと折れた大剣を振り上げた。

 

 

「さらばだ。無価値の悪魔」

 

 

 そして、振り上げた剣を振り下ろす。絶殺とは程遠い一撃を、躱す余力など今のナハトにありはしない。

 故に振り下ろした刃は止まらずに、少年の身体から血が噴き出す。天魔・悪路の一撃。その一押しが、最期の決め手となった。

 

 

「かくある己も分からぬままに、屑にもならずに消えていけ」

 

 

 少年の身体が大地に沈む。中身の無くなった肉塊が、叫喚地獄の中に倒れたのだった。

 

 

 

 かくして、事態は次なる展開へと進む。夢界の崩壊と共に最強の反天使は敗れ、状況は整理されていく。それでも……失楽園の日は、まだ終わらない。

 

 

 

 

 




奈落崩壊。ナハト消滅。エリオ巻き添え。
動揺するトーマを前に一息休憩入れた後、満身創痍の屑兄さんが攻撃を開始します。




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第二十五話 失楽園の日 其之漆

戦犯アリサ。爆誕。


1.

 夢を見る。羊水の中で微睡む様に、高町なのはは夢を見た。

 

 

 

 一人の女が居た。高貴なる家柄に生まれた彼女は、まるで騎士を体現した様に誇り高い精神性を持つ女であった。

 幼き頃より剣を片手に鍛錬に励み、高潔な義務を負う事を良しとする。民を守る軍人たれ。騎士の家系に相応しくあれ。そうある様に自助努力する事こそが、女の誇りであったのだ。

 

 戦友が戦場で道を見失わないよう、道を照らす光になりたい。女が抱いた願いはそれだ。

 そんな彼女は、一人の先達に憧れた。女だてらに戦場で、英雄と呼ばれた女に焦がれた。或いはそれが、彼女が道を踏み外してしまった理由であろう。

 

 エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ。師である先達と共に、女は獣に出会ってしまった。

 一目見て理解する。その黄金の獣に、女は唯只管に恐怖した。だが彼女の師である英雄は、その黄金の輝きに魅せられてしまっていたのだ。

 

 師は忠義と、忠誠と語るその想い。それを恋と理解しながら、アレは駄目だと恐怖する。だが口で何と言おうとも、己の言葉で師は揺れてはくれない。

 故に同じ魔道に堕ちた。黄金の下に頭を垂れて、何時か師の目を覚まさせてやるのだと決意した。そんな彼女の選択は、きっと過ちだったのだろう。

 

 軍人でありながら、民間人を手に掛ける。それに疑問すら抱かぬ程に堕ちてしまった師の姿に、女は心の底から絶望した。

 己の意志を封じ込めて父母を手に掛けながらに、命じた黄金の獣を何時か打倒するのだと心に決めた。今は勝てぬと、何時か勝つのだと、女は一人決意を定めた。

 

 どれ程に手を汚しても、どれ程に汚泥に塗れても、その尊い在り様は変わらない。

 心を殺しながらに、それでも決して誇りだけは捨てずに居た。我は騎士の家系であると、そう在らんとしていたのだ。

 

 そんな彼女は、雌伏の時の中で一人の男と出会う。師が招聘し、槍を打たせた刀鍛冶。その末裔たる男に出会った。

 生きたままに腐っていくと、そんな呪いを受けた男。彼が守りたいと願っていた、小さく可愛らしい少女。そんな二人と共に過ごして、何時しか情を結んでいた。

 

 気が付けば愛していた男。愛していると語れなかった、何時か腐って死ぬ男。彼を救おうと、理由が増えた。

 師を救おう。愛する男を救い出そう。その為に主たる黄金を、この騎士の剣にて討ち果たそう。心に誓って動いた女は、しかしその情すらも道具とされた。

 

 裏切りの意志を示した彼女に、差し向けられた追手は愛した男。彼を殺す事が出来ない女騎士は、男の手に掛かってその命を終えた。

 

 

 

 一人の少女が居た。生きたままに腐ると、そんな家に生まれながらに呪いを知らぬ少女が居た。

 彼女が過ごした幼き記憶。それは平凡で、きっと何処にでもある幸福。優しい兄とその恋人に手を引かれて、笑って過ごした優しい日々。

 

 だが、その日々は何時の間にか消え去った。何の前触れもなく、唐突に全てが終わってしまった。

 残されたのは女の躯と、嘗て兄であったモノ。あの優しい日々はもう戻らない。そう理解したその時に、少女は唯々悲嘆にくれた。

 

 唯の少女であったとすれば、話はそれで終わっただろう。戻らぬ過去に涙して、癒えない傷を抱えていく。それで終わっていた筈だ。

 だが、少女は不幸な事に櫻井の家系であった。恵まれた才があったのだ。故に取り戻せるかも知れないと、そんな希望が手の届く場所に存在していた。

 

 黄金の奇跡。それが齎すは死者蘇生。鍍金の神父にそう囁かれ、少女は一つを心に決める。

 失ってしまったあの日々に、何時か帰るのだと夢に見た。その願いを叶える為に、奪われた少女は奪う側へと堕ちたのだ。

 

 間違っていると理解している。もう戻らないなんて分かっていた。それでも、この道しか歩けない。

 迷って、立ち止まって、何度も何度も後悔しながら、少女はそれでも剣を握った。何時しか女と呼ばれる年頃に至って、怒りの日の演者となった。

 

 大切な者は大切だからこそ、決して取り戻してはいけない。墓から返る者は全て、唯の死人でしかないのだと。

 そう語る男と反目しながらに、何時しか彼に惹かれていた。彼の日、騒乱の中心に在った彼と共に、女は黄金へと立ち向かう。

 

 何時だって、己の選択を後悔し続けている。それでも、今を必死に生きるしか出来ないから、そんな不器用なままでも前へと進む。そんな在り方を最期まで、貫き通した女であった。

 

 

 

 道を照らす雷の乙女。何度も消え掛けながら、それでも燃え続けた焔の少女。

 邪悪な神との戦いの中で壊れた魂を、互いに支え合う形で保ち残した。焔の女を核に同化して、生まれ落ちるは天魔・母禮。

 

 それが女達の全て。雷火の騎士が真実の姿であった。

 

 

 

 

 

2.

 時は僅か遡る。聖王の揺り籠が玉座の間にて、向かい合う赤と白。

 先ず真っ先に動いたのは、幼子らを背にする魔鏡。白きドレスの少女は色違いの双眸で、敵を見据えながらに式を紡ぎ上げた。

 

 

「因子変更――モード“エノク”より、シェムハザ実行」

 

 

 背に負う翼が輝きを強くする。純白に輝く光子の翼は、移動手段ではなく武器だ。触れればあらゆるモノを切り裂き、与えられた破壊をそのままに反射する。

 あらゆるモノを映し出しては反射する。それが鏡と言う物ならば、これは魔鏡の真髄だろう。高速で飛び回りながらに近付いてくる魔鏡アストは、並大抵の手段では撃墜は愚か迎撃する事すら難しい。

 

 遠距離攻撃など意に介さない。生半可な力では撃ち返される。シェムハザの護りを抜ける程に、過剰な火力ならば通用するか。

 いいや、それも否だ。アストを守るはシェムハザの反射だけではない。彼女の器は聖王なれば、彼の王が纏っていた聖王の鎧すらも起動している。

 あらゆる攻撃を軽減する最高位の防御魔法に守られているのだ。シェムハザの護りと鎧が両立している以上、例え神格級の攻撃であっても、飛び道具では真面な被害も与えられない。

 

 ならばどうするか。此処で手の打ち様が無くなると言うのが、並の魔導師。だが沼地の魔女は並ではない。

 彼女は八柱の大天魔。手札の量と用意周到な悪辣さでは、同胞達にも並ぶ者はいない程。故にその聡明な頭脳を以って、即座に対処を定めて動く。

 

 シェムハザと聖王の鎧。纏めて抜こうと言うから、多大な労力を必要とするのだ。ならば対処は簡単。光子の翼が反射出来ない接近攻撃。或いは影を利用した、間接的攻撃で対処は可能。聖王の鎧だけならば、貫き通すは然程難しい事ではない。

 

 波立てる影の海。荒れ狂う波濤は影の主の示すが儘に、空を舞う幼子へと牙を伸ばす。

 巨大な津波はまるで、無数の手を思わせる。堕ちろ堕ちろ堕ちろと語る。影に飲まれた命の手。群がるそれに進路を防がれ、至る結果は詰将棋。

 

 一手。一手と手筋が塞がれて行く。進む道が消えていき、少しずつ袋小路の内側へと。

 このまま進めば詰まされる。そう理解する事は簡単で、そう理解出来た魔鏡が何もしない筈もない。

 

 

「ATEH MALKUTH VE-GEBURAH VE-GEDULAH LE-OLAM AMEN YOD HE VAU HE ADONAI EHEIEH AGLA」

 

 

 追い掛ける影から逃れながらに、全てを映し出す鏡は次なる式を紡ぐ。

 光子の翼で飛び回る幼子は此処に紡ぐ。彼女が示すは、己が父との同調により放たれる天使の力だ。

 

 

我が前にラファエル(BEFORE ME RAPHAEL)――我が後ろにガブリエル(BEHIND ME GABRIEL)――我が右手にミカエル(AT MY RIGHT HAND MICHAEL)――我が左手にウリエル(AT MY LEFT HAND URIEL)――我が前に五芒星は燃え上がり(BEFORE ME FLAMES THE PENTAGRAM)我が後ろに六芒星が輝きたり(BEHIND ME SHINES THE SIX-RAYED STAR)――」

 

 

 高速で空を旋回しながらに、圧倒的な速度で式を組み上げる。

 選択するのは唯一つ。影には限りがあるのだ。無限ではない。ならばそう。己の身を守る力を呼び込む事ではなく、襲い来る敵の魔の手を滅ぼす事で結果として身を守る透す事。

 

 

されば神意をもって此処に(ATEH MALKUTH VE-GEBURAH)主の聖印を顕現せしめん( VE-GEDULAH LE-OLAM)――アクセス、マスター!」

 

 

 短く細く儚い腕。硬さなど欠片も見えない小さな掌から、柔らかさや温かみと言う物が失われる。

 変じた姿はまるで鉤爪。鋼鉄の如き色彩に変わった両腕。その五指より姿を見せるのは、鋭い刃物を思わせる悪魔の爪だ。

 

 

「封印因子選択――モード“エノク”よりバラキエル実行――」

 

 

 そして、加速する。バラキエルの恐ろしさは、その殲滅能力にこそある。

 それは瞬きの間に、五十の命を葬り去る程。爪の殺傷能力と、それを可能とする速力強化こそがこの力の真髄である。

 

 斬。斬。斬。幼子に迫る影は一秒と満たぬ。漆黒の爪と光子の翼。二種の破壊によって蹴散らされる。

 影は次から次へと補充されるが、それでも一秒、コンマ以下の間は開く。その僅かな数瞬で詰められる程に、魔鏡アストの飛翔速度は異常であった。

 

 

「どこにも行かないで。置いていかないで。私はとても遅いから、駆け抜けるあなたに追いつけない」

 

 

 追い付けない。追い付けない。追い付かせない。そう語るかの如き速度で迫る反天使。

 追い付く事こそ願った魔女は、沼地の底で咒言を紡ぐ。全てを呪うかの様に、それでも願うかの様に、口にするのは切なる祈りだ。

 

 

「ああ、だから待って、一人にしないで。あなたと並べる未来の形を、那由多の果てまで祈っているから」

 

 

 魔女の祈り。それは歪みと言う形に歪んだ力。己の太極たる影の海と同時に、その祈りの一つを紡ぐ。

 逃げ回るならば全てを潰す。あらゆる可能性を此処に際限して、膨大な数にて敵手が全てを蹂躙しよう。

 

 

「それが限りなく無であろうとも、可能性だけは捨てたくないから」

 

 

 可能性の拡大。言葉と共に霧が生じる。魔女の姿が二重三重に重なって、霧の如くに擦れていく。他者がその姿を捉える事など出来はしない。

 そして術者の姿が増えると同時に、影の海も膨れ上がる。呼び込んだ可能性の分だけ、術者の数が増えた分だけ、単純に影の総量が数倍化を遂げていたのだ。

 

 その全てが悪意を以って、引き摺り込まんと襲い来る。

 光り輝きながらに空を飛ぶ反天使を、地の底へと沈めんと荒れ狂うのだ。

 

 

「アクセス、マスター」

 

 

 無限に増え続ける奴奈比売が、無限に増大を続ける影を操る。刻一刻と増え続ける可能性は、際限なく場を満たして押し潰すだろう。

 一瞬、背後を振り向いた後、アストは選択する。敵が可能性を操ると言うならば、己が示すべき答えは一つ。中傷者と言う己の異名の、代名詞ともなる異能であった。

 

 

「モード“ソロモン”より、アスタロス実行!」

 

 

 未来を視て、過去を改竄する。それが中傷者、アスタロスの真なる力。

 これを応用したモノこそ、第四の蛇が切り札の一つとした素粒子間時間跳躍・因果律崩壊。そしてアストが此処に示したのは、それとは違う応用だった。

 

 未来を視て、過去を確定する。過去と現代を固定して、未来と言う時間も固定する。

 全てを一本道へと改竄したのだ。短期的な並行世界全てを潰して、あらゆる可能性を廃絶した。

 

 故に結果は当然、無限の像は消え失せる。呼び込む先が無くなるのだから、引き込める可能性が消え失せるのもまた道理。

 一瞬にして消え去った影の海は、それそのままに隙となる。空白地帯が生まれるのだ。即座に対処に移ろうが、魔鏡アストの接近は止められない。

 

 

Slave Michael quanto splendidior(幸いなれ、正義の天使) quam ignes sempiterni est tua majestas(永遠の火より輝かしきは汝の威厳).」

 

 

 アストの時間干渉は、極めて限定的な力である。もう一度祈りを此処に紡いだならば、可能性を拡大化は可能であろう。

 だから魔鏡は、そんな時間など与えない。天魔が纏う時の鎧諸共に、全てを消し去れる力を選択する。選んだ式は熾天使が一つ。天軍の頂点に立つ指揮官だ。

 

 

「紅き衣を纏う者よ、ADONAI――来たれ天軍の指揮官。アクセス、マスター!」

 

 

 最大加速で近付いて、手が届く程の至近距離。此処に至ったアストが紡ぐ。其は天軍を統べる者。

 伸ばした腕の掌へと力が集って顕現する。溢れ出すのは純粋無垢なる破壊の力。膨大に過ぎるエネルギーの奔流は、あらゆる全てを崩壊へ導く。

 

 

「モード“パラダイスロスト”より、ミカエル実行」

 

 

 其れは例え大天魔でも変わらず。真面に浴びれば消し飛ぶだろう力を前に、ならば真面に受けると言う手筋はない。

 圧倒的な破壊の暴力に対し、沼地の魔女が汲み取る力は唯一つ。力の総量で及ばぬならば、力の扱う技巧でこれを打ち砕くべきである。

 

 

「私は地べたを這いずりまわる。空を見て、空だけを見て、あの高みに届きたいと、恋焦がれて病んでいく」

 

 

 魔女が選ぶは刈り取る剣。あらゆる全てを滅ぼす力に、突き付けるのは全てを切り裂く一振りの刃。

 襲い来る全てを切り裂こうと言う訳ではない。敵が強大な力の塊をそのままに振り下ろすならば、その塊を切り分けて道を拓くのだ。

 

 

「他の物は何もいらない。あれが欲しい。あれが欲しい。ああ、だけど悲しい。届かない」

 

 

 振り抜かれたのは、経津主神が剣。抜けば必ず何かを切り裂く、万象切断の歪みである。

 

 

「だから祈ろう。私という存在の全てを賭けて、あの星に届く手が欲しい」

 

 

 斬と、切り払う音が二度三度。高密度エネルギーと言う形のない物を切り裂いて、己が通れるだけの穴を生み出す。

 剣を振るった直後に向き合う。天軍の指揮者の直ぐ後ろ、接近していた反天使は驚愕し、沼地の大天魔は歪んだ笑みを浮かべていた。

 

 攻め手は譲った。次はこちらの番だ。代わる代わるに撃ち合う様に、向け合う力は共に絶大。

 昂る影を震わせて、溢れ出すは大海嘯。並行世界など呼び込まずとも全力を発揮すれば、この閉鎖空間全てを包むなど容易いのだ。

 

 

「無間ッ! 黒縄ォォォォォォッ!!」

 

 

 床から、壁から、天上から。一体何時から仕込んでいたのか、伸びていた影が全方位より襲い来る。

 逃げ場などはない。躱す事など出来やしない。それはアストだけではなく、遠く置き去りにされている少女らも同じく。

 

 捕らえて奪って貪り尽くす、そう言わんばかりに昂る影の津波。

 それを前にしてヴィヴィオ=アスタロスは、即座に対処手段を選定した。

 

 

「ATEH MALKUTH VE-GEBURAH VE-GEDULAH LE-OLAM AMEN」

 

 

 迫る黒。押し潰す壁。球体の中に閉じ込められて、それでもアストは動じない。

 

 

「汝等見張る者ども、第五天(マティ)に捕らえられし虜囚達よ、ここに魂を解放せん」

 

 

 動じる必要がない。動じている意味がない。術式展開が間に合えば突破できるし、間に合わなければ潰されるだけ。

 敵に対して覚える恐怖と言う感情を、アストは未だ知らぬのだ。故に感情に振り回される事もないかと言えば、決してそう言う訳ではない。

 

 焦りがあった。恐怖を知らない筈のアストの心に、確かな思考の焦りがあった。

 其処に違和を感じながらも、これが最善と己に言い聞かせる。そうして式を展開すると、ヴィヴィオ=アスタロスはその手を影へと向けた。

 

 

「汝は蛇にしてオリオンに吊られた男、ベネ・ハ・エロヒムにして砂漠の王なり。贖罪の日は今この時なればこそ、生贄の山羊を持ちて疾く去ぬるが宿命と知れ」

 

 

 そして術式は完成する。アストは元より、複数の術式の同時・高速展開に特化した人形。

 故に詠唱が間に合わないと言う道理はなく、間に合ったならば襲い来る影の津波などは取るに足りない物である。

 

 

「アクセス、マスター! モード“エノク”より、アザゼル実行――グリゴリの指導者たる汝に命ずる、開門せよ!」

 

 

 球状に閉じていた影の一部が消滅し、其処から大きく開けていく。

 開門の強制によって影の海は切り拓かれて、迫る脅威は此処に一度取り払われた。

 

 安堵する。心の底から安堵する。何に安堵しているかも分からずに、戸惑いながらも安堵する。

 そんなアストは空の上から、赤い魔女を睨み付ける。四つの瞳を持つ沼地の魔女は、見上げながらに小さく笑った。

 

 

「お互い、手札の多さが自慢、と言う訳ですか。……分かってはいましたが、面倒ですね」

 

 

 仕切り直しだ。睨み合って隙を探しながらに、魔鏡アストは口にする。

 零した言葉は彼女の本心。されど彼女らしくはない、挑発を含んだ言葉であった。

 

 

「ですが、数の豊富さと言う点では、私の方が上でしょう。貴女のそれは結局は、同じ物を色を変えて使っているだけ。あらゆる力を写し取る鏡を前に、数で挑めば必ず敗れる」

 

 

 先の交差で理解した。互いの力は大凡互角か、アストが半歩優位である。

 地力の差が僅かとは言え確かにあって、そして互いの能力も似通っているならば、己の勝利は揺るがない。

 

 そんな事実。態々口に出す必要などないと言うのに、こうして抱えた靄を晴らす様に口にしている。

 それこそが人形らしくないのだと気付かぬままに、ヴィヴィオ=アスタロスは胸を張って誇る様に断言した。

 

 

「断言します。そしてこれより、それを証明しましょう。夜都賀波岐。……我らが父の叡智は既に、貴女方を超えたのだと」

 

 

 此処まで迫った。此処まで至った。そして此れより、その先へと進むのだ。

 我ら反天使の勝利を以って、ジェイル・スカリエッティの叡智を証明する。神を超えたのだと、悪徳に穢れた天使を以って示すのだ。

 

 

「そうね。手札の多さって言う点じゃ、私は貴方に劣るでしょう。アンタ達の父親の頭の出来にも正直参るわ。伝え聞いた言葉だけで第三天の真似事が出来るって、一体どんだけイカレてんのよ」

 

 

 そう語るアストを前に、奴奈比売は彼女の主張を全て認めた。否定する要素が無かったのだ。

 手札の数や質で、沼地の魔女は魔鏡に劣る。ジェイル・スカリエッティと言う科学者の頭脳は、夜都賀波岐でも理解が出来ぬと匙を投げる程の物。

 

 素直に認めよう。彼らは別格だ。この今に置いて、神々の予想を超えた存在だった。だが、認めるのはそれだけだ。

 

 

「それは認めてあげる。大した物ね。だけどそれだけ、私は貴女と同じ様に、数を頼りにしている訳ではないわ」

 

 

 奴奈比売の祈りは、所詮受動だ。意図して望んだ物ではなく、偶々垂れ流していたら集まった余技に過ぎない。

 

 

「私にとって、これは余技。便利だから使っているけど、貴女みたいに全く同じ形に映している訳じゃない。地力の分だけ本物より上かもしれないけど、一つ一つの祈り自体は質が相当悪いんだって認めるわよ」

 

 

 意図して写し取っては集める、能動的なコピー能力に対しては質も量も確かに劣るだろう。

 数億年分の蓄積があって漸く、五分になっている時点でそれは明らか。だが其処に、悔しさなどは感じない。

 

 

「けれどそれで良い。それが良い。私は私の願いこそを至高と知るから、其処には明確な質の差を付けて当たり前だし、ついてなくてはいけないのよ」

 

 

 奴奈比売が真に頼りとするのは、この場に満ちた影の海。其処に混ざった無数の絵具など、子供の玩具と変わらない。

 質が低い。そうでなくてはいけない。精度が悪い。そうでなくてはいけないのだ。そういう差異があってこそ、己の至高が光り輝く。

 

 そう思うならばこそ、天魔・奴奈比売は劣る事実を良しとする。そうでなければいけないと、そう断じるのは魔女の執着が故だった。

 

 

「……主観の問題ですね。感情に満ちた言葉だ。愚かしい」

 

 

 そんな奴奈比売の執着を、下らぬ物と見下し蔑む。唾棄すべき感情であると、魔鏡アストは断言した。

 

 

「手札の数を増やしたならば、次はその質を高めるべきだ。一点だけに拘って、万能性の放棄は愚の骨頂。実に愚かしい選択です」

 

 

 常に相手の弱点を突けると言う強みも、格の差で覆されたら意味がない。

 折角手札が揃えられたのだから、その一つ一つの質を高めた方が効率的だろう。

 

 そんな誰でも分かる様な事を、己の拘り故に放棄する。

 そんな愚行が信じられない。理解が出来ないと蔑みながら、ヴィヴィオ=アスタロスは抑揚がない言葉で語った。

 

 

「そうかもね。けどね、全部が等価なんてあり得ない。それが人の情と言う物よ」

 

「だから、それが無駄だと言っている。貴女の思考は、愚か過ぎて理解が出来ない」

 

 

 感情的になるのが愚かしいと、必死に否定する姿は正しく感情的。

 そんな己の姿に気付けぬ人形に、魔女はアンナとしての笑みを浮かべる。

 

 好ましい彼女の愚かさ。それこそが、魔鏡アストの弱点だ。

 

 

「そう。……貴女は理解出来ないと言うけど、私にしてみれば、貴女は実に分かり易いわよ?」

 

 

 笑みの質が変わる。歪んで狂って、明るい少女は暗い魔女へ。にこやかな笑みは蔑む嘲笑へ。赤毛の魔女は、その柔らかな心を突いた。

 

 

「随分と饒舌。……そんなに、あの子達を狙われて頭に来た?」

 

「何を」

 

「違うなんて言わせないわ。あんなに何度も後ろを向いて、分かり易いったらありゃしない。そもそも、手札の多さが自慢なら、広域破壊の一つや二つ出さない事がおかしいのよね」

 

 

 先の対立にて、アストは真っ先に攻勢を仕掛けた。手札の多さ故に敵の弱点を突くのが得意と言うならば、後手に回った方が優位となる事が多いと言うのに、隙を作るよりも前に飛び出したのだ。

 影の海を前にした対処もまた、明確に過ぎる程に示している。例えば太陽の統率者。その威を真っ先に放っていれば、奴奈比売は一手で追い詰められていた筈だ。……たった二人の少女。その命と引き換えに。

 

 

「巻き込むのが怖かったんでしょう? 失うのが恐ろしいんでしょう? 良く分からないけど大切だから、壊れるかも知れないのが怖くて怖くて堪らないのよ」

 

「…………」

 

 

 それが出来なかったのは、感情を知らぬ筈の魔鏡が恐れていたから。怖かったのだ、失う事が。

 理解が出来ない恐怖に答えが出せず、問題を棚に上げていただけ。解決なんてしていないから、そんな弱さを隠し切れない。

 

 

「貴女は見た目通りの小さな子供。触れる物全てが怖くて怖くて、おっかなびっくり歩いている唯の小娘よ」

 

 

 ヴィヴィオ=アスタロスは子供なのだ。何も知らない小さな子供に、知識と力だけを植え付けたのが彼女なのだ。

 仮に、父に殺せと明言されていたなら別だっただろう。命令があったから、自分を守ろうとしていたクロノを切り裂いても何も思わなかった。

 

 だがこの今に、父は命令してくれない。だからどうして良いか分からない。してもしなくても良い。したくない事だけど、した方が効率的ではある。そんな二律背反を前に分からなくなる。

 経験がないのだ。答えを出せない。だからこそ戸惑う。だからこそ分からなくなる。無垢なる鏡は何も知らないから、自分では決断を下す事すら出来ない。そんな彼女はどれ程に強くとも、確かに唯の小娘でしかなかったのだ。

 

 

「……なら、そんな唯の小娘に、こんな事が出来ると言うのかっ! ――アクセス、マスターッ!!」

 

 

 そんな心の弱さを突かれて、反発する様にアストは叫ぶ。

 己は鏡で良いのだと、余計な物は不安になるから要らないのだと、叫びと共に式を紡ぐ。

 

 

Slave Raphael(幸いなれ、癒しの天使), spiritus est aura montibus(その御霊は山より立ち昇る微風にして、) orta vestis aurata sicut solis lumina(黄金色の衣は輝ける太陽の如し)

 

 

 全てを否定する様に、全てを拒絶する様に、そんな姿すら子供の駄々。

 親に甘える幼子が見せる反発心の様な見っとも無さに、天魔・奴奈比売は静かに思考する。

 

 

(このまま続けても千日手。そうなる前に、こっちが詰むわね。だから悪いけど――その弱点を突かせて貰うわ)

 

 

 如何に微笑ましいとは言え、振るわれる力は絶大だ。子供の駄々に、凶悪な力が伴うのだ。真面に受ければ鎧を貫いて、沼地の魔女を滅ぼすだろう。

 真面に戦っては撃破は難しい。勝率は五割を切っていて、仮に勝てたとしてもその頃には他の仲間が落とされている。それだけの勢力に成長しているのだと、確信を持って断言できた。

 

 故にこそ魔女は、その弱さを突く。悪辣外道な策略を以って、無垢なる子供を罠に嵌めるのだ。

 

 

「何処へも行かせない。何処にも逃がさない。何処へ行ったとしても、何処までだって追い求める」

 

「黄衣を纏いし者よ、YOD HE VAU HE――来たれエデンの守護天使!」

 

「あの高みへと至る為なら、時も、距離も、全てを乗り越えてみせる。撃ち放たれた弾丸は、必ず貴方を捕えるのだから――」

 

「モード“パラダイスロスト”より、ラファエル実行!」

 

 

 吹き付ける風の中、放たれたのは二発の魔弾。黒き石の猟犬は決して、熾天使の風を食い破れる様な物ではない。当然の様に嵐を前に反らされて、吹き付ける風は防げない。

 

 

「何処を狙っている! 私は、此処だ!」

 

 

 次元の狭間。時空の果て。此処ではない何処かへと飛ばす力に耐える天魔・奴奈比売。必死に世界に噛り付いて、行動不能となった天魔に迫るは白き反天使。

 アストは何処を狙っていたのかと罵倒しながらに、小さなその手を敵に伸ばして――

 

 

「えぇ、知っているわ。だから、貴女は最初から狙っていないの」

 

「え?」

 

 

 傷付きながらに嗤う魔女の言葉に、伸ばした手を硬直させた。

 

 

「ほら、()()()()()()が死んじゃうわよ」

 

「――っ!?」

 

 

 黒き猟犬の狙いは最初から、アストではなく二人の少女。

 熾天使の風も一撃ならば防ぎ切れると、だから影で身を守って隙を強引に生み出した。 

 

 迫る猟犬は止められない。後数瞬としない一瞬の内に、キャロとルーテシアの命を奪い去るだろう。

 

 

(今、助けに――違う。何を考えている!? 放置して良い。先ずはこの手を動かして、天魔の首を刎ねてから。だけど、それじゃ間に合わ――)

 

 

 そう理解して、アストは混乱した。助けるべきか、放置するべきか。

 天魔を落とせる。この女はもう限界で、自分の手はその首へと伸びている。だから簡単に首を刎ねる事は出来るが、それでは少女達の救助が間に合わない。

 

 己の役目を考えるならば、迷う余地すらありはしない。だと言うのに、悩んでしまうのはヴィヴィオ・バニングスが残っているから。

 その混乱故の硬直は一瞬に過ぎずとも、それでも確かに隙となる。僅か数瞬の硬直を見逃す程に、大天魔は甘くはないのだ。故にこそ、アストは絶対の勝機を取り零す。

 

 

「動きが止まっている。隙だらけよ?」

 

「くぅっ!?」

 

 

 影の津波をその身に受けて、聖王の鎧を貫かれる。幼子故の動揺を突かれて、望んだ二つを同時に取り零す。

 このままでは敗北すると、キャロもルーテシアも殺されると、何もかもを失うのだとヴィヴィオは漸くに理解した。

 

 そして、その理解は遅過ぎた。

 

 

「それじゃぁ、終わりね。――頂きまぁす」

 

 

 影が迫る。口を開けて迫るのは、巨大な竜を思わせる影の牙。

 黒き猟犬が迫る。己の危機すら理解出来ていない少女らの下に、漆黒の猟犬が迫っていく。

 

 これで終わりだ。全て終わりだ。何も出来ずに反天使は、此処に沼の底へと堕とされて――

 

 

「アクセェェェスッ! マスタァァァァァァァァッ!!」

 

 

 そんなのは御免だと、そんなのは嫌だと、幼い少女は叫んでいた。

 負けるのは嫌だ。失うのは嫌だ。怖いのは嫌だ。不安なのは嫌だ。迫る嫌な物、それを全て排除したいのだ。

 

 喉が焼けるかと思う程に強く、大きな大きな声を出す。腹の底から紡ぐ声は、何より人間らしい心に満ちた声。

 選ぶ式は唯一つ。対象を識別する広範囲攻撃。式を詠唱している時間などはないから、門を開くと無理矢理にその力を引き摺り出した。

 

 

「モード“パラダイスロスト”より、ネツィヴ・メラー発動っ!!」

 

 

 そして、浄化の光が全てを焼いた。我が敵を祓い清めんと、白き輝きが玉座の間を満たしたのだった。

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 

 穢れある者。罪深き者。大天魔とその力だけを焼く様に、振るった力は確かに効果を発揮した。

 その結果を見下ろすアストはゆっくりと地面に落ちていく。飛翔を止めたのではなく、落ちていた。

 

 其処に彼女の意志は介在していない。介在出来る程の余裕が、既に彼女の器にはなかった。

 全身が痛む。七孔から血が流れ出している。それは己が限界を超えた力を、魔鏡が括りを超えた力を無理に使った代償だった。

 

 式の詠唱とは、遥か高次の存在を己が身に降ろす為の準備である。

 熾天使以上の詠唱は省略できない。それは省略してしまえば、肉体に降ろす準備が足りなくなるからだ。

 

 現れる力は父が降ろした明けの明星。熾天使の力すら省略できる程に肉体を弄ったスカリエッティが、それでも詠唱を破棄出来ぬ力。

 それを無理矢理に引き出した。器側の準備が出来て居ないのに、魔鏡では制御出来ない程の廃神を降ろしたのだ。瀕死となるのは、その代償としては寧ろ軽い程だろう。

 

 

「けど、これで――」

 

 

 力はほぼ底を尽きた。後に使えるのは、最早小さな歪みが一つか二つくらい。

 大地にペタンと座り込んだ金髪の幼子は、血の味がする呼気を整えながら、守った者らを見る。

 

 驚愕を浮かべて、ヴィヴィオを見ている二人の少女。桃色と紫色と、そんな二人を守る様に侍る白と黒。

 清められて尚健在なその姿に、分からぬながらも良かったと小さく胸中で言葉を漏らして――その背後に、流れる血の様な赤を見た。

 

 

「――っ!?」

 

 

 魔女が嗤う。魔女が嗤う。魔女が嗤う。想定通りと嗤っている。

 空間制御。万象を掌握する力で、揺り籠から逃げていた。アストが全力を一点に注いだからこそ、妨害の手は緩んでいたのだ。

 

 だからこそ、もう止められない。嗤う魔女は手を伸ばし、気付けぬ少女らは命を落とす。

 それが絶対に揺るがぬ最期。全力を出し切ったアストではもう止められない結果を前にして、彼女は――

 

 

「ヴィヴィ、オ?」

 

 

 呟いたのは、紫色の髪をした少女だった。

 

 信じられないと、驚愕を浮かべたままに震えるキャロと、呆然と呟いたルーテシア。

 そんな彼女達に背を向ける白き天使の翼は、幼子自身の血に濡れて、鮮やかな赤に染まっていた。

 

 

「……全く、だから、感情なんて、余計なんだ」

 

 

 流れ出る血液に、血の気が減っていくのを理解する。冷静になって振り返り、実に愚かだと自嘲する。

 感情がなければ、己が勝っていた。そう断言出来る場面は何度もあって、勝機を逃し続けたのは認め難い情が故。

 

 そんな感情故に身を挺して、結果何も出来ずに敗れるのだから自嘲する事すら出来ない。

 さっさと切り捨ててしまえば良かったのに、それが出来なかった事。それこそアストの弱点で、そんな弱さがどうしようもなく情けなかった。

 

 

「私も覚えがあるけどさ。頭で冷静になってる心算でも、いざとなると身体が勝手に動いちゃうのよね。……それが多分、愛情とか、そういうの。大切だから、馬鹿になっちゃうのよね」

 

 

 天使を影で貫いた魔女は、実感が籠った声でそんな言葉を紡ぐ。

 友達だから庇ってしまって、それが敗因となった事。これはあの日に魔女が敗れた、そんな光景の焼き直し。

 

 そう思う魔女は懐かしむ様に口にして、翼を失くした反天使は大地に堕ちる。理解の出来ない、涙を流しながら。

 

 

「こんなの、知りたくなんてなかった。こんな物が無ければ、私が敗れる事なんてなかったのに」

 

 

 果たせなかった。こんな物があったから、自分は何も出来ずに終わる。

 大地に崩れたアストは涙に暮れながら、小さく詫びる様な声を漏らす。期待に答えられなかったと、御免なさいと泣いていた。

 

 

「ゴメンなさい。ドクター。…………おかあさん」

 

 

 何故に此処で、母の名を呼んだのか。それすら分からず、ヴィヴィオは此処に意識を閉ざす。

 最後に彼女が見た光景は、自分を助けようと動いた二人の友達と――巨大な顎門で迫る大きな影の姿であった。

 

 

 

 かくして、揺り籠は墜ちた。奈落は崩れ落ち、反天使達は追い詰められる側へと回るのだ。

 

 

 

 

 

3.

 揺り籠が墜ちる。空にある揺り籠が煙を吹きながら、ゆっくりと大地に墜ちていく。

 その光景を焔の海にて見上げながら、思わずアリサ・バニングスは叫び声を上げていた。

 

 

「――っ。ヴィヴィオ!?」

 

 

 娘の危機を理解して、意識がそちらに向いてしまう。

 その明らかな隙を相対する女は見逃さず、振り返ったアリサの眼前には二つの剣の姿があった。

 

 

「格上相手に余所見とは、随分と余裕だな」

 

 

 燃え盛る紅蓮の剣と、荒れ狂う雷光の剣。金髪の鎧武者は二振りの剣を振り上げて、アリサに向かって振り下ろす。

 至高の武芸と言うには足りぬが、それでも数億年の研鑽。咄嗟の反射で対応できる様な、そんな生温い剣ではない。

 

 

「その余裕――根こそぎ焼き尽してやろう!」

 

「くっ! このぉっ!!」

 

 

 振り撒く余波で全てを炎に包みながら、己に迫るその殺意。

 滅侭滅相。全てを焼き尽すのだと言う意志を前にして、アリサは後退しながら無数の銃器を形成する。

 

 鉄の塊を障害物に、後退しながら思考を切り替える。

 片手に抱えた足手纏い(メガーヌ)と、彼我の相性差を思えばこそ、思考に耽る余裕はない。

 

 娘や部下たちの事は確かに心配だが、そんな思考を抱えていては倒されるのは己となろう。

 

 

「全弾っ! 発射ぁっ!!」

 

 

 故に思考を切り替えると、形成した銃火器を操り砲火を放つ。

 大質量による連続射撃。鶴瓶撃ちにされながらも、天魔・母禮の進撃は揺るがない。

 

 所詮これは小細工だ。小手先の業でしかない余技で、大天魔を止められる筈がないのである。

 

 

「こんな、小手先で――」

 

 

 そんな事、アリサ・バニングスとて分かっている。

 故に砲火は煙を巻き上げる為だけに、噴煙の中に隠れた女はその背に巨大な陣を展開していた。

 

 

「極大火砲っ! ぶち抜けぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 膨れ上がる巨大な火の玉。戦車の主砲が火を噴いて、天魔・母禮を迎撃する。

 

 所詮は余技に過ぎない創造位階。如何に炎すら焼く女の力であっても、格の差は覆せない。

 それが道理で、ならばこれは如何なる理屈か。迎撃された天魔・母禮の炎の身体は、激痛の剣に焼かれていた。

 

 

「っ、炎を焼くか。……流石に出来る。あの人を継いだだけはあるか」

 

 

 軽い火傷程度であっても、それでも確かに焼かれていた。その事実、天魔・母禮はそう結論付ける。

 月村すずかとカズィクル・ベイの関係と同じだ。アリサ・バニングスとザミエル・ツェンタウアもまた、同じ過程を辿っていた。

 

 中に宿った魂が衰えて、その分だけ宿した次代が継いでいた。

 だからこそ、赤騎士の力を引き継いだアリサは、炎の化身である母禮を焼く事が出来たのだ。

 

 

「だが、こんなものか。その程度か。あの炎を受け継いで、その程度しか出来ないか」

 

 

 焼け爛れた手を見下ろして、しかしこんな物かと呟く。

 天魔・母禮は知っている。真に引き継いでいたならば、こんな手傷では済まなかったと。

 

 そうはならなかったのは、劣化しているからだ。

 まだ全てを受け継いではいない。引き継ぐ過程で、幾つか取り零しているのだろう。

 

 だからこそ、アリサ・バニングスは嘗ての赤騎士に届いていない。

 受け継ぎ伝えていかねばならない次代が、劣化させる事しか出来てはいないのだ。

 

 

「ならば、そんな次代に価値などない。劣化させるしか出来ないならば、その炎を抱いて死ぬが良い!」

 

 

 業火の中で、天魔・母禮はそう断ずる。数年と言う年月を費やして、この程度しか継げないならば価値がない。

 託せるものか、任せられるものか。後を託すに不足が過ぎれば、背負った荷を任すにも不安が残る。そして、何よりも――それでは己が納得しない。

 

 愛する者を奪った結果がこの程度。それで納得できる程、天魔・母禮は軽くはないのだ。

 故にこそ、大天魔は此処に断ずる。この程度ならば死ぬが良い。それがこの女の決定だった。

 

 

 

 弾ける薬莢。溢れ出す炎。紅蓮と紅蓮のぶつかり合いを、抱えられたままにメガーヌは見る。

 予想以上だ。素直にそう感じるのはアリサの奮闘。相性の最悪さ故にもっと追い詰められると思っていて、だが想像以上に奮戦している。

 

 自分と言う足手纏いを抱えたままで、これなのだ。ならばそう、勝利の可能性は確かにある。か細いが決して零ではない。

 そう判断したメガーヌは口を開こうとして、黙り込んだ。睨まれたのだ。彼女を抱える女が怒りの表情で、メガーヌ・グランガイツを睨んでいた。

 

 無言のままに示される怒り。余計な事は言うなと言う視線で女を黙らせて、アリサ・バニングスは前を見る。

 迫る炎は荒々しく、全てを焼き尽さんと燃えている。両手に剣を構えた天魔の猛攻を前にして、アリサは防戦一方だ。

 

 時折隙を突いて、攻める火砲は確かに敵に傷を与える。

 ままならない現状に対する怒りはその炎に強く表れて、燃える業火は一分一秒と巨大になっていく。

 

 或いは、このままでも勝てるかもしれない。そんな希望すら抱ける程に、強く、強く。だがそれでもアリサの表情は優れない。

 彼女は怒っている。腹を立てているのだ。それは足手纏いの女にではなく、安否不明の娘たちにではなく、未だ全てを受け継ぐのに時間を掛けている己ですらなく――天魔・母禮に怒っている。

 

 

「くそっ、どっちがっ!」

 

 

 吐き出す様に、罵声が漏れた。言うべきじゃない。そうと理解して、我慢が出来なかった。

 その天魔・母禮の無様を睨んで、アリサ・バニングスは吐き捨てる。馬鹿にするなと、吐き捨てる様に気炎を上げた。

 

 

「どっちがっ、余所見してんのよっ!!」

 

「何?」

 

 

 気炎と共に放たれる極大の炎。紅蓮の炎を僅かな手傷で迎撃して、大天魔はその目を細める。

 一体何を言い出す心算か、疑惑の籠った視線を向けられた女は断ずる。己の力。自身の未熟を認めながらに叫びを上げた。

 

 

「アンタが言う様に、この程度よ。この程度しか、出来てないわよ!」

 

 

 アリサは知っている。内に宿る赤騎士の、記憶を垣間見たから気付いている。

 自分は未だ届いていない。あの領域には至っておらず、劣化と言われて認めるしかない状態なのだと。

 

 だが、だからこそ気に入らない。その無様が、許せないのだ。

 

 

「それでも、そんな中途半端で焼かれるくらいに、アンタ自身が余所見してる。だから、こんなにも戦いになっている」

 

 

 中途半端な紅蓮の炎で、炎の化身たる天魔・母禮が焼かれる理由がそれだ。

 アリサが至っていないのに、それでも届いてしまった理由がそれだ。詰まりはそう、天魔・母禮が弱っているのだ。

 

 存在すらも保てぬ程に、天魔・母禮は壊れ掛けている。その理由は単純で、明確に断言出来る事。

 この女はまだ引き摺っているのだ。あの日の景色を悔やんでいて、その光景に余所見している。だからこそ、こんな炎に燃やされている。だからこそ、戦いになってしまっている。

 

 

「ふざけんな! 一体何時まで過去を見ている! 一体何処まで、悲劇のヒロイン気取る心算だ! この馬鹿女っ!!」

 

 

 天魔・母禮は全盛期から大きく劣化に劣化を重ねている。それが、兎に角気に入らない。

 このまま黙っていれば、勝機はあるのだと分かってしまった。それが、只管に気に喰わない。

 

 何よりも明確な証左が一つ。天魔・母禮は、紅蓮の炎しか使っていない。

 雷光の剣は確かに雷を放っているが、その身は雷速にも届いていない。それ程に壊れていたのである。

 

 だから、気に入らないのだと罵倒する。このまま時間が経過すれば勝てると分かって、だからこそアリサは怒っていた。

 

 

「私が、過去を見ているだと……未だ、縛られているだと」

 

 

 その罵倒に、炎が揺れる。母禮の猛攻は揺らいで薄れ、燃え盛る業火の世界が震えていた。

 

 

「違う。アレは必要な事だった。もう割り切れている。後悔はない。悔いはないのだと断言出来る。だから――」

 

「それが、囚われてるって言ってんのよ!!」

 

 

 まるで自分に言い聞かせる様に、敵の眼前で立ち止まって揺らぐ姿。

 其処に更なる怒りを燃やして、アリサは次々に火砲を放つ。撃ち込まれた紅蓮は天魔の身体を焼き焦がして、その光景に女は更なる怒りを燃やしていた。

 

 

「私はアンタを良く知らないわ。詳しくなんて、知りはしない。けど、視たのよ。知っているのよ。覚えているの」

 

 

 アリサ・バニングスは覚えている。あの日の炎を覚えている。

 魅了の毒に満ちた世界で、あらゆる不浄を焼き尽した地獄の業火を覚えていた。

 

 忘れるものか、あの美しさを。見惚れたのだ、あの炎に。だからこそ、そんなアリサだからこそ断言出来る。

 

 

「だから分かる。だから言える。そんな風に割り切るなんて口にする時点で、アンタは割り切ってなんかいないのよっ!」

 

 

 今の母禮の炎は見るに堪えない。あの日の火とは比べ物に成らぬ程、眼を逸らしたくなる程無様である。

 それは時の経過が理由じゃない。あの時点で億年を経過して、それでも美しく輝いていた。そんな炎が見るに耐えなくなった理由は、たった一つしか在りはしない。

 

 

「いい加減にしろ! そんな様だから、今にも消えそうな位に揺らいでいるんだって、理解しなさい馬鹿女っ!!」

 

 

 詰まりはそう、この女は殺した少女を未だ引き摺っている。

 あれから数年と経ったのに、まだ八神はやてを忘れられてはいないのだ。

 

 そんな泣き言を戦場に持ち込む。だからこそ、これ程に無様なのだ。怒髪天を突くと言う勢いで、アリサ・バニングスは猛っていた。

 

 

「……お前に、何が分かる」

 

 

 女の怒りを向けられて、言葉に出たのはそんな弱さだった。

 

 

「他に道はなかった。他に手段はなかった。それでも……あれで最善だったんだと、どうして胸を張れるのか」

 

 

 卑屈になって弱音を吐いて、強くなっても変われていない。

 櫻井螢はそんな女だ。何時だって後悔ばかりしていて、前に進むのを怖がっている。

 

 

「後悔してるさ。未練はある。認めようとも、未だ引き摺っている。一体何時まで、一体何時に振り切れるかなんて、自分でも分かるものか」

 

 

 そんな弱さ。億年経っても変わりはしない。だから向いていないと、多くの者らに笑われるのだ。

 彼女だけだ。神々の中にあって英雄失格と語られたのは、櫻井蛍一人だけ。そんな女は一度迷えば、ドツボに嵌る弱さを持つ。

 

 

「それだけ汚い事をした。それだけ最低の事をした。……それでも、必要だったんだ」

 

 

 優しい少女が居た。愛を向けて来る少女が居た。そんな彼女を騙して殺した。そんな最低な行為を良しとした。

 その事実は己の存在が揺らぐ程に、その根幹が揺るぐ程に、大きな傷として刻まれたのだ。それでも、何度振り返っても必要だったとしか口に出来ない。

 

 仮に過去に戻れたとしても、きっと何度でも同じ事をする。それが正しいと、どうしようもなく分かっているから。

 他に道があったならばと血涙を流す程に思っていて、何度も何度も後悔しながら振り返っていて、だからこそそんな弱さを突いた女に怒りを燃やした。

 

 

「それを、お前の様な部外者がっ! お前みたいな関係ない女がっ! 罵倒する筋が何処にある!!」

 

「此処に、あるわよっ!!」

 

 

 まるで火山が噴火する様な、弱音から来る怒りを以って向けられる地獄の業火。

 そんな弱さに満ちた力に負けるものかと、アリサが放った炎の弾丸は業火をあっさり飲み干し貫いた。

 

 天魔・母禮は驚愕する。真っ向から打ち合って、遂に負けた事実に驚愕した。

 それ程までに、自分は揺らいでいるのかと。それ程までに、女は至っているのかと。

 

 驚愕する母禮を前にして、アリサ・バニングスは睨み付ける。

 弱音も言い訳も知った事かと、全てを切って捨てる女は己の理由を口にした。

 

 

「私は憧れたのよ」

 

 

 それは、アリサの都合だ。それは、彼女だけの身勝手な理由だ。それでも、彼女が胸を張って誇る理由であった。

 

 

「他の誰でもない。アンタの――櫻井螢の炎に憧れたの!」

 

 

 アリサ・バニングスは憧れた。あの日に、あの炎に憧れた。

 内にある赤騎士じゃない。その記憶にある戦乙女でもなければ、黄金の獣でもない。櫻井螢にこそ憧れたのだ。

 

 だからこそ、気に入らない。故にこそ、許せない。どうして私の憧れが、こうも無様を晒すのだ。

 

 

「そんな私の憧れが、何時までもそんな無様を晒してる。そんなの――私が馬鹿みたいで癪じゃないっ!!」

 

 

 見る目がなかったと、そんな風に言われたくはない。見る目があったのだと、誇れる様に在って欲しい。

 誰にだって誇れる人で居て欲しいのだ。私の憧れた人はこんなにも凄いのだと、そんな風に胸を張って居たいのだ。

 

 

「見る目がなかった、なんて言わせない。憧れたのが間違いなんだって、認めない。だって言うのに、アンタが悲劇のヒロインやってりゃ、認めるしかないじゃないのふざけんなっ!!」

 

 

 結局、全て自分の為。その為にも気高く在れよと、アリサ・バニングスは怒っている。

 そんな女の怒りを向けられた天魔・母禮は、何処か気が抜けた様に呆然と言葉を零していた。

 

 

「……結局、自分の為か。身勝手だな」

 

「そうよ。身勝手なのよ。自分勝手で、他人に迷惑ばっかり掛けてる女なの。私はね」

 

 

 余りに自分勝手。身勝手にもある言葉。嗚呼、だがこうも響くのは何故だろうか。

 思えば誰かに憧れたと、言われた事も始めてだった。ましてやそれがあの騎士に似た娘となれば、心に響くのも無理はないと言えるだろう。

 

 

「だから、言わせて貰うわ。私の憧れを、これ以上汚すな」

 

 

 真っ直ぐな瞳で、アリサは身勝手な言葉を紡ぐ。

 その焔の様な輝きを前にして、母禮は嘗てを思い出す。

 

 己がどんな形を目指していて、どんな風に活きようとしていたのかを。

 

 

「末路を汚してなんかいないって言うんなら、駄々捏ねる前にアンタ自身の炎を見せなさいっ!!」

 

 

 天に浮かぶ魔法陣を見上げる。其処から覗く砲門に、集まる力は過去最高。

 間違いなく手傷では済まない。或いは今の不安定な己では、致命に至るやもしれない最高火力。

 

 それを見上げて、天魔・母禮は――

 

 

「くっ、くくくっ、ははははは」

 

 

 心底からおかしいと、吹き出す様に笑っていた。

 

 

「何だ、お前は単純だな。アリサ・バニングス」

 

「そうよ。でもそれで良いじゃない。変に斜に構えても、意味なんてないわ」

 

「……成程、確かにそうだな。私も、もう少し単純で良いのかも知れないな」

 

 

 アリサ・バニングスは単純だ。直情的な激情家で、鬱屈なんて抱えていない。

 そんな単純な在り様。或いは馬鹿と言える姿。その輝きに、僅か見惚れる。

 

 嗚呼、本当に愚かしい。あのまま口にせずに放っていれば、揺らいだ母禮では耐えられなかった。

 それ程の炎を撃ち放った女は、揺らがぬ瞳で信じて見ている。こんな物では終わらんだろうと、心の底から憧れた炎を信じていた。

 

 

「殺してしまった。奪ってしまった。だから何時か、詫びに行こう。心の底から、謝る事にしよう」

 

「……単純になれって言われて、出る答えがそれ?」

 

「単純になったからこそだ。他の何かと結びつけることはなく、唯何時か詫びると心に決めて、それで終わりだ」

 

 

 そんな愚かさに引き摺られて、櫻井螢を思い出す。揺らいでいた己を再定義して、獅子心剣が燃え上がる。

 何時しか、雷雲が戻っていた。激しい雷が降り注ぐ中で、櫻井螢の全身から炎が上る。紅蓮の劫火は、先までとは比にもならない。

 

 

「だから、その何時かの為にも、負ける訳にはいかないな。終わらせる訳にはいかないとも」

 

 

 櫻井螢は弱い女だ。卑屈になって弱音を吐いて、強くなっても変われていない。

 櫻井螢はそんな女だ。何時だって後悔ばかりしていて、前に進むのを怖がっている。

 

 それでも、何時だって後悔しながら、前に進む事だけは止めなかった。

 

 

「何時だってそうだった筈だ。私は迷いを振り切れなくて、後悔を抱えたまま――それでも前に進んでいた」

 

 

 そんな弱さ。億年経っても変わりはしない。だから向いていないと、多くの者らに笑われるのだ。

 彼女だけだ。神々の中にあって英雄失格と語られたのは、櫻井蛍一人だけ。そんな女は一度迷えば、ドツボに嵌る弱さを持つ。

 

 それでも、そんな女であっても――いいや、きっとそんな女だからこそ、一度腹を決めて走り出せば、誰よりも強く輝く事が出来るのだろう。

 

 

「頭なんて良くはない。謀略も策略も戦略だって向いてない。だから、出来る事なんて今も昔も唯一つ」

 

 

 愚かな女だ。弱い女だ。そんな女に、出来る事など唯一つ。

 その一つを忘れていたと、この馬鹿な娘に気付かされたと、思い出した螢は燃え上がる。

 

 

「迷いながらに、その時最善と思った事をする。何度も後悔しながらに、それでも前に進み続ける。そうだ。それが櫻井螢と言う女の、隠す事なき全てだったじゃないか」

 

 

 憧れたと語る女が、燻る火に油を注いだ。故にこそ燃え上がった炎は、過去のそれさえ超えている。 

 間違いなく、この今こそが最盛期。吹き荒れる業火と雷光の嵐はあっさりと、赤き騎士の砲弾を飲み干し膨れ上がった。

 

 

「それしか出来ないから、それだけを貫く。それで良いしそれが良い。足を止めるしかないそれ以外など、考えるのは全てが終わった後で良いっ!!」

 

 

 こんな愚かな女に憧れたと語る、そんな馬鹿げた女に魅せてやろう。

 これこそが己の炎。己の魂。誰に憚る事もない、櫻井螢の全身全霊至大至高の形である。

 

 

「これが、櫻井螢の――かくある己の魂だっ!!」

 

 

 吹き荒れる炎に為す術なく、吹き飛ばされて大地に倒れる。

 業火の中で焼かれながらに、大地に伏したままに見上げるアリサ。

 

 天上に座す天魔・母禮の輝きは、確かにあの日に見た炎だったと小さく笑った。

 

 

「何よ。相変わらず、綺麗じゃないの」

 

「ありがとう。最高の褒め言葉だ」

 

 

 憧れたのは、間違いじゃなかった。心の底から、アリサ・バニングスはそう口にする。

 ありがとうと、その言葉が嬉しいのだと。心の底から、櫻井螢は満面の笑みで口にした。

 

 

「素直に想う。お前と逢えて良かったよ」

 

「……そうね。私も、アンタに逢えて良かったわ。嘘じゃない」

 

 

 迷いはある。後悔もある。けれどこの今は、もう絶対に止まらない。

 始まりの日に抱いた祈りを思い出した紅蓮の天魔は心を定め、誰よりも鮮烈に輝いていた。

 

 

「だから、これは礼だ。決して加減はしない。約束する」

 

「加減なんて冗談じゃない。アンタの本気を乗り越えてこそ、確かな意味があるんだから」

 

 

 雷火を操り、足手纏いの女を遠くに飛ばす。全力を見たいのは螢も同じく、故に最初の優先目標などはもうどうでも良い。

 殺さぬ様に加減しながら、メガーヌを戦場より取り除く。そうして、自由になったアリサが起き上がる姿に小さく笑うと、己の意志を鋭く研ぎ澄ませた。

 

 思い出させてくれた。その事実に万感の感謝を抱いて、故にこそ加減はない。

 こうも強く語ったのだ。決して無様は晒してくれるなよ、と高く燃え上って咆哮する。

 

 

『行くぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!』

 

 

 二人の女は大地を蹴り上げ、そして互いにぶつかり合う。

 烈火を思わせる彼女達の戦いは、これより更に激化していく。

 

 

 

 

 




母禮ちゃん全力モード。爆発力がヤバい女を、態々爆発させたアリサは大戦犯。


因みに作者の中で、登場人物の戦犯順位は宿儺さんとスカさんがワンツーフィニッシュしています。(アリサちゃんは第三位)




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第二十五話 失楽園の日 其之捌

順番的に、今回は常世ちゃんに活躍させたかった。
     ↓
なら先ず、スカの攻勢から大逆転の黄金パターンだな。
     ↓
スカが自分の手番で全部持って行く。(何だコイツ)


1.

 夢を見る。羊水の中で微睡む様に、高町なのはは夢を見た。

 

 

 

 子供が居た。生まれながらに特別で、誰とも違う子供であった。

 異常な者を生み出すには、異常な者に親とすれば良い。そんな理屈で作られた、異常な子供。名をアイン・ゾーネンキント。

 

 彼は僅か二ヶ月で生まれ落ちた。彼は才に溢れ過ぎていた。彼は余りにも、異常な父に似過ぎていた。

 だから母は愛せなかった。この余りに異常な子を前に、腹を痛めた母が愛せなかったのだ。だから子供は、一人であった。

 

 子供は双子だった。異常に過ぎた兄のイザーク。平凡であった弟のヨハン。母の愛がどちらに向くか、想像するに容易いだろう。

 愛して欲しい。愛されたいのだ。必要として欲しい。だけど有能さを示す度に、母の愛は遠のいていく。自分は愛されないのだと、子供の心は乾いていく。

 

 まるで虚無を思わせる空洞。伽藍の穴が求めたのは、唯己を愛する父母の愛。母のそれが望めぬならば、子供は父にそれを求めた。

 恨んではいない。母もヨハンも家族であれば、どうしてそれを恨めよう。だから唯、恨まずに――それでも彼は、父性の愛を求めたのだ。

 

 黄金の獣。全てを等価に愛する怪物。それが彼の父だった。

 破壊でしか愛を示せぬ生まれながらの破綻者にして、当代の神を殺す為だけに生まれた自滅の因子。それが彼の父だった。

 

 確かに愛は与えてくれよう。獣は全てを愛している。全てを壊したいと願っている。

 だがそれは等価の愛。平等に愛すると言う事は、何も愛さぬ事と同義。特別にはなれぬのだ。彼が求めたのは、その特別となる事だったと言うのに。

 

 褒められたい。認められたい。愛して欲しい。その願いが示した結果は滅私奉公。父にとって都合の良い道具として、自分を殺して侍る事。

 母は駄目だ。彼女は父を恐れている。だから愛して貰える筈がなく、愛して欲しいと口にも出来ない。だから、イザーク・アイン・ゾーネンキントは生贄となった。

 

 魂を贄として、生きたままに城に組み込まれる。魔城を動かす心臓として、幼くしてその命を終えた。そうすれば、父の唯一無二になれると信じて。

 後に残ったのは中身のない肉塊。生理現象だけを起こす肉体だけが残されて、中身は永劫不死者の城に――地獄の底で夢を見る。夢見た願いも叶わない。

 

 全力の闘争。その歓喜に酔った父の手で、生贄にまでなったのに、邪魔だと言われて砕かれた。

 どうしてと涙を流して、それでも望みは変わらない。今も変わらず祈っている。イザークはあの日からずっと、父の愛だけを求めている。

 

 

 

 女が居た。生まれながらに特別な、誰とも違う少女が居た。

 彼女は即ちイザークの血統。贄となった彼の残骸。中身のない肉体を使って産み落とされた、太陽の子の末裔だった。

 

 彼女が生まれた理由は一つ。イザークと同じく贄となる事。

 彼女が愛された理由は一つ。イザークと同じく贄となる為。

 

 祝福された。誰からも求められた。獣をこの世に呼び込む為に、彼女と言う存在が必要だったから。

 故に少女は諦めながらに生きていく。己の運命に絶望しながら、日々を惰性で生きていく。そんな諦めた少女であった。

 

 だが、彼女は変わる。それは一重に、出会えた人との絆が故に。

 怒りの日の演者達。巻き込まれた友らの姿に、彼女は希望を捨てきれない。輝かしいその日々に、共に居たいと願ってしまった。

 

 それに答えようとした男が居た。彼女を救おうと願った男が居た。

 死を運命付けられた生贄の少女。そんな彼女を育てた義父は、彼女を救う為に謀りを掛ける。

 

 邪なる聖人は、己の主たる黄金を欺いて、ヨハンの血筋を贄に据えて、どうにか娘を救おうと手を尽くした。

 結局謀りは失敗して、少女は生贄として捧げられる。それでも、彼女は誰も恨まなかった。愛されていたと知るからだ。

 

 

 

 生贄の子供達。同じ血筋に連なった、愛されなかった子供と愛された少女。捧げた子供と、奪われた少女。

 邪神に敗れたその時に、彼女達の意志は一つとなる。目指した形は互いに違えども、抱いた想いは一つだけ。

 

 このまま終わってなるものか。故に彼らは一つとなる。

 それが子供達の全て。子宮にして心臓。大天魔の指揮官が真実の姿であった。

 

 

 

 

 

2.

 巨大な芋虫が身を震わせて、白衣の狂人は身を躍らせる。

 開いた門より放たれる悪魔の力。反天使の力が天魔を凌いで、打ち破る。それが先までの光景だ。

 

 だが此度は違う。既に奈落は失われ、反天使の力は奪われた。

 されば大天魔の威を前に戦士ではない唯人が抗える筈もなく、ジェイル・スカリエッティは空を舞う。

 

 まるで巨大な運搬車両に引かれた様に、空を舞って壁にぶつかり落ちる。ずり落ちる様に崩れ込んだ男は、激しく咳き込んだ。

 

 鏝で臓腑を焼かれる様だ。溢れる血潮の熱さに耐えかね、零れ落ちるは赤い固形物。

 青褪めた唇をどす黒い赤に染めて、何度も何度も男は吐き出す。布に染み込む様な速度で広がる血の池を、大天魔は冷めた瞳で見下していた。

 

 

「どうやら、マレウスがやってくれたみたい。どうにか、間に合ったと言えるかな」

 

 

 呟く天魔。彼女も無傷では居られない。高所に在って見下す彼女も男と同じく、既に満身創痍の身。

 攻撃に用いた神相の身体は所々に欠落し、己の半身の喪失に常世の魂は悲鳴を上げるかのように軋んでいる。

 

 後少しでも遅ければ、勝負の結果は明白だ。滅ぼされていたのは己であった。

 素直にそう認めながらに天魔・常世は、血の海に沈んだままに嗤っている狂人を見詰めている。

 

 その瞳に籠る感情は、侮蔑と冷酷さと――ほんの僅かな困惑だった。

 

 

「貴方の自慢の傑作達も、これで御終い。貴方の我欲と我執が生んだ妄想も、これで御終い。……なのにどうして、まだ嗤っていられるの?」

 

 

 分からない。分からない。理解が出来ない。今も尚、ジェイル・スカリエッティは嗤っている。

 奈落は崩壊し、魔人の身体能力さえも喪失した。男は既に死に体で、打開策など持ってはいない。

 

 死を目前としている。もう長くは持たない筈。この今に息絶えてもおかしくない。

 そんな状況にまで追い詰められて、それでもジェイル・スカリエッティは嗤うのだ。それがどうしても理解出来ない。

 

 

「どうして、か……くくく、それこそ、愚問と言う物だよ、大天魔」

 

 

 紫の髪が赤く濡れて、額にべたりと張り付く。その不快な感触も、彼の高揚を阻む道理にはならない。

 嗤っている。ジェイル・スカリエッティは嗤っている。狂った様に、狂っているから、嗤い続ける男の哄笑は止まらない。

 

 不快だ。理解が出来ない。気持ちが悪い。生理的に受け入れ難い害虫を見る様な瞳を向ける大天魔に向かって、嗤い狂う男は己の意志を此処に示した。

 

 

()()()()()()()()()()。良くぞ、ナハトを殺してくれた。ありがとう。礼を言うよ」

 

「……何、それ?」

 

 

 理解が出来なかった。これは一体何を言っているのか。

 思わず鸚鵡返しも同然の問いを投げ掛けて、そんな常世の姿に男は更にけたたましく嗤いを上げる。

 

 心底からおかしいと、どうして理解していないのかと、狂った男は嗤っていた。

 

 

「言った筈だよ。語った筈だ。何度も、何度も、何度も、何度も、私は何度も多くの者に語っていた。元より私の最高傑作は唯一つ。陰陽太極を置いて、他にはないのだと!」

 

 

 元よりこの男の望みは唯一つ。己が最高傑作によって、神を殺すと言う偉業を為す事。

 それだけが望みで、その為だけに生きて来た。だからそれ以外などはどうでも良くて、それに関わる事で一切の妥協など出来はしない。

 

 

「アレは駄目だ。ナハトは駄目だ。偶然に生まれた怪物が全てを滅ぼして、それの何を誇れと言うのだ」

 

 

 ナハト=ベリアルは傑作足り得ない。誰かの夢から生じた怪物などを、どうして我が至高と誇れるだろう。

 

 再現できない物体を偶然生み出したとしても、それは己の技術と誇れない。理論も実験も実証も、全てを零から積み上げてこそ意味がある。

 闇の書が見付けた夢界の技術。記録として残っていた第三天の模倣。それらは所詮は他人の真似事。己の粋とは口が裂けても言えないのだ。

 

 

「だがアレが強大なのは事実。私では滅ぼせなかったのは事実。放っておけば、世界全てを滅ぼすのもまた事実。だから君達に、滅ぼして貰ったのだよ。その為の揺り籠で、その為の奈落だ」

 

 

 偶然生まれてしまった怪物は、余りに強大過ぎた代物だった。生み出した狂人であっても手に負えない、だが美学も誇りも何もない空っぽな化外。

 無価値の悪魔とは良く言った物だ。アレに価値など何もない。アレは全てを無価値に変える。だからこそ、ジェイル・スカリエッティはナハト=ベリアルを認めない。

 

 自分が作ってしまったからこそ、アレを生み出した事は彼の汚点なのだ。

 それが神を殺せてしまえる程に強いからこそ、何よりもナハト=ベリアルこそが邪魔だった。

 

 最悪はナハトが世界を滅ぼす事。彼の汚点が、彼の理想を遂げてしまう事。それこそが彼にとっての悪夢である。

 ナハトの勝利はスカリエッティの求道の否定だ。無価値の悪魔で滅ぼせる程度が目指した理想だと言うならば、それが無価値以下であると言う証左となる。其れこそが最も、恐ろしいと感じてしまった事。

 

 故に失楽園の日の第二目標は即ちそれだ。ナハト=ベリアルの排除。あの怪物を殺させる事こそ、ジェイル・スカリエッティの目的だった。

 

 

「どうせ潰すのだから、戦力分散の為に囮になって貰った。分かっていても、アレは放置できないだろう。そういう類の怪物で、だからこそ私の思惑通りに君達は戦力を分散してくれた」

 

 

 そしてもう一つ。本命となるは、やはり陰陽太極だ。その完成の時を稼ぐ為に、排除したい怪物を囮としたのだ。

 

 ナハト=ベリアルは強大だ。奈落と言う弱点が無ければ、夜都賀波岐を全滅させる事が出来た怪物だ。そんなにも強大なモノだから、無価値であっても捨て置けない。

 必ずや必要戦力を削ってくれるだろうと判断し、そして男の想定通りに夜都賀波岐は戦力を分散した。両翼が動かずとも、残る天魔が全てスカリエッティの下へ来ていれば、質と量に潰されていただろう。それを封じる囮として、ナハトは十分に役を果たしたのだ。

 

 

「これで、間に合わない。君だけでは届かぬよ。君だけでは足らぬさ。他の者らにも敵は居る。正面の敵を放置して動く事など、流石に出来んだろうさ」

 

「……時間稼ぎ。それが目的だった」

 

「成長率が予想数値以下でね。こういう騒ぎでも起こさなければ、間に合わないと思ったのだよ」

 

 

 お陰で十分に時間は稼げた。黄金の槍との同調によって、太極の器は今にも完成を迎えようとしている。

 まるで羽化だ。蛹が蝶となる様に、それと等しい程の変化が女の身体に起こっている。胸の鼓動が鳴る度に、その魂は高められているのである。

 

 後、僅か。後、僅か。後、僅か。後、僅かで彼女は完成する。

 目覚めるそれは陰陽太極。正しく神々を超えるのだと、男が断ずる最高傑作――だが、その完成には未だ、後僅かの時がいる。

 

 

「そう。だとしても、もう無駄だよ」

 

 

 今にも羽化しようとしている。だが、まだ羽化には至っていないのだ。

 ならばそうなる前に潰してしまおう。蛹が蝶になろうとする瞬間こそが、その身は最も柔らかいのだから。

 

 それは決して、不可能ではない。この狂人は間違えたのだ。奈落を切り捨てる時期を、見誤った。

 今ならば取るに足りない。血に濡れた白衣の狂人も、羽化に至ろうとする陰陽太極も、共に踏み躙って潰してしまおう。

 

 

「ヨハンの系譜が目覚める前に、貴方を殺してそれで終わり。見誤ったね。狂った科学者」

 

 

 赤子の顔が泣いている。親を求める稚児が泣く。おぎゃあおぎゃあと泣きながら、無数の赤子の顔が生えた芋虫が蠢く。

 聖王教会よりも強大な、ミッドチルダにあるどの山よりも強大な、余りに強大に過ぎる芋虫が身を捩る。己の血に塗れたままに、常世の神相は大きく大地を薙ぎ払った。

 

 

「見誤った? いいや、それは君達に贈る言葉だ」

 

 

 迫る緑色の異形。教会本部がある山岳地帯を更地に変えながら、迫る異形を迎えて嗤う。

 ジェイル・スカリエッティは揺るがない。血反吐を吐いて嗤いながらに、見誤ったのはお前達だと静かに告げる。

 

 そう。誰もが間違えている。軽視していた。侮っていたのだ。ジェイル・スカリエッティの娘の一人、彼女が抱いた執着心を。

 

 

「君達は見誤っている。そうとも、誰しもが軽視し過ぎた。――あの子が生きる事に掛ける執着は、君達が思っている以上に強いのだよ」

 

 

 そうとも、此処までは予定の通り。ならば掛けた保険は此処に働く。

 切るべき手札のタイミング。あの女に戦闘を避けさせたのは、全てこの時の為である。

 

 魔刃も魔鏡も全て捨て駒。奈落は無論。そして己の命すら、捨て去る事も計画の一部。

 そんなスカリエッティの本命が高町なのはと言うならば、彼にとっての切り札は即ち――魔群。クアットロ=ベルゼバブに他ならぬのだ。

 

 

「クアットロ。予備システムと私を繋げなさい」

 

〈イエス、ドクター〉

 

 

 小さな羽虫が耳の穴から、脳に入り込む。頭蓋の中で魔血に変わり、男の内に流れる体液と同化した。

 

 グチャリと零れた血塊が、ジュウと湯気を立てて鉄をも溶かす。蠢く蟲の様に復元する筋繊維が絡み合って、傷付いた身体を繋ぐ。

 ゆっくりと立ち上がる狂人は、既に最早人ではない。魔群の血を取り込み“ベルゼバブ”へと成り果てた。そんな男は此処に今、()()()()()に繋がった。

 

 

「アクセス、我がシン」

 

「――っ!?」

 

 

 黒く濁った瞳が赤く輝く。狂気の嘲笑を前にして、咄嗟に身を退こうとするがもう遅い。

 門が開く。もう開いた。爆発する力の波は血風を纏って、神相と魔人、交差した両者は共に大きく吹き飛ばされる。

 

 風船の如く、破裂したのは常世の神相。吹き飛ぶ血潮は、彼の神だけの物ではない。

 先には無傷であった狂人はしかし、神たる女と同等以上の傷を負う。されど彼は嗤っていた。

 

 苦痛を感じていないのか。それ程に気が狂っていると言うのか。

 痛みに漏れそうになる苦悶を堪える天魔・常世は、けたたましく嗤い続ける狂人の姿に戦慄する。

 

 

「エリクシル。グラトニー。ベルゼバブ。ミッドチルダを初めとする次元世界群にこれら災厄を撒き散らしたのは、全てクアットロの独断だ」

 

 

 エリクシル。それは魔群の血。グラトニー。それは魔群の血。永遠を与えると言う名目で、他者を貶める魔の秘薬。

 エリオの裏切りから――否、其れ以前から、クアットロは率先して麻薬を流通させていた。彼女は様々な次元世界に、意図して毒を振り撒いていたのだ。

 

 その理由は富ではない。財貨などは求めていない。そんな現世の欲などは、肉体のないクアットロには何の価値もない。

 ならば、其処には別の理由がある。クアットロ=ベルゼバブが“ベルゼバブ”と言う薬物中毒者を増やしていたのは、彼女の保身が為だったのだ。

 

 

「実にあの子らしい。自分の血液で洗脳した人間の脳を、予備として使う予定だったんだろう。奈落が壊されれば廃神である自身も消える。それを避ける為に、と言う訳だ」

 

 

 奈落が失われれば、廃神は消滅する。それは肉体を失い、ベルゼバブと言う悪魔になったクアットロも同じく。

 彼女はそれを恐怖した。人々が夢から覚めただけで消え去る我が身に、あの女は酷く恐怖を抱いたのだ。故にこそ、彼女は一つを考えた。

 

 予備を用意しよう。保険を作っておこう。奈落が消えた直ぐ後に、己を夢見る者らを用意しておこう。

 その為のベルゼバブ。その為のエリクシル。その為のグラトニー。感染者が一人でも生きている限り、魔群は決して滅びはしない。

 

 そしてそんな彼らの夢で己を補強して、増やした蟲で眠りから覚めようとする人々を内に取り込んだ。奈落から解放されようとしていた命に、逃がしはしないと喰らい付いたのだ。

 魔群は全次元世界に満ちていた。彼女は何処にでも存在していた。そしてエリクシルが彼女の血ならば、魔蟲が即ち彼女の血ならば、予備を生み出す麻薬はそれこそ世界中に満ちていたのである。

 

 クアットロならば予備を作っている。確信に近い信頼が其処にはあった。だからこそ、あの女には真意を伝えなかった。

 大天魔と戦わせなかったのもそれが理由。如何にクアットロとは言え、奈落崩壊直後は動きが鈍る。その時点で駆除される事だけは、絶対に避けねばならなかったのだ。

 

 

「……それだけの規模がまだあったのは、正直予想外だった」

 

 

 全次元世界規模の夢界。それが囮に過ぎないと、ごくあっさりと使い捨てる。

 その思考が予想の外なら、すぐさま予備を動かせるのも想定外。神域級の人の集合体を次々に用意出来るなど、予想出来る筈がないだろう。

 

 だが、予想出来て居なかっただけ。予想の外と言うだけでしかなく、分かってしまえば対処は容易い。それは先の交差が、如実に示していた。

 

 

「けど、それでも、その程度。次元世界全土を包んだ先の奈落に比べれば、取るに足りない規模でしかない」

 

 

 先に展開された奈落では、常世はスカリエッティを傷付ける事が出来なかった。

 互いに武器を交わし合って、一方だけが傷付き押し負ける。それだけの力を齎すのが次元世界全土を包んだ奈落であった。

 

 だが今回は、双方が共に傷付いた。寧ろスカリエッティの方が、僅かに傷が重い程。その事実は、予備システムが先の奈落に劣っている証明だ。

 

 

「十分だよ。この程度」

 

「そうだね。この程度だ。だが、これだけ出来れば、上等だろうさ」

 

 

 奈落の崩壊と共に、場を満たしていた蟲の多くは消失した。全てが消えた訳ではなくとも、それでも多くが消え去った。

 維持できたのはベルゼバブが待機していた世界周辺。全人類を繋ぎ合わせたそれに比較してしまえば、予備システムの総量など全体の二割にも満たぬ物。

 

 規模が二割。五分の一になったと言うならば当然、戦闘能力も五分の一になるのが道理であろう。

 

 

「今の貴方なら、私の方が少しだけ強い。だから、……貴方の夢の結晶ごとに、此処で全て潰してあげる」

 

「確かに、私の方が少し劣るだろうか。だが、本当に、もう後僅かなんだ。ならば十分。持たせてみせよう。あと僅か」

 

 

 故に今ならば、己はお前に勝てるのだ。天魔・常世はそう断ずる。

 だがそれでも二割と残っていれば、時間稼ぎには十分だ。ジェイル・スカリエッティは静かに嗤う。

 

 援軍は来ない。邪魔者はいない。スカリエッティは全ての札を表にした。

 クアットロの妨害はなくなり、六課は自由となっている。彼らは必ずや勝敗が決した戦場へと介入するだろう。

 

 追い詰められた反天使と、追い詰めた大天魔。どちらを放置しては不味いのか、明確に分かる状況となっているのだから。

 

 

「さあ、続けようか。天魔・常世」

 

 

 伏せていた無数の札。その全てを此処に、スカリエッティは使い切った。

 最早伏せ札など何もない。切っていない札はなく、人事を尽くした。ならば後は、下る天命を待つのみだ。

 

 

「私が朽ち果てる前に、私の望みが果たされるかどうか――命を賭して試してみようじゃないか!」

 

 

 確実などはない。絶対などはない。だが絶対に成し遂げると確信する。

 己の望みの為ならば、己の命すらも捨て駒とする。そんな狂った求道者は笑みを浮かべて、襲い来る神相を迎え撃った。

 

 

 

 

 

3.

 襲い来る死者の群れ。絶えず溢れ蠢き踊る屍人たち。その先陣を切るのは雲の騎士。

 敵を打ち砕く鉄槌が襲い来る。敵を焼き尽す烈火が荒れ狂う。敵を抉り取る湖がその手薬煉を引いている。

 

 何もかもを叩き潰すのだと、語るかの如きその暴威。

 だがその実、彼女達は何も見ていない。見れはしない。思考する事が出来ぬから。

 

 次から次へと襲い来るヴォルケンリッター。その背に続く死者たちは、この地で命を落とした管理局は戦士たち。

 無数の歪みが、無数の魔法が、最前衛である彼女たちすらも巻き添えにしながら盾の守護獣へと降り注ぐ。その物量を前にして、ザフィーラは追い詰められていた。

 

 

「くっ! 敵に回ると、つくづく厄介だなお前たちっ!」

 

 

 後退しながらに舌打ちする。決定打こそ受けてはいないが、戦場は一方的だ。

 盾の守護獣に、この陣容を突破する事は不可能だ。彼だけの強みなど、何一つとして存在しない。

 

 共に展開するのは時の鎧。停止と停滞。四人の騎士は同じ守りを手にしていて、だが敵手の方が上を行く。

 ならば元の性能差がどうかと問えば、彼女たちは獣と同じく雲の騎士。素の性能は同等で、三人同時に打ち負かせる様な力はザフィーラには存在しないのだ。

 

 雲の騎士を相手取るだけで手一杯。だと言うのに、其処に味方を気にせぬ一斉砲火が加わっている。

 不死不滅であるが故に出来る攻勢。隙間なき絨毯爆撃を前にして、今のザフィーラは後退を続ける以外に術がない。

 

 否――一手だけ、打開の策は存在する。

 

 

(打開策は、一手ある)

 

 

 思考に浮かぶ起死回生。この状況を打破する術を、盾の守護獣は一手だけだが持っていた。

 

 それは機動力の差だ。紅葉が与える停止の鎧にはない力。停滞力場を広げる事で得られる速力加速。

 全速力で加速して、この陣容を抜けるのだ。そして指揮者である紅葉を、一刀の下に斬り伏せる。それこそ唯一無二の対抗手段。

 

 天魔・紅葉の肉体性能は、夜都賀波岐でも下位に位置する。時の鎧があるとは言っても、紅葉自身の性能自体は低いのだ。

 そしてそれだけではない。天魔・紅葉は最早限界に近い。彼女は元より死に掛けている。その事実こそが、ザフィーラが生き延びている理由であった。

 

 

「…………」

 

 

 ボロボロと足元から、崩れているその身体。限界を超えて尚も力を使う代償に、女は自死に向かっている。

 長く生き続けたこの時間。己の写し身にも似た友を殺して、その時点で限界だった。リザ・ブレンナーの精神は、何時砕け散ってもおかしくない。

 

 もう自ら動けないのだ。無理に神相を動かせば、それだけで自壊しそうな程に。滅ぶ己の死を殺せぬ以上、天魔・紅葉に自由はない。

 

 死者を糸で操って、躍らせるのが精々だ。自分がその支援に回る事など、最早出来る筈もない。

 故にザフィーラが全力を出せば、この大天魔は必ず討てる。何しろ彼女より強大な母禮を、一度は敗北の縁に追い込んだのだ。屍人の群れを振り切れるなら、天魔・紅葉を討てない理由など何処にもない。

 

 

(だが、これは……)

 

 

 だがそれは、後先を考えない場合の話だ。残った己の魔力を全て、攻勢に回して漸く得られる勝機である

 それを此処に使うのか。使い尽くして、己が憎悪を果たせぬ事を受け入れるのか。浮かぶ葛藤はそれ一つ。盾の守護獣はその葛藤を捨てきれない。

 

 故にこそのこの状況。中途半端な力では屍人の群れを突破は出来ず、嘗ての同胞達に追い詰められているのであった。

 

 

(しかし、このままでも……どの道、持たんな)

 

 

 今のザフィーラは、存在するだけで魔力を消費している。徒手空拳の姿で後退するだけでも、命を消費しているのだ。

 故にこの状況が続くなら、果たしてどうなるか。彼我が共に自滅を続けたその先に、勝利者などは生まれまい。結局彼は消滅する。

 

 それでは復讐を行う以前の話だ。何も出来ずに消える事など、盾の守護獣は認められない。

 

 

(ならば、止むを得まい)

 

 

 このまま無為に消える事は出来ない。だが全てを出し切る訳にはいかない。

 葛藤していた蒼き獣は此処に決断する。この天魔・紅葉を討ち倒す為に、己が命を削ると決めた。

 

 

「最小限の消耗で、この戦場を突破する!」

 

 

 膨大な魔力の迸りと共に、ザフィーラの姿が変わる。

 白き髪は血の様な赤に染まって、背には巨大な断頭台。全身に刻まれた文様は、停滞の鎧が真なる形で展開された証明だ。

 

 ギシリと軋む様な音を立てて、沈み込んだ足が大地を蹴る。

 速く、そして速く、何よりも速く。疾走する獣は閃光の如く、軍勢の只中を駆け抜けた。

 

 

「覚悟しろ! 天魔・紅葉っ!!」

 

 

 その速度に反応出来ず、鉄槌が、烈火が、湖が敵を見失う。

 無数の目でも捉えられぬ程に、それ程の速力に天魔・紅葉が追い縋れる筈もなく。

 

 手を伸ばす。断頭台が起動する。その首を断ち切ると、殺意を以って動き出す。

 伸ばせば届く位置にある。大天魔の首級。それを縊り落とさんと、ザフィーラはその意志を突き付けて――

 

 

「……舐められたものね」

 

 

 その直前で止められた。まるで空中に縫い付ける様に、彼の動きが僅かに止まる。

 視えない何かが邪魔をする。獣の疾走を止めていたのは、設置されていた捕縛魔法。

 

 

「設置魔法!? だが、この程度――」

 

 

 身体を縫い止める。設置魔法の力で立ち止まるのは一瞬だ。

 断頭台を振るえばあっさり壊れる程度の強度。そんな捕縛魔法一つで、盾の守護獣は倒せない。

 

 たった一秒。稼いだ時間で紅葉は動く、その神体を顕現させて、遁甲より一手を打つ。

 されど一秒。その一瞬さえあるならば、呼び出された彼にとっては十分だと言えるのだ。

 

 断頭台の刃を、巨大な絡新婦が此処に受ける。その爪はあっさりと切り裂かれて、しかし首には届かない。

 ほんの一瞬の足止め。そうして止まったザフィーラの背後、黒い影が躍る。紅葉の遁甲より現れたるは、何処かの誰かに良く似た姿。

 

 黒衣を纏った魔導師が其処にいる。僅か止まったザフィーラの背後から、己の杖を突き付けていた。

 

 

「ブレイクインパルス」

 

「――っ!? がぁぁぁっ!!」

 

 

 右腕に感じる熱。齎された結果はあの日と同じ。

 主を守れず敗れかけたあの日と同じく、守護獣の腕が鮮血と共に空を舞う。

 

 時の鎧は機能している。こうなったのは、互いの効果が相殺されているが故。

 隻腕となったザフィーラを、クライド・ハラオウンは冷たい視線で見下していた。

 

 

「最小限で突破ができる。その侮りが、敗北の理由と知りなさい」

 

 

 後先考えずに挑んでいれば、倒せていた。全力を発揮していれば不完全な神相ごとに、女の首を落とせていた。

 そうならなかったのは、男の無様な葛藤故に。最小限の消耗で倒してみせると、後の為に力を僅かに温存した。その判断が間違いだったのだ。

 

 

「スティンガーブレイド・エクスキューションシフト」

 

 

 故にその判断ミスの代償を、ザフィーラは此処に支払う事となる。

 

 紅葉を前に立ち塞がるクライドに無策で挑めば、あの日と同じ結果に終わろう。

 降り注ぐ無数の剣を回避しながら、腕を失くしたザフィーラは後退を余儀なくされた。

 

 

「轟天爆砕! ギガントシュラァァァァクッ!!」

 

「翔けよ隼! シュトゥルムファルケンッッ!!」

 

 

 当然、後退する彼を雲の騎士は見逃さない。退避に動いたその身に向けて、放たれるのは全力攻撃。

 巨大化した鉄槌を抱えて接近するヴィータ。弓に矢をたがえ、狙いを定めて放たんとしたシグナム。両者の攻撃を最早、ザフィーラは防ぐ事も出来ない。

 

 それらは時間停滞の力場を中和して、必ずやザフィーラを射抜くであろう。

 中途半端な力の行使が、その敗北を決定付けた。共に崩壊を続ける中ならば、先に死を覚悟した方が勝るのは必然なのだ。

 

 ザフィーラには最早防げない。耐える事すら出来はしない。故に――それに対処したのは彼ではなかった。

 

 

「斥力発生。崩します、烈風一迅!」

 

 

 少女の身体の数十倍。余りに巨大な質量が、反発する力で大きく浮いた。

 異様な圧力を受けて浮き上がったグラーフアイゼン。上体を崩したヴィータの胴体に、打ち込まれるのは鋭い一打。

 

 聖王教会が誇る近代ベルカの騎士は此処に、手にした巨大なトンファーを振り抜いていた。

 

 

万物は流転する(ΤΑ ΠΑΝΤΑ ΡΕΙ)――吹き飛べぇっ!」

 

 

 女が鉄槌を打ち砕いたならば、烈火の放った一矢を跳ね返したのはこの男。

 血に塗れた将官服に、装飾された軍用外套。黒い瞳の青年は、風を操りながらに死者を蹴散らす。

 

 砕かれ、射抜かれ、崩れ落ちて――それでも甦る死者の群れ。

 立ち上がる屍人の中に見知った顔を幾つも見つけて、彼は忌々しいと嫌悪を顔に浮かべていた。

 

 

「……貴方達は」

 

「シャッハに……お前か、ハラオウン」

 

 

 聖王教会が騎士。シャッハ・ヌエラ。管理局機動六課指揮官。クロノ・ハラオウン。

 クロノの万象掌握による転移を利用した彼らは、予兆の一つも見せずにこの戦場へと介入した。

 

 

「……何故、此処に来た」

 

 

 ザフィーラは視線も向けずに問い掛ける。どうして此処にやって来た、と。

 

 此処よりも危険な戦場は幾つもある。此処よりも向かうべき戦場は、他に幾つもあるだろう。

 揺り籠に残された少女達。砕かれ敗れた吸血鬼。そしてクロノにとっての怨敵が、彼の家族を追い詰めているその戦場。

 

 危機を救われたザフィーラが何を言うかと言えるだろうが、それでも此処に来た理由が分からない。

 隻腕となった傷口を片手で抑えながらに問うザフィーラに、クロノは一瞥だけをする。そして感情を殺した静かな口調で、彼はその答えを此処に示した。

 

 

「決まっている。此処が一番、可能性が高いからだ」

 

 

 スカリエッティの目的は一つ、神殺しの誕生だ。

 大天魔を呼び出したのはその為に、故にこそ優秀な戦力を排除する筈がない。

 

 クロノは殺される事はなく、アストの力で封じられていたのだ。

 魔鏡の敗北すら想定通りだった男の意志に沿う形で、この局面にて自由を取り戻した。

 

 そんなクロノが、先ず行ったのは現状把握。

 己がどう動くのが一番効果的なのか、下した結論が即ちこれだ。

 

 

「先ずは紅葉。お前を拾って、次は母禮。メガーヌを確保した後に、返す刀で悪路を斬る」

 

 

 恐らくはこれも、あの狂人の思惑通り。それを不快に思って、しかし他に術もない。

 最も勝算が高いのはこの場所だ。ザフィーラと天魔・紅葉の戦闘。此処に己達が加われば、一気呵成に押し切れる。

 

 

「僕が狙うのは、何時だって全取りだ。長く続いた戦いに、此処で終止符を打つ。その為に参戦するなら、此処しかない」

 

 

 倒したい敵が居る。抱えたそんな憎悪は後へと回す。

 助けたい家族が居る。そんな私情を混ぜては、指揮官として失格だ。

 

 故に彼は決断した。未だ僅かに持つのだと理性で捉え、最良を掴み取る為に決断した。

 ミッドチルダを守り抜く術はこれしかない。大天魔全てを撃退する方法など、この順番しかないのである。

 

 

「……他の戦場は、どうなっている。俺達が行くまで、……あの子らは生き残れるのか?」

 

 

 そんなクロノの判断に、隻腕の獣は更に問う。揺り籠が落ちた瞬間を、盾の守護獣も確かに見ていた。

 恐らく今、一番危険な戦場はあの中だ。他の戦場とは異なって、時間稼ぎすらも真面に出来まい。迫る大天魔を前にして、取り残された少女達に抵抗の術など何一つとして存在しない。

 

 そんな事、クロノ・ハラオウンが分かっていない筈はなかった。

 

 

「案ずる必要はありません。揺り籠にも一人、頼れる人が向かいました!」

 

 

 足止めを受けていたのは、シャッハ・ヌエラだけではない。彼もまた、魔群の足止めを受けていた。

 予備システムの展開にクアットロが専念し、結果自由を取り戻した男が居る。そんな彼を万象掌握の力によって、クロノが既に送り出している。

 

 故に案ずる事はないのだ。確信と共に、シャッハ・ヌエラは断言した。

 

 

「故にこそ、我々の為すべきは一つ。此処で一秒でも早く、この大天魔を討つ事です!」

 

 

 天魔・紅葉を此処に討ち取る。シャッハの言葉と共に、クロノとザフィーラが紅葉を見る。

 一気呵成に叩き潰す。それが適うだけの戦力が此処に揃ったのだと、敵も味方も、誰もが確かに認めていた。

 

 

「これは不利ね。認めましょう。確かに私では危ういと」

 

 

 準天魔級の守護獣。教会が誇るベルカの騎士。そして、管理局史上最強の歪み者。

 これら全てを相手にすれば、天魔であっても楽にはいかぬ。ましてや夜都賀波岐でも下位に位置する紅葉では、敗北は最早確定事項。

 

 

「けれど退けない。もう逃げられない。だってそう。あの子が痛みに耐えているから」

 

 

 それが分かって、それでも退けない。逃げられない。我が子は今も戦っているのだ。

 己が此処で、管理局側の上位戦力を釘付けにする。それがあの子の助けとなるなら、その果てが死でも構わない。

 

 守るのだ。助けとなるのだ。今度こそ愛するのだ。我が子を捨てた女にとって、それが償いで義務である。

 

 

「何をしたって、突破はさせない。時間稼ぎに付き合って貰うわ」

 

 

 故に天魔・紅葉は、不退転の意志と共に不死身の軍勢を呼び出し続ける。

 次から次へと現れる死人たち。有史以来、大天魔に敗れた戦士達が此処に姿を現していく。

 

 これ以上に動けば滅びると、分かって己の神相を此処に動かす。

 鬼の仮面を被った巨大な絡新婦。死人を糸で操る巨大な怪異が其処に、その姿を確かな形で具現する。

 

 限界などはない。あったとしても、もう知るものか。罅割れていく身体を意地で支えて、彼女は立つ。

 己の制御を超える程に数を呼び出して、己の命を削りながらに神相を動かし、天魔・紅葉は立ち塞がるのだ。

 

 

「こっちにも、因縁はある。果たすべき筋と言う物が、確かにあるんだ」

 

 

 蠢く死者の群れ。その総数は最早、数える事も出来ぬ程に膨れ上がった。

 例え限界数があるのだとしても、認識出来ぬのならば無限と同じく。故にこれは無間等活――永劫死に続ける死人の太極。

 

 死者を冒涜する世界を前に、クロノ・ハラオウンは敵を見た。

 

 

「いい加減に返して貰うぞ。天魔・紅葉。お前の地獄に沈んだ彼らは――僕らの偉大な先人達だ!」

 

 

 その尊厳を取り戻す。その遺骸を取り返す。

 もう二度と、利用させはしない為に――天魔・紅葉を倒すのだ。

 

 

 

 

 

4.

 墜落を続ける揺り籠の内で、天魔・奴奈比売は静かに口にする。

 アストの敗北と共に異様な強度を失って、故にこそもう耐えられない。影の泥は染み込んで、奈落をあっさりと壊し尽した。

 

 

「さぁて、これで夢界も消滅。一先ずは安心って言った所ね」

 

 

 軽く口にしながらに、見下ろす視点が子供達を捉えている。

 反天使は崩れ落ち、たった今に奈落も壊れた。残すは取るに足りない彼女らだけ。

 

 無視をしても良い。放置しても良い。取るに足りないと断言出来て、だが少し不安が残る。

 崩れ落ちた反天使。罅割れた魔鏡の存在が、僅か不安を残すのだ。ヴィヴィオ・バニングスを見過ごせない。

 

 与えられた力とは言え、仮初の形とは言え、この少女は一度神域へと至った。

 故に魂は覚えている。内にあるヴィヴィオの魂は、恐らく誰よりも洗練されているのだ。

 

 切っ掛けさえあれば、この幼子は強くなる。この今の状態でも、器としてなら最良だ。

 質が良くて空っぽだから、使い道などそれこそ無数にあるだろう。あの狂人ならば、思わぬ使い方をしそうですらある。

 

 だからこそ、放置しておくのは危険が過ぎた。故にこそ、排除すると言う意志を明確にさせてしまうのだ。

 

 

「ゴメンね。アリサ。考えたんだけどさ、この子、見過ごせないわ」

 

 

 呟く様に口の中で、そんな言葉を躍らせる。

 誰にも届かせる事もなく、友に小さく詫びて――天魔・奴奈比売は奪う為に影を操る。

 

 

「此処で砕けなさい。魔鏡アスト」

 

 

 影の口が大きく開く。牙を生やした様に見える黒い影は、宛ら巨大な爬虫類。

 噛み砕き、飲み干す。唯それだけに特化した巨大な顎門が、女の指示と共にヴィヴィオに迫った。

 

 

 

 迫る顎門。襲い来る脅威。それを前にして、誰も彼もが震えている。

 無理もあるまい。仕方がないだろう。天魔の放つ威圧を前に、動ける様な力はないのだ。

 

 だからこそ――

 

 

「フリードっ!」

 

 

 悪夢に震えていた少女が叫びを上げる事が出来たのは、一体如何なる奇跡であったか。

 ガチガチと震える身体を無理矢理抑えて、叫びを上げたキャロ・グランガイツ。少女が意志を示したならば、応えるのは白き竜の責務である。

 

 

「きゅくるぅぅぅぅっ!!」

 

 

 翼を奪われた白き竜は幼き少女の意志に応え、彼女を乗せて疾走する。騎竜が向かう先には倒れたヴィヴィオ。拾い上げて抱き締めようとしたのが、反射に近いキャロの判断であった。

 

 だがフリードの思考は少し違う。拾って、背負って、逃げ出して――それでは間に合わないと白竜は断じる。故にこそ、彼の選択は主でさえも予想外な物だった。

 

 

「え? フリード!?」

 

 

 小さな炎を生み出して、背負った少女と己を結び付ける鐙を燃やす。そうして主を背より振り落とすと、キャロとヴィヴィオに向かって突進したのだ。

 

 全力の体当たり。小さな身体を思い切りに吹き飛ばして、フリードは影の顎門に飲まれて消える。投げ落とされた少女らは、その脅威から逃れて影を見詰めた。

 

 

「っ、あ……」

 

 

 閉じる牙。グチャリ、グチャリと、磨り潰す音が玉座に響く。

 白き鱗は沼地に消えて、倒れた子供らを見下す天魔は嗤いもしない。

 

 

「邪魔をすると言うの? 貴女が? この私を?」

 

「……あ、あぁ」

 

 

 睨まれて、向けられる圧力が増す。それだけで全身が硬直して、手にした覚悟が砕け散る。

 

 赤い悪夢が迫って来る。四つの瞳が冷たく見ている。悲鳴が、鮮血が、記憶の中に甦る。

 怖い怖い怖い怖い。溢れ出す恐ろしさに涙が浮かんで、呼吸一つも満足に出来なくなってくる。

 

 自分の指示に逆らって、それでも護る為に潰れたフリード。その姿に、悲嘆と恐怖と絶望を等価に感じて――それでもキャロの心の中に、後悔だけは一つもなかった。

 

 

「それがどういう事だか、分かってやってる?」

 

「わた、私、は……」

 

 

 這いずる。動かぬ半身を、這って前へと彼女は進む。

 小さな身体で震えながらに、涙と鼻水で見っとも無い程に顔を汚しながら、キャロは縋り付く様にヴィヴィオの身体を抱き締める。

 

 竜の巫女の祈りは一つ。恐怖の中でも、彼女の意志は変わらない。もう何も為せないとしても、後悔なんて微塵もない。

 

 

「嫌だ。……見捨てるなんて、絶対に、嫌だ」

 

 

 悪夢を乗り越えた訳ではない。怖い恐いと、その想いは変わらずある。

 だがそれ以上に、失う方が怖かった。守ってくれた友達を、守れぬ方が嫌だった。

 

 だから必死に這って進んで、無様であっても道を塞ぐ。

 震えながらに両手を伸ばして、抱き締めて離さないのだと――そんな祈りは届かない。

 

 

「そう。なら一緒に死になさい」

 

 

 圧が強まる。威圧だけで、息も出来なくなる程に、身動き出来ない程の圧が更に強くなる。

 このまま威圧するだけでも殺せるだろうが、自然死を待つ時間などはない。故に影を再び操って、諸共に潰してやろう。

 

 再び迫るは影の海。押し潰さんとする津波の波濤。今度は躱すだけでは意味がない。故に――

 

 

「…………」

 

「ガリュー! 死ぬ気で死んでも、頑張んなさいっ!!」

 

 

 命を賭すのは黒き甲虫。最大出力の雷光を手に宿して、影の海へと単身飛び込んだ。

 それは全くの無謀な行い。マッチの火を片手に海に飛び込むかの様な、唯只管に無意味な行為。

 

 それでも、無意味な儘には終わらせない。終わらせる物かと、甲虫の主は叫びを上げる。

 

 

「ヴィヴィオは私達を庇った。だったら次は、私達の番。互いに助け合うのが、友達ってもんでしょう!」

 

 

 展開するのは補助魔法。デバイスのカートリッジを利用して、極限にまでガリューの存在強度を高める。

 今にも押し潰されそうな程に、視られただけで死んでしまいそうな程に、そうなった自分の弱さに歯を食い縛りながら、ルーテシアは己に喝を入れる様に叫びながら走り出す。

 

 

「ビビってんじゃないのよ! ルーテシア!! 腹に気合を入れて、身体を張るのっ!! それが、お姉ちゃんの役割なんだからっ!!」

 

 

 恐怖の中で妹は、それでも護ると言ったのだ。ならば自分が震えているなど、姉として出来よう筈がない。

 理屈じゃない。抵抗できる理由はない。あるのはそんな感情だけで、だけどその気迫を以って威圧に耐える。姉の意地で己を維持して、ルーテシアは少女らの眼前へと背を躍らせた。

 

 それでも、やはり両者の差は明確だ。大天魔に対抗出来る程に、彼女達は強くはない。

 ほんの数秒にも満たぬ時、それと引き換えにガリューは倒れる。僅かに止まった津波の脅威は、黒き甲虫の消滅と共に再び溢れ出していた。

 

 

「皆々仲良く水底へ、諸共に沈んでしまいなさい」

 

 

 最早止める術はない。気絶したヴィヴィオを、守る様に抱き締めるキャロ。そんな彼女を庇う形で、先頭に立つルーテシアは理解する。

 このまま影に飲まれて終わるのだ。フリードやガリューの様に、その牙に喰われて終わるのだ。そう理解して、彼女は恐怖にその目を閉じた。

 

 刹那に迫った死の終焉。その未来を前にして――だがその結末は、彼の意志によって打ち砕かれた。

 

 

「乾坤、一擲ぃぃぃぃっ!!」

 

 

 二体の献身が時を稼いで、彼はギリギリ間に合った。赤い悪夢を切り裂いて、やって来たのはベルカの騎士。

 攻勢に特化した歪みを全力で行使して、投げ放たれた無数の槍が迫る影を吹き飛ばす。大地に着地した男は、庇い合う少女達に背を向けて、沼地の魔女を睨み付けていた。

 

 

「あ……」

 

「……本当、遅いのよ」

 

『お父さんっ!!』

 

 

 陸士部隊の外套を風に靡かせて、背中を向ける男。

 両手に槍を構えて、天魔からは目を逸らさずに、ゼスト・グランガイツは言葉を紡ぐ。

 

 

「キャロ。ルーテシア」

 

 

 娘たちへ振り返らず、懐から簡易デバイスを一つ取り出す。

 それを投げ渡したゼストは重厚な声で諭す様に、彼女達へと意志を伝えた。

 

 

「もうじき、揺り籠が地上に落ちる。そうなる前に、その子を連れて逃げなさい」

 

 

 渡したデバイスに、記憶されているのは転送魔法と浮遊魔法。そして僅かなカートリッジ。

 避難する為に必要な最小限。この太極の中から逃げ出す為に必要な物を渡して、彼は逃げろと娘に語るのだった。

 

 

「お父さん。だけど……」

 

 

 父の存在に、僅か安堵を抱いたキャロが迷う。逃げて良いのか、そんな当たり前の戸惑いだ。

 フリードが倒れた。ガリューも倒れた。今の己に出来る事など何もないと分かっていて、それでも迷ってしまう。

 

 それ程に、赤い悪夢は恐ろしかった。だが――

 

 

「……分かったわ」

 

「ルーちゃん、なんで?」

 

「私達が居ても、足手纏いだって言う事でしょ? また同じ轍を踏むのは、嫌よ。私」

 

 

 そんな妹の戸惑いを、彼女の姉は一蹴する。この場に居ても、己達は足手纏いにしかなれないから。

 それは先の戦いで、痛い程に分かっていた。召喚獣を失って、足掻く事すら叶わぬ己達。魔鏡アストですら、庇いながらでは負けたのだ。

 

 アストよりも弱い。そう断言出来るゼストでは、足手纏いを庇えない。

 それは口に出す必要もない程に明らかな事実であって、だからこそ残るなどとは口が裂けても言えなかった。

 

 

「……必ず、帰ってきてね。お父さん」

 

「確約は出来ん」

 

 

 キャロの不安そうな瞳に、返す言葉は無骨な形。

 彼女を背負いながらに魔力の強化を己に掛ける。そんなルーテシアは冷たい視線で、やれやれと文句を口にした。

 

 

「ホント、堅物だよね。お父さん」

 

「そうだな。……すまんが、後を頼む」

 

 

 背中にキャロを、腕にはヴィヴィオを、背負ったルーテシアは歩き出す。

 無骨に微笑む父の横顔に拭い切れない程の死相を感じ取りながら、彼女は外に向かって歩き始めた。

 

 

「……帰って来なかったら、一生許さないから」

 

 

 背中合わせにそんな言葉を娘と交わして、ゼスト・グランガイツは意志を定める。

 既に抱いた決死の覚悟。逃げ出したあの子達だけは必ず守ると、それこそ親の義務だと心に定める。

 

 

「そうか。嗚呼、それでは一生、許される事はなさそうだ」

 

 

 聞こえぬ様に呟く言葉。元より帰る気などはない。

 死力を尽くさねば足止めすらも出来ぬと言うのは、痛い程に分かっていたのだから。

 

 

「愁嘆場は御終い? それで、私が逃げる事を許すとでも?」

 

 

 立ちはだかるゼストと、必死に逃げ始めた少女達。その姿に目を細めて、沼地の魔女は嘲笑う。

 逃がすと思っているのか。逃げられると思っているのか。だとすればそれは、余りにも――甘く見過ぎだ。

 

 

「甘く見過ぎよ。纏めて、泥の底に落ちなさい」

 

 

 此処は既にして彼女の世界。黒縄地獄の底にあって、逃げ出す事など許さない。

 魔女の嘲笑と共に海は荒れ狂い、全てを飲み干さんと押し寄せる。この膨大な質量を、押し止める術などなく――否。

 

 

「……貴様こそ、甘く見過ぎだ」

 

 

 押し寄せる影の津波を、男の槍が貫き穿つ。その出力は、先の比などではない。

 それはあり得ぬ程に高出力。男の歪みが攻撃に特化していて、限定的ながらも天魔に通じる。そんな理屈があるとしても、余りに過ぎた高火力。

 

 あり得ない。ある筈がない。そんな異常な現状を、成立させる反則事項が存在する。

 それを天魔・奴奈比売は、嘗てに一度その目に見た。故にこそ今この男が何をしたのか、一瞬の内に理解していた。

 

 

「貴方、それ……」

 

「逃がしてみせるさ。何を対価にしてでも、それが、父の義務と言う物だろう」

 

 

 斬と槍の穂先が、男の背後を切り裂き線を生み出す。此処が阻止臨界点。此処から先には通しはしない。

 覚悟と意志を糧に燃え上がる魂は、既に男の限界を超えている。果てには自壊しかない程に、男が為したは正道から掛け離れた反則行為。

 

 

「何なのかしらね。今日は何だか、昔の焼き直しばかり見ている気がするわ」

 

 

 これは嘗て、クロノ・ハラオウンが為した行為の焼き直し。歪みの元凶から、力の根源を奪うと言う物。

 奴奈比売から力を引き出して、歪みの位階を強制的に最高値にまで引き上げる。誰しもが出来る訳ではない。己を限界まで鍛え上げた歪み者だけに許された、それでも自爆を前提とした特攻戦術。

 

 瞬く間に変質していく肉体。他者の魔力に汚染されて、異形に変わって行く男。残された活動可能時間は――あと僅か。

 

 

「貴方、死ぬ気ね? いいえ、死ねなくなる心算なのね?」

 

「……愚問だな。今更、確認する必要もないだろう。もう賽は投げられたのだから」

 

 

 この男は此処で終わる心算だ。帰る気など、毛頭ないのだ。それでは守れぬと知っている。

 ゼスト・グランガイツは助からない。あの日と違い、今は御門顕明も居ないのだ。クロノの様に、安定化などは望めない。

 

 娘たちを守り通す代価に、この男は必ずや物言わぬ肉塊へと成り果てるだろう。

 それを良しとした。だから此処に居る。後僅か、自我を保っていられる僅かの時間を、守り通す為に使い切るのだ。

 

 

「我が身に変えても――此処から先へは、決して通さん!!」

 

 

 これで終わりだ。ゼスト・グランガイツは此処で終わる。だがだからこそ、必ず守る。

 我が子を背にした獅子の如くに、男は此処で牙を剥く。天魔・奴奈比売を前にして、彼の騎士にとっての最期の戦いは幕を開いた。

 

 

 

 

 




〇奴奈比売からの過剰供給で、陰の拾になる方法について。

等級項目の陰と陽が共に捌以上で、尚且つ精神状態ガンギマリのエースストライカー級歪み者が、戦闘後に必ず自爆する事を条件に実行可能となる想定。その条件を満たしていないで行うと、供給受けた瞬間にユーノ君状態となる。

当作中で該当者はクロノとゼストのみ。切っ掛けと時間さえあれば、何時かは自然と拾になれる可能性を持っていた人間だけが使える特攻戦術。
(烏帽子殿がいれば暴走を抑えられるので、それを前提に考えるならば必ずしも愚策とは言えない。……ただし、烏帽子殿はもう活動不能)

短期的には凄い効果だが、実行後の暴走で最強クラスの戦力を確実に失うので、長期的にはあり得ないと断言出来るレベルの下策だったりします。




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第二十五話 失楽園の日 其之玖

黄金劇場は今回お休み。

推奨BGM
1.Vive hodie(Dies irae~Interview with Kaziklu Bey~)
2.真紅の花(魔法少女リリカルなのは)
  若き槍騎士~Theme of Erio~(魔法少女リリカルなのは)
3.ROMANCERS' NEO(魔法少女リリカルなのはA's PORTABLE GOD)


1.

 腐臭交じりの風が吹き、悪魔の王は無価値となって大地に伏す。統制されぬ魂が無数に蠢く器は、最早物言わぬ肉塊だ。

 悪魔を宿した性質故に、この肉塊が腐り落ちるには時間が掛かる。だがそれだけ、何をする事も叶わぬ残骸でしかない。

 

 故に悪路は倒れた彼に目を向ける事もなく、ゆっくりとその歩を進める。

 傷付いた身体で歩き出した屍人の歩みは緩やかに、だが確実に全てを終わらせる為に迫っていた。

 

 抱き締める腕の熱を感じながらに、目覚めたティアナは彼を見上げる。

 目の前で起きた状況を信じたくはないと、歯噛みしながらに耐えるトーマ・ナカジマ。

 

 悔しいだろう。辛いだろう。望んだ決着は叶えられずに、今もこうして何も出来ずに耐えている。

 全てはティアナが居るからだ。無差別な地獄を前にして、この少女が一人では生きられないからこそ何も出来ない。

 

 抱き締める腕に力が籠る。抱えられた肩が痛む程に、その指先に力が籠る。

 それでも何も出来はしない。足手纏いを抱えたままに、切り捨てる事など出来ず、トーマ・ナカジマもまた敗れ去ろう。

 

 未来を視ずともに分かる。答えを知ろうとせずとも理解が出来た。このままではそうなると、どうしようもない程に分かっていた。

 

 

(それで良いの? ティアナ・L・ハラオウン)

 

 

 己自身に問い質すのは、答えなど既に出ている疑問の言葉。良い筈がない。認められないのだ。それは許されない。

 だが何とする。一体何が出来ると言う。足手纏いと言う現状は変わらずに、ティアナが此処に居る限りトーマは抵抗すらも出来ずに敗れ去る。

 

 

(良い筈ない。何とかしないと……だけど、どうすれば良いの?)

 

 

 移植された瞳。この今にこの歪みを使えたならばと切に願う。飢え乾く程に願って祈って、嗚呼、それでも瞳は開かない。

 潰された視界は取り換えたとしても、まだ真面に光すら捉えてはくれないのだ。歪みとして機能するには、決定的に時間が足りていなかった。

 

 ならば諦めるのか。何も出来ないと、諦めたままに敗れるのか。それでティアナ・L・ハラオウンは、己を良しと出来るのか。

 

 

(無理、ね。……何もせずに諦めるなんて、出来はしない)

 

 

 そんな殊勝な性格ならば、此処まで来る事もなかった筈だ。

 内心でそう苦笑を漏らしながらに、腹を括った女は見据える。迫る脅威は確実に、終わりは此処に近付いていた。

 

 緩やかに迫る悪路王。さしもの偽神も先の戦闘は響いたか、迫る動作は鈍重だ。

 それでも一歩ずつ、確実に迫っている腐毒の王。彼がその手を伸ばしたならば、トーマの肉体は滅ぼされ、その魂は回収される。

 

 そうして、彼は消えるのだ。それを許容出来ないと言うならば、阻まなくてはいけない。この今に出来る事を、全力を賭して為すしかない。

 

 

(……私に出来る事、そんなのは決まっている。元より、何時だってそうだった。都合の良い現実なんてなくて、やるべき事をやるしかないの)

 

 

 ティアナ・L・ハラオウンが誇れる物。それはきっと、都合の良い異能(ユガミ)じゃない。

 己の心で誇れるのは、受け継いだ意志と手にした弾丸。そしてあの日、相棒に認められたのはこの頭脳。

 

 

――だからさ、ティア! 何か良い案はない!?

 

 

 深く考える事が苦手だと、語った彼が頼った物。己の相棒に任された、己自身の最初の役割。

 それは歪みがなければ出来ない事か? いいや、きっと違う筈だ。そんな神様の神通力に頼らずとも、出来る事はある筈なのだ。

 

 

(考えろ。考えなさい。どうすれば良い? どうすれば勝てる? この状況を打破する鍵が、きっとあると信じて考えろ! ティアナ・L・ハラオウン!!)

 

 

 余り時間はない。緩やかであっても、悪路王の歩は止まってはいないのだ。

 故に思考を回せ。高速で見付け出せ。この現状を打破する為の活路を此処に、提示する事こそがティアナの役割。

 

 

 

 先ずは一つ――己を切り捨てたらどうだ? トーマにそれが出来るかどうかは別にして、そうした場合にどうなるか?

 ティアナはその思考に、一瞬の間も置かずに見切りを付ける。先ずトーマに見捨てさせる事が困難で、それが出来たとしても意味がない。

 

 味方を切り捨てたトーマでは、天魔・悪路には決して勝てない。

 素の性能差。力の規模。心の在り方。そんな理屈以前の話、それでは無理だと感じている。

 

 

 

 次には二つ――ここは逃げて、次なる可能性へと賭ける事。

 今の天魔・悪路は鈍重だ。傷が癒えるまでには暫く掛かり、一見すれば逃げ切れる可能性は高く感じられた。

 

 だがきっと、逃げられない。あれは逃がすまいと、何処までだろうと追い掛けて来よう。時間の経過は彼の味方だ。

 今にも倒れそうな程、傷付いている悪路王。だがこの天魔の傷口は、癒えぬ病巣と言う訳ではない。この今にも再生を続けていて、ならば何れは完全な力を取り戻そう。

 

 ミッドチルダ大結界がない今に、逃げ込む場所など何処にもない。

 逃げ回り続ければ己達は疲弊して、敵は万全へと戻るのだ。その結果として起きる事など、論ずるまでもなく明白だろう。

 

 

(何かないの? 本当に、何もないと――)

 

 

 思考する。思案する。思索する。常人の数倍、数十倍と言う速度で頭を捻って、如何にか策を練り出そうとする。

 そうして、ティアナは気付いた。その存在。小さく儚い勝機の欠片。或いは勝利に至れるかも知れない、そんな階が其処にある事に。

 

 

(……いける。これなら、ううん。これしかない)

 

 

 それは今にも消え去りそうな、儚く脆い可能性。其処からイメージ出来た勝機は正しく、億や兆に一つと言うにも満たぬ物。

 ほんの少しでもズレれば、全てが無駄に終わる可能性。無為になるだろう事が明らかな、那由他の果てにしか存在しない一つの奇跡。

 

 

(分の悪い賭けにも程があるけど、それでも可能性は零じゃないっ!)

 

 

 それでも可能性は零ではない。ならばこの詰まれた状況で、それを選ぶは悪手でない。

 ティアナ・L・ハラオウンはそう思考を定めると、未だ敵を睨み付ける相棒へと、腹を括って言葉を投げた。

 

 

「トーマ、……頼みがあるわ」

 

「ティア? 一体何を――っ!?」

 

 

 念話越しに伝える作戦の一部。余りにも想定外な頼みを聞いて、トーマ・ナカジマは言葉に詰まった。

 一体何を考えているのか。ティアナが語るは自殺行為。その断片を聞かされただけでも、あり得ないと断じてしまえる代物だ。

 

 どうしてそんな思考に至ったのか、その先に何を見ているのか、ティアナはトーマに語らない。

 絶句した彼に伝えてしまっては、命を賭ける意味さえ失ってしまうのだ。故に彼女は何も告げずに、唯これを為して欲しいと頼む。

 

 全てを語らず、全容を暈して、トーマにして欲しい事だけを伝える。

 それだけで動いてくれる筈がない。動ける筈がない。それが自然だ。だけど、そうする事しか出来ぬから。

 

 

「私を信じて――」

 

 

 唯信じて欲しいと、肩を抱く少年を見上げて告げる。言葉にしながら、瞳は逸らさない。

 真面な者なら頷かない。そんな言葉を口にしながら、ティアナは輝く瞳を見詰めていた。

 

 

「……分かった。信じる」

 

「ありがとう」

 

 

 交わる視線に、何を悟ったのか。トーマは彼女の語った言葉に頷く。

 

 元より頭は悪いのだ。戦術戦略を考えるのは不得意で、それに秀でた者が信じてくれと語っている。

 詳細も明かさずに示す言葉は信が置けない物であっても、彼女自身は心の底から信頼できる。ならば、命を預けるには十分だった。

 

 そんな相棒にありがとう。感謝の言葉を一つ伝えて、ティアナは自分の足で立ち上がる。

 交わした掌。握り締めた指先から、流れ込むのはトーマの魔力。ディバイドエナジー。ティアナが頼んだ言葉の通りに、彼女の身体が耐えられる限界寸前にまで魔力を供給する。

 

 これで数分。極僅かに過ぎない時間。ティアナはこの地獄の中でも一人、自由に動く足を得た。

 その数分が全てを分かつ。腹を括って覚悟を決めると、少年少女は互いの手を離す。そして、二人同時に跳躍した。前と後ろ、全く真逆の方向に。

 

 

「……どういう心算だ?」

 

 

 後方へと跳躍する。そしてそのまま逃げ出したのは、悪路に対抗する力を持った彼の少年。

 そして前方へと一人、無謀にも飛び出したのはもう一人の少女。預かった魔力がなければ即死する。それ程に無力な少女が一人で、悪路の道を阻んでいたのだ。

 

 

「勝機を捨てたか? 或いは――私怨か?」

 

 

 明らかな無謀。明確な自殺行為。それに驚愕させられた天魔・悪路は、疑念の言葉を僅かに漏らす。

 

 恨みであろうか、私怨であろう。僅かな困惑の先に下した大天魔の結論は、そんな当たり前の感情論。

 己が恨まれている事は分かっている。誰よりも憎まれる様に動いていて、だからこそ悪路はそう捉える。

 

 この手で斬った者らはそれこそ無数に、全て覚えているとは口が裂けても言えはしない。

 余りに数が多過ぎて、全てを覚えていられる筈もない。それでも、微かに残った記憶の残滓。同じ目をした青年を、何処か似ていると少女に重ねる。

 

 奪われた身内への敵討ち。その為に無謀に出たか。

 そう口にした大天魔。そんな言葉を聞いてティアナは、漸くにその事実を意識した。

 

 必死だった。余りに必死だったから、憎み続けた怨敵であると言う事実を()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「……そういうのが無いって言えば、嘘なんでしょうね」

 

 

 思い出して、燃え上がるのは憎悪の炎。つい先程まで忘れていたのに、都合が良過ぎだろうと自嘲する。

 もしかしたら無意識に、これも理由となっていたのか。そう思えてくる程に、この状況はあの日に望み続けていたそれその物だ。

 

 だが、それでも願うのは、復讐を果たす事だけではない。

 自嘲に籠ったその色は、軽蔑や嘲りだけではない。それだけではなかったのだ。

 

 

「けど、それだけじゃない。それ以上に、やるべき事とやりたい事が一致した。だから――私はこうするのよ」

 

 

 たった一つしかないから、そう思い込んで、それだけはと必死になった。

 あの頃の自分ならば天魔・悪路(兄の仇)を前にして、理性的では居られなかった。憎悪を剥き出しにしながら、捨て鉢になって挑んだだろう。

 

 あの日の憎悪は残っている。燻る火の様に、この天魔への敵意はある。だが、それだけではないのは、ティアナ自身が変わったから。

 あの日とは違う。一人でしかないと膝を抱えて、鬱屈していた頃とは違う。恨みや憎悪を晴らすよりも優先するべき、大切なモノを彼女は見付けた。

 

 

「一騎打ちよ。天魔・悪路」

 

 

 吹き付ける呪いの神風。何時の間にか失くした髪留め。束ねられていない橙色の髪が、呪風の中に靡いている。

 未だ光の映らぬ瞳で前を見て、もう一つの目で敵を見据えて、白き衣の少女は構える。手にしたクロスミラージュの銃口は、迫る大天魔を捉えていた。

 

 

「ランスターの弾丸を、その頂きに届かせるっ!!」

 

 

 さあ、一世一代の勝負を始めよう。偶然を幾つも積み重ね、奇跡を起こさねば成立しない勝機へと辿り着こう。唯一つ、このランスターの弾丸だけを頼りとして。

 

 

「……そうか。それが君の答えか」

 

 

 復讐ではない。それだけではない。憎悪ではない。それだけではない。

 それがティアナ・L・ハラオウンが出した答え。その解答を素直に尊いと思いながらに、しかし考慮する必要などはない。

 

 そんな義理。天魔・悪路にある筈ない。

 

 

「だが、それに僕が付き合う義理もない」

 

 

 どんな答えを出そうとも、どんな結論に至ろうとも――彼女は所詮、雑兵だ。

 

 借り受けられる魔力には限りがあって、過ぎれば魔力の汚染を受ける。故にディバイドエナジーでは、互いの差を埋めるには至らない。

 ティアナ自身はこの太極に耐えられる程に強くはなく、悪路の睨み一つで腐りかける様な有り様。ならばそう、取るに足りない。結論は唯それだけだ。

 

 以って数分。放っておけば勝手に死ぬ。ティアナと言う少女はその程度。

 彼女の受け継いだ歪みは決死で放てば、確かに悪路を傷付け得る。だが、その一度で息切れだ。二度目はなく、一撃で仕留めるには何もかもが不足している。

 

 故に、取るに足りぬのだ。取るに足りない羽虫を相手に、そんな余裕は彼らにない。

 この今にも戦闘は各地で続いていて、可能な限り早急に仲間の支援に向かいたい。トーマ・ナカジマの回収こそを、何より優先するべきなのである。

 

 

「時間がない。付き合っている余裕はない。……邪魔をするならば、別にそれで構わない。勝手に死んで、この永遠に埋もれる塵となれ」

 

 

 立ち塞がるティアナの存在を、彼は無いものとして扱うと決めた。

 そして、天魔・悪路は進撃する。後方へと逃げ出したトーマを追い掛けて、彼は一息に大地を蹴った。

 

 飛び出す弾丸の様に速く、疾走を始める悪路王。傷だらけの我が身を顧みずに、圧倒的な速さで標的を追い掛ける。

 

 

「っ! このっ!!」

 

 

 ティアナを躱そうともしない。道を阻むならば轢き殺すのだと、迫る悪路王に舌打ちを隠せない。

 罵倒を口にしながらに、ティアナは後退しながら魔弾を放つ。如何に魔力を借りているとは言え、接近すれば耐えられない。

 

 腐毒の王が願いは求道。故に腐敗の中心地は彼自身。余りに距離が近付けば、少女の身体は腐って落ちる。

 魔力の許容限界量。其処まで力を借りていても、ティアナに接近戦は不可能なのだ。彼女では、天魔・悪路の進撃を正面からは阻めない。

 

 距離を取って遠巻きに、銃弾をばら撒くのが彼女の限界。そしてそんな弾丸では、時の鎧は貫けない。

 時間を停める。流れを断絶する。凍った時の鎧に守られる大天魔を傷付けるには、一定以上の出力が必要だ。唯撃ち放つ魔力弾だけでは、余りにも火力が不足し過ぎている。

 

 だからこそ取るに足りない。抗う少女を一瞥する事もなく、天魔・悪路は標的へと手を伸ばす。

 速さと言う一点では悪路に勝る手札を持つ少年は、しかし加速の力を使っていない。何かを見詰めながらに、後ろを見ずに後方への跳躍を繰り返している。

 

 そこに違和を感じる。ティアナの頼みを信じて、たった一点だけを見詰める少年。その姿に、何を企んでいるのかと疑問を抱く。

 

 

(問題はない。何を企んでいようと、全てを塵に還るだけ)

 

 

 だが何を考えていようと、その企みが達成される事はない。

 この屑でしかない我が身が許さない。詰まらぬ小細工などは全て、圧倒的な力で踏み躙ろう。

 

 単純な暴力で如何にかなってしまう小細工など、何かを託すには不足が過ぎる物なのだから。

 

 

(そうとも、この輝きは塵だった。信じた事が過ちだったと、それが僕の下した結論だ)

 

 

 あの日に下した結論は、裏切られ続けた先に決めたその解答は、今も変わらず心にある。

 或いは信じられるかも知れない。そんな光を見付けた後でも、それでもこの結論は変わらないのだ。

 

 

(それが違うと言うならば、良いだろう。示して魅せろ。出し抜いてみせろ。それさえも、出来ないと言うならば――)

 

 

 もしもこれが小細工ではないと言うならば、確かに示す事が出来る筈である。

 蹂躙する暴虐を前に知略を以って抗えるとするならば、それは確かに認められるべき輝きだ。

 

 だからこそ、出来ると言うならやって魅せろ。それでも、この屑でしかない我が身に敗れて終わると言うならば――

 

 

「此処で終われ。その血肉よ塵となれ」

 

 

 そんな希望は偽りだ。それでは知略ではなく小細工だ。そんな者、存在する意味すらない。

 故に悪路はその策略を、阻みはしないが加減もしない。知った事かと全て無視して、望むモノへと手を伸ばすのだ。

 

 

「僕らの永遠を終わらせない為に、塵となって死んでくれ。トーマ・ナカジマ」

 

 

 加速をしないならば、逃げ切れる筈もない。追い付かれたトーマは眼前に、折れた剣を背負う屍鬼を見る。

 振り上げ、振り下ろす。一秒先に迫った脅威。銃剣を構えて受けるのか、このまま後方へと更に飛び退くのか、トーマの選んだ行動はそのどちらでもなかった。

 

 

「トーマッ!!」

 

「っ! おぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 ティアナの合図が此処に来た。ならば予め決められていた様に、彼は此処で手札を切る。

 展開するのは美麗刹那。最大出力で加速して、トーマは前に飛び出した。形成した武器を収納し、無手の儘に前に出る。飛び出したトーマは悪路へ迫って――その直ぐ真横を通過した。

 

 

「……何?」

 

 

 素通りする。腐りながらに駆け抜ける。接近した影響で腐敗の風をその身に浴びながら、動揺した悪路を無視して前へと駆ける。

 走り抜ける先に居るのは、全てを信じて託した相棒。残る全魔力を一発の弾丸に込めて、悪路を狙い撃たんとしている。そんなティアナの下へと走り、トーマは彼女の手を取った。

 

 銃を構える片手とは逆、空いた左手を掴んで引く。掴んだ手で魔力を注ぎながらに、前へと倒れ込んだティアナを肩に担いで、一本背負いの要領で思いっきりに投げ飛ばす。

 投げ飛ばされた少女の身体。宙を舞うティアナは一直線に悪路の下へ。まるで肉壁にでもする様に、接近すれば必ず死ぬ少女を投げてぶつける。その余りにもあり得ない行動に、さしもの悪路も僅かに思考を硬直させた。

 

 

「喰らい付けっ!」

 

 

 大地に叩き付けるのではなく、遠くに飛ばす様に投げられたティアナ。

 彼女は宙で二転三転と回転しながら、それでも展開する魔法術式を乱さない。元よりこうなると分かっていれば、乱す理由が一つもないのだ。

 

 目まぐるしく回る視界に吐き気を覚えながらに、手にした銃をしかりと握り締める。

 放つ力は必中の魔弾。ヴェルハディスが黒き石に封じた猟犬は、あり得ぬ軌道を描くが故に銃口を向ける必要がない。

 

 必要なのは、意志を持つ事。必ず射抜くと心に決めて、銃口に光を集めて放つ。

 扱う魔法は唯の一つ。己にとっての最大最強。師より受け継いだ切り札たるは、輝く星の砲撃だ。

 

 

「スターライトォォォッ! ブレイカァァァァァァァッ!!」

 

 

 受け継いだ歪み。教わった魔法。合わせた放つはフィニッシュブロー。

 ティアナにとっての最大火力は、複雑怪奇な軌道を辿って敵へと迫る。無限に加速する性質によって、その一撃は時の鎧さえも貫き通した。

 

 

 

 どさりと音が響く。投げ飛ばされた少女は着地も出来ずに、そのまま肩から大地に落ちる。

 直線軌道上に居た天魔は僅かに押し負けて、少女が落ちたのは彼の目の前。身体に刻まれた傷口。肘から先を奪われた右腕を見下ろしながらに、天魔・悪路は静かに呟いた。

 

 

「……成程、ランスターの弾丸か――覚えておこう」

 

 

 受け継がれた力が、付けた傷はあの日よりも重い。掌に小さな穴が開く程度とは異なって、確かに悪路は傷付いた。

 だが、倒すに至るには程遠い。此処まで磨き上げた一撃を、予想だにしない状況を作り上げて撃ち込んだのは確かに見事。だが、それだけなのだ。

 

 結局、力の差を覆すには至らない。所詮は小細工だったから、覚える価値があるだけだ。

 そう冷たく見下す視線の先で、倒れた少女は腐っていく。接近すれば死ぬと分かっていたのだ。ならばその結果も必然だ。

 

 

「さらばだ。そのまま腐って、塵になれ」

 

 

 腕一本。ティアナが奪えたのはそれだけで、それでも彼女の力を思えば大金星。

 崩れて腐る少女に僅か敬意を抱いて、天魔・悪路は静かに見下す。僅か数分にも満たぬ時、消滅までは見届けよう。時間がない現状でそう思ったのは、微かに抱いた敬意が故。

 

 

(……嗚呼、私は)

 

 

 腕が腐る。足が腐る。視界が霞み、身体がゆっくりと塵になる。

 届かなかった。そんな現実を前にしながらに、ティアナ・L・ハラオウンは一つを想う。

 

 それは後悔――などではない。

 

 

(これで、条件は、クリアした)

 

 

 ティアナが感じるこの感情は、満足感とも言える物。

 まだ賭けは始まったばかり。分の悪い賭けは続いている。だがその第一段階はクリアした。

 

 必要だったのは誘導だ。そしてその意識を、一時的にでも良いから己に執心させる事。

 彼女の目的は唯一つ。あの儚い希望が望んだ場所へと辿り着ける様に、悪路を此処まで移動させる事だった。

 

 今、悪路は()から離れている。ティアナが死する瞬間まで、その注目は外れている。ならば、あの少女の手が届く可能性は生まれたのだ。

 

 

(……後は全部、アンタ次第。頼んだわよ――()()()()()

 

 

 全力を攻撃に回した直後に魔力を供給されて、それでも残った時間は決して長くない。自分が腐り落ちるまでの僅かな時間。それで届かなければ、そこで終わりだ。

 

 どうか賭けに買ってくれよと祈りながら、ティアナは儚い希望――腐りながらに地獄を進む烈火の剣精、アギトの背中を見詰めていた。

 

 

 

 

 

2.

 彼女はずっと其処に居た。地上本部が黒い炎に燃やされるより前から、ずっとずっと其処に居た。

 案じていた。不安に思っていたのだ。心配していた。それでも助けになる事も、声を届かせる事すらも出来ずに遠く見詰めていた。

 

 エリオが憎悪に歪んだ時も、ナハトに飲まれて奈落に堕ちたその時も、助けたいと願っていた。

 それでも近付く事すら出来はしない。あの怪物を前にして、アギトは近付く事すら出来ない程に弱かった。

 

 悔しかった。泣きたい程に、叫びたい程に悔しく思った。何が融合騎だと、足を引いてばかりではないかと、ずっとずっと思っていた。

 それは天魔が現れてからも変わらない。寧ろ事態は悪化した。溢れ出す瘴気の風を前にして、見詰める事すら出来ずに倒れた。見守る事すらも、アギトには叶わなくなったのだ。

 

 全てを腐らせる叫喚地獄。その只中に居られる程に、烈火の剣精は強くはない。

 近付く事も出来ずに倒れたまま、見詰める事も出来ずに涙を流した。それしか出来ずに、そのまま腐っていくのがその末路。

 

 それでも、彼女は耐えた。必死に腐らぬ様に耐え続けて、そうしてその瞬間を理解した。

 大切な彼が悪魔の王と共に、崩れ落ちて消滅する。契約者としての繋がりを介して、理解したのはエリオの死。

 

 それを知って、アギトは止まったままでは居られない。

 見過ごせないのだ。例え届かないのだとしても、進まないと言う選択肢はもう存在しなかった。

 

 だから、アギトは地面に倒れたままに這いずり進む。顔を上げる事も出来ない程に衰弱しながら、地獄の底の中心点へと、腐りながらも這って進んだ。

 この腐毒の中、無駄であるとは分かっている。アギトでは届かない。届く前に腐り落ちる。意志だけでは、この差は決して覆せない。

 

 それでも――進まずに居る事だけは、絶対に選べなかったのだ。

 

 

(最初に逢った時、兄貴は泣きそうな顔してた)

 

 

 辛くて、辛くて、耐えられない程に辛かったのに、それでも誰にも頼れなかった。

 だから彼は泣きそうで、必死に耐えている子供であった。そんな姿が自分に似ていると、最初の出会いはそれ一つ。

 

 腐りながらにアギトは進む。心に浮かべ映すのは、共に紡いだ嘗ての記憶。

 腐毒の中でも忘れない。己を忘れない様に、大切な想いに縋って前へと進む。

 

 魂の格と魔力の質と心の在り様。それが力になる世界の中で、その内二つでアギトは誰より劣っている。

 作り物の身体に芽生えた魂は、地獄に耐えられる程に強くはない。だから頼りになるのは、最後に残った唯一つ。想い出を糧に奮える心が唯一無二の武具なのだ。

 

 

(一緒に過ごして、偶に笑ってくれる様になったんだ。役に立てるって、嬉しかったんだ)

 

 

 悪夢に魘されて目を覚ます。真面に眠れず隈が深まる。そんな夜にも傍に居た。

 何も出来ずとも安らぎだけはと、直ぐ傍らで抱きしめて。そんな想いが少しずつ、伝わっていたのだろう。

 

 季節が変わる。花の色が変わる。巡る日々を共に過ごして、彼は少しずつ変わって行った。

 

 エリオとイクスとアギトで過ごした。無人世界を歩き回って、焚火を頼りに星を見上げる。

 一ヶ所に留まれる様な立場でなく、放浪に放浪を重ねて過ごした数年間。何時しか浮かべる表情に、寂しさの色は減っていた。

 

 助けになれているのだと理解して、アギトは何より嬉しく思った。

 嫌な仕事はそれこそ沢山させられたけれど、あの安らげる時間はとても大切な宝石だった。

 

 

(結局足手纏いにしかなれなくて、もう要らないって、言われたけど――それでも兄貴は、守ってくれた)

 

 

 アギトが居たから、エリオは負けた。宿敵に敗れたその後に、もう要らないと切り捨てられた。

 それでも諦められなくて、その背中を追い掛けた。アギトなんて無視すれば良いのに、それでもエリオは守る事を選んだ。

 

 果てに描いた夢だって、アギトやイクスヴェリアの為の祈りであった。

 救われない人に救いの手を。誰よりも救いたいと願っていたのは、あの日に温かさをくれた少女達。

 

 

(そうだ。何時だって、大切にされてきた。守られてきたんだ。愛されていた)

 

 

 腐りながらにアギトは想う。崩れながらに少女は想う。

 何時だって、何時だって、何時だって、アギトはエリオに守られていた。

 

 季節が変わる中で、幾つもの夜を共に過ごした。最初は傷の舐め合いで、けれど積み上げた物は確かにある。それを知っている。それを分かっているのだ。だから――

 

 

(だったら、今度はあたしの番だ)

 

 

 今度は己が守りたい。与えられたから与えたいのだと、それは何処までも自然な思考。

 彼は諦めなかったのだから、己が諦める理由はない。例え届かずに終わっても、手を伸ばす事は止めたくないのだ。

 

 

(大切にされたから、大切にしたい。守られて来たから、守ってあげたい。愛されていたんだ。だから、あたしは兄貴を愛したいっ!)

 

 

 それでも届かない。届くだけの理由がないのだ。だから本来ならば、届く事なく終わった祈り。

 だがそれに気付いた少女が居た。だからほんの少しだけ、彼女の身体は前に進めた。腐りながらに、それでも小さな身体は前に進めた。

 

 少しだけ緩んだ呪風の中、進む少女は少しずつ崩れている。

 手足は腐って、肌は崩れ落ちて、歯も髪も目も落ちていく。ボロボロと唯でさえ小さな身体が、更に更にと縮んでいく。

 

 

「必ず助ける。また一緒に、まだ一緒に居たいから、だから――」

 

 

 それでも、諦めなかった。諦めずに、アギトは手を伸ばし続けた。

 目が視えなくなっても繋がりを頼りに、腕が動かなくなっても魔力で無理矢理に動かして、前に前にと手を伸ばす。

 

 だからであろうか。腐り落ちて死するその刹那。魔力で出来た肉体を失った魂は、辛うじて彼に届いていた。

 

 

「ユニゾン・イン!!」

 

 

 それは一つの奇跡。誰もが前に進み続けて、故にこそ届いた一つの奇跡だ。

 

 倒れて動かぬ残骸へと、腐って落ちる肉体から、飛び出した魂が溶け込み消える。

 腐敗の地獄を乗り越えて、何より大切な彼の下へと。手を伸ばし続けたアギトが辿り着いたその場所は――しかし其処も地獄であった。

 

 

 

 エリオの肉体の中に蠢くのは、彼に奪われた二十万にも及ぶ犠牲者の残骸。

 それに紛れる形で、砕けた奈落から入り込んできた悪意の群体。誰も彼もが怨嗟を叫ぶ。

 

 お前の所為だ。お前の所為だ。お前の所為だ。だから死ね。此処で終われ。

 殺害に対する裁きを、罪に対する贖いを、あの日に背負ったその罪過が呪いとなって蠢いている。

 

 これは最早残骸だ。身体を動かすに足る魂はなく、統制されぬ恨みが渦巻いている。

 これは地獄だ。これは奈落だ。地獄の底さえ温く思えるこの光景は――それでも彼にとっての現実だった。

 

 

「ずっと、これに耐えてたんだ」

 

 

 悪意の渦に晒されて、心が摩耗していくのを感じる。

 剥き出しの魂は削られていき、だがそれでもアギトは消えてはやらない。

 

 此処はエリオの体内だ。それが示す事実は即ち、エリオはずっとこの悪意を受けて来たと言う事だ。

 

 

「一人で、ずっと。誰も頼れないから、誰も頼らなくて良い様に、誰よりも強くなろうって」

 

 

 最悪の場所で生まれて、泥に塗れながらに育った。

 幼い内から他者への幻想を諦めて、縋ったのは孤高の強さ。

 

 無頼である事。無頼で在れる事。それこそが彼にとっての強さの証明。そうでなければ、立って歩く事すら出来なかった。

 

 

「だったら、きっと兄貴は消えてない。ずっと耐えてたんだ。そんなに強いんだ。だから、絶対に消えてない」

 

 

 それでも今日のこの日まで、そんな奈落を歩いて来れた。星を羨ましいと見上げながらに、誰よりも強く在るのだと歩き続けていたのだ。

 ならばきっと消えていない。魂を統制する悪魔が消滅しただけで、エリオが消える筈がない。アギトはそう心の底から信じ込み、きっと見付け出すのだと心に決める。

 

 

「消えてないなら、見付け出す。絶対、絶対、見付け出す」

 

 

 二十万の残骸。全人類の悪意その物。奈落に蠢く魂を、一つ一つと触れて確かめる。

 その度に摩耗しながらに、壊れそうになりながらに探し続ける。きっと何処かに居る筈だ。この奈落の何処かで今も、エリオは前に進んでいる。

 

 諦める気はない。きっと辿り着くのだと心に誓う。それでも、余りに此処は地獄が過ぎる。肉体を失くしたアギトには、この悪意に耐える盾がない。

 怨嗟の声は止まらない。憎悪の叫びに貫かれて、心が死にそうな程の苦痛を受ける。痛くて痛くて、もう触れたくなくて、涙を瞳に浮かびながらに――それでもアギトは探し続ける。

 

 

「兄貴は道に迷っているだけだ。何処に行けば良いのか、分からなくなっているだけだ。きっとまだ歩いている。まだ進んでいるに決まってる。だったら――」

 

 

 心が傷付く度に、不安が膨れ上がっていく。魂が傷付く度に、弱音が胸に溢れて来る。

 それでも消えていない。消えてはいないのだと、己に言い聞かせる。言い聞かせ続けなければ、折れてしまいそうだった。

 

 だから理屈を考えた。こんな理由と考えた。逢えない理由を考えて、逢う為にはどうすれば良いのかと考える。

 思い浮かんだ理由は一つ。表に出て来れないのは、ナハトと言う目印が無くなったから。だから道に迷っているのだ。

 

 

「教えよう。此処に居るよって。伝えよう。離れないよって」

 

 

 ならば自分が、ナハトの代わりになるとしよう。悪魔がいないと生きれないなら、彼の為に己がそうなろう。

 宵闇の中に出航した船が、灯台の灯りを頼りに港へ必ず帰る様に。道が分からないと言うなら、その道を照らし出すのだ。

 

 此処に居るよと言葉を掛けて、手を引いて一緒に歩き出そう。

 そうなりたい未来を思い浮かべて、その想いが力に変わる。諦めるかと、想えて来る。

 

 

「あたしはさ、もっと傍に居たい」

 

 

 だって、もっと一緒に居たいのだ。

 

 

「役に立てないかも知れない。居ても変わんないかもしれない。何も出来ないかもしれない」

 

 

 役立たずでも、何も出来なくても、それでも一緒に居たいのだ。

 

 

「けどさ、それでも一緒に居たいんだ。一緒に居て、照らし出す事だけは、それでも出来るって思うんだ」

 

 

 一緒に居たいから、必死に手を伸ばす。

 一緒に居たいから、どんなに傷付いても諦めない。

 

 死んだなんて認めない。消え去ったなんて思わない。もう逢えないなんて、絶対に嫌だ。

 

 

「だからっ!!」

 

 

 アギトは何度も傷付きながら、その手を伸ばし続ける。諦めない。その意志で、進み続ける。

 此処は夢の世界と同じだ。今のエリオの体内は、夢界と何も変わらないのだ。想いの強さが、形になる。心の在り処こそが、全てを決める。此処はそんな世界であるのだ。

 

 

「見付けた! 掴んだ! もう、離さないっ!!」

 

 

 故にこそ、その想いは必ず届く。そうとも、彼女は誰よりも強く、彼を想っていた。ならばどうして、届かない道理があるか。

 

 

「今度はあたしが、兄貴を護るから、だからっ!!」

 

 

 見付け出したアギトはその表情を破顔させ、泣き笑いながらに抱きしめる。

 もう離す物かと抱き締めて、奈落の底に辿り着いたその儚い光を――無頼の彼は、抱き締め返した。

 

 

 

 

 

 そして、紅蓮の炎が燃え上がる。無頼の色は、もう此処にはない。

 彼の少年は新たな力(確かな絆)をその手に携えて、今此の場所へと甦ったのだ。

 

 

 

 

 

「……最初から、これが狙いだったのか」

 

 

 赤き髪は黄金色に染まって輝き、その背には燃え上がる紅蓮の羽搏き。黒き堕天使の翼は赤く染まって、天使を思わせる炎へと。

 槍を片手に立ち上がる。魂と魂で結び付いた今、両者を阻む物はない。故にこその完全適合。最良相性さえも超える、これぞ即ち限界突破。

 

 

「アンタが、自分で、言ったんでしょう、が。……コイツ、の方が、ナハトより、怖いって、だから」

 

 

 第二の賭けに勝利した。腐りながらに笑う少女に、彼女を見下ろす大天魔。そしてもう一人。

 彼らの視線をその一身に受けながら、立ち上がったエリオは己の手を見詰める。指を折り曲げ、伸ばし、掌握を繰り返しながらに小さく笑った。

 

 

「……成程。これが、トーマ(アイツ)の見ていた光景か。――思っていたより、悪くはないね」

 

 

 邪気を一切含まぬ笑みを浮かべながらに、エリオ・モンディアルは一歩を踏み出す。

 雷光を纏って、紅蓮の羽搏きと共に、飛び立ったエリオは悪路の下へ。手にした槍を突き出し振るう。

 

 鋭い刺突は焔を纏って、業火と雷光が全てを焼き尽さんとする。

 だが敵もさるもの。天魔・悪路は片手にした大剣で、その全てを受け切ってみせた。

 

 無理な攻めは出来ないと、最初から理解していた彼にとってこれは牽制。

 僅かな隙を生み出すと同時に軸足とは異なる足を動かして、大地に倒れた少女の身体を蹴り上げた。

 

 蹴り上げた女を蹴り飛ばす。全てが腐ってしまうより前に、悪路から遠く離れた位置へと蹴飛ばした。

 

 

「そら、生きているな。死ぬなよ。アギトの助けになってくれた礼を、まだ返してはいないんだ」

 

「……だったら、もっと、優しく、助けなさい、よ」

 

 

 二度三度とバウンドして、百メートル以上の距離を瀕死のままに飛ばされる。

 そんなティアナは血反吐と共に文句を吐き出し、その愚痴をエリオは鼻で嗤って言葉を返す。

 

 

「残念だけど品切れだよ。僕が優しくする相手は、この世でたった三人だけさ」

 

 

 彼の優しさは限定品だ。例え恩があったとしても、この少女に向ける物ではないのである。

 

 

「さて、そう言う訳だ。悪路王。次は()()が、君の相手をする」

 

「……今の君に、それが出来ると?」

 

 

 ユニゾンをしたエリオは、槍を両手に構えて笑う。

 そんな彼を前にして、天魔・悪路は静かに告げる。先とは状況が違うのだと。

 

 

「二十万と言う霊的質量。内に宿った最強の悪魔。その双方を失って、それで敵になれると、本気で思っているのか?」

 

〈うっ、それは〉

 

 

 二十万の魂を制御出来たのは、ナハトと言う怪物が居たからだ。それを失った今に、エリオは自分さえも保てない。

 そんな彼が復活出来たのはアギトの努力があってこそだが、そのアギトにした所でそれが限界。エリオ一人を支えるだけで、彼女は手一杯なのである。

 

 故にこそ、今のエリオ・モンディアルは先よりも弱い。

 ナハトを宿していたが故に得た体質さえなければ、天魔・悪路を前に立っている事すら不可能なのだ。

 

 だから敵にはならないと、そう告げる悪路の言葉。それに思わず怯んだアギトに対し、エリオは力強い言葉で語る。

 

 

「怯む必要はないよ。アギト」

 

〈あ、兄貴……〉

 

「何でかな。初めてなんだ。この胸に感じる熱は」

 

 

 胸に燃え上がる熱量は、無頼のままでは得られぬ物だ。たった一人では辿り着けない物。

 溢れる黄金色をしたこの温かさは、諦めない意志を強くする。心の弱さを燃やし尽くして、確かな想いを明確な物としてくれるのだ。

 

 

「一人じゃない。心強い熱が此処にある。だからきっと、負けはしない。君と一緒なら、僕達でなら、負けはしない。そうだろう、アギト?」

 

 

 だから、負けない。負けはしない。

 込み上げる熱を胸に、エリオ・モンディアルは確かに告げた。

 

 

「勝つぞ、アギト。僕らで勝つんだ」

 

〈――っ! うん! うん! あたし、頑張るから! 一杯、一杯、頑張るから! だから!〉

 

 

 誰にも頼らなかった人が、初めて自分に頼ってくれた。

 唯それだけで歓喜の情を募らせながら、必ず勝とうとアギトは笑う。

 

 泣きながらに笑う小さな彼女に、エリオも笑って槍を握る腕に力を込める。

 

 

「ああ、期待している。行こうか、アギト」

 

〈うん! 一緒に行こう我が主(マイ・ロード)!〉

 

 

 負ける気はしない。負けてなんてやらない。必ず倒す。

 高まる熱と譲れぬ想いを胸に抱いて、彼らは大地を踏み締めた。

 

 

 

 

 

3.

 絆を否定し続けた悪魔の王。奈落の底の罪人は、小さな炎に救われる。

 もう彼は無頼ではない。とても小さな命の心に触れて、頼れる事を知ったから、無頼であり続ける意味がない。

 

 赤き炎の翼を広げて、迫る大天魔と刃を交わす。その背中に汚泥はない。見惚れてしまう程に、輝いている様に見えたのだ。

 

 

「はは、なんだよ。それ……」

 

〈トーマ〉

 

「何で、お前が」

 

 

 魅せ付けられた少年は、膝を折ったままに拳を握る。

 力の強弱など関係なく、誰かが誰かの助けとなる事。この今に起きた光景こそが、彼にとっての理想の体現。

 

 最も憎く、最も許せず、最も無視できない。そんな、世界でたった一人しかいない彼の宿敵。

 エリオ・モンディアルが己の理想を体現したのだ。トーマ・ナカジマがその光景を、無視出来よう筈がない。

 

 

「……アンタ、ちゃんと、見てたん、でしょうね?」

 

 

 腐り掛けたティアナが如何にか口にした、そんな確認の為の言葉。それすら今は意識に入らない。

 恐るべき腐毒の王を前にして、それでも輝き続けている尊き絆。その光しか目に映らなくて、それ以外など思考が出来ない。

 

 

「んで、分かった、んでしょ? ……ああ、別に、言わなくても、良いわ。その顔見れば、何となく、分かるから」

 

 

 ティアナは仕方がないなと小さく笑う。残った瞳は僅かな光しか映さないが、其処に映った微かな光で十分だった。

 この光景をトーマに見せる為だけに、彼女は命を張ったのだ。彼を戦わせなかったのは、彼にとっての尊き輝きを、その目に焼き付けさせる為。

 

 アギトの決死。彼女が起こした一つの奇跡。その光景こそが――トーマが本当の意味で、一歩を踏み出す為に必要な輝きなのだから。

 

 

「ああ、ずるいな。お前。ずっと、否定し続けてたじゃないか。なのに、それなのに、ああ、クソ。羨ましいし妬ましいし、それ以上に――綺麗過ぎて何も言えないじゃないか」

 

 

 あんなにも思われて、一緒に進める姿が羨ましい。自分がそうなりたかった理想像、先に体現された事が妬ましい。嗚呼、だがそれ以上に美しい。

 羨むよりも、妬むよりも、憎むよりも、嫌うよりも、綺麗だと想ってしまった。己の心には嘘が吐けない。焦がれる様に見詰める瞳は、まるで星の如く輝いて、その綺麗な絆を焼き付けていた。

 

 

(トーマの願いが渇望にまで至れなかったのは、コイツが餓えていなかったから。何処ぞの腹黒の言い分と同じなのが癪に障るけど、満たされていたから祈りの深度が足りてなかった)

 

 

 トーマ・ナカジマは十分に過ぎる資質を有していた。それは宿敵との戦いで磨かれて、もう何時に完成していてもおかしくなかった。

 それでも至れなかったのは、願いと言う物がなかったからだ。餓えて乾く程には願えない。そんな精神の在り様こそが、先に至る道を阻んでいたのだ。

 

 

(奪われて、失って、それでも本質は変わらない。コイツの世界は揺るがない。奪われても、幸福だったと言う事実は変わらなかった。取り戻したいとは願っても、変えたいなんて願えなかった)

 

 

 母を失って、父を奪われて、大切な物を幾つも幾つも取り零して来た。それでも彼は変わらない。愛されていたと知るからだ。

 己自身を失って、幸福な日々を取り零して、神へと至る未来に只管に恐怖した。それでも彼は変わらない。彼は満たされていたからだ。

 

 愛されていた。祝福されていた。その日々は燃やされようと、過ごした事実は変わらない。其処にあったと言う光景は、決して無くなる事がない。

 故にこそ彼は満たされていた。トーマ・ナカジマは祝福されて生きてきたから、変えたいなどとは願えなかった。愛され続けていた事こそが、彼が願いを得られなかった原因なのだ。

 

 

(そうなりたい。その想いが前提なのよ。覇道も求道も、求める本質は同じ物。今を変える変革を、乾き餓える程に願って初めて祈りとなる)

 

 

 そうなりたい。その為にどうすれば良いのか。そう考える事こそが、求める願いの始まりだ。

 変わりたい。その為に変革する必要があるのは、己かそれ以外なのか。それを見極める事でこそ、覇道と求道に分かれていく。

 

 今までのトーマ・ナカジマはそれ以前、変わりたいなどと思う事すらなかった。変わりたくないと、そう思う様な人間だった。

 

 彼は嘗て語った、誰もが助け合って生きれば良い。そんな理想を口にして、だがそれは渇望ではない。何故なら彼にとっての現実が、元からそういう物だったのだから。

 誰もが助け合って生きている。そんな温かな光景だけが、彼の回りにあったのだ。だからこそ、求める必要などは端からなかった。最初から在るのだ。それで何を求めろと言う。

 

 満たされているから餓えていない。もう持っているから求めていない。ただ漠然と、自分以外もそうなっていれば良いのに、そう願っていただけだ。

 餓える事を知らなかったから、彼は心の底から望めない。持っていない気持ちが分からなかったから、どうしようと共感出来ない。幸福な少年は不幸にも、心の底から羨むと言う事を知らずに生きて来たのである。

 

 

(そういう意味では、これしかなかった。トーマの願いの否定者であるエリオ・モンディアルが、トーマの理想を体現する者となる事。それこそが、トーマの祈りを完成させる)

 

 

 幸福な世界を奪い続けた宿敵が、その理想を体現した。だからトーマは、それに対して溢れる激情を感じてしまう。

 そんな理想は綺麗事でしかない。否定を続けた宿敵が彼の理想を体現した事実は、トーマの願いを認めた事と同意である。だからこそ、その激情には嬉しささえも混じっている。

 

 正負両面。入り乱れる内面の激情を持て余しながらに、それでもトーマは憧れる。

 己がそうなりたいと餓える程に、誰もがそう在って欲しいと乾く程に――追い掛け続けたその夢は、此処で初めて祈りとなった。

 

 

「これが、最後の賭け。……どうにか、勝てた、みたいね」

 

 

 トーマ・ナカジマは漸くに、己の渇望を見付けたのだ。

 その光景を満足そうに見詰めて、ティアナ・L・ハラオウンは己の意識を手放した。

 

 

――さて、トーマ・ナカジマ。君は餓えて乾く程に、焦がれると言う事を知った。だが、忘れてはならない。絆は確かに美しい。だが美麗なモノが必ず勝る。そんな道理は世の何処にもありはしない。

 

 

 宿敵の戦いに見惚れる少年へ、内なるモノが言葉を掛ける。彼が口にするのは、余りに無情な世の道理。

 美しい物。素晴らしい物。それらが常に勝るなどと、そんな法則は何処にもない。何かと何かがぶつかり合った時、勝利するのは強い側。其処に尊さなどは、欠片たりとも影響を与えない。

 

 どんなに綺麗に輝こうとも、エリオ・モンディアルは弱体化している。それは変わらぬ事実であって、ならば彼らだけでは決して勝てない。

 

 

――ああ、死ぬな。もう、死ぬぞ。エリオ・モンディアルは必ず敗れる。それを良しと、理想の体現が崩れ去るのを良しと、君は認めるのかね?

 

 

 否と、語り掛ける声に否と叫びを上げる。それは決して、認められはしない事。

 美しいのだ。焦がれたのだ。その尊き輝きが力に押し負ける結果など、どうして認められようか。

 

 美しいモノに勝って良いのは、同じく美しいモノだけだ。あの宿敵を倒して良いのは、此処に居る己だけなのだ。

 そうとも、アレは己の理想の体現。そうと認めて焦がれたならば、次はあの場所まで辿り着く。そうして己が勝るのだ。その瞬間に至るまで、誰に負ける事も許せない。

 

 

――否と、そう叫ぶならば、此処に一歩を踏み出し給え。

 

 

 言われるまでもない。あの輝きを潰させない為になら、何処へだって進んで見せる。

 そうとも、今の自分で足りないならば、此処から一歩を進めば良い。飢え乾く程に望んだ願いを、今此の場にて形にするのだ。

 

 

――寿ごう。これは誰にとっても福音となる。新世界へと至る一歩であると。

 

 

 喜んで学べ(Disce libens)。嗤いながら語る蛇を意識の外へと追いやって、トーマは己の剣を此処に構える。

 イクリプスウィルスの制御と共に掌握した活動位階。彼女と共に歩くと決めて、本当の意味で辿り着けた形成位階。そして此れより求めるは、見付けた願いを形に変える創造位階。

 

 

「風は競い合って吹きすさび、華やかな大地を旋回する」

 

 

 口から零れる言の葉は、何時しか脳裏に浮かんだ言葉。己の願いを形に変える。彼が求めた一つの理。

 それは己を変革する求道。己以外を変革する覇道。そのどちらにも傾き得る、自他のどちらが欠けても成立しない絆の力。

 

 

「海から陸へ、陸から海へ、絡まり連なり、永劫不変の連鎖を巡らせる」

 

〈さあ、紡ごう。一緒に祈ろう。貴方の夢を〉

 

 

 内なる少女が笑顔で告げる。一歩先に進まれたと認めるのは業腹だが、それでも直ぐに追い付こう。

 そうとも、己とトーマならば直ぐ追い付ける。一朝一夕でしかない彼らのそれに、自分達の重ねて来た時間が負ける筈などないのだから。

 

 

「其は御使い称える生々流転。美しく、豊かな生こそ神の祝福」

 

〈これはきっと何よりも、誰にだって誇れる願い。一緒に追い掛けよう。この美しさを、もう見失わない様に〉

 

 

 目指した世界は美しく、焦がれた夢は輝かしく、足を進めるその先は、誰にだって誇れる楽園。

 手を取り合って、前に進もう。内に抱いた祈りは唯それだけ。その祈りで全てを包み込む程に、強く強く願うのだ。

 

 

「優しき愛の囲いこそ、誰もが願う原初の荘厳」

 

〈大丈夫。彼らが一人じゃない様に、貴方だって決して一人じゃないんだから!〉

 

創造(ブリアー)――明媚礼賛(アインファウスト)協奏(シンフォニー)

 

 

 尊く輝く光が溢れる。夢見た世界へ至る為に、手を取り合う絆が輝く。

 誰かと共に手を繋いで、歩き出す為のこの祈り。唯一人では意味がなく、手を繋ぎ合わねば何も出来ない。

 

 そんな祈りであるが故に、彼はその手を伸ばすのだ。他でもない。最も憎い彼に向かって。

 

 

「僕の手を取れ! エリオォォォォォッ!!」

 

 

 伸ばされたその手。向けられる困惑の視線。逡巡は一瞬だった。

 このままでは敗れ去ると、誰よりも分かっていたのは彼だ。敗れ去る訳にはいかない、そんな理由だって存在している。

 

 故にエリオ・モンディアルは、伸ばされた手を握り返した。忌々しいと思いながらに、それでもその手を掴み返した。

 誰よりも許せない宿敵を受け入れて、誰よりも倒したい宿敵と手を合わせて――故にトーマの願いは今此処に、その真価を示すのだ。

 

 

「――っ! これが、創造位階、だと?」

 

 

 迫る銃剣と魔槍の一撃。完全一致の共同攻撃を前にして、天魔・悪路は押し負けた。

 創造位階にあり得ぬ出力。無形太極などは遥かに超えたその圧力に、偽神である筈の彼が大きく吹き飛ばされる。

 

 吹き飛ばされながらに立て直し、如何にか大地に着地した悪路王。

 片手を地面に着いた大天魔は此処に、背中合わせに立つ少年達の姿を見た。

 

 

「……間違えるなよ。トーマ」

 

「お前こそ、忘れんなよ。エリオ」

 

 

 手を取り合うも忌々しい。傍に居る事すら許せない。こうして背中を預ける今に、寒気すらも感じる程。

 それでも、此処で倒れる訳にはいかぬのだ。だからそう、これはたった一度の共同戦線。今回限りと銘打って、彼らは同じ場所を見た。

 

 

『アイツを倒したら――次はお前だっ!!』

 

 

 最早、少年達に負けはない。彼らが同じ場所を見て、手に手を取り合ったのならば――不可能などはないのだから。

 

 

 

 

 




屑兄さん「輝き魅せろとか言ってたら、連続覚醒からの共闘コンボとかされた件」


トーマの渇望は一応、覇道。求道の性質も持っている覇道、と言う感じ。
倒さないといけない邪神が覇道の求道神とか言うバグなんで、こっちも求道に近い覇道と言うバグにしてみました。

創造位階の癖に条件付きで疑似流出を圧倒出来る厨性能してるけど、覚醒条件厳しくしたんで許されると思いたい。


法則としての陥穽も山ほど存在している、ぶっちゃけピーキーな代物です。
まあ、最初の一歩だしこの程度。異能としての詳しい解説は、実際の効果を見せてからにします。




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第二十五話 失楽園の日 其之拾

前話まで、ちょっと改訂しました。
具体的には名前表記。=を・に変更。それだけです。


推奨BGM
1.ROMANCERS' NEO(魔法少女リリカルなのは)
2.吐善加身依美多女(神咒神威神楽)
3.神州愛國烈士之神楽(神咒神威神楽)
4.Take a shot(魔法少女リリカルなのは)


1.

 蒼い雷光が迸る。深い色が空を駆け抜けて、身を躍らせるのは夢追い人。

 雷を思わせるかの如く、多角的な軌道を描いて、手にした銃剣より弾丸を放ちながらに駆け抜ける。

 

 駆け抜ける彼が閃光ならば、続く少年の姿は苛烈な焔。

 手にした魔槍に力を纏わせ、身を弓の如くに引き絞り、撃ち放つのは怒涛の如き一撃必殺。

 

 

「ディバイドゼロ・エクリプスっ!!」

 

 

 全ての事象を魔力に解して、己が糧として吸収する力。

 これは防げない。彼の神が眷属であるが故に、受ければ抵抗すらも出来ない。

 

 故に正しく一撃必殺。天魔に対する弱点特効。()()()()()()()()()が放ったその一撃を前にして、天魔・悪路は大きく後退した。

 

 

「薙ぎ払え! サンダーレイジッ!!」

 

 

 大きく退いたと言う事は、その分だけ隙が生まれると言う事。共にある少年は、その決定的な隙を見逃さない。

 後退を続ける悪路へと、展開する魔法は広域殲滅。トーマ・ナカジマには本来適正がない筈の遠距離雷変換魔法。それが此処に、その力を示していた。

 

 

「異能の共有。……いや、それだけではないな」

 

 

 当たり前の様に、時の鎧を摺り抜ける蒼い雷。雷光にその身を焼かれながらに、痛痒を隠す悪路は静かに思考する。

 互いの異能を共有している。この創造位階の能力は、たったそれだけではない。睨んだ方向性は正しいが、進んだ距離の目測を誤っている。

 

 

「ちっ、扱い難い。一撃必殺の大振りなんて、火力が高過ぎて警戒される。もう少し、小回りを利かせて欲しいものだね」

 

「言いたい放題言いやがって、お前こそ、何勝手に無価値の炎無くしてんだよ。あれが使えれば、もうちょっとやりやすかったのに」

 

 

 口々に愚痴を言いながら、しかしその動きは鏡合わせ。まるで事前に合わせたかの様に、全く同じ挙動で前進する。

 踏み出す足の動きはおろか呼吸や瞬きの瞬間までも、全てが全く同一なのだ。意図して合わせたなどと言う、そんな領域を超えている。

 

 

〈ちょっと近過ぎる気がする。……やっぱりエリオが一番の強敵〉

 

〈頭ん中で変な事考えてんじゃねぇよ!? こっちにも伝わって来るんだからなっ!!〉

 

 

 白と赤。二色の花が口にする。彼女らの間に念話のラインは存在しない。

 波長を合わせる意味がないのだ。既に彼らは皆が繋がっている。なればこその、完全同時攻撃だろう。

 

 全く同じ様に振るわれた銃剣と魔槍。それに再び押し切られながら、隻腕の屍鬼はその全容を理解していた。

 

 

「異能。経験。思考。渇望。能力。あらゆる全てを、()()()()()()上で共有する。それが、君の祈りの形か」

 

 

 明媚礼賛・協奏。その効果は全ての共有。特殊な能力も、積み重ねた経験も、些細な思考ですらも加算した上で共有する。

 能力影響下にある者たち。心の底から信頼できる仲間の能力を集め、それを参加者全員で同時共有する事が出来る能力なのだ。

 

 今のトーマはトーマ自身とエリオとリリィとアギトの四人分、その数値全てを足し合わせただけの身体能力を持っている。

 そしてエリオもまた同じく、エリオ自身とトーマとリリィとアギトの四人分、全てを足して合わせただけの能力値に至っている。

 

 相手の経験を己の物とし、互いの異能を全く同時に発現できる。数字化される総合戦力値は、参加者全員の()()()()()()()だ。

 

 これは、支配者しか存在しない軍勢。一兵卒に至るまで、誰も彼もが対等となれる絆の覇道。

 たった四人で偽神を超えた。ならば仲間全員で手を取り合えれば、一体何処まで跳ね上がるのか。

 

 

「恐ろしいな。素直に思うよ。……一体何処まで、先を目指し続ける心算だ」

 

 

 たった一人では何も出来ず、だが皆で手を取り合えれば何だって出来る。そう信じる理想へ辿り着く為のこの祈り。

 至る世界は明白だ。手を取り合って前に進めば、きっと何処へだって行ける筈。そう願う祈りの行き付く果てなど、たった一つしか存在しない。

 

 

〈はっ、今更愚問だろ! そんなのさっ!〉

 

 

 紅蓮の花は信じている。どれ程に弱く儚くとも、大切な誰かの助けになれると知ったから。

 ならば彼女に疑心はない。愛する彼を信じた儘に、その傍らに咲き続ける。共に前へ進む事こそ、アギトは確かに願っていた。

 

 

〈うん。そうだね。私達が見た夢の先へと、辿り着くまで進むんだ〉

 

 

 白百合の花は祈っている。歩き続けるこの道は、確かに彼が夢見た形だ。同じ夢を見た白は、この今に歓喜を抱いて。

 最も憎い者を受け入れた。そんな今のトーマならば誰とだって、手を取り合えると思うのだ。だからこそ、共に前へ進もうと、リリィは此処に祈っている。

 

 

「大丈夫。一人じゃなくて、一緒なら。……嗚呼、そうだとも、手を差し伸べる誰かが居る。膝を折っている時間なんて、必要ないさ」

 

 

 穢れた罪人は小さく微笑む。流れ込んで来るのは宿敵の理想。彼が目指したその渇望。

 

 手を取り合って理解した。心の底で共感した。それは助け合う事の大切さ。

 なれば彼の思想は僅かに変わる。小さな芽が花開く様に、願う形が優しく染まる。

 

 守られた者(イクスヴェリア)が種を植えて、導いた者(キャロ)が水を撒いて、共にある者(アギト)が育んだ小さな芽。

 負けたくない宿敵(トーマ)との共感で、それが確かな花となった。だからこそ、何度も挫け泥の中で足掻き続けたエリオ・モンディアルは確かに微笑んでいた。

 

 

力への意志(ヴィレ・ツァ・マハト)。助けてくれる誰かに誇れる様に、強く、強く、強く、強く――今を強く生きていくっ!!」

 

 

 流れ込む渇望は、決して一方的な物ではない。共有する事を望んだのだから、同じ様に彼も共感する。

 前を目指す事の大切さ。強くなろうとする想いの意味。大切な誰かに誇れる様にと、その胸には確かな想いが芽生えている。

 

 泣いていた神の子は今此処に、漸くに前を見て足を踏み出す。

 負けたくない宿敵から先に進む強さを貰って、己に厳しい形へ願いが染まる。トーマ・ナカジマは力への意志を胸に、立ち上がって進み始めた。

 

 辿り着く先は唯一つ。ずっと昔に見た綺麗な夢。手を取り合って、其処を目指そう。四人の心は今此処に、確かに一つとなっていた。

 

 

『これが、答えだ!!』

 

「……そうか。それが次代の解答か」

 

 

 迫る剣閃。恐るべき刺突。振るわれる魔法と異能の力を前に、腐毒の王は一方的に押し負け続ける。

 傷付きながら後退を続けるその身以上に、震えているのはその心。遥か嘗てに見限った想いが、強く強く震えていた。

 

 それはきっと、求め続けた答えの形が見えたから。

 

 

「絆を以って前へと進む。成程、お前達の目指した先、確かに見せて貰った」

 

 

 力への意志。手を取り合う協奏曲。二人の願いが混ざった先こそ、彼らが至ろうと目指す新世界。

 未だ過程に差異はあっても、目指す先は同じ物。何時かきっと誰もが報われる様に、それでも誰もが脱落せずに進める様に、求めた祈りは絆と進歩。

 

 それはきっと、何よりも美しい形となろう。四人が目指す優しい世界を垣間見て、天魔・悪路も魅せられた。

 

 

「だけど、それでもだ。素直には頷けない。何もせずには退けない。そうするには、長き時を生きてしまった」

 

 

 魅せられた。次代に相応しいと、心の底から感動している。だがそれでも、無条件では譲れない。

 重ねた過去。積み重ねた憎悪。残した敵への恐怖と、まだ流れ出すには至っていない彼らへの不安。理由はそれこそ山ほどに。

 

 全ては長く時を重ねて来たから、嘗て生きた人の頃とは違って柵が酷く多いのだ。

 己の心だけで託せると、そう認めたから退けると言う問題ではない。この身は生き続ける限り、彼らの道を阻むであろう。

 

 故にこそ、天魔・悪路がこの今に、求める物は一つだけ。

 

 

「次代は見た。ならば次は証明してくれ。その美しい輝きが、決して潰えはしないのだと。……我らの戦いは――無意味ではなかったのだと」

 

 

 先は示された。ならば次に求めるのは、その先が揺るがないと言う証明だ。

 何れ、そう遠くない時に訪れるであろう唯我の怪物。その戦いにおいても負ける事はないのだと、信頼できる証拠が欲しい。

 

 故にこれは前提条件。信じて託す事すら出来ぬ老害などに、敗れる様では未来がない。

 

 

「全てを腐らせ、塵とする。そんな屑でしかない我が身を、乗り越える形で証明しろ」

 

『応っ!!』

 

 

 語る言葉に返るは強く揺るがぬ意志。四人の想いを突き付けられて、天魔・悪路は小さく笑う。

 魅せられたからこそ、この先を信じ続ける為に――誰よりこの世の民を憎んでいた大天魔は、己が命を試練として使い果たすを良しとした。

 

 

 

 

 

2.

 無数の地獄が渦巻き反発し、生まれた僅かな空隙に彼女は立つ。

 見上げる限りの一面は、蒼く蒼く、透き通った蒼い空。その下に立つはたった一人、異なる宙より遺った者。

 

 和服の女は其処に立つ。ボロボロと崩れていく白い肌の下、異形の相を覗かせながら――それでも一人で立っていた。

 

 

「嗚呼、漸く――」

 

 

 息を吸い、そして吐く。息苦しいと感じていた、そんな呼吸にすらも感じる感慨。

 

 この世に生きる者らの皆が海水魚だと言うならば、此処に居る女は唯一匹の淡水魚。

 そもそも生きる道理が違うのだ。此処まで来るだけで、どれ程の苦痛に苛まれて来た事か。

 

 崩れ落ちる肌の下、明らかになる異形の貌。それこそが何より明確な違いを示している。

 この女は此処に生きていて良い者ではない。既に死した者。死していなくてはいけない者。それでも、生き続けた者なのだ。

 

 

「感じるとも、分かるとも、美しい、素晴らしい願いだ」

 

 

 理由があった。生き続けるに足る理由。生き続けねばならない理由。だから、女は此処に生き続けた。

 敗軍の将としての意地。師にして育ての親への恩義。受け継ぐ立場に居ながらに、背負えなかった事への後悔。理由はそれこそ山ほどある。だが明確に一つとしてあげるなら――そう、納得出来なかったのだ。

 

 こんな終わりなんて認めない。こんな結末なんて許せない。だから、どうか――ほんの少しの救いが欲しい。

 彼女が遺った理由はそれだけだ。全てを託すに足るのだと、その結果を知るまでは消えられない。そんな意地だけで、死せるその身を維持していた。

 

 そして、その戦いは今日この日、漸くに報われたのだろう。

 

 

「お前達はまだ信じ切れぬのだろうが、私はもう既に決めたぞ。全てを託すに足るのだ。信じたいのではない。信じさせて欲しいのでもない。心の底から、そう信じている」

 

 

 見届ける為に残した瞳。其処に映り込んだ輝きは、嗚呼、確かに信じられると言える物。

 

 穢土・夜都賀波岐は認めずとも、曙光を夢見た敗残兵は認めよう。

 その願いは美しく、その想いは尊く、何度も立ち上るその姿は確かな強さに満ちている。

 

 故にこそその女は、最期に残った己の命と己の切り札、その使い道を此処に定めた。

 

 

「用意したのは無数の戦場痕(スワスチカ)。あの太陽の系譜が居ると知ってから組み上げた術式だが、多少の融通くらいは利くだろう」

 

 

 古き時代に対抗手段を模索して、彼の星にその末裔が居ると知った。その時に組み上げたのがこの術式。

 彼女の模倣だ。無数の命が散華した戦場痕を用意して、その中心地に太陽の御子を贄とくべる。そして齎す結果は神の再誕。

 

 

「疑似流出。贄となる者の質は悪く、強引な術式改竄の影響は大きいが、それでも不完全な模倣くらいは出来ようさ」

 

 

 戦場痕はある。多くの戦士の魂が捧げられた場所は存在している。大天魔との戦場が正しくそうだ。

 大結界と獣の領土であると言う性質を利用して、望み得る最良の形で維持出来た。獣の気配に紛れさせる事で、この瞬間まで隠し通す事にも成功した。

 

 太陽の御子は聖王教会の地下に、今の彼女には手を出せないが、そもそも手を出す心算も最早ない。

 己は術者としては、何億年と経とうと未熟な女だ。そんな劣等な質では代替となり切れぬだろうが、それでも量と言う点では十二分。

 

 贄の質は、戦場痕の質と量で誤魔化し通す。完全な模倣は元より望んでいないのだ。最低限、ほんの僅かな時間だけ、形を成せればそれで良い。

 

 

「それで良い。ほんの僅かな時で良い。その一時に、何れ来る世界の形を此処に示そう」

 

 

 求めるのは獣の復活――ではない。彼を呼び起こす為に用意したこの儀式、用いるのは彼の為にではない。

 魅せて貰ったのだ。信じられると、心の底から思えたのだ。ならばこの今に求めるのは、既に終わった者ではない。これより始まっていく者である。

 

 疑似流出。それは創造位階の拡大。この今に芽生えた彼の祈りの効果範囲を、クラナガン全土に拡大する。

 永続展開は出来ないだろう。そもそも効果範囲の拡大すら、数分の維持が精一杯。だが、それだけ出来れば十分なのだ。

 

 

「さあ、始めるぞ。御門顕明、いや、久雅竜胆。私が此処に遺った意味。その全てをこの今に――」

 

 

 狩衣を風に靡かせながら、女は己の名を口にする。

 既に滅んだ彼女はその理に従って、滅んだ者として消えていく。

 

 その刹那に、辿り着いた答えを口にして。

 

 

「新しい世は、新しい世の若者たちに託して逝こう」

 

 

 それこそが、彼女が至った彼女の答え。零れ落ちる人型は、何時しか古き世の姿へと。

 師の真似をして纏った白い狩衣が、何時しか鮮やかな着物に変わった。この今の民の目には醜悪にしか見えないだろう。そんな真の姿を此処に晒す。それでも、女は美しかった。

 

 

「一世一代の大舞台だ! 旧きを生きた者は刮目せよ! 次代を生きる者らは気合を示せ!」

 

 

 何時の間にか腰に携えていた剣を、嘗ての様に抜き放ちながらに天を指す。

 この満天下に伝えよう。嘗て負けた一人の将として、今に立ち向かう彼らへと、伝えるべきは激励だ。

 

 戦場痕(スワスチカ)が淡く輝く。恨みや憎悪に満ちた色ではない。

 この地で敗れた命達。奪われ零れた戦士達。その全ての意志が、彼らの門出を祝福していた。

 

 

「東征の将! 久雅竜胆鈴鹿が此処に宣言する! さあ、お前達――魂、魅せろやぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 そして、彼の願いが溢れ出す。崩れ落ちる女を贄として、トーマの祈りが此処に満ちていく。

 明媚礼賛・協奏。夢追い人が目指した世界。全ての想いを共有する輝きが戦士達へと降り注ぎ、そして――今を生きる彼らの舞台は始まるのだ。

 

 

 

 

 

3.

 先ず真っ先に流れ出した願いに適応したのは、管理局陣営において最も多芸と言えるこの男。

 全てを救うと心に誓った。届かず共に手を伸ばすのだと祈り続けた。そんな黒衣の将官は、此処に新たな力を受け入れる。

 

 

「ディバイドゼロ・エクリプス」

 

 

 魔法も体術もほぼ同等。歪みと機械の身体を得た事での利点は、時の鎧で相殺される。

 それ故に拮抗していた戦闘は、外部干渉が在ればあっさりと傾く物。撃ち合いの最中に伏せられた一撃を、クライド・ハラオウンは躱せない。

 

 白き光が輝いて、囚われた魂を簒奪する。協力者が増えた事で膨れ上がった魂の格。位階差によって強引に遁甲を崩壊させて、クロノは己の父を取り戻した。

 

 

「おかえり。父さん」

 

 

 魂を取り込み、静かに黙祷する。胸に当てた拳で伝える感情は、遅くなり過ぎた迎えの言葉。

 感傷に長く浸っている余裕はない。目を閉じ、呼吸を一つ。そうして目を開けた瞬間には、既に彼は切り替えていた。

 

 

「……とは言え、もう助力は要らないかも知れないがな」

 

 

 異色の目を開いて口にする。此処に居るのは己だけではなく、その力の恩恵を受けているのも己一人ではない。

 クロノが一番早く慣れただけ、故に彼が動かず共に残る二人が対応できる。それだけの力をこの今に、彼らは確かに得ているのだ。

 

 

「オォォォォォッ! 涅槃寂静(アインファウスト)終曲(フィナーレ)!!」

 

 

 盾の守護獣が雄叫びを上げる。その背に負った断頭台が駆動して、彼は此処に全力を行使した。

 斬。切り裂かれる音が響くよりも前に、雲の騎士達が大地へ墜ちる。必ず倒す。その意志を前に、木偶人形では抗えない。

 

 全力を出せば自滅する。それ故に盾の守護獣はこの瞬間まで、消耗を気にして思うように戦えなかった。

 だがそれも最早以前の話。既にその前提が崩れている。両腕を取り戻した今のザフィーラに、時間制限などは存在しない。

 

 

「成程、これが――魂を魔力に変えると言う感覚かっ!!」

 

 

 共有した異能は不撓不屈。無尽蔵に魔力を生み出す力で以って、彼は己の消滅を克服した。

 故にこの今、この瞬間。盾の守護獣はもう止まらない。圧倒的と言うにも生温い、その全霊を躊躇なく使い続ける事が出来るのだ。

 

 雲の騎士は墜ちた。クライドは奪われた。残る者らも確かに粒揃いではあったが、相手が余りに悪過ぎる。

 紅葉の太極が如何に不滅の護りを持とうとも、個々の力量は生前の数値に依存する。対してトーマ・ナカジマの異能は即ち、弱兵さえも神格域へと成長させる力である。

 

 軍勢系の異能としては間違いなく最高峰。高町なのはとトーマ・ナカジマ。この二人の力を加算して共有した時点で、並みの神格では最早手に負えない領域へと全参加者が至っているのだ。

 

 

「ここまでです。天魔・紅葉」

 

 

 故にこれは当然の幕引き。当たり前の道理。振るわれる二振りのトンファーに、屍人の軍勢は蜘蛛の子が如く散らされる。

 既にこの女、シャッハ・ヌエラすらも神格域だ。囚われている死人達では対処が出来ず、止められないならば訪れる結果は論ずるまでもない。

 

 天魔・紅葉は抗えない。戦士ではない彼女は、量で対抗できない質を前にすれば弱いのだ。

 

 

「――っ」

 

 

 如何にか逃れようとして、無数の死者を生み出す女。

 屍人の兵は呆気なく散らされて、後退を続ける天魔の眼前に迫るは鈍器。

 

 

「烈風、一迅っ!!」

 

 

 膨大な密度を誇る魔力を腹へ打ち込まれ、天魔のその身が大きく浮いた。

 生まれた隙を見逃さず、放たれるのは連続攻撃。吐血しながら崩れる女に、それを躱す術などない。

 

 巨大な蜘蛛が崩れ墜ちる。絡新婦の巣が砕け散る。そして――天魔・紅葉は遂に膝を折った。

 

 

 

 

 

 そして、逆転の一手は此処にも届く。トーマの祈りが紡いだ力は、確かに彼へと届いていた。

 彼は不器用な男だ。無数の手札を与えられて、すぐさま使い熟す事など出来ない。そんな器用さなど、生来持ち合わせてはいないのだ。

 

 そも、彼が求めたのは貫く事。決して足を止める事はなく、唯一つを信じ貫く。それだけを求めて来たのだ。今更他の何かなど、最初から必要とはしていないのだ。

 

 

「オォォォォォッ! 乾坤一擲っ!!」

 

 

 故に彼が受け入れたのは己の強化。参加者全員分の力で己の位階を強化して、真っ向からに叩き潰す。

 脳筋此処に極まれり。そうとしか言えない愚直な答えだったが、それでも確かにこの場において、何より相応しい選択だった。

 

 

「……これが、アンタ達の答えだって言うの」

 

 

 影の海が吹き飛ばされる。迫る男の突進を、阻む事すら出来て居ない。

 足を引くのだ。引き摺り下して共に在るのだ。そんな祈りを打ち破るのは、手を引いて共に在ろうとするその願い。

 

 直接の脅威よりも遥かに動揺してしまう。その在り様が、己の願いの鏡写しに見えたから。

 

 

「足を引いて等価になるんじゃなくて、手を引いて等価になる。抱き締めて、支えてくれて、彼の空へ、彼の空の果てへ、連れて行ってくれる星が居たなら私だって――」

 

 

 羨ましい。羨ましい。羨ましい。そんな風に抱きしめて、共に行こうと行ってくれる。そんな誰かが居たのなら。

 妬ましい。妬ましい。妬ましい。空の上でも等価になる事は出来るのに、どうして自分の回りの人々は引き摺り下す事ばかりを願っていたのか。

 

 その輝きに目が眩む。思わず手を伸ばしそうになって、しかし天魔・奴奈比売は伸ばした手を途中で止めた。

 

 

「……いいえ、未練ね。今が満たされているから、きっとそれで十分なのよ」

 

 

 これは未練だ。在りし日に終わった魔女の未練。沼地に沈んだ女は求めて、天魔となって報われた。

 だから今更に望む事でもないだろう。荒れ狂う内心を彼への愛で慰めて、冷静になった奴奈比売はその光を見詰め直した。

 

 

「少しだけ夢想するわ。そういう風に、誰かが助けてくれるなら――そんな誰かが作るんだもの。きっと良い世界よ、それ。……心の底から、住んでみたいって思うくらいにはさ」

 

 

 素直に想う。この輝きは美しく、ならば生まれる世界はきっと綺麗な形だろう。

 伝わって来る願いは一つ。“誰かと手を取り合って、一緒に前へと進む事”。生まれる世界は決まっている。孤独な者など生まれない、天狗道の真逆な世界。

 

 問題は多くあるだろう。陥穽だって今は見えないだけで、長く続けば増えていく。だがそれでも、きっと美しい世界になると確信出来た。

 だから素直に女は口にする。住んでみたいと思えた世界。素晴らしいと感じた世界。外道と地獄の後に続くが此れならば、きっと我らが生き延びて来た理由はあったのだろうと。

 

 

「そうだな。新しい世と、娘たちの為に命を費やす。最期の仕事は、思っていた以上の物だった」

 

 

 影の海を貫きながらに、駆ける男は静かに笑う。

 女が素の表情を見せたからだろう。今の穏やかな表情は、戦地において浮かべる類の物ではなかった。

 

 振り返るのは己の生涯。夢を抱いて入局し、絶望と隣り合わせに戦い続けたその一生。

 諦めない為に、犠牲を良しとした。奪われる命があると言う現状を変えられず、変えようともせず、だからその末路が碌な物ではないと分かっていた。

 

 そんなゼストにとってこれは、正しく望外な幸運だろう。

 歴史の節目。変わり始めた時代の流れをその目に焼き付け、動かす為に逝けるのだから。

 

 

「……頭硬いのね。貴方」

 

「生憎な、今は亡き友にも良く言われたよ」

 

 

 もしかしたら、共有した異能の中には助かる手段もあるかもしれない。

 そんな可能性が脳裏に浮かんでも、男はそれを選ばない。不器用と自覚すればこそ、それでは届かなくなると分かっている。

 

 だから最初から此処が死地だ。そうと決めて揺るがぬ男の泥臭さに、天魔・奴奈比売はくすりと笑った。

 

 

「さあ、終わりにしようか。天魔・奴奈比売――いやさ、アンナ・マリーア・シュヴェーゲリン」

 

 

 影の海を切り裂きながら、奴奈比売へと迫るゼスト・グランガイツ。

 記憶の共有によって彼らの過去を垣間見ながら、それでも下す結論は変わらない。

 

 それは無理解が故でも、ましてや哀れみが故でもない。結論が変わらない理由は唯一つ。

 

 

「お前は我が子らの、そして次代の脅威である。故に、此処で俺と共に終わってくれ」

 

 

 彼ら夜都賀波岐は、納得するまで退かぬであろう。その記憶を垣間見て、確かな確信と共に理解した。

 その闘争。残り続けた意志。彼らに憎悪を抱く男ですらも、其処には敬意を感じずには居られない。だが、それでも彼らは倒すべき敵であるのだ。

 

 倒して、乗り越える。それこそが憎悪を晴らす手段であり、偉大な先人である彼らへの感謝を示す術であり、次代を生きる者らの義務なのだから。

 

 

「ほんっと、子供を背にした親って強いわよね。何か、毎回してやられてるって気がするわ」

 

 

 我が子を生かす為に、大天魔へと挑む父。全てを貫く一擲を前に、空間転移で距離を取りながらに魔女は呟く。

 逃げ回るだけの防戦一方。同格以下に対しては無敵となるゼストは、神格域まで強化された事によって、正しく脅威となっていた。

 

 

「けどね。私だって、唯じゃ終われない」

 

 

 空間を飛び回りながら、何れ追い付かれると理解する。下手に遠くに逃げたとすれば、その距離ごとに貫かれよう。

 故にアンナ・マリーア・シュヴェーゲリンは選択する。それは理屈で考えれば愚策と、そう断じられてもおかしくない行為。

 

 逃げ回るのは此処で終わりだ。残る全ての海を集めて、真正面から迎え撃つ。そんな選択をする。それだけの理由があったのだ。

 

 

「昔の私なら嫉妬して、気が狂う程に羨んで、そんな物を見せられた。それでも冷静で居られるのは、それだけ愛して貰えたから」

 

 

 理由は彼らが纏った光だ。共に在ろうとする優しい祈り。共有の力を前にして、女は心に決めたのだ。

 

 明媚礼賛・協奏。その輝きは、報われなかった魔女には猛毒だ。どうしてあの時に、そう望み求めてしまう程に美しい輝きだ。

 在りし日に見ていたならば、狂乱する程にそれを求めただろう。だが今はそうはならない。それは既にこの輝きを求める必要がない程に、アンナは満たされていたのだから。

 

 愛されていた。抱きしめられていた。だから、耐えられた。そうと自覚する女は、そうで在ればこそ此処では退けない。

 

 

「だから、唯でなんて負けられない。愛された想いに応えられない様な、そんな安い女じゃないのよ! この私はっ!!」

 

 

 黒き影が沸き立つ様に、溢れ出しては荒れ狂う。無間の海を此処に集めて、迫る一騎当千への矛とする。

 無様な敗北だけは出来ないのだ。見定めずに、眼を焼かれただけで墜ちてはいけないのだ。そんな結果は、愛してくれた男への冒涜だろう。

 

 

「全力で行く! だからっ! 超えられるって言うんなら、超えてみなさいよっ!! 無間・黒縄ォォォォォォォォッ!!」

 

 

 正しくこれが全力全開。子を守らんとする父の意志と、男の愛に応えんとする女の祈りがぶつかり合う。

 激しい振動と共に聖王の揺り籠が大地に墜落し、玉座の間は神域の力によって跡形もなく消し飛ばされた。

 

 

 

 

 

4.

 クラナガンの街にほんの僅かな時、満ちて溢れた絆の覇道。その恩恵を受けた者の中には、彼の姿も存在していた。

 荒涼とした砂漠の中心。吹き付ける死の嵐と、振り下ろされる幕引きの鉄拳。それによって崩れ落ちていた金髪の青年が、その身をゆっくりと動かし始める。

 

 指先に力を入れて、溢れる砂を掴み取る。引き摺る様に腕を引いて、崩れたその身を支え起こす。

 震える腕は何度も崩れそうになって、立ち上がろうとした足は幾度も挫けそうになって、それでも彼は起き上がる。

 

 そうとも、苦しい戦いは今回限りの事ではない。地獄の様な苦しみも、勝てないと思わせる絶望も、所詮何時もの事なのだ。

 その度に立ち上がれたのは、そうする理由が胸にあったから。心に感じる熱は未だ消えていない。ならばそう。今回だって立ち上がれる。

 

 最強の怪物を前に、最弱の人間は立ち上がる。

 何の力もない青年は己の意志で立ち上がって、誰よりも強大な存在に向かって告げた。

 

 

「じゃあ、始めようか」

 

 

 戦いを始めよう。そう語り、拳を握る。震える足で大地を踏み締め、腰を落として構えを取った。

 

 この絶死の世界。無間地獄の主を前にして、ユーノは拳を握る。

 特殊な異能は使えない。他人と渇望を共有していても、ユーノ・スクライアでは使えない。

 

 狂気にしか思えぬ程の精神性を持っていても、彼は人として真面に過ぎるのだ。

 故に例え他者の願いを内に取り込もうとも、その異能を再現する事は出来ない。それでも、今の彼は先程までとは違っている。

 

 不完全な形での疑似流出。その恩恵を確かに得ていて、ユーノは戦う力を手に入れた。

 それは単純な身体能力。そしてこの地獄に耐え得るだけの魂強度。たったそれだけを武器にして、彼は最強へと挑むのだ。

 

 

「…………解せないな」

 

 

 立ち上がり、拳を構えるユーノ・スクライア。その姿に、天魔・大獄は疑問を抱く。

 どうして立てると言うのか。どうして立ち向かえるのか。例え力を得ようとも、傷が癒えた訳ではない。

 

 

「今も、苦痛に苛まれ、死した方が、余程楽であろうに……」

 

 

 その身は既に満身創痍だ。自己再生の異能などは使用できずに、治療の魔法も使えていない。

 魔法を喪失したと言う意識が影響しているのだろう。共有できる状態になっても、小器用に他者の力を借りられないのだ。

 

 満身創痍は肉体だけの話じゃない。寧ろ心に付いた傷の方が遥かに重いと言えるだろう。

 幕引きの拳によって殺害されて、苦しみのたうち回りながらに蘇生される。そんな生き地獄を繰り返して、心が摩耗しない筈がない。

 

 

「お前は、何故、戦える」

 

 

 だと言うのに、青年は拳を構えている。揺るがず己の意志を示している。

 どれ程に傷付いたのか、分からぬ程に傷だらけ。死んだ方が遥かにマシな、そんな場所で生きている。

 

 

「何故、憎まずに居られる」

 

 

 その生き地獄。突き落としたのは天魔・大獄と高町なのは。彼を今尚苦しめ続ける二つの要因。

 恨んで然るべきだ。憎んで良い筈だ。それが自然と言うのなら、今の彼こそ不自然の極み。どうして己の死すら嘲弄する元凶を、恨まずに居られると言うのか。

 

 死を弄ばれた過去がある。故にこそ誰よりも、それを愚弄する者を許せない。

 そんな過去を持つが故に抱いた疑問。最強の怪物が零した疑念を耳にして、ユーノ・スクライアはくすりと笑った。

 

 

「君さ。女の子を本気で好きになった事、ないだろ」

 

「……なに?」

 

 

 小さく笑ったユーノが口にするのは、そんな場違いにも程がある言葉。

 呆気にとられて問い返す大天魔を前にして、彼は誰に憚るでもない己の想いを口にした。

 

 

「舐めるなよ。ミハエル・ヴィットマン。彼女の愛は、呪詛じゃない」

 

 

 再演開幕。その力によって引き起こされる強制蘇生。苦痛に満ちたその生は、しかし決して呪詛ではない。

 呪いだなんて認めない。愛する人に生きて欲しいと望まれて、それをどうして憎めよう。この愛は誰に否定されたとしても、決して呪いなどではないのだ。

 

 

「哀れむなよ。ミハエル・ヴィットマン。僕らの想いは、哀れみを受ける様な物じゃない!」

 

 

 愛した女に、心の底から愛された。その結果が無限に生死を繰り返す地獄だとしても、それは哀れまれる物ではない。

 愛しているのだ。心の底から女を愛していて、その女から狂おしい程に求められている。其の全てを愛せると言うならば、どんな結果であっても悲劇などには成りはしない。

 

 

「惚れた女が、死んでくれるなって言ってんだ! だったら――」

 

 

 死んでくれるなと望まれた。ならば生きて共に歩こう。太陽である君と一緒ならば、どんな地獄の底でだって生きていける。

 その覚悟がある。ならば哀れまれる理由がない。共に地獄を進みたいのだと願っている。ならば其処から救いだそうとする行為であっても、それは侮辱と変わらない。

 

 女の狂愛を受け入れて、男は此処に拳を握る。大きく大地を踏み締めて、裂帛の意志と共にその拳を打ち出した。

 

 

「男の冥利に尽きるって、もんだろうがっ!!」

 

 

 御神不破が奥義・閃。打ち出された鋼鉄の右腕が、黒き鎧を揺るがせる。

 きしりきしりと軋みを立てて、大獄の鎧が砕け始める。黒き虎の甲冑には、拳の痕がはっきりと残っていた。

 

 

「……なるほど」

 

 

 その一撃を胸に刻んで、最強の天魔は最弱の人間を静かに見詰め直す。

 睨み返す青年の瞳は揺るがなく、最強への恐怖はない。あるのは唯、生きていくのだと言う意志だけだ。

 

 その瞳の先、浮かんだ光が彼にとっての太陽か。

 女への愛を理由に生きる。己には分からぬ感情だが、戦友を思い出させる好ましい強さ(アマさ)だった。

 

 

「非礼を詫びよう」

 

 

 故に非礼を詫びる。見誤っていたのだと確かに認める。

 謝罪をしたのは、彼らの愛を理解したからではない。狂気に堕ちた女の駄々など、理解しようとすら思えない。

 

 それでも、誤っていたのだと理解する。それは彼への認識だ。

 

 天魔・大獄から見て、ユーノ・スクライアとは死を弄ばれた犠牲者だった。

 狂気の愛で縛られて、死ぬ事すらも出来なくなった哀れな男。女の呪詛を跳ね除ける事も出来ない弱い男。そんな認識だったのだ。

 

 だが、違うと分かった。彼の言葉は理解出来ずとも、彼の意志なら理解できる。

 あの甘い戦友と同じく、この男の愛に生きる人間だった。どれ程に辛い地獄の中でも、前に進める人間だった。

 

 そんな“人間”を、天魔・大獄はこう定義する。

 

 

「お前は、戦士だ」

 

 

 どれ程に弱くとも関係ない。例え吹けば飛ぶ程に儚くとも、その尊さは決して揺るがない。

 強弱ではなく、重要なのは意志の強さ。心が強い人間こそが、正しく戦士と呼ぶべき人種。天魔・大獄が、全霊を以って向き合うべき存在なのだ。

 

 

「戦士には、相応しい幕がある」

 

 

 故にこそ謝罪を――幕引きの拳だけで終わらせようなどと、それこそが侮辱であった。

 なればこそ全力を――この男には、己の全てをぶつけて、終わらせるだけの価値がある。

 

 これを使えば自滅する? いいや最早関係ない。これを使わずに終わらせる事など、どうして出来ると言うのであろうか。

 過剰な火力に過ぎるだろう? いいやそんな筈はない。相応しい戦士に、相応しい幕を与えようと言うのだ。それがどうして、不足が過ぎると言う話になるか。

 

 故に、天魔・大獄はゆっくりと動き出す。

 敬意を向けるべきと定めた敵を此処に、己の全霊で打ち破る為に。

 

 

「俺の終焉を見せよう」

 

 

 キシリ、キシリと軋みを立てて、最強の怪物の腕がゆっくりと曲げられる。

 その五指は己の頭部へと。その顔を覆う黒き虎面をした兜。それを外す為に、ゆっくりと動いている。

 

 いいや、実際には緩慢な動作と言う訳ではない。そう見えているだけだ。

 死の直前に起こる脳の錯覚。これはそれと同じ物。強烈な死臭を感じて、脳が体感時間を停滞させているのである。

 

 これは駄目だ。この先は駄目だ。それを見ては駄目だ。理由もなく、直感する様に感じている。

 五指で掴んで、ゆっくりと動き始める虎の面。その下にある物こそが、この地獄の中心地点。最も濃度と密度が高い場所。

 

 それは全てを滅ぼす力。死後すら殺す絶死の力。全てを終わらせる、死の極点に位置する虚無だ。

 

 止めないと、だが止められない。兜を手にして、外すだけ。そんな僅かな動作に付け入る隙などある筈ない。

 故に、その終焉は止められない。その絶望には抗えない。ユーノ・スクライアは動けずに、天魔・大獄はゆっくりと――その虎面を外し始めた。

 

 

 

 

 




逆転のムード。それを一瞬で覆すKYなマッキー。
ヤンデレって男側がイケメンだと、純愛になるんだよねってのが今回の話。



〇オリ創造解説
【名称】明媚礼賛・協奏(アインファウスト・シンフォニー)
【使用者】トーマ・ナカジマ
【効果】効果対象者全員での能力共有。共有する物は、特殊な異能から経験記憶知識に至るまで全て。数値化可能な物は、合算した上で共有する。味方の強化と言う一点においては、これ以上がないと言う特殊能力。対象の中に一柱でも神が居れば、全員が神格保有者になれると言う反則な力。しかし強力な反面、欠点も多い。

 先ず一つに異能を共有しても、使い熟せるかどうかは個人の資質に依存する事。エリオやクロノの様に共有した全ての異能を使い熟せる者も居れば、ゼストやユーノの様に自分の能力以外全く使い熟せない者も出てくる。
 次の二つに全員を同等にしてしまう為、使用者が対象者に対し強制力を持てない事。反逆や内部分裂が起きた際、トーマは何も出来ずに討たれる危険を常に負う。
 そして最後に、一人では全く役に立たない事。手を取ってくれる誰かが居て初めて、これは意味を為す異能である。

 因みにこの異能が流れ出した場合、世界法則は“特別な人と必ず出会える”と言う形になる。

 誰だって必ず、素晴らしい出逢いに恵まれる。それが唯一無二の世界法則。
 大切な人が一人でも居れば、誰だって前に進める筈だ。そんな祈りが生み出す世界は、孤独な者を生み出さない。

 あくまで自由意志を尊重する世界故に、出逢いを大切にするかどうかは本人次第。だがそれでも、機会がなく何も得られないと言う者は決して生まれはしないだろう。

 望まずとも必ず一度は誰かと触れ合う事になる世界に成る為、波旬にとっては間違いなく地獄である。


Q.詰まりどういう意味だってばよ!?
A.トーマは縁結びの神様だったんだよ!!


【詠唱】
「風は競い合って吹きすさび、華やかな大地を旋回する」
「海から陸へ、陸から海へ、絡まり連なり、永劫不変の連鎖を巡らせる」
「そは御使い称える生々流転。美しく、豊かな生こそ神の祝福」
「優しき愛の囲いこそ、誰もが願う原初の荘厳」
「Briah――明媚礼賛(アインファウスト)協奏(シンフォニー)

※詠唱文はゲーテのファウスト、日本語訳より拝借。練炭が使ってない場所を切り貼りして、単語を同義語や類語で入れ替えただけ。





〇おまけ たった五行で分かる、今回のあらすじ。





ユーノ「君さ。女の子を本気で好きになった事ないだろ」
マッキー「漢の戦場(意味深)に、女子供は必要ない」
(゚o゚ ) 「……え?」

┌(┌ ^o^)┐「そして――お前も戦士だぁ」

Σ(゚д゚;)「ア゛ーッ!?」






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第二十五話 失楽園の日 其之拾壱

〇今回のネタバレ
なのは「おじいちゃん! 何か頂戴!!」
獣殿「ああ良いとも。持って行くが良い」つ聖槍


1.

 重厚な扉が音を立てて開いていく。先に見えるは絢爛豪華な玉座への道。

 目を焼く程の黄金。光り輝くのは踏み締めた大地ではなく、見上げた先に座す男。

 

 美しい。至高と語る他に言葉がない。人体の黄金比を孕んだ美丈夫。

 だが彼が宿した美麗さとは正の物ではなく、退廃さを感じさせる負の性質。正しく魔性と呼ぶべき者だ。

 

 

「此れまで道程。その最中で、卿は知った筈だ」

 

 

 玉座に腰掛けた男は、微笑と共に眼下を見下ろす。遥か高みより見詰める瞳は、愛玩動物に向けるかの如き慈愛の色。

 長い黄金の髪はまるで獅子の鬣が如く、美麗さは正しく化生の性質。慈愛の笑みを浮かべてはいるが、同時に隠し切れない程の威圧感を振り撒いている。

 

 一目見て飲まれそうだと、一つ言葉を聞いて呑み込まれそうだと、思ったなのはは即座に腹に力を入れる。

 退いたのは一歩。飲まれたのは一瞬だ。すぐさま意識を持ち直した女の姿を見詰めて、軍服の男は目を細めて笑みを深めた。

 

 

「穢土・夜都賀波岐。今はそう呼ばれる彼らの真実。其処に何があったのかを」

 

 

 これは古きに滅び、そして今の時代に再び生まれ落ちた存在。修羅の残影ではなく、再誕しようとする修羅の王。聖なる槍に宿りし至高天。

 高町なのはは彼を知らない。夜都賀波岐の記憶群。擦れたそれは獣の視点より語られた物。観測者は観測を行う自身を視る事が出来ぬ様に、高町なのはは獣を知る事が出来ていない。

 

 それでも、何となくは分かる事がある。それは一つ、この獣が敵ではない事。

 彼が敵になる可能性があるとするならば、それはこの先に待つであろう問答。それに如何に返すか、と言う点に終始しよう。

 

 全ては己次第なのだ。故になのはは背筋を正す。

 折り目を正し、超越者に向かって、真摯であろうと意志を見せる。

 

 その意志の在り方に笑みを浮かべながらに、黄金の獣は女を見定める為の言葉を掛けるのだった。

 

 

「その上で、問おう。聞かせて欲しい」

 

 

 椅子に座したまま、獣は高みより問い掛ける。超越者は神の慈愛を以って、小さき者を見定めている。

 聖餐杯はなく、再誕の儀礼は異なる要素に用いられた。故に今の獣は、槍の外へと出られない。無理をすれば力の行使は出来ようが、然程長くは続かない。

 

 故に見定めるのだ。故にこそ問い掛けるのだ。この今に託すのか、或いは己が再びに世に顕現するべきか。

 太陽の御子と言う血筋。故に器と成り得る可能性を持つ女なればこそ、見定めなくてはならない。既に()()()()()()()()()()()()女だからこそ、その胸中を知らねばならない。

 

 

「卿は今、何を想う?」

 

「私は――」

 

 

 先の光景を見て、何を想ったのか。英雄達の真実を知り、何を抱いたと言うのか。

 黄金の君はそれを問う。疑問を向けられて、高町なのはは僅かに詰まった。それは彼に飲まれたから、ではない。

 

 その答え。感じた想い。それを上手く言葉に出来ぬのだ。故にこそ戸惑う様に、女は己の言葉を探す。

 女の様子に気付いた黄金は、慈愛の瞳で彼女を見守る。此処は現実の時間軸からは僅かにズレた場所。故にどれ程に時が経とうとも、然程問題とはならない。

 ならば此処に問題となるはどれだけ待てるかと言う個人の器で、器の大きさで彼に勝る者などいない。故に問題などはないのである。

 

 

「悲しい恋人達が居ました。悲恋に終わった者達と、残された者の慟哭を知りました」

 

 

 少し考え込んでから、高町なのはは一つ一つと順を置いて言葉を示す。

 如何にか浮かんだ答えをすぐさま口にするだけでは、己の意志を伝えきれぬと感じていた。

 

 故に一つ一つと振り返りながら、見た光景への想いを此処に口にする。

 

 

「道を間違えた母子の姿がありました。愛して欲しくて、愛せなくて、間違い続けた姿が其処にはありました」

 

 

 振り返るのは、見せられた過去。感じているのは、真に迫る程の彼らの悲哀。

 

 櫻井戒とベアトリス・キルヒアイゼンに櫻井螢。悲恋の恋人達と残された少女。

 氷室玲愛とイザーク・ゾーネンキントにリザ・ブレンナー。捨てられた子供達と捨てた母親。

 

 ボタンを掛け違えた。その程度の擦れ違い。生まれた状況が悪かった。そんな致命的な不運。

 積もりに積もった要因が、起こるべくして破綻を起こした。英雄達の悲劇はある種、必然と言うべき物だったのだろう。

 

 何か一つでも違っていたら、そんな程度で避けられた破滅ではなかったのだから。

 

 

「友達の姿がありました。同じ様に飛び立っては行けなくて、それでも彼の星に憧れ続けた姿がありました」

 

 

 神に定められた演者達。作為的な悲劇によって生み出された英雄達。その中には確かに、友と呼んだ女も居た。

 そんな彼女を知る事が出来たからだろう。彼らが怪物ではないと分かっていたからだろう。嘗てにあった胸を突く程の慟哭は、人間らしさに溢れていた。

 

 だからこそ、あの時感じた答えは一つ。高町なのはは結論付ける。

 

 

「あの人達は、“人”でした。恐ろしい怪物なんかではなくて、超えなくてはいけない英雄であるより以前に――当たり前の人だったんです」

 

 

 一部の場面を切り抜いただけの回想だったが、それでも伝わって来るには十分だった。

 憤怒が、哀愁が、慟哭が、渇望が――そして何より、愛があった。だから高町なのはは、彼らを“人”と定義する。

 

 

「卿は“人”と、彼らエインフェリアをそう呼ぶかね」

 

「人ですよ。悲しいくらいに不運で、泣きたくなる程に異常で、それでも彼らは人なんです」

 

 

 哀切に涙し、怒号を叫び、歓喜を口にし、愛を交わす。それは誰しもが当たり前に行う事。

 彼らは情がない怪物ではなく、怒りの日に踊り狂った英雄と言う演者ではなく、等身大の人であったのだ。

 

 少なくとも、高町なのはの瞳には、そう見えた。

 

 

「私は彼らの過去を視て、そう想いました」

 

「そうか――ならば卿にとっては、彼らは“人”なのだろう」

 

 

 高町なのはが下した答えを、この黄金は否定しない。

 彼女の語る人の定義が、彼らの功績を貶める様な物ではないからだ。

 

 我も人、彼も人、故に対等。そう語る言葉がある。彼女が人間と認めた理由はそれに近い。

 同じ様に考え、同じ様に想い、同じ様に生きれる。そんな存在は人なのだと、それ以外の何だと言うのか。

 

 彼らは人だ。夜都賀波岐は古き世に生きた人でしかないのだ。

 先人として敬おう。此処に繋いでくれた偉業に感謝をしよう。それでも、その本質はきっと変わっていない。

 

 それが先の光景を見て、高町なのはが感じた想いの一つであった。

 

 

「それとこの過去を視て、私は私の役目を知りました」

 

 

 そんな唯の人間たち。彼らが必死になって、繋いで来た結果としてあるこの世界。

 偉大な先人を前にして、高町なのはが為すべき事。何を為せるのかと言う事。その答えは既に出ていた。

 

 

「本当にそれで良いのか。何度も何度も迷いました。その役を果たしたとして、その先に何があるのかと」

 

 

 過去を巡る途中で理解した。いいや、本当はずっと前から気付いていた筈だった。

 為すべき事を為したとして、果たして先などあると言うのか。足踏みしたい理由もあって、だから彼女は是幸いと迷っていた。怠惰に甘えていたのである。

 

 けれど、それももう終わり。時代は岐路に到達した。

 既に零れた水は盆へと返らない。このままでは撒き散らされた水は滞って腐ってしまうから、そうならない様に流れる川へと変えねばならない。

 

 ならばこそ、もう足を止める必要などはない。もう足踏みをする事など、どれ程に望もうと出来はしないのだ。

 

 

「その答えは――あの子が教えてくれました」

 

 

 玉座の間に流れ込む色。薄い蒼色をした魔力の霧に、なのはは指先で触れる。

 途端に共有される記憶と知識。この黄金の玉座にまで届いて来るのは、トーマ・ナカジマの絆の力だ。

 

 そんな次代の輝きになのはは微笑み、彼女を介して触れた黄金もまた笑みを深くした。

 

 

「ああ、良き子たち。いや、良い英雄たちだ。……卿の連れ合いも含めて、な」

 

「にゃ、にゃはは」

 

 

 触れた瞬間に流れ込んでくる記憶の中、終焉の地獄で啖呵を切る青年の姿が浮かぶ。

 

 愛し過ぎて壊されてしまった。それでも変わらず愛している。

 そう語れる男の想いに触れた女は頬を仄かな朱に染めて、直した筈の口癖で恥ずかしそうに笑うのだった。

 

 

 

 

 

 そうして少し、間を置いた後。微笑みながら見守る黄金を見上げて、高町なのはは言葉を紡ぐ。

 

 

「私、歩くの遅いんです」

 

 

 高町なのはは歩くのが遅い。それはずっと昔から、変わらず思って来た言葉。

 歩いていては届かない。大切な者は何時も何時も、あっという間に流れてしまう。歩いていては、届かないのだ。

 

 けど、だからと言って、諦める事なんて出来ない。だから、彼の空の星を目指した。

 

 

「彼の空へ行こうと、星を見上げて飛び立った。ずっと飛んでないと追い付けないから、地面なんて見ている暇がない」

 

 

 歩いていては、届かない。走り出しても、まだ遅い。休まず空を飛び続けて、漸く見えるその高み。

 だから歩く事は出来ない。走っているだけでは意味がない。駆け抜けていく人に追い付くには、空を飛び続けていないといけない。

 

 他人なんて導いている余裕がない。正しい世の中なんて、描いている暇がない。新しい世界を生み出す事など、元から高町なのはには不可能なのだ。

 

 

「私は星になりたい。彼みたいに、あの空で輝ける様に」

 

 

 そんななのはが、願ったのはたった一つ。とても綺麗なその人の傍らで、共に光り輝く事。

 遠く遠く、気が付けば遠くに行ってしまう儚い月。今も昔も、その背中だけを追い掛け続けている。

 

 

「目指す先は命の答え。解脱と言うその理。其処を目指して飛び続けるから、他の物なんて目に入らない」

 

 

 だからこその解脱の意志。人類総解脱などとクロノ・ハラオウンは語った夢。皆で目指すと語り合ったその未来。

 だが、心の底では何処か皆とズレている。それを此処に、なのはは理解した。その綺麗な題目に酔える程、この女は優しくなれないのだ。

 

 本当は他人なんてどうでも良い。心の底にある真実は、己がそうなりたいと願う祈りだけ。

 その背中が輝いているから、追い付きたいと願うのだ。だから自分は追い掛けて、それだけで彼女は完結している。

 

 高町なのはは求道の器だ。目指した先は唯一つ。誰より素晴らしいと誇れる恋人の様な、素敵な人間へと至る事。己が解脱する事こそが、求道者としての女の夢。

 

 

「……卿は、理解しているかね?」

 

「ええ、分かっています。私は決して、()()()()()()()()

 

 

 だが、その願いは叶わない。高町なのはは求道の器だ。

 彼女は最早、神の領域に至っているのだ。解脱とは、余りに方向性が違い過ぎている。

 

 

「この身はもう人ではない。逆方向に極まってしまった。私はもう、貴方達と同じ域にいる」

 

 

 願えば願う程、求道神としての性質が強くなっていく。そうなりたいと思い描く度に、そうなるべき姿から外れていく。

 空を飛ばねば追い付けない。だが、空を飛んでいては辿り着けないのだ。故にこそ、これは愚者の願いだ。決して叶う事がない愚かな祈り。

 

 

「解脱に至れるのは唯人だけ。求道や覇道の神々では、方向性が逆過ぎる。渇望で向かえる様な、そんな場所ではないんでしょう」

 

 

 何時からか、その事実に気付き始めていた。あの日に彼が己の足で、その瞬間から外れ始めていた。

 高く飛べば飛ぶ程に、速く飛べば飛ぶ程に、目指す道が分からなくなっていく。見えていた筈の星空が、遠く遠く霞んでいく。

 

 だからこそ停滞していた。無意識に足踏みをしていたのは、それが故だろう。

 今になって漸く気付く。神となって漸く分かる。高町なのはは、人で居たかったのだ。

 

 

「それでも、私が輝きたいのは彼の星空。彼が居るあの星空。決して辿り着けない事が分かって、飛び続ければ離れて行くと分かっていて、それでも――彼の星空に行きたいと願うんです」

 

 

 もう至れないと分かって、それでも目指すのは彼の星空。

 目指せば目指す程に外れていくのに、それでも向かい続けるのは彼の星空。

 

 最高の人に相応しくなる為に、解脱を目指し続ける求道神。

 決して満たされる事なきその渇望は、彼女を無限に強化する。決して叶う事がないからこそ、彼女は最も強大な戦神へと成り果てるのだ。

 

 

「だから、私は新世界を生み出せない。私は歩くのが遅いから、望んだ道は余りに遠いから、他の物は目に映らない」

 

 

 破壊。戦闘。その限りにおいて言えば、恐らく歴代でも最高位に至れるだろう。

 叶わない願いを永劫追い続けるからこそ、彼女は壊す事に向いている。他の誰よりも、その役割こそが相応しい。

 

 

「だから、本当にそれで良いのか。何度も何度も迷いました。私が為すべきと感じたその役を果たしたとして、その先に何があるのかと」

 

 

 気付いて、それでも変われない。変わりたいなどとも思えない。至れないと分かって、それでも渇望は肥大化するのだ。

 解脱を目指すからこそ、彼女は求道神として強くなる。人に成りたいと願えばこそ、彼女は何処までも強くなる。そんな彼女が破壊者ならば、彼らこそが世界を産む者。

 

 

「トーマは前に進んでくれた。神様になんてなりたくないと泣いてたあの子が、大切な人に誇れる様に強くなろうと進んでくれた」

 

 

 神様になんてなりたくないと、そう叫んだトーマ・ナカジマ。今に至って本当の意味で、彼の言葉に共感できる。

 そんななのはは、だからこそ感動している。力への意志を手に入れて、新世界を目指した彼の決意。その尊さを、きっと誰より分かっている。

 

 

「エリオは優しさを理解した。助け合う事を分かってくれた。競い合いしかなかった地獄が、確かに違う形に変わる。だから、もう大丈夫」

 

 

 救われない人にこそ、救いの手を与えたい。そんな風に心の底から願っていたエリオ・モンディアル。

 嘗ての彼には共に歩ける人が居なかった。だからこその共食奈落で、だけどもう地獄にはならない。烈火の剣精が、そしてトーマが、彼に大切な事を伝えてくれたのだから。

 

 

「今のあの子達になら任せられる。きっと良い世界を作ってくれる。だから、私が為すべきは世界を作り変える事じゃない」

 

 

 新世界は彼らに託そう。どちらが勝ったとしても、手放しで受け入れよう。

 そう認めるに足る輝きを見せて貰った。だからこそ生み出す事の出来ない破壊者は、異なる事に己が力を使うべきなのだ。

 

 

「為すべきは一つ。先を阻む過去を切り裂いて、あの子達が進む未来を生み出す。その為に――」

 

「世界を、壊すか」

 

「はい」

 

「卿はこの世界を、永遠の刹那を破壊しようと言うのだな」

 

「それが、私の為すべき役目だって、思うんです」

 

 

 黄金の王を前に、高町なのはは意志を紡ぐ。彼に誓うかの様に、己の意志を此処に示す。

 

 

「大切な出逢いがありました」

 

 

 ユーノ・スクライア。アリサ・バニングス。月村すずか。

 出逢いはそれこそ無数にあった。この世界がなければ、出会えなかった人々が確かに居た。

 

 

「悲しい別れがありました」

 

 

 フェイト・テスタロッサ。八神はやて。アンナ・マリーア・シュヴェーゲリン。

 生きて別れた人も居れば、死別した者らも沢山居る。もう逢えないと思えばこそ、悲しいと思わずには居られない。

 

 だがそんな悲しさすらも、世界がなければ抱けなかった感慨だ。

 

 

「優しい日々が此処にはありました」

 

 

 優しくて、暖かな日々があった。日溜まりの様な温かい日常は、掛け替えのない刹那の宝石。

 

 

「辛い日も、泣きたい時も、沢山沢山、ありました」

 

 

 挫けた時は数え切れぬ程、頬を幾度の涙が濡らした事か。だがそんな日々すらも、何に替える事も出来ない輝き。

 

 

「色々あったけど、答えはきっと唯一つ。胸を張って断言できます。私は幸せだったんだって」

 

 

 言葉にすれば唯一つ。己は幸せだったのだ。彼女は確かにそう想う。

 感謝の言葉を上げれば際限などはない程に、高町なのはは想っている。

 

 父母に、出会った人々に、生まれた故郷に、この世界に――全てに感謝を抱いている。

 

 

「幸福に感謝を。この時をくれた神様へ、向けるべき言葉は唯一つ」

 

 

 ならばこそ、送るべき言葉は唯一つ。

 綾瀬の口伝を果たす日が、遠い時の果てにやって来たのだ。

 

 

「今まで有難う。私達はもう大丈夫です。……だから安心して、眠ってください」

 

 

 もう大丈夫。歩く道は見えていて、其処に向かう事ならもう自分達だけで出来るのだ。

 だからこれ以上頼るのは終わりだ。世界の揺り籠。今の人にとっての楽園。天魔・夜刀を倒す為の行進は、今日この日より始まるのだ。

 

 

「愛してくれたあの人に、その言葉を伝える為に――私は今を壊します」

 

 

 愛された事を知っている。今も愛してくれていると、そんな事は分かっている。

 それでも壊すと此処に決める。愛されているからこそ、己の意志で壊すと決めた。

 

 

「憎むからじゃない。恨んだからじゃない。哀れんだ訳でもない。与えられた義務感や、押し付けられた役目や、綾瀬の口伝だけが理由な訳じゃない!」

 

 

 憎悪や哀切がないとは言えない。口伝を果たそうと言う意志もある。

 だが一番大きな理由はそうではない。そうとも、愛されたのだ。ならば――我らも愛するが道理であろう。

 

 

「私はこの世界を愛している! 彼と出会えた! 皆と出会えた! この時を守ってくれた人を、この世界そのものである人を、娘が父を想う様に愛している!! だから――っ!!」

 

 

 今も苦しみながらに世界を回す偉大な神よ。愛すればこそ、その命に幕を引こう。

 貴方達の役割は終わったのだ。後を継げる程に育ったのだ。だから、もう眠って欲しい。

 

 この想い。相応しい言葉は以前に、伝聞として聞いていた。

 その時には理解出来ず、今になって漸く分かった。そう。この言葉こそが、何より相応しい答えであろう。

 

 

「真に愛するならば壊せ! ――真に愛するからこそ、壊すんだ!!」

 

 

 真に愛するからこそ、今の世界を滅ぼす。

 全霊の礼賛と愛情を以って、偉大な神を終わらせる。

 

 それが、高町なのはの下した答えだ。

 

 

 

 

 

 これは如何なる奇縁であろうか。如何なる運命の帰結であるか。

 黄金の君は胸を打たれる。輝きに僅か眼を凝らして――そして数瞬、理解した直後に腹の底から笑い始めた。

 

 

「クク、ハハハ、ハァーッハハハハハハハハハハッ!!」

 

「にゃっ!?」

 

 

 其れまでの威圧感など消し去って、子供の様に笑い転げる修羅の覇王。

 玉座の上で腹を抱えているその姿に、呆気にとられたなのはは子供の如く驚き戸惑う。

 

 数分か、数十分か、腹が痛くなる程に笑い続けた。そんな黄金の姿に、我に返ったなのはは不機嫌そうな顔をする。

 そんなに嗤われる事を言っただろうかと、膨れ上がった己の系譜。その反意を愛でながら、呼吸を整えた獣は笑みの残滓を残しながらに詫びた。

 

 

「いや、済まない。卿の決意を嗤った訳ではないのだ」

 

 

 無様と嗤ったのではない。可笑しくて笑ったのだ。

 余りに奇縁だと、これが運命かと、可笑しくて可笑しくて――何より、嬉しかったのだ。

 

 

「唯、奇縁だと思ったのだよ。まさか、私がその言葉を聞く側に回るとはな」

 

「……何のこと、ですか?」

 

「何、取るに足りない。戯言に過ぎんよ」

 

 

 彼女は知らない。その言葉を口にしたのが誰であったのかを。

 黄金の獣も見せてはいない。必要な光景だけを見せた。だからこそ、なのはは知らないのだ。

 

 この黄金の君が語った愛を、その忠実なる臣下が受け継ぎ遺した。

 その忠臣に育てられた女が伝え聞いており、彼女から機動六課へとその言葉は託された。

 

 それは所詮伝聞。さして重要と思わなければ、記憶の底に埋もれていたであろう事。

 その言葉を此処で口にする。伝え聞いた言葉から、これこそが相応しいと選んで口にする。それはきっと、女が彼に似ているからだ。

 

 

「だが、そうだな。愛するならば、壊さねばなるまい。これ以上、彼を苦しめてしまう前に」

 

 

 黄金の瞳でもう一度、修羅の王は女を見詰める。その明るい栗毛は、曾孫であった少女に良く似ていた。

 容姿と言う面ではその程度。もう一方の息子の方が似ていよう。だが彼とは違う。内面が母親よりだった彼よりも、この女の内面は己に良く似ている。

 

 愛するからこそ壊そうなどと、前知識もなしにその解に至る。これを似ていると言わなければ、一体何が似ていると言えるのだ。

 

 

「私が卿を此処に招いたのは、卿らに嘗てを伝える為にだ。愛する者らが憎み合って殺し合う。それが戦い続けた先に与えられる褒賞では、余りに刹那が報われぬ」

 

 

 この瞬間に、女は彼にとっての特別となった。己の血を引く者であると、確かに獣は女を認めた。

 彼は全てを愛する獣だが、それでも好む事象や特別な相手と言う者は居る。高町なのはは、そんな獣の特別となったのだ。

 

 

「だが、卿は私の想像以上の答えをくれた。愛するが故に討つと、その言葉を聞かせてくれた」

 

 

 特別な子供を前にして、黄金の獣は微笑みながらに腕を振る。

 その腕の動きに合わせて玉座の間を切り裂く様に、黄金に輝く槍が出現した。

 

 

「故にだ。これを持って行くと良い」

 

 

 誓約・運命の神槍。現実世界においては、この女を今も貫いている獣の槍。

 ジェイル・スカリエッティは起爆剤に使おうとした様だが、黄金の獣は其処から更に一歩を進ませる。

 

 この槍を、高町なのはに引き継がせる。己の復活は望まずに、全てを己が後継に託すのだ。それが、黄金の下した決定だった。

 

 

「今も卿の身体を射抜くこの槍。これは本来なれば、その時代の覇者にしか持てぬと言う物だ」

 

 

 聖なる槍を手にした者は世界を制する。故にこそこの槍は、世界を制する覇を持つ者にしか使えない。

 卵と鶏。どちらが先かと言う話だが。世界を制する者にしか使えないからこそ、これは世界を統べるに値する槍なのだ。

 

 

()()()()()()()()。唯人になりたいと願う卿では、本来これを手にする事など出来はしない」

 

 

 高町なのはに覇道はない。彼女に王たる資質はない。故に本来なれば、これを使える筈がない。

 力で無理矢理動かす事は出来るだろう。両手を焼け爛らせながら、振り回す程度は出来るだろう。だがそれでは、態々与える意味がない。

 

 故に玉座より立ち上がった黄金は、その手に槍を握りしめる。

 そうして数歩進んで高町なのはの傍へと近付くと、その槍を彼女に直接手渡した。

 

 直接手渡された黄金の槍。握り締めた掌に、返る反発の気配はない。

 新たな担い手は相応しくないと、そう断じる黄金の槍。それを獣が己の気配で、強引に抑えつけていたのだ。

 

 故にこそ、一切の抵抗を受ける事なく、高町なのはは継承する。

 受け継いだ神威の波動で己の殻を砕かれながら、彼女は羽化の時へと至らんとしていた。

 

 

「それでも私から譲り渡すと言う形でならば、卿が扱う事も適うだろう。人になりたいと願う卿には不要かもしれないが、神々が覇を競う戦場に立つならば必要だ。使わなくなるその日まで、持って行くが良い」

 

 

 これは反則的な手段。前代の所有者から直接譲度すると言う方法で、資質のあるなしを誤魔化したのだ。

 所有者としての資格はないが、既に所有しているから問題はない。そんな頓智の様な抜け穴狙い。それが此処に成立した。

 

 これは所詮裏技だ。黄金の資質を借り受ける形となった彼女ではどれ程に力を注いでも、前任者以上にこの槍を使い熟す事は出来ない。

 そして槍に相応しい“この時代の覇者”と敵対したならば、高町なのはは必ず聖槍を奪われる。抵抗すら出来ずに、槍の所有権を失うのだ。

 

 そんな欠点を持ちながらも、それでも黄金の槍は正しく至高の武具が一つ。必ずや、これからの戦いの役に立つだろう。故にそれを受け継いだ高町なのはは、黄金の獣に向かって感謝と共に頭を下げた。

 

 

「ありがとうございます」

 

「何、大した事ではない。寧ろ、私が卿に感謝したいくらいだ」

 

「え?」

 

 

 感謝の言葉を紡ぐなのはに、黄金の獣はそう言葉を返す。

 その言葉の意味が分からず首を傾げる女を、黄金は楽しそうに見詰めていた。

 

 

「嗚呼、そうだ。名乗りが遅れたな」

 

 

 己の胸元程の背丈で、槍を握り締めた一人の女。己の系譜を慈愛の瞳で見下ろしながら、黄金の獣は静かに微笑む。

 名乗りは遅れた訳ではない。元より名乗る心算はなかった。だが、名を聞きたいと思ったのだ。故にこそ、先ずは己が名乗る事こそ礼儀であろう。

 

 

「聖槍十三騎士団。黒円卓第一位。首領。ラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒ=メフィストフェレス。……これが、私の名だ」

 

 

 黄金の鬣を靡かせて、十字の軍服を纏った男。黄金の獣、ラインハルト・ハイドリヒ。

 彼は己に良く似た女を祝福する。満たされぬ餓えに苦しみながら、破壊の愛を揮うであろう己の末を。

 

 

「卿の名を、卿の口から、聞かせて欲しい」

 

 

 見下ろす黄金の双眸。確かに宿った慈愛の色。

 栗毛の女はラインハルトを見上げて、白き衣に誓う様に口にする。

 

 此処に名乗るは誇れる在り様。何を憚る理由もない。

 

 

「古代遺産管理局所属、一等空尉――高町なのは、です」

 

「そうか。卿はそう言うのか」

 

 

 白き衣の様な清涼さ。太陽を思わせる温かな輝きに、ラインハルトは頬を緩ませる。

 別れの時は迫っている。時代の流れはもう変わる。故に女の名を忘れぬ様にと己の胸に刻んで、彼は扉の向こうを指差した。

 

 

「では、行くが良い。なのは。卿の活躍を期待している」

 

「はい。ありがとうございました。ラインハルトさん!」

 

 

 交わす言葉はそれだけだ。これ以上など必要ない。故に行けと、獣は告げる。

 そんな彼へと感謝を告げて、高町なのはは背を向けた。己が向かうべき戦場へ、今を終わらせる為に彼女は進むのだ。

 

 

 

 

 

 去って行くその背中。それを見送りながらに黄金は、玉座の下へと歩み戻る。

 華美では在れど、彼に比すれば輝きが曇る。そんな玉座に腰掛けた男は、笑いながらに何気ない言葉を虚空に投げた。

 

 

「我が身に良く似た子は可愛い。成程、これも中々稀有な体験だろう。なあ、カールよ。私は今、未知を感じているぞ」

 

――内面が貴方にそっくりな子孫が既知になる程溢れる光景など、それこそ世の終わりと言う物。未知で良かったと私は答えましょう。獣殿。

 

 

 何時の間にか、彼の背後に影が居る。それは在りし日の焼き直し。

 黄金の下に侍る水銀。絆の覇道と言う繋がりを介して影を送り込んだ彼の蛇は、古き友の言葉に嗤った。

 

 

「言ってくれるではないか、カール。数億、或いは数十億年振りの言葉とは思えんぞ」

 

――何、陰鬱とした再会など、それこそ我らには相応しくはありますまい。

 

「確かにな。それにこれは、ある種奇跡の様な物。長くは続くまい」

 

 

 記憶と変わらぬ彼の在り様に、再現された黄金は深く微笑む。

 

 最早消え去るのを待つだけの残滓となった蛇と、生まれる事を選ばなかった黄金の獣。

 疑似流出が消えれば再び別れる彼らの、この邂逅はある種の奇跡。所詮は偶然の産物だ。

 

 故に彼らは、何時もの様に語らいながら、次代を背負う者らを見る。

 

 

――ならば、如何なされるか?

 

「何、稀人に過ぎぬ我らはこの一時を、共に聴衆として見守るべきだろう」

 

――成程然り。では、そうであるがよろしいかと。

 

 

 蛇は残る事を選ばなかった。獣は生まれ直そうとはしなかった。

 故に両者の消滅は時間の問題。それでも、最後まで見届ける程度の時間は残ろう。

 

 蛇はトーマの内面にて、獣は譲った槍の内にて、共に聴衆としてこの筋書なき歌劇を楽しもう。きっと素晴らしい幕を引いてくれると期待して。

 

 

「さあ、今宵の歌劇を魅せてくれ。この今に生きる、英雄達よ」

 

 

 

 

 

2.

 気が付いた時、女は既にこの場に居た。

 

 

「……え?」

 

 

 暗い暗い天蓋の下、広がる花壇に植えられたのは薔薇の花。見た事もないこの場所を、何故か己は知っている。

 此処は吸血鬼が体内。闇の賜物が生み出す内的宇宙。そうである事を知るが故に、どうして此処に居るのか疑問を抱く。

 

 

「私は、天魔・宿儺と戦っていて――それで」

 

 

 倒された筈だ。ならば此処は地獄であるのか。そうと問えば、返る答えは否であろう。

 己は未だ生きている。人の身を外れたこの血潮は、頭を砕かれた程度で死にはしない。ならば一体、何が起きているのであろうか。

 

 

「何が起きているの? ううん。そんな事を考えるよりも早く、あの場所に戻らないと」

 

 

 首を振って戸惑いを振り払う。迷っている様な余裕はないのだ。ミッドチルダに生きる人々は、今も尚危険な場所に居る。

 混乱が起きなかったのは、奈落が人々を眠らせていたから。その奈落が砕けて、七柱の地獄が流れ出した今の世界。先ず最初に犠牲となるのは、最も弱き人々だ。

 

 己の血を愛せない。そんな女が己が異常を許容できるのは、誰かを守る者で在ろうとするからだ。

 救う為に、守る為に、その為にこの血を受け入れる事を許容する。それが月村すずかの在り方で、故にこそ戦場から一人取り除かれる事を良しとは出来ない。

 

 

「駄目よ。すずか。貴方は暫く、此処に居なさい」

 

 

 だが、そんな物は女の理由だ。彼女達にとっては、関係ない。

 故に元の世界へと戻ろうとしたすずかは、その女に妨げられる。彼女の前には、病的なまでに白い少女が立っていた。

 

 

「貴女は――」

 

 

 白い肌に白い髪。赤い瞳をした幼い少女。この女を知っている。彼の記憶を見た故に、月村すずかは知っている。

 病的なまでに白い女。その名は、ヘルガ・エーレンブルグ。ヴィルヘルムの実の姉にして、彼を産んだ実の母。そして、彼の手で嬲り殺された一人の女だ。

 

 

「優しい子なの。愛しい子なの。そんなあの子が、今とっても喜んでるの」

 

 

 彼女は愛に狂っている。その目は偏執的に盲いている。見たい物しか見ない少女は、現実など見ていない。

 闇の賜物が写し取った男の母親。母性愛と姉弟愛と異性愛が入り混じった倒錯的な感情は、全てたった一人の男の為に。

 

 邪魔はさせない。今の彼は漸くに、望んだ物を手に入れたのだ。

 故にこそ、月村すずかに邪魔はさせない。此処から先は、白貌の吸血鬼が一人舞台である。

 

 

「ずっとずっと欲しかったのよね。漸く叶ったんだもの。大丈夫。誰にも邪魔なんてさせないわ」

 

「……ヘルガさん。貴女は」

 

 

 心の中に咲き誇る薔薇の園。その管理者は狂った瞳で、荒ぶる我が子を慈しむ。

 漸くに得られた物を手に、燥ぎ回っている男。その背中を愛に濁った瞳で見詰めている。

 

 そんな少女に阻まれて、先に進めない月村すずかは天蓋を見詰める。

 暗い暗い夜空の向こう。内面世界を抜け出した先こそが、つい先程まで彼女が立っていた戦場だ。

 

 

「ヴィルヘルム。今、貴方が戦っているの?」

 

 

 戦場に居たすずかが此処に居る。ならば其処には、代わりとなる者が居る筈だ。

 そして間違いなく、今其処に立っているのはあの男。ヴィルヘルム・エーレンブルグと言う白貌だろう。

 

 

 

 

 

 幾何学模様に歪んだ空の下、頭部を潰された女の身体が蠢き始める。

 魔力が黒い霧と化し、欠落した部位を塞ぐ。断ち切られた半身が繋がって、立ち上がった彼女の髪は白一色。

 

 ニィと女は歪つに嗤う。開いた瞳は赤く染まって、その身体は満願成就に震えていた。

 

 

「……へぇ」

 

 

 立ち上がった女は、最早月村すずかではない。中身が既に違っている。

 それを一瞬で理解した天魔・宿儺は、小さく笑みを浮かべて呟く。此処で出て来るかと、彼は軽薄に笑っていた。

 

 笑っているのは、天魔・宿儺だけではない。

 彼よりも大きな喜悦を抱いて、ヴィルヘルム・エーレンブルグが笑っていた。

 

 

「ハハ、ハハハ、ハハハハハハハハハッ!」

 

 

 溢れる簒奪の瘴気。それは最早、身洋受苦処地獄でも消し切れぬ程に。

 今のヴィルヘルム・エーレンブルグはこの異界の中でも、その力の行使が確かに出来ている。それだけの位階を獲得した。

 

 

「俺が、俺こそが――フフフ、ハハハ、アーハハハハハッ!」

 

 

 だが、それで己の身体を癒した訳ではない。この地獄に取り残された人々を、糧にした訳ではないのだ。

 それを為せば器が怒る。だから避けたと言う、そんな理由などではない。――元よりその必要がない程に、今の彼には力が流れ込んでいる。

 

 

「ハハハハハッ! ハァーハハハハハハハハハッ!!」

 

「おいおい、ご機嫌じゃねぇの。お兄ちゃん。そんなに良い事あったんかよ?」

 

 

 それこそが歓喜の理由。嬉しさが溢れて止まらない程に、今のヴィルヘルムは満たされている。

 それは彼に力を与える存在が理由だ。力を貸している者こそが理由だ。その者とはトーマ・ナカジマ――ではない。

 

 

「ああ、最高だ。最高の気分だぁ」

 

 

 彼が傅くべきは唯一人。頭を垂れるのは唯一人。恩恵を受けるのは、唯彼からのみ。

 そんな主に認められたのだ。ずっと欲しかった証を得たのだ。我こそが、最も最初に付き従った牙なのだ。

 

 そう――

 

 

「俺が、白騎士だ」

 

 

 蘇らんとした黄金が、彼を白騎士として認めた。それが今に起きた全ての事実。

 それは或いは、数合わせでしかなかったのかも知れない。この時代にまで付き従ったのが、彼ともう一人しか居なかったからなのかも知れない。

 

 だが、そんな理由はどうでも良いのだ。重要なのは唯一点、己が主であるラインハルトより近衛と選ばれたと言う事実のみ。

 

 

「あんな犬畜生じゃねぇ。生き残れなかったアイツじゃねぇ。忠義を果たせなかった奴じゃねぇっ! この俺がっ! この俺こそがっ! 白騎士なんだぁぁぁっ!!」

 

 

 己は勝ち取ったのだ。生き残れなかった奴は、やはり相応しくはなかったのだ。高らかに歓喜を叫びながらに、ヴィルヘルムは敵を見据える。

 彼が主より受けた命は一つ。先人として生きた証を、次代へと焼き付ける事。引き継がせる為に、先ずは己を教え込む事。その為に此処で全力を使い果たして死ねと、主はそう命じたのだ。

 

 故にその忠実なる騎士は歓喜する。ここぞ我の死に場所だと、この最高の舞台を前に猛っている。

 

 

「じゃ、来るかい? お兄ちゃん」

 

 

 そうとも、今こそ至高の舞台。此処こそ至大至高の戦場。これ以上など望めない。

 背負った称号は主の近衛。受けた命は全てを吐き出す全力の闘争。対する相手は、結局決着を付けられなかった嘗ての宿敵。

 

 滅び去るには良い時だ。消え去るには良い理由だ。素晴らしいにも程があるこの戦場で、白貌の吸血鬼は高らかに名乗りを上げた。

 

 

「ああ、見せてやるよ。聖槍十三騎士団。黒円卓第四位。白騎士。ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイの本当の力をなぁぁぁぁっ!!」

 

 

 妖艶な女の身体を器として、此処に己の全てを出し切る。

 全身より黒き杭を生やしながら、ヴィルヘルムは流出域へと到達した己の夜を展開する。

 

 

「行くぜぇっ!! 修羅ァ曼荼羅ァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」

 

 

 今の弱体化した彼らの法など、最早せめぎ合うにも足りはしない。

 幾何学模様は赤き夜に塗り染められて、簒奪の夜は此処にその幕を開くのだ。

 

 

「何もかも残さず全てぇっ! 吸い尽くしてやるよぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 修羅曼荼羅・血染花。修羅の天に集いたる男は此処に、黄金の後押しを受けながらに力を揮う。

 振るわれる力は正しく極上。全てを奪いながらに迫る神威を前にして、天魔・宿儺は嗤いながらに迎え撃つのであった。

 

 

 

 

 

3.

 トーマの創造を介して、黄金と繋がったのは白貌の吸血鬼だけではない。

 同じく在りし日より遺った彼の近衛。赤を背負ったその騎士も此処に、確かに主命を受け取った。

 

 

彼ほど真実に誓いを守った者はなく(Echter als er schwur keiner Eide)彼ほど誠実に契約を守った者もなく(treuer als er hielt keiner Verträge)彼ほど純粋に人を愛した者はいない(lautrer als er liebte kein andrer)

 

 

 彼は託すと決めたのだ。槍を後継へと継承し、全てを託すと決めたのだ。

 ならばその従者として、為すべき事は唯一つ。求められたのは彼と同じく、全てを後へと継がせる事。

 

 その為に全霊を、此処に全力を使い果たす。これがお前達が到達すべき場所なのだと、滅びと引き換えに彼らの心に刻み付けるのだ。

 

 

だが彼ほど総ての誓いと総ての契約(und doch, alle Eide, alle Verträge,)総ての愛を裏切った者もまたいない(die treueste Liebe trog keiner wie er)

 

 

 アリサ・バニングスの長い髪が、紅蓮の如き赤へと染まる。炎が激しく溢れ出し、その身から放たれる力は正しく神域。

 本来の人格を内へと封じ、表に出て来たのは狩猟の魔王。黒円卓は第九位。赤騎士。大隊長。エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ=ザミエル・ツェンタウア。

 

 

汝ら、それが理解できるか(Wißt inr, wie das ward?)

 

 

 母禮を前に追い詰められていたアリサと入れ替わり、表に出た彼女は降り注ぐ炎を打ち払う。

 

 この今に発する神威。本来同格である彼女達だが、今は黄金の従者が勝る。

 劣化を重ねた刹那の軍勢が全力を出せないのに対し、滅びを前提とした黄金の従者たちは既に決死となっているのだ。それでどうして、互角となろうか。

 

 

我を焦がすこの炎が(Das Feuer, das mich verbrennt,)総ての穢れと総ての不浄を祓い清める (rein'ge vom Fluche den Ring!)

 

 

 言葉と共に零れ落ちる炎の欠片。獄炎の理は、母禮のそれを凌駕する。

 炎を炎が燃やし尽くすのだ。未だその力は真実の形で具現していないと言うに、その断片だけで既に上回っている。

 

 

祓いを及ぼし穢れを流し(Ihr in der Flut löset auf,)熔かし解放して尊きものへ(und lauter bewahrt das lichte Gold,)至高の黄金として輝かせよう(das euch zum Unheil geraubt)

 

 

 炎雷の化身。何する者ぞ。その身が焔で編まれるならば、その炎ごと燃やし尽くそう。

 これは彼への永劫変わらぬ忠義と愛の証である。故にこそ敗れはしない。我が想いの炎、越す事などは許さない。

 

 

すでに神々の黄昏は始まったゆえに(Denn der Götter Ende dämmert nun auf.)我はこの荘厳なるヴァルハラ(So - werf' ich den Brand)を燃やし尽くす者となる( in Walhalls prangende Burg.)

 

 

 世界が変わる。太極が塗り替えられる。此処は既に砲身の中、永劫燃やし続ける世界。

 敵を睨むは紅蓮の瞳。この時代の女の身体を借り受けて、その只中に紅蓮の騎士は一人立つ。

 

 

「さあ、我らが王の勅命だ! これぞ即ち、我が君が主命である!」

 

 

 女は今、何時になく猛っている。それは嘗てに失われた主と、此処に再会出来たから。

 もう二度とは得られないと諦めていた主命を受けて、忠臣たる彼女が猛らぬ道理はない。

 

 故に与えられた役を果たすのだ。未来に繋ぐ為に、此処に過去を示すのだ。それこそが、女の愛と忠義である。

 

 

「失くした物は戻らない。故に刹那を愛した彼へ。疾走する煌きを誰より信じた男に、愛された者達へ」

 

 

 輝かしき子らへ、如何なる花嫁にも劣らぬよう、最愛の炎を汝らに贈ろう。

 見上げた先で燃やされ続ける金糸の天魔。その跡形すらも残さぬ様に、此処に大焼炙を具現する。

 

 

「私が遺す。これが最期の一撃だ!!」

 

 

 溢れ出す獄炎。これは炎としての極み。誰も届かぬ至高の愛情。

 抗う炎を燃やし尽くし、吹き荒れる雷雲を燃やし尽くし、天魔・母禮の五体すらも抵抗の余地なく燃やし尽くす。

 

 そうとも、我は全てを燃やす者。この命と想いの炎で以って、新時代を告げる号砲と為そう。

 赤き騎士の苛烈な輝き。溢れ出す炎に焼き尽されながら、天魔・母禮はその懐かしい炎に感慨を抱いていた。

 

 

「ああ、相変わらず――貴女の炎は苛烈ですね。少佐」

 

 

 ベアトリスとしての彼女が微笑む。あの日に憧れた炎は未だ、寸分足りとも曇っていない。

 この恋情は確かに至高だ。全てを燃やし尽くさんとする愛情を前にして、勝てないと素直に想ってしまう。

 

 

「だけど、今更こんな物に、負ける訳にはいかないのよ」

 

 

 それでも櫻井螢としての彼女が首を振る。己の五体を焼き尽されながら、此処で負ける訳にはいかないと歯を食い縛る。

 炎使いとしては、相手の方が一枚も二枚も上手にあろう。今の自分は劣化していて、相対する敵は嘗てと同等。そもそも勝てる道理がない。

 

 だが、そんな劣勢は何時もの事。諦める理由にはなり得ない。負けて良い理由にはならないのだ。

 

 

「そう。だってこれは、遥か昔にもう乗り越えた物」

 

 

 そうとも、これは嘗て乗り越えた。櫻井螢も、ベアトリス・キルヒアイゼンも、どちらも共に乗り越えた。

 だから此度も乗り越える。乗り越えられない道理があるか。嘗ては超えられたと言うのに、この今に乗り越えられないなど在ってはならない。

 

 

「そう。これを前に敗れるのだとすればそれは――私達があの日から、一歩も進んでいないと言う証明になってしまう」

 

 

 だって、それでは全ての時が無為になる。全ての犠牲が無為となる。此処までの時間が、無駄であったと言われてしまう。

 それは駄目だ。奪ったのだ。ならば報いねばならぬのだ。以前より衰えたなど理由にならない。天魔・母禮は、この炎だけには負けてはいけないのだ。

 

 

「彼の憎悪(アイ)に甘えているのは止めたのよ」

 

 

 故に燃やされながらも、櫻井螢は一歩を踏み込む。

 己の意志を炎に変えて、全てを焼き尽さんとする世界に抗う。

 

 

「私達は未来を託す為に、彼女の意志こそ見たいのです」

 

 

 故に燃やされながらも、ベアトリスは高く叫びを上げる。

 雷光を纏った女は、それを以って炎を打ち払う。炎使いとして劣ろうとも、総合力では負けてはいない。いいや、負けてはいけないのだ。

 

 

――なあ、螢姉ちゃん

 

 

 奪った者は大切な者。無為に奪ったのではないと、証明しなければいけない者。

 泣いているのはもう御終いだ。悲劇のヒロインは止めたのだ。ならばこそ、此処で倒される終わりだけは認めない。

 

 

『だから――』

 

 

 想いを糧に、炎と雷が混じり合う。同じ想いを抱いた二人の女は此処に、その真価を確かに示す。

 轟音を立てて燃え続ける世界が――崩れ始めた。この今、完全に一つとなった天魔・母禮の手によって、確かに崩され始めたのだ。

 

 

『貴女は邪魔だっ! エレオノーレッ!!』

 

「――っ!?」

 

 

 太極が押し返される。せめぎ合いで押し負ける。この炎雷は止められない。

 元よりこれは当然の結末だ。永劫に回帰した嘗ての世界。神座世界において、狩猟の魔王を倒したのは彼女達。

 

 天魔・母禮は、エレオノーレの天敵なのだ。覚悟を決めて腹を据えた彼女を相手にして、狩猟の魔王は決して勝てない。

 

 

(負けるのか、我が君の御前で)

 

 

 燃やし尽くす業火の世界ごと、押し潰されて敗れ去る。

 遺った魂の残滓ごとに消し去ろうとする力を前に、最早抗う事さえ出来ない。

 

 全力を出して、それでも負けた。主命を果たせなかった事を悔やみながらも、こうも明白に示された結果に僅か満足し――

 

 

「だらっしゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

〈アリサ?〉

 

 

 終わろうとした刹那、納得(ハイボク)してしまった女を押しのける形で、彼女が表に表れた。

 

 

「アンタねぇ、勝手に私の身体使って、何納得(ハイボク)し掛けてんのよふざけんなっ!」

 

 

 押し潰される世界を支えて、必死に啖呵を切るアリサ。彼女としても、この現状は寝耳に水だ。

 勝手に身体の主導権を奪われて、勝手に敗れかけているのだ。文句の一つ二つでは止まない程に、彼女は怒りを抱いている。

 

 

「相手は二人なんでしょう!? だったら、こっちも二人掛かりで、それがフェアってもんじゃないっ!!」

 

 

 それでも、そんな感情だけでは抗えない。入れ替わっただけで、この炎雷には抵抗できない。

 修羅の宇宙を支えようと必死に縋って、それでも押し潰されている。その崩壊速度はエレオノーレよりも遥かに速く、それが女の限界だ。

 

 だからこそ、アリサ・バニングスは叫ぶのだ。勝手に納得していないで、この獄炎の理を己に教えろと。

 

 

「とっとと教えなさいよ! アンタの全て! 一緒にやってやるから! 一緒に勝つわよっ!!」

 

 

 アリサが加わったからと言って、勝てるなんて保障はない。今の彼女は、足手纏いにしかなっていない。

 それでも勝つのだと啖呵を切る。勝つ為に共に戦うのだと叫びを上げる。勝って凱旋するのだと、アリサは胸に決めていた。

 

 

〈ふっ、お前は……、お前と言う奴は〉

 

 

 そんな彼女に発破を掛けられ、エレオノーレは小さく笑う。

 苦みと呆れが混じったその笑みは、それでも何処か晴れ晴れした物。そうとも、彼女は気付いていた。

 

 

〈ああ、そうだな。二人でやらねば意味がない。そんな事、分かっていた心算だったのだが――〉

 

 

 教えるならば、二人でやる方が効率的だ。一人では勝てないならば、共に手を取り合う事こそ必要だ。

 自分勝手に動いて、勝手に負けて諦める。そんな形では駄目だろうと、そんなのは遥か昔に気付いていた事。

 

 それを僅か一瞬でも忘れてしまっていたのは、黄金の君に魅せられてしまったからだろう。

 

 

〈慕う殿方との再会を前にして、年甲斐もなく燥ぎ過ぎてしまったらしい。許せ、とは言わんよ〉

 

 

 恋い慕う殿方を前にして、もう逢えないと想っていたから、彼女は年甲斐もなく浮かれていたのだ。

 そんな恋する乙女の小さな過ち。笑いながらに間違いを犯したと語るエレオノーレに、アリサは力を繰りながら必死に叫ぶ。彼女には余裕がないのである。

 

 

「はっ! そんな理由、知った事かっ!! ってか現在進行形でヤバいんだから、さっさと手を貸せ恋愛処女っ!!」

 

〈……時間があれば、その口の利き方も治してやった物を。――だが、まあ良い〉

 

 

 炎雷に押し込められながら、必死に抵抗しているアリサ。

 余裕がなくて地金を晒している姿に、エレオノーレは内的宇宙で溜息を一つ吐く。

 

 教えてあげたい事は山ほどあるが、伝えられる時間は然程多くはない。

 これが最期の教授の機会だ。結果はどうあれ、己は滅びる。故にこそ、此処に戦の全てを伝えよう。

 

 

〈遅れるなよ。アリサ。寸分違わず、私を真似ろ!〉

 

「やってやろうじゃないのっ!!」

 

 

 金糸に戻った髪はそのままに、その双眸だけが紅蓮の如き朱に輝く。

 赤き鎧を纏った女は此処に全てを受け継いで、獄炎の理を確かな今に示すのだ。

 

 

修羅曼荼羅(しゅらまんだら)――大焼炙(だいしょうしゃ)!!』

 

 

 溢れ出す炎の世界を一点へと、母禮を討つ為だけに高め上げる。

 対する天魔も笑みを浮かべて、二人諸共に滅ぼすのだと熱意を上げる。

 

 共に全力。共に手を合わせて、己達の全霊をぶつけ合う。

 せめぎ合う獄炎と炎雷。決して負ける物かと意志を込めて、潰し合いは激化する。

 

 

『はぁぁぁぁぁぁぁっ!!』

 

『おぉぉぉぉぉぉぉっ!!』

 

 

 遥か高みで、我意と我意が絡み合う。我らこそが勝つのだと、彼女達は意志を示す。

 獄炎と炎雷。神域の力がぶつかり弾けて、巨大な閃光が巻き起こる。熱量を伴った光が此処に、全てを消し飛ばしていった。

 

 

 

 

 

4.

 そして崩れ去る聖王教会の中で一人、彼はそれを目に焼き付ける。

 今にも生まれようとする輝き。桜と翡翠と黄金と、三つの光が重なる姿。

 

 其れこそが、彼が求め続けた神殺し。その真の誕生を前にして、血塗られた唇を喜悦に歪めた。

 

 

「ああ、漸くに、完成した」

 

 

 言葉を紡ぐ度に、咳き込み吐血する。吐き出された血塊は、半分すら残っていない身体を赤く汚した。

 そう。ジェイル・スカリエッティは死に掛けている。身体の大半を失うと、それは本来ならば即死している状態だ。

 

 トーマの力を借りていれば、此処まで傷付く事はなかっただろう。

 それでも彼は、助けは不要と伸ばされた手を払い除けた。こうなると分かって、その力を拒絶したのだ。

 

 だからこそ彼は死に掛けている。最早ベルゼバブであると言う事を考慮に入れても、然程長くは持たないだろう。

 

 

「悪いが君には渡さないよ。トーマ」

 

 

 生きて欲しい。死なないで欲しい。何度も触れて来る絆の覇道。それを笑顔で拒絶しながら、スカリエッティは天を見上げる。

 確かに不撓不屈を共有すれば生きられようが、散々に裏切り利用して今更に手を借りようなど出来はしない。そうでなくとも、そんな気など起こりはしない。

 

 もう満足した。彼女は完成した。己の命題は果たせたのだ。だから、生きる理由がない。

 胸に宿った満足感。全てが終わりに向かうのだと言う達成感。この感情を、誰かと共感などしたくもなかった。

 

 

「この感慨。この感情。全て遍く、私の物だ」

 

 

 そうとも、これは全て己の成果だ。己こそが古き世に幕を引き、神を殺す神を作り上げたのだ。

 その結果だけで十分で、この結果だけで満たされていて、この想いを独占したい。だから命尽きるまで、その光景を見続けよう。

 

 

「ああ、見届けられないのが、少し、残念だが……そのくらいの、心残りは、必要だろう」

 

 

 押し潰された下半身。肺から下が潰れた身体。両腕も半ばくらいから千切れている。

 呼吸をするだけでも苦痛であろうが、それでもその笑顔は揺らがない。痛みなど、この感慨に比べれば塵芥と変わらないのだから。

 

 

「最期に贈ろう。神々よ。この世界に生きる、全ての民よ。……レスト・イン・ピース」

 

 

 まるで憑き物が落ちた様な表情。彼は安らかな笑みを浮かべて、静かに語る。

 せめて安らかに眠れ(レスト・イン・ピース)。それはこれから失われる命へと、勝利者たる彼が贈る最期の言葉だ。

 

 

「私の、勝利だ」

 

 

 崩れ落ちる教会の瓦礫に飲まれて、スカリエッティは潰れていく。

 跡形も残らぬ程に、押し潰されながらに笑い続ける。狂気ではなく、人らしい笑みを浮かべたままに――ジェイル・スカリエッティはその命を終えた。

 

 

 

 その黄金の輝きを前にして、彼の者は狂乱に陥った。

 信じられない。信じたくはないと、何故なら彼には分かっていた。

 

 

〈そんな、何故っ!?〉

 

「落ち着いてっ! イザーク! 今貴方が――」

 

〈嘘だ。嘘だ。嘘だ。どうしてっ!?〉

 

 

 高町なのはに覇道の資質はない。黄金の槍はあくまでも、彼女を求道神として覚醒させる為にこそ。

 そうであると断じていたから、高町なのはが聖槍を握る姿など予想もしていない。あり得る筈がないと、無意識の内に断じていた。

 

 資質がない彼女が聖槍を使うには、前任者である父の助けが必要不可欠なのだ。

 それが達成されたと言う事実は即ち――彼の黄金の獣が己の後継者に、ヨハンの系譜を選んだと言う事に他ならない。

 

 

「貴方までっ! 貴方までっ! 貴方までっ!!」

 

〈――っ! イザークっ!!〉

 

「貴方までっ!! ヨハンを選ぶのかぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 それは許容できない。それは耐えられない。なのにそれが現実となった。

 全てを捧げたのにイザークが得られなかった物を、また何もしてないヨハンがあっさりと奪って行く。

 

 その耐え難い事実を前にして、狂乱の果てに陥っている。

 肉体の主導権を奪う程に狂っていて、そんなイザークが前面に出ているが故に、常世は行動不能となってしまう。

 

 唯でさえ、スカリエッティに付けられた傷は深いのだ。

 だと言うのに此処で動けなくなっては、それこそ最悪が起こり得る。

 

 だから必死に、如何にかイザークを落ち着かせようとして――テレジアは、己を見詰める瞳と目があった。

 

 

「行くよ。レイジングハート・ロンギヌス」

 

 

 溢れる魔力は桜色。瞳に浮かんだ光は翡翠色。両手に握る杖は黄金に、獣の如く煌いている。

 白い衣を三つの輝きに染め上げて、高町なのはは聖なる杖を敵へと向ける。倒すべきは唯一人。この一手にて全ての流れを決する為に、狙うは彼女一人だけ。

 

 

「世界を破壊し、愛を以って全てを終わらせる。これは、その第一歩」

 

 

 彼女に扱いやすい形へと、変わった聖槍を天へと向ける。

 

 大量の魔力を切っ先に集めて放つは、彼の黄金が全力攻撃。それに等しいだけの特大火力。

 例え偽神であったとしても、当たれば決して耐えられぬ破壊の光だ。高町なのははその光を、天魔・常世へ向けていた。

 

 

「無間大紅蓮地獄は産ませない! 他の何よりも先ず、その子宮を此処に破壊するっ!!」

 

 

 溢れる輝きを此処に束ねて、破壊の意志と共になのはは放つ。

 それは正しく全身全霊。全てを滅ぼすに値する。天魔を滅ぼす至高の砲撃魔法。

 

 

「ロンギヌスランスゥゥゥッ! ブレイカァァァァァァァッ!!」

 

「――っ!?」

 

 

 動けぬ常世は逃げられず、放たれた黄金が天を突く。其は正しく神の一撃。

 この地に満ちた七つの太極。その全てを貫きながらに、高町なのはの砲撃は――確かに大天魔を討ち取っていた。

 

 

 

 

 

 天魔・夜都賀波岐。此処に撃滅。八柱の神威は今、此の時に欠落する。

 それは数億年の時を重ねて漸くに起きた反逆の狼煙。次代の奮闘を前にして、遂に大天魔は敗れるのであった。

 

 

 

 

 




遂に白騎士になれたベイ中尉。テンションアゲアゲで、発音も凄い事になってます。

イカベイでBriahがブゥルリィァア゙ア゙ア゙ア゙ア゙になってたみたいに、修羅曼荼羅も間違いなく凄い発音。多分、シュゥゥルァマンドゥァラア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ッとか言ってる。






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第二十五話 失楽園の日 其之拾弐

失楽園はこれにて終わり。
零れ落ちる命が嘆きを生み出す中で――だが、奴は弾けた。


1.

 黄金の輝きに貫かれて、一つの命が散華する。圧倒的な力を前に、彼女の身体は耐え切れない。

 舞い散る花弁が如くに崩れていくのは和装の女。微笑みながらに滅びる姿に、天魔・常世は目を見開いた。

 

 

「なん、で……」

 

 

 抱き留められた己の身体。頬に触れる母性の象徴。その感触に安らぐ以前に、溢れる血潮に不安を抱く。

 まるで我が子を抱いた母。抱きしめたままに晒した背中に、穿たれたのは大きな傷痕。槍の穂先を思わせる砲撃が、その身を背より貫いていた。

 

 

「ああ、良かった」

 

 

 ピシリと、貫かれた穴より亀裂が走る。軋む音を立てながら、女の身体は崩れていく。

 最早死は避けられない。本来討たれるべき者の身代わりとなって、彼女はこのまま死ぬだろう。――それでも、天魔・紅葉は安堵していた。

 

 

 

 

 

 嘗て、一人の女が居た。優生学研究機関レーベンスボルン。其処に属する女であった。

 

 時は戦中。世界が最も荒れた頃、国の民は戦争貢献を求められた。

 女伊達らに英雄として活躍する友が居た中、彼女の選んだ道は違った。それは女を武器とする道。

 国の為に、優れた子を産み落とそう。女にしか出来ない仕事で、この国家へと貢献しよう。それが彼女の選択だった。

 

 だが戦時の狂気がそれを壊した。元は崇高な理念があったであろう研究施設は、生まれた子らの地獄となった。

 レーベンスボルンの子供達。特別な異能を持った超人を生み出して、兵士にしようと言う研究。その為に、多くの者が犠牲となった。

 

 積み重ねすぎてしまった罪に、何時しか引き返せなくなっていく。

 そんな彼女は魔道に出会う。出会うべくして、異常な者らと出会ってしまった。

 

 水銀の蛇が静かに囁く。もう引き返せない女に向かって、彼は一つ言葉を囁いた。

 

 

――近々、極上の死体ができる。

 

 

 研究者であった女の研究成果。優生学による結論。それは、特別な子を産む為には、特別な親が必要と言う物。

 そうして女の前に差し出されたのは、中身を失くした黄金の玉体。ある実験の為に一時的に空となっていた、覇軍の主がその肉体。

 

 恐怖はあった。畏怖の感情が確かにあった。それでも女は、その身体を利用した。

 もう引き返せなかった。そんな時期は当に過ぎていた。故に死者を操る力を使って、空の身体に己を抱かせる。そうして女は、黄金の子をその身に孕んだ。

 

 異常なものを生み出すには、異常なものを親にすればいい。

 その理論は正しかった。その通りになってしまった。彼女の産んだ子は、余りに異常が過ぎたのだ。

 

 黄金の死骸に抱かれてから、その子は僅か二ヶ月で産まれた。

 急激に成長し、異様な程の才覚を見せ、余りに父に似過ぎた子供。太陽の子を目にして、女は恐怖を抱いてしまった。

 

 産んだからには責務があろう。望んで孕んだからには、愛するのが道理であろう。

 だがその瞳に見詰められると震えてしまう。何もかもを見透かす様な黄金に、女の心は耐えられなかった。

 

 だから、女は産んだその子を捨てた。双子の弟を抱き締めて、兄であったその子を捨てた。

 愛されなかった子供は涙も流さず、母の愛を諦めた。異常な己は愛されぬから、異常な父に愛を求めた。

 

 そうしてその子が生贄として死した後、女は漸くになって気付いてしまう。

 彼女が抱いた情は後悔。愛を求められていたと知っていて、どうして抱き締めてやる事が出来なかったのか。

 

 そう。一度だって、抱き締めた事がなかった。生まれた時から、その子を恐れていたのだから。

 

 己は親として不出来である。此処は余りに異常である。その時になって漸く、後悔した女は理解する。

 故に彼女は残った一人の子を愛した。誰より強い愛を向けて、彼だけは生き残らせると尽力した。密かに死んだ事にして、国外へと我が子を逃れさせたのだ。

 

 それでも其処が女の限界だった。偽善者にしかなれない女は、何時も中途半端。積み重ねた罪故に引き返す事を選べずに、かと言って先に進む事だって選べやしない。

 我が子の死骸を利用して生まれた孫娘を育てたのも、中途半端に甘いから。その子が再び生贄になると理解して、それを阻む為に動く事だって出来やしない。

 

 彼女は何時だって、終わってから後悔する。もう取り戻せなくなってから、漸くに大切だったと自覚する。リザ・ブレンナーと言う女は、そんなロクデナシでしかなかったのだ。

 

 

 

 女として最悪だろう。母親として失格だろう。そう自覚する女は、震える子供を抱き締める。

 二度に渡って捨てた子供達。イザークとテレジア。今度は失う前に気付けたのだと、微笑みながらに頭を撫でる。

 

 不謹慎かもしれないが、彼の邪神に敗れてからの日々はリザにとって幸福だった。

 嘗てに捨てた子供と共に、同じ時を過ごしていける。それがどれ程歪であっても、彼女にとっては幸福な日常だったのだ。

 

 生きていた頃には出来なかった事。本当は何よりもしたかった事。それがこの今に出来ていた。

 望んだのは子らの幸せ。その傍らで共に在る事。愛した人に寄り添う娘の為に、誰にも愛されなかったと嘆く息子の為に、何かが出来る現状こそが幸福だった。

 

 

「母様……どうして?」

 

 

 彼女は何時も見ていた。他の何も見えなくなっても、我が子だけは確かに見ていた。だからその危機を前にして、母たる彼女が気付かぬ道理はない。

 黄金の輝きが生まれ落ちた直後、我が子が狙われると理解して必死になった。夜都賀波岐にとって、最も重要なのは常世である。狙われると考えるのは当たり前。

 

 故に紅葉は、あの場で真っ先に動いていた。襲い来る敵手に背を向けて、遁甲の中身を引っ繰り返してばら撒きながら、必死に、必死に、その手を伸ばした。

 

 故にその身は、既に壊れている。無理をし過ぎたのだ。黄金の一撃を受けるより前に、もう崩れ始めていた。

 そんな身体を晒しても、盾にすらなれないだろう。それでもそんな道理は知る物かと、女は我が子を抱き締めた。故にこそ、彼女はもう後悔しない。

 

 

「イザーク。テレジア」

 

 

 この子達には届かせない。母になれない女はその一身で、我が子を両手に抱きしめた。

 女の背を穿ち胸に穴を開けた一撃は、しかし其処で止まっていた。彼女の意地が確かにそれを留めたのだ。

 

 その代償は大きい。女はもう助からない。言葉を遺す時間もない。

 ボロボロと崩れていく。粉々となって消えていく。その最中、彼女は優しく微笑んで――

 

 

「愛しているわ」

 

 

 唯、その一言を残して消滅した。

 

 

「……リザ」

 

 

 母に捨てられた子供は、得られぬ愛を父に求めた。

 父親にも選ばれなかった子供は、しかし最後に母の愛に抱かれた。

 

 この場で起きた事など、たったそれだけの出来事だ。

 

 

「何時も何時も、リザは勝手過ぎるよ」

 

 

 最後に残った僅かな残滓。もう元には戻らない魂の欠片。

 僅かな光を両手で包んで、俯いたままに天魔・常世は呟くのだった。

 

 

 

 蒼い輝きが消えていく。この地を満たしていた魔力が霧散する。

 久我竜胆が命によって、展開された時が終わりを告げる。疑似流出が途切れたのだ。

 

 

「…………」

 

 

 天魔・常世は静かに思考する。見詰める視線の先には、肩で荒い息をしている女。

 如何に彼女でも神域に至ったばかりで、この規模の力の行使は堪えたのだろう。高町なのはは疲弊していた。

 

 今ならば倒せると、言える程に簡単ではない。だが恐らく、今でなくては倒せない。

 素の実力でもう負けている。これを止められるのは、最早両翼だけであろう。そう断じる程に、今の女は強力だ。

 

 残る全軍を以って高町なのはを撃破して、一端退避して態勢を立て直す。それが恐らく最良の策。

 指揮官代行たる天魔はそう思考して、その手に包んだ光を見詰めた。そうしてもう一度、高町なのはの姿を見詰める。己を強い瞳で射抜く、その女の瞳を見据えた。

 

 

「……今は、退く」

 

 

 逡巡は一瞬、天魔・常世は撤退を選択する。それは理性的な物ではなく、感情的に下した判断。

 あそこに居るのは、ヨハンの系譜だ。母が逃がしたもう一人の子供。その血筋に連なる、彼女の愛した末である。

 

 イザークとヨハンが殺し合うなど、きっとリザは望んでいない。

 だから、今だけだ。彼女の魂を抱える今だけは、常世はなのはと戦えない。

 

 

 

 戦場指揮官は此処に、撤退を宣言する。

 全軍に下した撤退命令。それはこの世界で初めての敗走だ。

 

 複雑な感情を渦巻かせながらに、天魔・常世はこの地を離脱する。その身が消え去る最後まで、高町なのはを見詰めながら――

 

 

 

 

 

2.

 外れかけた兜を掴んだ男はその時に、指揮官代行の命を聞く。

 実質的な敗北状況。欠落した戦力と乱された各々の意志。それを整え立て直す為に、此処は退くと言うその命令。

 

 

「……撤退、か」

 

 

 僅かにズレた虎の面。その隙間から溢れる虚無は、それだけで人を終わらせるには十分過ぎる。

 絆の恩恵を失ったユーノ・スクライアはその場に倒れ、漏れ出す虚無の断片だけで消滅し掛けていた。

 

 ユーノ・スクライアは最早死に体だ。呼吸をしているだけの残骸だ。

 余りに彼は死に過ぎた。余りに蘇生され過ぎた。整っているのは外面だけ、その内側はもう壊れている。

 

 無理を為したは絆の覇道。ぐちゃぐちゃな中身のままに、それでも立っていられたのは絆が通した一つの奇跡。

 最早それも失われた。疑似流出は此処に終わって、其処に虚無の断片を受けたのだ。故にもう、ユーノ・スクライアは立ち上がる事すら出来やしない。

 

 今の彼は宛ら戦傷兵。その在り様は、戦場で死ねなかった戦士のそれと同様だ。

 戦えないどころか、日常生活すらも送れまい。ただ生きているだけのその姿は、晩節を汚すだけの物であろう。

 

 

「死に場所を失くした戦士程に、哀れな者は存在しない」

 

 

 このまま、兜を外せば彼は死ぬ。戦士として、それは相応しい幕となろう。

 撤退の指示に従って、この場を退けば彼は生き残る。だがそれは、戦士にとっては最大級の侮辱となろう。

 

 上官の命に逆らって、追撃をし掛ける事は戦士としては恥やもしれない。

 しかしそれ以上に死に場所を奪う事程、無粋な事は他にない。故に逡巡は僅か、天魔・大獄は意志を定める。

 

 

「だが――」

 

 

 それは、命を奪うと言う選択ではない。

 戦士にとっては侮辱と分かって、彼は再び虎面を被った。

 

 何故ならば――それは己の理屈でしかないからだ。この戦士に否定された、己の勝手でしかないのだ。

 

 

「苦痛の生を選んだお前にとっては、或いは違うのやもしれんな」

 

 

 彼は生きると先に語った。どれ程に苦痛に満ちていても、それでも生きると確かに語った。

 死に場所を奪われた戦士は哀れであろう。死に切れなかった戦士の生は、何より苦痛に満ちているだろう。それでも彼は、そんな苦痛の生を選んでいたのだ。

 

 ならば、此処で殺し切れなかった事は一つの運命。今は未だ、彼は生きるべき戦士であるのだ。天魔・大獄は、そう理解した。

 

 

「では、な。次代の戦士」

 

 

 救いの戦場から生き延びて、彼はこれから地獄の日常へと堕ちて行く。

 真面に身体を動かす事も出来ぬ身で、壊れた身体を抱えながらに生きていく。

 

 それでも、それが彼の選んだ道であろう。ならば精々、苦痛を抱えて進むが良い。

 

 

「苦しみながら、生きて行け」

 

 

 故に慈悲はない。それは侮辱にしかならない。

 虎面の天魔は倒れた青年へと背を向けて、ゆっくりと歩き去って行くのであった。

 

 

「…………言われる、までも、ない」

 

 

 荒れ狂う砂漠が消え失せる。死の荒野が閉じていき、ユーノは小さく口にする。

 最早、腕の一本も動かせない我が身。もう殆ど見えていないその瞳。動かす力が無くなれば、壊れ切った身体は体温さえも感じない。

 

 死と蘇生を繰り返して壊れ過ぎた。その身を治療も出来ずに、無理矢理動かしたのだ。この苦痛も相応の代償と言う物だろう。

 

 

「僕は……生きるよ」

 

 

 苦しみながらに、擦れる意識の中で誓う。それでも生きて行こう、と。

 それを望んでくれる人が居る。傍らに居たいと願う人が居る。だから、己は此処で生きて行こう。

 

 微かに鼓動を続ける胸に誓って、ユーノ・スクライアは瞳を閉じる。

 地獄の戦場を超えた先にあるのは、終わりが見えない煉獄の日常。その中を生きていくのだと、彼は心に誓うのだった。

 

 

 

 

 

 紙一重。それは正しくほんの数秒の誤差が生んだ決着だった。

 槍の切っ先が胸を突いている。皮を切り裂き肉を抉るその刃は、しかし臓腑に僅か届かなかった。

 

 本当に紙一重だったのだ。男の槍は僅かに届かず、故に彼女は生き延びた。

 

 

「私の、勝ちね」

 

 

 無数の影を貫いて、その血肉に刺さった槍。貫かれ掛けた天魔は、流血を隠さぬままに静かに告げる。

 両手に槍を握っていた嘗ての戦士。最早形骸さえ失った残骸は醜悪な形に染まって、そのまま大地に落ちていく。

 

 

「惜しかったわね。けど――」

 

 

 勝敗を分けたのは偶然か。ほんの僅か、一秒にも満たぬ時の差は、しかし決して偶然などではない。

 天魔・奴奈比売は見下ろしながらに自覚する。互いの勝敗を此処に分けたのは、其処に抱いた意志の差なのだと。

 

 

「負ける訳がないじゃない。最初から、生きて帰る気がない奴なんかに」

 

 

 ゼスト・グランガイツは最初から、死を前提に向かって来た。帰る気などはなかったのだ。

 引き継ぐ意志が其処になかった。そんな男に負けられない。此処で敗れて共に果てると言うならば、我らは何の為に残ったのか。

 

 終わらせない為に、続ける為に、ならば負けて良いのは後を継いで進める者らだ。

 そうでない者には負けられない。負ける訳にはいかないのだ。それは嘗て英雄と呼ばれた女に、最後に残った意地である。

 

 心臓を狙って、胸に刺さった鋼鉄の槍。片手で引き抜き、大地に落ちた残骸へ向かって投げる。

 そうして天魔・奴奈比売は嘗てゼストだった物に背を向けると、この地から立ち去って行く。此処に在ると言う意志が失われて、彼女は魔力と共に還って行った。

 

 

 

 

 

 炎雷と獄炎のぶつかり合い。激しい力の爆発に、両者は共に吹き飛ばされる。

 結果は相殺か。いいや、結果は僅かな形であっても明確だ。そう、天魔・母禮は押し負けた。

 

 

「……大した物ね」

 

 

 頬に刻まれたのは火傷痕。それは互角を僅かに上回られたが故に、相手によって付けられた傷。

 九割以上を相殺して、受けた被害は一割以下。それでも微かに己達を超えられたのは事実であって、故にこそ天魔・母禮は少し笑った。

 

 そうして、己の敵を見下ろす。炎に焦がれたと語ったその気持ちが良い敵を、何処か嬉しそうに見下している。

 金糸の女は己の力を使い果たして、その場に崩れ落ちている。既に狩猟の魔王は消え去り、一人残った彼女は大の字になって倒れていた。

 

 

「次は素面で、その境地に至ってみせなさい」

 

 

 今度は一人で、其処まで来てみろ。上から目線で語る天魔に、返る答えは唯一つ。

 言葉も話せない程に疲れているから、大の字になったまま態度で示す。右の中指を真っ直ぐ立てて、アリサは好戦的に笑っていた。

 

 

「ふっ」

 

 

 その態度に思わず吹き出して、そうして母禮は背を向けた。

 此処に在る意味はなくなった。全軍撤退の指示を受け、彼女も共にこの地を去る。

 

 唯一つ。己が見込んだ次代へと、たった一つの言葉を掛けて。

 

 

「ではな。次があれば、また会おう」

 

 

 期待していると笑顔で伝えて、天魔・母禮は魔力に還った。

 その消え去る姿を見届けて、アリサ・バニングスは己に誓う。後を継いだ者として、彼女は此処に想いを誓った。

 

 

 

 

 

 次々とこの地より去って行く夜都賀波岐。撤退の指示が来たならば、それに従うは彼も同じく。 

 隻腕の屍人は次代を見る。傷がない場所などはない。それ程の満身創痍。其処まで己を追い詰めた、次代の可能性をその目に見た。

 

 

「此処は、退こう」

 

 

 櫻井戒は撤退を了承する。此処は敗北したのだと認めて、この地より立ち去ると決定する。

 先の折れた巨大な剣を背負った隻腕の屍人。その身体が少しずつ魔力に還って、彼の姿が消えていく。

 

 その光景を前にして、黙って見送る程に彼らは素直ではなかった。

 

 

「っ! 待てよ戒! 逃げるのかっ!?」

 

「……逃がすと思うのかい」

 

 

 疑似流出は消え去った。それでも創造位階は継続している。故に戦いを続けても、負ける要素は欠片もない。

 逃走などさせるものかと少年達は、己々が武器を手に取り構える。逃がすものかと意志をみせて飛び掛かる彼らを前に、消えゆく天魔は静かに告げた。

 

 

「君達こそ、僕らを捕らえられるとは思わない事だ」

 

 

 振るわれた銃剣と魔槍の一撃。魂をも穿つ一撃が、何も捉えず空を切る。

 既に立ち去ると決めた時点で、櫻井戒は此処に居ない。今にあるのは残った影で、故にこそ如何なる力も届きはしない。

 

 

「此処は我らの世界。この永遠は須らくが我らの身体。故にこそ、この形骸に意味はない」

 

 

 この今と言う時代は彼らの世界だ。次元世界とは永遠の刹那の体内で、その眷属たる天魔の肉体でもあるのだ。

 故に距離は意味がない。位置に意味はない。その形骸に意味はない。彼らは望んだ時に望んだ場所に現れて、望んだ時には消え去る事が出来るのだから。

 

 

「決着を付けたいと望むならば――選択肢は二つに一つだ」

 

 

 追撃戦などは不可能だ。逃がさぬ術など存在しない。天魔を倒す手段は二つ。

 一つは逃げようと思う前に、その命を仕留める事。此処に在る状況の内に、その魂を滅ぼす事。

 

 そしてもう一つの方法は――決して逃げられない場所で、彼らを討ち滅ぼすという事だ。

 

 

「穢土に来い」

 

 

 その場所とは、この世界が始まった場所。特異点とも言うべき、この世界の中心。

 第零接触禁忌世界。天魔たちの総本山にして、彼の刹那が神体の眠る場所。其処で戦うならば、彼らは何処にも逃げられない。

 

 

「次元の海が境界を越えた先。世界が始まった場所へ来い」

 

 

 他の場所とは違う。彼の刹那の神気に満ちた地なれば、夜都賀波岐も一時的にだが嘗ての全力を取り戻せる。

 其処で超えられたと言うならば、素直に認めよう。全盛期でも届かぬならば、認める他に術はない。我らの敗北を、次代が漸く訪れるのだと。

 

 だからこそ、決着は彼の地で。天魔・夜都賀波岐は穢土で待つ。

 

 

「我らは其処で、お前達を待つ。トーマ・ナカジマ。エリオ・モンディアル」

 

 

 天魔・悪路は静かに見下す。此処に敵対した彼らこそ、新世界の可能性。

 

 誰かと誰かの絆を結び付ける。手を取り合って進める明日を、優しい世界を願ったトーマ。

 誰かを守り救える様に強くなる。前へ前へと進む中に、それでも他者と手を取り合える。そんな世界を求めたエリオ。

 

 この先にある新世界。それはこの二つの内のどちらかで――最後に辿り着く形は、きっとどちらも同じとなろう。

 進む事の大切さ。手を取り合う事の大切さ。それはどちらも理解した。なればこそ、彼らの違いはどちらに比重を置くかと言う一点だけだ。

 

 故に、どちらが勝とうと、生まれる世界は美しい。

 なれば、どちらが勝とうと認めよう。敗れたならば受け入れよう。

 

 輝きは既に示されたのだ。次に示すは、それを貫く為の力である。

 

 

「君達が新世界を望むならば、その場所で――我ら穢土・夜都賀波岐を乗り越えろ」

 

 

 残る夜都賀波岐が六柱。悪路、母禮、奴奈比売、常世、宿儺、大獄。

 この六柱を穢土にて超えろ。そんな言葉を此処に残して、悪路王は立ち去った。

 

 

 

 

 

 失楽園の日は終わる。天魔・夜都賀波岐はこうして、この地より消え去っていくのであった。――()()()()()()()()を残して。

 

 

 

 

 

3.

 悪路王が去った後、残された少年達は向かい合う。

 背中を合わせて共に戦った。だから絆されるなどと、そんな道理は彼らにない。

 

 

「じゃ、再開しようか」

 

「はっ、お前。そんな身体でやる気かよ」

 

 

 共に満身創痍。絆の創造はもう解かれて、魔力は互いに尽きている。

 向き合う二人は既に限界。何時倒れてもおかしくはない状況で、それでも武器を互いに構えた。

 

 

「ふっ、負けるのが怖いなら、退いても構わないよ?」

 

「あ゛っ!? 誰が誰を怖がってるって!!」

 

「君が僕を、さ。万全じゃないと勝てる気がしないって言うんなら、時間を置いてやっても良い。これは慈悲だよ」

 

「……上等だ。その言葉、後悔させてやるよ! エリオっ!!」

 

 

 共通の敵が消え去れば、共同戦線は即座に崩壊する。

 誰よりも倒したい相手が目の前に居るのだ。我慢などはもう効かない。

 

 睨み合って武器を構えて、今にもぶつかり合いそうな少年達の姿。それを内なる浜辺から見上げて、リリィは小さく溜息を零した。

 

 

〈トーマ。流石にもう〉

 

〈何だ白いの! お前、あたしと兄貴に勝てないって思ってるな!〉

 

〈……むっ、そんな訳ない〉

 

 

 疲労の度合いは大きいから、取り敢えず今は止めておこう。

 制止の言葉を掛けようとした白百合を、紅蓮の花は鼻で嗤う。

 

 己達の勝利を疑ってすらいないその態度。増長する小さな剣精の言葉に、リリィは思わず腹を立てる。

 

〈はっ、どうだか。だってお前もお前のマスターも、どっちも兄貴に比べると弱そうだもんな!〉

 

〈その言葉、絶対訂正させる。一対一なら兎も角、二対二なら私達の方がずっと強いんだってっ!!〉

 

 

 そんな彼女の様子に気付かず挑発染みた言葉を続けるアギトに対し、遂にはリリィも怒りを見せた。

 リリィが叫んだ怒りの言葉。それを聞いて我慢が出来ないのはアギトも同じく、売り言葉に買い言葉と言う形で少女達も対立していく。

 

 

〈それ、あたしが足手纏いって言ってんのかよ。お前ッ!〉

 

〈コンビネーションの差が違うって言ってるのよ! そんな事も分からないなんて、貴女馬鹿でしょ!〉

 

〈なにを~っ!!〉

 

 

 激情と冷徹さ。相反する敵意で互いを睨む少年達に、姦しい口喧嘩を続ける少女達。

 一瞬激発と言うこの状況で、漸くに意識を取り戻したティアナは思わず疑問を零していた。

 

 

「……え、何、これ」

 

 

 気を失って意識が戻ったら、何故か敵は居なくなっていて、一緒に戦っていた筈の二人が睨み合っている。

 その明晰な頭脳でも直ぐには対処出来ない状況に頭を抱えて、如何にか現状を飲み干した彼女は二人に向かって問い掛けた。

 

 

「アンタ達、まだやるの?」

 

 

 因縁が山積みである相手であるとは知っているが、此処まで疲弊しながらに戦おうとするのか。

 そんなティアナの疑問の言葉に返る言葉は異口同義。即座に返るその声は、音こそ違うが同じ意味。

 

 

「ティアっ! 止めてくれるなよ! こいつは絶対ぶっ飛ばす!!」

 

「倒されるのはどちらになるか。その低脳に刻んであげよう。……巻き込まれたくなかったら、止めようとは思わない事だね」

 

 

 詰まりは戦闘続行。決着が付くまで、彼らはどちらも退きなどしない。

 これは譲れぬ事なのだ。男としての意地なのだ。この相手は不倶戴天。共に天を頂かず、顔を合わせば戦うより他に道がない。

 

 

「こ、コイツらは」

 

 

 天魔と戦えば疲弊もしよう。流石に疲弊したならば、決着を付けようとは考えない筈だ。

 そのままなし崩し的に、最後まで二人を協力させてしまおう。気を失う前にそんな事を考えていたティアナは、彼らの言葉に頭を抱える。

 

 損得などは関係ない。消耗などは考えない。手を取り合った方が、今後が有利だとかそんな思考が全くないのだ。

 後先すらも考えない。この今に倒したい奴がいるから倒そうとする。そんな彼らは愚か者。先すら読めない馬鹿野郎たちなのである。

 

 そうと理解して、ティアナは深い深い溜息を吐いた。

 

 

「……何か、疲れたわ。もう好きにしなさいよ」

 

 

 命を賭けた対決だ。どうでも良いと言って良い物ではない。そうと分かって、しかし突っ込む気も失せた。

 この件に関しては諦めたのだ。もう馬鹿共は止められないと。故に好きにやってろ。私は知らぬ。白けた瞳で少女は語る。

 

 そんな瞳に見詰められながら、少年達は向かい合う。

 構えた武器に力を入れて、踏み込む足に重心を移して、これより決闘を再開するのだ。

 

 

「それじゃあ」

 

「始めようか」

 

〈勝つのは、私達だよ!〉

 

〈はっ、そりゃ、あたしの台詞だ!〉

 

 

 四つの意志が一つとなって、彼らは此処に飛び出し駆ける。

 今より速く、奴より速く、許せぬ宿敵を乗り越えて此処に決着を付けようと――

 

 

「悪いが、邪魔するぜ」

 

 

 その決闘を、轟音が妨害した。跳び上がったトーマの身体が、横合いからの衝撃に大きく吹き飛ぶ。

 驚愕に動揺するエリオの視界を横切って、飛び込んで来た両面悪鬼は馬上筒に残った弾丸全てをトーマの身体に撃ち込んだ。

 

 

「がぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

〈きゃぁぁぁぁぁっ!?〉

 

 

 構造上連射が出来ぬ筈の古式銃。摩訶不思議な力によって、そんな四丁銃で連射する両面宿儺。

 ばら撒かれた薬莢の数は一つ二つと言う規模ではなく、二桁三桁と言う破壊の雨を横合いから叩き込まれたトーマは意識を手放した。

 

 光が輝いて、リアクトが解除される。気絶したトーマとリリィは此処に別れて、天魔・宿儺はその直ぐ傍へと着地する。

 女物の着物を風に靡かせる金髪の男は、四本の腕に握っていた銃を放り捨てると、俵を担ぐ様な気安さで二人を抱えてニヤリと嗤った。 

 

 

「……君は、何の心算だ」

 

「邪魔する奴は馬に蹴られてなんとやら、って奴だって分かってんだけどよ。事情が事情だ。まぁ許せやガキ共」

 

 

 敵意を見せるエリオを前に、宿儺は嗤いながらにそれを受け流す。

 突き刺す様な視線を受けてものらりくらりと、変わらぬ悪鬼のこれは単独行動。

 

 己独自の理由を以って、天魔・宿儺は動き出したのだ。

 

 

「アンタの相手をしてた、奴はどうなったのよ」

 

「あ? そりゃあれだ。もっと重要な事があったからよ。――振っちまったぜ」

 

 

 気絶していたが故に全てが分からず、だが敵対していた人間が居た事は分かっている。

 故に問い掛けたティアナの言葉に、意味深に嗤って返す天魔・宿儺。嘗ての強敵と決着を付けるよりも、彼にとって重要な事があったのだ。

 

 蒼い輝きを見た瞬間に、その時が来たのだと理解した。味方に被害が出た事で、好機が来たのだと理解した。故に嘗ての敵をあしらって、天魔・宿儺は此処に来たのだ。

 

 

「ほら、今って好機だろ? でっかい姉さんがおっちんで、我らが首領代行殿はてんてこ舞い。敗残撤退中で監視の目もない現状で、トーマの奴が都合良く渇望に目覚めやがった。おいおい、こりゃ困ったな! 動かない理由が何処にもねぇ!」

 

 

 紅葉の死。それは十分過ぎる程に、穢土・夜都賀波岐を混乱させた。今の宿儺の行動を、彼らは認識出来ていない。

 トーマ・ナカジマは己の渇望に目覚めた。天魔が深く関わっても、もう夜刀になる事はない。故にこそ、嘗ての約束を果たす日が来た。

 

 天魔・宿儺が己の役割を果たす時は、正しくこの今なのだ。

 

 

「そんな訳で、トーマとリリィは俺が貰っていく。安心しろ。夜都賀波岐とは合流しねぇ。アイツら、裏切る事に決めたからよ」

 

 

 穢土には帰らない。夜都賀波岐が居ては都合が悪い。故にこそ、天魔・宿儺は彼らを切る。

 太極の応用によって彼らの目を欺きながら、仲間が死んだ混乱に乗じて、次代の彼を連れ去る心算なのである。

 

 

「させると、思うか」

 

「出来ると思ってんのかよ。その様で?」

 

 

 連れ去るなど許す物かと、エリオが猛る。再三に渡り決着を邪魔された彼の怒りは、既に頂点に至っている。

 槍を構えて今にも仕掛けて来ようと、そんな満身創痍の行為は蛮勇。それを面白そうに笑いながら、しかし今争う訳にはいかない。故に天魔・宿儺は嗤いながらに、その言葉を口にした。

 

 

「今俺とやり合えば、お前の中に居るガキは確実に死ぬぜ?」

 

〈あ、兄貴〉

 

 

 自滅の地獄。それに抗う方法を、今の彼らは持っていない。作り物の命は確実に自壊するだろう。

 未だ勝てない。犠牲が生まれる。その犠牲が許容できる物ではないなら、此処で飛び出す様な真似は出来なかった。

 

 

「ま、焦んなって。お前の役割はちゃんとある。決着の場は用意してやる。だから、今は素直に退け」

 

「…………」

 

「信じろって。俺がお前みてぇに都合の良いライバルユニット。利用せずに終わらせるもんかよ」

 

 

 悔しさに腕が震える。苛立ちに頭が熱く染まる。今にも殺したい程に、その殺気を抑えながら睨み付ける。

 射抜く様な殺意を受けても飄々と、変わらぬ天魔の姿に歯噛みする。それでも今はどうしようもないから、エリオは手にした槍を下した。

 

 

「ふん。……今は持って行きなよ」

 

 

 アギトが今、自壊の地獄に耐えられないのは事実。アギトに助けられているエリオが耐えられないのもまた事実。故に此処は納得する。

 

 

「何れ、君の手から取り戻す」

 

「ああ、期待してるぜ」

 

 

 だが、納得するのは今回限りだ。次に出会う時にはきっと、こうも簡単には負けを認めない。

 己を睨み付ける少年の若さを前にして、天魔・宿儺は楽しげに笑う。期待していると、その言葉に偽りなどはない。

 

 

「……トーマ。リリィ」

 

「だから案ずるなって、言っても信用ねぇだろうけどよ。お前達の悪い様にはしねぇさ。()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 立ち上れぬままに、案ずる様に名を口にする。エリオが諦めた以上、ティアナに出来る事はない。

 簡易的な転送用のデバイスを使用して、トーマ達を連れ去る宿儺。攫われる者らを案じて、その姿を見詰め続ける事しか出来ていない。

 

 そんなティアナの姿に笑って、宿儺は案ずるなとだけ言葉を告げる。信用など出来ずとも、それは彼の本心だ。

 彼の望みは唯一つ。それは遥か昔から変わっていない。故にこそ、此処でトーマを害する意図はない。それは都合が悪いのだ。

 

 

「俺だけが分かる。俺にしか分からねぇ。アイツの想いを、真に果たす為に――」

 

 

 今も苦しみ続ける天魔の主柱。宿儺が遺った理由は唯一つ、最期の勝利を彼へと捧げる為だけに。

 彼にしか分からない。だから彼にしか出来ない。その想いを果たす為になら、己はどれ程に見苦しい道化にもなろう。

 

 故にこそ天魔・宿儺は此処に、独自の行動を取り始める。

 古き世から続いた友情を裏切って、遊佐司狼と言う男は己の勝利を求めて蠢動する。

 

 

「じゃあな。管理局に夜都賀波岐。お前らとまた会う時までには、ちゃんと仕事は終わらせとくさ」

 

 

 そうして、天魔・宿儺はこの地を立ち去る。最早誰にも止められない。

 天魔たちが戻って来る前に、あしらった敵が追い付く前に、彼はトーマとリリィを連れ去って行くのであった。

 

 

 

 

 




アンナ「あの馬鹿! やりやがった!?」
アホタル「身洋受苦処地獄の所為で、遊佐君が今どこにいるか全く分かんないんだけど……」
屑兄さん「ゲオルギウス絶対許さねぇ」

ベイ「……また、振られた、だと!?」


そんな訳で宿儺裏切り、紅葉死亡で追い詰められた夜都賀波岐。
管理局側もスカさんとゼスト死亡にザミ姐消滅。ユーノ要介護状態にトーマ誘拐とかなり不味い現状で、失楽園の日は終了です。


え? 非モテ中尉? 振られたので残留してますよ。
疑似流出恩恵なしなので、残滓に戻っての残留ですが。

最高の敵。最高の名誉。最高の戦場。
此処まで揃ったらもう、ベイは振られないと駄目だって思いました。(粉蜜柑)






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第二十六話 醜く愚かな人形劇

今回はフラグ回。
漸くに得た勝利。確かな希望が芽生える中で――だが、奴も弾けた。


1.

 失楽園の日が終わる。誰もが疲れ果てた中、今日と言う日は此処に斜陽の時を迎えている。

 夕焼けに染まる空を見上げて、シャッハ・ヌエラは静かに口を開く。その音には、万感の想いが込められていた。

 

 

「一矢、報いましたね」

 

 

 漸くに、一矢報いた。その討滅を確認した。管理局創設以来初めて、人類は天魔に勝利した。

 其処に何も思わぬ者など居はしない。長く長く、本当に長く戦い続けて来たのだ。その闘争。犠牲が生んだこの結果、何も思わぬ筈がない。

 

 胸に溢れる名状しがたい感情に、デバイスを掴む手に力が籠る。

 顔を上げて空を見上げる。そうしていないと溢れて来てしまいそうな程に、胸を突き上げる想いがあったのだ。

 

 

「ああ、そうだな」

 

 

 同意を返すは盾の守護獣。倒れた敵は、憎悪を燃やす相手でない。この手で仕留めた訳ではない。それでも、何も感じない訳ではない。

 彼もまた感じている。不条理と絶望の中で抗い続けた管理局の者達程に、長くも激しくもなかったがそれでも確かに感じている。天魔はもう、倒せない敵ではないのだと。

 

 消え掛けていた己の命。絆の覇道で繋がれた時。後少し、ザフィーラの命は延びた。

 この延びた己の時間ならば、確かにこの手は届くやもしれない。そうと思えばこそ、何も感じない訳がない。

 

 

「長い、本当に長い……一日でした」

 

 

 目を閉じて、捧げる想いは一つの挽歌。勝利者達はこの今に、失った者を強く想う。

 無駄ではなかった。無意味ではなかった。無価値ではなかった。分かっていても、澱の様に胸にこびり付いていた不安感。それが消えていく様な感覚に、シャッハは小さく笑った。

 

 

「ですが、これで漸く終わりが――」

 

「いや、逆だ。漸く、漸く、これから始まるんだろうさ」

 

 

 これで終わったのだ。そう呟くシャッハの言葉を、クロノが首を振って遮る。

 これは開幕の狼煙である。反逆の一歩であるのだ。故に全ては始まったばかりで、先はこれからに掛かっている。

 

 そう口にする堅物将官の姿を見詰めて、ザフィーラは珍しく揶揄う様な言葉を掛けた。

 

 

「ふっ、確かにお前にとってはそうだろうさ。現状、唯一の生き残りである高級将官」

 

「……嫌な事を思い出させるな」

 

 

 失楽園の日。多くの命が散華した。無価値の炎に管理局中枢は燃やされ尽くして、浄化の火を受けて最高評議会は壊滅した。

 夜都賀波岐の太極が世界を包んだ影響もあって、どれ程に戦前の状況が残っているか。絆で繋がった時に理解したのは、少なくとも上層部の人員は壊滅したと言う事のみ。

 

 今、管理局で最高階級を持っているのはクロノである。それ以上の高官は皆全滅して、ならば彼は名実共に組織のトップ。

 転がり込む様に与えられた強権と義務。壊滅寸前の組織の頂点になるなど、間違いなく罰ゲームの類であろう。今後の忙しさを想像して、クロノは嫌そうに溜息を吐いた。

 

 

「はぁ、全く。上層部がゴッソリと消えたからな。……関係各所にどれだけ人が残っているのか、考えるだけでも憂鬱だ」

 

「ですが、憂鬱に思えるのも生きていればこそ、でしょう?」

 

「……まぁ、そうだな」

 

 

 これからが本当の地獄だと、疲れた表情を見せるクロノ。そんな姿を見詰めて、シャッハはくすりと微笑んだ。

 辛いのも厳しいのも憂鬱に想えるのも、全ては生きていればこそ。我らは確かに生き延びて、成し遂げたのだと笑っていた。

 

 そんな彼女の笑顔に憮然と返して、クロノも同じく空を見上げた。

 

 

(また生き残れた。漸く一矢を報いたよ。エイミィ)

 

 

 透き通る様な、美しい夕焼けに染まった空。黄昏色の空にはやがて、夜の帳が下りるだろう。

 生き延びた。生き残れた。一矢を報いたのだ。だからこそ、まだ終わりじゃない。まだ終わりにしてはならない。

 

 

(まだ、終わりじゃない。全てはこれからだから――)

 

 

 秋の後には冬が来る。神無月に続くが紅蓮の地獄なら、その先にはきっと春がある。

 目指した場所はその場所で、まだ一歩を踏み出したばかり。故にこそ、愛した故人へ伝える様に、クロノは空を見上げたまま口にする。

 

 

「前へ進もう」

 

 

 前に進もう。先はまだ遠いから。七つが内の一つを討っただけ、まだ先は遠いのだ。

 前に進もう。先はまだ遠いから。何時か神無き世界をと夢に見ながら、絆と共に歩く新たな世界に進んで行こう。

 

 

「一矢を報いただけでは足りない。これから先を望む為にこそ、前に進もう」

 

 

 クロノの誓う様な言葉に、二人も同じ意志を瞳に宿して首肯した。

 前に進もうと、まだ前に進んで行こうと、彼らは決して挫けやしない。挫ける理由はないのだから。

 

 

「……まあ、先ずは何より、管理局体制の立て直しが急務だろうがな」

 

 

 前に進む為にも先ずは、足場を整えなくては進む事すら出来ない。

 どれだけ掛かるだろうかと、嘆息するクロノに二人は揃って苦笑した。

 

 時間は永劫にある訳ではない。決して長い訳ではない。時は凍っていないのだ。永遠などはあり得ない。

 それでも刹那と言う訳ではない。一瞬の時間すらもない訳ではない。故にこそ、一時の休息を挟む余裕はある。僅かな安らぎは必要だ。また前へ向かって、歩き出す為にこそ。

 

 

 

 決戦の日は、未だ遠い。

 

 

 

 

 

 組織体制の立て直しの為に、これから忙しくなるだろうクロノ・ハラオウン。

 一先ず消滅の危機を乗り越えたが、根本的な原因が取り除かれた訳ではないザフィーラ。

 

 そんな彼らに比べれば、女は今も余裕がある。故に聖王教会の女騎士は此処に、雑多な事を請け負うと決めた。

 

 

「では、私は聖王陛下をお迎えに」

 

 

 男二人に礼を見せ、シャッハはヴィヴィオを迎えに行く。

 彼女達が何処に居るか、問うまでもない。彼女達も仲間であり、あの瞬間に意識は繋がっていたのだから。

 

 

「あの子らもな。頼むぞ、シャッハ・ヌエラ」

 

「ええ、勿論。陛下救出に最も尽力して下さった子達です。聖王教会の一信徒として、最大級の対応を行うのは当然です」

 

 

 戦場を共に乗り越えた仲間達を迎えに行こう。先ずは己の職務に従って、聖王ヴィヴィオと合流しよう。

 そんなシャッハに、ザフィーラは少女らの事を任せる。案ずる彼女らの進退を信じる仲間に此処に託して、当然だと女も返す。

 

 意識の共有は、こんなところにも。あの戦場を共に戦った仲間に対して蟠りなど欠片もない。彼ら彼女らは皆、今や誰よりも信頼できる戦友達なのだから。

 

 

「万象掌握で送ろう。その位の余力はある」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 

 皆をこの場に集める程に、気力も魔力も残っていない。それでも一人を送るだけなら十分だろう。

 軽く手を振るクロノに礼を言って、深くお辞儀する。そうして頭を上げた時には、シャッハの視界に映る景色は変わっていた。

 

 

 

 大地に墜ちた巨大な船。崩れ落ちたは聖王の揺り籠。壊れた箱舟を前にして、二人の少女らは見詰めている。

 虫と共に生きた召喚士の少女は、腕にある小さな熱を強く抱き締める。竜の巫女はその傍らで、寄り添いながらに船を見る。

 

 胸に去来するのは寂しさか、虚しさか。腕に抱いた友の熱が、唯一得られた達成感。

 多くを失い。多くが戻って来なかった。取り零して来た戦場。駆け抜けた場所の崩壊を、彼女達はぼんやりと見詰めていた。

 

 

「陛下。キャロ。ルーテシア」

 

 

 声を掛けられて、振り返る子供達。見詰める先で微笑むシャッハの姿に、彼女達も僅かに瞳の色を変える。

 今も気絶したヴィヴィオ・バニングス。敬うべき聖王と、彼女を取り戻した子供達。彼女達に最大級の敬意を抱いて、シャッハ・ヌエラはゆっくりと歩み寄る。

 

 歩いて行く道の途中。全てが終わったと思っていた状況。だが其処で――女は()()に気付いてしまった。

 

 

「っ!?」

 

 

 不味い。一瞬で湧き上がる感情は焦燥。明確な脅威を前にして、背筋に走る悪寒は致命的。

 何故、忘れてしまっていたのか。その存在に苦しめられていた事は記憶に新しく、その怪物は決して忘れてはいけないモノだった。

 

 コイツは今も万全なのだ。疲弊した六課の皆とは違い、撤退した夜都賀波岐とは違い、コイツは今も万全だった。

 ニィと女は笑みを浮かべる。歪んだ笑みで虎視眈々と、狙い続けたのは漁夫の利だ。故にこそこの今に、動かぬ理由は何もない。

 

 間に合わない。間に合わない。お前はもう間に合わない。

 見せ付ける様にゆっくりと、嘲笑う蟲の群体は此処にその力を行使した。

 

 

「死に濡れろ――暴食の雨(グローインベル)

 

 

 雨が降る。真っ赤に染まった雨が降る。その猛毒の水滴は、魂さえも穢す毒。

 強酸の水は一滴だけでも命を奪うに、十分過ぎる程の物。嘲笑するハイエナは、しかしこの今この場においては他の誰より強大だ。

 

 予備の奈落は未だ残っている。全次元世界総人口の五分の一。

 それだけの数が今も尚、クアットロに囚われている。それだけの質量を、この怪物は維持していたのだ。

 

 

「っ、ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 悲鳴が上がる。肉が焼けて焦げる悪臭の中、シャッハの口から悲鳴が上がる。

 もう間に合わないと分かってそれでも走って、咄嗟に少女達を抱き締め庇ったのだ。

 

 そんなシャッハを嘲笑うかの様に、クアットロは敢えて一手を遅らせた。

 女がギリギリ間に合う様に、敢えて時間を調節していた。それは何故か、決まっている。諸共に溶かして喰らう為。

 

 

「馬鹿ね。本当にお馬鹿さん。そんなに死にたいんならぁ、一緒に溶かしてあげるわ。骨すら残さず消えなさい」

 

 

 降り頻る雨はもう止まない。赤い赤いその色に、溶けて混ざるは命の灯火。

 血肉が焼け焦げ、錆びた鉄の臭いが周囲を満たす。崩れるその身を嗤う魔群は、最早誰にも止められない。

 

 

 

 ざあざあと雨が降る。命を奪う雨が降る。誇りを穢す雨が降る。――そうして彼女は、奪われた。

 

 

 

 

 

2.

 両面の鬼は立ち去った。後に残された者らは佇みながら、思い思いに思考する。

 そんな時間も極僅か。エリオ・モンディアルは無言のままに、その身を翻すと歩き始めた。

 

 宿敵を攫われた。決着をまた奪われた。だが為すべきことは変わらない。

 攫われたなら、追い掛ける。奪われたならば、取り返す。悩むまでもない。愚直なままに、前に進んで行けば良い。

 

 

「……行こうか、アギト」

 

〈ああ、行こうぜ。兄貴〉

 

 

 故に逡巡は一瞬で、一秒後には歩き出している。休息などは必要ない。疲弊も苦痛も、何時もの事だ。

 内なる少女に一言掛けて、エリオ・モンディアルは前へ行く。先の見えない道であろうと、恐れる心は欠片もなかった。

 

 

「ちょっと、待ちなさいよ」

 

「…………何だ?」

 

 

 そんな彼の背に、言葉を投げたのは倒れたままのティアナであった。

 彼女に対しては恩がある。故に面倒だと思いながらも、何の用だと振り返る。そんなエリオに苦笑して、ティアナは倒れたままに問い掛けた。

 

 

「何処に行く気?」

 

「知れた事。前に進むだけだよ」

 

「あてもなく?」

 

「進んでいれば、何時かは逢えるさ」

 

 

 探す当てはない。目指す場所など分からない。それでも今を進んで行けば、何時かはきっと逢えるであろう。

 そんな愚直な行動。余りに考えなしなその在り方。ティアナはそれに相棒の影を僅か重ねて、頭を抱えながらに溜息を吐いた。

 

 

「……アンタって本当、アイツと良い勝負してるわ」

 

 

 それでもきっと、辿り着いてしまうのだろう。こういう馬鹿は理不尽だ。

 ティアナは僅かな嫉妬と共に、諦めた様にそう思う。思いながらに、一つ彼に提案した。

 

 

「アンタさ。六課に来る気、ない?」

 

「……何?」

 

 

 思わずエリオは問い返す。それは余りに意外が過ぎる言葉であったからだ。

 

 エリオ・モンディアルは汚泥の中で生まれ育った。彼にとって生きる事は、奪い殺す事とほぼ同義。星を羨み憎みながらに、彼は汚泥の底に生きていた。

 そんなエリオにとって機動六課とは、憎み羨む彼が居た場所。あの忌々しい星と同じく、綺羅星の如くに光る場所。汚泥の底に生まれた汚物にとっては、余りに遠いその世界。

 

 

「だからさ。仲間になるか、って聞いてんの」

 

「君達と、この僕が? 正気か、君は?」

 

「酷い言い草ね。これでも正気の心算よ、私は」

 

 

 故に戸惑う。余りの言葉に唖然とする。その目を見開いて、少女の顔をマジマジと見る。

 焦がれながらに戦って、多くを奪い取った相容れぬ場所。そんな六課へ罪悪の王を誘うなど、彼女は一体何を考えているのかと。

 

 そんな彼の呆気に取られた表情に、コイツもこんな顔をするのかと、くすりと笑ってティアナは語った。

 

 

「そりゃさ、色々あったわよ。水に流すなんて、簡単に出来ないくらいにはね」

 

 

 エリオは多くを奪っていった。其処に如何なる理由があっても、最早許せる程にその罪は軽くない。

 奪い、殺し、犯してきたのだ。例えナハトが居なくとも、彼は未だに罪悪の王。管理局史上最悪と判を押された犯罪者。

 

 恨みを抱く者は多く居る。背負った罪業は数え切れぬ程に。そんな彼と言う存在は、正義を志すならば、決して受け入れて良い毒ではない。

 

 

「それでも、手を取り合える部分はある。協力できる事があるなら、恨みあって足引き合うのは馬鹿でしょう?」

 

「…………」

 

 

 それでも、一時とは言え手を取り合えたのは確かな事実。同じ場所を目指して、共に前に進める事は事実であった。

 だからティアナは笑って告げる。これはある種の司法取引。共に歩いて行けるのならば、罪への裁きを一端棚上げしようと言うのである。

 

 そんな彼女の提案は、両者にとって確かな益がある物だった。

 

 

「アンタの利点は一つ。管理局の数を頼れる」

 

 

 失楽園の日を超えて、管理局はその総数を大きく減らした。それでも組織と言う形骸は、この今も保てていよう。

 体制の立て直しには暫く掛かるが、一度立て直せればその数の利が活かせる。無策で単身人探しをするよりかは、遥かに効率的な選択だ。

 

 

「コッチの利点は一つ。罪悪の王が味方となる」

 

 

 管理局側としての利点は唯一つ。期間限定、条件付きの状態であっても罪悪の王が味方となる。有史以来最強最悪と、そう称された犯罪者の助力を得られるのだ。

 一部の例外は強くなったが、多くの犠牲者も生み出した。総合的に見て、管理局の戦力は減少している。そんな彼らの立場からしてみれば、彼程に必要とされる戦力も他にいないと言えるだろう。

 

 

「ほら、どっちもお得。だったら、提案するくらい良いじゃない。言うだけなら、どうせタダなんだしさ」

 

 

 口にするだけならタダだから、駄目元で提案したのだ。

 そんな風に笑うティアナに、エリオは溜息を一つ吐いてから口を開いた。

 

 

「……君は、何と言うか。うん。アレだね」

 

 

 身体の部位が腐り掛け、立つ事も出来ずに笑っている少女を見詰める。

 苦痛の中でも平然と笑っているその姿は、汚泥に染まらぬ星の物。正しく彼女も六課の一人。

 

 ティアナ・L・ハラオウン。その輝きを確かと認めて、エリオはその感情を言葉に変えた。

 

 

「何となく、君とトーマが相棒をやれていた理由が分かった気がする。結局君達は、似た者同士なんだろうね」

 

「酷い名誉棄損。あんな馬鹿に似てる馬鹿だなんて、アンタみたいな馬鹿には言われたくないわよ」

 

 

 被る影。同じ様なその在り方。心の何処かで、きっと似た者同士なのだろう。そう結論付けるエリオを、ティアナは半眼になって見据える。

 あの馬鹿(トーマ)と似ているなどと、この馬鹿(エリオ)に言われたくはなかった。何せティアナは、馬鹿ではないと自負しているのだ。

 

 そんなティアナの主張を鼻で嗤って、歪な笑みを浮かべたままにエリオは語る。

 

 

「それはお互い様、と言う奴だろうさ」

 

〈えーと、馬鹿に馬鹿に馬鹿ばっかり? あたしも兄貴とお揃いが良いし、詰まりは皆一緒で馬鹿って事だよなっ!〉

 

「だ、か、ら、私とお前ら一緒にすんな!」

 

 

 分かって言ってる性悪馬鹿に、頭が動いていないのに追従している真正馬鹿。

 己は彼ら程に愚かでないと、同類項は怒りを叫ぶ。叫んだ拍子に腐った臓腑が悲鳴を上げて、ティアナは思わずのたうち回った。

 

 その姿を見下しながら愉悦に浸って、十分に堪能した後でエリオは告げる。

 苦痛の余りに涙目になったティアナへ向かって、彼は嗤いながらに己の意志を伝えるのだった。

 

 

「そうだね。手を取ろうと、取るまいと、其処に大した違いはない。ならば精々、君達を利用させて貰おうか」

 

 

 己一人でも辿り着ける。だがそれは手を取り合わない理由にならない。弾く意味がないならば、掴んでも問題はないだろう。

 張り付けた嘲笑は変わらずに、その本質も変化せず、それでも僅かに何かが変わった。故にこそエリオ・モンディアルは、ティアナの提案を受け入れたのだ。

 

 

〈仲間の説得はお前がしろよな! あたしは頭悪いし、兄貴はコミュ障だから、そう言うの苦手だ!〉

 

「威張る様な事じゃないでしょうに……はぁ、まぁ良いわ。その位はやるわよ」

 

 

 胸を張って出来ないと語るアギトの声に、悶絶から多少回復したティアナが答える。

 もしも勧誘が成功したなら、元より己が説得にあたる心算であった。故に彼女の要望は、特に拒む理由がない物。その程度の労力で味方にできると言うならば、寧ろ安い程だろう。

 

 

「それで、先ずは何処へ行く?」

 

「そうね。先ずは義兄さんの所に。……歩けないから、背負え」

 

 

 味方として合流するならば、指示には一応従おう。問い掛けるエリオに対し、ティアナは立ち上がらずに口にする。

 腐敗の傷は大きく、彼女は未だ立ち上がれない。悶絶させられた恨みもあって、半眼になりながらに背負って進めとエリオに命じる。

 

 そんなティアナの言葉に面倒そうな顔をして、根性悪な少年は揶揄い交じりに嗤って返した。

 

 

「抱えていくのは面倒だね。槍で刺しても良いかな?」

 

〈こう、胴体を串刺しにして持っていくんだよなっ! 死体動かす時によくやった!〉

 

「死ぬわっ!?」

 

 

 叫んだ拍子に臓腑に響く、走る痛みは耐え難い程の物。

 再び悶絶して転がるティアナの姿に、烈火の精は首を傾げて、確信犯はせせら笑う。

 

 己が宿敵に何処か似ていると、影を重ねた少女で遊ぶ。それは僅かな憂さ晴らし。

 あっさりと攫われて行ったあの少年に、向けられない怒りをこの少女で晴らしているのだ。

 

 そんなエリオの意図を理解して、ティアナは彼を睨み付ける。

 憎悪が籠る程ではない瞳の色で彼が改心する筈もない。平然と笑い飛ばすと少女の身体を蹴り上げてから首を掴んで、俵の様に肩で担いだ。

 

 乱暴で雑が過ぎる扱い。当然の様に衝撃が身体を襲って、少年の肩に掛かったティアナは苦悶する。

 息も出来ない状況で苦しみながらに、後で絶対覚えていろと、担がれるティアナはエリオを恨むのだった。

 

 そうして少年少女は歩き出す。機動六課に合流する為に、荒地を進み始めた彼ら。

 一歩二歩と踏み締める様に進んだエリオは、三歩目を踏み出す瞬間に弾かれた様に跳躍した。

 

 

「――っ! 投げ飛ばす。死にたくなければ、死ぬ気で受け身を取れ!!」

 

「え? ちょっ!?」

 

 

 上がる抗議に、構っている余裕はない。担いだティアナを投げ飛ばすと、エリオは槍を構えて一閃する。

 飛来したのは黒き太陽。偽神の牙を迎撃して、しかし過剰な火力に身を焼かれる。傷付いたエリオは槍を両手に、その下手人を睨み付けた。

 

 

「何の真似だ。クアットロ」

 

「貴方こそ、何の真似かしらねぇ。エリオくぅん?」

 

 

 耳に響くは羽の音。それに混じった甘い声。油の様に絡み付く、不快な音と共に蟲が湧く。

 人型を取った蟲の狙いは明白だ。エリオが投げて助けた少女。彼女を標的として狙っていた。

 

 

「その子、潰したいんだけど。どうして庇うのかしら、ねぇ?」

 

 

 クアットロは受けた屈辱を忘れない。このミッドチルダで最も、気に入らないのはこの少女。

 彼女に泥を食ませたティアナと言う少女。その恨みを晴らす為にこそ、クアットロは此処で彼女を狙ったのだ。

 

 それが分かって、エリオは庇う様に立つ。揺らがぬ槍の穂先を敵へと向けて、語る理由は単純な物。

 

 

「恩義がある」

 

〈それに説得って言う、仕事もして貰わないといけないからな! とっとと帰れよ、虫ババアっ!!〉

 

 

 恩義があって、利用できる要素もある。ならば守る為の理由は最早十分だ。庇わぬ道理が此処にない。

 エリオとアギトは敵意を抱いて、クアットロを睨み付ける。以前ならば恐ろしいと、逃げ回っていた筈の女はしかし余裕を見せていた。

 

 

「……ふぅん。黙って聞いてたら、六課に入るって言ってるしぃ。本気なんだぁ、それ?」

 

「だったら、どうした。君には関係ないだろう」

 

「関係ない? 関係ない? うふふ。ふふふふふ」

 

 

 笑う。嗤う。哂う。浅はかだと魔群は嗤う。心底から軽蔑する様に、エリオを見下し彼女は嗤う。

 常と違うその対応に、エリオは確かに自覚する。理由がなければ、この女は決して強気に出はしない。ならばその態度には相応の、理由が確かに存在するのだ。

 

 

「忘れているのかしら、実に愚かね。腐炎を失くした今の貴方が、私と対等に口を聞けるとでも思っているのかしらねぇ」

 

 

 それは一点。最早エリオ・モンディアルと言う存在は、クアットロ=ベルゼバブにとっては脅威ではなくなったと言う事。

 不死不滅の魔群を滅ぼせるナハトの炎。その力があればこそ、クアットロはエリオを恐れた。だが最早ナハトは居ない。ならば恐れるに足る理由がないのだ。

 

 エリオではクアットロを殺せない。端末を幾ら潰そうとも、意味などは一切ないのだ。

 故にこそ、彼はもう怖くない。怖くなくなったならば、恨みを晴らすのがこの女。良い様に使われたその鬱憤を、盛大に晴らすと彼女は決めた。

 

 

「本当、不愉快。良いわ。教えてあげる。誰に舐めた口を聞いているのか、ってねぇ」

 

 

 パチンと、蟲が形作る形骸が指を鳴らす。同時に発動するのは転送魔法で、呼び出されるのは一人の少女だ。

 ぐったりとした姿を晒すは明るい茶髪をした少女。白い鎧を身に纏っている彼女の名は、冥府の炎王イクスヴェリア。

 

 クアットロがその掌中に収めている、エリオに対する切り札だ。

 

 

〈イクスっ!?〉

 

「……貴様、まさか」

 

「ご明~察。想像の通りよ。エリオくぅん」

 

 

 何を企んでいるのか、理解して表情を変えるエリオ。その姿に舌なめずりをして、うっとりとクアットロは笑みを浮かべる。

 歪な笑みは、嘲笑と優越感が入り混じった物。陶酔する様なその表情は、これから起こる悲劇に期待して。クアットロ=ベルゼバブは嗤いながらに、此処にその引き金を引いたのだった。

 

 

「その証拠、見せてあげる。――BANG!」

 

 

 赤い花が空に咲く。少女の身体が弾けて飛ぶ。血流が逆流して、内側から彼女の血肉は弾けて散った。

 苦悶の声は上がらない。悲鳴を上げる事すら許されない。それでもイクスは苦しんでいる。声を上げる事が出来ないだけで、その表情は苦悶に満ちていた。

 

 声を上げれば、逃げてと叫んでしまう。自分を見捨ててくれと頼んでしまう。だからクアットロは許さない。

 魔群に全ての自由を奪われ、彼女は言葉も発せない。女の意志一つで身体を壊し尽されながら、イクスには意志を伝える事すら許されない。

 

 

「――っ! 貴様ぁっ!!」

 

 

 大切な者を汚されて、怒り狂わぬ彼ではない。炎を槍に纏わせて、クアットロへと斬り掛かる。

 だが無意味だ。今の彼では傷付けられない。蟲が幾つか焼け落ちて、得られた戦果はその程度。夢界に潜む魔群へは、牙を届かせる事すら出来はしないのだ。

 

 

「BANG! BANG! BANG! BANG!」

 

〈やめろよ! お前っ!! それ以上は、イクスが死んじまうっ!!〉

 

 

 攻撃に対する報復は、エリオではなくイクスへと。魔群は嗤いながらに少女を壊す。

 腕が膨れ上がって弾けた。足が膨れ上がって弾けた。嗚咽する様に中身が零れて地を染めて、頭が柘榴の様に吹き飛ぶ。

 

 それも僅か一瞬で、瞬きした直後には復元される。再生させた上で、クアットロはまた壊すのだ。

 

 

「BANG! BANG! BANG! BANG! BANG! BANG! BANG! BANG! BANG! BANG! BANG! BANG!」

 

「クアットロォォォォォォォォォォッッッ!!」

 

「アハハハハハハハッ! 良い気味ぃ! もっと壊してあげるわぁ。貴方の大切なモノぉ」

 

 

 怒りを叫んでも、その手は届かない。魔法の炎も雷も、魔群を滅ぼすには何もかもが足りていない。

 破壊を振り撒きながらに怨敵の名を叫ぶエリオの姿を魔群は嗤い、囚われた少女はそんな姿に瞳を涙で揺らがせた。

 

 壊れる。弾ける。踏み躙られる。巻き戻す様に復元されて、巻き戻ったから最初から。

 繰り返す。繰り返す。クアットロは繰り返す。エリオの魔力が尽きるまで、その心が折れるまで、執拗なまでに少女の身体を蹂躙した。

 

 

「もう分かったでしょう? イクスちゃんは私の手の中。冥王様を生かすも殺すも、ぜ~んぶ私次第なの」

 

 

 これは悪魔を利用しようとした代償だ。彼らを上手く使おうとして、失敗すればこうもなる。

 大切な者をクアットロに任せた時点で、こうなる事は決まっていたのだ。隙を晒してしまえば、悪魔は其処に漬け込むのだから。

 

 

「あぁ、今は生きてるけど、もっと壊しちゃうかも? け、ど、貴方の態度次第ではぁ、考えてあげなくもないわよ。エリオくぅ~ん?」

 

 

 治して壊して癒して潰して、クアットロは陶酔した様な表情で嘲笑する。

 何をしようと届かない。今の彼では救えない。それを叩き込まれたエリオは、屈辱に歪んだ瞳で怨敵を睨んだ。

 

 

「……何が、望みだ」

 

 

 膝を折る。今は勝てないと諦める。そうして、魔群を睨み付ける。

 そんなエリオの態度にクアットロはニヤリと嗤って、再びに同じ言葉を口にした。

 

 

「BANG!」

 

「――っ」

 

「先ずは敬語。口の聞き方から気を付けなさい」

 

 

 弾け飛んで落ちる血と肉。荒れた大地は真っ赤に染まって、流れた血は最早池。その総量はそれ程に、イクスが苦しんだと言う証明。

 助ける手段がないからと、見捨てられる様なら彼はそもそも神座を目指さない。救えない者をこそ、家族の様に想う大切な人々をこそ、彼は救いたいと思ったのだ。

 

 だから、その苦しみを目にするくらいならば――己が屈辱に塗れる方が遥かに良かった。

 

 

「…………何が、望みですか」

 

「そうよ。それで良いの。そういう、分を弁えた態度って大切よぉ」

 

 

 槍を捨てて、膝を付く。憎悪に染まった瞳を隠す様に、頭を下げる。そんな形式だけの降伏宣言。

 その本心を見抜きながらに、クアットロは満足する。屈辱に染まったその表情に、女は愉悦を覚えていたのだ。

 

 

「次は~、そうね~。土下座して足を舐めろ、とか? それともその子を辱めろとか、行ってみようかしらぁ? 腐り掛けのガキじゃ勃たないかしらねぇ。キャハハハハハハッ!!」

 

「…………」

 

「ま、良いわ。あんま長居してると煩いのに気付かれそうだし、今は何より重要な事があるもの」

 

 

 エリオを従えた事で、一先ずクアットロは満足する。

 ティアナを殺したいとは思っているが、余り時間を掛けたくないのも事実であった。

 

 この地には未だ、魔群を凌ぐ者が居る。たった二人、今のクアットロでも手に負えない敵が居る。

 高町なのはとアリサ・バニングス。他はどうとでもなるが、この二人には何も出来ない。故に彼女は鬱憤晴らしを此処に終えると、エリオに対して命じるのだった。

 

 

「ドクターを迎えに行くわよ」

 

「……ジェイル・スカリエッティは、死亡したのではないのですか」

 

 

 慣れない敬語で語るエリオの言葉に、クアットロの形相が変わる。

 執着する様に、切望する様に、現実から逃避する様に、女は父の死を認めていなかった。

 

 

「死んでない。滅びない。終わらせないのよ。ドクターは、誰にだって奪わせない」

 

 

 ジェイル・スカリエッティの存在は、クアットロにとっての全て。世界の全てより重いモノ。

 その死なんて認めない。滅びなどは受け入れない。それが例え父の望みであったとしても、クアットロは許さない。

 

 そうとも、誰にも奪わせないのだ。ジェイル・スカリエッティ自身ですら、それは例外ではない。

 

 

「再誕の儀は用意した。後は生まれ落ちたばかりのドクターを守る為に、神々すら寄せ付けない戦力を用意する。貴方の役割はそれよ。貴方は私の奴隷戦士。神への対抗手段になって貰うわ。エリオ・モンディアル」

 

「…………」

 

「それじゃぁ、行くわよ。()()、ドクターの下へ、ねぇ」

 

 

 人質を取られ、その首には再び首輪が嵌められる。今度は実体こそないが、故に力で外せぬ首輪。

 消え去っていくクアットロの後に続いて、エリオは静かに立ち去って行く。血が滲む程に握った拳は、無力感に震えていた。

 

 

「エリオ。アンタ」

 

〈兄貴〉

 

「……何も言うな。言ってくれるな」

 

 

 倒れたティアナの見詰める瞳。内から語るアギトの案じる声。それに力なく返して、エリオは自嘲する。

 

 

「ああ、本当に……無様だな」

 

 

 罪悪の王は魔群の下に、こうしてその頭を垂れた。

 魔群の暴走は続く。クアットロは蠢動する。それを阻む術は――今は未だ、存在していない。

 

 

 

 

 

3.

 そして彼は再び、生まれ落ちる。底の底の底の底、汚泥の底にて命は蠢く。

 ミッドチルダから僅か離れた無人の世界。崩れた建物は、嘗て魔刃に焼かれた管理局の違法研究所。

 

 一番近くにある医療設備が整った場所が此処だった。だからこの地を、クアットロは再誕の場所と選んだのだ。

 そんな魔群の見詰める先には、機械で繋がれた女の姿。ウーノ・ディチャンノーヴェと言う女の腹は、異様な程に膨らんでいた。

 

 その胎の中に、別の命があるのだろう。そう予想するのは容易い程に、だがそれでも異様な程に膨らんでいる。

 並の妊婦の数倍、数十倍。余りに肥大し過ぎたその胎は、胎内で彼が成長しているから。母体を壊してでも一定年齢まで成長させようと、クアットロが望んで多量の薬品を投与した結果だ。

 

 S因子。スカリエッティの遺伝子情報。それが組み込まれている事を知っていればこそ、エリオはその光景を気にも留めない。

 ジェイル・スカリエッティの傍付きである戦闘機人は、いざと言う時に彼を産み直す為に。それが存在理由なればこそ、哀れに思う必要すらもないだろう。

 

 だからこそ、彼が意識するのは別の者。その異様な風体に、エリオは困惑しながら小さくその名を呟いた。

 

 

「……アスト」

 

「ああ、それ? 壊れちゃったのよねぇ」

 

 

 ヴィヴィオと呼ばれたその少女。浚われた聖王の末路は、悲惨な物だった。

 

 だらしなく全身で壁に凭れ掛かりながら、口を半開きにしたままに何事かを呻いている。

 涎を垂らしながらに泳ぐ視線には、意志の強さは感じられない。その在り様はまるで、重度の白痴か末期の痴呆患者であろう。

 

 

「ほら、天魔・紅葉が太極の中身をばら撒いたじゃない? 折角だから回収しようと思ったんだけどぉ、丁度良い器がなかったのよねぇ。だから、偶々近くにあったこの子に詰め込んだんだけど、流石に数億年分ね。無理矢理入れたら、パンクしちゃった」

 

 

 天魔達は紅葉だけを回収して、急ぎ穢土へと撤退した。管理局側にも余裕はなく、故に浮いていた等活地獄のその中身。

 それを回収したクアットロは、ヴィヴィオの身体を器としたのだ。無数の魂を運ぶ為に、次々に叩き込まれてヴィヴィオは壊れた。

 

 元より生まれたばかりの魂。芽生えて間もない小さな赤子は、質量の暴力を前に押し潰された。

 そんな己の所業を何ら悔いる事はなく、寧ろクアットロはヴィヴィオに向けて怒りを募らせる。この程度で壊れるなんて、余りに使えなさ過ぎると。

 

 

「たった二百万人の英雄を抱え込んだだけでこの有り様。ほんっと、アストちゃんってば役立たず。もう持ち運びの為の鞄にしか使えないんだもの」

 

 

 エリオの回収に動いたのは、アストが余りに役に立たなかったから。

 出来ればあの地に長居などしたくなかったのだと、クアットロは苛立ち交じりにヴィヴィオの身体を蹴り飛ばす。

 

 踏んで踏んで踏み躙って、口から零れた体液に幼子の顔が汚れる。

 涎に塗れたその間抜けさに、クアットロは気分を直すと楽しそうに笑って語った。

 

 

「ドクターが再誕したら、遁甲の中身(コレ)はエリオ君に移すわよ。元々二十万の群体なんだし、十倍くらいなら如何にかなるでしょ? そのくらいやんないとぉ、戦力として役に立たなそうだしねぇ」

 

「…………」

 

「返事もないのぉ? ま、今はエリオ君なんかより重要な事があるから、良いけどねぇ」

 

 

 壊れた残骸となったヴィヴィオ・バニングス。それを哀れむエリオの姿に、クアットロは僅か苛立つ。

 だがそれも一瞬だ。後で再教育を施そうと胸に刻んで、今はもっと重要な事があるのだと視線を肥大した妊婦に向けた。

 

 破水が起こった。衣服を全て奪われた機人の女の股座から、命の水が零れ溢れる。

 しかし上手くは生まれて来ない。中身の大きさに対し、産道が余りに狭いのだ。故にこそ、クアットロは形を変える。

 

 鋭い刃の形を取って、躊躇う事なく振り下ろす。女の叫び声と共に、機人の身体は切り拓かれた。

 麻酔一つない帝王切開。血と体液を吹き出しながらに、血肉を分けて命を取り出す。生まれた赤子の身体は既に、十の齢を超えていた。

 

 

「お誕生日、おめでとうございます! 万感の喜びを、クアットロは抱いておりますわ。私のドクター」

 

「ドク、たぁ?」

 

 

 紫の髪をした少年は、舌っ足らずな口調で呟く。プロジェクトFを利用したその器は、確かにスカリエッティの焼き直し。だが、何かが違うとエリオは感じた。

 

 

(……これは、違うな)

 

 

 目を凝らして見詰める。其処に魂は存在しない。ジェイル・スカリエッティは此処にはいない。

 彼は満足して死んだのだ。もう生きる意志がなかったのだ。故にこうして類似の器を作り上げても、その中身には宿らない。

 

 

(残骸だ。最早、ジェイル・スカリエッティとは言えない。中身のない。壊れた人形だ)

 

 

 此処に在るのは残骸だ。僅かに零れた断片が、呼び寄せられて宿っただけ。

 血肉が通っただけの肉人形。記憶があるだけの泥人形。クアットロが抱き締める。彼は最早壊れた人形。

 

 アリシアとフェイトが違った様に、彼とスカリエッティは違っている。

 いいやそれ以上にズレているだろう。魂の切れ端しか残っていないのだから。

 

 

「ええ、ええ、貴方こそが私のドクター。私が愛する、ジェイル・スカリエッティですとも」

 

「そゥ、どくター。私ノ名マエ、僕のナ前、ジぇいル・スかりエッてい?」

 

 

 そんな人形を抱き締めて、全身を拭う様に撫で回す。生まれたばかりの裸体を見詰めるその瞳は、愛情と劣情が混じった物。

 愛玩人形と化した残骸を撫で回す手付きには、見る見る内にいやらしさを増していく。そんな醜悪な光景から目を背けて、エリオは小さく息を吐いた。

 

 

(気付いていないのか。気付いていて、こうなのか。……どちらにしても、この女には似合いか)

 

 

 壊れた父の模造品。それに愛欲を向ける醜悪な女。その内情がどうであれ、実に似合いな光景だろう。最低なモノと最悪な者。悪い意味で釣り合いが取れている。

 そんな彼女らから目を背けると、捨て去られた母体を拾い上げる。気紛れでその身に治癒を掛けながら、思考するのは虜囚と化したこの我が身。最早残骸しか残っていないこの集団。

 

 全てを映す鏡は罅割れて、聖なる王は白痴と化した。スカリエッティの擬きに中身はなく、これは最早、女の情愛を満たす為だけの愛玩人形。

 虫螻は自分勝手な人形遊びに浸り耽って、そんな愚物に従う事しか出来ない戦闘奴隷。これが嘗ては最強の頂きにまで迫った反天使達の、壊れた先にある無様な形だ。

 

 

(臭い。醜い。見苦しい。汚泥の底に相応しい面子だね。僕も含めて、さ)

 

 

 余りに見苦しいその在り様。それでも汚泥の底にある限り、相応しいと思ってしまう。

 そんな己に自嘲しながら、上がり始めた嬌声を意識の外へと振り払う。そうしてエリオは、天蓋の先にある空を夢見た。

 

 

〈兄貴〉

 

「そう嘆くな。今は従う。今だけは、従う。だが、何れは……」

 

 

 本心を隠す必要などはない。敵も既に理解しているし、今は聞いてもいないだろう。

 

 

(忘れるな。クアットロ。お前は僕の逆鱗を踏み躙った)

 

 

 この恨みは必ず晴らす。今は精々、人形遊びに溺れていろ。

 その仮初の天下はそう遠くない内に、己のこの手で叩き潰す。好き放題に動いた報いは、必ず貴様に受けさせよう。

 

 

(何れ、必ずだ。イクスを救った後は、その報いを必ず受けて貰うぞ)

 

 

 倒すべき敵は定めた。後は果たすべき手段を見付け出し、この魔群を滅ぼすのみ。

 これは所詮過程である。この小物は進むべき道の、轍として踏み潰す。そうとも、目指すべきはもっと高みだ。

 

 

「終わらせる。この手で、全て――だから、その時こそ」

 

 

 閉じた瞳に、浮かぶは望んだ敵の姿。もう助けにはいけないだろうが、きっと彼ならば地力で這い上がって来るだろう。

 お互いに囚われて、流れてしまったその決闘。どちらが先に自由を取り戻すのか、競って見るのも楽しそうだと頬を歪めた。

 

 

「決着を付ける。その日に逢おう」

 

 

 奈落の底へと再び堕ちて、エリオ・モンディアルは夢を見る。

 何れ決着を付けようと、その日までにけりを付けようと、エリオは己の魂に誓うのだった。

 

 

 

 

 




何だろう。風を感じる。皆の憎悪が、読者の怨嗟が吹き付けている。
クアットロ許さねぇ。皆の想いが一つになって、彼女へ向かっている気がするんだ。


スカさんの末期を穢し、ヴィヴィオの心を壊し、エリオの宝物を踏み躙る。
ハットトリックを見事に決めたクアットロさんの今後が期待される今回でした。






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第二十七話 貴方と共に生きる今

長く続いたStS編も、これにて終了となります。
残るは間章二つと最終決戦。新章の投稿は遅くなると思います。


1.

 歪に蠢く赤い塊。血の赤と骨の白。醜悪に肥大化した筋繊維が、おかしな形に絡まり繋がる。

 それは嘗て人であった物。者ではなく物となったモノ。風船の如くに膨れ上がって、気泡の如くに弾ける肉塊は猛烈な異臭を放っていた。

 

 見ただけで吐き気を催す程に悍ましく、誰もが顔を顰める程の悪臭を齎し、放つ気配は天魔のそれと同じ瘴気。

 人であれば誰であっても、これの直視は耐えられない。顔を背けるか、その場から逃げ出すか。それが当然と感じられる汚濁の塊。

 

 だがこの今、この場所に顔を背ける者はいない。どころか、眉を顰める者すら居なかった。

 これが何であるのか、彼らは既に知っている。嘗て人であった物。歪み者であったモノ。この地を護る為に散った、護国の有志が成れの果て。

 

 その至った果てを前にして、どうして吐き気を堪えるなどと言う恩知らずな真似が出来ようか。

 共に戦った偉大な戦士を、嘗てを守った誇り高き先人達を、どうして悍ましいなどと吐き捨てる事が出来るのだ。

 

 今も尚肥大化している肉塊は、揺り籠と同化していた奈落の一部。そして同じく人でなくなった、彼の槍騎士が姿もある。

 これを放置などは出来ない。今も生きている彼らは、今も苦しみ続けている。そして天魔が現れれば、その手先として操られる危険もあった。

 

 護国に生きて、彼らは死した。それが全てで良いだろう。

 その死後までも穢す様な末路など、在ってはならぬしさせてもならない。

 

 故にこそ、最愛の炎で貴方達を送ろう。

 

 

「修羅曼荼羅――大焼炙」

 

 

 燃え上がる炎が肉塊を包み込む。苦痛の生に縛られた彼らを焼き尽し、来世に向けて送り出す。

 穢れた魂さえも燃やし尽くす獄炎。修羅の宙を展開したアリサ・バニングスは、燃え尽きていく彼らの魂に向けて礼を取る。

 失楽園の日を生き延びた戦士達も同じく、先陣に立つ女に習う。偉大な戦友を送る彼らは、焔が燃え尽き煙が消えるその時まで礼を崩す事はなかった。

 

 

 

 燃える。燃える。炎の中に燃えていく。その光景をキャロは静かに見詰めている。

 燃え尽きる煙の中に消えていく者らの中には、彼女が大好きだった父の姿も確かにあった。

 

 傷だらけの少女は思う。もう立つ事も出来ない少女は思う。

 余りに多くを失くしてしまった。父を失い、共に育った竜を失い、そして掴んだ筈の友すら守れなかった。

 

 自分達はあの時庇われて、酸の雨をその身に浴びた女騎士は倒れた。

 崩れ落ちる彼女を支えようと手を離した瞬間に、抱き締めていた友達を攫われたのだ。

 

 隣に立つルーテシアと、二人の手を握り絞めて涙を堪えるメガーヌの姿を見上げる。

 妻であるが故に泣き崩れそうになり、母であるが故に膝を折れない。そんな女性を見上げて思う。

 

 果たして、自分に何が出来たであろう。いいや、結局何も出来ていない。

 大切な仲間達を犠牲としたのに何も為せずに、肝心な所で足を引いて庇われた。今を生きていられるのは、結局誰の目から見ても路傍の石であったから。

 

 

(私は、もう……)

 

 

 何もかもを失って、残ったのは半身不随となった身体。足が動かない以前に、心が動こうと思ってくれない。

 前に進む気がしなかった。前に進める気がしなかった。もう此処から何処へも行けないのだと、諦めてしまった自分が居た。

 

 

「キャロ」

 

「……るーちゃん」

 

 

 声を掛ける姉の表情も、己と同じく浮かない色だ。もう彼女も分かっているのだ。

 この時分に至っても、歪み者にすら成れていない。そんな自分達は役には立てないのだと。

 

 そんな少女達に、母は優しく言葉を掛ける。疲れた様な表情で、メガーヌは儚く口にした。

 

 

「帰りましょう。キャロ。ルーテシア。……お母さん、もう疲れちゃったわ」

 

 

 言葉に抗う意志はない。少女達は逆らわず、口も開かず、唯首肯だけを返した。

 それを思いの弱さと、一体誰が責められようか。葬送が終わると共に、連れ立ち去って行く母娘を一体誰が止められよう。

 

 誰も彼もが心を折られて、何度も立てる訳ではない。必死の祈りに報いがなければ、心が折れるは自然の道理。

 もう戦う力がない少女達は、もう立ち上がる気力も湧かない。何もかもを全て賭け、賭けたモノを全て無くしたその傷は決して軽くはない。

 

 心に刻まれた傷痕は時の流れで癒えるであろうが、戦士の矜持はもう得られない。

 事実は一つ。彼女達は此処で折れ、この先に進もうとは思わなかった。それが唯一つの事実である。

 

 キャロ・グランガイツ。ルーテシア・グランガイツ。メガーヌ・グランガイツ。

 彼女達の戦いは此処で終わる。これから先の戦場に彼女達が立つ事は、もう二度とありはしないのだ。

 

 

 

 

 

2.

 カタカタと端末を叩く音。幾つもの報告書に目を通し、資料を同時進行で纏めていく。

 その合間に口に運んだ珈琲。その質の悪さに眉を潜めて、カップを置くと深い溜息を吐いた。

 

 部下に買いに行かせたこの珈琲は、それなりの有名店で注文したそこそこに良い銘柄だった筈だ。

 だが思っていた程ではないと不快感を抱いて、その直ぐ後に自覚する。どうやら舌が肥えすぎていた様だ、と。

 

 

「やれやれ、これからはこんな事にも慣れないといけないのか」

 

 

 今までの倍以上に増えた仕事も相まって、正直言って気が重い。

 クロノは肩の凝りを軽く解しながらに、管理局再建に必要な書類群から目を逸らす。

 

 そうして視線を移した先、窓の向こうに広がるのは荒地と壊れた廃屋が増えたクラナガン。

 無数の地獄によって荒らし尽され、嘗ての街並みなどは残っていない。管理局員の犠牲者も多く、先の隊葬では参列者が多くあった。

 失楽園の日が遺した傷痕は、未だ塞がらない。この今もクラナガンの復興は続いていて、管理局の再建もまだまだ時間が掛かるであろう。

 

 

(だが、悪い事ばかりじゃなかった)

 

 

 あちらこちらに見られる工事風景。廃墟は多いが、活気に満ちているクラナガン。

 その光景から視線を移して、書類へ向き合う。モニタに移る電子情報が告げるのは、想定よりも遥かに少ない人的被害だ。

 

 そう。余りに被害が少な過ぎる。ミッドチルダ全土が地獄に包まれたと言うのに、民間人の犠牲者は皆無に近い。

 失楽園の日が奪った命の大半は、クラナガンに駐在していた局員達。民間犠牲者は奈落を作る際に奪われた一握りであって、それ以降の犠牲者数は零。

 

 其処に誰かの意図があると、察せられない程にクロノは愚かではない。其処まで含めて、全てはあの男の策謀だったのだ。

 

 

(奴の目的は、神の弑逆。穢土の討滅ならばこそ、管理局の弱体化など奴が望む展開ではない)

 

 

 端末を操作して、映し出すのは監視カメラに撮影された映像。所々破損した映像には、人命救助の瞬間が映っている。

 奈落に飲まれて意識を失った人々を、戦闘機人やガジェットが回収して運んでいたのだ。安全地帯。身洋受苦処地獄が開かれたその場所へと。

 

 救助部隊は奈落が完成した直後、ほぼ同じタイミングで動いていた。運び込む場所が安全地帯になると言う事は、十分に予想出来ていたのだろう。

 民間人が一ヶ所に集まっていれば、天魔・宿儺は其処で太極を開くであろう。その程度の事、ジェイル・スカリエッティに読めていない筈がない。

 

 なればこその奈落であろう。効率的に命を救い、残る者を選別する為にこそ、スカリエッティは奈落を生み出したのである。

 結果、あの日に生じた民間人犠牲者はほぼ零だ。ごく僅かな犠牲者は、魔鏡が喰らった命のみ。奈落の拡大に使われた陸と空の戦力は壊滅したが、海だけはほぼ無傷で残っていた。

 

 それもまた道理。管理局の戦力は通常、世界の各地に散らばっている。次元世界中でロストロギアの回収や、その他任務を行っている。

 大天魔が襲来する日にはミッドチルダに集まるが、召集命令が来なければミッドチルダにある戦力は基本陸と空だけ。失楽園が突発的な事件であるからこそ、海の犠牲者数は少ないのだ。

 

 

(失楽園で奴が目指したのは、高町なのはの覚醒とナハト=ベリアルの排除。そして、――管理局体制の強化。複雑と化した内部勢力の多くを排除し、一本化する事こそが奴の狙いだったと言う訳か)

 

 

 管理局が三大部門の内、二つが完膚なきまでに壊滅した。最高評議会を含む役職者や、エースストライカーも失った。

 短期的に見れば、損害は大きい。だがそれでも、中・長期的に見れば話は変わる。対抗派閥が無くなり、そして最も重要な戦力は残っているのだから。

 

 高町なのはは太極位階に到達し、トーマは己の願いを自覚し、アリサ・バニングスも天魔と対等域にまで至った。

 新局長となったクロノの下に、彼に逆らう者などいない。海に属する者らは殆どが、アースラで研修を受けた者。詰まりは彼の教え子なのだ。

 

 失った命は尊いし、災いが福に転じたとは断じて言えない。だが組織として見れば、利点ばかりが目に付くのだ。

 もしも失楽園の日がなければ、今も暗闘や権力争いに終始していたであろう。その事を思えば、局長としてはメリットしか存在しない。

 

 相応の立場の人間が多く死した事で、暫くは組織体制の立て直しに時間が掛かろう。

 だが一度体制を立て直せたならば、形となるのはより強固となった組織となる。クロノ・ハラオウンと言う名の英雄の下、権力は一点へと集中する。

 

 時空管理局は真実、一人の意志に統制される。強大なこの組織が、強固な一枚岩となるのである。

 

 

「結局、全てアイツの思惑通り、か」

 

 

 考えれば考える程に、その底が見えない。嗤う狂人の異常な頭脳の、片鱗にすら届けない。

 そんな男が口にしていたのは、このままでは間に合わないと言う言葉。失楽園の日は、間に合わせる為にこそあった策略。

 

 

「業腹な話だが、僕では此処まで上手くはやれなかっただろう。嫌な言い方だが、終焉の日を前にして、この状況は理想的だ」

 

 

 明かされた情報。手元に来た無数の情報。失楽園の日に潰えた者らが、裏で用意していた幾つもの手札。

 最高評議会が伏せていた戦力や、スカリエッティ一派の暗躍。目覚めるのが遅過ぎたなのはとトーマ。

 

 その全てを覆せたのかと問われれば、胸を張って覆せたと答えよう。

 だが、僅か短期間でそれが出来たかと問われれば、胸を張れる程の確証はなかった。

 

 余りに、時間は短過ぎたのだ。気付けばもう、終焉の日は直ぐ其処に。先ず間違いなく、()()()()()()()()()

 

 

「今が6月。そして、奴らが語ったタイムリミットは――今年の末。後六ヶ月しか存在しない」

 

 

 あの終焉が訪れた日に、語られた残り時間は僅か八年。機動六課が設立されるまでに、七年以上が掛かった。

 明確な日付が分からず、終わりの日に多少の前後があると仮定しても、恐らくは年末。次の新年を迎えられるか、時間は極めて微妙なラインであろう。

 

 その時までに管理局を一枚岩に変えて、遠征が出来るだけの戦力を整える必要があったのだ。

 そうでなくば、世界は滅びる。それ以外に道はなく、だが僅か六ヶ月で意志統一など果たして出来たか。

 

 いいや、不可能だろう。一石を投じるまでに、七年と六ヶ月を費やしたのだ。

 真面なやり方で対応していては、時間がまるで足りていない。失楽園の日は、その時間を大幅に削減してくれている。

 

 何せ、もう反発などはあり得ない。残る者らは誰もが新局長の信奉者。ならば後は人事を動かして、空いた部署を埋めるだけ。

 長く掛かったとしても、三ヶ月。或いは二ヶ月もあれば、管理局を以前以上の組織にできる。それ程に、この現状は好都合が過ぎたのだ。

 

 

「差し引き三ヶ月。それだけあれば、トーマの救出と穢土への派兵。精鋭部隊の設立し、()()に向かう事も十分可能、か。……つくづく、アイツ好みの展開だ」

 

 

 時空航行技術に秀で、穢土に向かう為に必要な足である海を残した。其処にも彼の意図を感じられる。

 タイムリミットが訪れる前に、最高の精鋭達を最良の状態で穢土に至らせる。其れこそがスカリエッティの望みであったなら、この状況は正しく彼の思惑通り。

 

 スカリエッティの望みは神殺し。高町なのはを旗頭にして穢土に乗り込み、天魔を全て倒す事。

 なればこそ、管理局の弱体化など望む筈がない。長期的に見れば得しかない今の現状は、正しく彼が意図した物だ。

 

 六課の為に為したのだと、スカリエッティが語っても否定は出来ない成果である。

 ……無論、実際に彼が生きていてそんな事を宣ったならば、クロノは鋼鉄の拳をその顔面に叩き込んでいるであろうが。

 

 

「正しく、頭脳の怪物だな。一体何処まで先を見ていたやら、……それも調査結果次第で分かる、か」

 

 

 あの事件の後から数日、最優先事項の一つに挙げられているのがスカリエッティの遺した施設の調査だ。

 管理局再建と並ぶもう一つの重要事項として、クロノの手勢となった管理局の局員達は今もそれを探っていた。

 

 差し詰め、ジェイル・スカリエッティの遺産と言った所であろうか。

 それを探し続けるのは、管理局だけではない。損耗故に片手間にしか動けぬ彼らよりも、もう一つの勢力である彼女達の方が調査は進んでいた。

 

 故にこそモニタに映り出した彼女は開口一番、微笑みながらに言葉を告げた。

 

 

「ええ、幾つか判明した事があります」

 

「……カリム・グラシア枢機卿ですか。一体何時から」

 

「些か独り言が多いですよ。ハラオウン局長。組織のトップがそれでは、腹黒狸に足を取られてしまいます」

 

 

 新たに判明した事を伝える為に、暫定的な局長室へと通信を繋いだ金髪の女性。

 未だ完全には癒えぬ身体に、無数の包帯を巻いた女。聖王教会の枢機卿に任じられたカリム・グラシアは、自嘲交じりに笑って告げた。

 

 

「箴言。肝に銘じておきましょう。……それで、本題は?」

 

 

 一体何時から覗いていたのか、黙して答えぬ彼女の姿にクロノは額を抑える。

 色々と文句を付けたい所であったが、己が隙を晒していたのも確かな事実。溜息交じりに自制をすると、彼女に先を促した。

 

 

「先ずは一点、騎士シャッハの意識が戻りました。気にしていた様なので、それをお伝えに」

 

「それは、良かったです。彼女の負傷は、魔群を見落としていた僕の不手際でしたから。彼女にも、無事で良かったと伝えて上げて下さい」

 

「ええ、それは勿論。ですが、ご自分でお伝えなさった方が、騎士シャッハも喜ばれると思いますよ」

 

「? 何故そうなるのか分かりませんが、まあ分かりました。機会があれば直接、見舞う事にしましょう」

 

 

 何を問われているのか、分かって僅か煙に巻く。そんなカリムの言葉はそれでも、確かに気にしていた事実。

 故に安堵と共に伝言を伝えるクロノに対し、含みながらに語る女枢機卿。彼女の意図が分からず首を傾げたクロノの姿に、カリムは素直な苦笑を零した。

 

 長年の友人は相も変わらず報われないなと、今も病室に横たわるシャッハを思う。

 全治数ヶ月と言う傷を負った彼女は、最後の戦いに加われない。報われない気質を持った幼馴染は、つくづく哀れで残念に思えたのだった。

 

 とは言え、そんな思考は私事である。此処は非公式であれ公よりな状況であればこそ、情に傾く思考を切り替え、カリムは本題へと入るのだった。

 

 

「それともう一点、ロッサの調査で進展が」

 

「スカリエッティの研究資料。分かった事がありましたか」

 

 

 管理局から聖王教会へと、部署を戻したヴェロッサ・アコーズ。

 聖王教会主導の調査部隊。その隊長を任された彼こそが、恐らくこのミッドチルダで最もスカリエッティを知る人物。

 

 思考捜査によって一年以上、ジェイル・スカリエッティの思考を読み続けていたのだ。

 故にこそ彼が最も、あの狂人の思考パターンをトレースできる。彼が隠した物があるならば、それを真っ先に探し出せるのがヴェロッサなのである。

 

 

「ジェイル・スカリエッティは数年程前から、最果ての地と言う場所へ行く方法を探していたようです」

 

「最果ての地? それは一体」

 

「世界の最果て。最も穢土から遠い場所。滅んで然るべき場所が、何故か今も残っている。まるで孤立した離島の様に、虚無の狭間に浮かんでいるのだ。――スカリエッティの手記に記されていた言葉を借りれば、それが最果ての地だそうです」

 

 

 見つかったのは、ジェイル・スカリエッティが遺した手記。謎掛け遊びと独自の造語ばかりが躍る、一見して意味の分からぬ紙媒体の書面であった。

 文章一つ一つが暗号文。解読するにも幾つもの手順を踏む必要があり、解けたら解けたで解釈なんて無数にある。そんな性質の悪い性格が滲み出ている手記の内容は、彼が興味を惹かれた世界に関する物。

 

 最果ての地。当の昔に滅んでいる筈なのに、まだ滅んでいないその世界。

 ヴェロッサが解読した情報は、スカリエッティが調べた最果ての地の情報群であったのだ。

 

 

「滅びを回避した世界? そんなものが、存在するのか」

 

「多分、回避と言っても一時的な物なのでしょう。少しずつ星の面積は減りつつあると、観測データが見つかりました」

 

 

 手記に残された暗号には、パソコンデータを解除する為のキーも存在していた。

 このタイミングで解読される様に、用意されていたその情報。圧縮されていた画像フォルダには、最果ての地を観測していたデータがあった。

 

 そのデータが真実ならば、彼の世界はあり得ぬ事を起こしている。

 それは或いは天魔を破った管理局に比肩するかも知れない。それ程の偉業であった。

 

 

「……それでも停滞はさせている、と言う訳か。その理由、スカリエッティは見付けていたのか?」

 

「はい。信じられない話ですが……彼の世界は神の加護ではなく、純粋な魔法科学の技術だけで延命していると」

 

「――は?」

 

 

 それは、最果ての地が純粋な技術のみで滅びを妨げていると言う事。

 神の奇跡に頼らずに、消え去るべき世界を留めている。そんな言葉を聞かされて、思わずクロノは腰を浮かしていた。

 

 

「馬鹿なっ!? そんな事、出来る筈が!!」

 

「出来る筈がない事が実際に起きている。だからこそ、スカリエッティも注目していたようです」

 

 

 思わずと言った体で、反発したクロノにカリムは静かに告げる。

 信じたくないのは彼女も同じく、だが証明となる要素があるのに否定だけを続ける訳にはいかない。

 

 個人の感情で動いてはいけないのは、立場ある者にとって義務の一つだ。

 彼ら上に立つ者が信じられないと喚いていては、下にある者らは立脚点さえ覚束なくなるのだから。

 

 

「……あり得ない、そう思いたいが」

 

「はい。ですが実際にそうだと言うなら、そうなるだけの理由があるのかと」

 

「そう、だな。そうでなくば、納得すら出来はしないよ」

 

 

 呼吸を落ち着かせて、驚愕を飲み干す。必ず何か理由がある筈だと、思考を此処に切り替えた。

 神の滅びに抗うなど、スカリエッティでも出来るかどうか。それだけの偉業を果たせた理由は、一体何に起因するのかと思考する。

 

 その答えに行き付く為の材料は、既に彼女の手の上へと流れていた。

 

 

「謎解きの最後、手記にあった言葉が一つ。曰く――最も遠いとは如何なる意味だ、と」

 

 

 それは手記に残った最後の謎掛け。そしてスカリエッティが、その世界を差して示したその言葉。

 最果ての地。何故、ジェイル・スカリエッティは、その呼び名を付けたのか。最も遠いとは、果たしてどういう意味なのか。

 

 

「どういう意味か、だと。……距離的に遠いと言うのは、多分違うな。奴がそんな単純な答えで満足するとは思えない」

 

 

 単純に距離が遠いから、最果ての地と呼んだ。それだけが理由などと、そんな簡単な答えではないのだろう。

 最果てであると言う意味。世界の中心点から遠いと言う事。その距離が生み出す変化とは、一体何なのかと言う問い掛け。

 

 ヴェロッサが最初に辿り着き、カリムが彼から推理を聞かされたその解答。数分程思考の海に沈んだクロノも、漸くにその事実に辿り着いた。

 

 

「最果て。穢土から一番遠い。逆に近いのは地球で、ミッドチルダはそれ程ではない。距離が違うと言うのは、そういう事か」

 

「はい。そう捉えるのが正しいかと」

 

 

 クロノの至った答えを察したのだろう。カリムもそれを肯定する様に頷く。

 そうして二人は答え合わせをするかの様に、互いが至った推論を此処に展開した。

 

 

「僕らにとっての偉大な父。天魔・夜刀は時を停める神だ。時間すらも凍らせる神だ。その影響から遠いとなると、()()()()()()()()()()

 

「最果ての地は相対的に見て、()()()()()()とも言えるでしょう。基礎技術の格差は、或いは数百年分にも迫るかと」

 

「数百年分の蓄積があれば、それだけの技術があれば、滅びに僅か抗う事も不可能ではない、か。……それも完璧ではないようだが」

 

「それでも、十分過ぎる成果でしょう。スカリエッティが目を付けるには、ですが」

 

 

 最果ての地とは、時間の流れが違う場所。時が凍らぬ彼の場所は、此処より数百年は先にある。

 

 如何にジェイル・スカリエッティが規格外の天才であれ、基盤となる文化に大差があれば容易く覆せはしない。

 あの頭脳の怪物が見知らぬ技術に心惹かれぬ理由がなく、故に彼は神殺しの求道を志しながらもその世界へ行く手段を模索していたのであろう。

 

 地球とミッドチルダ以上に、ミッドチルダと最果ての地は離れている。

 周囲が消滅している事もあって、真面な手段で到達できるとは思えない。

 

 だが、あのジェイル・スカリエッティだ。真面な手段で至れぬからと、諦める筈がない。

 そもそも、到達できないならその存在を知る事すら出来ない筈だ。観測データがある時点で、移動手段は既に見付けていたのであろう。

 

 

「後年、スカリエッティは研究施設内に巨大な転移装置を作っていたようです。その設置には当然、助手や腹心の部下を手伝わせていたと見るべきでしょう」

 

「最果ての地に行く為に、か」

 

 

 ミッドチルダ周辺の無人世界の一つに、巨大な転移装置が存在している。

 大規模な装置がなければ、彼であっても、最果ての地には行けなかったのであろう。

 

 それだけの設備、一人で作れたとは思えない。だが支援者であった最高評議会の手を借りるとも思えない。

 となれば、彼を手伝った者らは自然と特定できる。一人は常に共に在った秘書たる戦闘機人なら、もう一人はあの狂人の忠実なる娘しかいないのだ。

 

 

「奴も――クアットロもその事実を、知っているのだろうな」

 

 

 最果ての地の存在を、クアットロ=ベルゼバブも知っている。そうなれば、彼女の行動を予想するのは簡単だ。

 あれ程にスカリエッティを信奉していた小悪党。そんな女が或いはスカリエッティですら届かぬ技術の高みを知って、放置できる筈がない。そんな物が存在していると言う事実を、許容できる器がないのだ。

 

 

「クアットロの性格上、スカリエッティ以上の技術など認めはしまい。そうとなれば話は簡単、奴はそれを証明する為に動き出す」

 

「ええ、先ず間違いなく。反天使達が向かう先は、最果ての地であるかと」

 

 

 反天使の、クアットロの企みは明白だ。あの小物が企みそうな事など、余りに分かりやす過ぎる。

 ジェイル・スカリエッティの技術が、最果ての地の者にも勝ると証明する。その為に、奴はその牙を剥くであろう。

 

 最果ての地を壊し尽して、彼の傑作である己こそがより優れていると。

 あの女は己の父の神聖さを保つ為だけに、暴虐と殺戮と言う手段で全てを蹂躙しようと言うのである。

 

 ティアナからエリオとクアットロの遣り取りを聞いたクロノは、静かに口を閉じて考え込む。

 反天使一行が向かったであろう場所は分かった。ならば彼らに追手を出して、一気に捕らえてしまうべきかと。

 

 

「……追手は、出せんな。今動かせるのはバニングスだけだが、奴を動かせば此処が危険だ」

 

 

 数秒の思考の末に、出した答えは否である。今は対処出来ないと、クロノは静かに目を閉じた。

 

 これが三ヶ月後ならば話は別だが、今直ぐに動かせる戦力が一人しかいないのだ。

 そんな自由に動かせる最高戦力を、推測だけで帰って来れるか分からない場所へは飛ばせない。それがクロノの決断だ。

 

 

「高町なのははミッドチルダに残るのでは?」

 

「暫くはユーノの介護に専念するとな。余程の事がなければ動かないと、奴本人から言われたよ」

 

 

 高町なのはは動かせない。己の想いを強く固めたあの女は、最早決して己の意志を譲りはしないだろう。

 そうでなくとも、真面に日常生活すら送れないユーノを一人にはしておけない。動く意志があったとしても、彼女達を使う訳にはいかない。クロノは彼女達にこれ以上、無理などさせたくなかったのだ。

 

 残る主要戦力の筆頭は、間違いなくアリサ・バニングスであろう。一対一で大天魔を相手取れる。そんな彼女は酷く貴重なのである。

 トーマ救出の為の戦力も出せない現状、唯一の最高戦力を反天使討伐に向かわせる訳にはいかない。この地を護る為に、暫くは居て貰わなくては困るのだ。

 

 

「いざ問題が起きた時、高町の奴が動くまで場を持たせる戦力が必要だ。大天魔相手にそれが出来るのはバニングスだけで、そうなれば動かせんと言う訳だ」

 

 

 アリサ・バニングスは動かせない。だがかと言って、他の者らに任せるのは些か不安が残る。

 魔群クアットロは強大だ。未だに世界人口の五分の一を捕らえているあの女は、他のメンバーでは手に余ろう。

 

 故にこそ追手として使えるのはアリサだけで、彼女が動かせないならそもそも追手が出せないのだ。

 

 

「最果ての地は当面、放置しておくしかないな」

 

 

 この段階で情報を知れる様に仕組まれていた。其処に裏を感じながらも、今は何も出来ないと諦める。

 精々出来そうなのは転移装置の調査ぐらいか。安定して行き来が出来る様にと、技術部の者らに調べさせるくらいであろう。

 

 そう割り切ったクロノ・ハラオウンは、ふと疑問に思った事を問い掛けた。

 

 

「それで、一応聞いておきたいんだが……その世界、名前はあるのか?」

 

 

 最果ての地と呼ばれる場所。其処に正式な名称はあるのだろうか。

 そう問うたクロノにカリムは頷いて、公式には未発見なその世界の住人が名付けた名を呼んだ。

 

 

「エルトリア――彼の地は、そう呼ばれている様です」

 

 

 

 

 

3.

 焙煎した豆を挽く。ミルで粉末状にした後に、サイフォンを使って抽出する。

 見様見真似で淹れた珈琲。彼が用意したブレンドを使っている筈なのに、味にどうにも違いが生まれていた。

 

 準備中の札が掛かった店舗内。これではまだ店には出せないな、と高町なのはは息を吐く。

 そうして天井を見上げる。売り出す商品はまだまだだが、それ以外は既に揃った。ならば開店もそう遠くない話であろう。

 

 木々で作ったログハウス。荒削りな色が残った以前の店舗は、失楽園の日に崩れて落ちた。

 故に今、此処にあるのは再建された建物だ。積み上げた技術ではなくて、魔法でなのはが直した喫茶・桜屋。

 

 息を吐くより容易く建物を再建出来た己の力に、高町なのはは再び溜息を口にする。

 ユーノの努力の結晶を、あっさりと模倣出来てしまう万能の力。己の手を見る度に、自覚する。人から外れてしまったと、そんな理解が確かにあった。

 

 求道神とは、法則を体現する神だ。海に溶けない宝石と例えられる様に、彼らは個として完結している。

 己は刃と語る神は、触れた者全てを斬殺する。処刑の刃に掛かった女神は、触れた者の首を刎ねてしまう。そうした法則強制を、関わる全てに与える者こそ求道神。

 

 高町なのはが日常生活を送れているのは、彼女の願いの性質故だ。“素晴らしい人になりたい”そう願うからこそ、彼女は人の器を模していられる。

 だが本質的には既に異なる。求道の器と目覚めた女は、人の振りをした人擬き。唯人からは掛け離れた、人間の皮を被った化生の類。永劫を生きる怪物だ。

 

 望んではいなかったと否定して、それで元に戻れる様なモノじゃない。

 覆水は盆に返らない。砕けた鏡は照らされず、散った花も戻らない。彼女は最早、人ではないのだ。

 

 愛した人と同じ時を、生きる事すら出来ぬであろう。そうと思えばこそ、女は己こそを忌む。

 例え引き留めたとしても、最早長くは生きられぬ愛しい男。永劫を生き続ける不滅の女。その恋が描く結末は――最早既に見えている。

 

 だからこそ、せめて今を精一杯に。彼と共に生きて行こう。そう願ったからこそ、高町なのはは一線から退いた。先がない男と少しでも、長く共に居たかったのだ。

 

 

(皆には悪いけど、これだけは譲れない。来るべき()()の日まで、私は此処から進まない)

 

 

 神を破壊する。それは己の役目であれば、確かに最後の時には戦士と立とう。

 だがそれだけだ。それ以外の時は彼と共に、そう願ったなのはの頼みに友らは応じた。

 

 暫くは任せておけと、力強く語ったのだ。なればこそ信じよう。彼らならば大丈夫。

 故になのはは日常の中で、彼と共に過ごしている。少しずつ学び、成長していく。そんな人の模倣を続けていた。

 

 

 

 今日三杯目となる失敗作を片付けて、流しに積まれた食器を洗う。

 そうして片付けを進めるなのはは、何かが倒れる様な大きな音を耳にした。

 

 緑色のエプロンで手を拭いながらに、駆け足で音がした場所へと向かう。

 開いた扉の向こうにある部屋。一人用にしては大きなベッドから僅か離れた場所で、ユーノが床に倒れていた。

 

 崩れ落ちて、痛みに震えている男の姿。歩く事さえ出来ぬ彼。

 それを見詰める女の表情は、しかし蒼白とは程遠い。呆れの色が、色濃くあった。

 

 

「まったく、また無茶したの?」

 

 

 何処か問い詰める様に、仕方がないなと諦める様に、言葉を口にしながらなのはが近付く。

 初めて見た時こそ大慌てとなった光景だが、ここ数日も続けば流石に慣れる。溜息交じりに高町なのはは、倒れたユーノを抱え起こした。

 

 

「あ、あはは、ごめんね。なのは」

 

 

 冷たい視線を向けられて、ユーノは小さく苦笑する。その表情は、全くと言って懲りていない。

 寝たきりでしか居られない筈の重度障害。物理的に動かない筈の身体を抱えて、それでもユーノはあの日以来、リハビリと自称する行為を続けていた。

 

 例え魔法に頼った結果でも、確かにあの時は歩けていた。だったら必死に痛みに耐えれば、一歩くらいは歩けるかも知れない。

 そんな根性論。希望的にも過ぎる観測。それだけで前に進み続けようとする姿に、高町なのはは呆れながらに憧れている。どんなに苦しくても、彼は決して挫けないのだ。

 

 

「けど、さ。ほら、少し進んだろ? ちょっとは立って、歩けたんだ」

 

「30センチも進んでないんじゃ、歩けたって言いません。倒れた、の間違いだよ。ユーノ君」

 

 

 とは言え、彼の身体はリハビリどころの話ではない。それは繋がっているなのはが、一番良く分かっている。

 死と蘇生を繰り返し続けて、壊れ切ってしまった肉体。あと一度でも蘇生が発生すれば、ユーノ・スクライアはそれで終わりだ。

 

 故にこそ、彼に残った時間は短い。何もしなくとも、もう長くは生きられない。そして引き留めたとしても、悪化させる事しかなのはには出来ない。

 己の力が制御できる様になったなのはは、だから彼を汚染し続ける力を抑えた。狂おしい程に求めているのは変わらないが、これ以上苦しめる事はもう望まないのだ。

 

 

「た、倒れ方が、前のめりになれた、とか」

 

「言い訳が苦しい。そんな無茶ばっかりなユーノ君は一人にしておけないので、今日の自由時間は終了です」

 

 

 最初は言葉すら真面に話せなかった事を思えば、確かに改善へと向かっているのだろう。

 牛歩の歩みにしかならず、どれ程に挫けようとも前に行く。命尽きる前に行けぬとしても、進む事だけは止めてくれない。

 

 そんなユーノを抱き上げて、ベッドに座らせると己も寄り添う。

 両手で束縛する様に抱き着いて、僅かたりとも離れぬなのは。そんな彼女に、ユーノはもう一度苦笑した。

 

 そうして、苦痛にならない沈黙の中。甘える女に寄り添いながらに、ユーノは頭上を見上げる。

 立つ事も、身体を動かす事も、食事や排泄すら一人では行えない今の己。惚れた女に寄り掛かる姿に情けなさを感じてしまう。

 

 だからこそ無茶なリハビリ。一緒に居れば止められるから一人の時間を提案して、条件付きで飲ませた単独行動。

 無茶をする度にその日のリハビリ時間を削られて、心配掛けた対価とばかりにべったりと甘える女の相手をする事になる。

 

 それがあの日から続いている彼の今。其処に充足を感じないと言えば、嘘になるであろう。

 情けなくも、満たされている。その胸に溢れる感情が更に情けなく、それで良いのかと己に問う。良い筈ないと己は返す。

 

 対等で居たいのは、彼女だけではない。追い掛けているのは、彼も同じく。それが男の原動力だ。

 だからこそ想う。相手に負担だけを掛けている現状。己と言う存在は、寄り添う彼女には相応しくないのではないかと。

 

 

「ユーノ君。それは――」

 

 

 陰陽太極に至った今、彼の思考は筒抜けだ。故にこそ当たり前の様に察したなのはは、それは違うと口にする。

 相応しいとか、相応しくはないだとか、そんな事は関係ないのだ。永遠に生きられる女と、刹那しか生きられぬ男。一緒に居られる時間が違っても、最も大切な事はこの今に。

 

 

「うん。分かっているよ。だからこそ、僕に言わせて欲しい」

 

 

 それを言葉に伝えようとしたなのはを遮り、ユーノは痛む身体を引き摺り彼女へ振り向く。

 重要なのは、己の意志。何時か来る結果。どうなるか分からない未来。そんな物などではなく、この今にある想いこそが確かな物。そんな事は分かっているのだ。

 

 何時も迷って、何度も挫けて、立ち上がって前に行く。そんな自分が、それでも譲れぬと定めた想い。

 それは未だ変わらない。ならばそれを言葉にしよう。きっと傷になると分かっても、それでも愛するが故に傷付けよう。

 

 想えば何時だって、彼女にばかり言わせて来た。自信がなくて、迷ってばかりで、だから何時だって真っ直ぐな太陽に押し負けていた。

 だけどそれでは情けない。唯でさえ恥を掻いているのだ。上塗りばかりでは、男の矜持が廃るであろう。故にこそ彼女の言葉を指で遮り、ユーノは確かな言葉を紡いだ。

 

 

「なのは。僕は、君が好きだ」

 

 

 ずっと抱いていた想い。大切な局面ではいつも、自分から言えなかった言葉。

 身体が真面に動かなくなって、命も後僅かしか残らなくなって、今漸くに己から口にした想い。

 

 

「だから、どうか――君の時間を、僕に下さい」

 

 

 求めるのは、彼女の時間。永遠に生きる彼女へと、刹那に散り行く男は願う。

 

 

「そう長くはならないから」

 

 

 時は待たない。時間は凍り付いていない。

 だから共に居られる時は、永遠と比する事など出来ぬ程に短い物。

 

 

「きっと長くはならないから」

 

 

 きっと長くは生きられない。一年先を超えられるのか、果たしてその後何処まで持つのか。

 己が死ねば傷となろう。より近付けば傷は深くなろう。もう他の術で埋められぬ程に、傷付くと分かって踏み出そう。

 

 

「ほんの少しで良い。永遠の中の、刹那で良いんだ」

 

 

 彼女が生きる永劫の時。その中で共に過ごす刹那の時間。

 過ぎ行く美麗な時として、我は女の心に残る傷となろう。我を心に残す傷として欲しい。

 

 

「この身が終わるその日まで、君と一緒に生きていたい」

 

 

 それは男が見せた一つの我儘。愛した女を求める、身勝手な男の慕情。

 何時か死ぬ男は、何時までも生きる女に向かって、己の想いを一つの言葉に紡ぎ上げる。

 

 口にする言葉はきっと、これこそが一番相応しい。

 男と女が共に在り、愛し合う関係。己が求める幸福の形こそを、ユーノは此処に口にした。

 

 

「僕と、結婚してください」

 

 

 真摯に見詰めて語る青年。翡翠の瞳を見詰めて女は、花開いた様に微笑んだ。

 そうして彼女も想いを返す。言葉を口にするではなく、なのはは己の行動で想いを示した。

 

 寄り添う女は前に踏み出し、愛を囁く男と口付けを交わす。

 長く押し付ける様に接吻を――交わした後に、唇を指でなぞりながらに女は言った。

 

 

「短い時間なんて、言わないで」

 

 

 想いは受けよう。その告白に歓喜を抱いて、だが女はより重いのだ。

 短い時間などでは満たされない。後の永遠なんて欲しくはない。彼と共に生きる時こそ、彼女にとって命の全て。

 

 

「私は貴方と、生きて死ぬ」

 

 

 だから、貴方と共に生きて死のう。永劫の時を、その刹那で終わらせよう。

 

 

「年を取る事は出来なくても、貴方と同じく老いていく」

 

 

 人の振りをしたままに、年老いていく様に見せよう。

 外見だけしか変わらずとも、貴方と共に老いて行こう。

 

 

「死する事なんて出来なくても、貴方と共に眠りに就く」

 

 

 自死が出来ぬと言うならば、刹那の記憶を夢に見よう。

 永劫続く己の生涯。貴方と過ごした時だけを、眠りながら見続けよう。

 

 目覚めぬならば、それは死と同じく。永遠の眠りへと、己が意志で落ちるとしよう。

 

 

「貴方と過ごす刹那こそが、私にとっての永遠だから――」

 

 

 一緒に生きよう。その最期まで、彼と共に生きて行こう。

 一緒に死のう。その最期と共に、己と言う存在は終わらせよう。

 

 それが、この恋と愛の結末だ。

 

 

「大好きだよ。ユーノ君」

 

 

 もう一度、今度は深く唇を交わして。愛し合う男女は互いを見詰める。

 窓から差し込む夕焼けが、愛を紡ぐ間に沈んでいく。だが、それだけでは足りない。故に其処から、更に一歩。

 

 陽は地平線の向こうへと、夜の帳が落ちた後。男女の影が重なる。

 積み上げた想いと心はこの今に、漸くに一つとなって遂げられるのであった。

 

 

 

 

 

                   リリカルなのはVS夜都賀波岐 StS編 了。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4.

 ジェイル・スカリエッティが遺した研究施設の一つ。其処に彼らの姿はあった。

 男物の軍服を着込んだ女と、女物の着物を纏った男。そして二人に抱えられて、未だ意識を閉ざした少年少女。

 

 

「んで、こっからどう動く?」

 

「ま、アイツらに見つからねぇのは大前提で、となるとやっぱ一つしかねぇだろ」

 

 

 天魔・宿儺は嗤いながらに、施設中央に位置する巨大な転送装置をその目に映す。

 再起動されて未だ間もないのだろう。転送に使われた痕跡が色濃く残るそれは、最果ての地へと行く装置。

 

 彼の地――エルトリアならば、夜都賀波岐も簡単には到達できない。

 仮に暴れて発見されたとしても、ある程度の時ならば稼げよう。ならば其処に行く他に、目指す場所などありはしない。

 

 

「最果ての地エルトリア、だっけ? 思っていたより、因縁は早く決着しそうね」

 

 

 反天使が向かった事は分かっている。彼らが追い掛ける形となれば、因縁は其処に帰結する。

 少年達は、世界の果てにて対峙しよう。己が雌雄を決する為に、エルトリアこそが決着の舞台となるのだ。

 

 存外に早い決着になりそうだと語る女面に、男面は笑って返す。そうなってくれなくては、困るのだと。

 

 

「そうしてくれねぇと困る。なんせ、後六ヶ月――()()()()()()()()()んだからよ」

 

 

 新年など訪れない。どころか、年末すらも怪しいだろう。後六ヶ月は、神が持たない。

 あの終焉が訪れた日とは、状況が変わっているのだ。彼に余計な消耗を強いている。そんな者が生まれているのだから。

 

 

「どう言う訳か、アイツの消耗が激しい。こりゃ、あれだ。もう一人くらい、居やがるな」

 

 

 予想よりも、力の消費速度が早い。それは神から直接に、力を奪う者が居るから。

 彼らが認識している数は三人。だがそれではこの速度にはなり得ない。詰まりはそう、あと一人神に繋がる者が居る。

 

 

「トーマにエリオ。それにザフィーラだっけ? こっちで確認してるのは三人だけど、後一人。彼に繋がってる奴が居るって訳ね」

 

「どうにも繋がりが薄くてよ。俺や黒甲冑でも探せねぇ。代行殿は、存在すら気付いてねぇんじゃなねぇか。コイツはよ」

 

 

 その第三者は、先ず間違いなく六課の敵だ。管理局に属さぬ者で、夜都賀波岐とも別であろう。

 怪しいのは白衣の狂人で間違いないが、既に彼は死した後。死人に口はないのだから、何処の誰かが分からない。

 

 恐らくは無限蛇の盟主。未だ姿を見せぬその者こそが怪しいが、明確な確証など宿儺であっても掴んでいない。

 そんな正体不明を探して、それで時間切れとなっては元も子もない。故にその存在を無視した上で、宿儺は行動に出たのである。

 

 

「そいつの息の根止める為に、探してる様な時間はねぇ。だったら、こっちも動きを速めるしかないわなぁ」

 

 

 出した結論は白衣の狂人と同じく、時間が足りぬならば展開を速めると言う物。

 抱えた少年を神の座へと至らせる為に、その果てに己の望みを叶える為に、天魔・宿儺は仲間達を裏切ったのだ。

 

 全ては一つ。最期に勝つ為。天魔・宿儺としてではなく、自滅因子としてでもなく、遊佐司狼として勝つ為に。

 

 

「なぁ、トーマ。約束通り、お前を鍛えてやる」

 

 

 必要なのはバランスだ。重要なのはタイミングだ。

 此処から先は万事が綱渡り、何が起きても不思議じゃない。

 

 

「相応しい舞台と理由は俺が整えてやっから、死ぬ気で強くなって流れ出せ」

 

 

 罪悪の王も、掌に蠢く空を亡ぼすモノも、その全てを使い潰そう。

 誰も彼もが両面が掌で転がされ、しかし転がす両面にすら先の展開は見えていないのだ。

 

 

「時間はねぇぞ。足踏みしてる余裕はねぇ。乗るか反るか、今こそが分かれ目って奴だ」

 

 

 乗るか反るかの丁半博打。天命に全てを委ねる為に、先ずは人事を尽くさんとする。

 最後に生まれる結果は明確、どちらにしても天魔・宿儺にとっては問題ないと言える物。

 

 それでも、遊佐司狼は博打の勝利を願っている。それが眠り続ける親友に、唯一彼が捧げられる物なのだから。

 

 

「期待してるぜ。――最期に、勝つ為によ」

 

 

 次なる舞台は、最果ての地――エルトリア。時の流れが違う場所。

 彼の地にて神に反する堕天使達は暴れ狂い、両面悪鬼は嗤い続けるのであろう。

 

 

 

 

 




宿儺「よっと、邪魔するぜぇ」
4番「来るなぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


キャロ。ルーテシア。メガーヌ。シャッハ。最終決戦不参加確定。
偶には死亡じゃなくて、折れて離脱するキャラが居ても良いと思ったので。

アミティエ。キリエ。フローリアン姉妹のゲスト参戦確定。
未来世界エルトリアは、時間の流れが違う次元世界として処理してみました。


因みにグランツ・フローリアンとジェイル・スカリエッティの技術力はほぼ同等の設定。でも技量的には同等だけど、スカさんはかなり歪なイメージ。

例えて言うと。グランツさんが東京スカイツリーの展望室で作品作りしているなら、スカさんはライトフライヤーにジェットエンジン取り付けて同じ高さを空中飛行しながら作品作りしている感じ。

数百年の技術蓄積をちゃんと収めているグランツさんが凄いのか、数百年分の技術力差を発狂した精神性で覆しているスカさんが凄いのか。
どっちが優れているのかは分からないけれど、頭おかしいのは確実にスカさんの方だと思う。






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奥伝等級

StS終了時点での数値。
StS編までに戦闘を行ったキャラ限定。その中の数名のみを評価。



◇項目解説。

【等級】各キャラクターの能力値。陽はこの世界における基本法則に準じた能力。陰は魔法や歪み、太極など天魔に由来する能力。それらに関する知識や技術、ステータスを含めた総合評価。

 

【宿星】この世界に生きる人々に与えられた役割。占星術の七曜や紫微斗数から対応した宿星を割り当てている。当然、宿星を持たない者も多い。

 

【数値】筋力・体力・気力・魔力・走力・歪み/異能/太極に分類された実際の能力値。何の力も持たない女子供が1。一般平均が2。それなりに優れた物が3と言ったところ。数字が大きくなればなるほど、1の違いも大きくなる。またこの数値の合計が高くとも、技術・能力的に足りなければ等級は低く評価される。またその逆も然りである。

 

【異能】そのキャラが持つ異能。歪みの簡単な説明。

 

【宿星解説】宿星の簡単な説明。何故その星に該当するのか、等。

 

 

 

 

 

 

◇高町なのは

【等級】太極・星光追駆

【宿星】太陽星

【数値】筋力25 体力38 気力45 魔力70 走力20 太極30~90

【太極】届かぬ者を追うが故に、己を強化し続ける力。自己強化の求道。

 時間経過と共に彼女は強化されていく。太極値の30は初期値であって、90は現在の強化限界値。

 ただし限界値に到達するまで、途方もない時間が掛かるスロースターター。現状では先ず、一度の戦闘で限界値まで到達する事はあり得ない。

 

 尚、獣の一撃。ロンギヌスランスブレイカーは、魔力値を太極値として計算する。

 なので太極能力の影響を受けず、常に神格係数70の攻撃として処理される。正し、一撃放てば魔力切れを起こす。要はマダンテ。或いは鍍金神父の白鳥超強化版。

 

 

 因みに余談だが、その願いの性質上、彼女は天魔・宿儺に対してのみ確実に敗北する。

 仮に夜刀の太極値を超えようと、或いは波旬超えを果たせたとしても、身洋受苦処地獄だけは対処不可能。

 

 理由は互いの渇望故に、協力強制が成立するから。

 

 神の存在を認めない宿儺にとって、人の振りをした求道神であるなのはは自壊させるべき神なので能力の対象となる。

 人になりたいなのはは、神を人間に貶める身洋受苦処地獄に抵抗すら出来ずに嵌る。願いの根幹故にその相性は覆せず、文字通り自滅すると言う形になってしまう訳である。

 

 

 

◇ユーノ・スクライア

【等級】陽の拾

【宿星】太陰星

【数値】筋力1 体力1 気力10 魔力0 走力1 歪み0

【異能】なし

 

 

 

◇トーマ・ナカジマ

【等級】陽の捌・陰の拾(?)

【宿星】貪狼星

【数値】筋力?? 体力?? 気力?? 魔力?? 走力?? 異能??(振れ幅が大きいため検証不可能)

【異能】明媚礼賛・協奏

 絆を結んだ相手と、手を取り合う創造位階能力。参加者全員の能力を己に集め、それを皆に共有する。

 その為、結果として得られる力は全員が全員の合計値となる。最終的な戦力値は合計値の参加人数倍。

 

【宿星解説】貪狼星は自分の考えがない星。神の写し身であり、自己がなかった彼の象徴。因みに火星と関わると、予測できない大幸運を齎すと言われている。

 

 

 

◇エリオ・モンディアル

【等級】陽の拾・陰の拾

【宿星】紫微星

【数値】筋力10 体力10 気力10 魔力10 走力10 異能10

【異能】なし

【宿星解説】紫微星は帝王の星。万民を受け止め、熱狂させる覇王の器。正し心の底から他者を信じられない間は、猜疑心の高さ故に孤立する星でもある。

 

 

 

◇アリサ・バニングス

【等級】修羅曼荼羅・大焼炙

【宿星】武曲星

【数値】筋力37 体力36 気力40 魔力38 走力35 太極??(太極値は、高町なのはの数値に依存)

【異能】修羅曼荼羅・大焼炙

 狩猟の魔王より受け継いだ最愛の炎。全てを焼き尽す焔の世界を顕現させる。

 現在のアリサ・バニングスは高町なのはの軍勢変性扱いとなっており、夜都賀波岐と同じく偽神の域にいるが不完全。

 高町なのはの直ぐ傍で戦う限り、彼女とほぼ同値の太極値を獲得する。だが遠く離れている間は、全てのステータスが大幅に減少してしまう。

 

【宿星解説】武曲星は勇気の星。豪胆な意志の強さと、激情家としての性質を併せ持っている。

 

 

 

◇月村すずか

【等級】陽の陸・陰の玖

【宿星】天同星

【数値】筋力6 体力13 気力3 魔力8 走力6 異能9

【異能】凶殺・血染花

 白貌の吸血鬼より引き継いだ力。正し、現時点では断片的な形でしか受け継げていない。

 今もカズィクル・ベイは残っているが、絆の覇道の恩恵は消えているので残滓の状態に戻っている。

 先の一件を切っ掛けに、内面世界において凶月咲耶の意識が戻っている様ではあるが、それが何の役に立つのかは未だ不明である。

 

【宿星解説】天同星は調和の星。温和で情が非常に深い反面、自分と真剣に向き合えない星でもある。

 

 

 

◇ティアナ・L・ハラオウン

【等級】陽の肆・陰の参(漆)

【宿星】文昌星

【数値】筋力2 体力3 気力3 魔力5 走力3 異能3(7)

【異能】

〇射法八節

 求めた未来に至る手段が断片的に分かる歪み。間接的な異能行使の為、太極値の差を無視して効果を発揮する。

 反面、不可能な事は不可能なまま、現実を塗り替える様な力はない。あくまでも素の能力値で可能な範囲の可能性しか、視る事は出来ないのである。

 

〇黒石猟犬

 時間と空間を超える魔弾。ティーダ・ランスターより受け継いだ歪み。同じく魂の位階も受け継いでいる。

 その為、ティアナ本人は本来陰の参等級相当だが、この歪みを発動する際のみティーダと己の数値の合算値である漆等級相当で計算される。

 

【宿星解説】文昌星は聡明さの象徴。重要な物事において才覚を示す星。太陽と天梁星を強く好み、この二つの星があると輝きを増す。

 

 

 

◇天魔・大獄

【等級】軍勢変性

【宿星】鈴星

【数値】筋力50 体力47 気力48 魔力30 走力30 太極50

【異能】太極・黒肚処地獄

 万象全てを終わらせる太極。その理は死の太極。それは単なる破壊ではなく、物事の歴史を終焉させる所業。

 すなわち、万象には発生と同時に終わりがあり、開始の幕が上がっている物語なら幕を下ろすことで強制的に終わらせる極点移動。

 

 防ぐ術はなく、受ければ全て死するのみ。その太極ですら余技に過ぎず、真なる脅威はその仮面の下。

 終焉さえも滅ぼす虚無は、神格係数、太極値100以下の存在を無条件で終わらせる。正しく夜都賀波岐の切り札と言える力である。

 

【宿星解説】鈴星は火星と似て非なる凶星。同じ役割を持つが、性質は真逆の陰性。紫微と貪狼を強く輝かせるが、他の全てを破壊すると言う性質も持つ。

 

 

 

 

 




等級項目は正直、難産。
取り敢えず大体のメンバーはやった心算だが、結構抜けている人も数名居るかも。




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空白期4
神産み編第一話 早過ぎた再会


FORCE編プロット「どうやら、そろそろ俺の出番な様だな」
エルトリア編プロット「一体何時から、プロットが変わっていないと錯覚していた?」
FORCE編プロット「なん……だと……」


予定していたFORCE編が爆死したのは、来月『魔法少女リリカルなのはReflection』が劇場公開されるからです。


1.

 青い衣を靡かせる微かな流れに、命の芽吹きは感じ取れない。

 吹き付けるその乾いた風に目を細め、赤毛の少女は眼前に映る光景を静かに想う。

 

 

「死触、か……」

 

 

 視界に広がる一面の荒野。荒れ果てた大地は何処までも、この地は最早海さえも干上がってしまっている。

 命がないのだ。魔力が足りていない。少しずつ広がる荒野は、否が応でも滅びの二字を想像させる。これが惑星エルトリア。

 

 ある研究者が“死触”と名付けたこの現象。その原因は既に分かっていた。

 分かっていて、解決策が打ち出せない。如何にか目前に迫った滅びを取り除こうと、今も多くの者らが尽力している。

 

 少女――アミティエ・フローリアンの父親も、そんな滅びに抗う研究者の一人である。

 

 

「水が腐り、土が腐り、命が消える。……理由は単純、この世界は壊死している」

 

 

 本来ならば滅びていなければならない世界。既に寿命が尽きたそれを、この地に居る者らは無理矢理に繋ぎ止めている。

 それは宛ら、切り落とされた指の一本をそのまま繋ぎ止める様な行為。既に患部は千切れていれば、其処に血は流れない。指は静かに腐っていこう。

 

 死触とは、そういう事だ。滅びに向かう世界を無理に留めているからこそ、死触と言う現象が発生する。命失くした世界が、緩やかに腐っているのである。

 

 

「魔力が足りない。腐り始めた星を支えるだけの、力が世界に足りてない。だから、父さんは――」 

 

 

 彼女の父親、グランツ・フローリアンは研究の果てに、一つの結論に至っていた。

 世界には、魔力が満ちていなくてはいけない。そうでなくては、死触が起きる。ならば逆説、魔力で満たせば死触は止まる。それが彼の結論だ。

 

 研究の成果によって、彼は確証を得た。膨大な魔力を生み出す何かがあれば、それを効率的に惑星中に散布する機械も作り上げた。

 後少し。最も重要となる中枢機構を用意出来れば、エルトリアは救える。そんな状況に至っていた。グランツ博士はもう其処まで、その手を届かせていたのだ。

 

 例えば、闇の書に眠っていた永遠の結晶。或いは、高町なのはの様な神格到達者。

 そう言った物質の確保か特殊な人物の協力さえあれば、エルトリアを蝕む死触を止める事が出来るのである。

 

 其処まで至って、其処まで届いて――だから、だろうか。グランツ・フローリアンは病に倒れた。

 後一歩まで至る迄に、余りに無理をし過ぎたのだろう。此処まで届かせるだけで、限界を迎えてしまったのだ。

 

 

「…………」

 

 

 アミティエは静かに、父が救おうとした世界を見詰める。父の病状を改善する為の薬が入った袋を握って、彼女は世界をその目に見る。

 彼女が物心つくより前に、この地に居る人々は選択した。この世界から逃げ出すか、滅び行く世界を如何にか留めるか。その選択の果てに、今もこの地に残っている人々は確かに居る。

 

 当時の意志を、彼女は知らない。それでも当時の意志を受け継いだ父が、必死に抗っていた事を知っている。

 

 エルトリアから逃げ出す事を選ばずに、訪れる神の死から如何にか世界を繋ぎ止めようとした。その結果として、発生してしまった死触と言う現象。

 今更何処へ逃げ出すのか、周辺世界は全てが虚無に消え去った。それでも、逃げようと思えば逃げられただろう。遠く、遠く、世界の中心地はまだ生きている。

 

 しかし、グランツはこの荒野で生きていくと選択した。彼だけではなく、少なくない人がそれを選んだ。

 その理由を、アミタは知らない。当時は生きていなかった、そんな彼女は知らない。それでも、抗う人々が今に抱いた意志の強さを彼女は確かに知っている。

 

 だからこそ、アミティエ・フローリアンは思うのだ。このエルトリアを救いたいと、大切な人々が大切と想う故郷を救いたいのである。

 

 

「だからって、何が出来る訳でもないんですけどね」

 

 

 父より貰った護身道具。青いヴァリアントユニットを手に遊ばせながら、アミタは溜息を一つ吐く。

 意識を切り替えようと背筋を伸ばし、そうして空を見上げる。遠く空の果てにある黒い雲。珍しい光景に、彼女はその目を瞬きさせた。

 

 

「雨雲? 雨が降るなんて、何年振りでしょうか?」

 

 

 この乾燥した世界に未だ、雨が降る余地があったのだろうか。ふと疑問に思いながらも、アミタは思考を切り替える。

 不思議に思うならば、後で父に確認すれば良いのだ。今は雨が降り出すより前に、急いで我が家に帰るとしよう。彼女は小走りに駆け出した。

 

 

 

 フローリアン邸宅は、一面の荒野の只中に存在している。周辺に民家の類はない。

 特殊な実験もする為に、人に与える影響を嫌ったグランツ。そんな彼が、都市外で生活出来る場所を探して建てたのがこの家だ。

 

 

「アミティエ・フローリアン! 都市薬局より、ただ今帰宅ッ! ですッ!」

 

 

 木造の一軒家。煙突が特徴的な木の家の扉を開いて、その勢いのまま中へと駆け込む。

 何時もなら笑顔で迎えてくれる母も、マイペースな言葉を返す妹も、何故か今日は出て来なかった。

 

 その事実に、疑問に思って首を傾げる。地下にある研究施設か、父の部屋にでもいるのだろうか。

 そんな風に自己解答して、アミタは靴を脱ぎ捨てる。薬を届ける為にも父の部屋へと行こうと、彼女は一先ず歩を進めた。

 

 

 

 

 

 そして、その先で目撃する。それは何時までも続くと思えた日常が、無価値に燃えて堕ちた瞬間だった。

 

 

 

 

 

「え?」

 

 

 疑問を零す。理解が出来ない光景に、思わずアミタはポカンと口を開いていた。

 

 壁に穴が開いている。大きな穴の直下には、倒れて意識を閉ざした母親――エレノア・フローリアンのその姿。

 医療器具が備えられていた病室は、暴虐の痕跡を残す荒れ果てた姿に。青褪めた表情を浮かべる妹――キリエ・フローリアンは床に倒れたまま、何かに向けて必死に手を伸ばしている。

 

 何かを必死に叫んでいる。そんなキリエの言葉は、しかし聞こえても理解が出来ない。

 訳が分からないと感じたままに、彼女が見詰める先を見る。其処には、金色の悪魔が居た。

 

 黄金に輝く短い髪に、黒い鎧を着込んだ少年。首に刻まれた傷痕は、まるで絞殺された死刑囚。

 鎧の上から羽織るは白のコート。背には二枚の翼を羽搏かせ、その左手に穢れた槍を持つ。握った槍の穂先は、男の身体を貫いていた。

 

 まるで捕らえた獲物を誇るかの様に、彼は死体を貫くその槍を天高くに掲げている。

 無理矢理に引き裂かれた管が繋がる中年男性は間違いなく、此処で療養していた筈の彼女の父だった。

 

 

「さようなら、グランツ・フローリアン。エルトリア最高峰の頭脳が一つである君の、全てを此処に貰い受ける」

 

 

 槍の穂先に、炎が灯る。赤い炎が燃え上がり、男の身体を焼いていく。

 グランツ・フローリアンが灰となる。大好きな父が燃え堕ちる。その光景を見て、漸くにアミタはその異常を理解した。

 

 

「あああああああああああああああっ!?」

 

 

 叫んでいる。何を叫んでいるのか、自分が叫んでいるのか、それすら分からないのに叫んでいる。

 激情を吐き出す様に、手遅れとなった現実から目を背ける様に、護身具を変形させると両手で構えて撃ち放った。

 

 青い色をした拳銃から、放たれる弾丸はファイネストカノン。

 極大威力のエネルギー弾は、金色の悪魔へ向かって飛翔する。だが――

 

 

「無駄だ」

 

 

 罪悪の王には届かない。この悪魔は止められない。撃ち放たれた弾丸は、彼の片手で止められた。

 まるで虫を払う様に軽く、金の悪魔は右手を振るう。ただそれだけの僅かな動作で、アミタの全力は無に返る。

 

 それは、考えれば分かる筈の事だった。周囲を観察していれば、絶対に分かった筈の事だった。

 倒れたキリエは傷付いている。全力で止めようとしたのだろう。それでも止められず、もう叫ぶしか出来ていない。

 

 アミタと互角の性能を持つ、キリエがその有り様なのだ。彼女を下して、しかし悪魔は無傷なのだ。アミタ一人で、この怪物の打倒などは不可能だ。

 

 

「抗うな、とは言わない。怒るな、とも言わない。憎むな、とも言わないさ。――だけど、その全てを僕はこう断じよう」

 

 

 魔力弾を片手で消し去り、金色の悪魔は一歩を踏み出す。雷を纏った速力は、弾丸よりも尚速い。

 アミタは咄嗟に、アクセラレイターを起動する。超加速によって距離を取ろうと彼女はするが、だがやはり悪魔の方が速いのだ。

 

 一瞬で追い付かれて、驚愕を顔に張り付けたアミタの前に悪魔が立つ。金色の悪魔は冷たい瞳で、彼女の姿を見下し言葉を告げた。

 

 

「全て、無価値だ」

 

 

 抵抗も憤怒も憎悪も無価値だ。その感情は届かない。アミティエ・フローリアンでは届かない。

 振り上げられる巨大な槍に、反応する事すら女は出来ない。ならば振り下ろされる一撃に、対処出来ないのも自明の道理。

 

 振り抜いたストラーダの一撃が、彼女の身体を打ち据える。地面に叩き付けられる様に、前のめりに倒れたアミタは立ち上れない。

 立ち上がる事など許さない。そう告げる様に背中を踏み付けて、悪魔の王は見下している。その瞳は、無価値なゴミを見るかの如くに冷えていた。

 

 

「お前がっ! よくもっ! 父さんをっ!!」

 

 

 自分でも何が言いたいのか分からぬまま、涙を浮かべて渦巻く激情を口にする。

 必死で足掻く様に手足を動かし、支離滅裂とした言葉を口にするアミティエ・フローリアン。

 

 そんな女を冷たく見下し、少年は歪な笑みを浮かべて告げた。

 

 

「罪悪の王。エリオ・モンディアルだ」

 

 

 憎む男の名くらいは、知っておきたいだろうと嗤う。知ったところで無価値であろうと、嗤いながらに悪魔は告げる。

 そうして彼は右手を振り上げると、少女の頭部へ向かって振り下ろす。曲げた五指は獣の如く、その一撃はアミタの意識を刈り取るには十分過ぎた。

 

 

「……もう二度と、会わぬ事を祈っておきなよ」

 

 

 擦れていく痛みと共に、消えていく少女の意識。倒れたアミタが耳にしたのは、嘲笑の籠らぬ小さな言葉。

 本心からそう告げた少年は、意識を閉ざした少女を蹴り飛ばすと歩を進める。背後でキリエが憎悪を叫ぶが、足を止める事すらしない。

 

 意識を閉ざした母と娘と、何時までも憎悪を叫び続ける桃色の少女。そんな彼女達を残して、エリオ・モンディアルは姿を消した。

 

 

 

 その日、エルトリアは反天使の脅威に晒される。都市には赤い雨が降り続け、人々の悲鳴が木霊していた。

 

 

 

 

 

2.

 見渡す限り何処までも、続く荒野を二人で歩く。茶髪の少年が前を進んで、その手を掴む少女が後に続く。

 黒い半袖のシャツに、首元を隠す白いマフラーをした少年。トーマ・ナカジマは、苛立ちを隠す事なく口にした。

 

 

「ふざけやがって、司狼のクソ野郎! アンタの血は何色だぁぁぁっ!?」

 

 

 変わる事のない一面の荒野。進んでいるのかいないのか、それさえ分からぬ同じ景色が延々続くこの場所。

 其処にトーマ達を放り捨てた両面宿儺は、そのまま何も言わずに姿を消した。それがもう、二週間は前の出来事だ。

 

 土は腐っているか、荒れ果てているこの場所。自然に流れる水なんて殆どなくて、稀に見付けても腐った臭いを漂わせている。

 スティードが居た頃ならば兎も角、リリィに格納空間はない。故にサバイバルが得意なトーマであっても、この劣悪な環境ではどうしようもなかった。

 

 倒れそうになる度に、何処からともなく水や非常食が投げ込まれてくる。そんな両面の助けがなければ、今頃とっくに倒れていたであろう。

 だがこの荒野に放り込んだのが彼ならば、その助力に感謝など出来る筈もない。しかも食料と同時に、評価を告げる紙が投げ込まれてくるのである。

 

 前回倒れた時間から、今回倒れるまでの時間。その総評と共に、記されているのは容赦のない罵詈雑言。

 お前やる気あんの、と言う旨が記された紙を見る度にブチ切れそうになる。故に日に一度は唐突に、トーマは溜め込んだ怒りを叫ぶのだ。

 

 そんなトーマに、寄り添う白百合は苦笑を浮かべる。疲弊したトーマに比べて余裕がある彼女だが、トーマより体力がある訳ではない。

 水や食料の大半を、トーマはリリィに譲っているのだ。疲れる度に休める場所をトーマが探して、しっかりとしたペースを守っている。それ故の余裕である。

 

 

「落ち着いて、トーマ。今言っても、多分あの人は嗤って流すだけだよ」

 

「それは、……俺も分かってるけどさ」

 

 

 怒りを込めて叫んでも疲れるだけ、こちらを観察しているだろう天魔・宿儺は嗤って流すだろう。

 手を引きながらそう宥めるリリィの言葉に、トーマは僅か口籠りながらも同意する。この行動は無駄どころか、体力を浪費するだけ害悪である。そんな事は、彼も確かに分かっていたのだ。

 

 

「それに、怒りは溜め込んでおこう? あの人が顔出して来たら、思いっきり顔をぶん殴ってやる為に、ね」

 

「……偶に思うけど、リリィって意外と過激だよね」

 

 

 シャドウボクシングの様に、繋いだ手とは逆の手を小さく動かす白百合の少女。

 あの日以来、妙に過激な発言が目立つ。そんな事を思いながらに、トーマは青い瞳で彼女を見詰めた。

 

 お互いに、初めて出会った頃とは変わった。願いを思い出して、魂の人格汚染が安定した今にトーマはそう思う。

 

 それは例えば、混ざって安定した一人称であるし、真面目一辺倒だった思考に混ざった不良な発想。トーマ・ナカジマは、もう嘗ての自分じゃない。

 それは例えば、こうして時折発露する過激な思考であったり、見詰める瞳に宿る感情が慈愛だけではなくなっている事。リリィ・シュトロゼックは、もう嘗ての自分じゃない。

 

 それでも、己は己だ。トーマはトーマで、リリィはリリィだ。そう断言出来る自我がある。

 己はこうだと、満天下に誇れよう。心の芯まで変わっても、もう二度と自分を見失う事はないのである。

 

 

「過激になったのは、貴方の所為だよ。だって、そうじゃないと、恋敵にキャラで負けるんだもん」

 

「……誰の事を言ってるのかは、聞かない事にしておく。俺の精神安定のためにも」

 

 

 青い瞳に浮かんだ双蛇の刻印(カドゥケウス)。神の残り香は未だ強くあって、それでももう揺るがない。

 そんな瞳を見詰めて微笑むリリィの言葉に、トーマは顔を顰めて視線を逸らす。未だ拘っている事は認めるが、彼はリリィの恋敵などではない。断じて、そういう関係ではないのだ。

 

 

 

 二人で語り合って、二人で笑い合って、二人で手を取り合って――二人一緒に荒野を進む。

 何処へ行けば良いのか、全く分からないけれど諦めない。投げ出さずに、決めた方角へと只管進む。

 

 昼間は歩いて、夜には寄り添いながら星を見る。互いの体温を頼りに、寄り添いながら眠りに落ちる。

 これがこの二週間、変わらぬ今にある光景。己の存在を確かに自覚して、大切な物を確かと自覚して、彼らは何もない荒野を歩いていた。

 

 そうして、彼らは辿り着いたのだった。

 

 

「あっ!? トーマ、あれ!!」

 

「街だ! 漸く、見付けたっ!!」

 

 

 遠く、地平線の先に見える影。一瞬蜃気楼かと目を疑って、直ぐに違うと確信する。

 大きな街だ。荒野の中に広がるのは、クラナガンにも似た大都市。遠くに見える光景に、二人は胸を躍らせる。

 

 久々に美味しい物が食べられる。久々にお風呂に入れる。久しぶりに柔らかなベッドで寝れるのだ。

 そんな期待に胸を躍らせて、自然と進む足も軽くなる。歩く速さは何時しか小走りに、手を繋いだまま駆け出して――

 

 

「待って、リリィ!」

 

 

 途中で立ち止まったトーマは、その異常に漸く気付いた。此処まで近付いて、初めて理解出来たのだ。

 

 

「燃え、てる? ……トーマっ!!」

 

「ああっ! 分かってる!!」

 

 

 街からは、火の手が上がっている。音が届かぬ程遠く、建物は無音で崩れていく。

 理由は分からない。理屈なんて知らない。分かるのは唯一つ、あの街が何者かに襲撃されているという事実だけ。

 

 それだけ分かれば、もう十分。取るべき手段は、一つだけだ。

 

 

同調・新生(リアクト・オン)!』

 

 

 助けに行かないなんて、理由がない。手を拱いている、必要がない。逃げ出すなんて、選択肢はあり得ない。

 故に二人は手を取って、此処に同調し融合する。展開するのは願いの剣。その手に握った銃剣は、理想を貫く覚悟の証。

 

 

形成(イェツラー)――白百合(リーリエ)憧憬の剣(シュヴェールトアドミラシオン)っ!!』

 

 

 其処に何が待とうとも、対処出来る様に二人一緒に。銀に染まったその姿こそ、今ある彼らの戦闘形態。

 そしてトーマは渇望を切り替える。剣を持ち替える様に簡単に、それこそ超越する人の理。己が誰であるか、もう分かっているから揺るがない。彼が(ヤト)であった頃の力を、今の彼(トーマ)を維持したままに引き出すのだ。

 

 

創造(ブリアー)――美麗刹那(アインファウスト)序曲(オーベルテューレ)!!』

 

 

 協奏から、序曲へと。願いを共に前に進む事から、刹那を永遠に味わう事へと切り替える。

 唯走るだけでは間に合わぬから、もう何も失いたくはないから、日を置き去りにする速さでトーマは駆け出す。

 

 速く、速く、もっと速く。駆け出す度に願いは強まり、その力もまた強く発現する。

 誰よりも速く、何よりも速く。光となって駆け続けて、そうして彼はその場に着いた。

 

 轟音と共に崩れ落ちる街の中、降り頻るのは赤い雨。魂すらも穢し尽さんとする、その悪意を彼らは知っている。

 頭上を覆う黒い雲。雨雲に見える程に大量のそれは、無限を思わせる蟲の群れ。不死不滅たる魔群が放った、これぞ正しく暴食の雨(グローインベル)

 

 

〈クアットロ=ベルゼバブ!!〉

 

 

 空を覆う雲は魔群だ。失楽園の日を終えて、それでも未だに強大な力を保っている唯一柱の反天使。

 トーマが知る限りにおいて、最悪最低の下劣畜生。女の雨が追い立てるのは、この地に潜む人間達だ。

 

 武装した集団が酸の雨に打たれて、建物を影に逃げ回っている。時折デバイスの様な物で反撃しているが、蟲の一匹も落とせない。

 それも当然、あの女には管理局も手を焼かされたのだ。大天魔を相手に、膨大な戦闘経験を持つ集団ですら遅れを取った。そんな怪物に、技術力だけでは対処は出来ない。

 

 人の集団を追い立てながら、嘲笑を響かせているクアットロ。そんな女の名を呼んで、空を睨み付けるリリィ。

 少女の怒りに同調しながらに、トーマはしかしそれ以外の感覚を抱いている。クアットロよりも、彼が無視出来ない気配が此処にあるのだ。

 

 

「あの女、だけじゃない。お前を、感じる。居るって、分かる。――此処に、居るんだろ!? エリオっ!!」

 

 

 トーマの叫びに応える様に、街の片隅で炎が燃え上がる。

 幾つもの建物を雷光と炎熱で消し去りながら、屍を築き上げている宿敵の存在を感じ取る。

 

 そして恐らく、彼だけではない。時折強大な魔力が発生し、周囲を根こそぎ消し去る大砲が打ち込まれるのだ。

 それはエリオの力でなければ、クアットロが放つ偽神の牙でもない。恐らくは第三の反天使。ヴィヴィオ=アスタロトの異能であろう。

 

 魔鏡アストの大砲が街を破壊する中、魔刃エリオが砲火の中を単騎で駆ける。彼らが取り零した者達を、安全な場所に居る魔群クアットロが刈り取っていく。

 反天使三柱による共同戦線。全ては腐った汚物を思わせる女の自己満足を満たす為に、彼らはこの地を蹂躙している。そうであると理解して、トーマが動かぬ理由がない。

 

 

「……アイツの事は気になるけど、先ずは。……行くぞリリィ! 皆を助ける!!」

 

〈うん。分かってる。やろう、トーマっ!!〉

 

 

 何はともあれ、先ずは人々を助けるべきだ。そう判断したトーマは、即座に行動へと移る。

 加速の理によって、助けるべき命をいち早く見付け出す。間に合えと祈りながらに手を届かせて、届いた途端に願いを変える。

 

 刹那を味わい尽くす加速から、共に前へと進む協奏へと。

 手を伸ばすから掴んでくれ。掴んだならば、彼ら自身に立ち上がって貰うのだ。

 

 

「君達は?」

 

「何でも良いだろ!? 今は逃げろよ! 必ず助けるからさっ!!」

 

「――っ! 済まない。助かった!!」

 

 

 助けた人と最低限の対話をしてから、意識の共有によって救うべき次の人を探し出す。

 加速と協奏。全く異なる二種類の創造を使い分けながらトーマは救助を進める。少しずつ、だが確実に生存者を増やしていた。

 

 だが、それは所詮対処療法。元凶を排除しない限り、根本的な解決は期待が出来ない。

 この騒動の元凶は誰か。問うまでもなく、その答えは明白だ。こんな事を仕出かして、悦に浸る様な奴は一人しか存在していない。

 

 エリオ・モンディアルではない。分かり合えたあの宿敵は、無頼であっても外道じゃない。悪辣を為す時には、必ず何か理由があるのだ。

 ヴィヴィオ=アスタロトではない。既に壊れた事実を彼は知らなくとも、その正体を知っている。あの戸惑っていた幼子が、こんな凶行の指示を取るものか。

 

 嬲り、甚振り、悦に入る。人々から抵抗手段を奪い取って、自分だけは安全圏に。そんな真似をする奴は、あの女しかいないのだ。

 間違いなくこの行動を指示しているのは、這う蟲の王クアットロ。下劣畜生たる女を真っ先に仕留めなければ、被害は更に増すであろう。

 

 故に救出作業を続けながらに、トーマ・ナカジマは空を目指す。

 翼の道なら届くだろう。ゼロ・エクリプスなら通じるだろう。トーマ・ナカジマならば、奴を討つ事は可能な筈だ。

 

 己の手札を確認しながら、多くの人を助けながら、上へ上へとトーマは進む。この元凶を止めるのだと、誰もを救いながらに進み続ける。

 そんな彼が辿り着くよりも早くに、悪辣なる魔群は次なる一手に打って出る。トーマに追われる彼女の取った行動は、あまりにらしい対処であった。

 

 

〈トーマっ! クアットロが逃げるよ!?〉

 

 

 

 無数の蟲は流れる雲の如く、纏まったまま一つの方向へと移動する。

 トーマ・ナカジマには目もくれず、クアットロ=ベルゼバブは逃げ出し始めたのだ。

 

 

「ちっ、逃がすかっ!!」

 

 

 危険な敵からは必ず逃げ出す。強敵が向かってくるならば、振り返りもせずに尻尾を巻いて逃げ延びる。

 ましてや、トーマの背後には両面の鬼が居るのだ。この今も彼を観察している天魔・宿儺は、クアットロにとっては数少ない天敵。相対する事すらしたくはない。

 

 故に圧倒的な速度で、逃げの一手を打つ魔群。その背後を追い掛けるトーマは、逃がす物かと加速する。

 ゼロ・エクリプスを刃に纏わせて、空を駆けながらに追い掛ける。そんなトーマの追撃は、彼女にとっても想定内だ。

 

 誰かを守る事こそを、誰かを救う為にこそ、ならばトーマは先ず己を追い掛ける。

 そうと判断すればこそ、クアットロは彼を配していた。そして今の彼にとって、魔群の命令は絶対だ。

 

 

 

 なればこそ、此処で彼らが再会する事も、或いは一つの必然だったのだろう。

 

 

 

 雷光と共に、彼は現れる。翼の道を炎が燃やして、走り続けていた少年の横腹を蹴り飛ばす。

 続け様に振るわれる魔槍に向けて、トーマは咄嗟に銃剣を構える。槍と剣の刃がぶつかり合って、甲高い音が瓦礫の街中に響いていた。

 

 黄金と蒼銀。二色の瞳が見詰め合う。視線を絡ませながらに、両者揃って大地に降り立つ。此処に、彼らは再会した。

 

 

「エリオっ!」

 

「トーマっ!」

 

 

 未だ鬼の掌からは抜け出せず、その上で転がされているトーマ・ナカジマ。

 未だ悪魔の縛りからは抜け出せず、首輪を嵌められているエリオ・モンディアル。

 

 どちらにとっても、余りに早い出来事。準備など欠片も出来ていない、早過ぎる再会だった。

 

 

 

 

 

3.

 燃え上る炎。雷火が焼き尽し、蹂躙され尽くした街の只中。

 崩れた瓦礫に囲まれて、二人の少年達は見詰め合う。両者の胸にある感情は、筆舌し難い激情だ。

 

 

「……思っていたより、早い再会になったね」

 

「エリオ。お前、一体何をしているんだっ!?」

 

 

 片や自嘲が混ざった苦笑。逢いたいと願っていて、だが未だ逢う訳にはいかなかった。そんな敵と出逢ってしまった。其処に抱いたのは、荒れ狂う水底の如く静かな激情。

 片や憎悪が混ざった憤怒。下劣畜生と協働して、多くの人を苦しめている宿敵に身勝手な怒りを抱いている。其処に抱いているのは失望を伴った、炎の如く荒々しく激しい感情だ。

 

 

「無様な外道の下働きさ。嗤いなよ。結局、未だ何も出来ちゃいない」

 

「……エリオ、お前」

 

 

 無様を嗤えと、本意ではない行為に自嘲するエリオ。その儚い笑みに、僅か飲まれる。

 心の底から望んでいないと、そう感じ取れる瞳の色。憐憫と安堵を同時に覚えたトーマに対し、エリオは自嘲を深くした。

 

 哀れみは不要と、そう語れぬ我が身が恨めしい。それ程に、底の底まで落ちぶれてしまった。

 そうと自覚して、エリオは自分を嗤う。その笑みを深くして、その質も歪める。二度目の笑みは、己の飼い主たる女に向けた嘲笑だ。

 

 

〈兄貴。監視の視線が、途切れたぜ〉

 

「ああ、そうだね。……どうやら、クアットロは余程あの天魔が怖いらしい」

 

 

 エリオに殿を任せて、あの女はアストを回収して逃げた。振り返りもせずに、一目散に逃げ出したのだ。

 この今に監視の目はない。何を為そうと、あの女は気付かない。ならばあの女の横槍が、此処に入る事はないのである。

 

 

「と、なると、だ。無粋な邪魔は入らない。決着を望もうと思えば、幾らでもやり合える。……成程、あの両面が言っていたのはこの状況か」

 

 

 別れ際に、両面宿儺が告げた言葉を思い出す。舞台は用意してやると、ならばこれがその舞台であろうか。

 

 天魔・宿儺が動かないと、確証を得るまでクアットロ=ベルゼバブは逃げ回るであろう。

 トーマ・ナカジマはこの二週間で、己自身を完全に確立した。地盤は固めた。ならば後は成長するだけ。

 

 その切っ掛けとなるに相応しいのは、間違いなく罪悪の王との決戦だろう。

 この宿敵と決着を付ける事で、彼は一歩前へと進める。そんな状況を作り上げる為に、この二週間があったとすれば――成程、誰の邪魔も入らない今回は、確かに相応しい舞台であろう。

 

 

〈兄貴。だけどさ〉

 

「ああ、分かっているよ。アギト。――未だ、僕は何も為せてはいないのだから」

 

 

 だが、彼の思惑にエリオは乗れない。今回がそうだと言われても、そう簡単に乗れない理由がある。

 まだ、助けていないのだ。まだ、救えていないのだ。大切な家族を、愛しい少女を、エリオは未だ救えていない。

 

 イクスヴェリアを救う方が先決だ。己の感情など、それに比すれば全てが軽い。ならばこそ、全てを決する時は今じゃない。

 

 

「トーマ。君の相手は後だ。それよりも、優先すべき事がある」

 

「っ!? エリオッ! お前がっ!!」

 

 

 適当にあしらう。そう語るエリオを前に、トーマは反発心を抱いて武器を構える。

 彼が背負う理由を知らない。彼がどうして、今此処に居るのかトーマは知らない。あの戦いの後に起きた出来事を、トーマ・ナカジマは知らぬのだ。

 

 だから分からない。だから気に喰わない。宿敵たる少年が、誰より執着する彼が、自分より誰かを優先した事。その事実が絶対に許せない。

 お前が見ないと言うならば、見るしかない程に追い詰めてやる。序曲の加速によって駆け抜けるトーマに対し、迎え撃つエリオは小さく笑って告げるのだった。

 

 

「丁度良い。クアットロの奴も、今は見ていない」

 

〈やろうぜ、兄貴! 兄貴の新しい力で、度肝を抜いてやろうっ!〉

 

「そうだね。ああ、そうだ。――その目に焼き付けろ。これが、僕だっ!!」

 

 

 魔力が集まる。魔力が高まる。意志が此処に収束する。黄金の瞳が強く輝く。

 この二週間、彼も遊んでいた訳ではない。エリオ・モンディアルは、新たな力を手に入れた。

 

 クアットロには、知られる訳にはいかない真なる力。彼女の監視がない今だからこそ、その一端を此処に示す。

 

 

「君も、クアットロも、天魔・宿儺も、エリオ・モンディアルを舐めている。掌で転がせると、ナハトを失くせば何も出来ないと――()()を見下すな。未だ輝かしいお前達が、僕は心底羨ましいぞ!!」

 

 

 警戒しながらも、一気呵成に攻め込もうと踏み出していたトーマはその瞬間に自覚する。

 何か枷が掛けられたと。何かに嵌められたのだと。自覚して、それが何か分かるより前に――嗤う少女の影が少年に重なり、闇統べる王の力が示された。

 

 

「急段、顕象――生死之縛(しょうししばく)玻璃爛宮逆サ磔(はりらんきゅうさかさはりつけ)っ!!」

 

 

 逆十字が成立する。絶望の廃神が牙を剥く。理不尽な等価交換が此処に、トーマを捕らえて光を奪った。

 

 

「っ!? 何だ、これ!? 目が、何も映らなくなって――」

 

 

 奪われたのは視力、だけではない。聴覚も嗅覚も触覚も味覚も、あらゆる五感が剥奪される。

 そして押し付けられるのは、余りに濃密過ぎる病み。全身を蝕む悪寒によって、トーマは前のめりに転がり倒れる。

 

 そんな彼を前にして、エリオ・モンディアルは止まらない。内なる群体が夢見る夢より彼女を連れ出し、その渇望を己に重ねた。

 

 

「来いっ! シュテル・ザ・デストラクター!! 僕が認める! お前は愛に狂った怪物だっ!!」

 

 

 愛しているの。愛しているわ。だからお願い。私を見て。今も女は、唯それだけを願っている。

 認めよう。お前の愛の熱量は、其処に掛ける想いの情は、間違いなく己に真摯な祈り。前へ進むその激情は、紛れもなく力への意志である。

 

 ならばそう。その力への意志(ヴィレ・ツァ・マハト)を称えよう。共に行こう、星光の殲滅者。何時か必ず、お前の願いを叶える為に。

 

 

「急段、顕象――鋼牙機甲獣化帝国(ウラー・ゲオルギィ・インピェーリヤ)!!」

 

 

 エリオが引き出した少女と、エリオの間で協力強制が成立する。故にその夢は、此処に形となっていた。

 

 振り上げた腕に、込められた力。その総量が、数瞬先には跳ね上がる。

 十倍。十五倍。二十倍。三十倍。四十倍。五十倍。百を超えて尚跳ね上がる破壊の力が、至る到達点は唯一点。

 

 

「三千倍だ。その身に受け取れっ!!」

 

「がぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 振り下ろされた剛腕が、トーマの身体を打ち砕く。五感全てを簒奪されている少年は、その一撃に対応出来ない。

 防御も回避も許されず、その破壊の力が直撃する。完全なる初見殺しの連携に、トーマ・ナカジマは為す術もなく大地に沈んだ。

 

 

〈トーマっ! トーマっ!!〉

 

「な、にが、何、なんだよ、これ」

 

 

 悲鳴の様なリリィの呼び掛けに、倒れたトーマは咳き込みながらに言葉を返す。

 たった二撃。それだけで打ち倒されて、立ち上がる事すら出来はしない。そんな彼は、漸くに戻り始めた視覚を使ってエリオを見上げた。

 

 

「ちっ、ディアーチェとの同調率じゃ、短時間の簒奪が限界か。……けれど、仕方ない、か。僕にお前の病みは、理解も共感も出来ないんだからさ」

 

 

 生きたい。活きたい。生きて活きたい。何処までも真摯な感情で、それだけを願っている病みと闇を統べる王。

 底辺で足掻く感情は理解出来ても、魔人の肉体を持つが故に彼女の病は理解出来ない。そんなエリオでは、此処が限界点。

 

 どれ程に素晴らしい感情だと称えて認めていようとも、エリオはディアーチェと共感出来ない。

 上手く力を使えなくて済まないと、内なる王へと詫びる少年。そんなエリオへ向かって、ロード・ディアーチェは笑って返す。

 

 

――我らの神が、覇道の神が、軽々しく頭を下げるでないわ! それは御身を称える、我ら全てへの愚弄であるぞ!!

 

「ふっ。ああ、そうだね。なら、僕はこう言おう」

 

 

 その不器用な声援に、何処か嬉しくなって笑みを浮かべる。家族と同じく大切だと、そう言ってくれる信徒に微笑む。

 新たに出会えた彼女達。夢界に生きた廃神の残滓。紅葉の残骸より回収し、取り込んだ魂。その中に残っていた彼女へと、エリオは確かに笑って告げた。

 

 

「ついて来い、ロード・ディアーチェ。僕が神座を奪う、その日まで。……必ず君の願いも叶えると、此処にもう一度誓うから」

 

 

 返る答えは唯一つ。無論と、そう告げて王は揺るがない。そんな彼女へ改めて、エリオは誓いを立てる。

 何時か救うと約束する。何時か叶えると約束する。だから力を貸して欲しい。だから一緒に前へ行こう。

 

 無頼である事を捨てた少年に、応えたのは彼女達だけではない。

 エリオ・モンディアルと言う覇道の器に、応じたのは彼女達だけでは断じてないのだ。

 

 

「エリオ。お前は、一体、何で、お前が――」

 

 

 一人。二人。三人。四人。五人。六人。見上げるトーマの視界に、映る影が増えていく。

 十人。二十人。三十人。四十人。五十人。重なる影に限はなく、無数の意志が蠢いている。

 

 百か。千か。万か――、いいや未だ未だ足りていない。その総数は数百万すら超えている。

 エリオ・モンディアルの背中に浮かび上がった二百万と言う膨大に過ぎる霊魂に、トーマ・ナカジマは恐怖の叫びを上げていた。

 

 

「お前の、背中に、何で、そんなにっ! 沢山の人が見えるんだっ!?」

 

「……成程、見える、か。ならばそうだね。僕は君に、敢えてこう名乗るとしよう」

 

 

 魂だけしか残らぬ彼ら。その姿をトーマが目視しているという事実に、エリオは僅か疑問に思う。

 されど考えてみればそれも当然、彼ら二人は繋がっている。ならば自分が見る彼らの事も、トーマは確かに見えていよう。

 

 そんな彼に、彼らが見える彼に、名乗るべきは我が異名。誇りを以って、今こそこの名を伝えよう。

 

 

我が名は――レギオン(Mein Name ist Legion)

 

 

 覇王とは、他者を狂奔させる才を持つ者。恐怖であれ、利益であれ、或いは愛情であれ、人を酔わせる者こそ王だ。

 それは例え、己が奪った命であっても例外じゃない。真なる覇王の将器とは、己を恨み憎む者すら酔わせて従える物なのだ。

 

 そうとも、彼らは犠牲者達だ。エリオが殺し、奪い続けた二十万。彼を構成する魂たち。

 そうとも、彼らは既に死した者達。天魔との戦いの中で命を落とし、紅葉の遁甲に囚われていた者達だ。

 

 天魔・紅葉が倒された後、クアットロによって回収された。その中身はヴィヴィオの器から、エリオの中へと移されていた。

 紅葉の遁甲に囚われ、アストの身体に保存され、エリオの下へと移った魂の総数は二百万。彼が抱え続けていた二十万の命達。そんな彼らの全てを、今のエリオは従わせていたのである。

 

 

「見えるんだろう。なら見なよ。奪われた彼ら、失った彼女ら。僕が奪い、背負い、与える。二百二十万の魂をっ!」

 

 

 心優しい少年は、奈落の底を知った事で無頼に堕ちた。

 底の底まで堕ちた彼が縋った無頼を捨てた事で、初めて至れる場所こそこの境地。

 

 そうとも、此処に来て漸くエリオは目覚めた。当世当代至大至高、彼こそ正しく――覇を吐く王の器である。

 

 

「理解しろトーマ。これが、僕の――エリオ・モンディアルと言う名の軍勢(レギオン)が持つ力だっ!!」

 

 

 その膨大な質量に戦慄する。狂奔する数に怯えてしまう。誰も彼もが死兵と化して、その熱量が理解出来ない。

 殺されたのに、殺した相手に心の底から力を貸せる。殺した相手からの賛意の情を、平然とその身に受け容れている。その狂気が、トーマには理解が出来なかったのだ。

 

 

〈トーマ! トーマ! しっかりしてっ!!〉

 

「俺、は……。リリィ、エリオ……」

 

 

 呼び掛けられる少女の声に、霞む意識を如何にか留めて言葉を返す。

 未だ負けてはいない。未だ折れてはいない。それでも、胸に感じる想いが確かにあった。

 

 王の器として、トーマはエリオに劣っている。配下を狂奔させると言う性質を、彼は理解も受容も出来ない。

 それは敗北感にも似た、悔しさを伴う無数の感情。そうはなりたくないと拒絶して、そうはなれないと諦めて、それでも同時に凄いと彼を尊敬してしまうのだ。

 

 千路に乱れる感情で、倒れたままに見上げるトーマ。彼に向けて、エリオ・モンディアルは槍を振る。

 当然、躱す事すら出来ぬ彼へと振り下ろされた槍は、その身体をあっさりと貫かんとして――

 

 

『ファイネスト・カノンッ!!』

 

 

 そこで三度、妨害が入った。邪魔立てするのは、クアットロでなければ天魔・宿儺でもない。

 エリオに仕留める殺意はなく、彼が動く理由はない。ならば動いたのは誰か、それは鮮やかな色を放つ二人の少女達である。

 

 

「アクセラレイター、っと。風か嵐か、ピンクの閃光! キリエさん、疾風のようにただいま参上ッ!!」

 

 

 まるで特撮番組のヒーローの様に、倒れたトーマを守る様に現れる二人の少女。

 ピンクの少女が見栄を張り、赤毛の少女は苦笑する。妹の姿に少し羨ましいと思いながら――それでも、アミティエには先に為すべき事があった。

 

 

「……君、たちは?」

 

「貴方が誰かは知りませんし、貴方も私達を信じられないかもしれません」

 

 

 トーマに駆け寄り、膝を付いてその身を抱える。柔らかな腕で支えた少女は、少年に向けて微笑みながらに確かな想いを告げる。

 アミタはトーマを知らない。彼の理由も、彼の素性も知りはしない。そしてトーマもまた、彼女達を知らない。ならば信じられないか、信頼など出来ないか。その疑問に、アミタは胸を張ってNOと答えられる女である。

 

 

「ですが、断言します。皆を助けてくれた貴方が、誰であろうと私達は信用出来る。ならッ! 貴方が私達を信じられずとも、私達は貴方の味方ですッ!」

 

 

 エリオ・モンディアルが理想によって他者を狂奔させる王器なら、トーマ・ナカジマは情によって誰かを動かす人間だ。

 支えたくなる。信じたくなる。共に歩きたくなる。それも確かに他者を染め上げる覇道の器。彼は人を助けるからこそ、彼を助ける人は必ず居るのだ。

 

 

「いや、信じる、よ。君達は、味方だ」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 

 エルトリアの人々を助けて回ったトーマに対し、彼を助けると告げるアミティエ。

 怒りを宿した瞳を笑顔に隠して、そんなキリエとて彼に抱いている感情は姉と同じだ。

 

 

〈……兄貴。アイツら〉

 

「ああ、何だ。フローリアン姉妹か。……相も変わらず、無価値な事をしている様だね」

 

 

 そんな彼女達の姿を、馬鹿にするかの如くにエリオは揶揄する。

 

 懐に入った身内には異常な程に甘く、だが敵には何処までも厳しいのが彼の性質。

 彼女達が何をしようとも、結局全てが無価値であるのだ。エリオは少女らを見下して、その顔に嘲笑を浮かべていた。

 

 

「罪悪の王。エリオ・モンディアルッ!」

 

 

 そんな彼の冷たい瞳に、作っていた余裕を剥がされる。

 浮かべていた笑顔が凍り付いて、憎悪を剥き出しにするキリエ・フローリアン。

 

 今にも飛び掛かりそうな程に、怒りを堪える桃色の少女。父の仇を前にして、彼女は激する寸前だった。

 

 

「落ち着いて、キリエ。今は、そうじゃないでしょう」

 

「……うん。分かってるよ。お姉ちゃん」

 

 

 そんなキリエに、アミタは落ち着く様に言葉を掛ける。今優先するべきは違うのだと、暴走しがちな妹を説得する。

 今は挑むべきじゃないと、それは確かに理解している。未だ勝てないと、そんな事はキリエにも分かっているのだ。

 

 だから怒りが爆発しない様に、キリエは深く吐息を吐く。ゆっくりと恨みを吐き出す様に、そうでなければ我慢が続きそうになかったのだ。

 それでも、憤怒も憎悪も薄まらない。あの日の悪魔を睨みながらに、キリエは作った笑みを浮かべる。其処にアミタは何かを思いながらも、今はそれほど時間がない。故に後でと、今為すべきはこの場所からの撤退だ。

 

 

「一端、退きます」

 

「付いて来て、ってか。連れてくけどねッ!」

 

 

 倒れたトーマを両手に抱き上げて、アミティエは立ち上がる。身を翻して撤退を始めた彼女を庇う様に、キリエはその直ぐ傍にて警戒しながら移動する。

 そんな二人の少女の警戒を鼻で嗤って、エリオは何もせずに彼女らを見逃す。元より此処で決着を付ける心算はないのだ。故に彼女達の参戦など、心の底からどうでも良い。

 

 無価値な者らを意識の隅に追い遣って、エリオ・モンディアルは静かに告げる。

 伝えるべきは、殺す価値もない彼女達にではない。己の宿敵、唯一人の最も憎い彼へと伝える。

 

 

「では、一先ず――さようならだ。トーマ」

 

 

 眼中にない。万に言葉を尽くすより、分かり易い態度でそれを示すエリオ。

 その姿にアミタは悔恨を、キリエは憤怒を、そしてトーマとリリィは複雑な感情を抱いている。

 

 それでも、今は勝てない。このまま戦い続ければ、一方的に負けてしまう。それは四者に共通した、現状の認識だった。

 

 

「全てを終えた、その後にでも――改めて決着を付けるとしよう。……その時は、簡単には嵌らないでくれよ」

 

 

 手の打ちは見せた。あると分かれば、次から対処は可能だろう。必ず上回って魅せる筈だ。

 そう信じて、そう願って、かく在れと望む。そんな宿敵の言葉に、トーマは静かに拳を握った。

 

 今回は負けた。完膚なきまでに、言い訳しようがない程に、心の底から負けを認めた。

 だからこそ、次は負けない。決着の日には、必ず勝つのだ。王の器として負けてはいても、人としてなら負けてはいないと示すのだ。

 

 

 

 トーマ・ナカジマは己の心に勝利を誓い、その背をエリオは静かに見届ける。

 誰よりも憎み合った宿敵二人。彼らの余りにも早い再会は、此処に一先ずの終わりを迎えたのだった。

 

 

 

 

 




〇おまけ。エリオ君の面接風景。

エリオ「君の意志を聞かせて貰おうか。放蕩の廃神」
レヴィ「え? 僕の意志? …………そんなことよりおうどんたべたい」
エリオ「え、うどん? 意志が、うどん? いや、しかし、僕の偏見で見下してしまうのは……いや、うん。至高のうどんを食べたいと望むなら、それも力への意志……なの、か? まあ良いだろう。今二百二十万の中にうどん職人がいないか探してみるから、職人修行のプラン構築から始めて――」
レヴィ「蕎麦派の僕にうどんを食べろって!? 貴様っ! さてはうどん県の刺客だなっ!!」
エリオ「なっ!? いや、うどんでも蕎麦でも別に構わないんだが……取り敢えず君の意志は、それで良いのか。って、何をしているっ!?」
レヴィ「……え、何? 僕今、ラーメン食べるのに忙しいから後にしてー。いやー、食べたい時に食べたい物が出せる、創法の形って便利だよねー」
エリオ「…………君は一体何なんだぁぁぁぁぁっ!?」


※糞真面目なエリオ君が、一番説得に苦労したのはレヴィ。




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神産み編第二話 激動の狭間で

○前回あらすじ
シュテゆ「エリオ神様。ユーノの愛が、欲しいです」
エリオ「諦めるなっ! お前の祈り、僕が必ず叶えようっ!!」

ユーノ「やめろォッ! やめろォォォッ!!」

※負けられない理由が増えました。


1.

 夕焼けに沈んだ空の下、完全防備の警備兵が手にした誘導灯を小さく振る。

 大きく開いた扉の中へと進んで行くのは、旧態依然とした大型車両の行列だ。

 

 後に後にと続く車の流れは目を引く物であるだろう。だが決してその行列は、壮烈と言う言葉にならない。

 彼らは所詮敗残兵。流れる車両で運ばれる人々の半数以上は、最早戦えぬ程傷付いた者達だ。それ以外もまた、無傷と言うには程遠い。

 

 よく見れば、どの車両にも無数の傷痕が。そも数十年以上は昔の車両を持ち出す時点で、余裕などない証左と言えよう。

 そんな車両の最後尾。傷の手当を受けたトーマ・ナカジマは、荷台に用意された椅子に腰掛け、風に揺れる布の隙間からその光景を見詰めていた。

 

 反天使に焼かれた都市より、輸送用の旧式車両で数時間ほど移動した場所。

 代り映えのしない荒野に建てられたドーム状の建物こそが、敗残兵たる彼らが向かうべき仮宿だ。

 

 ドーム中央にある大きな扉へと、数台の軍用トラックが立ち入り扉が閉まる。

 そうして僅かな時と、静かな機械の駆動音。次に扉が開いた時には、内部は蛻の殻である。

 

 その状況に疑問も抱かず、運転手はアクセルを踏む。トーマが乗った最後のトラックが内部に入ると、ゆっくりと背後の扉が閉まった。

 そして再び、機械の駆動音。外から聞こえるそれよりは大きな音と、身体に感じる浮遊感。地面に潜っているのだと、気付いたトーマは直後その目を見開いた。

 

 草木が生えている。緑が溢れている。美しく清浄な湖畔の畔には、小さな小鳥の囀りが聞こえる。

 天蓋に輝くは、人の手による偽りの太陽。流れる川に沿う様に、色とりどりの花が咲く。一面の荒野から僅か地中に進んだだけで、其処は正しく別世界。

 

 この星には荒野しかないのだと、無意識に思い込んでいた少年少女。故にトーマとリリィは驚きを隠せない。

 停車した車両からゆっくり降りて、しかしポカンと口を開きながら身動きしない。そんな二人を前にして、キリエは胸を張って自慢をするのだ。

 

 

「じゃじゃーん! これぞ我が惑星名物、シエルシェルター!!」

 

 

 少年少女の前へと態々回り込み、にこやかな笑みを浮かべて語るはキリエ・フローリアン。

 その表情に暗さはなく、先の形相がまるで嘘の様。そんな少女は明るい声と口調で、トーマ達を先導する。

 

 キリエに連れられ、前へと進むトーマとリリィ。最後に下車したアミタは運転手に指示を出してから、前方を行く彼らに追い付くと、この地について補足を入れた。

 

 

「ここは、エルトリアにある避難施設の一つ。そして現在は、私達エルトリア解放戦線の本拠地となっている場所です」

 

『エルトリア解放戦線?』

 

 

 死触の影響が強まっていく中、作り出された幾つもの避難所。此処、シエルシェルターはその一つだ。

 浄水装置と空気清浄機。ナノマシンによって改善された土壌に、咲き誇るは色とりどりの花々草木。人工の太陽が照らし出すのは、木造家屋が並んだシエル村。

 

 有事の際には、このシェルター内だけで安定した生活を行える。そういう施設を目指して、異端技術者たちが作り上げた閉鎖空間。

 星に複数あるシエルシェルターの一つが此処であり、この地を拠点として彼女達――エルトリア解放戦線は反天使への抵抗を続けていたのであった。

 

 

「あははー、なーんか野暮ったい響きだよね。やっぱり此処はさ、終末の四騎士(ナイトクォーターズ)とか、ブリューナクとか、そういうイケてる名前が良いと思うんだけど」

 

「あのですね、キリエ。ギアーズはもう私達しかいないんですよ? 人数的に四騎士なんて名乗れませんし、特務局的な何かがある訳じゃないですか。名前だけ格好良くて中身が伴わないなんて、ヒーロー的にやっちゃいけない事ですよ!?」

 

「……拘る所は、其処なんだ」

 

「トーマ。この人達、大丈夫なのかな?」

 

 

 ネーミングセンスがないと笑うキリエに、特撮マニアであるアミタが己の拘りを示す。

 そんな妙な拘りにトーマは苦笑を浮かべ、リリィはこの人は大丈夫なのかと不信の目を向ける。

 

 生暖かい苦笑いと若干冷たい不信の瞳。温度差がある二人に揃って見詰められて、頬を羞恥に染めたアミタは誤魔化す様に咳払いを一つした。

 

 

「ごほん。……まあ、取り敢えず進みましょう。シエル村の中には、私達の家もありますから。詳しい経緯などに関しては、其処で説明するとしましょう」

 

「ベッドもお風呂もちゃんとあるわよ。食事は控え目に言っても、美味しいなんて言えないけどねッ!」

 

 

 あからさまな態度で誤魔化す姉に、妹はニヤニヤと笑いながら言葉を紡ぐ。

 そんな二人に導かれるがままに、トーマとリリィの二人は木造の一軒家へと入って行った。

 

 

 

 

 

 カタカタと旧式の鍋が音を立て、アミタは中身をカップに移す。

 湯気を立てるカップを片手に持って少年へと、笑みを浮かべたまま手渡した。

 

 

「あったかいもの、どうぞ」

 

「はぁ、あったかいもの、どうも」

 

 

 トーマがカップを受け取ったのを確認すると、同じ動作と言葉でリリィに手渡した。

 

 湯気を立てるカップを両手で包んだ二人に対して、机の対面にある席へと座ったアミタは僅か瞑目する。

 彼女は迷っているのだ。何から語るべきなのか、何を伝えるべきなのか。この二週間、ほんの僅かな時間の内に、余りに多くが起こったから。

 

 迷いはそれこそ無数にある。稀人に過ぎぬ彼らの事情を、アミティエと言う女は知らない。

 此処に来るまでに交わしたのは、名前の交換と簡単な自己紹介だけ。車両の中では傷の治療に専念して、故にそれ以上など知りはしない。

 

 だから迷う。巻き込んで良いのか。この今にエルトリアを襲う危機を、彼らに伝えて良いのだろうか。

 だから悩む。自分だけでやりたい。自分達の手で成し遂げたい。そういう想いは確かに彼女達の胸にある。

 

 それでも、彼もまた己達とは違う因縁を持っている様ではある。ならば無関係な巻き込まれと、言う事は出来ないのだろう。

 それでも、自分達だけではもうどうしようもないとは分かっている。既に詰んでいるのだ。盤面を覆すには、第三者の助けは必ず必要だろう。

 

 アミティエ・フローリアンは瞳を閉じて、呼吸を一つ吸い込み吐き出す。

 そして瞳を開いた少女は、此処に語るべき言葉を選んだ。伝えるべきは最初から、全てを告げるとアミタは決めたのだ。

 

 

「ある日突然、本当にある日突然だったんです。切っ掛けがあった訳でもなければ、予兆があった訳でもない。彼らはある日突然に現れて、エルトリアを蹂躙しました」

 

 

 エルトリアは、時間の流れがズレている。その性質上、この地の技術力はミッドチルダの比ではない。流れる時間が違うのだ。発展するのは当然だろう。

 だが、この世界は技術力が高いだけ。純粋な戦力、軍事力と言う点で見れば、ミッドチルダと同等以下だ。反天使と戦える程の、圧倒的な武器など此処にはないのである。

 

 何しろ数百年は昔から、エルトリアは滅びの危機にあった。そんな状況下にあって、悠長に戦争などしてはいられない。

 ミッドチルダの様に、天魔に狙われる理由もなかった。ならばこそ、この地は何百年にも渡って、戦などない平穏な世界であったのだ。

 

 確かに技術力は高いであろう。基礎レベルが大きく違う。だが、その使い方が洗練されていない。この地の者らは、戦闘に長けてはいないのだ。

 

 対して反天使は戦力だけならば、大天魔にも届かんとする怪物達だ。

 数百年以上闘争を続けていたミッドチルダと言う世界を、神々に抗い続けたエースストライカーが護る大地を、たった三柱で追い詰めた恐るべき悪魔たちなのである。

 

 故にこそ、これも当然の結果であろう。エルトリアに生きる者達は、突如現れた反天使を前に敗れたのであった。

 

 

「街は壊され、人は殺され、私達は逃げ回るしか出来なかった」

 

「都市に残っていた国軍が抵抗はしましたが、……元々エルトリアは崩壊寸前で、だから軍事面では百年前から一歩も進歩していなかった。奴らと戦えるだけの戦力は、私達にはなかったんです」

 

 

 アミタが理屈で、キリエが感情で、互いに補いながらに語る。

 エルトリアの国軍が反天使に敗れた後、生き延びた人々が如何にして生きて来たのかを。

 

 突如、エルトリアを襲った反天使。彼らは主要都市のほぼ全てを焼いた。

 ギアーズを生み出す生産施設を、武器や戦力となる者達を、次から次へと壊していった。

 

 二週間にも続いた襲撃。多くの悲鳴と犠牲によって、国は最早その体を為してはいない。生き残った者達は散り散りに、避難所へと逃げ込んだのだ。

 

 

「大半の人達は、避難所に逃げ込めたわ。けど、どうしても近くにシェルターがない人達は、街に取り残されていたの」

 

「先の一件も、その関係ですね。この周辺では最大の組織である解放戦線。私達にとって一番重要な目的は、他の組織や取り残された人々との合流ですから」

 

 

 現在のエルトリアは、無政府状態が続いている。大都市は真っ先に落とされて、民は意志の伝達すら出来ていない。

 誰が何処で生き延びているのか、それさえ知る事は出来ない現状。各地に出来た複数の反抗勢力は、互いに協調も出来ずに少しずつ磨り潰されていった。

 

 彼女達が属する解放戦線の目的は、そんな反抗勢力を一つに纏め上げる事。その為にも、未だ生きている都市や組織を探していた。

 先の一件もその延長。未だ細々と機能を維持している中小規模の都市群。その一つに同じ意志を持った者らが居ると知った解放戦線が、救援の為に援軍を出した。その援軍が、運悪く反天使とかち合ってしまった訳である。

 

 

「この二週間の戦いで、解放戦線も壊滅寸前です。指導者層が軒並み全滅していて、……戦力として見込まれて参加した私達が、今では最高階級になっています」

 

 

 前線に出向き指揮を執る。そんな指導者から先に、彼らは狙って落としていった。故に今の解放戦線は、明確な指揮官がいない状況だ。

 一先ずは最高階級となってしまったフローリアン姉妹が、ベッドで寝た切りとなっている先人達に意見を聞きながら、どうにか組織を維持しているのが現状なのだ。

 

 それでも、そう長くは続かないだろう。何れこの組織は壊滅する。そんな未来が、既に誰もの脳裏にあった。

 反天使相手に、多少なりとも抵抗が出来る戦力。それがこのフローリアン姉妹しかいないのだ。前線に立てる兵力は、最早枯渇し掛けているのである。

 

 

「アイツら、遊んでるのよ。戦力になる奴から排除して、戦えない女子供は追い掛け回すだけ。まるで肉食の動物が獲物を甚振るみたいに、牙と爪だけ剥いでいくんだ」

 

 

 キリエは怒りを言葉に込めて、震える己の拳を握る。武装した者達から率先して排除する。それが反天使の方針だった。

 それでいて最高戦力であるフローリアン姉妹が生き延びているのは、彼女達が見逃されていたから。殺す価値すらないのだと、敗北する度に捨て置かれた。

 

 彼女達が前線に立つ度に、その道を塞ぎ阻んだのは罪悪の王。彼は無価値だと見下して、毎回毎回姉妹の命を見逃すのだ。

 その度にキリエは悔しさを感じた。私は戦えるのだと、私が戦わねばならぬのだと、叫びをあげるがそれすら振り返る価値がないと無視された。

 

 彼女達が土を食んでいる間にも、前線に出た者らは消耗していった。まるで紙を水で溶かすかの様に、あっという間に失われていった。

 出撃する度に味方は消えていき、守るべき人々ばかりが増えていく。そんな中で見逃され続けた彼女達は、戦う力があったと言うのに何も出来はしなかったのだ。

 

 其処に悔しさを覚えぬ筈がない。其処に怒りが生まれぬ筈がない。

 己が戦えるのだと、そうであると知ればこそ憤りは強くなる。戦う為に生まれたというのに、敗れ続ける己こそが許せなかった。

 

 

 

 彼女達は、ギアーズと呼ばれる存在だ。エルトリアでは数少ない、戦う為に生まれた生命。戦闘機人や自動人形と同じく、機械の身体と人の心を持った存在なのである。

 最盛期は多く居たギアーズ達。兄弟姉妹はその全てが破壊されてしまった。生産拠点も既に失われ、今に残ったギアーズはこの姉妹のみ。今のエルトリアでは間違いなく、彼女達が最上位の戦力なのだ。

 

 故にこそ、そんな彼女達は周囲から特記戦力として求められていて、それを受け入れざるを得ない理由も彼女達には確かにあった。

 

 アミタは静かに、寝室の扉を見詰める。その奥で今も眠り続けている人物。それは、機械の姉妹を実の娘と扱ってくれた優しい母親。

 あの日以来、目覚めぬ彼女。あの襲撃以来、意識を閉ざしたままの母親。そんな彼女を守る為にも、優遇された立場が必要だったのだ。

 

 恨みを晴らすと息巻いていたキリエの事もあって、アミタも戦力として扱われる事を良しとした。

 そうと決めたのが、あの襲撃の日から三日後の事。先ずは味方と合流する為に、慎重に動いていた解放戦線。当時の彼らは勇壮だった。

 

 だが、それも最早見る影がない。その戦闘能力故に解放戦線では幹部待遇を受けていた彼女達が、最高階級になってしまう程に――もう彼女達しか戦える者が居ない程に、彼らは消耗していた。

 

 

「彼らは殲滅には乗り出さない。その遊びがあるからこそ、私達は二週間も持ったのでしょう」

 

 

 少しずつ、少しずつ、真綿で締める様に減らされる。牙と爪を剥ぎ取られて、その無様な姿を嗤われる。

 そんな事しか出来なかった二週間。それでも抗う事を止められない。止める事なんて、選ぶ事は出来なかった。だから今も、彼女達は此処に居る。

 

 

「それは分かる。侮られてるから、生きて来れた。それは分かるんです。もう抵抗する事は無駄だって、嫌って程に分からされました。……だけど、理解と納得はイコールじゃない。舐められたまま、何時死ぬか分からぬと怯え続ける。そんなのは、絶対に御免ですッ!」

 

 

 もう道はない。前に進むしか道はないから、勇気を以って前へと進む。そうと決めたアミティエ・フローリアンは、揺るがぬ瞳で言葉を告げる。

 

 

「私達には恨みがある。それに、遺された想いも確かにあるの。だから、キリエも、お姉ちゃんも、退かないって決めたんだ」

 

 

 引き返せない。引き返したくはない。荒ぶる激情を笑顔で隠して、真っ直ぐ歩く。キリエ・フローリアンは、滴に揺らいだ瞳でそれでも語る。

 

 

「貴方に、頼みがあります」

 

「お願いしたい。聞いて欲しいの」

 

 

 既にエルトリアに力はない。解放戦線の戦力は、たった二人のギアーズだけ。

 残るは戦力にも満たぬ者達か、負傷者か非戦闘員。純粋に手が足りてない。質も量も全てが不足していれば、滅びは最早避けられない。

 

 他の場所にも生き残りが居るかもしれないが、何処に居るかも分かりはしない。そんな彼らを当てにするなど、博打どころの話じゃない。

 だからもう、切れる札はない。既に盤面は詰んでいて、ここから覆すなどそれこそ盤面返しが必要となろう。そんな都合の良い事など、そう簡単には起こらない。それは彼女達にも分かっているのだ。

 

 

「私達だけじゃ倒せない。私達だけじゃ救えない。私達だけじゃ遺せない。きっとこのままじゃ、何も遺せずエルトリアは終わってしまう」

 

「そんなのは駄目。そんなのは許せない。それだけは、ぜったいのぜったいだッ!」

 

 

 それが分かって、それでも良しとは出来ぬのだ。何も遺せず、終わるのだけは駄目なのだ。

 故に少女達は彼らを見詰める。あの戦場で、魔群を追い払った少年を。敗れたとは言え、彼の罪悪の王が執着する少年を。

 

 彼だけがこの先がない状況下で、偶然手にした蜘蛛の糸。そうと分かればこそフローリアン姉妹は、想いを此処に言葉を紡ぐ。

 

 

『だからッ! 力を貸してッ!!』

 

 

 助けて欲しい。そう叫ぶ事が、愚かでないと知っている。出来ない事を、背負ってはいけないと分かっている。理解出来る程に、既に追い詰められている。

 だからと言って、救って欲しい訳ではない。全てを託したい訳ではないのだ。少女達が彼に求める行為とは、同じ戦場に立って共に戦ってくれる事なのだから。

 

 二人揃って、少女達は頭を下げる。手を貸してくれと想いを伝える。そんな彼女達へと返す答えを、トーマはたった一つしか持ってはいない。

 

 

「……リリィ。良いよね」

 

「うん。どうせ言っても聞かないんだし、だったら良いよ」

 

 

 傍らに咲く花に許可を求める。問われて少女は、苦笑交じりに笑って許した。

 そうとも、トーマ・ナカジマはそういう人間だ。だからこそ、リリィ・シュトロゼックは彼を愛した。

 

 そんな彼が言う言葉、彼女に分からぬ筈がない。助けて欲しいと言葉にされて、耳を塞げるトーマじゃないのだ。

 

 

「俺に何が出来るのか、何も出来ないのか。分からない。分からないけど、それでも、それは何もしない理由にならない」

 

 

 一つの世界の危機。それを前にして、トーマ・ナカジマに一体何が出来るであろうか。

 宿敵一人を相手取るので精一杯。それすら負ける可能性の方が大きく、敵は余りに強大だと言えるのだ。

 

 エリオだけではない。クアットロとアストも居る。彼ら全てを相手取るなど、トーマ一人じゃ不可能だろう。

 それでも、何も為さない理由にはならない。勝てぬからと諦める。そんな殊勝な言葉など、その瞳の何処にもない。

 

 

「助けを求める人が居る。手を伸ばせる自分が居る。だったら、その手を握らない理由がないんだっ!」

 

 

 白き蛇の刻印が刻まれた青い瞳が、まるで星の如くに輝きを魅せる。

 神の力に影響されても揺らがぬ意志が其処にあるから、その想いは確かに光り輝くのだ。

 

 

「アミティエさん。キリエさん。愛しい刹那を無価値に変えてしまわぬ為に――俺と一緒に、戦おうっ!!」

 

 

 気負う事もなく、恥じる事もなく、トーマ・ナカジマは笑ってその手を二人に差し出す。

 一緒に戦おう。何より望んだその言葉を受けて、絶望の闇を照らす星の光を其処に目にして、アミタとキリエは確かに笑った。

 

 

「ありがとう、ございます」

 

「うん。本当に、本当の本当に、ありがとう」

 

 

 瞳を涙に滲ませて、とても大きな感謝を抱いて、アミタとキリエは綺麗に笑っていた。

 

 少女達の笑顔に僅か見惚れて、そんなトーマの足を嫉妬する少女がふんと踏み抜き、痛みにトーマは床を転がり回る。

 そんな二人の様子に少女達は笑みを深めて、和やかな空気の中で笑い合う。あの襲撃の日以来初めて、アミタとキリエは心の底から笑うのだった。

 

 

 

 

 

 そうして暫く、目尻に涙を浮かばせる程に笑い合って、アミタは一つ言葉にした。

 

 

「しかし、さん付けなのは、ちょっと硬い様な気もしますね」

 

「それ言ったら、ずっと敬語なお姉ちゃんもだけどねッ」

 

 

 特に意味のない発言。それに突っ込むキリエに対して、これは自分の癖だとアミタが返す。

 そんな姉妹の遣り取りの中、ふと何かを思いついたキリエは悪い笑みを浮かべた。その笑みに既視感を抱いて、思わずトーマは一歩を下がる。

 

 これはアレだ。機動六課の仲間達。その中にあって、度々己を揶揄って来た彼の召喚術師。ルーテシア・グランガイツが自分を弄る時と、全く同じ種類の笑みだったのだ。

 

 

「そうだッ! 親睦を深める為にも、同じ格好をしてみましょ!」

 

「……同じ、格好? まさか、そのメタルなスカートッ!?」

 

「博士特製のプロテクトスーツ。SFチックで可愛いでしょ?」

 

「それ絶対、女性物じゃないかぁぁぁっ!?」

 

 

 予感的中。ニタリと笑うキリエが取り出した赤いスカート。彼女の衣装の予備を向けられ、トーマの顔が盛大に引き攣る。

 デバイスが展開するバリアジャケットよりも性能は上だから、戦力的にも有意義だと。キリエは揶揄い十割の晴れやかな笑顔で詰め寄り始めた。

 

 

「女性物でも良いじゃない。別に死ぬ訳じゃないんだし。寧ろ可愛い顔立ちだから、意外と似合いそう?」

 

「やめろォ! 俺の世間体が社会的に死ぬぅっ!」

 

「世間なんて得体が知れない物にどう思われたって、平気へっちゃらなんだからッ!」

 

「俺は平気じゃないんだぁぁぁっ!!」

 

 

 じりじりと獲物に詰め寄り、女性用の衣服を押し付けようとする狩人キリエ。

 追い詰められた獲物は己の不利を悟って即座に反転すると、全力逃走を開始した。

 

 

「やっぱり、キリエは笑顔の方が良いですね。……良しッ! お姉ちゃんも参戦ですッ!」

 

「んなっ!? 敵が増えた!?」

 

 

 そんなキリエの楽しそうな顔を見詰めて、嬉しくなったアミタが此処に参戦を表明する。

 出口の扉を塞いだ彼女の姿に、信じられないとトーマは瞠目する。そして彼は此処に、決意した。

 

 最早形振り構ってはいられない。男の尊厳が危機なのだ。此処はリリィと同調して、創造位階で駆け抜けよう。

 無駄に切実な表情で、無意味に優れた体捌きで、無価値な程に素早くリリィの下へと駆け付ける。彼女ならばきっと味方だと、その柔らかな手を掴んで――

 

 

「こっちは任せて、アミタにキリエ!」

 

「君もか!? リリィっ!!」

 

「ゴメン、だけど見たいっ!!」

 

 

 同調しようと伸ばされた手を掴まえて、トーマの身体を両手で思いっきり抱き寄せる。

 抱き着いて来る双丘の柔らかな感触に頬を染めながら、予想外の裏切りに頬を引き攣らせる。そんな妙に器用な真似をするトーマへと、彼女達は既に迫っていた。

 

 

「拘束はリリィに任せて、やりますよッ! キリエッ!!」

 

「了解ッ! 行くよ、お姉ちゃんッ! リリィッ! ジェットストリームアタックだぁッ!!」

 

「この変な方向の共闘は、絶対無価値だぁぁぁぁっ!!」

 

 

 迫る三人の少女からは逃れられず、衣服を剝ぎ取られながらにトーマは叫ぶ。

 自分の口癖を奪われた魔刃が何処かでクシャミをした様な、そんな感覚を共有しながらトーマは辱められるのだった。

 

 

 

 

 

2.

 カ・ディンギル。そう呼ばれる一本の塔がある。それはエルトリアの中心地、この地を支える要であった。

 惑星維持システム。白紙の画用紙から乾いて剥がれていく絵具を、画用紙に止め続ける為の鉄針。この塔の役割とは、つまりはそれである。

 

 そんなエルトリアにおいて、最も重要なこの場所。既に彼の地は、反天使達が抑えている。

 特に理由があった訳ではない。唯、象徴だったから。勝利の証として、この地を求めた。クアットロがカ・ディンギルを抑えた理由はそれだけだ。

 

 今や反天使の居城と化したこの中央塔。その只中で壊れた人形を愛でながら、這う蟲の王は耽美に耽る。

 人間体を形成して、溢れ出させる女の匂い。余りに濃厚な臭気を前に、扉を開いて立ち行って来た金髪の少年はその顔を顰めていた。

 

 

「……今、戻った」

 

「あらぁ? 戻って来たんですかぁ。エリオくん」

 

 

 愛する男を摸した人形。唯の残骸に群がる蟲とは、別の場所に新たな器を形成する。

 己の肉体の一部を使って中身がない人形と情欲の宴を続けながら、クアットロはエリオに向けて別の己で語り掛ける。

 

 満たされる情欲。それを共感しているのだろう。その顔を淫靡に歪めた女は、確かに美人と言える物。

 だがその本質はまるで食虫花。中身のない残骸を使って自慰に耽る怪物は、その内面が余りに醜悪が過ぎると言えよう。

 

 

「てっきりそのまま、逃げ出したかと思いましたよぉ。イクスちゃんを見捨ててねぇ」

 

 

 一時感じた恐怖から逃れる為に、情欲に耽っている醜い虫けら。その口から告げられる罵倒は、己の小心を癒す為に。

 それが余りにもあからさまだから、怒りを抱く以前に憐憫を抱く。そして同時、己が戻るまでのこんな僅かな時間で、酔い痴れる嬌態に呆れを通り越して感心した。

 

 だがそんな場違いな感情を抱いたのは、エリオだけだったようだ。彼の相棒たる小さな少女は、クアットロの本質に気付いていない。

 哀れに感じる程の小物さ。腐れ外道である事を込みしても、哀れみを抱いてしまうちっぽけさ。それを理解したのは、エリオの目が肥えていたからなのだろう。

 

 伊達や酔狂で、二百二十万を従えている訳ではない。内面に夢の世界を形成し、その全てと対話したのだ。

 その全てと記憶や知識を共有した。分かり合う為に、途方もない体感時間を経験した。なればこそ、エリオは二週間前とは違う。彼の器は、正しく大器と呼べる物。

 

 だからこそ、怒るよりも哀れんでいる。恨みは何れ晴らすだろうが、それとは別の領域で哀れな奴だと見下している。

 そんなエリオと、アギトは違う。烈火の剣精にとって、クアットロの言動は怒りを誘う物でしかない。彼女にとって、魔群は許せぬ怨敵だ。

 

 

〈兄貴を、お前と一緒にすんじゃねぇよ〉

 

「ふぅん。そんな事言っちゃう? 一皮剥けば、同じだと思うんだけどねぇ。どうせ誰だって、自分の命が一番大事でしょぉ?」

 

 

 怒りの感情を見せるアギトに対し、クアットロは笑みを深める。

 危機感を覚えたこの小物は、欲に狂い、他者を甚振る事でその恐怖を晴らす。

 

 そうしなければ己が感情すら飲み干せぬ程に、クアットロ=ベルゼバブの底は浅いのだ。

 

 

「それなのに綺麗事言うなんてぇ。踏み躙りたくなっちゃうわよ、アギトちゃぁぁぁん?」

 

 

 ニィと悪辣に嗤う魔群は、その視線を扉の奥へと向ける。彼女は知っているのだ。彼らにとって、何が一番苦痛であるのか。

 その扉の奥には、彼女の命綱が監禁されている。エリオが反意を抱いている事を知っているから、彼から離す形であの少女は幽閉されている。

 

 自分に逆らったならば――否、己を不快にさせたならば、だ。その時点で、クアットロはあの少女を痛め付ける。

 そうと分かっているが故に、その視線だけで脅しとなる。人質とされたイクスヴェリアの事を想って、アギトは口を閉ざすより他に術がなかった。

 

 だからこそ、口を閉じた彼女の代わりに、エリオ・モンディアルは言葉を紡いだ。

 

 

「……そうだね。君の言う通りだよ。クアットロ」

 

「あら、意外ねぇ。認めるんだぁ?」

 

「人間は誰しも、自分が大切とするモノの為に生きている。利己が殆どない奴なんて、極少数の異常者だろうさ。……僕もお前も、本質的に違いはない。どっちも自己満足を優先する、薄汚い悪党だ」

 

 

 クアットロの嘲笑を肯定する様な言葉。それはしかし、嘘偽りのないエリオの本音だ。

 結局、エリオ・モンディアルもクアットロ=ベルゼバブも大した違いはない。己が我欲の為に、他者を踏み躙る外道の類だ。

 

 その欲望の質が違うだけ。それを内包する器の大きさが違うだけ。許容する外道の幅が違うだけ。そんなモノ、大局から見れば然したる違いはない。

 

 我も彼も反天使。人の世に在ってはならない、許されざる怪物達だ。そうと認めて、そうと理解して、だからどうしたと言う話。

 エリオ・モンディアルと言う少年は、誰にも許されようとは思っていない。そうとも、もうとっくの昔に、分岐点は通り過ぎてしまったのだから。

 

 

「それで、僕は仕事を果たして戻った訳だが。偶には何か、飴でもないのかい? 鞭だけの躾けだと、頭が悪い犬は学ばないよ」

 

「……意外と図太くなってるわねぇ。ま、良いわ。イクスちゃんのとこにでも行って、好き勝手してなさぁい」

 

 

 平然として揺るがずに、あまつさえ報酬を強請るエリオの図太さ。それに呆気に取られながらも、クアットロは僅か思考する。

 偶には顔合わせの一つもさせなければ、自暴自棄になる可能性もある。そうでなくとも、飴を与えれば飼いならせるかもしれない。そうと思考して、故に彼女は許可を出す。

 

 閉鎖された扉の鎖が砕けて散って、二週間ぶりとなる再会を前にエリオは僅か頬を緩める。

 そんな彼の表情に何か意地の悪い事を思い付いたのか、クアットロは立ち去る彼の背中に向けて、盛大に汚物をぶち撒けた。

 

 

「見ないであげるからぁ、三人で色々として来たらぁ? まな板ばっかりだから、勃つ物も勃たないかもしれないけどねぇぇぇ」

 

 

 ケラケラと、ニタニタと、嗤う女の言葉は無粋だ。その言葉にどんな反応を見せるのか、分かっていて女は嗤うのだ。

 背中越しに被せられた汚物の言葉に、エリオの足が僅かに止まる。女の嬌声と男女の混じり合う饐えた臭いが漂う室内で、振り返らずにエリオは告げた。

 

 

「……僕にとって、アギトやイクスはそういう対象じゃない」

 

〈あたしらは家族だよ。汚い言葉で穢すな、下種女〉

 

 

 求めた愛は、異性に対する物じゃない。何処にも行き場がなかったから、帰りたかった暖かな場所。

 エリオもアギトも、互いに求めるのは親愛だ。だからこそ、そんな欲は必要ない。そう語るエリオに、クアットロは腹を抱えて嘲笑する。

 

 確かにこの二人が抱いているのは、異性愛ではなく家族へ向ける愛情だろう。だが、イクスヴェリアだけは違うのだ。

 あの少女はエリオに対し、恋慕の情を抱いている。親愛以上の異性愛を、彼女は彼に抱いている。その内面を知るが故にこそ、クアットロは笑っている。

 

 それを暴露してやれば、彼らは一体どうなるのだろうか。やり方次第ではあるが、きっととても愉しくなる。

 魔群が見る限り、エリオが低俗な情欲に属する感情を抱いた相手は唯の一人しか存在しない。イクスやアギトを、彼は傷付けたくはない家族としてのみ愛している。

 

 故にこそ、きっと素敵な愁嘆場が作れるだろう。最悪の状況でぶち撒けてやれば、それこそ愉しい光景となるだろう。

 

 

「うふふ。そういう表情。そっちの方が、踏み潰したくなって魅力的よぉ。エリオくぅぅぅん」

 

 

 だが、この今に暴露するのは勿体無い。もっと煮詰めてから、教えてやった方が愉しくなりそうだ。

 今のままでは、エリオはあっさり受け入れてしまうだろう。だからこそ、今暴露しても意味がない。今口にするだけでは、その絆を壊せない。

 

 それでは、何も愉しくないだろう。だから泥を投げ付けるだけで、一先ず満足する。

 何れ必ず壊してやる。エリオの背中を見詰めて嗤う女に、顔を顰めて立ち去る少年の思考も全く同じだ。

 

 お前は何れ、必ず壊してやる。同じ様に考えながらに、エリオ・モンディアルは立ち去って行った。

 そんな魔刃の背中を見送って、クアットロは残骸の彼を抱き締めながらに思考を巡らせる。これから如何に動くべきかと。

 

 

「う~ん。どうした物かしらねぇ? 両面宿儺が出て来るなら、逃げる一択なんだけどぉ」

 

 

 嘗ての自分と同じ顔をした形成体。それを無数に形成して、子供の傍に侍らせる。裸体を晒す女達と、感覚を共有しながらに思考を進める。

 ずっと欲しかった父の愛。倒錯的な光景の中、精神肉体両面で満たされながら、舌の上で言葉を転がせる。そんな魔群の瞳は、致命的に曇っていた。

 

 

「トーマ・ナカジマも、そんなに強くなさそうよねぇ。今のエリオ君で止められるって事は、その程度って事なんだしぃ」

 

 

 二百万の魂を移植して、しかし何の恩恵も得られなかった。彼女はエリオの現状を、その様に理解している。

 元より自我が保てているだけで例外なのだ。燃料として使えるならば、それは十分過ぎる成果であろう。そんな風に考えている。

 

 エリオの戦力を、彼女は過小に評価している。なればこそ、トーマ・ナカジマに対して正常な判断を下せはしない。

 彼はきっと協力戦闘に特化してしまったのだろう。渇望が変わった事で、単独戦闘能力は落ちたのだ。そうと考えれば、エリオにあしらわれた事も説明出来た。

 

 理屈が付いてしまうから、彼女は此処に誤解する。その曲解を正しく改める人間がいないから、彼女は誤解したまま間違い続ける。

 そうとも、今のクアットロの手元にあるのは人形だけだ。彼女に愛されている男は、中身のないラブドール。彼女に従う壊れた鏡は、記憶を失くした人形だ。

 

 己に対して、是としか返さぬ配下達。そんな人形しか手元にないからこそ、クアットロの栄華は決して長続きなどしないのだ。

 

 

「取り敢えず、狩りは続行かしらねぇ。仕込みもあるし、万が一それが破られたら動けば良いわよねぇ」

 

 

 今は未だ、この地で狩りを続けよう。トーマを殺そうとしなければ、あの天魔も顔を出しはしまい。

 慢心し、増長し、それを諫める者もなく――故にクアットロは破滅する。そうなるとすら気付けずに、道化は全てを手中に収めた心算になって、耽美な時を過ごすのだった。

 

 

 

 

 

3.

 シエル村にも、夜の帳は落ちる。人の体感機能を狂わせない為に、時間に応じて人工太陽が停止するのだ。

 プラネタリウムの要領で、天蓋に映写された星々。それを見上げながらに、トーマ・ナカジマは木造の家から外に出た。

 

 此の二週間、睡眠時間が少なかった影響だろうか。一休みをしただけで、眼が冴えてしまう。疲れている筈なのに、ゆっくりと身体を休める事が出来なかった。

 

 こんな時は、意識を切り替える為にも歩くべきだろう。そう考えて、彼は与えられた寝室から抜け出した。

 水で顔でも洗えば気分もスッキリするであろうか。そんな風に思考しながら、トーマは村の中心にある井戸を目指す。

 

 滑車の付いた古びた井戸。だがその中身が古いと言う訳ではなく、古びた外装は風情を醸し出す為の演出らしい。汲み上げるのは、地下水ではなく浄水された飲料水だ。

 演出の為だけではなく、実利の理由も其処にはある。多少不便な方が、人は節制する物だ。水も食料も無限に作れる訳ではないから、効率的な物を作らない事にした。それがアミタから聞かされた、シエル村の仕組みであった。

 

 

「……しまった。これ、どう使えば良いんだっけ」

 

 

 話は確かに聞いていたが、実際に使った事がない古い構造。井戸水を汲み上げる方法を、トーマは度忘れしてしまっていた。

 思い出そうとすると、連鎖して甦りそうになる屈辱の記憶。女装させられた記憶に再び蓋をして、どうした物かとトーマは悩む。

 

 そんな彼の真横から、すっと白い手が伸びた。

 

 

「使い方は簡単よ。この桶をそのまま井戸に投げ入れて、その後に紐を引けば良いだけ」

 

「おわっ!?」

 

 

 備え付けの桶を手に首を捻っていたトーマ。そんな彼の背後から手を伸ばして、その手から桶を奪い取る。

 触れる身体の感触と、思い出しそうになったトラウマを生んだ声に、思わずトーマは声を上げながら飛び退いた。

 

 慌てて飛び退き、蹈鞴を踏んで転びそうになる。そんなトーマの醜態に、声の主はケラケラ笑う。

 楽しそうな笑顔を浮かべたキリエを見上げて、トーマ・ナカジマは憮然とした表情を浮かべるのであった。

 

 

「トーマもさ。寝れなかったの?」

 

「……だったら、何だってのさ」

 

「あー、そんなに怒らないでよ。ちょっとさっきは悪ノリし過ぎたって、謝るからさ」

 

 

 軽い謝罪を口にしながら、キリエは手にした桶を井戸へと投げ入れる。

 カラカラカラカラ。滑車が回る音を立て、暫くするとポチャンと水の音が静かに響いた。

 

 そんな井戸の前で二人。キリエはその場に腰を下ろし、手招きする。横に座れと言わんばかりのその行動に、トーマは嘆息すると従った。

 そうして暫くの沈黙。特に何も語る事はなく、黙ったままに空を見上げる。偽りの空に浮かんだ星は、それでも荒野で見たものと変わらなかった。

 

 

「……本当はさ。一人で全部やりたかったんだ」

 

 

 ふと、キリエが口を開く。膝を抱えて見上げる少女の、その表情は隠れて見えない。

 覗き込めば見えるのだろうが、それは流石に無粋であろう。故にこそ、トーマは唯言葉に耳を傾けた。

 

 

「私達はギアーズ。人の為に作られた機械を、本当の娘として愛してくれたのはパパとママ」

 

 

 グランツ・フローリアンとエレノア・フローリアン。子宝に恵まれなかった夫婦にとって、少女達は正しく大切な娘であった。

 機械の身体など関係ない。血潮が流れぬ事などどうでも良い。人の為に作られた機械である事など、彼らにとっては重要な事ではなかったのだ。

 

 だからこそ、キリエは愛される様に愛した。人の為に作られた彼女は、望まれた様に人として、彼らに等しく愛を返した。

 

 

「パパは殺された。ママはあの日から、まだずっと眠ったまま」

 

 

 彼女を愛した人々は、あの日に揃って奪われた。その光景を忘れはしない。

 彼女が愛した光景を、奪った悪魔を許せる理由がない。あったとしても、許さない。

 

 

「許せないよ。許せる筈がない。私はあの悪魔を、絶対に許しはしない。どんな理由があったとしても」

 

 

 だから、彼女は自分の手で仇を討ちたかった。この手で、あの悪魔に勝ちたかった。

 だけど、それが出来ない。どうしても、出来なかった。散々に叩きのめされて、何度も何度も踏み躙られて、理解せざるを得なかった。

 

 キリエは空へと手を伸ばす。たった一人でも如何にかしてみせると、そんな事すら言えない手を見詰める。そんな彼女の掌は、機械と思えぬ程に儚く小さかったのだ。

 

 

「だから、私は――」

 

「キリエ。君は」

 

「……な~んてね」

 

 

 消え入りそうな彼女の声に、思わず案じる表情を見せるトーマ。

 そんな彼が心配の言葉を口にするより前に、キリエは笑って言葉を変える。

 

 

「あ、何? 泣いて抱き着くと思った? ふふっ、ムッツリスケベめ」

 

「む、っつりって、おい」

 

「あはは、大丈夫。うん。大丈夫。……だってそう言うの、私の柄じゃないからさ」

 

 

 そうとも、弱音を吐くのは柄じゃない。誰かに縋るのは好きじゃない。自分で立てないのは格好悪い。

 だから何度悔やんでも、挫けそうになったとしても、彼女達は前へと進む。必要なのはたった一つ、揺るがず貫く己の意志だ。

 

 

「今残っている人達はね。エルトリアが大好きな人達なんだ。エルトリアで生まれて、滅び行く世界と共に生きると決めた人達」

 

 

 逃げる機会は何度もあった。立ち去る理由はそれこそ山ほど、それでも此処に残る理由なんて一つだけ。

 エルトリアが好きだから、滅び行くのを見過ごせない。彼女の父を始めとした、それがこの地に生きる人々の総意である。

 

 その多くが奪われて、命が次々消えていく。それでも、遺った物は確かにある。全てが無価値になってはいないと、キリエは確かに知っているのだ。

 

 

「そんな人達が、遺した物がある。それを無価値にしない為にも、私は絶対に無茶はしない。私一人じゃ、結局何も出来ないから――誰であろうと、利用してあげるのよ」

 

 

 ならばこそ、手段なんて選ばない。自分一人でやるのだと、そんな拘りも必要ない。それでは出来ぬと言うならば、そんな物は捨ててしまおう。

 そして彼女は掴むのだ、確かな物をその手に。この今を無価値としない為に、必要なのは貫く覚悟。激情を笑顔の裏に潜めたまま、キリエ・フローリアンは確かに笑う。

 

 

「そういう訳で~、君にも手伝って貰うわよ。予想より活躍したなら、キリエさんによる色仕掛けという役得もあるかもよん?」

 

「揶揄うなよ。ってか抱き着くなっ! リリィに知られたら、何て言われるか分かってんのかよっ!?」

 

「あはは、顔真っ赤! いやはや、キリエさんの魅力も捨てたものじゃないですなぁ」

 

 

 必要とあれば、色仕掛けも視野にいれる。ともあれ、そんな事をしなくても協力してくれるだろう彼には不要か。

 その善良さに最大の感謝を。そうと想えばこそ、偽る事のない己を伝えた。そんなキリエの心中に気付けずとも、楽しそうな彼女を見れば、文句を言う気すら失せてくる。

 

 

「……まったく」

 

 

 仕方がないなと溜息を吐いて、絡んでくる少女から距離を取る。色仕掛けと言ってはいるが、眼に浮かんだ色は嗜虐のそれだ。

 下手に応じると、絶対に面倒な事になる。応じなくとも、隙を晒せば漬け込まれよう。ほんの僅かな遣り取りで、其処まで理解が出来たのだ。

 

 そうして距離を取ったトーマの警戒心に苦笑して、キリエは井戸の水を汲む。

 紐を引く事で桶を取り出し、中に入った水を持っていたカップに移すとトーマに向かって差し出した。

 

 

「4番井戸。水質レベル26。ミネラル含有率良好。飲んでも美味しい、良いお水よ」

 

「……そのコップ。何処に持ってたのさ」

 

「何処にって――そんな事聞いちゃうの? ムッツリなんだからぁ」

 

「言えない場所に閉まってんじゃねぇぇぇっ!?」

 

 

 叫ぶトーマに、キリエは笑う。冗談冗談と取り成す彼女に、コップを受け取りながら息を吐く。

 どうにも性質の悪い女に気に入られてしまったと、溜息交じりに井戸水を口に含んで――

 

 

 

 その直後に吐き出した。

 

 

「――っ!?」

 

「って、何してるの!?」

 

 

 口から水を吐き出して、コップを地面に叩き付ける。そんなトーマの行動に、キリエは怒りを露わにした。

 井戸の形を取ってはいるが、この地下にあるのは機械仕掛けの浄水施設。その水は無限ではなく、限りのある貴重品。

 

 そんな物をどうして無駄にするのか、そう怒るキリエはトーマの顔を見て黙り込む。

 まるで信じたくない事に気付いてしまったかの様に、トーマ・ナカジマの顔には怒りと驚愕が混ざり合った色が浮かんでいた。

 

 

「ど、どうしたってのよ。そんな険しい顔して」

 

「キリエ!」

 

「え!? ちょ、なにっ!?」

 

 

 真剣な表情で、キリエに迫るトーマ・ナカジマ。そんな彼に押される様に、キリエはコテンと座り込む。

 互いの息が届く程に近く、迫った異性の顔に頬を染める。そんな乙女らしさを見せる彼女とは異なって、トーマは何処までも真剣な表情で口にした。

 

 

「この井戸。ってか地下にある浄水施設! 最後に確認したのは何時だっ!?」

 

「え、そんな事? 一体どうして――」

 

「良いからっ! 答えてくれっ!!」

 

 

 切羽詰まった表情で語るトーマの言葉に、いよいよ何かを感じて来たのか。

 何処か怪訝に思いながらも、キリエは己の記憶を手繰る。彼の抱いた懸念に気付かぬままに、彼女はその事実を口にした。

 

 

「……一応、毎日の定期清掃はあるから。出撃前には一度、確認してる筈だけど」

 

「――っ! 最悪だっ! 確認が日に一度って事は、警備も厳重じゃないって事で、クソっ! やられた! 一体何時からっ!?」

 

「ちょ、ちょっと、どういう事よ!? さっきから、何を言っているの!?」

 

 

 その最悪の事態に、一人得心するトーマ。彼が何を言っているのか、まるで分からないキリエが問い掛ける。

 一体何に気付いたと言うのか。その問いに答える暇も惜しいと、トーマは端的に気付いた事実を伝えるのであった。

 

 

「エリキシルだ」

 

「は?」

 

「この水が全部――クアットロの血液だって言ってるんだよっ!!」

 

 

 ギアーズにも分からぬ程に、薄められた彼女の血液。それが井戸の水に混じっていた。

 トーマが気付けたのは、エリキシルを口に含んだ経験を持つエリオの記憶を持っていたから。そうでなければ分からぬ程に、余りに微弱な量が混入していたのである。

 

 このシエル村の飲料水は、全てこの井戸が繋がる浄水施設で賄われている。

 食事や入浴。その他様々な事に使われる水が汚染されていた。その事実が齎すのは、正しく最悪の展開だろう。

 

 急がないといけない。もう遅いのだとしても、急いでこの血を除かなければならない。

 地下の浄水設備へ向かおうと、トーマはその場に立ち上がる。場所が分からぬから、キリエにも手を貸して貰おうと――

 

 そんな彼の判断は、余りに遅きに失していた。

 

 

「……遅かった、か」

 

 

 ガチャリと音を立てて、民家の扉が開いていく。其処に居るのは、守られていた非戦闘員。

 老いた者。負傷兵。か弱い女。幼き子供。次々と姿を現す彼らの瞳は、赤く黒く濁っている。それはあの日に見た、人形兵団と同じ色。

 

 ベルゼバブ。それは魔群に操られ、命を握られた人形達。此処にあるのは人形劇。悪趣味な女が作り上げる、人形だらけの恐怖劇(グランギニョル)

 

 

「何、これ。エルトリアの人達が、どうして」

 

「……ベルゼバブ。奴に喰われたんだ」

 

 

 事態の中心地、地下浄水施設。其処へ向かおうとする者が現れた時、その道を阻む為に動く罠。

 最初から仕込まれていた。既に罠に掛かっていた。その事実を未だ混乱しているキリエに分からせる為に、トーマは最悪の事実を叫び上げた。

 

 

「此処に居る全員が、魔群クアットロの細胞だっ!!」

 

 

 悪辣な魔群が残した罠が牙を剥く。一体何時から仕込まれていたか分からずともに、分かる事は唯一つ。

 シエル村の住人は、皆須らく魔群に飲まれた。守るべき者達は皆、ベルゼバブになっていた。故にこそ――彼らは、もう救えない。

 

 

 

 

 




エルトリアの地名などは、WAシリーズから拝借。
フローリアン姉妹ってどのラベルだったか忘れたけど、ワイルドアームズに出て来るキャラだった気がするし別に良いよねッ!(阿片スパー)


そんな訳で、死亡フラグ乱立させてる不死身のクアットロさんが行動開始。
トーマ&キリエVS操られた人々&クアットロと言う、ろくでもない舞台が幕を開けます。





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神産み編第三話 悪趣味な恐怖劇 上

クアットロハザード、開幕。


1.

 偽りの空の下、星に照らされた暗闇の中に、赤い無数の瞳が暗く輝く。

 屍人の如く、或いは夢遊病者の如く、ふらつきよろけながらに歩く人の群れ。

 

 不死不滅の軍勢が迫る様は、宛らパニック映画のワンシーン。救いのなさは同等以上だ。

 守るべき人々が敵となる。言葉にすれば単純だが、その事実は非常に重い。命を狙う刺客と庇護する対象が同じなど、何と悪辣な策略だろうか。

 

 

(この場にすずかさんが居れば――って、ない者強請りをしても、仕方がないけどさぁっ!)

 

 

 胸中で罵倒の声を漏らしながらに、トーマ・ナカジマは拳を握り締める。

 有効な手などない。この傀儡の群れを前にして、トーマに解決出来る手段はない。

 

 ゼロ・エクリプスでは過剰火力だ。体内に流れる悪魔の毒を、その身体ごとに分解してしまう。生きている彼らの身体ごと、トーマの力が喰らってしまう。

 美麗刹那・序曲に意味はない。自己を加速させるだけの力に、誰かを救う効果などある筈ない。明媚礼賛・協奏などは論外だ。あらゆる要素の共有は、エリキシルと言う毒すら彼らと共有してしまう。

 

 月村すずかの様に、選んだ物だけを吸収する事は出来ない。魔力分解はそういう性質の力ではなく、なれば必然、トーマに出来る事は一つだけ。故に彼は、己の拳を握り締めたのだ。

 

 

「痛いと思う。苦しいとは思う。だけど、我慢してくれよっ!」

 

 

 ベルゼバブの弱点は、即ち魔力ダメージだ。不死不滅の彼らであっても、魂に対する攻撃は通用する。

 過剰なダメージを与えて、行動不能にする事。恐らくはそれが、それだけが、今のトーマに出来るたった一つの対応だ。

 

 だが、それは――

 

 

「待って! それは駄目っ!」

 

「――っ! 何だって言うんだ! キリエっ!?」

 

 

 握り締めた拳を振りかぶり、非殺傷設定でディバインバスターを放とうとしていたトーマ。

 そんな彼にしがみ付き、その行動を阻むキリエ。一体どうして、まさか彼女まで支配されていると言うのか。疑念を抱いて振り向くトーマに、キリエは必死の言葉を投げた。

 

 

「病人が居るの! 怪我人が居るのっ! 非殺傷でも、危険な人達が其処に居るのよっ!!」

 

 

 言われて気付く。薄い暗闇の中で目を凝らし、そうして漸く気付くその異常。

 先頭を進むベルゼバブは、その顔色が余りに悪い。身体の一部を庇っている者らや、中には欠損している者すら存在していた。

 

 この地、シエル村で療養していた人々。その中でも特に被害が大きい者達を、クアットロは前線に立たせていたのだ。真面に歩けぬ者らを酷使して、触れれば死ぬぞと嗤っているのだ。

 非殺傷の魔法どころか、その手で強く押しただけでも運が悪ければ死んでしまう。それ程の病や怪我を抱えた者達が、トーマ達を追っている。最前線の彼らを魔法で制圧しようとすれば、途端に屍山血河が量産される事だろう。

 

 いいや、そも非殺傷は救いにならない。仮に無傷のまま制圧出来たとしても、行動不能となった瞬間にクアットロは彼らを爆弾と変えるだろう。最早詰み。手遅れとは即ち、そう言う事なのだ。

 

 

「――っ! ならっ! どうしろって言うんだよっ!?」

 

 

 殺せない。傷付けられない。手を出したら、それでアウトだ。そんな手詰まりな状況に、トーマは走りながら吐き捨てる様に口にする。

 

 下手に危害を加えてしまえば、その瞬間に命を落とす襲撃者。無傷で捕縛出来たとしても、その瞬間に人間爆弾に変わってしまう人質達。

 彼らを救う事はもう出来ない。悪魔の策略を許し、外道に囚われた瞬間にもう終わっている。最悪とはそう言う事、エルトリアの民に残された未来は唯の一つ。

 

 苦しみ、もがき、涙を流し――その姿を嘲笑されて、摩耗しながら死ぬ事だけだ。

 

 

「でもっ! この人達はエルトリアの――だから、見捨てるなんて出来ないよっ!!」

 

 

 それでも、キリエは見捨てられない。見捨てられる筈がないのだ。

 彼女の戦う理由の半分は、傀儡となったエルトリアの人々だ。その想いを無価値にせぬ為、ならばこそ己の手で彼らの命を奪うなんて出来はしない。

 

 何か手段がある筈だ。何か解決策があって欲しい。それがキリエの選択で、その一念は揺るがない。

 きっと必ず見付けて見せる。だから絶対に諦めない。それがキリエの揺るがぬ想いで、なればこそ彼女達は輝いている。

 

 その不屈の意志は、確かに美徳だ。一筋の希望を諦めないと言う在り方は、どうしようもなく綺麗な物だ。

 だが、情を介さぬ者にとって、それは余りに分かり易い欠落。悪辣な悪魔の瞳には、明確な隙として映っていたのである。

 

 悲壮な表情で、それでも奪わぬと覚悟を決める。もう終わってしまった人々を、必ず救うと想いを定める。

 そんなキリエ・フローリアンの姿を見て、この場にいない女は嘲笑う笑みを浮かべていた。嘲笑する女の手によって、此処に悪趣味な合唱が始まるのだ。

 

 

「殺、して、くれ」

 

 

 誰かが、言った。苦しみ、もがき、涙を流しながら――誰かが言った。

 

 

「貴女、に迷惑を、掛けるくらい、なら」

 

 

 一つの言葉に触発されて、次の誰かが口を開く。そんな言葉に影響されて、同じく誰かが言葉を紡ぐ。

 人々は口々に、揺るがぬ瞳でキリエを見詰めながらに言葉を紡ぐ。こんな状況でも己達を救おうとする、そんな彼女に磨り潰される命が希う。

 

 

「何時か、魔群を。そう信じて、いる、ぞ」

 

 

 自分達を見捨ててでも、必ずやこの地を救ってくれ。此処で己達を殺してでも、全てを無意味にはしないでくれ。

 どこか悲しげな表情で、それでも一致団結する。そんな彼らの言葉。その悲壮な決意に、キリエは息を飲み手を握り締めた。

 

 その決意に心を揺り動かされた――だけではない。無論それも確かにあるが、傀儡たる彼らが口にした事こそが問題なのだ。

 本来ならば、彼らは口を開く事さえ許されていない。その精神まで犯されて、完全なる操り人形と化している。なればこそ、この言葉は果たして誰の言葉であるのか。

 

 確かに彼らの本心と、そういう可能性も確かにある。だが、魔群が騙らせている演技かもしれない可能性は零じゃない。

 悪趣味が過ぎる這う蟲の王。彼女が騙らせていたのだとすれば――悲壮の覚悟で彼らの命を奪う直前に、その演技は明かされよう。

 

 勝手に言わされた悲壮の言葉に、覚悟など出来ていない人々。それが事実だとすれば、その瞬間に悪辣な光景が作られる。

 憎悪か、悲痛か、叫びか、絶望か――その命を奪った瞬間に、末期の顔は歪むであろう。そんな可能性が、確かにあるのだ。

 

 これが演技なのか、それとも身を切る程の真実なのか。トーマもキリエも判断付かない。

 その真に迫る苦悶の表情すらも偽りなのではと、そんな風に想ってしまう。間違いないと断言出来ないその事実が、どうしようもなく不甲斐なかった。

 

 

「……魔群、クアットロッ!!」

 

 

 魔群は嗤う。魔群は嗤う。嗤いながらに、人形達に言葉をカタらせる。

 それは語りか、はたまた騙りか。どちらであっても、何かが変わる訳ではあるまい。

 

 良いから撃てと、気にせず踏み越えていけと、傀儡と化しながらに語るエルトリアの民。

 それが真実であっても、今際のきわにクアットロは演技をさせよう。その意志を汲んで奪った瞬間に、彼らを操り絶望の表情をさせるのだろう。

 

 意味がないのだ。選択に価値がない。真実、どちらであっても関係ない。

 その言葉が真実善意の物であれ、悪魔の悪意による物であれ、聞いてしまえば意志が鈍ると言う事実は決して変わりはしないのだ。

 

 

「――っ! 私、は……それでもッ!」

 

「……一端リリィ達と合流する。抱えていくから、俺から離れるなっ!」

 

 

 選べない。偽りであれ、真実であれ、選んではいけない。彼らの温かさを知っているからこそ、この手に掛けるなんて道はない。

 そんなキリエの葛藤を前にして、トーマは一先ず結論付ける。悪辣な外道に怒りを感じながらに、しかしこのままでは何も出来ない。先ずは味方と合流しようと、そうと決めて動き出す。

 

 白百合がいなければ、今のトーマは全力を出せない。逆説、彼女が居れば今より状況は改善する筈だ。

 故に彼は拳を震わせるキリエを片腕に抱き抱えると、傀儡の集団から距離を取る。フローリアン姉妹の家を目指して、踵を返すと走り始めた。

 

 だが、そんな行動は予想の内。敵は小物であれ、いいや小物であるからこそ、悪辣で知恵の回る魔群である。

 手の内全てを潰された少年が仲間と合流を試みるなど、最初から想定しているのだ。ならば当然、その行く道を阻む布石はある。

 

 

「回り、込まれた」

 

「ったく、そう簡単には、合流させてくれないかよっ!」

 

 

 抱き抱える少年と、彼にしがみつく少女は息を飲む。ずらりと並んだ屍人の群れは、宛ら海の如くに隙間がない。

 一体どれ程に以前から、水場を抑えられていたのか。恐らくはこの今にシエルシェルターに残った全ての人々、誰も彼もがベルゼバブと化している。

 

 一人二人程度なら、飛び越える事は簡単だろう。十人二十人程度なら、多少の被害に目を瞑って駆け抜ける事も考えた。

 されど百に迫る数。傷付けてはいけない敵が、余りに多く居過ぎている。こんな人の波を掻き分けて、辿り付ける道理がなかった。

 

 故にトーマは駆け続ける。選択すべきは回り道。何処かに隙間がないものか、一縷の望みを託して駆けずり回る。

 しかし明確な隙などない。人の数に大なり小なり違いはあれど、合流を邪魔する位置には必ず居る。その道を阻む様に、守る様に、無数のベルゼバブが配されていた。

 

 突破は容易い。打ち破る事は容易い。だが、犠牲を出さぬ事は不可能だ。

 突破をすれば誰かが死ぬ。その包囲を打ち破ってしまえば、人質でもある彼らが死ぬ。犠牲を出さぬ事は、絶対に不可能なのだ。

 

 既に村を何周したか、疲労が溜まり始めたトーマは歯噛みする。

 クアットロの嘲笑が聞こえて来そうだ。そうは思えど、打開策など浮かばない。

 

 元凶はこの場に居ないのだ。ならば一体どうして、彼らを救う事が出来るであろうか。

 

 

「待って!? ……これ、もしかしてっ!!」

 

「何か、気付いたのかっ!?」

 

 

 打破する事が出来ない現状に、トーマが憤りを感じ始めた頃。キリエは其処で何かに気付いた。

 問い質すトーマに、もう一度村を回って見てと頼み込み。そしてキリエは確信を得る。それこそが希望に繋がる筋道だと、彼女は此処に導き出した。

 

 

「うん。やっぱり、おかしい。この配置、皆が一ヶ所に集まってる」

 

 

 それはベルゼバブの布陣である。彼らを合流させぬ為に、道を阻む位置取りは決しておかしくはない。

 されど追い掛けてくる数が少ないのだ。限られた閉鎖空間で数十周も、駆け回っているトーマ達に追い付けていない事がおかしいのだ。

 

 如何に速力差があるとは言え、此処は場所の狭い空間だ。限られた空間であればこそ、数を増やせば捕らえられて然るべきである。

 それでもベルゼバブは動いていない。追い掛けて来るのは一握りで、残る数は留まった場所から動こうとはしていないのだ。まるで、其処を守っているかのように。

 

 人々が在中し、警戒している場所は二ヶ所。その内一つがアミタとキリエの家ならば、もう一つは一体何か。

 村の地図を頭に浮かべて、キリエはその結論に辿り着く。魔群クアットロの細胞たちが護るのは、この事態の元凶と言うべき場所である。

 

 

「この先は――地下浄水場の入り口だっ!」

 

 

 結論に至ったキリエは、その瞳を光輝かせる。全てを救う為に、一縷の希望を見出したのだ。

 間違いない。あの場所には何かがある。そうでなくば、態々人を動かす理由がない。守る必要がないのだから。

 

 

「……ベルゼバブは、地下浄水場を守ってる、のか?」

 

「きっとそうだよ! 何か、何かあそこにあるんだッ!!」

 

 

 直接の面識は殆どないとは言え、仲間達と共有した記憶によってトーマは知っている。

 クアットロの悪辣さ。鬼畜外道の策略が、甘くはないと知っている。故にこそ、彼は見付け出せた打開策に懸念を抱いた。

 

 まだ何かがある。偽りの希望を見せ付けて、ここぞと言う場面で奪い取るくらいはやって来よう。クアットロ=ベルゼバブと言う怪物は、正しく悪逆無道であるのだ。

 

 

「けど、他にないんだッ! だから、あると信じて――私は貫くッ!!」

 

「あ、おいっ! 待てよっ!!」

 

 

 されどキリエにしてみれば、この希望を見逃す訳にはいかない。他に術はないからこそ、道を信じて駆け抜けるしか選べないのだ。

 

 少女は己を抱き抱えるトーマを軽く突き飛ばして離れると、即座に加速装置を使って駆け始める。

 アクセラレイター。機械の身体に取り付けられた加速装置。その力によって己の速力を強化すると、彼女は地下道の入り口を目指して走り出した。

 

 

「ああ、もうっ! 美麗刹那(アインファウスト)序曲(オーベルテューレ)っ!!」

 

 

 ここでまた分断されるなど、冗談にもなりはしない。故にトーマは己の疑念を棚上げすると、此処に加速の理を発現する。

 白百合が居ない事で消耗は常より大きいが、だからと言って使わない訳にもいかない。己の体感時間を加速させると、トーマは光となって駆け抜けた。

 

 

「無茶しないって、言った矢先から君はっ!」

 

「御免ッ! 後で謝るけど、だけど今は無茶をするべき時だからッ!!」

 

 

 地下水道の入り口前に屯する人の群れ。どう突破すべきかと、足止めを受けていたキリエと合流する。

 立ち止まっていた少女に向かって手を伸ばしながらに、トーマは此処で神の渇望を片手で維持したまま、もう片方に己の渇望を上乗せした。

 

 美麗刹那と明媚礼賛。全く異なる力の同時発動に、己の身体が悲鳴を上げるが歯を食い縛って貫き通す。

 出来る筈だ。不可能ではない筈だ。神たる嘗ての彼は、世界を凍結させながら自分が加速すると言う二重発動を可能としていた。ならばトーマにだって、それは不可能なんかじゃないのだ。

 

 

「明媚礼賛・協奏っ!」

 

 

 瞬間、己の身体に掛かる負荷が爆発的に増加する。異なる渇望の同時発動は、理屈としてそも無茶がある。同時に全く別の事に集中する。そんな矛盾だらけの行動だ。

 その無茶を我意で貫き通して、その矛盾を意志の力で捻じ伏せて、それでももって数秒だろう。それを過ぎれば、一体どんな後遺症が残るであろうか。ならばその刹那の内に、この包囲網を突破するしかない。

 

 

「もうこうなったら、とことんまで乗ってやるっ! 駆け抜けるよっ! キリエっ!!」

 

「了解ッ! モーレツな勢いで、行くわッ! アクセラレイターッ!!」

 

 

 美麗刹那による加速を共有し、其処にアクセラレイターを上乗せする。重複する加速能力を共有し、得られる速度は先程までの比ではない。

 肩を合わせて加速する。同じ方向に向かって光の如く、駆け抜ける閃光を魔群の傀儡は認識できない。圧倒的な速力差は、気付かせる事すら許しはしない。

 

 守っていた扉が砕ける音に、漸く彼らが気付いて振り返った時にはもう遅い。

 雷光よりも速く、全てを置き去りにする二人はもう其処にはいない。少年少女は、こうして地下水道へと突入した。

 

 

 

 暗い暗い暗闇の中、閃光が闇を切り裂き進む。淀んだ臭いの暗闇を、少年少女は駆け抜ける。

 縦横無尽にトンネル内を駆け抜けて、途中途中に見える人影にやはりここがとキリエは確信する。

 

 きっと何かがある筈だ。きっと如何にかなる筈だ。絶対に如何にかして見せる。

 走り、走り、走り続ける。そうしてその果てにある浄水施設。大きな機械を前にして、彼女は確かにそれを見付けた。

 

 

「目標、発見ッ!」

 

 

 それは黒い人影だ。地下に流れる腐った水を浄化して、生活水へと変える設備を前に人影が立っている。

 その手から、流れる滴は赤く輝く。滴り落ちる血液が、流れる先にあるのは水だ。徹底した浄水が為された水に、飲用されるその水に、己が血液を流し込んでいる。

 

 

「アレは、一体――」

 

「考えている時間が無駄よッ! 一気に切り込む。桜花舞い散る銃剣撃を、食らいなさいッ!!」

 

 

 その余りにもあからさま過ぎる光景に、トーマは戸惑い立ち止まる。

 明らかにおかしいと再び懸念を口にするが、それを聞いている余裕が今のキリエにある筈ない。

 

 加速状態のまま駆け抜けるキリエは、その手に握ったヴァリアントザッパーをヘヴィエッジで展開する。

 重厚な両手剣となった刃を柳の如く流したまま、走り続ける少女は此処で更にと加速する。放つは一つ、彼女が持ち得る最強の術式。

 

 

「スラッシュッ! レイブッ! インパクトォォォォッ!!」

 

 

 巨大剣による切り上げから、流れる様に続く超加速状態での連続斬撃。

 止めとばかりに撃ち込まれる巨大な魔力弾が、空に浮かんだ黒き影を叩き落とした。

 

 抵抗は愚か、反応すらさせぬ内に叩き込まれた最大火力。

 当然、黒き影も対処出来る筈はなく、その人物は腐った水へと墜ちて行く。

 

 落下する途中で漸くに、敵の接近に気付いた黒い影。そんな先手を譲った元凶は――罠に掛かった獲物に向けて、悪辣な嘲笑を浮かべていた。

 

 

「あっさり釣られて、バァァァカみたい」

 

「なっ!?」

 

 

 亀裂が走ったかの様に、黒い影が歪に嗤う。着水する瞬間に、その影は無数の群れに変わって飛び散った。

 蟲が湧き出す。蟲が溢れる。影の体積を無視する程に、余りに大量の蟲が湧き出し蠢く。津波の如くに迫って来る怪異を前に、キリエは咄嗟に動けなかった。

 

 

「キリエっ!」

 

 

 少女の身体が蟲の津波に飲まれる前に、即座に動いたトーマがその手を強く引き寄せる。

 力が抜けた身体を空中で抱き抱えたトーマは翼の道を作り上げると、三角飛びの要領で壁を蹴りながらに距離を取った。

 

 そんな彼らの耳に、纏わり付く様な甘い声が聞こえてくる。まるで熱湯を思わせる様に、大量の水が泡立ち煙を噴き上げていた。

 

 

「うふふ。ふふふ。うふふふふふふ」

 

 

 蟲だ。蟲だ。蟲だ。蟲だ。沸き立つ湯水の只中から、蟲が再現なく溢れ出す。

 一瞬にして空間を飲み干す程大量に、蟲の津波が此処にその猛威を振るっている。

 

 咄嗟に拳で磨り潰しながらに、だがすぐさま逃げ場を塞がれる。

 一寸先すら見えぬ闇の軍勢に飲み込まれて、構えたトーマは甘い女の嘲笑を耳にしたのだ。

 

 

「アハハ、アァァァッハハハハハハハハハハッ!!」

 

 

 溢れ返った蟲の只中。浮島の如くに取り残された少年少女は身構える。

 そんなトーマとキリエの前で、女はその身を形成する。魔蟲形成。大量の蟲が作り上げるのは、這う蟲の王クアットロ。

 

 

『クアットロ=ベルゼバブッ!!』

 

「お久し振りねぇ。とってもか弱い獲物達」

 

 

 名を呼ばれ、女は暗い愉悦に歪んだ笑みを見せる。

 余りに都合良く進んだ状況に、彼女は腹を抱えて嗤っていた。

 

 

「貴女達ってぇ、ほんっと頭悪いのねぇ。こんなあからさまな誘導だったのにぃ、のこのこ誘い込まれてくれるなんて、潰したくなる程に愛らしいわぁ」

 

 

 此処に、守るべき物などはない。解決する手段など、此処には何一つとして存在しない。

 既に終わった事なのだ。仕込んだ罠は牙を剥き、もうその効果を示した後。これを覆すと言うならば、それこそ過去の改竄くらいは必要だろう。

 

 一縷の希望は、偽りだった。差し伸べられた蜘蛛の糸は、元から切れると決まっていた。信じて貫こうとした道は、最初から間違っていたのだ。

 それを理解して、キリエは静かに身体を震わせる。拳を握り、震える小さな身体。見上げた瞳に抱える色はしかし、儚さなどでは断じてない。彼女は未だ、諦めてなどいなかった。

 

 

「魔群の、蟲。溢れ返る程に、これが罠。だと、してもっ!!」

 

 

 認めよう。気が逸っていた。罠に掛かってしまった。後手に回ったと認めよう。

 だが未だ諦めるには足りない。大量に溢れ返った蟲に追い詰められた現状でも、諦める理由はない。

 

 事態の黒幕が、此処に居るのだ。考えようによっては、これは好機。そう信じて、そう想って、貫き通せばそれで良い。

 

 

「はぁ? アンタ、ほんっとお馬鹿さんなのねぇ」

 

 

 そんなキリエの覚悟に、クアットロは泥を塗る。強く揺らがないのだと、誓う様な瞳に糞を投げ付ける。

 そうとも、この後に及んで諦めない姿が気に入らない。だからこそ彼女は見下す為だけに、その真実を告げるのだ。

 

 

「こんなのが本命だなんて、ある訳ないじゃないのぉ」

 

 

 大量の蟲で囲んで、逃げ場を完全に封じる。そうした上での圧殺などと言う単純な策略が、クアットロの本命である筈がない。

 この女はもっと悪辣だ。悪逆非道の鬼畜外道。それこそがクアットロ=ベルゼバブと言う女であればこそ、彼女が仕込んだ罠はもっと遥かにえげつない。

 

 

「一体、何を企んでいるっ! クアットロ=ベルゼバブっ!!」

 

「うふふ。大した事じゃないわぁ。こっちは、唯の囮よ。本命は――直ぐに分かるわ」

 

 

 クアットロを睨み付け、問い質すトーマ・ナカジマ。焦燥している彼の姿に笑みを深めて、クアットロは両手を引く。

 指揮者を気取る女はまるで大見得を切るかの様に、己の身を抱えていた腕を大きく開いて、その瞬間を此処に告げるのだった。

 

 

「はい。どっかーんっ!!」

 

 

 満面の笑みでクアットロが告げた直後、轟音が響いて大地が揺れる。

 シエルシェルターに強大な何かがぶつかって、此処に大地震と言う結果が訪れていたのである。

 

 

「――っ! 何をしたの!? クアットロっ!!」

 

「うふふ。ふふふ。うふふふふふっ!!」

 

 

 天が揺れる。地が揺れる。されど何が起きているのか、この地下からでは分からない。

 故に真剣な表情で問い質すキリエに、クアットロは笑みを深める。女は愉悦に浸る為だけに、隠す必要のない事実を伝えた。

 

 

「大した事じゃないわぁ。外から砲撃をぉ、このシェルターに撃ち込んだだけ」

 

 

 女が事実を伝えた瞬間に、二度目の轟音が鳴り響く。天地が再び激しく揺れて、頭上の一部が砕けて落ちた。

 被害は先の比ではない。同等火力の砲火が撃ち込まれ、二度目は防ぎ切れなかった。そして砲火は、二度では済まない。

 

 

「クリミナトレスちゃんの最大砲火。水爆の数十万倍以上と言うフレアの爆発に、一体何処までこの避難施設は耐えられるのかしらねぇぇぇぇっ!?」

 

 

 時間の流れが違うエルトリア。未来文明が脅威の技術力で作り上げたシェルターは、それこそ原子力爆弾の百や二百は耐えるであろう。

 だが威力が違う。大量の魂に押し潰され記憶が壊され尽くしたとは言え、アストの力は健在だ。クアットロの奈落に繋がり、彼女は嘗ての力を取り戻している。

 

 彼女が誇る最強火力は、核弾頭など比較にならない。ウリエルの炎に耐えられる物質など、この世の何処にもありはしない。シエルシェルターとて、例外などではないのである。

 

 

「そんな、シエルシェルターが……」

 

「くそっ! 一端、此処から脱出を!」

 

「逃がすと、思ってるのぉ?」

 

 

 呆然自失としかけるキリエに、舌打ちしながらトーマは一先ずの撤退を決心する。

 遠距離砲火を止めなければ、このシエルシェルターごと潰される。ならばこそ当然の選択は、故にクアットロに阻まれた。

 

 

「今の貴方は、一人じゃ何も出来ないくらいに弱いんでしょう?」

 

 

 湧き出す大量の蟲は足止めだ。此処に形成した魔蟲の身体は囮である。全ては此処に、トーマ・ナカジマを留める為に。

 今のクアットロは、トーマの事を恐れていない。彼の戦力を誤認しているからこそ、己を囮とする策を組み上げる事が出来たのだ。

 

 

「念には念を入れてぇ、白百合とも分断した。うふふ。これで十分。私の敗因は全て潰した。ならば勝利しかありはしない」

 

 

 それは確かに道化の愚行であるだろう。相手の戦力を読み間違えて、敷いた布陣は愚者の策。

 されどその脅威は本物だ。例え相手の力を読めていないとしても、用意された罠は十分過ぎる程の過剰戦力。

 

 真なる魔群は不死身である。天敵と言う例外を除いて、彼女を傷付ける術などない。

 今のクアットロ=ベルゼバブを傷付ける術を、トーマもキリエも持ってはいないのだ。

 

 

「良い声で鳴きなさい。嬲り甚振り殺してあげるわぁぁぁぁっ!!」

 

 

 悪辣なる魔群が牙を剥く。這う蟲の王がその悪意を此処に示している。

 時間制限が迫る中、無尽の敵に囲まれたまま――トーマは最悪の戦闘を強要されていた。

 

 

 

 

 

2.

 少女は一度、壊された。無数の魂をその器に押し込められて、生まれたての自我を押し潰されていた。

 故に白痴。記憶を失くして、言葉を失くして、何も出来ずに痴れていた。それが二週間と前の事で、今の少女は僅かに違う。押し潰していた元凶は、最早彼女の内にはない。

 

 されど、それで完治すると言う訳がない。原因が取り除かれただけでは、快癒するには程遠い。

 故に少女は未だ中身がない。押し潰され掛けていた魂が息を吹き返したとしても、その記憶は僅かにしか残ってはいなかった。

 

 

(帰りたい)

 

 

 己の心中で、少女は小さく呟く。ああ、私は何処かに帰りたい。だけど一体何処へ、帰れば良いのか分からない。

 微かに残った記憶の断片は、掠れて中身が分からない。残っているのは僅かな光景。小さな竜と、二人の子供と――そして、燃える炎の様に熱くて怖くて、それでも確かに優しい人。

 

 

「帰りたい」

 

 

 分からぬ想いを、一つ言葉に口から零す。膝を抱えたままに呟く少女は、主と任じる人に言われるがままに力を使う。

 何も分からぬ白紙の彼女に、悪意が吹き込んだのは一つの言葉。お前は私の為に生まれて生きて死ぬのだと、クアットロはそう告げた。

 

 その言葉に、返すべき物が何一つとしてない。否定する材料など一つもないから、無垢なる少女はそれを信じた。

 彼女の命令に従えば御飯が貰える。温かな寝床と衣服が保証され、だから逆らう理由が何もない。言われるがままに、アストは白き翼を羽搏かせた。

 

 

「……何処に、帰れば良いの?」

 

 

 今に不満はない。不満と思える程に、少女の自我に中身はない。その過去は霞んで消えていて、最早大して残っていない。

 

 それでもどうして、己は帰りたいと願っているのか。何処に帰れば良いと言うのか。それが分からず小首を傾げる。

 頬を伝わる滴の意味が分からずに、己が為している所業の意図も分かろうともしないまま、アストは再び言葉を紡いだ。

 

 

「アクセス、マスター。来たれ、太陽の統率者」

 

 

 新たなる主。魔群クアットロを通じて、彼女の奈落へと接続する。

 白く輝く翼を生やした、虹の光に輝く少女。その頭上に巨大な火球が姿を見せた。

 

 燃え上がる炎の弾丸。其処に何か記憶を刺激する物を感じる。

 熱くて、怖くて、それでも心が安心する。だからこそ、何故かアストはこの力が好きだった。

 

 ぼんやりとした思考で、綺麗だなと見上げたままに指示を出す。一度二度と繰り返しても、その想いは色褪せない。

 アレを燃やせと放つのは、都合三度目となるウリエルの炎。特に結果を考える事もなく、アストは巨大なシェルターを指差して。

 

 炎は飛翔する。全てを焼き払う為に、全てを焼き尽す為に、裁きの炎は此処に落ち――その直前に、異なる力がそれを射抜いた。

 

 

「誰、です、か?」

 

 

 弾丸はウリエルの炎を打ち破る程ではない。拮抗する程でもない。だが、誤爆させるには十分だった。

 頭上で花開く巨大な大火に、ぼんやりと綺麗だなと思いながらアストは問う。問われた少女は静かに銃を構えたまま、白痴の少女を睨み付ける。

 

 熱気を孕んだ風に揺られる髪は、燃える炎の如き赤。真っ赤な髪をおさげに束ねて、青の少女は両手の銃を握り締める。

 揺らがぬ瞳に宿るのは、信念と情熱の籠った色。奪われた者は憎悪も憤怒も籠らぬ瞳で、奪った一味の少女に向かって名乗りを上げた。

 

 

「アミティエ・フローリアン」

 

 

 瞳は揺るがない。声は震えない。想いは一つ、彼らに向けるべきは反骨心。憤怒も憎悪も薄れてなんていやしない。

 されどアミティエは、僅かに迷いを抱いている。シエルシェルターを襲う砲撃に気付いて、飛び起きた少女は此処に来て僅かに迷っていた。

 

 それは少女の涙を見たから。己の胸元にも届かない小さな少女が泣いているのに、我関せずと無視出来る。アミタと言う少女は、そんな女じゃないのである。

 

 

「理由は分かりません。貴女達の事は許せません。……それでも、二重の意味で、貴女と言う存在は見過ごせません」

 

 

 目の前の少女は何故、泣いているのか分からない。それでも放置は出来ない。このままでは、この少女はシエルシェルターを破壊する。

 一体何時まで中が持つのか、それすら定かではない。白百合の少女を残したままに、一人でこの場に来たのだが、それが果たして吉となるのか凶となるのか。

 

 考える事は山ほどある。悩みの理由はそれこそ尽きない。頭を捻って首を傾げて、それでも答えの出ない事ばかり――だからアミタは、一端全てを棚上げした。

 

 

「泣いている子を、笑顔にするのもお姉ちゃんの役割ッ! 先ずはその為にもッ! ぶん殴ってからお話しですッ!!」

 

 

 やる事はシンプルな方が良い。特に余裕がない程に、追い詰められた現状ならば尚の事。

 鋼の身体に優しい心を。愛する人に与えて貰ったアミタであるから、その人達の愛を裏切りたくはないのである。

 

 殴って止める。力を奪って恨みを果たす。そうした後には必ずや、この少女の涙を拭って助けよう。

 アミティエ・フローリアンは己の心にそう決めて、ヴァリアントリッパーをその手に構えるのであった。

 

 

「?」

 

 

 その強い瞳に見詰められ、アストはコテンと首を傾げる。白痴と化した少女には、彼女が何を言っているのか分からない。

 妨害が行われたと言う事だけを理解して、故に彼女はマニュアル通りに行動する。邪魔者が現れた時は、それを排除するのがクアットロの命令だ。

 

 

「アクセス、マスター」

 

「させませんッ!」

 

 

 白き翼で空へと浮かび上がり、主のシンを介して奈落に繋がる。

 そんなアストが力を示すより前に、アミタはアクセラレーターによる加速で一歩を踏み込んだ。

 

 彼女は知っている。もう理解している。魔刃との戦いの中で、彼ら反天使には届かないと分からされていた。

 それでも退けない理由がある。踏み出すに足る理由がある。ならば敵が力を示すより前に、機先を制するより他に術がない。

 

 両の銃より魔力弾を撃ち続けながら、アミタは前へと駆け出し続ける。

 魔鏡アストの詠唱が終わるより速く、疾風となってその身を撃ち抜いてみせるとしよう。

 

 そんな彼女の考えは、しかし浅いと断言しよう。どれ程に速く動こうとも、彼女達では地力が違う。僅か数言の言の葉を紡ぐより前に、倒し切るだけの札がない。

 

 

「幸いなれ、癒しの天使。来たれ、エデンの守護天使」

 

 

 轟と風が吹き抜ける。荒れ狂う竜巻は次元の壁に穴を開け、虚数の世界を此処に生み出す。

 この世界からの永久追放。吹き付ける風に抗えずに飲まれれば、至る結果はそれ一つ。そしてその竜巻に、抗う手段はアミタにない。

 

 

「ぐぅっ!?」

 

 

 風に吹き飛ばされて、嵐に流されながら、世界に空いた穴の底へと。

 堕ちる直前に、少女は銃弾を撃ち続ける。銃撃の反動で少しずつ己の位置をずらすと、辿り着いた大地の岩に縋り付く。

 

 嵐に吹き飛ばされ掛けながら、如何にか片手で岩を握り続ける。

 抗えずとも耐え続ける。そんな少女をアストは、ぼんやりとした瞳で見詰め続けていた。

 

 

「……まだッ!」

 

 

 暫くすると風も止む。必死に耐え続けたアミタは、立ち上がると前へと駆けた。

 アミタの接近を理解して、停止していた思考が動く。接近を続ける少女に向かって、アストは次なる天使を呼んだ。

 

 

「幸いなれ、正義の天使。来たれ、天軍の指揮官」

 

 

 必死に耐え抜いたアミタの下へ、光り輝く裁きが墜ちる。膨大な力の奔流は、全てを破壊に導く物。

 躱せない。ならば防ぐしかないが、力の差は歴然だ。アストの力は、そう簡単に防げる物じゃない。強大に過ぎる魔力の流れに押し潰されて、アミティエは傷付きながらに大地へと――

 

 

「まだ、だッ!!」

 

 

 それでも、倒れる前に一歩を踏み込む。今にも壊れそうに煙を上げながら、アミタは此処に踏み出した。

 そうとも立ち止まれない理由がある。その背中には、守るべきモノがある。ならばこそ、限界などは知った事か。

 

 防御魔法を展開し、それでも防ぎ切れない威力に意地で抗う。歯を食い縛って必死に耐えて、もう一度前へと踏み込んだ。

 

 一歩近付くだけで精一杯。二歩近付くだけで命掛け。それでも三歩を踏み出すアミタに、アストが見逃す道理もない。

 彼女はその意志に首を傾げながらに、何でこんなに頑張るのかと疑問を抱きながらに、第四の天使を此処に召喚するのであった。

 

 

「幸いなれ、黙示の天使。来たれ、エデンの統治者」

 

 

 呼び出されるは、ガブリエル。告知天使の威容を以って、魔鏡は此処に裁きを下した。

 

 遥か天空に一条の光が過ぎる。光は少しずつ数を増やして、瞬く間に数千条へと。

 空から降り注ぐ白光は、邪悪を撃ち抜く流星群。目に映る荒野の全てを塗り替える程に、光の雨が降り続ける。

 

 躱す術はない。防ぐ事はもう出来ない。そも、最初の一撃を耐え切った時点でもうアミタは限界だった。

 それでも退けぬから、それでも守りたい者があるから――そんな少女の抱いた意志は、余りに強大な力を前に踏み躙られた。

 

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 打ち抜く光は、標的の全てを蹂躙する。あらゆる神経系を破壊し尽くし、その身を大地へと貶める。

 隕石雨が降り注いだというのに、地面には全く被害がない。後に残るのは、中身を破壊し尽くされて壊れた人型のみである。

 

 アミタは此処に崩れ落ちる。既に限界は超えていた、ならばどうして耐えられよう。

 赤熱するフレームから煙を噴き上げて、伏して倒れた機械の少女。その姿をぼんやりと確認し、アストは一拍の呼吸が後に呟いた。

 

 

「標的の、沈黙を、確認」

 

 

 邪なる者を討つガブリエル。邪悪に対する特効は、機械の乙女に然したる意味はない。故にこそ、五体満足で残っている。

 

 だが、それだけだ。アミタは邪悪な者ではないとしても、天使の裁きに耐えられる様な器じゃない。

 故にアミティエ・フローリアンはもう立てない。壊れた身体は煙を上げて、神経系を破壊されたが故に身体は動かず、その身は荒れ果てた大地に倒れた。

 

 

「砲撃、再開、を、始めます」

 

 

 そんな彼女を無表情に見詰めた後、暫し時を置いてからアストは再び行動を再開する。

 邪魔者の排除は終わったのだ。ならば次は最初の目的、シエルシェルターの破壊を為すのである。

 

 其処に迷いなどは入らない。感情などは紛れない。機械的に、無情のままに、ヴィヴィオ=アスタロスは全てを終わらせるのだろう。

 

 

「虚空より 陸空海の透明なる天使たちをここへ呼ばわん」

 

 

 言葉が零れる。機械的で感情の伴わない、そんな透明な言葉が小さな唇から零れ落ちる。

 壊れたアミタは、霞む視界でそれを見詰める事しか出来ない。地面に倒れたままに、少女がそれを壊し尽す光景を見ている事しか出来ていない。

 

 それで良いのか? ああ、そんなのは問うまでもない。良い筈がないのだ。認められない。其処には母が、妹が、皆が未だ生きているのだから。

 

 

「この円陣にて我を保護し 暖め 防御したる火を灯せ」

 

 

 魂が悲鳴を上げている。機械の身体に宿った命は、確かに愛された証である。その魂が悲鳴を上げている。

 それは苦しいから、ではない。確かに苦痛は激しく、身動きが出来ない程に消耗した。だがこの悲鳴は、それとは違う物なのだ。

 

 このままでは失う。何も出来ずに失うだろう。それを認めるなんてこと、断じて出来る筈がない。

 

 ならばそう、立ち上がれ。己の内で喝を入れる。無理とは言わせない。一体何の為の機械の身体だ。

 壊された内部神経を別の物で代用する。体内の魔力を制御して、疑似神経を作り上げる。脳の演算領域をフルに使用して、立ち上がる術を構築する。

 

 過剰な駆動に、脳が痛みと言う悲鳴を上げている。余りに負荷が掛かり過ぎる動きに、フレームがギシリギシリと軋んでいる。だがそれは、立ち上がらない理由にならない。

 

 

「幸いなれ 義の天使 大地の全ての生き物は 汝の支配をいと喜びたるものなり」

 

 

 掌を地面に付いて、その手に力を込める。壊された神経の代わりに、魔力で意志を伝達する。

 起き上がる途中で、傷付いていた右腕が己の重みに耐え切れず、ボキリと音を立てて圧し折れた。

 

 それでも、アミティエは立ち上がる。守るべきモノが其処にあるから、未だ失いたくないモノが其処にあるから、少女は必死に立ち上がる。

 

 

「さればありとあらゆる災い 我に近付かざるべし 我何処に居れど 聖なる天使に守護される者ゆえに」

 

 

 立ち上がって、一歩を踏み出す。下に躍らせる音は、加速を意味する八字の言葉。

 アクセラレイターの超過駆動に、今の己は耐え切れぬだろう。立ち上がったとして、何が出来るとも分からない。

 

 湖に投げ込まれた小石と同じだ。小石は波紋を立てるであろうが、湖は湖のままで何一つとして変わらない。

 アストの力を泉と例えれば、アミタは正しく小石であろう。何も出来ない程に力に差はあって――それでも、波紋を立てる事は出来るのだ。

 

 

「斑の衣を纏う者よ AGLA――来たれ太陽の統率者」

 

 

 立ち上がって、踏み込んで、加速したまま駆け抜ける。其処まで来て、漸くにアストは気付いた。

 左の手に握った銃はバルカンレイド。たった一丁の拳銃を頼りに、疾走する青の少女。それを前にして、アストの動きが僅かに止まった。

 

 それは、一体如何なる奇跡か偶然か。いいや、否。これは確かな意志が呼び込んだ必然だろう。

 

 今のアストは機械的だ。白痴と化した少女は真面な思考も出来ぬが故に、対策マニュアルに従う事しか出来ていない。

 故にこそ、その欠点が生まれている。彼女は行動の合間に、澱みが生まれている。予想外の出来事を前にすると、思考が停止(フリーズ)してしまうのだ。

 

 絶対に立てぬと判断した。既に沈黙したと認識した。その存在が示す不屈の意志に、アストの思考が戸惑い停止する。

 それでも、勝利する事は出来ない。思考の停止を含めても、アストの方が遥かに強い。思考が停止している内に、踏み込める距離は精々一歩だ。

 

 だが、一歩の距離を詰める事なら出来る。そして、今ある距離はそう遠くはない。

 ずっと進んでいたのだ。この攻撃の最中にも、アストの動きは鈍いから、距離を詰める事なら出来ていた。

 

 ラファエルの風を前にして、耐え抜き一歩を踏み込んだ。ミカエルの光を前にして、それでも一歩は進んでいた。ガブリエルの裁きをその身に受けて、しかし一歩も退いてはいない。

 三歩の距離を、稼ぐ事が出来たのだ。一歩の距離では届かずとも、三歩の距離があるならば――アミタの速度は届く。限界を超えた超過駆動で踏み込めば、ウリエルの火が墜ちるよりも僅かに速い。

 

 

「心に情熱ッ! この手に勇気ッ! 貫く想いは銃身(バレル)に預けて――私はこの道を、拓きますッ!!」

 

 

 近付いた。懐へと踏み込んだ。零距離から、アミタは手にした銃を撃ち尽くさんと連射する。

 近付かれた。懐へと入られた。想定外の事態を前に、アストの思考はまたも停止する。与えられる銃撃の痛みに、彼女の思考にノイズが走った。

 

 

「どう、して?」

 

 

 零れたのは、そんな言葉。無意識に口にしたのは、当たり前のそんな疑問。

 どうして、諦めないのか。どうして、此処で折れないのか。どうして、そんなに揺るがぬ瞳が出来るのか。

 

 アストではないアストが問い掛ける。白痴になった彼女では、自分が何を言っているのかすらも分かっていない。

 

 

「私は人の手によって作られた機械(ギアーズ)です。人の為に、それが存在理由だと――だけど、それだけじゃないんですッ!」

 

 

 答える意味はない。応える必要なんてない。それでも、アミタは己の想いを口にする。

 退けない理由。止まらない理由。前に進み続ける理由。アミタの胸には、抱いた熱が確かにある。

 

 人に作られた者同士。白く堕天した虹の聖王は分からずともに、それでも己の心を揺さぶる想いを聞いた。

 

 

「愛してくれた父が居ますッ! 愛を教えてくれた、人達が居ますッ!」

 

 

 銃撃を続けながらも、想うは大切な人達の姿。壊れた身体で前に進みながら、想い浮かべるのは大切な宝石たち。

 

 何の為に戦うのか、アミタの理由はたった一つ。何故此処で倒れないのか、その理由はたった一つ。

 愛を教えてくれた人が居た。機械の己を、心の底から愛してくれた人が居た。その想い、決して無価値になんかしたくない。それだけの、とても単純な理由である。

 

 

「優しく温かな母が居ますッ! 血の繋がりのない母親が、あの場所で待っているッ! 帰るべき居場所が、この背中にはあるんですッ!!」

 

 

 少女の言葉に、幼子の思考にノイズが走る。もう忘れた筈の記憶が此処に、悲鳴を上げて邪魔をする。

 血の繋がらない母親。愛してくれているあの人。思い出せないその記憶が、彼女の言葉が、アストの中で心を叩く。

 

 

――本当のママが見つかるまで、私が母親代わりをしてあげるわ。

 

 

 そう言ったのは、誰であったか。そう言ってくれたのは、一体誰であったのか。

 忘れたくはない。覚えていたい。ずっと一緒に居たい人。なのにどうして、己は覚えていないのだ。

 

 

「守るべき妹が居ます。大切な居場所があります。帰って来てと、言ってくれる人が居るんです。だから頑張んないと、お姉ちゃんはそう思うのですッ!」

 

――帰ろう。ヴィヴィオ。こんな場所に居るより、帰って一緒に遊ぼうよ。

 

 

 帰ってきてと、そう言ってくれたのは誰であったか。大切だったのに、アストはもう覚えていない。

 それが大切だったと分かるから、覚えていなくても大切だったと分かったから、アストの心が張り裂けそうな程に悲鳴を上げている。

 

 思考が止まる。行動が停止する。動けない。動かない。動きたくなんてない。

 

 

「分からない。分からない。分からない。分からない。分からないッ!?」

 

 

 目の前に居るのは、泣いている子供だ。分からない分からないと、分からない事が辛いのだと泣いている子供だ。

 負けられない理由がある。山ほどに理由があって、其処に一つ新たに加わる。泣いている子供がそのままなんて、絶対に良い筈ないのだから。

 

 

「――だからッ! 私は、貴方には負けられませんッ!!」

 

 

 アミタは此処に己の限界を乗り越えて、全力で加速し疾走する。

 手にした銃を刃に変えて、疾走からの連続斬撃。聖王の鎧を意地と刃でこじ開けて、空いた場所を狙い撃つ。

 

 無数の弾丸をばら撒いて、此処に放つはアミティエ・フローリアンの最強必殺。

 それは集束魔法に何処か似て、しかし異なる破壊の情景。力を集める場所は己の武器ではなく、標的そのもの。圧倒的な質量で、此処に我が敵を押し潰す。

 

 

「貫いてッ! エンド・オブ・ディスティニィィィィィッ!!」

 

 

 その力を前に、動揺するアストは対応出来ない。ちっぽけな力を前にして、混乱するアストは動けない。

 防御も回避も反撃も、何れも出来た筈なのに、咄嗟に何も出来ずに硬直した。圧倒的な格下の意地が、少女の力を超えたのだ。

 

 まるで逆さに引っ繰り返した針鼠。隙間一つなく埋め尽くされる砲火は、三百六十度全方向から。

 押し潰す様に迫る破壊の力を前にして、アストは頭痛に動けない。動けないまま、幼い聖王はその光に包まれて――

 

 

 

 しかし、その身を貫く事はなかった。

 

 

「――残念だけど、君の快進撃は、此処までだよ」

 

「っ!?」

 

 

 斬と、破壊の光が断ち切られる。切り裂いたのは、アストではない。

 其処に立つのは、まるで獅子を思わせる金色。異形の槍を手にした彼は、正しく最強最悪の反天使。

 

 

「君の全ては、無価値に終わる」

 

 

 今のアストが思考停止に陥るなど、クアットロは最初から知っていた。

 それ程に壊れているからこそ、己の奈落に接続する事を許した。己を裏切れぬと確信すればこそ、内に取り込み手駒としたのだ。

 

 故に最初から知っている。彼女は砲台として運用し、それ以外の用途になどは使えないと。

 接近戦は元から論外。踏み込まれた時点で、格下にすら敗れ得る。ならばこそ、彼女を守る護衛をクアットロは其処に用意していた。

 

 当たり前の如くにアミタの切り札を斬り伏せて、その護衛――エリオ・モンディアルはゆらりと立つ。 

 冷たい瞳で全てを見下し、その抗いすらも無価値と断じ、その想いは届かせないと明言する。そんな悪魔が立っていた。

 

 

「エリオ、モンディアル」

 

「僕が全て、無価値に変える」

 

 

 震える声で小さく、その怨敵が名を呟く。彼こそは、アミタとキリエにとっての絶望の象徴。決して勝てぬと思い知らされ続けた無価値の悪魔。

 

 

「抗うと良い。足掻けば良い。意地を見せたければ、好きにしなよ。――全て、無価値だ」

 

 

 未だ思考停止を続ける幼子の前に立ち、金色の悪魔は暗い愉悦に頬を歪める。

 乾いた風が吹き付ける荒野の只中で、既に倒れそうな程に消耗したアミタは今、最大の窮地を前にしていた。

 

 

 

 

 




今のヴィヴィオは、白痴モードの為砲台以外に使えない状態。
なので待機していたエリオ君。ヴィヴィオの危機に、満を持して参戦。


今回の対戦カードは

クアットロVSトーマ&キリエ
エリオ&ヴィヴィオVSアミタ

失楽園の日と同様に、普段はやらない組み合わせで戦闘。
魔群とトーマは、一度ガチバトルをさせてみたかったので、こんな形となりました。




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神産み編第三話 悪趣味な恐怖劇 下

二万字オーバー。前半はヤンホモ君、後半は腐れ外道ちゃんの話です。

推奨BGM
1.Fallen Angel(PARADISE LOST)
2.其の名べんぼう 地獄なり(相州戦神館學園)
  Shade And Darkness(Dies irae)


1.

 リリィ・シュトロゼックは走っている。人気が失せたシエル村の只中を、一人彼女は走っていた。

 

 

「待って」

 

 

 偶然夜中に目を覚まし、気付いたのはトーマの不在。同じくキリエも居ないと語られて、アミタと共に探す最中に分かった異常。

 家を取り囲む無数の気配。夢遊病者の様な人の姿はベルゼバブ。その数に怖気を感じながら、少女達は窓から様子を伺った。そんな最中、シエルシェルターを轟音と振動が襲ったのだ。

 

 音の場所を割り出して、砲撃が撃ち込まれたのだと気付いたアミティエ。彼女は母をリリィに任すと、家の裏口から一人飛び出した。

 飛び出した少女を、最初は追い掛けていた病人達。だがそれも数分にも満たぬ僅かな時間で、すぐさま踵を返すとベルゼバブの軍勢は何処かへと消えてしまった。

 

 アミタの行動すら予想内。そう言わんばかりの彼らの行動に、リリィは嫌な汗が流れるのを感じた。

 それでも自分が動いても足手纏いにしかならないと、眠るエレノアと共に待機していた。そんな彼女が、しかし震えているだけでは居られない事態が起きたのだった。

 

 

「待ってよ、エレノアさん」

 

 

 無人の村落を駆ける少女が追い掛けるのは、ふらふらと進んでいるエレノアだ。

 突然目を覚ました女がしかし、操られる様に動き出したのだ。だからこそリリィは、彼女の姿を捨て置けない。

 

 目を見開いて、リリィを突き飛ばした。そんな女の瞳は、赤と黒。

 それが何を意味するのか、どんな悪辣な趣向であるのか、リリィには分かっていたのだ。

 

 

「っ、この数。これ、全部ベルゼバブ」

 

 

 そうして、リリィは此処に辿り着いていた。彼女が追い掛けるエレノアは、この場所を目指していたのだ。

 それは地下へと続く道の入り口。地下水道に繋がる壊れた扉。その前に佇んで、順繰り中へと進む人影は全てベルゼバブ。

 

 リリィは咄嗟に身を隠し、その軍勢を観察する。一人二人ならば兎も角、この数はもうどうしようもない程だ。

 そんな無数の数が地下水道へと進んでいく。ゆっくりと入っていく行列を見ながら、リリィは選択を迫られていた。

 

 

「どうしよう。どうすれば、良いの?」

 

 

 今、彼女には二つの選択肢が存在している。元は三つであった内の一つ、怯え震え続ける事は止めた。故に残るは二つであろう。

 

 選ぶべきは二つ。残された選択肢の内一つは、この軍勢の後を付ける事。恐らくはこの先に、愛しい彼の姿があろう。

 トーマの下へと辿り着く。彼の下へ辿り着ければ、その助けとなれるだろう。彼と共に戦うならば、負ける気なんて一つもない。

 

 だが、果たして辿り着けるだろうか。この魔の軍勢、膨大な数のベルゼバブを突破する手段がリリィにない。

 故にもう一つの選択肢が現実味を帯びて来る。その選択を選ぶ必要があるのではないか、そんな想いが彼女の内に生まれていた。

 

 もう一つの選択肢。それは今も荒野で一人、戦っている少女の下へと走る事。

 リリィと言う存在が加わっただけで、一体何が出来るのだろうか。不安はあれど、辿り着くだけならば出来るであろう。

 

 選ばないといけない。何もしないなんて、そんな道はもう存在しない。リリィ・シュトロゼックは今、岐路に立たされている。

 確実に助けになれるけれど、辿り着ける可能性が絶無に近い道。確実に辿り着けるけれど、助けになれる可能性が皆無に近い道。選ぶべき道は、二つに一つ。

 

 

「私、は――」

 

 

 そうしてリリィは、此処に道を選び取る。ベルゼバブの異常な動きを見詰めながら、何を為すべきかを選んでいた。

 

 

 

 

 

 エリオ・モンディアルは考える。槍を構えて笑みを浮かべて、静かに冷えた思考を回す。

 彼は最初から此処に居た。アストが追い詰められるまで、最初から居たのに観察を続けていた。

 

 理由は二つ。一つがアストを追い詰める事それ自体であるならば、もう一つはクアットロに対する観察だ。

 

 

「どうやら、クアットロは余程遊んでいる様だ。……それとも、案外追い詰められているのかな?」

 

 

 ヴィヴィオ=アスタロスは今、ベルゼバブと同じ状態だ。クアットロに繋がれて、嘗ての力を取り戻している。

 その事実は、常にクアットロの監視を受けているのとイコールだ。彼女と言う反天使は既にして、魔群の目であり手である細胞なのだ。

 

 だからこそ、魔群はある程度の信を置いている。便利な道具として、アストの事を重宝している。

 そんな都合が良い玩具。目の前で壊れそうになっていれば、あの魔群は文句の一つは口にしよう。すぐさまエリオに動けと、命令一つはする筈なのだ。

 

 なのに、彼女は動かなかった。それは意図して動かなかったのか、それとも果たして動けなかったのか。

 どちらにせよ、事実は一つ。クアットロは今、この場を認識していない。そしてその事実は、エリオにとって都合が良い。

 

 

「では、折角の機会だ。力の試し打ちと行こう。――さあ、出番だぞ。お前たちっ!」

 

 

 恐怖に震える少女に向かって、エリオはその力を行使する。己の内に声を掛け、内なる夢より彼らを取り出す。

 それはクアットロが扱う魔蟲形成と同じく、内なる魂に魔力で作り上げた肉体を与える行為。彼に従う双牙を此処に、兵として召喚するのだ。

 

 

形成(イェツラー)――夜天の守護騎士(ヴォルケンリッター)

 

 

 形成。その言葉と共に、内より零れた魂が肉体を手に入れる。甦るのは、僅か三人の女騎士。

 桃色の髪を靡かせて、巨大な剣を手にした烈火の将。翠の衣を身に纏い、杖を手にした湖の騎士。巨大な破城槌を肩に担いで、楽しげに笑うは鉄槌の騎士。

 

 恐怖に震える思考を如何にか抑えて、咄嗟に距離を取ろうとするアミタ。彼女が行動に移るよりも尚早く、夜天の騎士は既に動き始めていた。

 

 

「ぶっ潰せっ! グラーフアイゼンっ!!」

 

 

 意志がない訳ではない。隷属を強制されている訳ではない。彼女達は己の意志で、エリオ・モンディアルに従っている。

 そうと分かる瞳の輝きに、アミタは僅か気圧される。振り下ろされた鉄槌を咄嗟に後退しながら躱して、そんな彼女に迫る影は一つじゃない。

 

 

「駆けよ隼っ! シュツルムファルケンっ!!」

 

 

 転がる様に後退を続けるアミタへと、降りかかる矢は雨の如く。音速を超えた一矢が、矢継ぎ早に放たれている。

 彼女達の実力は既にして、過去の彼女達と同一などではない。エリオ・モンディアルの軍勢として、彼女達は皆須らく強化されている。たった一人であっても、今のアミタにとっては手に余るのだ。

 

 

「逃げ場を塞ぐっ! ペンダルフォルムっ!!」

 

 

 前方を見ながら後退していたアミタの背へ、女の声が掛けられる。

 逃げ回る彼女の後退ルートに先回りしていたシャマルが此処で、その手に握った無数の振り子を投げていた。

 

 その一つ一つの威力は、強化されている事を加味しても大した物ではない。問題なのは、足を止められると言う事だ。

 背中を無数の振り子に刺されて、鈍った身体で前を見る。空と大地の双方から、烈火と鉄槌の騎士達が武器を両手に疾走していた。

 

 

「こいつでぇぇぇっ! 終わりだぁぁぁっ!!」

 

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 轟天爆砕。鉄槌の騎士が猛攻をその身に受け、アミタは苦痛の悲鳴を上げる。

 それでも如何にか体勢を立て直そうと、それすら彼女達は許さない。此処に迫っていたのは、鉄槌だけではないのである。

 

 

「悪いが、その不屈を知っている。故にな。此処で確実に潰すぞ。シュランゲンフォルムっ!!」

 

 

 必死に逃れようとするアミタの左手に、シグナムの放つ連結刃が絡み付く。そしてそのまま、彼女はその刃を引いた。

 スパンと音を立てて、機械の腕が斬り飛ばされる。右の腕は圧し折れて、左の腕から火花を散らせながら、アミタは体勢を崩して倒れていく。

 

 その身に更に、追撃を掛ける者が居た。夜天を統べる今の主は、決して動けない訳ではない。

 

 

「来い。僕と共に、お前の意志を見せてやろう」

 

 

 影が重なる。罪悪の王の背後に一つの影が重なる。倒れながらにアミタは、エリオの背中に女の姿を幻視した。

 それは紫の髪を持つ魔女。露出の激しい衣服を着込んで、狂気に歪んだ形相を張り付けた魔導師。愛する我が子を失くした鬼母だ。

 

 

愛し児(ヤヤコ)は何処に? 我は乞い求め狂う鬼母の相。失くしたあの日を我が手元へと――紫怨の大魔導師、プレシア・テスタロッサッ!!」

 

 

 彼の日に死んだ魔女の魂は、友であった天魔の下で眠っていた。二人の娘の命と共に、彼女の太極に眠っていた。

 もう離れ離れにならない様に、彼の友人のそれが慈悲。だと言うのに運命は如何なる皮肉か、女の下から子らを奪った。

 

 天魔・紅葉の死と共に、砕け散った彼女の太極。中にあったその全てを、魔群が回収出来た訳ではない。零れ落ちた命があるのだ。

 フェイトとアリシア。その二人を鬼母は失った。黄昏の輪に紛れて子らは、今も何処に居るのか分からない。だからこそ、プレシア・テスタロッサは狂っている。

 

 何としてでも見つけよう。どうしても必要なのだ。愛しい愛しいあの子達。

 その母の想い。狂う程に強き渇望は、正しく称えるべき力への意志。誇りと共に示すに足りる、とても強く偉大な想いだ。

 

 そうであるとエリオは考える。故にこそ彼女に誓う。必ずや座を奪い取り、その子らを見付けよう。

 嘗て女が目指した安らぎを、我が必ず作り上げよう。その為にも、我に手を貸せ。その力を寄越せ。共に神座を目指すとしよう。

 

 一緒に行こう。プレシア・テスタロッサ。僕には君が必要なのだ。

 

 少年の願いに女は応える。あの子達を探しておくれと、その願いに頷いた。故にこそ、嘗ての大魔導師は此処にその威を示すのだ。

 

 

『サンダーレイジO.D.J!』

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 少年と女の声が重なる。次元世界さえも超越する大火力魔法が此処に、巨大な落雷となって降り注ぐ。

 ヴォルケンリッターに追い詰められて自由を無くしたアミタは躱せずに、その身を極大の雷光に射抜かれていた。

 

 壊れた機械の身体に落雷を受け、肌を黒く焦がされながらにアミタは敗れた。

 膝を付いて前へゆっくりと崩れ落ちて――倒れる事すらも、彼に従う騎士達は許さない。

 

 心を折るまで追い詰めろ。それが今の主である彼の下した命令なのだから。

 

 

「戒めの鎖よ」

 

 

 倒れようとするアミタの身体を、クラールヴィントのワイヤーが拘束する。

 まるで磔刑の如くに自由を奪われた彼女の首元には、レヴァンティンの切っ先が当てられる。

 崩れ落ちようとする少女の頭部には、密着するかの様に押し付けられた巨大な鉄槌グラーフアイゼン。

 

 僅かにでも動けばその瞬間にはどうなるか、子供にでも分かるこの状況。

 今の主に逆らい敗れた愚かな少女の姿を静かに、冷たい瞳でヴォルケンリッターは見下していた。

 

 

「どうして、貴女達、は……」

 

 

 拘束された少女は問い掛ける。心の底から信頼し、主に仕える騎士達へと。

 

 そうとも、彼女達の目は死んでいない。その意志は確かに個我を持つ。心の底から忠義を以って、それが傍目にも分かる程。

 故にアミタは問い掛ける。だから彼女は問うている。どうしてそれ程までに、彼へ忠義を捧げるのか。一体どうして、貴女達は従っているのかと。

 

 

「エリオ殿は、約束してくれたのだ。ああそうだとも、理由はたったそれだけさ」

 

 

 シグナムは応える。多くを返す必要はなく、語る言葉は最低限に。

 エリオ・モンディアルは約束したのだ。夜天の騎士の献身に、必ず応えると誓いを立てた。

 

 何時か流れ出す新世界。其処で八神はやてを見付け出し、必ずや幸福にするのだと。

 此度の不幸が帳消しに成程に、この世で誰よりも満たされている。それ程の祝福を与えてみせると。

 

 ならば誓おう。嘗ての主の幸福の為に、八神の騎士は此処に誓おう。彼へ神座を捧げるのだと。

 

 

「私の帰るべき場所。もう名前も覚えていないあの家に、私を帰してくれるんだ。エリオは絶対帰してくれる。私にそう約束してくれた。だから、私もコイツの力になるんだ」

 

 

 ヴィータは応える。彼女の想いはシグナムと同質で、だが将よりは己に寄った感情だ。

 彼女はもう覚えていない。あの日に初期化され、帰る場所を忘れてしまった。それでも帰りたいのだと、名前を忘れた少女を今も想う。

 

 エリオは告げた。そんな彼女に告げたのだ。願うならば、帰してやろうと。願い続けるならば、その場所へと導こうと。

 忘れるな。その想いの強さが、お前の道を築くのだ。我が救うのではない。お前の意志の輝きが、お前自身を救うのだと。

 

 約束した。共に行く意志を持ち続けるなら、ヴィータは必ず救われるのだとエリオは言った。

 ならばこそ、鉄槌の騎士は彼と道を同じくする。帰りたいと願い。その為に努力する。そんな少女の意志の強さを、誰より認めた男と行くのだ。

 

 

「女って案外単純なのよね。それでいて感情的」

 

 

 シャマルは応える。シグナムよりも、ヴィータよりも、彼女の想いは私的な情に満ちている。

 

 主の為にと願う事は他の騎士らと同じく、だがシャマルはそれだけではない。あの子は救われるべきだ。報われるべきである。

 だが、己だって救われたいのだ。報われたいと願って、それの何が悪いのだ。シャマルの女としての感情は、たったそれだけの単純な物。

 

 

「もう諦めていた。何も出来ないと、そんな私達に手を伸ばしてくれたのよ。必要だって、言ってくれたの。だったら、共に歩きたいと想うじゃないの」

 

 

 等活地獄に囚われて、嘗ての仲間を傷付けて、そんな自分は救われないとシャマルは嘗て諦めた。

 だがそんな彼女に、幸福を願って良いと語った神が此処に居る。強く願い求め努力するなら、お前は救われて良いのだとエリオは言った。

 

 だからこそ、彼の天がシャマルは欲しい。強く願って求めれば、必ず救われる宙へと行きたい。そんな情を原動力に、湖の騎士は此処に居るのだ。

 

 

「エリオ・モンディアル」

 

「…………何だい?」

 

 

 女達の想いを前に、アミティエ・フローリアンは飲まれていた。その揺るがぬ瞳を見た事で、理解せざるを得なかった。

 いいや、本当はきっと前から気付いていた。もっと前から気付いていて、認めたくなかっただけなのだ。それを女は此処に認める。それを少女は此処に受け入れた。

 

 エリオ・モンディアルは、悪辣なだけの悪魔じゃない。地獄の底を知るからこそ、誰より優しく在れる資質を持つ。誰よりも苦しんだからこそ、誰にだって優しく出来る。

 そんな一面を持つのだと、気付いていた事を認めてしまった。認めざるを得ない程に、彼の配下は満たされていた。己の神にその意志を肯定されて、誰もが幸福であったのだ。

 

 だからこそ、アミティエ・フローリアンは許せない。エリオの一面を認めたからこそ、彼女の怒りは膨れ上がった。

 

 

「どうして、貴方は……その優しさを、皆に与えてあげないんですかッ!」

 

 

 エリオ・モンディアルは、強く優しい人間だった。なのにこの悪魔は、その優しさを限定している。多くを救える筈なのに、僅かな者しか見ようとしない。

 己にとって美しい者。綺麗な意志を示す者。救うに値すると認めた無価値でない者。手を差し伸べるのはそれだけで、そうでなければ泣いていようが踏み躙る。

 

 それがエリオと言う人間で、そんな彼の在り方がどうしても受け入れられぬのだ。

 

 

「泣いてるじゃ、ないですか。その子は、泣いてて、貴方なら、救える筈でしょうッ!?」

 

「…………」

 

 

 悪魔が背中に庇う魔鏡。悪魔の配下に縛られて、彼女を睨み付ける機械の少女。

 背を向けて守る者こそが、彼女の命を軽んじている。手に銃を以って睨む女こそが、彼女の幸福を祈っている。そんな皮肉なこの現実。

 

 それ程に強ければ、彼女だって救えるのではないか。それ程に優しいのなら、その涙だって拭えるのではないか。それに何よりも、アミタはこの事実を許せない。

 

 

「それに、貴方はッ! どうして、博士を――私の父さんを殺したのッ!?」

 

 

 誰かを抱き締める事が出来る様な男が一体どうして――あの人の命を奪ったのか。

 

 真剣な想いを抱いて、確かな願いを胸にして、世界を救おうとしたグランツ・フローリアン。

 彼を奪ったエリオ・モンディアルが優しさと強さを持ち合わせていればこそ、その事実がアミタにはどうしても許容出来ないのだ。

 

 

「…………何かと思えば、そんな事か」

 

 

 僅かな空白。ほんの少しの沈黙の後、エリオ・モンディアルは笑みを浮かべる。

 見下す様な冷たい瞳。それとは真逆の燃える様な喜悦に頬を歪めて、アミタに向かって彼は伝える。

 

 

「実に下らない質問だ。全く無意味な問い掛けだね。無価値な君に相応しい、どうでも良い無価値さだ」

 

 

 その発言は下らない。その疑問は意味がない。その感情は、全て無価値だ。

 だからこそ、教えてやろう。その言葉が無意味であるのだと、既に敗れた少女に教授し啓蒙してやろう。

 

 エリオ・モンディアルは暗く嗤って、アミタに己の意志を突き付けた。

 

 

「幸福の席は有限だ。人の優しさには限りがある。ならばそう。必要な物は必要な場所に、だ」

 

 

 幸福とは相対的な物である。誰かが幸せになる時、別の誰かが不幸となる。

 愛も同じだ。有限な物は全て、万人に与えれば密度が落ちる。全てを愛すると言う事は、誰も愛さないと言う事と等価である。

 

 なればこそ、エリオ・モンディアルは選別する。愛するに足りる者のみを、心の底から愛して抱き締めると決めたのだ。

 

 

「彼女達の意志は、須らく尊い。心の底から抱いた願いは、真実報われるべき物であろうさ」

 

 

 己に従う八神の騎士達。死して尚主の幸福を、忘れて尚帰る事を、滅んで尚己の幸福を、願う想いに嘘偽りは欠片もない。

 己に従う三柱の廃神達。狂愛も絶望も享楽も、誰もが真摯な願いを抱いている。儚い夢でしかない身でありながら、強く前を見続けている。

 己に従う我が子を求める一人の母親。失って尚、取り戻すのだと諦めない。どれ程に苦しんでも、どれ程に否定されても、愛しているのだと叫び続ける。それが強さでなければ、一体何だと言うのだろうか。

 

 誰が否定しようとも、エリオ・モンディアルが認めよう。認め称えて抱き締めよう。彼女達は強い。その想いは価値がある。尊い宝石達なのだ。

 

 

「だが、しかし――翻って、コイツはどうだ? 魔鏡アストは、救うに足りるか?」

 

 

 宝石の輝きに比べて、この魔鏡はどうだろうか。問うまでもない。エリオ・モンディアルは唾棄している。

 この曇った鏡は、見るに堪えない。結局ヴィヴィオは何も選んではいないから、こうして無様で居るのが相応しい。

 

 

「奴奈比売に負けた。それはコイツの心が弱いから、ちっぽけに過ぎない意志だから」

 

 

 人質を取られて敗北する。己の弱さを突かれて敗退した。それは確かに、避けようがない事態であった。

 だが、そこで奮起をすれば良いのに、この少女は変わらなかった。変わろうとすら、しなかったのだ。だからこそ、こうして今も奈落の底に囚われている。

 

 

「クアットロの手で壊された。それはコイツに力がないから、ちっぽけに過ぎない存在だから」

 

 

 クアットロに捕まって、太極の器とされた。それは確かに哀れであろう。避けられない事態であった。

 だが、たった二百万の魂に潰されたのは彼女の弱さだ。帰りたい場所を忘れた事は鉄槌と同じなのに、彼女と違ってアストは如何にかしようともしていない。

 

 思い出す切っ掛けはあっただろう。分からずとも、帰りたいなら叫べば良いのだ。救いの声を上げれば良いのに、魔鏡アストはそれすらしない。

 

 

「きっかけは、何度もあった筈だ。手を伸ばす奴は、確かに居た筈なんだ。それを拒絶したのは、コイツ自身だ。ならば、僕はアストをこう断じよう」

 

 

 それを幼さ故と、誰かはきっと擁護しよう。小さな子は弱くて仕方がないのだと、許す者は多く居よう。

 しかしエリオはこう断ずる。幼さなど理由にならない。儚さなどに価値はない。ましてや、アストには救われる道が山ほどあった。

 

 一度目は失楽園が始まる時、それこそ愛する母が居たのだ。あんな狂人の命令など、無視してしまえば良かっただろう。

 二度目は堕ちた揺り籠の中にて、手を伸ばしてくれる友人達が居たのだろう。ならばどうして、あの時その手を取らなかったのだ。

 三度目は今此処で、心の底から帰りたいと願うなら、誰かに助けを乞えば良い。なのに泣いているだけで、何もしようとすらしない。それが心底気に喰わない。

 

 拒絶したのはお前であろう。ならばこの現状、生み出したのはお前である。不幸になったのは、お前がそう望んだからなのだ。

 拒絶するなら、意志を示さねばならない。自分一人で立てると言い張る事も出来ぬのに、誰かの助けを拒絶する。ならば何処へも行けぬだろう。そんな答えは当然だ。

 

 何処へも行けぬから、何処にも行かぬ。それでも不平不満だけは口にする。そんな命に救う価値などありはしない。

 

 

「総じて、無価値。今も壊され続ける魔鏡アストに、力への意志(ヴィレ・ツァ・マハト)など欠片もない。故にこれは、救う価値などない塵屑だ」

 

 

 故にエリオはこう断ずる。これは塵だ。見るに堪えない。反吐が出る程に汚らしい塵屑だ。

 そう断じられた魔刃が放つ怒りの覇道を前に白痴の子供は恐怖に震え、その光景を信じられないと理解が出来ないとアミタは瞳を瞠目させる。

 

 

「どうでも良いぞ。消えてなくなれ。僕は心底から、この子供を軽蔑している。結論はそう、たったそれだけの事なんだよ」

 

 

 軽蔑しているから、救おうとは思わない。見るに堪えないから、手を差し伸べようとも思えない。

 好きに破滅しろ。勝手に救われろ。僕は知らない。どうでも良いから、一人で勝手にどうとでもなれ。

 

 エリオがアストに抱く情など、所詮はその程度でしかない。こんな立場でなければ、関わろうとすらしないであろう。

 

 

「弱さは罪だ。強くなれ。弱者は罪だ。強くなれ。弱くても、強くなろうとするなら認めよう。一人で歩ける強さがなくても、誰かの手を取るならば許してやろう。だが、それすらしない奴は正しく無価値だ。惰弱に浸り怠け続ける生き物は、僕の世界に不要であるッ!!」

 

 

 これぞ自己超克・共食奈落。手を取り合う大切さを知った今も、その本質は決して揺らがず変わらない。

 多少の怠惰は許容しよう。一人で歩けずとも、誰かと支え合う事は認めよう。だが手を伸ばされても拒絶する様な奴に、それでいて一人では歩けない奴に、この世界を生きていく資格などはない。

 

 そんな奴は、世界を駄目にする癌である。誰にとっても悪影響しか与えない。前に進む為には不要な要素。その存在を、彼の世界は許さない。

 鋼の如く揺るがぬ意志で、烈火の如き苛烈さで、エリオ・モンディアルはそう断ずる。魔鏡アストに価値はないのだと、幼い子供をそう断ずる。

 

 アミタには理解が出来ない。愛され恵まれ愛を知る彼女には、幼いと言うだけで守るべきと思う彼女には、それが全く理解が出来ない。

 それでも揺るがぬ意志の強さに気圧される。強く断ずる瞳と言葉に、反論の言葉を塞がれる。口を開く事も出来ぬ程に、圧倒された彼女に反論は言えぬから――その陥穽を突く反論を上げたのは、アミティエ・フローリアンではなく彼女。

 

 

「けど――それはヴィヴィオを救わない理由であっても、グランツさんを殺した理由にはならないよね」

 

 

 白き百合の花が荒野に咲く。淡い金の髪を靡かせて、荒い呼吸を整えながら、辿り着いた少女は此処に言うのであった。

 

 

「……リリィ・シュトロゼックか。驚いたな、君が此処に来るなんて。何の用だい、足手纏い?」

 

「別に、大した事が出来るとは思ってないよ。だけど、此処に来て良かった。正解だったって思ってる。だってほら、ツンデレ噛ましてるヤンホモの本音に、アミタは気付いてなさそうだもん」

 

 

 それはエリオの言葉の陥穽。アストに対する言葉は分かりやすい穴があり、そしてそれ以外にも裏がある。

 その一つが、救ってあげたいのに、救ってくれとも頼んでくれない少女に対する怒りなら。残る一つは、あからさまな論点の摩り替えだ。

 

 そう、アストについては答えていても、彼はグランツ・フローリアンについては語っていない。

 否、語れないのだ。恐らくは、語れば都合が悪いのだ。その程度、協奏によって過去を覗いた彼女は知っている。

 リリィとしては恋敵の過去など知りたくはなかったが、それでも分かり合えてしまっている。互いを深く理解出来ているのである。

 

 

「……取り敢えず、色々言いたい事はあるけど。僕が本音を隠していると、一体何を根拠に」

 

「分かるよ、それくらい。トーマを介して、私達も繋がったんだよ? ほら、貴方好きでしょ。自分の出来る範囲で必死に抗う、アミタ達の父親みたいな人の事」

 

「…………」

 

 

 グランツ・フローリアンと言う男は、アミタやキリエに話を聞くだけでも分かる程に真面目に生きた人間だった。

 己の故郷を救う為、必死になって駆け抜けた。其処にあった強い想いを、エリオ・モンディアルと言う存在が否定する訳がない。出来る訳がないのである。

 

 ならばそう、其処には確かな理由がある。クアットロの命令だとか、唯の外道行為であるとか、そんな理由で済む筈がない事なのだ。

 

 

「ねぇ、エリオ。何で、アミタ達のお父さんを殺したの?」

 

「……全く、君も彼も本当に、踏み込まれたくない所に土足で踏み入るのが得意だね」

 

 

 トーマとの合流ではなく、アミタの救援に向かう事を選んだリリィ。彼女の的を射た発言に、エリオは僅か肝を冷やす。

 今気付かれるのは都合が悪い。こちらを気にしていない様ではあるが、最悪全てが此処で終わる。此処は許容範囲の限界点だ。

 

 それでも、彼はその混乱を隠し通す。図星を突かれた動揺を隠して、エリオはあくどい笑みを作って声にした。

 

 

「疑問全てに答えが返ると、そう思わない方が良い。この世はとかく理不尽だ。何故どうしてと、分からぬならば放っておけよ。開いてみたら、或いは最悪の展開が飛び出してくるかも知れないぞ?」

 

「けど、そうかな? 最悪の展開なんて、あり得ないって思うよ。エリオにとっては兎も角、私やアミタにとってはあり得ない」

 

「……言うね。一体どんな自信があるのやら。まさかお前、自分が死なないとでも思っているのか?」

 

「言うよ。だって、エリオ。これ以上、私達に手を出せないでしょ?」

 

 

 嗤って騙るその言葉。彼の演技は下手糞だ。内面を知らぬ者には通じても、共有した者には通じない。

 エリオ・モンディアルは唯の外道ではない。悪趣味な畜生ではない。そうと知っていればこそ、その演技は分かりやすい。

 

 

「私を殺せば、トーマは怒る。けど、怒ったトーマと、貴方が勝ちたいトーマはもう一緒じゃない。だから、エリオは私を殺せない」

 

「だが、傷付けるならば出来る。死なない程度に、痛め付けるなら簡単だ。……それに、君は兎も角、もう一人は死ぬんじゃないかな?」

 

「それこそ嘘。ほんっと、分かりやすいよね。エリオは」

 

 

 槍をアミタに突き付けて、このまま殺すと脅かすエリオ。そんな彼の言葉に対し、リリィはそれこそ嘘だと鼻で笑う。

 彼に弱者を甚振る趣味はない。特別なのは、トーマと言う例外だけだ。ならば甚振る行為には、確かな意図が隠れている。確かな意志が隠れている。

 

 そう。エリオ・モンディアルは殺せないのだ。フローリアン姉妹の首を取れぬからこそ、嬲り心を折ろうとしていた。

 その理由、確かな理屈はあるだろう。仕留められないだけの、十分な理由は幾つもあろう。だが間違いなく、一番の理由はこうだとリリィは断じる。

 

 

「だってさ、エリオ。アミタやキリエの事、実は好きでしょ?」

 

「え? え? え? な、何を言ってるんですかッ!?」

 

「…………」

 

 

 リリィの言葉に、戸惑いの声を上げるのはアミタだ。エリオは黙り込んで、彼女の顔を睨むだけ。

 本当に面倒な女だと、全てを台無しにしようとする女を睨む。そんな魔刃の瞳を前に、しかし女も怯えない。

 

 そうとも、彼女はあの場所で啖呵を切れる女である。恋する乙女は無敵であるのだ。ならばこそ、怯むなんてあり得ない。

 

 

「このヤンホモ。兎に角、強い意志が好きなのよ。アミタやキリエはドストライク。人として、気に入るタイプだよ。きっと」

 

「……本当に君は遠慮がないと言うか、あの日から図太くなったと言うか、取り敢えず僕を同性愛者扱いするのは止めろ」

 

 

 あの日を思い出しながら、エリオは頭に手を当てる。最初に人を同性愛者扱いしたのも、確かにこの白百合だった。

 彼女の語る言葉は妙な所で真意を突いていて、その所為で時折口にする世迷い事にもある程度の説得力が伴ってしまう。

 

 実に性質が悪い女だ。仮に誰かと恋仲になるとしても、こういうタイプだけは絶対に選びたくない。どっと疲労感を感じながらに、エリオは頭を抱えて愚痴るのだった。

 

 

「全く、本当に調子が乱される。トーマはどうして、こんなのに惚れてるのか。理解に苦しむよ」

 

 

 呆れた様に呟いて、疲れた様に息を吐き、それでも言葉を否定はしない。

 これ以上否定しても、ドツボに嵌るだけだと分かった。だからこそ、此処で割り切る。

 

 そんなエリオの内面で、アギトは不安を吐露していた。

 

 

〈兄貴。どうする? これ、不味くないか?〉

 

「ああ、だからな。……一端、退くぞ。此処からは、時間との勝負だ」

 

 

 グランツ・フローリアンを殺害した。その事実は知られても問題はない。

 アミタやキリエを殺せなかった。その事実も、知られるだけなら問題はない。

 

 だが、この双方が知られるのは不味い。殺した相手を取り込めるのだと、その事実も含めてしまえば最早詰みだ。

 クアットロの監視が今はなくとも、彼女が記憶を探れば気付かれよう。何時か起爆する爆弾に、この情報の所為で火が付いた。何れ明らかになる真実に、時間制限が付いてしまった。

 

 エリオ・モンディアルが独断で、グランツ・フローリアンを殺害した。その理由を、クアットロにだけは知られる訳にはいかないのだ。

 

 

「何、を? マス、ターの、指示、は」

 

「煩い黙れ。監視してない奴が悪い。……どうして僕がこんな面倒な状況で、お前の意志など聴いてやらねばならないんだ」

 

 

 撤退をする。そう決めたエリオに、アストが震えながらに抗弁する。

 そんな彼女の言葉を一言で斬り捨て、首筋に手刀を落とすとその意識を刈り取った。

 

 形成した配下達を内側へと呼び戻し、意識を失くした魔鏡を片手で抱える。そうしてエリオは、転送魔法を展開した。

 

 

「全く、時間を無駄にした。帰るぞ、アギト」

 

〈うん。……間に合うと、良いけど〉

 

「間に合わせるさ。元々、アイツは保険だ。……トレディアの知識で何処まで出来るか不安だが、最悪、あの残骸(スカリエッティ)を喰えば良い」

 

 

 此処から先は時間との勝負。クアットロが裏切りに気付くまでに、一体何処まで準備が出来るか。

 

 彼女を見付けたトレディア・グラーゼの知識では足りない。彼女を苦しめたジェイル・スカリエッティは魔群の保護下で、その知識を簡単には奪えない。

 だからこそ、求めた第三者。機能停止と言う死の淵から、彼女を救う為に必要となるその叡智。保険として奪ったその彼が、此処に来て言葉を発していた。

 

 

「……それが、君の条件か。()()()()

 

「え?」

 

 

 エリオが呟いた父の名に、アミタは思わず瞠目する。聞き間違いではないかと、混乱している少女を他所にエリオは声に耳を傾けた。

 声は告げる。それはエリオの協力要請に対する応えの言葉。この今になって漸くに、彼は首肯を返したのだ。その事実に、エリオは安堵の息を吐く。

 

 

「良いだろう。乗ってやる。だから、力を貸せよ。知識を寄越せ。それが僕の条件だ」

 

 

 状況は最悪に近いが、それでもこれで大分改善した。必要なモノは、この今に揃った。

 これでクアットロが死んだとしても、イクスヴェリアを生かす事が出来る。それだけの知性を、此処で味方に付けたのだ。

 

 転送の光に包まれながら、背中越しにエリオは告げる。伝える相手は、両手を失くした機械の少女。

 

 

「アミティエ・フローリアン。お前に奴から伝言だ」

 

「エリオ・モンディアル。貴方、何を?」

 

「良いから、黙って聞け。僕は一度しか言わないぞ」

 

 

 内なる彼が示した協力の条件。手を取り合う為の報酬は即ち、その後悔を解消する事。

 彼の決定的な敵対を防ぐ為に、傷付ける事は出来ても殺せなかった。そんな少女の片割れへと、エリオはその言葉を口にした。

 

 

「カ・ディンギルで待つ。お前でも、妹でもどっちでも良い。カ・ディンギルに来い」

 

 

 此処では駄目だ。時間が足りない。そんな事をしている余裕がない。

 だからこそ、カ・ディンギルだ。全てを終えた後で、あの場所で約束を果たすと誓おう。

 

 それがエリオに示せる彼への対価で、それに彼も首肯した。故にこそ、此処に誓う様にエリオは言うのだ。

 

 

「僕が殺し、喰らい、取り込んだあの男――グランツ・フローリアンに逢わせてやる」

 

 

 唯、それだけを口にして、エリオ・モンディアルは姿を消した。

 転送の光に包まれて行く彼は止まらない。待ってと呼びかけるアミタの声にも止まらずに、そうして彼は立ち去ったのだ。

 

 

 

 

 

2.

 逃げ場一つない程に、蟲が溢れて満たす地下空間。水辺が近いと言うのに感じる熱気に、嫌な汗を流しながら抵抗する。

 展開する力は明媚礼賛・協奏。同時発現は負荷が掛かり過ぎるから、維持する力はこれ一つ。それでも先が見えない持久戦、心身共に疲弊と疲労が重なっていく。

 

 心を共有し、想いを此処に繋ぎ合わせ、互いを叱咤激励しながら拳を握る。纏う力はディバイド・ゼロ。両の手足に纏わせて、蔓延る魔群を分解していく。

 その場その場の戦況は、トーマとキリエが一方的な優位にある。協奏による能力向上。質が高まる魔力分解の力に対し、クアットロは抵抗すらも出来てはいない。

 

 羽搏く蟲が千切れて落ちる。這い寄る蟲が潰れて消える。雲霞の如く押し寄せる蟲の群れは、しかしそれでも目減りもしない。

 一体どれ程潰しただろうか。一体どれ程倒したろうか。倒せど倒せど敵は尽きずに、疲弊している素振りも見せない。事実として、相手は疲労すらも感じていない。

 

 クアットロは夢なのだ。無数の人々を悪夢に捕らえて、その世界から干渉し続けてくる悪夢の化身。

 肉体を持たぬが故に、体力の消耗などはなく。幾ら力を使おうとも、囚われた傀儡たちが消耗するだけ。この悪夢は疲弊もしない。

 

 クアットロは死者なのだ。肉体は既に滅んでいて、狂気と共に死した念が悪夢と化してこびり付いているだけ。

 故に傷付ける事など出来ない。実体がないからこそ、明確な天敵以外に被害を受ける事さえない。なればこその不死不滅。その傲慢は、油断などではないのである。

 

 

「はぁ、はぁ、――っ!」

 

「どいて! どきなさいよッ! この蟲女ッ!!」

 

 

 どれ程に潰しても限がない。どれ程に倒しても際限と言う物がない。故にこそ、この場を突破するなど叶わない。

 持久戦の強要。クアットロの執る戦術は是一つ。決して絶えず、決して尽きず、その物量を以って敵の疲弊を待っている。

 

 もしもここが屋外ならば、トーマはディバイドゼロ・エクリプスを最大火力で使えただろう。

 だが此処は地下深く、シエルシェルターの命綱たる水場の傍だ。根こそぎ纏めて分解しようとすれば、余波がどうなるのかが分からない。

 

 落盤落石の恐れがあろう。重要な機械部分を分解すれば、仮にクアットロを倒せたとしても避難施設が崩壊する。

 なればこそ、射撃や砲撃は碌に使えない。短期決戦は望めないから、創造併用も行えない。両の手足で潰そうにも、敵の数が多過ぎた。

 

 疲弊は溜まっている。被害は蓄積していく。クアットロは嗤っている。

 全てが無為だ。全てが徒労だ。嘲笑を浮かべる無限の軍勢は滅ぼせず、少年少女が力尽きる方が遥かに早い。

 

 そして、無傷で倒し続けられる程に、クアットロ=ベルゼバブは弱くもないのだ。

 

 

「弾けなさい。暴食の雨!!」

 

 

 周囲を包む蟲が弾ける。熱い酸の血液を、周囲に向かってぶち撒ける。雨の如く降る毒を、囲まれた彼らは躱せない。

 

 

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「っ、ぐぅぅぅぅぅぅぅぅっ!?」

 

 

 魂を穢す毒に膝を折る。皮膚が溶ける感覚に、痛みに叫びを上げて膝を屈する。

 それでも立ち上がろうとする少年少女。その動きにある速度差に、クアットロは目を細めた。

 

 彼女は気付いている。悪辣なる魔群は気付いていた。それはトーマ・ナカジマの新創造。その理が抱えている、致命的なその弱点。

 

 

「降り注げ。降り続けろ。オォォォォォ、アァァメン、グロォォォリアァァァァスっ!」

 

 

 何処までも続く面攻撃。降り頻る雨に途切れはなく、穢し貶める悪意を前に苦しみ続ける。

 それこそトーマに対する弱点特効。この雨の中、トーマの方が傷付いている。キリエの身体に付いた傷より、彼が抱えている傷の方が重く深いのだ。

 

 それも当然、トーマ・ナカジマは共有している。その影響下にある全てを、共感して共有しているのだ。

 協奏の影響を受けた従たる者らは、己にとって都合の良い物、相性の良い物だけを受け取れる。だが反面、主となるトーマは取捨選択を行えない。

 

 誰かが傷付けば、その傷を共有してしまう。誰かが苦しめば、その苦痛を共感してしまう。それこそが、彼の法則の弱所であろう。

 

 故にこそ面攻撃。空間全てを満たす攻撃。周囲を巻き込む大規模破壊こそが彼の弱点。

 大勢を巻き込む破壊をぶつければ、人数倍したダメージを受ける。トーマ・ナカジマが此処で倒れれば、キリエに抵抗の術など残りはしないのだ。

 

 

「トーマッ!」

 

「だ、大丈夫。まだ、大丈夫だっ!!」

 

 

 内面の共感によって、その被害の重さは分かっている。故に案ずる言葉を叫ぶキリエへと、トーマは歯を食い縛って言葉を返す。

 そうとも、未だ倒れない。倒れる訳がない。こんな鬼畜外道に負ける程度では、あの宿敵には届かない。そう想えばこそ、立ち上がる力は確かに湧いて来る。

 

 負けられない。負けるものか。そんな意地で立ち上がり、力を此処に維持し続ける。

 協奏を続ける限り、トーマは弱点を抱え続ける。それでも、力の解除は最悪の下策だ。

 

 明媚礼賛の力が消えれば、キリエは役立たずと化してしまう。彼女自身の力では、魔群の蟲一匹を滅ぼすにも時間が掛かる。

 この数を前に、その時間は命取り。手数が半分となれば、その瞬間に押し潰されよう。足手纏いが生まれてしまえば、抵抗すら出来ずに押し潰される。

 

 故にこそトーマは痛みに耐えて、必死に力を継続させる。この外道に押し負けて、崩れ落ちる事だけは出来なかったのだ。

 

 

「へぇ、頑張るのねぇ。……け、ど、ぜ~んぶ無駄よぉん」

 

 

 されど、その嘲笑は崩せない。クアットロの嗤いは消えない。どれ程に抗おうとも、既に勝敗は決している。

 そうとも、既に終わっているのだ。それを知らずに抗い続ける無知蒙昧。必死な顔で拳を握る彼に向かって、その真実を伝えてやろう。

 

 蟲の群体がぐにゃりと歪む。その頬に当たるが歪な形に引き裂けて、見下す瞳が嗤って問うた。

 

 

「ね、トーマ君。さっきは何を食べました?」

 

「え、――が、はっ!?」

 

「トーマッ!!」

 

 

 必死に立っていた少年の喉を、熱い何かが逆流する。血反吐を吐き出すかの様に、口から溢れ出るのは蟲だ。

 そうとも、水場は既に抑えていた。何日も前から、この地は既に詰んでいた。水も食料も何もかも、エリキシルに犯されていた。

 

 あったかいものをどうぞ。その言葉は純粋なる善意。饗された晩餐は、間違いなく感謝の印であったもの。

 その善意に泥を塗る。その感謝に毒を仕込む。この地で何かを口にしたその瞬間に、トーマ・ナカジマの敗北は決定していたのだ。

 

 

「アハハハハハハハハ! 全くお馬鹿さん。私が真面に、相手してあげる訳ないじゃないのぉ! 戦いってのはねぇ、戦う前から勝利しておくものなのよぉっ!」

 

 

 例えエリキシルであっても、トーマの意志を奪う事は出来ない。同格以上の相手を乗っ取る為には、毒の総量が不足している。

 それでもその動きを阻むならば十分だ。胃や腸にまで流れ落ちた飲料食物。それを汚染する毒を爆発させて、圧倒的な量の蟲に変えてしまえばそれで良い。

 

 中から中から、溢れる量は止めどなく。嘔吐が止まる事はない。その苦痛に耐えながら、立ち続けるなど出来るものか。

 膝を屈して、身を屈めて、絶え間なく中身を吐き続ける。既に仕込まれていた猛毒の発露に、トーマはあらゆる行動を封じられたのだ。

 

 

「っ! こんのォォォォッ!!」

 

 

 崩れたトーマを庇いながらに、キリエ・フローリアンは両手の銃を撃ち続ける。

 

 エリキシルの汚染はトーマだけではなく、キリエの身体にも影響を与えている。

 日常的に摂取していたのだから、総量は女の方が大きい。故により強く影響を受ける筈の彼女は、しかしまだ屈していない。

 

 それは共有の力が故だ。無事な部分を掻き集め、それをキリエに譲渡する。悪い部分は共有せずに押し止めて、故にこその戦闘継続。

 主となる己は、良し悪し問わずに全てを受けてしまう。だが従となる相手には、望んだモノだけを共有させる事が出来る。そんな協奏の、これは発展応用発現だ。

 

 己が動けなくなったとしても、それでもこの力だけは絶やさない。意識が遠のく程に苦しみながらも、トーマは必死で力を紡ぐ。

 キリエもまた、そんな想いに然りと応える。心も思考も共有するのだ。痛い程に伝わってくる感情に、どうして応えずに居られよう。

 

 二人分の影響を受けているトーマに比べれば、遥かに軽いエリキシルの浸食汚染。

 この程度の汚染ならば、協奏で強化された質量差で押し切れる。強化されているから耐えられる。

 

 両手に握ったラピットトリガーにゼロ・エクリプスを付与すると、キリエは痛みに耐えながら撃ち続ける。

 倒れた少年を庇いながらに、必死に津波に抗う少女。強い瞳を揺らがせないキリエを見詰め、クアットロは舌打ちした。

 

 彼女の予定では、此処で終わっている筈だった。仕込んだ毒でトーマの意識を奪い取り、そのままキリエを壊して御終いの予定だったのだ。

 だと言うのに、トーマは未だ意識を保っている。だと言うのに、キリエは必死になって抗っている。勝ち目はないと、分かっている筈なのに諦めない。その姿に、忌々しいと感じるのがこの小物である。

 

 

「ちっ、……けど、まぁ良いわ。だって仕込みは、まだあるもの」

 

 

 面倒だ。さっさと死んで終われば良いのに。そう思いながらも、その表情を再び笑みに変える。

 罠はこれで終わりじゃない。仕込みはそれこそ十重二十重に、一つ通すだけでも詰みとなる一手を大量に、用意してから動くのがこの女だ。

 

 

「時間稼ぎはもう十分。さぁ、御開帳よ。出たがってたアンタ達にぃ、出口を此処にプレゼントぉ!」

 

 

 まるでモーゼの十戒。ユダヤ人の逃避行の時に起きた奇跡を思わせるかの如く、蟲の雲が左右に割れる。

 侵入して来た入り口へと、繋がる道が解き放たれる。その事実に一瞬、何を企んでいるかと硬直し――直後にキリエは、この女の意図に気付いた。

 

 目の前に、人が居る。涙を流し、恐怖に震える、この村の人が居る。自分達を追い駆けていた、その人質の姿があった。

 動けぬトーマ。固まるキリエ。震える者はベルゼバブ。そんな三者を見下しながらに、クアットロはニヤリと嘲笑を浮かべていた。

 

 

「や、やめ――」

 

「はい残念。BANG!」

 

 

 びしゃりと、止める暇もなく、その頭が弾けて飛んだ。全身余す所なく、命が砕けて失われる。

 そうとも、彼女の目的は時間稼ぎ。時間を稼げば、人質達が追い付くのだ。それを此処で、クアットロは自爆させたのだ。

 

 返り血が飛ぶ。全身真っ赤に染まってしまう。その血の一滴ですら、魂を穢し貶めるエリキシル。

 肌を焼くその熱に、焼け爛れる痛みに、しかし震える事すら出来ない。それよりも、衝撃的な光景が視界の先に広がっていた。

 

 人だ。人だ。人の群れだ。誰も彼もが其処に居る。この村の住人達が、全て其処に揃っている。

 ゆっくりと、出口から近付いて来る人の群れ。苦しみもがきながらに、足掻く事すら出来ない彼らが何であるのか。クアットロは高らかに告げた。

 

 

「さあ、ご覧あれ。人間爆弾の釣る瓶打ちよぉっ!!」

 

 

 これは即ち爆弾だ。クアットロの指示に従い爆発して、クアットロの敵を討つ為だけの道具である。

 暴食の雨の材料として、エルトリアの民を使い捨てる。失われる事を気にする必要などはない。何故ならば、人質はまだまだ大量に居るのだから。

 

 

「あ、ああ」

 

「っっ! クアットロォォォォォッ!!」

 

「あはは、あははは、あははははっ! 負け犬の遠吠えって、きっもちぃぃぃっ!!」

 

 

 震えるキリエと、怒りを叫ぶトーマ。そんな彼らの前で笑みを浮かべて、クアットロは腕を振る。

 まるで指揮者を気取るかの様に、棒の形に纏めた虫を振り回して悦に耽る。悪趣味な恐怖劇は、まだ終わりなどしない。

 

 破裂する。爆発する。砕け散る。どれ程に止めようと叫んでも、彼らに自由などはない。

 まるで火に入る虫である。或いはレミングスの集団自殺だ。涙を流しながらに、無念を叫びながらに、次から次へと死ぬ為だけに行進する。

 

 その行進は止められない。誰も彼もが、次から次へと破裂していった。

 

 

「皆。……止めて! 止めてよぉっ!!」

 

「クソっ、クソっ、クソっ! お前はぁぁぁぁぁっ!!」

 

「アハハハハハハハハッ! たーのしー!!」

 

 

 腹を抱えて愉しいと、嗤い転げるクアットロ。そんな女を前にして、拳を揮う事すら出来ない。

 返り血で真っ赤に染まって、その度に身体を酸に焼かれるのだ。魂を毒に穢されて、耐え続けるなど出来はしない。

 

 怒りを叫び、ふざけるなと咆哮し、出来る事などそれだけだ。そんな怒りの意志を前にして、クアットロは嗤うだけ。

 そしてそんな事すらも、次第に出来なくなっていく。協奏の力で二倍の被害を受け続けたトーマは、遂に異能の維持さえ出来なくなっていた。

 

 

「く、そ……」

 

 

 倒れたままに、意識が遠のく。協奏の光が消えていき、戦う力が失われる。

 ダメージを受け過ぎたトーマも、加護を失くしたキリエも、最早クアットロの敵ではない。

 

 幽鬼の如く揺らめきながら、前方を塞いだ人の壁。後方に溢れるのは、数え切れない程の蟲の群れ。

 どちらも最早、どうしようもない。彼らに打てる手などはもう残っていない。切れる札は全て、クアットロがブタにした。

 

 だから、女は此処にニタリと嗤う。此処に最期の伏せ札を、愉しそうに見せ付けた。

 

 

「さってと、トーマ君も動けなくなってきた所でぇ。真打登場と行きましょうっ!」

 

 

 血の臭いが充満する地下道に、転移魔法の光が灯る。

 呼び寄せられた赤毛の女はぐったりとしたままに、その顔を上げるとニタリと嗤った。

 

 

「あ、あぁ……」

 

 

 エプロン姿の赤毛の女。穏やかな顔立ちに不釣り合いな笑みを浮かべて、そんな彼女も傀儡だ。

 意識の有無など関係ない。生活物資の全てが汚染されていたのだから、彼女もベルゼバブになっていたのだ。

 

 そんな笑顔を浮かべた女を、キリエ・フローリアンは知っていた。誰より深く知っていた。

 そんな恐怖と絶望を浮かべた少女に向かって、クアットロは腹話術をするかの様に声を作って問い掛けた。

 

 

「では此処で問題です。……さぁ、私は誰でしょう?」

 

 

 問われるまでもない。答えを考えるまでもない。

 此処に捕られた最後の人質。誰より失う訳にはいかない、この女性の名は――

 

 

「ママ」

 

 

 エレノア・フローリアン。彼女達が誰より守り通したかった、最愛の母の姿である。

 

 

「だいせいか~いっ! 正解者には、な~にがあるのかなぁ?」

 

 

 ケラケラとゲタゲタと、下品な程にクアットロは嗤う。腹を抱えて嗤っている。

 

 そんな彼女が何をするのか。この魔群が何をするのか。

 これまでの経験から分かってしまった。そんなキリエは、懇願するかの様に口を開いて――

 

 

「やめて、やめてよ」

 

「い、や、よ――はい、BANG!」

 

 

 クアットロは一顧だにもせずに、手にした女を破裂させた。

 女の身体が弾け飛ぶ。赤い血潮となって吹き飛んでいく。それでも、まだ絶命はしていない。

 

 

「っっっ!!」

 

「あ、今ので全部吹き飛ぶと思ったぁ? 駄目よ。それじゃあ詰まらない」

 

 

 吹き飛んだのは腕一本。ならば次は足を飛ばそう。その次は何を飛ばそうか。

 母を愛する少女の目の前で、母を捕らえた悪魔は嗤う。その哀れな獲物を嬲りながらに、少女の叫喚を嗤うのだ。

 

 

「少しずつ、眼の前で、壊していってあげるからぁ。……じっくりと目に焼き付けてね?」

 

 

 既に勝敗は決している。最初から勝敗など決していた。仕組まれていた罠は、あらゆる抵抗を許さなかった。

 協奏の力は、もう消え失せた。トーマは瀕死の重傷で、キリエに戦う力はない。最早これは闘争ではない。戦いはもう此処で終わり。此処から先は、女の遊びだ。

 

 見せ付ける様にエレノアの身体を壊しながら、クアットロは何も出来ない無様を嗤い続けていた。

 

 

「……嫌い、よ」

 

 

 指が飛ぶ。腕が飛ぶ。足が飛ぶ。目玉が飛んで、内臓が投げ付けられる。

 不死の力で再生させて、魔法の力で修復して、そして再び壊し始める。そんな悪趣味な女の遊び。

 

 もう終わる。そう思っても終わらない。そんな光景を前に、キリエは涙を流しながらに叫んだ。

 

 

「嫌い。嫌い。嫌い。嫌いッ! アンタなんか、大っ嫌いよォォォッ!!」

 

「ウフフ、フフフ、アァァァァッハハハハハハハハァッ!!」

 

 

 癇癪を起こした子供の、駄々を捏ねる様な言葉。それしか言えないキリエを前に、クアットロは嗤い転げる。

 一体何処まで笑わせてくれるのだと、女は狂った様に嗤い転げる。そんな魔群の悪意を前に、しかし誰も何も出来はしない。

 

 最初から、この勝敗は決していた。魔群の罠を超えられなかった時点で、この結果は決まっていたのだから。

 

 

 

 

 

 そうとも、敗北は決まっていた。勝てない事は分かっていた。勝機など、端から何処にもありはしない。

 だが、それで良いのか。敗れると決まっていて、此処に敗れた。だからそれで終わりで良いのかと、両面鬼は見詰めていた。

 

 

――おい。何してやがんだ。お前?

 

 

 詰まらないモノを見るかの様に、彼へ向かって問い掛ける。

 その意識を繋がる力で強制的に覚醒させて、この今にある光景を見せ付ける。

 

 僅かに覚醒した意識の中、揺らいだ瞳に映るのは涙に暮れる少女の姿。

 

 

――女が泣いてんぞ。見っとも無くて嗤われてんぞ。それで寝てるしか出来ねぇとか、おいおいどんだけ無様だお前?

 

 

 キリエ・フローリアンは泣いている。クアットロ=ベルゼバブは嗤っている。

 立ち上がれずに、打ち破られて、だから少女が泣いている。罠に掛かって、無様に倒され、だから女は嗤っている。

 

 それで良いのか、良い筈がない。そんな事、誰に言われずともに分かっている。

 だから、腕を動かそうとした。腕が動かないなら掌を、それでも無理なら指先からだ。

 

 立ち上がれ。立ち上がれ。立ち上がれ。出来ないなんて理屈は知らない。立ち上がって見せれば良い。

 遠くで見物しながら、野次を飛ばしているだけの両面鬼。そんな身勝手な野郎なんかに、言われる筋合いはないと断言してやるのだ。

 

 

――お? 何だよ、俺に出て欲しいのか? 良いぜ。それで全部、終わらせてやろうか? そいつは実に簡単だ。……けどよ、ここで俺に頼るとか、恥の上塗りにも程があるって話だろう?

 

(誰が、お前なんかに、頼るかっ!!)

 

 

 ふらふらと起き上がりながらに、嘲笑を投げて来る両面悪鬼に言い返す。

 確かに天魔・宿儺が動いたならば、その瞬間に全ては解決するだろう。今も囚われた人々も、直後に救う事が出来るだろう。

 

 だが、神様に頭を下げる訳にはいかない。万策が尽きたと言うなら兎も角、まだ立つ事は出来たのだ。諦めるには早過ぎる。此処で頼っていたのなら、どの道何処へも行けないのだ。

 

 

――それで良い。さあ、意地を見せろや男の子っ! 女守って外道を倒す。これに勝る本懐なんかねぇだろうっ!!

 

 

 立ち上がったトーマの姿を、誰もが注視していない。悦に浸る悪魔も、心を嬲られる少女も、まだ気付いてはいない。

 気付いたとしても、最早気にも留めぬであろう。立ち上がるだけで精一杯、前に進むだけの力もなくて――それでも、諦めない意志がある。

 

 ならばそう。必要なのはこの意志を、貫く為の力である。あの外道を倒す為の術を、この瞬間に見付け出せ。

 ある筈だ。トーマには在る筈だ。トーマにだけは在る筈なのだ。何故なら彼は神の写し身。この世界の全ての知識が、彼のもう半分に残っている。

 

 魂の繋がりを介して、もう一人の己と繋がる。その膨大な記憶の中には、きっと何か可能性がある筈だ。

 遥か遠く穢土にある神体。巨大な蛇の躯の中へと、意識を飛ばして中身を探る。その想いと共有しながら、必要な力を此処に奪い取るのだ。

 

 

――私は、私も……何処のケーキ屋さんが美味しいとか、何組の誰々が格好良いとか、話したり、……仲直りしたくて、どう謝ろうか、迷ったり……そんな話が、私も好き

 

 

 ノイズが走る。ノイズが走る。ノイズが走る。なかった事になった嘗ての想いが蘇り、己を染めんと流れ込む。

 涙が零れそうになった。忘れていた事に、張り裂けそうな程に想いが溢れた。その重さに、思わず再び倒れてしまいそうになった。

 

 

――お前が、俺に惚れなきゃ意味がねぇだろっ!

 

 

 ああ、重いな。この想いは重いな。無かった事にされた物でも、きっと重く尊い思いだ。

 

 それでも、もう倒れない。その想いがどれ程に重くとも、トーマのオモイも負けてはいないと断言出来る。

 永劫回帰の狭間で消えた想いは、どれ程重くとも所詮は過去だ。今とは連続していない彼の記憶に、負けて良い理由がない。

 

 だから、流れる記憶の中で、それでもトーマはトーマであった。確たる己を揺るがさず、その記憶だけを共感して行く。

 

 

――あの永劫に回帰する世界で、なかった事にされた力だ。魂の底に眠る、或いはあり得たかも知れない力。それを引き摺り出しても、お前がお前で居られるならば。

 

 

 此処まで来た。その日々は無駄じゃない。確かな日常を、トーマ・ナカジマは歩いて来たのだ。

 

 愛してくれた母が居た。守ってくれた父が居た。道を教えてくれる師が居て、共に前を目指す相棒が居て、立ち塞がる宿敵が居た。

 そして、本気で愛した女が居る。恋した彼女と見上げた夜空は、とても美しい光景だった。荒野に二人見上げた空を、トーマは決して忘れていない。

 

 この己は重いから、もう吹けば飛ぶような自我じゃない。どれ程に強い想いが流れて来ようとも、もう流されたりはしない。

 

 

――俺が認めてやるよ。お前はもう、確かな一人の人間だっ!!

 

 

 そうとも、トーマ・ナカジマはもう一人の人間だ。故に――彼の影ではないのだと、此処に力を示してみせろ。

 

 

「灰は灰に――」

 

「青い、雷……?」

 

 

 天魔・夜刀の魂より、力を奪い取って前へと進む。蒼き瞳の少年は、その身に蒼く輝く雷鳴を纏って。

 それは遥か過去に失われた力。無かった事になった渇望で、神たる彼ですら使えなくなっていた異なる力。

 

 揺るがぬ己を得た今だからこそ、当時の想いと共感する事で、トーマはこの力を手に入れたのだ。

 

 

「塵は塵に――」

 

「うそ、うそ、うそ!? 何で、蟲が消えるの? 私が崩れる!? 何よ、これぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」

 

 

 溢れ出す蒼き雷。吹き荒れるのは、血の臭いを消し去る程に清浄なる風。

 風を纏って一歩を踏み出す。走りながらに振り撒く力が、魔群の蟲を消していく。ベルゼバブの毒を打ち砕くのだ。

 

 そう。これは刹那を愛した神が、嘗て一度抱いた願い。今に生きる宝石を、大切に想えばこその渇望。

 失われた命は戻らない。大切であればこそ、容易く生き返らせてはいけない。帰って来るモノは、所詮その程度のモノなのだ。

 

 何かと引き換えに戻って来る。ならばその命は、引き換えにした何かと等価だ。

 それは唯一無二への否定。死者の蘇生と言う解答は、その死者の価値を下げる行為。故にこそ、神は嘗てこう言ったのだ。

 

 

「死人は死んでろっ! クアットロォォォォォォッ!!」

 

 

 死者が、生き返って来るんじゃない。死人の墓を暴くな、と。

 それは死者の否定。蘇生と言う事象の否定。既に死んでいるモノを、消滅させる為だけの理。

 

 クアットロはもう死んでいる。愛しい父に殺されて、残るは嘗ての強き狂念。その残滓であればこそ、この理は彼女にとっての天敵だ。

 

 

死想清浄(アインファウスト)諧謔(スケルツォ)ォォォッ!!」

 

 

 蒼い風が吹き抜けて、此処に全てを浄化する。無数の蟲が消え去って、囚われていた人々が崩れ落ちる。彼らの命を傷付けずに、蝕む毒だけを此処に全て消し去ったのだ。

 

 死に至る人々を救い上げ、此処に仕組まれた全ての罠を打ち砕き、トーマ・ナカジマは力強く立っていた。 

 

 

 

 此処にトーマ・ナカジマは勝利した。魔群の策謀も、悪逆な罠も、全てを乗り越え勝利したのだ。

 

 

「ああ、そっか――」

 

 

 そんな背中を、キリエは見詰める。救われた母を抱き留めて、その大きな背中を一人見詰める。

 傷付きながらに諦めず、強く握り締めた拳で敵を討ち破る。そして囚われた人々を、その手で必ず救い上げる。

 

 そんな少年の様な存在を何と言うのか、彼女は確かに知っていた。ずっとずっと、焦がれる程に求めていたのだ。

 

 

「貴方が、英雄(ヒーロー)だったんだね」

 

 

 蒼い風を纏った英雄。傷付いても尚大きな背中を、キリエはその目に焼き付ける。

 彼こそが求め続けた英雄なのだと、この地を救える人なのだと、焦がれる瞳で見詰め続けた。

 

 

 

 

 




クアットロさんが浄化された!? 僕らのクアットロさんがっ!? 雑菌処理するかのようにキレイキレイされちゃった!?

……作者は今回の話の後半部分、書いててすっごい愉しかったです。




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神産み編第四話 暗闇に灯る炎

前半は姉妹回。後半はサブタイ通り、ヤンホモ回。
いよいよ反天使との決戦間近。次回は大一番となるでしょう。

推奨BGM
1.ROMANCERS' NEO(魔法少女リリカルなのは)
2.Jubilus(Dies irae)


1.

 寝台に眠る母の姿。規則正しく聞こえる呼吸に、ほっと胸を撫で下ろす。

 

 同時に感じる想いはシコリの如く、胸に留まり拭えぬ泥。

 その恨みが的外れだったなどと、今更分かってしかし飲み干せないでいた。

 

 

「母さんを苦しめていたのは、罪悪の王じゃなかった」

 

 

 治療設備を以ってしても分からなかった原因不明の昏睡に、それが医療に従事する者らの下した判断。

 トーマの死想清浄の力によって浄化された今、エレノアは何時目覚めてもおかしくない。それ程に回復した容体が、その事実を確かに示している。

 

 彼女がこの二ヶ月、眼を覚まさなかったのはベルゼバブの毒が原因だった。

 魔刃襲撃の直後、その時点で既に潜んでいた魔群の毒。それが意識を奪っていたのだ。

 

 今、エレノアが眠り続ける理由は一つ。先の消耗が故である。だからこそ、傷が癒えれば意識を取り戻すであろう。

 魔群の毒は既に消え失せた。もう彼女を苦しめるモノはない。死想清浄・諧謔によって、エレノア・フローリアンは確かに救われていた。

 

 それは、あの少年を恨み憎む理由が一つ消えた事を意味している。

 

 

「父さんは、脅されたからって想いを変える人じゃない。ならきっと、力を貸しても良いって思ったんだ」

 

 

 あの日、彼女が彼に強さと優しさと言う一面を見た時、彼女の父もまた何かを見ていたのだろう。

 だから、彼は手を貸すと決めた。その知識を託すと決めた。貸しても良い理由があった。託すに足りる理由があったのだ。

 

 自分を殺した相手を、それでも協力して良いと認める。己の命を奪った手を、奪われた命が握り返したのだ。

 それはある種の許しと言えよう。己に対する行為を、被害者自ら認めたのだ。ならば被害者の家族とは言え、今更少女らに何かを言う権利があるのか。

 

 また一つ、憎む理由が消えてしまう。恨む理由が消えていき、嚥下し切れぬ汚泥が胸に溜まっていく。

 

 

「私は、どうすれば良いんでしょう」

 

 

 燃える様な怒りは消えていない。こびり付くような憎悪は残っている。それでも、正当性が其処にない。

 奪われた者が許しているのだ。死者は復讐を望まないとはよく言うが、本当の意味で望んでいなかったなどと誰が思おう。

 

 此処に至って尚、あの少年を許せないと語る理由。それは所詮、己の感情でしかない。全て自己と利己の事由に過ぎない。

 己の感情だけで、騒ぎ立てる事など出来ない。確かな理由もなく感情だけで憎悪に身を焦がすなど、そんな浅い真似をしてはならない。

 

 アミタと言う女はそういう女だ。彼女を取り囲む全ての物は、一時の自己満足と引き換えにして良い程に軽いモノでは断じてないのだ。

 だが、それは全て理屈の話。感情の籠らぬ冷徹な思考だ。どれ程に頭で無駄だと分かっても、してはならないと思っても、心が其処に付いて来ない。

 

 理屈だけで、感情の全てを抑えられる筈がない。それでも感情だけで、理屈の全てを無視して良い道理がないのだ。故にアミタは迷っている。

 

 この感情は閉じた輪だ。この思考は堂々巡りを繰り返す。ならば成程、これは無価値だ。

 何処にも行けず、何の役にも立てず、唯々思考するだけでは価値がない。そんな想いに意味はないのだ。

 

 無価値にしたくはない。無意味だなんて認められない。このままで良い理由はない。

 それでも、一人では答えが出せそうになかった。だから少女は、思考を伸ばす。この感情の核となる人を想った。

 

 

「お父さん。……貴方は今、何を想うの?」

 

 

 グランツ・フローリアンの想いを知れば、この感情にも或いは答えが出せるであろうか。

 彼が一体何を伝えたかったのか。その事実を知ったとすれば、もう迷わずに進めるのだろうか。

 

 知りたい。知りたい。どうしても、その想いが知りたい。そんな感情が胸の内に溢れて来る。

 彼は語った。罪悪の王は確かに告げた。カ・ディンギルに行けば、グランツ・フローリアンに逢えるのだと。

 

 だからこそ、アミティエは其処へ行きたいのだと願って――それでも行けないのだと、知っていた。

 

 

「トーマさん達は、夜明けと共に出発する」

 

 

 エクリプスウイルスの影響で、トーマの自己治癒能力は高い。夜明けまでには、その体は完治しよう。

 傷が治り次第、トーマは反抗を始めると語った。このまま守るだけではジリ貧だからと、此処で攻勢に出ると決めたのだ。

 

 目指すは一路、エリオが告げたカ・ディンギル。中央塔に巣食った三柱の反天使を、此処に討ち取る事を宣言した。

 エリオは強い。クアットロは恐らく未だ生きている。アストだって侮れない。それでも己が全てを倒すと、彼は確かに宣言したのだ。

 

 その言葉には自信があった。確かな想いがあった。そしてそれを現実にし兼ねない、そんな力も手に入れている。

 死想清浄・諧謔。その力はクアットロに対する天敵で、エリオの軍勢に対しても有効だ。ならばこそ、勝機は確かに此処にある。

 

 それでも、三柱全てを相手取るなら、勝利の可能性は蜘蛛の糸。那由他の彼方にある奇跡と同じ領域だ。

 故にこそ、同行するなら力が居る。最低限、足手纏いにならない程度。出来るのならば、アストかクアットロの足止めが出来る程度に。

 

 その役割を、アミティエ・フローリアンでは果たせない。彼女は己の両手を見詰めて、その事実に息を吐く。

 添木を当てて、包帯を巻かれた右の腕。半ばから切断されて、断面が見えている左の手。この有り様で、足手纏いにならぬとどうして言えよう。

 

 

「物資が足りない。時間が足りない。私の傷は、治らない」

 

 

 時間も物資も足りていない。壊れた機械の修理が出来れば、ギアーズが彼女達だけになる事なんてなかった。

 夜明けまでの僅かな時間と、シエル村に残った僅かな資材。それで出来る事など精々、右か左かどちらかの腕の復元くらいだ。

 

 そして、そんな時間を掛けるくらいなら、そんな資材を使うくらいなら、損傷の軽いキリエを向かわせた方が良い。そんな事は、考えるまでもなく分かる事だ。

 知りたい。知りたい。どうしても知りたい。溢れ出すこの感情に身を任せて、道理に合わぬ事をする。その愚かさを分かっている。自分の都合で周囲を巻き込むなんて、アミタに出来る事じゃない。

 

 

「私でも、キリエでも、どちらでも良い。ならきっと、お姉ちゃんは我慢するべきなんでしょう」

 

 

 どの道、二人は連れていけない。もし万が一が起きた時の為、指示を出せる人間は必要なのだ。

 アミタかキリエか、どちらかはシエルシェルターに残る必要がある。ならばどちらが残るべきなのか、そんなのは自明の道理であろう。

 

 己は姉だ。お姉ちゃんなのだ。だからどんなに知りたくとも、歯を噛み締めて我慢しよう。

 知りたいと願うのは、多分自分だけではない筈だ。だから姉は我慢して、キリエの報告を聞くのを待とう。

 

 そう決めて、それでも抑えられない想いはあって、だけどアミタは我慢する。

 己の我儘に蓋をして、せめて笑顔で見送ろうと心に決めて――そんな彼女の頭に向かって、何かが投げ付けられて来た。

 

 

「痛っ!?」

 

 

 感じる痛みに思わず叫んで、病室内に甲高い音を立てて投げられた物が落ちる。

 床に転がったのは、赤い色のヴァリアント・ザッパー。人の頭に金属を投げ付けるとは一体何を考えているのか、アミタは頭を抑えて下手人に文句を口にした。

 

 

「ちょっと、どういう心算ですかッ! お姉ちゃんも怒りますよッ! キリエッ!!」

 

「べっつに~。……アミタがウジウジしてる癖に、一人で妙な結論付けてるみたいだったから」

 

 

 目尻に涙を浮かべて振り返るアミタに、病室の扉に凭れ掛かったキリエが返す。

 桜花の少女が語る言葉を、アミタは一瞬理解が出来なかった。キョトンとした表情を浮かべ、それから数秒程して理解する。

 

 一体誰の為を想ってか、理解した瞬間に頭が沸騰するかと思った。

 そんな感情を顔に出さずに隠し通して、アミタは首を左右に振ると抗弁した。

 

 

「……妙な結論って、私は――キリエやトーマさん達の為に」

 

「それが変って言ってんの」

 

 

 頭を振って、説明する為に口を開く。そんなアミタの第一声を、キリエは一刀にて切り伏せる。

 またもポカンとしたアミタに向かって、何処か怒った様な表情を浮かべて、キリエは想いを語るのだ。

 

 

「だってさ、アミタ。聞いてないじゃん。言ってないでしょ?」

 

 

 貴方達の為にと、その言葉は嗚呼確かに素晴らしい物だろう。誰かを想って、其処に卑俗な感情などはない。

 天狗道の言葉とは違う。貴女の為にと口にしながら、その実貴女を想う素晴らしい自分の為に。そんな利己はアミタにない。

 

 それでも、彼女の結論は独り善がりだ。キリエは不貞腐れる様に顔を顰めて、その陥穽を指摘する。

 これが相手にとって一番良い。この方が誰かにとって一番良い。その思い遣りは確かに素晴らしいが、彼女はその相手を見ていないのだ。

 

 

「どうしたいのか。何をしたいのか。言ってくれないと、分からないし伝わらない。誰にも何も言わないまんま、自分勝手に色々背負い込まれても、正直だから何って話? それに、さ。……言ってくれれば、何とか出来るかもしれないでしょ?」

 

 

 誰かの為にと、自分の想いを押し殺す。そんな彼女を愛する誰かにとって、その背負い込みは不快であるのだ。

 頼んでないのに苦しんで、大切な人が我慢している横で楽しめるとでも思っているのか。己を軽んじるのも、いい加減にしろ。キリエの怒りは、詰まりはそれだ。

 

 勝手に決める前に、先ず最初に相談しろ。こうしたいのだと想いを告げて、それからどうすべきか考えよう。たった二人の姉妹だろうに。それがキリエの主張である。

 

 

「ですけど、私は――」

 

 

 それでも、そう簡単に頷けないのは姉の意地と言う物だろう。頼れと言われて直ぐに頼れる。そんな柔らかい頭をしていない。

 ましてや、それが一番良い解決策でないと知っているなら。どちらかが我慢しないといけないと分かっているなら。アミタは素直に頷けない。

 

 頼れと、そう語るキリエの言葉は姉の為に。任せろと、抱えるアミタの想いは妹の為に。

 互いに互いを思えばこそ、擦れ違っているこの現状。キリエは面倒そうに頭を掻くと、愚痴る様に呟いた。

 

 

「あ~、ほんっとメンドクサイお姉ちゃんよね。……けど、ま。私ってばお姉ちゃん想いの孝行妹だし、言い辛い意見も汲んであげようじゃない」

 

 

 息を吸って、大きく吐く。そうして想いを定めると、キリエはニヤリと笑みを浮かべた。

 この姉が頑固者だと知っている。それでもこの姉は、押しに弱いと知っている。故に選ぶは、押して押して押し潰す唯一手。

 

 

「ちょ!? キリエ!?」

 

 

 笑みを浮かべたキリエはまるで子猫の様に、軽く前に跳ぶと椅子に座ったアミタに飛びついた。

 相手の両手が使えぬ事を良い事に、笑みを浮かべたキリエは抱き着いて懐を探る。くすぐりながらに目的の物を見付け出すと、笑みを深めて飛び退いた。

 

 

「お宝いっただきぃ! この青いヴァリアント・ザッパーは貰っていくわねッ! 代わりと言っては何ですが、赤い方はサービスよん」

 

 

 顔を赤くして、荒い呼吸を整えるアミタ。そんな彼女に向かってキリエは、奪い取った青いデバイスを片手に告げる。

 キリエが指差す先、床に転がっているのは赤いデバイス。互いの為にチューンされた互いの武器を、此処にキリエは入れ替えたのだ。

 

 理由は一つ。妹想いで頑固な姉に、姉想いな妹からの贈り物。知りたいと願うアミタの願いを、叶える為に想いを託す。

 

 

「キリエの想いが籠ったキリエの武器よ。それと一緒に行くんなら、私が一緒に行くのときっと気持ちは一緒だもん。……だから、お姉ちゃんが見届けて来て」

 

 

 何かと理由を付けて、我慢ばかりしている姉の背中を押す。想いを武器と託すから、共に見て来てと此処に伝える。

 キリエに不満はない。彼女も知りたいと、そんな願いは確かにある。英雄と共に居たいのだと、そんな想いは確かにある。それでも、キリエ・フローリアンに不満はない。

 

 だって彼女は信じているのだ。心の底から信じていて、だからこれで良い――これが良いのだと決めていた。

 

 

「私の英雄(ヒーロー)の活躍を。私達の博士(パパ)が遺した想いを。抱いた想いの決着を。ちゃんとアミタが見詰めて来て」

 

「……それで、キリエは良いんですか?」

 

「うん。それがアミタが出した答えなら、キリエもそれで良い。ううん。私は今まで一杯貰ったから、だから(キリエ)はそれが良い」

 

 

 キリエはトーマを信じている。きっと彼なら大丈夫。必ず勝ってみせるであろう。

 キリエはグランツを信じている。彼が遺した想いはきっと、自分達に必要な物であるだろう。

 そしてキリエは、何よりアミタを信じている。全てを託して任せられるだけには、己の家族を信じていたのだ。

 

 だから彼女は笑って見送る。いってらっしゃいと言う言葉と共に、笑って見送る事が出来る。

 妹が何時の間にか手に入れていた、そんな強さに目を細める。そうしてアミタは、長い長い息を吐いた。

 

 

「お姉ちゃん、失格ですね」

 

「そう? 色々抜けてる所はあるけど、割と良いお姉ちゃんだと思うわよ?」

 

「其処で手放しに誉めない所が、キリエらしいと言うか何と言うか」

 

 

 妹を導く立場にありながら、妹に導かれている。そんな自分の現状に、自嘲交じりに言葉を愚痴る。

 そんなアミタを前にして、叶わぬ想いだろうと恋を知った少女は強いのだと、笑いながらにキリエは告げる。

 

 

「偶には、甘えちゃえば良いのよッ」

 

「……そうですね。偶には、キリエに甘えてみます」

 

 

 無理に背負わず、甘えて良いと語る妹。そんな彼女の笑顔に笑顔を返して、アミタも此処に心を定める。

 知りたい。知りたい。どうしても知りたい。湧き上がるこの想いを我慢しなくて良いと肯定されたから、もう彼女は我慢をしない。

 

 

「ちゃんと、見て来ます。キリエが信じた英雄を」

 

 

 此の想いに報いる術は、善意を拒絶し続ける事では断じてない。

 ありがとうと想いを返し、託された物を背負って進む。望まれた様に在る事こそ、彼女が返せる最大の感謝だ。

 

 

「ちゃんと、聞いて来ます。私達の父さんが遺した想いを」

 

 

 だから、此処に約束する。彼女が見たい筈の英雄の活躍。彼女が知りたい筈の遺された想い。その全てとしっかりと向き合って、必ず答えを出して戻ると。

 

 

「ちゃんと、答えを出します。自分の心と、キリエの心。二人で納得できる想いの答えを」

 

 

 トーマと共に、リリィと共に、アミタが彼の地に向かうのだ。

 そうしたいから、そうして良いと言われたから、彼女はそうすると決めた。

 

 そうと決めたアミタに向かって、それで良いのだとキリエは笑みを見せるのだった。

 

 

「だから、その為にも。先ずは傷を、出来る限り治さないといけませんね」

 

「夜鍋して付き合ってあげるからッ! 出来た妹に感謝しなさいなッ!」

 

「……ええ、本当に――ありがとう。キリエ」

 

 

 明日の朝まで、どれ程時間があるだろう。この僅かな時に、一体どれ程の事が出来るだろう。

 一人では大した事が出来ずとも、二人でなら少しはマシになるだろう。アミタとキリエは、肩を並べて場を移す。

 

 夜が更けて、明けるまで。共に過ごす少女達の間に、会話が尽きる事はなかった。

 

 

 

 

 

 明けて翌日。シエルシェルターの大型搬入エレベーターを前に、彼らはその時を待っていた。

 長袖の黒いシャツに青いジーンズ。首には白いマフラーを、風に靡かせながらに立つのはトーマ。

 

 その傍らに寄り添うは、白いブラウスに青いスカートの少女。

 リリィ・シュトロゼックは彼に寄り添いながらも、何処か不機嫌そうに膨れていた。

 

 

「あのー。リリィさん。何か不機嫌そうなんですが」

 

 

 昨夜からなぜか、不機嫌そうな顔を変えないリリィに恐る恐るとトーマが声を掛ける。

 時間が経てばマシになるだろうと、そんな甘い見込みはご破算。しかし流石に決戦を間近にして、この態度は如何な物か。

 

 もう余り時間がないからこそ腹を括って、それでも恐る恐ると探るような言葉。

 そんな妙なヘタレさを師から受け継いでいる少年に、膨れっ面を見せる少女は振り向くと不満を口にした。

 

 

「……フリンは、ダメなんだよ」

 

「不倫って……、一体何を言ってるのさ」

 

「エリオだけじゃなくて、キリエまで。ほんっとトーマは、フリンは絶対駄目なんだからねっ!」

 

「ちょっと待て、何だその風評被害っ!? 特にエリオは含めるなっ!?」

 

「ふーんだ」

 

 

 昨日の魔群撃退から、どうにもトーマに距離が近付いたキリエの姿。それがリリィは気に喰わないのだ。

 

 エリオだけではなくキリエにまで粉を掛けるかと、言われたトーマも堪らない。

 百歩譲って、妙にボディタッチが増えた桃髪少女に鼻の下を伸ばしていた事は認めよう。だがしかし、同性愛だけはないのである。

 

 どうにか宥めすかして説得しようと、トーマは様々な言葉を重ねる。対するリリィの反応は、どうにも素っ気ない物ばかり。

 しかし、その頬は何処か緩んでいる。それを見せない様にそっぽを向いたリリィの顔を、見えないトーマは必死に頭を下げて釈明を続ける。

 

 構って貰ってる。必死になって釈明する程、大切に想われている。それだけで満足しているが、安い女とは思われたくはないのだ。

 そんなリリィは、故に口を閉ざしたまま。それをよっぽど怒られているのだろうと誤解して、トーマが土下座を視野に入れ始めた時に。

 

 大きなエンジン音を立てて、彼女が此処に到着した。

 

 

「皆さん。お待たせしました」

 

 

 身を包むのは桜の衣装。レッドフレームを身に纏い、鉄の騎馬に跨っている。

 黒き鋼鉄の身体を持つ騎馬は、エルトリア製の自動二輪車。大型のバイクの横には、二人乗りのサイドカーが備え付けられている。

 

 犬も食わない類の喧嘩をしていた事すら忘れて、二人揃ってその威容に目を丸くする。

 男心を擽る様な大きなメカニックを前にして、トーマは何処か興奮する様にこれは何かと問い掛けた。

 

 

「アミタ? これは」

 

「TWシリーズが一つ、ジャベリン。陸海空に宇宙も含めて、あらゆる場所を走破可能な大型バイクです」

 

 

 蒼の騎士が乗騎とされた大型バイク。未来技術の粋を尽くしたこの絡繰りは、単独での大気圏突破すらも可能とする。

 乗り手の意志に反応し、機能を拡張する特殊な機構。シエルシェルターに残った移動手段の中では、最も戦闘に長けた物。

 

 立ち向かうのは、たった三人。ならばこのバイクで十分だろう。いいや、これこそが良い筈だ。

 そうと判断して、此処に来た。そんなアミタが指差し示して、トーマとリリィは一つ頷いてからサイドカーへと乗り込んだ。

 

 

「さあ、行きましょう。皆さん。……反天使との戦いを此処で、全て終わらせる為に」

 

 

 二人が乗り込んだ事を確認すると、アミタは慣れたハンドル捌きでバイクを動かす。グリップを握る()()()は、姉妹が築いた確かな絆だ。

 鉄扉の奥、エレベーターの中へと進み停車する。彼女達が乗り込んだのと同じくして、その背の扉は静かに閉まった。

 

 

「ああ、行こう」

 

 

 大きな機械音を耳にして、浮き上がる様な浮遊感を身体に感じて、トーマは静かに前を見る。

 振り向いた先、傍らに寄り添う少女は頷く。運転席に跨る赤毛の女も同じく、決意を以って頷いた。

 

 

「目指すは一路――中央塔カ・ディンギルっ!!」

 

 

 鋼鉄の扉がゆっくりと開いていく、その先に広がるのは乾いた風が吹く荒野。

 目指すは中央。この惑星の中心地。そうと言葉に定めると、跨る騎馬に火を入れる。

 

 轟音と共に走り出したジャベリンに乗って、彼らは決戦の地へ向かうのだった。

 

 

 

 

 

2.

 時は僅か遡り、中央塔カ・ディンギル。その中枢区画と言える最上階で、女は一人荒れていた。

 身体が痛い。身体が痛い。焼ける様に溶ける様に身体が痛い。分体を浄化された彼女は、これまで感じた事がない程の痛みに悶え苦しんでいた。

 

 

「アイツ。アイツアイツアイツアイツ、よくもォォォォォッ!!」

 

 

 魔群クアットロは生きている。この女は健在だ。身の安全の保証がなければ、この女が我が身を囮とする筈がない。

 分体とは感覚を共有していただけ。いざとなれば即座に接続を解除して、エリキシルを唯の血液に戻す事など何時でも出来たのである。

 

 無限数と言う数を誇れど、女の自我は一つしかない。自分が複数あれば、自己矛盾が発生する。それを防ぐ為に、意図して一つに抑えている。

 そんな彼女にとって、先の攻防は最初から結果が決まった物だった。もし万が一逆転されたとしても、分体を崩して奈落経由で自我を退避させればそれで十分な筈だった。

 

 傷付く筈がない。痛みを感じる筈がない。敗北し消滅する要因などありはしない。

 だと言うのに、今のクアットロは傷付いている。その身は感じる筈のない痛みに苦しんでいる。それは受けた浄化の力の、性質が故の事であった。

 

 実体がないモノであれ、それが甦る死者なら浄化できる。そんな蒼き浄化の風を、たった一つしかない主観で受けたのだ。己の自我を直接浄化されたのだ。

 最早傷は残っていない。傷付いた場所を切り落としても、それでも残っているのは幻肢痛。今現在もあの風に晒されている様だと、そんな痛みに女は形相を険しくする。

 

 皮膚が焼け落ちる様な、鏝で臓腑を焼かれる様な、意識が散漫になる程の痛み。

 そんな苦痛に耐えられず、そんな苦痛を与えた少年に向かって、クアットロは罵詈雑言の恨み言を口にし続ける。

 

 

「腸を引き裂くだけじゃ足りない。惚れた女を凌辱するだけでも足りない。もっともっともっともっと、思い知らせる為にもっと」

 

 

 憎悪の言葉を吐きながら、しかし何処か冷静な思考が警鐘を立てる。

 如何に恨みを晴らすか苦痛に足掻いて叫びながらに、だが同時にそんな博打をするなと理性が叫ぶ。

 

 痛みを感じた。想定外の逆撃を受けた。其処から生き延びた事は、この女の最も恐ろしい一面を再び動かすに十分過ぎる事象だ。

 小物である事。小心である事。絶対的な窮地に対して、決して挑もうとしない事。そんな臆病さを此処に、クアットロは取り戻していた。

 

 なればこそ恨みを口にしながら、同時に逃げる手段を模索する。アレが向かって来るだろうと、そう思えばこそ妥協はしない。

 逃げるならば何処が良い。逃げる為には何を使おう。もしも万が一こんな時はどうしよう。そんな無数の疑問に対し、万全の用意を整えておくのがこの女。

 

 エルトリアに来た時点で、エルトリアから戻る為の転送装置は用意していた。逃げるだけなら何時でも出来る。

 カ・ディンギルを抑えた際に、エルトリアの技術力で作られた次元航行船も見付けている。いざとなれば、それを使うのも良いだろう。

 

 故に最早逃走は確定事項。あんな最悪の相性を前に、挑むなどは言語道断論外だ。

 だが唯逃げるだけでは駄目だろう。それでは鬱憤が晴らせない。だから、ああそうだそれが良い。

 

 

「きーめたっ! カ・ディンギル。壊しちゃおぉぉぉぉ」

 

 

 エルトリアを支える要石。此処が消えれば、この惑星が全て消え去る。全てが虚無に飲まれて消えるのだ。

 壊すのは簡単だ。この建物は既に魔群が抑えたのだ。ならばこそ、何時でもこれは軽く壊せる。だから此処に壊してしまおう。

 

 そうすれば、嗚呼、奴らはどんな顔をするだろうか。逃げ場もない虚無に飲まれて、今の自分以上に苦しみ悶えて死ぬのだろう。

 故に魔群は邪笑を浮かべる。父より教わった類稀なるハッキング技術を駆使して、カ・ディンギルに毒を仕込む。

 

 コワレロ。コワレロ。コワレロ。コワレロ。無数の呪詛を紡ぎながらに、自壊プログラムを組み上げて――扉が開いた。

 

 

「クアットロ。君に伝える事がある」

 

 

 その先に居たのは、赤毛の少年。目の下に濃い隈を刻んだ、目付きの悪い一人の槍騎士。

 たった一人で近付いて来るエリオの姿に、一体何の用なのかとクアットロはその手を止める。

 

 

「エリオ? 今忙しいのよ。だから、後に――」

 

「気にする事はないよ。直ぐに終わる」

 

 

 今は忙しいのだ。だからお前で遊んでいる暇はないのだと。

 そんなクアットロの言葉を途中で遮って、直ぐに終わるとエリオは嗤った。

 

 一体何なのか。一体どういう心算なのか。クアットロは不快を抱く。

 それでもそれ以上の思考が出来なかったのは、痛みによって鈍っていたからか。

 

 彼女は其処に、致命的な見落としをしていた。その見落としに気付けずに、それでも女の本能が此処に警鐘を立て始めていた。

 

 

「伝えるべきは、唯の一つ。たった一つの言葉だからさ」

 

 

 何かがおかしい。何がおかしい。この疑問は何故か、無視してはいけない様に感じている。

 何がおかしいのか。何がズレているのか。痛みに鈍り憎悪に歪んだ思考を如何にか動かして、直前にその事実に気付けた。

 

 

(赤、毛? ……アギトちゃんが、いない!?)

 

 

 今のエリオ・モンディアルは、アギトが居なくば命を繋げない。だからこその常時ユニゾン。

 だと言うのに、彼は今ユニゾンをしていない。そうだと言うのに、当たり前の様に生きている。

 

 其処に何かがあるのだと、気付いた時にはもう遅い。エリオは既に、弾ける様に駆け出していた。

 足に雷光を纏って、光の如き速度で接近する。思考に沈んでいたクアットロが気付いた時には、その顔を掴む様に五指を開いた掌が近付いていて――其処に、黒い炎が灯っていた。

 

 

「もう、お前は死んで良い――無価値の炎(メギド・オブ・ベリアル)

 

 

 クアットロの頭部を掴んだ右手から、腐った炎が燃え上がる。

 黒く黒く黒く黒く、全てを無価値に穢し貶める炎が燃え上がり、クアットロの全てを焼いた。

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ァァァァァァァァァァァァァァァァっ!?」

 

 

 腐る。腐る。腐る。腐る。腐食しながら燃え続ける炎は延焼し、侵食しながら拡大する。

 この炎は、不死と言う概念すらも焼き尽くす物。繋がる部位を介して、何処までも対象を追い続ける力。

 

 早く切り落とさなくては、次元世界中に満ちた蟲の全てが腐滅する。

 如何にか傷口を取り除かなくては、このまま全てが炎に飲まれて消滅する。

 

 そうと分かっているのに、激痛と苦悶と恐怖と困惑に満たされた自我が動けない。

 早く早く早く早く、生きる為には逃げなくては。そうと思っているのに、何故なのだと言う思考に邪魔される。

 

 そうして、僅か数秒――エルトリアを崩壊させんとした魔群は、無価値の炎に堕とされた。

 

 

「ではな、塵芥。此処から逃げ延びる算段があるかどうかは知らないが、正直もうどうでも良い」

 

 

 二百二十万の軍勢から、特定事象のみに干渉する歪みを引き出し混ぜた。そんな今の無価値の炎は、クアットロだけを焼き尽したのだ。

 次元世界に満ちていた全て。魔群の奈落さえも焼き尽くして、それでもあの生き汚い奴ならば生きているかも知れない。エリオの知らない生存法があるかもしれない。

 

 だが、そんな事はもうどうでも良い。アレは此処で理解した筈だ。もう二度と、エリオ・モンディアルには抗えないと。

 

 

「一秒後には忘れてやるから、何も遺せず腐滅しろ」

 

 

 ならば、魔群は取るに足りない塵芥。記憶しておく価値すらない。

 クアットロが操作していた端末を槍で切り付け破壊すると、エリオは白いコートを翻す。

 

 目指すべき場所は一つ。愛しい家族が囚われた、あの扉の向こうへと。

 

 

〈しかし、お前もイカレているなぁ。相棒〉

 

「何がだ。ナハト」

 

 

 彼女の下へと向かう途中に、内なる夢より悪魔が湧き出す。蘇った悪魔はナハト。無価値を意味する失楽園の悪魔である。

 エリオが為した事は単純だ。己を形成する二百二十万の魂。その意識で夢の世界を紡ぎ上げ、其処に悪魔を呼び出したのだ。

 

 夢界の支配者と化した彼と、其処に生まれた悪魔の関係は嘗てとは違うだろう。

 命綱を握る側が入れ替わる。明確な自己を手に入れたエリオはもう、一人で生きていけるから。

 

 だが、だからこそ、ナハトは嗤う。己を取り戻した事は、不要なリスクだと告げる。狂気の沙汰だと嗤うのだ。

 

 

〈折角俺から逃れられたと言うのに、また奈落から呼び出すとは。他に手段がなかったのかもしれんがね。これをイカレていると言わずに、一体何と言う?〉

 

「何だ。そんな事か」

 

 

 甦れば必ず、宿主を憑り殺す。この怪物に感謝の念は欠片もなく、当然殊勝な思考もない。

 決して繋げぬ反逆者。かく在れと望まれ、かく在るだけの無価値の悪魔。ナハト=ベリアルがそうであると、エリオは既に知っている。

 

 だからこそ、彼はそんな事かと鼻で笑った。そうとも、反逆は最初から想定内。そんなナハトだからこそ、エリオは此処に取り戻したのだ。

 

 

「覚悟の上だ。ナハト=ベリアル。それにな。僕が目指す新世界に、お前と言う悪性は必要だ」

 

〈ふむ。その心は?〉

 

「何、単純な話さ。神とは、その世界で誰よりも模範とならねばならない存在だ。僕が目指した自己超克。その世界で誰よりも、僕は努力を続けなければならない。そうでなくば、一体誰が共感してくれると言う」

 

 

 想いを流れ出させる神は、誰よりもその想いに真摯でなければならない。そうでなければ嘘であろう。

 それがエリオの思考であって、だが何時までもそう願い続けられる保証がない。折れる心算など欠片もないが、人は確かに変わる者。自己を過信したままに、対策一つ取らぬは愚の骨頂。

 

 

「それでも、人は弱いと知った。疲弊し摩耗し、心は変わると知っている。ならばそう。外因が必要だ。そうとならない為に、内部に浄化機構が必要なんだ」

 

 

 必要なのは浄化の仕組み。己が決して鈍らぬ為に、反逆者を内に飼う。それがエリオの求めた理由。

 全てを台無しにする悪魔が居ればこそ、神には決して怠惰が許されない。鋼の意志で進む為に、安全装置としてナハトを求めた。

 

 

「お前はそれだよ。神に敵対する簒奪者(ナハト=ベリアル)。僕が鈍ったと思えば、一切合切全て灰にしろ。隙を晒したならば全てを奪え。そう言う切迫感があればこそ、僕が鈍る事はない」

 

〈成程、己の理想の為にか。確かにそれは理に適っているんだろうがね。しかし、やはりイカレていると――〉

 

「それとね。ナハト」

 

 

 それが理由の一つであって、しかし理由の全てでない。理由は合理一辺倒だけではない。

 狂念を否定し嘲笑しようとしたナハトに向かって、エリオは呟く様にその想いを零すのだった。

 

 

「君がいないと、少し寂しい」

 

 

 ずっとずっと、泥の底から一緒に居た。其処に愛はないと知っても、其処に自己がないとしても、ずっと傍に居た唯一つ。

 失ってから、感じたのは寂しさだ。解放の事実に歓喜はなく、相手が己を塵の様に扱ったとて関係ない。感じた想いは、揺るがぬ事実だ。

 

 エリオは寂しかった。悲しかったのだ。だから、理由を付けて彼を呼び戻した。

 態々夢界を形成し、己の内に悪魔を作った。その本当の理由は、そんな子供の駄々でしかない。

 

 

〈…………〉

 

 

 そんな彼の感情に、思わず悪魔も呆気に取られる。何を言われているのか分からずに、僅か思考が停止した。

 だが、それも一瞬。言われた言葉と想いの意味を理解すると、ナハト=ベリアルは堪え切れないとばかりに嗤い始めるのだった。

 

 

〈クククッ、クハハッ、ハハハッ、アーッハハハハハハハハッ!!〉

 

「そんなに嗤うな」

 

〈無理を言うなよ。これを嗤わずに、何を嗤えと言うんだ気狂い野郎(ソドミー)。腹が捩れる。引き裂けそうだ。不死身の悪魔がこれで死んだら、一体どうしてくれると言う!?〉

 

「……お前を呼び戻した事、正直今、凄く後悔してるよ」

 

〈おいおい、クーリングオフはナシだぞ? もう後悔しても遅い。ずっと付き纏ってやる。奪ってやるさ。愛してやるよ。理想に最も近付いた日に、お前の世界を台無しにしてやろう〉

 

 

 誰でもない悪魔は嗤う。他の誰でもない、悪魔が感じた歓喜に嗤う。

 嗚呼、これが一時の夢であろうと構いはしない。己の全てを以ってして、求められた様に彼を愛そう。

 

 そうとも、悪魔の愛は歪んでいる。腐った臭いがするその情で、お前の全てを穢し貶める。その日が訪れる時までは――

 

 

〈仰せのままにさ。俺の相棒(マインマイマスター)。俺はお前の為の悪魔となろう〉

 

 

 新たな神よ。ナハト=ベリアルは、お前の忠実な配下であろう。理想郷に至るまで、お前を助け続けよう。

 この全てを以ってして、お前が望んだ様に神座を捧げよう。そしてその最期、与えられた愛を破滅と言う形で返すとしよう。

 

 誰でもない悪魔は此処に、誰でもない己自身に誓いを立てた。

 そんなナハトを内に抱えて、エリオ・モンディアルは更に奥へと進んでいく。

 

 その途中、扉へと辿り着く直前。エリオは其処にそれを見付ける。

 女の臭いがこびり付いた小さな子供。白濁する液体に穢された、嘗て憎んだ男の残骸を。

 

 

「スカリエッティの残骸、か」

 

「わた、ぼ、くは、すすすかりえ――」

 

 

 目を向けられて、声を掛けられて、壊れた人形の如くに言葉を漏らす。

 繰り手が既にいない以上、これは最早中身の欠けた残骸だ。故にこそ、エリオは静かに槍を取り。

 

 

「哀れんでやる故もない。だから、もう死んでおけ」

 

 

 一閃。一息の内に首を落とす。そうして転がる頭部を踏み付け、柘榴の如くに踏み潰した。

 同時に力を行使して、その知識だけを奪い取る。最早用済みとなった残骸に振り返る事はなく、更に奥へと歩を進めた。

 

 そうして、彼は漸く辿り着く。鎖に閉じられた扉の前へ、エリオは漸く辿り着いた。

 ストラーダを手に握る。ふうと息を吐き、眼を見開いて振り下ろす。扉を閉ざす錠前は、抵抗すら出来ずに弾けて飛んだ。

 

 左の手で、扉を強く押す。勢い良く開かれた鉄の扉。その先には、座り込んだ一人の少女。

 食事も水も最小限。生きていける分しか与えられてはいなかった。そんな窶れた少女の下へと、エリオはゆっくりと近付いていく。

 

 そうして、その傍らに膝を付く。折れそうな程に儚い身体を、彼は優しく抱き上げた。

 

 

「イクス」

 

「エリ、オ?」

 

「遅くなって御免ね。けど、助けに来たんだ」

 

 

 曖昧な思考。微睡む視界で、少年の姿を見上げるイクスヴェリア。

 抱き締めた愛しい命。抱擁すれば砕けてしまいそうな、そんな彼女にエリオは優しい笑みを返した。

 

 そうして、彼は一度目を閉じる。為すべき事は唯一つ。故に今は忠実なる悪魔に向かって、一つそれを命じるのだ。

 

 

「ナハト」

 

〈アイアイ〉

 

 

 軽い応えと共に、黒い炎がイクスを包む。全てを穢し貶める炎は、しかしイクスの身体を焼かない。

 燃やし尽くすのは、エリキシルの毒素のみ。クアットロが遺しただろう、全ての仕込みを此処に消し去る。

 

 念入りに、執拗に、何一つ残しはしないと。そうして炎が消えた後、微睡む彼女に優しく告げた。

 

 

「少し寝ていて。目が覚めた時には、君を傷付けるモノは何もない」

 

 

 此処に全て、決着を付けると改たに誓う。優しく撫でる手の熱に、微睡む少女は安らいだまま目を閉じた。

 

 

「生きて、幸せになってくれ。僕が君に願うのは、たったそれだけの事だから――」

 

 

 眠りに落ちるイクスヴェリアに、一つ想いを言葉と伝える。

 そうして彼女が眠った事を確認すると、エリオはその顔付きを厳しく変えた。

 

 

「手を貸せ、グランツ。失敗なんて許さない」

 

〈やれやれ、行き成りプレッシャーが大きい話だ。けれどまあ、頑張ってみようか〉

 

 

 ベルゼバブを焼いた以上は、イクスヴェリアの命は持たない。その身は緩やかに機能停止に向かっている。

 そんな事、エリオ・モンディアルは許さない。此処まで来て、そんな終わりなど認めない。だからこそ、グランツ・フローリアンを取り込んだのだ。

 

 彼の専攻は機械工学。イクスの治療とはズレてはいるが、それでもエルトリアの基礎技術力はミッドチルダの比ではない。

 そんなエルトリアでも最高峰の一人。ギアーズを介して、生体にもある程度の知識がある権威。スカリエッティの残骸から奪った記憶が其処に加われば、救えないと言う道理がない。

 

 

〈生体用の培養槽は……確かカ・ディンギルの地下にあったね〉

 

「なら、降りるよ」

 

 

 階段や屋内転移装置を探すのが手間だ。そう感じたエリオは、槍を地面に突き刺し穴を空ける。

 カ・ディンギル内の螺旋階段。その中枢空間に地下まで続く穴を空けて、エリオは最上階から飛び降りた。

 

 地下へ、下へ、底へ、其処へ――今度は誰かを救う為、底へ底へと堕ちていく。揺らぐ心など、最早ない。

 

 

 

 

 

 中央塔はカ・ディンギル。その中腹に位置する場所で、女は一人囚われていた。

 牢に囚われている訳ではない。鎖に繋がれている訳ではない。それでも女に自由はない。

 

 クアットロに軟禁されて、与えられた役割は彼女が面倒だと思う作業の代行。

 その為だけに生かされていた、使用済みの胎盤。紫髪の知的な女性、ウーノ=ディチャンノーヴェは声を聞いた。

 

 

「んしょ、んしょ」

 

 

 白痴と化したアストの世話役。それだけが残った役割だから、此処に来るのはアストかクアットロのどちらかだけ。

 そんなウーノが耳にしたのは、久しぶりに聞く少女の声。掌サイズの小さな少女が、その体積よりも大きなモノを抱えてやって来ていた。

 

 

「よっこらしょっと。ふぃ~、疲れた~」

 

 

 人の腰より低い場所を、低空飛行しながらやって来た少女。アギトは荷物を降ろすと、近くの床にペタンと座る。

 彼女が持って来たモノの内一つ。予想外のそれに目を丸くしながら、ウーノ=ディチャンノーヴェは烈火の剣精に問い掛けた。

 

 

「烈火の剣精? 何故、此処に」

 

「郵便と伝言。兄貴からさ」

 

 

 アギトが引き摺る様に持って来た大きな袋。その中に入れられたのは、とても小さな一人の少女。

 未だ眠り続けるアスタロスを抱き上げるウーノを見上げて、連れて来た少女は主の声真似をしながらに伝言を語るのだった。

 

 

「アスト。君は塵屑だ。だから興味も湧かないし、好意も抱かない。どうでも良いから、適当な所で勝手に幸せになれば良い。……だってさ」

 

 

 へへっと鼻の頭を擦って、笑うアギトには主の真意が分かっている。

 どうとでもなれと言いながら、この星で一番アストを大切に想っている女性に彼女を託す。其処に情がない筈ない。

 

 そうとも、ウーノ=ディチャンノーヴェは想っている。あの日からずっと、ヴィヴィオ=アスタロスを想っていた。

 

 

――いたそうだから、いたいの、とんでけって。

 

 

 あの時点では、己も教えられていなかった正体。あの時に感じた想いを向ける幼子は、或いは唯の演技であったのだろう。

 それでも、あの日に感じた温かさは嘘じゃない。胸に迫る想いを感じたのは事実で、だからこそウーノはヴィヴィオを想っていた。

 

 想っていて、何が出来たと言う訳ではない。文字通り胎を痛めた子を奪われて、代替として求めた可能性も零じゃない。

 子を失くした母と、母の下へと帰れぬ子供。そんな二人の過ごした時間は、唯の傷の舐め合いだったのかもしれなくて――嗚呼、それでも大切な時間だったのだ。

 

 

「確かに届けたぜ。ウーノ」

 

「待って」

 

「あ? 何だよ。早く兄貴の所に帰りたいんだけど」

 

 

 渡したモノは、アストと掌大の転送装置。それはクアットロが用意していた、此処から逃げ出す為の手段が一つ。

 一体何処の座標が登録されているのか、エリオもアギトも知りはしない。それでもエルトリアから脱出する為に、使える確かな一つの道具。

 

 それを渡したのだから、己の役割は終わったのだと語るアギト。

 脱出装置とアストの身体を感謝と共に受け取りながら、ウーノはそんな彼女を呼び止めていた。

 

 

「……あの子は、どうなりますか」

 

「スカ野郎の偽物の事なら、アレはどうでも良くないんだってさ」

 

 

 呼び止めたのは、きっと母の情。触れて育てた事はなくとも、胎を痛めて産んだ相手だ。情を抱いて当然だろう。

 そんな彼女にアギトは振り返りもせずに、起きた結果を冷たく返す。問われれば伝えてやれと言われた言葉を、しかしアギトは伝えず呑み込んだ。

 

 

“クアットロと同じ様に、生きてもいない人形遊びを続ける心算か? アレを真に想うなら、救えないからさっさと殺すが情と知れよ”

 

 

 そんなエリオの零した言葉。伝えても、伝えなくても、どちらでも良いと言われたから伝えない。

 態々助けた相手に煽る様な言葉を投げる主の悪癖に息を吐きながら、アギトはふわりと宙に浮かんだ。そうして振り返らぬままに、彼女はこの場を飛び立った。

 

 

「……そう、ですか」

 

「じゃっ! もう二度と会わないだろうけど、精々元気でなーっ!」

 

 

 飛び立っていくアギトを、今度はもう止められない。だから無言で見送った。

 感謝と怒り。入り混じった複雑な情を抱きながらに、拙い母はその背中へと頭を下げるのだった。

 

 

 

 そうしてアギトは、地下へ地下へと降りていく。カ・ディンギルの底の底。

 奥深くにある培養槽。その前に立つ一人の少年の名を、アギトは歓喜を以って呼んだ。

 

 

「兄貴ーっ!」

 

 

 形成されたグランツが作業を続ける中、名を呼ばれたエリオは穏やかな笑みを浮かべて振り返る。

 順調に続く作業の中で、険を落とした優しい少年。彼は抱き着いて来る妖精の頭を、不器用な手つきで撫でるのだった。

 

 

「お使い完了、だぜッ!」

 

「ああ、ありがとう。アギト」

 

「へへっ」

 

 

 そんな少年の掌に頭を擦り付けながら、アギトは嬉しそうな笑顔を零す。

 そうして二人。暫し戯れた後で、彼らは共に視線を移す。申し合わせたかの様に、見詰める先には培養槽。

 

 緑の液体の中に、泡が僅か浮かんでいる。逆さの試験官の中に、浮かび上がるは少女の裸体。

 それを見上げる三者の瞳に、下劣な情など欠片もない。唯純粋に案じる様に、アギトは想いを口にした。

 

 

「イクス。助かるよな」

 

「そうだね。きっと、助かる。上手く行かなくても、絶対に助けるさ」

 

 

 不安げに見上げる少女を撫でて、エリオは決意を此処に口にする。

 必ず助ける。例え何をしようとも、彼女達だけは必ず救うと決めたのだから。

 

 

「上手く行かないとは、人聞きが悪いね。確かに僕の専攻とはズレるが、それでも生体と機械の融合は許容範囲だ」

 

 

 形成されたグランツは、与えられた知識を咀嚼しながら語る。

 彼にとっては不慣れな作業。人の命が掛かった神経が磨り減る作業に、しかし確かな自信があった。

 

 この程度、救えずして何がエルトリア一の研究者か。そんな意地が、彼にもあるのだ。

 

 

「君がスカリエッティの知識を奪ってくれたお陰で、僕の知識も補完された。となれば、救えない道理の方がない」

 

 

 イクスヴェリアの機能不全。それは体内のマリアージュコアと、肉体の不適合が生み出す物。機械と生体の融合に、失敗した結果である。

 生体知識が薄くとも、機械の知識はエルトリア一。その自負があればこそグランツは、マリアージュコアに干渉する。人体を上手く弄れぬならば、機械を人に合わせれば良いのである。

 

 頭の中で論理を纏めて、指を動かし作業を続ける。時間に追われる中でも確かに、救いの道筋を組み上げる。

 そうして、どれ程の時間が過ぎたか。夜が更けて、朝日が昇る頃に漸く、彼の作業は終わりを迎えた。その安定化に成功したのだ。

 

 

「これで、完了だ。マリアージュコアとの不適合は改善した。もう二度と、機能停止に陥る事はない」

 

 

 タッチパネルを操作して、試験管から水が抜け落ちる。漸く開いた培養槽へと、エリオはゆっくりと歩を進める。

 浮かんでいた少女が崩れる様に、前へ向かって倒れていく。そんなイクスヴェリアの身体を抱き留めて、エリオは噛み締める様に呟いた。

 

 

「ああ、良かった。本当に、良かった。これで漸く、君を救えた」

 

 

 抱き締めた熱に、感じる情はそれ一つ。漸く救えた命を腕に、彼の心は涙を流す。

 されど表にそれは見せない。それは唾棄する弱さであるから、エリオの表情は崩れない。

 

 白衣のコートを此処に脱ぐ。そうしてイクスに羽織らせると、彼は一つのデバイスを眠る少女の腕に巻き付けた。

 

 

「転送装置の座標指定を。イクスが起きる前に、彼女を此処から避難させる」

 

 

 そのデバイスは転送装置。クアットロが用意していた逃走手段の内一つ。

 これよりこの地は、激闘の場となるだろう。そうでなくとも、クアットロの仕込みがまだあるかも分からない。

 

 カ・ディンギルの崩壊は食い止めたが、エリオは彼女程に機械に詳しくない。

 分からぬが故に端末を壊すと言う単純解答。それで防げぬ事態があっても、決して不思議ではないのだ。

 

 だから、イクスヴェリアは此処から逃がす。彼女が目を覚ますより前に、安全な場所へと避難させる。

 ミッドチルダは、顔が知れているから不味いだろう。故に選んだ場所は管理外世界。恐らく最後の日まで残るであろう、座に一番近い場所。

 

 第九十七管理外世界。即ち地球へ、彼女を逃がす。どうか幸せに生きて欲しい。包む白き外套に、そう願いを込めて。

 

 

「アギト。君は――」

 

「今更逃げろとか、ナシだぜ兄貴っ!」

 

 

 少女を転送する直前、掛けようとした言葉をアギトに阻まれる。

 此処まで来て、イクスと逃げろなんてナシだと。そんなアギトを見て、エリオは小さく一つ笑った。

 

 エリオにとって、キャロ・グランガイツは道を指し示した恩人だ。

 エリオにとって、イクスヴェリアは命に代えても守り通さねばならない家族だ。

 ならばエリオにとって、アギトとは何か。決まっている。背中を預け合う相棒だ。

 

 

「……ああ、そうだね。なら一緒に行こうか、最期の時まで」

 

「うんっ!」

 

 

 だから、その手を取って一緒に行こう。転送の光に背を向けて、エリオは一歩を踏み出した。

 

 

 

 中央塔。王座の塔に作られた螺旋状の階段を、一つ一つと登っていく。

 底から上へと這い上がる様に、エリオ・モンディアルはゆっくりと踏み締めながら上に行く。

 

 傍らには小さな妖精。内側には二百二十万の同胞達。彼らが夢見た悪魔の王。

 喧々囂々。新世界について喧しく議論している彼らを抱えて、罪悪の王は空を目指す。

 

 ゆっくりと、ゆっくりと、段差を一つずつ登っていく。

 這い上がるのは何時もの事。底から見上げるのは何時もの事。嗚呼、だからこそ、この符号に笑みを零す。

 

 

「遅かったじゃないか……目的は既に果たしたよ」

 

 

 最後の段差を登り切り、辿り着いたのは一階部分に広がる大きな空間。

 まるで古代の決闘場。そう思わせる舞台の上に、下から登って来た赤毛の少年。

 

 エリオ・モンディアルは空を見上げる。其処に討つべき敵を認めて、彼は空を見上げていた。

 そしてその想いに寸分たりとも違う事なく、二階部分の大窓が音を立てて崩壊する。外から飛び込んで来たのは、蒼い瞳を持つ宿敵。

 

 

「運命も宿命も策謀も、最早何一つ取るに足りない。残るは唯、重ねた想いの幕引きだ」

 

 

 何時だって、彼は遥か高みから。何時だって、彼は遥か地の底から。

 互いを憎み、恨み、羨みながらに焦がれていた。そんな彼らは互いに向かって、互いの武器を手に取った。

 

 リアクト・オン。ユニゾン・イン。語る必要もない言葉の後に、蒼銀は鉄の騎馬より飛び降りて、黄金はそれを迎え撃つ。

 

 

「僕が生きた証を、君に刻もう。君が生きた証を、僕に刻もう。勝者と敗者、生者と死者、其処に全てを託し遺して逝く為に――」

 

「此処に、お前を乗り超える。もう誰にだって邪魔はさせない。此処が俺達の、最期の舞台っ!!」

 

 

 蒼銀の銃剣。黄金の魔槍。音を立ててぶつかり合う。ぶつかり合った両者は此処に、弾かれる様に共に跳ぶ。

 互いに後方へと飛び退いて、互いの武器を相手に向ける。睨み合い、憎み合い、奪い合う。此処に決めるはどちらが上か、誇りと命を掛けた決着。

 

 

「行くぞッ! エリオォォォッ!!」

 

「決着を付けようッ! トーマァァァッ!!」

 

 

 最早此処に来て、妨害などはあり得ない。誰一人として、彼らに割り込む事など許されない。

 遥か世界の彼方。世界の中心から最も遠いこの大地。されどこの舞台こそ、間違いなく世界の中心。

 

 次代の神を定める決闘。これこそが最期の決闘。宿敵二人は今日この時に、全ての決着を付けるのだ。

 

 

 

 

 




エリ・O「遅かったじゃないか……尻を貸そう。ゲイヴンとして生きた証を、ハメさせてくれ」

何故かACの弱王さんのシーンが頭を過った為、終盤の台詞はちょびっとオマージュ。


やるべき事を終えた宿敵に、漸く追い付いた少年。二人の決着を付ける為の戦いが今、始まります。




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神産み編第五話 決着

五飛教えてくれ、俺は一体何処で話を区切ればいい? 一体どのタイミングで筆を置けば、勢いを切らずに上下編に出来たと言うんだ。ゼロは俺に何も言ってはくれない。教えてくれ、五飛!

そんな訳で、多分過去最高の文章量になった今回です。



1.

 今にして思えば、その出逢いこそが始まりだったのだろう。

 蒼銀を纏った黒き騎士。黄金に輝く黒き騎士。二つの黒は睨み合い、己が旅路を振り返る。

 

 初めて邂逅した場所は、人の狂気が渦巻く地獄。蠢く衝動に犯されて、獣と化した人の群れが共食いしていた地獄の釜。

 第三管理世界ヴァイセン。鉱山街を見下す小高い丘の上、少年達は其処で出会った。彼らの宿命が始まったのは、あの日あの時からだった。

 

 蒼銀は想う。あの日以前の己は、決して生きてはいなかった。呼吸していただけ。生命活動していただけ。

 彼は天より墜落した神の半身。内なる魂は決して己の物ではなく、なればこそ死んでいなかっただけの人形だった。

 

 黄金は想う。あの日以前の己は、決して生きてはいなかった。生きていたなどと、胸を張っては誇れない。

 何処へも行けず、誰にも頼れず、さりとて無頼を貫くだけの力もない。与えられた指示に従うだけで、どうして己を人と騙れよう。

 

 

「エェェェリィオォォォォォッ!!」

 

「トォォォゥマァァァァァァッ!!」

 

 

 銃剣を振るう。魔槍を振るう。激突する意志は鋭い殺意を伴って、されどこれは全て小手調べ。

 軽く探りを入れる様に、振るう連撃に特異な力は何もない。唯純粋な技巧と身体能力で以ってして、先ずは場の優位を確保する。

 

 故に加減は当然だ。初手を探りと決めたなら、流れが変わるまでは流す様に武威をぶつけ合うが道理であろう。

 されど彼らはその常道を、分かっていながら無視している。軽く手を抜くとは何だと、そう言わんばかりに互いの武技が速度を増す。

 

 さながらラッシュの速さ比べ。彼より早く、奴より早く、振るわれる体技は気付けば何時しか全力だ。

 これは意図した結果じゃない。大きく変じた互いの性能、その調査の為に武器を合わせる。そうしている内に、我慢が出来なくなっただけなのだ。

 

 ある程度見抜いたならば、其処で次に移るべきだろう。相手の強みと自己の強みを判断して、次に繋げる為のこれは探りだ。

 そうでありながら、そうと分かっていながら、ああしかし――例えそれが勝利の為に必要なのだとしても、この男を前に自分から退くのは屈辱なのだ。

 

 だから退けよ。お前が退けよ。そんな風に意地を張りながら、殺意が籠った武器をぶつけ合う。

 常人では目が追い付かぬ程の競い合い。素の体力と体術のみで常軌を逸しておきながら、彼らの内面はまるで幼い子供であった。

 

 

『お前には、お前にだけは、負けるかァァァァァァッ!!』

 

 

 殺意。そう殺意だ。この相手を前にして、両者は同じく純粋なる殺意を抱いている。

 これは決着だ。これこそが決着だ。なればこそ、その結末はどちらかの命の終わり以外にない。

 

 そうとも、分かっているとも理解している。目の前に立つ宿敵は、決して相手を許容しない。

 認める事は出来るだろう。称える事は出来るであろう。だが共に天を頂かず、互いが生きている限り永劫対立し続ける。

 

 仮に生かして帰したならば、必ずや再び立ち上がり道を阻むであろう。そういう信頼にも似た確信を、両者共に抱いている。

 故にこそ、此処に決着を付ける。エリオが先に語った様に、トーマが無言の内に肯定した様に、勝者が敗者を己に刻んで進むのだ。

 

 

『オォォォォォォォォォォッ!!』

 

 

 人を殺す事は悪い事だ。誰かを傷付ける事はいけない事だ。其処にどんな理由があっても、肯定されて良い事じゃない。

 そんな事は分かっている。守る為に救う為に拳を握れと、そう教えられて来たのがトーマだ。今の自分が間違っていると、そんな事は分かっているのだ。

 

 それでも、今回限りは心の底から望んで間違える。この相手にだけは、己で選んで間違える。

 

 そうともエリオだけは特別なのだ。誰かを倒す時には必ずや何かを守り救う為にと、そう心に決めているトーマ・ナカジマ。

 そんな彼が建前を抜きに殺しに掛かる存在。あらゆる激情を煮詰めた上で、その全てを剥き出しの儘に向けねばならない相手。その例外こそがエリオ・モンディアル。

 

 何時からこうなったのか。何時の間にこんなにも重い存在となったのか。

 剣と槍と拳と蹴りと想いを一歩も退かぬとぶつけながら、互いの旅路を思い浮かべて振り返る。

 

 二度目の邂逅は彼の日――伸ばした手は何も掴めず、黒き炎が女を焼いた彼の日である。

 

 救われない女が居た。育ての父が偶然手にしたロストロギアを求めた狂人によって、全てを奪われた女が居た。

 その女を見た時、蒼銀は救いたいと願った。助けてと泣いている様だから、その涙を拭いたいと心の底から願う。だからこそ、手を伸ばしたのだ。

 その女を見た時、黄金は唯只管に後悔した。己の甘さが生み出した女の生き地獄。これ以上苦しむより前に、幕を下ろすは自分であろうと心に決めた。

 

 故にトーマは手を伸ばし、己が焼かれる事すら厭わず女の身体を抱き締めた。

 故にエリオは狂人の策謀に従って、宿敵の覚醒を促す一つの要因と言う価値を女に与えて、幕を下ろす為に槍を振るった。

 

 彼の日に起こした互いの行動。意図を通したのはエリオだが、仮にトーマが護り通していたとしても結果はそう変わらなかっただろう。

 無限蛇とは、当時の管理局が暗部であった。なればこそ、ルネッサ・マグナスに救いはなかった。上層部を相手取る力を、彼の日のトーマは持ってなかった。

 

 トーマでは守れなかった。それでも、奪ったのはエリオだ。救えないと最初から諦めて、其処に怒りを覚えない筈がない。

 今振り返っても腹が立つ。煮えくり返る程に怒りが湧いて来る。だからトーマはそれを抑え付けずに、無数の激情と混ぜて拳を握った。

 

 

「もう一度、刻めっ! これが俺の自慢の拳。繋がれぬ拳(アンチェインナックル)だァァァッ!!」

 

 

 右手に握った銃剣で魔槍を受け流し、自由な左手を握り締めると振り抜いた。

 一瞬にも満たぬ攻防の間に力を抜いて、流れる柳が如くに回転しながら放つ拳圧。

 

 師より母より、受け継いだのはこの拳。トーマにとっては一番の、最強の象徴たる(チカラ)である。

 

 

「既に、刻んでいるさっ! 嗚呼、覚えているとも、忘れはしないっ! この痛みっ! この痛苦っ! 彼の日に抱いた屈辱を、どうして忘れる事が出来ると言うっ!!」

 

 

 魔力を伴う拳圧を胸に打ち込まれ、それでもエリオは一歩も退かない。

 彼の日に感じた痛みに、彼の日の屈辱を思い出しながら、其処でエリオは一歩も退かずに踏み出した。

 

 彼の日、エリオは彼の日を忘れていない。否定し続けた絆を前に、敗れた屈辱を覚えている。

 大地の底にまで堕ちて、咄嗟に感じた怒りに身を任せてナハトを呼び出し、雨の中で泥を食んだ事さえ覚えている。

 

 彼の日の屈辱が、今に繋がる彼の芯を作り上げた。本当の意味で、誰にも頼れないと確かに彼の日に理解した。

 故に手にした無頼の感情。エリオが辿り着いた解答。誰にも頼れないならば、誰にも頼る必要がない程に、誰よりも強くなれば良いのだ。

 

 降り頻る雨の中、首輪の痛みと嗤う悪魔の声に泥を食む。情けなさと屈辱に身を焦がしながら、煌く星を目に焼き付けた。

 だからこそ忘れない。彼の日の痛みを覚えている。この一撃を覚えていればこそ、退くに足る理由はない。恐れ戦いてはならぬのだ。

 

 

「返すぞッ! トーマッ!!」

 

 

 最初に魔法を使ったのはお前だと、笑いながらに拳に雷光を纏わせる。

 打ち放つのは雷光一閃。二百万の知識から抜き出し補完したその一撃は、先に放たれた少年の一撃を模倣した物。

 

 紅き雷鳴の繋がれぬ拳。飛翔する拳の圧力に胸を撃ち抜かれて、トーマは僅かに仰け反った。

 されど彼も退かない。宿敵が一歩も退かなかったのだから、意地でも退く訳にはいかない。だから一歩踏み締めて、其処から更に前に出た。

 

 一歩、前に出る。互いに退かずに前に出るなら、戦場はクロスレンジからショートレンジへ。

 吐息が掛かる程に近く、肩が密着する程に近く、睨み合う少年達は此処に力を行使する。その選択は申し合わせたかの如くに、全く同じ形となった。

 

 

「ディバインバスター」

 

「フォトンランサー」

 

『ファランクスシフト!!』

 

 

 自分さえも巻き添えにして、放つは広域殲滅魔法。ショートレンジから選ぶなど、本来あり得ぬ愚行の極み。だが道理に合わぬ事をすればこそ、この宿敵の度肝を抜けよう。

 僅か一瞬にも満たぬ判断で、出した解答は全く同じ。そんな偶然の一致に共に笑みを浮かべて、だが同時に気に喰わないと犬歯を剥き出し、殴り合いを続けながらに揃って光に飲み込まれた。

 

 360度、隙間なく包み込んだ光に飲み干される。絶え間なく降り注ぐ蒼と黄の色。殺傷設定の連続放火に晒されながら、それでも踏み込み拳を振るう。

 骨が折れて、血反吐を吐いて、そんな傷がすぐさま塞がる。狂人が作り上げた神座技術の再現。第三と第四の再現技術を宿した彼らの命に、この程度で届きはしない。

 

 なればこそ歓喜を浮かべて、だからこそ憎悪を燃やして、血で血を洗う闘争は止まらない。

 剣を槍を拳を蹴を、意地と魔法をぶつけ合いながらに加速する。互いの切り札こそまだ出してはいないが、それでも彼らは全力だった。

 

 痛みと共に、思い出すのは三度目の邂逅。互いの魔法に傷付きながら、殴り合う少年達は己の旅路を振り返る。

 

 一度目の出逢いが宿命を生み、二度目の邂逅がエリオに痛みを刻んだ物なら、三度目のそれはトーマにとっての変換点。

 信じた仲間と共に前に進み続けて、一歩一歩と泥臭くも歩き続けて、しかしそれでは届かないのだとこの宿敵に刻み付けられた。

 

 後の迷走。後の後悔。続く恐怖と混乱を、生み出す因となったその一件。

 鳴り響いたファーストアラート。其処から続いた苦難の記憶を、トーマは胸に刻んでいる。

 

 

「オォォォォォォォォォォッ!!」

 

 

 故にもう退くものか。故にもう逃げ出すものか。もう二度と、敗れて倒れるなど許容出来るか。

 そうとも己は負けられない。負けはしないさ。負けるものかよ。その一念を以ってして、トーマはエリオを押し切った。

 

 単純な力押しで僅か上を行かれた。誤差に過ぎない差異だとしても、力比べに敗北した。

 その事実に歯を噛み締めて、それでもそれで終わるエリオじゃない。押し切られた少年はその勢いに任せて距離を取ると、槍を真横に大きく構えた。

 

 

「押し潰すっ! 合わせろ、アギトッ!!」

 

〈任せろ兄貴っ! 行くぜっ!!〉

 

『火竜、一閃っ!!』

 

 

 内なる愛しい少女と共に、放つは火竜の吐息が如き一閃。槍に纏った炎を伸ばして、全てを焼き尽さんと薙ぎ払う。

 撓る鞭を思わせる様な炎の軌跡は、閉鎖空間をあっさりと呑み込む。逃げ場がない程に全てを、炎の赤が染め上げた。

 

 密閉空間で炎に焼かれる。この光景は、四度目の邂逅を思わせる。炎の津波を前にした、彼の日と同じ情景だ。

 されど彼の日とは違う。逃げ惑うしかなかった当時と異なって、トーマの元にはリリィが居る。ならば火竜の息吹であっても、恐れるには足りぬのだ。

 

 

「纏めて吹き飛ばすぞっ! リリィっ!!」

 

〈うん。一緒なら、許すから。トーマッ!!〉

 

『シルバー・スターズ・ハンドレッドミリオンッ!!』

 

 

 迫る火竜を前にして、トーマの周囲に無数の紙片が浮かび上がる。形成された銀十字の頁は、砲火を放つ彼らの武器だ。

 総数一億。ハンドレッドミリオンと語る様に、途方もない光の砲火が周囲を吹き飛ばす。火竜の息とて例外ではなく、その膨大な数に散らされた。

 

 これがトーマとリリィの強さ。手を取り合えば、どんな障害だって乗り越えられる。そんな事、エリオも既に知っている。

 故に火竜の吐息は布石だ。乗り越えられると分かった上で、彼らは既に飛び出している。炎の翼を爆発させて、紅蓮の中を進んでいたのだ。

 

 

『オォォォォォォォォォォッ!!』

 

 

 トーマとリリィは確かに強い。その絆を確かに認めて、しかしエリオとアギトだとて劣っていない。

 己達の方が強いのだと、そんな自負と共に槍を振るう。咄嗟に銃剣で受け止めたトーマは、しかしその踏み込む速度に押し負けた。

 

 素の性能差。足を止めての腕力は、確かにトーマの方が僅かに上であろう。

 だが、その速力ならば結果は真逆だ。異能の混じらぬ速度の差ならば、エリオの方がほんの僅かに上なのだ。

 

 そうとも、何時だってエリオの方が速かった。先に進むのは常に、彼の方が速かった。

 五度目の邂逅。崩れ落ちるアグスタを前にして、選ぶ道を決めたのは彼の方が先だった。

 

 迷い続けるトーマを他所に、足踏みを続ける彼を置き去りに、一足飛びに駆け抜けるのがエリオであるのだ。

 

 僅かな速力差に、爆発する炎の力も加えた突進。それは最早、咄嗟に振り上げた銃剣だけで、受け止められる様な圧ではない。

 まるで車に轢かれる様に、トーマ・ナカジマは吹き飛ばされる。宙で身体を捻って衝撃を受け流しながら、着地した少年の顔は悔しさに染まっていた。

 

 一進一退の攻防。結果は五分だがなればこそ、勝っていた所から引き摺り降ろされた事が心底悔しい。

 相手は退いたが、自分は退いていなかった。そんな下らない事に拘るからこそ、両者は真逆の表情を浮かべてしまうのだ。

 

 

「異能なしじゃ、完璧に五分か……」

 

 

 力は僅かにトーマが、速さは僅かにエリオが、だがその違いは誤差の領域。殆ど変わらぬ差異である。

 耐久力と再生力は拮抗していて、一撃二撃じゃ決め手にならない。このままでは埒が明かないと、両者は共に理解した。

 

 

「このままでは埒が明かない。ならば次のラウンドに、異能のぶつけ合いへと移るべきだろうけど――」

 

 

 笑うエリオは語りながらに上を見上げる。ボロボロと音を立てて、周囲の壁が崩れ始めていた。

 

 僅か数分にも満たぬ闘争。異能の混じらぬ純粋な魔法戦闘。だがそれでも、両者共に神域手前。となればその戦闘被害は、並大抵の物ではない。

 まるで大規模な自然災害。それ程凄まじい力が、余波として周囲に飛んでいた。なればこそ、カ・ディンギルでは持たない。この中央塔の闘技場では、彼らの決着には狭いのだ。

 

 

「此処では些か、手狭だね」

 

「なら場所を移す。それだけだろっ!」

 

 

 嗤う様に、怒鳴る様に、互いの感情の儘に言い放った言葉と意見は一致する。

 此処では狭いと、両者が同時に感じたのだ。故に申し合わせる必要もなく、両者揃って同じく動いた。

 

 目指すは中央塔の出入り口。巨大な扉に向かって、宿敵を睨みながらに走り出す。

 進行方向を見ずに敵を見詰めて、同等の速度で並走しながら扉を壊す。そして広がる荒野の先へと、彼らは躊躇もせずに飛び出した。

 

 場所を変えての第二ラウンド。ならば攻撃手段も此処に、先とは一変させるべきだろう。

 荒野を二人で並走しながら、睨み合う敵を前にエリオは嗤う。先手を取るのは何時だって、己であると嗤っていた。

 

 

「来いっ! 夜天の守護騎士(ヴォルケンリッター)っ!!」

 

 

 走り続けるエリオの背から、三つの影が飛び出し翔ける。

 空を飛ぶのは夜天の守護騎士。彼らは己が武器を手にして、主の敵を討たんと咆哮した。

 

 カ・ディンギルから遠のく様に、エリオと並走し続けるトーマは迫る女達を睨む。

 主の敵を倒すのだと、己の願いを叶えるのだと――そんな死者達を前にして、トーマが躊躇う理由はない。

 

 

死想清浄(アインファウスト)諧謔(スケルツォ)ッ!!」

 

 

 死人は死んでろ。死者が墓から戻るなよ。浄化の蒼い風が吹き抜けて、夜天の騎士らを一蹴する。

 所詮彼らは死んだ者。一度命を終えた者なら、今のトーマを前に立てない。それが明確な相性による差と言う物だ。

 

 そして影響はエリオにも、彼も一度は死んでいる。奈落に繋がる前の人体実験で、確かに命を落としている。

 ならば当然、この法則からは逃れられない。蒼い風に肌を焼かれながらに押し潰されるエリオは、このまま崩れ落ちるしか術はなく――否。

 

 

「――舐めるなよ、トーマ! 僕は今、生きているッ!!」

 

 

 浄化の法則をその身に喰らって、消え去らないのはエリオの意地。

 気合一つで痛みに耐えて、揺るがぬ意志で道理を乗り越え、此処に不可能を踏破する。

 

 そうとも相性の悪い能力を前にしただけで止まってしまうなら、一体どうして神座に辿り着けると言うのか。

 

 

「死んでろと言われて、素直に頷くならば、此処に立っている道理がないッ!!」

 

 

 内に宿した魂の数と質。その格と己の意志で、再誕否定の法則に真っ向から耐え続ける。

 痛みは感じる。弱体化は避けられない。それでもこれでは終わらぬのだと、叫ぶエリオは此処に力を行使した。

 

 

「夜天の騎士共っ! 僕の中から力を示せっ!!」

 

 

 浄化の風を前に、形成された死者は抗えない。されどエリオの体内でなら、その大前提も覆せる。

 エリオ自身が蒼風に対する壁となるのだ。その血肉と器を鎧に変えて、内部展開した力を己に上乗せする。

 

 烈火の将が炎熱変換。湖の騎士の強化魔法。鉄槌の騎士が攻城能力。全てを己に上乗せして、エリオは此処に大地を踏む。

 上乗せする力はそれだけではない。狂気の母性が紫電の光。狂愛放蕩絶望が持つ急段を更に加えて、放つは全力全開総軍アタック。

 

 

「打ち砕かれろォォォッ! トォォォマァァァァァッ!!」

 

 

 迫る黄金の全力攻撃。鬼気迫る程の圧を前に、諧謔の弱体化では間に合わない。

 故にトーマは剣を手にする。弱体化を続けながらに、もう片方に掴んだ物は加速の法則。

 

 

美麗刹那(アインファウスト)序曲(オーベルテューレ)っ!!」

 

 

 総軍の攻撃を受ければ、トーマであっても身体が持たない。故に選ぶは回避一択。

 蒼風で総軍を弱体化させながら、己の速度を加速させて距離を取る。弱体化させて、隙を突こう。そんな選択は――

 

 

「だから、舐めるなと言ったァァァァァァッ!!」

 

「――っ!!」

 

 

 エリオ・モンディアルには通じない。片手に握った小さき剣で、罪悪の王は倒せない。

 

 

「そんな片手間の願いでっ! そんな薄っぺらい深度でっ! 僕らを相手取れると思うなっ! 不愉快だっ!!」

 

 

 二つの祈りを同時に使うトーマを前に、総軍を束ねたエリオは我意を貫き通す。

 加速の理の速度を超える程に加速して、清浄の弱体化すら取るに足りぬと踏破して、その手の槍を振り下ろす。

 

 この結果は当然だ。理屈を問うまでもなく、それは余りに明確な理由。

 トーマは一人で、二つの祈りを使っている。エリオは二百二十万人を従わせて、彼らに力を使わせている。要は純度と深度の違いである。

 

 複数の渇望をたった一人で同時に展開すると言う事は、一つの願いを重視していないと言う事と同義だ。片手で祈った願いなど、其処に重さの欠片もない。

 たった一つの自己でたった一つの願いを想うから、その願いは渇き飢える程に重いのだ。それ故に同時発動など、所詮は大道芸の域を超えない邪道の力だ。

 

 同じく複数の力を使いながら、トーマが押し切られる理由がそれだ。相性の悪ささえ覆す理屈がそれだ。

 総体となる数が違う。祈りを抱いた数が違う。トーマの半分の祈りでは、この総軍は超えられないし崩せもしない。

 

 

「くっ! なら――!!」

 

 

 全霊の一撃を躱せずに押し潰され掛けながら、トーマは己の愚策を理解する。

 理解して、そのままでは終わらせない。愚かと分かったならば、即座に改善すれば良いのである。

 

 同時発現では対応出来ない。故にトーマは願いを絞る。序曲か諧謔か、どちらかならば選ぶは一つ。

 

 

「美麗刹那・序曲。最大出力だぁぁぁぁっ!!」

 

 

 如何に最良相性だろうと、弱体化だけでは届かない。弱らせるだけでは、この宿敵は気合と意志で踏破しよう。

 故に選択すべきは、速度に絞った一点強化。何処までも深くたった一つを祈る事で、膨大な軍勢と言う総数を此処に引っ掻き回す。

 

 

「ちぃぃぃっ!!」

 

 

 速度に絞った強化に対し、次に遅れを取ったはエリオであった。

 それは先の道理の跳ね返し。たった一つの純度に対し、総数を束ねる王意が届いていない。

 

 二百二十万の軍勢。その一つ一つの質が、トーマに比すれば劣っている。想いの純度で届いていない。

 その上、エリオの使い方が問題だ。内に宿した彼らの力を、己の身体を通して顕現する。そのやり方が問題なのだ。

 

 例え全てを統べる王でも、従える者らと同一ではない。祈りも願いも異なる他者だ。他人と言う余分があれば、劣化するのは当然だ。

 なればこそ、同調率と言う物が生まれている。何処まで力が使えるかと言う相性がある。だがどれ程に共感しようとも、本人が用いる願いに比すれば必ず劣化する。

 

 光の後が残って残像が見える程に、無限に加速を続けるトーマ・ナカジマ。

 その動きに対処し切れずに、エリオ・モンディアルは削られて行く。一点突破の願いが此処に、膨大な質量差を覆す。

 

 閃光の如き速度の猛攻。一気呵成に責め立てる宿敵を前に、エリオは槍で捌きながらに後退する。

 踏み込みながらに押し切る事はもう出来ない。例え数に頼ろうとも、今のエリオでは覆せない。ならばどうする諦めるか、いいやそんな選択肢などあり得ない。故に――

 

 

「僕を通す事で落ちると言うなら――僕を通さずに力を放つ! シグナムッ!!」

 

「翔けよ隼! シュツルムファルケンッ!!」

 

 

 相手が一点突破を狙うなら、対処法は唯一つ。魔力によって形成した魂に、対処の全てを任すのだ。

 外部展開の強みがこれだ。最初に魔力を与えておけば、後は細かい指示を出す必要すらない。王と配下の相性差など、外に出すなら関係ない。

 

 エリオの背後に現れたのは烈火の将。手にした弓に矢を構え、すぐさまそれを撃ち放つ。

 音速を超えて迫る一矢を前にして、トーマは大きく身を翻す。如何に音越えであろうとも、今のトーマの方が遥かに早い。

 

 そんな事、分からぬエリオである筈はなく。ならば其処には次なる布石が。形成された軍勢は、烈火の将だけではない。

 

 

「破段顕象! 中台八葉種子法曼荼羅!」

 

「なっ!? くそっ!!」

 

 

 迫る一矢を前に後退した瞬間に、敵の居場所が分からなくなる。周囲の景色が全て歪んで、気付けば己が何処に居るのかすら分からない。

 

 何時の間にか現れていた放蕩の廃神。レヴィ・ザ・スラッシャーの陣形錯乱。

 あらゆる要素が崩されたこの領域で、加速の理は意味がない。どれ程早く動こうとも、端から道を間違えていれば、永劫目的地には着けぬのだ。

 

 これを突破するには全てを読み解く明晰な頭脳か、或いは勘と本能に全てを賭ける思い切りと勝利に至る豪運が必要不可欠。

 トーマに前者を行えるだけの知性はなく、後者を行おうにも初見の事態に即応出来ない。ならばこそ、これは時間稼ぎには十二分。エリオが統べる軍勢は、たった二人じゃないのである。

 

 

「あの子を再び抱き締める為――邪魔よ、消えなさいっ! サンダーレイジO.D.J!!」

 

 

 エリオに呼び出された紫怨の大魔導師は此処に、空間全てを焼き払う程の雷火を起こす。

 追い立てられて道に迷って、その遁甲ごとに消し飛ばす。そんな彼の軍勢に追い詰められて、トーマが取る選択は――

 

 

「死想清浄・諧ぎゃ――」

 

「そうだな。君なら、そう来ると思っていたよっ!!」

 

 

 当然、エリオに読まれている。外部展開した軍勢を消し去る為に渇望を持ち替え、其処に隙が生まれていた。

 死想清浄は死者を弱体化させ清めるが、決して己を強化する力ではない。故にこそ、蒼風に耐えられるエリオは止められないのだ。

 

 咄嗟にその事実に気付いて、だがしかし能力行使は止められない。此処で蒼風を押し止めれば、この雷光に全てを焼かれる。

 故にこそ異能を行使したままに、銃剣を握って、トーマはエリオを迎え撃つ。それ以外に術はないから、此処に蘇生否定の理を展開した。

 

 死者と死者が起こした事象。展開された魔法と異能は消え去る。だが、エリオは当然止まらない。

 槍を両手にチャージアタック。爆発的な速度で撃ち込まれた槍の一撃に、合わせた銃剣の刀身ごと押し切られた。 

 

 

「が――っ!」

 

 

 与えられる痛みに思わず苦悶を上げて、されど苦しみ悶えていられる余裕はない。

 即応せねば、即座に是を決め手とされる。そうと確信して歯を噛み締める。そして前を見続けた。

 

 そんなトーマの予感に違わず、追撃の手は止まらない。先の一撃が隙を生み出す為になら、続く一撃は正しく絶死の必殺だ。

 

 

「メギド・オブ――」

 

「――っ!? ディバイド・ゼロ!」

 

 

 槍の穂先に、黒く暗き炎が灯る。魂を腐らせる黒炎は、この世全てに対する反物質。

 真面な方法では防げない。そうと知るが故に限界を超えて、此処に発動するのは世界の毒だ。

 

 

「ベリアルッ!!」

 

「エクリプスッ!!」

 

 

 腐滅と分解。世界を滅ぼす力が此処に、ぶつかり合って相殺する。

 力は互角。結果は同等。相殺する力に弾かれあって、少年達は共に後方へと跳躍した。

 

 軍勢形成は死想清浄に耐えられず、だが死想清浄は総軍統率には対処出来ず、総軍統率は美麗刹那には追い付けず、美麗刹那では軍勢形成を突破できない。

 まるでジャンケンゲームを思わせる相性関係。体術体力魔法の全てが同等ならば、異能の総決算もまた同等。完全なる五分と言う形で、此処に彼らは拮抗していた。

 

 

「はっ」

 

「ははっ」

 

 

 笑みが零れる。そうでなくてはと、苦しげな顔に笑みが零れる。宿敵が互角の敵として立つ事実を、歓喜を以って受け入れる。

 力が拮抗していて、相性は循環している。ならばこの拮抗を崩すに必要なのは、小手先と称される様な要因だろう。小細工の類が必要となろう。

 

 相性は循環しているのだからと、相手のミスを待つなど出来ないしたくない。

 そんな消極的な方法論で、どうしてこの相手に勝れよう。それでは負けると両者は共に、既に確信していたのだ。

 

 なればこそ、勝利の為に己が全てを此処に賭け――

 

 

『行くぞォォォォォォォォォォッ!!』

 

 

 奴に必ず勝るのだと、男の矜持を叫ぶのだった。

 

 

 

 

 

2.

 荒野の果てへと飛び出して、激しい攻防を繰り広げる少年達。トーマもエリオも最早退かない。

 腕を振る度に大地が抉れ、武器を繰り出す度に周囲の景色が一変する。そんな激闘を、二人は遠巻きに見詰めていた。

 

 

「ほんっと、すごいね。見てみなよ、アミタ。荒野の地形が目まぐるしく変わってる。あの攻防の余波だけでも、街の一つ二つは簡単に消し飛びそうだね」

 

「博士」

 

 

 塔の中から外へと出て、片割れたる男は感嘆する様な言葉を漏らす。

 黒いメンズシャツの上から白衣を纏って、窶れた頬に楽しげな笑みを浮かべた男。

 

 彼こそ罪悪の王の最も新しき臣下。形成されて此処に残るは、エルトリアの頭脳たり得るグランツ・フローリアン。

 

 

「それに何とも、実に楽しそうだ。今にも笑い声が聞こえてきそうな程に、二人とも全力を出し切っている」

 

「博士」

 

 

 前を歩くグランツの背を、赤毛の少女は追い掛ける。此処に残ったアミティエは、歩く彼の背に想いを抱く。

 筆舌にし難い、複雑な想いだ。言語に出来ない程に、それでも確かに重い感情。それを上手く言葉に出来ず、彼を呼ぶだけでも時間が掛かった。

 

 

「まるで互いしか見えていない。事実そうなんだろうね。彼らを想う少女達には残念な事だろうけど、まぁ同じ戦場に立てるだけでも――」

 

「お父さんっ!!」

 

 

 それでも、アミタは此処に名を呼んだ。だから、彼は小さく笑って振り返るのだ。

 

 

「……うん。直接そう呼ばれるのは、何時振りだったっけか?」

 

「博士が自分で、博士と呼んでくれって言ってたんじゃないですか」

 

「ああ、うん。そうだね。そうだったね」

 

 

 永遠の別離だと思った死別から、望外の果てに訪れた再会。此処に来て、一体何と語れば良いのか。

 第一声となったのは、そんなどうでも良い遣り取り。遺言を語るではなくて、再会を喜ぶでもなくて、そんな日常を思い出すような言葉。

 

 そんな中身のない応答に、グランツは嬉しそうに笑って、同時、何処か申し訳なさそうに顔を歪めた。

 

 

「ゴメンね。アミタ」

 

「……一体、何をですか」

 

「色々あるけど、今はそうだね。何から話そうか上手く纏まらなくて、逃げる様な会話をしちゃった事、かな?」

 

 

 何と言葉を掛けるのか、迷っていたのはアミティエだけではない。

 寧ろ残してしまったと言う負い目があるからこそ、グランツの方が迷っていた。

 

 遺言があると呼びだして、これは何と言う無様であろうか。

 それでもそんな何気ない遣り取りが、どうしてかとても嬉しかったのだ。

 

 

「父さんが話があるって、魔刃がそう言ってたんです。伝言だって、遺言だって――そうじゃ、なかったんですか?」

 

「うん。それはそうなんだけど、いざ目の前にすると、正直何から言ったものかなって。……僕は本来、もう死んだ人間だからさ。死人が一体、何を言えって。そういう所が気になっちゃうんだよ」

 

「それは、その、死んだ経験はないので、何と言えば良いのか」

 

 

 死人は黙って死んでろと、そう叱り付けて来る蒼い風。アレを見ていれば、尚更に想う。

 既に死んだ人間が、今を生きる彼女に何を伝えると言うのか。そんな迷いを抱いていたのだと、グランツは情けなく笑った。

 

 情けなく自嘲しながら、困った様に詫びるグランツ。そんな父を見上げて、アミタは何を言えば良いのか言葉に詰まった。

 彼の存在を訝しむ様な、そんな猜疑の念は欠片もない。このどうしようもないくらいの駄目さ加減。どこか情けない人物は、紛れもなくアミタ達の父親だった。

 

 

「だから、さ。アミタの悩みを先に聞かせてくれないかい?」

 

「私の悩み、ですか」

 

「うん。悩み」

 

 

 そんな駄目で情けない男は、それでもやはりアミティエ・フローリアンの父親だ。

 だからこそ、呼び出しておいて何を語ろうかと迷う様な有り様でも、娘の悩みを見過ごす事はなかったのだ。

 

 

「一体何年、僕が君達の父親をやっていたと思うんだい? 悩み事を抱えているくらいは、一目見れば気付けるさ」

 

 

 情けなく、それでも優しげな表情で、笑う父を前に想う。敵わないなと思いながらに、アミタは己の心を明かした。

 

 

「……私は、少し分からなくなったんです」

 

 

 分からなくなった。一言で言えば、そうだろう。彼女の迷いは、そんな単純な言葉であった。

 

 

「信じた想いを貫けば良い。だけどその信じた想いの根底が、間違っていたならば」

 

 

 憎悪を抱いた相手に向ける激情は、しかし恨みを晴らすに足る正当性を持っていない。

 いざ向き合えば疑問の棚上げも出来るのだろうが、こうして時間があれば無駄に考え込んでしまう。

 

 そんな真面目な少女の真面目な悩み。こう生きるべきと言う形を彼女が定義しているからこそ、それは悩み足り得る澱みだ。

 

 

「恨みも憎悪も、決して良い事じゃない。そんな事は分かっていて、酔える程に重くもなくて、けど許せる程に軽くもない。ならばどうすれば良いのかと」

 

 

 父を殺された。だがその父は笑っている。母を奪われた。その想いは錯覚だった。だからはいそうですかと、許せる程に軽くはない。

 全てを失った様に思って、しかし家族は残っている。守るべき人々は変わらずに、今も此処にいる。だからその全てを捨て去れる程に、抱えた想いは重くない。

 

 其処に己が痛め付けられた。その要素が加わっていない事実が、アミタが底なしに善良な少女である証左。

 あくまで自分の感情を重視はしない彼女の在り様に苦笑を零して、グランツは頭を軽く掻きながらに言葉を返した。

 

 

「う~ん。難しい問題だね。アミタの好きにするしかないんじゃないかな?」

 

「……聞き出しておいて、それですか」

 

「うん。だけど結局、復讐ってのは納得する為の行為だからね。本質は感情に寄ったモノ。ならば思うが儘に、としか言えないさ」

 

 

 グランツは語る。それは感情の問題で、理屈で考えている時点で過ちなのであろうと。

 

 

「許すも許さないも、忘れるのも覚えておくのも、全て君の想い次第だ。そうしたいと思える様に、後悔しない様に生きなさい。そうとしか、私には言えないさ」

 

「感情のままに。その感情が、間違っているのだとしても、ですか?」

 

「そうだね。傍目に見て間違いだと思えるなら、誰かが叱って止めてくれるだろうから、別にそれでも良いんじゃないかな」

 

 

 風に流れる綿毛の様に、ふわりふわりとのらりくらりと、語る男の言葉はそれでも真剣なのだろう。

 だがそんな口調で言われてしまえば、まるで無駄に考え込んでいる己が馬鹿みたいだ。何処か苦い感情を抱きながらに、アミタは呆れの言葉を口にした。

 

 

「な、何と言うか、相変わらずと言いますか」

 

「そうさ。僕は相変わらずなのさ」

 

 

 この父親は、死んでも変わらない。そんな現状に呆れと安堵を、等分に感じて息を吐く。

 そんな娘の呆れた視線を一身に浴びながら、死んだだけでは変わらないさとグランツは笑った。

 

 そうして二人、肩を並べて荒野を見詰める。激闘を繰り広げる少年達を、塔を背にして見詰め続ける。

 幾度も剣を結んだ罪悪の王。隠されていた彼の本領を見詰めながら、アミタはグランツへと問い掛けた。

 

 

「博士はどうして、彼を許したのですか?」

 

「う~ん。許した、とは少し違うね。協力して同じ宙を目指すと決めたが、彼が君達にやった事は忘れていないさ。だから、許した訳ではない」

 

 

 どうして貴方は、あの少年を許したのか。そんな問い掛けに苦笑して、グランツ・フローリアンは静かに振り返る。

 

 彼の知識が必要ならば、それこそスカリエッティの残骸と同じ対処で良かった筈だと。知識を奪い取るだけならば、説得などは必要なかった。

 イクスヴェリアを救う作業の中で問い掛けた、その言葉への解答は単純。力への意志を持つ者を殺した上に、全てを奪い取るなど出来ればしたくはなかったのだと。

 

 協力を求める為に、そして綺麗な意志を持つから、アミタとキリエを見逃し続けた悪魔の王。

 彼は余りに膨大な罪に塗れて穢れているが、それでも一片たりとも救いがない訳ではない。何となく気付いていたその断片に、あの時確信を持てたのだ。

 

 

「唯、思ったんだ。彼の語る新世界は、きっと捨てた物じゃない。其処でならきっと、僕が本当に望んでいた願いも叶うんじゃないかなってさ」

 

 

 故に想った。そんな彼が流れ出す世界は、きっと綺麗な物となる。

 故に希望を抱いてしまった。何時か見た夢をその世界でなら、叶えられるのではないかと。

 

 それが、グランツ・フローリアンが彼に手を貸そうと思った理由。最も大きな事由であった。

 

 

「博士の願い、ですか。それは、エルトリアの再生では――」

 

「違う。それは過程だ。僕が願う未来の為に、必要だっただけなんだ」

 

 

 娘達の命の保証と、己の夢を叶える為。二つの理由で頭を垂れたのが、グランツ・フローリアンと言う男。

 彼が必死になってエルトリアを救おうとしていた過程を知るから、それこそが夢なのではないかと錯覚していたアミタは問う。

 

 惑星再生が結果ではなく過程ならば、果たして彼が願った結末は如何なる物であったのかと。

 問いを投げ掛けるアミタの瞳を見詰めて、何処か恥ずかしそうに頬を掻きながら、グランツは己の夢を此処に語った。

 

 

「僕はね。笑顔を作りたかった」

 

 

 グランツ・フローリアンは、笑顔が見たかった。

 

 

「エレノアに指輪を贈った日。その笑顔が忘れられない」

 

 

 結婚を申し込んだ時、花咲く様に笑ったエレノア。そんな妻の笑顔が、胸に焼き付いて離れない。

 

 

「キリエと一緒に花壇を作って、開いた花弁に笑顔を零した。その綺麗な顔を覚えている」

 

 

 荒れた野に花壇を作って、四苦八苦しながら如何にか開いた小さな芽。

 無事に育って花開き、朝露に濡れた花弁を見た時に浮かんだキリエの笑顔。その笑みに、心が震えた事を覚えている。

 

 

「アミタは、二人よりも男の子っぽい趣味だったね。銃型のデバイスを贈った時に、一番喜んでいたのを覚えているよ」

 

 

 楽しそうに銃を手にして、的を相手に練習していた。心の底から笑顔を見た。

 そんなアミタの姿を懐かしいと思い出しながらに笑みを浮かべて、言われたアミタは恥ずかしそうに目を逸らす。

 

 

「その笑顔が綺麗だったから、もっと見たいと思った。君達の物だけじゃない。沢山の笑顔が見たかったんだ」

 

 

 グランツ・フローリアンの理由はそれだ。唯それだけの理由で、彼は星を救おうと願った。

 

 

「滅びが迫ったエルトリア。人々の顔に余裕はなくて、少しずつ笑顔が減っていた。だから先ずはこの星を救わなくてはと、僕のそれはそんな不純な動機だった訳だ」

 

 

 それを不純と、男は笑う。心の底から救済を、求めた訳ではないのだと男は語る。

 見たかったのは、皆の笑顔。そんな己の我欲を満たすその為に、星を救う必要があったのだと彼は語る。

 

 だから、そんな彼の目標が変わったと言うならば――それは世界の真実を知ったからだろう。

 世界が滅びかけていると知っては居ても、覇道神と言う存在は知らなかった。そんな彼が全てを知ったからこそ、その視野は広がったのだ。

 

 

「軍勢の皆と相談してね、色々と考えてみたんだ。エリオの世界に遊びはないが、それさえあればきっと彼の世界はもっと素晴らしい物になる」

 

 

 世界を救う為には、新たな世界を流れ出させる必要がある。道はそれ以外に一つもない。

 グランツの発明ではエルトリアの延命は出来ても、世界全ては救えない。だからこそ、新世界の流出は絶対に必要だ。

 

 新たな時代の神となる。そう願い突き進む少年の軍勢と化して、グランツは皆と相談しながら考えた。

 それはエリオの抱いた願望。其処に刻まれた一つの陥穽。皆に努力を強いる世界は、娯楽と言う物に欠けている。

 

 だから、己がそれを補完しよう。グランツ・フローリアンの選択は、彼の世界に遊びを生むと言う物なのだ。

 

 

「例え子供の遊びであっても、皆が全力の想いで向き合い競う。そんな共通の遊び場ならば、例え遊戯に過ぎないとしても、それはきっと前に進む意志となる。彼の世界に相応しいと、目溢しされる娯楽となろう」

 

 

 彼は怠惰を許容しない。惰弱の存在を許せない。それは彼の根底で、なればこそ取り除くのは不可能だろう。

 だがそれでも、世界法則に沿う形での娯楽ならば組み込める。遊びを通して絆を深め、それが成長に起因するのだと証明できれば受け入れられよう。

 

 

「僕は、そんな物を作りたい。皆が本気で、ぶつかり合える遊び場を作りたい。誰もが笑顔になれる、そんな場所を作るんだ」

 

 

 皆が競い合いながら、それでも笑顔になれる場所。遊びを知らない少年(カミサマ)が、その楽しさを知れる場所。そんな子供の楽園を、作り上げるのが彼の夢。

 

 

「ブレイブデュエルとか、どうだろう? その遊び場の名称なんだが、構想としては取り敢えず体感型の対戦アクションゲームを予定していて――」

 

 

 己の夢の構想を、楽しそうに語るグランツ。誰よりも子供らしい輝きを見せる瞳を見上げて、アミタは素直にこう想う。

 良かったと。無理に従わされている訳ではなく、道半ばに命落とした事を悔いるでもなく、夢を語れる今で本当に良かったと。

 

 

「まあ、詰まりはそういう事。僕は自由に生きている。いや、もう死んでるけど、割と自由だ。だから、さ」

 

 

 一頻り己の新たな夢を語って、白衣の男は僅かに髪を掻き上げる。

 見下ろす瞳に慈愛を宿して、良い子に過ぎた子供に語る。これが彼の、伝えたかった遺言だ。

 

 

「アミタも、キリエも、僕に縛られる事は、もう止めなさい」

 

「博士?」

 

 

 真摯な瞳で真剣に、見詰めて語る言葉に嘘はない。心の底から伝えたかった。今の彼女達を見詰めて抱いたその後悔。

 アミタもキリエも、良い子が過ぎた。善良だった。善性に過ぎたのだ。だからこそ死者に縛られていて、それを止めろと彼は告げる。それだけをずっと、彼女達に伝えたかった。

 

 

「エルトリアを守りたい。この大地を救いたい。その想いは尊い。それは確かに、素晴らしい想いだ」

 

 

 アミタの願いも、キリエの祈りも、どちらもとても綺麗な物だ。

 こうも善良に育ってくれて、道を踏み外さないでくれて、ありがとうと言う想いは山ほど溢れている。

 

 それでも、それは否定しなくてはいけない。エルトリアを救おうと、其処に拘る想いは捨てさせなくてはならないのだ。

 

 

「しかし、その理由が自分の心から湧いて来たモノでないなら、拘る事は止めなさい。縛られてはいけない。死人の想いに、引き摺られてはいけないんだ」

 

「けどっ! 私は、皆を守りたいっ! エルトリアの皆を守りたいっ! この想いは、確かに私の抱いた物で――その為にエルトリアを救う事は必要だからっ!!」

 

「本当に?」

 

「え?」

 

「アミタ。君は自分の願いを見直してみなさい。今語った事を、振り返りなさい」

 

 

 叶えたい願いを否定され、反発する様に叫ぶアミタ。彼女の想いを受け止めて、しかし冷たくグランツは語る。

 この今に口にされた言葉。それだけでも十分な程に、その陥穽は明確だ。彼女が今に告げた想いが、既に全てを語っていたのだ。

 

 

「救いたいのは事実だろう。守りたいのは事実だろう。それでも、君は緑溢れるエルトリアを知らない。故郷を取り戻そうとする、その意志を知らない筈だ」

 

 

 アミタもキリエも、実年齢は見た目相応。エルトリアが荒廃する数百年前を、彼女達は知りもしない。

 

 

「写真で見た。映像で見た。其処に如何なる真がある? 言葉に聞いた。想いを聞いた。それで道を狭めてはいけない。願いを勘違いしてはいけないんだ」

 

 

 此処に残った人々に、多くの言葉を聞いたであろう。必死に頑張る父の背中に、多くの想いを抱いただろう。だがそれでも、それは彼女達の願いじゃない。

 

 

「アミタが言っているのは、君が望んでいるのは、エルトリアの民の救済だ。エルトリアの救済じゃない。其処を履き違えてはいけないんだ」

 

 

 アミタとキリエが真実胸に抱いた願いは、此処に今生きる人々を救う事。

 この世界を再生しようと努力していた先人達をこそ、守り救いたいと願っていた。エルトリアを救う事、それは過程であっても目的ではなかったのだ。

 

 

「エルトリアの救済は、本当に必要かな? 彼らを守る為に、この地でなくてはいけないのかな? この故郷を救おうと、その願いが縛られていないと言えるだろうか?」

 

 

 そしてその過程は、果たして本当に必要な事であるのだろうか。

 グランツは己の背中を見続けたであろう娘に向かって、それは本当に必要なのかと問い掛けた。

 

 

「彼らはエルトリアでなくては生きていけないのか。この場所でなくては救われないのか。この地から逃げ出す事は、本当に悪し様に言われる事なのだろうか?」

 

 

 この地に拘り、他の場所では生きられない程に弱いであろうか。

 生きる為にこの地から逃げ出して、別の世界に落ち延びる。それは本当に、悪い事なのであろうか。

 

 

「きっと違う。僕は、そう思うよ」

 

 

 否と。それら全てに否であると、グランツ・フローリアンは口にする。

 そんな言葉を咀嚼して理解したアミタは、揺らいだ心と瞳で父へと問うた。

 

 

「……逃げろ、と。この星から逃げろと、博士はそう言うのですか?」

 

 

 縋る様なアミタの問い掛けに、しかし父親は答えを返さない。

 変わりとばかりに彼が語るは、最早閉ざされてしまった星の未来だ。

 

 

「エルトリアはもう持たない。彼らのどちらかに助力を受ければ延命できるが、それでも時間制限が付いて回るだろう」

 

 

 エルトリアと言う世界は、もうとっくの昔に詰んでいた。その結末を引き延ばす事は不可能ではないだろうが、それでも更なる無理が出るだろう。

 例えばグランツが作り上げた発明品と、トーマかエリオに協力を頼んだ結果の延命方法。それを使えば確かに星の寿命は延びるが、その装置を使っている間彼らは身動き出来なくなる。

 

 流れ出せない。超深奥へと至れない。それはエルトリアを救う代わりに、他の全てを見捨てると言う選択だ。

 

 

「未来に可能性が溢れる命が、過去の想いに縛られて道を誤る。それはいけない事だ。きっと何より、いけない事だと断言出来る」

 

 

 だから、その結果は間違いだ。エルトリアに拘る事は過ちだ。この星はもう救えないのだと認めて、その上で何を残すのかを考える。それこそが今に必要な事であろう。

 

 

「心の底から、この場所を守りたいと願うならば止められない。民の命よりも家族の命よりも自分の命よりも、この生きる場所が大事と言うなら止められない。けど、そうじゃないと言うのなら――」

 

 

 それでもアミタが、キリエが、心の底からこの場所に拘ると言うならグランツは止めない。止められない。

 だがその想いが己の内から生まれた物ではなく、グランツや先人達の願いを汲んだ物だと言うなら、彼が認める訳にはいかぬのだ。

 

 

「ロクス・ソルス。そう呼ばれる船がある。エルトリアの全人口を収容できる。巨大な次元航行船だ」

 

 

 故にグランツ・フローリアンは、中央塔の上を指差す。星の海に、それはある。

 カ・ディンギルより到達できる人工衛星マルドゥーク。その内部に、世界を渡る巨大な船は眠っている。

 

 逃げる手段は其処にある。後に繋ぐ道は其処にある。だからこそ、グランツは娘に向かって告げるのだ。

 

 

「それを使って、行きなさい。生きる為に、行きなさい。死者に縛られず、この地に縛られず、未来を想い生きなさい」

 

 

 空を見上げて、先に続く未来を想う。脳裏に思い描いた光景こそが、彼が伝えたかった想いの全て。

 それは、大局的には何の意味もない事だ。世界を変える程の、何かがある訳ではない。それでも、きっととても大切な事。

 

 

「大丈夫。希望の種子が途絶えぬならば、何時かまたエルトリアは作り出せる」

 

 

 この世界が滅びようとも、この世界に生きた人々が居る限りエルトリアは滅びない。

 

 

「散った花をまた植える様に、受け継がれる意志が途絶えぬ限り、何度だって帰って来れる」

 

 

 忘れなければ良い。覚えていれば良い。そうすれば新しい世界で、またこの故郷は甦る。

 

 

「だから、今は生きなさい」

 

 

 帰りたいと願うなら、諦めずに想うなら、失われるモノなど無い筈なのだ。

 

 

「彼らの様に、己が想うままに、素直に生きて行きなさい」

 

 

 だからグランツはそう笑って、楽しそうに戦い続ける彼らを見詰める。

 スケールこそ大きいが、その実態は子供の喧嘩にも似た意地の張り合い。そんな二人を見詰めて告げる。

 

 あれは間違っているが、それでも正しい人の在り方。

 何れ神になる者達が、人としての最期に刻む想いの全て。

 

 その決闘を見詰めながらに、グランツ・フローリアンは笑って語った。

 

 

「それが、僕が二人の娘に伝えたかった想いの全てだ」

 

 

 これが想いの全て。他には何もない。伝えたかった想いの全て。

 その想いを受け止めて、直ぐにはアミタは頷けなかった。伝えられた想いを素直に、受け容れられる彼女じゃなかった。

 

 それでも、無下にはしたくない。無価値になんてしてはいけない。だから小さく頷いて、父と同じ物を見た。

 正しくとも間違っている。そんな人としての最期。敗者は死んで、勝者は人間から外れる。そんな彼らの、人としての最期を見届ける。

 

 意地を張り、痛みに耐えて、怒りを叫び、それでも笑う。そんな戦いを父と見詰める。

 肩を揃えて塔の麓から、無責任に激闘を見守る。そんな娘に向かって、男は子供の如くに笑って問い掛けた。

 

 

「さて、アミタ。君はどっちが勝つと思う?」

 

「……きっと、トーマさんです。なんたって、キリエが信じた英雄(ヒーロー)ですから」

 

 

 言葉を交わして、何となくだが理解する。きっとこの時間は、そう長くはない。

 結果がどうあれ、長引かない。トーマが勝てばグランツは消えて、エリオが勝てば彼らは立ち去る。だからこれがきっと最後だ。

 

 

「珍しく意見が割れたね。今が夕飯前だったなら、おかずを一品増やせたんだが」

 

「何、賭け事にしようとしてるんですか。それに、本当に賭けたとしたら――博士の夕飯はきっと白いお米とお味噌汁だけになってますよ?」

 

「お、言ったね。アミタ。なら、賭けるとするかい?」

 

 

 だからこそ、普段ならば叱る所を、偶には良いかと少女は笑った。

 そんな娘の心情を察しながらに、それでも彼は楽しげな笑みを浮かべる。

 

 

「……何を、賭けますか?」

 

「そうだね。じゃあ、想いを賭けよう」

 

 

 何を賭けるかと問う娘に、男は少し悩んで答えを返す。

 互いの想いを此処に賭けよう。男の言葉に、娘は首を傾げて意味を問う。

 

 

「負けた側の願いを、勝った側が叶えよう。僕が勝った場合は、エルトリアの再興かな?」

 

「それ、賭けじゃないです。勝った側が損してるじゃないですか」

 

 

 問いに返す答えは、そもそも賭けになっていないと言う物。

 全く適当なんだから。溜息を吐いたその後に、アミタも楽しそうに笑って言った。

 

 

「けど、良いですよ。トーマさんが勝ったら、私がブレイブデュエルを作って流行らせちゃいますから」

 

 

 きっと勝つのは、私達の英雄なのだと。いやいや、僕の神こそ勝るであろう。

 そんな風に言い合いながらに部外者たちは、逃れられない別れが来るまでの僅かな間、その決闘を見守り続けた。

 

 

 

 

 

3.

 朝日を背に旅立って、気付けば空は茜色。疲弊し消耗し摩耗しよう戦場で、されど少年達は一歩も退かない。

 アレに勝つのだ。奴に勝つのだ。その一念に全てを賭けて、互角の攻防を繰り広げる。荒い呼吸と疲労すらも、最早心地が良いと感じる程。

 

 僅かでも隙を作れば、即座に死に至る綱渡り。対等の立場で戦いながらに、決着の時は未だ見えない。

 もう終わらせたい様な、けれど何時までも続けていたい様な、そんな今に感じる想いは複雑で、されど為したい事は唯一つ。

 

 勝つのだ。勝つのだ。己が勝つのだ。人としての最期の戦い。宿敵との競い合いを前に、己の勝利を只管願う。

 世界中に最早己達しか残っていない。そんな錯覚を受ける程に集中しながら、鎬を削る死闘は苛烈さを増していく。

 

 

「エェェェリオォォォォォッ!!」

 

「トォォォゥマァァァァァッ!!」

 

 

 互いの名を叫びながらに、異能を相殺しながら武器を交える。同じく傷付きながらに、それでも前に進み続ける。

 顔に浮かぶは苦悶と喜悦。張り付いた様に離れない感情は、しかし薄まる事がない。どれ程に繰り返そうとも鮮烈に、焼き付いて離れぬ至高の既知だ。

 

 そんな戦いを何時までも続けたいと願いながらに、しかしそれ以上に勝利を望めばこそ一手を打った。

 

 

「行けっ! マテリアルズッ!!」

 

 

 何時だって、状況を動かす為に先手を打つのはエリオだ。接近戦でトーマと斬り合いながらに、彼はその背に三柱の廃神を呼び出す。

 黒き炎の殲滅者。蒼き雷の襲撃者。暗き闇の統率者。形成された三柱の廃神は己の意志で敵を討たんと、トーマへ向かって飛翔する。

 

 

「ちっ! 死想清浄・諧謔っ!!」

 

 

 エリオと斬り合い続けながらに、創造を入れ替えるのも最早慣れた事。

 不意を打っての形成など、最早既に見飽きたのだ。ならばこそ、浄化の風が間に合わないなどあり得ない。

 

 死人は死んでいろ。その法則に逆らえず、消滅していくマテリアルズ。その結果は、端から分かり切っている。

 しかしこの宿敵が、今更無駄な事などするものか。ならばきっと彼女達は布石だ。本命は彼自身。そう信じてエリオを睨むトーマに隙はなく――なればこそ、それが致命の隙となった。

 

 

『死人は死んでろ? ふざけるなよっ! トーマ・ナカジマッ!!』

 

「なっ!?」

 

〈嘘っ!! 何で、貴女達は消えないのっ!?〉

 

 

 ニヤリとほくそ笑むエリオ。この局面まで隠し通した、これこそ彼の選んだ切り札。

 蒼き風をその身に受けて、それでも消えないマテリアル。展開された彼女達こそ、彼にとっての本命なのだ。

 

 

「私達は夢ですっ! 人の抱いた、普遍的無意識に生まれた悪夢っ!」

 

 

 愛に狂った少女は叫ぶ。己達は夢であるのだ。そう叫びながらにシュテルは迫る。

 蒼き風を一身に受け、存在を否定される痛みに耐えながら、それでも迫る女の剛腕にトーマの身体が吹き飛ばされる。

 

 

「そうだ! だから、僕達に意味はなく! だから、僕達に価値はなくっ! 僕達は、そもそも生きてすらいないっ!!」

 

 

 意味がないから遊ぶしかない。価値がないから居ても居なくても変わらない。そんな風に悟っていた放蕩は、此処に異なる意志を見せている。

 そんな蒼き少女は此処に、最速の速さで斬り込む。圧倒的な速力で吹き飛ばされた少年の身体を、無数に切り裂き引き裂き、眼に止まらぬ速さで刻み続けた。

 

 

「だからだ! 我らは未だ、生まれてすらおらんのだっ! それなのにっ!!」

 

 

 彼女らは夢。彼女らは無価値。それは未だ、彼女達が正しく生まれてもいないから。生きてすらも居ないから。

 ならば闇と病みを統べる王は、臣下の想いと共に叫びを上げる。憎悪の瞳で神の子を睨んで、その法則を否定した。

 

 

『生まれる前に死ねと言われて、死ねる訳がないだろうっ!!』

 

 

 そんな彼女達の感情論。トーマの手にした諧謔に浄化される度に、蓄積し続けていた憎悪。

 もう二度とは浄化されるかと、彼女達が内側にて吠えていた。だからこそ、そんな彼女達にエリオは賭けた。

 

 この意志ならば、必ずや耐えて成し遂げよう。その想いに彼女達は応え、此処にその真価を見せ付けた。

 

 

「ルシフェリオンブレイカァァァァァァァッ!!」

 

「雷刃封殺――爆・滅・けぇぇぇぇぇぇんっ!!」

 

「ジャガァァァァノォォォォトォォォォォッ!!」

 

 

 三位一体最大火力。浄化の風に身を焼かれて消えながらも、それでも意地で押し通す。

 諧謔を全力展開しているが故に、他の力に切り替えられない。そんなトーマは当然躱せず、故にそれが隙と化すのだ。

 

 

「さあ、開け――旅の鏡っ!!」

 

 

 トーマの叫びを聞きながら、魔法に貫かれた彼へと扉を開く。

 神の子である彼の身体にも、リンカーコアがあるとは分かっている。故にそれを抜き出して、残る片手に彼女を呼び出す。

 

 呼び出すのは鉄槌の騎士。形成するのはグラーフアイゼン。その武威を右の手に握り、そして彼は振り上げた。

 

 

『ツェアシュテールングスハンマーッ!!』

 

 

 向ける先は己の左手。其処に顕現させた湖の力で、奪い取ったリンカーコア。

 手にしたそれに殺意を向けて、全力を以って振り下ろす。右手に握ったハンマーが、左手に握った核を打ち砕いた。

 

 

 

 

 

「ガァァァァァァァァッ!?」

 

 

 叫びが上がる。鮮血が舞う。魂の一部が砕かれて、結晶破片が宙に舞う。

 予想外の痛みに叫びを抑えられずに、()()()()()()()()()が苦悶の声を上げていた。

 

 

「き、さま、トーマ、お前はっ!?」

 

〈信じられねぇ。そんなのアリかよ〉

 

 

 胸に感じる喪失の痛みに、苦しみもがきながらにトーマを睨む。

 信じられないとエリオが見詰めるその先で、トーマは同じく苦しみながらに不敵な笑みを浮かべていた。

 

 リンカーコアは確かに砕いた。常人ならば致命傷となる傷は刻んだ。されどエリオが苦しんでいる。その理由はたった一つ。

 

 

「この一瞬に、共有したかぁぁぁぁっ!?」

 

 

 蒼く輝く瞳が展開したのは、明媚礼賛・協奏。トーマは己の傷を、エリオと共有したのだ。

 痛いと予想出来ていた。だから耐えられたトーマと異なり、勝利を確信したからこそ予想外の痛みにエリオは耐えられなかった。

 

 それが先の攻防結果。されどこれは、所詮は一発芸の域を出ない小細工。もう二度とは通じない。

 協奏の力は相手が同意してこそ成立する。失楽園の日に協力したから、その因果を利用して無理矢理繋がれただけなのだ。

 

 エリオが拒絶すればそれで無となる。ダメージを共有するなど、一発限りの裏技なのだ。

 だから次は嵌らない。そう意識して戦えば良い。この痛みに耐え抜いて、また勝機を掴めば良い。

 

 槍を握ったエリオはそう断じ、しかし其処で戸惑いを浮かべる。

 最早無意味と化した協奏。拒絶しようと決めた法則。思考は読まれているのだから、拒絶される前に切り替えるべき力。

 

 その法則が変わらぬのだ。拒絶すれば消える法則を、しかしトーマが使い続けている。その意図が読めずに僅か戸惑って。

 

 

「正気か、君は――っ!?」

 

 

 どういう心算かと問う前に、流れ込む思考に理解する。共有された互いの思考は、此処に筒抜けとなっていた。

 故に分かる。だから分かった。その意図を明確なまでに理解して、エリオは其処に戦慄する。その選択は、余りにあり得ぬ答えであった。

 

 

〈力を、傷を、全部兄貴と共有する気か!? 幾ら何でもイカレ過ぎだろお前っ!?〉

 

 

 協奏を使う限り、互いの力は同等だ。互いの傷も全く同じく、全てが同等に強化される。

 故に結果は千日手。絶対に決着が付かない状況へと、互いを追い込む最大の下策。其れをトーマは、自ら選び取ったのだ。

 

 

「これで、対等だ。本当の意味で、対等、だろう?」

 

 

 能力差も相性差も、これで全てが意味がない。戦況を読み合って、出し抜き傷付け合う事すら意味がない。

 力も傷も全て同等。本当の意味で何もかもが五分となる。そうなった状況で違いが生まれるとするならば、それは互いの意志を除いて他にない。

 

 故にこそ、トーマは思考する。その思考を、エリオも共有する。彼が何を望んでいるのか、此処に全て理解した。

 

 

「精神の、競い合いが目的かっ!?」

 

「チキンレースさ。どっちが先に潰れるか。それを競うとしようぜ! エリオッ!!」

 

 

 此処に切り札を隠していたのはトーマも同じく、これが彼にとっての最後の手札。

 この申し出を断る事は簡単だ。協奏を受けるも受けぬも、全てエリオの意志一つ。断られたら、それこそトーマは何も出来ない。

 

 それでも、トーマは笑う。逃げるのかと、悪童の如く彼は嗤う。そんな笑みを前にして、エリオの答えは唯一つ。

 

 

「逃げるか、だと……舐めるなっ! トーマッ!!」

 

 

 一時は度肝を抜かれたが、さりとて何時までも飲まれている筈がない。

 全てが強制的に同等とされると言うならば、それこそ互いの優劣を明確に示せると言う物。

 

 故にエリオ・モンディアルも受けて立つ。己の意志が勝ると信じて、彼は前へと踏み出した。

 

 

「勝つのは僕だっ! それをお前に、教えてやるっ!!」

 

 

 武器を構えて、一歩を踏み込む。最早此処に至って、異能は一切意味がない。

 総軍は互いに浄化されるだろう。浄化は互いに突破されよう。全ての異能が相殺されるのだ。ならば使う意味がない。

 

 重要なのは、心を圧し折る攻撃だ。精神的に叩きのめす、そんな分かりやすい暴力こそが必要なのだ。

 故にエリオが選ぶは接近戦。被害や痛みが想像しやすい物理攻撃にて、此処に宿敵の心を圧し折り叩き潰そうと言うのである。

 

 

「はっ! 寝言は寝て言えっ! 勝つのは俺だっ! お前にだけは、負けるものかよぉぉぉっ!!」

 

 

 銃剣を手に取り、トーマも彼の思惑に応じる。心を折る為になら、やはり単純暴力こそが相応しい。

 回りくどい異能は要らない。分かりずらい力は要らない。互いの優劣を示す為に必要なのは、原始的な力であろう。

 

 斬り付ける。突き穿つ。叩き付ける。蹴り飛ばす。振るう力は獣の如く、最早体技も必要ない。

 回避も防御も意味はなく、違いが出るのは精神消耗。ならば小賢しい思考は全て無為であり、前に出る事だけが為すべき全てだ。

 

 事此処に至って、互いに打てる小細工などは一切ない。前に出る以外に、出来る事など何もない。

 前に、前に、前に、前に、選ぶは一つ前進制圧。恐怖に臆した瞬間に、心が屈した瞬間に、それが即ち敗北となるのだ。

 

 

「エェェェリオォォォォォッ!!」

 

 

 トーマの協奏は、従者に対し与える要素を制限できる。その気になれば、傷だけを共有する事も出来るだろう。

 されどそんな小細工をしようと思えば、その瞬間にも共有を一方的に断ち切られる。拒絶の意志を持たれれば、そもそも異能が成立しない。

 そうでなくとも、小細工に頼らねば勝てないと認めた瞬間に、心が敗北してしまうだろう。だからこそ、余計な事は一切できない。してはならない。

 

 

「トォォォゥマァァァァァッ!!」

 

 

 共有現象の主導権を持つのは、使用者であるトーマではなくエリオである。

 故に彼がその気になれば、最悪のタイミングで一方的にこの状況を破棄する事も出来るであろう。

 

 だがやはりそれは小細工だ。そんな小細工に頼らねば、相手に負けると語る様な物である。そんな負けだけは認めない。

 故に、思考にさえ浮かべてはならない。心が惰弱に流れれば、その瞬間に敗北する。だからこそ、余計な事は一切できない。してはならない。

 

 

『勝つのは――俺/僕だァァァァッ!!』

 

 

 思考も感情も全て剥き出しの儘、前進を続けながらに敵を斬り裂き抉り撃ち、己の意志を叩き込む。

 何時しか気付けば夕日は落ちて、夜の帳が荒野を包む。それ程の時間が経過しようと、彼らの戦いは終わらない。

 

 打ち込みながら、撃ち込みながら、斬り裂きながら、引き裂きながら、流れ込む記憶が脳を走る。

 それは目の前に立つ敵の記憶。泥の底で生まれ落ちて、血反吐の中で育ち続けて、こうして此処に立つ宿敵の記憶。

 

 その全てを追体験しながらに、トーマは剣を振るい続ける。傷付けた分だけ傷付いて、それでも目を逸らさない。

 見詰め返す瞳の強さに、心の底から憧れる。嗚呼、コイツは何て凄い奴だろうか。踏破した道の険しさに、そう思わずには居られない。

 

 あの汚泥の底から見上げた宙は、とてもとても綺麗な色。それも良いなと心の底から、感じる程に美麗な新世界。

 

 

「だけど、負けない」

 

 

 負けない。負けない。負けたくない。負けられない理由はなくて、此処にあるのは唯の意地。

 男の子には意地があるのだ。男の矜持が叫んでいるのだ。負けて堪るか負けられるか、ならば勝利を求める理由はそれ一つで十分だろう。

 

 トーマ・ナカジマは雄叫びと共に、血反吐で荒野を染め上げながらに前進した。

 

 

「お前にだけは、負けられる物かぁぁぁぁっ!」

 

 

 打ち込みながら、突き刺しながら、斬り裂きながら、引き裂きながら、流れ込む記憶が脳を走る。

 それは目の前に立つ敵の記憶。天の座より生まれ堕ちて、消滅に抗いながら進み続けて、こうして此処に立つ宿敵の記憶。

 

 その全てを追体験しながらに、エリオは槍を振るい続ける。傷付けた分だけ傷付いて、それでも目を逸らさない。

 見詰め返す瞳の強さに、心の底から憧れる。嗚呼、コイツは何て凄い奴だろうか。踏破した道の険しさに、そう思わずには居られない。

 

 壊れた記憶で追い続けたその夢は、とてもとても綺麗な色。それも良いなと心の底から、感じる程に明媚な新世界。

 

 

「だけど、負けない」

 

 

 負けない。負けない。負けたくない。負けられない理由はなくて、此処にあるのは唯の意地。

 男の子には意地があるのだ。男の矜持が叫んでいるのだ。負けて堪るか負けられるか、ならば勝利を求める理由はそれ一つで十分だろう。

 

 エリオ・モンディアルは雄叫びと共に、血反吐で荒野を染め上げながらに前進した。

 

 

「お前にだけは、負けられる物かぁぁぁぁっ!」

 

 

 互いに願う新世界。流れ出す法則が辿り着く果ては、結局どちらも同じ色。

 絆と進歩。違いはどちらを優先するかと言う事だけだ。どちらも大切にする以上、最終地点は共に同じだ。

 

 ああ、良いな。お前の世界も確かに良いな。想いを共感しながらに、それでも男の意地が許容しない。

 ほんの少しの差異がある。目を瞑れる程度の小さな差異を理由に変えて、己の意地を此処にぶつけ合う。

 

 

「君は甘過ぎるんだっ! 確かに君の世界は美麗だが、足の遅さに合わせていたら、理想郷に着くのは一体何時になるっ!?」

 

 

 誰も彼もに優しくしては、到達点に辿り付くのは何時になろうか。皆で一緒に、それは確かに素晴らしいが、足の遅さは覆せない。

 辿り着くのが遅れれば、その分だけ救われない者らは増えよう。全てが救われる理想の場所へ辿り着く為、その甘さが余計であるのだ。

 

 口ではそんな事を言いながら、しかし共有した思考は筒抜けだ。憧れてしまった相手の理想に、難癖つけなくては我慢が出来ないだけなのだ。

 誰も取り零さない道の、その険しさは分かっている。分かって選ぶならば、違いは最早誤差であり、ならばそれは認めるに足る力への意志であろう。

 

 

「お前は厳し過ぎるっ! 確かにその世界は明媚だけど、追い付けない人を斬り捨てて、速さに拘るだけじゃ意味ないだろっ!?」

 

 

 共にあるべき人間を選別すれば、確かに速度は上がるであろう。だがそれは、救われない人を率先して斬り捨てると言う事だ。

 もう少し待てば何かがあるかも知れないのに、諦めて斬り捨てるなど許せない。全てが救われる理想の場所へ辿り着く為に、誰かを轍とするのは間違っている。

 

 口ではそんな事を言いながら、しかし共有した思考は筒抜けだ。憧れてしまった相手の理想に、難癖つけなくては我慢が出来ないだけなのだ。

 誰かを斬り捨てた分だけ、理想へ到達する時は短い。結果として生まれる犠牲は、トーマのそれと差して変わらない程度であろう。だから、結局違いなんて何もない。

 

 

「僕の方が――」

 

「俺の方が――」

 

『お前より良い世界を作って見せるっ!!』

 

 

 それでも自分が、それでも己が、そうと吠えて突き進む。その前進は止まらない。

 共感し、憧れ、心の底から認め合う。それでも退けないのは、やはり男の意地なのだ。

 

 剣を振り下ろす。槍を薙ぎ払う。銃口が火を噴いて、鋭い刃が敵を突き穿つ。

 与えた傷は即座に己にも刻まれ、互いの血潮を撒き散らす。それでも前へ、前へ、前へ、愚鈍な獣の如く前へと進む。

 

 この今に、瞳に映るのは目前に居る相手だけ。まるで世界に存在するのが、己達だけの様な錯覚を抱く。

 競い合い、傷付け合い、奪い合う。痛みと血潮に彩られたこの今が、それでもどうして心地良いのか。知らず笑いながら、二人は前へと進み続けた。

 

 苦しいのに、楽しんでいる。辛いのに、喜んでいる。そんな今の一時に、ふと嘗ての思考を思い出す。

 もしも出会い方が違っていたなら、或いは誰よりも親しい友と成れていたかも知れない。そんな無意味な仮定の話。

 

 だが、この今に揃って思うのは、そんなもしもでなくて良かったと言う一念。

 

 当たり前の出会い方をしていたならば、きっとこれ程に特別な存在とはならなかったであろう。

 だから、きっとこれで良い。何度繰り返したとしても、こうした形が一番良い。歓喜と憎悪と喜悦と憤怒。あらゆる思考を剥き出しにして、競い合う今はそれ程に充実していたから――

 

 

〈トーマっ!〉

 

〈兄貴っ!〉

 

 

 そんな男の意地の張り合い。傷付け合う少年達の逢瀬を前に、我慢できない者らが居た。互いしか映さない彼らに、彼女達は怒っていたのだ。

 一端は諦めて、一時は納得して、ああそれでも認めない。一緒に進むのではなかったのか。私を置いていくでない。そうと叫ぶ少女達は、此処に己の意志を示した。

 

 

〈あたしを忘れんなよっ! 一緒に、勝つんだろっ!?〉

 

 

 烈火の剣精は想いを伝える。一人で傷付き進む彼へと、己の愛を此処に示した。

 彼女の愛は親愛と信頼。家族を想い相棒と想い、その寂しい背中に寄り添い続ける紅蓮の想い。

 

 

「アギト。……嗚呼、そうだね。そうだった」

 

 

 宿敵との一騎打ちに夢中になって、何時しか忘れていた彼女の想いに応える。

 そうとも一人で戦う訳ではない。もう無頼は必要ない。だから此処に、打ち勝つべきは己達。

 

 

「一緒に勝とう。僕らの強さを、奴らに刻み込んでやろうっ!」

 

〈ああっ!〉

 

 

 少年の言葉に紅蓮の花は此処に笑って、彼らは共に前に進む。

 対立する彼らがそうである様に、相克である彼らも想いは同じく。リリィも此処に、不満を示した。

 

 

〈フリンは、ダメなんだよっ! エリオと二人だけでなんて、絶対認めないんだからっ!!〉

 

 

 白き百合の乙女は想いを伝える。一人で傷付き進む彼へと、己の愛を此処に示した。

 彼女の愛は恋慕と嫉妬。寄り添う男を女として愛すればこそ、彼が他者に拘り過ぎる事が我慢ならない。

 

 

「リリィ。君は、何と言うか。……けど、そうだね。こういう方が、僕ららしいかっ!」

 

 

 何時もの調子で語るリリィを前にして、何処か気が抜けた笑みを零す。

 気負い過ぎていたのだろう。素直に認めたトーマは此処に、リリィの手を掴み返した。

 

 

「行くよ、リリィ! 不倫がダメって言うならさ、二人で一緒にアイツらに勝とうっ!」

 

〈うん。私達の絆の方が上だって、アイツらに教えてやるんだからっ!〉

 

 

 少年の言葉に聖母の花は此処に笑って、彼らは共に前に進んだ。

 自分達の絆こそが当代当世至大至高。そうと信じるが故にこそ、彼らにだけは負けられない。

 

 

「行くぞエリオッ! 勝つのは俺達だっ!」

 

 

 蒼き瞳を輝かせ、手にした銃剣を強く握る。振るう刃は勝利の為に、己と彼女の勝利の為に。

 ショートレンジの距離から更に一歩を踏み込んで、両手に握った剣で己達の敵を此処に斬り裂いた。

 

 

「抜かせよトーマッ! 勝つのは僕らだっ!」

 

 

 胸に走った斬撃の傷痕。与えられた衝撃に吹き飛ばされて、それでも数歩で立ち止まる。

 鏡合わせに刻まれた痛み。急速に塞がる傷に頓着もせず、一歩を踏み込み槍を振るう。打ち込まれた魔槍の切っ先は、深く深くその胴を射抜いた。

 

 

〈教えてあげるわっ! ぺったん娘っ! 私とトーマの絆は絶対、誰にも負けない無敵の力なんだからっ!〉

 

 

 胴を抉った痛みを共有しながらに、リリィは負ける物かと叫ぶ。想いに応えて、トーマも此処に意地を見せる。

 切り裂かれた腹に力を入れて、筋を締める事で槍を止める。そうして無理矢理に作り上げた隙に、手にした剣を振り下ろした。

 

 

〈ふざけんな! 真っ白脳内花畑っ! 兄貴とあたしの、ユニゾンこそが世界最強! お前らなんか、敵じゃないんだっ!〉

 

 

 肩口から袈裟斬りに、肺に届く程に深い傷が刻まれる。その痛みに泣き叫びそうになりながら、それでもアギトも意地を張る。

 負けるか、負けるか、負けるものか。紅蓮の花が願うなら、魔刃はそれに必ず応える。エリオは切り裂かれた筋に力を入れると、無理矢理にその刃を受け止めた。

 

 傷が共有される。互いの攻撃に互いが傷付く。それでも、受け止めた刃はこれより先には進ませない。

 びくともしない剣と槍に、二人は即座に見切りを付ける。両手を武器の柄から手放すと、握り絞めて振り抜いた。

 

 殴る。殴る。殴る。殴る。足を止めて殴り合う。意地を押し通す為に、拳を振り抜く。

 一歩も退かぬと言うラッシュの撃ち合い。力も心も互角なら、結果は相打ち。互角の引き分け。

 

 拳の隙を突いて打ち込まれた蹴撃がトーマの身体を浮かして飛ばし、吹き飛ばされる彼が放った拳の圧がエリオの身体を殴り飛ばした。

 共に大地を転がって、音を立てて刃が抜け落ちる。地面に落ちた相手の武器を一顧だにもせず、即座に立ち上がった彼らは再び前へと跳んだ。

 

 

『ハァァァァァァァァァァッ!!』

 

『オォォォォォォォォォォッ!!』

 

 

 この今に、少年少女は一心同体。互いの痛みを感じながらに、負けてなるかと前へと進む。

 相手を傷付け、同じ傷を身体に受けて、それでも負けない負けられない。誰もが想いを同じくしていた。

 

 拳を振るう。蹴りを打ち込む。拳圧を飛ばして、相手の身体を吹き飛ばす。

 白い歯が飛ぶ。赤い血が飛ぶ。骨が折れて、皮膚が千切れて、それでも即座に治るから気にせず一歩を踏み込む。

 

 そうして気付けば、一体どれ程の時間が経っていたのだろうか。当の昔に更けた夜は蒼く染まって、ゆっくりと日の出の時が迫っていた。

 

 

『はぁ、はぁ、はぁ』

 

 

 荒い息を整える。腫れ上がった傷跡が、塞がる速度は落ちている。彼らを包む光は、気付けば既に消えていた。

 それは単純な話。どちらかの心が折れるより前に、どちらの力も底を尽きた。だからこそ、協奏の力はもう消えていたのだ。

 

 視界が点滅する。意識が遠のく。足下がふら付いて、気を抜けば倒れてしまいそう。

 魔力も体力も既に底辺。互いに異能も行使できない程に弱っていて、泥の様に眠りたいとさえ願ってしまう。

 

 それでも――

 

 

『まだだっ!!』

 

 

 まだ、終わっていない。ならば寝るな。寝るには早いぞ。その一心で立ち続ける。

 歯を噛み締める。爪が肉を抉る程、強く強く握り締める。その痛みを以ってして、落ちる意識を此処に留めた。

 

 

〈トーマっ!〉

 

〈兄貴っ!〉

 

 

 最早痛みも共感出来ない。そんな愛する花達は、故に心の内より男達へと声援を送る。

 頑張れ、負けるな。単純だが強い想いの言葉を受けて、彼らが進めぬ筈がない。どんなに疲弊していても、想いに応える為に行く。

 

 

「形成――」

 

 

 限界を超えて、魂から魔力を絞り出す。それでも、薄く微かな力で打ち止め。

 その最後の欠片を此処に集めて、再び紡ぎ上げた形成位階。手にした力は、夢追い人の貫く剣。

 

 

「来いっ! ストラーダッ!!」

 

 

 限界を超えて、魂から魔力を絞りだす。それでも、薄く微かな力で打ち止め。

 その最後の欠片を此処に集めて、それを呼び水に魔槍召喚。手にした力は、罪に塗れた王の槍。

 

 互いに構えて、ふらつく身体に理解する。消し飛びそうな意識に悟る。

 どれ程に想いを託されようと、やはり限界と言う物はある。故に全力を出せるのは、あと一度が精々だろう。

 

 ならば、その一度に残る全てを託す。それは奇しくも、失楽園の日の焼き直し。されど最早、邪魔する者は何処にもいない。

 四つの意志が敵を定めて、一歩を踏み出し全力で駆け出す。轟音と共に大地を蹴って奴より早く、弾丸の如くに此処に荒野を飛翔した。

 

 

『オォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!』

 

 

 これが、最期の一撃だ。この一撃が、激闘の幕を引いたのだった。

 

 

 

 彼は持っていた。生まれながらに恵まれた彼は、それを引き寄せる何かを持っていた。

 彼は持ってはいなかった。生まれながらに底辺で蠢いていた彼は、故に最期も取り零す。

 

 それは、ほんの少しの差異。互角であればこそ、崩せない明確な差。

 登り始めた逆光に目を焼かれて、運悪く宿敵を見失った。それが、それだけが、恵まれなかった少年の敗因だった。

 

 

「嗚呼――また、届かなかった、か」

 

 

 見落とした一瞬に、懐に入っていた蒼銀。突き出す刃は防げずに、心の臓を撃ち抜いた。

 深く、深く、柄まで通せと。背より飛び出た刃から、滴る血潮に濡れた敵を見る。己を倒した、彼を見詰める。

 

 

「トーマ」

 

 

 ずっと見上げていた空の星。日の光を背に受けて、それより鮮烈に輝く星。

 伸ばした手は、此処に届いた。頬に触れた手を動かす。星に届いた手を確かめる様に、そして小さく微笑んだ。

 

 

「君は、強いね」

 

 

 敗北を前に焦がれる様に、その最期に届いた事実に微笑んで、罪に塗れた王は幕を引く。

 己の道を誰よりも鮮烈に駆け抜けた罪悪の王は此処に、余りに短い生涯を駆け抜けて逝ったのだった。

 

 

 

 

 




罪悪の王――敗北。互角の時点で、彼に勝機はありませんでした。
運命に恵まれていないエリオがトーマに勝つ為には、常に相手を圧倒し続けなくてはいけなかったのです。




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神産み編第六話 一つの世界が終わる刻

えるとりあ「……俺、消えるのか?」


 小高い丘に風が吹く。乾いた風が胸を吹き抜け、白いマフラーが揺られて靡いた。

 見詰める先には異形の槍。小さく盛り上がった土の上、墓標と突き立てられたストラーダ。

 

 瞳を閉じる。口を閉じる。想いに沈むは、ほんの僅かな一刻だ。再び開いた蒼い瞳に、揺らめく想いは欠片もない。

 瞳を開いて、しかし口は閉ざしたまま。語るべき言葉はあの時に、告げるべき想いはあの決闘で、全てを刻み込んできた。だから口を開く必要などはない。

 

 故にトーマは何も語らず、突き立てられた墓標に背を向ける。

 彼から半歩下がって見守っていた少女に振り向き笑みを向けると、ただ「行こうか」と口にして歩き出す。その歩はもう、止まらない。

 

 

 

 何もない荒野を見下す、少しだけ小高い丘の上。

 突き立てられた魔槍は、彼らが立ち去った後――ゆっくりと零れ落ちる様に崩れて、後には何も遺らなかった。

 

 

 

 

 

1.

 中央塔の最上階。其処に備え付けられた巨大な転送装置を通じて、辿り着くは人工衛星。

 古代メソポタミアに曰く、世界と人間の創造主。その名を冠した衛星内、その大半を埋める格納空間にそれはある。

 

 街の一つ二つは愚か、島の一つや二つでさえも軽々と入るであろう。それ程に巨大な格納庫。

 そんな格納庫の内部にあるは、余りに巨大が過ぎる船。その全容は島二つより広い空間を、唯一隻で埋め尽くす程。

 滅びを前にして多くの民が逃避した後でも、総人口は億に迫る程。そんなエルトリアの民全てを収容可能な、エルトリア史上最大級の超弩級戦艦。

 

 全長は1000kmにも届くであろうか、その大きさはエルトリアの常識からも外れた物。これぞグランツが語りし方舟ロクス・ソルス。

 そんな馬鹿げたサイズの艦内を、桃色の髪を靡かせながらに隻腕の少女が歩いている。青い装束に身を包んだキリエは此処に、与えられた仕事を熟していた。

 

 青のブーツで音を立て、姉に譲った腕とは別の腕で指差し確認をしながらに、異常個所を探し回る。

 この大きさだ。確認作業一つでさえ結構な労力とはなるが、さりとて全く確認しないと言う訳にもいかないだろう。

 

 メインコンピューターは異常なしと断じているが、直接確認の一つもしないで使って異常が出たなら笑えもしない。

 そうでなくとも、非常時に立地や地形を覚えていなければ即応する事も叶わない。故に散歩気分も兼ねて、点検業務に従事ているのだ。

 

 

(もっとも、どうせ散歩気分なら、トーマも一緒が良かったんだけどね)

 

 

 キリエやアミタと同じく、今はこの艦内に居るトーマ・ナカジマ。そんな彼と一緒に、そう思う感情も確かにあるが自重する。

 

 表面上は何時も通りに振る舞っていても、やはり決着には何か思う所があったのか、トーマは時折考え込む事が増えていた。

 それが負の方向性ならば無理矢理にでも引き摺り出したが、そういう訳でもない様子。そういう暗さは欠片もなければ、横槍は自重するべきだ。

 

 己に刻み込んだ宿敵の想いを抱えて進む為に、彼は折り合いを付けている途中なのだろう。

 傍らに侍るリリィを羨ましくは思っても、所詮は途中からの横恋慕。素直に諦める気はないが、さりとて分は弁えていた。

 

 

(しっかしこれ、出遅れ感半端ないわよね。……此処からキリエさん大勝利展開に持って行く為には、一体どうした物かしら?)

 

 

 そんな不真面目な事を考えながらに、設備点検だけはしっかり行う。

 万が一にも冷凍睡眠装置などが誤作動すれば、数千数万単位で犠牲が出るのだ油断は出来ない。

 

 さりとて考え込む余裕がないと言う程ではない。機械チェックでは問題なしなのだから、これはあくまで二重の点検。油断は出来ないが、気負い過ぎる必要はないのだ。

 故に合間合間に生まれる余裕で、如何に少年を落とそうか、考えながらに作業を進める。そんなキリエの作戦が組み上げられるより前に、彼女の足は艦橋へと辿り着いていた。

 

 ロクス・ソルス艦橋。この巨大な船の頭脳とでも言うべき場所。

 扉の前に立つと、キリエは認証装置に手を当てる。機械的な音声が一つして、扉が一人でに開いた。

 

 一歩中へと踏み出して、キリエは周囲を見回してから上座を見上げた。

 解放戦線のメンバーがブリッジクルーを兼任する中で、艦長席に腰を掛けていたのは赤毛の少女。

 

 ロクス・ソルス臨時艦長。白いプレートに油性のマジックで、記されたのはそんな文字。

 エルトリア脱出計画。その提案者であるが故に、この艦のトップを託された少女。アミティエ・フローリアンが其処に居た。

 

 

「異常な~しッ! 保守点検業務、無事終了しましたッ!」

 

「ありがとう、キリエ」

 

 

 軽い敬礼と共に報告する。そんな妹に微笑みを返して、アミタは彼女から点検用紙を片手で受け取る。

 その内容に不備がないか軽く目を通してから、満足した様に頷くと傍の空席を指差しキリエに提案した。

 

 

「疲れたでしょう? 少し休んでいったらどうですか?」

 

「それじゃ、お言葉に甘えるわ~」

 

 

 手元の端末を使って指示を出し、オートメーション機能の一つを駆動させる。

 副長席の腕掛け部分に、紙のコップが飛び出し中身が注がれる。席に腰掛けたキリエは、コップに入った冷たいお茶に口付ける。カタカタとキーボードを操作する音が響く中、キリエはふうと一息吐いた。

 

 操作パネルではなく、キーボード入力とは今時アナログな。そうと思いながらに、ぼんやりとした顔を晒すキリエ。そんな妹の怠けた表情に苦笑してから、監督者としての仕事しかない少女は彼女に言葉を掛けた。

 

 

「……キリエは」

 

「んー? なにー?」

 

「エルトリアからの脱出に、何も言わないんですね」

 

 

 周囲に聞こえぬ様にと、掛けた言葉に籠った色は何処か苦い。

 それはアミタ自身もこの計画に、心の芯から納得している訳ではないからだろう。負い目の様な感情が、心の何処かに確かにあった。

 

 エルトリア脱出計画。カ・ディンギルから戻ったアミタが、シエルシェルターにて告げた計画だ。

 トーマ達が争っている間にも、ジャベリンを駆り戻る途中にも、アミタが考えていた事。父の遺言への、彼女の答えだ。

 

 縛られていると言われて、否定する事が出来なかった。全てを賭ける覚悟があるかと問われて、頷く事なんて出来なかった。

 なればこそ、父に言われた通りにこの船を見付け出した。この世界から逃げ出すと決めて、共に同じ道を行く賛同者達を募ったのだ。

 

 自分でも納得出来ていない事、そんな想いで誰かを説得できる筈がない。

 だがそれでも、この星には未来がない。カ・ディンギルももう長くは持たないのだ。

 

 元より選択肢などなくて、受け入れるしかない状況。故に全てを伝えたアミタに、シエル村の者達は余り多くを口にはしなかった。

 唯、彼らは一つ頷いた。それしかないなら、そうしよう。確かにそう答え、共に手を取り合った。惑星エルトリアからの脱出計画。それを実行すると皆が頷いたのだ。

 

 皆が頷いた。皆が協力してくれている。それでも、何か思う所はあるんじゃないのか。

 それは自分がそうだから。心の底から納得している訳ではないから、同じ想いを抱く者もいるのではないかと言う不安。

 

 

「そりゃぁさ、想う所も色々ある訳だけど」

 

 

 そんなアミタの不安に、キリエは当然だと言葉を返す。

 逃げると言われて、はいそうですかと頷ける程に故郷を想う気持ちは軽くない。

 

 それでも、それが自分だけではないと知っている。自分達だけが、不満に想う訳ではないと知っている。

 

 

「パパと会ったアミタが選んだ。キリエを背負ったアミタが選んだ。だったらそれって、キリエが選んだ事と一緒でしょ?」

 

 

 アミティエ・フローリアンと言う少女が、どれ程にこの故郷を大切に思っていたかを知っているのだ。

 キリエだけじゃない。シエル村の皆が知っている。大切に想っていて、それでも逃げるしかない。そう結論付けたと分かっている。

 

 ならばどれ程に悔しく思おうと、どれ程に無念に感じていようと、共に行く事に否はない。

 彼らはアミタを信じている。心の底から信じている。信じる者が選んだ明日が、決して悪い物ではないと信じているのだ。

 

 信じた者の選択ならば、それは己の選択と同じだ。そう思うのは、誰もが同じく。

 何時しかタイピングの音が途絶えた艦橋内で、アミタを見上げる無数の瞳。その全てが語っていた。

 

 

「選んだ後は一直線。振り返っている暇はない、ってさッ!」

 

 

 不安はある。不満はある。それでも、後悔と不信。その二つは其処にない。

 選んだ道を振り返る必要はないのだ。何時か帰って来る日を心の底から信じて、今は旅立つ事を選べば良い。

 

 

「……ええ、そうですね」

 

 

 信じる瞳を向けられて、大きな感情が胸を突く。その重さで言葉に詰まって、顔を隠す様に船長帽を目深に被った。

 帽子の影に瞳を隠して、それでも隠し切れぬ情。緩やかに孤を描いた口元を見て、誰もが微笑みながらに己が作業へ戻っていく。

 

 嬉しさと恥ずかしさの板挟み。そんなアミタの直ぐ傍で、椅子を回転させるキリエは笑い飛ばす様に言った。

 

 

「選んだ後の事を今更振り返るより、もっと重要な事は一杯あるでしょ? 例えばさ。どうやってトーマを落とすか、とか。ってか割とMIK(マジで一緒に考えて)なんだけど」

 

 

 選んだ事を振り返るなど、それこそ男を落とす相談より価値がない事だ。そう語るキリエに笑う。

 そうとも自分らしくもない。背負う重さに迷っている暇があれば、駆け抜けてしまえば良いのが真理だ。

 

 振り返るのは、走り終わってからで良い。そうと結論付けたアミタは、キリエに向かってもう一つの真理を告げる。

 

 

「諦めたらどうですか? 既に試合終了ですよ」

 

「ちょっ!?」

 

 

 もう既に周回遅れだ。諦めろ。そう語る姉の冷たさに、妹は噴き出し絶句する。

 絶句して数秒。気を取り直すや否や、文句を口にし出すキリエ。そんな彼女へ、第三者視点の現実をアミタは突き付けていく。

 

 喧々囂々。姦しい遣り取りを始める姉妹の様子に、ブリッジクルーは吹き出す様に小さく笑う。

 そんな彼らに気付かず、喧しく騒ぎ立てる姉妹喧嘩は数分続く。そうして暫しの時が経ち、揃って一端落ち着いた後、キリエはアミタに問い掛けた。

 

 

 

「んでさ、答えは見付かった?」

 

「ええ、一応は――」

 

 

 自分の腕を渡してまで、行って来た成果はあったのか。今更ながらに、姉にそう問う妹。

 そんな妹に一つを返して、アミタは晴れやかな表情で、己の見付けた答えを此処に告げるのだった。

 

 

「私は彼が嫌いです」

 

 

 白い船長服に包まれた、さほど大きくはない胸を張る。

 そんなアミタの語りは如何なる形で続くのか、キリエは疑問を抱きながらに待つ。

 

 一秒。十秒。三十秒。六十秒。何時まで経っても、口にされない第二の句。

 自慢げな表情で、言い切ったと鼻で息する。そんな姉の表情を見上げて、キリエは思わず問い掛けた。

 

 

「……え、それで?」

 

「え? それだけですよ?」

 

「いやいやいやいや、あんだけ悩んでたのに出した結論それだけなのっ!?」

 

 

 己の腕の解体までして準備を整え送り出したと言うのに、出した答えはそれだけなのか。

 愕然と驚愕しながら問い掛けるキリエの言葉に、アミタは言葉が足りなかったかと反省しながら説明した。

 

 

「いえ、まぁ……正当性があろうとなかろうと、感情が変わる訳ではないですし。既に相手は死んでいて、なら死人に鞭を打つ訳にもいかないですし」

 

 

 父に言われた。結局感情の儘に振る舞うしかないと言う言葉。感情の儘に考えて、出した結論は負の感情。

 されど怨敵は既に倒れた。罪悪の王と烈火の剣精は最期まで共に、宿敵と戦い続けて大地に散った。悪意を向ける対象は、最早何処にも存在しない。

 

 許せなくとも、気に入らなくても、死者に向かって為せる事など一つもない。

 彼が護ろうとした者を傷付けようなど、そんな方法はない。善良な彼女では、発想すらも浮かばない。

 

 故に、全て御終いだ。今更何を考えても意味がないと、結局それが結論だった。

 

 

「色々考えて、もう考えても意味がないと言う結論に達して――なので、私はエリオが嫌い。その感情を結論にしようかと」

 

 

 あの少年は嫌いだ。例えどんな理由があっても、どんな生き様があったとしても、アミタは彼を嫌っている。

 結論は所詮そんな物。だからどうしたと言われて、どうもしないと返せる程度。感情論など、その程度の適当さで良いのだろう。

 

 生真面目な少女には相応しくない、適当さに満ちた答え。其処に見る影は、二人にとっては大切な人。

 何処か目を細めながらにキリエは理解する。自慢げな表情で語るアミタも理解している。これはきっと、あの人の影響だ。

 

 

「何と言うか、えーと、……血の繋がりがなくても、やっぱり親子って事なのかしら?」

 

「それを言ってしまうと、キリエも似た者同士と言う事になるんですけど」

 

「私はアミタ程に脳筋じゃあーりーまーせーん」

 

「誰が脳筋ですか!?」

 

 

 何処までも適当で、ダメな所ばかり目に付いた優しい父親。

 例え同じ血が流れていなくとも、二人は確かに彼の家族であったのだ。

 

 再び始まる姉妹喧嘩。じゃれ合う獣の如くに噛み合って、そんな互いに吹き出し笑う。

 一頻り笑いあった後で、見詰め合う。そんな姉妹はまるで祈る様に、今後の展望を此処に零した。

 

 

「でさ、お姉ちゃん。……皆、来てくれるかな?」

 

「分かりません。テレパスタワーを使って、エルトリア中に放送はしましたけど――」

 

 

 アミタの言葉に、キリエやシエル村の人々は頷いた。だがそれは、彼女達が身近な存在であればこそ。

 

 惑星全土に念話の波長を送るテレパスタワー。取り戻し復旧したその装置で、エルトリア脱出計画は既に伝えた。

 だからと言って、言葉だけで皆が来てくれるとは思えない。生存者がどれ程に居るのか、アミタの言葉を誰が何処まで信じてくれるか、何も分かっては居ないのだから。

 

 

「あんま待てないわよね。賛同してくれた、シエル村の人たちの為にもさ」

 

「カ・ディンギルの崩壊までまだ時間はあります。なので、ギリギリまでは待ちましょう」

 

 

 中央塔カ・ディンギルの状況も良くはない。もう長くは持たないと、専門家が見ればそう判断出来る状態だった。

 それは一つに、クアットロの仕込んだ毒の影響。もう一つに、トーマとエリオの決闘の余波。そして最後に、純粋な耐用年数の問題だ。

 

 中央塔が崩れ落ちると言う事は、この世界の消滅を意味している。エルトリアが消えるまで、時間はもう余りない。

 可能な限り、沢山の数。出来れば全ての人々を、救いたいと二人は願っている。だからこそ、世界全土に声を届けたのだ。

 

 

「それでも、此処に残りたいと言う人がいるなら――私には何も言えません」

 

 

 それでも、誰もが信じてくれるとは限らない。信じてくれたとして、それでも残りたいと言う人は必ず居るだろう。

 元よりこの地に残った人々は、誰よりもエルトリアを愛した人々の末である。だからこそ、アミタを信じてついて来てくれる人はきっと多くはない。

 

 ギリギリまで待とう。直前まで此処に居よう。だがその時が来たと分かった時は、心を決めよう。

 救える数には限りがあって、ならば信じてくれた人を見捨ててはいけない。その判断を下すのは、信じられたアミタの役割だ。

 

 

「付いて来てくれる人達と一緒に、ロクス・ソルスで旅立ちます」

 

 

 そう決意して、被る帽子の重さに覚悟する。そんなアミタは、未だ知らない。

 その決意が、その覚悟が、必要とされる時――エルトリアの崩壊は、もう間近に迫っていた。

 

 

 

 

 

2.

 少年達の戦い。少女達の決意。その全てを天の瞳で見詰めていた悪鬼は此処に、悪童の如く笑みを浮かべる。

 些少の予想外こそあれど、現状は大凡彼の想定通り。両面悪鬼が望んだ通り、全てはその掌中で転がるままだ。

 

 

「かくして、宿敵同士の戦いに幕は下り――アイツは己の内に、その全てを刻み込んだ」

 

 

 小高い丘の上で胡坐を掻いて、頬杖を付きながらに鬼面の男は満足そうに笑う。

 女の着物を着崩した男の相は一人、言葉を呟きながらに瞳を閉ざす。振り返るのは、これまでの長い長い道のりだ。

 

 

 

 男は、悪童だった。昔からずっと、性質の悪い悪ガキだった。自分でも碌でもないと、そう断じる事が出来る存在だった。

 何をしても新鮮味が感じられない。生きている実感がしない。その瞬間は楽しくても、終わってしまえば全てが色褪せて感じられた。

 

 既知感だ。一つの事象が終わってから、直後に感じるのはデジャブ。

 この酒は飲んだ事がある。この女は抱いた事がある。何もかもに付き纏うその感覚が、どうしようもなく許せなかった。

 

 その時感じた情すら下らないと言われている様で、只管に気に入らなかったその感覚。

 既知感から逃れる為に、何でもやった。選択肢の総当たり。絶対にやらないだろうと考える事。やりたくない事こそ、男は自ら望んでやった。

 

 その全てが無意味だった。結局、既知感からは逃れられずに、男は友を傷付けただけ。

 交通事故にあって不能となったその日から、逃れられないデジャブに苛まれながらに男は生き続けた。

 

 そして知る。その既知感の由縁を。その身にあった直感の、真実の意味を知って慟哭した。

 

 永劫回帰。繰り返される世界の中で、既知の感情に囚われるのは特別な存在だけ。世界の繰り返しを理解出来る者だけだ。

 神であるメルクリウス。その癌であるラインハルト。そんな彼らと同じく遊佐司狼と言う男もまた、決して例外などではない。

 

 自滅因子。真実全能なる神が、無意識に望んでしまう己の死。

 神の子であり神の端末であったツァラトゥストラ。その彼の癌として、友を滅ぼす役割を担った存在。

 

 観測者。神座が代替わりする時に必ずや現れ、世界の行く末を見届ける存在。

 惚れた女に禊を立てて、異性と交われぬ様に不能となる。そんな超越者の作った端末。

 

 遊佐司狼と言う男はそれだった。自滅因子であり、同時に観測者の端末でもある者。

 神様に都合が良い玩具として作られて、神様に都合良く踊り狂って、その意のままに利用され続けたモノ。

 

 慟哭した。憤怒した。憎悪した。真実を知り、ふざけるなと叫びを上げて、それでも男は変われなかった。

 結局最期まで、神の玩具だった。だからこそ恋い焦がれる。心の底から憧れているのだ。真面目に生きる。そんな人の輝きが眩しいのだ。

 

 故にこそ、心の底から願った理は神秘の否定。お前らなんかいらねぇよ。彼は唯、それだけを祈っていた。

 

 

 

 人の輝きに焦がれ、その姿を見詰め続けた両面の鬼。そうはなれないと知りながら、そうなりたいと今も願っている男。

 彼を縛っていた観測者は既に滅びた。彼を突き動かす自滅の因子は、神の弱体化と共にその衝動が弱っている。だからこそ、今ならば抗える。

 

 この今に望んだのは、大切な友に贈る物。ツァラトゥストラの自滅因子としてではなく、観測者の端末としてではなく、遊佐司狼として望んだモノ。

 その為に矜持を捨てた。自分の誇りに自ら泥を塗った。生き恥を晒すと決めたのだ。全ては一つ、大切な友である彼へ――この策謀こそが、遊佐司狼の捧げる愛なのだ。

 

 

「十分だ。上等だ。もう下地は出来上がった。だから――これで漸く、賭けに出れる」

 

 

 見詰める先、遠く遠く空の彼方に居る神の半身。彼へ感じる想いは複雑だ。

 嘗ての友の写し身で、だが決して同じじゃない。そんな彼は己と同じく、生まれながらの神の玩具。

 

 天から堕ちた道筋は、神の恣意によって歪められた。誰もが求め、望み、流されていた人間未満。

 だが、それも以前の話。既に彼は一個の人間だ。人として生きて、人として決着を付けた。その命は、確かに真っ直ぐ生きている。

 

 素直に尊敬しよう。両手を叩いて喝采しよう。よくぞよくぞと、よくぞ此処まで来たのだと。

 人として完成し、そして流れ出す土台は出来た。ならば後は切っ掛けだけだ。次に打つ一手こそが、宿儺が与える最後の試練。

 

 小さな龍を取り出して、掌に転がらせる。苦痛で暴れる様に、己の手に噛み付く小さな神を見下し嗤う。

 神格域の力を持つが故に、人では倒せぬこの怪物。人の想念から生まれたモノ故に、神なら問題なく倒せるこの怪物。この怪物こそが、最後の試練に相応しい。

 

 

「お前じゃ忠は捧げられねぇ。そもそも神を祀り敬う立場じゃ、テメェが神になれやしねぇ」

 

 

 人が神を鎮める方法。価値あるモノを捧げ宥める。そんな方法論は使えない。

 トーマは大切なモノを捧げられる様な自己犠牲の人ではなくて、全てを手に掴もうと言う強欲な人間だから。

 

 そうでなくとも、神を鎮めると言う方法は“倒せない相手だから倒さない方法を考える”と言う事だ。

 確かに人ならそんな方法を選ばなくてはいけないのだろうが、これから神となるモノがそれでは困る。そんな枠に嵌った対応策など要らぬのだ。

 

 

「人のままじゃ、コイツは止められねぇ。ならば神に成るしかなくて、成れるだけの下地はもう揃っている。ならばもう、十分だろう?」

 

 

 戦う事が愚かであると、発想がズレていると語られる存在。地脈の化身であるが故に、滅ぼせば共に地球と言う惑星が消滅する怪異。

 真面にやっても倒せない存在に、真正面から打ち勝つ事。星を亡ぼさずに、この怪異だけに勝利する。次代を継いで行くと言うならば、その程度はして貰わないと納得できない。

 

 故に、これが最後の試練だ。両面鬼はその掌に、己の魔力を惜しみなく注ぎ込む。

 唯の夢では終わらせない。この怪物を真なる神として顕現させる為に、夜都賀波岐が両翼の力を惜しみなく与えるのだ。

 

 

「俺からテメェに与える最後の試練だ。乗り越えて見せろよ、トーマ・ナカジマ」

 

 

 ドクン。ドクン。鼓動の如く震える身体が、両面鬼の力を喰らって肥大化する。

 自滅の枷から解き放たれて、此処に甦る穢れた龍の力は過去最高。正しくその名に相応しく、強く強く強くその身が変貌していく。

 

 目覚めんとする穢れた龍。その身が腕より巨大となる前に、天魔・宿儺は腕を振り被って大きく投げる。

 投げ付ける先にあるは、巨大な塔。彼らが動かねばならぬ理由を作る為、この世界を支える中央塔の直近にて怪物を解き放つ。

 

 

「さぁて出番だぜ、百鬼空亡(ナキリクウボウ)ッ! 何もかも、一切合切蹴散らしなァッ!!」

 

 

 空が震える。大地が砕ける。中つ塔は斜めに傾き、魔震の余波で壊れていく。

 崩れ落ちる命綱。音を立てて大地が崩壊を始め、空が虚無に蝕まれる。穴だらけとなった天空に、それは遂に姿を見せた。

 

 

――オン・コロコロ・センダリマトウギソワカ

 

 

 両面鬼が投げ付けた場所。其処を基点として、狂える巨大な龍が甦る。

 蒼き空を鉛色に染める程に、余りに巨大が過ぎる龍。女陰めいた卑猥さを晒しながらに走った亀裂は、大地を見下す龍の瞳。

 

 たったそれだけの部位が、中央塔の全貌よりも尚大きい。その頭部。続く体躯の巨大さは、ロクス・ソルスすらも届きはしまい。

 

 

――六算祓エヤ、滅・滅・滅・滅

 

 

 老いた翁の声。幼き童女の声。代わる代わるに嗤う声と共に、現れるのは二つの器。

 穢れた巨大な龍と共に、見えるは穢れて堕ちた人型。赤く染まった長き髪。呪符に縛られた全身は、まるで木乃伊の如きモノ。

 

 覗く単眼が真っ赤に輝き、見下ろす先には今も大地に生きる者達。

 穢れて思考も出来ぬ龍にとって、両面の謀りなどはどうでも良い。考える事すらしないし出来もしない。

 

 唯、龍は穢れを払われたい。嘗ての姿に戻りたい。その為には贄が必要で――そして此処には、贄となれるかもしれない命がある。

 

 

――亡・亡・亡ォォォォォッ!!

 

 

 星の化身は、空の果てなど知りもしない。故にこそ、この穢れた神が求めるのは大地に蠢く人々だけ。

 どうして我をこんなに貶めた。其処に何か想うなら、どうかこの穢れを祓っておくれ。叫ぶ堕龍の声は魔震だ。唯それだけで、世界を亡ぼすには十分過ぎる。

 

 エルトリアの崩壊が始まる。この世界が全て消え去るその時まで――最早、時間は残っていない。

 

 

 

 

 

3.

 裏勾陳。天中殺・凶将百鬼陣。その出現の瞬間を、誰もが確かに理解した。

 頭がおかしくなる程の重圧。余りに膨大に過ぎる力の圧は、正しく大天魔と同等域か或いはそれ以上。

 

 そうとも、今の空亡は過去最強だ。両面鬼の力を数年に渡って喰らい続けて、既にその神格係数は今の彼と同等なのだ。

 

 

「トーマっ!?」

 

「……何だ、この異常な魔力量!!」

 

 

 その余りに暴力的にも過ぎる力は、例え星の海に居ようと感知が出来る。

 ましてや今のトーマならば、力に差があり過ぎて分からないと言う事もない。

 

 当然の如くに二人は気付いて、与えられた部屋から揃って飛び出す。

 広い広いロクス・ソルスの内部通路。飛び出した彼らは艦橋を目指して、一目散にと駆け始める。

 

 この現状、正しく認識している者が居るかは分からない。それでも艦橋に詰めている彼女らが、理解している可能性が一番高い。

 通信機は渡されているが、数度のコールでは繋がらない。或いは向こうも慌てているのか、ならば先ずは合流を。直接会う事を優先しよう。

 

 明らかな異常事態を察知したトーマは迷わず行動を開始して、駆け抜けながらも通信機を弄り続ける。

 幾度かの不通を経て、五度目で漸く繋がった回線。端末に映し出された艦橋は、正しく大混乱と言う有り様だった。

 

 

「やっと、繋がったかっ!」

 

〈トーマさん! リリィさん!〉

 

 

 計器を前にして崩れ落ちたシエル村の住人達。伏せた彼らを救護する為、無事な者らに指示を下しながらアミタは通話口に立つ。

 突如起こったこの出来事を、正確に理解出来ていないのは彼女らも同じく。それでも確認の意を込めながらに、トーマは彼女に問い掛けた。

 

 

「アミタ! 一体何があったんだっ!?」

 

〈分かりません。殆ど何も――分かっているのは、一つだけ〉

 

 

 エルトリアで何かが起こった。その情報を解析する為に、映像を介して“視た”瞬間に倒れた者ら。

 反天使の襲撃に際し、似た様な現象は起きた事がある。その経験故にアミタは、即座に対応する事が出来た。

 

 映し出された映像をその瞬間に断ち切って、未だ無事な者らに指示を出す。

 強大な魔力に当てられたのだと、弱った人々を退避させた後、アナログの機材での観測に切り替えたのだ。

 

 故にアミタは、犠牲を最小限には出来た。されどそれ故に、その場で何があったのか正しく理解出来ていない。

 分かった事は一つだけ。映像が切り替わる刹那、魔刃との戦いで耐性を得ていたフローリアン姉妹が目に出来たのはそれ一つ。

 

 

〈巨大な龍が、突如エルトリア上空に出現しました。その余波で、カ・ディンギルは――〉

 

 

 突如、エルトリアの上空に巨大な龍が現れた事。堕ちて腐ったその龍が、中央塔を砕いた事。

 アミタに分かる事実はそれだけ。そして其処から推測できるのは、何時か来ると思ってはいた最悪の展開。

 

 

〈世界の崩壊が始まります。今直ぐに全てが消える訳ではないにしても、もう長くは持ちませんッ!〉

 

 

 世界崩壊が始まった。全てが虚無へと消えていく。

 未来世界エルトリア。この荒れ果てた大地は正しくこの今に、滅びの刻を迎えていたのだ。

 

 

 

 覚悟はしていた。何時かはきっと、それでも未だ時間はあると。

 きっと慢心していたのだ。未だ余裕があるのだと、だからこの今に大慌てとなっている。

 

 そんなエルトリアの艦橋で、それでも瞳を揺らがせないアミタ。彼女の目を見て、トーマは問うた。

 

 

「どうすれば、良い。俺に、何が出来るっ!?」

 

 

 一体何をすれば、一番の助力となるのか。彼女達がどう動くのか分からなければ、トーマもその答えが出せない。

 故にどう動けば良いのかと問い掛ける。何が出来るかと、何をして欲しいのかと、アミティエ・フローリアンに投げ掛けた。

 

 問われたアミタは瞳を閉じて、僅かな思案の内へと沈む。この先に自分達はどう動くべきなのか、その答えは直ぐに出た。

 

 

〈…………時間がありません。もう待っている時間がありません。だから――〉

 

 

 被る帽子に、背負う重さは覚悟したのだ。貫くと決めたなら、走り切るまで振り向かない。

 目を見開くと周囲を見回す。意識を保った人々が、頷く姿に頷き返す。そうしてアミタは、答えを告げた。

 

 

〈こちらから迎えに行きますッ! ロクス・ソルスの炉に火を入れて、エルトリア全土を一週しますッ!〉

 

 

 これはきっと下策であろう。百鬼空亡は星の化身だ。星の外にあるロクス・ソルスを、アレは認識していない。

 このまま逃げ出せば、此処に居る皆は無事に逃げられる。それが分かってアミティエは、全てを賭けると決めたのだ。

 

 答えを聞いて、トーマはその身を翻す。進む先を艦橋から、船底近くにあるエアロックへと変更する。

 彼女達が為すべき事は聞いた。その上で、自分が何を為せば良いのか。その答えはきっと、これ以外にありはしない。

 

 

「分かった。時間を稼げば、良いんだな」

 

〈お願い、出来ますか?〉

 

「やってみせるさッ! こんな所で、今更ケチを付けられて堪るかよッ!!」

 

 

 シエル村の人々が命を賭けて、エルトリアの人々を救う為に死地へと飛び込む。

 そうと覚悟を決めたなら、トーマが為すべきなのは防衛だ。彼らが乗り込むこの船を守る為、単騎で巨大な龍へと挑む。それだけが彼の選択肢。

 

 

〈……流石ですね。私達の英雄(マイヒーロー)

 

 

 恐れもせずに、戦きも見せずに、当たり前の様に守り通すと語るトーマ・ナカジマ。

 そんな彼に、一番辛い役割を押し付ける。其処に後ろめたさを感じながらも、力強く応える言葉に安堵を覚えた。

 

 

〈私達全員の命。貴方の背に預けます〉

 

〈……トーマが居なくなったら、片手落ちなんだからさ。必ず戻って来てよねッ!〉

 

「当たり前だろ。誰に行ってんのさッ!」

 

 

 英雄。こんな人をそう称するのだろう。輝かしいその背中に、アミタは全ての希望を託す。

 横合いから話を耳にしていたのだろう。通信に割って入ったキリエは此処に、帰って来いと言葉を紡ぐ。

 

 そんな二人に頷いて、トーマはリリィと手を取って、広い艦内を駆け抜けていく。

 頷くトーマの姿に感謝を抱いて、アミタは通信装置を切る。そうして残ったブリッジクルーへ、艦長席から指示を発した。

 

 

「ハッチ開いてッ! 魔力式動力炉、始動!」

 

 

 人工衛星マルドゥーク。火の星を思わせる巨大な星が、ゆっくりとズレて開いていく。

 二重三重の隔壁が解除され、無数のビーコンが発光しながら道を示す。空の海へ、開いた扉を前に彼女は叫んだ。

 

 

「総員対衝撃防御ッ! ロクス・ソルス、緊急発進ッ!!」

 

 

 動力炉に火が灯り、即座に船が動き出す。動き出した速度は、すぐさま最高船速へ。

 本来ならば段階的に、行われる加速を一息に。余りに無理な航行に、艦内全てが激しく揺れた。

 

 激震が続く。激しく揺れたまま、ロクス・ソルスは大気圏へと。

 計器や機材が上げる悲鳴を全て無視して、そのまま荒れ狂う星の只中へ飛び込んだ。

 

 

 

 赤熱し、激震し、そして魔震に飲み込まれる。その全てに、人々は必死にしがみ付いて耐える。

 揺れる艦内はまるで、激しく回る洗濯槽。吐き気を催す様な状況で、それでもトーマは止まらない。

 

 走り抜けて、駆け抜けて、そうして漸く辿り着く。エアロックへと到着した少年は、傍らに佇む少女の手を取った。

 

 

「リリィ」

 

「トーマ」

 

『リアクト・オンッ!!』

 

 

 同調。新生。黒き鎧をその身に纏い、手に取ったのは夢を貫く憧憬の剣。

 空いた左手を握り締め、プラスチックの囲いを躊躇く事なくぶち破る。拳を叩き付ける様に押したのは、緊急時用開閉ボタン。

 

 エアロックが動き出す。二重三重の扉を抜けて、閉まる扉を背後に、最後の扉の前に立つ。

 大気圏突入中である為に、決して開かぬ気密扉。緊急開閉も通じぬ故に、戸惑うのは僅か一瞬。この船ならば持つと断じた。

 

 一閃。二閃と刃を振り抜き斬り裂く。十字に裂けた扉に銃口を向けて、撃鉄を起こして引き金を引いた。

 道を塞ぐ扉を力技で叩き壊して、躊躇もせずに外へと飛び出す。吹き付ける熱を全身に浴びながら、トーマは大気圏へと落下した。

 

 

「オォォォォォォォォォォッ!!」

 

 

 外気圏。熱圏。中間圏。成層圏。対流圏へと突入して、広がるのは虫食いだらけの青い空。

 まるで空を支配しているかの様に、大地の化身は青を染める。遥か上空から見ても尚大きいと、感じる程に巨大な堕龍。

 

 上から墜ちて来た何かを不思議そうに見上げる龍の瞳と、舞い降りた少年の瞳が其処に交わる。

 緩やかに消滅していくエルトリアの空を舞台に、この地で最後の戦いが幕を開けようとしていた。

 

 

 

 

 




みつど「お前、……消えるのか」
あるざす「持った方だよ。頑張った」
ちたま「さりげなく、俺の命も消えそうなんだが」






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神産み編第七話 空ヲ亡ボスモノ

独自解釈注意。空亡ちゃん対策が、割とマジかよそんなのアリかよな超理論になっております。
まあ、家のトーマ君はインテリ系脳筋ユーノの弟子だし、インテリ系脳筋理論を駆使するのも当然でしょうね。()


推奨BGM
1.空ヲ亡ボス百ノ鬼(相州戦神館學園・八命陣)
3.ROMANCERS' NEO(リリカルなのは)


1.

 虫食いだらけの空の下、巨大な龍が旋回する。九つの首を持つ邪龍。

 唯悠然とあるだけで、周囲を飲み干す魔震を起こす。其は正しく、天変地異の権化であろう。

 

 

「八言の五元に、天津祓と奉らんやぁ、奉らんやぁ」

 

 

 そうとも、百鬼空亡は未だ何もしていない。この鉛色の邪龍は、一切合切理解すらもしていない。

 分からぬのだ。見えぬのだ。何が起きたか、此処は何処か。それさえ分からぬ程に、この龍は堕ちている。全身爛れて腐っていた。

 

 それでも、これから何をすれば良いのか、何がしたいのかは分かっている。

 堕ちた邪龍が求めるものは唯一つ。それは世界が変わろうとも、決して変わらぬ真実だ。

 

 

「秘詞にて、神留り坐す、奉らんやぁ、奉らんやぁ」

 

 

 この穢れを祓い清めたい。嘗ての己に戻りたい。強く願うその一念。一心に比較してしまえば、あらゆる全てが正しく些事だ。

 場所も状況も何某かの策謀も、全て一切取るに足りない。我は唯救われたいのだ。清めて欲しい。故にそうとも忠をくれ。誠心を我に捧げてくれ。

 

 空から墜ちて来た少年に向けた興味は一瞬、数瞬後には既に意識が他へと移っている。

 

 男か女か、完全融合故に良く分からない少年。既に神格域に手を伸ばしているが為に、純粋な人とは思えない少年。そんな贄になれるかさえも良く分からないモノなどどうでも良い。

 大地には未だ、他にも人が居る。此処は己の大地ではないが、それでも大地であれば察知は出来る。誰かが其処に居る。贄に相応しい誰かが居る。沢山沢山誰かが居るのだ。故にこそ、求めるのはそんなモノ達。

 

 故に百鬼空亡は、その手を大地へ伸ばしていく。九の竜頭が見下す大地へ、無数の腐った手を伸ばして求める。

 誰か、誰か、誰でも良いから我に捧げろ。真実誠心なる忠を以ってして、この穢れを祓ってくれよ。伸ばされた無数の手が、其処から発する龍気の圧が、周囲の地形を塗り替えていた。

 

 

「祓いて清めに参ろやなぁ。参ろやなぁ」

 

「――っ! こっちを見ろよなッ!!」

 

 

 そんな現状に、トーマは憤りを口にする。完全に無視される形となった少年は、翼の道を展開しながらに撃鉄を起こす。

 大地を蹴る様に、壁を蹴る様に、多角的に跳び回りながらに向けるは銃口。銃後の者を狙うでないと、撃ち抜く砲火は銀の鉄槌。

 

 

「シルバーハンマーッ!」

 

 

 飛翔する魔力の塊は、山をも崩す一撃だ。振り抜いた鉄槌を思わせる衝撃に、巨大な龍の首が大きく揺れた。

 されどその程度、鉛の体躯には浅い傷しか付けられない。何故なら空亡は星の化身だ。単一で惑星質量を内包する化外に対し、山を崩す程度ではまるで規模が足りぬのだ。

 

 ましてや、砲火の全てが届いていない。空亡の周囲に浮かんだ六角陣、其処から湧き出す無数の邪妖が壁となる。

 砲撃の威力が無数の肉壁によって、ほんの僅かに減衰する。濡れた紙にも劣る盾とは言え、その馬鹿馬鹿しいとさえ言える数は、確かに障害となるのである。

 

 そう。今のトーマからすれば紙にも劣る質とは言え、それでも凶将たちは邪魔と言える程の数がある。

 百鬼空亡が強大化した影響で、彼らもまた変容したのだ。その質が上がった訳ではない、唯単純にその数が膨大になっただけである。

 

 そんな膨大な数が肉の壁となり、トーマの力を妨害する。それでもそんな膨大な数が、攻勢に向いていない事が現状唯一の救いだろうか。

 今の強大化した空亡は、既に先に地球に顕現した時の比ではない。その力の総量も増したならば、その体躯が巨大となるのも当然。目玉だけでも鶴岡八幡宮と同等以上、そんな嘗ての空亡が最早小粒の様である。

 

 全長1000kmと言うロクス・ソルスが、その瞳の大きさにも満たぬ程。星の歴史を宿した龍は、今や首一つが日本列島全土より巨大となっている。

 大きいと言うのはそれだけで脅威だ。唯、身動ぎをしただけで魔震が起こる。その魔震の被害を最も受けているのは、その瘴気で呼び出されている凶将陣に他ならない。

 

 逃げ惑う事すら、今の妖魔たちに許されてはいない。呼び出された瞬間に、空亡に踏み潰されて全滅するのだ。

 死ぬ為だけに呼び出されて、逃げる事すら許されずに全滅する。そんな死骸が屍鎧(シガイ)となって、トーマの力を阻んでいた。

 

 

〈トーマッ! このままじゃっ!?〉

 

 

 砲撃を受けて、些少の手傷は刻まれている。されどその程度、故に百鬼空亡は攻撃されたと言う事実にさえ気づかない。

 何しろその身は腐っているのだ。己の内より蝕む病に苦しみ、悶え足掻いているのである。ならば当然、その痛みを超えない限りは気付けない。

 

 内面に渦巻き癒えぬ病巣。それを癒す事しか思考が出来ず、百鬼空亡は贄を求める。それ以外など、認識すらしていない。

 トーマ・ナカジマも、ロクス・ソルスも興味を惹かない。地を逃げ惑う人々を探して、堕ちた邪龍は腐った手を伸ばし続けるのであった。

 

 

「っっっ! こう、なったら――」

 

 

 このままこの化外を放って置けば、救うべき人々が全滅しよう。

 或いはロクス・ソルスが大地に降りれば、その時こそ興味を惹いてしまうやもしれない。

 

 故に無理矢理にでも、その意識を引き寄せる必要がある。如何にかして、百鬼空亡に己を認識させねばならない。

 だが、このまま攻撃を続けても無駄だろう。堕ちた邪龍が苦しみ続ける病巣の痛みを、超える被害を与えなければ気付かせられない。

 

 確かにトーマの手札の内には、それを行えるモノもある。世界の毒を以ってすれば、この邪龍を滅ぼす事は不可能ではない。

 されど、トーマはそれを選ばない。選んではいけないと言う事実を直感的に悟った訳ではない、単純にこの少年の本質が善良であるからの結論だ。

 

 百鬼空亡と言う怪物の正体を、トーマ・ナカジマは何一つとして知らない。そうとも、トーマは未だ知らないのだ。

 エリオの様に、憎むべき特別と言う訳ではない。クアットロの様に、倒さねば止まらないと理解している訳ではない。

 

 ならばこそ、知らぬ内から殺そうとする一手など選べないし選ばない。

 拒絶は理解の後なのだ。そんな彼の心根の清さこそが、最悪の破綻を紙一重で防いでいた。

 

 

「無理矢理にでも、俺を意識して貰うぞッ!」

 

 

 相手の事情を理解もせぬ内から、殺すしかない力を放つ事などは出来ない。ならば如何する。決まっていよう。

 拒絶は理解の後なのだ。拒絶をする為に、強引にでも敵を理解する。そうするだけの手段が此処に、トーマの手元に確かにある。

 

 故にトーマは躊躇いもせず、己の願いを此処に紡ぎ上げる。それは誰かと手を取り合って、共に前へと進む彼の創造。

 

 

創造(ブリアー)――明媚礼賛(アインファウスト)協奏(シンフォニー)ッ!!」

 

 

 例え思考が人と違う生き物でも、自我があるなら同調出来る。言葉ではない形での、対話を此処に発現する。

 拒絶をされれば消える力でしかないが、それでも拒絶される迄は効果を発揮する。蒼き光が両者を包んで、互いの意識を接続した。

 

 

「おぉぉ、おぉぉぉぉぉ?」

 

 

 それは言葉の通じぬ空亡に、それでも語り掛けると言う行為。巫女が神に祈りを捧げる。祈祷とは似て非なる干渉手段。

 共に在ろうと願う心に、排他の情など欠片もない。相手を理解しようとする想いは、とても暖かい感情だ。なればこそ――百鬼空亡は歓喜した。

 

 

「柱なるか? 忠なるや?」

 

 

 これは柱であるか、否違う。これは忠であるだろうか、いいや全くそうではない。

 

 

「誠心なるや? 忠誠たるか?」

 

 

 ならば誠心であろうか、近いがちょっと違っている。忠誠だろうか、ああ残念離れてしまった。

 

 

「なんじゃろなぁ? なんじゃろなぁ?」

 

 

 これが何なのか、百鬼空亡にも分からない。唯、この感情は心地良い。遥か昔を思い出させる。そんな綺麗な感情だ。

 人の悪意に歪んだ邪龍。忘却されて歪められて貶められたこの神格。そんな邪龍が、遥か昔に受けていたのと同じ方向性を持つ祈り。

 

 そんな想いを意識に叩き付けられて、百鬼空亡は心の底から歓喜したのだ。或いは求め続けたモノは、コレかも知れぬとさえ思考した。

 優しい願い。清らかな想い。何処までも澄んだ感情を共有して、百鬼空亡は鎮められる。痛みや苦しみは未だにあるが、それでもこの力は安らぎに満ちていた。

 

 ならば最早、邪龍は脅威ではない。故にエルトリアと地球の危機は、此処に全て解決されて――否。

 

 

「が――ッ!?」

 

〈トーマ!?〉

 

 

 トーマ・ナカジマが血を吐いた。顔の七孔全てより、どす黒く濁った血が溢れる。

 立っている事さえも出来なくなって、膝を屈して倒れる少年。嘔吐と共に吐き出す血の塊は、腐った溝川の如き異臭を放っていた。

 

 

「げ、が……ぎぃ……」

 

 

 彼は共有する事を望んだのだ。共に在る事を願ったのだ。故に当然、苦痛も苦悶も病巣も、あらゆる全てを共有する。

 百鬼空亡の穢れは病だ。数千数万と人を守護した偉大な龍が、暴れ狂わなければ耐えられない程の病理。神格でさえ、膝を屈する毒なのだ。

 

 当然、未だ人のままである少年には耐え切れない。人間の身体で背負うには、その病は重過ぎた。

 

 

(オモイ)は、諸法(スベテ)に先立ち」

 

諸法(スベテ)は、(オモイ)に成る」

 

(オモイ)こそは、諸法(すべて)()ぶ」

 

 

 童女が語る。老翁が告げる。思考に始まり、行為に終わる。想いこそが、その結果を規定するのであると。

 綺麗な想いを向けてくれた。他に目的があったとしても、その行為自体は確かに尊いのだと認めよう。懐かしい想いに感謝もしよう。

 

 されど――

 

 

「穢れたる意にて、且つかたり、且つ行なわば」

 

「ひくものの跡を追う。かの車輪のごとく、苦しみ彼に従わん」

 

 

 どれ程に尊い行いであっても、我を排除しようと決めて貴方は心を繋いだのだ。

 拒絶は理解の後に、嗚呼素晴らしい思考であろう。それでも、最初から拒絶すると決めての理解に一体何の価値がある。

 

 悲しいのだ。寂しいのだ。その想いが分かってしまうからこそ、我は唯只管に悲しい。

 苦しいよりも悲しいのだ。痛いよりも寂しいのだ。我を祓ってくれぬモノ。どうして我を救ってくれぬのだ。

 

 

「――嗚呼、そうか」

 

「オン・コロコロ・センダリマトウギソワカ」

 

 

 言葉ではなく、想いを交わして理解する。其処で漸くに理解した。

 最初からトーマは、排除する為に理解しようとした。この世界を襲った時点で、止めると言う選択肢しか残ってなかった。

 

 それこそが過ちであったのだろう。最初からどうしようもないと決め付けて、抑え付けようとしたのが間違いだった。

 

 間違った想いには、間違った結果が付いて来る。だからこうして、立ち上がる事すら出来ずに居る。

 蒼い光が消えていく。己の血潮に沈んだトーマは、如何にか身体を仰向けにして、悲しむ龍の瞳を見上げた。

 

 

「それが、君の――」

 

「六算祓エヤ、滅・滅・滅・滅……亡・亡・亡」

 

 

 虫食いだらけの空の下、鉛色が全てを染め上げる。

 巨大な堕龍は泣いている。誰か助けてと口にしながら、癒えぬ病巣に苦しみ続けていた。

 

 

 

 

 

2.

 トーマ・ナカジマが倒れた瞬間、ロクス・ソルスが艦長である彼女の判断は誰よりも速かった。

 

 如何なる理由か、空亡は大地に接するモノだけ認識している。船を大地に接舷させれば、我らもまた狙われよう。

 されど避難民の数は余りに多く、小型の艦載機だけでは運び切れない。大地に船を降ろすのは、避けては通れぬ道である。

 

 ならばトーマに代わる囮を、瞬時に思考を導き出して頭を下げる。

 苦い感情を抑えながら、頼み込んだ相手は己の妹。二つ返事で頷くキリエは、すぐさま格納庫へと飛び出した。

 

 

「ブルーモードは超加速ッ! ちょっと軽すぎて使い辛いけど、四の五の言ってはいられませんってねッ!」

 

 

 跨る乗騎は鋼鉄の騎馬。姉に与えた左手の代わりに、取り付けたのは作業用のアーム。

 鉄骨が剥き出しの姿に乙女として思う所はあるが、さりとてそんな見栄えに執着している余裕はない。

 

 人間的な五本の指と、機械的な三本指。両手でグリップを握り締めると、その鋼鉄の心臓に火を入れた。

 

 

「行くわよ、ジャベリンッ! 蒼の騎士がその異名ッ! 此処に示してみなさいなッ!!」

 

 

 速度重視の調整がされたヴァリアントユニット。その加速効果を展開したまま、ジャベリンと共に走り出す。

 格納庫の扉が音を立てて開き、キリエは外へと飛び出した。全ては一つ、この狂った邪龍の意識を己に釘付ける為に。

 

 そしてそんな彼女の思惑は、見事なまでに此処に嵌った。

 

 

「女? 女だ!」

 

 

 龍の単眼が女を捉える。僅か遅れて九の龍頭が姿を捉え、そうしてキリエを追い掛け始めた。

 

 

「乳をくれ、尻をくれ」

 

「その旨そげな髪をくれろ」

 

「その子宮をわいにくりゃしゃんせ」

 

「我に血をくれぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

「お触り禁止ッ! アンタみたいな怪物に、くれてやる程安くないのよッ!!」

 

 

 我だ。我だ。我が喰らうのだ。己同士で競い合うかの如く、九の首が蠢きながらに追い掛ける。

 己を追い掛ける龍の声に吐き捨てる様な言葉を返して、キリエは更に速くと乗騎を加速させていく。

 

 

「十種の神宝どこじゃろなぁ、祓祝詞をくりゃさんせ」

 

 

 最高速度で競い合う気は端からない。質を比べてしまえば、結果は想像するに容易かろう。

 純粋な速さでは勝てない。ならば機動力の差だ。相手の身体が大き過ぎる事を利用して、此処に彼の怪物を嘲弄する。

 

 

「沖津鏡。辺津鏡。八握剣。生玉。死返玉。足玉。道返玉。蛇比禮。蜂比禮。品物比禮」

 

 

 求めたモノを見付け出し、狂喜乱舞して追い続ける百鬼空亡。

 その胴体に程近い距離を紙一重で擦れ違い、隙間を縫って空を疾走する。

 

 距離を離せば、その瞬間に潰されよう。相手の巨体の影に隠れて、キリエは乗騎を走らせる。

 されどこれは自殺行為だ。唯存在するだけで全てを亡ぼす怪物に、無傷で近付ける程に女は決して強くはないのだから。

 

 

「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、いぃ、むぅ、なぁ、やぁ、ここのたりぃ」

 

 

 空亡の傍に寄るだけで、その魂が押し潰される。意識が霞んで、思考が碌に出来なくなる。

 獲物を追い掛ける首が動く度に、凶将ですら全滅する程の衝撃波が発生する。それを間近に、浴び続けているのだ。

 

 苦痛に意識が消え掛けて、続く激痛に意識が無理矢理覚醒する。結局はその繰り返し。

 記憶の空白。意識の断絶。その隙に死なない様にと祈りながらに、キリエは乗騎を走らせ続けた。

 

 その拮抗は、数秒か、数十秒か。数分と言う事はないだろう。それでも、主観としては一日二日にも等しい。

 それ程に消耗しながらも、それでも逃げ続けるキリエ。彼女が仕掛けた持久戦に、耐えられなくなったのは空亡の方が先だった。

 

 

「六算祓エヤ、滅・滅・滅・滅」

 

 

 贄が目の前に居るのに、飛び回っていて掴めない。そんな現状に苛立って、遂に龍は癇癪を起こした。

 早く早く早く早く、早くお前の全てを寄越せ。捕まえようとしていた邪龍なりの穏便さが消え去って、殺してでも逃がさぬのだと思考が切り替わる。

 

 百鬼空亡は怒りのままに、力を一息に溜め込む。溜め込んだ力を此処に、咆哮と共に堕龍は解き放っていた。

 

 

「亡・亡・亡ォォォォォォォッ!!」

 

 

 チャージの時間は僅か数瞬。一秒にも満たぬコンマ以下で、集まる力は余りに規格外が過ぎる程。

 荒れ狂う魔震の規模は、関東大震災クラス。エルトリアの全土を崩壊させる程に、溢れる力が全てを亡ぼす。

 

 

「――っ! はっ、ほんっと、ババ引いたなぁ」

 

 

 先ず最初に、ジャベリンが消し飛んだ。次には代替でしかない、剥き出しの左腕が消えていた。

 それでも余波の全ては殺せない。直撃した訳でもないのに、展開した防御魔法や纏った強化スーツごとに砕かれる。

 

 手足が片方ずつ飛んで、腸を幾つも吹き飛ばされて、キリエは空から墜ちていく。

 そんな彼女へ向かって殺到する様に、臭気に満ちた無数の腕が次から次へと墜落した。

 

 

「痛い? 痛いィ? 苦しいィ? 悲しいィ?」

 

「痛いっーの。苦しいに決まってんでしょッ! けど、悲しくなんて欠片もないわッ!」

 

 

 躱す事も出来ない。防ぐ事も出来ない。落下を続けながらに、身体が少しずつ軽くなっていく。

 嬲り殺して痛め付け、その身を贄としてやろう。そんな堕龍の習性に苦しみながら、それでもキリエは笑っていた。

 

 

「だって、アミタ馬鹿なんだもん。絶対、ずっと引き摺るわ。だから、悲しいなんて、言ってやんない」

 

 

 泣言を言ったら、己を行かせた姉はきっと嘆くであろう。此処で死んでしまったら、あの姉はずっと引き摺るだろう。

 ならば歯を噛み締めて、痛みにだって耐えてやろう。どれ程に恐ろしくて悲しくとも、生きる事を諦めようとは思わぬのだ。

 

 

「愛しい? 憎いィ? 辛い? 悔しいィ?」

 

「これでも、キリエさんは身持ちが硬いの。惚れた相手は一人で十分ッ! 愛情は既に、品切れですってさッ!」

 

 

 腕が潰す。腕が抉る。腕が内部を犯していく。百鬼空亡は、心を踏み躙る。

 凶将による凌辱こそ其処にはなくとも、それでも余りに悍ましい光景。人の心が折れるには、十分に過ぎる地獄であろう。

 

 それでも、諦めない。生きる事を諦めないその理由は一つ。

 信じているのだ。助けてくれる。私達の英雄は、何度だって立ち上がって来るのだと。

 

 

「痛い?痛い?痛いィィィィィィィィ――キャァァァァ、ぎゃぎゃぎゃはァ!」

 

 

 小さくなった少女に向けて、堕龍がその手を振り下ろす。長く長く長く苦しめと、そして己に全てを捧げろ。

 その無数の掌が女の全てを貶めてしまう直前に、一迅の風が吹き抜けた。蒼く輝くその風は、何よりも速くと願った祈り。

 

 蒼銀の旋風に抱きしめられて、キリエは笑顔と共に見上げて告げた。

 

 

「遅いぞッ。ヒーローッ!」

 

「……ゴメン。少し、遅れた」

 

 

 口元から血を流したままに、それでも再び立ち上がった蒼銀の少年。

 余りに軽くなってしまった少女へと、星の瞳を曇らせながらに想いを誓う。

 

 

「遅れた分は、きっちり決めてくれるんでしょ?」

 

「ああ、勿論。何をすれば良いのか――俺にはもう、分かっているから」

 

「なら許すッ!」

 

 

 キリエの許しに、トーマは頷く。もう今度は間違えないと。

 何を為すべきかは既に、その胸に宿っている。ならばそう――最早、敗北などはない。

 

 

 

 

 

3.

 空に蠢く百鬼空亡。鉛色の堕龍は爛れた単眼で、己から贄を掠め取った敵を見下す。

 記憶があるかどうかすら定かではない怪物は、先の温かさとトーマを同一視出来ていない。

 

 今の百鬼空亡にとって、これは供物を奪い去った盗人にしか過ぎぬのだ。

 

 

「遠神笑美給、遠つ神愛み給へ。一切衆生の罪穢ぇ。くちおしや、あなくちおしやぁぁー」

 

 

 ボロボロの少女を抱き留めて、風の如くに後退を続ける蒼銀の少年を追い掛ける。

 悔しい。悔しい。それを何処へ持って行く。苛立ちながらに叫びをあげるが、激しい魔震ですらもトーマの速度に追い付かない。

 

 

「アアアアアアアアアアァァァーーッ!?」

 

 

 その事実を前に、まるで子供が駄々を捏ねるかの如く暴れ狂う。

 消えていく大地の中、何もかもを台無しにしようとする邪龍。それを見上げながらにトーマは、そっとキリエを大地に下した。

 

 そうして、彼女を背に庇う様に立つ。だが、武器は構えない。そんなもの、もう必要ないと分かっていた。

 

 

「……少し、初心を思い出した」

 

 

 そうして、思い出す。それはずっと昔に抱いていた想い。

 綺麗な夢ではなくて、鮮烈な記憶でもなくて、日常で確かに抱いていた小さな感情。

 

 

「全部思い出した心算で、けどやっぱり忘れていた。だけど、それでも思い出せた」

 

 

 今のトーマは、確かな一人の人間だ。エリオとの決闘を経て、彼は強く強く強くなった。

 これまでは忘れていた事。失われてしまった記憶。それさえも、切っ掛けさえあれば全て取り戻せる様になった。

 

 そうとも、神の残滓にはもう負けない。彼が一人の人間になると言う事は、その残滓を取り込んだ事を意味していたのだ。

 

 

「思い出したのは、小さな願い。渇望と言う程には重くなくて、それでも決して軽くはない。そんな大切な感情の一つ」

 

 

 涙を拭いたいと思った。泣いている子を、放っておけないと思った。取り戻したのは、そんな願いに繋がる想い。

 

 

「俺が望んでいたのは、流れる涙を拭う事。皆が幸せになれる夢。その世界に、涙なんて似合わないから――」

 

 

 損得なんて関係ない。複雑な理由や怨恨だってどうでも良い。理由なんて問うな、我は助けたいのだ。

 手を伸ばせば届く場所に、泣いている誰かが居る。涙を拭う手があるならば、助けようとして何が悪い。

 

 そうとも、トーマの答えは是一つ。故にこの今に起きる出来事は、決して戦いにはならぬのだ。

 

 

「百鬼空亡! 俺は君を見捨てないッ! 此処に、必ずその涙を拭うと約束するッ!!」

 

 

 供物を奪った少年へ、怒り狂ったままに手を伸ばす百鬼空亡。

 空を亡ぼす怪物を前にして、泣いているから救うと語る。そんな少年は此処に再び、己の祈りを言葉に紡いだ。

 

 

「風は競い合って吹きすさび、華やかな大地を旋回する」

 

 

 荒れ狂う龍の怒りが、少年の身体を傷付ける。返せ返せと襲い来る。

 そんな怒りの全てを己の五体で受け止めて、それでもトーマの瞳は揺らがない。

 

 星の如く煌きながら、蒼い瞳で見つめ続ける。今も泣いている寂しい龍を。

 

 

「海から陸へ、陸から海へ、絡まり連なり、永劫不変の連鎖を巡らせる」

 

 

 先の同調。その時、彼らは確かに繋がった。そして流れて来たのは、相手の記憶。

 百鬼空亡の正体。彼が一体何であるのか。どうしてこんなにも苦しんでいるのか。その全てを分かっていた。

 

 だから今更の同調には意味がないか? いいや、きっとそうじゃない。

 

 

「其は御使い称える生々流転。美しく、豊かな生こそ神の祝福」

 

 

 もう一度、想いを交わそう。今度こそ正しい意で、確かな諸法を形にしよう。

 神の病に対する対抗手段など、未だに何一つとしてありはしない。それでも、トーマはこの力をまた選ぶ。

 

 

「優しき愛の囲いこそ、誰もが願う原初の荘厳」

 

 

 救おうと想うなら、何故にその痛みを知らずに行えるであろうか。

 助けようと願うならば、先ずはその病巣を共有しよう。だから、もう一度――

 

 

創造(ブリアー)――明媚礼賛(アインファウスト)協奏(シンフォニー)

 

 

 俺の手を取って欲しい。そんな想いを力に込めて、トーマは再び創造位階を発動した。

 

 

 

 蒼き輝きが両者を包んで、此処に想いが共有される。空亡が感じる彼の想いは、先よりずっと温かい。

 排他の情がない、ではない。救いたいと言う想いがあるのだ。分かり合いたいだけよりも、ずっとずっと尊い想いだ。

 

 だから、その想いに安らいだ。温かな歓喜に包まれて、穏やかとなった龍は少年へと問い掛ける。

 

 

「汝、柱なるか? 忠なるや?」

 

 

 救ってくれると貴方は言った。ならばどんな贄を我にくれるのだ。空亡はそう問い掛ける。

 救うと言う言葉を、疑ってすらいない。感じる想いは確かに偽りないモノだから、きっと彼は自分に忠を捧げてくれる。

 

 確信と共に問い掛けた空亡は――しかしその想いを裏切られた。

 

 

「……俺は君に、供物を捧げる事が出来ない」

 

 

 温かな暖炉へと向かう様に、ゆっくりと伸ばされていた腐った掌。

 それが頬に触れる様な距離で、トーマは空亡の言葉を否定する。贄を捧げる事は出来ないと。

 

 

「なんで? なんで? なんで?」

 

 

 分からない。分からない。分からない。何なのだそれは、分からない。

 こんなにも彼は暖かいのに、こんなにも彼は優しいのに、救ってくれると言ったのに、何故贄を捧げてくれぬのだ。

 

 嘘だろう。何を言っているのだ。贄がなくては、この穢れを祓えないではないか。

 確認するかのように、頬に触れる爛れた手。それを優しく掴み返して、それでもトーマは首を振る。

 

 

「……ゴメン。だけど、無理なんだ」

 

 

 救いたいと願う。その想いに嘘偽りなどはない。この爛れた化外を、救いたいと確かにトーマは想っている。

 それでも、忠を捧げる事は出来ない。大切なモノを贄として、くべる事など選べない。偽る事なく、トーマはそう想いを伝える。

 

 だが、その理屈は通らない。空亡にとって、救われる事と贄を捧げられる事は等号なのだ。

 どちらかを行わないと言う選択肢はあり得ない。ならばどちらも行わないと、言っているのと同じであろう。

 

 

「くべろやぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「が――っ!?」

 

 

 どちらも行わない。詰まり、彼は己を欺いたのだ。そうと思い至った瞬間、百鬼空亡は怒り狂った。

 衝動のままに咆哮を上げて、全てを亡ぼす衝撃波を撃ち放つ。強烈な破壊の威に、トーマは全身を貫かれた。

 

 

〈トーマッ!〉

 

「大丈夫、まだ、大丈夫」

 

 

 それでも、一歩も退かない。背後に少女を庇いながらに、その痛みを自分一人で抱え込む。

 この痛みを共有してしまえば、分かり合う余地は完全になくなる。そう思えばこそ、少年は全てを一人で背負い込んだ。

 

 そうして、見上げた龍へと向かって告げる。怒りと共に己の身体へ拳を振り下し続ける龍を見上げて、トーマは想いを力に乗せた。

 

 

「なあ、空亡。君の想いも、分かるよ。伝わって来るんだ。痛い程」

 

 

 神すら苦しむ総意の毒。集合無意識の呪詛を共有しながらに、それでも今度は倒れない。

 口から血反吐を吐き出して、身体を寸刻みに切り裂かれながら、トーマは堕龍に向かって語り続ける。

 

 彼には分かっていた。共有した記憶から、空亡の全てを既に理解していたのだ。

 

 

「守ったんだよなぁ。護り続けたんだよなぁ。護り続けていたかったんだよなぁ」

 

 

 百鬼空亡は、唯の夢ではない。夢の世界に生まれただけの、廃神ではないのだ。

 その正体は人々の祈り。星の祈り。国を守護し、星を守護し、全てを護り給えと望まれた(モノ)

 

 そしてそうである事をこそ、この龍は誇りとしていた筈だった。

 誰よりも護っていたいと願っていたのは、かく在れと祈られた龍であったのだ。

 

 

「けど、皆が忘れた。君の事を忘れてしまった」

 

 

 そんな伝承があったのに、全てが最早過去へと変わった。その存在は貶められて、全く別の存在へ。

 星の化身として生まれた祈りは、人の悪意によって歪んでしまった。大地の記憶を受け継ぐ龍は、全くの別物へと変わってしまった。

 

 

「人は、星を穢した。人は、地脈を穢し落とした。そして、その挙句に、全てを焼いた」

 

 

 文明開化と共に、星の環境は穢された。淀んだ地脈の力では、忘れられた空亡は己を保てない。

 彼は星の化身であればこそ、星が弱れば彼も弱る。人間が大地を穢し続けたから、こんなにも彼は穢れてしまった。

 

 龍は守りたかった。なのに人は守らせてもくれなかった。存在を忘れて、存在を歪めて、そして全てを焼いたのだ。それが、それこそが、百鬼空亡の真実である。

 

 

「悔しかったよなぁ。痛かったよなぁ。辛かったって、凄く、凄く、分かるんだ」

 

 

 大地の化身としてあるが為に、生まれた瞬間から持っていた星の記憶。

 その全てを共有して、だから分かると語りながらに、それでもトーマは首を縦には振れないのだ。

 

 

「けどさ。大切なんだ。君が欲しいモノが、俺にとっては大切なんだ。だから、俺は与えてやれない。俺にとって、大切だから、譲れないんだ」

 

 

 どうしてもそれは出来ないのだと、詫びる様に頭を下げる。より一層に暴れ狂う猛威に対し、トーマは歯を食い縛る。

 閉ざした口の隙間から、ドロリと血反吐が零れて溢れた。元より人の身には過ぎた毒。全人類の悪意をその一身に受けて、それでもトーマは手を伸ばす。

 

 彼が伝えるその想いは、贄を捧げる事が出来ない彼にとっての唯一無二の選択肢。或いは龍を救えるかもと、彼が浮かべる解決策だ。

 

 

「だから、さ。一緒に歩こう? 一緒に頑張ろう?」

 

 

 嬲られながらに血反吐を吐いて、それでも想いと手を伸ばす。流れ込む痛みに耐えながら、その思考を共有する。

 

 トーマの選択はとても単純な解答で、余りに外れた力技。それは彼の創造位階を以ってして、初めて出来る解決策。

 堕ちた龍の身体を病が苦しめるならば、その病を跳ね除けられる程に龍の力を強化すれば良い。そんな前提を引っ繰り返す力技。

 

 

「捧げるなんて出来ないから、君の痛みを共に背負うよ。穢れを祓うなんて出来ないから、君と一緒に歩き続けるよ。俺にはそれしか出来ないから――掴んだ手は、離さない」

 

 

 元よりトーマの願いはそういう物。辛い時こそ支え合って、共に前を目指す為の祈り。

 

 共有と強化。それだけが出来る事だから、苦痛と感情を共有しながらに龍を強化する。

 彼が星の化身であると言うのなら、穢れた星を清浄な物へと治してしまえば良いのである。

 

 

「…………」

 

 

 その想いを前に、何時しか空亡の手は止まっていた。その怒りは、鎮められていた。

 不思議そうな瞳で、トーマを見詰める腐った龍。そんな空亡へと、少年は傷だらけの手を伸ばす。

 

 

「人の悪意が君を苦しめるなら、その悪意に負けないくらい強くなろう? そうなれる様に、その手を俺が引き続ける」

 

(オモイ)は、諸法(スベテ)に先立ち」

 

 

 そもそも戦うと言う発想がズレている。神は祀り、鎮めるものであり、拝跪し、畏れ、敬うもの。

 そんな理屈は、唯人の条件。人間と言う括りに縛られた前提だ。だからこそ、トーマはそんな前提を引っ繰り返した。

 

 

「星の痛みに君が苛まれるなら、その傷が塞がるまで一緒に居よう? 痛くても辛くても、ずっと傍に俺が居るから」

 

諸法(スベテ)は、(オモイ)に成る」

 

 

 愛する少女を守る為に、己を捧げられる人の強さ。そんな悲しい輝きを、きっとトーマは持ち得ない。

 弱っちいけど屑じゃない。そう誇る彼の者の様に、人としての救いを与えて上げる事は出来ない。それは確かに、トーマ・ナカジマの限界だ。

 

 

「人間として、君に供物を捧げて、君を祓い清めるなんて出来ない」

 

(オモイ)こそは、諸法(すべて)()ぶ」

 

 

 トーマの願いは、対等な相手にだけ意味を成す。手を取り合えるのは、我と彼を正しく見詰められればこそ。

 我も人、彼も人。その願いの根底にある信はそれであろう。それが限界。だが、それは現時点での限界に過ぎぬのだ。

 

 そうとも、人で彼を救えぬならば、神になれば良いだけの話であろう。

 

 

「だけど、君の手を引く為に、同じ場所に至る事は――きっと俺にも出来る事だから」

 

「清らかなる意にて、且つかたり、且つ行わば」

 

 

 彼は人ではなく神だ。その存在が人の祈りから生まれたモノであれ、既に人の規格でない。

 ならば、己も神となろう。我も神、彼も神。ならば我らは対等なのだ。共に手を繋いで、先に進む事は出来るのだ。

 

 

「そうだ。きっと、この言葉こそ相応しい」

 

「形に影のそうごとく、たのしみ彼にしたがわん」

 

 

 前へ、前へ、前へ行こう。一人では歩けぬ暗闇が先に待とうとも、今の己はたった一人じゃない。

 共に前へ進もうと、伸ばし続ける小さな掌。堕ちた龍を救い上げる為に語る言葉は、きっとこれが相応しい。

 

 

「君の名前を、君の本当の名前を聞かせて欲しい。名前で呼んで? 名前で呼ばせて? 俺と――友達になろうよっ!」

 

「オォォォォォ、オォォォォォォォォォォッ!!」

 

 

 友達になろう。その言葉と想いに返るのは、堕ちた龍の確かな歓喜。

 彼はこんなにも向き合ってくれている。とてもとても暖かい想いが確かに伝わって来る。嗚呼この今に、心が動かぬ道理がない。

 

 故に百鬼空亡は、確かに伸ばされたトーマの手を握り返した。友達になろうと、彼も確かに頷いたのだ。

 

 

「……予想外にも程があるんですけど、何これ聖人君子?」

 

〈もう許してるっぽいキリエも相当だと思うけどね。……それと、これがトーマ・ナカジマだよ。キリエはまだまだだね〉

 

「うわ、すっごいムカつく上から目線」

 

 

 倒れたキリエは目を点としながら、そんな予想外の事態に呆れを零す。呆れるだけで、しかし文句を口にはしない。

 散々に嬲られながらに、拘ってはなさそうな発言。そんなお前も大概だろうとリリィはキリエに呆れてから、優越感を含ませた言葉で胸を張る。

 

 

「けど、何となく、私にも分かる事が一つあるわ」

 

 

 自分の方が彼を理解しているのだと、そんなリリィの発言に腹を立てながらもキリエはトーマの背中を見る。

 確かに自分は彼女程に、トーマ・ナカジマを理解出来てはいないであろう。だがそんなキリエにも、確かに分かる事はある。

 

 

「トーマはきっと、やり遂げる」

 

〈うん。勿論。だって、トーマだよ?〉

 

 

 それは唯一つ、トーマ・ナカジマは必ず救い上げるであろうと言う事だけだ。

 そう語るキリエの言葉に頷いて、リリィも確かに賛同する。そうとも必ず救い出す。理由なんて、たった一つ。

 

 

〈誰かの涙を拭う為に伸ばした手を、届かせずに立ち止まる筈ないんだから〉

 

 

 泣いている誰かを前にして、彼が諦める筈がない。ならばきっと、彼は必ずやり通すのだ。

 

 

「がぁ、ぎぃ……」

 

 

 びしゃりと血反吐を吐いた。意地で耐えて来た苦痛に押し負けて、その場に倒れ込みそうになる。

 それでも、一歩も退かない。もう倒れないと決めたから、支え続けると定めたから、血反吐を吐きながらに力を行使し続ける。

 

 

「ぐっ、げぇ、が……」

 

 

 どす黒い血反吐を吐いて、急速に弱っていく全身の骨が圧し折れる。

 折れた骨に内側から突き刺されながら、それでも倒れないトーマ・ナカジマ。

 

 そんな彼を慈しむ様に、支える様に、百鬼空亡はその手を伸ばす。

 腐った掌が、患部を撫でる。痛いの飛んでいけと、童女の声が小さく告げる。そんな想いに、トーマは笑みを零していた。

 

 

「君は、優しいね。それがきっと、君の本当、なんだろうね」

 

 

 大丈夫と童女が問うて、もう十分だと老翁が告げる。そんな彼らに、トーマは笑う。

 救うと決めた。助けると決めた。それに応えてくれたのだ。なら救えなくては嘘だろう。

 

 

「大丈夫。だって此処で倒れたら、きっとアイツに嗤われる。どうせ無価値だったねってさ。……うわっ、考えただけで、腸煮えくり返りそう」

 

 

 脳裏に浮かぶ宿敵の姿。此処で倒れたら嗤われると思えばこそ、トーマが立ち止まる訳がない。

 どうだ見たか、これが俺の勝利であると。そう誇ってやらねば気が済まない。それこそ勝者の義務であろう。

 

 

「もう少し、あと一歩」

 

「オォォォォォォォォォォ、オォォォォォォォォォォッ!?」

 

 

 溢れ出した蒼き光は、トーマと空亡を包むだけでは収まらない。

 星の化身である彼を介して、その光は遥か彼方にある星までも包み込む。

 そう。地球へと届いた。協奏の力は遂に、その惑星さえも対象へと変えたのだ。

 

 故に、その変化は漸くに訪れた。漸くにその力は、僅かな変化を齎していた。

 

 

「金、色。綺麗な、色だね。それが、本当の、君なのかな」

 

「オォォォォォォォォォォ、オォォォォォォォォォォッ!!」

 

 

 鉛色の鱗が剥がれる。剥がれて落ちた鱗の下には、黄金に輝く真なる姿。

 そして変化は、それだけではない。此処より遥か離れた場所、地球で確かに起こっていた。

 

 無間焦熱地獄。全てを焼き尽された後、地球は荒れ果てた地に変わっていた。

 火が消えた後も草木は一つも残らず、新たな命が育つ事すらなくなった。そんな不毛と化した大地が――この今に息吹を取り戻し始めていた。

 

 

「がっ――はぁ、はぁ……」

 

 

 それは、小さな芽だ。不毛と化した荒野の中に、ほんの小さな芽が発芽した。

 大地が生気を取り戻す。命が星に芽生え始める。少しずつ、少しずつ、それでも確かに地球は命を取り戻している。

 

 だからこそ、空亡もまた戻り始めている。遥か昔、嘗て彼が守護神であった頃の姿へと。

 

 

「さぁ、行こう。前へ、前へ、前へ」

 

 

 手を取り合う事。辛い時に支え合って、友と共に生きて行く。それこそがトーマが最初に抱いた願い。

 前へ進む事。どんなに苦しい時だって、自分の意志で進み続ける事。それこそが、宿敵との邂逅の中で得た想い。

 

 

「漸く見付けた。これが俺の、力への意志(ヴィレ・ツァ・マハト)

 

 

 その二つを、此処で真実一つとする。此処で、相克の器を完成させる。

 誰かを救う為に、それこそ彼の理由に相応しい。今正に、トーマ・ナカジマが流れ出すのだ。

 

 

Atziluth(アティルト)――ッ!!」

 

 

 手を取り合って、前へ進もう。流れ出す理はこれが全てだ。願った想いは、それで全てだ。

 唯、それだけを強く強く強く想い――此処に今ある世界法則を駆逐して、己自身で染め上げる。

 

 

先駆せよ(Holen sie sich)――」

 

 

 誰もが夢見て、望み続けた次代の到来。生きとし全てが願った神産みは、正しく此処に成ろうとした瞬間に――

 

 

 

 

 

 

 

「……あ、やっべ」

 

 

 天魔・宿儺がそんな言葉を口から零して――五つの神威が堕ちて来た。

 

 

 

 

 

 

 

 堕ちて来た神威が内三つが、今にも流れ出そうとした少年の身体を打ち付ける。

 それ以上は許さないと、それを誰よりも望んでいた筈の彼らが、次代の流出を未然に防いでいた。

 

 

「ガァァァァァァァッ!?」

 

 

 人類総意の毒に抗い、受けた傷に耐えながら、如何にか流れ出そうとしていた。

 そんな時に横合いから全力を叩き付けられて、耐えられずに大地に叩き落される。

 

 例え神格三柱による強制とは言え、例え既に限界を迎えていたとは言え、この程度で崩れる新世界。

 その現実に彼らは落胆を抑えられずに、それを苛立ちに変えるかの如くにトーマに向かって武器を向ける。

 

 

「な、何、が」

 

「喋るな。そんな猶予は既にない」

 

 

 状況を理解出来ずに混乱するトーマに、冷たい言葉を向けるのは腐毒の王。

 先の折れた大剣を彼の首筋へと突き付けて、余計な手間を取らせるなと語り見詰める。

 

 

「動くな。最早抵抗すらも許容はできない」

 

 

 同じく、その首に剣を突き付けるのは炎雷を統べる大天魔。

 烈火の如き猛火を前に背筋が凍る。そんな矛盾を感じさせながら、其処には隠し切れない失意があった。

 

 

「理解しなさい。指一つでも動かせば、その瞬間に御終いよ?」

 

 

 そして、トーマの四肢に絡み付くは黒い影。沼地の支配者たる大天魔。

 まるで頭を垂れる罪人の如くに、トーマの身体を縛りながらに彼女が告げる。

 

 穢土・夜都賀波岐。次代を望み続けた彼らが、次代の道を断ち切る為に、今此処に揃っていた。

 

 

「――っ!?」

 

 

 そう。揃っていた。悪路と母禮と奴奈比売だけではない。彼女も其処に揃っていた。

 白い髪。翠色の和服。黄金の瞳を持った、天魔の指揮官。天魔・常世も其処に立っていた。

 

 指が触れる。掌が触れる。頬に当たる様に、顔を包むように、その手付きはまるで閨に居るかの如くに柔らかく。

 されどその瞳は何処までも冷たい。トーマを見詰める黄金の瞳は、背筋が凍り付く程に冷たい蔑視の情に満ちていた。

 

 

「テレジア。どの程度だ?」

 

「……最悪。遊佐君も、本当にやってくれたね」

 

 

 悪路が問う。間に合うかと。常世が応える。最悪だと。

 天魔・宿儺にしてやられた。その事実が結実する。それは彼らにとっては、正しく悪夢と言える事。

 

 

「コレはもう、彼じゃない。余計なゴミ(トーマ)が多過ぎる。このままじゃ、彼の魂として使えない」

 

 

 天魔・夜刀が蘇らない。トーマ・ナカジマをもう使えない。無間衆合の材料が不足していた。

 

 何故なら彼は離れ過ぎた。一人の個として完成したから、夜刀の写し身ですらなくなってしまった。

 トーマ・ナカジマは強くなり過ぎてしまったのだ。されど全てを任せられる程に、至ってなどはいなかった。

 

 だからこそ、これは詰みだ。両面悪鬼の裏切りを許したが為に、夜都賀波岐は詰んだのだ。

 

 

「浄化は間に合う? 時間は足りる?」

 

「……難しいけど、間に合わせる。絶対に、間に合わせてみせる」

 

 

 それでも認めない。もう終わったなんて認めない。故に彼らは此処で動いた。

 トーマ・ナカジマを純化させ、彼の魂を取り戻す。濾過に掛かる時間は膨大で、世界終焉に間に合うかどうかは怪し過ぎる。

 

 それでも、認めないのだ。認められない。認める訳にはいかないのだ。

 不意を打たれたとは言え、たった三柱の大天魔に倒される。そんな新世界など、流れ出したとしても後が続きはしないのだから。

 

 

「アアアアアアアアアアァァァーーッ!?」

 

 

 トーマを捕らえて、彼を消し去る算段を続ける天魔たち。その蛮行に、空亡が怒りの声を上げた。

 漸くに救われようとして、それを阻まれた。その事実に向ける怒りだけではない。友を傷付けた彼らに対し、百鬼空亡は怒り狂っている。

 

 

「おまえかやぁぁぁぁぁぁぁッ!! おのれかやぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 怒り狂う暴威は星の化身だ。如何に大天魔とは言え、その猛威を前にすれば耐えられるものではない。

 ましてや、今の彼らは弱っている。全力を出せる穢土ならば兎も角、其処から余りに遠いエルトリアでは実力の一割だって出せやしない。

 

 故に負ける。故に勝てない。例え四柱全てが同時に挑んでも、百鬼空亡は蹴散らせよう。

 その事実を理解しながらに、しかし誰も狼狽えない。恐怖も戦慄も其処になく、彼らは唯確信していた。

 

 

「やめ、ろ。……駄目、だ」

 

 

 その確信の理由を、トーマは確かに知っている。共鳴する力に、奴が来た事を分かっている。

 だから止めようと、手を伸ばす。されど身動きも許されぬ彼の声は、百鬼空亡に届く筈もなく――五柱目の大天魔が、黒き拳を振り抜いた。

 

 

「此処で――死ね」

 

 

 其は幕引きの一撃。あらゆるモノを一撃で終わらせると言う終焉の概念。

 これに耐えるには、力の量だけではなく相性が必要だ。終わらせる力に対し、対抗できる何かが必要だった。

 

 だが、空亡にそれはない。故に――唯の一撃で、百鬼空亡は終わってしまった。

 

 

「あ、あぁぁぁぁ」

 

 

 星から無理矢理分断して、その存在だけを終わらせる。百鬼空亡だけを終わらせる。

 幕引きの一撃を受けた堕龍は縋る様に、詫びる様に、トーマを見詰めながらに消滅した。

 

 後には何も遺らない。何一つとして遺せずに、空を亡ぼすモノは無となった。

 

 

「黄、龍」

 

 

 伸ばした手は届かずに、少年はまたも救えなかった。されど悔しさを噛み締める余裕すら、彼には与えられない。

 堕龍が消え去った世界に、虎面の黒甲冑が静かに降り立つ。崩壊していくエルトリアの大地に、終焉の絶望が降臨していた。

 

 

 

 

 




今回ラストは、割と久しぶりなノリ。
暫く熱血展開が続いたから、そろそろ絶望が欲しかった。


空亡ちゃんの萌えキャラ説
・友達になろうと言われて、喜びながらそれを受け入れた。
・病気で痛い痛い泣いてても、優しい声を掛けられるとつい嬉しくなっちゃう。
・虐められた友達を助けようとして、力足りず敗れた時にゴメンねって言える。

どうやら、空亡ちゃんの萌えキャラ証明が出来てしまった様だな。




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神産み編第八話 希望と絶望の狭間

独自設定注意。アカン臭も過去最高。残酷な描写にも注意。
そんな警告だらけの今回で、神産み編も終了となります。


推奨BGM
1.祭祀一切夜叉羅刹食血肉者(神咒神威神楽)
3.Albus noctes(Dies irae)


1.

 壊れていく世界の中で、潰えていく次代の希望。倒れたトーマ・ナカジマは、未だ立ち上がれていない。

 突き付けられた三振りの刃。己を縛る黒影を、打ち破る事さえ出来ずに頭を垂れる。伸ばした手は、届かない。

 

 何処にも届かない。何処にも届かせない。見下す瞳は冷たい色。

 穢土・夜都賀波岐は許さない。此処で潰えてしまうなら、そんな希望は偽りでしかないのだから。

 

 

「ふ、ざけ、やがって」

 

 

 握り締める。怒りを胸に燃やしながらに、乾いた土を握り締める。彼の心を満たすのは、理不尽な現実に対する憤怒である。

 どうして救わせてくれない。どうして己から奪い去る。何故にどうして伸ばしたこの手を、横合いから出てきて払い落とすのか。

 

 其処に如何なる理由があろうと、この怒りは静まらない。溢れる怒気が薪となり、魂の力を増幅させる。

 百鬼空亡を救おうと共有していた。故にこの身を苛んでいた病は既にない。多少の傷など、エクリプスはすぐさま塞いでくれるであろう。

 

 

「お前らァァァァァァァァッ!!」

 

 

 ならばこの展開は当然だ。故にこの展開は当然だ。膨れ上がる神威を妨げるモノは、既にない。

 悪路の剣が押し返される。母禮の刃が弾かれる。彼を抑え付けていた奴奈比売の太極が、内側から引き裂かれた。

 

 腐った男は当然と、その成り行きに納得する。燃え盛る女はそうでなくては困ると、その反抗を歓迎する。驚愕を張り付けているのは、身を引き裂かれた女ぐらいか。

 三者三様、打ち破られた彼らを前にトーマは立ち上がる。その手に剣を形成して、怒りと共に構えを取る。背負う荷が失われてしまった今、トーマが彼らに劣る道理はない。

 

 だが、怒りに身を任せて挑めない理由がある。今のトーマをして、真っ向からでは倒せない脅威が居る。

 無言のままに不動を貫く最強を、まだトーマは超えられない。彼の終焉が全力攻勢に出たならば、対抗する手段が一つもない。

 

 死を防ぐ異能がない。防御型の異能が足りない。停滞の理を、トーマはまだ引き出してはいないのだ。

 故に情勢は甚だ不利だ。四方を囲まれた数の不利。内一方は太刀打ちできない最強ならば、敗北する以外に道はない。

 

 されど、認められるものか。負けるしかないからはいそうですかと、そんな軽い怒りは持っていない。

 故にトーマは剣を構える。傷だらけの身体と疲弊し切った精神を魂で支えて、何度だって少年は此処に立ち上がるのだ。

 

 そして、少年は一人じゃない。この状況を前にして、彼の男が動かぬ筈がないのである。

 

 

「……来るか」

 

 

 口にしたのは、天魔・大獄。其処に現れるのであろう存在は、最強である彼でさえ身構える必要がある反面。

 言葉を聞いて身構える。悪路。母禮。奴奈比売。常世。彼らの表情は皆険しい。あの裏切り者が、此処で動くだろうと警戒している。

 

 そんな彼らの懸念に答えを返すが如く、彼は大地を蹴って参陣する。

 四方を五柱の天魔に囲まれたトーマの直ぐ傍に、降り立ったのは金髪鬼面の大天魔。

 

 

「司狼!?」

 

「よぉ、トーマ。……俺も混ぜろや」

 

 

 黒き鎧の少年は、その姿に僅か驚く。それでも驚愕は一瞬で、すぐさま安堵と信頼の情へと変わった。

 色々言いたい事は確かにあるが、この天魔は信頼できる。継承した記憶と己の経験。其処から確かに知っている。

 

 天魔・宿儺は、決して己の目的を諦めない。どんな状況であったとしても、その策謀の成就を求め続けよう。

 その為ならば誰であっても敵とする。その為にならば、どんな汚泥だって被るであろう。その程度の信頼は、確かに胸に抱いていた。

 

 トーマは彼に背を預ける。黒衣の少年は鬼面と背中合わせになって、己達を囲む敵を睨んだ。

 睨む視線を向けられた五柱は、警戒の念を一段上げる。流れ出そうとしていた神と、夜都賀波岐が誇る両翼の一。その両者を同時に相手取るならば、この布陣でも完璧とは言い難いのだ。

 

 故にこそ、その男の行動に誰も反応出来なかったのだろう。ニヤリと嗤った両面宿儺は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「がっ!? 司狼、お前ぇっ!?」

 

 

 訳が分からない。意味が分からない。背中を預けた瞬間、襲い掛かった宿儺に誰もが反応出来ていない。

 天衣無縫の拳を背に受け、その身を仰け反らせたトーマ。不用心なその姿に悪童が如き笑みを浮かべたままに、天魔・宿儺の腕がその身を貫いた。

 

 

〈きゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?〉

 

 

 そして体内へと流れ込む自壊法。内なる少女との繋がりが壊れてしまう前に、咄嗟にトーマはリアクトを解除する。

 其れこそ鬼の思惑通り。飛び出す少女の首を掴むと、その胸元に光る何かを押し付けながら、その胴体を思いっきりに殴り飛ばした。

 

 風に吹かれた紙屑が如く、二転三転しながら吹き飛ばされる白百合。呆然としていたキリエを巻き込んで、彼女達は転がりながら大地に倒れた。

 

 

「悪いな。そういう事だ」

 

「……この、くそ、しろう」

 

 

 体内に自壊の毒を流されて、内なるエクリプスが暴走する。それを必死に抑え付けようともがくトーマに、再び振り下ろされる鬼の剛腕。

 疲弊疲労消耗と、予想外にも程がある裏切り。その全てが重なった今に、耐えられる道理はない。余りにもアッサリと、トーマの意識は断ち切られた。

 

 

 

 

 

 そして、沈黙が場を支配する。困惑する四柱の大天魔を前に、宿儺はニヤリニタリと嗤い続ける。

 意味が分からない。訳が分からない。それでも現状を如何にか噛み砕き、先ず最初に悪路が彼へと問い掛けた。

 

 

「一体、どう言う心算だ。ゲオルギウス?」

 

 

 その言葉は、この場の誰もの胸中を代弁した物であっただろう。

 怪訝な視線で見られた天魔・宿儺は、それでもニヤケタ笑みを欠片たりとも揺るがせない。

 

 

「おいおい。言っただろうが。……俺はお前らのこと、仲間(ツレ)だって思ってるんだぜ? 裏切るなんてあるわけねぇだろ」

 

 

 平然とした表情で、ふざけた言葉を口にする。そんな両面悪鬼を前に、向けられる敵意は変わらない。

 何を言っているのか。信じられると思っているのか。怒りさえも抱く天魔達を前にして、両面宿儺は素知らぬ顔だ。

 

 事実、彼は何一つとして気負うていない。天衣無縫の技の冴えと同じく、その在り様を縛る事など誰にも出来はしないのだ。

 

 

「……正気か、貴様」

 

「遊佐君、貴方ねぇ。それで本当に通ると思っているの?」

 

 

 悪路が冷たい瞳で、母禮が呆れた声音で、それでも両者共に業火の如き怒りを内に宿している。

 そんな二人の言葉をその身に受けて、されど宿儺は怯みもしない。戯けるなと言う声に対して、彼が見せるは傲岸不遜な居直りだ。

 

 

「硬ったいねぇ、お前さんら。一度や二度の裏切り程度でグチグチ言うなよ。結局こうして戻って来たんだ。すぐさま許すが度量じゃねぇのか?」

 

「……うっわ、なんかすごい事言い出したんだけどコイツ」

 

 

 何を企んでいるのか。一体どの様な心算で嘯くか。冷たい瞳を前にして、器量が狭いとせせら笑う。

 両面宿儺のそんな言葉に、奴奈比売は呆れた様に言葉を紡いだ。真面に取り合う方が馬鹿を見る。まるでこれはそう言う手合いだ。

 

 厚顔無恥で傲岸不遜。誰にも裏を取らせぬ悪鬼は、悪童の如くにヘラヘラ嗤う。

 元より誇りなど捨てている。端から拘りなんて捨て去った。最初から最後まで徹頭徹尾、彼の望みは己が策略の成就だけ。

 

 そうとも、この状況は宿儺の思惑通りである。此処までが全て、彼にとって都合良く動いている。

 

 不味いと口にしたあの言葉。やばいと語った言葉の向いた対象は、天魔襲来ではなく少年の流出に対してだ。

 両面宿儺が求めていたのは、流出可能な域に至ったその魂。されどこの場で流れ出す事を、彼だけは未だ望んでいなかった。

 

 

「ま、あれだ。最後には結局仲良しな俺達でしたって感じでよぉ。また流してくれや」

 

「…………」

 

 

 やばい。アイツら間に合わねぇ。彼の零した独音が、宿した意味はそれだった。

 故にこそ良くぞ間に合ってくれたと、冷たい視線を向ける仲間達を彼は本心から歓迎していた。

 

 ここまでの全てが思惑通りと言う訳ではない。外れた意図も確かにあって、予想外など山とある。それでも、結果は思惑通り。

 過程で幾らズレようと、結果良ければそれで良い。そんな鬼の記した絵図面は、もう既に完成している。仮に己の策略を暴かれようが、最早覆せはしない。

 

 後は唯、皆が全力を出せば良い。穢土・夜都賀波岐が、トーマ・ナカジマが、今に生きる全ての者らが、全身全霊で事に挑めば鬼の策は成就するのだ。

 

 

「ほら、さっさと行こうぜ。早くしねぇと、トーマの純化が間に合わな――」

 

 

 故にこそ、両面悪鬼の役目は終わった。ならばこそ、その男は此処で動いた。

 次代を見極める鬼の顔に、次代を試す男の黒き拳が打ち込まれる。幕引きの一撃が、天魔・宿儺を打ち抜いていた。

 

 咄嗟に自壊の法を展開して、だがそれごとに砕かれる。時の鎧を必死に集めて、それでも纏めて潰される。

 命の大半を一撃で磨り潰されながら、天魔・宿儺は殴り飛ばされる。夥しい量の血反吐を吐きながらに、悪鬼は崩れて大地に落ちた。

 

 

「テ、メェ、……くそ、甲冑。なに、しやが、る」

 

 

 即死ではない。だが、半殺しなどと生温いレベルでもない。九割九分九厘は殺された。最早身動き出来ぬ程、一手で全て崩された。

 正面から終焉の拳を叩き込まれ、鼻が折れて歯が砕けた鬼の顔。立ち上がる事すら出来なくなった宿儺は、恨み言を呟きながらに終焉を見上げる。

 

 見上げられた終焉は、役目を終えた見付けるモノへと冷たい言葉を投げていた。

 

 

「お前の戯言に、付き合っている暇はない。……もう、黙っていろ」

 

 

 両翼が争い合えば、穢土・夜都賀波岐は崩壊する。それは両者が健在であれば、と言う前提条件の下に成り立つ法だ。

 今の宿儺はエルトリアと言う大地に居るが為に、その戦力値を大きく引き下げてしまっている。対して大獄は、何処で在ろうと決して変わりはしないのだ。

 

 ならばこそ、この結果は当然だ。四柱が動揺している間にも、宿儺の隙を伺っていた終焉の怪物。その一撃は防げない。

 虫の息となった両面は、恨み言を口にするだけで精一杯。倒れて血反吐を吐く怪物は、他に何も出来ぬまま、己が策謀の成就を前に沈黙した。

 

 

 

 再びの静寂。僅かに飲まれていた常世は、一呼吸をすると意識を此処に切り替える。

 時間がない事を思い出したのだ。故に何時までも呆けてはいられない。すぐさま次の動きに移るべきだろう。

 

 

「……予想外はあったけど、戦果としては十分、だね」

 

 

 此度のエルトリア遠征。過程は予想外に過ぎたが、結果として見れば最上だ。

 トーマは無事回収出来た。宿儺は此処に沈黙した。味方の消滅すらも予想していて、だが誰も欠落していない。

 

 出来過ぎなくらいのこの状況。その全ての絵図面を描いた鬼に、僅かな懸念を抱いてはいる。

 されど既に虫の息。放っておけば消滅する。如何にこの悪鬼であっても、これでは何も出来ぬであろう。

 

 天魔・常世は倒れたトーマの前に膝を付く。大切なモノを抱き締める様に彼を抱き上げると、そのまま配下へ指示を下した。

 

 

「マレウス。お願い」

 

「はいはいっと、ま、正直気が進まないんだけどさー」

 

 

 見詰める視線の先には、消え掛けている両面の鬼。此処で消滅されてしまえば、無間衆合の材料が不足する。

 誰かが回収する必要がある。されど今の彼では、悪路や母禮の太極にすら耐えられないだろう。当然、保管の役を担える者は彼女のみ。

 

 過去の体験故に多少は気が引けるが、彼女にしか出来ない消去法だ。多少の恐怖やトラウマなどは、飲み干して見せるまで。

 

 

「じゃ、Auf Wiedersehen、ゲオルギウス。彼が甦る時には使ってあげるから、それまで魂だけになって反省してなさい」

 

 

 擦れて消えていく天魔・宿儺は、沼地の泥に包まれて行く。

 停滞の理を持つ太極に飲まれながらに――それで宿儺は、確かな笑みを浮かべていた。

 

 

「それじゃあ、行こうか」

 

 

 為すべきは終えた。そして次にやるべき事が溜まっている。この少年を浄化する為に、時間は幾らあっても足りていない。

 故に最早此処に居る意味はない。夜都賀波岐の大天魔たちは次々に、この世界から立ち去っていく。崩壊するエルトリアを背に、彼らはもう振り向かない。

 

 

「トーマ」

 

 

 倒れた白百合は、如何にか起き上がろうと手を伸ばす。それでもその手は届かない。

 キリエと二人支え合って、如何にか立とうともがいている。それでもその瞬間を待ってはくれない。

 

 

「トーマ」

 

 

 返せ返せ。それは私のモノである。それは私の最愛なのだ。

 必死に伸ばす手とそこに籠った想いは、しかしその断絶を超えられない。

 

 一柱、一柱、夜都賀波岐は消えていき、少女の手は空を切る。決してその手は届かない。

 冷たい目で見詰める事すらせずに、夜都賀波岐は消え去った。白百合にとって最愛の、優しい少年を連れ去って――

 

 

「トォォォマァァァァァッ!!」

 

 

 分かたれた絆を前に、少女は悲鳴にも似た絶叫を上げてその名を呼ぶ。

 されどやはり届きはしない。消え去る最中に振り返った黄金の光は、鬱陶しそうに見下すだけ。

 

 お前なんかに、渡しはしない。冷たい瞳で一瞥した後、天魔・常世も最後に消えた。

 

 

 

 かくして、神の魂は夜都賀波岐が掌中に落ちる。

 トーマ・ナカジマが消えた時、全ての世界は凍って止まってしまうであろう。

 

 

 

 

 

2.

 世界が滅びる。空と大地が崩れていって、宇宙空間でさえも消えていく。

 

 最後に残されたエルトリアの希望。ロクス・ソルスの艦橋にて、彼らは戦い続けている。

 赤いランプが点灯し、警告音が鳴り響く艦内。滅びの時を前にして、誰もが必死に抗っていた。

 

 

「キリエ・フローリアン! リリィ・シュトロゼック! 回収完了しましたッ!」

 

「なら、もう待てませんッ! 緊急発進! エルトリアから脱出しますッ!!」

 

 

 天魔達が去った後、命を賭けて動いた回収部隊。彼らの報告を耳にして、アミタは此処に決意した。

 まだエルトリアの惑星内に、残った人々は居るだろう。だがもう助けに行く時間はない。リリィとキリエの二人ですら、限界寸前だったのだから。

 

 故に脱出を。この惑星から離脱して、転移空間へと移動する。その為にも先ずは障害のない宙域へと、だがその判断が既に最早遅かった。

 

 

「駄目です! 大気圏脱出レベルまで、出力が上がりませんッ!」

 

 

 度重なる龍の咆哮。落下の際の衝撃に、ロクス・ソルスの船体は既に多大な被害を受けている。

 修復の為の時間はなくて、船体全てが軋みを上げている現状。自壊を防ぐ為のセーフティが起動して、船の出力が上がってくれない。

 

 この出力では、大気圏外には脱出できない。惑星内で長距離転送は、余計な障害が多過ぎて難しい。

 船を修復している時間はない。セーフティを解除している余裕はない。此処から転送魔法は使えない。ならば最早、詰みである。誰かが此処に悲鳴を上げて。

 

 

「っっっ! だからって、諦めないでッ! 余計な場所はパージしてッ! 少しでも船体を軽くッ!」

 

 

 それでもアミタは諦めない。斬り捨てた者。背負った者。その重さが諦めを許さない。

 艦の修復も制限解除も間に合わぬなら、船体自体を軽くする。低出力のままに脱出を、出来る出来ないではなくやるのだ。

 

 余計な機能をパージする。不必要な区画を排除する。隔壁を降ろして、少しでも上へと。

 設計時点の想定人数を、救出出来ていない現状が幸いした。誰かを犠牲にせずに、それでも出来る事が未だ残っている。

 

 

「やるべき事を、全部――例えやれることがなくなったとしても、生きている限りは進むんですッ!!」

 

 

 同時進行で、制限解除と艦の修復も行わせる。間に合わないからやらないと、そんな理屈は通さない。

 間に合わせるのだ。間に合わなくても、生きている限りは進むのだ。それが託された者の義務であると、アミタは確かに分かっている。

 

 

 

 されど、どれ程に強く想っても、その現実は変わらない。

 どうしようもない程に最悪な現実は、更に更にと悪化していく。

 

 

「エルトリア、消滅。……ロクス・ソルス、虚無空間に墜落ッ!?」

 

 

 大気圏を離脱する前に、エルトリアが消滅した。虫食いが全てを飲み干して、何もない場所へと墜ちていく。

 それは何処か虚数空間にも似た光景。何処までも何処までも底なし沼の如くに落ちていく、其処は何もない世界。

 

 誰もが不安になった。誰もが恐怖を抱いた。それは生物として、根源的な恐怖である。

 このままでは生きていられない。このままでは死んでしまう。誰もが理屈ではなく本能で、その恐怖を感じていて――

 

 

「総員ッ! 傾注ッッッ!!」

 

 

 それでも、アミティエ・フローリアンは諦めない。

 諦めずに戦い続けた英雄の背中を知るからこそ、諦めるなんて選択肢は端からないのだ。

 

 

「諦めないでッ! どんな時だって、前を見続けてッ!!」

 

 

 前に進もうとして、本当に進めているかも分からない。

 上に上がろうとしても、一体己達が何処に居るかももう分からない。

 

 そんな虚無の底でも確かに、諦めるなと女は語る。諦めてしまえば、其処で全てが終わるのだから。

 

 

「全てを知る私達が生きなくちゃ、結局何も遺らないッ! だから、諦めちゃいけないんですッ! それは、絶対に絶対ですッ!!」

 

 

 アミタは世界の真実を知らない。この世界がどの様に生まれたかを知らない。

 それでも、分かる事がある。見た事もない怪物達がトーマを連れ去った。その事実を、誰かに伝えないといけないと言う事だ。

 

 誰もがそれを知らないままに、彼女達が消え去ればそれこそ世界の終わりであるのだ。

 誰にも知られぬままに世界全てが凍り付き、全ての可能性が其処で失われてしまうのだから。

 

 だから、諦めるな。だから、進み続けよう。だから、命が終わる最期まで抗おう。

 そんな艦長の言葉に、恐慌していた者らが頷く。阿鼻叫喚の地獄となる前に、彼らも確かに前を見た。

 

 生きるのだ。生きて、終わらせないのだ。何時かエルトリアに帰る為に、今を確かに生き抜くのだ。

 想いを新たに其々が己の役へと戻っていく。ロクス・ソルスに火を入れて、無駄となっても前へと進むのだ。

 

 そんな、抗う意志を持ち続けたが為であろうか。彼らは人類史で初めて、生きて“外”を認識した。

 

 

「……え?」

 

「これが、虚無の、向こう側?」

 

 

 虚無の空間が、唐突に途切れた。まるで薄い膜を抜けた様に、僅かな抵抗の後に其処へと墜ちた。

 此処は彼らの世界とは別の場所。偉大な神が流れ出す前、虚数の向こうにあった世界。それを始めて、彼らは目にした。

 

 

「青い、星。水が、海があるのか!?」

 

 

 瞬く小さな星々は、見上げた夜空と同じ物。星が浮かんだ暗い海の中に、宝石の如く輝く青い星。

 誰もが思った。まるで宇宙空間から、エルトリアを見た時と似ている。虚無の向こうは、我らの世界と変わらぬのではないかと。

 

 嗚呼、そんな想いは唯の甘えだ。本能が語る警鐘こそが正しい。此処は、彼らの宙じゃない。

 故にこそ、その破綻は当然だった。ロクス・ソルスと言う方舟を舞台に、その破滅は幕を開いた。

 

 

「あ、あぁぁぁぁっ!?」

 

 

 誰かが、叫び声を上げた。誰もが、悲鳴を此処に上げていた。

 

 

「腕が、消えていく」

 

「足が、俺の足がぁぁぁっ!?」

 

 

 消えていく。消えていく。消えていく。キエテイク。誰もが魔力素に分解されて、その存在が消えていく。

 腕が消えた。足が消えた。頭が消えた。人が消えた。ボロボロと、ボロボロと、次から次へと誰も彼もが崩れていく。

 

 

「皆、どうして……――っ!?」

 

 

 叫ぼうとしたアミタは気付く。気付いて、絶叫を抑えるのが限界だった。

 振り返ろうとした己の身体。その全身が薄ぼんやりとぼやけていって、ゆっくりと解ける様に消えていく。

 

 唯、崩れる様に消えていく。誰も彼もが例外なく、この世界から消滅していく。痛みがない事が、何よりも恐ろしかった。

 

 

 

 再び恐慌の中へと沈んでいく艦橋。今度はアミタも止められない。

 誰も彼もが消えていく。消え去るのは人だけではなく、あらゆる全てが消えていく。

 

 それは、ロクス・ソルスも例外ではない。この船も少しずつ、崩れ落ちる様に消え始めていた。

 

 

「……ここ、は」

 

 

 そんな船の医務室に回収されたリリィは、この事態を誰より確かに認識していた。

 

 

「ああ、そうか。此処は、違う場所」

 

 

 虚無の向こうにあるこの場所は、彼女達が生まれ育った場所ではない。

 神の身体の外側に、偉大な彼の加護はない。だからこそ、彼女達はこの世界で生きられない。

 

 今の時代の人間が持つ魂は、自分で自分を形成出来ない程に弱いのだ。

 神の力で魔力を肉体としている彼らは故に、神の加護が届かぬこの世界では存在すらも許されない。

 

 

「私達が、生きていて良い場所じゃない」

 

 

 神の内で生まれた彼女達は、魂の力である魔力によって創造されたモノ。

 血も肉も、水や大気や大地でさえも、全てが魔力で成り立っている。この世界とは、そもそも法則が違うのだ。

 

 この世界の大地は、魔力とは別の物で出来ているのだろう。この世界の大気とは、魔力とは別の物で出来ているのだろう。この世界の全ては、魔力とは別の物でしかない。

 

 

「だから、私達は消えるしかない場所なんだ」

 

 

 リリィの腕も消えていく。その身体も崩れていく。零れ落ちる様に、何もかもが壊れていく。

 手を伸ばしても届かない。己を形成すらも出来ぬ弱く儚い魂では、この外側で生きる事すら出来ぬのだ。

 

 

「トーマ」

 

 

 リリィ・シュトロゼックが消えるまでに掛かる時は、他の誰よりも長いだろう。魂の質の差が、確かに其処に形となる。

 それでも、違いはほんの僅かであろう。先ず最初にエルトリアの民が、次にフローリアン姉妹が、最後にリリィが消え失せる。

 

 そうでなくとも、ロクス・ソルスが消えれば終わりだ。何もない宇宙空間に投げ出されて、何も出来ずに死か消滅を待つしかないのである。

 

 

「リリィ。諦めたの?」

 

 

 だから、もうどうしようもないのだと。届かぬ手を窓に映る青い星へと向けて佇むリリィ。

 そんな彼女に向かって、キリエ・フローリアンは問い掛ける。もう諦めてしまうのかと。

 

 

「キリエ」

 

「だったら、私の勝ちね。だって、私は諦めないもん」

 

 

 その身は薄らいでいく速度はリリィよりも早く、それでもキリエの瞳は彼女よりも力強い。

 お前が諦めるならば私の勝ちだ。そう恋敵に勝ち誇りながら、キリエは決して諦めない。その瞳は何処までも、前を見詰め続けていた。

 

 

「そうだよ。諦めるもんか。諦めて堪るか。私達は何時か、必ずエルトリアに帰るんだからッ!!」

 

 

 消えていく。消えていく。消えていく。何もかもが消滅する最中に、それでも強き姿に心を打たれる。

 雷鳴の如き衝撃に呼吸が止まって、そして思考は切り替わる。そうとも、諦めない。諦めたくない想いは、あるのだ。

 

 奪われた愛しい人。浚われたトーマ・ナカジマ。彼と共に生きる世界を、リリィだって諦められない。

 それはエルトリアに帰るのだと心に決めた彼女達の想いにも、勝るとも劣らない程の強き願い。ならばどうして諦められる。

 

 出来る事がある筈だ。やれる事がある筈だ。消えるまでに、時間はきっと在る筈だ。

 そう意識を改めて、自分の意志で立ち上がる。そうした瞬間、リリィの懐から何かが零れ落ちて来た。

 

 

「青い、宝石?」

 

 

 コロンと音を立てて転がったのは、掌に納まるサイズの青い宝石。

 小さな菱形の宝石は、リリィが見た事もない物で、どうして此処にあるかも分からぬ物。

 

 いいや、一つだけ心当たりがある。リリィが知らないのにあるのなら、これはあの時に仕込まれたのだ。

 

 

「天魔・宿儺」

 

 

 両面の鬼に殴り飛ばされる直前に、押し付けられた冷たい何か。

 懐を漁る様に投げ込まれた物こそが、天魔・宿儺が穢土より持ち出していた願いの宝石。

 

 ジュエルシード。人の想いを叶える願望器。高密度な魔力結晶体である。

 

 

「これが、貴方の企みだって、言うのなら――」

 

 

 泥に飲まれて消え去る時まで、嗤い続けていた両面悪鬼が仕込んだ宝石。

 恐らくこれも、彼の企みが一つであろう。此処でコレが必要になると、あの悪鬼は読んでいたのであろう。

 

 その策略に乗るのは確かに業腹だが、それでも一つ言える事がある。それはきっと、この今に掴んだコレこそが最も大きな希望である事。

 

 

「ううん。そんなのは関係ない。これが、これだけが、生きて帰れる可能性なら――」

 

 

 ならば、利用されている事など関係ない。その策謀に踊らされるとしても構いはしない。

 皆で生きて帰るのだ。生きて明日を繋ぐのだ。その為に必要な物が彼の神格が企みで用意されているならば、寧ろ神様が保障してくれていると考えてしまえば良い。

 

 故にリリィは石を両手に握り締め、己の願いを此処に託した。

 

 

「応えて、ジュエルシードッ!! 私達に、明日を――っ!!」

 

 

 青き光が溢れ出し、リリィを、キリエを、アミタを、エルトリアの人々とロクス・ソルスを、全てを包み込んでいく。

 生きたいと願う想いに嘘はない。帰りたいと思う心に否はない。何処までも純粋な祈りを前にして、欠陥品の願望器は確かに応えた。

 

 そうして、青い光が輝いて、光は一瞬で消え失せる。その後には、船の姿も人の姿も何処にもなかった。

 

 

 

 最後の希望を宿した方舟は、こうして世界の狭間で願いと共に虚無の向こうから消失する。

 世界が終焉を迎える日を前に、方舟が希望を繋ぐ事が出来るのか。それは未だ、誰にも分からない。

 

 

 

 

 

3.

 蠅の羽音がする。ブンブンと、死肉を漁る音がする。

 

 

 

 夜空を照らす都市の灯りを見詰めて、少女を抱き締めた女は微笑む。

 無作為転移の果てに此処に来て、漸くに見付けた人の営み。ほっと一息を吐いて、機械の女は問い掛けた。

 

 

「ヴィヴィオ。疲れてはいませんか?」

 

 

 ウーノの言葉に返るのは、何も見てない胡乱な瞳。ぼんやりとした少女は未だ、命令なくば思考も出来ない。

 故に首を傾げる彼女に、小さく苦笑しながら頭を撫でる。何処か気持ち良さそうに細まる瞳に、ウーノは一人安堵した。

 

 この程度の情動は未だ残っている。ならきっと、この子は助けられる筈である。

 幸せになって欲しい。救われても良いだろう。守りたいと、機械の乙女は初めてそう感じたのだ。

 

 

「先ずはあの街で一晩過ごして、ミッドチルダを目指しましょう」

 

「?」

 

「貴女のお母さんの下へ、一緒に帰りましょう? ヴィヴィオ」

 

 

 慈しみと共に語る。所詮己の想いは代替の母性。ならば本当の母の下へと、彼女を届ける事こそ役目であろう。

 優しく語るウーノの言葉に、ヴィヴィオは何処か怯える様に身体を震わせた。母、と言う言葉に反応しているのだろうか。だとすれば、きっとそれも良い事だろう。微笑むウーノは、もう一度少女の頭を撫でた。

 

 

 

 蠅の羽音がする。ブンブンと、死肉を漁る音がする。

 

 

 

 母は己を受け入れてくれるであろうか。そんな風に怯えるヴィヴィオの頭を撫でながら、ウーノは一歩を踏み出していく。

 あの光の下へ、あの営みの下へ、この子だけでも暖かで幸福なあの場所へ。そんな女の願いは此処に、嘲笑う蟲によって踏み躙られた。

 

 

「あ、れ」

 

 

 足が縺れる。膝が崩れ落ちる。蟲の羽音が聞こえてくる。

 吐き気がした。喉元から溢れ出す何かを抑えられず、思わずヴィヴィオを突き飛ばす。

 

 そうして、両手を付いたウーノは口を開いた。嗚咽と共に零れたのは、無数の足を持った節足動物。

 不浄の蠅。無数の百足。這いずる毛虫に毒虫に、あらゆる汚泥が噴き出し溢れる。溢れ出した汚れが止まらない。

 

 この汚泥が何か。この蟲が何であるか。ウーノは確かに知っている。

 故にその名を、己までも喰らうのかと瞠目しながら、悍ましい女の名を口にした。

 

 

「くあっ、とろ。貴女、は」

 

 

 もしも仮に、ヴィヴィオを届けに来たのがエリオだったならば結果は変わっていた。

 イクスを念入りに殺菌したのと同じ様に、ウーノに仕込まれていた卵にも気付いて焼いていただろう。

 

 だが、それは所詮もしもの話。成立しなかったイフの事象。この今に、生き汚い魔群は再び牙を剥く。

 自分一人では生きられぬから、腐炎に焼かれて自我すら真面に保てぬから、それでも生きていたいから――此処に己の姉妹すらも喰らい尽くすのだ。

 

 

「オ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛、ア゛ァ゛ァ゛メ゛ン゛、ク゛ロ゛ォ゛ォ゛リ゛ア゛ァ゛ァ゛ス゛」

 

 

 蟲の羽音がする。死肉を貪る音がする。命を喰らい尽くす音が響く。

 聞き取り難い程に摩耗して、思考が出来ぬ程に消耗して、それでも生きていた魔群がウーノを内から貪り喰らう。

 

 

「ヴィヴィ、オ。逃げ、て」

 

 

 縋る様に手を伸ばす。そんな女の全てを喰らう。血を、肉を、臓物を、魂までも糧とする。

 

 それでも足りない。これでは足りない。まるで何もかもが足りていない。

 腐炎によって予備が焼かれた。罠と仕込んだ卵は残っているが、それでも歪んでしまった魂を戻せる程の量が不足している。

 

 少しでも多く、魂を補給しなければいけない。そうでなくば消えてしまう。

 僅かでも良いのだ。誰でも良いから喰らわなくては、クアットロは死んでしまう。

 

 生きたい。生きたい。生きたい。生きたい。唯只管に想うはその一念。

 帰りたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい。外の世界は恐ろしい。我はあの箱庭に、父と過ごした白い家へと帰りたい。

 

 だから、だから、だから、だから――

 

 

「オ゛マ゛エ゛モ゛ク゛ワ゛セ゛ロ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ッ!!」

 

「――っ!?」

 

 

 溢れ出した蟲が、ボロボロの手を伸ばす。人型を形成しようとして、失敗している何か別物。

 黒い黒い汚物の塊が、人の手に似せた棒を伸ばす。糞の塊の様な汚臭を前に、ヴィヴィオは確かに恐怖した。

 

 ウーノの死に心を打たれて、溢れ出すクアットロの情念に威圧され、訪れる死を前に恐怖する。

 それは確かに感情の発露ではあったが、此処に至っては最悪の要素。恐怖故に幼い少女は、腰を抜かして倒れてしまったのだ。

 

 

「あ、ああ」

 

 

 起き上がれない。立ち上がれない。這って逃げる事すら出来ない。襲い来る悪霊を前に、涙を浮かべて震える事しか出来ていない。

 起き上がらない。立ち上がれない。それでも這い摺りながら迫って来る。喰わせろ。喰わせろ。喰わせろ。喰わせろ。汚物の塊は、その手を少女に届かせて――

 

 

「Nihili est qui nihil amat」

 

 

 闇が、汚物を包み込んだ。

 

 

「一体何ガ起きテルか、まるで何も分かりまセんけド、同胞ヲ傷付けルは、盟主とシテ許せませんヨ。クアットロ」

 

 

 闇の一塊に包まれて、足掻き悶えるクアットロ。されどこの闇はたった一枚で、一日にも相当する壁となる。

 脱出する為には、単純に時間が足りていない。故にこそ闇の牢獄に囚われたクアットロは、それ以上何もする事が出来なかった。

 

 足掻いて、足掻いて、諦めたのか。力を少しでも温存する為に、蠢く事を止めた羽虫の群れ。

 それに溜息を吐いてから、黒い法衣に身を包んだ女はヴィヴィオに視線を移し、特徴的な口調で問い掛けた。

 

 

「アスト。貴女は知テますカ? 説明できまスか? 何故、こうなったネ?」

 

「………」

 

 

 黒衣の女の問い掛けに、しかしヴィヴィオは答えない。答える事が出来ないのだ。

 恐怖で言葉を失った少女は、既に壊れている彼女は、嫌々と首を左右に振り続けるだけ。

 

 そんな少女の有り様に、黒衣の女は再びの溜息を吐いた。

 

 

「全く、これジャ契約違反ヨ、スカリエッティ。お前ノ目的に付き合テ我慢シたのニ、無限蛇が壊滅ジョタイじゃないでスか」

 

 

 女はスカリエッティの協力者。彼と盟約を結び、共に闇夜で蠢くと助力し合った者である。

 彼が掲げる神殺しの求道。それを成し遂げた後に、女の復讐に付き合う事。それこそが、両者が交わした契約だ。

 

 されど、何時まで経っても彼らは合流して来ない。何処ぞへと消え失せたのか、この二ヶ月間まるで反応がなかったのだ。

 そして女も、自由に動ける身ではなかった。反天使達とは異なる改造を施された女は、つい先日までこれ程の力を持ってはいなかった。

 

 そんな女の力が、女にも分からぬ内に肥大化した。そうして広がった視野は、疑似的な天眼と化した。故にこそ、此処で彼女達を回収出来たのだ。

 

 

「マ、とりあエずは、クアットロに餌でもやリますカね。喰わセる塵ハ、山程アるヨ」

 

 

 黒衣に繋がる頭巾の下に、隠れた瞳が蒼く輝く。浮かんだ蛇の刻印は、神に繋がる証左であるカドゥケウス。

 彼女こそが四人目。トーマとエリオとザフィーラに続く、第四の神格接続者。スカリエッティによって、トーマの魔導核(リンカーコア)を移植された者。

 

 トーマ・ナカジマが夜都賀波岐に囚われ、夜刀の神体へと接続された。

 故にこそ、この女の力は高まっている。既に神格域に届かんとする程に、女に宿った力は原初の闇だ。

 

 

「待っててネ、火影。直ぐニ、全部、綺麗にするヨ」

 

 

 黒い法衣が風に揺れ、女の素顔が月下に映る。暴かれたのは、アジア系の顔立ちをした美麗な姿。

 だが、女は己の美貌を嫌っている。なまじ美しいかったからこそ、あの凄惨が過ぎる地獄に堕ちたのだ。

 

 憎むべき場所。生まれ育った組織を抜けて、辿り着いた陽だまりの様な幸福な居場所。

 9つの時には人を殺した。12の時には実父を殺した。そんな罪に塗れた自分を、それでも受け入れてくれた場所。

 

 だが、あの場所はもう何処にもない。汚らわしい吸血鬼。夜の王を僭称する男によって、全てが蹂躙されてしまった。

 家畜の道具として生き延びた女は、その尊厳を踏み躙られた。犯され、壊され、それでも生きた。理由は一つ、憎悪によって。

 

 

「吸血鬼は皆、殺ソウ。汚いモノハ、全部闇に沈めよネ。貴方がマタ、生まれてクる前に、ちゃんと世界ヲ綺麗にしておキまスよ」

 

 

 香港国際警防隊の生存者。嘗て龍と呼ばれた組織で、生き抜いてきた一人の女。

 憎悪に濁った瞳を蒼く染め、嗤う女の顔には蛇の入れ墨。抜け出して来た地獄へと、己の意志で戻る事を誓う証明。

 

 己を貶めた、氷村遊はもう何処にもいない。それでも、まだその血族は残っている。

 だから、故に、全て滅ぼす。あんな生き物が居てはいけない。だから全てを、この我が滅ぼし喰らうのだ。

 

 

「無限蛇の盟主――“闇”を得た私、菟弓華(トユンファ)が必ずネ」

 

 

 何処までも堕ちた女は地獄の底で、狂った様に嗤い続ける。

 闇の牢獄に囚われた魔群と、壊れて動かなくなった魔鏡。二柱の反天使を従えて、狂気の復讐者は動き出す。

 

 目指すは一路、第九十七管理外世界。其処に生きる夜の一族を、一人残らず殺し尽すまで――菟弓華の復讐は止まらない。

 

 

 

 

 




そんな訳で、無間蛇の盟主にとらハ1から魔改造キャラ登場。
ルートヴィッヒと化した菟弓華さんが、楽土血染花編でのボス敵です。

多分、二次創作で此処まで強化された弓華さんは他に居ないと思う。そしてこれ程酷い境遇にしたSSも存在しないと思う。
(そもそも原作不人気キャラだから、二次では出番自体がないとか言ってはいけない。出て来る作品が少な過ぎて、作者も口調とか忘れ掛けているのは秘密)


因みに虚無の向こう側は、普通の物質的な世界。形成能力を使える人間なら、生存可能な空間ではある。それ以外は死ぬ。
夜刀様が死亡すると全員纏めて其処に落ちる為、人類全滅と言う結果に終わる訳です。


後、クアットロはまだ虐め足りなかったので復活。腐炎と諧謔サンドの具材になっただけじゃ、全然まったく足りてないよねッ!




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楽土血染花編第一話 夜を呪う闇

決戦前最後の幕間、楽土血染花編は全6話程度を予定しております。
前後編が途中で挟まれたとしても、長くて8話か9話くらいで終わるでしょう。


1.

 第九十七管理外世界。全地球焦熱現象から十年が経ち、漸くに嘗ての姿を取り戻しつつあるこの大地。

 嘗ては一地方でしかなかった海鳴市は、管理局との窓口として発展し、今や世界でも有数の大都市へと変わっていた。

 

 そんな街の海沿いに作られた、巨大な空港。大型の旅客機だけではなく、次元航行船さえも収容できる施設に彼女は居た。

 

 星の海を旅する船より下りて来たのは、目も覚める程の美女。階級章が並んだ制服の上からでも、隠し切れない程に色香を滲ませる。

 そんな魔性を孕んだ美貌を僅かに歪めて、美女は一人息を吐く。息を吐くのと同時に感じるのは、如何にも拭えぬ倦怠感。溜息一つに恍惚とした表情を見せる周囲の者らの姿に、疲労を感じながらもウンザリとする女。彼女は名を、月村すずかと言った。

 

 溢れ出す魔性と色香。見目麗しさは衆目を集めるが、集う視線に宿る色はそれ一色。

 突如中空に出現した船に対して、感じる物珍しさはない。管理外世界であるこの地球でも、既に魔法の存在は周知されていた。

 

 それは管理世界の新たな指導者、クロノ・ハラオウンが民衆に対して隠し事を嫌ったが故にだ。

 ミッドチルダを中心とした全管理世界。地球を含めた全管理外世界。その全てに、知り得る全てを伝えたのだ。

 

 その全てが受け入れられた訳でもないし、混乱や動揺は多くあった。特に管理外世界の混乱具合は酷い物だった。

 魔法と言うオカルトが存在していて、世界が間もなく滅びると急に告げられたのだ。それで理解や納得が出来る様なら、それこそ気狂い染みた話であろう。

 

 それでも混乱が少なく済んだ場所はある。その内の一つが、この九十七管理外世界であろう。

 元より全地球焦熱と言う未曾有の災害と、其処に続く宇宙からの邂逅と言う異常は既に体験していたのだ。ならばSFがオカルトになるだけ、然程苦もなく飲み干せたのだ。

 

 当初は脚光を浴びた転送技術も、三月もすれば珍しさは大分薄れる。まだ慣れ切ってはいないのだろうが、それでもより珍しい方に目が向かう。

 今の地球の人々にとって次元航行船と言う技術は、息を吐くのも忘れる程の美女より珍しくはないモノなのだ。その程度に貶める事が出来た。それはある意味成果であろう。

 

 望まぬ形で管理世界の最高指導者と言う椅子を得てしまったクロノ・ハラオウンは、全次元世界の融和を胸に掲げているのだから。

 

 

(今も、皆大変なんだろうな)

 

 

 空港内を歩きながらに、此処には居ない友らを想う。新生管理局の前途は栄光に満ちているが、その道は輝き過ぎていた。

 失楽園の影響は最高評議会だけではなく、ミッドチルダの政府にも確かに傷を残していた。現政府には、次元世界を抑えるだけの力が残っていなかったのだ。

 

 それでも、彼らにはミッドチルダを運営するだけの力は残っていた。だがしかし、圧倒的なカリスマと言うモノが不足していた。

 故に、と言うべきであろうか。民衆は英雄を選んだ。民衆に選ばれた政治家たちが、未だ力を持つ資産家たちが、クロノ・ハラオウンと言う英雄に期待を掛け過ぎた。

 

 誰もが己で道を選んで欲しい。そう願うクロノとしては、不服と言うより他にない事だろう。ましてや男は、長くは生きられぬ身体である。

 それでも選ばれたからには役を果たそう。責任感が強い男はそう判断し、新たな統治機構の仕組み作りに奔走した。管理局再建と並行して、次元政府の設立にも動いているのだ。

 

 そんなクロノを中心に、管理局に残った者らは日々を忙しく過ごしている。

 月村すずかも彼らと同じくこの三ヶ月、様々な場で奮闘した。襟首に並んだ新たな階級章は、そんな努力の証であると言えるだろう。

 

 その甲斐もあって、次元世界は漸くに落ち着きを見せ始めている。だがそれでも、まだ安定していない面は多くある。

 身内人事込みとは言え、魔法医療のトップを兼任している。そんな月村すずかが管理局を外れられる程に、余裕がある状況ではなかった。

 

 それでも、そんなすずかが地球に居る事。其処には大きく分けて、二つの理由が絡み合っていた。

 その理由の一つが彼女が手にした一枚の手紙ならば、もう一つはあの襲撃の日より彼女が抱えている悩みである。

 

 

(けど、私が居ても、大して役には立てないから)

 

 

 それは無力感。あの失楽園の日に、最も役に立てなかったと言う実感。足手纏いになってしまったと言う感情だ。

 日に日に増している。日増しに積み重なる感情は、今では大きな悩みとなっていた。その懊悩に、すずかは美貌を歪ませる。

 

 誰もが必死に駆け抜けた失楽園の日に、しかしすずかは内面世界の内側で見ているだけしか出来なかった。

 同じ時に踏み出した友人たち。なのはとアリサは壁を乗り越えたと言うのに、すずかだけは戦場に立つ事さえも出来はしなかったのだ。

 

 あの日に無力を噛み締めて、その後に役に立てたかと言えばそれも別。戦場後に必要なのは、武力じゃない。

 

 傷付いた人々を癒す事は出来ただろう。だが組織の改革や部署の管理に役立てたかと言えばそうではない。

 元より、人を使う事に慣れていた訳ではない。その上、無力感と懊悩などを抱えていれば、其れこそ活躍出来ない事は道理であろう。

 

 背負わされた役割に、辣腕を振るうクロノとは違う。最強戦力として睨みを効かせられるアリサとは違う。

 カリムにヴェロッサは内外問わずに動き回り、シャッハやヴァイス達もまた己の役割をしかりと果たしている。そんな中ですずかだけが、与えられた役を重荷と感じていた。

 

 戦力としては今一つ。治療魔法師としても中途半端。管理者としては役立たず。ならば果たして、己にいったい何が出来るのか。

 自分の血筋さえも、未だ許容出来ていない。そんな底の浅い女は今も懊悩していて、そんな彼女に周囲もまた気を使った訳である。

 

 すずかは手にした手紙を見詰める。もう一つの理由であるそれは、実家からの緊急呼び出し。姉からの手紙であった。

 それを見て行くか行かぬか迷った女に、懊悩を見抜いていた皆が休暇も兼ねて行って来いと背を押した。それが今も忙しい管理局から抜けて、女が一人地球に来ている理由であった。

 

 

「……それにしても、緊急の用事って、何なんだろう」

 

 

 空港内を歩きながらに、無駄に空回りしてしまう思考を切り替える。そうして思うのは、送られた手紙の内容だ。

 内容が伏せられている手紙には、唯一言、急を要する事が起きたが故に来て欲しい。それだけの言葉が記されていた。

 

 最初は先月生まれたばかりの姪に付いての事だろうかと思ったものの、それならば内容を伏せる必要がないと考え直す。

 ならばさて、一体何が起きているのだろうか。冷静になって考えれば、何処か不穏さも感じる短文に来て良かったのかも知れないとすずかは思い直していた。

 

 今の自分に何が出来るのか、まるで分からないし自信もない。それでも、少しは出来る事もあるだろう。

 地球に残った者達よりは戦力として役に立てる。そんな自信は、ある種醜い思考なのかも知れない。そう思いながらに、すずかは空港を一歩出た。

 

 瞬間――

 

 

「わ」

 

 

 その鼻孔を、強い春の香りが通り抜ける。風と共に舞い散るのは、色取り取りの花の欠片たち。

 目に映る情景は、深緑に満ちた大地の色。星に満ちる清浄なる大気はまるで、高原に居るかの如く錯覚させた。

 

 全地球焦熱によって、自然環境は完全に崩壊した。人を除いた全ての命は、あの日確かに死滅した。

 管理局にも改善は出来ずに、死の星と化していた地球。管理局の技術を以ってしても、環境改善は遅々として進まない。

 そんな世界で命を繋いで来れたのは、食料を始めとした物資の輸入があったから。管理局の支援だけで、この十年を繋いでいたのだ。

 

 それが急に回復したのは、凡そ一月程前の事。突如地球全土で、草木や植物が芽吹いたのだ。

 荒れ果てた大地は癒えていき、草木や動植物が地に満ちていく。乾いていた空気は浄化され、世界は息吹を取り戻した。

 

 その日何が起きたのか、管理局でもまだ分かってはいない。それでもそれが、悪い事じゃないとは分かっていた。

 何せ、この景色は美しいのだ。緑溢れる大地の色が、澄んだ空気の美味なる味が、決して悪しきモノである筈がないのだから。

 

 

「本当に、綺麗。風も、都会とは思えないくらい」

 

 

 この清々しさの中では、抱えていた鬱屈さえも軽いモノに思えて来る。すずかは目を細めると、風に靡く髪を抑えて息を深く吸い込んだ。

 そして清涼な風に吹かれながら一歩を踏み出し、僅かな眩暈に蹈鞴を踏む。如何にか姿勢を正すと、そのまま彼女は歩き出す。向かうべきは、在りし日の帰るべき場所。

 

 懐かしさと目新しさ。等分に感じる街並みを見詰めながらに、制服姿の女は街を歩き進む。

 道順も並ぶ建物も既に違っているが、此処は昔に歩いた道。友と歩いた通学路を思い出しながら、月村すずかは辿り着く。

 

 山の手に構えた大きな屋敷。広大な庭と車が通れる程の道。大きな門が遮るは、海鳴で一番の大邸宅。

 月村邸。月村すずかが生まれ育った屋敷の跡地に、再建されたこの邸宅。彼女が帰るべき場所が、此処には在った。

 

 

 

 

 

2.

 実家の前に辿り着いたすずかは、ふと門の傍らに止まった黒塗りの車に目を向ける。

 停車する高級車の直ぐ傍に、並び立つのは同じ顔。そんな同じ顔の並びに一つだけ、似ても似つかぬ異物が居た。

 

 

「……安二郎、叔父さん」

 

「あ? ……なんや、嬢ちゃん。今来たんかいな」

 

 

 エーディリヒ型の戦闘人形。量産された戦闘部隊を侍らせ立つのは、ビール腹を抱えた初老の男性。

 厳つい顔にオールバックの男は、夜の一族が末席に名を連ねる男。当主である月村政二の弟である、月村安二郎その人だ。

 

 夜の一族とは思えぬ程に、美しさが感じられない冴えない容貌。その贅肉で膨れ上がった肥満の男を、すずかは訝しげに見詰める。

 この人物は裏切り者だ。すずかが物心付くより前に、氷村遊と結託して当主の座を狙った人物。そして失脚し、投獄されていた筈の男であるのだ。

 

 

「ふん。なんや言いたそうやけど、そらわても同じや。人が刑務所でおとなしゅうしとったら、急に呼び出されてこれや。ほんと堪らんわ」

 

 

 眉を顰めて、唾を吐く。そんな男は心底から、ウンザリとした顔で現状を語る。

 破産し、投獄された。傍から見れば自業自得の結果だが、本人としては不服にも程があった境遇。それさえも未だマシだったと、そう思えたのは解放されてからの扱い故にだ。

 

 彼の頭にしかなかった情報。彼に付き従った研究者たちの研究資料の隠し場所。そう言った物を必要とされて、月村安二郎は解放された。

 他ならぬ怨敵である月村忍。その判断で解放された男は反逆の意志を胸に抱きながらも、それでいて今は動けないと分かっていた。怨敵とも手を結ばねば、己が死ぬだけとは分かっていたのだ。

 

 

「せやけど、流石のわても分かっとる。今が異常事態やって事はな」

 

「……異常、事態?」

 

「なんや、聞いとらんのかいな。……ま、嬢ちゃんの立場やと、仕方ないんかもしれんがなぁ」

 

 

 全世界を包んだ炎で死に掛けて、それでも牢獄に居たからこそ助かった。そんな過去を経験した男は、しかし真面になってはいない。

 今も隙あらば当主の座を狙い、忍の殺害を企てている。そんな小物でしかない男が必要になる程に、現状は切羽詰まっていると言って良い。

 

 解放されてから現状を知った安二郎は、故に協力をせざるを得なかった。何しろ“敵”は、夜の一族をこそ狙っているのだから。

 

 

「中に入れば直ぐに分かるやろうから、今言う事でもないやろ。ほな、さっさと行けや。わてはお前らを、許した訳やないんやで」

 

 

 犯人の正体は未だ不明。分かっているのは、既に犠牲者が複数出ていると言う事実のみ。

 検閲される手紙に詳細は載せられない。それ程に忍が疑心暗鬼になっているのは、産後の肥立ちも明けてはいないからだろうか。

 

 確かな事は唯一つ。此処で手を取り合わなければ、恐らく夜の一族は滅び去ると言う事だけだ。

 

 

「夜の一族連続襲撃事件。んなもんなければ、誰がお前らなんかと組むもんか」

 

 

 吐き捨てる様に口にすると、葉巻を咥えて男は車を指で指す。運転席に座る人形が操作を行うと、後部座席の扉が開いた。

 これに乗ってさっさと行けと言う事だろう。安二郎の意図を読み解いたすずかは一つ頷くと、促されるままに車の中へと乗り込んだ。

 

 そうして、門が音を立てて開いていく。高級車の座席に揺られて、月村すずかは十年振りとなる帰宅を果たすのだった。

 

 

 

 

 

「来たか」

 

 

 屋敷に着いて、先ず彼女を迎えたのは茶髪の成人男性。数年程前に姉の結婚した、高町恭也が其処に居た。

 剣の柄に手を当てて、警戒姿勢を崩さない恭也。すずかの姿に僅か息を吐くと、鞘を強く握ったままに彼女を先導する。

 

 物々しい空気。穏やかではない態度。元より無口な男であるが、今回はそれに輪を掛けての鉄面皮。

 まるで此処が既に戦場であるかの如くに、張り詰めているその姿。安二郎より聞いた連続襲撃事件と言う言葉もあって、すずかの胸中には言いしれない不安が渦巻いていた。

 

 

「恭也さん」

 

「……悪いが、談笑をしている余裕はない。我が身の未熟を、知る故にな」

 

 

 何があるか分からない。何があっても動かなくてはならない。警戒し切ったその姿は、宛ら追い詰められた小動物。

 だがそれも無理はない。この場に居る誰もが知らぬ事実であるが、彼と彼らの“敵”との間にある断絶は肉食獣と獲物と言う差では済まない程にあるのだから。

 

 嘗ての人形兵団が語りに例えるならば、蟻と巨象だ。夜の一族とその敵の間には、それ以上の差が歴然として存在している。

 その事実に無意識ながらも気付いている、と言う訳ではあるまい。高町恭也にその様な超常的な直感などはなく、されど彼は身の丈と言う物を知っている。

 

 苦い想いを伴う敗北の記憶。魔導師に、吸血鬼に、嘗て敗れた記憶が証明しているのだ。己は決して、強くはないと。

 されど敗北は許されない。今度だけは絶対に、敗走し失う訳にはいかぬのだ。故にこそ、追い詰められた獣の如く彼は警戒を続けているのである。

 

 精神を張り詰めて、一切の余裕を斬り捨てて、無言のままに先導を続ける高町恭也。そんな彼の背中を追い掛けて、すずかは月村邸を地下へ地下へと進んでいく。

 山の手に建てられた屋敷の地下は、まるで巨大なシェルターの如く。何処までも執拗に、何処までも偏執的に、防備に防備を重ね続けた様な場所だった。

 

 恐らく、作った時は唯の悪乗りと悪趣味の産物だったのだろう。その時には、まさか必要になるとは思っても居なかったに違いない。

 それ程に山の奥深く。地下へと進み続ける階段の先、無数の鉄扉と防衛装置に守られた部屋。奥の奥の奥底に、窶れた女が横たわっていた。

 

 

「良く、来てくれたわね。すずか」

 

「お姉ちゃん」

 

 

 こけた頬に落ち窪んだ瞳。顔に色濃く浮かんだ疲労は、産後の辛さだけが理由ではあるまい。

 床の間に敷かれた布団の上、赤子を抱いた月村忍はそれでもすずかに微笑み歓迎した。心の底から、良く来てくれたと笑っていたのだ。

 

 

「一体、何があったの?」

 

 

 一見して、物理的な被害は見えない。ならばこの疲労は、精神的な物が大きいのだろう。

 そうと判断した月村すずかは、姉に向かって問い掛ける。手紙に書けない程の異常事態など、一体何が起きているのかと。

 

 そんな妹の問い掛けに、忍は一つ頷くと傍らに侍るノエルに赤子を預けて向き合う。

 逡巡は一瞬。何を言おうか戸惑ったのはほんの一刻にも満たぬ時で、ゆっくりと吐いた呼気と共に、その言葉を口にした。

 

 

「……エッシェンシュタインが、滅んだわ」

 

 

 エッシェンシュタイン家。それは西欧でも有数の、夜の一族に連なる家系。

 一族の血筋が生まれたとされる地が欧州なれば、彼の家こそが総本山とも呼べる場所。

 

 全地球焦熱。全てを燃やし尽くした災害の後も、辛うじて残っていた家系。

 人よりも死ににくいが故に、人よりも多くの一族が生き残っていた。エッシェンシュタインは、あの災害以後も明確な力を有していた家系であったのだ。

 

 それが滅んだ。その発言に、月村すずかは瞠目する。一体何があったのかと。それを問う前に続いた姉の次なる言葉に、彼女は驚愕を超えて絶句した。

 

 

「父さんと母さんも、ね。使っていた車が、谷底で見つかったそうよ。……本人は行方不明だけど、状況を考えれば絶望的ね」

 

「――っ!?」

 

 

 月村家当主。月村政二。その妻、月村飛鳥。女にとっての両親も、既に生存が絶望的だと言う言葉。

 何故だ。どうしてだ。思わず叫び出しそうになったすずかを視線で制して、月村忍は続けて語る。両親の死ですらも、続く惨劇の一部でしかないのだと。

 

 

「綺堂も、氷村も、屋敷は全焼。特に氷村に連なる家系は、酷い物だったそうよ」

 

 

 訃報は次々と流れ込んだ。不幸は次々と姿を現した。明確に、確実に、夜の一族を狙っている何者かが存在している。

 主要な家系は、既に全てが滅んでいた。僅かにでも血が流れている者らは、もう連絡さえも真面に付かない。生き延びたのは、ほんの僅かな一握り。

 

 誰が犯人かは分からない。如何なる手段で、一族を探り出せたのか分からない。分かるのは唯々、誰かが執拗なまでに夜の一族を磨り潰し続けている事だけだ。

 

 

「……さくらさんと夫の真一郎さんは、如何にか無事と言う連絡があったわ。今晩にも、こっちに来ると言ってるけど――」

 

 

 産後の肥立ちも止まない事もあって、心身共に衰弱していた月村忍。両親の死を耳にして、彼女は即座に生き残りを集める事にした。

 それでも、やはり遅きに失したのであろう。真面に連絡が取れたのは、外遊していた綺堂さくらと投獄されていた安二郎の二人だけだったのだ。

 

 

「ハッキリ言うわ。夜の一族は、もう五人しか残っていない。世界中、全て含めて、ね」

 

 

 血が薄い家系ですら滅ぼされている。まるで害虫を駆除する様に徹底的に、巣穴まで根こそぎ潰す様に偏執的に。

 もしかしたら、忍が知らない程に血の薄い家系は残っているかも知れないが、それも楽観が過ぎる考えだろう。彼女はもう、彼らの生存を諦めていた。

 

 ノエルに預けた赤子の髪を撫でる。窶れた女が願うのは、唯々我が子の安全一つ。

 月村忍。その娘、月村雫。月村安二郎と綺堂さくら。そして、月村すずか。この五人だけが、最後に残った血族だった。

 

 

「どう、して」

 

 

 震える声で口にする。呟く言葉に籠った想いは、一体如何なる種類の感情か。

 信じ難いと、信じたくはないと、だが嘘偽りで此処までする程に姉はろくでなしではない。ならばこれは真実だろう。

 

 視線で彼女達を見詰める。床に臥せた月村忍と、傍らに立つノエルとファリン。そして直ぐ傍へと、刀を手にして控える恭也。

 どうして、これ程追い詰められる迄、伝えてはくれなかったのか。問い掛ける視線に対し、ノエルは静かな口調で答えを返した。

 

 

「……最初の襲撃があったのは、一月程前だそうです」

 

 

 伝えなかったのではない。伝える事が出来なかったのだ。それは単純に、時間の不足が故に。

 この事件はまだ発生して一月にも満たない。それ程に短い時間で、余りに多くの血族がその身を散らしていたのである。

 

 

「西欧の方で、幾つかの一族が姿を消したと。原因究明に動いたエッシェンシュタイン家も、数週間程で連絡を絶ちました」

 

 

 最初に異常が起きたのは欧州にて、血が薄い者らが次から次へと連絡を絶ち始めた。

 懸念を抱いたエッシェンシュタインが調査の為に動き出し、されど彼らを挑発する様に事件は凄惨さを増していった。

 

 連絡を絶った者が、暫くすると変死体で発見される。虫食いだらけの死体となって、血肉の断片だけが晒し首の如くに並べられたのだ。

 数日とすれば理解する。一週間もあれば、相手の目論見を理解する。故にエッシェンシュタイン家は、他の血族らに警告を発した後に本腰を入れて解決に動いたのだ。

 

 

「“敵”は、夜の一族だけを狙っている。暗闇の底から底へと渡り歩く様に、影も形も掴めず。証人として残されていたのは、彼らの伴侶として生きた人々でした」

 

 

 しかし、敵は何枚も上手であった。追い駆けても追い掛けても、影すら踏めずに犠牲は増える。

 純粋な人間である伴侶は傷付けずに、されど僅かでも血族の血が流れているならば一切の容赦も呵責もなく潰された。

 

 

「“敵”は、夜の一族ならば誰であろうと逃さない。小さな子や老いた者さえ、残虐な手段で殺し尽す。生き延びた一族の伴侶たちが、そう教えてくれたわ」

 

 

 妻子を奪われ、夫を殺され、泣き叫ぶ彼らが口をそろえて呼んだ名前。

 暗いローブの下から覗くは、双頭の蛇が浮かんだ蒼い瞳。何処までも暗い憎悪に濡れた、その存在を示す言葉は唯の一つ。

 

 

「闇」

 

 

 夜の一族を憎む闇。闇夜に生きる彼らに対し牙を剥いたのは、誰もが原初の闇の化身であると感じ取る。そんな人型をした怪異であった。

 

 

「正体不明のその怪人を、彼らは口を揃えてそう呼んだの」

 

「闇は全てを奪っていく。夜の一族に連なる血が流れていると言う、それだけの理由で」

 

 

 事件の発見から、エッシェンシュタインが滅びるまでの時間が二週間。そしてそれから、闇はゆっくりと移動を始めた。

 欧州から歩を進めて、南アフリカへと。オーストラリアを経由して、南北アメリカを縦断し、アラスカ経由でロシアへと。中国インドインドネシアと、外から塗り潰す様に日本に来た。

 

 歩く道筋に血族の残骸を残しながら、忍達すら知らなかった者らの首を晒しながら、そうして闇は此処に来たのだ。

 僅か四週間。一月と言う時間で地球全土を塗り潰し、残る血族を五人にまで減らし切った。そんな闇が、彼女達を狙っているのである。それはどれ程の心労となる事だろうか。

 

 

「忍をやらせるものか。雫を奪わせるものか。決して、奪わせるものか」

 

 

 一つ一つと落ちる度、一人一人と死体が見つかる度、彼らは追い詰められていった。

 日本に住む他の者らが心配だと、確認に行った父母の訃報が届いた時に夫婦は共に腹を括った。

 

 妻は言う。娘だけでも助けたい。夫は語る。お前達を失って堪るか。その為になら、彼らは手段を選べない。

 安二郎を解放し、協力を取り付けたのもそれが故。間に合うかどうか分からなかったすずかに対し、助けを求めたのもそれが故なのだ。

 

 

「……すずかが来てくれて、本当に助かったわ」

 

 

 月村忍は窶れた顔で、心の底から笑みを浮かべる。追い詰められた彼女だが、それでも確かな安堵があった。

 この今、夜の一族に連なる者の中で、最も強い者こそ月村すずかだ。安二郎の機械乙女軍団よりも、従者や伴侶達よりも、誰より力強い助けこそがすずかであった。

 

 

「姉として、妹に頼るのは失格なのかもしれないけど――お願い。この子を守る為に、力を貸して」

 

 

 思う所はある。この危地に、或いは逃れられたかも知れない彼女を巻き込む事に何も思わぬ筈がない。

 それでも女は母として、生まれたこの子を守りたいのだ。そうと思えばこそ、月村忍は頭を下げる。闇に立ち向かってくれと、彼女は心の底から願うのだ。

 

 

「私に、何かが出来るなら」

 

 

 不安はある。言い知れない程に、不安は胸に宿っている。無力感は未だにあって、不安と交じりあって膨れ上がる。

 それでも、姉の真摯な願いに応えたいと素直に想う。母としての表情を見せる女を、月村すずかは天地が揺らごうと見捨てられはしないのだ。

 

 故にこそ、協力を約束する。そんなすずかの瞳を見詰めて、忍は安堵の言葉を漏らした。

 良かったと、微笑む姉の姿に思う。良かったと、緊張を和らげる義兄の姿に思う。彼らの力になってみせると、月村すずかは確かに誓った。

 

 

 

 

 そして、闇が来る。夜を呪う闇が、其処に来た。

 

 

 

 

 

3.

 静けさと共に、夜の帳が落ちる前。明けない夜より尚深い、原初の闇が動き出す。

 ざわざわと、ざわざわと、静かであるのに騒がしい。騒めきたつのは音ではなくて、闇を見詰めた人の心だ。

 

 それは其処にあるだけで、全てを不安に陥れる。あらゆる命を不定の狂気で壊してしまう。

 見れば、死ぬ。見たら、心が壊れる。身に纏った気配に気付いた瞬間に、胎内に揺蕩う赤子ですら発狂して自害する異形の闇。

 

 女は、己の闇を知っている。この原初の闇を、始原の存在を、どれ程に人界を狂わせてしまうか自覚がある。

 故に限界にまで抑えている。移動と共に伴う闇の圧力を最小限に、そうとも女が殺したいのは夜の一族だけなのだから。

 

 

「もう逃ゲられマせんヨ。害虫共」

 

 

 ならば逆説、夜の一族に容赦はない。苦しめ、苦しめ、苦しみ抜けと、女は怨嗟と共に意志を収束する。

 夕焼けに染まった空を暗く塗り替えながら、無限蛇の盟主は進んでいる。誰も伴う事はなく、たった一人で進んでいた。

 

 その歩みが向かう先、海鳴の地にあるは月村邸。最後に残した、血族たちが集う場所。女の獲物が集まる場所。

 もう十分に苦しんだであろう。だから死ね。もう十分に後悔しただろう。だから死ね。さあ全て滅び去れ。今宵、夜の一族はその歴史を終えるのだ。

 

 

「私は醜くナっテしまったヨ。他でもナイ、お前タチ夜の一族ノ所為デ」

 

 

 一歩歩く度に闇で空を塗り替えて、世界を闇に染めていく。その移動に合わせる形で、世界の夜が移動する。

 別に惑星の自転が狂った訳ではない。地軸が乱れていたり、時間が狂っていたり、世界がおかしくなったわけではない。

 

 唯単に、今の彼女は闇なのだ。夜は勿論、日中にも存在する影も含めて、あらゆる闇の集合体が菟弓華と言う女なのである。

 人型をした闇の化身。闇に属するあらゆる要素が、彼女にとっては手足と同じく。人の器は臓器の一つでしかなく、その闇こそが肉体となる大巨人だ。

 

 闇を引き連れ、移動する。その移動に伴って、世界から夜が失われる。夜がなくなれば、後に残るは昼ではない。

 陰陽が崩れた後には、何も残らないのだ。彼女が力を行使しながら移動するだけで、神の身体が形成を保てずに崩れていくのだ。

 

 その気になれば、女は移動するだけでこの世界を滅ぼせる。菟弓華とはそういう域の怪物で、そんな女が只管に私怨に拘っているのが現状なのだ。

 

 

「オマエタチがそう望んダのだろう? 家畜ト呼び、下等と見下シ。私を此処マデ追い詰めタ。ダカラ、お前達ハ、滅ぶべくシて、滅ブのヨ」

 

 

 無論、世界全てを滅ぼしたい訳ではない。彼女が抱いた私怨は只管に、夜の一族にだけ向けられている。

 直接の復讐相手を失ったからこそ、その一族郎党を全て滅ぼす。思考が歪んだこの女は少なくとも、血族が滅びるまでは他に対して手を出さない。

 

 だから、世界は滅びない。そんな小さな理由が無ければ、滅び去る程に天秤は傾いてしまっている。

 そんな闇が迫っている。月村邸へとゆっくりと近付くこの影を、先ず最初に認識したのは安二郎であった。

 

 

「あれが、闇か!? わてらをぼてくりまわし、好き勝手やってくれたやないかぁッ!!」

 

 

 夜が動くと言う異常を前に、月村安二郎は内心で震えながらに啖呵を切る。

 彼に与えられた役割は、第一の警戒網としてある事。敵の接近を知らせる事こそ、解放に繋がる最低条件。

 

 異常気象を視認した瞬間に、警報装置を鳴らして知らせる。そうして役を果たした後に、彼は常の如くに図に乗った。

 

 

「ええで、わてが倒してやる。んでもって、月村当主――否、夜の王はこのわてになるんやッ!!」

 

 

 誇り高い小物。プライドが高い愚者。それが月村安二郎である。彼はその身の丈に合わぬ程に、プライドが高過ぎるのだ。

 そんな彼にとって、闇は決して許せぬ存在だ。夜の一族である事を誇りの理由としている男にとって、彼女は怨敵よりも先に倒さねばならない存在であるのだ。

 

 そうとも、夜の一族こそが世界の頂点。それ以外など、その足下で震えているべき存在だ。

 故にこそ、それに反旗を翻す者など居てはならない。我らが恐怖を抱いて逃げ惑う闇などは、否定し隷属させねば許せぬのだ。

 

 

「さぁ、やれ! 人形共ッ!」

 

 

 醜く肥え太った男の言葉に、従う人形の軍勢が武器を取る。無数の銃火器が火を噴いて、闇に向かって降り注ぐ。

 無数の鉄火を前に、月村安二郎は勝利を確信する。そうとも虎の子の人形達は強力だ。一国の軍隊を相手にしても、必ず勝ると確信していた。

 

 

「で? だから、ドウしたネ?」

 

 

 されど、この女は原初の闇。この星の影と夜を全て合わせて、それでも尚足りない巨人である。

 一国の軍隊を相手に出来る程度では不足が過ぎる。少なくとも、世界中を一人で制圧出来る事くらいは最低の条件だ。

 

 鉄火の雨を握り潰し、女は蒼い瞳で見詰める。双蛇の瞳に睨まれて、それを見ていた男はしかし恐怖に震える事もない。

 震え戦く事すらもない。それは絶対の自信があるからではなく、怯え竦まぬ程の勇気がある訳でもなく、ましてや現状を理解していない訳ですらなく――

 

 

「…………」

 

 

 もう、壊れていた。

 

 

「本当に、浅イ男でスね」

 

 

 見れば発狂する。見たら死に至る。それが今の、弓華と言う女。無限蛇が盟主の力。

 一般人には被害が及ばぬ様に加減はしても、夜の一族に対してはそうではない。故に肉眼で見詰めた時点で、安二郎の魂は砕かれていたのである。

 

 それでも、弓華は軽蔑を隠さない。それは怨敵に向ける憎悪が故ではなく、人としてこの男が余りに脆弱過ぎたからだ。

 

 

「これナラ、エッシェンシュタインの赤子の方ガ、まだ少し持ちマシタよ。せめて苦しんデ死んで欲しカッタのニ、見たダケで終わりナンて――本当に、浅イ男」

 

 

 夜の一族は赤子であっても、常人よりは精神力が強いのだ。故にこそ、見た瞬間に即死されたのはこれが初めて。

 その精神が余りに脆弱で、その魂が余りに弱過ぎて、故に弓華は失望する。もっと苦しめたかったと思いながら、しかしすぐさま思考を切り替えた。

 

 

「まア、良いネ。本命は、オ前じゃないヨ」

 

 

 生きていようが死んでいようがどうでも良い。そう吐き捨てると、弓華はその手を大きく振るう。

 その動きに連動して、安二郎の影が蠢く魔獣に変わった。巨大な顎門を開いた魔は、その牙を影の主へと突き立てる。

 

 びしゃりと血潮が飛び散って、首から上が消え去った。そしてそのまま、魔獣の首は周囲に向かって猛威を振るう。

 首なし死体が大地に崩れ落ちるよりも前に、周囲に列を為していた戦乙女が砕け散る。後には何も、何一つとして残らなかった。

 

 

「月村すずか」

 

 

 睨み付ける。憎悪と共にその名を呟く。彼女の目的は、夜の一族で最強たるその女。

 スカリエッティより存在を聞いていた。氷村遊亡き後、最も夜の王に近い者であるとは知っていた。

 

 その象徴を此処に潰す。その為に、彼らを後回しにして来たのだ。その為だけに、ギリギリまで追い詰めたのだ。

 だからこそ、今になって動き出した。世界全ての闇を介して多くを知れる瞳で、認識したからこそ襲撃した。彼女の到来をこそ、女は待ち侘び続けていたのである。

 

 

「オ前を呼ぶ為ニ、此処ヲ残したヨ。ダカら、出て来ルネ。さもないと、全て押し潰しマスよ?」

 

 

 口にして、しかし女に待つ気などはない。待つのはもう飽いたのだ。故に最早待ちはしない。

 一刻も速く出て来なければ、その居城ごとに滅びるだけだ。その身に闇を纏った女は、神の力を引き出し振るった。

 

 

「Initium sapientiae cognitio sui ipsius」

 

 

 時が加速する。時間の流れが、高速で進みだす。訪れるのは、悠久の夜だ。

 神との同調によって、彼が過ごした時を全てに強要する。その時が持つ密度は、千や二千では遥かに足りない。

 

 天魔・夜刀が流れ出してからの時間の全てだ。数億年と言う歳月を、瞬きの間に経験させる。

 超高速で加速する速度に、世界そのものが付いていけない。万物は風化し、錆に覆われ自壊する。魂ですら、朽ち果てて滅び去るであろう時の地獄だ。

 

 

「Nihil difficile amanti」

 

 

 極めて限定した範囲に、一瞬だけ展開された時の加速。その僅か一秒にも満たぬ時で、月村邸が倒壊した。

 鉄は錆、土は腐り、風化して崩れ落ちていく。まるでビデオテープの早送り。何百倍も、何千倍も、何万倍も、何億倍も、加速された時に抗えるモノなどありはしない。

 

 だがしかし、彼女は不死不滅の吸血鬼。ならばこそ――

 

 

創造(ブリアー)――死森の薔薇騎士(ローゼンカヴァリエ・シュヴァルツヴァルト)ッ!!」

 

 

 時の経過であっても、直撃でないなら耐え切れる。耐え切ってみせて、此処に姿を現した。

 赤い月が浮かんだ空の下、一人立ち上がる吸血鬼。彼女を前に、原初の闇と化した女は暗く嗤う。

 

 元より殺す心算はない攻撃だ。全力で討てば、人間も巻き込んでしまうから避けていた。故にこうなって当然。寧ろ此処で死んでしまえば、興冷めが過ぎると言う物。

 氷村遊を殺せぬと知ってから、彼女を殺す為だけに生きて来たのだ。夜の一族を滅ぼす為だけに耐えて来たのだ。その怨敵に感じる憎悪の情は、最早愛と錯覚する程に濃密なのだ。

 

 

「終わらせようカ。吸血鬼」

 

 

 愛でる様に憎みながら、慈しむ様に呪いながら、優しい怨嗟の声で囁く様に語り掛ける。

 何処までも歪な女は望みの達成を前にして、満面の笑みを浮かべている。心の底から笑う笑みには、陰り以外が存在しない。何故なら彼女はもう、心の底から狂っているから。

 

 

「貴女はッ!?」

 

 

 超加速の影響を僅かに受けて、飛び出したすずかはふらつきながらも闇を睨み付ける。

 父母の仇。血族の敵。怒りと恨みの籠った誰何に、対する女は笑みを深める。そう。それで良いのだと。

 

 

「無限蛇が盟主、菟弓華。……お前達を滅ボス、女だヨ」

 

 

 闇が深まる。原初の闇が牙を剥く。夜も影も、所詮は闇の断片でしかない。明けない夜では届かない。

 死森の夜をより深い闇で一方的に塗り潰しながら、弓華は己の名を此処に示す。その瞳はやはり、憎悪と愉悦に満ちていた。

 

 

 

 

 




○今回書いてて思った事。
作者「や、やすじろぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!?」

強敵の強敵さを伝える為の犠牲になった故・月村安二郎氏。
そんな小物でしかない彼は悲惨な扱いでしたが、味があって結構好きなキャラだったりします。






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楽土血染花編第二話 憎悪と悪徳と

楽土血染花編の別名は、氷村遊の(負の)遺産編。

因みにこの世界線でのとらハ1は、さくらルートを軸に他キャラのエピソードが少し混ざった感じのをイメージしています。


1.

 音も立てず空へと。浮かび上がって、その身が黒に染まっていく。まるで光さえも飲み干す闇夜の様に、それは何処までも深く暗い黒。

 漆黒の外皮を彩るは、鮮血の如き赤。赤熱したかの如くに染まった赤い髪。憎悪に染まった真紅の瞳。僅か二色の色調へと、変貌した女は己の怨敵を見下ろす。

 

 ガラリと音を立てて、瓦礫の山が崩れ落ちる。その瓦礫は月村邸だった物。数億年と言う時の流れに抗えず、崩れ落ちた残骸だ。

 その邸宅の跡地にて、女は一人立ち塞がる。夜に溶け込む様な紫色の髪。青い瞳を赤く染め上げ、月村すずかは唯不動。見下ろす巨大な敵を見上げていた。

 

 

(この女が――無限蛇の盟主)

 

 

 先に示された名乗りを、己の内で反芻する。無限蛇の盟主。夜の一族連続襲撃事件の犯人にして、すずかにとっては父母の仇。

 そんな女を、すずかは何も知らない。菟弓華の存在も、彼女が動く理由も当然知りはしない。それでも一つ、この瞬間にも理解している事がある。

 それはこの女が余りにも、強大に過ぎると言う事実。理屈でなく、直感的に感じ取る。これは余りに外れている。人の形をしてはいるが、その存在規模は人ではないと。

 

 

(……まるで、夜都賀波岐を相手にした時みたいな感覚。この女は、もう既に一つの異界だ)

 

 

 この女は一つの異界だ。単独で、単一宇宙規模に到達している。人型をした法則なのだ。

 その身が宿した法則。それは闇と言う一色。覇道神の内なる世界の一つの事象を、司るその眷属。

 神の細胞。覇道神の肉体片。高密度の霊的存在。今の菟弓華と言う女は、影と夜との集合体。人型をした人間外。彼女は正しく闇なのだ。

 

 それもこの星全ての夜ではない。この星全ての影ではない。そんな物では済まない。その程度ではまるで全てが足りぬのだ。

 全次元世界に流れ出している天魔・夜刀。その最後の眷属にして、夜と影を統べる女。弓華はこの星全ての闇ではなく、次元世界全ての闇である。

 

 その総体は、全次元世界に影響を及ぼす程に大きい。この星に入りきらない程に、余りに巨大が過ぎるモノ。

 間違いなく、この女は反天使よりも格上だ。無限蛇の盟主と語った言葉に偽りなどはなく、無限の蛇に残った者らで最も強大なのは彼女であった。

 

 全てを一瞥で理解出来た訳ではない。その全貌を見通す天眼などは持ってはいないのだから、所詮は感覚的な物に過ぎない。

 それでも、錯覚かもしれないなどとそんな楽観的な思考はない。その力量を見誤ろう筈がない。肌に刺す様な狂気の気配それだけで、これが己より強いと感じていた。

 

 

(怒りに任せて無暗に動けば、先ず間違いなく勝機はない。それ程に感じる。実力の差)

 

 

 父の仇と、母の仇と、一族の恨みを晴らすのだと――そんな情に身を任せて、無策に動けば確実に詰む。

 故に思考を冷静に、感情を押し込め推し測る。敗北は許されない。背後に守る者があればこそ、此処での敗北などは許容できない。

 

 理由は分からねど、瞳を見れば理解が出来る。遥か高みに居る怪物は、見下ろす瞳を憎悪の一色に染めているのだ。

 夜の一族。それを滅ぼさんとする脅威。此処で月村すずかが敗れれば、その手は地下にて待つ忍と雫に向かうであろう。それを許す訳にはいかぬのだ。

 

 故に赤い夜の下、月村すずかは力を示す。強大なる闇を打ち破らんと、受け継いだ力の一部を解放した。

 

 

形成(イェツラー)――闇の賜物(クリフォト・バチカル)

 

 

 女は己の両腕に、魔力を纏って形成する。己の血肉を引き裂きながらに、展開されるは滴り落ちる黒血の杭。

 纏わり付いた黒き茨も相まって、まるで薔薇の棘の様。鋭い棘が生え揃ったその両手を、後退しながら大きく振るう。

 腕の動きに合わせる様に、血の黒は空を切って飛翔する。次から次へと降り注ぐ血の杭は、宛ら機関銃の如き破壊の雨へと変わり敵を討つ。

 

 

「Gloria virtutem tamquam umbra sequitur」

 

 

 しかし、通らない。それは届かない。当たると思った瞬間に空が揺らめき、降り注いだ雨を飲み干した。

 夜闇に溶けて消え去る様に、血杭は影も形も残らず何処かへと。そうと思ったのは一瞬で、瞬き直後にそれに気付く。揺らめく影が反転して、其処から破壊の雨が跳ね返っていた。

 

 

「っ!? 形成っ!!」

 

 

 咄嗟に次の杭を展開して、自分が放った力を迎撃する。空中で打ち合った杭が相殺する光景に、すずかは僅か困惑する。

 一体何をされたのか、一体どうして己の力を跳ね返されたのか。それが分からず、混乱したまま距離を維持する。そんなすずかへ、闇はゆっくりと迫っていた。

 

 まるで広がり続ける夜の帳が如く、侵食する様に迫る闇。近付く脅威を前にして、再びの形成射撃。

 血杭の雨はしかし、やはりそのまま跳ね返される。蹈鞴を踏んで迎撃しながら、月村すずかは分からぬままに理解した。

 

 

(形成じゃ、通じない。なら――)

 

 

 あれは形成した杭を跳ね返す。その反射能力の本質が分からずとも、杭が反射されると分かっていればそれで良い。

 杭で駄目なら攻め手を変える。それが出来る事こそ、純粋な聖遺物の使途ではない女の強み。彼女は前代の力を引き継いだ者であるのと同時に、この時代の魔導師でもあるのだから。

 

 

「スノーホワイト! 氷の歌っ!!」

 

 

 両手にデバイスを展開し、次いで放つは極寒の嵐。魔力によって発動するは、季節外れの猛吹雪。

 凍れる風が闇の進路を阻まんと、暴れ狂うかの如くに吹き荒れる。殺傷設定の広域魔法は、唯人であれば数度は死ねる程であろう。

 

 だが、敵は強大だ。これで仕留められるなど、そう思う事自体が侮りと感じる程に。

 ならばこの一撃は、敵の力の質を探る為。跳ね返されるのは杭だけなのか、それとも魔法も然りであるのか。

 

 

「Gloria virtutem tamquam umbra sequitur」

 

 

 極寒のブリザードは吹き荒れるまま、闇に飲まれて跳ね返る。予想に反さぬその光景に、即座にすずかは後退した。

 一歩、二歩、三歩。後方へと退く女の足元が、音を立てて凍っていく。それでも止まらぬ寒波を氷の盾で遮りながら、すずかは確かに理解した。

 

 

(形成も、魔法も無駄。だとすると、そもそも遠距離攻撃が通じない? 本当に、厄介な能力だね)

 

 

 反射の影響は杭だけではなく、魔法も同じく無駄だった。その事実に舌打ちがしたくなる程に、苦い感情を持て余しながらに思考する。

 恐らくはこの相手に、遠距離攻撃など意味がない。影が生まれる形ある物では、この闇には届かない。ならば一体、何を為せば対抗できるか。

 

 

(接近戦? けど、それも跳ね返されたとしたら……。なら賭けに出るより前に、本質を暴く方が先だ)

 

 

 防ぎ難い吹雪よりも、迎撃しやすい杭を選択。二度三度と今度は単発ずつを飛ばしながら、跳ね返る瞬間を観察する。

 手探りに、場当たりに、相手の力を暴いていく。杭が闇に当たった瞬間、揺れる様に飲まれて別の場所から戻って来る。その光景に、すずかは少しずつ当たりを付け始めていた。

 

 

(反射の瞬間、力の増減が存在してない。詰まり、これは特別な異能じゃなくて、体質みたいなモノ?)

 

 

 力の反射。跳ね返って来た黒き杭の雨は、影を通して移動しただけ。あらゆる影は弓華の肉体であればこそ、全ては此処に繋がっている。

 其は表裏一体の影。これは特別な異能に非ず。闇そのものである怪物にとってすれば、鼻から吸った空気を口から吐き出した事と同義。ワームホールの如く、全身がこれ即ち入り口であり出口であるのだ。

 

 

(なんて反則。影がある限り、アレは突破できない。接近しても同じ、あの闇を突破できない限りはどうしようもない)

 

 

 例えば敵の内側から、直接干渉出来る様な仕込みがあれば別だっただろう。初恋の天使(メタトロン)の様に、アレの中に干渉出来る術があれば違っていた。

 或いは敵が纏う闇を全て、根こそぎ吹き飛ばせる様な力の量があれば違っただろう。死人の城に支援を受けて、自滅の特性を制御して、それさえあれば対抗出来た。

 

 だが、今のすずかにはどちらもない。故に嘗ての神座世界で起きた、吸血鬼と闇の戦いの再現となりはしない。

 カズィクル・ベイの魂だけでは、世界法則の一部は倒せない。その全てを引き継げていないすずかでは、まるで届きもしていない。いいや、そもそも、もう彼の吸血鬼の存在は――

 

 

「――っ」

 

 

 跳ね返される杭を迎撃しながら、ふとした瞬間に眩暈を感じる。何かが喰われている様な、そんな感覚に吐き気を覚えた。

 目の前の女か? いいや違う。霞む意識と擦れる視界は、彼女が現れるよりも以前から。微かに垣間見えた内面世界は、荒れ果てて草木一本生えていない庭園跡地。

 

 

「考え事なド、お前にスる暇があると思ッたカ?」

 

「くっ!?」

 

 

 立ち眩みによろめいて、しかし思考に浸る余裕などはない。闇が腕を振るった瞬間、すずかの足元にある影が獣と変わった。

 闇の獣が襲い来る。人間など丸呑みにしてしまう顎門が迫り、すずかは咄嗟にそれを迎撃する。無数の杭が貫いて、獣の首を大地に縫い付けた。

 

 襲い来る獣は一頭だけではない。目に見える影の全てから、次々に出現して牙を剥く。

 彼女が口にした様に、この今に思考に耽る余裕はない。一瞬垣間見えた光景を思考の片隅に追い遣ると、すずかは魔法を展開した。

 

 

「ブリザードクロウッ!!」

 

 

 熊手の如く伸びた氷の爪が、迫る無数の獣を切り裂き凍らせる。凍結された残骸は、霧散し影へと戻っていく。

 されど影に戻ったならば、再び獣となるのも道理。まるで無尽蔵と思わせるかの如く、切り裂く数に限などない。

 

 一、二、三、四。瞬く間に積み上がる死骸は、すぐさま影と言う次の苗床に変わってしまう。

 十、二十、三十、四十。振り回す腕が数を減らしていくが、間引ける量より増える量の方が多かった。

 五十、六十、七十、八十。気付けば数は百をも超える。振り回す腕に重みを感じる程に、それだけ疲弊してもまるで数が減ってはくれない。

 

 

「氷の歌!」

 

 

 腕を振るうだけでは手が回らぬと、纏めて消し去る為に極寒の吹雪を展開する。

 吹き付ける嵐は全ての獣を消し去って、されどやはり闇に飲まれる。飲み干す影は揺らめいて、再びそれを吐き出した。

 

 

「Gloria virtutem tamquam umbra sequitur」

 

 

 影の獣を一掃する為に、放たれた吹雪は全力攻撃。なればこそ、その直後の隙は殺せない。

 力を出し切って生まれた隙に、己の全力を反射される。吹雪はその身に直撃し、一瞬の内に女の身体を凍らせた。

 

 そして、迫る闇の圧力。蠢く影に押し潰されて、凍った女の身体が砕けた。

 

 

「アァァァァァァァァッ!?」

 

 

 甲高い悲鳴と共に、氷の彫像と化した血肉が砕け散る。手足を失くした女は崩れる様に倒れ込み、闇は其処に追撃を仕掛ける。

 蠢く影は獣と化して、砕けた女に群がっていく。貪り尽くして殺してやろうと、影の獣が吠えると同時に――夜空に浮かんだ赤き月が、更に深く輝いた。

 

 

「ちっ」

 

 

 直後、主の危機に簒奪の力がその威を高める。群がる獣たちが月に喰われて、その主へと力を注ぐ。

 急速に敵の力を奪い取り、女の傷を塞いでいく。砕かれた手足が新たに生えて、茨を纏った女は立ち上がる。

 

 この異界にある限り、吸血鬼は正しく不死に程近い。単純に死に難い事、それがすずかの最大の強みであった。

 

 

「……生き汚イ害虫が」

 

 

 闇を照らし出す月の簒奪を、闇の衣は防げない。何故なら月は夜にあるモノ。例え朔の日であろうとも、月は必ず其処にある。

 夜である限り、この月は無くならない。何処に転移させたとしても、無くならなければ影を貫き影響を与えて来る。死森の薔薇は、防げないのだ。

 

 この格の差で、辛うじて戦闘が成り立っている理由がそれだ。格差を埋める相性差。死森の薔薇騎士の簒奪が防げない為に、これは一方的な蹂躙とはならぬのである。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 

 僅か一時の交差。ほんの数分にも満たぬ攻防。荒い呼吸を整えながらに、月村すずかは立ち上って構え直す。

 戦力差は明確で、真面にやれば戦いにならぬ程。それでも相性の差は、それ程に悪くはない。故に足下へと、手を伸ばす程度は可能である。

 

 思考を纏めて、呼吸を整え、そして意識を切り替える。敵の性質は理解した。

 真面な攻撃は通じず、接近するのも危険である。だがそれでも、この闇は決して無敵じゃない。

 

 薔薇の夜が通じるならば、それを基点に戦術を組み立てれば良い。他の全てが通じなくても、一枚手札が通るならば十二分。

 今の女にとって、打てる術は二つある。一つは遠距離が通じぬと見切りを付けて、一気呵成に突っ込む事。死森の生命簒奪に全てを任せた、ある種賭けの様な戦法。

 それが一つならば、もう一つはこのまま牽制を続ける事。先の一手は敵の本気を出させぬ為に、積極的に妨害を仕掛けると言う危険手。ならばこの対抗策は、消極的な安全策だ。

 

 死森の薔薇騎士。赤い夜が持つ最大の強みは、持久戦での凶悪さ。この夜が展開され続ける限り、己は回復し敵は弱体化し続ける。

 それを妨害される事なく、通せると言うなら最大効率での使い方こそ最適解。この夜を長く展開すればするだけ、時間を稼げば稼ぐだけ、すずかの勝機は上がり続ける訳なのだ。

 

 されど――

 

 

(そんな消極的な方法論で、勝てるなんて思わない)

 

 

 理屈で考えるならそれが正答でも、感覚がそれでは駄目だと言っている。引き継いだ記憶の一部が、そんなやり方では無理だと告げていた。

 だが、だからと言って突っ込むなどは論外だ。敵の底は未だ暴かれてはおらず、近付けば何があるか分からない。そんな現状で、全賭けなんて女は出来ない。

 

 故にこそ、女に出来る対抗手段は折衷案。距離を取ったままに、積極的な妨害を仕掛けると言う方法だった。

 

 

「枯れ堕ちろォォォォォッ!!」

 

 

 腹に力を入れて、雄叫びを上げる。薔薇の夜に新たな夜を更にと重ねて、血染花の多重展開。

 運気も生命も全てを吸い尽くして見せるのだと、何一つとして残しはしないと、赤き月がその輝きを増していた。

 

 

「――っ」

 

 

 纏った闇をも貫いて、命を吸われる感覚に弓華は歯を噛み締める。増えていく夜の出力に、さしもの女も平然としてはいられない。

 このままこれを通したならば、如何に力の差があろうとも盤面返しをされるであろう。元より白貌の力はそういう物。その本質は格上殺しだ。

 

 

「Fortes fortuna adjuvat」

 

 

 これをこのまま通せぬと言うならば、真っ向から打ち破るより他に術はない。

 持久戦など論外だ。月村すずかは生存力に特化している格上殺し。対する菟弓華には、明確な時間制限が存在しているのだから。

 

 故に、女は此処に夜を重ねる。闇を集めて、時を集わせ、黒き極光を生み出した。

 

 

「Magna voluisse magnum」

 

 

 呪言を口にする動作だけで、この島国など消し飛んでしまう。そう思わせる程の力の集束。

 数億年分の星の光。その全てを一点に収束させて、放たんとされる黒きオーロラ。その発動を止める術を、月村すずかは持ちえない。

 

 

「消え去レ。夜の一族ッ!」

 

「っっっっっ!?」

 

 

 直上へと放たれたのは、正しく星を滅ぼす力。惑星破壊規模の光が狙い穿つのは、天に輝く赤き月。

 

 赤い月が砕かれる。夜の帳が打ち破られる。死森の薔薇は消し飛んだ。

 月を砕かれ、世界を壊され、月村すずかは内側から弾けて飛んだ。

 

 

「か、はっ」

 

 

 覇道創造による異界とは、展開者にとっては体内の様なモノ。それを力尽くで壊されたのだ。この結果も当然の事。

 内側から腸を引き裂かれて、弾け飛ぶ様に砕けた女の器。中から外へと飛び出した肋骨が、周囲を染める血の海が、何より明確に示している。

 

 月村すずかは、敗北したのだ。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ。……少し、疲れタよ」

 

 

 砕けて崩れた女を見下し、黒き闇は口にする。その呼吸の荒さが示す様に、女の疲労は濃厚だ。

 荒い呼気を吐くのと同時に、その頬に亀裂が走る。すぐさま闇で修復させるが、今度は別の場所に亀裂が走った。

 

 それは血染花によるダメージ、だけではない。菟弓華は最初から、既に限界が近かったのだ。

 何故ならば、菟弓華と言う女は小さ過ぎる。そして彼女が手にした力は、その存在に比して大き過ぎた。

 

 闇と言う肉体を動かすのに、弓華と言う心臓ではサイズが足りぬのだ。

 なればこそ、女は彼の狂人にとっては失敗作。相性が悪いとは言え格下相手に、こうまで疲弊した事こそがその証明だ。

 

 

「デモ、これで、終わりネ。後三匹、それデ終わるネ」

 

 

 それでも、もう大丈夫。夜の一族の殲滅は、この命を繋いでいられる間に終わらせられるから。

 月村すずかは落ちたのだ。残るは床に伏せる女と小さな赤子。そして、あともう一人。それさえ壊せば、それで終わりだ。

 

 

「漸く、世界は綺麗になるヨ。ねぇ、火影」

 

 

 夜の一族を終わらせる。そうすれば、世界はきっと綺麗になる。そんな妄執に憑り付かれた女は、己の醜悪さにも気付かない。

 生まれたばかりの赤子を殺そうとしている。子を産んだばかりの女を殺そうとしている。それを絶対的に正しいのだと、盲目的に信じている。

 

 何処までも醜悪な言葉を満面の笑みで紡ぎながら、弓華はゆっくりと近付いていく。

 崩れて倒れた女に向かって手を伸ばし、その命を確実に刈り取ってくれようと――

 

 

「すずかお嬢様っ!」

 

「御神流・虎切ッ!」

 

 

 だがそこで、それを良しとしない者らが動き出す。倒れた女にとっての身内は、すずかの死を認めない。

 彼女の危機を理解して、安全圏より飛び出した。そんな二人はほぼ同時に、その手に握った武器を振るう。

 

 機械の女が機関銃を、剣士の男は飛ぶ斬撃を。接近戦が危険だと、近付く事も出来ぬからと、行うのは遠距離からの妨害だ。

 銃弾の雨と真空の刃。断ち切るそれらを闇で受けて、別の場所から吐き捨てる。反射はさせず、人は傷付けず、菟弓華は人間達を睨み付けた。

 

 

「……邪魔を、しないデ、下さイ」

 

 

 狂気のオーラを抑え付け、闇を鎮めながらに女は語る。彼女にとって敵となるのは、夜の一族のみである。

 それ以外に手を出せば、それこそ終わりだと自覚がある。その一線を守る事だけが、女に残った矜持であった。

 

 

「見逃してやっていると、知って下サイ。邪魔ナンデすヨ。人間は、傷付けタクないネ」

 

 

 愛した人が居た。愛された時があった。無残に壊された今となっても、大切な想いは残っている。

 女にとって、人に手を上げると言う事はその想いを否定する事と同義。なればこそ狂いながらに、最後の理性で其処を退けと口にする。

 

 ましてや、女はこの男を知っている。男はその変貌故に気付いていないが、女は今も覚えている。

 同僚であり、同じ地獄に堕ちていた女。御神美沙斗を仲介して、幾度かの面識があったのだ。故にこそ、殺したくはないと思ってしまう。

 

 そんな女の言葉を受けて、しかし恭也は刃を握る。見逃すと語る強敵を前にして、それでも退けぬ理由が男にはあった。

 

 

「それでも、お前は夜の一族を殺すのだろう」

 

「アレは害虫ですヨ。人の生き血を啜る寄生虫。一匹残らズ、潰さなケレバいけない、デス」

 

「俺の娘も、か?」

 

「愚問。害虫の血が混じッたナラ、根こそぎ処分しナイと駄目よ」

 

「……それなら、十分。お前は、俺の敵だ」

 

 

 男は既に父親なのだ。生まれたばかりであったとしても、守るべき娘が居るのだ。

 男は既に夫であるのだ。今も床に伏している妻が後ろに居て、どうして無様に逃げ出せよう。

 

 

「人間を殺さぬ事に矜持を持つなら、精々その拘りを捨ててくれるな。……それだけで、お前の邪魔が出来る訳だしな」

 

「…………」

 

 

 震え戦くのは止めろ。無様に逃げ出す事はするな。男の矜持と理解しろ。

 刀を手にした高町恭也は、決して勝てぬ敵を前にしても揺るがない。その背にある最愛こそを、失ってはならぬと知るからだ。

 

 その男の瞳に理解する。揺るがぬ意志に納得する。そして何処までも悲嘆した。

 妻子を守ろうとする意志。それは人として素晴らしい。男として相応しい。相手が、夜の一族と言う化外ですらなかったならば。

 

 そうとも女にとって、夜の一族とは存在すらも許せぬモノ。人に憑り付き、堕落させて破滅させる寄生虫。

 高町恭也の意志の強さに感嘆すればする程に、その在り様が悲しくなる。良き人物が吸血鬼たちの食い物にされているのだと、女にとってはそれだけが瞳に映った現実だった。

 

 

「……お前モか、自動人形」

 

「貴女に何の理由があるかは知りませんが、その行いは許せません。お嬢様方の敵は、私の敵だ」

 

 

 そして視線を移した先、問い掛けた言葉に返る答えを弓華は既に悟っていた。

 所詮は歯車で動く人工物。人形は繰り手の意志に抗えぬのだと認識して、返る言葉にさもありなんと納得する。

 

 そんな女は、やはり気付かない。この人形の目に宿った、意志の光を見ようとすらもしていない。

 見られないのだ。見詰めたくない。だって理解してしまえば、彼女の根幹が崩れ落ちる。呪詛と憎悪に依っているから、女は此処に生きていられる。

 

 

「はぁ……本当に、夜の一族は害虫ネ。こうモ、人を惑わセる。やっぱり、駆除しナイとイけないヨ――」

 

 

 妻子を守る男は、吸血鬼の操り人形。吸血鬼側に愛はなく、彼は一人で空回りしているだけ。そうに決まっているし、そうでなくてはいけない。

 機械の乙女の瞳に光などはなく、ましてや意志が芽生えるなどあってはならない。夜の一族は全てを堕落させるだけのモノ。何かを生み出す力なんて持ってはいない筈だから。

 

 それが女にとっての現実で、女にとっての認識だ。その妄執に取り付かれた女にとって、これは全くの善意である。

 

 夜の一族の駆除は世界の為に。この今に生きる人々の為にこそ。もう居なくなった愛する人の為にこそ。

 我がやらねば。我が救わねば。憎悪と責任感が混ざった瞳は、混濁としたままに現実を何一つとして見てはいないのだ。

 

 

「疾っ!」

 

「撃ちますッ!」

 

 

 抜刀と銃撃。二つの意志を前にして、菟弓華は身動ぎしない。する必要すらありはしない。

 彼我の断絶は余りに大きい。彼らが如何に強き意志を持っていようとも、その力の差は覆せなどしないのだから。

 

 

「無駄ヨ。この闇を揺らスには、質量が足りないネ」

 

 

 影の衣を通り抜けさせ、衝撃を違う場所へと移動させる。闇の湖面は揺らいでも、その深奥には届かない。

 単純に質量が足りていない。純粋に相性が終わっている。これを打ち破らんとするならば、闇の影響を受けぬ相性か、世界全ての夜を滅ぼすだけの力が必要なのだ。

 

 そして、高町恭也とノエル・綺堂・エーアリヒカイトにそれはない。彼らはどれ程抗おうとも、この場においては無力であった。

 

 

「だから、寝てるヨ」

 

 

 闇の一塊を射出する。逃れられはしない様に、幾つも幾つも積み重ねる。

 その総数は五十万。この広大な月村邸ですら、埋め尽くされるその総量。面制圧に隙間はなく、ならば躱せないのは道理。

 

 

「ぐぅぅぅっ!?」

 

「恭也様っ!? きゃぁァァァァァァァッ!!」

 

 

 闇に飲まれる。夜に取り込まれる。天地前後も分からぬ闇は、日が明けねば消えない檻だ。

 嘗ての世界では、彼の終焉ですら脱出出来なかった闇の牢獄。その内側に封じられた以上、最早彼らは声を届かせる事すら出来はしない。

 

 

「全てが終わる迄、夜の中で迷っていてくだサイ。……全て、直ぐに終わリまスから」

 

 

 こうして、邪魔者は消え去った。妨害者はもう居ない。菟弓華は終わりを前に、微かな笑みを浮かべていた。

 そして女は中空より見下ろす。内側から身体を砕かれて、大地に中身をばら撒かれて、それでもまだ生きようとするすずかの姿を。

 

 

「っ、ぁ」

 

 

 ぐじゅぐじゅと、音を立てて塞がる傷口。少しずつ、周囲を喰らいながらに再生する肉体。

 その全てを、醜悪だと感じている。見るのも嫌だと眉を顰めて、それでも世の為にとその手を伸ばす。

 

 

「美貌デ、人の心を惑わス。快楽で、人ノ心を堕落させル。人の生き血を貪っテ、その生涯ヲ糧とスル寄生虫」

 

 

 菟弓華は生き残りだ。夜の王として君臨していた氷村遊。彼が作り上げた牧場で、蹂躙された被害者だった。

 餌である人間を増やす為に、その光景は陰惨だった。己に従わない家畜に対し、あの男が齎したのは余りに惨い現実だった。

 

 あの地獄の底で、女を犯した人間達。そんな彼らの多くもまた、氷村遊への恐怖が故に従っていた。

 守ろうとした男達は殺されて、使えなくなった女は処分されて、そんな地獄の底で弓華は確かに理解したのだ。

 

 夜の一族なんて寄生虫が居たからこそ、あんな地獄が生まれたのだと。

 

 

「お前達ハ、生まれて来た事が間違いダたヨ」

 

 

 吸血鬼など、その生態から狂っている。人の生き血を啜らねば生きられぬなど、それは寄生虫と何が違う。

 人の生き血を貪って、その生涯を食い物にして、己だけは長く生き続ける。何十年も美しく、素知らぬ顔で生きていく。

 

 その裏側で、どれ程の命が奪われたのか。その美しさの為に、どれ程の地獄が生まれたのか。ああ、本当に、何と悍ましい生き物だ。

 

 

「だから――滅びろッ! 夜の一族ッ!!」

 

 

 倒れたままのすずかに向けて、崩れ落ちた月村邸へと向けて、女は再び時を進める。

 既に人を巻き込む恐れはない。故にこそ、世界の時を加速させる。怨敵を此処に滅ぼさんと、悠久の夜が展開されて――

 

 

「弓華ッ!!」

 

 

 全てが風化するより前に、懐かしい声が届いていた。その音を耳にして、黒く染まった女は僅かに止まる。

 

 もう己の名を呼ぶ者など残っていないと、心の何処かで思っていた。闇に染まった今の自分に、気付ける筈がないと思っていた。

 

 だからこそ、それでも、胸に渦巻いたのは困惑と歓喜。その感情に弾かれる様に、力の行使を止めた女は振り返る。

 

 何時しか月村邸の門前に、停車している乗用車。その中から出て来たのは、少女の如きと言われた少年時代の面影を残した青年だった。

 

 名を呼んだ彼を知っている。その温かさを覚えていたのだ。

 

 菟弓華と言う女には、三人の恩人と言うべき人が居た。今になっても覚えている、大切な記憶が其処にはあった。

 

 一人の名を、御剣火影。壊す事しか出来ない弓華を愛して、共に居ようと願った恋人。誰より愛した唯一人。だけどもう、彼はこの世の何処にも居ない。己の目の前で壊された。

 

 一人の名を、野々村小鳥。己を友と呼び、日常と言う陽だまりを教えてくれた少女。皆に愛された少女であったからこそ、誰より真っ先にあの吸血鬼に狙われた。壁に咲く薔薇の光景を、今でも悪夢と刻んでいる。

 

 そして、最後の一人。三人目の恩人こそが、此処に立つ少女の如き青年だった。最後に残った、たった一人の友人の姿が其処にあったのだ。

 

 

「無事、だったんだね。ずっと会えなくて、連絡も付かなかったから、もしかしたらって、俺は――」

 

 

 現実を見れていないのか、意図して見ようとしていないのか。闇に向かって、青年は白い手を伸ばす。

 多くの犠牲に、奪われた命に、当の昔に精神は限界を超えていた。そんな彼が、それでも確かな歓喜で迎え入れようとしている。

 

 砕けた残骸。倒れ伏す女。荒れ果てた戦地を認識せずに、絶望視していた友との再会を只管喜ぶ。

 そんな彼も間違いなく、あの吸血鬼の被害者だ。一度勝ってしまったから、凄惨な現実に取り残された人間だ。

 

 大切な友らを殺されて、嗤われながらに奪われて、残ったモノは妻との共依存。

 相川真一郎と言う青年はそれでも、そんな状況であっても、嘗ての友との再会を喜べていた。だからこそ、菟弓華は歯噛みする。

 

 

「……真一郎。少し、黙ってくださイ」

 

 

 嘗てと違う、冷たい声音で口にする。それでも其処に、温度がない訳ではない。情があればこそ、冷たく告げる。

 これが結果だ。彼も犠牲者なのだ。その姿を見詰めてしまえば、世界を変えねばと言う意識は強くなる。大切であればある程に、菟弓華は意固地となる。

 

 今更止まれはしないのだ。今から帰る事など出来ぬのだ。元より既にこの我が身、残された時は長くはない。

 ならばこそ、心を鬼とする。こんな被害をもう二度と、そう思えばこそ意識は強く凝り固まる。菟弓華はもう終わっている。

 

 

「Nihili est qui nihil amat」

 

 

 そして放たれる闇の牢獄。握り返されると信じて伸ばした手は届かずに、夜の中へと閉ざされる。

 懐かしい悪夢を見たと、この今に起きた出来事はそれで御終い。弓華はもう立ち止まれないから、それ以上など必要ない。

 

 

「真一郎さんッ!?」

 

 

 真一郎に一歩以上遅れて、運転席から飛び出して来たのは桃色の髪を伸ばしたスーツ姿の女性。

 一族の危機を前にして、先ずは生き残り皆で集まろうと。運悪く最悪のタイミングで辿り付いてしまった女だ。

 

 

「綺堂、さくら」

 

 

 闇に囚われた連れ合いに、必死に手を伸ばす桃色の女。嘗ての友の姿に、弓華はその目を憎悪に染める。

 あの頃より成長しているから、分からなかったと言う訳ではない。友情は既に擦れて壊れたから、憎悪しか残っていないと言う訳でもない。

 今も尚、この女性が綺堂さくらであると認識している。猫科の耳を晒して、必死に闇を砕こうとしている女が友であると想えている。だが、それでも――この女は夜の一族なのだ。

 

 

「はは、はははははは」

 

 

 乾いた声で、狂った様に弓華は嗤う。歓喜と憎悪に染まった闇は、嘗ての友すら標的としていた。

 友であっても吸血鬼。懐かしく思えど寄生虫。その血脈は絶やさねばならないモノであり、ならば加減しよう筈がない。

 

 ましてや、女は綺堂の系譜。あの氷村遊の異母妹ならば、溢れる憎悪は友情すらも凌駕していた。

 

 

「好都合ネ。夜の一族ガ、此処に全部揃ったヨ。コレで全部滅ビるネ」

 

 

 けたたましく嗤いながらに、その闇を更に深くする。憎悪と怨念に身を任せ、眠る神へと同調する。

 偽神が放つ狂気の波動。その力を前にして、綺堂さくらは何も出来ずに膝を折る。夫が囚われた牢獄に縋りついたまま、彼女はこれが己の最期と理解した。

 

 

 

 何もない。何も為せない。何も変わらない。彼らの存在は、流れを変えるだけの影響を残せない。

 月村すずかが敗れた時点で決まっていた。彼女が抗えない時点で分かっていた。夜の一族に、闇を止める術はない。

 

 倒れた女は、霞む視界で闇を見上げる。月村すずかは必死に再生を進めながらに、しかし間に合わないと自覚する。

 時が集まる。悠久の夜が加速する。人より長く生きられる血族だろうと、数億年と言う時間経過には抗えない。その力を止める術はなく、故に滅びるしかないのだと理解する。

 

 それでも、諦めない。間に合わないと分かって、何もせずには諦められない。

 故に力を簒奪する。周囲の命を簒奪して、己の傷を塞いでいく。如何にか、僅かでも間に合わせようと。

 

 そんなすずかの目の前で、やはり悠久の夜は止められず――

 

 

「――――ぁ、ぇ?」

 

 

 其処で、ピシリと亀裂が走った。

 

 

「げ、ぎ、っっっっっっっっっ!?」

 

 

 亀裂が走ったのは、闇の肉体。次元世界規模と言う強大な巨体に、大き過ぎる亀裂が走る。走った亀裂が広がっていく。

 

 

「弓華さん!?」

 

「ぎぃ、ぎぎぎぃ、あぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 さくらの戸惑う声を他所に、菟弓華は壊れ続ける。それは奇跡や偶然ではなく、何処までも救いのない必然。

 膨大な闇の力は、弓華にとって不釣り合いなのだ。この巨人の肉体を支える為に、弓華と言う心臓ではサイズが不足している。

 

 元から壊れだしている。最初から既に崩壊は始まっていた。力を振るえば振るうだけ、その崩壊は加速する。

 スカリエッティが生み出した作品であり、彼の共犯者。でありながら、失楽園の日に女が出て来なかった理由がこれだ。この女は、余りに不安定に過ぎるのだ。

 

 

「私は、後少し、ナノ、に……」

 

 

 戦闘が出来る時間に制限があり、それを超えれば崩壊は隠し切れない程に進行する。

 彼らの存在は闇を揺らす程の質量を持たずとも、その時を稼ぐには十分だった。弓華は時間を掛け過ぎた。

 

 罅割れていく。崩れ出していく。それでも、憎悪を叫びながらに手を伸ばす。

 悪鬼の如き形相で、苦痛に苦しみながらに妄執する。その闇を前に絶句するのがさくらなら、女はこの好機を逃しはしない。

 

 

「――っ! さくらさん。真一郎さん。御免なさいッ!」

 

「すずかッ!?」

 

 

 さくらや真一郎の事情を薄っすらと悟りながらに、しかしこの敵は見逃せない。此処で討たねば、滅びるのは我らであるのだ。

 悠久の夜には間に合わずとも、この好機には如何にか間に合わせた。周囲の草花や小動物を喰い散らして、集めた命で立ち上がる。

 

 そして立ち上がったすずかは此処に、己の力を行使する。夜を展開するには足りず、形成するにも不足していて、故に展開するのは不完全なる黒き瘴気。

 

 

「凶殺――血染花ッ!」

 

「ぎぃぃぃぃっ!? 吸血鬼ィィィィィィィィッ!?」

 

 

 自壊を抑えようとしている闇は、降り注ぐ瘴気を前に抵抗出来ない。

 吸い尽くさんとする簒奪の力に歯を噛み締めて耐えながら、血反吐交じりに憎悪を叫ぶ。

 

 その妄執。その想念。圧倒的な憎悪の量に圧されながらに、それでもすずかは力を振るった。

 

 

「此処で、枯れ堕ちろォォォォォォッ!!」

 

 

 此処で落ちろ、無限蛇の盟主。赤く染まれ、一族の罪が象徴。お前の存在は許容しない。

 どれ程に汚らわしく思っても、どれ程に己が嫌いであっても、背にした家族は大切なのだ。故に彼女らを狙う以上、容赦も加減も出来はしない。

 

 強く、強く、強く。強大なる敵の力を吸い尽くし、そして更にと己の力が増していく。月村すずかの力は間違いなく、この女にとっての天敵なのだ。

 戦闘に時間制限がある故に、生存力に特化した相手こそ苦手とする。簒奪を防げないからこそ、力の差を極限までに詰められてしまう。此処までくれば、最早手遅れ。

 高まり続けた血染花の力は、最早闇であっても防げるモノではなく。

 

 

 

 故に――それを防いだのは、闇ではなかった。

 

 

「っ!? くぅぅぅぅぅっ!?」

 

 

 一瞬生まれる意識の空白。もう逃がさぬと高めた力が、何らかの妨害と共に霧散する。

 眩暈や立ち眩みを酷くした感覚。己の内から湧き上がる異常に、月村すずかは倒すべき敵を見失う。

 

 そして、その一瞬に溢れ出す。女達の丁度中間。虚空に開いた穴から溢れ出したのは、数え切れない程に群れを成す醜悪な蟲の群勢だった。

 

 

「Sancta Maria ora pro nobis」

 

 

 穴が開いた一瞬に、感じる力は月村すずかの内側から。その力の干渉に、女は只管に困惑する。

 一体何が、一体どうして。混乱に収集が付けられない内に溢れ出した蟲の群れは、此処に器を形成する。其は魔蟲形成。

 

 

「Sancta Dei Genitrix ora pro nobis」

 

 

 神経を逆撫でする羽音と共に、甘ったるい声が歌を紡ぐ。

 無数の蟲が集いながら変じる器は、しかし常のモノとは違う。余りに悍ましい、その醜悪なる姿が形を成した。

 

 

「Sancta Virgo virginum ora pro nobis」

 

 

 瞼がない。眼球を支えるのは神経だけで、それでどうして零れ落ちていないのか分からぬ形相。

 唇がない。剥き出しとなった歯茎を晒して、欠落なく並んだ歯の白さこそ不釣り合い。その綺麗さが異常を強くする。

 肌がない。生皮全てが剥がされた様な有り様で、風に晒された筋繊維は血肉の色すらしていない。蟲と同じく穢れた黒だ。

 

 

「oh Amen glorious!!」

 

 

 その本性と同じく、余りにも醜悪と化した容姿。腐り続ける女の姿に、すずかは目を見開いて問い掛けた。

 

 

「貴女、は……クアットロ、なの?」

 

「えぇ、そうよぉ。お久振りねぇ。すぅずぅかちゃぁぁん」

 

 

 口を開いた瞬間に、長い舌が風に揺られる。口から吐き出すその呼気は、溝川の如く腐った瘴気。

 

 先には栄華を掴んだ女は、その増長と慢心で、手にした全てを失った。失ったモノの内側には、己の容姿すらも含まれている。何も好き好んで、こんな醜悪な形を成した訳ではないのだ。

 

 

「醜いでしょう? 酷いでしょう? エリオったら、これでもかってやってくれたわ。傷が全然塞がらないのぉ」

 

 

 腐っている。腐っている。腐ったままに燃えている。腐炎と言う概念に焼かれて、身体を削ぎ落としてもこの様だ。

 燃えた部分を切り落とし、夜の一族を貪り喰らって自我を取り戻し、それでもこの外装は戻らない。この今にも、腐炎は燻りながらに燃えている。

 

 魔刃に対して憎悪を強めて、それでも甘い言葉で口にする。抱えた怒りと憎しみが、薄い訳では決してない。

 漸く手にした父を、残骸すら残さぬ程に壊された。産まれた頃に持っていた己の身体に関する記憶を、こうまで腐り落とされた。其処に感じる妄念は、それこそ神域に至る程。

 

 それでも甘い声で口にするのは、既に次の布石を打てているから。それでも彼女に余裕があるのは、必要事項を確認出来たから。

 この一月で理解した。この戦闘を見て納得した。最後の一手で確信した。月村すずかは、もう己の掌中に。既に落ちているのであると。

 

 

「だ、か、ら……。ふふ、これは次の機会に、教えてあげるわねぇ」

 

 

 瞼のない眼球をギョロリと動かす。粘つく瞳で見詰めながらに、クアットロ=ベルゼバブは嗤っている。

 腐炎に焼かれて腐った魔群は、月村すずかに狙いを付ける。彼女の目的は、その背に庇った盟主とは全く別の物だった。

 

 

「それじゃぁ、今回は帰りましょう。愚かで愚劣な無知蒙昧。おっと間違えちゃったわ。盟主様だったわよねぇ、この劣等種」

 

 

 爪先までも腐った足で、崩れ落ちた女を蹴り飛ばす。そのまま右の足を無数の蟲に分解して、宙に浮かんだ女を抱えた。

 罅割れていく彼女らの王。一応最低限の恩義を抱いているクアットロは、故に彼女を拾い上げる。だがそれでも、魔群の目に映る色は軽蔑だった。

 

 そうとも、クアットロはこの女を蔑んでいる。詰まらない塵屑以下の存在なのだと、抱えた女を嘲弄していた。

 

 

「復讐相手はもう居ないのに、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いって? ほんっと馬鹿みたいよねぇ」

 

 

 彼女を地獄に突き落とした吸血鬼は、最早この世の何処にも居ない。彼女の復讐に意味はなく、その憎悪が果たされる事はない。

 そうでありながらも、妄執したまま生き延びている。害がない夜の一族にまで八つ当たりをして、それをさも正義が如くに誇っている。

 

 実に愚かで下らぬ存在。誰より憎んだ吸血鬼と似た様なモノに成り果てていると、果たして本人は気付いているのかいないのか。

 見ていて嗤える滑稽な女。クアットロ=ベルゼバブと言う怪物にとって、菟弓華とはそういうモノ。何れ、斬り捨てると決めている泥船だ。

 

 

「それじゃぁ、まったねぇぇぇぇ」

 

 

 譫言の如くに憎悪を呟いている盟主を抱えて、無限の魔群は何処かへと去っていく。

 その背を追うだけの余力はすずかに残っておらず、膝を屈したままに見詰め続ける事しか出来はしなかった。

 

 

 

 夜の一族を呪う闇との邂逅。この一幕はこうして、一時の閉幕を迎えるのだった。

 

 

 

 

 




綺麗になるかと思ったら、もっと汚くなったクアットロ爆誕。
画像イメージは汚い神野♀。アレをそのまま女体化させて、更にグロくしたのがもっと汚いクアットロです。




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楽土血染花編第三話 闇を織りなす罪を見る

前話の感想三件が、全部クアットロさん関係でクソワロタ作者です。
ほんの数行分の出番で感想欄を染め上げる。これは大人気キャラですね。(阿片スパー)


1.

 原初の闇が過ぎ去って、真の夜が訪れる。山の手にある邸宅は壊れ果て、されど散り行く命は未だない。

 崩れた瓦礫の奥深く、偏執的な程強固に作られた地下空洞は今も健在。散り行く命は未だ無くて、されど()()()()と言う状況でしかなかった。

 

 

「取り敢えず、これで一先ずは。だけど……」

 

 

 産後の肥立ちも未だ終わらず、元より弱っていた女。そして生まれたばかりのその娘。儚い母と娘にとって、狂気の波動は余りに影響力が強過ぎた。

 全ての人が夜に囚われ、残るは血族だけとなった時。己の力を解放しようとした瞬間。自壊に至るまでのほんの僅かな時だけで、月村親子には十分過ぎる毒だった。

 

 

(もう一度、あの闇が来たら――)

 

 

 戻って来て直ぐに、倒れた姉と姪を目にした。そんなすずかは医務官として即座に動いて、彼女らの治療を済ませた。

 それでも此処で出来るのはほんの僅かな対応のみ。治療魔法を駆使しても、抜本的な対策など出来はしない。体力の衰弱が原因ならば、一足飛びに全回復など望めない。

 

 治療を終えた月村すずかは、静かに眠る姉を見詰めながら思考する。もう一度あの闇が此処に来れば、その時こそ彼女達は持たないだろうと。

 

 

(なら、二人を連れて――さくら叔母さん達も一緒に、ミッドチルダまで退くべきかな?)

 

 

 向かい合って理解した。肌で感じてもう分かった。あの闇を食い止めるに、己一人ではまるで力が足りていない。あの時自壊が起こらなければ、夜の一族は壊滅していた。

 ハッキリ言って、地球の戦力では不足が過ぎる。仮に一族が他に残っていても、高町家を動員しても、闇と化した弓華を倒す事など幾つ奇跡が重なろうとも不可能だろう。

 

 だが、それは地球で戦った場合の話。管理局に戻ったならば、あの闇とて容易くは倒せぬ戦力がこちらにも存在している。

 例えばクロノ・ハラオウン。或いはザフィーラやアリサ・バニングス。相性は決して良くはないが、好相性のすずかと同程度の善戦はしてくれるだろう実力者たち。

 

 そして何より、ミッドチルダに引き込めれば、高町なのはが其処に居る。確実にあの闇よりも上を行く、そんな女が味方に居るのだ。

 その事を考慮に入れるなら、此処で手を拱いているのは下策。ミッドチルダに撤退して、其処で迎え討つ事こそが上策。そんな事、考えるまでもない。

 

 

(だけど、それだと――姉さんが持たない)

 

 

 一応は落ち着いた姉と姪。だが彼女達の衰弱は、解決した訳ではない。その疲弊が、なくなった訳ではないのだ。

 姉の方は特に酷い。寝たきりで安静にしていなければ、間違いなく命に差し障る。ミッドチルダへの移動にすら、現状では耐えられる様に思えなかった。

 

 これは選択だ。これも一つの選択だ。皆が死ぬかも知れない道。確実に一人が助からないが、それ以外が助かる道。その二つが眼前にある。

 姉に意識があったなら、娘だけでもと語るであろう。必ず死ぬとは決まっていないと強がって、自身に掛かる負荷など気にするなと語るであろう。それでも、やはり命を落とす可能性は非常に大きい。ならばすずかは、それを選べない。

 

 揃って救いたいと思ってしまう。それがどれ程に愚かな選択か、分かっていても想ってしまう。誰かの犠牲を許容して、そんな道など選べやしない。

 

 

(私達は愚かでも、尊い道を選ぶと決めたから。――きっとそれこそが、善き場所へと繋がっていると信じたい)

 

 

 次善の為に、誰かを見捨てるなんて道は無しだ。僅か思考に沈んだすずかが、出した結論はそれ一つ。

 彼女は光に焦がれる吸血鬼。当たり前の如くに生きる人々を、その善き場所を何時だって、焦がれて見詰めるモノだから。

 

 何処までも愚劣な理想を胸に抱いて、尊い道を真っ直ぐに生きる人々を追い掛けて生きたいのだ。

 

 

「さて、次は――ノエル。皆さんを集めて。場所は、直ぐ隣の和室で良いかな」

 

「はい。……忍お嬢様方は、如何されますか?」

 

「そうだね、二人はファリンに任せるよ。出来るよね」

 

「はい。お任せ下さい。お嬢様っ!」

 

 

 治療を終えて一息を入れる暇もなく、すずかは立ち上がって振り返ると、控えていた二人の従者に指示を出す。

 ノエルとファリンは揃って礼をして、それぞれの役を果たす為に動き出す。そんな二人に後を任せて、すずかはスノーホワイトを手に取ると起動した。

 

 パネルを操作すると文章を打ち込み、簡易の報告書類を作り上げる。

 己を襲った現状と敵戦力に対する情報。それに付け加えるのは、管理局への援軍要請。

 

 

(管理局には援軍要請を。……間に合うかどうか正直微妙だけど、ううん、クロノ君達なら間に合わせてくれる筈)

 

 

 間に合うだろうか。否、必ず間に合わせてくれるだろう。そう信じて、月村すずかはデバイスを懐へと仕舞い込む。

 そして皆を集めた部屋へと向かう。集めた理由は唯一つ、彼らの知る事情を聴く為。此処に襲い来る敵の真実を知る為。

 

 少しだけ、胸が痛む。怖気が胸を突くのはきっと、あの女が確実に被害者であると分かっているからだろう。

 夜の一族への過剰な憎悪。そして綺堂の夫妻にとっての知人であったと言う事実。それが示しているのだ。分かってしまった。

 

 

 

 アレは己達が生み出してしまった、一族の罪が象徴なのだと。

 

 

 

 襖を開いて向こう側。既に関係者は一同に会していた。椅子も机もない畳の部屋に、誰もが腰を下ろしている。

 足を崩している者が居ないのは、彼らが皆生真面目な性格をしているからか。闇の牢獄から解き放たれて、未だ間もないと言うのに律儀な話だ。

 

 

「……もう、分かってますよね。皆さんを此処に集めた理由」

 

 

 誰もが姿勢を正し、誰もが表情を引き締めて、しかし瞳に浮かぶ色は三者三様。

 恐怖。困惑。後悔。それは彼らがどれ程に、あの闇と深い関係にあったかと言う証明だろう。

 

 

「集められた理由。弓華について、だよね」

 

 

 信じたくはないと、きっと何かの間違いだと、そんな恐怖の色を浮かべているのは少女の如き容姿の青年。相川真一郎。

 彼は女と最も近かった者。なればこそ、菟弓華を信じたい。彼女が憎悪に身を焦がすだけの復讐者と化したなど、理解などしたくはない。

 

 それでも、そんな彼にも分かっている。如何に現実を見たくないと叫んでも、辛い事実は消えてはくれないと。

 目を逸らし、耳を塞ぎ、それでは残った者すら失ってしまう。そんな事はもう分かっていて、だから歯を食い縛ってでも此処に居る。

 

 

「弓華さんについて、俺が知っている事は少ない。同僚だった美沙斗さんから、色々と聞いてはいたけどな」

 

 

 困惑を抱いているのは、高町恭也だ。妻子を狙う謎の怪人と、何度か手合わせをした事のある知人女性が繋がらない。

 実力者である事は知っている。それでも恭也と五分程度、あれ程に怪物染みてはなかった。そんな知識がある為に、恭也は困惑していたのだ。

 

 それでも、事実として敵対している。放置しておけば、妻と娘が危ないのだ。ならば敵が誰であろうとも、斬って捨てるより他にない。

 とは言えすずかの助けがなければ、闇の牢獄から脱出する事すら出来なかった程度。己が前線を張れる様な状況ではないと、この場で一番役には立たないだろうと理解出来ていた。

 

 

「彼女は、氷村遊の――兄さんの犠牲者よ」

 

 

 名前と同じく、桜色の髪を伸ばした女は静かに告げる。菟弓華は被害者で、犠牲者で、そして復讐者なのである。

 彼女が抱くのは強い後悔。兄を止められる立場にあったのに、殴り飛ばすだけで終わらせた。其処に肉親の情がなかったなどと、否定する事は出来やしない。

 

 氷村遊がああなった間接的な原因。氷村遊を仕留められる機会はあったのに、見逃してしまった元凶。己をそうと思えばこそ、綺堂さくらの後悔は重かったのだ。

 それでも、気が重いからと語らぬ訳にはいかない。責任を感じていればこそ、口にせずには居られない。誰よりも後悔していればこそ、誰よりも向き合わねばならぬのだ。

 

 

「彼女の名前は、菟弓華。……出逢ったのは高校生の頃、留学生として俺のクラスに転校して来たんだ」

 

 

 真一郎はあの日の出逢いを思い返しながらに、女の過去を此処に語っていく。

 拙い日本語で名を名乗る。隣の席に座らなければ、教師からの頼まれ事がなければ、恐らくは関わり合いにならなかったであろう女。

 

 それでも、あの日々に後悔なんて一つもない。それが例え、虚偽に始まり、裏切りを前提としたモノであったとしても。

 

 

「だけど、それはカモフラージュだったらしいわ。私は詳しくは知らないけど……彼女は“龍”と言われる犯罪組織の構成員で、ある政治家を暗殺する為に送り込まれて来たエージェントだったそうよ」

 

「コードネームは泊龍。偶然、正体を見ちゃった僕といずみが狙われて。……でもそのお陰で、本当の彼女と親しくなれたんだ」

 

 

 父親殺しの過去を持つ女。何処までも冷酷非道な組織の殺し屋。そんな女の心を揺らしたのは、彼女と過ごした虚偽の日常だった。

 野々村小鳥と友になり、相川真一郎と友になり、その日常が彼女の心を僅かに溶かした。だからこそ、その刃は鈍り、御剣いずみに彼女は敗れたのだ。

 

 

「その後も色々あったんだけど、結局弓華は龍を裏切って。いずみのお兄さんと一緒に過ごした後、香港国際警防隊って組織に所属する事になったんだ」

 

「……私が友人として付き合い始めたのは、その後の事よ。真一郎さんと小鳥を介して、共通の友人同士って形でね」

 

 

 敗れた後に捕縛され、情状酌量の余地と司法取引の末に御剣家に身柄を移される。

 保護観察期間中にいずみの兄である火影と恋仲となり、しかし己の重ねた罪故に日常で安らぐ事を女は己に許せなかった。

 故に彼女は日常を脅かすモノを破壊する為、嘗ての罪を贖う為、香港国際警防隊に所属した。古巣であった“龍”を討つ為、単身香港へと渡ったのだ。

 

 それでも、彼女は日常を愛していた。守る事は出来ずとも、海鳴の地を故郷と想っていた。だからこそ、その後も交流が続いていた。

 争いの日々の中、時折この地に戻って来る事。たったそれだけが弓華にとっての救いであって、幸福だった。彼女を追い掛けて、御剣火影が香港に渡った事も確かに影響した。

 

 ほんの僅かな幸福が、少しずつ大きくなっていく。生まれと育ちが故に闇の底に居た女は、確かに救われつつあったのだ。

 

 

「全てが変わってしまったのは、あの日。氷村遊が、また来たあの日だ」

 

 

 あの日の悲劇。氷村遊の襲撃が起こる日までは――

 

 

「その日は皆で、久し振りに集まろうって。唯子と一緒に駅に着いたら、もう小鳥と弓華が先に着ていて」

 

 

 旧友皆で海鳴市へ集まろう。久し振りに顔を合わせて、共に遊び笑い過ごそう。そんな小さな同窓会。

 恐らくあの男は、皆が揃う日を狙っていたのだろう。駅で待ち合わせをして、人が揃った瞬間に衝撃が彼らを襲った。

 

 何の脈絡もなく、余りにも突然に、大切な友人の命が零れ落ちた。後に残ったのは、駅の白い壁にこびり付いた血肉の薔薇。

 

 

「……まるでトラックに跳ねられたみたいに、小鳥が潰された。唯子が必死に叫びながら、俺は、呆然と見ているしか出来なくて」

 

 

 思い出すだけで、吐きそうな程に顔を青くする。今も目を閉ざす度に、瞼に浮かんでしまう惨劇の光景。

 高所からの襲撃。鬼の身体能力を用いた強襲。その衝撃は、数トンのトラックすら超える程。小さな体躯の女では、耐えられなくて当然だった。

 

 大人しくて、人見知りが激しいけれど、誰より心優しかった少女。だからこそ皆の中心に居た小さな鳥は、あの一瞬で挽肉へと変えられたのだ。

 

 

「気が付けば、血溜まりの中、立っていたのは俺だけだった。アイツは嗤いながら、俺を嘲笑って――」

 

 

 咄嗟に動いた弓華は片手間に倒された。悲鳴を上げながら、手が真っ赤に染まるのも気にせず友を助けようとしていた唯子は首を捥ぎ取られた。

 絶叫を上げる野次馬達も、あっという間に数が減らされ気付けば零に。たった一人立ち尽くすしか出来なかった真一郎を、赤い瞳が見下しながらに嗤っていた。

 

 お前の所為だ。お前の責任だ。なのに何も出来なかったな。嘗て己に屈辱を与えた少年に向けて、それこそが氷村遊の復讐だったのだ。

 

 

「私が駆け付けた時には、息があったのは真一郎さんと菟弓華だけだったわ。意図して残した真一郎さんと、あの場で一番体力があったから生き延びたあの女だけだったのよ」

 

 

 当時の光景を思い出して、遂に限界を迎えたのか、震えて嗚咽しながら言葉を上手く語れなくなった真一郎。

 そんな彼を抱き締めながらに、綺堂さくらが言葉を引き継ぐ。余りに強い血の臭いに、慌てて駆け付けた彼女の前にあったのはその惨劇だった。

 

 

「頭に血が上って、殴り掛かって、それでもあっさり押し負けた。……その後は、知っての通りよ。敢えて生かす事で、屈辱を与えた。嘗ての憎悪を晴らす様に、私達の知り合いを次から次に奪っていったの」

 

 

 懐かしい顔に、再会を喜ぶ前に激怒した。矍鑠たる怒りを以って殴り掛かって、しかしあっさりと鎮圧された。

 嘗ては身体能力の差が故に、その力量差が裏返っていた。真なる怪物として覚醒した吸血鬼を前に、さくら一人では何も出来ずに敗れたのだ。

 

 そうして敗れたさくらと真一郎の前で、氷村遊は彼らの知り合いを一人一人と狩り始めた。見せ付ける様に、嘲笑う様に、態々彼らの前に連れて来て、残虐の限りを尽くしての殺戮を続けたのだ。

 

 

「だから、私は真一郎さんを連れて逃げ出した。誰かに頼れば、頼った人が遊にやられる。だから他の誰も巻き込まない様に、二人だけで逃げ出したの」

 

 

 親族や友人だけではない。教師やクラスメイト、果ては街で一度か二度会話した事がある程度の相手まで。

 あらゆる知人を手に掛けながら、嘲笑を続ける吸血鬼。氷村遊の殺戮を前にして、綺堂さくらは逃げ出した。真一郎を引き連れて。

 

 誰かに頼れば、その誰かが殺される。そんな経験を二度三度を味わえば、誰も頼れないと諦める。

 諦めながらも、それでも泥を食んで必死に逃げ回る。その無様さに溜飲を下げたのだろう。気付けば二人を追う脅威は、影も形もなくなっていた。

 

 それでも、また元の場所へと戻れば氷村遊が来るかもしれない。そんな恐怖に、折れた二人は抗えなかった。

 誰も知らない場所へと逃げて、誰にも知られない場所で二人、傷を舐め合い慰め合って生きて行く。心を折られて、残ったのはそんな共依存。

 

 結局、氷村遊が討たれるその日まで、彼らはそうして震えている事しか出来はしなかったのだ。

 

 

「その後、氷村遊は龍と並んで、香港国際警防隊の標的になった、らしい。詳しい経緯は、分からないんだが」

 

 

 だから、その後を二人は知らない。その後の流れを知るのは、生き残りから話を聞いた高町恭也一人である。

 

 

「龍は氷村遊に壊滅させられた。その時に、香港国際警防隊も潰された。……生き残りは、皆捕らえられた」

 

 

 菟弓華はあの日の後に、傷を治して警防隊に戻った。龍への恨みを超える、吸血鬼への怒りを宿して。

 そんな彼女の変貌と、そして彼女を追って所属していた御剣火影の憤慨。実の妹を吸血鬼に殺されて、火影と言う青年も怒り狂っていた。

 

 構成員二人が語る吸血鬼の脅威。それを耳にした香港国際警防隊の陣内啓吾は、彼の怪物の討伐を龍への対処と同程度の最優先事項に据えた。

 彼の吸血鬼が龍を殲滅している場面に遭遇し、即座に吸血鬼を倒そうと行動したのもそれが故。だがそれでも、どれ程に強大な組織であっても、人の集団では怪物には届かなかった。

 

 龍は滅んで、国際警防隊も壊滅した。そして生き残った人々は、氷村遊の掌中にへと堕ちたのだ。

 

 

「これは父さんと一緒に、救出された美沙斗さんから聞いた話なんだが……捕らえられた人々は、大きく分けて四つの対応を受けたらしい」

 

 

 吸血鬼が地獄の炎に焼かれた日の後、大陸を探して回った士郎と恭也は御神美沙斗を見付け出す。

 既に虫の息と言う程に、だが確かに息があった彼女。如何にか救出されたその命は、辛うじてだが繋がれた。

 

 生きているだけマシなのか。死んだ方がマシなのか。判断に付かない程に傷付いたその身体。

 現代医学での回復は困難で、だが高町家には縁があった。ハラオウン一家やユーノ・スクライア。彼らを介して、魔法の知識が確かにあった。

 

 だからこそ、救出された美沙斗は彼らの下へと預けられた。そうして魔法治療の末に意識を取り戻し、全地球焦熱の後にこの地へと戻って来ていた。

 そんな彼女から話を聞いたのだ。どれ程に心に傷が出来ているのか、それでも今からでも判明する事実によって何かが変わるかも知れないと、語ってくれた彼女はとても強い女だったのだろう。恭也は心の底から、美沙斗に対して敬意を抱いていた。

 

 

「先ず女性と男性で分けられたそうだ。そして、女性は夫や恋人が居るかどうか――性交渉経験の有無でまた区別された」

 

 

 捕らえられた人々の分類は、性別と他者と交わった経験があるか否か。

 吸血鬼は処女や童貞の血を好む。それは他者と交わる事で、他者の切れ端が混ざるから。純粋な魂の味こそを、彼の怪物は好んでいたのだ。

 

 

「処女は餌として、生き血を呑む為に氷村遊に献上された」

 

 

 密教の一部には、男女の交合こそ悟りに至る道とする教えがある。性的絶頂こそが、悟りの境地とする考えだ。

 その是非は如何であれ、その行為を特別視する事はあながち間違いではないのだろう。他者と深く交われば、己の何かが変わるのだ。

 

 その変化を吸血鬼は好まない。なればこそ、純粋な血を彼らは好む。自分ではない他が交じり濁った血など、食指が動く様な物ではない。

 

 

「そうでない女は、次の餌を産む為に――手足の腱を切り落とした上で、牧場と呼ばれる施設に囚われたと聞く」

 

 

 ならばこそ、生娘は生き血を啜る餌となった。そうでない女は、子を産むだけの胎盤だ。

 喰ってばかりでは減ってしまうからと、増やす事を考える。それは人を家畜と見ればこそ、余りに傲慢が過ぎる発想だろう。

 

 

「男の方は従順か、そうでないかが区別対象だったらしい。氷村遊に従う奴は生かされて、奴の従者か牧場の種馬に。逆らう奴は、娯楽の為の玩具として使われた後に処分されたそうだ」

 

 

 吸血鬼は異性の血をより好む。氷村遊にとって、男は吸い殺す対象になり得ない。

 生娘が山ほど手元に居るのに、男に牙を立てる趣味はない。上質な食事を前に、ゲテモノ食いをしようなどとは思えなかった。

 

 故に男の区別は簡単だ。自分に従い称えるか、自分に逆らい壊れるか。二者択一は簡単だった訳である。

 

 

「美沙斗さんは牧場行きになる前に、奴に従順な人間に選ばれ買われて行った。……対して、菟弓華は」

 

 

 真っ先に氷村に下った人間の男。警防隊の外部関係者であった彼が、以前より美沙斗を狙っていたのは幸か不幸か。

 欲しい欲しいと煩い小物に、氷村は呆れながらに女を渡した。そうして劣等種が喜ぶ姿を見下しながら、残った者を使って餌を増やそうとしたのである。

 

 

「恋人の居た彼女は、牧場に堕ちた。……その境遇。その屈辱。その憎悪。正しく想像を絶する――生半可なモノじゃ、ないんだろうな」

 

 

 人間を増やす為の牧場。其処で行われた凄惨な光景は、想像するのに容易いものだ。

 だが相手は人を家畜と見下す吸血鬼。その場で起きた真実は、正しく想像を絶するものであったのだろう。

 

 

 

 何故ならば、生き残りがいないからだ。菟弓華と言う一人を除いて、あの牧場に居た人間は皆が死んでしまっているのだから。

 

 

 

 

 

2.

 繰り返す。繰り返す。繰り返す。終わりのない悪夢のリフレイン。目を閉ざし、立ち止まる度に映る光景。

 許すな許すな決して許すな。湧き上がる憎悪と憤怒。矍鑠たる意志を持って、全ての化外を滅ぼすのだと己に示す。

 

 あの日の牧場で、あの時に落ちた地獄の中で、汚泥に染まりながらに抱いた意志は今も胸に宿っている。

 

 

〈それで実際ぃ、なぁにがあったんですかぁ?〉

 

 

 悪夢の中に浸る女の耳元で、蠅声が音を立てている。何があったのかと、語り掛ける甘い声。

 見詰める悪夢が少しずつ、その色を変えていく。蠅声に誘導されたまま、意識は嘗てに戻っていく。

 

 牧場に堕ちて直ぐ、男達に暴行された。為す術なく襲われて、必死に手を伸ばす愛しい恋人。

 襲う者らが下種ならば、素直に恨み怒れただろう。だが彼らは皆、苦しみ詫びながらに女に欲を放つのだ。こうしなければ、己や己の大切なモノが壊されるのだと。

 

 

〈身勝手な話ですよねぇ。僕は悪くない。俺は悪くない。悪いのはアイツだ。だから僕らは悪くない。そう言って口にするのは責任転嫁。やってる事は変わらないのに、泣きながらやってれば許せるなんて、実際問題どうなんでしょうねぇ。実は盟主さまぁ、まぞだったりしますぅ?〉

 

 

 許せない。許せた訳ではない。断じてその行いを、肯定できる訳ではない。

 だが心の何処かで、納得出来てしまったのだ。泣きながら襲う男を前に、真実邪悪が誰であるかは分かっていた。

 

 だからこそ、怒りも憎悪もあの男へと。友を奪い、己を此処まで貶めて、この惨劇を生み出している。そんな男へと向かっていた。

 

 

〈吸血鬼を憎みながらぁ、あんあん喘いでいたんですねぇ。それで男は愛想尽かしちゃったとかぁ? 犯されてるのに股を開いてるビッチとかぁ、そりゃ男の方もゴメンですよねぇ〉

 

 

 違う。彼はそんな男ではない。己が愛し、己を愛した。そんな彼は血の涙を流しながらに、共に助かる道を探していた。

 

 休みなく犯され続ける女を前に、歯噛みしながら憎悪に耐える。憤怒を胸に抱きながらに、彼は為す術を探していた。

 男は捕縛されてはいたが、女と違い手足を切られた訳ではない。だからこそ必死に耐えながら、隙を見付けて助け出す為に動いていたのだ。

 

 

〈女は手足を切ったのにぃ、男はしっかり残していたぁ? あ、もしかしてぇ、それも意図的だったとかぁ?〉

 

 

 そうだ。その通りだ。男に手足を残した理由は、男がある流派の使い手だったから。蔡雅御剣流忍術。その技術が氷村遊の興味を惹いた。

 永全不動八門一派・御神真刀流の片手間に、学べる程にどちらも軽くはなかった。故にこそ、壊滅前に学べなかったモノの参考資料として、男は保管されていた。

 

 全ては吸血鬼の悪辣な遊びだったのだろう。態と弓華を救出しやすい様に、逃げ出す事が出来る様に、そうして作った偽りの希望。あの男は嗤いながらに、それを彼らの前で奪い去ったのだ。

 

 

――さぁ、毛皮を狩るぞ。血肉を捌くぞ。お前が積み重ねた全て、僕に献上する日が来たぞ。

 

 

 重ねられた憎悪。膨れ上がった憤怒。全てを込めて、吸血鬼を討たんと駆けた御剣火影。

 その技巧、その奥義。一つ一つと学習しながら、吸血鬼は全てを奪い取った。そうして、火影は価値を失った。

 

 

――喜べ、下等種。蔡雅御剣流忍術。僕が覚える価値があるモノだった。

 

 

 勉学が終わったならば、残った資料はもう不要。当たり前の様に、男は其処で処分された。

 女は狂った様に叫びを上げる。事実、其処でもう壊れていたのだろう。あらゆる尊厳を奪われても耐えられたのは、彼が居たからこそなのだから。

 

 もう我慢する故もない。もう終わってしまって良い。自暴自棄の果てに、動かぬ手足で暴れ狂う。

 そんな女を見下して、氷村は一つ嘆息した。そうして更に一つを告げる。女の手足を肩と股間の付け根から、本当に切り落としながらに告げた。

 

 

――この塵も、もう要らん。適当に処分しておけ。

 

 

 言って、振り返りすらしない。処分の方法にすら、関心一つ寄せはしない。壊れた女の叫びを背にして、吸血鬼は去っていく。

 そして女は、心の次に身体を壊された。吸血鬼に従う者らの中でも更に底辺、碌でもない奴らの遊び道具と化して壊された後に捨てられた。

 

 同じ様に壊れた女達。酷使された秘部は性病で焼け爛れ、食事すら真面に取れずに全身はやせ細り、塵の様に捨てられた残骸達。

 憎悪と怨嗟と絶望に満ちた血肉の山。腐った身体は動かずに、蠅が集って蛆が湧く。そんな廃棄処理場の奥底で、それでも弓華は生きていた。

 

 

〈あれれぇぇぇ、おっかしぃぃぞぉ? 死んでも良いから暴れたのにぃ、どうして塵山で生きてるのぉ?〉

 

 

 死んでも良いから、この恨みを晴らしたい。あの時の自暴自棄は、要はそういう種類の物だったのだろう。

 どれ程に暴れても、どれ程に狂っても、憎悪の牙は届かない。だから一矢報いるまではと、必死に生に噛り付いた。

 

 腐った塵の山の中、蛆虫に身体を喰われながらに、それでも意志の力だけで女は生き延びてしまったのだ。――故に、あの男に出会った。

 

 

――おや、これは。面白い者を見付けたね。

 

 

 どれ程に時間が経ったのか。気が遠くなる程の苦痛の果てに、白衣の男が其処に現れる。

 手には一つの計測器。それは魂の力である魔力の波長から、人の渇望の強さを計測する装置。

 

 八神邸に隠れ潜んでいた天魔・母禮。その調査の為に地球を観測する中で、偶然装置が拾った小さな波動。

 興味を惹かれて、危険と知りながらも足を運んだ。そんな彼が見付けたのがこの塵山で、其処に埋もれていた女であった。

 

 

――性病と飢えによる免疫低下。一部肉体の癌細胞化。白血病。内臓癌。脳腫瘍。……おやおや、これは寧ろ発症していない病気を探す方が大変そうだ。

 

 

 異常に膨れ上がった肉塊。腐って蛆が湧いているのに、目が強い憎悪の光を放っている。

 己の手が汚れる事すら厭わずに、残骸に触れて診察する。その目に見えて分かる異常に、白衣の男は刻まれた笑みを深くした。

 

 男の本命は変わらない。特別な血筋に生まれた少女と、彼すら魅せた唯人の融合。陰陽を以って至る太極。

 それでも、常に二つ三つと策を同時進行で動かすのがこの男。そんな彼にとって、渇望だけで生き延びる肉塊は余りに興味をそそる材料だった。

 

 

――それでも、生きている。それも意志の力だけで。それ程の憎悪か。それ程の憤怒か。いや実に素晴らしい素材だね。

 

 

 魂の波動は弱い。その資質は決して優れている訳ではない。菟弓華と言う女は、特別なモノと言う訳ではない。

 それでも、あの少年と同類だ。己の意志一つで、特別ではないと言う状況を覆している。その意志力は、生来の才能とはまた違った稀有さ。

 

 これを材料に、実験をしてみよう。そしてもしも、それで生き残る事が出来たなら。狂気を抱いた求道者は、その瞳を濁らせながら問い掛けた。

 

 

――折角だ。君に選択肢を上げよう。君が己で望むなら、君を私の共犯者にしてあげよう。

 

 

 彼女の類稀なる資質は、その意志力唯一つ。なればこそ、自分の意志で決めなくては意味がない。

 故に狂気の求道者は手を伸ばす。その背より差し込む光は後光の如く、嗤う白衣の男はゆっくりとその手を伸ばして問うた。

 

 この手を取れば、お前に力を与えよう。その憎悪と憤怒を晴らす為の、絶対たる力を与えようと。

 

 

――さあ、どうするかね? 怒りと憎悪に震えながら、腐って死ぬしか道がない女よ。

 

 

 差し出した掌。その手を取る事など、女には出来ない。それは心情の問題ではなく、単純に物理的な理由。

 女には手がない。女には足がない。両手両足は既になく、胴体に繋がる首があるだけ。それでどうして、手を取る事など出来るだろうか。

 

 それでも、女は動き出す。死体にしか見えない女が、ずるずると地面を這い摺り進んだ。

 憎悪に身を焦がし、憤怒に瞳を染め上げて、芋虫の如くに進む。血反吐を撒き散らしながら、それでも前へと。

 

 

――手を、取ったね。喜び給え、この瞬間、君は私の同士となった。

 

 

 伸ばされた掌に、頭をぶつける。それが女に出来た、唯一つの意志表明。

 撒き散らされた血反吐の中に、零れ落ちた臓腑を見付ける。身体を欠損させながら、それでも示された意志に男は狂喜で哄笑した。

 

 そして何処までも純粋に、その意志へと敬意を払う。素晴らしい意志の輝き。故にこそ、彼女は己の同士であると。

 

 

――折角だ。名前が必要だろう。君と私と、互いの異名を合わせてみようか。

 

 

 男は知っている。男は女の素性を知っている。この塵山を見付けてから、接触するまでに調べ上げた。

 龍と言う存在。女の過去と与えられた一つの異名。そして彼女がこれ程の憎悪を向ける、突然変異の生命体を。

 

 

――泊龍。そして、無限の欲望。合わせて、そうだね。……無限龍と言うのはどうだろう?

 

「……は、嗤わ、せるナ、ヨ」

 

 

 提案するスカリエッティの言葉に、思わず失笑が漏れていた。言葉と共に、腐った歯肉から穴だらけの歯が零れ落ちる。

 ボロボロと、開いた口は血肉が剥き出し。咳き込みながら語る言葉は、余りに耳障りが過ぎるであろう。それでも女は語り、男はそれを聞き届けた。

 

 

「……手も、足も、ない龍なんテ、唯の、蛇ヨ」

 

――成程、蛇、か。ならばこうしよう。……我々は今から、無限の蛇(アンリヒカイトヴェーパァ)だ。

 

 

 手も足もない龍。既に蛇となった女の言葉に、狂った男は一つを頷く。

 敬意を表するに足る女と、己の異名を合わせる。無限の欲望。そして蛇。二つを合わせて、この瞬間に生まれたのが管理局の最暗部。

 

 ジェイル・スカリエッティと菟弓華。二人の出逢いを切っ掛けとして、無限蛇は此処にその生を受けたのだった。

 

 

――宜しく、共犯者。君が私の実験に耐え、力を得る事を期待しているよ。

 

 

 魔法の力によって浮かび上がりながら、菟弓華は暗く嗤う。この男への不信や疑念など、其処には欠片も存在しない。

 生き延びるのだ。生きて力を手に入れるのだ。そして、あの吸血鬼に討ち滅ぼす。この憎悪と憤怒を持って、犠牲者達の恨みを晴らすのだと。

 

 その爛々と輝く瞳を前に、ジェイル・スカリエッティは静かに嗤う。最後に一つ、女に向けて試練と渡す。それは今の女には、余りにも残酷が過ぎる一つの真実。

 

 

――ああ、そうだ。言い忘れていたが。

 

 

 それを聞いて尚、揺らがぬならば良し。揺らいで死すると言うならば、残念だがその程度だったと言う事だろう。

 故に男は躊躇わない。息する様に自然体で、何ら気負う素振りも見せずに――女が生き続けていた、その執着を打ち砕いた。

 

 

――氷村遊は、もう死んだよ?

 

 

 その言葉を聞いた瞬間。菟弓華は己の中で、ぴしりと、何かが壊れた様な音を聞いた気がした。

 生きたまま腐って、生きたまま蛆に喰われて、それでも生き続けた芯が崩れ落ちる。本当の意味で、女が壊れた瞬間だった。

 

 

 

 それでも生き延びてしまった事。それこそがきっと、一番の悲劇だったのだろう。

 菟弓華と言う狂った女は、復讐の相手もいないのに、復讐の為に生き延びてしまったのだ。

 

 

 

 

 

「嗚呼、何て可哀想な盟主様。必死に生きて生きて来たのに、もう恨みを晴らす相手は居ないなんて――超、受けるぅぅぅ」

 

 

 悪夢に沈んだ女の思考を誘導して、一通りを聞き出した魔群は嗤う。腹を抱えておかしいと、この女を嘲笑う。

 もう恨む対象が居ないと分かったのならば、其処で死んでおけば良いのに生き延びた。結局何がしたいと言うのか、最早女自身分かってなんて居ないだろう。

 

 クアットロは瞼すらない瞳をギョロリと動かし、魘される女の本質を見通すかの如くに覗く。

 人の悪意より生まれた女にしてみれば、この女に残った思いは実に分かりやすい。その本質は、糞の様に臭い物となっているのだ。

 

 

「要は気に入らないのよねぇ。許せないんだもんねぇ。恨んだ相手と同じ血が、当たり前の様に生きている事が気に入らないのよぉ」

 

 

 自壊に苦しみ、熱と悪夢に魘されて、未だ意識が戻らぬ盟主。その身体を蹴り飛ばしながらに、クアットロは批評する。

 この女は最早塵だ。唯、八つ当たりをしているだけの残骸だ。その言葉に正義はなく、その行動に正当性などありはしない。そう言う汚物に成り果てている。

 

 

「結局唯の八つ当たり。分かってないから、結局自分を正当化。お前らみたい奴らが居るから、世に悲劇は無くならないのだろうがぁっ! って実はブーメラン!」

 

 

 平穏に生きている人々に寄生して、その生き血を啜りながらに生き延びる吸血鬼。

 彼らの様な者が居るから、世に悲劇は無くならない。そんな理由で平穏に暮らす彼らを討つなら、その下手人もまた世に害を為す悪漢だろう。

 

 何せ、彼らが明確に世に害を為した訳ではないのだ。今に生きる彼らは、偶々そう言う血筋に生まれてしまっただけの者なのだから。

 

 

「平穏に生きている人達に、お前の肉親がこんな事をしたから、お前も死ね。言ってる事はそれだけ、ほんっと底が浅い女」

 

 

 口にする理由は全てが後付け。要は彼女は許せないのだ。自分以外が許せない。この境遇が認められない。

 一点に向いていた憎悪の芯を砕かれて、それでも生き延びてしまった。そうした果てに、女の全てが歪んでしまった。

 

 犯罪者の家族に対し、罵声を浴びせる自称善良なる市民。そう言った者らよりも、この女は更に度し難い者である。

 犯罪者の子ならば必ず犯罪者になるから、そうなる前に殺してしまおう。口にしている言葉はそれだけで、その論理が破綻している事にすら気付いていない。

 

 

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。犯罪者の子は犯罪者。石を投げて泥をぶつけて、糞塗れにしないと気に入らないのぉ。だってそれだけ苦しかったんだものぉ」

 

 

 別に何でも良いのだ。理由なんて何でも良い。別に誰でも良いのだ。相手なんて誰でも良い。

 今は夜の一族を恨む理由があるから、夜の一族に向かっている。だがもしも彼らが滅びれば、菟弓華はどうなるか。

 

 

「アンタはもう止まれないわ。予言して上げる。予告して上げる。宣言して上げる。例え夜の一族を滅ぼしたとしても、菟弓華は止まらない」

 

 

 それでも、この女は止まらない。何故ならその本質は、自分以外を許せぬと言う煮詰まり腐った憎悪であるから。

 

 

「幸福な奴が憎いの。平穏無事なのが気に入らないの。だから、理由を付けて人を討つ。理由さえ付いてしまえば、アンタは別のモノを傷付ける」

 

 

 女は理由を探すであろう。次の標的を探すであろう。そうして次に、さらに次に、奪って奪って奪い続けて、そういう化外に成り果てる。

 

 

「夜の一族が滅んだら? 多分次は重犯罪者。お前らみたいなのが居るから世の中は綺麗にならないと、次から次に殺すでしょう」

 

 

 もう一度生まれ変わる彼の為に、世界を綺麗にしておこう。そんな免罪符がある限り、女の憎悪は止まらない。

 もうこの女は終わっているのだ。だから止まる訳がなく、悲劇を只管積み上げていく。せめて復讐相手が残っていれば、そんな過程は最早無意味だ。

 

 

「重犯罪者が絶えてしまったならば? 少しずつ罪が軽くなっていく。最終的には万引きみたいな軽犯罪でも、アンタは死刑を下すでしょうよ」

 

 

 晴らす事が出来なかった憎悪は、溜め込み続けて腐ってしまった。歪んで捻れて、その精神性までも腐り果てた。

 世を綺麗にする為に、そんな免罪符と共に女は殺戮を続けるだろう。或いはそうなる前に、自壊して滅び去るか。それ以外に、彼女に道などありはしない。

 

 

「次は、どうなるかしらねぇ? 人に親切にしなかったら死刑? 泣いている子供を放置したら死刑? 電車で席を譲らなかったら死刑? どんどんどんどん軽くなる」

 

 

 理由があればそうして良い。理由を探せばそうして良い。その理由さえ軽くなってしまうなら、それこそ本当に終わりであろう。

 今が恐らく阻止臨界点。未だ残っている僅かな理性がある内に、月村すずかと言う標的が生き残っている内に、憎悪を晴らせなければならなくて。

 

 しかしクアットロは足りぬと見ている。月村すずかが背に人を庇う善良な者であればこそ、恨み憎む対象としては不適当であるのだと分かっている。

 だからこそ、この女は終わっているのだ。憎んだ相手は憎むに値する悪鬼羅刹などではなく、故に憎悪は果たせず溜め込み腐ってしまう。もう菟弓華は終わっている。

 

 

「一応、忠言してあげるわ盟主様。……世の為と想うならぁ、そろそろ死んでおきなさぁい。アンタはもう、壊れた泥船なんだからぁ」

 

 

 そして、そんな壊れて沈む泥船に、この女がこれ以上関わる義理はない。あったとしても、女は全て捨て去るだろう。

 悪夢に魘される女の身体を蹴り飛ばし、拠点の倉庫に蹴り入れる。まるで塵を扱う様に、雑多に纏めて扉を閉めて、それでもう御終いだ。

 

 放っておけば自壊しよう。そうでなくとも、壊れ果てよう。そんなモノ、大事に扱う価値がない。

 ケラケラゲタゲタ、その無様を一頻り嗤った後にクアットロは身を翻す。そうして一人、同じく壊れた人形にへと言葉を掛けた。

 

 

「それじゃ、行くわよ。アストちゃん」

 

 

 自身を恐怖に揺らいだ瞳で、見上げる砕けた魔の鏡。震えながらも頷く姿に、クアットロは満足する。

 この地に降りてから、喰らって来た無数の命。そうして作り直した夢界の大部分を、クアットロは彼女の強化に使用していた。

 

 どの道、自分を強化しようにも腐ってしまう。無理矢理に高めたとしても、一時的に等級にして伍か陸に上げるのが精々だ。

 故に自己の強化は諦めた。アストを真面な戦力として運用する為に、その力の大半を割いている。今のクアットロには、神座世界の紅蜘蛛(ロート・シュピーネ)にすら手も足も出ずに敗れる程度の力しか残っていない。

 

 

「こんな泥船の為ではなく――全てはドクターと、もう一度会う為に」

 

 

 それでも、既に道筋は出来ている。全てを手に入れ、もう一度彼を取り戻す為に、その策は組み上がっている。

 

 ジェイル・スカリエッティはもう居ない。予備の身体すら壊されて、魂は輪廻に紛れて何処かへと消えてしまった。

 この世界の転生は、嘗ての転生と同じではない。輪廻する中で魂は少しずつ崩れて、別の魔力がそれを補完していく。

 

 同一人物の再誕は起こり得ず、よく似た誰かの誕生にしかならぬのだ。そしてそのよく似た誰かですら、意図して生み出す事は出来ない。

 輪廻の中に紛れた魂を、見付け出せるモノなどそれこそ世界そのものである覇道神。流出に至った神格でなければ、何処かに居る誰かは探せないのだ。

 

 故に、クアットロ=ベルゼバブは決めたのだ。もう一度、輪廻に紛れた彼を見付け出す為に――()()()()()()()()()()と。

 

 

「月村すずか。アリサ・バニングス。高町なのは。トーマ・ナカジマ。……そして、夜都賀波岐に、天魔・夜刀」

 

 

 道筋は見付けた。可能性は掴んだ。奇跡を何度か起こす必要こそあるが、それでも可能性はゼロじゃない。

 己に資格がないならば、ある者から奪い取る。奪い取れない程に強いなら、少しずつ奪える所から奪っていく。

 

 そうしてその果てに、己こそが至るのだ。新世界の神。次代の神。流れ出す覇道の神へと。

 

 

「見ていなさい。貴方達。……全て私が喰らい尽くして、神座を奪い取ってあげるわぁぁぁぁぁッ!!」

 

 

 全ては唯、父と生きたあの白い家へと帰る為だけに――魔群クアットロはその牙を剥く。

 

 

 

 

 




スカさんのお見舞いシーンの推奨BGMは羽化登山(相州戦神館學園 万仙陣)で。
原作での神々しいお見舞いシーンを意識してみました。




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楽土血染花編第四話 楽園に咲く血染の花 上

推奨BGM
1.厭魅凄艶(神咒神威神楽)
2.Salvator(Dies irae)


1.

 月夜の下に、虫の音だけが響いている。羽搏いていく小さな灯火は、ある種幻想的である。

 この幻燈を眺めていると、まるで先の一件が嘘の様。黄昏を過ぎた逢魔ヶ時に、闇と見えた事すら夢幻に思えてくる。

 

 されど、先の一件は夢ではない。闇に堕ちた女が見せた怨嗟の色は、今も此処に残っている。

 崩れ落ちた月村邸の残骸。地下へと続く階段の前に立ち、月村すずかは夜風を吸い込む。吐き出す呼気は、思っていたよりもずっと冷たかった。

 

 

「菟弓華」

 

 

 名前を口にする。被害者にして加害者。夜の一族に奪われたからこそ、夜の一族から奪おうとする者の名を呟く。

 彼女達が生み出した闇。その存在へと抱いた情は、果たして一体如何なる色か。夜襲に備え一人警戒を続けるすずかは、空いた時間に思考を進める。

 

 怒りや憎悪と言った情。身内を傷付けられた事への感情は確かにある。それでも然程強くはないのは、現実感が湧かないからかはたまた別か。

 悔恨や憐憫と言った情。同じ女として想像する。その身に襲った悲劇はそれだけでも、耐え難いと言える程。そんな経験をさせた事、其処に情が芽生えぬ筈もない。

 

 夜闇の中に一人、女は思考に埋没する。己の感情を、己自身を、振り返って考えるのは己の解答。

 

 

「私は、何が出来るんだろう。何をするべき、なんだろう」

 

 

 話を聞いて、素性を知って、想う所はそれ一つ。加害者が示した正当性を前にして、何が出来るか思い悩む。

 それはこの今に、余裕があるからこそ出来る事だろう。切羽詰まった状況で、相手の事など考えられない。滅びろと言われても、そんな要求は飲めないのだから当然だ。

 

 今直ぐにでも彼女が復讐を果たしに来て、ならば素直に迎え撃つだろう。殺さなければ止まらないと言うならば、身内を救う為にも殺すであろう。

 だが、追い詰められて咄嗟にと言う状況ならば兎も角として、思考の猶予が出来た今に何も考えずに敵として唯倒す事など選べやしない。加害者ならばせめて、己の罪に向き合うべきなのだ。

 

 それが、本当の意味で怪物にならない為の方法。罪を自認し、思い悩みながら、確かな答えを探していく。それが月村すずかにとっては、人である為の最低条件なのである。

 

 

「……すずかが悩む必要はないわ」

 

 

 物思いに耽っていたすずかの背後から、見知った女の声が掛けられる。振り返って振り向いた先、階段を上って来るのは桜色の人影。

 

 

「さくらさん」

 

 

 周囲を警戒しているからだろうか、獣の様な耳を隠せていない成人女性。地下から出て来た彼女の名を、すずかは苦言を口にする様な鋭さで呼ぶ。

 未だ危険は過ぎ去っていないのだから、地下に避難していて欲しいと言っただろうに、どうして出て来たのか。そんな姪の視線に謝罪を返しながらにさくらは語る。さくらには、表に出てでも語らなければならない理由があったのだ。

 

 

「弓華さんの一件は、氷村遊の責任よ。月村すずかは関係ない。責任を負うべき立場じゃないの。それだけは、絶対に間違いないって断言出来る」

 

 

 先に行われた情報の擦り合わせ。敵の素性を聞いて、顔色を曇らせたすずかを見ていた。だからこそ、綺堂さくらは此処に来た。

 菟弓華を傷付けたのは、氷村遊だ。彼女が傷付けられた一件に、月村すずかは欠片だって関係していない。ならばそんな彼女が、責任を負う必要が何処にある。

 

 身内が罪を為したなら、其の親や子までも鞭に打たれるべきか。誰かが悪を犯したならば、一族郎党滅びるべきか。同じ種族が後ろ指を刺される行いをしたとして、種族全てが滅ぼされて正当か。

 親や子の罪を、子や親が償う。それは本当に必要か。罪を為したから族滅などと、それは余りに前時代的ではないか。極少数の人間が他の命を悍ましい手段で蹂躙したとして、だから人間種全てが滅びないといけないと言う理屈など成立すらしないだろう。

 

 

「氷村遊の罪。それは、それを育てた氷村の家系や、彼を止められなかった私が負うべきかも知れないわ。……けどね、すずかが思い悩む事じゃないの」

 

 

 要は何処で線を引くかと言う問題だ。何処にまで責任を求めるかと言う問題だ。

 

 悪い奴が居た。悪い奴は人間だった。ならば人間全てが滅びろ。そんな論説、通りはしない。

 悪い奴が居た。悪い奴を育てた奴が居た。ならばその身内が償え。受け入れられる論理など、精々その辺りであろう。

 

 菟弓華はやり過ぎだ。あの女は行き過ぎだ。当時幼い子供でしかなかった、血が繋がっているだけでしかない、そんな少女に一体何を償えと言うのであろうか。

 綺堂さくらは、故にそれを伝えに来たのだ。貴女は悪くない。貴女が咎を負う必要などはない。真に罪深い者は既に亡く、貴女は唯巻き込まれただけなのだからと。

 

 そんなさくらの言葉に、確かな思い遣りを感じる。感じてそれでも、すずかは首を左右に振った。

 

 

「そう、かもしれません。それが正しいのかも知れないです。……だけど、私はこうも想うんです。彼女を傷付けたのは、夜の一族。この流れる血と同じく、ならきっと私は無関係じゃ居られない」

 

「違うわ。それは――」

 

 

 思い遣りから伝えられた言葉を、己の想い故にと否定する。己は無関係な立場ではないのだと。

 そんなすずかに、さくらは否定を口にする。同じ一族だからと、罪に感じる必要などはない。そんな言葉を伝えようとして、しかしそれを口にする前にすずかが言葉で遮った。

 

 

「それに――悪くないから、気にしなくて良い。正当性がないなら、開き直ってしまって良い。……それは違う。違うんだって、思います」

 

 

 仮に綺堂さくらの語る理屈の全てを受け入れて、自分が責められる立場にないと判断したとしよう。

 だがだとしても、それを理由に開き直る訳にはいかない。だから相手の事など考えなくても良いと、そんな理屈を通してはいけない。月村すずかは、そう思う。

 

 

「傷付けられた人。大切なモノを穢されて、とてもとても怒っている人」

 

 

 菟弓華は、愛した人を奪われた。大切なモノを穢されて、よくもよくもと怒りを燃やしている。

 そんな女の怒りによって、身内を害された。相手に正当性がないと語るなら、その怒りだって飲み干せる筈がない。

 

 

「そんな怒りに奪われて、よくもよくもと怒りを燃やす。その先には、負の連鎖しか待ってはいない」

 

 

 奪われたのだ。奪い返そう。奪い返されたのだ。今度は奪い返されぬ様に、もっと徹底的にやってやろう。

 怒りに対して怒りを返せば、結果として出来上がるのは負の連鎖。もっともっとと悪化する。どうしようもない地獄の絡繰り。

 

 一番悪い奴がもう居ない。氷村遊は何処にも居ない。だからどちらも悪くはないと、開き直ってしまえば限がない。

 地獄の絡繰りが止まらない。悪くないのに奪われたから許せずに、許せないから傷付ける度に憎悪が積み上がっていくのである。

 

 

「本当に悪い人はもう居なくて、皆悪くはないのに争っている。そうしないといけない程に憎悪が積み上がっていて――だからこそ、このまま終わりじゃ余りに救いが無さ過ぎる」

 

 

 その先に救いはない。その先は碌でもない。何処かで止めないと、どちらかが消え去るまで終わらない。

 どちらも本当は悪くはないのに、一番悪い奴がもう居ないから、何処で止まれば良いのかも分からない。

 

 そんな地獄の絡繰りは、菟弓華と夜の一族だけの話じゃない。同じ様な関係性が、確かに他の場所にもある。それをすずかは、もう知っているのだ。

 

 

「……これは、縮図なんだって思います。この世界で起きた事、それにとても良く似ている」

 

 

 其れは穢土・夜都賀波岐と、この時代に生きる人間達との関係性。大きな世界の縮図が正に、この小さな世界で起きている。

 前代より世界を絶やさぬ為に戦い続けて、今を憎むに至った英雄達。前代の英雄達に奪われて、過去を憎む様になった人間達。この関係に、余りに酷似し過ぎていた。

 

 

「傷付けられた人。大切なモノを汚されて、とてもとても怒っている人達」

 

 

 守ったのに、守り続けていたのに、お前達は裏切った。今も苦しむ父の腸を、浅ましくも貪る子供達。其処に怒りを覚えたのが、嘗てを生きた英雄達。

 許さない。認めない。終わらせてなるものか。その一念で刃を振り上げ、多くの命を奪い取った。世界を存続させる為に、沢山沢山命を刈り取り終わらせた。

 

 そんな古き者らの怒りに、奪われた者らも怒り狂った。よくもよくもと、よくも奪ったなと憎悪を燃やした。

 戦乱の地で腐って落ちた命があった。宇宙の塵と化した船があった。生きたいと言う願いすら、届かず消えた少女が居た。それをどうして、許せるのかと憤る者らが居た。

 

 本当に悪い奴(第六天・波旬)はこの世界に居ないのに、互いの理由で傷付け合って、憎悪と怒りを積み重ね過ぎた光景が確かに其処にあったのだ。

 

 

「そんな怒りに奪われて、よくもよくもと怒りを燃やす。その先には本当に、負の連鎖しか待ってはいないじゃないですか」

 

 

 そんな怒りと憎悪の連鎖。その地獄の絡繰りを、食い止めた者を知っている。すずかはあの日、異なる答えを確かに聞いた。

 青き光の力で感じた想いの共有。古きに生きた敗軍の将が伝えた決意。彼の黄金を前にして、高町なのはが口に出した答えを確かに知っている。

 

 

――真に愛するならば壊せ! 真に愛するからこそ、壊すんだ!!

 

 

 この世界を、それでも愛しているのだと語った女。憎悪ではなく愛で壊す。それが彼女の出した結論。今を生きる女はあの時に、確かに過去と向き合った。

 

 

「だから、私も向き合うべきなんです。知れて良かったと、心の底からそう思います」

 

 

 奪われた怒りや憎悪に身を任せぬのは、現実感の喪失だけが理由ではない。

 失ったと言う実感が薄いだけではなくて、それではいけないと確かにもう分かっているから。

 

 憎むのも、怒るのも、恨むのも、もう十分だと知っている。ならばどうして、被害者に対しそれだけを向ける事が出来るのか。

 

 

「菟弓華が姉さんや、雫。さくらさんを傷付けようと言うなら、否はありません。戦います。奪います。終わらせなくちゃいけないなら、この手で確かに終わらせる」

 

 

 それでも、女が止まらぬならば手に掛けるだろう。こうして悩んではいても、その場に立てば戦うだろう。

 憎悪でも憤怒でも怨嗟でもなく、それでも相手を仕留めよう。天秤の片側に乗った者らが重いなら、両天秤が揺れ動く筈もない。

 

 結果として、月村すずかは菟弓華と敵対する。例えどんな結論を出したとしても、あの女を殺す為に動くだろう。ならば、懊悩に意味はないか。否である。

 

 

「それでも、知るべきじゃなかったなんて思わない。自分は悪くないなんて、思いたくなんてない。どうすれば良いのか、考える事を止めたくない」

 

 

 例え至る結果が同じでも、抱いた想いが違うならば意味が変わる。それはとても小さな違いにしかならずとも、決して無為などではない。

 憎悪ではなく、怨嗟でもなく、殺意ですらなく――何か違う形での解答を。その為に知る事が出来た。それだけでも、きっと無意味などではないのだ。

 

 

「それが、月村すずかの譲れない答えです」

 

 

 だから、その気遣いは受け取れない。お前は悪くないのだと、その言葉には頷けない。

 月村すずかは弱いから、一方的に恨める関係になってしまえば恨んでしまう。そう言う自覚があればこそ、頷くなんて出来はしない。

 

 

「……余計な事、だったかしらね」

 

「はい。ですがお気持ちは確かに、ありがたかったです」

 

 

 月村すずかの譲れぬ想いに、気遣いなど無粋であったかとさくらは語る。

 見ていない間に成長していた姪っ子は、そんな彼女の言葉を肯定しながらも本心からの感謝を返した。

 

 

「分かっていても、悩んでしまう。未だこの血を受け入れる事すら出来ていない。そんな私ですから、悪くないと言って貰えて、それだけでも少し気持ちが楽になりました」

 

 

 受け入れる事は出来ないけれど、気遣って貰えただけで楽にはなった。そう語るすずかの言葉に苦笑する。

 自己への嫌悪を拭えずに、未だ成長なんて出来ていない。そんな姪の言葉に思わず、綺堂さくらは笑みを零した。

 

 

(もう十分に、大きくなっているじゃない)

 

 

 自覚はないのかも知れないが、それでも月村すずかは変わっている。確かに長く合わなかったさくらだからこそ、一目瞭然なその変化。

 

 周りに居る者達が、余りに早く駆け抜けていったからだろう。彼女の自己に対する評価の低さは、友人達の成長に置いて行かれていればこその物だろう。

 それでも、何も変わっていない訳がない。進めていない訳ではないのだ。月村すずかと言う女とて、確かな想いを胸に抱いて、無数の苦難を乗り越えて来たのだから。

 

 

「すずか」

 

 

 自己評価が低い姪っ子へと向けて、笑みを零したさくらはそれを伝えようと口を開く。

 己を振り返る切っ掛けの一つにでもなれば良いと、すずかを肯定しようとした彼女の言葉は――

 

 

「アクセス――マスターッ!」

 

 

 恐怖に震える幼子の叫びと共に、天から落ちる強大な炎によって遮られたのだった。

 

 

 

 

 

2.

「っ!? 下がって、さくらさんッ!!」

 

 

 巨大な炎が落ちて来る。それは宛ら、夜に生きる化外の者らを滅ぼし尽さんと燃え滾る太陽。

 さくらに言葉を投げ掛けて、即座に己の掌に瘴気を収束する。日の光など要らないと、その意志を落ちる炎に叩き付ける。

 

 

「ぐっ、っぅぅぅぅっ!」

 

 

 炎を喰らい、減衰して、それでもやはり相性が悪い。日の光は吸血鬼にとっては天敵だ。

 ましてや、これは熾天使の火。太陽の統率者が放つ力であればこそ、その炎には光輝く聖性が宿っている。

 

 これは光だ。夜を照らし出す、聖なる光。これは太陽だ。吸血鬼にとっては天敵たる空に輝く太陽だ。

 腐毒よりも、聖別された銀よりも、唯の炎よりも、遥かに最悪の相性だ。そんな力を前にして、月村すずかが絶えられよう筈もない。吸い込んだ直後に、己の身体を内側から焼き尽くされる。

 

 

「あ、がっ、くっ、っぅぅぅぅ」

 

 

 それでも、吸収しないと言う選択肢が存在しない。身を守っただけでは耐え切れず、しかし回避は出来ないのだ。

 背後に居る身内。彼女が居る限り、攻撃は躱せない。身を守っても耐えられないなら、迎撃する他に一切の術がない。

 

 太陽の炎を吸い取って、身体を燃やされながらにすずかはデバイスを操作する。

 氷の魔法だけでは迎撃出来ず、簒奪の霧だけで如何にかしようとすれば自滅する。故にこそ解決策は、その同時使用以外にある筈ない。

 

 簒奪の霧が減衰させて、氷結の嵐が温度を下げて、無数の氷の盾が漸くに聖なる炎を受け止める。

 四肢を焼け爛れさせながら、魔力と体力を大量に消耗して、其処までして漸くに唯の一撃を受け止める事が出来たのだ。

 

 そして、すずかは空を見上げる。薄暗い暗闇を切り裂いて、空に浮かんだ白き翼をその目にする。

 白い衣。白い翼。色違いの瞳を恐怖に揺らがせながら、空に浮かんだ純白の反天使。ヴィヴィオ=アスタロスの姿を見た。

 

 

「ヴィヴィオ。それに――」

 

 

 そして、そんな少女の身体に纏わり付く黒い雲。聞こえる羽音は嘲笑を浮かべた蠅声。

 恐怖に震える人形を抱き抱える様に、繰り手はもう生皮すら残っていない身体を形成した。

 

 

「Oh Amen glorious!!」

 

「クアットロッ!!」

 

 

 魔鏡ヴィヴィオ=アスタロス。魔群クアットロ=ベルゼバブ。先の襲撃から一晩も明けぬ内に、攻め込んで来たのは二柱の反天使。

 

 最早立っているだけでやっと。それ程に消耗したすずかの影で、さくらは地下へと去っていく。

 役に立てぬ屈辱に震えながらも、身の丈を知るが故に残ろうとはしない。そんな足手纏いが逃げ去る姿に、しかしクアットロは何もしない。

 

 

「はぁい。すずかちゃぁん。お元気ですかぁ?」

 

 

 先の邂逅から感じていた様に、余りにもらしくない対応。

 警戒心を強めるすずかに、クアットロはまるで世間話をするかの様な口調で嗤った。

 

 

「大事な大事な身体だもの。お腹を冷やしたりしてぇ、身体を悪くしちゃ駄・目・よ」

 

 

 醜悪な顔で嗤いながらに、濁った瞳で見詰めている。その視線に宿った感情は、嫌悪を感じる類の物。

 ゾクリと背筋に悪寒がする。冷たい汗が流れた理由は、相性最悪の天使が居るからではない。この視線の色に、余りにも慣れ親しんで居たからだ。

 

 向けられている視線。それは、情欲に似た感情だ。己と言う肉体を求める、美貌に狂った薄汚い者らが見る視線と同じく。

 この肉体を求めている。クアットロの視線に宿った意志は、間違いなくそんな色。だからと言って、この女が同性愛者に宗旨替えをしたと言う訳ではない。

 

 

「夜の一族。容姿と身体能力、両面で優れた肉体。……母体としてぇ、これ以上はないわよねぇ」

 

 

 視線の色を察し、その表情を嫌悪に歪めた月村すずか。その事実に気付いたクアットロは、その笑みを深くする。

 そして隠す事もなく、己の意図を此処に示す。魔群が吸血鬼の少女に求めた事は、新たな父を産み出す為の胎盤だ。

 

 

「想像してみなさい。私のドクターが、至高の頭脳を持つドクターが、夜の一族として生まれるのぉ。完璧な存在って、その為にある様な言葉じゃないかしらぁ?」

 

 

 生まれついてより優れた身体能力と美貌を持ち、人より長い時を生きられる上に程度差はあれ誰もが再生能力を持っている。

 夜の一族とは、クアットロが考える内において最高峰の肉体だ。それに至高の頭脳が組み合わされば、最早玉傷などは何処にもない。

 

 正しく完璧。正しく完全。生まれ落ちる彼を想像するだけで、達してしまいそうな程の完成度。

 故にこそ、クアットロにとって菟弓華は邪魔なのだ。彼女達の目的は相容れない。夜の一族が滅んでしまっては困るのだから。

 

 

()()()()()()()()()。ドクターの母体として、貴女こそが相応しいの。だから、ねぇ」

 

 

 だが、あの女は動けない。態々悪夢を掘り返して、散々に嘲笑したのはその為にこそ。

 彼女が魘されている夜の間に、月村すずかを抑えるのだ。そして再び動き出す前に、彼女を連れて何処ぞにでも姿を消そう。

 

 放っておけば、盟主は勝手に自滅する。この星や周辺世界を巻き添えにするかも知れないが、そんな事はクアットロにしてみればどうでも良い事に過ぎない。

 故にこそ、此処に来た。だからこそ、此処で動いた。全ては月村すずかを此処に抑えつけ、彼女に新たな子を産ませる為だけに。魔群はまたも、味方を裏切ったのだ。

 

 

「適度に痛め付けなさい。壊しちゃ駄目よ、アスト」

 

「……イエス、マスター」

 

 

 女の身体を舐め回す様に見詰めながら、魔群はアストへと指示を下す。恐怖に震える幼子は、その指示に従って力を振るった。

 放つ光刃。降り注ぐ刃。虹を白く染め上げた魔力は、光輝く聖なる力。展開した瘴気を浄化して、女の抵抗など知らぬとばかりに攻め立てる。

 

 血杭で抵抗しようにも、何処までも相性が良くはない。ならばせめて、氷結魔法の方がまだマシだ。

 操られた幼子の姿に複雑な感情を抱きながらも、すずかは氷の魔力で迎撃する。聖なる光を打ち落としながら、荒い呼吸と共に吐き捨てた。

 

 

「人の身体を道具みたいに、そんなの絶対御免だよっ!!」

 

 

 友人の娘を戦う為の傀儡とし、己を出産道具として求める魔群。何処までも他者を唯の道具と、見下す女に反発する。

 周囲の草花より命を簒奪して傷を治しながら、氷結魔法を敵へと向ける。討つべき敵と見定めたのは、少女に纏わり付いている悪なる獣。

 

 されど、劣勢の内に放った力は届かない。蟲に向かった氷の魔法を防いだのは、アストの展開する虹の鎧だ。

 相手の反撃に対し、ノーモーションでアストは防御魔法を行使する。クアットロを守るのは、この幼子の意志ではない。

 

 

「うふふふ。嫌がっちゃってまぁ」

 

 

 脊髄に針を突き刺して、直接に寄生した黒い蟲。それがアストの行動を、完全に制御している。彼女はクアットロの傀儡だ。

 故にエルトリアで見せた様な欠陥は、今のアストにありはしない。繰り手がこの場に居る限り、どんな状況にも対応し切ろう。

 

 恐怖に震えて、涙を瞳に浮かべたままに、しかし魔鏡アストは最大戦力を維持していたのだ。

 

 

「けど大丈夫。すぅぐに自分から孕みたいって、言い出す様になるわよぉ。本当、直ぐにねぇぇぇ」

 

 

 茨の棘をその身に纏って、黒き颶風と変じながらに移動する。黒き針鼠の様な姿に変じて、無数に放つのは氷の針だ。

 白い魔力と凍れる魔力のぶつかり合い。銃撃戦にも似た戦闘を続けながらに、すずかは高速で周囲を飛び回る。足を止めての撃ち合いを、今のすずかは選べなかった。

 

 聖なる光をその身に浴びれば、今の傷付いたすずかでは一撃で落ちる危険がある。撃ち合いになったなら、正直に言って勝ち目がない。それ程に相性が悪いのだ。

 背後に居た身内は地下深くへと逃げ切った。その気配が感じ取れない状況ならば、足を止めている理由もない。高速機動で敵を翻弄しながらに、打ち勝つ為の隙を探すのだ。

 

 

「アクセス、マスター」

 

 

 されど相対するアストも、内情は兎も角戦力としては最盛期。高速戦闘の最中であっても、その異能を振るえぬ道理がない。

 迸る聖性はより強く、その波動だけで焼かれそうになりながらもすずかは攻勢を止めない。やらせはしないのだと、寧ろ苛烈さを増していく。

 

 

幸いなれ、黙示の天使よ(Slave Gabriel,)その御名は、汝の下にて(cuius nomine tremunt)戯れる水の精をも震わさん( nymphae subter undas Indentes )

 

 

 周囲を凍結させながら、駆け抜け続ける茨の颶風。明けない夜は展開できない。赤い月の下に聖なる太陽を取り込めば、その太陽に世界全てが焼かれてしまう。

 闇と夜とは真逆、夜と光は最悪相性。少女が背に負う翼が纏った光に、真面に近付く事すら出来ていない。近付けば光に焼かれてしまうから、遠巻きに氷の礫を飛ばすしかないのだ。

 

 

さればありとあらゆる災い(Non accedet ad me)我に近付かざるべし( malum cuiuscemodin)我何処に居れど(quoniam angeli sancti)聖なる天使に守護される者ゆえに( custodiunt me ubicumeque sum)

 

 

 如何に高速で翻弄し、射撃を続けようとも止められない。近付く事すら出来ない時点で、既に両者の戦力比較は決定的だ。

 最良の相性ならば格上すら喰える吸血鬼も、最悪の相性を前にすれば手も足も出せない。魔鏡の隙を魔群が埋める現状で、ならばこの結果も当然だった。

 

 

「蒼き衣を纏う者よ、EHEIEH――来たれエデンの統治者」

 

 

 言葉と共に門が開いて、空より落ちて来るのは流星群。邪なる敵を討つ。討つべきは、天に唾する吸血鬼。

 楽園の統治者ガブリエル。その名と共に告げられるのは死の宣告。邪悪を前にした瞬間、これは恐ろしい程の力を発揮する。

 

 吸血鬼は邪悪なればこそ、その特効は牙を剥く。石の雨は正しく光の速度を超えて、認識するより遥かに前に、月村すずかを射抜いていた。

 

 

「っ、ぁァァァァァァァッ!!」

 

 

 痛みも苦しみも、全てが遅れてからやって来る。倒れた後に、痛みが襲った。

 

 真価を発揮したガブリエルを躱せる者など、最速の獣程度であろう。爆ぜる光が輝く前に、穿たれた敵は崩れ落ちる。

 邪悪であるならば、最強種であっても回避は不可能。当然の様に躱せぬすずかは、全身の神経を断ち切られて血に沈んだのだ。

 

 

 

 赤い血が流れ落ちる。滴り落ちて大地を染める。引き裂かれた全身に、感じる痛みは聖なる力。

 針で全身に穴を空けられ、其処から硫酸を流し込まれた様な苦痛。身体が溶ける感覚に、すずかは歯を食い縛って耐え続ける。

 

 ジリジリと、じわじわと、感じる痛みは塞がらない。聖なる傷は治せない。ならば、その部位を切り捨てる。

 瘴気を伸ばして命を吸って、溜め込んだストックも全てを消費して、如何にか切り落とした身体を復元させた。

 

 

「あらあら、治っちゃったわぁ。凄いわねぇ、すぅずかちゃぁぁん」

 

 

 呼吸を荒げて仰ぎ見ながら、まだ立ち上がれないすずかは臍を噛む。

 嘲笑を浮かべた黒い影と、彼女が纏わり付く白き反天使。相手が悪過ぎる。条件が厳し過ぎる。彼女らに対する手段が一つも、何一つとしてありはしないのだ。

 

 

「んー、本人を嬲り続けるよりぃ、やっぱり周囲を虐めた方が早いのかしらねぇ? そんな訳でアストちゃん」

 

「イエス。アクセス、マスター」

 

 

 長い舌で唇を舐める様に、剥き出しの歯茎を舐め上げながらに魔群が嗤う。見下す先には、地下へと続く防空壕への入り口だ。

 その鉄扉を見詰めて、表情を変えるすずかに嗤って、唯々諾々と従う魔鏡に指示を出す。恐怖故に頷く魔鏡が示すのは、神敵を燃やす破壊の太陽。

 

 

幸いなれ、義の天使。(Slave Uriel, )大地の全ての生き物は、(nam tellus et omnia )汝の支配をいと喜びたるものなり(viva regno tuo pergaudent)

 

 

 白き天使の翼が、漸くに白み始めた空を彩る。登り始めた太陽を背に、その輝きはまるで一枚の絵画の如く。

 空に二つの太陽が浮かび上がる。近付けば最後、あらゆる穢れを浄化する。そう思える程の強大な火が、空を真昼の如くに染め上げていた。

 

 これが落ちれば最後、地下深くにある避難施設も含めて消え去るだろう。この海鳴市に聳える山が、跡形もなく消え去るだろう。

 燃え盛る炎を振り下ろす少女は止まれない。背後で操り続ける魔群が居る限り、この幼子は裁きを止めない。ならば止められるのは、この場に残る吸血鬼だけ。

 

 

「――っ、あッ」

 

 

 命を集める。生命力を簒奪する。肉体再生速度を限界にまで高め、必死の想いで立ち上がる。

 このままではいけない。このままでは失ってしまう。ならば落ちて来る太陽を、この場で何としても食い止めるのだ。

 

 

さればありとあらゆる災い、(Non accedet ad me )我に近付かざるべし(malum cuiuscemodin)

 

「さ、せるかぁぁぁぁぁッ!」

 

 

 アストが放つ聖なる力は、未だ僅かたりとも落ちてはいない。義の天使の降臨に、寧ろ増してさえ居る有り様だ。

 近付けば、その波動だけで身体が燃える。相性が悪過ぎるのだ。その聖なる玉体へと近付き過ぎれば、夜の眷属はそれだけで滅び去る。

 

 そうと分かって、それでも月村すずかは駆けた。立ち上がった女は此処に、聖なる炎を纏った少女に向かって飛び出したのだ。

 氷の魔法じゃ届かない。簒奪の瘴気じゃ止められない。夜を展開したとして、この太陽に燃やされる。故にこそ、女は前に向かって飛び出した。

 

 身体を焼かれながらに、魂を燃やされながらに、己の五体で抑え付ける。それこそが最後に残った対応策で――

 

 

「あらまだ元気。でも残念」

 

 

 だが、そんな器が傷付く方法。クアットロが許す筈もない。

 悪辣なる魔群は此処に、その仕込んでいた罠の一つを明かしていた。

 

 

「あ、っ――?」

 

 

 瞬間、見ていた世界がぐるりと形を変える。己の意識が、身体が制御出来なくなっていく。

 滴り落ちる水滴に、がくがくと震えながらに膝を付く。喘ぐ様な呻き声が口から洩れて、上気した脳が思考を止める。耐えられない程の身の熱に、蹲る様に倒れてしまった。

 

 

「ぅ、んぁ――っ」

 

「胸が熱いの。アソコが疼くわ。頭がまるで燃える様。……痛くはないけど、苦しいわよねぇ。満足に動けないくらいには」

 

 

 無意識に、甘えた様な声が零れる。耐えられない程の身の熱は、夜の一族が持つ特有の身体状況。前後不覚と成る程に、身体を侵す欲情は正しく――発情期のそれであった。

 

 

「ク、アッ、トロ」

 

 

 夜の一族は年に一度、子を生す為に発情状態となる期間がある。己の性欲を抑える事が難しくなる程に、そういう体質を持って生まれて来る生き物だ。

 されど、それにしては余りにも予兆が無さ過ぎた。そして予兆がないにしては、余りにも感じる欲望が大き過ぎたのだ。

 

 何故急に、それもこんなに急激に。あり得ない事態に困惑しながら、月村すずかは一人悶える。

 そんな女を見下して、ニヤリと嗤い続ける魔群。これは全て、この魔群の仕業。彼女が仕込んでいた罠が故である。

 

 勝敗なんて、最初から付いていた。ずっと以前から、クアットロは月村すずかを狙っていたのだ。

 彼女を母体に使おうと、そう考えていたのは偉大な父が生きていた頃から変わらない。失楽園の日より前に、この女の身体こそを標的と狙っていた。

 

 故にこそ、あの日より以前から罠を仕込んでいた。その毒が残っているかの確認を終えて、しっかりと残っていたのだ。故にこそ、月村すずかは抗えない。

 己の五感。神経の一本一本に至るまで、既にすずかの物ではない。嬲り甚振っていたのは、その残った心に刻み付ける為。勝敗などは最初から、魔群の勝利と決まっていたのだ。

 

 

「うふふ。ふふふ。さぁ、やっちゃいなさい。アストちゃん」

 

 

 一体如何なる罠に掛かっているのか、今になっても分からない。それでも、まだ立ち上がれる。

 まだ完全に敗れた訳ではない。己にそう言い聞かせながらに、湧き上がる情欲を抑え付けながらに、小鹿の如く震える足で立ち上がる。

 

 上気する身体。夜の一族が年に一度体験する発情期。それを数倍にする濃度で強制的に引き起こされて、それでもすずかは立っている。

 逆上せる頭は真面な判断を下せず、震える身体は一歩も進んではくれない。それでも諦めるものかと、そう食い縛った彼女の意志は。

 

 

我何処に居れど、(quoniam angeli sancti )聖なる天使に守護される者ゆえに(custodiunt me ubicumeque sum)

 

「ウフフ、アハハ、アァァァァハハハハハハハァッ!!」

 

 

 されど、嘲笑う魔群から見たら無駄の極み。従い続ける魔鏡を止めるには不足が過ぎている。

 最初からギリギリだったのだ。喰い止められる瞬間はほんの一瞬しか非ず、その一瞬をもう使い果たしてしまった。

 

 食い止める為に駆け出して、其処が阻止臨界点。一度発情して膝を負った瞬間に、もう吸血鬼は間に合わなくなっていた。

 

 

「斑の衣を纏う者よ、AGLA――来たれ太陽の統率者!!」

 

 

 聖なる炎が空を染める。鏡の少女が無慈悲に告げる。落ちる太陽はもう止まらない。

 守ろうとした者達が燃やされて、全てが天の裁きに打ち砕かれる。最早、吸血鬼には止められない。

 

 

 

 大地に落ちた太陽が、聖なる光となって爆発した。

 

 

 

 

 

「あ、ぁぁ……」

 

 

 涙が溢れる。上気し、熱に浮かされた頬を涙が伝う。溢れ出す感情は、愛別離苦の類――じゃない。

 それは、嘆きの色ではない。それは確かな歓喜の色。信じた想いに、答えて貰えた時の物。確かに仲間が、間に合ってくれた時の色。

 

 吸血鬼では間に合わない。ならば――それを食い止めたのは、吸血鬼ではなかったのだ。

 

 駆け付けた援軍は二人。僅か二人であれど、万軍をも超える者。

 其処に立つ青と赤。彼らは正しく、この今に動かせる最高戦力たちである。

 

 

涅槃寂静(アインファウスト)終曲(フィナーレ)ェェェェッ!!」

 

 

 落ちた聖なる太陽の爆発を、届かぬ様にと停める力。信じた仲間が託した救援が此処に、確かに危機を食い止めている。

 

 太陽を前にして、されど時の鎧は砕けない。爆発する一瞬を何処までも引き延ばし、決して後背には届かせない。

 そうとも、彼は守る者。憎悪に堕ちた今となっても、その本質は誰かを守るならばこそ、守るべき者らを背にして敗れる理由がない。

 

 蒼き獣が此処に立つ。守護の盾が此処に在る。彼がこの戦場に在る限り、最早犠牲者などは生まれ得ない。そう確信させる程に、刃を背負った背は雄々しく在ったのだ。

 

 

「後方は任せろ。被害は出させん。……だから、後はお前達の好きにやれ」

 

 

 太陽を砕いて、青は揺るがず其処に立つ。地下へと続く扉の前に、仁王の如く立ち塞がるは守護の獣。褐色肌の男が護る盾ならば、貫く矛が別に居る。

 

 増援は二人。決して、彼だけではなかった。仲間の危機を前にして、局長が下した判断は全力投入。故に当然、この女も居たのである。

 

 

「あ、うぅ、あぅあ」

 

 

 まるで赤子の如く、言葉を無くした魔鏡の姿。戸惑う幼子の前に、その女傑が舞い降りる。

 轟と紅蓮の炎が燃え上がる。燻る炎を孕んだ風が、金糸の髪を躍らせる。女の持つ双眸が、炎の如くに輝いた。

 

 女は戸惑う幼子を一瞥して、纏わり付く蟲を苛立たしげに見て、そして月村すずかに目を移す。

 如何にか立ち上がろうとする女へと、手を貸すような女じゃない。何処までも苛烈なこの女は、静かに一つ告げるのだ。

 

 

「まだ、やれるわよね。すずか」

 

「……大丈夫。未だ、やれるよ。アリサちゃん」

 

 

 問い掛けて、返る言葉に一つ頷く。ならば良し、やれると言うならやってみせろ。

 燃え盛る炎の女が語る業火の如き信頼に、月村すずかも意識を切り替える。湧き上がる熱は、既に色を変えていた。

 

 月村すずかの内側に今、渦巻くのは膨大な量の歓喜だ。仲間が信頼に応えてくれた。これ程に嬉しい事は他にない。

 夜が更ける前に出した救援要請。見て直ぐ即座に動いたのだろう。そうでなければ成り立たない速度の増援に、湧き上がる歓喜はより強くなっていく。

 

 思わず叫び出したくなる程に。引き起こされた発情期と相まって、この場に彼が居たならば抱き着きキスの嵐くらいはしていただろう。

 男嫌いのすずかがそうと思ってしまう程に、この増援は嬉し過ぎた。ほんの僅かな時間で良くぞと、心の底から感謝を抱いて友らを称える。

 

 

「なら、クアットロは任せた。私は、あの馬鹿娘に用がある」

 

「うん。任された。……大丈夫。どんな罠があったって、あんな小物に負けるものかっ!」

 

 

 交わす言葉は僅か数言。互いの役割を此処に決めると、即座に別れて始動する。

 すずかは光を恐れずに、黒き瘴気を魔群に放つ。聖なる鎧を砕くのは、ならば残るアリサの役目だ。

 

 

「フォイアッ!」

 

「っ!?」

 

 

 鎧を砕き、されど本人は傷付けない。絶妙な出力で放たれた力に、ヴィヴィオ=アスタロスは僅かに怯んだ。

 その瞬間を見逃さず、月村すずかは接近する。展開したのは簒奪の瘴気。魔群の身体を引き寄せて、無理矢理に引き剥がすのは凶殺の血染花。

 

 

「つ、月村、すずかぁぁぁぁっ!?」

 

 

 如何に無数の蟲であれ、その力は血を媒介とした物。血を吸う薔薇の簒奪に、魔群は決して抗えない。

 飛び出したまま飛び去っていく月村すずかに力を吸われ、引き摺られる様に蟲の群れも去っていく。此処に戦場は分断された。

 

 

「マ、マスター」

 

「アンタはこっちよ。馬鹿娘っ!」

 

「――っ!?」

 

 

 壊れた人形と化した少女は、主に向かって手を伸ばす。恐怖を抱いた相手であっても、彼女にとっては指示をくれる上位者だ。

 その意志に従っていれば良い。震え戦いたままに唯々諾々と従って、何も考えていなくて良い。今のアストはそう言う生き方しか知らぬから、引き剥がされる事実に怯えている。

 

 そうして伸ばした掌を、妨げるかの様に炎が燃える。焦がれた炎を目に焼き付けて、思わず立ち止まってしまう魔鏡。

 分からない。分からない。何もかもが分からない。答えをくれる主は連れ去られ、目の前に立つのはどうしようもなく怖い人。

 

 何故こんなにも震えるのか。何がこんなにも怖いのか。なのにどうして、零れる涙が止まらないのか。

 分からないまま呆然と、それでも如何にか距離を取る。怖い物から離れようと、そんな娘の行動にアリサは深く深く息を吐き出した。

 

 

「本当に、面倒ばっかり掛けさせて。この馬鹿娘は」

 

 

 燃え上がる炎が周囲を円状に包み込み、そして景色が切り替わる。逃げようとする馬鹿な娘を、逃がさぬ為だけに己の宙を展開する。

 作り上げられたのは、逃げ場などない決闘場。己と相手、たった二人しか居ない場所。此処はドーラ砲の砲身内。燻る炎が燃え続ける、修羅の天に生まれた焦熱の世界。

 

 己の宇宙に取り込まれ、それでも出口を探して逃げようとしている魔鏡。

 そんな馬鹿な娘を見上げたまま、アリサ・バニングスは確かに告げる。言うべき言葉は一つだけ。

 

 

「さあ、帰るわよ。ヴィヴィオッ!!」

 

 

 我が子の名を此処に呼び、呼ばれた子は跳ねる様に身を震わせる。そんな光景に僅か苦笑を浮かべて、しかし女の意志は揺らがない。

 

 そうとも、帰宅は既に決定事項。子の我儘など、聞いてはやらぬ。嫌だと言うなら、無理矢理にでも連れ帰る。

 

 アリサ・バニングスは此処に立つ。この苛烈過ぎる母親は、泣いているのに帰って来ない馬鹿な娘を迎えに来たのだ。

 

 

 

 

 




すずかベイは相性が良ければ格上にも喰らい付けるが、相性が悪いと同格相手に無双される安心と信頼の中尉スペック。

そしてアリサママ&ザッフィー参戦。戦場は二手に分かれ、アリサVSヴィヴィオ、すずかVSクアットロと言う形で進行します。




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楽土血染花編第四話 楽園に咲く血染の花 中

推奨BGM
1.Metatron(Dies irae)
2.Einherjar Rubedo(Dies irae)


1.

 街を朝焼けが染める中、黒き霧が蟲で出来た悪魔を捕縛する。

 夏場に野晒しとされた氷の様に、引き摺り回された蟲は急速に溶けて消えていく。

 

 

「ぎ、ぎぎぎぎぎぎぃぃぃ」

 

 

 磨り潰して、擦り減らして、吸い尽くす。月村すずかの意図は明白だった。

 悪辣なる魔群。残忍なる悪魔。この外道の仕込んだ罠が分からぬ限り、知略を競い合えば敗れるより他にない。

 

 ならば対応策は唯の一つ。仕込んだ罠を切る隙もない程に速攻で、何を企む暇もない程に素早く、この外道を圧殺するのだ。

 

 

「ぎぃあぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 女の物とは思えぬ悲鳴が響く。擦り減り磨り潰される。その度に魔群が汚い声の悲鳴を上げる。

 それに何を感じようとも、発する瘴気は決して止めない。僅かでも手心を加えれば如何なる罠が牙を剥くか、分からぬ以上は加減はしない。

 

 簒奪の瘴気はまるで、塵を集める吸引機。人型をした無数の蟲を吸い寄せて離さず、集まった穢れを地面や壁に擦り付けて削っていく。

 肉体を形成する蟲の軍勢が見る見る内に削れていき、クアットロの苦痛と悲鳴が木霊する。その光景に精神を鑢で削られる様な想いをしながら、それでも只管に磨り潰し続けた。

 

 

「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

 

 頭を砕いて、胸を抉って、下半身を磨り潰して、それでも魔群は消滅しない。力の差は圧倒的だと言うのに、生き汚くもしがみ付く。

 死にたくない。死にたくない。死にたくはない。見ているだけで伝わるその感情。剥き出しの血肉を晒して、枯れ細った腕を伸ばして、擦り付けられる地面に指を突き立てた。

 

 爪すらない指先を泥に染め上げ、必死に縋りつくクアットロ。其処に何かを想っても、油断したなら其処で終わりだ。故に心を冷徹な意志で染め上げて、一気呵成に吸い上げる。

 

 

「いい加減、にぃっ!」

 

 

 明けない夜に、月が赤く赤く輝く。簒奪の瘴気はその力を増して、此処に魔群の蟲を吸い尽くす。

 抵抗出来る筈がない。既に抵抗出来るだけの力を、クアットロは何一つとして残してはいないのだから。

 

 今の魔群には大した力が残っていない。その身は未だ腐炎に焼かれ続けているのだ。力を溜め込める道理がない。

 喰らった命は自分の存在保持の為に最低限。残る大部分を魔鏡を全盛期で保つ為に、その残った僅かですら時間経過と共に衰退する。

 

 クアットロ=ベルゼバブは最早、聖遺物の使途にすら勝てないだろう。いいや、最低限の魔道を齧った者にすら劣るかも知れない程だ。

 第四の宙にあった双頭の鷲の方が強力だ。第二の宙に居たボディチョッパーにすら負けるだろう。それ程にこの女は、見るも無残な弱体化を遂げていた。

 

 それだけの劣化を許容して、手にしたのは反天使と言う傀儡人形。

 アストを動かしていればこそ、劣化に劣化を重ねていようが関係なかった。

 

 ならば当然、最大戦力と切り離された時点でこの女は最早終わりだ。

 

 

「枯れ、堕ちろォォォォォォッ!!」

 

 

 掴んだ指先から生き血を啜る。血から生まれた怪物は、その身を一片たりとも残せはしない。

 黒き人影は小さな蟲となって散り散りに、逃れようとした蟲さえも逃さないと吸い尽くす。魔群はもう耐えられない。

 

 最早悲鳴を上げる事も出来ず、無数の蟲が息絶えていく。引っ繰り返った節足が、蠢きながらに消えていく。

 後には唯、女が一人。恐るべき魔群は此処に滅び去る。仕込んだ罠を生かせずに、何も出来ずに滅び去った。………………………………本当に?

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 

 女は荒い息を吐く。敵手に何もさせる事はなく、一気呵成に吸い尽くす。それだけの攻勢を続ける事は、唯それだけで相応の負担を齎している。

 ましてやすずかは先の戦闘で受けた消耗を、全て取り戻せていた訳ではない。立ち上がるだけでやっとであると、そんな状況で相手を一方的に攻め立てたのだ。

 

 圧倒出来ただけでも大した物。何もさせなかっただけでも称賛を受けるだけの事。故に戦いが終わって、膝を付いてしまうのも当然。当たり前の事である。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 

 息が荒いのも当然。身体が重たく感じるのも当然。立ち上がれないのも当然だ。顕在化した疲労に、漸く気付けた所為だろう。

 身体の芯が熱いのも当然だ。滴り落ちる滴に衣服が濡れるのも当然だ。荒い呼吸が更に酷くなっているのも、全てが当たり前の出来事であると――

 

 

「はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ――」

 

 

 そこまで進んで、漸く気付いた。過呼吸染みて止まらぬ呼吸に、気持ち悪い程に熱い身体に、誘導されている思考に漸く気付く。

 犬の様に見っとも無く舌を出して、整えられない荒い呼吸に苦しみながら、蹲って両手を握り締める。秘部に手を伸ばしそうになる衝動を抑えながらに、罠に掛かった事を理解した。

 

 

(どうして、なんで、一体どんな、罠に掛かったの!?)

 

 

 これは間違いなく、魔群が残した罠である。だがしかし、そんな余裕や隙は与えなかった筈なのだ。

 罠に掛かる程に、隙は晒していなかった。何かを行える程に、相手に余裕は一切なかった。なのにどうして、こうして己は悶えているのか。

 

 上気した肌と、桃色に染まる思考。真面に考えが纏まらない程浮ついて、それを必死に抑え続けて思考する。

 満足に回らない頭で必死に考えて、それでも答えが出ない問いは空回り。そもそも理屈として、成立していない筈なのだ。

 

 魔群は滅んだ。その蟲は一匹残らず、吸い尽くして吸い殺した。仮に保険や予備が残っていても、今此の場には存在しない。

 遥か遠くからの干渉で、如何にかなる程に月村すずかは弱くはない。仕掛けた罠を動かす為にもこの場に存在する必要があり、なのに此処にクアットロはもう居ない。

 

 意味が通らない。訳が分からない。情欲に茹った頭では、蹲ったままのすずかでは、答えなんて出せやしない。

 注意深く考えれば、答えは分かりやすいのだ。たった一つしかない筈なのだ。だがそんな分かりやすい解答に、すずかは辿り着けなかったのだ。

 

 

〈なら、答え合わせと行きましょうか? すぅずかちゃぁぁぁん〉

 

 

 ニチャリと嗤う声がする。羽搏く蠅声の音が響く。己の内側から響くのは、滅んだ筈の魔群の声。

 そして、切り替わる視界。落ちていくその先は、己の中に広がる内的宇宙。其処にある筈だったのは、白き少女が作り上げた薔薇の園。

 

 永遠に開けない夜の下、少女が世話する薔薇の園。確かにあったその情景が、だが最早其処には残っていなかった。

 

 

「あ、あぁ……」

 

 

 錆びて腐った金属のアーチに、絡み付いていた茨が枯れて落ちている。荒れ果てた土に色はなく、草木一本生えてもいない。

 管理者だった幼い少女の姿はなく、統治者だった吸血鬼の気配もなく、廃墟と化した薔薇の園に蔓延っているのは無数の蟲だ。

 

 落ちた花弁を、蟲が喰らった。開いた薔薇の花達を、蟲が食い荒らして絶やしてしまった。

 其処に居たヴィルヘルム・エーレンブルグとヘルガ・エーレンブルグと言う姉弟を、クアットロが喰らい尽くしていたのである。

 

 

〈血染花は魔群にとっての天敵だ。貴女はずっと、そう想っていたんじゃないかしらぁ?〉

 

 

 その指摘は唯の事実確認だ。月村すずかは確かに、そう考えていた。固定観念に嵌っていたのだ。

 何故ならば、彼女が夜を展開すればクアットロは抵抗すら出来なかったから。血に宿る怪異は、吸血の鬼にとっては餌でしかなかったから。

 

 

〈何しろ魔群は血に宿る怪異。血を吸う鬼を前にしたら、相性が悪いと言える筈。それはそうよ当然ね。事実として認めて上げる〉

 

 

 ルネッサ・マグナスがそうだった。エリキシル中毒者達がそうだった。魔群も確かにそうだった。

 彼らは吸血に抗えず、一方的に押し負けていた。死森の薔薇で、確かにその症状を治療出来ていた。

 

 だから相性は良いのだと、勝手に思い込んでいた。クアットロが態とやられていたなどとは、想像すらもしていなかったのだ。

 

 

〈だけど、魔群は蟲なのよ? 血染花は花なのよ? 花を蟲が喰らうのも、或いは当然の事だって言えないのかしらぁ?〉

 

 

 確かに魔群は血の怪異。吸われたならば抗えない。されど魔群は、蟲でもある。花々を貪り喰らう猛毒なのだ。

 血を吸う花を育てる為に、栄養となるのは確かに血液だ。だがこの血液は猛毒でもある。除草剤の混ざった水なら、花が枯れるのも道理であろう。

 

 相性が悪い。その認識が間違いなのだ。どちらかが天敵。その思考が過ちだった。その誤った認識を、訂正させなかった事こそ魔群の罠だ。

 

 

〈私達は互いが互いにとっての天敵なのよ。貴女に吸われれば私は抵抗できないけれど、私を吸ってしまえば貴女は中から壊れていくの〉

 

 

 両者共に、互いこそが天敵だった。その事実をクアットロは気付いていて、月村すずかは気付けなかった。

 

 外の世界において、クアットロは如何に罠を仕込もうとも、すずかに吸われてしまえば何も出来ない。一方的に圧殺される。

 内の世界において、すずかは己の体内にある毒素を消せない。クアットロを吸ってしまえば、中から好き放題にされてしまう。

 

 両者共に相対している女こそが天敵で、その事実に気付いていたのは片方だけ。だからこそ、こうなったのだ。

 

 

〈誰かを助ける為に。誰かを助ける為に。誰かを助ける為に。貴女は私を吸い続けた。貴女でなくては救えないから、そんな理由で吸い続けた〉

 

 

 その脅威を知っていれば、すずかは吸血を控えただろう。僅かな血の量では、内的宇宙に居る者らで対処出来てしまう可能性があった。

 ヘルガと言う薔薇園の管理者に気付かれない様に、蟲の数を増やしておく必要があったのだ。気付かれても抗えない程に、増やしておく必要があったのだ。

 

 

〈ベルゼバブはその為の布石でもあったの。エリクシルやグラトニーを流行らせたのは、その為でもあったの。貴女に負け続けたのもそれが理由。貴女の中で、私を育て上げる為に。全ては唯、その為にねぇ〉

 

 

 故に素直に吸われ続けた。一方的に圧倒され続けた。そうして少しずつ、すずかの体内に蟲を仕込んでいたのだ。

 腐炎に焼かれて、しかしその蟲が消えていなかったと理解した。幾度かの確認作業で理解して、故にクアットロはそれを蜂起させたのだ。

 

 先ず真っ先に闇の賜物。ヘルガの意志を喰い尽くし、そして串刺し公へと手を伸ばした。

 彼らから意志を奪い取り、その魂を純粋な力へと変えてやった。月村すずかが、直ぐに吸収できる様に。

 

 そして観測を続けたのだ。最も奪い取るに相応しい、そんなタイミングを待ち続けた。

 

 毒を吸ってしまった彼らは想定以上に弱っていて、存外容易く抑えられた。予定よりもあっさりと、思ったよりも簡単に。そうして彼らを抑える事が出来た瞬間に、クアットロは己の大望が成就を確信したのである。

 

 

〈ずっと待っていたわ。こうして一瞬でひっくり返せる程に毒を溜め込ませて、この瞬間をずっとずっと待っていたのよぉ〉

 

 

 この瞬間を待っていた。このタイミングこそを待っていた。すずかが一人、己と向き合う時をこそ待っていた。彼女の力が最大限に、高まる時を待っていた。

 娘に掛かり切りとなったアリサは気付けない。外で人々を守っているザフィーラは、月村すずかの内面で起きている異常に気付かない。

 

 内側から全てを掌握された月村すずかは最早、抵抗する事すら出来はしないのだ。

 

 

〈本当はね、すずかちゃん。私が、貴女に成り変わる心算だったの〉

 

 

 仕込んだ蟲の本来の用途。それは月村すずかの乗っ取りだった。

 月村すずかと言う肉体を奪い取って、クアットロ=ベルゼバブがそれを使う予定だった。

 

 失楽園の日。エリオをナハトが乗っ取った時の様に、すずかをクアットロが乗っ取る心算だったのだ。

 

 

〈月村すずかと言う皮を得て、血染の花を取り込んで、私が貴女に成りたかったの〉

 

 

 欲しかった。欲しかった。心の底から欲しかった。喉から手が出る程に欲しかった。

 美しい身体が羨ましい。血肉の通った身体が羨ましい。子を孕み産める器が妬ましく羨ましかった。

 

 

〈だって、貴女要らないんでしょ? 自分の身体が嫌いなんでしょう? その血が疎ましいんでしょう?〉

 

 

 彼女はそれを要らないと言っている。己の血が疎ましいと、だから変わってしまいたいと願っている。

 だからその願いを叶えよう。私が貴女に変わってあげよう。その血、その肉、その全てを奪い取って、私が月村すずかになってあげよう。

 

 

〈なら頂戴よ! 私には身体がないの! 自分の身体一つ存在しなくて、お父様を産んであげる事すら出来ないの! だから要らないって言うんなら、ねぇ! 月村すずか(アナタ)を私に頂戴よ!!〉

 

 

 欲しい。欲しい。欲しい。欲しい。狂う程にそれを求めて、餓える程にそれを願った。私は私だけの血肉が欲しい。

 その為にこそ仕込んでいた。その為にこその罠だった。月村すずかの身体を奪い取って、成り変わる事こそが彼女の渇望だった。

 

 だが、その願いはもう叶わない。クアットロ=ベルゼバブの消滅は、最早確定してしまったのだから。

 

 

〈だけど、ね。もうそれは望めない。本当にエリオ君ってば、酷い事をするのよねぇ〉

 

 

 クアットロは自嘲する様に嗤う。諦めた様に告げる。それは一時の慢心が生んだ、彼女にとって最悪の事実。

 魔群は腐炎に燃やされたのだ。その事実が魂の奥深くにまで刻まれていて、今も火に焙られている。故にこそ魔群は、もう滅び去るしかない。

 

 

〈クアットロは腐炎に焼かれた。その事実がある限り、何処まで行ってもこの概念が付き纏う。クアットロと言う自我のラベルがある限り、私は永劫燃えて腐り続けるの〉

 

 

 身体を変えても無駄だ。切り離しても切除し切れない。クアットロの持つ魂が、もう腐ってしまっている。

 燃えているのだ。爛れている。だから月村すずかに成り変わっても、中身がクアットロである以上はまた燃える。

 

 それは駄目だ。それでは駄目だ。切り離して再生して、延命は出来るが上限が下がり続けるのでは意味がない。

 力を溜め込む必要がある。神格域に至る必要がある。偉大な父を見付け出す為に、座を手にするしか術がないのだ。

 

 だから、己を弱体化させ続ける腐炎は何処かで切除しなくてはいけない。だが切り離そうにも、魂の芯にまで刻まれてしまった。故に切り離す為にはそれ以上の力が、流出級の出力が必要だ。

 だが、その出力を得る為に腐炎が邪魔なのだ。故にこれを切り離すなどは行えない。最早その願いは叶わない。

 

 故に、もう魔群(コレ)は要らない。こんな己(クアットロ)に、生きている意味などはないのである。

 

 

〈だから、決めたの。怖いけど、決めたの。嫌だけど、そうするしかないから決めたのよ〉

 

 

 腐炎のみを斬り捨てる事は不可能だ。腐炎に焼かれたと言う事実を、消し去る事は不可能だ。

 故にクアットロは決断した。怖くて怖くて仕方がないが、嫌で嫌でどうしようもないが、他に術がないから決断したのだ。

 

 

(クアットロ)貴方(すずか)になる事は出来ない。だから、貴女(すずか)(クアットロ)にしてしまおう〉

 

 

 それは発想の逆転。考え方を根本から変える事。クアットロでは腐り続けるのなら、この魂(クアットロ)はもう要らない。

 魔群の力も必要ない。この身にある全てがもう要らない。自分が抱え続けた渇望を、果たせる誰かを作り上げてしまえば良いのである。

 

 

〈記憶を改竄する。趣味を加工する。性格を作り変える。価値観を入れ替える。目的も願いも境遇も何もかも、内側から書き換えてしまうの〉

 

 

 零から作り上げる事は難しい。だから既にある人物を、その中身を加工してしまおう。

 丁度都合良く、狙っていた器がある。だからその人物の精神を掌握して、自分そっくりな形に変えてしまおう。

 

 他者を救いたいという医務官として培ったその性質を、他者を苦しめたいと願う嗜虐的な性癖に変えてしまおう。

 己の身体に流れる血を嫌うと言う自己嫌悪の性格を、己こそが至大至高にして完璧な存在だと捉える慢心に変えてしまおう。

 友らと結んだ絆こそが至高であると考える在り様を、世界で最も優れた知性を持つスカリエッティこそが至高であると考える様に変えてしまおう。

 

 月村すずかを、クアットロにしてしまうのだ。記憶と性格と渇望を加工して、自分の生き写しを生み出すのである。

 

 

〈貴女が私になる様に。すずかがクアットロになる様に。この魔群(クアットロ)が消え去っても、別の血染花(クアットロ)が生まれるならばそれで良い〉

 

 

 今の自分が死んだとしても、次の自分がその願いを叶えてくれる。

 クアットロとなった月村すずかが、ジェイル・スカリエッティを産み落とすのだ。

 

 それこそが、クアットロ=ベルゼバブの企み。この女が作り上げた。全てを手中に収める為の策謀だ。

 

 

〈大丈夫。自己の消滅は経験したわ。あの日と同じ、戦闘機人クアットロが死んで、魔群クアットロが生まれた時と同じ〉

 

 

 死は怖い。自己の消滅は恐怖だ。それでもそれしかないならば、クアットロは己に言い聞かせる。

 既に過去に体験しているだろうと。この今にあるクアットロとは、戦闘機人であった彼女が死する瞬間に残った自我が夢界の悪魔に宿った物に過ぎないのだ。

 

 だから、死ぬのはこれで二度目。例え滅ぶのだとしても、三度目が確定しているならば耐えられる。

 

 

〈考えても見て? 目的の為に一旦死ぬ。そうして別人として蘇る。それはドクターだってやった事。だったらお揃いじゃない。寧ろ光栄だって思いましょう!〉

 

 

 ましてや、己の願いの為に死を許容する。それは偉大な父と全く同じ行動だ。

 求道の為に命を捨てた。そんな父と同じく、クアットロもまた己の願いの為に死するのだ。

 

 全ては唯、愛する父と共に――あの日を過ごした白い家へ、帰りたいと願っているから。

 

 

〈私は死ぬ。腐炎で燃えて腐って死ぬ。死ぬ前に一つ、貴女(すずか)の心を作り変える〉

 

 

 上手く行くだろうか。いいや、きっと上手く行く筈だ。だってクアットロは信じている。

 月村すずかは、愛を知らない。クアットロが狂う程に父へと向ける、異性愛を知らないのだ。

 

 だから、負ける筈がない。だから、抗える筈がない。この女は必ずや、クアットロへと変わってくれる。

 

 

〈渇望と記憶と性格を、私と同じ形にする。そうして生まれ変わった貴女は、きっと私と同じ物〉

 

 

 悪辣なる手段を良しとする外道の精神と、小物が持つ慎重を期する考え方。

 その二つを得た月村すずかは、決して無茶をしないだろう。だが必ずや、座を目指して好機に動く。

 

 好機はあるのだ。月村すずかと言う立場となれば、必ずや座を掴む為の好機がある。

 

 

〈私ではないクアットロが、月村すずかとして仲間達と共に穢土へ行く。私ではない月村すずかだけど、クアットロだからこそきっと悪辣なる手段を取る〉

 

 

 穢土決戦。夜都賀波岐と管理局。その決戦の当事者として、参戦する事は確定だ。

 そしてその現場にて、牙を研ぎながらに待てば良い。訪れた好機を前に、また漁夫の利を狙えば良いのだ。

 

 

〈身内の裏切りに、機動六課は即応できない。夜都賀波岐との決戦で、漁夫の利は十分狙える。トーマ・ナカジマを抑えられれば、座の掌握だって夢じゃない〉

 

 

 機動六課は仲が良過ぎる。彼らは身内からの裏切りに、すぐさま動ける程に冷酷非情にはなれない。

 ならばここぞと言う場面において、漁夫の利を奪い取るのは不可能じゃない。血染花で吸収して、己を強化する事は可能である。

 

 最高はトーマ・ナカジマの確保。次点が高町なのはか天魔・夜刀の神体。それが無理でも、高望みしなくとも次に繋がる。

 夜都賀波岐の何れか一柱。或いはアリサ・バニングスか盾の守護獣。その辺りを一人二人と喰らっておけば、後は如何様にでも動けるのだ。

 

 

私ではない私(すずか=クアットロ)が、流れ出すの。そうして、ドクターを見付け出す。彼を産み直して、永遠に二人、愛し合って生きて行く。……あの白い家に、漸く、漸く(クアットロ)は帰れるのよ〉

 

 

 全ては唯、あの日へ帰る為に。たった一人と過ごした幸福の想い出。それだけが、魔群の内に残った全て。

 懐かしい我が家へ。あの幸福だった日々へ。白い家へと帰る為だけに、クアットロ=ベルゼバブは選択した。

 

 そしてその策略。根幹を為す一手は、正しくこの今に成ったのだ。

 

 

〈安心して、寝てしまいなさい。起きたら、世界の色が変わっているわ。感じ方が変わるから〉

 

 

 月村すずかは抗えない。少しずつ精神を削ぎ落とされて、中から塗り替えられていた。

 そんな彼女はクアットロ=ベルゼバブを吸い尽くした事で、遂に抗えない程に己を失ってしまったのだ。

 

 もう消える。もう消える。クアットロ(すずか)はもう消えて、すずか(クアットロ)が生まれ落ちるから。

 

 

〈お休みなさぁい。月村すずか〉

 

 

 その時までお休みなさい。血染花。次に起きた時には既に、貴女は貴女で無くなっている。

 

 クアットロは笑みを浮かべる。瞼もなく、唇もなく、生皮が剥げた姿で笑う。

 汚物の如くに汚らわしく、見るに堪えない程に見苦しい容姿。それでも彼女は、何処までも澄んだ笑顔で笑っていた。

 

 

 

 

 

2.

 乾いて罅割れた大地に流れるは、灼熱の溶岩流を思わせる赤き色。空は既に閉ざされて、逃げ場などは何処にもない。

 此処は砲身。余りに巨大な列車砲の、砲門の中にある世界。あらゆる全てを焼き続けるは、決して途絶えぬ最愛の炎である。

 

 この場所からは逃げ出せない。この地の支配者が許さぬ限り、抜け出す事など出来はしない。

 そしてアリサ・バニングスが、己の娘を逃す筈もない。故に最早出口はなくて、ならば生み出す他に打つ手はない。

 

 

「アクセス、マスターッ!」

 

 

 意味が分からぬが怖いのだ。訳が分からないのに恐ろしいのだ。震える程に怖くて怖くて、なのに何故だか嬉しいのだ。

 その感情が分からない。この情動が理解できない。だから来るな。お願いだから来ないでくれ。怯える少女はその想いのままに、主が生み出した夢へと繋がる。

 

 

幸いなれ、癒しの天使(Slave Raphael,)その御霊は山より立ち昇る微風にして(spiritus est aura montibus orta)黄金色の衣は輝ける太陽の如し( vestis aurata sicut solis lumina)

 

 

 追い詰められて追い立てられて、少女が選んだ手段は拒絶。分からぬものは分からぬからと、こっちに来るなと拒絶する。

 その姿は正しく子供の駄々に過ぎぬが、手にした武器が洒落にならない。吹き付ける“風”の力は既に準神格域、並大抵の術では返せない。

 

 

「黄衣を纏いし者よ、YOD HE VAU HE――来たれエデンの守護天使」

 

 

 多重に重なる次元断層。吹き付ける風は、次元嵐と言う災害を無数に重ねた物と同じだ。

 高速回転するシュレッダー。僅かにでも巻き込まれたなら、次元の彼方へ追放されて消滅する。

 

 そんな熾天使が“風”を前にして、アリサ・バニングスは唯不動。腕を組んで揺るがない。

 動く必要がない訳ではない。躱す必要がない訳ではない。防御をする必要がない訳ではない。唯、逃げようと言う意志がないだけだ。

 

 

「――っっっ」

 

 

 吹き付ける風に、切り裂かれながらに一歩も退かない。吹き飛ばそうと言う意志に、それがどうしたと揺るがない。

 空間を切り裂き癒着させ、発生する歪曲空間断層。鋼の如き竜巻に切り裂かれ、この世界から消し去ろうと言う意志に抗い、一歩も退かずに立ち続ける。

 

 傷がない訳ではない。防ぐ力がある訳ではない。それは滴り落ちる赤い血が、何より明確に示している。

 アリサ・バニングスは傷付いている。この女は消耗している。この地球と言う世界の中で、最高性能を維持していられる訳ではないのだ。

 

 今の彼女は、黄金の眷属。彼の継承者たる高町なのはの、眷属と言うべき存在だ。

 故に彼女の傍を離れれば、その出力は低下していく。ミッドチルダから離れたならば、その最高火力は維持出来ない。

 

 それでも、今の魔鏡よりは強いだろう。だがしかし、無抵抗で攻撃をその身に受けて、無傷で居られる程ではないのだ。

 

 

「それで、だから――どうした?」

 

 

 無抵抗に風を受けて、少女の駄々を身体に刻んで、それでもアリサ・バニングスは止まらない。

 一歩、一歩、また一歩。女は止まらず進んでいく。業火の如くに苛烈な意志で、少女に向かって確かに告げた。

 

 

「軽いのよ。馬鹿娘。こんな奈落(アクム)一つで、この私を止められると思うなッ!」

 

 

 連れ帰るべき一人の少女。アストを縛る魔群の奈落を、軽い悪夢と断言する。

 お前を縛る夢などは、取るに足りぬのだと口にする。そんな女の赤い瞳に、幼子は狂乱するかの如くに慌てて縋った。

 

 縋るのは、やはり悪夢だ。己の主である女が作り上げた夢に繋がり、その悪夢に縋るのだ。

 

 

「アクセス、マスターッ!!」

 

 

 恐怖から逃れる様に、必死に叫びながらにアストは此処に門を開く。

 己が器に熾天使が一柱を降臨させて、この恐るべき女を何としても取り除かんと咒を紡ぐ。

 

 

幸いなれ、黙示の天使よ(Slave Gabriel,)その御名は、汝の下にて(cuius nomine tremunt)戯れる水の精をも震わさん( nymphae subter undas Indentes )

 

 

 呼び出すのは水の守護天使。イスラム教における最高位の天使。ミルトンの失楽園においては、天使の長と呼ばれる統治者。邪悪に対する特効だ。

 

 

さればありとあらゆる災い(Non accedet ad me)我に近付かざるべし( malum cuiuscemodin)我何処に居れど(quoniam angeli sancti)聖なる天使に守護される者ゆえに( custodiunt me ubicumeque sum)

 

 

 目の前に立つは狩猟の魔王。悪魔の王を騙る女に対し、ならばこの天使こそは特効となろう。

 ましてや女は業火の化身。火は水で消える物。子供でも分かる法則を前に、相性は正しく絶対的。

 

 故に止まれ。止まってくれよ。そう願いながらに、幼子はその天使の名を呼んだ。

 

 

「蒼き衣を纏う者よ、EHEIEH――来たれエデンの統治者」

 

 

 そして、何処からともなく現れるのは流星群。悪を討ち滅ぼす為に、光となって爆発する。

 光速さえも置き去りに、襲う力は無限加速。時を停めるか、自身が光よりも早く動くか、そうでなければ躱せない。

 

 邪悪の調伏。魔王の降伏。悪魔を滅ぼす雨は此処に、アリサ・バニングスの身体を射抜く。

 当たった後に痛みが走る。気付いた時には倒れている。そんな力に神経系を撃ち抜かれ、さしもの女も動けはしまい。そんなアストの、当然の思考は――

 

 

「だ、か、らっ! 軽いって言ったぁぁぁぁぁぁッ!」

 

 

 女の意地と気合を前に打ち破られる。この女傑の心を折るには、余りに全てが足りていない。

 攻撃を受けた。躱せなかった。防げなかった。だけど倒れない。そんな根性論に覆される。倒れぬままに、女は立っている。

 

 どころか、女は立って歩くのだ。全身の神経を射抜かれて、倒れて然るべきだろうに立ったままに歩くのだ。

 意味が分からない。訳が通らない。一体如何なる道理で以って、悪魔の王すら地に伏す力に耐えると言うのか。

 

 

「分からない。分からない。分からない」

 

 

 想いの強さで勝っているから。魂の強度で勝っているから。だから相性が悪くても、倒れるなんてありはしない。

 そうと言わんばかりの強さで、揺るがず進み続ける女。既に全身血に塗れて、されど地には屈せぬ女。そんな紅蓮の意志を前にして、アストの心が酷く搔き乱されていく。

 

 その理屈が分からない。その道理が分からない。その感情が理解する事すら出来はしない。

 故に恐怖した。その強さに憧憬を抱いた。そして何処までも困惑した。だからこそ、千路に乱れる心の儘に再び少女は咒を紡ぐ。

 

 

「アクセス、マスターッ!!」

 

 

 少女は頼る。少女は縋る。それしか分からぬから、それしか出来ぬから、拒絶の為にアストは頼る。

 己の主たる魔群へ。魔群が作り上げた悪夢の世界へ。そして己の魂に焼き付いて離れない、母の炎が残影に。

 

 

幸いなれ、義の天使(Slave Uriel, )大地の全ての生き物は、(nam tellus et omnia )汝の支配をいと喜びたるものなり(viva regno tuo pergaudent)

 

 

 アリサは既に血だらけだ。アストは未だ無傷である。だが互いの精神は、肉体の消耗とは真逆。

 燃え上がる炎の意志は途絶える事がなく、アリサの心は折れてなどいない。恐怖に縛られ悪夢に囚われているアストは、最初から心が折れている。

 

 どちらが追い詰めているのか。それは最早明白だろう。追い詰められた少女は此処に、己の中の至高に縋る。

 その理由は分からずとも、最も強いと感じる力。事実が如何であるかなど関係なく、それでも確かに一番信を置いている力。

 

 

さればありとあらゆる災い、(Non accedet ad me )我に近付かざるべし(malum cuiuscemodin)我何処に居れど、(quoniam angeli sancti )聖なる天使に守護される者ゆえに(custodiunt me ubicumeque sum)

 

 

 これこそが、聖なる炎。地上に落ちた太陽は、記憶に残らぬ母の残影。故にこそ、アストが最も頼りとしている熾天使。

 この炎を見れば安心できる。この炎を見ていれば安定できる。この炎があるならば、きっと負ける事はない。この炎はまた、己を救ってくれるから。

 

 

「斑の衣を纏う者よ、AGLA――来たれ太陽の統率者!!」

 

 

 アストは悲鳴を上げる様に叫びながら、その力を行使する。振り下ろされる太陽を前にして、アリサは静かにその火を見詰めた。

 

 

「……そう。これが、アンタが見ていた私の姿、か」

 

 

 一目で分かる。直ぐ様に理解した。この炎が何を求めているのか、アリサに分からぬ理由がない。

 紅蓮の炎に憧れた。そんなアリサが引き取った一人の娘は、炎に焦がれる女が見せた炎に憧れていたのだ。

 

 其処に在りし日の幸福を無意識に重ねて、全てを忘れた今になっても心の支えとした。

 その炎。その太陽。小さな少女を支える芯と言うべき力が、軽い気持ちの筈がない。落ちて来る太陽は、正しく天の裁きである。

 

 炎に燃やされて、聖なる太陽に焦がされて、アリサ・バニングスは無傷ではない。

 ラファエルの風に傷付けられて、ガブリエルの水に浄化され、其処にウリエルの炎である。無事で済む道理がない。

 

 それでも、だとしても――

 

 

「温いわっ! 馬鹿娘っ!!」

 

 

 所詮これは己の残影。彼女が縋った偽りの自己。真実であるこの我が、敗れて良い理由がない。

 故に炎に包まれて、されどアリサは喝破する。全身を炎に焼かれながらに、意志を持って我を告げる。

 

 そうして女は、己を示した。唯それだけの行動で、彼女を包む炎は消し飛んだのだった。

 

 

「あ、あぅ、あ……」

 

 

 遂に切り札も打ち破られた。金髪の女は傷付きながらに、それでもその歩は止まらない。

 ゆっくりと歩み寄る姿に、アストは只管に恐怖する。切り札としていた力も破られ、ならば己に何が出来ると言うのか。

 

 熾天使以外の力では、届く様には思えない。機動六課の力を写したとしても、この女傑を止められる気がしない。

 手札はそれこそ無数にあるのに、どの手札も通らないのではないかと思えてしまう。それ程に少女の目から見て、アリサは余りに大きかった。

 

 

「……なん、で?」

 

 

 恐怖し、困惑し、対策を思考する。空中を逃げ回りながらに考える幼子は、其処で漸くに気付いた。

 それは一つの事実。何が最も通じるかと考えて、それで気付けた一つの真実。考えてみれば、当然に過ぎるその疑問。

 

 

「何で、反撃、しない、の……?」

 

 

 アリサ・バニングスは、何故攻撃をしないのか。至った疑問はそれである。感じた違和はそれだった。

 女は攻撃を受けるだけだ。回避も防御もせずに、反撃すらしないで受け切って進むだけ。それだけしかしないのだ。

 

 それこそ此処は彼女の宙だ。一瞬で全てを焼き尽そうとすれば、アストを止める事など簡単だろう。

 そんな事、アリサが分かっていない筈がない。故に零れたアストの疑問に、アリサ・バニングスは己の意志を此処に返した。

 

 

「ふん。馬鹿娘が……そんなの、決まってるでしょうが」

 

 

 攻撃をしない理由など決まっている。防御も回避も、そんな事は必要ないのだ。

 全てを受け切ると決めた。受け切って連れ帰ると決めた。だからこそ、それ以外など必要ない。

 

 この決闘場を開いたのは、少女を逃がさぬ為にのみ。元よりそれ以外に、使う意志などありはしないのだ。

 

 

「このアリサ・バニングス! 娘を突き刺す剣なんて、持っていないわッ!!」

 

 

 アリサの目的は唯一つ。ヴィヴィオを連れて帰る事。ならば当然、攻撃なんて必要ない。

 子供の駄々を前にして、受け切ったのもそれが故。小さな子供が何か伝えようとしているのだ。其処から逃げるは、無粋であろう。

 

 故にこそのノーガード。少女が抱いた想いを受け切り、少女を縛る悪夢を踏み躙り、そして彼女を取り戻す為に進んでいるのだ。

 

 

「っ!? なんで、どうして、分からない分からない分からない」

 

 

 そんな女の拘りを、少女は理解する事が出来ない。彼女の胸に宿る誇りと言う感情を、アストが理解する事はない。

 それでも圧倒される。その想いの量に気圧される。勝てない。勝てる訳がない。そんな風に思考は結論を出して、少女は此処に硬直した。

 

 

「言ったでしょうが、帰るわよって」

 

 

 硬直したアストに向かって、アリサ・バニングスは進んでいく。

 一歩、一歩、また一歩。大地を歩いて進む歩は、決して揺るがず止まらない。

 

 伝えるべきは一つだけ、言うべき言葉が確かにあるのだ。

 この怯えて泣いている娘に向かって、アリサが語るべきは一つだけ。

 

 

「怯えて泣いてる暇があったら、とっとと帰って来なさい。この馬鹿娘ッ!」

 

 

 女の啖呵を前にして、少女の心が確かに動く。硬直した少女は此処に、確かに揺り動いていた。

 

 

 

 魔鏡アストは、確かに壊れた。その芽生えたばかりの魂は、膨大な量の死者によって潰された。

 そうして出来たのは、割れた鏡だ。主に従うだけの人形だ。それでも一度壊れたら、治らないと言う理屈はない。

 

 最初に彼女を動かしたのは、アミティエと言う名の少女。その意志の強さに押し負けて、取り戻したのは小さな情動。

 壊れた人形が、少しだけ変わった。あの日あの時あの瞬間に、アストは少しだけ人に近付いた。心が確かに揺れ動いたのだ。

 

 次に彼女を動かしたのは、ウーノ・ディチャンノーヴェと言う女。失った子の代替に、少女に母性を向けた者。

 壊れた人形が、また少しだけ変わった。小さな情動を育まれて、ほんの少しだけ人に近付いた。心が確かに揺れ動いたのだ。

 

 最後に彼女を動かしたのは、皮肉な事に今の主だ。魔群クアットロ=ベルゼバブこそが、少女に消えない恐怖を刻んだ。

 壊れた人形が、震えて怯える子供に変わった。心が大きく揺れ動いて、確かに人に近付いた。生きていたいと、想えたのだ。

 

 

「でも、けど、私は――」

 

 

 そして、この女との再会。記憶にないけれど、心に残った存在との遭遇。それが、最後の一押しとなった。

 その強い想いに晒されて、少女は更に人へと近付く。心は確かに育まれていて、最早唯の傀儡とは言えない者だろう。

 

 だがそれでも、だからこそ、少女は此処に答えを導く。帰って来いと言う人が、今になっても誰だか分からぬから、だから少女はこう返す。

 

 

「ヴィヴィオは作り物で、アストも壊れて、なのに、だから、どうして――」

 

 

 アストはもう居ない。ヴィヴィオなんて、最初から居なかった。だから、帰る場所なんてない。

 拒絶しても無駄だと分かったから、だけど素直に抱きしめられても良いとは思えなかったから、少女は呟く様に口にする。

 

 そんな彼女へと向けて、近付いていた女は鼻を小さく鳴らした。この焔の女傑が伝えるべきは、やはりたった一つであるのだ。

 

 

「ふん。馬鹿娘が、一体何度、馬鹿って言わせんのよ」

 

 

 この娘は大馬鹿者だ。理由を付けて、理屈を付けて、帰れないと口にする。

 本当に手間を掛けさせる。余計な事ばかりさせてくれる。だから子供は嫌いなのだと、だからこの子は――余り嫌いにはなれぬのだと。

 

 

「ヴィヴィオは作り物? だからどうした。アストが壊れた? なら今のアンタは何なのよ」

 

 

 一歩、近付く。言葉と共に血を流しながら、それでも揺るがず一歩を近付く。

 見詰める瞳もまた揺るがない。彼女の双眸に映るその人物は、誰であろうと変わりはしない。

 

 

「けど、どうだって良いのよ。そんな理屈、どうでも良いの。知るもんか、そんな事」

 

 

 どうでも良いのだ。知った事ではない。この馬鹿娘が抱える懊悩など、アリサにとっては取るに足りない。

 ヴィヴィオであっても、アストであっても、どっちでも良い。そんな事は重要な事ではないのだ。真実はたった一つ、それさえ揺るがなければどうでも良い。

 

 

「アンタが私の娘で、私がアンタの母親である。揺るがない真実はそれ一つで、それだけあれば十分でしょうがッ!」

 

「――っ!?」

 

 

 啖呵を前に動揺する。そんなアストへと向かって、アリサは一気に踏み込んだ。

 彼我の距離はもう後僅か。故に足の裏で爆発を起こして、一息に跳び込み飛び上がる。

 

 腕を伸ばせば、もう届く距離へと。向かって来る女の腕に、アストはその瞳を閉ざす。

 頬を叩かれる様な痛み。心の芯を揺るがせる様な衝撃。そんな物を幻視して――しかし、訪れた感覚は違った。

 

 

「――え?」

 

 

 困惑する。混乱する。訳も分からずに口にする。気付けば女に、抱き締められていた。

 アリサ・バニングスの腕の中。抱き締められて、見上げた瞳。映り込むのは、何処までも優しい色だった。

 

 

「ほら、帰るわよ。ヴィヴィオ」

 

 

 抱き締めて、その頭を撫でる。優しく壊れ物を扱う様に、不器用な手付きで撫で回す。

 抱き締められた少女は此処に、只管に困惑している。けれど胸に湧き上がる感情は、唯それだけではなかったのだ。

 

 

「叱るのは、後で。怒るのも、後回し。それは今は、必要ない」

 

 

 混乱した少女に向かって、アリサは優しく微笑みながらに想いを伝える。

 帰って来なかった馬鹿な娘に、しかし必要なのは鉄拳での制裁ではないのだ。

 

 

「だって、辛かったんでしょう。分からなくても、苦しかったんでしょう。だったら、叱るより前にする事がある。怒るよりも前に、しないといけない事がある」

 

 

 泣いている子供を泣き止ませる為に、その頬を張り飛ばして黙らせるのは間違いだ。

 怯えて怖がっている子供に向かって、怒気と共に拳骨を振り下ろすなんて過ちだろう。

 

 今必要なのは、安心させてあげる事。お帰りなさいと口にして、慈愛を与える事だとアリサは思うのだ。

 

 

「だから、今は一緒に帰りましょう。一緒に帰って、一緒にご飯でも食べて、一緒にお風呂に入って、一緒に寝ましょう?」

 

 

 怖かった筈だ。辛かった筈だ。そんな境遇に陥る事なんて、きっと望んでいなかった筈なのだ。

 だから、よく頑張ったねと伝えて上げる。その想いを全て受け止めて、迎えに来たよと教えて上げる。

 

 それがアリサ・バニングスの、母親として為すべき選択だったのだ。

 

 

「ねぇ、ヴィヴィオ。……少しは、母親らしい事させて頂戴」

 

 

 見上げる少女の瞳から、溢れる様に涙が零れる。抱き締められた胸に感じる優しい熱に、その心が確かに震えていた。堰を切った様に溢れ出した雫が、想いと共に流れ続けた。

 

 この変化は確かに、間違いなく良い事なのだと断言出来る。魔鏡と呼ばれた反天使は、此処から始まっていけると信じている。

 

 だから、今は――

 

 

「今は泣きなさい。全部全部、吐き出しときなさい」

 

 

 溜め込んだ全ての想いを、此処に吐き出すのだ。それがきっと、新たに始める為に必要な事。

 辛さも苦しさも寂しさも、全て全て受け止めると約束する。泣きじゃくる少女を抱き締めて、慈母の笑顔でアリサは言った。

 

 

「大丈夫。お母さんは此処に、アンタと一緒に居たげるからさ」

 

 

 抱き締めた熱に、確かに誓う。胸を濡らす幼子の涙を前に、確かにアリサは心に誓った。

 今度は奪わせない。今度こそ取り零しはしない。今度こそはこの子を必ず護り通して見せるのだ。

 

 何故ならば、腕の中に居る小さな命は――この己の大切な娘なのだから。

 

 

 

 

 







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楽土血染花編第四話 楽園に咲く血染の花 下

○前回のあらすじ
4番「お前も、クアットロになれ!」

推奨BGM
1.Vive hodie(Dies irae)
2.Si vis amari ama(Dies irae)
3.禍津血染花(神咒神威神楽)


1.

 白い家の夢を見る。虚構で出来た家の中、虚飾に満ちた愛を夢見る。

 

 太陽に向かって伸びる向日葵畑。その只中に建っているのは、真っ白な屋根の家。

 小さな子犬がワンワン鳴いて、茶髪の少女と戯れる。そんな小さな幸福を、優しい瞳で見詰める父親。

 

 幸せだった。例え虚構であろうとも、その一時は幸福だった。それこそ彼女の原風景。

 

 朝起きてご飯を食べたら、直ぐに遊びに外へ出る。小さな子犬と花畑を燥ぎ回って、夜になったら優しい父が迎えてくれる。

 温かい食事と、温かいお風呂。眠るまでの少しの間に、父が絵本を読み聞かせてくれる。そんな優しく、儚い日々は唯幸福だった。

 

 幸せだった。例え終わりが最低最悪の形であっても、この一時は幸福だった。だからこの今になっても、女は帰りたいと願っている。

 

 父は何でも出来る人だった。優しい父の振る舞う料理は、とてもとても美味しかったのだ。

 歯を抜き取られて、舌を切り裂かれ、食道を奪われ、胃を抉られた。それでも痛いよりも悲しかったのは、あの食事の温かさをもう感じられないと分かったから。

 

 柔らかなベッドの温もり。優しい人肌の温度。頭を撫でる不器用な手付きが、心の底から好きだった。

 手足を鋼鉄に縛られて、臓腑を一つずつ取り除かれた。そうして一人放置され、感じたのは寂しい想い。あの温かさが恋しかった。

 

 少女の始まりは幸福だった。その温かさが悪魔を作り上げる為にあったとしても、それでも彼女は幸福だった。だから心の底から、彼女は父が大好きだった。

 だって幸せだったのだ。その過去は嘘じゃない。その根底に何があっても、幸福だったと言う事実は嘘じゃない。だからこそ、少女は心の底から父親が大好きだったのだ。

 

 だから、父親は恨まない。大好きだから、憎まない。ずっとずっと大好きなまま、その想いに応えたかった。

 壊されて、殺されて、それでも想いは変わらない。届かなかったと悲しむ彼に、泣かないでと伝えたかったのだ。

 

 嘘はない。嘘なんてない。虚構なんてある筈ない。だって己は父親が大好きで、父親も己を愛していてくれたから。

 あるのは一つの事実。父の研究は失敗して、己は至れなかったと言う事実。この程度かと落胆する父の姿に、泣き叫びたい程に後悔した。

 

 ごめんなさい、お父様。至れぬ娘でごめんなさい。駄目な娘でごめんなさい。期待してくれたのに、届かなくてごめんなさい。

 興味を失っていく父の瞳に、心の底から叫びを上げる。きっときっと届いてみせるから、見捨てないでと叫びを上げる。私こそが完全なんだと、なれぬと分かって胸を張る。

 

 なれないなんて分かっていた。至れぬなんて分かっていた。己では届かないと、そんな事は分かっていた。

 だって偉大な父が言ったのだ。完璧なあの人が言ったのだ。君では届かないと、そうクアットロに言ったのだ。

 

 それでも、諦めたくはない。諦められないのは、あの温かさが恋しいから。あの幸福だった日常に、帰りたいと思ったから。

 だから願う。だから祈る。だから己の心に誓う様に、一つの言葉を口にした。私こそが完全なのだと、完全に至って見せるのだと。その本質は、父を求める子供の叫びだ。

 

 父が望んだ神殺し。其処に至って見せるから、どうか見捨てないで抱きしめて。神様になんか負けないから、頭を撫でて御本を読んで。

 だからお願い私を愛して。よく頑張ったねと頭を撫でて、一緒に手を繋いであの日に帰ろう。そうしてくれるなら、どんな苦しい日々だって、ずっとずっと頑張れるから。

 

 完璧になれば、帰れるのだと信じていた。神殺しを果たせば、あの日々が帰って来るのだと想っていた。

 だから、誰を傷付けてでも完全を目指した。父の矜持を穢してでも、共に居て欲しいと願ってしまった。クアットロは子供であるのだ。

 

 愛しているのだ。大好きなのだ。だから一緒に居て欲しいと、そう願って叫ぶだけの子供である。

 愛しているのだ。大好きなのだ。そんな父親さえ居ればそれで良く、それ以外の全てを唯只管に恐れている。

 

 彼女にとって外側とは、父の関心を奪うだけの物でしかなかった。自分よりも父の興味を惹く、そんな者ばかりがある世界。

 彼女にとって安らげる場所は、あの日の白い家しかなかった。優しい父に褒められて、一緒に過ごした優しい日常。それだけが心の支えだったのだ。

 

 あの日に感じた温かさ。それが嘘であろうと関係ない。全てが虚構であったとしても、其処に感じた想いは決して変わらない。

 虚飾の中の幸福を。偽りに満ちた温かさを。其処に感じた想いは確かに真実だったから、満たされた幸福だって嘘偽りでは断じてないのだ。

 

 だから願う。帰りたい。だから祈る。帰りたい。だから飢えて乾く程に求めるのだ。また、優しい父に出会う日を。

 それが魔群、クアットロ=ベルゼバブの全て。温かな家があった場所を見失い、迷子になってしまった子供の真実だ。

 

 

(クアットロ=ベルゼバブ)

 

 

 夢に見る。白い家を夢に見る。魂を加工されながら、刻み付ける様に繰り返し夢を見る。

 それは嘗ての幸福の記憶。魔群と呼ばれる女が過ごした幼少期。其処に抱いた幸せだった頃の原風景。

 

 帰りたいと願う。そんな渇望を植え付ける為に、繰り返し繰り返し見せられ続ける日常景色。

 小さな犬と戯れて、転んで怪我をして泣いた。そうした時に優しく頭を撫でて、傷を治してくれた父の姿。

 

 そんな夢を繰り返し、繰り返し繰り返し見続ける。失う前の幸福を、その優しい日々を見詰め続けた。

 そんな夢を見せられて、見せられ続けてすずかは想う。加工されているからか、作り変えられているからか、それでも確かに心に抱いた。

 

 

(これ程に幸福だった事が、かつてどこかであっただろうか?)

 

 

 満たされていた。本当に心の底から、満たされていたその風景。その想いに並ぶ程、強い幸福は果たしてあったか。

 友と過ごした日々はある。家族と過ごした日々はある。だがしかし、全てを失ってでも帰りたい。そう想える程に、確かな幸福があっただろうか。

 

 答えられない。断言できない。刻み込まれる過去の記憶が、余りにも強い質量を伴う想いだったから。これに勝るなんて口に出来ない。

 それしかなかった子供の幸福。それでもそれだけだからこそ、何より執着している子供の幸福。これ程に強い想いが、月村すずかの内にはない。

 

 だからこそ、なのだろう。刻み込まれて変質していく中、月村すずかは素直に想った。

 

 

(羨ましい、な)

 

 

 身体を切り裂かれ、臓腑を抉り取られ、無理矢理に生かされた。それでも、そんな目にあっても、大好きだって言える人。

 必死になって頑張ったのに、期待外れだって切り捨てられた。そんな目にあっても、それでも揺るがず大好きだと言えた人。

 

 誰がなんと言おうと否定は出来まい。誰がなんと言おうと覆せまい。其処にある想い、それは確かな一つの真実。

 愛。狂う程に壊れる程に愛していたから、彼女は求め続けたのだ。その一念。その想い。それだけは誰にも否定する事が出来ぬのだ。

 

 それ程の幸福の中、それ程に愛する事が出来る人が居た。そんな過去を、すずかは羨む。心の底から羨んだ。

 優しい日々。陽だまりの様な幸福。愛する人と共に、愛しているからこそ。それ程強い願いを抱けた過去が、純粋に羨ましいと想えたのだ。

 

 

(私、は……)

 

 

 少しずつ、自分が自分でなくなっていく感覚。それがあるからだろうか、酷くあの少女が羨ましい。

 壊されてなお愛していると、叫べる少女が羨ましい。そんな少女へと成り果てる事に、最早忌避の感情などは抱いていない。

 

 だが、だとしても――胸に残った無念が一つ。

 

 

(私も、誰かをこんな風に……愛する事が出来たのかな?)

 

 

 解ける様に溶けていく意識の中、月村すずかはそんな風に思考する。そんな事を考える。

 

 他者に寄生せねば生きていけない吸血鬼。その存在を否定される。それだけの悲劇を重ねて来た血筋。

 そんな自分がもしも、それでも愛し愛される事が出来るなら。己よりも罪深い者が、それでも愛された事実があったとすれば。

 

 そう成りたい。そんな風になりたい。月村すずかは、そう想う。

 

 彼女は焦がれたのだ。心の底から憧れた。そうなれたら良いなと、確かにこの今に抱いていた。

 それでも、何が出来る訳でもない。人の願いに触れて憧れた吸血鬼は、夢に浸ったままに少しずつ変わって行く。

 

 その果てに、如何なる形と成り果てるのか。今は未だ、分からない。

 

 

 

 

 

 枯れ果てた薔薇の園。撒き散らされた土くれを、貪り喰らう蟲の群勢。

 魔蟲が喰らうは花や土だけでなく、草の花壇や金属アーチ、果てには大地や空さえ喰らっていく。

 

 此処は月村すずかの内面にある世界だが、この情景は彼女の心象を映し出した景色ではない。

 その魂が内包する内的宇宙。其処に封じられた白貌の象徴であり、吸血鬼が今尚存在していると言う証明だ。

 

 抵抗が出来ぬ程に意識を削り取って、だが完全には消滅させなかった。その理由は、後に生まれる血染花(ジブン)の為に。

 魔群は消滅するのだ。故に魔群が喰らってしまえば、その喰った分が消えてなくなる。血染の花に取り込ませなければ、総合力が落ちてしまう。それは、この女が望む事ではないのだ。

 

 だからこそ、クアットロはこの世界を残した。吸血鬼の自我と反抗の牙だけを砕いて、この薔薇園が月村すずかの魂に溶けてなくなるまで、ゆっくりと待っていたのである。

 だからこそ、もうこの薔薇の園は必要ない。月村すずかはもう、十分な量を取り込んだ。これ以上は待てないし、これ以上に力を付けられたら抑え込めない可能性すら存在していた。

 

 魔群は安全策を選び取る。この女は常に確実性こそを選んで尊ぶ。絶対に抑えられる段階で、こうして今に動き出す。

 女にとって、この世界は最早不要。脅威となるかもしれない吸血鬼など必要ない。嘗ての世界に生きた白貌に、此処で引導を渡すのだ。

 

 蟲が喰らう。蟲が喰らう。蟲が喰らう。炎に燃えて、腐って潰れていく蟲の群れ。それが全てを喰らっていく。

 全て。そう、全てだ。比喩表現などでは断じてなく、事実全てを喰らっていく。空は穴だらけになって、大地は崩れ去っていき、白貌の魂が消えていく。

 

 無限に増えていく蟲は、無限に腐っていく蟲は、最早止められる様な物ではない。

 湯水の様に湧き上がり、津波の如くに押し寄せて、果てには何も残らない蝗の群れ。

 

 それは宛ら、蝗害と言う悪夢を思わせる情景だ。天地を喰らう浅ましさは、黙示録に語られる様な終末だろう。

 喰らって、喰らって、喰らわれ続けて――遂に全てが崩れて落ちた。砕ける硝子の如くに崩壊する。その先にある光景は、光すら届かぬ真の暗闇。

 

 

「あらぁ?」

 

 

 そんな中で一つ、クアットロは何かを見付けた。暗闇の只中に一つ、ポツンと浮かび上がった光。

 それは茨だ。無数の茨が取り囲み、まるで球体の如くに閉じている。そんな茨の隙間から、小さな光が漏れていた。

 

 

「何かしらねぇ、あれ?」

 

 

 さて、あれは何であろうか。白貌が世界の最も奥に、隠れていた小さな光。ふと気になって、興味を惹かれる。

 そして同時、己が内で即座に算段する。考えるべき事は、アレを放置するべきか否か。どちらがより危険だろうかと思考する。

 

 思考の隙は僅か数瞬、一瞬後に出るのは一つの結論。よく分からないモノだから、アレは此処で壊しておこう。

 

 

「ヴィルヘルムは、もう何も出来ない。ヘルガと言う女は消滅した。だったらぁ、脅威なんてないものねぇ」

 

 

 危険はない。そう断じる。だが脅威はある。そう結論付ける。アレを砕くのは簡単だが、アレを残すのはリスクが高いと判断した。

 

 此処は薔薇園の最奥地。それは詰まり、串刺し公にとって最も重要な物がある場所。其処にある想い出が、己の策を覆し得る可能性を考慮する。

 ヴィルヘルム・エーレンブルグにとっての光。それ程に輝かしい波動を残せば、後の月村すずかに悪影響を与えるだろう。クアットロになる女が、ズレてしまう可能性があったのだ。

 

 危険はない。だが脅威はある。ならば此処で壊すべき。何処までも安全性を考えればこそ、クアットロはそれへと手を伸ばす。

 そんな暴食の魔群を阻もうと、何かが一つ咆哮した。白き化外は霧の如き霞となっても、他者が其れに手を出す事を許しはしない。

 

 其れは俺のだ。俺の物だ。決して誰にも奪わせない。まるでそう語る様に、白き男の最後の一矢は――

 

 

「邪魔」

 

 

 最早、この魔群を退ける事さえ出来はしない。当たり前の様に吹き散らされて、そうして虚空に消え去った。

 霧の様に薄く、悪夢の様に浅い。そんな男の残骸が消え失せて、後に残るのは茨の球体。中に何があるのだろうか、クアットロは一つ一つと剥いていく。

 

 底にあるのは、一つの宝物。薔薇園の管理者が決して認めず、しかし統治者の最愛故に捨てられなかった。ならばこそ底の其処へと隠した宝物。

 隠れた物を暴かんと、隠した物を奪わんと、大切な物をこそ踏み躙ってやろうと。嘲笑を浮かべた魔群は茨を全て食い破り、そして――その極光に包まれた。

 

 

 

 

 

2.

 嘗て、一人の男が居た。第一次世界大戦直後のドイツ暗黒期。そんな地獄の更に奥、貧民街に生まれた男。

 

 彼の父は嘗ては軍人、だが足を失い追放された。妻を失い、酒と薬に逃げて、腐り切った男が手を出したのは実の娘。

 彼の母は幼い少女。生まれついてまだ間もなく、幼い内から実父に犯され子を産んだ。その事実を、何より喜んでいた狂った女。

 

 腐った種と、狂った胎から産まれた男。畜生腹と蔑む血筋に、生まれた身体は日の光が下では歩けぬアルビノ。

 日の光から逃げながら、虫や鼠を狩って暮らした。狩る獲物の質を上げながら、自分はこういうモノだと理解した。

 

 夜に無敵となる狩人。犬や猫は愚か、浮浪者やチンピラ。敵対する人を喰らって生きる存在なのだと。

 そんな男は、唯只管に気持ちが悪かった。己の父母と言う名の畜生が、彼らが盛り続ける姿が、余りに気持ち悪かった。

 

 我が呪縛よ、灰になれ。故に男は二人を殺した。獲物を狩る様な要領で、彼らを殺して火を付けた。全てが灰となってしまう様にと。

 

 そうして彼は、闇夜を彷徨う狩人へと姿を変える。生まれ落ちたのは、無差別に人を喰い殺すシリアルキラー。

 そうして彼は、運命の夜に彼らと出会う。同じ白を象徴とする殺人鬼。国を守ろうとした軍人達。そして――産声を上げたばかりの黄金と。

 

 真っ先に頭を垂れて、全霊の忠義を誓ったのは二つの白。だが近衛として選ばれたのは、男ではなくもう一人。

 その理由を想像する。何故己ではなかったのかと、己自身に問い掛ける。答えは一つ、この身に流れる血であろう。それ以外、己が白に劣る要因などありはしない。

 

 畜生腹から生まれたからこそ、黄金の騎士に相応しくなかったのだ。その事実に死んでしまいたいと思う程に、それでも相応しくあろうと生きた。

 この血を流そう。新たな血を吸い込み取り入れよう。そうして己は、強く強く新生する。闇の不死鳥と化したのならば、真実騎士に相応しき者に成れる筈だから。

 

 それが、それこそが、男の全て。ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイの真実の姿である。

 

 

「そうよ。太陽の下に出れないから、血を吸う鬼と己を重ねた。明けない夜を望んだモノこそ、嘗ての世界に居た白貌でしょうッ!?」

 

 

 クアットロは知っている。喰らい貪り埋め尽くす中に理解した。このヴィルヘルムと言う吸血鬼の真実を。

 浅い男だ。下らない男だ。鼻で嗤って踏み潰して、それでどうとでもなる怪異。暴き切ったと認識していたからこそ、其処にあったモノは全く予想していなかったのだ。

 

 

「なのに、なんで? なんで、なんで、なんでなんでなんでどうしてえええ! どうして、明けない夜しかない世界に――」

 

〈In principio creavit Deus caelum et terram〉

 

 

 茨を暴いたその先に、浮かび上がった一つの光球。全てを焼き尽さんとする、其れはとても強い輝き。

 永遠の夜を望んだからこそ、決してある筈がない光。吸血鬼にとっては最大の、天敵と言うべき光が此処にあったのだ。

 

 

「太陽があるのよッッッ!?」

 

 

 夜の闇は消え失せて、暗闇と言う世界が照らし出される。何処までも広がる青空に、天高く座すは銀の太陽。

 ずっとずっと隠されていたその輝きは、この今に全てを染め上げる。()()は怒りを抱いていたのだ。愛しい男を苦しめた、悍ましい蟲の群れへと。

 

 故に――

 

 

〈Briah――Date et dabitur vobis〉

 

 

 愛しています。ヴィルヘルム。私の天使。あなたの天使に、私はなりたい。

 万象全て、この太陽に祝福(モヤ)されよ。天使がしろしめす(アイ)を前に、真なる燃焼を得るが良い。

 

 

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

 

 光は尊く、焼くものである。身の内に潜んだ毒が彼を傷付けるならば、その毒素を焼き尽そう。

 銀の太陽より降り注ぐ光は極限の神火へと変わって、内に取り込んだあらゆる全てを焼き滅ぼす。

 

 これは幾つモノの偶然が重なった果ての奇跡。流れ着いた運命が示した一つの帰結。

 在りし日に男へ愛を教えて、彼の半分と共に消えた少女。第六の宙で男の姉と溶け合って、確かに其処に居た女。

 

 捧げて、吸い尽くされて、そうして彼の中に居た。共に消え果てる日を待つだけの、そんな残滓に過ぎなかった。

 されど、彼の日に奇跡が起こる。敗残の将が示した光、新時代を告げる蒼き光に包まれて、彼女の意識が戻っていたのだ。

 

 黄金の恩恵は得られない。その臣下ではないのだから、彼の日に目覚めた血染の花は気付けなかった。

 それでもあの瞬間に、確かに協奏の光は届いていた。仲間が信じる先達の、嘗て愛した女が遺していた僅かな欠片。

 

 友の友が友であるのと同様に、彼にとってはそれで十分。些か遠い関係だが、手を取れない相手ではない。

 黄金の復活とその恩恵を受けた騎士の覚醒。その影に隠れる程に小さく儚い形であったが、それでも女は蘇っていたのである。

 

 その最期に燃焼を。この最期に愛を。たった一人の男の為に、たった一度の怒りを示す。

 初恋の天使が輝きは、貪る魔群を許しはしない。愛する男を苦しめたベルゼバブへと、メタトロンは此処に裁きを下すのだ。

 

 

〈よくもっ! 私のヴィルヘルムに、手を上げたなぁぁぁッ!!〉

 

 

 彼の姉に習う様に、怒りの言葉を口にする。自滅の光が更に更にと強く輝く。

 この輝きを前にして、クアットロは抗えない。一切の穢れを消し去る光に、穢れから生まれた悪夢は浄化されていく。

 

 

「ぎぃ、ぎぃぃぃぃぃぃっ」

 

 

 蟲が燃えた。蟲が潰れた。蟲が消えた。蟲が蟲が蟲が蟲が、日差しの中へと溶けていく。

 状況は最悪だ。現状は甚だ不利だ。予想を反する展開に、クアットロは咄嗟に逃げ出そうとする。軍勢の一部でも、外に逃がして生き延びようと――

 

 

(生き延びて、生き延びて、生き残れれば――それで……どうするの?)

 

 

 太陽に燃やされる痛みの中で、それでも冷静さを保った思考が答えを想定する。

 此処で逃げ出したとして果たして、その先に一体何があるのか。その先で一体、何が出来ると言うのであろうか。

 

 この太陽は自滅の技だ。一旦逃げれば、次にはもう発現しない。もう一度、燃やされると言う事はないだろう。

 だが此処で逃げ出せば、月村すずかが復活する。もう一度抑えようとしても、種が割れてしまった以上は対策されてしまうであろう。

 

 後に残るのは、僅かな数と化した蟲。腐炎に燃やされ続けて、減る一方となった蟲の群れ。

 それでも人は喰えるであろう。人を喰らい続けて、生き残る事は出来るであろう。だがもう二度と、神座を狙う事など出来ない。

 

 既に限界なのだ。世界の終末はもう後僅かで、その時に間に合わせる為には月村すずかが必要不可欠。

 ここで逃げ出せば、もう二度とは望めない。神座に至れない。スカリエッティが帰って来ない。もう二度と、あの白い家には帰れないのだ。

 

 

「……いや、よ。そんな、の」

 

 

 生きたい。生きたい。生きていたい。死にたくはないのだ。生きていたい。

 だがどれ程に強く願っても、それ以上の想いがある。生きていたいのは、帰りたいと思えばこそだ。

 

 愛する人に抱きしめられて、よく頑張ったねと褒めて欲しい。それだけが、ずっと彼女が望んできた事だから。

 

 

「私は、帰るの。ドクター、と一緒、に。だから――ッ!」

 

 

 自分の命よりも、彼の方が大切なのだ。無様に生き延び続けるよりも、滅ぶとしても帰りたいのだ。

 ならばもう逃げ出せない。例え此処で死ぬのだとしても、余りに勝率が薄いのだとしても、逃げ出す事などもう出来ない。

 

 

「もう逃げない。逃げる訳には、いかないのよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 

 クアットロ=ベルゼバブは産まれて初めて、自分の意志で立ち向かう事を心に決めた。

 逃げ出さないと決めたのだ。逃げる訳にはいかないと、だから全てを賭けて前に進むと決めたのだ。

 

 戦うと決めた。どれ程に逆境であれ、戦って勝ち取ると決めた。これが女にとっては初めての、全てを賭けた戦闘だった。

 

 

「太陽が消えるまで、耐え抜けば。私が消える前に、その全てを刻み込めれば。行ける。出来る。だったら、私はッ!!」

 

 

 日差しの中に溶けていく。そうでありながらも必死にしがみ付きながら、己と言う存在を刻み込む。

 この身が滅びるよりも前に、月村すずかを作り変えれば己の勝ちだ。そうなる前に消えてしまえば、己の負けだ。

 

 保障などはない。どうなるかなんて分からない。勝率は五割を切っていて、可能性に賭けるだけ。

 そんな対等な条件で、初めて立ち向かうと決めたクアットロ。だが、その決意は些か遅過ぎたのだろう。

 

 太陽の光に溶かされて、魂の加工に残る全霊をつぎ込んで、故に相手を抑えていた支配力が低下した。

 僅かに弱っていく太陽を前に、溶かされながらも意地を貫こうとする魔群を前に、解き放たれた女は此処に目を覚ましたのだ。

 

 

 

 

 

3.

「かつて何処かで、そしてこれほど幸福だったことがあるでしょうか」

 

 

 涙を零す様に目を開く。目尻から滴り落ちる僅かな雫が、美しい顔を微かに染めた。

 夢を見ていた。余りに幸福な過去を夢見て、どうしようもなく焦がれてしまった。ああ、何と美しく羨ましい幸福か。

 

 

「あなたは素晴らしい。掛け値なしに素晴らしい。しかしそれは誰も知らず、また誰も気付かない」

 

 

 嗚呼、本当に素晴らしかった。重ねた想い。募った想い出。その全てがどうしようもない程に、この胸を熱く焦がしている。

 見詰めて来たのは二つの夢。一つが白き家の夢ならば、もう一つは此処に目覚めた彼らの嘗て。ワルシャワで出会った、男と女の恋物語だ。

 

 恋を知らない男が居た。己とよく似た自己嫌悪。生まれに対する怒りに満ちて、己が進まなかった先へと進んだ男が居たのだ。

 恋を教えた女が居た。それが自死に至る道だと分かっていても、日差しの下で微笑んでいた女が居た。その幸福を、どうして卑下する事が出来ようか。

 

 

「幼い私は、まだあなたを知らなかった。いったいどうして、私はあなたの許に来たのだろう」

 

 

 己は未だ愛を知らない。身を焦がさんとする想いを、その幸福を理解出来ていないのだろう。

 だからこそ、なのだろうか。素晴らしいと感じるのは、憧れる程の幸福は、吸血鬼と天使に向けてだけの物ではない。

 

 取り戻したいと願う蟲。彼女が見せた幸福と、今に至って示された意志。その感情(アイ)に、どうしようもなく憧れていると自覚する。

 自覚して、しかし譲れない。自覚したからこそ、譲る訳にはいかないのだ。だって、月村すずかと言う女は知らない。知らないけれど、憧れたのだ。

 

 

「もし私が騎士にあるまじき者ならば、このまま死んでしまいたい。何よりも幸福なこの瞬間――私は死しても、決して忘れはしないだろうから」

 

 

 ずっと心の何処かで、このまま死んでしまいたいと思っていた。勇気がなくて、意志がなくて、唯嫌悪しかなかったから。

 それでも、今は素直に想う。己は未だ、生きていたい。だって知らなかったのだ。こんなにも幸福に満ちた光景があった事を。

 

 誰よりも汚らわしいと思った。下劣だと、畜生だと自称した。そんな彼らでも、満たされる幸福が確かに在ったのだ。

 知識では知っていた。理屈では分かっていた。だがその実感が分からずに、己は大海の蒼さすらも知らなかった。だからこそ、知ってしまえば手に入れたいと願ってしまう。

 

 そうとも、己は幸福になりたい。生きて、幸せに――善き場所に行きたいのだと、心の底から実感したのだ。

 

 

「まるでこの世のものではなく、聖なる楽園の薔薇のよう。まるで生きているかのように、強い強い香りがする。強過ぎて耐えられない程に、この胸を強く締め付けられる。痛い程の幸福は、神に与えられた薔薇の園。帰らねばならない天上楽土」

 

 

 だから、もう譲らない。どれ程に己を嫌悪したとしても、この命は譲らない。この血肉は己の物だ。

 

 生に縋る執着心。幸福になりたいと言う強い強迫観念。それは或いは、月村すずかの内から生まれた物ではないのかも知れない。クアットロに加工された、彼女の色なのかも知れない。

 だがそんな事は関係ない。心の底からどうでも良い。生きたいと願った。幸せになりたいと祈った。善き場所に行きたいのだと感じたのだ。ならばどうして、余計な思考を混じらせる必要があるだろうか。

 

 

「あちらへ戻らなければならない。そしてその道の上で、完全に死ななければならないだろう。ならばいったいどうして、私はあなたの許に来たのだろう」

 

 

 ヴィルヘルム・エーレンブルグはもう消える。食い荒らされたあの男は、月村すずかに溶けて消え去る。

 クラウディア・イェルサレムはもう消え失せる。僅かに残った太陽が自滅を果たすより前に、月村すずかが取り込み殺す。

 クアットロ・ベルゼバブは必ず己が討ち破る。その血、その肉、最早一片たりとも残しはしない。全てを喰らい尽くし、己の中に刻んで進もう。

 

 故にこそ、月村すずかは立ち上がったのだ。目覚めた女は今此処に、全てを受け入れ変わって行くと決めたのだ。己が、善き場所へと行く為に。

 

 

「未だかつて、こんなにも幸福だったことがあるでしょうか。時と永遠が祝福されたこの瞬間――私は死しても、決して忘れはしないだろうから」

 

 

 立ち上がり、前を向いた。そんな女の姿に、消え去る白貌は一つ頷く。彼にしては珍しく、何処か素直な表情で。

 

 それで良い。それで良いのだ。ウジウジと鬱屈して蹲っている暇があるならば、夢へ向かって、前に進んで行けば良い。

 幸福になりたいと、そんな願いで十分なのだ。己が誰であるかなど、問い掛ける必要すらないのだ。唯前へ、進めればそれで上等だろう。

 

 月村すずかに吸い殺されながら、それで良いのだと笑う。取り込まれる男は此処に、主命の成就を確信した。

 

 

「ゆえに恋人よ、私は誓おう。正しい愛で、貴方を真実愛する事を」

 

 

 立ち上がり、前を向いた。そんな女の姿に、白貌の傍に侍る天使は笑った。彼女らしい、優しい笑みで。

 

 善き場所へ行きたいと、それこそが渇望の始まり。誰もが抱いた、原初の願い。目指す夢の起こりとして、それ程に相応しい物はない。

 故に女は素直に退く。愛する男が身を退いたのだ。その傍らに寄り添って、共に消える事こそ相応しい。だからこそ、天使は確かに笑っていたのだ。

 

 

「何かが訪れ、何かが起こった。私はあなたに問いを投げたい」

 

 

 消えていく白貌の声が、女が唱える言葉と重なる。重なりながら消えていく、後に残るは咒を紡ぐ女の声のみ。

 消える中で交互に紡ぐ。白貌の声が語るのは、嘗て男が願った祈り。永遠に明けない夜が欲しいのだと、夜に無敵の吸血鬼となりたいのだと、そんな男の願いである。

 

 

「全てを理解を望んで、全ての理解を拒絶する。尋ねたいし、尋ねたくない」

 

 

 消えていく天使の声が、女が唱える言葉と重なる。重なりながら消えていく、後に残るは咒を紡ぐ女の声のみ。

 消える中で交互に紡ぐ。天使の声が語るのは、嘗て女が願った祈り。愛しい人の天使になりたい。彼を照らす彼だけの太陽になりたいのだと、そんな女の願いである。

 

 

「本当にこれでよいのか、私は何か過ちを犯していないか」

 

「これは夢、本当ではありえない。私達二人が一緒に居るなんて、永遠に一緒に居るなんて」

 

「恋人よ。私はあなただけを見、あなただけを感じよう」

 

「天国の入り口に立った様に、至福である事がとても不安になる。貴方の愛を、失う事だけが恐ろしい」

 

「私の愛で朽ちるあなたを、私だけが知っているから」

 

「私がどうなっているのか、私ですら分からない。それでも分かる事は唯一つ、私は貴方を愛している」

 

 

 不安に揺るぐ心を支え合う様に、女と男が願いを語る。まるで閨で睦言を囁き合う様に、語りながらに消えていく。

 消え去る彼らが語った願い。共に抱いた一つの幸福。それこそが、吸血鬼にとっての天上楽土。彼らが目指した、理想の園だ。

 

 

『ゆえに恋人よ、枯れ落ちろ』

 

 

 男が消えて、女が消えた。夜が残って、太陽が残った。その全てを取り込んで、新たな形と作り上げる。

 二つの創造。半分でしかないノアの子らを、二つ合わせて真実完全なる形へと。二人から受け継いだ力を此処に、月村すずかは発現した。

 

 

「修羅曼荼羅――」

 

 

 世界に夜の帳が落ちる。明けない夜は簒奪の夜。己の身体を境として、外部を全て夜へと変える。

 身体の中には沈まぬ太陽。落ちる事なき愛の光は、己を清める浄化の力。己の身体を境として、内部を全て光に変える。

 

 二つが混じり合った形は即ちそれだ。あらゆる全てを簒奪し、己に害を為すモノが内にあれば浄化する。半分でしかないが故の弱点を、克服したコレこそ完全なる形であるのだ。

 

 

「――楽土・血染花ッ!!」

 

 

 腐毒であろうと、炎であろうと、聖なる光であろうとも、全てを喰らい尽くして糧とする。

 どれ程に己を苦しめる猛毒だろうが、最早この身を傷付けるには値しない。天使が微笑み続ける限り、吸血鬼が傷付く事はないのである。

 

 あらゆる万象、全てを簒奪する力。それを以って、月村すずかは奪い取る。己の敵、己に生きたいと刻み込んだ。宿敵と言うべき女の全てを。

 

 

「クアットロッ! ベルゼバァァァブッ!!」

 

「月村ァ、すずかぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

 

 奪い喰らい背負って行くのは、唯二人の全てだけではなく。この今に初めて、敬意を抱けた宿敵すらも。

 記憶も、力も、願いも、その魂の全てを咀嚼し取り込み進む。腐った炎を恐れはしない。ベリアルの炎など、メタトロンを以って焼き尽そう。

 

 その血肉、一滴たりとも残しはしない。不退転の女を前に、明けない夜は赤く赤く輝いた。

 

 

「此処で、私の中で――枯れ、堕ちろォォォォォォッ!!」

 

 

 最早、抗う事など出来はしない。そして不退転を決めた今、魔群が逃げ出す事もない。

 膨れ上がる夜の力に飲み込まれ、無数の蟲が消えていく。その身を焼いた炎と共に、すずかの内へと溶けていった。

 

 

 

 後には唯、一人だけ。心の中を吹き抜ける夜風に、震える事は最早ない。月村すずかは唯一人、暗闇の中に浮かんでいる。

 女は一人目を閉じて、取り込んだ者らを咀嚼して、己に刻んでから目を開く。前を向いたその瞳は、確かな力強さに満ちていた。

 

 

 

 

 




例えヘルガ姉さんの中の人の逆鱗に触れる展開であろうとも、天狗道の射干はネタとして膨らませられる設定こそを選ぶ! それが、覚悟と言うモノッ!!

そんな訳で、当作時空の凶月咲耶さんは姉さんとあの人の融合体。失楽園の日に協奏パワーで天使も復活するも、騎士になれたぜヒャッハーしてるベイが気付かない内にヘルガが内面に封印していたとかそんなサムシング。

ついでに原作最長かもしれないと言われるベイの完全詠唱を、更に盛ってやったぜヒャッハーッ!!


そしてクアットロは完全消滅。だが一部分はすずかに吸収され、彼女の心の中に記憶や経験は残り続ける模様。……意図した形と違うけど、目的果たせたねクアットロ!

今後(主にユーノ君を標的にする)下種の極みモード発動に際し、融合完全体すずかットロとして僕らの前で下種の煽り芸を見せ付けてくれるかもしれません。(願望)




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楽土血染花編第五話 闇が終わる時

楽土血染花編も今回がラスト。二万字オーバー、長いです。


推奨BGM
2.Albus noctes(Dies irae)
3.Der Vampir(Dies irae)


1.

 朝焼けに染まる景色を前に、間に合わなかったと自覚する。急いで駆け付けた心算であったが、既に彼女の気配はない。

 少女は一人、息を吐き出す。光の熱が籠らぬ風が、肺の中を満たしていく。寝惚けた頭を覚ます程には、吸い込む空気は澄んでいた。

 

 

「……彼女は、もう居ない。ならば、どう動くべきでしょうか?」

 

 

 瞳を閉じて、思考を進める。逢うべきだ。逢わねばならない。そう感じていた因縁の消滅に、少女は間に合わなかった。

 ならば諦めて、何もせずに去るべきだろうか。そう脳裏に思い浮かべるが、それでは駄目だと直ぐに否定する。それでは、()()()()()()()()()()

 

 

「彼女は、もう居ない。彼も、もう居ない。……それでも――私は今、生きている」

 

 

 冷たい朝の風に吹かれて、白いコートが揺らめき揺れる。風に飛ばされてしまわぬ様にと、小さな手で握りながらに呟いた。

 それは、唯の事実確認。此処に今生きていると、口にした言葉はそれだけ。だが、其処に込められた意味は、決してそれだけなどではない。

 

 掴んだ衣服に感じる温度。その温かさが言っていた。君は生きて、幸せになって良いのだと。

 罪を重ねた。悪を為した。それでもその言葉があったから、彼女は今を生きている。生きて、幸せになろうと想ったのだ。

 

 

「ならば、何を為すべきか。……そんなの、決まっています」

 

 

 瞳を閉じて、熱を感じる。僅かに残った微かな香りが、幸福になれと伝えている。ならばこそ、その為にも向き合わなければならない。

 罪には償いを。悪に贖いを。己の因縁には、確かな形の清算を。そうでなくては、向き合えない。向き合わなければ、進めない。進めなければ、彼の想いは果たせないのだ。

 

 ならばこそ、少女は瞳を開く。翡翠の如くに澄んだ瞳で、崩れ落ちた邸宅を見詰めた。

 

 

「先ずは、彼女と接触を。その為には、盟主様が動き出すのを待った方が良さそうですね」

 

 

 この地で起きた全貌を、少女は知っている訳ではない。だがその力のぶつかり合いは、星の裏側に居ても分かる程だった。

 そして今、瞳に映る光景から算段する。魔群を滅ぼした吸血鬼。堕天使を救った狩猟の魔王。人々を守り通した盾の獣。その姿を見詰めて、判断した。

 

 此処で起きた戦場。その全てが、既に己の手に負える領域ではない。明らかに、格も次元も違っている争いだ。

 血染花も魔王も守護獣も魔群も魔鏡も闇も、全てが少女の手に余る。彼女では例え幾つの奇跡を引き寄せようと、傷付けるだけが精々だろう。

 

 故に何の策もなく進むのは愚策。対抗策を得る為に彼女と接触する必要があるが、この今に近付くのは下策。

 彼らは決して、少女の味方などではない。少女は決して、彼らの同胞には成り得ない。ならばこそ、接触は後回しとするべきだ。

 

 誰にも邪魔をされない状況。誰も自由に動けぬ状況。闇が再び襲い来る時、それこそ少女に残った好機。

 どの道、余り時間は掛からない。そう長く待つ事はない。盟主に残った時間は僅か。遅くとも今宵には仕掛けなくては、順当に詰むのである。

 

 故に再び、日が昇って落ちるまでの僅かな時に戦が起こる。今日と言う日が終わる前に、この一件は決着を迎える事だろう。

 

 

「だから、もう少しだけ付き合って貰いますよ。マリアージュ」

 

 

 少女は手にした杖を一振りし、そして屍が立ち上がる。壊れた人形。欠損した男性遺体。それらを材料に、偽りの命が甦る。

 機械や肉塊が変じる光景。自らの力が齎した悍ましさに、顔を顰める。しかし止めようとは思わない。彼ら死者たちの力が必要だから。

 

 

「……全てに決着を付けて、明日も生きて行く為に」

 

 

 故に少女は、その時を待つ。愛する人が遺した言葉を、守って幸福となる事を夢に見る。

 蒼き衣に、銀の軽鎧。羽織った白は、彼の遺品。無数の死者を従えて、冥府の炎王――イクスヴェリアは前を見詰めた。

 

 

 

 

 

2.

 魔鏡は母の腕に抱き留められ、魔群は赤き薔薇に喰われて消えた。長らく敵と立ち塞がりし反天使。その全てが、確かにこの日打ち破られた。

 ならばこの地に敵などいないか、この今に恐れるべき脅威はないか。そんな筈がない。彼らを敵と目する者は、他にも居る。最大の敵手は、未だ残っていた。

 

 闇。この今、地球に残った最後の強敵。夜の一族を憎み続ける復讐者には、余り時間が残っていない。

 魔群を喰らった血染の花は理解する。クアットロより奪い取った記憶から、菟弓華と言う女を知ったすずかは推測する。

 

 黙っていても、そう遠くない内に自壊する闇。だがしかし、あの女がそれを良しとする訳がない。

 そう。黙って消え去る筈がない。あの強大にして濃厚に過ぎる憎悪が、自壊の時を漫然と待つ理由がない。

 

 必ずや動き出す。もう時間がないと自覚すればこそ、意識を取り戻せばすぐにでも、この地に再びやって来る。

 魔群が消えた今、あの女の内に渦巻いていた悪夢は消えた。その忌まわしきリフレインは過ぎ去って、もう既に目は覚めていよう。

 

 既に向かって来ている筈だ。もう間もなく、見える事になる筈だ。夜を憎む闇へと向き合い、答えを出す時は此処に来たのだ。

 

 故に、すずかは仲間達にその事実を告げた。推論ではなく、事実であるのだと断言した。

 そして仲間達も首肯した。闇と言う存在を記録の上でしか知らない者らは、故にこそ己が信じる友の言葉を信じたのだ。

 

 

「来るか」

 

 

 力のない者は避難した。戦えぬ者は地下の奥へと。その扉の前に立ち、蒼き盾は静かに中天を見上げる。

 燦々と照り輝く頭上の陽光。その輝きに陰りはなく、訪れる予兆は其処にない。されど背筋に感じる寒さは確かに、何かが近付いていると予感させた。

 

 先ず真っ先に、褐色の男が認識したのは同類だったからであろう。彼もまた、あの闇と同じモノに繋がっている。

 闇の書に眠っていた憎悪の欠片。神の子から抜き取られた魔導核の欠片。媒介となる物が変わっても、共に同じく眷属なのだ。

 

 故にこそ、盾の守護獣ザフィーラは確かに理解する。此処に訪れようとする闇が、己よりも深く神に繋がっているのだと。

 

 

「来るわね」

 

 

 赤き炎を瞳に灯した女は、盾に数手遅れて気付く。彼女が認識したのは、目に見えて分かる異常であった。

 太陽の光が曇っていく。雲に遮られていると言う訳ではないのに、斜陽を迎えている訳でもないのに、日の光が消えていく。闇が濃度を増しているのだ。

 

 夜の訪れは、彼女が訪れた証。菟弓華と言う女は、呼吸をするかの如く当然に、天の相を操り作り変えている。

 ヒシヒシと痛い程に、肌を突き刺す狂気の波動。吹き付ける力は、間違いなく女よりも強烈だ。その事実を理解して、アリサ・バニングスはしかし瞳を逸らさない。

 

 義娘から受けた手傷は、未だ快癒に程遠い。彼女の想いを理解する為に、些か無理をし過ぎてしまった。

 それに対し、後悔などはしていない。未だ痛む傷痕を抱えて、消費し過ぎた魔力に舌を打ちながら、アリサは訪れる闇を睨み付ける。

 

 勝機がある訳ではなく、勝利を確信している訳ではない。彼我の実力差と、自分の現状は確かに理解出来ている。

 それでも瞳を逸らさない。その身体を震わせない。恐るべき敵を前にして、だが震え慄かねばならない理屈がないのだ。

 

 

「来なさい。――菟弓華っ!」

 

 

 見上げた空で、日が陰る。黒き帳が頭上を包んで、星明かりすら見えない夜が流れ出す。

 其処に感じる圧に、知らず膝を折り掛ける。殺気と憎悪に満ちた気配は、気が狂いそうになる程に濃密だ。

 

 それでも、月村すずかは確かに立つ。立ち続けた儘に、訪れる闇の名を此処に呼ぶ。

 如何に強烈な存在であろうと、今更怯む理由がない。己はたった一人でも、アレに喰らい付く事が出来ていた。

 

 ましてや、今は仲間がいる。盾と矛。万の援軍よりも心強い仲間と共に、なれば恐れるモノなど何もない。

 そうと知るが故に、月村すずかは頭上を見上げる。己が打ち勝つべき敵の到来を、揺るがぬ意志で待ち受けた。

 

 そして――闇は訪れる。憎悪に染まった、闇が来た。

 

 

「殺しに来たヨ。吸血鬼」

 

 

 中天に座していた光が消えて、天地も分からぬ暗闇の中へと。浮かび上がった人型は、暗く昏く黒く染まっている。

 赤く染まった長い髪。その隙間から覗く瞳も、血の色を思わせる赤に染まる。黒と真紅の二色に染まった人型は、流出域にある怪物だ。

 

 

「根切りに来たヨ。吸血種」

 

 

 呼吸と共に放つ波動。言葉に籠った殺意の圧力。瞳が宿した憎悪の質量。それだけでも、押し潰されそうになる程。

 先の邂逅よりも深く、強くなっている事を認識する。女の身体の自壊が進めば進む程、その深度は深くなっている。最早、取返しが付かない程に。

 

 

「此処で滅びろ――夜の一族ッ!!」

 

 

 闇は唯、一人の女を睨んで叫ぶ。憎悪と憤怒に溢れた声で、怨敵を滅ぼさんと咆哮する。

 その咆哮は、狂気を揺する圧を伴って。漠然と暗闇を恐れる感情を、煮詰めた物を撒き散らす。

 

 吹き荒れる圧力。天から落ちるかの如く、吹き付ける大量の魔力。それだけで、唯人は死に至るであろう。

 だが此処に、唯の人間などは一人も居ない。闇の狂気に中てられ様と、狂い果てる程に弱い者など居はしない。

 

 

「修羅曼荼羅・大焼炙ッ!!」

 

 

 膝を屈する事がなければ、先ず真っ先に動くはこの女。金糸の女傑は躊躇いなく、初手から最高火力を叩き付ける。

 其れは修羅の法則の下に存在する一つの世界。一つの宇宙を根こそぎ焼き尽くし、それでも足りぬと燃え上がり続ける破滅の炎。

 

 本来の火力には届かずとも、元が世界を滅ぼし切る力だ。星を砕く程度では釣り合わない、太陽系一つは焼き尽くせるであろう一撃だ。

 それを一つの形に当て嵌め、女に向けて撃ち放つ。まるで壁の如くに競り上がり、津波の如くに押し潰す。その形骸は一つの城壁(ツルギ)だ。

 

 激痛を産む炎の剣で、闇を焼き尽さんと荒れ狂う。単一宇宙を焦がす炎。文字通り、それは一つの宙を終わらせるのだ。

 

 

「……で? 惑星系を一つ、焼き尽す力はアル。だから、それデ? 何か意味がありマすか?」

 

 

 だがしかし、その炎は届かない。火力だけなら神域級。その炎が届かない。

 闇が揺らめき、飲み込まれた。そうして、破壊が跳ね返る。呼吸をする様に自然と、振り下ろした剣が戻って来た。

 

 

「元より、規模が違うヨ。世界一つを燃やスは、最低条件。並行世界、次元世界、その全ての闇を払うには、何もかもが足りてイない」

 

 

 成りたての神格ならば討てる力も、最強の眷属と化したこの女を滅ぼすには不足が過ぎる。

 その大半を焼き払う事が出来る火力でも、その全てを焼き尽すには足りてない。ならば、闇の法則は超えられない。

 

 全ての影と影が繋がっている。全ての闇と闇が同一である。故にこそ、この女はその全てを焼き付くさねば傷付けられない。

 火力の不足だ。この時代の誰よりも攻撃性能に特化した継承者を前にして、そう断言出来る圧倒的な霊的質量。それこそが、闇と言う存在なのだ。

 

 

「下がれッ! バニングスッ!」

 

 

 名を呼ぶ声に即座に剣を手から手放す。そうして一歩を退いた女に代わり、男が前へと飛び出した。

 跳ね返って来た激痛の剣を、停滞の力場で押し留める。蒼き守護の獣が此処に、世界を滅ぼす力を受け止めた。

 

 

「ぐっ、おぉぉぉぉぉぉッ!」

 

 

 だが、さしもの盾にもこれは重い。一つの惑星系を滅ぼす力を受け止めて、無傷で済む程に彼は強くない。

 圧し掛かる業火は盾を焼きながら、その熱量を消費していく。その有り様はまるで矛盾の再現。ならば結果は、盾と矛が同時に砕ける他にない。

 

 このまま行けばそうなると、誰の目にも明らかなその状況。

 しかし、そうはならない。受け止めてくれたのなら、そうはさせぬと女は気炎を上げた。

 

 

「もう一発ッ! 大焼炙ッ!!」

 

 

 時の力場が抑え付けた炎の剣を、全く同じ力で側面から焼き尽くす。

 元の出力が同等なれば、停滞している方が押し負けるのは当然。跳ね返って来た力を、アリサはそのまま押し切った。

 

 そして、それだけでも終わらない。やられるだけで済まさないのが、この女の性質だ。

 

 

「こぉぉぉのぉぉぉぉぉッ!!」

 

 

 炎の剣を受け止めて、そのまま腕を振り抜き通す。一歩を前に踏み込んで、気分は剛速球を打ち返す強打者だ。

 跳ね返って来た力に、跳ね返す力を上乗せして撃ち放つ。ぶつかり合いで双方消耗しているが、それでも一発よりは遥かに重い。

 アリサの手から離れた業火が、再び闇を焼き尽さんと荒れ狂う。一つで足りぬのならばと更に重ねて、そんなそれは強引に過ぎる力技。

 

 単一惑星系を焼き尽す炎は再び、闇へと迫る。その全てを今度こそ焼き尽くさんと燃え上がり――

 

 

「無駄な事ヲ」

 

 

 だがしかし、やはり闇には届かない。吸い込まれる様に飲み込まれて、吐き出される様に返される。

 それも当然。本当に世界を二度焼ける力があったならば兎も角、反射された力を迎撃する際にどちらの火力も落ちている。

 

 多めに見積もっても、初撃よりも二割増しと言う所が精々だ。そんな程度の火力では、闇を滅ぼし切るには足りない。

 それでも、跳ね返って来る火力が増していると言う事は事実。停滞の力場で受け止めて、側面から炎の剣を打ち付けて、しかし今度は返せなかった。

 

 

「――っっっ!!」

 

 

 迎撃した力を超えて、己の身体に火傷を負う。相殺し切れぬ被害を受けて、アリサは痛みに歯を食い縛る。

 これで倒れる程に、大きな被害は受けていない。これだけで落ちる程に、軟な精神はしていない。それでも、この状況は厄介だった。

 

 火力を以って打ち破る矛。それしか出来ぬ女の力が、一切通用していない。それはこの女が闇を前に、何も出来ないと言う事実を示していた。

 

 

涅槃寂静(アインファウスト)終曲(フィナーレ)ッ!!」

 

 

 次に動いたのは盾の守護獣。僅かな焦りを胸に抱いて、男は己の物へと変えた力を駆動する。

 肌は黒く、髪や瞳は血の赤に。赤き刻印が身体に浮かんだ姿は、今の女と同じく神の眷属としてのそれ。

 

 背に負う巨大な処刑の刃を、駆動させながら疾走する。男の取るべき戦術などは単純だ。

 自軍の最高火力が通じなかった。ならば後に残る対処法は、持久戦での削りだけ。故に男は、最高速度で加速する。

 神速からの突撃と一撃離脱。それを駆使して敵を傷付け、敵の力の全てを躱し、闇の限界が訪れるまでの時を削り潰そうと言うのである。

 

 

「……で? 速いのハ分かったけれド、だからドウシタ?」

 

 

 だが、その前提が通らない。速いだけでは届かない。如何にどれ程加速しようと、そもそも規模が違っている。

 人は地上を走っても、空に沈む夕日には決して辿り付けない。これはそう言う類の理屈。闇の身体は大き過ぎ、闇の心臓は小さ過ぎた。

 

 女が身に纏った影。強大な闇の体内に、男の手は届かない。そして男の手を阻む全ての闇は、しかし女の身体であったのだ。

 

 

「元より、私ハそんな所で競ってなどないネ。どうでも良いヨ。そんなモノ」

 

 

 故に、動かそうと思う。それだけで男の速度などは砕け散る。停滞の鎧ごとに押し潰されて、男は大地に落とされる。

 速いだけでは届かない。だが、男の本領は防衛戦。影の掌握一つで崩れ落ちる程に、軟な身体をしていない。故にザフィーラは、また立ち上がる。

 

 届かなかったが、大した痛痒などは感じていない。それはザフィーラと、そしてアリサに共通した事項。

 故に二人は決して折れず、強大なる闇を睨み付ける。その背には届かせない。その身に届かせてみせる。二人の闘志は猛っていた。

 

 そんな二人をどうでも良いと見下しながら、どうでもよくない三人目を闇は睨み付ける。

 無駄な努力を続ける二人よりも遥かに、忌々しく厄介な敵が居る。この怨敵の存在こそが、この場で最も危険であった。

 

 

「月村、すずか」

 

 

 何時の間にか、頭上に輝いている赤い月。星の灯りさえ届かぬ暗闇は、唯の夜へと落とされている。

 簒奪の力は防げない。血を吸う薔薇を止められない。この今にも突き立てられた牙が、ああなんと忌々しくも悍ましい。

 

 

「やっぱり、お前ガ、一番邪魔ネ」

 

 

 故に、先ずはお前から潰そう。何よりも第一に、お前だけは滅ぼし尽そう。

 闇の身体が揺れ動き、膨大な魔力が放たれる。怨敵をこそ憎む闇の眼中に、既に男女の姿はない。

 

 無駄な努力を続ける者らは、路傍の石と取る意味もない。五月蠅いだけの賑やかしでしかないのだ。

 まるでそうと言わんばかりのその対応に、アリサは内なる怒りを燃やす。舐めるなと、燃え上る気炎を形にする。

 

 

「大・焼・炙ァァァァッ!!」

 

 

 味方側において、唯一有効な攻撃手段。それを狙った魔力の波動を、焼き切りながらに刃を下ろす。

 苛烈な意志で、業火の如く燃える瞳で、三度放った全力攻撃。闇の心臓までも焼き尽くさんと、伸びる剣はされどやはり闇に飲まれた。

 

 

「だから、言ったヨ。無駄だって」

 

 

 闇の身体が揺れ動き、激痛の剣が跳ね返る。多少気炎を上げた程度で、届く程に闇の底は浅くない。

 所詮は無駄だ。結局無意味だ。その抗いの全てが無価値だ。蔑む様な瞳を向ける闇へと向けて、アリサはその手を剣から手放した。

 

 

「だから、もう分かってんのよ。そのくらいッ!」

 

 

 そして、剣を再び持ち替える。四発目をその手に握って、今度は真っ向からに迎撃する。

 跳ね返って来ると分かっているなら、即応する事は無理じゃない。戻って来た炎の刃を、新たな刃で受け切り相殺した。

 

 身を焦がす炎。既に満身創痍の身体を、無数の火傷が彩っていく。それでもアリサは、再びその手に剣を握った。

 

 

「それでも、私にはこれしか出来ない。だったら、この一つを積み上げるッ!」

 

 

 無駄だと分かっていても、己にはこれしか出来ないのだ。ならば通じる程になるまで、積み重ね続ければ良い。

 先より強く、今より強く、奴に届く程に強く。重ねて、重ねて、重ね続けて、打ち破れば己の勝利だ。ならばその道筋を、駆け抜けて行けば良い。

 

 

「不器用なのよ。この私はッ! 届かないなら、届くまでッ! 届かせれば、良いだけでしょうがッ!!」

 

 

 五、六、七、八、九、十。放つ度に返されて、それを迎撃しながらギアを上げる。一振りごとの全力を、更にと魂から絞り出す。

 それでも十や二十では届かない。何度放とうとも跳ね返されて、その度に己が手傷を負う。限界を超えた消耗に、アリサ自身が焼かれていた。

 

 故に闇はそれを見縊る。所詮は取るに足りない無駄な足掻きと、女の姿を視界から外した。

 故にこそ、その見縊りが過ちだった。重ね続けた炎の剣が、彼女を意識から外した瞬間に闇の心臓へと届いたのだ。

 

 

「――っ!」

 

 

 痛みに跳ねる様に、咄嗟にその炎を握り潰す。心臓にまで届いた炎は、僅かに菟弓華と言う核を焼く。

 それは本当にほんの僅か。指先の火傷程度にしかならぬ傷だが、傷付けられた事は確かな事実。闇は信じられないと、大地に片膝を付いた女を見詰めた。

 

 

「どうしテ、其処まで」

 

 

 普通は諦める筈だ。無駄と分かって数十数百、続けられる精神性は異常であろう。だがそれでも、その思考は理解が出来た。

 闇もまた、そうした意志で生き延びたモノ。ならばこそ、それを異常と捉えない。女が疑問と零した理由は、それではなくて別の事。

 

 

「どうしテ、お前は、其処まで、夜の一族に手を貸すヨ」

 

 

 何故それ程に、夜の一族を守ろうとするのか。その理由が分からない。その在り様が理解できない。

 業火の如く燃え上がる意思。その素晴らしい輝きで、何故に悍ましい化外を守るのか。それを理解したくはないのだ。

 

 

「知れた事。友達だからよ」

 

 

 そんな闇の戸惑いに、アリサは笑って言葉を返す。遂に己を見た敵に、女が返す理由は唯一つ。

 友だから、大切だから、だから手を貸し共に立つのだ。火傷に爛れたその顔に、燃える様な喜悦を浮かべてアリサは笑った。

 

 

「違うネ。お前は騙されてるヨ」

 

「はっ、アンタに何が分かるのよ」

 

「私だからこソ、分かるノよ」

 

 

 アリサの主張は単純明快。友達だから守るのだと、そんな言葉を聞いてしまえば理解せずには居られない。

 女の在り様を理解して、成程然りと結論付ける。この女は分かってないのだ。騙されている哀れな者だ。そう結論付けて、受け止めた。

 

 故に啓蒙してやろう。膝を付いて荒い呼吸を続ける女に、闇は己の持論を語る。

 

 

「夜の一族は、寄生虫ヨ。何時だって、血を吸える獲物を探してル。人の心ナンて、塵か何かとしか思ってナイね」

 

 

 夜の一族と言う害虫に、友を想う情なんてありはしない。いいや、情があるのかも知れないが、人を対等などとは思っていない。

 

 仮に言葉を発する魚が居たとして、人と語り合える様な牛が居たとして、そんな対話が出来る存在を喰らう事など出来るだろうか。

 人は出来ない。尋常な人間と言うモノは、知性あるモノを傷付ける時に抵抗を覚える者。対等だと感じる存在を、一方的に喰い殺すなど出来はしない。

 

 それはある種の性善説。どうしようもない己ですら、そうだった。そんな忌々しい過去が、彼女の想いを強くする。

 人間は本質的には善性の生き物で、誰もが心の底では誰かを傷付ける事を望んでいない。人が他者を傷付けられるのは、彼我を対等だと思わぬからなのだ。

 

 対して、吸血鬼と言う生き物はどうだ。菟弓華は結論付ける。彼らはその生態からして、間違っているのだと。

 血を吸わねば生きられない。人を喰わねば生きられない。それでどうして、人を対等だと認識出来る。対等と思った者を、どうして傷付ける事が出来ると言う。

 

 人を人と認識せぬなら、彼らは正しく人でなし。己こそが上等なのだと夢想して、弱者を貪り喰らう怪物だ。

 人を人と認識しながら、それでも呵責もなく喰らえるならば、それもまた人ではない精神性。人に害なす悪魔の証だ。

 

 

「産まれタ時かラ、害虫なのヨ。お前が見てルのは、唯の擬態ネ。そうシタ方が生きやすいカラ、人に寄生する悪魔共。一匹タリとも、生かしてオイてハいけないネ」

 

 

 その心根の在り方がどうであれ、夜の一族と言う存在の在り方が間違っている。其処に個々の精神性など、一切関わる余地はない。

 生まれた時から間違っている。生きていてはいけない者達。それを友と捉える事、それこそが過ちなのだ。人と違う生き物が人との友情を感じているなど、あり得ないしあってはならない。

 

 

「だから、学ぶと良いヨ。こんな害虫を、友と呼ぶのハ、余りに愚かが過ぎルのダと――」

 

「うっさい。もう、黙れ」

 

 

 更に言葉を重ねて理解させようと、そんな闇の言葉を一言で叩き切る。

 聞くに堪えない。耳を貸して損をした。そうと言わんばかりに、立ち上がった女はその手に剣を握り締める。

 

 

「グチグチグチグチ。人の友達貶して、貶めて、……要はアンタ。泣くのが好きなんでしょ」

 

 

 話半分に聞いた言葉。彼女の主張を、アリサはそう理解する。故に、受け入れる筈がない。

 その話は下らない。耳を貸す価値がない。考慮の余地も一切なく、真っ向から否定し叩き切るべき物だ。

 

 

「アイツはこんなに悪い奴。私はこんなに可哀想。それだけしか言えないんなら、口を閉ざしてもう二度と喋るな。反吐が出る」

 

 

 怨敵への恨みと自己への憐憫。アリサには、それしか感じられなかった。だから、そう結論付けた。

 お前は泣くのが好きなのだろうと、そんな悲劇のヒロイン気取りに我らを巻き込むなと。断じた女は剣を手に取り、真っ向からに振り下ろす。

 

 

「……違うヨ。私は、泣くのが嫌いネ」

 

 

 その炎を受け止めて、闇は静かに言葉を零す。金糸の女はもう自分の言葉など聴こうともしないだろう。そう理解して、寂しげに自嘲した。

 それでも、その在り様は変わらない。泣いているだけの余生など、望んでなどいないから。闇は激痛を齎す剣を受け止めて、焼かれながらに掌中で握り潰した。

 

 

「もう二度と、泣かない為に動くのヨ」

 

 

 もう二度と、己が泣かない為に。もう二度と、誰かが泣かない為に。この世界を、綺麗にしないといけない。

 己が生き延びた理由はその為に。死ねなかった以上は、それが己の義務である。それが己の役割なのだと、闇は自身に言い聞かせる。

 

 

「もう二度と、泣かない為に、か……」

 

 

 そんな女の自己弁護。自身に言い聞かせる様な発言に、反応したのは盾の守護獣。

 苛烈さを増していく戦場で、戦えぬ人々を守りながらに疑問を零す。睨み付けながらに口にしたのは、泣きたくないと叫ぶ闇の行いだ。

 

 

「その為ならば――お前は、まだ首も座らぬ赤子すらも縊り殺すか」

 

「夜の一族だからネ。生きていちゃ、いけないヨ。アイツらは、寄生虫としテしか、生きてはイラレないのだから」

 

 

 後の誰かが泣かない為に、己の涙を止める為に、お前は赤子すらも殺すのか。そう問い掛けた獣に対し、返る答えは淀みない。

 心の底から、それが正義と信じている。その脳裏には忌避の感情は欠片もなく、そうするのが絶対的に正しいのだと妄信している。

 

 そうと分かる程に、即座に返った言葉の反応。それを耳にしたザフィーラは、唯悲しげに感じた想いを口にした。

 

 

「成程、お前は醜いな」

 

「…………」

 

 

 憎悪に染まって、憤怒に身を任せて、それだけとなり果てたその姿。

 人の世の為と口にして、生まれたばかりの子を殺す。それは抗弁できぬ程に、唯々只管に見苦しい。

 

 其処に如何なる理由があろうと、其処にどの様な正当性があろうと、赤子を縊り殺す姿は純粋に醜いのだ。

 

 

「人の振りを見て、我が振りを直せとはよく言うがな。一つ、学んだよ。……憎悪しかない生き物は、傍から見ていて、酷く見苦しいのだとな」

 

 

 胸を突く程の憎悪を叫ぶ。それでも八つ当たりをする様な形では、余りにそれは見苦しい。

 怒りを以って怨敵を誅殺せんとする。されどその後に何も残らぬ様な無様では、余りに酷く醜いのだ。

 

 泣いて喚いている姿では、端的に言って格好が付かない。悲しい悲しい悲しいと、それだけでは無様に過ぎる。

 格好が悪いのはいけない。無様に過ぎる様では甲斐がない。愛しい人が居たならば、彼らが目を背ける様な姿を見せてはいけないのだ。

 

 

「見っとも無いにも程がある。そんな姿、失った者には見せたくないな」

 

「……お前に、何が分かルよッ!?」

 

「分かるさ。俺とお前は、どうやらよく似ている様だからな」

 

 

 闇は男の言に激高し、魔力を嵐の如くに放つ。消えろ消えろ消え失せろと、闇がその顎門を剥き出す。

 時を停滞させて受け止める。受け止め切って押し返す。そうして盾の守護獣は、己の同類の目を見て告げた。

 

 

「よく似たお前を反面教師としよう。我が身を振り返る為の切っ掛けとなった。それだけは、感謝しておこう」

 

 

 己はお前の様にはならない。その無様さを心に刻んで、其処までは堕ちる物かと胸に誓う。

 彼は堕ちない。皆を守護する騎士であると、彼を信じた少女が居た。だからこそ、彼は闇になってはならない。

 

 怒りは消えない。憎悪は尽きない。それでも、それだけにはならない。

 己と同じく憎悪と憤怒に染まって、堕ちきった女の姿。その果てを見た事で、ザフィーラはそう誓ったのだ。

 

 故に、男は慈悲の心で最後に告げる。己の同類へと向けて、彼はその言葉を叩き付けるのだった。

 

 

「だから、そろそろ死んでおけ。愛した者すら忘れ去った残骸よ」

 

 

 戦場は変わった。形勢は逆転した。攻守は此処に入れ替わる。

 激痛の剣が少しずつ、闇の身体を削っていく。それを食い止めようとしても、停滞の盾が全てを防ぎ切る。

 

 そして、何より忌まわしいのは赤い月。削られていく闇の力が、更に吸血鬼に奪われていた。

 

 

「っ、私、はァァァッ!!」

 

 

 三人掛かりのこの戦場。遂に打つ手を失くしたのは闇だ。下手な攻撃は防がれて、己だけが傷付いていく。

 そんな逆境に、闇は叫びを上げる。死を嘆く様に、悲痛に涙する様に、唯々只管に己の感情を叫び上げていた。

 

 

「泣きたくナイよ。泣かない為ヨ。愛しテいるネ。まだ大好キダヨ。だから、綺麗にスルね」

 

 

 女の言葉を否定する。男の言葉を否定する。泣いている訳ではない。醜いだけではないのだと。

 それでも何処かで自覚する。醜くなってしまったと、涙が止まってくれないと、そう自覚するのは過去が未だに残っているから。

 

 

「何故生きた。何故残った。何故死ねなかった。その全て、意味がアッたヨ。ナければならナイ。だから、だカら、ダかラ――ッ!!」

 

 

 闇の芯は砕けている。女の核は崩れている。その想いの根底は、あの日に既に砕かれた。

 それでも生きた。生きてしまった。ならば其処には意味がある。なければならない。ならば示そう。

 

 その為には、彼らが邪魔だ。故に闇は己の矜持を破る。事此処に至って漸く、女はその拘りを捨て去った。

 

 

「……吸血鬼を庇うなら、お前達も同類ヨ」

 

 

 それは、人を傷付けないと言う拘り。彼女に残った、最後の矜持。それを、邪魔だからと捨ててしまう。

 反射しかしてなかった。波動をぶつけただけだった。それで足りないと言うならば、排除する意志を持って殺し尽す。

 

 そうとも、彼らは害悪だ。夜の一族と同じく、世界を穢す悪なのだから。

 

 

「滅びロ。世界ヲ穢ス害悪ドモォォォォォォッ!!」

 

 

 彼らを滅ぼす為に、闇と夜を此処に重ねる。全力で、全霊で、加減などありはしない。

 星を滅ぼす闇の極光。虹の光を核として、それでは足りぬからと更に引き出す。それが齎す被害など、女はもう考えない。

 

 

「もっと、深ク」

 

 

 菟弓華の体内に移植された神の子(トーマ)欠片(リンカーコア)。それを介して、更に深く神へと繋がる。

 溢れ出した神の力と同調し、集めた虹へと注ぎ込む。己の身体に亀裂が走るが、それすら知らぬと更に更に近付いていく。

 

 

「もット、強ク」

 

 

 集められた力は既にして、世界を確かに滅ぼす程だ。無限に広がる大宇宙。それさえ消し飛ばせる程に。

 その力を前に、闇に立ち向かう者らの表情が凍り付く。中天に座す闇がそんな物を放てば、この地は跡形すらも残りはしないと。

 

 それで良い。それで良いのだ。最早矜持を捨てた女は、何の為に力を振るうのかも忘れ去って、破壊の闇を齎した。

 

 

「滅ビィィィロォォォォォォォォォォッ!!」

 

 

 躊躇いなく振り下ろされた力。天から全てを滅ぼさんと、落ちて来る闇の極光。

 それを前にして、すずかが夜を、ザフィーラが停滞の力を、アリサが激痛の剣を、極光へ向かって打ち放つ。

 

 

「っ! 吸い、尽くすッ!!」

 

「此処を、抜かせるものかァァァッ!!」

 

「その調子よ、アンタ達ッ! 大・焼・炙ッ!!」

 

 

 夜が力を吸収し、停滞の力場が更に弱める。弱体した極光に、アリサが炎の剣を叩き付ける。

 何としてでも食い止める。此処で必ず押し切ってみせる。そう意志を強くしたのは、決して三人だけではない。

 

 

「Magna voluisse magnum!!」

 

 

 打ち破ると言う意志は、闇もまた強いのだ。ならば想いの多寡だけで、状況は変わらない。

 ほんの僅かに足りていない。三人分の力を束ねて、しかし落ちて来る極光の方が微かに上回っていた。

 

 宇宙開闢にも等しい極光。それを前に、三人掛かりで此処まで抑え込めた事こそ想いの力。

 だがその意志の多寡を含めて尚、闇の方が僅かに上だ。魂を何処まで輝かせようと、その出力差を覆せない。

 

 ジリジリと炎を喰らいながら、堕ちていく虹の輝き。その光景に、闇は亀裂の走った貌を歪める。

 落ちて来た闇の極光が齎すのは、間違いなく破滅の光景。一瞬先のそれを夢想して、誰もが此処に背筋を凍らせた。

 

 

「こんのぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

「さ、せるかぁぁぁぁぁッ!!」

 

 

 猛り、叫び、諦めない。だがしかし、あと僅かが押し返せない。ジリジリと、闇が落ちて来る。

 後本当に僅か。ほんの少しのその差異が、此処に全てを分けてしまう。そうはさせじと抗うが、しかしやはり届かない。

 

 もうダメなのか。だが諦めるものか。誰もがそう抱いた時に――

 もう勝利する。これで全てが浄化される。闇がそう笑みを浮かべた瞬間に――

 

 

「イミテーション・スターライトブレイカー!!」

 

 

 そのほんの僅かを揺らがせる。小さな光が瞬いた。

 覆すには遠く足りずとも、この拮抗を揺るがすには十分過ぎる輝きが閃いたのだ。

 

 

「今っ! 与えよ、さらば与えられん(Date et dabitur vobis)!!」

 

 

 僅かに拮抗した一瞬、すずかは剣を入れ替える。薔薇の夜から天使の光へ、切り替えた力を極光へと叩き付ける。

 そうして、頭上にて破裂する。束ねた力と極光が此処に相殺して、余剰の火力が小さな爆発となって闇の身体を焼いた。

 

 身を僅かに焼かれた闇は、しかし大した被害を受けていない。自壊の方が、遥かに重い状況だ。

 故に闇は受けた被害に頓着せずに、起きた事実に意識を向ける。この拮抗を覆した、小さな女を睨んで問うた。

 

 

「……どうしテ、オマえが」

 

「どうして、何故。そう問われたならば、こう答えましょう」

 

 

 青を基調とした民族衣装に、白き白銀の鎧を纏う。指揮棒の如き杖を握って、屍人を従えた少女。

 イクスヴェリアは問いを向けられ、その圧に気圧される。内面で震えながらも、羽織ったコートを心の頼りに啖呵を切った。

 

 

「私は今、生きている。そして、明日も生きて行く。その為に、過去に決着を付けに来た」

 

 

 本来は、純朴で善良だった少女だ。己の行いに心を痛めて、罪の感情を背負い続けていた彼女である。

 生きている価値がない。そう捉える自己に、それでも生きてと願った人が居た。だから胸を張って生きる為に、その罪と向き合いに来たのだ。

 

 己を縛っていたクアットロはもう居ない。ならば敵対するべきは、此処に残った最後の一人。彼女を従えていた組織の盟主だ。

 

 

「私、傀儡師イクスヴェリアは――本日限りで、無限蛇を脱退させて頂きます」

 

 

 死人の群れを従えて、少女は此処に一礼する。彼らが手にした号砲こそが、決別を告げる意志表明。

 偽りの星光。プロトタイプスチールイーターを構えたマリアージュの軍勢。従える冥王は、指揮棒の如き杖を盟主に向けた。

 

 

「……まァ、良いネ。今更、お前と、お前の傀儡ガ来た所で、物の数ニモならないヨ」

 

 

 その裏切りに、僅か驚愕した。彼女が己の前に立てている事実に、意外性を感じている。

 それでも所詮はそれだけだ。闇の前に立つ為に、裏技を幾つか重ねているのだろうが脅威には成り得ない。

 

 傀儡師では届かない。マリアージュなど意味がない。この今に、戦局を左右出来る様な存在ではない。

 故に取るに足りないと、菟弓華は結論付ける。そんな盟主の判断に、成程然りと冥王自身も賛同していた。

 

 

「えぇ、自覚はあります。裏技を重ねても、貴女の前に立つのがやっとな時点で、私では役に立たないでしょう」

 

 

 馴染んだマリアージュコアと、外部からの強化支援。それを受けても、イクスは此処に立つだけで限界だ。

 敵の敵は味方であると、六課の三人の支援が精々。単独で戦局を左右出来る様な、前線を支えられる様な者ではない。

 

 そんな事、イクスヴェリア自身が一番良く分かっている。ならばこそ、先ず最初に()()に接触したのだ。

 機動六課の三人。無限蛇の盟主。その四者の戦闘に、真っ向から立ち入る事が出来る第三者。その協力を、イクスは取り付けていたのである。

 

 

「なので、任せましたよ。――ヴィヴィオッ!」

 

「アクセス、()()()()ッ!!」

 

 

 言葉と共に、屍人と生者が作った夢へと繋がる。その夢を作り上げたのは、マリアージュだけではない。

 今も月村邸に居る者達。戦闘の最中に忍び込んだイクスヴェリアと接触して、彼女の言葉に絆された人間達。

 

 高町恭也が、ノエルとファリンが、さくらと真一郎が、皆が眠り夢を見ている。

 その夢によって支えられ、再び飛び上がった白き翼。全てを映し出す魔鏡は此処に、始めて己の意志で飛翔していた。

 

 

「なッ!? オマえもカァッ!?」

 

「ネツィヴ・メラーッ! 実行ッ!!」

 

 

 予想だにしていなかった裏切り。人形でしかなかった少女の反逆に、さしもの闇も驚きを隠せない。

 驚愕する女に向けて、白き天使が裁きを下す。降り注ぐのは浄化の光。あらゆる悪を駆逐する、塩の柱の力である。

 

 奈落に天使は生まれ得ない。人の憎悪と憤怒の中に、熾天使が生まれ出でる筈がない。

 されどアストは以前から、その身に天使を宿していた。其れは嘗ての残照が一つ。似て非なる器に宿った、前代以前の遺産の欠片。

 

 その欠片が真に輝く。その受け継いだ魂が、此処で本物へと変わる。故に天使の輝きは、繋いだ夢の大きさ以上に強烈だった。

 

 

「アストッ!! お前ェェェッ!?」

 

「ヴィヴィオ。アンタ」

 

 

 己の名を呼ぶ二人の女。盟主と母親。彼らが指し示すその二つの名に、白き幼子は一つを想う。

 

 与えられた役割と、映し出した虚構の己。抱き締めてくれた母親は、どちらでも良いと語ってくれた。

 どちらでも良いと言うならば、後はどちらを望むかと言う事。光を掲げる小さな天使は、此処に己の想いを口にする。

 

 

「私は、ヴィヴィオ(こっち)が良い」

 

 

 闇を光で駆逐しながら、小さな少女が望む答え。どちらでも良いと言うならば、己が望むのはヴィヴィオである事。

 幼い心が初めて願う。自分の意志で初めて決める。役割を果たす為の純白の鏡よりも、母に甘えるだけの子供で居たい。それが彼女の心であった。

 

 

「どっちでも良いなら、アストよりヴィヴィオが良いッ!!」

 

 

 だから、盟主に向かって反旗を翻す。彼女が居たら帰る場所が消えてしまうから、自分の意志で立ち向かう。

 誰かに先導された訳ではない。イクスに持ち掛けられた時、確かに自分で選んだのだ。故に少女はヴィヴィオとして、此処に翼を羽搏かせる。

 

 そんな娘の言葉に、アリサは僅か笑みを浮かべる。巻き込まれたのではなく、踏み込んだのならば否はない。

 この今に羽搏く天使は、確かに力強い増援だ。もう負ける心算など欠片もない。愛する娘と肩を並べて、女は更に更にと気炎を燃やした。

 

 

「終わりだな。無限蛇の盟主。憎悪と共に散れ」

 

「このまま、重ねて詰みに持っていくわ。アンタには、何もさせやしないッ!」

 

「数の暴力ですが、詫びる心算はありません。今を、明日を、生きる為に――」

 

「ヴィヴィオは、ママが良いッ! お前は、邪魔だァァァッ!!」

 

 

 再び照らし出す赤い月の下、誰も彼もが咆哮する。必ず勝つのだ。勝利するのだと意志を示す。

 闇を止める停滞。闇を焼き尽す赤い炎。無数の死者と生者が夢を紡いで、白き天使が闇を切り裂く。

 

 誰も彼もが敵である。周囲全てを囲まれて、最早反逆の術などないか――否。

 

 

「終わらない、よ。私の憎悪は、軽くナイ」

 

 

 終わらない。終わらせない。絶対に。この圧倒的劣勢で、されど強く強く想いを抱く。

 軽くはないのだ。この痛み。この憎悪。この憤怒。これは決して軽くはない。ならば敗北など認めない。

 

 

「詰みナンて、認めナイ。何も出来ないナンて、許せナイ」

 

 

 矜持は捨てた。より良き未来を、その為にと言う題目を捨てた。それで得た力、それでも未だ足りていない。

 魔鏡一人、冥王一人。その程度の力が足りず、されどその程度ならば埋められる。また別の物を捨てれば良いのだ。

 

 

「明日なんて、もう要らなイ。未来なんて、モウ要らナい。吸血鬼を、お前達を、根絶やシに出来るナラ――もうこれで終わっても良イからッ!」

 

 

 壊れていく。罅割れていき、亀裂が走り、激痛に身体が崩れていく。だがそれでも、それでもと力を望む。

 この戦いが終わった後に、死んでしまっても構いはしない。夜明けを待たずして、自壊するのだとしても構わない。

 

 唯一つ、吸血鬼を殺せるならば。彼女達を滅ぼせるのならば、もうこの命など惜しくはないのだ。

 

 

「力ヲォォォッ!! コノ全てを、滅ボす力をォォォォォォッ!!」

 

 

 壊れていく。壊れていく。壊れていく。激痛と共に自壊は進んで、その分だけ強くなっていく。

 命と引き換えに、神の如き力を。覇道神としての極みにある戦神。その力の断片を、此処に形と変えていく。

 

 この女がこの今に、発する力は言語を絶する程に。超新星の爆発すらも、今の女に比すれば小さく映る。

 大地が悲鳴を上げる。空が苦痛に呻いている。世界が絶叫を上げている。壊れゆく闇は一人、その全てを顧みない。

 

 

「Initium sapientiae cognitio sui ipsius」

 

 

 天魔・夜刀は時の神。ならばこそ、最大限に同調している今に放つべきはこの力。

 全てを加速させていく。万物を滅ぼす程に長く、長く、悠久の時を此処に回す。己が壊れて潰える前に、全てを滅ぼさんと言うのである。

 

 

「Nihil difficile amanti」

 

 

 加速する。加速する。時間の速度が早回しに加速する。膨大な時の総量は、魂さえも滅びる程。

 世界全てを加速させる。その神威と言うべき力の顕現に、先ず耐えられなくなったのは最も弱い少女であった。

 

 

「あぁ、エリ、オ。……御免、なさい」

 

 

 魔鏡の力と夢界の補助。それを受けても、闇に向き合うのがやっとであった。そんなイクスは耐えられない。

 杖を支えに、膝を付く。必死に起き上がろうとするが、それさえ出来ずに沈んでいく。そうして冥府の炎王は、その意識を失った。

 

 冥王が落ちれば、次は魔鏡だ。彼女を支える夢が消え去り、白き天使は力を失う。

 翼を捥がれて落下する。その身に襲い掛かる悠久の時。全てを加速させて滅ぼす力に、当然ヴィヴィオは耐えられず――

 

 

「っ!? アリサママッ!!」

 

「……言ったでしょ。今度は必ず、一緒に居て上げるってさ」

 

 

 少女を守る為に、女は我が身を盾とする。身を挺して庇った女は、しかしそれに耐えられない。

 元より攻勢に特化した身だ。既に満身創痍であったのだ。ならば背に受けた一撃に、耐え切れずに落ちるは道理であった。

 

 娘を抱き締めて、母に抱き締められて、母娘は此処に大地に沈む。彼女達はもう、この戦場では戦えない。

 

 

「ぐ、ォォォォォォッ!?」

 

 

 残るは二人。防御能力と再生能力。頼みとする物は違えど、共に生存に特化した存在。

 彼らの明暗を分けたのは、その性質が故だった。男の足が先に沈んだのは唯単純に、男の方が背負う荷が多かったからである。

 

 守るべき人々。倒れた仲間達。彼らを庇いながらに立ち向かう守護獣は、その分だけ多くの被害を受けていた。

 如何に時の加速を留める力を持っていようと、抱える荷がこれ程に重くなれば潰される。他の三者が落ちた時点で、彼は既に身動きすらも出来なくなっていた。

 

 

「アトハオマエダケダヨッ! キュウケツキィィィィッ!!」

 

「あ、ぐぅ」

 

 

 三人が沈んだ。残る一人は、動く事すら儘ならない。故に後は唯一人。残ったのは怨敵だ。

 全身に罅割れを起こしながら、手足の先から砕けながら、それでも闇は力を操る。この女を滅ぼし切る為だけに。

 

 

「まだ、だ」

 

 

 加速する時の中、壊れながらも必死に縋る。億年を超える時であろうと、まだ滅びる訳にはいかない。

 古い者には負けないのだと、叫んだ吸血鬼を知っている。あの白貌が耐えた時より重くとも、彼よりも恵まれている自分が此処で膝を折る事はない。

 

 修羅の宇宙。槍を継承した彼女と繋がり、その格は当時の彼と同様に高まっている。

 そして今の己が受け継いだのは、白貌の力だけではない。彼が愛した最愛の天使も引き継いだ。ならばどうして、此処で生き残れない道理があるか。

 

 

「まだ、こんな、くらいで」

 

 

 ましてや、今の己は答えを見付けた。魔群の知識を得て、この闇に対して示すべき在り方を見出している。

 それを為すのに、まだ足りない。この状況では意味がない。だがそれを示さずに、終わる事など認められない。

 

 だから、歯を食い縛る。千億の時すら耐えてみせる。必死に、必死に、必死に残り続けて見せるのだ。

 

 

「私には、まだ、やるべき、ことが――」

 

「オノレオノレオノレオノレェッ! キュウケツキィィィィィィィッ!!」

 

 

 時を回す。時を加速させる。悠久の夜を動かし続ける。その度に亀裂が走り、自壊していく。

 これは最早チキンレースだ。闇が壊れるのが先か、吸血鬼が沈むのが先か。それを競い合う戦いだ。

 

 どちらも退かない。どちらも諦めない。滅ぼすのだ。生き延びるのだ。その意志をぶつけ合う。

 それでも、優劣は明白だった。余りにも分かりやすい程に、どちらが不利かは明確だった。故に――

 

 

「滅びろッッッ!!」

 

 

 血を吐く様な闇の言葉と共に、遂に女も膝を付く。此処に、勝敗は決するのであった。

 

 

 

 

 

 闇と呼ばれた、女の敗北と言う形で。

 

 

「あ、え」

 

 

 気が付けば、胸を貫いている光。飛来した事すら気付けなかった力が、菟弓華を射抜いている。

 その輝きは黄金。修羅の宇宙を受け継いだ世界の破壊者が、その身に宿した聖なる槍の力であった。

 

 

「何で、これ、何、が――」

 

 

 分からない。訳が分からないし、意味が分からない。己が圧していたのではなかったのか。

 そんな弓華の思考は、既にして過ちだ。最初からその最後まで、常に劣勢にあったのは彼女なのだ。

 

 何しろ、闇の全てを一撃で消し飛ばせる。そんな女が見詰めていたのだ。

 高町なのはと言う上位者が、眷属を介して監視していた。ならばこそ、彼女は何時でも弓華を終わらせる事が出来た。

 

 圧倒的な劣勢にあったのは、闇と呼ばれた女であったのだ。

 

 

――ロンギヌスランス・ブレイカー。

 

 

 出来れば彼女達の手で、だがもう持たないと判断した。故に高町なのはは、ミッドチルダから力を行使した。

 遠く離れた魔法の世界から、黄金の力を顕現させて投げ放った。唯それだけの小さな行為で、闇の全てが覆された。

 

 黄金の一撃は、嘗ての獣の全力攻撃に等しい。故にこそ、例え神域の怪物だろうと耐えられない。

 影を全て奪われて、夜の全てを壊されて、闇と呼ばれた女は大地に沈んだ。菟弓華と呼ばれた復讐者は、こうして敗れ去ったのだった。

 

 

 

 

 

3.

 既に戦いは決した。闇はその全てを奪われて、大地に崩れ落ちた。血染の花は生き延びて、闇は勝利を得られなかった。

 そう。既に戦いは決した。ならばこそ、これは唯の蛇足。意味がなく、愚かしく、それでも無価値ではない。そんな余計な後書きだ。

 

 

「まだ、ヨ」

 

 

 胸を槍に突き刺され、大地に倒れた女の残骸。ざんばらに散った髪に隠れる、瞳に意志の強さが宿る。

 既に力は残っていない。神との接続は砕かれた。体内のリンカーコアは最早なく、引き出せるものなど何もない。

 

 残っているのは、僅かな魔力。そしてこのままでは死ねないと、そんな女の意識だけ。

 

 

「私、ハ、まだ、死ねナイね」

 

 

 それでも、必死に指を動かす。影で作った義肢が消え去る前に、己の意志で必死に留める。

 残った力を掻き集めて、己の意志を強くして、唯死ねないと立ち上がる。このままでは、終われなかった。

 

 此処で終わると言うならば、あの時死んでしまえば良かった。此処まで生きてしまったのだから、何もせずには終われない。

 壊れた女は立ち上がる。狂った女は立ち上がる。嘗てを生きた残骸は、此処に立ち上がって前へと進む。その前に、彼女は一人立ち塞がった。

 

 

(お願い。なのはちゃん。……後は、私にやらせて)

 

 

 祈る様に、願う様に、心の内で一つ呟く。そんなすずかの想いに応える様に、遠くミッドチルダから放たれようとしていた次弾が止まった。

 その配慮に感謝を。想いを汲み取ってくれた事に感謝を。そして月村すずかは向かい合う。己が決着を付けなくてはいけない。そんな女を真っ直ぐ見詰めた。

 

 

 

 月村すずかは答えを見付けた。善き場所へ行きたい。愛し愛する事の幸福を、望み願った事こそ彼女の理由。

 その為に生きたいと、それは始原の渇望だ。幸福になりたいと願う。それはとても純粋な、自己の成功を願う事。

 

 その願いの根幹にあるのは、自己への承認。己を愛すると言う感情が、そもそも必要な物なのだ。

 自覚のあるなしに関わらず、自分を愛せなければ、幸福になる事などは求めない。嫌悪した対象が救われる事など、どうして心の底から望めよう。

 

 善き場所へ行きたいと、そう願った時点で彼女は自己を肯定した。自分自身で承認して、己の目を逸らさないと決めたのだ。

 その上で、彼女は一つを決めた。それは幸福な場所へ行く為に、必要不可欠となる要素。自分を愛し続ける為に、必要となる要因。

 

 故に向き合う。故に道を阻む。立ち上がった女の前に立ち塞がって、月村すずかはその頬を歪に歪めて嗤うのだった。

 

 

「……何だ。まだ生きてたんだ? 薄汚い下等種が、まるでゴキブリみたいだね」

 

「な、に」

 

 

 赤い月の下、瑞々しい唇が緩やかな孤を描く。立ち上がった女にも分かる程、らしくない嘲笑が浮かんでいる。

 思わず呆然と、問いを投げ返す菟弓華。そんな無様を更に嗤って、月村すずかは悪辣なる言葉を零す。ニヤリニヤリと笑みを作っている。

 

 それは演技。それは虚構。己を愛し続ける為に、この女と向き合う為に、この今に必要となる悪辣な仮面だ。

 

 

「聞こえなかったの? 本当に、存在が下等なら身体も劣等なんだね。それで良く、男を誘えた物だよ。私だったら、そんな胎を使おうとは思えないな。全く、その辺分からない当たり、氷村叔父さんも劣等だよね」

 

 

 さあ、演じろ。演じろ。演じきれ。見本となるべきは己の中に、腐った下種の皮を被って嗤え。

 赤い瞳に喜悦を浮かべて、歪んだ愉悦に嗤ってみせる。己の胸中さえ偽って、月村すずかは外道を演じていた。

 

 

「あぁ、それも当然か。塵に二度も負けるんだもの。夜の王に相応しくない。所詮は塵屑でしかなかったって事だよねぇ」

 

「……何デ、お前」

 

「本当、愚劣。事此処に至っても理解出来ないんならぁ、そんな頭捨てたらぁ? 大体さぁ、何で生きてんのよ気持ち悪い」

 

 

 この女は救われない。それは敵が居ないから。恨みをぶつけるに足りる、悪党が存在してないから。

 その憎悪を吐き出す相手が、その憤怒をぶつける相手が、居ないからこそ救いがない。ならば逆説、憎悪を向けるべき悪党が居れば良い。

 

 

「貴女が言った通りだよ。全く人が演技してるのに、そんなのにすら気付けないなんて。下等種はこれだから、下らないったらありゃしない」

 

 

 アリサもザフィーラも、その発言は的外れだった。菟弓華と言う女は、泣きたい訳でも憎悪に身を任せていた訳でもない。

 泣いていたくなかったのだ。憎悪しかない状況が、どうしようもなく我慢がならなかっただけだ。この今に、納得出来なかっただけなのだ。

 

 そうとも、何故生きたのだ。自死が出来なかったからこそ、女は己が生きた理由を求めた。

 その理由を探し出して、納得して終わりたかった。それこそが女の救いであって、故に救われぬと魔群は嗤った。そんな理由、何処にも存在しないから。

 

 

「貴女の事を言ってるんだよ? ねぇ、分かる。分かりますかぁ?」

 

「何ヲ、お前ハ、一体――」

 

「貴女自身が、何度も言っていたじゃない。なのに、その程度も分からないなんて」

 

 

 故にこそ、敵を。許せない敵を。悍ましい敵を。憎むべき怨敵を。

 この敵と戦う為に生きたのだ。この敵を倒す為に生きたのだ。そう思える程の凶悪なる存在を。

 

 恨まれる血族の中で最強の彼女だからこそ、女が月村すずかを深く知らないからこそ、怨敵には成れるのだ。

 

 

「良いわ。その惨めさ。その愚かしさ。愚劣さが哀れに過ぎるから、教えて上げる」

 

 

 嘲笑を浮かべる。傲慢な笑みを浮かべる。支配者に相応しい、そんな態度を此処に示す。

 取り込んだ魔群を被って、その外道を演じ切る。決して相手に暴かれぬ様に、何処までも悪辣に女は嗤った。

 

 

「私は、月村すずかは――夜の王」

 

 

 そう。我こそ闇を統べる者。蠢く悪意の頂点に立つ、吸血鬼が王である。

 己を騙り、その名を騙り、そしてその威を此処に示す。赤い月が、強く強く輝いた。

 

 

「闇夜を統べる吸血鬼を前にして、頭が高いよ。下等種族」

 

 

 簒奪する力を前に、漸くに立ち上がった女が再び崩れ落ちる。

 大地に沈んだ菟弓華を、月村すずかは冷たく見下す。下らないと、冷笑を顔に張り付けていた。

 

 

「お前ガ、オ前が、お前ガ、オマエが」

 

 

 その演技に騙される。疲弊故に思考が鈍り、女の実態を知らないからこそ騙される。

 崩れ落ちた菟弓華は、騙され切ったその果てに、遂に倒すべき怨敵の姿を見付け出したのだった。

 

 

「お前ガお前ガお前ガお前ガお前ガお前ガァァァァァァァッ!!」

 

「煩い。黙れ」

 

「がっ――」

 

 

 叫ぶ女の頭を足で踏み躙り、冷たく温度の通わぬ瞳で見下し嗤う。

 大地に押し付けられた弓華は、口や目に泥が入るのも構わずに怒りの声を上げた。

 

 

「足の裏で這い蹲ってろ。それが似合いだ。下等種族」

 

「月村、すずかぁぁぁぁぁッ!!」

 

 

 そして、その怒りを原動力に立ち上がる。憎悪を燃やして、両手で必死に立ち上がる。

 踏み躙る吸血鬼を吹き飛ばす様に、勢いよく立ち上がる。飛ばされた女は蹈鞴を踏んで、距離を取ると冷たく演じ続けるのであった。

 

 

「ふぅん。逆らうんだぁ。ほんっと、目障り」

 

 

 まるで屠殺される豚を見る様な瞳で、見下しながらに嗤って騙る。

 その冷たい目を見詰めるだけで、その怨敵を見上げる度に、全身に力が満ちていく。

 

 

「貴女達は騙されて、搾取されてれば良いんだよ。そのくらい、言われなくても分かってよ」

 

「お前の様な奴が、お前ノ様な奴がイルからァァァァァァァッ!!」

 

 

 故に女は飛び上がり、拳を握って飛び掛かる。何としてでも、お前だけは殺してみせると。

 既に全ての力を失くして、それでも弓華は咆哮する。使える力が何もないなら、その五体こそを武器とするのだ。

 

 

「……仕方ないね。教育の時間だ。調教してあげる」

 

 

 原始的な獣の如く、叫びながらに襲い掛かる女の姿。それを見下しながらに嗤って、月村すずかも拳を握る。

 これより始まるのは、高尚な決闘などではない。己の意志を叫びながらに、殴り合うだけの見っとも無い闘争だ。

 

 

 

 殴り合う。唯純粋に拳を握って、相手の顔を狙って振り抜き殴る。殴り飛ばした腕に、感慨を得る前に返って来るのは拳の返礼。

 掴み合う様な距離感で、相手の顔を狙って殴り合う。それは女の戦い方とは程遠く、ましてや優雅さなんて欠片もない。余りに原始的過ぎる、そんな無骨な男の在り方。

 

 それでも、それこそが相応しい。相手の拳に籠った怒りを、その憎悪を、全て受け入れる様に躱さず受ける。

 夜を使えば容易いだろうに、それでも相手と目線を合わせて。気付かれない様に浮かべるのは、余裕に満ちた軽薄な笑み。

 

 

「どうして、どうしてヨ」

 

 

 痛い。痛い。痛い。痛い。与えられる感情は、余りに痛いと思える程に重い物。

 それでも躱そうとは思えない。それでは意味がないと知っているから、それは軽いと嗤ってみせる。

 

 そうとも、そうでなくてはいけない。そうでなくては、月村すずかは己を愛せない。

 

 

「どうしテ、皆が死んだネ」

 

 

 悪事を為した人なんて居なかった。逝ってしまった彼らより、己の方が遥かに罪に塗れていた。

 叫ぶ様な痛みに、心を震わせる。向けられる憎悪の質量に、身体が震える。だがその全てを隠し切り、月村すずかは嗤ってみせる。

 

 この憎悪は、己が背に負うべき物だ。心に刻んで、背負って進む物なのだから。当然と、笑って受けてみせるのだ。

 

 

「お前の様ナノがイるのに、どうして皆がイないのヨ!?」

 

「……ほんっと、低脳。そんなの決まっているじゃない」

 

 

 殴り合う。感情のままに、原始的に殴り合う。片や悲痛の涙を流して、片や嘲笑を顔に浮かべて。

 殴り合いながらに悪女は騙る。相手の琴線。抱えた想い。その全てに泥と糞尿を塗りたくり、嘲笑と共に罵倒する。

 

 

「弱いから、雑魚だったからだよ。寧ろ死んで良かったんじゃない?」

 

 

 殴る。殴る。殴る。殴る。拳を振るう腕に重みを、撃ち抜いた甲に痛みを、感じながらに殴り続ける。

 血反吐が飛んで、歯が飛んで、それでも歪んでいくのは片方だけ。吸血鬼の身体に付いた傷痕は、瞬きの後に消え失せるのだ。

 

 

「だって、貴女みたいに、見苦しく見っとも無く、無様な姿は晒さなかったんだからさぁ」

 

「あ、ァァァァァァァッ!!」

 

 

 女の叫びに心を搔き乱されて、それでも余裕を浮かべて嗤う。

 笑いながらに殴り飛ばす。必死に立ち上がった女の身体を、何度も何度も打ち付ける。

 

 その想いの底までも、全てを解き放たせる為にこそ。己こそを、決して許せぬ怨敵へと据える為に。

 

 

「ウフフ、アハハ、アハハハハァ」

 

 

 余裕を見せろ。実情を隠せ。既に限界な心など、仮面を被って隠し通せ。

 悪辣なる者と在れ。倒すべき敵と在れ。虎の威を借る下劣畜生。その低劣さを見せ付けろ。

 

 

「ねぇ、今どんな気持ち? 折角強くなれたのにぃ、それ無くなったら踏み躙られてぇ、ねぇ今どんな気持ちぃ?」

 

「月村、すぅずぅかぁぁぁぁぁッ!!」

 

 

 何度倒されようと、怒りを胸に女は立ち上がる。幾度踏み躙られようと、下劣畜生へと立ち向かう。

 負けない。負けない。負けるものか。最早その意地だけで、己の限界を大きく超える。最早死は確定で、だからこそ負けられない。

 

 

「負けないヨ。お前にハ、お前みたいな奴ニは、絶対にィィィィッ!!」

 

「ぐっ、がっ――」

 

「滅べヨ。吸血鬼ィィィィィィィッ!!」

 

 

 殴る。殴る。殴り飛ばす。再生すると言うならば、それより前に拳を振るう。

 身体の自壊など気にしない。自己の崩壊など関係ない。この目の前に立つ化け物を、滅ぼす事に執心する。

 

 滅べ、滅べ、滅び去れ。拳を握って振り抜き殴る。その拍子に右の腕が砕けるが、菟弓華は気にしない。

 まだ左の腕がある。まだ二つの足がある。例え首だけとなったとしても、噛み付きその命に届かせてみせるとしよう。

 

 

「……ちっ、面倒ね。あぁ、本当に面倒臭い」

 

 

 女の意地を前にして、遂に零れたそんな言葉。それは紛れもなく、月村すずかの本音であった。

 

 

「手間を掛けさせて、無駄な事ばっかり。こんなの、リスクとリターンが見合っていないわ」

 

 

 本当に、得る物と失う物が釣り合っていない。これを生み出した男が生きていたならば、悪辣なまでに罵倒していただろう。

 僅かな血を吸う為だけに、人を幾人も終わらせた。その果てにこんな闇を生み出して、それでは支出が多過ぎる。手間が掛かり過ぎるのだ。

 

 

「学ばせて貰ったわ。貴女みたいなのが生まれるなら、人間を飼うのは考え物だってねぇ」

 

「学ぶついデに、死んでしまえヨ! 月村すずかッ!!」

 

 

 何処までも傲慢に、傲岸不遜を気取って嗤う。そんな吸血鬼に向かって、血を吐くような恨みをぶつける。

 死んでしまえ。死んでしまえ。お前など死んでしまえ。純粋なまでの憎悪を前に、嗤って返す。笑みこそ演技に過ぎないが、語る言葉は何処までも真実だった。

 

 

「……冗談。どうして私が、貴女の為に其処までしないといけないの?」

 

 

 恨みをぶつける対象には成れる。その憎悪を受け止めてやる事は出来る。だが、死ぬ事だけは許容できない。

 何故、其処までしないといけないのだ。故にそれは許容せず、月村すずかが示した答えはそれとは異なる形である。

 

 

「覚えておいて上げるわ。認めておいて上げる。菟弓華」

 

 

 何故生きた。そう語る女に理由を。何故死ななかった。そう嘆く女に救いを。

 貴女は唯、徒に生きたのではなかったのだと。ただ徒に、生を苦しんだのではなかったと。

 

 

「貴女みたいなのが生まれない様に、今度は上手くやってあげる。蜜の様に甘く、魂すらも蕩かす様に――溺れさせてから吸うとしましょう」

 

 

 何処までも傲慢に、何処までも上から目線で、悍ましい怪物に相応しく嗤いながら。

 己の生を受け入れた女が、辿り着いた答えがそれだ。この被害者を前に、導き出した答えがそれだ。

 

 その死までも喰らってやろう。望み続けた怨敵に敗れて、後の世の為に散るが良い。

 

 

「無価値ではなかったわ。私に、そう思わせる事が出来たんだから。――だから、それを救いに死になさい」

 

「そんな、上から目線デ、恵まレタ価値なんかデェェェッ!!」

 

 

 反発する様に、叫ぶ女の拳を受ける。受け切ってから、右の拳を握り締めて殴り飛ばした。

 殴り飛ばされて、それでも女は止まらない。走った亀裂に壊れながらに、それでも左の拳を振り抜いた。

 

 殴る。殴る。殴る。殴る。月夜の下で殴り続ける。己の想いを拳に込めて、只管に相手を否定する。

 それでも、殴られる度に分かってしまう。その拳に籠った色は、隠し切れる物ではなかったから、菟弓華は気付いてしまった。

 

 

「どうして、生きたヨ」

 

「知れた事、私の為によ」

 

 

 気付いて、だから素直に。そんな風に成れる程、この女は真面では居られなかった。

 矜持も明日も捨て去って、そうして得たのがそれでは納得できない。だからこそ、拳を握って振り抜いた。

 

 

「ドウシテ、残ったネ」

 

「知れた事、後の世の為によ」

 

 

 気付かれて、だからと言って言葉を翻しはしない。女はもう決めたのだ。

 自分の血筋を肯定した。幸せになる事を求めた。善き場所に行きたいと、だからその為に向き合っている。

 

 唯、自分だけが笑っている。そんな世界は、決して善き場所などではない。

 彼女が願った理想の為に、だからこそ月村すずかは決めたのだ。この闇は、もう二度と生み出させはしないのだと。

 

 

「私は、月村すずかは、夜の王。闇夜を統べて、君臨する者」

 

 

 誓いを此処に、我こそ夜の王となる。全ての闇と、全ての悪を、治めて君臨してみせよう。

 もう二度と、悲劇を生まない為に。もう二度と、闇を生み出さない為に。それこそが、月村すずかの至った答え。

 

 

「私が辿り着くべき幸福な世界の為に、肥しとなって果てなさいッ! 菟弓華ァァァァァァァッ!!」

 

 

 振り抜いた拳が、女の顔を穿つ。血反吐と共に吹き飛んで、そうして女は崩れて落ちた。

 

 

 

 残った腕が崩れていく。両の足が砕けていく。もう立ち上がる事など出来ない。

 自壊は既に取返しが付かない程に、全身が崩れ落ちる。故にもう動けない弓華は、此処に最期の言葉を吐いた。

 

 

「……誓え、夜の王」

 

 

 それは、呪詛。殴り合った事ですずかの真実を知ったからこそ、初めて意味を持つ呪詛の言葉。

 

 

「もう二度と、闇を生み出すナ」

 

 

 負けを認めて、敗北を認めて、そうして最期に呪詛を残す。

 砕けて散り行く女は此処に、憎悪に歪んだ瞳で射抜いて語った。

 

 

「その時ハ、今度コソ、殺してやるネ」

 

「ふん。言われるまでもない。……誓ってあげるわ。菟弓華」

 

 

 気付かれていた。その事実に気付いて、されど何かが変わる訳ではない。

 嘘偽りが暴かれようと、結果は何も変わらない。月村すずかは、最早立ち上がれない女に背を向けた。

 

 

 

 砕けていく。崩れていく。崩壊していく中、女は一人息を吐く。

 余りに苦しく、余りに痛みに満ちた生。そんな果てに、小さく笑った。

 

 

「……あぁ、勝てなかったヨ。御免ネ、火影」

 

 

 漸くに終われる。漸くに貴方の下へ。愛しい男の名を呟いて、女は砂へと変わって行く。

 崩れて、砕けて、風に吹かれて。何もかもが消えていく。それでも、その最期には小さな笑みを浮かべたまま。

 

 

「だけど、ああ、だけど…………やり遂げたヨ」

 

 

 敗北した。されど、己を刻み込んだ。あの呪詛を忘れぬ限り、闇はもう生まれない。

 ならば、きっと意味があったのだろう。それはちっぽけな戦果であったが、それでも慰めとなったのだ。

 

 だからこそ、憑き物が落ちた様に笑ったまま、夜を憎んだ闇は消えて行くのであった。

 

 

「……本当、面倒臭い。手間ばっかり掛かって、割に合わないんだよ」

 

 

 そうして、長かった一日が終わる。その最期を刻み付けて、月村すずかは前を見る。

 本当に面倒だった女。もう二度と、会いたくはない被害者。だからこそ、二度と会わない為に動こう。

 

 

「私は、夜の王。闇夜を統べる、暗き女王」

 

 

 散って行った砂を振り返る事もなく、己が己に任じた役を口にする。

 怪物を統べる怪物。何よりも嫌い恐れていたそれへと、成り果てる事はもう怖くはない。

 

 そう在ると望み、そう生きると決めた。他でもない、自分の意志でそう定めたのだから。

 

 

「そう在る事を望んで、そう生きる。そう決めたから――さようなら、復讐者」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




○今作における無限蛇の戦力
盟主:菟弓華(Diesルートヴィヒから継戦能力を奪って、代わりに流出させてみたゲテモノ)
参謀:ジェイル・スカリエッティ(総合性能的には、一度目の過渡期を滅ぼした時のサタナエルくらい)
魔刃:エリオ・モンディアル(ナハトが憑いてるライルに、創造獣殿要素をInしたヤンホモ)
魔群:クアットロ=ベルゼバブ(ジューダスじゃなくて神野明影)
魔鏡:ヴィヴィオ=アスタロス(まんまアスト。愛を知らないアスト)
傀儡師:イクスヴェリア(原作イクスをちょっと強化したくらい。無個性)
人形兵団:ルネッサ・マグナス(無限蛇の雑煮。レストインピースを添えて)


纏まりのなさに目を瞑れば凶悪な布陣。コイツ等を纏められるスカさんが本気で計画の中心に据えてたらヤバかった連中。

欠点は、劣勢なのに滅びろ(死亡フラグ)とか言っちゃう盟主様のアズラーン要素と、雑煮なルネさん以外に原作無限蛇要素がなかった事だと思う。




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穢土決戦編
第一話 決戦前夜 其之壱


衝撃のファースト・ブリットッ!


1.

 第二十三管理世界ルヴェラ。豊かな自然と旧暦時代の家屋が立ち並ぶ、穏やかな静寂に満ちた世界。

 その静寂を切り裂く様に、空に蒼き光が灯る。現れたのは巨大な鉄塊。壊れた船体から煙を噴き上げ、ゆっくりと落ちていくはロクス・ソルス。

 

 島よりも大きな船が空から墜ちる。墜落した船は大海へと、大波を起こしながらにぶつかる船体は衝撃に大きく揺れた。

 大きく揺れて、船底に穴が開く。されど即座に隔壁が降りて、水が内側へと流れ込む事はない。この船は未だ、確かに此処で生きていた。

 

 

「っ、ここ、は――」

 

 

 衝撃に揺らされて、中身が引っ繰り返った医務室。白いベッドから床へと転がり、痛みに意識が薄れそうになる。

 それでも、もう消えてはいかない。この身は、この瞳に映る彼女は、消滅を免れたのだ。それをリリィは確かに理解した。

 

 白百合は見詰める。己の掌中に握られている、星の蒼さを既に失ってしまった宝石を。

 ジュエルシードは所有者の願いを形に変える結晶だ。それが純粋であればこそ、雑念が一切無ければ、この宝石は奇跡を形としてくれる。

 

 帰りたい。その想いに嘘はない。また逢いたい。そう願う想いに雑念などありはしない。

 只管に、純粋に、唯それだけを願えたのだ。故にこそ、この石は少女の意志に応えた。ロクス・ソルスと言う巨大な船を、始まりの場所へと転移させたのである。

 

 リリィ・シュトロゼックにとって、全てが始まった場所。トーマと出会ったこの世界、ルヴェラと言う大地へと。

 

 

「通信、機を。皆に、知らせ、ないと」

 

 

 途切れそうになる意識を必死に保って、リリィは如何にか立ち上がる。彼女には、為さねばならない事がある。

 それは通信機にて、トーマの誘拐を知らせる事。管理局の仲間達に、この危機を知らせる事。後どれ程に時間があるか、それすらもう分かっていない。

 

 ジュエルシードの空間転移は、一瞬の内に起きた出来事ではなかった。ロストロギアの力を以ってしても、“外”からの帰還には時を必要とした。

 既にあの日より三ヶ月に近く、時が流れてしまっている。一分一秒、僅かな時すら重要となるこの今に、この浪費は致命的。何時世界が凍り付いても、おかしくはない状況だ。

 

 その事実を知らずとも、急がねばならないと分かっていた。胸の中にあるトーマとの繋がり。それが薄れていく感覚が、リリィの心を搔き乱す。

 未だ生きている。未だ其処に居てくれる。だが一体何時まで、彼はこの世界に存在している。分からないからこそ、急がねば。その一念で立ち上がる。

 

 

「あ」

 

 

 それでも、意志の力だけでは此処が限界。リリィは立ち上がった直後に、自分の自重を支えられずに崩れ落ちる。

 

 存在が安定していない。自己の形成が中途半端だ。リリィは上手く歩けぬ身体に、苛立ちながらに歯噛みする。

 神体の“外”に出た事で、彼女は消滅し掛けていた。その上でジュエルシードを使用したのだ。故にこそ、身体を構成する魔力が足りていない。

 

 今は神の内へと戻った。そして彼の神は、この今にも力を取り戻し続けている。故にこの症状は、一過性に過ぎぬ物。

 少し休めば、立ち上がれるだろう。問題なく回復する筈だ。だが、それでは遅い。その僅かを待つ余裕すら、もう彼女には残ってなかった。

 

 故に立ち上がれぬ身体を、意志で無理矢理引き摺り進む。自重を支えられぬなら、支えようとは思わない。

 地面を這いずりながらに扉の外へと、転がり倒れて壁を見上げる。予想の通り其処にあるのは、DISTRESSボタン。

 

 次元間通信機がある艦橋まで、辿り着けるとは思えない。辿り着けたとして、全てを語れる気がしない。

 故にこそ、そのボタンに手を伸ばす。救難信号を発信する装置のカバーを叩き割って、躊躇いもせずに押して起動した。

 

 

「お願い。皆」

 

 

 エルトリアの船が発する救難信号を、管理局が正式に運用している通信端末が捉えてくれる保証はない。

 それでも、何かアクションはある筈だ。管理世界に墜落した船に、きっと気付いてくれる筈だ。そうあってくれと願いながらに、リリィは己の意識を手放す。

 

 この今に出来る事はこれで全て。故にこそ、次に目覚めた時は己の足で立てる様に身を休める。

 気絶する様に眠りに落ちて、それでも最後まで祈り続ける。この僅かに繋いだ希望の欠片、確かな形に変えて欲しいと。

 

 

 

 

 

 数時間後――ルヴェラを含めた複数の世界を巡回する海の部隊が、その信号を察知し惑星内へと救助部隊を派遣する。

 同部隊が船内に倒れた人々を発見。登録されたデータとの照合に手間取るも、要救難者内にリリィ・シュトロゼックを確認。

 

 ロクス・ソルスにて発見された人々は、ミッドチルダにある管理局直営の病院にて保護される事となる。

 そして同時に、この案件は局長指揮の下へ。ロクス・ソルス発見救助と言う情報は、こうしてクロノの下へ届いたのだった。

 

 

 

 僅かな希望は、確かに此処に繋がれる。次代の可能性は微かな形から、少しずつ形を変えていく。

 

 

 

 

 

2.

 ミッドチルダはクラナガン。嘗て地上本部があった場所に、再建された中つの塔。その上層に位置する局長室にて、クロノは書類を手に取り見詰める。

 それはロクス・ソルス発見の報告書。そして救助された人々の、現状を伝える診療書類。救助されて一日、未だ意識を取り戻した者はいないが命を落とした人もまたいない。

 

 彼らの症状は、魔力を使い果たした時と似ている。急激に魔力を消費して、意識を保てなくなっている。

 診断書類からそう判断すると、クロノは思考を切り替える。知人の命を救えた安堵に浸るよりも前に、指導者として考えねばならない事が確かにあった。

 

 

「発見された人の中でIDがあるのは、リリィ・シュトロゼックだけ。トーマは居ない、か」

 

 

 それは未だ意識も戻らぬ彼女らから、聞く事が出来ぬ真実の推測。予測し推理し想定して、先の事態に備えておく事。

 本来、予想だけで行動するのは危険であろう。予測だけを信じて動けば、思わぬ事態に足を引かれる事もある。それでも、最悪を予想したなら話は別だ。

 

 診断書の横に、二つの資料を取り出し並べる。一つは先に起きた夜の一族襲撃事件。そしてもう一つが、スカリエッティの遺した手記だ。

 スカリエッティの手記には、彼が行った全ての事実が遺されている。そして、その内には当然、菟弓華と言う女に施した実験内容も記録されていた。

 

 管理局の誇る重要戦力。アリサとすずかとザフィーラに、あの時はイクスヴェリアとアスタロスまで協力していた。

 それだけの戦力を真っ向から押し切って、高町なのはが動かねばならない程に追い詰めた。それが闇と化した菟弓華の戦闘能力。

 

 それ程に強力な力を成立させた人体実験。一体どれ程に非道な物かと思えば、記されていたのは肉体の治療を除けば、他人の臓器を移植した事のみ。

 トーマ・ナカジマのリンカーコア。その断片を移植しただけで、あれ程の戦力値に至ったと言う。スカリエッティの書記を信じれば、それが事実だった。

 

 

(闇の力は神のリンカーコアの断片だけで成立している。……ありえんな。それだけであれ程に化けるなら、魔刃がもっと凶悪になっていた筈だ)

 

 

 其処に感じていた違和は、唯それだけで至れる物かと言う懸念。それで至れるならば、どうして魔刃はあの領域で済んでいたと言う疑問。

 筋が通らないのだ。理屈が合わない。菟弓華だけがあれ程に化けて、魔刃は覚醒までに時間が掛かった。エリオも同じ処置を受けていた筈なのに、どうして其処に違いが生まれる。

 

 心の差か、想いの差か。だがそうだとしても、菟弓華がエリオより精神的に強いとは思えない。

 それは書面だけで見たからこその感想かも知れないが、それでも精神の在り様だけが理由だとクロノは結論付けられなかった。

 

 故に最初に疑ったのは、スカリエッティが手記に遺した内容。読み手が読むタイミングすら予測していた。そんなあの男が今更隠し事を増やしたとしても、ああそうかとしか思わない。

 

 

(だが、トーマの不在が理由だとすれば、どうだ? ……同じ処置でも、大本の出力が変わっていたとするならば)

 

 

 流れ込む力の総量が増えた。それが答えだとすれば、その現象にも説明が付く。同じ処置でも、違いが出たのはその一点。

 リリィ・シュトロゼックだけが保護された事。トーマ・ナカジマが其処に居なかった事。其処から逆算出来たのは、この今にある最悪の状況。

 

 

「天魔・夜都賀波岐が、トーマを抑えた。そう見るべきだな」

 

 

 トーマが敵の掌中に堕ちた。神の復活が近いのだ。そう事実を推測して、クロノは更にと思考を進める。

 裏付けは必要だが、リリィの回復を待つ暇はない。彼女の言を得たならば、すぐさま動き出せる様な状況を作っておく必要があるだろう。

 

 少数精鋭による穢土侵攻。必要とされるエース達への通達と、足となる次元航行船の準備。そして夜都賀波岐への対策全て。

 半機械化された身体を使って、高速演算を進めていく。必要な物と要らない物。取捨選択を脳裏で固めて、実行に移る事を選択する。

 

 そうしてクロノは、机の角へと手を伸ばす。其処に備え付けられた通信装置を手に取って――

 

 

「――っ、げほっ、ごほっ」

 

 

 溢れ出す様に、口から大量の血が零れ落ちる。どす黒く濁ったそれは、腐った異臭を放つ固形物。

 発作的に咳き込んで、次から次へと机を染める。激痛に悶える様に、それでも慣れた様な手付きで、水差しの水を口に含んだ。

 

 口と喉を洗浄して、濁った汚水をコップに吐き出す。機械の身体に仕込まれた、利き目の薄れた麻酔を使う。

 何処までも手慣れた対応。元より、これは初めてではない。あの失楽園の日を前に、全力を出した時から続いている。彼の身体は壊れていた。

 

 既に死してもおかしくはない身体。それを無理矢理、歪みの汚染が活かしている。それが今のクロノである。

 意志を手放せば、素直に死ねるのであろうか。汚染の大本が消えれば、消滅するのだろうか。それすら分からぬ程に、人間離れした身体。

 

 それでも、死ねないならば、戦える。この意志が潰えぬ限り、前に進み続けよう。クロノ・ハラオウンは、己の役をそう定める。

 

 

「また麻酔を使ったんだね」

 

 

 吐き出した血を片付けている途中で、執務室の扉が開く。呆れた様な表情で、近付いて来るのは紫髪をした女。

 地球から戻って数日。あの事件を経た事で、その美しさに深みが増した。素直にそう思える美女に向かって、クロノは罰が悪そうに言葉を返す。

 

 

「月村か」

 

「出来る限り使用は控えてって言ったよね。効力は高いけど、身体に掛かる負担も大きいんだからさ」

 

「極力、控えてはいるさ。……もっとも、今更健康被害など考えても、誤差にしかならんと思うがな」

 

 

 白衣を纏った医務官は、クロノにとっての主治医である。彼女が指名されたのは、医療技術だけではなく、事情を深く知る身内であるから。

 人々の期待を一身に背負う若き英雄局長。その身が病に伏しているなど、無関係な人々に知られる訳にはいかないのだ。少なくとも、情勢が安定するまでは。

 

 故にこそ闇と相対するより前に、彼の主治医となった女は担当患者の言葉に頭を抱える。

 

 痛みを抑えて意識をハッキリとさせる。その代償に、血肉を深刻に傷付ける。

 唯それだけの劇薬を、自ら望んで投与する。そんな命知らずな患者に、付ける薬なんてない。

 

 それでも、彼女には誇りがある。命を救うと言う誇りがある。故にこそこの馬鹿者に、言いたい事は一つ二つでは済まないのだ。

 

 

「クロノくん。君ねぇ」

 

「すまんが、説教は後だ。先に準備を済ませておきたい」

 

 

 とは言え、男にも都合があれば耳を貸している暇はない。黙って叱られるのは、為すべき事を為した後。

 血に塗れた紙の資料を処分しながら、電子媒体を操作しているクロノ。彼の言葉に意識を引き締め、月村すずかは静かに問うた。

 

 

「決戦が、近いの?」

 

「……月村も気付いていたか」

 

「何となく、だけどね。もう直ぐかなって、クアットロは予想していたみたい」

 

 

 敵地への侵攻。穢土決戦が迫っている。そう予感していた魔群の、その記憶を受け継いだ女の問い掛け。

 そんな彼女に無言で頷き、故に時間がないのだとクロノは語る。進行中の計画、予定していた計画、その全ての前倒しが必要なのだと。

 

 必要なのは、足と武器。移動手段と手にする刃だ。その準備はあの日から、少しずつ用意されていた。

 電子端末の画面に浮かんだ報告書。レストアされた航行船を再利用した設計図が足ならば、もう一つの人体模型図こそが求めた刃だ。

 

 

「穢土に乗り込む前に、出来る限りを備えたい。……フィニーノを呼んでくれるか?」

 

「……本当にやる気? 医者としては、勧めたくはないんだけど」

 

「僕は未だ弱い。お前達と比べても、な。だからこそ、切り札の一つ二つは持っておきたい」

 

 

 画面に浮かんだ設計資料。同時に並んだ進行状況確認は、完成率にして凡そ85パーセント。

 アースラ(セカンド)。あの日に沈められた船の同型艦。ロストロギアを搭載したそれこそが、彼らを運ぶ足となる。

 

 そして、もう一つ。それはクロノ・ハラオウンの新たな剣。

 万象掌握。デュランダル。御門の秘術。魔導師としての実力。それだけでは、届かないと感じていた。

 

 目の前の女。月村すずかを見詰めて確信する。今の彼女に今の己では、例え逆立ちしようと勝てないと。それだけの差が生まれてしまった。

 穢土決戦。全力を出して防衛にあたる大天魔は、間違いなく彼女と同等。仲間に勝てないと確信している状況では、何も出来ずに敗れるだろう。

 

 それでは駄目だ。そう思えばこそ、剣を新たに用意する。手に入れる為だけに、己を更に切り売りしていくのだ。

 

 

「クロノくん。ちょっと、聞かせてくれるかな?」

 

「何だ、月村」

 

 

 どの道、どれ程に苦しくとも死にはしない。そう割り切ってしまっている様な、男の瞳に問い掛ける。

 歪みに生かされている死体。そうとしか言えない有り様の青年の瞳を、月村すずかは鋭い視線で見詰めて言った。

 

 

「君は、生きて帰って来る気があるの?」

 

「……あるさ。まだ、仕事が終わってない」

 

 

 女の問いに、返る男の答えはそんな物。まだやるべき事がある。故にこそ、まだ死んでなどはいられない。そんな義務感だけの言葉であった。

 

 

「せめて、もう少し。組織体制を整えてからでなくては、な。後進の育成も済んではいない」

 

「そうじゃなくて――」

 

「僕にとって生きる理由は、もうその程度しかないんだよ」

 

 

 問い掛けた理由に、その義務感は相応しくはない。何処か怒った様に、クロノを睨み付けるすずか。

 そんな彼女に少し困った様に苦笑して、それでもクロノは翻さない。隠す事なく、彼は己の胸中を此処に明かした。

 

 

「お前と同じだ。多分、僕達は何処か似ていた。心の何処かで、終わりを求めていた」

 

 

 何となく理解していた。それはある種の共感だった。愛した人を失くした日から、クロノは終わりを求めていた。

 友との殴り合いを経て、古き人の想いを継いで、変わったのは生きる意味。終わるまでに、果たそうと思った責任感。

 

 クロノ・ハラオウンには、もうそれしか残っていない。全てを成し遂げ、眠りに就く事こそが彼の望みだ。

 そんな彼だからこそ、気付いた事。同じ様に心の何処かで、終わりを求めていた似た女。彼女が前を見た事に、彼だからこそ気付いていた。

 

 

「それでも、お前は変わった。それはきっと、良い変化なんだと思うよ」

 

 

 その変化。彼は良い事だと理解する。生きたいと思えた事、それは素直に素晴らしいのだと喝采する。

 

 

「……私は、善き場所に行きたいんだって、気付けただけだよ」

 

「そうか。……お前がそうなら、ああ、多分僕はこうなんだろうな」

 

 

 自分はそうはなれない。そうなりたいとも思えない。彼にとっての善き場所は、もうこの世の何処にも在りはしない。

 だが、それで良い。誰かを本気で愛する事など、一生に一度あれば十分だ。だからこそ、クロノの願いはすずかのそれとは違っている。

 

 

「善き場所を作りたい。己が救われたいのではなくて、誰もが救われた世界を見たい」

 

「其処に自分の姿が無くても?」

 

「ああ、元よりそれは望んでいない。……僕にとっての善き場所は、この世の何処にも残っていない。新たに作る心算も、時間もない」

 

 

 彼女が望んだのは、自分が幸せになれる世界。彼が望んだのは、誰かが幸せになれる世界。

 その誕生を見た時にこそ、漸くこの荷は下りるのだろう。苦痛の生を経た果てに、手にする証がそれなのだ。

 

 

「だから、皆の幸福を。貴方のそれは、そんな献身?」

 

「いいや、違う。僕が望んだのは、生きた証を。これはそんな身勝手な我儘さ」

 

 

 女はそれを献身と語り、男はそれを否定する。所詮この感情は、身勝手な自己満足に過ぎぬのだと。

 クロノが求めたのは、己が生き続けた意味。その生の果てに掴んだ物が、誇れる物であって欲しい。そう言う類の感情だ。

 

 

「分からないな。君の考え、正直理解が出来ないよ」

 

「それで良いさ。分かる必要なんてない。今のお前にとってはな」

 

 

 今更に生を求めた女は、この今に死を求め続ける男を理解出来ない。素直に嫌悪を表して、詰る女に男は笑う。

 分からなくて良い。分からない方が良い。どんな形であっても生きたいと、そう思える女が理解するべき事ではない。

 

 それでも、分かり合えないままだとしても――

 

 

「分かり合えなくても、同じ場所は目指せるだろう? ならば僕らは、それで良い」

 

 

 同じ場所を目指す事は出来る筈。ならば我らは友と在れる。共に在れる。仲間として、轡を並べて同じ夢を見れるのだ。

 何処までも身勝手に、何処までも鈍感に、苦笑しながら己の解答を口にする。そんな男の鋼の意志に、女は呆れた様に深い深い息を吐いた。

 

 

「……ほんっと、男って駄目だね。身勝手で、目を離したら何処かへ行っちゃう。秘密主義で格好付け。その上、振り返りすらしないんだもん」

 

「返す言葉がない。……だが、身勝手に言うならばそうだな」

 

 

 これだから、男共は駄目なのだ。自ら死に行く男の誇りを、薔薇の女は理解しない。格好を付けて走り抜けてと、そんなの望んでいないのだと。

 本当に、これだから男共は駄目なのだ。薔薇の女が身を許しても良いと、そう思った男に限ってこんな様。そしてそんな男は、苦笑交じりにそう語るのだ。

 

 

「諦めろ。男って奴は、どいつもこいつも面倒なのさ」

 

「それ、普通は女の子に使う言葉だよ? 女の面倒を許すのが、男の度量ってね」

 

「なら僕は甲斐性なしだな。問題ない」

 

 

 自嘲する様に笑いながらも、己の言葉を翻しはしない。そんな男の抱いた想いは、鋼の如く揺るぎはしない。

 そんな男に背を向けて、深く深く呼吸をする。真っ直ぐにその顔を見詰める自信はなかった。今の自分が、どんな表情をしているか分からないから。

 

 故に月村すずかは振り返らずに、クロノに向かって言葉を掛ける。語る女のその声は、全く震えていなかった。

 

 

「……ロストロギアの内臓手術。私も立ち会うわ」

 

 

 クロノが得る新たな剣。それは彼の機械の身体に、ロストロギアを内蔵する事。

 文明一つを滅ぼす遺産。そんな物を身体に仕込んで、無事で在れる筈がない。それでも、男は止まらない。

 

 そのくらいはしなくては、もう届かないと分かっている。だからこそ、その生涯が終わるまで、鋼の意志は揺るがないのだ。

 

 

「そうだな。そうしてくれると助かる。フィニーノの奴の専攻は、機械工学だからな。医療知識がある人間が居た方が良いだろう」

 

 

 そんな男の意志を理解して、女は退いたと言うのに返る言葉はそんなもの。

 この鈍感で一途な男が感情の機微を理解する事などないとは分かっていたが、これは余りにも酷くはないか。

 

 月村すずかは振り返ると、残念な物を見る様な視線で呆れた様に口にするのであった。

 

 

「そうじゃないんだよなぁ。クロノくんってさ、相変わらず空気読めないよねぇ」

 

「……待て、今のはそういう内容じゃないのか!? ちょっと自信あったんだが、僕は何処で空気読めてなかったッ!?」

 

 

 呆れた様に語るすずかの言葉に、弾かれた様にクロノは反応する。幼い頃から母に空気が読めていないと、そう言われ続けていた彼は地味に気にしていた。

 長い年月を掛けて、数多の試練を乗り越えて、そして治った心算だったのだ。空気が読めているのだと、最近は言われてなかったから、微妙な自負があったのだ。

 

 故に呆れた様に口にされ、とても気になってしまう。気の持ち様で治せる筈だからと、教えて欲しいと懇願する。

 そんな先ほどまでとは一変したクロノの姿に噴き出す様な笑みを零して、その笑みをニヤニヤとした嗤いに変えてすずかは言った。

 

 

「くすっ。おーしーえーまーせーん」

 

「待てっ! 割と本気で切実にッ! 最期まで空気読めないで終わるなんて、嫌な心残りが出来そうなんだがッ!?」

 

「えぇー。知りたいのぉ? 分からないなんてぇ、クロノくんったら駄目駄目ねぇぇぇ。け、ど、教えてあーげない」

 

 

 ニヤニヤニマニマ。嗤い続けて今愉しい。嗜虐的な愉しさに目覚めた女に対して、男もこれで割と切実。

 自分の事こそ、自分だけでは見えない物。死んでもアイツは空気が読めなかったと、そう言われ伝わっていくのは断固避けたい事なのだ。

 

 そんなクロノの内心を、読み取り切ってすずかは嗤う。その浮かべた表情は、嘗ての魔群そっくりだった。

 

 

「ねぇ、今どんな気分? ねぇねぇ、最期までKY治らなかったの、どんな気分?」

 

「すずかットロォォォォォォッ!!」

 

 

 絶対にお前のKY(空気読めない)は治らない。嘲笑を浮かべて煽って来る薔薇の花に、嘗ての敵を思い出しながらに叫ぶ。

 本人視点では何処までも切実で、他人から見ればどうでも良い戯言。下らない遣り取りを続けながらに、その日常は過ぎ去っていく。

 

 例え決戦を前に控えていようと、その今は変わらない。そうとも彼らは今日(イマ)を守り、明日(ミライ)へ繋げる為に、昨日(カコ)へと挑むのだから。

 

 

 

 

 

3.

 ミッドチルダの中央にある一つの公園。小さなその公園に二人、幼い少女の姿がある。

 片や車椅子に座り、桃色の髪を長く伸ばした少女。もう片方はその車椅子を押す、紫色の髪を伸ばした少女。

 

 キャロ・グランガイツとルーテシア・グランガイツ。嘗ての上官に呼び出されて、此処にやって来たのはその二人。

 そんな少女達の前に、立っているのは小さな白。金糸の髪に、色違いのその瞳。それでも彼女を例えるならば、その色は白と言うべきだろう。

 

 

「あ、あの」

 

 

 ヴィヴィオで居たい。そう語った少女は言葉に詰まる。目の前の二人に対し、何を言えば良いのかが分からない。

 そうして、悩み狼狽える。分からないから足踏みして、分からないから逃げ出してしまう。それが常の彼女だが、今は逃げ場が何処にもない。

 

 とんと背中を押す女の手。振り返る先に居る母が、一歩を進めと言っている。だから、ヴィヴィオは前を見る。

 

 あの後姿を消したイクスヴェリアと話をして、心を定めて道を決めた。その時の苦悩に比べたら、この今に感じる物は重くはない。

 背に居る母も踏み出さずに、見逃してはくれないだろう。息を吸い、息を吐き、そうしてヴィヴィオは彼女らを見詰める。そして、その口を開いた。

 

 

「キャロ。ルー。私」

 

 

 一歩を踏み出す。一歩を踏み出し、其処で止まる。何と言ったら良いのか、ヴィヴィオは良く分からない。

 分からないから悩んでしまう。悩んで頼ろうとしても、スパルタな母は答えをくれない。故に自分で考えねばと、ヴィヴィオは視線を泳がせる。

 

 そんな友達の態度に、二人の少女は息を吐いた。そうしてそれぞれ、特徴的な色を見せる。

 

 

「ヴィヴィオ」

 

「散々待たしておいて、馬鹿でしょアンタ」

 

「……うっ」

 

 

 どこか鋭く名を呼ぶ桃色の少女に、呆れた様に口を開いた紫色の少女。

 二人の視線を向けられて、狼狽える様に戸惑い止まる。そんなヴィヴィオの姿に、グランガイツ姉妹は揃って笑った。

 

 一歩を踏み出して、戻って来てくれただけでも十分。そう思えたから、今度は彼女達から歩み寄る。

 

 

「でも、帰って来たから、許してあげるわ」

 

「行こう。ヴィヴィオ」

 

 

 手を伸ばす。二人は揃って手を伸ばす。全てを水には流せぬが、それでも帰って来てくれた。ならば、仲直りには十分。

 伸ばされた手は、もう一度友として共にある事。それを誓う為の小さな契約。互いの手を握り締めて、それは友好を示す為の方法だ。

 

 

「……うん」

 

 

 キャロとルーテシア。二人が伸ばした二つの手を、ヴィヴィオは己の両手で握る。

 握り締めた手を握り返して、遊びに行こうと誘う二人。その姿に彼女は、もう二度と裏切る物かと心に誓った。

 

 

「案ずるより、生むが易しってね。アンタは考え過ぎなのよ。馬鹿娘」

 

 

 友達に手を引かれて、一緒に走り去っていく小さな我が子。その背を慈愛の瞳で見詰めて、アリサは一つ息を吐く。

 己が為さねばならぬ事の一つは終わった。その友情は再び繋がれて、ならば後は守るだけ。もう二度と壊させぬ様に、それが己の役目であろう。

 

 三人で出来る遊びを、考えながらに動き回る。激しい喜びなどないが、耐えられない程の苦痛もない。

 運動が出来ないキャロに合わせて、余り動かなくても良い遊びを。知らない事を知る度に、ヴィヴィオの瞳は煌いていた。

 

 

「小さき子らだ。儚く、脆く、小さき子らだ」

 

 

 何時しか、その子らを見守っていたアリサの下に蒼き獣が訪れる。

 彼女の横に歩み寄った群青色の狼は、煌く子らを見詰めながらに口にした。

 

 

「だが、そうだな。何よりも、輝かしい。まるで煌く、宝石の様ではないか」

 

「何、アンタ。一体何時から詩人になったの?」

 

「さて、な。然して問う価値のある疑問ではないだろう」

 

「ま、良いけど」

 

 

 まるで宝石の様だ。そう語りながら、遊ぶ子供達を見守る。そんな彼に軽く返して、アリサは近くのベンチに座った。

 同じく見守る為だろう。ベンチの横に腰を下ろして、本当の獣の様に身を丸くするザフィーラ。そんな彼にふと、気付いた様にアリサは零した。

 

 

「……そう言えば、アンタと真面に話をする機会なんてなかったわよね」

 

「そうだな。一度か、二度か。二人で語り合うなど、或いは初めてやもしれんな」

 

 

 思えばこの獣と、一対一で話す事など初めてではないか。そう呟いたアリサに、ザフィーラも今更気付いた様に口にする。

 業務連絡などではなく、戦場での遣り取りなどではなく、はたまた次代の相談などでもなく、日常会話をするのは気付けばこれが初めてだった。

 

 

「別に、話す事なんてないわよね」

 

「ああ、特に語る事などありはしない」

 

 

 嫌っていた訳ではない。寧ろ戦士としては、互いの事を信頼している。単に機会がなかっただけだ。

 だからこそ、これを機に話してみようかと揃って思う。思いはするが、されど互いに言葉が浮かばない。

 

 共に私生活では不器用な二人だ。片やそれを自覚していて治そうともせず、片や治そうとする時間がなかった。

 アリサはこれが自分と納得してるし、ザフィーラはそんな暇があったら魔力節約の為に眠っていた。だからこそ、この二人は無骨であるのだ。

 

 

「でも、ま。意志表明でもしてみる?」

 

「意志表明? お前と、か?」

 

 

 不器用で無骨な二人。その関係に情念などはない。仲間と想う共感こそ在れ、感じているのはそれだけだ。

 

 故に交わす情などない。局長と吸血鬼の様に、愁嘆場など起こらない。

 何処までも無骨で不器用な二人は、故に日常であっても戦士としての言葉を交わすのだ。

 

 

「仲間である。それ以外に縁なんてない関係だけど、見ているモノは同じでしょ?」

 

「……そう、だな。だが、少し違うと思うぞ」

 

 

 愛しい日々の象徴を見詰めながらに、見ているモノは同じだろうとアリサは微笑む。

 彼女はこれを守ろうと願う者。守る為に、敵を焼く者。その目的が守護ならば、獣と願う所は似ている筈だ。

 

 そう語る女の言葉に同意して、しかしズレがあると男は指摘する。ザフィーラの願う形は、アリサのそれとは違っている。

 

 

「俺とお前は、近くて遠い。彼の夜都賀波岐の両翼と、同じくらいには離れていよう」

 

「それ、完璧に別物じゃない」

 

 

 尊ぶ物が同じでも、過程も結果も正反対。そんな者らを仮定と上げられ、アリサはゲンナリと顔を歪める。

 それでも、僅か思考を進めれば言いたい事を理解出来る。彼女達の想いは遠いが、それでも何処か似ているから。

 

 

「俺は、護り通したい。あの少女達の顔に浮かんだ、その晴れやかな表情を」

 

「私は、護り続けるわ。大切な娘とその友達だもの。邪魔だって言われても、見守り続けてやる心算」

 

 

 盾は護る事を決めている。煮詰まった様な憎悪は、燃え滾る様な憤怒は、まだ在るけれどそう決めた。

 己の都合で恨みを叫んで、怒りのままに手を振るよりも、此れの方が尊いのだ。確かにそう思えたから、ならばそれが相応しい。

 

 守る為に、敵を討とう。日常を続けていく為に、我が敵を討ってみせよう。それで復讐も果たせるならば、それこそ満願成就と言えよう。

 

 炎は護り続ける事を決めている。迫る決戦を乗り越えて、その後までも護り続ける事を心に決めた。

 その為ならば、命は賭けない。必ず生きて帰ると誓って、求めたのはその先だ。彼女が描く理想には、己の姿が確かにあるのだ。

 

 守る為に、敵を討とう。そして討ち取った後は、護り通した日常の中へと帰ろう。愛した日々を、愛した人と、それが女の望みであった。

 

 

「次の戦場が最期だ。帰る心算などはなく、その先などは何もない」

 

「次の戦場は山場よ。それでも終わりなんかじゃない。その先へ行く為に、其処から私の道は続いていく」

 

 

 男の想いに先はない。全てを賭けると言えば聞こえが良いが、端から帰る気がないならば自殺行為と変わらない。

 女は覚悟が足りてない。必ず生きて帰ると誓うと言う事は、生きて帰って来れる程度と見縊る事と同義と言えよう。

 

 それでも、互いを否定はしない。二人の戦士は互いの誓いを、決して否定する事はない。

 

 

「否定はしないぞ。アリサ・バニングス。俺にはそうするだけの、理由が何もありはしない」

 

「否定はしないわ。盾の守護獣ザフィーラ。復讐だけを叫ぶよりは、まだ救いがある終わりだもの」

 

 

 互いの決意を尊重する。そうと言えば聞こえが良いが、その実態は少し違っている。

 分かり合う事などは出来ぬから、不干渉で居ると言うだけだ。そうとも、揺るがぬとはそういう事。染まらぬとは、そう言う事だ。

 

 

「俺達は互いに理解し合えない」

 

「それでも、この今に抱いた感情はきっと同じ」

 

 

 強過ぎる個我は、互いを理解する事が出来ない。だがそれは、共に在れないと言う事ではない。

 互いの想いに深く関わる事はしなくとも、互いに至高と捉えた景色は同じだ。故にこそ、彼女達は仲間で同士。

 

 同じ夢を見詰めて、前に向かって駆け抜ける。肩を並べて轡を揃える。そんな確かな戦友達だ。

 

 

『この美しい刹那を、何時までも』

 

 

 夕日が沈むまで、遊び呆ける子供達。そんな小さな日常を、何より尊いと想っている。

 この美しい光景を、何時までも絶やさぬ為にこそ。同じ事を願えた今に、彼女達は共に行く。

 

 

 

 目指すは穢土。第零接触禁忌世界。その地を目指して、彼らは己の心を定める。

 決戦の日はもう間もなく。彼らの胸に迷いなどは最早なく、物語の終わりは迫っていた。

 

 

 

 

 



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第一話 決戦前夜 其之弐

壊滅のセカンド・ブリットッ!!


1.

 第零接触禁忌世界、穢土。決して触れてはいけないと、何億年も前より語られ続けた大地。

 地球に極めて酷似したこの世界。嘗て日本と呼ばれた土地の、されど地球には存在していない断崖。

 

 近江の国。滋賀に当たる土地に走った亀裂は、淡海と呼ばれる巨大な要害。東と西を分ける海。

 これを残す必要などはなかった。それでも残ってしまった。そんな嘗ての残照。海を越えた場所に、それは在る。

 

 無数の屍。朽ちて錆びた刀と弓の矢。壊れた甲冑が立ち並ぶ、既に終わった戦場痕。

 その先に、決して越えられなかった関がある。不和之関、或いは――不破之関。終ぞ超えられる事はなかった、穢土・夜都賀波岐の最前線。

 

 この世界。全てが彼の器である。ならばそう、此処である必要などはなかった。

 それでも、彼らはこの地を選んだ。先ず真っ先に先陣を切る。そう意志を同じくする兄妹が、この不和之関に控えている。

 

 

「ねぇ、兄さん。彼らは来ると思う?」

 

 

 甲冑鎧の女は問う。口元を布で隠した金髪の女。死人の如き肌の中、禍々しく輝く緋色の瞳。

 異形の女武者、或いは忍と言うべきか。炎と雷。二振りの剣を腰に差した天魔・母禮は、己の兄に静かに問うた。

 

 それは問い掛けと言う形をしていたが、真実疑問に抱いている訳ではない。心の何処かで確信していた。

 故にこそ、彼女が欲していたのは賛同だ。きっと来るさと言う保証を兄に求めた。そんな女の想いを察して、苦笑交じりに男は答えを返す。

 

 

「来るさ。来て貰わなくては困る」

 

 

 死んで腐った様な冷たい肌を晒した男。先の折れた巨大な剣を背に負って、天魔・悪路は慈愛を浮かべる。

 その赤く濁った瞳と、腐り切った身体は温かみなど残していない。それでも、愛する者に浮かべた穏やかな表情は、嘗てとまるで変わらない。

 

 古きに敗れた英雄は、此処に答えを口にする。きっと来る。来て貰わなくては困るのだと。

 それはこの兄妹。穢土・夜都賀波岐の先触れに、共に共通した感情。彼らは既に認めている。この今に生きる人々を、確かに認めていたのである。

 

 

「間に合うかしら?」

 

「間に合うだろうさ」

 

 

 腐毒の王は確かに認めた。夢追い人と最悪の罪人。彼らの想いと向き合って、それが新世界の可能性だと確信した。

 炎雷の剣士も確かに認めた。己に焦がれた炎の女。憧れた者に無様を見せるなと、叫んだ彼女の姿にその心を震わせたのだ。

 

 最果ての地にて、起きた事象に落胆した。この程度かと、心の底から失望した。先の確信は、或いは間違いだったのか。

 それでも、まだ期待している。我ら過去の残影を打ち破り、新たな世界を流れ出させる事を。そうとも、まだ期待出来ている。

 

 

「なら、為すべき事は一つだけね」

 

「ああ、僕らの役割は決まっている」

 

 

 故にこそ、抗ってみせろ今の民。この敗残兵の群れを悉く、打ち破って乗り越えて見せろ新進気鋭。

 そうでなくては納得できない。その程度をしてくれなければ、落胆の情は覆せない。故にこそ、為すべき事は一つだけ。

 

 天魔・悪路は加減をしない。天魔・母禮は容赦をしない。全力で、全霊で、やってくる彼らを叩き潰す。

 決して破れぬ不破之関。決して倒れぬ夜都賀波岐。決して終わらぬ無間神無月。その全てを以ってして、次代を此処に迎え撃つ。

 

 

「此処、不和之関は不破之関」

 

「決して破れない。我らが決して破らせない。それは数億年前より変わらず、誰も通しはしなかった」

 

 

 天狗の時代も、この世界においても、常に不敗を誇った要塞。それが此処、不和之関。

 破られた事など一度もない。この要塞を鼠の如く、隠れ潜みながら逃げ出した者が一人居ただけ。

 

 此度はその様な抜け穴などは残さない。隠れ潜む鼠の形で、この領域の踏破などは許さない。

 この城壁を打ち砕き、夜都賀波岐が先触れたる二柱を破る。それこそが、彼らが次代に求める最低条件。

 

 

「今度もそうだ。僕らは全力でお前達を潰しに行く」

 

 

 時よ止まれ。時よ止まれ。時を止まれ。我らの永遠は終わらない。我らの黄昏は奪わせない。

 許さない。認めない。消えてなるものか。無間神無月は終わらない。無間地獄は終わらせない。

 

 

「決して破れぬ不破之関。超えられると言うのなら、超えてみなさい機動六課」

 

 

 時よ止まれ。時よ止まれ。時よ止まれ。我らの永遠は奪わせない。我らの黄昏は失わせない。

 許さない。認めない。消えてなるものか。我ら無間地獄は終わらない。何時かきっと、我らが不要となるその日まで。

 

 だから、どうか――今の民よ。凍った針を進めて欲しい。無間の地獄は、もう必要ないのだと。

 

 故に彼らは待ち続ける。夜都賀波岐の兄妹は、その日を此処で待ち続ける。

 彼らが信じた次代の民が、己達を討ち滅ぼして、この地獄を終わらせてくれる日が来る事を。

 

 

『我らは唯、待っている。この無間地獄が終わる日を』

 

 

 第一陣は即ち此処だ。穢土の入り口。東日本の最南端。淡海を挟んだ先、滋賀にある古い城壁。

 穢土・不和之関。その大地にて、二柱の天魔は待っている。天魔・悪路と天魔・母禮が此処に居た。

 

 

 

 

 

2.

 其処は山間にある小国。古い作りの旅籠が並ぶ宿場町。其処を抜けた先にある城下町。

 地球の日本で言うならば、長野県に位置する場所。城下町に聳え立つ巨大な城に、彼女は居た。

 

 風がゆっくりと吹き抜ける。天守閣の天辺に、赤い瞳の女は腰掛けて大地を見下す。

 本来の主が消えたこの国は、既に誰も居ない不毛の地。形骸こそ受け継いだが、中には何も残っていない。

 

 

「バビロンが居ないと、閑古鳥。此処も寂しくなったものねぇ」

 

 

 鬼のいない里。一番優しい英雄が、死者を慰める為に作った箱庭。その世界を模倣して、しかし女はそう呟く。

 誰も居ない無人の町。糸で繰られた傀儡すらも、此処には居ない寂しい人里。そんな空っぽの箱庭を見詰めて、彼女は一人嘆息する。

 

 袖のない巫女服に、鮮血の様に赤い髪。同じく真っ赤な瞳が二つ。額に二つの結晶が、まるで四眼の如く輝く。

 屍人の様に白い肌。真っ黒に染まった白目。人に非ざるその肉体は、紛れもなく大天魔。天魔・奴奈比売と呼ばれる女。

 

 

「ま、彼女が居ても人形劇みたいな場所なんだし、寂しいのは変わらない、か」

 

 

 無人となった鬼無里の国。八人の英雄による物語を記した瓦版が、風に吹かれて飛んでいく。

 風に吹かれる紙を手に取り、中身を見詰めて苦笑を零す。記された英雄の歌。それは彼女が作った創作だ。

 

 嘗て死した人を慰める為に、何でもない事を記して号外と配っていた。

 子供達に教える歌の内容を頭を捻って考え出して、上手く韻を踏めた時には我ながら素晴らしいと感嘆した。

 

 そんな創作物。今更に見れば、何処か恥ずかしいと感じる物。そんな物を見る人すら、もう此処には誰も残っていない。

 素直に想う。我らは余りに、長く生き過ぎてしまったのだと。必要だった。不要じゃなかった。それでも地獄が長過ぎた。

 

 

「正直、どうしたもんかしらねぇ」

 

 

 今の自分だったらどう書くだろうか、添削しながら思考を進める。それは此処から、どう動くべきかと言う事。

 最果ての地では同行したが、それはある種禊の様な物。失楽園の日に続く、迷惑を掛けた仲間への詫び代わりでしかない。

 

 そして、もう詫びるのは十分だろう。己は然りと義理を果たした。そう言えるだけの自負がある。

 ならばこそ、今更になって女は悩む。悩むのはこの世界の在り様などではなく、もっと単純でどうでも良い事。

 

 

「あの兄妹みたいに率先して動く気はない。ってか、私はもう認めちゃってるしなぁ」

 

 

 奴奈比売はもう認めている。彼女がこの次代を認めたのは、きっと誰よりも早かったのだと自負している。

 四人一緒に、あの友達と居た日々からずっと。彼女達が幸福に生きられる今があるなら、それで良いんじゃないかと想っていたのだ。

 

 そして、本当の意味で認めたのはあの日だ。ずっと立ち止まってた己に似た少女が、高く飛ぶのだと叫んだあの日。

 闇の書を巡る戦い。その果てに敗れ去ったあの日から、奴奈比売はもう敗北を認めていた。故に今更、彼らを試そうとも思えない。

 

 

「ムッツリ二人みたいに、知った事かってのも微妙だし。いっそ此処でのんびりしてようかしらね」

 

 

 先触れたる兄妹の様に、我らを倒してみせろと言う気はない。だがかと言って、常世や大獄の様に他など知らぬと完結しても居られない。

 ならば、この空いた時間をどうするか。残った暇な時間を如何に過ごすか。奴奈比売の抱いた悩みとは、そういう類の物。詰まりはもう、この女は次代と争う心算がないのだ。

 

 故に思い付きで口にして、或いはそれが最上かも知れぬと思い至る。全てに決着が付く時まで、高みの見物と言う案だ。

 理由がないのに、友と傷付け合うなど出来ない。常世はトーマの純化に集中していて、掣肘される事もない。そう考えれば、やはりこれ以上の案などないと得心する。

 

 

「全てが終わるまで、この場所で。鬼無里の城で、高みの見物させて貰お」

 

 

 だからこそ、それが天魔・奴奈比売の選択。全てが終わるその時まで、城の天守閣にて観覧するのだ。

 

 天魔が勝てば夜刀に逢える。例え消滅の間際、一瞬であろうと愛し続けた彼に逢える。ならばそれはそれで良い。

 機動六課が勝るなら、次代はこの後も続いていく。自分は消えてなくなるだろうが、友が幸福ならばそれもそれだ。

 

 故にこそ、奴奈比売は決める。もう自分は関わらないと。傍観者に徹するのだと。

 彼女がそうと決めた瞬間に、それでは困る男が動く。女の腹の内側から、遊佐司狼がその声を上げた。

 

 

〈なぁ、姐さん〉

 

「――っ!?」

 

 

 太極とは、天魔にとっては身体と同義。其処に飲んだと言う事は、体内に吸収したと言う事。

 腹の中に収めて、封じ込めた筈の両面。それが内側から声を掛けて来た。そうと気付いた一瞬で、奴奈比売の顔は真っ青に染まる。

 

 思い浮かべるのは、嘗ての死因だ。人であった頃の女は、喰らった遊佐司狼を消化できずに、内側から胃を引き裂かれて死んだのだから。

 

 

「右、居ないッ! 左、居ないッ! お腹、痛くないッ!!」

 

 

 咄嗟に顔を左右に向けて、誰も居ない事を確認する。そうして直後に腹を擦って、痛みがない事に心の底から安堵する。

 ほうと一息を吐いて、だがしかし油断は出来ない。自覚出来ない痛みがあるやもしれないと、自分の身体を念入りに確認していく。

 

 そんな奴奈比売の情けない姿に、腹の内から見ている遊佐司狼は呆れた様に口にした。

 

 

〈……おいアンタ。俺を何だと思ってんだよ。流石に幕引きされて、腹引き裂くとか出来ねぇよ〉

 

 

 如何に夜都賀波岐の両翼であっても、同格の攻撃を受けた後に平然としている事など出来はしない。

 既に遊佐司狼に力などは欠片も残ってはおらず、奴奈比売より奪い取る事も出来はしない。そんな事実に、気付けないのかと呆れて告げる。

 

 言われてハッと顔を変え、げふんげふんと咳払い。そうして余裕の笑みを取り戻した奴奈比売は、大物の風格を気取りながらに問うのであった。

 

 

「んで、何の用よ。今更アンタが声を掛けて来るなんて」

 

〈隠せてねぇよ。さっきの醜態、ぜんっぜん隠れてねぇからな?〉

 

「うっさいッ! 触れるなッ! ってかアンタが腹の中から喋るとか、すっごいトラウマなのよッ!!」

 

〈へいへい。分かりましたよっと〉

 

 

 しかし余裕も風格もまるで戻ってなかったらしい。司狼に内から指摘され、触れるなと語る表情は女のヒステリー。

 己の死因と言う核地雷級のトラウマを抉られて、目尻に涙を浮かべている。そんな同胞の姿に、彼はやれやれと肩を竦めた。

 

 肩を竦めて頭を掻く。肉体なんてないと言うのに、面倒臭そうなその姿が画像として浮かんでくる。

 そんな態度を隠しもしない司狼に向けて、頬をピクピクと引き攣らせながら、再び奴奈比売は問い掛けた。

 

 

「そんで、一体何の用? もう私は、これから先に関わる気がないんだけど」

 

〈んー? ま、そうだな。一人で暇そうだしぃ、ネタ晴らしでもしようかと〉

 

 

 今更に声を掛けて来て、一体何の用なのだ。そう問い掛ける奴奈比売に、司狼は韜晦しながら語る。

 口にする内容は、彼が進めて来た策謀。此度は嘘偽りなどなく、全てを明かす心算で口にする。そうでなくては、意味がない。

 

 

〈俺が何を望んでいたか、知りたくねぇかい?〉

 

「……言ってみなさいよ」

 

〈何、単純だ。言葉にすりゃ、至極簡単な事。前提条件こそくっそ面倒臭い案件だが、狙った物は極めてシンプルな事なのよ〉

 

 

 嘯く道化の言葉を前に、奴奈比売は警戒しながら問い掛ける。今更に何を言うのだろうか、そんな彼女の思考に嗤う。

 今だからこそ、全てを明かすのだ。此処で奴奈比売に動いて貰いたいからこそ、彼女に全てを明かす必要があったのだと。

 

 故にこそ、司狼は静かに、そして端的に全てを伝える。それは余りにも、彼女の予想に反した言葉。

 

 

〈俺らの大将を■■■■■■■■〉

 

「は?」

 

 

 一瞬、疑問符が思考を埋めた。コイツは一体何を言っているのか、理解出来ずに硬直した。

 そんな奴奈比売の様子に嗤って、司狼は補足説明を其処に加える。それもまた、理解出来ない筈がない単純に過ぎる言葉。

 

 

〈それも■■■■■で、だ。唯それだけが、俺の狙いさ〉

 

「……何よ、それ」

 

 

 それは余りに単純な言葉だった。その思惑には一切の複雑性などはなく、分からない筈がない形。

 故にこそ、奴奈比売は戸惑っている。その内心までも読み取れてしまったからこそ、その真実に唖然とする。

 

 硬直し、混乱し、戸惑い続けて――漸くに口に出来たのは、そんな意味のない言葉だけ。

 

 

「アンタ、そんな事の為だけに?」

 

〈そうさ。そんな事。そんな事の為に、誇りも友情も、何もかもを全部捨てた〉

 

 

 そんな事。司狼が狙った企みは、決して大それた事ではない。世界征服だとか、新世界の創造だとか、そんな大掛かりの事じゃないのだ。

 本当に小さな事。その狙いは、其処までしなくてはならなかったのかと言える程、とてもとてもちっぽけな事。そんな程度と言える、余りに小さな目的だ。

 

 その為に、彼は全てを捨てた。その為だけに、彼は友を裏切って、己の矜持を捨て去った。本当に小さな、そんな目的の為だけに。

 

 

〈下らねぇと、嗤うかい?〉

 

「笑えないわよ。笑える訳、ないじゃない」

 

 

 だけど、その目的を聞いて、奴奈比売は納得してしまった。ああ、そうかと得心してしまった。

 常識で考えれば愚かな事だ。明らかに支払う物と得る物と、釣り合いが全く取れていない。司狼は損しかしていない。

 

 それでも、実に彼らしい。遊佐司狼に相応しい。小さいけれど、誰よりも夜刀の為になる。そう確信出来る企みだった。

 

 

「アンタ。馬鹿よ。端からそう言えば良かったじゃない。誰だって分かるわ。だって私達は彼を愛しているんだもの。だから分かる。……アンタが一番、正しいんだって」

 

 

 その考えを知って、その至る先を理解して、奴奈比売は泣いていた。涙を流さずには居られなかった。

 愚かが過ぎるだろう。余りに頭が悪過ぎる。きっとこんな事をせずとも、彼の望みに賛同する者は居た筈だ。だってそれが、一番主柱の為になるから。

 

 だから、それを明かしていれば良かったのだ。最初から全てを明かした上で、ならばきっと手を取り合えただろう。夜都賀波岐の天魔達は、誰もが主柱を愛しているのだ。

 故にこそ、この馬鹿者は余りに愚か過ぎている。必要ないのに矜持を捨てて、大切な筈の仲間を裏切り、後ろ指を指されながらも彼の為に、全てを捨てても友の為に、そんな馬鹿な男の為にアンナは泣いた。

 

 

〈そりゃ前提が違うぜ姐さん。今だからこそ、この状況だからこそ、だ。最初の段階で言った所で、馬鹿言うなって一笑に伏されて御終いさ〉

 

 

 きっと誰もが賛同した筈だ。そう確信する程に、夜刀を想う結果に至る。そんな遊佐司狼だけの策謀。

 それを聞いて、最初に言えと口にする。涙交じりの奴奈比売に、しかし宿儺は否定を返す。最初から言っていたならば、通りなどはしなかった。

 

 これは余りに現実味がない策略。ずっと狙っていた宿儺ですら、絶対に不可能だと思っていた結果。

 願いの宝石を巡る戦いで、今を必死に生きる彼を見付けた。その瞬間に至れるかもと、初めて期待できた事だったのだ。

 

 

「そう。だから、アンタ裏切ったんだ。……ほんっと、馬鹿だ馬鹿だって思ってたけど、筋金入りね大馬鹿野郎」

 

〈そうさ。俺は大馬鹿野郎だ。だからこそ、最善だけを狙って来た。俺にとっての、アイツにとっての、最善をよ〉

 

 

 己ですら、信じられぬ事。それを信じさせる程の弁舌を、遊佐司狼は持っていない。だからこそ、彼は裏切った。

 全てを欺き、全てを裏切り、そうしてその策略の果てに、可能性を垣間見た。己ですら至れないと、そんな奇跡に彼は賭けた。

 

 全ては唯、一人の為に。たった一人の親友の為に。他の全てを裏切って、漸くに此処まで来たのだ。

 故にこそ、後悔なんてしていない。この今に、悔いなんて一つもない。彼が望んだ最善は、この先にこそ存在している。

 

 

〈この世界で、一番苦しんだのは誰だ? この世界で、一番努力したのは誰だ? この世界を、一番愛しているのは誰だ?〉

 

「決まっているわ。誰よりも嘆き、誰よりも苦しみ、誰よりも愛した。そんな存在は、彼以外に居やしない」

 

〈だからこそ、大将の為にさ。それが両面悪鬼の策謀よ〉

 

 

 全てを斬り捨て、無数に積み重ねて至った今。それでも、後僅かに懸念がある。覆される可能性が未だ存在する。

 彼の策謀を聞かされて、その懸念を彼女も悟る。何故にこの今、司狼が声を掛けて来たのか。それを漸くに奴奈比売は悟っていた。

 

 

〈そんな訳で、だ。姐さん。……俺と手を組まねぇ?〉

 

「そうそう。一緒に手を取り合って、み~んな躍らせてあげましょう?」

 

 

 気付けば城の屋根の上、ニヤニヤと嗤う軍服の女が立っている。両面悪鬼の片面が、奴奈比売の直ぐ傍で嗤っている。

 成程、それもそうかと得心する。此処までお膳立てをして、奴奈比売の気持ち一つで揺らぐ策など作るまい。ならばこそ、此処に札を伏せたのだろう。

 

 あの兄妹が警戒している不和之関は超えられまい。ならば、最初から彼女は穢土に隠れていた。

 派手に暴れた司狼が最果ての地で発見された瞬間に、恵梨依は穢土に戻って潜んでいたのだ。恐らくは、あの太陽の気配が残っている奥羽にでも。

 

 

「本城恵梨依。……はっ、アンタ。やっぱり素直に寝てる気なんてなかったんじゃない」

 

〈そいつはどうも。んで、どうするよ姐さん〉

 

 

 これで詰みだ。天魔・奴奈比売は此処に詰んだ。彼女が何をしようとも、宿儺の復活は防げない。

 本城恵梨依に負ける心算はない。だが勝ってしまえば、さてどうなるか。考えるまでもなく分かってしまう。

 

 魂だけを保管しようにも、奴奈比売だけでは削り切れない。そうなれば、身体の中で宿儺が甦る。あの日の如く、腸を内より引き裂かれるだろう。

 かと言って保管しないで消えるのを待てば、今度は最後の贄が不足する。恵梨依と司狼。二人合わせて宿儺であるのだ。どちらかだけでは足りていない。

 

 勝利すれば先がない。だが敗北しても先はあるまい。当然の如く、司狼を回収されて宿儺が甦る。

 こうして相対してしまった時点で、既に詰みとなっていた。奴奈比売は宿儺に勝利する事が出来ぬのだ。

 

 

「……良いわ。手を貸してあげる」

 

 

 だから、手を貸す訳ではない。死にたくないから、協力する訳ではない。勝ち目がないから、屈する訳ではなかった。

 

 

「勘違いするんじゃないわよ。アンタの為じゃない。アンタに脅されたからじゃないの」

 

 

 天魔・奴奈比売は遊佐司狼を吐き出す。投げ捨てられた彼を恵梨依が受け止め、そうして彼らは一つに戻る。

 甦った両面悪鬼。その戦力値は全盛期の半分程度で、それでも策を進めるには十二分。そんな彼の瞳を見詰めて、奴奈比売は確かに告げる。

 

 

「それが一番、彼の為になる。癪だけど、心の底から腹立つけど――やっぱり、アンタが一番彼を分かってたんだもん」

 

 

 天魔・奴奈比売としてではなく、アンナ・マリーア・シュヴェーゲリンとして遊佐司狼を見詰めて語る。

 彼女が手を貸す理由は一つ。この男こそが最も、天魔・夜刀を理解していた。そう納得してしまったのだ。

 

 素直に認める。自分は彼に勝てないと。彼の考え通りに動く事こそが、何よりも愛する人の為になる。

 そうと納得してしまったからこそ、足引き魔女は心に決める。両面の鬼と同じく、全てを斬り捨て裏切る事を。

 

 

「好きに使いなさい。この命、全部上げるわ。好き勝手に使い潰しなさい。共犯者」

 

「そいつは何より、それじゃ行こうか」

 

 

 誇りを捨てる。仲間を裏切る。友を傷付ける。その全てを此処に、天魔・奴奈比売は容認した。

 心を決めて覚悟を抱いて、瞳を炎の如くに燃え上がらせる。そんな彼女の姿に、天魔・宿儺も確かに笑う。こうなった彼女は、心強いと知っていた。

 

 

「俺らと姐さんで、どいつもこいつも躍らせよう。俺らが愛した、アイツの為によ」

 

 

 第二陣は即ち此処だ。山間の町。主亡き鬼無里。東日本を北上して、長野の山中にある長閑な場所。

 其処に待つのは裏切り者。唯愛する人の為だけに、全てを裏切った恥知らず。天魔・奴奈比売と天魔・宿儺が其処に居た。

 

 

 

 

 

3.

 穢土の最奥。夜刀の神体がある土地。それは無間蝦夷と呼ばれた場所。日ノ本は北の果て、北海道の奥地である。

 嘗て邪神との戦いで、敗れた彼は彼の地に堕ちた。故にこそ、蝦夷の地こそが彼らの領土。本拠地と言うべき場所。

 

 だがこの今に、天魔・夜刀の神体は蝦夷にはない。東外流(ツガル)を超えて、奥羽を更に更にと南下した地。

 それは彼にとっての故郷。彼と言う神が始まった場所。全てを終わらせる土地として、此の場所以上に相応しい土地などありはしない。

 

 故にこそ、神体を移動させた。天魔・夜刀と言う玉体を、この場所まで移送した。

 此処は諏訪原。穢土・諏訪原。彼が生まれ育った場所で、愛しい女神と共に過ごした大地である。

 

 

「…………」

 

 

 そんな諏訪原の中心地に程近く、建設された校舎がある。月乃澤学園と、嘗て呼ばれた建造物。

 経年劣化と戦闘の余波。崩れて壊れた校舎の屋上で、一人の天魔が祈っている。目を閉じて、一心不乱に願っていた。

 

 銀色の髪に、翠色の衣。黄金の瞳を持つ天魔の指揮官。天魔・常世は、寝食も忘れて、片時も休まず、一つの作業に打ち込んでいる。

 そんな女の前にある二つの神体。黒い鱗を持った巨大な蛇と、蛇に絡み付く様に抱き着く芋虫。そしてその器に繋がれる様に、囚われた少年の姿があった。

 

 トーマ・ナカジマ。神の魂を内包した少年。彼を正面にして、学園の屋上で祈りを捧げる。そんな彼女の祈りは即ち、一心不乱に打ち込む作業。

 それは魂の純化。余計な記憶を排除して、彼を産まれる前へと戻す事。一つ一つと想い出を塵の様に投げ捨てて、彼の魂から雑念を排除しているのだ。

 

 

――形に影のそうごとく、たのしみ彼にしたがわん。

 

「これは要らない」

 

 

 救えぬ星の化身が、喜びながら握り返した記憶。その想い出を此処に捨て去る。

 学園の屋上から地面へと、何も気にせず放り捨てる。彼には必要ないのだから、頓着する理由なんてない。

 

 

――トーマ。君は強いね。

 

「これは要らない」

 

 

 倒すべき宿敵が、焦がれる様な瞳で語った記憶。その想い出を此処に捨て去る。

 学園の屋上から地面へと、何も気にせず放り捨てる。彼には必要ないのだから、頓着する理由なんてない。

 

 

――貴方が、英雄(ヒーロー)だったんだね。

 

「これは要らない」

 

 

 英雄に憧れていた少女が、恋する瞳で語った記憶。その想い出を此処に捨て去る。

 学園の屋上から地面へと、何も気にせず放り捨てる。彼には必要ないのだから、頓着する理由なんてない。

 

 

――私は貴方と、そう生きたいよ。

 

「これは要らない」

 

 

 恋を知った白百合が、戦場で伝えた想いの記憶。その想い出を此処に捨て去る。

 学園の屋上から地面へと、何も気にせず放り捨てる。彼には必要ないのだから、頓着する理由なんてない。

 

 

――トーマ・ナカジマ。君は確かに、私の友の一番弟子だ。

 

――私はティアナよ。ティアナ・L・ハラオウン。アンタの相棒だから、また忘れるまで覚えときなさい。

 

――気にしなくて良い。先生は、そんなに柔に見えるかい?

 

 

 捨てる。捨てる。捨てられる。大切な物が零れ落ちていく度に、トーマ・ナカジマが削られていく。

 その度に魂は悲鳴を上げて、それでも純化の手は止まらない。彼が紡いできた過去を、表層から順繰りに捨てていく。

 

 塵が次から次に溜まっていくが、振り返る暇などない。必要だってありはしない。

 一秒でも早く、彼の魂を取り戻す。トーマ・ナカジマと言う不純物を消し去って、天魔・夜刀を取り戻す。

 

 それが彼女の目的だ。それだけが彼女の目的だ。他の事など、心の底からどうでも良い。

 生まれ落ちる彼に逢いたい。もう一度だけで良いから、彼に戦場を与えたい。愛する人が負けたままで、許せる理由が一つもない。

 

 だから、だから、だから、だから――

 

 

「お願い。勝って」

 

 

 身勝手に祈る。自分勝手に願う。恥知らずにも望み続ける。唯一度で良い、彼に完全無欠の勝利を。

 その為に産み直す。己を捧げて、彼をこの地に呼び戻す。その為だけに、トーマ・ナカジマは邪魔なのだ。

 

 故に壊す。その想い出を捨てて、彼と言う存在を壊していく。天魔・常世は止まらない。

 彼女は決して顧みない。夜都賀波岐の指揮官は、子宮にして心臓は、愛する男を想うが故に、彼の想いに反し続けるのだ。

 

 

 

 

 

 そんな指揮官の姿に、彼は何も思いはしない。夜都賀波岐の中において、彼らこそが最も純粋な者だろう。

 決して揺るぎはしない。決して変わりはしない。他を顧みる事などせずに、己の役割を只管に遂行するのが彼らである。

 

 

「…………」

 

 

 其れは崩れ落ちた塔。先が圧し折れ、途中で砕けている高い塔。諏訪原市において、嘗てはランドマークであった場所。

 諏訪原タワー。市を一望出来る展望台は既に無く、無数の飲食店も残っていない。嘗て在った娯楽施設の、残骸として残った場所。

 

 塔の入り口に、一柱の天魔が立っている。全身に黒き甲冑を纏い、虎の仮面で無貌を隠した大天魔。

 最強の大天魔。終焉の化身。鋼の求道を歩く者。天魔・大獄と言う名の怪物は、諏訪原タワーの前で見詰めていた。

 

 

「…………」

 

 

 何も語る事はない。何も思う事はない。唯無言。唯不動。変わらぬ求道の化身は、天魔・常世を見詰めている。

 彼の役割は女の守護だ。彼女に危機が迫った時、その障害を取り除く。唯それだけで、最後の壁として在れるから。

 

 元より、天魔・大獄に潰されるなら意味がない。天魔・常世を止められぬなら価値がない。故に、彼らは変わらない。

 何も考える事はなく、何も悩む事はなく、何も語る事すらせずに――己が与えた己の役目を、成し遂げるだけなのだ。

 

 

 

 最後の場所は即ち此処だ。怒りの日の舞台にして、全てが始まった街。穢土・諏訪原市。

 待ち受けるのは求道の怪物。決して揺るがぬ完結者。天魔・常世と天魔・大獄が此処に居た。

 

 

 

 

 



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第一話 決戦前夜 其之参

瞬殺のファイナル・ブリットッ!!!


1.

 第一管理世界ミッドチルダ。クラナガンは中央区画、再建された法の塔が麓にある管理局傘下の大病院。

 その一角にある個室の病室。換気の為に開かれた窓から吹き込む風の冷たさに、少女はその瞼を小さく開いた。

 

 視界に飛び込む知らない天井。染み一つない真っ白な清潔さは、まだ汚れを知らぬ新築の証明。

 一瞬の空白。状況を理解出来ない困惑とした感情のままに、リリィ・シュトロゼックは静かに呟いた。

 

 

「此処は」

 

「気が付いたのね。リリィ」

 

 

 ベッドに横になったまま、呟くリリィに掛かる声。顔を横へと傾けて、見上げた其処には見知った顔。

 オレンジの長い髪を頭の左右で束ねて伸ばして、ツインテールに纏めた少女。ティアナ・L・ハラオウンが少女の顔を見詰めていた。

 

 起きるまで待つ心算だったが、直ぐ目が覚めるとは幸運だった。そう嘯きながらに、立ち上がってカーテンを纏めている。

 窓を開けた少女の背を見て、呆然としていたリリィ。寝起き故に纏まらなかった思考はゆっくりと、明晰さを取り戻すと同時に冷静さを失った。

 

 

「ティアナ? ……そうだ。トーマがッ!」

 

 

 ぼんやりと、呆然と、そんな時間は残っていない。その事実を自覚して、リリィは慌てて立ち上がろうとする。

 穢土・夜都賀波岐の行動。トーマ・ナカジマの誘拐。天魔・夜刀の復活は間近で、己はそれを伝えなければならないと。

 

 慌てて立ち上がろうとして、言葉を捲し立てようとして、しかしその動きをティアナに止められる。

 目の前に広げられた女の掌。それに押し留められる様に、動きを止めたリリィに向かってティアナは言った。

 

 

「落ち着きなさい。もう大丈夫、分かっているわ」

 

 

 もう大丈夫。分かっているから。言われなくても、この現状は理解している。

 そう語る少女の言葉に度肝を抜かれて、熱が抜け落ちた様な表情でリリィは再びベッドに倒れた。

 

 ポカンと、そうとしか表現できない表情。そんなリリィに向かって、ティアナは己達が理解している事を説明する。

 

 

「また攫われたんでしょ、アイツ。大丈夫、取り戻す準備は出来てるから」

 

「ティアナ。どうして……」

 

「予想するのは不可能じゃない。想定出来ていれば、準備する事も出来るわよ」

 

 

 先にクロノが出した推論と同じだ。状況が答えを出している。トーマがリリィと居ない事、それが何よりの証拠である。

 故にこそ、既に準備は出来ている。リリィが眠り、そして今日に目覚めるまでの時。その間に建造された航行船は、出航の時を待っていた。

 

 

「それじゃあ、私は」

 

 

 とは言え、彼女の視点で見れば何を理由に推測したかも分からぬ状況。白百合が感じたのは、肩透かしにも似た無力感。

 伝えなければと必死になって、自分が戻らなければと意志を燃やして、だが辿り着いた場所で皆はもう知っていた。其処に、何も思わないで居られる筈もない。

 

 自分が戻らなくても、彼らは辿り着いたのではないか。間に合えたのではなかったか。

 前後の状況が分からなければ、そう判断するのも無理はない事。幼さがあればこそ、そんな感情を飲み込めない。

 

 故にぽすんと、気が抜けた様に呆然と。そんなリリィの様子を理解して、それでもティアナは何も言わない。

 

 リリィが居なければ、確証を得る事はなかった。彼女だけが帰って来なければ、これ程に切羽詰まってるとは気付かなかった。彼女の努力は無為じゃない。

 口に語るべき言葉はそれこそ山程に、数え切れない程に擁護する要素は存在している。だがそれでも、この今に言うべき事はそれじゃない。そんな弁護は必要ない。

 

 故にティアナは口にする。彼女が言うべき言葉は、たった一つしかなかったのだ。

 

 

「明日の朝、10:00時。クラナガン北部、旧臨海第八空港跡地」

 

「え?」

 

「閉鎖された空港を、秘密裡に再建していたのよ。其処のドックを使って、アースラⅡは建造されていたわ」

 

 

 ティアナが口にした言葉。それは穢土を目指して海を行く。アースラⅡの出航時間。

 既に用意は出来ている。既に準備は万端だった。彼女が目覚めるより前に、故にこそ――彼らはリリィを待っていたのだ。

 

 

「準備はとうに出来ていた。私達はね、貴女が起きるのを待ってたの」

 

「私、を?」

 

 

 ティアナは真っ直ぐに、蒼く輝く右目で見詰める。其処に映った光景は、彼女の歪みが見せた未来の断片。

 

 

「見えたわ。たった一つの方程式。私達が向かうべき、新たな世界に辿り着くべき道筋が」

 

 

 可能性はこの今、極めて微かで脆い筋道。だが、偶然を必然にする女が見た瞬間に確定した。

 見えた景色は見知らぬ校舎。悍ましいと睨み付ける黄金の瞳の目の前で、白百合の手が彼へと届くその光景。

 

 リリィ・シュトロゼックが其処まで辿り着いたのならば、トーマ・ナカジマは目を覚ます。それが未来の可能性。

 

 

「切り札は、私達。この目と、そして――リリィ・シュトロゼックと言う女」

 

 

 その景色が確かにある。その未来は確かにある。ならば、其処に続く道筋を一つ一つと埋めていく。

 切り札となるのは、ティアナとリリィだ。トーマの目が覚めたのならばその瞬間に、新たな世界は流れ出すから。

 

 

「気を抜くのは早いわよ。やるべき事はまだ存在している。だったら、何をするべきかは分かってるでしょ?」

 

 

 頑張った意味がないと、ウジウジしている暇はない。為すべきを終えたと、気を抜くには未だ早い。

 何を為すべきか。どう動くべきか。強い視線を向けて来る色違いの瞳を見詰め返して、リリィは確かに頷いた。

 

 

「ティアナ。その目で、道を照らし出して欲しい。私が歩くべき道を」

 

「任せなさい。アンタこそ、明るい道で立ち止まるんじゃないわよ。リリィ」

 

 

 今は身を休めて、全ては明日の朝から始まる。新たな世界を始める為に、二人の少女は戦場へと。

 ぎゅっと握った拳を前に突き出す。その拳に己の拳を軽く当て、互いの意志を確認する。そうして、二人は揃って言った。

 

 

『私達で、トーマを取り戻しに行こうッ!』

 

 

 迷っている暇はない。悩んでいる時間はない。落ち込んでいる必要なんて何処にもない。

 今は唯、真っ直ぐ前へ足を踏み出す。取り戻す為に、その手を彼に向かって伸ばす。そうする理由なんて、一つだけ。

 

 

(取り戻そう。トーマをこの手に、私達は、彼が大好きなんだからッ!)

 

 

 愛する人を取り戻す為、二人の乙女は前を見る。戦う力がない彼女らが、されど六課にとっての切り札。

 新たな世界を生み出す為、恋する想いを届かせる為、リリィ・シュトロゼックとティアナ・L・ハラオウンは穢土へ行くのだ。

 

 

 

 

 

2.

 森の奥にある小さな喫茶店。木で出来た扉が小さく軋んで、ゆっくりと開いていく。

 扉を開いた女性は其処で、立ち止まって男を待つ。かつんかつんと松葉杖が音を立て、彼はゆっくりと歩いていた。

 

 それは如何なる奇跡の産物か。或いはどれ程の幸運が重なった結果であるか。彼を知らぬ者らはきっと、神の御加護(そういうもの)と結論付ける。

 そんな考えを思い浮かべて、しかし栗毛の女は否定する。青年の努力を知っているから、それがポッと出の奇跡や幸運なんかじゃないと分かっていた。

 

 汗を流して、筋を引き攣らせて、何度も何度も倒れて転げた。その為に苦痛を味わって、それでも前に進む事を諦めない。

 見っとも無く、情けなく、優雅さなどとは程遠い。それでも諦めないで積み上げて、漸くに形になった今。彼は漸く、立って歩ける様になっていた。

 

 それを誰にも、誰かのお陰だなんて言わせない。高町なのははそう想う。その意志を、誰より間近で見詰めて来た。

 今は未だ短時間。杖を突かなければ、出歩く事すら覚束ない。それでも、まだ先へ。今より先へと見詰める瞳は揺らいでいない。

 

 

「それじゃ、行こうか」

 

 

 どちらからともなく口にする。お店の入り口に閉店中と看板を下げて、彼らは寄り添い歩き出す。

 深緑の色が立ち並ぶ中、涼やかな風を感じて歩く。男は支えを望んでおらず、だから女も彼を支えたりなどしない。

 

 金髪の彼は、一歩ごとに玉の様な汗を流している。それでも彼は動ける限り、自分の意志で前へと進む。

 そんな彼から半歩を下がって、共に歩きながらに見詰める。前を見詰め続ける瞳は、幼い頃から変わっていない。

 

 小さな頃に挫折して、それでも意地で奮起した。主の為に己を捧げた。そんな従者の如くに、己に誇れる道を選んだ。

 例え弱くとも、出来る事はきっとある。例えちっぽけなままでも、歩く事なら出来る筈。だから、前へ、前へ、それが青年の原点だ。

 

 ユーノ・スクライアは前を見ている。どれ程に苦しい状況でも前を見詰めて、一歩を確かに積み重ねていく。

 地に足を付けて、ゆっくりと歩く青年。そんな彼を見守りながら、高町なのはは一人想う。己は彼に、追い付けたのであろうかと。

 

 そんな高町なのはの視線を感じて、前に進みながらにユーノは想う。月を照らす太陽に、彼が感じた想いは同じだ。

 空に身を投げ出して、飛び去っていく女。気付けば遠ざかっていく彼女に対し、己は追い付く事が出来たのだろうか。

 

 理性は語る。感情は語る。どちらも否と。追い付けてなどいないのだと。

 それでも、隣に居る。追い付けてはいなくとも、この今に寄り添っている。

 

 ならばきっと、それが答えなのだろう。その事実を前に、共に抱いたのは満足感。これで良いのだと、二人揃って感じていた。

 

 

「ねぇ、ユーノくん」

 

「なんだい、なのは?」

 

 

 木々の間をゆったりと、土の道をゆっくりと、進みながらに言葉を交わす。口にするべき内容は、今に迫った最後の戦場。

 

 

「もう直ぐだね。もう直ぐ、これがきっと最後」

 

「そうだね。もう直ぐに終わる。いいや、始まるのかな」

 

 

 明日に迫った穢土決戦。凍った地獄が終わりを迎えて、新たな世界が始まる日。

 そうしなければならない。そうならなければいけない。それが今まで守られた、黄昏が末裔の役割だと知っている。

 

 

「私は行くよ。今を壊す事、それが私が果たさなくちゃいけない事だから」

 

 

 穢土決戦。大天魔の領土である彼の地では、彼らはその真なる力を取り戻す。ミッドチルダで戦った、あの日の比にはならぬであろう。

 そしてその戦場は、生半可な形にはならない。素直に退いてはくれる事はない。ならば彼の地は即ち死地だ。生きて帰れる保証など、何処にも在りはしないのだ。

 

 故にこそ、高町なのはは向かうと語る。故にこそ、彼女は口に出さずに思っている。ユーノ・スクライアには、来て欲しくはないと。

 

 彼は足手纏いだ。魔力は欠片も残っておらず、身体も上手くは動かない。そんな状態でしかない。

 ナンバースと言う武器こそあるが、其処に幾つも術式を入れてはいるが、それでも戦力と数えられる状態ではないのである。

 

 強大なる大天魔。真なる力を発揮する彼らを前に、ナンバースと身体補助魔法だけでは力不足だ。

 相性の良かった天魔・宿儺でさえ、今の彼では相手になるまい。故にこそ、高町なのはであっても死地と感じる戦場に、彼を連れて行きたくなんてない。

 

 

「…………」

 

 

 そんな想いが伝わったのか、それとも自分の現状を分かっているからか、ユーノは口を開かない。

 一歩、一歩と進みながらに前を見詰める。そんな彼の思考を知ろうと思えば知れたのだろうが、それは無粋と高町なのはは望まなかった。

 

 二人揃って前へと進む。言葉を交わす事はなく、彼らは前へと進んで行く。

 まるで自分に何かを課しているかの様に、進み続けるユーノ・スクライア。一歩一歩と進む中で、彼は想いを形にしていく。

 

 役に立たないなんて分かっている。何も出来ないなんて知っていた。それでも、歩き続けた事が彼の意地。

 だからこそ、答えなんて決まっている。ならばこそ、進む道は唯一つ。其処へ辿り着いた時、ユーノは杖を手放した。

 

 森を抜けた先にある公園。その入り口で杖を捨て、よろけながらに前へと進む。

 一歩、一歩、また一歩。倒れそうになりながら、それでも進んだユーノは其処で振り返る。

 

 

「ねぇ、覚えているかな? 僕らが出会った、事件の始まり」

 

 

 語るならばこの場所で、あの日の公園によく似たこの場所で。此処まで辿り着ける事、それが己に課した事。

 それを成し遂げた青年は、嘗てを思い出しながらに笑う。ボロボロの身体に笑みを浮かべて、そうして過去を振り返る。

 

 

「あの日もこんな公園で、今は変身魔法を使えないけど、ボロボロ具合は似たり寄ったりの状態だ」

 

「うん。覚えているよ。忘れるなんて、はずがない」

 

 

 笑うユーノの瞳を見詰めて、なのはは確かに頷き返す。覚えている。忘れるものか。あの日に語った言葉の全て。

 太陽の光に目を焼かれてしまった弱い少年は、何も考えずに少女に頼った。愚かに過ぎた小さな少女は、抱いた劣等感を覆す為に戦場へと出た。

 

 素直に言える。愚かであった。考えなしにも程があったと。だからこそ、幾度も悲劇があったのだ。そんな痛みの記憶の始まり、忘れる筈なんてない。

 

 

「ロストロギア。あまりにも発展し過ぎた文明が作り上げたとされる、行き過ぎた発明品。僕らを繋いだ一つの偶然」

 

 

 何度も泣いた。何度も叫んだ。何度も苦痛に倒れて伏して、何度も何度も後悔した。

 それでも、その度に立ち上がった。立ち上がって、前に進んだ。その先に、この今がある。

 

 間違っていた。考えなしだった。それでも、あの日の選択があったからこそ、こうして今此処に居る。

 最初の想いが間違っていても、貫いたのならば其処に嘘偽りなんてない。歩いた道は、決して間違いなんかじゃない。

 

 詰まりはそう言う事なのだろう。ユーノはそう感じている。そんな想いが、なのはの内にも流れて来た。

 故にこそ、なのはは僅かに微笑み語る。嘗てを思い出す様に、悪戯を仕掛ける様に、小さく笑いながらに言った。

 

 

「……そんな危険な物が、どうして海鳴に?」

 

 

 唐突なその発言。この場に似つかわしくはない言葉。それでも、それにユーノが気付かない訳がない。

 あの日の事を振り返って、そんな最中に口にしたのはあの日の言葉。全く同じ言葉を前に、青年も微笑みながらに同じく返す。

 

 

「ごめん。僕の所為なんだ……」

 

 

 台詞を思い返しながら、緩みそうになる頬を抑える。笑顔を隠して、真剣な表情と言う仮面を被る。

 そうして出来上がったのは、不器用な二人の拙い演劇。嘗て交わした遣り取りを、違う想いを抱いて紡ぐ。

 

 

「輸送船が襲われた時に守り抜ければ、……いや、そもそも僕がジュエルシードを発掘しなければ」

 

「ううん。君の所為じゃないよ」

 

「……ありがとう。ごめんね。……ええ、と」

 

「なのは。私は高町なのはだよ」

 

「ありがとう、なのは。僕はユーノ。ユーノ・スクライアです」

 

「それじゃ、ユーノくんって呼ぶね」

 

 

 出会った頃に交わした言葉。あの日は心が離れていて、されど今は繋がっている。

 魂が交わっているから、ではない。共に寄り添いたいと願えているから、擦れ違う事なんてありはしない。

 

 

「くすっ」

 

「ははっ」

 

 

 繋がりを感じて温かく、拙い演技に噴き出す様に、揃って笑顔を浮かべる男女。

 そんなふざけた遣り取りが、何処までも愛おしい。そう思える程に強く、強く互いを求めている。

 

 だからこそなのはは、思考を読まずに居ても、ユーノの語ろうとする想いに気付いていた。

 

 

「ああ、本当に懐かしい」

 

 

 青年は少年だった頃を思い出す。女は少女だった頃を思い出す。

 一緒に行こう。そう語りながらも何処までも離れていた、そんな始まりを思い出す。

 

 懐かしいと思う程に昔、十年の時が過ぎ去って変わった物。変わらない物が確かにあった。

 

 

「あれから十年。あの日の様に、また君は戦場へと進んで行く」

 

 

 変わった物は二人の関係。抱き締めた身体は育って、二人は確かに大人になった。

 変わらないのは、彼女の決意。因となる想いが変わろうと、戦地に向かうと言う果は変わらない。

 

 そして同じ様に、変わらない事がある。それは此処に立つ青年。彼が未だに、無力であると言う事実。

 あの日以上にボロボロで、身体は満足に動かない。あの日以上に弱くなって、それでも心は確かに変われた。

 

 

「僕はまだ、あの日の様に弱いままで――だけど、少しだけ変われたんだって思うから」

 

 

 不安に怯える心はある。怯懦に震える心はある。痛みを叫ぶ感情も、逃げ出したい弱さもある。

 それでも、前に進む意志がある。力は無くても、前に進もうとする意志がある。残酷な今を、乗り越えんとする意志がある。

 

 だから、ユーノ・スクライアは彼女を見詰める。誰より愛した女に向かって、己の決意を口にした。

 

 

「一緒に行かせて欲しい。何も出来ないかも知れないけど、何かが出来るかも知れないんだ」

 

 

 理性で考えるならば、ユーノの選択は何処までも間違いだ。彼にしか出来ない事など、何一つとしてありはしない。

 多くの天魔に対して、出来る事など何もない。宿儺の相手をするにした所で、地球から武術家でも連れて来た方が勝機がある。

 

 感情で考えるならば、ユーノの選択を否定したい。彼に出来る事など何もなく、生きて帰れる保証もない。

 此れから挑むは最後の戦場。過去最高となる戦乱の地。其処に愛する人を無防備で、突き落とす事をどうして認められようか。

 

 

「……うん。そうだね」

 

 

 それでも、その瞳に憧れた。その意志の強さにこそ、心惹かれて想いを寄せた。その輝きこそを望んだのだ。

 だから想う。だから願う。この輝きを穢したくはないと、それが女の祈りであった。ならば足を引く事など、彼女に出来る筈がない。

 

 故になのはは答えを返す。彼を止められない事に苦痛を感じて、共に居てくれる事に歓喜を覚えて、女は笑顔で言葉を紡いだ。

 

 

「私一人じゃ駄目なんだ。だから、さ。ユーノくん」

 

 

 あの日の焼き直し。同じ様に口を開いた彼に合わせて、彼女が言うのはあの日の言葉。

 自分一人じゃ駄目なんだ。そう語った彼の言葉を此処に借り、あの日と同じ様に手を伸ばす。

 

 其処に抱いた感情は、或いはあの日の彼と同じか。そんな事を想いながらに、伸ばした手は握り返された。

 同じ想いを此処に抱いて、同じ言葉を口にして、同じ様に戦地に向かう。それでも今度は、心が擦れ違う事はない。

 

 

「力を貸して、一緒に行こう。二人ならきっと、超えられない物なんて何もない」

 

 

 言葉はきっと本心から、其処に偽りなんてない。彼が共に居るならば、負けはしないさ負けられない。

 男と女はあの日の様に、少年少女の誓いを立てる。高町なのはとユーノ・スクライアは、共に穢土へと向かうのだ。

 

 

 

 

 

3.

 クラナガン北部。旧臨海第八空港跡地。災禍に崩れ落ちた表層から、奥へ奥へと潜航したその先。

 広い広い空間に、白く輝く巨大な船体。再建されたアースラⅡを前にして、八人の精鋭達が揃っていた。

 

 エースオブエース。至高の魔導師。黄金を継いだ求道神。高町なのは。

 解脱に至り掛けた者。女の呪詛(アイ)に縛られて、この地に繋ぎ止められた男。ユーノ・スクライア。

 

 万象流転の担い手。管理局が誇る若き英雄局長。クロノ・ハラオウン。

 盾の守護獣。主を想う復讐鬼。されどそれでは終わらぬ者。ザフィーラ。

 

 狩猟の魔王を継いだ者。赤き炎を燃え上がらせる、慈愛と苛烈を持つ女。アリサ・バニングス。

 白貌の吸血鬼。初恋の天使。夜と昼を継承し、己の血筋を肯定し、闇を統べると定めた女帝。月村すずか。

 

 未来を視る瞳を持つ少女。決して強くはなく、それでも不屈の闘志を抱いている女。ティアナ・L・ハラオウン。

 黄昏の模倣と作り出されて、その果てに己を見付けた恋する乙女。小さく儚い百合の花。リリィ・シュトロゼック。

 

 以上、八名。彼ら八人こそが、管理局に残った最精鋭。穢土へと挑む決戦メンバー達である。

 

 

「さて、作戦を確認するぞ」

 

 

 集まった者らを前に、クロノ・ハラオウンが口を開く。皆の中心へと立って、局長が語るは作戦内容。

 穢土侵攻。その目的は唯一つ。世界を終わらせない為に、全てを凍らせない為に、そして新たな世界を生み出す為に、全てが一つで果たせる事。

 

 

「要点は一つだ。リリィとティアナを何としてでも、トーマの元へ辿り着かせる」

 

 

 トーマ・ナカジマの救出。それが作戦の目的。彼らが絶対に、為さねばいけない必要事項。

 ティアナの瞳が見た未来。それを現実の物に変える為に、彼女達を穢土の最奥へと辿り着かせる事こそ要点だ。

 

 究極的には、夜都賀波岐を倒す必要すらありはしない。トーマを救出出来ればその瞬間に、彼らの勝利は確定するのだ。

 

 

「トーマを取り戻せば、新世界は流れ出す。即ち、その時点で僕らの勝利だ」

 

 

 リリィの証言を聞いて確信した。彼が攫われる直前に辿り付いていた、流出位階のその階。

 あの失楽園の日を考えれば、簡単に予想する事が出来る。あの時に見た協奏の、上位互換と言うべき力。

 

 それを発動させられれば、互いの戦力値は引っ繰り返る。彼が流れ出せば、この世界の寿命が解決する。

 故にこそ、トーマの救出こそが最優先目標。それを達成できれば、その時点で機動六課の勝利は確定するのである。

 

 

「私達の役割は、道を拓いて進む事」

 

「出来る限り多くの戦力を残したまま、穢土の最奥へと侵攻する」

 

 

 月村すずかとアリサ・バニングスが確認する様に口にする。それは何より、優先すべき共通事項。

 リリィをトーマの元へと送り届ける。その際に出来る限りの戦力を維持出来れば、それに超した事はない。

 

 リリィとティアナだけでは、常世が守るトーマの救出には不足があろう。

 故にこそ、其処に行くまでに戦力を残す事。最低限の戦力配分で、夜都賀波岐を止める事こそ勝利に必要な要因だ。

 

 

「最低限の戦力で、夜都賀波岐を拘束する。それが作戦の根幹って事かな」

 

「とは言え、倒せるならば倒してしまっても良いのだろう?」

 

「無論、当然だ」

 

 

 ユーノがそれを確認し、ザフィーラが強気に笑ってみせる。そんな男達の言葉を、クロノが頷き肯定した。

 悪路。母禮。奴奈比売。宿儺。大獄。彼らに邪魔をさせない為に戦力を配して、それでも配した戦力が突破出来るならそれに超した事はない。

 

 この先を死地と捉えている。終わるべき場所だと決めている。そんな男達は此処に、決着を付けるべき相手の姿を幻視していた。

 

 

「これから先は、時間との勝負」

 

「私達が辿り着くのが先か、天魔・夜刀が甦るのが先か」

 

 

 ティアナとリリィが案じる様に不安を語る。敗北に至る要素がそれだ。間に合わない事、それこそ避けねばならない事。

 全てを凍らせる訳にはいかない。彼を消滅させる訳にはいかない。愛した男を取り戻し、共に未来を生きる事を望んでいる。

 

 恋する乙女が立ち向かうのは、愛に狂った天魔の指揮官。同じ男の別側面を、愛する者らの戦いだ。

 負ける訳にはいかない。敗れるなんて認めない。諦めるなんてあり得ない。己の想いは負けないのだと、彼女は意志を強くする。

 

 

「行こう。皆」

 

 

 思い思いに想い耽る。最後の戦いを前にして、高町なのははその手を伸ばした。

 その手と瞳を見詰めて、何がしたいか理解する。そんな彼女の恋人と友達が、他の者らを促していく。

 

 八人全員で円を組む。伸ばしたなのはの手に、皆が一人一人と己の手を重ねていく。

 性に合わない。恥ずかしい。そんな風に想いながらも、これが最後と想いを重ねる。そうして彼らは、互いを見詰めた。

 

 

「これが最後の決戦だッ!!」

 

『応ッ!!』

 

 

 重ねた手を振り下ろして、皆で言葉と心を一つとする。願う先は唯一つ、新世界の開闢だ。

 古き過去を終わらせて、此処にある現代を未来へと繋げていく為に。機動六課は、穢土の大地へ出陣した。

 

 

 

 

 




○おまけ
ユーノ「なぁ、クロノ。割と我ながら鬼畜過ぎる作戦思い付いたんだけど」
クロノ「何だそれ。……正直聞きたくないが、まぁ言ってみろ」
鬼畜フェレット「穢土の座標が分かるなら、なのはがミッドからロンギヌスで絨毯爆撃すれば良くね? 隙間なくロンギヌスでファランクスシフトやった後に、残った大獄を囲んで棒で殴るのが最強だと思う」
クロ助「ちょっ、おまっ!? それは色んな意味でやっちゃ駄目だろうッ!?」

※尚、それをやるとトーマ君が蒸発するので、お蔵入りした模様。




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第二話 穢土侵攻

俺が遅い? 俺の投稿がスロウリィ? 速さが足りないッ!!

……次回は宣言通り、本当に遅くなる予定です。
出来ればDiesアニメが放映する前に完結したかったけど、多分年内完結が精々だろうなぁと思うくらいの速度を予定しております。

推奨BGM
1.此之命刻刹那(神咒神威神楽)


1.

 第零接触禁忌世界、穢土。全ての次元世界が始まった惑星が、目に見える程に近付いている。

 迫る最後を前にして、艦橋に居る八人誰もが唾を飲む。完全な機械制御で航行する艦内に、存在しているのは彼らだけ。

 

 

〈Confirmed EDO. The remaining time is approximately ten minutes until arrives at the gravisphere.〉

 

 

 機械音声のアナウンスが時を数える。到達まで残り十分。その推定時間に間違いは、ありえないと断言出来る。

 次元の座標。世界の位置。それは既に知っている。古き者らが遺したのだ。御門顕明。最高評議会。無限の欲望。その遺志が、同じ道を示している。

 

 彼らは各々、掲げた理想が違っただろう。それでも、新しい世を望んだ点では一致していた。ならばきっと、この情報に虚偽はない。

 そう信じている。信じたいのではない。心の底から己の意志で、確かに彼らの遺志を信じた。故にこそ、間違っているなんて思いもしない。

 

 

「準備は良いな」

 

 

 黒いバリアジャケットを纏って、クロノ・ハラオウンは言葉を伝える。彼へと返る反応は、力強い皆の頷き。誰もがもう、意志を固めた。

 桜と赤と青と橙。席を立ち上がった女達は、己の魔力で戦闘装束を展開する。ユーノは巨大な複合兵装をその手に持ち、ザフィーラが時の鎧を駆動する。

 

 各々、戦闘に備える男女を前に一人。立ち上がって、しかしそれだけと言う少女も居る。

 白百合の乙女。リリィ・シュトロゼックの変わらぬ姿は、準備が出来ていないと言う訳ではない。元より彼女は戦士ではないのだ。

 一人では戦えないのなら、戦う事がそも愚策。ならば平時の姿で問題ない。彼女が用意するべき物は、胸に抱える覚悟だけで十分なのだ。

 

 

「予定通り、重力圏に到達する直前に転移する。神域深くに切り込むなどは出来ないが、行ける所まで一気に跳ぶぞ」

 

 

 穢土と言う世界は、夜都賀波岐にとっての本拠地だ。彼らの領土の内側で、強制力の競い合いなどしても勝てはしない。

 その体内で可能な転送。転移の距離は、極めて限定的な物となるだろう。クロノの歪みを用いたとして、掌握できる事象は限られる。

 

 故に、先ずは此処から跳ぶ。船でゆるりと降下をすれば、先ず間違いなく撃墜される。だから此処から、一気呵成に侵攻するのだ。

 そんな局長の言葉に、誰もが無言で頷き返す。奥へ向かう者。足止めを行う者。既に割り振られて役割を、誰もが己が内で反芻し――

 

 

「行くぞ。――万象・掌握ッ!!」

 

 

 メインモニタに穢土と呼ばれる蒼き星が映った瞬間、クロノはその異能を行使した。

 そうして感じる浮遊感。一瞬の内に景色がガラリと切り替わり、八人全員が雲に包まれた淀んだ空に投げ出される。

 

 落ちる。落ちる。落ちていく。そんな浮遊感から続く重力落下。されど覚悟が胸にあればこそ、誰も動揺などしない。

 飛行魔法で飛翔する者。夜の血筋を利用して、肉体を変異させる者。爆風を背や足元に起こして、空を跳躍する者。巨大な盾を浮遊させ、ボードの如く乗りこなす者。

 

 自力で飛べない少女が二人と出るが、その表情に怯えはない。彼女らが落ちる前に、ユーノがその身を受け止める。

 それは事前にあった取り決めの通り、戦力として劣る彼の役割。三人乗りのライディングボードに、火を入れ空を飛翔する。

 

 

「此処が、穢土」

 

 

 桜色の魔力を纏った高町なのはは、胸を突く感情に一つ呟く。溢れ出す様な感慨が、確かに言葉に宿っていた。

 それでも浸っている様な時間はない。一秒にも満たぬコンマの間に思考を切り替え、暗き雲に覆われた空を飛翔した。

 

 前へ、先へ、奥へ。高町なのはを筆頭に、列を成して飛んでいく。彼らが落ちた場所は奇しくも穢土の入り口、淡海と呼ばれた境界だった。

 僅か飛翔すれば、其処に着く。魔導師の速度を考慮に入れれば、淡海は決して広くはない。境界を越えた先にあるのは、決して破れぬ不敗の関だ。

 

 故に、不破之関より彼らが来る。その二つの神威はその瞬間に、己の地獄を顕現させた。

 

 

「無間・叫喚」

 

「無間・焦熱」

 

 

 戦闘前の前口上、名乗り上げすら其処にはない。彼らにとっての全力とは、遊びが一切ないと言う事。

 万象全てが腐敗する。万象全てが燃え落ちる。腐った風と地を焼く業火。降り注ぐ雷光は、既に嘗ての比ではない。

 

 此処は彼らにとっての最重要地。敵地であった第一管理世界とは異なって、この今こそが彼らの全力なのである。

 

 

「天魔・悪路ッ! 天魔・母禮ッ!」

 

 

 迫る地獄を前にして、一体誰が口にしたのか。名を呼ばれようと彼らは不動。さあ乗り越えてみせろと変わらない。

 だが揺るがないのは六課も同様。黄金より継承した記憶を共有した事で、彼らの真は知っている。故に先ず真っ先に動くであろうと、予測は既に出来ていた。

 

 知識があれば、予測ができる。予測が出来れば、対策を組み上げられる。前以て必要となる要素を揃えたならば、乗り越えられない窮地などは何処にもない。

 

 

「涅槃寂静・終曲ッ!!」

 

 

 押し迫る二つの覇を前にして、動くは蒼き守護の獣。これが最期の戦いと、ならば余力を残そうなどと思わない。

 敵が全力ならばこちらは全霊。死に物狂いで力を発して、太極がぶつかり合う間に溝を生み出す。その僅かな空間は、誰も支配してない領域。

 

 渇望力を競い合い、所有権を奪い合うなら打ち勝てない。それでも、誰も支配していない空間ならば話は別だ。

 僅かに開いたその場所を、奪われる前に支配する。そうして万象流転の担い手は、其処で彼らを更にと前へ跳ばした。

 

 不破之関。決して破れぬ城壁を、六つの影が越えていく。破れないものなんて、ありはしないと言うかの様に。

 天魔はいかせるものかと刃を握る。この城壁を超えさせるかと、だが残る男達も許しはしない。彼らが残った理由は、その為なのだ。

 

 

「計斗・天墜」

 

 

 大天魔が背を向けた瞬間に、落ちて来るは巨大な隕石。そしてその影から迫る、処刑の刃を背負った獣。

 無抵抗で受ければ傷となる。無防備で受ければ被害を受ける。故に二柱の大天魔は身を翻し、先ずは彼らを敵と定めた。

 

 燃え上がる獄炎が、巨大な石を蒸発させる。腐毒を孕んだ暗き颶風が、迫る獣を吹き飛ばす。

 どちらも容易く、男達の初手を防ぎ切る。無傷で変わらずある姿に、クロノとザフィーラは怯懦を燃やして向き合った。

 

 

「お前達が、私達を相手にするのね」

 

 

 初撃を防がれ、関を超えられ、此処に至って漸くに相手を捉える。対等に向き合い打破するべき、敵として此処で初めて認めた。

 故に赤く染まった瞳で敵を睨んで、口にする言葉は最早ただの確認事項。天魔・母禮は燃える様な赤い瞳で、眼前に立つ二人に向けて剣を構えた。

 

 

「憎悪を燃やし、憤怒を叫び、我らを討つか」

 

 

 何処かで見知った顔である。確かに覚えている者である。故にこれは復讐か。奪われた者の慟哭だろうか。

 奪った男は静かに問う。お前達は何故此処に残ったのかと、問い掛けながらに睨み付ける。悪路の瞳は、何処までも腐って淀んだ色をしていた。

 

 情を燃やし尽くす様な烈火の瞳。全てが腐り切った死人の冷たさ。相反する視線に籠った力は、どちらも共に強烈だ。

 見ただけで燃える。見ただけで腐る。そうした神域の存在が、相手を敵と見定め睨む。その視線の重圧に、潰されずに居られる道理がない。

 

 カラカラと喉が渇いて、肌に感じる威圧は痛い程。自死した方が遥かに楽だと、そう思えてしまう圧を前にする。

 そして、笑った。それは怯懦を隠す様な強がりで、それでも二人は確かに笑った。笑みを浮かべて揺るがぬ瞳で、彼らを見詰めて言葉を紡ぐ。

 

 

「いいや、個人の恨みだけではない」

 

 

 此処に立った理由は、個人的な恨みだけと言う訳ではない。憎悪を叫ぶ為に、此処にやって来た訳ではない。

 盾の守護獣は瞳を閉じて、脳裏に嘗てを思い浮かべる。どれ程に愛そうと、最早戻らぬその輝き。小さく儚い少女が望んだ、当たり前に生きる明日。

 

 それを思い浮かべて、憎悪が沸き立ち憤怒が燃え上がる事を自覚する。それでも、心の内にあったのは、憎悪(それ)だけではなかったのだ。

 

 

「重ねた因縁。募った想い。その全てを此処に――だけど、それだけではないんだ」

 

 

 目の前に立つ腐った男は、愛する人を奪い去った。父を、母を、或いは妻となった女性を奪い去った。

 其処に何も思わない訳がない。この一時に、足止めを請け負った理由は或いはそれか。だとしても、クロノの心はそれだけではないのである。

 

 失った者が確かにある。守れなかった者が確かにある。届かなかった弱さがあった。

 それでも、今に何もない訳ではない。明日に繋いでいくべき者があるならば、それこそ戦う最たる理由だ。

 

 

「……君達の決意が如何で在れ、僕らの役目は変わらない」

 

 

 憎悪と憤怒を此処に抱いて、それでも答えはそうではない。強がりながら語る決意に、悪路は僅かに瞳の色を変えていた。

 だが、だから何かが変わるかと言えば、何も変わりなどしない。如何なる決意を向けられ様と、その在り様は変わらないのだ。

 

 

「そう。だから来なさい。次代の英雄」

 

 

 故に語る。故に示す。己の意志はこの今に、これを遺志へと変えてみせろ。

 過去を乗り越え、今を守り通し、そして未来を求める為に。夜都賀波岐と言う残骸は、唯その為だけに残っている。

 

 

「此処で君達を殺す」

 

「そして、抜けた者らも追い掛け殺す」

 

『滅侭滅相。誰も生かして帰さない』

 

 

 二柱の決意は即ちそれだ。此処でクロノとザフィーラが倒れたならば、彼らは抜けていった者らを追おう。

 そして、その背を切り付ける。如何なる状況であれ、如何なる目的であれ、全て取るに足りぬと叩き切る。躊躇いなどある筈ない。

 

 他の天魔達を足止めする仲間達が、その最中に後背を突かれればどうなるか。結果は予想するに容易いだろう。

 戦闘中に割り込んで、不意を打ってその首を落とす。そんな恥知らずな行いですら、全て許容してみせよう。そう言う意志が、その目にある。

 

 故にこそ、負けられない。彼らを此処で食い止めて、勝利を確かに掴んでみせる。

 想いを胸に、決意を抱いて、男達は前を見詰める。彼らに必ず勝利する。己が魂にそう誓って、二人は此処に啖呵を切った。

 

 

「主が愛し、生きたいと願った日常。小さく儚い。だが、確かにあった幸福の景色」

 

「それを此れからも紡いでいく為に――消えて貰うぞ、嘗ての英雄ッ!!」

 

 

 クロノ・ハラオウンはデュランダルをその手に携え、盾の守護獣ザフィーラはその力を最大限に行使する。

 天魔・悪路は無言のままに、片手で先が折れた大剣を。天魔・母禮は嘗てを思い出しながら、その両手に二つの剣を握り締める。

 

 第一の戦場は此処、不和之関。嘗ての因縁を清算し、明日を繋いでいく為に――現代(イマ)の英雄は、過去(カツテ)の英雄へと挑むのだ。

 

 

 

 

 

 二つの地獄に生まれた隙間。切り拓いたその道を、飛び越えた彼らは北上する。

 向かうべき場所、それを知るのは白百合だ。彼女が持つ一つの繋がり、誓約を辿る形で進んで行く。

 

 高町なのはが最前列を警戒しながら飛翔して、ナビゲータを抱えるユーノが彼女に続く。

 そんな彼女らを庇う様に、蝙蝠に変じて飛ぶ月村すずかと、炎を爆発させながら跳躍を繰り返すアリサ・バニングス。

 

 不和之関を北へと抜けた山間部。鬼無里の上空を、彼らは戦列を成して進んで行く。

 その戦列。この隊列。最も脆い場所は何処か。見詰める魔女は問うまでもなく、それを確かに此処に見抜いていた。

 

 故にこそ彼女が動く。誇りも矜持も友情も、全て裏切り捨てると決めた。そんな魔女の咆哮が、此処に津波となって現れた。

 

 

「無間ッ! 黒縄ォォォォォォォォォォォォッ!!」

 

 

 顕現したのは巨大な神相。襲い来るのは大海嘯。荒れ狂う影の大波は、上空を飛翔する者らを飲み干す程に強大だった。

 まるで壁だ。湧き上がる影は断崖として、その隊列を叩き切る。誰もを飲み干すではなくて、列の隙間を広げる様に溢れていた。

 

 そうとも、魔女は分かっている。己の力量を正しく理解出来ていて、故に彼女は見極めていた。

 己の実力で如何にかなる限界点。その領域を僅かにはみ出した所、天魔・奴奈比売の持つ性能で行える事を行うのだ。

 

 

「アンナッ! アンタが私を相手にするっての、上等じゃないッ!!」

 

 

 影の津波が狙ったのは、六課が持つ戦力の分断。空を飛んで前へと向かう。その戦列で、最も崩しやすかったのが彼女である。

 飛翔魔法を苦手としている。故にこそ足下を爆発させながらに跳躍する。そんな移動は隙だらけ、足を引く対象と選ぶのに十分過ぎる要因だ。

 

 故に影に進行を遮られ、アリサは大地に落ちていく。小刻みな爆破で落下速度を調節しながら、舞い降りた女はその手に剣を握って振り被る。

 

 

「修羅曼荼羅――大焼炙ッ!!」

 

 

 燃え上がる城壁(ツルギ)。影の津波に対する様に、炎の津波が湧き上がる。激痛の剣はあっさりと、影の海を消し去った。

 それも当然。如何に天魔がこの地で本来の力を取り戻そうと、元の実力差を覆せない。赤き騎士を継いだ女は、既に彼女を超えていた。

 

 迫る影を焼き尽して、女は此処に笑みを浮かべる。来るなら来いと、そんな想いを抱いた女にとってこれは好都合。

 第一陣が夜都賀波岐の兄妹ならば、次に来るのは彼女であろう。そんな彼女を取り戻す為に、戦うならば自分が行こう。

 

 それが此処に来る前に、アリサが心に決めた事。大切な友を取り戻す為に、皆に向かって口にした事。

 故にこそ、前を行く者らは不安を感じない。故にこそ、此処に居る女は怯懦を覚えない。故にこそ、彼女達は見落とした。

 

 

「――ッ!? いないッ!!」

 

 

 何ら抵抗なく焼き尽くされる影の海。太極の発現を一方的に消し飛ばしたアリサの顔に浮かぶのは、予想に反する事実への動揺。

 己を足止めする為に、そうと思われたその太極。それを放った下手人が、影も形も見当たらない。天魔・奴奈比売と言う名の魔女は、太極発動と同時に次の一手を放っていたのだ。

 

 

「アイツ、一体何処に――んなっ!?」

 

 

 驚愕に目を見開く。信じられないと言わんばかりに、その光景に唖然とする。思考が此処に硬直した。

 あり得ない。己の実力を明確に理解して、知性に溢れる魔女だからこそ。そんな選択は、あり得る筈がなかったのだ。

 

 

「アンナちゃんッ!?」

 

 

 驚きの声を上げたのは、飛翔を続ける月村すずか。その眼前、目と鼻の先と言わんばかりの至近距離に魔女が居た。

 天魔・奴奈比売はニヤリと嗤う。彼女を知るが故にこの状況に即応できない。そんな友らの姿を嗤って、彼女は此処に吠え上げる。

 

 

「悪いわね、すずか。アンタも堕ちろォォォォォォォォォッ!!」

 

 

 湧き上がる黒き影。溢れ出す女の地獄に、すずかは思考を切り替える。未だ驚愕は抜け落ちないが、脅威を前に身体は動いた。

 

 

「修羅曼荼羅――楽土・血染花ッ!!」

 

 

 迫る影が己の身を落とすよりも前に、その津波を吸い尽くす。簒奪する力に抗えず、影はすぐさま消えていく。

 されど、襲い来る津波は一つじゃない。二層三層、破った先にまた溢れる。黒き影の脅威は止まらず、すずかは先へと進めない。

 

 足を止められたすずかの姿に、僅か迷うなのは達。このまま先に向かうべきか、或いは否か。

 予定と違う状況に、驚くのは一瞬だ。最悪は此処で時間稼ぎをされる事。そうと思い直せばこそ、後を任せて先へと進む。

 

 飛び立っていく彼女らを、天魔・奴奈比売は黙って通す。彼女の今の役割は、単純な足止めだけではない。

 そうでなくとも、元より既に手一杯。両手に掴んで溢れ出す程に、己の無謀を理解しながら彼女は笑みを浮かべていた。

 

 

「はっ、随分と舐めてくれたじゃない」

 

 

 無数に重ねた影の層。それを燃え上がる紅蓮の剣が、焼き尽くして道を斬り裂く。

 妨害がなければ、女が辿り付くのは一瞬。簒奪の夜と激痛の剣の双方に、耐える力は影にはない。

 

 

「私達二人を、一人で相手にする気? 幾ら何でも、侮り過ぎじゃないかな」

 

 

 影の海を吸い尽くしながら、月村すずかは思考を切り替える。足を引かれて止められたものの、未だ彼女が敗れた訳ではない。

 故に先ずは友を二人掛かりで、その後に合流すれば良い。ましてやアリサの消耗も抑えられるなら、この状況は好都合とも言えるだろう。

 

 それでも、感じる苛立ちは隠せない。背中合わせに立つ二人。アリサもすずかも怒っている。

 舐めたな。侮ったな。私達二人をたった一人で止められるなどと、驕り昂り見下す心算か。彼女達は友を見詰めて、怒りを内に燃やしていた。

 

 

「……えぇ、そうね。そんなの、気付いてるわよ」

 

 

 傲慢だと詰る声。慢心だと見詰める瞳。その二人の言葉を耳にして、天魔・奴奈比売は確かに認める。

 己一人で彼女達を止めようなどと、明らかに無謀が過ぎる事。そんな事実、この魔女は既に理解していた。

 

 

「皆、先に行ってしまうの。私は置いて行かれるだけ、気付けば貴女達の方がずっと前に行っている」

 

 

 アリサとすずか。どちらか片方だけを相手にしても、十度戦って一か二か。己の勝機はその程度。

 彼女達は既にどちらも、自分よりも強くなっている。それを素直に認めた上で、それでも魔女が選んだのはこの道だ。

 

 

「それでも、ね。意地があるの。理由がある。あの大馬鹿の所為で、腹を括っちゃったのよ。だから、さ」

 

 

 天魔・宿儺は先に嗤った。誰もが必死に全力を尽くせば、彼の策謀は成るのだと。そんな彼が、しかし動いた。

 その理由は、奴奈比売が退こうとしたから。彼女が止めるべき戦力が、自由になれば策が崩れ去る。両面が抱いた大望は遠く、故に策謀の均衡は極めて繊細なのである。

 

 そう。宿儺が描いた絵図面を、覆し得るのは彼女達。アリサ・バニングスと月村すずか。

 両面が策謀によって選ばれ、魔女によって力を与えられた者。そんな彼女達がその策を覆し得る要素になるなどと、それは一体如何なる皮肉か。

 

 笑い、嗤い、哂いながらに女は告げる。意地があって理由がある。だからこそ、魔女は此処にその強がりを見せるのだ。

 

 

「舐めるな? 侮るな? 百年も生きてない様な小娘共を、私一人で止められない?」

 

 

 一対一でも敵わない。二対一なら結果は言うまでもなく、勝機など何処にもある筈なんてない。

 それでも、それは命の奪い合いに限った話。相手を必ず殺すのだと、殺意を向け合った場合の話。この今の状況は、それとはしかし違うのだ。

 

 

「この私を――」

 

 

 ならば、天魔・奴奈比売にも勝機はある。これは殺し合いではなくて、互い意図を妨害する戦闘なのだ。

 誰かの足を引く。他人を狙って貶める。他者の妨害に限って言えば、魔女の右に出る者など世界の何処にも居はしない。

 

 

「彼の永遠(アイ)を――」

 

 

 沼底から面を上げる。泥の底から空を見上げる。遠く己を置き去りにした、そんな友らを見上げて叫ぶ。

 舐めるな。侮るな。甘く見るな。絶叫の如くに声を上げ、影の海が荒れ狂う。巨大な多足の神相が、その情念を圧と発した。

 

 

「甘く見てるんじゃないのよ、アンタ達ィィィィィィィッ!!」

 

 

 吹き付ける神威。溢れ出す情念。膨大な密度の影が、途方もない量となって襲い来る。

 されど、迎え撃つ女達は震えもしない。迫る黒縄地獄を前に、互いに武器を手にして前を見る。

 

 

「……ふん。予定と違うけど、まぁ良いわ」

 

「折角の機会だからね。どれだけ成長したのか、見縊ってるのがどっちか、教育してあげるよ。アンナちゃん」

 

 

 負ける道理はない。敗れる理由はない。越えられない筈がない。

 金と紫の女は背中合わせに、己達の物へと変わった法を紡ぎ上げる。

 

 また、四人で一緒に。そう願ったあの日へと帰る為に、此処で友を取り戻すのだ。

 

 

『ぶちのめして、取り戻す。私達の友達をッ!!』

 

 

 嫉妬と愛情。友誼と執着。煮詰まった情を示して、逆境でも吠え上げる天魔・奴奈比売。

 迎え撃つ女達は揺るがない。アリサ・バニングスも月村すずかも、生きて帰るべき未来を視ている。

 

 第二の戦場は此処、鬼無里。片や全てを裏切って、片や明日を掴む為。女達が見据える明日には、確かに魔女の姿も在った。

 

 

 

 

 

 全てが予定通りに行く訳ではない。分かっていたが、此処に来て思い知らされている。

 余剰戦力は後僅か。自由になるのは、もう一人だけ。先陣を切る不屈のエースには、彼女にしか出来ない役目があった。

 

 最強の大天魔。天魔・大獄と戦う為に、彼女の消耗は見過ごせない。ならばこそ、二人の少女と同じく切れない手札。

 故に次、何かが起きれば動くべきは己であろう。痛む身体を抑えながらに、ユーノ・スクライアは静かに思う。己の役目は、もう直ぐに迫っていると。

 

 そんな彼の想いに応えるかの様に、北上する彼らの前に次なる天魔が姿を見せる。

 鬼無里を北へと抜けた箱根の上空。その空を塞ぐ様に現れた巨大な影は、男女の顔を併せ持った随神相。

 

 

「はぁ~い。おっひさ~」

 

「よう。元気そうじゃねぇか、テメェら」

 

 

 まるで日常で口にするかの如く、余りに軽い挨拶言葉。紡がれた音は平凡だろうと、見える光は余りに異常だ。

 男の頭に、女の顔。男女の手が二本ずつ、合わせて四つの腕に大筒を持つ。山より巨大なその身体は、間違いなく彼の両面悪鬼。

 

 天魔・宿儺。幕引きによって滅ぼされた筈の怪物に、白百合は表情を凍らせる。その存在は、想定の外に在ったのだ。

 

 

「どうして、貴方がッ!?」

 

「はっ、今更聞くなよ。白けるだろうが」

 

「疑問に必ず答えが返るだなんて、思っちゃ駄目よ。リリィちゃん」

 

 

 天魔を裏切り、倒された。そんな自滅の鬼が甦った光景に、女達は感じる焦燥を隠せない。

 自滅の異能を前にして、高町なのはは相性が悪過ぎる。ティアナもリリィも、コレと戦うなどは出来ないだろう。

 

 その快進撃は此処で終わりだ。残った皆を叩き潰せる。それだけの性能をこの悪鬼は有している。

 ならばこそ、此処で快進撃は終わるのだ。次代へ繋がれる可能性は潰えるだろう。……彼にその心算が、在ったとするのならば。

 

 

「んで、今回の俺らの目的は戦力調整なんだがよ。……姐さん頑張り過ぎじゃね?」

 

「これ以上削り過ぎたら、多分これ足んなくなるわよねぇ」

 

 

 だが、しかし、両面悪鬼は必ずしも敵と言う訳ではない。彼は夜都賀波岐にとって、味方と言う訳ではない。

 その思惑は、己の策謀を達成させる為に。全ては友を想えばこそ、彼は全てを裏切った。故にこの悪鬼が行うは、盤面を整えると言う行為。

 

 高町なのはは必要だ。リリィ・シュトロゼックは必要だ。ティアナ・L・ハラオウンは必要だ。諏訪原に辿り付くのは、この三人だけで良い。

 他の者らの足止めを。程良い形に調整を。そうした企みを教えた相手が、自分の仕事を全て持ってった。鬼にとっても想定外なその奮起。感謝しながら宿儺は嗤った。

 

 

「っー訳で、だ」

 

「遊ぼっか、優等生くん」

 

 

 今の宿儺に残った仕事は、抜けてきた者らの排除だけ。故に何れかの場所で勝敗が決するまで、する事がないと言うのが実情だ。

 故にこそ、鬼は青年の姿を見る。この盤面における浮き駒。後に残ろうと役には立たない彼だけが、この場で排除しても良い存在なのだ。

 

 後に残ろうと何も為せない者。今は何もする事がない鬼。共に手持ち無沙汰の同士、遊びながらに時を待とう。

 男の顔が嗤う。女の顔が哂う。見下しながらに笑みを浮かべて、両面悪鬼は砲火を放つ。手にした四つの砲門が、彼に向かって火を噴いた。

 

 

「――っ! ユーノくんッ!!」

 

 

 愛する男の窮地を前に、思わずなのはは叫びを上げる。そんな悲痛の声に返るは、物理的な衝撃だ。

 狙われた男が投げ付ける。広げた女の腕に、二人の少女の身体が飛び込む。身軽になった青年は、その手を盾へと当て笑う。

 

 

「二人を頼むよ、なのは」

 

 

 迫る砲火を前にして、青年は恐れはしない。その存在を前にして、驚愕なんて抱かない。

 ナンバーズの機能を動かす。スカリエッティが作り上げたこの武装。彼が遺したレリックを内蔵し、嘗ての制限など残っていない。

 

 溢れ出すロストロギアの魔力。それによって身体機能を補助しながら、ユーノは三つの機能を行使する。

 エリアルレイヴ。ライドインパルス。レイストーム。三つの先天固有技能を同時に発動して、砲火の雨を潜り抜ける。

 

 ニィと嗤う巨大な悪鬼。山より大きな怪物に挑む唯人は、同じ様に笑って言った。

 

 

「約束したろ? コイツは僕が倒すって、さ」

 

 

 強がりながら笑って言うのは、嘗てに交わした一つの約束。時の庭園と呼ばれた場所で、口にした男の誓い。

 泣いてる彼女を護りたくて、口にした時は根拠がない強がりだった。それでも己に誓ったのだ。必ず、勝つと。その約束を今、確かに彼は果たすのだ。

 

 きっとこの時の為に、この地にやって来たのだろう。微笑みながらに強がる背中は、あの日の如く大きな物。

 だからこそ、なのはも伝える。それはあの日には言えなくて、負けないでとしか言えなくて、それでも一番伝えたかったその言葉。

 

 

「お願い、勝ってッ!」

 

「任せて、必ず勝つさ」

 

 

 勝利を祈る。その言葉。当たり前の様に頷いて、あの日の少年は巨大な鬼へ向かって行く。

 その背中を見守り続ける事はなく、女は少女達を連れて飛び上がる。彼は勝つと言ったのだ。ならばその想いを信じて、己は唯前へと進む。

 

 過ぎ去って行く女達を止める事はなく、挑んでくる青年の魔力弾を片手間に防ぎながら、両面悪鬼は静かに見詰める。

 青年の想いを見定める様に、男の言葉を転がす様に、見詰めながらに色を変える。視線に宿ったその色は、最早遊びが残っていない。

 

 

「必ず勝つ。必ず勝つ、ねぇ」

 

「大きく出たものね。一体何を根拠にしてるのやら」

 

 

 男は言った。必ず勝つと。それを言った男を認めていればこそ、両面悪鬼はその意識を切り替える。

 時間稼ぎの遊びではなく、戦って勝利を勝ち取ると彼は言ったのだ。ならばそう、敵と認める男を前に思考を変える。

 

 天魔・宿儺が知る限り、ユーノは常に思考をする者だ。考えて、考えて、考え尽くして勝機を探る。そんな男だ。

 そんな彼が、勝てると言った。勝ってみせると言ってのけた。ならば其処には勝機があると、そう思った訳であろう。

 

 彼を知るが故に、敵と認めるが故に、そう考えた悪鬼は嗤う。彼の導き出した勝機が己の太極(コトワリ)ならば、それに乗ってやる気などは最早ない。

 

 

「まさか、自滅の法則に期待している訳じゃないわよね?」

 

「まさか、太極を使って貰えるなんて思ってる訳じゃねぇよな?」

 

『お前に、無間身洋受苦処地獄は使わない』

 

 

 遊びでなく、戦って勝つと啖呵を切った。ならば勝ってみせろと嗤い、しかし相手に合わせはしない。

 自壊の法則に期待しているのならば、それは間違いだと断じよう。ユーノ・スクライアに対し、もうあの地獄は使わない。

 

 

「忘れてねぇよな。お前は負けたんだ。対等な条件で、俺が勝ったんだよ」

 

「敗者復活戦をするにもさ。資格ってもんが必要な訳。んで、今の君にそれはない」

 

 

 何故ならば、既に決着は付いている。勝敗は決しているのだ。故にこそ、対等の勝負など望みはしない。

 いいや、今の状況で太極を開いたとしても、対等の勝負には成り得ない。天魔・宿儺はそう考えているのである。

 

 

「君は勝利するって言った。詰まりは遊び相手になるんじゃなくて、対等に戦いたいって事だよね?」

 

「けどよ。俺は敗者に恵んでやる物なんざ持ってねぇ。誰が好き好んで、負け犬と同じ場所に堕ちてやるものかよ」

 

「実際、今の君に合わせるって事はさ。相手を見下して、機会を恵んであげるのと同じって事。正直、それの何処が対等かしら?」

 

 

 これは敵だ。この男は己が認めた唯一の敵だ。故にこそ、あの日に決闘を望んだのだ。

 そして、ユーノは敗れた。同じ条件で敗れ去ったその時に、彼との戦いは終わったのである。

 

 己は勝者だ。彼は敗者だ。既に彼我の立場は明確で、対等さなどは何処にもない。

 それは太極を使っても同じく、敗者に勝者が合わせると言う時点で見下す情が生じているのだ。

 

 故にこそ、そんな戦いに意味はない。少なくとも、己から使ってやる心算にはなれない。だから、天魔・宿儺は決めていた。

 

 

「だから決めた。テメェが勝負を挑んで来たら、今度は太極を使わねぇ」

 

「だから決めた。使わないって決めたのに、追い詰められて使ったのだとしたら、それは君の勝利となる」

 

 

 嘗て倒した男。一敗地に塗れた敵たる青年。半死人の有り様で、それでもまた挑んできたのならば機会を与えよう。

 遊びではなく、戦いを挑んで来たならば試練と与える。天魔・宿儺の随神相。それを倒せたのならば、また対等だと認めよう。

 

 そうして初めて、太極を使う価値がある。そうしなければ、互いが対等となる事がない。それが、勝利する為に必要な最低条件なのだ。

 

 

「一勝一敗。敗者復活戦の条件がそれだ」

 

「一回、生身で随神相を倒してみなさいよ。その時こそ、本当の意味で対等だって認めてあげる」

 

『さあ、ユーノ・スクライア。この両面悪鬼を倒して魅せろッ!!』

 

 

 山より大きな鬼が発する。その気が狂いそうな程の圧力だけで、ユーノは盾ごと吹き飛ばされる。

 如何に武装をしようとも、如何にロストロギアを持とうとも、彼は立って歩くがやっとの半死人。鬼の圧に晒されて、対抗できる筈がない。

 

 必死に盾に縋ったままに、大地に叩き落される。転がる事で衝撃を殺して、それでも息が真面に出来ぬ程。

 鬼の四腕は加減を知らない。倒れた彼へと砲門を向けて、躊躇う事なく砲火を放つ。降り注ぐ無限の鉄火に、吹き飛ばされながらもユーノは吠えた。

 

 

「あの日に約束したんだ。君を泣かせるこの鬼は、僕が必ず倒すって」

 

 

 勝てる訳がない。勝機なんて欠片もない。今の青年は立ち上がる事もやっとな様で、それを魔力補助で誤魔化している。

 ロストロギアを取り込んだナンバーズを以ってしても、トップエースには遠く届かない。そんな彼は当然、襤褸雑巾の如くになっていく。

 

 僅か数手。両面悪鬼が圧で潰して、その砲門から弾丸を放っただけ。たったそれだけで、もう死にそうな程に消耗する。

 そんな有り様でも、ユーノは盾を支えに立ち上がる。勝機などは欠片もなくとも、意地を口にするのは出来る。守りたい約束が、確かに此処に在ったのだ。

 

 故に彼は宣言する。己の意志で立ち上がって、両面宿儺を睨んで叫んだ。

 

 

「上等だッ! 随神相も人間体も、どっちも纏めて倒してやるから覚悟しろッ!!」

 

 

 片足を棺桶に入れた半死人。魔力もなく、身体も動かず、在るのは友より貰った武器と、愛する女に貰った想い。

 そんなたった二つを頼りに、立ち上がって前を向く。ユーノ・スクライアの瞳を見詰めて、天魔・宿儺は楽しそうに笑っていた。

 

 第三の戦場は此処、箱根。立って歩くが精一杯の青年は、巨大な随神相と相対する。神話に残る鬼退治、その再現へと挑むのだ。

 

 

 

 

 

 そして、残った女達。箱根を超えて更に北へと、辿り着いたのは穢土・諏訪原。

 その空域へと到着した瞬間に、高町なのはは表情を引き締める。そうして大地に降り立つと、二人の少女を手放し告げた。

 

 

「後は、二人で行って」

 

 

 ティアナとリリィを見る事すらなく、余裕がない声でそう語る。彼女達を見ないのではなく、それから目を離す余裕がなかった。

 見ている。見られている。彼の終焉が女を見詰めて、女もそれに気付いてしまった。故にこそ、此処から先は余裕がない。流れる汗を拭う隙すら、あの怪物の前にはないのだ。

 

 

「分かりました」

 

「なのはさん。ご武運を」

 

 

 そんななのはの様子から、感じ取った二人は頷く。そうして前へと、月乃澤学園へと彼女達は走り去る。

 

 

「…………」

 

 

 まるで、少女達が立ち去るのを待っていたかの如く、過ぎ去った瞬間にその怪物が現れる。

 高町なのはでなくては、接近にすら気付けなかったであろう。そんな虎面の怪物が、無音で其処に立っていた。

 

 大獄が見詰める。女の姿を見詰め、その魂を見詰め、そして静かに判断する。見られる女は視線を外さず、黄金の杖をその手に構える。

 流れる汗と心音が、邪魔だと感じる程に苦しい沈黙。何時まで続くのであろうかと、そんな沈黙を破ったのは黒き虎面の天魔であった。

 

 

「場所を、変えるぞ」

 

「――っ!?」

 

 

 嘗ての邂逅。十年前を知るが故に、その一瞬に動揺する。天魔・大獄の速度は嘗てを、大きく上回っていた。

 そしてその一瞬の隙に、大獄の拳は迫っている。咄嗟に出来たのは杖での防御。身を守る女の身体が、黒き拳に吹き飛ばされた。

 

 幕引きの一撃。唯の一撃で五回は死んで、その度に蘇生する。身を守っていたと言うのに、これ程の被害を受ける。

 ましてや、その一撃の目的は殺意ではない。天魔・大獄が望んだ事は、その口にした言葉の通り。戦場を変えると言う一点だ。

 

 穢土・諏訪原。この地は彼らが将にとっての故郷。大切な思い出が多く在る場所である。

 如何に時の鎧で守られようと、彼の神は未だ完全とは言えない。大獄は判断したのだ。己とこの女がこの場で戦えば、余波で穢土・諏訪原が崩壊すると。

 

 故に場所を変える。相手を大きく吹き飛ばす様な殴り方で、高町なのはを南へ向かって吹き飛ばす。

 殴り飛ばされた女はその衝撃を殺せぬまま、只管に南下を続ける。そうして箱根を飛び越えて、巨大な山にぶつかった。

 

 山の表面に穴が開く。開いた亀裂は拳で生み出したとは思えぬサイズのクレーター。

 奥へ奥へと岩盤を貫きながらに突き抜けて、漸くに止まった場所は山の中心。霊峰不二の中腹だ。

 

 相手を殴り飛ばして場所を変える為だけに、そんな拳が伴う余波だけで巨大な霊峰が半壊する。

 中腹までの土砂が崩れて、その大きさは凡そ半減。崩れ去っていく山の中、しかし対する女も並じゃない。

 

 

「レイジングハート・ロンギヌスッ!!」

 

 

 即座に傷を消し去って、膨れ上がる魔力は絶大。飛び上がった女は此処に、何時の間にか出現していた天魔を睨む。

 無言で佇む不動の天魔。だがその最高速は、己が反応するのもやっと。そうであると理解すれば、もう隙となる事はない。

 

 警戒心を最大限に、戦意を燃え上がらせる高町なのは。そんな彼女を前に、揺るがぬ天魔は唯無言。

 語る事など何もない。告げる事など何もない。己の拳を以ってして、その意志は既に示している。故に鋼の求道は揺らがない。

 

 

「言いたい事は色々ある。納得いかない事、想う言葉はそれこそ沢山。だけど、今は――」

 

 

 決して変わらぬ不動の意志。断じて揺るがぬ鋼の求道。その終焉を前にして、想う言葉はそれこそ無数。

 その渇望を否定する意志。その精神性への反発感情。女子供が戦うなと言う侮辱に、抱いた怒りはこの今だって燃えている。

 

 それでも、それを言葉に紡ぎはしない。声では届かない。言葉では納得しないと知っている。

 故に示すのは実力だ。力を見せて、敗北(ナットク)させてみせるのだ。それが、この今に為すべき事。

 

 

「貴方を超える。至高の終焉のその先に――何処までも平凡な明日こそが、私達が望んだモノだからッ!!」

 

 

 土砂と共に崩れ去っていく霊峰を背に、高町なのはは黄金の杖を握って告げる。

 対する天魔・大獄はやはり何も口を開く事はなく、唯その拳を握る事を以って答えを返した。

 

 第四の戦場は此処、霊峰・不二。互いの陣営において、最強である戦士達。彼らが織り成すこの戦場は、他の何処も届かぬ死闘と化すであろう。

 

 

 

 

 

 そして諏訪原。月乃澤学園の校門前に、少女達が辿り着く。閉じられた鉄の扉を、魔力の弾丸が撃ち抜いた。

 クロスミラージュを構えて、ティアナが放った魔力弾。建造物を壊すには至らずとも、道を開くには十分だった。

 

 錆びて止まった門が僅かにずれる。自重に傾いていき、先へと進む道が生まれた。

 

 

「トーマッ!!」

 

 

 その僅かな隙間から、迷わず校庭へと進んで行く白百合。その背中を、苦笑交じりに見ながら追い駆ける。

 一歩退いた様なその態度。恋情と言う一点において、この相手には勝てないのだろう。そう思いながらにティアナは、故に己の役目を決める。

 

 

「此処に居るのね。なら――ここから先が私の仕事」

 

 

 追い掛けて追い付いて、校舎を目指して走りながら口にする。

 幾つかある校舎の入り口。複数ある校内の階段。目的地である屋上に、最も相応しいルートを探る。

 

 その答えを探し出す為の瞳で、恋する乙女を愛する人の下へと辿り着かせる事こそ彼女の役目だ。

 

 

「見付け出すわ。一番最善のルート。必ず、助け出すわよッ!」

 

「うん。行こうッ! 大好きなトーマに、また逢う為にッ!!」

 

 

 橙色の少女の言葉に、白き百合は真っ直ぐ頷く。空を飛べない彼女らは、大地を二人で進んで行く。

 校舎へと近付くその姿。彼の想い出の地を荒らす少女達。其処に怒りを覚えぬ様な、常世はそれ程に温和な性格をしていない。

 

 

「……許さない。認めない」

 

 

 校舎の屋上から、校庭を進む彼女らを見下す。汚らわしい手足で以って、想い出を穢す者らを見る。

 其処に怒りを抱いて、其処に憎悪を抱いて、されど常世は動かない。トーマの純化は終わっておらず、彼女は此処から動けないのだ。

 

 それでも、そんな理屈は関係ない。そう言わんばかりに、憎悪を募らせた女は恋敵を睨んで告げた。

 

 

「貴女達には譲らない。貴女達なんかには奪わせない。私が愛したあの人を――貴女達なんかに渡して堪るか」

 

 

 例え動けないのだとしても、打てる手筋はまだ残っている。それはこの今、この場所に、夜刀の神体があれば出来る事。

 彼の身体に触れて、流れる血潮を掬い取る。かつての戦で生じた傷口から、今も零れ続ける生き血。それは僅か数滴で、力を発揮する圧倒的な密度の神血。

 

 両手に貯めた血液に、排除の意志を込めて大地に落とす。すぐさま溜まった血の池から、溢れ出すは巨大な蜘蛛。

 人の身の丈を僅かに超える程。そんな巨大な蜘蛛が無数に、血の池から溢れ出す。神の体内に存在する白血球が、見る見る内に増えていく。

 

 瞬きの間に増えた数。百や二百を超えるその総数は、一瞥では数え切れない程。

 体内にあるモノを排除する。そんな意志なき防衛機構が、常世の指揮の下に迫る少女達へと襲い掛かった。

 

 

「ちっ、リリィ。ルートを変えるわよッ!」

 

「ティアナッ! 分かったッ!!」

 

 

 瞬く間に校舎を満たして、校庭にまで溢れ出す蜘蛛の群れ。手にした銃で牽制しながら、ティアナはリリィに向かって叫ぶ。

 最適のルートを、最善の道筋を、示してみせるから付いて来い。そう告げるティアナに向かって、リリィは素直に頷き後に続いた。

 

 

「騎兵隊の参上ってね。男女逆転してるけど、眠り王子を救うお姫様の歩く道を作る為に、邪魔だってんのよアンタ達ッ!!」

 

 

 眠ってしまった姫を救う為、走り出した王子様。その道筋を均すのは、王子に使える騎士の仕事だ。

 男女逆転している辺り、些か格好付かない話。それでも胸を張って誇れる程には、己の役割は重要なのだ。

 

 弾丸一発では倒せぬ蜘蛛。十や二十と打ち続けて、漸く足を止める化外の群れ。

 無数に迫る怪物を退けながら、ティアナは道を作っていく。彼女が切り拓いたその道を、リリィは真っ直ぐ進み続ける。

 

 その胸にある想い。繋がりから感じる常世の所業。痛い痛いと伝わって来る度に、リリィは怒りを強くする。

 走り抜ける校舎の箱庭。転がり消えゆく魔力の塊は、塵と捨てられた彼の欠片。思わず飛び出しそうになる。時が許せば慌てて集め、抱き締めたであろう。

 そんな愛しい想い出を見詰めて、天魔・常世の行いを許せる筈がないからこそ、リリィ・シュトロゼックは想いを叫んだ。

 

 

「トーマは塵なんかじゃない。あの人しか見てない貴女に、彼を渡して堪るものかッ!!」

 

 

 お前なんか認めない。そう感じたのは互いが同じく。恋する乙女達は此処に、互いを不倶戴天と捉えている。

 迫る少女達を前に、決して愛する人は奪わせないと猛る天魔・常世。動けぬ彼女が指揮する蜘蛛を、躱しながらにリリィとティアナは前へと進む。

 

 第五の戦場は此処、穢土・諏訪原は月乃澤学園。同じ男の別側面を、同じく愛する少女達。己が最愛を取り戻す為、互いの情念を競い合う。

 

 

 

 

 




第一試合 クロノ&ザフィーラVS悪路&母禮。
第二試合 アリサ&すずかVS奴奈比売
第三試合 ユーノVS宿儺
第四試合 なのはVS大獄
第五試合 ティアナ&リリィVS常世&蜘蛛の群れ

そんな訳で決戦メンバー決定。二ヶ所程バランスおかしいけど、何時もの事なので笑って許すが良いと思うよ?

言いたい事は唯一つ。宿儺の無茶振りは何時もの事だし、ユーノの逆境は定期的にやんないといけない恒例行事なので唯一つ。……BBA無理すんな。




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第三話 無間地獄を乗り越えろ 其之壱

Wikiと動画と二次創作とかで、シルヴァリオシリーズをちょびっと齧ってみました。ゲームは時間が出来次第、プレイしてみる予定。

そんな作者は、凄い人(総統閣下)の生き方に人はそんなに正しくは在れないと否定する主人公(?)より、凄い人の生き様を見て憧れて奮起し努力して行き過ぎちゃった邪龍おじさんの方が格好良いと思いました。

自分より優れた人を見た時に、粗を探して否定するのではなくて、己を顧みて努力する。作者もそう言う人間でありたいものです。……邪龍おじさんレベルは無理だけどっ!


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1.

 黒雲に覆われた空の下、絶え間なく振り続ける雷光。吹き付ける風は腐臭を孕んで、大地を業火が焼いている。

 二柱が開いた太極位階。其は互いに喰い合いながら、より多くより大きくと溢れ出す。流れ出す力が互いを潰し合うのは、神格故の欠点だろう。

 

 例え偽りの位階であれど、神である事は確かな現実。息の合った兄妹である事など、その大前提を前にすれば関係ない。

 流れ出すとは、他を染めると言う事なのだ。自分以外の全てを自分の色で染め上げる。そんな力を直ぐ傍らで使うなら、互いに潰し合うのは必定だ。

 

 されど、それがどうしたと言う話。互いの宙が互いの足を引くからと、それは力を抑える理由にならない。

 足を引かれると言うならば、それ以上の速度で前に進めば良い。そうと言わんばかりに荒れ狂う力の波は、欠片の劣化も見られはしない。

 

 それは最早、天の災厄と例える事すら出来ぬであろう。嵐や地割れや噴火など、嘗て神と例えられた現象ですら比較にならない。

 究極に近付けば、言葉は陳腐となっていく。それは現実にある現象で、例える事が出来なくなるが為。そして間違いなくこの今に、荒れ狂う二柱の力は正しくその領域にあったのだ。

 

 

「昼にして夜。冬にして夏。戦争にして平和。飽食にして飢餓」

 

 

 他に例える事が出来ぬ程の神威。其れを前にして、立ち向かう男が二人。片や鎧を全力で発現し、片や咒を口にしながら印を切る。

 肌が腐る。身体が燃える。降り注ぐ落雷に打たれて地に落ちる。されど、彼らはその力量差に諦めずに喰らい付く――その光景が、既にして異常であった。

 

 天魔・母禮は疑問を抱く、天魔・悪路は訝しむ。それでも攻め手は揺るがずに、相対する二者は一方的に圧されている。

 時の鎧を身に纏ったザフィーラが前に立ち、その背後に立つクロノが咒を唱えながらに魔法を放つ。圧されながらも、喰らい付いているその姿。

 

 異常と言ったのは、正しくそれだ。彼我の戦力差を考えるならば、喰らい付くなど出来る筈がないのである。

 

 

「火は土の死により、風は火の死により、水は風の死により、土は水の死による」

 

 

 ザフィーラは先の闇との一件で見せた様に、存在規模が異なる相手に追い付ける程の力を持っていない。

 命を担保に限界を二つ三つと超えたとしても、太極の領域に片手を届かせるのが限界だ。そんな彼が母禮と悪路を相手に防戦出来る。それが先ず一つの異常。

 

 ましてやクロノ・ハラオウンはそんな彼にも劣る。ロストロギアで上乗せしようと、穢土の二柱を前に立っているだけが限界だ。

 実力の桁が一つ二つは違っている。何を積み上げようが、何を賭けようが、埋め切れない差が確かにある。だと言うのに、彼らはそれを詰めていた。

 

 ミッドチルダならば当然だろう。地球でならばまだ納得出来る。だが此処は穢土なのだ。彼ら夜都賀波岐の本拠地だ。

 この世界において、全力を発揮した彼ら兄妹。その存在規模は正しく神域。それも並の覇道神にも等しくなればこそ、こうなる意味が分からない。

 

 

「万物のロゴスは火であり、アルケーは水であれば、そに違いなどはなく四大に生じた物は四大に返る」

 

 

 玉汗を掻きながら、クロノは印を切って咒を紡ぐ。絶えず絶えずと繰り返す。この状況を維持しているのは、彼が紡ぐその咒である。

 これこそが切り札と自覚すればこそ、彼の援護は片手間だ。氷の礫や凶星落下。時たま落ちる支援を背に、防衛戦を維持しているのがザフィーラだった。

 

 二柱の攻勢を受け切りながらに、後背への被害を生み出さない。防衛に特化した獣であっても、彼の領分を大きく超えている。

 それでも如何にか喰らい付き続けて、戦闘と言う状況を成立させる。彼我の差が絶大で、賭ける物は最早ない。それでも蹂躙にならない理由が、クロノが用意した第二の手札だ。

 

 

「此処に――万物は流転する(ΤΑ ΠΑΝΤΑ ΡΕΙ)

 

「……ああ、成程。そう言う事か」

 

 

 風が吹いた。腐毒を孕んでいない清浄な風に、天魔・悪路は理解する。クロノが一体、何を以って対抗手段としたのかを。

 穢土では勝てない。それは紛れもない事実。ミッドチルダならば追い付ける。それもまた、紛れもない事実。ならばそう、()()()()()()()()()()()()()()

 

 発想の根幹は、即ちそれ。万象を操る能力を持って、地形を作り変える事。

 されど穢土と言う大地。クロノの強制力が及ぶ物など内にはない。地形改変と言う行為は、そう簡単には行えない。

 だからと思考を詰めた先、彼が思い至った事こそこの解答。穢土と言う世界の中に、穢土ではない世界の一部を転移させたのだ。

 

 空気の入れ替え。詰まりは換気だ。太極と言う形で周囲を染め上げようとしている限り、その入り口――窓は開いているのである。

 だからクロノは、その穴を突いた。空いてる窓に、他の世界の空気を放り込む。彼らが支配していない領域から、世界を構成する物質を投げ入れているのだ。

 

 その結果、起きた現象は密度の希薄化。太極と言う一つの世界にその世界以上の物を詰め込んで、強制力を低下させる。それがクロノの対抗策。

 敵地では勝てないから、勝てる状況にまで相手を貶める。戦術としては常道で、されど戦略としては陥穽がある。その陥穽すら纏めて理解したからこそ――天魔・悪路は激昂した。

 

 

「理解しているのか? それは、お前が守ると言った未来。それを削る行いだと」

 

 

 密度が薄まると言う事は、即ち規模が増えると言う事。全体の総量が変わらないと言う前提があれば、その事実は変わらない。

 彼が他の世界から奪い取った分だけ、他の世界に腐毒と炎熱が流れ込む。穢土にて神威と化した二柱に追い付く為に、影響を受ける世界は一つ二つで済まないだろう。

 

 護る為に、護るべき人々を犠牲にする。それでは筋道が取れていない。目的と手段が明らかに、歪に変わってしまっている。

 故にこそ、あの様な啖呵を切ってそれなのか。そう激昂する天魔・悪路。彼が矍鑠たる程の怒りを抱いたのは、誰より護ると言う言葉を重く想うが故の事だった。

 

 

「無条件での賛同4割。条件付きが3割。反対票が2割で、残る1割が罵声や怒声や無投票」

 

「……何の話だ」

 

「この対抗策を発表した時の反応だよ」

 

 

 怒りを抱いた天魔を前に、クロノは何処か晴れ晴れとした様に笑う。この策略、クロノも乗り気ではなかった事だ。

 それでも、勝てないと言われた。ロストロギアの移植手術を終えて、其処で仲間に言われたのだ。これではまだ足りていないと。

 

 残る断崖。その距離を埋める方法を考えた。必死に必死に考えて、出した答えは目的と手段が破綻した物。

 これではいけないと考え直そうとした時に、思い出したのは親友へと語った嘗ての言葉。己が掲げる理想の形。

 

 

(一人の手はちっぽけだ。それでも、二人でならば救える量が確かに増える。もっと大勢、組織皆で協力すれば、ミッドチルダだって掴めるはずだ。僕は確かに、そう信じている)

 

 

 自分の言葉を思い返して、だから友へ問い掛けた。決戦を間もなくと控えた時期に連絡して、返ってきたのは苦笑交じりの言葉が一つ。

 

 

――背負い込む前に、聞いてみなよ。それでどうするかは、それから決めれば良いさ。

 

 

 言われた言葉に、目から鱗が落ちた。盲を啓かれた気持ちとなった。そうとも、要は其処なのだ。

 

 自分が自分がと一人で決めてやり遂げる。そうした道を選んだ結果、破綻してしまった者こそ彼ら先達。

 それとは異なる道を示すのならば、先ず問うてみるのは前提だろう。全てを皆で語り合ってこそ、そう気付いたクロノは出立前に全てを明かした。

 

 そんな彼の言葉に対し、返った答えが即ちそれだ。半数以上の民が、痛みを共に背負ってくれると言ったのだ。

 ならば信じて任せよう。その想いに応えて頼ろう。共に行こうと決めたのだ。だからこそ、クロノ・ハラオウンは笑って語る。

 

 

「人は正しくは生き続ける事は出来ない。真面目に生きるって事は辛くて、投げ出したいって思うのは当然だ」

 

 

 努力は大変な事である。節制するのは難しい。早寝早起き程度ですら、ずっと続ける事は容易い事ではない。

 投げ出したいと思って当たり前。逃げ道を作って当然の事。苦楽を選んでも変わらないなら、誰しも楽を選ぶ。其処で苦痛を背負うのは、余程の例外事項であろう。

 

 

「けれど、立ち上がる事はそんなに難しいか? 立って歩く事を望むのは、そんなに高望みが過ぎる事なんだろうか?」

 

 

 それでも、望んだ事はそうではない。ずっと真面目に生きろとは言っていない。唯この今に、立ち上がって欲しいと伝えたのだ。

 

 

「三日坊主に終わっても良いさ。ずっと続ける必要なんてない。この今に、この一瞬に、共に前へ進んでくれ。そう願うのは、そんなに愚かな事なんだろうか?」

 

 

 天魔・悪路と天魔・母禮。二柱の太極の中心点は変わらず穢土で、其処から離れる程に威力は下がる。

 その前提は変わらない。規模が増えてもこの穢土程には重くはならない。異常な気象に違いはないが、死者が山程に出る程の密度にはなり得ない。

 

 それは唯人でも、歯を食い縛れば耐えられる程度の痛み。ならばそれに耐えて欲しいと、頼る事は高望みに過ぎるのだろうか。

 ほんの一時、一昼夜にも満たない時間。努力してくれ。我慢してくれ。そう頭を下げて頼み込む事。それが出来ると信じる事。それは本当に愚行であろうか。

 

 

「違う。きっと、違うさ」

 

 

 人はずっと、正しい事を続けられないのかもしれない。そんな強さはないのかもしれない。

 だが人は一度でも、正しい事が出来ない程に弱いだろうか。いいやきっと違う筈だ。クロノはそう信じている。

 

 

「続ける事は辛くとも、始める事なら誰だって出来る。歩き続ける事が出来ずとも、立って一歩は進める筈だ」

 

 

 だから、その想いを言葉と伝えた。穢土へと出立する前に、言葉に紡いで演説した。

 

 

「大丈夫。後は背負うさ。立って支えてくれるなら、後は僕が進んで拓く。だから、せめて――自分の足で立ち上がれ」

 

 

 祈る様に真摯な瞳、それでも命じる様な断定口調で、お前達なら出来るだろうとクロノは言葉に紡いだのだ。

 

 

「天魔・夜都賀波岐は、僕ら皆で乗り越えるべき者。この時代の皆で、超えていかないといけない者。そうとも、いい加減に気付けよ。誰もが当事者なんだって」

 

 

 それは彼と言う英雄に、頼り過ぎている今の世界。その事実に対して募り続けた、怒りと憤りであったのかも知れない。

 何処かキツイ口調になって、口にしたのは鬱憤晴らしに過ぎなかったのやも知れない。何れ死ぬ個人に、何時まで頼り続ける心算かと。

 

 

「信じているぞ、立ち上がれ! お前の足は、一体何の為に付いているッ!? 誰だって、立ち上がる事は出来るだろうがッ!!」

 

 

 頼り続けた英雄から、告げられたのはそんな言葉。それでも、多くの者らがそれを受け入れてくれた。

 だからこそ、クロノ・ハラオウンは清々しい笑みを浮かべる。今を生きる多くの者らが、前を向いて立ち上がってくれたのだから。

 

 そうとも、此れは今の英雄達と過去の英雄達の戦いなどではない。

 過去に生きた英雄へと挑むのは、今に生きる全ての命が抱いた意志なのだ。

 

 

「だから、苦痛を背負えと? 命には届かぬから、我が背負うよりは軽いから、だから皆に背負えと言うか?」

 

 

 百と言う数字を、一人で背負えば潰される。だが同じ数字でも、百人で背負えば簡単に超えられる。

 痛みを己で背負い続けた過去の英雄達へと向けて、それこそが現代(イマ)解答(コタエ)であるとクロノは語る。

 

 そんな彼へ向かって刃を振るいながら、悪路王は口にする。言葉にしたのは、その想いに対する否定の情だ。

 

 

「……全く理解が出来ない。守るべき宝石を、何故に己で傷付けられる」

 

 

 真っ直ぐに向き合って、その輝きを確かに見ている。己が苦痛から逃れたい訳ではないと、その目を見れば分かってしまう。

 だからこそ、理解が出来ない。何故大切だと想っていて、それを態々窮地に巻き込めると言うのか。手にした宝石を、何故己の手で傷付けるのだろうか。

 

 その最期まで大切な人の為に、そう在り続けた彼だからこそ、その感情が理解出来なかったのだ。

 

 

「そうか? 些か癪な話だが……僕は天魔の中で一番、お前の願いに共感出来たんだけどな」

 

 

 そんな否定の言葉を前に、クロノは笑って口にする。言葉にしたのは、嘘偽りない本心だ。

 我だけが穢れるから、我以外は穢れないで欲しい。そんな自己犠牲の祈りの切れ端は、確かにクロノの胸にもある。

 

 だからこそ、こうして前に立っている。自分が一番苦しい場所へと、其処に似た様な想いがない筈がない。

 

 

「だが、そうだな。だからこそ、言わせて貰おう」

 

 

 それでも、クロノは否定する。人間体と神相の連続攻撃。其処から如何にか逃れながらに、男の瞳を見て告げる。

 

 

「我が身だけが穢れるからと、他の皆は穢れないでくれ。そう願うのは良いさ。綺麗で分かりやすい願いだろうよ」

 

 

 大切な人に穢れて欲しくはない。それは誰だって共感できる願いであろう。とても純粋な、愛する者の幸福を願うと言う祈り。

 それでも、其処に間違いがあるとするならば唯一つ。自分だけが腐るから、それでどうにかしようと思った事。たった一人で、立ち向かおうとした事だ。

 

 

「けど、な。何もかも自分で背負おうとした。そんな様だから――お前は結局、誰も守れなかったんだろうがッ!!」

 

 

 苛烈な刃を薄皮二枚と斬られながらに躱し続けて、手足が腐っていく中でも叫びを続ける。

 自分一人で何とかすると、そうして守れなかったのは悪路だけの事ではない。己もそうだ。そう痛む心で、涙を叫ぶ様な声で、言葉に紡ぐ。

 

 

「人の手はちっぽけなんだよッ! たった二本しかないんだッ! 何もかも掴もうとして、掴める筈がないだろうッ!!」

 

 

 停滞の力場に縛られて、太極の密度を減らされて、それでも尚も重く鋭い悪路の刃。

 触れれば命を奪われる力の差に圧されながらも、全身を醜く腐らせながらも、クロノは確かに目を見て叫ぶ。

 

 見詰めて、見られて、腐って落ちる。それでも、そうしなければならない。だからこそ、真正面から否定した。

 

 

「だから、僕は皆を信じるんだ! きっと立てると彼らを信じて、頼っていかないと何も出来ない! そうと知っている事、それが僕とお前の違いだろうよ、櫻井戒ッ!!」

 

 

 何もかもを掴もうとすれば、何もかもを取り零す。自分の一生だけでも、人には既に重い荷だ。

 其処に一つ二つと背負ってしまえば、潰れてしまうのは当たり前。誰かの助けを拒んだ時点で、背負えなくなって当然なのだ。

 

 

「……成程、耳が痛いな」

 

 

 風を操り、氷を使役し、空間を飛び回る。逃げに徹する姿であると、笑うのは簡単なその行動。

 クロノを庇う様に動き回るザフィーラを一時超えても、致命傷を与える程の隙にはならない。彼らは確かに、二柱に喰らい付いている。

 

 その事実を前に、悪路は抱いた怒りを収める。クロノの言い分を、彼は確かに理解したのだ。そう言う事もあるのだろうと。

 

 

「確かに、僕は守れなかった。君の言い分を、否定する事など出来はしない」

 

 

 生前の彼は確かに失敗した。全てを一人で背負おうとして、己を救おうとした女を手に掛ける結果となった。

 あの時もしも、誰かに助けを求めていたら違った結果になったのかも知れない。あの戦乙女と心の底から分かり合えていたのなら、聖餐杯の企みを打破出来たのかも知れない。

 

 それは確かだ。あの時になっても一人でと、その想いが間違っていたと言われたならば、其処に否定を返す事なんて出来はしない。

 

 

「だが、だからどうした? そんな言葉一つで揺らぐ程に、神格と言うのは脆くはないぞ」

 

 

 だが今更になって、否定されたからはい変えますとなる筈がない。神格と言う存在は、渇望とはそんなに安い物ではない。

 

 

「――っ! 本当に、頑固者だな。他を理解などする気などないかッ!?」

 

「理解しないのではない。だが、あぁそうかとしか思わない。それだけの話だ」

 

 

 例えそれが正論であれ、だからどうしたと言う話。元より他者に理解を求める事ではないのだ。

 守りたいのだ。傷付いて欲しくはない。だから自分がその一身で穢れを受けたと、彼にとってはそれだけの事。其処に善悪正否など、論ずる必要性はない。

 

 

「この身は屑だ。如何に正論を並び立てようと、だからどうした。己がそうしたいからそうしている。唯それだけの、腐って爛れた男なんだよ」

 

「そうして自虐している所も、そんなお前を宝石と感じる、お前の最愛を貶めてるって分かれよッ! 馬鹿がッ!!」

 

 

 結局のところ、穢れて欲しくないのも守りたいと思うのも、どちらも己の都合でしかない。独善でしかないのだ。

 だからこそ、誰に何を言われようと関係ない。やりたい事をしているだけだと、そんな屑でしかないのだと自嘲しながらやり遂げる。

 

 そんな悪路の変わらぬ姿に、逃げ惑いながらに舌打ちする。腹立たしい程に、その姿は余りに身勝手過ぎたのだ。

 だからこそ、怒りを抱いて――されど戦闘の要故に前には出れない。そんな状況に憤りを抱くクロノだが、怒りを覚えていたのは彼だけではなかった。

 

 

「……黙って聞いていれば、好き勝手言ってくれる」

 

 

 金色の雷鳴が音を立てる。愛する人へと向けられた罵声の言葉に、彼女が怒りを覚えぬ筈がない。

 

 

「貴方に、それを言われる謂れがないッ!!」

 

 

 故にこそ光が瞬く。音すら置き去りにする速度で雷鳴が閃いて、その剣先がクロノの下へと。

 

 この戦場が形となっているのは、彼が天魔の強制力を低下させているから。故にこそ、クロノが落ちればそれで終わりだ。

 戦いは戦いの体を失い、一方的な蹂躙へと変わる。そうと知るのは、母禮だけではない。ならばこそ、それは通さないと獣が叫んだ。

 

 

「それは通さんよ。天魔・母禮ッ!!」

 

「ちっ、獣がッ!!」

 

 

 力場を広げる事で速度を落とす。今の彼女ならば、停滞の効果内へと落とし込める。

 守る時にこそ、その力を最大限に発揮する。そんな守護の獣がある限り、例え二対一であろうと決定打は打たせない。

 

 ザフィーラの姿に舌打ちして、炎を放って迎撃する。そうして彼女は、その想いを叫んでいた。

 

 

「貴方も、貴方達も同類でしょうがッ!?」

 

 

 怒りを吠えているのは、獣と呼んだ女ではない。母禮を構成する、もう一人。

 櫻井螢ではない女は、愛する男を貶められて怒っている。なればこそ、此処に言葉を紡ぐのだ。

 

 

「自分の意志で道を選んで! 自分の中で結論付けて! 自分勝手に解決しようと進んで行くッ! 同じ様な貴方達が、どうして戒を否定できるッ!?」

 

「……あぁ、そうだな。言うべき資格はないのだろうよ。自分だけが傷付いてでも、大切な人を傷付けない。それが美麗だと、確かに認めてた時点で、俺達も同じ穴の貉だ」

 

 

 黄金を通じて、高町なのはが視た景色。トーマ・ナカジマの創造で、それを皆が共有している。

 天魔・悪路を知っている。その正体も、その境遇も、彼が願った渇望も、その全てを知っているのだ。

 

 その上で断言する。その願いの美麗さは否定できない。その想いが確かであると、それは彼らも認めていた。

 

 

「だが、同類だからこそ、だ。分かるからこそ、言うんだよ。ベアトリス・キルヒアイゼン」

 

 

 美麗であるが、陥穽も確かに其処にはある。それを一番分かっているのは、今叫んでいる女であろう。

 その雷光の剣を処刑の刃で受けながら、至近距離にて男は告げる。誰よりも悪路の願いを否定したいのは、此処に居るお前であろうと。

 

 

「愛した者の為にと奮起して、一人傷付き倒れる男の身勝手さ。それに一番納得がいかないのは、他ならないお前であろう。一番物申したいのはお前だろう。……だが、悪いな。そんな女の我儘に、付き合っている余裕がない」

 

「――っ! まるで悟っているかの様にっ!!」

 

 

 速度を止めて、己を加速させ、漸くに追い付ける雷光速度。そうして受けた雷の剣は、しかしジリジリと押していく。

 ましてや、女の剣は一つではない。もう一振りの炎が閃き、処刑の刃が砕かれる。崩れた男のその身体に、二振りの刃が振り下ろされた。

 

 

「……ええ、そうですね。これは所詮女の身勝手です。ですが、だからこそ明言しましょうッ! 私ではなく、貴方達にッ! 私の戒が否定されるのは、どうしようもなく気にいらないッ!!」

 

 

 否定するのは己の役目だ。他人が勝手に奪っていくな。それはどうしようもない男を愛してしまった女の独占欲。

 処刑の刃を砕かれて、その胸筋に鋭い傷を刻まれて、それでも致命傷には届かせない。後方へと流れながらに、ザフィーラは其処で如何にか踏み止まる。

 

 そうして、見上げる。敵は母禮だけではなく、彼が討たれれば戦場は即座に破綻する。ならばこそ、痛みに怯んでいる暇すらない。

 

 

「ああ、難しいな。護ると言うのは」

 

 

 三つの手札。その全てを持つのはクロノ・ハラオウン。彼の死は即ち、己達の敗北を意味している。

 クロノが隠す最後の切り札。それが通る密度まで、太極を肥大化させて時間を稼ぐ事。最期に隙を作り上げる事。それこそ、ザフィーラの役割だ。

 

 故にこそ、彼を追い詰める悪路王は無視出来ない。炎を飛ばす雷光の女へ牽制打を放ちながら、悪路を阻む様に疾走する。

 

 

「心を護るか、身体を護るか。クロノが重んじるのが心なら、腐毒の王が重んじるのはその命なのだろう」

 

 

 先の折れた斬撃を、修復した処刑の刃で受ける。続く巨大な悪鬼の一撃に、大きくその身を吹き飛ばされる。

 迫る雷光を前に再び時を止めて立ち塞がり、その炎の剣に貫かれる。燃え上がる火が血肉を焦がす前に敵を蹴り飛ばし、続く異形の女武者に叩き潰される。

 

 何度も何度も地面に倒れ、幾度も幾度も傷を増やして、それでも盾の守護獣は立ち上がる。

 

 

「だが、どちらであっても駄目なのだろうよ。双方を守り通せなければ、護ったと言う事にはならない」

 

 

 彼は護る者。誰かを護ると言うその一点で、誰にも負けぬと自負する獣。ならばこそ、この男は諦めると言う言葉を知らない。

 心だけではない。命だけでもない。その全てを護り通す為ならば、盾の守護獣は砕けない。何度でも立ち上がり、幾度でも道を阻むのだ。

 

 

「心も身体も護り抜く。それが守護者の目指すべき解答だ」

 

「お前はそれを如何に果たす気だッ! 盾の守護獣ザフィーラ!!」

 

「知れた事。クロノの策を為した上で、一刻も早くお前達を討滅する。そうすれば、心も身体も護れるだろう?」

 

「獣がっ、大きく出たなッ! ならば、やってみせろと言うッ!!」

 

 

 ザフィーラの言葉に、櫻井螢が笑って語る。啖呵を言い切る姿は確かに、爽快ささえ感じさせる物。

 ベアトリスが怒りを叫んで、螢が笑っている。そんな相反する姿を見せながら、それでも天魔・母禮は苛烈であった。

 

 

 

 雷光が空を蹂躙し、腐毒の風が嵐となって攻め立てる。随神相と人間体。四つの身体と二つの異能が、絶え間なく襲い来る。

 悪路も母禮も加減をしない。油断も慢心も其処にはなくて、唯純粋な殺意と敵意を突き付ける。彼らが行う猛攻は、彼らにとっての最善策だ。

 

 

「卑怯とは言うまい。無粋などとは口にもしない。そうとも、お前達が如何なる罠を仕組んでいようと、食い破ってみせればそれで良い」

 

 

 クロノの放った太極循環。密度の希薄化を防ぐ手段は確かにある。太極を閉じるか、或いは範囲を意図して縮小すればそれで済む。

 だが、その行動を取れば隙が生まれる。攻撃の手が僅かに緩む。故に二柱は判断したのだ。手札が自慢と言う敵ならば、これ以上何かをさせる前に潰せば良いと。

 

 

「その積み上げた全てを焼き尽くす。我が槍を恐れるならば――此処で、この炎で燃え尽きろォォォォォォッ!!」

 

 

 停滞の力場を力付くで突き破る。転移速度よりも尚早く、その先へと到達する。己の意志を叩き付け、全てを腐らせ焼き尽くす。

 蒼き獣の腕が飛んだ。左の腕が一本飛んで、無数の刃が砕かれる。黒き英雄の腹が抉れた。腐った臓腑が零れ落ちて、口からは止めどなく黒が溢れ出す。

 

 それでも、獣は退かない。全身を火傷に覆われながら、それでも新たな刃を作り上げて道を阻む。

 それでも、男は逃げない。失った臓腑を機械と異形化した肉体で補って、霞む視界で敵を睨みながらに跳び回る。

 

 何処までも続く攻勢は、正しく一方的な展開だ。四つの身体から放たれる殺意の嵐に、彼らは切り刻まれていく。

 傷付き、追い詰められて、だがまだ戦える。苦しみ、膝を付きそうになって、それでもまだ諦めない。削られ圧し潰されながら、それでも二人は前を見た。

 

 

〈まだ、か……もう、持たんぞ、クロノ〉

 

 

 諦めないのは、勝機があるから。この圧倒的な劣勢においても、まだ覆す術があるから。ならば、絶望するにはまだ早い。

 

 

〈もう直ぐ、だ。もう直に、後僅か耐えろ。……後、数秒だ〉

 

 

 世界の循環。太極の希薄化。もう間もなくに、届く領域にまで落ちて来る。だから、その僅か先を待つ。

 一秒がまるで、一日にも二日にも感じられる極限状態。コンマ以下が過ぎ去る時が、余りに遠く思えてくる。

 

 それでも、男達は耐え続けた。僅か数秒の時を耐えきって、故にその勝機をつかんでいた。

 

 

「3、2、1――規定値を超えたぞッ! 今だッ!!」

 

 

 その瞬間をクロノの瞳が確かに捉える。魔力を測定する瞳が、その濃度が一定以下に至った事を視認した。

 故に、此処より反撃は始まる。蜘蛛の糸を掴む様な、薄氷の上を渡って行くような、そんな勝利への筋道が確かに此処に見えたのだ。

 

 

「そうか。ならば、後は任せるッ!」

 

「……ああ、安心して死んで来いッ! ザフィーラッ!!」

 

 

 その一点を突く為に、命を消費する必要性が存在する。故に死んで来いと、後は任せたと彼らは笑った。

 

 

「日は古より変わらず星と競い、定められた道を雷鳴のごとく疾走する」

 

 

 そして、全力での能力行使。神の眷属として得た力を、幾重に幾重に重ねていく。

 其処に注ぎ込むのは魔力。己の命を維持している力すらも注ぎ込んで、ザフィーラの身体が消えていく。

 

 

「そして速く、何よりも速く、永劫の円環を駆け抜けよう」

 

 

 ゆっくりと泡になる様に、崩れていく男の身体。ふわり浮かんだ光の粒は、まるでシャボン玉の如くに弾けて消える。

 ボロボロと零れ落ちながら、紡ぐ咒は力を増していく。密度を強制的に薄められて、弱った彼らの法則に一瞬だけでも勝る程。それが命の対価であった。

 

 

「光となって破壊しろ、その一撃で燃やし尽くせ。そは誰も知らず、届かぬ、至高の創造。我が渇望こそが原初の荘厳」

 

 

 己の意志で塗り潰す。この渇望で上書きする。不味いと理解した彼らが行動に移るよりも速く、世界を此処に停滞させる。

 ザフィーラが加速した分だけ、世界の時は停止に近付く。十の二十四乗。正しく涅槃寂静の領域にまで、全てを止めて彼は走った。

 

 

創造(ブリアー)――涅槃寂静(アインファウスト)終曲(フィナーレ)ェェェェェェェッ!!」

 

 

 己が消滅するより前に、その手を届かせて動きを止める。動き出そうとした二柱の頭を、その両手で確かに掴んだ。

 随神相も太極も、全てを止めて拘束する。ほんの一瞬で消え去ろうとしている男は、その背中で仲間に向かって伝える。

 

 このまま、やれと。憎らしくとも信頼している、そんな戦友へと確かに告げた。

 

 

「クロルフル……我、誓約を持って命ずるものなり。レイデン・イリカル・クロルフル」

 

 

 右腕に詰め込まれた無数のロストロギア。同じく制御装置と組み込んだS2Uを、託された男は此処に起動する。

 膨大に過ぎる程の魔力が溢れ、それを如何にか統制しながら彼らを見詰める。戦友が命賭けで生み出した一瞬の隙、決して無駄になどしない。

 

 

「悠久なる凍土。凍てつく棺のうちにて、永遠の眠りを与えよ。諸共に凍てつけッ! エターナルコフィンッッッ!!」

 

 

 停滞の力場に包まれた全てを、此処に纏めて凍らせる。永久凍結の力で以って、求めるのは次への布石だ。

 一瞬しか持たないザフィーラの停滞が破られる前に、エターナルコフィンが溶かされる前に、凍らせた対象を纏めて転移させる。

 

 街一つを包む大質量。内に孕んだ無数の魂。重い重い重いけれど、だからと言って投げ出せない。

 故に血反吐を吐きながら、故に臓腑を取り零しながら、それでもクロノは限界を超えて己の歪みを行使したのだ。

 

 

「跳べッ! 空の彼方、星の海ッ! 其処に浮かんだ、あの燃え盛る星の中へとッ!!」

 

 

 万象掌握による強制転移。飛ばした場所は宇宙に浮かぶ、燃え盛る灼熱の星。

 穢土の太陽。其処に堕ちる様に彼らを跳ばして、そしてクロノも同じく転移で宙へと跳んだ。

 

 凍り付けにして、太陽に落とす。それだけで倒せる程に、大天魔と言う存在は弱くない。

 当然の如く、勢いを失った停滞の力場は破られる。溶けない氷は破られて、彼らは火の中から姿を現すだろう。

 

 

「バレル展開。最終安全弁解除。目標、穢土宙域内の恒星」

 

 

 故にこそ、クロノが跳躍した場所は艦橋。最後のダメ押しとして、切り札として用意したのはアースラⅡ。

 惑星の宙域にて待機させていたこの船に、転移で乗り込み起動させる。放つのは今の文明が作り上げた禁忌の光。世界一つを滅ぼす反応消滅砲。

 

 

「反応消滅砲Arc-en-ciel――発射ァァァァァァァッ!!」

 

 

 空間歪曲による対象消滅を以って、太陽ごとに大天魔を消し飛ばす。それが彼らの立てた策。

 三つの魔法陣が力を集めて、アルカンシェルが放たれる。全てを消し去る破壊の光に、停滞の力場に縛られた天魔達は――

 

 

「……言った筈だ。我らが太極(コトワリ)を、甘く見るな」

 

 

 消え行く獣の強制力は、徐々に衰えていた。彼らを止められる程に、強かったのは最初の僅か一瞬だけ。

 最早ザフィーラには止められず、ならば彼らも無防備で受ける筈がない。悪路の随神相が、破壊の光を前に立ち塞がった。

 

 

「かれその神避りたまひし伊耶那美は、出雲の国と伯伎の国。その堺なる比婆の山に葬めまつりき」

 

 

 そして、着弾する。激しい白光が全てを消し去ろうと、荒れ狂うが鬼は耐え続ける。

 光の奔流を真っ向から受け止めて、無傷ではないが耐えている。男がそれに耐えたのならば、次に動くは女の天魔だ。

 

 

「ここに伊耶那岐。御佩せる十拳剣を抜きて、その子迦具土の頸を斬りたまひき」

 

 

 傷付きながら光を受け止める悪路の背後で、激しい炎が燃え上がる。

 己達を焼き続ける恒星すらも、消し飛ばす炎が溢れ出す。その力を前にすれば、アルカンシェルとて子供だましだ。

 

 

太極(ブリアー)ッ! 神咒神威(ここにあまつかみのみこともちて)無間焦熱(ふとまににうらへてのりたまひつらく)ッッッ!!」

 

 

 太陽が消し飛ぶ。アルカンシェルが吹き飛ばされる。停滞の力場が焼き尽くされて、蒼き獣の残骸は大地に向かって落ちていく。

 全てを消し飛ばした炎の勢いは、それでもまだ止まらない。このまま溢れ続ければ、必ずやアースラⅡも飲み込むだろう。故にこそ、クロノも更に一手を切る。

 

 

「甘く見てなどないさ、だから――アースラⅡのアルカンシェルは連装式だッ!!」

 

 

 試作連装式Arc-en-ciel。アースラⅡの左右に在る剣の数は合計六本。

 最大で同時に三発までのアルカンシェルが撃てる事。それこそが、この船の切り札だった。

 

 

「第二射ッ! 第三射ッ! てぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 迫る炎へと向けて、第二射第三射を放つ。そして、それだけでは終わらない。三つの砲門を順繰りに使って、放つ破壊の光は三弾撃ちだ。

 息も吐かずに放ち続ける光の連撃。継ぎ目なく、絶え間なく、振り続けるアルカンシェル。恒星と停滞の力場。二つの要素で弱った炎は、数十と言う光の中に消されていった。

 

 

「言ったぞ。甘く見るな、と。……随神相(カムナガラ)

 

 

 終わりのない光の雨。真面に受ければ消滅必至な状況で、櫻井戒は突き進む。常に泥を被るのが、変わらぬ彼の在り様だ。

 悪鬼の随神相を前面に、光を受けながら進み続ける。時の鎧さえ貫く光の雨。受ける度に傷付き、受ける度に砕かれ、それでも津波に立ち向かう様に、天魔・悪路とその神体は進撃する。

 

 腕が落ちた。足が取れた。腐った身体が欠損して、それでも悪鬼は突き進む。光の雨さえ突き抜けて、その手に握った刃をアースラへと。

 

 

「――っ! 堕ちろッ! 堕ちろッ! 堕ちろォォォォォォッ!!」

 

 

 確かにダメージは与えている。その神体は既に消え去りそうだ。ならば、届かせる前に此処で落とす。

 何度も何度も何度も、アルカンシェルを撃ち続ける。想定していない過負荷に砲門が悲鳴を上げるが、それでもクロノは撃ち続けた。

 

 艦内の非常アラートが、激しく音を立てる。真っ赤に染まった船の中、危険と言う音声が流れ続ける。

 そんな艦橋に立つ男は、その目で確かに見詰めていた。船の前方、目と鼻の先までに迫っている巨大な悪鬼を。

 

 或いはこれが、愛する人達が最期に見た光景か。消え掛けた悪鬼が大剣を大きく振り被り、その刃を振り下ろす。

 

 

「神咒神威・無間叫喚ッッッ!!」

 

 

 そして、宙に大輪の花が咲いた。

 

 

 

 

 

 星の海で、アースラⅡが爆発する。先代と同じ道を辿って、炎の中へと消え去った。

 その爆発を背に負って、悪路王が大地に着地する。着地した瞬間に随神相は、自重を支えられずに大地に沈んだ。

 

 轟音を立てて、不和之関が崩れていく。大地に沈んだ神の相が、光となって消えていく。それでも、悪路は未だ生きている。

 折れた大剣を支えに、荒い息を吐く。既に満身創痍の腐毒の王は、それでも己の勝利を確信し――故に一瞬、その光景に目を見開いた。

 

 

「終わりだ。櫻井戒」

 

 

 死人の如き顔色で、それでも未だ生きている。そんな隻腕の青年が空に立ち、一本の腕が落ちて来た。

 その鋼鉄の右腕は、世界一つを滅ぼす遺産を無数に詰め込んだ爆薬だ。例え時の鎧であっても、これを防ぎ切るなど出来ない。

 

 既に死に体。最早何時消滅してもおかしくない程に、アルカンシェルの雨に削られていた。

 故にこそもう動けなかった櫻井戒は、空に浮かぶクロノを見上げて、素直な心でその結末を認めていた。

 

 

「……見事だ」

 

「ブレイク、ショットッッッ!!」

 

 

 デュランダルより撃ち放たれた魔力の弾丸が、落ちた機械の腕を撃ち抜く。

 そして惑星全土を揺らす程の激震と共に、不和之関を消し飛ばす程の大爆発が悪路を包んだ。

 

 

「戒……兄さん……」

 

 

 時の鎧に守られた穢土が、それでも地形を変える程の大爆発。其処に巻き込まれれば、今の悪路では耐えられない。

 当然の如く消滅していく家族の姿に、天魔・母禮は静かに涙を零す。それでも刃を握り直すと、穢土に向かって疾走した。

 

 

「だが、これで最早打つ手はないぞッ!!」

 

 

 天魔・悪路を倒したは見事。されど、それで全てを使い果たしたならば此処まで。

 己も爆発に巻き込まれて、吹き飛ばされて大地に落ちた瀕死の局長。その首を取って、我らの勝利に終わるのだ。

 

 

 

 悪路の消滅と引き換えに、クロノ・ハラオウンも吹き飛んだ。

 既に不和之関は原形すらも留めておらず、残る命は後僅かしか存在しない。

 

 そんな砦跡に刻まれたクレーター。残骸と化した蒼き獣は、最早何も映らぬ硝子の玉で空を見上げた。

 片腕を喪失し、全身焼け爛れ、瞳は光を失った。その身は停滞の鎧を展開する事も出来ずに、彼本来の姿で少しずつ解けて消えていく。

 

 此処までか。二人掛かりで天魔を一柱打ち倒し、しかしそれが限界だったか。最早動かぬ身体で、そんな風に感じている。

 守るべき命を守れず、果たすべき仇を討ち取れず、消え去るだけが終わりであろうか。諦めたくはない。諦める訳にはいかない。なのに僅か、そう思ってしまって――

 

 

――頑張って。

 

 

 何処かで聴いた、懐かしい声を耳にした。そんな気がしたのだ。

 

 

「ぅ、おぉぉぉぉぉぉぉぉ」

 

 

 だから、崩れた残骸が声を上げる。何処からか流れ込んで来る様な力に、最期の一矢を示してみようと決意する。

 力など欠片も残っていない。この身など数秒も持ちはしない。それでも盾の守護獣は、己が消える間際に雄叫びを上げた。

 

 そうとも、我は護る者。既に意識など殆どなくて、消え去るまでの時間も数秒と言った状態。それでも護る者だから、蒼き獣は立ち上がる。

 そして、立ち上がって前へと進む。星へと降り立った母禮の道を阻む様に、倒れた局長の下へと進む。戦う事は出来ずとも、我が身を盾としてみせようと。

 

 白い髪に、褐色の肌。片腕しかない男が立ち塞がる。盾にしかなれない男を前に、母禮は僅か歩を止めた。

 

 

「……良いだろう。先ずはお前から、終わらせてやる」

 

 

 それが男の矜持であれば、女は確かに受け取った。あの日の様に、踏み躙らねばならない理由はない。

 最期まで盾になろうとした、意識さえ真面に残っていない男。ザフィーラへと向き合って、女は一歩を踏み込んだ。

 

 盾の守護獣の意志は尊い。だが、尊いから強いと言う理屈はない。アルカンシェルの被害を大きく受けたのは悪路であって、母禮の死は未だ遠い。

 雷速で迫る女の姿を眼で追う事すら最早敵わず、当然振り下ろされる刃にも反応なんて出来やしない。既に盾はその一撃を受け切る程の強度も残っていない。

 

 ならば鎧袖一触。消し去られるのが必定で――

 

 

「なっ!?」

 

 

 ならば、これは一体如何なる奇跡だったのか。天魔・母禮の刃が驚愕に止まっていた。

 

 

「ま、さか――」

 

 

 機能を失くした硝子玉。何も見えない筈の瞳に映った、その淡い影を確かに見る。半透明な少女の姿を、獣は確かに知っている。

 忘れる筈がない。見間違える筈がない。誰より愛したその人を間違えるなど、如何なる状況でもありはしない。

 

 だから、止めどなく涙が溢れた。涙に滲んだ硝子の玉が見詰める先に、幼い少女の幻影が映り込む。これ以上はさせないと言うかの様に、彼女は両手を広げて立っていた。

 

 

〈私な、怒っとるんやで。嘘ばっかり言って、本当の事言ってくれへんかった〉

 

 

 茶髪の少女が見詰めている。その青い瞳を、女は二度も切り捨てる事が出来なかった。

 だからこそ、何故どうしてと、驚愕したまま硬直してしまう。それは僅かに過ぎずとも、確かに明確な隙だった。

 

 

〈せやから、お仕置き。ザフィーラ。螢姉ちゃんを許す為に、思いっきりぶっ飛ばしてッ!〉

 

「――それが、(ハヤテ)の命ならばッッッ!!」

 

 

 そんな動揺を前にして、八神はやては従者に命じる。その主命を前に、ザフィーラは喜悦の声を確かに上げた。

 既に死に体な男であったが、彼女の命ならば一歩を踏み込む事が出来る。彼女の声が其処にあるなら、不可能なんてないと想えたのだ。

 

 故に届く。硬直した女へ向けて、男の拳が打ち込まれる。その一撃が、決め手となった。

 瀕死の男は、拳を打ち込み消滅する。盾の守護者が命を終えて消え去った後、ゆっくりと気付いた様に母禮の身体が崩れ始めた。

 

 

 

 嘗て語られた様に、この女の自壊はとうの昔に始まっていた。櫻井螢とベアトリス・キルヒアイゼンは、致命的なまでにズレていた。

 その傷は消え去った訳ではない。その自壊は無くなった訳ではない。心の力で無理矢理に覆い隠していただけ。だからこそ心が納得した瞬間に、彼女の身体は自壊したのだ。

 

 ああ、そうだ。そうだとも、この幕引きは相応しい。嘗て斬り捨てた少女の命を受け、その従者に討たれる結末。

 力を見た。意志を見た。覚悟を知った。託して逝けると分かっていたから、この結末に心が納得してしまっていたのだ。

 

 睨み付ける様に見上げる少女を前にして、女は崩れ落ちていく。壊れていく己を顧みる事すらせずに、見詰め続けて彼女は気付いた。

 

 

「……ああ、そう。そう言う事、なのね」

 

 

 此処に居る八神はやての正体。彼女が一体何なのか、それに気付いて息を吐く。

 正真正銘彼女本人。その理由を理解して、己に終止符を打つに相応しいと納得して、そうして螢は最期に笑った。

 

 

「最期に逢えて、良かったわ」

 

 

 憎んでいて当然だ。罵声を受けて当たり前。こうして幕を引かれる事に、否がある筈もない。

 だから、だけど、逢えないよりは逢えて良かった。例え結果が己の死でも、良かったのだと想えたのだ。

 

 そうして、笑みを浮かべる。素直な笑みを前にして、八神はやては笑って告げた。

 

 

〈これであの時の事は、水に流したるわ〉

 

 

 半透明の少女は告げる。これで対等、もう怒ってはいないのだと。

 故に笑みを浮かべたはやては、崩れる螢に手を伸ばす。その差し伸べられた手を、彼女は確かに握り返した。

 

 

〈せやから、また逢おうね。螢姉ちゃん〉

 

「……えぇ、そう出来たら、それはとても素敵でしょうね」

 

 

 もう間もなく、生まれ落ちる奇跡の子。八神はやての言葉に頷いて、櫻井螢は消えていく。

 己に次があるかは分からない。彼女は生まれた後に、前世の記憶を失うだろう。だから、きっとこの約束は叶わない。

 

 それでも、そうできたら、それはとても素敵であろう。優しい少女の優しい言葉に、合わせた手の形を変える。

 和解の握手の形から、小指を絡ませ指切る様に。小さく一度揺らしてから、櫻井螢は消滅した。後には何も残らない。

 

 半透明の少女は一人、太陽を失くした空を見上げる。隙間ない曇天に覆われた暗い空。それでもきっと、もう直ぐに明るくなるだろう。

 今を生きる光が、何れ生まれる世界を照らしてくれる。この時代は終わらずに、先へ繋がって行く。そう信じて、八神はやては立ち去るのだった。

 

 

 

 

 

 穢土・夜都賀波岐初戦、不和之関。天魔・悪路。天魔・母禮。消滅。

 盾の守護獣ザフィーラ死亡。クロノ・ハラオウン生存。機動六課――勝利。

 

 無間地獄を乗り越えて、戦いは次なる舞台へと進む。

 

 

 

 

 




※八神はやて(仮称)の正体はもうちょい秘密。この子が此処で出て来れた理由は当然あります。


○おまけ~演説時のクラナガンにて~
クロスケ「お前の足は、一体何の為に付いているッ!? 誰だって、立ち上がる事は出来るだろうがッ!!」

キャロ「……足。私も、立つべきなんじゃ」
ルーテシア「待って! 局長の演説は比喩表現だからっ! 無理に立てって言ってないから! 半身不随なんだから、立って歩けなくても駄目じゃないのよっ!!」

シュテゆ「半身不随だから立てない? ユーノなら出来ましたよ」
イクスべ「きっとエリオにも出来ますね。当然の事でしょう」
ヴィヴィ吉「ヴィヴィオのママだって、誰にも負けないもんっ!!」

ルーテシア「ちょっ!? 上二人は何処から!? って、キャロ!? 無理に立とうとしないでっ!! 大怪我しそうだからやめてぇぇぇぇっ!!」




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第三話 無間地獄を乗り越えろ 其之弐

今回の戦いは、Dies先輩ルートのルサルカVSマッキー……の戦いに、何故かザミ姐がマッキー側で参戦してきたくらいの戦力差だと思います。

推奨BGM PHANTOM MINDS(リリカルなのは)


1.

 出会いの切っ掛けは、何でもない平凡な日常の中にあった。

 特別な異能なんてなくて、高尚な理想なんて関係なくて、当たり前に過ぎ行く日々の一頁。

 

 我が儘な自信家が居た。素直になれない自信家は、自分はこんなに有能なのに、どうして友が居ないのかと首を傾げる。その傲慢さに自覚がなかった。

 とても臆病な少女が居た。生まれに引け目があった彼女は怖かった。誰かと関わる事が、己の異常が暴かれる事が、どうしようもなく怖かった。

 

 だから二人は共に一人ぼっち。友達が出来なかった自信家は、同じ少女に一方的な共感を抱いて関わった。

 友達になりたくて、それでも素直に口には出来なかった。だから気を引く為に、そんな下らない理由で行った事は唯の身勝手。

 

 大切な物を奪い取る。無理矢理に取り上げたのは、少女が大切にしていた一つのカチューシャ。

 取り上げればきっと、興味を惹く事が出来る筈だ。人の痛みを考えられない少女の短絡さは、虐めと言う形で露出した。

 

 人の痛みが分からない子供に、取られても何も言えない子供。そんな二人は二人だけでは、きっと碌でもない形になっていた。

 アリサ・バニングスは痛みを理解出来ないまま、月村すずかは何も言えないまま、たった二人だけならそれで終わりとなってただろう。

 

 そんな二人だけど友達になれたのは、正しく歩く彼女が居たから。悪い事は悪いのだと、真っ直ぐに向き合ってくれる少女が居たのだ。

 

 

「痛い? でも、大切なものをとられちゃった人の心は、もっともっと痛いんだよ」

 

 

 頬を叩かれた痛みに、呆然とするアリサ。理解が追い付くと同時に捲し立てる。口から出たのは悪口雑言。対するなのはと言う少女も、己が正しいからこそ退きはしない。互いに罵り合う口喧嘩から取っ組み合いへ。

 被害者を置き去りにして、喧嘩を始める二人の子供。そんな彼女達を必死に止めようと、泣いていたすずかは奮起する。奮起した彼女が選んだのは、短絡的な実力行使。

 

 素手で殴り合う少女達。そんな三人が暴れる姿を、まるで微笑ましいと見詰めていた赤毛の少女。

 虐めは何時しか二人の喧嘩に。止めようとしたすずかが力を振るい、気付けば高みの見物をしていたアンナも巻き込み大乱闘に。

 

 そうして学校のチャイムが鳴るのと同時に、皆揃って担任の先生に怒られた。それが四人の始まりだった。

 

 素直になれないアリサになのはが怒って、そんな二人をすずかが宥めて、アンナが高みで指差し笑う。

 なのはの地が明らかになって、アリサが呆れながらにカバーする。そんな関係の変化に、すずかとアンナは揃って目を丸くした。

 

 最初は対立から始まって、そのいがみ合いを引き摺りながら関わり続けて、気付けばずっと一緒に居た。

 当たり前の日常を、当たり前の様に四人で過ごしていく。特別嬉しい事があった訳でもないが、それでも幸せだった時間。

 

 授業中。繰り返しの様な出来事に飽きたアンナが手紙を回して、それに頭が良過ぎて学ぶ事のないアリサが乗って、すずかが苦笑交じりに関わって、なのはの所で教師に見付かる。

 学校の昼休み。お弁当を何処で食べるかの論争。中庭で食べようと言うアリサに、屋上こそが鉄板だとアンナが語る。なのはは目を回しているだけで、すずかが交互にしようと折衷案を口にした。

 

 夏休み。祭りの花火大会に一緒に行って、河原に並んで空を見上げた。最終日になると何時も、なのはが残った宿題の量に悲鳴を上げる。

 冬休み。家族総出で一緒に旅行へ、色々な景色を共に見た。時折深い表情を浮かべるアンナの秘密も、気付いた今ならば納得しよう。彼女は何かを通して、何時も過去を見詰めていた。

 

 億年の年月に比べれば、ほんの一瞬に満たない僅かな時間。二十年と言う年月でも、決して多くはない時間。

 小学校に入学してから、あの日に擦れ違って別れるまで。僅か四年に満たぬ時。そんな少ない月日であっても、今も忘れないでいる大切な日々。

 

 忘れない。忘れる筈がない。あの日にまた戻る為に、こうして今に向き合っているのだから。

 

 

(えぇ、そうよね。貴女達も大切だって、うん。大丈夫。分かっているわ。私も貴女達の事、今も大好きだって言えるもの)

 

 

 断言しよう。今もまだ、自分達は友達だ。ずっとずっと変わらない。誰より大切な友人だ。

 だからこそアリサは、故にこそすずかは、友の姿を真っ直ぐに見詰めていた。それは、アンナ・マリーア・シュヴェーゲリンも変わらない。

 

 同じく大切な友達と思えていたから、この鬼無里における出来事は、戦闘として成立するのだ。

 

 

 

 

 

 鬼女の如き上半身と、烏賊を思わせる多足の下半身を併せ持った巨大な随神相。

 天魔・奴奈比売の情念は、他を圧する神威と共に影を生み出す。舐めるなと、その啖呵と共に溢れ出した影の海。

 

 されど舐めるなと、そう思うのは女一人だけじゃない。襲い来るその重圧を前にして、相対する二人も決して震えはしないのだ。

 

 

「大・焼・炙ッ!」

 

 

 金糸の女が手にした炎の刃を振るう。唯それだけで、神威の圧を伴った影の津波が消し飛ばされる。

 炎の余波に随神相が揺らめいて、天魔・奴奈比売は掌を握り締める。指の間を流れる汗は、嫌な程に冷たくあった。

 

 彼我の実力差を明確に、推し測った奴奈比売は後退する。大きく膝を折って、後方へと一息に跳んだ。

 それは逃走の為ではなくて、仕切り直しを求めた一手。対する女達もそうと理解したが故に、一切の油断なく追い掛ける。

 

 誰も居ない無人の人里。居並ぶ古い作りの家屋は、寂しい風が吹き抜ける様な場所だった。

 啖呵を切ったその後に、落下したのは町の入り口。宿場町を摺り抜けて、辿り付いたのは城下町の境とでも言うべき場所。

 

 まるで両者の立場を示すかの如く、堀を挟んで天魔は止まる。相対する女達も其処で止まって、両者の間には木造の橋が一本だけ。

 橋を挟んで対面に、三人の女は強い瞳で相手を見詰める。同じ時を同じ様に過ごした少女達は、この今に同じ想いと異なる意志を抱いていた。

 

 

「ものみな眠る小夜中に、水底を離るることぞ嬉しけれ」

 

「かつて何処かで、そしてこれほど幸福だったことがあるだろうか」

 

 

 どちらからともなく咒を紡ぐ。高まる魔力と溢れる神威。互いに求める結果は違うが、打つべき一手は一致していた。

 赤と紫。二人の女が選んだ手段は覇道の展開。周囲を己の宙で塗り替えて、対する敵を取り込み打ち破らんと言うのである。

 

 

「水のおもてを頭もて、波立て遊ぶぞ楽しけれ」

 

「あなたは素晴らしい。掛け値なしに素晴らしい。しかしそれは誰も知らず、また誰も気付かない」

 

 

 沼地の魔女は分かっている。今の自分では、この二人の片方にも届きはしないと。先の一手で確信した。

 だが、だからそれがどうしたと言う話。そんな理屈では諦められない。理屈じゃないのだ。大切なのは、頭で出した答えじゃない。

 

 故に彼女は譲れぬ意志を届かせる為、既に展開している太極を二重三重へと重ねて開く。

 たった一つで届かぬならば、届くまで何度も何度も積み上げる。溢れる海の如き泥は、溜まり積もった彼女の情念。

 

 

「澄める大気をふるわせて、互いに高く呼びかわし」

 

「幼い私は、まだあなたを知らなかった。いったい私は誰なのだろう。いったいどうして、私はあなたの許に来たのだろう」

 

 

 月村すずかは判断した。共に並び立つ友と己。どちらの法則を展開するべきなのか。

 一瞬たりとも悩まずに、下した結論は簒奪の夜。永劫に燃え続ける炎では、余りに火力が強過ぎる。

 

 己の目的は、己達の望んだ事は、皆で共に帰る事。殺意は其処に欠片もなければ、激痛の剣は重過ぎる。

 下した判断はアリサも同じく、無言の内に通じ合う。其処に歓喜を僅か感じて、笑みを浮かべたままに女は己の咒を紡ぐ。

 

 

「緑なす濡れ髪うちふるい、乾かし遊ぶぞ楽しけれ」

 

「もし私が騎士にあるまじき者ならば、このまま死んでしまいたい。何よりも幸福なこの瞬間――私は死しても、決して忘れはしないだろうから」

 

 

 堀から溢れる影は津波の様に、膨大な量となって湧き出す。紙に墨汁が染みる様に、明けない夜は空を塗り替える。

 そんな覇道のぶつかり合い。アリサは仲間との同士撃ちを望まない故に参加しないが、だからと言って彼女は指を咥えて棒立ちしている様な女じゃない。

 

 己の宙を掌大に、集束させて剣の形に。激痛の剣を強く握り締めた女は、咒を紡いでいる女に向かって地を駆ける。

 己の願いを呟きながら、対する奴奈比売もその動きは見逃さない。覚悟を胸に定めた彼女は、アリサを止める為に随神相を動かした。

 

 

「太極――随神相(チェイテ・)・無間黒縄地獄(ハンガリア・ナハツェーラー)ッ!!」

 

「修羅曼荼羅――楽土(ローゼンカヴァリエ)・血染花(・シュヴァルツヴァルト)ッ!!」

 

 

 開かれる二つの太極(コトワリ)。地より溢れて天にも届かんとする大海嘯と、天を染め上げ地すら喰らわんとする赤い月。

 異なる覇道は喰らい合う。互いを同じく染め上げようと拮抗して、だがそれも一瞬の出来事だった。月の魔力を前にして、影は拮抗し切れず圧し負ける。

 

 ぶつかり合って押し返そうとはするのだが、結局一方的に喰われて行く。二重三重に重ねようと、実力差は埋められなかった。

 圧し負けた海は水が盃から零れる様に、夜が染め上げていない場所へと溢れ出していく。無人の箱庭を押し潰しながら、奴奈比売の太極が齎した結果はそれだけだった。

 

 

「アンナァァァァァァァッ!!」

 

 

 赤い月が輝く空に、炎の剣が燃え上がる。刃を振り下ろすアリサを見詰めて、天魔・奴奈比売は無言で笑う。

 随神相を動かしての妨害は、鎧袖一触に打ち破られる。多足の足をなで斬りされて、手足を焙られる痛みを感じながらも笑った。

 

 初撃にて分かっていた。アリサの圧倒的な火力を前に、己では抵抗する事すら出来はしないと。

 仕切り直して此処に来たのは、この場所に対抗手段があったからではない。ただ少し、ほんの少しの時間稼ぎだ。

 

 

(……けど、逃げ回る事での時間稼ぎはもう出来ないわね。対抗手段がない事は、もう暴かれてしまっているもの)

 

 

 何かあると思わせて、油断がなかったから釣れたのだ。相手が最大限に警戒すればこそ、逃げ回る事が時間稼ぎとして成立する。

 場所を変更しても、太極を重ねても、対抗手段とならない事がこの一手で知られてしまった。そうである以上、今度は攻めに回らなくてはいけない。

 

 己の目的は宿儺の策がなるまでの時間稼ぎ。対する相手の目的は、戦術的には己の無力化で、戦略としてはトーマの救出。厳密に言えば、どちらも戦闘は手段でしかないのだ。

 

 逃げ回るだけで止められないのだと分かってしまえば、アリサもすずかも当初の予定通りに行動しよう。奴奈比売をどちらか片方で相手にして、残る一方が突破していくと言う訳である。

 

 それは出来ない。それは困る。だから、此処から先には策が要る。何かを使って、この断崖を埋めねばならない。その為に必要な覚悟は、もう既に決まっていた。

 故に奴奈比売は笑みを浮かべる。随神相を打ち破り、其処から一歩を踏み込むアリサ。彼女に向かって、奴奈比売は嘘偽りのない笑顔を浮かべた。

 

 

「なっ!? アンタッ!!」

 

 

 そして晴れ晴れとした表情で、女はそのまま燃え続ける激痛の刃へと無謀備に飛び込む。

 まるで己から首を差し出す様な女の行動。アリサの顔が確かに引き攣って、彼女の腕が硬直した。

 

 時の鎧に守られていても、激痛の剣ならば関係がない。このまま僅かに振り抜けば、奴奈比売の首が燃え尽きる。

 いいや、振り抜かなくても変わらない。既に掠めた火の粉だけで、女の肌が燃えている。天魔の身体が溶け始め、白い骨が見えていた。

 

 このままでは友が死ぬ。その光景に戦慄して、咄嗟に剣を消してしまう。そんなアリサの行動に、天魔・奴奈比売は笑みを深めた。

 

 

「ふふっ、ほんっと大好きよ、貴女達。……お陰で私は、私の意志を貫けるんだから」

 

「――っっっ!!」

 

 

 剣を消し去った瞬間に、無数の汚泥が溢れ出す。傷付いた身体を癒す事すらせずに、奴奈比売は力の全てを攻勢へと回していた。

 溢れ出す影を前にして、アリサ・バニングスは押し潰される。資質を言えば万能型だが、彼女が最も得意とするのは火力の一点。それ以外の面ならば、奴奈比売でも如何にか追い付けたのだ。

 

 影の津波に飲み込まれ掛けて、苦虫を噛み潰したように顔を顰める。一息に大量の力を奪い取られて、己の五体を拘束されて、アリサはハッキリ分かる様に舌打ちした。

 

 

「アリサちゃんっ!」

 

 

 拘束された友を助け出す為に、すずかは即座に行動する。狙うは影の海と人間体。二つに向かって、氷と杭を投げ放つ。

 飛び上がって上空から、落ちて来る力を見上げて奴奈比売は選択する。展開したのは無数の歪み。すずかに向かって放つ力は、しかし迎撃の為ではなかった。

 

 氷と杭の雨と、色取り取りの魔力光。両者の力は空中で、ぶつかり合わずに擦れ違う。

 笑みと驚愕。両者はその展開に正反対の表情を浮かべたまま、互いの力を同時にその身で受けた。

 

 

「くっ、この程度っ!」

 

「――っ。……ふふふ」

 

 

 互いに互いの力を身体に受けて、刻まれた被害もほぼ同等。簒奪の瘴気も時の鎧も、共に貫かれている。

 それでも、継戦能力が違っている。杭や氷が突き刺さったままの奴奈比売に対し、夜を展開している吸血鬼は即座に傷を治してしまう。

 

 取るべき手段は攻撃のみで、防御も回避も全てを捨てる。そうまでして、漸くに得られる結果がこの程度。

 それ程までに明確な実力差があると言うのに、浮かんだ表情は正に真逆だ。追い詰められている筈の側が、何処までも澄んだ笑顔を浮かべているのである。

 

 

「だらっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 それでも、幾ら笑っていようと受けた傷は隠せない。弱った影では、この女を捕えている事なんて不可能だ。

 

 共に堕ちよう。一緒に居よう。睦言を囁く様に抱き締める影の海を、内側から己の炎で燃やし尽くす。

 そうして飛び上がったアリサは、再びその手に激痛の剣を握り締める。今度こそ友を止めようと、振るわれたその剣は――

 

 

「良いの? それ受けたら多分、私、死んじゃうわよ?」

 

「くっ、そ、アンナァァァァァァァッ!!」

 

 

 ニッコリと笑う女の言葉に、揺るがずには居られない。加減をした心算であっても、本当に出来ているかが分からない。

 直撃すれば命はない威力が未だある。そう嘯く言葉に腕が鈍る。それでも振り抜かれた刃を前に、奴奈比売は笑って一歩を踏み込んだのだ。

 

 本来の威力よりも低下していて、その上僅か鈍っていた。だから傷は掠った程度で、奴奈比売も死にはしていない。

 それでも、無傷である筈がない。腕と足を一本ずつ、炎に焼かれて失った。そんな奴奈比売は、それでも痛みも見せずに力を振るう。

 

 隻腕片足となった友達の姿。それを割り切れる程に冷たくなくて、故にアリサはまたも隙を晒してしまう。

 こうなると何処か分かっていた。故に先よりは動揺が薄い。それでも友を傷付けたその衝撃は、先程ではなくとも重かった。

 

 赤を継いだ者が影の刃と無数の歪みに切り裂かれる。血反吐を吐いて膝を付いたアリサを庇う様に、月村すずかが攻勢へと回った。

 夜の継承者を傷付きながらに迎撃して、天魔・奴奈比売は笑みを深める。彼女はこの瞬間に、己が考えていた策の有効性を確信したのだ。

 

 穢土と言う領域で、全盛期に戻ったとしても、この二人には届いていない。性能だけで考えるならば、これは嘗てない程の窮地である。

 それでも、戦闘の主導権を握っているのは天魔・奴奈比売。相手が殺せない事を利用して、自分の命を囮とする。それが奴奈比売の対策だった。

 

 

「ふふっ、何時ぞやの意趣返しってね。あの時はされる側だったから、今度はこっちがやり返す側よ」

 

 

 闇の書を巡る一件。正しくそれの焼き直し。あの日はアリサとすずかが、己の命を囮とした。だから今度は、奴奈比売がそれをやり返す。

 遥か格上へと化けた二人を前に、全てを攻勢に回す事で如何にか打撃力を追い付かせる。防御も回避も必要ない。彼女達は、己を仕留める事が出来ないからだ。

 

 アリサとすずかの目的は友達を連れ戻す事で、奴奈比売の目的は彼女達の足止め。

 両者の目的が噛み合わない状況だからこそ、性能だけでは決まらない戦場が生まれていた。

 

 

「……ほんっと、性質(タチ)が悪いわっ!!」

 

 

 口に溜まった血を吐き捨てて、苛立ちと共に言葉を叫ぶ。アリサに対して、奴奈比売の策は正しく覿面に効果を発揮していた。

 

 そのやり口をもう理解した。だが理解したからと言って、何か対抗手段がある訳じゃない。

 時の鎧を抜ける規模の攻撃を放てば、奴奈比売が消滅する。だからと言って、鎧を抜けない規模ではそもそも意味がない。

 

 こういう場面で、過剰な火力は全く無駄だ。アリサはその本質を、まるで活かせてなどいない。

 不得手な火加減を続ける女は、炎の剣を調整しながら振るっている。影を蹴散らし、海を干上がらせ、されど女には届かせられない。

 

 これではまだ駄目だ。これではまだアンナが死ぬ。歯噛みしながら制御して、結局大した事が出来ていなかった。

 

 

「でも実際、厄介にも程があるよ。私達の、心理的弱点を突かれてる」

 

 

 光で影を消し去りながら、月村すずかは舌打ちする。夜を展開する事で鎧を貫いて、継続したダメージを与える事は出来ている。

 だが、それだけだ。それ以外に、有効打が入れられない。彼女達の前に立つ奴奈比売のダメージは既に重いのに、まだ倒れない事実が示している。

 

 一体何時まで、この女は持つであろうか。一体何処まで、この女は耐え続けるのだろうか。

 手足を失い、杭と氷を突き立てられて、骨すら見せながら、夜に喰われる。そんな状態だと言うのに、天魔・奴奈比売は止まってくれない。

 

 

「卑怯って言うんなら、好きに言いなさい。何としても為さねばならない事があるから、私は何だって利用するのよ」

 

 

 覚悟が違う。意志が違う。例え四肢を奪い取り、内臓を全て取り零したとしても、この大天魔は決して止まらないのではなかろうか。

 それはある種致命的。何処までも彼我の目的が噛み合わない。天魔・奴奈比売と言う女は、死ぬまで止まらないのではないかと思ってしまった。

 

 その不吉な想像を、振り払う様に戦い続ける。夜が消耗させ続ければ、激痛の剣が意志を挫ければ、きっとまた一緒に居られるだろうと希望を信じて――

 

 

「友達だからね。一応善意で、忠告してあげるわ。……私は絶対に止まらない」

 

 

 その希望を友達が否定する。口にした言葉はまるで、己自身に誓うかの様に。そうとも、アンナはもう止まれない。

 頬を孤の字に釣り上げて、魔女を其処に張り付ける。感じる痛みに耐えながら、女は決して振り返らない。走り出すと決めたのだから。

 

 

「止めたいなら首を落としなさい。止めさせたいなら、先ず息の根を止めなさい。それが嫌だって言うんなら――」

 

 

 殺意を抱けば、今直ぐにでも実行出来る事だろう。首を斬り取る仕草でそう示しながら、アンナは一つ笑って告げる。

 己は死ななければ止まらない。そう誓う様に口にしながら、それでもそれ以外の道を口にする。何処か焦がれる様に、きっと断られると思いながらに。

 

 

「そうね。お茶でもどうかしら? 別れが来るその時まで、笑い合って過ごすのも良いんじゃないかしら?」

 

 

 戦いたくなどない。傷付けたくなどない。唯足を止めてくれるなら、そうして過ごして居たいと思う。

 それは紛れもない真実で、だからアンナは少女の如き笑みを浮かべる。絶対に断られるだろうと、分かり切った言葉に返る答えも当然だった。

 

 

「はッ! お茶なら終わってから、幾らでも付き合ってやるわよッ! すずかっ!!」

 

「うん。分かってる。こんな足止めに、付き合う必要なんてないッ!!」

 

 

 天魔・奴奈比売は死なない限り止まらない。そうと理解した彼女達は、思考を即座に切り替える。

 未だ殺す事は出来ない。取り戻す事が目的ならば、そんな対処を選べる筈がない。故に彼女達の選択は、当初に予定していたそれだ。

 

 奴奈比売が命を賭けて足止めするなら、その妨害を無視して突破する。既に進んだ仲間の下へと、どちらかだけでも辿り着かせる。戦術的勝利が難しいなら、戦略的な勝利を狙うのだ。

 

 

「……残念。素直に想うわ。本当に、そう出来たら良かったなって」

 

 

 分かってはいた。気付いてはいた。これは新たな世界を求める為の戦場で、だから彼女達も止まらないのだと。

 心の底から残念だと思いながらに、それでもそうなると分かっていたから準備は出来ている。故に奴奈比売は、寂しそうに笑いながら口にするのだ。

 

 

「馬鹿ね。足を止める為なら、何でもするって言ったでしょ?」

 

 

 アリサはその手に激痛の剣を構え、足下で爆発を起こしながらに前へ前へと進んで行く。

 すずかは夜を展開したまま、身体を蝙蝠の群れへと変える。無数に枝分かれする様に、影の隙間を縫って前へと進む。

 

 質と数。異なる手段で強引に突破しようとする両者。そんな女達を前に、奴奈比売は舐めるなと啖呵を切る。

 

 

「誰かの足を引く事に掛けては、こちとら億年単位の経験則がある訳よッ! 誰にも負ける訳がないわッ!!」

 

 

 己を殺せないと分かった時点で、突破は予想出来ていた。ならばそれを阻む様に、布石は既に打ってある。

 前に進む者の足を引く事ばかり考えていた。そんな沼地の魔女なればこそ、誰よりも他者の妨害に秀でているのだ。

 

 家屋の屋根を吹き飛ばし、無数の影が湧き上がる。事前に仕掛けた太極の欠片が、此処で一斉に牙を剥いていた。

 真面に突き進めば、その影に飲まれて捕まるだろう。そんな光景を前にして、アリサとすずかが選んだ手段は真逆だ。

 

 月村すずかは罠を回避して、突破の道を探そうと選択する。アリサ・バニングスは、罠を強引に消し飛ばしての突破を狙った。

 そんな其々、個性的な選択肢。だが一緒に居た時間が、そう動くと教えていた。故に予想は寸分も違わず、彼女達はその足止めを超えられない。

 

 

「っ、こっちも、そっちも。此処も駄目なのっ!?」

 

 

 進もうとしていた先に、無数の影が沸き立ち道を阻む。回避しようと翼を羽搏かせても、何処に行っても影が湧く。

 月村すずかは舌打ちして、意識を宿す個体を変える。ルートを次々入れ替えて、だがしかし道がない。必ず何処かを影が塞いでしまう。

 

 

「こんの、ウザったいのよっ! 馬鹿アンナッ!!」

 

 

 超火力で罠を根こそぎ消し飛ばすアリサに対し、奴奈比売の対抗策は先程までと全く同じだ。

 罠を壊す為に女が腕を振るう度、彼女の前に己の身を曝け出す。このまま剣を振るってしまえば、諸共に消し飛ぶ場所へと彼女が姿を見せるのだ。故に此処から抜け出せない。

 

 

「本当に、こんの馬鹿は。捕縛に向いた能力でもあれば、別だったんでしょうけどッ!」

 

「このままじゃ、千日手だよ。アンナちゃんを殺せない以上、突破しかないのに。アンナちゃんを殺せないから、突破が出来ない」

 

 

 次々に仕掛けられた罠。正攻法で突破しようと頭を捻れば、その分だけ時間を稼がれる。それでは突破を狙う意味がない。

 力任せに全てを覆そうとすれば、奴奈比売が己の命を盾とする。彼女を殺す事を選べぬ以上、正攻法での攻略を強要される。

 

 変化していくのは、互いの疲労と周囲の景観のみである。皆が力を消耗しながら、家屋や山が押し流され、周囲が焼け野原に変わって行くだけなのだ。

 

 総じて、現状は千日手。時間稼ぎが目的ならば、これ以上はない最上手。そんな状況に、女達はその焦りを隠せない。

 そんな状況に焦りを浮かべた女達と異なって、奴奈比売は全く余裕の表情で言葉を返す。されどその心身は、女達以上に消耗していた。

 

 

「その前に、多分私が死ぬんじゃない? 割と結構無理してるし」

 

「どの口がほざくかッ! 馬鹿アンナッ!!」

 

 

 何処か軽く笑って語る天魔・奴奈比売。現状全てがこの女の掌だ。数億年を生きた魔女の知略に、揃って転がされている。

 時間を掛ければ如何にかなるかも知れないが、そもそも時間を掛けてはいけない。この劣勢を覆すには、何か抜本的な対処が必要だった。

 

 故にアリサは立ち止まる。此処で何をするべきか、思考を切り替え言葉に紡ぐ。両者が突破を狙うのは、全く悪手であったのだ。

 

 

「すずか。夜を閉じて」

 

「……分かった。後は任せるね」

 

 

 その一言で、何を狙っているかを理解する。故に月村すずかは頷いて、薔薇の夜を此処に閉じる。

 アリサが意志を決めたのだ。ならばやり遂げると信じて、友達の事は彼女に任せる。己の役割は、前線への合流だ。

 

 飛び立っていく月村すずか。その場に立って、咒を紡ぎ始めるアリサ・バニングス。

 進む友を追い掛けながら、アリサの姿から目を離さない。無数の罠で妨害しながら、奴奈比売もまた彼女の狙いを推察していた。

 

 

「彼ほど真実に誓いを守った者はなく、彼ほど誠実に契約を守った者もなく、彼ほど純粋に人を愛した者はいない」

 

 

 どちらも突破できぬなら、どちらかが残って相手取る。それは当然の思考であって、されど此処で生じる一つの問題点。

 二人はどちらも足が速くはなくて、故に影を振り切れない。奴奈比売を拘束する必要があって、だが明けない夜に拘束力なんて存在しない。

 

 だからこそ、アリサ・バニングスの宙である。燃え盛る激痛の世界。逃げ場なき列車砲の砲門内部に、友を取り込もうと言うのであった。

 

 

「だが彼ほど総ての誓いと総ての契約、総ての愛を裏切った者もまたいない。汝ら、それが理解できるか」

 

 

 魔力が集まる。炎と集まる。冷静に己を観察し続ける友達の瞳を見詰め返して、アリサは想いを口にする。

 

 言葉を紡ぎながらに、この先を想像する。列車砲の内部へと取り込んだから、それで捕縛出来るかと言えば否であろう。

 逃げ場なき世界であっても、この長く生きた女ならば攻略出来てしまうかも知れない。何もせずに取り込むだけでは、脱出されてしまう恐れがあった。

 

 だからこそ、炎を灯す。殺さぬ様に、傷付け過ぎない様に、それでも己の世界に消えない(オモイ)を灯す。

 その最愛の炎と共に、胸に抱くはあの日の言葉。目の前で命を切り売りしている友達に、確かに出したアリサの答えだ。

 

 

――アンタは友達だ! 私の大切な親友だ!! 私にとってはそれが真実。それだけが真実。この、アリサ・バニングスを甘く見てるんじゃないのよ!!

 

 

 あの日に口にした想い。その熱量は今も変わらず、あの悪夢はもう乗り越えた。

 だから、さあ伝えよう。あの言葉を彼女が忘れたと嘯くならば、もう一度この(オモイ)で伝えよう。

 

 

「我を焦がすこの炎が、総ての穢れと総ての不浄を祓い清める。祓いを及ぼし、穢れを流し、熔かし解放して尊きものへ。至高の黄金として輝かせよう」

 

 

 友達だから、一緒に居たい。あの平凡な日常をもう一度。またあの日へと帰るのだ。

 お前の思惑など知らない。余計な事情なんて関係ない。何度だって殴り飛ばして、手を握って連れ帰るのだ。

 

 それがあの日に、アリサ・バニングスが決めた事。この今になっても変わらない。たった一つの真実だ。

 

 

「すでに神々の黄昏は始まったゆえに、我はこの荘厳なるヴァルハラを燃やし尽くす者となる」

 

 

 目を見開いて、取り込むべき者を捉える。天魔・奴奈比売とその随神相。そして彼女の太極全て。

 己の宙の内側へ。捉えた者を取り込み閉ざす。展開された世界は正しく、永劫燃え続ける列車砲の砲身内部。

 

 

修羅曼荼羅(ブリアー)――焦熱世界(ムスペルヘイム)激痛の剣(レーヴァテイン)ッ!!」

 

 

 閉ざされた天蓋の下、罅割れた大地の上に二人が立つ。アリサとアンナが、向かい合う様に立っている。

 二人を包む焦熱世界。大地に刻まれた傷痕から、湧き上がるのはマグマの様な赤き色。噴き上がるのは想いの炎。

 

 

「アンタの事だから、捕らえただけじゃ諦めないんでしょうね」

 

 

 此処は出口のない世界。主が許さない限り、出入りなど出来ない空間。だがだからと言って、この魔女は諦めないだろう。

 無数の叡智で出口を生み出してしまうかも知れないし、力技でこじ開けてくるかも知れない。故にアリサは炎を灯す。思考する為の余裕を、想いの炎で奪い取る。

 

 

「分かってるのよ。だから、死なない程度に焼いてあげるわ」

 

 

 湧き上がる大炎上。殺さない様に加減して、取り込んだ者を焼き続ける。この荘厳なる炎は、決して消えはしない。

 そうとも、これは想いの炎。例え死しても足止めしようと、そう想う奴奈比売に負けない程に、取り戻そうと言う意志は強いのだ。

 

 

「……燃えてるわよ。アリサ」

 

「知ってる。ってか、意図的よ。これ」

 

 

 取り込まれて、燃やされる。激痛を齎す業火に焼かれるのは、天魔・奴奈比売だけではない。

 女を知るが故に奴奈比売は、その意図を何となく理解して、何処か呆れた顔で指摘する。この世界の主もまた、この炎で燃えていた。

 

 

「だって、アンタを留めるのに必要な炎がどのくらいか、正直分かんないのよ。だから、火加減は自分で確かめる事にしたの」

 

 

 その行動を妨害しながらも、命を奪わない程度の熱量。それを確認する為に、女は敢えて己も焼いた。

 湯の温度を確かめる為に指を入れる様な気軽さで、女は己の炎を身体に浴びている。その炎に、己の身体を焼かれている。

 

 肌が燃える。髪が焦げ付く。衣服が溶け掛け、火傷が身体に刻まれる。

 そんな苦痛を何時までも、全てが終わるその時まで、アリサは続ける心算であったのだ。

 

 

「我慢比べ。一緒に燃えてあげるわ。馬鹿アンナ」

 

「……馬鹿はアンタよ。馬鹿アリサ。ほんっと、馬鹿なんだから」

 

 

 燃え滾る熱が肌を焦がす。戦いの後でもその傷跡が、残ってしまうかも知れない。なのに、平然とそれを行う己の友達。

 確かに今も愛している。そう断言出来る友と一緒に、同じ時間を共有する。共に炎で焼かれながらに、何時かの様に笑みを零した。

 

 

「ええ、そうね。自覚はあるわ」

 

 

 気が付けば、思っていたより大きな存在になっていた。たった数年で、どうして此処まで大きくなった。

 子供にとっての三年は、確かに大きな割合を占める時間であろう。人格形成期に出会った友に、強い想いを抱いた理由は納得できる。

 

 ならばどうして、アンナも同じく思っているか。僅か疑問に思った事実に、返る答えはあっさりと得心出来る物だった。

 

 

「だけど、仕方ないじゃない。大好きなんだもん。アンタの事」

 

 

 こんなにも真っ直ぐに、己を大好きだと語ってくれる人が居ただろうか。

 魔女と貶められて、人に迫害され続けて、彼の背中を追い掛け続けて、それでも真っ直ぐ見詰める瞳はごく少数。

 

 壊れている訳ではない。依存している訳でもない。それでも、大切だと真っ直ぐ見詰めて微笑む姿。

 同じ視線で見ていたからか、同じ瞳を見ていたからか、どちらで在っても変わらない。事実なんて、それだけだ。

 

 大好きだと言ってくれる友達を、愛さずに居られる筈がない。理由なんてそれだけで、だから大切だって想えるのだ。

 

 

「だから、アンタが諦めるまで続けるわ。茶会程に優雅じゃないけど、私達には相応しい形でしょ?」

 

「……ああ、本当に、頭悪いって言うか、脳みそまで筋肉って言うか」

 

 

 何処までも真っ直ぐに、一緒に燃えようと語る女。本当に諦める時まで、彼女はこれを続けるのだろう。

 如何なる障害が残ったとしても、どれ程に身体が焼け爛れようとも、アンナが帰って来るまでアリサも決して退かないのだ。

 

 それはアンナの覚悟とは、全く別種の想いであろう。だがその熱量は、等しく等価と言える程。

 真っ直ぐにキラキラと輝いていて、アンナが憧れ続けた空の星。掴みたいと願った光に目を細めて、アンナは笑いながらに言った。

 

 

「けど、さ。ほんっと真っ直ぐで、キラキラしてて――頭に来んのよッ! その態度ッ!!」

 

 

 その判断は余りに愚かだ。焼かれる痛みに苦しむくらいで、今更思考が鈍る筈がない。命などもう捨てた。

 その判断は余りに愚かだ。無駄に自分を痛め付け、共に分かち合おうとする行動。愚行と言うより他にない。

 

 そんな愚かさが、ああ、本当に頭に来る程――大好きだ。そんな風に心で笑って、アンナは此処に影を集める。

 揺れ動く海を一点へと。炎で焼かれている事など関係ない。その程度で鈍る限界なんて、最初から既に超えている。

 

 守りを捨てて、回避するでもなく、炎に焼かれながらに穴を探した。笑い合う様に語りながらに、見付け出したのは主砲の入り口。

 此処が砲門であるならば、何処かに出入り口は存在している。其処へ向かって飛び立つ為に、限界を超えた先の限界すらも更にと超えて、黒き影を集めて束ねた。

 

 

「馬鹿ッ! アンタ、そんな事したらッ!?」

 

「言ったでしょ。元からその心算だって、だから――」

 

 

 揺蕩う影が溢れ出す。足りない差分を命で埋めて、身体が引き千切れる程の力を行使する。

 炎で燃え続ける身体を気にせず、傷付く事すら厭いもせずに、命と引き換えにほんの一瞬だけ高みへと。

 

 崩れていく女が開いた太極は、叫びと共に届いてしまう。空を覆う天蓋の果てへ、砲門と言う僅かな隙間を広げて道を生み出した。

 

 

「その(オモイ)は届かないのよッ!!」

 

 

 全霊を尽くして、打ち砕けたのは僅か一部に過ぎない小ささ。それだけで崩壊し掛けながら、それでもアンナは止まらない。

 小さな穴から、外へと抜け出す。己の身体を砕きながらに、飛び出していく友に向かって、伸ばした手はまたも届かなかった。

 

 

「馬鹿アンナァァァァァァァッ!!」

 

 

 届かない手。掴めなかった掌。砕けて崩れながらに、去って行く友の背中。

 自傷の痛みと、魂の一部を砕かれた痛み。苦痛に呻く女は一手遅れて、伸ばしたその手は嘗ての様に何も掴めない。

 

 もうこれが最期なのだと、分かって口に出来たのはそれだけ。罵声を上げる女を置き去りに、アンナはもう一人の友を追い掛けるのだった。

 

 

 

 

 

 空を駆ける。一人になって、友を置き去りにして、壊れながらに空を駆ける。

 もう残った時間はどれ程か。数分か、数十秒か、もしかしたら数秒だろうか。何れにせよ、余り長くはないだろう。

 

 まるで火の粉だ。飛び散る火の粉が消え去る様に、無理ばかりした身体が擦れて消えていく。

 そんな中でふと想う。痛みが過ぎて、冷静になってしまったのだろう。今更ながらに、何をしているのだろうかと思った。

 

 

(ほんっと、何してんだろ。……此処までする意味、あったのかしらね)

 

 

 それは彼の為に、命を賭ける必要がないと言う事ではない。問うまでもなく、彼の為なら、死力を尽くす価値があると断言出来る。

 唯、一つ疑問に抱いてしまったのは、それが己である必要があるかと言う事。論ずるまでもない。アンナが此処までしなくとも、別に問題なんて何もなかった。

 

 この道の先、鬼無里を超えたとしても壁がある。天魔・宿儺と天魔・大獄。大きな壁が、二つもある。

 別に此処まで、必死になる必要なんてなかった。自分が足止めしなくとも、どちらか片方が残っていれば十分だろう。

 

 月村すずかじゃ超えられない。アリサ・バニングスじゃ勝ち目がない。両翼と言う怪物を、この二人は超えられる程に強くない。

 高町なのはやユーノ・スクライア。彼らと協力すれば、或いは倒せるかもしれない。だが誰かが死ぬ可能性は高いし、確実に足止めはされるであろう。

 

 だから、アンナが無理する必要なんてなかった。両翼が残っているのだから、この二人が常世の下に辿り着くなんて出来なかった。

 だから、別に此処までする必要なんてなかった。適当にどちらかを抑えればそれで良かった。あの炎の世界に付き合って、談笑してればそれで良かった筈なのだ。

 

 なのに、どうしてこうしているのか。何となく思考するのは、両翼との戦闘で倒れる者が出るとすれば誰であろうかと言う事。

 異能殺しと終焉の怪物。その両者を前にして、一番危険となるのは誰か。そんな仮定で浮かんだ妄想。それを鼻で嗤って、掻き消し自嘲した。

 

 そう、そんな事はどうでも良い。答えがどうあれ、関係ないのだ。

 

 

「彼の為よ。愛する彼に、想いを見せるの。それだけで良い。それ以上なんて、要らないわ」

 

 

 追い掛ける。追い掛ける。何時もの様に追い掛ける。自分は足が遅いから、何時も背中ばかり追う。

 追い掛ける。追い掛ける。何時もより急いで追い掛ける。今度は置いて行かれる訳にはいかない。そんな想いで、追い掛けた。

 

 だから、だろうか。背中が見えた。必死になって追い掛け続けて、そうして漸く背中が見えたのだ。

 

 

「あぁ、最期に、追い付けた」

 

 

 月村すずかは止まっていた。不二と箱根。この二つの上空を、吸血鬼は抜けられなかった。

 

 箱根は既に地形が変わった。飛び交う号砲に立ち並ぶ山々が消し飛んで、更地やクレーターが幾つも幾つも量産されている。

 不二はより危険である。共に求道の極みに至った者らの激突。余波だけでも消し飛びそうなその圧は、世界に穴すら生み出しそうな程。

 

 箱根に近付けば、天魔・宿儺に気付かれよう。あの自壊の鬼に見付かれば、吸血鬼では勝ち目がない。

 不二に近付けば、その激闘の余波だけでも消し飛ばされる。そう確信を抱ける程に、彼らの戦いは別次元であった。

 

 故にその領域へと踏み込めない。無駄死にだけは出来ないから、先へと続く道を探していた。

 その為に歩を止めていたから、だから足が遅い魔女でも追い付けた。その最期の最後に、魔女は初めて追い付いたのだ。

 

 

「アンナちゃんっ!?」

 

 

 消え掛けたその姿。内に残る力は最早微弱なそれ。届いたからと言って、一体何が出来るのか。

 何も出来ない。何も出来ずに消えていく。そんな友の姿に、月村すずかは絶句する。それでも、彼女は思考した。

 

 

(このまま、消える。取り戻せずに、友達が。それで、良いの!?)

 

 

 それは、友を救えるかと言う問いではない。もう救えないと、もう僅かも持たないと一目で分かった。

 だから、考えるのは何をすべきか。何がしたいのか。彼女が消える前に出来る事。その死を前提に、思考を回す。

 

 本当は受け入れたくなんてない。今からでも助ける方法を考えたい。それでも、それでは無理だと分かってしまった。

 だから、此処で何を為すべきか。僅かな戸惑い。確かな逡巡。もう彼女を取り戻せない事を理解した上で、月村すずかは心を定めた。

 

 

「良い訳がない。だから――」

 

 

 だから、月村すずかは諦める。アンナの命を救う事を諦めて、彼女と共に帰る事を此処に選んだ。

 涙を流して、それでも決めたからには心を揺らさない。自分の意志で仕留める事を、その命を吸い尽くす事を選択する。

 

 そうとも、此処で命を奪う。その魂までも吸い尽くし、己の内に抱えて共に帰るのだ。それだけが、彼女が死ぬ前に出来る事。

 

 

「私の腕で、枯れ堕ちろッ!!」

 

 

 命を救えなくても、せめてその(ココロ)だけは、その死骸だけは我が腕に。全て刻んで連れて行く。

 涙と共に決意を定めて、彼女が死ぬ前にと手を伸ばす。迫る簒奪の力を前にして、アンナはニコリと笑って言った。

 

 

「駄目よ。すずか。私の(ココロ)は、彼の物だもの」

 

 

 我が友よ。死骸を晒せ。愛するが故に、貴女の姿をせめて、私が永劫覚えていよう。そんな女の想いを否定する。

 例え如何なる形でも、一緒に居たいと言う想い。確かに理解し共感できるが、それでも彼女は決めていた。アンナが心を捧げる相手は、たった一人しか居ないのだ。

 

 この命は彼の下へと。そう決めていたからこそ、アンナは決して迷わない。悩んでしまったすずかでは、一手僅かに届かない。

 最初から決めていた者と、逡巡の果てに答えを出した者。どちらが正しい答えを出すかは分からずとも、どちらが早く動けるのかは明白なのだ。

 

 

「……貴女は、望んだ相手を取り逃がす。決して、望んだ形に至れない」

 

 

 だから間に合わない友達に向かって、その呪縛を口にする。取り込んでいた無数の歪み。その全てを投げ捨てる。

 吸血鬼を止めるには足りない。それでも、動きを少し遅らせる事は出来る。そのほんの僅かな時があれば、それだけでアンナには十分だったのだ。

 

 そうして、彼女に向かって笑ったまま――アンナの身体が光り輝く。まるで消える寸前の蝋燭の様に、其処ですずかも狙いに気付いた。

 

 

「アンナちゃんっっっ!!」

 

「……バイバイ、すずか」

 

 

 女の身体が四散する。激しい光と共に爆発する。アンナは魔力を暴走させて、己の身体を自爆させていく。

 風に吹かれた花弁の如く、女は微笑みながら散って行く。大好きだよと唇を小さく震わせながら、アンナ・マリーア・シュヴェーゲリンは光となって消滅した。

 

 手を伸ばして、届かなかった。そんな吸血鬼の前で引き起こされた爆風は、しかし彼女に傷を負わせるにも届かない。

 だが、それで良い。それでも、十分だった。アンナの狙いは、己の死を見せ付ける事。死する女が求めたのは、愛した友の足を引く事。

 

 彼女達は強い。アリサもすずかも、失ったから折れる程に、傷付いたから諦める程に、その心は弱くはない。

 けれど、目の前で愛する人が命を落とせば、その痛みは傷となる。ほんの少しでも足を止めて泣いてくれると、その程度には愛されていると知っていたから。

 

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 目の前で散った命に、涙を流す吸血鬼。身体を襲う激痛に、間に合わなかった狩猟の魔王。

 惜別に涙を。失った痛みに震えて膝を付く。もう居なくなってしまった友を想って、女は子供の如くに涙を流す。

 

 彼女達は確かに、また立ち上がる事が出来るだろう。だが立ち上がるまでに、ほんの少しの時間を奪われる。

 稼げた時が僅かであっても、女達がまた立ち上れるのだとしても、それでも他の戦場が決着する前に進む事など出来やしない。

 

 そのほんの僅かを稼ぐ事。先の戦場に巻き込まれて、友が命を落とす結果を防いだ事。

 それが、それだけが、アンナ・マリーア・シュヴェーゲリンの手にした戦果。この戦いの結末だった。

 

 

 

 

 

 穢土・夜都賀波岐第二戦、鬼無里。天魔・奴奈比売。消滅。

 アリサ・バニングス生存。月村すずか生存。機動六課――敗北。

 

 無間地獄を乗り越えて、戦いは次なる舞台へと進む。

 

 

 

 

 




赤アンナ「大っ勝利っ!!」

完全勝利したアンナちゃんUC。その目的も実は夜刀様の為ではなく(それもあったが主ではない)、友達を生存させる為に身体を張っていたと言う。
戦力値は絶望的ではありましたが、互いの目的が致命的に噛み合わなかったのでアンナちゃんが目的全てを達成する大勝利ルートとなりました。


六課側の敗因は覚悟の差と言うよりは、戦力分配のミスが一番大きい。火力特化のアリサ姐さんと弱体吸収のすずかちゃんでは、心を折る以外に無力化の手段がなかった。最初から死ぬ気の相手に、殺さない覚悟では戦力差以上に相性が悪かった形です。

仮にアンナちゃんを生存させようと考えた場合、格下無敵で自爆も妨害出来るクロすけと弱体化可能なすずかちゃんを組ませるのが恐らく鉄板。大穴でなのはさんを連れて来て、槍で強引に夜刀様から支配権を奪い取ると言う力技。

そのどちらも成立しない状況では、アンナ生存は端から不可能だったと言う訳でした。




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第三話 無間地獄を乗り越えろ 其之参

文章校正の為に読み返していて思う。
あれ? ユーノ君の耐久力おかしくね?

……これが解脱者の精神力か。

推奨BGM Take a shot(リリカルなのは)


1.

 それは正しく災害だった。大地が砕け、雲が消し飛び、巨大な山々が数秒先には消し飛んでいる。

 

 瞬きの間に移り変わる光景は、まるで天の裁きだ。古くは嵐や地震を神の怒りと捉えたのも、無理はないと感じてしまう。それ程に、その光景は余りに理不尽過ぎたのだ。

 

 四つの砲門が火を噴き上げる。大地を劈く爆音は三つの山を更地に変えて、芦ノ湖へと着弾する。その直後に中身が全て飛沫と変わって、湖が唯の窪地と成り果てた。

 

 轟音を伴う砲撃は、その余波だけでも荒々しい暴風を作り出す。砲撃だけではない。鬼の剛腕を振るうだけでも効果は同じだ。四つの腕と四つの砲門。それが嵐と竜巻を周囲に向かって撒き散らす。

 

 四腕が脅威と言うならば、同じく二足も脅威である。巨大な化外の身体が動いて、足を一歩と踏み変える。唯それだけの行動で、地盤が沈んで大地が割れた。

 

 時の鎧など関係ないと、箱根の大地を唯練り歩くだけで崩壊させるその有り様。それは鬼の身体を形作る太極(コトワリ)が、この地の護りすら消し去っている証明だった。

 

 両面を持つその鬼は正しく天変地異の権化である。唯其処に居るだけで、全てを崩壊させ得る怪物だ。

 単純な破壊能力を考えるなら、先触れたる二柱にも届かないだろう。広域殲滅と言う分野においては、一歩も二歩も劣るであろう。

 

 それでも、両面悪鬼は怪物だ。既に半分となったその身であっても、唯の人間からしてみれば余りに過ぎた怪物なのだ。

 

 

「ナンバーズ。モード・ウェンディ。エリアルレイヴッ!」

 

 

 そんな怪物を前にして、それでも男は愚直に挑む。友より受け取った絆を頼りに、巨大な盾に乗って空を飛ぶ。

 鬼が動きに合わせて生み出された暴風に、何度落とされようとも変わらない。落下したまま大地に飲まれて、落ち続けたとしてもまた飛翔する。

 

 底の底へと落ちきる前に、魔力結晶を起動させる。ロストロギアの力を纏って、試作AEC兵器と共に前へと進む。

 前へ進んでどうなるのか。空を飛翔してどうするのか。雲を突き抜け、日の光が失われた上空へ。飛び出しても、未だ答えなんて見付からない。

 

 

「ナンバーズ。モード・オットー。レイストームッ!」

 

 

 思考を回し、試行を続ける。答えなんて出せないと分かって、考える事を止めてはいない。

 最善は何か。次善は何か。己に出来る事は一体何か。何も出来ないと言う理性が下した答えを前に、それでもユーノは思考を続けながらに試行した。

 

 真っ暗闇と化した上空から、流れる星の如くに無数の雨が大地に降り注ぐ。其はナンバーズが兵装の第八番。多種多様な機能を持った魔力光。

 

 

「……で?」

 

 

 当然の如く、降り注いだ流星は消え失せる。鬼の身体、その体皮に触れた瞬間に否定されて消滅した。

 両面悪鬼は全く無傷。それが如何したと嗤う悪鬼を前にして、今更に揺れる弱さなんて持ってはいない。

 

 防がれると分かっていた。無効化されると知っていた。ならば試行はこの先へ、一体何処まで無力化されるかと言うその一点。

 降り注ぐ無数の魔力光。消える瞬間までは視界を塞ぐその光を、障害として使用しながらナンバーズを操作する。巨大な盾のその先端に、長大な砲門が姿を見せた。

 

 

「ナンバーズ。モード・ディエチ。イノーメスカノンッ!」

 

 

 動力炉が魔力粒子を高密度に集束して、その砲門より撃ち放つ。放たれた一撃は、両面鬼の号砲に勝るとも劣らない。

 惑星破壊の集束砲。その模倣として生み出されたこの砲撃は、真に迫る程ではなくとも火力が高い。核兵器の数十倍は、軽々と超えられる出力だ。

 

 安定しない体勢から、放った己が反動によって吹き飛ばされる。空を落下していく、傷だらけの青年がその目にしたのは――やはり無傷な悪鬼であった。

 

 

「だから、どうした? 今更魔法か? 温ぃぞ。阿呆が」

 

 

 光の雨が掻き消える。集束砲が消し飛ばされる。魔力なんか(神の欠片)に頼るなと、太極を開いてないのに無効化される。

 

 天魔とは、一つの法則だ。人型をした宇宙である。そうであるが故に彼らは、太極を開かずともにその法則を纏っている。

 悪路に触れれば腐ってしまう様に、母禮に触れれば燃えてしまう様に、大獄に触れれば死んでしまう様に、宿儺に触れれば魔法の奇跡が消え失せる。

 

 

「分かってたでしょう? そんな事」

 

 

 自分に触れている力でなければ消せないと、開かない事で生じる欠点などはその程度。

 

 ましてや、相手が唯の人間であると言うこの状況。己の弱点を晒す事はなく、故に自滅はあり得ない。

 敵の異能を全て禁じて、己だけが一方的に神様の力で蹂躙する。反則と言う他ない。それ程に、余りに理不尽な状況だった。

 

 

「……ああ、分かっていたよ。そんな事」

 

 

 嗤う様に、嘲る様に、語る女に言葉を返す。魔力に依った攻撃が届かないなど、端から周知の事である。

 既にあの日に見て来ている。時の庭園にて、高町なのはが敗れた時。太極を開いていないと言うのに、魔法を無効化した光景は覚えている。

 

 

「分かっている。分かっているけど、分かっているから――」

 

 

 だから、届かないなんて分かっている。勝ち目なんて欠片もないと、もう既に分かってしまっている。

 ユーノの頭脳は明晰なのだ。彼には諦め癖が付いている。だからこそ、心の何処かで絶対勝利の道などないと理解していた。

 

 だが、だとしても――何も為さずに、何も出来ずに、終わりたくなどないのである。

 

 

「分かって、やってんだよっ! 届かせてみる為にっっっ!!」

 

 

 故に、無駄と分かって重ねていく。己に出来る事を全て、手当たり次第にぶつけていく。

 どれか一つでも通れば上等。僅か一手でも、掠り傷に過ぎなくとも、積み重ねる事が出来るならば勝ちの目はある。

 

 呪詛に病み衰えたその身体は、無数の傷に塗れている。魔力補助がなければ、立って歩く事すらやっとと言う有り様だ。

 手にした非魔導師用特殊兵装ナンバーズ。友より受け取ったこの武器が、最早唯一つの生命線。そんな事、分かっている。何度も何度も、己の手札を確認したのだ。

 

 故に勝ち目はないと、冷静に思考しているその頭脳。だがまだ何もしていないと、先ずは試行するのだと猛るその心。

 砲撃の反動で大きく後退しながらも、前へ飛翔する青年は盾の一部を切り離す。左右上下の四ヶ所に、収納されていたのは飛去来器(ブーメラン)だ。

 

 

「モード・セッテっ! スローターアームズッ!!」

 

 

 第七の牙を展開する。高速で飛翔し迫るは四つの鋼鉄。脳波と魔力を用いて制御を行う兵器であるが、その本質は鋼の刃の体当たり。

 分類を分けると言うならば、これは間違いなく質量兵器。鋼鉄のブーメランを止める力を、その太極(コトワリ)は持っていない。故にこそ、この攻撃は消し去れない。

 

 

「……それが切り札だって言うんなら」

 

「そりゃ甘いよって、言うより他にないわよねぇ」

 

 

 鬼の身体は強大で、小回りが利き辛い。ユーノの周囲を飛び回る飛去来器を、意図して撃ち落とす事は難しい。

 飛び回る羽虫を的にした射的の様な物だ。鷹狩や流鏑馬の様に動的な動作で、それよりも遥かに小さい的を狙えと言うのだ。困難であって、当然だろう。

 

 だがしかし、この悪鬼にしてみれば、多少面倒程度の問題だ。困難ではあっても、不可能などとは程遠いのだ。

 そうと分からせる様に、嗤いながらに一射を放つ。それは寸分違わず鋼の刃を撃ち抜いて、生じた爆風が青年と残る刃を飲み干した。

 

 

「――っっっ!!」

 

 

 咄嗟に盾へと身を隠し、レリックの魔力で障壁を生み出す。全能力を防御に回して、それでも盾に罅が入った。

 罅割れた黒い盾を掴んだまま、ユーノは大地へ落とされる。二度三度と地面をバウンドして、されど己の武器を手放す事はしなかった。

 

 此処でナンバーズを手放せば、その瞬間に終わると理解していたのだ。

 

 

「そら、死ぬ気で避けろよ」

 

「避けられないなら、死んじゃいなってね」

 

 

 空を劈く轟音と共に、続く第二射第三射。放たれると分かっていたから、落下の衝撃に苦しんでいる余裕もない。

 立ち上がる暇すらないから、そのまま大地を滑る様に前へと進む。黒く輝く盾を手に持ち、鬼に向かって地表を翔けた。

 

 

「モード・トーレッ! ライドインパルスッ!」

 

 

 速さが足りぬと言うならば、此処に第三機構を発動する。

 鋼を迎撃したと言うならば、届かせれば傷付けられると己を鼓舞する。

 

 痛む身体を引き摺って、大地を擦る様に滑走する。降り注ぐ砲撃を蛇行しながら回避して、必死の想いで射程内へと。

 この距離ならば届く。物理攻撃ならば防がれない。目の前に見えた巨木の様な足に向かって、ユーノは四つの鋼を打ち出した。

 

 

「残念。足りないわ」

 

 

 鬼に向かって飛来した刃はしかし、鬼の身体に届く前に止められる。その体表に、鋼の刃が刺さらない。

 だが、そんな事は予想出来ていた。故に展開した刃を対象に、既にもう一つを重ねていた。発動していた力は即ち、ナンバーズが第五の機能。

 

 

「消し飛べっ! ランブルデトネイターッ!!」

 

 

 鬼の体表直ぐ近く、止まっていた鋼鉄が爆発する。金属を爆発物へと変える五番目の力を以って、悪鬼の巨体を大爆発に巻き込んだ。

 元より、狙いはこの一手。飛ばしたブーメランだけでは火力が足りぬから、届いた瞬間に爆発させる。爆弾と言う名の質量兵器ならば、多少の手傷は負う筈だ。

 

 それは目論見――と言うより期待や希望の一種であろう。所詮は願望の域を出ない、策とも言えぬ程度の物。

 現状で出せる最高ダメージ。物理的な限界点すら届かなければ、真実為せる事が何もない。故にどうか傷付いていてくれと、そんな淡い期待は――

 

 

「だから言ったろ? 足りねぇってよ」

 

 

 やはり、届かない。煙の中から見える巨体に、手傷などは一つもない。両面悪鬼の随神相は、全くの無傷であったのだ。

 

 それも当然。今の宿儺は、時の鎧に守られている。天魔・夜刀が持つその法則は、眷属達に絶対の防御能力を付与していた。

 

 時間を停める。止まっているが故に、その領域で運動エネルギーは発生しない。爆発が起こったとしても、その爆発が何時まで経っても届かない。

 時間停止と言う絶対防御。超える為に必要なのは、それさえ無視する超火力か、無効化する様な異能の類か、或いは強制力に頼った力押しの何れか一つ。

 

 非魔導士用特殊兵装ナンバーズ。12種類の機能を合わせ持ったAEC兵器でも、時の鎧を抜ける可能性があるとするなら一つだけ。

 時間を停めるその防御を超える為に、鋼鉄の刃や質量爆発などではまるで足りていない。高密度エネルギーを集束させ、撃ち放つ魔力砲。イノーメスカノンのみであろう。

 

 だが、此処でこの両面の悪辣さが牙を剥く。己は神秘の恩恵を受けながら、他者の恩恵だけを消し去ると言う反則が此処にある。

 イノーメスカノンは魔力砲だ。そうでなくとも時の鎧を超える様な威力を出す為には、物理法則の範疇に留まっている様では足りぬであろう。

 

 されど物理法則を覆すと言う事は、誰しもが生きている世界に唾を吐くと言う様な物。

 異能もなく出来る様な事ではなく、だが異能に頼る様な反則行為を天魔・宿儺は認めない。

 

 

「それじゃ」

 

 

 故に無理なのだ。だから不可能なのだ。天魔・宿儺を打倒する術など、彼が望まない限り何一つとして存在しない。

 攻勢と言う面では確かに、先触れたる兄妹には劣るであろう。されど守勢においては比較にならない。彼の護りは完璧なのだ。

 

 故にこの瞬間は確定していた。この状況になる事は、端から既に理解していた。ユーノ・スクライアの手札では、天魔・宿儺を傷付ける事すら出来はしない。

 

 

「今度はこっちの番だよなぁ」

 

「――っ! ライドインパルスッ!!」

 

 

 両面宿儺がニタリと嗤い、その手の砲門を突き付ける。咄嗟にユーノは身を翻し、高速飛行を行使した。

 一発。二発。三発と、轟音と共に砲撃が放たれる。地形を変えて、雲を消し飛ばしながらに迫る脅威に、ユーノは必死で逃げ回る。

 

 逃げ回る事しか出来ていない。抵抗手段が一つもなくて、通る武器すら持ってはいない。そして逃げ回る事ですら、長く続ける事すら出来ない。

 

 

「はぁっはぁぁぁぁっ! どうしたどうした!? 逃げてばっかじゃ何の解決にもなんねぇぞ!?」

 

 

 単発式の大筒で、連射をすると言う異常。当たり前の様に物理法則を無視しながら、弾丸を雨霰の如くに放つ。

 一発でも地形を変えて、その砲撃の余波だけで膨大な衝撃波を放つ弾丸だ。それを二発三発、四発五発と容赦もせずに撃ち続ける。

 

 鼠を追い立てる様に迫る弾丸。余波だけでも吹き飛ばされるから、大きく避ける以外に道がない。

 飛行のコースを制限されて、辿り着く道は袋の小路。それを自覚しながらに、されど逃れる事など出来はしない。

 

 砲門が描くは直撃コース。弾道が辿る軌跡を予感して、ユーノは咄嗟に魔力を使って身構える。必死に構えた盾に向かって、その砲撃が着弾した。

 

 

「っ、ガァァァァァァァッ!!」

 

 

 展開した筈の魔力障壁が、込められた自壊の色に消し飛ばされる。魔力を引き剥がされた盾では、受け止める事すら出来やしない。

 余波だけで罅割れた大楯は、唯の一撃で砕かれた。僅かに残った部位を握り締め、そんな青年の身体も傷だらけ。空に浮かぶ術を失くして、ユーノは真っ逆さまに落下する。

 

 握り絞めたのは、盾の一部と動力源。残ったのはそれだけで、己の意識すら飛びそうな程に消耗している。

 何も出来ずに、何も為せずに、一方的に追い詰められた。そんな唯の人間は、霞む意識の中で見詰める。嗤い見下す鬼の視線、その瞳に浮かんだ己が落ちた場所。

 

 地形が変わる程に暴れた宿儺。鬼の号砲が更地に変えた周囲の中で、ぽっかりと浮かび上がったその異常。

 寂れて廃れた武家屋敷。瓦屋根に開いた穴を通って、ユーノはその中へと落ちていく。彼をその地へ誘導した鬼は、何処か詰まらなそうに笑っていた。

 

 

 

 

 

 風化して崩れかけた武家屋敷。それでも僅かに残った力の残滓が、この屋敷が崩れ落ちる事を退けている。

 そんな屋敷の瓦に開いた穴を通じて、落下したユーノ・スクライア。畳に叩き付けられて、余りの衝撃に悶絶した。

 

 口から血反吐が溢れる。何処かの骨が折れたのか、手足が歪つに、全身が熱を発している。

 痛みを感じる事は出来ない。完全に痛覚が麻痺する程に、呼吸すら儘ならぬ姿で、それでも彼は必死に耐える。

 

 耐えながら、手を伸ばす。握り締めて、取り零さなかったその欠片。盾の残骸を、強く強く握り締めた。

 

 

「……フィジカル、ヒール」

 

 

 魔法を消されたと理解した瞬間、咄嗟に抜き取ったその部品。何時か君の役に立つと、渡された後付け機構。

 レリックを動力源に、ナンバーズを動かす端子。これはそれ単独でも、多少の魔法が使える様に作られている。それを利用したのである。

 

 記録された三つの術式。その内の一つである治療魔法を、レリックの魔力を使って使用する。

 レリックが放つ淡い光に、傷口が癒えていく。その途中で痛覚が戻って、激痛に呻きそうになるが必死に歯を食い縛る。

 

 魔法では失った体力を取り戻すのは、正直に言って効率が悪い。

 そして三つの術式の内に、そんな効率の悪い魔法は入っていない。

 

 故にこそ、激痛を叫ぶと言う無駄な消費をしたくはなかった。

 

 

(だけど、どうすれば、良い)

 

 

 痛みに耐えながら思考する。痛いのは生きている証なのだと、己を鼓舞しながらに考える。必死に探るのは、勝利する為の道筋。

 至る結果を思い浮かべて、其処へと続く仮定を想像する。その為に先ず必要となるのは、現状の正しい認識。冷静な思考で、彼我の違いを確認する。

 

 

(相手の身体能力は、こっちの比じゃない。本気になれば、動いただけで人が死ぬ)

 

 

 基本となる能力値。己の性能が一桁の数字だとすれば、敵は三桁以上。間違いなく、話にならない大差である。

 銃を放てば地形が変わり、腕を振るえば嵐が起こり、足を踏み込めば地割れが起こる。そんな怪物を前にして、こちらは魔法頼りの半病人だ。

 

 そもそも比較になる筈がない。向き合っているだけですら、身体が震えて意識が潰れそうになる程。存在規模に格差があり過ぎている。

 

 

(対してこっちの手札は、全部届かない。魔力を用いた兵器は無効化されて、質量兵器じゃ時の鎧を超えられない)

 

 

 そして、手札も詰んでいる。持ち得る手札は、そのどれもが鎧を抜けない性能。蜂の一刺しは愚か、猫を噛む窮鼠にすらなれやしない。

 魔法も異能も無効化するのに、質量兵器すら通らない。太極と言う弱所を突かれない限り、天魔・宿儺に隙は無い。彼本人に太極を使う心算がなければ、真実その守りは完璧なのだ。

 

 現状を正しく認識し、そして思考する。幾つも幾つも脳裏に浮かべて、その対策を試行する。

 結果は言うまでもなく詰んでいる。何度も何度も考えた通りに、出来る事なんて何もない。ましてや、今の状況は最初のそれより悪化している。

 

 もうこの手には、友の形見(ナンバーズ)と言う武器すら残ってはいないのだ。

 

 

「あぁ、困った。本当に、打つ手がない、じゃないか……」

 

 

 どう考えても、この状況は覆せない。何を試そうとしても、何一つとして通じない。弱点を晒さない両面悪鬼は、無敵に等しい怪物なのだ。

 

 勝利の可能性があるのだとすれば、それは如何にかして太極を使わせた後に。用意していた対策は、その後で初めて形になるものばかり。

 人に焦がれる怪物ならば、無条件で使ってくれると思い込んでいた。相手が合わせてくれる事が前提にあったのだ。だからこそ、それに反する場合なんて考えてもみなかった。

 

 人間でしか倒せない怪物が、人間が届かない場所から一方的に攻めて来る。そんな状況で、怪物を倒す手段なんてある筈ない。

 ない答えなど、幾ら探そうと見付からない。最初から何処にもないのだ。ならば見付けられる筈がないのは当然で、否が応にも諦観の二文字が頭を過ぎる。

 

 諦めてばかりだ。諦めてばかりの人生で、何時も次善を探して来た。出来ない事は出来ないと割り切って、出来る中から最善策を模索する。

 

 それが青年が生きてきた在り様で、今更に変えられる事じゃない。だから次善を見付ける為に、先ずは思考を切り替える。

 出来ないと諦めた上で、倒れたままに顔を動かす。周囲を観察してみる事で、異なる何かを見付け出そうと言うのだ。そして彼は漸く、それに気付いた。

 

 

「これは、絵、か?」

 

 

 壁一面に、巨大な絵が描かれている。水墨画の様な筆遣いで描かれたのは、左と右で大きく異なる一枚絵。

 右に記されているのは――巨大な白蛇、黄金に輝く獣、稲穂の様な色の乙女、血の様に赤い刃を握った一人の男。

 

 その絵画を見た瞬間に、フラッシュバックする記憶。共有した知識の中に、確かに一致する物が存在していた。

 

 

「なのはが見た、あの景色。巨大な蛇と、黄金に輝く獣。守られる女が黄昏なら――抱き締めた男が、永遠の刹那」

 

 

 此処に記されたのは、在りし日に起きた戦いの記録。黄昏の女神を守る為に、共に戦った三柱の神こそが絵画の右に記されている。

 ならば左に記された、巨大な化外は一体何か。飢えた餓鬼を思わせる、大きく腹の出た怪物。三眼の化け物こそが、全ての元凶と言うべき邪神であろう。

 

 

「第六天波旬・大欲界天狗道」

 

 

 誰もが憎み、誰もが恨み、誰もが恐れたその怪物。恐れ戦きながらに、それでも戦わねばならない存在。

 今も神座世界の深奥にて、唯一人自閉を続ける六天魔王。描かれた絵に籠る鬼気を感じ取って、ユーノは唾を飲み込んだ。

 

 だが、其処で違和を感じる。見詰め続ける中で、そのズレに気付いた。

 見付けたのは、記憶にある光景と絵画の違い。何が違うのか、何故違うのか、疑問の答えは直ぐに出た。

 

 

「腕がない化け物。でも、あの記憶では、腕がないなんてなかった筈。……ああ、そうか。ないんじゃない。描けなかったんだ」

 

 

 恐らくは、この絵画を描いた人物は夜都賀波岐の関係者。敗軍の兵として、敗れた側であった者。

 だから、描けなかったのだ。此処に描くべき光景は、邪神に敗れたその景色。腕を描いてしまえば、其処まで描かなくてはいけなくなったから。

 

 

「神座の向こう。もう終わった戦い。何も出来ないって無力感は、今の状況に似ているのかな」

 

 

 寝転がったままに絵画を見上げて、ユーノは静かに思考する。当時の想いに僅か触れ、感じたのはそんな事。

 どうしても勝てなかった。何を考えても無駄だった。抗って、抗って、それでも敗れた果てが今ある世界。今も尚、抗い続けるこの世界。

 

 最強の邪神を前に感じる絶望感や諦観と、何も出来ないこの現状に感じる想いは同質だろうか。

 ふとそんな風に絵画を見上げたまま、感じたままを口にする。治療魔法の力が効果を終えて、言葉を語れる程にはその身は既に癒えていた。

 

 

「だったら、止まれない。立ち止まっては居られない」

 

 

 レリックに入った術式を、治療から身体補助へと切り替える。在りし日の想いに触れて、沸き立つ想いが胸にはあった。

 だから、身体を動かし立ち上がる。もう一度立ち上がって前を見る。まだ諦めるには早いのだろうと、既に心は知っていたのだ。

 

 状況を打破する手段は見付からない。現状を覆す術など分からない。詰んでしまったこの今に、確かに諦観を感じている。

 諦めてばかりだ。諦めてばかりの人生で、何時も次善を探して来た。出来ない事は出来ないと割り切って、出来る中から次善の策を模索し続けてきた人生だった。

 

 それが青年が生きてきた在り様で、今更に変えられる事じゃない。だから次善を見付ける為に、何時だって頭を捻り続けている。

 最善なんて掴めない。何時だって人生はこんな事じゃなかった事ばっかりで、それでも何も掴めない訳じゃない。

 

 諦め割り切り立ち止まる前に、未だ走り終えてもいないのだ。

 

 

「アイツは必死に走り続けた。この絶望を味わって、それでも次代に賭けたんだ。そう言う事を選べた奴が、僕が超えるべき敵なんだ」

 

 

 そうとも、彼の敵はそう言う男だ。全てが詰んだ状況で、それでも勝利を求め続けた。最期に勝ちを得る為に、決して諦めなかった男。

 

 今もまだ、諦めてはいない。僅かな可能性に全てを賭けて、勝利を目前にまで手繰り寄せた。そう言う男が、ユーノ・スクライアが超えなくてはいけない敵なのだ。

 

 なのにどうして、此処で立ち止まっている様で超えられる。全てを試して何も出来なかったからと、立ち止まってしまう様でどうして勝てる。

 勝利する為に、先ずは対等になる事。此処で諦めない事は大前提で、立ち上がる事は絶対条件。己が勝つのだと言う意志の下、青年は此処に前を見た。

 

 

「此処で蹲っていたら、対等になんてなれやしない。どんなに道がなくても、絶対に不可能だって思っても、それでも走り続けて、それで漸く対等なんだ」

 

 

 諦めは未だ変わらない。次善を目指す性質は揺らがない。そう簡単に変われる程に、彼の人生は軽くなかった。

 それでも、届かなくても最期まで前へと歩き続ける。苦行でしかない人生を、己で望んで生きていくと決めたのだから。

 

 

「だから、大丈夫。僕はまだ、戦える」

 

 

 そうして、立ち上がった彼は振り返る。何時から其処に居たのか、気付けなかったが気配は感じていた。

 故に振り返った金髪の青年は、その翡翠の瞳で彼女を見る。薄く透き通った少女は澄んだ瞳で、傷だらけの姿を見詰めていた。

 

 

「…………本当に?」

 

「うん。大丈夫。それに、さ――」

 

 

 青年の胸元にも届かない身長の、小さな少女が其処に居る。金糸の髪が風に靡いて、赤い瞳で見詰めている。

 助けは必要ないのかと、不安そうに見上げる瞳。そんな彼女に笑って返して、強がる様に口にする。それでも、それは唯の強がりなんかじゃない。

 

 

「君のお陰で、策が一つだけ思い付いたよ」

 

 

 今の自分に出来る事。今の自分で出来る事。友の形見をその手に握って、ユーノは確かに見付け出す。

 その瞳を見上げる少女は、澄んだ瞳で男を見詰める。その瞳に映っていたのは、あの嵐の日と同じ色の決意である。

 

 大切な人の為に、出来る事を探し出して、必死になって立ち向かった。

 そんな少年期の姿を色濃く残した青年は強がる笑みを浮かべたまま、金髪の少女に向かって問い掛けた。

 

 

「正直何が何だか分からないけど、色々聞くのは無粋だと思う。……それでも、一つだけ聞いても良いかな?」

 

「何?」

 

 

 青年の問い掛けに、少女は小首を傾げて問い返す。問うべき言葉の答えを、彼女が持っている保証なんてない。

 それでもユーノは、何となくだが理解していた。それは外れかけたが故の直感の様な物であったのかもしれないし、或いは唯の錯覚だったのかもしれない。

 

 唯一つ、確かな事は――ユーノが問い掛けた言葉の答えを、生まれる前の少女は確かに知っていた。

 

 

「今、なのはが何処に居るのか分かるかい?」

 

「……あっち。なのはは不二に居る」

 

 

 少女が指差したのは北西の方角。霊峰不二の膝元で、彼女達は今も激闘を続けている。

 その事実を聞いたユーノは、一つ頷き感謝を言う。少女と目線を合わせる様に、彼女の名を此処に呼んだ。

 

 

「そうか。ありがとう。――フェイト」

 

 

 名前を呼ばれて、フェイト・テスタロッサは目を丸くする。覚えていたんだと、驚いた後に小さく笑った。

 どういたしまして、と。はにかむ様に微笑む少女に、ユーノも笑って言葉を返す。己の勝機を教えてくれた彼女へと、強い瞳で口にした。

 

 

「君がどうして、此処に居るのか分からない。君に何が起きているのか、僕は知らない。それでも、何となく分かる事はある。だから、僕は君にこう伝えよう」

 

 

 どうしてフェイト・テスタロッサが此処に居るのか、ユーノ・スクライアには分からない。

 死者が此処に居られる理由が分からないし、今の彼女が何で在るかも分かっていない。それでも、一つだけ、分かる事があった。

 

 それは、この少女が此処に来た理由。己の仇を前に、介入して来た理由。それを少女の瞳を見て、ユーノは確かに理解した。

 フェイト・テスタロッサは恐れているのだ。彼女を殺した天魔・宿儺を、あの無敵と思える怪物を、その存在を怖がっている。

 

 だから、そんな彼女に伝える事。勝利への道筋を見せてくれた彼女に向けて、ユーノが伝えるべき言葉はそれだけしか存在しない。

 

 

「アイツは僕が倒す。君達の仇は、此処で終わる。だから――安心して生まれておいで」

 

 

 どうして最後にそんな言葉を付け加えたのか、自分でも良く分からない。口にして初めて、彼女は未だ生まれてないのかと納得した程。

 それでも、言葉に嘘はない。生まれていないと言うのなら、彼女が生まれる前には終わらせる。夜都賀波岐との戦いは、己達が此処で終わらせるのだ。

 

 

「うん。分かった」

 

 

 言葉と共に背中を向ける。その身体は傷だらけだけど、それでも何より大きいと思える漢の背中。

 フェイトは想う。まだ産まれていない奇跡の双子。その片割れは確かに想う。■■■■が、この人で良かったと。

 

 この記憶は残らない。生まれる時には、無色となろう。それでも、素直にそう想えた。

 だから少女ははにかむように、微笑みながら言葉を掛ける。戦場でと向かう青年に、伝えるべきは唯一言。

 

 

「頑張ってね」

 

「ああ、頑張って来るさ」

 

 

 半透明の少女は薄れて、在るべき場所へと戻って行く。大きな背中を見送りながら。

 大きな背中を持つ青年は、壊れた盾の残骸を握って進んで行く。勝機は此処に見付けたから、今更諦める事などない。

 

 踏み込み、踏み出し、進んで行く。そうして彼が、己の戦場へと戻ろうとしたその瞬間に――轟音が響いて、武家屋敷が消し飛んだ。

 

 

「……はっ、まだ産まれてもねぇ餓鬼が、茶々入れてくんじゃねぇよ。白けるだろうが」

 

 

 瓦礫の山と化した屋敷を前に、胡坐を掻いた男は嗤っている。手にした銃口からは、硝煙が音もなく噴き上がる。

 ユーノが飛び出すより前に、両面宿儺は屋敷を消し飛ばした。嘗ての同胞が遺した色を消し去って、嗤う男の行動は本意と言う訳ではない。

 

 それでも、心底から気に入らないモノが目に映り込んだ。そんなモノが、この戦いに介入する事など許せない。これは己と、再び己の敵になるかも知れない漢との決闘なのだから。

 

 

「大人しくお母さんのお腹の中に帰ってなさい。……特別な生まれだからって、生きてない子が出て来て良い場面じゃないのよ」

 

 

 既に死んだと言うなら、大人しく死んでいろ。まだ産まれていないと言うならば、出て来るには早過ぎる。

 これは己が認めて、打ち破った敵が、己への挑戦権を再び得る為の大一番。そんな舞台に割り込んで、手垢を付ける事など許しはしない。

 

 故にこそ、両面宿儺は力を放った。号砲で嘗ての残滓を消し飛ばし、同時にその介入を防いだのだ。

 これ以上引っ掻き回される前に、奇跡の子供を消し飛ばす。消せたのは触覚だけで、大本は消せていない。それでも、脅しには十分だろう。

 

 アレがこれ以上、この戦場に関わって来る事はもうないだろう。ならばそれで十二分。

 屋敷の倒壊に巻き込まれた青年も居るが、それで死ぬならその程度。そう切り捨てて、天魔は嗤った。

 

 

 

 

 

 崩れ落ちた屋敷の中で、古き絵画が炎と燃える。燃え去り散って行く中に、二つの赤が場を染める。

 衝撃が引火したのか、燃え上がる炎の赤。青年の傷付いた身体から、溢れる血の赤。瓦礫の山に潰されて、ユーノは血反吐を吐き捨てた。

 

 それでも、まだ諦めない。傷を癒しながらに、前へと進む。立ち上がる事が出来ないから、這って前へと進んで見せた。

 

 

(見っとも無くても、足掻け)

 

 

 傷を癒す為の魔力は、それこそ山と言う程に残っている。レリックの内蔵魔力量は、ロストロギアの中でも最大級の一つである。

 だから、また直ぐに立ち上がれる様になる。そうなる前に、次弾を撃たれればそれで御終い。そうと知るからこそ、少しでも先へ。足掻く様に這って進む。

 

 地を這って進む。瓦礫の中を隠れる様に、鼠の如く浅ましく進む。気付かれたら終わりだから、それより前にと少しでも前へと進み続ける。

 

 

(泥臭くても、生き残れ)

 

 

 血が流れる。意識が遠のく。この今に生きている事すらやっとであって、だがしかし其処で一つ疑問に思う。

 この今の己は、果たして生きているのであろうか。両面鬼が砲撃によって屋敷が瓦礫の山に変わって、その内に居た己がどうして生きていられるのか。

 

 其れは或いは、世界から外れ掛けているからなのかも知れない。解脱に至り掛けているから、法の影響を強くは受けていないのか。

 其れは或いは、死を拒めたのではないのかも知れない。既にユーノは二度三度と死んでいて、なのはの呪詛(アイ)で蘇生しただけなのかも知れない。

 

 其処まで考えて、どうでも良いかと苦笑した。この今に考える頭があって、這い摺る形であっても動ける身体が残っている。ならば、それが全てであるのだ。

 

 

(耐えろ。耐えろ。痛みに耐えて、あの場所へ)

 

 

 目指すは不二。遠く遠く、這い摺り進む青年にとっては、気が遠くなる程に遠い場所。

 少しでも、其処に近付く必要がある。勝機を手にする為には、高町なのはの協力が必要なのだ。

 

 フェイトを見て、あの絵画を知って、思い描けたその策謀。この状況を打破する鍵は、愛する女の下にある。

 其処まで考えて、苦笑した。何時だって、己は助けられてばかり居る。そう自覚して、ユーノ・スクライアは笑って進んだ。

 

 

(一人じゃない。なら、進めるだろうさ。なら、歩けるだろうよ)

 

 

 武器は友がくれた物。身体で守った残骸こそが、切り札足り得るジェイル・スカリエッティが遺した物。

 策は少女を見て気付いた事。フェイトが倒れた時の庭園。其処で起きようとしていた一つの事象が、ユーノの策の根幹だ。

 

 そして胸に消えない想いは、今も進み続ける事が出来る力は、愛する人がくれた物。

 高町なのはが居る限り、強く在ろうと想い続ける。彼女の愛があればこそ、己は今も生きていられる。

 

 

(唯――)

 

 

 だから、痛みに耐える。必死に耐えて、立ち上がる。立ち上がって、前を見詰める。

 一歩を、強く踏み締める。二歩目を、更に強くと踏み込み進む。三歩目で、飛び出す様にユーノは駆けた。

 

 

「進むんだっ!!」

 

 

 走り出す。瓦礫と化した屋敷を抜けて、更地となった箱根を駆ける。一歩でも先へ、一歩でも前へ、不二を目指して男は走る。

 

 

「……へぇ」

 

 

 されど瓦礫の中を抜け出したと言う事は、隠れ潜む為の盾を失くした事と同意義だ。

 大地を駆ける青年の速度は、両面から見れば欠伸が出る程に遅い物。必死の行動ですら、一歩の動きで踏み潰せる。

 

 そして、両面悪鬼にそれをしない理由がない。故に天魔・宿儺は大きく跳んだ。

 

 

「よぉ、久しぶりだなぁ」

 

「――っ!」

 

 

 必死に進むユーノの目指す先へと、たった一歩で先回りする事が出来る。それ程に、彼我の断絶は絶対だ。

 不二への道を阻む様に、両面宿儺が立ち塞がる。道端に屯する不良の如く、しゃがんで嗤うその姿。乗り越える手段は、何もない。

 

 

「何か考え付いた様だが――その策が形になる前に、全力で踏み潰してやるよ」

 

「じゃあね、バイバイ。優等生くん」

 

 

 そして、嗤う鬼は手にした大筒を青年へと向ける。油断も容赦も其処にはない。

 突き付けられた砲門。一寸後に引かれるだろう引き金は、確実にユーノの命を奪うであろう。

 

 だと言うのに、ユーノ・スクライアは笑みを浮かべて見上げて居た。

 

 

「……相変わらず、僕は助けられてばっかりだ」

 

「あ?」

 

 

 突き付けられた死を前に、笑って口にした言葉。前後の脈絡など欠片もない発言に、気が狂ったかと邪推する。

 されど、そんな妄想は悪鬼自身が嗤って否定する。己の敵であった敗北者は、狂気と言う手段に逃げる様な男じゃないと知っている。

 

 ならば、そう。その発言には、その浮かべた笑みには、確かな意味が必ずあるのだ。

 

 

「昔はそれが情けなくて、今は――そうだね、少し違う」

 

 

 何を言っているのかと疑念に抱いて、何かあると確信して、その直後に天魔・宿儺は感じ取る。

 吹き付ける風。不吉を纏った気配。今の己ですら殺されると、そう直感する程に強烈な死の気配に彼は気付いた。

 

 

「――っ!? コイツは、黒甲冑の太極かっ!?」

 

「近付いているっ! 何で!? まさかっ!!」

 

 

 近付いていたのは、青年だけではない。愛した女の下へと向かおうとした彼と同じく、彼が愛した女も彼を目指して移動していた。

 陰陽太極。彼らの魂は繋がっている。青年の窮地に女が気付かない筈がなく、彼が思い浮かべた策の成就に手を貸さない筈もない。だからこそ、この結果が此処に在る。

 

 高町なのはが、天魔・大獄を圧している。愛する人の下へ向かう為に、その太極の内側から彼の神体を箱根に向かって吹き飛ばしたのだ。

 

 

「助けられる事が悪いんじゃない。助けられたことに、全力で応えられない事が格好悪いんだ」

 

 

 迫って来る死の気配。濃密な終焉の波動。陰陽太極とぶつかり合って、世界そのものが揺れている。

 法則と言う色で他を染める。色を無数に塗った画用紙が耐え切れず破れる様に、世界が悲鳴を上げている。

 

 覇道と覇道の競い合いに比すれば遥かに遅いが、それでも穴が開きそうになる程の力のぶつかり合い。

 世界の壁が曖昧となり、特異点が生まれ掛けるこの境界。それこそがユーノ・スクライアが求めた、たった一つの対抗策。

 

 

「なのはに感謝を。君が居たから、僕は戦える」

 

 

 慈愛の色を瞳に浮かべて、近付いて来ている女を想う。

 愛する人に貰った想いを胸に腕を掲げて、ユーノはその手にレリックを強く握った。

 

 

「ジェイルに感謝を。君の智慧は確かに、僕の助けになってくれた」

 

 

 取り付けられた機械を介して、第三番目の術式を起動する。

 一つ目が身体補助。二つ目が肉体治療。そして最後のそれは、ジェイル・スカリエッティの研究成果。

 

 ある一つのロストロギアを、魔法で再現しようと言う試み。その挑戦の果てに完成した、それが最後の切り札だ。

 

 

「さあ、これが最後の術式だ。壊れる程に輝けっ! イミテーション・ジュエルシードッッッ!!」

 

 

 模倣したのは、願いを叶えると言う宝石。その万能性故に、最後の切り札と伏せた物。

 掲げたレリックに術式を打ち込み、最大出力で暴走させる。高く高く掲げた光が、齎す結果はたった一つ。

 

 

「え? はっ? うっそでしょっっっ!?」

 

 

 女の相が驚愕に染まる。あり得ない。あり得て良い筈がない。そんな最悪なその方法。

 こんなにも神座に近い世界で、こんなにも世界が揺らいでいる状態で、ジュエルシードなどを暴走させればどうなるのか。

 

 悪童の笑みを浮かべた青年は、全て分かった上でやっているのだろう。それがどうしても、本城恵梨依には理解出来ない事だった。

 

 

「はっ、やってくれたなぁ! おいおいおいおい、そりゃねぇだろうがっ!? ってかお前、俺よりキまってんじゃねぇよっ!!」

 

 

 同じく驚愕を口にしながら、何処か楽しそうに笑うのは男の相。全く予想外だった行動だが、成程考えてみれば実に道理だ。

 絶対に勝てない敵を前にして、それでも勝たなくてはいけない時。その状況を引っ繰り返す為には、敵の敵をぶつければ良いのは当然なのだ。

 

 それでも、そんな発想が出なかったのは、それがあり得ぬ事だから。そう決め付けていた己の想像力が負けたのだと、遊佐司狼は腹を抱えて笑っていた。

 

 

『波旬を呼び込むとかっ!? イカレ過ぎだろ(でしょ)優等生っ!?』

 

 

 あの日、PT事件に天魔達が介入して来た理由は、ジュエルシードが神座世界への道を開いてしまうから。

 ならばそう、あの日よりも神座に近い場所で、あの日よりも揺らいでいる状況で、暴走させれば道は必ず開けるだろう。

 

 ジュエルシードが穴を開ける。その開いた道を通じて、求道神達のぶつかり合いの余波が神座に届く。

 そうなれば当然、彼の邪神は気付くであろう。この世界を認識して、動かない筈がない。ユーノの一手をこのまま通せば、波旬が必ずやって来る。

 

 それを望まないと言うならば――

 

 

「それが嫌なら、さっさと太極開けよっ! 不良共っ!!」

 

 

 穴が開く前に、レリックの暴走を防ぐ他に術はない。

 そしてその暴走を防げる手札を、天魔・宿儺は一つだけ持っている。

 

 故にこそ、二者択一だ。太極を使うか、波旬の召喚を許すのか、ユーノが突き付けたのはその二択。

 

 

「波旬が来れば、僕もお前も死ぬ。被害はそれで終わりだ。……この位置取りなら、なのはより先に大獄がぶつかる」

 

 

 記憶を見て知っている。彼の三眼の邪神は、既に渇望を果たしている。奇形嚢腫を失くした神は、その力を大きく落としている。

 そして、夜都賀波岐。天魔・大獄が切り札を隠している事にも気付いている。それを目の前で見せられ掛けたのだ。ユーノが気付けぬ筈がない。

 

 その切り札は、恐らく彼の異能の上位互換。間違いなく格上にも通じる切り札。そうと予測すればこそ、今の邪神にならば通ると確信する。

 そして同時に、通りはするが唯では済まないだろうと予測する。如何に弱体化しているとは言え、嘗て三神を滅ぼした存在だ。唯では滅ばず、大獄を道連れにする筈だ。

 

 

「僕ら三人の命と引き換えに、波旬は倒せる。なら、後は――なのはがトーマを救い出して、僕らの勝ちだ」

 

 

 故にどちらを選ばれても、ユーノにとっては問題ない。この状況に追い込めた時点で、ユーノ・スクライアは既に勝利していた。

 

 

「だから、選びなよ。自分が負けるか、夜都賀波岐が全滅するかをさ!」

 

 

 太極を使えば、天魔・宿儺は己の決めたルールに反する。己で負けを認める結果となるであろう。

 太極を使わなければ、確かに負けはしないのだろう。それでも、夜都賀波岐は全滅する。その企みは、水泡に帰すのである。

 

 ならば、彼が何を選ぶのかは明白だ。如何なる屈辱も飲み干して、求めた結果が覆されるなど許せない。これ以外に、選択肢などは存在しなかった。

 

 

「アセトアミノフェンアルガトロバンアレビアチンエビリファイクラビットクラリシッドグルコバイ」

 

 

 青い光を天へと投げて、大地に倒れて転がるユーノ。身体補助が失われ、半病人へと戻った姿。

 それを高みから見下ろしながら、よくもやってくれたと笑ってみせる。そうして負けを認めた天魔・宿儺は、ここまでされると逆に清々しいと笑いながらに咒を紡ぐ。

 

 

「ザイロリックジェイゾロフトセフゾンテオドールテガフールテグレトール」

 

 

 邪神の降臨から、夜都賀波岐の全滅。結果として残ったなのはに、助け出されたトーマが流れ出す。

 そんな形での新世界など、宿儺は望んでなどいない。訪れる結果が変わらないのだとしても、過程こそが重要だ。

 

 夜都賀波岐は超えられなくてはならない。次代の神が波旬を倒せる様にならねばならない。

 古き者らを相討たせる様な策で、他者を嵌る様な形の解答で、全てに納得する事など断じて出来やしないのだ。

 

 

「デパスデパケントレドミンニューロタンノルバスクレンドルミンリピトールリウマトレックエリテマトーデス」

 

 

 故にこそ、天魔・宿儺はそれしか選べない。敗北する事しか選択できない。

 そんな状況へと叩き込まれた。その事実に先ずは見事と、笑いながらに受け入れる。

 

 その上で、宿儺は笑みを嗤みへと変える。この男を再び己の敵と認めて、だからこそ嗤う。

 己に一度勝利したからと言って、それで決着と言う訳ではない。対等になったと認めたからこそ、次なる試練が牙を剥く。

 

 

「ファルマナントヘパタイティスパルマナリーファイブロシスオートイミューンディズィーズ」

 

 

 一体何度、死を迎えた。一体何度、蘇生したのだ。一体どれ程、今のお前は壊れているのか。

 其れはこの太極の内側で、ユーノ・スクライアが生存できるのか。高町なのはの呪詛(アイ)がなく、生きていられるかと言う問題点。

 

 そして、もう一つ。今の生かされている彼が、真面目に生きていると認められるかと言う点。生き延びるだけでは、展開させた意味がないのだ。

 

 

「アクワイアドインミューノーデフィシエンスィーシンドロォォォム」

 

 

 その疑念に、宿儺自身も答えを出せない。己の敵が真面目に生きている存在なのか、彼ですら答えが出せない。

 だがそれも、太極を開いて見せれば答えが出る事。己の心に嘘は付けない。自身の法は偽れない。故に宿儺は、己の宙に判断を委ねる事にしたのである。

 

 この世界で青年が生き延びて、己が弱体化したのなら――彼は確かに真面目に生きている。そう己の心が認めた結果と言えるのだから。

 

 

「太極――無間身洋受(マリグナントチューマ―)苦処地獄(・アポトーシス)

 

 

 さあ、試してみるとしよう。生きているのか、生かされているのか。

 

 幾何学模様の宙が広がり、大地に倒れた半身不随の要介護者を取り込んだ。

 

 

 

 

 

 途端に身体が重くなる。全身から体温が薄れていき、肌が青白く染まって行く。

 寒い。痛い。苦しい。異常を発する身体は治らず、己を生かしていた女の想いが抜け落ちる。

 

 こんなにも苦しいのならば、生きてなど居たくはない。こんなにも痛いのならば、今直ぐにでも死んでしまいたい。

 そう想いながらも、それでも必死に歯を食い縛る。指を一本ずつ動かして、動く部位を確認する。そうしてユーノは、強く叫んだ。

 

 

「っ、おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 己を鼓舞する為に、雄々しく叫んで拳を握る。肺が動く事を確認すると、横隔膜を震わせる。

 不随意筋を振動させて、痙攣を意図的に起こさせる。引き攣る筋が勝手に動いて、繋がる部位が自然と震えた。

 

 少しずつ、少しずつ、一つ一つと動かしていく。そうして、まるで縮こまる様に、倒れた五体で蹲る。

 指先に土を握り締めながら、蹲った状態から身体を動かす。倒れ込みそうになりながら、それでも足で踏み締めた。

 

 

「生きている」

 

 

 踏み出し、踏み込んだ足で立ち上がる。その振動を殺せずに、よろめきながらも踏み止まる。

 二足の脚で確かに立って、握り拳で構えを取る。視線を動かすだけで感じる激痛に、耐えながらユーノは吠えた。

 

 

「僕はまだ、生きているっっっ!!」

 

 

 高町なのはの呪詛(アイ)が無くても、ユーノ・スクライアは生きている。

 それが答えだ。太極と言う世界は嘘を吐かない。天魔・宿儺の目の前に居る男は、確かに己の足で生きていた。

 

 

「これで一勝一敗。さぁ、最終ラウンドだっ! 天魔・宿儺っっっ!!」

 

「は、ははは、ははははははっ!!」

 

 

 そして、同時に理解する。随神相が消えている。鬼の身体能力が、既に失われていたのである。

 そうとも、心が既に認めていた。この目の前に居る強敵は、誰より真面目に生きている。己が信じる、確かな人間であるのだと。

 

 故に天魔・宿儺は笑っている。こうでなくてはいけないと、これでこそだと、心の底から呵々大笑と笑っていた。

 

 

「ああ、そうだな。やろうか、俺の敵(ユーノ)。此処から先が本番だっ!」

 

 

 飛び跳ねて踊り出しそうな程に、心底から楽しそうに笑って走り出す遊佐司狼。

 そんな男に付き合っては居られないと、本城恵梨依は一歩を退く。此処から先は男の世界であろうと、女は瓦礫の上に腰掛けた。

 

 幾何学模様の宙の下、終焉の世界を遠ざけながらに司狼は嗤う。女物の着物を風に靡かせながら、ユーノに向かって殴り掛かる。

 その技の冴えは正しく至高の絶技。天衣無縫の襲撃は、柔らの極みと言うべき物。今にも倒れそうな青年を前に、拳を緩める事などない。

 

 此処で倒す。此処で潰れろ。歓喜と殺意の混じった拳が、ユーノの顔を打ち貫く。――その瞬間、司狼は腹に重い衝撃を感じていた。

 

 

「っ! は、ははっ!」

 

 

 今にも倒れそうな程にふらついた身体から、出されたとは思えない程に重い衝撃。殴られた筈のユーノが其処に踏み止まって、その拳を放っていた。

 腹に感じる鈍い痛み。余りに重い打撃を受けて、青痣となった腹を摩る。痛みと驚愕に怯んだのは一瞬で、笑みを浮かべた司狼は再び天衣無縫の業を示した。

 

 華麗に舞う蝶の如く、或いは美しく流れる川のせせらぎが如く、柔らの極みは最早芸術と言うべきもの。

 そんな美しさを伴った脅威を前に、ユーノは唯只管に不動。その一撃を身体で受けて、骨を断つ様な一撃を此処に撃ち返した。

 

 

「はは、はははははっ! ははははははははっ!!」

 

 

 笑う。笑う。笑ってしまう。それ程に、この動きは遊佐司狼の見知った物。

 肉を切らせて骨を断つ。剛の極みと言うべき拳は、紛れもなく己の対となる男の体技だ。

 

 

「そいつは――黒甲冑の動きかよっ!」

 

 

 ユーノ・スクライアは半身不随の半死人。真面に動くだけでも、身体が悲鳴を上げる程に弱っている。

 そんな彼が、司狼を打ち破る為に用意していた切り札。其れこそ、天魔・大獄の動き。既に死んでいる筈の男が見せた、最小限の動きで最大の成果を得る為の方法だ。

 

 

「一体どんだけビックリ箱だっ! どうやって、覚えたって言うんだよ!?」

 

「別に……あんなに散々、殴られたんだ。あれだけ受ければ、身体が勝手に覚えてくれるさ」

 

「そう言うもんでもねぇだろうによっ! はっ、ほんっとイカレてるよ。良い意味でなっ!!」

 

 

 最強の天魔が示したその剛拳は、あの地獄の中で瞳に焼き付けた。

 目に焼き付いた光景を、脳裏で描き続けていた。実際の動きとの誤差は、この今に修正し続けている。

 

 最初は一撃を受けてからではないと、真面に攻撃も当てられない程度の芸当。

 それでも何度も何度も繰り返し、修正しながら近付いていく。目に焼き付いた死者の剛拳を、今この場にて習得していく。

 

 一歩で脂汗を滲ませながら、腕を振るう動作だけで吐きそうになりながら、それでもユーノ・スクライアは近付いていた。

 

 

「焼けるねぇ。腹立つぜ。俺の敵だぞ。俺の敵なのに。ほんっと、あの黒甲冑は腹立つよなぁっ!」

 

「お前の戦い方は、天才型過ぎて、参考にならないんだよ」

 

「ははっ、悪いなぁっ! 才能に恵まれ過ぎててよぉっ!!」

 

 

 されど、その速度は凡庸の域を出ない。されど、対する男は数億の研鑽を抱えた天才だ。

 時間も才能も届かない。拮抗出来たのは一瞬で、殴り合いは一方的な形へ。青年の身体が宙に浮いた。

 

 

「だが、舐めるなよ。一体何年、俺が野郎の動きを見てきたと思ってやがるっ!」

 

 

 大振りのアッパー。まるで獣の様な動きだが、それが余りに滑らかで美しく映る。柔らの極みとはそういうもの。

 自然体で放った一撃が、無形ままに武芸の境地と化すのだ。型に縛られない以前に、そもそも型を知らないからこそ縦横無尽に暴れ回る。

 

 それでも、一手一手が実に理に適っている。何千何万と考え尽くした流派の型を、司狼はその場の直感だけで上回るのだ。

 紛れもなく、彼こそ戦の天才。武における才覚のみを語るなら、大獄ですら届かない。そんな高みに、唯の猿真似だけでは届きはしない。

 

 

「猿真似レベルに過ぎねぇなら、ぷちっと潰すぜ秀才児っ!」

 

 

 ならば、そう。勝利を望むなら、此処で習得した力を己の物にするしかない。

 終焉の拳を習得して、嘗ての己の体技と混ぜ合わせる。受け継いだ物を確かな形へ、此処で司狼を超えるのだ。

 

 

「積み重ねる事なら、天才(オマエ)にだって負けるもんかっ! 直ぐ様追い付いて、そのまま追い越してやるよっ!!」

 

 

 殴られる度に、込み上げて来る異物。喉が焼ける様な痛みに、肺が引き攣る様な痛み。無理な動きに、全身が悲鳴を上げている。

 それでも、やってみせるしかない。泥臭く足掻いて、何処までも喰らい付いて、手にした物を確かな形で結実させる。それ以外に勝機はないのだ。

 

 殴られながらに思い出す。それは拳の握り方。腕の振り方。足の踏み込み。呼吸の仕方。

 ストライクアーツを、永全不動八門一派・御神真刀流を、終焉の拳を、己の中で混ぜ合わせる。

 

 出来ないなんて言いはしない。出来ないならば出来る様になるまで、喰らい付いてでも続けて見せれば良いのである。

 

 

「ああ、そうだっ! その息だ! やって魅せろや俺の敵っ!!」

 

 

 最初は意表を付いて、それでも肉を切らせて骨を断つのが限界だった。

 次には動きを見抜かれて、殴った拳が当たらない。一方的に追い詰められた。

 

 そして今、その成果はまだ薄い。決めた学んだ出来ましたと、そう直ぐ出来る程の才はない。

 それでも、全くの無駄と言う訳ではない。進歩が一歩もない訳じゃない。少しずつ、少しずつ、その高みに近付いている。

 

 三度に一回、拳が当たる様になってきた。五回に一度、拳を防げる様になってきた。

 ほんの少しずつ、身体が動き始めている。ほんの少しずつ、今の身体に適した型に変わってきている。

 

 牛歩の様に遅い速度ではあったのだが、それでも確かに――ユーノ・スクライアは成長していた。

 

 

「おい、気付いたかよ?」

 

「な、にがだっ!」

 

 

 故にこそ歓喜を頬に張り付けながら、遊佐司狼は敵へと問うた。誰より真面目に生きてる彼の敵は、脂汗を流しながらに問い返す。そんなユーノの言葉に、司狼は更に笑みを深めた。

 

 

「気付かないか? 気付けないよなぁ。ああ、そうさ。それで良い。それでこそ、そうでなくちゃぁいけねぇなぁ」

 

「だから、何がだって、言ってんだよっ!」

 

 

 勝手に納得して、勝手に笑うその身勝手さ。怒りを吐き捨てる様に、ユーノ・スクライアは拳を振るう。

 重戦車の如き重さと、目にも止まらぬ速さを伴った拳。鋭い拳が打ち込まれ、司狼は笑いながらに一歩を下がる。

 

 二回に一度は受ける様になった確かなダメージ。だが、だからと言ってそれで倒れる筈がない。

 ユーノが異常な精神力で喰らい付くなら、己も負けるかとより燃え上がる。そんな司狼は、過酷な現実を突き付けながらに笑い飛ばした。

 

 

「お前の女、終わったぜ?」

 

「……え?」

 

 

 一瞬、何を言われたのか理解が出来なかった。天衣無縫に殴り飛ばされ、痛みと共に理解する。

 血が流れた事で、頭が冷静になったのか。動揺を内心に隠して、それでも隠し切れない青年は天魔を睨んだ。

 

 

「策士、策に溺れるって言うがよ。コイツは正しく、そう言う状況だ」

 

 

 何故にお前が分かるのかと、そう問い掛ける瞳に返す。それは極めて単純な、分からない筈がない答え。

 

 

「お前、アイツらを俺に近付け過ぎたんだよ。一体どういう手品を使った訳か、お前の女は黒甲冑の決闘場を打ち壊しやがった。……その所為で、お前の女は、俺の太極に飲み込まれたのさ」

 

「――っ!?」

 

 

 太極とは、天魔にとっては身体と同じく。己の体内に異物が紛れ込めば、気付かない道理が存在しない。

 これは間違いなく事実。嘘偽りなんてないと、問い質すまでもなく理解する。高町なのはが大獄の宙を壊した結果、この宇宙に飲まれたのだと。

 

 

「それがどういう事なのか、言われなくても分かるよなぁ!?」

 

 

 動揺に凍ったユーノの身体を殴り飛ばしながら、遊佐司狼は嗤って告げる。

 高町なのはにとっての天敵。決して勝てない存在こそが、この天魔・宿儺であるのだ。

 

 

「人の振りした求道神。そんなモノ、俺は人間だなんて認めねぇっ!」

 

 

 ユーノの身体を蹴り飛ばして、遊佐司狼は此処に告げる。

 己は決して、あの女を認めない。この宇宙は高町なのはにとって、必ず毒であり続ける。

 

 

「人間に成りたがってる腐れ神っ! あの女は自ら望んで、俺の法則に嵌っちまうっ!」

 

 

 そして、高町なのはの願いは人になる事。素晴らしい人に成りたいと、そう願うからこそ嵌ってしまう。

 神が人間の振りをするな、人になってしまえ。そう呪う法則を、彼女の心は福音として受け止めてしまうのだ。

 

 それは理性でどれ程に抑えようと、決して覆せない感情。心の底から飢え乾く程に、求めて狂するとはそういう事だ。

 

 

「あの黒甲冑の目の前で、俺の太極に飲み込まれた。その意味が、分からねぇとは言わせねぇぞっ!!」

 

 

 大獄の宙を破壊出来たとは言え、その求道神を打ち破ったとは言え、それだけであの大天魔が滅び去る筈がない。

 両翼とはその域には非ず、故に天魔・大獄は存在している。そんな彼の目の前で、一瞬だろうと人間になってしまう事。それが致命的な隙なのだと、天魔・宿儺はそう告げる。

 

 殴り飛ばされ、蹴り飛ばされて、それでも立ち上がったユーノ・スクライア。

 そんな男に向かって、もうお前の女は死んでしまうぞと、嗤いながらに司狼は拳を振った。

 

 

「……退け」

 

 

 頭を撃ち抜く様な拳を、その額で受け止める。回避も防御も行わず、血を流しながら睨み返す。

 一歩も退かず、痛みも見せず、口にしたのはその一言。行かなくてはいけない場所があると、その瞳が強く男を射抜いていた。

 

 

「はっ、退く訳ねぇだろ?」

 

 

 己のミスで、窮地に陥った愛する人。ユーノはその事実を知って、黙っていられる男じゃない。

 だからこそ、今直ぐにでも駆け付けたい。この太極を叩き潰して、彼女の下へと駆け付けなくてはいけない。何の役に立てないとしても、そうしなくては己が許せないのだ。

 

 そんな意志の籠った瞳に、されど男は嗤って返す。返り血を浴びた拳を拭って、平然と嗤い飛ばした。

 

 

「其処を退けぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

「退かせてみろや。なぁ、優等生っ!!」

 

 

 殴る。殴る。一歩踏み込み殴り飛ばす。手傷も痛みも関係ない。

 死ぬ程に痛い身体も、吐き気がする程に感じる不快さも、意識が飛びそうになる眩暈も全てどうでも良い。

 

 取るに足りない。生きているのだ。ならばそれが全てで、それ以外など取るに足りない。

 取るに足りない。彼女を助ける為に駆け付けるのだ。ならばそれが全てで、それ以外など取るに足りない。

 

 その動きは退化している。型を忘れて、己の身体の状況も考えず、ペース配分なんて忘却の彼方だ。

 比較すれば、先の方が遥かに洗練されている。それでも、脅威と感じるのは今だ。遊佐司狼は、ユーノの拳をそう感じていた。

 

 

(ああ、そうだ。それで良い)

 

 

 想いが違う。強さが違う。覚悟が違う。宿敵に勝つ為よりも、女を守る為にこそ、ユーノはそう言う男であった。

 

 愛する女の下へ行く為、お前が邪魔だ。愛する女の脅威となっている、この太極が邪魔なのだ。

 そうと言わんばかりの瞳は、先と違って司狼に勝つ事を目指していない。それは手段に過ぎぬのだと、何処までも揺らがない瞳が此処に告げていた。

 

 

(俺らは所詮敗残兵。邪魔な障害物など取るに足りぬと、乗り越えていくべき障害だ)

 

 

 そんなある種見下す様な色を前にして、見縊る様な想いと向き合って、それでもそれで良いと笑ってみせる。

 そう言う形で超えられて、そう言う形を前に敗れ去る。そんな結果こそを、何億年も待ち続けた。だからこそ、それで良いと笑ってみせた。

 

 

(惚れた女を助ける為に、邪魔な敵を排除する。その程度で良い。その程度の感情で、乗り越えていくべき存在なのさ)

 

 

 そうとも、天魔・夜都賀波岐はそう言う物だ。過去の敗残兵など当然と、乗り越えてみせねば嘘だろう。

 だから、ああそうだとも、ユーノ・スクライア。その刹那に消え去る愛を胸に抱いて、この悪鬼を超越して魅せろ。

 

 

「だからって、素直に退いてはやらねぇけどなぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「天魔・宿儺ァァァァァァァッ!!」

 

「はっはぁぁぁっ! 良い面する様になったじゃねぇかよ、ユーノ・スクライアァァァァァァァッ!!」

 

 

 殴り合う。殴り合う。一歩を踏み込み、殴り合う。互いに動きは獣の如く、骨肉相食む様に相手を殴る。

 そんな形になっても、未だ美麗な柔らを形作るのは天賦の才覚。ユーノのそれと見比べる事すら、侮辱になる程敵は高みだ。

 

 それでも、そんな事は関係ない。相手が強いとか、弱いとか、そんな事はもうどうでも良いのだ。

 限界なんて忘れた。出来ないなんて思わない。やらなければならない事があり、ならば断じて為せば良い。

 

 ユーノ・スクライアは拳を握る。愛する女の下へと行く為、敵を撃ち抜く拳を握る。握った拳で、敵を射抜いた。

 何の変哲もない拳が、どうしてこれ程に重いのか。余りに無様な体技がしかし、何故にこれ程鋭いのか。答えなんて、たった一つしかないだろう。

 

 

(ずっと、ずっと諦めてきた)

 

 

 それは、きっと想いの違いだ。勝利を目指す熱量を、超える程の想いが其処にある。

 

 

(大人になるって事は、割り切ると言う事。出来ない事を出来ないと、諦めを知って行く事。諦めと上手く付き合う方法を、覚えていく事だって知っている)

 

 

 戦士となる事を諦めた。そう成れない事を、幼い時分に思い知らされたから。

 司書となる道を諦めた。そう成る為に必要な物を、大切な人を救う為に捧げたから。

 自由となる体を諦めた。彼女の愛を受け止めて、その呪詛を背負って生きると決めたから。

 

 諦めた。諦めた。諦めた。諦めた。色々な想いを諦めて、己の中で折り合い付けて、そうして前に進んで来た。

 

 

(だから、仕方がないって。だから、それは出来ないって。だから、しょうがないんだって。ずっとずっと、色んな物を諦めて来た。諦めた上で、其処から目指せる次善を求めた)

 

 

 何時だって、最善は掌から零れ落ちる。人生はこんな事じゃなかった事ばっかりで、生きる事は辛いのだと知ったのだ。

 

 

「だけど、そんな僕にも、譲れない者は確かにある」

 

 

 それでも、譲れない事がある。どうしても、譲れない事がある。それだけは、譲ってはいけない事なのだ。

 女々しいと嗤うならば嗤え。自分一人で立てないのかと、蔑むならば好きにしろ。何と言われようと、己のこの想いは変わらない。

 

 

「それだけは譲れない。それだけは駄目だ。これは次善じゃ駄目なんだ。諦めるなんて、出来る筈ない事だから――」

 

 

 故に拳を握り締める。痛みに震える身体を無視して、限界など置き去りにして進む。

 故に拳を引き絞る。忘れた筈の動き方。染み込んでいた技術は其処で、自然と実を結んでいた。

 故に敵を睨み付ける。勝率なんて考えない。勝算なんてどうでも良い。初めて此処で、思考を捨てた。

 

 

(お前を超えるぞ。天魔・宿儺。他でもない、あの子の下へと行く為に)

 

 

 襲い来る拳を身体に受けて、それでもユーノは怯まない。傷付きながらに、それでも一歩を其処で踏み込む。

 唯一発に全てを賭けて、倒せないなど考えない。戦術戦略論ずるならば、実に愚かな行為を己の意志で貫き通す。

 

 

「これが僕の――自慢の拳だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 愚直なまでの想いと共に、振り抜かれた拳は打ち貫く。遊佐司狼の身体の中心、水月に深く打ち込まれていた。

 

 

「……はっ」

 

 

 打ち抜かれた痛みに、遅れて気付く。反応出来なかったのは、それ程に速かったのか、或いはその意志に魅入っていたからか。

 どちらにせよ、この事実は変わらない。傷だらけのユーノが放った渾身の一撃が、司狼の身体にある心臓を既に破壊していた。

 

 痛みはない。後悔はない。唯々、己にはもう先がないだけだ。そうと分かって、司狼は小さく笑みを浮かべる。

 心臓が破裂した以上、人に戻ってしまった己はそう遠くない内に死するであろう。それを覆すなど、それこそ無粋の極みであろう。

 

 素直に認めた。負けたのだと、完膚なきまでに敗れたのだと。だからこそ、己を倒した勝者に言葉を伝えるのだ。

 

 

「行きな。優等生。生きて、行っちまえ」

 

「…………」

 

 

 答えはない。言葉に返る答えはなくて、ユーノはその行動で意志を示す。

 拳を引いて、身を動かす。司狼の身体を横切る様に、無言のままに先へと進んだ。

 

 立ち去っていくその背中。歩く速度は駆け出す速さに、愚直な背中を見詰めたままに倒れていく。

 崩れ落ちる身体に力は入らず、唯々心が清々しい程に敗北を認めていた。だからこそ、遊佐司狼は笑うのだ。

 

 

「は、はは、ははははははは」

 

「あーあ、負けちゃったわねぇ。それも、言い訳出来ないくらい完璧に」

 

「応よ。負けだ負けだ。俺らの負けだよ」

 

 

 戦績は一勝二敗。一度は随神相まで持ち出して、不可能と分かって戦いを挑んだのだ。

 

 それでも、相手は己を超えた。合わせたのではなく、合わせざるを得なかった。

 そうした対等の勝負の果てに、敵は己を超えたのだ。完膚なきまでに、完全敗北したのである。

 

 

「なぁ、エリィ」

 

「ん? 何さ。司狼」

 

 

 己の策謀。その最後を見届ける事はもう出来ない。その結果がどうなるか、もう分かりはしない。

 光となって消えていく中、それでも司狼は満足そうに笑ったまま、駆け抜ける背中を焦がれた瞳で見詰めて言った。

 

 

「やっぱいいよなぁ。人間はよぉ」

 

 

 その言葉を最期に、人に焦がれ続けた鬼は此処に消滅する。最後に残った淡い光も、何にも成らずに消え去った。

 消え去った男の残影。淡い光が消え去る時まで、その光を慈愛の瞳で見詰める。そうして光が消えると同時に、女も同じく消え去った。

 

 自壊の宙が消えて行く。晴れた雲の果て、宙に浮かぶ星はない。されど、地上の月は輝いていた。

 

 

 

 

 

 穢土・夜都賀波岐第三戦、箱根。天魔・宿儺。消滅。

 ユーノ・スクライア生存。高町なのは死亡? 機動六課――勝利。

 

 無間地獄を乗り越えて、戦いは次なる舞台へと進む。

 

 

 

 

 




○設問1 魔法無効。物理も火力的に無理。身体性能は比較にもなりません。そんな鬼を倒す方法を上げなさい。

鬼畜フェレット君の模範解答「先ずは波旬を召喚します」
ゆさしろー「ちょっ! おまっ!?」




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第三話 無間地獄を乗り越えろ 其之肆

Dies irae アニメ。いよいよ始まりましたね。

第0話と第1話。出来として良いと感じたのは第1話でしたが、第0話の方がニートがウザかったり、シュピ虫さんが笑い声だけであのインパクトだったりで、ファンサービス的には嬉しかったです。万ざぁい!(甘粕スタンプ)


今回はなのはVSマッキー大獄戦。マッキー☆トラベルによる、快適な空の旅をお楽しみください。


1.

 黄金の杖を手にして、空に浮かぶは白き魔導師。向かい合う形で地に立つは、虎面を被った漆黒の天魔。

 管理局と穢土・夜都賀波岐。両陣営の最強同士は、互いに出方を伺う様に睨み合う。不動で意をぶつけ合う両者だが、その周囲もまた不動で在れるとは限らない。

 

 黄金の杖を展開して、戦闘行為の体勢を取った。相手の姿を睨みながらに、両の拳を強く握った。唯それだけの変化であるのに、発する気配は濃密さを増している。

 生じる圧はそれだけで、最早凶器と言える程。既に半壊していたの霊峰は、その余波にも満たぬ圧にすら耐えられない。故に当然、耐えられない物は砕けていく。獅子の爪牙で卵が潰れてしまう様に。

 

 半ばまで残っていた筈の大山が、生じる圧に砕けて崩れ去る。その衝撃音に紛れる形で、両者はほぼ同時に動いた。

 移動速度は影を追う事すら出来ない程。立ち止まった一瞬だけ姿を見せるその様は、まるで空間を跳躍しているかの如く。遅れて生じる大気の波が、唯一移動いている事を証明していた。

 

 風が生じる。嵐が生じる。音を超える速さの移動によって生まれた大気の壁が、物理的な破壊を生み出し不二の大地を蹂躙する。

 音より速く、瞳では捉えられぬ程の速力で、互いに狙うは相手の隙。互いに後背を打たんと速度を増して、至る速さは共に規格外。此処まで至れば違いは最早、誤差の範囲を逸脱しない。

 

 速力に大きな差がなければ、互いに後背を取る事などは叶わない。相手の失策を狙う様な、そんな要素は期待出来ない。

 ならば彼我の境を分ける要素は即ち、手にした武器の差。その優劣を競うことなど出来ずとも、唯一つだけ明確に高町なのはが勝る部分が一つある。

 

 それは武器の射程距離。己の五体こそが真に誇るべき武具である終焉の怪物に対して、黄金の槍を取り込んだ杖は魔法の道具。その射程は即ち、魔法の最大射程と同距離だ。

 

 

「ディバインシューターッ!!」

 

 

 高速移動しながら杖を一振り。生じる魔力の輝きは、天の星すら届かぬ程に。僅か一手で数億数兆、圧倒的な物量を展開する。

 そして移動しながら指示を出す。我が敵を討てとだけ、下した指示に従い魔法の光が押し寄せる。その光景は最早、雨や津波と例える事すら不可能だ。

 

 全周を隙間なく覆って、全てを圧し潰さんとする光。逃げ場など星の何処にもありはしない。世界全てが襲い来るその光景。

 それを眼前にしてしかし、天魔・大獄は構えを取らない。取れないのではなく取らない。取る必要がないのだと、この怪物は知っている。

 

 故に移動速度を欠片も緩めず、光の壁に向かって進撃する。打ち付ける無数の魔力光は、黒き鎧に触れた直後に消滅した。

 其は終焉の理。この世界に一秒でも存在した物ならば、あらゆる全てを終わらせると言う法則。その力を超えられぬ限り、あらゆる力は通らない。

 

 数が質を凌駕する道理はないのだと、それが天魔・大獄が示した事実で――そんな事、高町なのはも知っている。

 

 

「取ったっ!」

 

 

 故にそう。これは唯の目晦まし。一手で生み出した光の世界を囮にして、奪い取ったは男の後ろ背。

 背後に向かって杖を突き付け、その先端に光が集まる。先の一手が数を求めたモノならば、続くこれは質を追求した一撃だ。

 

 

「ディィィィバァァァィィィンッ! バスタァァァァァァァッ!!」

 

 

 集まる極光が放たれる。無防備な漆黒の背中に向かって、撃ち放たれたその一撃。桜の砲撃魔法を前に最早、反応するなど到底不可能。

 それは道理。それは当然。ならばそう、この男は当たり前の様に踏破する。反応出来る筈のない瞬間に、しかし大獄は反応する所か対応までもしてのけた。

 

 腰を捻って拳を振るう。見えた訳ではない。目で追っていたのでは間に合わない。故にそう、最初から背後に拳を打ち込む心算だったのだ。

 読み違えれば、それこそ明確な隙となっていただろう。敵が背後に居なければ、大きく空振りしていた筈だ。そうと分かって一点に賭け、当たり前の様に賭けに勝つ。それが天魔・大獄だ。

 

 振り向くと同時に振り抜かれた鋼鉄の拳に、桜の光が散らされる。腕に感じる振動に、己の判断は間違っていないのだと確信する。

 振り抜いた腕が痺れている。終わらせた筈の攻撃を、しかし消し切れていなかった。終焉を纏った両の腕でこれなのだから、背に受けていたら確かな傷となっていた。

 

 それは強制力と言う、相性に勝る一つの法則。今放たれた桜の砲撃は、大獄が垂れ流している法則の力を超えていたのだ。

 あの日に抱いた認識を、此処で確かに改める。地獄の前で立ち上がる事すら出来なかったあの日の幼子は、己を打倒するだけの力を既に得ていたのだと。

 

 そう下した判断は――されど、不足が過ぎたと言えよう。届くだけの力を持っているのではない。その程度では、まだ足りていなかったのだ。

 

 

〈Rapid fire〉

 

「シュゥゥゥーットッッッ!!」

 

 

 高町なのはと言う女は、戦における天才だ。神に愛された才児である。故に感覚を扱う域で、故に思考を伴う域で、共に判断を下していた。

 天魔・大獄はこれにも反応してくる。間違いなく対処されるのだと、そう既に理解していた。ならば放つ桜の砲火は、一撃などでは終わらない。

 

 二撃三撃四撃五撃――後背を奪ってからの連撃は、敵に腕を使わせる事が目的だ。天魔・大獄の腕は二本しか存在しない。ならば必然、対処能力には限界が生じるのである。

 面と向かって放っていれば、当然の如く回避されたであろう砲撃。それでも背面からならば、相手の動きを牽制できる。動きを制限できるというならば、其処に対処不可能な量を伴った質を叩き込める。

 

 

「…………っ」

 

 

 触れるだけでは消せないから、光線を殴ると言う対応が必要となる。たった二本しかない拳を交互に振るって、故に大獄は理解する。

 戦況の拮抗。間違いなく、天秤は今揺らいでいる。どちらに傾くか分からぬ程に、なればこそこの女の異能が致命の要素と成り得てしまう。

 

 不撓不屈と言う異能。時間の経過と共に、無限を思わせる程に強化される。その性質が対等と言う状況を否定する。

 互角になってしまった時点で、高町なのはは止められない。そうと分かっていながらも、一度嵌った盤面を覆す事など不可能だ。

 

 防ぎ続ける砲撃の、密度が加速度的に増えていく。時間と共に強化され続けると言う性質が、此処でその牙を剥いている。

 拳で叩けば消せる光が、数秒もすれば一撃では消せない程に。二撃三撃と必要になってしまえば最早、其処で既に詰みである。

 

 大獄の対応ミスを狙う必要なんてない。失策など何一つない状況でも、時間さえ経過すればその処理能力を超えるのだ。

 触れても消せない光に圧される。拳で打ち付けても消えない光に圧されてしまう。ジリジリとその身体が、地面を削りながらに圧されて行く。

 

 そうして遂に、大獄の身体が宙へと浮いた。消せない光に圧し負けて、黒き甲冑が空に浮かび上がっていたのである。

 

 

「そこだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

〈Divine buster extension〉

 

 

 天魔さえも超える程の魔力量。圧倒的な力技で、大獄の身体を浮き上がらせる。そうして強引に作り上げた隙に、巨大な極光を叩き込む。

 防御も出来ず、回避も叶わず、開いた胴に直接叩き込まれた桜の光。他の大天魔ならばそれだけで、命を奪える程の密度と質量。国の一つや二つ程度は、余波だけで消し飛んでいた程の高出力。

 

 さしもの天魔・大獄も、それを受けて無傷では居られない。直撃を受けたのだから、その鎧は罅割れながら崩れていく。

 壊れていく黒甲冑。そんな最強の大天魔の姿を前に、普通の者は己の優位を確信するだろう。だが高町なのはと言う女は、決してそんな普通じゃない。

 

 

「まだっ!」

 

 

 桜の砲撃で黒き甲冑を傷付けながらに、高町なのはの攻勢はそれだけでは終わらない。

 今直撃を入れられたから、次も同じく直撃させられると、そんな甘い事をこの女は脳裏に浮かべる事すらしないのだ。

 

 此処を逃せば、次も一撃を叩き込める保障はない。いいや、否。同じやり方では必ず対処されるとすら確信している。

 この最強の大天魔に、同じ手が二度も三度も通じる筈がない。そう信じるからこそ、この一手で終わらせる。その意志を持って、桜の砲火を打ち続ける。

 

 

「まだっ!」

 

 

 桜の光に吹き飛ばされた大獄が、立て直すよりも速くに次弾を打ち込む。転移を思わせる程の高速移動で、次から次へと叩き込む。

 十、百、千、万、億、兆、京、該、秭、穣、溝、澗、正。数え切れない程に打ち込み続けて、その度に高町なのはの力は総量を増していく。

 

 不撓不屈の超過駆動。大量の魔力を爆発的に増やし続けて、その性能の全てを大きく引き上げる。

 砲撃の威力も、移動の速度も、既に数秒前とは別格だ。比較にならぬ程に、桁が違うと言う程に、なのはの力が増している。

 

 その果てに至るは光速突破。光の速さを飛び越えて、時間の速さすら置き去りにして、砲撃を続ける女は数すら増やした。

 時間が流れるよりも前に移動する。その原因が生み出す結果は、全く同じ時間軸に女が複数存在してしまうと言う異常事態。

 

 それも一人や二人などではない。十や二十でも足りていない。万は愚か、億にすら迫る程に増えている。

 ほんの一瞬、ゼロコンマにも満たない刹那。数億人の高町なのはが、唯一点へと砲撃を放つ。打ち上げられた黒甲冑を、更に天高く吹き飛ばす。

 

 一瞬の後、一人に戻った高町なのは。そんな女の視線の先で、崩れながらに壊れていく黒甲冑。

 最早残骸と言うべき姿に、異常者であっても勝利を確信するだろう。だが、だと言うのに、そんな状況でもこの女は――

 

 

「まだだっ!!」

 

 

 まだ足りぬ。まだ終わらぬ。まだ天魔・大獄は倒せていない。ならば必ず、この強敵は立ち上がる。

 それはある種の信頼感。必ず来ると判断して、故にその手に杖を構える。頭上に打ち上げられた黒き残骸に向けて、杖の先端に魔力を灯す。

 

 まだ終わらぬと言うのなら、終わるまで只管に攻撃を繰り返す。倒せたと確信できるまで、徹底的に叩き込む。

 生半可な攻撃など使わない。数を増やすだけでは済ませない。故に放つは全力全開。幼い日に生み出した、女自身の切り札だ。

 

 

「スタァァァァライトォォォォッ! ブレイカァァァァァァァッッ!!」

 

 

 上空へと打ち上げられた黒甲冑。その身体へと地上から、星の極光が集まり撃ち抜く。

 一正とは十の四十乗。それ程に途方もない数の魔力を全てを束ねた集束砲が強大な光線と化し、男の身体を消し飛ばさんと牙を剥いた。

 

 

「っ! おぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 だが、男もさるもの。そう簡単には滅びない。既にして満身創痍でありながら、その光に耐え続ける。

 終焉の力で終わらせられない程の質量を、それでも僅かに削って行く。光に押し流されながら、それでも天魔・大獄は消滅を退け続けた。

 

 

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 終わらせても終わらせても、尽きる素振りすら見えない光。耐えて耐えて耐え抜いて、滅びの瀬戸際で踏み止まり続ける大天魔。

 その拮抗の至る先は、当然と言うべき事象の帰結。空に浮かんでいる大獄は、足を踏み込む事も出来ない。否、仮に大地に立っていたとしても、最早踏み止まる事すら出来はしない。

 

 故にこそ、極光によって吹き飛ばされる。空の果て、大気の層すら突き抜けて、星の海へと吹き飛ばされた。

 

 

「まだっ! まだっ! まだっっっ!!」

 

 

 穢土の重力圏を突き抜けて、それでも極光は欠片も衰えを見せはしない。どころかその出力は、今も尚上がり続けている。

 吹き飛ばされる大獄は、消えないだけで精一杯。星の極光に吹き飛ばされたその身体は、そのまま月の表面に叩き付けられる様に衝突した。

 

 大獄の身体が月にめり込み、その表層が桜の光に消し飛ばされる。月が砕け始めて光に飲まれて、それでも大獄は此処に留まる。

 故に砲撃も緩まない。大獄が消えていないのならば、出力を弱める理由がない。上がり続ける桜の火力は、消えない大獄の身体を圧し続け、遂には月さえ圧し出し始めた。

 

 月が動く。壊れながらに、圧し出される。たった一人の魔導師の、たった一撃の砲撃魔法。それが月と言う衛星を圧し切って、その位置を大きく後方へと吹き飛ばす。

 此処が穢土で無ければ、重力異常で世界が崩壊していただろう。或いは砲撃の反動だけで、星が消えていたかも知れない。そんな事すら頭に浮かんでくる程に、この光景は現実離れし過ぎていた。

 

 時の鎧に守られているから、まだ穢土の大地は持っている。それでもこのまま続ければ、何れ砲撃の反動にさえ耐えられなくなるだろう。

 故に高町なのはは飛翔する。砲撃を絶やさず続けながらに角度を変えて、破壊の反動を逃がしていく。反動を逃がせるのだからと開き直って、その出力を更に更にと増していく。

 

 空に浮かんだ魔導師が、その砲撃で月を動かす。そんな余りに荒唐無稽な光景は、出力の上昇と共に荒唐無稽を増していく。

 消えない大獄の身体に圧される形で、圧し出されながらに壊れていた月と言う衛星。その月が宇宙空間を進み続けて、別の天体へと衝突したのだ。

 

 赤き軍神の星。火星の大地に衝突する。壊れかけて尚、大型の隕石よりも巨大な天体。その衝突の衝撃は、最早筆舌にし難い程に。

 巻き込まれた大獄も、無事でいる筈がないだろう。生じる破壊のエネルギーは、この大地にまで届く程。火星と言う惑星は、正しく地獄に変わっていた。

 

 

「まぁっだぁぁっだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」

 

 

 ()()()()()()()()。大獄を巻き込んで、月ごと火星に衝突させた。其処までやっても、女の視点で見るならまだ足りていない。

 やってやり過ぎると言う事はないのだ。そう考える高町なのはは、更にと出力を上げていく。月が落ちた火星を動かす程に、集束砲の火力が増した。

 

 その光景は、宛ら星を使ったビリヤード。或いは天体で行うボーリング。次から次に、星が星に衝突していく。

 月が衝突した火星が木星に衝突して、火星が衝突した木星が土星に衝突して、木星が衝突した土星が天王星に突き刺さる。

 

 そのまま海王冥王すらも巻き込んで、太陽系の遥か先へと。星を突き刺す光はまるで、串に刺さった団子の様だ。

 星の中心核を撃ち抜かれて、遂に惑星が爆発する。数珠繋ぎとなった星々も巻き込んで、次から次に発生するのは連鎖爆発。

 

 

「そのままぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! 消し飛べぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 世界全てが滅びる様な、余りに大きな破壊の衝撃。そんな破滅の光すら、桜の極光が纏めて全て飲み干した。

 

 

 

 

 

 桜の極光が爆発すらも飲み干して、此処まですればさしもの終焉とて無傷では居られぬだろうと――

 

 

「これで――」

 

「……漸く、隙を見せたな」

 

「っ!?」

 

 

 まだ足りていなかった。そうと理解した瞬間には、もう遅い。漆黒の拳が迫っていて、なのはの身体が打ち貫かれる。

 大気圏を落下していく女に対し、今度は己の番だと言わんばかりに漆黒が彼女を追う。殴り飛ばす速度よりも加速して、放つは鋼鉄の両手による追撃だ。

 

 高速で落下を続ける女の身体が、何度も何度も殴られる。終焉の怪物が持つ黒き両手が、女の身体を幾度も幾度も撃ち抜いていく。

 既に天魔・大獄よりも強大となったその質量。一度で終わらせる事は出来ずとも、度重なる拳の連打が確実にその身が増やした魔力を削り続けている。

 

 敵が強化され続けるなら、その増幅分を終わらせる。強化率を初期化して、己の拳で届く場所にまで貶める。

 天魔・大獄の終焉の力は、物質にのみ効果を発揮する訳ではない。超常の力や人の概念。世界の法則さえも、彼の拳は終わらせるのだ。

 

 そうとも、太陽系の果てから彼我の距離を終わらせて、高町なのはの眼前へと転移した様に――

 度重なる砲撃の中で何度も何度も死にながら、己の死を終わらせる事で蘇生し続けていた様に――

 

 

「……此処で、死ね」

 

 

 まだ足りていなかった。そんな女の理解は正しく間違いだ。出力としては十分に、被害としては過剰な程に、確かな破壊が其処には在った。

 天魔・大獄は殺された。何度も何度も死を迎え、その度に己の意志で死を否定した。死んでないから生きているのだと、そんな頓智で蘇生したのだ。

 

 故にこそ、高町なのはの理解は過ち。その身を殺すには十分で、だがその鋼の意志を終わらせるには足りてなかった。詰まりは唯、それだけの事。

 

 

「おぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 漆黒の拳が女を打つ。鋼の剛腕がその身に宿った力を消し去る。一撃二撃三撃四撃と、耐えられたのはしかし其処まで。

 五発目の幕引きに耐え切れず、女は遂に死を迎えた。触れたモノを終わらせる力に砕かれて、その命の舞台に幕が引かれる。だがそんな事では終われないと、そう願ったのがこの女。

 

 

「再演っ! 開幕っ!」

 

「……それは、既に知っている」

 

 

 死んだなら、甦れば良い。終わらせられたなら、また最初から始めれば良い。そんな女の法則を、男はしかし知っている。

 故に拳を止めはしない。蘇る瞬間に強化は初期化されるから、止まる理由がある筈ない。蘇った直後に距離を取ろうと宙に浮かぶ。そんな高町なのはを前にして、天魔・大獄は拳を握る。

 

 

「――っ! 天魔・大獄っ!!」

 

「……一撃だ、とは言わん」

 

 

 甦ったばかりの身体に、叩き込まれた幕引きの一撃。機械仕掛けの神(deus ex machina)。その異名の如く、あらゆるものを一撃で終わらせる拳。

 蘇生直後の状態では、抵抗出来ないその法則。女の出力が再びこの法則を乗り越える前に、甦る為の意志を打ち砕く事こそ勝利に至る道筋。そうであるが故に、大獄は幾度も幾度もその拳を振るうのだ。

 

 

「幕引きの一撃で終わらぬならば――終わるまで、死に続けろ」

 

 

 殴られる。殴り飛ばされる。追い付かれて、また殴られる。逃げ出す隙は愚か、姿勢を正す余地すらない。

 殺される。甦って殺される。死と再生を繰り返しながら、高町なのはは空を飛ぶ。己の意志ではなく、敵の拳で空を舞う。

 

 風に吹き飛ばされる塵芥の如く、殴られた女の身体が飛んでいく。幾度も幾度も続く拳に吹き飛ばされて、国の境を軽々超えた。

 

 

「っっっ!?」

 

 

 日本海を飛び越えて、韓国上空を通過して、中国大陸を飛び越える。振るう拳と移動の余波で、全てが更地に変わって行く。

 アジア圏から中東アフリカ。北大西洋を横断して、アメリカ大陸を焦土と変える。それでも拳は止まらずに、高町なのはも飛ばされ続ける。

 

 拳を振るう度に瓦礫の山を量産しながら、それでも生み出す破壊の規模は女のそれに劣っている。

 惑星内で収まっている。ならば破壊力と言う点では、大獄は既に一歩も二歩も後塵を拝しているのだろう。

 

 それでも、単純な破壊力で劣っているからと、全てで届かないと言う訳ではない。

 殺意を込めた終焉の一撃は、殺すと言う一点において女の破壊よりも洗練されている。故に女の死亡数は、既に男の比ではない。

 

 死んで蘇って、甦った直後に死んで、女の身体は世界を巡る。文字通り、殴られながらに世界を一周して元の場所へと。

 開幕の地である不二。西に星を横断して、されど男の姿に疲弊はない。女が死んでいない事を認識すると、そのまま二周目に突入しようとするのである。

 

 

「――っ! リアクタァァァァッ、パァァァァジッ!!」

 

 

 このままでは、永劫死に続ける事になる。先に自分が見せた様な隙は、決して得られはしないだろう。

 故になのはは博打を打つ。殴られ死んで蘇生しながらその途中、防護服を爆発させる。己の血肉すら其処で崩して、生み出すのは一瞬限りの大魔力。

 

 言葉の綾ではなく真実血反吐を吐きながら、高町なのはは距離を生み出す。拳が僅か届かぬ隙に、彼女は遮二無二加速した。

 

 

〈Accelerate charge system driver〉

 

 

 周囲を消し飛ばしながら、必死に距離を作り上げる。己の臓器を自傷の結果で取り零しながら、後で治せば良いのだと割り切っている。

 そんな高町なのはの意地は、確かに窮地を脱し得る。このまま追い掛けても、僅か半歩届かない。そうと理解した瞬間に、天魔・大獄は動きを止めた。

 

 動きを止めた大獄を前に、高町なのはは理解する。男が進まぬ理由は、追えぬと諦めたからではないと。

 追わぬと決めて、故に打つ手を変える為にその足を止めたのだ。そうと分かって、己もまた魂を燃やす様に活動させた。

 

 

「死よ、死の幕引きこそ唯一の救い」

 

 

 壊れ掛けた鎧が軋む。軋む音が鳴いている。崩れ続ける鎧が擦れる音が咒に、その言霊を形作る。

 口を動かし、舌を転がせ、声を発している訳ではない。黒き甲冑が壊れる音が、彼の祈りを此処に紡ぎ上げる。

 

 この黒き鎧は大獄自身。彼が生きて死んだ道の象徴。死の躯は顔を無くした男の代わりに、男の願いを揺るがぬ法へと変えるのだ。

 

 

「この毒に穢れ蝕まれた心臓が動きを止め、忌まわしき毒も傷も跡形もなく消え去るように」

 

 

 仕切り直し。互いに向き合うこの状況下で、天魔・大獄の狙いは明白だった。

 

 其の背に出現した巨大な随神相。三つ首の虎が開いた顎門が、紡ぎ上げる鎧の呪詛が、その意志を何よりも明確に示している。

 戦場をまた変えるのだ。崩壊し荒れ果てた不二より、天魔・大獄の体内へと。無間黒肚処地獄を此処に開いて、己が死した決闘場へとなのはを誘おうと言うのである。

 

 

「この開いた傷口、癒えぬ病巣を見るがいい。滴り落ちる血のしずくを、全身に巡る呪詛の毒を」

 

 

 荒れ果てた不二の大地。悲鳴を上げる穢土の星。このままでは互いの戦いの余波だけで、世界が真実滅んでしまう。

 故に太極の内側へと、己の体内へと取り込む。だが、彼の利はそれだけではない。決闘場となる己の世界へ、引き摺り込む理由は他にもある。

 

 硝子と砂の世界でならば、高町なのはの強化を封じる事が出来るから。そしてその決闘場でこそ、天魔・大獄の力は高まるからだ。

 

 

「武器を執れ、剣を突き刺せ。深く、深く、柄まで通れと」

 

 

 襲い来る巨大な三つ首虎。その開いた顎門を前にして、高町なのはは逃げ出さない。

 一旦距離を取って、力を最低限だけ高めて腹を据える。そうした上でこの女は、自ら死地へと飛び込んだ。

 

 

「さあ、騎士達よ。罪人にその苦悩もろとも止めを刺せば、至高の光はおのずからその上に照り輝いて降りるだろう」

 

 

 その戦場で生じる不利を、理解していない訳ではない。高町なのはは確かに、その事実を理解している

 内に取り込んだ敵を殺し続ける世界。その内側では例え強化され続けようと、同等速度で衰弱し続けてしまうのだと。

 

 それでも前へと踏み込む理由は、一つに周辺被害の危惧。なのは自身、度が過ぎていると自覚している。

 穢土の大地で、あれでも力を制御していた。今の女にとって、物質世界は余りに手狭が過ぎるのだ。本気を出せば、世界が秒とは持たぬから。

 

 大獄の体内でなら、それも異なる。此れまで以上の出力を、考えなしに使ってしまって問題ない。

 だがそんな理屈は、所詮理由の一つに過ぎない。最も大きな理由は即ち、そんな理屈で語れるものではなかった。

 

 最初の立ち合い、同条件から上手を取ったは高町なのは。隙を晒す事さえなければ、女は被害を受ける事すらなかっただろう。

 確かに外では、もう高町なのはの方が強いのだ。太極の内側では、高町なのはの方が劣勢となろう。それでも、内側に踏み込まなければいけない理由。

 

 其れは、感情の問題だ。天魔・大獄を倒す為には、その鋼の求道を砕かなければならぬのだ。そうでなくば、この終焉は止まらない。

 だと言うのに何故、そちらの方が勝機が高いと言って随神相から逃げ惑う。そんな無様を晒す様で、この男を敗北させられるというのであろうか。

 

 故にこそ、真っ向から打ち破る為に――不撓不屈の力を纏った高町なのはは、大獄の世界へ向かって突き進むのだ。

 

 

太極(ブリアー)――随神相・(ミズガルズ・)無間黒肚処地獄(ヴォルスング・サガ)

 

 

 そして、世界が塗り替えられる。大獄と言う天魔が持つ色に染め上げられて、死と終焉が溢れ出す。

 硝子の壁と砂の大地。砂の滝と砂の海。命一つない暗闇の砂漠に、己の意志で踏み出した高町なのはは静かに想う。

 

 嘗ては一瞬で命を落とした。甦った後にその背を追って、しかし振り向かせる事さえ叶わなかった。

 そんな世界の空に浮かんで、大地に立つ男を見下す。彼の太極(ネガイ)を全身で理解しながらに、想うは唯一つの感情だ。

 

 

「私は、貴方の願いが嫌いだ」

 

 

 この世界を見る度に、感じていたのは一つの違和感。あの黄金から継承した時、その違和は不快に変わった。

 男の願いを知ったのだ。その真実を知ったのだ。全てを知ったその上で、高町なのははこう断じる。マキナと言うこの男とは、決して反りが合わないと。

 

 

「至高の終焉を求める。そう言えば聞こえが良いけど、結局望んでいるのは終わる事。生きていない貴方の願いが、どうしようもなく気に入らない」

 

「……そうか」

 

 

 高町なのはが人として一番嫌っているのは、天魔・宿儺だ。あの男の性格は、どうしようもなく気に喰わない。

 だがそれでも、彼の願いは真摯であると想ってしまう。どうしようもなく共感してしまうから、決して勝てないのだろうと自覚している。

 

 対して、この大獄の願いはその真逆だ。根底にあるのは死にたいと、己の終わりを願う事。

 死ねない。終われない。まだ終わる訳にはいかない。こんな終わり方は認めない。そう願う高町なのはの在り方と、似ているからこそ違う想い。

 

 納得のいく結末以外では死ねないと、そういう点では一致している。それでも僅かにズレているからこそ、決して受け入れる事が出来ない不快さを抱いている。

 

 

「私は、貴方の決め付けが嫌いだ」

 

 

 飛翔しながら、魔力で形成する。其れは巨大な三つの蒼き盾。黄金の杖に重なる様に、蒼と白の剣を其処に顕現させる。

 試作AEC兵装フォートレスとストライクカノン。これはユーノのナンバーズと同じく、無限の欲望が作り上げていた同型武装――ではない。

 

 その設計図を頭に刻んで、魔力を以って創形した。部品一つ一つを全て記憶し、ジュエルシードの術式を利用して再現したのだ。

 魔力の物質化。伏せていた札の一つを此処に明かしたのは、この今に必要だと感じたから。そして此処なら、使用しても世界に被害を与える心配がないから。

 

 

「子供は戦うなと。女は戦うなと。自分の尺度でこうだと決めて、相手の想いを汲みもしない。そうせざるを得なくした貴方達が、そんな言葉を口にするのが気に入らない」

 

「……そうか」

 

 

 一秒ごとに高まる力が、魔力の総量を上げていく。吹き付ける死の砂が、命を削り取って行く。その速度は、全く同等。

 優性が劣性を塗り潰し、全てを一色に染め上げる。それが前提となる神格同士の戦いで、彼女達は噛み合い過ぎるが故に等価となる。

 

 無限強化も、死の風も、どちらも共に相殺される。故にこの場においては意味がない。故にこの場の優劣を定める要素は最早、互いの地力だけなのだ。

 

 

「私は、貴方が嫌いだ。目指すべき星だと分かって、それでも――夜都賀波岐で一番、貴方が嫌いだっ!!」

 

「……そうか」

 

 

 己の感情をぶつけながらに飛翔する。光の翼は刃の如く、羽ばたきながらに自立兵装が発砲する。

 砲戦用大型粒子砲。中距離戦用プラズマ砲。自立駆動の盾に砲撃を任せて、己は重剣を手に大獄の間合いが内側へと。

 

 無数の砲撃がその身を狙う。桜の砲火を前にして、大獄は両の拳を持って迎撃する。

 其れは正しく至高の武芸。一切隙無く迎撃し終えて、そのまま返す刀でなのはの動きに対応し切る。

 

 

「だから、どうした」

 

「っ!? 貴方はっ!!」

 

 

 突き出した刃。打ち放った体技。砲撃を織り交ぜたならば接近戦でも届くだろうと、その想定は僅かに足りない。

 二つの手で光の雨を消し去りながら、片手間程度で女の刃を受け止める。そのまま空いた隙間へと、鋼の拳を振り抜いた。

 

 だがそれでも、想定不足は僅かであった。ならば幕引きの拳が命を奪い切るより前に、回避するのは如何にか可能。

 ストライクカノンを手放すと、そのまま砲撃で牽制しながら後退する。手放した巨大剣が砂と化すのを見詰めたまま、新たな剣を創形した。

 

 

「肯定しよう。俺はどうしようもなく、歪んでいる。……己自身、今の自分が見苦しいと分かっているとも」

 

 

 そして、すぐさま攻め手を変える。己の感情など知らぬと断ち切る男に、苛立ちながら思考を進める。

 元より己の適正距離は中・遠距離。前に進まねば気が済まぬとは言え、無策に突き進み続けるのでは意味がない。

 

 バリアジャケットをエクシードモードに。接近する必要性がないならば、機動力など捨ててしまう。

 高耐久より高出力へ。リアルタイムにジャケットを生成する魔法を作り変えながら、全ての砲門を大獄へと向けた。

 

 二つに割れたストライクカノン。三つの砲門を向けるフォートレス。四基のブラスタービット。其処にレイジングハートを加えて、合計九門よりなるフルバースト。

 迫る膨大な魔力を前に、大獄は静かに語りを続ける。口にする言葉には籠った想いはとても重い。誰であれそう感じてしまう程に、それは餓え乾く程に抱いた願いだ。

 

 

「死は一度きり。故に烈しく生きる意味がある。その唯一無二、決して譲れぬ聖戦。嘗て俺が求め、そして手にした至高の終焉」

 

 

 たった一つの砲門ですら、溝澗正と重ねる事が出来る女だ。九も砲門があるならば、単純に言ってその総数は一正の九倍。90000000000000000000000000000000000000000。

 無論、無限強化を阻害されている以上、其処までは届かない。それでも見て数え切れる数ではない。そんな砲撃は数発で、大獄を殺し得る程の出力だ。如何に最強の大天魔であっても、容易く超えられる壁ではない。

 

 己に当たるものだけでも、億千万は超えている。己の命を刈り取るだけを消し去ろうとしても、百や二百じゃ収まらない。

 故に当然、天魔・大獄は圧殺される。その鎧を砕かれて、その身体を圧し潰されて、その命を奪われて――そして、終われぬと蘇生する。

 

 その度に痛みを味わう。鋼の求道を以ってしても、錆び付く痛みは消し去れない。何よりこれは、彼の願いに反する行為だ。

 至高の終焉は、たった一度だからこそ至高なのだ。それで終わったからこそ、素晴らしかった。その唯一無二を、無二ではなくする。

 

 それは間違いなく、己の願いに対する否定。この渇望を自ら貶めると言う行為。そんな蘇生が、どうしようもなく苦しく辛い。

 

 

「それでも――夢見がちな男が言った。それでも――あの戦友が、まだ守りたいと言っているのだ。ならばどうして、俺だけ一人身を休める事が出来ると言う」

 

 

 それでも、己の唯一を貶めるだけの理由がある。此処で終われぬだけの理屈がある。己を確かな輝きと、語ってくれた友が居る。

 確かに苦痛だ。己の唯一を、己は一体何処まで下げれば良い? あと何回、己はこの終焉を貶めれば良い? どれ程に、その価値を安くすれば届くのだろうか?

 

 けれどそう。どれ程に辛くとも、どれ程に己の願いに反する事でも、この大天魔は許容する。それ以上に大切な者が確かにあるから。

 己の死を否定して、屍がまた動き出す。此処では終われぬ、これでは終われぬ、その想いで立ち上がる。砲火の雨に砕かれた筈の身体はしかし、全く無傷。

 

 そうして男は、友が守りたいと言う子を見る。彼に愛された彼の子を、見詰めながらに男は告げる。

 

 

「奴が認めんならば、俺も認めんよ。俺の意志は、奴の意志だ」

 

 

 魂を活動させて、肉体を形成し、法則を創造し、渇望を流れ出させる。

 握った拳と共に放つは神威の圧力。滅びたいと願いながらも、決して滅びぬ大天魔は咆哮した。

 

 

「魅せろよ新鋭。お前の理屈(カンジョウ)など、俺の知った事ではない!」

 

 

 己の役割以外は取るに足りぬと、論じるに足りぬのだと叫びながらに一歩を踏み込む。

 機動力と引き換えに、引き上げられた防御能力。其れを当たり前の様に、天魔・大獄は打ち砕いた。

 

 

「俺に砕かれるモノならば、所詮はその程度と言う事。消えて不都合がない我が身程度に、消されるならば価値がない!」

 

 

 守りたいと、友は言っている。もう長くは守れないと、我らは既に知っている。

 故に求めたのは、守られなくて良い強さ。揺り籠は必要ないのだと、そう示せる確かな至高。

 

 

「至高の終焉を前にして、それでも尚消える事なき確かな至高! この俺を前に、示して魅せろっ!!」

 

 

 それを魅せられない限り、己は敗北(ナットク)できぬのだ。故にこそ、もう必要ないと納得させろ。

 そうしてその果てに、漸く己は終われるのだ。そう叫びながら拳を握り、その想いを叩き込む。その度に、女の命が砕けて潰えた。

 

 

「結局っ! 貴方の結論はそれなのっ!?」

 

 

 それでもその度に、高町なのはは蘇生する。こんな形では終われないと、胸に抱いた理屈は同じく。

 だが求める結果が違っている。納得のいく終焉を求める男の願いに対して、女は納得のいく生存こそを求めているのだ。

 

 

「至高を魅せてみろとっ! 終わらせてみせろとっ! やっぱり死ぬ事しか、考えてないんじゃないですかっ!!」

 

 

 まだ生きていない。まだ十分に生を謳歌していない。私はまだ、幸福な世界で生きていたい。

 死はその果てにあるものだ。遠ざける事はあれ、己で望むものではない。そうと思うからこそ、やはり男の願いは受け入れられない。

 

 

「舐めないでっ! ミハエル・ヴィットマンっ!!」

 

 

 全く動かない事と、同じ場所を回り続ける事、それらは結果だけを見れば違いなどはないのだろう。

 停止と回帰は近くて遠い。一面だけを見たら似ているけれど、別の側面から見れば真逆と映る。故になのはは叫ぶのだ。

 

 

「友の為に残っているけど、だから役目を終えたら死にたいっ! そんな死にたがりなんかにっ! 今を、明日を――生きたい私が負けるもんかぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 愛する男の為に、生きたいから死にはしない。愛する男の為に、死にたいけれど死にはしない。

 共に死を否定して、互いの身体を貫き合う。何度も何度も相手の命を終わらせて、死ねないからこそ立ち上がる。

 

 

「……お前こそ、俺の終焉(ゆいいつ)を侮るな」

 

 

 回帰と終焉。相性が噛み合った今、互いの異能に差などない。共に殺され続け、共に甦り続ける。

 果てしなく続く死と新生のループの中で、互いの意志をぶつけ合う。敵の心を砕く為にと、己の心が砕けぬ様にと、想いを此処に燃やすのだ。

 

 

「癒えぬ病巣に渦巻く呪詛を――飲み干すだけの想いがある」

 

 

 腕が飛んだ。足が飛んだ。胴が砕けた。その度に再生して、その度に蘇生する。

 心が死なない限り、互いに死なない。ならば防御は必要ないと、ならば回避は必要ないと、双方ともに理解した。

 

 

「故に、試すまでは終われんよ。認めるまでは譲れんとも。だからこそ、俺は納得させろと言っている」

 

 

 高町なのはは足を止める。天魔・大獄も足を止める。互いに歩を止め、それでも意志は前のめり。

 砲撃と拳。零距離から打ち込み続ける。心が折れない限りは終わらぬから、全てを此処で攻勢に回したのだ。

 

 

過去(キノウ)に止まっている貴方がっ! 私達(アシタ)を試すだなんてっ!!」

 

未来(アス)を語ると言うならな。先ずは俺達(キノウ)を終わらせてから口にしろ」

 

 

 腕が飛んだ。足が飛んだ。胴が砕けた。その度に再生して、その度に蘇生する。

 示す結果は正しく五分だ。互いに死んだ回数はほぼ同等、そして共に心が折れる兆しは見えない。

 

 

「過去の残骸。既に死んだ男と五分なら、明日を語る資格がないぞ」

 

「だったらっ! 確かに此処でっ! 超えてみせるだけだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 終われない。終わらない。求める結果が違えど、此処に抱いた想いは同じく。そうとも、きっとこの二人は何処か似ているのだ。

 

 

「……俺が嫌いと言ったな。黄金の如くに荒々しく、水銀の如くに陰湿な女よ」

 

 

 似ているが故に、思考や感情も同じく似通う。それはある種、同族嫌悪に似た感情。

 この時代の子供達。その中で一番――天魔・大獄が嫌っているのは、高町なのはと言う女に他ならない。

 

 

「ああ、そうだな。俺もお前の様な在り方は不快だ。動く死体の取るに足りん戯言だが、確かにそうだと感じるよ」

 

 

 この結末では終われない。そう願う想いは同じく、だが求めた結果が致命的にズレている。

 生きる事を重んじている女の在り様は、しかし同時に死を軽んじてしまっている。たった一度しかない死を、彼女は愛する者から奪い去ったのだから。

 

 

「お前の生き方は、その願いの在り方は、たった一つを穢している」

 

 

 それは、天魔・大獄にとっては許容できない程の見苦しさ。嘗て囚われた男だからこそ、理解しているその醜悪さ。

 

 

「死者の蘇生だと? 愛する男の束縛だと? 余り命を安くするな。限りある生を馬鹿にするのも大概にしろ。愛と囀り呪いを流し込む毒婦の姿は、はっきり言って見るに耐えん」

 

 

 大切な者は、替えが効かないから大切なのだ。素晴らしい者は、取り戻せぬから素晴らしいのだ。

 返って来ると言うならば、所詮はその程度の物と言う事。二度三度ある様な物は、決して唯一無二などではない。

 

 高町なのはの在り様は、正しくその思考を否定している。彼の美学に反している。故にこそ、如何に力が在ろうが認められない。

 

 

「そんな貴様が戦士だと? 如何に力が在ろうと認めぬよ。お前に倒される結末などで、俺が敗北(ナットク)するとは思わん事だ」

 

 

 心の底から終わる事を望みながらに、しかしこの女には終わらされたくないのだと、そんな風に想ってしまう。

 だからこそ、苛烈であるのだ。だからこそ、容赦がないのだ。だからこそ、己の終焉に等しい至高を、魅せられなければ止まりはしない。

 

 そう語る天魔・大獄。そんな彼の理屈を前に、高町なのはが出した答えはそれだった。

 

 

「――だから、どうした!?」

 

 

 お前の感情など、知った事ではない。認めないと言われようが、そんな事は関係ない。

 そう切って捨てる事。それは己の求道が極まっている証明で、男が口にした言葉と全く同じだ。

 

 

「自覚してるよ。分かっている。この愛情が歪だなんて、貴方なんかに言われなくとも知っているっ!」

 

 

 高町なのはは間違っている。それは誰に言われるでもなく、己自身で分かっている。

 この願いが彼を苦しめ、その人生を歪めてしまった。それは既に、己の内で答えが出ている事なのだ。

 

 

「我が愛は破壊の慕情。例え望まなくとも、気付けば傷付け壊してしまう。そんな歪んだ性質だって、自分で確かに分かっている!」

 

 

 黄金の系譜を色濃く継いだこの女。その愛情が父祖の如くに、歪んでしまうのは必然だろう。

 獣の愛は、人の器には重過ぎる。遥か高みから全てを愛する感情を、一人に注げば壊してしまって当然だ。

 

 それを悔やんだ。その在り様を嘆いた。それでも、女は良しとした。それは唯一つの理由が故に。

 

 

「それでも、彼は受け入れてくれたっ! 大切だって、愛しているって、抱き締めてくれたんだっ!」

 

 

 女の歪んだ愛を、その男は受け止めた。女自身が呪詛と認めるその毒を、確かな愛だと受け入れたのだ。

 

 

「だから――誰に何を言われようと関係ないっ!!」

 

 

 高町なのはは歪な愛で、呪う様にユーノを愛した。ユーノ・スクライアは確かな想いで、それを愛だと受け止め共に歩くと決めた。

 ならばそうとも、外野が其処に口出しできる道理はない。その言葉に従わなければならない。そんな理屈などはない。彼と彼女の愛情は、二人だけで完結している。

 

 だからこそ、誰に何を言われようとも、知った事かと断じて切り捨てる事が出来るのだ。

 

 

「私達の愛情は、確かに此処に存在しているっ! そうだっ! この今にだって、心に想いが響いているんだっ!!」

 

 

 そう叫んだ女の心の内に、男の想いが届いて響く。絶対の窮地に居る彼が、己を求めた事を知る。

 ならば応えよう。ならば必ず辿り着こう。吹き付ける死の風を前にして、高町なのはは己に誓う様に言葉を叫んだ。

 

 

「私は、彼の下へ行くっ!」

 

 

 恋する女は強いのだ。愛する女は強いのだ。だから当然の如く、揺れ動いていた天秤は此処で大きく傾いた。

 不撓不屈の超過駆動。男の求めを聞いた瞬間、当たり前の様にその出力が増幅する。死の砂嵐による衰弱を、振り切る程に膨れ上がった。

 

 

「大好きなあの人と、一緒に明日を生きて行く為にっ!」

 

「――っ!」

 

「吹き飛べぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!!」

 

 

 此処まで高まれば、最早外部と変わらない。大獄の太極による拮抗など、全て振り切り吹き飛ばす。

 加速度的に膨れ上がった力は止められる筈もなく、放たれた桜の光は世界全てを揺るがせる。大獄の身体を吹き飛ばして、そんな程度では終わらない。

 

 随神相が、吹き飛ばされた。その内側に居る高町なのはの砲撃で、三つ首の虎が大きく飛ばされたのだ。

 目指すは箱根。愛する男が居る場所へと。限界を超えて放たれた力は、太極の色とぶつかり合って全次元世界すらも揺るがせた。

 

 

「……世界が、揺らぐっ!?」

 

 

 そして、世界に穴が開き始める。大獄の内側で発生したせめぎ合いが、特異点を生み出し始める。

 其処に感じる蒼き宝石の波動。神座に繋がろうと言う外界に、大獄ですら驚愕する。其処までするとは、何を考えているのかと。

 

 

「これが、彼の考えた道だと言うのなら――」

 

 

 高町なのはも同じく、その行いに驚愕しながらも受け入れる。

 あり得ない対抗策だと感じながらも、それでも信じて受け入れる。

 

 信じて前に進むのは、その策を組み上げた男を心の底から愛しているから――

 

 

「きっと出来ると信じて、唯真っ直ぐに進み続けるだけだぁぁぁぁぁっ!!」

 

〈Starlight breaker multi-raid〉

 

 

 全ての砲門から、全方位に放つ。其れは唯一発が、星を幾つも消し去る威力のスターライトブレイカー。

 途方もない数の光が、内側から大獄の身体を焼き尽くす。随神相と言う世界を、全て滅ぼさんと染め上げる。

 

 

「やぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」

 

「っ!? おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!!」

 

 

 その総量は、宇宙開闢すらも温いと言える過剰火力。一度に世界を三桁は消し飛ばせる様な力の密度。

 如何に死なぬ男であっても、思考する魂さえも消し飛ばされればどうしようもない。心を圧し折るより前に、その全てを跡形もなく消滅させんと言うのである。

 

 

「くぅぅぅだぁぁぁけぇぇぇろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!」

 

 

 身体が軋む。魂が悲鳴を上げる。心が消滅していく。このままでは確実に、蘇生が出来ないレベルで消し飛ばされる。

 そうと理解した大獄は、故に最後の勝負に出る。まだ認めていないのに、まだ滅びる訳にはいかない。この女にだけは、負ける訳にはいかないのだ。

 

 故にこそ、天魔・大獄は――己の意志で自傷した。

 

 

「――っ!?」

 

 

 自ら付けた鎧の傷痕。全身が砕け散る前に、其処から随神相が砕けていく。なれば当然、事態は想定外の展開へと。

 大獄が滅びるより僅か前に、彼の太極が壊れて消えた。故にこそ、大獄は滅びずに――高町なのはは幾何学模様の宙へと吐き捨てられたのだ。

 

 

(宿儺の太極っ! まずいっ!?)

 

 

 そして、理解する。形勢は一変した。状況が逆転した。高町なのはの力では、決してこの宙から逃げられない。

 心の底から望んでしまう。人になりたいと憧れ願ってしまうからこそ、高町なのはは力の全てを失ってしまうのだ。

 

 対して、天魔・大獄は未だ消えていない。首の皮一枚程度だが、それでも此処に止まっている。

 その眼前で己が人になってしまえば、その結果など想像するに容易いだろう。論じるまでもなく、高町なのはが先に死ぬ。

 

 ならば――

 

 

(私が、人になってしまう前に――)

 

 

 出来る事は、打てる札は、たった一つだ。

 

 

「力を貸してっ! ラインハルトさんっ!!」

 

 

 レイジングハートを介して、内に眠る男に言葉を掛ける。ロンギヌスに宿った彼の力こそ、この状況で打てる最後の一手。

 高町なのはだからこそ、天魔・宿儺の法に逆らえない。だがこの槍に宿った力は、高町なのはの物ではない。彼女が受け継いだ、黄金の君が力である。

 

 だからこそ、人に成りつつある現状でも使用できる。たった一つの異能であるのだ。

 

 

「撃ち貫けっっっ!!」

 

 

 レイジングハートが変化する。黄金の一撃を放つ形態へと、そして女は振り被る。

 人と化して落下しながら、身を振り絞って投擲する。残った力の全てを燃やし尽くす様に、その一撃を撃ち出した。

 

 

「ロンギヌスランスッ! ブレイカァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」

 

 

 放たれた獣の一撃を、滅び去ろうとする大獄は躱せない。咄嗟に防御を固める事すら、今の彼に出来はしない。故に当然、その身は槍に貫かれる。

 必中必殺最速行動。残滓に過ぎぬとは言え、嘗てと同じく全てを乗せた獣の全力攻撃。それを再現した一撃は、大獄の身体を吹き飛ばす。槍に貫かれたまま、男の身体は海を越えた。

 

 そして、着弾する。山なりに軌道を描いた果てに、落ちた場所はユーラシア。巨大な閃光と共に起きた爆発が、大陸全てを飲み干し跡形もなく消滅させた。

 

 

 

 

 

 激しい水飛沫が、不二の麓まで届いて来る。まるで小雨の如くに振る海水が、その威力の途方もなさを感じさせる。

 大獄を吹き飛ばして、地面に落ちた高町なのは。急激に力が失われた感覚。無理な力の行使に、全身が悲鳴を上げていた。

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

 

 人の身に黄金の力は過ぎた物。全力のなのはが不撓不屈で強化して、故にノーリスクで使える獣の一撃。

 無理矢理に引き摺り出した反動は大きい。人に戻って感じる久しい感覚は、身体の重さを感じさせる。呼吸を行う事さえも苦しくて、喘ぐ様に肩を何度も揺らしていた。

 

 ペタペタ、と――ズルズル、と――微かな音が響いた。そんな音は遠く微かで、まだ高町なのはの聴覚には届かない。

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

 

 荒い呼吸を必死に整えながら、黄金の杖を支えに立ち上がる。形成能力を失って、AEC兵装は霧散していた。

 そんな高町なのはは感じている。音を聞いた訳ではない。聴こえる筈がない。彼女はもう唯の人間だから、感じていたのはある種の信頼にも似た想い。

 

 ペタペタと、水に濡れた音。ズルズルと、膝を持ち上げ歩く事すら出来ない疲弊。

 砕かれた黒き鎧はしかし、まだきっと消えていない。納得しないの一念で、あれはこちらに向かって来ている。

 

 辿り着けない。そんな事は考えない。立場が真逆だったのならば、己は必ず辿り着くから。

 故に空を見上げる。幾何学模様に覆われた黄色い宙を見上げて、高町なのはは僅かに迷う。さて、どちらにするべきか。

 

 

「選択肢は、三つ。……下がるか、待つか――」

 

 

 下がると言う選択は、愛する男の勝利を信じる事。彼がきっと勝つと信じて、この宙が消えるまで逃げ回る事。

 待つと言う選択は、前者と後者の折衷案。論理で思考するなら当然で、しかし感情的にはしたくない。そんな下がると言う選択を、行わない為の代替案。

 

 

「分かっている。何時だって、そうして来たんだ。だから――私は、前に」

 

 

 そして最後の一つは、此処から先へ進む事。全く愚策と言うべき術で、明らかに取るべきでないと分かっている。

 この宙に飲まれている限り、高町なのはは戦えない。この宙が消えない限り、彼女は全く無力である。そうと分かっている。そんな事は知っている。それでも、この生き方は変えられない。

 

 

「道に迷ったのなら、前に進む。それが、それだけが、高町なのはの在り方なんだ」

 

 

 乗り越える為に、前に行く。理屈じゃない。論述できる事ではない。唯己の意志で、前に進む為に立ち上がる。

 そうして、重い足を一歩踏み込む。震える膝を抑え付け、更に一歩と前に踏み出す。進み続ける高町なのはは故に――そこでそれを確かに見たのだ。

 

 

「あ――」

 

 

 黒き甲冑が其処に居た。海の水に濡れたまま、崩れ落ちる甲冑が其処に居た。最早自死を終わらせる事すら出来ぬ程、消耗し切った男が居た。

 地面に軽い音を立て、転がり落ちるは虎の仮面。砕けて崩れた身体の上部、首から上には何もない。ある筈の物がない事を、高町なのはは視認してしまった。

 

 それは男にとっての終焉。ミハエル・ヴィットマンと言う男が敗れた証。断首されたその身に、頭部なんて存在しない。

 変わりにあるのは死の極点。その全身よりも、その両腕よりも、その太極よりも、何より多くの力が集った終焉すらも終わる場所。

 

 

「……さあ、虚しく滅び去るが良い」

 

 

 それは名を無と号する、あってなきが如しもの。死の終着にある極点。無い。無い無い無い――血肉、大気、森羅万象、何一つが存在しない。

 

 本来、死の後には骸が残る物。だがこれは、形容すら出来ぬ虚無の深さ。絶無の波動に次などない。

 骸から蘇る異能と言う抵抗さえ等しく蝕み消し去り消滅させ、ついには死の領域さえ喪失させる。死んだと言う事実すら、死滅してしまうのだ。

 

 例えるならばそう、幕引きの拳が舞台に幕を下ろすのならば、この絶無の終焉は劇場そのものを消し去る力。

 如何に開演を望もうと、閉鎖された劇場の舞台が幕を開ける事はない。故に――高町なのはと言う女は此処に、その命を終えて崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 虚無の彼方で思考する。全てが消え去る場所で抗い続ける。自己さえ曖昧となる境界で、それでもこの手を握り締める。

 心の支えとなるのは一つの輝き。胸の中に灯る、翡翠に輝く一つの輝き。その光を支えに意識を繋ぐ。そうして女は、その目を開いた。

 

 見上げる視界。見詰めた先。全てが黒しかない一色。絶対の虚無が内側で、それでも自己を強く描く。

 高町なのはは立ち上がる。何度も何度も立ち上って来たのが、彼女にとっての旅路であった。だから今度もまた、同じ様に不屈を胸に立ち上がる。

 

 立ち上がって、直後に思う。果たして本当に己は、今立ち上がる事が出来たのだろうか。

 黒き世界に上下はない。黒き世界に左右はない。この黒の内側に、高町なのは以外は何もない。だから立っている事の証明なんて、誰にも出来る筈がない。

 

 だけど、それでも――立ち上がったのだと自覚する。故に彼女は戻る為、己の居場所を目指して歩き始めた。

 

 

 

 甦る。死の淵から甦る。賽の河原で石を積み上げ、黄泉平坂を走り抜けて甦る。それが何時もの、再演開幕。

 蘇れる筈だ。一瞬瞼を閉じて、再び開けば現世の筈だ。足を前に踏み出して、走り続ければ辿り付ける筈なのだ。

 

 そう思い、そう動く。それでも何故か、何処にも行けない。道がないのだ。舞台が消えた。

 高町なのはは死なないだけだ。死の極点に抗えても、己の身体に帰れない。それは、彼女の持つ力が僅かに足りてないから。

 

 数字で言うならほんの僅かで、それでも確かにある断絶。それが蘇生を許さない。回帰が許されない。

 帰る場所が分からない。帰る方法が分からない。動ける理屈が存在しない。だから、全てが無駄なのだ。何をしようと、この虚無からは抜け出せない。

 

 

(本当に?)

 

 

 己自身に問い掛ける。その思考は本当なのか、本当にもうどうしようもないのであろうか。

 いいや、否。己はまだ試していない。何もやってすらいない。これで終わりなど、納得出来よう筈がない。

 

 

(私は、此処に居る)

 

 

 それは如何なる理屈であろうか。大獄の力が完全ではなかったのか、己の異能が彼にとっての真逆であるからか。ああ、そんな理屈はどうでも良い。

 絶対の虚無。終焉の極致。その果てへと落とされて、それでも高町なのはの意志は消えていない。それが事実で、それだけが全て。ならば、出来る事は確かにある。

 

 

(此処に居るなら、立っているなら――歩く事は出来る筈)

 

 

 ならば行こう。歩いて進めるならば行こう。漆黒の中を一人、高町なのはは歩き出す。

 前へ一歩。前へ一歩。本当に其処が前かも分からぬまま、それでも前へと一歩を踏み出したのだ。

 

 そうして、歩く。前へ前へと歩き続ける。当てもなく、道もなく、暗闇の中を進んで行く。

 まるで夕闇に沈んだ見知らぬ街。地図もなく目的地を探し続ける様な、そんな寂しさが僅か胸に浮かんだ。

 

 歩く。歩く。歩き続ける。ずっとずっと歩を踏み出して、歩いているのだと錯覚する。

 何処にも進んでないのではないか。辿り着く場所などないのではないか。道を間違えているのではないか。無数に去来する疑問を全て捻じ伏せ進む。

 

 歩く。歩く。歩き続ける。一体どれ程歩いたか、分からぬ程に歩を進める。

 一日か、数日か、数週間か、数ヶ月か、数年か。或いはもしくは、途方もない時が経過しているのではなかろうか。

 

 抱いた疑問は大きくなる。揺らいだ不安は大きくなる。震える心に感じる寂しさは、強く強く変わって行く。

 それでも、歯を食い縛って前を見る。辿り着けないのだとしても、前に進むと決めたのだ。諦めないと決めたのだ。その不屈の意志は、鋼の如くに強固であるのだ。

 

 されど、鋼は強固であっても摩耗に弱い。過ぎ行く主観の年月が、女の心を鑢の如くに削って行く。

 風化した金属が錆びて使い物にならなくなる様に、その心も摩耗していく。そう想えてしまう程、余りに終焉の極致は遠かった。

 

 

(……それでも、進もう)

 

 

 進もう。進もう。進もう。進もう。何時か錆落ちて腐り切るのだとしても、今はまだ進み続けよう。

 この暗闇が何処にも繋がっていないとしても、胸の光を頼りに進もう。何時か前のめりに倒れる日まで、遠い遠い道を進もう。

 

 

(歩ける限り、前に行こう。例え何処に行く事も、出来ないんだとしても)

 

 

 歩いた。歩いた。歩いた。歩いた。気が遠くなる程の時、時間さえ流れない虚無を歩き続けた。

 感じている。分かっている。最初の位置から進んでいないと、それが分かって足を進める。何処にも行けていないのに、それでも歩き続けている。

 

 けれど、やはり限界はあった。体感にして数千万か、或いは数億年は先。其処が女の限界だった。

 膝から崩れ落ちる様に、彼女の身体が泳いでいく。前のめりに崩れる様に、高町なのはの身体が揺らいだ。

 

 腐り切って錆び付いた、それでも鋼の如き意志。倒れる刹那ですら、前へ一歩を踏み出そうとして――そして、彼に抱き留められた。

 

 

「――あ」

 

「ごめん。遅くなった」

 

 

 月の如く優しく微笑む、愛しい男の胸に抱かれる。何時もの様に謝って、そんな彼に笑みを零す。

 そうして、数秒。男の温もりに甘える様に、頬を擦り付けてから立て直す。どんなに摩耗したとしても、彼が居るなら立ち上がれる。

 

 

「行こう。なのは」

 

 

 女の危機を理解して、駆け付けた時には遅れていた。そんな男は、黒き甲冑の終焉をその目にした。

 同じく虚無の彼方へと、落とされた彼は駆け付けた。遅れてはいたけれど、確かに愛する女の下へとやって来たのだ。

 

 

「うん」

 

 

 そんなユーノの伸ばした左手、右手で握り返して共に立つ。傍らに居る愛する人と、一緒に前へと歩き出す。

 辿り着くべき場所など分からない。何処に進めば良いかなんて分からない。それでも、そんな暗闇の中を歩き出す。

 

 灯り一つない見知らぬ街。それを歩き続ける寂しさ。目に付く景色は変わらずとも、そんな想いはもう存在しない。

 傍らに彼が居る。一緒に歩く人が居る。先が見えない闇の中でも、ならばもう恐れる物など何もない。一緒なら、怖くないのだ。

 

 歩く。歩く。歩き続ける。何もない暗闇の中、唯傍らに寄り添う愛を確かに感じて歩き続ける。

 辿り着く場所はない。歩いて来た道は全て無為である。最初の場所から進めずに、何時かは全てが失われる。そんな道筋は、まるで人生の縮図であった。

 

 人に生きる意味はない。生まれて来た命が、辿り着くべき場所などない。

 人が生きた価値などない。如何なる物を積み上げて、名を後世に残したとして、それでも何時かは消えて行く。

 

 無意味に生まれ、無価値に生きて、無為のままに死んでいく。それが人の一生なのだと、賢しらに語る者は居る。

 同じ様にこの道筋に、意味も価値も全くない。何処にも行けず、何にも成れず、そのまま虚無の中で病み衰えて死ぬのであろう。

 

 だとしても――もう何も怖くはなかった。離れない絆があるから、もう何も怖くはなかった。

 何時までも進み続けよう。何処までも歩き続けよう。どれ程に苦しい道のりだって、貴方と一緒ならば幸福なのだ。

 

 この今に生きる意味。それを確かに見付け出す。この刹那に掲げる至高。それを確かに見付け出す。

 だから、そう、だから――その条件は満たされた。彼女達は確かに見付けた。二人でだから、その輝きを見付け出す事が出来たのだ。

 

 

「光?」

 

 

 虚無の果てに、何かが輝く。淡い色で輝く光は、金と白。その淡い輝きを見付けて、二人はその目を僅か細める。

 

 

「フェイト? はやて?」

 

 

 問い掛ける様に、或いは確認するかの様に、ユーノ・スクライアが呟いた。

 その光に感じたのは、確かに見知った誰かの気配。だが等号ではないのだと、心の何処かで感じている。

 

 

「ああ、そうか。そうなんだ」

 

「……なのは?」

 

「分かった。私、分かったんだよ。ユーノ君」

 

 

 光に向けて近付きながら、その手を優しく伸ばす。ずっと進めなかった暗闇を、この今確かに踏破する。

 高町なのはは答えを得たのだ。その淡く儚い輝き。生まれ落ちようとする奇跡の色こそ、至高の終焉に対する解答。

 

 

「私――――お母さんになるんだ」

 

 

 淡い光を抱き締める。何時かの絆が結んだ奇跡を、その胎に受け止める様に抱き締める。

 確かに感じる命の鼓動。確かに芽生えた奇跡の鼓動。溢れる光を抱き留めて、母の想いが虚無を照らす。

 

 さあ、今こそ喝采の時。月と太陽は一つとなって、新たな命を育んだ。それこそが、彼女の完成に必要だった最後の欠片。

 

 

――太・極――

 

「陰陽合一・生誕喝采」

 

 

 光が溢れて、世界を包む。黒き虚無の帳をゆっくりと溶かす様に、白き光が死を消し去った。

 そうして、彼女達は戻って来る。死の終極さえも乗り越えて、此処に高町なのはは帰還したのだ。

 

 

 

 

 

 

「ああ、そうか。……そうだな。認めよう」

 

 

 砕けた黒き甲冑は、空に浮かんだ光を見詰めて確かに認める。その輝きに、納得せずにはいられなかった。

 この生誕が、死の極点を乗り越えた。其処に理屈を求めるならば、それは誰にも分かりやすい答えであるのだ。

 

 どれ程に素晴らしい物であっても、ミハエル・ヴィットマンのそれは既に終わった物。今から始まる物を前にして、勝って良い道理がない。

 どちらが優れているかではない。どちらが尊いのかと言う話。誰かを殺す事よりも、誰かの生まれを祝福する事。その方が尊いのだと、そんな事は誰にだって分かる事。

 

 

「お前達の、勝利だ」

 

 

 そうとも、ミハエル・ヴィットマンは守る為に戦ったのだ。繋いでいく為に、だからこそ誰より尊い物を理解している。

 例え至高の終焉であっても、当たり前の生誕に勝ってはいけない。そう想うのは誰よりも、次代を望み続けた男だからこそ至った思考だ。

 

 

――響け! 終焉の笛、ラグナロク!

 

――雷光一閃! プラズマザンバー!

 

 

 白き光と共に、夜天の主の影が躍る。黄金の輝きと共に、雷光少女の影が揺らめく。

 だがそんなのは幻影だ。当たり前の様に幻覚は消え失せて、代わりに残るは二色の魔力。

 

 高町なのはとユーノ・スクライア。二人は寄り添い立ちながら、その光を確かに感じる。

 そうして二人、揃って一つの杖を握り締める。ゆっくりと振り上げた黄金に、集う光の色は四色。

 

 

「やろう。ユーノ君」

 

「ああ、始めよう。なのは」

 

 

 桜と翠と金と白。四つの色が杖に集まり、そして集束されていく。振り上げた杖を振り下ろす、目指した先は黒き終焉の大天魔。これが私達の答えであると、そう示す様に――破壊の光は放たれた。

 

 

『スタァァァァライトォォォォォッ! ブレイカァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!』

 

 

 迫る命の光。四色のトリプルブレイカー。それを前に、天魔・大獄は確かに認める。これ以上はないと言う解答に、彼は確かに敗北(ナットク)した。

 故に目を逸らさず、身を翻す事もせず、両手を広げて受け入れる。その全てを己が魂に刻んで逝くかの様に、受け止めたまま光の中に飲まれて行く。

 

 

 

 そうして、全ての光が消え去った後――黒き終焉は影も形も残さずに、光と共に消え去っていたのであった。

 

 

 

 

 

 穢土・夜都賀波岐第四戦、不二。天魔・大獄。消滅。

 高町なのは生存。ユーノ・スクライア生存。機動六課――勝利。

 

 無間地獄を乗り越えて、戦いは次なる舞台へと進む。

 

 

 

 

 

 




・創造位階最上位……街が幾つも消し飛んで、最悪国が亡ぶレベル。
・流出位階半歩前……大陸が移動だけで滅んで、最悪星が終わるレベル。
・流出位階上位陣……世界開闢級の破壊力で、お手玉遊びみたいな事始める。

当作なのは(10~90)と天魔・大獄(50。ただしスマイルは最上位陣でも即死)の戦いは、大体二つ目と三つ目の中間点。ならこれくらい出来るやろと言った感じで天の星々の殆どが消滅しました。


本来求道神は単独で完結した存在だから子を産む機能を持たず、生まれる筈がなかった双子。
神の法則を無視する解脱者になり掛けた男が相手だからこそ、生まれる事が叶った奇跡の子。
(因みにはやては万仙陣事件の時、フェイトは失楽園で紅葉死亡時に回収)

当たり前の誕生でも、至高の終焉より尊い。そんな誕生の中でも奇跡に類される求道神と解脱者の子の生誕で、己の終焉を乗り越えられた。だから大獄は、負けを認めるしかなかった訳です。




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第三話 無間地獄を乗り越えろ 其之伍

乙女達の戦い。その規模はこれまでで一番小さいだろうが、その想いの熱量はきっと何処にも負けていない。そんな仕上がりを目指してみました。


1.

 古き世にあった一つの学園。既に終わった嘗ての校舎。錆び付いた門を乗り越えて、荒れ果てた敷地の中を駆け抜ける。

 目指すは一つ、校舎の屋上。斜めに傾いている剣道場の前を横切って、内へと続く場所へと向かう。即ち月乃澤学園の校舎入り口へと。

 

 進む道筋は、決して安穏たるものではない。これまでの旅路がそうであった様に、この先もまた確かに難攻不落だ。

 

 空より落ちて来る血の雨が、次から次へと蜘蛛を産む。人の身の丈よりも巨大な蜘蛛。その巨大さに応じる様に、確かな脅威と迫り来る。

 凍った時間に守られて、牙を剥く無数の軍勢。他の戦場に比すれば軽く見える様な光景も、この場を駆ける少女達にとっては一分一秒が綱渡り。

 

 

 

「クロスファイアッ! シュートッ!!」

 

 

 橙色の少女が、銃を握って撃ち放つ。両の腕から放たれた無数の弾丸が、機先を制して蜘蛛の進撃を僅かに止める。

 たった一匹、数秒止めるだけでも十数発。動きを止めた蜘蛛へと向けて、ティアナは歪みを行使した。

 

 黒石猟犬。それは必中を騙る魔弾。全力全開。カートリッジを消費して、撃ち放たれる漆黒の弾丸。魔力弾で足を止めていた蜘蛛は、その身を穿たれ砕け散る。

 駆ける猟犬は蜘蛛の一匹では止まらずに、二匹三匹と射抜いていく。だが、それが限界。ティアナ・L・ハラオウンの全力で、倒せた蜘蛛の数は三。三匹目を穿った時点で、黒き魔弾は力を失い相殺した。

 

 そんな蜘蛛が、数え切れない程に溢れている。尽きず絶えずに迫る怪異の光景は、正しく窮地と言える物であろう。

 だがしかし、それがどうしたと言う話。所詮はその程度。これで心が折れると言うなら、遥か昔にこの少女は進む事を諦めていたであろう。 

 

 

「行くわよっ! リリィ!」

 

 

 足りない。足りない。足りていない。ティアナ・L・ハラオウンの前に進む意志を砕くのに、この窮地は全くと言って良い程足りていない。

 魔力弾でも数十で、黒き猟犬ならば一発で、道を生み出す事は出来るのだ。故に当然、前に行く。足を止める道理はないから、唯只管に前進する。

 

 目指すは校舎の屋上。足を止める理由はない。校庭に転がり落ちる想いの欠片。それに駆け寄りたいと願うが、今は足を止めている暇がない。

 迫る蜘蛛の隙間を縫って、動きを止めながらに前進する。蒼い瞳で先を読み、機先を制する様に必ず撃ち込む。そうして、全く被害を受けずに前へ進む。

 

 瞬きの時間でさえ命を落としそうな状況で、それでも突き進む想いの熱。それは確かに生きる輝き。きっと他の何処にも負けてなかった。

 

 

「……はぁ、はぁ、はぁ」

 

 

 力の消費を最小限に抑えたまま、進める道を探して作り出す。生み出した道は、校舎をぐるりと回る遠回り。

 校門から昇降口までは僅かなものでも、溢れる蜘蛛を遠巻きに進めば相応の距離となる。一時も休まずに駆けるとなれば、負担は確かに重いであろう。

 

 息を荒げて、ティアナの背を追う。白き百合の少女には、言葉を返す程度の余裕もない。

 元より運動が得意だと、言える程に活発ではない。単独で戦闘が出来る様な、そんな設計もされてはいない。

 

 生み出される道は、極めてギリギリな隙間である。高所で行われる綱渡りの如き険しさで、秒と遅れれば落下するのだ。

 単純な運動量としても、精神に掛かる負担の上でも、リリィ・シュトロゼックには既に重い。おいていかれないだけで、それが彼女の限界だった。

 

 

「遅れてないわよねっ! 付いて来てるっ!?」

 

「はぁ、はぁ、はぁ……っ! 大、丈夫っ!」

 

 

 それでも、弱音だけは吐かない。辛いのは自分だけではないと、確かに知っているのだ。分かっている。

 

 迫る蜘蛛は数匹だけでも、対処能力を超える程。蒼い瞳に映る未来は、余りに断片的過ぎて、知識が無ければ役に立たない。

 そんな極めて不利な現状。それでさえ、大天魔はまだ動いていない。そうと分かっていればこそ、流れる汗の冷たさは誤魔化せない。

 

 それでも、ティアナは道を切り拓く。そんな逆境でも、確かに道を開いている。ならばリリィ・シュトロゼックが、どうして弱さを見せられようか。

 歯を食い縛って、大丈夫と虚勢を張る。友達として、同じ男を想う女として、この相手には遅れていたくはない。そんな白百合の想いを悟って、ティアナは笑いながらに言った。

 

 

「上等っ! ならっ! ギアを上げるわよっ!!」

 

 

 校舎の壁に沿う様に、走っていたティアナが叫ぶ。同時にクロスミラージュが火を噴いて、漆黒の魔弾が飛翔した。

 弾丸が射抜いたのは、迫る蜘蛛の胴体ではない。進む為に必要な前腕を、黒き弾丸が奪い取る。前に倒れ込む様に、津波の先触れが崩れて落ちた。

 

 一瞬、止まった大海嘯。続く蜘蛛は障害物を回避する様に、或いは前の蜘蛛を圧し潰す様に、縦に横にと溢れていく。

 僅かな停止と共に、山の様に変わって行く。そんな化外の大山こそが、ティアナが望み求めた物。橙の少女は此処に、崩れた蜘蛛を踏み台にする。

 

 高く、高く、高く――目指すは昇降口ではなく、二階教室へと続く窓。

 

 

「はっ!」

 

 

 魔力を伴う跳躍で、崩れた蜘蛛の頭部を踏み付ける。そのままもう一度と跳躍し、蜘蛛を乗り越えようとする次の蜘蛛も足場に変える。

 二匹、三匹。身の丈程はある蜘蛛を重ねて、校舎の二階にまで飛び上がる。身を翻しながら撃ち放った黒き弾丸が、教室の窓ガラスを叩き割った。

 

 

「リリィっ!」

 

 

 銃撃の反動で空中へと身を投げ出しながら、確かな瞳で友を見詰める。お前にも出来るであろうと、そんな仲間を信じる瞳。

 空から見上げる瞳を見返し、リリィは確かに頷いた。友が出来ると信じた。ならばその友を信じよう。己は確かに出来るのだと。

 

 

「っ! うんっ!!」

 

 

 息を飲み干し足を踏み込む。飛び上がって、その影を追う。彼女が進んだ様に、その道の後を追う。

 足下に感じる感覚。不安定に過ぎる足場は、一秒だって保てやしない。押し潰そうと続く蜘蛛は、足を止めてはいないのだ。

 

 蜘蛛の牙が迫り来る。害成す病床を取り除かんと、自浄作用が牙を剥く。それでもリリィは、怖れもせずに飛び越えていく。

 震え慄き、立ち止まっていれば喰われていた。瞬きをする程度の時間で、間に合わなくなっていた。そんな極限を乗り越えて、リリィは其処から先へと進む。

 

 壊れた窓へと身を投げ出して、転がる様に中へと飛び込む。凍った地面の硬さに身体が痛むが、苦悶の声を上げる事すら彼女達には許されない。

 乗り越えただけ、直ぐに後続が追って来る。飛び込んだ教室の先に、蜘蛛の軍勢が居ないとは限らない。故にこそ僅か一瞬ですら、思考を止める事は出来ないのだ。

 

 

「アンカーッ!」

 

 

 歪みを纏った黒き刃を、教室の天井へと叩き込む。深く突き刺さった刃を支えに、ワイヤーを引っ張りティアナも続く。

 立ち上がったリリィの傍らへと飛び込んで、展開したワイヤーガンを収納する。そのまま流れる様に双銃で、一つの術式を発動した。

 

 

「クロスミラージュ!」

 

〈Area search. complete〉

 

 

 展開したのは探知魔法。僅か一瞬の時間を浪費する引き換えに、彼女が求めたのはこの学園の構造図。

 

 ティアナの魔眼は、映像を見せる能力だ。求めた解答へと繋がる、断片的な絵柄を視る力。

 その性質上、明確な答えなど視えやしない。前後の脈絡など一切ない画像を見て、その状況を推理推測しなくてはいけない異能だ。

 

 見知らぬ場所が浮かぶ事すら当たり前。この穢土で未来を視ると望めば、見知った景色など何一つ視えやしない。

 知らないならば、先ずはその場所が何処にあるのか知らねばならない。どんな状況に至れば、望んだ結果に繋がるのかを推理しなくてはいけない。

 故にこその探知魔法。立体図形として脳裏に刻まれた構造図と、視ていた景色を此処に合わせる。望んだのは相棒の下へと、繋がる道は何処にあるのか。

 

 

「西校舎、D階段ッ!」

 

 

 二階から三階へ上がれる場所。写真の様な未来の景色と、脳裏の図形を合わせて判断したのは校舎の最西端。

 進むべき場所を見付け出すと、ティアナは教室の扉を撃ち抜く。数十数百と魔力弾が、廊下へ続く道を生み出した。

 

 瞬間、外から入り込んでくる群れ。校舎の内部を埋め尽くす程、溢れる蜘蛛は外より多い。

 それも当然、寧ろ教室内で遭遇しなかったのが奇跡に近い偶然だろう。何しろ、蜘蛛は上から堕ちて来るのだ。上層へと近付けば、増えてしまうは道理である。

 

 それでも、此処が一番手薄。ティアナの蒼き瞳は、奇跡や偶然を確定事象へと変える異能。

 最も少ない場所へ自然と辿り着く様に、最も手薄なルートを至れる様に、なればこそ突破は出来る。この光景は既知である。

 

 

「黒石ッ! 猟犬ッ!!」

 

 

 漆黒の魔弾を走らせて、迫る怪異の脅威を挫く。動きを止めた化外の隙間を、二人の少女が摺り抜け進む。

 教室から飛び出して、西へと進む。途中に上下へ続く階段を見付けるが、ティアナは振り向く事すらしなかった。

 

 其処では駄目だ。視えなかったとは、そう言う事。仮に其処を超えたとしても、望んだ未来には辿り着けない。

 故に化外の森を掻き分けながら、最西端へと進んで行く。持ち込んだカートリッジの消費量に、不安を飲み込み隠しながら進み続ける。

 

 そうして、西端にある階段へと辿り着く。一階から四階までを繋ぐ大きな階段は、しかし半ばから崩れていた。

 経年劣化で壊れた階段。億年の果てに崩れた場所。二階から三階へと、続く踊り場が辛うじて残っている。その残った道こそ、ティアナがその目に視た景色。

 

 

「跳ぶわよっ! その上で、振り返らず駆け抜けなさいっ!!」

 

「……分か、ったっ!!」

 

 

 飛び上がって、着地する。踏み付けた階段が、その瞬間に崩れていく。壊れ続ける足場を上へ、飛び移って進み続ける。

 続く道がないからこそ、追い掛けて来る化外は止まる。一階二階に潜んだ蜘蛛は、此処でならば気にする必要性がない。

 

 それでも、上から来るのは別問題。三階の踊り場から滝の如く、巨大な蜘蛛の群れが落ちて来る。

 溢れかえって、場を壊しながらに押し寄せる。そんな群れを前に恐れずに、ティアナは弾丸を正面へと向けて放った。

 

 足を踏み込んだだけで崩れる足場は、無数の群れと着弾の衝撃に耐えられずに崩壊していく。

 開いた穴の中へと、無数の群れと瓦礫が落ちる。次から次へと溢れ出す、その群れによって穴が埋まった。

 

 それも確かに視ていた景色。穴が埋まるのとほぼ同時に、足場を崩しながらに走り続けていた少女らは其処に着く。

 躊躇う事なく、ティアナは蜘蛛の頭を踏んだ。そうして、そのまま雨の中を突き進む。穴を埋める様に降り注ぎ続ける化外を、彼女は再び足場としたのだ。

 

 上から落ちて来る化外には、ぶつからないルート。偶然に生まれる雨の隙間を縫う様に、必然として開いた道を突き進む。

 立ち止まらないティアナの背中に、追い掛けるリリィも立ち止まらない。呼吸一拍でもタイミングがズレれば、この滝に飲み干されてしまうから。

 

 

「はぁ、はぁ……ティアナっ! 次はっ!?」

 

「前っ! 其処の教室っ!」

 

 

 穴に埋まった蜘蛛の身体を足蹴に、校舎の三階へと到達。すぐさま問うたリリィに向けて、答えながらに発砲する。

 黒き魔弾が扉を撃ち抜き、開いた教室へと飛び込む。一瞬でも足を止めれば蜘蛛が押し寄せて来るから、決して振り返りはしないのだ。

 

 

「リリィっ! 椅子と机を並べてっ!」

 

 

 言って銃口を上へと向ける。彼女の瞳がその先に一体何を視たのであろうか、問い駆ける必要性などない。

 唯信じて、故に頷く。大急ぎで机を持ち上げ、縦と横に二つと並べる。椅子を添えた形は正しく、即製稚拙な階段だった。

 

 

「撃ち抜けッ! ディバインバスターッ!!」

 

 

 そして、ティアナが撃ち貫く。全力で歪みを行使して、カートリッジを三つと使って、教室の天井に穴が開いた。

 

 三階教室から四階教室へ、上下を繋ぐ一つの穴。並べた机は階段代わりに、穴に向かって駆け上がる。

 高さが僅かに足りないが、穴に手を届かせるには十二分。後は腕の力で身を持ち上げて、そのまま四階へと到達した。

 

 

「あと、一階」

 

 

 先に進んだティアナに手を引かれ、同じく辿り着いた白百合はそう呟く。

 あと一階。疲弊や消耗は隠せぬ程だが、もう此処まで近付いた。あと一階で、逢えるのだ。

 

 心に感じる歓喜の欠片。安堵をするには未だ早いと、緩み掛けた心を想いで燃え上らせる。

 きっと待っている彼の下へと。大好きな彼の下へと。この手を届かせるのだと、リリィ・シュトロゼックは立ち上がり――

 

 

「リリィッ!」

 

「っ!?」

 

 

 叫び声と共に上を見上げる。視界に入った光景は、轟音を立てて崩れ去る校舎の天井。

 ティアナ・L・ハラオウンの全力でも、穴を開けるが限界。それ程に強固な筈の校舎が、余りにも呆気なく瓦礫と変わった。

 

 

 

 崩れ落ちた学園。砕け散った校舎の半分。瓦礫の山に少女らは飲まれて、その瓦礫すらもその女は踏み潰す。

 月乃澤学園を崩壊させたその犯人、それは当然ティアナじゃない。無論リリィな筈もない。神の想い出を砕いたのは、神と同じくこの地を愛する女であった。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 輝きを無くした銀の髪。緑の衣を纏った女は、一人ぼっちで涙を流す。

 神の身体を前にして、頭を下げる様に口にする。何度も何度も口にするのは、想いを穢す自責の念だ。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 トーマの純化とは違う。彼を傷付けた者らに下す罰とも違う。これは唯、己の弱さ故に起きた出来事。

 身動き出来ない今の常世に出来る事など、蜘蛛の指揮と僅かに随神相を動かす事だけ。それだけでは、迫る少女らを止められなかった。

 

 故にこそ、天魔・常世は最初からこうする心算だった。月乃澤学園を檻に変えて、想い出ごとに少女達を圧し潰す為に蜘蛛を指揮していた。

 

 

「本当に、ごめんなさい」

 

 

 無論、追い込む手筋に隙はなかった。壊したくなどなかったから、殺す心算で蜘蛛を操っていた。

 それでも、それでは足りないと分かっていた。天魔の瞳は全てを視るのだ。天魔・常世は、ティアナの歪みを知っている。

 

 自他の力量差など関係なく、偶然を必然に変える異能。使い勝手こそ悪いが、一度嵌ればどうしようもない力。

 可能性が零でない限り、必ずその偶然を発生させる。敵としての視点で見た時、ティアナの歪みはそう言う物だ。

 

 これを封じるには、先ず可能性を零にする事。それ程に隔絶した力の差が必要で、しかし常世はそれ程に図抜けていない。

 女は戦士ではない。産む者であって、戦う者ではないのだ。そんな彼女の弱さが故に、無傷での勝利などは望めないと分かっていた。

 

 故に砕いた。故に壊した。随神相を動かして、大切な想い出を己で壊した。それが必要だったから、壊すしかなかった。

 巨大な女の顔をした芋虫。紫の体表面に張り付いた、無数の赤子の顔が泣いている。痛い痛いと、赤子の声で泣いていた。

 

 

「……でも、これで――」

 

 

 想い出を壊した。彼と出逢って、彼と過ごして、彼に惹かれた場所を壊した。それと引き換えに、必勝の策は確かに成った。

 故に何処か安堵を覚えて、天魔・常世は顔を上げる。零した涙を袖で拭って、瓦礫と化した校舎を見下ろす。其処には確かに、破壊と引き換えに得られた成果がある筈で――

 

 

「な、んで……」

 

 

 そんな物はなかった。ある筈のない者がまだ残っていて、故に天魔・常世はその瞳を驚愕で見開いた。

 

 

「視えてたのよ。()()()()()()

 

 

 未来を照らす瞳は既に、その先までも視えていた。常世が胸の痛みを抑えて、想い出を踏み躙る場所まで視ていた。

 故にこそ、最西端を目指した。途中で最短距離を選ばなかった理由は即ち、何時でも脱出できる場所に居る必要があったから。

 

 あのタイミング、あの場所でだけ、崩れ落ちる瓦礫と押し寄せる随神相の隙間が生まれる。それは既に知っていた。

 故にその瞬間に間に合う様に、時間を合わせて動けば良い。そうすれば偶然は必然となり、己達は生き残る事が出来るのだと。

 

 そうした未来が視えていたから、ティアナ・L・ハラオウンは全てを賭けた。

 ほんの数秒にも満たない時間にベットして、手に入れたのは勝利の鍵。随神相が校舎を砕いた今の景色に辿り着く事こそを、ティアナは最初から望んでいた。

 

 

「道は繋がった。アンタのお陰で、最後の欠片が此処に嵌った。後は――分かってるわねっ! リリィっ!!」

 

 

 勝利に繋がる景色を視た。その景色を此処に、確かな形で再現した。故に、ティアナ・L・ハラオウンの役割は此処で終わりだ。

 瓦礫と崩れた四階から飛び降りて、抱えたリリィに向かって告げる。此処から先を踏破するのは、即ち彼女の役割であるのだと。

 

 ティアナに抱えられた白百合は、強き瞳で言葉に頷く。言葉にせずとも分かっている。その想いはもう揺るがない。

 リリィ・シュトロゼックは前へと進む。此処に繋がった道を踏破して、愛する男の下へと向かう。辿り着く未来は既に、その瞳が知っている。

 

 アンカーモードで展開したクロスミラージュ。歪みと共に撃ち放った鋭い刃が、赤子の顔を貫き潰して突き刺さる。

 繋がる握りを乙女に託して、その背を押して地面に落ちる。信じる瞳を背に受けて、リリィは勝利の道を駆け抜けた。

 

 そうとも、目指していたのはこの絵図面。天魔・夜刀の随神相に絡み付く、天魔・常世の随神相。その身体が届く位置まで降りて来る事。

 この随神相は続いているのだ。巨大な蛇の半身と、病み衰えた人の半身。トーマ・ナカジマを取り込んでいる天魔・夜刀の身体へと、それが唯一本の道となる。

 

 

「あの馬鹿トーマの事だけ想って、突き進みなさいっ! 天魔・常世の随神相のその上をっ!!」

 

「――っ!?」

 

 

 校舎を壊す為、真っ直ぐ伸ばされた紫色の体躯。手にしたデバイスを手繰り寄せ、リリィはその外皮へと着地する。

 瞬間、狂気の波動が彼女を襲った。蟲の外皮に飛び乗り身体に手を乗せた瞬間に、触れた部位から浸食するのは神威の圧だ。

 

 人を狂わせる狂気の波動。意志を震わせる程、奏で続ける赤子の悲鳴。突き付けられた覇道は正しく、骨肉食ませる闘争強制。

 天魔の身体は一つの宇宙だ。各々が異なる法則を宿していて、触れただけでも影響を受ける。その随神相に乗ってしまえば、それこそ法から逃げられない。

 

 

「……トーマ。今、行くね」

 

 

 それでも、天魔・常世だけは例外だ。彼女の宿した法則は、産み直すと言う異能。それ以外の全ては、彼女自身の色ではない。

 故に狂気の波動は密度が薄い。闘争強制の法則は、他の神々に比べて弱い。そうであるからこそ、随神相に触れる事が即死を意味しない。

 

 付いた掌を基点として、這い上がる狂気は人の意志を挫くであろう。それでも、一瞬足りとて耐えられない程じゃない。

 太陽の子と言う性質を利用した闘争の強制にしたところで、彼女一人ならば関係ない。傷付けるべき他者が居なければ、それは恐れる事ではないのだ。

 

 

「必ず、助けるから」

 

 

 紫の体躯の上で立ち上がる。無数の赤子の顔が泣き喚く中、その顔を踏み付けながらに進んで行く。

 触れるだけで浸食する狂気。耳に響いた赤子の声に、意識が遠のくのは確か。そんな状況で、胸に掲げる想いは愛情。

 

 考えるのは、男の事だけ。愛する少年の事だけを一心に、彼に逢う事だけを考えて、他の思考を全て消し去る。

 狂気の波動に狂う前に、その愛情に狂えば良い。たった一人の事しか想えぬ程に、唯それだけになる事で対処とする。

 

 

「また、一緒に、大好きな貴方と、一緒に――」

 

 

 立ち上がって、前に行く。愛している。愛している。愛している。正気では居られぬ程の愛を抱いて、常世の身体を駆け上がる。

 失いたくはないから、また一緒に居たいから、進む足は止まらない。唯真っ直ぐに突き進んで、大好きな彼を抱き締めるのだ。そう想うからこそ、決して少女は止まらない。

 

 

「行かせない。絶対に」

 

 

 己の身体の上に立ち、駆け出し始めるその姿。常世は脅威を感じながらに、行かせはしないと意志を定める。

 それでも常世に出来る事は、極めて少なく限定的だ。蜘蛛の使役と狂気の波動。闘争強制を除けば、随神相を動かす事だけ。

 

 故にこの場で出来る事などたった一つ。随神相を激しく動かし、駆ける乙女を振り落とそうと言うのである。

 まるで蟲が手に付いた時の様な行動。激しく手を振り追い払おうとする様に、常世の随神相がその身体を振り回す。

 

 左右に大きく振られた身体が、校舎の残骸を圧し潰す。凍った鎧同士が打つかって、大地に擦り付けた箇所が裂傷と化す。

 立って居られぬ程に激しく、走る事など出来ぬ程に荒々しく、その様はまるで重度の潔癖症。暴れ狂う神相の上で――それでも、リリィ・シュトロゼックは落下しない。

 

 

「必ず、取り、戻すんだっ! 大好きな、あの人をっ!!」

 

 

 立てなくなった。ならばしがみ付いたまま進む。歩けなくなった。だけど這い摺るならば関係ない。

 己の身体を這い摺り上がる。前へ前へと止まらぬ少女らの姿を目にして、抱いた脅威は恐怖に変わる。

 

 ありえない。信じられない。どうして落ちてくれないのか。半ば錯乱した様に、随神相が跳ね回る。

 立っている事は愚か、しがみ付いている事さえ困難な状況。それでも不可能でないならば、リリィ・シュトロゼックは確かに至るのだ。

 

 

 

 進む。進む。進み続ける。決して進む手を止めず、想いを一つと確かに抱いて、白き百合は前へと進む。

 その姿を忌々しいと見詰めたまま、天魔・常世は小さく呟く。震える声は小さくあったが、それでも届く程に鮮明だった。

 

 

「嫌い」

 

 

 意図して言葉にした訳ではない。這い摺り迫るその姿に恐怖を感じて、思わず口にしたその言葉。

 一度口を吐いてしまえば、抱えた想いは止まらない。堤防が崩れて水が溢れ出す様に、次から次へと嫌悪が零れる。

 

 

「貴女達は、何時も悪い事ばかりする。だから、嫌い」

 

 

 この世界が誕生した瞬間から、ずっと見て来た天の瞳。抱いた想いは、絶えず嫌悪だけだった。

 

 父が与えた魔力素を持って、魔法と言う技術を生み出した子供達。産みの親の腸を貪り続ける鬼児達。

 その行為は悪である。その姿は醜悪だ。余りに見るに堪えないと、どうしてそうなってしまったと、なのに何故にお前達は生を謳歌していた。

 

 許せない。認めない。だが、何よりも感じる情は恐怖である。怖いのだ。この理解を絶する生き物たちが。

 

 

「貴女達は、何時も酷い事ばかりする。だから、嫌い」

 

 

 恐れ続けた者達は、遂に己の母さえ奪った。その胸に黄金を突き立てて、今を破壊すると語ったのだ。

 それが先の世に生きた者達への感謝だと、それが後の世へと続く為の意志であると、それがどうしても許容出来ない。

 

 恐ろしい。怖ろしい。嘗てを踏み越え、踏み潰して先に行く。どうしてその様な者達を、同胞達は認めたのか。

 

 

「無間に凍ってしまえば良い。永遠となってしまえば良い」

 

 

 それしか道がないからと、先触れたる兄妹ならば語るのだろう。託しても良いと認める程に、綺麗だと彼らは認めた。

 やはり愛しているのだと、沼地の魔女ならばそう語るのだろう。この世界に最も深く触れた女は、失われていないものを知っている。

 

 それでも、天魔・常世ならばこう語る。まだ終わってない。先がないとは認めない。

 これで終わりじゃないのだと。無間に凍らせてしまえば良いと。我らの永遠は続くのだと。

 

 

「……戒君」

 

 

 随神相を暴走させながら、子宮である女は悟る。彼女はその役割が故に、確かに認識していた。

 たった今、天魔・悪路が消滅した。全力で敵に挑んで、乗り越えられた事を見事と称えて、仲間が一人消えたのだ。

 

 痛い。痛い。痛い。痛い。喪失感に心が震える。もう終わりが近いから、痛みを感じずには居られない。

 

 

「櫻井さん」

 

 

 それから数分、後を追う様に彼女も消えた。その魂までは消滅せずに、再誕の為に彼の下へと。

 だが今の彼は完全ではない。もう再誕などは行えない。完全に戻す為には、失わなくてはいけないだろう。

 

 故にもう逢えない。そう理解して心が震える。最期に赦しを得られた事で、安堵して眠りに就いた友の(ココロ)を抱き締めた。

 

 

「マレウス」

 

 

 彼らに続く様に、もう一人の仲間も消える。漸くに追い付けたと満足したまま、その欠片が手元へと。

 死者の欠片たちが此処に集う。もう戻らない嘗てが揃う。壊れた校舎と同じ様に、夜都賀波岐が壊れていく。

 

 

「……やっぱり、貴女達なんか嫌い」

 

 

 嫌いだ。嫌いだ。嫌いだ。天魔・常世は嫌っている。誰よりこの世を憎んでいる。

 何より怖くて仕方がない。失われる命が辛くて仕方がない。だから弱音を零した女に向けて、白百合が返すは怒りであった。

 

 

「失ったのは、貴女だけじゃないっ!」

 

 

 それは在り来たりな言葉であろう。それでも軽い言葉じゃない。安い言葉ではないのだ。

 失ったのは、天魔・常世だけではない。失い続けて来たのは決して、彼女だけの事ではない。

 

 戦いがあった。長く苦しい地獄の様な戦いがあったのだ。愛しているのに、愛しているから、失われて来た者らがあった。

 

 フェイト・テスタロッサとプレシア・テスタロッサ。使い魔アルフ。

 八神はやて。シグナムとヴィータ。ザフィーラとシャマル。リンディ・ハラオウンとエイミィ・リミエッタ。

 ジェイル・スカリエッティにエリオ・モンディアル。ゼスト・グランガイツとレジアス・ゲイズ。ゲンヤ・ナカジマにオーリス・ゲイズ。

 

 クイント。ティーダ。クライド。イレイン。グレアム。三提督に最高評議会。

 幾つも幾つも失った。沢山沢山取り零した。愛するが故に起きた悲劇に、誰もが嘆きを叫んでいた。

 

 

「貴女だってっ! 今も酷い事を続けている!」

 

 

 そして今も尚、彼女は酷い事を続けている。全ては唯、彼女が抱えた愛故に。

 

 

「分からない筈がない! 分かっている筈でしょうっ!」

 

 

 奪った事を指摘され、それで動揺する事はない。見知らぬ誰かを潰しても、当然の報いと思うであろう。

 それ程に天魔・常世は、今の世を嫌っている。苦しみ足掻いた声を聞いても、揺るがない程には憎んでいる。

 

 だから、リリィが指摘するのは其処ではない。女自身が理解しているであろう、その事実を此処に突き付けるのだ。

 

 

「神様の想いを穢し続けてっ! それで被害者面してんじゃないのよっ!」

 

「――っ」

 

 

 今も彼は愛している。全能の神は己の子供達を、この今になっても愛している。

 復活が近付いているからこそ、それが強く感じられる。誓約と言う絆を介して、リリィの胸に響いているのだ。

 

 辛い想いをさせて済まないと、苦しい目に合わせて済まないと、此処まで強くなってくれてありがとうと。

 誰より辛く苦しいのに、誰より子らを想っている。そんな神の愛が確かに、胸に響いている。だからこそ、リリィはそれを口にする。

 

 分からない筈がない。気付かないなんて言えはしない。分かっていて、この天魔は反しているのだと断言出来る。

 リリィ・シュトロゼックと言う少女よりも、テレジア・ゾーネンキントの方がより深く、天魔・夜刀を知っているのだから。

 

 

「……遊佐君」

 

 

 また一柱、天魔が堕ちた。人間賛歌を歌いながらに、その輝きに焦がれた鬼が焼かれて消えた。

 図星を突かれて震える心に、仲間を失う痛みが響く。どれ程に面倒を掛けられた相手であっても、それでも友ではあったから。

 

 相容れない友人達。彼らの下した結論に、頷きたくないのだと心が叫ぶ。……それでも、本当は分かっていた。何より間違っているのは、今の自分だと言う事を。

 

 

「……あの子の、偽物でしかなかったのに」

 

 

 どれ程に拒絶しようと、どれ程に振り払おうと、何処までもしがみ付いて離れない少女。

 少しずつ、少しずつ、だが確実に近付いて来ている。そんな白百合の乙女を睨み付け、天魔・常世は口にする。

 

 彼女は偽物でしかなかった。マルグリットの模造品。断頭台の欠片から、再現された残骸だ。

 突然の様に現れて、当たり前の様に彼の想いを奪っていった。そんな彼女の複製品として生まれて来た。

 

 それでも、何時しか此処まで来ている。偽物だった筈の乙女が気付けば、たった一つの本物へと変わっていた。

 

 

「始まりが偽物でも、ずっと偽物な訳じゃない! 偽物が、本物に成れない理由なんてないんだっ!」

 

 

 トーマの純化が終わらぬ為に、随神相を離す事は出来ない。だからのたうち回る様に、身体を必死に動かし続ける。

 荒れ狂う随神相にしがみ付き、這い摺りながらも前へと進む。諦めずに進みながら叫ぶのは、他の誰でもない彼女だけの想いであった。

 

 

「……マキナ」

 

 

 遂に両翼が墜ちた。最強の大天魔が消滅した。後に残ったのは、天魔・常世唯一人。

 黒き甲冑は納得して、その敗北を認めて消えた。故にもう認めていないのは、常世だけしかいない。

 

 

(本当は、もう認めるべきだって分かってる)

 

 

 何処までも諦めず、必死に迫るリリィ・シュトロゼック。その姿を睨みながら、それでもそう述懐する。

 

 

(もう大丈夫。なら、必ず勝ってと口にして、それで任せるべきなんだって)

 

 

 悪路が認めた。母禮が認めた。奴奈比売が認めた。宿儺が認めた。大獄が認めた。

 ならば、もう彼らは大丈夫。全てを託せるだけの器があって、それを認めて退くのが先人の務め。

 

 そんな事は分かっている。今の自分が間違えている事は知っている。酷い事をしていると、その自覚は確かにあるのだ。

 

 

(だけど――)

 

 

 ああ、だけど、翻せない理由は女の情。極めて利己的な女の慕情。独善的な彼女の愛情。

 男の友情と女の恋情。その違いが此処にある。本質としては同じでも、大きな違いが其処にはあるのだ。

 

 

「君を負けたままになんて、させたくない」

 

 

 憎悪や怒りや恐怖と言った余計な情を剥いだ時、最後に残る想いは即ちそれ。

 テレジア・ゾーネンキントと言う女は、惚れた男が負けたまま消えてしまう事に、納得出来ないだけなのだ。

 

 

「彼は強い。彼は強い。彼は強い。なのにこのまま消え去るなんて、どうしてそれで終われるの?」

 

 

 宿儺が認めた。大獄が認めた。だから皆で素直に消えよう。彼は最期まで子に逢えないけど、それを彼が望んでいるから仕方がない。

 そんな理屈で後は任せて、消え去るなんて出来やしない。彼が望んでいるからと言って、だから復活せずに消えてなくなるなど認めない。

 

 だってあらゆる行いには、相応の報いがあるべきなのだ。労働の対価に褒賞がある様に、彼は報われて良い筈なのだ。

 なのに何も足りていない。言葉を掛ける事も出来ずに消え去るしかない。己達の全てがそんな形で終わるなど、どうして許容出来ようか。

 

 

「君がそれを望んでなくても、私は君にそれを望んでいる」

 

 

 これは所詮、女の身勝手だ。それも男の想いに泥を塗る様な、とても酷い身勝手だ。

 

 

「これが間違っているなんて、分かっていて言っているんだ」

 

 

 それを分かって、それでも口にする。男が望んでいないと分かって、それでも氷室玲愛はそう言うのだ。

 

 

「戦おう」

 

 

 貴方が望んでいない戦場に、もう一度貴方を立たせよう。それこそ夜都賀波岐の心臓にして、子宮である己の役割。

 

 

「そして、勝とう」

 

 

 最後に勝利を。それが如何なる形であれ、貴方が納得したのなら認めよう。

 遊佐司狼ではない。ミハエル・ヴィットマンでもない。他ならぬ貴方自身が、出した答えだけを認めよう。

 

 

「もう一度、私が貴方をその場に立たせる」

 

 

 死者の欠片達をその手に集めて、テレジア・ゾーネンキントは少女を見詰める。

 必死に向かって来る乙女。リリィ・シュトロゼックを見詰めて、確かに止められないと確信した。

 

 未来を見詰める瞳が視たのだ。必要な要素が全て揃った以上、確定した事象は覆せない。

 天の瞳でティアナを覗く。そしてその映像を変えられないと認めた上で、だから天魔・常世は賭けに出るのだ。

 

 

「蘇る。そう、あなたはよみがえる」

 

 

 ティアナが視たのは、解放されたトーマをリリィが抱き留める姿。リリィ・シュトロゼックの手によって、救出は為されてしまう。

 それを確かに理解した。そして天の瞳の結果を見なくても、リリィが止められない事は分かっていた。そうとも、これまで落とせなかった女がどうして、今更に止められると言うのだろうか。

 

 故に常世は諦めた。リリィを止められないのは仕方がないと。トーマが奪われるのはどうしようもないのだと。

 だから、それを理解した上で決めたのだ。取られる前に再誕させる。身体を奪われる前に、その中身(タマシイ)を使い潰してしまえば良いと。

 

 

「私の塵は短い安らぎの中を漂い、あなたの望みし永遠の命がやってくる。種蒔かれしあなたの命が、再びここに花を咲かせる」

 

 

 だが、そもそもそれが出来るなら最初からやっている。そうしなかったのは、純化が完璧ではないからだ。

 トーマの純化が終わっていない。まだ彼の因子が強く残っている。このままでは、天魔・夜刀が復活できる保証がない。

 

 それでも、純化を待てば間に合わない。そう確信できる程に、リリィはもう迫って来ている。だから、彼女は賭けに出る。

 トーマ・ナカジマの魂を、そのまま夜刀の物として使う。純化を途中で切り上げて、それでも彼が復活する事に全てを賭けた。

 

 

「刈り入れる者が歩きまわり、我ら死者の、欠片たちを拾い集める。おお、信ぜよわが心。おお、信ぜよ。失うものは何もない」

 

 

 それは例えるならば、規格の違うコンセントを電源プラグに繋ぐ様な行為。

 三本足の内一本を圧し折って、二本にすれば入るから、きっと動くだろうと言う様な暴論。

 

 それでも、きっと出来るであろう。彼はとても強いのだ。だからその魂を捻じ伏せて、己の物へと取り戻せる。

 そう在ってくれると信じて、そう在って欲しいと祈って、天魔・常世は咒を紡ぐ。己を捧げる、神咒神威神楽が此処に在る。

 

 

「私のもの、それは私が望んだもの。私のもの、それは私が愛し戦って来たものなのだ」

 

 

 光が集う。光が溢れる。死者の欠片達が解けていき、その命を彼の欠片へと昇華させる。

 純粋となった命を纏って、異形の蟲が大きく鳴いた。羽化する為に動きを止めて、その頭部に三つの鳥居が現れる。

 

 

「おお、信ぜよ。あなたは徒に生まれて来たのではないのだと。ただ徒に生を貪り、苦しんだのではないのだと」

 

 

 動きを止めた随神相の上、リリィ・シュトロゼックは立ち上がる。這って進む必要はもうない。

 時間の勝負だ。彼女の咒が終わるより前に、トーマを救出すれば良い。だから白百合の乙女は、立ち上がって駆け出し始めた。

 

 

「生まれて来たものは、滅びねばならない。滅び去ったものは、よみがえらねばならない」

 

 

 負けない。負けない。負ける心算なんて欠片もない。女は愛は強いのだ。だから、負ける筈なんてない。

 必ず辿り着ける。必ず救い出せる。そう信じて、迷いもせずに駆け抜ける。また一緒に、明日を生きて行く為に。

 

 

「震えおののくのをやめよ。生きるため、汝自身を用意せよ」

 

 

 負けない。負けない。負ける心算なんて欠片もない。女は愛は強いのだ。だから、負ける筈なんてない。

 必ず間に合わせる。必ず彼を取り戻す。そう信じて、直向きに咒を紡ぐ。その最期にせめて、愛する男へ祝福を。

 

 

「おお、苦しみよ。汝は全てに滲み通る。おお、死よ。全ての征服者であった汝から、今こそ私は逃れ出る」

 

「トォォォォォォォマァァァァァァッッッ!!」

 

 

 遂に乙女は届いた。そしてそれは即ち、女が間に合わなかった事を意味している。

 嘗てを捧げる咒が終わるより前に、リリィのその手が確かに届く。乙女の想いを前にして、常世は確かに敗れたのだ。

 

 

「……リ、リィ」

 

 

 目を開く。夜刀の神体より取り除かれた、その少年が笑みを浮かべて少女の名を呼ぶ。

 帰って来た彼の姿に涙を零して、全身で包む様に抱き締める。もう離さないと言うかの様に、リリィは確かに想いを果たした。

 

 

 

 

 

 だから、だから、だから、だから――これは最早、唯の蛇足にもならない行為である筈で。

 

 

――太・極――

 

随神相――(ハイリヒアルヒェ・)神咒神威・(ゴルデネエイワズ・)無間衆合(スワスチカ)

 

 

 足りていないのだから、成立する筈がない。使われた魂は無駄に消え、そうして終わるだけの太極。

 咒を紡ぎ終えた時に、常世は光となって消えて行く。届かず敗れた想いを胸に、それでも最期まで勝利を祈り続けていたから――

 

 

――ああ、分かっているさ。……負けはしない。

 

 

 最期に、確かに彼女は聴いたのだ。雄々しく優しい声を。古き時代に最強と謳われた、そんな彼の言葉を。

 それを耳に刻んで涙する。心の底から歓喜しながら、此処に女は生を終える。テレジア・ゾーネンキントは解ける様に、霧散しながら消滅した。

 

 

 

 

 

 そして、全ての終わりが始まる。世界が無間に凍り付く。彼が此処に、再びその姿を見せるのだ。

 

 

――海は幅広く、無限に広がって流れ出すもの。水底の輝きこそが永久不変。

 

 

 聴こえる音。其れは誰もが耳にしていた言葉。この世界を愛する神が、常に語り続けていた一つの想い。

 美しい刹那よ永遠なれ。美しいお前達よ永遠なれ。そう祈り願い愛し続けていたのだ。だからこそ、誰もが既に知っていた。

 

 此処に甦るのが誰か。此処に起きるのが何か。全てが凍るその時を、誰もが確かに理解した。

 

 

――永劫たる星の速さと共に、今こそ疾走して駆け抜けよう。

 

 

 足りない。足りない。足りていない。神が甦る為に、まだその魂が不足している。ならば、その魂を取り戻そう。

 神の手が伸びる。蘇らんとする蛇の腕が伸びる。伸びた先は、白百合が救った少年。トーマ・ナカジマから、取り戻さんと手を伸ばす。

 

 

「待ってっ!!」

 

 

 届かない。止められない。彼は甦ると決めたから、故にその行いを止める事など最早誰にも出来やしない。

 トーマ・ナカジマの身体から、最も重要な部位が欠落する。その魂の全てが奪い返されて、残骸となった身体が砕けて大地に墜ちた。

 

 

――どうか聞き届けてほしい。世界は穏やかに安らげる日々を願っている。

 

 

 想い出となって壊れていく。砕け散った記憶の欠片が、大地に転がり消えてしまう。

 その光景に涙を零して、悲嘆の叫びを上げようとする。だが、それすらリリィ・シュトロゼックは行えなかった。

 

 何故ならば、もう彼女は凍っていたから。その時が刻む事を止めて、無間に凍り付いていた。

 

 

――自由な民と自由な世界で、どうかこの瞬間に言わせてほしい。

 

 

 トーマの魂を取り戻し、それを己と統合させる。復活に必要な力が集まり、そして神威が溢れ出す。

 流れ出す力は止めどなく、凍り付くのはリリィ・シュトロゼックだけではない。穢土が凍る。其処に生きる者らが凍る。誰もが抵抗一つ出来ずに、無間に凍り付く。

 

 半死半生で立ち上がろうとしていたクロノ・ハラオウンの時が凍り付いて、彼は動かぬ彫像に変わった。

 悲痛と嘆きを振り払い、再起を心に決めたアリサ・バニングスと月村すずか。歩き出した瞬間に、二人の身体が凍り付く。

 疲弊と疲労を抱えて倒れ掛けながら、それでも互いに寄り添い二人立つ。高町なのはとユーノ・スクライア。同格に至った彼女ですらも、抵抗出来ずに凍って止まった。

 

 

――時よ止まれ、君は誰よりも美しいから。

 

 

 止まるのは、穢土にある生命だけではない。此処に甦る彼の力が、穢土だけで終わる筈がない。

 地球が凍る。其処で帰りを待っていた人々が、一切の例外なく凍り付いて動きを止める。世界の時が止まってしまう。

 

 高町士郎が動きを止めた。高町桃子が動きを止めた。高町恭也が動きを止めた。高町美由希が動きを止めた。

 月村忍が動きを止めた。綺堂さくらが動きを止めた。相川真一郎が動きを止めた。ノエルとファリンの姉妹が動きを止めた。

 

 凍り付くのは、地球だけでも済みはしない。そのまま大寒波は流れ続けて、星天を飲み干しながら世界全てを止めてしまう。

 地球の次は管理外世界へ、それでも足りずに管理世界に。遥か遠くに存在しているミッドチルダの大地ですら、今の彼は呼吸一つで止めてしまえる。

 

 キャロ・グランガイツが動きを止めた。ルーテシア・グランガイツが動きを止めた。ヴィヴィオ・バニングスが動きを止めた。

 メガーヌがヴァイスがシャッハがカリムがヴェロッサがアミタがキリエがシャーリーが――誰も彼も唯一人の例外もなく、全てが凍って止まってしまう。

 

 そして、誰も居なくなった。誰一人として、動く生き物は存在しなくなったのだ。

 

 

――永遠の君に願う。俺を高みへと導いてくれ

 

 

 巨大な蟲が羽化して砕ける。その死骸を中から生まれ直すのは、黒き蛇の随神相――ではない。

 木乃伊の如き姿から、血肉を取り戻した蛇が脱皮する。その穢れた皮を脱ぎ捨てて、彼は今この瞬間に再誕するのだ。

 

 

流出(Atziluth)――新世界へ語れ超越の物語(Res novae Also sprach Zarathustra)

 

 

 漆黒の肌に白銀の鎧を身に纏う。背には翼の如く、後光の如く、展開された八枚の刃。

 赤き髪に赤き瞳。其れを彩る憎悪の鮮血は既になく、発する圧は神々しいとまで感じる程の静謐さ。

 

 その背に浮かんだ随神相は、黒き蛇の皮を捨て去る。後に残るのは、彼本来の神威の形。

 其れは巨大な時計である。歯車によって動く鈍い輝きは、二つの針を止めている。刻まれた文字盤が、本来の役割を果たす事など決してない。

 

 何故にこの結果が生まれたのか、何故にこの様な形となったのか、その答えは単純だ。問うまでもなく、明確な答えが其処にある。

 確かにリリィ・シュトロゼックはテレジア・ゾーネンキントに勝利した。だが、彼女達は敗北した。この神――天魔・夜刀に負けたのだ。それだけが事実の全てであった。

 

 

 

 

 

 穢土・夜都賀波岐第五戦、諏訪原。天魔・常世。消滅。

 機動六課含め、全存在が凍結。天魔・夜刀――此処に完全復活。

 

 無間大紅蓮地獄によって、全てが凍り付いた地獄の底。これより始まるのが、真に最後の戦いだ。

 

 

 

 

 




夜刀様復活! 夜刀様復活!
登場シーンは勿論、刹那・無間大紅蓮地獄を流すのがおすすめです。


大獄が前話で死んだ時点で、大方の人が予想してそうだった夜刀様復活展開。
氷室先輩が情念バリバリに訴え掛け、更に司狼の策謀が成功確定したので、夜刀様も応える為に復活なされました。


そんな訳で、最終決戦ラストバトルはVS天魔・夜刀。
最強状態の彼との戦いを二話程描いて、エピローグ一話で完結予定。

当作も後僅かとなりましたが、よろしければ最後までお付き合いくださいませ。




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第四話 新世界に語れ――超越に至る意志

神父様、キリエ、空亡たん「知ってた」(先行入力)
リリィ、マリィ、香純「知らなかった!?」

推奨BGMは、刹那・無間大紅蓮地獄です。Einsatzでも可。


1.

 あらゆる全てが凍り付いた始まりの地。崩れていく屍の上に築かれた、三柱鳥居を前に降臨する。

 舞い降りた彼こそ、真実真正なる神威。他の七柱は彼の恩恵を受け、偽神と化していた者らでしかない。

 

 故にその圧も、故にその神聖さも、故にその力強さも――あらゆる全てで、彼は正しく格が違う。

 過去最強。嘗て最強と言われた刹那。次元世界の全てと等しい身体に、人の個我を有した存在。これぞ覇道の神である。

 

 

「櫻井」

 

 

 降臨した神は此処に、瞳を閉じて想いを馳せる。想うのは、口に出した友らの名前だけじゃない。

 流れた時間。積み重ねた物。振り返るのは嘗ての日々から、今日に至るまでに起きた何もかもを思い返していく。

 

 

「戒」

 

 

 彼は見ていた。故に彼は知っている。この地に起きた出来事を、彼の愛する宝石たちが過ごして来た時間の全てを。

 それも当然、覇道の神とは世界そのもの。木々の揺らぎ、風の囁き、水の流れ。あらゆる全てが彼である。その全ての事象が、彼の祈りにて形を成していた。

 

 時には見上げた夜空の月として、或いは見晴らす限りの青空として、何気なく踏み締めた大地として、全てを此処に見続けていたのだ。

 

 

「アンナ」

 

 

 悲劇を見た。余りに辛い物を見た。愛する仲間が、愛する子らを傷付けていく。そんな悲しい物を見た。

 その理由が己の為で在ったのだから、溢れる涙が止められない。血涙が頬を流れる度に、あの日敗れた己の弱さを強く呪った。

 

 それでも、彼らに向ける想いは変わらない。その名を呼ぶ声音には、一片たりとも憎悪の情は宿っていない。己を憎めど、邪神を憎めど、それ以外など憎めなかった。

 

 

「リザ」

 

 

 悲劇に立ち向かう者らを見た。余りに辛いであろう現実に、それでもと叫びながら進み続けた子らを見た。

 

 黄昏の末裔。愛した女が産み落としたその魂。刹那の断片。己の魂より零れ落ちたその血肉。混じり合って生まれた子らは、正しく己の愛し子達。

 彼らを襲う悲劇に涙し、それでも立ち上がる姿を見る度に歓喜した。良くぞ良くぞ良くぞ良くぞ、喝采と共に叫びたい。良くぞ、とても強く育ってくれた。

 

 

「司狼」

 

 

 数億、数十億と言う歳月。消え掛けながら世界を維持して、同時に腸を内より貪り続けられた苦痛。

 そんなもの、彼らの姿に比すれば取るに足りない。彼らが受けた悲劇を想えば、負って当然と言うべき痛みだ。

 

 仲間達はどれ程に苦しんだ。傷付く己の姿を見て、どれ程に重い逡巡の果てにその決断を下したのか。

 愛する子らはどれ程に苦しんだ。追い詰められて追い立てられて、その悲痛を思えばこそ比較などしてはならない。

 

 それでも、彼らは選んだのだ。後に託す事を、今を継ぐ事を、確かな想いで選んでくれた。ならばその輝き、己が誇らずして誰が誇る。

 

 

「ミハエル」

 

 

 故にその名を刻み付ける。散っていった仲間達と、同じく散っていった子らを想う。忘れぬ様にと、己の心に刻み込む。

 故にその名を刻み付ける。輝かしい選択を選んで消えた者らと、輝かしい選択を選んで進もうとする者ら。最期に此処へと現れたのは、それを見届ける為にこそ。

 

 己を求めた友が居て、己が居ても良い理由を作ってくれた友が居る。故にこそ、彼は此の地に舞い戻って来たのである。

 

 

「テレジア」

 

 

 秀麗にして艶美な容姿に、浮かべているのは確かな喜色。もう誰も居なくなったこの場所で、それでも確かに微笑んでいる。

 

 

「すまない。そして礼を言おう。よくぞ、この時の果てまで付いて来てくれた。お前達を誇らせてくれ」

 

 

 今の彼を満たすのは、確かな歓喜の色である。積み重ねた日々の果てに、こうして今に至れた事。天魔・夜刀は確かな想いで、輝かしい全てに感謝を贈った。

 

 

「ああ、素直に想うよ。俺の仲間が、お前達で良かったと」

 

 

 そして、その目を静かに開く。ゆるりとした瞼の動きと共に、発する圧はしかし絶大。

 唯それだけで、先程までの世界であれば穴が開いていたであろう。そう確信する程に、余りに大きな力の動き。

 

 それでも、まだ開かない。それは単純に、自傷をする意味がないから。この世界は、天魔・夜刀なのである。

 そうでなくとも、容易く亀裂が入る事などないだろう。並の神格などでは届かぬ程に、嘗ての刹那(サイキョウ)は強大だ。

 

 そんな神が瞳で見詰める。目を向けた先に在ったのは、仲間達が彼の為にと回収していた蒼き宝石。

 ジュエルシード。無くても問題はないが、あった方が便利な物。十三個の宝石の使い道は、今この場所にこそ在る。

 

 来い。そう視線に意を宿した瞬間に、空を飛来して掌中に納まる。手に転がせる宝石には、虚数への道を開くと言う機能がある。

 その性質を己の力で強化すれば、大した労力を必要とせずに虚数の果てへと到達できよう。己の力だけでも出来る事だが、その先を思えば消費を抑えた方が良い。

 

 虚数の先、その果てにこそ――夜刀にとっての怨敵、打ち倒すべき極大の邪悪が潜んでいるのだから。

 

 

「波旬。第六天」

 

 

 その名を呼ぶ。極大の憎悪と憤怒。余りにも濃密な負の感情と共に、怨敵の名を口にした。

 

 

「感じるぞ。貴様の力を――随分と、安寧に浸っていた様だな」

 

 

 虚数を挟んでその先に、感じる力は確かに大きい。それでも、在りし日程ではない。ならば、今の自分ならば、勝てるのだと確信した。

 瞬間、湧き上がって来るのは憎悪と歓喜が混じった物。膨れ上がった恨みつらみを晴らす時に感じる様な、陰的な喜びの情。それを感じて、それでも彼は抑え付ける。

 

 

「……だが、今の俺の相手はお前じゃない。お前などに、(カカズラ)ってはいられんのでな」

 

 

 今直ぐにでも、この恨みを晴らしたい。そう想いながらも、そう出来ない。

 そうすれば、失われてしまうモノがある。受け継げない光がある。己の恨みだけで動いてはいけない。そんな理由が在ったのだ。

 

 故に彼は視線を移す。手にした宝石を握り潰して、虚数へ至る道をその権能で凍結させた。

 これで彼が望まぬ限り、そして彼を乗り越えぬ限り、神座に至る事などもう誰にも出来はしない。

 

 

「そう言う訳だ。俺は決めたぞ。……なのに、お前は一体何時まで寝ている心算だ?」

 

 

 座へと繋がる天を塞いで、見下ろす視線が見詰める先は荒れ果てた母校の姿。

 在りし日に追悼の念を抱きながら、その先に倒れた者を確かに見詰める。其処に居るのだ。彼こそがそうなのだ。

 

 彼が居るから、甦ると決めたのだ。友が彼に賭けたからこそ、此処にある事を許容したのだ。

 故にこそ、未だ彼が眠り続ける現状は腹に据え兼ねる。己が道を決めたと言うのに、受け継ぐお前がそれで一体どうすると言う話だと。

 

 理不尽な言い分と分かっていて、それでも彼だけは特別だ。真実の意味で今の彼は未だ、己の愛し子ではない。

 彼だけは違う。彼だけが違う。ならばこそ、その対応も自然と厳しくなっていく。目を覚ます事が出来ぬのならばと、その視線は鋭さを増していく。

 

 やはり起き上がれないのではないか。蒼き石を砕いたのは早計だったか。無数に感じる迷いはそれこそ山の様。

 それでも信じてみようと待てるのは、彼を信じているからではない。彼に賭けた親友を、その瞳を信ずればこそ、此処に待とうと想えたのだ。

 

 そうとも、遊佐司狼と言う親友は、この一瞬の為だけに全てを捨てて賭けたのだから。

 

 

――そんじゃ、そろそろ種明かしと行こうかね。

 

 

 空に浮かび見下ろす神が、思い浮かべるのは先の遣り取り。彼を誰より愛した裏切り者がこの地で交わした、策謀の裏にあった真実だ。

 

 

――俺の目的なんざ、単純さ。前提条件こそ面倒臭いが、言葉にすりゃシンプルで陳腐な話だよ。

 

 

 その目的は単純だった。彼の狙いは簡単だった。それを困難にしていたのは、前提となる条件が悪過ぎたから。

 彼は別に、特別な事を望んだ訳じゃない。本来ならばきっと、決して高望みだった物じゃない。それは与えられて然るべきモノを、友に与える為だけに。

 

 天魔・宿儺が選んで、天魔・大獄がそれを決める。そんな両翼の遣り取りこそが、そもそも最初から嘘だった。

 彼はそんな事を望んでいない。そうとも、遊佐司狼が望む筈がない。選んでいいのは、決めて良いのは、天魔・夜刀だけなのだから。

 

 

――俺らの大将をトーマと逢わせる。それも現実の世界で、だ。唯それだけが、俺の狙いだったのさ。

 

 

 故に、その策謀の意味するところは即ちそれだ。嘗てと次代の邂逅を、未来を託す一戦を。

 遊佐司狼が望んだ事は、天魔・夜刀に選択の機会を与える事。たったそれだけの事でしかなかったのだ。

 

 

――テメェで言ってて、無理があるとは分かっているさ。大将が甦れば、トーマが死ぬ。常にどっちかしか存在出来ない。それがまあ、大前提の話だろうよ。

 

 

 だがそれは口で言うのは簡単だが、実現させる事は不可能としか言えない難事であった。

 

 何故なら、トーマと夜刀は同一人物。同じ魂が二つに分かたれ、輪廻の果てで生まれた別人格でしかない。

 どちらか片方が存在したのなら、どちらか片方は消滅するより他にない。故に精神世界での遣り取りならば兎も角、現実の場で出会う事などあり得ない。

 

 

――けどよ、どうしてそんな前提が成り立つ? それは大将とトーマが同一人物だから、別の側面でしかないからって理由な訳だ。

 

 

 だからこそ、其処に策謀が必要だった。全てを裏切り欺き誇りを投げ捨て、それでも最期に賭ける以外に道がない。

 可能性はあった。那由他の果てを掴むよりも気が遠くなる程、一度は全てを諦める程、それでも可能性は確かにあった。

 

 故に遊佐司狼は全てを賭けた。アンナ・マリーア・シュヴェーゲリンもそれに乗った。ならば天魔・夜刀が応じぬ理由は、最早世界の何処にもない。

 

 

――だったら、話は簡単だろう。同一人物だから逢う事が出来ないって言うんなら、別人にしちまえば良いのさ。

 

 

 遊佐司狼の目指す場所。それは魂の製造。同一人物の魂を使い回しているから、彼らは決して逢えないのだ。

 故に魂をもう一つ用意する。彼だけの魂を作り上げる。トーマ・ナカジマと言う少年を、天魔・夜刀ではない存在へと変革するのだ。

 

 

――人に魂は作れねぇ。俺らに魂は作れねぇ。大将でも自由自在っつー訳にはいかねぇし、それこそそういう渇望を持った神になるか、座の力が必要になる。そう言う不可能な部類な訳だ。都合の良い魂を生み出そうって言うのはよ。

 

 

 人に魂は作れない。それは偽りの神でしかない彼らもまた変わらない一つの真実。都合の良い魂を、ポンと用意する事なんて不可能だ。

 人の魂を生み出せるのは、己の身体から産み落とせる覇道神か。魂を弄る事を願った求道神か。全知全能の力を持った座を、掌握している支配者くらいだ。

 

 それでも、人の魂は生まれない訳ではない。作れないけれど、生み出す事は出来るのだ。

 

 

――けどよ、人は魂を生み出せる。その絆が紡いだ記憶が、確かな魂に変わるんだよ。

 

 

 偽りの命を持った、雷光の少女が居た。プロジェクトFと言う技術で作られた肉の器は、しかし確かな魂を育んだ。

 機械仕掛けの乙女達が居た。作られた存在である彼女らは、しかし確かな魂を持っていた。人と繋いだ絆が確かに、彼女達を人にしていた。

 

 実例はあるのだ。保証はあるのだ。生まれる可能性は、確かに其処にあったのだ。

 故に絆を紡がせよう。故に記憶を重ねさせよう。何が在っても薄れぬ程に、強い想いがあれば其処に魂は育まれる。

 

 その為だけに、その少年を鍛え上げた。彼に多くの苦難を与える様に、情勢全てを操った。遊佐司狼が望んだ事は、その真実の産声だった。

 

 

――なら、必要なのはバランスだ。重要なのはタイミングさ。

 

 

 壊れた母校の校庭に、転がる無数の欠片達。煌きながら消えて行く、それが次代の可能性。

 積み上げられた想い出は、確かに重いが脆い物。血肉や魂に守られていない欠片では、神座闘争の余波にすら耐えられまい。

 

 さりとて、これを凍らせてしまえばそれも問題。今は未だ、彼は誰にも成れていない。

 故に此処で守ってしまえば、己の内に取り込まれる。唯の想い出として、統合されて御終いだ。

 

 なればこそ、この今にしか可能性は存在しない。此処で争う理由はそれだ。神は確かに、彼が立ち上がる事に期待していた。

 

 

――魂が芽生えるに足る記憶の量に、だが大将が復活できる程度に色を抑える。丁度その状態になった直後のタイミングで、先輩が回収する様に立ち回ってたって寸法よ。

 

 

 その期待に応える様に、誰かが確かに呼応する。不要と切り捨てられた異物が其処で、蒼き宝石の欠片と共鳴しながら輝いた。

 そして一点へと集まっていく。切り捨てられた異物が拾い集めて、記憶がその場所へと集っていく。一つも取り零しはしないのだと必死になって、それが確かに次へと繋がる。

 

 無数の欠片が山となる。今は文字通り塵の山でしかない有り様だが、きっと生まれてくれると信じよう。もう自分ではない存在へと、彼の新生を此処に待つのだ。

 

 

――後は、まぁ賭けだわな。先輩が何処までトーマを捨てんのか、捨てられた欠片が生まれ落ちてくれんのか。丁半博打だ。無駄金を磨る結果になったら、まぁ道化に終わったと嗤ってくれや。

 

「……嗤うものか。笑わせるものかよ。お前を道化になど、させて堪るか」

 

 

 そうとも、此処で生まれなければ友が道化になってしまう。信じた彼が、愚かだったと終わってしまう。

 そんな事、断じて認める筈がない。何としてでも、起きて貰わねば困るのだ。故に天魔・夜刀は、発破を掛ける様にその名を呼ぶ。

 

 

「トーマ・ナカジマ。俺の親友は、お前にすべてを賭けたんだぞ?」

 

 

 彼に全てを賭けたのは、神の親友だけではない。多くの者らが、確かに彼に期待している。

 機動六課も、夜都賀波岐も、彼が居たから認めたのだ。其処に続く次代の美麗さを、確かに認めたからこそ今がある。

 

 だと言うのに、高々魂を回収されたぐらいで死んでいる。そんな形で終われる程に、お前の背負った荷は軽くはない。

 

 

「とっとと起きろ、新鋭――主役を気取りたいんだろうがっ!」

 

 

 それが、主役の背に掛かる期待の重さ。余りに苦しい程の重量を、笑って抱えられる事こそ主役の矜持。

 今この場にて立ち上がり、古き神を打倒せよ。それが求められた役割に対する、主役の責任と言う物なのだ。

 

 

「その何たるか、先人(オレ)が教えてやるから掛かって来いっ!!」

 

 

 雄々しく、神々しく、主役を張り遂げた男が確かに語る。その何たるか、此処に教え込んでやろうと。

 そう語る偉大な神の眼前で、確かな光が其処に生まれた。唯の塵山でしかなかった想い出が、煌く様に輝いたのだ。

 

 

 

 

 

――ねぇ、君? 私の家族にならない?

 

 

 手を差し伸べてくれた母が居た。強く優しい女が、彼に母性を教えてくれた。

 始まりは其処に。生まれ落ちる事が出来なかった無垢さは消えて、彼の個我が芽生え始めた。

 

 

――あーっと、ゲンヤだ。今日から、お前の親父になる。

 

 

 何処かおっかなびっくりと、互いに手を伸ばした記憶。不器用だけど優しい父が、父性と言う物を教えてくれた。

 その繋がりがあったから、彼は歩き出す事が出来た。最初の一歩を踏み出す強さを、確かに与えてくれた存在だった。

 

 

――気にしなくて良い。先生は、そんなに柔に見えるかい?

 

 

 始まりの想いと、踏み出す一歩。それをくれたのが父母ならば、強さの意味を教えてくれたのがその人だ。

 先生と呼び慕った一人の人間。解脱に至り掛けたその人こそが、確かに人の強さを育んだ。少年の土台はこの時までに、確かに積み上げられていた。

 

 

――私はティアナよ。ティアナ・L・ハラオウン。アンタの相棒だから、また忘れるまで覚えときなさい。

 

 

 共に居てくれる人が居た。迷い悩んで歩を止めそうになって、それでも手を引いてくれる人が居た。

 その未来を見詰める瞳を想う。迷わずに真っ直ぐ進んで行く彼女が居たからこそ、己ももう迷わないで進んで行ける。

 

 

――トーマ・ナカジマ。君は確かに、私の友の一番弟子だ。

 

 

 そうとも、迷う必要などはない。今も敬意を抱く先達が、確かに認めてくれたのだ。己の中には、父母と師の教えがあると。

 求道に狂った研究者は、それでも確かな見る目を持っていた。その瞳が保証してくれたのだ。此処に居るのは、確かな己なのである。

 

 

――私は貴方と、そう生きたいよ。

 

 

 寄り添いながらに微笑む白百合。嘆きを叫んだままに凍った姿に、己は何をしているのかと奮起する。

 囚われて、奪われて、それで終わりか。いいや、そんな無様を見せる訳にはいかない。何故ならば、己は確かに託されたのだ。

 

 

――トーマ。君は強いね。

 

 

 焦がれる様な瞳で見上げる悪魔の王。天魔・常世に異物と弾かれた彼の欠片が、確かに想い出を集めてくれた。

 そんな彼が言っている。己に勝利した男が此処で終わるなど、認めないと言っている。ならば、どうしてこのまま眠っていられる。

 

 出来ない。出来ない。出来ない。出来ない。不可能だ。

 

 何も為さずに眠るなど、どうして行う事が出来ると言う。此処で挑まずに終わる事を認めるなんて、決して不可能な事なのだ。

 故に目を覚ます。開く瞼がないと言うなら、此処に器を形成する。身体を生み出す魂が存在しないと言うならば、此処に己の意志で作り上げる。

 

 出来る筈だ。不可能なんかじゃない。何故ならば――既に己は想えている。我思う故に我があるのだ。

 

 

「俺、は――」

 

 

 此処に思考する自己を認識した瞬間に、トーマ・ナカジマは産声を上げる。

 生まれたばかりの魂が、活動して形を作る。形成するべき物とは即ち、踏み出す為の己の五体だ。

 

 

「トー、マ。トーマ・ナカジマだっ!」

 

 

 茶色の髪に、白い肌。黒いシャツに、青のジーンズ。開いた青い瞳には、双頭の蛇(カドゥケウス)など浮かんでいない。

 断頭台の痕はない。流れる様な白いマフラーだってない。神の全てと確かに決別して、少年はトーマ・ナカジマとして立っていた。

 

 

「そうか。お前はそう言うのか」

 

 

 立ち上がった少年の名乗りに、天魔・夜刀は静かに微笑む。それで良い。そうでなくてはいけないと。

 己から完全に切り離されたその存在。生まれたばかりの赤子の誕生に、胸中にて喝采を贈りながらも口にはしない。

 

 

「ならば、トーマ・ナカジマ。お前に此処で、俺が全てを教えてやる」

 

 

 誕生したばかりの魂は、酷く脆くて弱々しい。今の彼が動けているのは、天魔・夜刀がそれを許しているからでしかない。

 だが、それではいけないのだ。そんな弱さを見せたままでは、後を託せる筈がない。今足りていないと言うなら、此処で一気に鍛え上げる。

 

 

「容易く死ぬなら、期待は出来んぞ。余りに無様を見せるなら、偽りの己と粉砕して、俺が波旬を倒すとしよう」

 

 

 故に夜刀は刃を動かす。背に負う翼が駆動して、処刑の太刀が空気を切り裂く。舞い降りる真空の剣は、一瞬後には数え切れない程に。

 迫る処刑の刃。これでも加減はしているが、それでも容赦はしていない。容赦をしては意味がないから、生まれたばかりの赤子に向けて無数の刃を落とすのだ。

 

 

「故にな、先ずはこのくらい躱してみせろ」

 

 

 吹雪の如くに迫るのは、数億数兆と言う刃の嵐。飲み込まれれば最期、その一瞬で切り刻まれて死に至る破滅の凶風。

 同時に世界を覆う神の力場は、加減こそされてはいるが存在しない訳ではない。停止に満たない停滞の色が、凶風を前にするトーマの足を重くした。

 

 

「っ! くそっ!! これが生まれたばかりの奴に、する仕打ちかよっ!?」

 

 

 魂の活動。肉体の形成。誕生から一足飛びに、其処まで来た時点で既に限界。生まれ直せた事が、そもそも奇跡の部類であった。

 故に疲弊を隠せぬ少年は、毒吐きながらに身を捩る。あらゆる動作を十分の一にまで停滞させられて、それでも必死に身体を動かした。

 

 破滅の凶風から逃れる様に、凍り掛けた時の中を必死に動く。それでも余りに逸った意志の速さに、生まれたばかりの身体が追い付かない。

 未だ身体を動かす事すらしていないのだ。寝起き直後に全力疾走などすれば、どうなるかは自明の理。意志に付いて来れない血肉は、足を縺らせ崩れ落ちる。

 

 この窮地を前に、倒れ込んでしまうと言う大失態。それでもそれで終わりだと、諦める様ならそもそも立ち上がってなどいないのだ。

 故に倒れると言う無様を晒しながらも、必死に手を伸ばして身体を這い摺らせる。少しでも影響圏から逃れ出ようと、大地を這う虫が如き抵抗は――

 

 

「遅いぞ、トーマ・ナカジマ」

 

「――っ!?」

 

 

 大空を飛翔する翼を前に無為と化す。必死に凶風から逃れた先に、既に先回りしていたのは天魔・夜刀。

 元より二段重ね。一つを超えたからと言って安堵する様では、先がないと断じる念押し。其処まで乗り越えて初めて、彼が認めるに足りるのだ。

 

 その点で言えば、この少年は既に論外。嘗て自分だった者に対して向ける厳しさも確かにあるが、それでもそんな論を下した理由は別にある。

 

 

「一度は踏破した道だろうがっ! 一体何時まで、形成位階(そんなところ)で止まっている!?」

 

 

 地を這う少年の頭を片手で掴んで、大地を引き摺りながらに叱責する。どうして其処で上を目指さず、先ずは足場を安定させようとしたのかと。

 魂を活動させた。それは良し。肉体を形成した。それも良し。だがどうして、最初にその先まで行かない。進めないなどとは言わせない、一度は辿り着いた場所だろう。

 

 魂が変わった程度で、届かないと語るならば落第だ。それはトーマの力ではなく、夜刀の力の恩恵を受けて辿り着いていたと言う証明になってしまうのだから。

 

 

「さあ、お前の祈りを魅せてみろっ! 俺の力が無ければ至れない様な存在ならば、このまま磨り潰されて終わると知れっ!!」

 

 

 引き摺り磨り潰されながら、痛みの中で確かに想う。感じる情は恐怖じゃない。見下す様な瞳に対する、怒りと屈辱の感情だ。

 目覚めたばかりで、叩き付けられた理不尽な試練。其処に反発する様に、魂を燃やし上げる。お前の力が無くても至れるのだと、確かに示して魅せると奮起した。

 

 魂の活動の先、肉体の形成の次、それは法則の創造だ。己の渇望を思い出す為に、内にある異能を確かに認識する。

 

 それは美麗刹那・序曲ではない。死想清浄・諧謔でもない。涅槃寂静・終曲などでもない。それらはもう、一切使用できなくなった。

 何故なら夜刀とは決別したのだ。その三つの祈りは彼の力であれば、彼でない存在が使用できる筈がない。故にトーマが使える祈りは、真実たった一つのみ。

 

 

明媚礼賛(アインファウスト)・協奏っっっ(・シンフォニー)!!」

 

 

 真実、彼が望んだのはその手を取る事。誰かと対等の立場に立って、絆を結んで共に進み続ける事。

 トーマの内から零れ落ちた願いはそれだけで、故に此処で使える力もこれだけだ。そんな絆の祈りを以って、此処に法則を紡ぎ上げる。

 

 その効果対象は、目の前に居る天魔・夜刀。己の頭を五指で掴んで、地に叩き付ける神へと手を伸ばす。

 力を共有する為に、位階を共有する為に、紡ぎ上げたその法則。力に巻き込む形で得るのは、天魔・夜刀に等しい強さだ。

 

 

「オォォォォォォォォォォォッッッ!!」

 

 

 強制共有。人に話し掛けられた時、瞬時にその事実を理解してしまう様に、拒絶は認識の後にしか行えない。

 故に彼の異能は遥か格上にでも、一瞬であれば成立する。その瞬きにも満たない瞬間に、力の規模を対等にする。それがトーマの選んだ対抗手段。

 

 それに対し、天魔・夜刀は驚きもしない。奪いたければ好きにしろと言わんばかりに、繋がれた手を払い除けない。

 其処に違和を感じながらも、拒絶されないならばそれに越した事はない。覇道神の頂点にへと迫った少年は、己の顔を掴む腕を振り払う。

 

 力の規模は既に対等。完全に伍とするこの今に、トーマの膂力を片手では防げない。夜刀は薙ぎ払われるまま、自ら飛び退き立て直す。

 驚愕も動揺もない姿。当たり前の様に距離を取った天魔・夜刀は、トーマの姿を見据えながらに次へと移る。彼の背にて音を立てて動くのは、鈍く輝く巨大な時計だ。

 

 

「シーク・イートゥル」

 

 

 時計の文字盤が動き始める。構成する歯車が振動する。蛇の鱗が零れる様に、随神相を織りなす部品が次から次へと落下する。

 随神相・流星。降り注ぐ巨岩の雨を前にして、トーマ・ナカジマは右手を掲げる。彼らは同じになったのだから、神に出来る事は今のトーマにも出来るのだ。

 

 

「アド・アストゥラ」

 

『セクゥェレ・ナートゥーラム』

 

 

 頭上から降り注ぐ鉄の雨に対し、地上より舞い上がるのは書物の頁。一つ一つが星を砕ける隕石にも、負けない程の密度を持っている。

 故に結果は対消滅。共に消え去る無尽の力を前にして、トーマは刃をその手に形成する。己の内より取り出したのは、想いを貫く為の銃剣(バヨネット)

 

 

「俺は負けない。俺達は負けない」

 

 

 心で繋がりながら、流れる想いを共感する。その真実の全てを己の目で見届けて、それでも今更尻込みしない。

 負けない。負けられないのだ。だから負けない。その背には既に多くの物があり、己の眼前には打ち倒される事を望んでいる者が居るのだから。

 

 

「軽くないんだ。重いんだよ。積み上げた物は、背負った物も――だから、アンタの為にも負けられるもんかっ!」

 

 

 だから、負けない。強き瞳でそう口にして、その手に握った砲門を神へと向ける。

 銃剣の先より放つ一撃は、全てを貫く至大至高。それは天魔・夜刀の全力にも、全く引けを取らない力。

 

 

「此処で終われ、天魔・夜刀。その億年を超える終止符が、この今で在ると知れっ!!」

 

 

 神を狙って、引き金を引いた。瞬間溢れ出す光の柱が、空に佇む天魔・夜刀を飲み干していく。

 動けないのではない。動かなかったのだろう。その意志を理解しながらも、応える為にこそ躊躇はなかった。

 

 砲身が焼き切れる程の力。自分の身体に掛かる異常な程の重さ。共有しても尚、余りに身の丈を超えていた至高の一撃。

 反動だけで身が引き千切れる様な、余波だけで身体が焼け付く様な、痛みの共有だけで心が折れそうになる程の、そんな破壊の光が全てを包んだ。

 

 

 

 そして、撃ち放った銃剣から煙が噴き上がる。まるで灰薬莢か何かの様に、再現したカートリッジが吐き捨てられた。

 後に残ったトーマは一人、感じる痛みに身を震わせる。それでもこれだけの一撃だ。唯で済む筈がないと思考して――

 

 

(っ!? まだ、共有が続いているっ!?)

 

 

 その事実に戦慄する。まだ天魔・夜刀は消えていない。そうとも、この程度では終わらない。

 彼は誰より守勢に秀でた存在。邪神の一撃にさえ耐え抜いたその真価とは、防衛において発揮されるもの。

 

 夜刀の全力攻撃と同等程度では、その全力防御を破れない。それは唯、それだけの話だったのだ。

 

 

「……だから、言っただろうが」

 

 

 慌てて見上げた視線の先に、姿を見せる白き鎧。翼を背負った猛き神は、未だ全く無傷である。

 そして流れ込んでくる。共有した繋がりを介して、力と共に流れて来た感情は憤怒と失意の混じった物。

 

 彼は怒りを抱いている。彼は失望を抱いている。トーマ・ナカジマの選択が、余りに間違えた物だったから。

 

 

「俺の力が無ければ至れぬ様では、このまま磨り潰してやるとっ!!」

 

「――っ! まだ、上がるのかっ!?」

 

 

 夜刀の力がその威を増す。全てを止める凍てつく風が、その激しさを増していく。

 共有し流れ込む力に圧し潰されそうな程に、それでも強化が止まらない。この今にも、神威が荒々しく怒りを叫ぶ。

 

 

「教えてやろう。既知感だ」

 

 

 トーマ・ナカジマは間違えた。一度の過ちが形成位階で止まった事なら、二度目の過ちとは手を握る相手を間違えた事。

 天魔・夜刀に追い付くだけで手一杯では、そもそも後が続かない。彼は先に語っていたのだ。己の力に頼らず至って魅せろと。

 

 

「其れは既知も修羅も黄昏も、そして刹那(オレ)も敵わなかった。それでは届かないんだよ」

 

 

 夜刀の手を取る事は間違いだ。彼から力を奪おうとするのは間違いだ。それでは決別した意味がない。

 故に彼は怒りを見せる。それでは駄目だと断言する。そしてその威は力を増す。己の模倣を前にして、彼が負ける訳にはいかないのだ。

 

 

「選択を間違えたな。見るに耐えない」

 

「っ、あぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 凍る。凍る。凍っていく。手足の先から身体の芯まで、全てを止める力が押し寄せる。

 力の規模ではもう対等な筈なのに、同じ特性を手にしている筈なのに、その凍結が防げない。

 

 それは極めて単純な話。力が同じなのに届かないのなら、それは想いの量が違っているのだ。

 同じ想いを共感しても、内より生まれた物には届かない。ましてや、彼は覇道神のハイエンド。自己の渇望だけで、過去第二位と言う強度を持つ存在なのだから。

 

 

「身の程を識れ。……己の真実を知った上で、己の在り方を示すが良い」

 

 

 此処に採点を下す。示した数字は落第点。及第点にも遥か遠く届かない、赤点以下の解答例。

 これでは死ねない。これでは託せない。こんな形では納得できない。それでも、答えは彼の内にあるのだと知っている。

 

 故にこそ、天魔・夜刀は此処に示すのだ。己にとっての真実至高、自らの存在など比較にならない程に愛した女の姿。

 全てを包んで愛してやりたいのだと、微笑みながらに語った無垢なる女。彼女へ捧げる想いこそ、彼の内側に存在している至高であるのだ。

 

 

「血、血、血、血が欲しい。ギロチンに注ごう飲み物を。ギロチンの渇きを癒すため。欲しいのは、血、血、血――マルグリッド・ボワ・ジュスティスッ!!」

 

 

 時を止められ、凍り付いたトーマの元へと落ちて来る。首を切り落とす為のギロチンを、トーマはもう躱せない。

 動けない。その想いに圧倒される。凍てつく風すら防げないのに、どうしてそれ以上の愛に耐えられようか。故にその幕引きは必然だった。

 

 斬。振り下ろされた斬首の刃が、少年の首を切り落とす。頭を失くした胴体が、大地に倒れて砕け散る。

 想い出から生まれ落ちた命は、再び想い出の塵山へと。壊れて潰えたトーマの姿を前に、夜刀は視線を逸らさない。

 

 己も同じ痛みを共有していると言うのに、決してそれを表に見せない。そんな彼は無言の内に瞳で示す。

 今度こそ、正しい答えを見付けて来い。まるでそう言うかの如く、想い出と化した残骸を見詰め続けるのだった。

 

 

 

 

 

 再び想い出と化した少年は、何もない静寂の暗闇にて思考する。己は一体、何を間違えたと言うのであろうか。

 戦う為の力を求めた。相手は己より遥かに遠く強大だから、その力を利用するのは理に適っていると言える解答だろう。

 

 だが、それでは駄目だと語られた。自分の力で立って進めと、共有による強化自体を否定されたのだ。

 そんな形じゃないだろう。それは答えじゃないだろう。そう叱責された少年は、しかし答えに迷ってしまう。

 

 

「勝てない。あんな想いに、勝てるもんか」

 

 

 最後に共感した想い。その余りの重さに絶句した。時を止められていなくとも、動けなくなっていた程の愛情。

 まるで暴力の如き質量。心を殴り飛ばされた様な、そんな重さに心が挫ける。あんな想いには勝てないと、何処かで納得してしまう。

 

 それも当然、天魔・夜刀は個の頂点だ。その想いは単独で至れる境地。個人で並び立てる様な存在ではない。

 最強と言われた邪神ですらも、畸形嚢腫と言う他者が居なければ極限にまでは至れなかった。純粋な個と言う意味では、天魔・夜刀こそ最強なのだ。

 

 そんな存在に、個人で戦って勝てる筈がない。その力を奪い取る以外に、一体どんな術があると言うのであろうか。

 分からない。分からない。分からない。再生の時に致命的な部位でも欠落してしまったのか、どうしてもそれが分からなかった。

 

 故に――答えが分からぬ無様な姿を、彼が黙って見ている筈がなかったのだ。

 

 

「……全く、何て無様だ。君がそれを忘れて、一体何ができると言うんだ」

 

 

 全てを覚えている訳ではない。幾つも取り零した物がある。それでも、その声は確かに覚えていた。

 暗闇の中に浮かぶ赤い色。色濃い隈を刻んだ瞳に、浮かんだ色は見下す侮蔑。心底から下らないと吐き捨てながら、彼は此処に答えを伝える。

 

 

「君が一人で、何か出来た事があったかい? 一度でも、たった一人で乗り越えた事があるなんて語るんじゃないよ。何時だって、君は誰かと一緒に居ただろう?」

 

 

 蔑む様に口にする。侮蔑を意味する言葉の羅列は、しかし真実見下している訳ではない。その過去を、下に見ている訳ではない。

 

 

「僕以上に誰が知る。ずっと見ていたんだ。だから断言して上げるよ。君は一人じゃ無能だし、結局何も出来ない雑魚なんだよ」

 

 

 他の誰が認めなくとも、彼が認める。他の誰が否定しようと、彼が認める。他の誰でもない、エリオ・モンディアルが確かに認める。

 

 

「だけど、君の強さはそうじゃない。君の(つよさ)は、個の強さとは違うんだろう?」

 

 

 たった一人でしかなかった悪魔の王は、その強さにこそ焦がれたのだ。一人では絶対に持つ事が出来ない力を前に、彼は敗れ去ったのだから。

 

 

「は……、何で、忘れてたんだろうな」

 

「知らないよ。痴呆にでもなったんじゃないのかい?」

 

「言ってくれるよ。全くさ」

 

 

 言われてすとんと得心する。気付けばどうして分からなかったのか、そうと言える程に簡単な解答。

 一人じゃ勝てない。だから勝利は出来ないと、そう考えるのがそも間違い。一人で勝てないと言うのなら、一人で挑まなければ良いだけの話であろう。

 

 そうとも、何時だって一人じゃなかった。戦い勝利して来た時には何時だって、自分の傍には信じられる仲間が居たから。

 

 

「忘れないさ。ああ、もう二度と忘れない」

 

 

 もう忘れない。本当にもう二度と、これ以上は忘れない。自分の強さのその意味を。

 個の究極になんて至れない。群れの長にも成れやしない。それでも、トーマは決して弱くはない。

 

 それを伝えに行くとしよう。それが答えと示すとしよう。たった一人になった頂点に向かって、今を生きる皆で挑もう。何時だって、トーマは一人なんかじゃない。

 

 

「上等だ。個の極点。一人で勝てないって言うんなら、皆でお前に勝ってやる」

 

 

 暗闇の中、前を向いて立ち上がる。進むと決めた瞬間に、三度の誕生は始まっている。

 まるで夜明けを斬り裂く様に、昇る日差しの如く輝く光。暗闇を照らし出して未来へと、進む背中に言葉が掛かる。

 

 

「助けはいるかい?」

 

「いらないさ。お前の助けがなくても、他に助けてくれる人が居る」

 

「そうか。それは何より。僕も君に手を貸すなんて、正直反吐が出る話だからさ」

 

 

 悪魔の王に助力は乞わない。その助けは必要ない。彼に手を貸して貰わなくとも、助け合える仲間がいる。

 そう語るトーマの背中に、嗤って返すエリオの言葉。何時もの様に斜に構えた遣り取りを、素直になれないままに交わして背を向ける。

 

 

「じゃあな。行ってくる」

 

「ああ、もう此処には戻って来るなよ」

 

「当たり前だっ!」

 

 

 背中合わせの状態から、トーマは光に向かって駆け出して行く。もう二度と、彼は後ろを振り向かない。

 そうなると分かっていたからこそ、天使は一人優しく笑う。彼の背中が見えなくなる程遠のいてから、優しい笑みと同時に願いを言った。

 

 

「トーマ。君の力への意志(ヴィレ・ツァ・マハト)を聴かせてくれ。……きっとそれが、確かな答えだろうから」

 

 

 

 

 走る。走る。走り抜ける。光に向かって駆け出しながらに、その手を伸ばして訴え掛ける。

 どうか手を貸して欲しい。一緒に戦って欲しい。己は一人では勝てぬから、この身をどうか支えてくれ。

 

 

――矢よ我が身を射抜け、槍よこの身を突き刺せ。

 

 

 先ず最初に彼の言葉に応えたのは、未来を視通す力を持ったその少女。

 己こそが相棒なのだと、そう言う自負を抱いた彼女は頷く。言うのが遅いと怒りながらに、それでも確かに手を取った。

 

 

――万象よ我らを囲み、清浄な世を取り戻す為に流転せよ。

 

 

 妹がその手を取ったのならば、兄も一緒に支えるのが役目であろう。故に彼女に続くのは、管理局の英雄局長。

 万象流転の担い手が、トーマの伸ばした腕を取る。未来を決める戦いに、彼も確かに参戦する。それを拒む理由など、何処にもありはしないのだ。

 

 

――薔薇の花弁は慈愛を広め、美しき炎は歓喜を齎す。

 

 

 仲間達は増えていく。未来視と万象の支配者。彼ら兄妹に続くのは、鮮やかな色をした二人の女。

 月の一族と生まれた薔薇に、麗しき心を受け継いだ一つの炎。慈愛と歓喜。二つの色を纏ったままに、彼女達も共に行く。

 

 

――澄みわたる空の陰陽よ、真の言葉で遍く照らせ。

 

 

 月と太陽。空に輝く二人も此処に、少年の手を確かに握る。助けを求められたのならば、決して否などありはしない。

 何処に居たってその手を取ろう。何度だって握り返そう。確かな絆が其処にあるのだ。ならばどんな窮地だって乗り越えられる。

 

 

――聖母の花よ、その久遠の御手で我らを導け。

 

 

 最後に望み求めたのは久遠の少女。彼の傍らに寄り添う様に、微笑みを浮かべるのは百合の花弁。

 永遠を象徴する聖母の花は、此処に愛する少年と共に行く。その想いは誰にだって、負けるだなんて思わぬ物だ。

 

 

――天地開闢の日はここに。穏やかな転換の中で、今こそ確かに伝えよう。

 

 

 新たな世界が開く日は、正しくこの今この時に。皆で確かにこの想いを伝えよう。

 何時だって、聴いていた。自分達は愛されていた。そんな想いに満たされた世界は、確かに美しいのだと。

 

 だからこそ、伝える言葉は唯の一つ。誰もが知っている事実を此処に、確かな言葉と紡ぐのだ。

 

 

――愛されし子らよ、美しき世を謳歌せよ。

 

 

 神に愛された全ての民よ。その愛に今応えよう。彼が望んだその幸福を、確かな形に変えて進もう。

 繋いだ手に、力が籠る。繋いだ心を、此処に皆で同じくする。たった一人では届かなくても、皆で語れば伝わるから。

 

 

――刹那の皆に願う、俺を高みへと至らせてくれ。

 

 

 光に届いた瞬間に、場を満たす色が溢れ出す。爆発するかの様な勢いで、白き光が全てを染める。

 流れ出すのだ。新たな世界の理が。この凍った世界を染め上げる程に、その光が此処に確かな形を成したのだ。

 

 

流出(Atziluth)――先駆せよ(Holen sie sich )超越に至る道(wille zur macht)

 

 

 そして、新世界は流れ出す。彼が語るは、超越に至る意志。より良き場所を目指そうと願う、其は力への意志(wille zur macht)

 

 

「そうか。それがお前達の答えか」

 

 

 天魔・夜刀が見詰める先、其処に居たのは新世界を語る少年だけではない。寄り添う様に、支える様に、共にあるは仲間達。

 ティアナ・L・ハラオウンが其処に居る。クロノ・ハラオウンが其処に居る。月村すずかが其処に居て、アリサ・バニングスも其処に居る。

 

 ならば当然、高町なのはとユーノ・スクライアもその場所に。彼らと共に、トーマ・ナカジマは立っている。

 その腕にリリィ・シュトロゼックと言う名の少女を抱いたまま、もう誰もが時の縛鎖に縛られぬ程にその存在規模を増していた。

 

 

「く、くくく、くはは――」

 

 

 思わず、口から零れたのは笑みだ。隠し切れない程に、抑えられない程に、歓喜の情が溢れ出す。

 腹を抱えて笑わなくては耐えられない程に、その光景は美麗であった。だからこそ、本当に嬉しそうに夜刀は笑うのだ。

 

 

「ははははははははははははっ!!」

 

 

 本当は生きてなど居たくなかった。彼女が死んだあの日から、もう生きている事が辛かった。

 それでも生きたのは、失ってはならない生命(せつな)があったから。大切だからこそ、決して絶やす訳にはいかなかったのだ。

 

 だから願った。だから求めた。望んだのは、何も特別な事じゃない。些細で良い。当たり前の物でも良かった。

 大切なのは、生まれては消えていく命の連続性を絶やさぬこと。次があるという最低限の、希望と可能性を残し続ける事。それさえあれば、何でも良かった。

 

 だからこそ、この刹那(イマ)に想う。最低限を求めた父に、最高の輝きを答えと返した子供達。その姿に歓喜を、覚えずには居られない。

 その答えは既に知っていた事ではあるけれど、美しい物は何度見ても素晴らしい。彼は不変の既知を好んでいたから、その尊い刹那こそを愛しているのだ。

 

 

「改めて、名乗りを上げよう」

 

 

 見事。見事。見事。見事。美しい絆と言う輝きを前にして、その目を細めながらに喝采する。

 褒め称えながらに名乗りを上げるのは、認めた上で刻み付けたいと願ったから。最期にその輝きの全てが見たいと、確かに想えたから名乗りを上げる。

 

 

「我は穢土・夜都賀波岐が主将、天魔・夜刀。旧世界において、黄昏を守護した者の残骸なり」

 

 

 覇道流出は共存できない。他を染め上げる力と力は、互いに食い合い消耗してしまう。二柱が流れ出した時点で、どちらかの滅びは必定だ。

 そして滅ぶべきはどちらか、今更問うまでもない。だから、最期にその全てを見たい。もう大丈夫だと分かっているけど、もっと見たいと願ってしまった。

 

 

「お前達が望む新世界は、この身を超えた先にある。我が身を討ち果たした時にこそ、世界の開闢は始まるだろう」

 

 

 老人の我儘に付き合わせる事を、悪く思うがこの程度は勘弁して欲しい。

 そう苦笑しながら演じる姿は、とても分かりやすい大根役者。彼は何処までも、芝居と言う物に向いていない。

 

 

「さぁ、来い。トーマ・ナカジマ。機動六課。――俺の宇宙に、亀裂を刻んで見せるが良い!!」

 

 

 それでも、分かるからこそ答えよう。それを望んでいるならば、その最後まで魅せ付けるのが我らの責務。

 今の民は武器を取る。父の最期にこれ程強くなったのだと示す為、その手に握った刃を彼へと向けて挑むのだ。

 

 

「行こう、皆」

 

 

 見詰める先、巨大な時計を背に立つ天魔・夜刀。歓喜を以って迎える父を前にして、己の闘志を燃やしていく。

 壊すと決めた愛しい刹那。今の今まで守り続けてくれた揺り籠を、此処で全て破壊する。全ては心の底から、愛してくれた想いに応える為に。

 

 

「愛した過去(キノウ)に、応える為に」

 

 

 ティアナ・L・ハラオウンは銃を取る。クロノ・ハラオウンは杖を取る。背負った過去の重さを強さに、彼らの心が燃え上がる。

 

 

「愛しい現在(キョウ)を、続ける為に」

 

 

 月村すずかはその手に氷を、アリサ・バニングスがその手に炎を。高町なのはとユーノ・スクライアが、寄り添いながらに前を見る。

 今を愛し、今を続けたいと願った者達。どれ程に愛しているのかを、この優しい神に伝えるのだ。ありがとうと言う想いと共に、確かな(つよさ)を魅せ付けよう。

 

 

「目指した未来(アシタ)へ――此処で全てを乗り越えるんだっ!!」

 

 

 リリカルなのはVS夜都賀波岐。穢土決戦は最終幕――これより始まるのは、既に結果の決まった戦い。紡いだ絆と重ねた強さを、偉大な父へと示すのだ。

 

 

 

 

 




トーマが復活出来たのは、想い出を集めてくれた存在が居たから。

あの時点で動けたのは、夜刀と繋がりがあるから凍っておらず、準・流出級の魂を持っていたエリオ君だけ。その事を理解してから、この台詞を再度振り返ってみるとしましょう。

エリオ「僕も君に手を貸すなんて、正直反吐が出る話だからさ」

これがトーマの欠片を必死になって集めていた、ツンデレなヤンホモの台詞である。




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最終話 さらば紅蓮に染まる古の大地

推奨BGM
1.我魂為君~オリヒメヨゾラver~(神咒神威神楽)
2.神代桜(神咒神威神楽)


1.

 誰もが望み、誰もが願い、誰もが待ち続けていた最期の時。紅蓮に染まった宙の下、向かい合うは二つの神威。

 悠久を守り続けた守護者は笑う。笑みを浮かべて見届けよう。彼らが乗り越えて来た日々を、それが育んだ確かな強さを。

 

 

「先ずは再現だ。これは既に、お前達が乗り越えてきた過去――此処で足を止める様では、話にならんぞ」

 

 

 赤き瞳の神は拾い上げる。己に身を捧げ、己の中へと溶けていった仲間達。彼らの願いを拾い上げる。

 そして齎すのは、彼らの法則。己に確かな想いを託して、そんな願いを救い上げ、確かな神威としてその地獄を再現した。

 

 

「我は死を喰らう者。偽りの槍に魅入られし、生きて腐り果てる者。この身が望みし願いは一つ、天津罪の祓いを此処に。千倉の置座を科せられて、手足の爪を無くしたまま、此の過災、過ぎ去る日々を唯待とう。来たれや神風、我こそ呪え――無間・叫喚地獄!」

 

 

 先ず最初に拾い上げたのは腐毒の王。天魔・悪路と言う名の蔑称をその身に刻んだ、櫻井戒と言う仲間。

 その願いを口にして、その想いと同調する。そして再現される地獄は此処に、全てを腐らせる呪いの颶風が吹き付ける。

 

 

「我は火を燃やす者。雷鳴轟くその道を、光となって照らし出そう。駆け抜けよう。駆け続けよう。止まる事はない。立ち止まる意味はない。我が炎を恐れるならば、此の槍を越すこと許さぬ。十拳剣を抜き放ち、父神が子の頸切り落とせ――無間・焦熱地獄!」

 

 

 そして次に拾い上げるのは炎雷の乙女。天魔・母禮と呼ばれた女を、櫻井螢と言う名の女を確かに想う。

 共感した願いを此処に、確かな地獄と再現する。降り注ぐ雷光も、燃え上がる紅蓮の炎も、何一つとして欠落などはない。

 

 迫る二つの無間地獄。八大地獄の始めと来るのは、常に先陣を切り続けて来た彼ら兄妹。

 その想いを前にして、立ち向かうのも同じく兄妹。未来を視る目。万象を操る手。前に出た二人は、最早地獄を恐れはしない。

 

 

「その炎、恐れるには足りないわ。輝かしいその道の果てはもう視えている。確かに視えたその光を絶やさずに、駆け抜けて行けば良いと知っているから」

 

 

 未来を視る目が確かに視抜く。それは二つの地獄が重なる場所。確かに隙間と生まれる空間を、確かに視抜いて形とする。

 ティアナの役割は道を視る事。何処へ進めば良いかを教える事。故に既に彼女は己の役を果たしており、故にその後を引き継ぐのは兄の役目だ。

 

 

「天津罪の祓いを、待つだけでは気に入らないさ。僕らは曙光を待ってはいない。夜明けが見えたのならその先へ向かって、この道を踏破して行けば良い」

 

 

 万象流転の力が此処に、見付けた隙間を貫いた。クロノ・ハラオウンの力によって、機動六課は前へと進む。

 止まらない。止まる理由がない。例え辿り着けないのだとしても、進む事は無意味じゃない。そうやって、何時だって彼らは進んで来たから。

 

 乗り越えられた二つの地獄は、やはり再現に過ぎないのだろう。救い上げた想いの記憶は消え去って、一度躱されればもう二度とは使えない。

 消え去って行く兄妹の残滓。己から薄れていく彼らの想い。それを悲しく思えど、涙を流す事はない。消え去る彼らを微笑んで見送りながら、夜刀は次なる地獄を示した。

 

 

「我は死を想う者。死者を愛する母の慕情は、既に亡き子の齢を数える。蒼褪めた死は貧者も王者も、等しく冷たい揺り籠へ。愛しい人への口付けを、我は常に覚えている。余りに苦い口付けを。失われる者ばかりが、美しいと知っているから――無間・等活地獄!」

 

 

 また拾い上げる。また失っていく。掴み上げたのは天魔・紅葉。リザ・ブレンナーと言う名の愛深き女。

 再現される地獄は母の揺り籠。生きとし者が求める平穏は、蠢く死者の群れへと変わる。朽ちず滅びず、迫る群勢に限りはない。

 

 

「我は悠久を生きし者。故に誰もが置いて去る。才は届かず、生の瞬間が異なる差を、それでも埋めんと願い続けた。追い縋り、追い続け、果てに漸く追い付けた。例え泥に塗れた姿であったとしても、求め続けた想いは美しいのだ――無間・黒縄地獄!」

 

 

 死人の群れに続ける様に、拾い上げるは天魔・奴奈比売。ずっとずっと光を追い続けていた、アンナ・マリーア・シュヴェーゲリンと言う名の宝石。

 再現された地獄は無間の泥。大海を思わせる程に、大質量の影が荒れ狂う。掴んだ物を止めるのだ。追い付いた者らを止めるのだ。だって漸く、追い付けたから。

 

 母の愛情。魔女の嫉妬。共に女の情念はとても強く深い物。そんな女の想いを前に、立ち向かうのも同じく女。

 慈愛の薔薇を持つ吸血鬼。歓喜齎す美麗な炎。強い強い女の情念を前にして、彼女らの想いだって負けてなど居なかった。

 

 

「私を、誰だと想っているんですか!?」

 

 

 蠢く死者を前にして、月村すずかは憤る。この程度で止められると、見縊るなと確かに吠える。

 そうとも、願いの質ではない。想いの量ではない。死人の王を前にして、死者を差し向けると言う思考が侮りなのだ。

 

 

「月村すずかは、夜の王! 吸血鬼は、死人の王!! 糸に操られた死人風情で、止められると思わないでっ!!」

 

 

 夜を統べると誓った女が、赤い夜を作り上げる。全てを吸い尽くす力を前に、死者の群れは抗えない。

 糸に操られる程度の傀儡では耐えられない。吸血鬼とは蘇る死人。あらゆる死者の上位に立つ、死人の王であるのだから。

 

 

「はっ、これがアイツの? こんなのが、アイツの泥だって言うの!?」

 

 

 血を吸う夜が吸い尽くし、沈まぬ太陽が浄化する。そうして死者の群れが消えた先、入れ替わる様に立つのはアリサ・バニングス。

 天魔・夜刀が再現した地獄を前に、金糸の女は鼻で笑う。止めよう。止め続けよう。迫る影の津波を恐れずに、湧き上がる炎を持って喝破する。

 

 

「舐めんじゃないわよっ! 私の友達はっ! もっとドロドロしててっ! くっそ碌でもない奴でっ! こんな綺麗なだけじゃなかったのよっっ!!」

 

 

 そうとも、確かに違うのだ。それは彼と、願いを拾い上げられた女の同調率。それが決して高くないからこそ、起きた微妙な変化であろう。

 夜刀の再現は余りに綺麗過ぎる。友達の想いを美化し過ぎた。そう語る女は確かに、友の想いを覚えている。残滓ではないその色を、決して忘れず覚えている。

 

 だから、分かった。それは彼女の泥ではない。ならばこの己が此処で、立ち止まるなんてあり得ない。

 湧き上がる最愛の炎を以って、迫る泥を焼き尽くす。己が敗れた想いは違うと、紅蓮の剣が道を拓いた。

 

 夜と炎を前にして、死者と泥は消えて行く。今を生きる人々を前に打ち破られて、彼女らもまたその内より消えて行く。

 ああ、そうかと微笑みながら。ああ、そうだなと笑いながら。確かに夜刀は彼女らの言葉を受け止めて、過ぎ去って行く嘗てを見送った。

 

 そして、次なる地獄が牙を剥く。これより再現される地獄は、夜刀に最も近い者達の祈り。ならば即ち、最も再現率の高い地獄である。

 

 

「我は狼を司る者。神の玩具と生まれし我が、焦がれた物はその生き様。何より尊いと想う至高の刹那。それはきっと誰だって、誰にだって辿り着ける筈の場所だから。過剰に走れよ脳内麻薬。諦めるなよ人の子よ。我に勝って良いのは人間だけだ――無間・身洋受苦処地獄!」

 

 

 瞬間、全ての異能が失われる。あらゆる力が剥ぎ取られ、誰もが大地に落とされる。転がり倒れて地に伏せて、ならばもう進めないのか。

 

 

「いいや、違う」

 

 

 立ち上がる。確かに彼が立ち上がる。ユーノ・スクライアは立ち上がって、そして前へと進み出す。

 その姿は先導者。誰よりも先に進むヴァンガード。されど彼の進む歩は、されど彼の歩む道は、決して特別な物じゃない。

 

 

「これは、地獄なんかじゃない。当たり前の人生に、特別な力なんてないし、奇跡の様な救いなんてない。だから、これは唯の現実だ」

 

 

 彼は誰よりも凡庸だった。彼は誰よりも資質がなかった。彼はずっと、特別な存在なんかじゃなかった。

 そんな彼だからこそ分かる。そんな彼だからこそ言える。彼が歩いた道筋はきっと、誰だって歩けた道なのだと。

 

 

「誰もが歩いて、誰もが進んで、誰もが生きる現実なんだ。だったら、誰にだって、乗り越えられる物だろうっ!!」

 

 

 諦めない意志だけで、貫き続けた真面目な生き様。そんな彼が前へと歩き続けるから、その背にある者らも決して止まらない。

 その地獄ですらない現実が、消え去る時まで止まらない。ならば当然、再現にしか過ぎない遊佐司狼の力の方が先に消えて行くのであった。

 

 

「我は終焉を望む者。辿り着いた死の極点を、されど遠ざけ続けた者。唯一無二の終わりを求める鋼の求道に曇りはなくとも、友の為にこそ否定しよう。我らが至高を穢す事、何人たりとも許しはしない。幕引きの終焉。砕け散るが良い――無間・黒肚処地獄!」

 

 

 自壊の地獄を超えたなら、それで終わりと言う訳ではない。次なる地獄はその直後、至高の終焉がやってくる。

 天魔・大獄。それは終焉を望み続けて、されど終わる事を認めなかった。友の為に生きたミハエル・ヴィットマンと言う男の異名。

 

 その地獄は正しく、男の至高の再現となる。死の極点。至高の終焉たる虚無に、極めて近い終わりの地獄だ。

 そんな地獄を前にして、飛翔するのは高町なのは。全てを終わらせる力に対し、母になる女が至った答えは唯一つ。

 

 

「死の極点は、全ての終わりじゃない」

 

 

 極点とは終着点。果てに辿り着くべき場所。死に極点があるとするなら、それはきっと終わりじゃない。

 いいや違う。死に極点などありはしない。人は命を生み出せるから、終わりなんてないんだって気が付けた。

 

 

「全てが終わって、後に残る物は無なんかじゃない」

 

 

 死んでも生まれる者がある。繋いで行ける想いがある。ならば終わりの果てに、至る結果は無ではない。

 一つの終わりは一つの始まり。産み落とす彼女にとっては、それが確かな一つの解答。喝采するべき生誕は、何時の世だって確かにある。

 

 

「一つが終われば、一つが始まる。人は産み落とす事が出来るから、終わりの先からでもきっと、始める事は出来るんだっ!」

 

 

 それはきっと奇跡じゃない。それはきっと特別な事じゃない。誰だって何かを遺して、誰だって遺された物を託されて生きて行く。

 だから、この終焉では終わらない。終われる筈がないから終わらない。押し寄せる死の強制を生への歓喜で押し切って、確かに地獄を乗り越えた。

 

 

「見事! 我ら無間地獄に対する解答。しかとこの眼に見届けた!」

 

 

 無間八大地獄は越えられる。乗り越えられて、これぞ解だと示される。その光景に、それで良いと彼は笑う。

 何故ならば、越えられたと言う事実こそを望んでいたから。そうして越えてくれる事こそが、無駄ではなかったと言う証になるのだ。

 

 仲間は示した。無駄ではなかった。子らは示した。無駄ではなかった。故に夜刀は彼らに告げる。

 仲間は示した。夜都賀波岐は示したのだ。なのにお前達は何をしている。子らは示した。機動六課は示したのだ。なのにお前達は何をしている。

 

 その怒り。その憤り。隠す事も抑える事も一切せずに、言葉として此処に吐き出し告げる。

 

 

「さあ、何時まで観客を気取っている気だ! どうせ遺してやっても碌な事をしないんだ。さっさと働けメルクリウス!」

 

〈……やれやれ、我が子ながらに人使いが荒い。だが、然り。此処で残る事に意味はなく、ならば時に愚かとなるのも悪くはない〉

 

 

 夜刀の喝破をその身に受けて、内なる蛇は苦笑する。残滓となった観客に、一体何をさせる心算だと苦笑する。

 それでも、確かに然りと頷いた。彼やその友人がこの先に遺る様な筋合いはなく、どうせ消え去るのならば此処で馬鹿みたいに騒ぎ立てよう。

 

 今日は晴れの日。祭りの日。素晴らしい答えを出した彼らを称えて、己も喝采と共に磨り潰されて消えるとしよう。

 

 

武器も言葉も(Et arma et verba )傷付ける。(vulnerant Et arma )順境は友を与え、(Fortuna amicos conciliat inopia )欠乏は友を試す。(amicos probat Exempla )運命は軽薄である。(Levis est fortuna id )運命は、与えたものをすぐに返すよう求める(cito reposcit quod dedit )運命は、それ自身が盲目であるだけでなく、(Non solum fortuna ipsa est caeca sed etiam )常に助ける者たちを盲目にする。(eos caecos facit quos semper adiuvat )僅かの愚かさを思慮に混ぜよ、(Misce stultitiam consiliis )時に理性を失うことも好ましい。(brevem dulce est desipere in loc )食べろ、飲め、遊べ、(Ede bibe lude post )死後に快楽はなし(mortem nulla voluptas )

 

 

 夜刀の声に重なる様に、白い蛇が咒を唱える。そして引き起こされる現象は、全てを始点に戻す回帰の力。

 これを通せば、重ねた全てが無駄となろう。此処まで積み重ねた全てが無意味と化そう。故にこそ、彼も通す訳にはいかぬと踊り狂う。

 

 

〈動くか、カール。ならば、私も消え去るべきであろう〉

 

「ラインハルトさんっ!?」

 

 

 聖なる槍が動き出す。魔法の杖より分離して、黄金の槍が剥き出しとなる。そして、彼の意志が咆哮する。

 今日は晴れの日。祭りの日。踊り狂った果てに消滅する事が決まっていようと、燥ぎ回らずには居られぬ程に楽しい日なのだ。

 

 

〈折角の晴れの日なのだ、嘆く必要などはない。全ての清算を此処に、一切合切を使い果たして、共に歌劇を楽しもうではないか!〉

 

 

 歓喜と共に咆哮する。狂気乱舞し踊り続ける。最早観客はいない。最早観客では居られない。

 白き双頭の蛇と、爪も牙も無くした黄金の獅子。楽しそうに笑い合って、彼らは互いの力をぶつけ合う。

 

 

〈Du-sollst――Dies irae!〉

 

〈Acta est fabula!!〉

 

 

 怒りの日も、未知の結末も、もう何一つ必要ない。我らはもう十分に楽しんで来たのだから、これを最期に消えるとしよう。

 共に観客を気取っていた残滓らは、舞台に引き摺り込まれて消えて行く。心の底から楽しそうに笑い合って、友と語らいながらに消滅した。

 

 そして、生じる衝撃波。残滓とは言え、正しく神威のぶつかり合い。その余波だけでも、世界の一つ二つは消し飛ぶ質量。

 周囲に振り撒く無差別な破壊は、夜刀であっても僅か苦しいと思う程。そんな破滅の嵐の中を、それでも子らは真っ直ぐに進んでいた。

 

 

「ああ、本当に――強く育った。良くぞ、強く育ってくれた。我が子らよ」

 

 

 無間地獄を乗り越えて、覇道二柱の鬩ぎ合いすら乗り切って、止まらず前に進み続ける。

 そんな子供達の輝きに、夜刀は確かに歓喜する。とてもとても強い喜びと共に、彼は翼を広げて羽搏いた。

 

 

「さあ、これが最後だ。重ねて来た刹那を、繋いで来た永遠を、此処に全てを示すとしよう」

 

 

 何時までも見ていたい輝き。それを前にして、これが最期だと決める。そう決めないと、本当に何時までも続けてしまいたくなったから。

 雲を突き抜ける程に高く羽搏いて、夜刀はその手を静かに合わせる。掌の間に生み出すのは、彼が刻んだ全ての想い。その輝きを束ねた至高の神威。

 

 これぞ正しく、至大至高の到達点。彼が守り続けた日々の輝き。彼と言う個が魅せる――これぞ神咒神威神楽である。

 

 

「これこそ俺の全身全霊。全力全開の一撃だ。此処に全て、乗り越え進んで行くが良いっ!!」

 

 

 迫る子らへと向かって、手にした一つの輝きを打ち放つ。迫る光の球体は、決して個では届かぬと感じさせる確かな至高。

 そんな光を前にして、立ち向かう者らは空を見上げる。前へと突き進む彼らは、唯只管に信じている。故にこそ、その期待を形にするのは、導き手たる聖母の花の役割だ。

 

 

〈皆さん。この戦いを見ている皆さん〉

 

 

 強大な光に向かって行く機動六課。そんな戦士達の中で唯一人、愛する少年に抱かれた少女は告げる。

 立ち向かう彼らに余裕はなく、故にリリィ・シュトロゼックが伝えるのだ。全てを、この戦いを見ている全ての民へ。

 

 

〈私達は今、戦っています。偉大な神と、私達の父親と、確かな今日を続ける為に〉

 

 

 トーマの流出は、世界全てを満たしている。既にこの地に生きる全ての人が、この光景をその目にしている。

 彼は共にある事を望んだから、友になる事を望んだから、全ての人に声が届くし、全ての人の声が届く。故にリリィは、此処に想いを告げるのだ。

 

 

〈私達は必死で、確かに向かい合っています。なのに皆さんは、見ているだけで十分ですか?〉

 

 

 見ているだけで満足か? 何もしないで満足か? 守られているだけで、果たしてそれで十分なのか?

 届くのは、光だけではない。届くのは、声だけではない。確かな想いも届くのだ。リリィの想いは届くのだ。

 

 誰もが見た。誰もが聞いた。誰もが知った。もう誰もがこの場の当事者で、無関係な者など世界の何処にも居はしない。

 

 

〈確かな強さが見たいと願っている父の最期に、見ているだけで十分ですか?〉

 

 

 故にリリィは問い掛ける。それで良いのかと。見ているだけで良いのかと。何もしないで良いのかと。

 そんな言葉に、誰もが答える。そんな想いに、誰もが応える。世界に満ちる力を介し、誰もが本気の想いに応えたのだ。

 

 否、と。否と否と否と否と、断じて否と答えたのだ。余りに強く、優しい愛を知ったから、誰もがこの瞬間だけでも、応えたいと想えたのだ。

 

 

〈ならば手を――皆の手を――確かに皆で示しましょう〉

 

 

 人の想いが此処に集う。人の心が此処に集う。人の魔力が此処に集う。全ての人が、此処に集う。

 最早、戦っているのは機動六課だけではない。この世界に生きる全ての民が、偉大な父へと立ち向かうのだ。

 

 

「これが私達全員の――今を生きる人々、全員の強さなんだって! トーマッ!!」

 

「ああ、受け取った! 全てを束ねて、此処に今――っ!!」

 

 

 立ち向かっていた少年達が、此処に足を止めて前を見る。集う魔力を両手で操り、一点へと集束していく。

 知っている。分かっている。集った想いを真に活かす為の、そんな力は確かにある。故にこそ、誰もが声を揃えて此処に言う。

 

 

『全力全開!!』

 

 

 それは個の極致――神咒神威神楽に対する答え。皆の絆で確かに放つ、集う星の輝きだ。

 八つの声が此処に揃う。百億を超える声が此処に揃う。誰もが声を此処に合わせて、その輝きの名を叫ぶ。

 

 

『スタァァァァライトォォォッ! ブレイカァァァァァァァ!!』

 

 

 そして、光と光が衝突する。たった一色の輝きと、数え切れない程の色。二つの光が衝突して――世界は極大の輝きに飲まれたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2.

 ひらひらと桜の花が舞い散る様に、崩れて消えて行く。一つの戦いは、此処に終わった。

 余りに長く、余りに苦しく、それでも最期に報いはあった。そんな戦いは、此処に終わったのだ。

 

 

「確かに、魅せてもらった。ああ、確かに、見届けたよ」

 

 

 大地に降りた機動六課の前に、黄昏の守護者は一人立つ。その身に纏う装束は、最早戦場のそれではない。

 もう十分に見た。確かに認める程に見させて貰った。だからゆっくりと解ける様に、桜の如く散り行く神は微笑み語る。

 

 

「お前達は、もう大丈夫だ。とてもとても、とても強く育ってくれたから」

 

 

 もう大丈夫だと、もう必要がないのだと、そう認めて確かに笑った。そんな神を前に、誰もが言葉を詰まらせた。

 喜びの情がない訳ではない。成し遂げたと言う想いがない訳ではない。惜別の哀愁がない訳ではない。全てが余りに有り過ぎた。

 

 抱えた想いが重過ぎて、重ねた想いが重過ぎて、だから言葉に詰まってしまう。だから言葉を発する事が出来ないでいる。

 そんな子らの姿に笑みを深めて、天魔・夜刀は優しく見守る。今を生きるべき子らの姿を見守る彼の瞳には、情愛以外が何もなかった。

 

 黙り込んだ子らの中で、ふと彼がその事実に気付く。誰よりも中心に居た彼だから、誰より速くその事実に気付いた。

 

 

「……流出が、止まっている?」

 

 

 己の流出が止まっている。神と戦う為に、偽神と化していた皆が人に戻っている。その事実に、トーマはその目を丸くする。

 一体何があったのか。一体何をされたのか。誰がしたのか、とは問わない。こんな真似が出来るのは、目の前で消え行く赤き神だけであろうから。

 

 

「ああ、悪いが少し手を加えさせて貰った。俺の死と共に流れ出す様に――俺が消えるまでは、流れ出さない様にな」

 

 

 トーマの流出を押し止めて、影響を受けた者らを人に戻した。それは天魔・夜刀の所業。

 戦いの中で一瞬、確かに彼らは夜刀を超えた。だが超えたのはその一瞬で、それ以外はずっと相手が上だったのだろう。

 

 流出を解除されたと言う事実が、それを何より確かに示している。それにすら気付けなかったトーマは、罰が悪そうに頬を掻いた。

 そんな未熟な己の次に、僅か苦笑しながら夜刀は語る。彼が子らを人に戻した理由を。トーマの流出をこの今に、止めている理由を此処に語る。

 

 

「お前達は、生き急ぎ過ぎだ。……そうさせてしまった、俺が言うべき事でもないかもしれんが」

 

 

 トーマの流出は、人を神へと変える力。誰もを遥か高みへと、引き上げる絆の覇道。

 それは確かに素晴らしいが、この子らは未だ人としても満足に生きていない。永遠となるには、まだ余りに早過ぎる。

 

 だから、夜刀は止めたのだ。彼らが早熟に生きねばならない。そんな理由であった彼だからこそ、その時間を与えたかったのだ。

 

 

「少し止まって、当たり前に生きてみろ。生きて、死ぬまで、生きてみろ。その位の時間は、どうにか遺してから逝ってやる」

 

 

 永遠となるその前に、先ずは刹那を生きてみろ。そう語る夜刀の瞳は、何処までも優しく慈愛に満ちた物。

 彼が尊いと思った日常を、彼は子らに与えたかった。これはそんな我儘で、そうと知りながらもそれを為す。

 

 そんな神は、一つを詫びる。それは己の次代に対し、割を食わせてしまう事への謝罪だ。

 

 

「最も、俺もそう長くは持たん。お前には、少し割を食って貰う事になるが」

 

 

 天魔・夜刀はそう長くは持たない。もう既に崩壊は始まっていて、このまま消えて行く定めであろう。

 それしかないし、それで良い。彼が生きている限り、世界は止まってしまうから、それで良いとは分かっている。

 

 それでも、そこで詫びるのは、彼の死後に引き継ぐ神が一人っきりになってしまうからだ。

 トーマの覇道は絆の覇道。絆を結んだ相手や深く関わった相手を、本人の意志とは無関係に神格としてしまう。

 

 夜刀の想いを通すなら、トーマは生きている彼らに関われない。例え触覚越しであっても、干渉すればそれで終わりだ。

 彼らだけではない。偽神と化していたのは、この世界の民全員だ。故にトーマはその日が来るまで、誰にも干渉出来なくなるのだ。

 

 

「……ま、良いさ。何時までも、おんぶに抱っこじゃ格好付かないし。アンタの想いも、確かに分かる」

 

 

 そんな孤独な漂流を、トーマは確かに受け入れた。それはきっと、彼の願いが理解出来たからだけじゃない。

 永劫を一人で彷徨う訳ではない。人として生きた者らが死ねば、何時かまた彼の下へと戻って来よう。だから何時までも、逢えない訳じゃないと言うのが理由の一つ。

 

 そして、もう一つの理由は――

 

 

「それに、一人って訳じゃないからさ」

 

「うん。私も一緒に、ずっと居るから」

 

 

 寄り添う白百合は、ずっと傍にいてくれるから。繋いだ手の温かさを、確かに強く感じている。

 

 

「すまない。そして、ありがとう」

 

 

 そんな次代の言葉を受けて、夜刀は二つの言葉を贈った。それは謝罪と、感謝の言葉。

 先代の神に頷いて、次代の神は此処に誓う。何時かその時が来る日まで、世界を必ず支える事を。

 

 

 

 そして、崩壊は始まった。

 

 

「穢土が、崩れる……」

 

「ああ、この世界を蓋にする。俺の死骸を、蓋とする。それで、座への穴は暫く封じられるだろう」

 

 

 穢土が崩れ落ちていく。この大地が崩壊していく。紅蓮に染まった古の世界が、此処に終わりを迎えている。

 世界を以って蓋とする。神体を以って穴を塞ぐ。今の神座世界が近い状況では、彼らも安心して暮らせぬだろうから。

 

 世界に空いた穴を、己の身体を使って封じる。その末期に遺す物こそが、百年は揺るがぬであろう安定だ。

 

 

「この世界を使うのですか? 貴方なら、それが無くても出来るんじゃ」

 

「ああ、そうかも知れんな。だが、一人で逝くのは少し寂しい。……想い出(コレ)くらい、持って逝かせろ」

 

 

 崩壊する穢土の中、この世界まで壊す必要があるのかと言う問い掛け。それを受けて、夜刀は苦笑する。

 必要はない。代替は可能だ。それでも、この世界を使うのは、一人で逝くのは寂しいから。そんな風に、彼は笑った。

 

 そして、語る。何れ来るであろう未来と、其処に至るまでに過ごすべき日々の輝きを。

 

 

「お前達は、何れ波旬と戦う事になる。だが、それは今じゃない。今である、必要はないんだ」

 

 

 彼らは死して後、トーマと共に立ち向かう事になるであろう。彼らが居なければ、波旬に打ち勝つ事が出来ぬから。

 されど、今直ぐにそうする必要などはない。余りに急いで生きて来たのだ。今はゆっくりと休んでも、誰も攻めはしないだろう。

 

 

「先ずは生きて、そして死ね。当たり前の様に笑って生きて、眠る様に死んで逝け。全てを終えたその後で、トーマの奴を助けてやればそれで良い」

 

 

 当たり前に生きて、安らかに死ぬ。そうした命の果てに、夜刀の加護が真に失われた時、その戦いは幕を開ける。

 そんな最後の日々までは、今を安らかに生きると良い。それがこうして世界を繋いで来た者達に、与えられるべき褒賞なのだ。

 

 

「良い物だぞ。何もない、唯の刹那(ニチジョウ)と言う物は」

 

 

 そう微笑んで、手を翳す。輝く光が子供達の身体を包んで、ゆっくりとその身を浮遊させる。

 感じる力は、転移の感覚に近い物。この地から押し出そうと言うのであろう。優しく力を込め過ぎない様に、今の民を穢土から脱出させる。

 

 そんな意志が分かったから、そうなる前に言葉を紡ぐ。これが最期の別れであるから、高町なのはは言葉を発した。

 

 

「神様っ! 伝えたい事がありますっ!」

 

「……ああ、聞こう」

 

 

 優しい光に包まれて、ゆっくりと帰るべき場所へ。そうして消え去っていく前に、高町なのはは口にする。

 それは彼女の血筋が背負った役割。ずっとずっと言わなくてはいけなかった、もっと早くに言うべきだった、そんな一つの言葉であった。

 

 

「今まで、ありがとうございました!」

 

 

 それは、感謝。今日この日を迎える事が出来た。そんな事実への感謝。

 

 

「本当に、本当に、ありがとうございました!」

 

 

 神が続けてくれた世界。彼が居たからこそ在り得た世界。其処に産まれた女が語る。万感の想いと共に伝える。

 

 

「辛い事は一杯あったけど――」

 

 

 辛い事は多かった。失われた命が多く、奪われた命も多く、悲劇はそれこそ山ほどに。

 それを全て割り切れたかと言えば、断じてそんな訳がない。抱える痛みは、永劫拭える事はないだろう。

 

 

「悲しい事も、苦しい事も、一杯一杯あったけど――」

 

 

 悲痛も、苦痛も、もう十分だと思う程に味わった。これ以上はないと言う程、痛くて痛くて痛かった。

 そんな痛みは今も何処かに、癒えずに残っているのであろう。だがそれでも、重ねた想いはそれだけではなかったのだ。

 

 

「楽しい事も、嬉しい事も、一杯、一杯あったから――」

 

 

 楽しい事も確かにあった。嬉しい事も確かにあった。幸福な時間は其処に、確かにあったと断言出来る。

 そんな時間すら、彼が居なければ得られなかった。辛い事も悲しい事も苦しい事も楽しい事も嬉しい事も――全ては生きていればこそ、得られた物であったから。

 

 

「今までありがとう! 私達は、もう大丈夫です! これからは、私達が、私達で、確かな今を生きていきます!!」

 

「……そうか。ああ、そうか」

 

 

 此処に、綾瀬の役は果たされる。彼女の想いは確かに届く。別れを前にして、その感謝は確かに伝わる。

 故に滂沱の如き想いを堪えて、溢れんとする想いを抱えて、天魔・夜刀は確かに告げる。感謝の言葉をくれた子らへと、己の抱えた確かな想いを。

 

 

「良く生きよ! 黄昏の子らよ! その道の果てが如何なる形に成ろうとも、俺はその道程こそを言祝ごう!!」

 

 

 どんな形になろうとも、確かに生きたと言うその事実。唯それだけで、祝福するには十分なのだ。

 消え行く子らを笑顔で見送る。今日を、そして明日を生きる子らを見送る。最後の一人が飛び立つまで、飛び立った後になっても、ずっとずっと見送り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、子らは明日へ向かった。昨日に遺された男は一人、転移の光の残滓すら消え去るまで見届けてから小さく呟く。

 

 

「行った、か」

 

 

 その言葉はまるで、長い長い道のりを歩き続けた老人が、漸くに腰を下ろした時の様に。

 その言葉はまるで、重い重い背負い続けた荷物を其処で、漸くに背から下せた時の様に。

 

 余りにも濃厚に過ぎる安堵が籠った、そんな小さな一言だった。そうして、荷を下ろした瞬間に彼は自覚する。

 

 

「ああ、行って、しまったか」

 

 

 行ってしまった。子供達は皆、行ってしまった。明日に向かって、確かな強さを胸に抱えて。

 逝ってしまった。仲間達は皆、逝ってしまった。過ぎ去った日々に一人、取り残された今を想う。

 

 音を立てて崩壊していく穢土の大地。ゆっくりと崩れ落ちていく己の身体。

 ひらひらとひらひらと舞い散る桜の花が如く、散った花弁は戻らない。昨日はもう、此処で終わってしまうから。

 

 

「……まだ少し、時間はありそうだ。なら、そうだな。想い出を振り返りながら、終わるとしよう」

 

 

 それでも、まだもう少しだけ時間がありそうだった。己が消え去るその時までに、あと少しだけ時間があった。

 だから、過去を振り返ろうと思う。一人で過ごす末期の時間は、余りに寂し過ぎたから、最期に振り返って逝こうと決めた。

 

 赤き瞳の神は歩き出す。一歩一歩と崩れながらに、今も壊れ続ける故郷の街を歩き始めた。

 

 

「懐かしい。未だ、残っていたんだな。このアパート」

 

 

 居並ぶ住宅地の一ヶ所に、ポツンと佇む二階建ての小さなアパート。長い時の果てに風化して、崩れ落ちている残骸。

 それでも、瓦礫の形が残っている。微かな形が残っていた。故にその欠片を拾い上げ、天魔・夜刀は瞳を緩める。懐かしいと、過去を此処で振り返る。

 

 

「司狼の馬鹿が格ゲーやりたいからって穴を開けて、香純の馬鹿も負けてられるかって穴開けやがって、俺の部屋を道代わりに使うなってんだよ。あの馬鹿共」

 

 

 一人暮らしは危ないからと、幼馴染三人で入居した。左右の部屋が友人だからと、彼らは余りに破天荒な事をする。

 部屋の壁に穴を開けて、扉代わりのポスター一つ。借りているだけの部屋をそんな形にしてしまい、大家に一体どう説明した物かと。

 

 何時もそんな風に頭を抱えるのは、振り回される彼の役割だった気がする。そんな苦楽の記憶すら、今となっては懐かしい。そんな風に笑って進む。

 嘗ての家から歩を進め、自然と足は一つの方向へ。繰り返し、繰り返し、日々の繰り返しを身体が覚えていたのだろう。気付けば、嘗ての学び舎の前に居た。

 

 

「好きじゃないとか言ってたけど、本当は結構気に入ってたんだよな。この校舎。日常を近くに、感じられてたからさ」

 

 

 既に壊れた校舎を見上げて、そんな風に小さく零す。思春期の少年らしく勉学の類は好きじゃなかった。それでも、この場所は嫌いじゃない。

 日常の香りがするのだ。日々を実感できたのだ。毎日毎朝、繰り返して通ってきた場所だから、確かに過ごした日常風景。それが此処では、とても強く感じられた。

 

 

「だから、アンナや螢が来た時、腹が立った。俺の日常を壊すなって、あの時は本当に向こう見ずなガキだったな」

 

 

 まだ幼かった怒りの日。まだ未熟だった日常の終わり。この学園を巻き込んだ、彼女達に怒りを抱いた。

 彼我の実力差も分からぬガキが、許せないと言う怒りだけで噛み付いた。そんな形だったと言うのに、良くぞまあ生き延びた物だ。

 

 嘗ての未熟を思い出し、遠く何かを見詰める様に。そうして暫し過ごした後、天魔・夜刀は進み出す。崩れるままに、歩き続ける。

 

 

「古びた教会とか、正直俺のキャラじゃない。絶対、先輩が居なきゃ一度も来る事はなかったよな」

 

 

 次に辿り着いたのは、ロマネクス調の古びた教会。国内では珍しいであろう、本格的な神の家。

 だが既に、その形骸は殆ど残っていない。屋根の上にあった十字架は、根本から圧し折れ消えた。

 

 そんな教会跡を前にして、想うは其処に居た人々。信心深い性質ではなかったから、彼らが居なければきっと此処に来る事などはなかっただろう。

 

 

「シスター・リザと、トリファ神父と、先輩が暮らしていた場所。あの強気な態度の裏で、本当はずっと心細かったんだよな。あの時の俺は未熟すぎて、そんな事すら気付けなかった」

 

 

 何時も独特な調子で、散々に振り回してくれた銀髪の少女。そんな彼女を愛した家族たち。瞳の裏に、もう消えた者らを浮かべる。

 夕食に招かれて、共に食卓を囲んだ事もある。彼らには裏があって、最初から別離は決まっていた。そうだと知っても、過ごした日々は嘘じゃない。

 

 そして、次にはああ何処へ行こうか。僅か迷った足は北西の方角へ。其処へと向かう理由は、きっとたった一つであろう。

 寂しいから、振り返った。けれど思い出す度に、寂しさは強く募っていく。だからこそ、少しでも仲間達との記憶に触れていたかったのだ。

 

 海浜公園を抜けて進む。この場所も想い出深い場所であり、思わず足を止めたくなる。そんな場所を歩いていく。

 在りし日に太陽と交わした約束を、確かに覚えていると微笑みながらに橋を渡る。途中で崩れた橋ではあったが、それでも一歩一歩と残った場所を踏んで歩いた。

 

 途切れた橋の先、跡形もなく壊れた遊園地を抜けて、次に足を止めた場所は巨大な鉄塔。

 最早機能を失って、唯の鉄屑となったガラクタ。諏訪原タワーを見上げて一人、天魔・夜刀は笑って語る。

 

 

「諏訪原タワー。最後のスワスチカが開いた場所。戒が逝った場所で、ミハエルと戦った場所。アイツの正体、最初は全く分からなかった。ってか、分かって堪るかってんだよ」

 

 

 トバルカインが倒れた場所で、マキナと雌雄を決した場所。――そして何よりも、此処は彼女と共に過ごした場所だ。

 

 頬にクリームを張り付けて、甘いパフェを食べていたその姿。生前は出来なかったであろう、何処か必死に箸を進めていた姿を想う。

 断頭台の呪いを受けた、罰当たりな娘。そんな彼女に恋した神が、作り上げた贈り物。それが自分であったのだと、震えた夜に苦笑した。

 

 

「本当に、色々な事があった」

 

 

 歩を進める。寂れた街の中を抜け、崩れていく歩を進める。辿り着いた場所は、この街の掃溜めだった場所。

 行き場を無くした愚連な者らが、最後に辿り着くボトムレスピット。そんな場所をアジトにして、抗っていた日々を想う。

 

 

「本当に、色々な事があったな」

 

 

 歩を進める。寂れた街の中を抜け、壊れて行く身体を進める。辿り着いた場所は、雷の乙女が没した地。

 思い出す様に足を進める。もしもあの日、あの時に、彼女に出逢わなかったのならば、何かが変わっていたのだろうか。

 

 刀剣展示展が行われていた会場。その奥の奥、特別展示場まで足を進めて、あの日を思い出して笑っている。

 

 

「ほんっと、情けなかったよ。幾ら刃物が苦手だからって、気を失うとかどんだけだよって――なぁ、マリィ」

 

 

 言葉を発して、気が付いた。足がもう、動かない。だから、天魔・夜刀は腰を下ろした。

 嘗て彼女と出会った場所。その展示台に背を預けて、動かなくなった足を伸ばす。伸ばした先から、零れ落ちて足を無くした。

 

 

「此処で、君に出逢った。今だからこそ、想うよ。君に出逢えたから、俺はこうして頑張れた」

 

 

 きっと、此処に来たのは必然だろう。此処で動けなくなったのは、何となく分かっていたからだろう。

 最期は君と出会ったこの場所で、そんな風に願っていた。だから、此処まで持ってくれた。此処で終われる様に、無意識に動いていたのだろう。

 

 

「大好きだ。愛している。何が起きようとも、どれ程の時が経とうとも、それだけは決して忘れない。俺は今も、君の事を愛している」

 

 

 手足の先端から、ゆっくりと身体が消えて行く。ひらひらと、ひらひらと、崩れる様に消えて行く。

 散った花弁は戻らない。覆水は盆に返せない。確かに穴を塞げる様に、遺す物を生み出しながら、天魔・夜刀は消えていく。

 

 

「そろそろ、終わる。漸く、終われる。……流石に、少し疲れた」

 

 

 もう大丈夫。もう大丈夫なのだ。子らは強く羽搏いて、己は今、確かに穴を塞いだ。

 だから、もう本当にやる事がなくなった。本当にその荷を下ろして、天魔・夜刀は息を吐く。

 

 深い、深い深い溜息を。万感の想いと共に、全ての荷を下ろしたからであろうか。

 もう何も見えなくなった。もう何も聞こえなくなった。全ての感覚が暗闇へと、己の意識が落ちて行く。

 

 それで良い。もうそれで良いのだと、確かに彼は想えていたから――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈お疲れ様。蓮〉

 

 

 さて、それは如何なる形の奇跡であったのだろうか。

 

 

「あぁ」

 

 

 もう五感を無くした彼が、唯の幻を見ているだけなのか。

 それとも、蛇が白百合より抜き出した残滓。それが如何なる形でか、確かに結実していたのか。

 

 そんな事は分からない。そんな事を考える程の力すら、もう彼には残ってなかった。

 真実は闇の中に、誰にも何も分からない。だから、此処にある事実はたった一つ。彼は最期に、彼女に逢えた。

 

 

「あ、ぁぁ――」

 

 

 彼女に逢えたら、話したい事があった。それこそ一杯、山の様に語りたい言葉があった。

 辛かった日々も、寂しかった日々も、そしてそんな果てに得た輝きの自慢だって、沢山沢山したかった。

 

 だけど、もう言葉を口に出すのも辛い。目を開いている事が難しい。意識を保つ事すら大変だった。

 瞼が重い。口を開きたいのに、言葉を交わしたいのに、どうしようもなく瞼が重い。だから、だから、だから――今は眠ろう。

 

 また逢えたから、きっと、また逢えると願って――今はもう眠るとしよう。

 

 

「……お休み、マリィ」

 

 

 目を閉ざす。お休みと言って目を閉ざす。そうして眠りに落ちた夜刀の身体を、黄昏の女神は抱き締める。

 優しく、優しく、包み込む様に。愛しい者を抱き締めて、その頑張りを労う様に。その抱擁の中で、天魔・夜刀は消えていく。

 

 

〈うん。お休みなさい。愛しい人(モン・シェリ)

 

 

 閉ざした瞼は、もう開かない。戦い続けた嘗ての守護者は、愛しい女神に包まれて、その腕の中で眠りに落ちる。

 古き世より、世界を支え続けた夜都賀波岐が主将。天魔・夜刀――藤井蓮と言う名の男は、こうしてその命に幕を下ろしたのだった。

 

 

 

 

 

 穢土決戦、此れにて閉幕。古き世より続いた長い長い戦いが、此処に終わりを迎えた。

 

 

 

 

 




夜刀様「……想い出(コレ)くらい、持って逝かせろ」
エド「っ!? 持って逝かれたぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


此れにて、穢土決戦は終了。後は近日中にエピローグを流して、物語は終了となります。
皆様長らくお付き合いくださり、誠にありがとうございました。



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エピローグ そして、世界は何処までも

これにて閉幕。最後に記すは、戦い続けた者達が手に入れた未来。その断片。

推奨BGM 滑空の果てのイノセント(リリカルなのは)


『あの後の顛末を此処に記すとしよう。我らの戦いが終わり、そうして始まった日々の事を。

 

 先ず最初に記すべきは、トーマ・ナカジマに関してだろう。彼は再び流出が始まる前に、リリィと二人、あてもない旅路に出た。

 現行人類。神に形成されねば生きられぬ人々。神としての彼が皆を形成すれば、そのまま位階を流出にまで引き上げてしまう。故に、リリィ・シュトロゼックも彼の理の中に組み込まれた。

 

 誓約と言う繋がりを介して、リリィにトーマが力を注ぐ。そうしてリリィが世界全てを直接的に支える。そう言う形になる予定だと、別れる前に彼は語っていた。

 彼らは二人で一柱の神格となる、と言う事なのだろう。人の縁を繋ぎながらに、世界の中心と言うべき場所で彼らは世界を紡ぐ。そうして、この今にある世界は運営されている。

 

 何れ、触覚なる者も生まれるらしい。それは世界そのものとなった神が、己の体内で動かす分身。眼と耳として、世界を生きる為の器。

 具体的にどのような物なのかは分からないが、トーマはそれを人の相の様な物だと語った。夜都賀波岐が神相と人相を持っていた様に、トーマとリリィも二つの器を持つ様になるのだと。

 

 その触覚が、もう生まれたのか。まだ生まれてはいないのか。どちらにせよ、彼はもう人の世には関われない。我々が生きている間に、彼と出逢う事は二度とない。

 

 人々を神格へと引き上げてしまう。彼の理による偽神化は、並の軍勢変性よりも遥かに厄介だ。何故ならばそれは、主となる神をも超える存在を無限に生み出してしまうと言う性質を持つが故に。

 それは生まれる神がトーマを何時でも弑逆出来ると言う意味での危険でもあるし、次から次へと自分よりも強い存在が内側に生まれ続けると言う状況自体が危険でもある。支える者より、支えられる者が増えてしまえば、破綻は至極当然の結末だ。

 

 平穏な生活をさせると言う理由がなくとも、彼は誰にも関わってはならない。誰よりも絆を尊ぶ少年が、誰とも絆を結べないと言うのは如何なる皮肉であろうか。

 それでも、世界を破綻させない為に、彼は僅かな絆と共に永劫の放浪を選んだ。己の世界が終わる日まで、決して多くに関わる事はせずに。それは一体、どれ程に強い想いであったのか。

 

 こうして雑多な形であれ、文字に起こしていると自分が恥ずかしくなる。仲間達が皆、何時か彼と共に在ると誓う中――僕だけが、彼に力を貸せないと語ったのだから。

 

 正直に言って、僕はもう疲れた。彼女が居ない世界で、その果てまでも神として存在し続ける。死後に待つ未来がそれと知り、怖くなったと言っても良い。

 もう眠りたい。母の下へ、恋人と共に、この命を終えたならば眠りたい。そう弱音を口にした僕を、トーマは笑って確かに許した。ならば仕方がないとだけ、そう笑って許された。

 

 

「次はせめて、エイミィさんに出逢える様に。どんな形であっても、共に添い遂げる事が出来る様に、縁を結びます。だから――そうして、今と次を生きた果て、その時になったら、また聞きに来ても良いですか?」

 

 

 冗談交じりに笑いながら、トーマは確かに受け入れた。そんな彼の優しさと強さに、本当に頭が下がる想いだ。

 だからこそ僕も、せめてこの命を終えるまでに、出来る限りを為そう。出来る事をやり遂げて、後にバトンを繋いで行こう。

 

 それが今を生きて、未来に繋げていくと言う事だと想うから――』

 

 

 カタカタと音を立てて、小型端末のキーを叩く。液晶の端末を見詰めながら、文章を打ち込んでいる黒髪の青年。

 新たに立ち上げる組織。その出来たばかりの制服に袖を通したクロノは文章を確認している途中、口元に手を当てて数度咳き込んだ。

 

 喀血。吐き出したのは、真紅の血液。末期を思わせる程の吐血量ではあったが、腐った様な臭いは其処にない。彼の歪みは、もう既に消えていた。

 

 

「兄さん。大丈夫?」

 

「ああ、まだ、平気だ」

 

 

 文字を起こしている彼の横で、手帳と時計を確認していた少女が吐血に気付く。

 手帳を懐にしまったティアナは慌てる事なく、水差しからコップに水を灌ぐと咳き込む兄へと手渡した。

 

 至極慣れた手付きで介抱する。事実、ティアナは慣れていた。あの戦いから既に半年、彼は日々弱り続けていたのだから――

 

 

「歪みが、無くても、まだ、逝けないさ。ああ、まだ、後、もう少し、だけ」

 

 

 天魔・奴奈比売の消滅と共に、その力の源は消えていた。僅か残っていた欠片も、流出から切り離されて暫く後に、ゆっくりと解ける様に消え去った。

 クロノを生かしていた力は既になく、彼はもう唯の重病人。医師の判断では、何時死んでもおかしくない。そう判断されて、既に半年。男は今も生きている。

 

 死ぬ事が出来る。まともに死ねなくなった筈の彼が、当たり前に眠れる様になった。それは彼にとっては福音で、だからこそまだ死ねない。

 愛する人達と共に眠りたい。それでも、後を全て託してしまう。そんな男はだからこそ、生きている間に最も大きな問題に取り組んでいる。それが筋だと、クロノはそう思うから。

 

 

「……それと、兄さん」

 

 

 何時か、神様なんて要らない世界の為に。人類解脱への道を、少しでも良いから近付けよう。

 そんな想いで身体を押して、男は最期に遺して逝こうとしている。そんな想いを知るからこそ、ティアナも止める言葉は掛けない。

 

 どの道、今更に身体を労おうと、クロノ・ハラオウンはもう長くは持たない。咳き込む頻度が増えている。起きていられる時間が減っている。

 どれ程に意地を貫き通そうとも、もう数年と持たぬであろう。それが分かって、それでも最期まで全力で進む。そんな彼を案じる言葉は、唯の無粋にしかならぬのだ。

 

 

「そろそろ、時間よ。主賓はもう、揃っているみたい」

 

「ああ、もうそんな時間か。……最近は、時間の感覚も、曖昧になってきて、困る」

 

 

 故に必要な事を伝える。案ずる言葉ではなく、急かす言葉を口にする。手帳に記された次なる予定、それが迫っているのだと。

 言われたクロノは苦笑を零すと、端末の電源を落とした。しっかりと手記の記録を残してから、机の上に畳んで置く。そうして彼は、車椅子の車輪に手を当てた。

 

 そんなクロノの手に手を重ね、その手を車輪から外させる。案ずる言葉は口にはしないが、背を押すくらいはさせて欲しいと。

 ティアナが無言の内に示した想いに、クロノは僅か苦笑する。もう立ち上がる事すら出来なくなった青年は、力を抜いてその身を任せた。

 

 

「痛み止めの、用意を。恐らく、これが最後になるが、だからこそ、こんな姿は、見せられん」

 

「ええ、ちゃんと用意してあるわよ。今回の宣誓が終われば、もう兄さんが表舞台に立つ必要はなくなる。だから、その後なら――」

 

「まだ、だよ。立ち上げから、暫くは、見ていかないと、な。実際に、動かさなくては、見付からん物も、ある」

 

 

 これより先に待つのは、クロノ・ハラオウンが最期の宣誓。後の世にまで長く残るであろう、彼が最期に為す偉業。

 それは、あの日に見た夢の為。何時の日か神無き世界へ行く為に、先ずは人類を一つに纏める。人の意志を束ねる機構を、生み出そうと言うのである。

 

 クロノ・ハラオウンは既に、管理局の局長ではない。彼は管理局を後進に託して、政治の世界に踏み込んだのだ。

 あの決戦を後に直ぐ、己の寿命を悟って動いた。そんな彼が政治家として、目指した物こそ巨大な政治機構。全次元世界を巻き込んだ、超巨大な国家連盟。

 

 管理世界も管理外世界も、大国も小国も、全てを此処に纏め上げる。遥か先を目指す為、内輪揉めをしている暇などないのだ。

 全ての争いは無くせないだろう。それでも世界が一つになれば、争う理由は減らせる筈だ。そう願って、そう祈って、それを此処に形とする。

 

 そんな新たな組織の立ち上げ。それは本来ならば、どう考えても成功しない愚行であろう。

 一つの惑星を纏めるだけでも至難と言うのに、真実次元世界全てを纏め上げようと言うのだ。何処かに歪みは生まれる物だ。

 

 だが、この今ならば行える。その歪みも最小限に、そう為せる状況が整っている。世界は一度、一つになったのだから。

 人の意志は神の下、確かに誰もがその想いを一つとした。それが色褪せぬ今ならば、そして英雄が生きている今ならば、世界はきっと一つに成れる。

 

 クロノはそう信じて、それを為す事こそが己の最期の役であると決めた。そんな彼に付き従う少女は、何れ訪れるであろう未来を想う。

 彼女がこうして、クロノの補佐と介護を行うのは、家族の情だけが理由じゃない。それも確かに在るのだがそれ以上に、ティアナにも目的と言うべき物があったのだ。

 

 

「そう、言えば、特異点の、解析は、進んでいる、か?」

 

「……まだまだよ。まだ、始まったばっかり。道の先は、ずっと遠いわ」

 

 

 鋼の道を此処に、二人ともに進んでいる。皆に伝えるべき舞台に向かって、進む最中で口にする。

 

 特異点。クロノが告げたその単語は、神座と直接関わりがある物ではない。全く無関係と言う訳ではないが、神座世界で語る特異点と同一の事象ではない。

 それは穢土が在った場所。座に繋がる穴を塞ぐ為に、先代の神に奪い取られた世界。其処に残った、嘗ての傷痕。トーマの力が今も、全く及ばない場所の事。

 

 その先には嘗て、無の先に在った物が見えている。即ち、それはこの世界が始まる前。座の外側に在った場所。

 エルトリアの民が嘗て、落ちてしまった人の生存できない世界。今も其処を見詰めるだけで、震えが止まらぬ絶死の地。

 

 それが見える形で、確かに残った傷跡。嘗ては恐怖でしかなかった光景が、今ではそれだけではない。それは確かな、未来の可能性でもあったから。

 

 

「だけど、可能性は見えている。未来はもう見えなくなったけど、確かにその先にあるんだって思ってる」

 

 

 その青い瞳に異能は無くても、確かに見える可能性。傷痕の向こう側に存在する世界は、神の加護など無い世界。

 流出の外側。人の生きていけぬ場所。己を形成出来ない未熟な魂では、夢幻となって消える場所。だがもしも、その場所で消え去らずに居られたならば――

 

 そう、其処に向かう事が出来たなら。その先へと進む事が出来たのなら。其処で生きていく事が出来るのならば、きっと神は不要となる。

 

 永劫の放浪を続ける相棒に、頼らなくても良い世界が其処にある。誰もが神の加護もなく、流出の外側で生きていける様になれれば良い。

 それこそティアナが夢見た世界。彼らが願った神無き世界。遠く、遠く、余りに遠くに存在しているが、それでも願った果てが見えている。確かに其処に、道はある。

 

 この世界の物質は、一切持ち出す事は出来ない。この世界の民は、一歩出た瞬間に崩壊する。その穴が何時までも、残っている保証はない。

 どうすれば届くのか、どうすれば至れるのか、まるで分からない。遠く、遠く、本当に余りに遠い果てにある場所。それでも、確かに道は其処にあるのだ。

 

 

「だから、まだまだ学ばせて貰うわよ。兄さん。次か、その次か――私が必ずトップに立って、このプロジェクトを達成してみせる」

 

 

 現在も進行している計画。微弱な魔力でも形成できる様にする鎧や、神の代わりに魔力を発生させる機械など、幾つも幾つも案は進んでいる。

 だがどれも、何等かの陥穽を持っている。現状は大した案も結果も出せず、このままで居れば何れ計画は凍結されるだろう。だからこそ、ティアナは想いを此処に定めた。

 

 未来に続く道を絶やさぬ為に、何時かの果てに続く道を歩き続ける為に、無駄と言われようとも続けるために、彼女は此処でトップを目指す。

 誰が何と言おうとも、誰が何を語ろうとも、放浪する神の孤独を永劫の物とはさせない為に。ティアナ・L・ハラオウンが目指した果てへ、続く道はそう言う物だ。

 

 されど、彼女は未熟。兄の後をすぐ継げる程、その能力は高くない。自他共に認める程に、彼女のこれまでの努力とは完全に畑違い。

 縁故採用などは出来ない。初代がその様な事を許せば、後々までに残ってしまう。立ち上げたばかりの組織に、腐敗の要素を生み出す訳にはいかないのだ。

 

 だから、ティアナは今に学ぶ。偉業を果たさんとする兄の背中を見届けて、己の力で其処へと辿り着く為に。

 何時か、己が主導する形で到達したい。そう願うのは、彼女の我儘。だけど、誰にも譲れない。だって、トーマの相棒はティアナ・L・ハラオウンなのだから。

 

 

「何時かきっと、神様が不要になる世界の為に――そうして、こう言ってやるの。待たせたわね、相棒って」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○クロノ・ハラオウン。

 管理局の若き英雄は、決戦後に次元世界の大改造に乗り出した。管理局を後進に任せると、英雄の名を武器に政治の世界に参戦する。

 元よりミッドチルダ政府からの信も、民衆からの支持も高かった英雄だ。一躍、政府の頂点へと。そして彼はその最初の仕事として、全次元世界連盟の樹立を提言した。

 

 本来ならば、不可能と言うべき事象。されど、その不可能を可能にする要素が確かにあった。

 皆が意志を一つにして、まだ一年と経ってはいなかった。そんな時期と、英雄としての名声。二つの要素が、不可能を可能に変えたのだ。

 

 後の世にまで続く、史上最大の組織が誕生する。世界は真実、一つとなった。それこそ、彼の最大の偉業であったのだろう。

 歴史に名を遺す偉人となった彼は、それから程なく病に没する。数百年に渡って続く機構を作り上げた後に、三十にも届かぬ若さで早世した。

 

 それでも、その末路に悲嘆はない。全てを成し遂げた男は何処か安堵する様な笑みを浮かべて、眠る様にその命を終えた。

 

 

 

 ○ティアナ・L・ハラオウン。

 全次元世界連盟、第八代盟主。彼女に付いて語るならば、常について回るのが一つの言葉がある。歴代で最も、落選を続けた政治家と。

 初代盟主であるクロノ・ハラオウンの義妹ながら、兄の名声を頼らぬ姿勢。そんな英雄の一人に対しても、現実と言う物は甘くなかった。

 

 一度は政治知識の不足故、二度目はその露呈に繋がる不信故、三度目以降は殆ど笑い話の様な槍玉に挙げられて――しかし彼女は諦めなかった。

 

 少しずつ予算を削減されて、停滞する特異点の解析。為したい事も為せない状況。泥を食み、涙を流した事も一度や二度ではなかっただろう。それでも、前に進み続けた。

 地道な活動の果てに、支持者を少しずつ増やしていく。ハラオウンとしてではなく、ティアナと言う一人の人間として、彼女は確かに届かせた。

 

 盟主と言う立場に付いたのは、既に壮年を超えた時期。凍結が決まっていた研究へと、公約通りに多額の資金をつぎ込む。多くの政敵に否定されながらも、初心は決して歪めなかった。

 故にこそ、彼女は歴代で最も長くその職を務めたのであろう。その晩年、老女と化した時分に、漸く第一歩が踏み出される。

 

 彼女は後の世に、こう語られる事になるのだ。世界で初めて、外側へと到達した人間。そう、確かに彼女はその末期を前に追い付いた。

 

 盟主としての権限で、最初の被験者として出立する。特異点を通り抜け、確かに外へと到達した。

 そこで、人類最初の一歩を刻む。これで対等だと、これで相棒と胸を張れるのだと。既に誰もが事実を忘れた頃に、外側に辿り着いた女は笑った。

 

 皺だらけの顔で、骨が浮き出る程に老いていて、それでも確かに成し遂げた。その最期の笑みは、誰よりも美しかったと伝わっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 若い者らの声が響く。狭い空間の中で、大きな声を張り上げながらに身体を動かす。彼らの身を包むのは、訓練校の制服だった。

 硝子張りの部屋から、金糸の女はそれを見下す。一糸乱れぬ動きである事を確認しながら、これなら及第点かと厳しめの採点を下していた。

 

 

「あれ? 結局、あの話は断ったんだ」

 

 

 採点用紙を片手に、もう片方の手には赤いペン。情を排除した瞳で観察を続ける女は、暫く振りの声を耳に顔を向ける。

 其処には、懐かしい友の姿。あの決戦を後に別れて、其々の道を行くと誓った者。故にこそ何処か厳しい声音で、アリサ・バニングスは彼女に告げる。

 

 

「何しに来たのよ、犯罪者(すずか)。どうせ顔出すなら、休日や勤務明けにしなさいよ。此処に来たら、捕まえないといけないじゃない」

 

「久し振りなのに、ひっどい言い草だね、鬼教官(アリサちゃん)。私はこれでも、堅気には一度も手を出してないんだよ? 下僕にだって、手を出させたりはしてないし」

 

 

 鋭い目付きで睨まれて、言われた女はクスクス笑う。紫の薔薇は僅かな笑いと呼気だけで、周囲の空気を妖艶な色に染め上げる。

 此処に居たのが、アリサ一人でなかったならば、少し面倒な事になっていたであろう。月村すずかと言う道を違えた友人の、その色香は唯人には余りに強く利き過ぎるのだ。

 

 

「だから、休みだったら見逃してやるって言ってんでしょ。これ以上の譲歩を望むんじゃないのよ」

 

「私を捕まえると、余計に被害が増えると思うんだけどな~。ま、良いや。だって犯罪者だもん。法律に従う理由なんかないよね?」

 

 

 片や法を守る者。あの決戦の後も管理局に残り続けた、たった一人の英雄。この今に、次代の法の守護者を鍛える女傑。

 片や法を破る者。何時の世も絶えぬ犯罪を、あらゆる悪を統べると誓った女。この今に、次元世界の闇夜を統べる女帝。

 

 互いが抱えた想いが故に、決して同じ道は歩けない。そうと分かっていたからこそ、あの後に道は分かたれた。

 それでも確かな友誼が其処に残っているから、違う道を歩いているだけではない。歩く道が違っても、同じ想いを抱けるのだ。

 

 

「んで、あの話って、どの話よ?」

 

「ほら、あれだよあれ。次の管理局長に就任するって、奴。前に一緒に飲んだ時、どうしようか悩んでるって言ってたでしょ?」

 

 

 すずかの言は確かに事実。無作為に起きる犯罪を制御して、行き場のない者らを拾い上げている夜の女帝。そんな彼女が捕縛されれば、それこそ犯罪は増えていく。

 そうと分かっていればこそ、今この場では目を瞑る。結んだ友誼の情もあいまって、積極的に捕まえたいとは思えない。故にこそ苦い表情をしながらも、アリサは先の言葉に問い掛けた。

 

 そんな彼女の発言に、すずかは指を一つ立てて口にする。彼女の言葉を聞いたアリサは、更に表情を顰めて言った。

 

 

「……一体何年前の話してんのよ。アンタ」

 

「あれ? そんな昔の事だっけ?」

 

 

 あの決戦を後に別れて、邂逅するのはごく稀に。最後に全員が集まったのは、ある夫婦の挙式の時だけ。

 その晩、共に飲みに行って、泥の様に眠った記憶。一緒に飲んだ記憶はそれが一番最後であるから、アリサは呆れながらに告げるのだ。

 

 

「もう十年は前よ。カレンダーを確認する癖、今からでも付けときなさい」

 

 

 月村すずかが顔を見せなくなって、もうそれ程に経っているのだ。アリサ・バニングスはそう語る。

 言われた女は僅か驚いて、時間の変化に目を丸くする。そして言われてみればと、その事実に気が付いた。

 

 今も年若い姿のまま、何一つ変わらない月村すずか。対するアリサ・バニングスは、もう壮年期に至っている。

 三十を超えた彼女の身体は、少しずつ衰えを見せている。もう最前線には立てないだろう。その程度には老いていた。

 

 そんな気付いた事実を誤魔化す様に、月村すずかは小さく笑う。そうして、彼女の提案を拒絶した。

 

 

「あれ、好きじゃないんだよねぇ。と言うか、時間を数えるって行為が嫌いなんだけどさ」

 

 

 吸血鬼の女は、カレンダーを嫌っている。時を数える物の類は、全て嫌いと言って良い。

 それは、否が応にも分からせてくるからだろう。時間が過ぎ去る残酷さ。同じ時を生きられないと言う真実を。

 

 日々の経過は、眼を逸らす事を許さないから嫌いなのだ。恋し掛けていた一人の男が、あっさり逝ってしまった事実を思い出してしまうから。

 

 

「一体何時まで、引き摺っている気よ。馬鹿すずか」

 

 

 月村すずかが顔を見せなくなったのは、彼らの結婚式から数ヶ月後。クロノ・ハラオウンの病没後だ。

 彼が死んだ事実自体か、それともその死に他の者らのそれを想起したのか、それを過去の引き摺りであるとアリサは断ずる。

 

 

「それ、そっくりそのまま返すね。今も乙女なアリサちゃん」

 

 

 そんなアリサの言葉に対し、すずかも同じく言葉を返す。引き摺っているのは、お前もであろうと。

 吸血鬼としての力が分からせる。童貞や処女を血の臭いで判別できる。そんな女は、三十路を過ぎてまで乙女であるのかと鼻で嗤った。

 

 まるで灼熱の様な業火と、凍える様なブリザード。相反するそれがぶつかり合うような威圧を振り撒きながら、女達は睨み合う。

 互いに互いの地雷を踏み抜いて、そうして睨み合う彼女達。暫くガンを付け合った後に、吹き出す様に笑い出す。二人同時に、腹を抱えて笑っていた。

 

 

「お互い様、ね。全く、人の事言えたもんじゃないわ」

 

「全くだね。ムキになるのも馬鹿らしいって言うか、ムキに成れば成る程、みっともない話だもん」

 

 

 変わった物はある。それでも、変わらない物もある。久方振りの再会に、それを確かに実感した。

 先に老いていく女も、後に残されていく女も、互いにそれが嬉しく想えた。だからこそ、何時かの様に笑うのだ。

 

 

「んで、局長の話だっけ? もちろん、断ったわ。器じゃないし。私には前線が似合っていると感じてたもの。大体、私をトップに立たせる理由って、ネームバリューくらいしかないじゃない」

 

「実際、アリサちゃんの名声は凄いからねぇ。救世の英雄にして、最も強き執務官長。そりゃ支持者と言うか、信者は一定数はいるよね」

 

「救世の英雄でありながら、今じゃ裏社会の帝王やってるアンタにゃ負けるわ。ってか、執務官長って何時の話よ。ほんっと」

 

「あれ? もうそっちも辞めてたんだ。……これが浦島太郎の気分かぁ」

 

「アンタはもっと、頻繁に顔出せ。休日に。此処を何処だと思ってんのよ」

 

「えー、これでも忙しいんだけどなぁ」

 

 

 道を違えたこの今も、確かに繋がっている互いの想い。日向と影に生きると決めた、女達は互いを語る。

 逢えなかった時間を此処に、埋めようとするかの様に。変わる日々と変わらぬ想いを、互いに笑顔で紡いでいく。

 

 

「って事は、もう本当に教官職しかしてないの? 前線退くの、早くない?」

 

「人間は衰えが早いのよ。なまじ、私は結構無理して来た分、余計にね」

 

「……だから、後進育成に?」

 

「そ。だから、後に繋ぐ為に、そっちに専念する事にした訳よ」

 

 

 受け継いできた物がある。受け継がせるべき物がある。己の限界を悟ったからこそ、アリサはそれに専念する道を選んだ。

 それが人の生き方で、絶やさず続けると言う役割。彼らの先人達は、決してそれを絶やさなかった。だからアリサも生ある限り、決してそれを絶やさない。

 

 

「私達は、過去を引き継いだ。なら次は、継いだ物を次へと繋げる事。それが私達の役目でしょう?」

 

「……そう、だね。人間は何時も、私達より短いんだもんね」

 

 

 時代の歯車。その一つとなって、何れは消えていく友人。その姿に、月村すずかは僅か寂しそうに微笑んだ。

 今ならば、古き友の気持ちが良く分かる。置いて逝かれた魔女の気持ちに、本当の意味で共感する事が出来ていた。

 

 そんな寂しがる友の姿に、アリサは揺るがぬままに言葉で示す。苦笑を零す事もなく、馬鹿を見る様な冷たい瞳で、その事実を口にした。

 

 

「別に、もう二度と逢えない訳でもないでしょうに。終わったら、私は先に逝って待ってるわ」

 

 

 これが最期と言う訳ではない。これで最期と言う訳ではない。彼女達は何時か、神を守る為の存在になると決まっている。

 だから、何時かまた逢える。互いの生きる時間が違っても、何時かはまた逢えるのだ。その事実を忘れるなと、アリサはすずかに向かって言った。

 

 その瞳の色は冷たいと言うのに、言葉には隠し切れない程度の気遣い。何時になっても不器用な友の姿に、月村すずかは笑みを浮かべる。そうして彼女は、可憐な笑みと共に毒吐いた。

 

 

「ま、そうだね。高々数百年の違いだし……なら、アリサちゃんが卒業出来ない乙女だけでも、しっかり卒業してから合流するね!」

 

「おまっ!? 誰が卒業できないって!?」

 

「アリサちゃんの処女。万年乙女のアリサちゃんは、未来永劫、膜が破れません。そう言う運命なのですからぁ」

 

「うっさいわボケっ! 不吉な事言うんじゃないわよっ!? って、そもそも、其処まで言うアンタには相手居んのかっ!?」

 

「う~ん。ピンとくるのは居ないけど、良さげな素材は幾つか居るから。その辺を育ててみようかなーって、時間は山ほどあるからさ。アリサちゃんと違って」

 

「買った! アンタのその喧嘩! 全力で買ってやるから!! 見てなさいよ! 月村すずかぁっ!!」

 

「う~ん、この。負けが確定してるのにぃ、アリサちゃんはほんとアリサちゃんだなぁ」

 

 

 ケラケラケタケタ嗤いながらに、影に消えて行く月村すずか。立ち去る彼女に苛立ちながら、アリサは罵倒と共に想いを告げる。

 

 

「また来なさいよ! 馬鹿すずか! 次もこんなに待たせたら、灰になるまで焼いてやるからっ!!」

 

 

 道を違えたのだとしても、今は別れるのだとしても、我らは共に友であるのだ。だから必ず、また来いと。

 そう怒りながらに告げる友に、笑顔と一緒にその手を振る。また逢いに来ると胸に誓って、彼女達の道はまた分かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○アリサ・バニングス。

 若き日は執務官長として、老いてからは訓練校の教官として、その終生を管理局にて生きた女傑。

 時たま故郷に戻る度、家の事業を継いで欲しいと言われていたが、自分の性には合わぬと武辺の者であり続けた。

 

 伝えられた想いを絶やさぬ為に、教えられた事を伝え続ける為に、彼女は人を導く事を止めはしなかった。

 そんな彼女の背中に焦がれた者は多い。後の世に残る偉人の多くは、彼女の教えを受けている。そうとまで、語られる程に偉大なその名を後に遺す。

 

 血の繋がらない一人娘を育てきった後も、常に日向でその存在を示し続けた炎の女傑。

 そんな彼女が友と交わした喧嘩の結果、彼女に連れ合いが出来たかどうか。それは何処にも残っていない。

 

 

 

 ○月村すずか

 嘗て交わした闇との約束。それを果たした女はやがて、アンダーグラウンドの女帝に至る。

 統率された人の意志。次元政府を良き物と捉えながらも、敵対し続けた女。零れ落ちた者らを拾い集めて、夜の王は生き続ける。

 

 全次元世界の犯罪者達。それを束ねる大きな母は、余裕と嘲笑を張り付けて、裏から世界を回していく。

 誰よりも長く生きた女は、時に人の敵として、時に人の味方として、或いは完全なる第三者として、常に歴史に在り続けた。

 

 何時か至るべき善い場所が、一体如何なる形となるのか。生き続ける女は、其処で確かに模索を続ける。

 誰よりも長く生き、誰よりも最期に合流するのだ。だからこそ、誰よりも幸せにならねば嘘だろう。そう思うからこそ、女は理想を探し続けた。

 

 そんな女に振り回されて、多くの男が色香に惑う。だがそんな女に付き合うのも、男の甲斐性と言う物だろう。月村すずかはその様に、何時も笑い続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白い白い神の家。諏訪原に在ったそれに良く似た、同じ作りの教会の礼拝堂。ステンドグラスの灯りの下に、白い衣服と共に立つ。

 ガチガチに固まった青年は、気取られぬ様に深呼吸を二度三度と繰り返す。その度胸に痛みが走るが顔には出さず、ユーノ・スクライアは前を見る。

 

 そうして、一歩を踏み出す。周囲の席を満たす知人の顔を横目で見ながら、バージンロードを歩いて進む。

 一歩、一歩と歩いて進む。その度に痛みが生じるが、折角の晴れ舞台、倒れる様な無様はいけない。だからこそ、一歩一歩と歩いて進んだ。

 

 親類席から見守るのは、高町桃子と高町美由希。月村と名を変えた恭也に、その妻である月村忍。そして、スクライアに連なる人々。

 友人席にて笑うのは、クロノ・ハラオウンとティアナ・L・ハラオウン。月村すずかに、アリサ・バニングス。そして、彼らだけではない。

 

 キャロが居る。ルーテシアが居る。ヴィヴィオが居る。メガーヌが居る。ヴァイスが居る。グリフィスが居る。レティが居る。シャーリーが居る。

 カリムが居る。ヴェロッサが居る。シャッハが居る。今も失われていない命が其処に、誰もが祝いの席に座っている。だからこそ、格好悪い姿なんて見せられない。

 

 全てが終わったこの今に、最後が始まるその前に、漸くに得た平穏の中に決めた事。ずっと待たせてしまった女と、共に祝言を此処に挙げよう。

 白いタキシードを着込んだ青年は、今を必死で生きている。残る傷痕全てを抱えて、真っ直ぐ歩き続けて祭壇へ。辿り着いて、確かにその姿勢を正した。

 

 新郎の入場。それに続くは新婦の入場。白いウェディングドレスに身を包んだ女が、扉の先から姿を見せた。

 黒いスーツ姿の高町士郎。彼に手を引かれて、高町なのはは道を歩く。見て分かる程度に僅か膨らんだお腹は、この道の名に相応しくはないかもしれない。

 

 それでも、綺麗だった。赤い道をゆっくりと歩いて進む、白いドレス姿の女。愛する人の姿は唯々、見惚れる程に美しかった。

 

 祭壇の前へと娘を連れて、役目を果たした父親は己の場所へと。確かに託す様な視線をユーノへ向けて、彼は想いを受け止めた。

 おかしく見えない程度に軽く頷くと、その視線を愛する人へ向かって移す。白いベールの向こうに浮かんだ笑みは、はにかむ様な仄かな色に染まっていた。

 

 見詰め合う。互いの姿に見惚れながら、想いを確かに見詰め合う。そんな二人の背後で鳴るは、未来を祝福する讃美歌だ。

 聖歌が確かに音を立て、そして牧師が聖書を開く。見詰め合う姿から、寄り添い合う姿へと。同じ想いを胸にして、二人は祭壇を前に誓う。

 

 

「新郎、ユーノ・スクライア」

 

「はい」

 

「健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くす事を誓いますか?」

 

「誓います」

 

 

 迷いはない。戸惑いはない。想いは既に、此処にある。だから口に出す宣誓は、その一言しかあり得ない。

 

 

「新婦、高町なのは」

 

「はい」

 

「健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くす事を誓いますか?」

 

「誓います」

 

 

 ずっとずっと愛してきた。ずっとずっと愛している。抱いた想いは共に同じく、返す言葉も共に同じだ。

 寄り添いながら想いを告げる。其処に偽りなどはない。牧師は満足そうに微笑むと、彼らに対してそれを語った。

 

 

「では、誓いの口付けを」

 

 

 そして、もう一度向かい合う。白いベールを片手でずらして、潤んだ瞳を見詰め返す。

 万感の想いと共に、此処に確かな誓いを立てる。女は僅か爪先を立て、男は僅か身を屈める。そうして、互いの唇を合わせるのであった。

 

 

 

 鐘の音が響く。祝福の鐘の音が鳴り響く。そんな教会を遠く、見守る男女は微笑みながらに立ち去って行く。愛し合う彼らの末を、此処に祈って――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○高町なのは

 救世の英雄。今もある神威。そんな女は此処に、その杖を大地に置いた。戦う力は、今は必要ない。

 嘗ての約束通りに、海鳴の地へと戻った。そんな彼女は夫と共に、小さな店を営みながらに生きて行く。

 

 愛した夫に寄り添いながら、当たり前の彼と同じ時間を刻む。三人の子宝に恵まれて、浮かぶ笑みは母のそれ。

 優しい幸福に満ちた平穏。誰もが過ごしている日常。誰よりも特別な女は、誰よりも平凡な世界で過ごしていく。

 

 愛する夫の命が終わる日まで、寄り添いながらに生き続けた。愛する夫の命が終わる日、同じく彼女も眠りに就いた。

 

 

 

 ○ユーノ・スクライア

 戦いの後も、彼の傷は残り続けた。その身は痛みに震えたまま、されど笑みは絶やさなかった。

 それは強がりなどではない。確かに彼は満たされていたから、痛みよりも強い喜びで微笑み続けていたのである。

 

 特別にはなれなかった彼は、どこまでも平凡な日々を過ごす。

 海鳴にある喫茶店。義父のそれとは違う場所に、建てた小さな店で日々を過ごした。

 

 三人の娘が育ち、それぞれに家庭を築く日まで、彼は当たり前の日常を必死に生きて行く。

 最後の子が嫁に行き、そして暫くがした後。愛する人の膝に抱えられたまま、その満ち足りた生を終えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして――――――世界は、続いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トゥルルルルルトゥルルルルルトゥルルルルルトゥルルルルルチャチャチャチャチャチャチャチャチャーチャ!

 

 

――あ! 野生のシュピーネさんが現れた!――

――けんじゃセージの行動! セージはベホマを唱えた! しかしセージのHPは全快だ!――

――あそびにんジンロンの行動! ジンロンは阿片をばら撒いている!――

――シュピーネさんの行動! シュピーネさんは命乞いをした!!――

――ミス! セージには効かない! ジンロンは阿片を勧めている! アマカスは暴走した!――

――ゆうしゃアマカスの行動! アマカスは全ての魔力を解き放ち、ラグナロクを打ち放った!!――

――セージに99999のダメージ! セージは倒れた!――

――ジンロンに99999のダメージ! ジンロンは倒れた!――

――アマカスに99999のダメージ! アマカスは気力を振り絞って立ち上がったっ!――

――シュピーネさんに99999のダメージ! シュピーネさんを倒した!!――

 

 

 テテテテ、テッテテー! レベルアップのファンファーレ音を流しながら、テレビ画面に映った軍服の男が万歳三唱している。

 ボタンを押さねば先に進まぬ画面であるのだが、コントローラーの持ち主は眠りこけている。その為勇者の万歳三唱は、かれこれ数時間は続いていた。

 

 コントローラーを握る少女が夜更かししてまで、プレイしていたゲーム。シュピ虫クエストⅢは大人気ソフトだが、その例に漏れず怪しい噂が付き纏っていた。

 その噂。裏技を確かめる為に行っていたシュピーネ狩り。何億分の一と言う確率で、ラグナロクを受けたシュピーネさんがラスボスである総統閣下並に覚醒を繰り返すらしいと言う噂の検証。

 

 

「……やっぱ、嘘や。……ラスボス閣下みたいに、37回変身するなんて、嘘やったんや。……ゴールデンなシュピーネさん、見たかったなぁ」

 

 

 コントローラーを握ったまま眠ってしまい、それでも口から零れるのはその無念。夢に見る程に強く思う。

 偽りの噂に踊らされた被害者は、一押しな芸人をモデルにした雑魚敵の雄姿を心の底から見届けたいと願っていたのだ。

 

 

「はやてぇ、もう眠ぃ……Zzzz」

 

 

 午前二時まで付き合わされた長姉は、眠りながらに眠たいと寝言を口にしていると言うウルトラCを体現している。狙って出来る事ではない。

 そんなベッドの上に倒れた金髪と、床に転がった茶髪の姉妹。共に眠りこける子供達だが、彼女達に安らぎはない。何故ならば――今日は平日なのだから。

 

 

「ふぁ~。アカン、寝落ちしてもうた……って、嘘やん!? もうこんな時間や!!」

 

 

 瞼を擦りながらに目を覚まし、寝惚け眼で時計の文字盤を確認する。姉が寝惚けて止めたのだろう。彼女の手の下にある時計の数字は、出発の時間を大きく過ぎた物。

 そんな馬鹿なと目を見開いて、祈る様に天を見上げて、二度三度と時計の文字盤を確認する。だが幾ら現実から逃避したとしても、時間の流れは変わってくれない。はやての顔が、真っ青に染まっていった。

 

 

「何で、オカンは起こしてくれんのや! フェイト! フェイト! 早よ起きぃっ! 遅刻してまうで!!」

 

「な~に~。はやて~。まだ眠ぃ~」

 

 

 今も寝惚け眼のままに、寝言かどうかも判別できない言葉を漏らす。そんな姉――高町フェイトの姿に焦りが募る。

 外ではしっかりとしているフェイトだが、家庭の中では数多のポンコツっぷりを見せ付ける。そんな彼女は朝に弱く、一人では中々起きられないと言う悪癖を持っていた。

 

 

「アカン。寝惚けたフェイトは、一時間は起きんし、今日は日直やったのに、バニングス先生の鉄拳、もう食らいとうないし」

 

「Zzzz……晩ご飯まだ~?」

 

「朝食がまだやっ!? ってか、どっちも食っとる暇ないわ!!」

 

 

 寝起きで混乱しているのだろう。寝巻から着替えるより前に、遅れては不味い理由ばかり連呼してしまう。

 そんなはやての傍らで、また眠りに落ちて寝言を呟くフェイトの姿。焦りに焦った高町はやては、ここで最終手段を発動した。

 

 

「しゃーない。こうなったら――起きんと、オトンを連れて来るで? そのはずかっしい格好、見せてええん?」 

 

「…………はっ!? それは駄目だよ! はやて!!」

 

 

 双子の妹が耳元で口にした言葉に、双子の姉は一気に覚醒して跳び起きる。

 囁く様な声音だと言うのに、父と言う単語には必ず反応する。そんなフェイトに、時間がないと言う事実を一瞬忘れて、はやては苦笑しながら言った。

 

 

「相っ変わらず、フェイトはファザコンやなぁ。……って、そんな事言うてる場合やなかった!? もう登校時間過ぎとるんやでっ!!」

 

「え? あ、本当だ」

 

 

 目を覚まして、ぼんやりと時計を見詰める。見詰めたままに停止して、のそのそと布団から抜け出していく姿。

 そんなフェイトに僅か苛立ちながらも、はやては寝巻を脱ぎ捨てる。そうして聖祥付属の制服を取り出すと、袖に腕を通しながらに言った。

 

 

「ほら、ボケっとしとらんで急ぎぃ! 早よ着替えて、マッハで走れば、拳骨が一発減るかもしれん!」

 

「……何で、深夜まで付き合わせたはやてが、そんなに偉そうなの?」

 

「それ言うたら、フェイトやって目覚まし止めとったやん! って、言い合いしてる暇はないんや。どっちが悪いかは、また後で!」

 

 

 はやてに急かされて、目覚めたフェイトも着替えを始める。そんな彼女より先に、着替えを終えたはやては鞄の中身を確認する。

 自分と姉と、二人分の中身チェック。授業に必要な教科書もノートも、そして課題も問題ない。軽く見た後に頷くと、着替えを終えたフェイトに投げ渡す。

 

 さあ、急いで出発しよう。二人部屋の扉を開けて、フェイトとはやては家の階段を駆け下りていく。

 そうして玄関を目指す途中、一階の居間から彼女達に向かって言葉が掛かる。それは毎日聞いている、母が子を呼ぶ声だ。

 

 

「二人ともー、朝ご飯食べてから行きなさーい!」

 

「ご飯。お父さんの作る、美味しい朝ご飯」

 

「何釣られとんねん。食ってる暇ない言うねん。……オカン! 私ら、今日はいらーん!!」

 

 

 母の言葉を耳にして、揺れ動く姉の頭を叩く。靴箱から靴を取り出すと、玄関に座って履き始めた。

 朝食と言う言葉に後ろ髪を引かれながらも、フェイトもそんなはやてに続く。そうして二人揃って、登校準備を終えた所で――

 

 

『いってきま――』

 

「はい。駄目です。子供の頃から朝食抜きなんて、身体に良くはありません」

 

 

 出発の挨拶を止められる。まるでネコを持ち上げる様なやり方で、揃って襟首を掴まれた。

 振り向いた先には、何時も浮かんでいる笑顔。太陽を思わせる笑みと共に、高町なのははそう語る。

 

 

「せやかて、オカン! 時間ないんや!」

 

「遅刻なら、心配する必要はないよ? 私が、ヴィヴィオに伝えておいたから」

 

 

 朝食を食べている時間はないのだと、抗弁しようとしたはやての言葉を笑顔で断ち切る。

 曰く、既にお前達の遅刻は担任教師に報告済みだ。にこやかに告げられた処刑宣告に、娘達は揃ってその場にへたり込む。

 

 

「……アカン。私、死んだ」

 

「命が終わる前に、お父さん分を補充しておこう」

 

「はいはい。これに懲りたら、ゲームは程々にしておく事。……それと、フェイトはもう少し、お父さん離れする様に」

 

 

 思い浮かべるのは、この先に待つであろう末路。学校と軍隊を間違えてませんかね、と時々問い掛けたくなる担任教師の叱責姿。

 果てに待つ結果が揺るがなくなった事実を前に、脱力してしまう二人の娘。そんな彼女達を前に仁王立ちする母親は、偶には良い薬だろうと判断する。

 

 昨日の夜もあれ程に、早く寝ろ、早くゲームを止めなさい、と再三に渡って叱ったのだ。

 それを無視して、後少しなどと言い訳して、挙句に起きられなかった娘達。詰まりは結局、自業自得な訳である。

 

 

「これを持って行ってくれるかい?」

 

「はーい。おっまかせー」

 

 

 そんな遣り取りを耳にしながら、キッチンで調理を続けるエプロン姿の青年は小さく微笑む。

 そうして笑みを浮かべたまま、料理の手伝いをしてくれている末の娘に、盛り付けた皿を手渡した。

 

 光の当たり方次第では、僅か赤み掛かって見える茶色の髪。まだ義務教育も始まっていない年齢の少女は、元気な声で父に応じる。

 小さな両手でお皿を抱えると、零さない様に気を付けながらに駆けていく。小走りに居間へと、自称・桜屋の看板娘の姿は見慣れた物。

 

 

「ほらほら、退いた退いた愚姉どもっ!」

 

 

 母に引き摺られて、居間に放り込まれた二人の姉。その姿を笑い飛ばして、中央の食卓へと。

 湯気を立てる朝食を並べていく。そんな妹に退かされた二人の姉は、はぁと溜息を同時に零して観念した。

 

 

「はぁ、しゃぁないか。……どうせ拳骨くらうなら、ゆっくり食べてから行こ」

 

「やった! 今日のご飯何ー?」

 

「喜びなさい! 自家製パンにベーコンエッグにシーザーサラダ、最後のオニオンスープは私が手伝って作ったのよっ!」

 

 

 諦めて椅子に座っていくフェイトとはやて。そんな姉を前にして、末の妹は自慢そうに胸を張る。

 浮かべた笑みは、何時か何処かで見た気がする物。残っている筈がない。残っていた筈はない。だから、彼女はきっと違う者。

 

 だけど、それでも何処か似ていると――そう思っていたからこそ、彼女にその名を付けたのだろう。

 或いはそれとも、その名を与えられたから、あの日の彼女に似ているのか。高町なのはは少しだけ、そんな益体のない事を考えた。

 

 

『えー、杏奈(アンナ)が作ったのー?』

 

「何よ、その反応!」

 

「せやかて、なぁ?」

 

「うん。お父さんのご飯に比べたら、杏奈のはちょっと」

 

 

 三ツ星レストランでも通用する腕前に比較すれば、誰であろうとこう反応するだろう。そも比較対象が悪いと言える。

 それでも、父の手伝いを頑張ったのだ。そんな自負がある少女は、二人の姉に憤慨する。此処で泣くのではなくて、今に見ていろと言うのが強気な彼女の性質だった。

 

 

「ふんっ、良いもん。この桜屋の二代目、高町杏奈の料理が上達しない訳がないのよ! その時になってから、食べさせてくれって言ったって、聞かないんだから!」

 

 

 

 

 

 時は流れる。魂は輪廻する。世界はきっと何処までも、形を変えて続いていく。

 黄金に輝く鱗の上に、寄り添い立つ彼らは見守る。世界を共に旅しながら、変わり続ける色を見届ける。

 

 

「ちょっと、こっちの方が良いんじゃない?」

 

「けど、そっちだとちょっと値段が」

 

 

 何処かの世界で、何処かで見た女達が笑い合う。共に紫色の髪。片や泣き黒子。そんな女達が其処に居る。

 ショッピングモールにて、見付けた衣服や装飾品を比較する。共に気が合う友人同士、笑い合って互いに似合う物を選び合う。

 

 そんな女達が買い物を謳歌している中、彼女達の背を追う荷物持ちの少年は小さく吐息を吐くと苦情を述べた。

 

 

「どうでも良いけど、姉さま達。二人の世話を、押し付けないで欲しいんだけど」

 

 

 金髪の少年は、年の離れた姉らに言う。泣き黒子の姉と、その姉の友人。彼女達の妹が、彼の背中を登っている。

 両手は大量の荷物に塞がれて、背中の子らは止められない。兄貴分が止めない事を良い事に、彼女達はその手で悪戯ばかりする。

 

 

「にいに。頭変ー」

 

「頭、変。電波?」

 

「……二人とも、僕の髪の毛をぐちゃぐちゃにしないでくれないか?」

 

 

 金の髪に、明るい瞳。元気一杯な笑顔で髪を引っ張る少女。銀の髪に、ぼんやりとした瞳。何処か微笑みながらに額に落書きしようとしている少女。

 そんな妹たちを止められず、買い物に夢中な二人の姉は気付いてすらいない。そんな事実を前にして、苦労人は嘆息する。そんな日常も、世界の一つ。其処に確かに彼らは居た。

 

 

 

 時は流れる。魂は輪廻する。世界はきっと何処までも、形を変えて続いていく。

 黄金の龍が空を舞う。誰にも見られる事は無いように、誰にも気付かれる事はないように、けれど誰もを見守っている。

 

 その視線の先には、何処かの世界で、何時か見た人々。その残り香を漂わせる、そんな日常の断片たち。

 

 

「むっ! 今日こそ!」

 

「ワンワンワン!」

 

「きゃーっ!!」

 

 

 黒い髪の幼子が、ぎゅっと手を握って一歩を進む。確かな覚悟を胸に抱いて、彼女は眠る獣に手を伸ばす。

 眠っていた蒼い犬は、少女が近付いた瞬間に大きく吠える。少女は触ろうと伸ばした手を引っ込めて、涙目になって逃げ出した。

 

 小さな女の子を追い払う大型犬。少女を追い払って自慢げに、蒼い毛並みを毛繕う。

 そんな相方の姿を見上げて、オレンジの犬は呆れた様に嘆息する。子供を追い払って、何を誇っているのだと。

 

 

「はは、今日も駄目だったか」

 

 

 一人で出来ると走り出し、結局逃げ帰って来た黒髪の少女。そんな彼女に縋り付かれて、彼女の兄は苦笑する。

 黒髪の優男。微笑みを浮かべて、妹をあやしている青年。彼に想いを寄せる幼馴染の少女は、その様子に首を傾げた。

 

 

「全く、どうしてこんなに嫌われてるんですかね?」

 

「さぁ、どうしてだろうね」

 

 

 喫茶桜屋。彼らが産まれる前からあると言う有名店と、その看板犬であり番犬でもある二匹の犬たち。

 オレンジの犬は触らせてくれると言うのに、どうして蒼い犬には嫌われているのか。金髪の女は分からないと、答えを知らない男も同じく返す。

 

 事実なんて分からない。何処にあるのかも知りはしない。それでも一つだけ、確かに言える事が此処に在る。

 兄の下に逃げ帰ってきた妹。その背中に隠れて、ズボンを両手で掴んでいる。そんな少女の瞳は未だ、諦めてなどいないのだ。

 

 

「むー。負けないもん! 明日はきっと一人でも頭撫でられる様になって、いつか思いっきりモフモフするんだから!」

 

 

 大好きなお姉ちゃんでもある犬の飼い主。その人と一緒にならば、今でも触る事くらいは出来る。

 だが、それだけでは意味がない。もっと仲良くなって、柔らかな毛並を思う存分触ってみたい。そう思うから、少女は今も諦めない。

 

 兄の大きな背中に隠れたまま、黒髪の少女は宣言する。きっと友になってみせるのだ、と。

 

 

 

 時は流れる。魂は輪廻する。世界はきっと何処までも、形を変えて続いていく。

 黄金に輝く鱗が旅するは、世界の果ての果てまでも。何処までも何処までも、遠くへ遠くへ飛翔する。

 

 その視線の先には、何処かの世界で、何時か見た人々。その残り香を漂わせる、そんな日常の断片たち。

 

 

「はっはっは! おいおいおいおいどうしたよ!? これで俺らの二十連勝だぜぇ?」

 

「ギガうぜぇっ! それぜってぇ、何か反則してんだろ!?」

 

「えー、君が弱いだけじゃないのぉ? 正直、大した事ないわよねぇ」

 

「ムキーっ! テメェら、フルボッコにしてやるから、そこ直れっ!!」

 

 

 ケラケラゲタゲタ、笑っているのは二人の子供。染めた安っぽい金髪の少年に、同じく笑うは青い髪の不良な少女。

 対する赤毛の少女は其処に、いきり立って拳を振るう。ぶっ飛ばしてやると直情的に、そんな彼女にやる気かと返す少年達。

 

 放っておけば、今直ぐにでも喧嘩を始めてしまうであろう。桃色髪の絡繰り乙女は、呆れた口調で彼らを諫めた。

 

 

「はいはい。ガキどもはリアルファイトしない。……それと、バグに気付いてくれたのは嬉しいけど、バトルで悪用しない様にって言ってあったでしょうに」

 

「うっわ、バラしやがった。コイツ」

 

「あーあ、もう使えないじゃないのー」

 

「って、やっぱ反則じゃねぇかよっ! 無効だ無効だもう一度だぁっ!」

 

 

 年長者に暴露され、されど己の非を認めぬ悪童。そんな不良二人に対し、赤毛の少女は口にする。

 もう一度、今度は真面に戦えと。言われた二人は面倒そうに、されど何処か楽しげに、ゲームの筐体に入っていく。

 

 一般公募で集めたテスター達。そんな中でも一際に、灰汁の強い子供たちが喧嘩を止めた。その事実に機械の女は、ほっと一つ息を吐いた。

 

 

「んで、他に問題はなさそう?」

 

「えぇ、大きなバグはこれだけで、そこさえ直せば――」

 

 

 そしてそのまま、パソコンを操作している姉に振り返る。妹の仕事が子供たちの監督なら、姉の仕事はプログラムの仕上げである。

 モニタに映る少年少女の戦闘風景。仮想空間で行われている戦闘に不具合がないか、流れるコードを確認しながら適時修正を加えていく。

 

 

「ブレイブデュエルも漸く、一般公開出来そうです」

 

 

 父が遺した夢を形にする為。そして何より、今も楽しそうに筐体内で戦っている子供たちの為にも――ブレイブデュエルは、唯のゲームで終わらせない。

 発表して、それで終わりと言う訳ではない。完成は遠く、遠い高みを確かに目指す。誰でも一緒に遊んでいける。誰もが皆で、夢中になれる。そんな物を生み出すのだと、開発者たちは想い描いた。

 

 

 

 時は流れる。魂は輪廻する。世界はきっと何処までも、形を変えて続いていく。

 寄り添う白い百合は変わらない。飛び立つ黄金の龍は変わらない。何時までも、何処までも、彼らは共に旅をする。

 

 その視線の先には、何処かの世界で、何時か見た人々。その残り香を漂わせる、そんな日常の断片たち。

 

 

「頑張って! 剣道部の意地に掛けて、今日こそアイツらに!」

 

「ああ、今日こそは負けんさ。そうとも、私は負けられん。奴には、アイツにだけは負けられるかっ!」

 

 

 とある世界の片隅に、在った一つの中学校。何処にでもありそうな学校の校庭を、桃髪の少女が走っている。

 剣道着と言う袴姿。主将としての誇りを胸に、校庭のトラックを進む。そんな主将に向かって、応援するのは金髪のマネージャー。

 

 女達が戦う理由は、誇りと意地だ。運動部を次々と打ち破っているイカレタマッド。彼に負けたあの日から、次は勝つと誓ったのだ。

 

 

「ほう。その程度での速力で、私に勝つと語るとは、まるで全然なっていないなぁぁぁぁぁっ!」

 

「っ!? 貴様っ!!」

 

 

 されど、そのマッドはあらゆる意味で先を行く。其処は進むなと言いたくなる様な道すらも、全力で駆け抜けるのが彼なのだ。

 白い衣が風に靡く。紫の髪をうちふるい、風速を受ける顔面で一発芸を晒している少年。短距離を走る剣道娘を後ろから、高速移動で抜き去っていく。

 

 

「はっはっはっ! 不思議ガジェット28号『これで誰でもアスリート。ドーピング疑惑は勘弁だぜ』は今日も絶好調! 私の発明品は世界一ィィィィィィィッ!!」

 

「くっ。……また、貴様に負けるのか。また、貴様の妹に馬鹿にされるのか。……いいや、否! もう二度と、科学部の発明品一つで負けるなんて、剣道部主将も大した事ないんですねプゲラとかあの眼鏡に言われて堪るかぁぁぁぁっ!!」

 

「ぬぁにぃっ!?」

 

 

 身体に張り付けた機械で高速移動し、剣道娘を抜こうとしていた変質者。その姿に、剣道娘は怒りの想いで咆哮する。

 

 唯でさえ、スタート地点でハンデを受けていたのだ。それで追い抜かれてしまえば、それこそ何処ぞの性根が腐った女に罵倒されても何も言えない。

 もう二度と、言わせる物かといきり立つ。心の底から叫びを上げたのは、眼鏡の煽りがそれ程に腹立たしい物であったからなのか。確かな事実は唯の一つ、少女は此処に己の限界を超えたのだ。

 

 

「きゅ・・・90000・・・!? 100000・・・110000・・・バカな・・まだ、上昇している!? いかんっ! 不思議ガジェット29号『これってスカウター? いいえ、これは花火です』がこのままでは様式美的に破裂してしまうっ!?」

 

 

 限界を超えた疾走で、少女は確かに白衣に追い付く。だが、まだだ。まだ足りない。まだ勝てない。負ける訳にはいかないのだ。故に少女は拳を握る。

 

 

「オォォォォォォォォォォッ! 紫電一閃っ!」

 

「ちょっ!? ダイレクトアタックゥゥゥゥッ!?」

 

 

 顔に付けた玩具に浮かんだ数字に、戦々恐々としていた科学部の変態白衣。そんな少年の顔面へと、伸びるは必殺の一撃だ。

 紫電一閃と名付けられた唯のグーパンが、その顔面を打ち貫く。短距離走で物理攻撃は卑怯だと抗議する事すら出来ず、変態は錐揉み回転しながら飛んでった。

 

 勝てば良かろう。そうと言わんばかりに走り去っていく剣道部員。おいお前、武道の精神は何処行った。そう突っ込む者は此処にはいない。

 ゴールに辿り着いた桃髪剣士を、金髪の少女がドリンク片手に迎え入れる。そんな少女らを後目に、紫髪の少女が地面に倒れた兄を見る。その瞳は、とても冷たい。

 

 

「負けたんですね。じゃ、帰りますよ」

 

「ま、待ってくれ! リアルファイトはなしじゃないかね!? おい、デュエルしろよ!」

 

「最高時速が自動車並な発明品を使って、何を言っているんですか。……遊びに付き合ってくれている人に、迷惑掛けてばかりじゃ駄目ですよ」

 

「分かった。分からないけど、分かった。分かったから、だからせめて、足を持たないでくれないか!? 顔の傷に砂がぁっ!! 地面に引き摺られると痛いんだがぁっ!!」

 

 

 よせば良いのに、発明品を自慢する為に他者に迷惑ばかり掛けている兄。そんな兄に巻き込まれた人々の傷痕に、喜々として塩を塗り込んでいく妹。

 間に挟まれた常識人は、何時もの様に頭を痛めながら変態を引き摺る。ゴリゴリと砂で顔面を削られながら、科学部の長でもある問題児は回収されていくのであった。

 

 

 

 時は流れる。魂は輪廻する。世界はきっと何処までも、形を変えて続いていく。

 偶々立ち寄ったのは一つの世界。其処で見付けた光景に、当代の神はその目を丸く見開いた。

 

 その視線の先には、何処かの世界で、何時か見た人々。その残り香を漂わせる、そんな日常の断片たち。

 

 

「これは最終警告です。さっさとその手を離しなさい。淫乱ピンク」

 

「何を言っているのか分かりませんけど、手を離すのは若作りの貴女であるべきだと思いますよ? ちょっと実年齢を考えたらどうですか?」

 

「……1000年眠ってたんで、年齢はそんなに変わりません。それより、貴女の方こそ、そろそろ年齢を考える時期でしょう?」

 

 

 すっと鋭い目付きで睨むは、明るい茶色の髪を伸ばした女性。身に着けた男物のコートを、大切そうに握り締めた美女。

 そんな彼女の対面で睨み返すのは、車椅子に座った半身不随の美女。桃色の髪を伸ばした彼女は、嘗ての面影を残しながらも美しく育っていた。

 

 

「え、えっと、ふ、二人とも、落ち着いてください。ちょ、引っ張らないで、裂ける! 裂けますからっ!!」

 

 

 そんな二人に囲まれて、混乱している小さな少年。両の腕を左右から引っ張られて、赤毛の少年は痛みを叫ぶ。

 バチバチと火花が幻視出来る程、対立している美女二人。好意を向けられている事を自覚して、だが歓喜よりも痛みが強い。

 

 腕が痛い。胃が痛い。頭が痛い。振り回される少年の顔にはしかし、暗い影など何一つとして残っていない。

 

 

「仕方ありませんね。どちらにするか、直接選んで貰いましょう。……結果は既に、見えている様な物ですが」

 

「え?」

 

「それは良い判断だね。彼が私を選んだなら、頭の固いお婆さんもきっと理解できるでしょうし」

 

「は、ちょっ!?」

 

 

 必死に頼み込んだからか、腕を引く力は緩くなる。だが其処で一息吐く余裕が生まれる事はなく、恋する女達の鞘当ては終わらない。

 恋敵の排斥が即座に出来ぬのならば、恋する相手にそれをさせよう。互いに座った瞳で見詰めて、見られる少年はその頬を引き攣らせた。

 

 

「勿論、こんな淫乱ピンクじゃなくて、私を選びますよね?」

 

「は、はい!?」

 

「……私を半身不随にした責任、取ってくれなきゃダメだよ?」

 

「な、何の事を言っているんでしょうかぁぁぁぁっ!?」

 

 

 前世の記憶など残っていない。悪魔の王など此処には居ない。だから純朴な少年は、意味が分からないと慌てている。

 少年の戸惑いなどお構いなしに、此処まで待たされ続けた女達は止まらない。少年に選択を迫る為、その行動は過激になっていく。

 

 攻撃的になるのではなく、色香の面で過激となる。そんな三人を遠巻きに見る第三者は、揃って溜息を吐いていた。

 

 

「兄貴ー。私、お腹空いたー」

 

「はぁ、妹が、ショタコンになった。……どうすれば良いの、これ」

 

 

 色恋など知らない赤毛の少女。小さな少年の妹は、何時になったら食事が出来るのかと嘆息する。

 対して鞘当てを続ける女の姉は、まだ十にも満たない少年を本気で奪い合っている二十過ぎの女性達と言う、通報不可避な情景を嘆いていた。

 

 

(違う。これ違う。こんなの、アイツじゃない。俺のライバルは、あんな風にはならない)

 

 

 天高くから見下ろす彼は、その光景を見詰めて思う。龍の背中で膝を付き、白百合にその背を撫でられている。

 ガッカリと両手を付いた少年。誰も見れない筈の高みにて、誰にも見つからないままに、神は地味に傷付いていた。

 

 そんな黄金の龍が空を通り過ぎる一瞬に、僅かに浮かび上がった泡沫が嗤って語った。

 

 

「……さ、しっかりやりなよ、トーマ。気を抜けば、僕が内から喰い殺すよ」

 

 

 消え去った筈の影が浮かび上がって、去っていく神の背中を激励する。思わずトーマが顔を上げた時、既にその影は其処になかった。

 悪魔は底で眠りに就き、残されたのは純朴な子供だけ。この温かな世界に、悪魔の王は必要ない。そう知っているからであり――断じて、女性関係が面倒なだけではないと信じたい。

 

 

『エリオ君! どっちにするの!?』

 

「お姉さんたちは、小学生に何を期待してるんですかー!!」

 

 

 

 

 

 黄金の龍は空を舞う。数多の次元の海を渡って、その背に寄り添う二柱の神は多くの今を見届けた。

 

 

「ねぇ、トーマ。次は何処に行こうか?」

 

「そうだね、どうしようか」

 

 

 故にリリィは問い掛ける。今に生きる人々はもう見たから、次はさあ何をしようか。

 言われてトーマは僅か思考する。直ぐには思い浮かばぬから、友達の意見も聞いてみようと問い掛けた。

 

 

「黄龍。君は行きたい所、ある?」

 

〈病なきは善き賜ぞ。足るを知るは、極まれる富。いと親しきは信託するにあり、げに楽しきは涅槃なりけり〉

 

「ないんだ。うん。分かってた。なら、どうしようかなぁ」

 

 

 人の夢から生まれた星の化身。友を背に乗せる巨大な龍は、問われてその想いを伝える。

 彼に希望などはない。彼は今に満足している。病はなく、欲しい物は全てある。大切な友が居て、ならば世界は何処へ行こうと楽しいのだ。

 

 そう語ってくれる事は嬉しくとも、実際この先何処へ向かうか悩んでしまう。

 そんなトーマは思案の果てに、良しと一つ頷く。此処から何処へ行くのかを、彼は決めたのだ。

 

 

「取り敢えず、さ。行ける所まで行ってみようか! 世界の果てが、何処にあるのか見てみよう!」

 

 

 今も流れ出し続けている己の世界。その果てと言うべき場所は、一体何処になるのであろうか。

 知ろうと思えば、今直ぐにでも知れるであろう。だがそれでは詰まらぬから、自分達の目と足で向かってみよう。

 

 そう語る彼に、寄り添う者らは頷き返す。彼らに否などありはしない。共にある事、唯それだけで嬉しいから――

 

 

 

 世界は続いていく。過ぎ行く刹那は永遠にはなれず、何時かの果てには終わるであろう。

 それでも世界は続いていく。終わりは一つの始まりだから、きっと何時までも続いていくと願っている。

 

 

「だから、さ。その果てを目指して――行ける所まで、一緒に行こう!」

 

 

 物語は終わる。世界は終わらない。時は流れて、輪廻は回って、そうして世界は変わって行く。

 何時までも、何時までも、きっと終わる事はない。そう信じられる誰かが居る限り、必ず繋いでいけるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                   リリカルなのはVS夜都賀波岐 了。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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後書き

 これにて当作、リリカルなのはVS夜都賀波岐は完結となります。

 初投稿から二年と四ヶ月。本当に長い間、お付き合い下さりありがとうございました。

 

 完結を記念してと言う訳ではありませんが、幾つか設定や裏話でも垂れ流して行こうかと思います。

 大した内容となる事はないと思いますので、まあ軽い気持ちで流し読んで貰えればそれで十分でしょう。

 

 

 先ず初めに、当作を始めようと決めた動機に付いて。一言で言えば、PSVITA版の「神咒神威神楽」OPで夜刀様が格好良かったから。

 やっべぇ、かっけぇ。この方をラスボスにしてぇ。そんな気持ちで設定を練り始めたのが最初、先ずはKKKの二次創作にしようかと思った物の、煮詰める途中で断念。

 

 本編イフだとどう思考しても、夜刀様をラスボスには出来ない。覇吐ソードや覇吐シールドを持たせれば波旬退治は出来るけど、そこで無間地獄が流れ出してしまう。

 それを回避する為には波旬撃破後の夜刀様を倒せる誰かを置くしかないが、夜刀様が波旬と戦うと仮定するとKKK主人公勢はどう考えてもそれ以前に全滅してる。そうじゃないと、夜刀様が勝てない。

 

 そんなこんなで、波旬撃破後の夜刀様を倒す為にオリキャラでも出すかと考えて、其処で漸くに思い至る。

 ……主人公勢を捏造するくらいだったらいっそ、他作品とクロスさせれば良いんじゃね? その発想から、当作は始まりました。

 

 

 クロスさせると決めた上で、折角ならば夜都賀波岐を全員使おうと思い付く。その上でどの作品と混ぜるか、選定開始。

 条件として先ず上げたのは、“戦力バランスが取れていない”作品。KKKと比較すれば、絶対に負けると誰もが断じる様な物。

 

 何故、そう限定したのかと言えば理由は二つ。一つは最強談義が面倒だから、どっちが勝つか分からないクロスだと絶対に荒れると確信した。

 そして感想が荒れるよりも重要なのが、もう一つの理由。それは夜都賀波岐を描く上で、絶対に守らないといけないと作者が感じる二つの要因。

 

 穢土・夜都賀波岐とは、物語の冒頭においては絶対の脅威としてなければならない。圧倒的な力と共に、恐怖を叩き込んでくる者らでなくてはいけない。

 その上で、彼らは正しくないといけない。夜都賀波岐は単純な悪ではなく、確かな正当性を持つ者達。彼らは鬼畜外道でなく、確かな想いを抱いた過去の英雄なのである。

 

 序盤に彼らが蹂躙するからこそ、彼らは正しくとも納得は出来ない。そんな感情を抱いて、主人公側も正当性を其処に持てる。

 奪った彼らを倒すのだ。そんな理由がなければきっと、夜都賀波岐を倒す事は称賛されない。戦力バランスが保ててしまうと、クロス側が悪役になってしまう。

 

 そんな懸念や拘りがあったので、クロスをさせる上での選定は結構長く悩みました。

 最強談義が激しい奪還屋や、魔を断つ剣、永遠神剣など、戦闘が成り立ってしまう様な作品は全てアウト。

 最終的に候補に残ったのが、薬味少年な魔法先生、虚無が使い魔呼ぶ話、そして魔法少女リリカルなのはであったのです。

 

 リリカルなのはで落ち着いたのは、管理局とロストロギアの存在。最終的に戦力比は神座に混ぜてしまえばどうとでもなると考えていましたが、どうにもならないのが勢力図。

 それこそ一瞥で皆殺しにされる様な強敵を前にして、一枚岩ではない勢力では持たないと思えた事。そしてロストロギアの設定を使えば、幾らでも神座要素を混ぜれそうだったのが由縁です。

 

 

 クロス先が決まって、次に考えたのはリリカルなのはをどう利用するか。神座側を目立たせるだけではなく、どうやって活躍させていくか。

 ハッキリ言って、リリなのはキャラが多い。特にStSは多過ぎて、原作者でも扱い切れなかったと言われる程。二次創作者が使い熟せる訳がない。……良し、間引くか。

 

 そんな外道の発想で、キャラ削減を決意。元々、夜都賀波岐の脅威を見せる為、死者は幾人か出す想定だったので問題はなかった。

 最初に生かすキャラと死なせるキャラをバッサリ決める。必要なのは決戦メンバー。最終的に戦う相手を選び上げ、それ以外を排除可能なリストへ送る。

 

 主人公である高町なのはは絶対確定。彼女を使わないなら、リリカルなのはである必要はない。そう言うレベルで重要なキャラだと判断。それ以外のメンバーは、誰と戦わせるか、誰と戦わせたいかで選択。

 次に決まったのは優等生、ユーノ・スクライア。彼の原作での行動態度は、絶対に宿儺が嫌いそう。なら全力でバトルさせてみよう。優等生と不良の戦いとか考えると、中々面白い組み合わせになりそうだと。

 

 そうやって理由付けして、キャラを最低限に絞っていく。絞ったのならば出来る限り、そいつ等が目立つ様なシナリオを組み上げる。

 唯、死亡するキャラも雑に使いたくはなかった。なので極力、そう言ったキャラにも見せ場を増やして、夜都賀波岐が戦うに足る正当な理由も組み上げていく――あれ? 夜刀様息してねぇ。

 

 次々と問題点は発生したが、その都度最低限の補強と修正を加えていく。そうして第一弾のプロットさんは誕生しました。そしてイレインさんに殺されました。

 当初の予定では最終決戦メンバーだったフェイトちゃん。実は奴奈比売と戦う予定だったフェイトちゃん。作者が一番好きなキャラ。なのでつい、勢いが余ってしまった。

 

 その修正を仕上げた後、また同じ事がない様に対策。最初と最後だけを確定させておく、間は中抜きにして即興で書いていく。

 そんな今の形になったのは、細かく作っていくとノリで壊した時に修正できないから。そうして出来上がったのが、“リリカルなのはVS夜都賀波岐”な訳です。

 

 

 

○無印編について

 基本的に想定したのは、表と裏の二つのルート。なのはとフェイトが魔法少女してるのが表で、ユーノが夜都賀波岐に立ち向かうのが裏面。

 そう言う形で作っていたのが最初期のプロット。最初の段階から、無印の裏主人公はユーノ・スクライアになる想定であった。なので、時の庭園での反響は概ね予想の通り。

 

 ただし、プロット崩壊は多かった。実はイレインの核ぶっぱによるプロット崩壊だけではなく、他にも大きな変更をしないといけない場面がありました。

 

 当初の予定では、夜都賀波岐の理由説明はもっと後に回す心算だったのです。

 それも司狼が苛立ちながらにヒントを言う形ではなく、最高評議会に悪役っぽい形で説明させようと思っていました。

 

 そうならなかった理由は、感想欄が少し荒れたから。夜都賀波岐の人気を、作者が舐めていたからと言い換えても良い。

 作者の頭の中では理由があるから、多少は何をさせても問題はない。けれどその理由を説明されていない読者からすれば、キャラに合わない事をしている様にしか思えない。

 

 キャラ崩壊と言う意見を受けて、見返してみて自覚。彼我の意識に差がある事を実感して、此処で説明させないとダメだと判断しました。

 何故コイツらがこれ程に荒れているのか、何故に世界が詰んでいるのか、そう言った真相の断片。真実の断片と言う話を叩き込んだのは、そんな理由だったりします。

 

 そんな訳で、二度の大手術を迎えた無印編。プロットさんの死亡事故に盛大に巻き込まれたフェイトちゃんは、唯の被害者だったのです。

 

 

 

○空白期1について

 無印からA'sまでの、僅かな空白を描いた話。目的は、キャラクターの掘り下げと因縁作り。

 ミッドチルダ編は完全に予定の通り、ユーノの努力を描きながらに、現状を読者に伝える話を組み上げられたと思います。

 

 反面、地球編はかなり迷走していたかな、と。元々、地球編は日常話だけで終わらせる心算でした。

 なのはとはやてが出会う話。綾瀬の口伝を伝える話。此処でやろうと思っていた事をA's編の第一話に移動して、代わりに氷村遊の襲撃となりました。

 

 理由は作者が万仙陣をプレイして、次の空白期2で使おうと考えたから。A's編でリィンフォースが、ほぼ即死する事が決まっていたので、描写を増やしたくなったから。

 そんな理由によって、本来はもっと強くなってから遭遇する筈だった氷村の前倒し。同時に折角だからアリすずを巻き込んで、彼女達の関わる時期も前倒しにしてしまおう。

 

 結局、戦力的に氷村は倒せないし、超吸血鬼とか言う馬鹿な存在は消えましたが、ある意味これで良かったのではないかと今は思っています。

 ここで氷村が来なければ、アリサが炎に憧れるシーンが書けなかったし、ベイが夜の一族に興味を持つ流れにも持っていけなかった。そう言う点で、彼の存在は色々都合が良かった訳です。

 

 

 

○A's編について

 無印編がユーノの話だったので、此処で行う予定だったのはなのはの話。高町なのはの挫折と覚醒を描くのが、A's編の目的でした。

 そう言う意味では想定通り。天魔・奴奈比売との喧嘩。覚醒に至るシーンは本当に、やりたかった事が出来たと言う印象です。

 

 二度のプロット手術の経験から、余裕を持たせる事にした第三世代プロットさん。最初と最後だけ確定して、後は少しずつ埋めていくと言う構成の形。

 その恩恵か、最後は上手く進められたと思います。それでもそのデメリットと言う物か、悩んだのは途中の話。そして、最後に誰を残すべきかと言う判断。

 

 八神はやてと夜天の騎士達。ハッキリ言って彼女達は、最初から一人を残して全滅させる予定でした。

 

 はやては広域殲滅型であり、臣下が居ないと真価を発揮できない魔導師。唯でさえ数が多いのに、指揮官型はハッキリ言って使い辛い。

 シャマルは役割的に被るキャラが居るし、正直原作の描写が薄いので排除対象に。次いでとばかりにシグナムさんも、特に理由なく除外認定。

 

 個人的に守護騎士では一番好きなキャラであるヴィータか、夜刀様パワーで生き延びると言う設定的に一番適合しそうなザフィーラか。

 残すのは、このどちらか。少し悩んで、棚上げ決定。ノリと勢いで突き進んで、残せそうな方を残そう。その結果、何故か逆十字はやてちゃんが誕生してました。

 

 

 

○空白期2について

 前半の闇の残夢編は、万仙陣をプレイした影響。元々此処では、適当な中ボス相手にリリカル側の活躍を描く予定でした。

 夜都賀波岐には、まだまだ勝てない。だからこそ溜まるであろうストレスを、程よく打倒できる程度の強敵と味方の活躍を描く事で解消するのが目的でした。

 

 そう言う意味でも外道な氷村を相手にするより、派手な戦い方をするマテリアルズとの戦いの方が相応しかったと言えるでしょう。

 内面世界で一旦勝利するも、それで解決しないのも想定通り。最終的にザフィーラが奮起して、リィンフォースを打ち破るのも想定通り。ほぼ全て、目論見通りに行った数少ない場面です。

 

 後半の終焉の絶望編は、マッキーの登場回。最終決戦時でもどうすりゃ良いんだ、と思えるレベルの敵を大暴れさせる話。

 こちらも大凡想定通り。予定外と言えるのは、スカさんがデレた事くらいだと思います。あそこでデレたのは、完全なノリの産物でした。

 

 

 

○空白期3から、StS編について

 初期プロットさんの面影が全くない話。ぶっちゃけて言うと、実は初期のプロットではトーマ君すら出す気がなかった。

 年齢変更は極力したくなかったので、本来の登場予定はこの6年後。終焉の絶望編で顔見せした後は、Force編で再登場させる心算でした。

 

 なので、本来はここで真相解明をする心算でした。獣殿の槍を奪い合う中で、真実を知ると言う流れを想定していた。

 けれど真相説明を無印編でほぼ行っていたので、割と今更必要ない。となるとStS編で何をやろうかと、完全に持て余した状態。

 

 ならいっそ、Forceで予定していた事を前倒しにするか、と言う事でトーマ君の出番が確定。

 ナカジマ家に引き取らせて、スバルポジにしてしまえば良い。そうすれば自然と、ティアナの運用も決まる。

 

 トーマとティアナでStSの話を回して、なら敵は誰にしよう。ナンバースはちょっと数が多過ぎるので、代わりになる悪役が必要。

 そう言えば、エリオの話題出してたな。良し、エリオをライバルポジにしよう。後はその周りに花となるキャラを誰か――イクスヴェリアとアギトを投入。

 

 練炭パワー持ちなトーマに対抗する為に、パラロスからナハトを持ってきてエリオに憑依させる。

 その流れで、反天使揃えてしまえ。該当者は、原作StSのラスボスだから使いたいクアットロとヴィヴィオで良いや、と言うのが設定決定までにあった大体の流れ。

 

 トーマとエリオが戦いながら成長して、対立しながらも同じ願いを胸に抱く。StS編で目指したのはそんな形。故に彼ら二人が此処での主人公。

 クアットロが書いてて楽し過ぎて猛威を振るったが、それ以外は大凡三代目プロットさんの形を崩さずに進められたと思います。

 

 

 

○空白期4について

 最終決戦前に、物語を整理する為に必要だった話。神産み編も、楽土血染花編も、どちらも目的は同じく。

 トーマ誘拐までの間に、一端流出に辿り着いた描写を。そしてエリオとの決着と、穢土に侵攻しなくてはいけない理由を描いたのが前者。

 すずか覚醒までの流れと、残っていた敵対勢力の一掃。決戦に向かえるだけの戦力を磨き上げ、情勢を単純な形に纏め上げる。その為にあったのが後者。

 

 我ながら扱いが酷いなと感じたのは、百鬼空亡と菟弓華の二人。此処での犠牲者コンビである。

 

 百鬼空亡は救うか否か、ギリギリまで迷いました。流出一歩手前で妨害されたと言う描写が欲しくて、あの場で止まるのは確定事項。

 それでも最期、大獄に瞬殺されるのか。それとも違う形で眠らせようか。決め手となったのは、それまでの描写。名有りキャラを過去に殺害している事。

 

 幾ら自然現象の権化とは言え、登場人物を残酷な形で殺害する。そんなキャラが何もなしに救われて良い物か。

 エピローグで救われる形を描く代わりに、此処では何も出来ずに瞬殺されよう。それが禊にもなる筈だ。最終的に、そんな判断に落ち着きました。

 

 

 それと、莵弓華に付いて。元々、血染花編は氷村の犠牲者にすずかが糾弾されると言う流れにする予定でした。

 ですが唯のモブでは悲壮感がまるで足りない。けれどオリキャラは使いたくない。なので誰かネームドをと考えた時に、とらハ1のキャラ達ってどうしているかと思い返す。

 

 氷村遊の性格的に見逃すなんてあり得ない。絶対酷い目に合わされているよな。と思い至って、結果として弓華を持ってきました。

 元々ヒロイン勢で一番重い過去があり、だからこそ悲痛の中でも諦めない。そう言う意志の強さを持つのは、やはり彼女しかいなかったのです。

 

 その分、彼女には割を食わせてしまいましたが、お陰ですずかの覚悟完了が出来ました。そう言う意味でも、彼女には感謝しか出来ません。

 

 

 因みに作者の勝手な意見ですが、菟弓華さんはとらいあんぐるハートのヒロインではあるけれど、主人公・相川真一郎のヒロインではないと思う。

 

 弓華ルートは好きですけど、結局悲恋に終わる結末。もう二度と逢わないから、想い出を忘れない為に刻み込んで別れると言う最後。

 それ自体は綺麗なのですが、他ルートで御剣火影と恋仲になっていると言う設定。火影は戦闘能力があるからこそ、弓華と一緒に居る事も出来ると言う流れ。

 

 相川真一郎と結ばれる事は決してない。他の男ならば救える少女。そこがもにょると言うか何と言うか。やっぱり、間違った選択なんでしょうね。

 彼にとって彼女は、愛して良い人ではなかった。彼女にとって彼は、愛して良い人ではなかった。故にこそ、弓華は真一郎のヒロインではないのだ。――などと好き勝手に述べてみました。

 

 

 

○穢土・決戦編について

 実は一番最初にプロットが出来上がった話。初代も三代目も、決戦編から組み立てました。

 

 夜都賀波岐八柱の内、紅葉を途中で死亡させる事は決まってたので、残り七柱との決戦場面。

 その為に考えたのが、キャラクター同士の対応関係。因縁や性格や、その他の要素でこの相手と戦わなくてはいけないと言う相関関係。

 

 高町なのは≠天魔・大獄        始まりを告げる女と全てを終わらせる男。

 ユーノ・スクライア≠天魔・宿儺    真面目に生きる優等生と真面目に生きれない不良。

 クロノ・ハラオウン≠天魔・悪路    誰かと一緒に背負う男とたった一人で背負った男。

 守護騎士の生き残り≠天魔・母禮    罪故に守れぬ者と奪わなくてはならなかった女。

 リリィ・シュトロゼック≠天魔・常世  同じ男の別側面を、しかし同じく愛する乙女達。

 トーマ・ナカジマ≠天魔・夜刀     同じ魂を有する者であり、だが違う願いを抱けた者。

 

 因みに奴奈比売だけ、初期プロットと三代目とで対応キャラが変わっている。

 初期ではフェイトちゃん。時期的に入れ替わる形で友情の輪に入る予定だったので、その点をクローズアップする予定だった。

 

 言うなれば『友を選んだ女と友を選ばなかった女』みたいな対立関係になる想定だった。

 けれどフェイトちゃんが巻き込み事故で逝っちゃったので、奴奈比売の対立キャラはアリサちゃんに移行。相応しい謳い文句は浮かばなかった。

 

 因みに天魔も決戦前に犠牲者出しとくべきだよな、と言う判断で対立キャラがそもそも設定されてなかった天魔・紅葉。

 敢えて誰かを上げるなら、月村すずかが該当する。謳い文句は『共に情深き女』って感じだろうか。実際に戦わせると女の情念がドロドロしそうで、正直想像すらしたくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

○おまけ 新世界流出後の等級項目(一部神格勢のみ、流出開始から百年後くらいを想定)

 

 

◇高町なのは

【等級】太極・生誕喝采

【宿星】太陽星

【数値】筋力48 体力52 気力72 魔力96 走力50 太極80~

【太極】

 彼女の理は生誕を肯定する。生命が産まれる事の素晴らしさを、他者に語り共感を求める物。

 そして共感を抱いた者は、その出産を妨げられない。如何なる法則、如何なる理を以ってしても妨害すら行えない。

 

 命の価値を知る限り、産み出す母を殺害する事など出来ない。してはならないと、誰もにそれを理解させる。

 本心から他者を見下す鬼畜外道であっても、生命に価値があると認めてしまうなら、彼女の力の一切は防げない。

 

 例外は生を認めぬ者。彼女の言葉を認識すらもしない者。或いは両面鬼の様に、産むだけなら神じゃなくても出来るだろうと返してくる者。

 そうした例外でない限り、高町なのはの蘇生と強化は止められない。母は子を産み育て上げるまでは決して、誰にも負けぬし滅びる事もないのである。

 

 

 

◇トーマ・ナカジマ

【等級】太極・宿世結公孫軒轅

【宿星】貪狼星

【数値】筋力72 体力75 気力70 魔力68 走力66 太極75

【流出】先駆せよ、超越に至る道

 人と人の縁を結び合わせて、親しい人と必ず出逢える世を織りなす法則。

 この世界に真の意味で、孤独と言う事象はない。誰しもが必ずや、大切と言える誰かと出逢う機会を得る。

 

 得た縁をどうするか、それは個々人の判断に委ねられる。この法則は自由型であるが故に。

 結んだ縁を繋ぎ続けるのも、拒絶し断ち切るのも当人次第。彼は唯、皆がより良き場所を目指して欲しいと願うだけなのだ。

 

 この法則を戦闘に用いた場合、己と縁を持つありとあらゆる存在を太極位階にまで引き上げる流出と化す。

 神は人々の縁を結ぶモノでもあるが故、事実上対象となる存在はこの世界に生きる生命の全て。全人類が該当する。

 

 この法則下で神と化した者は、トーマ本人よりも強くなる。誰もが彼を超える程に、故にこそこの法則は諸刃の剣だ。

 外敵に対しては強固な理として成立するが、内敵に対しては異常な程に弱い法。その欠陥は拭えない。だからこそ、守護者が必ず要るのである。

 

 

 なお彼の太極名については、常の彼が黄龍の背に乗って移動する事から後世において名付けられた物。

 黄金の龍と共に旅する神。時折、白百合を介して、人々を救う神。そんな彼が中国神話における黄帝と同一視された結果である。

 

 

 

◇エリオ・モンディアル

【等級】太極・炎帝神農蚩尤顕現

【宿星】紫微星

【数値】筋力72 体力66 気力70 魔力65 走力78 太極75

【流出】先駆せよ、超越に至る道

 流出名はトーマと同じく、彼らが至る世界はこれしかない。そしてその法則も、どこか似通う形となる。

 人の縁より、進歩する強さを優先する。故にこそ繋がる感覚は感じ難いが、確かに其処に存在しているのだ。

 

 大切な誰かと必ず出逢うからこそ、絆を守る為に強くなろうと思い描ける。

 人々は強くならねばと言う強迫観念を常に抱くが、決して立ち止まれない訳ではない。

 

 平穏は其処に。安らぎは確かに。先へ進む為に、一時の休息は許される。そんな形の世界となる。

 

 この法則を戦闘に用いた場合、己と縁を持つ者全てを従えた総軍の覇王として彼は顕現する。

 誰もが進み続ける世界。誰よりも先に進んでいるのは、神である彼であるから。誰もが彼の背を追い掛けるのだ。

 

 内面に対する諸刃がないと言う点では、トーマのそれより完成度が高いと言えるであろう。

 だが反面、トーマ程に外敵に強いと言う訳ではない。背負った彼が敗れれば、この世界は敗れるのだから。その点では、一般的な覇道神と変わらないであろう。

 

 

 なお彼の太極名は彼の自称による物。黄帝の敵対者である蚩尤を名乗る意図は、一体何処にあるのだろうか。

 君が黄帝なら、僕は蚩尤だ。皮肉気な笑みと共にそう語り、彼を手助けする姿。新世界においてそれは、余り珍しい事象ではないらしい。

 

 

 

◇天魔・夜刀

【等級】太極・無間大紅蓮地獄

【宿星】なし

【数値】筋力100 体力100 気力100 魔力100 走力100 太極100

【流出】新世界に語れ、超越の物語

 世界を託して消えた偉大な神。彼が消え去った後に、彼の宝石たちの断片が僅か残っていたのは恐らくは彼の仕業であろう。

 己の内から消え行く残滓が、僅か残った輪廻の法に溶け行く姿。涙を流す程に愛しながらも見送ったのは、彼らの次を祝福していたからに他ならない。

 

 新世界において、彼は残滓も残さず消滅している。戦い続けた超越者は、黄昏の腕で永久の眠りに落ちたのだ。

 同じく消滅したのは、終わりを求めた男だけ。それ以外の欠片たちは大きく形を変えながら、ほんの僅かな色だけを残して、新たな世界を生きて行く。

 

 

 

 

 



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【番外編予告】THE DARK SIDE ERIO

フローエ・ヴァイナハテンッ!
受け取るが良い。天狗道の射干に用意させた、卿らへのクリスマスプレゼントだッ!


1.

 その一撃は、酷く響いた。強く強く響いたのは、決して肉体などではない。魔人の肉体にとって、この程度の衝撃など痛みにならない。

 なら、何が痛む。叫びたい程に痛いのは、一体何だ。一体どうして、こんなにも泣き出しそうになっているのか。決まっている。その瞳が、示していた。

 

 

「先生直伝――繋がれぬ拳(アンチェインナックル)!」 

 

 

 見上げる空に浮かんだ星。多くの人々に救われて、拳を振るう敵を見る。その討つべき反身の瞳は、確かに輝かしい光を持つ。

 その瞳が憤怒や憎悪を抱いていれば、ああ確かに言い訳出来た。その瞳に浮かんだ色が、軽蔑ならばまだ良かったのだ。だが、それだけはいけない。それだけは、許容出来なかった。

 

 それでも、見詰める瞳に何も返せない。母の形見を奪った敵に、救いたいと願った人を殺した敵に、それでも彼が示した色はそれだったのだ。

 

 

「何となく、分かったよ。……お前はお前で、可哀想な奴だったんだな。エリオ」

 

 

 彼は許した。その瞬間に、彼は確かに許したのだ。故郷を焼いて、形見を奪って、救うべき人を殺した。そんな敵を受け入れたのだ。

 その瞬間に膨れ上がる。掻き毟りたい程の憎悪が、吐き出したい程の嫌悪が、どうしようもならない激情が爆発する様に吹き出して――そして、一瞬で鎮火した。

 

 気付いてしまったのは、その言葉に何も言い返せないと言う事実。何故ならば彼自身が、誰より己の境遇を嘆いている。

 どうして、何で、こんな目に。だから憎んで恨んで、殺す事で違う価値をと。そんな彼に許されてしまえば、それこそ何を言えると言うのか。

 

 

「は、はは、ははははは」

 

 

 笑うしかなかった。嗤うしかなかった。哂うしか出来なかった。乾いた声で嗤いながら、赤き悪魔は落ちていく。

 底へ、底へ、底へ。重力の渦に引かれて落ちる。彼と違って何もないから、助けてくれる人なんて何処にも居ない。

 

 崩落に飲まれて、廃棄区画の底へと落ちる。生存を喜び、勝利を祝い、抱き締め合っている者らを見上げる。

 羨ましい。本当に、羨ましい。焦がれる様に見詰めながら、何もない少年は墜落した。狂った様に笑い続けて、大地の底へと堕ちたのだ。

 

 

「ははは、ははは、ははははははははははははは」

 

 

 痛い。痛い。痛い。痛い。どうしようもなく痛いのだ。どうして良いか分からぬ程に痛かった。

 それは血肉の痛みじゃない。確かに身体は傷付いている。廃棄区画の底まで堕ちて、身体は内より開いている。

 

 突き出した肋骨は、剥き出しとなった赤き臓腑は、流れ出す度に激痛を走らせる。けれど乾いた瞳から、涙が溢れそうになるのは血肉の痛みが故にではない。

 そんな痛みなど気にならない程に、唯々心が痛かった。何もない心が、それに耐えられない己の弱さが、魅せ付けられた輝きが、どうしようもなく痛かったのだ。

 

 

〈なぁ?殺さないのかい、エリオ。憎いのなら、俺を解き放てばそれで済む話だろうに〉

 

 

 内より響く一つの声音。己が内に潜んだ彼は悪魔が故に、分かっていながら聞いている。

 その言葉がどれ程に少年の心を抉るか分かっていて、故にせせら笑いながらに問うている。

 

 そんな言葉に、返せる物は一つだけ。だと言うのに、その一言を口にするのが、どうしようもなく苦痛であった。

 

 

「……分かって、言っているんだろう、ナハト?」

 

〈さぁ?俺はお前じゃないんだ。弱さなんて、理解でき(ワカラ)ないさ〉

 

「そう、か……」

 

 

 虚しい嗤いが其処で止まる。もう自嘲すら出来ない程に、疲れ果てた表情でエリオは語る。

 痛い。痛い。痛い。痛い。限界を超えた痛みにぼやけていく視界。降り始めた雨粒が、その滴を覆い隠した。

 

 

「……なら、頼むから、一つだけ聞いてくれ」

 

 

 痛みに震えて、寒さに震える。流れ出す赤い血潮を止める気にもならぬ程、心が悲痛を叫んでいる。

 己の生きた価値はなかった。己であった価値はなかった。この己に意味など欠片もなかった。真実無価値であったのだと、だからエリオは縋る様に口にする。

 

 

「これ以上、僕を惨めにさせてくれるな」

 

 

 此処でナハトを解放すれば、確かに彼らは殺せるだろう。憤怒や憎悪は晴らせるだろう。だが、それは余りに無様な選択だ。

 内には何も無くて、この虚しさは拭えなくて、だから全てを消し去ろう。そんな風に振り切る事は、この少年には出来なかった。

 

 だって、それは余りに惨めだ。泣き叫ぶ子供が泣き叫ぶままに、八つ当たりをしているだけだ。そうとしか成れないと、其処で気付いてしまったのだ。

 だからこそ、エリオ・モンディアルはもう動けない。僅かな雨が豪雨と変わって、身体の芯が冷えて行く。輝きの中に帰っていく反身を見上げて、それでももう何も出来ない。

 

 雨が降る。雨が降る。雨が強くなっていく。降り頻る雨は少年の弱さを隠すかの様に、それでも彼を繋ぐ奈落(げんじつ)は変わってくれない。

 魔人の身体は癒えて行く。彼が望まずとも、魔刃の力が彼を生かす。容易くは死ねないからこそ反天使。容易くは終われぬからこそ地獄であった。

 

 此処は差異一度の世界。トーマ・ナカジマの選択が一つだけ違った世界。憤怒と憎悪ではなく、哀れみを抱いてしまったこの世界線。

 ほんの僅かな選択の違いが至る色を塗り替える。この先に救いはない。この先に幸福はない。この先にあるのは唯――無価値なだけの結末だ。

 

 

 

 

 

「誰にも頼れないから、誰にも頼らずに済むように、誰よりも強くあろうと決めた」

 

 

 

 

 

 何時までも、廃棄区画の底に居続ける訳にもいかない。だが、今更何処へ行けば良いのかも分からない。

 だから、エリオ・モンディアルは徘徊する。何のあてもなく、何の目的もなく、唯何かを求めて歩き続けた。

 

 強く在ろうと決めた筈だった。誰かに抱き締めて欲しくて、存在しても良いのだと認めて欲しくて、けれどそれが得られぬから。

 そんなモノを欲しいと思わない様に、誰よりも強い存在になりたいと思った。強く成れれば、そんなモノを必要としなくなる筈だった。

 

 だけど、まだ弱い。だけど、まだ弱い。だけど、この身は伽藍洞の空白だ。虚無しかない内側は、真実無価値でしかない。

 そんな少年の虚しい覚悟。無価値でしかない無頼の罪。それが強くなる。無価値な悪魔が真となる。そう至る、その直前に――

 

 

「あの、風邪、引いちゃいますよ?」

 

 

 空っぽだった少年は、運命に出逢った。

 

 

「……誰だか知らないけど、放っておいてくれ」

 

 

 雨に濡れて歩く少年の前に、傘を差した少女が立っていた。桃色の子供は、その小さな手を差し伸べる。

 差し伸べられたその手を、無頼の器は握り返さない。握り返せる筈がない。だから雨に濡れて震えながら、それでも彼は拒絶する。

 

 そんな姿に何を感じてたのだろうか。少女は一歩前に出る。常にはない積極性で、内気な少女が一歩を前に踏み出していた。

 

 

(何でだろう)

 

 

 一歩踏み出し、雨に濡れるその手を取った。その温かい掌で、冷え切った少年の手に触れたのだ。

 白き竜を伴って、そんな少女はこの場で最も驚いている。何故に此処で踏み込んだのか、自分で自分が理解出来ない。

 

 唯、感じたのだ。このままではいたくないと。唯、思ったのだ。手を伸ばせば、何かが変わるのではないかと。

 だから、戸惑いながらに手で触れる。身体の芯まで凍えてしまったその手に両手で触れて、離さぬ様にと力を入れる。

 

 

「放ってなんて、おけないです。……とても、寂しそうだから」

 

 

 その感情。言葉にすれば、たったそれだけの事なのだろう。唯、どうしようもなく寂しそうに見えたから。

 だから心優しい少女は手を伸ばす。触れれば壊れてしまいそうな程に繊細な、その震える手を確かに優しく包んでいた。

 

 

「……放っておいてと言ったじゃないか」

 

「放っておけないって、言いました」

 

 

 握り締める小さな掌。産まれて初めて感じたその熱を、少年は振り払う事が出来ない。

 だって、暖かかったのだ。余りにその手は、優しかったのだ。だから拒絶の言葉は、所詮口だけの物だった。

 

 優しい温度を振り払う。奈落の底を一人歩く。そうした気概が、今の彼には欠片も残っていなかった。

 そんな弱さを隠せぬ少年では、腹を据えた少女に勝てない。だから彼はされるがままに、その手を引かれて行くのであった。

 

 

「取り敢えず、私の家に行こう?」

 

 

 そんな彼に触れた瞬間、彼女は確かに気付いていた。黒き鎧の下、鮮血に塗れたその身体。気付いて、彼女は僅かに察する。

 傷の種類だとか、その由来だとか、そんな事は分からない。そうした専門知識を学んでなければ、この年頃の少女に分かる方が異常であろう。

 

 故に察したのは、きっと裏に何かがあるんだと言う程度の事。面倒事や厄介事を、この寂しそうな少年が抱えているのだろうと言う事だけだ。

 

 

「お父さんも、お母さんも、まだ帰ってないし……お風呂で温まって、雨が止むまでくらいは」

 

 

 そんな状況を朧げに推測しながら、しかしキャロは深くは触れない。それを望んでいないのだと、何となくは分かるから。

 それでも無視は出来ぬから、こうして確かに手を引いて行く。ほんの僅かな安寧を。今だけは安らいでいて良いのだと、傷だらけの心に触れていた。

 

 

「……不用心だね。名前も知らない男を連れ込むなんて、さ」

 

 

 口では皮肉を言いながら、嘲笑と共に嘆息しながら、しかしエリオは唯々諾々と従っていく。

 この手は振り解けない。振り解きたくない。この熱は拒絶出来ない。出来るだけの無頼(ツヨサ)がない。拒絶したくないと思ってしまった。

 

 だから、これがせめても出来る抵抗だ。もう皮肉を口にする事しか出来ない。浮かべた笑みは、そんな己に対する自嘲。

 皮肉気に自嘲を続けたまま、溜息交じりに語る言葉。そんなエリオの言葉を受けて、少女はその場に立ち止まる。そうして数瞬の後に、少女は向き合い言葉を語った。

 

 

「キャロです。キャロ・グランガイツ。この子はフリード」

 

「きゅくるー!」

 

「……何のつもりだい?」

 

 

 真っ直ぐ見詰めて、名を名乗る。そんなキャロと言う少女に、幼い子供は疑問を浮かべる。

 薬品で急激に成長こそさせられているが、実年齢はそう変わらない。そんなエリオは此処に来て、初めての経験ばかりしている。

 

 憎悪と怨嗟と呪詛と欲望。それしか与えられて来なかった少年に、竜の巫女は此処で確かな宝石を贈ったのだ。

 

 

「名前、教えて下さい。それで、知らない人じゃ、なくなる。友達になれば、良いんです」

 

 

 その宝石。名を愛情。共に幼く、異性への想いは其処にはない。それでも、友誼の情は確かにあった。

 友愛と言う感情。友人や兄弟に対する様な親しみの感情。そんな温かな想いが、その瞳に浮かんでいたのだ。

 

 知らない人が駄目ならば、此処で知人となれば良い。名前で呼んで、友達となってしまえば良いのだ。

 そんなキャロの言葉は子供の理屈。突こうと思えば突ける穴など無数にあって、それでももう皮肉も言えない。

 

 真っ直ぐだった。その瞳は何処までも真っ直ぐで、気付けば何時までも見たいと想う程に魅入っていた。

 温かかった。その小さな掌は何よりも温かくて、何時までも手放したくはない。そう思ってしまったなら、もう皮肉を言う事だって不可能だった。

 

 

「……エリオ、だ」

 

 

 だから、名乗る。小さな少女に手を引かれ、無頼の器はその温かさを受け入れる。

 名を名乗ったエリオに、キャロは柔らかい笑みを浮かべる。何処までも優しいその少女は、少年の凍った心を溶かしたのだ。

 

 

「はい。これで、私達は友達です。……よろしくね、エリオ君」

 

 

 これが、悪魔の王と竜の巫女の出逢い。地獄の底に落ちた果てでも、決して擦れない至高の宝石。

 何も持っていなかった少年は、この日確かな宝物を手に入れた。何をしても護り抜かねばならない。確かな輝きを手に入れたのだ。

 

 故にこそ、彼は変わる。故にこそ、悪魔は変わる。故にこそ、この物語に救いはない。

 何故ならば、悪魔はもう負けない。全てを台無しにしてしまうとしても、失えない宝物を手にしたから、エリオ・モンディアルはもう負けない。

 

 

 

 

 

「誰にも頼る必要なんてない。護り抜ける程に強くなろう。……漸く見付けた。これがきっと、僕が望んだ、僕の生きて良い価値だから」

 

 

 

 

 

 これは、悪魔が勝利する物語。全てを無価値に変える悪魔が、たった一つの宝物の為に――――――何もかもを台無しにしてしまうif(もしも)である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【BGM変更:傾城反魂香(相州戦神館學園 八命陣)】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嗚呼、確かに認めよう。君は私の最高傑作で――そして、唯一無二の失敗作だ」

 

 

 

 

 

 誰もが祈る。誰もが願う。他の何にも及ばぬ必死さで、他の何もが届かぬ深度で、心の底から祈り願う。

 救ってくれ。救ってくれ。救ってくれ。神に捧げる祈りは真摯であれば、此処はカテドラルと呼ぶべきか。

 

 されど此の地に救いはない。どれ程深く祈っても、決して誰にも届かない。此処は背徳の地にして涜神の場。殉教者たちの死地である。

 

 悲鳴が渦巻く。悲嘆が溢れる。こんなにも真摯に祈っているのに、どうして救ってくれぬのだ。そんな想いは何れ、群れ成す悪意に変わって行く。

 許さない。認めない。我らは苦しみ死したのに、何故にお前達は幸福な生を謳歌している。向けられる憎悪は首謀者のみならず、あらゆる全てを憎み妬む。

 

 されどその感情に意味はない。あらゆる悪意を鼻で嗤って、生命を貶める男が其処に居る。

 人を加工し、神の御座を目指す求道者。そんな狂った男が居る限り、このアトリエに救いはない。

 

 悲鳴が渦巻く。悲嘆が溢れる。怒りが、憎悪が、あらゆる悪意が地を満たす。

 それが常態である異常。異常が正常と化す地こそ、ジェイル・スカリエッティの研究所。

 

 誰より真摯に、神を貶める為の場所。その悪徳に満ちた淀んだ風を、更なる悪意が引き裂いた。

 

 

「終わりが来たよ。ジェイル・スカリエッティ。僕がお前を、終わらせに来た」

 

 

 其は腐炎。其は腐った炎。全てを無価値に変える悪魔の王が、炎を纏った槍を振るう。

 望みは一つ、目の前に居る男の首。己を生み出したこの狂人を、殺害する事こそが目的だ。

 

 

「ふむ、成る程。予想していなかった訳ではないが、しかし意外ではある。……君の理由は、憎悪かな?」

 

 

 赤き少年が憎悪を斬り裂く。全てを燃やして迫る黒き炎。腐った力を前にして、無限の欲望は揺らがない。

 道化の如き笑みを浮かべて、迫る子供の首輪を見詰める。未だ囚われた彼の望みは、己に対する憎悪の発散であろうかと。

 

 そんな的外れな言葉に、エリオ・モンディアルは笑みを浮かべる。心底から可笑しいと嘲笑って、彼はその言葉を告げた。

 

 

「はっ、それこそ知らないよ。お前なんて、心の底からどうでも良い」

 

 

 今更憎悪など、そんなモノに拘る弱さは必要ない。今尚切り拓かれる弟妹に、想う事など何もない。

 どうでも良い。勝手に苦しみ死んでいろ。犠牲者達も加害者も全て等しく無価値であれば、其処に何も思わない。

 

 路傍の石だ。エリオの視点で言うならば、ジェイル・スカリエッティには何処までも価値と言う物が存在しない。

 それでもこの石は邪魔である。彼を放置しておけば、何を仕出かすか分からない。ならばこそ、エリオの主はその排除を此処に命じた。

 

 

「僕の意志じゃない。老人方の決定さ。お前は確かに優秀だが、少々勝手が過ぎるんだそうだ」

 

 

 今の彼を従えるのは、管理局最高評議会。あの宝石を手にしたその日に、彼は決意し即座に動いた。

 ジェイル・スカリエッティに従ったままでは駄目だ。あの男は何時か必ず、この地を裏切る。それを知っている。確信していた。

 

 しかし今のエリオに、それは決して受け入れられない。何故ならば、それは悲劇を生むからだ。

 この狂人は己の求道の為だけに、ミッドチルダを破壊する。彼女の居場所を、この狂人が破壊する。

 

 どうして許せる? どうすれば許せる? いいや、否。断じて否だ。許せない。

 こんな下らない男の求道などに付き合わせて、あの子の故郷を台無しにするなど認められよう筈がない。

 

 だから彼は身売りした。この男の支配から抜け出す為に、この男が邪魔だったから、その身を最高評議会へと。

 この男の支配を外れて、何時か何かが起きた時に、必ずこの男を殺せる様に。飼われる犬である事は変わらずとも、それでも犬は主人を選んだ。

 

 

「最高評議会は、次のスカリエッティの作成を決定した。お前は切り捨てられたんだよ。……まぁ、どうでも良い話だけどね」

 

 

 彼らを選んだ理由は単純だ。元より己の上位者で、更に互いの目的が合致していた。

 最高評議会の目的は、聖王による千年王国の創造。それはミッドチルダと言う大地を、永劫安定させる事。

 

 何時までも健やかに在れ。愛する少女の行く末を、そう在って欲しいと願っている。そんなエリオにしてみれば、その世界は理想と言えた。

 本当にそう成れると言うならば、その為に命の一つ二つは燃やしてみせよう。彼女の故郷が永劫続く為の対価として、我が身一つは安いのだ。

 

 故に彼はこの今この時、自ら望んで走狗と生きる。犬と蔑み嗤われようと、そう在る事を望んでいる。

 そんな獣が炎を灯す。腐った炎を以ってして、己の父を弑逆する。無限の叡智を、此処に滅ぼす日がやってきた。

 

 

「だから、二度は言わない。どうでも良いお前は、塵の様に、何も為せずに、唯――無価値に死ね」

 

 

 罪悪の王は笑みを浮かべる。大切な者を手にしたから、彼はもう、それ以外には何も要らないのだ。

 

 

「成程、それが理由か。嗚呼、素晴らしい。とても人間的で、素敵な想いじゃないか」

 

 

 己の頸を狩りに来た。そんな我が子の言葉を前に、無限の欲望は笑みを深める。最強の悪魔を前にして、それでも笑い続けている。

 可笑しいからではない。嘲笑している訳でもない。気は狂っているが、そんなのは元からだ。故に彼は心の底から、真実喜んでいたのである。

 

 これは何と人間的な感情か。唯の肉塊から生まれた残骸が、これ程の成長を見せてくれた。それをどうして、父が喜ばずに居られよう。

 だから悪魔の王を前にして、スカリエッティは笑っている。腹を抱えて、素晴らしいと喝采しながら、満面の笑みと共にその成長を受け入れる。

 

 だが、だからと言って未だ死ねない。此処では死ねぬ。此処では終われぬ。我は未だ、神域へと辿り着いてはいないのだ。

 故に翼が噴き上がる。それは輝ける翼。纏う光は病的なまでに、黒を許さぬ白一色。此処に最後にして、最大の反天使が降臨する。

 

 

『アクセス――我がシン』

 

 

 黒と白。向き合う色は真逆であって、されど本質的には同じ色。互いが操る力は即ち、悲鳴と怨嗟に塗れた罪の色。

 背徳の奈落。悪徳の玉座を前に競い合う。真に罪深きは果たしてどちらか。互いに退けぬ理由があるなら、此処に競い合ってみせるとしよう。

 

 

「では、君の慕情と私の欲望。どちらが勝るか、勝負と行こうかッ!」

 

 

 失楽園の日は来ない。その日がやって来る前に、悪魔達は踊り狂う。共に相食み喰らいながら、地獄の底で呪い合う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「テメェが俺の相手をする? 悪魔の玩具が、吠えるじゃねぇの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 底の底の其処の底。遥か大地の奥底で、異様な景色が世界を染める。黄色の宙に渦巻く咒言は、名状しがたい幾何学模様。

 開かれた太極は無間・身洋受苦処地獄。神の玩具と操られていた両面悪鬼が求めたこの世界。その根源はあらゆる神秘を許さぬ祈りだ。

 

 

「――――っ」

 

 

 カランと高い音が響いて、異形の魔槍が大地に転がる。この地獄に飲まれた瞬間、赤毛の少年は大地に崩れて倒れ伏す。

 立ってられない。身動き取れない。息を吸って吐く事すら苦痛であって、瞬きすらも不可能だった。エリオ・モンディアルは此処に、無価値な姿を晒している。

 

 それも当然、此処に展開された太極(ホウソク)は異能の否定。あらゆる神秘を否定する理は、少年にとって正しく天敵だった。

 

 

「ぁ――、――っ」

 

 

 何故なら、エリオ・モンディアルはもう死んでいる。十年は前に行われた人体実験。その果てに彼は終わっていた。

 二十万という膨大な魂を統率出来ず、自我を保つ事すら出来ていない。そんな彼が生きて来れたのは、ナハトと言う悪魔が居ればこそ。

 

 高次接続実験。降臨したナハト=ベリアルの手によって、エリオ・モンディアルは生かされている。彼は悪魔の玩具であったのだ。

 そしてナハトは神秘の権化だ。異常と異質を煮詰めた怪物。この法則による影響を受けてしまう存在で、そして未だ跳ね除ける程の力がない。

 

 如何に悪魔の王であれ、まだ完成してはいないのだ。失楽園の日を迎えた後なら兎も角として、この段階では両面悪鬼に届かない。

 故に自然の流れとして、ナハトは此処から追放された。奈落との接続は自壊させられ、エリオは物言わぬ肉塊と化して大地に崩れ落ちたのだった。

 

 

「……ま、こんなもんか」

 

 

 この異界の主は高みから、見下す様に言葉で断じる。呼吸さえもままならず、動かぬ死体に変わっていく罪悪の王を見下していた。

 

 

「所詮は悪魔の玩具。生きてもいねぇ残骸だ。端からテメェなんかには、期待なんてしてねぇよ」

 

 

 悪魔の玩具。それが両面宿儺の目に映る、残骸でしかない彼への評価。最初からこの鬼は、彼に何も期待してない。

 

 

「俺がお前を見逃してやってたのは、その方がトーマに都合が良いからだ」

 

 

 最初から、彼に在った価値は一つだけ。神の卵を羽化させる為の孵卵器だ。それ以外など、求めていないし求められない。

 そもそも生きていないのだ。糸に操られるだけの死体に、一体何を出来ると言う。評価を行う以前の問題。だから、それ以外の価値などないと断じている。

 

 

「だがよ、些か見過ごせなくなった。お前が生きている方が都合悪くなったんだわ」

 

 

 だと言うのに、この少年はそのレールから外れたのだ。孵卵器としての役割を忘れて、神の子に必要な要素を破壊し続けている。

 余りに外れ過ぎてしまった。余りに奪われ過ぎてしまった。更にコイツは、今も暴れ続けている。宿儺の描いた絵図面を、台無しにしようとしていたのだ。

 

 孵卵器としての役割だけでは、最早採算が取れなくなった。彼を生かし続けていては、都合が悪くなり過ぎた。

 いいやそもそも今の彼に、その役割が果たせるかどうか。トーマとエリオの間にある因縁が、余りに軽薄な物と化している。

 

 

「だから、まぁ、あれだ。……お前は此処で、無価値に死ねよ」

 

 

 だから、もうコイツは要らない。だから、エリオ・モンディアルは此処で死ね。

 天魔・宿儺は冷たい視線で、苦しみもがく少年を見下したまま、嘲笑を浮かべて死の宣告を下すのだった。

 

 

 

 死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。身体が冷たくなって死んでいく。呼吸が出来なくなって死んでいく。五感も消え去り死んでいく。

 唯の肉塊に、感じられる物などない。全てが遠ざかる様な感覚の中で、エリオは奈落に堕ちて行く。無価値な残骸へと、その身は確かに変わっていく。

 

 このまま死んでいくのだろう。もうこの結末は避けられない。如何なる理屈があれば、この状況で生きて居られる?

 何もない。何もない。何もない。所詮は無価値に過ぎない生命であったから、何も為せずに消えていくのだろう。そんな風に、彼がそう想った時――声が聞こえた。

 

 

――エリオ君。

 

 

 此処には居ない彼女の声。己の名を呼ぶ少女の声。初めて手にした宝石の、その呼び声を聞いた気がした。

 そうと認識した瞬間。エリオは霞む視界に意地で抗う。噛み砕かん程に歯を食い縛り、遠のく意識を必死に保つ。

 

 死ねない。死ねない。まだ死ねない。そう抗う理由があった。

 死ねない。死ねない。まだ死ねない。無価値で終われぬ想いがあった。

 

 

「……まだ」

 

 

 だから彼は此処に居る。消え行く己を必死に保って、そうして歯噛みし言葉を紡ぐ。

 音を紡げた。呼吸が出来た。鼓動は此処に出来ている。ならば其処からその先へ、前へ前へと進むのだ。

 

 

「……まだ、だ」

 

 

 出来ない筈がない。出来ないで終わって良い理由がない。何としてでも為すのだと、彼は睨み付ける様に前を見る。

 立ち上がる為、指先に力を入れる。上手く力が入らずに、爪がそのまま剥がれて落ちた。それでも力は緩めずに、彼は前だけ見詰めている。

 

 前に進もう。前に進もう。前に進もう。あの娘が幸福で居られる場所を守る為、消え去りそうになる己の命を、意地で此処に繋ぎ止める。

 

 

「僕はまだ、此処では死ねないッ!!」

 

 

 死ぬるが道理。死なぬが異常。そんな理屈などは知った事ではない。関係ないのだ、この燃え上がる想いには。

 故に唯、死なぬと想う。その想いだけを頼りに、命を繋ぐ。自壊し続ける己を意志で抑え付け、エリオは己の死すらも超克した。

 

 

「……へぇ」

 

 

 爪の剥がれた指先で、掴み取った暗き魔槍。ストラーダに体重を預ける様に、両手に握って立ち上がる。

 

 震える足は生まれたての小鹿が如く、或いは年老いた人の如く、己の重心を支える事すら出来ていない。

 そんな無様な姿であったが、それでも確かに気概があった。その意志は輝いて見えたから、天魔・宿儺は笑みを浮かべる。

 

 大切な親友の、魂を内包する少年。神の卵を孵卵する為、それしか価値がなかった罪悪の王。

 そんなエリオを観察する様に、宿儺はマジマジと見詰め直す。此処で初めて、彼はエリオと言う個人に興味を抱いた。

 

 

「お前も、御門も、皆、邪魔だッ! あの娘の未来に、修羅道も、紅蓮地獄も、必要ないッッッ!!」

 

 

 笑みを浮かべる宿儺を前に、エリオは想いを口にする。気を抜けば折れてしまいそうな状況で、だからこそ彼は叫ぶ。

 それは誓いだ。必ず為すと誓う。必ず守ると誓う。それだけが、彼が己に任じた役割。生きていても良い理由で、生きていなくてはならない理由なのだから。

 

 

「僕は、死なないッ! あの娘の幸福を、見届けるまでッ! だから――ッ!!」

 

 

 立ち上がって、前に進む。震える足で、前に進む。前に進んで、槍を握った。

 そうして、大地を蹴って走り出す。立っているのがやっとという有り様で、それでも走り出して見せたのだ。

 

 槍を両手に、駆け抜ける様に接近する。そうしてエリオは、裂帛の気迫と共にストラーダを振り抜いた。

 

 

「無価値にッ! 何も為せずにッ! お前が死ねッ! 天魔・宿儺ッッッ!!」

 

 

 銀の軌跡が空を斬り裂く。鋭い刃に必死の全力、限界を超えた一打が此処に撃ち放たれる。

 悪魔の王は既になく、魔人の身体は機能しない。そんな状況で放った一撃は、それでも彼の全力に違いなかった。

 

 だが、しかし――

 

 

「テメェが俺の相手をする? テメェが俺を殺す? 悪魔の玩具が吠えるじゃねぇの」

 

 

 止められる。その一撃が止められる。命を賭けた乾坤一擲の一撃が、両面鬼の手で止められていた。

 

 それも当然、ここは両面宿儺の世界である。あらゆる異能を封殺されれば、例え全力の一撃だろうと性能値が大きく下がる。

 魔法も異能も使えない。今のエリオは瀕死の状態。年齢相応の身体能力にまで下げられてしまえば、届く理屈が存在しない。

 

 その上、両面宿儺に欠落はない。異能者が相手となる以上、鬼の身体能力は健在なのだ。

 技量は共に到達点。共に位階は、限りなく拾に近い玖等級。其処に違いがないのなら、性能の差は絶望的な断崖だった。

 

 

「舐めるなッ! 天魔・宿儺ァァァァァァァッ!!」

 

 

 それでも彼は咆哮する。既に死した身体を引き摺り、死ねるモノかとエリオは叫ぶ。

 そんなエリオを前にして、両面悪鬼はニヤリと嗤う。天魔・宿儺の余裕は決して、そんな想いだけで揺らぎはしない。

 

 

「舐めちゃいねぇさ。単なる事実だ。今にも死にそうなテメェなんかじゃ、俺を倒す事なんざ出来やしねぇよッ!」

 

 

 弾と大地を踏み付ける。鬼の剛腕によって放たれた掌底が、エリオの腹を突き穿つ。

 打撃を受けて咳き込むエリオは、反応する事さえ出来てなかった。そんな余裕、今の彼には残っていない。

 

 生きているだけで精一杯。死なないだけでもう限界。意識が一瞬でも断たれれば、その瞬間に彼は終わる。

 そうでなくとも、一体何時まで持つのであろうか。後どれ程に動けるのか。後どれ程に生きられるのか。それさえも、定かではない有り様なのだ。

 

 ならばこそ、勝てる筈がない。いいや、勝たせる心算がない。己は負けぬのだと、天魔・宿儺は拳と共に断言する。

 

 

「俺に勝てるのは、人間だけだ。俺に勝って良いのは、人間だけしかいねぇのよ」

 

「ぐっ!?」

 

 

 その舞は流麗にして、鋼の如くに力強い。柔と剛。相反する力を反する事無く内包した、これぞ正しく至高の一つ。

 柔らの極みに至った技を、鬼の剛腕が振るうのだ。人と認められない相手を前に、天魔・宿儺の力は至大の域へと至っている。

 

 霞む視界は動きを捉えず、瀕死の身体は動きに追い付かず、人ではない彼の異能は使えない。勝ち目など、何処にもなかった。

 

 

「お呼びじゃねぇのよ。無価値の傀儡」

 

「……それが、どうした。僕はもう、決めたんだ。だから――ッ!」

 

 

 それでも、歯を食い縛って叫ぶ。敗北の可能性しかない現状で、それでも彼は前へと進む。

 退けない理由がある。負けられない理由がある。為すと誓った想いがある。だから彼は、どれ程に傷付こうとも進み続けるのだ。

 

 

「足りないならば、手に入れる。人間でしか勝てないって言うのなら、今此処で、その人間にだってなってやるッ!」

 

 

 人間にしか勝てない悪鬼。それに勝たねばならぬのならば、此処で人に成れば良い。

 成れないなんて認めない。死人だからと諦めない。為さねばならぬ理由があるのだ。ならば断じて進み、唯単純に為せば良い。

 

 

「あの娘の生きる世界の為に、あの娘の幸福な未来の為に、必ずや――僕はお前達を踏破するッ!!」

 

 

 敵は目の前に立つ両面悪鬼。そして、その背後に続くであろう。嘗てを生きた英雄達。

 既にして死に瀕している少年は、それでも踏破すると啖呵を切る。たった一つの想いを頼りに、彼は地獄に挑むのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前は、生きていてはいけない奴だったッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 女陰めいた卑猥さで、ゆるりと開くは龍の瞳。鉛色に染まった空は、全て彼の怪物が巨体である。

 九つの首を持つ堕龍。腐った腕を伸ばして贄を求める。ミッドチルダと言う惑星で、暴れ狂うその怪異。

 

 突如現れた怪物に、エースストライカーが即応した。管理局が誇る英雄達は、既に百鬼空亡に対している。

 そんな中、彼らはしかし此処に居る。機動六課の新人達が、揃ってこの場に立っている。彼らが戦う敵対者は、百鬼空亡などではない。

 

 

「分かってんのかよッ! エリオッ!!」

 

 

 銀の軌跡が閃いて、槍と拳を打ち付け合う。向き合う二人の少年達に、浮かんだ色は正反対。

 先に彼が口にした言葉。それを信じられないと、トーマ・ナカジマは詰問する様に問い返していた。

 

 

「空亡を倒せば、地球が滅ぶんだぞ!? 沢山、沢山の人が死ぬんだ!!」

 

 

 互いの武技をぶつけ合い、押し負けたのはトーマ・ナカジマ。焦燥を抱いて叫ぶ彼の言葉に、エリオは笑みを深くする。

 悪魔の標的は神の卵ではない。そんなモノはどうでも良い。エリオ・モンディアルが狙うのは、空を蠢く百鬼空亡。

 

 ミッドチルダを守る為、あの怪物が邪魔なのだ。痛い痛いと暴れ狂う邪龍を消し去る為だけに、エリオは此処に立っている。

 

 今のエリオならば、彼の怪物を倒せるだろう。既に性能では超えている。腐炎と言う力を前に、巨体なんて唯の的でしかない。

 だがしかし、エリオでは地球を救えない。今の腐炎に識別機能などはない。故にこそエリオ・モンディアルが空亡を殺せば、地球と言う星が滅びるのだ。

 

 

「ああ、知っている。何度も言わなくとも聞こえているさ。……だけど、それがどうした?」

 

 

 アレを殺すから其処を退け。空亡を消してやるから其処を退け。そう告げた罪悪の王は、一瞬たりとも逡巡せずに言葉を返す。

 彼にとって重要なのは、キャロ・グランガイツが生きる世界だけ。ミッドチルダと言う大地さえ無事ならば、他がどうなっても構いはしない。

 

 重要性の問題だ。取捨選択の話である。地球とミッドチルダを比べた際に、どちらが大事かというだけの話でしかなかったのだ。

 

 

「唯、邪魔なんだ。アイツが此処で暴れると、兎に角都合が悪いんだ。だから、さ――」

 

 

 だからこそ、この状況は都合が悪い。だからこそ、如何にかせねばと動いている。

 百鬼空亡が暴れ続ける限り、ミッドチルダの被害が増える。それが一番困るのだ。故にこそ――彼は此処でそう断じる。

 

 

「とっとと滅べよ、地球人類。お前ら邪魔だぞ、良いからさっさと死んでくれ」

 

「――ッ!」

 

 

 内面の迷いなんて欠片も見せない。今更に背負う荷が重くなろうと知った事ではない。所詮己は罪悪の王。

 己が為した結果、無関係な人々が死に絶える。そうと分かって、それでもエリオ・モンディアルは選んだのだ。

 

 

「可哀想だって、少し思った。仕方がないんだって、少し思えた。だから、きっと、お前とも何時か分かり合えるんだって――」

 

「ああ、そうかい。どうでも良い。哀れむ自分に酔うのなら、一人で勝手にやってくれ」

 

 

 彼の日、彼の場所で、彼らの運命は分岐した。皆に救われた少年は、誰にも救われなかった彼を哀れんでしまった。

 だから今、こうして世界は歪んでいる。至るべき結果から大きく逸れて、彼らの関係性も変わっている。それでも、変わらない事が一つだけ。その憎悪は変わらない。

 

 

「だけど。だけどッ! だけどッ!! やっぱり、お前はッッッ!!」

 

 

 許すべきだと思った。だって彼の境遇を思えば、仕方がない事だった。怒りも憎悪も、抑えられてしまったのだ。

 だが、その判断は間違いだった。この今に確信する。多くの人々を平然と殺すと断言出来る、こんな怪物を許してなどはいけなかったのだ。

 

 

「お前が生きている限り、多くの人が傷付き苦しむッ! お前の様な奴は、生きていちゃいけなかったんだッッッ!!」

 

 

 だから、彼は拳を握り締める。この男を倒す為、抑え付けようとしていた憤怒と憎悪を練り上げる。

 そんな宿敵の姿を前にして、しかし返す言葉は冷淡。見下す色を瞳に浮かべて、エリオ・モンディアルは嗤って告げるのだ。

 

 

「で? だからどうした? 邪魔だから、そろそろ退けよ。塵芥」

 

「エェェェリオォォォォォォォォォッッッ!!」

 

 

 お前などに興味はない。そう断じる宿敵の嘲笑を前にして、トーマは弾かれる様に跳び出した。

 

 

 

 片や憎悪を、片や無関心で。互いにぶつかり合う少年達。そんな戦闘を遠巻きに見詰めながら、少女は一人震えていた。

 戦わなくてはならない。トーマ一人では、エリオには勝てない。姉やティアナは既に援護を始めている。だから、少女も戦わなくてはならない。

 それが分かって、しかし桃色の少女は動けない。寄り添う飛竜の不安そうな声に気付く事すら出来ないまま、キャロ・グランガイツは震える声で呟いていた。

 

 

「エリオ君。……どうして?」

 

 

 震える声は、信じられない現実からの逃避でしかない。それでも、無理もない事ではあるのだろう。

 キャロは知らなかったのだ。エリオの素性を。キャロは思わなかったのだ。彼が敵になる事があるのだと。

 

 最高評議会の子飼いとなった直後、エリオに関する事項は全てが極秘情報へと変わっていた。だから素性を知る筈がない。

 彼は何時も、本当に優しい瞳を向けて来たのだ。だからそんな彼が犯罪者として敵対するなんて、彼女は想像した事もなかった訳である。

 

 

(……僕は身勝手だ。結局、こうなるしかないんだろうね)

 

 

 そんな少女の震える瞳に、エリオの心も同じく震える。それは痛みだ。確かな痛みを此処に感じる。

 泣かしてしまった。傷付けてしまった。その事実が震える程に苦しくて、それでもエリオ・モンディアルはもう止まれない。

 

 何故ならば、百鬼空亡を放置すればミッドチルダが滅んでしまう。自分では、アレを殺す以外に手段がない。

 自分に出来ない事を、誰かに出来るとは思えない。無頼の罪は変わらずあって、だから他人に頼ると言う発想自体が浮かばない。そんなエリオには、これ以外の道がないのだ。

 

 

(キャロ。君の今を壊し尽す。――君の明日を、守る為に)

 

 

 彼女を傷付けよう。彼女の仲間を傷付けよう。彼女が明日を過ごせる様に、彼女の今日を蹂躙しよう。

 エリオ・モンディアルはそう決めて、こうして今に立っている。そんな彼を止められなくば、地球は正しく滅ぶであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「卿には――愛が足りぬよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黄金に輝く玉座の間。照り付ける眩しい光の中で、しかし光に見劣りはしない超越者が其処に居る。

 獅子の鬣が如き長い髪に、白き軍服の上から黒衣を纏う。慈愛を秘めた目で見下す黄金は、何より激しく輝いている。

 

 その身は正しく神威であろう。並ぶ事など出来ぬと語るかの如く、目を焼く程に華々しい光である。

 そんな極光を前にして、彼は全く輝かない。無価値な黒き炎を灯して、赤毛の少年は黄金の王を睨みつける。

 

 

「一体、何の心算だ。ラインハルト・ハイドリヒ」

 

 

 隠せぬ程の焦燥を抱いて、鋭い瞳で問い質す。一体何の心算だと、そんな彼に返るは慈愛の笑み。

 正しく全てを愛する超越者。黄金の君は浮かべた笑みを絶やさずに、彼の問い掛けに対する答えを返した。

 

 

「言ったであろう。卿には愛が足りぬと」

 

 

 愛が足りない。突然この空間に飲み込まれて、その瞬間に告げられたのはそんな言葉。

 見下ろす獣の瞳を睨み返しながら、エリオは言葉を鼻で嗤う。一体何を言っているのか、彼は吐き捨てる様に口にする。

 

 

「愛だと、馬鹿らしい。そんなモノ――僕はとっくに持っている」

 

 

 愛。その感情は知っている。その想いは既に持っている。愛しいあの娘に向ける想いが、愛でなくて何だと言うのか。

 故に下らないと一笑に伏す。既に十分過ぎる程、己は愛を持っているのだ。足りぬと今更言われた所で、的外れだと返す以外に言葉がない。

 

 

「然り。確かに卿が抱いた想いは、可愛らしい稚児の如きそれではあるが、確かに愛と言うべきモノ。……だがしかし、それでは足りぬと言っている」

 

 

 そんなエリオの言葉に頷き、されど獣はそう返す。彼は愛を知ってはいるが、しかしその総量が足りぬのだ。

 

 たった一人にだけ向けられる珠玉の想い。それも確かに至高の愛が一つであろう。

 黄金の獣はそれを認めて、しかしエリオ・モンディアルがそれではいけないのだと断じている。

 

 

「その器。内包した魂はどれ程か。卿の資質。正しく覇者と呼べる程。故に私は、惜しいと思ったのだ」

 

 

 何故ならば、彼は既に総軍を抱えている。二十万と言う魂を力尽くで従えて、己の自己を確立している。

 民を制するその姿は、正しく覇者のそれであろう。確かに資質と言う面では、当世当代至大至高の器であると断言出来る。

 

 だがしかし、彼の支配には愛がない。或いはあり得た世界線と異なって、今の彼にとって犠牲者達など塵芥にしかならぬのだ。

 故にその愛は、たった一人の少女の為に。それ以外には向けられる事がないからこそ、彼の民は奴隷ですらなく、彼は覇王に成り得ない。

 

 

「数と質が揃っている。後は愛を満たせれば、卿は正しく覇王と成れる」

 

 

 逆説、それだけ満たせば覇王と成れる。今この瞬間にでも、彼が民を愛する事が出来たのなら、並ぶ者なき王と成ろう。

 未だ求道でしかない器。覇道の兆しは芽生えていて、真実彼は世界を救えるかも知れない存在なのだ。だからこそ、黄金の獣は惜しいと思った。だからこそ、この領域へと招聘したのだ。

 

 

「取るに足りぬ芥と語るな。無価値と蔑む事なく、全霊で向き合い愛してやるが良い。そうすれば、それだけで卿は覇王と成れるのだ」

 

 

 黄金の君は、慈愛の笑みでそれを告げる。エリオは覇道神に成れるのだと、教える為に此処に居る。

 だがそんな事は、彼の都合でしかない。向き合う少年は取るに足りぬと、焦燥を隠さぬままに断じていた。

 

 

「だからどうした? 僕は今、忙しい」

 

 

 探している人が居る。攫われた人が居る。愛しい彼女が何処かへと、その身を連れ去られてしまったのだ。

 下手人は分かっている。壊れた首輪の代わりとして、彼女を求めた者らを知っている。その名は、管理局最高評議会。

 

 彼らを討つ為、そしてキャロ・グランガイツを取り戻す為、エリオ・モンディアルは此処まで来たのだ。

 聖王教会は最下層。彼らが隠れ潜んだこの場所に辿り着いた瞬間、黄金の獣によって無理矢理この世界に囚われてしまったのである。

 

 

「覇王? 知った事か、どうでも良い。そんなモノに、かかずらっている時間が惜しい」

 

 

 だからこそ、既に彼は怒っている。その我慢は最早、限界に程近い。それ程に、今のエリオは焦燥していた。

 過去の残滓とは言え、覇道の神と戦うリスクを考えればこそ我慢している。だがそんな忍耐力が、何時までも持つ訳がないのだ。

 

 

「だからとっとと解放しろ。さもなくば――」

 

「さもなくば?」

 

「僕を捕えたこの槍ごと、纏めて無価値に貶めるぞ。過去の残骸」

 

 

 これ以上、下らない戯言に付き合わせる心算ならば敵と認める。敵対者なら、断じて一人も残しはしない。

 全て無価値に染め上げよう。悪魔の炎を以ってして、この黄金を焼き尽そう。暗い瞳で語るエリオに、ラインハルトは笑みを深めた。

 

 

「フッ、フフフッ! フハハッ! ハハハハハハハハハハハハァァァァァァァッ!!」

 

「…………」

 

「今の卿が、私を殺すと? それが出来ると、卿はそう言うのか?」

 

「無論。お前が邪魔を続けるならば是非もない。とっとと滅びろ、壊れた黄金」

 

 

 深めた笑みから、呵々大笑。笑い転げねば我慢が出来ぬと、満面の笑みで問い掛ける黄金の獣。

 ラインハルトを前にして、エリオに気負った姿はない。彼女の身を懸念し焦燥しようが、現状に恐怖を抱く訳がない。

 

 所詮彼は過去の残照。そんな彼に一騎打ちで敗れるならば、己はその程度でしかなかったという事。

 そんな訳がない。そんな筈がない。その程度である理由などは一つもなく、その程度であって良い理由もない。ならばこの戦場に己の敗北などはないのである。

 

 そう胸中で断じて、魔槍を構えるエリオの姿。その姿を愛でる様に、楽しげな表情で獣は語った。

 

 

「良い。その啖呵、実に心地良い。故にだ、少年――向かって来るが良い。私が卿に、愛を手解きしてやろう」

 

 

 最早爪も牙もない、嘗ての獣。されど再誕に近付くその身は、確かに強大なる覇道を宿す。

 そして此処は槍の内側。嘗ての残照が色濃く残っている場所だ。故にこそ、この場所でならば失われた総軍すらも使用が出来る。

 

 両手を広げて、迎え入れる様に。そんな獣の背後に浮かぶは、嘗て彼に従った戦奴達の残照だ。

 赤い騎士が居る。白い騎士が居る。黒い騎士が居る。鍍金の神父が、腐った死体が、太陽の巫女が、沼地の魔女が、白貌の吸血鬼が――獣の配下の全てが此処に居る。

 

 修羅残影。されどそれは残滓であっても、この場所でならば本物と寸分足りとも変わらない。

 嘗て座を競い合った修羅道至高天。その最盛期と等しい力を発する獣を前にして、エリオは震え戦く事なく大地を蹴った。

 

 

「言っただろう。教えて貰うまでもなく、僕はもう知っている」

 

 

 握った魔槍と、内に宿した無価値の悪魔。無理矢理に従えている二十万の魂達。そしてたった一人を想う情。

 それらを武器に突き進む。数も質も劣っているが、そんな事は敗れる理由に成りはしない。必ず勝つのだと心に定め、エリオは魔槍を振るう。

 

 

「僕の全ては、あの子の為にだ。だから、さっさと消えろッ! 黄金の獣ッッッ!!」

 

 

 此れより始まる黄金継承戦。嘗ての獣は己の全てを受け継がせる為だけに、罪悪の王は愛しい少女の下へと駆け付ける為だけに――余りに激しい戦いの幕を開くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは罪悪の王の物語。破滅に向かう、もう一つのリリカルなのはVS夜都賀波岐。

 その先に救いはなく、その先に未来はなく、彼は何もかもを台無しに変えていくのであろう。

 

 これは無価値の悪魔の物語。無価値な彼と同じ様に、何もかもが無価値なIfルート。或いはあり得た可能性。

 

 

「僕の前に立つならば、燃えて腐って死ぬが良い。――全て、無価値だ」

 

 

 

 

 

 リリカルなのはVS夜都賀波岐・外伝~THE DARK SIDE ERIO~

 

 

 

 

 





ですが、笑えますねぇ。公開日は未定なんですよ。
LightのPVを意識して書いては見たものの、まだプロットすらも出来ていない有り様でして。
一体何時まで待たせる心算なのか、もしかしたら嘘予告的なネタで終わるかも知れない。もしもそうなったら、待っていた筈なのに…・悔しいでしょうねぇ。

受け取れぇッ! これが俺のファンサービスだッ!!




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