いつか迎うあの夕空へ斬撃を (夜夜メイ)
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 ぬるい風が吹いている。

 乾ききった大地の砂がもうもうと巻き上げられて、霧のように立ち込めている。

 明け方というには陽が高すぎるが、さりとて昼飯を食う時間にはまだ遠い。そんな太陽が分厚い灰色の向こうでぼんやりと輝いている。

 季節外れに到来した台風が接近しているらしい。進行速度からして今日の夜半辺りには上陸する見込みとのことだ。そうなれば雨風に影響され、砲が使い物にならなくなる。

 そうなる前に、なんとしてもあれらを殲滅せねば。

 

 眼前に布陣している黒々とした軍団は、時代を超えて進行する異形の勢力〝遡行軍〟と呼ばれる者たちだ。いつの頃からか現れた〝歴史修正主義者〟を自称する者の集まりで、当初は徒党を組んだ過激派のテロ組織かなにかだと思われていた。繰り返される破壊活動も散発的で狙いの真意を得られず、警邏や軍の追跡をことごとく躱した。

 それがたった数年で国を脅かすほどの大きさに成長し、対岸の火事とばかりに時代を傍観していた諸国をあっという間に併呑していった。戦いに敗れた国や政治に介入され権力を奪われた国など、それぞれの様相を呈しながら蝦夷から南下しつつ支配地域を拡げてきた彼らは江戸に本丸を置き、いよいよ彼らによる彼らの為の国の建国を宣言した。

 歴史を修め正し、かの国を治め糺す国――『遠呂ノ国』と。

 遠呂ノ国に抗するため残りの諸国が連合国軍を結成し、対処に乗り出した時にはもはや手遅れも甚だしく、国を得て意気昂揚した彼らの快進撃は止まらなかった。勢いのままに連合国軍の防衛を容易く突破し、北陸諸国と甲斐、信濃、駿河、遠江、飛騨を次々と陥落させた。

 

 そして二二〇五年現在の最前線は、美濃国と三河国にある。

 飛騨山脈を壁とした広大な要塞線〝飛美防線〟を軸になんとか侵攻を防いでいるものの、いつまで保つのかわからない。遠江・信濃方面から敵が雪崩れ込んでくる三河国も軒並ぶ山岳地帯を楯に奮戦しているらしいが、やはり旗色は良くないようだ。

 防護に徹するばかりで攻め手がない。一進一退を繰り返す先の見えない消耗戦がひたすらに続きっぱなしだ。

 疲弊しきった前線を護る兵達の顔にはどれも死相が浮かび、敗色が濃く臭っている。

 

 背後に布陣した浮かない自軍の伸びきった防衛線を眺め、最前線に配備された迎撃部隊長――薬研藤四郎は深い溜息を吐いた。

 ――こいつらの士気は疾っくに消え失せて、落っことした豆腐みてえにボロボロのグチャグチャになってる。これじゃ勝てる戦も、勝ちようがねえ。いや、ハナから時間の問題だったか。ここももうダメだ。陥ちる。

 口には出さなかったが、脱力まみれの溜め息を聴いた隣の男はどうやら心中を察したらしい。明るい水色の着物を捌きながら薬研の背中をぽんぽんと叩き、遣る瀬無さそうに苦笑する。

 

「ダメだろ、そんなふうに諦め感出したら。俺たちがしっかりしなきゃ、あいつらだって気が抜けちゃうよ?」

「戦況が彩多摩(サイタマ)を獲られた時とまるでおんなじだ。このままじゃ奴ら、那古野(ナゴヤ)鎮台まで一直線だぜ。いくら飛美防線が頑丈だからって、内側にいる人間がこうも弱気じゃ話にならねえ。火事は消さなきゃいつまでも火事のままだってのによ、火を怖がってるようなもんだ。そこへ来てこんな有様の、防衛部隊の俺たちがいまさら進撃ときたもんだ。遅えし的外れだってんだよ、なにもかも」

「んー、上層(うえ)の人たちは現場にいるわけじゃないからねえ……。過大報告されてる戦果の実情を知らないんじゃないかな? 戦死者数は二、三割減だし、刀がもう何本も折れてることだって……」

「にしたって、三河の様子から考えりゃわかりそうなもんじゃねえか。主軍は向こうに出ずっぱりなんだろ? だったら嫌でも毎日このクソみたいな現実を飲みまくってるはずだろうが。とっとと思い出してほしいもんだぜ。刀や銃が何本あったって、それを振る人間がへっぴり腰じゃなんの役にも立たねえってことをさ」

 

 戦を前に荒れる薬研を尻目に、水色着物の男――浦島虎徹は誤魔化し気味に乾いた笑いを漏らしながら痒くもない頬をぽりぽりと掻いた。

 そんなことくらい、言われなくともわかりきっている。この場に立つ誰もがきっとそうだ。だからこそ希望など持てない。

 軍法会議にかけられようと、祖国で軟弱者と誹られようと、今すぐに尻尾を巻いて逃げ出したい。だのに無為無謀な進撃命令に従い、あの無敵無限とさえ思われる非情な軍団とやり合い、良くて中重傷、悪ければ死ぬまでなます切りにされなければならない。

 こんな状況を嬉々として受け入れられるのは無類の戦好きか、気狂いくらいだ。常人であれば己が運命を散々に呪い、俯いて重苦しい甲冑具足を引きずる以外に何をせよと言うのか。

 

「まあ、さ、大体からしてこの戦は最初から現代版関ヶ原とか言われるくらい兵数に開きがあったくらいだし、天然要塞だらけの飛騨国が陥ちるなんて夢にも思わなかっただろうし……あの人たちだってほとんど予備自衛団ばかりだろ? 普段は農民か商人かってとこだ。いきなり負け戦確定の戦場に放り出されたって、そりゃあ絶望くらいしちゃうよねー」

 

 彼らを弁護する為というより、曲がり続ける薬研の心持ちをなんとか修復しようと試みた浦島は、自分でも不思議なほどに言い訳めいたことを言った。言ってから、そのような弁に如何ほどの意味もないことを悟った。

 こんな空虚なことを言わねばよかったと気づいた時には既に遅い。軽率な自分に舌を出すより先に、余計に神経を逆なでされた薬研がイライラと返した。

 

「なら虎徹でも持ってこいよ。山ほどあるだろ、贋作が。こちとら兵隊の頭数さえ揃ってねえんだ。戦いは数だってありがたい言葉もあるだろーが」

 

 まさに〝言わんこっちゃない〟だ。浦島は自分の士気さえ見る見る押し下がってゆくのを感じつつ、なおも食い下がる。

 

「滅多なことを言うなよ。お前、また蜂須賀兄ちゃんにぶっ飛ばされるぞ?」

「いいじゃねーか、真作気取りの鼻も折れるってもんだろ。ことあるごとに五月蝿えんだ、真贋がどーのこーのなんて。折れちまったらどっちだって一緒だ。折れるのが鼻ならめでてえじゃねえか」

 

 薬研はそう言い放ち、ぷいと明後日を向いてしまった。

 処置なし。相棒のご機嫌取りに見切りをつけた浦島は、一部始終をそばで見守っていた白い子狐を呼び寄せた。

『零参式統合氏神型支援機』――通称〝今之助〟という愛称で呼ばれるそれは二二〇三年に開発された、最新型の戦術支援装備である。

 量産機でありながら環境や使用者によって個々に性格を変化させる為、個体によって様々な個性が発生する。そして支援対象者に対し常に最良かつ忠実であろうとする姿勢は共通するので、息詰まる戦場においては清涼剤のような存在だ。

 愛くるしい仕草や丁寧で可愛らしい言葉を聞いていれば、どれほど絶望な戦況下においてさえ少しの安らぎを得られる。特に浦島の持つ今之助は折り目正しいことに定評があり、彼が所属する東濃第四剣士連隊の中でも人気は上々である。

 

「なあ今之助、命令はまだ待機のままなのか?」

「進発指令は発令されていないです。現状を維持のまま、待機なのです」

「だよなあ……。本部からの音沙汰が梨のつぶてじゃ、俺たちはこうして痺れを切らし続けるしかないのかねー」

「憶測ではありますが、どうやら本作戦に用いる兵器の準備がまだ完了していないとの情報が入ってますです。なので、もしかすると岐陽(ギフ)鎮台の参謀本部は現在、代替案を検討中なのではないかと……」

「うえっ!? じゃ、じゃあなに!? 俺たち、まさかこのまま玉砕覚悟で突っ込むしかないってわけ!?」

「そうならないように参謀本部は何か策はなかろうかと思案しているところで、それゆえに通信がないのでは、と邪推していますです……」

 

 浦島はまたしまった、と思った。裏表のないサッパリとした性格が取り柄の彼だが、それが裏目に出ていささか浅慮に過ぎるきらいがある。

 隣に薬研がいるのだから、話題を変えて花や空の話、あるいは兄弟たちの話など、当り障りのない会話の種はいくらでもある。たった今しがた余計なことを言わねば、と後悔したばかりだというのに、その余計な問答を今之助と重ねてしまったのだから世話はない。

 案の定、丸聞こえだった薬研の機嫌はいよいよもって最悪になり、その矛先が今之助に向いた。

 

「ハ! んっとに使えねー連中だな。マトモな参謀もいねえのか? コマも揃ってねえってのに、よくぞこんなクソみたいな陣を敷いたよな。じゃあなんだ? なんのアテもなく、ただイタズラにここまで戦線を伸ばしたってのか」

 

 さすが〝那古野鎮台の暴れん坊将軍〟などと不名誉なあだ名がつくほどの眼光は、恐ろしく剣呑である。短いのは携えた刀の長さだけでなく、堪忍袋の緒の長さも諸共とまで言われてしまうくらいだ。もっともそれは生まれついての質というより、鬱屈した戦況に振り回され、全国津々浦々へ便利屋代わりに派遣されることへの疲労や不満から来るものでもあるのだろう。

 とは言え、悪意も他意もなかった今之助がその切れ味の前に曝されるのは、とんだもらい火というものである。然りながら薬研に向かって反言する度胸など持たない今之助はすっかり縮こまり、逃げるように浦島の胸に抱きつきながら恐る恐る答えた。

 

「か、確証はありませんが、無理に作戦を強行していると取れるような疑問は拭いきれませんです……」

「まーまー薬研、別に今之助が悪いわけじゃなし……そうカッカするなよ」

 

 いたいけな小動物を怯えさせてしまったことでいくらか冷静さが取り戻した薬研は、浦島の諫めに鼻を一つ鳴らして答え、またそっぽを向いてしまった。

 不安げな今之助の視線が、薬研と浦島の間で行ったり来たりする。浦島は苦笑しながら頭を撫で、縮こまって更に小さくなった尻尾を慰めた。

 

 こうまで状況が悪化しているのには、根深くも至極単純な、しかし解決困難な問題が大きく横たわっている。

 東方の戦線で度重なる敗戦を喫し、甚大な損害を被った連合国軍は深刻な兵力不足を招きつつも足並みを揃えられず、場当たり的な進軍を繰り返した。

 おかげで更なる敗戦を積み重ね、無駄に散らされた兵士たちの数はもはや数えるのも憐れなほどだ。

 

 その後、四方を山に囲まれた天然の要害である飛騨山脈を要塞化した飛美防線を形成し、大きく二分された遡行軍の侵攻部隊の一つ〝第一大隊〟を美濃の手前で止めることに成功、なんとか暫定的に江戸から遷都させた大本営の那古野まで雪崩込まれるのを防いだ。後詰として三〇万にも及ぶ兵を配備し、これで守りは盤石になったかと思われた。しかしじりじりと戦況が悪化するにつれ、今度は巨大すぎる要塞の大きさが逆に仇となる。

 

 遡行軍は、地形の峻険さなどものともしなかった。

 そもそもが人外の身である。恐れを知らず、疲れを感じない。どれほど険しく道なき山中でさえ、彼らにしてみれば平野を進むのと大差はなかったのだ。

 度重なる誤算が続き、膨大な犠牲の挙句、必死に築き上げた鉄壁の要塞は、もはやどこから崩れるかわからない砂上の城と化した。

 しかし面子と風聞に拘泥する連合国上層部からすればあくまで飛美防線は最後の砦であり、希望の光である。おいそれと放棄することは許されず、十全だった兵士たちのほとんどを形骸化した要塞の防衛に当てる愚策を選択した。

 おかげで美濃本来の砦であり、本丸でもある岐陽鎮台の防衛に当っていたはずの東濃第四剣士連隊が前線を押し上げるハメになり、しかし広大な濃尾平野を防衛するには兵数が到底足りるはずもなく、こうして部隊の一部を切り離し、那古野鎮台から薬研を始め数本の刀を呼び寄せてまで前進せざるを得なかった。

 結果、方円の陣を敷いていたはずの東濃第四剣士連隊のうち、先陣の薬研率いる東濃第三迎撃大隊がせり出す形となり、陣形の一部が歪に突出してしまっている。これが薬研の「伸ばし過ぎ」と評する無駄に長大化した戦線の理由と様相である。

 つまりこの異様かつ根拠のない長大な布陣の理由は、政治的な側面に影響されている部分がほとんどなのだ。

 

「ったく、右や左に分かれて内輪揉めしてる場合じゃねえってのに、内地の連中はホントにお暢気なもんだ。てめえが斬り殺される直前になるまで、てめえがとんだノータリンのアホ野郎だってわからねえんだものな。そんな手合いを護る為に命を投げ打ってるのかと思うと、ほとほとヤんなるね。神隠しにでも遭いたいぜ」

 

 薬研が散々に軍本部をこき下ろし、不機嫌になるのも仕方がなかった。温和で日和見的な浦島でさえ、その過激な意見には大いに賛同の心境である。

 そもそもここまで苦境に追い込まれているのも、遠呂ノ国などという賊徒の国の成立を許してしまったのも、元はといえばそれぞれの国が己の体面を守ることを優先し、協力し合わなかったことが原因だ。

 始めからこの強大な連合国軍なるものが結成され、協働して事態に当たっていれば、彼らの増長を招くことなどなかっただろう。薬研の喩えを借りれば、まさしく小火程度の火事を放置し、山火事になってから大騒ぎしているようなものだ。

 人は自らの腹が痛まぬ限り、決して現実と向き合おうとしない。それでも向き合わない者さえある。一連の戦いを通して、浦島が実感した率直な感想だ。

 消極的にバタバタと右往左往した挙句、いよいよ人の手に余るようになって付喪神たる彼ら刀剣の精霊に縋り、いまに至る。

 

「ま、確かに虚しくなるようなときもあるよ。俺たちって、なんのために戦ってるのかなってね。でも、そう思っちゃったら、なんて言うか……それこそ、負けなんじゃない?」

「あーあー、五月蝿えな、わーってるよ。そんな湿っぽい話が聞きたかったわけじゃねえ。まあ……形は違えど、俺だって人の世で生きてた身だ。情がないでもないし、理由がないでもない。戦ってやるさ。意味か結果をこの身に迎えられるまではな」

 

 まったく要領を得ない、ふわふわとした理由。だが、それは薬研も同じ思いだった。

 付喪神たる彼らの拠り所は土地ではない。人なのだ。郷里は山でも川でも海でもない。

 人が居なければ、刀の存在する意味がない。人の手に握られ、振るわれ、収められ、斬り、祓い、護る。刀とはそのための道具である。遠呂ノ国と相容れないのはそこだ。

 

 死臭芬々たる遠呂ノ国の民たちは、しかし死という概念で語るのは適切でない。死人のように見える彼らは死んでいるのではなく、当然生きているとも言い難い。

 もはや生死の括りには収まらない概念。つまりは〝存在しない〟というのが最も正しい。

 望む歴史の顛末から外れ溢れた黒い影。それが形を成し、人の歴史という光の裏側にべっとり張り付いて顕わになる。

 表裏は常に一体のもの。それが世の理というもの。しかし、遠呂ノ国――遡行軍は、そういう決まりごとを丸ごと引っくり返している。

 

 神の定めたる因果律という絶対的な法則は、上から下へ、右から左へ、一方向にしか流れ得ない。遡行も改竄も有り得ない。

 そうでなければ誰か一人の思うがままに世界は塗り替わり続け、とても一つの形を保てない。

 それゆえに、遠呂ノ国が声高に叫ぶ主張は致命的な自己矛盾を孕んでいる。

 歴史を変えるということは、彼らの存在さえ変えるということだ。ならば人の世をいくら攻めたところで、土地を奪い、国を建てたところで、なんの意味もない。

 それどころか、そもそも〝歴史修正主義〟という詭弁さえ崩れる。その発起人たる誰かの意思さえ、置き換わってしまうからだ。

 ならば、彼らは一体なにに従い、なにを目的として戦っているのか。どのようにして望む歴史とやらを実現するのか。ようとして全貌は掴めていない。

 だが、目下のところ、遡行軍は度し難い勢いで攻め込んできている。これだけは揺るがぬ現実である。もはや結果論にすぎないが、そうである以上は迎え撃たねばならない。

 迷う暇などない。あの百鬼夜行どもにどのような企みがあるにせよ、目の前のことから一つずつ潰していくしかないのだ。

 

 二二〇〇年以上もの歴史を重ねながら、未だよちよち歩きを抜け出せない。そんな人の世という重い幼子を抱えながら。

 少しだけ二人の間に憂鬱な空気が漂いかけたそのとき、浦島に抱かれた今之助がぴんと耳を立て、急に素っ頓狂な声を上げた。

 

「あっ……岐陽鎮台参謀本部より入電! 薬研藤四郎麾下(きか)東濃第三迎撃大隊は、浦島虎徹麾下東濃第十四剣士小隊と共に指定地点へ進軍、多津(オオツ)鎮台より派遣されたる増援部隊と合流せよ、とのことです!」

「援軍……? わざわざ多津鎮台から? 誰が来るの?」

「えっと、詳細な情報はまだ入ってきていないです。とにかく合流後、迅速に陣形と装備を整えてください。明日のグリニッジ標準時一〇三〇時を以って、攻撃を開始します」

「おいおい、こんだけ待たせた割に随分雑じゃねえか。ついに万策尽きて、バンザイ特攻しかやることがなくなったのか?」

「あっ、と……いま追加の入電が。どうやら合流する部隊は僕たちと同じ、刀剣隊のようです」

「刀剣隊だって!? ってことは、誰か刀剣がいるってことかい!?」

「そういうことになりますね」

 

 今之助は興奮した浦島の腕にぶら下がったまま、小さな頭をこくこくと縦に振った。

 増援部隊の派遣、それも刀剣が伴っているというのは久々に聞く朗報だ。これで薬研と浦島を合わせて三本もの刀剣がこの戦場に投入されることとなる。

 決して楽観視することはできないが、九分九厘負け戦でしかなかったものが八分九厘くらいにはなる。一分違えば大きな違いだ。それだけ奇跡が降り注ぐ確率が上がったことになる。

 だが、手放しで喜ぶには、少々胡散臭い話だ。むっつりとした顔で固く腕を組む薬研に、浦島が問いかけた。

 

「どしたの? 薬研」

「いや……なんか、おかしかねえか? 俺がここに来たのは、俺が遊撃専門っつうか、那古野鎮台の所属は名目上の名札にしてるだけで、実際は連合国陸軍機動刀剣男子隊っつうのに所属してて、それであっちこっちの部隊に特例的に組み込める、って話だったろ? でもそんな都合のいい組織体系で何本も登録できなかったし、ただでさえ少なかった同胞も俺以外の刀剣はもう全員折れちまった。なら、そいつはナニモンなんだ?」

「あ……確かに。いま全国の部隊に自由に派遣できるのは薬研だけだったか。うっかり舞い上がっちゃったけど、よく考えてみればそれってヘンだよね」

「大体、なんでいまさら多津鎮台なんぞからわざわざ派遣される? そんな自由なことができるならもっと早く全国の刀剣をまとめて、戦況のやべえところにぶち込むべきだったろうが」

「うーん。でもさ、味方が増えるんだからこの際、細かいことはいいんじゃない? きっと上の人たちもようやく杓子定規の軍法規定のままじゃ勝てないって思ったとかさ!」

 

 薬研は抱く危機感が微塵も伝わらない浦島の脳天気さに内心舌打ちし、それ以上語るのをやめた。

 素直に好意的に、なんの疑いもなく捉えれば、確かにこれは喜ぶべき情報だ。浦島の言うとおり、単純に戦力が増強されることそのものは天佑であり、異論はない。

 だが、今日の今日まで参謀本部は一貫して愚策を弄し続け、あまつさえ型に嵌まった大時代的で封建的な軍閥主義のお歴々による複雑怪奇な内部構造のせいで偏った部隊編成の是正さえままならないまま、放置されていたのだ。

 だというのに、この漸進的と言おうか、抜本的と言おうか、これまで正気を疑ってしまうほど遠回りな手段を講じてきたのに、突然柔軟な発想と実行をするというのは、戦場育ちの薬研にとってはどうにもきな臭くてたまらなかった。

 意固地に凝り固まった軍上層部が急に柔軟になったとすれば、その要因として考えられることは多くない。

 陣頭指揮を取っている者がすげ変わったか、どこかの戦線で致命的な大打撃でも受け、旧態依然とした体制を変えざるを得ないほど戦況が大きく不利に動いたか、といったところだろう。

 なんにせよ歓迎するようなことは一つもない。小さな好事の裏になにがあるのか判然とせず、歴然とした戦力差の前に不安定な陣容を敷いているいま、まさに前門の虎、後門の狼とでも言うべき憂いである。

 

「ま、それでもやるしかねえ、か……」

 

 薬研はついにずっと決めかねていた腹を決めた。

 はじめは薬研を含め、六本もあった機動刀剣男子隊。

 しかし言われるままに全国の戦場を巡るうちに一本折れ、一本欠け。そうして最後に残ったのが薬研だけだ。

 数々の死線をくぐり抜ける最中で、仲間や兄弟の死を見送ってきた。いつだって今日が最後になる、と思いながら戦い続けてきた。

 

 だが、今回ばかりはそれが現実になる恐れが大きい。たとえ刀剣が一本増えたところで、とても抑えきれるとは思えない。

 士気の低すぎる人間ども。どれほど役に立つだろうか。無駄に矢や弾の的になり、凶刃の血錆になる末路以外、見えてくるものがない。

 もはやこの際、軍本部の不審な動きなどどうでもいい。必要なのは勝利や結果ではない。理由だけだ。

 戦う理由は疾うにない。欲しいのは〝戦った理由〟だ。すでに過去形。なにに誇りを持ち、なにを思って砕けたのか。それだけだ。

 ここに立っているのは、遠からず消え行く断末魔。そういう意味では影そのもの。本質は連中と変わらない。偶然に過去を追い抜いて、まだ立っているというだけのこと。

 だから、いまさら方向転換を図ったところで遅い。もう、遅い。なにもかも、遅い――。

 

「薬研!」

 

 浦島が、薬研の肩をぐっと強く引いた。

 

「下や後ろばっか気にしたってしょうがないよ。これから来る誰かさんだって、お前と馬を並べるのを楽しみにしてるかもしれないだろ? やれるとこまでやってやろうぜ。なんつーか……元気出して、最後まで頑張ろうぜ!」

 

 天真爛漫な浦島の笑みは、分厚い雲間から気紛れに差し込んだ陽に照らされて、きらきらと輝いた。

 おそらく、なにも考えていないだろう。ひどく短絡的な思考だ。それゆえに小難しく袋小路に迷い込んでゆくことなく、真っ直ぐに進む強さを持っている。

 かつて薬研も持っていたもの。いまはすっかり淀んでしまって、腐りかけてしまっているもの。

 こんなことを言われてしまっては敵わない。薬研は思わず吹き出しそうになりながら、短い生返事を返した。

 機動刀剣男子隊がなくなっても、まだ仲間はいる。この先の合流地点で待っている。

 進まねばならない。命令に従ってではなく、己の切っ先が向く方が正しいからだと信じて。

 

「東濃第三迎撃大隊総員ッ! これより進発する! いよいよおっ始まるぞ! 気合入れろォッ!」

 

 薬研は泥濘のように降り積もった心の澱みを、叫びの乗せて振り払った。腰に携えた自らの刀身を抜き放ち、高々と掲げる。

 朗々とした檄が、数万から成る兵士たちの群れ隅々まで拡がっていく。暗鬱としていた兵士たちの顔に、僅かながら色が戻った。

 隣でさも嬉しそうにはにかんだ浦島もそれに続き、同じように剣を抜いて刃を重ねあわせた。

 

「東濃第十四剣士小隊! 薬研隊に続き、俺たちも進発する! 合流したらすぐに開戦だからね! 気合、入れていくぞっ!」

 

 二つの刀剣が交差し、澄んだ高い音を奏でる。飛ばした檄と重なって波及し、連なり、沈みきっていた痛々しい雰囲気を切り裂いた。

 どこからともなく、歓声が上がる。人と人とを結び繋げ、とぐろを巻いていく。

 にわかに一転、高揚した意気を目の当たりにした薬研は、ニヤリと浦島に笑いかけた。

 

「わりい。らしくねえな、いつまでもウダウダとよ。なにがあろうが起ころうが関係ねえ。俺は俺のために戦う。戦って……生き残るだけさ」

「そーだよ。俺たちは確かに、戦うことしかできないのかもしれない。でも、生きて、生きて、生き延びていけば、そのうち他のことだってなんだって、できるかもしれないだろ? つっても、俺はあんまり実戦経験ないし。そのへんは頼りにさせてもらうよ、センパイ」

「てめー……調子に乗んなよ?」

「乗るよ。乗りまくるさ。だって、テンション負けしたらダメだろ?」

「ああ、そうかい。なら、そういうことにしといてやるよ」

「ほらほら、応援の誰かが待ってるよ。急いで行かなきゃ!」

「ったく……そんじゃ、全速で行くぞ! 全隊、進軍ッ!」

 

 鋭い号令に従い、総勢一万五千の軍勢が一斉に行進を開始した。

 粗末な具足に仮初な勇壮の響きを轟かせ、乾いた土を蹴り飛ばす。砂埃が舞って、もうもうとした大地が黄土色の霧に包まれていく。

 逃げたいのは山々。勝ち目も薄々。泣き面に蜂。天に果てて候。それでも前のめりに前向きに。とにもかくにも前へ、前へ。

 槍持や槍足軽の掲げるいっぱいの槍穂に、まだらな虹彩がてらてら蠢く。鉄砲組や弓組の武具が鎧とぶつかり合って、重苦しい音が打ち鳴る。

 心の揺れ。決意の振り。風に流されて、進む軍勢の上をふらふらと浮遊する。

 だだっ広い濃尾平野はどこまでも平坦で、敵の影一つ見えない。どうやら飛美防線の効果はまだ残っているらしい。

 後詰の本体から離れること八里と少々。突出した陣形から切り離され、すっかり別働隊になってしまった薬研・浦島隊は障害や大きな問題に阻まれることもなく、予定通り日が暮れる少し前に合流地点へ到着した。

 



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