魔法少女まどか☆マギカ EDEN(完結) (ファルメール)
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プロローグ

「僕と契約しないかい?」

 

 始まりはリンゴの木の下にいた少女に掛けられた、その言葉だった。

 

 少女がその声に振り返ると、そこには白い体をした小動物がいた。赤い目をしていてウサギのようにも見え、耳の形からネコのようにも見えるが、どちらとも違う。特に耳から伸びている毛の束にも見えるものが、こいつが少女が今まで見たどんな生き物とも違う存在だと教えていた。

 

「僕と契約すれば、どんな願いだって叶えてあげられるよ」

 

「どんな、願いでもですか……?」

 

 その誘いに、少女は明らかに心惹かれているといった仕草を見せた。彼女にも一つ、欲しいものがあったからだ。

 

 だが……

 

「その代わりに、あなたは私に何をさせようと言うのです? 私は代わりに何を支払えばいいのです?」

 

 その問いは必然だった。まだどんな願いであろうと叶えるという言葉が本当だと決まってはいないが、仮にそれが可能だとして、この白い生き物は自分に何かを求める筈だ。その対価は、自分の願いと釣り合うものだろうか?

 

 だがその白い生き物は、予想外の答えを返した。

 

「特に何も」

 

「え?」

 

 思わず、聞き返す。

 

「だから、君は特に何もしなくて良いんだ。僕としては君が僕と契約し、そして願いを叶える事それ自体が重要だからね」

 

「…………」

 

 正直、この生き物の言葉は胡散臭い事この上ない。何の代価も無しに、奇跡を起こして願いを叶える。無意味に奇跡を配って、この生き物に何の得があると言うのだ?

 

「疑っているようだね」

 

 心を読んだかのように絶妙のタイミングで白い生き物が発したその言葉に、少女はびくりと体を弾ませ、動揺を見せる。

 

「じゃあ、試しに君の願いを言ってみればいい。奇跡なんだから、叶わなくて元々、叶えばラッキーぐらいに考えれば良いじゃないか」

 

「…………」

 

「少なくとも君の願いが叶う叶わないに関わらず、僕は君に何の代償も求めないし、何を強制したりもしない。それは約束するよ」

 

 そう言われて、先程よりも大きく心が揺らいだ。

 

 言われてみれば確かに、そもそもこんな奇跡は有り得なかった筈のものだ。だったら、試しに言うだけ言ってみるのも良いかも知れない。

 

「僕は……僕は、あの人が欲しいです」

 

 

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん……ねえ、起きてよ……お姉ちゃん……!!」

 

 夕日が血の色に大地を染めるその場所で、その少女は地面にぐったりと横たわった、彼女よりも一回りほど年上に見える女性を揺さぶっていた。

 

 二人の周囲には瓦礫が散乱し、その少女以外には猫の子一匹が動く気配すら感じられなかった。

 

「お姉ちゃん……!! お姉ちゃん!!」

 

 先程からずっと揺さぶり続けているが、女性は反応を返さない。その全身には無数の傷が刻まれ、そこからは夥しい量の血液が流れ出ていて、瞳は固く閉じられている。

 

 からり、と乾いた音を立てて女性の手から小さな黒い宝石が転げ落ちた。少女は何気なくそれに手を伸ばして掴み、そして地面に影が落ちている事に気付いた。影の形は明らかに人間のそれではない。思わず顔を上げると、そこには白い体をした小さな生き物が座り込んでいた。

 

「どうやら、君がこの星の最後の生き残りみたいだね」

 

「私が……最後の……?」

 

 呆然と呟く少女。嘘だと言って欲しいとの言外の望みを、白い動物は次の言葉で簡単に切って捨てる。

 

「事実さ。この星で生きている人間は、もう君だけだ。後は全て、魔女に殺された」

 

「……そんな……」

 

 少女はがっくりと俯いてしまう。その瞳から流れ出す涙が、乾いた地面に吸い込まれていく。

 

「……君には願いがあるかい?」

 

「え?」

 

「こうなったのは僕の……正確には僕達の責任でもあるからね。少なくとも原因の一旦は担ってる。だからもし君に願いがあるのなら……それを叶えてもいい」

 

「……本当に?」

 

 少女は顔を上げ、涙を拭く。さっきまで絶望で濁りきっていた瞳には、今はかすかに、だが確かに希望の光が宿っていた。

 

 白い動物が今の彼女を見て何を思っているのか、その紅い瞳からはうかがい知る事は出来なかった。

 

「どのみち、この星はもう終わる。君の願いを叶えても、多分……僕が僕の役目を果たす事は出来ないだろうね。けど、良いんだ。僕が契約する事の出来るのは、きっと君で最後だからね」

 

「……どういう事?」

 

「僕は、僕達の種族には極めて稀な精神疾患を……」

 

 そこまで言った所で白い動物は言葉を切り、ふるふると首を振った。

 

「まあ、良いじゃないか僕の事は……それよりも君だ。君には、何か叶えたい願いがあるかい? 僕と契約してくれれば、一つだけそれを叶えてあげるよ」

 

 叶う願いは一つだけ。それを告げられて、少女は今まで自分が歩んできた十数年の中で一番速く、頭を回転させた。この白い小さな生き物が嘘をついているという可能性は、彼女の中からは消えている。

 

 お姉ちゃんや、家族の誰か、それとも死んでしまった誰かを生き返らせる?

 

 いや駄目だ。例え生き返らせる事が出来ても、もうこの世界が終わるって言っているじゃないか。それなのに生き返っても、死の恐怖をもう一度味わうだけだ。

 

 じゃあ、この終わろうとしている世界を終わらないようにしてもらう?

 

 それも駄目だ。例え世界がこのまま続いても、生きているのが自分一人では……

 

 ならばどうすれば? ほんの十数秒ほどの間が、これほど長く感じた事はなかった。そして口から出た願い事は、

 

「この世界が、こんな事になったのはどこかで何かが間違っていたからだと思うの……」

 

「うん」

 

「だから私は、その間違いを見付けたい。そして間違いを正して、新しい未来を創る、その為の力が欲しい!!」

 

 皆が、続いていく世界に生きる。その為に考え得る中で、彼女はそれが最善の願いの筈だと信じた。

 

 不意に胸に熱さを感じ、手をやって押さえる。力を込める中で、さっき拾った黒い宝石の硬さが掌から伝わってきた。少女の体から光が溢れ、その光はやがて握り拳ぐらいの、碧色の宝玉として具現化する。

 

「契約は成立だ。君の祈りはエントロピーを凌駕した。さあ、解き放ってごらん。その新しい力を!!」

 

 どうやって? と尋ねる必要は無かった。どういう訳かは分からないが、自分はその力の使い方を知っている。

 

 宝玉に手を伸ばして、封じられていた力を開放する。この場に緑色の光が溢れて、何も見えなくなり、

 

「さよなら、お姉ちゃん」

 

 最後にその言葉が響いて光は治まり、少女の姿はもう何処にも見当たらなかった。残ったのは少女が縋り付いていた女性の遺体と、白い動物だけだ。

 

「……頑張ってね」

 

 白い動物は大きく天を仰いでそう呟いて、そしていきなり電池の切れたロボットのように、ぱたりと動きを止めて、倒れた。

 

 そしてその世界に、生きている者はいなくなった。

 



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第01話

 

「それで、この町の魔法少女はどうやって見付けるつもりですか? 風華(ふうか)」

 

「私達が捜す必要はないわよ。向こうから私達に会いに来てくれるわよ、イブ」

 

 二人の少女が、並んで歩いている。

 

 風華と呼ばれた方の少女は、15歳ほどに見える割には背が高く、160センチ以上はあるだろう。少しウェーブのかかった雪のように白い髪を腰まで伸ばしていて、着ているブレザーはどこかの学校の制服のようだが、この町では見かけないデザインだった。几帳面な性格なのかぴっちりと着こなしているが、その中で左手の中指に嵌められた指輪の、緑色の宝石だけが浮いているようにも思えた。

 

 風華にイブと呼ばれた彼女は、身長は風華よりも一回り小柄で150センチもないように見える。その代わりプロポーションでは勝っていた。白いワンピース越しでもよく分かる。彼女は上も下も、出る所は出ていて引っ込む所は引っ込んでいる。髪の色は風華とは対照的で、濡れたように黒い。髪質も対となるようにストレートだ。長さは同じくらいで、左の肩に掛かる一房だけをリボンで括っていた。そして黒く輝く宝石をあしらったアクセサリーで、そのリボンを束ねている。

 

 イブは持っていたバッグに手を入れると、そこからリンゴを取り出した。ごしごしと服で擦ると、がぶりとかぶりつく。しゃくっという瑞々しい音を立ててリンゴに歯形が刻まれた。

 

 風華が歩き食いを咎めるが、イブははいはいと生返事を返すだけだ。明らかに聞いていないといった様子の彼女に対し、しかし風華もこの反応は予想していたのだろう。殊更に怒ったような様子は見せなかった。

 

 ただ一息だけ深く肺から空気を出して、吸い込むと辺りを見渡す。

 

 二人は先程まで閑静な住宅街を歩いていた筈だったが、その景色はいつの間にか違っていた。

 

 数分前までは両側を見ればどれも似たような一戸建ての家屋が見えたが、今同じ事を試みると見えるのは、三歳児が何本かのクレヨンを鷲掴みにして、画用紙に異なる色を滅茶苦茶に塗りたくったかのような混沌だった。

 

 そこら中が暗い色で塗りつぶされている。二人が今歩いているこの世界の創造主は、よほど酩酊していたのかも知れない。それとも100年先を行くセンスの持ち主だったのかも。

 

 これはまるでおとぎ国の絵本の世界だ。ただし、よい子に見せる為に表現が抑えられる前の、初版の方のだが。

 

 ゆらぎ、うごめく世界の中でその流れに逆らって動く物が、風華の眼の端に映った。彼女は歩みを止める。

 

 イブも同じだった。自分の背中を風華に預けて、腰を低くしてぐっと構える。

 

「来たですよ、風華」

 

 言われて彼女は指輪の嵌められた手をすっと上げ、

 

「ええ、使い魔ね……イブ…」

 

 そう返されて、髪を留めている宝石にそっと手をやる。

 

 そうして一瞬だけ、二人も、二人の周りでうごめく物も、場の空気すらもが動きを止めて、次の瞬間には暗がりから獣の顎にそのまま手足がついたような異形が、しかも数十という数で飛び出してきた。

 

 それに合わせるように、風華の指輪とイブの髪留め。その二つが碧と黒の光を発する。光ったのは一瞬。だがその一瞬が過ぎ去った時、二人は姿を変えていた。

 

 風華は、見た事もないような艶やかさを持った素材で創られた、肩の見えるワンピースような衣装に。

 

 イブは柔らかく、一切の光沢の無い黒のローブのような衣装に。

 

 風華が使い魔と呼んだその異形が一斉に二人へ向かって飛びかかるが、その牙も爪も、二人の皮一枚にすら触れる事は叶わなかった。

 

 イブが掌に黒い光を集め握りの付いた剣、ジャマダハルと呼ばれる刃を物質化するとそれを両手に持ち、独楽のように体を回して襲いかかってくる使い魔を、ただの一匹も逃さず両断したからだ。

 

「行きましょう、イブ」

 

「はいです」

 

 取り敢えずの危険は排除した事を確認すると、風華に促されてその後をイブが付いていく。そうして進んでいく間にも使い魔は現れたが、イブが全て斬って捨てた。

 

 やがて悪趣味な装飾が施された扉に突き当たり、蹴りでそれを開けると行き止まりにぶち当たった。その行き止まりには、この世界の主なのだろう。体中に無数の獣の顔を生やした、地球上のどんな動物にも当て嵌まらない、敢えて言うなら全ての動物の特徴を足してその種の数で割ったような怪物が待ち構えていた。

 

「こいつが魔女みたいね……任せるわよ、イブ」

 

「任されたです」

 

 二人のそんな会話も、魔女と呼ばれた存在は聞いていないようだった。獣さながらの外見から受ける印象に違わず、その魔女にとって二人はエサでしかないようだった。全身に生やした獣の顔が、一斉に二人へとさっとする。外敵の排除と食糧の確保、二つの目的を同時に果たす為に。

 

 だが、それはどちらも不可能な事だった。飛び出したイブが、向かってきた獣の頭を全て斬り落としていた。風華は、何の危険も感じていないようで少しも動いていなかった。

 

 イブはそのまま跳躍して空中で、先程の独楽のような横回転から一転、今度は水車のような縦回転を見せると、その勢いのまま一閃。それが致命的なダメージとなって、魔女は穴を開けられた風船のように体をしぼませて、やがてどろりと融けるようにして消滅した。世界の主が死んだ為、世界それ自体も死に絶え、結界が消えて二人が歩いていた住宅街に戻る。まるで最初から何もなかったかのように。

 

 風華が地面に視線をやると、黒い宝石が落ちていた。魔女の卵、グリーフシード。それだけが、先程までの体験が二人して同じ夢を見ていたのではないという証明だった。

 

 拾おうと手を伸ばして、爆竹が弾けたような音を立ててそのグリーフシードは宙を舞い、いつの間にか二人の背後に立っていた少女の手へと納まった。

 

「あんた等さぁ……ここがあたしの縄張りだと知って、魔女を狩っているのかい? 知らなかったなら、一度だけ見逃してやる。今すぐここから出て行きな」

 

 風華は振り返って、その少女の姿をよく観察してみる。

 

 長い赤の髪をポニーテールに束ねていて、それと同じ色を基調としたコスチュームを纏っている。眼光は鋭く、口で一本のポッキーを弄びながらも立ち振る舞いにはちょっと隙が無い。かなり戦い慣れている事が窺い知れた。

 

 得物は、長槍だ。しかもただの槍ではなく、柄がいくつかの節に分解されて、それらが鎖で繋がっている。多節棍と呼ばれる武器の性質も併せ持っているようだ。先程グリーフシードを空中に弾いたのは、分解して鞭のようにしなったこの槍だった訳だ。

 

「知っていた場合は?」

 

「あ?」

 

 そう、風華に問われて、少女の機嫌が目に見えて悪くなった。

 

「ここが、私達以外の魔法少女の縄張りだと知って、敢えて魔女狩りをしていたと言ったら?」

 

 その言葉を挑発と挑戦だと受け取ったらしい。彼女は槍を一度頭の上でぐるぐると回すと、切っ先を風華へと向ける。

 

「そん時は……二度とそんな嘗めたマネが出来ないように……」

 

 そこで言葉を切って、突進する少女。まっすぐ風華に向かいながら、思い切り槍を振りかぶる。風華は先程の使い魔の時と同じく、動かない。

 

「体に覚えてもらおうかねぇ!!」

 

 相手が動かないならばと、風華の右腕をめがけて少女の槍が振るわれる。だが、彼女の手に伝わってきたのは柔らかい肉を裂く手応えではなく、もっと硬い、金属のような感触だった。そしてほぼ同時に響く金属音。

 

 風華に向けられた凶刃は、割り込んだイブが両の手に持った刃によって止めていた。

 

「あなたの相手は私がするですよ」

 

 赤髪の少女は、一旦飛びずさって距離を開けた。

 

「ハン、どっちからでも同じさ。そんなリーチの短い武器で、あたしとやろうってのかい?」

 

 少女は油断はしていないが、まだまだ自信たっぷりといった表情を見せる。その言葉通り、彼女の長槍に対してイブの武器はジャマダハル。リーチの長さは対照的と言っても良い。そして同じ段位の者が刀と薙刀で戦えば結果は薙刀の圧勝と言われるように、戦いに於いて武器の長さがもたらす優位性は疑いようもない。

 

 イブも、それは認めていた。

 

「そうですね。じゃあ、こいつでお相手しますです」

 

 そう言ってジャマダハルが黒い光に戻ったかと思うと、その光は霧散することなく彼女の手の中で形と大きさを変え、一秒と経たぬ間に彼女の身の丈よりも長大な刃を持った薙刀へと変形する。

 

「なん……だと……!?」

 

 魔法少女の武器は魔法で創造した物。だから普通の武器、いや物質の法則に縛られず、大きさや形状が変化するのは珍しい事ではない。少女は自身もそれが出来るし、彼女の知っている魔法少女も似たような技を使う。

 

 だがジャマダハルから薙刀へ。ここまで原形を留めず武器を変形させる魔法少女には、彼女は会った事はなかった。

 

 どんなベテラン戦士であっても、初めて見るものを前にした時は反応が遅れる。そしてこのレベルの戦いにあってその僅かな隙は致命的だった。

 

 ほんのちょっぴりだけ、意識に生まれた空白。だがイブは抜け目なくその瞬間を狙ってきた。少女の意識が再び繋がった時には、振るわれた薙刀の切っ先が下から顔を割ろうと迫ってきていた。

 

「っ……!!」

 

 舌打ちも半ばに、スウェイバック。その反射的な回避動作によって、彼女の顔とミリ単位の間隔を挟んだその空間を、薙刀の切っ先が通過した。

 

 バカでかい得物を細腕で軽々と振り回すパワー。それには驚いたが、得物の巨大さは弱点にもなる。次の攻撃に移行するまで時間が掛かる点だ。槍を握り直してその隙に付け入ろうとするが、イブは薙刀を振って流れた体を戻すのではなく、むしろそのまま体ごと一回転して、続け様に遠心力の乗った一撃を繰り出す。

 

 少女が考えていたよりもずっと早く、次の攻撃が飛んできた。今度は振り下ろしの斬撃。刃渡り1メートル以上もある刃が異様なうなりを上げて飛来する。

 

 辛うじてその攻撃も防げたが、殺しきれなかった威力がそのまま、彼女を杭としてアスファルトに穴を穿った。

 

「ぐっ……!!」

 

 直撃は免れたにせよ、それほどの真似をされたのだから少女が受けた衝撃はかなりのものだった。思わず、膝を付いてしまう。そこを狙って繰り出されるイブの第三撃。横殴りに繰り出された攻撃の威力を受け止めきれず、少女はコンクリートの塀に叩き付けられる。

 

「がはあっ!!」

 

 背中に受けた衝撃で肺から空気が絞り出され、手足の感覚が遠くなる。指からも感覚が無くなって、槍を取り落としてしまった。これでイブの攻撃から身を守る手段が、彼女からは無くなってしまった。

 

 そこに、イブは最後の一撃を加えようと薙刀を振りかぶって、構えを解いた。

 

 少女は、とどめを刺されると思っていたのだろう。目を固く閉じていたが、いつになっても覚悟していた痛みが襲ってこないので、恐る恐るといった様子で目を開けると相手が背中を向けていた。驚いた様子ながらも拾った槍を杖にして、よろよろと立ち上がる。

 

「何で……殺さない!? 今なら簡単にあたしを殺せただろ?」

 

 問われて、イブは薙刀を消しながら足下に落ちていた物を拾った。リンゴだ。先程赤髪の少女が塀に叩き付けられた時、転がり落ちた物である。

 

「やめたやめたあ、です。リンゴが好きな人に、悪い人はいないのですよ」

 

「手前……!!」

 

 ぎりっ、と歯を食いしばる音が鳴る。イブの言葉は、彼女の耳には侮辱として響いたようだ。彼女に後ろ見せたままイブが「構わないですよね? 風華」と尋ねる。それまでずっと傍観者で通していたもう一人の魔法少女は、軽く頷いた。

 

「ええ……どうやら彼女は、私の捜している魔法少女じゃないみたいだし……」

 

 そう言って、まだダメージが抜けきらずにふらふらとしている少女に近付いていく。

 

「とんだファーストコンタクトになってしまったけれど……私の名前は風華。深雪風華(みゆきふうか)。あなたのお名前、教えてくれる?」

 

「僕はイブですよ」

 

 いきなりの自己紹介。先程までの軽口が影を潜めたその態度に、少女の方も少しばかり毒気を抜かれたらしい。少し時間を置いて、だがやはり痛めつけられた恨みはあるのだろう、ぶっきらぼうに、

 

「佐倉、杏子だ」

 

 そう、名乗った。風華はもう一度軽く頷いて、切り出す。

 

「では杏子……あなたにお願いがあるの」

 

「……お願い?」

 

「仲間になって欲しいのだけど」

 

「はぁ?」

 

 正気を疑うような目で見られ、風華は苦笑する。これは予想できた反応だった。まあ、無理もない。

 

「駄目みたいね……じゃあ、諦めるわ」

 

 このお願いは駄目もと、受けてくれれば僥倖ぐらいに考えていたから格別怒りや失望のような感情を、風華は見せなかった。イブを伴って、去っていく。

 

 徐々に距離が開いて小さくなっていく二人の背中に、声が掛けられる。

 

「手前ら!! この借りは必ず返すぞ!! 首洗って待ってろよ!!」

 

 振り向くと、変身を解いて普段着になっている杏子が見えた。彼女に風華は軽く手を振って応じ、イブは対照的に「リベンジマッチ、楽しみにしてるですよー!!」とぶんぶんと手を振っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「……ここも外れ、と」

 

 杏子と別れてしばらく歩いた後、二人は公園のベンチに腰を下ろしていた。風華が持っている地図にはいくつものバツ印が書かれており、そして今また、この町の上にも新しい印が書き足された。

 

「これで、残っているのは隣町だけです」

 

 イブが地図の上でたった一つ印の付いていない町の上に、指を乗せる。

 

 マップ上その町の位置には、見滝原市と記されていた。

 



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第02話

 

 風華とイブが見た見滝原市は、一言で言うのであれば住みやすそうな町であった。自然が多く緑に囲まれているが、決して田舎という訳ではなく様々な施設が特に駅近くには揃っている。

 

 人通りも多く、町全体が賑わっているのが分かる。すれ違う中には笑顔を浮かべている人も多い。

 

「この町は活気があるです」

 

 隣を歩くイブの言葉に、風華はくすりと笑って頷く。だが、それは逆に言えば。

 

「正の感情と負の感情は表裏一体。こういう町ほど、魔女が沢山産まれるのよ」

 

 きょろきょろと視線を動かしつつ、注意深く歩いていく風華。少しばかり挙動不審だが、かと言って過剰に人目を引くほどのレベルでもない。今の彼女の態度を客観的に表現するとすれば、精々がド田舎から都会に出てきたばかりのおのぼりさんといった所か。

 

「で、どこから当たっていくですか?」

 

「そうね……」

 

 見滝原市と一口に言っても広い。人口も多いし、ここをテリトリーとしている魔法少女は恐らく一人、でなくとも極少数だろうから、道を歩いていてばったりとその人に出会える可能性に賭けるなんて全く現実的ではない。

 

 ここはやはり、いつもの手が良いだろう。杏子が縄張りとしていた町でやった時のように。

 

 この町に現れる魔女や使い魔を、ここをテリトリーとしている魔法少女よりも早く狩りまくる。

 

 それなら結界の中でばったりとランデブーする可能性もあるし、そうでなくても黙っていられなくなって向こうからこっちを見付けてくれるだろう。まあ、こちらも向こうが見付けやすいように派手に動く必要はあるが。

 

「中々見付からないですね……風華が捜している魔法少女は……」

 

 手を頭の後ろに回して歩きながら、呟くイブ。相方のその言葉に、風華は肩をすくめた。

 

「まあ、仕方ないわよ。世界中に魔法少女が一体何人いるか……その中からたった一人を捜そうというのだから……」

 

 そこまで言うと風華は一度言葉を切って、天を仰いで大きく息を吐いた。その姿はどこか疲れたようにも見える。

 

「私達には、こうやって虱潰しに捜していくしかないのよ」

 

 たった二人だけで捜している自分達が、見逃しているかもという可能性にイブは思い至っていたが、口にはしなかった。尤も、自分が思い至るようなこの可能性には相方も辿り着いているだろう。彼女は敢えてその可能性には目を瞑っているのだ。

 

「もしかして……もう既に、魔法少女の時間を終えているって可能性は……」

 

「それはないわ」

 

 代わりにイブが挙げたもう一つの可能性は、風華が即答で否定した。

 

「確証があるから……」

 

 その確証がいかなるものか、とは尋ねなかった。それを語らせれば風華にとって思い出したくない、心の奥底に仕舞われている記憶の澱を刺激して、浮き上がらせてしまうものだという事をイブは知っていた。

 

「それで、何処を捜すかだけど……まずは病院を探そうと思うの」

 

「いつも通り、ですね」

 

 頷く風華。

 

 魔女は絶望のある所に産まれる。病気や手術の失敗、間に合わなかった急患、医療ミス。そうしたもので有り余るほどの死が存在する病院は、確かに絶望が溢れていて、魔女の温床としてはこれ以上の物件はちょっとあるまい。

 

 事前に入手していたマップを頼りに、10分ほど歩いた所で二人は目的地に到着した。壁の色もまだ汚れが少なくデザインも現代的で、建てられてそう間が無いと分かる。

 

「まずは、外回りから当たってみましょう」

 

「はいです」

 

 入り口から始めて、病院のぐるりを反時計回りに歩いていく。そうして入り口を12として時計の文字盤で言うと、2と3の間ぐらいの位置に差し掛かった所で、二人は足を止めた。

 

 それが意味する所は、一つ。

 

「ビンゴ」

 

 風華がにやりと口角を上げ、イブは懐から25のマスに、不規則な数字が並べられた紙を取り出した。彼女なりのジョークである。

 

 普通の人間には分からないだろうが、ちょうど二人が睨んでいる壁からは、空間の歪みから魔力が漏れ出してきている。これは魔女の結界。しかも、自分達が見付けるよりも早く誰かが一度……いや二度、結界を外から開いた跡が伺えた。結界から流出するものの他に二色ほど、別の魔力の残滓が感じられる。

 

 そしてこれ見よがしに、何とも不自然に放置された鞄が三つ。付けられたアクセサリーから、女子の中学生か高校生の持ち物だろう。

 

「これは……最初に一般人が結界に巻き込まれて、それでこの町の魔法少女が助ける為に結界に入ったのかしら……?」

 

「じゃ、じゃあ!! 大変です!! 僕達も早く行くです!!」

 

 二人は頷き合うとソウルジェムの力を使い、空間の扉を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 二人が飛び込んだこの結界には、ケーキ、チョコレート、クッキー、パイ、パフェ、キャンディ、他にも山のような甘味が詰まれていた。この異界の創造主である魔女は、余程空腹だったのだろうか。

 

 とも思っていたが、ただお菓子が食べたいというだけでもないようだ。メスや鉗子といった外科手術に用いるような器具が乱雑に、墓標の様にそこかしこに突き刺さっている。少し遠くを眺めてみるとご丁寧にも「手術中」とランプの付いた扉まで見付かった。

 

 何にせよ、ここの魔女に客人へお菓子を振る舞ってくれるようなもてなしの心は、期待しない方が良いらしい。

 

 いつ使い魔が物陰から飛び出してきても対応できるよう、既に変身を済ませた二人は油断無く結界の中を進み、そして鎖のデザインが施されたリボンで縛り上げられている少女と出くわした。

 

 病院へ来るまでに町中で何度か見た制服を着た、長い黒髪の少女だ。

 

 彼女は一般人か、それとも魔法少女か。風華はそれを知る為に話しかけようとし、イブは真っ先に飛び出して彼女の戒めを解こうとする。少女の方もそれで二人に気付いた。

 

 彼女はほんの僅かな時間、眼を大きく開いて驚きを見せていたがすぐに何かに気付いたように、表情を変える。

 

「あなた達……!! その姿、魔法少女ね。お願い、これを、外して!! 出来るだけ早く!!」

 

 懇願するその表情には余裕が無く、まさに血相を変えてという表現が適当である。

 

 風華は、少なくとも彼女が魔女ではない事は分かったから拘束を解く事にやぶさかではなかったが出来ればそれは、彼女がどうしてこんな状態になっているのかを知ってからにしたかった。魔法少女同士の、時には互いの生死の問題にまで発展するいざこざというのは、結構ありふれた話だからだ。

 

 そう考えている内に、最初に動いたイブが魔力で創ったナイフで、最後のリボンを切断した。ただの布きれと同じように力無くぱらりと地に落ちたリボンは砂のように崩れて消滅していき、宙吊りになっていた少女は自由を取り戻し、ふわりと降り立つ。

 

「感謝するわ」

 

 そう、感情を抑えた声で一言だけ言うと、少女の姿が消えた。

 

「え? え?」

 

「風華、あそこ!!」

 

 明後日の方向を差すイブの指先を辿ると、今の少女が走り去っていく後ろ姿が見えた。いつの間にか変身を完了したらしく衣装が変化している。

 

 どうやら今し方の必死さは演技ではなかったらしい。この結界の中は、抜き差しならない事態となっているようだ。

 

「私達も追うわよ!!」

 

「はいです!!」

 

 二人も少女と同じ方向に走り出したが、追い付けない。彼女達の走る速度は決して遅くない。寧ろ前を行く少女よりもかなり速く走っているだろう。だが、追い付けない。いつまで経っても距離が詰まらない、どころか開いていく。

 

「な、何ですか? あの子?」

 

 ほんの少しの間、自分達と少女の距離は詰まるのだ。だが、次の瞬間には彼女の姿は消え、十数メートルほど先の空間に出現する。まるで空間を飛び越えているかのように。

 

『瞬間移動……? いや……!!』

 

 考えながらも、風華は周囲の観察も怠っていない。進むにつれて、結界の壁や床には弾痕のような穴が無数に穿たれ、穴の開いた使い魔の死骸があちこちに転がっているのが分かった。やはり最初に結界に入る前に感じたように、今この中には少なくとも二人の魔法少女がいるらしい。自分達の前を走る彼女がその一人だとすると、もう一人は……?

 

 そんな事を考えていると、少女の動きがやっと止まった。ちょうど曲がり角の所で立ち止まるとその先へと目をやって、さっき自分達に懇願した時よりもずっと大きく目を見開き、体を凍り付かせている。

 

 彼女の動きが止まったので、数秒を置いて二人もやっと追いつく事が出来た。

 

「あなた!! 一体何があ……!!」

 

「ちょっと待ってで……す……」

 

 風華とイブが曲がり角に差し掛かって、少女の視線を追ってその先に広がっている空間を見て、そしてどうして彼女の動きが止まったのかを理解できた。

 

 やはりこの結界の中にいる魔法少女は、二人だった。そう、二人だった。

 

 恐らく、つい数秒前までは。

 

 まず目に付くのは蛇のように手足の無い黒々とした胴体を持ち、その先っぽに道化師の仮面を連想させるユーモラスな顔が付いた異形。この結界の魔女だ。

 

 そしてその魔女が咥えているのは、衣装の特徴からして魔法少女だと分かった。魔女の口内にあって風華達からは見えない部分は、人間の五体の中で左右対称でない唯一つ。つまりは……そういう事だった。

 

 数秒して魔女の噛み千切ろうとするその力に肉や骨が抗しきれなくなって、魔力の供給が途絶えた為に服装が縛られていた魔法少女が着ていたのと同じ制服に戻って、脱力した肢体が妙に重い音を立てて、落ちる。

 

 少し視線を動かすと、物陰に隠れるようにしてやはり同じ制服を着た二人の少女と、そして彼女達が隠れている特大スケールのお菓子の上に、ちょこんと小さな白い生き物が乗っているのが見えた。

 

 魔女は3人の魔法少女にはまだ気付いておらず、二人と一匹には気付いているだろうがまずは自分の飢えを満たす事を優先したらしい。落ちて動かなくなった魔法少女に、食らい付く。

 

「二人とも!! 今すぐ僕と契約を!!」

 

 白い動物が、慌てているのか早口で喋る。

 

「まどか、さやか!! 願い事を決めるんだ!! 早く!!」

 

 ちょうど白い動物がその言葉を言い終えるのと、魔女が”食事”を平らげるのは同じタイミングだった。紅い液体だらけになった顔を、にゅっと一般人二人に向ける。

 

「そのひ」

 

「その必要は無いわ」

 

 同じ言葉を言おうとしていた黒髪の魔法少女を遮って、風華が前に出る。それによって二人の少女も、白い動物も、魔女も、彼女に気付いた。

 

「こいつを仕留めるのは、私達。でも、折角だから手伝いはしてもらおうかしら?」

 

 最後の言葉は、黒髪の魔法少女に向けられたものではなかった。二人の少女が魔法少女になる事を見越してのものでもない。それをこの後、イブを除く場の全員が理解する事になる。

 

 風華の足下で碧色の光がラインとなってサークルを描き、彼女の背に同じ色の光が、翼の形を成して集まった。

 



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第03話

 

 風華の背に集まった光は、最初は彼女の背に翼が生えたように見えたが、実際には少し違っていた。翼が生えたと言うよりは、むしろ脱皮という表現が適切だ。

 

 彼女の体から抜け出すようにして、緑の光に包まれたシルエットが浮かび上がってくる。それは光に包まれている事と背に妖精のような翼を持っている二点を除けば風華本人と瓜二つ。分身のように見えた。

 

 その分身の彼女は翼を一度音も無く羽ばたかせると、いきなりこの場からその姿を消した。

 

「え……?」

 

「あの光は……何が……?」

 

 イブを除く場の全員が風華の行動の意味を図りかね、当惑したような表情を浮かべて、戸惑った視線を向ける。否、正確にはもう一人だけこの場でその種の感情を抱いていない者がいた。

 

 この結界の魔女だ。彼女にとっては風華がどのような行動を取ろうが関係無い。ただ、餌として喰らい尽くすという悪食の本能しかない。がばあっと大きく裂けた口が開いて、血に塗れた歯やその間に挟まった肉片までもがはっきり見えるようになる。

 

 そうして目の前に現れた新しい餌を喰らおうと、猛然と突進する魔女。それが見えている筈だが、風華は自らの魔力が描いた円の中央で棒立ちのままだ。

 

「いけない……!!」

 

 二人に助けられた黒髪の魔法少女が飛び出そうとするが、イブが制した。何をするのかと睨み付けるが、イブには確信があるようだった。その証拠に彼女の目には迷いやゆらぎといった類の光が少しも見られない。

 

 魔女は一秒と掛からない内に10メートル以上はあった距離を詰め、風華を今日のディナーのメインディッシュにせんと迫る。

 

 未だ物陰に隠れているまどかとさやかは、思わず目を逸らした。これでは、あの人もマミさんの二の舞に……!!

 

 だが、その未来を変える者がいた。

 

「ティロ・フィナーレ!!」

 

 魔女に炸裂する黄の光弾。そこに込められたエネルギーが解放され、巨体が後方へと吹っ飛ぶ。

 

 まどかとさやか、それに彼女達の傍にいた白い動物、キュゥべえは、特に一般人である二人はあまりの恐怖で自分達の五感が機能を狂わせてしまったのかと疑った。今、場に響いた声は、確かにあの人のもの。そして魔女を貫いた魔法も、あの人の必殺の技。だが、有り得ない。だってあの人はたった今、自分達の前で……!!

 

 そう頭では否定しつつも僅かな可能性を信じたいと願う感情が、体を振り返らせた。

 

「危ない所だったわね……お互い……」

 

 振り返ったそこに立っていたのは余人に非ず、魔法少女・巴マミだった。彼女のすぐ傍には先程この場から消えてしまった、碧の光に包まれた風華の分身の姿もあった。

 

 風華の姿をした幻影は、マミの傍から少し離れると再びこの場から消滅した。同時に風華本体の足下に描かれていた緑色の光円も消滅し、振り向いた彼女は後ろに歩き出す。それを見たイブが進み出ると、二人の魔法少女はさっと互いに手を上げて、打ち鳴らす。バトンタッチの合図だ。

 

「マミさん!!」

 

「大丈夫ですか!? でもどうして……」

 

 自分達を守ってくれていた魔法少女に駆け寄るまどかとさやか。マミは、彼女自身何故自分が無事でここに立っているのか分からないといった風だった。

 

「私もどうして無事だったのか分からないけど……」

 

 ちらりと、マミが風華に目をやる。

 

「あの魔女が私に噛み付こうとした時、不意に後ろから掴まれる感覚があって……それで、気が付いたらここに……」

 

「え……」

 

「それって……?」

 

 まどかとさやかの視線も、同時に風華へと向いた。マミのものと含めて3つ以外に更にもう一つ自分へと向けられる視線を感じて後ろを向くと、黒髪の魔法少女、まどかが「ほむらちゃん」と呼んだ彼女もじっと自分を見詰めているのが分かった。まあ、あの状況では自分が何かしたと思われるしかないから当然の反応だ。

 

 そして何をやったのか説明しろ、という空気だ。

 

 風華は魔女はイブが警戒しているので短時間ならば大丈夫と見て、簡単な説明なだけはする事にした。手品の種をバラした所で、対処法が無ければ同じ事だ。自分の不利益にはならない。

 

「70秒ほど、時間を跳んだのよ」

 

「時間を……?」

 

「そんな魔法が……?」

 

「!!」

 

 マミも含む3名はただ驚いたという表情を浮かべるだけだったが、ほむらだけは違った。明らかに強く衝撃を受けたようで、瞳が大きく見開かれる。

 

「私の魔法は自分の分身を過去に跳ばして、”今”を改竄する事が出来る。あなた……」

 

「巴マミよ」

 

「ではマミ。あなたは実時間では確かにあの魔女に喰い殺されたけど、私の魔法で『70秒前のあなた』を”今”へと連れて来たのよ。タイムマシンのようにね……」

 

「そんな……」

 

 やっぱり今し方目の前で起こったのは夢でも幻惑でもなく現実であったのだと、二人の一般人と一人の魔法少女は衝撃を受けたらしい。特に実際に殺される所を見ている分、まどかとさやかの受けた衝撃は強かったようだ。

 

「さて……お話はこれぐらいにしましょ。向こうはそろそろ仕掛けてくるわよ」

 

 風華に言われて全員が目をやると、マミの銃撃で壁に叩き付けられた魔女が傷を再生して、再び獲物を喰らってやろうと牙を剥き出しにしている所だった。

 

 イブは油断無く腰を落とし、ぐっと身構えている。

 

「協力してもらえるかしら?」

 

「ええ、あなたには助けられたからね。援護は任せて」

 

 マミは快く頷くと魔法で創り出したマスケット銃を構え、

 

「じゃあ私は、二人を守るわ」

 

 ほむらは数歩下がると、まどかとさやかと、それにキュゥべえが背後に来る位置に立った。

 

「それじゃあ、行くわよ!!」

 

 気合いの入った叫びと共にマミは跳躍すると、自分の周囲に無数のマスケット銃を創り出す。それらの銃は彼女の念によって一斉に引き金が引かれて撃鉄が起き、魔力の弾丸が雨あられの如く魔女へと降り注ぐ。凄まじい弾幕は魔女の巨体にも十分な損傷を刻んだが、魔女は蛇が脱皮するかのように口から自分と全く同じ姿の怪物を吐き出して、あっという間にダメージを回復させてしまった。

 

「くっ……しぶといわね……」

 

「でも、あの魔女も不死身ではないわ。続けて攻撃すれば……」

 

「そうね……」

 

 確かに、脱皮した今の魔女は先程よりも動きが鈍くなっている。全く効いていないという訳ではないらしい。ほむらの言う通り一気に攻撃を加え続ければ倒せるかも知れないが、しかしあまり長引かせて更なる隠し球を見せられては面倒だ。ここは一気に決めたい。だがどうすれば? 答えは簡単。

 

 相手が再生するのなら、再生できない、再生しようが意味の無い方法で攻撃するまで。

 

「イブ!! 面倒だわ、エリクシルを使いなさい!!」

 

「分かったです、風華」

 

 相方の指示に手を振って了承の意を伝えると、イブは魔力で小さなナイフを創り、その刃を自分の掌に当ててすっと引く。すると、当然の事ながら彼女の小さな手には紅い線が走り、その傷口から滴る血は地面に落ちて、そして紅い霧がもうもうと立ち上った。

 

「これは……!!」

 

「血の……霧……!?」

 

 紅い濃霧は完全にイブの意志の下にコントロールされているようだった。自然の法則のように空気の流れに乗って動くのではなく、明らかに風華やマミ達を避けて魔女を包み込むように動いていく。

 

 広がっている霧に触れたお菓子が、溶けていく。使い魔が霧に飲み込まれて、ぼろぼろと崩れていく。

 

「この霧が……あの子の魔法?」

 

 マミの言葉に、頷く風華。

 

「そう、イブの魔法……エリクシル。あの子の魔力を流した血の霧は、どんなものでも溶かして崩してしまう。うっかり触らないように気を付けてね」

 

 恐ろしい内容をさらっと口にする風華。それを聞いたまどかやさやかが、思わず一歩退いたように見えたのは気のせいではあるまい。まあそれも無理からぬ所だ。触れば味方であろうとお構いなしに溶かしてしまうのだから、何かの間違いで自分に向けられたらと思うと風華自身ぞっとするものがあった。

 

 だが、こと魔女を狩る一点に於いてこれ以上強力な魔法も無いだろう。

 

 魔女は大抵の場合結界という迷路の最深部に隠れて、身を守っている。だがエリクシルを相手にした場合、結界は身を守るどころか袋小路としてしか働かなかった。

 

 何処に逃げようとも、紅い霧は結界中に満ちて最後には魔女を追い詰める。限定された空間はイブの魔法の威力を最大限に引き出すホームグラウンドだと言えた。

 

 そして今回の魔女のように再生能力を持っていようと関係はなかった。再生しようと脱皮した所から次々に溶かされていき、やがて紅い霧が全身を覆い尽くすと、二度とその中から巨体が浮上する事はなかった。

 

 マミは先刻、倒したと思ったらぬいぐるみのような体からさっきの姿が飛び出してきたのを見ていたので、同じ轍は踏むまいと今度は油断無く銃を構えて神経質に周りを見渡している。

 

 ほむらも、イブが生み出したエリクシルの紅霧が晴れたらまだそこに手負いの魔女が潜んでいるかも知れないと警戒して、臨戦態勢を解いていなかった。

 

 だが、どうやら二人の心配は杞憂だったらしい。結界がゆらぎ、消えていく。そうして完全に全員が通常空間に復帰したのを確かめると、イブは自分の血に流していた魔力の供給をカットした。すると魔の霧は力を失い、無害となって空気中に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 そうして6人と一匹が立っていたのは結界の入り口があった病院外周の一角だった。足下には、まどかとさやか、それにマミの鞄が置かれている。危うく、この鞄の持ち主が全員いなくなる所だった。

 

 それをこのメンバーの中で一番よく弁えているのは、ほむらだったらしい。じろりと、まどかとさやか、このメンバーの中で無力である二人を睨む。

 

「命拾いしたわね、鹿目まどか、美樹さやか……それに……」

 

 彼女の視線が、マミへと動く。金髪の魔法少女は返す言葉がないという風に目を伏せる事しかできなかった。彼女本人は体験していないが、実際にこの戦いで一度命を落としているのだ。風華の時間魔法という極め付けのイレギュラーが無ければ、こうして今言葉を交わす事も、触れる事も不可能だった。

 

「あなた達も見た筈よ……魔法少女になるというのは、ああいう事なの……それが分かったのなら、魔法少女になろうなんて考えない事ね」

 

 冷たく、切り捨てるように言う。その物言いにさやかが反感を覚えたのか何か言おうと進み出たが、マミが制した。

 

「そうね……確かに今回は、彼女達がいなければ私は間違いなく死んでいた……鹿目さん、美樹さん、あなた達の魔法少女体験コースは今日でおしまいね……私は契約しろともするなとも言えないけど……今まであなた達が見たものを忘れず、後悔しないように選んで……私からはそれだけ……」

 

 マミの意見に、ほむらとしてはまだ不満なようでむすっと目を据わらせたが、だがそれ以上は何も言おうとはしなかった。すると、

 

「でも良かったですね、ほむらさんでしたっけ? マミ……さんやこの二人が無事で」

 

「な……」

 

「ほむら……ちゃん?」

 

「転校生……」

 

「暁美さん……?」

 

 イブのその言葉が意外だったのか、ほむらは思わず返しの言葉に詰まり、まどか達は揃って彼女に目を向ける。慌ててイブの口を塞ごうとするほむらだったが、言葉がそこから滑り出る方が早かった。

 

「ほむらさん、結界の中で僕が拘束を解いたら血相変えて走り出していったですよ。よっぽど皆さんを助けたかったんですねー」

 

「え、そうなの? ほむらちゃん」

 

「転校生……あんた……」

 

「あ……それは……」

 

 同級生二人の追求にしどろもどろになる魔法少女を尻目に、「行くわよ」と背を向ける風華。イブもそれに続く。だが、それを後ろから呼び止める声があった。マミだ。

 

「そう言えば風華さんと、イブさん……あなた達はどうしてこの見滝原市に?」

 

「……人を捜しに、ね。私の、大切な人を」

 

 嘘は言っていない。大切な人とは、必ずしも友情や愛情の対象ではないのだ。そもそも大切という言葉の本来の意味は、重要な意味を持つという事なのだから。

 

 そしてその人は、既に見付けた。

 

 彼女の視線が、まどかへと動いた。

 



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第04話

 

 日も傾いてオレンジ色が町を染める時間帯になり、人通りもまばらになってきたこの時間、見滝原市の商店街を歩く少女が二人。風華とイブだ。

 

 イブは何やら嬉しい事でもあるのか足取りは軽く、きょろきょろと左右に並ぶ店舗を見渡している。ちょうど、幼い子供がおもちゃ屋さんを捜す時のように。一方の風華はゆっくりと後ろを歩いて付いていく。こちらは幼子の保護者のように。

 

 やがて、イブはお目当ての店を見付けたらしい。ぱたぱたと駆け出すと、その店の前で止まる。

 

「風華ぁー、早く早く。今日のご褒美、買って下さいです」

 

 手を振って自分を呼ぶ彼女に、「慌てなくても店は逃げないし沢山ありますよ」と、ペースを変えずにゆっくりその店の前まで行く風華。こんな所も子供に付いていく保護者の姿そのままである。

 

 そうして十秒ほど遅れて風華はその店、八百屋の前まで到着した。店先の一角には、イブが所望するご褒美が山と積まれている。

 

「おじさん、そこのリンゴを10個下さい」

 

「早く早く!!」

 

 待ちきれないという風に、イブが両手をぶんぶん振って店主を急かす。彼女のそんな仕草と風華の落ち着いた振る舞いから、どうやら二人は年の近い姉妹のように見えたらしい。無精髭を生やした中年の店主は「妹さんの好物なんだろ、一つおまけしとくよ」と、11個目のリンゴを風華に手渡してくれた。

 

 風華はぺこりと頭を下げて、そのリンゴをパートナーに渡す。それを受け取ったイブは早速赤い果実にかぶりつくと、ものの10秒で芯も残さずに平らげてしまった。

 

「相変わらず見事な食べっぷりねぇ」

 

 呆れたようにそう言って「これで口の周りを拭きなさい」とハンカチーフを渡す。風華はイブの事は好きだ。好きだが……

 

「もう少し、品というものを身に付けて欲しいのだけど……」

 

 言いつつ、振り返る。

 

「あなたも、そう思わない?」

 

「確かに、それは同意見ね」

 

「ふぇ?」

 

 顔をべとべとにしていた果汁をやっと拭い終えたイブが首を動かすと、夕日をバックに長い黒髪をなびかせたシルエットが見えた。ほむらだ。

 

「えっと……暁美ほむらさん、だったかしら? 何か用? 私達に……」

 

 少しばかり棘のある言い方だったが、ほむらは無表情だが剣呑な空気は纏っていないし、少なくとも喧嘩を売りに来たようには見えなかった。仮に彼女に敵意があるのなら、こんな所で姿を現さずに自分達がもっと人気の無い所へ行くまで待った筈だ。

 

 そうした思考もあって最低限の警戒は怠っていないものの、風華は少しばかり不用心に一歩を進めた。それを合図として、ほむらが口を開く。

 

「用件は二つ。お礼と、相談」

 

「ふうん……?」

 

「今日、あなた達が来てくれなければ私は鹿目まどかも、巴マミも助ける事が出来なかったわ……ありがとう」

 

 人前ではあったが、ほむらは躊躇わず深く頭を下げた。彼女の誠意を受けて、風華は「気にしないで、私達も私達の目的の為にやっただけだから」と返し、イブは、

 

「ふぃふぃんふぇふふぉ(いいんですよ)。ふぉふぉあっふぁふぉふぃふぁふぉふぁふぁふぃふぁふぁふぇひゅふぁふぁ(困った時はお互い様ですから)」

 

 3個目と4個目のリンゴを口の中で咀嚼しながら、頬をハムスターのようにして応じた。相方のこの姿に、風華は溜息を吐いて頭に手をやる。段々頭痛がしてきた。もう少し品良くしろと言っているのに……これではまるでM78星雲からやって来た正義のヒーローの宿敵である、手がハサミの宇宙人と会話しているみたいだ。

 

 風華はこの際、彼女の事は放っておいて話を進める事にした。

 

「……で、もう一つの用件……相談というのは?」

 

 ほむらの方も言外に風華の意図を察したらしい。5個目のリンゴを囓り始めたイブを無意識に視界から外し、次の言葉を口にする。

 

「落ち着いて話がしたいわ……私の家に来てくれるかしら?」

 

 彼女の申し出に風華は頷くと、更に20個のリンゴを買って「携帯に連絡するまでどこかでこれ食べてて」と言ってイブに持たせ、自分は背を向けて歩き始めたほむらの後を追っていく。

 

 その背中からは警戒心は感じられるが、それでも後ろを見せてくれるという事は、多少なり信用はしてくれているらしい。

 

『それとも……いつ不意打ちを受けても返り討ちに出来るって、自分の力に絶対の自信を持っているのかしら?』

 

 

 

 

 

 

 

 ほむらの家は、一般的な日本家屋からは明らかに逸脱した構造をしていた。かと言って西洋風という訳でもない。敢えて言うなら機能性は完全に度外視して家主である彼女の趣味嗜好をそのまま家具やインテリアに反映させたと言うべきか。

 

 天井に吊された鎌のようなシャンデリアはぐらぐらと揺れ、壁に掛けられた肖像画はやはりほむらの趣味がそのまま出ているように見える。天井に据え付けられた電灯によって明かりには不自由していないが、燭台には蝋燭が燃えていた。

 

 そして部屋のほぼ中心に置かれた、これだけ妙に可愛らしいデザインでやや部屋から浮いているテーブルを挟んでほむらと風華、二人の魔法少女は向かい合っていた。

 

「で、相談と言うのは……?」

 

「あなた達の、本当の目的が聞きたいわ……」

 

 こんな質問をしてくるという事は、やはりほむらは自分達を疑っているらしい。まあ当然だが。

 

「言ったでしょ? 人を捜しているって」

 

「具体的に、どんな人を捜しているかと聞いているのよ」

 

 そう聞かれて、風華は少し上目遣い気味にほむらの眼を覗き込んでみた。彼女の黒い瞳にあった光は、強いものが二つ。疑念と、警戒だ。

 

「今日会ったばかりのあなたにそこまで話さなければならない義理も義務も、私には無いわ」

 

 風華としては挑発するようにそう言ってほむらの出方を見るつもりだったが、まだ彼女はポーカーフェイスのままで目立った反応を返してはくれなかった。こっちが自分達が疑われる事が承知の上であるように、向こうも自分の質問にだけはいそうですかと答えてくれるなどと、砂糖菓子のような思考回路はしていないらしい。もう一言、付け加える。

 

「私にだけ何か話せというのは、アンフェアじゃない?」

 

 逆に言えば何かを話すなり見せるなりすれば、答える用意もあるという意味だ。ほむらは少しだけ黙考した後立ち上がると、そっと風華の手を取った。警戒を見せる彼女には「危害を加えるつもりはないわ」と一言告げる。

 

 風華は取り敢えずその言葉を信用する事にして体の力を抜いた。ほむらはそれを確認するとソウルジェムの力を解き放ち、魔法少女のコスチュームを身に纏う。そして彼女の左手に装着された盾の表面がカラクリ時計のように開き、周囲の光景が停止ボタンを押されたビデオ画像のように、静止した。

 

「これは……」

 

 見上げれば、シャンデリアは25度ほどの角度に振れたまま止まっている。蝋燭の炎も、どの一つも揺らぐ事を止めていた。壁に掛かった時計の秒針は、いつまで待っても動く気配が無い。

 

 まるで、時が止まったかのように。

 

「今、あなたが思っている通りよ。これが私の魔法」

 

 そう言った後、ほむらの盾のギミックが閉じる。するとシャンデリアは再び振れ始め、炎は揺れて酸素を喰らい始め、秒針は時を刻む事を再開した。僅かな時間、ほむらの魔法によって停められていた時の歯車が、再び動き始めたのだ。

 

 自分の手を見せる。これは確かに信用の為に差し出すカードとしては十分なものだ。

 

 そして、ほむらは上手い。時間停止の能力は、相手にそれを知られた所で彼女にとって何の不利益ももたらさない。相手が時を止める能力を持っているからといって、それを攻略する手段が無いのだ。過去という絶対の死角からの攻撃を可能とする、自分の魔法と同じで。

 

 これは誠意であると同時に脅しでもあった。自分はここまで見せたのだ。聞くだけ聞いて今更質問には答えないなどと言おうものなら今度はこの時間停止の恐ろしさを、その身で思い知る事になるぞと、席に戻ったほむらの眼が語っている。

 

 風華としても、少なくとも真っ向勝負でほむらとやり合おうという発想は浮かばなかった。彼女の力の一端を知った今となっては尚更だ。それにまがりなりにも相手は誠意を見せてくれたのだ。ならばこちらも応じねばなるまい。

 

「私は……魔法少女を捜しているの。強い魔法少女を」

 

「強いとは、どれぐらい……?」

 

「……?」

 

 ほむらのこの問いは、彼女のミスだった。彼女は「どんな魔法少女なの?」と聞くべきだった。この話の流れだと特定の個人を捜していて、その人物が強い魔法少女だと想像するのが普通なのに、魔法少女の強さに対してまず言及するのは、有り得なくはないが些か不自然だ。

 

 彼女は何か心当たりがある……?

 

 風華はそう考えて、もう少し揺さぶってみる事にした。

 

「魔法少女の時間を終えた後に、世界を滅ぼすほどに」

 

 告げられた言葉に、ほむらは明らかに動揺を見せた。視線が泳ぐ。彼女のこの反応を見て、風華は確信した。知っていると。

 

 そして今日、魔女の結界の中で見せた彼女の行動。やはり、自分の見立ては正しかった。長い間捜していたその人は、今日見付けていたのだ。

 

「何か知っているの?」

 

「いえ……知らないわ……」

 

 と、ほむら。彼女としても決して嘘ではないのだろう。そう考えて風華はこれ以上の追求は取り止めた。確かに、そんな魔法少女を彼女は知らないだろう。だが、そんな魔法少女になるだろう普通の少女ならば、どうだろうか?

 

 ま、答えを聞けなくとも自分の中で確信が持てた。それだけでもここへ来た収穫はあった。

 

「話はそれだけ? なら……」

 

 そう言って席を立とうとする風華だったが、ほむらの相談事は、もう一つあった。

 

「あなたと連れのイブさん……私と、協力する気は無い?」

 

 彼女の申し出に、風華は首を傾げる。彼女の時間停止の魔法は強力無比であり、それを駆使すれば大抵の魔女は倒せるだろう。なら、そんな強力な魔法少女である彼女が自分達の力を頼るような事態とは、一体何だ?

 

「今から二週間後……この町に、ワルプルギスの夜が来る」

 

「!!」

 

 ワルプルギスの夜。まるで戯曲の題名のようなそのキーワードに、今度は風華の方が動揺を見せる番だった。

 

 

 

 

 

 

 

 同じ時刻、イブは最後のリンゴを少しずつ囓りながら町中を歩いていた。小さな体ながら彼女の口には既に30個のリンゴが消えていて、これが31個目である。それを人に話しても信じないだろう。こんな細い体のどこにそんな量が入るのかと。

 

 そうして最後のリンゴも、芯ごと消えたその時だった。イブの眼の端に、黒い光が映った。彼女のソウルジェムが魔力に反応して発光している。しかもこの魔力は、明らかに魔法少女ではなく、魔女のそれだ。

 

 携帯で風華に電話したが、繋がらない。取り敢えずメールだけ送ると、彼女は漂ってくる魔力流を辿って源流を目指し、町を歩き始める。数分ばかり歩いていくと大通りからは遠くなって町外れの、小さな工場へと辿り着いた。

 

「でも、変です……?」

 

 確かに魔力は感じるが、どうも弱い気がする。残り香のように。もうこの魔力を発していた魔女は倒されてしまったのだろうか?

 

 風華はあのほむらという魔法少女と一緒にいる筈だから、もう一人の、あの金髪のマミという魔法少女が先に到着していたのだろうか?

 

「ま、入ってみれば分かるですね」

 

 左手の指で、そっと髪留めのアクセサリーにあしらわれているソウルジェムを撫でる。いつでもそこに込められた力を発現できるように。周囲に気を配りつつ、重い引き戸を開く。

 

 工場の中は電灯も付いていなかったが、扉の隙間から差し込む月明かりがその代わりをしてくれて、影になっている所も多いが中の様子を伺うには十分だった。

 

 中には老若男女、服装や性別、年齢など共通点の見られない大勢の人間が倒れていた。

 

「これは……」

 

 まさか、手遅れだった? そう思って何人かの首筋に手を置いてみるが、指先には血液の規則正しい循環のリズムが感じられた。詳しく調べないと分からないが、全員気を失っているだけらしい。倒れている中には、まどかやさやか、ほむらと同じ制服を着た少女の姿も見えた。

 

 死者が出ていないなら取り敢えずは一安心か。そう考えて、奥の扉に手を掛ける。最初は、ほんの少しだけの隙間が出来るほどに開ける。そうして何かが飛び出してきたりする様子が無い事を確かめると、蹴りで扉をぶち破った。

 

 ダイナミックな入室を決めたイブの眼にまず入ったのは、壁にもたれ掛かって倒れているまどかの姿だった。彼女は、首に手を当てるまでもなく胸が規則正しく上下しているのが見えて、気絶しているだけだと分かる。

 

 そして、やはり自分が感じた魔力の発生源だった魔女は、既に倒されていた。何故そう言えるのか。簡単な事だ。それを為した者が、目の前にいるのだから。

 

「あ、遅かったねぇ」

 

 髪の色と同じ青を基調とした魔法少女のコスチュームを身に纏って、手には細身の剣を持って、美樹さやかはそこにいた。

 

 イブは、思わず言葉に詰まった。何と言えば良い? これからよろしく? それとも、何て馬鹿な事を?

 

 困ったような視線を向けられて、何と言えば良いか迷ったのはさやかも同じだったのだろう。乾いた笑い声を上げて、作り笑いを浮かべる。

 

「まあ、そういうことだから、これからよろしく」

 

「……願いは、叶ったですか?」

 

 だがその笑いもイブの言葉で消えた。真剣な表情となってしばらく考える時間を置いた後、頷く。キュゥべえに願った、幼馴染みの手を治して欲しいという祈りは、確かに届き、叶えられた。

 

「……後悔、してないですか?」

 

 次の問いに、さやかは先程よりも少しだけ長い時間を考えた後、静かで穏やかな笑みを浮かべ、頷いた。

 

「後悔なんて、ある訳ないよ」

 

 その返答はイブを満足させるものだったらしい。彼女はにっこりと頷き、

 

「じゃ、思い残す事は無いですね」

 

 手を口元にやると、指先の腹を噛む。

 

 犬歯が皮膚を破って、血が流れて、その滴が床に落ちた。

 



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第05話

 

 暁美ほむらは迷っていた。

 

 深雪風華とイブ。今まで繰り返してきた時の輪の中には居なかったイレギュラーである、この二人の魔法少女にどう接するべきかを。

 

 手を組むべきか、それとも刃を向け合うべきか。彼女から見て二人の間で主従の主である風華を家に招いたのも、彼女から詳しく話を聞いた後にそれを決める為だった。

 

 そして話をしてみて明らかになった、風華の目的。それでいられる時間を終えた後に、世界を滅ぼすほどに強力な魔法少女を捜しているという。

 

 世界を滅ぼすほどの力。そう言われて彼女の脳裏によぎるのは、繰り返す中で幾度も見た光景。親友の魂が絶望に蝕まれ、異形に変わっていく様。

 

 風華は、まどかを捜している?

 

 ほむらは表情は変えなかったが、心中はそうも行かなかった。風華との問いで答えを間違えてしまったのもそれが原因である。

 

 そしてここまでの問いで、分かった事はいくつかある。

 

 風華とイブの内、少なくとも風華の方は間違いなく、魔法少女が最後にはどのような存在になるのかを知っている。でなければ「魔法少女としての時間を終えた後に」などという台詞は出てこない。

 

 もう一つ、風華がその魔法少女を見付けた時にどんな行動に出るかだが……それも彼女の言葉から大体想像が付く。全人類を巻き込んで無理心中するような破滅願望でも持っていない限り、世界を滅ぼす力なんて放置しておく訳がない。その力を利用しようという考えもあるだろうが……扱いを間違えてドカン!! という危険が大きい事が分からないほど、愚かとも思えない。そうした要素を考慮に入れると、やはり一番可能性が高いのはその魔法少女が魔女になる前に……!! というものだ。

 

 そこまで思考が至った時、ほむらは思わず時を止めて眼前の魔法少女を殺してしまおうという衝動に駆られたが、思い留まった。

 

 どの道まどかが魔法少女になった時点で、自分にとっては”詰み”である。ならば彼女を始末するよりも、上手くその力を利用してまどかが魔法少女にならないよう仕向ける方が有意義ではないか?

 

 幸い、ワルプルギスの夜という単語を出した時の風華の反応からして、彼女は自分と協力する事それ自体には抵抗は無いようだし……

 

 だがその為には一つだけ、取り除いておかねばならない憂いがあった。

 

「深雪風華。ワルプルギスの夜と戦う為に手を組むに当たって、一つだけ教えて欲しいのだけど」

 

「風華で良いわよ。で、何?」

 

「あなたは……もし、捜している魔法少女がまだ生まれていないとしたら、どうするの?」

 

 その問いに、風華の眉がぴくりと跳ねた。この反応。やはり、彼女はまどかの魔法少女としての素質に、最低でも薄々といったレベルでは感付いている。

 

 ほむらとしてもこの質問は、一種の賭けだった。返答如何では今すぐにでも時間を止めて、彼女の背後からマグナムの引き金を引かねばならない。

 

 ワルプルギスの夜に対抗する為の貴重な戦力を失うのは惜しいが、自分の目的はあくまでもまどかを救う事であって、あの最強の魔女を倒すのはその為の手段、避けては通れないプロセスでしかない。その手段の為に、最も守るべき対象へと噛み付きかねない狂犬を放置しておけるほど、自分は器が大きくはない。

 

 そしてここまで言えば捜している強い魔法少女はまだ生まれておらず、かつその素質を持った一般人がいるという事は、それがまどかであるという事も風華は確信を得るだろう。だから賭けだ。もし、まだ魔法少女になっていなくても、なる可能性がゼロでない限りゼロにすると言うのなら……!!

 

 ……という、ほむらの思考を風華はある程度ではあるが読む事が出来た。少なくとも、彼女が自分に望んでいる返答は容易に想像が付く。別にそれに関しては嘘を吐く理由も必要も無いのですぐに本心を語っても良いのだが、意地悪してもう少し揺さぶってみる。

 

「言っている意味が、良く分からないのだけど?」

 

「……あなたの捜している魔法少女はまだ生まれていなくて、その素質を持った一般人が居るとして、その一般人を見付ける事が出来たら……あなたは、どうするの?」

 

「……随分、具体的な事を言うのね?」

 

 殆ど分かっているだろうにそう言ってくる風華に、ほむらは苛立ったように目付きを鋭くする。

 

 いけないいけない、からかうのはこれぐらいにしておこう。あまり調子に乗っていると、時間を止められて後ろから首を掻き切られかねない。

 

「私もイブも、別に不必要に誰かを傷付ける気は無いわ……だからその子がまだ魔法少女になっていないのなら、私達はその子に何もしない。敢えて一つするとしたら、その子がキュゥべえと契約しないようにするという事かしら……」

 

「……本当に?」

 

「約束するわ、暁美ほむら」

 

 風華の言葉の裏にある言葉も、ほむらは聞き逃していなかった。魔法少女になっていないのであれば何も手出しはしないという事は、逆に言えば魔法少女になったが最後始末に掛かるという事である。

 

 まどかが傷付けられるのはほむらにとっては絶対に妥協する事が出来ない、退く事も出来ない一線だが、しかし魔法少女になれば自分がまどかを救う事はもう出来なくなるのだから、ここは一つ割り切って考えるべきかも知れない。

 

 そうした思考を巡らせて、ほむらが出した答えは。

 

「ほむらで良いわ、風華」

 

 差し出した手を、風華がタッチして気持ちの良い音が室内に響く。交渉成立の合図だ。

 

 互いに一度アイコンタクトを交わし合うと、風華は懐から取りだした携帯電話をどこかに掛け始めた。電話の向こうにいるのは、恐らく彼女の相方だろう。

 

 何やら話している風華を見ていて、ほむらはさっきの自分の思考を更に発展させ、分かった事がもう一つあるのに気付いた。

 

 風華とイブ、この二人は時を越えている。自分と同じで。

 

 

 

 

 

 

 

 急に口元に手をやって黙り込んでしまったイブを前に、さやかは怪訝な顔で首を傾げた。以前にマミから魔法少女同士のトラブルは珍しくないと教えられていたが、風華やイブ、それに最初は自身の利益の事しか考えていないと思っていたほむらも、先輩やあの時はまだ一般人だった自分やまどかを助けてくれたのでそんな事はする筈がないと思考シミュレーションから外してしまっていた。

 

 それがイブにとっては付け入る隙となった。この間合いでエリクシルを先に発動させれば、どんなに素早く動こうと関係無い。血の滴っている指を、さやかからは死角になる位置へと動かし、

 

「……何? どしたの?」

 

 だんだんイブの様子がおかしいと、不審に思ってきたらしい。歩み寄ろうとするさやか。彼女の問いには答えず、イブは自分の血に魔力を流そうとして、そして、

 

 彼女の胸元から緊迫し始めた空気を木っ端微塵に粉砕する着信メロディが鳴り響いた。

 

「……………」

 

「……………」

 

 およそ数秒の間、どうにも気まずい空気が二人の間に流れ、やがてさやかの方が「どうぞ、出て良いよ。私はまどかを見てるから」と言って剣を消すと、壁際で倒れている親友の方へと歩いていく。イブはやれやれと息を吐き、懐から彼女の手には少し大きいように見える携帯電話を取り出す。モニターの表示を見てみると通話相手は、やはりパートナーだった。

 

「はいです、風華」

 

『ああ、イブ? 私達はこれから暁美ほむらと協力する事にしたわ。それで、色々話したい事もあるからこれからメールで送る地図の印の所に来て』

 

 あの魔法少女との協力。風華ならばそうするだろうと想定していた可能性の一つであったので、イブは別段驚きもしなかった。だが、一つだけ言っておきたい事があった。

 

「分かったです。ああ、それとですね風華」

 

『え?』

 

 ちらりと視線を動かすと、介抱されていたまどかが意識を取り戻したようだった。魔法少女になった親友の姿を見て、驚いた声を上げている。

 

「あんた、もう少し空気読むです」

 

 電話越しの相手に無理な注文であり、自分の言い掛かりだとは分かっていたが、言わずにはいられなかった。イブはもう一度、まどかと何やら言葉を交わしているさやかに忌々しげな目を向ける。

 

 もう少しであの魔法少女を、殺せていたのに。

 

 

 

 

 

 

 

 一夜明け、空の色が青からオレンジに移り変わろうとする時間帯、まどか、さやか、ほむら、風華、イブ。一般人一人と4人の魔法少女は、マミの部屋に集まっていた。ほむらはどういう訳か気が乗らない様子だったが、風華が協力できる可能性もあるのではないかと押し切る形で承知させたのだ。ほむらとしても自分の言い出した協力の申し出を風華に受けてもらっている形なので、強くは反対できなかった。

 

 マミが住んでいるのは中心街からは少し離れた所にある、新築のマンションだった。そうして通された部屋は、掃除が行き届いていてインテリアもセンスの良い物が揃っていた。

 

『どこかの誰かさんにも少しは見習って欲しいものね……』

 

 と、ほむらの後頭部に視線をやりつつ本人が聞けば怒り出すような思考を行っている風華。一同はテーブルを囲む形で座り、ケーキと紅茶が人数より一つだけ少ない個数が並べられる。

 

「どうぞ。暁美さんも、遠慮しないで」

 

「……頂くわ」

 

 振る舞われたケーキにフォークを通し、それを口に運んで。

 

「ほむらちゃん?」

 

「ほむら、いくら美味しかったからって涙ぐむ事無いんじゃない?」

 

 対面に座っていた二人の内、まどかは不思議そうにクラスメイトの顔を覗き込んで、さやかはからかうような笑い声を上げる。今のほむらの眼は、泣き出しはしないものの涙を溜め、潤み、揺らいでいた。

 

「美味しい……美味しいわ……このケーキ」

 

 まるで何年か振りにケーキを食べたかのような反応にマミも少し戸惑っていたが、ほむらのその言葉でにっこりと笑みを浮かべる。

 

「喜んでもらえて嬉しいわ……深雪さんも、どうぞ」

 

「ありがとう、もらうわね」

 

 風華も振る舞われた茶菓に、舌鼓を打った。ケーキだけではなく紅茶も、茶葉は良い物が使われているしカップを事前に暖めているなど煎れ方も申し分無い。

 

「暁美さんや深雪さん、それにイブさんがいなかったら昨日、あの結界の中で私は死んでいたでしょうからね……今日は美樹さんと私の魔法少女コンビ結成記念と、あなた達へのお礼のパーティーよ。お茶は一番良い葉を使ったし、お菓子も腕によりを掛けて作ったんだから」

 

 そう言って、ちらりと後ろに視線をやる。

 

「特にイブさんのアップルパイには」

 

 そこには小さなテーブルが見えなくなるぐらいのパイを、口の中に次々と消しているイブの姿があった。昨日、マミに大事な話があるから明日彼女の部屋に集まろうと電話をしたらそれぞれ好物を聞かれて、風華とほむらは「特に無いわ」と答えたが、イブはリンゴが大好きだと教えた結果である。

 

「暁美さんには随分酷い事を言ってしまったけど……深雪さん達の話で、私の誤解もあったと分かったわ。ごめんなさい。もし本当にあなたがグリーフシードだけを求めていたのなら、私がやられるのを待ってから、魔女と戦っていた筈だものね」

 

「私も、あんたの事誤解してたよ。ごめん」

 

 二人の魔法少女に頭を下げられて、ほむらは戸惑ったような表情を見せた。そんな彼女を再びさやかがからかい、マミはそれを見てくすくす笑い、まどかは先輩と親友の間であたふたとしていて。

 

 風華は食べ過ぎたアップルパイを喉に詰まらせたイブの背中をばんばんと叩いていた。

 

 そんな和やかな時間が過ぎて、カップの中身と皿が空になるのと前後して誰からともなく表情を引き締め、今日の本題を話す空気となる。

 

「それで、暁美さん……大切な話というのは?」

 

 マミのその問いに、ほむらは最後に3分の1ほどカップに残っていた紅茶を飲み干して、そしてまず確信から話した。

 

「2週間後、この町にワルプルギスの夜が来るわ」

 

「!!」

 

 イブは既に昨夜この事を聞かされている。さやかは昨日魔法少女になったばかりなので詳しい事情を知らない。故にキーワードを聞かされて顕著な反応を見せたのはこの中ではマミ一人だった。

 

「正直、私一人では手に余るわ。だから他の魔法少女の力も必要なの。風華とイブは、既に協力を約束してくれたわ」

 

 そう言って自分を振り返るほむらの視線を受けて、マミとさやかより先に結成されていた魔法少女コンビは頷き合う。一方、要領を得ていないさやかは、マミの袖を引っ張って「ワルプルギスの夜って何ですか?」と尋ねた。

 

「他の魔女とは一線を画す、強力な魔女の事よ。自然災害クラスの破壊を引き起こし、一つの都市を崩壊させるほどの力を持っていると聞いているわ」

 

 マミは後輩にそう説明し、最後に「私も実際に見た事はないけれど」と締めくくる。それを確かめると、ほむらは説明を続けていく。

 

「だから、巴マミ、それにさやか……あなた達の力も貸して欲しいの。お願い」

 

 今度はほむらが二人に頭を下げて、さやかは「私で良ければ力を貸すよ。魔女からみんなを守るのが、魔法少女さやかちゃんの役目だしね」と快諾。マミはと言えば、

 

「条件があるわ」

 

「……条件?」

 

 彼女にしては意外な言葉だと、まどかとさやか、それにほむらも意外そうな表情を見せた。繰り返す時間の中で自分が会った巴マミは、いつだって人の為に魔法を使う、魔法少女の中では異端とさえ言える存在だったのに……

 

「私の事は、マミで良いわ」

 

 そう言われて、ほむらは得心が行ったという表情を浮かべる。

 

 そうだ、巴マミは両親とも死別していて、たった一人で魔法少女として戦い続けていて、絆に飢えていた。魔法少女として人々を救う事を、たった一つ心の支えにして。

 

 だから3回目の世界のあの時、魔法少女の真実を知って心のバランスが崩れて、あんな兇行に走ってしまったのだ。

 

 でも、今のこの世界にはまだ機会があるかも知れない。後ろにいる二人のイレギュラーによってもたらされたチャンスが。

 

「はい……マミ、さん」

 

「これから一緒に頑張りましょう、暁美さん」

 

 少し言葉に詰まりつつそう言ったほむらの手を、まみがぎゅっと握る。そうされた彼女の体がぶるっと震えたのは、風華やイブの見間違いではないだろう。

 

 と、そんな雰囲気を壊す事を躊躇うようにまどかがおずおずと手を上げた。

 

「どうしたの、鹿目さん?」

 

「あの……そのワルプルギスの夜っていうのを倒す為に沢山の魔法少女が必要なら、私も……」

 

「その必要はないわ」

 

 彼女の提案は、ほむらがぴしゃりと却下する。さやかとマミは彼女の言葉は少し強すぎると思わない訳でもなかったが、しかし魔法少女が命懸けである事を考えると、特にマミはある意味自分の責任でそんな世界にさやかを引き込んでしまっているので強くも言えなかった。

 

「え……でも……」

 

「既に十分、頭数は揃っているわ。あなたは、魔法少女になってはいけない」

 

「ほむらは、鹿目さんに危険な目に遭って欲しくないのよ」

 

 だからこうして強い口調で止めるのだと、風華のフォローによってやや硬くなりがちだった場の空気も再び和らいだ。

 

 そして最後に、イブがダメ押しの言葉を告げる。

 

「僕は、協力してくれる魔法少女に15人ほど心当たりがあるです。実際に来てくれる数は多少上下するかも知れないけど、ワルプルギスの夜を倒すのに彼女達の力を貸してもらうです」

 

「そんなに……!?」

 

 マミは、驚きを隠せない様子だった。15人の魔法少女。本当に来てくれるかどうかは兎も角、それほどの数の魔法少女にコンタクトを取れる事自体が凄い。異常とすら言って良かった。

 

「後、それとは別にもう一人ぐらい、魔法少女の友達がいるです」

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、君が来るとはね」

 

 鉄塔の上で、ウサギにも猫にも見える白い動物、キュゥべえは隣に座って見滝原市を睥睨している少女に話しかける。

 

 彼女の服装はとてもラフで、ポニーテールにした赤い髪と同じ色の鋭い瞳が印象的だ。先日、風華とイブのコンビと一戦やらかした隣町の魔法少女、佐倉杏子である。

 

「どういうつもりだい?」

 

「この町に、黒髪で黒いローブを羽織った魔法少女が来てるだろ? 薙刀とかを使う……そいつに用があるのさ」

 

 杏子の言う魔法少女像に、キュゥべえは当然思い当たる節があった。昨日、マミを助けた魔法少女の一人だ。だが、おかしい。杏子はイブが薙刀を使っていたと言うが、魔女との戦いで彼女が見せたのは、何でも溶かす血の魔法だった。

 

 魔法の応用性は使用者の熟練度に比例するが、戦闘に於いてそれほどのバリエーションの魔法を持つ魔法少女を、キュゥべえは見た事がなかった。その旨を杏子に伝えると、

 

「つまり、どういう事だ……?」

 

「分からないよ、僕にも。暁美ほむら、深雪風華、そしてイブ……あの3人は、極め付けのイレギュラーだ」

 

 結局、何も分からず。その結果に杏子はふんと鼻を鳴らすと、まだ半分以上残っていたクレープを一呑みにした。

 

「まあ良い。この前は油断したけど、次はそうは行かない。ぶっ潰してやるさ」

 



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第06話

 

 マミの部屋で行われた会議では、ワルプルギスの夜が来るまでも基本的には自分達の魔法少女としての活動は変えない事、ただし魔女や使い魔との戦闘では経験を積む意味でも前衛向きの魔法を使うさやかが主体となって戦い、後衛向きのマミやほむら、風華やイブがフォローに回る事、また万一の事があって戦力が低下するのを避ける為、見回りは必ず二人以上で行う事などを決定した後、散会となった。

 

 それから数日して、先日マミと風華達が知り合うきっかけとなった魔女が結界を創っていた病院の屋上では、妙なる旋律が響いていた。音の特徴からバイオリンだと分かるその調べを奏でているのは、車椅子に座った少年だった。

 

 彼の演奏会の観客は両親や担当医、数名の女性看護師など十指に満たない。そんなある意味贅沢な列席者の中には、さやかの姿もあった。

 

 マエストロの名前は、上条恭介。さやかの幼馴染みであり事故にあって右手の機能を失ってしまっていた。キュゥべえと契約したさやかの願いは、彼の右手を治して欲しいというものだった。

 

 契約に当たってさやかの脳裏によぎったのは、先輩の、巴マミの死に様だった。風華の力によって結果的にマミは無事であったものの、それでも自分やまどかの目から見れば確実に一度死んでいた。魔法少女の戦いは常に命懸けなのだと言葉で言われても実感が今ひとつ湧かなかったが、そんな浮ついた気分はあの時に吹っ飛んだ。

 

 だからまどかは魔法少女にならなかったのだろう。それを責めようとは思わない。むしろ当たり前だ。いくら何でも一つ願いが叶うからといって、あれを見た後でも尚魔法少女になろうとする自分の方が、きっと異常なのだとさやかは思う。

 

 それでも、大切な人を救える手段があって、自分にはそれが出来て、けれどそれをしないでいる事は、出来なかった。

 

 別の方法もあったかも知れない。長い目で見れば、こんな歪な形で願いを叶えるよりも幼馴染みとして恭介の心のケアに力を注ぐという選択肢だってあったかも知れない。

 

 だがこうして恭介の奏でるバイオリンを聞いていると、やっぱりこれで良かったのだと思う。イブにも言った通り、後悔なんてある訳無かった。

 

 この時、さやかも誰も気付かなかったが魔法でエンチャントしたスコープを使い、この演奏会の様子を遥か遠方から覗いている者がいた。イブと風華の二人組だ。

 

「彼が、さやかの望んだ奇跡か……」

 

「さやかはバカです」

 

 双眼鏡を使って覗き見しながらそう言うパートナーを、風華は望遠鏡の中を見ていないもう一方の目を動かして、ちらりと見た。

 

「幼馴染みの手を治すなんて事で契約するなんて……昨日今日会ったとは言え知らない仲じゃないんだし、僕に一言相談してくれたら何が何でも止めたのに、です」

 

 悔しそうに言うイブの頭に、風華はぽんと手を置いて撫でてやる。

 

「まあ、なってしまったものはもう仕方がないわ……後悔するよりも次善の手を考えましょ」

 

「風華……はいです」

 

 そう言って二人は手にした道具の機能強化に施していた魔法を解除する。実用性とはかけ離れたファンタジックなデザインだったスコープは二人の手の中で、本来の機能性を重視した形へと戻った。それを懐に入れてこの場所を後にしようとして、イブは不意に誰かに見られているような感覚を覚え、振り返った。だが彼女の視界にそれらしき人物は映らなかったので気のせいかと風華の後を駆け足で付いていく。

 

 次の日、彼女はこの時感じた気配が気のせいではなかったのだと知る事になった。見る人は見られる人だったという訳だ。

 

 

 

 

 

 

 

「佐倉杏子と会ったの?」

 

「ええ、その時は私と暁美さんが間に入って彼女には退いてもらったけど」

 

 携帯にマミから呼び出しがあって、何事かと出向いた風華達の耳に入ったのは意外な知らせであった。隣町を縄張りとする魔法少女、佐倉杏子が使い魔を追い掛けていたさやかと接触し、いくらかの会話を経た後に戦闘に突入したのだという。

 

「あいつ……使い魔が人を襲って魔女になるのを待てって言ってたの。それで、私はそれが許せなくて……」

 

「佐倉杏子はイブ、あなたを捜しているようだったわ」

 

 そこまで聞いて、大体の事情は二人にも飲み込めた。

 

 恐らく彼女は先日のリターンマッチの為、イブを捜して見滝原市にやって来たのだろう。だが魔法少女として最高のパフォーマンスを発揮する為には出し惜しみ無く魔力を使える状態にする事、つまり大量のグリーフシードが必要となる。それで魔女狩りをしようとしていたらさやか達とぶつかったという所か。

 

「あいつ……凄く強くて、私じゃ歯が立たなかった……ほむらとマミさんがいてくれなかったら……」

 

 癒しの契約による高い回復力とマミに治癒魔法を掛けてもらった事でうっすらと腕に残るだけになった傷をさすりながら、さやかが言う。その声には悔しさが滲み出ていた。

 

「杏子は素質があってベテランだし、その上持っているグリーフシードの数にも余裕がある。だから消費を気兼ねすることなく、魔力を贅沢に使えるのさ」

 

 テーブルの上にちょこんと乗っていたキュゥべえが説明する。その説明を聞いている者の内、気付いた者はいなかったがほむらの目は尋常ではなく鋭かった。

 

「佐倉さんはちょっと乱暴だけど魔法少女になって長いし、上手く説明すれば協力してくれるかも知れないわ」

 

「そうね、彼女はワルプルギスの夜との戦いで、貴重な戦力になるわ」

 

 マミの提案した協力案には、ほむらも賛成票を投じる。一方、反対票を投じたのは、

 

「私は反対。あんな奴とチームを組むなんて……たとえ組めたとしても、絶対に問題起こすに決まってるよ」

 

 やはりさやかだった。これは無理からぬ所だと言える。彼女の先輩に当たるマミは一般人を守る為に魔法を使う、魔法少女としては少数派と言える部類であるし、そのマミの事をさやかは尊敬し、慕っている。当然、魔法少女としての行動原理も同じ方向を向いている。そんな彼女とある意味スタンダードな魔法少女である杏子とがぶつかれば、激突は必然であった。

 

「今居る仲間で戦力アップを図りたいならまどか、君が魔法少女になるのが一番だと思うな」

 

「え、私が?」

 

 キュゥべえのその提案に、ほむらの視線が先程よりもずっと鋭くなった。風華も、ごきりと指の関節をならす。いざという時はすぐに動けるように。

 

「君はこの中の誰よりも、と言うか今まで僕が見てきた誰よりも凄い素質を持っている。もし君が魔法少女になれば、杏子を引き入れるよりもずっと確実にワルプルギスの夜を倒せると思うけど?」

 

「わ、私は……」

 

「その必要は無い、そう言った筈よ、まどか」

 

「そうね、最後に決めるのは鹿目さん自身だけどキュゥべえ、今のあなたの言い方は少し誘導的だったわよ?」

 

 ほむらは相変わらずの強い口調で、マミは彼女よりはずっと穏やかに窘めるように言う。だが、同じ事を言っていても二人の間には大きな溝がある。持っている情報の差が、そこに現れていた。とは言えキュゥべえにとって「無理強いするのはルール違反」である為、この小動物は少なくともこの場ではまどかが魔法少女になればと口にする事は、もうなかった。

 

 そしてこんな煮詰まり気味だった場を締めたのは、イブだった。

 

「杏子さんが用があるのは僕のようですし、彼女の事は僕に任せるです」

 

 

 

 

 

 

 

 任せろとは言ったものの、肝心の杏子がどこにいるかイブは知らなかった。彼女としては同じ魔法少女なのだから、グリーフシードを集める為に魔女退治をしていればその内バッティングすると楽観的に考えていたが、こういう時に限ってそういう巡り会いは起きないもの。取り敢えず使い魔を何匹か狩った所で、ほむらが心当たりがあると言ってきた。

 

 そうして案内された先は、ゲームセンターだった。この町では一番大きなその施設は最新の筐体も置かれていて、隣町辺りから電車や車を使ってわざわざやって来る客も多いとの事だった。

 

 その店の一角で一際目立つダンスゲームの舞台の上で、佐倉杏子は踊っていた。彼女のステップは軽く、リズム感も半端ではない。真っ正面の一番大きな画面には、一度もミスが表示されていなかった。

 

 ちなみに注意書きには「プレイ中の飲食はご遠慮下さい」と書かれているが、杏子はそんなものガン無視で、葉巻のようにポッキーを咥えている。

 

「よう、そっちから出向いてくれるとは、決着を付ける気になったかい?」

 

 後ろに立った3人、イブ、ほむら、まどかに対して振り返る事はせず、踊りながら応対する。対する3人は、まどかだけがこういった場所に来慣れていないのだろう。落ち着いた様子のイブやほむらとは対照的に、きょろきょろと居心地悪そうにしていた。

 

 杏子がこの町に来た目的はイブへのリベンジであるが、今は目の前のゲームの方が優先事項らしかった。

 

「別にやるのは構わないですけど、でも一度は付いた勝負です」

 

「タダじゃあ()らねぇってことか?」

 

 イブの言葉は相当な上から目線であったが、しかし杏子も今回は自分が”挑戦者”であることを理解していた。

 

 その条件についてはほむらが説明する。

 

「二週間後、この町にワルプルギスの夜が来る」

 

「そいつを倒すのを手伝えってか?」

 

 ほむらが「その通りよ」と言いかけた所で、イブがもう一言付け加えた。

 

「僕とあなた、どちらが欠けても再試合は不可能、です」

 

 つまりは決着を付けたければワルプルギスの夜との戦いで自分を死なせるなと言っているのだ。勿論、杏子も死なない事は前提条件で。

 

「はん、やっすい挑発だねぇ。だがまあいい、乗ってやるよ」

 

「じゃあ……」

 

 ”協力してくれる”とそう思って、まどかが嬉しそうな声を上げる。だが、こっちから条件を出している以上、向こうも然り、であった。

 

「さやか、だっけ? あの青い奴がいるのならこの話は無かった事にしてもらうよ。あんなトーシロと一緒に戦ってたんじゃ、いつ足引っ張られるか分かったモンじゃない」

 

「えっ……」

 

 まどかは”魔女を倒す”という共通の目的を持つ同じ存在、魔法少女同士ならばよく話し合えば協力し合えると思っていただけに、その言葉はショックが大きかった。あるいはそんな言葉を言う事自体考えていなかったのかも知れない。

 

 ほむらはやれやれと息を吐いて、イブはまだ動きを見せない。

 

「あいつ、戦い方が全然なっちゃいなかった。キュゥべえからも聞いたけど契約したばっかなんだろ? 足手まといにしかならねぇよ、ンなトーシロは。仕舞いにゃ魔女に喰われる一般人を見殺しにするのか、なんて世迷い事を言い出す始末だし」

 

「そんな言い方ってないよ!! それに、だったらマミさんだって!!」

 

 まどかにとってさやかを罵倒する事は一度は自分も魔法少女になって共に戦おうと思ったマミをも、二人同時に侮辱する事でもあった。彼女にしては珍しく声を荒げるが、ほむらが遮るように手を伸ばして制する。

 

 この中では唯一人、一般人の彼女の言葉だったがそれでも杏子の中には幾ばくか納得の行く部分もあったらしい。言葉を続ける。

 

「……別に甘っちょろい理想を持ってたって良いんだよ。マミみたいにそいつを貫けるだけの強さがあれば。あのさやかって奴にはそれが無い。弱い奴が謳う理想ってさぁ……ムカつくんだよね……」

 

 それは一面の正論ではある。だからまどかもそれ以上の言葉には詰まってしまった。

 

 ほむらは「そこはこの2週間で私達が一人前に仕上げる」という言葉を用意していたが、その答えはありきたりでありそれだけでは杏子の心を動かす事は出来なかったろう。

 

 だから、イブはこう言ったのだ。

 

「確かに、杏子さんの言う事も尤も、なのですよ」

 

「え!?」

 

「な……?」

 

 自分達の側の人間である筈のイブの発言に、この時はまどかは勿論ほむらも思わず驚いた声を上げてしまった。が、イブの爆弾発言はここからが本番だった。

 

「分かりましたです。今日これからさやかさんの所に行って僕達のメンバーから外れるように言うです」

 

「イブちゃん!? 何言ってるの?」

 

「ちょっと……!!」

 

 自分の側の二人が上げる抗議の声にも、イブは取り合わない。杏子もこの反応は予想外だったのだろう。少し動揺したようで初めて画面に「miss」の文字が現れた。

 

「もし、嫌だって言った場合は?」

 

「その時は、僕が始末しますですよ」

 



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第07話

 

 かちん、とソーサーにカップが置かれる音が響く。ほむらの口から語られた話の重要さに、マミは呑気に紅茶している場合ではないと悟っていた。

 

「イブさんが……そんな事を?」

 

「ええ、さやかに私達の仲間から外れるように言って、それで聞き入れない場合には自分がさやかを始末すると言っていたわ」

 

 言い切った所でほむらの視線が、マミと向かい合う位置に座っていた人物に移る。この場にいるのは全員が魔法少女だ。一人はほむら、一人はマミ、そしてもう一人。

 

「深雪さん、イブさんは何を考えているのかしら?」

 

 折角ワルプルギスの夜に対抗する為の仲間が集まったのに、いくら杏子をこちらに引き入れる為とは言えそのチームワークに自ら亀裂を入れるような真似をするとは、正気の沙汰ではない。

 

 責めるような響きも含んだマミの言葉を受けて、風華は顎に手をやって少しの間考える仕草を見せた。

 

「……私はあの子の事を信じているわ。少なくとも、あの子は何のプランも立てずに行動するバカじゃない」

 

 その後に「尤もリンゴが絡めば分からないけど」と付け足した。風華にしてみれば場を和ませようとした会心のジョークだったが、そう言われたマミとほむらはにこりともせず、互いの表情を伺い合った。

 

 二人の表情からかなり事態を重く見ている事が分かる。ここは自分が何か安心させる一言を言ってやらなくては。風華はそう思って、

 

「大丈夫よ。イブの行動は滅茶苦茶なものほど、大体良い結果が出るから。長い間一緒にいる私が言うんだから間違いないわ」

 

 と、胸を叩く。ここはパートナーとしての信頼関係の見せ所だった。最後に「まあ、たまにとんでもなく悪い結果を招く事もあるけど」と付け足す。それは小さな声だったが、神経を尖らせている今の二人にはしっかりと聞こえたらしい。マミとほむらはもういたたまれないといった風に立ち上がって出て行く。風華も一拍遅れてその後を追った。

 

 全く、正直すぎるのも考え物である。

 

 

 

 

 

 

 

 僅かに太陽の光が残るぐらいの時間帯となって、さやかは上條恭介の家を訪れていた。だが、折角退院した幼馴染みを訪ねるというのに彼女の足取りはいまいち重い。

 

 今日、病院の彼の部屋を尋ねた時、既にベッドはもぬけの殻だった。居合わせた看護師に聞いた所、経過が順調であったので退院が前倒しになったらしい。

 

 退院の知らせをよこしてくれなかった事や、退院祝いに呼ばれなかった事が彼女の心に幾ばくかの曇りをもたらしていた。ひょっとして、私は恭介に何とも思われていないんじゃ……?

 

 それは今は心の中の漠然としたシミでしかなく、彼女の中で言語化さえされていない小さな不安でしかない。いや、意識的と無意識が半々でそれを避けていると言うべきだろうか。

 

 そうして家の前まで来て、チャイムを鳴らそうとして、バイオリンの旋律が聞こえてきた。恭介の音色だ。

 

 恭介は、退院してもう、事故に遭うまで自分の体の一部同然に扱っていたバイオリンの感触を取り戻そうと練習を頑張っている。その事実だけで良かった。

 

『……恭介がバイオリンをまた弾けるようになったんだから……私はそれで十分……』

 

 心の中でそう呟いて、さやかはチャイムに伸ばしていた手を下ろした。練習を邪魔しちゃ悪い。そうして帰ろうと振り返った彼女の視界に、二つの人影が入った。

 

「会いもしないで帰るですか? 今日一日追いかけ回したくせに、です」

 

「イブちゃん……? なんでそいつと……!?」

 

 イブが、何故だか杏子と並んで立っていた。どうして、自分達の仲間であるはずの彼女が、あんなグリーフシードを集める為に人間を餌にするような奴と一緒にいる?

 

 戸惑った様子のさやかだったが、何か悪い予感を背筋に感じて身構える。

 

 さやかの前に立つ二人の内、次に口を開いたのは杏子だった。尤も、それはさやかの質問に答える為ではなかったが。

 

「イブから聞いたよ。この家の坊やなんだろ? あんたがキュゥべえと契約した理由って。全く、たった一度の奇跡のチャンスをくっだらねぇことの為に使い潰しやがって」

 

「!! イブちゃん……どうして……!!」

 

 「お前なんかに何が分かる」と言い返したかったが、それよりもイブが軽々しく契約の内容を杏子に話してしまった事が、さやかにはショックだった。だが、

 

「その意見については、僕も杏子さんと同感なのですよ。僕に言わせてもらえば、さやかさんは全く無駄な願い事で魔法少女になってしまったです」

 

 杏子は兎も角、イブまでもが追い打ちの如くそんな事を言う。この事実に、さやかは全力疾走していて頭を思い切り電柱にぶつけた気がした。杏子が「魔法ってのは徹頭徹尾自分の望みを叶える為に使うモンなんだよ、他人の為に使おうとしたって、ろくな事にならねェのさ」と言っているのも気にならない。

 

 信じてたのに。マミさんは勿論、ほむらも、風華も、そしてイブも自分の事しか考えない魔法少女とは違うって。だから新しく魔法少女になった私も、そんな魔法少女になろうって、決めてたのに。

 

「どうして……契約する前に僕に一言そうだ……」

 

「イブ!! あんた、見損なったよ!! あんたがそんな事を言う魔法少女だったなんて!!」

 

 何事か言いかけたイブを遮って、顔を真っ赤にしたさやかが叫んだ。駄目だ、完全に頭に血が上っている。これではこれ以上何を言っても悪い方に解釈されるだけだろう。

 

 イブはそう考えて、自分の愚痴はこれぐらいにして本題を切り出す事にした。

 

「ま、その話は置いとくです。今日はさやかさんに伝える事があって捜してたです」

 

「ちょっと、話はまだ終わって……」

 

「杏子さんに頼んだら、さやかさんがチームから抜けるなら協力しても良いと返事をもらったです。だから、さやかさんには今日限り対ワルプルギス戦線からは外れてもらいたいです」

 

 抗議も無視して一方的に告げられる言葉。それは戦力外通告と同義だった。杏子が入る為にさやかが抜ける。人数は減りもしなければ増えもしない。ならば杏子の方が自分よりも役に立つと、イブはそう思っているのだ。と、さやかは考える。それは当然の論理だった。

 

 確かに自分はまだ魔法少女になって時間が経っていないし、キュゥべえの言葉を信じれば才能も無い。ベテランのこいつと比べて力が劣るのは認めざるを得ない。でも、だからって……何で……!!

 

 論理と感情、理解と納得は何処まで行っても別々の代物だった。

 

「納得行かない、って顔です」

 

「当たり前でしょ!!」

 

 声に怒りを滲ませて、さやかは思わずソウルジェムに手をやった。イブの次の言葉がなければこの場で変身して斬りかかっていたかも知れない。

 

「分かりました、です。ならば最後のチャンスをあげるです」

 

「チャンス……?」

 

 魔法の力を解放させようとしていた指が、ぴくりと止まる。

 

「これから僕を相手に模擬戦をするです。それで僕を納得させられるだけの実力を証明できたのなら、杏子さんとの話は白紙にするです」

 

「おい!!」

 

 杏子が怒ったような声を上げる。勝手に話を変えるなと言っているのだ。さやかが拒んだ場合には、実力行使で排除すると言っていたのに。

 

 しかし「場所を変えるです」と言ってイブが振り返った時、杏子の頭に声が響いた。念話。ほぼ全ての魔法少女が共通して使える初歩の魔法だ。

 

『模擬戦と言っても真剣勝負、ならば”事故”はいつ起こっても不思議じゃないです』

 

 

 

 

 

 

 

 イブが模擬戦の舞台として選んだのは、町境の高架の上だった。既に空には太陽の代わりに月が輝く時間帯となっており、住宅街や駅から離れたここならば人目を気にする心配はなかった。

 

「ここなら遠慮は要らない、です。ひとつ全力で掛かってくるです」

 

 イブはそう言うと、左肩に掛かる黒髪一房を束ねるアクセサリーへ加工されたソウルジェムに手をやり、その力を解放する。宝玉から闇のように黒い光が走り、イブが纏う衣装が涼しげな白いワンピースから光沢の無い黒のローブへと変わった。

 

 そうして手を一振りすると、彼女の手にはさやかが使うのと同じぐらいの長さをした剣が物質化される。それを見た杏子は「ほう」と驚いたような声を上げた。先日の自分との戦いで見せたジャマダハルと薙刀に続き、この剣。彼女はこれで少なくとも3つの武器を扱える事になる。一体彼女はいくつの魔法武器を使えるのだろうか。

 

 杏子は最初はそう思っただけだったが、この武器の選択はイブがただ単に自分の使える武器の中からその一つを選んだだけではないと気が付いた。

 

「成ぁる程。敢えてそいつと同じ武器を選んだのか」

 

「え……?」

 

 杏子は言葉の意味が分からないといった様子のさやかを振り返って、からからと笑い声を上げる。

 

「分かんないのかい? 同じ武器、つまりあんたの戦い方に合わせて戦って、その上であんたにボロ勝ちして、身の程を教えてやろうってことなのさ」

 

 完全に侮られている。先程の上條家前のやり取りから切れそうだった堪忍袋の緒が、まさにプッツンしようとしたその時、乾いた銃声が鳴り響いた。

 

 場の全員がびくりと体を弾ませて音のした方を振り向くと、そこには近付いてくる気配など全く無かったのにマミ、ほむら、風華。ここに最初からいた者を除くこの町の全ての魔法少女が集まっていた。たった今の銃声は、マミが天に向けているマスケット銃からだ。

 

「イブさん……これは、一体どういう事かしら……」

 

 マミの声は穏やかであったが内面の怒りを隠し切れず、震えていた。だがそんな彼女の追求にもイブはしれっとした顔である。

 

「杏子さんの件は、僕に任されていたはずなのですよ?」

 

 確かにそれはそうであった。先日の話し合いでイブは「杏子さんの事は任せるです」と言って、それに関しては今ここには居ないまどかも含めて全員一致で賛成だと、言質を与えてしまっていた。

 

 だが、だからと言って……

 

「だからって、さやかをチームから外すなんてのは行き過ぎよ。そこまでは越権行為だわ……」

 

 今度はほむらが進み出る。彼女も表情は険しく、これ以上イブが強行に及ぶのであれば一戦交えても止めるといった剣幕だ。

 

 魔法少女二人に凄まれてもイブは怯んだ様子も見せないが、杏子は中立であるしこの場で唯一彼女の味方である魔法少女が、流石に総スカンは不憫に思ったのか助け船と言えなくもない発言をした。

 

「イブ…私はあなたを信じているけど、一応確認しておくわね」

 

「風華……」

 

 前に出たパートナーに、イブの声と表情が柔らかくなった。やはり風華が相手だと彼女も違うらしい。

 

「何か考えがあっての事だと、信じて良いのね?」

 

「勿論です、風華」

 

 相方の即答と迷いの無い光の宿った瞳を見て、風華はこれ以上追求する事はしなかった。内容を聞いたりもしない辺りも信頼のなせる業だ。彼女は一度頷くと、マミとほむらを制するように手を上げた。

 

「深雪さん……?」

 

「風華……」

 

 当然、二人の魔法少女は納得が行かないと抗議の声を上げかけるが、風華が強い口調で制した。

 

「何かあった時は、私が全て責任を取るわ。もし、イブが信じられないのなら、私を信じて。イブを信じる私を」

 

 彼女がそう言うとほむらとマミの頭にここへ来る前、マミの部屋でしてきた会話が蘇った。

 

 曰く「イブは何のプランも立てずに行動はしない」。

 

 曰く「イブの行動は滅茶苦茶なものほど、大体良い結果が出る」。

 

 それに加えて万一の時は自分が責任を取ると言ったのなら、まあ風華を信じてみようかと二人は顔を見合わせ、そして一歩下がる。一応、信用する事にしたという意思表示だ。

 

 そうして二人が取り敢えず「見(けん)」の姿勢に入ったのを見て取ると、風華は手を振ってイブに合図する。イブは頷くと、待ちぼうけを食らっていたさやかに向き直った。

 

「さやかさん、待たせたです。さ、始めるです」

 

 そう言われて、さやかは掌に置いたソウルジェムに意識を注ぐ。そこに封じられた力が基底から励起状態となるのを示すように、宝石全体が静かな青い光を放っていく。

 

「待って、さやかちゃん!!」

 

 あと一秒もあればさやかが魔法少女に変身していたという所で、後ろから掛かった声でそのシークエンスは中断された。振り向くと、そこにはまどかがいた。この中の何人かは「何故まどかがここに?」と思ったがその疑問はすぐに解消された。彼女の足下に付いて来ているキュゥべえがこの模擬戦の事を知らせたのだろう。

 

「邪魔しないで、まどかには関係ないでしょ!!」

 

 いい加減苛立っていたのかさやかは取り合わずに、再び変身しようとする。だが彼女が再び掌の石に意識を集中するよりも、まどかの方が早かった。

 

「さやかちゃん、ごめん!!」

 

 そう言うと親友の手からソウルジェムを奪い取り、下の道路へと投げ捨ててしまう。

 

 まどかにしてみればこの行動はさやかとイブ、同じ魔法少女でありしかも共通の目的の為に団結した仲間に戦って欲しくないという願いからのものだった。話し合いで止められないのなら例え魔法の力の源であるソウルジェムを取り上げてでも……!!

 

 強引で間違っているやり方だとは分かっていたがそれでも、まどかは二人に戦って欲しくなかった。

 

 そしてさやかのソウルジェムはちょうど高架の下を通りかかったトラックの前に落ちて、そして一秒後、タイヤが宝玉を粉々に砕いた。

 

「「「!!」」」

 

 この事態にほむら、風華、イブの3人が表情を凍り付かせる。と同時に何の前触れもなくさやかがどさりと倒れた。手を使って上体を支えようとしない、危険な倒れ方だ。風華が、指輪にはまったソウルジェムに手をやった。

 

「さやかちゃん、どうしたの?」

 

 慌てて親友に駆け寄ってその体を助け起こすまどかの傍に、キュゥべえが近付いてくる。

 

「今のはまずかったよ、まどか」

 

「え……?」

 

 言葉の意味が分からないという彼女に、魔法の力をもたらしたその動物は、残酷な事実をきっぱりと告げる。

 

「友達を殺すなんて、どうかしてるよ」

 



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第08話

 

 からりと、硬質な音を立てて机に魔法少女の魂そのものであるソウルジェムが乱暴に転がされた。

 

「騙してたのね、私達を……!!」

 

 普段の彼女からは想像も付かない暗く重い声で、さやかはキュゥべえに詰問した。

 

「僕は魔法少女になってくれって、きちんとお願いした筈だよ?」

 

 奇跡の商人たる小動物は表情を少しも変えずにそう返す。その答えは到底、さやかを納得させられるものではなかった。キュゥべえの前に両手をばんと叩き付ける。

 

「何で教えてくれなかったのよ!!」

 

「聞かれなかったからさ」

 

 凄まれてもキュゥべえは暖簾に腕押しであり、慌てた様子の欠片すらも見せない。確かに「聞かれなかった」というのは事実に違いないが、さやかにとて言い分はあった。そもそもマミの部屋で受けた説明からでは、そういう発想を抱く事自体不可能だったのではないか?

 

「知らなければ知らないままで、何の不都合もないからね。事実、マミや杏子は魔法少女になって長いけど、君が死ぬまでその事に気付かなかったろう?」

 

「!!」

 

 それは倫理的には兎も角、正しい論理ではあった。杏子はどうだか知らないがマミは魔法少女になって数年になるが、彼女からソウルジェムが自分の魂であると知らなかった事による不都合などは聞いた事がなかった。

 

 だがだからと言って、自分の魂を抜き取られてあんな石に変えられてしまうなんて……

 

 これじゃ私、ゾンビにされたようなものじゃないか。それも、一度死んでるし。

 

「そもそも君たち人間は、魂の存在なんて知覚できていないんだろう?」

 

 これもそれ自体は正論ではある。頭や胸に魂が宿るという言葉は沢山あるが、それらは所詮何の根拠もない精神論、言葉遊びでしかない。今の所人間が「魂」に関して行っているアプローチと言えば、精々がマウスが死の瞬間僅かに体重が減る事に注目して、魂の重さを計ろうなどという原始的なアプローチぐらいだ。頭は神経細胞の集まりでしかなく、胸には循環器系の中枢があるだけだ。

 

「そのくせ人間は、肉体が生命を維持できなくなると精神まで消滅してしまう。だから僕達は、君たちの魂を物質化してきちんと守れるようにしたんだよ。少しでも安全に、魔女と戦えるようにね」

 

「余計なお世話よ、そんな事!!」

 

 「前もって説明していれば」、という一文さえ付け加えるのならキュゥべえの言葉は全く持って全て至極正論だ。さやかも頭の片隅でそうした理解が出来ている部分はあったが、やはり納得できる訳もなくそうした言葉が口から出た。

 

「君は戦いというものを甘く考えすぎだよ」

 

 だがキュゥべえにはそうした人間の感情の機微といったものは理解できないようだった。寧ろ、なぜこうも正論しか言っていない自分をさやかが理解してくれないのかと理解に苦しむという風に首を横に振ると、机上に無造作に転がされていたさやかのソウルジェムに、ぽんと前足を置く。

 

「例えばお腹に槍が突き刺さった場合、肉体の痛覚がどれほどの刺激を受けるかっていうとね……」

 

 さやかの意志によらずソウルジェムは光を発し、何事かと見ていた彼女の腹部に、突然視界が全て白くなるような激痛が走った。

 

「う……ぐぅっ……ああ……っ!!」

 

 立っている事もままならず、床に転がってしまうさやか。キュゥべえはそんな彼女を見下ろしつつ「たった一発でも、動けやしないだろう?」と告げる。

 

 魔法少女の意識は肉体と直結していないので、痛みによって戦闘に支障が発生しないよう必要以上の痛覚信号は自動的にカットされて、ほどほどへと抑制された痛みだけが攻撃を受けた事を教える為に、意識へと上る。というありがたい講釈も、痛みで脳がスパークしているさやかには届かなかった。

 

 キュゥべえがこうしてソウルジェムを操って痛みを意識へと送る事が出来るのは、先程彼が「人間は魂の存在を知覚できていない」と言った事の裏返し、彼等には魂の存在が知覚できて理解できてもいるという事でもあった。

 

 だからこうした芸当は、彼等にしか出来ないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 それとほぼ同じ時間、駅近くのお値段ほどほどのビジネスホテルの一角では、清潔なシーツが敷かれて完璧なメイキングが施されたベッドに、風華がダイブしていた。隣にはイブの姿もある。

 

 彼女達二人は先日までは同盟を組む事になったほむらの家に居候していたが、つい数時間前にソウルジェムの本質が明かされる事件が起き、その発端となったのはイブがさやかに仕掛けた模擬戦であった事。しかもその際に一度ソウルジェムが砕けてさやかが死亡する事態にまで発展したので二人とも彼女の家には居辛くなって出てきたのだ。

 

「今日は疲れたわ…」

 

「お疲れ様です。風華の魔法は過去に干渉すると、その分の負荷が風華に掛かるですからね」

 

 さやかのソウルジェムが砕かれた時、風華はすかさず自分の魔法を発動させて30秒前の過去に自分の分身を跳ばし、砕かれる前のソウルジェムを実時間へと持ってきてさやかに握らせたのだ。お陰で、さやかの死亡という事態はある意味”事前に”回避できた。

 

「不便な魔法よ。あなたのエリクシルみたいに、もっと気軽に使えれば良いのだけれど」

 

 そんな軽口を叩いて笑い合いつつ、風華は自分のソウルジェムをぽいとイブに投げ渡した。イブは腕を大きく振ってそれをキャッチする。

 

「久し振りに頼むわ、あれ」

 

 イブは頷くと、そのたおやかな指を相方の魂が封じられた宝玉にすっと這わせた。すると風華のソウルジェムが彼女の意志とは関係なく碧色の光を発し、

 

「んっ!!」

 

 ベッドの上で風華がびくりと体を跳ねさせた。それを見たイブは少し、指の角度を変える。

 

「んんんんっ、き、効くぅーっ」

 

 甘い声を上げて表情を蕩けさせる風華。イブはそれを見てまた指の角度を変え、新しい快感を彼女の意識の深層にまで叩き込んでいく。このやりとりは風華がベッドの上で足腰立たなくなるまで続いた。

 

「イブのソウルジェムマッサージは効くわぁ……私はすっかりこの感覚の虜よ……」

 

 肌を上気させて額に汗を浮かべつつ、風華が腕を差し出す。イブはその手に、彼女の魂を握らせた。

 

「私も、あなたみたいに出来れば良いのだけどね……ソウルジェムの操作……」

 

 汗で張り付いた髪の毛をすっと掻き上げる風華。その動作にはこの年頃の少女とは思えない色気があった。

 

「残念だけどそれは無理です、風華。あなたに限らすほぼ全ての人間は、魂がどんなものかについて理解できていませんから、なのです」

 

 そう言うと彼女は、やれやれと溜息を吐いた。

 

「それにしても物事は中々、自分の思い通り行かないものなのです」

 

「……今日の事?」

 

 まだベッドの上で寝転がりながらイブがもたらした快感の残滓を楽しみつつ、尋ねる風華。パートナーは頷く。

 

「あそこでまどかさんが来るなんて、予想外だったです。もし僕が考えていた通りに事が運んでいたのなら、今頃はさやかさんも杏子さんも、八方丸く収まって全員ハッピーハッピーだったのに、です」

 

「……まあ、確かにね……」

 

 高架での一件はさやかのソウルジェムが砕け、一度は彼女が死に、それをきっかけにキュゥべえによってソウルジェムが魔法少女の魂が物質化したものであり肉体は外付けのハードウェア、もっと身も蓋もない言い方をすればただの抜け殻だと判明し、その後は皆、三々五々に別れるという最悪に近い結果に終わってしまった。

 

 だがイブにとってまどかがあそこで現れるという事は計算に入っていなかったのも事実である。それにさやかのソウルジェムが砕けたのはあくまでまどかの行動の結果であり、イブ自身の行動の結果で何が起こるかは分からずじまいだった。本人は起こらなかった結果に自信があったらしいが……

 

 一度だけ、イブはふうと溜息を吐いた。

 

『……あの時、風華が電話してこなければもっと早く片付いていたのですけど……なのです』

 

 心中でそう呟くと、彼女はもうこれ以上は口でも心でもさやかの件について言及する事はしなくなった。以前に風華が言った通り、起こってしまった事に心に囚われるのではなく、次善の手を考えるべきだ。

 

 と、それなりに時間を掛けた為に風華の方もやっと足腰の調子が戻ってきたらしい。立ち上がると首の関節をごきんと鳴らした。

 

「ま、気にしない事ね。昔の人も言っていたけど、不運だからと言ってその不運な巡り合わせにしがみついている事自体が不運なのよ。運というものは力尽くで自分の方へ向かせるものよ」

 

「じゃあ、その運に負けた時はどうするです?」

 

 パートナーの問いに風華は一瞬だけ沈黙して、やがて会心の笑みを浮かべて答えた。

 

「笑って誤魔化すのよ。さ、行きましょう。今日も魔女退治に」

 

「分かったです」

 

 頷いたイブを従えて、風華は夜の町へ駆け出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 次の日。今日の魔女の反応は、建設中のマンション地帯からだった。だが、風華達が到着した時には既に先客がいた。魔力の波長から、マミやほむらではない。

 

 そして杏子でもない。彼女は高台に陣取って結界が展開された空間を見下ろしながら、アイスキャンデーをかじっていた。と、後ろに出現した気配に気付いて、振り返る。そこに立っていたのは風華とイブの二人組だった。

 

「あんた達か……」

 

「意外だったわ。もっと動揺しているかと思ったのだけど」

 

 と、風華。少し挑発的な発言だったが、杏子は気にした素振りは見せなかった。

 

「まあ、確かにあの時は驚いたけどこんな体になったからこそ、魔法の力で好き勝手出来てる訳だし……それに魔法少女になったのはあたしの自業自得だからねぇ……」

 

「マミさんもそんな風に考えられたら良かったのだけど」

 

 杏子の後ろに立っていた自分達の、更に後ろから掛けられたその声に振り向く二人。そこには魔法少女のコスチュームを纏ったほむらが立っていた。相変わらず近付いてきた気配は全く無く、いきなりその空間に現れたかのようであった。

 

「マミの奴がどうかしたのかい?」

 

「ええ、ソウルジェムの真実がショックだったのでしょうね……部屋に閉じこもってしまったわ……」

 

「……無理もねぇか……あんな事聞かされちゃあな……」

 

 杏子は諦めたように天を仰いだ。実際、自分も今はこうして何事もなかったように振る舞っているが、あの時に受けた衝撃は計り知れなかった。どっちかと言えばマミの奴の方が、普通の反応だろう。

 

 あんな事を聞かされたら彼女のように自分の殻に閉じこもるか、あるいは……!!

 

「ところで、黙って見ているだけなの?」

 

 ほむらが尋ねる。自分達の眼下に見える結界の中で戦っている魔法少女、さやかの事だ。

 

「今日のあいつの相手は使い魔じゃなくて魔女だ。グリーフシードも落とすだろう。無駄な狩りじゃない」

 

「そんな理由であなたが獲物を譲るなんてね……」

 

 建前を見破られて心の中を見透かされたような気がして、杏子はほむらを睨み付ける。自分がここまでさやかを気に掛けるのは、同じ存在だからかも知れない。

 

 自分も彼女と同じで、人の為に契約した。だがその結果は……

 

『だから、さやかもあたしと同じように……』

 

 その時、結界から漏れ出す魔力の波動が揺らぐ。それを感じ取って4人の思考も、会話も中断された。

 

「あのバカ、手間取りやがって」

 

 毒づくと杏子は魔法少女の力を解き放ち、結界へと身を躍らせる。風華とイブ、そしてほむらも彼女に続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 結界の中は、まるで虐殺現場の如き様相を呈していた。辺り一面に散乱してちょっとした溜まりとなっている鮮血。斬り捨てられた使い魔の群れ。だが血の海を作っているのは使い魔の血ではなかった。

 

 その血は狂ったように魔女を切り刻んでいるさやかのものだ。彼女は今現在も魔女の攻撃を受けて全身から血を流しながら、それでも攻撃の手を休めようとしない。まともな戦い方ではなかった。戦いと言うより、獣の食い合いという方が適切に思える。

 

「おい、あいつは……」

 

「痛覚をカットしているのね……」

 

「なんて馬鹿な事を……です」

 

「さやか……!!」

 

 あまりの光景にこの場に乱入してきた4人は、揃いも揃って言葉を失ってしまう。同行していたまどかと同じで。

 

 杏子の懸念はこれだった。ソウルジェムの真実みたいな衝撃的な事実を知らされたら、まずまともではいられない。となればマミのように引きこもるか、あるいは今のさやかのように自暴自棄になって、死にたがるように戦うかだ。

 

「あはははは!!」

 

 哄笑が響く。狂気を孕んださやかの声が、結界中に反響する。本来ならさやかを援護するなりそれとも力尽くで彼女を止めたりするべきなのだろうが、今は4人とも、行動に移る移らない以前にそうした発想それ自体が頭の中から飛んでしまっていた。

 

「さやかちゃん……もう、やめて……!!」

 

 突っ伏したまどかの声が、さやかの笑い声に掻き消される中で小さく聞こえた。

 



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第09話

 

 さやかが魔女を倒してまどかと一緒に帰っていった後、杏子はふらりと姿を消してしまい、残された3人はほむらの勧めで彼女の家に集まっていた。風華とイブにしてみれば昨日の今日で舞い戻る羽目になった為、どこか居心地が悪そうに何度も座り直したり、手の位置を動かしたりする。

 

「それでほむら、話って何?」

 

 手持ち無沙汰でいるとどうにも良い気分にはなれない為、早く話をと風華が急かす。それと同時にイブがリンゴを囓るシャコッという気持ち良い音が響いた。

 

「さやかの事よ」

 

 そのキーワードが出て、二人の表情に真剣さが増した。杏子も彼女なりにさやかの事を案じてはいたようだったが、しかしこの場の誰もがあの時の杏子よりも深刻な顔をしている。それは杏子とここにいる3人の持っている情報量の差を表すものであった。

 

「彼女の精神状態は、今はとても不安定……パンパンに張り詰めた風船のようなものよ」

 

「つまりはあと少し空気を吹き込むか、それとも外からちょっとした刺激が加われば……ボン!!」

 

 その”ボン!!”が一体どういう意味を指すのか、彼女達は知っていた。

 

 ほむらは懐に手を入れてそこから取り出した物を机に転がした。グリーフシードだ。黒い宝玉が3つ、その内二つがぶつかり合ってかちんという綺麗な音を立てた。

 

「恐らく彼女のソウルジェムは、今頃……」

 

「ご明察の通りさ、暁美ほむら」

 

 3人の誰とも違う声が場に響いて、全員の視線がそちらに集まる。暗がりから出てきたのは、キュゥべえの小さな体だった。

 

「美樹さやかの消耗は予想以上に早い。魔力を使うだけでなく、彼女自身が呪いを生み始めた」

 

 ”呪いを生む”。これは一種の暗喩(メタファー)であるが、その意味が分からない者はこの場には一人もいなかった。厳しかった三者の顔が、一層厳しくなった。その様を観察して、魔法の使者は「やはりね」と漏らす。

 

「このままではワルプルギスの夜が来るより先に、やっかいな事になるかも知れない。注意しておいた方が良いと思うけど?」

 

 ”やっかいな事態”。これについてもそれがどんな状況を指すのか、3人は理解しているようだった。イブは組んだ手に、ぎゅっと力を込める。キュゥべえはもう一度「やはりね」と漏らした。

 

「君たちが何処でその知識を手に入れたのか、僕はとても興味があるのだけど……」

 

 それに答えてくれるようなお人好しは、ここには居ない。キュゥべえにとってもこの問いは物は試しという程度の事でしかなかった。諦めたように首を振ると、現れた時の逆回しのように、暗がりの中へと消えていった。

 

「……そういう事よ、彼女のソウルジェムは”穢れ”を溜め込みすぎた。早く浄化しないと……」

 

 キュゥべえは招かれざる客ではあったが、説明の手間を省いてはくれた。風華とイブも、どちらも奴の言葉と机の上に転がされたグリーフシードから、ほむらの用件を察する事が出来た。

 

「明日、もう一つのグリーフシードをまどかにも渡すわ。あなた達も、一つずつ持っていて」

 

「で、僕達がさやかさんを見付けたら……」

 

「多少強引でも、力尽くでも構わないわ。彼女のソウルジェムをすぐに浄化して」

 

 ほむらの申し出それ自体は納得の行くものであったが一つだけ、風華は聞いておきたい事があった。

 

「でもほむら、どうして私達に?」

 

 さやかが今危うい状態にある原因は、そもそもイブが彼女へ模擬戦を仕掛けた事にあり、しかもその際に彼女のソウルジェムが砕け散るという事態にまで発展したと言うのに……

 

 どうして、ほむらは自分達にここまで任せてくれる?

 

「私達は仲間でしょう? ワルプルギスの夜を倒すまでの……短い間だけど……」

 

 まだ、自分達は彼女の信頼を失ってはいなかったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

「ほむらちゃん……さやかちゃんの事だけど……」

 

「まどか、これを……」

 

 明くる日、ほむらは風華達に言った通りまどかにもグリーフシードを渡していた。さやかの席は空いていて早乙女先生は「お休みなんて美樹さんにしては珍しいですね」と呟いていた。

 

「もしさやかを見付けたら、どんな方法でも良いからこれをソウルジェムに当てて、浄化して。そうしないと、大変な事になるわ……」

 

 具体的にどんな”大変な事”が起こるかは伏せているが、同じやり取りは既に杏子にもしていた。彼女の場合には「浄化し終わったら、残りはあなたが好きに使って良い」と条件を付けたが。

 

 しかしマミにだけは、この話はしなかった。今のマミはまだ部屋に閉じこもっていて積極的に動いたりはしてくれないだろうという考えもあるが、万一の事態を懸念しての事だった。

 

 もし、万が一、マミがさやかを見付けたとして浄化が間に合わず、まどかに言った”大変な事”が彼女の目の前で起きてしまったら……!!

 

 ぞっとしない光景が頭の中によぎる。彼女はそれを振り払うと、今日は早退する旨を伝え、さやかの姿を求めて町へと繰り出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 そうして日が暮れてさやかを最初に見付けたのは、イブだった。彼女はちょうど使い魔との戦闘を終えた所であるらしく息が荒く、額にも汗が浮いていた。

 

 さやかは視界の端に彼女を見付けると、敵意の籠もった眼差しを向ける。最後に交わしたやり取りがあの高架の上でのものだったから無理も無いが。

 

 あの時、イブはさやかに戦力外通告をした上にそれを彼女が受け入れないと実力行使で以て排除しようとしたのである。その結果が、さやかの死亡という有様。あの場に風華がいなければ今頃は彼女の葬式が執り行われている所だった。

 

 それでも、まだほむらのように第三者の視点を持って、模擬戦云々はさておきソウルジェムが砕けてしまった事それ自体はイブではなくまどかの行動に因るものであると考えられたのなら、直前の風華との「何か考えがある」という会話もあって幾ばくかの信頼を残す事も出来ただろうが、それをさやか本人に望むのは酷だった。

 

「今度は何の用……? 私はもう、チームから抜けたのよ。あんたが私を狙う必要なんて無いでしょ」

 

 皮肉っぽく言うさやかであるが、彼女の目や顔つき、いや体全体から”力”を感じ取る事が出来なかった。今の彼女は自暴自棄、捨て鉢になっている。だから傷付こうが血を流そうが、何も感じない。いや、感じない振りをしているのだ。イブにしてみればちゃんちゃらおかしかった。

 

 痛みに慣れるなんて、有り得ないのに。

 

「さやかさんのソウルジェムはもう限界なのです……早く浄化しないと……」

 

 指の隙間から見える青の宝玉は、今は黒く淀んで輝きを失いつつあった。預かっていた黒の宝玉を取り出してさやかに見せるイブ。現状のさやかにとっては喉から手が出るほど欲しい代物であるはずなのに、彼女は僅かな笑顔も浮かべたりはしない。

 

「……いらない」

 

「でしょうね、なのです」

 

 予想通りの反応をありがとうございますとばかり、イブは苦笑を返す。

 

「どのみち、グリーフシードを使ってソウルジェムを浄化しても、それは所詮その場凌ぎ。根本的な解決にはならないのですよ」

 

 そう言って彼女はグリーフシードを懐にしまうと、代わりにナイフを取り出した。それを見たさやかは警戒心を露わにして身構える。でもなく、ぼんやりと突っ立ったままだ。イブは小さく舌打ちする。

 

 非常によろしくない状態だ。

 

 あの結界の中での出来事を見ているさやかなら、これは自分が必殺の魔法であるエリクシルを発動する準備であると分かっているだろうに、先手を取って攻撃してくるでもなければ、一目散に逃げ出す事もしないとは。

 

『でもまあ、逃げないのならそれはそれでやりやすいのです』

 

「……だから、根本的に解決をするって事? あたしなんかの為に、そのグリーフシードを使わなくて済むように」

 

 熱の無い目で、力無くそう言うさやか。相変わらず抵抗しようとする素振りも、その気配さえ見せない。

 

 ここまで精神の均衡が崩れていたとは。きっかけはソウルジェムの真実を知った事であったにせよ、この短い期間に一体何があったのか。イブには分からない。

 

「けど、じきにそんな悩みはどうでも良くなるのですよ」

 

 つまりは”死んでしまえば余計な苦悩からは解放される”と、その言葉は誰が聞いてもそういう意味にしか受け取れない。

 

 そこまで言われても何の反応も返さないさやかを気にする事はもう止めたように、イブは鈍く光る刃を自分の掌に当てて、柄を握る手に力を込めて、後はそれを引こうとして、

 

「そこまでよ」

 

 彼女の後頭部に硬い感触が当たり、

 

「手前、何考えてんだ!!」

 

 首筋に槍の穂先が突き付けられた。ほむらと杏子だ。

 

「おい、ここはあたし達が押さえておく!! 早く逃げろ!!」

 

 大声で杏子にどやされて、さやかは振り返るとのろのろと歩いてこの場から離れていく。全力疾走しないのも、やはり彼女が自暴自棄のやけくそになっている証拠だった。

 

「手前正気か!? あたしと違って、手前はあいつの仲間なんだろ!? なのにあいつを助けるどころか殺そうとするなんて……!!」

 

『……やれやれ、僕はこういう星の下に生まれついているですかね? 邪魔される事これで三度目。これは四度目もあるかも知れないですね』

 

 イブがそんな思考を行っている内にさやかの姿が見えなくなると、杏子は槍の先端をイブの首筋から5センチの位置に固定したまま、スリ足で円を描くように彼女の正面にまで移動していく。そこで背後を振り返り、もう一度イブの方を向いて彼女が動く様子を見せないのを確かめると、さやかの去っていった方向へと走っていった。

 

 ほむらは杏子の姿が見えなくなるまで何も言わず、イブの後頭部にベレッタの銃口を突き付けたままだったが、その状態が5分ほど続いた所でやっと口を開いた。

 

「……どういうつもり?」

 

「僕達は仲間ではなかったですか?」

 

「イブ!!」

 

 質問を質問で返すなと、軽く銃口でイブの頭を突っつくほむら。そこで、イブは無抵抗を示すように高々と両手を上げると、その場で体を回してほむらへと振り返った。

 

「あなたも風華も、さやかを見付けたら助けると、約束した筈よ。なのに何で彼女を殺そうと……!!」

 

「……僕はちゃんと、さやかさんを助けるつもりで行動しているですよ?」

 

「それは!!」

 

 ほむらの声が、いきなり強くなる。ローギアからいきなりトップギアに跳ね上がったかのように。

 

「魔女になる前に彼女を殺すという事!? あんな姿になって!! 護りたかったものを壊すようになるぐらいなら、今までの祈りの分だけ呪いを撒き散らすようになるぐらいなら!! 今の内に殺すのが情けだと言うの!?」

 

 今まで押さえ込んでいた感情を吐き出すような叫び。だがそれを受けてもイブは動じた様子を見せない。

 

「……ほむら、あなたは中途半端なのですよ」

 

「何ですって!?」

 

「僕を仲間だと言うのなら、仲間として信じるのなら全てを信じて欲しい、逆にこんな得体の知れないヤツと疑うのなら全てを疑えば良いのです」

 

 またしてもはぐらかすようにそう言われて、思わずトリガーに掛けられた指に力が入る。イブも自分が今まで具体的な事を何一つ言っていないという自覚はあったのだろう。次の言葉は少し選んだようだった。

 

「ほむらや風華に出来ない事が、僕には出来るのですよ」

 

「……あなたに……何が、出来ると言うの?」

 

 つまりはその”自分にしかできない何か”をさやかに実行しようとしたのだろう。それを知って、僅かにほむらの表情が緩んだ。人差し指に入っていた力も少しは抜けて、話を聞く態勢となる。

 

「ふふン、耳の穴かっぽじって聞くですよ。それはですね……」

 

「それは是非僕にもお聞かせ願いたいね」

 

 横合いから声が駆けられて、二人とも反射的にそちらを振り向く。物陰からぬっと姿を見せたのは、予想通りキュゥべえの白い体だった。先程まではイブの頭に向けられていた銃口が、今度はそっちに向けられる。

 

「暁美ほむら……イブ……そして深雪風華。何となく察しは付いていたけど、君達はこの時間軸の人間じゃないね」

 

 白い小動物のその言葉を受けても二人の魔法少女は表情を変えなかった。

 

「イブ……君にしかできない事というのは多分……別の時間軸、別の世界で手に入れた技術か知識じゃないのかい?」

 

「!!」

 

 次に出たその言葉を聞くと、ほむらもはっという表情になってイブを振り返った。イブは何か自分には思いも寄らない方法を知っていて、それをさやかに試そうとしていたのか?

 

「ええ、その通りなのですよ。ただし50点なのですが」

 

「出来れば100点の正解を教えてもらいたいな。僕達の科学力も流石に現時点では平行世界にまでは及ばないし、別の世界の技術に僕は凄く興味が」

 

 そこまで言った所で、キュゥべえの体が穴だらけになってぱたりと倒れた。驚いたイブが見ると、ほむらの銃から硝煙が上っていた。一体いつの間に撃った!? 銃声さえ聞こえなかったが……

 

「無駄な事だって知ってるくせに。懲りないんだな、君も」

 

 今度は後ろから同じ声が聞こえて、二人ともじろりと視線をそちらに向ける。そこにはたった今ほむらに蜂の巣にされたのと寸分違わぬ姿が自分達を睥睨していた。

 

 新しく現れたキュゥべえはほむらが作った死体をがつがつと口に入れて咀嚼し、嚥下して完全に食べきってしまうと「きゅっぷい」と声を上げる。

 

「代わりはいくらでもあるけど、無意味に潰されるのは困るんだよね。勿体ないじゃないか」

 

 と、前の体を食い尽くしてたった一つとなったキュゥべえが言う。その口調はいつも通り一本調子ではあったが、状況が手伝って嘲っているように二人の耳には響いた。

 

「暁美ほむら、君に殺されたのはこれで二度目だけど、お陰で攻撃の特性も見えてきた」

 

 無言のまま、ほむらはただの金属の塊になった銃を捨てる。

 

「時間操作の魔術だろう? さっきのは……尤も同じ”時間”と言っても、深雪風華の力とは随分タイプが違うようだけど」

 

 ほむらはまだ無言。それをキュゥべえは肯定と捉えたらしい、「やっぱりね」と一言。そこでやっと、彼女が口を開いた。

 

「お前の正体も企みも、私は全て知っているわ」

 

「成る程ね。だからこんなにしつこく僕の邪魔をする訳だ。そんなに鹿目まどかの運命を変えたいのかい?」

 

「ええ。絶対にお前の思い通りにはさせない」

 

 即答するほむら。彼女の声は静かだが、深く、そして強かった。

 

「キュゥべえ……いえ、インキュベーター!!」

 

「……ほむら」

 

 その時だった。

 

 イブとほむら、二人のソウルジェムが強い輝きを発した。これは魔女の魔力を受けた時の反応だ。だが、これほど強い魔力は、ワルプルギス級の規格外を除けば普通の状態の魔女は発さない。例外となる状態は、一つだけ。

 

「これは……!! 誕生の魔力なのですよ」

 

「さやか……!!」

 

 その魔力の波が寄せてくる方向を睨みながら、ほむらが呻くように言った。これは、新しい魔女が生まれた時に発する、その魔女の最も強い魔力の波動だ。

 

「イブ!!」

 

「行くです、ほむら!!」

 

 弾かれたように駆け出す二人の魔法少女。その背中を見送るキュゥべえは、大きく天を仰ぐ。そこには月の、冷たい輝きがあった。

 

「この国では、成長途中の女性の事を少女と呼ぶんだろう? だったら……やがて魔女になる君達の事は……魔法少女と呼ぶべきだよね」

 



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第10話

 

「さやかさんが、魔女に……?」

 

 イブやほむらとは別に彼女を捜していたが見付けられず、一旦ほむらの家に戻っていた風華に知らされたのは、その事実であった。流石の彼女も言葉に詰まる。こればかりは過去へと飛ぶ事が出来る彼女の魔法を以てしてもどうする事も出来ない。

 

「彼女は、魔法少女としての時間を終えた……」

 

 全ての感情を押し殺した声で、ほむらが言う。それはつまり、これまでの希望や祈りが反転し、これからは呪いや祟りを振りまく存在、魔女として生きていくという事。ほむらは元より、風華とイブもその事実は知っていた。

 

「出来れば……こうなる前に終わらせたかったです」

 

 残念そうな表情のイブ。彼女の言葉を受けてほむらがいつも凛としている彼女にしては珍しく、迷いのある目を向けた。数時間前の会話からイブには何か秘策があったらしい。それが何かは計り知れないが、彼女の自信から察するに信じても良いものであったのかも知れない。

 

 だが今となってはもう、全ては手遅れ。折角、この時間軸では信頼し合う仲間になれたのに、結局こうなってしまうなんて。

 

 自分とて恐らくはイブとは違った形で、こうならないようにしていたのに。

 

「それで……彼女の体は?」

 

 風華の質問はとても無神経な物だという印象を持たれても仕方なかったが、それでも当然の疑問であったのでほむらが答えた。

 

「佐倉杏子が持って行ったわ……彼女は……多分……」

 

「何とかさやかさんを魔女から魔法少女に戻そうという気だと思うのですよ」

 

 イブが言葉を継ぐ。ある意味当然の行動だとも言える。それは家族が不治の病に罹ってしまった時の思考に似ていた。例え不可能だと分かっていても、それこそ文字通り万に一つの確率でしかないとしても、何とか助けたいと願うものだ。大抵の人間は。

 

 インキュベーターが聞けば、彼等は論理的ではないと言うだろう。不可能だと分かっていて実行するなんて馬鹿げているし無駄な事でしかないと。だがそれこそが、人間と彼等が本質的な所で分かり合えないという証明のように思えた。

 

「でも、もう無理よ……魔女になってしまったらもう、何もかもが……」

 

 ほむらの声は、震えていた。最近は、冷静に見えた彼女のイメージからは離れた面を良く発見する機会が多くある気がする。あるいはこれが本当の彼女なのかも知れなかった。

 

「彼女はこれからは人を呪い、絶望を振りまいて生きていく。後、私達に出来る事があるとすれば……」

 

 彼女を殺して終わらせる。それ一つ。

 

「そんなの、僕が許さないのですよ」

 

 イブの言葉に風華はにっこりと柔和な笑みを見せて、ほむらははっと顔を上げた。

 

「さやかさんの願いは全く無意味なものだと僕は今でも思うですが、それでもそれは、大切な人を思う心から出たもの。それを、絶望で終わらせたりなんてしないのですよ。絶対に」

 

 彼女の言葉には不確かな希望にすがるような頼りなさではない。それが何かは分からないが、何か一つ確信を持っている強い響きがあった。

 

「……この期に及んで、何か方法があるとでも言うの?」

 

 少し自棄になったような口調で、ほむらが尋ねる。そう言われてイブは周囲をちらりちらりと見回して、ついでに携帯電話の電源がオフになっていることも確かめる。今まで散々こうした局面で横槍が入ってきた為、流石に警戒していた。

 

 そうして彼女は今度こそ邪魔が入らない事を確信したらしい。自信満々の表情で胸を叩く。

 

「教えてあげるのですよ。それはですね……」

 

 

 

 

 

 

 

「美樹さやか……助けたいと思わない?」

 

 一夜が明けて、杏子は登校中のまどかを捕まえてていた。彼女の考えてるプラン、と言うのもおこがましい出たとこ勝負作戦にはまどかの協力が必要だったからだ。

 

 作戦が穴だらけなのは指摘されるまでもなく彼女自身も分かっていたが、それでもやらずにはいられなかった。この点では、イブの予想が当たっていた事になる。「助けられるの?」と問うまどか。杏子は、

 

「助けられないとしたら、放っておくか?」

 

 と返した。この問いは彼女からしても意地悪な言い方だと分かっていた。あるいは、杏子自身心のどこかで諦めている部分があったのかも知れない。

 

「バカと思うかも知れないけどあたしはね、本当に助けられないのかどうか、それを確かめるまで、諦めたくない」

 

 そう、口では言いながらも。

 

「あいつは魔女になってしまったけど、友達の声ぐらいは覚えているかも知れない。呼びかけたら、人間だった頃の記憶を取り戻すかも知れない。それが出来るとしたら多分、あんただ」

 

 危険な賭けだと思う。最初から、賭けにすらなっていないかも知れない。宝くじを一枚だけ買ってそれで一等の何億円かを当てるほどの、針の穴を通すような確率に縋っているだけだという自覚は、杏子の中にもあった。「上手く行くかな」とそう尋ねるまどかに、

 

「分かんないよ、そんなの。分かんないから、やるんだよ」

 

 そう返す。「やってみなくちゃ分からないから、やるんだよ!!」。まだ家族が存命であった時、好きだったテレビ番組で何かのヒーローがそう言っていたのを杏子は思い出していた。あの時はそう言うヒーローに絶対の信頼を寄せいていた幼い頃の自分がいたが、自分でそれを言う段になると何と心細い事か。あるいはブラウン管の向こうの彼等も、こんな不安と戦いながらその言葉を口にしていたのだろうか。

 

「もしかして、あの魔女を真っ二つにしてやったらさ……中からグリーフシードの代わりにさやかのソウルジェムが、ぽろっと落ちてくるとかさ……そういうモンじゃん? 最後に愛と勇気が勝つストーリーってのは」

 

 考えてみればこの時、自分でそう言いながらも、やはりどこか自分で信じ切れていない部分があったのだと、杏子は思う。何故なら次に、

 

「付き合いきれないって言うなら、無理強いはしない。結構危ない橋を渡る訳だし、私も何があっても守るなんて言えないし……」

 

 そう言ったからだ。これは戦う力を持たないまどかを心配しているという面もあったが、現実にはさやかが魔法少女に戻る事なんて不可能に決まっていると彼女自身思っているから出た言葉だった。

 

 パンドラの箱に最後に残っていたのは「盲目」だと言われている。未来に何が起こるか知ってしまえばやはりそれは絶望であり、それを出来なくなる事が「希望」なのだと。今の杏子も一つの可能性に対して盲目になっていた。さやかを救えない可能性に。

 

 言葉や態度からそうした一抹の不安は目の前の少女にも伝わっていた筈だった。だが、それでも。彼女はこう言った。

 

「ううん、手伝わせて。私、鹿目まどか」

 

「全く、調子狂うよな……本当……佐倉杏子だ、よろしくね」

 

 そう言って名刺代わりに渡したのは「うんまい棒」という杏子の一番好きなお菓子だった。

 

 そうして日が暮れるぐらいの時間帯となり、ソウルジェムによってやっと魔力のパターンを追跡して辿り着いたのは、建設中のマンションだった。階段を上り、行き止まりにぶつかる。さやかの結界の入り口はそこにあった。

 

 変身し、結界に侵入しようと槍を構えてはっと気付く。

 

「どうしたの?」

 

「私達の前に一度……結界を外から開けた跡がある」

 

「それって……!!」

 

 悪い未来が思い浮かぶ。魔女の結界に外から能動的に侵入する存在と言えば一つだ。魔法少女。そしてさやかとここにいる杏子を除いてこの町にいる魔法少女と言えば……!!

 

「……いけない、急ぐぞ!!」

 

 杏子の頭に昨日の光景が蘇り、槍で空間を切り裂いて結界に入る。そこには絶対に当たって欲しくなかった予想通りの景色が広がっていた。

 

 もうもうと立ちこめる紅い霧。辺り一面の楽団はその霧が自分達を溶かして崩す事も構わずに演奏を続けている。だが一部の楽器の音色が欠けたその演奏は、どこか歪な響きがあった。

 

「この霧……!! イブちゃんの魔法じゃ……!!」

 

「何だそれ!?」

 

「杏子ちゃん、気を付けて。この霧は触れたものは何でも溶かしてしまうの!!」

 

 まだエリクシルを見た事が無かった杏子は半信半疑という表情だったが、ポケットにあった十円玉を霧の中に投げ入れると、熱したホットプレートの上に水を注いだような音を立ててコインが崩れたのを見て、表情を凍り付かせた。

 

 既に使い魔達は殆ど残らずエリクシルに飲み込まれているようだった。大した抵抗も受ける事無く二人は結界の最深部へと辿り着く事が出来た。

 

 そこでは、今まさにイブが魔女へ。かつてさやかだったものにとどめを刺さんとしている所だった。

 

 コンサートホールを模した結界は紅い霧によってあちこちが崩れ、魔女も全身をエリクシルの猛毒に浸食されてぼろぼろになって、地に這い蹲って千切れた上半身だけでずるずると動きながら、それでも演奏を邪魔する者は排除するという本能だけで侵入者に向かって動いていた。

 

「さて……随分と手間取りましたがこれで終わりなのですよ」

 

 まだ二人には気付いていないイブがそう言うと周囲一帯に満ちていたエリクシルが一点に集まり、錐(きり)のような形状を取る。彼女は自分の血で作った紅い霧を自由に動かすだけではなく、一点に収束させる事も出来るようだった。

 

 後はこの一撃で魔女を貫くだけ……

 

 彼女がさっと上げた手を振り下ろそうとして、杏子が背後から槍の柄を使って羽交い締めにした。

 

「きょ、杏子さん!?」

 

「お前!! 何やってんだ!! いくら魔女になったからって、あいつをこんな簡単に殺そうとするなんて……!!」

 

「お願い、止めて!!」

 

 まどかもそう言ってきたが、しかしこの状況で戦えるイブも杏子も動きが止まってしまうというのは非常に良くなかった。手負いの魔女が一気に侵入者を抹殺せんと、手にした剣を振り上げる。

 

 咄嗟にそれを見たイブと杏子はそれぞれ反対の方向へと跳躍して離脱したが、まどかだけが取り残されてしまう。しかし、突然彼女の姿が消えたかと思うと全く別の離れた場所に出現した。

 

「ほむらちゃん……!!」

 

 まどかを助けたのは、彼女だった。振り下ろされた剣が目標を見失って、床に巨大なクレバスを作る。

 

 ほむらがいたのは予想外だったが、しかしそれを考えると杏子は余計許せないものがあった。昨日は、自分と一緒にさやかを助けようとしたのに、何で今日は……

 

「おいお前!! さやかを助けるんじゃなかったのかよ!!」

 

 そう言いかけた所で杏子は、自分の後頭部に硬い感触が当たるのに気付いた。ほむらが時間停止の魔法で後方へと回り込み、手にした銃を突き付けていた。

 

「だからやっているのよ。黙って見てなさい」

 

 そうしてほむらが杏子の動きを止めて邪魔が入らない事を確認すると、イブは最後の攻撃に移ろうとする。どうも自分は肝心な所で邪魔が入る星の下に生まれついているようなので最後まで用心は欠かさなかったが、今回はその必要は無さそうだった。三度目の正直とは行かなかったがそれでもようやく、自分の本懐を遂げる事が出来る。

 

 手を振り下ろすと一点に集まっていた猛毒の霧がさやかだった魔女へと殺到し、その巨体を飲み込んでいく。

 

 やがて魔の霧がすっかり魔女を飲み込み終えると、結界が揺らぎ、消えていく。魔女は、死んだのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「ひどいよ……こんなの、あんまりだよ」

 

 現実世界に戻って、まどかはがっくりと膝を付いて泣き続けていた。ほむらは今の彼女に掛ける言葉を持たず、ただ見守るしかなかった。

 

「お前ぇ!!」

 

 杏子はイブに詰め寄ると、その胸ぐらを掴む。小柄なイブは持ち上げられて足が浮いた。

 

「確かにこうするしかなかったのはあたしにだって分かる!! でも、だからって……もう少しチャンスをくれたって……試してみたって良かっただろ!! 何もいきなり殺さなくても……!!」

 

 大切な人を失った時は、泣くか怒るかするしかないという。今のまどかが前者であり、杏子は後者だった。イブの行動は頭で考えた行動としては正しかったのだと分かっていたが、彼女の感情がそれを許せなかった。

 

「何を言っているの?」

 

 と、柱の陰から風華が姿を見せる。ほむら、杏子、イブはそれぞれ視線を彼女に向けたが、まどかだけは泣き崩れたままだった。

 

「杏子……さやかの体は今、どこにあるの?」

 

「……それを聞いて、どうしようってンだ?」

 

 風華を睨み付ける杏子。彼女の中では、さやかを殺したイブと同じく敵視されているらしい。まあ、これまでの自分達の行いを彼女達の目から見れば仕方ないかと、風華は溜息を吐く。

 

「じゃあ体を、マミさんの部屋に運ぶです」

 

 イブはそう言うと、まだ血が滴っている自分の手をすっと上げた。

 

「見せてあげるのですよ。僕の魔法、”猛毒にして万能薬”(エリクシル)の、本当の使い方を」

 



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第11話

 

 魔法少女達を出迎えたマミは、特にまどかなどはひょっとして別人ではないかと息を呑むほどに変わり果てていた。

 

 陽光のようだった金色の髪は艶を失ってあちこちに枝毛が伸びて、泣き腫らした目の下にはくっきりと隈が浮かび上がってきた。

 

 魔法少女として人を救う事に誇りを持っていた彼女であったからこそ、その思いも寄らぬ真実を知った時のショックは大きかったのだろう。それでもまだ杏子のように自分の願いの結果、つまり自業自得であると割り切る事が出来れば良かったのだろうが、マミの場合は交通事故で死にかけて殆ど選択の余地無く契約したのだ。それだけに割り切る事も出来ず、やり場のない気持ちに苛まれていたに違いない

 

 それでも、こうして皆の呼びかけに答えて出てこれるぐらいには回復したようだった。ほむらはつい昨日も部屋の前で何度もチャイムを鳴らして呼び出したが、暖簾に腕押し糠に釘。反応さえ返ってこなくて留守ではないかと疑ったほどだ。

 

 一同は部屋に入ると床に、杏子が背負っていたさやかの肉体を注意深くゆっくりと寝かせる。マミは「ソウルジェムはどうしたの?」と体と声を震わせながら尋ねる。それには、ほむらが答えた。

 

「彼女のソウルジェムは、グリーフシードに変化した後、魔女を生んで消滅したわ」

 

「え……」

 

 それを聞かされた時、マミは表情に何の変化も見せなかった。あまりにも気持ちの振幅が大きすぎてどう反応すればよいのか分からない状態、とでも言うのだろうか。

 

 そうして数秒ばかり時間が過ぎて。

 

「ソウルジェムが……魔女を……なら……もう……」

 

 何やらぶつぶつと呟いていたかと思うと、不意に彼女の右手が左中指の指輪に形状変化させたソウルジェムへと伸びたが、すんでの所でほむらが掴んで止めた。

 

「マミさん、落ち着いて」

 

「放して!! 暁美さん!! ソウルジェムが魔女を生むなら、みんな……!! みんな死……」

 

「っ!!」

 

 一瞬、彼女の脳裏にある光景がリフレインする。それを思い出すと無性に苛立ち、そして哀しくなって、マミの頬を張るぱんと乾いた音が部屋に響いていた。思わず、杏子やまどかの視線も集中する。

 

「……気持ちは分かるけど、落ち着いて。そうならないように、イブがいるのよ」

 

「……イブさんが?」

 

 まだ半信半疑という風なマミを見て「見せた方が早いわね」と風華。顎をしゃくってイブに合図するが、ここでまたもや招かれざる客が姿を見せた。

 

「何をする気かは知らないけれど、僕も同席させてもらえないかな?」

 

 キュゥべえだ。反射的にほむらが見事な早抜きでシングルアクションアーミーの銃口を向け、杏子もソウルジェムから取り出した槍の切っ先を突き付けるが、風華が制した。

 

「今更隠しても仕方がないわ。イブ、やりなさい」

 

「はいです」

 

 相方に促されてイブは頷くと、いつも通りナイフを掌に這わせた。流れる血が霧となって、さやかの体を包み込んでいく。何でも溶かす血煙の魔法に脆い人体は抗する術を持たず、消えていく。

 

「やめ……」

 

 思わずまどかが飛び出してさやかの体を守ろうとするが、ほむらが腕を出して止めた。やがて、少女一人分の肉体はすっかり霧の中に消滅してしまう。

 

「これで、先刻溶かした彼女の魂だった魔女のグリーフシード……つまりさやかさんの魂と命。そして今取り込んだ彼女の肉体。今までさやかさんを構成していたものは全て、エリクシルの中に溶け込んだのです」

 

 言わば、美樹さやかという人間の全ての部品が揃った事となる。

 

「ならば話は簡単なのですよ」

 

「ちょっと言い方は悪いけど、今のさやかはエリクシルの中で組んでいないプラモデル状態……と、なれば……」

 

 ぱちん。イブの指が気持ちのいい音を鳴らした。周囲に立ちこめたエリクシルの霧が彼女の念に従って複雑に動き、絡み合い、やがて一点に集まっていく。そしてその一点には一つの光が灯り、その光は僅かな時間で人の形を成していった。

 

 数秒が過ぎて光が治まった時、そこに横たわっていたのはエリクシルが溶かす前と寸分変わらないさやかの体だった。いや、寸分違わないどころではない。そこに現れたさやかは、先程までとは全く違っていた。

 

「ん……」

 

 錯覚だろうか。

 

「え……?」

 

「美樹……さん?」

 

 いや、違う。

 

「あれ……私……」

 

「さやかぁ!!」

 

「さやかちゃん!!」

 

「うわわっ!?」

 

 目蓋を動かし、瞳を開けてのろのろと起き上がったさやかは、次の瞬間には目を涙で一杯にして飛びついてきた杏子とまどかに押し倒されて、再び床に転がった。

 

「話には聞いていたけど……まさか……本当に出来るなんてね」

 

「これは……どういう事なんだい?」

 

 驚くのはほむらもそうだが、キュゥべえも同じだった。まさか魔女から人間へと戻す事が可能だなんて。

 

 インキュベーターは人類へ有史以前から干渉してきたが、その長き時の中でこのような事例は初めて見るものだった。

 

「僕の魔法、エリクシルの本来の能力はあらゆる物の分解、そして再構築。戦闘では分解の力だけを使っているですけどね。そして分解するのは物質だけではなくいかなるエネルギーも、命や魂ですら量子レベルで分解して僕が生きている限り半永久的に保存する事が出来るのですよ」

 

「先程の魔女との戦いで魂と命が、そして今、肉体が取り込まれて美樹さやかだったもの全てがエリクシルの中に揃った。イブはそれを再構築したのよ」

 

 それは折れてしまった鉄棒を一度高熱で融解し、その後に枠に嵌めて再び元の棒に戻すような作業だった。確かに筋は通っているが、キュゥべえにはまだ疑問があった。

 

「確かに一応納得は出来るけど……でも、人間は元々魂について分かっていない筈だよ? 理解できない物をどうこうするなんて無理だろうに……」

 

 尤もな意見だ。魂の部品がエリクシルの中にあっても、それを再び魂として組み直してしかも肉体に組み込むなど、”魂”というものを理解していなければ不可能だろう。

 

 風華も頷き、認める。

 

「確かに私達は”魂”がどんなものかは知らないわ。けど、知らないなら知っている者に教えてもらえば良いんじゃない?」

 

 「魂について知っている者」。そのキーワードを受けて、この場の全員の視線が集まった。イブを除いてはそれに唯一該当する者、キュゥべえ、否、インキュベーターに。

 

「馬鹿な。例え僕の同胞の誰かが教えたとしても君達に魂の概念なんて、話して分かるものじゃあ……」

 

「別に口で教えてもらう必要は無いわよ」

 

「エリクシルのもう一つの特性なのです。取り込んだ者の知識・記憶・能力も取り込めるのですよ。例えばさやかさんは最近体重が0.5kg増えて合計でよんじゅう……」

 

「わーっ!! わーっ!!」

 

 二人に押し潰されたままのさやかが大声を出して阻止する。確かに、彼女の能力は本物らしい。つまり、イブは……

 

「そうか、君はその魔法の中にインキュベーターを取り込んだんだね」

 

 それによって彼女は人間でありながら彼等の知識や技術を手に入れてしまった。魂の在り様についても然り、という訳だ。

 

「あ、だからお前は沢山の魔法武器を使えるのか……」

 

 納得行ったという表情で、まださやかに乗ったままの杏子が言う。彼女本来の魔法武器はエリクシル一つだけ。だが今まで紅い血の霧が溶かした魔女が魔法少女だった時に使っていた魔法を、全ての記憶と能力を引き継いだイブは使う事が出来るという訳だ。以前隣町の戦いで見せた複数の魔法武器という”手品”の種明かしは、彼女本来の魔法の特性だったという訳だ。

 

「さやかを人間に戻したように、これで魔法少女が魔女になる事は無いわ……その前にイブが人間に戻してしまうから……あなたの目論見は外れたわね、インキュベーター」

 

 勝ち誇ったように言うほむらだったが、しかしキュゥべえの声には動揺は見られなかった。

 

「そうかな? 確かにそんな方法で魔法少女・魔女を人間に戻せるのは驚いたけどイブ、君は自分自身にその魔法を行使する事は出来るのかい?」

 

「ああ、それは無理なのです」

 

 ある意味絶望的な事実であるが、あっさりと手をひらひらさせて言うイブ。その告白を受けて風華とキュゥべえ以外の表情は驚愕と絶望に彩られる。インキュベーターの口調はいつも通り一本調子だったが、しかし今は勝ち誇っているような風に聞こえた。

 

「例え全ての魔法少女と魔女を人間に戻せても、最後に残った君はいつかは魔女になる。そうなれば結局、同じ事の繰り返しだよ」

 

 確かにそうだ。ほむらもキュゥべえに指摘されるまでもなく、さっきイブが自分は人間に戻れないと言った時からその可能性については思い至っていた。

 

「本当に、そう思っているですか?」

 

「……言葉遊びかい?」

 

「ま、最後にどうなるかは……その時になれば分かるわよ」

 

 イブと同じく最後に自信ありげな言葉で、風華が締める。その自信がどこから来るのかは兎も角、彼女の意見それ自体にはキュゥべえも同意したようだった「僕は最後を見届けさせてもらうかな」と言い残して、去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 さやかが戻ってきて5分ほどが過ぎたが、未だにまどかと杏子は彼女を放そうとはしなかった。

 

 有り得ないはずだった再びの出会い、触れ合い。それが今、この場で為されていた。二人ともこれが夢でない事を確かめるように、さやかの体をぎゅっと抱きしめていた。

 

「さやかちゃん……さやかちゃん……!!」

 

「さやかぁ……良かったなぁ……!!」

 

「二人とも……ありがとう……それに、ごめんね」

 

 さやかも今のこの時がどれほどの奇跡なのかを分かっているのだろう。そっと両手を二人の背に回して、彼女達を抱き返した。と、視線をイブに向ける。

 

「イブ……私、あんたの事、誤解してたよ……ごめんね」

 

「何の事です?」

 

「あんた……最初からずっと、私を人間に戻そうとしてくれてたんだね……」

 

 さやかが魔法少女になって最初に魔女を倒した時。あの時イブは、魔法少女としてのさやかを殺す事で再び美樹さやかという人間の生に戻そうとしていた。しかし、風華からの電話で邪魔されてしまった。

 

 杏子を仲間に引き入れようとした時は、模擬戦の事故を装ってそのままさやかを人間に戻してしまうつもりでいた。そうすればさやかは必然的に魔法少女ではなくなり、杏子もチームに入って八方丸く収まる筈だった。しかし、乱入してきたまどかのソウルジェム投擲事件によってまたしても阻まれてしまった。

 

 町を彷徨って魔女と使い魔を狩っていたさやかを見付けた時は、人間に戻してしまえば魔法少女としての悩みなど根本的にどうでも良くなると考えての行動だった。しかし、今度こそは思っていたがやはりほむらと杏子に邪魔された。

 

 そして今回。三度目の正直ではなくて二度あることは三度あり、四度目にしてやっとであるが彼女の目的は達せられたのだ。

 

「さやかさんの願い事は幼馴染みの腕を治す事だったのですよね? なら一言僕に相談してくれれば良かったですよ。そしたらエリクシルで一発だったですのに……」

 

 だから、彼女はさやかの願いを「くだらない」と言ったのだ。自分に相談すればすぐに解決するのに、よりによってインキュベーターに頼って魔法少女になってしまうなんて……だから、彼女はさやかを魔法少女から人間に戻そうとしていたのだ。「くだらない」願いの為に、戦いの宿命なんて背負わなくて良いように。

 

「優しいんだ。あんた……」

 

「別に……です」

 

 照れたようにそっぽを向くイブを見て、部屋に笑い声が満ちる。それを見ていたほむらが、隣に立つマミに尋ねた。

 

「マミさん……まだ、みんな死ぬしかないと思ってる?」

 

「……」

 

 ベテランの金髪魔法少女はゆっくりと首を横に振って、両手を下ろす。それを見てほむらは「もう大丈夫ね」と胸を撫で下ろした。

 

 それにしても、今のこの状況は正直予想外だった。マミが錯乱する事も取り敢えずは無いだろうし、さやかに至っては魔女化したもののそこから人間に戻る事さえ出来た。そろそろ、頃合いかも知れない。

 

 ほむらは決心した。伝えよう、全てを。

 

「ちょっと良いかしら?」

 

 すっと手を上げてそう発言する彼女に、一秒ほどのタイムラグを置いて皆の視線が集まっていく。

 

「みんなに……話しておきたい事があるの」

 



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第12話

 

 ほむらの口から語られた言葉に、4人の魔法少女と2人の一般人は声を失っていた。誰も咳一つ発さない。それをする事すらもがはばかられるほどに、彼女の話は深刻なものだった。

 

 暁美ほむらはこの時間軸の人間ではなく、まどかとマミが魔法少女コンビとして活動していた時間軸に、二人によって命を救われた事。

 

 そしてワルプルギスの夜との戦いで二人は命を落としてしまい、その時彼女はまどかとの出会いをやり直したいという願いによってその世界のキュゥべえと契約し、魔法少女となり時を遡る魔法を手にした事。

 

 二度目の時間軸でまどかが魔法少女の時間を終えて、その先にある姿を目の当たりにしてソウルジェムの真実を知った事。

 

 三度目の時間軸でさやか、杏子、マミが命を落とすのを見届けて、最後に親友をその手に掛けて次の時間に旅立った事。

 

 四度目の時間軸で、最悪の魔女となったまどかが世界を滅ぼさんとするのを尻目に、今の時間に来た事。

 

 そして五度目の時間軸。つまり今に。

 

 キュゥべえを追い回していた事は、事情を知らないマミにしてみれば新しく魔法少女が増えれば自分のグリーフシードの取り分が減るからだと思っていた。実際、キュゥべえをどうこうしようという者はいなくても、自分の取り分を守る為に縄張りに入ってくる魔法少女を殺傷する魔法少女は結構いた。

 

 何か痛い視線を感じて、杏子が目を逸らした。

 

 だが実際には、ほむらの行動は世界を救う為だったのだ。

 

 世界を救う。

 

 まるで何かのアニメのヒーローのような言葉であるがこれは決して大げさな表現ではない。

 

 ほむらが体験した前の時間軸では、魔法少女となったまどかは凶悪な魔女として名高いワルプルギスの夜を、一撃で倒すほど強大な力を誇っていたという。

 

 強い魔法少女は、そのまま強い魔女となる。そして魔女となったまどかは、その時間軸のキュゥべえの見立てが正しければ「十日もあれば地球を滅ぼす」最悪の魔女だったらしい。

 

 つまり何かのきっかけでこの時間のまどかが契約していれば、ほむらの言葉を借りれば「一度魔法少女になったら、救われる望みなんて無い」。イブのエリクシルというそれこそ極め付けのイレギュラーが無ければそれで”詰み”だったという訳だ。彼女も、この地球という星そのものも。

 

 それを思うとこうして皆がここで顔を揃えて言葉を交わしているのは実の所かなりの綱渡り、いつ割れるとも知れない薄氷の道を渡っていった結果であると言えた。

 

 いや、綱渡りも氷の上のウォーキングも、まだ続いている。

 

「今この町には私も含めて5人の魔法少女が揃っているわ。そしてイブが当てがあるという15人の魔法少女。この力を使って、ワルプルギスの夜を倒すわ」

 

 そう、あの強大な魔女を倒さない限りは安心できなかった。

 

 ほむらは思い出していた。彼女にとっては過去の未来、全ての時間軸でまどかの死、あるいは魔女としての転生にはあの、戯曲の魔女が関係している。そういう意味ではワルプルギスの夜こそがまどかを救えるか救えないかを決定する最重要ファクターであるとも言えた。

 

 まあ、仮に上手くワルプルギスを倒せたとしてまどかがその更に先の未来において魔法少女になるという確率もゼロではないが、そこは既にこの時間軸の彼女には魔法少女の真実を伝えているし、まどかを信じる以外の選択肢はほむらには無かった。

 

「やっぱり、あなたも時を越えているのね」

 

 話を全て聞き終えて少しの時間を置いて、風華が言った。その言葉を受けてほむらとイブ以外の者達が「えっ」という声を上げて彼女を振り返った。

 

 イブはただ無言で頷いているし、ほむらは自分の中での確信が事実であると分かって「やはり」という顔になった。「あなたも」という言葉が出ると言う事はつまり……

 

「あなた達も……」

 

 風華は頷いた。

 

「私は、終わってしまった未来から来たの」

 

 

 

 

 

 

 

 深雪風華には「お姉ちゃん」と呼んだ人がいた。一緒にいたのはほんの数日の間だったが、彼女にとっては家族と同じか、それ以上に慕っていた人だった。

 

 彼女の両親はある日何の前触れも無く、死んだ。風華が家に帰ると、二人とも眠るように息を引き取っていた。どこにも怪我を負ったり争った形跡も何も無かったのに。

 

 何が起こったのか分からなくなって町に出ると、そこにも異様な光景が広がっていた。

 

 町中の人間が、死んでいた。しかも誰一人として恐怖に顔を歪めたりとか、苦痛で額にシワを寄せたりはせず、両親と同じで安らかに永い眠りに就いていた。そうしていると不意に彼女自身もふっと気が遠くなって眠りそうになって、その時大声と共に自分の腕を取って現実に引き戻してくれたのが”お姉ちゃん”だった。

 

 ”お姉ちゃん”は魔法少女だった。

 

 彼女の説明によると、両親や町中の人間が死んだのは魔女の仕業らしかった。しかも、今まで彼女が見た事もないほどに強力な。

 

 ”お姉ちゃん”はその魔女に対抗する為に近隣の町から魔法少女を集め、数日後に決戦を挑むとの事だった。風華は両親の敵討ちの為に自分も魔法少女になって一緒に戦うと言ったが、”お姉ちゃん”は許してくれなかった。

 

 そして決戦が始まり、想像を超越して強大な魔女の前に魔法少女達は、あまりにもあっけなく敗れた。

 

 風華は”お姉ちゃん”の亡骸を抱きしめて、そして出会った。恐らくはキュゥべえとは違う、その当時はインキュベーターという名前すら知らなかった、小さな魔法の使者と。

 

 そのインキュベーターは風華が今地球で生き残っている最後の一人、最後の命であり、そして彼女の願いを何でも一つだけ叶えると言った。風華はどんな願いを叶えるか必死に考えて、そして、願った。その願いは、

 

 気が遠くなるほど昔の未来に口にした言葉だが、彼女は今でも正確に思い出せる。

 

「『この世界が、こんな事になったのはどこかで何かが間違っていたからだと思うの』、『だから私は、その間違いを見付けたい。そして間違いを正して、新しい未来を創る、その為の力が欲しい!!』」

 

 願いは受け入れられ、彼女は二つの力を手に入れた。

 

 一つは”間違い”を見付ける為に、時を渡る力。

 

 もう一つは見付けた時にその”間違い”を正す為に、実時間より更に過去へ飛び今を無にする力。マミやさやかを助けたのはこちらの魔法によるものだ。

 

 だが、ここで一つ問題が生じた。

 

「私の願いはあくまでも”間違い”を見付ける力を手に入れる事。だから”間違い”がいつ起きたのかは分からなかったのよ」

 

 彼女には”間違い”が起きる”時”に行く事が出来る力はあったが、その”時”がいつなのか見付ける力は持っていなかった。

 

 それはほむらにも理解できた。彼女の願いは「鹿目さんとの出会いをやり直す」こと。「彼女に守られる私ではなく、彼女を守る私になりたい」というもの。キュゥべえとの契約で与えられた時を遡る魔法によって確かにそれは可能となった。しかしほむらにとって「鹿目さんとの出会いをやり直す」というのはあくまでも前提条件的なものであり、本当の願いは寧ろ後者の方だと言える。それは出会いをやり直した後のほむらの行動次第だ。

 

 特に風華の場合、「鹿目さんとの出会い」という具体的な事柄を口にしたほむらと違って「間違い」などという抽象的極まる表現をしたのも一因に思える。と言っても風華自身当時は一般人であったから魔法少女や魔女についての知識など殆ど無く、そう表現する以外にはなかったという事情もあったが。

 

 どうもインキュベーターにはそうした言外の意を汲み取る力が欠如しているように思える。

 

 これはマミにも覚えがあった。彼女の願いは「助けて」。両親と一緒に出かけたドライブで交通事故にあった時、彼女は朦朧とする意識の中つぶれた車体に挟まれながら、現れたキュゥべえにそう願った。この時の「助けて」とは自分と両親を対象とするものだった。別にそれは自然な言葉であるし、少なくともキュゥべえの代わりにまともな人間がそこにいれば彼はそう解釈しただろう。

 

 だが結局、助かったのは彼女一人だった。キュゥべえが自分達の種族には感情が無いと言っていたが、それは嘘ではないとマミやほむらは思う。そうした面にそれが現れているように思えた。

 

 少し話がそれたので、風華は咳払いして場の空気を軌道修正する。

 

「だから私は……沢山の過去に飛んで、”間違い”がいつ起こったのかを探し続けていたわ」

 

 それは”希望”を捜していると言い換える事も出来た。

 

 時空流のどこかにある筈のその時。それを見付ける事が出来ればあの未来を変えて、”お姉ちゃん”だって救える筈だった。

 

 その”時”を、風華は時間と空間の迷路をずっと、ずっとずっと、ずっとずっとずっと彷徨い続けて、捜していた。

 

 そして今、この時に。

 

「ほむらの話を聞いて確信したわ。あの時世界を滅ぼした魔女は……」

 

 世界を滅ぼすほどの最悪の魔女。それは最強の魔法少女がその時間を終えて変じた存在に他ならない。既にもう一人の時間旅行者の話を聞いているため、全員の視線が一人に集まっていく。

 

 そして最後に風華が彼女と視線を合わせて、言った。

 

「まどか……私はあなたを捜していたのよ」

 



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第13話

 

 風華の捜し人、最強の魔法少女と同時に最悪の魔女となり得る少女、鹿目まどかは戸惑ったように聞き返した。

 

「風華さんの捜していたのが……私……?」

 

 そう言われて時を渡る魔法の使い手は、静かに頷く。

 

「そう、私もあなたの素質に気付いて、ほむらと協力するために話をしてその中で確信めいたものを持つには至っていたけど……」

 

 今、ほむらから彼女の体験してきた昔の未来の話を聞いて、これではっきりした。

 

 自分の両親を殺したのは。”お姉ちゃん”を殺したのは。自分の生まれた時間の地球を滅ぼした魔女は。

 

 ほむらも同じ思考に至ったのだろう。「早まった考えは起こさないで」と先手を取って釘を刺す。

 

 もう一人の時使いはそれでも風華が強行しようとするなら自分も時の魔法を使って腕尽くでも止めるつもりだったが、その必要は無かった。風華は先程の話、彼女の壮絶な過去と今に至るまでの経緯から考えるには拍子抜けるほどあっさりと、

 

「分かっているわよ、ほむら……」

 

 と、まどかへ危害を加えるつもりが無い事をアピールする。

 

 流石に肩すかしを食らったような気分になったが、何にせよまどかに危害を加える気が無いのならそれでいいかと一息吐くほむら。まだ最低限の警戒は解いていないが、今の風華からはその僅かな警戒をする必要も感じなかった。何故だか何の覇気も熱も感じない。不思議なほど。

 

「本当の事を言うとね、私は……”お姉ちゃん”を助ける事も……未来を救う事も……もう半分ぐらいはどうでも良くなっているのよ……」

 

「半分……?」

 

「どういう意味だ……?」

 

 さやかや杏子の疑問に答えるように、イブが進み出る。

 

「その先は僕が説明するですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 魔法少女となった風華が様々な時間の様々な場所へ行ったのには理由がある。彼女の願いはどこかの時間で起こってしまった”間違い”を捜し、それを正す事。

 

 しかし一口に”間違い”と言ってもそれがどういうものなのか、彼女には分からなかった。取り敢えずそのような表現をするしかない出来事、としかその時点では言い様が無かった。

 

 その”間違い”はいつ起こったのだ? そもそも”間違い”とは、ある時に誰かがたった一つの核地雷を踏んでしまってああなったのか? それとも遥かな過去から多くの者が少しずつ積み重ねてきた歪みが、あの時に世界の終わりという形、それをもたらす魔女という形を取って具現化したのか?

 

 彼女には分からない。だからそれを知る所から始めなければならなかった。

 

 いくつかの時間を渡り、魔法少女がやがては魔女となる事を知った。

 

 そしてインキュベーターは魔女を狩るという表向きの目的の為に少女の願いを一つだけ叶えて契約し、その少女を魔法少女にする事を知った。その魔法少女もやがては魔女に。その連鎖、悪循環を知った。

 

 ならばと、その時の風華は思った。止めようのない悪しき連鎖が延々と続くのならば、その最初の時に。そもそもその連鎖の始まりを止める事が出来れば、あるいは。その想いと共に彼女は時空流を遡り、その時へと飛んだ。

 

 この地球に、最初に魔法少女が生まれた時、生まれる筈だった時に。

 

「そこで出会ったのですよ。最初の魔法少女であり、零人目の魔法少女にして最初の魔女になる筈だった、この僕と」

 

 イブには好きだった男がいた。だが彼には既に心に決めた女性がいて、彼の中に女としての自分の場所など何処にもないと分かっていた。

 

 イブは、諦めようと思っていた。相手の女性の事も彼女は友人としては好きだったし、二人ならばきっと幸せになってくれるだろうと思っていた。だから自分は涙を呑もうと思っていた。

 

 そしてお気に入りの場所であったリンゴの木の下で声を押し殺して泣いていた彼女に、話しかける者がいた。真っ白な体をして、耳から毛の束に見える物を垂らした白い動物が。

 

 その動物、インキュベーターは言った。何でも一つだけ願いを叶えると。

 

 しかしこの時、イブはあまりにも虫の良すぎるこの話に逆に猜疑心をくすぐられ、疑り深く尋ねた。そんな事をして一体何の得があるのかと。その動物が言うには自分はイブが契約して願いを叶える事それ自体が目的であり、何の代償も求めないし何を強制したりもしないという事だった。

 

 そう言われて、少しだけ心が揺らぐ感覚を覚える。そこに更にもう一言、その動物は畳み掛けるようにこう言ってきた。「試しに願いを言ってみればいい、奇跡なんだから叶わなくて元々、叶えばラッキーぐらいに考えれば良いじゃないか」と。

 

 確かにそうかも知れない。ある意味悪魔のささやきを受けて、ならばとイブは口にしようとした。自分は、彼が欲しい。彼の心が。

 

「僕は……僕は、あの人がほ」

 

 その願いを口にしようとして、しかし阻まれた。タッチの差で現れた、風華によって。

 

 彼女から説明を受けて契約する事のリスクを教えられたイブは、やはり契約しなくて良かったと胸を撫で下ろして、同時にその動物を激しく責めた。しかし彼等にも覚えのない事なのか「わけがわからないよ」ととぼけるばかりで今ひとつ要領を得ない。

 

 一方、風華にしてみれば何はともあれこれで契約の連鎖はその始まりの時より断ち切られたと、張り詰めていたものが切れたような気がして、そして「時既に遅し」と言う言葉の意味を強く実感する羽目になった。

 

 今にして思えば当然の事だった。そもそもインキュベーターは宇宙の寿命を延ばす為、少女の希望と絶望からエネルギーを回収する為に地球に来ている訳だから、当然接触している少女が一人だけの訳がない。

 

 確かにイブは人類史上最初の魔法少女であった(正確にはこの表現は適切ではない。この時点では魔女は存在しなかったので、契約した少女が魔法少女として戦う必要も無かった。だから彼女は魔法少女というよりは「ただ奇跡を叶えてもらった普通の少女」になる筈だった、と言う方が当を得ている)。しかしそれは、ただ単に彼女が一番初めにインキュベーターと契約したというだけの事だったのだ。

 

 イブ達3人の住んでいた場所が、彼女達が楽園(エデン)と呼んでいたそこが、襲われたのだ。魔女によって。

 

 イブがインキュベーターを追求しても満足な返答が得られなかったのは、この時点では彼等も魔女の存在を認知していなかったからであった。当時のインキュベーターのエネルギー回収プランには、現在のように魔女と戦うなどといった要素は組み込まれていなかった。それは戦うべき対象が存在しないのだから当然だが、それすら不要だったからだとも言える。

 

 彼等は知っていたのだ。人間が、どこまでも満たされるようには創られていない事を。だから歪な形で願いが叶えば、高い確率で逆にそれで破滅する事を計算済みだったのだ。宝くじで一等を当てて、それで止め処なく浪費して破産するなど良く聞く話である。

 

 そして願いを叶えた少女の魔女化は、彼等でさえも想定していなかったイレギュラーだった。

 

 魔女に、この時にはまだその名前すら付いていなかったその怪物に自分以外の二人、アダムとリリスが殺されて、魔女は風華の手にすら余って、それを目の当たりにしたイブは願った。願ってしまった。

 

「力が欲しい、二人を助けて、あの怪物をやっつける力が欲しい」

 

 かくして契約は成り、イブは魔法少女となった。

 

「僕の祈りはさやかさんと同じ癒しの属性も持っている。エリクシルが全てを殺す毒であり全てを救う万能薬の相反する性質を持つのは、その祈りによるものなのですよ」

 

 魔女を倒して、アダムとリリスを救ったイブ。だがもう、二人の元へは戻れなかった。こんな、死んでしまった体で。

 

「そして僕は風華の話を聞いてそれに賛同し、一緒に行く事にしたのですよ。未来を救う為の、永い時の旅に」

 

 旅の途中、二人は多くの魔法少女と出会い、彼女達の希望が絶望に、祈りが呪いに変わるのを見届けて、厭きるほど多くの魔女を殺してきた。

 

 ほむらは以前、ソウルジェムの真実を告げても信じてくれる魔法少女は誰もいなかったとまどかに漏らした事がある。それは彼女達の場合も似たようなものであったらしく、殆どの魔法少女はインキュベーターの真意も、自分達の末路の話も信じなかった。

 

「でも、それでも何人かは信じてくれたわ」

 

 と、風華。彼女とイブが歩んできた時間は、同じ時の旅人であるほむらでさえも比較にならない。当然、出会った魔法少女の数も桁違いだろう。多くの者に何度も話をすれば、いくらかは信じてくれる者がいても不思議ではない。

 

「そしてその中の更に何人かは、僕達と一緒に来て力を貸してくれると言ってくれたのですよ」

 

「……!! じゃあ、あなたの言う15人の魔法少女って……」

 

 察しの良いマミにイブはにかっと笑い、頷いた。

 

「そう、彼女達は僕達と一緒に時を越えてやって来た魔法少女なのですよ。みんな、既にこの町に集まっているです」

 

「っ、はーっ……」

 

「とんでもなくスケールがでけェな……」

 

 ほむらが未来から戻ってきたという話だけでも圧倒される思いだったのに、そこへ来て風華とイブのこの告白。あまりに壮大な話について行けないという風に、さやかと杏子が呆れたような声を上げた。

 

 だが、まだ話は続いている。

 

「……そして今から10年ほど前の事……私はふと思い至ったのよ、こうして私がここにいるという事は、今この時間の”私”はどうしているんだろうって」

 

 それはほむらには要らぬ心配だった。彼女の場合は時を飛ぶと言うよりは、未来のある一点から過去の一点へと、記憶や能力を過去の自分の肉体に移行させているというのが正確な説明だ。

 

 一方風華の場合は、イブや15人の魔法少女を連れてこの時代に来ている事からも分かるように、肉体ごと時を越える事が出来る。

 

「そして私達の家があった所へ行って……驚いたわ」

 

 家は色褪せる事の無い記憶に刻まれた通りの場所に、記憶通りの佇まいを見せていた。魔法を使って気付かれないように覗いてみると忘れる筈もない両親の姿が見えて、思わず名乗り出ようかという衝動を抑えるのに苦労した。

 

 しかし数秒後には、そんな衝動が吹っ飛ぶような衝撃を受ける。

 

 彼女の両親と一緒にいたのは幼い頃の”風華”ではなく、良く似た容姿をした男の子だったのだ。

 

 その時、風華は理解した。いや、なるべく自分では考えないようにしていた事実を否応無い形で突き付けられたと言うべきか。

 

「同じ時間に、二人同じ人間は存在できない……」

 

 かつて自分が生きていた筈のこの時間は、自分の生きていた世界ではなかった。この告白にはほむらも衝撃を受けたようだった。あるいは彼女の中にも、風華のそれと同じ迷いがあったのかも知れない。

 

「ほむら……例えあなたがこの世界でワルプルギスの夜を倒しても、そして私がまどか、あなたが魔法少女になるのを止めても、あの未来を救う事は……もう出来ないのよ」

 



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第14話

 

 タイムパラドックスという言葉がある。その中で最も有名なのは、「親殺しのタイムパラドックス」であろうか。例えば未来から子供がタイムマシンに乗ってやって来て、自分の親を殺してしまったとする。だが親を殺してしまったのならその子は生まれないし、そもそも親は誰に殺されて死ぬのだ? と、こうして矛盾が生じるのだ。

 

 風華が彼女が本来生きていたのと別の、つまりこの世界に迷い込んだのも、根っこの理由はそうした時の矛盾を回避するためのものであったのかも知れない。深雪風華が既にいる世界に、もう一人深雪風華がいてはおかしいのだ。

 

「流石の魔法も、そうした時の修正力には勝てないのでしょうね……だから、この事実に気付いた時にすぐ試してみたけど、私の魔法は一度行った事のある時間へは飛べない事が分かったわ」

 

 飛んだ先のその時間には、既に彼女がいるからだ。

 

「ここは私の生まれた時間軸の……その、平行世界。鏡に映したようにそっくりだけど、でもどこか違う世界……」

 

 例えこの世界でどんなハッピーエンドを迎えたとしても、終わってしまった風華の世界はもうどうにもならない。だが、それでも……変えられないから、救えないからと言って全てを投げ出して終わりにすると言う選択肢は、風華には無かった。

 

「二千年か、四千年か……? 途中からは数えるのも面倒になってしまったけど、とにかく私とイブはそれほどの時間を生きて、未来を変えようとしてきた。その時間が無意味だったなんて……誰がそう言っても私は認めない。認められない。認める訳には行かない」

 

 それは風華の意地であった。自分が気の遠くなるような時を経てやって来た事が無意味だったのだと、骨折り損のくたびれもうけだったのだと、それこそそんなの私が許さない、である。だからどんな形でも良いから、そこに意味を求めた。

 

 その意味が、この世界を救う事だった。

 

「これで……私の話は終わりよ……」

 

 彼女の動機は、ほむらに比べれば、ある意味不純と言えるかも知れない。誰か一人の為でもなく、純粋に世界を救う為でもなく、この世界を救う事は風華にとっては自己満足の為であると言って良かった。イブにとっても。

 

「それでも……あなた達の力はワルプルギスの夜と戦う為には魅力的だわ……頼りに、しているわよ」

 

 そう言うほむらの言葉も、どこか投げやりである。実の所、彼女もこの世界も含めて今まで訪れた世界が、最初の時間軸から見て平行世界であるという予感はどこかで感じていた。

 

 さやかも、マミも、杏子も、そしてまどかでさえも何がどうとは言えないが、微妙に違っている気がしていた。勿論それは同じ顔の別人と言うようなものではなく、ちょっと虫の居所や体調が悪かったりすることで有り得るような些細な変化でしかなかったからあまり気にしなかったが、今にして思えばそれが世界の違いによって生じた変化であったのかも知れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 その後はワルプルギスの夜への対策が会議の主題となった。ほむらの体験してきた過去の統計による出現位置の予測、迎撃する魔法少女達の陣形、コンビネーションの打ち合わせなど。熱の入った会議は数時間に及び、すっかり辺りは暗くなってしまう。そうして決戦を明日に控え、今夜は皆が思い思いに過ごして英気を養おうという運びになった。

 

「鹿目さん、暁美さん、今日は泊まって行かない?」

 

 マミから申し出があって、まどかとほむらはそれを快諾した。まどかは家に「今日は先輩の家に泊まるから」と連絡を入れて、二人はマミの作った料理に舌鼓を打って、食後のお茶がテーブルに並べられる。

 

「暁美さん……辛かったわね……」

 

 僅かばかりの沈黙を破ったのは、マミのその一言だった。

 

「今まで、ずっと一人で……誰にも信じてもらえずに、私や……鹿目さんが死ぬ所を見たり……」

 

 違う時間軸で起きたが故に自分には覚えのない出来事であるが、それでも自分の事である。彼女の話を聞いていると、ついこう考えてしまう。

 

 もし、もしだ。もし、過去の時間の自分が彼女の話を信じてやる事が出来たのなら。信じて、彼女と共に戦う事が出来ていたのなら。そうすればほむらももっと早く、永い時の迷路から抜け出る事が出来ていたかも知れないのに……

 

「そして今のこの私も……風華さんやイブさんがいなければあなたを信じる事が出来なかったわ……ごめんなさいね……こんな、情けない先輩で……」

 

「……いいんです、マミさん……私も、あなたには何もかも世話になりましたから」

 

 と、ほむらが彼女には珍しく薄い笑みを浮かべて応じる。

 

 最初の、彼女が本来生きた時間でまどかと一緒に自分の命を助けてくれたのはマミだった。

 

 次の時間軸で、魔法少女としての戦い方を教えてくれたのもマミだった。

 

 更に次の時間軸で、チーム戦を行う際の自分の問題点を指摘し、戦闘スタイルを完成に導いてくれたのもマミだった。

 

 ほむらは思う。マミと出会わなかったら、きっと自分は今とは違った魔法少女になっていただろう。今よりもずっと弱い魔法少女に。今の自分を構成する中には、マミの占める分もまどかに次いで多いように思った。

 

「ほむらちゃん……」

 

 小さく手を上げて、怯えたようにまどかが口を挟んだ。

 

「何? まどか……」

 

 テーブルの上に乗せられたほむらの手に、大きさのさして変わらないまどかの手が優しく重ねられる。時を越えてきた魔法少女は、はっと顔を上げてまどかを見た。

 

「ほむらちゃん……ありがとう……」

 

「まどか……」

 

「ずっと……私の事、守っていてくれたんだね……ごめんね、分かってあげられなくて……」

 

「まど……かぁ……」

 

 すぐ傍にいる彼女の顔がぼやけて、声もぶるぶると震えていく。ほむらの双眸からは、涙が滂沱として伝っていた。それ以上は、もう声にする事も出来なかった。

 

 決めた筈だった。もう誰にも頼らないし、誰に分かってもらう必要も無いと。分かってもらえなくても構わないと思ったのは、まどかとて例外ではなかった。でも、こうされてしまうと、もう……

 

 

 

『約束するわ。絶対にあなたを救ってみせる。何度繰り返す事になっても!! 必ずあなたを守ってみせる!!』

 

 

 

 あの時、三度目の時間で約束したように、自分がまどかを守るつもりだった。一つ前の時間でも、この時間でも。でも、実際は違っていた。

 

 たった一人でも戦う決意が持てたのは。

 

 何度同じ時をループしても構わないと、そんな心の強さをくれたのは。

 

 彼女はいつだって自分を助けてくれた。共に戦ってくれて、四度も命を救ってくれて、そして何より、希望をくれた。

 

 自分がまどかを守るのではない。自分がまどかに守られていたのだ。

 

 それを理解して、溢れ出る感情を抑える術をほむらは知らなかった。だからただ、まどかを抱き締めた。まどかも、時を越えてずっと自分を守ってくれていた最高の友達を、優しく抱き返す。

 

 マミは抱擁し合いながら涙を流す二人を見てにっこりと笑うと、自分はお邪魔だろうと音を立てないようにそっと立ち上がって、ベランダに出た。

 

 今日は雲一つ無い夜で、美しい月が町を照らしていた。

 

 彼女はソウルジェムの力を軽く発動させて愛銃を物質化すると、その銃口を月へと向ける。彼女の眼光は鋭く、強く、そして暖かかった。

 

『明日の戦い……鹿目さんも、暁美さんも……絶対に死なせないわ……例え私の身が、どうなろうと……!!』

 

 

 

 

 

 

 

 24時間営業のゲームセンターでは、杏子がお気に入りのダンスゲームの筐体で、普段と変わらないステップを踏んでいた。彼女のあまりの気安さに、すぐ後ろに立っているさやかはワルプルギスの夜が来る日を一日間違えているのではないかと、真剣に不安になった。

 

「あんたさぁ……分かってるの? 決戦は明日なんだよ……?」

 

 呆れたように言うさやか。そう言われても杏子は足取りを少しも乱さず、振り返らずに答える。

 

「明日だからこそ、さぁ。明日になったら死んでるかも知れねェんだ。だから、思い残す事の無いようにしとかねェとな……」

 

 まあそれも正論かも知れないと、さやかは嘆息する。もう自分は魔法少女ではなくなったから一緒には戦えない。人間に戻れた時は、ゾンビじゃなくなったと無邪気に喜んだけれど、こうして杏子やマミさんやほむら達が戦うのをただ見ているという立場になると、忸怩たる思いを抱くようになる。

 

 そうして顔を伏せたさやかの視界に、見慣れたブーツが映った。杏子のものだ。と、頭に手がぽんと置かれる感覚がした。

 

「気にするこたァないさ……あんたは人間に戻れたんだ。平和に生きて寿命で死ぬ。そうした人並みの人生を全うすりゃいいのさ」

 

 杏子の言葉はさやかが明日、ワルプルギスの夜によっては死なない事を前提としたものだった。言外に自分が、自分達が守ると言ってくれていた。

 

 さやかが顔を上げると、ちょうどゲーム機の画面には「Hi Score」の文字がでかでかと映し出されていた。

 

 スコアランキングの一位から十位までを全部自分のニックネームで埋め尽くせて、ようやく杏子も満足したらしい。さやかを連れてゲーセンを出ると、ほど近いファミレスに入った。勿論勘定は杏子のおごりだ。

 

 さやかはドリンクバーを頼み、彼女自身はいっぱい頼む。ずらりと並べられた料理に「こんな夜中にこんなに食べて、太るよ」とまたしても呆れたように言うさやか。杏子は先程の再現のような返答を返す。

 

 30分ほどの時が過ぎて、十人前はあろうかという料理を全て平らげてしまった杏子が、爪楊枝を口に差し込みながらふと呟いた。

 

「なあ、さやか……」

 

「何……? 杏子」

 

 互いに名前で呼び合っている事には、もう違和感を覚えなかった。

 

「あたしさぁ、この戦いが終わったらイブに頼んで、人間に戻してもらおうと思ってるんだよ。そしたらさ、学校にも行くよ、あんたやまどか、ほむらにマミの奴も一緒にさ……」

 

 今まで見た事もないような笑顔でそう言う杏子に、さやかはちょっと意地悪な笑みを浮かべた。

 

「あんたさぁ……分かってるの? その発言って死亡フラグだよ……」

 

 孤島や雪に閉ざされた山荘で殺人事件が起きて、「人殺しと一緒になんかいられるか」と部屋に戻る人間と同じ運命を辿りたいのかとからかうように言う。だが、杏子は「ふふン」と鼻を鳴らすと、優しい笑みを見せた。

 

「ほむらや風華の話を聞いて……そして今まであいつ等を見ていて、分かった事があるんだよ……」

 

「分かった事……?」

 

 特に風華は、あの高架の上で既にそれを見せてくれていた。

 

「死亡フラグを立てるのが人間なら、そのフラグをブチ折れるのも、また人間だって事」

 

 

 

 

 

 

 

 高層マンションの屋上から見下ろす景色は、蛍籠か宝石箱のようだった。流石に香港辺りの夜景には及ぶまいが、それでもこの美しさは目を奪われるものがある。

 

 この光は人々の営みの証。皆が生きている。悩んで、苦しんで、憎み合って、それでも時には笑って。

 

「イブ」

 

 振り返るとパートナーは、最後の晩餐のつもりなのか山盛りのリンゴを囓っていた。どうやら彼女も杏子と同じで、決戦の前には思い残す事の無いようにやるタイプらしい。

 

「ふぉふふぃふぁふぇふ、ふふふぁ(どうしたです、風華)?」

 

 行儀悪くリンゴを噛みながら近付いてくるパートナーに「礼儀正しくしなさい」と軽く注意しつつ、隣に並ばせる。

 

「この景色を、よく見て……目に焼き付けておきなさい……」

 

 明日には、消えているかも知れない。

 

「ここが私の……旅路の果て……」

 

 サイコロの目が丁と出ようと半と出ようと、未来が変わろうと変わるまいと、明日には全ての決着が付く。

 



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第15話

 

 その日、未明。ほむらの”統計”により割り出されたワルプルギスの夜の出現予測地点には勿論彼女、そしてマミ、杏子、風華、イブの4人。現在見滝原市にいる全ての魔法少女が集合していた。それと何故だか、まどかにさやかの姿も見える。ほむらは大反対したが、彼女が強く希望したのだ。みんなの戦いを、見届けたいと。

 

 最後までほむらは反対派であったが、風華がこう言って最終的には折れる事となった。

 

「いいじゃない。傍にまどか達が居れば、私達はどうあっても負ける訳には行かなくなるから……絶対に勝つという”お守り”みたいな意味合いで一緒にいても良いんじゃない?」

 

 さやかはまどかに付いてくる形で一緒にいる事になった。ただし、二人とも最後衛の風華からは離れないようにという条件は当然の如く付いたが。

 

「ところでイブ……お前の言う15人の魔法少女ってのはまだ付かないのか? ワルプルギスの夜はもういつ来てもおかしくないのに」

 

 このままでは計算していた戦力バランスが狂ってしまう。それを危惧した杏子が尋ねるが、イブは「良く聞いてくれましたです」とドヤ顔を浮かべるといつも通りナイフを手に走らせて、エリクシルを発動させる。ただし今回は周囲に血の霧を発生させるのではなく、足下に大量の血溜まりを作り出した。思わず杏子とマミが、血の池を踏まないように後ずさった。

 

「じゃあ、皆さん……出番なのですよ」

 

 そう、彼女が呟くのを合図として血の池から光の筋が伸び、蛍のような光が浮かび上がってくる。よく目を凝らすと、その光はソウルジェムの輝きであると分かった。

 

 と、同時に大量のエリクシルがさざ波立つように動くと、かつてさやかの肉体を再構築した時のように、集まった血の流れは人型を成して集まっていく。

 

 数秒の間を置いて、あの時の再現のようにそこには十名を超える魔法少女が並んでいた。彼女達の人種や衣装には統一性がまるでない。西洋甲冑風のコスチュームを纏った魔法少女もいれば、チャイナドレスのような格好の者もいる。

 

 クラッシックな魔法使いというイメージよろしくローブを羽織って杖を持った魔法少女もいた。彼女は何故だかT.H.ホワイト著の「永遠の王」を読んでいた。

 

 その隣には巴紋が刻まれた鎧を着て、かつてイブが杏子に対して使ったのと同じ、身の丈よりも巨大な刃を持つ薙刀を手にした魔法少女もいた。

 

 伝承にある吸血鬼のように、蝙蝠の羽を想起させる形状のマントを纏った魔法少女もいた。戦国甲冑のようなコスチュームの上に、背中の部分に「毘」の一文字が大きく書かれた陣羽織を着た魔法少女もいる。

 

 そして一同の中では最も現代風のコスチュームを着た魔法少女は、チーズをぱくりと囓っていた。

 

 総勢16名の魔法少女が、一瞬にしてこの場所に集結した。これには風華とイブ以外の全員が、言葉もないと言った様子である。まだドヤ顔のイブは、「驚いたようなのです」と前置きして、説明に入る。

 

「彼女達はほぼ全員が、かつて僕達が訪れた時空で僕達に賛同し、協力を約束してくれた魔法少女なのですよ。でも全員を連れて時空流を移動するには風華の負担が半端無いんで、みんなは普段はエリクシルの中に住んでもらっているのですよ」

 

「……?」

 

 イブの説明に全員が感心するしかないという表情を見せる中で、ほむらだけが怪訝な顔をしていた。ここに集まったほぼ全員と言ったが、すると一人か二人かは、別の経緯で集められた魔法少女も居るという事か?

 

 もう少し詳しく聞こうと思ったが、その時この場にいる全員に聞き覚えのある声が掛けられて、四十六の瞳が全てその声の主に集まった。同一個体ではないにせよ、この場にいる全ての魔法少女が魔法少女となるきっかけとなった存在、インキュベーターに。

 

「まさかこんな手段で魔法少女を集めるなんてね。流石の僕もこれには恐れ入ったよ」

 

 そのインキュベーター、キュゥべえの言葉は嘘ではないだろう。そもそも嘘を吐くという概念自体、彼等の種族が持っているかどうかも怪しいものだ。ただし、都合の悪い事は黙っているとか、知られたくない事は小さな文字で書くとかいう概念は間違いなく持っているだろう。

 

「確かにこれだけの魔法少女がいれば、ワルプルギスの夜を乗り切る事が出来るかも知れないね。僕としては残念だよ」

 

 と、キュゥべえ。彼の視線はこの場ではただ二人だけの普通少女の内の一人、まどかへと注がれ、次にほむらに移った。

 

「暁美ほむら。君がまどかを救う為に何度も繰り返した時間逆行によって数多の平行世界は束ねられた。まどかを中心にね。それによって因果の特異点となったまどかは、理論上有り得ないレベルの素質を持つに至ったんだ。それこそ、魔法少女という言葉で括る事、他の魔法少女と同列で考える事すらおこがましいほどの」

 

 それほどの力を持った魔法少女が魔女となる時に発生させるエネルギーの総量たるやどれほどのものか。インキュベーターにしてみればさぞや魅力的に映るだろう。

 

「それを回収できなくなるかも知れないのは残念だけど、仕方ないね。君達に関して直接干渉するのはルール違反だし」

 

 インキュベーターは巧みな話術で少女達を契約させる事はするが、定められたルールには従順だ。尋ねられた事に嘘を吐かないというのもそのルールの一つかも知れない。

 

「ま、確かにこの数の魔法少女ならワルプルギスの夜を倒せる可能性はかなり高いけど、それでも苦戦する事もあるかも知れない。その時みんなを救いたいと思ったのなら、僕を呼ぶ事だね、まどか」

 

「させると思っているの?」

 

 そう言ったほむらが、銃弾をキュゥべえの足下へと着弾させる。次は当てるぞと言う意思表示だ。それを受けてキュゥべえもこれ以上は何も言わない事に決めたらしい。ふらりといずこかへ消えていった。

 

「あの……」

 

 居並ぶ魔法少女達の内の一人、ローブを纏って「永遠の王」を読んでいる彼女にまどかが話しかけようとして、彼女はいきなり本を勢い良く閉じた。重々しい音が響いて、思わず体を竦ませるまどか。助けを求めるようにほむらを見やるが、彼女は厳しい表情で辺りを見回していた。彼女だけではない。マミも、杏子も、イブも、風華も、そしてこの場に集まった全ての魔法少女達が警戒心を露わにしていた。

 

「これは……」

 

 いつの間にか辺りには、何か異様な霧が立ちこめている。先程までは出ていなかったものが。その霧は自然の理に逆らって、風とは逆方向に流れていく。

 

 見ると、アクセサリーを付けた象のような使い魔達がずしんずしんと地を揺らしながら進み、そして道化師を思わせる姿の使い魔が旗を引いて歩いている。まるで、サーカス団がやって来たかのように。

 

 彼等はまだ自分達に敵意を持たないようだが、集まった魔法少女達の警戒レベルはマックスへと跳ね上がった。全員が戦闘態勢に入る。それぞれ杖や刀といった魔法武器を構えていく。

 

 マミ達も皆、ソウルジェムの力を解放してコスチュームを装着した。

 

 いつの間にか、彼女達はサーカス団の中心にいた。ふと、マミが口にする。

 

「あと二時間で日が昇るわね」

 

「日が昇ると、どうなンだ?」

 

「知らないの?」

 

 尋ねる杏子に、先程のイブにも劣らないドヤ顔で、マミが説明する。

 

「夜が明けるのよ」

 

 そうして彼女が軽口を叩くのと、その魔女が出現するのはほぼ同時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 空中に、ドレスを着た巨人が逆さまになったかのような魔女が具現する。ただし本来足があるべき部位には巨大な歯車がその属性である舞台装置のように、回転し続けていた。奴こそが現時点で最強の魔女、ワルプルギスの夜。

 

「じゃあ、行くわよ」

 

 ほむらがこの場にいる全員を代表するように、進み出る。

 

「作戦はエリクシルを通じて、僕の中にいた皆さんにも伝わっているのですよ」

 

 イブの説明を受けてほむらは頷くと、彼女の魔法武器である左手の盾から、多数の無反動砲を出現させた。と、思いきや時間を止めたのだろう。数十はあろうかという火砲からは残らず弾頭が吐き出され、一個小隊並の火力が空中の魔女へと殺到した。

 

 並の魔女であればダース単位での粉砕が可能であろう火力だが、ワルプルギスの夜はびくともせず、笑い声を上げながら浮揚を続けている。

 

 だがこれはまだ予想の範疇。ほむらは素早く移動すると、あらかじめ設置していた対空砲を次々と撃ち出していく。その攻撃も全て命中したが、ワルプルギスの夜は小揺るぎもしなかった。

 

 これが今回の作戦であった。まずはほむらが保有している全ての火力を叩き込む。勿論それでワルプルギスの夜を倒す事は出来ないだろうから、ほむらはその後は皆のサポートに回る。風華とイブは回復要員だ。イブはエリクシルが持つ癒しの力によるダメージ回復、風華はエリクシルが対応できない即死などを時空を遡る事によって回避する。

 

 ほむらの攻撃はまだ続いていた。

 

 魔力によって操作したタンクローリーの直撃、更に水中に待機させてあった対艦ミサイルの一斉射撃。これでもダメージは通らなかったようだが、流石の最強の魔女も爆圧までは殺せず、吹き飛ばされる。そして吹き飛んだのは、まさにほむらが想定していた通りのベストポジションだった。そこは爆薬の巣。やはり事前に設置していた大量のTNT爆薬を一斉起爆させる。

 

 テロか何かと錯覚するような大爆発が起こり、魔女の巨体も煙と炎に隠されてすっかり見えなくなる。

 

 流石に、少しばかりのダメージは与えたか……?

 

 ほむらがそう考えて爆炎の中を見ようとしたその時だった。煙を切り裂いて、人間の反応を超える速さで触手が伸びてくる。咄嗟に避けようとしたほむらだったが魔女の攻撃は速く、刃のように研ぎ澄まされた触手に触れて右腕が千切れ飛んだ。

 

「ほむらちゃん!!」

 

 親友の腕が飛ぶ。14歳の少女が見るにはあまりにもショッキングな光景を目の当たりにして、まどかが悲鳴を上げる。さやかはそんな親友の肩を、「大丈夫だ」と言うようにしっかりと抱いていた。そう、大丈夫だ。

 

「イブ!!」

 

「はいなのですよ!!」

 

 風華の指示を受けて彼女の相方が、エリクシルの紅い霧を操作する。全てを殺す毒としてではなく、命を救う万能薬として。

 

 紅い霧がほむらの欠けた右腕に集まっていき、瞬く間に失った部位を復元していく。ほんの数秒で彼女の右腕は再構築された。

 

 ほむらは新しい右腕の感覚を確かめるように、ぐっぱぐっぱと指を動かす。違和感は全く無い。むしろさっきまでより体に馴染んでしっくりくるほどだ。猛毒にして万能薬と言っていたが、確かにそのフレーズに偽りは無いらしい。全く大した魔法だ。

 

 そうして彼女が主力武器を撃ち尽くして後退すると同時に、集まっていた残り全ての魔法少女が前に出た。

 

「この戦いに毘沙門天の加護ぞあり!! 皆、恐れるな!! 己の持ちうる限りを尽くせ!!」

 

 背中に「毘」が刻まれた陣羽織を羽織った魔法少女が、腰に差していた刀を抜き、切っ先を空中の魔女へ向けて吼えた。

 

「何であんたが仕切るのよ、謙信!!」

 

 軽口を叩きつつ、吸血鬼風のマントを羽織った魔法少女が翼のようにそれを広げ、飛び立つ。空を飛べない他の魔法少女達も、それぞれ散開してワルプルギスの夜を取り囲むように動いていった。

 

 直接戦闘には参加しない風華もまた、自分の周囲に無数の分身を出現させる。この分身の数だけ、彼女は過去に干渉して今を変える事が出来る。例えこの中の誰がやられたとしても、その過去を無かった事に出来るのだ。

 

「その代わり……私への負荷も滅茶苦茶掛かるけどね……」

 

 誰にも聞こえないように、風華がそう呟いた。そんな小さな声を掻き消すように、第二ラウンドが始まる。

 

「まずは……私から行くわよ!!」

 

「行くアルよ!! メアリーアン!!」

 

 「永遠の王」を読んでいた魔法少女、メアリーアンと呼ばれた彼女が杖を頭上で旋回させると、その先端から黄金に輝く光条がビームのように発射され、ワルプルギスの夜を直撃した。

 

 この一撃は僅かではあるが、魔女にダメージを刻んだらしい。ドレスの一部が削り取れる。

 

「メアリーアンって……」

 

「あん? どうした、マミ?」

 

 コンビを組んで動く事にしていたマミの驚愕を見て取って、杏子が尋ねた。

 

「メアリーアンっていったらあれよ!! 魔術師マーリンよ!! ケルト神話の!! アーサー王の後見人の!!」

 

 本当にいたなんてと、戦闘中にも関わらずマミは興奮気味だ。そう言えば彼女はそういう小説とかが好きだったのを、杏子は思い出した。

 

「この時代にも私やアルトリアのファンが居てくれるみたいで嬉しいわ!! 次は玉環!! あなたの番よ!!」

 

「はいアルよ!!」

 

 先程メアリーアンに声を掛けた、チャイナドレスの魔法少女が信じられない跳躍力を見せると、一直線にワルプルギスの顔面めがけて突進していく。

 

「中国四千年の神秘を見せてやるアルよ!! 四川省楊家龍王拳奥義!! 必殺!! 千歩気功拳!!」

 

 メアリーアンに玉環と呼ばれたその魔法少女、楊貴妃が気合いを入れた拳を前に突き出すと、拳に一点集中された魔力は巨大な拳の形を模した砲弾となって、魔女に襲いかかった。しかも先程メアリーアンの攻撃によって、ダメージの刻まれた所を狙って。

 

 脆くなった傷の部位に攻撃を受けて、更に強いダメージが通ったのだろう。傷が大きくなる。

 

 だが、ここまでダメージを受けて戯曲の魔女もようやくここに集まった魔法少女達を明確な”敵”として認識したらしい。ワルプルギスの夜の周囲に虹色の炎が顕現する。それは一斉に、楊貴妃へと襲いかかった。

 

「やばっ……!!」

 

 楊貴妃は空中では体勢が変えられず、避けられない。駄目だ、まともに喰らう。誰もがそう思った時、最初に一同を仕切った謙信という魔法少女に軽口を叩いた、黒いマントを背中に広げた魔法少女が急加速して飛来すると、空中で楊貴妃を拾ってそのまま虹色の炎を回避した。

 

「全く……!! アンタは迂闊なのよ、いつも!!」

 

「謝謝(シェイシェイ)、ミナ……」

 

 返す言葉もないという風にその吸血鬼のような魔法少女、ミナ・ハーカーを見る楊貴妃。ミナはお荷物を適当な空中で放り出すと、空を埋め尽くすほどのコウモリ達を操ってワルプルギスの夜に殺到させた。魔女の体は硬く群がるコウモリ達では文字通り”歯が立たない”。

 

「今よ!!」

 

 ミナが叫ぶ。だがこれで、動きは止まった。

 

 ワルプルギスの夜の全身に、リボンが巻き付く。そのリボンは地上の、最も現代風の衣装を着た魔法少女が手にする魔法武器。キャンディーのスティックに巻かれていた物だった。

 

「で、え、やぁっ!!」

 

 その魔法少女、かつてシャルロッテと呼ばれた魔女だった彼女は思いきりリボンを引っ張ると、細腕からは信じられないような怪力で魔女を地表に叩き付けた。

 

 地面へと引きずり下ろされたワルプルギスの夜へ向かって、巴紋の鎧を着て薙刀を持った魔法少女、巴御前と最初に一同に号令した魔法少女、上杉謙信が突進する。二人は薙刀と刀によってすれ違い様に、巨大な魔女の胸に十字の傷を付けた。彼女達に続くようにして、他の魔法少女の攻撃も激化していく。

 

 その様を、巨大化した槍の穂先に乗りながら杏子とマミは見下ろしていた。

 

「ったく……壮観だねぇ、マミ……これだけの魔法少女が、それも神話や伝記の登場人物が一同に集まるなんて」

 

 そう言いつつ、最後の突進の構えを取る杏子。マミも頷く。

 

「佐倉さん、キュゥべえは言っていたわよね」

 

「あ?」

 

「私達の使う魔法は、熱力学の第二法則に縛られない感情のエネルギーだって」

 

「ああ……」

 

 赤髪の魔法少女は頷く。その真髄は希望が絶望に、ソウルジェムがグリーフシードへ変化する時の相転移だが、魔法少女の使う魔法も基本は同質の物だ。

 

「なら、素質の大小による上がり幅に差はあっても、魔法(ティロ・フィナーレ)の出力(パワー)はその時の感情、精神力に比例する筈」

 

「??? 良く分からないが、兎に角突っ込むよ!!」

 

 下の魔法少女達が全員攻撃を終えたのを確認すると、杏子の念によって操作された巨大な槍が動き、一直線にワルプルギスへと向けて突き出される。当然、その上に乗っている二人も一緒に。

 

「今日は最高潮なのよ!!」

 

 先輩として。友人として。鹿目さんも、暁美さんも、美樹さんも守ってみせる。

 

 ひとりぼっちで戦っていた時の私じゃない。後輩の為、友達の為。背負うべきものがある今は、私の精神力は不可能を、超える。

 

「惑星だって砕いてみせるわーーーっ!!」

 

 巨槍が勝るとも劣らぬ巨体に突き立てられると同時に、マミも巨砲と化した銃の引き金を、彼女の念によって引く。

 

「ティロ・フィナーレ零距離射撃!!!!」

 

 臨界点に達した魔力が光の奔流となって、魔女の巨体を覆い隠していく。そして、大爆発。先程のほむらが起こしたTNT爆薬の一斉起爆が線香花火に思えるような光と衝撃が走り、思わず風華に守れているまどかとさやかは悲鳴を上げた。

 

 そんな二人のすぐ傍に、ほむらとマミが着地する。

 

「流石に効いたかしら……?」

 

「ええ、手応えはあったわ……」

 

 膨大なエネルギーを放出した為、まだ湯気を立てている銃身を見詰めながら、マミが言う。

 

「まだトドメは刺せていないと思うけど……」

 

「油断しないで、ここからよ」

 

 ほむらがそう言ったのとほぼ同じタイミングで、煙と炎が吹き飛ばされて巨大な魔女が姿を見せた。流石にあちこち傷付いてはいたが、それでも致命的なダメージはまだ無かった。

 

 しかし巨大な魔女には、これまでには見られなかった動きがあった。これまでは逆さまになっていた体が縦に回転し始め頭が上に、歯車が下に。逆位置から正位置へと戻りつつある。

 

「来るわよ」

 



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第16話

 

「あれは……?」

 

 呆然とした表情でマミが呟く。魔法少女達の総攻撃によってワルプルギスの夜にもかなりのダメージを与えたと思っていたが、現時点最強の魔女はある程度の損傷こそあれ未だ健在。それどころか先程までは逆さ吊りにされたように下にあったピエロを思わせる頭部が上に、ドレスの裾から覗く歯車状の部分が下へとシフトを始めていく。

 

 これは明らかにワルプルギスの夜が、次の攻撃に移る準備を始めた事の証だった。

 

「ワルプルギスの夜が、本気になったのよ」

 

 空中の魔女を睨みながら、ほむらが言う。実を言うと彼女にこの魔女のこの態勢についての知識はほとんど無い。それを見た時は彼女は無力な普通少女であったか、力尽きて戦線離脱している状態であった事が殆どだったからだ。

 

「聞いた事があるわ、かつてワルプルギスの夜が現れた地域で、生き残った魔法少女から……」

 

 いつでも分身体を過去に飛ばせるよう身構えながら、風華が言う。

 

「ワルプルギスの夜の真の恐ろしさは、あの頭が上の位置に来た時にあると……ああなったらまさしくスーパーセル並の破壊力を以て、地上の物は何もかも吹き飛ばされるって……」

 

「……っ」

 

「そんな……!!」

 

 今までの凄まじい戦いですら、あの魔女にとっては前戯でしかなかったのだと、その事実にさやかとまどかの顔から血の気が引くのが面白いように分かる。

 

 未来を変えられるかどうかは、ここからの戦いにかかっていると言えた。

 

「でも……」

 

 思わず、抗議に近い声を上げてしまうまどか。彼女の言いたい事は分かっている。地上の何もかもが吹き飛ばされると言う事は、今は避難所にいるパパやママ、タツヤの事も……!!

 

 その全てを受け止めて、風華は「分かっている」「私達に任せて」とでも言うかのように頷き、念話でこの戦域にいる全ての魔法少女へと連絡する。

 

『総員、展開して!! ワルプルギスの夜を押さえ込む!!』

 

 頭の中で口々に『了解』、『分かったわ』などと声が混線して聞こえてくる。魔法少女達はワルプルギスの夜を中心として円を描くように等間隔に並んでいく。ほむらとマミもその中に加わっていた。

 

「ワルプルギスの夜に、町を壊させてはならないわ!! みんな、力を合わせて!!」

 

 マミが両手を前に突き出して、前面に魔法の防御壁を創り出す。これは本来、魔女結界の中で一般人や負傷した仲間を守る為に使用するものだが今回は逆に、魔女を封じる為の檻としての使い方であった。

 

 マミだけではかなり広域に展開しなければならないのもあって紙かガラスのように弱い防壁でしかないが、ほむら、杏子、メアリーアン、ミナ、楊貴妃、巴御前、上杉謙信。他にも全ての魔法少女達の力が相乗して、強大なドーム状の結界として形を成していく。

 

 バリアが完成するタイミングと、ワルプルギスの夜が攻撃態勢を整えるタイミングはシンクロしていた。逆位置となっていた時はそれこそ舞台装置の属性を象徴するようにゆったりと規則正しく回転していた歯車が、今はヘリのローターのように本来の回転方向と逆方向に回っているように見えるほどの速度で回り始める。

 

 僅かな時間を置いて突風、否、最早衝撃波と呼ぶ方が正しい威力の風が走り、魔法少女達よりもまず最初に自らの使い魔達が細切れになって吹っ飛んだ。その次に、周囲に展開された障壁にショックウェーブが激突する。

 

「ぐっ!?」

 

「重い……!!」

 

 あちこちで悲鳴が上がる。魔法少女達が力を合わせて創り出したバリアは砕け散る事はなかったが大きくきしみ、表面に掛かる重圧が全員に伝わる。

 

「みんな、気を緩めないで!! ちょっとでも力を弱めたら、そこから一気に障壁が決壊する!!」

 

「簡単に言ってくれるけど……!!」

 

「正直……!! こりゃキツイよ……!!」

 

 ワルプルギスの夜の圧倒的な力の奔流は絶え間なく放出され続けており、魔法少女達はそれを押さえ込む為にこちらも絶え間無く魔力をバリアに供給し続けなければならなかった。

 

 しかしこうなると、魔法少女達の方が圧倒的に不利だった。魔女の力はほぼ無尽蔵と言っていいが、魔法少女が力を発揮するにはソウルジェムが濁りきるまでと言う限界時間があるからだ。

 

 特にこのような先の見えない根比べをしているような状況だと、心が折れる者が必ず出てくる。それは良くない。そうすると魔力の使用だけではなく負の感情によってもソウルジェムの汚濁は進行していく。

 

 早速、杏子のソウルジェムが光を失っていく。素早く、イブがグリーフシードを届けて浄化させる。次にはミナ、次には元シャルロッテ……回復役を務める彼女も後衛だからとのんびりしている訳には行かなかった。円形に展開した魔法少女軍団の回復の為に文字通りフル回転だ。

 

「風華さん……みんなは……」

 

 不安を隠しきれないまどかが隣に立っていた風華を見る。彼女達の障壁が破られた時は、ここにいる自分達は勿論、見滝原市の町も、避難所に集まっているみんなも、お終いだ。

 

「まどか、皆を助けたいと思うかい?」

 

 横合いから掛けられる、今となっては聞き覚えのある声。普通少女二人と魔法少女一人が振り向いたそこには、やはりキュゥべえがちょこんと座っていた。

 

「君が魔法少女になれば、今すぐにでも皆を助ける事が出来るよ?」

 

「やらせると思ってるの!?」

 

 さやかが前に出る。風華は、ワルプルギスの夜を封じている魔法少女の誰がいつ力尽きるとも分からないので、その時はすぐに分身達を過去に飛ばして救出せねばならない為に動けない。

 

「これだけの数の魔法少女がいればもしかしてと思っていたけど、やっぱり難しいね、ワルプルギスの夜を倒すのは。でも、無理もないか……あれは数百年に渡って存在し続け、他の魔女さえも喰らって、自分の”個”さえも失ってしまったかつて魔法少女だった負の思念の集合体。他の魔法少女や魔女とは、隔絶した力を持っているんだ」

 

 その後にキュゥべえは「勿論まどか、君という例外を除いての話だけれど」と付け加える。

 

 これは先程のまどかが魔法少女になれば皆を救えるという言葉の裏付けでもあった。

 

 さやかはまどかが変な気を起こさないようにキュゥべえから庇うように身構えるが、彼女の背後の親友は何やら俯いて考えている様子だ。これはまずいと、風華は思った。人間、追い詰められると往々にしてロクな考えを思いつかないものだ。

 

 そこまで考えて、ワルプルギスの夜を抑えている魔法少女達に目をやる。

 

 とは言えこっちもまずい。このままではジリ貧になっていずれはイブの回復も間に合わなくなって突破されてしまう。何か、何か手を打たねば。

 

『考えろ!!』

 

 頭の中で自分を叱咤する。何か見落としているものはないか。ワルプルギスの夜に対抗する、起死回生の一手は。

 

 思い付かない。どうすればと考えるほど、頭がぐちゃぐちゃに回って、混乱してしまう。

 

『私の、時を渡る魔法……その力を使って、何とかして……!!』

 

 風華が、その思考に至った時だった。

 

『私の魔法は過去に分身を飛ばし、今を無かった事にする。それだけしかできないのか?』

 

 声が響いた。彼女ではなく、キュゥべえでもなく、無論まどかでもさやかでもない。

 

『今を変える以上の事が出来るのではないか?』

 

『イブのエリクシルが猛毒にして万能薬という相反する力を持つように、私の魔法にも……もっと別の応用法があるのではないか?』

 

 言葉を発しているのは、風華が自分の周囲に出現させた無数の分身達だった。だが、有り得ない事だ。彼女等は言わば自動人形(オートマトン)。風華の思念によってコントロールされるだけの存在の筈なのに。だが分身達の口にしている言葉は、

 

「私が……口にしたかも知れなかった問い……疑問……」

 

 それを数多の、彼女と同じ姿をした分身達が代わりに喋っている。

 

『私の魔法がタイムパラドックスから”私のいる時間”へと行けないのなら、どうしてこの時間に飛ぶ事が出来た?』

 

「!!」

 

 分身の一体が口にしたその言葉に、本体の彼女が反応する。

 

 今までそう言われるまで気付かなかったが、良く考えてみればおかしなものだ。この時間軸が本来自分が生まれた時間の平行世界だと分かった時、自分は以前に行った事のある世界への再度の跳躍を試みた。だが出来なかった。行き先の時間には、既に”自分”がいるからだ。

 

 しかしだとするなら、何故この時間軸へと移動してくる事が出来た? その理屈だと前にいた世界からこの世界に来る時に、そもそも時間移動が出来なくなっていなければおかしいではないか。目的とした世界には、まだ魔法少女にもなっていない”本来の自分”がいたのだから。にも関わらず、実際にはこの平行世界に移動する事となった。

 

『何故、この時間だけが特別に?』

 

 分身の一体がまた口にする。そう、この時間は何か特別なのだ。

 

『私の魔法は時間という”縦”の移動を行う力。平行世界を”横断”する力は無い』

 

『何故なら平行世界はまさに平行する世界。交わる事は決してないから』

 

 また別の分身達が口にする。そう、分身を過去に飛ばしてそこで行った行動の結果が今に反映されるのは、自分の魔法が間違いなく平行世界ではなく同一の時間の過去へと干渉する力だからだ。彼女本人の時間移動も本質は同じ力である。

 

 数多の世界を無数の直線に例えると、それらの線は全て平行して伸びており、交わる事は無い。風華の魔法はその中の一つの線の、ある一点から一点へと移動が可能であるというものだ。離れている別の線へと行く事は出来ない。

 

 にも関わらず、自分は平行世界であるこの時間軸に来れた。何故? どうして?

 

『キュゥべえは何と言った?』

 

 またまた別の分身の言ったその言葉が、最後の鍵だった。そうだ、この戦いが始まる前に、奴は言ったではないか。

 

 

 

 

 

「暁美ほむら。君がまどかを救う為に何度も繰り返した時間逆行によって数多の世界線は束ねられた。まどかを中心にね」

 

 

 

 

 

「……そうか……!! 今私のいるこの時間軸と、いくつかの世界は繋がっている……!!」

 

 もう一人の時を渡る魔法の使い手、暁美ほむらが行った幾度もの時間逆行、平行世界の横断によって。だから、本来世界線の上の移動しかできない自分が、この世界に来れた。

 

「繋がっているのなら、飛べる!! 私の全ての分身を、あらゆる過去に飛ばして!!」

 

 風華が彼女の魔法を発動させ、周囲に展開していた無数の分身達が一斉に姿を消した。過去の時間に飛んだのだ。

 

「それで、深雪風華。君は今度はどんな過去に干渉して、今をどう変えるつもりだい?」

 

 インキュベーターが尋ねる。普通少女二人は不安げな眼差しを向けてくる。それを受けて魔法少女は、にやりと口角を上げた。

 

「今を変える? 少し違うわね。理解したのよ。私の魔法の、本当の使い方を!!」

 

 

 

 

 

 

 

 最初にその変化に気付いたのはほむらだった。

 

 正直、このままワルプルギスを抑えておけるのは後数十秒か、長くても数分が限界だと思っていた。ソウルジェムの濁りもかなり進行してしまっていて、魔法を使い続けていられる時間も、そう長くは無いと思っていた。

 

 ふと、左手甲部に装着された濃紺色の宝玉に目をやって、驚いた。

 

 ソウルジェムの穢れが、進んでいない。いやそれどころか、浄化されつつある。

 

 何とか首を動かして、隣で障壁を維持しているマミに視線を向ける。彼女のソウルジェムにも、同様の変化が起こっているようだった。いや、二人だけではない。障壁によってワルプルギスの夜を抑えている全ての魔法少女のソウルジェムに、同じ現象が起こっていた。

 

『聞こえる? みんな!?』

 

 頭の中に、風華の声が響く。念話による精神感応だ。

 

『今、私の力で過去の世界から、あらゆる可能性を集めてみんなに届けているわ』

 

 負の感情の蓄積や魔力の使用によってソウルジェムが濁るのは、その本人だけでは受け止めきれない呪いを生み出すからだ。

 

 ならば、何人もの自分の力が一つになれば?

 

 本来は有り得ない事だが、それが今有り得ていた。風華の手によって。

 

 彼女は今、自らの魔法によって過去の世界からありとあらゆる”巴マミ”や”暁美ほむら”、”佐倉杏子”の可能性を集め、この時間の本人達に束ねていた。

 

 訪れる筈だった過去。その可能性、その全てがこの場に集った全ての魔法少女達に送られている。

 

『過去に干渉し、今を無にするのではなく……あらゆる過去から可能性を集め、その正しさも過ちも現在に届け、未来に繋げる……それが、私の本当の力……!!』

 

 これはまさに奇跡と言って良かった。ほむらの力によって彼女が訪れた数多の世界が束ねられ、そしてこの世界にもう一人、時渡りの魔法の使い手である風華がいたからこそ、起こし得たもの。しかもこれは、世界が束ねられているこの一ヶ月あまりの短い期間しか使えないの力。

 

 親友を信じて、未来を託したどこかの世界のまどか。

 

 その親友の想いに応えて、永遠の迷路を彷徨い続け、迷宮の出口、希望を探し続けていたほむら。

 

 数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほどの時間を、それでも希望にしがみついて越えてきた風華とイブ。

 

 そして、希望を信じてきた過去の幾百幾千の魔法少女。彼女達の全ての祈りが、この今に結実していた。

 

「よっしゃぁ!! これならイケるぜ!!」

 

 ポッキーを囓りながら、杏子が吼えた。彼女だけではない。数多の世界の可能性をその身に受けて、呪いを受け止め切れるだけの器を宿し、ソウルジェムの穢れによる魔力の使用限界という縛りから解き放たれた魔法少女達は、気合いも新たに最強の魔女へ向かい合った。

 



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第17話

 

 風華の魔法によって数多の世界から可能性を届けられ、ソウルジェムの呪いさえも受け止めきれる器を備え、魔力を全開で行使できるようになった魔法少女達と、全開の攻撃を繰り出してきたワルプルギスの夜との力関係はほぼ五分と言って良かった。

 

 魔女の全身からは破壊の力が濁流のように迸り出るが、全方位に展開した魔法少女達は全員の力を集結させて、先程と違って魔力を遠慮無く使える分、より頑強となった魔法障壁を使って防いでいた。

 

 間違いなく五分と五分の勝負であるが、しかしこれは見方を変えれば行き詰まり状態とも言えた。

 

 魔女の方は自分の攻撃手段を封じられ、他にやるべき事がない。

 

 一方魔法少女達も、魔女の攻撃を封じる事は出来ているが、逆にそれしかできない。彼女達の力はここが限界点だった。いかにソウルジェムが穢れずに魔力が使い放題となったと言っても、瞬間に発揮できる魔力量には限界がある。どんなにバルブを捻っても、一度に出てくる水の量にはホースの口の面積という限界があるのだ。

 

 何らかの破局点が存在しない限りは、この状況は果てしなく続きそうであった。

 

 その時だった。最強の魔女から発せられる破壊の力が、より巨大なものとなる。どうやらこの膠着状態を打開する為の切り札を保っていたのは、ワルプルギスの夜の方だったらしい。

 

 戦闘態勢に入って本気を出した魔女であったが、本気の本気、全力100%の力はまだ出し切ってはいなかったようだ。奴にしてみればここからが本当の勝負と言う所か。

 

 しかし、魔法少女達にしてみればたまったものではなかった。こっちは必死こいて先程までのパワーを、やっとこさ抑え込んでいたと言うのに。

 

「ちょっとは手加減しろよな!!」

 

 苦笑いしつつも障壁を維持する力を緩めず、杏子が毒づく。

 

「弱音とはあなたらしくないわね、佐倉さん」

 

 マミが軽口を叩く。しかし彼女の額には汗が滲んでいてて、口調や表情ほど余裕が無い事は明らかだった。

 

「私達は、沢山の”私達”から可能性を、希望を託されているわ……!!」

 

 ほむらの言葉は、正確には少し違った。風華の魔法によってこの世界に繋がる全ての平行世界の”自分達”から、今の自分達は可能性を集め、束ね、託し、委ねられている。

 

 この戦いで自分達が勝利すればそれは異なる世界、違う次元の全ての自分達が勝利する事であるし、逆もまた真なり。

 

 即ち、今の自分達は”自分達”にとっての希望そのものであると言えるのだ。ならば、負ける訳には行かないではないか。何があっても。

 

 彼女の言葉は漏れ出た思念を通じて、この場の全ての魔法少女達にも伝わったらしい。全員が発する魔力が、気持ち強くなったように思えたのは、錯覚ではあるまい。

 

 

 

 

 

 

 

「ワルプルギスの夜の力……やはり、底が知れないわね……20人近い魔法少女が束になり、しかも数多の世界の可能性を束ねても、拮抗するのが精一杯だなんて……」

 

 最後衛の位置で魔法少女達の戦いを見守る風華が、ここまで来るともう尊敬するしかないという口調で言った。彼女のソウルジェムもまた、これまでになく強い輝きを放っている。平行世界から集められた可能性の中には、彼女自身の可能性もあったのだ。

 

「深雪風華。君には驚かされてばかりだね」

 

 キュゥべえが言う。彼も風華がワルプルギスの夜へと抱いているのに近い感情、尤もインキュベーターは感情を持たないらしいからそれに近しい印象のようなものを抱いたのだろうか。その口調には畏敬の念が込められているように思えた。

 

「まさかこんな方法で魔法少女達の条理を覆し、ソウルジェムを濁らなくさせるなんて……僕達インキュベーターにはその発想さえも無かったよ」

 

 彼にしてみればこれは純粋に感心していた。今まで数え切れないほどの魔法少女達を見て、呆れるほど多くの願いを叶えてきた。しかし風華やイブほど長い時間を存在してきた魔法少女は。彼女達ほど自らの魔法を使いこなし、システムの穴を突いてくるような魔法少女は見た事が無かった。どころか、どんなデータバンクにも存在しなかった。

 

 彼が言ったようにインキュベーターには魔法少女システムを構築するような技術力はあるが、風華達ほどの発想の転換や応用性は無かった。宇宙に適応した事による永い寿命や、肉体に無数のスペアを持ち”死”の確率自体が低い事が彼等から危機感を奪い、そうした思考の発展性を失わせたのかも知れなかった。

 

「でもどうする? ここまでしてもまだ魔法少女達とワルプルギスの夜の力関係は五分と五分、いや、まだ僅かだけれど魔法少女達が下回っている。君も含めた魔法少女達がソウルジェムを濁らせずに魔力を行使できるのは、暁美ほむらの力によって平行世界が高い密度で収束しているこの短い時間だけだ。それを過ぎれば……」

 

 この奇跡の時間が終われば、今のこの均衡はあまりにもあっけなく崩れ去るだろう。だからその前にまどかが契約を、と魔法の使者は言っているのだ。だが、当然さやかが反発した。

 

「やらせないって言ってるでしょ!!」

 

 そう言うと、彼女は風華に向き直る。

 

「風華さん、何とかならないの? 今集めている世界の可能性で足りないのなら、もっと沢山の世界から可能性を拾ってくるとか……」

 

「出来ればやっているわ!!」

 

 言われるまでもないと、風華は怒鳴った。

 

「私の魔法が飛べるのは、あくまでもこの世界と繋がっている世界だけ。繋がっていない、ほむらが行った事のない世界へは飛べないのよ。今の時点で、全ての飛べる世界にありったけの分身を送っているわ。これ以上は……」

 

 世界とは、それこそ可能性の数だけ存在する。よく、数の多い事を星の数ほどと言って表現するが、存在する平行世界の数はその比ではないだろう。

 

 風華が分身を過去に飛ばせるのは、その内の十にも満たない一握りの世界でしかないのだ。

 

 しかし、ここでも逆に考える事が重要だった。ほんの僅かな世界の可能性だけでも何とか拮抗する事が出来ているのだ。だとすれば、もっと多くの世界から可能性を集めてこの世界の皆に託す事が出来たのなら、あの最強の魔女を打倒する事も不可能ではあるまい。

 

 だがそれには数多の世界を束ねる事が絶対に必要。そんな奇跡のような事、出来る訳が……

 

「大丈夫、出来るよ」

 

 まどかが、進み出た。彼女はキュゥべえの前に立つと「私とほむらちゃんの会話を、みんなに繋いで」と頼む。インキュベーターは別段拒む理由はないので、これは契約とは別に彼女の願いを聞き届けた。

 

『ほむらちゃん、ごめんね』

 

『まどか?』

 

 二人の会話は要望通りちゃんとオープンチャンネルになっているようだった。風華の頭に、二色の声が響いてくる。恐らく他の魔法少女も同じだろう。

 

『私、魔法少女になる』

 

『やめて、まどか……!! それじゃあ私も……今戦っているみんなも、一体何の為に……!!』

 

 普段のクールな彼女からは想像も付かない動揺に震えた声が、響いてくる。それに恐れも。これは友を失う事への恐れだ。それとは別にこの会話を傍聴しているだろう他の魔法少女達の声にならない声も、一緒に伝わってきた。

 

 いくらイブの能力があるとは言え、今までまどかが魔法少女にならないように、こうして力を尽くしてきたのに。今になってこんな事が起こってしまったら……!!

 

 だが彼女の最高の親友は、こう言った。

 

『ほむらちゃんは……信じられる?』

 

『え?』

 

『私が、決して自分を犠牲にしたりしないって。同時に、ほむらちゃんも、杏子ちゃんも、マミさんも、さやかちゃんも。今まで戦ってきた全ての魔法少女達の祈りを……決して無駄にしないって、信じてくれる?』

 

 まどかは具体的な事は何も言っていない。それで信じろと言うのも無理な相談だと、彼女自身思っていた。だが、ほむらも一つの事を理解していた。

 

 信頼とは、あの人はこういう人だから信じられるとか、そういう言葉で表すものではないと。敢えて一つ言うのならまどかがまどかであるから信じられる。それだけで良いのだ。本当に誰かを信じるとはそういうもの。それは、無心の信頼というものなのだと。

 

『……分かったわ、信じてるわよ。まどか……』

 

 その言葉を最後に、念話が切れた。ほむらは再び、ワルプルギスを封じ込める障壁を維持する作業に戻ったのだ。そうして、キュゥべえと相対するまどか。さやかは親友を止めようとしたが、風華に阻まれた。魔法少女は、事ここに至ったからには全てをまどかに委ねる事を決めたのだ。

 

 少なくとも、今の彼女は魔法少女と魔女、ソウルジェム、インキュベーター、そして願いの先に訪れるであろう自分と世界の未来。その全てに正しい知識を持っている。ならば後は、先程の彼女の言葉を信じるのみ。

 

 ほむらがまどかの言葉を信じるように、自分もまたまどかの決断が正しい事を信じよう。彼女の選択の先に、希望があるのだと。

 

「数多の世界の運命を束ね、因果の特異点となった君ならば、どんな途方も無い願いだって叶えられるだろう」

 

「本当だね?」

 

「さあ、鹿目まどか。君はその魂を対価として、一体何を望む?」

 

 魔法の使者の問いにまどかは一度天を仰いで、大きく深呼吸する。

 

 大丈夫な、筈だ。自分の決断は間違っていない筈。だが正しければ、間違っていなければハッピーエンドに辿り着ける訳ではないとママも言っていた。そういう意味ではこれは一か八かの賭けでもある。

 

 だからこの勝負、まどかは自分にベットする事にした。自分の決断に。

 

「ほんの短い間だけで良い……僅かな時間だけ、全ての平行世界を一点に束ねて!!」

 

「その願いは……!!」

 

 インキュベーターの言葉には、上擦っているような響きがあった。非常にレアな反応だ。これはまどかの願いが、彼にとってもどれほどにスケールの大きなものかを物語っていた。

 

「この今に全ての世界を束ねて、そしてこの世界を救う事で、同時に全ての世界を救いたい。私だけじゃない、みんなの力で!! これが私の祈り、私の願い!!」

 

 兆か京か、あるいは那由他の位を数えるかも知れない世界を、短い時間とは言え一点に束ねる。それは確かに途方も無い祈りであった。キュゥべえは魔法少女になる少女のどんな願いだって叶えてあげると言っていたが、それでもこれは、まどかにしか叶えられない願いであった。最強の魔法少女となれる、彼女にしか。

 

「さあ、叶えてよ!! インキュベーター!!」

 

 自分に不都合・不利益であるからと言って、願いを叶えないという選択肢はキュゥべえには無かったらしい。あるいはそれも彼等のルールの一つなのか。

 

 そして、契約は成された。

 

 瞬間、目も眩むような光が走り、開放された魔力がまどかを中心として、星の世界にまで達するほど巨大な桃色の光柱として立ち上った。その魔力の圧は、確かに最強の魔法少女と呼ばれるに相応しいもの。この場に集まっている全ての魔法少女達の魔力を束にしても、まどか一人の方がずっと強い。

 

 そして光が治まった時、新しい魔法少女がそこに立っていた。ドレスのように可愛らしいコスチュームをまとったまどかは、風華に笑顔を見せる。

 

「まどか……あなた……!!」

 

「風華さん、お願い!!」

 

 この時、風華も彼女の願いのスケールにあんぐりと口を開けてしまっていた。あまりにも予想外の願いであり思考が追従できなかったが、僅かな時間を置いて頭脳がそれを理解すると、彼女は自らの魔法を発動させた。

 

 文字通り全ての世界に己の力の限り飛び、あらゆる世界の可能性をまどかに束ねる。

 

 ソウルジェムの穢れは、祈りが生み出す呪いをその魔法少女が受け止めきれないから起こる。ましてやまどかの祈りの大きさは、無限の世界に干渉して全ての未来を変えるほど大きなもの。だがそれは逆に、あらゆる世界を滅ぼすほどの呪いを生み出してしまう。そんな呪いは、到底彼女一人では、と言うより一人ではどんな人間だろうと受け止めきれるものではない。

 

 だが、一人でないのなら?

 

 百万の世界へ飛んだ風華が、千億の可能性を集め、兆の祈りを束ね、京の夢を委ね、垓の可能性をまどかに託す。それで足りないのなら、無量大数の彼方からさえも。

 

 それによってまどかは、自らの祈りを受け止める事が出来る。今、ワルプルギスの夜と戦っている多くの魔法少女達と同じように。

 

「まどか……あなたは希望……私にとっても……」

 

 風華が呟いた。今この瞬間、全ての世界はまどかの願いによって繋がっている。だから、この世界を救う事が出来れば救えるのだ。もうどうにもならないと諦めていた、自分の本来生まれた時間軸の世界も、お父さんもお母さんも、そして”お姉ちゃん”も。

 

 風華だけではない。昔の未来にほむらが今まで訪れてきた世界さえも、今のまどかは救える可能性を秘めている。

 

「さあ、撃って!! まどか!! 全ての世界の祈りがこの時に集まってる!!」

 

「はい!!」

 

 まどかは頷くと、彼女の魔法武器である長弓を物質化し、束ねた魔力を矢に変えて、弦を引く。

 

「全ての世界の”私”……私に、力を貸して。この地球(ほし)の明日の為に!!」

 

 あらゆる世界の可能性が束ねられた最初で最後の一矢。それが離れ、彗星の如く巨大な光条が魔法少女達が展開していた魔力の防壁ごと最強の魔女を貫き、その巨体を光の中に消していく。

 

 だがそれだけで収まりきらないエネルギーはそのまま天空を貫き、立ちこめていた暗雲を綺麗に吹き飛ばして蒼穹へと消えていった。晴れ渡った空には、いつの間にか太陽が輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 魔法少女は、最初はみんな実感が湧かないのだろう。ぼんやりと立ち尽くしているだけだったが、離れて見ていた事もあってかいち早く正気を取り戻して杏子に走り寄ったさやかの声を聞いて、一人、また一人と歓声や勝利の雄叫びを上げ、顔をほころばせていく。

 

 ほむらは、泣き崩れていた。

 

「まどか……私、やっと……約束を……」

 

 親友と、三度目の世界で交わした約束。とうとうそれを果たす事が出来た。長い時間だった。まるで何百年も経ったかのように。それが今、漸く終わる。

 

「ありがとう、まどか」

 

 風華は、たった今魔法少女になった彼女に深々と頭を下げた。まどかは、嘘でも大げさでも紛らわしいでも比喩でも何でもなくこの世界、この地球を救った。

 

 それだけでなく、少なくともワルプルギスの夜がきっかけとなって滅びの運命を辿る全ての世界をも救ったのだ。その中の一つには、風華の生まれた世界もあっただろう。世界線が再び離れた今となっては彼女に確かめる術はもう無いが、きっと今頃はあの世界にも違った未来がある筈だ。そこでは両親も、”お姉ちゃん”も、きっと元気で……

 

 マミは、腰が抜けたように座り込んでいた。隣には同じく全ての力を使い果たしたという風の杏子が、さやかに寄り添われてそこにいる。

 

「食うかい?」

 

「いただくわね」

 

 差し出されたポッキーを口にし、紅茶を飲む。舌に慣れたはずの味が、まるで生まれて初めて口にしたかのように思えた。

 

 マミはふと空を見上げて、そして勝ち誇ったように杏子に言った。

 

「私の言った通りだったでしょ? 佐倉さん……」

 

「あ? 何が……」

 

 杏子は最初は首を捻っていたが、マミの視線を追っていて、理解したと頷く。

 

「日が昇ると……」

 

「あァ、夜が明けたな」

 



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第18話

 

 ワルプルギスの夜の打倒。数百年に渡って存在し続け、ある種災厄そのものとさえ表現できた最強の魔女を倒す。これは一つの奇跡と言っても良かった。最初はあまりに成した事のスケールが大きすぎて実感が湧かなかった者も多かったようだが、今は各々が各々の形で勝利の喜びを噛み締めていた。マミなどはメアリーアンにサインをねだっている。彼女はアーサー王物語のファンだったらしい。

 

 ほむらはまどかの手を取って、細い体を震わせていた。彼女にとってこの今は、この時間軸に来た時には夢にさえ思っていなかった光景だった。感動するなと言う方が無理な相談であった。

 

 とそこに、この場の誰にもお呼びではない者が現れる。言わずもがな、キュゥべえであった。

 

「みんな、ご苦労だったね。まさかワルプルギスの夜を倒してしまうなんて。もしかしたらと思ったけれど、本当にやってみせるとは凄いよ」

 

 低い可能性として想定してはいたが、実際に針の穴を通すようなその未来を実現させるとは。キュゥべえは彼の種族としては珍しい”揺らぎ”といったものを感じていた。それは人間で言う驚愕の感情に近いものだった。

 

「どの面下げて来やがった、手前!!」

 

 せっかくの感動に水を差されたと怒った杏子はソウルジェムから愛槍を取り出し、切っ先を白い小動物の鼻先に突き付ける。魔法の使者は相変わらず動じなかった。

 

「ご挨拶だね。僕は純粋に君達へと、賛辞の言葉を述べに来たのに」

 

 インキュベーターは嘘を吐かない。だからこれは彼の本心だった。

 

「でも、これからどうするんだい? ワルプルギスの夜を倒しても、イブが自分以外の全ての魔法少女と魔女を救っても、最後に残った一人はいずれは魔女になる」

 

 それがまどかかイブかは分からないが。

 

 一人でも魔法少女が残るのであれば、結果は同じ事だ。それでなくてもこの地球に来ている無数のインキュベーター達はこの瞬間にも願いを叶えて、魔法少女を生み続けている。

 

 キュゥべえの言葉には言外に風華やイブ、ほむらの行動には意味は無かったのだという含みがあった。しかし、

 

「そんな事は、先刻承知なのですよ」

 

 いつも通りのドヤ顔で、イブが言った。彼女はこの時の為に残しておいた産地直送(とっておき)のリンゴを芯まで囓り尽くしてしまうと、まどかへと近付いていく。

 

「イブちゃん……?」

 

 彼女の意図が掴めず首を傾げるまどかに、イブは手を差し出して自分の魔力を発現させる。するとそこに、拳大の輝く立方体が出現した。

 

「これは、僕がインキュベーターを”捕食”した事で得た魔法少女と魔女に関する全ての知識……それを、まどかさんに託すのですよ」

 

「……分かった、イブちゃん、お願い」

 

 数秒ほどの時間を掛けて、彼女の意図をまどかなりに理解したらしい。頷き、了承が得られたのを確認すると、光るキューブはイブの掌を離れ、まどかの胸に吸い込まれて消えた。

 

 イブが最強の魔法少女に託した記憶には、彼女の考えている意図も含まれていた。まどかは、それが自分が思い描いていたのとそれほど違ってはいなかった事を確かめてもう一度頷くと、弓に魔力の矢を番え、天空に向けて放った。高々度へと達した矢は空中で拡散し、天に巨大な魔法陣に思える幾何学模様を描き出す。

 

 天空の魔法陣からは小さな魔力の矢が雨のように放たれ、殆どは地平の彼方へと消えていったが、いくつかはこの場に集った魔法少女達へと降り注ぎ、彼女達のソウルジェムを砕いていく。

 

「なっ!!」

 

 マミが驚愕して思わず目を閉じるが、数瞬して、自分にまだ意識が残っているのに驚いた。彼女だけではない。杏子にも、ほむらにも同じ事が起こっている。ソウルジェムが砕けているのに、彼女達の命は終わらない。

 

 まどかの、この魔法によってソウルジェムが砕ける意味は死ではない。むしろその逆。転生と言って良かった。魔法少女から、人間への。

 

「僕にはエリクシルを介しての分解・再構築が限界だけど……まどかさんぐらいの力があれば、そんな面倒なプロセスを踏む必要は無い……直接魔法少女を人間に戻し、魔女の魂を解放する事が出来るのです」

 

 風華のソウルジェムにもまどかの矢が突き立てられ、物質化した魂は形を失って再び彼女の中へと戻っていく。

 

 魔法陣は数分に渡って光矢を吐き出し続け、そして最後の一矢がこの場へと下りた。魔法少女を人間に戻すこの魔法の対象となる者は、もうこの場には二人しかいなかった。

 

 その内の一人、まどかのソウルジェムへと光の矢が命中し、彼女の魂もまた彼女の中へ、本来あるべき場所へと還る。

 

「これで、少なくとも現時点で魔女と呼べる存在はこの星から消滅し、魔法少女は一人しかいなくなったのですよ」

 

 最後に残った魔法少女、イブが解説した。杏子は「どうして……」と疑問と抗議の声を上げる。まどかの魔法で彼女自身でさえ人間に戻る事が出来たのなら、イブだって戻れたはずなのに。何故そうしなかったのか。まさか忘れた訳でもあるまいに。

 

 勿論、そんな間抜けなオチではない。これはイブと風華の計画通りの事であった。まどかはそれを忠実に実行していたのだ。

 

「杏子さん、良く考えるのです」

 

 出来の悪い生徒に噛み含めて教える教師のような口調で、イブが言う。

 

「例えここで僕達みんなが人間に戻れても、魔法少女が生まれなくなった訳じゃない。インキュベーターが少女の願いを叶え続ける限り、同じ事の繰り返し、根本的解決は一切していないです」

 

「つまり、これからその根本的解決をするという事ね」

 

 マミの鋭い考察にイブはにかっと笑みを見せると、自らの十八番にして専売特許である魔法(エリクシル)を発動させた。発生した血の霧は拡散せずに、彼女の肉体を包み込んで隠していく。

 

 猛毒にして万能薬であるその魔法は、今は分解と再構築の内、分解の力を発動していた。イブの肉体がどんどん霧に溶かされ、消えていく。

 

 驚いたほむらや杏子が飛び出して止めようとするが、風華とまどかが止めに入った。イブを信じて、黙って見ていろと目で制する。

 

 紅い霧が晴れた時、イブの姿は何処にもなかった。彼女は自らの魔法に自分の肉体を溶かして、この場から消えていた。

 

 だが、彼女はそこにいた。

 

 肉体を失い、気配も、存在も何も無くなって、だが確かにそこにいた。

 

 肉体という器、いやイブにとっては檻でしかなかったものから解き放たれた魂のみの存在、高次元の意識そのものがそこに立っていた。今の彼女は人間でもなければ魔法少女でも、無論魔女でもない。人間が持つ言葉で彼女を表現するのなら、相応しい言葉は一つだった。「神」と。

 

 新しい次元に移行したイブが、語る。その言葉も声帯から出て空気を振るわせて耳に届くのではなく、魔法少女が使う念話に似て、頭へと直接声が響いていた。

 

「イブ……あんた、その体は……」

 

『僕や風華の望む未来の為には、僕がこの姿に移行する必要があったのですよ』

 

 そう言って、イブはキュゥべえへと視線を向けた。

 

『キュゥべえ。君なら分かるのではないですか? 今の僕の姿が、何の為のものか……』

 

「それは……」

 

 さしものインキュベーターも狙いが読めず、困惑したように首を傾げる。

 

 肉体から解き放たれた事による、肉体の死に伴う精神の死の回避。更にそれによってもたらされる永い寿命、様々な外的要因に対する耐性。これは、まるで……

 

「イブ、まさか君は……」

 

 少女は頷いた。

 

『僕はね、エリクシルによって得られた無限の叡智を束ね、それを更に発展させ続けていたのですよ。そして、見付けた。インキュベーターが開発したのとはまた違う、熱力学の法則に縛られないエネルギー、その概念を……』

 

 それはエリクシルという”命”の魔法を司る彼女だからこそ、辿り着けた結論だと言えた。

 

『命は、命と命が交流する事によって生まれるのです。それは、誰しもが知っているです』

 

 やや遠回しなその言葉に、この場にいる元魔法少女達の何人かは顔を真っ赤にして、何人かは何も言わずに俯いてしまった。そう、彼女達の誰もが、彼女達の父や母が出会ったからこそ、ここにいる。

 

『生命、魂は、ただ生殖に関わる行為によってのみ生まれるのではなく、命と命が交流する時、そこにエネルギーが発生する事でも生まれる。そしてマクロな視点で考えればこの宇宙だって一つの大きな命であり例外ではない事を、僕は発見したのですよ』

 

「そうか、だから君は、その姿に……」

 

 そこまで説明されれば、宇宙に関してこの場の誰よりも理解しているだろう魔法の使者は、得心が行ったという風に頷いた。後ろではさやかが「何? 何? どういう事なの?」としきりに説明を求めている。イブはにっこりと笑うと、結論に入った。

 

『だから、僕は旅立つのですよ。新しい宇宙へ』

 

 永い寿命や外的要因への耐性は、過酷な宇宙を旅する為に必要なものだったのだ。

 

『かつて魔女だったみんなの魂と一緒に。彼女達にも、僕と一緒で幸せになる資格があるのだから、です』

 

 イブがそっと手を振ると、彼女の周囲に光り輝く無数の球体が出現した。まるで、人魂か鬼火のように。その一つ一つが、まどかの魔法によって解放された魔女の魂だった。

 

「君の理論が正しければ、この宇宙と別の宇宙の間にも生命の交流が生まれ……そこにエネルギーが発生する事になる。そのエネルギーがどれほどのものかは未知数……計り知れないけど……成る程、確かにそれなら、僕達インキュベーターもわざわざこんな方法でエネルギーを回収する必要も無くなるかも知れないね」

 

 キュゥべえの補足説明にイブは我が意を得たりと頷き、名残を惜しむようにこの場の元魔法少女達を一人ずつ見ていく。そして最後に風華で視線を止めた。永い時を共に過ごしてきた相棒に、風華はぐっと親指を立てて応じる。たったそれだけのジェスチャーだが、二人にはそれで十分だった。

 

『それじゃあ、お別れなのですよ。みんな……』

 

 その言葉が最後だった。イブも、彼女の周りに集った数多の魂達も、もうどこにも見当たらなかった。

 

「イブさん……行ってしまったのね。導きの星となる為に……」

 

 マミが呟く。これを永遠の別れだと考えた杏子やさやか、ほむら、まどかの顔には悲壮感が滲んでいたが、風華は違った。彼女の顔は、晴れやかだった。そこは長年のパートナーならではのものがあった。イブの事は、誰よりも彼女が理解していた。

 

「これは、別れではないわ……イブも、私達も……そしてこの宇宙の、新たなる旅立ちの時なのよ……」

 

「確かに、そうと言えるかも知れないね」

 

 風華の言葉に同意を示したのは、以外と言うべきか順当と言うべきか、キュゥべえだった。彼はもうここでやる事は何も無いという言わんばかりに元魔法少女達に背を向ける。「何処へ行くの」と強い口調でほむらに尋ねられて、一度立ち止まって振り返った。

 

「母星に帰るのさ。これから忙しくなりそうだからね」

 

「え?」

 

「イブの理論が正しければ、この宇宙全体のエネルギー量にも変化がある筈。もしそれが僕達のエネルギー回収効率を上回っていたとしたら、僕達は魔法少女を生み出すよりも、そのエネルギーをどうやって回収して、宇宙の延命の為に役立てるかを考えなければならないからね」

 

 キュゥべえはもう立ち止まらなかった。最後に彼は「じゃあみんな、お別れだ。二度と会わない事を祈っているよ」と言い残した。それは彼にとっては捨て台詞でも何でもないだろう。むしろ純粋な願望と言っても良かったかも知れない。インキュベーターと人類が再び出会わないという事は、彼等にとって自分達の目的が達成された事に他ならないのだから。それは同時に、少なくともこの場にいる元魔法少女達全員の望む所だった。

 

 小さな白い体が見えなくなって、風華は全員に向き直って、言った。

 

「さ、私達も帰りましょうか」

 



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エピローグ

 

「おはよー、パパ」

 

「おはよう、まどか。ママを起こしてくれるかな」

 

 父、知久と朝の挨拶を交わして、先に行っている弟のタツヤと一緒に朝に弱い母、詢子を起こす。今日のリボンを選ぶのに少しだけ時間を掛けて、着替えた後は家族一緒に朝食を摂る。

 

 あの一月あまりの時間の中でも同じやり取りは繰り返されていた筈だが、すっかり忘れてしまっていた。あの時はあまりにも色んな事が起こりすぎていた。

 

 あれから三ヶ月ほどの時間が過ぎて、こうしたやりとりはおよそ百度は続いていたが、まどかはその一度一度に起こった細かい変化が全て分かるようになっていた。それだけではない。通学路での小鳥の鳴き声や、草葉の上の露に気付くようになった。

 

 きっとそれは、あの一ヶ月があったからだとまどかは思う。あの時間を経て、自分は随分と変わったと思う。少なくとも、もう漫然と日々を過ごしてはいなかった。凄く良い方向に考えてみると、あの一ヶ月は今の自分に色んなものをくれたのだ。無論、だからと言って二度と繰り返したいとは思わないが。

 

 あれからのこの三ヶ月は、毎日が祝福、贈り物のように思えた。

 

 パパの作ってくれた料理もこんなに美味しかったのかと、毎日が新しい発見の連続であった。

 

「そう言えば今日は、最近業績を伸ばしてきた企業の所に挨拶に行くんだけど……」

 

 と、詢子が口にする。これにもまどかは、まだこの時は「ママが朝食時に仕事の事を話すなんて珍しい事もあるな」と何となく思っていた。

 

「そこのトップは、若いけど大したやり手だって話だよ。私も見習って、本気で社長の椅子狙いに行こうかな……」

 

 「前にまどかが言ってたみたいに」と締めくくる。まどかにしてみれば朝の整容時のほんの世間話だったが、ひょっとして自分はとんでもない事を言ってしまったのではないかと、ちょっと怖くなった。

 

 そんな風に考えていると、テレビのニュースが過日のスーパーセル被害(と、一般には認識されているワルプルギスの夜と魔法少女軍団との戦闘被害)からの復興状況を知らせるものから、別のニュースに切り替わった。

 

<本日、深雪カンパニーCEOの深雪風華氏がアフガニスタンの戦災孤児救済NPOに10億円の寄付を行う事を発表いたしました>

 

 懐かしい人の名前が聞こえた気がして、まどかのフォークを動かす手が止まる。ややぎこちなく顔を動かしてテレビを見ると、そこにはやはり同姓同名の別人ではなく、戦友の元魔法少女の顔が映っていた。

 

「ああそうだ、この子だよ。今私が言ってたのは……まどかとそんなに年も変わらないだろうに、世の中には凄い子もいるもんだ……」

 

<深雪カンパニーは3ヶ月前に設立されて以来、驚異的な速度で業績を伸ばしており、特にロケット・航空・宇宙開発部門ではその高い技術力を評価されており、各国の企業から提携の申し出が……>

 

 感心したように言う母親の言葉も画面の中にいるキャスターの台詞も頭に入らず、まどかは気持ちを落ち着かせようと口にした紅茶を気管に入れてしまい、激しくむせかえった。

 

 

 

 

 

 

 

「まどか、見た? 今日のニュース」

 

 いつもの通学路では、いつも通り親友のさやかと仁美が待っていてくれていたが、今日のさやかは呆れたような笑顔を浮かべていた。多分彼女もテレビを見て自分と同じような状態になったのだとまどかが思い至るのに、さほどの推理力は必要なかった。

 

「風華さん、しばらく連絡くれないと思ってたらあんなコトしてたなんてね……」

 

「あら? 鹿目さんや美樹さんはあのCEOの方とお知り合いでしたの? 私、今度父に連れられてあの方と会食を行う予定があるのですが……どういったお知り合いなのですか?」

 

 何も知らない仁美は答えに困る質問をしてくる。まどかもさやかもまさか「元魔法少女の戦友です」と答える訳にも行かず、「以前電車賃を貸してくれた」と誤魔化した。下手な言い訳だったが、良くも悪くも箱入りな仁美には通じたらしい。「ロマンチックですわね」と頬を赤らめる。

 

 通学路の途中ではまた三人、見滝原中の制服を着た少女達が待ってくれていた。ほむらとマミ、そしてあの後すぐ転校してきた杏子である。そう言えば深く詮索した事はなかったが今日風華の動向が分かったのでついでに気になって聞いてみると、天涯孤独の彼女に学費や生活費を出してくれているのは他ならないあの若きCEOだという事だった。

 

「ピノキオは人間になれました。お話の中ならそれでめでたしめでたしのハッピーエンドだけれど、現実では人間になってそれから先の人生をずっと生きていかなければならないからね……深雪さんはあの時、既にここまで考えていたのね……」

 

 感心する他は無いという表情でマミが言う。彼女の隣を歩くほむらは、ばつが悪そうな表情だった。風華の深謀は、まどかを救えれば後はどうなっても良いとある意味捨て鉢になっていた自分とは、比べ物にならない。彼女はずっと、未来を救うと同時に自分も救うつもりで戦っていたのだ。

 

「いくら彼女が数千年を生きてきた魔法少女でありその経験があるからと言って、三ヶ月で何もない所からあそこまでの事は出来ないわ……きっと、十分な元手を用意していたのね……」

 

「本当、とんでもない奴だよね。それにイブの方も、どうやら上手く行ったんじゃないか?」

 

 ほむらの言葉に合わせるように、杏子が言う。この三ヶ月、ソウルジェムによる探知は不可能でも長年のカンから魔女が出現しそうな場所を見て回っていた彼女やマミであったが、二人が見た限り今の所魔女が現れた気配は何処にも、その残り香すら発見する事は出来なかった。

 

「せんぱーい!!」

 

 学校近くに差し掛かって背後から掛けられた声に振り返ると、まどかとは少し違った風に桃色の髪をツインテールにした少女が、マミの腕に抱き付いてきた。

 

 彼女は、かつてシャルロッテと呼ばれたお菓子の魔女だ。イブによって魔法少女として再生され、まどかによって人間に転生させられて後はやはり風華の援助によって見滝原中学に通っている。その中で、何故だかマミに懐いてしまいこうしたやり取りは毎日のように繰り返されていた。

 

「さ、遅刻してしまうわよ……急がないと」

 

 溜息を吐きつつそう言ったほむらに促され、一行は学校の正門をくぐっていった。

 

 ある筈の無かった未来が開けた。特にほむらにとっては魔法少女としてと、滅びてしまった未来そのものという二つの意味で。

 

 今こうして皆でいられる事も、一つの奇跡。だがこの奇跡をただの奇跡では終わらせず、奇跡によって得たこの命を、どこまでも輝かせて生きよう。

 

 言葉にはせずとも、そこに多少の齟齬はあっても、かつて魔法少女だった彼女達は全員がそうした想いを胸に、この時間を生きていた。

 

 

 

 

 

 

 

「ふう……」

 

 窓からは周りにある殆どのビルの屋上を見下ろせるその部屋。深雪カンパニーのCEO室では、最高級の素材で作られた椅子にもたれかかりながら、風華が溜息を吐いた。

 

 椅子と同じく豪華な作りの机の上には、決裁したばかりの書類が山と積まれている。彼女が呼び出しボタンを押すと、隣接した秘書室から彼女の秘書達がぞろぞろと出てきて、それぞれの担当部門の書類を受け取っていく。

 

 彼女達はイブのエリクシルによって再生された歴代の魔法少女達だ。彼女達も人間に戻った以上もう魔法は使えないが、殆どの者には常人では想像も付かない修羅場をくぐって生きてきた経験がある。その時の覚悟を思い出せば、短い時間で秘書技能を身に付ける事もやってやれなくはなかった。

 

 戸籍など勿論持たない彼女達にそれを買い与えたのも、風華だった。彼女は魔法少女であった頃から数千年を生きてきた知恵と知識を活用して元々は僅かであった資産を運用し、かなりの資金を保有していた。この会社の設立資金もそこから出ていた。

 

 魔術師マーリンや楊貴妃、上杉謙信など伝記や神話の住人といった世界一贅沢な秘書達が退室すると、風華は煎れられた紅茶で一服し、窓から見られる絶景に目をやった。

 

 深雪カンパニーが様々な事業の内、宇宙開発に特に力を入れているのには理由がある。あの後まどかから話を聞いた所、キュゥべえは彼女に「君達もいずれはこの星を離れて僕達の仲間入りをするだろう」と語っていたという。

 

 インキュベーターは好きにはなれないが、彼等の発言それ自体には正当性のある物も多い。それは風華だけでなく、ほむらやマミといったある程度感情に流されず冷静な思考が出来る元魔法少女達も認める所だった(逆に杏子やさやか辺りには絶対に認められないだろうが)。彼がまどかに言ったその言葉もまた然りだ。

 

 間違いなく自分が生きている間には不可能だろうが、いずれは人類もこの星を巣立ち、別の文明と触れ合う時も来るだろう。自分はその未来の為の、鎹(かすがい)となりたかった。その時に、人類がインキュベーターのようになっていない事を信じ、祈りながら。

 

「イブ……」

 

 ふと、長い間連れ添った相方の名前が口から出る。今にして考えると、彼女は母星からの巣立ちどころか一気に別の宇宙への進出を果たし、自分が何百年後かを想定している段階を一足飛びに越えてしまった事になる。

 

 歩みは遥かに緩やかであるが、自分も少しでもパートナーの背中を追いたい。それが、風華がこの会社で宇宙開発に力を入れているもう一つの理由だった。

 

「イブ……あなたは今、元気にしてる?」

 

 

 

 

 

 

 

 少女の周りには、星のような数多の輝きが取り巻いていた。その光は一つ一つが魔女の呪いから解放された魂達だった。その魂達を引き連れた少女、イブは、眼下に渦巻く星雲を掴もうとするかのように、そっと手を伸ばす。

 

 彼女達がいるのは宇宙空間のど真ん中。あらゆる生命の存在を拒むその場所であったが、真空も絶対零度も恐ろしい宇宙線も、魂だけの存在となった今の彼女達には無害な物でしかなかった。

 

 イブは自分の周りの魂達に、優しく語りかける。

 

『見えるですか、みんな。ここが新しい宇宙。僕達の力を合わせて、この宇宙を生命で満たしましょうなのですよ』

 

 彼女の言葉に賛同するように、周りの魂達がゆっくりと明滅した。

 

『そう、僕達みんなの力でこの宇宙を天国に……いや、楽園(EDEN)にしましょうなのですよ』

 



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登場人物紹介

 

・深雪風華

 

年齢:15歳(外見的に)

 

身長:162cm

 

体重:44kg

 

ソウルジェムの色:碧色

 

能力

時間系魔法の使い手。その能力は以下の3つ。

 

1.時間移動

契約して魔法少女になった時よりも過去の時間へと肉体ごと自由に移動する事が出来る。その際、身に付けている衣服や手を繋ぐなどして触れていた相手も彼女と共に移動する。

ほむらのそれとは違い、あくまで同じ世界の時間を移動する能力。ただし、一度行った時間には二度と行く事が出来ない。これは同じ時間に同じ人間が二人居る事が出来ない為。

原則として同じ世界という”繋がっている線の上”でしか移動は不可能。よって、”触れ合わない線”である並行世界へと移動する事は出来ない。ただし、何らかの要因によって世界が繋がっている・束ねられている場合はこの限りではない。

 

2.タイムマシン

自分の分身を数分前までの過去に飛ばし、何らかの行動を取らせる事で現在を改変出来る。

また分身が実時間へと戻る際に、誰かもしくは何かを過去から連れてくる事が出来る。死亡した巴マミを救い、砕かれた美樹さやかのソウルジェムを回収したのもこの能力。

ただし、この能力を使用中の風華は完全に無防備状態となる為、戦闘中に使用するのであれば敵から余程距離を離して行うか、さもなくば護衛が必須となる。

 

3.可能性の収集

何らかの要因によって数多の世界が繋がっている時にしか使えない能力であり、風華の魔法の本質。

あらゆる過去から可能性を集め、それを現在のその人物へと受け渡す事で対象の全能力を飛躍的にブーストする。

これは風華本人にも適用可能。

 

 

備考

Kriemhild Gretchenによって滅ぼされた世界の出身であり、その世界で誕生した最後の魔法少女。感情を持ったインキュベーターと契約した。

その願いは世界が滅びる事になった”間違い”を見付ける為の力を得る事。時間魔法の使い手である事はこの願いに起因する。

それ以降、彼女はあらゆる時代を旅して”間違い”を探し続け、その過程で自分の意志に賛同する仲間を集めて来るべき戦いに備えていた。

本来、現在の世界とは別の世界の出身であるのだが、ほむらが繰り返した時間遡行によって数多の世界が束ねられていた事が原因でこの世界へと移動してくる(この世界での彼女は男であり別人)。

永い時間を生きた事でソウルジェムの秘密や魔法少女の末路についても知っており、世界を終わらせた魔女となる強大な魔法少女を捜して見滝ヶ原へとやって来た。

性格は極めて理知的かつ理性的。イブには姉のように接している。

戦闘タイプは後衛・援護特化。仲間が居て初めて真価を発揮するタイプ。能力自体は極めてレアだが、真っ向きっての戦闘では使い魔にも勝てない。本人もそれは自覚しており、よって単独では絶対に正面からはぶつからず、奇襲を主戦術とする。

 

 

 

・イブ

 

年齢:13歳(外見的に)

 

身長:146cm

 

体重:34kg

 

ソウルジェムの色:黒に近い紫

 

能力

自らの血に魔力を流し、あらゆる物質を崩壊させる紅い霧を発生させる”猛毒にして万能薬”エリクシルを持つ。

 

エリクシルは単純な物質だけではなく知識や魂、命といったものまで量子レベルで分解してしまい、イブの中に保存、好きな時に再構築する事を可能とする。

よって、魂の在り方を理解しておりかつ、肉体・命・魂の全てがエリクシルに溶け込んでいる状態であれば、ちょうど曲がってしまった鉄棒を一度高熱によって融解、その後に型に入れ直して真っ直ぐにする要領で魔女を魔法少女もしくは人間に戻す事が出来る。仲間である魔法少女達も、普段は分解された状態で待機している。

吸収した知識は単純なコピーとして使うだけではなく、それを発展させる事が出来る。

 

 

備考

本来の歴史では、人類史上初の魔法少女となる筈だった人物。

だが、風華の行った干渉によってその役は別の少女が担う事となった。

彼女と友人であるアダム、リリスが住んでいたエデンの園が魔女に襲われ、二人が殺された事をきっかけにインキュベーターと契約。その願いは「アダムとリリスを助け、かつ魔女を倒す力」。彼女の魔法であるエリクシルが全てを殺す毒であり全てを癒す万能薬という相反する特性を持つのは、この二つの条件を同時に満たす為。

その後風華の話を聞いて彼女に賛同。永い旅の、最初の道連れとなる。

天真爛漫な性格で、リンゴに目がない。

戦闘タイプは基本は中距離型だが、これまでに数え切れない魔女をエリクシルによって”捕食”し、彼女達が魔法少女であった頃の能力を吸収、戦闘スタイルを学習している為、様々な武器・魔法を使いこなす事が出来る。

エリクシルは拡散していく霧という性質上、結界内部のような閉鎖空間では逃げ場を奪ってしまう為に最高の威力を発揮し、魔女狩りに適している。反面、スピードが無いので開けた場所では容易に回避されてしまう。

 



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