千倍じゃ足りない (野分大地)
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00.「10"58」

 もう一方が完全に煮詰まってしまったので気晴らしに。どっちかに止まったらもう一方に、って流れでモチベーション意地できるんじゃないだろうか。できないだろうか。とりあえず是非お楽しみ下さい。


 ウォーミングアップに縄跳び。体を温め、筋肉を伸ばすこの習慣は車で言う暖機運転のようなもので、地味だがこの上なく大切なことだ。怠れば怪我の危険性が高まるし、何より単純にポテンシャルを発揮しきれない。

基礎とか馬鹿にするタイプだと思ってた、とは友人の談であるがとんでもない。それは“走る”という行為への侮辱だ。

 

「んじゃ、ひとまず新入部員のタイム見るから。まずは相川ーーー」

 

 俺を含めて各々体が温まってきた頃、最初の一人が呼び出される。まだろくに喋ったことはないが、これから三年間一緒に走って行くであろう仲間だ。そのフォームはしっかり見ておきたい……が。あれは、駄目だろうな。

入部一発目、別に結果が悪ければ即退部なんてわけではないが自己ベストで華々しく飾りたいと思うのは人情だろう。彼もそう思っているかどうかは分からないが、少なくとも緊張に呑まれかけているのはよく分かる。乾いて割れた唇をしきりに舌で湿らせていた。

 しばらく足首を動かして、合図とともにかけ出す……なかなか速い、が、やはり少々ぎこちない。適度なストレスは集中力を研ぎ澄ましてくれる相棒だが、もちろん呑まれればベストなど尽くせるわけもない。

 

「12"32……そんな顔するなよ、十分速いさ」

 

 不満気な少年に苦笑しながら、計測係の先輩がタイムを伝える。事実そう悪いタイムではない。それまで特別トレーニングなどをやってきたわけではない中学一年生なら、ずいぶん速いほうだと言っていいだろう。

ざっくりと言えば一年で13秒前半、二年で12秒前半、三年で11秒後半……このくらいあれば県大会に出られるくらいだといえばわかりやすいだろうか?

 トントン拍子に、計測は続く。

 

「次。……14"12。………13"03、惜しいな……14"44」

 

 足に自信が有るらしい奴、友達と一緒に楽しげな奴、明らかに「中学校は運動部は入れって親に……」って顔した奴。いろいろ居るが、やはり素養を感じる人間がいるのは喜ばしい。切磋琢磨、まさしく青春。まさしく文化的だ。……俺は運動部と文化部という分け方は嫌いなのだ、まるで運動が文化的じゃないとでも言いたいような分類、勘違いも甚だしい。そもそも筋トレ一つとってもどれほどインテリジェンスな行為なのかわかっていない人間が……

 

「……次、矢光…………矢光?矢光 翔(やこう かける)!!」

「そうやはりここで重要になるのもまた速さ、ダラダラとやって疲労感だけを残して達成感など感じてしまえばもう最悪だったったった、ハイ!」

 

 いけないいけない、ちょっと熱が入ってしまったらしい。

自分の名前を呼ばれてスタートラインに着く。靴紐に緩みはなく、少々清々しさには欠けるが文句なしの実力が出る無風。4月の空気はまだ冬の名残を感じさせる透き通った冷たさで、体調は文句なしの万全だ。

 

「位置について」

 

 スターティングブロックを軽く蹴りしっかりと踏みしめる。スタートラインに肩幅に手を起き、指で上体を支える。手足に均等に力を配分すればピッタリと体が静止するのだ。

 

「よーい……」

 

 腰を軽く持ち上げる。心地よい緊張感……というには少し苦手な瞬間だ。自慢ではないが最近ようやくフライング癖が治ってきた所なのである。

 

「……ドン!」

 

 号令が言い切られるか否かといった瞬間、俺はブロックに乗るような気持ちで体重をずらし……全力で蹴って、前方に跳ぶ(・・・・・)。水泳のスタートといえばわかりやすいだろうか、垂直に壁が立っているイメージで、ともすれば転ぶようにスタートダッシュを切る。

自転車と同じだ、全速力で走っているからこそ安定する姿勢。この100mという短い間隔に全てを出し切り、体は風を斬る。日常でちょっと走る、なんてことに応用も効かないこの世界に最適化さ「行き過ぎ!行き過ぎっ!」おっと。

 

「ふぅ、はぁー……やーすみませんすみません……タイムは?」

 

 手応えはあった。自己ベストタイと言ったところだろう。自分の体の限界を振り絞った直後というのはやはり高揚するもので、余韻に浸る意味もあってゆっくり勢いを殺すように歩きながら上がった息を整える。

 

「…………」

「先輩?」

 

 引きつった顔の先輩に再び問いかける。ストップウォッチと俺の顔を三度くらい往復して、先輩はタイムを口にした。

 

「………………じゅ、10"58」

 

 自己ベストタイ。当たりだ。

 

 

 

 

 

 速いことに憧れていた。

 

 《ニューロリンカー》、細かい仕組みはあんまり知らないけど、簡単にいえばヴァーチャルとリアルの垣根をものすごく低くした、今では一人一台ってレベルの携帯端末だ。

コイツが現れてから、生活の中でもヴァーチャルが占める部分は増えていった。

「リンカースキルが進学や出世を決める」、なんて大企業が公言するほどなんだから、この首輪がもはやこれからの時代には必須のアイテムなんだとは思う。

 それでも、俺達は現実に生きる人間で。いくら仮想世界(ヴァーチャル)現実(リアル)に迫っても、結局のところこの不完全で不便な肉体と付き合っていかなきゃならない。

ヴァーチャルの世界に比べればずっと不自由で遅い肉体だが、それでも必死に速さの限界に挑み続けた自分の足も嫌いではなかった。

 

 幼いころ、外資系の大企業に務める両親がほとんど構えない俺の玩具にくれたのがこのニューロリンカーだった。

定時に起動する学習プログラムという鬱陶しいお邪魔虫付きではあったものの、当然ゲームもほとんど無数にあって、ネットの向こう側にも人がいたからコミュニケーションにだって困ることはなかった。

 テーブルゲーム、レースゲーム、スポーツゲーム、FPS、RPG、フルダイブの格ゲーまで。いろいろやってきたけど、すぐにジャンルは偏りだす。基準はたった一つ、スピードだ。

 仮想空間とはいえ、現実の幼い体じゃ到底不可能な超スピードの中に身をおく快感!少年が虜になるのも仕方ないというものだろう。

 

 ーーー速い!すごい!気持ちいい!

 

 着実にスピードジャンキーと化す俺を止めて、健全な青少年に成長させるべき親は学習プログラムに頼りきり、ゲームで関わる年だけ食ったガキ共はむしろ俺を煽り、競い合ってどんどん高まっていく。

 ……本物の体の遅さに我慢できなくなったのは、当然の帰結だろう。

もともと悪くなかったレスポンスはフルダイブ環境の超高速の世界で研ぎ澄まされ、その度に現実の体の鈍さに悔しさは募る。思う通りに体を動かしたい……その思いは、すぐに自分の限界を引き上げていく作業への楽しさにすり替わっていった。

 

 生身で風を切るあの一瞬が。心臓が早鐘を打ち、口の中で血の味がして、疲れ果ててぶっ倒れるあの脱力感が。走ることが……気持よくて仕方ない。

 

 ーーー速く。もっと疾く。

理由なんて無い。ゴールだって無い。ただ今よりも疾く。もっと、もっと、もっとーーー!

 

 

 齢10の頃悟った真理だ。

 速いことは、素晴らしい。

 

 

 

 

 あの後ちょっとした騒ぎになったり、興奮冷めやらぬまま初日の練習に。ついつい気分が乗って明らかに毎日は保たないような勢いでやりきった後、気持よく汗を拭いて着替えていた時の事だった。

視界の端に小さくメールアイコンが明滅している。

 

『遅い 正門』

「……あー。……あー…………」

 

 相変わらず簡潔すぎる文面を見て、チラリと視界の端で時計を確認する……既に約束の時間から二分過ぎていた。

せっかちさは俺以上なアイツの事だ、これ以上はマズイだろう……というか見切りを付けてさっさと帰るか、こっちにまで呼びに来ない辺りむしろ運が良かった。

 

『一分で行く』

 

 仮想キーボードで短く打ち込んで送ると、返事を待たずに立ち上がる。

痺れを切らして動き出したら入れ違いだ、急ごう。




号令が英語に統一とかそういう話題もありますが、中学ですし取り敢えず「位置について〜」で(頷き

というか別にスポーツ小説じゃないから!


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01.思ってたのと違う……

「よーう、悪い、練習に熱が入りすぎた。待たせたな美早」

NP(問題ない)

 

 軽く走って辿り着いた正門では、臙脂色に白いエプロンとおとなしめな色合いのメイド服を来た少女が待っていた。

あまり派手な、それこそメイド喫茶であるような派手でフリフリなものではないが(もちろんそういうのよりもこのデザインのほうが似合っているとも思うが)、十分目立つ格好。時折チラチラと視線を浴びているがどこ吹く風と涼しげな顔をしている。

 

 彼女は掛居 美早(かけい みはや)。略しすぎてもはや難解な略語が個性的な、大変せっかちなーーー具体的には務めている店の制服であるメイド服を着替える手間も惜しんで、中学校の正門で立ち尽くしている程のーーー友人だ。とは言っても、出会いはさほど愉快なものでもなかったのだが。

速さを愛し求める俺ではあるが、流石に彼女の言動を真似る気にはならない。喋るのも服考えるのも結構好きなんだよ、俺。言葉だとかお洒落っていうのも文化の現れだし、文化は速さと同じくらいに尊いものだ。

 

「行こう」

「ん」

 

 挨拶もそこそこに、足早に歩いて行く美早の後を行く。今日の午後は彼女に付き合う約束になっているのだ。

 

 

 

 

 やってきたのは洋菓子店、《パティスリー・ラ・プラージュ》。美早がお手伝い兼見習いを務める店であり、なんでも権利上はオーナーもやっているのだと言う。そりゃまぁ年齢からして無理がある話だし、今は伯母である薫さんが厨房を受け持っている。なんでも赤坂にある有名店にも務めていた腕前の持ち主だとか……名物ケーキの《苺の迷宮(ラビリンス)》は絶品である。

 

「待ってて」

 

 美早に通されたのは店の一角にあるイートインスペースの奥まった所だった。ちょうど誰もいないとは言え何も注文せずに居座るのは気まずいものがあったが、すぐにいちごのショートケーキと紅茶を持った美早が戻ってきた。

 

「サービス」

「ありがたいけど、いいのか?勝手に……自分でお金払っておくとかって話なら俺自分で出すぞ、なんかだせーし」

NP(大丈夫)、私の練習作」

「実験台かよ」

 

 しれっと言ってのける美早に苦笑しつつも、そういうことならとありがたくいただく。当然見た目も少々不格好だし、薫シェフ(伯母さん)のものに比べれば味も劣るが、最近だんだん上達してきたらしく普通に美味しいし、何より女子が手作りしたお菓子に文句なんて言えば何処かしらから祟でももらいそうだ。

 

「んで?このケーキの試食が要件だったのか?…………美味しいけど生地がちょっとモソモソして……」

「それも無いではないけれど、本命はこっち」

 

 頑張って正確な感想を絞り出そうとしていた俺に差し出されたのは、あろうことかXSBケーブルの端子だった。その対になる端子は美早の首元の、少し黒ずんだ赤のニューロリンカーにつながっている。

 

「……掛居サン?」

「?」

 

 首こてん、じゃねえよ。可愛いけど。

 思わず片言の他人行儀になってしまったものしかたのないことだろう。

《有線直結通信》、略して直結と呼ばれるその行為は読んで字の如くニューロリンカー同士をXSBケーブルで接続し、通信を行う行為だ。

 当然ニューロリンカーは基本無線通信であらゆるやりとりを行っており、本来ならそんな煩わしいケーブルはあらゆる場面で必要としないシロモノだ。ならば何故そんなことをするのかと言われれば……単純に、セキュリティの問題なのである。

 有線で直結した場合、お互いのニューロリンカーに干渉する場合においてそのセキュリティの九割は無力化してしまう。

ニューロリンカーが生活において占める部分が大きくなった昨今、ニューロリンカーを自由にできるということは自分のプライバシーをさらけ出すに等しい。

故に通常は、直結を行うのは最も信頼できる相手……家族や恋人でしか行わないのである。逆説的に、自分たちの親密さをアピールするために公共の場で直結して歩いているバカップルも居たりもするのだ。真ん中でちょん切ってやりたい……ではない、今ではケーブルの長さが親密度を表すなんて俗説も有るほどだ。まったくバカバカしいにも程がある。そんな即物的なもので難解な人の心の距離なんて難解なものを読み解こうなんて笑い話だ。けっ。

 

「その、直結をここで……?!」

「どのかは知らないけれど、Y(イエス)。直結して」

「…………………」

 

 相変わらず涼しげにとんでもないことを言ってのける美早に、俺は信条にそぐわず悩んでしまっていた。どうした俺。どうした矢光翔。

速さこそが正義だろう。悩んでいる時間など無駄以外の何物でもない、即決即納即効即急即時即座即答。いつもそれを心がけてきたじゃないか、それも今回に至っては別に悩む要素など無いじゃないか、向こうから言ってきたんだし。……いやいやいやいやいや、でもなぁー。やっぱ公共の場でこういうのはどうかと思うんだよ俺は。思いだせ、歩道を歩いていて目の前の男女が直結していた時のあの気持。ちょうど真ん中をケーブル引っ掛けて全力疾走してやりたいと思ったじゃないか。いやあまりに惨めすぎるからやらないけどさ。あの哀しみを、今度は俺が振りまく側になっちゃうのかと思うと仄暗い悦びが……じゃない、良心の呵責が「長い」俺の心を苛んで、あっ、ちょ、

 

『……せめて声かけろよな』

『思考発声は出来るみたい、K』

 

 恨みがましい俺の声を無視して、じっと俺のめを覗きこんでくる美早。……まって、めっちゃケーブル短い。うっわドキドキするんだけどこれ。

 思春期少年の心が些細な非日常にどぎまぎしているのを相変わらずスマートに無視して、美早は何やら仮想デスクトップを操作する。それに対応するように、こちらの網膜にポップするダイアログ。

 

【BB2039.exe を実行しますか? YES/NO】

 

『……BB?なにこれ』

『アプリケーション。インストールしてみて』

『してみて、ってお前……』

 

 見るからに怪しげなアプリケーション。まぁ美早がそんな致命的な悪戯をするとは思えないし、有害なものでは無いのだろうが……こちらの不安感を解こうとするような素振りも見せない辺り、実にらしい。

それに興味もあるし……と、特に悩まずYESのボタンを押す。

 

 ……数瞬置いて、巨大な炎が視界を埋め尽くした。

今にも熱気を届けてきそうな流麗な炎のアニメーション圧倒されている間に、インジケータバーが埋まって行く。

 ニューロリンカー用アプリとしては異様と言ってもいい、三十秒近い時間を経て、プログラム《BRAIN BURST》はインストールされた。インジゲータとロゴを燃やし尽くした炎エフェクトの残滓が文字を作る。

 

 《WELCOME TO THE ACCELERATED WORLD》

 

『…………加速、世界』

 

 火花となってその文字が散っていった後も、その言葉が俺にもたらした余韻は俺の胸を焦がすようだった。

 

『インストールおめでとう、心配はしていなかったけれど』

『失敗することもあったのか、これ?』

『脳神経の反応速度を見られる』

『ああ、まぁそりゃ自信は……で、加速世界って?』

 

 実に胸の踊る単語である。新しいレースゲーか何かなんだろうか?

見るからに目が輝いているであろう俺を見て僅かに頬を綻ばせながら、美早は口を開いた。

 

『……実際に体験してもらったほうが速い。続けて唱えて』

『お、おう?』

『K。カウントする。2、1』

 

 どうせそんなところだろうと身構えていたかいもあり、なんとかそのタイミング合わせの体を成していないカウントに合わせられる。

 

「《バースト・リンク》」

「……ば、《バースト・リンク》!」

 

 ……乾いた衝撃音が、世界を揺るがした。

思わず目を閉じてしまい、再び開いた時には……透き通るようなブルーのみが広がっており、そんな物悲しい世界で、俺と美早が直結した状態で固まっているのを、客観的に視認できた。

 

「……なんだ、これ?幽体離脱……?」

N(違う)。これが『加速』。静止したように見えているのは、こっちの思考が超高速になっているから」

 

 声の方を見れば、ライダースーツを着て二足歩行する真紅の豹……美早のアバターが立っていた。自分の体を見下ろせば、同じくフルダイブ用の吸血鬼アバターに変わっている。真っ黒コートがイカした自信作だ、友達にも好評である……何故か美早には超不評だが、今はいい。

 

「……超高速……要するに、止まってるわけじゃなくて、止まって見えるほどこっちが速いだけ?」

 

 言われてみれば確かにジリジリと動いているような気がしないでもない。

 

「Y。……でも不思議、もっとはしゃぐかと思ってた」

「んー、俺も加速世界って聞いてもっとテンション上がるかと思ったんだけどなぁ……なんか、実感わかねぇんだよなー。体感は普通だし」

「わからなくはない……でもこれは入り口」

「へぇ?そりゃ面白みには欠けるけど、十分すごいと思うんだけど」

 

 ここまででも十分超技術だ、いくらでも活用は出来るだろう。興味はわかないけど。

 

「詳しいことは明日の放課後、また店に来てもらってから話す。まだ準備ができてない。……あぁ、それと」

「しっかし俺ってこんな顔してたっけ、鏡で見るのとはまたちょっと違った…………ん?」

「明日会うまで絶対ニューロリンカーを外さないことと、それまでグローバルネットに接続しないこと。K?」

「何だそりゃ、別にいいけどさ……KK」

 

 よくわからない約束をさせられながらも、その日はそれでお開きになり、店を出るときにグローバルネットへの接続を切って帰る。

 

「……加速世界、ねー……面白いもんだといいな」

 

 一発目……美早いわく入り口は微妙に俺の好みとは外れたものだったが、俺をよく知る美早がわざわざ進めてきたアプリだ。きっと本領とやらはそれはもうすごいものなんだろうと期待してもいいはずだ。

 明日を楽しみにしつつも、その日の俺は眠りにつき…………そして、夢を見る。

 

 

 

 見渡す限り極彩色の、今まで体験した中でも最も広いであろう空間。すべての方向に無限に広がっていくその場所で、俺の体は漂っていた。

体の所々が粒子のように散っていったかと思えば元に戻る。それが繰り返され、しかし痛みも恐怖も不思議と感じなかった。

 体は動く。動こうと思えば進むことが出来た。何もない空間を、歩くでもなくただ進む(・・)というのは筆舌に尽くしがたい感覚ではあったものの、慣れればどんどんスピードを上げることも出来る。

 

 加速する。一分一秒ごとに、一瞬前より速く、速く、速くなっていく。ここにはあらゆる柵がなかった。

どこまでも行ける。どこまでも疾くなれる。まだ足りない、もっと加速したい。

 体の端から粒子になって、何処へともなく散っていった。構うもんか。軽くなって、抵抗が減った分もっと速く。もっと先へ。

 際限なく増す速度、粒子になって散っていく体。人間の形を無くしても、帰る場所を無くしても、俺の意志は確かにそこにあるんだ。

全部が塵になって、剥がれていった。最後に残った俺の魂は、それでもこの極彩色を振り切るほどに速く、進んでいく。

 やがて俺は、その空間の果てへ達しーーー

 

 

 ーーー無情にも、壁にぶち当たった。

 

 

 

 

「……っっでぇー……!!」

 

 頭を抑えて悶絶する。寝間着は汗で肌に張り付き、あまり安らかな眠りではなかったことを物語っていた……当然だ。どうやらロフトベッドから落ちるほどに暴れていたらしいのだから。

 

「……寝る間もニューロリンカー外すな、つってたのはこのことか……?いてて、言ってくれればソファにでも寝たってのに」

 

 少々理不尽なことをぼやきつつも、朝の準備にとりかかる。

 

 

 

 

 何の夢を見ていたのかは、思い出せなかった。



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02.グッドスピード

 その日一日の授業を終え、陸上部の練習をこなす。しかしその間すこし上の空だったことは否定出来ないだろう。

寝覚めこそ最悪だったものの、喉元すぎればなんとやら。昨日美早からもらったアプリケーション《ブレイン・バースト》……加速世界の説明とやらが気になって、入学二日目からさっさと学校終わらないかななんて生意気なことを考えてしまっていた。

 

 美早の通っている学校は全寮制であり、門限が有る。放課後からそれまでの時間を店で過ごしている彼女の時間を割いてもらうのだからと、授業が終わってから急いで(最も昨日すっぽかしかけた俺が白々しいことではあるが)連絡のメールを送り、店へとダッシュする。

 

「こんにちはー、と。薫さん?美早はー……」

「いらっしゃいませ、ミャアはさっき上がったよ。着替えて来ると思うからそっちで待ってて」

「うっす」

 

 カウンターに出ていた薫さんとやりとりをしつつ、言われたとおり奥で待たせてもらう。出してもらった紅茶を頂いて(やはりこっちも美早のものより美味しかった、さすがプロである)いるうちに、制服を着た美早がやってきた。

 

「今日は早いんだな、終わるの」

「シフトを調整してもらった。ん」

 

 事も無げに言ってのけながら差し出されるのはやはり直結ケーブル。しかし昨日とは状況が違う。

 

「……や、あの、美早?今カウンターに薫さんが……」

NP(ノープロブレム)、速く」

「……お、お前なぁ……」

 

 カウンターからの生暖かい視線にはとんでもなく居心地の悪い気分にされつつも、どうせ一度やってしまったのだしと半ば開き直ってケーブルをつなぐ。テーブル越しには微妙に頼りない長さのそれは、急に首を動かすと相手まで引っ張ってしまいそうだ。

 

『それじゃ、昨日の要領で。合わせて、2、1』

 

 

 ーーーバースト・リンク

 

 

 昨日と同じ、静止した青い世界ーーー初期加速空間(ブルーワールド)と呼ぶらしいーーーに、アバター姿で降り立つ。……すぐに気づいた。視界の左端に見慣れないアイコン。

 

「これは?」

「《ブレイン・バースト》のメニュー画面」

「なんで一晩置きに……?」

 

 首をひねりつつタップすると、見覚えのあるレイアウトのメニュー画面が広がった。ステータスに、戦績。それにマッチメイキングのボタンまで有る。

 

「……これ、まさか…………」

「Y。ブレイン・バーストのメニュー画面」

「フルダイブの格ゲーか……やったことあるけど、なんでわざわざ加速……?」

「多くのプレイヤーは、加速し続けるために……さっきの、思考一千倍の世界や、他にもいくつか有るコマンドの恩恵を失わないために戦い続けている。……でも、きっと翔はこのゲームを気にいると思う。……マッチメイキングから、《ブラッド・レパード》に対戦を申し込んでみて」

「いきなり対戦?俺まだキャラとかコンボとか調べてないんだけど」

 

 ともかく言われるがままにマッチメイキングのボタンを押す。といっても今は直結環境下だから、サーチに引っかかるとしたら美早のアカウントだけのはずだ。

 ネームリストには名前が2つ……さっき言っていた《ブラッド・レパード》、おそらく美早のアカウントと……消去法で俺のモノであろう、《ジェミニ・ブリッツ》という名前が並んでいた。

 ーーー大仰な名前だがかっこいいな、響きが。

 ちょっと嬉しくなりつつも、手早く名前をタップし、【DUEL】を択ぶ。確認ダイアログに【YES】と入れれば、青い世界が一変する。

 

 それまで居た店の面影はわずかに残っているものの、コンクリートやガラスなんかは綺麗さっぱり消え去り、代わりに節くれだった巨大な樹や奇岩、緑一色の草原、そして真っ青な空が視界の果てまで広がっている……思わず深呼吸して、駈け出してしまいたくなるような清々しいステージだ。

 

「…………すっ……げー……」

 

 風が運ぶ土や草の匂い、そのへんの石ころにまで及ぶ精細な描画。リアル志向のフルダイブ型ゲームもこれに比べればちゃちなものだろう、五感の全てを鮮やかに刺激する、まさしくそこに広がっている世界は現実と比べても遜色ない。

 

「《原生林》ステージ…………偶然?」

 

 どこか嬉しそうにつぶやく美早の姿は、先程までのアバターの姿とも変わっていた。

 プラスチックほど安っぽくはなく、しかしガラスほどの繊細さも感じられないクリアレッドの装甲に身を包んだ獣人……それも豹とは、全くリアルの面影は無いというのに、何故か一目で美早だとわかるのはやはり特徴を掴んでいるからだろうか?

 見下ろせば自分の姿も変わっていた。全部を見られるわけではないが、ジェミニグレー(くすんだ灰色)のライダースーツのような意匠に最低限のプロテクターが要所を保護している。頭部はこれまた無難なデザインのジェットヘルメットのような形……良く言えばスマート、悪く言えば華やかさに欠けるデザインだ。ぶっちゃけると量産型仮○ライダーみたい。

 

「《ジェミニ・ブリッツ》……灰色とは珍しい。それに閃光(ブリッツ)なんて、おあつらえ向き」

「まぁ、俺は速いからな!……しっかし、ちょっと地味だなこれ。悪くないけど、俺ならもうちょっとプロテクターとかさ……エディットとかってやり直せないのか?」

「N、デュエルアバターは自動生成。プログラムが深層イメージにアクセスして、コンプレックスや願望、強迫観念が汲み取られて造られる。翔のそれはまず間違いなく……」

「願望であり、強迫観念であり、劣等感……だろうな。心当たりなんてひとつしかねぇや」

 

 速く在りたい、速くならなくてはならない、もっと速くなりたい……四六時中そればかりだ。仮にそれだけじゃないとしても、絶対値は圧倒的だろう。

 デザインも特別早そう、という様子ではないが無駄にゴテゴテとしていないのは重くならないためだとわかる。このアバターは、素早い。

 

「K、まずはそのアバターのポテンシャルを見てみよう。体力ゲージの下の自分の名前を押してみて」

 

 言われたとおりにすれば、半透明のウィンドウにデュエルアバターに設定されたコマンドがリストアップされる。

……レベル1だから当然なのかもしれないが、少ない。

 

「……《パンチ》、《キック》……あ、必殺技。……《ファースト・ブリット》。キックじゃねえか!」

 

 遠距離技ねーのかよ、いやまぁ明らかに銃とか持ってないけど。気弾とかも打てそうにはないけど。

必殺技は高威力の飛び蹴りらしい。の割には1/3ゲージほどで済むし燃費は良さげだ。

 

「しかし地味だな……必殺技なのに名前も挙動も……」

「デュエルアバターにはそれぞれ個性はあるけれど、同レベル同ポテンシャルの法則がある。特別な武器がなかったり、見るからに膂力が強かったり、防御力が高そうだったりしないならおそらく必殺技かアビリティにポテンシャルが極振りされていると思う」

「ほー、またピーキーな。そういうの好きだぜ」

 

 好奇心に急き立てられてアビリティのタブを見れば……

 

「……《ラディカル・グッドスピード》」

「DEX特化」

「知ってるよ!!」

 

 想像していた、とばかりに頷く美早には全く同意だがどこか釈然としない思いを抱えつつ、インフォメーションを見てみる。

 どうにも、必殺技ゲージとオブジェクトを消費して乗り物やアバターを高速化するものらしかった。

 

「……オブジェクト消費型?珍しい」

「そうなのか?ま、とりあえずやれることは確認したわけだし……試運転、やってみるか」

「K、レクチャーする」

「サンキュ……んじゃ、行くぞォ!」

 

 レベル1の俺に対して、美早の《ブラッド・レパード》はレベル4。まともにやれば勝負にはならないが、むしろ胸を借りるつもりで行ける現状はレクチャーには持って来いだ。

 

 軽くスパーリングのようなことをした後、珍しく美早の頼みでこの《原生林》ステージを駆け巡る事になった。

この新しい体は想像していたとおり素早く、さらにスパーリングで溜まった必殺技ゲージとアビリティの効果もあり……気が付けば真紅の豹に姿を変えていた美早、否、ブラッド・レパードと超スピードで全力疾走する羽目になる。

レベル差もあって先にバテたのは俺だったし、レパードはまだ本気を出していなかったらしいのがものすごく悔しかったが……ものすごくいい気分だった。これだけの早さで尚追い越せない奴が居るなんて!

時間切れまでの数秒、大の字になって突き抜けるような青空を見上げながら誓った。

 

 

 ーーー俺は、この加速世界でも最速を目指してみせる。

 



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03.デビュー戦

 ブラッド・レパードこと美早のレクチャーを受けた翌日。昨夜は結局興奮冷めやらず現実世界で夜通しジョギングして睡眠不足であるものの、俺のテンションは未だ下がらずに居た。

 寝ても覚めても付き纏う、あの世界(・・・・)での疾駆。真紅の豹と、障害物を物ともせずに限界を振り絞って走ったあの一瞬が忘れられず、足がムズムズしてぐっすり眠れなかった。授業中は貧乏ゆすりを注意されるほどだ。

…………その欲求不満に付き合って練習終了前にバテて潰れた部活の仲間には悪いと思ってる。だがやっぱり走るのはいい、少々物足りなくはあるものの、わざわざ生身で走るのはまたちょっと風情も求めるものも違うものだ。

 

 部活が終わり、もはやここ数日でとっくに馴染んだコースを走って行く。とはいっても今日は別に店まで行く必要はないと言われていた。

というのもブレイン・バーストのマッチングはエリア毎に区切られており、俺の家や通っている私立梅郷中学校がある杉並区でマッチメイクしても、例えば練馬区の店にいる美早の名前はリストに現れないのである。せっかくだから初戦は観戦したいとのことで、ひとまずグローバルネットは遮断して練馬区に引っかかるところまでダッシュしているわけだ。

 

「……みっともねえところは見せたくないわな。初戦敗退とか、ケチが付くみたいだしよ」

 

 誰に言うわけでもなく漏らしてから、小さく苦笑する。これでは部活の相川君と同じだ。肩肘張りすぎてポテンシャルを発揮しきれなかった彼の自己ベストは、やはり初日の計測よりも速いところにあった。

 

「何事も適度に、しかし速さだけは話が別だ。……っし、来たぜ練馬区!やるか!」

 

 ああ、ここまで走ってきたというのにまた足がムズムズして落ち着かない。グローバルネットに再接続する僅かなラグがもどかしい。最初の相手は誰にしようか。やはり同ポテンシャルであるレベル1でいざ尋常に、ってか?それとも思い切って2に挑んでみるか。初手大物食い(ジャイアントキリング)から店まで悠々凱旋、スマートにケーキでも……となるとまさかのレベル3?調子のりすぎかなぁ、いや、いや……

 

「……とと、つながってた。んじゃ、早速……《バーストーーー

 

 そう、言い切る直前に……加速時特有のあの衝撃音が俺の頭に響き渡る。世界が暗転し……しかし、あの青い世界を一弾飛ばして対戦フィールドであろう光景に変わってゆく。

地面も建物も、乾いたような乳白色に変わり……広がる夜空には、距離感を狂わされるように巨大な月。

 

【HERE COMES A NEW CHALLENGER!!】

 

「……さながら《月光》ステージ、ってところか?」

 

 デュエルアバター《ジェミニ・ブリッツ》と化した自分の爪先で地面をトントンと叩きながらも、燃え尽きていくアルファベッドを見送る。どうやら、挑むまでもなく誰かに勝負を仕掛けられたらしい。

視界上部中央に浮かぶ【1800】の数字(タイムリミット)、そして左右に伸びる青い体力ゲージと、その下にはまだ空っぽの、緑色の必殺技ゲージ。

対戦相手はーーー《セレスト・スラッシュ》。

 

「セレスト?何色だ。ぜんっぜんわからんけど……下がスラッシュか。やっぱ剣士?いいねぇ、王道じゃん!」

 

 視界中央で【FIGHT!!】と炎が燃え上がるのを尻目に、肩の力を抜いて足首を回す。

視界に映る小さな水色の三角形が、この広いフィールドの中で対戦相手を探し出すガイドカーソルだったはずだ……それが指し示す方向にはまだ影も形も無いのを確認して、歩き出す。

 適当にオブジェクトを蹴り壊して必殺技ゲージをためながら、体の中で解き放ってくれとがなりたてる疼き(・・)に急かされるように進む。

……ふと見れば、乱立する骨のようなオブジェクトの一つの上でこちらを観戦するギャラリーが数人。品定めするようにヒソヒソとしゃべっているようだ。あの中の一人が美早なのだろう。

 

「応援サンキューな!!やこっ……ジェミニ・ブリッツのデビュー戦見たんだってそのうち自慢させてやっから、見逃すんじゃねえぞ!瞬き厳禁だぜ、なんせ俺は……」

 

 せっかくだから沸かせてやろうとパフォーマスのつもりで声をかければ、なんだか思ってたのとは違う反応が帰ってきた。なんというか……呆れ?生暖かい目だ。なんだろう、外したのか俺?

 

「なんだよ、ノリの悪い奴らーー

 

 

 ーー瞬間、後頭部に軽く衝撃と痛みが走る。

 

「だっ……?!んだぁ今の、攻撃……?」

 

 視界の端で確認すれば、俺のHPゲージが二割ほど減少している。完全な不意打ちだったからか、無防備な急所にぶち当てられた一撃はそれほど派手でなくてもダメージを与えてくれたらしい。あるいはそういう必殺技やアビリティを持っていたのか?

 

「……このあたし相手に呑気にも程があると思ったら、新人さんなのね。納得」

 

 そう言って攻撃モーションから体制を整える眼前のデュエルアバター……セレスト・スラッシュは黒っぽい空色で線の細い、滑らかなフォルムの女性形アバターだった。その手にはいかにも尖そうな短剣を逆手に握っている。

 

「……スラッシュなんていうからにはガチガチの剣士なのかと思ったら、どっちかというとアサシンみたいだな。しっかし今みたいな不意打ちが二度も通じると思うなよ?さっきは流石に間抜けすぎたが、俺は反射神経にも相当の自信が……」

 

 感心したようにニッと笑いわずかに目を伏せ、気を取り直して睨みつける。

……そこには、すでに何も居なかった。

 

 

「…………………………え?」

 

 ギャラリーの中で「あちゃあ」とでも言いたげに額に手を当てているのは美早だろうか?や、そうじゃなくて。なにこれ、なんで?ドコ行ったの?

 

呆然とする間にも時計は進み、残り時間は300秒もない。それでも奴は現れない……いや、違う。そういうことか。

 

「……タイムアップ勝ち……なーるほど、かすり傷でもHPを減らせばあとは逃げ切って勝利、と。なるほど、なるほど」

 

 理解が及び、感心し。

 

「…………じょぉぉぉだんじゃねぇぇぇぇ!!!」

 

 ……空に浮かぶ巨大な満月に吠える。

成程よく考えた作戦なんだろう。見るからにあの短剣では鋭いのかもしれんが正面切っての立合いでは頼りなく、あの細い体ではそもそも殴り合いには向かない。代わりにスピードは出るのだろうから、割り振られたポテンシャルを最大限活かすためのマッチしたスタイルだ。

 

 しかし。

 

「俺が、俺が昨日寝れなくなるくらい楽しみにしてた初戦で、ずいぶん安っぽい真似してくれたなァ……それもその作戦、残り300秒間俺より速く逃げきれる前提で組んでやがる!どっちかというと後者のほうが、気に入らないッ!!《ラディカル・グッドスピード》ォ!!」

 

 適当な白いオブジェに当たりをつけて、アビリティを発動する。道中のオブジェクト破壊にあの会心の不意打ちで五割ほど溜まっていた必殺技ゲージが丁度半減し……元は一軒家であっただろう建物が一瞬で塵になる。

 

 ジェミニ・ブリッツ()の《ラディカル・グッドスピード》は、一律で発動時の必殺技ゲージの半分を消費して発動するアビリティだ。その能力は、オブジェクトを破壊し、それを材料にあらゆるものを速く(・・)作り変えるもの。

やろうと思えばデュエルアバター全体を変成も出来るはずだが、低レベルの今はその効率が圧倒的に悪い。これだけのオブジェクトを使用して、ギリギリスパイク一足分だ。

 

 粒子化したオブジェクトが発光しながら俺の足元に収束し、足首まで覆う赤紫がメインのシャープなパーツに変わるのを確認しながら……俺は跪くように片膝と両手を地につける。

 

 

 

 

 

 

「なんだあれ」

「“orz(やっちまった)”じゃね、あんだけ余裕かましといてこれは恥ずいだろうしよぅ」

「さっきのオブジェクト破壊は八つ当たりかぁ?」

 

 からかうようにブリッツの様子を眺めるギャラリー達を尻目に、美早のダミーアバターだけがじっとブリッツを見据えていた。

 

 《セレスト・スラッシュ》。彩度の低い空色のかのアバターの名の由来はthrush(ツグミ)……苺泥棒などと愛らしい呼び名も在る鳥である。

その戦法は初撃不意打ちでHPを削ってからのタイムアップ勝ち、同格以上にはめったに勝負を挑まないレベル4の嫌われ者だ。

 

 そんな彼女に対して知らないとはいえ(というか誰に対してもあの油断は閉口モノだが)あんな態度を取り、見事に勝利パターンに嵌められてしまったブリッツ()

思わず呆れはしたものの、まだ勝負が決まったわけではないと期待を込めて我が《子》を見る。

 

「(……でも、あの構えは……何故今?足場(スターティングブロック)がなければ意味が無いのに)」

 

 少ないギャラリー達が見守る中、しばし蹲っていたブリッツがついに動きを見せる。

 

 

 

 

 ーーークラウチングスタート。

 丁度現在から150年前、アテネオリンピック陸上競技の部において2つの金メダルを取った選手トーマス・バークが使って以来世界に広まった……

 

「(位置について……)」

 

 ーーー最も爆発力に長ける(・・・・・・・・・)スタートである。

 

「(用意……)」

 

 もはや俺の骨身に刻み込まれた習性……スムーズな体重移動。腰がわずかに持ち上がり、弾丸を放つ炸薬の役目を果たす運動エネルギーが脚部でその時(・・・)を待つ。

おあつらえ向きに踵部分から迫り出した柱状パーツが、ブロックの役目を果たしそのともすれば不安定な体制の受け皿となり。

 

「ーーードンッ!!」

 

 俺の蹴り込みと共にそれがかちりと噛み合い、完全なタイミングで炸裂する!

 

 瞬間、俺は風景を置き去りにした。

現実世界の生身での俺の100m走自己ベストは10"58。それが今はこの機動力に特化したデュエルアバターで、更には速さだけをアシストするアビリティの上乗せ……かつてVRのとんでもレースゲーム(音速や光速まで叩き出せているらしい(・・・)ほとんどバカゲーだった)の感覚が信頼に足るものなら、その初速は秒速300mは下らない……拳銃並だ。

 

「(残りは、226秒?余裕だっての!)」

 

 殺風景なステージを最速で駆け抜ける。ジリジリとHPゲージが削れているのは、さほど耐久力の無いデュエルアバターがこの速度に耐え切れないのだろう。しかしアビリティによる馬鹿げたスタートダッシュは、たとえそれ以外の恩恵が物足りないものであっても十分すぎるほどだった。

ある程度は蹴散らし、しかしまだ制御は追いつかず、道中のオブジェクトは必要以上に大きく膨らんで躱してしまったりと減速も著しいがこの区切られたステージにおいては大したロスじゃない。

 今の俺の全力なら、練馬区を端から端まで横断したって300秒とかかるものか。

 

 しばらくかっ飛ばせばあの細い人型が視界に映る。

 

「見つけたァ!!」

「え?……はぁっ!?ちょっ、ウソでしょ!?」

 

 信じられない、とでも言いたげな絶叫を上げるスラッシュ。もっとも俺に言わせてもらえば、お前のほうが馬鹿にしてる。

 

ガイドカーソル(互いを直線で結ぶモン)なんてのがある状態でなァー!!俺から逃げ切れるワケ無いだろうがよォ!!」

「意味が、わかんないわよっ!!」

 

 射程圏内に捉えた。速度はそのままに跳ぶように一歩、歩幅を大きくする。

アビリティを使った残りに、道中蹴散らしたオブジェクト……三割強まで溜まった必殺技ゲージを消費しての一撃。

 

「教えてやるよ……《ラディカル・グッドスピード》の赤寄りの紫(・・・・・)はなァ!『飛び道具に等しい近接攻撃』ってこった!」

 

 再び閃光と共に爆ぜる踵、それまでの速度も相まって、もはや俺は一個の弾丸に変わっていた。

 

「衝撃のォ……」

(はっや)ーーー!?」

「《ファースト・ブリット》ォォッ!!」

 

 たった一瞬のトップスピード、秒速300mで放たれる飛び蹴りが突き刺さる。

たとえ俺のアバターに攻撃力など期待できなくても、事ここに至ってはもはや関係のないことだ。弾丸並の速さで人間大の質量が直撃などすれば、耐えきれるものでもない。

 強引な超加速からの高機動に俺のHPは独りでに1割を切ってーーー二度見したが本当に一割もなかった、一発しか攻撃受けてないのにーーーいたものの、対する敵手のHPバーは1ビットも残っていない。

 

 俺の勝ちだ!!

 

 そう、大声を上げようとした瞬間……両足に罅が入って砕け散る。

 

 呆然と巨大な月を見上げながら、俺は呆然と加速を終えていった。

 




 脚部限定未満。初速だけで言えば《親》のトップスピードを超えていますが、そこからは素の走りに毛が生えたような補助のみ。元が速いのでまだマシですがすぐ失速してしまいます。
……その辺まで計算に入れての「300秒で練馬区横断」宣言なのでしょうが、実際は半分でバテます、確実に。見栄があんだよ男の子には!


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04.戦勝祝いと反省会

GG(グッドゲーム)、翔」

「何処がだぁッ!!」

 

 紅茶を差し出しながらそういう美早に対して、俺は情けないとわかっていてもくだを巻いていた。

 

「畜生……俺の速さに俺が耐えられないってどういうことだ……」

「でも見事な逆転勝利だった」

「逆転じゃ無えよ玉砕っつーんだよアレ!!」

 

 俺のデビュー戦、《セレスト・スラッシュ》との一戦はほとんど相打ちのような形になったものの、結局先にHPを全損していたのが向こうだったおかげでなんとかある意味劇的な勝利と言えなくもないものだった。初戦で3もレベル差がある相手に勝利を収めたのだからまぁそこまで大げさな評価でもないのかもしれない。

もっともそもそもブレイン・バーストは対戦格闘ゲーム、1レベル差が圧倒的に遠いというわけではない。それが低レベル帯なら尚更だ。

 今回戦った《月光》ステージは明るく、トラップなども存在しない搦め手には向かない場所だった。これが例えば最初の鬱蒼と木々が生い茂る《原生林》ステージだったりとか、建物の中にまで入れるようなステージなら、俺が全力で隠れたスラッシュを見つけられる道理はなかっただろう。ガイドカーソルは半径10mまで近づけば消失してしまうのだ。

 ……とまぁ、謙遜染みたことを言いはするもののこれだけなら普通に勝利を喜んだだろう。それが今堂々と美早に勝利報告してふんぞり返っていられないのは、勝利した俺の有り様があまりにもあんまりだったからだ。

 

「……致命的……だよなぁ……………」

「……放置していい問題ではない」

 

 美早もそこはごまかさずに、厳しい表情で口元に手をやる。

 華々しい初戦で発覚したのは、俺ことジェミニ・ブリッツの致命的な弱点……このデュエルアバターのポテンシャルの全てがつぎ込まれた“速さ”に、アバター自体が耐え切れないという事実。

 

 ーーー単純計算で、《ラディカル・グッドスピード》のトップスピードで50秒間全力疾走すると……俺は独りでに自壊する。

 

「それも必殺技使えば減り方は二倍と……最後の部位欠損ダメージ入ってたら俺負けてたぞ……」

「追いつく前に限界が来なくてよかった。……問題は、おそらく全身をカバーするはずのアビリティが足首半ばまでしか覆えないこと」

「せめて足全部は覆わないとダメージどころか足が砕け散る、ってか」

 

 あの爆発的な加速は踵部分のピストンパーツ依存のギミックなんだろうが、それ以外の部分でもステータスに補正がかかっている感覚はあった。それはやはりスピードであり、多少の攻撃力であり……何よりプロテクター然とした見た目どおりの、防御力。

おそらくあの馬鹿げた超加速は、アビリティの完全発動前提なのだと考えれば納得がいく。というか足首以外生身で使用する方がおかしいのだろう。

音速旅客機に人間を紐で括りつけて飛んだらただで済むはず道理はない。

 

「……あのアビリティの、変換効率は?」

「必殺技ゲージフルで同じオブジェクト使ってたら、足首から脛まで足りるかどうか、ってとこだな」

 

 他に類を見ないらしいオブジェクト消費型アビリティ、《ラディカル・グッドスピード》。発動時必殺技ゲージの半分とオブジェクトという2つのコストの関係性は、おそらく単純に掛け算(・・・)だ。

具体的に親切なインフォメーションが付いているわけじゃないが、美早は「レベル」*「消費ゲージ」*「消費オブジェクト」辺りではないかと推察している。

 

「つってもなー」

「?」

「ああ、いや。完全な勘なんだけどさ……仮に俺がレベル9まで上がって、それ全部アビリティにつぎ込んだとしても……いや、そりゃそうすれば例えばちょっとの消費で足を覆えるようにとかはなるんだろうけど……なんか、足んない気がすんだよな」

 

 まだ片手の指にも見たない回数の使用ではあるが、何か確信に近いものがあった。

このアビリティの真髄は、例えばとんでもない大きさのオブジェクトを消費したりだとか、そういうことで完成するものでは……無い。

 

「……でも、上げるんでしょう?」

「おう!つかこれで俺が急に防御力上げて壁役目指すわとか言い出したら引くだろ」

「……ん……………いや………………」

「いいよめっちゃ伝わってるから気ぃ使わなくても!!」

 

 あの言い淀みなんかとは無縁な美早が、あそこまで言葉を選び悩む辺り俺の評価は推して知るべしである。

 

「とりあえず、翔」

「ん?」

「……あのスタートダッシュは、決め技限定にすること」

「だーよなぁ、まぁ了解。見てろよ、俺がもともと最速なのは知ってんだろ?」

 

 ニッと笑ってみせれば、美早も以外にも好戦的な笑み。

 

「今は、私のほうが速い」

「……へーぇ……俺についてくるのに必死で、ぜーぜー息荒らげてた子猫ちゃん(キティ)が言うようになったじゃんかよ」

「それは気づいててやってた、って自供と取っても?」

「だったらどうする?」

「デリカシーの無い駄犬には、お仕置き」

「上等ォ!!」

 

 別に本気でいがみ合っているわけではないものの、売り言葉に買い言葉でそういう(・・・・)流れになり……どちらともなくコマンドを口にした。

 

 

 ーーーバースト・リンク!!

 

 

 

 

 

 

 

 

「バラバラと、底なしかよ」

 

 一発一発の精度を度外視してばら撒かれる弾幕の内、自分に当たるものを前進しながら回避する。間隔の問題でどうしても躱しきれずにかすった弾丸は、それだけで俺のHPを目に見えるほど持っていく。脆いにも程があんだろ、ったく!

 

「くっそ、なんで距離が……!」

「隙ありィ!」

 

 着実に距離を詰める俺にほんの一瞬敵手がすくんだ、隙とも言えない間隙に踵のピストンがしたたかに地面を撃つ。まだ8割強HPゲージを残す敵に比べて、俺のそれは残り5割を切っていたが……

 

「(遠距離向けの“赤”の装甲なら、この一瞬の加速でも抜ける!)」

 

 ギャリギャリと音を立てて加速度的に減っていく自分のHPゲージを気に留めず、一瞬でトップスピードに乗った体をゼロ距離で炸裂させる。

 

「衝撃の《ファースト・ブリット》!!」

「がはっ……!!」

 

 俺の必殺技、必殺技ゲージとは別の制限でほとんど一試合一回しか使えない最速の蹴りを受けて、目の前の赤系アバターのHPが潰える。

 

「……じゅ、銃弾をかいくぐりながら近づいてくるだけでもふざけてるってのに……なんだその技、威力の割りにモーションも貯めも無さ過ぎだろ……ぐふっ」

「はっはっは!俺に言わせりゃまだ遅いよ。早打ち練習しろ、グッドゲーム!」

 

 次は勝つ、と悔しげにぼやきながら消えていく相手に手を振りながら、賑やかなギャラリーにも前時代のプロレスラーのように、人差し指を伸ばした手をピンと掲げてポーズを決めてみせる。

 

 

 あの初戦から早4日、俺は暇を見つけては対戦に勤しんでいた。

ファイトスタイルは速さと反射神経に頼りきっての蹴り主体のインファイト、勝率は7割5分といった所。

必殺技なんかをまともに喰らえばひとたまりもない紙装甲と、決まれば彩度の高い緑系統だろうとほぼ一撃で沈める一撃。自分より高レベルの相手を瞬殺(わかりやすい近接戦闘タイプで、速さのゴリ押しで全部躱して押し切った)することもあれば、同レベルに手も足も出ずに負ける(早かろうが意味が無い、といった類の飽和攻撃は俺の天敵といってもいい。あとは搦め手に綺麗に引っかかりすぎると美早にバカにされることもしょっちゅうだ)こともある、勝つにしても負けるにしてもサッパリ決まる俺の対戦は、手前味噌ではあるものの結構人気らしい。目立つのも嫌いじゃない、パフォーマンスなんかもかかさずにやるようにしている。

 

「すっげー!ブリッツ今ので5連勝!」

「その前3連敗してたじゃん。今のやつも惜しかったけど、飽和攻撃っていうにはちと弾幕が薄かったのかねー」

「青系の天敵だよな。トップスピードがよく話題になるけど、反射神経も異様だぜアレ。見てから反応って、現実で《フィジカルバースト》使ってるスポーツ選手みたいだった」

 

 湧くギャラリーにバイザーの下でしたり顔をしながらも、ポイントを確認する。

今のでちょうど302ポイント……レベル2に上がるために必要なポイントは300で、ならばもう上がれるのではないかというとそういうわけではない。その点については《親》である美早に耳にタコが出来るほど言い含められている。

 

『レベルアップに使用したポイントは完全に消滅する。ギリギリのところでレベル上げたところを敗北でもすれば、全損してしまいかねない。必ず十分なマージンをとること』

 

 善は急げ派の俺がすぐにポイント稼いで、300に達してすぐに上げたりしないようにと初戦のあとすぐに教わったことだ。事実4日でもうこれだけのポイントがたまっているし、言われてなければすぐに上げてしまっていただろう。美早様様だ。

 

「あと、まぁ少なくとも100は欲しいってとこだよなー。勝てない時は結構ころっと負けるし……っしゃ!次だ次!」

 

 そもそもポイントを貯める必要がなかろうとも、俺はこのブレイン・バーストにハマってしまっていた。4日間で時折連敗しつつもすでに300もバーストポイントがたまっているのは、純粋に回数の問題だ。

 

「まだやる気かよ、スピードジャンキーにしてバトルジャンキー。救いようがねぇのな」

「さすが《零戦》」

「そのアダ名やめろよ!!つかいいだろ別に!せっかく現実時間をさほど気にせず来れるんだからよ!」

 

 茶化してくるギャラリーに怒鳴り返しながらもまた対戦相手を探そうとして、その前に《乱入》される感覚。

 

「ヘヘ、丁度良かった。お次は何方?」

 

 浮かぶアバター名を確認する……《リチウム・ブースター》

 

「…………ブースター……」

「やっと捕まえた……ジェミニ・ブリッツ」

 

 初対面だ、相手は俺を知っているらしいが、俺は相手の名前すら聞いたことはなかった。

頭の位置が俺の胸程もない、華奢なメタルカラー。ギャラリーで見た記憶もない……だが、何なのだろう、このこみ上げてくる気持ちは。

 

「……へぇー。なに、俺のファン?サインでもやろうか」

「わぁい、いいの?欲しいなぁ。すごく欲しい」

 

 白々しい棒読みでそう言うと、あちらも負けず劣らず薄っぺらい感謝を返してくる。

 

「ーーー僕が居るっていうのに最速なんて囀る井の中の蛙がドヤ顔で書いたサイン、是非欲しいなぁ。持って帰って飾ったら見る度に笑えそう」

「オーケイ買ったぜその喧嘩」

 

 ……後にとても大きな絆に変わってゆく繋がり、その発端は。

 

「そのちびた頭部位欠損させてサッカーボールにしてやらァ!《ラディカル・グッドスピード》ッ!!」

「《世紀末》ステージのアスファルトの染みエフェクトにしてやるッ!《ヒドリド・シェビー》!!」

 

 親の敵とばかりに相容れないという確信に基づく、喧嘩じみた対戦だったのである。




子供っぽいクーガーっていうか半分カズマになってる気がしないでもげふんげふん


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05.速さの可能性を

 全力で傍らの建物を蹴り壊すと同時に、アビリティが発動する。ぶち壊した建物がそのまま赤紫のスパイクになるーーーよくよく見ればアバターの足の部分も一緒に塵になっているように見えなくもなかったーーー間に、対する相手の姿も様変わりしていた。

 

 アバターと同じ白銀色の流線型のボディ、全体としてのフォルムはスマートだというのにその“顔”は厳つく、ギラギラと光りながらその双眼で俺を睨みつける。

雷鳴のように胸を打つ重低音の排気音(エキゾーストノート)は、現代の主流であるEV車の涼やかな擬似走行音とは似ても似つかない……はるか昔に法整備によって絶滅した、今やVRのレースゲームでしか見られない化石燃料を食い潰して爆走する鉄塊!

 俺も使ったことが在る、こっちからは見えない背面(リア)はこれまた異形をしていることだろう。

 

「……シボレーか、いい趣味してるじゃんかよ!」

「車型強化外装、《ヒドリド・シェビー》。ベースはシボレー・コルベット!6リッターオーバーのV8直噴エンジンの加速力は、ストレートじゃ敵なしさ!」

「ハッ、足がベダルに届くのか心配ってなもんだ!」

 

 爆音にかき消されないように大声で怒鳴りあう。マッシブなアメ車には場違いとも言える少年の声の主は、あの強化外装に乗っているらしい。向かって右側……ご丁寧に左ハンドルだ。

 

「ま、そりゃ結構なことだけどよ……それで?そのモンスターマシンでひき逃げ戦法でもやるつもりか!?」

「当たり、だよっ!!」

 

 言うが早いか、一際強くマフラーが唸り爆音が轟く。だがあのデカイ図体だ、いくら馬鹿でかいエンジン積んでようと初速、は……

 

 ……瞬間。車体の間後ろに朱色の爆炎が煌めきーーー白銀の車体が眼前に迫る。

 

「いっ……きなり、トップスピードだぁ!?」

 

 咄嗟になりふり構わず横っ飛びで躱すも、わずかに掠めた部分が火花を散らす。それでも相当持って行かれたかと思えば……減少したのは二割強、と言ったところか?

 

「……何だ?意外と……しっかし驚いたな、まぁそりゃ強化外装なんだからただの車だとは思っちゃいなかったが。俺の速さで避け切れないとは思ってなかったよ」

 

 俺が尊び、愛し求める“速さ”の力。こうして敵として立ち向かうことになると、その恐ろしさに混じって確かな嬉しさも感じてしまう。

 

「へぇ、今ので仕留めようと思ってたんだけど。さすが傲るくらいの速さはあるんだね!」

 

 と、言葉の割には弾む声音のリチウム・ブースター。おそらくアイツも同じような感慨を抱いているのだろう。

 アスファルトに真っ黒いラインを残し、焦げ臭い匂いといくつかの破壊したオブジェクトの残骸をまき散らしながら白銀の車は俺の後方で数度スピンして止まる。その時見えた背面にあったのは特徴的な丸目ライト、ではなく……ブースター?

 

「対戦格闘ゲームで車なんて使うんだ、ちんたら加速するわけ無いじゃん……リチウムは、水素結合してロケットエンジンの推進剤にも使われるヒドリド錯体になるのさ。コイツを使えば、静止状態からトップスピードなんてお手の物。そいつを維持するエンジン(タフネス)だって十分!」

 

 ドヤ顔が目に浮かぶような小難しい種明かしに、思わず苦笑する。

 

「V8エンジン云々と声高に自慢したのはわざとか」

「それも、当たり!」

 

 再び炸裂、突撃してくる車体。だがこの至近距離だ、爆発の瞬間に飛び退いてもまた掠めてしまうだろう。《ラディカル・グッドスピード》の超加速を使えば話は別だが、躱すためにダメージを受けているのではジリ貧だ。

 

「だったら……上!」

 

 上昇するための時間をコンマ一秒でも稼ぐために、後方斜め上へバックステップ。その空気抵抗を減らした低い車高のために、左右に避けるのに比べれば必要な移動量は少なくなるはずだ。

爪先が掠め、ボンネットに傷を付ける。躱しきれるか?足りなきゃフロントガラスに足を持って行かれてしまうだろう。

もはや自由の効かない空中で、それでも俺は足を引き寄せるように上げ……車は真下を一瞬で通過し、また背後でドリフトからのスピン停止。車が静止し切る頃に、俺もその眼前に落下し着地する。

 

「くっ……二回も、避けたね」

「ヘコむ必要は無いぜ、俺はちっとばかし早過ぎるからよ」

 

 今度はこっちがバイザーの下でドヤ顔をかましてやるものの、内心さほど余裕が有るわけではなかった。依然としてHP差は縮まっていないし、何より……

 

「だけどそれじゃ、躱せたって意味が無い!時間切れまで負けを引き延ばしたいっていうなら別だけどさぁ!」

「ぐっ……!」

 

 すかさず迫る追撃を、同じ要領のバク転で回避するも……体勢を持ち直す頃には向こうも追撃をかけてくる。これでは反撃にかかる隙がない……!

 

「てンめ、バカの一つ覚え見たいに……!」

「悔しかったら空気蹴ってみなよ!」

「くっそぉぉぉ!!」

 

 いくら俺が最速といえども、まだそんな芸当は出来ない。つまり一度飛んでしまえば自由落下するのを待つことしか出来ず、そのタイムラグで攻撃を外したアイツは次の攻撃の準備を完遂できる。

それをタイムアップまで続ければ、奴の言うとおり最初の一撃分で俺の負けだ。

 

 ……もちろん、そんなの机上の空論だ。強化外装とはいえ無限にあの車が走り続けられるわけがないし、ブーストは必殺技の類だろう。車の突撃で破壊したオブジェクトはゲージの足しにはなっているだろうが、それで永久機関とまではいくまい。どちらかが止まれば、その瞬間俺は反撃する間もなく攻め続ける。

 

「……んなことは、負けも同然だろうがよぉ!!」

 

 ほんの僅かなラグも許されない紙一重の回避を続けながら、吠える。

それは逃げだ。アイツのスピードには勝てないと、負けを認めることになる。そんな安い勝利を拾っちまえば、俺はきっと、そこからもう進めねぇ……

 

「(どうすりゃいい、考えろ!トップスピードはこっちが勝ってるんだそうに決まってる!問題は、そいつをどう使うか……)」

 

 あの鉄塊を軋ませる強引なブーストを見ても、逃げ続けるしか無い現状でも、その信頼、信仰……狂信だけは、僅かも揺るがない。

 

 ーーー最速は俺だ。俺より速い奴なんて居ない!

 

 その俺が勝てないならそれはそれ以外の何かが悪いんだ、それは何だ!どうすれば俺の速さはアイツに通じる……!

 

「もう吠える元気も無いのかい!?」

「うっせぇな黙ってろ、すぐにそのデカイ図体ひっくり返し、て…………」

 

 瞬間、いくつかのキーワードが結びつく。

覚悟していたほど減らなかったHPゲージ、アレだけ大きな車体を一瞬で最速まで持っていくブースト。そして……

 

 

『デュエルアバターは、それぞれ色によって特徴を大別できる。赤系は遠隔に、青系は近接に、緑系は防御に、黄系は間接技に、そして中間色はその色毎を折衷した適性を持つ。彩度の高低はそのまま特殊性になる』

『ん、じゃあ俺みたいな灰色や……あとは白黒は?あと金属カラーもちらほら見たけど』

『……その三色は、不明。メタルカラーはまた別系統、貴金属であれば高い特殊攻撃耐性、卑金属であれば高い通常攻撃耐性を持っている。また、元になった金属の特性も引き継ぐ場合が多い。どちらにせよーーー』

 

 

「(ーーー得てして、近接型が多い。……だがアレはなんだ、明らかに殴り合いにゃ弱そうな華奢なメタルカラー……そういうことか!)」

 

 着地際を狙う爆走(スコーチ)に合わせ、また右足で踏み切ったバックステップーーーしかし今度の狙いは逃げじゃない。軌道は右斜め(・・・)後ろだ。

 

「跳びそこねたね!集中力が切れたのかい?なんでもいいけど……もらった!」

「勝ち誇るのは、勝ってからにしやがれッ!!」

 

 真上なら躱せる。真横ならギリギリ掠める。ならば斜めなんて中途半端な方向に行けば……丁度左前輪の前に、自分の左足をまるまる一本残していく形になってしまう。

爪先が高速回転するタイヤに触れ、白熱。脛にバンパーが触れる。あと半秒もしないうちにへし折れ、タイヤ巻き込まれて潰れるだろう。

 

「(まだか、まだなのか……!!)」

 

 あの思考が加速した青い世界のような、まるで全てが静止したかのような錯覚。焦れるような速さでHPが削れ、極限まで研ぎ澄まされた集中に引き伸ばされた痛みが、ビリビリと足を焼く。

それでもそれだけが俺の勝機だ。その痛みから逃げること無く、その時(・・・)を待つ…………

 

「ーーーっらァァッ!!」

 

 ……待ちに待った瞬間。踵が地面に接するか否かというタイミングで、踵のピストンが青緑の閃炎を吐き散らしながら地面を捉える!

 秒速300mの世界……誰にだって、この車にだって負けないとただ信じるこの一瞬の切り札を、しかし俺は攻撃に使うわけではなかった。

 

「っ……出したね、ついに!だけどそれは残りの猶予を縮めただけだよっ!」

 

 ーーーアイツの言うとおり。これで逃げ切ろうとすれば独りでにHPが潰えるか、それより先に足が砕け散る。

 

 ーーー正面から蹴り砕く?向こうの速度と相まって車はもちろん一撃でぶっ潰せるだろうが、防御機構がないとは思えない。強化外装と相打ちになったって、相手を仕留めきれなきゃドローにすらもっていけない。

 

 ーーーならば、何故?

 

「ーーー俺は、最速なんだよ……だから、一瞬ならこんなことも出来るんだ」

「なっ……?」

 

 向かって右側の左ハンドルを握るリチウム・ブースター。たった一枚の車窓越しの至近距離で、ニヤリと笑いかける……俺は猛スピードで走る奴のスピードに合わせ、並走していた。

相手より上ってことは、相手に合わせてやる事もできるってことだ。だから……

 

「だっ、だからなんだって言うんだ!一回きりの切り札で、そんなことしたかったのかい?お生憎様、僕のシェビーは君と違って何度でもこのスピードを……!」

「なわけねーだろ、こうするんだっ……」

 

 ほんの僅かにスピードを上げ……段差なら擦りかねないような低い車高のステップに足の甲を合わせる。動作によるラグも差っ引いて……スピードは丁度等速ってところだろう。

超スピードで走る車に触れば、それこそダメージ判定と取られかねない。しかし……相手よりも速い状態で、余裕を持って合わせてやれば話は別だ。

 

「まさ、か」

「当たりッ、だよォ!!」

 

 ……そのまま、車体を掬い上げるようにサッカーボールキックをぶちかます!

 

 ずっしりと重厚な構えの、メタルカラーに身を包んだその車体は……いとも簡単に、宙を舞った。

 

「うわああああっ!?」

 

 トップスピードからの急激な方向転換、さらにはそこから着地を決めるための急ブレーキ。ほんの数秒で俺のHPは半分を割ったものの……数度空中でバレルロールを決めた銀色の車は、その繁雑な腹をむき出しにして、真っ逆さまに落下していた。

大仰な排気音も回り続ける車輪も、こうなってしまえば無力なものだ。

 

「く、そ……なんで……」

 

 同じく半分ほどまでにHPゲージを減らしたリチウム・ブースターが這い出してくる。メタルカラーにもかかわらず、その脆弱と言っていいまでの耐久性に、やはりかといった感想を抱きつつ俺は対峙した。

 

「最初に疑問に思ったのは、お前の車を躱し損ねた時だ。あんだけのスピードでぶっ飛んでくる鉄塊、直撃ならひとたまりもない。掠めたって、俺の紙装甲なら半分くらいは減ってもおかしくなかった」

 

 しかし事実として、減ったのは二割と少し。もちろん大打撃ではあるものの、状況から考えれば軽傷に他ならない。

 

「んで次に。いくらブースターつったってそんなモンをビュンビュン一瞬で飛ばせんのはいくらなんでもおかしい!ロケットエンジン並だ、同レベル同ポテンシャルの原則がある以上、見るからにポテンシャル全振りのその車とそいつが両立してるのは妙だ」

「……」

「んで、それがなんでだって考えた時に3つ目」

 

 傷だらけの小柄なデュエルアバター、ほとんど外装が本体と言っていいだろうそのスタイルで、最大の武器を失いながらも戦意を微塵も失っていないその立ち姿に、敬意を感じながらも最後の一つを口にする。

 

「そもそも、近接向けのはずのメタルカラーが、なんでそんな戦法つかってんだってことだ。まぁ、要するに……軽いんだろう、お前も。その車も」

「……当たりだよ。リチウムは同じ体積の水よりも軽い。近接戦闘なんてもっての外さ」

 

 やれやれと肩をすくめてみせるその姿に、不貞腐れた空気は微塵も感じられなかった。

だからどうした、と……持てる力の全てを尽くした結果が、あの戦法なんだろう。

 

「リチウム・ブースターなんてわかり易い名前のお陰で、初見で特徴を見ぬかれることも偶にあるしね。工夫には苦労したよ……君はリチウムの特性を知らなかったみたいだけど」

「高校入ったら科学真面目に勉強することにするぜ、ったく。見た目じゃ重さなんか解かんねぇからな……んで、工夫した結果が……」

「速さだ」

 

 ぎこちないファイティングポーズを取りながら、リチウム・ブースターは笑う。

 

「そうとも僕の拳は軽い。だけどそれは弱点だなんて一度も思ったことはないよ。お陰で僕は速い、それこそ僕の唯一無二の武器。どんな質量だって、速さを一点に集中させて突破すれば砕け散るんだ。僕はそれを証明してみせる!」

「……いいね、実に俺好みの答えだ!刻んだぜ、その熱いの。俺もこの先に持っていく」

 

 対する俺も、半歩引いて構えた。万に一つも負けることは無いこの状況で、それでも俺達は最後まで全力で戦い、全力で勝利し、敗北しなければならなかった。

速さの可能性を信じた俺が……同じ道を行くコイツをどうして侮れるというのか?

 

「勝ち誇るのは……勝ってからに、しなよっ!」

「そうさせて、もらうぜっ!」 

 

 肘から小規模ながらも車のものと同じ炎を噴射し、加速された拳を打ち砕くがために、俺は全力の回し蹴りを放ちーーー

 

 

 

「……次は、負けない」

「いつでも来いよ、次も勝つ」

 

 悔しげに、それでも誇らしげにそういって消えていくブースターに、サムズアップしながらそう返す。

接戦を称えるギャラリーの声援に、極限まで盛り上がった気分が更に引き上げられるようだった。

 移動してきた14点のバーストポイントがとても重いものに感じて、なんだか自分がひとつの契機を迎えたような気がして。その衝動に命じられるままーーー俺はダイアログを開き、デュエルアバターをレベル2に上げた。

 

 

 

 その日、今度こそ誰憚ること無い誇らしい凱旋をした後の、現実世界での美早の制裁を……俺は忘れることはないだろう。

 




残バーストポイント、16。


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06.加速禁止令

 部活の備品であるスターティングブロックは、当然ながらあの加速世界のように緑色の閃光を放ちはしなければ、爆発的な加速力を与えてくれたりもしない。ただ、走者の脚力をしっかりと受け止めてくれる。

 

「おい、矢光が走るぞ」

「アイツ最近ますます早くなってるよなぁ」

「俺が一年の頃はあのくらい……」

「それだと今のほうが遅くなってるじゃねえかよ」

「うっせ」

 

 小さく息を吸い、体の中で燻るそれを足に留める。何度解き放ってやってもいつの間にか俺の足を、心を疼かせるそれは、何時だって俺を前へ前へと駆り立てた。

 

 ……雑音が消えていく。視野が狭まり、俺の世界はこの体と、ゴールラインを結ぶ100mの直線だけが全てになる。

 今この瞬間は何もかもが……親も、友人も、仲間も、あの胸躍る加速世界の全てでさえも、二の次だ。

 

 号令も計測係も居ない中、俺の心が赴くままに駆け出した。全力のスタートダッシュから、前傾姿勢で倒れ続けるように足を前に運ぶ。

 ……ともすれば別に速ければ何でもいい、という信条の俺がそれでも短距離走に拘るのはこの一瞬が為なのだと思う。

走り続けなければ倒れてしまう。前に進むには、立っているためには、少しでも速く体を前に送らなきゃいけない。それはまるで、ただひたすら今よりも早くなりたいと願う俺の生き方そのままじゃないか。

 毎日毎日、もっと速くなりたいと……日常の中でも部活でも、加速世界の中でも走り続ける。その度に、ほんの少し……一回ずつは誤差と切り捨てられてしまいそうなほどではあるが、走る(・・)行為が最適化されていっている気がするのが、俺はたまらなく好きだ。

 

 生身の運動能力を無我夢中で引き上げ続ける以上に、大量に繰り返された加速世界での高速戦闘……特に、現実では決してありえない、しかしともすれば現実以上の実感を伴う加速世界で『トップスピード秒速300mで走る』経験は、もとより研ぎ澄まされていた俺の反射速度と、肉体制御の技をジリジリと底上げしている感覚があった。

 決してゼロにはならない『脳が指示を出してから実際に体が反応する』までのタイムラグ。

それが、あの心臓の鼓動のクロックアップによる脳細胞の活性化によって思考を一千倍にされた異様な環境で、なお速度の限界に挑み続けることにより現実にもフィードバックしているのではないか……とまぁ、それが美早から大雑把な加速の仕組みを聞いた時にぼんやり頭のなかで組み立てた仮説では在るのだが。詳しいところは知らない、要するに修行した分上達するのは少年漫画(教科書)にも書いてある真理だ。

 

 俺の思考(理想)に、肉体(現実)が少しずつ重なっていく。それでも理想はそれを待たずにどんどん先へ進み、距離は遅々として縮まらない。

それが、たまらなくもどかしくて……泣きたくなるくらいに嬉しいんだ。

 

「ーーーっ、はぁっ!はぁっ!はぁっ……!」

 

 ほとんど満タンだった体力をその一瞬で燃やし尽くして、今にも折れそうな震える足をゆっくり前に進める。ジェミニ・ブリッツ(あちらの体)のように砕け散ることはないが、キシキシと膝が軋むような感触には理想と現実とのギャップを感じる。

心臓は肋骨を打たんばかりに暴れ、鼓動の度に血管が大量に押し流される血液に拡張され、顔なんかが圧迫されるような錯覚すら感じるほどだ。

 

「……今の、測ってたらよかったな。相変わらず、グラウンドを捩じ伏せるような……鋭い走りだ」

「ふぅーっ、はぁーっ……せ、先生……」

 

 喘ぐように荒い息をしていると、どうやら走っているところを見ていたらしい陸上部顧問の門田先生が苦笑しながら声をかけてきた。

 

「げほっ、うぁ……は、はは、多分、自己ベスト更新してたっすね、今……でもまぁ大丈夫っすよ……今出せたなら、次出せない道理も無いですし」

「……なぁ、矢光」

 

 軽く、しかし思っていたことを口にすると……先生は少しためらうように言いよどんだ後、気まずそうな顔をして言った。

 

「…………あんまりそう、生き急ぐことは無いんだぞ。お前はまだ13歳だ。体だってまだ未成熟だし、伸びしろは未知数だ。無理をしすぎて怪我でもすれば、目先の大会なんかも逃してしまうかもしれんしな」

「あ、あはは……んな大ポカは、さすがにしませんって」

「しそうに見えるから、釘を刺しに来たんだよ!……いいから今日はもう上がれ、水分補給とクールダウンを忘れずにな」

「うっす」

 

 別の部員のところに行く先生を見送りながら、息が整っていくのを感じる。

何故かしばらく揉めた様子の後タオルを渡しに来てくれた三年のマネージャーさんにお礼を言いつつ、まだ少し痺れた足に気合いを入れて立ち上がった。

 

 ーーーせっかく時間空いたし、対戦でも…………

 

「あだぁっ!!」

「矢光君!?どうしたの……?」

「い、いや、何でも……」

 

 傷ひとつ無いはずの肩をさすりながら、心配して駆け寄ってきそうな先輩に笑ってみせる。

 

「(そりゃ確かに忠告忘れてレベル早上げしちゃったのは悪かったけどさぁ…………アイツ本気で噛むんだもんなぁ)」

 

 もちろん、加速世界の話だ。

 

 

 あのリチウム・ブースターとの胸躍る激闘の後。俺は勝利の余韻冷めやらぬまま、というかなんかこう、「上げるなら今だろ!」感に後押しされてデュエルアバターのレベルを2に上げた。

そして何憚ること無く誇れる勝利を伝えようとその足でケーキショップ《パティスリー・ラ・プラージュ》に向かって美早に戦勝報告を行ったのである。

 初めは苦笑しながらも褒めてくれるような空気だった美早相手に気持よく戦いのことを語って聞かせているうちに、その相手がしつこいほどに忠告してきた言葉を思い出していく。わかったわかった、と苦笑しながら言い返したのはその説明が五度目に至った時であろうか。

 ……俺の雰囲気が変わったことを如何なる技か気取った美早の追求に5分と保たず……残りのバーストポイントが16になってしまったことをゲロった俺を待っていたのはゴミを見るような冷たい目……ではなく、珍しく心から動揺したように揺れる瞳だった。

 ものすごい罪悪感にパニクりかけた俺は、言われるがままに直結し、クローズドモードで加速し…………それはもう凄惨なお仕置きを受けたのである。

 その詳細は思い出すだけで足が震えてくるので省くが、現実に戻ってから一日立っている今でも右肩に点々と鋭い痛みが走る気がするとだけ言っておく。

 

 

『……どうせ直ぐだと思って最初に教えて、どうせ一回じゃその場のノリで踏み倒しちゃうだろうと思ったから幼児に言うように念を入れたのに、全部意味がなかった。それも4日とは』

『はい……』

『とりあえず、翔はしばらく加速禁止』

『は、え!?』

『何か?』

『いえなんでもありません』

『よろしい』

 

 

 

「……しっかしなぁ、もう2日も対戦してないんだぜ。あー、こんなんじゃ鈍っちまうよ」

 

 今回ばかりはいくら俺とはいえ罪悪感があるし、あの目を見てしまうと勝手なことをしようという気も萎えるというもの。形ばかりのぼやきを漏らしつつ、ぶらぶらと下校する。

 その道中だった、ニューロリンカーが着信を伝えるアイコンを視界の橋にポップさせる。美早からだーーー些細な反抗心から登録名を、バーストリンカーの《親》であることから連想してオカンにしていることを知られたら、あの血色の豹に頭から齧られることをは想像に難くないーーー、すぐさま緑色の受話器アイコンを押す。

 

 

『……謝ることがあるのなら、今まとめて懺悔することを進める』

 

 エスパーかよ。

 

『い、いや流石に他にはなんもないって……で?そろそろ加速許可が降りるのか?』

『……どうせポイント全損を惜しんで、一生対戦から逃げることは出来ない』

『そりゃそうだ。んで、この2日でどうすることになったんだ?』

 

 どこか釈然としないような、はっきり言うと納得のいってないような様子の美早に内申小首を傾げつつ、問いかける。

 

『一応聞くけれど、私とタッグを組んで安全圏になるまで戦うことは』

『嫌に決まってんだろ』

『だと、思った』

 

 全損の瀬戸際に言っていられることではないのだろうし、俺だって相手が美早でなければその提案に乗っただろう。

だけど俺の安いプライドは、どうしてもコイツにだけは「縋る」ことも、「憐れまれる」ことも、ましてや「たかる」ことなんて許しはしないのだ。

《親》と《子》だろうがなんだろうが、現実で生きる俺とアイツの関係性が変わるわけじゃないんだ。普通とやらがどうあれ、そこだけは譲れない。

 そこは、およそ一年の付き合いになるコイツも知っているだろうから言うだけ言ってみた、というやつだろう。

 

『だけど、今の翔が危ういのは事実……特に翔のスタイルだと、負けるときはアッサリ負ける。今はそれが、シャレにならない』

『まぁ、そりゃそうだけど……』

『……だから、信頼できる人に手助けしてもらう』

 

 出来ることなら使いたくはない手だったというのは、その声音からにじみ出ているのですぐに分かる。俺はそれに薄っぺらい謝罪や、遠慮の言葉を吐こうとして……飲み込んだ。

俺が安いプライドにしがみつくように、美早もまた《親》としての責務を果たそうとしているのだ。そしてそれに過剰に気を使ってみせることは、また逆のベクトルで俺の信条にも反していた。

 俺達は、お互いを憐れむのでも、庇護するのでも無く尊重したい。そうありたいのだ、少なくとも俺は。

 

『でもそんな奴居るのか?確かまだお前もレギオンに入ってないはずだし、そりゃ交友範囲は俺より広いだろうけれど、そりゃライバルとかそういう感じだろうし……ん、あー』

『……TR(その通り)。私の……親にお願いした』

『……そっか、ありがとな』

『NP、私はシフトが入っているから行けないけれど、約束は取り付けてある。場所はーーー』

 

 

「ーーーここ、でいいんだよな?」

 

 翌日土曜日、午前までの授業を終えて、13時集合の五分前にやってきたのは神田神保町の書店ビル……その最上階に併設されたカフェテリアだ。

 美早が言うにはもうすでに俺の名前と顔は向こうに伝えているらしく(無断で何を、などということを言える立場ではない俺は、そうですかと言うしかなかった)、開いているテーブル席でコーヒーを頼んで待つだけでいい、むしろそれ以外の余計なことはしてくれるな、グローバルリンクには間違っても繋ぐな、とこれまた念を入れて言い聞かされた。7回目になってわかったわかった、と苦笑した際は、コイツこんな冷たい顔出来るのかと思わず感心してしまったほどだ。

 

 そんなことを思い出して身震いしていると、何も言わずに正面に誰かが座ってくる。

グレーのピーコートとスリムジーンズというどちらかと言うとボーイッシュな出で立ちで、ショートボブ(だったっけ)に赤縁の眼鏡をしている少女だ。

 

「ああ、ごめん。先約が……」

「矢光翔くん、ね?」

「……あぁ、アンタが……じゃない、貴方が」

「別に、口調は普通でいいの。私がレパードの、掛井美早の《親》。氷見あきらなの」

 

 実にアッサリとリアルネームを口にしながら、意に介さず自分の注文も店員に伝える少女に……ああ、《親子》だ、と場違いな感慨を覚えていた俺であった。



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07.リベンジマッチ

 最初に当然のように差し出されたのは、やはりというべきか丸いコードリール付きの携行用XSBケーブルだった。すでに向こう側の先端は、白っぽいスケルトンモデルのニューロリンカーに繋がれている。

 

「流石に、この期に及んでゴネないけどさ。バーストリンカーって心臓に悪いこと多い気がするよな」

「聞かれちゃ困る事が多いから。役得だと思って流せばいいの」

「その境地まではあと二、三年は居るな……っと」

 

 警告メッセージをスルーしつつ、思考発声に切り替えて説明を聞くことになった。

 

 

 

『……要するに、やることは普通のタッグマッチと変わらないってことか?』

『そう。だけど形としてはやっぱり負けないように私が守る、とまでは行かなくても保険としての存在であることには変わらない。だからミャアは、『絶対に自分とはやりたがらないだろうから』って、私に』

『……お手数おかけします』

『謝るくらいならもともとミャアの言うこと聞くべきだったの……少し嬉しそうだったミャアも大概甘いと思うけれど』

 

 返す言葉もない……ん、あれ。嬉しそうだった?

 

『それって……』

『さて、といっても話はそんなに簡単な事じゃないの』

『露骨に話題変えたなぁ』

 

 苦笑しつつも、実際目下最優先しなければならないのはわざわざ美早が自分の親に頼ってまで作ってくれたこの機会で、ニアデス状態を脱することだ。

 

『まず問題なのは、私達のレベル差なの』

『あー、美早が確かレベル4だったっけ。つーことはあきら……サンはそれ以上?』

『呼び捨てでいい、というかミャアと同い年なら私は年下なの……私のレベルは6。アクア・カレントって知ってる?』

『アクア……ああ、名前は。ネガビュの《四元素(エレメンツ)》だっけ?』

 

 未だレギオンに属さない低レベルキャラーーーもっとも美早が時々受けてる勧誘のついでで、赤の王《レッド・ライダー》率いる《プロミネンス》や、相性のお陰で結構な数格上にも勝ててるせいか、向こうでそこそこ名が知れてきたらしい、近接主体の青の王《ブルー・ナイト》率いる《レオニーズ》なんかには勧誘されたこともあるが、ピンと来なくて保留している。美早も別にプロミに誘ってくるわけでもないしーーーではあるものの、その名前は噂に聞くことが在る。

 

『水色じゃない、水を纏ったアバターだとかなんとか……あと、うち一人が美早と仲悪いんだっけ?スカイ・レイカーとか言ったかな』

『仲が悪い……かは、ともかく。その認識であってるの。対して貴方のレベルは2……合計レベルが8、効率的には決していいとはいえないの』

『相手の合計レベル8以上ってなるとそもそも安定して勝てねぇし、それ以下になると一回の負けで俺のポイント消し飛ぶかもだしな』

 

 バーストポイントの移動は、同レベルなら敗者から勝者へ10点移動。自分のレベルが相手より高ければ高いほど、手に入るポイントは少なくなって失うポイントは多くなる。逆もまた然りである。

このレートはタッグバトルの場合、平均ではなく合計で計算する。つまりレベル差の大きいこのタッグはあまり賢い組み方とは言えないのだろう。

 

『……分かっている割には、焦ってないの』

『焦ってせかせか動くのはだせーだろ。そうならないための、常日頃の速さだぜ』

『生き急ぎすぎた結果が現状を呼んだの、そこは反省』

『……さーせん』

 

 見た目や語尾の割りに結構スパッと言う娘だなぁ……

 

『まぁこの状況でムキになって意地を張り通すのはまたちげーだろ、ってことで多少のダサさは呑むけどさ。勝てなきゃ全損ってのは別に理不尽でもないあたりまえのことじゃんよ。そこまで神経質になってくれなくていいぜ、つか負ける気で戦ったことなんてねーしよ!』

『……分かったの。こんなレベル差があるタッグは初めてだし、君の特徴は噂で聞いたのとミャアの説明くらいだからぶっつけ本番になるけど……』

『そりゃこっちも同じだって。KK』

 

 せっかち星人の真似してやれば、あきらはクスっと笑い……そして気負いのない、しかし真剣な顔になる。

 

『それじゃ、まずタッグ登録。グローバル接続したら乱入される前に加速するの。この千代田区で、ひとまず50ポイントに達するまで休憩もはさみつつ連戦。何か質問は?』

『いつでもいーぜ』

 

 駆け出しプレイヤーにはこんな機会でもないとありえない、七大レギオンの幹部とのタッグマッチだ。せっかくだし楽しませてもらおう……などと、考えていたのがケーブルを伝わったのか。

あきらが、どこか不思議そうに……しかし嬉しそうに、目を細めたように見えた。

 

「「《バースト・リンク!》」」

 

 

 

「さって……おお、マジで水だ」

「そういう貴方も、ずいぶんと……いえ、ともすると色相も彩度も0に近いグレーなの」

「アビリティも珍しいっぽいしな。つってもスタイルはただの蹴りだけどよ」

 

 引き当てた《黄昏》ステージの属性はよく燃える、すぐ壊れる、意外と暗い……と、要するにオブジェクトを壊しやすい場所だった。俺はさっさと必殺技ゲージをためながら話す。

僅かにぶれながらも一方向を指し続けるマーカーは、相手もオブジェクトを壊しながらこっちに来ているのであろうことを示していた。

 

「んで、相手は知ってる奴?」

「流石にこの状況で初対面を選ぶのはリスキーなの。相手は貴方と相性のいい青系、どちらもレベル4のタッグで合計値は同じ」

 

 と、さくさく壊してすでに半分ほど溜まったゲージを見ながら相手の名前を確認し……思わず固まる。

 

「片方は《ネイビー・スパイク》、大量の針を纏って、中距離(ミドルレンジ)までの戦闘を万能にこなす攻防一体のアバター。そしてもう一体が……ジェミニ?」

「…………あぁ……」

 

 説明を聞き流しながらも、思い出されるのは直近のリチウム・ブースターとの戦いとは別の意味で、忘れがたい戦い。

俺に《零戦》などと不名誉なアダ名が付けられるきっかけとなった、それなりに苦い初勝利の記憶……

 ……相手のタッグは《ネイビー・スパイク》ともう一人……忘れもしない初戦の相手、《セレスト・スラッシュ》だった。

 

 わざと選んだのか?いや、ネガビュの幹部がいちいち新参の戦闘なんて見てないだろうし、おそらく偶然なんだろう。

なんとも言えない気分になりつつも、小さく息を吐く。

 

「……いいぜ、どっからでも来いよ。何度やったって俺から逃げ切ろうなんざ……」

「あら、たった一回勝っただけで随分余裕ね?そっちの保護者さんのお陰で気が大きくなっているのかしら」

「っ……!」

 

 思わず目を見開く。

目の前に立っているのは、あまりゆっくり見る機会はなかったもののざっくりしたシルエットが記憶に残っている灰がかった空色の装甲。

見るからに身軽そうな流線型の薄い装甲は、しかし猛禽というよりは小鳥のように可愛らしい丸みを帯びた意匠だったが……その外見に油断した相手から、一瞬で勝利をかすめ取る強かさを持っていることは十二分に承知済みだ。

 

「……今日は不意打ちはいいのかよ?」

「一対一ならそれでもよかったんだけどね。あたしが逃げ切ったってスパイクが二体一で潰されちゃ意味が無いじゃない。それに……」

 

 と、いつの間にかセレストの手の中で弄ばれている空色の短剣の切っ先が、俺の喉元に向けられる。

 

「キミみたいな粗暴なケダモノと競争なんてしたら、か弱い小鳥は引きずり降ろされて貪られちゃうって学んだから」

「人聞きの悪い奴だな!?つか何処がか弱い小鳥だ、狡い手使ってたくせに!」

「ああやだやだ、男のくせに見苦しいの……だから」

 

 セレストが俺の後ろを軽く顎でしゃくるのを見て、またお得意の不意打ちかと訝しみつつ……すぐに反応できるようにそちらを確認すれば、挟み撃ちにでもするようにハリネズミのように刺々しい濃紺の装甲を持つアバターが、アクア・カレントと対峙していた。

 

「今度は、小細工しない。する必要もない。レベル2成り立てで、しかも笑っちゃうくらい脆いキミをさっさと仕留めて、二体一でのんびりそっちの保護者さんを潰すわ……すぐ行くから粘ってねースパイクー」

 

 そういってひらひらと俺越しに仲間に手を振るセレスト。明らかに俺をおちょくるような素振りに、ふつふつと戦意は燃え上がる。

 

「……いいぜ、また速さ勝負も悪かないが……そういうのも好みだ。《ラディカーーー」

「待つわけ、無いでしょう?」

 

 しかしアビリティを発動しようとした瞬間、セレストの姿が目の前から一瞬で掻き消える…………いや、違う、足元ーーー!?

 

「っ、の、らぁ!?」

 

 俺の股下を潜るかのような急激な踏み込みを知覚した瞬間、咄嗟に上に跳ぶ。俺の全ての起点である機動力()を奪われることはギリギリ回避したものの……自由の効かない空中で体勢を崩し、視界に空を収めている一瞬で追撃が襲い来る。

 

「《ハイディング・スタブ》」

 

 最初に戦った時と同じように完全な知覚外から振るわれた必殺技は、俺の背中に鋭い痛みを走らせ……やはり一撃でHPを二割強も削り取っていく。

 

「がぁっ……!くっそ、また躱せなかった……?」

「別に、キミみたいに自分が耐えられないほど無駄に早すぎる必要はないのよ。ようは、効率」

 

 着地しながら先程よりも距離を置く俺に、妖艶に笑いかけながら短剣を弄ぶセレスト。

 

「言ってろ、俺の速さはーーーぐっ!?」

「ほら、また当たっちゃった」

 

 まるで、意識の隙にするりと滑り込んでくるような一閃。必殺技でないそれは先程よりも減りは少ないものの、確実に俺のHPを奪う。

 

「(……っんでだ!?俺のほうが速いのは前にやったとおりだってのに……?!)」

「ほんとなら火力ぜんっぜん足りなくて肉弾戦なんて(こんなこと)やってられないんだけど、キミ脆いしこの短剣で十分削れちゃうのよねー。はぁーあ、最初の一撃で気づいてればよかった」

「言ってろ、んにゃろ!」

 

 わざとらしく溜息をついてみせるセレストに、今度はこちらから足を振るうものの……

 

「わ、生身でもやっぱ速いのね」

 

 白々しい感嘆の声と共に悠々と回避されてしまう。

 

「な、んで……」

「だから、言ったでしょ。キミ速いけど速いだけなのよ。あたしみたいなのからしたらカモ同然、ほら」

「ッ……!」

 

 正面からの斬りかかり。集中力を研ぎ澄ませ、その刃の軌道を見るとほぼ認識に同期した回避行動に移りーーー

 

「素直な子は好きよ?ツマンナイからいい人止まり、だけど」

 

 ーーー次の瞬間、全く意識の外からの一撃に斬られている。

 

「く、そっ……!?」

 

 わけがわからない、今までも勝ったり負けたりしてきたが、完封負けはそれこそ赤系の飽和射撃くらいだ。近接戦闘、それも似たようなスタイル相手にどうして、こんな……

 HPゲージは半分を切り、必殺技ゲージはとっくに溜まっているものの使う隙がない。

対する相手は当然の無傷、そしてこちらを景気良く切り刻んでいるお陰でゲージも7割ほどだ。

 

「(……認めるしかねぇ、俺の速さはこのままじゃコイツには通じない。まずはゲージ使って足を……)」

「あら?何処行くのかしら。もういじけちゃったのかしら」

 

 苦渋の決断で一旦バックステップで離脱する俺に、茶化すようなことを言いながらも追撃してくる様子はない。やはり単純な速度でコイツが俺を上回っているわけではないのだ、そんなはずはない。

 

「(どういう種かは知らねぇが、今の速さで駄目ならもっと疾くなればいい!)反撃開始だ、《ラディカル・グッ……ろ……ぁ……!?」

 

 二度目の発動を試みるも……舌が痺れ、アビリティを発動できずに終わる。

すぐに四肢の末端にも同じような痺れが走り……ついには、立っていることもままならずにその場に崩れ落ちた。

 

「はい、聞かれる前に答えてあげる。あたしの強化外装《サイレント・シーカー》ね。攻撃力も耐久力も中の下なんだけど、ほんのちょっとだけ斬る度に麻痺毒を出すのね」

「……く、ぅ……」

「それこそほとんど気のせいレベルだし、実際一度しか切れてなかったこの前はほとんど効いてなかったみたいだけど……さっすが脆いし打たれ弱いし、状態異常耐性もだいぶ低いキミにはキツかったみたいね?」

 

 もはや、勝ち誇っているか嘲笑を浮かべているか、もしくはその両方であろうセレストの顔を見上げることも出来なかった。

力なく横たわる俺の首に、短剣が添えられる。

 

「それじゃ私、あっちの増援行くから。バイバイ」

 

 当人が言うとおり薄く、頼りないその短剣は……それでもたやすく、俺の首を切り落とした。



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08.銃を握る剣士

「……お疲れ様、なの」

「…………ん」

 

 対戦を終えて、加速が終了し……ぼんやりと、10増えたポイントに目をやる。

 

 ……あの後。俺が手も足も出なかったセレストと、ネイビー・スパイクの二人がかりでアクア・カレントがリンチされるのを幽霊状態で見守る…………などということには、ならなかった。

ほとんど同じか、ともすろとそれより早くネイビーを倒していたカレントは、自己申告通り低火力・低耐久であったセレストをその流水の装甲で軽くあしらうように……俺との対戦と立場を入れ替えたかのように、完勝したのだ。

そうして俺は完膚なきまでにボロ負けしたにもかかわらず、ポイントを得ている。

 

 ーーー無力感?違うな。なんか……宇宙だとか海だとかのことをずーっと考えてたら途方に暮れそうになるような、あの感じだ。

 

「……上見りゃ果てしねぇな、加速世界」

「ヘコんでるかと思ったけど、心配は要らなそうなの」

「んぁ?」

 

 言われてふと、頬に手をやり気づく。悔しさや無力感で心がぐらぐら煮立ってるように感じていたが……どうやら俺は、笑っているらしかった。

 

「あー……や、死ぬほど悔しいし、情けねえけどさ……アイツ、別にウソは言ってなかったんだよな」

 

 加速していたことで随分と経っているような感覚はあったものの、現実世界では頼んですぐで氷も溶けていないクリームソーダを口に含む。

 

「つまり、結局のところ俺のほうが速いのは揺るがないんだ。負けたのは、俺がそれを活かしきれなかったから……軽自動車にレーサーが乗ってるのを相手に、かけっこしか知らねぇ俺がスポーツカー使って競争して負けたようなもんだろ」

「その例えで少しでも謙遜してるつもりならいっそ感心するの、ボロ負けだったのに」

「今日のところは感心は遠慮しとくよ、謙虚な気分なんだ。……とりあえず課題は見えた」

 

 アイスを沈めつつ口の端を吊り上げる。

 

「“バーストリンカーの戦い方”だ。ジェミニ・ブリッツにはそいつが要る……つってもあきらに頼むのも道理が立たねぇし?勝手に盗ませて貰うぜ、カレントや相手からこっからの数戦でな」

「それこそミャアの仕事……って言っても聞かないのはわかってきたの」

「言ったろ、安いプライドなんだよ。……だから、絶対に負からん」

「今どき“男かくあるべし”、なんて流行らないの……それじゃ次に行きましょう、とその前に」

「んー?」

 

 さっさとコマンドを唱えようとしていた俺に、待ったがかかる。

 

「どしたよ」

「いえ、さっきの戦い見てて気になったんだけれど……レベルアップボーナス、何にしたの?」

「あー、えー、確かー、いくつか出てきて美早に聞こうとして、ああ(・・)なって…………」

「…………」

「…………」

 

 忘れてた。

 

 

 

「くらいっ……やがれぇ!」

「ムゥッ……!」

 

 四角っぽいフォルムのゴツい緑系アバターの顎を、《ラディカル・グッドスピード》の超加速を使ったサマーソルトもどき(・・・)でカチあげる。

いつものゴリ押しでは無くちゃんと考えて戦おうとするものの、どうにも小慣れた様子の相手にはなかなか効果は感じれれなかった。

とはいっても防御力に定評のあるカラー相手に必殺技も使わずそれなりに削れている……が、消耗度合いでいえばこちらも似たようなものだ。

 

 あれから連戦に次ぐ連戦を闘いぬき、俺は勝ったり負けたり、しかしカレントは一度《溶岩》ステージを引き当てた試合以外は負けること無く、俺のポイントは着実に戻っていった。

この戦いに勝てば、十分安全圏と言っていいだろうといった瀬戸際。

 

「(再加速して一発でブチ抜くか?……ってそうじゃなかった。テクニック、テクニック……)」

 

 レベルアップボーナスを迷わずアビリティ強化につぎ込んだおかげで、STR(筋力値)DEX(素早さ)なんかのステータス、各種ゲージの上昇なんかのレベルアップそのものの恩恵があったにもかかわらず、継戦能力はほとんど向上していなかった。変換効率が上がったからか《ラディカル・グッドスピード》もフルゲージからならある程度のオブジェクトで膝下まで覆えるようになり、あの超加速や必殺技を使わなくても緑系に少しずつダメージを与えられるほどにはなったが……

 

「フンッ!!」

「のわっ……!?」

 

 低い重心、どっしりと構えた体躯から、蛇のように妙に伸びる(・・・)両腕に必要以上に距離をとって躱してしまう。

 

 ーーー無論、アビリティでもなければ必殺技でもない。

これが俺に無いもの。圧倒的に速いはずの俺を惑わし、捉える『技』。

 

「……柔道?」

「二段だ」

「黒帯かよ」

 

 律儀に応えるいかにも堅物らしい声に一瞬気が緩みそうになり……すぐさま引き締める。

 目の前で堂に入った構えを見せるのは、かれこれ1000秒以上こうして鎬を削っている相手……《ターコイズ・ハンガー》だ。

 

「俺の《親》は、俺を見て完全一致(パーフェクト・マッチ)だと言っていた」

「はっ、偉そうな名前だなオイ」

「済まない、自分から名乗ったわけじゃないんだが。それに、俺だけじゃない」

 

 自慢するでも、茶化すでもなく大まじめに返答するターコイズに、戦意は衰えないもののどうにも毒気を抜かれてならない。

 

「デュエルアバターは現実の特徴などとは全く無関係に作成される、材料になるのは心だからだ。だが、それでも時折……現実の体と偶然では済まない親和性を持つアバターが出来上がることがある」

「それが、完全一致(パーフェクト・マッチ)ってか」

「……」

 

 悠然と構えながらも、馬鹿正直に頷いて返してくるのに単純な疑問を返す。

 

「……で、なんでそんなこと俺に話すんだよ。対戦相手だぜ」

「不快だったか、いや別段余裕ぶろうというわけではないんだが。お前は一瞬でも気を抜けない相手だ、そこはーーー」

「ああ、そういうのはいいっていいって。お前のキャラはなんとなく見えてきたつもりだし」

「ム……いや、な。正直なところ俺にもよくわからんのだ、ただ……戦っていて、惜しいと思った」

「惜しい?」

 

 決して豊富とはいえまい語彙を必死にひっくり返している音が聞こえてきそうな素振り。やがて、言葉を選ぶように口を開く。

 

「……俺は柔道二段だが、アバターが赤系ならそんなもの活かせはしなかった」

「当然だな」

「ああ。そして今から銃も、剣も持つ気はない」

「うん」

「…………」

「…………え終わり?なんだその顔!?『な?』じゃねえよ説明下手か!」

「ム……」

 

 困ったように頬をかくターコイズに怒鳴りながらも、言葉の意味に思いを馳せる。

 

「……よーするに、あれか?今の俺は、銃撃ってる剣士みたいなもんだって?」

「……」

 

 なんかもう勝手に満足気に身構えて対戦モードな相手に、これ以上の問答は出来ないと悟る。残り時間もさほど無い。

 

「ったく、無駄に意味深な……ま、せっかくの助言だ。ありがたく覚えとくけど……それはそれ、だ。勝たせてもらうぜ」

「来い……!」

 

 手の射程や踏み込みなんかも考えて、その人間大の岩のように鎮座している前方2mは奴の制空権と言っていいだろう。

柔道二段の腕前を遺憾なく発揮するこの難敵に、付け焼き刃のテクニックなんて通じないと考えて当然だろう。それはアイツの世界だ、わざわざ俺が合わせてやる必要もない。

 

 ーーー自己弁護完了。

 

「ーーーなんで。正面突破ァ!!」

 

 パーフェクトだかなんだか知らねえが、こっちはグッドスピードだ。速度勝負(俺の世界)に引きずり込めば、誰も俺には追いつけないーーー!

 

 足首から爪先までの赤紫色のスパイクだったそれから膝下まで伸びた、やはり赤みがかった白のプロテクター。そのスリットが開き、隙間から青緑の光が漏れる。

 レベルアップの恩恵か、装着部分が増えたからなのか。より安定して発動できるようになり……それのをいいことにさらなる速度を出そうとして安定性は結局失われるものの、成長したには違いない必殺技を発動する。

 

「衝撃のォーーー!!」

「《スマッシュ》……!」

 

 対するターコイズも、種も仕掛けもない掴み/投げ属性技《スマッシュ・クウェイク》の予備動作に入っていた。接近どころか移動前にそうしているのは、ひとえに俺の速さをすでに知っているからだろう。そうして俺が射程に入るその瞬間に、技の出を合わせようという……同レベルにしてやはり雲泥の差を感じさせるテクニックだ。

 

「《ファース「そこまで、なの」トッ、だああ!?」

 

 互いが接触するかといった刹那、氷柱(つらら)の射撃を受けて僅かに姿勢がぶれ……高速機動の制御が効かなくなり、明後日の方向にすっ飛んでしまう。

 めまぐるしく動く視界の中、同レベルの相手と戦っていたはずのカレントがそのまま、ターコイズを流れるように仕留めるのが見えた。

 

「か、カレント、テメ……何を……」

 

 今日一日で三度目になる技の不発というのは思ったよりも心にクるもので、思わず流水を纏う少女に厳しい視線を向ける。

しかし、ともするとそれ以上に険しい空気を纏ったカレントはそれを意に介さずに俺の元へずかずかと(もちろん性質上そんな足音は鳴らないのだが)やってきて見下ろしてきた。

 

「『何を』?それはこっちのセリフなの」

「は……?」

 

 いかなるすれ違いか、どうにもこの少女は結構な本気で怒っているように見えた。

 

「まだミャアにも教えてないの、なのに誰から聞いたの?いや、それよりもレベル2になったばかりで、それも一週間足らずのレベル1の間にどうやって知って……どうして使った(・・・)の」

「使った……って、何が!必殺技縛りなんてした覚えねえぞ!?」

 

 相手は美早の《親》だ、年下の女だ、薫伯母さんの娘だ……と、必死に念じてヒートアップしないようにしつつ言い返す。何を言っているのかサッパリわからないのが向こうにも伝わったのか、向こうもバツが悪そうな様子になった。

 

「……本当に、分からないの?」

「何言ってんのかサッパリだ」

「…………早とちり……?いや、そんな」

 

 ざわつくギャラリー、混乱する俺、考えこむカレント。

掴みかけた何かがまたするりと掌から抜けていくのを知覚する事もできないまま、1800秒のリミットに達し加速が終わっていく。



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09.心意の光

「……で、どうしろって?」

 

 安全圏までポイントが溜まったので即解散……とは当然行かず。あの後すかさず直結対戦にまで持ち込まれた俺は、灰色のアバターとなってアクア・カレントと対峙していた。

 

「必殺技を使って見せて欲しいの」

「別にそれはいいけどさ、せめて説明をだなぁ……」

「……大事なことだから、話すことにはなるの。けど今はひとまずお願い」

「……はいはい」

 

 よくわからないが深刻そうな様子に小さく溜息を一つついた。淡黄色の空の下、《荒野》ステージに立ち並ぶ赤茶けた巨石を削って必殺技ゲージをためていく。

 

「一回目は普通に、単発でお願い」

「あいよ」

 

 ゲージが貯まると後退り、軽く膝を曲げた。必殺技と言われれば、俺が使えるのはただひとつ。

 

「《ファースト・ブリット》!」

 

 片足で踏み切っての、システムアシストも伴った渾身の飛び蹴り。生身で放ったことも何度かあったが、やはり速度はともかく威力がいまいち物足りない、といったところか。

 

 罅の入った巨石にちょっと悔しげな一瞥をやってから振り返ると、カレントはじっと俺の足を眺めていた。

 

「どうだ?」

「次、アビリティも使って」

「……了解」

 

 やらせといて感想すら無いのかよ、とぼやくことなど当然せずに、せっつかれてまたゲージ貯めに従事。カレントの意向でフルゲージまで貯めると、別の手頃な巨石オブジェクトを探す。

 

「《ラディカル・グッドスピード》……っと。やっぱフルゲージからなら膝下まで出るな」

 

 元からある最低限のプロテクターと違い、しっかりとした存在感を持つシャープなフォルムのそれは、もはや(スパイク)というよりも脚甲(グリーヴ)に近い。

必殺技ゲージは残り半分、一発は撃てる。

 

「んじゃ、二発目行くぞ……衝撃の《ファースト・ブリット》!!」

 

 必殺技としてのアシストに踵のギミックによる超加速が加わり、傍から見ればその場から消えたように見えただろう。気を抜くと現在位置を見失い、制御を失ってしまいそうな速度を無理やりねじ伏せる。

予備動作も溜めも無く、HPを削りながら放たれた飛び蹴りを受けて今度こそ巨岩は砕け散った。

 

「ふぅ……やっぱこっちのが圧倒的だな。で?これで何がわかったんだよ」

 

 首を鳴らしながらカレントの元に戻る。彼女はしばらく迷った後口を開いた。

 

「……タッグマッチ中に何度かちらちら見えたし、今確認してもそうだったけれど……やっぱりその必殺技には、変形モーションは存在しないの」

「ん?あー、そうだっけ。そうだな。アビリティ使ってれば踵のピストン出るけどそのくらいだ……あ?」

 

 今まで意識もしていなかった点を指摘され、納得する……のもつかの間、すぐに妙な点に気づく。

 

「でも確かさっきスリット開いて……いや、それだけじゃない。あんま覚えてないけど、ブースターと戦った時もピストンから光が漏れてたような……」

「……信じがたい……とまでは、言えないか。前例は無いけれど、可能性としてはありえた話なの」

 

 

「……その光は《過剰光(オーバーレイ)》……ブレイン・バーストに秘められた、“イマジネーション”を力に変えるシステム。《心意(インカーネイト)システム》が作用している証なの」

 

 

 

 

 心意(シンイ)……読んで字の如く心の有り様に強く依存するその力は、通常アバターへ脳からの指示を伝える運動命令制御系とは別系統であるイメージ制御系を通して、プログラムの制約すら超えた事象の上書きを引き起こすものなのだという。なんでも乱用するとデュエルアバターの精製に深く関わる心の虚に近づきすぎ、呑まれてしまう事があるというのだ。

それが引き起こした最悪の例として、加速世界の黎明期にとんでもない悲劇が起こっており……それ以来心意はタブー視され、純色の七王の協定によって全てが秘されている。

 

 

「……それを、俺が使ってるって?」

「あの光は、間違いないの」

「つっても、なぁー……俺そんな大仰なことしてるつもりも、心当たりもねえよ。そこまですごいもんなら、ポロッとできちまうもんじゃ無えんだろ?」

 

 何か、()的な物を溜めたりだとか……そういう風なことをしたことはないはずだった。今まで二度光った時も、その他とくらべて特に気負って使った覚えはない。

 

「だけど、あの光は《過剰光(オーバーレイ)》に他ならないの。本当に、何も心当たりはない?使った後で気分が妙に落ち込んだり、逆に過剰に盛り上がったり、しんどくなったり気だるくなったりは?」

「無い!」

 

 即答で断言すると、今度こそカレントは困ったように悩みだす。

 

「……本当に、どういうこと?確かに心意を使っているにしては、威力は高いものの普通の蹴りに見えたし……あれが心意技じゃないとしたら、いったい何処に作用している(・・・・・・・・・)の……?」

「とりあえず、その心意技とやらを相手に使っちまってるってわけじゃないならいいんじゃないのか?」

「そういう単純な問題じゃ……だけど、現状だと対応しようがないのも確かなの」

 

 はぁ、と小さな溜息を一つ。

 

「……最後に一つだけ。足が光った二回、共通して考えてたこととか、無い?」

「共通して…………」

 

 問われて、二度の戦いを想起する。両方印象深い戦いだった、心に焼きついたそれは……

 

「……ああ、いつものだな」

「いつもの?」

「ああ、ずっと思ってる……『速さ(コレ)なら負けねぇ』、ってさ」

「……そう」

 

 短くそう言うと、思案を断ち切ったらしいカレントが俺を見据えていった。

 

「もしかしたら、いっそ心意を扱えるように教えた方がいいのかもしれない。だけどまだ私には判断がつかないの。あまりにも早過ぎる……これだけは、覚えておいて。それが貴方にどんな影響を与えているかは未だ未知数なの。王達が必死に隠すのも、決して大げさじゃないっていうこと……なにか不調があったら、すぐにミャアか、私にでも伝えて」

「わぁーったよ、覚えとく」

 

 それだけ言うと、先程までの深刻な空気が和らぐ。どうやら一段落ついたらしかった。

 

「……それじゃ、ちょっと……どころじゃなく予想外のアクシデントもあったけれど。これで貴方は安全圏、タッグマッチもおしまいなの。お疲れ様」

「ん、手間かけさせたな」

 

 試合をドローで終わらせて、現実世界に意識が戻る。直結していたケーブルを抜きながら、俺も慣れてきたなぁと苦笑。

伝票を持ちながら席を立つと、手を差し出す。

 

「ありがとなあきら、おかげで助かった。今度はまた、ただのバーストリンカー同士として会おうぜ」

「……ミャアによろしく言っておいてほしいの」

 

 握手を交わして立ち去り、会計を済ませる。

店を出ながら美早にコールすれば、すぐさま通話がつながった。

 

『終わった?』

『ああ、ポイント50越えて一先ずな。……しっかしあきら、伯母さんにそっくりなのな……』

『最初に言うのがそれ?』

 

 呆れた様子の美早だが、向こうも安心した様子なのは感じ取れる。

 

『それで、なにか問題は?』

『……なかったよ』

『そう』

 

 “なにか”はあったことを明らかに見ぬかれているが、それでも追撃が無いことに甘えてお茶を濁す。

 

『ま、結構いい機会だったよ。面白いやつにも会ったんだーーー』

 

 最初の苦いリベンジされた試合からのことを話しながらの帰り道は珍しく、誰にも乱入されることはなかった。

 



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10.俺の剣

「……ずいぶんと……自惚れたね、ジェミニ・ブリッツ!!」

「うおおおっ!?!?」

 

 雨の強さが周期的に変化する《暴風雨》ステージ。今はバケツで水をぶち撒けたようなスコールが視界を阻害して、俺の足元も何度か掬われかけていた。

悪条件は相手も同じのはずなのに、なんだか妙に……というかかなりキレているらしい小柄なメタルカラーを纏う対戦相手、もはや2日~3日に一度は対戦している因縁の相手《リチウム・ブースター》は的確に俺を狙って、己のポテンシャルの全てをつぎ込んだ車型強化外装で突っ込んでくる。

 

「何キレてんだよ?!」

「分かんないなんて言ってみろ、全損させてやる!」

「こんのっ……!」

 

 一瞬も気を抜けないラッシュを紙一重で躱しつつ、隙を見出して車を破壊、ないし無力化する。何度も繰り返される俺とブースターの対戦は、常にその一点に終始した。

俺が躱せないほどのスピードで俺を轢き潰すか、それよりも早く動いて対応してみせるか。予定調和のように繰り返されるその攻防の中で、弱点だと発覚したテクニックによる活路を見出そうとしていたのだが……

 

「勝ち越してるからって、馬鹿に、するなぁっ!!」

「してねぇよ!?って、しまっ……!!」

 

 迫るヘッドライトに、理解が及ぶ……ああ、もうちょっと早く気づくべきだった。

 

 

 車相手にテクニックなんて無ぇよ。

 

 

「負けたぁっ!!」

 

 通学路の途中、人気のない公園に意識は戻ってくる。乱入しておいて返り討ちにあうとは、いつも以上に悔しいもんだ。

 

「畜生……つかあのキレ様は……やっぱ、あれか?速さ勝負から逃げたとでも思われたのか?それはそれで今度はこっちが釈然としねぇけど……」

 

 唸りながら残り半分ほどの通学路を歩く4月中旬、バーストリンカーとなってからおよそ半月……ジェミニ・ブリッツこと矢光翔、迷走中である。

 

 

 授業を聞き流しながらぼんやりと考えるのは、7月に待つ都総体や最初の中間テストよりも、加速世界のことだ。

 初戦で勝ったはずの《セレスト・スラッシュ》、なのに正面から子供扱いするようにあしらわれてそいつに負けた俺。そのセレストに完勝した美早の《親》、《アクア・カレント》……

 

「(カレントの完勝はレベル差もあるだろうけど、なら俺がレベル上げれば同じこと出来るかって言えばそうじゃない。速さを活かせないどころか裏目に出たのと同じことだ)」

 

『別に、キミみたいに自分が耐えられないほど無駄に早すぎる必要はないのよ。ようは、効率』

『キミ速いけど速いだけなのよ。あたしみたいなのからしたらカモ同然』

 

「(……ちっ、ああもう、その通りだよクソッタレ……!)」

 

 《ラディカル・グッドスピード》が攻略法なんざ掃いて捨てるほど存在する、いわゆる死にスキルなのか弱いのかと言えばそれは全く違う。

 問題はジェミニ・ブリッツの脆弱さ……ですら、無いのだろう。

 

「……だって陸上部だぜ。喧嘩だってほとんどしたことねぇし、所詮技術云々とか考えたこと無えし……」

 

 ソーシャルカメラが発達したこの現代で怪我上等の殴り合いなどすればすぐに警備員が飛んでくるのだ、武道もやっていないのに慣れている方がおかしいってもんだろう。

俺にはどうしても、《格闘》の経験値が足りていないのだ。

 

「VR空手でも習うかぁ?でもなぁ……ん……」

 

 芸術的なまでに俺の耳を素通りする物理学の授業をBGMに、窓の外を眺めていると……セレストの腹立つセリフの他に、思い出す言葉があった。

 

「……銃を持った剣士……」

 

 あのどこか抜けたところのある武人が言いたいことは、付け焼き刃の技術など枷にしかならないだとかそういうニュアンスなのだとはわかる。事実アイツと戦っていた時の俺は、途中でテクニック云々を諦めて俺の土俵まで勝負を持ち込もうとしていた。決着は有耶無耶になったものの、負けていたつもりはない……というのはあっちも同じだろうが。

……だったら、俺の“剣”ってなんだ?

 

「“速さ”だ」

 

 一瞬の自問自答。そこだけは何一つ迷うことも、疑うこともない。

 

「いやいや、その速さが通じないって話で……ん?まてよ、誰に通じないんだよ。俺は最速だぞ」

 

 ……考えているうちになんだか腹が立ってくる。俺の速さが通じない?そんなわけがないだろう。

そんなわけがないなら何故負けたのか、それはアイツの技術が……技術……待て、そういうことなら確か、今朝の対戦で答えが……

 瞬間、脳裏を稲妻のエフェクトが走ったような感覚。思わず俺は立ち上がって叫んだ。

 

 

「そうだっ、車になろう!!」

 

「…………矢光、そのまま立ってろ」

「……ウス」

 

 

 

 

 もちろん、俺の身体をトランスフォーマーよろしく車に変形するわけじゃない。というかそんなことは出来ない。

思い出すのは今朝の対ブースター戦、俺の技術が未熟以下だったことももちろんあるだろうが、あれは一つの真理を示していたように思う。

 

「うおおおおおおおおおお!!」

 

「……矢光、今日もやたら気合入ってるな……」

「もも上げっつーかもう膝蹴りみたいになってるぜアレ、俺なら足攣りそー」

「オーバーワークとか大丈夫なのかね、天才様は体の作りも違うとか?」

 

 もっと速く走るんだ。もっと速く身体を動かせるはずなんだ。技術なんかじゃどうにも出来ないような切れ味(・・・)の俺の“剣”で、もろともぶった切ってやる……!

 俺の本当の限界へ、イメージした通りの最速の走りへ追いつくんだ。もっと行けるだろう、俺!

短いインターバルを挟んでのダッシュで、弱音を吐きそうになる自分をいじめ抜く。出を潰されればどんな速さにも意味が無い。瞬発力だ……ああくそ、そうなるとやっぱり筋力が足りない!膝への負担を御しきれないで硬直する一瞬が致命的なラグになる。

 

「(瞬発力、瞬発力!でもそれだけじゃダメだ、先読みされても意味が無い!直線だけじゃない、直前で軌道を……)」

 

 深い深い集中の中、ダッシュで往復しているそのコースの真中に空色のデュエルアバターが見える。アイツは俺よりも遅いが、行動の予備動作の時点で俺の直線上から外れ、いとも簡単に必殺の蹴りを避けるのだ。

 

「(ラグはゼロには出来ねぇ、なら直前で軌道を……でも速さが死んだら本末転倒だよな?スピードを殺さずに、直前、で……)」

 

 陽炎のように目に映る仮想セレストの目前で、ブレーキを踏むのではなくスピードをそのままに踏み出す左足の歩幅を縮めーーー

 

 ーーービキィッ!!

 

「あ、があああっ!?」

 

 ……僅かに緊張の緩んだ(・・・)左足に、加速した俺の全体重がかかる。その負担に耐え切れず、俺はその場に見事なほどに転倒した。

 

「(こ、これは駄目だ……!負担なんてもんじゃない、こんなの続けてたら故障待ったなしだぞ。練習するにしても、加速世界(あっち)でだな……)」

「おい矢光、大丈夫か!?保健室行くか……?」

「あぁー……ちょっと、擦りむいたんで。洗って消毒したら大丈夫っすよ」

 

 心配してくる顧問の門田先生に苦笑混じりの返事をして、水道へけんけんで移動する。

痛みは不快だが、そんなこと意識の外に追いやるように……傷を洗い流しながらさっきの感触を思い出す。

 

「(負担は半端ないけどあそこで踏みとどまれれば、敵の目の前で、『トップスピードのまま再スタートを切れる』……あとは、俺の速さをもっと磨き上げれば……!)」

 

 そう遠くないところに見えてきた気がする雪辱戦に向けて、笑みが浮かんでくる。

蛇口から流れる冷水が、傷や膝の痛みをクールダウンしていく中……燃え上がる俺の闘志は、むしろ俺の胸を焦がさんばかりに熱かった。

 

 



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11.予期せぬ再会

期間が開くとダレがちなので、きっかけとリハビリと生存報告を兼ねて、短めですが。


 6月も半ばに差し掛かり、鬱屈を貯めこんだような雨雲が空に蓋をする梅雨空。

グラウンドのコンディションは当然のように最悪な日が続く。顧問の門田先生に言い渡された練習は、フォームの見直しや階段昇降など、屋内で出来るようなものが主体になっていった。

……と言っても来月には都総体が控えているため、外が使えないからといって練習が楽になるなんてことも無く。概ね湿っぽさを意にも介さず気合に燃えている部員が多かった。

 思考一千倍の世界という他にないアドバンテージを持つ俺は、それらも使い倒しながら練習を重ねていた。無論、対戦の方も休みはしないのだけれど。

 

「あぁぁ、つった!つった!」

「だから準備運動しっかりしろって……」

「うっわ!あぶねぇ、誰だよ拭き残し!まだ濡れてるじゃんか」

「ちゃんと拭いとけよー、滑って転んだらだいぶ危ないからな」

 

 今やっているのはできるだけ速く階段を駆け下りる練習だ。登る方だと足の筋力向上に良いのはわかりきっているのだけれど、そこはやはり中学生。指導者としてはあまり膝に負担のかかる、強度の高い運動はさせられないのだろう。

 

 足がもつれたりすると洒落にならないので階段の半分からだが、これはこれで思ったより大変なのはすぐに分かる。一定の歩幅で、正確に速く足を回さなきゃならないこのメニューは、思ったように体を動かすという俺の至上命題にも迫る非常に素晴らしい課題だった。

速すぎては前のめりに転んでしまい、かと言ってブレーキをかければ「できるだけ速く」という指示から遠のいてしまうという、この二律背反的課題が俺のスピードを落とさないブレーキという目先の目標ともそれなりに近いため、自然と練習にもいつも以上の熱が入るというものだった。最初は何度も勢い良く転んでしまったもののコツを掴んでくるともう楽しくて仕方ない。やはりネックになるのは脚力だ、勢い付いた体重移動を制するために単純な筋力が必要になるし、かと言ってただ勢いを殺せばいいという訳ではないそれらの勢いを活かす為には膝でしなやかにふんわりと受け止めて次の挙動に可能な限りロスを減らしつつ持っていくことが必要になってくる。そう、もっていく。前に前に駆けて行く自分の体の中で秒刻みに膨れ上がっていくエネルギーを体の中に留めたままゴールまで持っていく、否、そのエネルギーに体を前に持って行ってもらうイメージだ。そこでこの練習が非常に素晴らしい点に立ち戻るとまず速く足を回さなければならないというのが上のイメージに照らし合わせるとエネルギーのない最初の体をできるだけ早く加速させるスタートダッシュのために自力だけで前へ送る為の練習になり尚且つ終盤もはや自分の制御下を離れ前へ前へ加速する体を転倒させない為にそれに追いつく足の回転速度の練習にもなるという実際に走る際にブラッシュアップされるフォームや呼吸といったいわゆるセンスとは別のフィジカル的なトレーニングとし

 

 ーーー異音、暗転、激痛。

 

「だ、あッ!?~~~~!!」

 

 ……どうやら俺は、熱中しすぎて転んだらしい。言い方が人事なのも仕方ない、痛すぎてもう笑うしかないあれだ。そうしないと泣けるレベルの激痛が、膝と床に付いた手に走っていた。

 

「うはぁ、思っきしいったなぁ……大丈夫かよ矢光」

「し、死ぬほど痛いっす……」

 

 必死に息を整えて痛みを逃がすようにしながら、俺は短パンの小学生のように、膝小僧に新しい擦り傷をこしらえて保健室へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

SUP(調子どう)?」

「ん?」

 

 珍しく雨が途切れたある日の放課後。久々に少し遠出して2つ隣の目黒区で対戦した後、お決まりになったケーキショップでの反省会でのことだった。

一通り話し合ってのんびりコーヒーを飲んでいたところで、美早の脈絡のない質問に首を傾げる。

 

「部活。都総体出るんでしょう」

「ああ、うん。100mな。調子はまぁ、悪くない。つか負ける気がしねー」

 

 ニッと笑って言ってみせると、相変わらず表情のわかりづらい顔でカップを傾けている。

 

「油断か慢心に見える」

「まさか」

 

 ともすれば調子に乗りがちの俺を気遣ったであろう言葉に苦笑しつつも、しっかりと否定して続けた。

 

「どんな奴がいるだろうって、期待だってしてるよ。ただ……負けたくも、負けるつもりも全く無い。自信とプライドってやつだな」

「……またそれ」

 

 今度は向こうが呆れたように小さく苦笑する。ジェンダーフリーが声高々に唱えられるこのご時世に、男の意地がどうのなんて下手すれば白い目を向けられることもあるだろうが、少なくとも美早はいつもこうやって意地を張らせてくれるものだった。

 

「悪いな美早。でもこれだけは絶対に負からん。加速世界でも、現実でも。最速は……俺だ」

「少なくとも前者は、私に勝ってから言うべき」

「むぐっ……や、やるかァ!?」

「まだ、負けてあげない」

 

 涼しい顔して微笑む《親》に一矢報いてやろうと、俺は何度目かになる下克上を挑もうとして……

 

「……ん、これは」

「?」

 

 マッチメイキングのウィンドウで手が止まる。一つの名前で目が止まっていた。

 

「……あぁ、この前言ってた」

「わり、美早。下克上はまた今度だ」

「K」

 

 練馬区までなんの用かは知らないが、見つけたからには見逃す選択肢は無かった。その名前が消える前に、俺は急いで対戦を申し込む。

 

 

 

 

 

 

 

 現実の季節に影響されたわけじゃないだろうが、ドス黒い雲が視界を遮る雨と雷鳴を撒き散らしている。《轟雷》ステージって奴だろう、少なくとも地表で白兵戦してる限りにおいては、雷に怯える必要はないはずだった。

 

「さって、ガイドカーソルは……無い、結構近いのか?」

「そうらしい。試合後に周りを探すのは勘弁してくれると、助かる」

「うおっ……?!」

 

 豪雨で見渡しづらい視界の中で、ある意味保護色のように働いていたのだろう。碧色の装甲を持つそのアバターは、しかし律儀に背後から俺の背後から声をかけてきた。

 

「全然気づかなかった……分かってたろうに、相変わらず律儀な奴。一応ルール無用だぜ、これ」

「ム……これは個人的な好みの問題だ。不意打ちでは気が乗らず、手が鈍る。そうすると勝率も落ちるだろう、けして慢心や侮りは……」

「あーはい、わかったって!」

「ムゥ」

 

 そのクソ真面目さへのからかいにすら、馬鹿正直に対応してくる独特の空気。

俺のレベルアップ騒動以来、およそ一ヶ月強ぶりの再会となる武人アバター……《ターコイズ・ハンガー》は、苦笑する俺を意に介さずに律儀に挨拶してくるのだった。

 



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12.セカンド

 《ターコイズ・ハンガー》……水色に近い青緑色の重厚な装甲を持つそのデュエルアバターは、いっそ清々しい程に見た目通りの近接格闘タイプだ。

 リアルでの柔道の技量と、掴み属性や投げ属性の必殺技が合わさった完全一致(パーフェクトマッチ)は、自らの間合いにおいて他の追随を許さない。……当然といえば当然だろう。同レベル同ポテンシャルの原則下、プレイヤーの殆どが小~中学生という前提において、「戦い方」への習熟というのは他者を差をつけて然るべき要素である。

 

 対して《ジェミニ・ブリッツ()》のアドバンテージとは何か? 当然、速さだ。

 自己申告だが、俺だって完全一致(パーフェクトマッチ)のアバターだと思っているほどには、俺はこのアバターの、他の全てを犠牲にした唯一の強みに信頼を抱いていた。

 

「《ラディカル・グッドスピード》、っと……さぁて、いつぞやはやたらわかりづらい助言ありがとよ。あれからウダウダ迷走しちまった気もするが、おかげで俺も『剣』をしっかり見つけられた」

 

 互いに必殺技ゲージを溜めきって、俺はアビリティを発動する。対峙する碧い武人は静かに脱力して構えているが、その威圧感は前回以上のものがあった。奴もまたあれから毎日のように研鑽に励んできたのであろう……男子三日会わざれば刮目して見よ、とはよく言ったものだ。やはり故事成語というのは後の時代だろうと、否。後の時代にまで残されるほどに的を射ている……温故知新、文化の基本だ。

 

「そこんとこしっかり見届けな、って言いたいとこだが……宣言だ。目で追わせもしねぇ」

 

 挑発的に言い放つ。表情など変えようもない無機的なデュエルアバター、それも堅物糞真面目の擬人化のようなハンガーの、低く泰然とした声音であったが、それでも奴もまた笑ったような気がした。

 

「……来い」

 

 雷鳴が鳴り響く中、けして大きくもないその一言がしっかりと俺の耳に届き……瞬間、全力で踏み込んだ。出し惜しみは無く、その一歩で踵のピストンギミックを噛み合わせる。

 まずは正面突破……地に根を張ったように安定した体幹は、半端なことでは揺らぐまい。だからこそ胸を借りるつもりで、その中心を全力でブチ抜きにかかった。

 

「衝撃の《ファースト・ブリット》ォ!!」

「ムン……!」

 

 動体視力の限界などとうに振り切ったはずのその一撃に、見事掌を合わせてみせるターコイズ・ハンガー。触れた端から火花のようなライトエフェクトが飛び散り、その直後。

 

「……う、おっ……おぉぉ!?」

 

 感覚を狂わせる浮遊感。目はすぐに慣れたものの、理解が追いつくまでの一瞬で、俺は何かに着弾した。一瞬で周囲を確認……これは、ビル?

 

「真空、投げ……? コイツマジかよ」

 

 頬がひくついたような錯覚(無論、今の俺の「頬」は無機的なジェミニグレーのバイザーでしか無いのだが)を覚えながら、対敵を見下ろした。ゼロ距離で俺の速さを目で追えたはずがない、恐るべきは慣れと勘、か。

 体が落ちるよりも早く、ビルの壁面を駆け下りる。落下ダメージが発生する条件を厳密に把握しているわけではなかったが、為す術無く落ちるくらいならば位置エネルギーも速さの糧にするべきだと判断したのだ。

 落下しながら互いのHPバーを確認する。俺の加速が乗り切った投げ攻撃は俺のHPバーを大きく削り取っていたが、向こうも当然無傷で済むはずもなく、お互い残りは7割ほど……直撃すれば赤系アバターを一撃で仕留めることもある技だ、必殺技も強化外装も無しにここまで減衰させた技量には感嘆するしかない。

 

「やっぱ腕上げてやがる……ま、そうでなきゃ張り合いが無いね!」

 

 地面が近づいてきたところで、所謂壁キックの逆回しのように斜めに跳ぶ。片足が地面に触れ、可能な限り踏みしめず(・・・・・)に滑らせ、次の一歩。もう一歩……

 

「(ダメージは)」

 

 極限の集中の中、視界の端でHPバーを確認し。

 

「(無いッ!)」

 

 速さが速さだ、もう目の前には構えた奴がいる。接触まで一秒にも満たないその時間を引き伸ばすように、集中する……あたかも、現実世界から初期加速空間(ブルーワールド)へ移行する時のように、近づけば近づくほどに時間が遅くなるような錯覚。

 直線状にハンガーを捉え、再び最高速に入れようとし……しかし、直感がそれを止めた。

 

「(今の感覚だ。体に乗った加速が膝にでもひっかかれば(・・・・・・)、自分のダメージになっちまう。スピードを殺さないブレーキ……違う、スピードを身体の中に『活かした』ままのブレーキ!)」

 

 度重なる練習で、曲がりなりにも形にはなった《セレスト・スラッシュ》対策。しかしさらなる答えがこの先にあるように感じる。

 間合いまで後一歩。その瞬間に、大きな歩幅(ストライド)から小さな歩幅(ピッチ)へと切り替えた。大切なのは最初の一歩だ、可能な限り緻密に、且つ素早く鋭く繰り出す―――

 

「―――ふ、はっ」

 

 ……まるで、世界が切り替わったように思えた。

 漠然と意識し目指してきた、敵眼前での再スタート……俺のスピードで(・・・・・・・)、そうできるという事。その恩恵が今なら本当の意味でわかる。直線的な動きの改善、などというものではない。

 アバターに溜まりに溜まった、文字通り爆発的な運動エネルギー。それをどう使おうと自由自在なのだ。限界に近い集中力を発揮している今、俺の研ぎ澄まされた反応速度も相まって……俺が抱く感慨は、もはや万能感に等しいものだった。

 ここでまた飛び蹴りをすれば先程の焼き増しになるだろう、いや。さっきほど速度が出てない二番煎じなど完璧に対応されるに違いない。だからこそ……

 

 それまでの滑るような足運びから一転、力強く左足で踏みしめる。

 

()()のォ」

 

 セレスト対策その2、改。

 

「《セカンド・ブリット》ォォォ!!」

 

 開いた脚甲(グリーヴ)のスリットから溢れる《過剰光(オーバーレイ)》。左足を軸に、右足を鞭のようにしならせて顎を蹴り上げる一撃は、軽いブリッツのデュエルアバターを用意に浮き上がらせる……所謂、サマーソルト・キックだ。

 

「ぐ、ぉ―――」

 

 投げ技の基本は相手の勢いも使った受け流し、しかしこの蹴り方ならば先程のように後ろに流すことは出来ない。無論体当たりに近いファーストと違い、一点集中のセカンドは躱しやすい技だが……ここで活きるのは速度差と、奴の当たり判定の大きさ。

 唸り声も続かない。ターコイズ・ハンガーの巨体が僅かに浮き上がり……バク転の形で着地して見やると、仰向けに倒れたその頭部は、ひしゃげ潰れていた。

 ゲージを見る……やはり、最後の一撃も含め、自分のアバターで速度を殺さなかった影響だろう。二度も必殺技を使ったにしては、ゲージの減りが少なかった。

 

 また一歩、俺は俺の速度を制したのだ。

 

GG(グッドゲーム)、ハンガー。修行の成果を見せ付けるつもりが、またデケェこと学んじまったな」

 

 初手からの経過時間にして30秒弱の、激闘であった。

 

 

 

 

 

「……GG(グッドゲーム)、翔」

 

 現実の肉体で一息ついた頃を見計らって、目の前の美早がそう言った。あれ、なんでいるんだっけ……あぁ、そっか。反省会の途中だった。

 

「おう。掛け値なしにいい試合だったな、今のは……」

 

 渾身のしたり顔をかましてしまうがこれは仕方ないだろう。例えば将棋など、レベルの高い棋士同士の一局は、棋譜すら美しさを孕むという。今の一試合はそういうものだったと自負している。

 

「でも、驚いた。レベル3のボーナス、必殺技とったの」

「ん? あー」

 

 一瞬首を傾げ、得心が行くと苦笑して訂正にかかる。

 

「いーや、またアビリティ強化。俺の必殺技は《ファースト・ブリット》だけだ」

「《セカンド》っていうのは?」

 

 間髪入れずに質問してくる美早。これもまたせっかちさの賜物だが、こいつは基本的に戸惑ったりということをほとんどしない。実際自分で考えるより、答えを知っている相手に聞いたほうが早いのは確かだが。

 

「気分だよ、気分。今まで付けてた『衝撃の』ーとか、そういう修飾と一緒だ。そうした方が気分が乗る。それだけ……他に必殺技が無いからこそ出来ることだな、システム的に混線しないし」

「……」

「おいおい、気分を馬鹿にすんなよ? お前もレベル5になった時にあきらに習ったろ、《心意》」

 

 俺がそう言うと、美早は少し目を細めた。さっきの《セカンド・ブリット》の時も相変わらず《過剰光(オーバーレイ)》が漏れていたことを見咎めたのだろう。

 

 美早は俺がレベル3に上がるより少し早く、レベル5に達していた。それをきっかけにあきらに呼び出され、俺抜きで《心意(インカーネイト)システム》についての講習を受けたのだという。

 ついでに俺にも詳しく教えてくれればいいじゃないかと思わなくもなかったが、そこはあきらの意向で先延ばしである。練馬と渋谷に離れた2人が、どうにかして講習できた背景なんかもその辺りに関わっているらしい……本来は、そのあたりの判断も《親》がするものなのだと、あきらは自分が出張ることが少し心苦しいようだった。俺は(多分美早も)気にしていないのだが。

 

「気分が乗りすぎるのも問題、翔の問題の原因は間違いなくそこにある」

「だからってBBを楽しまない(・・・・・)なんてナシだ、だろ?」

ND(当たり前)

 

 美早は半ば反射的に即答し、その後ため息を付いた。

 

「……レベル4になったら、教える」

「おう、それじゃ尚更ガンガン対戦しねーとな。目標は都総体まで、だ」

「マージン」

「わかってるって、しつこ……く、ないな。すみません、ホントごめんって……」

 

 条件反射的に、噛み跡のように点々と痛む肩をさすりながら、絶対零度の視線から逃げるために時計を見やった。17:30、美早の寮の門限の30分前である。

 

「ほら、門限だろ。送ってくぜ」

「……THX(ありがとう)

 

 呆れたように嘆息してから、そう言って立ち上がる美早に続く。伝票を手にしようとすると、美早にそれを制された。

 

「送迎代、ってことで。ね」

 

 食器を片付けにきた薫さんが、そう笑った。




古典格ゲー技の応酬

必殺技の名前云々については、シルバー・クロウのヘッドバットとか発声なしでも必殺技使える描写があるので、違う名前叫んで使うのもありかなーって……駄目だったら二次創作ということで勘弁してください(土下座


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