千の呪文の男がダンジョンにいるのは間違っているだろうか (ネメシスQ)
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prologue

 1978年 日本 麻帆良学園都市――

 

「はぁ~、麻帆良の図書館はすげえな。こんな広ぇ図書館初めてだぜ」

 

 図書館島の地下深くで、赤毛の少年――ナギ・スプリングフィールドは自身の杖に乗って飛行しながら巨大な本棚が乱立する空間の中を探検していた。

 ナギ自身は本に興味はない、どころかむしろ勉強が苦手なタイプなのだが、元々好奇心旺盛なナギが謎の溢れる図書館島という場所に冒険心を擽られない筈がなかった。

 そんなナギの期待を裏切らず、図書館島に仕掛けられた罠の数々を突破しながら奥へと進む作業は中々にナギの心を満足させた。

 しかし、どんなものにも飽きは来る。

 目新しい物も見なくなってきたし、そろそろ戻るか、と帰る算段を考えていると、不意にナギの腹がぐぅ~、と派手な音を立てた。

 

「そういや、麻帆良武道会が終わってから何も食わずにここに来たんだっけか……そりゃ、腹減るわけだ」

 

 図書館島を訪れる数刻前、ナギは麻帆良武道会と呼ばれる、表裏を問わず実力者の集う麻帆良伝統の武道大会に出場していた。

 結果はナギの優勝。

 わずか10歳の少年が並み居る豪傑たちを退けて優勝したという事で、ナギは現在、麻帆良中で噂になっていた。

 ナギが図書館島に来たのはそんな騒がしさが煩わしかったのもあるだろう。

 武道会と合わせて、探検を始めてからすでにかなりの時間が経過していた。

 自分の腹もしきりに空腹を訴えている。探検に夢中になっていた時は気にならなかったが、そろそろ限界のようだった。

 さっさと地上へ戻ろうと、杖を操作するナギ。

 と、その時ナギは視線の先に何やらぼんやりと光るものを見つけた。

 

(何だ? 本棚が……光ってる……?)

 

 その光が気になり件の場所へ移動してみると、そこには確かに淡く光る本棚が立っていた。

 いや、正確には違う。

 光っているのは、一冊の本だった。

 

(何だ、これ……)

 

 吸い込まれるようにその本に手を伸ばすナギ。

 本棚から取り出して手に取る。

 ぼんやりと光を帯びているその本の表紙は経年劣化の所為か、掠れていて読むことができない。

 不思議に思いつつも、ナギはまるで導かれるかのように表紙を開いた。

 

「うわっ!?」

 

 瞬間、溢れんばかりの光が部屋を覆った。

 あまりの眩しさに手で目を覆うナギを、本から溢れ出た光が包み込む。

 事態を把握できないままナギは光に飲み込まれ、意識を手放した。

 やがて光が収まり、部屋に元の光景が戻った時には、ナギ・スプリングフィールドの姿はどこにも見当たらなかった。

 

 

 

 

 迷宮都市オラリオ。『ダンジョン』と呼ばれる地下迷宮を保有する巨大都市。

 そこでは冒険者たちが日々ダンジョンに潜り、糧を得ている。

 冒険者は例外なく、神の作る【ファミリア】に入る事でその主神の劵族となる。

 一口に【ファミリア】と言ってもピンからキリまであり、大人数を擁する【ファミリア】もあれば、日々の食事代も怪しい零細【ファミリア】も存在する。

 そんな数多ある【ファミリア】の中でも最高峰に位置する【ロキ・ファミリア】が、ダンジョン深層への遠征から帰還する道中にあった。

 現在彼等がいるのは18階層から17階層へ上がる道である。

 地上に一番近い安全階層(セーフティポイント)を抜けた後は、真っ直ぐ地上に向かって進むだけだ。

 とはいえ、今ここにいるのは全体の半分――【ロキ・ファミリア】の副団長であり、オラリオ最強の魔導士でもあるエルフの美女――リヴェリア・リヨス・アールヴ率いる前行部隊である。

 というのも、深層域と比べて道幅の狭い中層以上の階層では集団の規模が大きすぎるとかえって身動きがとりづらくなってしまい、モンスターの奇襲に対応できないからだ。

 三十人規模という大人数で今回の遠征に望んだ【ロキ・ファミリア】もその例外に漏れずにいた。

 そんな前行部隊の主力の一人である第一級冒険者――ティオナ・ヒリュテは愚痴をこぼしながら歩いていた。

 

「ああ、もう! あの変なモンスターさえいなければなぁ~。せっかく苦労して50階層まで来たのに、引き返すなんてさ~」

「仕方ないでしょ。あのモンスターの溶解液のせいで物資がほとんどやられちゃったんだから。それに、あれ以上アイズに負担かける訳にもいかないでしょ」

「う……そうだね。ごめん、アイズ」

「ううん、気にしないで」

 

 不満たらたらのティオナを、双子の姉であるティオネがたしなめる。

 ティオナも我儘が過ぎた発言だったと自覚し、謝罪したが、当のアイズと呼ばれた少女は気にしてないと首を横に振った。

 今回の遠征で【ロキ・ファミリア】は新種のモンスターと遭遇したのだが、その新種が曲者だった。

 超硬金属(アダマンタイト)をも溶かす腐食液を吐き出すそのモンスターは、倒されると爆発し、周囲に腐食液を撒き散らすという厄介極まりない性質を持っていた。

 そんな厄介な新種を相手に苦戦し、負傷者を多く抱え、さらに物資の大半を失った事。

 さらには、6(メドル)を越える大型のモンスターが現れ、倒せたとしても途轍もない量の腐食液が飛び散り、多大な被害を被ることが予想できた事から、【ロキ・ファミリア】は撤退を余儀なくされた。

 その中で、新種の天敵ともいえる能力を持った【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインが一人殿(しんがり)を務め、仲間の撤退する時間を稼ぎ、単独で大型新種を討伐したのだ。

 

「アイズ。あの時一人で任せちゃったけど、体大丈夫?」

「うん、平気」

 

 問題はないとアイズは告げるが、その体にはしっかりとダメージが蓄積されており、節々に痛みを感じていた。

 ティオナはそれに気づきながらも、アイズの意思を尊重して何も言わずに、話を切り替えた。

 

「結局何だったんだろうね、あれ」

「未確認のモンスター……としか言いようがないわね。確かに、色々おかしい点もあったけれど。この魔石とかね」

 

 双子の妹とは似ても似つかない豊かな胸の谷間から、一つの魔石を取り出すティオネ。

 圧倒的な胸囲差(せんりょくさ)を見せつけられたティオナは恨めしそうに姉を睨みながらも、取り出された魔石に目を向ける。

 

「なんか、変な色してるね」

「ええ、普通は紫紺色なんだけど……少し違うわね」

 

 中心が極彩色に輝く異質な魔石を、ティオネは目を細目ながら眺めた。

 

「もうすぐ洞窟を抜ける。気を引き締めておけ」

 

 部隊の先頭を務めるリヴェリアから指示が飛ぶ。

 色々と話をしている内に17階層へ上がる洞窟をあと少しで抜けるところまで来たようだ。

 安全階層を抜けると、モンスターが跋扈するダンジョン本来の恐ろしさが再び襲ってくる。

 中層程度のモンスターなど歯牙にもかけない実力者が揃っているとはいえ、予定外の事態により疲労も濃く、装備品も心もとない現状、下っ端団員たちの実力では油断は禁物である。

 洞窟を抜けた先の大広間には、階層主『ゴライアス』が産まれる嘆きの大壁がそびえ立っている。

 一番警戒すべき階層主は遠征の行きの際に討伐しており、次産間隔(インターバル)を鑑みてもまだ復活までには余裕がある。

 とはいえ、洞窟を抜けた先でいきなりモンスターに囲まれるという事態もあり得る。リヴェリアは団員たちに油断しないよう注意を促した。

 そして間もなく、前行部隊は洞窟を抜けて17階層に上がった。

 大広間には十数体のモンスターが徘徊してはいるものの、いきなり大群に囲まれるという事態にはならなかったようで下っ端等はホッと息を吐いた。

 と、そこで第一級冒険者である狼人(ウェアウルフ)の青年――ベート・ローガが、ある一点に気になるものを見つけた。

 

「ん? おい、ガキが一人倒れてんぞ! しかもモンスターに囲まれてやがる!」

「!」

 

 全員が視線をベートの指す方向へ向ける。

 確かにそこには、ローブを着た赤毛の少年が複数のモンスターに囲まれる中で倒れていた。

 その手に少年の身の丈以上の長さの杖を握っているところを見るに、冒険者なのだろうか。

 それにしても、たった一人で17階層(こんなところ)にいるのは明らかに異常である。

 このオラリオにて、幼いうちから冒険者になる人間は珍しくはない。事実、アイズ・ヴァレンシュタインも7歳の頃からダンジョンに潜っていた。

 しかし、そのアイズにしてもリヴェリアなどの熟練の冒険者とパーティーを組んでダンジョンに挑んでいたのだ。

 こんな場所で一人で倒れていることなど、まず有り得ない。

 

『ヴヴォオオオオオオオオオオオオオッ!!』

 

 少年を囲んでいた内の一頭――ミノタウロスが咆哮をあげながら倒れ伏す少年に襲いかかる。

 遠目から見た限り、その少年の年齢はまだ十歳ほどに見受けられた。

 そんな子供がモンスターたちの凶刃に晒されれば、まず間違いなく命はない。

 

「っ!」

「アイズ!」

 

 少年を助けんと疾走するのは、【ファミリア】内でも屈指の速さを誇るアイズ。

 しかしアイズの速度をもってして、少年までの距離は遠すぎた。

 

(間に、合わない……!!)

 

 最早少年が殺されるのを見届けるしかないのか……アイズが奥歯を噛み締めたその時、少年の体がピクリと反応した。

 

『ヴォオオオオオオ!!』

 

 降り下ろされるミノタウロスの豪腕。

 人をミンチにするには十分すぎるほどの威力を伴ったそれは、地面に叩きつけられたと同時に大きな砂埃を巻き上げた。

 訪れたであろう惨劇に思わず顔を背ける者もいる中、煙が晴れると、そこには……

 

「え……!?」

 

 あまりの驚愕に、アイズは思わず足を止めてしまった。

 それは他の者たちも同じだった。

 その場の全員の視線の先には、無傷で佇んでいる赤毛の少年とまるで痺れているかのように痙攣して動かないミノタウロスの姿があった。

 あの絶望的な状況をどうやって……

 誰もが疑問を浮かべる中、その少年はミノタウロスに視線を向けると、左手に杖を持ちながら何事かを呟き始めた。

 

「――κενοτητοζ αστραπσατο δε τεμετω」

 

 少年の体から魔力が溢れ、紫電が迸る。

 少年はすっ、と右手を頭上に掲げると、ミノタウロス目掛けて一気に降り下ろした。

 

雷の斧(ΔΙΟΣ ΤΥΚΟΣ)!」

 

 一撃。

 斧をかたどった雷撃は、ミノタウロスの固い皮膚を無視したかのように真っ二つに切り裂いた。

 

「なっ、何なんだあのガキ!?」

「階層主を除けば、中層最強クラスのミノタウロスを一撃で……しかもあんな魔法、見たことないよ!」

 

 物言わぬ死体となって倒れるミノタウロス。

 ベートが眉を顰めて唸り、ティオナが呆然とした様子で呟く。

 他の面々も、目の前の光景に驚きを隠せないでいた。

 ミノタウロスはLv.2にカテゴライズされるモンスターである。そして、Lv.の差というものは歴然とした力の差があることを示す。

 となれば、この赤毛の少年もLv.2以上であると考えるのが妥当だろう。

 しかし、このような年端もいかない少年――しかも、聞いたことのない言語による詠唱、見たことのない魔法を使う――がランクアップしたとなれば、必ず噂になるはず。

 にも関わらず、今の今までそんな存在に心当たりはなかった。

 この少年は何者なのか。

 答えの出ない疑問が浮かんでは消える。

 オラリオ最強の魔導士と呼ばれるリヴェリアでさえも、目の前の少年が何をしたのか測りきれなかった。

 

『グルォオオオオオ!!』

 

 ミノタウロスが倒れたのを見て危機感を感じたのか、少年を囲んでいた他のモンスターが一斉に押し寄せる。

 しかし、少年は慌てる様子もなくモンスター達を一瞥すると、その見た目からは想像もできない凄まじい膂力を発揮して殴り返した。

 続いてアッパー、前蹴り、杖による薙ぎ払い、と怒涛の連撃がモンスター達をことごとく返り討ちにしていく。

 少年を助けようという当初の目的を忘れ、アイズも、他の者達も、目の前の光景に魅入っていた。

 残りのモンスターがあと二匹にまで減ったその時、突然階層内で地響きが起こった。

 パキリ――

 壁が割れる音が大広間に響き渡る。

 

「おかしい……まだ復活には早い筈だ……!」

 

 まるで何かに呼応するかのように激しくなっていく震動。

 嘆きの大壁に走った亀裂は止まることなく広がっていき、そしてついに、それは現れた。

 総身7Mを越えるこの17階層の階層主。迷宮の孤王――『ゴライアス』が復活のインターバルを大幅に早めて、出現した。

 最後に【ロキ・ファミリア】がゴライアスを倒したのは十一日前。

 ゴライアスの次産間隔(インターバル)は約二週間。誤差を省みても、例にない早さでの復活だった。

 突然のゴライアスの出現に恐慌状態に陥る【ロキ・ファミリア】の下っ端団員たち。

 ゴライアスのレベルは4。装備品も心もとない現状、Lv.3以下の団員たちが恐怖するには十分すぎる実力差だった。

 

「これは私達がやらないと不味いわね」

「ああ、もう! 大双刃(ウルガ)が壊れてなければすぐ倒しにいくのに~」

「ハッ、装備皆無(てぶら)は黙って下っ端等(あいつら)でも庇ってろよ」

「……言い争ってないで、早く倒そう」

 

 ――ここまで来ると、さすがに自分達が動かなければならない。

 余計な被害を負う前に、総出でかかって終わらせる。

 【ロキ・ファミリア】の第一級冒険者達が、それぞれ戦闘体勢に入る。

 しかし、それを制したのはまたしても件の少年だった。

 

「――veniant spiritus aeriales fulgurientes」

 

 再び聞いたことのない言語による詠唱が少年の口から紡がれる。

 それとともに、鋭い紫電が少年の体を走り抜ける。

 その時、リヴェリアは少年から発せられる桁違いの魔力を感じ取り、目を見張った。

 

「(まずい……これは!)お前達、退避しろ!」

「!!」

 

 いち早く少年の放たんとしている魔法の危険性を感じ取ったリヴェリアが、ゴライアスへ攻撃を仕掛けようとしていたアイズ達に指示を飛ばす。

 尋常でない様子のリヴェリアを見て、アイズ達も迅速に動き出し、少年とゴライアスから離れた。

 

「cum fulgurationi flet tempestas austrina」

 

 そして先程の魔法よりも若干長い詠唱を唱え終えた少年は、雄叫びをあげるゴライアスを真っ直ぐに見据え、右手に貯め込んだ魔力を一気に解放し、撃ち放った。

 

雷の暴風(JOVIS TEMPESTAS FULGURIENS)!!」

 

 解き放たれたのは、先程の雷の斧と比較しても桁違いのエネルギーの奔流。

 文字通り雷を纏った竜巻が射線上にあるものすべてを粉砕していく。

 その余波によるエネルギーだけでその場から吹き飛ばされてしまいそうだ。

 辺りを埋め尽くさんばかりの強烈な光は揺らぐことなく真っ直ぐに目標へと突き進み、やがてターゲットへ到達する。その直後、耳がつんざくような爆発音を響かせ、ダンジョン全体が揺れているかと錯覚するほどの衝撃波が大広間中を駆け巡った。

 ややあって、少年の魔法の影響が収まり、周囲の状況を見渡した時、彼等は目を疑う光景を目撃した。

 

「バカな……階層主(ゴライアス)が……」

「一撃で……」

 

 それは、少年の雷によって翳されたゴライアスの姿だった。

 上半身はすべて削り取られたかのように消滅し、残された下半身も衝撃の余波でボロボロになっている。

 そして、それ以上に彼等を驚かせたのは、その背後。

 階層主を生み出す巨大な壁――『嘆きの大壁』に、直径十数M級の大穴が空いていた。

 ゴライアスが生まれたことによって中心部が砕けていた大壁だったが、明らかに少年の魔法によるものだと分かるほど、その穴は巨大だった。

 その証拠に、天井の一部が同じように削り取られている。

 底が見えないほど深く抉られたその大穴は、放たれた魔法の威力を如実に物語っていた。

 

「ぅ……」

 

 そんな誰もが信じられないような所業をしでかした件の少年は、小さく呻き声を出したかと思うと、糸が切れたかのように地面に倒れ込んだ。

 すぐにアイズ達が容態を確かめるべく少年の元へ駆け寄る。

 少年が魔法を使っていたということで同じ管轄であるリヴェリアが少年を診断し始めた。

 

「どう、リヴェリア?」

精神疲弊(マインドダウン)……いや、違う。これは……」

 

 ミノタウロスやゴライアスを一撃で翳すほどの魔法を連続で使用したのだ。

 精神力の消耗で倒れたのだろうと推察していたリヴェリアだったが、すぐに間違いだと悟る。

 というのも、

 

 グルルルルルル……

 

 少年の腹部から、空腹を訴えるように音が鳴っていたからだ。

 

『…………………………』

 

 何とも言えない空気が周囲を包む。

 先程までのモンスターと戦っていた姿とギャップがありすぎた。

 この空気を破ったのは、やはりと言うべきか最年長のリヴェリアだった。

 未だ腹から間抜けな音を出し続けている赤毛の少年を自身の背に乗せ、地面に落ちた少年の杖を回収すると、アイズ達に向き直る。

 

「とりあえずこの少年を地上まで運ぼう。アイズ達は他の者達に指示を出しておいてくれ」

 

 頷き、アイズ達は混乱している団員達の指示に向かった。

 それを見送ると、リヴェリアは背中越しにお気楽そうな顔で眠る少年を見つめた。

 

(あれほどの魔法を行使しておいて、大して精神力(マインド)を消耗した様子が見られないとは……この少年は、一体――)

 

 帰ったら自分の主神に調べてもらおう。

 リヴェリアは帰還後の予定を決めると、仲間達と合流すべく歩き出した。

 

 

 

 

 かくして、赤毛の少年――ナギ・スプリングフィールドは、ロキ・ファミリアに保護された。

 これが、後に千の呪文の男(サウザンドマスター)と呼ばれる少年と、迷宮都市屈指のファミリアである【ロキ・ファミリア】の最初の邂逅であった。

 

 



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開幕ベルは未だ鳴らない

今回はダンまちサイドがほとんどです。ナギが主人公なのにそれでいいのか、おい。
つ、次の話ではちゃんと出しますので(汗)
それでは第1話です。どうぞ!


「やっと帰ってこれたぁ……」

「まったくね。あのミノタウロスの騒動がなければ、もう少し楽だったのに」

 

 疲れを隠せない表情のティオナとティオネがぼやく。

 17階層にて不思議な出会いを果たした後の事。ミノタウロスが集団で逃げ出すなどの騒ぎがあったものの、【ロキ・ファミリア】は無事遠征から帰還し、地上へと戻ってきた。

 視線の先には、オラリオの中でもバベルを除けば群を抜いて高い館が見える。

 塔がいくつも重なって建てられているその舘が、【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)、『黄昏の館』である。

 やがて正門の前に辿り着くと、【ファミリア】の団長である小人族(パルゥム)――フィン・ディムナが居残り組の団員に開門の指示を出し、開かれた門を通り抜ける。

 後続の団員達がそれに続いて本拠へ足を踏み入れる中、その最後尾にリヴェリアはいた。

 

(まだ目を覚まさないか……)

 

 リヴェリアは背に乗せている少年の様子を肩越しに窺う。

 未だ規則正しい寝息を立てながら――その代わりに腹部からいっそ清々しいほどに食事を求める音が聞こえるが――眠り続ける赤毛の少年。

 17階層にて、単独でミノタウロス他数体のモンスターと階層主(ゴライアス)を撃破した謎の少年である。

 何故だか他人に任せる気が起きず、少年が倒れてからここに至るまでリヴェリアが背負い続けていた。

 それが何故なのかはリヴェリア本人にも分からない。

 未知の魔法を使っていたからなのだろうか。それとも他に何か理由があるのか。

 どちらにせよ興味が尽きない存在だとリヴェリアは思っている。

 不意に前を歩く団員達の足が止まった。

 何事かと様子を窺うと、

 

「おっかえりぃいいいいいっ!」

「きゃあー!」

 

 前方で己の主神と同族の後輩の声が聞こえてきた。

 思わずため息を吐く。

 この【ファミリア】の主神であるロキは朱色の髪に細目がちな瞳をした女神だ。自身のファミリアをこの迷宮都市(オラリオ)でも屈指のファミリアに育て上げたその手腕から優秀なのは間違いない。

 しかし、同時に彼女は女神でありながら女好きというなんとも残念な嗜好を持っているため、大抵ぞんざいに扱われている。

 今回も親父めいた行動で己の眷属を困らせているのだろう。

 そう確信しながらリヴェリアは騒ぎの渦中へと進んでいく。

 

「ふはは! ここか? ここがええのんか?」

 

 そこでは案の定ロキが鼻を大きく膨らませてレフィーヤにセクハラを行っていた。

 この悪癖さえなければ少しはまともに見えるのだが……

 頭を抱えたくなる衝動をなんとか堪える。

 

「た、助けてくださいぃ~」

 

 ロキのセクハラに顔を真っ赤にさせながらレフィーヤが助けを求める。

 リヴェリアから見ても、レフィーヤが自力でロキから逃れるのは無理だろうと分かる。

 ため息を一つ吐き、ロキを止めに入る。

 

「いい加減にしろ、ロキ。レフィーヤも疲れているんだ。離してやれ」

 

 リヴェリアの声にピタリとその動きを止めたロキは、レフィーヤを解放すると悪びれなく笑いながら顔を上げる。

 

「おお、すまんすまん。つい、な」

「全く、少しは自重しろ」

「ははは、リヴェリアは相変わらず手厳しいなぁ~」

 

 レフィーヤに詫びを入れ、リヴェリアに向き直るロキ。

 しかし次の瞬間、ロキは雷に打たれたかのように突然動きを止めた。

 その様子を不審に思ったリヴェリアが尋ねる。

 

「どうした?」

「リ、リヴェリア……その背中に背負っとるのって……」

 

 ロキが体を震わせながら指すのは己の背中。それはリヴェリアがちょうど相談しようと思っていた事でもあった。

 

「ああ、実は……」

 

 手間が省けたとばかりに、リヴェリアが自身の背負っている少年について話そうとするが、それよりも早くロキが叫んだ。

 

「いやぁああああ!! リヴェリアが余所の子供を拐ってきおったぁ!!」

 

 ピシッ。

 空気が割れる音がした。

 それに気づかないロキはその口を止めることをせずに面白おかしそうに喋り続ける。

 

「あ~、あれやな……ついにリヴェリアの母性本能が暴走してもうたんやな~。アイズたんもこの通り立派に育ってもうたし、新たなターゲットを自分で見繕って――」

「ちょ、ロキ……」

「それにしても、結構ヤンチャそうな子供やな。ちょい頭悪そうやし。リヴェリアはこういうのがタイプやったんか。うんうん、わかるで。出来の悪い子供ほど愛しい、いうやつやな」

「あの、それ以上は……」

 

 どんどん圧を増していく周囲の空気に耐えかね、ティオナやレフィーヤがロキを止めようと口を挟むも、完全に自分の世界に入っているのか全く口を止めない。

 すでに第一級冒険者でさえまともに動けないほどのプレッシャーが一人のエルフから放たれているというのに、それに気づかないロキは大物なのか、それとも単に阿呆なのか。間違いなく後者であろうが。

 

「せやけどどこで拾ってきたんや、こんな子供? いくらちっさい子供に飢えてるとはいえ、さすがに誘拐はまずいで誘拐は。こらホンマにショタコンに目覚めたんとちゃうか? なあ、母親(ママ)――」

「それ以上そのうるさい口を開けばただでは済まさんぞ、ロキ」

「スンマセンっしたぁ!」

 

 尋常でないオーラを発するリヴェリアの台詞を聞いたロキの行動は迅速だった。

 大量の冷や汗を流しながら極東出身者もビックリなほど綺麗な土下座を披露したロキに、リヴェリアも幾分か怒りが削がれる。

 所詮いつもの悪ふざけで、本気で言っている訳ではないのだ。ムキになるのも大人げない、とリヴェリアは怒りを納める。

 しかし何もなしに許すのはリヴェリアも癪だったのか、

 

「次はないぞ」

 

 と、ロキの頭を軽く杖で小突く事で手打ちとした。

 もっとも、魔導師とはいえLv.6冒険者の一撃なのでロキは相当痛がっていたが。

 その後、復活したロキは再びアイズ達女性陣に向かっていったが、それも間もなく終わりを告げ、団員達は粗方建物の中へ戻っていった。

 

「ロキ。後で話がある」

 

 その中で一人、ロキを待っていたリヴェリアがそう告げる。

 リヴェリアの表情から話の重要度を察したロキはそれまで見せていたふざけた表情を顔から消した。

 

「ん、なんや真面目な話らしいなあ。ええで、執務室で話そか」

「ああ。私はこの子を医務室に連れてから行く。それと、フィンも呼んでおいてくれ。あいつからの報告もまとめて話した方が手間が省けるだろう」

「ん、了解や。ほな後でな~」

 

 そう言って鼻唄を歌いながら小走りでかけていくロキを見送りつつ、リヴェリアもまた本拠の中へと歩を進めた。

 

 

 

 

 少年を医務室のベッドに寝かせた後、自室に戻って着替えを済ませたリヴェリアは、ロキと約束していた執務室のドアを開いた。

 中にはすでにフィンとロキの二人が椅子に腰かけていた。

 

「すまない。待たせたか?」

「いいや、大して待ってないよ。ロキも来たばっかりだしね」

「せやせや。気にすることないで」

「そうか。それなら、早速話を始めるとしよう。フィン、お前の話からでいい」

「わかった。それじゃあ、今回の遠征の報告からするとしようか」

 

 最初に挙げたのは、51階層で遭遇した新種のモンスターについてだ。

 この件については多少疑問が残るものの、現時点で何ができるという訳でもないので、ギルドに注意勧告を呼び掛けるよう促すぐらいしかないという結論に至った。

 お疲れ、とロキが二人を労い、報告は終了。次の話題に移る。

 そして、それこそがリヴェリアにとって今最も気になっている事だった。

 

「ゴライアスを一撃で倒したぁ!? あの赤毛の子供がか!?」

 

 ダンジョンで拾った少年についての話を聞いたロキが驚愕して叫んだ。

 それを肯定するように、リヴェリアとフィンが頷く。

 

「ああ、この目で確認した。間違いない」

「僕は直接目にしてはいないけれど、その少年の放った魔法の痕跡は見てきたよ。恐ろしいほどの威力だったのは間違いないね」

 

 リヴェリアはその少年を発見してからの出来事を事細かに話した。

 17階層にて、モンスターに囲まれた中で気絶した状態で発見。

 囲んでいた内の一体であるミノタウロスが少年に拳を降り下ろすも、どうやって察知したのか少年はそれを無傷で避け、見慣れぬ魔法の一撃でミノタウロスを撃破。

 その後、残った他のモンスターも次々に打ち倒し、最終的に次産期間を大きく短縮して出現したゴライアスを台風のごとき雷の魔法にて一撃で翳した。

 これだけ聞けば、何の冗談かと誰でも思う。

 しかしその話をロキに告げたのは、他ならぬリヴェリアである。

 彼女がそのような冗談を言うような人物ではない事はロキが一番よく知っていた。

 それでもまだ納得できていない自分がいるのは否定できない。

 

「十歳程度の子供がなぁ……常識的に考えてあり得んで、そんなん」

「だが事実だ」

「分かっとる。自分が嘘なんぞ吐いとらん事はな。せやけど、それでも信じられんねや」

「無理もないよ。僕も実際話を聞いた時は半信半疑だったからね」

 

 難しい顔で唸るロキを、フィンがフォローする。

 彼自身、件の少年が放った魔法の爪痕を見た後でも、まだ全てを信じきれてはいないのだから。

 

「それで、やはり心当たりはないか?」

 

 リヴェリアがロキに尋ねる。

 神である彼女ならば、もしかしたら何か情報を持っているかもしれないと期待していたが、ロキの表情を見るにそれも望み薄そうだ。

 

「そんなんあったらとっくに言っとるわ。正直、見当もつかん」

「だろうね。依然として、あの少年の素性は謎に包まれている。これはもう、彼が起きるまで待つしかないかな」

「そうか……」

 

 リヴェリア自身、ロキに尋ねて全てが分かるとまでは期待していなかったが、全く何も出てこないとは予想外だった。

 神とはいえ地上では神の力(アルカナム)を封じている以上、万能ではない。

 それでも神独自の情報網などから人よりも情報を手に入れやすい。

 そんなロキでも少年については何も分からなかったのだ。

 かなり異常な存在である事は間違いないと見える。

 

「まあ、【ステイタス】見れば一発で分かるんやけどな」

「それはマナー違反だ。私の矜持に反する」

「僕もそれはあまりしたくないかな」

「んなもん、うちかて分かっとるわ。言うてみただけや」

 

 冒険者はみな所属している【ファミリア】の主神から恩恵をもらい、例外なく背中に【ステイタス】が刻まれている。

 でなければ、モンスターと戦うなど自殺行為にしかならない。

 少年がモンスターを倒した事から、どこかの【ファミリア】に所属しているのは間違いない。

 大抵の場合、【ステイタス】は錠をかけることで隠されている。

 ステイタスを知られる事はその人物の能力を知られるに等しいので、神達も情報の秘匿には余念がない。

 しかし、錠のかけ方を知る神であれば神血(イコル)を使って錠を解除できる。

 則ち、ロキならば少年の【ステイタス】を暴き、正体を知る事ができるということだ。

 しかし、それは覗きをするに等しい行為なのでリヴェリアもフィンも進んでやろうとは思わない。

 もちろん少年が【ファミリア】に仇なす存在であるならば容赦はしないが、現時点ではそのような存在にも思えない。

 結局のところ、少年が起きるまで待つしかないという結論に落ち着いた。

 

「おっと、そろそろ夕食の時間やな。とりあえず、話はここらで終わりにしよか」

「そうだな。私はあの少年の様子を一目見てから向かう。もしかしたら目を覚ましているかもしれんしな」

「僕も一緒に行っていいかい? その少年の事は僕も気になってるからね」

「あ、うちもうちも~!」

「構わん。では、行くとしようか」

 

 椅子から腰を上げると、三人は執務室を出て、医務室へと足を進める。

 

「にしても、聞けば聞くほどけったいな子供やな~」

 

 医務室へ向かう道すがら、ロキがこれまでに聞いた少年の情報を反芻する。

 

「ゴライアスを単独で倒したって事は、少なくともLv.4やろ? アイズ以上に早く到達しとる事になる。普通なら絶対噂になっとるはずなんやけど……あの子、小人族(パルゥム)やないんやろ?」

「間違いないよ。僕が同族を見間違えるとでも?」

「そこは疑ってへんよ。もし小人族なら、見た目通りの年齢とは違うから、可能性はあるかもって思っただけや。しかしなあ、そうなると、ホンマに見た目通りの年齢っちゅう事になるわな。あり得んで、こんなん」

 

 ランクアップ申請を行えば、必ず神会(デナトゥス)にて二つ名を決めるために話題に上る。であれば、ロキが知らないはずないのだ。

 ランクアップを秘匿すれば話は別だが、リヴェリアが目撃したような派手な魔法を使うヒューマンの子供が、これまで噂になっていないなどあり得ない。

 また、その魔法についても議論の余地が残る。

 

「で、その子供が使うてた魔法はリヴェリアでも全く知らない魔法やったんよな?」

「ああ。聞いたことのない詠唱に、見たこともない魔法。しかも、どちらの詠唱も威力に見合わん短さだった」

「まあ、魔法に関しては未知な部分も多いから、リヴェリアが見たことない魔法いうんは不思議やあらへんけど、聞いたことのない言語での詠唱いうんが気になるわ。しかも二種類使うてたんやろ?」

「ああ。一つは近・中距離程度の射程の雷の斬撃。もう一つは長距離射程を持つ、強力な雷を纏った旋風を一直線に放出するものだな」

「ますます謎が深まってくるな」

 

 先のロキの発言を肯定するかのように、少年について考察すればするほど謎が溢れてくる。

 キリがないので、一旦話を切り上げる。

 しばらくして、視界の先に医務室の扉が見えた。

 しかし、リヴェリアはその扉に違和感を覚える。

 

(はて、私は確かに扉を閉めておいたはずだが……まさか!)

 

 一つの可能性に思い至ったリヴェリアが、医務室に向かって駆け出す。

 突然の行動に驚いた残りの二人も、戸惑いながらもリヴェリアについていく。

 リヴェリアが医務室に入って少年が寝ていたベッドを確認すると、そこはもぬけの殻だった。

 

「しまった……誰かに見ておくよう頼むべきだったか……」

「なんや、いなくなったん?」

「ああ。大方、目を覚ましたものの、ここがどこか分からずさ迷ってるんだろう。すぐに探しに行くぞ!」

 

 下手に迷子になられては敵わない。リヴェリアたち三人はすぐさま部屋を飛び出す。

 

「僕は食堂に行って団員達に協力を要請してくる。君達はあっちの方を探してくれ」

「わかった! 行くぞ、ロキ!」

「なんや必死やなあ、リヴェリア。ああ、そうか! 愛しい息子がいなくなってもうて、胸が引き裂かれる思いなんやな! 安心せい母親(ママ)! うちが全力をもって見つけてあげるさかい――」

「次はないと言ったはずだ」

「いだだだだだ!! す、す、スンマセンっしたぁ!!」

 

 リヴェリアの端麗な容姿からは想像もできない、万力で締め付けられるかのような威力を持ったアイアンクローがロキの顔面を陥没させる。

 ちょっとしたコントがあったりしたが、三人はすぐに少年の捜索を開始した。

 なお、ロキの顔にくっきりとリヴェリアの指の痕が残っていたのはご愛敬である。

 

 

 

 

 同時刻、長方形の長いテーブルがいくつも並ぶ大食堂。

 団員達が夕食の準備をしている中、事件は起こった。

 

「メシはここかぁ!!」

 

 帰還途中に保護した赤毛の少年が、そんな叫びとともに食堂の扉をぶち破って現れた。

 唖然とする団員達は何を言えばいいのかも分からず固まってしまう。

 そんな中で少年は一人、テーブルに並ぶ数々の料理を視線に捉える。

 次の瞬間、その場の誰もが知覚できない早さで移動した少年が料理にかぶりついていた。

 あまりの状況に最早言葉さえ出てこない。

 経験の浅い団員達はただ黙ってその少年が料理を頬張る様子を遠巻きに見ていることしかできなかった。

 

 

 

 

 この世界において、まだ誰もその少年の名前を知る者はいない。その正体についても……

 

 開幕ベルは、未だ鳴らない。

 

 




あっれ~、何でこんなにリヴェリアさんが出てきてるのだろうか……別にヒロインにするつもりはないのだが……
というか、リヴェリアさんが本当に母親にしか見えない今日この頃。
待たせた割りにこんな出来で申し訳ないです。主人公の出番も少なすぎるし……
つ、次はちゃんとナギくん出しますんで、ご容赦を!

感想、評価待ってます。

【追記】
活動報告にて、ダンまちとネギま!の魔法に関する考察を載せました。独自解釈による独自設定ですが、興味があればどうぞ。


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物語の幕開け

前回の後書きにも追記で書きましたが、活動報告にて、ダンまちとネギま!の魔法についての考察を載せました。興味があればぜひ。
あと、日間ランキングの30位にランクインしていました。皆様のおかげです。ありがとうございます。
※タグに独自解釈、独自設定を追加しました。




「いたか?」

「アカンわ。全然見つからん」

 

 リヴェリアの問いに、ロキが首を横に振る。

 医務室から姿を消した赤毛の少年を探すリヴェリアとロキだが、一向にその少年を見つける事ができずにいた。

 【ロキ・ファミリア】のホームは、敷地面積はさほどでもないが、横がダメなら上にとばかりに伸びた構造をしており、また部屋の配置もバラバラで、かなり無秩序な建物だ。

 右も左も分からぬ他所の子供では迷ってしまうのは確実である。

 早急に見つけなくては、と焦りを募らせるリヴェリアだが、そもそもの捜索範囲が広すぎる上、現在ほとんどの団員が夕餉をとるために食堂に集合しており、目撃情報も得られない。

 このままでは見つけるのにいくら時間がかかるか分からない。

 どうするべきか、と頭を悩ます二人に近づいてくる声があった。

 

「ロキー! リヴェリアさーん!」

 

 廊下の奥から第二級冒険者であり、真面目ながら貧乏くじを引くことの多い青年、ラウル・ノールドがリヴェリア達の元へ駆け寄ってくる。

 

「ラウルか。どうした?」

 

 息も絶え絶えな様子のラウルに何事かを尋ねる。

 二、三度深呼吸して息を整えたラウルは、どこか焦った様子でリヴェリア達に自身が来た目的を告げる。

 

「団長からの言付けを預かってきたっす! 例の少年を見つけたと」

「本当か!」

「おー、そりゃ無事でよかったわ」

 

 リヴェリアの顔に喜色が表れる。

 迷子になってしまったのではないかと心配していたが、見つかったと分かり、ようやく一心地つくことができた。

 それはロキも同様のようだった。自分の本拠の中で遭難者が出るなど、洒落にならない。

 そんな二人を見て、ラウルは気まずそうに顔を背ける。

 

「いや、まあ……無事と言えば無事なんすけど……」

「? 何かあったのか?」

「顔色悪いで?」

「いや、何でもないっす! すぐに団長の所まで案内します!」

 

 はっきりしない物言いのラウルを不審に思ったものの、フィンと合流しようと思っていたのはリヴェリア達も同じ。

 結局浮かんだ疑問を飲み込み、リヴェリアとロキはラウルの先導に従って少年を見つけたというフィンの元へ向かった。

 

 

 

 

 そこは、フィンが最初に向かうと言っていた大食堂の入り口だった。

 

「フィン! 見つかったのか!?」

 

 入り口の前で佇むフィンに、リヴェリアが声をかける。

 呼び掛けに気づいたフィンは、苦笑を浮かべながらリヴェリア達を迎えた。

 

「ああ、来たか二人とも。例の少年、見つけたには見つけたんだけど……」

 

 はっきりしない物言いのフィンに、違和感を覚えるリヴェリア。

 と、その時ロキが足元に転がっているものに気づいた。

 

「うわっ、何やこれ!? 扉がぶっ壊れとる!?」

 

 それは、文字通り何者かにぶち破られたかのようにドア枠から外れて床に倒れている、食堂の入り口の扉だった。

 そこまで老朽化が進んでいる訳でもなし、普通に扱っていればこの様に壊れることなどない。

 何かあったのか――?

 先程のラウルの態度も手伝い、不安が募る。

 事情を知らない二人が視線をフィンに向けると、フィンはそちらは大した問題ではないとでも言うように、二人の視線に応えた。

 

「ああ、そっちか……それは、例の少年がやったものらしい。だが、それよりも今は中を見てくれ」

「「?」」

 

 頭に疑問符を浮かべながらも、フィンに促されて食堂の中を覗いてみる。

 そして、リヴェリアとロキはそこで見た光景にしばし固まった。

 

「メシが足りねぇぞ! もっと持ってこい!」

「は、はいぃいいい!!」

 

 どんどん運び込まれる食事。量が足りないと料理を催促する件の少年。

 何故か少年の要求に従って動く食事担当の団員達。

 どうすればいいのかも分からず動けずにいる残りの団員。

 それを見て愉快そうに高笑いするドワーフの老兵、ガレス・ランドロック。

 そして、少年の足元で股間を押さえて蹲り、ピクピクと体を震わせている狼人の青年、ベート。

 

「……カオスやな」

 

 一言でいうと、これだった。

 

「一体何があった……?」

 

 リヴェリアの問いに、フィンは指で頬を掻きながら事の次第を語り始める。

 医務室にてリヴェリア達と別れた後、フィンが食堂に辿り着いた時にはすでにこの状況は出来上がっていたらしい。

 その場にいたラウルに話を聞いたところ、ようやく状況が把握できたのだとか。

 曰く、食事の準備をしていたところ、少年が文字通り扉をぶち破って食堂に進入。

 目にも止まらぬ速さで食事にかぶりついた。

 それは【ファミリア】のために用意したものであり、少年のための食事ではなかったため、なんとか少年を止めようと声をかけるも、料理に夢中になっていたのか、全くの無視。

 そこに通りがかったベートがその状況を見かねて、無理矢理少年の服の襟を掴んで食事を止めさせたが、食事を中断されてキレた少年がベートの股間を思い切り蹴りあげた。

 一八〇(セルチ)を越える長身のベートの体が、一(メドル)ほど浮き上がるほどの強烈な蹴りだったらしい。

 子供だからと油断していたベートはその一撃で完全ノックダウン。

 何事もなかったかのように食事に戻った少年のその姿は、団員達を恐怖に陥れた。

 その様子をちょうど見かけたガレスが面白い小童だと笑い出し、少年は料理の追加を催促した。

 ベートを下した少年に逆らえるはずもなく、次々と料理を運び込む団員達。

 こうして今の状況が出来上がったとの事だ。

 

「そこに僕が到着して、なんとか状況を把握。ラウルを呼び寄せて、君達を呼びにいってもらったんだ」

「なるほど、そういう事か」

 

 ようやく事態を把握し、納得するリヴェリア。

 

「しかし、無事だったのはよかったが、これは何とも……」

 

 今まで気絶していた少年がこうして元気な姿を見せたのは喜ばしいことだが、この状況にはどうコメントしていいのか分からない。

 それはフィンやロキも同様だった。

 

「あれ? おーい! 皆、入り口に突っ立ってどうしたの?」

 

 リヴェリア達が粗方の事情を把握した直後、ティオナが廊下の奥から声をかけてきた。

 見れば、アイズとティオネ、レフィーヤも一緒にいる。

 食堂に入ることもせず、入り口から中をじっと見ているリヴェリア達を不思議に思ったのだろうか。

 小走りで駆け寄り、何事かを尋ねる。

 ロキは無言で食堂の中を指し示し、アイズ達もそれにつられて中を見る。

 途端、先のリヴェリア達と同様に固まった。

 

「何、これ? うちの団員が顎で使われてる……ていうか、ベート死んでない?」

「うわ~、すっごい! あの小さな体のどこにあの量が入るんだろ? ティオネといい勝負じゃない?」

「わ、私……見ているだけで胸焼けが……」

「あの男の子……17階層で会った……」

 

 各々が目の前の光景に対して己の感想を口にする。

 抱いた感想はそれぞれ違うが、共通しているのはこの状況に圧倒されていることだろう。

 誰もが遠巻きに眺めることしかできずにいる中、一人のドワーフが少年に話しかける。

 

「活きのいい小童じゃな。ほれ、小僧。こっちの肉なぞ中々いけるぞ。どうじゃ?」

「おっ、オッサン気が利くじゃねえか! うおっ、こりゃ美味ぇ! てか、オッサンは食わねえのか?」

「ガハハハ! そうじゃな、儂もいただくとしよう」

 

 ガレスから皿を受け取り、笑顔で咀嚼していく少年。

 ガレスもまた、愉快だと言わんばかりに笑いながら、少年に付き合って食事を始める。

 気が合ったのか盛り上がる少年とガレスの二人。

 しかし周りの団員達は、第一級冒険者であるガレスに向かって少年があんまりにもあんまりな態度で話すので、気が気でなかった。

 当のガレスは孫を見るような目で少年を見ていたため、全くの杞憂だったのだが。

 とはいえ、同じ第一級冒険者であるベートに危害を加えた以上、すでに手遅れである。

 それから数分と経たない内にようやく少年の食事を進める手が止まり、最後に締めのドリンクを手に取った。

 ゴクゴクと喉をならしながら、一気に中身を流し込んでいく。

 やがて空になるまで飲み干し、一息ついた赤毛の少年は手にした木のジョッキをテーブルに置き、周囲を見渡すと、唐突に首を傾げて呟いた。

 

「で、お前ら誰だ?」

『『『『『こっちの台詞だよ!!』』』』』

 

 食堂にいた殆どの人間が、少年の発言にツッコミを入れた。

 

 

 

 

 その後、困惑する団員達を他所に少年を連れ出したロキ達は、場所を執務室に移した。

 アイズ達も随伴したいと申し出ていたが、ひとまずは首脳陣だけで話したいという事で、その申し出を断った。

 現在この場にいるのは5人の人(神)物。

 【ファミリア】の主神であるロキ。団長のフィン。副団長であり、少年を保護したリヴェリア。【ファミリア】一の古参であるガレス。そして、当事者である赤毛の少年だ。

 少年一人と向かい合う形で、残りの四人が机を挟んで座っている。

 

「ほな、まずは自己紹介からやな」

 

 人懐っこい笑みを浮かべながら、ロキが先陣を切って口を開いた。

 

「うちの名前はロキ。この【ロキ・ファミリア】の主神をやっとる女神や。自分も名前くらいは聞いたことあるんとちゃうか?」

「全然?」

「さ、さよか。それはちょいとショックやな……」

 

 【ロキ・ファミリア】はオラリオでは知らない者はいないとまで言われる、超有名派閥である。

 それは自他ともに認める事実であり、相手が子供とはいえ、全く知られていなかったのは存外にショックだったようだ。

 

「つーか、女神って言ったか?」

「ああ、そうや。この下界に降臨した神々の内の一柱や」

「ふーん。そうは見えねえけどな」

 

 そう言う少年の視線はロキの絶壁に等しい胸に注がれていた。

 つまりは、全く女としての威厳がないと言外に告げている。

 

「どこ見て言うとんねん、このクソガキー!!」

 

 キーキー喚くロキの両腕をガレスが押さえる。

 見た目からして生意気そうな子供だったが、ここまでとは。ロキの怒りはすでに頂点に達していた。

 女どころか、明らかに神としての威厳さえ全くないロキの有り様にフィンは苦笑し、リヴェリアはため息を吐く。

 

「そこの駄女神は放っておいて、私達も自己紹介するとしようか」

 

 駄女神とは何やー! と、抗議の声が聞こえるが、それを無視してリヴェリアが自己紹介を始める。

 

「私は、リヴェリア・リヨス・アールヴ。この【ファミリア】の副団長を務めている。元気に目覚めたようで、何よりだ」

 

 慈愛に満ちた、女神よりも女神らしい優しい笑みを向けながら、少年に自身の名を告げるリヴェリア。

 それに続いて、残った面々も名を告げる。

 

「団長のフィン・ディムナだ。よろしくね。それから、そっちでロキを押さえているのが……」

「ガレス・ランドロック。【ファミリア】の中では一番の古参じゃな。さっきは楽しませてもらったぞ、小僧」

 

 自身を除く全員から自己紹介を受けた少年は、頭の中でロキ達の顔と名前を整理しているのか、腕組みをして考え込む姿勢を見せる。

 

「えーと、無乳がロキで、とんがり耳のねーちゃんがリヴェリア。ちっせーのがフィンで、髭のオッサンがガレスだな。よし、覚えたぜ!」

 

 何とも言いがたい覚え方だが、少年はロキ達の事を把握したらしい。

 無乳のくだりでロキが再び暴れ出したが、少年は全く気にも止めず、次は自分の番だと椅子から立ち上がった。

 

「今度は俺の番だな! 俺の名はナギ・スプリングフィールド! 最強の魔法使いだ!」

 

 尊大ともとれる態度で自身の名を告げる少年、ナギ。

 それを聞いて、フィンとガレス、そして怒りに溢れていたロキも、面白いものを見つけたように目を細める。

 名実ともに迷宮都市(オラリオ)最強の魔導士であるリヴェリアを差し置いて最強宣言とは、ずいぶんと怖いもの知らずな奴だ、と。

 一方のリヴェリアは、ナギの言葉に驚きはしたものの、魔導士ではなく魔法使いと名乗った事に違和感を覚えた。

 しかし今は気にする事ではないと、追求することはせず、流しておいた。

 お互いに自己紹介を済ませ、話は本題に入る。

 

「それで、ナギ言うたな。自分、今の状況分かっとる?」

「いや、さっぱり」

 

 即答だった。それにしてはあまりにも楽観的に過ぎるが、先程の騒ぎを見るに、物事を深く考えない性質なのだろう。

 ロキはナギに、ここに至るまでの経緯を掻い摘んで説明する。

 

「リヴェリア達の話によると、自分はダンジョンの17階層で倒れてたんやと。そんでモンスターに囲まれとって襲われかけてたんやけど、飛び起きて自力で返り討ちにしたらしいんや。その後、また倒れてもうた自分を保護して、本拠(ここ)に連れてきたんやけど、どこまで覚えとる?」

「全然覚えてねえ。確か、麻帆良の図書館島で変な光る本見つけて……そっからの記憶が全然ねえ。夢ん中でなんか変なバケモンをぶっ飛ばしたような気がしないでもねえけど、あれ、夢じゃなかったんだな……つーか、ダンジョンって何だ? さっきから【ファミリア】やら、何やら分かんねえ事だらけなんだけど」

「そっからかい!!」

 

 話を聞く限りでも謎だらけの子供だったが、まさかダンジョンの事さえ知らなかったとは思わなかった。

 さらに、さらっと流してしまいかけたが、夢の中でと言うナギの発言に、寝ぼけた状態でゴライアスを倒したのか、とナギの為した異常な偉業に戦慄する。

 同時、ナギの発言の中に聞き覚えのない単語が含まれていた事にロキが気づいた。

 

「ところで、今自分が言うてたマホラって何や?」

「麻帆良は日本にある学園都市の名前だぜ。かなり有名みたいだから、アンタらも知ってんじゃねえのか?」

「ん~、聞いたことないわ。そもそも、ニホンってどこやねん」

「は?」

 

 沈黙が場を支配した。

 

 

 

 

「せやから! イギリスっちゅう国も、日本っちゅう国もここには存在せんのや!」

「はあ!? そんな訳ねえだろ! 実際に俺が住んでたんだ! 存在しないとかあり得ねえ! つーか、俺はオラリオって迷宮都市がある事すら知らなかったぞ! そっちのがおかしいんじゃねえのか!?」

「それこそあり得へんわボケェ! オラリオもダンジョンも知らんとかなめてんのかぁ!!」

 

 お互いの認識に違いがありすぎると感じたロキ達は、一度ナギから生い立ちや故郷、そしてダンジョンに来るまでの経緯について話を聞き、そして自分達も迷宮都市やダンジョンなどについての知識をナギに教えた。

 しかし、どちらの話もお互いにとっては荒唐無稽で、自分達の知る常識をぶち壊すようなものばかりだった。

 まず、ナギの話から。

 モンスターもダンジョンも存在せず、科学技術というものが発達して魔法や魔石なしでも便利な生活を送ることができる世界。

 ナギが育った村は魔法使いの村だったため、魔法によって生活を成り立たせていたようだが、それはほんの一部であり、大部分は科学技術に頼って生きている。

 その証拠に、魔法使いなどは存在しているが、その存在を一般人から秘匿しているので世間からは知られていない。

 それらのナギの世界の常識を踏まえつつ、ナギは麻帆良に来てから図書館島に潜り、謎の本を発見するところまでを語った。

 どうしてダンジョンに倒れていたのかは分からないと。

 それを聞いて、あまりに信じられないことではあるが、その謎の本がナギをダンジョンへ転移させたということは推測できた。

 ナギがダンジョンの事を知らない以上、ナギは冒険者としてダンジョンに潜っていたのではないと判ったからだ。

 そうなると気になってくるのは、ナギの素性である。

 神の前で嘘はつけないのだが、ロキから見てナギは嘘をついていない。

 つまり、ナギの言うことはすべて本当であるということだ。

 しかし、ナギの言うようなものはこの世界にはほとんど存在しない。共通しているのは魔法があることくらいだ。

 これはどういうことなのか……

 一方、ナギもまたロキから聞いた常識に首をかしげていた。

 モンスターを生む巣であるダンジョンにバベルという蓋をし、その周りに作られた都市であるオラリオ。

 そして、暇を持て余し、天界から下界に降臨してきた『超越存在(デウスデア)』である神々。

 いくらナギが勉強が苦手で世間を知らないとはいえ、そんな話があれば絶対に知っているはずだ。

 それぞれがお互いの世界の常識をぶつけ合った結果、ナギとロキの二人は徐々にヒートアップし、口論にまで発展した。

 それを眺めつつ、残りの面々もまたナギから聞いた話を反芻していた。

 

「にわかには信じられんな。魔石もなしにそのような芸当ができるとは……」

「小僧の故郷は随分と面白いところのようだな! 鉄の塊で空を飛ぶとは夢物語みたいじゃ」

「リヴェリア、ガレス……今問題なのはそこじゃないよ。問題は、そんな場所がありながら僕たちが、何より神であるロキが、その存在を知らなかったことだ。本当にそんな場所があるのなら、とっくに知っているはずだからね」

「「ううむ……」」

 

 リヴェリア達も、ナギの言うことをすべて鵜呑みにはできずにいる。

 その根幹には、フィンの言うような理由があるのだろう。

 

「あんな、ナギ。うちかて、自分が嘘を吐いてるとは思うてへん。けど、自分の知ってるもんがここにはないのも事実なんや」

 

 長く生きている分、先に冷静になったロキが諭すようにナギに告げる。

 その口振りから、自分をからかっている訳ではないと判断したナギは、そこで一つの可能性を思い付いた。

 

「それじゃあ、ここは魔法世界(ムンドゥス・マギクス)なのか?」

「ムンドゥス……何やて?」

「魔法世界……文字通り、この世界とは別の空間にあるもう一つの世界で、大半の魔法使いはそこで暮らしてるって聞いたことがある。亜人の人口もかなり高いって聞いたしな。リヴェリアなんかがそうだと思ったんだけど、違うのか?」

「私か? 確かに私はハイエルフ……亜人(デミ・ヒューマン)だが……魔法世界という言葉は聞いたことがない」

 

 リヴェリアの尖った耳はエルフの特徴であり、人間では持ち得ないものだ。

 もしかしたら、亜人が住んでいるという魔法世界に何かの拍子で転移してしまったのでは、と考えたのだ。

 しかし、それはリヴェリアの口から否定される。

 とはいえ、リヴェリアも自分が知らないだけである可能性があったので、ロキに視線で確認をとるが、ロキは首を横に振った。

 

「うちも、魔法世界いう呼称は聞いたことないわ。というか、自分の口ぶりやと、自分のいた世界に亜人(デミ・ヒューマン)はおらんって言うとるみたいやけど……」

「ああ。召喚魔法で妖や悪魔を呼び出さねえ限りは、人間だけだな。ぬらりひょんみてえな頭したジジイはいたけど」

 

 ナギの頭の中で、麻帆良で出会った妖怪みたいな頭部を持つ好好爺の姿が浮かび上がる。

 しかし、あれは少しばかり見た目が変わっているだけで、分類上は人間のため、除外する。

 ともあれ、魔法世界という新たな意見を否定されてしまった。

 ナギは戸惑う。

 ロキやリヴェリアの容姿から、日本ではないと思ってはいたが、せいぜいヨーロッパのどこかだろうと思っていたのだ。

 彼らが話しているのが英語ではないとわかっているため、少なくとも英語圏ではない事は確かであった。

 ちなみに、言葉が通じるのは日本に来てからかけっぱなしの翻訳魔法のお陰である。

 ともかく、ヨーロッパという可能性も、魔法世界という可能性も否定された。

 なら、一体ここはどこなんだ? 答えは一向に出てこない。

 

「ふむ、もう一つの世界……なあ。っ、まさか……!」

「どうしたんだい、ロキ?」

 

 と、ここに来てロキは、一つの可能性に思い至った。フィンの声にも反応せず、ロキは真っ直ぐにナギを見つめる。

 

「なあ、ナギ。一つ思い付いたことがあるんやけど、言ってええか?」

「何だよ」

 

 神妙な雰囲気を醸し出すロキに、ナギも自然と居住まいを正す。

 ロキは咳払いを一つすると、自身の中で出した一つの推論を口にする。

 

「まず、これまでの話で、ナギの世界にあったものがこっちにはなく、またこっちにあるものが向こうにはないと分かった。せやな?」

「ああ」

「そんで、ナギが言うには、魔法世界っちゅう別の世界が存在する。そんなら、他にもそういう世界があってもおかしくないんとちゃうか?」

「どういう事だよ?」

 

 ロキの説明を理解できていないのか、ナギが早く続きを言えと催促する。

 

「つまりここは、自分の言う魔法世界とも違う、さらに別の異世界やっちゅう事や!」

「な、なんだってー!?」

 

 スドォン、と雷が落ちたかのような衝撃を受けるナギ。

 それも無理はないだろう。自分が全く知らない世界に飛ばされたのだとわかったのだから。

 

「こんなの、こんなの……」

「ナギ……」

 

 顔を俯かせ、その体をブルブルと震わせる。

 そんなナギの様子に、ロキ達、とりわけリヴェリアが憐憫の眼差しを向ける。

 それは、理不尽にも見知らぬ世界に放り出された幼い少年への同情の視線だった。

 

(何だかんだ言っても、まだ小さな子供や。どことも知れぬ場所へいきなり飛ばされ、知り合いもおらん。そんな状況じゃ、不安に駆られるのも仕方あらへんな)

 

 自分達ができる限りの事をして、ナギを助けよう。少しでも彼の不安が和らげられるように。

 ロキ達は揃って決意を新たにする。

 だがしかし、それはすぐにナギの続く発言によって吹き飛ばされた。

 

「すっげえワクワクする話じゃねえか! 最っ高だぜ!」

「はいぃ?」

 

 訂正。ナギは全く堪えていなかった。

 それどころか、未知の世界にやって来たことに興奮すら覚えているように見える。

 

(こいつは大物やな)

 

 呆れたように笑うロキ。まさかここで泣きわめくのではなく、笑うとは、神であるロキにも想像がつかなかった。

 リヴェリアなどはまだ心配しているのか、辛くなったらいつでも頼れとナギに伝えている。フィンとガレスも同様にしている。

 その様子を微笑ましい気持ちで眺めていたロキは、唐突に気づいた。

 

(って、ちょい待てぇ? ナギが異世界の出身やとしたら、ナギは誰からも神の恩恵(ファルナ)を授かってない事になる。そんな状態でゴライアスを倒した……? こないな事、他の神連中に知られたらえらい騒ぎになるのは間違いない。これはうちらで隠し通すしかないなぁ……)

 

 異世界から来たという、特異な出自。【ステイタス】の恩恵なしで未知の魔法を操り、階層主(ゴライアス)を単独撃破したという驚異的な戦闘力。

 神々の興味を引くには十分すぎる。

 まだ幼く、ある意味で純粋そのものなナギを、神々(おとな)の都合で振り回させる訳にはいかない。いや、自分がさせない。

 ナギの素性と能力がバレた時のリスクを考え、ロキはすぐに決断した。

 

「ナギ、うちら以外に異世界から来た事は誰にも言うんやないで」

「あ? 何でだよ?」

「何でもや!」

 

 有無を言わせないロキの真剣な顔に、ナギも何か感じるものがあったのか、

 

「分かったよ」

 

 と渋々頷いた。

 その返答に満足気に頷いたロキは、表情を真剣なものへと変える。

 

「で、こっからが本題なんやけどな。ナギ、自分今どこにも住むとこないやろ」

「まあな。でもその気になりゃ、そこら辺で野宿できるぜ」

「子供にそんな事させられる訳ないやろ。で、ちぃと考えたんやけどな」

 

 リヴェリアとフィン、ガレスが、ロキの考えている事に思い至り、笑みを漏らす。

 確かにロキのしようとしている事が通れば、この【ファミリア】はますます賑やかになるだろうと、未来への期待に胸を膨らませる。

 そして、ロキが一つの提案をナギに出した。

 

「どや? うちの【ファミリア】に入らんか? 自分が元の世界に戻る、その日まで」

 

 ナギは考える。せっかくの異世界に来るという、誰にもできないような貴重な経験。

 せっかく出来たこの世界での縁。

 すぐに断ち切ってしまうのは、もったいなさすぎる。

 魔法学校を中退してから一人、旅を続けてきたナギだが、こんな仲間と一緒に過ごすのも悪くない。そう思った。

 

「へっ、面白え!」

 

 ナギの心はすでに決まっていた。

 

「いいぜ、入ってやるよ。アンタの【ファミリア】に」

「決まりやな」

 

 満足気に頷いたロキは、ナギに向けて手を差し出す。

 

「これからよろしゅう、ナギ」

 

 その言葉に、ロキの意図を察したナギが自身の手をロキのそれに伸ばす。

 

「こっちこそ」

 

 お互いに笑みを浮かべながら、二人は握手を交わした。

 今この時をもって、ナギ・スプリングフィールドは【ロキ・ファミリア】の一員となった。

 そして、後の世にまで語り継がれる伝説はここから始まる。

 異世界からやって来た一人の魔法使いの少年が紡ぐ、新たな物語が今、幕を開けた。

 

 




 ※今回ナギの大食い描写がありましたが、普段のナギは別に極度の大食いキャラという訳ではありません。しかし、世界を渡る前の朝食以来、ずっと何も食べておらず、その状態でモンスターとの戦闘を行ったため、普段よりもずっとエネルギーを必要とする状態になったことで、いつもの数倍食べたということになりました。普段は成人男性と比べて少し多い程度の量です。


~おまけ~

 話を終えた後の一幕――

「いきなりにどことも知れぬ場所に放り出されて……不安もあるだろうが、私達がついている。存分に頼れ」
「おう! 不安とかはねえけど、こっちの事何も知らねえしな。よろしく頼むぜ。つーか、いきなり頭撫でたりしてどうしたんだ?」
「フフ、何でもないさ。それよりナギ、もう少し撫でさせてくれないか?」
「まあ、別に構わねえけどよ」

 二人から一歩離れた場所には、

(アカン、もうリヴェリアが母親(ママ)にしか見えんわ)

 自分の言った冗談が冗談でなくなってきている事に戦慄するロキがいた。




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挨拶

難産でした。
まだしばらく日常パートが続きます。ご了承ください。
それでは第3話です。どうぞ。


 窓から差す朝日を浴びて、ナギ・スプリングフィールドはゆっくりとその重い瞼を開いた。

 

「ここ……どこだ?」

 

 寝起きのせいかあまり頭が働いておらず、状況を把握しようとベッドから身を起こし、部屋の中を見回す。

 部屋には必要最低限の家具が置かれており、ベッドの側にある机の上には、自身のローブがきちんと折り畳まれて置かれている。

 見覚えのない部屋だ。ナギは寝る前の出来事を思い出そうと、鈍い思考をなんとか総動員させる。

 すると間もなく、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。

 入っても構わないと欠伸まじりに答えると、ドアを開けて入ってきたのは、翡翠色の長髪のエルフの女性だった。

 

「起きていたか。どうだ、よく眠れたか?」

「ん、あ~……リヴェリア? そっか、ここは……」

 

 昨日知り合ったばかりのリヴェリアの姿を見て、ようやく今自分がどこにいるのかを思い出した。

 いきなり飛ばされた見知らぬ世界。気絶した自分を保護し、仲間に引き入れてくれた【ロキ・ファミリア】。

 そして、今自分がいるこの場所は、

 

「新しい俺の部屋、か。昨日は部屋に入るなり、ベッドに直行したからな。どうりで見覚えねえはずだぜ」

 

 ガシガシと頭を掻きながら、納得したように頷くナギ。そして何かを思い出し、ぶるりと身を震わせた。

 昨夜、ロキの提案を呑み、【ファミリア】入団を決めた後、ナギはこれからの展望についてロキ達と話し合った。

 その中で、ナギは魔法を始めとした自分のできることについて大まかに伝え、ロキ達はそれを踏まえつつ迷宮都市での常識やルールを叩き込むこととなった。

 このまま何も学ばせずに放置するのはまずいと感じたのだろう。文字や文化などの違いは言わずもがな、魔法などのスキル面からして、予想を遥かに越えて非常識に過ぎた。

 特に魔法の習得数に制限がなく、障壁の常時展開や身体強化、さらには空を飛ぶことさえ可能だと知った時のロキ達の衝撃はすさまじかった。

 何とかしないとすぐに他の神々や冒険者の注目を浴び、悪目立ちしてしまう。ボロが出る前に早急に常識とルールを教え込まねばなるまいと、その日の内に勉強会が開始された。

 しかし、元々勉強が苦手なナギは中々それらを覚えることができず、【ファミリア】内ではスパルタ教育で有名なリヴェリアの指導にすっかり参ってしまったナギは、頭から煙を吹いて早々にダウンした。

 それでなくとも、他に例を見ないほど波乱万丈な一日を過ごしていたのだ。疲れも溜まっていたのだろう。

 昨日一日のナギに起きた出来事を振り返ると、そのイベントの満載さに驚かされる。

 麻帆良武道会で優勝するまで戦い続け、その後図書館島へ向かい、光る奇妙な本を発見し、その本の影響かは定かではないが異世界に飛ばされた。

 その後もモンスターに襲われたり、自分がいる場所が異世界だとわかったり、【ファミリア】に加入したり。

 それらの疲れが一気に出たのか、はたまた苦手な勉強に脳が拒否反応を起こしたのか。

 さすがにこれ以上は酷だと判断されたナギは、リヴェリアに連れられ、新しく割り当てられた部屋へと案内された。

 そして、眠気の限界を迎えていたナギは部屋に入ってベッドに突っ込むなり、そのまま寝入ってしまったのだ。

 ちなみに、ナギをきちんとベッドに寝かせて毛布をかけ、ナギのローブを畳んでおいたのは、言うまでもなくリヴェリアである。

 

「んで? わざわざ部屋まで来るなんて、どうしたんだよ。何か用でもあるのか?」

「ああ、もうすぐ朝食の時間なのだが……まだこの館について何も知らないお前では迷ってしまうだろうと思ってな。迎えに来たんだ」

「おっ、そりゃ助かるぜ」

 

 昨日は空腹のせいか第六感が冴え渡り、何故か一直線に食堂まで向かうことができたナギだが、もう一度同じ事をやれと言われてもできる自信はない。

 リヴェリアの親切心は素直に嬉しいものだった。

 

「お前の団員達への紹介も、朝食の席で行う。早く身だしなみを整えておけ」

「うぇ~い」

 

 目元を擦りながら、眠気が今だ残っているのか覇気のない声で返事をするナギ。

 その姿に苦笑しつつ、リヴェリアはもう一つの用事を果たすべく、話を切り出す。

 

「ああ、そうだ。今の内にお前に渡しておこうか」

「? 何を?」

「これだ」

 

 そう言ってリヴェリアが取り出したのは、一本の長杖。

 それを目にした瞬間、眠気が吹き飛び、ナギの目が見開かれた。

 

「俺の杖じゃねえか! 何でリヴェリアが!?」

「お前を保護した時に、一緒に回収していたんだ。昨日は色々あって渡せなかったが、やはりお前のだったのだな。返すことができてよかった」

 

 ほら、とリヴェリアがナギに杖を手渡す。

 ナギは手渡された杖に間違いなく自分のだとわかると、リヴェリアに礼を告げた。

 

「いやー、昨日は色々ありすぎて、杖のことすっかり忘れてたぜ。ありがとな」

「礼には及ばん。さあ、それより今は早く身支度を済ませるんだ」

「え~。めんどくせーから、このままでいいだろ」

「ダ・メ・だ」

 

 その後、結局リヴェリアの手により強制的に身だしなみを整えられたナギは、リヴェリアとともに食堂へと向かった。

 

 

 

 

 ナギとリヴェリアが大食堂に着いた時には、すでにほとんどの団員が揃っていた。

 食卓には人数分の料理と皿が並んでおり、それを見たナギが我先にとばかりにかぶりつこうと飛び出す。

 昨日の一件で、ここの料理が気に入ったようだ。

 なんとかリヴェリアがナギのローブのフードを掴み、寸でで止める事に成功する。

 

「何で止めんだよリヴェリア!?」

「まず最初にお前の紹介からだ」

「飯食いながらでいいじゃねえか!」

「ダメだ」

 

 ギャーギャー騒ぐナギの声が、団員達の視線を集める。

 それもその筈、ナギは昨日食堂で大暴れした張本人なのだ。

 ロキ達が食堂から連れ出した後、誰もがその後の顛末を知りたがっていたのだが、結局何もわかることなく一日は終わりを告げた。

 その当事者がこの場にいるのだ。気にならない訳がない。

 

「ガハハハ! 昨日と変わらず、元気がいいな、ナギ!」

「ガレスのオッサン! そっちこそ朝っぱらから声でけーな!」

 

 そんな中、昨夜の詳細を知る数少ない人物の内の一人であるガレスがナギに声をかけた。

 ナギも昨日食堂で意気投合して以来、ガレスとは遠慮なく言葉を交わしている。

 

「おはようさん、ナギ! 何騒いどんの~?」

「おはよう、朝から元気だね」

「お、ロキとフィンか! おっす!」

 

 ファミリアの主神であるロキと団長のフィンが、ガレスの後ろから顔を出した。

 その二人ともナギは親しげに挨拶を交わす。

 【ファミリア】の首脳陣に対してナギがあまりに無遠慮な態度で話すので、第二級以下の団員達は戦々恐々としていた。

 

「それより、いい加減腹減ってきたから飯食わせてくれよリヴェリア」

「ああ、それで騒いでいたのかい?」

「まあな」

 

 昨日誰もが引くほどの量を腹に納めたナギだが、昨日と今日の分は別とばかりにナギの腹はしっかりと空腹を訴えており、目の前の料理をお預けにされるのは耐えがたかった。

 だが、それでもまだ食べさせる訳にはいかない理由があった。

 

「先にお前を紹介してからと言っただろう。それに、まだ全員集まっていないからな」

「?」

 

 前者の理由は先程説明されたからわかるが、後者は何の事だかわからなかった。

 疑問符を浮かべるナギに、リヴェリアが補足で説明する。

 

「うちのファミリアでは、朝夕の食事は全員でとるという方針を決めているんだ。悪いが、もう少し我慢してくれ」

「せや。みんなで食べた方が美味いやろ? ま、ファミリアのルールってやつや。勘弁な」

 

 聞けば、ロキが決めたのだというこの方針。それならば仕方ないと普通なら引き下がるところだが、食欲に忠実なナギは、ロキの方に向き直り、とある名言を告げる。

 

「ロキ、一ついいことを教えてやる。ルールってのは破るためにあるんだぜ?」

「んな訳あるかい!」

 

 ロキのツッコミが部屋中に響き渡った。

 ナギも本気で言った訳ではないので、大人しく我慢することに決める。絶えず視線は料理に注がれていたが。

 その後は雑談を交わしながら、団員が全員揃うのを待った。

 やがて、まだ来ていなかったアイズ達も食堂に姿を現し、団員全員が揃った事を確認すると、フィンは全体を見渡せる場所に移動した。

 ロキとリヴェリア、ガレスの三人も、ナギを連れてフィンの背後に移動する。

 

「みんな、席についてくれ!」

 

 さすが【ファミリア】の団長というべきか、その声は幼く聞こえながらも、確かな威厳を持っていた。

 全員がフィンの声に従い、席についてフィンの次の言葉を待つ。

 

「朝食の前に少し時間をもらいたい。昨夜、この【ファミリア】に新しく入団した者を紹介する。ナギ、前に出て」

「おう!」

 

 ようやくか、とばかりにナギは堂々と胸を張って、皆の前に躍り出る。

 ナギの姿を見た瞬間、一人の狼人(ウェアウルフ)の青年が騒ぎ出したが、リヴェリアによるフォークの投擲が青年の目の前のテーブルに突き刺さったため、押し黙った。

 その場の全員の視線が集まる中、ナギは自身の名を告げる。

 

「ナギ・スプリングフィールドだ! よろしくな!」 

 

 簡潔だが、力強い自己紹介。

 アマゾネスの双子の片割れなどは元気よく、よろしく~、と返しているが、他の面々はほとんどが黙ったままだ。

 名前はわかったが、それ以外が何一つ不明のままなので、どう反応していいのかわからずにいるのだろう。

 そんな場の雰囲気に、フィンが再び前に出ると団員達に向けて口を開く。

 

「言いたいことはわかっている。皆、彼の素性については気になっているだろう。だが、それについては聞かないでくれると助かる」

 

 フィンが告げた言葉に、団員達のざわめきが大きくなる。

 当然だ。団長が堂々と隠し事をしていると公言しているのだから。

 それでも文句が飛び出さないのは、それだけ【ファミリア】全体がフィンを信用しているからだろう。

 

「皆に隠し事をするのは忍びない。だが、彼が信頼に足る人物だということは、僕を含め、首脳陣全員が認めている。どうか、彼を受け入れてほしい」

「私からも、頼む。どうか、ナギの事を認めてくれないか」

 

 そう言って、頭を下げるフィンとリヴェリア。ガレスもまた、無言ながらもそれに続く。

 これにはさすがに団員達も慌てた。

 

「あ、頭をあげてください!」

「そうっすよ! そんな事しなくても、団長達の決定に文句なんてありませんから!」

主神(ロキ)や団長達が認めたんなら、私達も認めますから!」

 

 自分の上司達に頭を下げさせるのは忍びない。必死にフィン達に頭を上げるよう説得する。

 

「団長に頭を下げさせるなんて……女だったら捻り潰してたところね。……まあ、団長が認めたなら私も文句は言えないわ」

 

 約一名物騒な事を言っているアマゾネスがいたが、それは置いておこう。

 フィン達が顔を上げると、今度はロキが前に出て来て申し訳なさそうな顔で自身の劵族達に話しかける。

 

「みんなごめんな~。ナギの素性を秘密にするように言うたんはうちなんや。けど、不用意にナギの素性を知る者を増やすと、色々とマズイんでなぁ。他の神連中に目ェつけられかねんのや。あ、ナギは一切悪いことしてへんで。ただ珍しいだけやねん。神々(うちら)から見ても、格別にな」

 

 ロキがナギに視線を向けながら、理由を告げた。

 視線を向けられた当の本人は自分が蚊帳の外になったことでボケッとしており、何だ? と首をかしげている。

 一方、ロキの言葉を聞き、先の遠征に参加したメンバーは17階層での出来事を思い出し、納得の表情を浮かべる。

 もちろん、それだけが理由ではないのだろうが、ナギが不思議な存在であることは、承知していた。

 

「ま、素性を隠すことについてそういう訳や。けど、うちが認めた以上、ナギはもう【ファミリア】の一員。皆、仲良うしたってな!」

 

 ロキのお願いに、団員達ははっきりとした返事を返す。もうすでにナギに対する不信感はほとんど消えていた。

 元々、ナギ自身が悪い人間にも見えなかった事もある。ただ単に未知の存在に戸惑っていただけなのだ。

 先の言葉から、フィン達がナギの素性について把握しているのはわかっている。

 その上で信頼できると言う以上、もはや疑う余地はない。

 すでに場の雰囲気は新たな仲間を迎える準備ができていた。

 そして、リヴェリアにもう一度挨拶をするよう促されたナギは、再度新たな仲間達に向き合った。

 

「よくわかんねえけど、改めてこれからよろしく頼むな!」

 

 ナギ自身理由はよくわかっていないが、フィン達が頭を下げた以上、自分もそうしないのは義に反すると思い、ペコリと頭を下げた。

 敬語も使わず、誰に対しても無遠慮な態度で接するナギだが、義を見せるべきところはちゃんとわかっているのだ。

 そんなナギの気持ちが伝わったのか、【ロキ・ファミリア】総勢(約一名除く)で、歓迎の言葉をナギに送った。

 

 

 

 

「テメェ、この鳥頭ァ!!」

「あん?」

 

 ナギの【ファミリア】入団の紹介が終わり、ナギは団員達からの歓迎を受けていた。

 自分達以外の団員とも交流を深めた方がいい、とリヴェリア達はナギとは離れた席で食事を摂っている。

 持ち前の明るい雰囲気もあってか、ナギはすぐに【ファミリア】に溶け込むことができた。

 そうして食事をしながら他団員との会話を楽しんでいたところ、その声の主は現れた。

 

「昨日はよくもやってくれたなァ!!」

 

 狼人(ウェアウルフ)の青年が額に青筋を立てながら、ナギに怒鳴り込む。

 ナギの周りに座っていた団員達は、その青年、ベートの怒りにあてられ、ナギを見捨てて即座にその場から離脱した。

 情けないと言うなかれ、第一級冒険者の怒りとは、それほどまでに恐ろしいものなのだ。

 そして、怒りを向けられている当の本人はというと、

 

「お前誰だっけ?」

 

 目の前の青年(ベート)の事を一切覚えていなかった。

 その反応に、ベートの怒りがさらに煽られ、血管がぶちぶちと切れる音がそこらに響く。

 

「てめえ、昨日あれだけの事しでかしておいて、覚えてねえたぁ、ふざけてんのか!? ああ!?」

 

 ベートが言っているのは、昨日の食堂で起きた事件だ。

 勝手に料理を貪っていたナギを止めようと胸ぐらを掴んだベートが股間にナギの魔力強化キックを食らったという、痛々しい事件。

 ベートの息子が使用不能にならずに済んだのは、せめてもの救いである。

 だが、当時食事にしか目がいっていなかったナギにとっては、食事に邪魔なものをどかした程度のどうでもいい些末な出来事だったのである。

 そんなナギに怒りを爆発させたベートは、ついにその拳を握りしめた。

 

「いいぜ、覚えてねえってんなら、今すぐ思い出させてや――」

「何をしている、ベート?」

 

 底冷えするような低い声が、ベートの耳元に聞こえてきた。

 ナギを殴ろうとした右拳は、砕けてしまうと錯覚するほどに力強く右肩を握られた事で、解かれてしまう。

 恐る恐る振り返る。

 

「げっ、ババア!?」

「リヴェリア?」

 

 ベートの肩を後ろから掴んだのは、口元が笑っているものの、目が全く笑っていないリヴェリアだった。

 

「こんな子供に向かって何をしようとしていた?」

「んなもんてめえに関係ねえだろうが! てめえは黙ってろクソババア!!」

「ほう?」

 

 リヴェリアの眉がピクリと吊り上がり、肩を握る力がさらに強くなる。そこまで来て、ようやくベートは自分が何を言ったのかを自覚した。

 

「貴様には折檻が必要なようだな」

 

 ずるずるとベートを引き摺って部屋の外へ向かうリヴェリア。

 ベートが必死に抵抗するも、その動きが止まることはない。

 

「は、放しやがれ!! あいつは俺のアレを蹴りあげたんだぞ!! しかもその事を覚えてねえとか、一発思い知らせてやんねえとならねえだろうが!!」

「油断したお前が悪い」

「ふざけんなぁー!!」

 

 抵抗むなしく、ベートは部屋の外へ連れ出された。

 哀れな狼の悲鳴が聞こえた。ナギの件に関しては同情の余地があるが、その後の出来事については完全に自業自得である。

 

「ベートも馬鹿だよね~。リヴェリアにあんなこと言ったら、ああなるってわかってるのにさ」

 

 ベートと入れ替わるようにナギに話しかけてきたのは、踊り子のような衣装に身を包んだアマゾネスの少女だった。

 

「君が新入りのナギ君だよね? あたしはティオナ・ヒリュテ。ティオナでいいよ」

「ナギ・スプリングフィールドだ。こっちもナギでいいぜ。よろしくな、ティオナ!」

「よろしく~!」

 

 握手を交わし、ブンブンと手を上下に振るティオナ。

 その後ろから、さらに三人の女性が近づいてきた。

 

「あら、ティオナに先を越されちゃったわね」

「同じ【ファミリア】なんですし、先とか後とかあまり関係ないと思いますけど……」

「………………」

 

 露出度の高い衣装に身を包んだ、ティオナと同じアマゾネスの女性と、山吹色の髪を後ろでまとめたエルフの少女、そして無言ながらもついてきた金髪金眼のヒューマンの少女が、ナギのいるテーブルに押し寄せる。

 

「アンタらは?」

「ああ、自己紹介がまだだったわね。私はティオネ・ヒリュテ。そこのティオナの双子の姉よ。よろしくね、ナギ」

「双子?」

 

 言われてみれば、確かに似ているとナギは二人の顔を見比べた。

 一見した限りでは、すぐにわかる違いは髪の長さと一部のサイズの違いぐらいだが、その違いがかなり大きい。

 同じ遺伝子をもって生まれたはずなのに、こうも違いが出るとは、と神の残酷さに心の内で同情した。

 ティオネにもよろしくと握手を交わす。

 

「レ、レフィーヤ・ウィリディスです。これからよろしくお願いします」

「……アイズ・ヴァレンシュタイン。よろしく、ナギ」

 

 続いて、エルフの少女と金髪の少女――レフィーヤとアイズの二人も、ナギに自己紹介する。

 緊張しているのか少し吃っているレフィーヤと、あまり表情を変化させないアイズに、対照的な奴等だな、と印象を抱くナギ。

 と、そこで自己紹介の最中だったと思い出し、返事をする。

 

「こっちこそ、これからよろしく頼むぜ、レフィーヤ、アイズ!」

 

 ティオナ達同様、レフィーヤとアイズともそれぞれ握手を交わし、挨拶するナギ。

 その後、お互いに自己紹介が済んでからはナギは四人と会話を楽しんでいた。

 年齢や種族などの質問には答えたが、出身などはロキの言いつけ通りぼかしておいた。うっかり普通に答えそうになったのはご愛敬である。

 また、ティオナなどはその答えに不満そうな顔をしていたが、フィンから素性についての詮索はするなと言いつけられていた事をティオネが告げ、渋々引き下がった。

 魔法についての話題では、ナギが最強の魔法使いを公言したことにアイズ達が驚いたり、レフィーヤも魔導士だということでナギに積極的に話を聞いたりと、かなり盛り上がりを見せていた。

 

「ナギ」

 

 そんな折り、リヴェリアがナギを手招きして呼び寄せる。

 その手には微量ながらも、血痕が付着していた。誰のものかは、言うまでもない。

 

「お、おう……何だ、リヴェリア?」

(((引いてる……ベートの怒りにも動じなかったのに……)))

(リヴェリア様……正直怖いです……)

 

 恐怖心からか、リヴェリアが呼んでるなら早く行った方がいいと、アイズ達は話を切り上げ、ナギを送り出した。

 

「どうしたんだ?」

「ああ、この後の予定について話があってな――」

 

 もっとも用件自体は普通のものだったのか、変わりなく話し出す二人。

 そのまま二人で食堂を出ていくのを、アイズ達は見送る。

 

「面白そうな子が入ってきたね」

「そうね。自分を最強の魔導士とか言うんだもの。驚いちゃったわ」

「確かに、すごい魔法を使ってましたけどね」

「うん、あの時は驚いた。でも、リヴェリアもすごいよ」

「リヴェリア様と比べるのは酷ですよ……」

 

 ティオナの言葉に三人も同意するように頷き、それぞれナギと話した感想を口にする。

 とその時、食堂に備え付けられている時計を見て、ティオナが言った。

 

「皆、そろそろ食事を終えて準備しないと間に合わないんじゃない?」

「あっ、そうですね」

「……じゃあ、私達ももう出ようか」

 

 この後は、遠征でダンジョンから持ち帰った戦利品の換金や武具の再購入など、多くの仕事が山積みになっている。

 アイズ達は食事を下げると、食堂を出て準備をするため自室に戻った。

 

 

 

 

 自分の劵族(こども)達がそれぞれの用事を済ませるために本拠を出ていくのを見送ったロキは、一人昨夜の出来事を思い出す。

 ナギが勉強に疲れてダウンし、リヴェリアがナギを部屋に連れていった後の事だ――

 ロキは黄昏の館の中央塔、その最上階にある自室にて、フィンと話をしていた。

 

『入団試験もせんと、勝手に入れて悪かったなぁ』

『いや、ロキの判断に間違いはなかったと思うよ。彼は他の派閥に渡すべきじゃない。戦力的にも、彼自身を守るためにも、ね』

 

 ロキの言葉に、フィンは謝る必要はないと返す。

 フィンの言う通り、ナギは特別な存在だ。

 ナギが異世界から来たと分かり、数々の謎が一気に解かれた。

 未知の魔法を使ったのも、ゴライアスを翳すだけの力があったのに噂が全くなかったのも、すべて異世界から来た存在だったからである。

 とはいえ、本当に見た目相応の年齢だったことと、【ステイタス】が刻まれていない状態でモンスターを倒した事については驚かされたが。

 最強の魔法使いというのも、あながち誇張ではないのかもしれない。

 そんな彼の素性が娯楽に飢えた神々に知られれば、どうなるかは目に見えている。

 特に、ロキの【ファミリア】とタメを張る美の女神などに目をつけられては大変だ。

 だから、迷宮都市でも最高峰である自身の【ファミリア】に勧誘したのだ。

 ナギの強さは迷宮探索にも役立つだろう。だが、一番の理由は、自分達がナギの後ろ楯となることである。

 下手な【ファミリア】では、ナギを守りきることはできない。良くも悪くも目立つため、必ず他の神々の目に止まり、そして潰されてしまうだろう。

 その点、【ロキ・ファミリア】程の力がある派閥ならば、手を出すような馬鹿な輩はほとんどいない。

 フィンの言う通り、これがベストの選択である。

 

『フィン。ナギのフォロー、大変やろうけど、頼むな』

『主にナギを世話するのはリヴェリアになりそうだけどね。僕もできる限りの事はするよ』

『いつもスマンなあ』

『慣れてるしね。これくらいどうってことないさ』

 

 そして、その日はそのまま解散となった。

 回想を終え、再び眼下を見下ろすロキ。

 その視線の先には、常識外のスピードで爆走するナギがいた。

 

(あんの阿呆! 早速目立ちよってからに!)

 

 おそらく身体強化魔法とやらを使っているのだろう。頭を抱えたくなるロキだが、ナギに自重しろと言っても聞かないのは目に見えている。

 はあ、とため息をつくも、ロキの目には固い意思が宿っていた。

 

(まだ出会って間もないとはいえ、ナギはうちの家族や。絶対に守ってみせる)

 

 自室の窓から、ギルド本部のある方向へ爆走していく異世界の少年を見やりながら、ロキは改めて決意した。

 

 




~おまけ~

 本日未明、北のメインストリートから北西のメインストリートに向けて驚異的な速さで爆走する人影を見たとの証言が多数寄せられた。
 目撃者によると、人影は赤い髪の毛の少年だったと証言しており、我々はその正体を探るべく調査を続けている。

~オラリオ新聞より抜粋~



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ギルドのち酒場

お気に入り1000件に届きました。皆様のおかげです。ありがとうございます!
相変わらず展開遅いです。また、後半ナギの行動の描写がおかしいかもしれませんが、次話でちゃんと説明がありますので、ご了承ください。


 そこ(・・)へ辿り着くや否や、ナギは叫んだ。

 

「たのもー!」

 

 白い柱で作られた万神殿(パンテオン)

 そこはダンジョンの管理機関であり、オラリオの運営を一手に引き受ける『ギルド』の本部であった。

 神の一柱、ウラノスが長を務めており、実質【ウラノス・ファミリア】とも呼べる存在ではあるが、中立の立場を示すためか、ウラノスは構成員に神の恩恵を与えておらず、また運営はギルドの職員に一任されている。

 ギルドの主な業務は、オラリオの住人として一定の地位と権利を約束する冒険者登録や、冒険者達へのダンジョンの諸知識、情報の公開、探索のサポート等が挙げられる。

 その他にも、魔石やドロップアイテムの換金も行っており、駆け出し、熟練者問わず、オラリオに必要不可欠な組織だ。

 そんなギルドの本部にて、ロビー中に響き渡る幼くも力強い声に、その場にいた人間のほぼ全員が声の発生源に目を向けた。

 視線を向けられた当の本人は、それらを全く気にもかけず、手近にいた人物に声をかける。

 

「そこのねーちゃん! ちょっと聞きたいことがあんだけど、いいか?」

「は、はい……」

 

 ちょうど目についた、眼鏡をかけたハーフエルフの受付嬢に詰め寄るナギ。

 その勢いに押され、若干体を仰け反らせた受付嬢だが、それでも笑みを崩さないのは流石と言うべきか。

 

「ほ、本日はどのようなご用件でしょうか?」

「ああ、ダンジョンに行きてえんだけどよ、そのためには冒険者ってのになんなきゃいけねえんだろ? その登録をしに来た」

 

 その言葉に、受付嬢の顔が一瞬曇る。

 ナギは未だ十歳であり、見た目も歳相応だ。そんな子供をダンジョンに潜らせるのは、死にに行くのを容認しているようで、気が乗らないのだろう。

 ナギの実力を知らないのであれば、尚更である。見た目からは、ただのヤンチャな子供にしか見えないのだから。

 

「冒険者登録ですね。それでしたら、手続きを行いますので、あちらの窓口まで着いてきてください」

 

 それでも仕事は仕事と割り切り、ナギをギルドの窓口まで案内する。

 

「申し遅れました。ギルドの受付を務めている、エイナ・チュールです。どうぞ、お見知りおきを」

「ナギ・スプリングフィールドだ。よろしくな、エイナ!」

 

 窓口にて向かい合い、お互いに自己紹介する二人。

 

「つーか、その固っ苦しいしゃべり方やめねえか? もっと砕けていいぜ」

 

 ナギがむず痒そうにしながら、敬語を使う必要はない、とエイナに告げる。

 仕事上、砕けた話し方をするのはよくないのだが、本人から許可が出ているのならばその限りではない。

 ナギの年齢も相まって、エイナは使うのを敬語をやめることにした。

 

「君がそう言うのなら……そうさせてもらうね。それじゃあ、ナギ君。この紙に必要事項を書いてもらえるかな」

「おう!」

 

 差し出されたのは、一枚の紙。名前や所属ファミリアも含めた、冒険者登録に必要な書類である。

 意気揚々と受け取り、早速記入しようとペンをとるナギだったが、紙を見た瞬間、動きが止まった。

 

「ど、どうしたの?」

 

 突然固まってしまったナギに、エイナが心配そうな声で問いかける。

 するとナギは、絞り出すような声で言った。

 

「字が、読めねえ……」

「え」

 

 ダンジョンへの期待で胸が一杯になっていた事ですっかり忘れていたが、ここは異世界。使われている言語は英語ではないのだ(もちろん、流石のナギも英語の読み書きはちゃんとできる)。

 一方のエイナも、言葉に詰まっている。字の読み書きが出来ると出来ないでは、登録にかかる時間と手間が大幅に増えてしまうのだ。

 

「え~と、そうだ! 昨日リヴェリアと一緒に書いた紙!」

 

 どうしたものかと悩んでいると、不意にナギがズボンのポケットを探り始めた。

 そして取り出したのは、一枚の紙切れ。

 昨夜ナギは、オラリオにおける常識と一緒に、名前などの冒険者登録に必要な項目に関する文字だけ、リヴェリアの指導つきで勉強したのだ。

 もちろん、勉強の苦手なナギが覚えられるはずもなく、仕方なくリヴェリアがお手本の文字を書き、ナギが英語でどういう意味かを補足したメモを作っておいたのである。

 本拠(ホーム)を出る前にリヴェリアが持ち物確認をしていなければ、確実に忘れていただろうが。

 

「助かった、これでなんとかなるぜ。エイナ、どこに何を記入すればいいのかだけ教えてくれ」

「う、うん。それはいいんだけど……今、リヴェリア様の名前を言わなかった?」

 

 ナギの書類記入の手伝いをするのは問題ない。

 しかし、ナギの言葉の中に無視できない名前があったのを聞き取ったエイナは、ナギに自身の疑問をぶつける。

 その質問に、ナギは何でもないように答えた。

 

「おう、言った。つーか、エイナ。お前、リヴェリアと知り合いなのか?」

 

 そういえば、耳の形が似ている、とナギはリヴェリアとエイナを比較する。同じ種族なのだろうか、と。

 実際には、王族(ハイエルフ)とハーフエルフという違いがあるのだが、今のナギにそれを知る由もない。

 

「ええ、母伝いに縁があって。それより、何でナギ君がリヴェリア様の事を?」

 

 ナギのようなヤンチャな少年とリヴェリアの関係性が全く見えてこないエイナは、再度ナギに問いかけた。

 

「そりゃ、俺、アイツと同じ【ファミリア】に入ったからな」

「え、てことは……」

「俺は【ロキ・ファミリア】所属だ。昨日からな」

「ええ!?」

 

 まさかオラリオを代表する最大派閥の一つに所属しているとは夢にも思っていなかったエイナは、驚きのあまり目を丸くした。

 同時に、納得したこともある。ナギがリヴェリアと知り合いなのは、同じ【ファミリア】に所属しているからなのだと。

 もっともエイナにしてみれば、昨日入ったばかりの新人だというのに、どうしてナギが副団長であるリヴェリアの事を呼び捨てに出来るのかは、甚だ疑問であるが。

 そこはナギだから、としか言いようがない。

 

「それよりエイナ、どうやって書けばいいんだ?」

「あ、ごめん。話が脱線しちゃったね。まずはここに名前を記入して」

 

 冒険者登録の手続きという、ナギ本来の目的に話を戻し、どこに何を記入すればいいのかを指示していく。

 少し時間はかかったものの、無事冒険者登録は完了した。

 確認のため、エイナが記入された用紙を復唱する。

 

「名前はナギ・スプリングフィールド。種族はヒューマン。所属は【ロキ・ファミリア】。これで間違いない?」

「おう、間違いないぜ!」

 

 ナギの確認も得られた事で、書類は正式に受理された。

 

「じゃあ、これで登録はおしまい。これで君も正式な冒険者だよ」

「よっしゃ! これで俺ももう、ダンジョンに潜ってもいいんだよな!?」

 

 一分一秒でも惜しいとばかりにエイナに確認をとるナギ。

 その眼には、まだ見ぬ未知の世界への期待がありありと浮かんでいる。

 危なっかしいなぁ、と感じながらも、エイナはそれに頷いた。

 冒険者登録が済んだ以上、ナギは正式にダンジョンを探索する権利を手に入れた。

 だが、エイナ個人としてはまだナギにダンジョンに潜る事を許すつもりはなかった。その理由は、ひとえにナギに死んでほしくないからに尽きる。

 書類を封筒に入れたのを確認し、エイナはいつものように、新人冒険者には必ず伝えている事柄を告げるべく、口を開く。

 

「でもその前に、冒険者になるにあたって、話しておかなきゃいけない事がいくつかあるんだ。まずはダンジョンに潜る際の注意事項を――ってあれぇ!?」

 

 冒険者の心構えや規則、ダンジョンの諸知識についての講習をしようと思っていたエイナだったが、その相手の姿がどこにも見えない。

 

「エイナ~。エイナの担当してた赤毛君がものすごい勢いでバベル目掛けて走ってったけど、大丈夫なの?」

「なんですって!?」

 

 目の前にいたというのに、どうやって自分に気づかれずにギルドの外まで出たのか、エイナには全くわからなかった。

 いや、問題はそこではない。非常に気になるところではあるが、そこは後回しである。

 問題は、杖以外の何の装備も知識も持たずにナギがダンジョンへ向かったという事だ。

 事前準備もなしに初心者がダンジョンに行くのは自殺行為に等しい。

 エイナは慌てて外に飛び出し、ナギの行方を追うも、すでに姿は見えない。

 

(どうかナギ君がダンジョンに潜る前に引き返しますように……!!)

 

 もはや追いつけないと悟ったエイナは、ナギがダンジョンに潜らず戻ってくる事を願った。

 しかし、エイナの願い空しく、

 

「わははははは!! 冒険者の肩書きっつー大義名分を得た以上、俺の邪魔をするものは何もねえ!! 今すぐ行くから待ってろよダンジョン!!」

 

 屋根の上を走り、バベルまでの最短距離を一気に突っ切るナギの姿が、迷宮都市の北西で目撃されたそうな。

 

 

 

 

 日も沈み始め、空が夕暮れに染まる時間帯。リヴェリアはロキの私室にて、落ち着きなく動き回っていた。

 

「遅い……ナギはまだ帰ってこないのか。なにか問題でも起こしたのか……? ハッ、もしや誘拐されてしまったとか……!?」

「リヴェリア~、ちょお落ち着けって」

「だがっ……朝、私達が出掛ける頃にはギルドに向かったのに、未だに帰ってこないのだぞ! これでは心配するなと言う方が無理がある……」

(まるっきり過保護な母親やわ……)

 

 表面上は冷静に見せているものの、行動や言動から焦りが全く隠せていないリヴェリアに、ロキはゲンナリとした表情を見せる。

 この有り様を他の団員が目撃したら、誰もがこれは夢かと疑うことだろう。

 このような状況が出来上がったのは、ナギの帰宅が予定より大幅に遅れているせいであった。

 朝、冒険者登録をしに行くというナギについて行こうとしたリヴェリアだったが、一【ファミリア】の副団長という立場上どうしても外せない仕事があり、また他の団員も手が空いている者がおらず、仕方なくナギを一人で送り出すことになったのだが、

 

『いいか、ナギ。これがこの都市で使われている通貨〝ヴァリス〟だ。後学のためにいくらか小遣いをやろう』

『おっ、いいのか!? サンキュー、リヴェリア!』

『ああ、大事に使え。そうだ、持ち物はちゃんと確認したか? 昨日書いておいたメモを忘れたら大変だぞ』

『あっ、やべ……アレどこやったっけ……と、そういやポケットに入れてたんだった。おし、もう大丈夫だ』

『そうか……ならばいい。だが、本当に一人で大丈夫か? やはり私も一緒に行った方が……』

『こんなもん一人で十分だって。んじゃ、行ってくるぜ!』

『あ、ナギ!』

 

 そうしてナギは本拠(ホーム)を出てから、今に至るまで帰ってこないままだ。

 

「冒険者登録など大して時間のかかるものでもないというのに……ロキは心配ではないのか?」

「そうは言ってもなあ……ナギの実力で心配しろって方がおかしいやん」

「いくら実力があろうとまだ子供だ。まさか、どこかで迷子になっているのか……? 暗い路地で道もわからず、一人で泣いているのでは……」

「ナギがそんなタマやないってことは知ってるやろ、母親(ママ)

「知ってはいるが、それでも心配なのは変わらん。あぁ……ナギ……」

「アカン、こりゃ重症や」

 

 いつものリヴェリアであれば、ロキに母親(ママ)と呼ばれてからかわれた時は、すぐに訂正していた。

 しかし今は、訂正する事を忘れてしまうほど余裕がなくなっている。

 ロキの言葉通り、これでは初めてのおつかいに子供を送り出した過保護な母親そのものである。

 

「そんなに心配なら、自分で探しにいけばええやん」

「!!」

「いや、何やその『その手があったか!』みたいな顔は!? どんだけ余裕ないねん!?」

「う、うるさい!」

 

 顔を赤くしながら、ロキの指摘を誤魔化すリヴェリア。

 

「と、とにかくだ! この時間帯まで帰ってこないのはやはりおかしい。私はナギを探しに――」

「俺がどうかしたのか?」

「「えっ?」」

 

 照れ隠しも兼ねて、リヴェリアがナギを探すべく部屋を出ようとしたその時、聞き覚えのある声が部屋の入り口から聞こえてきた。

 

「ナギ! よかった。無事、帰ってきたか」

「おう、ただいま!」

 

 魔導士にあるまじき速度でナギの元まで移動したリヴェリア。その速さにロキが若干引いている。

 もっともナギの方は自力で同程度の速度は出せるので、たいして驚くこともなく、帰宅の挨拶を告げた。

 

「帰ってくるのが遅いぞ、全く。あまり心配かけるな」

「まあ、それは確かにな。何があったんや?」

「いや~、悪ィ悪ィ。ダンジョンに潜った時間自体は大したことねえんだけど、その後のエイナの説教がちょいと長引いちまってよ」

「エイナの説教? 何故ギルドに行っただけでそうなる? というか、ダンジョンに潜ったのか!?」

「リヴェリア、一旦落ち着きぃ」

 

 一気に自分の知らない情報を伝えられ、少し混乱してしまうリヴェリア。

 矢継ぎ早にナギに質問するリヴェリアをやんわりとロキが止め、詳しい事情を聞き出す。

 ナギの話によると、冒険者登録が完了するや否や、ナギはダンジョンに直行したとの事だ。

 ほとんど魔力パンチと魔法の射手で余裕だったとはナギの言。

 その際、自分と同じ駆け出し冒険者と知り合い、軽くノウハウ教えてもらいながら同行していたが、その駆け出しの冒険者はナギの戦闘能力に呆然としていたという。

 しばらく行動を共にしていたナギだったが、昼頃には体が空腹を訴えていたため、一度ダンジョンから戻って別れを告げ、リヴェリアからもらったお小遣いを使って腹ごしらえをしたそうだ。

 その後、ギルドに戻り、ダンジョンで得た成果をエイナに見せたところ、エイナの怒りが爆発。説教コースに強制突入したらしい(説教を受ける本人はほとんどを聞き流し、ともすれば寝ていたが)。

 説教を終えたエイナは、目を離してはおけないと、ナギのアドバイザーを買って出た。

 そして先程ようやく解放されたので、帰ってきたと。

 

「事情はわかった。エイナには後日、謝罪しておかねばな」

「そのエイナちゃんとは知り合いなんか?」

「友人の娘だ。最近は疎遠になっていて、ギルドに身を置いていた事は知らなかったがな。それにしても……」

 

 エイナの件など、リヴェリア自身も知らなかった情報があったものの、なんとか事情は把握することができた。

 ナギが破天荒な性格をしているのはわかっているつもりだったが、それでもまだその認識は甘かったようだ。

 リヴェリアは一つため息を吐くと、中腰になってナギと目線を合わせる。

 

「ナギ。お前の実力が中層でも通用するのは知っている。だが、お前は【ステイタス】を()()()()()()んだ。その上、魔力が切れてしまったら一般人と然程変わりないと聞く。あまり無茶はしてくれるな」

 

 そう、ナギは諸事情により、神の恩恵を受けていない。それが、リヴェリアの心配を増大させる原因ともなっているのだろう。

 だが、ナギはそんな事はまるで気にならないとでも言うように言葉を返した。

 

「心配すんなって。俺、魔力切れになったことなんてほとんどねえから」

「だが、ゼロではあるまい。とにかく、あまりソロでダンジョンに行くのは控えろ。迷って出られなくなり、餓死する可能性もある」

「うっ、そりゃちょっと勘弁だな。まあ、最悪天井ぶっ壊せばなんとかなるか!」

「なるかぁ!! どんだけ力尽くな解決法やねん!!」

 

 あまりに脳筋なナギの考え方にツッコミを入れるロキだが、実際にそれが可能なだけの破壊力を持つ魔法が使えるのだから洒落にならない。

 

「確かに有用な方法だが、他の冒険者が巻き込まれる可能性もある。本当の最後の手段にしておくように」

(あ、禁止にはせえへんのやな……やっぱり過保護や。この短期間でどうしてこうなった……)

 

 以前からアイズに対する態度などの兆候は見られたものの、リヴェリアのあまりの変貌っぷりに呆れるロキ。

 その後、ナギとリヴェリア達の間でいくつかの約束事を決めると、その場は解散になった。

 一度自室に戻ろうと部屋のドアに手をかけるナギを、ロキが思い出したように呼び止める。

 

「あ、そうやナギ。夜はみんなで出かけるから、準備しといてな」

「どこ行くんだ?」

「んっふっふ……それはやなぁ――」

 

 

 

 

「今夜は遠征のお疲れ会と、ナギの歓迎会を兼ねた宴や! 思う存分飲めぇ!」

 

 夜。西のメインストリートでもっとも大きな酒場『豊饒の女主人』にて、盛大な酒宴が開かれていた。

 ロキの音頭に合わせて、一斉にジョッキをぶつけ合わせる音がそこら中に響く。

 遠征の疲れを癒し、酒に料理にと舌鼓を打つ。

 例に漏れず、ナギも運ばれてくる美味な料理の数々を貪っていた。

 

「おばちゃん、お代わり!」

「はいよ! いい食べっぷりだねぇ! こっちも腕の振るいがいがあるってもんだ!」

 

 ナギの食いっぷりを見て、酒場の店主のミアは豪快に笑って鍋を振るう。

 ナギのように気持ちのよい食べっぷりを見て、機嫌がよくなっているようだ。

 すぐに追加の料理を作り、店員にナギの元まで持っていかせる。

 

「どうぞ」

「おっ、サンキュ。そこに置いといてくれ」

「かしこまりました。では、失礼します」

 

 エルフの店員が、ナギの注文した品をテーブルに置く。一礼して仕事に戻る店員の姿を、ナギはフォークを手にしながら見つめていた。

 

「あれ~、どうしたのナギ? もしかして今の店員さんに惚れちゃった?」

 

 そんなナギの様子を目敏く見つけたティオナが、ナギをからかう。

 しかしナギは慌てることもなく、エルフの店員に目を向けたまま呟いた。

 

「いや、あの店員かなり強ぇな、って思ってよ」

「あ~、確かにね~。立ち振舞いに隙がないし……なんか噂だと昔冒険者だったみたいだよ」

「へえ。ま、どうでもいっか」

 

 再びナギの興味が料理に移る。ティオナもまた、これ以上ナギに恋愛ネタを求めても無駄とわかり、飲みに戻る。

 ロキを中心に飲み比べ大会が開催されているようだ。

 そんな、場が盛り上がっていた時の事だった。

 

「そうだアイズ! そろそろあの話、皆に披露してやろうぜ!」

「あの話……?」

 

 アイズの斜向かいに座るベートが酒気を帯びた赤い顔で、アイズに何らかの話を催促する。

 

「ほら、あれだって! 帰る途中で何匹か逃がしたミノタウロス。最後の一匹、お前が5階層で始末したろ? そんでほれ、あん時いたトマト野郎がよォ」

「おばちゃん、トマトスープあるか?」

 

 ベートの話を聞いているうちにトマト料理が食べたくなったのか、料理を注文するナギ。

 ナギのあまりの空気の読まなさぶりに笑いが起こるが、ベートは一つ舌打ちをすると、構わず話を続けた。

 

「ミノタウロスって、17階層で襲いかかってきたのを返り討ちにしたら、集団で逃げてっちゃったやつ?」

「ああ。奇跡見てぇにどんどん上がっていきやがってよォ、俺達が泡食って追いかけていったやつ! こっちは帰りで疲れてたってのになァ」

「何の話だ?」

「お前を拾った直後の事でな」

 

 話についていけないナギがリヴェリアに事の次第を尋ねる。

 当時、ナギは気を失っていたのだから知らなくても無理はない、とリヴェリアがナギに何があったのかを簡単に教える。

 どこかで聞いた話だと思いながらも、さして興味もなかったので、ナギは無理に思い出すことはしなかった。

 その間も、ベートの口は止まらない。それどころか、徐々に熱を帯び始めた。

 

「それでよ、居たんだよ。いかにも駆け出しって感じのひょろくせえ冒険者(ガキ)が! 笑っちまうぜ! 兎みたいに壁際まで追い詰められて、震え上がっちまってよォ! メチャクチャ顔引きつらせてやんの!」

「ふむぅ? それで、その冒険者はどうなったん? 助かったんか?」

 

 ロキもその冒険者の生死は気になるらしく、ベートに続きを促した。

 

「アイズが間一髪ってところでミノを細切れにしてやったんだよ、なっ?」

「……」

 

 ベートがアイズに同意を求めるように声をかけるが、アイズは何も答えずにいた。

 その表情からは何を考えているのかは読み取れないが、僅かに眉を潜めていたのを、リヴェリアは見逃さなかった。

 ナギは完全にベートの話に興味をなくしたのか、すでに意識を食事に戻している。

 

「それでそいつ、ミノタウロスのくっせー血を浴びて……真っ赤なトマトみてえになっちまったんだよ! くくっ、あー、腹痛ぇ……っ!」

「うわぁ……」

「アイズ、あれ狙ってやったんだろ? そうだよな? 頼むからそう言ってくれ……!」

「……そんなこと、ないです」

 

 ベートの話を聞いた団員達が失笑を漏らし、アイズは絞り出すように声を出す。

 

「それにそのトマト野郎、叫びながらどっか行っちまって……ぶくくっ。うちのお姫様、助けた相手に逃げられてやんの!」

『アハハハハハッ!!』

「むぐっ……!!」

「そりゃ傑作やなぁ。冒険者怖がらせてまうアイズたんマジ萌えー!」

「ふ、ふふっ……ご、ごめんなさい。アイズっ、流石に我慢出来ない……!」

 

 周囲が大きな笑い声に包まれる。

 その声にびっくりしたのか、ナギが料理を喉に詰まらせ、慌てて近くにあったジョッキを傾けて流し込む。

 リヴェリアはそんなナギを呆れた目で見つつ、背を擦ってやった。

 

「トイレ行ってくる」

 

 そう告げて、ナギは席を立った。ミアにトイレの場所を聞くと、店の隅を指差され、ナギはそこに向かって歩き出した。

 その足取りは何故かひどく頼りなく、腹でも下したのかと心配するリヴェリア。

 ついていこうかと問うたが、ナギは一人で大丈夫だと断り、そのまま店の隅へと移動していった。

 ナギも心配だが、今はアイズの方が精神的に不安定になっていると判断し、リヴェリアはアイズの様子を伺う。

 ベートの話は続く。

 

「しかしまぁ、久々にあんな情けねぇ奴を見ちまって、胸糞悪くなったな。野郎のくせに泣くわ泣くわ」

「……あらぁ〜」

「ほんとざまぁねぇよな。ったく、泣き喚くくらいだったら最初から冒険者になんかなるんじゃねぇっての。ドン引きだぜ、なぁアイズ?」

 

 話を振られたアイズは何も答えない。しかし、心の中で不快感を募らせていた。

 その様子をリヴェリアが目を細めながら見つめる。

 

「ああいう奴がいるから、俺達の品位が下がるっていうかよ、勘弁して欲しいぜ」

「いい加減そのうるさい口を閉じろ、ベート。ミノタウロスを逃がしたのは我々の不手際だ。巻き込んでしまったその少年に謝罪する事はあれ、酒の肴にする権利などない。恥を知れ」

 

 リヴェリアの言葉に、一緒になって騒いでいた団員達はびくりと肩を揺らし、気まずそうに目を逸らす。

 しかし、その中でベートだけは止まらなかった。

 

「おーおー、流石はエルフ様。誇り高いこって。でもよ、そんな救えねぇヤツを擁護して何になるってんだ? それはてめぇの失敗をてめぇで誤魔化すための、ただの自己満足だろうが。そんなゴミをゴミと言って何が悪い」

「これ、やめぇ。ベートもリヴェリアも。酒が不味くなるわ」

 

 ロキが見かねて仲裁に入るが、ベートは止まらなかった。再びアイズに視線を飛ばして問いかける。

 

「お前はどう思うよ? 自分の目の前で震え上がるだけの情けねぇ野郎を。あれが俺達と同じ冒険者を名乗ってるんだぜ?」

「あの状況じゃあ、しょうがなかったと思います」

「何だよ、いい子ちゃんぶっちまってよ。だったら、あのガキと俺、ツガイにするならどっちがいい?」

「ベート、君、酔ってるの?」

 

 いくらベートといえど、普段であれば言わないような言葉に、フィンが軽く驚く。

 

「うるせぇ。ほら、アイズ選べよ。お前はどっちの雄に尻尾を振って、滅茶苦茶にされてぇんだ?」

 

 ベートの言葉に、この時ばかりはアイズも嫌悪感を募らせた。

 

「……私は、そんな事を言うベートさんとだけは、ごめんです」

「無様だな」

「黙れババァ! じゃあ何か、お前はあのガキに好きだの愛してるだの目の前で抜かされたら、受け入れるってのか?」

 

 その言葉が、怒りで高ぶり始めていたアイズの心に冷や水を浴びせる。

 

「そんなはずねぇよなぁ。自分より弱くて、軟弱で、救えない、気持ちだけが空回りしてる雑魚野郎に、お前の隣に立つ資格なんてありはしねえ。他ならないお前がそれを認めねぇ!!」

 

 ベートの言葉が、アイズの心に突き刺さる。

 

「雑魚じゃ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねえ」

 

 その一言を、アイズは否定できなかった。強くなるために、弱者を省みる余裕などない。少なくとも、アイズ自身がそう思っているのは間違いないのだから。

 

「ベルさん!?」

「ベル! うぷ……!!」

 

 だから、一つの影が店の外へと飛び出した事に気づくのが遅れたのは、必然だったのかもしれない。

 誰かの名前を呼ぶ声が店内に響いた。店から飛び出した影の正体を捉え、それが昨日自身が助けた少年だと気づいた時には、少年はすでに声が届かない距離まで走り去っていた。

 慌ててアイズが少年を追って店を飛び出す。視界の先には、まだかろうじて少年の姿が確認できた。

 しかし、アイズはそれを追うことができない。

 ベートの言葉が、頭の中で何度も木霊する。

 

(ベル……)

 

 少年のものであろう名前を呟くアイズは、いつまでも少年の後ろ姿を見つめていた。

 そのままその場に留まっていると、中々戻らないアイズに痺れを切らしたロキが、セクハラ交じりに酒場に戻ろうと話しかけてきた。

 もはや宴を楽しめる気分ではなかったが、いつまでもこの場に立っている訳にもいかず、ロキにセクハラの制裁を与えてから酒場に戻ろうとしたその時、

 

「ぐぁ!!」

 

 白髪の少年を謗っていたベートが、店の壁を突き破って大通りに吹き飛ばされてきた。

 

「テメェ……何しやがる!!」

 

 ベートが店の中に向かって叫ぶ。その声には不機嫌さがありありと表れていた。

 敵意溢れるベートのその視線の先には、昨日【ファミリア】に入ったばかりの赤毛の少年が立っていた。

 

 

 



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喧嘩

今回はナギVSベートです。久しぶりの戦闘描写で手こずりました。そもそも戦闘描写苦手ですし。
オラリオでは初の対人戦です。どうぞ、ご覧ください。


 時間を少し巻き戻す。

 

(やべえ……頭クラクラする……)

 

 ナギはふらつく頭を押さえながら店の隅にあるトイレへと足を進めていた。

 原因はわかっている。料理を喉に詰まらせた際、流し込んだ飲物が、酒だったのだろう。

 まだ十歳でアルコールに耐性ができていない上に、詰まったものを流し込もうとジョッキ一杯分を一気に飲み干したのが失敗であった。しかも、運が悪いことに飲んだ酒の度数はかなり高いものだった。

 

「うぷ……やべ、吐きそうだ……」 

 

 吐き気を堪えながら、なんとか足を進めるナギ。【ファミリア】の仲間たちの笑い声がいやに体に響き、余計に気分が悪くなる。

 

「あれ? アイツ……」

 

 店の隅のカウンター席まで辿り着いたところで、ナギは一人の少年の存在に気づいた。

 酒場の店員の隣で顔を俯かせているその少年の顔に見覚えがあったナギは、顔を綻ばせながらその少年に声をかけた。

 

「ベルじゃねえか! 奇遇だな!」

「え、あ……ナギ、君……」

 

 白髪に深紅(ルベライト)の瞳をもつヒューマンの少年は、ナギの呼びかけに俯かせていた顔を上げた。

 その少年の名はベル・クラネル。ナギがダンジョンに潜った際に出会った、駆け出し冒険者であった。

 ダンジョンに来たはいいものの、何をすればいいのか全くわからなかったナギに、声をかけたのがベルだった。

 見ず知らずの間柄であるにも関わらず、ベルは嫌な顔ひとつせずに、拙いながらもダンジョンのノウハウをナギに教えてくれたのである。

 ひたむきで純粋な性格のベルを気に入ったナギが彼と仲良くなるのに、さほど時間はかからなかった。

 所属している【ファミリア】が違う以上、次に会えるのはいつになるかわからなかったが、ここまで早く会えるとは思っていなかったため、ナギはこの偶然の再会に機嫌をよくした。

 

「なんだよ、お前も来てたのか! 声かけてくれりゃよかったのによ!」

「ご、ごめん……」

 

 ご機嫌な様子でバシバシとベルの背中を叩くナギ。酒が入っているからか、ノリが酔っぱらいに近くなっている。

 しかし、そんなナギとは対照的に、ベルの表情は浮かないものだった。

 それに気づいたナギが、ベルに問いかける。

 

「なんだよ、ずいぶん元気ねえな……なにかあったのか?」

「な、何でもないんだ。本当に……何でも……」

「ふーん?」

 

 ベルの表情は明らかに何かあると告げているようなものだったが、ナギはあえて追求することはなかった。

 

「あの~、ベルさん? この子、ベルさんのお知り合いですか?」

「ん? 誰だ、このねーちゃん?」

「えと……」

 

 今まで黙って成り行きを見守っていた酒場の店員が、ナギとの関係をベルに尋ねる。

 一方のナギもその店員とは初対面であり、ベルはどう説明したものかと悩む。

 そんな折りに、再びあの声(・・・)がベルたちの耳に届いた。

 

「しかしまぁ、久々にあんな情けねぇ奴を見ちまって、胸糞悪くなったな。野郎のくせに泣くわ泣くわ。ほんとざまぁねぇよな。ったく、泣き喚くくらいだったら最初から冒険者になんかなるんじゃねえっての」

「ッ!!」

 

 声の主であるベートの吐いたその言葉が聞こえた途端、ベルの体が再び強張る。

 表情はいっそう固くなり、体も小刻みに震えていた。

 

「ベル?」

「べ、ベルさん……?」

 

 様子がおかしいと感じたナギとシルが、ベルに声をかけるが、ベルはまるでナギ達の声が聞こえていないかのように、何も答えない。

 

「どうしたってんだ……?」

 

 いきなり様子がおかしくなったベルに、ナギは首をかしげる。

 どうしてベルがこのような状態になったのか、その理由をない頭を振り絞って考える。

 ベルの様子がおかしくなったのは、ベートの声が聞こえてから。つまり、ベートの話が原因と思われる。

 ナギはベートが何について話していたのかを思い返し、そして一つの結論に思い至った。

 

「なあ、ベル。お前、ミノタウロスとかいうモンスターに殺されかけたって言ってたよな。そんで、アイズに助けられたって。もしかしてあの犬ッコロが言ってんのって……」

「ッ……!!」

 

 グッ、と歯を食い縛るそのベルの反応に、ナギもベートが誰を謗っているのかを悟った。

 他でもない、目の前にいるベルを酒の肴にしていたのだ。

 再び、ベートの笑い声がナギ達の元まで届く。

 

「ああいう奴がいるから、俺達の品位が下がるっていうかよ、勘弁して欲しいぜ」

「っの野郎……言いたい放題言いやがって……!!」

 

 友人を馬鹿にされ、ナギは怒りを露にしながらベートを睨み付けた。

 大して親しくもない同じ【ファミリア】の人間と、会って一日も経っていないとはいえ、曲がりなりにも友人だと思っている相手、どちらを取るかと言われれば、ナギは確実に後者を取るだろう。

 

(一発ぶん殴ってやんなきゃ気が済まねえ!!)

 

 拳を握り、ナギはベート達の陣取るテーブルに向けて足を踏み出す。

 

「ダメだ、ナギ君!」

 

 しかし、そんなナギの手を抑えたのは、他でもないベルだった。

 

「止めんな、ベル! 今すぐアイツをぶっ飛ばして――」

「あの人は第一級冒険者だ! 敵いっこない!」

 

 確かに、普通ならば昨日【ファミリア】に入ったばかりだと言うナギが、第一級冒険者のベートに敵う道理はないだろう。

 しかし、異世界出身のナギにその理屈は当てはまらず、またナギにとってそんな事実は至極どうでもいいものだった。

 相手が何者だろうと関係ない。ただ、友人を馬鹿にした相手を叩きのめす。その事しか頭になかった。

 

「へっ、そんなもん俺には関係ねえ。あんな酔っぱらいぐらい、すぐにケチョンケチョンにしてやらぁ!」

 

 オラリオでの常識など一切通じないナギは、ベルの忠告を聞き入れない。

 しかし、ベルが危惧しているのは、それだけではなかった。ナギの実力は、今朝行動を共にしたことで垣間見た。しかし、懸案事項は実力差だけではないのだ。

 ナギの手を握る力を強め、ベルはナギに向けて言葉を紡ぐ。

 

「そうでなくても! 彼は君と同じ【ファミリア】の仲間だろう!? 僕のために家族と喧嘩するなんて、絶対ダメだ!」

 

 ベルは心配しているのだ。ナギはまだ【ロキ・ファミリア】に入ったばかりだ。

 幹部相手に喧嘩を売った暁には、ナギの居場所がなくなってしまう。家族を失ってしまう。

 自分なんかのために、ナギにそんな事をさせる訳には絶対にいかない。ベルはそう考えていた。

 

「これは僕の問題なんだ……だから……」

 

 悲痛な表情で、ベルはナギを押さえる。

 その心の内で、どれだけの葛藤があるのだろうか。

 心を読むことのできないナギでは、それを伺い知ることはできない。

 それでも、ここで感情に任せて飛び出すことをベルが望んでいないことだけは感じ取れた。

 しかし、

 

「雑魚じゃあ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねえ」

 

 最後に聞こえてきたベートのその一言で、ベルの心は限界を迎えた。

 

「――ッ!! ナギ君、ごめん……っ!!」

 

 懐から巾着袋を取り出し、ナギに押しつけたベルは、そのまま脇目も振らずに走り出した。

 

「ベルさん!?」

「ベル!! うぷ……」

 

 店を飛び出したベルを追おうとシルが飛び出し、ナギもそれに続こうとするが、ここに来て収まっていた吐き気が再びナギを襲い出した。

 吐き気を堪えてなんとかベルを追おうとするも、すぐにそれは無理だと悟る。

 

(やべ……もう限界だ……!!)

 

 この状態ではベルを追いかけるどころではない、とナギはすぐさまトイレに駆け込んだ。

 

「おろろろろろ……!!」

 

 涙目になりながらも、胃の中のものを便器に吐き出す。

 吐いたら幾分すっきりしたのか、吐いたものを流した後、ナギは晴れた表情でトイレを出た。

 

「あ゛~っ、やっとスッキリした! っ、そうだベルは!? ……もういねえか」

 

 トイレに入っていたのはほんの少しの間だが、人一人が店から出ていくのには十分すぎる時間だ。

 ベルの姿は、すでにそこにはなかった。

 いるのは、自分の所属する【ファミリア】の面々。そして、ベルを謗った狼人の青年。

 

(悪ィな、ベル……)

 

 ベルの言い分を、ナギは何となくだがその意味を理解した。

 細かいことまでは把握していないが、確かに同じ【ファミリア】内で喧嘩をするのは心証がよくないだろうし、何よりこれはあくまでベルの問題である。部外者(ナギ)が口出しするべきことではない。

 しかし、それでもナギは我慢できなかった。ベルの気遣いを無下にしてでも、自分の感情のまま付き従う。

 ナギは真っ直ぐにベートの元まで歩み寄り、声をかけた。

 

「おい」

「あ? 何だよ――」

「歯ァ食い縛れ!」

 

 魔力を込めた拳の一撃が、ベートの頬を撃ち抜いた。

 何の警戒もしていなかったベートは、為す術もなく店の壁を突き破り、外の通りまで吹き飛ばされた。

 あまりにも突然すぎる展開に、店内の人間は唖然としている。

 

「おばちゃん」

 

 ベルから受け取った巾着袋をミアに向かって放り投げる。

 

「さっき店から出てった奴が置いてった飯代だ。食い逃げした訳じゃねえから、そこんとこ覚えといてくれ」

「……わかった。あの坊主の分は受け取っておくよ。けど、壁の修理代は別だ。後できっちり頂くからね」

「ああ、ロキにつけといてくれ」

「え゛」

 

 どこからか声が聞こえてくるが、無視して話を進めるナギとミア。

 

「それと、店ん中で喧嘩すんじゃないよ。今の分は見逃してやるけど、これ以上店を壊したらただじゃ済まさないからね」

「おっと、そりゃ怖え。わかった、外で決着つけてやる」

 

 ミアの台詞におどけたように肩をすくめると、ナギは外へ向けて歩き出す。

 と、そこに今まで固まっていたリヴェリアが我に返り、慌ててナギの肩をつかんで引き止めた。

 

「何をやってるんだ、ナギ!?」

「止めんな、リヴェリア。これは俺の喧嘩だ。口出ししねえでくれ」

 

 リヴェリアの手を払い、そう言い捨てるナギ。その表情はいつもの飄々としたものではなく、いつになく鋭いものだった。

 

「何を――」

「ちょい待ちぃ、リヴェリア」

「何故止める、ロキ!?」

「まあ、うちもナギに言いたいことがないでもないけど(壁の修理代についてとか)、ここは見守っておこうや」

「何を言っている! 何か起こってからでは遅いのだぞ!」

 

 模擬戦ならともかく、ナギがやろうとしているのは完全にただの喧嘩である。何か間違いが起こって怪我をするかもしれない。

 喧嘩による被害を危惧したリヴェリアは、何故それを止めようとするのを邪魔するのか、分からなかった。

 しかし、ロキはそれでもナギを止めようとしない。

 

「今のナギに何言うても止まらんわ。ベートを殴ったっちゅう事は、ベートの話に出てた冒険者がナギの知り合いやったんやろ」

「!」

 

 館を出る前にナギから聞いた話から、ダンジョンで世話になったという駆け出し冒険者が、ベートが話題に挙げていた少年なのだろうと推測したロキ。

 つまり、今のナギは友人を馬鹿にされて怒っているのだと、他の者達も悟る。

 

「それにいくら態度があれとはいえ、ベートは【ファミリア】の幹部や。それを殴った以上、このままお咎めなしやと示しがつかん。かといって今さら止めてもどっちも気が済まんやろ。どうしたって悪感情は残る。それやったら、お互いに納得いくまでぶつかり合った方が手っ取り早い。殴られた当人のベートの気が済めば、それで万事OKやしな」

「だが!」

「本当に危なくなったら、止めに入ればええ。けど、今は黙って見とり。それに――」

 

 静かに外へ向かって歩き出すナギを見つめながら、ロキは含んだ笑いを浮かべながら言った。

 

「ここらでナギの実力を把握しとくのも、一興やろ」

 

 そして、舞台は店の外へ移る。

 

「てめぇ……何しやがる!?」

 

 体勢を立て直したベートが、ナギを睨み付ける。

 並の冒険者なら泣いて逃げ出すほどの殺気が込もった視線を、ナギは何も感じないかのように受け流した。

 

杖よ(メア・ウィルガ)

 

 杖を呪文で呼び寄せたナギは、そのままベートと正面から対峙する。

 空気が張りつめる中、ナギが口を開いた。

 

「お前、ベルを雑魚って言ったな」

「ベル? 誰だそりゃ」

「お前がトマト野郎って馬鹿にしてた奴の事だ」

「ああ、あいつの事か。確かに言ったが、それがどうした? 事実を言って何が悪い?」

 

 あくまで自分は何も間違った事は言っていない。ベートはそう主張する。

 確かに、ベートの言った事は、極端ではあるが事実ではあった。弱いからといって冒険者になるべきではないなど、言い過ぎな部分もあったが、何一つ嘘は言っていないのだから。

 

「いいか、よく聞けクソ犬。これだけは言っておく」

 

 それでも、ナギはベートに言わなければならないことがある。

 大きく息を吸って、言い放った。

 

「ベルは確かに雑魚だ!! おまけに度胸もねえ!!」

 

 ナギの台詞に、場の空気が凍った。それは、友人に対してあんまりにもあんまりなのではないだろうか。

 少なくとも、ベートの言い分に怒りを覚える資格はないだろう。

 ベートですら、今のナギの発言に『それはない』と思った。

 もちろん、ナギの言葉はこれだけでは終わらない。

 続きの台詞を、自身の友(ベル)がどういう存在なのかを言葉にしていく。

 

「けどな、あいつはすげえ奴だ。あんだけ好き勝手言われたってのに、お前に文句ひとつ言わねえ。それどころか、てめえを殴ろうとする俺を心配して止めようとしたぐらいだ」

 

 そう、ベルはお人好しだ。それこそ、他に類を見ないほどに。

 そして同時に、自分の弱さを受け止めるだけの、心の強さを持っている。

 

「あいつは誰より自分に力が足りてねえのを自覚してる。だから、これから強くなれるんだろうが!」

 

 自分の弱さから目を逸らすものは、一生成長しない。自分の強さに満足している者はそれ以上の成長は見込めない。

 ベルは自分の弱さを知り、弱い自分を変えようと、強くなろうとしていた。

 それだけでも、そこらの凡夫とは違う。

 しかし、ベートは一向にベルを認めようとはしなかった。

 

「ハッ、雑魚は雑魚だ。それ以上でも、それ以下でもねえ」

「そうやってあいつの可能性を否定して、挙げ句の果てにゴミ呼ばわりして笑い者にしやがって……ふざけんじゃねえ!」

 

 ナギの怒りに呼応して、周囲の魔力が吹き荒れる。

 規定外の凄まじい魔力に、ベートの表情が険しいものに変わった。ベートも17階層でナギが放った魔法を見ているので、警戒するのは当然と言える。

 

「ベルは、これは自分の問題だって言ってた。俺があいつのためにってお前と喧嘩したら、あいつは絶対に自分を責めちまう」

 

 ひどい侮辱を受けながらも、最後まで友人である自分のことを心配していたベルの姿を思い、ナギは咆哮する。

 

「だから、今からやる喧嘩はベルのためじゃねえ……俺の個人的な都合でやる喧嘩だ! てめえのことが心底ムカついたってだけの話だ! このまま引き下がっちゃ、俺の気が収まらねえ!」

 

 たとえ、ベルの意思に反しようが、この感情の昂りはもう抑えらない。ここで退いたら、自分が自分でなくなってしまうが故に。

 

「俺は俺のために、俺の都合で、てめえをぶっ飛ばす!! 覚悟しやがれ!!」

「――ハッ、てめえにゃ昨日の恨みもあるからな。いいぜ、てめえをぶちのめして、現実ってもんを教えてやる」

 

 杖をベートに向けて宣言するナギ。

 一方のベートは、余裕の表情で受けて立つ。たとえ規格外の魔力を有していようが、第一級冒険者である自分が負ける訳がない。

 自分の実力に自身があるからこその、驕りだった。

 双方が睨み合う中、先に動いたのはナギだった。

 

「こっちからいくぞ!」

 

 可視化するほどの魔力の光がナギの右腕に集まる。近接戦闘を仕掛けるつもりであろうか。愛用の杖は、拳闘の邪魔にならないように手元から宙に浮かばせ、ナギと付かず離れずの距離を保っている。

 そんな、この世界では見慣れない光景に沸き立つ野次馬達だが、ベートはそんなナギの行動を冷静に把握していた。

 

(馬鹿が。詠唱もしてねえのにどうやって魔力を集めてんのかは知らねえが、次の行動が丸分かりだ。あんなもん、目ェ瞑ってても避けられる)

 

 警戒はしておくに越したことはないが、右腕に魔力が集まっている以上、そちらの腕で攻撃するつもりでいるのは分かりきっている。

 そんな見え見えの攻撃を食らう訳がない。ベートはもちろん、腕に覚えのある者達は皆、そう思っていた。

 しかし、その予想は大きく裏切られる事となる。

 

「いくぜ!」

 

 その掛け声とともに、ナギの姿が消えた。

 

「なっ、――ぐあ!?」

 

 そして次の瞬間には、拳を振り切った状態のナギと、殴り飛ばされたベートの姿が周りの人間達の目に映っていた。

 ナギの魔力が存分に込められた拳は、ベートの体を十数(メドル)以上吹き飛ばす威力を誇っていた。

 

「嘘!?」

「速い……!」

 

 ティオナやアイズなどの他の第一級冒険者達も、今起こった一連の動きに目を見張った。

 身体的な速力は【ファミリア】随一であるベートの反応を上回る速さで拳を入れたのだ。

 何が起こったのかと見物人達がざわめき出す。

 ナギの行った事は至って単純だ。瞬動術と呼ばれる歩法を使って高速で移動し、殴り飛ばした。ただ、それだけである。

 特にナギの瞬動は見事なもので、相手に技の気配を悟らせないほどの完成度だ。

 ベートの目には、いきなり目の前にナギが現れて自分を殴ったように見えたことだろう。

 まるで瞬間移動したような速さに、騒ぎを見守っている者達も驚きを隠せないでいる。

 

「まだまだァ!!」

 

 ナギの追撃がベートに迫る。

 すでにベートの中のナギに対する油断は消え去っていた。神経を張り巡らしてナギの動きを注視する。

 

「ハッ、多少驚かされたが、てめえの動きなんざ、目ェ凝らせばきっちり見えんだよ!!」

「!!」

 

 腐っても第一級冒険者。その性能(スペック)は普通の冒険者とは比べ物にならない。

 初撃こそ見慣れぬ技に虚を突かれた事と、ナギを雑魚と侮っていた事からまともに食らったが、冷静になって動きを注視すれば追えない速度ではない。

 ナギの動きにしっかりと対応し、カウンターの拳を放つベート。

 

「へっ、甘ぇ!!」

 

 しかし連続の瞬動により、ナギはベートの攻撃を回避し、背後に回った。

 

(もらった!!)

 

 ベートの背中めがけて魔法の射手を乗せた拳を放つナギ。無防備な背中に直撃すれば、勝ちはほぼ確定だ。

 しかし、ベートとて伊達に何年も冒険者をやっている訳ではない。

 背中はもっとも警戒するべき箇所だ。当然ナギが狙ってくる可能性は高く、ベートはそこに意識を張っていた。

 

「オラァ!!」

「なっ!」

 

 ベートの読みは見事に的中。完全に入ったと思ったナギの拳は空を切り、代わりに鋭い蹴りがナギの腹部に突き刺さった。

 

「うわっ、モロに入ったよ!」

「大丈夫かしら?」

 

 蹴りの衝撃で勢いよく吹き飛ばされるナギを見て、ナギの身を案じるティオナ達。深層のモンスターさえ一撃で屠る威力の蹴りだ。人間を再起不能にするには十分すぎる威力である。

 しかし、その心配は杞憂に終わった。

 

「ってえなこの野郎!!」

 

 空中で体勢を立て直して着地し、何事もなく立ち上がるナギ。全くダメージは負っていないように見える。

 

(あの野郎……俺の障壁を抜いてきやがった。身体強化してなかったら危なかったぜ……)

(チッ、何だあの違和感は……あいつに蹴りを入れた時、壁のようなものが攻撃を遮りやがった。いや、それよりもあいつの動き……一瞬とはいえ、俺の速さを上回りやがっただと……)

 

 ナギもベートも、これまでの攻防を思い返し、お互いに油断ならない相手だと認識を改める。

 下手に動けば不利になる。お互いに相手の挙動を探り合い、一片の隙も見逃すまいと刮目する。

 じりじりと少しずつ距離を詰める二人。

 そして間合いに入った瞬間、石畳が割れるほどの力で地を蹴り、相手に向かって飛びかかった。

 

「オラァ!」

「オオッ!」

 

 拳と拳がぶつかり合う。ベートが蹴りを放てば、ナギがお返しとばかりに頭突きを返す。常人の目には、いや、第二級冒険者の目にすら何が起こっているのかすら把握できないほどの壮絶なぶつかり合い。

 その激しさは、戦いの余波が衝撃となって周囲に伝わってくるほどである。地面は砕け、周囲の建物がギシギシと軋む音が鳴る。お互いに一応周りに考慮はしているのか、なるべく被害を出さないような戦いを心掛けているものの、それでもその影響は収まりきらない。

 街に少々の被害を与えつつ、戦いはますます苛烈さを増していく。

 お互いに一歩も引かない戦いに、周囲の人間は例外なくポカンと口を開けていた。

 

「嘘でしょ……酔ってるとはいえ、ベートと互角だなんて……」

「ナギってこんなに強かったの……!? ていうか、どう考えても魔導師の戦い方じゃないし!」

「魔法剣士……?」

 

 予想もしなかったナギの強さ。朝食の席で魔導師(正確には魔法使いだが)と名乗っていたナギだが、その戦いぶりはどう見ても魔導師のそれではない。

 どちらかと言えば〝魔法剣士〟と呼ばれる、接近戦もこなす魔導師のスタイルに近いものがある。

 しかし、アイズ達の目から見て、今のナギは全く魔法を使っていないように見えるので、まるで詐欺にあったかのような気分に陥っていた。

 実際には身体強化や障壁などの魔法を使っているのだが、魔法は三つまでしか使えず、詠唱して使うものという常識が蔓延っているこの世界の人間には、その事実を知る由もない。

 

「へっ、思ったよりやるじゃねえか! なら、こいつはどうだ!」

 

 一度後方に距離をとったナギは、ついに攻撃魔法を解禁した。それは、魔法学校で唯一習う攻撃用の魔法。

 

魔法の射手(サギタ・マギカ)雷の1矢(ウナ・フルグラティオー)!!」

 

 雷属性の魔法の矢。本来なら一本一本は牽制程度の威力しか持たない魔法だが、ナギの莫大な魔力によって放たれるそれは一本でも並の魔法使いの放つ上級魔法を凌駕する威力を誇る。

 直径五〇(セルチ)ほどの太いレーザーの如く射出されたそれは、ベートに向かって直進していく。

 当然避けるものと思われていたが、あろうことかベートは、装着した白銀の長靴を魔法の矢に叩きつけた。

 

「んなっ!?」

 

 特殊金属『ミスリル』を加工したメタルブーツ。第二等級特殊武器(スペリオルズ)――フロスヴィルト。 その能力は、魔法効果を吸収し特性攻撃に変換するというもの。 

 まさか避けるでもなく、弾くでもなく、吸収されるとは思ってもみなかったナギは思わず驚愕の叫びをあげた。

 

「こっから先、てめえにゃ何もさせねえ!」

 

 雷の力を手に入れたベートは、その速力をもってナギに猛攻を仕掛ける。その速度は先程までとは段違いだ。

 また、その威力も蹴りの風圧だけで吹き飛びかねないほど強烈なものとなっている。

 魔法を吸収されたことによる動揺も手伝って、僅かな隙が出来たナギは、ベートの猛攻に反撃することが叶わず、防戦一方になってしまう。

 攻撃を弾こうにも、ナギの魔力を吸収したメタルブーツは想定以上の威力を誇っており、ナギは守勢に徹するしかなかった。

 しかし、守りにも限界は訪れる。

 次第にベートの蹴りがヒットし始め、ナギの体に痣を作っていく。

 

「終わりだ!」

 

 そして、ついにナギのガードを抉じ開け、雷を纏ったベートの蹴りがナギを打ち据えた。

 強烈な蹴りを見舞われ、通りの端まで届く勢いで吹き飛ばされていくナギを見送り、得意気に笑うベートだったが、唐突に視線の先にあるナギの姿が掻き消えた。

 

「残念、そりゃ影分身だ」

「なに――ぐはぁ!?」

 

 ベートが蹴り飛ばしたのは、ナギ本体ではなく、ナギが作り出した実体のある分身であった。

 気配、密度がほぼ本体と同等だったこともあり、完全に騙されたベートは、いつの間にか背後に回っていたナギの拳をもろに食らった。

 

「こっからは俺のターンだ!」

 

 さらなる影分身を展開して攻勢に出るナギ。その数、なんと十以上。密度、攻撃力は本体に数段劣るものの、手数の多さは圧倒的である。

 打って変わって劣性に立たされたベート。

 目まぐるしく変わる展開に、見物人達は一部を除き、全くついていけないでいる。

 そして、一部の実力者達もついていけはするものの、ナギの不可思議な技の数々に目を回していた。

 

「えっ、あれっ!? ナギがたくさんいる!?」

「どうなってんのよ、本当に……」

「すごい……」

 

 ある者は戸惑い、ある者は目の前の光景に目を疑い、ある者は素直に感嘆する。

 特に、金髪の少女は目の前の少年の戦いぶりを興味深く、同時に眩しいものでも見ているかのような目で眺めていた。

 

「すごいな……力や敏捷などの単純な能力値だけで言えば、ベートの方が上だ。しかし、ナギの並外れた戦闘勘と膨大な魔力、そして謎の戦闘技術がそれを補完している」

「恐らく、私たちの知らないところで他にも魔法を使っているのだろうな。あれが、異世界の魔法使いの戦闘か」

「ガッハッハ。さすが、儂が目をつけただけあるわい」

 

 ナギの事情を知る者もまた、己の常識を覆すナギの戦いぶりを目に焼き付けていた。

 

「チィッ、なめんじゃねえ!!」

 

 痺れを切らしたベートが、攻撃を避けることもせずにナギめがけて突貫してきた。

 突然の寄行に面食らったナギは一瞬動きを止めてしまい、その隙にベートの反撃を食らった。膝蹴りを頬に受け、そのまま追撃の回し蹴りによって大きく距離を離される。

 口の中を切ったのか、血の味がする。

 ぺっ、と口に貯まった血を吐き出し、ベートを睨み付ける。

 

「あんだけ入れてやったのに、まだそんだけ動けんのかよ。やせ我慢か、おい」

「ハッ、てめえの攻撃は軽いんだよ。少しくれえ食らったところで何の影響もねえ」

「チッ」

 

 口元から血を流し、所々に痣も見えているが、まだまだ戦闘続行可能な様子のベートに舌打ちする。

 ナギの方が有効打を多く入れているにも関わらず、形勢は互角。それは何故か。

 それはひとえにベートの言葉の通りである。

 いくら身体能力を強化したところで、ナギも所詮は十歳の子供なのだ。

 まだ体の出来上がっていない現状では、身体強化にも限界はある。それは、先程ナギが放った魔法の矢の威力からも伺える。

 というのも、魔法の矢は魔力を込めたパンチ一発と同等の威力とされるが、今のナギを見れば明らかに拳より魔法の矢の方が威力が高いとわかる。つまり、魔力と身体能力が釣り合っていない状態にあるということだ。

 もちろん、魔力のごり押しでさらなる強化もできる。しかし、それをすると未成熟なナギの肉体の方が持たないのである。現状では、今以上の攻撃力は()()()では出せない。

 ならば魔法はどうかという話になるが、ベートには魔法を吸収するフロスヴィルトがある。

 少なくとも、無詠唱で放てるレベルの魔法は吸収されてしまうだろう。

 この状況を打破するにはどうするべきか。答えはすでに決まっていた。

 

「これ以上グダグダやってても仕方ねえ。次で決めるぜ」

「やれるもんならやってみやがれ」

 

 フィニッシュ宣言をするナギに、挑発で返すベート。

 鋭い視線をぶつけ合う二人の間の緊張感が高まっていく。

 先に動いたのは、案の定ナギの方だった。

 

「いくぜオラァ!」

 

 今度は密度を重視した影分身を伴ってベートに攻撃を仕掛ける。

 バカのひとつ覚えか、と迎撃体勢に入るベートだが、何か違和感を覚える。

 ナギは短気ではあるが、戦闘においてはクレバーな思考回路を持っている。

 それがこんな単純な攻めをするものだろうか、と。

 疑問に思いながらもナギの攻撃を捌く最中、不意にベートの耳に不穏な旋律が流れてきた。

 

来れ雷精(ウェニアント・スピリトゥス )風の精(アエリアーレス・フルグリエンテース)!」

「まずい! あの詠唱は!」

 

 忘れもしない17階層での出来事。ナギの魔法の詠唱文を覚えていたリヴェリアは焦りを隠せなかった。

 そしてベートも気づく。今攻撃を仕掛けている影分身の中に、本体はいないことを。

 前にも後ろにも気配は感じない。となれば残るは一つ。

 

「上か!!」

 

 影分身を退け、視線を上にやるベート。

 そこには、杖を携えて詠唱を紡ぐナギの姿があった。

 

「チィッ!! (あれはヤベェ!!)」

 

 舌打ちしながら建物を介して跳躍し、ナギの詠唱を阻止しようとするベート。

 同時に、リヴェリアもまた、ナギの魔法を止めようと叫んだ。

 

「止めろナギ! その魔法は強力すぎる! ここら一帯を吹き飛ばすつもりか!!」

 

 すでにテンションが限界を振り切り、ベートに勝つことしか頭にないナギは、市街地で使用するにはあまりに危険すぎる魔法を選択していた。

 そもそもナギが接近戦に打って出たのは、ナギの魔法が市街地で使うにはあまりに威力が大きく、周囲の建物を崩壊させかねなかったからだ。

 それを裏付けるように、ナギはこの喧嘩で広範囲の魔法を一度も使っていない。魔法の射手でさえ、一本分に抑えている。

 しかし、今のナギはその事実をすっかり頭から抜け落としていた。ただでさえ膨大な魔力を誇るナギが雷の暴風などという上位呪文を、しかも上空から下方に向けて撃ちでもすれば、リヴェリアの言葉通り、この周囲一帯は滅茶苦茶になってしまうだろう。

 リヴェリアの言葉を聞いた他の面子も、ナギの魔法を阻止しようと動き出す。

 しかし、威力に見合わない短さの詠唱は、すでに完成しようとしていた。

 ベートも、リヴェリアも、他の人間も間に合わない。

 

雷を纏いて(クム・フルグラティオーニ )吹きすさべ(フレット・テンペスタース )南洋の(アウストリー)――へぶぅっ!? 」

 

 万事休すかと思われたその時、ナギの頭におたま(・・・)が直撃し、詠唱は中断された。

 

「な、何だ!?」

 

 あまりに想定外すぎる攻撃に動揺し、地面に落ちたナギは、何が起こったのか把握しようと辺りを見回す。

 そして、気づいた。尋常でないオーラを放っている御仁に。

 

「あんた、今何をしようとしていたか分かってるかい?」

 

 仁王立ちでナギの目の前に聳え立つのは、酒場の主人であるドワーフのミア。

 

「お、おばちゃん?」

 

 神すら殺せそうな程の威圧感を放つミアに、さすがのナギも気後れしてしまう。

 

「確かにあたしは、店の外でなら喧嘩していいとは言った。けど同時にこうも言ったはずだ。次に店を壊したらただじゃ済まさないと」

「うっ」

 

 ミアのその言葉に、ナギは自分が何をしようとしていたのかを思い出した。

 熱くなっていたとはいえ、あまりに危険すぎる魔法を選択した事を、さすがのナギも反省する。

 

「これからたぁっぷりお説教してやるから、覚悟しな」

 

 口元は笑っているのに目が全く笑っていないミアを見て、ナギは人生で初めて死を覚悟した。

 

「そこの狼も! 一人だけ逃げんじゃないよ! あんたも同罪だ」

「ゲッ!」

 

 こっそり逃げようとしていた喧嘩の当事者であるベートも、ミアに目敏く見つかり、正座させられる。

 

「今回はさすがにやりすぎだ。お前たちに常識というものをみっちり叩き込んでやる」

 

 リヴェリアもまた、ミアと同じように笑っていない目で二人を見下ろしている。

 ある意味最強の二人が揃い、ナギとベートは逃れられない運命に絶望した。

 ファミリアの面々はそそくさと退散していき、残ったのはオカンと母親(ママ)と、見捨てられた二匹の哀れな子羊のみ。

 

「さあ、覚悟はいいね」

「私も言いたいことはたくさんあるのでな。今日は眠れると思うなよ」

 

 結局、ミアとリヴェリアに深夜まで説教を食らい続け、喧嘩の疲れもあって気力体力ともに失い果てたナギとベートであった。

 

((こいつのせいで……!!))

 

 余談だが、ナギとベートはお互いに説教を受けたのは相手のせいだと責任転嫁していた。

 この日を境に、【ロキ・ファミリア】内でナギとベートの対立が日常と化すこととなるのだが、それはまた別のお話。

 




今回ナギは、本気ではあれど、全力は出してません。周囲の被害を気にせず戦ったら、街が崩壊しますから。まあ、それはベートにも言える事ですが。


~おまけ~

 ちなみに……

「こらナギ! 説教はまだ終わってないぞ! 勝手に寝るんじゃない!」
「でっ!」

 途中で何度も寝落ちしそうになったり……

「ムシャクシャしてやった! 反省も後悔もしてねえ!」
「胸張って言うことじゃないよ! いい加減にしな!」
「んがっ」

 まったく反省していなかったり……

(今だ! あの隙間から抜けてやる!)
「逃がさんと言ったろう!」
「ぐえっ」

 何度も脱走を試みて捕獲されたり……

「てめえ喧嘩売ってんのか鳥頭ァ!!」
「それはこっちの台詞だ! もう1ラウンドいっとくかクソ狼!!」
「「やんのかゴラァ!!」」
「「いい加減にせんか!!」」

 喧嘩が第2ラウンドに突入しそうになったり……

「はあ……はあ……暴れすぎだ、あの馬鹿」
「まったく、ヤンチャすぎるだろう、あの坊や」

 その他にも色々あり、必要以上に疲れきったリヴェリアとミアの姿がありましたとさ。



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決意の朝

 更新速度については、もう……何も言うまい……
 大変長らくお待たせしました最新話。相変わらず話が進みませんが、どうぞご覧あれ。




「ぅ、んぁ~……」

 

 まだ日も上っていない時間帯。薄暗い部屋の中で、あくびを漏らしながらナギは目を覚ました。

 しかし、まだ眠気が完全に抜けきっていないのか、起き上がる様子はない。

 しばらくの間、毛布の中でモゾモゾと蠢いていると、何かが自分の体を拘束していることに気がついた。

 動けないほど力強くはない。優しく包み込むような力加減のそれは、細くて柔らかい。

 嫌な感じはせず、むしろ心地よささえ感じられるが、同時に煩わしさを感じるのも事実。

 そこから逃れようともがいていると、布越しに何か柔らかいものがナギの手に触れた。

 

「なんだこれ……?」

 

 手に収まる程度の大きさの、ほどよい弾力があるその何か。その正体が気になり、ナギは探るように指に力を籠めてみる。

 ナギの手の中でぐにぐにと形を変える柔らかいナニカ。

 

「んっ、ふっ……ぁ……やめ……」

 

 同時、耳元に艶かしい声が届く。その声に首をかしげる。

 誰の声だろうか。不思議に思いながら、視線を上にずらす。

 

「んあ?」

 

 気の抜けた声ととに、ナギは目を丸くした。

 

「………………ナギ」

「リヴェリア……?」

 

 そこにあったのは、顔を赤らめた自分の教育係とも呼べる女性。その目はしっかりとナギの目をとらえている。ジト目で。

 そこでようやく、ナギは自分の置かれている状況を把握した。

 それと同時に、自分の手が揉みしだいていたナニカにも見当がついた。

 体を起こしたナギは、自身の手と、同じく起き上がったリヴェリアの胸とを交互に見やる。

 そして一度目を閉じ、再度開くと、何事もなかったかのように笑みを浮かべた。

 

「よう、リヴェリア。いい朝だな!」

「なかった事にしようとするな」

 

 こうしてナギの朝は、リヴェリアの拳骨から始まった。

 

 

 

 

「まったく、不可抗力とはいえ、あんなに恥ずかしい思いをしたのは初めてだぞ」

「寝ぼけてたんだから仕方ねえだろ。俺は悪くねえ」

 

 リヴェリアの小言に、ナギが不本意だと言わんばかりに返す。

 現在の時刻は四時半を過ぎたところ。

 起きるには早すぎる時間ではあるが、今さら二度寝する気にはなれない、とナギとリヴェリアはそれぞれ普段着に着替え、酒場として使用されている建物の一階に降りていた。

 まだ他の者は眠っているのか、ナギ達以外に人はおらず、静かな空間を形成している。

 眠気覚ましの水を一杯飲み干しながら、ナギはふと、ある事に思い当たった。

 

「そういや、何で俺、リヴェリアの隣で寝てたんだ?」

 

 ピクリ。リヴェリアが肩を震わせる。

 そう、先程までナギ達が寝ていた場所は、【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)ではない。

 酒場『豊饒の女主人』の二階にある一室であった。

 

「別々のベッドで寝てりゃ、そもそもあんな事故は起こらなかった訳で……」

 

 何故、本拠ではなくあのような場所で寝ていたのか。頭を捻るも答えは出ない。

 何かあっただろうか、と昨夜の出来事を思い返してみる。

 

(たしか昨日はあのクソ狼と一緒になってリヴェリアとおばちゃんから説教を受けて……そんで……あれ? どうなったんだっけ?)

 

 記憶を遡ってみるも、途中で途切れてしまっている。結局、昨夜の出来事を思い返しても何も分からなかった。

 

「リヴェリア?」

 

 事情を知るであろうリヴェリアに視線を向け、詳細を尋ねるナギ。

 リヴェリアは、何故だか目をあちこちに泳がせながら、しどろもどろに答えた。

 

「えーと……その、だな。昨日は説教が長びいたせいか、お前は説教が終わったと同時に眠ってしまってな。ベートはさっさと帰って行ったんだが、寝落ちしたお前を慮ってか、女将のミアが泊まっていけと提案してきたんだ。私も疲れていたのでな、ミアの言葉に甘えさせてもらったという訳だ」

「なるほどな。じゃあ、同じベッドで寝てたのは?」

「ここには、酒場の従業員も寝泊まりしているからな。数が足りず、同じベッドで寝るしかなかっただけだ」

「ふーん……ま、そういうことなら仕方ねえか」

 

 リヴェリアの口から告げられた理由に、一応の納得を見せるナギ。

 

「あ、ああそうだ。仕方なかったからな、うん」

「……? ま、いっか」

 

 それに必要以上に同意するリヴェリア。そんなリヴェリアの様子を訝しむナギだが、さして気にならなかったのか、結局そのままスルーした。

 

「リヴェリア、ちょっと外の空気吸ってくる」

 

 薄暗い室内では窮屈だったのだろうか。外の新鮮な空気を求めて、ナギがリヴェリアに一言断りを入れて外へ向かう。

 

「わかった。だが、勝手にどこかへ行くなよ」

「わーってるって」

 

 ひらひらと手を振り、出口の扉に手をかける。

 

「あ、そうだリヴェリア」

「何だ?」

 

 思い出したように後ろを振り返るナギに、顔を向けるリヴェリア。

 ナギは親指を立てると、茶目っ気たっぷりの笑顔で言い放った。

 

「お前って意外と着痩せするタイプなのな。ロキよりは全然でかかったぜ、お前の胸」

「~~~~~~ッ、ナギッ!!」

「わははははは!!」

 

 顔を赤くしてテーブルを叩くリヴェリアから逃れるように、ナギは酒場の外へ出ていった。

 その様子を見送ったリヴェリアは、椅子の背もたれに体重を預け、嘆息した。

 

「まったく。大人をからかいおって……」

 

 

 

 

 通りに出たナギは、まず肺一杯に朝の空気を吸い込んだ。澄んだ空気が意識を覚醒させていく。

 ようやく顔を出した太陽の光を浴びて、その温かさに何とも言えない心地よさを感じる。

 その時、ナギは不意に通りの先で見知った顔を見つけた。

 

「お、あれは……ベルか? こんな時間に何やって…………ん?」

 

 昨日、店を飛び出してどこかへ行ってしまった友人の姿を見つけ、声をかけようと近づいたところ、ナギは異変に気づいた。

 

「な、ベル!? おい、どうしたんだその怪我!?」

「ぁ、ナギ君……」

 

 血相を変えてベルの元まで駆け寄り、何事かを問うナギ。

 それだけ今のベルの姿は、見るに堪えないものだった。

 額を切ったのか、顔は血にまみれており、憔悴の色がありありと浮かんでいる。

 傷は右膝の裂傷が特にひどく、かなり深くまで裂かれている。

 それ以外にも服はボロボロに損傷しており、破けた箇所から切り傷、打撲による青あざが見られ、所々から血も流れている。

 誰がどう見ても満身創痍であった。

 加えて、どこか暗い雰囲気を纏っており、拒絶の意さえ見られる。

 

「大丈夫だから……ほっといて……」

「ほっとけるかバカ! じっとしてろ、今治す!」

「治すって……」

「いいから黙ってじっとしてろっての! 治癒(クーラ)!」

 

 ベルの言葉を完全に無視し、ナギはベルの傷口に手をかざし、無詠唱で治癒魔法を発動する。手から発せられる光が傷口に当てられ、徐々にその傷が塞がっていく。

 その光景を目の当たりにし、ベルは目を見張った。

 

「これって……治癒魔法……?」

「ああ。基礎魔法だから、重傷にゃ効かねえけどな。ある程度なら治せるぜ」

 

 ナギが迷宮都市でも使い手の少ない治癒魔法の使い手だったことに驚くベル。

 昨日のダンジョン探索でナギが魔法の射手を使用したことにより、ナギが魔導師であることは察しがついていたベルだが、まさか治癒魔法まで使えるとは思っていなかったのだ。

 この年で二つの魔法を使えるというのは、かなり稀有な例である。

 ベルは改めてナギの凄まじさを認識した。

 もっとも、そんなものはほんの一面にすぎないのだが、今のベルにそれを知る由もない。

 

「お前、何でそんな怪我してんだよ」

 

 治療の間、沈黙を嫌ったのか、ナギがベルに怪我の理由を問いかけた。

 酒場から飛び出した後、何をどうしたらこんな怪我を負うというのか。

 すべて話せ。そんなナギの有無を言わせない視線に、ベルは治療の恩もあり、ばつが悪そうにしながらも現在までの経緯を話し出す。

 

「昨日酒場を飛び出した後、そのままダンジョンに行って……一晩中モンスターと戦ってた」

 

 聞けば誰もが正気を疑うようなその行動に、ナギはキョトンとした顔を見せ、その後一転して顔をほころばせながら、ベルの背中をバシバシと叩いた。

 

「やるじゃねえか! 魔法も使えねえのに一晩中戦ったなんて、ちょっと見直したぜ、ベル!」

「いだっ! ナ、ナギ君っ、背中の怪我まだ治りきってないからっ……!」

「っと、そうだった。悪い悪い。まあ治してんの俺だし、これくらい許容範囲だろ。気にすんな」

「あ、はは……」

 

 悪びれなく笑いながら軽い調子で詫びを入れるナギ。

 そんな変わった友人に、背中の痛みも忘れてベルは思わず苦笑した。

 同時に、自身の無謀な行いに対するナギの反応にも、驚きを通り越して呆れを感じていた。

 

(やっぱちょっとズレてるよね、ナギ君って)

 

 普通ならそのような愚行を犯したことを叱るところだろう。

 それをまさか褒められるなどとは、夢にも思っていなかった。

 いつの間にか、暗い雰囲気などどこかへ消えてしまい、肩の力が抜けていた。

 そのまま大人しくナギの治療を受けていたベルだが、不意に口を開いた。

 

「そ、それよりナギ君。ずっと気になってたんだけど……昨日僕が飛び出してから何があったの? すごいことになってるんだけど」

 

 話題を変えようとしたのか、我慢の限界に達したのか、ベルはついに周りの景色にツッコミを入れた。

 辺りを見渡せば、そこはまるで災害の跡地。

 石畳みの地面は至るところで砕けており、とてもじゃないがまともに歩いて通れるような状態ではない。少なくとも馬車などの乗り物が通行止めになるのは間違いないだろう。

 明らかに何かが起こったのは間違いない。

 故にベルはナギを問い詰めるのだが、

 

「あー、まあ気にすんな。大した事じゃねえよ」

「いや大した事だよね!? 本当に何があったのさ!?」

 

 ナギはのらりくらりとベルの追求を躱すのみ。

 それというのも、この惨状がすべて、昨日のナギとベートの喧嘩の影響によって出来たものだからである。

 ナギがベートに手を出すのを望んでいなかったベルに、その事実を誤魔化したくなるのは必然であった。

 

(そういや、これの修繕費って俺が払わなきゃなんねえのか? 今までの経験上、結構かかるような気がするけど…………ま、いっか。ロキに払わせりゃいいだろ)

 

 面倒事は大人に押し付けるに限る、とひどく自分本意な考えをするナギ。ロキの胃の未来が心配である。

 結局、ナギは一向に事情を説明せず、ベルは何を言っても無駄だと悟り自分から引き下がった。

 数分後、ようやく粗方の治療が終わり、ナギは魔法の行使を止めた。

 

「基礎の治癒魔法じゃこんなもんか。立てるか、ベル?」

「う、うん……ありがとう、ナギ君」

「気にすんな。これくらい朝飯前だぜ」

 

 満足気にベルの容態を確認するナギ。

 ベルの怪我は、表面的にはさほどひどくは見えない程度まで回復した。

 ナギが使った治癒魔法は、ごく基本的なもので、普通に使えば擦り傷程度にしか効かないが、膨大な魔力量によるごり押しによってある程度の打ち身、捻挫、切り傷、火傷、凍傷などは治すことができる。

 ただし簡易魔法なだけに重症・重傷には効果がないため、ベルが致命傷と呼べるほどの負傷をしなかったのは幸いであった。

 しかし、蓄積されたダメージはしっかり体に刻まれており、体力は失われたままだ。特に傷の深かった右膝の裂傷などは、完全には塞がっておらず、全体としても完全に治ったとは言い難い。

 現に、ベルの足は未だふらついている。

 ある程度回復したとはいえ、しっかりとした療養が必要だろう。

 そんな状態のベルをそのまま放っておくのは忍びない、とナギはひとつ提案をした。

 

「ついでだし、お前ん家まで送ってくぜ。軽い傷は大体直したけど、まだダメージ残ってんだろ」

「いやいや、そこまで世話になる訳にはいかないよ! 大丈夫、一人で帰れるから!」

 

 ナギの言葉に、慌てて首を振るベル。

 ただでさえ酒場から逃げ出すという醜態をさらし、その上怪我の治療までしてもらったのに、これ以上世話になっていては立つ瀬がない。

 しかし、ナギはベルの心情などまるで意に介さず、言葉を重ねる。

 

「ちょうど散歩でもしようと思ってたんだ。いいから付き合え」

「あれ? 僕に拒否権なし?」

「当たり前だろ、何言ってんだ?」

 

 ベルの意思など関係ない、自分の言う通りにしていろ。そう言わんばかりのナギの態度に、ベルは苦笑する。

 それが自身の身を慮んばかってのものだと気づいたからだ。ナギに言えば必ず否定するのが目に見えていたので、口に出すことはなかったが。

 結局ベルは、ナギに押し切られる形で本拠まで送られることになった。

 

「んじゃ、行くとするか!」

「ナギ」

 

 杖を手元に呼び寄せ、いざ行かんと声をあげたその時、自身の名前を呼ばれ、振り返る。

 

「リヴェリア」

「中々帰ってこないと思ったら、何をしているんだお前は?」

 

 外の空気を吸うだけにしては時間がかかりすぎていると思ったのだろう。

 ナギを迎えに酒場から出てきたリヴェリアが、ナギが肩を貸している少年に目を向ける。

 

「その少年は何者だ?」

「ああ、こいつはベル……ベル~……おい、ベル。お前のファミリーネームなんつったっけ?」

「「だぁ!?」」

 

 ナギの残念すぎる記憶力に、リヴェリアとベルは思わずずっこけた。

 

 

 

 

「そうか。ベートが謗ったナギの友人とは君の事だったのか」

 

 気を取り直して、ナギとベルから詳しい話を聞き、リヴェリアは事情を把握した。

 

「ベル・クラネルと言ったな。すまなかった。うちの団員が君を侮辱した事、謝罪しよう」

「い、いえそんな! あの人が言った事は……全部、本当の事ですから」

「だが……」

「いいんです、本当に。僕が弱いのがいけないんです。だから、貴方達が僕なんかに謝る必要なんてありません」

 

 リヴェリアからの謝罪に、かえって恐縮するベル。

 ともすると強情なほどに謝罪を受け取ろうとしないベルに、先に折れたのはリヴェリアの方だった。

 

「そうか。本人がそう言うのなら、昨夜の事についてはもう何も言わない。だがひとつだけ言わせてもらおう」

「何でしょうか?」

 

 首をかしげるベルに、リヴェリアは真剣な色を帯びた声音で言った。

 

「あまり自分を貶めるな。それは、お前を信頼している人をも侮辱する行為だ」

「!」

「私の言いたいことはそれだけだ。今の言葉を忘れないでいてくれると嬉しい」

「は、はい!」

 

 リヴェリアの微笑を携えた一言に、ベルが顔を赤くしながら返事をし、昨夜の一件に関する話は一応の決着がついた。

 

「それにしても、随分ひどい格好だな。何かあったのか? 服がボロボロの割に怪我の程度は軽いようだが……」

「あ、えと……それは……」

 

 ベルのあまりにボロボロな格好について追求するリヴェリア。

 理由が理由だけに、ベルもその理由を語るのを躊躇している。

 しかし、そんなベルの心情を完全に無視して、ナギはベルの背中を叩きながら、まるで友人を自慢するかのように嬉々としてリヴェリアに何があったのかを話した。

 

「それがよ~、こいつ昨日の夜、酒場飛び出した後、そのままダンジョン突っ込んで、一晩中戦ってたんだってよ! 魔法も使えねえのに、中々やるだろ?」

 

 ナギの言葉を聞き、リヴェリアは目を見開いた。

 およそ信じられないような内容だったからだ。

 

「防具のひとつも着けていないのに、こんな状態でダンジョンに潜ったというのか!? 死にたいのかお前は!?」

「い、いや……あの時はもう、無我夢中で」

 

 常識的な感性を持つものであれば当然するであろう叱責をベルにぶつけるリヴェリア。

 それだけ、ベルの起こした行動というものは常軌を逸するものだったのだ。

 ベル自身、なんて命知らずな真似をしたのだろうと自覚しているのだから、相当である。

 

「いいじゃねえか、リヴェリア。防具着けてねえのは俺も同じだぜ?」

「非常識が服を着て歩いているようなお前と一緒にするな」

「ひでえな、おい」

 

 リヴェリアの身も蓋もない物言いに半笑いで返すナギ。

 実際、魔法障壁を使えるナギと、使えないベルとでは危険度が違いすぎるので、リヴェリアの言葉は紛れもない正論なのだが。

 

「それで、そんな無茶をして怪我は平気なのか?」

「あ、はい。ナギ君の治癒魔法で深い傷以外は大体治してもらったので」

「基礎の治癒魔法だから、完全には治せなかったけどな」

「なるほど、そういうことか」

 

 ベルの言葉を聞き、ようやくリヴェリアは、ベルの服の損耗具合と怪我の度合いの不釣り合いさに合点がいった。 

 

「そうなると、長々と引き止めるのはそちらに悪いな。早く休んだ方がいい」

 

 治癒魔法では、怪我は治せても疲れまではとれない。

 一日も寝ていればあらかた回復するだろうが、それでも休息は必要だとリヴェリアは判断した。

 

「ナギ、彼の【ファミリア】の本拠まで送ってやれ」

「ああ。最初からそのつもりだぜ」

「えっと、大分休ませてもらったから、もう僕一人でも帰れると思うんですけど……」

 

 ナギ達の好意は嬉しいが、それでもやはり意地を張りたくなるのが男の性というもの。

 一人で帰れると主張するが、ナギとリヴェリアは揃ってベルの主張を却下した。

 

「無理すんなっつってんだろうが」

「見ての通り、昨日の騒動のせいで道が荒れ放題だ。歩いて帰るには酷だろう。その体でこれ以上無理をしない方がいい。なに、ナギに任せればすぐに着ける」

 

 言われ、ベルは周りに目を向ける。

 至るところがひび割れ、所々に小さなクレーターまでできている。

 確かに、今の状態でこの通りを抜けるのは骨が折れそうだ。

 

「でもこの道の荒れ様じゃ、ナギ君に送ってもらっても大差ないんじゃ……」

「それについては心配ない」

「俺の杖に乗ってきゃ、お前ん家までひとっ飛びだ」

 

 手に持った杖を見せながら心配無用と告げるナギ。

 空を飛べば、地面の荒れ様など関係ない。最短距離で進むことができると得意気に言った。

 ナギが杖を使って空を飛べると教えられたベルは、あんぐりと口を開けた。

 まさか空まで飛べるとは思ってもみなかったのだろう。

 

「元々ナギのせいでこうなったんだ。ここは素直に甘えておけ」

「えっと、それじゃあ……お言葉に甘えさせてもらいます」

 

 新たに発覚したナギの力に呆然としたまま、ベルは勢いで頷いた。

 と、そこでリヴェリアの発言の中に気になる単語を見つけた。

 

「ん? あれ……ナギ君のせい?」

(げっ)

 

 ベルが確認するように呟いたその言葉に、ナギが顔をしかめた。

 

「ああ。実は昨日、ナギがベート……お前を謗った狼人のことだが、そいつに喧嘩を吹っ掛けてな」

「じゃあ、通りがめちゃくちゃになってるのは……」

「ああ。うちの馬鹿二人が暴れた結果だ。途中で止めたにも関わらずこの有り様だ」

 

 ベルの疑問に、隠すことなく昨夜のナギとベートの喧嘩について話すリヴェリア。

 それを聞いたベルは軽く怒りのこもった声色でナギに問い詰めた。

 

「ナギ君、何やってるんだ!」

「ああ、面目ねえ。途中で止められなけりゃ、俺が勝ってたんだが、酒場のおばちゃんに邪魔されてよ」

「そうじゃなくて、何で喧嘩してるの!? 喧嘩するなって言ったじゃないか!」

「はっ、俺は一言も喧嘩しませんなんて言った覚えはねえ」

「だからって僕のために同じ【ファミリア】の人と喧嘩なんて――」

 

 辺りを災害の跡地のようにしてしまうほどの激しい喧嘩。

 ただの小競り合いではすまないほどの戦いがあったのは間違いない。

 そんな喧嘩を自分のせいで……

 ベルは情けなさで震えながら言葉を紡ぐ。

 しかし、ナギはそれを真っ向から受け止めて、言い放った。

 

「勘違いすんな。俺は個人的にあいつがムカついたからぶん殴っただけだ。お前は関係ねえよ」

 

 嘘だ。喧嘩の原因がベルに関係しているのは明白。

 それでもナギは真意を口にしない。あくまで、個人的な理由で、自分のやりたいようにやった結果であり、ベルの関与するところではないと嘯く。

 もっとも、それらの理由もベルが関係していることを除けば、あながち嘘ではないが。

 

「んな顔すんなよ。俺が気にしてねえんだから、それでいいだろ」

「でも……」

 

 なおも表情を暗くするベル。

 自分が喧嘩の発端となったことに罪悪感を感じていた。

 もし、その喧嘩が原因でナギが【ファミリア】内で村八分にされたら……

 そう思うと、ベルはベートの言葉になにも言い返せない自分の弱さに、ナギにベートを殴らせてしまった自分の弱さが許せなかった。

 そんなベルの心の内を読み取ったリヴェリアが、ベルに優しく声をかけた。

 

「喧嘩を肯定する訳ではないが、昨夜の喧嘩は大事には至っていない。お前が気にする必要はないぞ、ベル」

「リヴェリアさん……」

「それに、喧嘩ぐらいでナギを敬遠するような奴はうちの【ファミリア】にはいない。仮にいたとしても、そんな軟弱な奴は私が直々に教育してやる。だからそんな心配するな」

「……はい」

 

 リヴェリアの気遣いを受け、ベルは無理矢理自分を納得させた。

 リヴェリアの言葉通りなら、ナギが【ファミリア】内で孤立することはないだろう。

 それでも、自分が弱かったせいでナギに拳を振るわせてしまった、という気持ちは消えることはなかった。

 

(ったく……)

 

 ベルが気落ちして顔を俯かせる中、ナギはため息をひとつ吐くと、杖を持っているのとは逆の手を振り上げ、

 

「お前はアホか!」

「いたっ!?」

 

 ベルの頭を思いきりはたいた。もちろん、魔力の強化はしていないが、かなりの衝撃がベルを襲った。

 頭を押さえるベルの前で、ナギはフン、と鼻を鳴らした。

 

「ベル、お前そんな下らねえこと気にしてたのかよ」

「下らないって……ナギ君!」

 

 呆れた、といった様子のナギに、ベルが反論しようとする。

 しかし、ベルが口を開く前に、ナギが先に話を繋げた。

 もはやベルには誤魔化しの言葉では納得させられない。自分のせいだと喧嘩の原因となった自分を責めている。

 そうなった以上、もはや嘘をいう必要もない。

 だから言った。偽りのない、自分の真意を。

 

「俺らダチだろうが。お前は俺が馬鹿にされたらどうすんだ?」

 

 ニヤリと笑ってそう言ってのけるナギに、ベルは何も言えなくなった。

 同じ状況に陥ったら、自分もナギと同じ選択をしていたかもしれないと、そう思ったからだ。

 

「それに、俺は自分が間違ったことをしたとは思ってねえ。その結果どうなろうが、俺は絶対に後悔しねえ。だから気にすんなよ。なっ」

「…………うん、わかったよ。もう何も言わない」

「ああ、それでいい」

 

 顔を上げたベルの目は、先程までと違い、真っ直ぐな光を宿していた。

 それを見たナギは満足そうに頷く。

 

「じゃ、そろそろ行こうぜ」

 

 話の区切りもつき、杖にまたがったナギが出発を促した。

 

「そうだな。聞けばお前の主神にはなにも告げずにいるのだろう? 今ごろ心配しているはずだ」

「あっ、そ、そうだった! 僕、神様に何も言わずに……」

「それなら急いだ方がいいな。乗れ、ベル」

「うん。じゃあ、よろしく頼むね」

 

 ナギの後ろに回り、ベルは杖にまたがる。

 

「それじゃ、ちょっくら行ってくるぜ」

「朝食までには戻ってこい。私は先に本拠へ帰っている」

「ああ。じゃあまた後でな!」

 

 リヴェリアに見送られ、ナギは杖に魔力を送り、宙へ浮かび上がる。

 初めての飛行体験に、ベルの心に驚きと興奮が襲いかかる。

 

「すごい……本当に浮いた……!」

「ベル、お前ん家どっちにあるんだ?」

 

 周囲の建物の上空まで浮かび上がったところで、ナギがベルに本拠の場所を尋ねた。

 

「この通りを真っ直ぐ行って、少しそれた所にある廃教会だよ。そこが僕の【ファミリア】の本拠」

「OK、しっかり掴まってろよ」

 

 後ろにベルを乗せているため、そこまで速度を出していないが、それでも自動車と同等の速さで飛行を始める。

 

「は、速っ!」

「トップスピードはこんなもんじゃねえぞ。やってみるか?」

「いやいやいや! これ以上速くしたら落ちるから!」

「ははっ、大丈夫だって。落ちたら地面に激突する前に俺が回収してやるよ。間に合ったら」

「うん、わかった。絶対スピード上げないでね!」

「おう、スピードMAXでいくぜ! 振り落とされんなよ!」

「やめてって言ったよね僕!?」

 

 上空十数Mで、二人の少年の笑い声が朝のオラリオに響く。

 二人を乗せた杖は、あっという間に、ベルの暮らす廃教会まで辿り着いた。

 

 

 

 

 同時刻、廃教会の正面玄関の前に、一人の少女がいた。

 

「ベル君……一体どこに行ってしまったんだい……」

 

 少女の名はヘスティア。ベルの所属する【ヘスティア・ファミリア】の主神である。

 連絡もなく、未だ帰らないベルを探しに行くべく、外へ出ていた。ちなみに、数時間前にも一度探しに出ているが、結果は出ていない。

 これほど探しても見つからないのは何か事件に巻き込まれたのでは、と心中穏やかでない彼女は、まだ捜索していない地域を頭の中で整理し、行動に移そうとした、その時だった。

 

「神様ー!!」

「ん?」

 

 バベル方面から聞き覚えのある声が耳に届いた。

 ベル君の声だ。ヘスティアは瞳を涙ぐませ、安堵の笑みを浮かべながら声の主を探す。

 しかし、辺りを見渡せど、ベルの姿は見つからない。

 どういうことだと首をかしげるヘスティアに、再び声が聞こえてくる。

 

「神様、上です! 上!」

「上?」

 

 声に従い、空を見上げるヘスティア。

 そして、目を飛び出させて驚きを露にした。

 

「べべべ……ベル君!? 何で空を飛んでるんだい!? それとその子は誰だい!?」

 

 あまりにツッコミどころが多すぎて脳が処理しきれていないのか、ヘスティアは目を回してしまう。

 ナギに地上に降ろしてもらったベルが、ヘスティアの元まで駆け寄る。

 

「ごめんなさい、神様! こんな時間まで連絡もなしに……」

「ほ、本当だよ全く! 僕がどれだけ心配したのかわかってるのかい!?」

「本当に、ごめんなさい」

「はあ。まあ、無事に帰ってきてくれてよかったよ」

 

 申し訳なさそうに頭を下げるベルに、ヘスティアも反省の気持ちを汲み取り、それ以上の叱責をやめた。

 話が終わったところで、一緒に降り立っていたナギがベルの肩を叩く。

 

「ベル。俺もう戻るわ。ここまで来ればもう平気だろ?」

「あ、うん。ありがとうナギ君。できればお茶でも出そうと思ったんだけど……」

 

 ここまで世話になっておいて何も返さないのは心苦しい。そんな心境もあり、ナギを本拠に誘うが、

 

「礼なんていいって。リヴェリアから早く帰ってくるよう言われてるしな」

 

 ベルの誘いを辞退し、ナギはそのまま再度空へ浮上する。

 

「そんじゃまたな~、ベル!」

「うん! 本当にありがとう!」

 

 上空から手を振って別れを告げ、ナギは【ロキ・ファミリアの本拠】――『黄昏の館』へ向けて一直線に飛んでいった。

 

「誰だったんだい、あの子?」

 

 ナギの飛んでいった方向を見つめていたベルに、ヘスティアが尋ねる。

 

「僕の……友達です」

 

 誇らしげに、ベルはナギのことをそう、ヘスティアに告げた。

 

 

 ――あの……大丈夫、ですか?

 

 ――泣きわめくくらいだった最初から冒険者になんかなるんじゃねえっての。

 

 ――あの状況じゃ、仕方なかったと思います。

 

 ――止めんなベル! 今すぐあいつぶっ飛ばして……

 

 ――雑魚じゃ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねえ。

 

 ――俺らダチだろうが。お前は俺が馬鹿にされたらどうすんだ?

 

 

 思い出すいくつもの場面。

 二日にも満たない短い時間。その間の出来事が、少年の心に決意させた。

 

「神様……僕、強くなりたいです」

 

 空を仰ぐベルの眼差しは、他の何かに真っ直ぐに向けられていた。

 ヘスティアはその横顔から、ベルの成長を悟った。

 

「うん、強くなれるよ。君なら、必ず」

 

 ベルの頭を撫でながら、ヘスティアは慈愛に満ちた声でそう言った。

 

「ところでベル君。何でそんなに服がボロボロなんだい?」

「え゛っと、それは……」

 

 ヘスティアの怒鳴り声が炸裂するまで、あと十秒。

 

 

 




~おまけ~

ナギ達への説教が終わった後の事……

「あんた達、もう遅いし、泊まっていきな。その坊やも眠っちまってるみたいだしね。わざわざ起こすのも忍びないだろ」
「ありがたい申し出だが、ナギは私が背負って帰るので問題ない。それに、【ファミリア】の副団長である私が無断で外泊する訳にもいかんのでな」
「そうかい。まあ、仮にうちに泊まったとしても、部屋が一つしか空いてないから、同じベッドで寝るしかなかったんだし、そっちの方がいいかもしれないねえ」

 ピクリ

「悪かったね、変に引き止めちまって。また今度うちに飯でも……」
「いや、お言葉に甘えよう。泊まらせてもらう」
「うん? あんたさっきは帰るって」
「 泊 ま ら せ て も ら お う 」
「あ、ああ。それは全然構わないけど、何で急に」
「…………ナギの相手して、疲れたからな」
「ああ、そりゃそうだろうね。いいよ、ゆっくりしていきな」
「ああ。一晩世話になる」

 そして宛行われた部屋のベッドにナギを寝かせるリヴェリア。

(ふふ、誰かと添い寝をするのは久しぶりだな。アイズと最後に一緒に寝たのはいつだったか……)

 すやすやと寝息を立てるナギに、母性に溢れた笑みを向けるリヴェリア。
 結局のところ、合法的にナギと添い寝するのが目的のリヴェリアさんでした。



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悩める少女達

 今回、ナギ君あまり出番がない上に、かなり長くて話もグダってます。書いてる内にどんどん長くなってしまい、いい切りどころが見つからなかったと言うか。途中で切ったらこれまた微妙で……
 さんざんお待たせしておいてこんな出来で申し訳ないですが、どうぞご覧ください。

P.S. ついにお気に入り数が1500件を突破しました。本当に感謝です。これからも長い目で見てくださると幸いです。



 走る、走る、走る。

 少年は持てる力を振り絞って、狭い廊下を駆け抜けていた。

 

「捕まって、たまるかよ……!」

 

 そう呟く少年の表情は、迫り来るものへ恐怖で引きつっている。

 もう、あんな地獄は二度とごめんだ。その一心で、少年はここまで逃げてきた。

 

「待て!」

 

 後ろから追っ手が迫り来る。その麗しい容貌からは想像も出来ないほどの速度で自分を追いかけてくる。

 しかし、ここで捕まるわけにはいかない。捕まれば、再びあの苦しみを味わうことになるのだから。

 追いつかれないよう、自らも速度を上げて対抗する。

 どれだけの時間走り続けただろうか。

 幾度となく捕縛されそうになりながらも、なんとか逃れ続けていた少年の前に、希望の光が射し込んだ。

 

「出口か!」

 

 そこは中庭へと繋がる通路。外へ繋がる場所にさえ出られればこっちのものだ。

 少年は一気に駆け抜ける。

 追手側も、このまま外へ出してはもはや捉えることは敵わないと感じ取ったのだろう。形振り構わずロープやら鞭やらで捕縛を試みるが、少年はそれらを躱しつつ、着実に出口へ近づいていく。

 

「うおおおおお!!」

 

 雄叫びとともに日の光が降り注ぐ外の世界へと躍り出た少年は、そのまま足先に魔力を集中させ、空高く跳躍する。

 

杖よ(メア・ウィルガ)!」

 

 そして呪文を唱えて杖を呼び寄せると、そのまま杖に跨がって誰も追ってこれない空へと避難する。

 

「へっ、今回も俺の勝ちだな、リヴェリア! このままトンズラこかせてもらうぜ!」

「待て、ナギッ!」

「じゃあな! 夕飯までには戻ってくっからよ!」

 

 魔法使いの少年――ナギ・スプリングフィールドは、自身を追いかけてきた教育係に勝ち誇るような笑みを向け、そのまま上空から黄昏の館を脱出した。

 

「くっ、またしても……!」

「なんや、リヴェリア。まーたナギに逃げられたんか」

「……ロキか。ああ、見ての通りだ」

 

 去っていくナギを悔しげに見つめていたリヴェリアに、いつの間にその場にいたのか、【ファミリア】の主神であるロキが楽しげに話しかけてきた。

 

「全く、ナギの勉強に対する拒否反応は凄まじいな。勉強から逃げる時は、間違いなく普段の倍以上の速度を発揮しているぞ。どれだけ勉強したくないのか……」

「勉強って単語聞いただけで、見るからに嫌そうな顔してたもんなあ、ナギの奴」

 

 どこからどう見ても、勉強嫌いなヤンチャ小僧といった風体のナギを思い浮かべる。

 

「よっぽど初日のリヴェリアのスパルタ指導が堪えたんやろなあ。だから、あないにスパルタで詰め込まんでもええっちゅーたのに」

「うっ」

 

 ロキの指摘に、リヴェリア自身も自覚があるのか、声を詰まらせる。

 

「た、確かにナギには少々厳しすぎたかもしれないが……」

「少しどころやないわ。ナギの奴、容量オーバーで頭から煙吹いとったやんか」

 

 そう、ナギが【ロキ・ファミリア】に加わった直後に行われた、リヴェリアによるスパルタ教育のせいか、ナギの勉強嫌いが加速度的に進行してしまった。

 その証拠に、昨日一日、リヴェリアは幾度となくナギにこの世界の文字やダンジョンについての緒知識を教示しようとしたが、全て逃げられてしまっている。

 正面から誘えば勉強のべの字が出る前に身を翻して逃走。

 食事の際、隙をついて縄で縛っても空蝉で抜け出されるなど、どうやっても捕まえることが出来なかった。

 先程も同じように逃げられたばかりだ。

 

「勉強させようとしなければ、あいつも普通に接してくるのだがな。その手の気配を感じた時だけ逃げ出すのだから、手に負えない」

「ホンマ筋金入りやな……」

 

 どうやったらそんな気配だけ察知できるのか、と二人して苦笑する。

 

「ところで、ロキはこんなところで何を――」

 

 話題を変えて自身の疑問をぶつけようとしたリヴェリアだが、ロキの視線を辿り、その理由を察した。

 

「ああ、そういうことか」

 

 今二人がいるのは、館の塔と塔を繋ぐ空中回廊だ。石造りの廊下からは、眼下にある中庭が見晴らせる。

 視線の先には、中庭のベンチに座るアイズの姿があった。

 ロキはここでアイズの様子を窺っていたのだろう。

 

「アイズが無為に時間を過ごすとはな……」

「珍しいどころやないわな。元気もないし……」

 

 鍛練をするでもなく、ただベンチに座って中庭の中央にある噴水をぼんやりと見つめている。

 今までのアイズでは考えられない行動である。

 普段であれば、遠征直後だろうがダンジョンに突っ込んで行くのがアイズである。

 そんな彼女がこうして沈んでいるのは何故なのか。

 あれこれと推察を試みるロキだが、答えは出ない。

 んー、と間延びした声を出すロキは、やがて考えがまとまったのか、リヴェリアの肩に手を置いて言った。

 

「頼んだ」

「私に丸投げか?」

「とぼけても無駄や。知っとるんやろ、あの子が落ち込んどる原因」

 

 神の目は誤魔化せない、と心の内を見抜いたような視線を投げ掛けるロキ。

 そんなロキの目に、リヴェリアは観念したかのように肩を竦める。

 

「まあ、心当たりがあるのは事実だが」

「なら、自分が一番適任やろ。適材適所ってやつや。んじゃ、後はお願いな、母親(ママ)

 

 手をひらひらと背中越しに振り、ロキはそんな台詞を残してその場を去っていった。

 ロキが去るのを見送っていたリヴェリアは、僅かにその柳眉を寄せて呟いた。

 

「誰が母親(ママ)だ」

 

 口では否定しながらも、内心では悪く感じていない自分に嘆息し、リヴェリアはアイズの元へと向かった。

 

 

 

 

「アイズ」

 

 中庭に降り立ったリヴェリアが、アイズに声をかける。

 

「リヴェリア……」

「相変わらず早いな。剣は振っていないようだが」

 

 リヴェリアが、ベンチに立て掛けられている代替品のレイピア――アイズ本来の愛剣は損耗のため、修理に出している――を一瞥する。

 

「あまり、気分が乗らなくて…………リヴェリアこそ早いね。またナギに逃げられたの?」

「……やはり聞こえていたか」

「あれだけ大きな声で騒げば、わかるよ」

「違いない」

 

 くすり、と笑みを溢すリヴェリア。しかし、対照的にアイズの表情は浮かない。

 金の双眸を地面に落とすのみだ。

 リヴェリアはそんなアイズを見つめながら、その隣に腰かけた。

 二人の間に、僅かばかりの沈黙が流れる。

 やがて、その空気を破ったのはリヴェリアの方だった。

 回りくどいことはしない。それがアイズとの間にある決まりだったからだ。

 

「何があった」

 

 大方の見当はついてはいる。しかし、アイズ自身の口から言わせることが重要だと、リヴェリアは考えた。

 アイズは小さく視線をさまよわせると、一瞬の葛藤の後、ぽつぽつと話し始めた。

 数分経ち、話を聞き終えたリヴェリアは、軽くため息をついた。

 

(原因はやはりあの少年(ベル)か……)

 

 リヴェリアの予想通り、アイズが悩んでいたのは、昨日出会ったナギの友人――ベル・クラネルという少年についてだった。

 アイズの話を聞いて、改めてベルへの謝罪の念が涌き出てきたが、今問題にすべきところはそこではない。

 予想の裏付けをとったリヴェリアは、アイズの表情を伺う。

 普段と変わらないように見えるが、親しい者にはすぐにわかる程度には暗い。

 直接ベルを傷つけたわけではないが、その誘因となったことが相当堪えているようだ。

 ふと、リヴェリアはそこでひとつの疑問に行き着いた。

 

「そういえば、ナギから何も聞いていないのか?」

「っ、えっと……」

 

 ベルの事が気になっているのであれば、ナギに訊ねればいいだけの話である。

 ナギがベルと友人関係にあるのは、酒場の喧嘩ではっきりしているからだ。

 ナギから話を聞けば、ベルがアイズを恨んでいないことぐらいは聞けようものなのだが、アイズはリヴェリアの問いに気まずげに首を横に振った。

 

「何度か聞こうとはしたんだけど、中々捕まらなくて……やっと話が聞けたと思ったら――」

 

 昨日の出来事を思い出す。

 中庭で昼寝を慣行していたナギを見つけたアイズは、ナギが目を覚ましたタイミングを見計らってベルについて尋ねたのだが……

 

『ベル? ああ、あいつなら昨日酒場飛び出した後、そのままダンジョン突っ込んでよ。ボロボロになって帰ってきたけど、ちゃんと治療して家に送っといたから心配ないぜ!』

 

 無駄にいい笑顔でそう言ったという。

 

「そのあとすぐ、私が驚いて固まっている間にどっか行っちゃって……」

(あの馬鹿者……)

 

 リヴェリアは頭を抱えた。

 何故そのような言い方をしたのか。いや、確かに間違ったことは言っていないのだが、言葉が足りなすぎる。

 こんな話を聞いて安心する者がどこにいるというのか。むしろ不安が増すだけである。アイズが殊更落ち込むのも無理はないだろう。

 しかし、

 

「……アイズ。他にも何かあるんじゃないのか?」

 

 ただ、それだけが理由ではないとリヴェリアは直感した。

 今のアイズは、悄然としているだけでなく、どこか後悔の念を抱いているようにも見えた。

 音のない時間が暫し流れる。

 やがて決心がついたのか、アイズはようやく重い口を開いた。

 

「あの時……ナギは友達のために正面から立ち向かって行ったのに……私は、何もしなかった」

「それは……」

 

 アイズが後悔していることは、そもそもの前提条件からして筋違いである。

 ナギにとって、ベルはオラリオでできた初めての友人だが、アイズからすれば単にモンスターから窮地を救っただけの存在でしかない。

 故に、アイズは別段責められるようなことをしたとは言えない。

 しかし、そんな理屈はアイズにとってはどうでもいいことだった。

 何もしなかった。酒場から飛び出していく白髪の少年に気づいていながら、追いかけることができなかった。その事実がアイズに重くのしかかっている。

 

「真っ直ぐ自分の意思を貫いたナギに比べて、なんだか自分がすごくちっぽけな人間に思えて……」

 

 この言葉の示す通り、ナギがベートに立ち向かっていったのも、アイズの後悔に拍車をかけているのだろう。

 あの時のナギの行動は、【ファミリア】の一員としては褒められたものではない。

 しかし、少なくともナギは自分の意思を貫き通した。それが世間的に正しいかどうかなど関係なく、ただ友達(ベル)のために怒り、一切迷うことなく動いたのだ。

 そんなナギの姿が、アイズにはひどく眩しく見えていた。

 叶えなければならない願いがある。そのために、これまでずっと強さだけを求めてきた。

 だが、そのために何か大切なものを見失ってしまっているのではないか。

 アイズ自身でさえ、今自分の中に渦巻いている気持ちが何なのかわからずにいた。

 だからこそ、アイズは酒場の一件があってから、こうしてダンジョンにも行かずに一人悩んでいる。

 

(ナギとベル……あの二人の存在が、アイズの感情を揺り動かしているのか。喜ぶべきか複雑だな)

 

 傷ついたベルの手前申し訳ないとも思うリヴェリアだが、ダンジョンと鍛練以外に興味を示さなかったアイズに変化をもたらした少年達に感謝の念を送る。

 

「お前がそこまで気に病む必要はない、と私は思うが……そうだな」

 

 本来なら、アイズ自身の手で答えを見つけるのが望ましいが、ここまで落ち込んでいるのを放り出すのは忍びない。

 少々のお節介ぐらいなら、とリヴェリアはアイズにアドバイスを送った。

 

「お前が変わりたいと、そう思っているのなら、これから変わっていけばいい」

「それは、どういう……」

「お前自身がどうしたいのか考えて、思う通りに行動するといい。私が言えるのは、それだけだ」

 

 指針のきっかけは与えた。

 これ以上のお節介は、アイズのためにならない。不器用でも、手探りで自分の答えを見つけていくべきだと、リヴェリアは考える。

 今回の出来事がきっかけで、盲目になっている少女に良い影響が起こるよう、願いながら。

 

「私は……」

 

 無言のままうつむくアイズ。胸の内に抱える疑問に、答えは出ない。

 

(私は……どうしたいんだろう……)

 

 悩みに更けるアイズの姿に、リヴェリアは微笑する。

 アイズは今、自分の心に向き合い、前に進もうとしている。

 娘のように想っている少女が成長しようとしているのだ。親代わりとして、何も思わないはずがない。

 

「納得のいく答えが見つかるまで、存分に悩むといい。人に相談するのもいいだろう。もちろん、言ってくれれば私も相談に乗ってやる」

「うん……」

 

 話が終わり、見計らったかのように、朝食の時間を告げる鐘の音が、館中に鳴り響く。

 頃合いだな、とリヴェリアは立ち上がり、アイズに朝食を取りに行こうと促す。

 二人揃って歩き出そうとしたその時、アイズが口を開いた。

 

「リヴェリア」

「?」

「……ありがとう」

 

 少しは暗い気持ちを払拭できたのか、いくぶん柔らかくなったアイズの表情に、リヴェリアも頬を緩めた。

 軽く返事を返すと、そのまま二人で中央の塔へと歩き出す。

 未だに、アイズの表情は完全に晴れたとは言いがたい。

 元より激励の類いは苦手である。いくらか助言をするのが精々だ。

 

(適材適所か……私もロキの事を言えんな)

 

 苦笑し、リヴェリアは少女を元気付ける役目を、頭に思い浮かべた娘達に任せることに決めた。

 

 

 

 

 レフィーヤ・ウィリディスは悩んでいた。

 場所は食堂。朝食を食べ終えたレフィーヤは、ぼんやりと手の中のカップに視線を落としていた。

 脳裏に浮かぶのは、一昨日の光景。

 

(ナギ・スプリングフィールド……)

 

 先日【ロキ・ファミリア】の一員となった、魔法使いの少年。その姿が、レフィーヤの頭の中から離れなかった。

 といっても、別に件の少年に恋をしている訳ではない。

 ただ、魔導師であるレフィーヤにとって、ナギ・スプリングフィールドという少年の戦いはあまりに衝撃的だったのだ。

 

(17階層での件で、強いことはわかっていた……けど)

 

 まさか第一級冒険者と張り合えるほどだとは思いもしなかった、とレフィーヤは嘆息する。

 まるで瞬間移動したかのような速度の動きに、第一級冒険者の力に耐えきれる耐久、そしてその力と真っ向からぶつかることのできる膂力。その上、分身という未知の術まで披露してみせた。

 自分の力量を越えた戦いを前に、レフィーヤは目を回すことしかできなかった。

 そして、レフィーヤにとって何より衝撃的だったのは、ナギの魔法だった。

 ナギがその喧嘩で使用してみせた、超短文詠唱の魔法。

 その威力は、レフィーヤの使う【アルクス・レイ】に比べれば一段劣るものの、詠唱の短さに見合わない威力を誇っていたのを、よく覚えている。

 結果としてベートの持つ魔法吸収効果を保有する特殊武装(スペリオルズ)《フロスヴィルト》によって対処されてしまったが、直撃すれば相応のダメージを負っていただろう事は想像に難くない。

 

(それに、あの時放とうとしていた魔法……)

 

 喧嘩の終わる間際にナギが詠唱した、あのリヴェリアでさえ血相を変えるほどの大威力を誇る魔法。

 もしあのまま放たれていれば、どうなっていただろうか。

 ゴライアスを消し去るほどの威力。それでいて詠唱文の長さは、レフィーヤ自身の保有する短文詠唱呪文と同程度かそれ以上に短い。理不尽である。

 それだけでなく、分身による囮でベートを引き付けながら上空に上がって詠唱文を紡いでいた。つまり、レフィーヤが未だ会得できていない並行詠唱を使いこなしていることに他ならない。

 

『俺は最強の魔法使いだからな!』

 

 自己紹介を交わした日のナギの言葉が真実味を帯びてくる。

 あれは冗談などではなかったのだ。

 無論、この迷宮都市(オラリオ)で最強を誇るリヴェリアより上かと問われるとまだわからないが、現時点の実力を見るに、将来的にそれを越える可能性は十二分にあり得る。

 ベートとの喧嘩では使用していなかったが、雷で形成された斧のような魔法も使えるのだ。それを加えれば、この歳ですでに上限である三つの魔法を発現していることになる。

 しかも、どの魔法も威力が高い。

 ベートとの戦いですべての魔法を使用しなかったのは、街への被害も考えてのことだろうが、他にもベートに致命傷を与えてしまう恐れもあったからなのではないだろうか。

 そうだとしたら、生死を問わずに戦った場合、ナギが勝ってしまうのでは……?

 そう感じてしまうほど、ナギの戦いぶりは苛烈であり、レフィーヤの心を強く揺さぶっていた。

 

(あの子は、アイズさん達と肩を並べられるだけの実力を持っている……)

 

 自身の力不足を痛感している時に見せつけられた、格の違い。

 憧憬の彼女と、同じ位置に立てる人間。

 相手が、普通の第一級冒険者なら、まだよかった。素直に相手の実力を認め、仕方ないと納得することができただろう。

 しかし、その少年は自分よりもはるかに年下であり、また、【ファミリア】に加入したばかりの新人である。

 自分はナギよりも何年も早く【ファミリア】に入ったというのに。

 そんな理不尽な現実を飲み込められるほど、レフィーヤの心は強くなかった。

 付け加えると、ナギはレフィーヤと同じ魔導師である。パーティーにおけるレフィーヤの立ち位置にナギがとって変わっても、おそらく何の問題もなくやっていけるだろう。

 そうなった時、そこに自分の居場所はあるのだろうか。

 自分の存在意義が失われていく、そんな感覚にレフィーヤは陥っていた。

 

(私には、アイズさんの側にいる資格は……)

 

 一度考え込んでしまうと、後ろ向きな思考は留まることを知らない。

 どんどんと深みに嵌まっていく思考を遮ったのは、一人の少女の声だった。

 

「レフィーヤ!」

「うひゃい!?」

 

 突如耳元で叫ばれた自分の名前に、レフィーヤは飛び上がらんばかりに驚愕した。

 その拍子に、手に持っていたカップが倒れ、中身のハーブティーがテーブルに撒き散らされる。

 

「ああっ!? す、すいません!」

 

 慌てて、レフィーヤは布巾で溢れたものを拭き取る。

 

「あちゃー。ごめんレフィーヤ。驚かせちゃった? 何度か呼び掛けたんだけど、全然反応がなかったから、つい」

「もう、何やってるのよ」

 

 それを見て、後頭部を掻きながら申し訳なさそうに謝るアマゾネスの少女、ティオナ。そして、それを諫めるのは彼女の姉であるティオネだ。

 レフィーヤに声をかけた当人であるティオナは、申し訳なさそうに布巾を手に取り、テーブルを拭く。

 ティオネも見ているだけだと居心地が悪かったのか、妹と同様に片付けを手伝い始める。

 そんな二人の行動に、レフィーヤは大いに慌てた。

 

「い、いえそんな! ティオナさんは悪くないです! 何度も呼び掛けられたのに気づいてなかった私のせいで……その、ごめんなさい!」

 

 ティオナの言葉通りであれば、意図したことではないとはいえ、ティオナの呼びかけを何度も無視していたのは自分だ。

 目上の存在に当たるティオナに、自分の不注意で謝らせてしまったことに、レフィーヤはひどく恐縮する。

 そんなレフィーヤに、ティオナは自分にも非があるのだから謝る必要はないと何度も告げるのだが、レフィーヤは少し頑なになっているのか自分の非を主張し続ける。

 押し問答を続ける二人にいい加減呆れたのか、ティオネが二人の間に割って入る。

 

「いい加減にしなさい、二人とも。どっちにも反省する点があるんだから、お互い様ってことでいいじゃない。レフィーヤも、あんなに頑なに謝罪を受け取らないと、かえって失礼よ」

「ご、ごめんなさい……」

「ほら~、すぐそうやって謝る。ティオネの言う通りお互い様なんだからさ、もう気にしないで、レフィーヤ」

「は、はい!」

 

 ティオネに嗜められた事もあり、今回の件はお互いに非があったということで、双方が謝罪を受け入れて決着がついた。

 元々レフィーヤが意固地になっていたのも、精神的に不安定だったために自己評価が限りなく低くなっていたからだ。

 二人と話して落ち着いてきたことも手伝って、レフィーヤの表情も幾分元に戻ってきていた。

 

「ところでさぁ、レフィーヤは何をそんなに考え込んでたの?」

 

 先程までのレフィーヤの様子を疑問に思ったのか、ティオナがレフィーヤに問いかける。

 しかし、レフィーヤはその問いに答えることができなかった。

 内に潜む暗い感情を知られたくない。そんな思いから、レフィーヤは口をつぐんでしまう。

 

「レフィーヤ?」

「な、何でもないですよ、本当に。ちょっとぼーっとしてただけですから」

「そう……」

「…………」

 

 ティオナが再度名前を呼びかけるが、レフィーヤはぎこちない笑顔を浮かべて、その場を取り繕った。

 納得がいっていない様子のティオナだったが、レフィーヤ本人が話したくないのなら、無理に言わせるのも違うと感じたのだろう。ティオネも何も言わずにいる。

 結局ティオナはそれ以上追及することはせず、話題を変えて当初の目的について切り出した。

 

「話がそれちゃったけどさ、二人とも、今日何か予定ある?」

「いえ、特には……」

「私は今日も団長の手伝いを――」

「じゃあ暇だね! 今日一日あたしに付き合って欲しいんだけど」

「ちょっと!」

 

 ティオネとレフィーヤから予定を聞き、二人に頼み事をするティオナ。ちなみに、(ティオネ)の予定は知ったことではないらしい。

 

「でも、急にどうしたんですか?」

「うん……アイズのことなんだけど」

 

 頼み事の目的を聞くレフィーヤに、ティオナはその理由を語る。

 

「昨日からアイズ、ずっと元気なかったから、どうにか元気づけたいと思ってさ」

「確かに本調子じゃないみたいだけど……ベートに腹を立てているだけでしょ? 放っておけばその内元に戻るわよ」

「ベートはあまり関係ないと思う。いや、なくはないんだろうけど、アイズは端からあの狼男のことなんか気にしてない」

「あんた……結構言うわね……」

 

 あんまりなティオナの言い分に頬を引きつらせるティオネ。アイズに気にも留めてもらえないベートを、さすがに不憫に思う。

 しかしティオナはベートの事などどうでもいいのか、話を続ける。

 

「アイズは別のことで落ち込んでる。私はあれこれ考えるのは苦手だし、アイズに気を利かせようとしても、多分上手くいかない」

 

 だから、小難しいことは考えない。今まで通り、能天気な振る舞いで、アイズの笑顔を引っ張り出してみせる。

 

「そんな訳で、アイズを買い物に誘おうと思ってるんだ。ね、いいでしょ?」

「そういうことなら、まあ仕方ないわね。付き合ってあげる」

「よーし。レフィーヤはどう?」

 

 一番説得が面倒なティオネの了承を得たことでガッツポーズをするティオナ。

 続いてレフィーヤに是非を問う。

 しかしレフィーヤは、

 

「私は、遠慮します……」

「え?」

 

 か細い声で、遠慮がちにティオナの誘いを断った。

 

(今の私に、この人達と一緒にいる資格なんてない。アイズさんだって……私と一緒にいても、きっと迷惑なだけだ……)

 

 自己嫌悪にも近い感情を抱くレフィーヤは、無意識のうちに今の自分の姿を憧憬(アイズ)に見せたくないと思っていた。

 何より、自分自身がこんな状態なのに、アイズを元気づけるなど無理だ。

 再び暗い思考がレフィーヤを支配し始め、その表情に陰を落とす。

 

「レフィーヤ……」

「……はあ、全く」

 

 そんなレフィーヤをティオナが心配げに見つめていると、これまで静観していたティオネがレフィーヤに近づいていった。

 

「このおバカ」

「ひゃっ!?」

 

 ティオネがレフィーヤの額を小突いた。痛みは感じるが痕は残らない絶妙な力加減のそれに、レフィーヤは目を滲ませる。

 

「ティ、ティオネさん!? 何を……!?」

「いつもいつも、難しく考えすぎなのよ、あんたは。どうせナギの力を目の当たりにして、うだうだ悩んでいたんでしょう?」

「な、何でそれを……!?」

 

 見透かされてる!? レフィーヤは正確に自信の心情を把握するティオネに戦慄した。

 

「なーんだ。それでレフィーヤ、あんなに悩んでたの?」

「あんたは鈍感すぎ」

 

 少しは人の気持ちを察せられるようになりなさい、と妹の頭を小突くティオネ。

 慣れているのか、ティオナにダメージを負った様子は見られず、うんうんと頷きながらレフィーヤが落ち込んでいた理由に納得していた。

 

「まあ、確かにナギは凄かったよね。まだ10歳だなんて信じられないくらいだよ。私も一対一で戦ってみたくなっちゃった」

「そうね。もしかしたら、そう遠くない未来に私達はおろか、団長達をも越えていくかもしれない。それほどの才能だわ」

 

 第一級冒険者からも太鼓判を押されるナギの評価に、やはり自分なんかとは違うのだとレフィーヤはいっそう落ち込む。

 しかし、ティオネはそんなレフィーヤに呆れたような目を向けて、言った。

 

「けれど、それが何? あんたはあんたでしょうが」

「え?」

 

 レフィーヤの心に、ティオネの一言がすぅっ、と入り込む。

 

「そもそも、誰かのそばにいるのに資格がどうとか強さがどうとか、そんなの気にするなんてナンセンスよ」

「よくわかんないけど、あたしはレフィーヤと一緒に冒険したいよ。それじゃダメなの?」

「そ、それは……」

 

 二人の言い分は、理解できる。二人の言葉が、レフィーヤの心の内の暗い気持ちを鎮めてくれるような気もした。しかし、ダメなのだ。

 一度生まれたこの感情は、そう簡単には消せない。

 一方的に頼るだけなのは、嫌だ。

 守られるだけなのは、嫌だ。

 実力が伴わないまま側にいても、それはただ強者に寄生しているのと同じことだ。

 レフィーヤにはそれが耐えられなかった。

 目の前にいる二人も、憧憬の彼女も、レフィーヤのことを疎ましく思ってなどいないだろう。それぐらいはレフィーヤにもわかっている。

 それでも、

 

「ダメなんです、こんな私じゃ……!!」

 

 なけなしのプライドが、弱いままの自分を許さなかった。弱いまま、強者の隣に立つことを許さなかった。

 もっと強ければ、アイズ達の足を引っ張ることもない。役にだって立てる。お互いに助け合えるのが、本当の仲間なのだとレフィーヤは信じている。

 けれど、自分にはその力がない。

 

「何より、私は……」

 

 そんな時に現れた、自身と同じ、だが比べ物にならないくらい強い魔導師の少年。

 悔しかった。その少年と同じぐらいの強さがあればと、何度も思った。

 何故、人間(ヒューマン)である彼が、魔法に長けた種族であるエルフの自分よりも魔法の実力が上なのか、と何度も思った。

 ずるい、とも、理不尽だとも思った。自分が欲しくてやまないものを、どうして年下のあんな小さな少年が手に入れているのか。

 醜い感情が、今も心の中で渦巻いている。

 分かっている。これはただの嫉妬だ。こんな感情を向ける方がよっぽど不合理だと。

 それでもこの感情はとどまることを知らない。

 そんな醜い自分に、アイズ達の側にいる資格など、ない。

 いつの間にか、レフィーヤは涙ながらに自分の内にある思いを吐露していた。

 口に出す気はさらさらなかった。しかし、止まらない。

 自分を苛む声が溢れ続けた。

 それを止めたのは、自分の体を抱き締める、二人の少女。

 

「ごめんなさいね。あんたがそこまで思い詰めてたなんて」

「ずっと溜め込んでたんだね」

 

 二人の温もりに晒され、レフィーヤの鼓動が落ち着きを取り戻す。

 

「なまじ同じ魔導師だから、余計に気にしちゃったのね。けれど、さっきも言った通り、あんたはあんたじゃない。嫉妬? 好きなだけしなさい。それも強くなる原動力にしちゃえばいいのよ」

「私にはレフィーヤの気持ちはわからない。けどね、レフィーヤはすごい子だって、ちゃんと知ってるよ。誰もレフィーヤの代わりにはなれない。それはナギも同じだよ」

 

 二人の言葉に、レフィーヤの心が解きほぐされていく。

 

「私達に、そしてアイズに……追いつきたいんでしょう? だったら根性見せなさい。この程度で諦めてたら、一生追い付けないわよ」

「ティオネさん……」

「心配しなくても大丈夫だよ! レフィーヤなら、必ず強くなれるから!」

「ティオナさん……」

 

 すでにレフィーヤの涙腺は崩壊し、その目から涙が止めどなく溢れている。

 

「私達も負けたくないから、足を止めることはしないけど」

「いつまでだって待ってるよ。いつかレフィーヤの魔法が、私達を助けてくれるのを。だから、そんなに自分を嫌いにならないでよ」

「何より私達やアイズ、それに団長やリヴェリア、他の団員達だって、あんたのことをちゃんと認めてるの。だから、胸を張りなさい」

「あたし達は、仲間(ファミリア)なんだからさ!」

 

 その言葉に、感じる温もりに、レフィーヤの中の暗い感情は、いつの間にか消え去っていた。

 涙を拭い、顔を上げる。

 

(そうだ……立ち止まってなんかいられない)

 

 今、ここでこうして悩んでいて、何が生まれるというのか。

 実力の劣る自分は、歩き続けなければ、走り続けなければならない。

 例え何度転ぼうとも、歩みを止めてはならない。

 振り返ってもらえずとも、ただひたすらに、前へ。

 

(皆さんの仲間だって、胸を張って言えるように!)

 

 ようやく気づいた。自分を貶めることは、自分を認めてくれる人達をも侮辱していることに他ならない。

 ならばどうするか。

 簡単だ。自分に自身が持てるくらいに強くなればいいだけだ。

 こんな自分を認めてくれる仲間達のために。誇れる自分であるために。

 

(向こうは私のことなんて歯牙にもかけていないでしょうけど、いつか必ず、追いついてみせる。越えてみせる!)

 

 年下の新人を目標にする自分を恥じたりは絶対にしない。

 むしろ、意地とプライドを優先して大義を見失う方が、よっぽど間抜けである。

 レフィーヤは、ナギ・スプリングフィールドを越えるべき目標として据えた。

 

(もう、大丈夫そうね)

(うん!)

 

 完全にふっ切れた様子のレフィーヤに、ティオナとティオネは二人して顔を綻ばせた。

 

「まったく、こんなに悩んでたのなら、私たちに相談しなさいっての」

「そうだよ。頼られなくて、ちょっと寂しかったんだからね」

「ご、ごめんなさい。ご迷惑をお掛けしました」

 

 先程までの自分の痴態を思い返し、レフィーヤは顔を俯かせて顔を赤くする。

 

「大体、あんたは強くなることに固執しすぎよ。私達の役に立つ方法なんて、他にいくらでもあるんだから」

「え?」

「あんたは私達の実力ばかりに目がいってるってことよ」

「それに、ずーっと肩肘張ってたら疲れちゃうよ。もっと肩の力抜いた方がいいって。そしたら、周りのことももっと見えてくるんじゃないかな」

「あ……」

 

 どうやら自分は想像以上に視野狭窄に陥っていたようだ。

 確かに自分が強くなることでアイズ達の役に立つ事ができるのは間違いないだろう。

 だが、それ以外にもいくらでもやり方はあったのだ。いや、むしろそっちの方が力になれる事は多いかもしれない。

 そんな簡単な事実にも気づかずにいたことに、レフィーヤはさらに顔を赤くする。

 

「そうね……手始めに、まずは落ち込んでるアイズを元気づけましょう?」

「さっきは断られちゃったけど……レフィーヤも来るよね?」

 

 強くなる。その決意は今も変わらない。

 アイズ達の隣に立つためには、対等に肩を並べるためには、どんなに言い繕っても強さは不可欠だからだ。

 それでも、今の自分でもアイズの役に立てることはある。

 その事実に気づいたレフィーヤは、今度こそ強い意思をもって答えた。

 

「――――はい!」

 

 その答えに、ティオナは満足そうに頷いた。

 

「よーし、それじゃあ早速アイズを誘いに行こ!」

 

 善は急げとばかりに、ティオネとレフィーヤの手を引いてアイズの元へ向かおうとするティオナ。

 早く早くと力強く引っ張る強引なその手を、今回ばかりはこういうのも悪くないと苦笑しつつ、残る二人も同じように駆け出していった。

 

 

 数分後、館の上階を歩いていたリヴェリアが窓辺を覗くと、姉や後輩のエルフを連れたアマゾネスの少女がアイズに話しかけているのを見つけた。

 注視してみると、ティオナがアイズの手をとって立ち上がらせている。

 あの様子なら、直に事態は好転するだろう。

 リヴェリアはその端麗な顔に微笑を浮かべながら、少女達を影ながら見守った。

 

 

 

 

 一方、リヴェリアから逃れたナギは現在、ギルド本部にて周囲の注目を集めていた。

 時刻は正午を差しており、ダンジョンでの収穫を換金しに来ている冒険者の姿がちらほら見受けられる。

 そんな彼らの視線を一手に引き受けるのは、鬼神のごとき表情で怒鳴り散らすエイナと、その矛先を向けられているナギの二人である。

 

「本っっ当に君はっ! 第一級冒険者に喧嘩を売るなんてどういう神経をしているのっ!? しかも同じ【ファミリア】の幹部相手に! って、聞いてるの、ナギ君!?」

「ん? ああ、リヴェリアが意外と着痩せするタイプだって話だっけ?」

「全く聞いてない!? というか、何でナギ君がそんなこと知ってるの!?」

 

 エイナの説教をすべて聞き流し、全く話を聞いていないナギに、エイナは地団駄を踏みたい衝動に駆られる。

 さらに、ナギが溢した言い訳の中に無視できない情報も含まれており、エイナの頭は怒りやら混乱やらで熱暴走を起こしそうだった。

 

「まあ、落ち着けよ。そんなにカッカしてっと健康に悪いぜ?」

「誰のせいだと思ってるの!」

「エイナが短気なせいだろ?」

 

 全く悪びれないナギに、エイナの堪忍袋の尾がぷっつりと切れた。

 その後、三十分に渡ってエイナの説教がギルド中に轟き続けたが、例の如くナギは右から左に聞き流していた。

 

「ふう……それで、何で喧嘩なんてしたの?」

 

 やがて怒りが収まり、幾分冷静になったエイナは、ナギに喧嘩の理由を尋ねる。

 

「んなもん、何だっていいだろ」

「全然よくないよ! ちゃんと話して」

「あー、あれだホラ。チジョーのもつれ?」

「ふざけないで! それに絶対意味わかってないで言ってるでしょ!?」

 

 机を叩いてナギに詰め寄るエイナ。

 一切引く様子を見せないエイナに、ナギは数十分前の自分の行動を後悔する。

 そもそも、ナギが現在このような状況に陥っているのは、ナギがうっかり溢した一つの失言にあった。

 午前中ダンジョンに潜っていたナギは、そこで得た収穫をギルドに換金しに来ていた。

 そこで、忙しそうに動き回るエイナと遭遇。何をしているかと問うと、西のメインストリートの一部が災害に遭ったかのような損害を受けたため、その後始末に追われているのだとか。

 その話を聞いたナギの頭に、何かが引っ掛かった。

 西のメインストリートってーと……あ、もしかして――

 

『何故か【ロキ・ファミリア】が自分達の責任だからって修繕費の支払いを申し出ているんだけど……ナギ君、何か知ってる?』

『あっ、ワリィ。それやったの俺だわ』

『詳しく聞かせてもらおうかな? かな?』

 

 この発言が失敗だった。あれよこれよという間に、詳しい経緯を根掘り葉掘り聞かれ、ナギはその勢いに呑まれて正直にすべて話してしまった。

 そしてナギから話を聞いたエイナが、ナギの無謀な行いに対して怒りが爆発。そして先程の場面に至ったという訳だ。

 

「ナギ君。まだ会って日が浅い私が言うのもなんだけど、君が理由もなく喧嘩を売るような子じゃないと思ってる。だから教えてほしいんだ」

「………………」

「ナギ君」

「…………あぁ~、もう! しゃあねえな!」

 

 ちゃんとした理由を吐くまで絶対に逃さないというエイナの目に、ナギはとうとう根負けした。

 

「ダチをバカにされたんだよ」

「え?」

「あいつがバカにされるのを、黙ってらんなかった。それだけだ」

 

 そっぽを向きながら、簡潔に喧嘩の理由を語るナギ。見れば、少し耳が赤くなっている。

 中々話そうとしなかったのは、単に小恥ずかしかっただけのようだ。

 

「ふふっ」

 

 微笑ましいものを見るようなエイナの生暖かい視線に、ナギの顔にさらに熱が集まる。

 

「あー、もういいだろそんな事ぁ! それより、ちょっと聞きてえ事があんだけど…………って、いつまで笑ってんだよ!」

 

 いい加減この空気に耐えられなくなったナギが話題転換を図るが、依然エイナが生暖かい目を向けていたので、思わず怒鳴り散らす。

 それを見て、さすがに悪いと思ったのか、エイナも対応を改める。

 

「ごめんごめん。それで、何が聞きたいの?」

「ああ、神の宴って何だ? さっき誰かがそこで話してたからよ」

 

 ちなみに、ナギがその話を聞いたのは、エイナの説教を聞き流していた最中である。

 

「そっか、ナギ君がここに来たのってつい最近だもんね」

 

 オラリオに住んでいれば大体の人は知っているイベントだが、ナギはここに来て日が浅い。知らないのは無理もないか、とエイナは納得した。

 

「神の宴っていうのは、神様が不定期に催すパーティーみたいなものなんだ。いつもはギルドが貸し出している施設を使うんだけど、今回は【ガネーシャ・ファミリア】が自分達のホームで開催するみたいね。まあ、基本神様しか参加できないから、ナギ君にはあまり関係ないかな」

「――――へえ」

 

 神の宴についての説明を聞き、ニヤリと口の端を吊り上げるナギの笑みに、エイナは嫌な予感を感じる。

 

「ねえ、ナギ君――」

「そんじゃ、腹減ったからもう行くわ! じゃあな!」

「あっ!」

 

 止める間もなく、ナギは物凄い勢いでギルドを飛び出していく。

 もはや追いつくことも敵わない。

 何もできずにナギを見送ることしかできなかったエイナは、猛烈な不安に襲われていた。

 

(大丈夫……だよね?)

 

 きっと気のせいだろう、とエイナは胸中の不安を誤魔化し、自分の仕事に戻っていった。

 翌日、エイナの懸念は見事に的中することになる。

 

 

 

 

 夕刻。場面は戻り、黄昏の館。

 書類仕事を終えたリヴェリアが報告書をロキの部屋に持っていくと、そこには見慣れないドレスに着替えた主神(ロキ)の姿があった。

 

「ロキ? どうしたんだ、その格好は?」

「お~、リヴェたんか! どや、似合うてる?」

「似合ってはいるが、珍しいな。ここ最近でそんな服を着たことなどなかっただろう?」

 

 報告書を手渡しながら、なにか特別なことでもあるのか、と尋ねる。

 ロキは報告書を受け取りつつ、下卑た笑みを見せる。

 それだけで、リヴェリアはロキが何やらよからぬことを企んでいると悟った。

 

「ちょっと愉快な情報を掴んでなぁ……ふひひ、貧乏神のドチビを弄りに行ってくるわ」

 

 一通の封筒をひらひらと振って見せたロキの目は、まだ見ぬ一柱の神への敵愾心に燃えていた。

 そんな己の主神の姿に、リヴェリアは額に手をやり、本日何度目かもわからないため息を、深く吐いたのであった。

 

 




 レフィーヤのくだりが余計だったかもしれませんが、今回を逃すと描写する機会がないので、ここで書かせてもらいました。
 ちょっと豆腐メンタルすぎたかな……いや、でもこれをきっかけにある程度メンタル的に逞しくなるから、これでいいはず。
 けどやっぱり賛否両論ありそうだなぁ……


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神の宴

 今回もナギ君の出番少ないです。というか、いつになったら戦うんでしょうかね、彼。多分もうちょいなんですが……
 あと、今回冒頭部分でとある『ネギま!』キャラの名言を引用させていただきました。幾分形は変えてますけどね。多分皆さんお気づきになられると思います。



 

 

 日が傾き始め、うっすらと茜色で染まる街の中を、アイズ達は歩いていた。

 

「あー、遊んだぁー! アイズはどう? 楽しめた?」

「うん。楽しかったよ」

「えへへ、そっかぁ。よかった~」

 

 控えめではあるが、確かに笑みを見せたアイズに、ティオナは喜びを露にする。

 同様に、二人の後方を歩いているティオネとレフィーヤもその様子に喜色を見せていた。

 アイズを元気づけるために街へ繰り出していた彼女達は、時間も時間なために本拠(ホーム)への帰路についていた。

 

(自分の気持ち……)

 

 リヴェリアの助言と、ティオナ達との買い物の中で、アイズは一つの答えを得ていた。

 ただ、強くなることしか考えてこなかった。ただ一つの悲願(ねがい)を叶えるために、限界を越えて、どこまでも。

 だからこそあの夜、アイズはあの少年を追うことができなかった。

 弱者を振り返り、足を止めている余裕などないと、そう思っていたから。

 

(みんなが、気づかせてくれた)

 

 自分には強くなる事以外、何もなくなった。そう思っていた。

 けれど、それは間違いだった。

 自分にも、強くなりたい以外の気持ちが存在していたのだ。

 その気持ちがあったから、ダンジョンに行こうとしても、体が言うことを聞かずにいたのだろう。

 自分の気持ちに素直になって考えた時、答えは驚くほどすんなりと浮かび上がってきた。

 

(私はあの夜、あの子に謝りたかったんだ)

 

 自分が傷つけてしまった、幼心の自分を思い起こさせるあの少年に、謝りたい。

 それが今のアイズの気持ちだった。

 今朝までは、自分が何をしたいのかも分からずにいた。

 けれど、今なら分かる。今度は、あの少年を追いかけられる。

 それに気づかせてくれたのは、リヴェリアであり、ティオナ達であり、そして……もう一人。

 

(ナギ……)

 

 先日、仲間になった赤毛の少年。

 彼は、友のために、自分の意思をまっすぐ貫いた。アイズが足踏みした中、躊躇うことなく一歩を踏み出した。

 その姿を思い出し、アイズの中に再び悩みが芽生え始めた。それは、朝にリヴェリアに吐露した気持ちと同じもの。

 眩しさに溢れたナギと比べた、今の自分に対する疑念。

 もし、自分が謝ることができたとしても、結局は元通りになるだけではないのか。

 これまでの、黒い炎に突き動かされ、強さだけを求めて闘い狂う、【戦姫】とも揶揄される自分から、あの少年に怯えられた自分から、何一つ変わらないのではないか。成長していないのではないか。

 

(私は変わりたい……のかな?)

 

 今朝のリヴェリアの言葉が脳裏を過る。

 モヤモヤが消えない。あの少年に謝りたいというのは紛れもない本心だ。

 しかし、そこからどうすればいいのか、答えが出ない。

 

「アイズ」

「ティオナ……?」

 

 唐突にティオナが俯くアイズの前に顔を突き出した。

 何事かと顔を上げ、ティオナの名を呼ぶ。

 

「アイズ、まだ何か悩んでるよね?」

「えっ、と……」

「また顔俯かせてたよ。もう、そんなに隠そうとしなくていいのに」

「……ごめん」

 

 落ち込んだ自分を気づかってここまでしてもらったのに、再び悩み始めてしまったことに、ティオナ達に申し訳ない気持ちが膨らむ。

 

「もう、また謝る~」

 

 そんなアイズに、ティオナはぶすっとした表情を作る。

 

「あたしは最初からアイズの悩みを取っ払おうだなんて思ってないよ」

 

 その言葉に、アイズは目を見開く。

 

「あたしはただ、アイズの気分が少しでも晴れたらいいなって、誘っただけ」

 

 そう。ティオナはただ、アイズの笑顔を引っ張り出してやろうとしただけだ。

 悩みそのものを拭い去ろうとは思っていなかった。

 それは、アイズ自身にしか出来ないことだから。

 

「大きな悩みなんて、簡単に吹っ切れるものじゃないよ。そういうものは、一旦胸に抱えておいて、一緒に進んでいけばいいんだよ」

「えっ?」

「そんで、できることからやっていこ!」

 

 ティオナの言葉を聞いて、アイズは目から鱗が落ちる思いだった。

 無理に吹っ切らなくてもいいのだと。そう思うだけで、気持ちが大分楽になった。

 ナギの事を思うと、何故だか胸がモヤモヤとするのは変わらない。

 ティオナの言う通りだ。この悩みは簡単に吹っ切れるものではない。

 何が答えかは未だ出ないけれど、今はただ、この悩みを胸に抱えて前に進もう。

 まずは自分にできることから、あの白髪の少年に謝ることから、始めていこう。

 

「ティオナ……」

「ん?」

「今日はありがとう……本当に」

「え、えへへへ。何か照れるなぁ……どういたしまして、アイズ!」

「ティ、ティオナさん! アイズさんに抱きつく必要はないんじゃあ……!」

「レフィーヤも素直になった方がいいんじゃない? 私も抱きつきたいですー、って」

「べべ別に、そんな事かか考えてなんててて……!!」

「動揺しすぎよ……」

 

 アイズに抱きつくティオナにレフィーヤが嫉妬し、ティオネがからかう。

 そんな日常が、今のアイズはとても幸せに思えていた。

 

 

 

 

 しばらくして、アイズ達は館の全容が見える位置まで戻ってきた。

 四人固まって談笑しながら、ホーム沿いに出る街路を曲がる。

 

「あれ、馬車?」

「何でうちの本拠の前に?」

 

 見慣れない乗り物が館の正門に止まっているのを見つけ、怪訝に思うティオナとレフィーヤ。

 近づいてみると、これまた見慣れないドレス姿のロキが馬車に乗り込もうとしていた。

 

「あれ? ロキ、何その格好!? 髪型まで変えちゃって!」

「ロキがそんな格好するなんて珍しいわね。どこか出掛けにでも行くの?」

「お~、帰ってきおったか四人娘。ま、そんなとこや。ちょいとこれからガネーシャんとこの『宴』にな」

「あれ、でも前は『神の宴』には興味ないと言ってたような……」

「ま、そうなんやけどな。今回は一つお楽しみがあるんや。待っとれよドチビ、弄り倒したるわ。ウヒャヒャヒャヒャ」

 

 相変わらずよくわからない事を口走るロキに、どうせよからぬ事を考えているのだろうと、アイズ達はジト目を向ける。

 

「ほな、行ってくるわ」

 

 それからすぐに商人から借りたと思われる豪奢な馬車に乗り込むロキ。

 その時になって、ようやく御者席に「何で自分が……」とばかりにがっくりと首を折るラウルの姿に気づき、アイズ達は憐れむような視線を送った。

 

「ご飯は適当に食べといてなー!」

 

 その一言を最後に、ラウルの振るった鞭の音とともに馬車が発進し、通りの向こうへと遠ざかっていく。

 

「そろそろ中へ入りましょ」

「うん」

 

 馬車の窓から手を振るロキを見送っていたアイズ達は、その姿が大分小さくなったところで、館の正門に向き直る。

 

「……?」

 

 その時、アイズは視界の端に何か見覚えのある色が映った気がした。

 

(今のは――)

 

 再度振り返り、確認してみるが、周りに変わったものは特に何もない。

 気のせいだろうか、とアイズは首をかしげる。

 

「おーい、何してるのアイズ? 早く中に入ろう?」

「あ、うん……」

 

 ティオナに促され、アイズは頭の中の疑問に蓋をして、門を潜る。

 庭園を抜けて館の中へ入ると、やや落ち着きのない様子のリヴェリアがアイズ達を出迎えた。

 

「ああ、帰ったか、お前達。おかえり」

「ただいま」

 

 リヴェリアの出迎えの言葉に、アイズ達も返事を返す。

 

「ところでお前達、ナギを見なかったか?」

「ナギを? うーん、見てないけど……どうかしたの?」

 

 出迎えの挨拶を交わすや否や、リヴェリアがナギの行方について質問する。

 皆して記憶を掘り返してみるも、心当たりはない。

 何かあったのかと尋ね返すティオナに、リヴェリアが少し心配そうな声音で事情を説明する。

 

「ああ。実は今朝出掛けたっきりナギの姿を見なくてな。夕飯までには帰ると言っていたから、そろそろ帰ってくる頃だとは思うんだが……なにか嫌な予感がしてな」

「あ……」

 

 その話を聞いて、アイズは思い当たることがあったのか、声を漏らす。

 

「何か知っているのか、アイズ?」

「うん。もしかしたら――」

 

 アイズは自分の心当たりをリヴェリアに話す。

 その話を聞いて、リヴェリアは頭を抱えた。どうか問題は起こさないでくれ、と呟いているのが聞こえる。

 数分前、アイズが館の門の前で視界に捉えた色は、ナギの髪の色と同じ、燃えるような赤色だった。

 

 

 

 

 辺りが暗闇に包まれ、星の輝きが増していく時間帯。

 とある特徴的な建造物の前で、ロキを乗せた馬車が停車した。

 

「相変わらず奇天烈な形しとるなぁ……」

 

 馬車から降りたロキが見上げるのは、象頭人体を模した、巨大な像。

 まともな神経を持つ者ならば己の目を疑ってしまうようなこの建造物こそ、【ガネーシャ・ファミリア】の本拠、『アイアム・ガネーシャ』だ。

 入り口が胡座をかいた股間であることも相俟って、構成員達にもっぱら不評な建物である。

 今も『ガネーシャさん何やってんすか』『ガネーシャさんパネェっす』といった神々の声が聞こえてくる。

 そんな巨人像を並んで眺めていた御者の青年に、ロキが声をかける。

 

「それにしてもラウル、自分女の扱い上手くなったなあ。エスコート、バッチグーやったで」

「は、はあ……恐縮っす」

「悪いんやけど、もうちょい付き合ってくれんか? 遅くなるかもしれんけど、うちが帰るまで待っとって。もちろん報酬は弾むで」

 

 わかりました、と苦笑する御者のラウルに、頼んだでー、と笑い返したロキはドレスを翻し、建物の中へ入っていった。

 『神の宴』――その名の通り、神のみが参加を許された会合であるが、その実態は、特に目的意識もなく、ただ騒ぐために開かれるだけのものである。

 ただし、中には【ファミリア】の近況報告を織り交ぜて情報交換をする者もおり、都市内外の情勢や特定の派閥に近づくための集会としても重宝されていた。

 もっとも、ただ騒ぎたいだけの神がほとんどなのは言うまでもない。

 

『俺が、ガネーシャだ!』

『イェー!!』

 

 長い廊下を抜けた先にある大広間では、舞台の上でこの建物のモデルでもある神ガネーシャが、宴の主催者として挨拶を行っている。 

 主催する神の【ファミリア】の規模によって内容も環境もがらりと変わる『神の宴』だが、今回は都市上位派閥の【ガネーシャ・ファミリア】が主催するだけあって、かなり質の高いものとなっていた。

 

「おうおう。盛況やなー」

 

 給仕の青年からグラスを受け取り、ロキは会場内を見て回る。

 滅多に宴に顔を出さないロキが――それも珍しくドレス姿で――歩いていれば、他の神々の目に留まるのは必然。

 すぐに(ひと)が集まり、にわかに騒々しくなる。

 

『あちゃー、ロキ来ちゃったよ』

『残念女神頂きましたー』

『それにしても見事な無乳だ』

『あんな断崖絶壁、他じゃお目にかかれないぜ』

『噂じゃ、自分の眷族に「特徴:無乳」で認識されたらしいぞ』

『ちょ、その話詳しく!』

 

 ゲラゲラ笑う一部の神達だが、にこりと微笑むロキを見ると、ピタリと止んだ。

 

(帰ったら潰す)

 

 そんな意思がロキの顔からありありと伝わり、彼等は足並み揃えて逃げるように会場を去っていった。

 けっ、と吐き捨て、手に持ったグラスをぐいっと煽る。

 

(逃げるくらいなら、最初から喧嘩売るなっちゅうの。それにしても……)

 

 気ままに歩き回りながら、目当ての神物の姿を探す。

 

「見当たらんな、あのドチビ……ガセやったか?」

 

 ロキとしてはその目当ての神物が来ておらずとも、それはそれでよしと考えているのでさほど気にはしないが、やはりせっかく来たからには、かのロリ巨乳の惨めな姿を存分に笑ってやりたい。

 漏れ出しそうな邪笑をなんとか堪えながら、ロキは広間を歩く。

 

「おお、ロキじゃないか」

「ん? ディオニュソスか。自分も来とったんやな」

 

 ロキに声をかけたのは、柔らかい金髪を首まで伸ばした、富国の王子を思わせる細身の男神だった。

 

「せっかくの宴の場だからね。情報収集も兼ねて足を運んだんだ。私の【ファミリア】はロキのところほど、強くも非常識でもないからね」

「ほお~?」

 

 ディオニュソスと呼ばれたその神が、品のいい笑顔を見せてそう言った。

 一方で、その立ち姿には僅かな隙もなく、食えない奴だとロキは勝手に印象づけている。

 

「あらぁ、ロキ。お久しぶり。元気にしてた?」

「おおぅ、デメテル……い、いたんか」

「ああ。今の今まで私と話していてね」

 

 おっとりとした微笑みを見せるのは、ロキにはない豊かな胸を持った女神のデメテルだ。

 あまりの胸囲差(せんりょくさ)にロキは思わずたじたじになる。

 しかし、性格の大らかなデメテルは、あらゆる意味でその懐が大き過ぎるため、ロキは彼女に一欠片の反感も抱くことができない。

 

「ロキ、あなたの【ファミリア】の調子はどう?」

 

 デメテルがロキに【ファミリア】の近況を尋ねる。

 

「うちはまあ、順調やな。みんな元気やで。元気過ぎて逆に心配な時もあるけどな。いつか派手にスッ転びそうで、こっちは冷や冷ややわ。デメテルの方は?」

「ありがたいことに、うちの【ファミリア】も色々なところにご贔屓にしてもらっているわ。先日、うちで野菜が沢山とれたから、今度ロキのところにもお裾分けしに行くわね」

「おお、ありがとなー」

 

 野菜や果物を栽培して売り出す商業系の【デメテル・ファミリア】の評判は上々なようだ。

 

「ディオニュソスはどうなん? あまり大した噂は耳にせんけど」

「可もなく不可もなく、といったところかな。まあ、落ちぶれない程度には頑張らせてもらっているよ」

「ディオニュソスったら、さっきからはぐらかしてばかりなのよ。ずるいわ」

 

 ロキの知る限りでは、【ディオニュソス・ファミリア】は中堅どころの派閥であり、Lv.2冒険者を複数抱えつつも、あまりぱっとした印象はない。

 主神の性格も関係してか、他派閥と比べて情報漏洩の防止が徹底しているようだ。

 

「ロキのところは遠征から帰ってきたばかりなんだろう? 何か面白い話はないのかい?」

「自分のことは何も言わんくせに、ずけずけとよう言うわ。ま、確かに面白いことはあったけどな」

 

 ディオニュソスに呆れた目を向けつつも、ロキは最近拾った少年についての話題をあげる。

 

「遠征自体は大した収穫なく終わったんやけど、その後で面白い子供を拾ってなぁ。うちの眷族にしたんや」

「へえ、新人が入ったのかい? 君みたいな大手では珍しいじゃないか」

「そうね。よほどその子があなたのお眼鏡に叶ったのかしら」

 

 ここしばらくは募集していなかったロキが、新たに仲間に引き入れた子供。

 その存在に、ディオニュソスとデメテルは関心を寄せる。

 

「まあな。あいつは規格外の才能の持ち主や。それこそ、アイズ以上のな」

「! あの【剣姫】よりも?」

「せや。あいつはいずれこの世界の誰よりも強くなると、うちは確信しとる」

 

 これでもかと言うくらい件の少年を褒め称えるロキに、デメテルもディオニュソスも目を見張った。

 あのロキがここまで評価する子供とは、一体どんな人物なのだろうかと。

 一方のロキも、内心で思考を巡らせていた。

 

(出来ることなら、ナギの情報はなるべく隠匿しておくべきなんやけどな)

 

 『イレギュラー』『特別』『異世界出身』などなど、娯楽に飢えた神々がアホみたいに反応するであろう単語のオンパレードとも言える存在のナギ。

 そんなナギについての情報を他者に明かすのは、あまりよろしくない行動と言える。

 しかし、一方でそれは有効な戦術ともなるものであった。

 

(遅かれ早かれ、ナギはいずれ表舞台に晒される。けれど、今からナギの〝才能〟を強調しておけば、ナギの最大の秘密――『異世界人』やっちゅうことまでは頭が回らんはずや。ま、そもそも普通に思いつけるようなことでもないんやけど、一応の保険やな)

 

 つまるところ、ナギの〝才能〟という一点を全面的に押し出し、その他の秘密を覆い隠そうと言う魂胆である。

 ナギほどの実力であれば、いずれはどうやっても目立ってしまう。

 ならば今のうちから手を打っておこうというのが、ロキの作戦であった。

 

「へえ、君がそこまで評価する子か……一度会ってみたいな。どんな子なんだい?」

「私も気になるわ」

 

 案の定ナギについて食いついてきた。しかし、何がなんでも、という程ではないので、ロキの作戦は功を奏していると言えるだろう。

 ロキは内心でほくそ笑みながら、質問に答える。

 

「ん~、一言で言うと、小生意気な小僧やな。いかにもヤンチャ坊主っちゅう感じの。こいつがまたやること為すことハチャメチャでなぁ」

「あら、男の子なの? かわいいのかしら」

「まあ、顔立ちは整っとるな。将来有望なんは間違いないわ」

「その言い方だと、まだ幼いようにも聞こえるけど?」

「せや。赤毛のヒューマンの子でな、まだ十歳やねん」

 

 十歳。その年齢を知り、今度こそ驚愕を露にした。

 

「その歳で才能を示しているのかい? 末恐ろしいね。ぜひとも一度会ってみたいな」

「そんなこと言ってもあいつはやらんで」

「そんなことは重々承知だよ……」

 

 勧誘は許さん、と告げるロキに、肩を竦めるディオニュソス。と、その時、ディオニュソスの目がある一点で留まった。そして、その顔が驚愕に彩られる。

 しかしロキは、同じようにナギに会いたいと主張するデメテルの方に顔を向けていたために気づかない。

 

「もう、会わせてくれてもいいじゃない。ねえ、ロキ」

「そのでかい胸であいつを誘惑せえへんかったらな」

「あん、いじわる」

「誘惑する気満々やないか!」

 

 先程はデメテルの豊かな胸にたじたじだったロキだが、今はそれをからかえる程度には余裕を見せていた。

 しかしそんな余裕も、次のディオニュソスの言葉で崩れ去る。

 

「と、ところでロキ。ちょっといいかな?」

「あん? どうしたんや、いきなり?」

 

 唐突なディオニュソスの言葉に、眉を潜めるロキ。

 ディオニュソスはロキの背後を指差して、言った。

 

「今、話に出ているその新人って……もしかして彼の事かい?」

「はあ? 何言うとんのや? あいつがこないな所にいる訳――」

 

 何をバカなことを、とロキがディオニュソスの指の先を振り返ると、そこには、

 

「うんめえ! ロキの奴、一人だけこんな美味ぇもん食いにいきやがって。お、こっちもいける!」

 

 手当たり次第に料理を頬張っている少年の姿があった。その特徴は、今しがたロキが挙げたものとぴったり一致していた。

 まぎれもなく、件の少年――ナギ・スプリングフィールドに相違なかった。

 

「何やっとんじゃこのボケー!!」

 

 神の力を封じているとはとても思えない速度で、ナギの首根っこを掴んで会場を出ていくロキ。周囲の神達には、急に一陣の風が吹いたようにしか感じられなかっただろう。

 去っていくロキの姿を見送りながら、ディオニュソスはなるほど、と呟く。『神の宴』に忍び込むとは、確かにかなりぶっとんだ子供だ。

 それから数分して、ロキはひどく疲れた様子で帰ってきた。

 今ごろこの会場の外では、「ラウル! こいつのこと見張っとり! 絶対目ェ離すんやないで! ナギィ! 説教は帰ってから存分にしたるから覚悟せえよ!!」と突然ナギの身柄を押し付けられたラウルの戸惑う姿が見られることだろう。

 

『あれ? あいつさっきここで見たよな? 何でまた入り口から入ってきてんだ?』

『ちょっと外に用事でもあったんじゃないか?』

『まあ、そうだよな』

『つか、すげえ疲れてね?』

『この短時間で何があったんだ……』

 

 何故か再び入り口から入場してくるロキの姿に疑問を覚え、遠巻きに様子を窺う神々もいたが、正確な事情を把握している神はいなかった。

 ロキはそれを見てほっと胸を撫で下ろした。

 そしてすぐさま、先程まで話をしていたディオニュソス達の元まで接近する。

 

「ロキ、さっきの子は……」

「ええか、自分らは何にも見なかった。それがすべてや。わかったか?」

 

 ナギについて尋ねようとしたディオニュソスだが、尋常でないオーラのロキに黙って頷くことしかできない。いつも柔和な雰囲気を崩さないデメテルも同様だった。

 

(これでなんとか証拠隠滅完了や。他の神達(やつら)は気づいてなかったみたいやしな)

 

 ディオニュソス達が黙っていればナギが『宴』に忍び込んでいた事実は隠し通せる。ロキは全力でナギの潜入をなかったことにした。

 ナギをラウルに預けて、わざわざ会場に戻ってきたのはこの為である。

 

「じゃあ、うちはそろそろ行かせてもらうわ」

「あ、ああ」

「え、ええ。またね、ロキ」

 

 疲労を隠せない表情のロキが、ディオニュソス達に背を向ける。

 ナギへの説教もしないといけないし、今日はこれでもう帰ろうかと考えた。

 しかし、視界の端に見覚えのある顔を捉え、考えを改める。

 

(――せっかく見つけたんやし、挨拶だけでもしていくか)

 

 そしてそのまま、本来の目当てであった女神達の元へ歩いていった。

 

「聞きたいことがあったのだが……聞きそびれてしまったな」

 

 そんなロキの後ろ姿を見送りながら、ディオニュソスはぽつりと呟いた。

 

 

 

 

「よお……ファイたん、フレイヤ、ドチビ」

「あら、ロキ。こんばんは」

「本当、久しぶりね。いつ振りかしら」

 

 ロキの挨拶に返事を返すのは、美の女神であるフレイヤと、右目に大きな眼帯をした麗人――ヘファイストス。そして、

 

「何しに来たんだよ、君は……って、何か君、様子がおかしくないかい?」

 

 ロキが常に目の敵にしている、幼い容貌ながらも、巨大な胸を宿す女神――ヘスティアである。

 ヘスティアもまた、自分をおちょくるロキが大嫌いなのだが、今日に限ってちょっかいをかけてこないロキを胡乱げに見つめた。

 

「まあ、ちょっと色々あってな……今はドチビをからかう気力もないわ。まあ、せっかく見つけたんやし、挨拶には来たけど」

 

 ため息を吐くロキに、何があったのか気になるヘスティアだが、ロキの全身から詮索するなというオーラがこれでもかと醸し出されているので、それ以上何も尋ねることはなかった。

 

「本当に久しぶりね、ロキ。貴方の【ファミリア】の名声はよく聞くわよ? 上手くやってるみたいじゃない」

「いやぁー、大成功してるファイたんにそんなこと言われるなんて、うちも出世したなぁー。まあ、確かに今の子達はちょっとうちの自慢なんや」

 

 ヘファイストスに称賛され、ロキは照れ臭そうに頭に手をやる。やはり自分の眷族を褒められるのは嬉しいものだ。それが最大手の鍛冶師系【ファミリア】の主神からとなれば尚更だ。

 

「あ、そうだロキ。君に二つほど頼みがあるんだけど」

「ドチビがうちに? 何や、言うてみい」

 

 今思い出した、といった様子でヘスティアがロキに尋ねる。

 ロキも今はわざわざヘスティアをからかう気にはならないのか、素直に応じる。

 

「じゃあ一つ目。ちょっと聞きたいんだけど、君のところの【剣姫】……ヴァレン某に、付き合っている男や伴侶はいるのかい?」

 

 その質問に、ロキは先程までの疲れた様子など微塵も見せずに即座に回答した。

 

「あほぅ、アイズはうちのお気に入りや。ちょっかい出す奴は八つ裂きにしたる」

「ちっ!」

「何でそのタイミングで舌打ちすんのよ……」

 

 いっそ意中の相手でもいれば、愛しい自分の眷族がフリーになったのに、と黒い思考とともに舌打ちするヘスティアを、ヘファイストスは呆れたような目で見つめる。

 

「これが一つ目の頼みか? じゃあ、もう一つは何なんや?」

「あ、うん。実はこっちの頼み事っていうのが本題でね」

 

 ロキに促されたことで意識を引き戻し、本題を口にするヘスティア。

 

「最近君のところに、ナギ君っていう赤毛の男の子が加入したよね? その子についてなんだけど……」

「――おい、ドチビ。どこであいつのことを知った? あいつに何かしようってんなら、容赦せんぞ」

 

 ナギの名前が出た瞬間、ロキから多大なプレッシャーが放たれる。

 ロキからのプレッシャーをもろに浴びたヘスティアは、慌てて二の句を告げた。

 

「べべ、別にあの子に手を出そうって訳じゃないよ! ただお礼を伝えてもらおうと思っただけで!」

「お礼? 何でドチビがナギに?」

 

 その言葉に、ロキは思わずきょとんとする。

 ナギとヘスティアの間に関係性など全く見えてこない。

 自分の知らない間に何があったと探るような目付きでヘスティアを見つめる。

 

「実は昨日の朝、その子が僕の眷族の怪我を治療して、本拠まで送ってきてくれたんだ。その時はろくに話もできない内にさっさと帰ってしまってね……だから、ちゃんとお礼をしておきたいと思って。でも、他派閥の子供だからそうそう会えないし……それで君に伝言を頼もうと思ったんだ」

「…………嘘は言ってないみたいやな」

 

 いつも目の敵にしている相手だからこそ、よく知っている。目の前の女神が嘘をつけるような性格ではないことを。

 同時に、いつの間にヘスティアの眷族と関わりを持っていたのか後でナギに問い質しておかねば、と心に刻む。

 

「へえ、ロキが新しく引き入れた子供かぁ。興味あるわね」

「私も気になるわ」

「ま、それについてはまた今度な」

「何よ、話してくれたっていいじゃない」

「あいつは秘密兵器みたいなもんやからな。簡単に教えたらつまらんやん」

 

 好奇の眼差しを向けるヘファイストスとフレイヤを尻目に、ロキは適当にその場を言い繕う。

 実際、ヘファイストスに話すのは別段問題ないのだが、もう一方が厄介なのだ。

 

(できる限り、この色ボケ女神に目ェつけられんようにしとかんとな。時間の問題やろうけど)

 

 フレイヤの男癖の悪さは、神々の中では周知の事実だ。その上、子供達の『魂の色』を識別できるというチートスキルまで所持しているのだ。ナギほどの才能があれば、まず間違いなく目をつけられるだろう。

 ナギがロキの庇護下にある以上、奪い取るような真似は出来ないだろうが、ちょっかいを出されるのは気に食わない。

 ナギの実力からいって、有名になるのはそう遠くないことだろうが、できる限りナギをフレイヤから遠ざけておきたいというのが、ロキの本音だった。

 

「仕方ないわね。まあ、ロキの【ファミリア】の子ならすぐに噂になるでしょうし、気長に待つことにするわ」

「それもそうね」

 

 先程ヘスティアに向けたプレッシャーから、ロキが相当新しい眷族を大事にしていると悟り、ヘファイストスはすんなり引き下がる。

 フレイヤの方も、ナギ本人に出会っていないからか、それ以上追求はしなかった。

 

「ところで、さっきから何か騒がしくないかい?」

「ん? んー、確かに何かどたばたしとるなぁ」

 

 ヘスティアが耳に手を当てながら言った言葉に、ロキも同意する。

 話し込んでいて周りに注意を払っていなかったせいで今頃になって気づいたが、【ガネーシャ・ファミリア】の構成員達が忙しなく動き回っているのが見えた。

 何があったのだろうか、と辺りを見回していると、ヘスティアが何かに気づいて指を指した。

 

「ねえ、ロキ……」

「何や、ドチビ?」

「あそこで走り回っているのって、ナギ君じゃないかい?」

「はあ!? まさかあいつ――」

 

 ヘスティアの言葉に嫌な予感が膨れ上がる。

 即座にヘスティアの指の先を確認すると、

 

「待てー!」

「へっ、そんな動きで俺が捕まるかよ!」

「ブフーッ!?」

 

 案の定、ナギがお肉片手に【ガネーシャ・ファミリア】の構成員達に追いかけられていた。

 

(ラウル━━!? 見張っとけ言うたやろがー!! ナギも懲りずに何でまた入って来とんねん!!)

 

 先程のように、構成員達にバレない内ならまだよかった。しかし、すでにナギは見つかってしまっている。

 ロキの頭に、不法侵入、無銭飲食、器物損壊、その他もろもろの余罪が次々と浮かび上がり、滝のように汗が流れ出す。

 

「へえ、あの子がロキの新しい子供かぁ……」

「なるほど、ロキが可愛がる訳ね」

(ぐぬっ、気を付けていた側からこれかい……こなくそ! いや、落ち着け……今問題なんはあっちの方や……)

 

 ヘファイストス、そして、ただでさえ見つかってほしくないフレイヤにまでその姿を見られてしまった。

 その事に色々と思うところはあるが、現状その事にまで頭を回す余裕はない。

 なんとか頭を切り替えて思考を巡らせる。

 

(いずれにせよ、このままやとマズイ……何とかせんと……)

 

 自分とナギの関係性がバレた時が最後だ。何とかして誤魔化さなければならない。

 

「――――い、いやあ、うちの子供とちゃうんやないかなぁ? た、他人の空似とか? 世界にはそっくりな顔が三人はいるっちゅう話やし……は、はははっ」

「ロキ……さすがにその言い訳は苦しいわよ。あんた思いっきり吹き出してたじゃない」

「ファイたん突っ込まんといて!」

「何をひどいことを言っているんだロキ! 自分の子供に対して他人のフリをするだなんて――」

「ドチビは黙っとれ!!」

 

 余計なことを口走ろうとするヘスティアの口を物理的に塞ぐ。全力で誤魔化しにかかったロキだが、容易く看破される。さすがに苦しすぎたようだ。

 むーむー、とヘスティアが声にならない声を上げる中、ロキは脳内で対応策を構築していく。

 

(ま、まあ、ナギが早々捕まるとは思えんし、このままあいつが逃げ切れば万事オーケーや。あいつがうちとの関係を口にしない限り、後はどうとでも誤魔化せる。頼むから余計な事言うんやないで、ナギ……!)

 

 ロキは祈るような気持ちでナギを見る。

 しかし、現実は無情だった。

 逃げ回るナギは目敏くロキを見つけると、顔をそちらに向けて叫んだ。

 

「あっ、おいロキ! てめえ、何自分だけしれっとパーティーに戻ってきてんだ! ずりぃぞこんちくしょう!」

(ドアホー!! 言ったそばからこれかい!!)

 

 尽く期待を裏切るナギに、ロキは頭を抱える。

 他の神も例外に漏れず、ロキの名前に反応した。

 

『おい、ロキの名前が出たぞ』

『ということは、ロキの眷族か!?』

『おいおい、これって結構やべえんじゃねえの?』

『神の宴に子供が潜入するなんて前代未聞だしな。しかもよりにもよってガネーシャの本拠に』

(ペナルティ)は確実だな。お疲れさまでした~』

(うぁああぁぁああああぁああああ!!)

 

 もう言い逃れはできない。完全にロキとの関係がバレてしまった。

 こんな下らない事でギルドから(ペナルティ)を食らうなど、恥にも程がある。

 

「こうなったら、うち自ら捕まえたるー!!」

 

 もはや形振り構ってなどいられない、とロキも捕縛班に加わる。

 

「おおっ、ロキも追いかけてきたか。ずいぶん盛大な鬼ごっこじゃねえか! いいぜ、捕まえてみな!」

 

 そうして、【ガネーシャ・ファミリア】総勢とロキによる鬼ごっこが開始された。

 構成員の青年が飛びかかる。ナギが避け、青年がテーブルに突っ込む。

 呑気にテーブルにある料理を頬張り始めるナギに、背後から忍び寄る。影分身に踏まれる。

 構成員達がナギを囲み、一斉に飛びかかる。ナギがジャンプして避け、同士討ちに遭う。

 

「俺がガネーシャだ!」

 

 ガネーシャ自ら捕えにかかる。

 

「おっ、おっちゃんその仮面カッコいいな!」

「むっ、わかるか少年。そう、この俺がガネーシャである!」

 

 仮面を褒められ、自己アピールしている内に取り逃がす。

 

「おとなしく捕まれやー!!」

「やなこった!」

「ぶへっ!?」

『アポロンを踏み台にしたぁ!?』

 

 ロキが突撃する。とある男神の顔を踏み台に避ける。男神が怒って捕縛班に加わる。

 

『あの子供が逃げ切るのに一万ヴァリス!』

『怒ったアポロンがもう一度踏み台にされるにエリクサー十個!』

『疲労困憊のロキたんを俺が慰めるに星の欠片(スター・チップ)全部!』

『賭けになってねえじゃねえか』

 

 終いには、賭けを始める者まで出始めた。

 会場は混乱を窮め、同時にこれまでにない盛り上がりを見せる。

 

「うわぁ、こんなカオスな宴、見たことないよ」

「ていうか、あのナギって子、すごい身体能力ね。相手は仮にも【ガネーシャ・ファミリア】の精鋭達。それを手玉にとってるなんて」

「ふふ、やっぱり面白い子ね」

 

 大捕物には参加していない、ヘスティア達が遠巻きに見守る。

 しかし、その顔にはどこか楽しそうな表情が浮かんでいた。

 元々暇を持て余して下界に降りてきた神々だ。場を盛り上げてくれるナギの存在に、好感を抱きこそすれ、悪感情など沸いてこなかった。

 

「どうしたどうした! もっと本気で来いよ!」

『上等だこのガキー!』

「いいぜ、いいぜ、いいなオイ! 盛り上がってきたぞ!」

 

 挑発するように笑うナギに向かって、ロキ達はナギに痛い目を見させんと、一致団結して突っ込んでいった。

 

 

 

 

 十分後。

 「飽きた」といって会場を出ていくまで、結局誰もナギを捕まえることは叶わなかった。ナギを追いかけ回していた者達は例外なく疲労困憊で床に突っ伏している。

 

「ああっ、やっぱり中にいたんすか!」

「おっ、ラウルじゃねえか。なんだ、ずっと外にいたのかよ」

 

 入り口から外に出ると、そこにはナギの見張りを命じられたラウルが立っていた。

 お前も中に入ればよかったのに、と告げるナギに、そんな恐れ多いことできるのは君だけっす、とツッコむ。

 

「おいこらラウル! 何すんなり逃げられとんねん!」

「ご、ごめんなさい!」

 

 なんとか復活して後を追ってきたロキが、八つ当たり気味にラウルを怒鳴る。

 

「罰としてしばらくナギのお目付け役に任命する。拒否は許さん!」

「そ、そんなぁ~!」

 

 あまりの罰に泣き言を言うラウル。早速最初の仕事だ、とナギを本拠まで送る役目を仰せつかる。

 ロキはガネーシャと話をつけるために残るとのことだ。もちろん、その後でロキを迎えに戻るようにも言ってある。

 

「じゃあ、先に戻ってるぜ。疲れてるみてえだし、あんまり無理すんなよ」

「誰のせいやと思うてんねん!」

 

 全く悪びれないナギに地団駄を踏む。ロキは不機嫌そうに足音を鳴らしながら、そのまま会場の中に戻っていった。

 それと入れ違うように、一柱の神が、外に出る。

 

「なるほど……彼が、そうか」

 

 通りを歩き去るナギの後ろ姿を見つめながら呟いた声は、風に乗って消えていった。

 

 

 

 

 結局、ロキの嘆願もあり、【ガネーシャ・ファミリア】に借り一つということで事なきを得た。

 ガネーシャがあまり細かいことを気にする性格でなかったことが幸いしたのだろう。そうでもなければ、自分のファミリアの本拠を神の宴の会場になどしないだろうが。

 しかし、(ひと)の口に戸は立てられず、名前こそ特定されていないが、どこぞの【ファミリア】の眷族(こども)が神の宴に乱入して大暴れしたという噂が、迷宮都市(オラリオ)中を駆け巡った。

 その噂を耳にした某ハーフエルフのギルド職員は、「絶対あの子の仕業だ……」と大層頭を抱えていたそうな。

 

 




~おまけ~

「ラウル、あんたナギのお目付け役に任命されたんですって?」
「御愁傷様。これ、使ってくれ。【ディアンケヒト・ファミリア】謹製の胃薬だ」
「リラックス効果のあるアロマよ」
「ヤンチャな子供のしつけ方の本。どこまで効果があるかわからないけどね」

 次々と同僚からプレゼントを渡される。

「こういうのもらうより、代わってもらう方が嬉しいっす」
「「「「や、それは無理」」」」

 満場一致で断られた。
 騒動の種(ナギ)のお目付け役に任命されたラウルの明日はどっちだ!?


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怪物祭

 またしても更新期間が空いてしまった。遅れてしまい、申し訳ないです。
 ようやくリアルが落ち着いたので、これからは執筆に集中したいと思います。
 あと、タイトルをほんのちょっとだけ変えました(千の呪文の男がダンジョンにいるのは『間違いだろうか』→『間違っているだろうか』)。微妙に原作タイトルとズレていたので。



「おい、ロキ! 怪物祭(モンスターフィリア)って何だ!?」

 

 ある意味伝説となった『神の宴』から二日が過ぎた日の朝、ナギは唐突にロキを捕まえてそう尋ねた。

 

「……どっから聞いてきたんや、その話?」

「さっき食堂で話してんの聞いた! それより早く教えろって!」

 

 教えるまで離さないとばかりに詰め寄ってくるナギに、ロキは内心で舌打ちする。

 できることなら、怪物祭のことはナギには内緒にしておきたかったのだ。その理由は先日の事件に起因しているのだが、今は置いておこう。

 ともあれ、既に知られてしまった以上、隠していても仕方がない、と怪物祭の概要を話していく。

 怪物祭とは、年に一度【ガネーシャ・ファミリア】の全面協力のもとに開かれる、ギルド主催の催しである。その規模は都市外からわざわざ観光に訪れる者がいるほどだ。

 祭りのメインイベントは、怪物祭の名が示すように【ガネーシャ・ファミリア】の調教師によるモンスターの調教である。

 調教は闘技場を丸々貸し切って使用するため、その周囲には出店などが立ち並び、毎年盛大な盛り上がりを見せている。

 つまりは、迷宮都市でも屈指の規模を誇る大イベントという訳だ。

 そうしてロキが祭りの概要を話していくうちに、ナギの瞳はみるみる輝いていった。

 

「おいおい、そんな面白そうな祭りがあったのかよ!? こりゃあもう明日行ってみるしかねえな!」

 

 未知のお祭りを前にして、興奮を隠せない様子のナギ。すでに頭の中は怪物祭の事で頭が一杯になっている。

 しかし、次のロキの一言がナギを凍りつかせた。

 

「まだ謹慎続いとるからアカンぞ」

「………………ん?」

 

 ナギは何を言われたか理解出来ないという表情で小首を傾げた後、小指で自分の耳を穿り、爪の先についた耳垢を息で飛ばした。

 

「おい、ロキ。俺、ちょっと疲れてんのかな……幻聴が聞こえたみてえだ。もう一回言ってくれねえか?」

 

 顔を引きつらせて問いかけるナギに、ロキはわざわざ言葉を区切って強調して告げる。

 

「自分は、自宅謹慎中やから、祭りには、行かせん」

「そうかそうか、俺は祭りには行けないと……」

 

 ふむふむなるほど、とナギは首を縦に振って頷くと、次の瞬間、叫んだ。

 

「っざけんなー! そんな面白そうな祭りを目の前にして部屋に閉じ籠ってろってのかよ!? 絶対ぇ認めねえぞ、そんな横暴!!」

「自分がいつまでたっても反省せえへんからやろうが! 『宴』であんだけ騒ぎ起こしたやつが、怪物祭で大人しくしていられる訳ないやろ!」

 

 声を荒げて抗議するナギに、ロキも負けじと言い返す。

 そう、ロキの言うように、ナギは『神の宴』があった夜から謹慎処分を受けていた。

 理由はやはり、先の『神の宴』で騒動を起こしたことへの罰である。

 しかし、ナギ本人に反省の色は全く見られず、このままではまた同じことを繰り返すであろうことは容易に想像できた。

 これ以上余計な騒ぎを起こされてはたまらない。そう考えたロキは、できることなら怪物祭のことを秘匿しておき、知られたら謹慎を理由に本拠に縫い付けておこうと画策していたのである。

 もちろん、ナギがそんなことを受け入れられるはずもなく、

 

「へんっ! いいぜ、こうなったら意地でも抜け出して祭に行ってやらぁ!」

 

 ナギは堂々と謹慎を言いつけた本人の前で脱走を宣言する。

 これまで幾度となく行われたリヴェリアとの追走劇を制してきたナギである。その気になれば脱走くらいはこなすだろう。

 ため息を一つ吐き、ロキは言った。

 

「わかった。そこまで言うなら許可したるわ」

「おっ! なんだよ、話わかるじゃねえか」

「ただし!」

 

 許可が出て態度を一変させたナギに釘を刺すように、ロキは続ける。

 

「うちの出す条件を飲んだらや。それが呑めんなら、外出許可は出さん」

 

 有無を言わさぬ態度で条件を出すロキに、ナギは思案する。

 抜け出してでも行くと言ったが、これでもリヴェリアなどの追跡を振り切るのは骨が折れるのだ。

 仮に脱出できたとしても、追っ手を警戒しながらでは祭りも十分に楽しめない。

 邪魔されずに祭りに行くことができるのなら、それが一番なのである。

 

「んー、まあ、面倒がない分こっちのがマシか。しゃーねえ、それでいいぜ」

(計画通り……!)

 

 これがロキの狙いだった。

 初めから外出を許可していたら、条件をつけることに文句を言っていただろう。

 しかし、外出許可と引き換えならば反感は少なくなる。

 案の定、ナギは渋々ながら条件を受け入れた。狙い通りの展開にほくそ笑む。

 とはいえ、ロキもそこまでひどい条件をつける気はない。素直に祭りを楽しんでほしいという気持ちもあるのだ。

 

「ほな、その条件についてなんやけど……」

「――――ほほう」

 

 取り決めた条件を耳打ちするロキ。それを聞いたナギは、初めは顔をしかめていたものの、話が後半になるにつれ、次第にイイ笑顔を見せていった。

 そして翌朝――

 

「行くぜラウル!」

「うう、何で自分が……」

 

 ナギは悲観するラウルを引き連れ、『黄昏の館』を出発した。

 

 

 

 

「よし、うちらも行くで、アイズたん」

 

 ロキの呼び掛けに躊躇いがちに頷いたアイズは、それまで座っていたソファから腰を上げる。

 しかし、その視線はある一点から動かずにいた。

 ロキもそれに気づいたのだろう。同じように視線を向けると、気まずそうにしながら言った。

 

「あー、あれは無視しとき。今はどうにもならんし、刺激しない方がええ」

 

 二人の視線の先にいるのは、膝を抱えて暗く澱んだオーラを醸し出すリヴェリアだった。

 焦点の合わない目で虚空を見つめ、時折うわ言のように「何故だ……どうしてこんな……」とこぼしている。

 いつも冷静沈着な彼女がこのような姿を見せていることに驚きを隠せないアイズだが、ロキがそう言うなら、と触れないでおくことに決めた。

 

「ほな、行くとしよか。実は他の奴とも待ち合わせしとるんや。すまんけど、ちょっと寄り道させてもらうな」

「わかりました」

 

 その後本拠を出立した二人は、東のメインストリートを目指して歩を進める。

 闘技場に繋がる東のメインストリートには既に多くの人で賑わっていた。

 同時に、ずらりと立ち並んだ多くの出店も、少しでも多くの客を呼び込もうと活気に溢れている。

 

「ここや、ここ」

 

 祭りに沸き立つ群衆の間を縫って進んで行くと、やがて大通り沿いに建つ喫茶店の前に躍り出た。

 店の中に足を踏み入れるロキ。すぐに店員が対応に来て、二人を二階へと通す。

 その場に足を踏み入れたアイズが感じたのは、時が止まったような静寂だった。

 その場の全員が心を奪われたかのように一人の神物を見つめている。

 

「よぉー、待たせたか?」

「いいえ、少し前に来たばかりよ」

 

 気さくに声をかけるロキに、視線を集めていた相手もまた、微笑を浮かべて答えた。

 どうやらこの神物が待ち合わせの相手らしい。

 

「暑苦しそうな格好やな」

「こうでもしないと碌に道を歩けないもの。仕方ないわ」

「カッ、嫌みかコラ」

 

 紺色のローブを纏い、フードを深く被った目の前の女神。ロキと話すその様子から古い付き合いを感じさせる。

 フードの奥から見えた銀の髪からアイズは初めて会った女神の正体を察した。

 

「ところで、その子を紹介してはくれないのかしら?」

「なんや、紹介がいるんか?」

「一応、彼女と私は初対面よ」

 

 自身に向けられたその女神の美貌に、アイズは一瞬引き込まれそうになった。それほどの魅力が彼女の美貌には備わっていた。

 【ロキ・ファミリア】と並び称される都市最強の一角を担う【ファミリア】の主神。

 美の女神、フレイヤ。それが目の前の女神の名である。

 

「んじゃ、うちのアイズや。これで十分やろ? アイズ、こんなんでも神やから、一応挨拶しとき」

「……初めまして」

 

 小さくお辞儀をするアイズ。「座ってええで」とロキに促され、隣に腰を下ろす。

 そんなアイズを見つめるフレイヤは形のいい唇を開いて何事かを言おうとするが、それよりも早くロキが動いた。

 

「さて」

 

 その一言を皮切りに、ロキの雰囲気が豹変した。それに合わせて、フレイヤの雰囲気もまた一変する。その圧力に、その場の人間達は逃げるように店を後にして行く。

 

「前置きはなしや。単刀直入に聞く。何をやらかす気や」

 

 有無を言わせない強い口調で、ロキはフレイヤに問う。

 

「何の事かしら」

「とぼけても無駄や」

 

 依然涼しい顔をしているフレイヤに、ロキは射抜くような視線をぶつける。

 

「最近動きすぎやろ、自分。興味ないとかほざいとった『宴』に急に顔を出すわ、男神(おとこ)ども誑かして情報集めとるっちゅう噂も聞いとる。一体何を企んどんねん」

「企むだなんて……人聞きの悪いこと言わないで?」

「じゃかあしい。昔から自分が妙な真似をすると碌なことが起きん。さあ、とっとと吐かんかい」

 

 ロキの言葉の端々から、自分達に面倒ごとを持ち込むなと告げてくる。それは、二大派閥の主神であり、勢力争いをしている身からすれば当たり前の反応だろう。

 しかし、今のロキからはそれ以外の意思も見えている。

 そう、それはまるで、何かを牽制するかのような――

 

(ああ、そういうこと)

 

 そこまで考えて、フレイヤはロキの思考を読み取った。

 

「安心して。あなたの子には手を出す気はないわ。先日『宴』で見たあの子にもね」

 

 ピクリ、傍目にはわからないほど僅かだが、ロキの目蓋が動いた。どうやら当たりを引いたようだ、とフレイヤは自身の考えに確信を持つ。

 

「今日は随分強引だと思ったけれど……ふふっ、相当大事にしてるのね、あの子のこと。わざわざ私を呼び出してまで」

 

 天界でのロキの破天荒ぶりを知るフレイヤは、本当に変わったものだと肩を竦めた。

 同時に、ロキもまた長いため息を吐いた。

 脱力し、緊迫していた雰囲気を霧散させる。

 

「ま、目ェつけてたのがナギでなかったんなら、もうええわ。『宴』ん時の反応を見るに、可能性は低いと思っとったけどな」

「ええ。あの子の魂もすごく魅力的だったけれど、あまりにも輝きが強くて眩しすぎる。遠くから眺めるぐらいがちょうどいいわ」

 

 ナギの名前が出たことに反応するアイズ。どうやら、ナギに手を出さないように釘を刺すのがロキの目的だったらしい。

 確かに、ナギの特異性は目を引く。警戒しすぎることはないということなのだろう。

 何せ、自分の【ファミリア】の眷族にまでナギの素性について秘密にしているほどなのだから。

 【ロキ・ファミリア】の庇護下にあれば、大抵の【ファミリア】は手出しできないが、同等の力をもつフレイヤに手出しされてはたまらないと思ったのだろう。

 しかし、フレイヤも手出しする気はないとわかったので、ロキは空気を和らげた。

 アイズも、まだ付き合いが短いとはいえ、自分の仲間に危害が及ぶようなら、と警戒していたが、杞憂であったようだ。

 

「でも、そうね……少しだけちょっかいかけてみようかしら」

「うおい!」

「冗談よ」

 

 言った側から言い分を覆そうとするフレイヤに突っ込みを入れるロキだが、フレイヤはしれっと躱す。

 

「あの子の魂はありのままの姿が一番美しい。自分でその輝きを汚すようなことはしないわ。けれど、もしあなたがあの子の光を鈍らせるようなことがあれば、その時はあの子は私のものにするから」

「ハッ、そんなことには絶対ならへんから、安心しとき」

「そう。なら、大人しく見守ることにするわ」

 

 再び神威による威圧が放たれ、場の空気が冷たさを帯びる。が、それも一瞬。すぐに元の空気に戻ると、今度は呆れたような声音でロキが言った。

 

「せやけど、やっぱり自分が動いてた理由は男やろ。どこぞの【ファミリア】の子供を気に入った……そういうことやろ。ったく、年がら年中盛りおって。この色ボケ女神が」

 

 確信を持ったロキのその言葉を、フレイヤは否定しなかった。

 今一話の要領を掴めないでいるアイズだが、少ない情報をまとめて考えてみると、どうやらフレイヤは、他派閥の眷族を見初めてしまったようだ。情報を集めていたのはそのためらしい。

 しかも、ロキの言葉から察するに、一度や二度のことではないのだろう。それなりの人数が彼女の(どく)にかかったと見える。

 なるほど、ロキが警戒する訳だ、とアイズはこれまでのやり取りを思い返し、納得した。

 

「で、どんな奴や。今度自分の目にとまった子供ってのは?」

「…………」

「そっちのせいで余計な気を使わされたんや。聞く権利くらいあるやろ」

 

 野次馬根性丸出しで要求するロキ。言うまで帰さない、とその興味津々な目が告げている。

 ロキの隣に座るアイズも、興味をそそられていた。

 ()()ナギを差し置いてこの美の女神を虜にした者とは、いったい何者なのだろうかと。

 フレイヤは窓に顔を向け、あたかも過ぎ去った光景を思い浮かべるかのように、遠い目をして言った。

 

「強くは、ないわ。貴方や私の【ファミリア】の子と比べても、今はまだとても頼りない。少しのことで傷ついて、簡単に泣いてしまう……そんな子」

 

 でも、とその流麗な唇が動く。

 

「綺麗だった。透き通っていた。今まで見たことのない色をしていたわ。だから目を奪われたの。見惚れてしまった」

 

 その声音が、次第に熱を孕んでいく。

 その魂の持ち主を見つけた時のことを思い返しながら、フレイヤは窓から外を見下ろす。

 

「見つけたのは本当に偶然。たまたま視界に入っただけ。あの時も、こんな風に……」

 

 その時、紡がれていた言葉が不意に途切れた。

 女神の銀瞳は、まるで縫い付けられたかのように、ある一点を捉えて離さないでいる。

 アイズは反射的にその視線の先を追った。

 

「――――!」

 

 いた。大通りの人込みの中を駆け抜ける、真っ白な頭髪。知らぬ内に、アイズはその白色の行く先を追っていた。

 

「ごめんなさい、急用ができたわ」

「はぁ!?」

「また今度会いましょう」

 

 ポカンとしているロキを置いて、唐突に立ち去るフレイヤ。

 何やアイツ、とロキが首を傾げる中、アイズは雑踏の奥に消えていく白兎を追い続ける。

 

「ん? どうした、アイズ? 何かあったん?」

「……いえ」

 

 アイズの様子に気づいたロキが声をかけるが、アイズはおざなりに返事をするだけで、窓から視線を移そうとしない。

 

(見間違いかもしれない。でも、あの男の子も来てるかもしれない)

 

 会えるかもしれない、とアイズは期待していた。あの日、自分が傷つけてしまった、謝ることができなかった、白い髪の少年に。

 

(もしも会うことが出来たなら……)

 

 その時は、精一杯に謝ろう。

 そう、自分にできることから少しずつやっていけばいい。

 

「なんや機嫌良さそうやな、アイズたん」

「そう、ですか?」

「おお、なんや雰囲気がいつもより柔らかいで。クールなアイズたんもたまらんけど、今のアイズたんもうち好きやでー!」

 

 どさくさ紛れにセクハラしようと抱き着いてくるロキを躱しながら、アイズは思い返す。

 

(そういえば、あの子とナギは友達なんだっけ。今頃、何してるんだろう)

 

 帰ったら、ナギからもう一度、ちゃんとあの子の話を聞かせてもらおう。そう心に決めながら、アイズはロキと二人、店を後にした。

 

 

 

 

「そこだ! よっしゃ、いっけぇ! って、あーもー、何やってんだよ! しっかりしやがれ!」

「ちょっ、ナギ君! 少し落ち着いて! 危ないっすから!」

 

 大歓声が響き渡る円形闘技場(アンフィテアトルム)の中、一際周りの目を引いているのは、これでもかと拳を振り回しながら野次を飛ばす赤毛の少年と、それを諫めようとしている黒髪の青年である。

 現在、闘技場の中心では虎のモンスター『ライガーファング』の調教(テイム)を行っている真っ最中である。

 華美な衣装を身に纏い、たった一人でモンスターと相対する調教師(テイマー)の麗人は、華麗に、時に窮地(ピンチ)を演出しつつ、観客を魅了するような動きを見せる。

 しかし、そんな動きをナギはじれったく思っているのか、頻りに体を動かしながら叫んでいる。

 

『おーっと! これは大ピーンチ! 壁際に追い込まれてしまったぞぉー!!』

 

 いよいよ最大の見せ場とばかりに演出を重ねる調教師。誰もがここからの逆転劇を期待する中、とうとうナギが我慢の限界を迎えた。

 

「だぁー、もう! じれってぇな、このっ!」

 

 その時、一筋の光が闘技場を駆け抜けた。

 

「あ」

「へ?」

 

 ナギの口から間抜けな音が漏れる。

 何が起こったのか把握する間もなく、その光は闘技場の真ん中に立つモンスターの巨躯を撃ち抜いていた。

 体を貫かれたライガーファングは痛みに悶え、断末魔の叫びをあげると、そのまま地に倒れ伏した。

 その予想もしなかった光景に、誰一人として声を出すことができないでいる。

 

「な……な……な……!!」

 

 闘技場の空気が凍りつく中、ラウルは口を大きく開けて絶句していた。

 そして次の瞬間、下手人の方へ向き直り、思いの丈を叫んだ。

 

「一体何をやってるんすかぁ━━━━━っ!?」

「やっべ、つい撃っちまった」

 

 あちゃー、と頭を掻くナギに、そんな呑気なことを言ってる場合じゃないとラウルの怒声が降りかかる。

 そんなに怒るなよ、と全く悪びれないナギに、ラウルはどうしたものかと頭を抱える。

 と、その時、仮面をつけた男数人がナギの背後に忍び寄った。言うまでもなく、【ガネーシャ・ファミリア】の構成員である。

 

「おわっ!? 何だてめえら!? 離しやがれこのっ!!」

「ああ……胃が痛い……」

 

 構成員達に捉えられ、連行されていくナギ。お目付け役のラウルは、恐らくは自分の監督不行き届きとして責任を負わせられるだろう未来を想像し、キリキリと痛む胃を押さえながらもその後を追っていった。

 

「まったく、何やってるんだか」

「あはは、客席から魔法撃っちゃったのはやりすぎだよね」

「何というか……ラウルさんが気の毒ですね」

 

 闘技場の反対側にいたティオネ、ティオナ、レフィーヤの三人は、その様子を心底呆れたように眺めていた。

 

「それにしても、ナギの起こした件を抜きにしても、何だか【ガネーシャ・ファミリア】の連中が慌ただしいわね」

「あ、やっぱりそう思う?」

 

 彼女達の視線の先には、主神であるガネーシャがいるであろう最上部の賓客席に代わる代わる足を運ぶ構成員の姿がある。

 その上、観客席の神や冒険者へ耳打ちし、何かを要請しているようにも見えた。

 明らかに何かが起こっている。

 

「どうしますか?」

「もちろん」

「行くに決まってるでしょ」

 

 客席から立ち上がった三人は、観客の間を抜けて、何が起きたのかを探り始めた。

 

 

 

 

「あんにゃろーども……容赦なく外に放り出しやがって。ちょっとお茶目しただけじゃねーか」

「いや、どう考えてもナギ君が悪いっすよ。むしろ出禁だけで済んで、運が良かったくらいっす」

 

 闘技場を追い出され、【ガネーシャ・ファミリア】から出禁をくらってしまったナギは、ブツブツと文句を言いながら大通りを歩いていた。

 手には露天で買ったジャガ丸くんが握られている。ちなみに、ラウルの奢りである(強制)。

 先程からやけ食いを続けているナギのせいで、ラウルの財布は軽くなる一方だ。

 

「ほらほら、モンスターの調教だけがお祭りな訳じゃないっすし、もっと楽しむっすよ」

「――ちぇっ、しゃあねえなー」

 

 せっかくの祭に、いつまでも不機嫌でいるのも勿体無い。腹がふくれたこともあり、ナギは機嫌を治して、改めて祭りを楽しむことに決める。

 

「そんじゃ、一度ぐるっと回って――っ!」

 

 そこまで言いかけて、ナギは唐突に背後を振り返った。

 

「ナギ君……?」

(何だ? 今、気色悪ぃ視線を感じた……)

 

 まるで観察されているような、無遠慮にすぎる視線。視線を感じた方へ目を向けるも、そこには誰もいなかった。

 

(気のせい……じゃねえな。けど、一体誰だ……?)

 

 この世界に来て、まだ日が浅い。誰かに恨まれるような事をした覚えはないし、このような視線を向けられる心当たりなどまるでなかった。

 せっかく治りかけていた機嫌は急降下し、視線の主に対して苛立ちを覚える。

 

「ナギ君、どうしたんすか?」

「……いや、何でもねえ。行こうぜ、もっと色々見て回りたいしよ」

「……そうっすね」

 

 急に振り返ったかと思えば、再び不機嫌になったナギを訝しげに見ていたラウルだったが、結局何も聞かないことに決めた。

 こういう時はそっとしておくに限る。

 

「それじゃ、あっちの方なんてどうすか? 武器とか、モンスターの模型(フィギュア)とか売ってたっすよ」

「おっ、いいな。見に行こうぜ!」

 

 深く追求しなかった事が功を奏したのか、ナギも気持ちを切り替えたようだ。

 好奇心に目を輝かせながら、大通りを進んでいく。

 そうして露店を回ること数分、不意に辺りが騒然とし始めた。

 

「何か、妙な騒ぎ方っすね。祭りとは別の、どこか切迫したような……」

「なあ、ラウル」

「何すか?」

 

 違和感を感じ取ったラウルが周囲の様子を探っていると、ナギが真剣な顔つきで尋ねた。

 

「モンスターの調教って、()()()()()でもやってるのか?」

「へ?」

 

 ナギからの予想外の質問に、ラウルが呆けた直後だった。

 

「モ、モンスターだぁああああっ!!」

「モンスターが逃げ出したぞぉおおお!!」

「は、早くっ、早く逃げろ!!」

 

 絶叫を放ち、一斉に逃げ惑う人々。絡み合う怒号と悲鳴の中、ナギは冷静に事態を把握する。

 

「やっぱ異常事態だったのか。よし、行くぜラウル!」

「え、あっ、了解っす! けど、何で街中にモンスターが……」

「んなこと今はどうでもいい! とりあえず逃げたっていうモンスターをぶっ飛ばすぞ!」

 

 人込みを嫌い、屋根の上へ跳躍したナギは、そのままモンスターの居所を探る。

 

「そこか!」

 

 比較的近くに二体のモンスターを発見。ラウルを置き去りにし、そのまま特攻する。

 

「くらいやがれ!」

 

 モンスターの近くに降り立ったナギは、瞬動を駆使し、目にも止まらぬ速さで醜悪な巨体のモンスター『トロール』の懐に入り込む。

 魔力によって強化された拳がトロールの胸元を魔石ごと貫く。醜悪なモンスターは悲鳴をあげる間もなく、灰に帰した。

 感慨に更けることもせずにそのまま反転したナギは、十数(メドル)先を高速で移動する鹿のモンスター『ソードスタッグ』へ無詠唱の雷の一矢を撃ち放つ。

 ソードスタッグは反応することもできないまま、雷の矢に貫かれ、肉片へと姿を変えた。

 先程までの悲鳴が一転、歓声へと変わる。

 

(強い……!!)

 

 一拍遅れてナギに追いついたラウルは、直に目にしたナギの実力に戦慄していた。

 ベートとの喧嘩、そして17階層での一件から、尋常でない強さなのは判っていた。

 しかし、それでも今の手並みは十歳の子供にできる範疇を越えている。

 その異常さに、ラウルはナギとどう接していいのかわからなくなった。

 

「遅ぇよ、ラウル。もう終わっちまったぜ?」

 

 少し離れた場所で立ち尽くしているラウルに気づき、屈託ない笑顔を向けるナギ。

 それを見たラウルは、ナギに恐れを抱いた自分を戒める。

 かつてアイズに対しても同じ思いを抱いたこともある自分に、成長してないなぁ、と苦笑しながら、ナギの元へ歩み寄る。

 

「お疲れ様っす、ナギ君。いやー、強いっすね、本当に」

「へ、これくらい朝飯前だぜ」

 

 そう言って得意気に笑うナギの姿に、やはりまだ子供なんだな、と微笑ましげな目を向けるラウル。

 それに気づいたナギが、何だよ、と文句を言いたげな目を向け、ラウルは慌てて何でもない、と弁明する。

 

「そんじゃ、モンスターも片付けたことだし、祭りの続きと――」

 

 瞬間、前触れもなく何かが爆発したような轟音が届き、遠方の通りの一角から膨大な土煙が立ち込めているのを発見した。

 土煙が晴れていき、そこからわずかに見えた影から、今まで感じていたのとは異質な気配を感じ取る。

 

「面白そうな奴がいるじゃねえか……俺らも行くぞ!」

 

 身体強化に回す魔力の比率を上げ、現場に向かおうと足を踏み出すナギ。

 その直後、背後から同じ異質な気配が上ってくるのを感じた。

 

(この感じは……)

 

 感じた気配は、どんどん地上に、今自分達のいるこの場所へ向かって上ってきている。

 

「全員こっから離れろ!!」

 

 野次馬となっている人間達に向かって叫ぶナギ。しかし、何故そんなことを言われるのか理解できない彼らは、顔を見合わせ、その場を動かずにいた。

 理解の遅い周囲の人間達に舌打ちする。

 その後間もなく、先程の再現をするかのように、目の前の舗装された道路が隆起し、爆音とともに()()は現れた。

 風を起こして土煙を吹き飛ばし、この現象の正体を暴く。

 晴れた視界から露になったのは、地中から出現した、蛇に酷似した長大なモンスターだった。

 その姿を確認した瞬間、周りにいた野次馬達は一転して悲鳴をあげながら、踵を返して一斉に逃げていった。

 それをため息まじりに見送りつつ、ナギは正体不明のモンスターと相対する。

 細長い胴体に滑らかな皮膚、目や鼻といった器官が何一つ存在しない頭部が、その不気味さを際立たせている。

 全身の淡い黄緑色が、ラウルに一つの心的外傷(トラウマ)を思い起こさせる。つい数日前に腐食液に浸された、完治した筈の肩が、ズクズクと疼いた気がした。

 

「これは……また新種が!?」

「! 来るか!」

 

 顔のない蛇、とでも形容すべきそのモンスターは、一切の迷いなく、一直線にナギに向かって襲いかかる。

 

「面白ぇ、がっかりさせんなよ!」

 

 自分に挑戦するかのように迫って来るモンスターを、ナギは正面から迎え撃つ。

 全身を鞭のようにしならせて放たれた体当たりを、ナギは余裕をもってかわした。そして、そのまま街道沿いの建物を足場にして、モンスターに向かって跳躍。

 攻撃直後の隙をついたその動きは、モンスターの対応の上を行き、ナギの強大な魔力が込もった拳がモンスターの胴体に突き刺さった。

 大岩をも砕くナギの拳である。並みのモンスターでは骨まで砕け散るだろう。

 しかし、

 

(っ、固ぇ!?)

 

 とてつもない硬度を誇るそのモンスターの外皮は、ナギの打撃を無効化していた。もし、魔法障壁により肉体を保護していなかったら、ナギの拳の方がダメージを負っていただろう。

 自らの力に自信を持っていたナギは、予想していた未来との差異に一瞬硬直してしまう。

 

「ナギ君ッ!」

 

 ラウルの叫びも虚しく、新たに地面から伸びた黄緑色の突起物が、ナギに向けて振るわれる。

 その一撃をもろにくらったナギは、頭から建物に突っ込み、瓦礫の中にその身を(うず)めた。

 地面から生えた謎の物体が不気味に蠢く中、蛇型モンスターの方にも変化が現れる。

 ビクン、と一瞬痙攣を見せた後、頭部と思しき部分に幾筋かの亀裂が走る。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

 

 やがてそれは、けたたましい咆哮とともに開かれる。

 悪意を孕んだ巨大な食人花が、陽の当たる地上の下、咲き誇った。

 

 

 

 




ナギは映画とか静かに見れないタイプ(確信)

ちなみに、冒頭でロキの提示した条件は以下の五つ。
・監視としてラウルをつける
・騒ぎを起こすことを禁じる
・単独行動の禁止
・小遣いなし
・ただし、すべてラウルのおごり


おまけ
~その頃のリヴェリアさん~

(どうしてこんなことに……)

 リヴェリアは落ち込んでいた。暗く濁ったオーラが、周囲の目に見えるほどに気落ちしていた。

「ナギ……」

 リヴェリアは、この世界でナギと一番長く一緒にいたのは自分だと自負していた。同時に、一番ナギと親しいのも自分であると思っていた。
 しかし今日、初めてナギから(勉強以外で)一緒にいることを拒まれたのだ。
 それは、いつも通り【ファミリア】全体での朝食を終えた直後の事だった。ロキからナギが祭りに行くという話を聞いたリヴェリアは、食堂を出ようとするナギを呼び止めた。

『ナギ、今日は怪物祭に行くそうだな。初めての祭り見物だ、案内役も必要だろう。私でよければ同行するが……』
『いや、リヴェリアは来なくていいぜ』
『なっ……!?』

 その一言は、限りなくリヴェリアに衝撃を与えた。それはまるで雷のごとき衝撃であり、リヴェリアは動揺を隠せないまま、ナギに理由を聞き返した。

『な、ななな……何故だ!? まさか私と一緒にいるのが嫌だと……!?』
『いや、そんなこたねえけどよ……だって苦手なんだろ?』
『な、何がだ?』
『祭り。騒がしいのは苦手だってロキから聞いたぞ。だから無理しなくていいって』
(あ、あの駄女神め……! 余計な事を……!)

 ナギは何も自分の事が嫌いで同行を拒否したのではないとわかり、安堵の息を漏らすリヴェリアだが、同時に余計な情報を与えたロキに八つ当たりに近い感情を向けていた。
 しかし、どうすればいいのか。
 ナギが好意で言ってくれているのが伝わってくるため、それを無下にするのは忍びない。しかし、ナギと一緒に祭りには行きたい。
 リヴェリアが唸っているのを余所に、一刻も早く祭りに繰り出したいナギは、そのまま話を打ち切り、出口へ向かう。

『案内役はラウルがいるし、問題ねえよ。それじゃ、楽しんでくるぜ。じゃあな!』
『あ、ああ…………いや待てっ、ナ、ギ……』

 思考の渦に囚われていたせいで反応が遅れたリヴェリアは、去っていくナギを引き止めようとするも間に合わず。
 すでにナギの姿は視界から消えてしまっていた。

(何故あそこで引き下がった……! 私の大馬鹿者……!)

 下手に色々考えずに素直に自分の気持ちを吐露しておけばよかったのだ。そうすれば今頃はナギと二人で楽しく……
 ふと、そこでリヴェリアは思い至る。
 そもそも、自分がナギを誘ったのは、ナギが初めての祭りに困惑しないようにという目的だった。しかし、それは他に案内役がいるから大丈夫だと言われてしまった。
 つまり、この状況に陥ったのはその案内役の存在にある。
 自分の記憶を手繰り寄せ、ナギの案内役を務める人物の名前を思い出す。そして、一人のヒューマンの顔が浮かび上がった。

「貴様か、ラウル……!!」

 その時、ラウルの身に凄まじいまでの寒気が走ったのだが、関連性は不明である。




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食人花

 ようやく戦闘です。ここまで長かった……! 主に自分の遅筆さのせいだけどな!
 そして、次で第1巻分が終了予定(あくまで予定)です。ここまで長かっ(ry


 時を少し遡る――

 

「ロキ!」

「おっ? ティオナ達か。よう来たな」

 

 慌ただしく行動する【ガネーシャ・ファミリア】を不審に思ったティオナ達は、闘技場の前で指示を飛ばすロキの姿を発見した。

 同じように、ティオナ達に気づいたロキが手を上げる。

 何が起こったのか尋ねるティオナ達に、ロキは状況をかいつまんで説明する。

 

「簡単に言うと、モンスターが檻から脱走しおってな。今も街ん中さまよっとるらしい」

「ちょっ、不味いじゃん!」

「ん、不味いなぁ」

「何を暢気に……まあ、いいわ。私達はどうすればいいの?」

 

 ただならない状況にも関わらず平然としているロキに呆れつつ、ティオネが指示を仰ぐ。

 

「せやな、自分らはアイズがモンスターを討ち漏らしたら叩いてくれ」

「アイズさんはもうモンスターの元に向かったんですか?」

「いや、まだや」

「はあ? じゃあどこにいるのよ?」

 

 レフィーヤとティオナの疑問に、ロキは人差し指を立てて答えた。

 

(あそこ)や」

 

 頭上を見上げる。遥か高い闘技場の天頂部分。そこに、美しい金の髪を揺らす剣士が立っていた。

 

「……見つけた」

 

 地上を闇雲に走り回っても効率が悪い、と高所からの敵位置の掌握、即時討伐を命じられたアイズ。

 魔法(エアリエル)の一部を風に乗せることでモンスターの居場所を瞬く間に割り出していく。

 間もなく、逃げ出した九匹のモンスターのうち、八匹までは補足できた。しかし、残りの一匹が見つからない。

 あまり時間をかけてもいられないため、一先ずその八匹を討ち取ろうと、腰のレイピアを抜こうとしたその時、補足していたうちの二匹、『トロール』と『ソードスタッグ』が撃破された。

 

(今のは――)

 

 視線を向け、モンスターを倒した者の正体を確認する。

 

(やっぱり、ナギ……)

 

 二匹を倒したのは、自分のよく知る赤毛の少年。アイズから見ても鮮やかな手並みだった。

 もっとその実力を見てみたい衝動に駆られるも、状況はそんな悠長なことを許してはくれない。

 一刻も早くモンスターを討ち取らねば、どんな被害が起こるかわからないのだ。

 もう一度ナギのいる場所を確認する。どうやら、彼の近場にはもうモンスターはいないようだ。

 ならば、残りのモンスターは自分の手で殲滅する。

 

「【目覚めよ(テンペスト)】」

 

 

 

 

「うわー、本当に出番なさそー」

 

 次々とモンスターを屠っていくアイズを、ティオナ達は家屋の屋根の上から見つめていた。

 討ち漏らしの対処を命じられたティオナ達だったが、これでは援護も不要であろう。

 餌を目の前にして取り上げられた気分だとティオナとティオネがぼやく。

 レフィーヤはというと、武器もないのによく言えるものだ、そんな二人に空笑いをしていた。

 

「……ねえ、なんか地面揺れてない?」

「え?」

 

 訝しげな表情を浮かべ、周囲を見回すティオナの言葉に、ティオネとレフィーヤは感覚を研ぎ澄ませる。

 

「確かに、揺れてるわね」

「地震……じゃないですよね」

 

 地震というにはあまりにお粗末な揺れに、不穏なものを感じる。

 ――何かが起こる。

 自然と身構えるティオナ達。

 直後、すぐ近くの通りから、爆音とともに膨大な土煙が立ち上がった。

 

「!?」

 

 一斉に視線を飛ばす。

 晴れた煙の奥から、地中から体を伸ばす、蛇に酷似したモンスターの姿があらわになる。

 その姿を確認した瞬間、首筋に寒気が走る。

 

「何あれ……また新種!?」

「あいつ、やばい! ティオナ、レフィーヤ、私達で叩くわよ!」

「は、はい!」

 

 直感に従い、瞬時に行動に移す。

 あれは、単なるモンスターとは全く異なる存在であると。

 

「ひっ!」

「う――うわぁああああああああああああ!!」

 

 悲鳴をあげ、逃げ惑う市民達。

 モンスターは、そんな獲物達を逃がすまいと、うねるように体を走らせる。

 

「「そぉ――らっ!!」」

 

 市民に向かって体当たりをかまそうとしていたモンスターに、双子による死角からの一撃が叩き込まれた。

 しかし、その結果驚愕したのは、モンスターの方ではなかった。

 

「っ!?」

「かったぁー!?」

 

 叩き込んだ渾身の一撃は、凄まじいまでの硬い体皮に阻まれた。

 その硬度は、逆にティオナ達の拳にダメージを与えてきたほどだ。

 

『――――――――――――!!』

 

 ティオナ達の攻撃を受けたモンスターは標的をティオナ達へと変更したのか、より苛烈な攻撃を仕掛けてきた。

 打撃こそ通用しないものの、敵の攻撃は特別速い訳ではない。

 余裕をもって躱し、拳打を見舞うが、やはり効いている様子はなかった。

 武器を用意しておけばよかった、ティオナがそう愚痴った直後、更なる爆音が遠方から鳴り響いた。

 視線を音の発信源へ向けると、そこには同種のモンスターの別個体が出現しているのが遠目から確認できた。

 

「嘘、あっちにも!? あたし、行ってくる!」

「待ちなさい、ティオナ!」

 

 こうしてはいられない、ともう一方のモンスターの元へ向かおうとする妹を呼び止めるティオネ。

 何故止める、と振り返るティオナに、ティオネが間髪入れずに理由を説明する。

 

「打撃が効かない以上、こいつを倒せる可能性があるのはレフィーヤの魔法だけよ! あっちはアイズに任せて、私達はこっちに集中しなさい! レフィーヤ、頼んだわよ!」

「は、はい!」

 

 武器がない現状、ティオナだけが抜けたとしても、単独であのモンスターは倒せない。

 ならば、武器を持ち、今街を跳び回っているアイズに任せた方が建設的である。

 今、自分達にできることは、協力してできるだけ早く目の前のモンスターを倒すこと。

 ティオネの言い分を理解したティオナは、複雑な表情を浮かべながらも、眼前のモンスターに意識を集中させた。

 暴れ狂うように全身を鞭のように振るって叩きつけるモンスター。

 ティオナ達は、軽やかにその攻撃を躱し、敵の注意を引き付ける。

 そして、この戦闘の要を担うレフィーヤが、ティオナ達が時間を稼いでいる間に詠唱を進めた。

 

「【解き放つ一条の光、聖木の弓幹。汝、弓の名手なり】」

 

 杖がないため、片腕を突き出しながら詠唱を紡ぐ。

 高速戦闘にも対応可能な、速度重視の短文詠唱。出力は控えめだが、高い魔力を誇るレフィーヤからすれば、それで十分だった。

 ティオナ達にかかりっきりのモンスターに目標を定める。

 山吹色の魔法円(マジックサークル)を展開し、レフィーヤは魔法を構築する。

 

「【狙撃せよ、妖精の射手。穿て、必中の矢】!」

 

 そして詠唱を紡ぎ終え、魔力を収束させたその瞬間だった。

 異常な速度でレフィーヤの方を振り向いたモンスターを視認し、心臓に悪寒が走る。

 今の今までレフィーヤを無視していた筈のモンスターが見せた異常な反応に、レフィーヤは敵が『魔力』に反応したのだと直感した。

 その直後、

 

「レフィーヤ!」

 

 地面から突如として生えた黄緑色の突起物が、レフィーヤに向かって突き出された。

 

 

 

 

 ティオナ達が戦闘を行っている場所から幾分か離れた通りの一角。

 そこに、別の固体の黄緑色の新種モンスターが出現していた。

 相対するのは、【ロキ・ファミリア】の若手、ラウル・ノールド。

 そして、もう一人は――

 

「ナギ君!」

 

 砂煙を上げる建物の残骸に向けて、ラウルが仲間の名を呼び掛ける。

 未知のモンスターの放った一撃は並の冒険者では一撃で致命傷となるほどの威力を誇っていた。

 そんな攻撃をまともに食らってしまえば、さすがのナギといえど……

 ラウルがナギの身を案じていると、ナギの身が埋もれていた瓦礫の山が、勢いよく吹き飛んだ。

 

「っ()ぇな、この植物お化けが!」

 

 声に怒りを滲ませながらモンスターを睨みつける無傷のナギが、そこに立っていた。

 それを見たラウルは喜色を露にしながらナギに駆け寄る。

 

「ナギ君、無事だったんすね! よかった!」

「無事じゃねえよ! よく見ろ、たん瘤できてんだろうが!」

 

 ナギの無事を喜ぶラウルだったが、ナギは頭のてっぺんを指し示すと、自身の負った怪我を主張した。

 

(あんな攻撃食らってたん瘤だけで済むナギ君の方がよっぽど化け物っす……)

 

 ナギの異常な打たれ強さに呆然としていたラウルだが、状況はそんな余裕さえ許さない。

 

「っ! 避けろ、ラウル!」

「えっ、うわぁっ!?」

 

 急に頭上に影ができたかと思うと、即座に新たな一撃が降り下ろされる。

 ナギの声に従い、ラウルは横っ飛びで攻撃を回避した。

 

「こいつはどうだ!」

 

 足に魔力を込め、高速で敵の懐に飛び込むナギ。その右腕には、雷属性の魔法の矢が装填されていた。

 唸りをあげて振るわれた拳は、過剰なまでに反応した敵の触手が間に入り、本体にまでは届かなかった。

 しかし、やはり魔法効果を付加した恩恵か、それまでビクともしていなかった食人花の体に損傷を与えていた。

 ナギの攻撃を防御した箇所は、もはや使い物にはならないだろう。

 しかし、ナギの表情は曇ったままだ。

 

(防御ごと吹っ飛ばすぐらいのつもりだったんだけどな……やっぱ打撃じゃ微妙か)

 

 本来なら勝負が決まるほどの一撃を決めたつもりだった。

 しかし、敵が犠牲にしたのは数本の触手のみ。今も元気に怒りをあらわにして咆哮している。

 それどころか、新たに別の触手が地面から生えてきている。どうやら今の攻撃で相当な怒りを感じているようだ。

 激しく振り回される触手を掻い潜って距離をとったナギは、隣にいるラウルに声をかける。

 

「ラウル、お前武器は?」

「持ってないっす。まさかこんなことになると思ってもみなかったんで」

 

 顔をしかめて答えるラウル。何もできないことがもどかしいのだろう。

 ナギの打撃が効かない以上、ラウルが同じことをしても無駄なのはわかりきっている。

 

「なら下がっとけ。あいつ、打撃にめっぽう強ぇみたいだからな」

「けど、ナギ君一人に戦わせるなんて……!」

 

 仲間を、何より年下の少年を一人だけ戦わせるような真似をするなど、倫理的にも、そして何より自分の矜持からも許されることではない。

 しかし、それも次のナギの言葉で意味をなくす。

 

「おいおい、俺を誰だと思ってんだ?」

 

 ナギは不遜ともとれる態度で言い切った。

 

「俺は最強の魔法使いだぜ? あの程度の相手なんざ、屁でもねえよ」

 

 ――だから安心してそこで見てな、と。

 その自信に満ち溢れる姿に、ラウルは何故だか無条件で従ってしまった。

 ラウルが下がったのを確認し、ナギは自身の杖を呼び寄せる。

 何もないところから突然杖が現れたことに、ラウルが目を見開いた。

 それを他所に、ナギは改めて目の前の食人花とでも形容詞すべきモンスターを見つめ、考えを巡らせる。

 先の攻防で敵が打撃に強いことはわかっている。ならば、自身の真骨頂である魔法の出番だ。

 今は敵が自分のみを標的に定めているが、周囲には未だ逃げ遅れている市民がちらほら見受けられる。

 いつ、その矛先が彼らに向けられるか分からない。

 彼らを巻き込まないためにも、即行で勝負を決めなければならない。

 

「行くぜ!」

 

 ナギは速度を重視し、光属性の魔法の矢を数本放って牽制する。

 放たれた光の矢は、これまでの攻防がまるで嘘だったかのように、固い表皮で覆われた敵の体を撃ち抜いた。

 悲鳴をあげ、悶え苦しむモンスター。本体だけは守ろうと触手が身代わりになったようだが、もう遅い。

 ナギは自身の勝利を確信しながら呪文の詠唱を開始する。

 

来たれ虚空の雷、(ケノテートス・アストラプサトー )薙ぎ払え(デ・テメトー)!」

 

 練り上げられたナギの魔力に反応するかのように、食人花が幾多の蔓をナギに向けて伸ばす。

 ナギはその攻撃を最小限の動きで躱しつつ、懐に潜り込んだ。

 

「これでも食らっとけ! 雷の斧(ディオス・テュコス)!」

 

 一閃。ナギの強大な魔力が込められた雷の斧が、食人花を頭部から真っ二つに切り裂いた。

 魔石ごと両断され、灰へと帰した食人花を尻目に、それを為した魔法使いの少年は不敵に笑った。

 

「へ、この程度か。他愛ねえぜ」

 

 

 

 

「はあっ……はあっ……」

 

 繰り出される数多の触手を前に、レフィーヤは息を切らしながらも、両の足で立っていた。

 花弁を開き、その正体をあらわにした食人花のモンスターを前に、レフィーヤの脈打つ鼓動が加速する。

 

(危なかった――!)

 

 ここ数日、少しでもアイズに追いつこうと、並行詠唱を重点的に鍛練していたことが功を奏した。

 不意を突かれた地中からの敵の一撃は、直前で詠唱を破棄し、体を捻ることでなんとか脇腹を掠めただけに留めた。

 しかし、敵の攻撃はそれだけでは終わらない。

 回避に専念し、迫り来る触手を避け続ける。その間にも、攻撃が掠めた脇腹に痛みが走り、レフィーヤの顔が苦痛に歪む。

 掠っただけでもダメージを負わせる一撃の重さ。まともに食らえば、それだけで致命傷となるであろう。絶え間なく降り注ぐ敵の攻撃に、焦りが募る。

 それでも、自分がやらなければならない。武器を持たず素手で戦うしかないティオナ達の攻撃は、目の前のモンスターには通用しない。

 さらに、こことは違う別の場所にも同型のモンスターが出現している。そちらには今頃アイズが向かっていることだろう。

 だというのに、この中でただ一人、モンスターを倒すのに必要な攻撃魔法を使える自分が何もしないでいるなど、許されない。

 アイズ達の足枷になる訳にはいかないのだ。

 

「【解き放つ一条の……ッッ!】」

 

 再び詠唱を開始するレフィーヤ。しかし、先程同様に、魔力に反応した食人花がレフィーヤを襲う。

 すぐに詠唱を中断し、その場を飛び退くことで事なきを得たが、また振り出しに戻ってしまった。

 いや、負傷している分、悪化しているとも言える。

 

(ダメだ……詠唱する暇がない……!)

 

 好転しない状況に、レフィーヤは歯噛みする。

 レフィーヤの持つ魔法で一番詠唱が短いものでも、この敵を相手にしていては時間がかかりすぎる。

 未だ並行詠唱を会得していないレフィーヤでは、魔法を放つことすらできなかった。

 せめて、ナギほどの超短文詠唱魔法を持っていれば……

 いや、違う。

 首を振って余計な思考を追い払う。

 無い物ねだりしていても意味はない。

 今、己が為すべき事は、どうにかして魔法を完成させること。

 

(私だってやれるんだ! 私だって――)

 

 そんな決意を砕くかのように、何もできない時間が続く。

 そして、それから間もない内に、ついに均衡が崩れた。

 

「いっ――!」

 

 負傷した脇腹の痛みに、集中を乱すレフィーヤ。

 その隙を突くかのように、地中から新たな触手が生え、レフィーヤ目掛けて一直線に伸びる。

 咄嗟に横に跳ぶことで、かろうじて難を逃れる。

 

「!」

 

 しかし、すぐに追撃とばかりに頭上から別の触手が降り下ろされた。

 倒れ込むようにして軌道から体をずらすも、打ち付けられた地面から弾けとんだ瓦礫が華奢な少女の体を打ち据え、レフィーヤはたまらず地面に倒れ伏した。

 

「レフィーヤ!」

「ああ、もうっ! 邪魔ぁ!」

 

 仲間の元へ駆け寄ろうとするティオナ達だが、触手の群れに阻まれ、近寄ることができない。

 地に蹲ったまま動けないレフィーヤの眼前に、食人花の醜い大口が迫り来る。

 

(立ち、上がらなきゃ…………)

 

 今、ここで仲間の役に立てないでどうするというのだ。

 動け、動け、動け。

 レフィーヤは必死に自身の体に命じる。

 しかし、そんな少女の意思に反して、体は言うことを聞いてくれない。

 足手まといにはなりたくないのに、無力な自分は、またしても――

 

「ぁ――」

 

 銀色の閃光が駆け抜け、目の前で金の長髪が風に揺れる。

 切り離された食人花の首と胴を見て、レフィーヤの視界が滲んでいく。

 憧憬の彼女(アイズ・ヴァレンシュタイン)が、そこにいた。

 

「レフィーヤ、大丈夫?」

「ッ、はい……」

 

 優しくかけられる声が、今はただ辛い。

 自分を助けるために、もう一方のモンスターを放って自分を助けに来たのだろう。そうでなければ、間に合わないであろうタイミングだった。

 自分は、足手まといにしかなっていない。

 

(弱い自分が、こんなにも悔しい……!!)

 

 やはり、駄目なのか。こんなに弱い自分がアイズの役に立とうなど、思い上がりも甚だしかったのではないのか。

 ふと、あの赤毛の少年の顔が目に浮かんだ。

 あの少年ならば、今の自分のような醜態は晒していなかっただろう。

 それに比べて、私は――

 

「アイズ!」

「何でこっちに……別の場所にいたモンスターは?」

 

 触手の群れから解放され、アイズの元へ駆け寄るティオナ達。

 別個体のモンスターを倒しにいったものだと思っていた彼女らの問いに、アイズは言葉少なに答えた。

 

「あっちは、ナギが倒してたから」

「!」

「えっ、ナギが!? あ、本当だ」

 

 いつの間にかいなくなってる、とモンスターがいた場所を見つめるティオナ。

 もう一方を心配する必要がなくなったことで、命の危機にあったレフィーヤの元へ真っ直ぐに来ることができたのだと納得する。

 

「っ……!」

 

 その横で、レフィーヤは自身とナギとの差に歯噛みしていた。

 自分は足手まといにしかなっていないというのに……

 丁度ナギのことを考えていたからか、余計に意識してしまう。

 そんなレフィーヤの様子に、怪我が痛むのだろうかと勘違いするアイズ。

 近くのギルド職員を呼びに行こうと足を踏み出した、その時、再び地面が揺れ動いた。

 

「これって……」

「まさか、まだ来るの!?」

 

 小さな揺れは、すぐに大きな鳴動へと変わり、辺りの石畳が隆起する。

 

『アアアアアアアアアアアア!!』

 

 耳をつんざくような咆哮とともに、三匹の食人花が新たに現れる。

 アイズを取り囲むような形でその巨大な口を向ける食人花。

 アイズは鋭く敵を睨み付けると、その手に持ったレイピアを振るい、斬りかかろうとした。

 その瞬間。

 ビキッ、となんの前触れもなくレイピアの刀身に亀裂が走り抜け、高い音を奏でて破砕した。

 得物が壊れるという事態に、アイズだけでなく、ティオナ達も絶句した。

 今のアイズが使っていたレイピアは、代用品だ。普段愛用している不壊属性が付与された細剣《デスペレート》は、現在整備に出している。

 今の今まで愛剣と同じように、景気よく振るっていたレイピアは、アイズの激しい剣技に耐えられなかったのだ。

 ――いけない、怒られる。

 武器が壊れたこの状況でアイズの脳裏に浮かんだのは、整備を依頼した工房の主神の怒り顔だった。

 

「アイズさん!」

 

 レフィーヤの声に、意識を引き戻すアイズ。

 三匹の食人花が、一斉にアイズ目掛けて突撃する。

 跳躍して回避したアイズは、刀身を失ったレイピアの柄を食人花の頭部に叩きつける。

 

(【(エアリエル)】でも打撃じゃ効果がない!)

 

 風を付与していても、敵の硬質な体皮に傷がつくことはなかった。

 追撃を諦め、回避に移行する。

 

「こいつ……何でこっちには見向きもしないの!? レフィーヤの次はアイズ狙い!?」

「レフィーヤ……アイズ……まさか、魔法に反応してる!?」

 

 動けないレフィーヤを庇いつつ食人花に攻撃を加える双子の姉妹。

 しかし、その矛先は常にアイズに向けられ、変えようとしない。

 魔力に反応していることが判明し、アイズは食人花をレフィーヤから引き離すべく、後退する。

 アイズの意図を汲み取ったティオナ達は、迅速に行動を開始した。

 そして、三匹を引き付けるアイズは、総出で繰り出される触手の鞭を紙一重で避けていく。

 しかし、あまりの手数の多さに、捕まるのも時間の問題だと悟る。

 

「アイズ、もう十分よ! 魔法を解きなさい!」

「でも……」

「レフィーヤなら少し離れたところに避難させたし、あたし達も一人一匹くらい何とかするって!」

 

 攻撃手段がなく、防戦を強いられる中呼びかけられたティオナ達の声に、アイズはやむを得ず魔法を解こうとする。

 その瞬間だった。

 今日、何度も耳にした爆音がまたも響き渡り、この場から離れた通りの一角に土煙が舞い上がった。

 

(ナギの方にも新手が――!?)

 

 思わず、土煙の上がった方向を注視してしまったアイズを、食人花の振るった触手が捉えた。

 咄嗟に風を前面に集中させることで威力を軽減したが、慣性の法則には逆らえず、アイズの細身は吹き飛ばされてしまう。

 なんとか体勢を建て直そうとしたその時、視界の端に人影が映り込んだ。

 

(子供!? まずい、このままじゃ――)

 

 進行方向の先に、獣人の子供が屋台の影にかくれるようにして座り込んでいた。

 恐怖に震える少女の視線がアイズと重なる。

 このままでは、食人花の長大な体躯に屋台ごと押し潰されてしまうだろう。

 加え、今アイズは空中にいるために、方向転換することができない。アイズの超人的な速力(スピード)も、足場がなければ発揮できないのだ。

 

(何か、何か手は――)

 

 自分はまだいい。風が身を守ってくれる。だが、後方に座り込む少女は助からない。

 必死に思考を巡らせ、打開策を模索する。

 しかしそんな努力も虚しく、食人花の凶刃は無情にもアイズの眼前にまで迫っていた。

 絶望の二文字が、アイズの表情を彩った。

 

 

 

 

(くっそ! まだか、ラウル!)

 

 夥しい数の触手の嵐の中、ナギは苛立たしげに舌打ちをする。

 

魔法の射手(サギタ・マギカ)連弾(セリエス)雷の11矢(フルグラーリス)!」

 

 激しい攻撃の間隙を縫って、体勢が不十分の中苦し紛れに放った11本の雷の矢が敵を貫かんとする。

 しかし、同数の触手を犠牲にしてそれを防ぎ、技後硬直を狙って新たな触手を振るう。

 体を捻り、触手の刺突をやり過ごしたナギだが、体勢を建て直す暇もなく、追撃の振り下ろしが迫っていた。

 

「このっ!」

 

 障壁を張って攻撃を弾き返し、反撃を試みるが、敵の手数が多すぎて、中々攻撃の機会を作ることができない。

 心底鬱陶しいものを見る目で、目前に生える食人花を睨みつけるナギ。

 

「わらわら沸いてきやがって!」

 

 最初に現れた食人花に勝利した後、さらに別の食人花が出現した。

 その数、五匹。通りは最早食人花とその触手で埋め尽くされていると言っても過言ではなかった。

 四方八方から襲いかかる無数の触手。

 広い空間ならまだしも、道路という狭い場所での戦闘に、ナギは苦戦していた。

 いや、ただそれだけならば、ナギにとっては障害でもなんでもなかっただろう。

 問題は――

 

「ひぃいいいいいいいいいいいいいいい!!」

「ちっ、またかよ!」

 

 沸き上がる悲鳴。食人花が動き回る際の衝撃で吹き飛ばされた屋台が、ヒューマンの男性に降りかかっている。

 ナギは触手の群れを掻い潜り、男性の元まで辿り着くと、魔法障壁を広げてそれを防いだ。

 

「あ……あ、ありが」

「んなこたいいから、さっさと逃げやがれ! 戦いにくくて仕方がねえ!」

 

 己に向かって伸びてくる触手を打ち払いながら、男性に檄を飛ばす。

 魔力を全力で放出しながら、ナギはモンスターを引き寄せるように男性から離れていく。

 

「そこの人、こっちっす! 他の方々も、彼がモンスターを引きつけているうちに、早く!」

「は、はいぃいいいいいいいいい!!」

 

 ナギの作った隙を使い、ラウルが住民の避難を誘導する。

 

(あともう少し……あともう少しで、全員の避難が完了する。それまでなんとか耐えてくださいっす、ナギ君!)

 

 再び食人花の群れに突っ込んでいくナギを見送り、ラウルは一刻も早く住民の避難を終わらせようと、自身の仕事を遂行していく。

 この通り、ナギがここまで苦戦していたのは、モンスターとの戦闘に住民達が巻き込まれていたからである。

 檻から逃げ出した二体のモンスターも、最初に現れた食人花も、さほど苦労せずに倒したことが災いした。

 モンスターが倒されたことで、逃げ遅れていた住民達は、安堵してその場に留まってしまったのだ。

 そんな中で、新たに五匹の食人花が一斉に現れ、ナギは住民達を守るために、守勢に入らざるを得なくなったのである。

 

(あの時、明らかにあのモンスターは、魔力を放出したナギ君に反応していた)

 

 新たに地中から出現した食人花の前に多くの人間達が隙だらけの姿を晒していた。

 だというのに、食人花は周りの人間達には目もくれず、一直線にナギを目指していた。

 その反応に、ナギは敵が自分の魔力に反応していることを悟り、ラウルに指示を出した。

 

『ラウル! お前はまだ取り残されてるやつらを避難させろ! それまでこいつは俺が引きつけてやる!』

『なっ、そんなの無茶っすよ!』

『こいつは魔力に反応してんだ! 今ここでこいつを引きつけられんのは俺だけだ! 早く行け、ラウル!』

『ッ、わかったっす! すぐに周りの人達を避難させてくるっす!』

『頼んだぞ!』

 

 そうしてラウルは取り残されている住人の避難に奔走することとなった。

 ナギの尽力により、敵の攻撃を己に集中させることには成功した。

 しかし、敵を引きつけることはできても、敵の動きによって派生する二次災害を完全に防ぐことはできなかった。

 吹き飛ばされた屋台や石礫が住民達に襲いかかったのである。

 ナギはその対処に追われ、同時に五倍という数の暴力により、碌に攻勢に出ることも叶わなかった。

 

(ナギ君……)

 

 今も一人で戦うナギを不安げに見つめるラウル。

 しかし、すぐに頭を振って余計な思考を追い払う。

 

(今自分がすべきことは、一刻も早く住民の避難を完了させること。それが一番ナギ君の助けになる)

 

 ラウルは声を張り上げ、残り僅かとなった住民の誘導のため、全力で足を動かした。

 

「オラァ!」

 

 魔法の矢を乗せた拳で触手を打ち払うナギ。

 少しずつ隙の少ない魔法の矢を撃ち込むなど、反撃を試みてはいるが、敵を倒すまでには至らない。

 一匹目の食人花を翳した雷の斧も、いざ繰り出そうとすると、敵が危険を察知したかのように全力をもって妨害しにかかるので、決定打を与えられずにいた。

 雷の斧の性質上、相手に接近する必要があるのだが、障壁があるとはいえ攻撃を受けてしまえば、その衝撃で体勢を崩してしまう。

 避けながらでも放てはするが、姿勢が不安定な上に触手の防御が間に入ってしまうため、急所に当たらない。そもそも、周囲の人のフォローのために食人花の懐に入りすぎる訳にもいかない。

 それでも、威力の高い魔法を中、遠距離から一発放てばそれで勝負はつく。

 だが、それには巻き添えを食らわないように住民たちの避難が完了しなければならない。

 結局、ラウルが住人を避難し終わるのを待つ以外に手はないのである。

 

(ちくしょう、だんだんムカついてきたぜ……! 何でこの程度のやつらにチマチマ戦わなきゃなんねぇんだ……!)

 

 フラストレーションが貯まり、我慢の限界を迎えるナギ。

 もはや周囲の被害など知ったことか、と。

 影分身を囮にして場を離脱し、大魔法の詠唱を紡ぎ始める。

 

『次に街を壊そうとしたら……どうなるかわかっているな?』

 

 ビクゥ! 突然脳内に浮かんだ声に肩を震わせるナギ。

 ベートと喧嘩した日に受けた、リヴェリアとミアの説教。それはしっかりとナギの中に刻まれていた。

 思わず詠唱を破棄してしまうナギ。追いかけてきた五匹の食人花達が一斉に牙を突き立ててくる。

 ナギは焦ることなく球状に展開した魔法障壁で、まとめて防ぐ。

 ナギの莫大な魔力により作られた障壁は、食人花の鋭い牙を通すことなく防ぎきっている。

 しかし、このままでは反撃を行えないのも事実。

 避難完了はまだなのか――

 ナギが歯噛みする中、ついに仲間の青年が待望の知らせを持って来た。

 

「ナギ君! 住民の避難、完了したっす!」

 

 ラウルから伝えられたその報告に、ナギはそれまで下げていた口角をニヤリと上げた。

 

「ったく、ずいぶんと待たせてくれやがって!」

 

 喜色を孕んだ叫びと共に、局地的な嵐が吹き荒れる。

 その暴風に体をのけ反らせた食人花の合間を縫って、ナギはラウルの隣に降り立った。

 

「さあ、こっからが本番だぜ」

 

 相対するは五匹の食人花。その醜悪な相貌は、己の獲物を逃がさんとばかりに咆哮する。

 そんな怪物達に鋭い視線をぶつけながら、魔法使いの少年は今までの鬱憤を晴らすように、宣言する。

 

「反撃、開始だ!」

 

 

 




 元々この話で外伝1巻分は決着つけるつもりだったんですけど、あまりに長くなりすぎたので分割しました。
 アイズやレフィーヤ側の描写要らなかったかな。でも書きたかったから仕方ないな、うん。
 一応次回は、今回とうって変わって、スカッとする展開の予定です。
 ……もしかしたら次話も分割する羽目になるやも。
 いかん、作者の文章構成能力の低さが露呈してしまう!
 誰か……誰かオラに文才を分けてくれぇ!


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街戦決着

 ようやく原作1巻該当部が終わります。
 ここまで長かった(現実時間的な意味で)。
 半年で1巻分しか進んでない自分の遅筆さが目立ちますね。
 まあ、一つの区切りまで書けてよかったです。
 これからも、ナギの冒険にお付き合いくださると幸いです。
 また、ナギとレフィーヤの二つ名が一部被っているということで募集したアンケートの結果、レフィーヤの二つ名を【妖精の指揮者(フェアリア・マエストロ)】とすることに決定しました。
 命名者のラル・ノベルさん、ありがとうございました。
 アンケートの結果に関する細かい記述は活動報告に追記で書いておいたので、そちらをご覧ください。



「反撃、開始だ!」 

 

 威勢よく声を発し、ナギは今までの苛立ちをすべてぶつけんと、眼前の敵を睨みつけた。

 

「一撃で終わらせてやる!」

 

 瞬間、ナギの魔力が急激に高められる。

 規格外な魔力の奔流に、食人花が過敏なまでに反応した。

 幾多の触手がナギに向けて放たれる中、ナギは呪文の詠唱を紡ぎ始める。

 

来たれ雷精(ウェニアント・スピーリトゥス)風の( アエリアー……)……ぁ?」

 

 詠唱を途中まで紡いだ所で、唐突にナギの動きが止まった。

 

「「どわぁああああああああああああ!!」」

 

 直後、これ幸いとばかりに触手の雨がナギとラウルの二人に降りかかる。

 二人は慌てて射程から離れるべく、全力で足を動かした。

 

「ち、ちょっとナギ君!? どうしたんすか!?」

 

 不自然なナギの行動に、ラウルが何事かと尋ねる。何故途中で詠唱を止めたのか。

 その問いに、ナギはやっちまったぜ、といった表情で答えた。

 

「詠唱文ド忘れしちまった」

「うぉおおおおい!!」

 

 あまりの衝撃発言に、ラウルが思わず叫ぶ。この土壇場に何をしているのかと。

 

「そんなに慌てんなよ、ラウル」

「これが落ち着いてられるっすか!? ナギ君魔導師でしょ!? そのくせして魔法が使えないってどういうことっすかぁ!!」

 

 ナギは何でもないように笑うが、ラウルにとっては笑い事ではない。

 現在、ラウルは武器を持っていない。打撃が通じづらいモンスター相手に有効なのは、ナギの魔法だけだったのだ。

 

「大丈夫だって。確かに詠唱文を忘れたのは致命的だ。けど安心しろ、ラウル。俺にはまだ、とっておきが残ってるぜ!」

「ほ、本当っすか!?」

 

 微塵も悲観的な色を感じさせない笑顔で言い切るナギに、ラウルの心にも希望が芽生える。

 目の前の少年なら、やってくれるかもしれない。

 そんな期待の込もった視線を浴びながら、ナギは懐に手を入れる。

 

「おうともよ! さあ、とくと見やがれ! これが俺の……とっておきだ!」

 

 そうしてナギが懐から取り出したのは、何の変哲もない1冊のメモ帳。

 モンスターが迫り来る中、ナギは暢気にペラペラとページを捲り始める。

 

「えーと、あの呪文を書いたページは……」

「アンチョコじゃねえか!」

 

 あまりにもふざけた〝とっておき〟に、ラウルが思わずツッコミを入れた。

 しかし、ナギはラウルの声を右から左へ聞き流し、目当ての魔法が記されているページを探す。

 ナギの持つアンチョコには、ナギの得意系統である雷、風、光属性の魔法に加え、戦いの歌など使い勝手のいい魔法の詠唱文が書き込まれている。

 その数、なんと五十以上。

 しかし、ナギが詠唱文を覚えている魔法は、その中でもわずか二、三個。しかも、その数少ない覚えている魔法も、頻繁に復習しなければ忘れてしまうという始末。現に、今も詠唱文をド忘れしていた。

 基本魔法である魔法の射手(サギタ・マギカ)も、無詠唱でこそ使えているが、ちゃんとした詠唱で射てるかというと、かなり怪しいと言わざるを得ない。

 

「つーか魔導師のくせに何で自分の魔法の詠唱文を覚えてないんすか!? こんなアホな魔導師見たことないっすよ!?」

「るせーな! アンチョコ使おうが詠唱さえできりゃ、魔法は発動できんだよ!」

「その代わり、隙がデカすぎるでしょうがぁ!」

 

 モンスターを余所に喧嘩し出す二人。その様子が癇に障ったのかは分からないが、モンスターが大量の触手を二人目掛けて放つ。

 

「言わんこっちゃない! 後ろから来てるっすよ!」

「分かってるっつの!」

 

 二人は別れるように別々の方向へと駆け出した。

 案の定、食人花は魔力を発するナギを追い求め、触手を差し向ける。

 ナギは、まるでどこに攻撃が来るのか予知しているかのような動きで触手を躱していく。

 ともすれば敵を引き付けているようにも見えるその動きは、仲間の安全を考えてのもの。

 ラウルが敵の射程圏外まで退避したのを横目で確認し、ナギはギアを一段階引き上げる。

 そしてそのまま反転し、敵の懐目掛けて、真っ直ぐに突進を敢行する。

 意表をつかれることになった食人花はまんまとナギの侵入を許してしまった。

 その隙を見逃さず、ナギは食人花の一匹の頭部に照準を合わせ、咆声した。

 

魔法の射手(サギタ・マギカ)()集束(コンウェルゲンティア)()光の9矢(ルークス)!!」

 

 極太のレーザーのごとき魔砲撃が食人花の頭部を貫く。

 頭部に潜む魔石ごと魔法の矢に削り取られた食人花は、その身を灰へと変えた。

 これで残り四匹。

 しかし、喜ぶのも束の間、ナギは残りの食人花に四方を囲まれてしまった。

 もう逃がさない。そんな意思が食人花から発せられるようだ。

 それを証明するようにナギの視界を埋め尽くさんばかりの触手の群れが四方から襲いかかってきた。

 脱出ルートはただ一つ。

 

「っ! ナギ君ダメっす! 空中(うえ)は――」

 

 周りを囲まれ、ナギは唯一の抜け穴である上空へ跳躍する。

 しかし、それを見ていたラウルはナギの選択を悪手だと判断し、叫ぶ。

 

(狙われる――!!)

 

 事実、ラウルの予想通り、空中にその身を漂わせているナギに向かって食人花の触手が迫っていた。

 

「ナギ君!!」

 

 足場のない空中では、身動きがとれない。

 なんとかナギを助けようと足を動かすラウルだが、対空手段を持たない今のラウルではどうすることもできなかった。

 迫り来る絶望に顔を伏せ、歯を食い縛るラウル。

 しかし、そんな絶望的ともいえる状況は、ナギには当てはまらなかった。

 

「へ、この俺がこんな程度の攻撃で……やられる訳ねえだろうが!!」

 

 ()()()()()()、ナギはさらなる上空へと跳躍した。

 あり得ないものを見たラウルは、口をあんぐりと開ける。

 虚空瞬動――宙を蹴って移動する、高速空中機動術である。

 蹴る対象が堅固な地面ではなく空気であるため、通常の瞬動術より数段難易度が上とされている。

 ナギはその技術を、十歳という年齢で身につけていた。

 瞬動術の概念さえ存在しないこの迷宮都市において、ナギは()()で空中を自在に動くことのできる、唯一と言ってもいい存在なのである。

 

「一気に行くぜ」

 

 絶対に当たるはずだった食人花の触手は空を切った。

 宙を自在に駆け巡り、ナギは詠唱をするのに十分な距離をとる。この高度までは、敵の触手も届かない。

 

影の地統ぶる者(ロコース・ウンブラエ・レーグナンス )スカサハの(スカータク)!」

 

 あんちょこ片手に詠唱を開始するナギ。それを妨害せんと食人花が触手を必死に伸ばすが、足りない。

 

我が手に授けん(イン・マヌム・メアム・デット )三十の棘もつ(ヤクルム・ダエモニウム )愛しき槍を(クム・スピーニス・トリーギンタ)!」

 

 間もなく、詠唱が完了した。

 ナギの周囲に、雷で形成された長槍が出現する。その数、三十。

 一つ一つの弾頭それぞれが、魔法の矢を遥かに凌ぐ威力を誇る。

 眼下に蠢く食人花を睨み付け、ナギは勢いよくそれらを投げ放った。

 

雷の投擲(ヤクラーティオー・フルゴーリス)!!」

 

 次々と放たれる雷の槍は、食人花の体も、触手も、全てを貫き、縫いつけていく。

 それでも、魔石のある部位を捉えることはできず、完全に倒すには至らなかったようだ。

 とはいえ、敵も槍に貫かれて拘束され、まともに動けない。

 好機。ナギは止めとばかりにアンチョコを開き、追撃の詠唱を始める。

 

闇夜切り裂く(ウーヌス・フルゴル )一条の光、(コンキデンス・ノクテム )我が手に宿りて(イン・メア・マヌー・エンス )敵を喰らえ(イニミークム・エダット)!」

 

 しかし、ようやく迎えられた勝利の機会にテンションが上がっていたのだろう。

 ナギは過去に伝えられた注意事項を忘れ、()()で呪文を唱えていた。

 ここ最近全力で魔法を放てずストレスが貯まっていた事もあり、ナギは自重しなかった。

 すでにリヴェリア達から受けた説教の内容など、頭から吹き飛んでいる。

 一部始終を目撃していたラウルは、凄まじい量の冷や汗を流していた。

 

「な、何すかこのバカでかい魔力……ナ、ナギ君!! 街に被害与えないように威力押さえて――」

「そんなの知ったことかぁ!! いくぜオラァ!!」

「やめてぇえええぇぇえええええええええええええ!!」

 

 ラウルの叫びも虚しく、ナギの全力が込められた魔法が解き放たれる。

 

白き雷(フルグラティオー・アルビカンス)!!」

『ギィアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

「ぎゃあああぁぁああぁぁああああああああああああ!!」

 

 怪物と人の悲鳴が交差し、響き渡った。

 強烈な雷撃は、鼓膜が破れるかと思うほど激しく轟き、目を焼かんばかりの強烈な白光が周囲一体を包み込む。

 雷は狙いを違えず、四匹すべての食人花に直撃し、その身を焼き尽くした。

 しかし、ナギの渾身の魔法の影響は食人花だけに留まらず、その周囲にまで及んでいた。

 魔法の余波によって、街道沿いの建物十数棟が崩壊。そして、想定外の規模に射程を見誤り、余波に巻き込まれた黒髪の青年が約一名。

 他の住民はかなり遠くまで避難していたのでそれ以外の人的被害はなかったが、この周囲一帯だけ天災に襲われたような被害が出ている。

 それを見たナギは、頬を掻きながら一言。

 

「ちっとやり過ぎたか?」

 

 悪びれない顔で、そう言った。

 

 

 

 

 石畳が砕け、舗装されていた道路は見る影もなく破損している。

 そんな通りの一角にて、アイズは三匹の食人花から少し離れた場所に立っていた。

 ティオナとティオネが打撃を見舞って注意を引き付けているのが見える。

 意識を前方の食人花にやりながらも、アイズは自身の背後に座り込んでいる少女に声をかける。

 

「ありがとう。助かったよ、レフィーヤ」

「アイズさん……はい!」

 

 アイズからの礼に、レフィーヤは心底嬉しそうに返事を返した。

 

(ようやく、役に立てた……!)

 

 自分の力でアイズを助けることができた。その事実に、レフィーヤは笑みを隠しきれない。

 先程の攻防を思い返す。

 空中で身動きがとれないアイズに向け、迫り来る敵の突進。背後には座り込む獣人の子供がおり、アイズをして絶望的だと悟ったその状況。

 それを救ったのはレフィーヤだった。

 アイズに矛先を向けて襲いかかる食人花であったが、あの時、食人花は突然動きを止めて背後を振り返ったのだ。

 その動きを訝しく思うも、好機と捉え、風を放出して食人花を引き付けながら、アイズは獣人の少女から距離をとって、周りに被害が及ばないように誘導していった。

 その最中アイズの目が捉えたのは、息を切らせるレフィーヤの姿。その姿から全力で魔力を放出したのだと察した。

 より強大な魔力の源に反応したがために、食人花はアイズを追うのを止めたのだ。

 そして、レフィーヤに向かう敵の攻撃はティオナとティオネが捌いていた。

 魔法を解除したアイズは一先ずレフィーヤの安否を確認すべく、彼女の側に降り立った。

 そして、今に至る。

 アイズの手助けができたことに確かな手応えを感じたレフィーヤは、今度こそと腕に力を込める。

 

「アイズさんっ、私――」

「うん、レフィーヤのおかげで犠牲が出ずに済んだ。ありがとう。もう大丈夫だから、下がってて」

「ぇ……」

 

 しかし、そんな決意も一瞬で崩れ去った。

 アイズに他意はないだろう。純粋に、怪我を負っているレフィーヤを心配しての発言にすぎない。

 だが、それでも、レフィーヤはアイズに言って欲しかった。

 共に戦おうと。その一言を、レフィーヤは心から渇望していた。

 しかし、自身と彼女の間にある強さという壁が、それを阻んだ。

 彼女と肩を並べられる実力がないからこそ、今自分はこうして胸を押され、遠ざけられている。

 武器を失った今、魔導師である自分の力を使うのが一番効率がいい筈なのに、大丈夫だからと言われ、ただ守られる。

 あの時のように、これまでのように。

 

「行ってくるね」

 

 攻撃が通じず、苦戦しているティオナ達に助勢すべく、アイズは刀身を失ったレイピアの束を携えて、一歩を踏み出す。

 遠ざかる憧憬の背中。

 

(また、また繰り返すの……?)

 

 怪物の群れに飛び込むその背中を見送ることしかできなかった過去の日々。

 追い縋っても、差は開く一方で。

 もう諦めてしまおうか。

 そんな考えが脳裏を過った時、白い光が辺りを照らした。

 

「これ、は――」

「あ……」

 

 アイズも、ティオナも、ティオネも、そして食人花でさえ、轟く雷鳴と白光に一瞬動きを止める。

 誰がこの現象を引き起こしたのか。答えはすぐに浮かんできた。

 同時に、レフィーヤの瞳が力強さを取り戻す。

 

「レフィーヤ?」

 

 気づけば、レフィーヤはアイズの手を掴んでいた。

 

「いや、です……」

「え?」

 

 絞り出すようなその声に、アイズは首をかしげる。どうしたのだろうか、と俯くレフィーヤの顔色を伺う。

 アイズがレフィーヤの顔を覗き込もうとするその前に、レフィーヤは涙で目を滲ませながら、顔を上げた。 

 

「嫌です……私も、私も戦います!」

「でも……怪我が……」

「私はっ!」

 

 怪我を心配するアイズの声を遮り、レフィーヤは叫ぶ。

 自分の思いを乗せて、自らの殻を破らんと、全身全霊の言葉を。

 

「私は、【ロキ・ファミリア】の一員です! アイズさんと同じ、このオラリオで最も強く、誇り高い、偉大な劵族(ファミリア)の一員なんです!」

「レフィーヤ……」

「その名に恥じない自分でいるために……今の自分を越えるために、私は戦いたい!」

 

 真っ直ぐに向けられる力の籠った視線。

 それを真っ向から受け止めたアイズは、瞑目し、レフィーヤの言葉を反芻するかのように息を吐いた。

 そして瞳を開け、レフィーヤと視線を合わせる。

 

「ごめんね、レフィーヤ。私が間違ってた」

「アイズ、さん……」

「一緒に戦おう。力を貸して」

「――――はい!」

 

 微笑を携えて告げられた待望の言葉に、レフィーヤは満面の笑みをもって応える。

 アイズはこくりと頷くと、食人花に向けて突貫していった。

 それを見送り、レフィーヤは自身の為すべき事のため、準備を始める。

 

「皆さん! 詠唱が終わるまで、私を守ってください!」

 

 激しい戦闘の渦中にいる彼女達に届くように、大声で指示を叫ぶレフィーヤ。

 その力強い瞳に、アイズ達は応える。

 

「「「了解!」」」

 

 誰より頼れる仲間がついているのだ。恐れはない。

 今、その口から呪文の詠唱が紡がれる。

 

「【ウィーシェの名のもとに願う】」

 

 確かに、今の自分はアイズ達の足手まといでしかない。

 Lv.も、技術も、心も、何一つ及びはしない。

 

「【森の先人よ、誇り高き同胞よ。我が声に応じ、草原へと来れ】」

 

 だが、それでも、今の自分でもやれることは必ずある。

 自らの可能性を自分で否定するなど、愚の骨頂だ。

 

「【繋ぐ絆、楽宴の契り。円環を回し舞い踊れ】」

 

 俯いて、立ち止まって、思考を止めたら、今の自分にできることすら為し得ない。

 探せ。追い求めろ。

 どこまでも、自分の為すべき事を。

 

「【至れ、妖精の輪】」

 

 今、自分にできる最大限を――

 

「【どうか――力を貸し与えてほしい】」

 

 詠唱を、歌を、魔法を、彼女達に届けよう。自分にしか歌えない、この魔法(うた)を。

 

「【エルフ・リング】」

 

 膨大な魔力が収束され、山吹色の魔法円(マジックサークル)が、翡翠色へと変化する。

 レフィーヤから発せられる強大な魔力。

 モンスター達は吸い寄せられるようにレフィーヤへとその身を傾ける。

 

「【――終末の前触れよ、白き雪よ。黄昏を前に(うず)を巻け】」

 

 詠唱は未だ止まらない。一度完成した魔法に更なる詠唱が加えられ、別種の魔法が構築されていく。

 ()()()()において、魔法の習得可能数には上限がある。

 【ステイタス】に確保される魔法スロットの最大数は三つ。つまりどれだけ才能があろうと、三種類の魔法しか行使できない。

 しかし、ことレフィーヤに限っては、その法則は当てはまらない。

 レフィーヤが最後に習得した魔法――召還魔法(サモン・バースト)の効果。それは、詠唱および効果を完全把握した魔法を、同胞(エルフ)の魔法に限り、己のものとして行使できる前代未聞の反則技(レア・マジック)

 二つ分の詠唱時間と精神力(マインド)を代償に、あらゆるエルフの魔法を発動できる。

 常識破りのエルフの少女に神々が授けた二つ名は【妖精の指揮者(フェアリア・マエストロ)】。同胞(エルフ)魔法(うた)を操りし者。

 

「【閉ざされる光、凍てつく大地】」

 

 召還するのはエルフの王女、リヴェリア・リヨス・アールヴの魔法。すべてを凍らせる極寒の吹雪。

 詠唱が進むにつれ、翡翠色の魔法円が一層輝きを増していく。

 高まる魔力に呼応して、食人花がレフィーヤに押し寄せるが、アイズ達が壁として敵を阻み、指一本として触れさせない。

 

「【吹雪け、三度の厳冬――我が名はアールヴ】!」

 

 魔法円が拡大する。

 今か今かと放たれる瞬間を待ちわびていた魔力の奔流が、今解放された。

 

「【ウィン・フィンブルヴェトル】!!」

 

 三条の吹雪が、大気を凍てつかせながら食人花に純白の細氷を直撃させる。

 瞬く間にその身を氷に包まれる三輪の食人花。やがて全身が覆われ、完全に動きを停止した。

 

「ナイス、レフィーヤ!」

「散々手を焼かせてくれたわね、この糞花っ!」

 

 街路に立つ三体の氷像。その内の二体の懐に着地したティオナとティオネは、そのしなやかな足を振り上げる。

 

「「はぁっ!」」

 

 渾身の回し蹴りが炸裂。夥しい亀裂が氷結した体を走り、やがて食人花の全身は粉々に砕け散った。

 

「アイズー!」

「……ロキ?」

 

 自身を呼ぶ主神の声に、顔を向けるアイズ。

 声の主は、半壊した商店の屋根に立っていた。その背には、見覚えのある獣人の子供を乗せている。

 ロキは手に持っていた何かをアイズに投げ渡した。

 

「拾いもんや。使い」

 

 受け取ったそれは、一本の剣。

 モンスターによって潰された屋台から拝借したのだろう。ちゃっかり少女まで回収していたロキに、相変わらず抜け目がない、と苦笑しながら抜剣。

 無数の剣閃が蒼の彫刻を斬り刻む。

 氷像は甲高い音を立てて細かな氷へと姿を変え、日の光を反射し、きらめく輝きを見せていた。

 

 

 

 

「レフィーヤありがとー! ほんと助かったよー!」

「ティ、ティオナさん!?」

 

 喜びを露にして抱きつくティオナに、レフィーヤは戸惑いの声をあげる。

 体の節々が痛み、顔をしかめるものの、まんざらでもないように頬を緩めている。

 そんなレフィーヤに、アイズが声をかける。

 

「ありがとう、レフィーヤ」

「アイズさん……」

「ん、と……すごかったよ。リヴェリア、みたいだった」

 

 アイズの素直な賞賛に、レフィーヤは感極まったような表情を浮かべ、うつむいてしまう。

 

「ア、アイズさん!」

 

 顔を赤くしながらも顔を上げたレフィーヤがアイズの目を真っ直ぐ見つめる。

 

「わ、私……これから、強くなってみせます。アイズさん達に追いつけるくらいに、強く!」

「――ん。待ってるよ」

 

 少しの驚きと、嬉しさを胸に、アイズはレフィーヤの宣言に応えた。

 これから、レフィーヤはどんどん強くなる。そう確信しながら。

 

「おーい、お前らー!」

 

 ふと、どこかからここ数日で聞き慣れてきた声が聞こえてきた。

 

「ナギ!」

 

 声の発せられた方向に視線を向けると、そこには何かを背負ったナギが、杖に乗ってこちらに飛んでくるのが見えた。

 そのまま自分達の前に着地したナギを、ティオナが喜色を含んだ声で迎え入れる。

 

「ナギ、無事だったんだね。よかった!」

「まあな。そっちもなんとかなったみてえだな」

「うん。でも、少し大変だった。ナギは食人花のモンスター、倒したの?」

「おう。少し面倒くせぇ奴らだったけど、全部ぶっ飛ばしといたぜ。ラウルが巻き込まれちまったけど」

「へ、ラウル? うわぁああああ!? ラ、ラウル!?」

「黒焦げやないか! おい、ラウルッ! しっかりせい!」

「ポ、ポーションを……」

「ああ、簡単に治療はしておいたから大丈夫だぜ。焦げてんの服だけだし」

 

 アイズとロキも加わり、互いの無事を喜び合い、ナギに背負われたラウルの安否を確かめる。

 その横で、驚愕に目を見開いたティオネとレフィーヤが会話を交わしていた。

 

「ねえ、誰も突っ込んでないから見間違いかと思ったんだけど……ナギ、空を飛んでなかった?」

「いえ、私にもそう見えました……」

 

 新たに発覚したナギの力に遠い目をするレフィーヤ。

 実のところ、ナギが空を飛べることはあまり知られていない。

 ラウルがナギの虚空瞬動を見て驚いていたのも、この辺りに起因する。

 知っているのは、フィンとガレスを含む首脳陣を除けば、たまたま目撃したアイズくらいのものであろう。

 ちなみに、ティオナは素でスルーしている。

 

「って、それよりレフィーヤ、お前も怪我してんじゃねえか。大丈夫かよ?」

「えっ?」

 

 一体どれだけ引き出しがあるのか、と黄昏る中、いきなり声をかけられ戸惑うレフィーヤ。

 見れば、ナギが自身の体に残る傷に目をやっているのがわかった。

 純粋な心配なのだろう。皮肉などのからかうような素振りは全くなかった。

 しかし、目の前の少年は己の目標であり、力不足を自覚してはいるが、ライバルと定めている相手である。

 レフィーヤは意地を張って、何でもないような表情をして言った。

 

「これくらい大したことありません。それと……」

 

 そして、今まで心に秘めるだけで、伝えていなかった思いを打ち明ける。

 

「負けませんから!」

 

 決意を込めた、レフィーヤの言葉。

 それを聞いたナギの表情は、きょとんとしていて、まるで事情が飲み込めていなかった。

 レフィーヤは顔を赤くする。何も知らない相手に唐突にそんな宣言をすれば、誰だって混乱するに決まっている。

 穴を掘って入りたい衝動に駆られ、レフィーヤはそのまま俯いてしまう。

 しかし、そんな無茶苦茶な台詞にも感じ入るところがあったのだろう。

 ナギは右手を差し出し、真剣な顔つきで応えた。

 

「おう、俺も負けねえ」

 

 きちんと応えてくれたことに、レフィーヤは顔を上げる。

 そして差し出された手をとって、固く握った。

 そんな二人の様子を優しい眼差しで見守るアイズ達。辺りに弛緩した雰囲気が流れる。

 

「さーて、事件も終わったことだし、帰るとするか!」

 

 ぐっ、と背伸びしつつ帰宅しようと宣うナギ。その背後に、一つの影が忍び寄る。

 

「ナ~ギ~君♪ ちょ~っと、私とお話をしようか」

「へ?」

 

 そこに立っていたのは、誰もが見惚れるほどの素敵な笑みを浮かべる、眼鏡をかけたハーフエルフのアドバイザーだった。ただし、その緑玉石の瞳だけは全く笑っていない。

 

「おわっ!? 何すんだ、離せエイナ!」

「いいから来なさい」

「ざっけんな、何で俺が――」

「ん?」

「ナンデモアリマセン」

 

 そしてそのまま襟首を捕まれ、ギルドに連行されていくナギ。

 一般人であるエイナを振りきるのは簡単なのだが、有無を言わせない迫力のエイナに、何故だか逆らう気が起きなかった。

 通りの奥へと姿を消していくナギを見送ったロキは、何事もなかったかのように話を切り出した。仕方のないこととはいえ、言いつけを守らなかったナギにはいい薬だと。

 

「んじゃ、残っとる仕事片付けに行くでー」

 

 ぱんぱんと、手を叩いたロキがそれぞれに指示を出す。食人花は倒したが、未だ騒動が収まった訳ではないのだ。

 

「レフィーヤはギルドの連中に治療してもらい。んで、ティオネ達は地下に向かってくれ。まだ何かいそうな気ぃするわ」

「あ、はい」

「了解、任されたわ」

 

 そして、朱色の瞳が次にとらえたのは、黒髪の青年。

 

「もう動けるな、ラウル。自分はナギの迎えや。頼めるか?」

「はい。一応お目付け役っすから」

 

 まだ動きに鈍さはあるものの、はっきりとした口調で答える。

 満足そうに頷き、ロキは最後にアイズを見た。

 

「アイズはうちと残ってるモンスターをやっつけに行くで。これでガネーシャへの借りもチャラや」

 

 『宴』の時にナギのせいで作ってしまった借りを早くも返すことができ、ホクホク顔のロキ。

 

「じゃ、行こうか」

 

 指示を出し終えたロキのその言葉に是を返し、各々が自分の為すべき行動に移った。

 

 

 

 

「けどまぁ、その後は地下では何も見つからんかったわ。残りのモンスターは楽勝やったけどな」

 

 夜半を迎えた繁華街の一角に建つ、高級酒場。その中の広い個室にて、ロキはフレイヤに事件の概要を話していた。

 

「もう、こんな時間に呼び出されて何かと思ったら。貴方の今日の出来事なんて知らないわよ」

「よく言うわ、犯人のくせに」

 

 にやつきながら放たれたロキの言葉に、フレイヤは瞑目した余裕のある微笑を見せる。

 

「あら、証拠でもあるのかしら?」

「市民に死傷者なし。脱走したモンスターは街の人間なんぞ知らんぷりやった。ちゅうより、()()を探そうと躍起になっておった。大方、どこぞの色ボケ女神に骨の髄まで魅了されて、それ以外のもんは目に入らんかったんやろ。モンスターの檻の番しとった連中も、腰砕けて伸びとったらしいな」

 

 高価なワインを水のように飲み干し、ロキは続けた。

 

「魅了、魅了、魅了。全部魅了や。決まりやろ。何がしたかったんかは分からんが、犯人は自分しかおらん」

 

 美の神(フレイヤ)の『魅了』の効果は絶大だ。理性では太刀打ちできないその力に抗える下界の者は皆無といっていい。

 それは怪物(モンスター)でさえも例外ではない。

 

「ふふっ、そうね、概ね貴方の言う通りよ」

「ギルドにちくったろうかなぁ~? 罰則(ペナルティ)は相当キツいやろしなぁ~?」

 

 あっさりと推理を認めるフレイヤに、ロキはにやついた笑みを隠しもせずに脅しをかける。

 しかし、フレイヤは微笑を崩さずに唇を開く。

 

「鷹の羽衣」

「はっ?」

「貴方に貸したあの羽衣、まだ戻ってきてないのだけれど」

 

 その言葉に、ロキの顔から余裕が消えた。

 

「なっ、あれは天界にいた時にいただいたゲフンゲフンッ、借りたやつやぞ!? 今さら持ち出してくるか!?」

「私の知ったことではないわ」

 

 全く妥協の色を見せないフレイヤに、ロキは声を詰まらせる。

 

「いや、でも……あれ、うちのオキニやし、今更返せって言われても……」

「もし今日のことを……いえ今後の私の行動に目を瞑ってくれるなら、差し上げてても構わないけど、どうかしら?」

 

 頬をひきつらせ、ぐぬぬと悔しがるロキ。

 ええいくそっ、と頭をかきむしりながら悪態をついた。

 

「今になって昔のことを引きずり出しおってっ、ほんま腹立つなー! うちの可愛い子達はけったいなモンスターの相手させられて傷まで負ったんやぞ。一人は味方の魔法の巻き添えやけど」

「……?」

 

 何の事だろうか? そんな美の神に似合わないきょとんとした顔を浮かべるフレイヤに、ロキは眉をひそめる。

 

「何やその顔は。おったやろ、十匹目の蛇みたいな花みたいな、ようわからんモンスターが」

「……私が外に放ったのは九匹だけよ?」

「はぁ? 嘘こけ」

「本当よ。あなたとガネーシャの子を足止めするだけでよかったんですもの。……もしかして、あなたのところの新入りの子が戦っていたのが?」

 

 自身は関与していないが、一つの心当たりを見つけ、尋ね返す。

 

「まあな。他の子等も別の個体を相手しとったけど。ちゅうか、やっぱりナギの事も見てたんかい」

「ええ、尤も一目見てすぐに離れたのだけれど。ふふっ、あの子鋭いわね。一瞬で私の視線に気づいていたわ」

 

 モンスターを一瞬で仕留めた手並みと、自身の視線を察知した勘のよさを思い返しながら、言葉を続ける。

 

「それから少し経って、遠目から宙を駆け上がるあの子の姿を捉えたの。上空から放たれた雷の長槍と白く光る稲妻。眩いばかりの輝きから、すぐにあの子だと分かったわ。そして、おかしいとも思った。あの子があそこまでする必要のあるモンスターを逃がした覚えはなかったもの」

 

 それが、ロキの言う未知のモンスターであったのならば、納得がいく。

 同時に、惜しいことをしたとも感じていた。できるならば、ナギの戦いぶりも見てみたかったと。

 

「そういやあのモンスター、ティオナ達の話やと、地面からにょきっと生えてきたんやったなぁ」

 

 そう考えると、檻から出したというフレイヤの話には当てはまらない。

 

「きな臭いわね」

「鏡見て言えや」

 

 結局、それ以上のことは何も分からず、ロキとフレイヤの会話は終わりを告げた。

 

 

 

 

「あー、やっと終わったー」

 

 肩に手をやりながら、気だるそうに部屋から出てきたナギを、ラウルは苦笑混じりに出迎えた。

 街を破壊した犯人としてエイナに連行されたナギは、そのまま説教コースに突入していた。

 エイナ個人としては、ナギの魔法が街にもたらした被害よりも、アイズ達ですら武器なしでは苦戦するモンスターに挑んだことの方が理由として大きかったが。

 結局、非常事態ということで修繕費はギルドが負担することになり、幸いにもナギ個人への損害賠償請求はなかったものの、厳重注意を受けた上で次はないと念を押された。

 そして、ナギが全く反省しないせいで長引いた説教も終わり、ようやく解放された頃には、すでに日も暮れてしまっていた。

 

「おー、ラウル。悪ぃな、待たせちまって」

「いいっすよ、これくらい」

 

 常人では考えられないような偉業を為した少年は、そんなことを微塵も感じさせない笑顔でそこにいた。

 今日だけで、どれだけ驚かされたことだろう、とラウルは一日を振り返る。

 無理矢理お目付け役として祭りに駆り出された事に始まり、闘技場での事件、そしてモンスターの脱走。極めつけに未知のモンスターの出現。

 そこで披露された、ナギの戦い。

 無詠唱で魔法を放ち、宙を駆け、強大すぎる魔力による大魔法。そして、その余波に巻き込まれて黒焦げになった自分。

 これまで積み上げてきた常識を崩されっぱなしの一日だった。

 けれど、そんなに悪い日でもなかったと感じるのは何故だろうか。

 

「なあ、ラウル」

「何すか?」

 

 本拠(ホーム)への帰り道、メインストリートを並んで歩く中、唐突にナギが話しかける。

 

「今日は楽しかったぜ。これからもよろしくな!」

 

 満面の笑みで告げられたその言葉に、ラウルは納得した。

 色んな出来事があった。振り回されて、痛い思いもしたけれど、とても楽しかった。

 自分は心底、目の前の少年のことを気に入ってしまったのだろう。

 何よりも自由で、自分に正直な、まっすぐな心根を持つ、眩しい少年を。

 

「自分も楽しかったっすよ、ナギ君」

 

 それは、自分にないものを持つナギへの憧れだろうか。

 それでも、この少年と一緒に歩いていきたいと思った。

 この少年と一緒なら、どこへでも行ける。そう確信しながら。

 

「そんじゃ、また遊びに行こうぜ。また奢ってくれよ」

「それは勘弁してほしいっす」

 

 日が沈み、夜空に星が現れる時間帯。

 魔石灯の明かりに照らされながら、二人は帰るべき人の待つ自分達の本拠へと、その足を進めていった。

 

 




おまけ
~エイナさんの報告書~

「う~ん……」

 日もどっぷりと暮れた時刻。
 エイナはギルドの作業机の上に置かれた報告書の推敲をしていた。

「怪物祭当日、モンスターが脱走する事件が発生。脱走したモンスターは合計九匹。さらに未確認の食人花のモンスター(推定Lv.3以上)が二ヶ所で合計十匹出現。【ロキ・ファミリア】の【剣姫】他三名が内四匹を撃破。もう一ヶ所に出現した六匹を同じく【ロキ・ファミリア】の下級冒険者――ナギ・スプリングフィールドがほぼ単独で撃破。建物に被害はあったものの、死傷者・重傷者はともに出ず、事件は収束した……って、こんなの上に提出できる訳ないじゃない……!」

 概要だけをピックアップして読み直してみたが、自分でも荒唐無稽な内容だとわかる。主に下級冒険者が単独で撃破したところとか。

「もう……何でこんな危なっかしいことするかなぁ~……そりゃ、ナギ君が動いたお陰で助かった人は大勢いるんだろうけど……そもそも何で推定Lv.3以上のモンスターを新米のナギ君が倒せるのよ……」

 こんなものを馬鹿正直に提出したら、レベルを偽っているのかだとか、ランクアップ申請を意図的にしていないのかとか言って【ロキ・ファミリア】に、というよりナギに査察が入るのは間違いないだろう。
 結局、上司に突っ込まれるのが目に見えていたため、エイナは人生で初めて書類の捏造を行い、当たり障りのない報告書を作り上げた。

(無用な混乱を避けるため、ナギ君のため……うぅ、でも……)

 その後書類を提出して家に帰り、ベッドに潜ったエイナだったが、罪の意識に苛まれ、結局その日は寝付くことができなかった。
 翌日、目に隈をつけて出勤してきたエイナを見た同僚のミイシャがその事について突っ込もうとしたが、エイナのただならない雰囲気に口をつぐんだという。


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とある日常の一幕

 お気に入りがついに2000件を突破しました。ありがとうございます。
 これからも精進していきますので、よろしくお願いします。


 雲一つない澄みきった青空の下、本拠(ホーム)の中庭で風を斬る音が響いている。

 怪物祭(モンスターフィリア)の翌日。朝一番に【ゴブニュ・ファミリア】に預けていた愛剣(デスペレート)を受け取ったアイズは、ダンジョンへ向かう準備ついでに、日課の素振りを行っていた。

 

(四〇〇〇万ヴァリス……)

 

 第一級冒険者をして大金と言える額が、アイズの脳裏にこびりついている。

 食人花との戦闘で壊してしまった、《デスペレート》の代剣として借り受けていた細剣。

 アイズの剣技と魔法に耐えきれずに破砕したその剣は、もはや修復不可能であった。

 借り物である以上、アイズは壊した責任をとって弁償しなければならない。

 規模でこそ【ヘファイストス・ファミリア】を大きく下回るものの、技術においては決して劣らない【ゴブニュ・ファミリア】の武器の性能は高く、それに比して値段も高い。

 アイズの借り受けていた細剣も例に漏れず一級品であり、アイズは四〇〇〇万ヴァリスという大金を請求された。

 しばらくはダンジョンにもぐって弁償代を稼ぐのに専念しなければならず、あの白髪の少年に謝ることもできそうにない。

 その事で若干気分が落ち込んでいた所為であろうか。アイズの振るう剣も、心なしかいつもより鋭さがない。

 しかし、重さ、握り、重心、刃の走り、と誤差の修正を意識しながら振る内に、無駄な動きがだんだん減っていく。

 一分も経たない内に、アイズは普段の剣の鋭さを取り戻した。

 そうして無尽に愛剣を振るい続けていたアイズは、庭木から落ちた一枚の緑葉を鋭い剣閃を描きながら斬り刻み、剣を鞘に納めた。

 直後、パチパチと鳴る拍手の音にアイズは振り返る。

 

「お疲れ様です、アイズさん。これ、どうぞ」

「レフィーヤ。ありがとう」

 

 振り返った視線の先にいたのは、自身の後輩であるエルフの少女だった。

 差し出された水筒をお礼を言って受け取り、口につける。

 水筒に入っていた柑橘系の果実水が、アイズの体に染み渡っていく。

 中身を全て飲み干したアイズは、美味しかったと言葉を添えて、レフィーヤに水筒を返す。

 レフィーヤはその言葉に嬉しそうな笑みを見せ、水筒を受け取った。

 

「それにしても、すごかったです、アイズさん。私、つい見とれちゃいました」

「えっと……ありがとう?」

 

 レフィーヤの賞賛に首を傾げながら応えるアイズ。当たり前のようにしていることを褒められたところで、どう反応すればいいのか分からない。

 

「そういえば、レフィーヤは何でここに?」

 

 わざわざ水筒に飲み物を用意してまで、何故ここにいるのか。疑問をぶつけるアイズに、レフィーヤが答える。

 

「実はアイズさんが剣を振るっているのを上からお見かけしまして。今日はリヴェリア様の授業も中止になってしまったので、どうせなら、と。やることもありませんでしたし」

 

 リヴェリアから「これから出掛けるので、今日の指導は中止だ」と言い渡され、手持ち無沙汰になったレフィーヤは、どうせ暇ならアイズに差し入れを持っていこうと、厨房から果実水を仕入れてきたらしい。

 その返答を聞いたアイズは目をパチクリさせた。リヴェリアが予定を反故にすることはほとんどないので、軽く驚いたのだ。

 何かあったのだろうかとアイズが思案していると、レフィーヤが苦笑しながら口を開いた。

 レフィーヤ自身、理由が気になっていたので、リヴェリアに尋ねていたのだ。

 

「実は今、リヴェリア様は――」

 

 レフィーヤの口から語られた理由。

 それを聞いたアイズは、成る程と納得したのだった。

 

 

 

 

 大騒動が起きた事などなかったかのように、すっかり元通りになった街の大通り。

 ナギは迷宮都市の中心部――ダンジョンを擁する摩天楼(バベル)――に続く道を歩いていた。

 

「さーて、今日はどうすっかな~」

 

 朝日を浴びながら、のんびりと今日の予定を考える。

 未知に溢れ、依然として興味の尽きないダンジョンにもぐるのもいいし、まだ見ぬ都市の名物を探しに街を散策するのも面白いだろう。

 色々な計画(プラン)が浮かんでは消え、まとまらない思考のまま歩き続ける。

 

「っと、いつの間にか着いちまったな」

 

 物思いに耽っている間に、バベルの建つ中央広場まで辿り着いていた。

 ――ここまで来たのなら、今日はダンジョンにもぐるか。

 ようやく行動の指針を決めたナギは、意気揚々とバベルの入り口へと向かう。

 

「あっ」

「ん?」

 

 門を潜ろうとしたところで、聞き覚えのある声が耳に届いた。

 声の聞こえた方を振り向くと、そこには白の髪と深紅(ルベライト)の瞳をもつ少年が、目を見開いてこちらを見つめていた。

 

「ナギ君!」

「おおっ、ベルじゃねえか! あの時以来だな」

 

 数日振りに会う友人に、ナギは顔を輝かせる。

 一方のベルも、怪我を治した恩人とも言えるナギに再会し、喜びを露にしていた。

 

「そういや、怪我はもういいのか?」

「あ、うん。おかげでもうすっかり。本当にあの時は助かったよ。ありがとう」

「気にすんなって。大したことはしてねえしよ」

 

 改めて治療の礼を言うベルに、ナギは気にするなと肩を叩いて笑いかける。

 

「そうだ、ベル。今日これからダンジョン行くんだろ?」

 

 防具を身につけ、バックパックを背負うベルの姿を見て尋ねるナギ。

 案の定、ベルはダンジョンに行くつもりだったようで、ナギの問いに頷いた。

 

「うん、そのつもりだけど」

「じゃあ、俺と一緒に行こうぜ。色々話もしてえしよ」

 

 臨時のパーティを申し込まれたベルは、嬉しさと申し訳なさを含んだような、複雑な表情を浮かべた。

 

「それは願ってもないお誘いだけど……いいの? 僕とナギ君じゃ実力が釣り合わないし……」

 

 基本、パーティは同じ実力の者達の間で作るものだ。

 パーティ内の実力差がありすぎると、実力の低い者は足手まといになり、実力の高い者はレベルの低い階層での行動を強いられてしまう。ナギはダンジョンこそ不馴れだが、戦闘に関しては自分のずっと先を行っているのだから。

 そんなベルの言い分を、ナギは鼻で笑い飛ばした。

 

「細けぇこと気にすんなよ。俺は別に強くなるためだとか、金稼ぐためだとか、そんな理由でダンジョンもぐってる訳じゃねえからな」

「えっ、じゃあ何で?」

 

 今ナギが挙げた二つの理由は、ベルにとってのダンジョンにもぐる理由の大部分と言っていい。

 憧憬の存在に追いつくため、そして日々の糧を得るため、ベルは日々ダンジョンに挑んでいる。

 では、ナギがダンジョンにもぐる理由とは一体何なのだろうか。

 ベルの問いに、ナギは目を輝かせて言った。

 

「そんなの、面白そうだからに決まってんだろ! 見たこともねえもんが一杯あんだぜ? これでワクワクしなきゃ、男じゃねえだろ!」

 

 富、名声、ダンジョンへ挑む人間は、それぞれ何かしらの目的を持っている。

 その中で、冒険者として最も原初の理由。

 『未知』への探求。

 今でこそ職業の名前として知られているが、元々『冒険者』とは、『未知』に魅せられた者達を指す言葉である。

 ナギがダンジョンへ挑む理由、それはまさに『冒険』そのものであった。

 

「それに、せっかく出来たダチとも、もっと仲良くなりてえしな」

「ナギ君……」

 

 正直に言えば、ナギ一人の方が未知の場所へ行くという意味では効率がいいだろう。

 しかし、それでもナギはベルとダンジョンに行きたいと言っている。他の何でもない、友達として。

 

「つー訳だから、引け目を感じる必要なんかねえぞ、ベル」

「……わかった。それじゃあ、よろしくね」

「おう!」

 

 ナギの気持ちに応え、ベルはナギの手をとった。

 パーティの結成が完了し、ナギは意気揚々と声をあげる。

 

「よっしゃ! そんじゃ、早速ダンジョンに向かうとしようぜ!」

「盛り上がっているところ悪いが、お前を行かせる訳にはいかんな、ナギ」

「へ?」

 

 がっしり掴まれた肩と、玲瓏な声で呼ばれる自分の名。

 ギギギ、と壊れたブリキのような動きで背後を振り返る。

 

「げぇっ、リヴェリア!? 何でお前がここに!?」

「なに、私もいい加減本気を出さねばと思ったのでな。どこへ逃げようと、地の果てまで追いかける気概だ」

 

 女神すら凌駕する美貌のエルフが、威圧的な雰囲気を滲ませながら、間接を極めてナギの動きを封じていた。

 完全に撒いた筈なのに、今こうして捉えられてしまったことにナギは衝撃を受ける。

 

(――まずい、このままじゃあ……!)

 

 初日のトラウマが蘇り、背中から嫌な汗が流れる。

 

「さあ、今日こそ私の授業を受けてもらうぞ」

「絶対ェ嫌だ! 離せリヴェリア!」

「死んでも離さん」

 

 なんとか逃れようともがくナギだが、リヴェリアの拘束は完璧に極まっており、脱出することができない。

 空蝉(うつせみ)で逃げられないよう手首を極めている辺り、リヴェリアにも成長が見られる。度重なる逃走劇を経たことにより、リヴェリアの捕縛術のレベルは飛躍的に上がっていた。

 

「あ、あの……リヴェリアさん? これはどういう……?」

「ん? ああ、すまない。実はな――」

 

 突然の展開に戸惑うベルに、リヴェリアが事情を簡潔に話す。

 今までナギに勉強させようとして、逃げ続けられていたこと。

 そのため、今のナギはダンジョンの諸知識はおろか、常識的な知識でさえ危ういこと。

 ナギの強さからダンジョン中層までならなんとかなるだろうと見逃してきたが、怪物祭のような異常事態が発生した以上、いつまた危険なことが起こるか分からない。

 そのため、今のうちに色々と教示しておこうと、本気でナギを捉えることを決意したこと。

 それらを順序立てて説明した。

 

「と、いう訳だ。約束を無理矢理反故にするような真似をして申し訳ないが、今日は付き合わせてやることはできない」

「い、いえっ、そんな! そういうことなら仕方ないですし、気にしないでください」

 

 リヴェリアの言う通り、ダンジョンについて無知なまま挑むのは好ましくない。

 自分と一緒にダンジョンに行くより、リヴェリアの授業を優先するのは当たり前と言える。

 

(初めて会った時も、何も知らなかったもんなぁ……)

 

 数日前、駆け出しである自分以上に知識がないままダンジョンに潜ろうとしていたナギの事を、ベルは本気で心配していた。

 

「おいっ、何言ってんだベル! もっと粘れ! じゃねえと俺の命に危険が――!」

「ああ、ナギの言うことは気にしなくていい。今後ともよろしく頼むな、ベル」

「は、はいっ!」

 

 見目麗しいエルフの中でも高貴な血を引く王族(ハイエルフ)の微笑に、ベルは顔を赤くしながら返事を返す。

 ベルの初々しい反応に微笑ましげな表情を見せたリヴェリアは、未だに離せと喚き散らすナギを脇に抱え、そのまま去っていった。

 残されたベルは、自分も頑張らなければと気合いを入れ直し、新しく手にした武器を携え、ダンジョンへと向かっていった。

 

 

 

 

 夕刻、ナギは頭から煙を噴いて机の上に突っ伏していた。

 場所は食堂。夕飯の時間になるまで延々とリヴェリアの指導を受け続けていたナギは、解放されたと同時にダウン。

 リヴェリアに背負われて食堂まで運ばれたものの、起き上がる気力はゼロだった。

 

「ナギ、大丈夫?」

 

 全く動く様子を見せないナギに、隣に座ったティオナが心配して声をかける。

 

「……………………」

「あちゃ~、こりゃ重症だね……」

 

 ティオナの声にも無反応のナギ。

 いつもなら嬉々としてありつく食事にも手を伸ばしていない。

 ナギ同様、あまり考えることが得意ではないティオナは、そんなナギの様子を見てリヴェリアの酷烈(スパルタ)具合を察した。

 

「リヴェリアの指導は、厳しいから」

「あはは……私も気持ちはよくわかります」

 

 ナギを挟んでティオナの反対側に腰かけたアイズが、労うようにナギの頭を撫でる。

 その事にアイズの向かい側に座るレフィーヤが反応しかけるが、自身も同じ経験をしているためか、嫉妬よりも同情する気持ちが勝ってしまった。

 

「ケッ、情けねえ野郎だ。文字通りの鳥頭野郎だったか。笑っちまうぜ」

「んだとこのクソ狼!」

 

 しかし、それを見ていた狼人の青年には癪に触ったようだ。

 いつの間にかナギの背後に立っていたベートによる挑発に、ナギはそれまで感じていた疲労を吹っ飛ばして食いかかる。

 そこからはあっという間だった。

 軽い悪口から始まった二人の言い争いは、いつの間にか取っ組み合いの喧嘩にまで発展していった。

 

「お前だって大して頭よくねえだろうが残念狼!」

「てめえよかマシだ鳥頭! ってか、その呼び方誰に聞きやがった!?」

 

 なまじ二人とも実力者であるために、下位団員達には止めることも敵わず。

 ティオナ達も都合五回目となる二人の喧嘩に呆れつつも諫めようとするが、彼女らの言葉は頭に血が上った二人の耳には全く届いていなかった。

 

「いい加減にせんか!」

 

 あわや食堂崩壊の危機かと思われたが、寸前で騒ぎを聞きつけたリヴェリアの怒りが爆発したため、さしたる被害は出ずに事態は収束したのだった。

 

 

 

 

「メシ……おれのメシが……」

 

 その後、リヴェリアから罰として夕食抜きを言い渡されたナギは、誰もいなくなった食堂の中で真っ白な灰のごとく燃え尽きていた。

 

「やっほー、ナギ」

「ティオナ……? どうしたんだよ、こんなところに」

「差し入れだよ。厨房に残ってたの持ってきたんだ。今のうちに食べちゃって」

 

 料理を乗せたお盆を差し出すティオナに、真っ白になっていたのが嘘だったかのように覇気を取り戻すナギ。

 ティオナの手を取り、心の底から感謝の意を込めて叫んだ。

 

「神よ!」

「あたしアマゾネスだけど」

 

 空腹の上、嫌いな勉強を強制されたことで疲弊していたナギは、食事を恵んでくれたティオナをまるで女神のごとく崇めた。それこそ本物(ロキ)とは比べ物にならないほどに。

 が、それも一瞬。すぐさま夢中になって料理を頬張り始める。みるみる料理が皿から減っていき、あっという間にすべてが腹の中に収まった。

 

「ぷはーっ! いやー、マジで助かったぜ。ありがとな、ティオナ」

「気にしなくていいよ。そもそもベートが喧嘩ふっけてきたのが悪いんだし」

 

 差し入れを平らげ、お礼を言うナギに、気にするなとティオナが返す。

 元々、ベートがナギを挑発しなければ何も起こらずに済んだのだ。ベートにも同様の罰が下ったとはいえ、今のナギに食事抜きはさすがに不憫だと感じていた。

 また、同じ勉強が苦手なもの同士という親近感と、新しく仲間となった少年ともっと仲良くなりたいという思い。それらの気持ちも相まって、気づけばティオナはナギに食事を差し入れていた。

 

(多分リヴェリアは最初からこうするつもりだったんだろうけどね)

 

 さすがにあれだけの騒ぎを起こした以上、お咎めなしでは示しがつかない。だが、あまり重い罰にするのは気が引ける。

 そこで、このような罰にしたのだろう。でなければ都合よく夕食一式が厨房に置いてある筈もない。

 ティオナが手出しせずとも、後でこっそり誰かに持っていかせる予定だったとわかる。

 それがわかっていても、自分の手で食事を持ってきたのは、ティオナ自身がナギに興味を持っていたからだろう。

 なお、ベートは本当に食事抜きになっていた。

 一方のナギは、ティオナの言葉を聞いてベートの言動を思い返し、沸々と怒りを沸き起こしていた。

 

「思い出したらまたムカムカしてきた……あのクソ狼、今度はぜってーぶっ飛ばしてやる!」

「ベートのことがムカつくのは解るけど、程々にしないとまたリヴェリアに怒られちゃうよ」

「わーってるって」

 

 ティオナの忠告に心の込もってない返事を返したナギは、そのまま椅子の背もたれに体を預ける。

 心身ともに――精神の比率の方が圧倒的に高いだろうが――疲れていたのだろう。いつもより口数も少なく、元気もない。

 そんなナギを見て、ティオナは妙案を思いついた。

 ナギを元気づけようという気持ち、そして何よりナギの実力含め、ナギ自身のことをもっと知りたいという思いを胸に秘め、ティオナはナギに提案する。

 

「ねえ、ナギ」

「何だ~?」

 

 眠そうな声で反応するナギ。しかし、次の瞬間、ナギの眠気は彼方へと吹き飛んだ。

 

「明日、あたし達と一緒にダンジョンに行かない?」 

 

 

 

 

「怪物祭についてはこれくらいかな」

「まあ、そんなもんやろな」

 

 その夜、【ロキ・ファミリア】の首脳陣であるロキ、フィン、リヴェリア、ガレスの四人は、首領の執務室に集まって話をしていた。

 内容は、怪物祭の最中に逃げ出したモンスターと突如出現した食人花のモンスターについて。

 食人花についてはロキも独自で調べてはいるものの、未だ有用な情報は見つかっていない。

 現状では打てる手がないのが現実だった。

 一旦話をまとめ、次の話題に入る。

 

「それじゃ、次の議題に移ろうか。ナギについてだ」

「ナギか……」

 

 新たに挙がった課題に、その場の全員がため息を吐いた。

 たった数日でいくつもの問題を起こしたトラブルメイカー。全身から〝俺問題児!〟というオーラを発散している少年の姿を幻視し、四人は一様に頭を抱える。

 つい先程もベートとの喧嘩騒ぎを起こしたばかりだ。

 

「そういや、ナギに夕食抜きの罰を与えとったけど、あれ本気なん? ナギの奴、真っ白になっとったで」

「反省すれば後でちゃんと夕食は与えるつもりだったのだが、すでにティオナがこっそり差し入れに行ったようでな。まあ、相当応えていたようだから、良い薬にはなっただろう。罰としては十分だ」

 

 リヴェリアとて、ナギのような子供相手に本気で夕食抜きの罰を与えるつもりではなかった。反省した様子が見られれば、後で与えるつもりだったのである。

 ティオナの予想は当たっていたが、一つ違う点があるとすれば、リヴェリア自ら食事を持っていこうとしていたところだろう。

 

「ふーん、そっか。せやけど、そうなるとちょっと不味いことになるんとちゃうか、リヴェリア?」

「……どういう意味だ?」

 

 ロキの台詞に、片眉をつり上げるリヴェリア。

 ロキは被せるように言葉を続けた。

 

「リヴェリアが飯持ってったら好感度は元通りやけど、持ってったのがティオナやから、好感度上がるのはティオナの方だけや。おまけに一日中勉強漬けで疲弊しきっているところに夕食抜きの罰。つまり――」

「つ、つまり……?」

「今のリヴェリアは、苦手な勉強強要した上にキッツイ罰を与えた鬼のような女に思われとるっちゅう訳や!」

「な、なんだと!?」

 

 雷に打たれたかのような衝撃がリヴェリアを襲った。

 

(鬼……!? 私が、ナギにそう思われて――!?)

 

 リヴェリアの心に動揺が走る。

 間髪入れずに、ロキはニヤついた笑いを隠そうともせずに追撃を加えた。

 

「子供の心は動きやすいからなぁ。もしかしたら、今頃嫌われてるかも分からんなぁ。リヴェリアなんかもう知らんってな感じで――」

「ロキ、そこまでにしといてやってくれ」

「ん?」

 

 それまで黙っていたフィンが、悲痛な表情でロキを止める。

 どうしたというのか、とロキがフィンを見つめると、フィンは顎をくいっとしゃくり、一方を見つめようロキに促した。

 促されるままに視線を移したロキは、目にした光景に思わず顔を引きつらせた。

 

「き、ききき嫌われ……いや、だが正しいことを教えるのが……たとえ嫌われても私は……だが、しかし……やはり耐えられ……」

「ジョーク! ジョークやから! すまんかった! ただの冗談やから戻って来いリヴェリア!!」

 

 やり過ぎたと一目でわかる光景だった。過去例に見ないほどの暗いオーラに、さしものロキも反省する。

 

「ものすごい取り乱しっぷりじゃのう」

「リヴェリアのこんな姿が見られるなんてね」

 

 フィンとガレスは、そんなリヴェリアの珍しい姿に瞠目し、苦笑していた。

 あのリヴェリアをこうまで取り乱させるとは、ナギも大した奴だと。

 

「すまない、少々取り乱していたようだ」

 

 少々? という疑問がリヴェリアを覗く全員の頭を過ったが、再度地雷を踏む訳にもいかないので、触れないことにした。

 

「話逸らしたうちが言うのもなんやけど、本題に戻ろか」

「本当にお主が言うなと言いたいところじゃが、ここは黙っておこう」

「言っとるやないか」

 

 また話が脱線しそうになったので、フィンが軌道を修正し、本題を切り出す。

 即ち、「派閥内でのナギの扱いをどうするか」である。

 すでにナギの扱いは新人ながら第一級冒険者と同等のものになりかけている。その理由は、ひとえにナギが強いから。

 

「普通なら、新人は皆下積みのためにサポーターや雑用をこなすんだけどね」

「あやつはすでに第一級冒険者並みの実力を有しておるからのう」

「それに、ナギに雑用は無理だろう。あいつは色々と大雑把すぎる」

「そもそも、第二級以下でナギを御しきれる奴なんておらんしなぁ……」

 

 ナギの社交的で明るい性格と、ベートとの喧嘩で期せずして見せしめた実力の高さから今のところ反発はないが、さすがに幹部と同待遇という訳にもいかない。

 そうするには、あまりに入団してから日が浅すぎるし、ナギの年齢も低すぎる。

 

『どうしたものか……』

 

 本日二度目の四人によるため息。

 あれこれ話しても納得のいく案は出ず、結局、団員から文句が出たらその都度対処していく方針で行くことに決めた。

 つまりは現状維持である。

 ひとまずは話もまとまり、一息つく。少しの間談笑して肩の力を抜いた後、書類を手にフィンが口火を切った。

 

「さて、少し休憩もしたことだし、次の遠征についての話に移ろうか」

 

 苦笑しながら、リヴェリア達も話を聞く体勢に切り替える。

 夜の会議は、日付が変わる寸前まで続いた。

 

 




~おまけ~

「リヴェリアをどう思ってるかって?」
「せや」

 翌朝、朝食を食べようと食堂に向かうナギを呼び止めたロキが、そんな質問をした。
 実際の所、ナギが自分を嫌ってないか聞いてくるよう、リヴェリアがロキに頼んでいたのだが。

「自分、昨日色々あったやろ? そんでリヴェリアのこと嫌いになったんやないか~ってな」
「全然。むしろ好きだぜ」

 その答えに、ロキは多少なりとも驚いた。ナギが簡単に人を嫌うような人間でないことはわかっていたが、一切のためらいなく好きだと断ずるとは思っていなかったのである。

「そっか、それなら安心やわ。けど意外やな。あんだけ嫌いな勉強させられて、飯まで抜かれたっちゅうのに」
「あ~、確かに昨日のは、あのスパルタ授業終わった直後だったから、ダメージでかかったけどよ」

 ガシガシと頭を掻きながらナギは昨日の出来事思い返す。

「よく考えたら、あっちにいた頃は飯抜きとかザラだったしな」

 主に教師陣へのイタズラの罰としてであった。ちなみに、ちゃっかり食材を拝借してつまみ食いしていたため、きちんと罰を受けたためしがない。

「それにリヴェリアにはいつも世話になってるしよ。あのくらいで嫌うなんてあり得ねえって。ま、勉強ん時はもっと優しくしてほしいけどな」

 笑顔でそう告げるナギに、心配はいらなかったか、とロキは安堵した。
 そして、当のリヴェリアはというと……

「ナギ……!」

 廊下の角から一部始終を見ており、大層感動したように瞳を潤わせていた。
 この後、リヴェリアがナギを猫可愛がりしたのは言うまでもない(あくまで表面上は平静を装っていたが)。


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