精霊に一番近い人 (奇妙な海老)
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世界樹の人間

世界樹歴600年。

今年は記念すべき精霊誕生600年目の年であるし、それと同時に世界樹の出現から600年の日であるともいえる。

精霊達はこの年を祝福し、世界樹全体を喜びの渦に巻き込んだ。どんな種族も種の垣根を飛び越えて笑いあい、地球の生命と聖なる樹木に祈りを捧げた。

 

世界樹の新たな年を祝う祭りに、誰もその存在を思い浮かべることは無い。その昔、世界を欲望のままに蹂躙し、あらゆる大陸を支配したあの生物の存在を。

 

彼等…いや、我等は静かに息を潜めている。

精霊達の奴隷となることで自らの意思を完全に掻き消し、気付かれることなくその刃を尖らせる。

所詮六百年如きの歴史しかない精霊達には分からないだろう。この種の残忍な精神、狡猾な頭脳、そして、執念。

たった六百年の月日では消えることのないのだ。

我等のこびりつく様な復讐心は、どの世代にも受け継がれる。

 

「やっとお前を使う日が来たよ、エル」

「……あぁ」

 

ヒューズのいつもの憎たらしい笑い顔が、座り込む俺に話しかける。

 

「どうだ?これまでの努力がやっと実を結ぶ瞬間は」

「まだ実はできてないだろ」

 

「確かにそうだ」と彼奴は笑って、俺に背を向け歩き出した。その背中を見る俺も、直ぐに立ち上がって追いついて行く。

暗い道を歩く二人。誰の目にも見つからず、ただ前へと歩いてゆく。

 

「やっと当主からオッケー貰ったんだ。お前は明日から学生兼奴隷、上手くやってくれるな?」

「…相手がどんな奴なのかによるな」

「そう言うなよ」

 

一瞬だけ苦笑して、彼奴は俺の顔を見た。

その視線に目を合わせず、特に意味はないがそっぽを向く。痛んだ白髪が揺れ、俺はそれがうっとおしかった。

 

「今まで地獄みたいだったろ?これが終わったら、我等の天下が始まるぜ」

「…そうだな」

 

我等、か。

あぁ、そうだな。我等のためだ。

俺が我等の牙となる。

 

六百年間虐げられた人間達の怨念。

その全てが俺に宿っている。

この傷んだ白髪も、もはや消えないこの傷も、誇り高き人間の集大成。

 

今やどの人間達も精霊達に抵抗すること諦めかけている。自分の家族を守るために、その圧倒的な力の前に、人間は抗うことを恐怖している。

 

…俺が変えてみせる。

六世紀分の雪辱を乗り越え、人間を支配者に返り咲かせる為に。

 

 

 

 

 

 

『忘れてはならない。その昔、この地球は人間が支配していたということを』

 

うんざりする程聞かされる、大好きな父の大嫌いな戒めの言葉。

 

少女は厚い本を開いて、興味深げにそれを読む。

昔は世界樹のあった場所には広大な海原が広がっていたらしい。そこは太平洋と名付けられ、どこまでも深い深海が存在していたのだという。

 

世界樹。

それは今から600年前に現れた、『精霊』が暮らす巨大な樹木である。

一夜にして姿を現し、瞬く間に太平洋を覆い尽くしたその大樹には、精霊という未知の種族が暮らしていた。

精霊は『魔法』という特殊な技術を持っており、その力は人間の科学技術では到底不可能な現象を引き起こす。

人間はその技術を調べようと世界樹に接近したが、数体の精霊に返り討ちにあい、それを火種に世界はどんどん精霊に支配されて行く。

そして地球から人間がいなくなった時、精霊は生き残った人間を捕らえ、世界樹に帰って行った。

 

少女は捲る指先を止め、ほうと感嘆の息を漏らす。この地球に世界樹が存在していなかったなんて、とてもじゃないが信じられない。なんてロマンの溢れる話。少女の興味は止まらない。

長い首を持った動物の話。

世界中を支配した騎馬民族の話。

天にも届くほどの巨大な塔の話。

今では全く考えられない、遠い遠い過去の歴史。

 

__コンコン。

そんな時、一つの小さな音によって、少女は現実に引き戻された。

 

「お嬢様、まだ起きていらしたんですか」

「まだ入って良いとは言ってないでしょ、ヒューリ」

「申し訳ございません」

 

肩ほど伸びた金色の髪から、ハラリと落ちる一本の髪。少女はそれを栞代わりにして、本を閉じて振り返った。

そこにいるのは白髪の老人。黒い執事服を着た彼は、ニコリと何時もの笑顔を向けていた。

まったく、と少女は溜息を漏らす。この老人はいつもこうだ、もう良い歳であろうにも、その背骨が折れる様子はない。

 

「明日から精霊学校ですぞ。夜更かししすぎて始業式で眠ってしまったらどうするのですか」

「もともとその予定だったわよ。煩いわね」

 

おやおやと肩を竦める口煩い執事。

そんな従者を横目に、少女は明日のことを考えていた。

 

彼女の名前はアリス・サンライト。

偉大なるサンライト家の現当主、光の賢者イオラ・サンライトの愛娘である。

幼少期はサンライト家の光の妖精などと言われ、可愛がられていた彼女ももう十五。妖精学校を卒業して、精霊学校に入学する時期である。

一般的に精霊は魔力回路が完全に成熟する十五歳まで妖精と呼ばれ、その間は妖精学校という教育機関で学業に励まされる。中にはアリスのように早い時期から魔力回路を制御できるようになる子もいるが、それはとても稀なことだ。

アリスは所謂、天才なのである。

 

「ヒューリ。明日の準備をしておきなさい。私は寝るわ」

「仰せのままに、お嬢様」

 

果たして、精霊学校とはどのようなところなのだろうか。まだ見ぬ精霊学校に思いを馳せる。

話によると、アリスの通うことになるユグドラシル精霊学校は、かなり競争率が高い学校らしい。

しかし、もう既にユグドラシル精霊学校への入学が決まっているということは、彼女はその学校の合格基準を満たしているということなのだろう。

なんだかなぁ、と口を尖らせるアリス。気づいた時には決まっていた、よく分からない進学先。父に連れて行かれた場所で適当に魔法を使い、適当に問題を解いてはい合格。

アリスも友人のように受験勉強とやらをしてみたかったが、それに手を出す頃には進学が決まってしまっていた。

 

「受験勉強、してみたかったなぁ」

 

あの笑顔の執事は既にいなく、アリスは一人、少し広い部屋で愚痴を漏らす。読みかけの本を本棚に入れ、ボソリと何かを呟いた。

その瞬間、部屋を照らしていた光が消え、少女はベットに入り込む。

明日から始まる学校生活、友人とは離れ離れになってしまったけど、それでも楽しくやっていけるだろうか。

ゆっくりと夢の世界に誘われる中、少女はハッとして天井を見上げる。

そしてまたボソリと呟いて、応答が来るのを待った。

 

『なんでしょうお嬢様』

 

頭の中で流れるあの執事の声。

いつも通り良好な自分の魔法の制度に満足し、頭の中で言葉を紡いだ。

 

『あのヒューリはどんな感じ?』

『明日に向けてもう寝ていますよ』

 

その返答にうんと頷いて、そこで魔法を切る少女。

 

__ヒューリとは、精霊達のいう人間、または奴隷(にんげん) という意味の蔑称である。

 

 

 

 

 

 

魔法が使える人間。

そのコンセプトで、彼は作られたらしい。

 

重い鉄の扉が開いて、始めてアリスとエルの二人は合間見えた。

久しぶりに感じる日の光がエルの目を遮り、その視界を少しの間純白に染める。目を顰め腕で日光を遮り、従順な従者にしては少し態度が悪かった。

 

「始めまして、ヒューリ。いや、エルって呼んだ方が良いかしら?」

 

軽く頭を前に下げて、笑って問いかけるアリス。およそ奴隷に対する精霊の行動じゃないので、エルは少しばかり面食らった。

それによってか、エルのアリスに対する第一印象は、そんなに悪いものではなかった。

奴隷(ヒューリ)どもに向かって、名前で呼んだ方が良いか、など、わざわざ聞く精霊なんて彼女をおいて他にはいないだろう。名前など奴隷にとってあってないようなものなのに、この精霊は名前で呼んでやっても良いと言っている。

それはつまり、人間に対して少しでも情があるということになる。これは人間の観点でいえば素直に感心させられるし、エル、引いては我等の計画に利用しやすいということでもある。

なかなか、運が良いのかもしれない。彼はそう感じた。

 

「…好きに呼んでください」

 

エルを育ててくれた青年…ヒューズの言うとおり、なるべく敬語で返事をする。

最初は憎き精霊に敬語を使うなどと、かなり癪に障ったこともあったが、これならばそんなに悪く無いとエルは妥協する。

 

「ならヒューリって呼ぶわね。貴方は私をアリス様と呼びなさい」

 

しかし、アリスはお茶目な少女だ。時折少し突拍子もない行動に出る。

 

あれ?と、エルはほんの少しだけ青筋を立てた。

なんて典型的な人間差別。おのれ、驕り高ぶった精霊め。人間が支配されるのは今年で終わりだと思え。

とても短気な性格なのか、エルの精神病とも言える精霊批判思想が溢れだす。

 

__お前はこれから奴隷になるんだ。絶対に口答えなんかするなよ。

 

ヒューズの声が頭に響く。

確かにここで噛み付くのはいけないと思うが、しかしこれでは人間に示しがつかない。

 

「…いえ、やはりエルと及びください」

 

せめてもの抵抗で、奴隷の分際で自分の意見を申してみる。

するとアリスはニコリと笑って、少し馬鹿にするように口を開いた。

 

「ん、分ったわ。よろしくね」

 

美しい金髪が日光を弾いて、サラサラと風に持ち上げられる。

エルがほんの一瞬でも、見惚れるほどの美しさ。

こいつはなかなか侮れないと、エルは心の中で呟いた。

 

「お嬢様。代表の台詞です」

「あら、気が利くわね」

 

アリスの傍にいた一人のヒューリが、一枚の紙を持ってアリスに話しかける。

アリスはそれをぐしゃぐしゃに丸めて、少しだけ魔力を流した。

すると紙は発行とともに消滅し、空中に青白いスクリーンのようなものが映し出される。

 

「また変な魔法を作っていたんですね、お嬢様」

「変とは何よ。暗い所で文字を読むための魔法よ、凡庸性があるわ」

 

創作魔法か…と、エルは心の中で感嘆する。どうやら、光の賢者の愛娘の名は伊達ではないようだ。

魔法を使うには数々の術式を理解しなければならないと、ヒューズはエルに言っていた。魔法を一つ操るには、自然の摂理を理解し、正確に魔力を流す力がなくてはならない。

それを彼女は十五歳にして完全に制御し、何の無理もなく発現させている。

それこそ本来精霊学校で習う内容。今更学校に行く必要などないのではないかと、エルは一つ息を吐いた。

 

「ふんふん、大体内容は分ったわ。あとは貴方の対応だけね」

「…はい」

「魔法が使える人間の特別入学…かぁ、珍しいこともあるものね」

 

感心するように頷くアリス。

その様子を横目に、エルは右手を耳に当てていた。

 

_……≫さて、そろそろ頃合いだ。第一の作戦をおさらいするぞ。

 

…≫ああ。

 

頭に響く声に向かって、エルは心で返事を返す。

とても不思議な感覚だ。意識した言葉だけが、洞窟の中を響くように反響する。

 

ヒューズとエルの一部の思考は、魔法によって繋がっている。ヒューズが繋げたいと思えばいつでも繋がるし、切りたいと思えばいつでも切ることができる。

それは人間達にとって、ヒューズが参謀で、エルはその駒だからだ。

 

「貴方達の考えていることはお父様から聞いてるわ。人間の立場を復興して、世界を取り戻すんでしょう?」

 

そう、この計画は、サンライト家の手助けがなくては成立しない。

精霊の誰か一人でも仲間になってくれなければ、エルが精霊学校に入ることさえ不可能だったのだ。

現に、ヒューズとエルの思考を繋いでいる魔法を施しているのは、イオラ・サンライトの力が掛かっている。

 

≫当主に何度も頼み込んだ甲斐があったってもんよ。

 

ヒューズの疲れたような声が、エルの脳内に響き渡る。

とても驚いただろう、足元を掬っててくると思っていた人間が、なんと助けを求めてきたのだ。

それを断らずに手を貸すなんて、光の賢者は何を考えているか分からない。

何にせよ、警戒しなくてはならない。ヒューズはそう言っていた。

 

「あぁ。そのために俺達は動いている」

「私を道具に使うんだから、相応の対価を出しなさいよ?」

「勿論です」

 

目指すは精霊学校。

世界樹の中層部にあるサンライト家の豪邸から、一つ上の階にある。

 

 

 

 

 

 

始業式。

かつて人間の社会にも存在した、若い生徒達の精神力を鍛える、学校で最初の行事である。

 

「風精霊も水精霊も手を合わせて団結し、我らがユグドラシル精霊学校の功績を__因みに、ユグドラシル精霊学校は今年も世界樹第一位の成績を誇り__」

 

全校生徒を見渡せられる巨大なステージの中心で、音声増幅魔法を片手に饒舌で喋る老人が一人。

風精霊特有の、絹のように滑らかな二対の羽を背中に垂らし、長い髭を一切手を加えることなく伸ばしている。

 

「えぇ〜、前回の世界樹総合魔法大会でも我が校は三度目の優勝を果たしており、心技体どれも欠かすことなく成長した屈強で優秀な生徒達が、他の国の精霊学校の生徒達をなぎ倒して行く姿はとても豪勇で_」

 

よくまぁそうペラペラと言葉が出てくるなぁ、と逆に感心させるほど、この学校長の話は長い。

その証拠に既にエルの隣に座るアリスは船を漕いでしまっているし、エルはエルでヒューズとお喋りに勤しんでしまっている。

 

まだ彼奴の話は終わらないのか。

エルは頭の中の誰かに向かって話しかける。

 

≫信じらんねぇよな。あれで十神霊の一人なんだからよ。

 

世界樹の周辺は、虫の一匹も入ることさえできない強力な結界に覆われている。それは、十神霊と呼ばれる十人の精霊が、世界樹を支配している為であった。

十神霊は600年前、世界樹に始めに誕生した精霊であるとされる。今もなお健在でありながら、地域によっては神格化もされているような規格外の存在で、その力は強大。

そして特にその代表格なのが、ユグドラシル精霊学校の校長、レーベル・レイリーフ。

実力はあまり知られていないが、十神霊の中で唯一彼だけ顔が知れ渡っている十神霊であり、十神霊と言えばこの方と言われるほど、知名度の高い精霊だ。

 

≫アリス嬢の対価って確か、世界樹の結界を解くことだったよなぁ…十神霊が皆あんなんだったらどうしようか…

 

レーベル・レイリーフは、とても格調高い十神霊の一人とは思えないほどのお調子者だ。あれを如何にかして服従させるビジョンがまったく浮かばない。

あの飄々とした姿。とてもじゃないが、舐めてかかれる相手ではない。

 

ここは置いておくか、と、ヒューズは取り敢えずこの問題をとどめて置き、エルにこの後の行動を指示することにした。

 

 

__しかしその時、レーベル・レイリーフがニヤリと笑う。

 

 

「…ッ!?」

 

一瞬だけ跳ねる鼓動に、反応するように声が聞こえる。

 

≫何動揺してんだ。お前じゃねぇ、アリス嬢だ。

 

エルがふと横を見ると、そこには俯いていた筈のアリスはいなくて、颯爽とステージの中心に向かって歩いているアリスの姿が確認できた。

 

…あ、あぁ、なんだ。代表の挨拶か。やっとだな。

 

アリスとエルの座る場所。それは、巨大なステージの一番隅。壇上に上がる物が座る、特別生徒席であった。

 

『私が今年の新入生代表挨拶を務めさせていただく、アリス・サンライトです。どうかよろしく』

 

少しも気取った様子のない彼女の態度に、全生徒の声が静まり返る。

 

この巨大な《体育館》は、ステージを中心にして周りを囲むように作られている。古代ローマのコロシアムのように、半径2km程の広大な、土が敷き詰められた円形競技場を中心にして、外側には階段を作るようにしてそそり立つ石段の生徒席が周りを全て囲んでいた。

確かに、全生徒数約2400人の精霊を全てここに集めるには、これくらいのスケールが必要である。

しかし、魔法によって作られた煌びやかなステージに立つアリスに、緊張といった感情の類は全く見受けられない。相手は約2400人の精霊達。それを目前にこと態度とは、彼女は相当大物らしい。

 

『世界樹生誕600年祭のこの時期ではありますが、祭りの活気に押され勉学が疎かにならないよう、新入生の我々一同精一杯精進して行こうと思っております』

 

彼女の凛とした声が学校内に響く。

まだ妖精の面影の残る一年坊主の精霊達は、アリスのこの声を聞いて随分気合を込めているようだ。

エルはその灰色の目を凝らす。

あの眼鏡の精霊も、あの赤毛の精霊も、皆活気のある表情をしている。

 

…少し人間臭くて、面白くない。

 

『新入生代表挨拶、アリス・サンライトさん。有難うございました』

 

会場はもれなくスタンディングオベーション。

少し男の精霊の興奮具合が異常だが、皆彼女に向けて惜しみない拍手と声援の嵐を送る。

 

と、エルが何やら考えているうちに、どうやらアリスの話は終わったようだ。

次の話し手は誰かと、腕を組んで待ちわびてみる。

 

「貴方がヒューリの中で唯一、魔法が使える者ですか」

 

肩を叩かれて、気だるそうにエルは後ろを向く。

そこにはアリスとは対照的な、長い青髪を持った美麗な精霊が立っていた。

金の刺繍が施された紫色のマントを着ていることから、この学校の三年生だろうか。ユグドラシル精霊学校では、制服のマントの色は一年生から順に、赤、青、紫と決まっている。

それにしても、とエルは息を吐く。

透き通るような白い肌に、青色の妖美な瞳。

アリスの可憐さとはまた違う、とても学生とは思えない美しい精霊の姿。

 

しかし、そんな絶世の美女を目の前にしても、彼の頭は冷静に分析を始めていた。

 

髪の色と蝶のような美しい羽の構造からして、この精霊はおそらく水精霊だろう、と、エルは確信する。なによりもの証拠に、触れた手がとても冷たい。

 

水精霊は、主に水を操る魔法を得意とする。その主な原因は、身体の血管が水分に干渉する特殊な物質を巡らせている所にあり、その物質を発見した水精霊の学者は、その物質に対して青血球と名を付けた。

そしてその青血球は、他の精霊の血液の常温と比べると比較的温度が低く冷たい。

 

故に、その身体は幽霊のようにひんやりとしていて、病的。

 

「…有名なんですか?」

「いいえ、生徒間では私しか知っていないことです」

「……お前」

 

少し目を丸くするエルを相手に、彼女はその長い青髪を優雅にかきあげ、冷たい双眸でステージを見やる。

そこにいるのは作り笑顔満面のアリス。会場からくる膨大な拍手に、少し引いているようである。

 

『次は生徒会長からの挨拶です』

 

司会の女性の声が聞こえる。

エルがその綺麗な声に無意識に聞き入っていると、水精霊の少女はアリスの方へ向かって行き、音声増幅魔法の魔法陣を譲り受けた。

 

『魔法陣変わりました。皆さんお久しぶり。生徒会長の、シャイラ・ウンディーネです』

 

マイク変わりました、とでも言うように言葉を使う、シャイラ・ウンディーネ。その美麗さとミスマッチして、思わずエルは吹き出してしまった。

しかし、なるほど、あの精霊が、と、納得したようにエルは頷く。

何故自分の存在を知っていたのか、これで合点が行ったと言うもの。

 

ユグドラシル精霊学校生徒会長、シャイラ・ウンディーネ。

水精霊一族の中でも有数の権力を持つ、ウンディーネ家の長女様。

家の格式の高さもさることながら、兄は魔法師団の元帥を務め、父はリーズアリア合衆国の官房長官を一任されている、超大物の家系の生まれ。

そして彼女自身の才能もまたピカイチ。それに容姿の良さも合わさって、その人気は高い。

しかも、彼女はこの学校の生徒会長をしており、この学校の情報に関しては生徒の中では特に強い力を持っている精霊でもある。

人間であるエルがどうしてこの学校に入学してきたのか、その事情を知っていてもおかしくはないのだ。

ま、それでも魔法を使えるくらいの情報しか持っていないだろうが。

 

≫いいねぇ。ウンディーネ家のお嬢様か、やっぱりこの学校に入れて正解だったな

 

数多く存在する世界樹の重要施設で、人間の切り札《エル》 をユグドラシル精霊学校に入学させた理由は、単《ひとえ》にこの貴重な人材の多さにある。

 

全校生徒約2400人。

 

その大半が強い権力を持った者の子供か兄弟で、たった十数歳程度で半端な権力を持ってしまった若者の集まりだ。

加えてここには、世界樹に存在するあらゆる種族の精霊がいる。

世界樹各国から集うこの精霊学校は、世界樹自体を内側から揺るがすにはこれ以上ないほど都合の良い場所だった。

 

≫お前の番がきたぞ。エル。

 

エルがその声に気づいた時には、会場は拍手の音で蔓延していた。聞こえる口笛の音と男たちの声援から、その興奮具合が伺える。

 

生徒会長の話はどうやら終わったようだ。

さて、やっと自分の番が来た。

 

エルは臆することなくステージの中心に向かって歩き出す。

純白の髪が風に煽られて、赤い一年生のマントがバタバタとはためいた。

魔術回路を上手く制御し、音声増幅魔法を作り出して行く。

 

彼が創り出す何処か不可思議な光景に、会場の精霊はやっと気づいた。

 

奴は、私達と同じ存在ではない。

今まで虫と同程度とでも見ていた、人権などある筈もない穢れた存在。機械を知らない精霊達にとって、都合の良い道具程度にしか認識されていなかった惨めな生物。

 

異質な髪の色をした、彼の正体が人間であること。

その事に気づいた大半の精霊は、ほぼ直感でそれを突き止めた。

 

 

 

 

 




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生徒と人間

 

この広大な世界樹において、人間の地位は“低い”などという物ではない。

どんなに地位の低い者であっても、少しくらいは法という力に守られているものだ。最低限権利などのルールがあって、差別を無くそうという動きもある。

 

しかし、人間はその限りではない。

 

そもそも、人間にとって、人権などというものは存在しない。精霊達を守るのは『精霊権』という精霊独自の法律で、その法律の守る範囲に人間は含まれていないのだ。

 

では、何が人間を守るのか。

 

端的に言って、基本的に人間を守るといった法律は存在しない。

家系のルールや、一族のルールは考慮されていないが、国全体の定める法律に、人間の項目は全く存在していない。

人間は精霊達にとって奴隷以外の何物でもなく、それ以上でもそれ以下でもない。

労働を強要させられ、品物として売買される。気を失うまで働かされて、病にかかった者は捨てられる。

そこに一滴たりとも情といったものは存在せず、あるのは道具や機械に対するそれ。

消耗品の道具を無表情に扱い、壊れた後は新しい物に買い替える。

機械を知らない精霊達にとって、人間はなんとも扱いやすい万能ロボットだろう。六百年前人間が使っていたロボットよりも精密で、多少は自分で判断できる。違うのは知能…心の有無くらいで、機械より価格が安い点更に良いとこ尽くめだ。

 

そんな地位にある人間が、いきなり精霊達の園に同じ階級で放り込まれたらどうだろうか。

同じ年で、同じ学生で、同じ学校に人間を放り込まれた精霊達は、その未知との遭遇の中心にいた。

例えてみれば、ハーバード大学に天才チンパンジーが入学するようなもの。

幾ら天才であって、算数が理解できるといっても、所詮猿は猿でしかない。

どう足掻いても人間以上の地位には立てないし、そもそも同じステージに立ててすらいないのだ。住む世界も違う。

だから人間は自分でも知らず知らずのうちにその猿を見下してしまうだろう。興味本位で優しくしてみる人間も、怖いもの見たさで、ちょっかいを出してみる人間もそうだ。

最初は仲良くなる為に、バナナでもあげてみることだろう。それはもう餌付けという行為に等しい。その時点でバナナをあげた人間はその猿の事を見下しているし、他の人間もそれを悪いとは思わないだろう。

 

ここ精霊学校にて、魔法を使えるというエルの存在も、人間が精霊になって、猿がエルになっただけの違いでしかない。

 

「あ、あの…貴方が魔法を使えるヒューリさんですか?」

 

早くも奴隷と呼ばれたエル。ヒューリという言葉は、人間の蔑称ということをこのショートヘアの少女は知らない。

 

「…そうですが、何か用でも?」

「え、えぇ…いや、別に…」

 

しかし、この猿は言葉を喋る。

 

予想外に冷たい返しと無表情な顔に圧倒され、思わず顔を逸らす桃髪の少女。可愛らしい顔が動揺に染まり、カチューシャのリボンが揺れた。

エルはその対応になにも言わず、読んでいた本に目を戻す。腰掛けている椅子が、エルの体重の変化にギシリと声をあげた。

エルがいる場所は既に教室。鉄と木でできた机を見た時には、意外と精霊にも加工技術はあるんだな、と驚いてしまった。

だが、そもそもこの学校自体巨大な植物でできているのだから、そう思っても仕方が無い。

全く文明を感じられないのは、世界樹では当然の事なのだ。

 

「貴様」

 

本の続きを捲ろうとした瞬間、頭の上から再度声がかけられた。

痛んだ真っ白な髪を揺らしながら、エルは顔をそこにあげる。

その先には、少し青みがかった銀髪をした、女顔の青年がいた。

 

「…なんです… か…は?」

 

目を細めて本を閉じるエル。すると、突然目を丸めて、少しだけ身体を横に倒した。

青年は少女の前に立って、鋭い目付きで睨みつける。

女と見間違えてしまう程、中性的で綺麗な顔立ちが、これによって少し冷たい印象を受ける容姿となる。が、エルが驚いたのはそこではない。

少年の頭からぴょこりと生えている二対の何か。柔らかそうな毛に覆われて、何処かとても愛らしい。

 

「ここにおられる方をなんと心得るか。奴隷ごときが、立場をわきまえよ」

 

青年が何かを言っているが、エルの耳には全く入ってこない。

おや、よく見てみれば後ろの方にも何かが生えているではないか。

これはなんだ?獣の尻尾?

 

「……獣精霊か…」

 

ユグドラシル精霊学校がある、リーズアリア王国。その隣に、ドグマフ帝国は存在する。

リーズアリア王国に次ぐ戦力を持ち、金属の加工ができる鉄の国とも呼ばれ、加工貿易が盛んな貿易大国でもある。

そんなドグマフ帝国に住む精霊のうち、最も多く存在する獣精霊。主に猫型と狼型に分かれ、高い身体能力をもって帝国を守る警護役。

身体能力に非常に優れ、発達した五感を武器に敵を排除する戦いの精霊。

エルの目の前にいる青年は、どうやらその一人らしい。この髪の色からして、おそらく狼型だろうか、尻尾も猫に比べるとふさふさしていて大きい。

エルも話には聞いたことがあったが、見るのは初めてだった。

 

「貴様、聞いているのか?」

「…イフリート家のサラ様ですね。確か、ドグマフ帝国の王女様、だったか」

「わぁ、良く勉強しているんですね」

 

両手を顔の前で合わせ、満面の笑みで感心する少女。

名前をサラ・イフリートという彼女は、ドグマフ帝国の王女であり、世界樹でも有数の権力を持っている正真正銘のお嬢様である。

炎精霊で炎を操る術に長け、シャイラ・ウンディーネに並び立つ魔法の才を持つと噂されているが、その可愛らしい笑顔の裏に隠された実力は、今だ誰も見ることができていない。

 

人間と王女の会話に、だんだんと集まってくる野次馬達。

先程していた生徒代表の話は置いておいて、どうにもこちらが気になった。

 

「そんな貴方は何者で?」

「質問を許可した覚えはないぞ」

「サラ王女の付き人、いや護衛でしょうか」

 

ほんの少しだけ馬鹿にしたように、口角を上げて青年の顔を見上げるエル。

この相手を食うような返答に、周りの外野がザワザワと騒ぎ出した。

精霊の騒がしさに対し少しエルは顔を顰めたが、これは実に当然の事。皆それぞれエルの評価をしているのだ。

エルは始業式に現れた、唯一魔法の使える人間。奴隷程度の地位だと言えど、気にならない筈もなく、自分の家にいる奴隷と照らし合わせ、その人格を探っていた。

たとえどんな精霊でも、少なからず興味が出るのは当然である。相手が人間だからと言って、無下にする必要もない。これからの対応はここで決める、皆そう考えていた。

第一印象は悪くない。

他の人間に比べて、どうやら少し賢いようだ。他国の王女の名前を知っていて、傍にいる獣精霊が使用人であることも理解しているらしい。

大多数の精霊が知っていることでも、人間が知っているというのは珍しい。とても頭が良いようだ。それが最初の評価だった。

そして次に評価されるのは、おそらく文字の読み書きと計算力。

 

世界樹の人間は完全に落ちぶれてしまったのだ。

 

「…ふん、まぁあまり関わらないことだな。サラ様に汚いものは見せられん」

「ヒイロ、なんてこと言うんですか。ヒューリの方が汚いなんて、言っちゃダメです」

「…すいません、サラ様。お手を煩わせてしまいました」

 

ヒイロと呼ばれた青年は、サラの言葉によって口を閉じる。それから軽く頭を下げ、サラの後ろ側に回った。

おそらくサラは人間を見たことがないのだろう。話には聞いていても、奴隷が王女の目に入ることなど、普段の生活ではあり得ないのだ。

だからでこそヒューリという蔑称を平気で使ってしまうし、誰もそれを咎めない。

ドグマフ帝国の王女など、一番敵に回したくない精霊だからだ。

 

「まぁあの人間も気になるけどよ、俺はどうしてもあの精霊が頭から離れないぜ」

「あぁ、今年の生徒代表だろ?綺麗な精霊だったなぁ…アリスさん」

 

ちらりと、エルは耳を傾ける。

今年の生徒代表とは、紛れもなくアリス・サンライトの事だろう。

年頃の彼らにとってはエルの存在より気になっているのか、彼女の話題は耐えることがない。

妖精には珍しい金色の髪。百人中百人が振り向く美しい容姿。欠点という欠点もなく、強いてと言えば胸が少し小さい位のもので、批判する言葉があまりにも浮かばない。

まさに完璧な精霊。誰もが彼女とお近づきになりたくて、勇気を出して話しかけた。

 

「あ、アリスさん!初めまして!僕は…」

「邪魔」

「えっ」

 

しかし全員悉く返り討ち。

どんなに格式高い家の子でも、彼女の前には紙切れ同然。

なかなか深裂な言葉を投げつけて、心をバキバキに砕いて行った。

 

「うわぁ…さっきのミラサイト家の時期当主だぜ…」

「マジかよ…領地いくら持ってると思ってんだ…」

「まぁあのイオラ・サンライトの娘だからなぁ…」

 

サンライト家の影響力は、ここリーズアリア合衆国にとってはあまりにも大きい。

大戦中の英雄、光の賢者と称えられたイオラ・サンライトの名は今や世界中に轟き、一夜にして敵の主力部隊を壊滅させたという歴史は、忘れるにはインパクトが強すぎる。

 

アリスはどこへ向かっているのか、並み居る精霊を掻き分け歩き続ける。

その動作も実に優雅で、凛とした表情が美しい。

実のところただ苛々しているだけであったが、周囲はそう認識してしまう。

 

「エル。私の荷物は?」

「部屋に…置いておきましたが」

 

何故か苛ついている様子のアリスに、少し戸惑いながら返答するエル。

 

その瞬間、広い教室に響き渡る軽い破裂音。

 

「え!?…は、えっ!?」

 

思わず狼狽してしまうエル。

破裂音のようだったあの音は、エルが左頬を叩かれた音だった。

 

「この馬鹿っ!これから始めての授業だってのに、教科書置いてきてどうするのよ!幾ら探してもないじゃない!」

「…ッ…アリス様が置いておけって言ったんじゃないですか」

 

突然の事態に混乱を隠せず、目を見開き言葉を続ける。

平手打ちをされる理由も分からないし、感情の変化の乏しいアリスが、こんなにも怒り狂っている理由が思いつかない。

 

「教科書くらい持ってくるでしょ普通!」

 

それくらい気遣えよ!と声を荒げるアリス。

彼女は確かに荷物を部屋にもって行けと命令した張本人で、とても理不尽な怒りだった。

 

「…こいつ…精霊だからって…!」

「……なんだって?」

 

エルの冷静な判断力が溶解してゆく。

顔を上げてアリスの顔を睨み、とうとう腕を振り上げた。

 

「精霊だからって調子乗んなって言ってんだ!」

 

音を置き去りにして身を乗り出し、女と言えど御構い無しに、その綺麗な顔を狙った。

 

ゴウッ!

 

その瞬間、渾身の右ストレートが、エルの顔面に吸い込まれる。

そして無様に吹き飛ばされるエル。

机やら椅子やらを巻き込んで、木造の壁にぶち当たった。

 

「う、ぐっ…なっ…!?」

 

驚異的な速さで回復した彼は、頭を振って正面を向く。

咄嗟に左腕を盾にするエル。パァンという音がして、なんとか二発目を防ぎ切った。だが、間髪入れず三発目がエルを襲う。

彼はそれを右足を上に上げることによって防御し、そこに留まった右腕を取る。しかし、その瞬間ガラ空きになった脳天に回し蹴りが叩き込まれた。

 

「ぐうっ…この、精霊があぁ!!」

 

右足で床を強く踏みつけ、そこに魔法陣が広がる。

おぞましい程黒い魔法陣。

しかし、それが完全に構築される前に、魔法陣はガラスが割れるような音と共に消え去った。

 

「ッ…止めるな…ヒューズ。ここで精霊を全員殺してしまえば、全て万事解決だ」

 

≫やめろエル。最初の任務がまだ終わってない。ここで暴走するともっと風当たりが強くなるぞ。

 

「なに…?」

 

ふと正面を見てみると、エルに対して怪訝な表情をした精霊達がズラリ。

 

「…ちっ」

 

吐き捨てるように舌打ちを残して、服の埃を払うエル。

 

彼を見つめる精霊の視線は、酷く冷たい物へと変化した。主君に暴言を投げかけ、あろうことか手を出した。

 

エルの信用は最底辺へと失墜した。

 

 

 

 

 

 

「これで良いかしら?」

『…ま、いいかなぁ』

 

誰もいない廊下の一角。

アリスは耳に何かを当て、壁を向きながら誰かと話していた。

 

『しかし酷いぜアリス嬢。別に怒らせろとは言ってないんだが』

「なによ。人間と精霊の地位の差を思い知らせてやれって言ったのはあんたじゃない」

『なんで手が出ちゃうんだよ』

 

この明らかに不自然なアリスとエルの喧嘩は、ヒューズが仕込んだものであった。

精霊を恨んでいるエルは、実のところ箱入り娘と大差ない状態だ。幼い頃から『教育』を受け、やっとの思いで魔法を習得したエルは、精霊と会った経験はあまりにも少ない。育て親であるヒューズからの話を聞いて、殆ど無意識の内に精霊を嫌っているエル。

その程度の恨みでは精霊に刃向かうなんて到底不可能と考えたヒューズは、ここで一つ精霊から虐められて、恨みをもってもらおうと考えた。

しかしまぁ、ヒューズは侮りすぎていた。エルの喧嘩っ早さがここまでのものだということ、そして、アリスが天才すぎるということも。

 

だが、結果としてはあまり予定と違わない。嫌うという範囲が広くなっただけで、(具体的には、エルが精霊を嫌いになるのと、エルと精霊の仲が悪くなるのと、その程度の違い)寧ろ嬉しい誤算とも言える。

エルが嫌われることによって、精霊はエルを悪者の様に扱ってくれるだろう。それによって、こっちからなにか手を打たずとも勝手にエルは精霊を嫌いになる。

といっても、やはり嫌われすぎると計画に支障が出かねんのでやめて欲しかったが。

 

『まぁ結果オーライとするか。ありがとさん、アリス嬢』

「うん、まぁそこは良いんだけどさぁ」

 

カチャカチャと手に持つものを弄りだすアリス。

そして再度耳に傾け、小さな針金を取り出してヒューズに問うた。

 

「勿論これは分解しても良いのよね?」

『結構貴重__』

 

__ブツゥッ。

 

ヒューズの声は聞こえなくなり、針金を使って器用に分解を始めるアリス。

ヒューズの手元にあるもの以外は、携帯電話は今やオーパーツと化していた。

 

 

 

 




批評ください。


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3話

カリカリカリカリ

 

約50人いる巨大な教室。

その数多い椅子は全て埋まっているのに、生徒は皆静かだった。

 

≫リーズアリア大戦だな

 

一切の空きも無く埋まって行く解答欄。それと同時に、脳内に響く男の声。

エルの頭脳でユグドラシル精霊学校の試験に受かることができた理由は、まさにここにあった。

 

≫水精霊の治める地域で、今のリーズアリア王国の北に位置するぞ。

 

ヒントじゃなくて答えをくれよ、と呼びかけるエル。

 

エルはテストの時間が嫌いだ。後にやってくる点数が怖いわけではない。

真面目に勉学に励む気のないエルにとって、テストとはただヒューズに問答をするだけのつまらない時間となっていた。

エルにとって自分という存在は、人間のための『駒』程度の存在でしかない。何よりまず人間という『種族』を最優先にする彼は、そのために簡単に自分を捨てることができるほどの覚悟を持っていて、それに必要のないものはどんなものでも切り捨てる強い意思がある。

だが、学問となるとそうはいかない。

エル自身、こと戦いにおいて敵に負ける気はさらさらない。

どんな敵にも勝てる自信があるし、頭脳戦でも遅れは取らない。

しかし、単純な知恵比べだけは、エルは誰にも敵わないだろうと思っている。

エルの人生は、その大半を体内に魔力回路を作り出すことに費やしている。そのため自由な教養の時間も与えられず、言語もつい最近まではよく喋れなかったのだ。そんな人間が同年代の、ましてや精霊の学生について行くなど到底無理な話。

 

そして、それに、と言ってはなんだが、エルはその内容も気に食わなかった。

やれ浮遊呪文の術式を描けだ、やれリーズアリア王国の歴史を解けだ、人間には科学という素晴らしい学問があるが、精霊の言っていることはさっぱり分からない。

エルは魔法を使えるが、だからといって、精霊の言っていることが完全に理解できる訳ではない。

そもそも、術式を人間が完全に理解するのは不可能で、精霊の使う言葉は人間のそれとは違うし、それ以前に、術式を創ること自体満足に行うことができないのだ。

人間からして見てみれば、宙に浮かび上がる術式は唯の『光る知らない文字が書かれた円』にしか見えない。この位置にこの文字を書く、ということが理解できても、人間には魔力がないし、感知することもできない。故に、魔法陣の形を知っていても描けないし、それを利用して魔法を打ち出すなんてできるはずもなく、人間は対抗策なく駆逐されてしまったのだ。

しかしそれでもあの頃の人類を滅ぼし尽くすには、それだけ有利な点があっても無理のある話だと彼は思う。

如何に魔法が強かろうが、科学の力も侮れないし、生息数も人間の方が圧倒的だ。それだけの物量差で精霊が人類に勝つには、途轍もない攻撃範囲を誇る魔法で人間を薙ぎ払うか、人類間で何かが起こるか、それ程の力が動かなくてはならない。

しかしそもそも、そんな巨大な攻撃範囲を誇る魔法は確認されていないし、人類間で何かが起こっていたとしても、敵は世界樹から現れているのだ。それを見過ごして何処かの国が戦争を仕掛けてきた、なんて勘違いをするとも思えない。

では何がこの世界を変えたのか。それは別の何か…精霊の力か、人間の自滅か、それとも__

 

__≫エル。もうテスト終わったぞ。

 

…あ…すまん、ヒューズ。

 

いつの間にか考え事に熱中していたのか、音響魔法のチャイムの音がなった。

エルのプリントは風精霊の教師に奪われ、椅子に体重を任せて天井を見た。

光る植物の花弁を眺め、そこにゆっくり手を伸ばす。

 

ガタガタと立ち上がって行く生徒達。もうグループができているのか、風精霊の集まりと、水精霊の集まりが出来上がっていた。

獣精霊は特定の精霊の傍に無言で立っている。獣精霊は生まれた時から使える主人が存在するので、このような光景も当然だろう。よく格差が出来上がっている。

獣精霊は世界樹の中で一番多い種族だが、地位は最も低かった。

 

何を感知したのか、エルの目は細まった。

鋭く天井の光を睨み、彼のどす黒い魔力が教室を駆け巡った。

 

瞬間、2リットル程の水がエルの頭上に出現し、重力に引っ張られる様にエルを襲った。すかさず迎え撃つように式を構築するエル。直径30cm程の闇の魔法陣が完成し、空間がゆらいだ。

そこに水が触れ、無重力になった空間に浮かび上がる球体。

水は宇宙を漂う地球のような形となり、エルは掌を窄め蒸発させてそれを消した。

簡単な炎魔法の応用であったが、魔力の消費も少ない上に、それで十分であった。

 

静かに息を吐いたエルは、廊下からこちらを伺っている数人の少年を睨みつける。

すると彼等はそそくさと撤退し、彼等がいなくなった廊下には微弱な笑い声と、『誰かさん』を見下すような明確な敵意だけが残って行った。

魔法と言うものは上手く扱えば武器となり道具となり、下手に扱えば途轍もない災いを引き起こす簡易的な爆発物だ。

齢十五歳になったばかりの彼等が持つにはとても危うい危険物であり、半端者に与えるとすぐによからぬ方向へ使い始める。

 

下衆な種族だ。

 

と、エルは悪態をつく。

先程の水魔法が良い例だ。命に関わる程の悪戯ではなかったが、何事も失敗というものはついてくるものだ。

それは式の構築の失敗と、魔力の逆流などが原因となり起こる現象であったが、魔法は時に大爆発を引き起こす可能性がある。

魔力回路が成熟したばかりの彼等では魔力の制御も慣れていないし、式の構築も指導を受けてはいないだろう。例えここがどれだけの名門学校と言えど、絶対に失敗を起こさないという道理はない。

しかしそれに反し、特定の年齢未満が魔法を使ってはいけない、や、街中で魔法を使ってはいけないという法律は特に見受けられない。

それは魔法の使用が日常の当たり前の風景となっており、誰もその危険性に目を向けようとしないところにある。

 

このまま放っておいても勝手に滅びるかもしれない、というのは彼の弁だ。

しかし、その姿が科学を得た人間と酷似しているということに、まだ彼は気づいていない。

 

≫さて、エル。魔法を使ったな、何があったんだ?

 

……あ、いや、何かの悪戯だろう。俺がそんなに気に食わないのか。

 

適当なことを頭の中で唱えながら、自分も魔法を使ってるじゃないか、と、エルは一人で頭を抱えた。

 

ふと時計を見上げてみると、時刻は既に十二時を回り、少し長めの休憩時間がやってくる。

すると端からドタドタと足音が聞こえてきて、それが最近見知った精霊であることは、その大きな喋り声で容易に想像がついた。

 

「エルさん。テストどうでしたか?」

「……あぁ?」

「サラ様!」

 

もう名前で呼んで良い仲になったのかと、明後日を向いて適当に返事をするエル。

好奇心旺盛なサラ王女と、常に警戒心を垂れ流すその従者。その二人は何故か彼に構って、何かと声をかけていた。

 

「さすがユグドラシル精霊学校は違いますね!とても難しい問題ばかりでした!」

「サラ様!あ、あまりそういうことは大声で言わない方が…!」

 

なんでも、術式の科目が苦手な彼女は、回答用紙の余白を計算で全部使ってしまったらしい。やむなく問題用紙の裏を使って解き、間に合ったそうだが…

 

「いやぁ、水魔法は構造が歪で難しいですね。炎精霊は攻撃魔法しか使えないので、回復魔法はどうも素人で…」

 

そこにあったのは、膨大な量の文字と数字の羅列。

素人目に見ても異次元のレベルだと分かる計算式に、エルは冷や汗を流し耳に手を当てた。

 

おい、俺、術式のテスト計算式碌に書いてないぞ。

 

エルの懸念するのは、計算式を書かなかったら減点扱いになるのではないかということ。

他の生徒もこのようにしていたのならどうにもならない、と、エルは始めて自分のテストの心配をしていた。

そして、それについてのヒューズの回答は…

 

≫サラ王女が異常なんだよ。

 

なるほど、と、一人で納得するエル。

サラの数式に押されながらも、なんとか彼女を理解することが出来た。

どんな英才教育をされてきたかは知らないが、式を見るにどうやら『新しい』式を開発していたようだ。

はて、これは単に公式を覚えていなかったからできた所業なのか、それとも力を見せつけるためのイベントか。

 

一国の王女を馬鹿にしてもらっては困る、とでも言いたいのだろうか。

 

「ところでエルさん。あの時は申し訳ありません」

 

瞬間、エルは大きく目を開く。

突然謝られたかと思ったら、サラが自分に頭を下げている。

彼の中の時間は停止し、先程まで流れていた冷や汗が冷気を携え凍りつく。

 

「まさか、ヒューリというのが人間さんの蔑称だとは夢にも思わず…って、エルさん?」

 

サラが不思議そうに見上げる先には、何を考えているかも分からない無表情……それでいてとても真剣な表情でサラを見つめる人間の魔法使いがいた。

その姿にサラは少しだけ目を逸らして、自分の従者であるヒイロを見やる。

どうしよう、怒らせちゃったかなぁ。

心配そうな目を潤ませるサラ。

ヒイロには確かに、そのアイコンタクトは伝わっていた。

 

ヒイロがふつふつと怒りを募らせている間、エルは全く違うことを考えていた。

サラ王女には驚かされてばかりだ、とエルは思う。

先の異次元の計算式、今の謝罪。

とても一国の王女がする行為ではない、彼女の理解不能な是等の行動。これをするならばヒューズのような奇才か、はたまたアリスの様な絶世の天才か。

エルは頭の中での彼女の順位を引き上げる。彼女はエルの中で一国の王女という位から、世間知らずの天然娘という位にランクアップした。

大幅なランク"アップ"である。

 

態とやっているのか、唯の馬鹿なだけなのか__

 

しかし結果がなんであって、彼女は警戒しなければならない…間違いなく曲者であることが感じ取れた。

 

頭の中でくつくつと笑うヒューズの声。

彼は何を考えているのだろう。

エルは答えが欲しかった。



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