オーバーロード モモンガ様は独りではなくなったようです (ナトリウム)
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プロローグ

 

「うわー、懐かしい……。久しぶりです、モモンガさん。ヘロヘロさん」

 

 

 現実より随分と低い視点から仲間たちを見上げる。一人は骸骨に皮を貼り付けたようなアンデッド、もう一人はタールで作った袋に空気を入れて動かしているようなスライムだ。

 以前は毎日のように顔を合わせていた。事情で離れていたが本当に懐かしい。

 現実に友達と呼べる人間は、少数だが居ないわけではない。しかし仕事上の関係が第一に来る程度であり、ここユグドラシルの中ほど濃い付き合いはしていなかった。胸の奥から込み上げた物が目から流れそうになる。

 

 

「おぉ! ケイおっすさん! お久しぶりです!」

 

 

 無邪気な様子で声を上げてくれたギルドマスター、その姿にも郷愁を覚えた。

 もし表情が変更可能な仕様であれば綻ばせていただろう。 「うわー、その名前で呼ばれるの、めっちゃ懐かしいですよ!」 ケイおっすは白手袋に包まれた手を持ち上げる。

 外装だけを見ると骨だけの姿はかなり不気味なのに、中身が入ると可愛くすら見える。心配症でお人好しで真面目で。うちのギルマスは変わっていないようだった。

 

 

「ちーす、ケイおっす! ああ、くそう。語りたいのに、もう眠くて……」

 

 

 真っ黒いスライムが悲しげに身体を震わせた。頭を模した部分を抱えている。

 転職したと言っていたのは覚えているが、どうやらヘロヘロが務めているのはロクな会社ではないようだ。彼の身体よりも黒いブラック企業であるらしい。

 

 

「そうか……。すまないね、俺、いや、ボクがもっと早くログインしていたら」

 

 

 自分が発している鈴の音のような声も懐かしく思い、そして同時に後悔も抱いた。

 アバター系やエフェクト系のアイテムにボーナスを注ぎ込んだ、それ対する後悔ではない。抜け殻になってしまったギルドに対する哀愁は抱いてしまうが、それともまた違う。

 もっと早く復帰出来ていたら。あの頃のような冒険こそ無理でも、せめてギルドの最後を飾るイベントのひとつくらい、用意出来ていたかもしれないのに。

 

 最後まで守り通してくれたマスターに対する不義理。それが何より辛かった。

 陽気なボクっ娘ロールプレイが自分の持ち味だったのに。口を開こうにも言葉が出てこない。ケイおっすは背中から生えている翼ごと身体を震わせる。

 

 

「いえ、いいんですよ。ケイおっすさん。来てくれただけでも、嬉しいですから」

 

 

 触手を振りながらログアウトしていく、もう会えぬ友人、ヘロヘロを見送る。

 骸骨であるモモンガに表情はない。だがケイおっすの目には泣いているように見えたし、自らの無力を嘲笑っているようにも見えた。

 

 

「……ギルドマスターは、ボクたちにとって、最高のトップだったよ?」

 

 

 エプロンドレスに包まれた細い肩を竦め、戯けながら言葉を絞り出した。

 ケイおっすがユグドラシルを離れたのは飽きたからではない。両親の病気と手術や入退院に伴う手続き、そして最終的には必要になってしまった介護のためである。

 仕事だって忙しい。ちょっとしたプロジェクトを任されたりと本当に謀殺される日々だった。最後の方はただ愚痴るためにINして、すぐにログアウトするような状況だった。空気を悪くしてしまうからと疎遠になったのを覚えている。

 

 その両親も連れ添うように遠く旅立ち、やっと一息つけたのに。

 最も輝いていた世界は今日で終わってしまう。分かっていたが辛い。それに家族の死に直面したからだろうか、年甲斐もなくナイーブになっているようだ。ケイおっすは思わず目頭を押さえる。

 

 

「ははは、ありがとうございます、ケイおっすさん」

 

 

 白い眼窩の奥にある光点が揺れる。モモンガも俯くと、くっ、と声を出して目元を抑えた。

 揺らめいたのはエフェクトの都合だろう。だがセンチメンタルな気分のせいか潤んでいるようにも感じられた。

 

 

「……湿っぽくなっちゃった。やめやめ! マスター、今日は最後まで付き合うからね!」

 

 

 ケイおっすはプレイヤーネームの通り、外見こそ美少女だが混沌とした異形種である。

 ゲームの設定的にはchaos shape<カオス・シェイプ>という、本来は無数の動物をバラバラに分解して一塊にしたような、最高難易度のダンジョンに生息する悪魔の一種だ。

 ある程度の法則はあるが基本的にランダムでパーツが合成されるため、気持ち悪いヤツは本当に気持ち悪い。それが理由で行くダンジョンを選ぶプレイヤーが出る程度には。

 

 

「ええ、そうですね。久しぶりに会えて嬉しいですよ、ケイおっすさん。

 本当に懐かしいです。真の異形は隠してこそ、なんて、議論で盛り上がりましたよね」

 

 

 美少女の基本部分はアバターガチャで手に入れたデータだ。ケイおっすは改めて自分の姿を見下ろし、確か頭の部分とかは20万ほど突っ込んだよな、と当時を懐かしむ。

 髪の毛はグラデーションがかった金と銀の混合で構成されていた。背中を超えるほど長いそれは動く度に色の比率が変わる。この超レアデータ入手のため15万はガチャに注ぎ込んで、やっと出した時には発狂しながら喜んだものだ。かつての日々に笑いが浮かんだ。

 

 

「ふふ? モモンガさんも、ついに異形っ娘の魅力に目覚めたの?」

 

 

 ただし普通の美少女ではない。髪の毛の隙間からは巨大な黒角が伸びている。

 こめかみの辺りからはヤギに似た巻き角が2本。更に額からは左右で微妙にバランスの違う突角が3本ほど生えていた。一目で異形種と理解できる特徴である。

 種族系ペナルティのため金属の防具は装備できない。その代わり頭にはメイド風のカチューシャと、角の根元にはそれぞれリボンを巻いていた。

 

 

「ああ、よく布教していましたね……。本当に、懐かしい。会えて嬉しいですよ。

 その翼も最初は6枚羽にしようとして、データ量の問題で入らなかったとか、散々愚痴ってましたよね」

 

 

 また背中には骨ばった黒い翼も飛び出しており、よく注意すれば左右で種類が違う事にも気付けただろう。ドラゴンとコウモリを複合したような翼と、もう片方は悪魔風の翼となっている。

 件のアバターガチャで出たレアデータを 「勿体ないから」 という理由で流用した物である。ナザリックの面々から手解きを受けて調整した日々は本当に輝いていた。

 

 

「そう! うわー、思い出しちゃったよ……、アップデートとか確認してたなあ……」

 

 

 ポン、と叩かれる両手は、純白の長手袋で覆われている。

 これは指輪系のアイテムを普通には装備できないケイおっす苦肉の策である。手袋に見えるが実態は腕輪を外装データで加工した物であり、二の腕辺りにある模様部分が本体だ。

 

 その手袋の下には、少女らしい細くて繊細そうな人間の指が存在しているが……。戦闘中は見ない方が良い姿になる。そうなると通常の装備の仕方では装備が解除されてしまう。

 注意深く観察すれば他にも異様な点が幾つかあった。ロングスカートには捲り上げやすいよう仕込みが入っているし、背中側にある翼を出すための部分はともかく、腹部や脇腹などにさえ用途不明なスリットが幾つも存在していると分かっただろう。

 

 

「……ああ、そろそろ、ですか」

 

 

 久しぶりの身体をクルクルと舞わせていると、モモンガは不意に俯いた。

 その理由は言われずとも分かる。全てが無に帰ってしまう時が近づいているのだ。

 

 

「マスター、その武器は、マスターにこそ相応しいんだ。手に取ってあげなよ」

 

 

 目線の動きで理解できる。スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。最強の武器。

 モモンガというプレイヤーは連絡と調整に重きを置いていた。ギルド長として権力を振り回したところなど見た事がない。だからこそギルド武器は象徴として置かれ続けていた。

 

 

「しかし、……。いや、そうですね」

 

 

 ケイおっすが背中を押すと、モモンガは何かを決心したように手を伸ばす。

 相応しい人間の手に収まった武器はドス黒いオーラを発し、それに秘めた膨大な力の一端を示すように、苦悶の表情を伴う影を広げる。

 

 

「ふふ、似合ってるよ? 我らがマスター」

 

 

 骨の指先が感慨深そうに杖を撫でる。その姿を見守った。

 

 

「行こうか、ギルドの証よ。いや――我がギルドの証よ」

 

 

 感慨深げに呟くモモンガの背中を追う。もしリアルなら泣いてたな、なんて思いながら。

 少量だが酒も入っているのだ。普段はあまり飲まないタイプなので、先程から感情の揺れ幅が大きいのは酒のせいかもしれない。

 荘厳な玉座に座るモモンガの姿を横から眺める。カウントダウンは無情に進み、あと……。

 

 

 そしてユグドラシルは、粛々と最後の時を迎えて……。

 神の奇跡か悪魔の悪戯か。全く予想だにしなかった、新しい始まりを迎えた。

 

 

 



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第一話 異変

 

 

 まず気付いたのは。不規則かつ異様な鼓動の響きであった。

 胸の中だけではなく全身に散らばっている。まるでバラバラの材質を圧縮して、身体の中に押し込んでいるような、脈動する軋みが指先まで走って行く。抑えた顔の下で肉が動いている。

 

 

「う……なに、バグ?」

 

 

 不可思議な衝動に襲われたケイおっすは顔を顰めた。

 一瞬の立ち眩みと似ている。だがどうも調子がおかしい。目を閉じているのに周囲の様子が見えている気がするし、実際に玉座の上で取り乱しているモモンガの様子が理解できていた。

 それだけではなく背後に当たる壁とか、待機の指示により平伏している執事……確かセバスだったか? が、僅かに訝しげな表情を浮かべる事さえもが見えているし、玉座の横、ケイおっすとは逆側に立っているアルベドが、その嫋やかな黒髪を流しながら小さく首を傾げる様子も把握できている。

 

 

「ケイおっすさん、ログアウトが……!?」

 

 

 顔を上げたモモンガが唖然とした表情で口を開けた。ちょっとコミカルだ。

 ケイおっすはそれを手のひら越しに見る。目を閉じているどころか手で顔を覆っているのだが見えてしまう。

 

 

「どうしたの? マスター? こっちの顔に……顔に、あれ?」

 

 

 自分の顔はどうなっているんだ。そう思考しただけで、ケイおっすの顔が視界に写った。

 指の隙間から見えるのは不規則に色を変える異形の瞳である。だが目があるべき部分以外にも無数の瞳が生まれて周囲を伺っていた。

 意識を動かせばTPS視点のゲームのように視界が動く。360度どちらへも見える。

 顔だけではなく手や足にも視点は存在するようで、内部から触手がのたうっているように変形する両足と、股間を包む純白のパンツが眺められる視点さえ存在していた。気持ち悪い。

 

 

「だ、大丈夫ですか? 困ったな、GMコールも出来ないようで」

 

 

 ケイおっすは深呼吸して余分な"目"を閉じた。それに合わせて全身の脈動も収まっていく。

 口を開こうとして、自分の舌が7枚ほどに分裂している事に気付いてしまう。中には舌と言うべきかエイリアンの第二口のような、ガチガチと昆虫に似た牙を鳴らす物もあった。

 それらも努めて人間の物へと戻していく。全身を軽く震わせて変身を行き届かせた。

 

 

「マスター、どうやら、厄介事だよ」

 

 

 無数の声が重なって響き、ケイオッスは驚いて口元を抑える。

 唖然として目を見開いたのがモモンガにも分かったのだろう。ユグドラシルではマクロにより表情を変える事は可能だったが、今のようにごく自然に動かそうとしたら、よほど精密に組んだ上で演技を合わせるしか無い。自然に行うのはほぼ無理である。

 そもそもボイスの変更は課金要素であるが、複数の声を同時に発する事はできない。仕様として決まっている問題であるから、クライアントの改造でも行わない限り不可能な行為である。

 

 

「……一度、戻りましょう」

 

 

 広々とした玉座の間では落ち着いて会話するのも変な気分だ。ケイおっすも頷いた。

 ギルドの象徴が床を打つ音を聞きながら玉座を離れる。ふわふわした絨毯を踏みしめ、何処か適当な部屋に入ろうとモモンガの後に続いて。自然な動作でセバスという執事NPCに迎えられた。

 

 

「何かございましたか、モモンガ様、ケイおっす様?」

 

 

 初めて聞いた執事の声に身体が強張った。いい声してやがる、なんて思考の隅で思う。

 驚いて振り返るモモンガに首を振ってアピール。今は冗談などやっている余裕はない。仮に腹話術だとしてもNPCを動かすには声での命令が一般的なのだ。自発的には動かないのが普通である。

 

 

「あ、ああ、セバス」

 

 

 足を止めながら名前を口に出し、しまった、という顔をしたのが雰囲気で分かった。

 伏兵している背中を眺めながら、モモンガはその外見にそぐわぬアウアウといった感じで、骨の顎を動かしている。

 

 具体的な情報が何一つ無い状況なのだ。焦って当然だった。

 モモンガはギルドマスターではあるが、下手すると設定が変わっており、敵対的な侵入者として扱われる危険さえある。特に背後に居るアルベドはワールドアイテムさえ所持しているのだ。戦闘メイドたちと連携して襲ってきた場合、正直に言って勝てるかどうかは厳しいだろう。

 

 ケイおっすは変則的なタンカーなので耐久力は極めて高い。だが攻撃力はさほどではない。

 ガチタンと呼べるぶくぶく茶釜と比べれば劣るけれども、モモンガを背にして魔法を連発してもらえば、そう簡単には死なないと思いたいが……。

 正直、ちょっとのミスで死亡に繋がる可能性は十分にあると判断していた。

 

 

「そ、そうだ。マスター、情報を調べてもらったら? アルベドには全体の指揮を」

 

「お、おう。そうだな! セバス、早急に情報を集めよ。アルベドは警戒態勢を敷け。

 この大墳墓にも異常が起きているやもしれぬ。守護者たちに変化がないか、内部に異常が発生していないかを確認し、次いで周辺も探索するのだ。範囲は1キロで良い。動物の有無、特に知的生物の存在が知りたい。発見した場合は交渉し、友好的ならば連れて来い。だが戦闘は避けろ」

 

 

 セバスたちの様子を見る限り、どうやら命令権は生きているようだ。

 矢継ぎ早に支持を飛ばしたモモンガに近寄ると、ケイおっすは自分の身に起きた変化を伝える。その証拠して手袋の内部から、ムカデに似た昆虫の一部を生やしてみせた。

 モモンガは明らかにギョッとしていたが無言で口を閉じる。どうやら力が消えた訳ではない、と気付いたのか安堵した様子を見せ。手の中のスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを握り締めた。

 

 

「何が起きたのか……分からないけど」

 

「そうですね、まずは落ち着きましょうか。ありがとうございます、ケイおっすさん」

 

 

 言いながら骨だけの右手薬指を立て、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンをチラリと見せつけた。 「第二休憩室でいいでしょう」 言いながら指輪を光らせる。

 ナザリック内部で無限のテレポートを可能にする指輪だ。ケイおっすも体内に取り込んでいるリングの存在を探る。胃が反転するような違和感が喉まで持ち上がり、細い首筋からタコに似た触手がズルリと顔を出した。

 

 その先端には同じ指輪がぶら下がっている。この状態でも使用は可能らしい。

 それを見たモモンガは腰が引けていたが、メンバーを怖がるのはあってはならない、と思ったのか、歯を食いしばる様子を見せるとケイおっすの肩に手を置く。

 身長差が大きいので子供と大人のようにも見えるだろう。 「サンキュ、マスター」 頷いて発動させた。

 

 

「くはぁ……。驚いたよ、まさかこんな事が起きるなんて」

 

 

 現実では有り得ない程に豪華絢爛な、しかし懐かしい部屋が視界に広がる。

 軽く見回してNPCなどが誰も居ない事を確認。ケイおっすは耐えられないとばかりにふかふかのソファーへと身体を投げた。

 中身には異形の肉体がミッチリと詰まっている割に、その体重は見た目通りの軽さらしい。クッションからはぽふんと空気が抜ける音が響く。

 

 

「ですね、疲れました……。明日、4起きなのになあ」

 

 

 モモンガも適当なソファーへ身体を預け、綺羅びやかなシャンデリアに目を細めた。

 言ってから自分の行動を思い出したのだろう。 「ケイおっすさん、私がメールなんか送らなければ……」 骸骨の顔に泣きそうな雰囲気を張り付かせた。

 ケイおっすは首を振ってそれを否定する。目を閉じてこの世界に思いを馳せる。

 ユグドラシルにINしたのは自分の意志だ。きっかけになったのは事実だが、そんな責任までマスターの背中に背負わせる気はない。骸骨の細い背骨が折れちゃうよ、と口の中で笑う。

 

 

「いいんですよ、向こうでは天涯孤独になってしまいましたから……。嫁さんどころか恋人も居ませんでしたし、クソ上司とも反りが合わないですしね。

 これ以外に趣味が無かったので、置いてきてしまった貯金は、マジで勿体ないんですけど。

 ……おっと、こんなキャラじゃないですな、失敬失敬」

 

 

 軽く降っていた左手を、そのまま自分の細い顎に指を置き 「考えようによっては、こっちなら大金持ち! ボク大富豪だよ?」 元気づけるように調子よく叫んだ。

 明らかに人間でなくなってしまったのは、ちょっと抵抗があると認めよう。だがギルドマスターだってアンデッドになっているのだ。自分だけではない。

 

 

「そうですね。ユグドラシルの金貨なら、プールに入れて泳げるほどあるでしょう。

 食料の生産についても、マジックアイテムで間に合うでしょうし……。最悪、本当にこのナザリックだけになっても、守りを固められると思います」

 

「おお、さすがマスターだ、思慮深い。でも危険なんてあるかな?」

 

 

 自分たちはカンストレベルまで鍛えてある。武器防具だって最高クラスだ。

 それにナザリックの防御力と来たら並大抵ではないと断言できた。外が天使系モンスターで満ちた天界フィールドの最上位かつエリアボスつき、とかだと被害は出るだろうが。それでさえ対策はあるから、立て直したがちょっと面倒だなあ、ぐらいで終わるだろう。

 膨大な数のプレイヤーでさえ跳ね返した実績がある。普通なら心配の必要すらない、とケイおっすは首を傾げる。

 

 

「用心するに越したことは無いですし。臆病なだけですよ」

 

「そうだねえ。ボクも自分の身体について、まだ完全には把握できてないし」

 

 

 ケイおっすはだらしなく足を持ち上げる。ロングスカートが捲れて膝まで顕になる。

 万単位を費やしたアバターだけに肌も滑らかで美しい。思わず頬ずりしたくなるようなおみ足をぼんやりと眺め、モモンガが困った顔を浮かべているのに気付いて足を戻した。

 意図的に作られた不気味さ以外は非常に整っている。骨格を無視して柔軟に曲がる自分の翼に手を伸ばすと、口元に近づけて匂いを嗅いだり舐めてみたり。未だ実感は沸かない。

 

 

「そうだ。遠隔視の鏡<ミラー・オブ・リモート・ビューイング>があった!

 城下町の様子でも見られれば、参考になるでしょうしね」

 

 

 アイテムインベントリから無限の背負い袋<インフィニティ・ハヴァサック>を取り出す。ケイおっすもいいアイディアだと言いながら自分の分を探った。

 もし他のプレイヤーたちも転移しているならば、他人との接触を求めて、露天などで賑わっていたイメージのある場所へ向かうだろう。いそいそとソファに座り直し鏡を起動する。

 

 

「……? あれ、草原? 壊れた訳じゃないよね」

 

 

 だが予想に反し、鏡に写ったのは一面の草地であった。

 手を動かす事で右や左へ移動できる事には直ぐに気付いた。モモンガとケイおっすの二人はパントマイムでもしているかのように腕を動かし、懸命に映る範囲をズラしていくが、それでもおもしろみのない草原ばかりが表示される。たまに動物がチラチラと見える程度である。

 

 機能が追加されたのは嬉しいが、示すべき座標がズレてしまっているのだろうか。

 俺は草原じゃなくて街が見たいんだよ。強制パントマイムに苛立ちながら腕だけで踊り続けていると、ケイおっすは偶然に角度の調整を発見する。

 遠く見える山々と広々とした草原。端っこにナザリック周囲にある外壁も見受けられた。

 

 

「まさか、本当に異世界なのか? 毒の沼地が浄化された、という訳でも……」

 

 

 手招きして呼び寄せると、モモンガでさえ地形の変化に驚きを隠せない。

 慎重に手を動かして角度の変更を繰り返し、やはりナザリックであるという確信を抱く。外観は変わっていなかったが雰囲気は随分と違って見えるのは、環境の変化のせいだろう。

 オドロオドロしい毒沼と、ごく普通そうに見える平原。差が出るのは当然の事である。

 

 

「うーん、他に何かは……。お? 騎士が見えた。でも弱そうだなあ」

 

 

 再び腕を振る作業に戻って。暫く続けていると、今度は人間と馬の一団を発見した。

 視点を暴走させないよう慎重に鏡を操作し、頭上から見下ろすような形で姿を捉える。大雑把に数えて10人とちょっとか。トロそうな馬に跨ったトロそうな連中だった。

 ユグドラシルでは馬以外にも騎乗できるモンスターは多い。それらを知っている人間から見た場合、全力疾走でないにしても徒歩並みのペースは、少しばかり遅すぎるように感じる。

 

 最低レベルの傭兵よりはマシな装備をしているけれども、武器防具は魔法の雰囲気が感じられない単なる道具だし、馬だってあまり大きくはない。ポニーよりマシな程度である。

 足の太さや上に乗っている人間の格好を見るに、乗馬クラブの遠乗りではなく任務に付いている軍馬である事は違いないだろうけれど、勇ましさが足りないのとサイズの関係で見窄らしく感じた。ユグドラシルであれば畑を掘り返す姿の方が似合いそうだった。

 

 

「ふむ、確かに。コイツ、何処に向かっているんだ? まさか、ナザリックの存在が?」

 

 

 すわ侵略軍、いや偵察兵か。最悪の想像にモモンガの声が強張った。

 ケイおっすは不思議そうに首を捻ったので説明される。これほど早急に国家が対処してきたのであれば、準備不足も甚だしいナザリックは不利になってしまう、かもしれない。そう言われて納得する。

 強さでは負けないだろう。だが情報で負けているのは気分が悪いのは確かだった。早急な対処が必要だ。

 

 

「失礼します、モモンガ様、ケイおっす様。調査結果の報告に参りました」

 

 

 顔を見合わせたタイミングでドアがノックされる。モモンガが許可を出すといかにも有能な執事らしい動きでセバスが入室した。

 その表情を見るに致命的な事は起きていないようだ、とケイおっすは胸を撫で下ろす。

 

 実際に行われた報告にしても想定の範囲内で、ユグドラシル時代と比べると……モモンガの主観では……多少の差異や齟齬は発生しているようだったが、特別報告する程の内容だとは判断されていないらしかった。

 今のNPCたちであれば柔軟に対処できる範囲内であるらしい。確かにセバスなら大抵の事には対処できそうである。彼を営業に出せばその会社の業績は鰻上りだろうな、とケイおっすは呟く。

 

 

「シモベに命じて周辺地域を探索させましたが、既存の地形とは一致しませんでした。瘴気が存在しないことや毒沼の消失と合わせ、完全に未知のフィールドであると思われます。

 また隠蔽を施した騎乗兵により上空からの偵察を行わせた結果、ナザリックから南西方向へ2キロ程度の地点に、人口100人程度と思われる小規模の村を発見しました」

 

 

 堂に入った見事な報告態度だ。物語に出てくる貴族より貴族らしい。

 ケイおっすはふんふんと頷きながら、その村の存在というのに注意を惹かれていたが、モモンガはセバスというNPCを作り上げた仲間たちとの日々を思い出したのか、そちらの方を感慨深げに頷いている。

 

 対処はマスターに任せるよ。ケイおっすは丸投げする事にして、再び鏡の中を覗き込んだ。

 あの騎士たちがナザリックへ向かっているのか? それとも報告にあった村に入ろうとしているだけなのか。そこは間違いなく抑えておきたい。

 

 

「ふーむ、そうだ、村の様子が詳しく知りたいな。シャドウデーモンを送り込めるか?

 仮に侵入が困難であれば、更に上位のモンスターでも構わん。未知の探索スキルがあるかもしれないしな、注意しておけ。

 出来れば戦闘能力についても知りたいが……。戦闘は避けろ。それと、人間の騎士が周辺をうろついているらしい。そいつらに目立った動きがあれば報告するんだ」

 

 

 モモンガが命令を終えると、セバスは優雅に受諾の意思を示す。

 退出していく彼の背中を楽しげに眺め 「ギルドは……アインズ・ウール・ゴウンは、ここで、彼らの中で、生きているのだな……」 と感慨深そうに身体を震わせる。

 

 

「こっちは、ここで待ってるから。守護者たちに会ってきたら?」

 

 

 ケイおっすが提案すると 「あ、いや……。うむ、頼む」 と照れ臭そうに頬を掻いた。

 誰よりもギルドメンバーたちを思っていた人間だ。かつての黄金の日々を思い起こさせるであろうNPC、いや守護者という分身の存在は、モモンガの心を強く揺さぶったに違いない。

 

 ギルドは抜け殻ではなかった。皆の分身が居た。あの日々は消えていなかった。

 その事実は確かに、ケイおっすの心も強く震わせているのだし。

 

 

 



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第二話 行動開始

 

 今の自分は、どれほどの頑丈さを保っているのだろうか。

 主に仲間たちを守る盾として動いていたケイおっすからすると、斬撃や射撃、魔法などに身を晒す未来は十分に考えられる。

 それが役目なのだから不満はない。だが不安は覚えてしまうのは事実だった。

 

 ユグドラシルでのダメージとは、当然ながらシステムが決定していた。

 頭部や首などはクリティカルが発生する部位として指定されていたが、実際に臓器や血管の配置まで計算しているかと言われればNOだろう。サーバーへの負荷の問題があるから当然である。

 頭部や心臓、首などへ直撃しても。防御力や攻撃力の数値によっては、殆ど問題にならない程度のダメージで収まってしまう事が多いのだ。

 逆に低レベルの人間を高レベルの武器で切り裂く場合、それが指先にほんの少し掠っただけでも、即死級のダメージが発生する事だって有り得る。この辺りの理不尽に憤ったプレイヤーは多い。

 

 

「ボクの心臓、コアも含めたら、何個あるんだろ。即死は無いかな?」

 

 

 カオスシェイプの体内は混沌の一言に尽きる。常識を期待するだけ無駄だ。

 攻撃を受けた部位によるクリティカルダメージの発生を無効化する、という種族特性を有しているし、スキルにはリアクティブアーマーのように損傷を受けたパーツを弾き飛ばし、一定の消耗と引き換えにダメージを切り捨てる、なんて無茶な技能もある。

 手足を切り飛ばされても内側から追加で生やせば良い。腹に大穴が空いても埋めれば良い。スライムに近い存在とも言えるだろう。

 

 

「ユグドラシルの時みたいに、戦えるかなあ?」

 

 

 戦闘スタイルは基本的に防衛タイプで、攻撃力自体はさほど高くない。

 両手から触手類を伸ばして背後のメンバーたちをガードし、近付いて来た敵には猛毒、麻痺、強酸、呪い、睡眠、石化、など様々なバッドステータスを付与する爪などで牽制する。また粘着質の糸を放出することで足止めなども可能である。

 高い自己再生能力を付与したり強化する職業を複数持っているし、無機物や一部のアンデッドなどを除いた相手であれば、ドレイン系による自己回復攻撃だって可能としている。単純に防御力を上げる手段だって無数にある。

 

 高いHPや耐性を活かした泥沼の消耗戦。自分のペースに引き摺り込むのが18番であった。

 そして弱点としては……防御と生存と搦め手に偏重しているため、強力な範囲攻撃を持たない事だろう。

 精々がブレス系の技能をスキルで更に強化して、耐性貫通効果などを付与した致死級のバッドステータスを振りまくとか、爪が届く範囲なら幾つかのスキルが有る程度だ。

 モモンガが幾つか有している超位魔法のような、場を沸かせられるタイプの派手なスキルは持っていない。

 

 

「ふーむ。確かカオス・シェイプに、痛覚は設定されてない筈だ。触覚はあるんだけどな」

 

 

 物は試しである。左手の人差し指をピンと立て、自分の口にそっと差し込む。

 薄く開いた唇の中で歯が変質する。少女らしく白くて小さい物が瞬く間に凶悪化して、ギラギラと光を反射するナイフで埋め尽くされた剣山のような状態へと移った。

 そのまま自らの指先を噛み締める。主に第一関節の周辺に刃が食い込むのを感じた。少しずつ少しずつ力を入れていく。

 通常なら鋭い苦痛を覚えるだろう。トゲなどが押し当てられる圧迫感は確かにある。だがそれ以上ではなかった。

 

 

「うわ、不味……って、食べちゃったよ! まあいいけどさ」

 

 

 やがて昆虫の甲殻とゴム質の何かを抉る感触が伝わり、更に力を入れていくと喰い千切る。

 非常に硬くて不味い、しかも卵の殻が混じった肉を噛むような感じ。確かめようと咀嚼していたら無意識の内に飲み込んでしまい、自分の行為に気づいてちょっと後悔した。

 ただ、その行為を切っ掛けに捕食系のスキルが発動したのだろう。自己再生能力と合わさった結果として傷口は瞬時に盛り上がり、口から指を離した時には元通りに再生していた。

 

 やはり痛みらしい痛みはない。これならばチキンな自分でも戦闘も安心である。

 タイマンでならまず即死させられない自信があった。この身体の動きなども本能に近い部分で漠然と把握している。だからきっと活躍できる。

 むしろ触手類の操作が自由自在になっただけ、かなりの上方修正と言えるかもしれない。

 ユグドラシルの時はスキル任せで生やす種類を選ぶ事も出来なかったのだが、今はその辺りの細かい自由度が随分と増えている。今後はその誤差を埋めていく必要があるだろう。

 

 自分の役目を発見して不安が薄らぐのを感じ、ふぅ、と息を吐きながら背凭れに身体を預ける。

 

 

「……? あ、これ【メッセージ/伝言】の魔法か」

 

 

 繰り返し頷いていると、頭の奥に糸が繋がるような感覚が伝わる。意識を向けるとギルド長らしい丁寧な文面が脳裏に浮かんだ。

 どうやら人間の騎士たちに何かの動きがあったらしい。現在はアウラと一緒に円形劇場〈アンフィテアトルム〉に居るとかで、玉座の間へ向かいますからご同行お願いします、と綴られている。

 

 返信を行おうかと迷ったが……用事がある訳でもなし。移動を優先して良いだろう。

 先ほどのように首筋から触手を伸ばしてリングを露出させると、ローマ帝国を思わせるあの場所を意識しながら転移を発動させた。一瞬で風景が切り替わる。

 

 

「いらっしゃい、ケイおっす様。あたしの守護階層までようこそ!」

 

 

 守護者の一人。ダークエルフの少女、アウラ。

 太陽のようにキラキラと笑う少女の姿に、ケイおっすは思わず顔を綻ばせた。

 モモンガに向けて尊敬と敬愛の眼差しを送っている、守護者アウラの姿は微笑ましくも美しい。隠れるようにしてオドオドしている双子のNPC、いや今はNPCと呼ぶのは失礼だろうか。ともかくマーレの方もまた十分に可愛らしかった。

 ややゲテモノを好むケイおっすだが、彼女らのような正当な萌えもまた、大好物である。

 

 

「やっほ、アウラちゃん、マーレちゃん」

 

 

 撫でていい? と許可を取り、無事に得られたのでそっと掌を乗せた。

 柔らかい金髪は極上の手触りだ。それを羨ましそうに眺めているギルドマスターへ水を向けてみると、ちょっと葛藤した末に威厳の方が負けたらしい。おずおずと手を伸ばして撫で回す。

 幸せそうな様子を眺めるのも良いものだった。皆が居たら何を置いても全力で駆けつけそうな物なのに。この感動を伝えられないのが勿体無いなーと思ってしまう。

 

 

「おっと、玉座の間へ向かわねば。待たせてしまうな」

 

 

 名残惜しそうにアウラの髪の毛から手を離す。ゴホンと咳をして雰囲気を戻した。

 モモンガを先頭にケイおっすが続き、最後尾には非常に上機嫌な様子のアウラたちが続く。はやりAIではなく人格が宿っていると見て間違いではない。

 確認がてら無数の廊下などを通過する。各所に配備されているゴーレムや警備兵の類は不動のまま直立しており、今のところ反乱を起こす様子はなかった。

 

 

「おお、みんな揃ってるね」

 

 

 玉座の間へと続く重厚な扉が開くと、その向こうでは守護者たちが揃い踏みしていた。

 統括者として上段で控えているアルベドを除いて左右に並び、まるで映画のワンシーンのごとき王の通り道を形成している。

 どうやらセバスに調査を依頼した時点で全守護者たちに異常が通達されており、何かあれば即時に集合できる体勢になっていたらしい。

 

 

「……」

 

 

 無言、だが全力で向けられる敬意の念は、ちょっとした圧力を伴っていた。

 NPCの頃は風景の一部として慣れていた筈だが、やはり実際に意思が宿っていると随分違う。息遣いさえ伝わるこの状態は傅かれる生活に慣れていない一般人には厳しい物があった。

 それに嫋やかな表情を浮かべているアルベドの存在感も凄い。まるで王妃のようだ。彼女なら玉座で座っていても違和感ないんじゃないの? と思ってしまうぐらいには。

 

 だがモモンガは堂々とした様子で、正に支配者の如く玉座へと腰を据えた。

 ただしケイおっすには 「失敗したらどうしよう!」 というマスターからの念が伝わっている。別に魔法など使わずともバリバリ発散されているので 「何かあったらフォローしますよ」 と飛ばしておいた。

 

 

「……では、報告して貰おうか。セバス」

 

 

 努めて落ち着いたモモンガの声が響く。代表してセバスが一歩前へ出る。

 上段から視線を向けるというのは意外に抵抗がある物だ。慣れない事をしているなあと思う。

 ケイおっすは玉座の横に立っているのでまだマシだけれど、超美形揃いの守護者たちに加え、その補佐となるメイドたちも待機しているではないか。モモンガの内心はきっとバクバクだろう。

 

 

 

「はい、モモンガ様。ご報告いたします。

 以前の連絡にありました人間の騎士の一団ですが、しばし馬を休めた後、現在は村を包囲するように展開しております。村に居た人間の殲滅、ないし間引きが目的と思われます。

 潜ませたシャドウデーモンによると攻撃はほぼ確実のようで、遠からず攻撃が開始されるでしょう。彼らは法国なる国家から派遣された工作部隊であり、村の所有者である王国の足元を騒がせるのが任務であると判明しております」

 

 

 セバスはそこで一度、言葉を区切った。

 ケイおっすは国家間の問題とはいえ多少の胸糞悪さを覚えていたが、大半の守護者たちは真面目ながらも内容には興味が無さそうに聞いている。

 人間同士の縄張り争いなど圧倒的強者には関係ない事柄だ。近くの公園で昆虫の分布が変わっても人間は気にしない。それと同じである。

 

 

「ご命令にありました友好的な接触ですが、村人に対しては難しい事ではないと思われます。

 またシャドウデーモンからの報告によりますと、騎士たちの戦闘能力は極めて低く、駆逐を行う場合であれば勢力を問わず容易であるとの事です」

 

 

 そこまで説明されれば分かる。謀略に疎いケイおっすにも飲み込めた。

 つまり騎士たちが村人を適当に傷めつけるのを見計らい、それから駆逐する事で恩を売る、という作戦だ。

 自作自演を疑われそうだが実際には違うので調べるだけ無駄だし。圧倒的な力を持っている上に命の恩人ともなれば、ちょっとでも頭が動く人間なら擦り寄ってくるだろう。

 

 

「ふむ、悪くないな。幸運な人間どもに慈悲を掛けてやるのも一興よ」

 

「そうだね。このナザリックの周辺を、ギルドに許可もなく荒らすなんて。無知とはいえ罪は罪だし」

 

 

 人間への関心が薄い守護者たちのため、共感を得やすいように誘導して喋る。

 価値の無い物であれハエやゴキブリの如く集られるのは不愉快だろう。思った通り人助けには消極的だった面々も注意を向けてくる。害虫駆除となれば納得した雰囲気を漂わせた。

 

 

「さて、ふむ……」

 

 

 モモンガは顎に指を這わせながら思慮のポーズを取った。それとほぼ同時にメッセージの呪文がケイおっすの脳裏に届く。

 誰を送るべきかで悩んでいるらしい。その裏には万が一にでも危険に晒したくない、という思いがあるのだろう。恐らく金貨の消費だけで済む事でも。確かに死は忌避感が強い。

 

 モモンガとケイおっすの2人が動けば解決に近いのだが、それは難しい話だ。

 人間として見た場合だとモモンガが自ら動くに足りるのだが、ナザリックの支配者としては軽すぎる。それは守護者たちの反応からして明らかだった。

 

 

「マスター、ボクが行っても良いかい? お散歩には丁度いい天気だし」

 

 

 言い出し難いならば自分の出番だ。ケイおっすは軽い調子で手を挙げた。

 戦いになっても大丈夫そうだ、と確認したばかりであるし、実践で試せるなら悪くはない。

 守護者たちも人助けなど物のついでであり、あくまで散歩の方ががメインだ、と言外に示されれば反論までは行わなかった。連れて行って欲しそうな雰囲気は感じたが。

 

 

「おお、勿論だとも。ならば私も行くとしようか。此方の様子にも興味が有る。

 我らがナザリックを飾る新しい大地。相応しい物であれば良いのだがね? ……アルベド、すまないが防衛体制を見直す事になるだろう。その間の守りを頼む。

 セバス、共をせよ。それ以外は……そうだな、騎士を何人か持ち帰るとしようか。情報を抜き取った後は好きにして構わん。おもてなしの準備をしてやってくれ」

 

 

 モモンガがそう宣言すると、玉座の横に立つアルベドが優雅に一礼してみせる。

 美しい声で 「お任せ下さい、モモンガ様」 トロリと呆けたような瞳には絶対的な忠誠と、それ以外にもサキュバスらしい艶が含まれているような気がする。

 思わず耳を欹てると 「騎士……ああ、でも、私の初めては、タブラ様とモモンガ様の3Pで……」 なんて悩ましげな乙女の呟きが混じっていた。その唇から漏れる吐息に色があるならピンクだろう。それもまっピンクだ。

 

 

「そういえば、タブラさんってギャップ萌えだっけ。しかも純情型処女ビッチっていう、救いのない設定とか、酒の勢いでアルベドにつけてたような……。」

 

 

 幸いにもモモンガには聞こえなかったらしい。猛烈な肉食系に狙われる事になったマスターの貞操を思い、ケイおっすは 「ノーモアリア充。しっとマスクの絆よ永遠に」 と呟く。

 

 いやでも、骸骨にチンコってあるの? それとも、別のどっかを突っ込むの?

 

 哲学的な悩みを抱えながらケイおっすは後に続き、深く敬礼するセバスに 「そういえばコイツもメイドハーレムの主だっけ?」 と視線を送りながら、見た目には粛々と移動を開始した。

 傲慢な支配者というポーズを取りながら緩やかに歩き出し、その背後をケイおっすが追う。

 両脇に立つ守護者たちから敬愛を浴びながら、王の余裕ともいうべき所作で緩やかに歩き出すと、玉座の間の扉まで辿り着いた時点で真っ黒い穴が空間に発生した。

 

 

「では、参ろうか」

 

 

 移動方法はともかく細かい場所を知らない、その事実を思い出したらしい。モモンガの背中から物凄く安心したオーラが伝わる。

 小さく漏れた溜息を聞きながら、モモンガ、ケイおっす、セバス、の3人は【ゲート/転移門】の魔法を潜った。

 

 

 



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第三話 村

 

 

 周囲の風景が一転し、ケイおっすがまず感じたのは、独特の臭気であった。

 キャンプファイヤーのような木材が燃える香り。それと形容しがたい未知の悪臭……ケイおっすもモモンガも知らなかったが、村外れにある畜舎から発されている……と、人間の匂いだ。

 ユグドラシルでは無かった要素である。顔を顰めながら匂いの元を探していたケイオッスだが、このような辺境の村で毎日風呂に入れる訳がない。その事実に理解が追いついて悪い事をした気分になった。

 ブラック企業勤めで風呂にも入れない。そんな愚痴をメンバーから聞いた事を思い出したのだ。

 

 

「おお、映画みたいだ」

 

 

 改めて見回す。牧歌的、と表現して良いだろう。一部から上がる煙と血の跡を除けば。

 視界に映るだけでも数人の騎士が動き回っている。粗末な服を赤く染めながら転がっている村人も幾人か数えられる。血に染まった剣が人間に突き立てられる様子さえ写っていた。

 濃密な血流描写はユグドラシルでは行われない。なので血管から吹き出る鮮血を見たケイおっすは物珍しそうに視線を向ける。

 

 

「やはり……あまり感じないな。ケイおっすさんも、そうですか?」

 

「……うわ、言われるまでナチュラルに楽しんでたよ。ちょっと自分に引いたわ」

 

 

 ショッキングな光景。だが受けるショックは意外なほど小さい。

 モモンガにしても周囲の光景の方や騎士の装備などへと注意を向けている。襲われる村人を観察するのは良い趣味ではないにしても、それ以上にヒトという種族への無関心が目立った。

 

 言うなればこの状況でさえ、野生動物が狩りをしている様子に近いだろうか?

 共感という結果に至るまでの経路が断線してしまっている。記憶などから鑑みれば凄惨な光景だと思う。だが意図的に想像力を掻き立てねば大した光景だとは思えない。

 あの男にも子供や家族が、と思えば少しは情けを掛ける気分になるのだけれど、映画の背景でモブキャラが死んでも何とも思わないだろう。今の気分はそんな感じかなあとケイおっすは分析する。

 

 

「さて? ちょっと試してみるね、マスター」

 

「ええ、頼みます。攻撃魔法だと手加減は難しいですから。

 万が一の際は擁護しますよ。ケイおっすさん、恐怖耐性は万全でしたよね」

 

「任せた。恐怖属性なら無効だよ、大丈夫」

 

 

 戦乱に飲まれている村の中をケイおっすは無造作に歩く。幾つかの方向から目線が飛んでくるのを感覚的に察した。それに反応し無数の"目"を開きかけて首を振る。

 あまり慣れてしまうと切り替えが難しいだろう。なので人間の位置にある眼を使いながら目標を定める事にした。

 

 先ほどまで村人と揉み合っていた連中に視線を向け、相手として手頃だと判断する。

 対象の騎士は振り払った相手の左太腿に剣を突き立てていた。風に乗って伝わる血の香り。ケイおっすは自然と頬がゆるむのを感じてしまう。

 鉄錆の匂いが妙に心よい。そのまま滅多刺しにしていたらもっと香っただろうに。此方に気付いたらしく動きを止めてしまったのを少しだけ残念に思った。

 

 

「おい、お前! 何処から……!?」

 

 

 ヘルムにある十字の切れ込みの向こうで男の顔が激しく歪んだ。

 何にそんな驚いているんだろう、と思って背中側に目玉を作ったが、ケイおっすにとっては見慣れた光景しか広がっていない。完璧に執事服を着こなしているセバスと、死の具現化のようなモモンガさんと……ついでに角と翼が生えている自分。べつに変な場所なんて……。

 そこまで考えてやっと気付いた。ああそうか、悪魔や骸骨だから驚いているのか。メッセージの魔法を送って顔や手を隠した方が良いよと伝えておく。

 

 

「スキルで隠せるけど、能力落ちるから嫌なんだよなあ。押せば引っ込むかな?」

 

 

 異形のパーツは引っ込めておいた方が良いだろう。ケイおっすもそう判断する。

 両手を角に添えると力を込めた。骨が圧し折れるような音が響いて角が大きく傾く。これなら行けそうな感じだ。そのまま奥へ奥へと押し込んだ。

 余計に凹んでしまった部分は内側から押して元へ戻す。更に頭皮を髪の毛ごと引っ張って長さを調整し、完成した様子を掌に目玉を生み出して確認する。いい感じに角が引っ込んで普通の美少女になった。これなら大丈夫だろう。

 

 

「おお、行けたわ。ちょっと違和感あるけど」

 

 

 翼についても肉を波打たせる。鈍く軋ませる音を発しつつ、まるで啜るように収納する。

 メイド服の背中が大きく波打ちながら翼を引っ込めた。それを眺めていた人間は恐怖に囚われていたが、共感力が低下しているケイおっすは訝しげに睨み返す。

 リボン装備の関係で少しだけ角を見せているのだが、これが気に入らないのだろうか。個人的には可愛いと思うんだけどな……と視線で同意を求め、対象となった騎士が顔を真っ青にしているので微笑んだ。異形っ娘萌えとしては恐れられるのもまあ悪くない。

 

 

「ば、化け物だっ! 化け物だあああ!」

 

「うん、そうだよ?」

 

 

 言いながらケイおっすは右手を持ち上げ、人差し指を2人の騎士へと向けた。

 どっちを先にしようかな、と考えていると、村人の足から引き抜かれた剣が向けられる。じゃああっちでいいや、と気軽に犠牲者を決定した。

 

 白亜の指先が騎士の心臓と重なる。自他の能力に少しだけ小首を傾げる。

 あまり強そうには感じないのだが……。ギルドマスターが警戒するぐらいだ、それなりには強いんだろうか? ならば油断はダメだなと背筋を伸ばす。

 スキルの類は使用するどころか封印している物が多い。 「えいっ」 と気が抜けるような言葉とともに指先を開放した。人差し指の第一関節から先が変化するのを感覚で察する。

 

 

「……お? お、おまえ、なにを」

 

 

 その結果は火を見るより明らかだ。瞬き一つ行う間には全てが終わっていた。

 少女の指先だった物は刹那の間に無数の触手へと枝分かれし、爆発的な加速により距離という概念ごと穿つ。被害者の男でさえ把握できないほどの速度を持って突き抜けている。

 小さく顎を下げて状況に気付いたのだろう。ヘルムの向こう側で大きく口が開かれるのが見えた。

 

 

「い、いたい……? いたい、いたい、やだ、やだ、うあ、ああああ」

 

 

 男はフルプレートメイルに包まれていた筈の身体を見下ろし、そこに異形と化した先端が生えている、という絶望的な事実に気付いてしまったようだ。

 あまり鋭利だったために最初は痛みさえ感じなかったのだろう。魔法すらかかっていない防具など防具としての機能を果たせず、薄氷を砕く程度の抵抗さえ無かったのだから。

 

 信じられない、信じたくない。そんな調子で必死に首を左右に振っている。

 甲高い音を発したのは鎧が砕かれたからか、それとも飛び散った破片が家の壁にでも跳ね返った結果によるものか。

 噴出する鮮血と共に背中側まで完全に突き抜け、人肌に近い触手の表面はテラテラとした真紅に染まっている。未だ痙攣を続ける真紅の塊は断続的に血を噴出させた。捻くれた枝を思わせる7本の指で台座のように心臓を掲げる。

 

 

「どんだけ貧弱なのよ。こっちが驚いたわ」

 

 

 うわ、脆いなー。ただのフルプレートメイルにしても、これは脆すぎない?

 指先にある暖かな感触も含め、ケイおっすが抱いたのはその程度の感想である。

 

 

「ケイおっすさん、大丈夫ですか? 戦闘への忌避感とかは……」

 

「あ、へーきへーき。むしろ楽しいぐらい。マスターも大丈夫?」

 

「問題ありません。無抵抗の村人を虐殺とかはちょっと、と思うかも知れませんが、敵と認識したからですかね。ユグドラシルで人型NPCを相手にしている気分ですよ。

 ちょっと変な話ですが、想像の中でのそれより、実際の方が気楽というか……。感情移入の差ですかね」

 

 

 致命傷を負った騎士も含めて、既に彼らは認識の中だと 「人間」 という範疇から脱落している。いうなればピン留めされた虫だろう。モモンガも平然とした様子で鎧の厚みなどに注意を向けていた。

 生産系の技能があるメンバーであればスキルで何か分かっただろうか。強度と重量などのバランスから技術の発達具合を見抜く事が出来たかもしれない。だが2人には 「予想より薄いんだな。脆いけど」 という感想を抱くのが精々であった。

 

 

「う、ぐう……しに、たく、な……」

 

 

 ヘルムの向こうで真っ白になった顔が悲鳴を漏らす。ケイおっすは 「まだ死んでないのか。もしかして人間は意外に頑丈なの?」 少しだけ賞賛の声を漏らした。

 ガントレットで覆われた騎士の腕が呆然と持ち上がる。しかし既に力が入らないようで、その指隙間からは剣が虚しく滑り落ちた。

 死ぬ間際に無力な腕を震わせ、大穴が空いた自らの胸を埋めようとして、その様子は大切な積み木が崩れてしまった子供を思わせる。泣き出す直前の表情を浮かべたままピクリとも動かなくなった。

 

 これは凄惨な光景なんだよね? 本気で何も感じないんだけど。

 ケイおっすは自分の知識と感受性に、大きな溝が生まれている事を改めて自覚する。そういえば現役時代はそんな感じのロールプレイだったかなーと思い出す。

 まじまじと眺めていると、罪悪感よりもむしろ、食欲の方が喚起されてしまった。

 

 

「……お肉かあ。天然物の」

 

 

 血の滴りがソースのように思え。ケイおっすは薄い唇の奥で舌なめずりを行う。

 すると異形で構成される指先に牙の生えた口が生まれた。早く食わせろ。それぞれが牙を剥きだしながらギチギチと音を発てている。

 理性よりも身体の方が正直らしい。微笑みながら頷いてやる。するとピラニアの群れがそうするように次々と肉を食い千切った。まるで7本の首がある肉食獣だった。

 自分の拳よりも大きい肉塊が瞬く間に、まるで握り潰されるようにして形を失うのを楽しげに眺め、ケイおっすは捕食スキルにより微量ながら身体能力が向上する感覚に笑みを深める。

 

 

「マスター、この死体、使う?」

 

 

 満足気な気分となり、用済みの死体の始末を思い出す。串刺しのまま軽く持ち上げた。

 自分では微妙な使い道しか無いが、モモンガであればもっと上手く使うだろう。ヌイグルミでも摘むような動作で穴の空いた死体を引き寄せ、モモンガの前にぶら下げなら軽く揺らす。未だ死後硬直には遠いため鎧には血液が滴り、金属が擦れてチャリチャリと音を発している。

 

 ケイおっすの指にかかる負荷は驚くほど小さい。軽すぎて現実感が薄くなる程に。

 鎧ではなくアルミホイルの玩具で、中身は空気で膨らませたお人形。そう言われれば納得してしまう。同時にそれはケイオッスが受け止める命の軽さでもあった。

 

 

「おお、では、試してみるとしようか」

 

 

 モモンガが特殊能力の一つを発動したのだろう。空中から黒い霧のような物が滲み出る。

 そのエフェクトを見たケイおっすは 「アップデートでもあって変更されたのかな?」 と楽しげに見ていたが、警戒を強めるモモンガの姿に首を傾げた。

 本来ならば適当な死体を即時消滅させる代わり、その場へと召喚される筈なんです、と小声で囁かれる。このようなエフェクトが発生する筈はないのだと。

 

 

「デスナイトが本当に騎士から生まれるなんて、洒落てるじゃないか。ねえマスター?」

 

 

 背景と化している騎士、怯えを露わにする村人。それらの前で事象は進む。

 漆黒の霧が心臓を失った騎士の身体に吸収され、その直後に全身の穴という穴から暗黒の濁流が発生した。 「おっと」 ケイおっすは慌てて死体から指を引っこ抜く。支えを失った騎士の身体は重力に従って地面に落ちる。

 だが生を失ったはずの両足は崩れない。重い音を発しながら大地を踏み潰し、不気味に全身を震わせながら空を仰いだ。天を齧るように開かれた口からは水音の交じる呻き声を漏らしている。

 

 あまりに強烈な死。その顕現に大勢の人間が息を呑む音が村に響いた。

 デスナイトの喉から漏れる呪詛以外は恐ろしいほど静かで、錬金術油を投げ込まれて炎上する家屋が燃える音さえ聞こえて来る。人である限り避けられぬ運命が生まれようとしていた。

 

 

「神様……!」

 

 

 騎士の誰かがそう呟く。己の武器を祈るように抱きしめる。

 モモンガの能力により発生したアンデッドは成長を続け、肉が潰れるような音を響かせながら膨れ上がっていく。漆黒が纏わり付くその肉体は暴力の具現化である。

 

 明らかに人間が到達できる領域ではない。シルエットはオーガに近いと言えるだろう。

 なにせ2メートルを軽く超える体格だ。背丈もさることならが体躯が持つ厚みがまた恐ろしい。ただ暴力だけを行う事を目的としているのだろう、異常なまでに筋肉が発達している。

 ケイおっすの胴体ほどもありそうな両腕など今にも弾け飛ばんばかりだ。胴体も呆れるほど太く強固に発達している。文字通りの意味で巨人だった。

 

 その巨大な手で鷲掴みにしているのは人外の武具。闇というモノの一部を切り出してきたような超大型のタワーシールドと、波打つ刃が美しいフランベルジュである。

 どちらにも血が腐ったような赤黒いオーラが漂い、そして偽りの鼓動に合わせおぞましく脈動している。機能美よりたた暴力を優先した鎧には無数の刺が伸び、浮き出た血管のように深紅の模様が走っていた。

 兜から伸びている悪魔に似た角を見たケイおっすは 「うむ、良いデザインだね」 と満足そうに頷く。半ばまで腐り落ちた顔は生物への憎悪に満ちた紅点が宿っている。

 

 

「さて……。村の外にも何人か居るんだったかな? 騎士たちは。

 デスナイト、残りを丁重にお連れしろ。出来るだけ殺すなよ? だが、手足ぐらいは砕いても構わん」

 

 

 モモンガの命令を受けてデスナイトが絶叫し、殺意によりビリビリと空気が震えた。

 そして弾かれたように疾走を開始する。ネコ科の肉食獣を思わせる柔軟な動きだ。あの体格からすれば驚くほどのスピードで、一歩毎に地面がめり込んで靴跡を残していた。

 迷いの無さが動きに拍車をかけているのだろう。自らの獲物が何処にいるのか完全に把握している動きだった。

 

 知能の低いアンデッドは、いや十分な頭脳を持つものでさえ、生者に対する猛烈な憎悪と妬みを有する。

 だからこそ知覚能力を持つのだろう。一人でも多く、自らと同じ領域へ引きずり落とすために。

 

 

 

 



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第四話 村2

 

 ケイおっすは呆れたように頬を掻く。地に伏して震えている者たちを上から眺める。

 ちょっとぐらい人間らしく戦ってみよう……と思っていたケイおっすにとって、この騎士たちの反応は完全に予想外だった。まさか土下座して動かなくなる程に恐怖されるとは。

 土下座とは命を守るためのポーズ、という漫画のセリフを思い出す。しかし彼らを見る限り斬首を待つ囚人のような諦念のほうが強い。

 

 どうやら基礎的な部分で、単なる力任せでも対抗できない程度には差があるようだ。

 背後に居るモモンガに目線を向ける。うなじの辺りから見ていたのだが反応がない。暫くして動作の問題だと気付いた。 「ああ振り返らないと伝わらないか」 首から上をそちらへ向ける。

 

 

「流石です、ケイおっすさん。久しぶりに戦闘シーンが見れて嬉しかったですよ」

 

 

 軽く拍手を始めたモモンガの姿に頬を赤らめる。 「ま、まあねー」 と肩を竦めた。

 ちょっとノリノリだった事は否めない。心臓食べたりとか。今更ながらに恥ずかしくなった、ちょいとゲップでも見られた気分だ。ケイおっすは誤魔化すように剣を指先で弄ぶ。

 

 

「レベルが低すぎて良く分からないな。やっぱり魔法は掛かってないみたい」

 

 

 騎士が落とした剣を拾い上げていた。見た目では鋭そうな刃だがケイおっすの肌は極めて高い物理耐性を有する。この剣では刃を素手で握り潰しても怪我さえしないだろう。

 軽く指を当てて切れ味や強度を探る。やはり魔法の痕跡などは感じられず品質も良くない。ケイおっすの身体能力ならば刃の一部だけを指先で毟り取る事も容易いと思われる。

 

 

「分類では片手剣だっけな。短剣の技能は上げてるけど、代用は……。出来ない?

 スキルとしては持ってるから装備は可能。でもスキルが使えないとは、変なの……」

 

「……この世界ですら、そんな制限が? ふむ、驚きましたよ、ケイおっすさん」

 

 

 ケイおっすは短剣系統の技術を持っているが、武器が変わっただけで使えなくなった。

 能力的にはブロードソードもナイフも、重量は羽ほどにしか変わらない筈だ。確認のため風を切る音を響かせながら振り回す。やはり重さを感じない程度には軽い。しかしスキルだけが使えなくなっている。

 この結果はユグドラシルと同一だった。ある意味では安心できる物だが、現実的という意味では極めて強い衝撃を受ける。誰かの掌の上にいるような気分になったのだ。

 

 

「……やっぱりダメだ。握ってても、感覚的に分かる。スッポ抜けちゃう。

 手の中に埋め込んで発動すれば行けるかな? でも精密さが不要なら飛び道具になるかもね。ボクの身体能力で突き出せば、地平線の果てまでぶっ飛んでいくよ? 多分」

 

 

 ケイおっすはスキルを発動させようとして、やはり違和感が湧き上がってしまう。

 柄を握り潰す勢いで握ってもダメだ。手を変形させると装備条件から外れたらしく、このままでは振り回すだけでも指が解けるな、と悪化した事が無意識で把握できる。

 中の人が片手剣などを扱えないのは事実だとしても。ケイおっすは短剣ならばスキルを有している筈なのに、たかが刃の長さが少し違うだけで使えないとは。ゾッとする話だった。

 

 

「後で詳しく調べないと不味いかも。能力的には行ける筈だから、多分だけど認識の部分?

 ……つまり、全ての武器に対して 『これは扱えない』 って操作されたら、武器に関わるスキルが全滅する可能性だってある……かも、しれないな。本当に推測だけどさ」

 

 

 この世界にもシステムが存在するのだろうか? ケイおっすは指を人間のそれに戻すと、マスクの顎に手を当てながら思考に耽っているモモンガの姿を見上げる。

 やや楽観的だったケイおっすも少しだけ警戒を強めた。真昼の村を見回すと不自然な体温や足音が紛れていないかを精査し、ナザリックの手の者しか居ない事を確認して頷く。

 モモンガが不安に思うのも当然だった。やっぱりマスターは鋭いな、と信頼を強める。

 

 

「それは……確かに。精神操作系の魔法を解明するのが急務に成りますね。

 これから回収する騎士の数にもよりますが、場合によっては全員を使い潰してでも、綿密に調査する価値はあるでしょう。

 幸いにも私はオーバーロード。精神操作系が無効ですし、ケイおっすさんもカオス・シェイプですから、その手の類は無効ですよね?」

 

 

 確認を取るモモンガに対し、ケイおっすはメイド服の下を波打たせながら頷いた。

 指輪などの装備品などでその辺りの耐性は更に強化してある。それに種族レベルを重ねたカオス・シェイプは極めて強固だ。並大抵の事では貫通されない。

 それは自らの肉体が分泌する酸や毒などに対抗すべく、混沌であるが故に衝突する機能を強引に凝縮するため、様々な耐性を取得した……、という設定に由来していた。

 

 元より 魅了、支配、石化、などは対策もしやすい。

 カオス・シェイプは範囲と強度目立つだけで、最上位の魔物となれば即死類の耐性を備えていないモンスターの方が少ない程だ。基本的な技能とも言えるレベルである。

 最高難易度のダンジョンに生息するモンスターが、簡単な魅了魔法の一撃であっさりペットになってしまうとか、プレイヤーからすれば興醒めもよいところ。ゲームとして必然だろう。

 

 

「ああ、うん。その手の呪文は効かない。生物として狂い過ぎてるのが理由だったかな。

 頭部をかち割っても脳味噌があるかどうか、そもそも脳味噌が脳味噌の形をしているのか、ついでに言うと数さえ一定じゃないし。その時の気分って感じのノリだもん。

 それこそ最上級のアンデッドでさえ支配できるような、システムを超越できるワールドアイテム級じゃないと無理だと思う」

 

 

 上記の理由があり、ダメージを伴わない即死魔法などは、正直に言うと非常にマイナーだ。

 モモンガのようにロールプレイの一環として修得するのが大半った。なにせ多少の底上げぐらいだと即死させられる割合が低すぎて、大規模に展開するならともかく実用性はかなり低い。

 まともに使われていた中では 【イア・シュブニグラス/黒き豊穣への貢】 など、圧倒的な広範囲を襲える超位魔法ぐらいか。見た目が派手なので受けは良かった覚えがある。

 

 逆に言うと、こういう特殊な魔法でもなければ、本当に使えない。

 即死を伴うスキル 【絶望のオーラ】 とかが最たる物だろう。こういう常時展開型のスキルは装備などで強化できないタイプが多く、ギルド武器でもなければ完全に産廃だった。

 ユグドラシルではオーバーロードが登場時に展開するエフェクトの一種のような扱いであり、一時期はそれをネタにしたごっこ遊びがギルドで流行った気がする。

 

 勇者よ、我が絶望のおーらをくらえー。

 ぐわああああ、なんてカッコイイえふぇくとなんだー。

 

 悪というスタンスに拘っていたウルベルトさんが筆頭だ。その見た目だけは羨望していた。

 ただし、我らがギルドマスターも結構ノリノリだったと記憶している。両手を広げた魔王っぽいポーズがお気に入りで、たまに鏡の前で研究していた時の思い出が蘇った。

 それを見なかった事にしてそっと部屋の扉を閉じたら、帰る直前で気付いたらしく赤面アイコンを連打しながら追いかけて来て、走っている間に楽しくなってゲラゲラ笑いながらナザリックを駆けまわったものだ。

 

 

「ケイおっすさん? ちょっと試したいんですが……。どうしました?」

 

「いえいえ、大魔王さま。こちらでございます、っ! ぷは、思い出し笑いがっ」

 

 

 剣を振ってみたいと言うモモンガに手渡しながら。あの頃は本当に楽しかったよな、とケイおっすは哀愁を覚える。

 一瞬だけ訝しげな表情だったモモンガも 「大魔王さま」 というフレーズで思い出したらしい。肩の装飾品を震わせると 「ちょっ! そのネタは禁句ですよ!」 と言いながら、先程までのシリアスな雰囲気を押し流すように笑いを堪えた。

 

 

 

「さて、ケイおっすさん、改めてお願いしますね。

 では振りますよ? 1、2、3……っ! うわ、ホントですね。手が滑る……」

 

 

 適当なガントレットを嵌めた腕が振り下ろされ、次の瞬間に剣はロケットと化した。

 戦士系の技能を持っていないのが原因だろう。腕力的には余裕でもやはり不可能であり、どれほど拳を固めていても指からすり抜けてしまうらしい。

 ケイおっすは明方向へ飛び出そうとした刃をを空中でキャッチする。その衝撃で剣は更に傷んだ。

 

 

「そこの騎士が相手してくれれば……。いや、案山子と変わらないか」

 

 

 相手が居れば違うのではないか。一瞬だけ思ったケイおっすだがすぐに否定する。

 対人戦での特殊な変化などは無かったと思うし、未だ土下座を続ける騎士に向けてスキルを使おうとしてみても、やはり剣を持った状態では変わらない。

 あの状態の騎士を無意味に殺すのは勿体ないだろう。死体よりは生体の方活用法は多い。

 

 

「おお、セバスよ。手間を掛けさせたな」

 

 

 遣り取りをしていると、足を貫かれたままだった村人を哀れに思ったのか、許可を得たセバスがスキルにより治療を行っていた。

 あれは気功の類を使用した活性術だろう。光に包まれた村人の足は瞬く間に傷を塞ぎ、失血で真っ白になっていた男は飛び上がる勢いで驚きを露わにする。

 

 

「……あ、あんたら。いや、すまねえ。助かった!」

 

 

 村人は立ち上がると腰を深く折った。その態度には強い怯えを含んでいたが、元来素直な性格なのだろう、受けた恩は忘れじと言わんばかりに感謝を示す。

 転がっている事を半ば忘れていた2人にはちょっと罪悪感がある。芸をしたペットに与えるオヤツが底を突きていた、ぐらいには。

 

 

「ひっ」

 

 

 そんな男が悲鳴を漏らしたのは、村の入口から響くガラガラという音。まるで空き缶を引きずり回すような、そして無数の悲鳴を含むデスナイトの帰還であった。

 土下座騎士たちも音源の方に首を向け、確かロンデスとか呼ばれていた一人など、先程までの村人と同じぐらい顔を真っ白にしていた。

 

 

「おお、デスナイトよ、よくやった。その辺に投げておいてくれ」

 

 

 手足のいずれか、または両方が圧し曲がった、悲惨な状態の騎士が8人。

 足首を縛っているのは乗ってきた馬の手綱だろう。それぞれが片足を一纏めにされた状態で荷物よりも雑に引き回されている。その様子はまるで罪人のそれであった。

 普通の人間ではない。強固な鎧を着込み、一人だけでも100キロに迫るような騎士が、だ。

 どれだけの力を有しているのか。一歩間違えれば対峙する事になっていた騎士たちは恐怖を新たにし、ガチガチと歯の噛み合わない音を新たに響かせている。

 

 転がされた連中が持っているのは弓であり、村人を逃がさぬための戦力だったのだろう。

 それが追い立てられるのだから皮肉なものだ。また手綱を見たモモンガは 「なるほど、そこらの馬よりは素早いらしいな」 とデスナイトの性能に満足気であった。

 

 

「8人も居れば、お土産は十分かな? そこの4人はどうする?」

 

 

 ケイおっすが視線を向けると同時、顔を上げていた騎士が一斉に額を叩きつける。

 金属製のヘルムが地面に埋まりそうなほど強く下げられているのだ。一拍の間を置いて土下座する4人の膝周りが水で湿っていく。そしてアンモニアの匂いが広がる。

 正体に気づいたケイおっすは哀れみに近い表情を浮かべた。骸骨であるモモンガにも顔があれば似たような顔をしていただろう。小さく息を漏らすと軽く手を振る。

 

 

「……まあ、構わんだろう。メッセンジャーも必要だしな。

 聞け、我はナザリック地下大墳墓が主、……。ここから北東に2キロほど進んだ場所にある、ナザリック地下大墳墓という場所の支配者だ」

 

 

 一度言葉を切り、ケイおっすの方に視線を向けて、何かを飲み込むように頷く。

 モモンガ、という名前を気にしているのかもしれない。何処かの国にまで名前が広がった時の事を考えると笑えそうだとケイおっすは思った。自分の名前も人の事は言えないだろうが。

 

 

「故に、この一帯も私の支配下にある。騒がしい真似は謹んで頂きたい物だね。

 もっとも、ナザリックへ戦いを挑みたい、というなら別だぞ? 歓迎しようではないか。

 ……その結果として君らの国がどうなるか。それを知りたいのであれば、だが」

 

 

 モモンガが言葉を伝えると、騎士たちは頭を地に着けた状態から更に下げようとして、ガクガクと額で地面を掘り返している。

 もし意地悪をして顔を上げさせれば楽しいかもしれない。顔に浮かぶ絶対的な恐怖が透けて見えただろう。

 

 

「顔を上げよ……。よし、これで良いな、魔法も効果があるようだ。

 さて、実験も終わった。もう行くがいい。そして確実に主人に伝えろよ?」

 

 

 

 モモンガが持つ杖が赤い光を発する。それを見た騎士たちは一瞬で表情を失い、そして再び恐怖と諂いの笑みを浮かべた。開放の命令を聞くと必死の勢いで走り出す。

 彼らからの身体能力からすれば驚異的とも言えるスピードだろう。鎧の金具が弾け飛びそうになるほど、一秒だってこの場に居たくない、という。絶対的な恐怖が原動力となっている。

 

 

 

 

 

「さてさて。無事に脅威は去った訳だけれど……。この村のリーダーは誰だい?」

 

 

 空気を変えようとしたケイおっすが、パンパン、と手を叩く。

 脅威は去った、という表現をした事で意図が伝わったのだろう。暫くは顔を見合わせていた村人たちも少しずつ緊張を緩める。そして堰を切ったように何人かが崩れ落ちた。

 先ほど足を貫かれていた村人が駆け出し、即席に築かれたバリケードの隙間から飛び込んで声を上げる。決死の覚悟であったろう場所に安堵と祝福が満ちる。随分と雰囲気が和らいだ。

 

 

「あ、わ、私です!」

 

 

 暫くして一人の男が進み出た。押し殺せぬ恐怖を抱いたまま前へと進む。

 モモンガの脇に控えているデスナイトに視線を送り、下手に近づくと切られるかもしれない、とでも思っているのだろうか。決死の覚悟を絞り出している感じだった。

 それでも怖い物は怖いらしく、隠れ家から引きずり出された小動物のような動きで、おずおずとケイおっすの近くに来て腰を折る。

 

 

「デスナイト、騎士たちを見ておけ。セバスは共をせよ。

 ……さて、村長どの? でいいのかな。怪我人も居るだろう、まずは負傷者を集めたまえ。

 放置して死にました、では後味が悪いからな。うちの執事ならば治療できるのでね。話はその後だ」

 

 

 怪我人という言葉に反応し 「そうだ、エンリとネムが!」 野太い叫び声が上がる。

 やはり先ほどの彼だ。それ以外にも家族の安否に行き着いたのだろう、何人かがさっと顔色を曇らせ、本当に動いて良いのかと怯えたように伺いの視線が飛ぶ。躊躇いなく駈け出した人間は少数派だった。

 

 

「構わんよ。だが、騎士は此方で始末させてもらおう。治療の代価とでも思ってくれ」

 

 

 仇である騎士を勝手に処分してしまう。それについて村人は何も言わなかった。

 あのデスナイトがどのようにして制作されたか、それを考えると、幸せな未来は想像できなかったのだろう。

 物のように投げ出され苦痛の呻き声を上げる姿を見て、それなりに溜飲を下げたのも大きい。

 

 村人たちが散会するのを見計らい、セバスの号令で影が立ち上がる。

 潜んでいたシャドウデーモンたちが騎士の身体に取り付くと、大地を滑るようにして犠牲者を連れ去っていく。

 

 

「……おや、あのような子供まで。それも女の子ですか。しっかり治してあげませんと」

 

 

 それと入れ替わるようにして、先ほどの男が子供を背に走ってきた。

 影の中にいるシャドウデーモンには気付かなかった、というか気付く余裕がなかったのだろう。少女とはいえ2人を背負ったまま必死の全力疾走である。それも騎士と並ぶぐらい早い。

 その様子をセバスは微笑ましそうに眺め、偉大で寛大な自らの主に対し感謝の言葉を捧げた。

 

 

 

 



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第五話 エンリ

 

 

 村人が次々と治療されていく様子を眺めていると、一人の少女がモモンガへ近付いて来た。

 妹を守るため騎士に立ち向かったらしい勇敢な村娘だ。鎧ごと殴り付けたのか手の骨が酷く砕けていたとかで、治療を担当するセバスも感心したように頷いていた事を覚えている。

 

 

「え、えっと、すみません」

 

 

 エンリというらしいその少女の外見に特別な部分は無い。強いて言えば顔が良い方な事か。

 ただし背中を切られたらしくボロそうな服は構造が歪んでいる。元からセンスがあるかと言われると微妙な服だったが、現在では更に微妙な感じにだぶついてしまっていた。セバスのスキルでも単なる布切れまでは接合されないので仕方が無い。

 

 モモンガの隣には護衛として……モモンガを独りにする事はセバスが嫌ったので……デスナイトが控えているため、わざわざ近づいてくる村人は皆無だった。

 遠巻きに頭を下げる者は多かったがそこまでだ。それを若い少女が覆したのだから珍しく思う。モモンガとケイおっすの2人はエンリに顔を向けた。

 

 

「よい、セバス、デスナイト……。どうかしたかな?」

 

 

 そんな大人でも怯えるような存在に対し、少女は何か決意を秘めた表情を携えて歩み寄る。

 一歩前へ出ようとしたデスナイトに威圧され 「ひっ」 と小さく悲鳴が漏れるが、モモンガが片手を上げて制すると再び歩を進めた。

 少女の顔には隠しようのない恐怖も混ざっている。だたしそれ以外には憧れや敬意、そういった感情が強く現れているようだ。頬に涙の跡が残っているのは先ほど両親と抱き合っていたせいか、それを意識すると目の周りが赤くなっているのが分かった。

 

 

「凄い……。やっぱり、凄い人だったんだ……」

 

 

 モモンガの姿を改めて視認して。無意識らしい呟きが少女の唇から漏れる。

 その瞳はヒーローを前にした少年、あるいは王子様を見つけたヒロインのようで、目の端に残る涙の残滓もあってキラキラと輝いていた。

 

 そんな子供らしい純粋な視線を向けられる。ケイおっすは思わず視線を逸らした。

 純粋な相手からの笑顔に対して 「眩しい……めっちゃ輝いてる」 と思う程度には人間性が残っていたようだ。モモンガの方も杖を握る指先をガントレット越しに擦り合わせていた。

 偉そうな演技のまま胸を張っているが明らかに落ち着きがない。チワワとかの小動物に視線を送られて困っている(外見)コワモテ系社会人の図である。

 

 

「あ! あの、えっと……。村を助けていただいて、ありがとうございました!

 私、騎士に追いかけられて、もう駄目かと思って……。本当に!」

 

 

 視線を返された事で状況を思い出したらしい。エンリは背中が見えるほど深く頭を下げた。

 少女の動作にセバスのような流麗さはない。ただただ剥き出しの感謝がそこにある。

 デスナイトに対する恐怖が小さかったのはこれが理由だろう。命を救ったヒーローであれば多少の種族の違いなど、意思一つで乗り越えられる程度の物であるようだった。

 

 

「なに、騎士が少しばかり不愉快だっただけさ。気紛れのような物だよ」

 

「それでも、私達は助けて頂きましたから。ありがとうございました!」

 

 

 モモンガは頬を赤らめていそうな態度で視線を彷徨わせる。その骸骨の顔に筋肉が残っていたら、さぞ、もにょもにょした表情になっていただろう。

 まさかここまで素直に感謝されるとは思っていなかったのだろう。それか 「相手は子供だし偉そうに返すのはどうなんだろう。あんまカッコつけても伝わらなかったら寒いよな……」 とでも悩んでいるのかもしれない。ケイおっすはその様子も含めて微笑ましく思い、テヘヘと言いながら八重歯を見せた。

 

 

「う、うむ。そうだな」

 

 

 絞り出した返答がこれである。ケイおっすは今度こそ噴き出してしまう。

 これほどモモンガに通じた理由として、一つに顔の造形が身近である、という事実があった。

 このエンリという名前の少女とて不細工ではない。言うなれば映画のメインではなく背景に居そう感じの、程々の美人というヤツだろうか。ゲームで言うと幼馴染系の顔立ちである。

 

 中身は一般人であるモモンガとケイおっすからすれば、このぐらいが丁度良いのだ。

 ちょっと可愛い女の子に感謝されるぐらいならともかく。ナザリックのメイドは誰もが美しすぎて、それこそハリウッドの主演女優でも足りない。そんな存在から神のごとく崇め奉られるのは……。ちょっと疲れる。

 今だってセバスが物凄い神妙な顔で此方を見ていたりするし。

 

 

「はは、マスターったら、照れちゃって」

 

「ちょ、からかうのは止めてくださいよ、ケイおっすさん。演技がバレちゃいますって」

 

 

 やはり人間を逸脱した事はストレスになっていたのだろう。激流の如きイベントの数々に翻弄されていた2人にとって、エンリからの感謝は一種の清涼剤として認識された。

 ギルドの初期が異形種プレイヤーの救済だった頃の思い出とも重なる。PK主体になる前は初心者から感謝される事も多かったと。当時を思い出したのかモモンガは動きを止め、空虚な眼下の先を懐かしき過去へと向けた。

 

 

「そういえば……。ナザリックがまだ無くて、ギルドの活動が報復PK主体になる前は。こうやって初心者から感謝されたりとか、あったなあ……」

 

 

 しみじみと呟くモモンガの言葉に、ケイおっすも自分が初心者だった頃を思い出す。

 元は異形種のプレイヤーを救済するためのギルドだった、アインズ・ウール・ゴウン。

 そこにケイおっすが加入したのは……。ユグドラシルを吹き荒れるPK合戦の前に、救済ギルドからPKギルドに移り始めた、ちょうどそんな頃だったか。

 

 

「ふーむ。ボクが入った頃はもう、PKも増えてたからなあ。……でも、助けて貰ったのは忘れてないよ」

 

 

 社会人になると金銭的な余裕は生まれる。しかしそれを使う時間的な余裕が消えてしまう。

 ケイおっすもその典型だった。休日だからと言って遊びに出掛ける程の体力も気力も残っておらず、一日中家でゴロゴロするばかり。暫くして業務に慣れても気力を絞れる程の趣味もなく、家と会社との往復に虚しさを感じていた頃だった。

 

 ならば……と思ったのが、当時話題を攫っていたネットゲームだ。

 自宅に居ながら今は亡き大自然を観光できるツール。作り物であっても旅行に行くよりはずっと安い金額で楽しめるし、まあちょっとした癒やしにはなるだろう。

 そう考えれば悪く無い、そんな軽い気持ちで始めたのが……、このユグドラシルとの出会いだった。

 

 

「ええ、当時は本当に流行っていましたからね、異形種狩りって。

 まあ異形種だけが被害者という訳でもなく、ペナルティが無いのはお互い様ですし。そのせいで異形種なら初心者でも未来のPKだから殺していい……なんて風潮までありました」

 

 

 観光を楽しむ、その意味では開始時期が悪すぎた、見た目の面白さを優先してしまったチョイスも最悪に近い。目的に対してはどう考えても適切とは言い難い状況だった。

 異形種狩りが流行っている時勢だっただけに初期フィールドでさえも荒れていた。当時スワンプマンという手足の造形が突き出した泥の塊だったケイおっすは格好の標的となり、同じ初心者プレイヤーにまで面白半分で攻撃される有り様だった。

 

 風景を楽しむ事がメインだとしても、ただ一方的に殺される趣味はない。

 ならばと反撃していたら生意気だとか罵倒され、その初心者が入っていたギルドの先輩らしい人間が出てきて。更にイチャモンに近い言葉を投げ付けられながらPKされてしまった。

 逃げてもリスポーン地点まで追って来るなど悪質な相手だったと思う。しかしログアウトするのも負けた気分だぞ、と。意地になって殺され続けていたところを、颯爽と助けてくれたのが……。

 

 当時はリッチになったばかりの、モモンガさんだった、と記憶している。

 

 

「装備とか今と比べると貧相だけど、あの時のマスターはカッコ良かったよ?

 即死系のスキルであっという間に倒しちゃってさ、アレが無かったらボクはここに居なかっただろうなあ……。

 人間系のキャラで作り直して、適当に観光するだけのライトプレイヤーだったかも」

 

 

 実はクエストの都合からPKが必須で、人助けはオマケのような状態だったらしいが。

 その場でフレンドリストに登録させてもらい、最低限の強さは欲しいぞと思ったのでキャラメイクの相談をしたり、同じ社会人だと気付いてからは愚痴を言い合ったり。

 その縁があったおかげでギルドに誘われ、拡張期を迎えていたアインズ・ウール・ゴウンに仲間入りさせて貰う事になった。

 

 相談できる相手と切磋琢磨できる仲間たちが増え、そしてこのゲームの面白さに気付く。

 複雑で分かり難いと思っていたシステム周りなど、最も顕著な変化だったと思う。いざ理解が進むと一筋縄ではいかない奥深さこそが急速に面白くなってくる。

 装備の更新や新しいスキルの習得、PKに対向するためのプレイヤースキルを磨くなど。連日限界までINするようになるまでほんの数日だった。

 

 ケイおっす自身も意外に思ったほどだ。自分がここまでネトゲにハマるだなんて、と。

 ただログインして駄弁る、それだけでも楽しかったし、ギルドの皆と馬鹿騒ぎしたり狩りに行ったり愚痴ったり。日々のストレスもあってユグドラシルは本当に癒やしだった。

 なにせナザリック地下大墳墓をギルド拠点として手に入れた時など、感極まってしまい現実でも酒盛りをしたぐらいである。ただし祝い酒を飲み過ぎ珍しく二日酔いになってしまい、仕事でポカをしそうになって大変だった、それも今では良い思い出の一つだ。

 

 

「私もたっち・みーさんと出会わなければ、そうでしたでしょうね。

 ああ、本当に懐かしい……。ケイおっすさんが持ってきた資料を囲んで、喧々囂々の議論で作った武器の数々、宝物庫にあるはずですよ。後で見に行きましょうか」

 

 

 モモンガほどではないが、給料をガチャに突っ込むのも日常茶飯事となった。

 幾多のアイテムの中でも刀剣類には特に心を踊らせたのを覚えている。無骨を極めたからこその美学というやつで、この辺りは武人武御雷さんが特に賛同してくれた。

 しかしケイおっす本人にデザインやプログラムの知識は無い。なので主に参考データの提供という形で活躍していた。

 

 ユグドラシルを始める前から刀剣類は好きで、学校帰りに古本屋を見て回っていたのだ。

 今は亡き父親の趣味を手伝う、という意味もあった。父親はその手のムック本や雑誌を……流石に現物は無理なので……収集する事だったから、影響や遺伝もあったのかもしれない。

 父親のコレクションの中には百年以上前に発行された紙媒体の書物も混じっており、それら希少なデータは話のネタとして、そしてユグドラシルの中で武器を作る際にはアイディアの一つとして役に立った。

 

 

「……おっと、つい話し込んじゃった。悪いね」

 

「おぉ、すまないな。少女よ」

 

 

 自分を眺めているエンリの視線に気付き、ケイおっすは思い出の中から帰還する。

 同じく過去に思いを馳せていたモモンガも雰囲気を引き締める。偉大な支配者らしく背筋を伸ばした。

 

 

「いえ、その……。凄い人たちだったんですね、本当に……。

 あ、すいません! その、こんな事しか、言えなくて。その」

 

 

 口の端から零れ出た冒険話を聞かれていたようだ。エンリは神話の一端を耳にしたような表情で呆然としており、目を輝かせる様子はいっそ清々しいレベルで感動で満ち溢れていた。

 しかし自分ごときが首を突っ込むのは失礼かもしれない、と考えたのだろう。少女は慌てて頭を下げ、繰り返しペコペコしていた。その様子も微笑ましく映る。

 

 

「えっと、私と妹のネムと、お父さんを助けて頂き、本当にありがとうございました!」

 

 

 謙遜するモモンガの様子は真に尊いヒーローに映ったらしい。相手が幼い少女だけあって感情移入もしやすく、キラキラした目は愛くるしいワンちゃんを彷彿とさせた。

 微笑ましそうにセバスが笑う。するとエンリは頬を染めて照れたように顔を伏せる。

 照れながらも目線はチラチラと動いており、ケイおっすの着ている服などにも顔で上目遣いで憧れを向けているのが分かった。ここまで素直だと人間でも可愛いものだ。

 

 

「……村長! あ、その……村に、騎士のような連中が、接近していると!」

 

 

 ただし、微笑ましい時間は長く続かない。広場に飛び込んできた悲報により流される。

 モモンガは和んでいた気分を邪魔され 「また面倒事か……」 と小さく呟いた。忌々しそうに報告者の男を睨み、いやいや彼は悪くないんだよな、とクレーマーの面倒さを知っている営業職らしい溜息を漏らす。

 

 

「……はあ。エンリといったか? この角笛を持っていろ。危機を感じたら吹き鳴らせ。

 ゴブリンを手下として召喚する効果がある。私の所持する中では極めて非力な、無力に近いアイテムだが、それでも無いよりはマシだろうからな」

 

 

 虚空から生まれたように見える角笛が軽く投げ渡され、少女は神から承った物を抱える程の慇懃さにより、前のめりになって倒れそうなほど深いお辞儀を繰り返す。

 村長の支持により避難を開始するようだ。何度も振り返りながら頭を下げている少女を目尻に見送ると、モモンガは小さく咳をしてセバスに向き直った。

 

 

「ん、八肢刃の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)……?」

 

 

 一瞬だけ訝しんだモモンガだがすぐに納得する。後詰として派遣されてきたのだろう、と。

 真っ黒い忍者風の服装に身を包んだ、ミュータントな亀ではなくて蜘蛛の魔物である。大型かつ異形の姿は牧歌的な村の風景とはあまりに似合わない。

 それが平然と立つ様子に首を傾げたが、この魔物の特殊能力に不可視化を与えるものがある事を思い出し、モモンガは未だ訝しげに視線を往復させているケイおっすにもそれを伝えた。

 普通に見えるし存在を感じられるので、何故周囲が気付いていないのか分からなかったのだろう。 「あー、そういえばそうだった」 と言いながら手をポンと打ち合わせる。

 

 

「世辞はいらん。お前たちが後詰か……。指揮者は……、ふむ、ふむ。十分だな。

 とりあえず、この村は我がギルドの支配下に入ったと認識してよい。だから襲撃は不要だ。それと支配下とはいえ、人間たちの思考を鑑みるのは面倒だしな。その支配についても……人間たちの勝手に任せても良かろう。あくまで彼らから支配下に入る、という形が望ましいしな。

 それに愚かな存在だからこそ、我々の思考では浮かばぬような事も浮かぶかもしれん。今後の展開のためのモデルケースのようなもの、これ自体の価値は低くても構わん」

 

「はは、なんか過剰戦力が来てるみたいだね……」

 

 

 恐ろしく物騒な事を考えていたようだ。ケイおっすはモモンガの姿を見ながら小さく笑う。

 口調はともかく内情は色々と必死そうである。引き連れられた大部隊に目眩を覚えたようだが、とりあえず周辺の精査に流用する事にしたらしい。

 

 反射的に撤収させようとして、折角動かしたのに勿体ない、と考え直したのだろう。

 あの騎士たちの行為が略奪であれば単独で動くとは考え難い。それを輸送するための部隊が存在すると考えるのが普通であるし、異常を探知して別働隊や後詰めがやってきた可能性もあった。

 少数精鋭の弱点は人海戦術が取れない事だ。余裕が有るのだから、動かせる人出は多い方が便利だろう、とケイおっすは軽く考えている。

 

 

「はあ。次から次へと、問題ばかり起きるな。

 騎士たちから情報を聞き出して、どれほどの強者がいるのか、アイテムの普及具合とかも確認を取らないといけないのに……。今度こそ危険な手合が……」

 

 

 モモンガはぶつぶつと思案を漏らす。その姿は圧倒的な支配者と呼ぶよりも、上司から無茶な指令を叩き付けられたサラリーマン、それに近い感じだ。

 上は上なりの苦労があるんだよ。かつて上司が飲み会の時にポツリと漏らした呟きを思い出し、会社での上司は嫌な奴だったが苦労はしてたんだろうな、と今更に実感する。

 

 

「あー、マスター? ボクが居るじゃない! ってのはネタだけどさ。

 一人で悩まないでも大丈夫だと思うよ? デミウルゴスとかめっちゃ頭良さそうだったし。伝え難いならこっちが伝えておくし」

 

 

 元気付ける意味も込めて、ケイおっすはモモンガの背をポンポンと叩いた。

 用心は必要だが臆病になるのは面白く無いと思う。それにケイおっすなりの思考もあるのだ。

 

 

「楽観的かもしれないけれど。ボクはマスターを、ナザリックを信じている。

 あの41人で作り上げた、努力と叡智と、そしてお馬鹿の結晶、その皆をさ? だから大丈夫でしょ、きっと。頼りになる守護者にも恵まれてるしさ!」

 

 

 仮にプレイヤーのような超存在が居たとして、世界に与える影響は物凄く大きい。

 ナザリックの戦闘メイド達でもそうだ。先ほどの騎士ぐらいなら数千、いや万単位で虐殺できるだろうし、そのような戦力が自由に動いた結果という物は相応の痕跡として残ってしまう。

 彼らが特別に弱かった、という可能性もあるが。ならば村人だって反撃ぐらい出来たはず。デマの類ならともかく完全な隠蔽は無理だろう。

 

 

「それに、もし手に負えない存在が居ても、ナザリックで迎え撃てば良いじゃないか。

 上位プレイヤーのギルドごと転移、とかしてたら不味いだろうけど。その時は盾ぐらいにはなるよ? ボク。

 消耗品の問題とかはあるかもしれないけど。騎士の持ち物にはポーションとかあったし、こっちでも補給が出来ない訳じゃあないでしょう」

 

 

 ケイおっすは肩を竦める。元より深く考えるような質ではない。

 必要なら悩みに悩むだろうが、分かっても分からなくても、最終的にはノリで動くタイプだ。

 流石に他人とパーティーを組んでいる時などは自重するけれど。ソロで適当に散歩しに行って死にかけるという経験も何度かしていた。それで簡単に死なないのは耐久力型の意地である。

 

 

「ハハハ、そうだ、そうだな……。皆となら乗り越えられる。乗り越えられるんだ。

 セバス、すまない。お前たちの実力を疑うような真似をして。

 隠れた存在が居るのなら、暴けば良い。強者がいるのなら、乗り越えれば良い。我はナザリックの支配者なのだから」

 

 

 モモンガはガントレットで覆った手を持ち上げ、自分の顔ごとマスクを握り締める。

 その様子に対しセバスは感極まった様子を見せていた。目尻に涙すら浮かべる勢いで感動しているようだ。

 

 しかしケイおっすからすると……。曰く付きの嫉妬マスクなんて被っているから、思い切り変な意味にしか見えない。なので苦笑いを返しておく。

 ケイおっすも所持しているので他人事ではないけれど。顔を隠すにしたってあのマスクはないだろう。思い出し笑いが浮かんで緊張が抜けていった。

 

 

「まあ、騎士って事は人間だろうしね。最悪、この村ごとカオス・ブレスで埋め尽くせば、何とかなると思うよ。ボクは熱源探知とか音波探知も出来るから」

 

 

 カオス・ブレスは息吹系のスキルで、3種類までの属性を混合して放つ事が可能だ。

 個々の効果は低下するので主に弱点の割り出しに使っていた。薄汚い虹色として吐き出されるので見た目からは属性が判別できず、スキルなどによる能動的な対策が難しい、という理由から。

 

 つまり直接的にはあまり使い道の無い、対人戦以外ではネタスキルだったのだが……。

 

 村人の反応を見る限り、人間は苦痛の中だと動けないらしい。

 ならば猛毒や強酸で粘膜を焼き尽くすのは効果的だろう。皮膚がドロドロに溶ければ動くだけでも苦痛が走る。強い刺激性のある気体が充満すれば呼吸した瞬間に咽返る。

 防御のマジックアイテムを有していようとも無効レベルでなければ厳しい。カオス・ブレスならば毒と酸と麻痺と混乱など、ケイおっすが持つ全てを対策しない限りは効果を発揮できる。この辺りは異形種の強みと呼べるだろう。

 

 

「そうだな……。猛毒や催眠ならば、私には効果が無い。凶悪なコンボとなる。

 魔法の多くもターゲットを明確に認識しないと使えない筈だ。或いは効果が格段に落ちる。煙幕は有用だな」

 

 

 またユグドラシルではシステムの都合上、発生から数秒もしない内に消滅してしまうが、此方では少し違うらしい。空気より重いガスと同程度には残留する性質を持っている。

 その辺を飛んでいたハエを鬱陶しく思い、試しに撃ち落としてみた結果として判明した。危うく家の壁に大穴を開けるところだった。

 

 なので場所を選べば霧の如く満たす事も可能と思われるし、最も平和的な睡眠属性のブレスは濃密な白い色をしているので、最悪でも煙幕代わりにも使えるとケイおっすは判断している。

 ただこの点はデメリットにもなり得るだろう。後処理の必要があるとも言えるのだ。

 強酸ブレスは周辺の物体とも反応し続けてしまう。効果時間の上限はどうしても存在するし、その際には溶かした物の関係で予期せぬ毒ガスが発生する可能性など、その辺りの事も考えていく必要がありそうだった。

 

 

「ユグドラシルでの仕様上、全ての攻撃に耐性を持つ事は不可能である筈だ。

 仮に完璧な耐性を有していたとしても、転移などで致命的な状況へ追い込むのは可能……。人間であれば呼吸も必要のはず。それに炎を無効化する能力で熱湯を無害化出来るかも試していないな……。猛毒の熱湯で満ちた無酸素の部屋を作っておくのも悪く無いか……。

 よし、レベル1000の人間が居たとしても、確かに対処は可能だな。礼を言う、ケイおっす」

 

 

 背筋を伸ばし胸を張る。モモンガは真の自信に満ち溢れた姿となった。

 やがて避難を終えた村長が騎士と立ち会うために戻って来て、今度は包囲などはせず素直に村へと入って来るのを確認し、警戒はすれども幾分か震えは小さくなる。

 

 迎え撃つように背筋を伸ばす。モモンガは絶対強者として彼らを睥睨した。

 

 

 

 



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第六話 王国戦士長

 

 やがて広場へと続く中央の道の向こう、先程よりも統一性のない一団が見え始めた。

 騎士というよりも傭兵という言葉の方が似合っているだろう。様々な武装をざっと眺めた限り目ぼしい物はない。ナザリックならば日用雑貨にさえ使われないような素材の品ばかりだ。

 外見では判別できぬ特殊なマジックアイテム、だとしても貧相すぎるか。仮面越しに鋭く睨んでいたモモンガだが心配性が再発したと呟きながら肩を竦めた。

 

 やがて一団は馬脚を緩めながらも、乱れぬ動きで広場へと入って来る。

 村を襲っていたのとはデザインが違う鎧を着た集団だ。不安を覚えていたらしい村長の顔色が少しマシになり、あれは王国騎士の鎧ですよ、と胸を撫で下ろしながら教えてくれた。

 

 

「――私は、リ・エスティーゼ王国、王国戦士長ガゼフ。この近隣を荒らしまわっている帝国の騎士達を退治するために王の御命を受け、村々を回っているものである」

 

 

 外見通り岩が擦れ合うような声が響き、モモンガの隣に立つ村長が驚いた顔をして 「あれが……」 と小さく声を漏らす。内容はともかく場上からの宣言にセバスが眉を顰めた。

 モモンガの代わりにケイおっすが小声で尋ねると。 「その、商人から聞いた話でしかないのですが、王国で最も優れた戦士だと聞いた事があります。御前試合で優勝を果たしたとか」 村長は恥ずかしげに言葉を切った。 「ただ聞いただけでして、生憎と顔までは……」 機嫌を伺うように申し訳無さそうな顔を浮かべて頭を下げた。

 

 

「……ケイおっすさん、強さとか、分かりますか?」

 

「うーん、本気じゃないから、今はちょっと……。

 もしかしたらマジックアイテムとかで隠蔽してる可能性もあるし。まだ分からない。正確に言うと後ろの人と区別が付かない……」

 

 

 彼らは胸に同一の紋章を刻んでいる。しかし有名であればあるほど、偽装など簡単だ。

 今度は王国側の偉い人か。あっさりと信じかけたケイおっすは 「へー」 と呟いて。それを耳にしたモモンガから 「ケイおっすさん、偽物の可能性もありますよ」 と注意されてしまった。

 やっぱり自分は交渉事には向いてない。ケイおっすはバツの悪そうな顔で視線を逸らす。

 

 

「村長どの、そちらの方々は? 失礼かもしれないが任務なのでね。答えて頂けると仕事が早くて助かるのだが」

 

 

 村長から順に視線が向けられる。魔法使い、メイド(?)、執事、という組み合わせは彼でなくても首を傾げる内容だろう。これで平然としていたら、彼がプレヤーだと疑ってしまう。

 特にケイおっすの頭部にある小さな角に気付いたらしい。目立つ金銀の髪で半ば埋もれているのだが観察眼は鋭いようだ。敵意と呼べるほど厳しい視線が迸った。

 

 

「おお、此方の方々は、村を救ってくださったのですよ!」

 

 

 村長は必死で伝える。しかしガゼフの顔は硬いままである。

 邪悪な者であれば誰であれ、対処せねばならない。彼の態度がそう告げていたし、背後の隊員たちも無言のまま戦闘準備に入っている。

 魔法の中には精神操作を行う物もあるのだ。ケイおっすのような異形種、いや現在の見た目だと亜人種と認識されているだろうが、偏見だとしても疑わざるを得ない立場なのだろう。

 或いは威圧する事で此方の出方を伺っているのかもしれない。そうだとしても友好的な接触だとは言い難い状況だった。

 

 

「どうする? 【レイザー・バースト/爪骨爆裂】のスキルを使えば、彼らほぼ全員が効果範囲に収まってるけど」

 

 

 背後など死角を潰すため眼を生み出しながら、ケイおっすはメッセージの魔法を送る。

 名前を出したのはクレイモア地雷とほぼ同じ効果を持つスキルだ。鋭い爪や骨の破片を指定方向に向けて撒き散らす。ユグドラシルでは近~中距離に分類されている技である。

 

 威力自体は低いし少量ながらHPを消費するが、その代わりにクールタイムが短く連射が可能であるため脆い対空キャラを撃ち落とすのに便利だった。それ以外では回数制限のある障壁魔法を削る嫌がらせとか。ケイおっすが持つスキルの中ではかなり使い勝手が良い。

 また破片には毒や麻痺などを付与する事も出来る。特にカオスシェイプであれば猛毒や睡眠を含む爪牙を生成できるため、耐性などが充実している事が多い重戦士系のキャラクターが相手だと厳しいものの、攻撃に特化している術師キャラを削り殺す際には効果を発揮した。

 

 

「そうですね……。まずは交渉しましょうか。決裂して襲ってきたら偽物扱いして殺す、捕縛が可能なら偽物として捕縛で。私としては実力を見せつけた上で送り返したいですね」

 

 

 戦士長という肩書きが気になったらしい。モモンガは穏便な接触を選ぶ。

 とにかく情報が欲しいのだろう。 「顔を知らない村長が相手なら、偽物だったと言えば簡単に騙せるでしょうし。もしもの時はケイおっすさん、村に多少の被害が出ても構いません」 と伝えられる。

 

 

「りょーかい。捕縛メインね」

 

 

 ケイおっすは少しだけ悩んで、軽く握り込んだ右手の指先を変化させる事にした。

 人差し指に意識を向けるとヤツメウナギに似た牙を持つ蛇の魔物に変異させ、軽度の睡眠耐性ならば貫通できる強力な睡眠ガスを蓄えさせる。その他の指からはクモから生えるような硬質な毛針をワサワサと伸ばした。

 皮膚からの吸収の分でも十分だとは思う。だがモモンガの用心を見習う事にした。

 ガスの場合、呼吸を止められると……ユグドラシルでは細かすぎる呼吸判定などは無かったと記憶しているため……効果は落ちる可能性が高い。しかし直接に投与すれば効くだろうと判断して。

 

 またスカートの中ではスパイクシューズのような、湾曲した爪を持つ触手足を無数に追加。人間の足では構造上不可能なダッシュを可能にするスキルの前準備を行う。

 これを地面に打ち込みながらの機動は素早く、またネタとしては非常に受けが良かった。

 外装が人間だからこそ稲妻のように地上を駆け回る動きは読まれ難い。直立したままでも触手の動きだけで自由に方向を決定できるため、人間部分のモーションで身体を傾けるなどフェイントをかけてやると、初見ならばほぼ確実に引っ掛かるのだ。

 

 

「あの馬、ちょっとぐらい齧ってもいいかな? 馬刺しって食べてみたかったんだ」

 

 

 身体を人型から外した影響だろうか。少しばかり食欲が湧き上がってくる。

 ケイおっすが赤い舌先を覗かせて唇を舐める……と、馬は雰囲気で察したらしい。訓練を受けた軍馬であっても本能的な部分は失われていないのか、捕食者からの視線に恐怖したのかタテガミや尻尾を逆立てながらブルリと震わせる。

 調教された自制心を発揮してそれ以上の行動は取らなかったが、馬上の主へと助けを求めるように小さな悲鳴を漏らした。ガゼフは愛馬の異変を察したらしく驚いた顔で視線を下に向ける。

 

 

「……ケイおっすさん、食欲は後にしてくださいね?」

 

 

 半分ほど冗談だったのに。呆れを含んだメッセージを送られてしまう。

 お淑やかに見えるよう口元を抑えたケイおっすだがどうやら遅かったらしい。モモンガからは呆れ顔をされ、ガゼフからは何か不気味な物を見るような眼で見られてしまった。

 

 この身体になってから食事を取っていないせいだし。別にボク食いしん坊キャラじゃないし。……美味そうなのが悪いんだよ、ウマだけに。ケイおっすは笑って誤魔化す事にした。

 モモンガから次に送られてきたのは明らかな愛想笑いの言葉だったが、それで程よく緊張が解けたのだろう。ギルドマスターは尊大な支配者という演技を構築するとガゼフに視線を送る。

 

 

「はじめまして、王国戦士長殿。私はナザリック地下大墳墓が主、モモンガ。そして友人のケイおっすと、彼がセバス。……職業は見れば分かるでしょう?

 この村が騎士に襲われているのを見ましてね。助けに来たのですよ」

 

 

 モモンガは慇懃無礼な調子を声に滲ませる。言外に 「お前らの代わりにな」 と乗せて。

 それを受けたガセフは僅かに目を細めた。村長の顔色を読もうと鋭い目線を送っているが読めるものではないだろう。必死に肯定している動作さえ疑い出したらキリがない。

 

 

「……」

 

 

 村長から視線を外したガゼフは疑わしげに首を向けた。モモンガを睨む顔に深い皺が寄る。

 実に怪しげなマスクだ、と思っているのだろうか。そんな物で顔を隠している魔法使い、そんな存在に対し警戒するのは仕方が無い話かもしれなかった。

 

 セバスは自らの主に向けられる視線に対して眉を寄せ、態度こそ変えずともやや不愉快そうに鼻息を漏らす。だが一方では仕事熱心さを褒めているような雰囲気もある。

 確かにガゼフという人間は真っ直ぐな印象が強い。権限を振り回す愚物ならば卑屈な雰囲気があるだろう、しかし彼にはそのような雰囲気が無いので、とケイオッスに小声で伝えてくれる。

 髪の毛の1本を極細の蛇に変えて近づけていた。流石のセバスはそれも認識していたらしい。凄い執事である。

 

 

「ほう……助けに? あのような存在を連れて?」

 

 

 向き直って。ガゼフが最も注目したのはやはり、暴力の顕現たるデスナイトだった。

 データ上では防御に向いたモンスターだ。攻撃能力はやや低いが、どのような攻撃を受けても一撃死はせずHP1をだけ残す、という特性がある。

 つまり戦士長らしいガゼフがいくら強くても一撃では倒せない。襲い掛かれば必ずモモンガやケイおっすからの反撃を許す事になる。非常に絶望的な組み合わせだろう。

 

 それに外見が齎す威圧感。ガゼフと較べてさえ大人と子供のような体格差があった。

 王国最高の戦士(?)である彼とてデスナイトの前では貧弱な坊やに見えてしまう。明らかに人間からは逸脱している身体の厚みなどオーガ級だ。アレを見て 「実は装備の関係上モモンガより筋力値が低い」 とは思わないだろう。

 またアンデッドは多少の損傷など無視して、しかも疲労せず動けるという利点もある。その事実はガゼフたちも知っているだろうから、生身を持つ自分たちの方が不利だとの判断も加わる。

 

 

「私の護衛です。見ての通り、魔法使いですので」

 

 

 細かい性能まで把握しているかは微妙、だが警戒されているのは事実。

 ガゼフが放つオーラは相当なものだ。単なる村人である村長の顔は見る間に青ざめていく。

 同じく晒されているケイおっすはちょっとだけびっくりした。害がなくてもホラー映画のギミックに驚かされるような物だ。ワッ! と声を上げられたと言っても間違いではない。

 幸いにも動いたのはスカートの中の足であり、外見上は平然と受け流しているように見えたので大人しくしておく。

 

 

「……失礼した。村を救っていただき、感謝の言葉も無い」

 

 

 しかし張り詰めていた緊張は唐突に緩む。直前までの雰囲気が嘘のように消えていた。

 彼は身軽な動作で馬から降りると視線で部下たちに命令を下す。誰が言うまでもなく全員が馬から降り、同じ目線に立つと改めて顔を向けた。

 そして深々と頭を下げる。金属のブーツが打ち鳴らされる音が響き、踵を合わせた事が切っ掛けだったように、ガゼフを含む全員が敬礼を行っていた。

 

 仮にも王国の戦士長ともあろう人物が。身元不明の存在の前で、馬を降りてまで一礼を行う。その行為に対し空気がザワめいている。

 誠実な人間である事は間違いがない。その瞳に浮かぶ色はどこまでも潔白であった。

 戦士長という地位がどの程度の物であるかは不明だが、王国一の戦士となればそれなりの特権階級であると推測できる。それでもなお誠意を示す行動にはガゼフの人柄が現れていた。

 

 

「いえいえ。何分、誤解されやすい外見である事は否定できませんしね。

 此方も少しばかり意地悪な態度でした。その代わりとは言いませんが、周辺を荒らしていた騎士のような連中でしたら、此方で確保しています。少なくとも情報はお渡し出来ますよ」

 

 

 悪い人では無いんだな。ケイおっすは眼前の騎士たちを見なおした。

 それはモモンガも同じだったらしい。想像と違ったのか言葉にも驚きを含んでいる。情報源になり得る存在を手放すという譲歩もしてみせた。

 

 襲撃者たちは"まだ"無事だろう。引き渡せない事もない筈だ。今のところは。

 その言葉に含まれる微妙なニュアンスを察したらしい。ガゼフの目が僅かに細められる。せっかく警戒が緩んだのに間違えたかな、なんてメッセージがケイおっすの脳裏に届いた。

 

 

「それはありがたい。更にお願いを重ねるようで申し訳ないが、ニつほど……」

 

 

 ガゼフの視線はデスナイトに向かう。彫像のように動かない、しかし圧倒的な存在に。

 人間では運搬すら困難だろう巨大なタワーシールドに加え、通常ならば両手でさえ持て余すような武器を、恐らくは小枝のように振り回すだろう。それが目を引かないが訳がない。

 モモンガからすれば 「こいつ、何時消えるの?」 という疑問の対象でしか無いアンデッドなのだが。チラリと視線を送ったモモンガの真意は幸いにも伝わらなかった。

 

 

「ええ、あれは私が生み出したシモベです。

 それともう一つは、この仮面について、でしょうか?」

 

 

 軽い調子で放たれた発言。ガゼフたちの雰囲気がピンと張り詰める。

 果たしてあのモンスターを倒せるか……、というシミュレーションが行われているのだろう。隊員たちの視線がデスナイトの各所を睨むように彷徨った。

 楽な戦いではない事は明白だ。そして創造者であるモモンガは更に上位の存在という事になる訳で。改めて戦闘行為への無謀を痛感したらしい。

 

 

「誤解されやすい外見、と言いましたが、私も同じでしてね。

 あまり晒したくないのが本音です。外見から来る誤解により、不幸な行き違いが生まれる……。それは悲しい事ですから。

 そうですね、まずは言葉を交わす事から始めませんか? 皆様が私を信じられぬよう、私も皆様方を信じているとは言い難いですし」

 

 

 スペルキャスターにとって間合いに入られる事は、戦闘を行うならば忌避する行為である。ならば自ら招く事も信頼への一歩だろう。

 実際はケイおっすやセバスが存在するため障害にもなり得ないのだが。それを知らないのは相手が悪い。

 

 

「そうですな。幸いと言うべきかは分かりませんが、時間も時間ですし……。村長殿が構わないのでしたら、この村で一夜を過ごさせて頂きたい。

 ああ、この村は襲われたばかりでしたね。あまり不味いようでしたら野営を致しますので、その辺りの話も含めて、椅子にでも座りながら語り合いたい物ですな」

 

 

 火花を散らす2人を眺め、ケイおっすは口を挟めずに黙っていた。

 仕方なく曖昧な笑みを浮かべている。時折 「すげー美人だ」 という感じでチラチラと視線を送られる事があるので、それには曖昧ではなく小さな微笑みを返しておく。

 外装は子供なので受けは悪くないようだ。それを利用して頭からパクリと行くのが持ち味なのだけれども。下卑た感情ではなく素直な感じで賞賛の視線を受けるのは悪くない気分だった。

 

 例えば野良猫から一方的に威嚇されたら、そのまま睨み返すとしても。

 相手から送られるのが子猫のような構ってオーラであれば……。ちょっと無下には出来ないだろう。ケイおっすからするとそのような感じだった。

 

 

「分かりました。では、私の家へ……」

 

 

 村長が歩き出そうとした、その時。蹄の音を耳にしたケイおっすは振り返る。

 荒々しい様子で広場へ飛び込む、その様子からして一大事だろう。身体に怪我は見当たらないまでも肩で息をしている状態だ。顔の開いたヘルメットであるため汗が滴る様子まで瞭然だった。

 

 

「戦士長! 周囲に、村を包囲する形での人影を確認!」

 

 

 何時まで続くんだ、この厄介事は。

 モモンガは吐き捨てるように呟く。ガゼフも苦虫を噛み潰したように表情を歪めていた。

 

 

 



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第七話 助力

 

 

 村を包囲する人間が居る。その事実は周囲に展開していた者により把握されていた。

 接近に伴って隠密に欠ける大多数は撤収していたが、宝物庫にも多数転がっていた遠隔視の鏡<ミラー・オブ・リモート・ビューイング>による監視など、ほぼ丸裸と言って良い。

 報告が行かなかったのは代表としてセバスを経由していたのと、タイミングや周囲の状況を窺っていた事、加えるなら明らかに脆弱であり緊急的な物ではない、という判断が大きい。

 

 ゴキブリに対して命の危機を覚える人間は居ないだろう。ただ不愉快なだけで。

 しかし、害虫と共存したい人間が希少であるもの、また事実である。

 

 もし命令が下れば瞬く間に殲滅できる、それだけの裏打ちがあるからこそ無視されているに過ぎない。現在でもナザリック全体に連絡が行われ、各所で潜んでいる八肢刃の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)から報告は守護者たちの間でほぼ共有されている。

 ナザリックにもモモンガの指示とあって余裕が有るため、現地で定期的に行われている覗き見も把握しており、アルベドが代表となりモモンガとメッセージでやりとりを行っていた。

 

 

 構わん。殺せ。

 

 

 もしモモンガの口から一言でも指示が飛べば、次の瞬間には終わっているだろう。

 監視者に対しても最大限の悪意が注入されるに違いない。下手をすれば都市が1つや2つ、いや都市レベルではなく国家の存続に係るレベルにまで発展する可能性だって十分にある。

 

 

「愚かな……。ニンゲンども……!」

 

 

 守護者の一人、アルベドは美しい顔のまま、甘く囁くように言葉を紡いだ。

 しかしその全身から発されるオーラは尋常ではない。玉座の間で控えているプレアデスたちですら冷や汗を浮かべそうな、常人なら見るだけで心臓が停止する程の悪意である。

 もしナザリックの守りを命じられていなければ。次の瞬間には動いていただろう勢いだった。

 

 彼女は創造主であるタブラ・スマラグディナを最も敬愛しているが、その敬愛は41人へ分配されようとも決して尽きる事がない。設定文の最後に 「ちなみにビッチである」 という設定が存在するように、至高の41人の全てを強く信奉し、そして全てを激しく愛していた。

 それをビッチと呼ぶならばそうだろう。ただしナザリック以外の存在を同格とは認めない。

 だから恋愛対象となり得るのは41人、または彼女が認めれば守護者も対象になる可能性はあるだろう。恋多き乙女は夢を抱く。

 

 ……だというのに。我らが神に楯突こうとする、愚か者がいる。

 許せない。許せない。許せない。許せない許せない許せない。

 

 無限の愛が反転し無限の憎悪となる。紫色のオーラが展開され空間すら歪む。

 ケイおっすが帰還したという事実はアルベドの思考を歓喜で染め上げた。 「ボクはナザリックの全てを信頼している」 その言葉を受けた守護者たちは報告越しであっても感涙を流した。それを肯定するモモンガの頷きには、あのデミウルゴスでさえ目頭を抑えた。

 モモンガ様も遠くへ行ってしまうのではないか。その不安を僅かとはいえ抱いていたアルベドにも響き、あまりに嬉しすぎて 「くふー!」 なんて声を漏らす程である。

 

 

「ああ、皆様、至高の皆様。アルベドはお待ちしております……」

 

 

 ケイおっす様は戻られた。ならばタブラ・スマラグディナ様も。いずれ帰ってくる。

 確信に近い希望を抱いているアルベドにとって、その可能性を僅かにでも損なうような存在は、ナザリックに逆らう 「害虫」 は、慈悲の恩寵たる死さえ値しない害悪であった。

 自らよりも遥か格下の存在が邪魔をするのだ。その怒りがどれほどであるか、アダマンタイトすら噛み砕く勢いで食い縛られた憎悪は。認識しない方が幸せだろう。

 

 

「……ふふ、モモンガ様。ナザリックの守りと、お客様へのおもてなしは、お任せ下さい」

 

 

 アルベドは表情を緩め、己の頬を手で包み込む。猛獣の咆哮より恐ろしい呟きを漏らす。

 この場にモモンガが居れば色々な意味で震え上がったかもしれない。 「こ、恍惚のヤンデレポーズ!?」 などと言いながら。

 そして同じように報告を受けているシャルティアも、敬愛と情愛と歓喜と憎悪と激怒に満ち、ほぼ同じ顔をしていると知ったら……。モモンガはまず間違いなく部屋の隅で頭を抱えるだろう。

 

 俺が操縦しないと、愛で空が落ちてくる、と認識して。

 知らぬが仏である。今は。

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、確かに居るな……。それに、天使か」

 

 

 ガゼフは家の壁に張り付きつつ様子を窺う。空を飛ぶ複数の天使と術者の姿を確認した。

 その表情は恐ろしく真剣な物だ。まさかほんの数キロ先に居る存在が、あの天使たちを害虫の一種として認識しているだなんて、神ならぬ彼には知りようもない。

 死を覚悟する強敵。恐らくは勝てない。ガゼフは歯を食いしばりながら眉を寄せた。

 

 天使の武装は。光り輝く胸当てに、燃える炎を宿したロングソード。

 仲間を振り返るが知識のある人間は居ないらしい。生憎とガゼフ自身も心当たりがなく、故に強さを分析する事が出来ない。ただ魔法を使うなど厄介なモンスターとしては認識された。

 

 

「勝てるか……? いや、狙いが俺であれば……」

 

 

 仮にガゼフが完全武装であれば違ったかもしれないが。今ここにそれらは無い。

 また敵は自分たちの戦力を把握した上で派遣された物と思われる。それが悲観どころか楽観的に考えてもなお前提として残ってしまう以上、極めて厳しい戦いになる事は確信に近かった。

 冒険者は戦う前から勝利を掴む。それがこの世界で生きるための鉄則であり、立場が違っても極めて適切な生存戦略である事には違いない。

 

 

「彼らの目的は何でしょうか? それとも、この村に断続的な戦力を送り込む価値が?」

 

 

 モモンガが純粋に疑問な様子で口に出す。それを見たガゼフは可能性の幾つかを除外した。

 元より心当たりはあったのだ。装備について貴族派から嘴を突っ込まれるなどの。

 

 

「モモンガ殿に心当たりが無いのであれば、つまり私が狙いでしょうな。

 あの数の天使を召喚できるとなれば、スレイン法国の手の者……。戦士長という立場上、恨まれるのは理解しているが……。恐らく特殊工作部隊群、噂に聞く六色聖典の……」

 

 

 ガゼフは強く唇を噛み締める。恐らくはここで死ぬ、との未来を強く予感して。

 険しい目つきのまま部下たちの方を振り返る。死地にあって誰もが朗らかに笑っていた。死の予感を受けてなお笑っているのだ。仕方無さそうに鎧の胸を叩く、肩を竦める。その姿さえ負の感情は欠片も含まれていない。

 俺には勿体ない部下を得たな、この馬鹿野郎どもめ。目だけで意思を伝え合った。

 

 

「なに、水臭いですぜ、隊長殿。ここであいつらを殲滅できれば、大金星じゃないですか」

 

「そうですよ。でも、帰ったら一杯、おごって貰いますからね」

 

「そりゃあいい案ですな。知ってますか? 裏通りにある店。可愛い子が揃ってるんですよ」

 

 

 その空気はモモンガやケイおっすにも伝わる。実に男臭い雰囲気だった。

 戦場で生まれた絆とでも言うべきだろうか? 鉄火場で打たれ魂が交じり合うような。数人の男たちが一つの生物のように無意識を共有しているような。

 

 

「ああ、くそ、馬鹿者め。お前らは、本当に……」

 

 

 ガゼフの岩のような顔が綻ぶ。泣き笑いのような表情が浮かんだ。

 視線が宙へ向いたのは涙を堪えるためだろうか。恐らくは国家への忠誠ではなく、ガゼフ個人の人格が産んだ結束だろう。

 

 

「ケイおっすさん……。構いませんか?」

 

 

 それを傍から眺め 「羨ましいな」 僅かに俯いたモモンガの顔がそう言っていた。

 ユグドラシルでもこういう雰囲気はよくあった。隠しボスの前に全滅しそうになった時とか、強敵によるPKに晒された時とか。輝かしい時代の欠片を思い出してしまう。

 やや間があって、モモンガはハッとした顔になって……とはいえ骸骨である上にマスクで覆われているが……ケイおっすの方に振り返った。

 

 

「ボクも寂しいよ。でもまあ、待ってれば来るかもしれないし、ね?

 ああ、返事はOKかな。わざわざ助けに来たのに、ぽっと出の連中に潰されたら不愉快だし」

 

 

 微笑みながらそう言い返すと、モモンガは後悔しつつも安心したような、そして寂しさの滲む視線を空へと向ける。

 頭上に広がる青空はとても美しい。日本からは既に失われてしまった物だ。

 本物になったこの世界を冒険できたら、皆と馬鹿騒ぎできたら、どれほど楽しいだろうか。そういった考えが浮かぶのは当然だった。ケイおっすだって同じ考えを抱いていた。

 

 

「そうですね。他国での破壊工作を指示するような国より、王国の方がマシでしょう。

 ただ、危険があるかもしれません。ケイおっすさんも注意をお願いします」

 

 

 2人が抱くガゼフ個人に対する感情移入は 「普通」 ぐらいである。

 ただ悪い訳ではなく人間相手にしては珍しいレベルだと言えるだろう。適当に遊び始めたゲームの登場人物A(主役キャラではない)ぐらいには気に入っていた。

 手を加えなければ次のイベントで全滅します。そう言われたら所持金やアイテムの具合と相談しつつ、気が向いた範囲での回避を試みてもいいかな、程度には。

 

 

「了解、マスター。未知の魔法には注意するよ。

 ……それにさ、ユグドラシルでもこういうクエストってあったよね? あの後味悪いやつで、ペロロンチーノさんが 『せっかくの美少女NPCが!』 って文句言ってたアレ。

 なら、今度はひっくり返してやろうよ。せっかくのイベントなんだしさ!」

 

 

 ケイおっすはモモンガを見上げながら、にひひ、と本来の笑みを浮かべた。

 新たな襲撃者はガゼフを含めた騎士たちよりも強いのだろう。ならばレベルを測る相手としては向いているし、何より魔法使い系の連中は多くの知識を抱えていると相場が決まっている。

 

 

「モモンガ殿。宜しければ、雇われ……。いえ、その前に。言うべき事があります」

 

 

 主に魔法でのやり取りだったが、和気藹々な雰囲気は伝わったのかもしれない。

 ガゼフはどう判断するべきか困っているような態度で歩み寄ると、ちょうど顔を向けたケイおっすと向き合い、それで迷いを吹っ切ったのか改めて視線を合わせた。

 護衛のように立つデスナイトが反応するギリギリの距離まで近づく。彼はビシッとした態度で両足を揃えた。鉄柱でも入っているかのように背筋を伸ばす。

 その姿勢は最強の騎士に相応しいと思ってしまうような、装備さえ整えばナザリックでも通じそうなほどに堂々たる物であり、気付けば彼の背後では部下全員が同じ動作を取っていた。

 

 

「本当に、本当に感謝する! よくぞ無辜の民を暴力の嵐から守ってくださった! 貴方がどのような存在であれ、それだけは伝えておきたい。本当にありがとう!

 ……そして我儘を言わせて貰えるなら、どうかお力添えを願えないだろうか? 今この場に差し出せる物は無い、厚かましいお願いだと分かっています。しかし……」

 

 

 固く歯を噛み締めながら。彼は背後の部下を見やる。

 ガゼフの顔はモモンガに向けられたままだ。実際に動いたのは眼球だけであり、彼の全身は型に嵌まったように見事だったが、それを理解させるだけの意思が篭っていた。

 もしガゼフが自分の命に固執しているのであれば白けただろう。だが彼の全ては余すところ無く部下や王国の民草に向けられている。そこには一部の隙さえ存在しない。

 

 例え装備が貧弱でも。技術的には見るべき物など無さそうであっても。

 ガゼフの真価はそこではないのだと、そう断言できるだけのオーラを放っていた。

 

 

「……ええ、構いませんよ。微力ながらこのモモンガ、助力させて頂きましょう。」

 

 

 構わないよな? 無言で問いかけるモモンガに対し、ケイおっすは笑顔で頷いた。

 本人的にはガゼフに対しそこまで感情移入している訳ではないのだが。愚直とも言える真面目さは社会人として好感を抱く物であったし、戦争映画みたいなシチュエーションが気に入ったのだ。

 

 

「それに、セバス。人助けをするのは当たり前、だろ?」

 

「……あー! ハハ、懐かしいね。うんうん、たまには悪くないと思うよ、マスター」

 

 

 モモンガから発された言葉が響く。完璧に保たれていたポーカー・フェイスが崩れる。セバスは一瞬だけ口を開くと 「呆然」 に近い表情を浮かべた。

 たっち・みーが救ったように。モモンガが救ったように。人助けも悪くはない。忠誠を更に深めているセバスを背後にして満足気に頷く。

 

 それに、怪物だからこそスマートであるべきなのだ、という思いがモモンガにはある。

 ユグドラシルで幾多のギルドと関わった経験は無駄ではない。数々のエピソードを思い返しながら判断を下していた。

 

 圧倒的な力に物を言わせるのはタイミングを選ぶほうが良い。伝家の宝刀とは見せつけて威圧するのが最良であり、無闇に抜き放っては刃毀れする。価値が落ちる。

 ただし竹光と思われていたら始まらない。見せ付けられるだけの威容が必要なのだ。

 王国とやらがガゼフを評価していれば理解するし、逆であれば優秀な人材が排斥される、というのがモモンガの思考である。どちらに転んでも損はないと判断した。

 

 

「おお、モモンガ殿……、ありがとう。1000人力を得た気分です」

 

 

 モモンガは支配者という名乗りを行っている。それが故にガゼフという立場がある人間にも選択肢が生まれていた。

 いくら強くとも旅人などと名乗られてしまえば限界がある。しかし何処かの支配者と言われれば別だ。王から賜った立場を貶めず、なおかつ忠誠に反しない領域で、融通を利かせられるだけの柔軟性が存在していた。

 

 

「しかし、幾つか条件があります。先も言いましたように、私達は非常に誤解されやすい存在、そしてガゼフ殿も国家に仕える者ですから、報告の義務はあるでしょう。

 ですので……あの天使たちの対処、その全て此方に任せて頂きたいのです。また村人への聞き込みも控えて頂きたい」

 

 

 知らなければ、不義理を犯す必要もありませんからね。

 モモンガがそう締めくくると、ガゼフは完全に部外者として置かれる事実に一瞬だけ怒りを露わにしかけ、だが鋼の意思により飲み込んだ。

 

 背後の隊員たちも不満はあるようだが沈黙を貫いていた。ガゼフが怒りを収めた事で鎮静したのだろう。モモンガが大雑把に把握した時代背景から考えると珍しいレベルの練度だ。

 セバスも琴線に触れる物があったのか 「ほう」 と小さく賞賛を送る。

 何人かは武器に手を伸ばす寸前という雰囲気を、極一瞬だけ漏らしそうになったが、表面上は不動のまま堪えていた。口は固く結ばれたまま文句の一つさえ聞こえてこない。

 

 

「承りました。では、守勢に回るとします。この村で守りを固めていれば?」

 

「ええ、それでお願いします。……そのデスナイトは置いておきましょう。万が一にでも抜けてくる者が居れば、捨て石として使って構いませんよ。そのように命じておきますので」

 

「では改めて……。モモンガ殿、民を守るため協力いただき、感謝の極み。もし王都に来られる事があれば、お望みの物を渡すと約束します。ガゼフ・ストロノーフの名にかけて」

 

 

 ガゼフは跪こうとして、それはモモンガに止められる。

 なに、容易い事ですから。本当に気にも留めないような言葉を受け、ガゼフが陣頭に立って村人に指示を飛ばす。大きめの家屋に集まるよう村長から指示を出させると、その周囲にガゼフ率いる騎士団、そして最前線には無言のままデスナイトが仁王立ちする。

 

 その間にも村の周囲に集まる天使は数を増やしていく。10は軽く超えただろう。

 だが 「アリが幾ら集まったとして、ガゼフ殿は不覚を取りますか?」 というモモンガの言葉で無視される事となった。

 本当はたった一言。 「やれ」 と命令を下すだけで、全ては終わるのだが。

 悠々とした動作でモモンガとケイおっす、そしてセバスの3人は村を出て行く。その背中を追いかけるようにして 「が、頑張って下さい!」 一人の少女が発した精一杯の声が届いた。

 

 

 



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第八話 信仰

 

 

「……ケイおっすさん。ノリで言ってしまったんですが、どうしましょう」

 

 

 モモンガが焦ったような雰囲気で、呟くように漏らした内容を要約するに。ちょっとばかし見栄を張り過ぎたらしい。

 実は独力での撃退は行う気がなく、拒絶させてから村人の防衛側へと周り、デスナイトよりは弱いスケリトル・ドラゴン辺りを幾らか召喚して護衛につける。もし死にそうであればバッグにある課金アイテムを渡して救出し、適当に恩を売る。そういう予定を思い描いていたらしい。

 本当は更に控えめにする予定だったのだが、ナザリックの支配者を名乗っていた事を思い出したので後に引けなくなって、受諾されてしまった事で余計に後に引けなくなったと。

 

 

「別に良いんじゃない? それにカッコ良かったよ、ギルド長。

 ガゼフと戦わせてたら向こうだって消耗しちゃうだろうし、出来れば消耗品とかも分析しておきたいし、これも無駄ではないと思うけどなー。アイテムは大事でしょ!」

 

 

 複数の天使に向けて悠然と歩きながら、かなり情けない内容の遣り取りを行う。

 指揮官らしき存在はニグンと呼ばれているらしい。幸いにもガゼフ一行は少数精鋭であり、村という人質の存在もあって、広域の範囲は必要ないと判断されたのだろう。物理的な距離はさほど離れていなかった。

 なので集合する前にエイトエッジ・アサシンたちに間引かれてしまい、集めに行くのが面倒だから出落ち的に壊滅……という状況には陥っていない。

 

 無論、彼らが逃げ出せば、数秒後にはそうなるだろうが。

 

 

「そうですね。では、伏兵などを捕らえさせて……。私の魔法では手加減が難しいと思うので、ケイおっすさん、適当に実力を測ったら捕縛をお願いできますか?

 デスナイトが簡単に手足を砕いていましたから、下手すると低位魔法でも即死させてしまいそうでして……。いや、もっと強いとは思うんですが……。魔法だと加減が難しいんですよね。

 私は情報系による監視とか、危険そうな魔法の行使とか、そちらの方を見ておきますので」

 

 

 ゆったり歩いているモモンガたちに気付いたのだろう。敵に動きが見られる。

 雑魚天使により上空からも警戒しているようで、ガゼフは村人を集めた家屋の前で守りを固めた事も把握したらしい。現在は強襲すべく速やかに集合中であるようだ。

 集まってくれた方が対処がしやすい。これもギルドマスターの戦略の内だろうか? 本当にこういう、アレコレを考えてくれるモモンガさんの戦略は凄いなー、とケイおっすは感心した。

 

 

「……やっぱり弱そうだぞ。俺、あんなのにビビってたのか?

 守護者たちの事だってな……。皆に申し訳ないじゃないか……」

 

 

 モモンガは重々しく苦渋を漏らし、ギルドスタッフを握る腕が小刻みに動く。

 幾つかの情報魔法を発動させているのだろう。ただモモンガのキャラメイクでは妨害や反撃に関する情報魔法こそ覚えていても、目の前の相手を分析するなど直接的な情報系魔法には疎い。

 具体的には敵レベルの把握に始まり、ステータスの看破、アイテムの鑑定なども含む。

 そういうのは殴り合う直前になってから行うのではなくて、マンパワーを活かした監視などで事前に済ませておく。それがデキるPKのスタイルである。戦う前に勝つという感じだった。

 

 

「ええと、ケイおっすさん、ガゼフでしたっけ? 彼の強さって分かりましたか?

 目の前の天使はユグドラシルの基準だと、物凄く懐かしいようなのばかりなのですが……」

 

 

 場当たり的な行動が多いこの状況は悪い。モモンガのような慎重派からすると不安のようだ。

 頭上の天使などを含めて弱すぎる。ナザリックの大半からすればチワワが吠えている程度の物であり、軍用犬として愛くるしい小動物を採用するような間抜けさを感じてしまう。

 セバスやケイおっすは単純に考えているような雰囲気を共有していたが、他がそうだからこそモモンガは 「なにか裏が、落とし穴があるのでは……」 と裏を疑っているらしい。

 

 

「ガゼフの強さは、デスナイトに勝てる……かも。ぐらいだと思うよ、多分だけど。

 装備の質によって変わるかな? でも今は特に身に付けてないみたいだし……。ああ、でも疲労とかあるのか。ならデスナイトの方が有利かなあ。

 ただ当てになるかというと、その。体重計の上に20グラムの塩と19グラムの塩を置いて、どっちが重いのか? って聞かれてるような話で……。それに身体構造の差異とかもあるしさ」

 

 

 怒気を発した時に感覚で漠然と察したが、時間も短かったし完璧ではなかった。

 ケイおっすにしても情報系には疎い。致死性の猛毒をぶっかけて死亡までの時間を計測し、毒のダメージから体力やらレベルを逆算する……とかは可能でも、直接的なスキルは有していない。

 この辺りは特化キャラにつきものの悲劇と言えるだろう。尖っているだけに足りない場所も多かった。

 

 だから本能などの感覚で話しているのだけれど、それだって限界は有る。

 現実のボクサーだってカブトムシの強さを感覚で測れと言われたら困ってしまう。あまりに実力差がある相手だと逆に通じない。

 普通の兵士よりは強いんだろうな、このカブトムシはツノが立派だもの。そんな風に認識するのが精々である。

 

 

「確かに。現実になってしまっただけ、強さなんてより曖昧な物になりますか」

 

 

 頷くモモンガも納得を示した。異形種にとっては自分の身体こそ証拠だった。

 単純な筋力やら体力の問題では終わらない、耐性の充実だとか生物的な限界、呼吸の必要性や視界認識の方法など、その他の要素だって総合的な判断には要求される。

 アンデッドに剣を突き入れたとして 「ちょっとダメージが発生した」 で終わるだろうが、人間には血肉と内蔵が存在するのだ。受ける被害の割合は同じでも齎す結果は歴然だった。

 

 

「スケリトル・ドラゴンと、同レベル帯のドラゴンを戦わせた、として。

 やっぱり血を流す方が不利だと思うんだ。出血とか病気とか疲労とかさ。そういう意味だとダメージを与えられない雑魚スケルトンでも、ドラゴンに勝てる可能性が出てくるし」

 

 

 現実では当たり前だが、動けば動くほど、疲労は溜まっていく。また喉の渇きや飢えなども存在するし、目に見えない部分では精神的な疲労といった問題がある。

 アンデッドにも炎などの弱点もあるが……それを引き合いに出したら、それこそ。生物には口の中や眼球、肛門、内蔵、呼吸器。それら死体には存在しない急所が無数にあるではないか。

 

 ユグドラシルには様々なアイテムが存在したが、どうも此方だと想像以上に貴重なようだし。

 馬に乗ってきた騎士の額に汗が浮かんでいた事を鑑みるに、微弱な回復効果の物すら装備していないようなのだ。弱点を晒しっぱなしで戦争に出てくる初心者を彷彿とさせた。

 彼らでさえそうなのだからマジックアイテムんは相応に貴重なのだろう。貴重とはつまり高額ということであり、此方はフリーハンドに近い状態ではないだろうか?

 

 利用方法までは思いつかないが……。ナザリックの長い手であれば、それこそ色々と。

 ケイおっすは自分なりに考えた事をメッセージで送っておく。

 

 

「ふむふむ……ああ、そうだ! こっちも発見があったんでした。

 デスナイトの持っていた武器で、こっそり手を刺してみたんですが……。此方でも上位物理無効化のパッシブスキル、ちゃんと生きているみたいですよ?

 だからケイおっすさんだと、マジックアイテムの質にもよりますけれど、この世界の武器は殆ど効かないと思います」

 

 

 楽しげに言うモモンガの言葉通り、常に発動する耐性スキルという物がある。

 ユグドラシルと同じようなシステムが働くという前提がある場合、この場で見えている天使ではモモンガにダメージを与える方法がない。弱すぎて物理や魔法の無効を突破できないのだ。

 アンデッドだから持久戦も無意味であるし。ガゼフに言った 「蟻がいくら集まっても」 というのは真実だった。

 

 ある程度のデータ量……此方では威力だろうか……がある武器でなければ、またはレベル60以下の存在が行う攻撃であれば、モモンガの骸骨のような肉体は完全に無効化してしまう。

 肉体という意味では脆弱なスペルキャスターでさえ、そうなのだ。

 やや変則的ながら耐久を仕事とするケイおっすの場合はもっと酷い。更に強烈な無効能力がゴロゴロと並んでいるし、だからこそ助力を承諾した、という面も大きかった。

 

 

「では、やりますね、ケイおっすさん。……セバス、我が隣へ」

 

「じゃあ、こっちは前に出るね、マスター」

 

 

 草原に布陣している連中の前へ向け、3人は堂々と歩を進める。

 そして無数の天使に囲まれる位置にまで、距離にすれば指揮官らしき男の顔が見える、おおよそ20メートルほどまで接近した。

 

 

「愚かな襲撃者の皆さん、始めまして。私はナザリック地下大墳墓の主、モモンガです。

 こちらは友人のケイおっす。そして執事のセバス。……単刀直入に言いますが、降伏しませんか? 今なら苦痛のない死を与えますし、情報提供に協力するならば、見逃す事も考えますよ」

 

 

 だから余程の切り札がない限りは平伏して、ただ許しを請うのが正解な訳だが……。

 優しく降伏を提示したモモンガの慈悲は、悲しい事に一笑に付されてしまった。

 

 

 

 

 

 

「はっ。我らに対し、降伏だと? 愚かな! 狂人の類か……。

 さっさと殺せ! ガゼフに逃げられるのは困る! だが、装備品は一級のようだな。死体は確保しておくように。装備を剥ぎ取れば強化に繋がるだろう」

 

 

 天使に囲まれているこの状態、彼にとっては絶対に近い自信が存在した。

 平凡な顔をした男の名前は、ニグン。彼は唯一の特徴と言える頬の傷を指で撫でながら、外見ばかり豪華に見える間抜けな3人に向けて、勝利を確信しながら命令を下す。

 

 間違っているとは言えないだろう。常識に当て嵌めればその通りなのだ。

 普通に考えれば眼前に居る異様な連中は 「周辺に部下が潜んでいるにもかかわらず、無人の荒野を征くように進む愚か者」 なのだ。

 まさか気付いていて 「害にはなりそうもない」 という理由で無視されているとは思わない。

 

 

「不運だったと諦めるのだな。なに、愚か者よ。そなたらでも神は受け入れて下さるだろう」

 

 

 情報にない事が気掛かりではある。ただし大勢に影響はない。ニグンは改めて頷く。

 貴族の三男などが夢に溺れて冒険者の道へ入る事はあるし、その際に装備品などを持ち出すというパターンも少数ながらあった。

 

 

「そうですか。残念ですね……。ケイおっすさん、任せました。

 囮にしても天使のレベルが低すぎます。これでは私が魔法を使ってしまうと、本当に皆殺しにしかならないと思いますので」

 

 

 だから眼前に居るのもその類で、ガゼフという大目標の前には、些末事に過ぎない。

 口から漏れているのは誇大妄想であろう。ニグンは不愉快げに鼻を鳴らした。

 この任務が終われば更なる栄光が待っている。公にこそ出来ない任務だが十分だ。非公式にでも人類最高クラスの人物を仕留めたという事実、それは少なからぬ栄達に繋がっている筈だった。

 

 

「っ! 何だ、忙しいとき、に……」

 

 

 そう思っていたニグンの横顔に、突如として突風が吹き付ける。

 ただ強い風という感じではなく、巨大な何かが目にも留まらぬ速度で移動したような。妙だと思いつつも顔を覆っていた手を離し、幸運にも寿命が少し伸びたであろう狂人に目を向けた。

 

 さっさと殺せ。部下にそう命令しようとして。

 そして、眼前の事実と向き合う。

 

 

「……は? なんだ、と」

 

 

 反射的に目元へと置かれた指先、それで繰り返し目を擦った。

 視線の先では巨大な天使の羽が藻掻いている、その後ろ姿には見覚えがあった。自分の横で待機させていた監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)の背中だ。

 ニグンは改めて目を擦り、瞬きを繰り返し。一瞬の内に空位となった自分の横と、何か細いロープのような物で拘束され悲鳴すら漏らしている、最も防御に優れた天使の姿を見た。

 

 

「これってレベル幾つだっけ? ユグドラシルでも居たよね、コイツ」

 

 

 楽しげな少女の声に合わせ、成人男性の身体すら軽く包む巨大な翼が揺れる。

 その様子は蜘蛛の巣に捉えられた獲物のようだった。ケイおっす辺りであれば蛾といった表現になるだろうし、ニグンであれば絵画のようだと述べただろう。

 必死に翼を動かそうとしてそれすら出来ない。いっそ哀れという言葉すら浮かぶ。

 

 右手に握るメイスはいつの間にか奪い取られており、モモンガと言ったか、魔術師らしい仮面の男が興味深げに観察している。

 ガントレットをつけた指先で無遠慮に弾くなどは天使に対する敬意も欠片もない。その冒涜的な行為に怒りを覚え 「貴様ら!」 叫ぼうとして、状況についていけず声が出なかった。

 

 

「……、……っ!」

 

 

 ニグンの口からは 「あ、ああ、ああ……」 と意味を持たない呻きが溢れるに留まる。

 夢ではないのか。あるいは幻術か。しかし残念ながらどちらも違う。伸ばした手は何者にも触れないまま、ただ虚しく空を切った。

 

 

「壊すと消えちゃうのか。味見は期待薄かなあ……」

 

 

 メイド服の少女が唇を尖らせる。脳天気な声なのに異様なほど不吉に聞こえる。

 ニグンの心臓が強く軋んだ。邪悪な何かが皮膚を透過しているようだ。息を吸い込もうとしているのに 「ひ、ひっ……」 額からは脂汗が滝のように滴っている。

 

 認めない。認められない。認めたくない。ギリギリと歯を噛み締める。

 奥歯を噛み砕くほどの忍耐の末に再び顔を上げ、号令を上げるために大きく息を吸い、ニグンは次の瞬間に後悔した。

 

 

「ば、馬鹿な! 監視の権天使の一部とはいえ、防具だぞ……」

 

 

 もう片方の手にあった円形の盾は、刹那の間に原型を失っていた。

 強く握り潰された厚紙のようにくしゃくしゃだ。構造上の弱点を突いたとか、そういう雰囲気ではない。ただ無造作に握り潰された結果として転がっていた。

 

 アダマンタイトには及ばずともミスリルは超えているだろう、つまり一流の冒険者が持つ装備に並ぶほどの、極めて硬度が高いはずの盾であるのに。

 今日だけは厚紙で作ったレプリカを持っていました。そんな冗談すら期待してしまう。

 冗談じみた態度で振り返って欲しい。そんな馬鹿げた期待すら抱いて、やはり実現しない。存在を維持出来きず魔力の粒子となって散ってしまった。

 

 

「あり得ん……」

 

 

 耐え切れずに顔を逸らせば部下たちの驚愕が目に入る。誰もが脂汗を滴らせている。

 魔法による攻撃または他の天使による援護、それらを行おうとして、監視の権天使に当ってしまいそうだから……という理由に縋りながら躊躇していた。

 

 いや、正確に言えば違う。 「全く通じない」 という結果が起きる事を恐れている。

 積み上げてきた己の研鑽と信仰の全て。高みに立つ存在だからこそ、否定される事が怖くて堪らない。

 

 

「攻撃してこないのかね? おっと、すまないな。萎縮させてしまったようだ。

 ケイおっすよ。その玩具は彼らの拠り所だったらしいぞ。返してあげてはどうだ?」

 

 

 モモンガの優しげな声が響く。大人気ないとでも言いたげな内容と共に。

 それは殺し合いの場で出して良い音色ではない。子供たちが必死に行う浅知恵を、余裕に満ちた態度で受け止めてやる、そんな格差すら感じ取れた。

 

 

「ん? ああ、そうか。コレって防御力の強化能力があるもんね。

 また呼べば良いと思うんだけど……無理そう? なら味見するのは後にしておくよ」

 

 

 ごめーんね、なんて。その声に強い嘲りが秘められている事をニグンは察した。

 そして壊れ物を扱うような繊細さで監視の権天使の身体が戻ってくる。空中をゆっくりと移動する様子を呆然と眺めながら、輝くような鎧だった物が無数の亀裂と歪みで覆われている事に、残念ながらニグンは気付いてしまった。

 

 

「馬鹿な……! 馬鹿なっ……! あり得ん! 貴様、どんなイカサマをしている!

 ありえる筈がないのだ! 貴様ごときが、こんな! 監視の権天使だぞ!? それを……!」

 

 

 力を込めて壊したと言うよりも、力加減を間違えたら壊れた。そちらの方が印象に近い。

 最初に居た位置であるニグンの隣に傷付いた天使が降ろされる。その姿にかつての威容は感じられず、無手となった両腕を顔の前で構える様子は、あり得ない事だが恐怖と絶望に囚われているようだった。

 

 ニグンの持つ生まれながらの異能、タレントと呼ばれる力によって、召喚された天使たちは強化されている。特に監視の権天使となれば視界内の天使たちを強化する効果があり、発生した相乗効果には絶対の自信があった。

 人間を極めた存在ですら一撃では倒せない。削り殺す事は可能だとしても、こんな、物のついでのように握り潰されるかも、などとは。絶対に認められない。

 

 

「お、お、愚か者め! 貴様らは、切り札となる物を、自ら手放したのだ!

 それを身をもって後悔するが良い! 総員、天使を突撃させよ! 魔法による援護を行え!」

 

 

 絶叫に近い号令がニグンの喉から迸る。噛み締めた歯茎からは血が滴っている。

 自分の言葉があまりにも頼りなく感じられた。本当に通用するのだろうか? 神の威光は彼らを滅する事が出来るだろうか? その答えは 「分からない」 だった。

 第三位という高等技術を修めている筈の組織が、法国に存在する頂きの一つと言っても良い陽光聖典が、一方的に恐怖するなどあり得てはならない筈なのに。崖に向かって飛び立つような不安感が拭えない。

 

 ニグンは部下と共に短い祈りの言葉を紡ぐ。信仰により心の鎧を構築しなおし、額の汗を強引に袖で拭った。己の胸を殴りつけると強引に深呼吸を行う。

 手元へ戻って来た監視の権天使が腰を据えた事で、防御効果が復活した事を感覚で察する。

 ならば大丈夫だ。きっと大丈夫だ。我らが信じる神は我らを見捨てる事はない。ニグンは拭い切れぬ額の汗と不安を意志の力で跳ね除けようとする。

 

 

「おおー! でも、見慣れた魔法ばっかり……。他には無いの?」

 

 

 聖なる光、毒を伴うガス、盲目の呪い、火の玉、不可視の鉄槌。

 散会していた筈の部下たちがいつの間にか集合し、怯えた顔で左右に固まっている。ニグンが叱責を交えながら指示を出すと一斉に魔法を開放して攻撃を放った。

 

 左右からの十字砲火が飛ぶ。たった独りのメイドに降り注ぎ、そして無駄に終わる。

 メイド服に焦げ跡どころかスカートを揺らす事さえ無く消えていくのだ。的はずれな流れ弾でさえ透明な壁でもあるように掻き消され、背後の魔法使いや執事へと一発も辿り着けない。

 理解が及ばぬ結果にニグンの視界が揺れる。部下たちからは悲鳴が上がる。

 

 

「た、隊長! 魔法が通じません! ど、どうすればいいんですか!?」

 

「知らん! 俺はお前たちの母親では無いのだぞ! 未知の手段だ、対処を考えろ!」

 

 

 もし尋ねれば答えてくれただろう。 【マナ・イーター/魔力喰い】 のスキルであると。

 低位魔法ごとき単純に指で掻き消している。彼らには残像の目視すら難しい速度で飛び回る指先、幾多の生物を混ぜあわせたような無数の顔を持つ、悪意に満ちた造形を見せつけながら。

 そして同時に突撃した天使は……3歩すら前に踏み出す事が出来ず消え失せた。何か斬撃に似た物が天使を攫ったのだ。

 

 一瞬だけブレた天使の姿と、空気が裂かれた音だけが、痕跡の全て。

 何処へ消えたかニグンには分からない。きっと碌でもない場所だろう事だけが理解できる。あの女の胃袋の中が有力だろう。喉の奥に苦渋を通り越して胃液そのものが溢れてきた。

 

 

「ふーん。魔力って、甘いんだね? ……量が少ないからか、随分と薄味だけどさ」

 

 

 何かを味わうように指先を唇に押し当てている。その少女の様子がこの上なく恐ろしい。

 まさか、と湧き上がる不吉な思いを即座に否定した。もし認めてしまったら次は自分が、瞬きをするだけで自分の全てが、ただ意味もなく終わってしまうような気がして。

 

 

「じ、時間を、時間を稼げ! 最高位天使を召喚する!」

 

 

 ニグンはチラリと自分の横を見て、未だ立つ監視の権天使を突撃させようか悩んだ。

 他の天使が1秒と持たず食われた現在、まともに動けそうな手札は極めて限られる。もはや是非も無い。それは理解しているのだが、もしかして防御力増強効果が無いと負けてしまうんじゃないか。けれど、もし召喚する前に押し込まれたら、なんて。

 

 普段のニグンであれば働くであろう思考能力、この事態を前にして完全に混乱していた。

 必死に動き続ける部下を一瞥し、その動作は見る影も無くなっている事に舌打ちをする。

 涙すら零しながらスキルを行使し、駄々っ子のようにスリングによる鉄球や短剣、中には武装である槍や剣までもを投げつけ。その全てが効果を発揮しない。

 

 

「ふふ、楽しくなってきたよ。キャッチボール!」

 

 

 大半の口からは嗚咽が漏れている。その理由をニグンは漠然と察した。

 魔法でも武器による攻撃でも、命中の瞬間に攻撃者へ向けて微笑んでいるのだ。

 返されたら確実に死ぬ。その確信を乗り越えて放った一撃が、己の人生を費やして磨いた一撃が、ただ子供の悪戯のように優しく受け止められる。それがどれほど心を踏み砕く行為であるかなど考えたくもない。

 

 微笑みの下は悪意に満ちていた。攻めてこないのも同じ理屈だろうとニグンは判断する。

 獲物が抵抗するのを楽しんでいるのだ。他ならぬ自分も過去に行った事がある。神を知らぬ愚か者に対し、肉の塊に変える前の慈悲の一環として。

 自分がそれを行われている。そう行き着くと、ニグンの精神力を持ってしても足が震えた。

 

 

「今に、今に見ておれ……! 貴様らなど、この威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を開放すれば……!」

 

 

 馬鹿め、その傲慢をへし折ってやる。

 神の意思は我が心に、神の力は我が懐に存在するのだ。

 

 溢れそうになる不安を一喝する。ニグンは恐怖を信仰と怒りによって思考を塗り潰した。

 メイドから視線を切らぬよう、極限の集中を続けたまま監視の権天使の背後に隠れる。相手が自分たちを舐め切っているのは態度からも明らかだが、まだ切り札が残っていた。

 

 ただし、未知の手段によって遠距離での攻撃を行える相手だ。注意しなければ。

 この一国をも滅ぼせる天使を封じた、法国でも有数の切り札であるクリスタルを奪われる未来など、想像もしたくない。人間の未来が終わってしまうかもしれない。

 瞬きさえ行わずにメイドと手中の結晶を凝視し続ける。ニグンは震える腕を抑え込みながら、開放の手順を行おうとして、ふと自分の背後に影が差すのを感じた。

 

 

「へぇ、魔封じのクリスタル?」

 

 

 耳元で。

 声がする。

 

 無邪気に笑う声がする。

 

 あの女の声がする。

 

 

「あれ? そのクリスタルって……。それに威光の主天使を封じてるの?

 なんて言うか……勿体なくない? そんな雑魚でいいなら普通に呼べば良いのに。それともやっぱり呼べないの? いや、こっちのオリジナルモンスター?」

 

 

 ニグンは瞬きすら忘れて眼前を眺める。メイドの少女は定位置から消え去り、そして部下たちは全て倒れている。一瞬たりとも目は離していない。なのにどうして?

 頬を撫でるのは真冬の風よりもなお冷たい風だ。振り向きたくない。絶対に振り向きたくない。振り向いてはいけない。地獄から噴き出すようなオーラが肌を泡立てる。耳のすぐ後ろから吹き込んでいる。

 監視の権天使は……。極僅かだけ視線を動かす事に成功し、巨大な顎が飴玉をしゃぶるように天使の頭を覆っているのを目の端に目撃してしまう。もはや何も言えなくなった。

 

 

「ねえねえ。それで出てくるのって、あの翼の塊みたいなヤツ?

 ちょっと興味あるんだけどさ、あれの翼を全部引っこ抜いたら、何が残るの? 知ってる?」

 

 

 長過ぎる指先が……。幾多の昆虫や動物で構成された、鋭い刺を持つ長大な指先が、ニグンの肩越しに伸びて。手の中にあるクリスタルを指し示した。

 あまりの恐怖に何も言えない。おぞましい、そうとしか言えない異形の指が、その指から生えている感覚器官が、物言わぬ視線だけを送りながら、ただ舐るように自分を観察している。

 その中には明らかにヒトに由来する構造も存在していた。そして知性ある存在特有の粘り気を感じる。昆虫のような異形からでさえ。

 

 背後に居るのは、いや、自分たちが対峙していた存在は、何だと言うんだ。

 ニグンは呼吸を求めて口を開く。だが全身を覆う重圧により肺が動かない。口の中が猛烈な勢いで乾く。肺という臓器が鉛に変わってしまったようだった。

 

 

「……? ああ、後ろに回るのにスキルを使って動いたから、ちょっと緩んだのか。

 驚かしちゃったかな、ごめんね、アイテム好きだからさ、興味があって……。ちょっと待っててねー、今戻すから」

 

 

 身動ぎすら取れずに固まっている。ニグンの背後で、肉と骨から成る異様な音が響く。

 滑らかすぎる動きで異形の指先が下がっていった。それに合わせ耳を塞ぎたくなるような、人間を丸のまま咀嚼していそうな音が活性化する。人ならざる影が異様な形へ歪む。人型に押し込まれるように凝縮していく。

 唐突に音が止むと 「そこまで怖がってもらえると、なんか恥ずかしいなあ」 照れ臭そうな様子でメイドの少女が目の前へと回って来た。

 

 

「お待たせ。無駄だと思うけど、召喚しても良いよ? でも、どうせなら欲しいなあ、それ」

 

 

 圧し潰すようなオーラも消えている。目の前の少女からは何も感じない。

 しかしニグンの目にはおぞましき化け物の姿が重なって見えた。それが恐怖による幻覚なのかさえ判別がつかなかった。

 

 美しい姿であるからこそ余計に恐ろしく感じる。金と銀の髪が風で揺れている。

 天使のような姿だが、果たして。自分の目だけが壊れているのではないだろうか。もう目が信じられない。

 世界はもしかしたら、自分が知らないだけで……目の前にいるコイツのように……。

 自分を見上げている少女の微笑みが、微笑んでいるのが、どんな猛獣より怖い。どうしようもなく恐ろしい。酸欠による激しい頭痛に襲われるのをニグンは感じた。

 

 

「何なんだ、貴様らは……。神が、お許しになる筈が……」

 

 

 威光の主天使が封じられているクリスタルを握ったまま、ニグンは呟きを漏らす。

 もはや手の中のそれに縋りつく気にはならない。クリスタルの輝きは陳腐なガラス球のように感じられ、封印されているはずの力は子供騙しのようにしか思えなくなった。

 召喚しても無意味だろう。ニグンでさえ絵画でしか知らなかった威光の主天使の姿を言い当て、その名を聞いてなお舌なめずりをする存在を前にしたら。半ば確信に近い諦めが心を埋める。

 

 

「んー、疑問だけど、神様って居るの? 祈ったら助けてくれるの?」

 

 

 珍しく悪意の欠片もない言葉。ただ純粋に疑問を抱いたらしい。

 ニグンは沈黙してしまう。手の中にあるはずの神でさえこの女は玩具のように笑っていた。

 ならば自分の信仰は何処に向かえばいいのだろうか。その言葉に対する答えを、少なくとも現在のニグンは、持っていなかった。

 

 少し前の自分であれば一蹴した筈だ。しかし現在は何も言えない。

 神の存在についての議論は、他国で行われるその冒涜的な会話に対抗するために、様々な実験を含めて行われている。そのような知識は有しているが、意味のない行為だと思っていた。

 しかし現在はその実験に参加したい気持ちでいっぱいだ。今の自分では神に祈る事が出来ない。手中にある奇跡に頼りたくも頼れない。

 

 もし実行したら、実行してダメだったら、全てが折れてしまうような気がした。

 

 

「神は……、神は、かみ、は……」

 

 

 神は居るのだろうか。本当に。信仰に応えてくれるのか。それとも……。

 否定する。否定してしまう。自分の人生が無意味な物だったのか? 居もしない者だとしたら、真の悪魔を前にしたら無力な存在だったら。他でもない自分が認める事になってしまう。

 

 

「ボクはあんまり信じてないんだけどさ。仕事しないなら、居なくても同じでしょ?

 でも魔法とか、不思議な力がある世界なんだから……。もしかしたら、ねえ?」

 

 

 無邪気な少女のように笑う、その姿を見て、ニグンは悟る。

 瞳の奥にあるのは……圧倒的強者の眼差し。それも動物に近い。捕食者が餌を見る目。

 それに気付いた、気付いてしまった。生理的な恐怖がニグンの胃を締め上げる。呼吸も満足に行えず喉が笛のようにヒュウヒュウと鳴る。視界が揺れる小舟のごとく翻弄される。

 鍛え上げてきた筈の精神が崩壊していくのを感じた。極度の緊張のあまり意識が薄れていく。

 

 

「化け物め、化け物どもめっ! ……ちくしょう。人の世の、終わり、か」

 

 

 ああ、神というやつは、今も見ているのなら、この上ない性悪だな。

 そして思う。クソッタレの傍観者め。この女に食われてしまえ。

 

 

「神の居ない世界など、俺は御免被る!」

 

 

 ニグンは懐から短剣を抜いて、狂ったように笑いながら少女の顔面へと突き立てた。

 渾身の力を込めた腕を振り下ろし、だが 『キンッ』 と硬質な音が発されるのを聞いて、ニグンは肩で息をしながら 「やっぱりな」 と呻いた。

 

 ミスリルの刃では届かなかった。どうやら彼女の眼球にすら劣る強度しか持たぬらしい。

 滑りそうになった切っ先は閉じた目蓋によって優しく摘まれ、引き戻す事さえ不可能になる。

 

 

「終わりかな? バイバイ、あんまり面白くなかったよ」

 

 

 そして、少女の両手がニグンの顔に迫ってくる。

 抱擁を行うように優しげな、人形のような顔が微笑みながら近づく。ただしその口内からはギチギチと牙が擦れ合う音が響いている。決して人の身では在り得ざる音が耳を叩いていた。

 美しく見える手袋も異様に脈動している。壊れ物を扱うように頬を両手で包まれ、だが万力のように強い。

 

 皮膚に食い込む感触は異様の一言だ。昆虫のようでもあり動物のようでもあった。

 恐らくは人が決して知るべきでないのだろう。こんな化け物が存在すると知ったら、人の闇に潜んでいるのだと理解したら、社会を作る事は出来ない。愛すべき隣人が信用できなくなる。

 

 

「……やだ」

 

 

 ボコボコと肌そのものが沸騰しているような。

 硬さ、柔らかさ、粘着質。目まぐるしく変異を続けている、そんな少女の肌に触れ合う。

 振りほどきたいのに毛筋一つさえ動かない。安らぎを伴う甘い香りが少女から漂っているのを感じる。それですら拒絶の対象であった。

 

 想像を絶する恐怖と絶望。ニグンは己を構成する魂の一部が砕けるのを感じた。

 特別な魔法ではない。単純に怖かったのだ。頭蓋骨と共に心が軋む。正気が失われる。幼い頃の悪夢が目の前にある。パパもママも、ボクにはもう居ないのに。

 

 

「は、ははは、これは、ゆめだ、ゆめだ、やだよ……」

 

 

 股間から生暖かい物があふれるのを感じつつ、ニグンの脳裏で走馬灯が浮かぶ。

 何で俺は聖職者なんて道を選んだのだろう? 小さい頃は絵描きになりたかった。教会で見た天使様の絵が切っ掛けだったと想い出す。それで憧れを抱いてしまった。

 信仰なんて虚構に、騙されてしまったのだ。とんだ茶番に付き合わされた。人生を無駄にした。

 

 

「ママ、パパ。助けて、怖い夢が来るんだ……」

 

 

 自分の腕からクリスタルと短剣、そして自分の全てだった物が滑り落ちていくのを感じ。

 急速に訪れた眠気を、ニグンは諦念と共に受け入れる。

 

 

 



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第九話 方針

 ナザリックに帰還したモモンガとケイおっすの2人は、休憩室のソファに身体を預けていた。

 こうして落ち着いて眺めると本当に豪華絢爛で派手な部屋だ。ゴテゴテ装飾品が置いてある訳ではないが雰囲気的に。そんな事を呟きながらゴロゴロと身体の向きを変える。ケイおっすはスカートを手で抑えながら寝転がった。

 

 精神的な疲労と呼ぶよりは、一仕事が終わった後のだらけムードに近い。

 モモンガもお疲れサラリーマン的な雰囲気で休んでいた。骨の指を開いて杖を手放すと、丸く大きな肩の装飾具を少し邪魔そうにしながら背を伸ばす。 「はあぁ~」 なんて声を喉の奥から響かせていた。

 

 強い存在はいない。少なくとも一般的な範囲では、ナザリックに敵はいない。

 ガゼフですら最高峰で、あの雑魚天使ですら究極の切り札(笑)だというのだ。それが分かっただけに安心の意味が強かった。長い溜息を吐きながらも楽しげである。

 

 

「いやー、安心しました。油断はできませんが、ずいぶんと楽になりましたよ」

 

 

 陽光聖典という存在でさえ、モモンガが想像していた以上に有名であるらしい。

 それをたった3人で部隊ごと片付けた……殺したとか逃したとか具体的な言葉は伝えていない……のは、驚くべき行為だったようだ。

 証拠品として聖印などの適当な物を手渡した時は、兵隊たちなど唖然とした表情になり、あのガゼフでさえ露骨な驚愕を露わにしていた。

 

 何よりモモンガたち全員が無傷で帰った事も、彼らにとっては大きかったらしい。

 しかも自分たちが身に付けていた装備品へのダメージさえ無い、どころか目に見える範囲では汚れさえ一切存在しなかった。交渉で終わったのかと聞かれたほどである。

 それを聞いたモモンガは証拠を渡すのは後にすればよかったと動揺しかけ、ケイおっすも混乱しつつ咄嗟に 「ナザリックの強者はたった3人だけではないからね」 と部下の存在などを匂わせつつ誤魔化したのは、良かったのか悪かったのか。でも嘘は言っていない。嘘は。

 

 全体的に細かいミスなどはあれど、大きな問題は起きずに終わった感じだろう。

 初めてにしては上出来だよな、俺ら一般人だもん。そんな事を言い合う。

 

 

「うんうんー、お疲れ様。ビールでも飲みたいけど……あ、マスターって飲食出来るのかな?」

 

「お疲れ様です、ケイおっすさん。こっちも一杯飲みたいところですが……。

 どうなんでしょう? ポーション類ならば効果はあると思うのですけども、食事が可能かどうかは」

 

 

 皆が居たら宴会だったろうに。ケイおっすの呟きが宙に溶けていく。

 たっち・みーさんは完璧超人過ぎて、実は酒癖とか悪いんじゃないか。ペロロンチーノさんはきっと酒で失言をして茶釜さんに〆られるタイプだ、とか。思い出話に花を咲かせた。

 

 

「あー、こっちにもワールドアイテムってあるのかな?

 現に自分たちが幾つも持ち込んでるんだから、もしプレイヤーが居るとしたら、こっちに残ってるかもしれないよね。見ておかないとなあ……」

 

 

 図書館にはノリでコピーしまくった本の類が犇めいている。中にはwikiの情報をユグドラシル内部で簡単に確認するため、そのまま写し取った内容の物も幾つかあるはずだ。

 ワールドアイテム関連も本に記してあったと思う。ケイおっすの知識はブランクのせいで錆び付いているから、特に致命的となりそうな物は確認しておきたい、という思考も抱いていた。

 

 

「そうですね、ワールドアイテムの探索は必須でしょう。

 守護者達は知っているのか……分かりませんが、伝えておいて損は無いでしょうし。

 ポーションについては気になっています。彼らが持っていたのは赤ではなく、ユグドラシルには無い、青いポーションでしたから。此方の世界特有のアイテムには興味を覚えます」

 

 

 予想外に様々な物を得た結果、現在は部下たちによる分析を待っている。

 武器防具の質、ポーションの効果、製法、周辺国家について、などなど。

 

 精神操作系の魔法でも誤解や無知までは対処できない。だが何人も居れば擦り合わせる事で隙間を埋められるし、その前に拷問を見せ付けるなどして心を折っておけば、いちいち精神操作をかけるよりも手早く済ませる事が出来る。

 聞き出した内容を書面にして 「嘘があれば指で示せ」 で解決なのだ。聞き取りを入念に行えば結構な量の情報が集まるに違いない。

 

 

「睡眠ガスがあそこまで効いたぐらいだから、レベルはあんまり高く無さそうだけどね、色々と」

 

 

 あの名前負けしてそうな連中は、とケイおっすは思い出す。

 隊員たちを一瞬の内に大人しくさせたのは単なる催眠ガスだ。なので全員、生きてナザリックに収容されている。

 指揮官が二軍ならば本命の一軍もあるのか、と思ったが単にニグンという名前らしい。そんな紛らわしい名前の彼も回収済みで、今頃はデミウルゴスが直々に相手をしているだろう。

 

 

「ケイおっすさん、というかカオス・シェイプのパッシブって 【混沌の息吹】 ですよね。

 その効果は確か、恐怖・魅了・混乱・朦朧、とかのデバフからランダムですけど。もし魅了が最上位で当たっていたら、ケイおっすさん、あの男に求婚とか……されていたんでしょうか?」

 

「……生理的に無理。それにボク、自分より強い人じゃないと」

 

「ははは、手厳しい」

 

 

 だらしなくソファに身体を任せながら。2人はあてもない会話を交わす。

 王国最高の戦士であるガゼフの強さ、そして法国でも有数らしい部隊の強さを知った。最悪の想定からすれば笑ってしまうほどあっけない状況だった。

 心を砕いていたモモンガも胸を撫で下ろしている。 「肩の荷が降りた気分ですよ」 と言いながら顎を持ち上げ、高い天井からぶら下がっているシャンデリアに顔を向けていた。

 

 

「そういえば……。空って、本当に青かったんだね。ボク、感動したよ。凄い綺麗だった!」

 

 

 そんなモモンガの様子を眺め、外の世界を思い出したケイおっすは感慨深げに呟く。

 何処までも何処までも広がる青い青い空。そして綿を千切ったように浮かぶ真っ白い雲。頬を撫でる草の香り。

 異形と化したこの身でさえ美しいと感じた。子供のように草原を転げ回ったらどれほど素敵だろうか。後で是非やろうと思う。大気汚染が充満した現代では考えられない風景だった。

 

 

「もう少しして夜になれば、星も見えるかもしれませんね。

 ああ、見せてあげたかったなあ……。あの夕焼けの光景を」

 

 

 モモンガもケイおっすも 「大自然」 は空想の世界でしか知らない。

 現代では消え失せて久しい物なのだ。日曜の夜に放送される定番の動物系ドキュメンタリーでさえ、大半が過去の映像から引っ張ってくる構成である。なにせ現代だと動物園か研究所の剥製になってしまうから。

 

 このナザリックの内部には世界を模した空間だって存在するが、その製作者であるブルー・プラネットとて、職業が宇宙飛行士でもなければ "本物" の星空は知らないだろう。

 しかし……モモンガは、あの宝石箱のような夜空に思いを馳せ、断言する。

 本物ではなくても。作り物だろうとも。そこに込められた思いは色褪せる事はない。 「本物にだって負けていません、きっとそうです」 その呟きにしんみりとした雰囲気が漂った。

 

 

「情報集めも重要だけどさ。ただ世界を見て回るだけでも、楽しそうだよね。

 この世界にも未知の鉱山とか、資源とか、モンスターとか。いっぱい居るんだろうなあ」

 

「そうですね……。ナザリックの強化もしたいですし。そういった物を探すのも面白そうです」

 

 

 周囲に広がっているのは未知の世界なのだ。今までは脅威としか捉えていなかったが、なるほど資源の宝庫とも言い換えられる。モモンガは何度も頷いた。

 スケルトン程度なら1000や2000は軽く動員でき、しかも採掘でも開拓でも農業でも、給料どころか食事や休憩すら不要で働き続ける。頭の悪さは問題だが監督者を1人置くだけで解決できる。

 モンスターしか居ない奥地を開拓する分には文句も出まい。処女地を好きなだけ蹂躙するのは開拓者の特権だが、ユグドラシルでも珍しい経験がやり放題だとは。2人の心は踊った。

 

 

「細かい部分は守護者たちに任せるとして、方針は与えないとだめかな?。

 分散すると手一杯になりそうだけど、マスター、まずはどうしようか」

 

「ギルドとして、普通なら多数決なんですが……」

 

 

 モモンガは骨の隙間から息を漏らす。2人で多数決しても仕方が無いですね、と肩を竦めた。

 無念というより残念に思っている。41人の中には 「ユグドラシルが現実になる」 と聞けば眼の色を変える人間も多かった。辞めていった人たちにも理由あっての事なのだ。

 ヘロヘロさんなどは大喜びで、ブラック企業の上司に辞表と拳を叩き付けてくる、という最後の仕事を処理してから飛んで来るに違いない。それが分かるからこその余裕だった。

 

 そしてまた、現実を優先する、その気持ちもよく理解できる。

 モモンガだって家族が生きていれば違っだだろう。究極の命題として帰還の方法を探したはずだ。そんな彼だからこそ 「家族より此方を優先しろ」 とは絶対に言わないし言えない。

 ただ少しだけ……ほんの少しだけ、心の隅にでもいいから。ナザリックの事を忘れずにいて欲しい、とモモンガは思っている。その心意気はケイおっすにも伝わっていた。

 

 

「……差し当たって。ワールドアイテムについての知識を共有し、何を目的に動くにしても情報は集めておく、というのが最初でしょうか。

 次にこの世界でのプレイヤー、ないしはそれに次ぐ存在の探索、ですか。これならアイテムの収集などと同時に出来ますし。

 ああ、後は細かい消耗品も確保したいですね。食料が確保できるなら手勢も増やせますし、スクロール用の羊皮紙は絶対ですから……羊でも飼おうかな? 最後に手付かずの資源地の探索……」

 

 

 骨だけの指を曲げながら数え、自分の処理能力では無理だ! と頭を抱えた。

 守護者たちに任せるとしてもオーバーワークは拒否感がある。それに無報酬であまりこき使うのは……。しかし報酬だって渡せないだろうし……と呟きを重ねた。

 無限湧きのNPCならば使い潰す事に抵抗は無い。だが守護者たちとなれば別の話、彼らは41人で作り上げた存在で、ナザリックの大切な仲間ではないか。使い潰すなど論外だった。

 

 

「ああ、そうだ。冒険者って居るんだよね? ならこっちが依頼を出せないかな?」

 

 

 悩めるマスターを見てケイおっすも首を捻る。少しでも貢献しようと知恵を絞った。

 人手の問題は簡単に解決できるような類ではない。だから情報を手軽に得る手段を考えて、ガゼフが自分たちを雇おうと言っていた時の事を思い出す。

 冒険者なのだからクエストを行うのだろうし、ならば自分が依頼主になれば良い。単純な思考である。

 

 

「冒険者についての情報は、素直にギルドにでも聞けば、ある程度は答えてくれそうだしさ。

 細かい部分は……どうしよう。本を書きたいから教えて欲しい、とか?」

 

「それだ! 良いと思います、ケイおっすさん。

 複数の冒険者に聞けばデマも削ぎ落とせるでしょう。コネも作れれば、なお良いですね。適当なアンデッドをぶつけて反応を見るのも悪くない手ですし……」

 

 

 我ながらナイスアイデア! と嘯いたケイおっすは、諸手を上げられた事で逆に驚いた。

 本人は半ば冗談のつもりで言ったのに。どうやら行き詰っていたらしいモモンガにとって、その突飛な提案は袋小路を突破する天啓として響いたようである。

 

 

「いやはや、ケイおっすさんが居てくれて、助かりましたよ。

 ニグンの時にしても、こちらが戦うと魔法を使う事になったでしょうが……。魔法の場合、見るだけでも八位とか九位とか、実力が一発で把握されてしまいますからね。

 もし未知の手段で覗き見されていたら、と思うと、魔法は使いにくかったですし……。何より、彼らの強さから考えると。完全にオーバーキルでしたよ、まさかあそこまで弱いとは思っていませんでした」

 

 

 その際の不愉快な監視者の事を思い出したのだろう。モモンガは小さく鼻を鳴らす。

 ニグンとの戦闘を覗いていた連中に対しカウンターとして、範囲を数倍に強化したエクスプロージョンを送り込んだらしい。

 その死者たちをゾンビやグール、相手のレベルによってはデスナイトなど、アンデッドモンスターとして蘇らせる 【黄泉からの逆風】 というスキルと一緒に。

 

 とはいえ威力は据え置きの魔法である。範囲こそ広いが威力は低く、プレイヤーの感覚で言えば花火程度の物。ならば大した死者は期待できないだろう、と2人は分析していた。

 モモンガなどは 「警戒しすぎた。もっと強い魔法を使わせればよかった」 と後悔すらしている。必要になれば追加で戦力を送り込む事に否とは言わないだろうし、そのための準備とて現在進行形で行われていた。

 ナザリックの分析により詳しい位置なども把握済みなのだ。もはや彼の国の運命はギルドの手中にあると言っても良いだろう。

 

 

「まあ法国は後回しでいいんじゃない? 妙なアイテムとか抱えてるようだから、とりあえず完全に使い捨て出来る捨て駒を送り込んでおくとか……。消耗品ならそれで削れると思う」

 

「そうですね。改めて報告が来るでしょうから、それを待つことになりますが……。

 法国は重要部分こそ多少の守りがあるみたいですけど、都市の大部分は無防備みたいです。

 随分と不用心というか、結界の維持コストを払えないんでしょうかね? それだと楽でいいんですけど」

 

 

 座標は把握しているし、対策を回避する手段も数多く有している。ならばやり放題だ。

 ナザリック内部に自動POPするモンスターだって雑魚ばかりではない。数値で言えば40を軽く超えている存在も数多くおり、強い魔物ほど再出現までの時間は要求されるが、待っていれば補充される。

 何よりモモンガの手に握られているギルド武器が大きい。1日に1回という回数制限こそ存在するが、レベル80を超える 『根源の火精霊(プライマル・ファイアーエレメンタル)』 などを無償で召喚する事さえ可能としている。使い捨てる対象には困らないだろう。

 

 

「洗脳系のアイテムとか怖いけど、召喚した精霊なら時間経過で消えちゃうし、どうかな。

 ボクが持ってるスキル 【ウミガミのスープ/産神の肉海】 で作ったモンスターでも良いけどね。あれだと残っちゃうから……」

 

 

 またケイおっすにしても、カオス・シェイプの技能には魔物を生産する物がある。

 ユグドラシルにて一部の種族を選択し 「モンスターを1000種類以上捕食する」 という特殊な実績を解除した場合、ボーナスとして得られるスキルだ。

 ケイおっすの場合は更に大量の捕食を実行し、コレクション的な目的で強化していた。

 これにより上位なら1日8匹まで、中位なら18体まで、下位ならば52体まで。一部のレア・ボス系モンスターは除外されるし、他にも条件が幾つかあるが、捕食済みの魔物であれば生産できるようになった。

 

 ヴィジュアル的には卵などで生むのではなく、肉体の一部を切り離すイメージである。

 生み出す魔物のレベルに応じてHPにダメージが入るし、召喚のようにコントロール下にある訳ではない。本当にただ発生させるだけの能力だ。

 ユグドラシルでは新スキルの的にしたり、改めて捕食する事でスキルを発動させるトリガーとして使ったり酷使していた。使い捨ての鉄砲玉にするのも延長と言えるだろう。

 

 

「……ふーむ、確かに。しかし召喚は切り札になり得ますし、まだ見せたくないな。

 ケイおっすさん、確か 『時限式の肉爆弾(カウントダウン・ミートボマー)』 のモンスターって捕食済みですよね? とりあえずアレを送りたいので、後で生産して貰えますか?」

 

 

 モモンガが口に出したのは低位の悪魔で、レベルで言うと22。雑魚モンスターである。

 外見は脈動する巨大な肉塊だ。その赤黒い肌の表面からは無数の人間のパーツが、主に手足や指、それに苦悶に満ちた顔面が浮かび上がり、大半を覆うように蠢いていた。

 このモンスターは主に人間族と敵対しており、リザードマンやケンタウロスなど一部亜人種も含めた獲物を認識すると、身体全体を巨大な心臓であるように脈動させ始める。

 

 そしてHPが一定以下になると、当然のように爆発する。そのような性質を持つ。

 攻撃力も防御力も低いモンスターだが知名度はかなり高い。悪い意味でも良い意味でも。

 

 

「ああ、あの魔物? なるほど、流石マスターだ。アイツなら自爆するもんね。

 えっと、うん。リストに乗ってるから大丈夫。限界の52匹までフルに出す?」

 

 

 滅茶苦茶に手足が生えているため歩く事は出来ず、最初はかなり動きが鈍い。

 動く度に骨折などでダメージが入るのだから当然だろう。そうして移動部分が全て壊れると第二段階となり、今度は肉塊の全体を収縮させながら猛烈に跳ね回るようになる。

 その間も自らの行動でダメージを受け続け、クライマックスには 『汚え花火だ』 と呼ばれる大爆発を起こすのだ。かなり気合の入ったエフェクト+効果音と一緒に。

 

 ユグドラシルの中でさえ、至近距離で爆発されると、慣れた人間でも顔を顰める。

 しかも爆風を浴びると大惨事だ。能力値ダウン効果と持続ダメージに加えて感染能力まである面倒なバッドステータス、病魔に属する 『破裂病』 を受けてしまう。

 しかもこれ、治療されるか自然回復するまでエフェクトは消えないから質が悪い。

 暫くの間は気色悪い赤黒の(しかもネチャネチャと水系効果音つき)オーラが身体に纏わり付く事になるため、巻き込まれてしまった場合のインパクトは凄まじく強烈だった。

 

 

「こいつMAXで出して、他にも捕獲しまくって団子合戦とか、ギルドのイベントでやったよね。

 あんまりにも気持ち悪すぎて大変だったけど、アレはアレで楽しかったなあ」

 

 

 懐かしいわ-。ケイおっすは昔を思い出し、うんうんと何度も頷いた。

 レベル自体はかなり低いのも嫌らしいと言える。特殊討伐型のモンスターの中では最も弱い上に対処法も多く、付随する面倒さを除けば初心者でも対処しやすい。

 最初に会うのがこいつって、運営馬鹿じゃねーの? と思わないでもないが。

 元々のHPが低い上に耐性もガバガバ、なので対処法を覚えてしまえば与し易い魔物なのだ。冷気で固めたり動けなくして急所を狙ったり。それまでの恨みを込めて弄ぶのが一種の慣例となっている。

 

 

「面白いモンスターですしね。法国の人間も楽しんでくれるでしょう?

 そんなに此方を覗き見したいなら、お礼に花火を見せてやろうかな、と。数は30匹ぐらい送ってやりますか。ちょっとしたジョークですよ」

 

 

 情報を奪われそうになった事が不愉快だったのだろう。モモンガは楽しげに声を上げる。

 苛烈な報復があるとなれば相手の動き自体を封じられるかもしれない。情報を制する者が戦争を制する。そのようなポリシーがあるモモンガからすれば、相手の眼を潰せるのは最良である。

 ケイおっすとゲートの魔法を組み合わせるだけなのもポイントだ。消耗は殆ど無い。

 

 

「探知魔法があっても、無関係なモンスター扱いだから、逆探知もできないしね。

 こっちの魔法にそういうのがあるかもしれないけど……。ゲートさえ急いで閉じちゃえば大丈夫かな」

 

 

 また使役しているモンスターと違い、発生させた時点で繋がりが消え失せてしまう。

 支配権を奪われるなどして逆探知される危険もないし、一度でも点火したミートボマーはコンソールを開いてスキル欄を操作をしないと、支配状態になっても止まらない。

 彼らにとっては呼吸と同じぐらい自然な行為なのだ。ここに落とし穴がある。

 

 特別に命令すれば、カウントダウンも抑えこむだろうが……。

 忘れていると時間制限が来て 「ドッカーン!」 周囲には肉片が飛び散りまくる。

 そうなった時に群れが残っていると、同族の血肉に反応して連鎖爆破を起こす、という素敵な特性も持っているため、対処に失敗した場合は非常に愉快な花火大会が開催される事だろう。

 

 

「……はぁ。やりたい事は多いのに、まだ情報が足りなすぎるし、メイドたちは何かと張り付きたがるし。支配者も楽じゃないですよホント。

 俺が生身だったらトイレにまで入って来る勢いですよ? ああもう……」

 

 

 偉大な支配者という演技は疲れる。ギルドマスターであってもストレスが貯まるらしい。

 モモンガは攻撃的な笑みを右手で覆い隠した。急に落ち着いたような様子で深々とため息を漏らす。

 

 帰還しただけで猛烈な歓迎と労りの言葉、それに加えて次回は自分も一緒に行きたいオーラとか、意見を聞きたくとも 「モモンガ様のお言葉は全て正しいです」 と返されたり。

 ケイおっすが間に入って促さねばイエスマンの極地のような状態だった。しかしモモンガ自ら許可を出すとシャルティアなどは必死に考え過ぎてしまい可愛そうだし。支配者には支配者の苦労があるのだ、と痛感させられる事件だった。

 

 

「仕事を割り振ればマシになる……と、ボクは思うよ。希望的観測だけど。

 あのリーダーっぽい人から情報を聞き出すように命じた時とか、皆すごく張り切ってたし」

 

 

 目をギラギラせてたシャルティアやアルベド、メガネを光らせていたデミウルゴス。

 その姿を思い出したのかモモンガは頷く。やり甲斐のあるような仕事を準備してやるのは上司の役目だな、確かに、と呟いた。

 

 

「とりあえずあの村を拠点にして、周辺の森とかを探索するのは、どうかな?

 王国ならガゼ、ガゼ……ガゼルだっけ? とにかくコネがあるし。見た目が人間じゃない異形種でも、人目がない野外でなら使えるだろうから、無駄にならないでしょう」

 

 

 鉱物の探索にはコボルトなどのモンスターが有用だ。彼らは鉱脈を探知する能力を持つ。

 戦闘能力自体は低いが様々な地形に対する走破性があり、山、森、ジャングル、など大抵の場所で問題なく調査を続けられる。仮に食われたりしてもコストが低いので補充も容易い。

 

 外見は毛皮を纏った犬頭の人間モドキ。骨格もやや犬に近いので前傾姿勢を取る。

 鎧などを着せても町中で活動させるには向かないだろう。犬っぽいから警察犬のように追尾する事は可能かもしれないし、最弱のワークマン種でもレベル15だから一般人よりは強いが、彼らの本領はやはりフィールドワークなのだ。

 ただ野外で動かす方がずっと有用なので、人手として考えると諜報とは別に動かせる。それも利点といえば利点になりそうだった。

 

 

「そうですね、出来るだけ希望は叶えてあげたいんですが……。うむむ。

 希望通り一緒に出かけるにしても、あのカルネ村で人間と触れ合わせて、不自然でない程度の演技を覚えてもらわないと。町中に連れ出すのも厳しいんですよねえ」

 

 

ナザリックの守護者やメイドたちに思いを馳せ、モモンガは難しげに顎の骨を撫でる。

 積極的に踏み潰す事を楽しむ。或いは踏み潰しても気にしない。軽く語らいを交わしたり設定を読み込んだりした結論がそれである。

 多くの守護者やメイドたちはナザリック至上主義者であり、人間という種族に対して好印象を持っているとは言い難い、という事実に気付いていた。

 

 これについてはモモンガもケイおっすも、似たような思考に近付いている。

 何か特別に刺激される人間でなければ記憶に留めない。例えばあの村娘のように純粋な敬意を含む言動を取るなど、そのような事象がない限り、死んでも殺しても気にらない。

 既にケイおっすは殺人を経験済みだが、本人もモモンガも 「ああ、そういえば殺したな」 と半ば忘れてしまっている。それが何よりの証拠だった。

 

 

「まあ常識が無いって言うと、ボクもなんだけどね。

 あの戦士長の馬とか、美味しそうだったし。あ、ギャグじゃないよ? これ。……あと、本人はゴツイ男だったからまだしも、可愛い女騎士だったら食欲を刺激されたかも」

 

「食事を取れないのは不便だと思いましたが……。そういう苦労もあるんですね。

 ケイおっすさん、大丈夫ですか? 食事でも用意させます?」

 

「ドラゴンステーキとか食べてみたいなとは思うけど、まだ問題は無いよ。

 それにギルド長が無理なら、自分だけ食べるってのもなんか悪いんだよね……。それに、いざとなれば 【オートファジー/自食】 のスキルもあるから。指を齧ったけど苦痛とか無いし、生み出したモンスターを食べるんでも良いし……」

 

 

 ケイおっすは自分の人差し指に噛み付いてみせる。根本から食い千切って咀嚼した。

 それを見たモモンガは一瞬だけビックリしたようだが、すぐに新しい指が生えてきたのを見て納得したらしい。

 

 

「では、話を戻しますが……。プレイヤーがナザリックに攻めて来る、という事態は、私としては出来る限り回避したいんですよね。

 消耗品の問題もありますし、起動すると金貨を消費するトラップも多いですし。

 ですから、少なくとも補給のアテがつくまでは、人間国家との敵対は避けたいのですが……」

 

 

 積極的に人助けをしたがるのは、守護者の中だとセバスぐらいだ。

 たっち・みーさんの影響と思われる優しさ。しかしセバス本人曰く限定的ではある、とのこと。

 

 彼にしてもただ助けを求めるだけの有象無象ならば、たとえ国家規模での虐殺が行われようとも興味を持たない。生きるために足掻いてこそ助けようという気持ちが湧くのだと。

 地球の反対側で独裁者による民族浄化が行われた。そんなニュースを見ても 「またやってるのかよ……」 とは思っても、現代人の殆どがすぐに忘れてしまうのと同じだろう。

 あのカルネ村では我が子を守ろうと騎士に立ち向かったのが好印象だったらしい。また大前提としてナザリックの害にならないという物があり、無害であっても必要ならば殺戮を肯定する。

 

 

「ああ、カルネ村っていうのか、あの村……。担当はセバスに?」

 

「そうですね。まずはセバスに任せつつ、メイドたちにも慣れてもらうようにしましょう。

 アウラやマーレが居れば、大森林の探索なども捗るでしょうから、そこは確定として……」

 

 

 モモンガはテーブルの上に指先を走らせながら虚空を見上げる。

 その口の奥からは 「シャルティアって……何を任せればいいんだろう?」 という呻きが漏れ聞こえた。

 

 

「ええと、周辺国家の探索や交渉などは、デミウルゴスにお願いしましょうか。人型に近いですから変装も出来るでしょうし。

 そしてシャルティアには、山賊とか、殺してもいい相手からの情報集を任せて……。

 総責任者としてアルベドを置き、報告を集めた上で此方が受け取るようにすれば、処理も楽になると思います」

 

 

 ナザリックに存在する手札を統合すれば、自動POPのNPCを含めると十分過ぎるほどにある。

 ただし自動POPするNPCの殆どは指定した場所から動けないし、傭兵NPCなどは召喚から一定の時間が経過すると消えてしまう。維持するには一定の金貨を消費し続ける必要があった。

 現状ではこの世界の金貨を使えるのか、或いはユグドラシル金貨に加工する事が可能なのか、その辺りは細かい実験を行わないと不明なままだ。補給が確約されていない以上は出し惜しむのが当然である。

 

 

「そういえば、こっちだと銀貨とかあるんだね。ボクとしてはコレクションしたい気分だけど」

 

 

 また此方の世界特有のアイテム、銀貨や銅貨などの扱いも難しい。

 物の価値に応じて金貨を吐き出すマジックアイテムに投げ込んだとして、貨幣の価値が適応されるのか、その場合は相場など値上がりなどの影響を受けるのか、そっくりに作った贋貨は同じものと判定されるのか、あるいは素材の値段でしか判別されないか……などなど。

 無償の労働力を活かした素材の加工などにより、上手くやれば大量の資金を得られる可能性がある。逆に言うと無知や思考の落とし穴で大損するかもしれない。

 

 

「ええ、出来る限り種類などを集めないといけませんね。比較実験をしないと。

 それらを考えると、資金調達のため一刻も早く鉱山を見つけたいんですが……。法国だって攻撃するのは良いですがその後の対応など無視は出来ないし……。

 ナザリックのアイテムは売りたくないんですよね。ポーションとか消耗品なら我慢しますし、私の持っている物ならばともかく、皆が残してくれた物は……」

 

 

 懐かしむように首を振るモモンガに対し、ケイおっすも同意を示し頷く。

 

 

「ああ、確かにね。戻って来た時に装備がないと悲しいだろうし。

 ボクのコレクションも不要なのは提供できるから、いざとなったら安い武具でも売れば良いんじゃないかな? コスプレ用の武器とか防具がいっぱいあったはず。それ以上にネタアイテムも」

 

 

 カオス・シェイプは装備制限があるので、骨に光沢を付け金属風に塗装した鎧やら、ナザリックの守護者たちとデザインをお揃いにした防具やら、昔に流行ったアニメキャラのコスプレ装備とか。資金に余裕が出てからはネタアイテムばかり作っていた覚えがある。

 それ以外にもデータに戻そうとして忘れていた小物類、露店を見て回っていた時につい購入して倉庫の肥やしになっていた数々の物品。特に安価な物となればアイテム袋へ適当に突っ込んで放置していた。

 

 売っても二束三文だと分かっているから売りたくないし、捨てるのが嫌という性格もある。

 店入りなのは露店で拾ってきたような物がメインだ。そこまで高額なアイテムは入っていないはずだが……。何を買ったのかはケイおっす本人でさえ全く覚えていない。

 一応、コスプレ衣装系はちゃんとクローゼット型の収納アイテムに入れてあった、筈だ。それ以外が引っ越し直後のダンボールの山よりずっと酷い魔窟なだけで。

 

 

「あー、ケイおっすさん……。倉庫部屋、カオスでしたもんね」

 

「いや、ほら。露店とか見て回るのって楽しいでしょ!

 それにマスターだってゴブリンの笛とか、あれ明らかに入手経路同じだと思うんだけど」

 

 

 呆れた顔になったモモンガに向け、ケイおっすは両手を振りながらアピールする。

 下らないアイテムでも安価で売っていると欲しくなる。それが露店の並ぶあの独特の空気と混ざり合うと余計に効果を増す。何かのエフェクトが発生しているかと疑ってしまうほどに。

 そう力説すると 「確かに……まあ、否定はしません」 と納得させる事に成功した。我が意を得たり。ケイおっすは満足して大きく頷く。

 

 

「しかしですね、ケイおっすさん。何があるか確認するためにも、その魔窟を整理する必要があるわけでして……」

 

 

 ただし続いて囁かれた言葉にノックアウトされる。

 今のメイドたちならば手伝ってくれるだろうが、何が入っているか分からないから他人に整理して貰うのも恥ずかしい。なので自分でやるしか無い。

 ネタアイテムの中にはスク水とかビキニとかもあるのだ。ネタだから意味もなくピンクのオーラを発する効果なんかがついていたりする。水のエフェクトで常にヌルテカになったりとか。

 

 そんな物を買ったのがバレたら、エロ本を積み上げられるような物だ。

 相手がメイドでもナザリックの一部である。恥ずかしい。とても。

 

 

「整理は……まあ、隙を見て、チマチマやるよ……。

 おほん! 話をちょっと変えるけど、ファンタジーのポーションって薬草で作るのが鉄板っていうイメージが有るんだけどさ、ユグドラシルに薬草採取のスキルが個別であったか覚えてないんだ。錬金術の分類にあるんだっけ?」

 

 

 置いといて、とジェスチャーを交え、ケイおっすはポーションの話題に切り替えた。

 短剣が片手剣になっただけでも不具合を起こす。それほどほど頭の硬いシステムならば柔軟性は期待できないだろう。

 下手をすると雑草を引き抜くだけでも、何か採取系スキルの制限に引っ掛かる可能性がある。

 

 

「また露骨に変えましたね、まあいいですけど。

 料理スキルのないメイドに肉を焼いてみるように命じてみましたから、その結果はすぐに出ると思いますよ?

 私的には肉ぐらい焼けると思うので、大丈夫だとは思っているのですが……。薬草類の採取が不可能だと、頭が痛い問題になりますね、確かに」

 

 

 先のコボルトにしても鉱石の探索がメインで、薬草やキノコはその範疇ではない。

 そもそもユグドラシルでのポーションはイベントアイテムなどの一部を除き、ゾルエ溶液に金貨を消費しながら魔法をかけるという物だった。故に薬草類は使わないのである。

 錬金術の知識があれば補えるかもしれないが……この世界特有の素材などもあるだろう。その場合は現地人の知識を借りる事になる。

 

 

「薬草ってユグドラシルだと何に使うっけ? 料理ではミントとかを扱ってたけどさ。

 他は錬金術とか……そのぐらいしか記憶に無いんだよね。あのエンリって女の子に薬草っぽい匂いが染み付いてたのは覚えてるんだけど、ポーションとか作れるのかな……。

 でも、仮にあの女の子を教師役にするなら、物凄く人を選ぶよね、こっち側は」

 

 

 ただ、人間から知識を受け取るには、人類に対する意識の差がネックとなる。

 巨大なドラゴンに対して盲人が強弁を振るうような物だ。下手しなくとも激高して殺してしまうというパターンが考えられるし、異形種となった現在ではその気持も分かってしまう。

 

 モモンガもケイおっすも、人間に対する関心はかなり薄まった。

 特に理由なく国家を破壊するほど娯楽に飢えている訳でもないが、必要ならば虐殺を指示する事になろうとも 「ふーん」 で終わるだろう。 「だから?」 と続きそうなほどに。

 テレビのニュースで戦争を語られる程度でしかなく、目の前で実行されてもゲームのように受け止める可能性がある。その程度には思考が人間離れしていた。

 

 

「そうなんですよ! 異形種って見た目の問題が……。ユグドラシルでもそのせいで……。

 はぁ。ポーションは効果が低いようなので、なら気軽に手に入ると思いましたが、この分だと苦労しそうだな。セバスの負担が重くなり過ぎなければ良いんですけど」

 

 

 モモンガは休憩室の扉に目を向ける。高級木材から作られた一枚板の扉を眺めた。

 空虚な眼窩が見ているのはその向こう側だ。護衛やら身の回りの雑事やら、そのためにメイドたちが張り付いている事を知っていた。

 

 

「マスターも苦労してるよね、うん……。こっちも倉庫整理、頑張るよ」

 

 

 ケイおっすと2人きりで会話する必要があり、護衛は扉を固めて欲しい。

 そのような言い訳が出来なければずっと付いて来ただろう。こうしてダラダラとソファに沈む事も難しかったに違いない。

 偉大な支配者とは人種からして一般人とは違う感性が必要になる。ケイおっすは比較的に鈍感なのでメイドの存在を忘れたり出来るが、モモンガの方は意地でも演技を続ける訳で。

 その苦労は傍から見ているだけで、そして短時間で嫌というほど思い知っていた。

 

 

「はあ……。こうやって気が抜けるのは、何よりですよ。

 いや本当、ケイおっすさんが居てくれてよかった。独りだったら潰れてます。本当に」

 

 

 自らを神と信じる教徒達に囲まれているようなもの。精神的な重圧は非常に高い。

 ケイおっすのように軽く振る舞っていればまだ違っただろうが。自ら 「偉大な支配者」 を望んでしまった以上、もう後戻りは出来ないだろう。自業自得とはいえ大変だった。

 モモンガはそれが分かっていながらも愚痴を零してしまう。ユグドラシルではもっぱら聞いてもらう側だったケイおっすには珍しい経験である。

 

 こういう時、黙って聞いてくれる存在は、本当にありがたい。

 それが経験則で分かっているケイおっすは相槌を打ちながら、とにかく聞き役に徹する事にした。

 

 

 



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