少女(妖怪)と老人(人間)のちょっとしたお話 (ブラッディ)
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少女(xxxx歳)と爺(86歳)

少女(xxxx歳)と爺(86歳)

 

――パチン。

 

――パチン。

 

 盤上に駒が置かれるいい音が響く。

 軽快で、どこか厳かな音だ。

 

「むむっ。……むっ……うむ……。」

 

 と思えば、今度はジジイの嗄れた呻き声。

 

「ぐぅ……これは26年前の一局と同じ展開になっておるような……。ならば……ぅううむ……ならばっ、ここでっ。」

 

――パチン。

 

 やっと例の音が盤上に響けば。

 

「……はぁ。」

 

――パチン。

 

 ジジイがそこそこ長考した一手に対し、対面に座る対局相手――意外なことに少女である――は、ため息まじりにあっさりと次の手を打ってしまう。

 

「むぐっ……ぐぐぐっ……。」

 

 苦悶の表情を浮かべるジジイ。深いシワが刻まれたジジイの苦悶の声は、ともすれば『お迎え』の足音が一緒に聞こえてきそうにも錯覚するが、しかしこのジジイの呻き声は10年前からこんな感じである。故に対面の少女は特に頓着せず、退屈そうに、扇子を摘むように持ってぶらぶらさせている。

 

……。

 

…………。

 

「くっ……。」

 

――そっ。

 

 恐る恐ると一手。ジジイは震える手で――言うまでもなく、歳からではなく緊張からくるものであるが――駒を移動させる。

 

「……ねぇ。」

 

 少女が問いかけた。

 

「なんじゃいクソババア。お前さんの番じゃぞ。」

 

 ジジイはイラついた様子で少女を睨めつける。縁側にあぐらをかいた左膝に左肘を置き、握った手に顎を乗せたジジイ。白い髭と白い眉。髪の毛と歯は今やほとんど残っていないが、若い頃鍛えていたのだろうその肉体に簡素な甚兵衛など着て、老いてなお元気な様子である。

 一方クソババアと呼ばれた少女は、見ようによっては妙齢の女性にも熟した美女にも見えるが、どう逆贔屓目に見てもババアとは言い難かった。

 見れば見る程美女である。たおやかに縁側に腰掛け、傘を手近に立て掛けてある様子など、場所が場所なら深窓の令嬢と呼ばれそうなほどだ。ジジイの有様と違って、細くしなやかで綺麗な全身をなんとも形容しがたい衣服に包んでいる。細く豊かで美しい金髪の頭に、これまたなんとも言えない――強いて言えばドアノブカバーのような――帽子を被っている。

 そして平時なら胡散臭い笑みを浮かべていたのであろう顔は、今。

 

「つまらないんだけど。」

 

 『退屈』と題を付けて似顔絵コンテストにでも出品すれば金賞が取れそうな表情が浮かんでいた。

 

「けっ。千も超えたクソババアが、100もいってない若造を訪ねてきて詰まらないとぬかすかい。え?」

 

「だってあなた弱いんだもの。」

 

「結構だ、クソババア! 必ずぶっ飛ばして泣いて帰してやるゥ! ウエッホ!ゲッホゲッホッ。」

 

「健康なクソジジイといっても、意識ぶっ飛んで帰ってこれなくなるわよ。あまり興奮すると」

 

 そう、ジジイは86歳。年齢的にはそろそろ死神の足音だか鎌を研ぐ音だか、はたまた上司に叱られてる悲鳴だかが聞こえてきそうな歳頃。

 一方の少女は年齢不詳。本人も覚えてやしないがどう下に見積もっても1200は下らない、そんなクソババア少女なのだった。

 

 ここは幻想郷。全てを受け入れ、全てが調和を保ち、全てに必然性がある、世界の果て。

 

 ジジイは人間の小僧。少女は妖怪のババア。

 

 ジジイの名前は……まあなんでもいいとして。

 

 妖怪の名前は八雲紫といった。

 

 

 

 二人(?)の出会いはもう、かれこれ75年も……それとも『たった』75年か? とにかく、その程度前に遡る。

 

 当時少年だったジジイは、夜中に森の中に分け入った。

 「あの医者は好かん!」と――若かりし日に初恋をした娘に似てるからと後に聞いた――医者嫌いの頑固親父が腰を痛めた夜。眠ろうにも隣で寝ようとしてる親父が痛みに呻く声が煩くて、それ以上に心配で、少年は薬草を探しに森に入った。

 里の子どもたちは皆、生まれた時から、寺子屋の先生や周りのおっちゃんおばちゃん、巫女のお姉さんや時々会う妖怪にまで「暗くなったら森に入っちゃいけないよ。怖い妖怪が出るからね。」と口を酸っぱくして言い聞かされていた。が、やんちゃ盛りの子どもにそんな教えは通じない。なにより妖怪に「怖い妖怪が出るから駄目」と言われたって分からない。それに少年は、【弾幕ごっこ・スペルカードルール】に自信があった。

 

 【弾幕ごっこ・スペルカードルール】とは、力の違いすぎる妖怪と人間が共存する幻想郷で、双方の命を奪わず公平に『妖怪は人間を襲う』『人間は妖怪を退治する』という関係を維持するためのシステムの一つである。

 神秘を否定する『外』から大結界により『中』を隔離することで、神秘を閉じ込め、妖怪を生かせる場である『幻想郷』。

 そこでは危ういバランスで双方が存在している。神秘を知り、畏れ、敬う人間は、今や『外』にはほとんどいない。『畏れ』なしに神秘は存在できない。だから『中』から人間がいなくなると、神秘は存在が消えてしまう。

 一方、『幻想郷』の人間の里の起こりは、妖怪を退治する術士たちが築いた村と言われている。考えようによっては『幻想郷』の人間とて神秘の存在と言えよう。故に『幻想郷』がなくなれば、人間だって無事で済むか分からない。無事で済むとしても、住み慣れた故郷が消えるなど当然、嫌である。

 それに幻想郷の人間は『外』を、いわば人外魔境のように思っている節がある。なにしろ例の『紅霧異変』を起こして幻想郷を混乱させたあの吸血鬼一味や、突然やってきて妖怪のお山の天辺に神社を作った神様も、そしてなによりあの悪名高い『吸血鬼異変』の吸血鬼も、みんな『外』から来たものだ。地下からは鬼や幽霊が出てくるし、上からはとんでもない天人も時々降ってくる。

 結界一枚挟んだ隣に何がいるのか考えもつかないというものだろう。

 

 ――尤も、”我々”からすれば、そっちこそ人外魔境そのものじゃねえか、という話であるが。

 

 ともあれそういうわけで、人間も妖怪も、お互いにみだりに命を失うわけにはいかない。だからといって双方の関わりから攻撃性がなくなれば、どちらも力を鈍らせ、『外』からたまにやって来る脅威への力を失う。

 だから【スペルカードルール】である。

 今代の『博麗の巫女』により作られたこのゲームは、お互いに【スペルカード】を相応の枚数用意し、弾幕を張り、先に体力が尽きるか降参するか、あるいは【スペルカード】を使い切るか、いずれかになれば敗北となる。

 弾幕は『回避不能なものは無粋』『不幸な事故でも起こらなければほぼ死なず、当たったら多少怪我する程度の威力』『そしてなにより美しく』が規則。『気』でも『妖力』でも『科学力』でも、弾幕の基はなんでもよい。人間だと、基本的には血脈に流れる『術士の力』を使うものだ。

 しかし【弾幕ごっこ】は、女子供の【ごっこ遊び】である。成人した男は、基本的にはそんな『遊び』はせず、もっと違うゲームを望むものだ。例えば組手だったり、レースだったり、将棋だったり。

 とはいえ、人間の子どもと大人の喧嘩や夫婦喧嘩、勇んだ益荒男が美女型の妖怪に攻撃をためらったときになど、【弾幕ごっこ】は結構採用される。なにしろ『公平』だからだ。スペルカードの数と内容によって自在に手加減できるし、『一発当たったら終わりにしようね(あなたがコンティニューできないのさ)』など、ルールも割と自由が効く。

 結果、人間や妖怪の大の男にとっての『弾幕ごっこ】とは、自ら進んでやるのは恥ずかしい『遊び』だが、できておいて損はなく、大の男が練習してるのを見つかるとほぼ笑われるものの、実はみんなこっそり練習してるもの――という玉虫色の評価に落ち着いている。

 

 さて、若かりし日のジジイ――少年に話を戻そう。

 少年はまだ子どもなので、【弾幕ごっこ】の適正年齢だった。そして友達の中では一番できる奴として、実は得意な遊びだった。

 だからさして恐怖もなく薬草の本片手に勇んで分け入ったものの、石に蹴躓いてずっこけたり、妖精にイタズラされて目が眩んだり、落とし穴に嵌ったり、突然に目の前が真っ暗になったので必死に逃げたり、とそこそこ怖い目に遭った末に結局森の奥で迷子になったあたりで、彼は出逢った。

 

 『幻想郷の賢者』。スキマ妖怪。大妖怪。――八雲紫と。

 

 八雲紫のことは、なんとかという本――正確には「幻想郷縁起」という――の写本を読んでいたので知っていた。知っていたが、なんと書いてあったかはうろ覚えだった。大体の妖怪には、確か逃げろと書いてあった……ような気がする。しかし、暗い中で月明かりに照らされてぼうっと浮かび上がる、なんか得体の知れない黒いのに座ってこっちを見ている大妖怪の姿は、逃げるとかそういう真っ当な思考を停止させるほど怖かった。その薄ら笑いとか、先の尖った傘とか、堅そうな扇子とか、とにかくもう色々怖すぎた。

 

 当の大妖怪は勿論、ただで逃がす気はゼロだった。なにしろこのときの紫は、ただの人間と会うのは実に久しぶりであった。無論、大妖怪たるもの、凡百の人間がそうそう会えていいものでもないので当然ではあるが。

 その久しぶりに会った人間が、こっちを見ただけですくみあがるような、それはそれは脅かし甲斐のありそうな子どもなので、柄にもなく張り切っていた。冬眠明けの寝起きなのがさらに拍車をかけた。

 もっというと、馴染みの少女に『此間、”スキマ妖怪”ってなんか弱そうな響きだねって会話してる子どもを見かけたわ。ザマァないわね。』と言われたことが一番大きな原動力であることは間違いない。

 それに幻想郷には、『ルール』を理解できない低俗な妖怪も少数ながら存在する。こんな夜中に森に迷い込むような子どもには灸を据えてやらねば、という婆心もあった。

 

 さてどうしてやろうか、と考えていると、少年はやにわに叫んだ。

 

「だ、弾幕しようぜ!!!」

 

 紫は思わず吹き出した。

 少年はこれにはカチンときた。

 

「なにがおかしい! 俺は里に名高い天才弾幕小僧だぞ!!」

 

 紫は思わず暖かい微笑みを贈っていた。

 少年的には舌舐めずりしているようにしか見えなかった。

 

「だ、大妖怪『はちくもむらさき』になんて、負けるものか!!!」

 

 紫は思わず真顔になった。

 少年も思わず口を閉じた。

 

「大妖怪……『八雲紫(やくもゆかり)』、よ。」

 

 少年は思わず「げっ」と言った。

 紫は思わず「信じられないわ」と呟いた。

 

「本気で言ってるの? 私は幻想郷に名高い大妖怪よ?」

 

 少年は思わず「ひいっ」と口走った。

 紫的には上々の反応だった。

 

「よろしい。それじゃ、弾幕をしましょう。」

 

 少年は思わず叫んだ。

 紫もこれには楽しげに応えた。

 

「上等だこのババア! 俺の必殺弾幕でお月様までぶっ飛ばしてやる!」

 

「下等なこの小僧が、 我が境界弾幕で地の底まで叩き伏せてやろう!」

 

 

 

 ――そして。

 

「素晴らしい弾幕だったわ。」.

 

 結果として。

 

「私の、」

 

 八雲紫は。

 

「負けよ。」

 

 この【弾幕ごっこ】に、負けたのだった。

 

 

 

 

 

「思えば、厄介なババアに絡まれたもんだったぜ。」

 

「あなたの弾幕があまりに綺麗だったからいけないのよ。」

 

 現在。ジジイになった少年と、少女のままのババアは、将棋盤を片付けていた。

 

「だがよぉ、何度も言ったがな、ババア。次会った時もやろうぜと約束したのかもしれねぇが……いや俺ァ覚えちゃねーんだが……20年も経って、とっくに【弾幕ごっこ】なぞ卒業したあとにのこのこ訪ねてきて『弾幕しようぜ!!!』なんて言われても、俺ァ付き合えやしねぇぞ。」

 

「私もなんども言ったけどね。普通、嗜む程度にはできるものよ、甲斐性のある男は。弱っちい将棋で50年もやり過ごそうとするよりは利巧な方法があったとは思わない? 私はただ、あのときのスペル……【回避不要】を、もう一度見たかっただけ。」

 

 【回避不要】。紫の想定外の敗因の名前だった。

 その枕詞がついたスペルは、実のところ、避けられそうなスペースはいっぱいあった。紫ほどの実力者ならば、手加減を幾重に重ねても避けられない筈もないほどに。

 しかし、このスペルシリーズのすごいところは、”避ける気を起こさせない”ことにある。少年の対面の、完璧に避けられず、一番ダメージをもらうスペースから見た時の黄金比的に完成された美しい弾幕は、回避しに動くことを戸惑わせる。

 強くて余裕のある妖怪ほど、美しさとか粋とか、そういう概念に弱い。紫はこの術中に見事にはまった。

 【回避不要】に一々律儀に目を奪われ、その聡明な頭脳で最も弾幕が綺麗に見える――つまり一番ダメージをくらう――位置を弾き出しては、律儀にその位置まで移動して、細大漏らさずくらい続けた。結果、寝起きなのも相まって想像以上のダメージをもらい、それ以上に「いいもの見た」という満足感により敗北を認めた。

 八雲紫の数少ない敗北の一つだった。

 紫は、勝者である少年に薬草摘みを手伝わされ、里まで送らされた。

 そしてその際、紫と少年はある約束を交わした。「そのうちまたあなたの弾幕を見せて」「いいよ」。

 

 しかし、そのあと紫が少年を訪ねた頃には、少年はおっさんになっていた。妖怪的な感覚だとあんまり経っていないのだが、少年改めおっさんは、すでに【弾幕ごっこ】は卒業し、別の研究に熱意を燃やしていた。

 

「だから見せてやったろうが。俺の弾幕。引退打ち上げによ。」

 

「ただの花火だったでしょうに。【回避不要】の形でさえ、なかったし。あの目前に迫ってくる輝きも、勢いも、一点だけに見える完璧なバランスも、なにもかもなかったわ。残念ね。」

 

「テメエババアこの野郎。将棋はともかく俺の花火を汚すたぁ、聞き捨てならねえな。先代の巫女にも大好評だったろうが? え?」

 

 ジジイは花火師だった。それも幻想郷に名の知れた名人であり、弟子も結構な人数に登る。若い頃のジジイ、そして紫が20年ぶりに訪ねた少年、つまり当時のおっさんは、弾幕ではなく花火の色や明るさや音などを研究していたのだ。時々興味を持った河童とかと一緒に。

 残念そうな紫におっさんは言った。「いや、【弾幕ごっこ】とかおっさんがやっちゃだめな遊びなんで」。

 申し訳なさそうなおっさんに紫が言った。「いや、絶対見せてもらいますからね」。

 

 以降紫は、おっさんがジジイになるまで、ずっとおっさんの元に通い詰めた。突然現れてはおっさんの妻や息子を驚嘆させたりしつつ、ことあるごとに、おっさんに【スペル】を使わせようとするようになった。

 おっさんは、将棋とか、レンチ締めとか、花火玉磨きとか、打ち上げ大砲掃除とか、火薬並べとか、色々とゲームを言い渡し躱していた。しかし一度たりとも勝てなかった。なにをやらせても、おっさんより婆さん(少女)である紫の方が強くて凄いのだ。一回弾幕ゲーム適齢期の息子を人身御供にしてみたら、息子は「狐って怖い……。」と3日ほどブツブツ言っていたので、人身御供はやめた。

 そうしてのらりくらりとかわし続けて50年。花火玉を持ち上げられなくなった彼は現役をやめた。そのときに、彼は色々と世話になったという想いを込めて紫(むらさき)を基本とした花火を打ち上げたものだが、それを見た紫は、より一層弾幕スペル【回避不要】が見たくなって、今や毎日のように訪ねているわけである。

 

「先代の巫女……霊夢、ね。あの子は本当に最期の方まで【弾幕ごっこ】に付き合ってくれてたのに……あなたときたら……。」

 

「ふんっ。テメエの弾幕が殺したようなもんなんじゃあねえのかい、先代の巫女はよう。」

 

「人聞きの悪い。あの子が自分で飛べなくなったらやめたわよ。それからは今代の巫女に付き合ってもらったけど。」

 

「どーだかねぇ……。」

 

 スペルカードルールを導入した先代『博麗の巫女』博麗霊夢は、老衰で先日旅立った。念願叶って魔法使いとなった親友がその最期を看取ったのだと『文々。』は報じた。

 間違いなく幻想郷の大いなる改革者であり、幻想郷のあらぬる者に愛された彼女の大往生に、幻想郷中が深く哀悼の意を捧げた。葬儀も大層なものだった。

 その後、吸血鬼が手向け代わりに起こした異変が今代の博麗の巫女のお披露目となったわけだが、今代は怒らせると先代より怖いと妖怪たちの間で専らの評判である。

 

「今でも覚えてるわ、あの子との最後のゲーム。【夢想封印】。霊夢の魂そのものようで、例えようもないほどに綺麗だった……。」

 

「……。」

 

「覚えてるわ、次の子とやった初めてのゲーム。【夢想封印】。脇が甘かったけど、その分淡く、アシンメトリーでアンバランスな美しさがあった……。」

 

「……でもあなたのはもう今にも忘れそうよ。もう歳かしらね。」

 

「……かもな。」

 

「『幻想郷』には1000年も変わらないものがいくらでもある。でも、私の中にいつまでも残るのは、全て一瞬の景色。愛すべき友人たち。畏るべき隣人たち。命が短いものほどそうよ。百年で死ぬような生き物なんて、刹那ほども同じ時はない。」

 

「……。」

 

「あなたももう、いつ消えるかしらね。我が子のように可愛がってきたこの世界で生まれた命は、一つ消えるのも悲しいこと。だから言ってるのよ。あなたの魂の輝きを、もう一度、見せて。」

 

 これほど熱を込めた口ぶりだというのに、紫の顔はちっとも変わらない、いつもの胡散臭い笑みを貼り付けたままだ。どこまで本当かも分かりはしない。

 そしてジジイも、気の無い顔である。

 

「……刹那ほども同じもんはねえんだろ。ジジイになった俺が、ガキの頃の……テメエの言う、魂の輝きを見せられると思うかい。」

 

「……つれないのね。」

 

 心底つまらなさそうな声色であった。

 

「あんなに長々と20年遅刻した言い訳聞かされてりゃあ、つれねぇことも言いたくならぁよ。」

 

 ジジイは口を尖らせて言う。将棋盤に肘をついて、もう片方の手で胡座をかいた膝をボリボリと掻いている。

 大賢者はこのジジイの父親も花火師であることは知っていた。このジジイが父に憧れていたからこそ、少年の頃、花火の意匠を組み込んだ上で意図的に崩した【回避不要】が生まれたことも知っていた。

 だからこそ、弾幕のなかで花火を弄っていたあの日の少年も、20年経って本物の花火を弄っていたおっさんも、それから50年花火を弄り続けたじいさんも、未だに花火を創作している目の前のジジイも、あんまり変わってないことも知っていた。

 しかし、今し方一瞬ごとに違うと言った手前、変わってないと言うのは癪だった。

 

「あら、それは寝てたからだわ。……拗ねてるの?」

 

「けっ。テメエらの1年と俺たちの1年は全然違げーんだよ。そんなにしたけりゃ孫んとこ行け。30になっても弾幕ゲームに現を抜かす阿保孫だ。」

 

「それじゃ意味ないって言ってるのに。あなたの弾幕が見たいのよ。」

 

 ジジイは庭に痰を吐いた。

 

 

 

 ジジイが死んだのはそれから8日後のことだった。

 

 

 

 ジジイの葬式は、葬式ではなかった。

 ジジイの遺書に従い、花火大会になった。

 

 遺書。

 死に際、いつものように一局打ちに来ていた大妖怪に、「最近、そろそろ万が一に備えるべき時期が来たのだと実感しているが、自分は字が大分残念だから」ということで代筆を頼み、自分の死後のことに関する遺書を書かせていたのだった。別に将棋を打ちに来ているわけではないのだが、そんなことは当人同士しか知らない。

 いよいよ頭に来ていた紫としては、自分で書いてやるのも癪だったので、式を呼んでそのまた式を呼ばせ、字の練習がてら代筆を代筆させてやった。

 式の式によってちょっと残念な字で書かれる自分の遺言を前に、口頭で文を伝えるジジイもちょっと残念そうだった。それがまた紫にはいい気味で、ジジイの恨みがましい愚痴混じりの遺言を聞き流しながら、茶を啜っていた。年甲斐もない、と呟いた式は、肉体的な拒絶と受容の『境界』を歪ませ、泣いて謝ってくるまで油揚げを食べさせなかった。

 

 そうしてできたジジイの代筆遺書は、遺族が解読するに少し時間がかかったそうだが、結局、ジジイの遺言通りにことは行われた。遺品の整理について。弟子たちの修行について。家業について。そして、葬式について。

 

 

 紫は、博麗神社から、それを見ていた。

 ジジイが生きてる間に作りあげ、打ち上げた幾種類もの花火が、打ち上がり、瞬き、消えた。余韻もなく次が打ち上がり、瞬き、消えた。輝きが消えては次の輝きが生まれて、闇夜の空はいつまでも明るい。

 紫にとって、『幻想郷』の生命とはそんな花火大会の空のようなものだった。紫にとって強い光に思えるものほど、輝く時間は短い。一つ一つの輝きは短いのに、絶えず次の光の輝きがやってきて、紫に見える景色は暗かった試しがない。

 ジジイは、自分の葬式は湿っぽいものでなく、花火師人生の集大成に相応しい大花火大会にしてくれ、と遺族に頼んでいた。

 しかし、

 

「……死んで(光を失って)もなお空を明るくさせられるのは、花火(ジジイ)と、弾幕(霊夢)くらいのものかしらね。」

 

 盛大な花火を見ながら飲む酒は美味くもあったが、酷く味気なくもあった。

 この大妖怪が、80年も見たい見たいと思い続けたあのスペルは、もう見れないのだ。これが残念でなかろう筈はない。意地悪ジジイめ、とまた一口。

 

 気付けば、神社は妖怪の宴会場のような有様になっていた。誰も彼もが、テメエらなんでここで飲むんだよ帰れよ、という顔をしている今代の巫女など知らぬ顔で、花見酒ならぬ花火見酒に興じる。

 巫女は箒とお祓い棒を握りしめ、難しい顔でプルプルしていたが、先代はこういうとき喜んで参加してたしお前もかまわず飲めばいいじゃないか、と威勢良く杯を呷る白黒魔法使いに引きづられていく。――ところでこの魔法使いも強かだ。『幻想郷』の規則も、霊夢自身の規律も『違反』への対応も強さも、嫌という程よく知っていたこの魔法使いは、霊夢が老いて動けなくなるまで待って『魔法使い』となった。「床についてる霊夢様に向かって、お前が動けなくなるのが先か私が魔法を使えなくなるのが先かの勝負に私が勝っただけだぜ、って言った顔ったらっ! 信じられないっ!」と怒り狂っていた巫女を思い出す。それがどんな顔をしていたのであれ、霊夢は多分、それほど気にせず逝ったと思う。

 埒もない感慨はさておいて、人里も、縁日を出してお祭り騒ぎだ。そちらに精を出す妖怪もいる。亡霊まで混ざって大賑わい。花火一発一発の轟音と光に、声をあげる子どももあれば、素知らぬ顔で菓子をかっ食らう子どももあり、息を飲む大人もあれば、素知らぬ顔で喧嘩する大人もある。所によっては、どうやら弾幕ゲームも始まりそうな勢いだ。今夜は楽しくなりそうだ。

 これだけの人や妖怪に、自分の生きた証を見てもらい、はしゃいでもらうのだ。あのジジイもさぞかし満足だろう。この私にはついぞ満足させなかったくせして。

 

 と、空を照らす光が途切れた。

 はて、と見上げると、そこにあったのはなにかの煙だった。花火の硝煙ではなく、もっと別の――

 

 ――煙が光を発した瞬間、紫は足元に開いた闇のようなスキマの中に消え、次の瞬間には空にいた。

 次の瞬間、煙は一斉に破壊力を持った閃光と光弾の塊となり、弾けた。

 

 その煙は、ジジイを火葬したあとの遺灰だった。

 狭苦しい墓に入れるくらいなら、俺の体は灰にして、花火弾につめて打ち上げてくれ。俺が最期に、最高の花火を見せてやる。

 そんな遺書を読んで、ジジイの息子は、親父らしいよと思いながら、ジジイの灰入りの花火弾を作り、打ち上げた。

 親父の体を空にぶちまけた花火弾を見て、ジジイの息子は驚いた。灰が突然、光弾の山に――弾幕に化けたからだ。

 そして、下から見上げたその弾幕が、驚くほど不細工だったからだ。

 

 一見、打ち損じのような花火を見て、紫は動いた。聞き流していた遺言の文言を思い出したからだ。

 ジジイの遺灰がなにをするのか、なんとなくわかったからだ。

 

 空に出現した紫は、煙の――ぶちまけられた灰の中に、ジジイの姿を幻視した。あのジジイどこから帰ってきやがった、とジジイのピースサインを見て思った瞬間、紫の視界一杯に閃光が広がって――

 

 ――次の瞬間には、身体中に痛みを感じていた。

 

 紫はあらん限りの力を使って、その場に踏みとどまり続けた。帽子が吹っ飛んだ気配がある。腹が焼ける。肩の感覚がない。髪から焦げた匂い。花火の残り香で呼吸も苦しい。死んでるのに生きてる者への容赦はなしだ。

 しかし、避けるなんて以ての外。目を閉じるのも勿体無い。身体全てを使って、この美しい弾幕を感じていたい。この100年で最高の弾幕を。

 なんと粋ではないか、あのジジイめ。如何なる術理か、死んでからこれを見せようとは。80年に渡って見たい見たいと言い続けたこの大妖怪の望みに、死んでから応えるとは。だから人間が好きだ。素敵なのだ。

 

 スペルカード名は【回避不要】。〈境界を操る程度の能力〉を持っているわけでもないただのジジイが、スキマ妖怪の内なる"拒絶と受容の『境界』"を弄ってしまう、畏るべき花火弾。花火弾幕。

 紫は真っ向から全てを受け入れた。正しい位置から見た弾幕は、錆びつきかけていた80年前の記憶より鮮烈に身を焦がし、魂を焼き、心を燃やす。

 80年。これを見れば思う。紫の生きてきた1000年余りの中でも、最も大きな80年だったと。それはなにも、この弾幕だけのせいではなく、この80年が歴史の中で最も幻想郷を変えた100年の中にあったからであり、『博麗』の歴史の中で最もお気に入りだった『あの子』との100年とともにあったからでもある。

 視界の端に、馬鹿じゃねえのコイツと言わんばかりの顔をした少女の亡霊がいることなど気がつかない。いつの間にか、死神が紫から放れた不正解の位置で弾幕を浴び、何がいいのかと首を傾げていることなど、知ったことではない。

 

 知ったことではないが、そういえば。

 

 そこに当然のように亡霊と死神がいる。

 下の宴会場には、神とか、妖精とか、鬼とか、吸血鬼とか、魔法使いとか、そのほか色んな妖怪とか、亡霊とか、半妖とか、人間とかが、入り混じって飲んでいる。

 飲んでる場所は、妖怪退治の総本山『博麗神社』。

 そして、ただの人間のジジイの亡霊ごときが、妖怪の自分にここまで傷を負わせることができる。

 

 そんな状況を作り出した、言うなれば激動の時代とともにあった『あの子』はもういない。

 

 なぜ、自分はこの弾幕を見たかったのだろうか。特にこの頃など、年甲斐もなく恋する生娘の如く、毎日ジジイのもとに通い詰めるほどに。それほどまでに、もう一度見たかった。しかし、そもそもそんなにもう一度見たかったのはどうして……?

 ずっと持っていた疑問は、痛みと快感の中で、氷解してきていた。

 

 

 

 破滅的に美しい、ジジイの最期の輝きを浴びなから。

 『幻想郷』誕生より共にあった最古の大妖怪は、『幻想郷』の、一つの時代の終わりを感じていた。

 

 

 

 ここ100年で最高に傷だらけで。

 ここ100年で最高の感動に浸って。

 目の前の輝きの全てを胸に刻んだ八雲紫は、夜の闇を取り戻したのを視界で認識すると、心地よさと、少しの寂寥感の中で、意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

――パチン。

 

――パチン。

 

 松明が燃える音。

 式神・八雲藍は、突然空に飛び出し花火に飛び込んで、当然のようにボロボロで帰ってきた主人を空中で抱きとめ、松明が雰囲気を作る縁日の脇に降り立った。

 花火……いや、弾幕の中に飛び込むと、一寸たりとも動かずにその猛威を全部受けた主人。これでも、結構付き合いは長いが、なぜこの主人の考えることはこれほどまでにわからないのか。こんなにボロボロなのに、なんで主人はこんなに笑顔なのか。

 ふと、花火の大砲の横に立つ少年を見つけた。いや、一瞬、少年に見えたが、次の瞬間はジジイだった。あれは亡霊だ。空中に散布された灰の中から、突然現れて、弾幕を放ち、主人をここまでボロボロにした少年。何故か急にジジイになっている。

 藍は、疑問を感じこそすれ、恨みのようなものは一切感じていなかった。大妖怪たる主人・八雲紫なら、避けようと思えばいくらでも避けられた弾幕だったからだ。当たりに行った紫の思惑はしれないが、この亡霊のジジイが紫の笑顔の元ならば、感謝さえしたいほどだ。

 そんな風に思っていると、ジジイは、亡霊――彼女までこちらに来ているとは驚いた――と、死神――案内、いや監督役か? どうやって納得させたのか――に促されて背を向けた。背を向けながら、藍に……いや、その腕の中にいる紫に、二本指を立てた。

 

「二勝目、というわけ、ね。」

 

 いつの間にか紫は、意識を取り戻していた。

 

「粋なのは、ジジイだけでなく、あなたでもあるわけ。」

 

 紫は、心底、嬉しそうな、そして寂しそうな顔で、亡霊のジジイと、亡霊の少女を見ていた。

 

「素晴らしい弾幕だった。私の、負けよ。」

 

 80年ぶり2度目の言葉に、ジジイは満足げな気配を背中から出しながら、死神に連れられて冥界に消えた。

 残ったのは、生前と同じ赤と白の装束を着た、凛々しい出で立ちの亡霊の少女。紫をチラッと見ると、宴会場の様子を見る。宴もたけなわだ。妖怪たちは、【回避不要】の後に再開された花火大会を肴に酒を飲み、思い思いに話に花を咲かせている。魔法使いに頭をロックされた『博麗の巫女』は、飲めないの!と鬼から押し付けられる杯を必死に拒んでいた。

 

「混ざっていかないの? あの子も、あなたに会いたいと思うけど。」

 

 紫は声をかけた。久しぶりに彼女と飲みたいと思ったのだろうか。しかし、

 

「いいえ。色んなとこに無茶言ったから、謝りに行かないと。じきに妖夢が追ってくるし。」

 

 亡霊は素気無く一言。

 紫はくすくすと笑う。

 

「つれないのね。あなたが謝りに、なんて嘘でしょう? お酒を優先するとばかり思ってたのだけど。」

 

「あんたの100年と私たちの100年は違うの。私はこれでも100年でだいぶ丸くなってんのよ」

 

「じゃあ、色んなとこへの無茶はどうやって通させたの?」

 

「そりゃあ、私の考えた素敵な方法でよ。」

 

「何一つ成長してないじゃないの。私、ジジイに謝らないといけないわ。刹那どころか、100年経っても変わらないやつなんていっぱいいるのね。」

 

「なによそれ。そういうのは、あそこで私の娘をシメてる奴に言ってくれない? あいつ、『私たちの100年』から勝手に抜けて。」

 

「娘って、別にあなたがお腹痛めて産んだわけでもないでしょう? 巫女は生涯処女だもの。それにあの魔法使いに、恨みなんてないくせに。」

 

「娘も同然よ。私が位置から仕込んだんだもの。それとあいつへの恨みならあるわよ。私の分も含めて十二文出させるつもりだったのに、結局、私だけ六文出させられたわ。」

 

 心の底から臆面もなく、たかり未遂発言である。しかし、言葉の割に浮かべた表情は、生前のなんでもない顔と同じ。本気の恨みなど彼女は持たないのだ。〈空を飛ぶ〉ために邪魔になるから。

 

「じゃ、行くわね。」

 

 そう言って、『博麗霊夢』は、生前と何一つ変わらない、なにものにも囚われないその身を翻して、冥界へ還っていった。

 

 見届けた紫は、ほぅ、と息を吐いた。

 それを見て藍は、なんとなく、最近の主人は変だったのだなぁ、と思った。

 

「……行ってみようかしら。ジジイの『孫』とやらのところ。」

 

 紫は、明晰な頭脳で埒もないことを考え始める。

 

 割と元気そうだから降りてほしい、とは口が裂けても言えない藍だった。




落ち着いて読むと「――」使いすぎた。

お爺さんを見送る紫に、お爺さんがサブライズ!くらいのつもりだったのに、書き進めるとこんな感じに。
……なに、キャラや幻想郷の解釈が違う?時間経ってるし、幻想郷は全てを受け入れるから、まあ、多少はね?
『亡霊』で幽々子様を期待した方はすいません。特に意味のないミスリードでした。霊夢が亡霊になってるのは、映姫様に「業が深くてどこへも行けない」と言われたのを汲んで。まあでも、あれは売り言葉に買い言葉というか、あんまり深い意味はなさそうな感じでもありますが、そのへんは解釈次第ですね。
なんだかんだ霊夢は、そのうちなんとなく成仏するか新地獄でよろしくするかして、いつの間にか転生してるんじゃないですかね。鳥かなんかに。
一応言っておきますが、私は主人公に没入するところから作品を好きになるので、霊夢が大好きです。

貴重なお時間いただきまして、ありがとうございました。


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