怠け者の魔法使い (ゆうと00)
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第1話 『再始動』

 ホテルの大宴会場であるそこは、現在大勢の記者によって埋め尽くされていた。皆がカメラを構えメモを持ち、本日の主役である1人の少女の登場を今か今かと待ち構えていた。

 そんな彼らから見えない所、厚手のカーテンに仕切られた即席の舞台袖であるそこで、本日の主役であるその少女はその光景をこっそりと眺め、駆けつけた記者の数に大きな溜息を吐いた。

 

「みんな暇なの……? たかだか1人のアイドルが引退するってだけなのに、まるで国を挙げての大騒ぎみたいに集まっちゃって……」

「“みたい”ではなく、実際に大騒ぎしているかもしれません。双葉さんが引退すると発表してからの間、あちこちでもの凄い反響がありましたから」

 

 金色の長い髪を緩く2つに纏めた少女のぼやきに、本人は普通にしているのかもしれないが目つきが悪いせいで睨んでいるように見える男が答えた。片や彼女は140センチにも満たない小学生のような超小柄な体型、片や彼は2メートルの大台に届きそうなほどにがっしりとした体型と、普通に考えたらアンバランスこの上ない組み合わせに違いないはずなのだが、そうやって傍にいるのが当たり前であるかのように堂に入ったツーショットだった。

 実際、今日までこの2人はずっとこうやって一緒に進んできた。最初は嫌で嫌で仕方がなかったこの仕事も、彼と一緒だったから今日までやって来られた部分も大きいだろう。もちろんそんなことは、本人には絶対に言ってやらないが。

 

「今ならまだ遅くありません。引退を取り消してみてはいかがでしょうか? 双葉さんのキャラクターならば、冗談で済ましても許されると思いますが」

「絶対に嫌! 杏の決意は固いのだ!」

 

 しかし、それもこの辺りが我慢の限界だった。彼に対する恩義もあってここまで続けてきたが、これ以上は彼女のメンタルに多大なダメージを与える。もはや彼女には、今の仕事に対する未練は何1つ無かった。

 いや、そもそも未練とかそういう以前に、彼女はこの仕事に対して何の愛着も無かった。

 すべては今目の前にいるこの男――武内プロデューサーこそが諸悪の根源である。その少女――双葉杏は今までの恨みも込めてキッと彼を睨みつけたが、彼はその大きな手を首に当てて疑問の表情を浮かべるのみである。

 結局最後まで彼にしてやられただけか、と杏が再び大きな溜息を吐いたそのとき、

 

『只今より、346プロダクション所属アイドル、双葉杏の緊急記者会見を行います』

 

 マイクを通して会場中に女性の声が響き渡った。いつも緑色の事務服を着ているあの女性の声だ、と杏は思いながら舞台袖から姿を現した。途端に記者の持つカメラがかしゃかしゃと鳴り、彼女はフラッシュを浴びながら記者達の目の前に横一列に置かれた椅子の内、ど真ん中の一番目立つ場所にどっかりと腰を下ろした。その隣に、彼女に付き従うように歩いてきた武内が、その大柄な体で隣の杏を圧迫しないようにできるだけ体を縮こまらせて座った。

 

『それではまず、彼女の担当プロデューサーである武内より、本日のご挨拶を――』

「あー、ちひろさん。杏、こういうの面倒臭いからさ、さっさと終わらせちゃおうよ」

 

 アナウンスの声を遮って、目の前のテーブルに置かれたマイクで気怠そうにそう言う杏に、記者のカメラが一斉にシャッターを切り始める。隣で武内が慌てるような表情を浮かべているが、杏はそれを無視して口を開いた。

 

「えー、どうも、双葉杏です。皆さんもう知ってると思いますが、杏はアイドルを引退することにしました」

「引退を決めた理由は何ですか!」

 

 杏がルールを守らなかったからか、記者の方も質問の時間でないにも拘わらず質問を始めた。ちひろや他のスタッフが止めようとするが、訊かれた本人である杏が止まらない。

 

「あまりに忙しすぎて、我慢の限界だったからです」

「一部の報道では、同じ事務所のアイドルとの不仲が原因と言われてますが!」

「そんな噂、嘘っぱちだよ。みんなも知ってるでしょ? うちらの事務所の仲の良さ」

「普段から『一生暮らせるだけの貯金ができたら、すぐにでもアイドルを辞める』と明言していましたが、今回の引退はそれが理由でしょうか!」

「うん、それもあるね。つい最近預金通帳の残高を見て、これなら大丈夫って思ったよ」

「今回の引退に対して、同じ事務所のアイドルの皆さんはどのような反応をしたのでしょうか!」

「残念がってはいたけど、普段から『働きたくない』って言ってたからねぇ、予想の範囲内って感じだったよ。……1人、凄くうるさい奴がいたけど」

 

 杏はそこまで喋ったところで、ちらりと会場の時計に目を遣った。ここに座ってから、まだ1分ほどしか経っていない。

 

「……もう充分でしょ。プロデューサー、帰るよ」

「双葉さん、しかし――」

「良いの良いの、“アイドル・双葉杏”の幕引きとしては、これで充分なんだよ」

 

 杏はそう言うと椅子から立ち上がり、さっさと舞台袖へと引っ込もうとする。

 これに気づいた記者は堪ったものではなかった。今回の会見のために何時間も待ったというのに、肝心の会見が1分で終わってしまっては割に合わなさすぎる。

 

「待ってください、双葉さん! 現在の仕事を辞めることの影響について、どのようにお考えでしょうか!」

「自分を応援してくれたファンの皆さんに対して、何かメッセージを!」

「まだ訊きたいことがいっぱいあるんです! あなたには説明責任があるんじゃないですか!」

 

 次々と質問を口にしながら杏へと殺到していく記者の群れを、武内が持ち前の大きな体で食い止める。彼女はそれをちらりと見遣りながら舞台袖へ引っ込もうとして、ふいに立ち止まって振り返った。

 

「あー……、それじゃ最後にファンのみんなにメッセージを」

 

 その瞬間、あれだけ騒いでいた記者が一斉に静かになり、カメラを向ける。

 そんな静寂に包まれた会場で、杏はこう言った。

 

「結構楽しいアイドル生活だったけど、印税貯まったので引退します。それじゃ」

 

 そして杏は再び前を向き、舞台袖へと引っ込んでいった。記者達が不満を爆発させるが、彼女が姿を現すことはもう無かった。

 

 

 

 こうして、“奇跡の10人”の筆頭に数えられ日本中を席巻した超人気アイドル・双葉杏は、あまりにも呆気なく芸能界を引退した。

 

 

 *         *         *

 

 

 そんな引退会見から、5年ほどが経った。

 

「……んあ? ああ、寝落ちしてた……」

 

 大きなソファーの上で気絶するように眠っていた杏は、目の前で軽快な音楽を鳴らしているゲーム機を見て自分の現状に気がついた。大きく背筋を伸ばすと、ぱきぱき、と小気味良い音が背中から聞こえてくる。

 

「ええと、どこまでやったっけ……? まぁ良いや……、セーブしてっと……」

 

 杏はゲームの電源を切ると、未だに寝ぼけた表情で辺りを見渡した。

 1人で住むには広すぎるリビングは、必要最低限の家具しか置かれていないだけに余計広く感じた。しかしテレビの周りだけは服やら飲み残しのペットボトルやらが散乱しており、すっかり春になったというのに未だにコタツがテレビの前に置かれている。ちなみにリビングの隣には立派なシステムキッチンが備えつけられているが、汚れ1つ無いほどに清潔だった。というより、使われた形跡が無かった。

 自分の部屋を見渡している内に目が覚めてきたのか、徐々に杏の両目が大きく開かれていった。そして彼女は、壁に掛かっている時計へと視線を移す。短い針は“2”を通り過ぎている。

 

「……お昼どうしよ。今日は夜にみんなと食事だし……、今から食べたら絶対夜に食べられなくなるよな……」

 

 杏はしばらくの間その場で動かずにぼぅっとしていたが、やがて充電が完了したように立ち上がると、鍵と財布と携帯電話だけを持って玄関へと歩いていく。

 

「……時間になるまで、どっかで暇でも潰すか」

 

 杏は独り言を呟きながら、玄関のシューズロッカーの上に置かれた首から上だけのマネキンからサングラスを取り、靴底の厚さが10センチは軽く越えているようなブーツを履いた。デビューから2年で引退し、そこから5年経っているために24歳になった杏だが、その知名度は引退後も一向に収まる気配が無く、今でもこうして変装しなければ満足に街を歩くこともできない。

 面倒臭い、と杏は溜息を吐きながらドアを開けた。

 

 

 

 電気街でごちゃごちゃとした繁華街に建つその店は、周りの建物と比べても可愛らしい外見をしていた。他の店がいかにも暗そうな雰囲気の男性しか見受けられないのに対し、その店だけは中高生の少女も多く詰め掛け、そこだけ雰囲気が明るくなっているように感じる。

 しかし杏は大通りに面した入口へと向かわず、建物の脇にある人1人通るのがやっとの細い路地へと入っていった。エアコンの排気ファンなどを通り抜け、明らかに従業員が出入りするのに使うであろう汚いドアを開けて中へと入る。

 短い廊下を抜けた先にあったのは、若い女性がエプロンを身につけて料理を作っている厨房だった。その中にいる女性が杏の存在に気づくと、勝手に入ってきた彼女を注意するどころか笑顔で頭を下げ、その場を離れてホールへと姿を消した。

 そしてすぐに、1人の女性、もとい“少女”がホールから顔を出した。

 

「杏ちゃん、ようこそ! ささ、こちらへどうぞ!」

「お邪魔するねー、菜々さん」

 

 メイド服を身に纏ったその少女――安部菜々は、ニコニコと満面の笑みで杏に駆け寄ると、彼女を客席へと案内した。身長が150センチに満たない菜々だと、規格外に小柄な杏の隣に立ってもあまり違和感が無い。

 しかし菜々が案内したのは他の客も大勢いるホールではなく、ホールへと繋がる入口の手前から横に伸びる廊下を通った先にひっそりと存在する部屋だった。個室ながらも通常のボックス席の3つ分はありそうなほどに広々としており、充分に明るいためにまったく閉塞感の無いその部屋は、杏のように普通の客と一緒にすると混乱を招きかねない客を案内するための、いわば“VIPルーム”だった。

 慣れた様子で菜々に案内された杏は、部屋にやって来た別の店員に「いつものお願いね」と声を掛けて腰を下ろした。

 

「何だか久し振りな気がしますね! 最後に杏ちゃんが来たのっていつでしたっけ?」

「そんなに前じゃないよ。2週間くらいじゃない?」

「あれ? そんな最近でしたっけ?」

「……菜々さん、とうとう更年期障害が――」

「ちょっと! “とうとう”ってどういう意味ですか! ナナはまだ17歳ですよ!」

「……お、おう」

「だーかーらー! その反応は止めてくださいってば!」

 

 そして杏を案内した菜々も、まるで彼女の連れであるかのような自然な動作で彼女の正面に座った。仕事をさぼって良いのかと思うかもしれないが、杏が来たときには菜々が話し相手になることとなっており、店長も了承済みのことである。なので先程の会話も、杏がこの店に訪れる度に繰り広げられている“恒例”であり、必死に叫ぶ菜々の姿に杏は心の底からの笑顔を浮かべていた。

 菜々がふて腐れていると、先程の店員が料理を持って部屋を訪ねてきた。料理といっても本格的な食事ではなく、クリームやらアイスやらがたっぷり使われたパフェと、籠一杯にぎっしりと詰め込まれた小さな飴である。ちなみにこの飴はメニューとして出しているものではない、杏専用のサービスだ。

 店員が部屋を後にし、杏がさっそくパフェを一口食べた。途端に満足そうに顔を綻ばせる杏に、それを正面から眺める菜々も自然と笑顔になった。

 

「あ、そういえば、確かこの前の日曜日がオーディションだったよね? どうだった?」

 

 しかし杏からこの質問をされた瞬間、菜々の笑顔がフッと消えた。

 

「……その反応からして、また駄目だったんだね」

「はい、“また”ですよ……。はぁ……、ナナ、アイドルに向いてないのかなぁ……?」

 

 菜々はそう言ってテーブルに顎を乗せると、そのまま大きな溜息を吐いて突っ伏してしまった。

 先程の会話からも分かる通り、彼女の夢は“アイドルになること”だった。今はこうしてアルバイトをする日々だが、いつかはアイドルとなって大勢の人の前で歌ったり踊ったりして皆を笑顔にすることを夢見ている。

 しかし、現実は非情だった。今まで数多くのアイドル事務所にオーディションに出向くも、そのすべてで落選、夢を叶えるどころかそのスタートラインにすら立てないという有様である。

 だが杏は、彼女がアイドルになれない明確な理由を知っている。

 

「ところで菜々さん、オーディションのときにはどんなキャラで行ったの?」

「キャラって何ですか! ナナはいつでも“自然体”ですよ!」

「……ってことは、また“ウサミン星人”?」

「もちろん!」

「……はぁ」

 

 自信満々に胸を反らして断言する菜々に、杏は思わず頭を抱えて溜息を吐いた。

 

「そりゃ落ちるに決まってるでしょ……。その痛いキャラを辞めたら、今すぐにでもアイドルになれるって」

「何を言ってるんですか! 自分に嘘はつけません!」

「いや、そのキャラがすでに嘘でしょ?」

「嘘じゃありません! ナナはウサミン星人で、“永遠の17歳”なんですから!」

「菜々さん、この前の選挙はどこの党に投票した?」

「ナナは○○党に入れましたよ。やっぱり国の将来を考えると――」

「おい、17歳」

「――はっ! いやいやいや、というのは冗談でー! ナナはウサミン党に入れましたよ! ウサミン党はウサミン星での第1党なんですよ!」

「ウサミン星って、政党とかあるんだ……。あれ? でもこの前、『ウサミン星の王様が~』とか言ってなかったっけ?」

「……そ、それは! ほら! 王様は国の象徴であって、けっして政治には口を出さないと言いますか……!」

 

 慌てふためきながら必死に言い訳を考える菜々の姿に、杏はとうとう堪えきれずにプッと吹き出してしまった。菜々はそれを見て不機嫌そうに頬を膨らませていたが、杏が楽しそうにしているので怒るに怒れなかった。

 そんなこんなで、楽しい時間はあっという間に過ぎていった。部屋の時計を見ると、短い針はとっくに“5”を過ぎており、そろそろ“6”に届きそうな時間である。

 

「ありゃ、もうこんな時間か。そろそろ行くね」

「あれ? もしかして、何か用事ですか?」

「うん。この後、昔の同期と久し振りに夕飯を食べる約束してて――」

「昔の同期ってことは、もしかして“奇跡の10人”とですか!」

 

 その瞬間、菜々が興奮したように顔を杏へと寄せてきた。下手すると唇がくっつきそうなほどに顔を近づける彼女に、杏は少々引き気味に「全員じゃないけどね……」と呟くように答えた。

 

「良かったら、サイン貰ってきてあげようか?」

「本当ですか! それじゃ――い、いえ! そんなこと、杏ちゃんには頼めません! 杏ちゃんとの友情を、そんなことに使うなんてできません!」

「律儀だなぁ……、別にそんなの気にしないのに」

「いいえ! これはナナなりのけじめですので!」

「ははは。まぁ、菜々さんがそう言うなら。――じゃ、また来るね」

「はい! いってらっしゃい!」

 

 菜々は別れの言葉ではなく、あえてこの言葉で杏を見送った。

 

 

 *         *         *

 

 

 その繁華街から電車で2駅ほど行った所に、待ち合わせのレストランはあった。もちろん普通の人が行くようなファミレスなどではなく、普通の人なら入ることすら躊躇ってしまうような、最低でも1人1万以上の出費は覚悟しなければいけないような豪華な佇まいをした店だった。

 

「ようこそお越しくださいました、双葉杏様。お連れの方々は、すでに中でお待ちでございます」

 

 丁寧な挨拶で出迎えたウエイターに案内されて、杏はその店の奥へと入っていった。第一印象に劣らず中も豪華な造りをしており、しかし嫌みったらしいケバケバしさを感じさせない上品なデザインとなっている。

 案内されたのは、店の一番奥にある、意識的に他のテーブルからは離れて造られた個室だった。ウエイターがドアを横にスライドさせて、杏が中へと入っていく。

 

「やっほー、みんな――」

「杏ちゃ―――――ん! 会いたかったにぃ!」

 

 その瞬間、杏の体が巨大な生物に呑み込まれた。体中を締め付ける圧迫感に彼女の呼吸が阻害され、二重の苦しみで彼女の意識がみるみる遠くなっていく。

 

「って、ちょっときらりん! 杏ちゃんが死んじゃうから!」

「むえ? ――あれ、杏ちゃん? 大丈夫かにぃ?」

「……大丈夫じゃないよ、良いから早く降ろして……」

 

 酸素を求めて深呼吸をしながら、杏はその巨大な生物――諸星きらりによって優しく床に下ろされた。ゆるふわにウェーブの掛かった茶色い髪に、ふりふりの可愛らしい服に身を包むその女性は、服にも負けないくらいに可愛らしい女性だった。たとえこの前の定期検診で身長がとうとう大台の190になったことを差し引いても、いや、その大柄な体だからこその可愛らしさというものを、きらりという女性は完全に物にしていた。

 

「いやー、焦ったよ。せっかく杏ちゃんと再会したと思ったのに、その瞬間にお別れするところだったよ」

 

 そして先程慌てた様子できらりを止めたのが、毛先が外側に跳ねたショートカットが活発な印象を与える女性――本田未央だった。杏の呼吸が落ち着いてきたのを見計らって、「それじゃ杏ちゃんはそっちの席ね!」と空いている席を指差してそう言った。

 その席の近くには、2人の女性がすでに座っていた。

 

「久し振り、杏ちゃん」

「元気そうだね、杏」

「やっほー、かな子、凛」

 

 ほんわかするような優しい雰囲気を漂わせる少しぽっちゃりした女性――三村かな子と、それとは対照的に少し近寄りがたい雰囲気を漂わせる黒髪ロングの女性――渋谷凛は、杏の挨拶に笑顔を浮かべて応えた。かな子は見る者を安心させるような優しい笑み、凛が口角をほんの少しだけ上げる不器用な笑みと、たったそれだけのことでこの2人の違いがよく分かる。

 

「他のみんなは?」

「残念だけど、今日はこのメンバーだけだよ」

「他のみんなは、どうしても外せない仕事があるみたい」

「まぁまぁ! ちょっと人数は少ないけど、久し振りの“同期会”なんだから楽しもうよ!」

「そーそー! せっかく杏ちゃんも来てくれたんだから、みんなでハピハピしようにぃ!」

 

 突然後ろから凛に飛びついた未央と、突然後ろから杏に飛びついたきらりが3人の輪の中に入ってきた。凛と杏は驚いたような、そして迷惑そうな表情を浮かべたが、積極的に彼女達を引き離そうとはしなかった。

 そのとき、ウエイターが5人分のワインを持ってきた。もちろんそれらも普通の人なら驚いて目を丸くするほどの値段なのだが、5人はそんなことをまったく気にせずにグラスを持つ。

 

「それじゃ、皆さん今日はお仕事お疲れ様……って、杏ちゃんは働いてなかったね!」

「失礼な! ここに来るまでに、いったいどれだけの労力を使ったか!」

「はいはい! とにかくまぁ、かんぱーい!」

 

 未央の挨拶によって、少々人数の少ない同期会は幕を開けた。

 

 

 

「あ、そうだ。未央、この間から始まった新番組観たよ。なかなか面白そうじゃん」

「お、観てくれた? ありがとねー!」

「それにしても、未央ちゃんも凄いよね。帯番組の司会なんて」

「というか、帯番組のレギュラー、もうすでに持ってたよね?」

「うん! 朝の帯番組のレギュラーも続いてるよ!」

「未央ちゃんはぁ、いーっぱいレギュラーを持ってるから凄いにぃ!」

「未央って、今レギュラーどれくらい持ってたっけ?」

「ええと……、ひぃ、ふぅ、みぃ……。12本だよ!」

「うへぇ……。しかもその内2つは帯番組でしょ? 杏だったら拷問レベルだよ……」

「でも1本1本内容も役割も違うし、私はいつも楽しくやらせてもらってるよ!」

「良いなぁ……、私ももっといっぱいレギュラーが欲しいなぁ……」

「いや、かな子だって充分レギュラーあるでしょ。例えばグルメリポートとか、グルメリポートとか、グルメリポートとか――」

「そ、そんないつも食べてるわけじゃないよ! ちゃんと歌のお仕事もあるよ!」

「大丈夫だよ、かな子。杏もちゃんと分かってるって。それにグルメリポートだって立派なお仕事だし、かな子の場合はそれが高じてレストランの経営業に繋がってるわけだから、本当に凄いと思ってるよ」

「そ、そんなことないよ! 私はただ、こういうお店があったら良いな、って思ったことを口に出してるだけで――」

「でもでも、そのお店でみーんなハピハピしてるよぉ? 杏ちゃんも、かな子ちゃんのお店の常連さんなんだよねぇ!」

「まぁデザートが美味しいし、仲の良い店員さんもできたからね」

「同じ“お店を経営している”って言うなら、きらりちゃんのファッションブランドも凄く評判が良いんでしょ?」

「うん! 今度、新しくお店をオープンすることにしたんだよぉ!」

「また? これで何店舗目だっけ……?」

「20店舗くらいだっけ。全国のあちこちでライブをしてると、時々見掛けるよ。いつも女の子がいっぱい入ってる」

「それに、事務所のアイドルのライブ衣装も、よくきらりちゃんが作ってるんだよね」

「みーんながきゃわいいお洋服を着てぇ、みーんながハピハピになればぁ、すっごく幸せなんだにぃ!」

「ふーん……、杏はあんまり服とか興味無いからなぁ……」

「それじゃぁ、杏ちゃんに興味を持ってもらえるように、また新しいお洋服を贈ってあげるね!」

「いや、もう止めてよ……。そろそろきらりの洋服だけで衣装部屋が溢れそうなんだよ……。――そういえば凛、さっき何気なく『全国でライブを~』って言ってたけど、相変わらず絶好調みたいだね」

「絶好調ってことはないよ。ただ自分なりにがむしゃらに頑張ってるだけ」

「いやいや、最近のしぶりんは前にも増して“破竹の勢い”ってやつだよ! ソロ歌手としてヒットを飛ばしてるだけじゃなくて、今度新しくユニットをセルフプロデュースするんだからさ!」

「えっ! 凛ちゃん、そうなの? おめでとう!」

「へぇ……。何て名前?」

「“トライアドプリムス”っていうの。入ってくれた2人の新人が逸材でね、多分凄いものになると思う」

「おぉ! これは期待が高まりますなぁ! じゃあ、その勢いのまま“New Generations”の再結成も行っとく?」

「……ごめん。未央や卯月と活動するのが嫌ってことじゃないんだけど、今は自分の力がどこまで通用するのか試したいんだ」

「うえぇん! かな子ちーん、しぶりんに振られたよー!」

「え、ええと……、よしよし……?」

 

 次から次へと仕事の話がポンポン出てくる彼女達に、杏は素直に感心していた。

 

「それにしても、みーんな凄いよねぇ……。今やいろーんなお仕事で大活躍だもん」

「そんなこと言っても、杏だって昔からの夢を叶えたようなものでしょ? 現役の頃からずっと『印税生活をしたい』って、杏はずっと言ってたもんね」

 

 凛のその言葉に、ほんの少しだけ杏の体がぴくりと震えた。しかしそれに気がついたのは、隣にいたきらりだけである。

 

「ふっふっふー、“働かない”って最高だよー? 時間に縛られないでずーっと寝ていられるし、ゲームとかアニメとか、自分の好きなことにいくらでも時間を使えるし、もう不労所得様々だよ!」

「そういえばさ! この間どっかの雑誌で見たんだけど、杏ちゃんが“不動産王”になったって噂は本当なの?」

「不動産王って言い方はおおげさだけど、幾つか物件は持ってるよ。家賃収入が結構入ってくるから、それだけでも生活できる感じかな?」

「へぇ……、凄いんですねぇ……」

「でもそういう物件の管理って、結構大変なんじゃないの?」

「杏の場合は、他の人に管理を任せてるからねぇ。自分は何もしなくても、自動的に収入が入ってくるのさー」

「おぉっ! 何とも羨ましい!」

「でもなんでまた、不動産に?」

「念願の不労生活だけど、結局のところ収入が激減するわけだからねぇ。そりゃ普通に暮らしていても充分やっていけるだけのお金は貯めたけど、いつ何があるか分からないじゃない? だから安定した収入ってのが欲しかったんだよ。ちょうど実家が土地を持っててね、それを少し分けてもらって試しに始めてみたら結構当たっちゃってさ」

「……やっぱり杏ちゃんは凄いなぁ。ちゃんと将来のこととかしっかり考えられるんだから。私なんて、今の仕事がどうなるかを考えるだけで精一杯なのに」

「杏ちゃんはぁ、アイドルの頃からいーっぱい考えてたにぃ! よくPちゃんと一緒に話し合って、自分でお仕事も決めてたもんねぇ!」

「確かに、杏はデビューしたての頃からセルフプロデュースみたいなことをやってたよね。私が今のことで精一杯だったときにそれができたんだから、そのときは素直に凄いって思ってたんだよ」

「……ちょ、ちょっと止めてよう、何さこの雰囲気……」

「あぁ! 杏ちゃん、顔が紅くなってるにぃ!」

 

 顔を隠して蹲っていく杏に、他の4人は暖かい笑顔を浮かべていた。

 こうして久し振りの同期会は、最後まで盛り上がったまま幕を閉じた。

 

 

 *         *         *

 

 

 ほんの少しだが酒が入っているために、杏の頬は微かに紅くなっていた。未央達と別れた杏は上機嫌に現役時代の持ち歌を口ずさみながら、自分の住むマンションへと足を進めていく。

 彼女の住むマンションは都心から少し離れた所にある、“高層マンション”と言うには少し高さの足りない、物理的な意味でも家賃的な意味でも“中堅どころ”という評価がぴったりな場所だった。すでにアイドルを辞めているという収入的な理由もあるが、都心に住むと周りの反応がうるさいし、何より高い場所を行ったり来たりするのが面倒臭い。さらに言うと、セキュリティーシステムに加えて人間の警備員が常駐しているというのも、杏としてはポイントが高かった。

 警備員の男性に挨拶をしながら、杏は共有玄関を潜っていった。エレベーターで真ん中辺りの階まで上がり、すでに人の気配の無い廊下を歩いて行く。そして自分の部屋の前で立ち止まると、ポケットから鍵を取り出して鍵穴に差し込み、ドアを開ける。

 

「ただいまー」

 

 鍵を閉めて電気を点けながら、杏は部屋に呼び掛けた。

 

 

 当然、返事は無かった。

 

 

 テレビの前以外にはほとんど何も無く、無駄に広いリビングはがらんどうな印象を受ける。ちょっと物音を立てるだけで部屋全体に響きそうなほどに静かなここは、つい先程まで未央達と大騒ぎしていたあの店とは雲泥の差である。

 

「…………」

 

 杏はよそ行きの服をそこら辺に脱ぎ捨てると、テレビの前のソファーに脱ぎ捨ててあった部屋着へと着替えた。『働いたら負け』と書かれたその白いTシャツは、杏がアイドルデビューした頃からずっと所有しているものである。

 杏はしばらくの間ソファーに座ってぼぅっとしていたが、テーブルの上に無造作に置かれていたゲーム機を見遣ると、ゆっくりとした動きでそれを手に取った。スイッチを入れると、軽快な音楽と共にカラフルな映像が流れる。

 

「…………」

 

 しかし杏はそれを放り投げるようにテーブルに置くと、今度はリモコンを取ってテレビの電源を点けた。音楽番組が映し出され、カラフルな照明に照らされた島村卯月がアイドルに相応しい素晴らしい笑顔で新曲を歌い上げていた。共演者も笑顔でそれを観ており、まさに幸せな空間がその映像の中には広がっている。

 しばらく何の感情も無い目でそれを眺めていた杏だったが、ふいに顔をしかめると、リモコンでテレビの電源を切ってそれをソファーに放り投げた。

 ぼふんっ、と勢いをつけてソファーへと寝転ぶ。柔らかい生地が彼女の体を優しく包み込み、どこまでも沈んでいきそうな気分になる。

 

「…………」

 

 こんなはずじゃなかった、と杏は思った。

 杏は元々、面倒臭がりなところがあった。どうやって楽をするかばかり考え、面倒臭いことには極力目を瞑る生活を送っていた。そしていつの頃からか、学校にすらあまり行かない日々が続いていた。両親も彼女が自立することは半ば諦め、腫れ物に触れるような扱いをしていた気がする。

 しかしそんなある日、単なる気紛れでたまたまコンビニに買い物に出掛けたその日、武内と名乗る男と出会った。

 これが、すべての始まりだった。

 アイドルなんて面倒極まりないものなんてなる気はさらさら無かったのだが、彼の長期間にわたる熱心なスカウトと、『印税で働かなくても生活できる』という誘い文句に乗っかってしまったために、杏は彼の所属する346プロでアイドルデビューすることとなった。

 そこには彼女の他に9人のアイドルが在籍しており、杏はその中でも一番乗りで売れてしまった。みるみる仕事で忙しくなる日々だったが、将来の印税生活のためなら我慢もできた。いつしか自分も含めて彼女達は“奇跡の10人”などと呼ばれるまでにブレイクしていたが、杏にとってそんなことはどうでも良かった。

 そして当初の目標通り、杏は充分すぎるほどの貯金と共にアイドルを引退した。これからはもう働かなくても良い、長年夢見ていた不労生活が待っている。

 

 だが、念願の生活は杏が思っていたようなものではなかった。いや、好きなときに寝て好きなときに起きて好きなときに遊ぶという生活は、もちろん何の齟齬も無く叶っていた。

 しかし杏はその生活を、楽しいと思えなくなってしまっていた。部屋の中でごろごろしていると、アイドルとして活動していた頃を思い出してしまい、今の生活と比較してしまうのである。そういえば、不動産に手を出し始めたきっかけも、そのような想いを断ち切るための現実逃避みたいなものだったと、今になって振り返るとそう思えてくる。

 

「…………」

 

 杏はしばらくの間何も映っていないテレビの画面を眺めていたが、ふいに体を起こすといつの間にか床に落ちていた携帯電話を手に取ってどこかに掛け始めた。

 数回のコールの後、相手が電話に出た。

 

『もしもし』

「もしもし、プロデューサー?」

 

 電話の相手は、自分を芸能界に引き摺り込んだ張本人である、武内だった。

 

『お久し振りです。どうかなさいましたか?』

「何? 用事が無かったら電話しちゃいけないの?」

『いえ、けっしてそのようなことは――』

「冗談だよ、ごめんごめん。ちょっと久し振りに話したくなっちゃってさー」

『そうですか。――そういえば、今日は皆さんと一緒に食事会でしたね』

「そうそう。もー、プロデューサーったら、こういうときくらい全員をオフにしてくれても良いんじゃないの? ちょっと気が利いてないよ?」

『申し訳ございません。極力努力はしたのですが、やはり皆さん売れっ子ということもあり、あれが精一杯だったもので……。それに1人は現在海外に行っていますので、全員というのは残念ながら――』

「ねぇ、プロデューサー。そこって、もしかして事務所? もう、せっかく“チーフプロデューサー”って肩書きを貰ったんだから、仕事なんて部下に任せていれば良いのに」

『そういうわけにもいきません。他のプロデューサーを統括するという立場になった以上、受け持つアイドルの数はむしろ増えています。私自身が担当するアイドルもいます。――それに私自身、この仕事を楽しくやっているので』

「…………」

 

 武内のその言葉に、杏はしばらく黙り込んだ。そんな彼女に対して、武内は特に口を挟むことなくただ次の言葉を待っている。

 やがて、意を決したように杏が口を開いた。

 

「ねぇ、プロデューサー。アイドルのプロデュースって、そんなに楽しいの?」

『……プロデュースに限らず、仕事というものはそれぞれに役割があり、そしてやり甲斐があります。現在渋谷さん達もアイドル業以外に様々なことに挑戦していますが、皆がそれぞれに自分なりのやり甲斐を見つけて、自分なりの目標に向かって取り組んでいます』

「……プロデューサーの目標とかやり甲斐って、何?」

『自分の担当するアイドルの“夢”を、自分の力のすべてを捧げて応援すること。それが私のやり甲斐であり、目標でもあります』

「……そっか。立派だね」

『そしてその“夢”の中には、双葉さんのものも含まれています。双葉さんの夢に向かって、私は尽力してきました。しかしそれによって今の双葉さんが辛い想いをしているというのなら、私はそれを取り払うお手伝いをしたいと思っています』

「……それって、私が希望すれば、アイドルに戻してくれるってこと?」

『はい』

 

 杏の問い掛けに、武内は間髪入れずに答えた。

 そして彼の答えを聞いた杏は、フッと口元に笑みを漏らした。

 

 

「ありがと、プロデューサー。おかげで“決心”したよ」

 

 

『……それはつまり、アイドルに復帰するということですか?』

 

 期待の色を隠し切れていない武内の声に、杏は思わず笑い声をあげる。

 

「悪いけど、アイドルに戻る気は無いよ。確かにアイドルをしていたときは楽しかったけど、あんな悪夢のような日々は二度とごめんだね」

『そうですか、それは残念です。――それでは、いったいどのような“決心”なのですか?』

「さぁね、それは今から考えるよ。時間はたっぷりあるからね」

『分かりました。もし私に手伝えることがあれば、遠慮無く仰ってください』

 

 それから2人は二言三言会話を交わして、電話を切った。

 先程とまったく同じ、がらんどうな部屋に静まり返った部屋。

 しかし先程と反して、杏の表情は晴れやかだった。

 

 

 *         *         *

 

 

 それから数日後。

 菜々が働いているその店に、杏の姿があった。いつものように店の裏口から入り、いつもの個室へと案内される。

 そしていつものように、菜々が彼女の話し相手として個室へと入ってきた。

 しかし個室に入ってきた彼女は、いつものような満面の笑みではなく、どことなくぎこちない笑みを浮かべていた。杏と話をしているときも、まるで思考が明後日の方へと向いているかのようにぼんやりとした表情を浮かべ、何度も杏の話を聞き漏らして聞き返すという行動を繰り返す。

 そして杏はそれを見て「菜々さん、歳のせいか耳が遠くなったぁ?」といつものようにからかってみるのだが、普段なら間髪入れずに返ってくる否定の言葉も今日は何だか勢いが無い。

 

「どうしたの、菜々さん? 何だか様子が変だけど」

「……やっぱり、分かります? 実はちょっと悩んでいることがありまして」

 

 そう言って、菜々は自分の悩みを切り出した。

 

「……実は、店長から『新しい店をオープンすることになったから、そこの店長をやってみないか』と言われまして……」

「……菜々さんって、アルバイトだったよね? 店長になるってことは――」

「はい。正社員になる、ということですね……」

 

 普通の人間からしてみれば、これはまさしく“美味しい話”といえるだろう。自分の働きが認められ、責任のある立場を任される代わりにより高額な収入が見込めるようになる。

 しかし、彼女の夢はあくまでも“アイドルになる”ことである。もちろん今の仕事も彼女は心の底から楽しんでいたのだが、所詮はアイドルになるまでの生活費稼ぎでしかなかった。

 しかし現実的な生活面での問題が、菜々をアイドルへの憧れから目を覚まさせようとする。このままアイドルを夢見て低収入の仕事を続けていくのか、夢とは違うがやり甲斐も感じられてきた仕事を続けていくのか、菜々は今まさに人生の大きな決断を迫られているところだった。

 

「アイドルになるという夢は、ナナにとって小さい頃からの夢でした。普通の人なら成長するにつれて無くなっていくものなんでしょうが、ナナはむしろ大人になるにつれてどんどん強くなっていったんです。それでこうやって上京して、アルバイトをしながらアイドルを目指していたんですけど……。やっぱり、すべての人が杏ちゃんみたいに夢を叶えられるわけではないんですね……」

 

 菜々はそう言って、寂しそうに笑った。杏はそれを眺めながら、別にアイドルは自分の夢ではないんだけどね、と秘かに思っていたのだが、さすがにそんなことを言える雰囲気じゃないので黙っていることにした。

 そんなことよりも、杏は菜々に伝えたいことがあるのだから。

 

「……杏ちゃん、ナナ、どうすれば良いんですかね?」

「……それは菜々さんの人生だから、菜々さん自身が決めるべきだと思う」

「やっぱりそうですよね……。分かりました、これからじっくりと考えてみようと――」

「で、そんな菜々さんに、さらに迷わせるようなことを今から言おうと思うんだけど、良い?」

 

 突然杏がそんな風に話を切り出してきたことで、菜々は明らかに警戒するような態度を取る。

 

「な、何ですか急に? 何を企んでいるんですか?」

「企むとは失礼な。でもまぁ、確かに企んでいるのは事実だけど……」

 

 菜々の言葉に杏は口を尖らせて反論するが、すぐに真剣な表情になると菜々へと向き直った。

 真面目な話だと悟った菜々は、同じように真剣な表情で彼女の顔をじっと見つめる。

 そして、杏が口を開いた。

 

 

「菜々さんに、アイドルになってほしいんだ」

 

 

「――――へっ?」

 

 杏の口から飛び出したその言葉を、菜々は最初信じることができなかった。

 

「ここ何日か考えただけだから、まだ全然形にはなっていないんだけど……。杏はアイドルのプロデューサーとして、新しくアイドル事務所を立ち上げるつもりなんだ。菜々さんにはそこに所属してもらって、杏のプロデュースでアイドルデビューしてほしいと思ってる」

「…………」

「まだ事務所の場所も決まってないし、菜々さん1人ってわけにはいかないからまずはスカウトから始めなきゃいけないし、まだまだいっぱい準備することはあるんだけど……。いずれは346プロみたいに人前で歌ったり踊ったり、CDとかも出せたら良いなって思ってる」

「…………」

「それに杏は怠け者だし、面倒なことは嫌いだし、アイドル以外にちゃんと仕事できるのかって不安もあるんだけど……、でも初めて自分から本気でやりたいって思えたことだから、絶対に成功させたいって思ってる」

「…………」

「多分飲食店の店長をやるよりも何倍も苦労を掛けることになると思うし、正直言って収入の方も約束できない。もしかしたら失敗するかもしれない。それでも、こんな頼りない杏じゃ不安だとは思うけど、それでも頼りにしてくれるんだったら、杏と一緒についてきて――って、菜々さん!」

 

 スカウトの途中だったが、杏はその言葉を止めざるを得なかった。

 菜々がその両目から、ぼろぼろと涙を零していたからである。杏が慌てて拭ってもそれが止む気配は無く、このままでは体中の水分が無くなってしまうのではないか、とまで思い始めてしまうほどだった。

 しかしそれは、けっして悲しいから流している涙ではない。

 

「……杏ちゃん、本当にナナ、アイドルになれるんですか……?」

「もちろん! 杏が菜々さんを、立派なアイドルにしてみせるよ!」

「……ウサミン星からやって来た永遠の17歳なんて、凄く変な設定なんですよ……?」

「いや、今更“設定”なんて言い出さないでよ……。良いじゃない、ウサミン星人! 良いよ良いよ、そういう胸焼けするほど濃い個性、杏大好きだよ!」

 

 声を詰まらせながら訪ねてくる菜々に、杏は笑顔で力強く答えた。

 やがて菜々は袖でごしごしと涙を拭い、凛々しい表情を浮かべて杏へと向き直った。目が紅く腫れ上がり、涙でぐしょぐしょになったひどい顔をしているが、今の彼女は間違いなく今までで一番美しかった。

 

「良いじゃないですか、苦労も貧乏も! そんなもの、夢を叶えられる喜びに比べたら、屁の突っ張りにもなりませんよ!」

「いや菜々さん、“屁の突っ張り”って……」

「一緒に頑張りましょう、杏ちゃん! 目指せ、トップアイドル!」

 

 杏の肩を抱いて高らかに拳を突き上げる菜々に、杏は苦笑を浮かべながら同じく拳を突き上げた。ここは店の個室なので今はせいぜい天井くらいしか見えないが、今の菜々には未だ見たことのない新しい世界が、そして今の杏にはかつて自分が上り詰めた魅惑の世界が、目の前に広がって見えていることだろう。

 

 ――まったく、二度と働くもんかって思って引退したはずなのになぁ……。

 

 もし当時の自分が今の姿を見たら、彼女は大きな失望と共に「なぜそんな面倒臭いことにわざわざ首を突っ込むんだ」と馬鹿にされるに違いない。

 でもまぁ、馬鹿にされるくらい大馬鹿になるもの、案外悪くないかもしれない。

 杏はそんなことを思いながら、空気を読んで入口前で待っていた店員の持ってきたパフェに舌鼓を打つのであった。



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第2話 『方針』

 346プロの事務所は、一見すると芸能事務所というよりも“複合施設”と称した方がしっくり来るほどに充実した場所である。都心にあるとは思えないほどに広大な土地には複数の建物が並び、ここで働く社員やアイドル達にとって憩いの場となるように広場などの緑も植えられている。

 建物の中に目を遣ると、実際に社員達が働くことになる事務スペースだけでなく、アイドル達のレッスン場、CDを録音するためのレコーディングブース、宣材写真などを撮るためのスタジオ、体を鍛えるためのスポーツジム、一度に何百人もの人々が一度に食事できるほどに広い社員食堂、さらには社員やアイドルの疲れを癒すためのエステサロンなど、ありとあらゆる設備が整っている空間だった。しかもこれらはすべて、ここ数年間で揃えられた設備だというのだからその急成長ぶりが伺える。

 

 これだけ充実していることもあり、実は他の事務所もよくここの施設を利用していたりする。そして346プロの社長は『業界の活性化が結果的に自分達の利益に繋がる』という考えを持っているので、その申し出も快く受け入れている。もちろん、貰えるものはしっかり貰っている。

 そういう理由もあり、346プロに外部の人間が出入りしているというのは珍しいものではない。そもそも取材に来たメディアの人間もよく出入りしているのだから、ちょっと名の売れた人間を見掛けたとしても、普通だったら社員やアイドルがそれに反応するということはまず無い。

 だが、この日は明らかに様子が違った。

 

「おい……! あれってまさか、双葉杏じゃねぇか……!」

「マジかよ……! 本物初めて見た……!」

「現役の“奇跡の10人”ですらなかなか見られないってのに、まさか引退した双葉杏に会えるなんて……!」

「私、あの子に憧れてアイドル始めたのよ……! どうしよう、サイン貰っちゃおっかな……!」

「きゃあ! 本当にちっちゃくて可愛いー!」

 

 杏が346プロの正面玄関ホールへと足を踏み入れた途端、そこに居合わせていた社員やアイドル候補生が一斉にざわつき始めた。1人1人は内緒話の大きさでしか喋っていないのだが、あまりに多くの人間が喋っているために、当の本人である杏にノイズとして普通に届きまくっている。

 

「もう……、人を珍獣か何かのように……」

 

 杏は少々気分が悪くなったが、今日の用事に比べたら些細なことだ。杏は一直線に、彼らと同じように口をぽかんと開けている受付へと歩いていく。

 

「武内プロデューサーに会いたいんだけど、許可証貰える?」

 

 346プロはアイドルを扱うという性質上、正社員ですらID管理された許可証が無いと部屋に入ることすらできなくなっている。もちろん、無断で人に貸したりなんてしたら厳重に処罰される。

 

「ア、アポはお取りでしょうか……!」

 

 勤務上名の知れた人とも話す機会のあるであろう受付嬢がガチガチに体を強張らせているが、杏はそれを気にする様子も無く(おそらく取り合うと面倒だと思ったのだろう)彼女の質問に考える素振りを見せる。

 

「……あ、ごめん、すっかり忘れてた。どうしよう、もしかしてここにいないかな……?」

「い、いえ! すぐに確認致します! 少々お待ちください!」

 

 受付の女性はそう言うと、すぐさま目の前のパソコンを操作し始めた。おそらく部屋に入るときに認証された許可証の情報を辿って、武内が今どの部屋にいるのか割り出しているのだろう。

 

「お待たせ致しました! 5階のチーフプロデューサー室におります! 失礼ですが、道順はお分かりになりますでしょうか……?」

「あぁ、この事務所が出来る前に杏は引退したから、ここに来るのは初めてなんだよね」

「それでしたら、私がご案内致します! どうぞこちらへ!」

 

 受付の女性はそう言うと、すぐさま立ち上がってカウンターから出てきた。隣にいた別の女性が「あ、ずるい!」と不満の声を漏らしているが、彼女はまるで聞く耳を持っていない。

 少々張り切っている様子の彼女に圧倒されながら、杏はその部屋まで案内された。

 

 

 

「やっほー、プロデューサー。随分と偉くなったみたいで、感心感心!」

「……双葉さん、直接顔を合わせるのは随分久しいですね」

 

 武内1人のためだけに用意された部屋に通された杏は、初めて来た場所だというのにまるで自宅のようなリラックスした雰囲気で、部屋の中央に置かれた打ち合わせ用のソファーにどっかりと座り込んだ。武内はそれを咎める様子も無く、作業の手を止めて立ち上がり、杏と向かい合わせになるようにソファーに座った。

 

「それで、こうしてここにいらっしゃったということは、双葉さんの“答え”を見つけることができたということでしょうか……?」

「もう、プロデューサー。せっかく杏がこうしてやって来たんだよ? 少しは昔話に華を咲かせるみたいなことをしても良いんじゃないの?」

「……申し訳ありません。では何から――」

「もう、相変わらずクソがつくほどの真面目っぷりだねぇ。そんなのテキトーで良いのに」

「……すみません」

 

 本気で申し訳なく思っている様子の武内に、杏は思わず笑みを零した。

 

「ところで、さっきまで何の仕事をしてたの?」

「渋谷さんが提出した“トライアドプリムス”のライブ案です。私の方でもチェックをして、問題が無ければ正式な企画としてゴーサインを出します」

「ああ、そういえばこの前の食事会でも言ってたヤツか……。それで、問題は無さそう?」

「はい。予算面でも期日面でも問題はありませんし、彼女達のイメージにぴったりでありながら意欲的なライブとなっています」

「へぇ……、凛もすっかり一人前のプロデューサーだねぇ。やっぱり凛がプロデュース業に挑戦し始めたのって、プロデューサーが理由だったりするの?」

「……それは分かりませんが、もし彼女が興味を持った理由の一端に私が関われていたとしたら、嬉しい限りです」

 

 ――間違いなく、プロデューサーが理由だと思うけどねぇ……。

 

 杏は心の中でそう思ったが、2人のためを思ってそれを口にすることはなかった。

 

「それで双葉さん、本日はどのような用件で……?」

「ああ、そうだった。とはいっても、杏にとっては単なる“決意表明”みたいなものなんだけどね。やっぱり何だかんだ言ってプロデューサーにはお世話になったし、電話じゃなくて直接報告したいなって思ったから」

「……そうですか。それで、どのような?」

 

 武内が続きを促すと、杏は彼に向き直って真剣な表情でこう言った。

 

「杏、プロデューサー達の“ライバル”になったから」

「……そうですか」

「えっ、それだけ? もっと色々反応することがあるんじゃないの? かつて自分が育て上げたアイドルが、ライバルになっちゃうんだよ?」

 

 あまりにもあっさりとした武内の反応に、杏の方が逆に戸惑ってしまった。

 

「いえ、驚いていないわけではないのですが……。双葉さんの場合、そのような道に進まれると聞いて、何だか納得していると言いますか……」

「納得?」

「はい……。双葉さんは現役の頃から、自分のことを客観的に見られる方だと思っていました。私が取ってきた様々な仕事に対して、どれが自分のイメージに合っているか、どのタイミングでこの仕事を受けるのが最も効果的か、色々な要素を吟味した上で仕事を選んでいたように思えます」

「……いや、それはプロデューサーが見境なしに色々仕事をさせようとするから、それなりの理由をつけて極力避けようとしていただけであって……」

「双葉さんは、自分のことを“怠け者”だとよく評していました。確かに双葉さんは最低限の仕事しか受けず、その仕事もできるだけ手を抜こうとしていた節がありましたが、それは言い換えるなら“最小限の労力で最大限の効果を生む”ということを常に心掛けていたように感じました」

「…………」

「双葉さんは先程『自分が育て上げたアイドルが~』と仰っていましたが、私には双葉さんを育て上げたなどという自覚がありません。むしろ私は、双葉さんを通してプロデュース業を学んでいったように思えます」

「……ちょ、何か恥ずかしいから止めてよ……」

 

 杏が現在感じているその感情は、この前の食事会で皆に一様に褒められたときのそれと酷似していた。同期の皆が思っていたことを上司である武内も思っていたことを知って、杏はおそらく居たたまれなくなったのだろう。

 

「……杏、プロデューサーに向いてると思う?」

「間違いなく、双葉さんにとっては天職だと思います。しかし初めてのことで色々大変なこともあるでしょうし、なかなか結果に結びつかないこともあるかと思います。もしも何か困ったことがありましたら、遠慮無く何でも仰ってください。できるだけ力になります」

「……ありがと。――それじゃあさ、早速なんだけど」

 

 杏はそう言って少し悪戯っぽい笑みを浮かべると、ちょっとだけ武内へと体を寄せた。

 

「プロデューサー、うちの事務所で働かない?」

「魅力的なお誘いですが、この会社に恩義を感じているので、それはできません」

「それじゃ、346プロの候補生に有望そうなのがいたら引き抜いても良い?」

「駄目です」

「えぇっ、何でさぁ! 『遠慮無く何でも仰って』って言ったじゃんかぁ!」

「『できるだけ力になる』とも言ったはずです。双葉さんのその頼みは聞けません」

「スカウトするのにあちこち歩き回るの、もの凄く憂鬱なんだよー!」

「それは我慢してください、誰もが一度は通る道です。――その代わり、苦労してスカウトしたアイドルが立派に育っていくのを見るのは、何物にも代え難い喜びがありますよ」

 

 武内の真剣な表情に、このまま粘っても折れないことを悟った杏は、大人しく引き下がることにした。そういえば現役のときも、絶対にここは譲れないってときは同じような顔をしてたなぁ、と少々懐かしい気分になりながら。

 

「それじゃ、せめてレッスンを覗いていくのは良いでしょ? イメージを膨らませたいんだよ」

「それならば構いません、トレーナーの方に話を通しておきましょう。私は仕事があるのでご一緒できませんが、良い結果になることを期待しています」

「ふっふっふー、プロデューサーが欲しくて欲しくて堪らなくなるようなアイドルの原石をスカウトしてやるから、覚悟しておけよー」

 

 杏の冗談交じりの挑発に、武内も口元に笑みを浮かべて「楽しみにしています」と返事をした。

 その目に少しだけ挑戦的な色が含まれていたのは、おそらく杏の気のせいではないだろう。

 

 

 

「やっば、レッスン場ってどこだ……?」

 

 武内と別れてしばらくあちこちを歩いていた杏だったが、一向にレッスン場らしき部屋が現れなかった。もしかして自分は迷子になっているのか、と杏が自覚したときには、もはや自分がどの建物にいるのかすらよく分からない状況になっていた。

 

「ちくしょー、何なんだよこの事務所は! 無駄に広いじゃないか! 遊園地か!」

 

 杏のその叫びは、羨みの感情が多分に含まれていた。先程から色々と見て回っていると、エステサロンを始めとした福利施設も相当充実している。もし杏が現役の頃にこんな施設があったら、毎日そこに通ってだらだらと過ごしていたに違いない。もしかしたら、引退までの期間も結構延びたかもしれない。

 しかもこれだけの施設を揃えるための資金に、おそらく自分がアイドル業をやって稼いだお金も含まれているのだと思うと、何だかやるせない気持ちになってきた。

 

「ちくしょー、横暴だー、搾取だー、人権侵害だー」

 

 もちろん杏はしっかりと給料は貰っていたし、後で調べてみたところ、アイドル本人のギャラの取り分は346プロが一番高かったという事実もあった。なので自分の主張は完全なやっかみであることは分かっているのだが、それでも杏は叫ばずにいられなかった。

 と、そのとき、

 

「あれ? もしかして杏ちゃん?」

 

 聞き覚えのある声に杏が振り返ると、見覚えのある顔が1人と、見覚えの無い顔が2人いた。

 

「おー、卯月じゃん。久し振りー」

「はい! お久し振りです、杏ちゃん!」

 

 見覚えのある顔――島村卯月に挨拶をすると、彼女はパァッと見ているこっちまで心が温かくなるような笑顔を浮かべて挨拶を返した。その笑顔はテレビで観ているときと何ら変わりないものであり、相変わらず表も裏も無いなぁ、と杏は感心したようにそれを眺めていた。

 と、そんなことをしていると、見覚えの無い顔2人が卯月の後ろに隠れるように、しかし時々ちらちらと杏のことを盗み見ていることに気がついた。1人は杏とほとんど身長が変わらない可愛らしい少女、そしてもう1人はなぜかカメラも何も無いのに猫耳をつけた少女だった。

 

「その子、誰? 新人?」

「うん、新人のアイドル候補生だよ! 幸子ちゃん、みくちゃん、ご挨拶!」

 

 卯月に促される形で、幸子とみくと呼ばれたその2人は、杏を目の前にして若干緊張しながら自己紹介を始めた。

 

「346プロの新人アイドル、輿水幸子です! こ……、こんなカワイイボクに出会えるなんて、杏さんは何て幸せな方なんでしょう!」

「346プロの新人アイドル、前川みくだにゃ! 可愛い猫ちゃんキャラでやっていくから、どうぞ宜しくお願いしますだにゃ!」

「…………、おぅ……」

 

 片や得意満面の笑み(いわゆるドヤ顔)をしっかり決めて、片や猫っぽく手首を曲げてしっかりとポーズを取って自己紹介した2人に、杏は呆気に取られていた。

 

「ふふーん、ボクのあまりの可愛らしさに、声も出ないみたいですね!」

「あの双葉杏さんに認められるなんて、みく達って凄く将来有望なんじゃないかにゃ!」

「良かったね! 幸子ちゃん、みくちゃん!」

 

 杏の反応をどう勘違いしたのか、幸子とみくは互いに手を取って喜びを露わにしていた。そしてその中に平然と卯月が混ざっていることに、何だか杏は色々とツッコミする気が失せていった。

 

「……その芸風は、自分のプロデューサーに指示されてやってることなの?」

「あ、この2人はまだ自分のプロデューサーがついていないんだ」

「え、そうなの?」

「この子達はまだデビューしていないアイドル候補生なんだよ。それで今は、私の付き人をやってもらってるんです」

「付き人?」

 

 杏の問い掛けに、卯月はこくりと頷いた。

 

「私って他のみんなと違って、まだアイドルだけでお仕事してるでしょ? だから『デビュー間近のアイドル候補生に島村さんの付き人をやらせてほしい』ってプロデューサーに頼まれることがあるんです。何だか、私の言動を見て“アイドルとは何か”をしっかり勉強してほしい、らしいんですけど……。正直、私なんかで務まるのかなぁって思ってて……」

「そ、そんなことありません! 卯月さんは、ボクにとって最高のアイドルです!」

「そうだにゃ! 卯月さんほど“アイドルらしいアイドル”はいないんだにゃ!」

 

 自信なさげに呟く卯月に、幸子とみくが即座にそれを否定していた。

 杏も2人の意見に賛成だった。すでに引退してしまっている自分は論外として、他の同期もアイドルとしてブレイクした後は他の職業にシフトしている。本格的な歌手だったり、ユニットをプロデュースしたり、バラエティ番組の司会をしたり、女優業をメインにしたり、果ては自分の好きなことで会社を経営したり――。そんな中、卯月だけは今も正統派アイドル一本のみで勝負しており、そしてデビューから7年経った今でも最前線に立ち続けている。

 一緒にユニットを組んでいた凛や未央でさえ、卯月に対して『アイドルという面では、今まで一度も彼女に勝ったと思ったことがない』とまで言わしめるほどだ。そんな彼女は、アイドル候補生からしたらまさに“生きた教材”だろう。

 

「……2人共、しっかりと卯月を見て勉強しておくんだよ。そして“正統派アイドルの素晴らしさ”を、ちゃんとその目に焼き付けておこう」

「もちろんです、杏さん! こんなにカワイイボクに、今更キャラなんて必要無いですもんね!」

「卯月さんの素晴らしさは分かってるにゃ! でも卯月さんくらい成功できるのは、よっぽどの実力が無いと無理なのにゃ! だからみくは、このままで行くにゃ! みくは自分を曲げないよ!」

「……そう、ですか。はい、頑張ってください……」

 

 まるで武内の口調が乗り移ったかのように杏はぼそぼそと喋ると、まるで2人から逃げるようにその場を後にした。途中で振り返ると、幸子とみくが何やら楽しそうに卯月に話し掛け、彼女もそれに楽しそうに答えている。その様子はトップアイドルとその付き人というよりは、仲の良い友達同士という関係に見える。

 

「……うーむ、でも確かにあれくらい強い個性は武器だな……」

 

 あの2人との出会いは、確実に杏の心の中に残った。

 それがどのような変化を生むのかは、とりあえずレッスン場の場所を突き止めてから考えることにしよう。

 

「――ていうか、あの3人にレッスン場の場所を訊けば良かった……」

 

 

 *         *         *

 

 

 かな子が経営しているスイーツ専門店であり、安部菜々が働いているその店には、今日も杏の姿があった。いつものように通された個室には、いつものように菜々の姿もある。

 しかし今日は、いつものように暇潰しでだらだらとお喋りするために来たのではない。

 

「そういえば菜々さん、店長にはアイドルになることは言ったの?」

「はい! 店長は少し残念そうにしていましたが、『自分の夢に向かって頑張れ』と応援してくれました! それと『売れるまでは大変だろうから籍は置いておくよ』とも仰ってくれて……」

「そっか。それじゃ、店長さんのその気配りが無駄になるように頑張らなきゃね」

「そうですね、杏ちゃん! 一緒に頑張りましょう!」

 

 拳をぐっと握りしめてそう言う菜々に、杏も真剣な表情で頷いた。“頑張る”なんて言葉、杏が最も嫌いとする類の言葉だというのに。

 

「それで杏ちゃん、ナナはどういう方針で売り出すことになるのでしょうか?」

「うん、実は今日の午前中に346プロに行って、アイドル候補生のレッスンを見せてもらったんだけど――」

「おぉう、さりげなく凄いことを言いますね……。そうやって聞くと、杏ちゃんもちゃんと“奇跡の10人”だったんですね……」

「ちょっと、それってどういう意味?」

「いえいえ、もちろん知ってはいたんですよ! というか、杏ちゃんがデビューした頃から、ナナは杏ちゃんの大ファンだったんですから! でもこうしてお店でだらだら話していると、何だか全然そんな気がしなくて、昔からの友人って気になってきちゃうんですよねぇ……」

「……まぁ、良いさ」

 

 そうやって自然体で接してくれるから、よく菜々に会いにここに来ていたんだから、と言うのは恥ずかしいので、杏は絶対に口にしない。

 

「それで、候補生のレッスンを見て、イメージは掴めましたか?」

「……ちょうど新人ユニットの練習をしていたからさ、それを見学させてもらったんだよ。“フリルドスクエア”っていう名前だったかな? 4人共個性があって、だけどユニットとしては正統派な感じの」

「はいはい! 良い感じですね!」

「その中に混じって、菜々さんが踊っている姿を想像してみたんだよ」

「はいはい! それで!」

「……全然、想像できなかった」

「……はい?」

 

 どんどん期待が高まっていった菜々は、そのわくわくした笑顔のまま固まった。

 

「普通のアイドルみたいに歌って踊って、ユニットとか組んじゃって、さらにはテレビとかの歌番組にも出るような、そんな正統派アイドルの姿を想像してみたんだけどさ、……菜々さんで想像しようとすると途端に景色がぼやけちゃうんだよね」

「……えっと、それってつまり……」

 

 みるみる不安そうな表情になる菜々に、杏ははっきりと言った。

 

「もし菜々さんがウサミン星人のキャラで行くんだったら、346プロがやっているような正統派の売り出し方は止めた方が良い。さらに言えば、テレビとかライブツアーとか、そういうのを目指すのもリスクが高い」

「……そ、そうですか」

 

 これまで数々の事務所(そしてその中には、346プロも含まれている)に落ち続けてきた菜々であるので、ある程度のことは覚悟していた。しかしこうして仲の良い杏からはっきりと言われると、さすがの彼女も心に来るものがあった。

 そんな彼女に、杏はさらに続けた。

 

「だから杏達は、“地下アイドル”で行こうと思う」

「……地下アイドル?」

 

 その言葉自体は、菜々も聞いたことがある。テレビに出たり、ライブハウスやドームでライブをする普通のアイドルとは違い、専用の劇場を拠点にライブ活動をするアイドルのことである。メディアなどに取り上げられることが少ないために有名になることはあまり無いが、既存のメディアではできないような尖った路線のパフォーマンスが行えるという利点もある。

 

「菜々さんの路線は万人受けしない。でも、必ずそれを『良い』って言ってくれる人がいる。その人達を狙い撃ちするには、地下アイドル路線っていうのは有効な手なんだよ。それに活動する場を限定することで、そこでしか観られないっていう“希少価値”を演出することができるし、CDやグッズを劇場限定で販売すれば、売上を読みやすいから不良在庫を生む危険も少なくなる」

「……成程」

「菜々さんが夢見ている、キラキラしたアイドルとは少し違うと思う。でもこの方法が、菜々さんがアイドルとして生活できる最も確実な方法だと思う」

「……そう、かもしれません」

「それにこの方法なら、あちこち走り回ってどこかのお偉いさんに営業する必要無いし」

「…………」

 

 思わず零れた杏の本音に、菜々は白けるような視線を彼女へ向けた。

 

「……まさかそのために、菜々を地下アイドルにするつもりじゃないですよね?」

「いやいや、そんなことないって! たまたまだよ、たまたま!」

 

 杏が慌ててそれを否定するが、菜々の疑惑の目はますます強くなる。杏が気まずそうに菜々を上目遣いで見つめると、菜々は大きな溜息を吐いて、

 

「……分かりましたよ、結局それが一番だっていうのは理解できますし。――それで、ナナ達はこれからどうするんですか?」

 

 菜々が許した途端、杏はパァッと晴れやかな笑顔を浮かべた。調子が良いんだから、と菜々は不満に思うが、そんな仕草でも可愛らしく見えてしまう杏に、菜々は何だか手の焼ける妹を見ているようでフッと笑みを漏らした。

 

「とりあえず菜々さんの活動方針を固めながら、別のアイドル候補生を探すのが先かな? いくら何でも、菜々さんだけでやっていくのは厳しいから」

「他のアイドル候補生、ですか」

「そ。菜々さんに負けないほどに個性があるのが良いよね。それこそ、テレビではまず見せられないような感じの」

「……杏ちゃん。ナナ達って、アイドルを目指すんですよね?」

「うん、もちろん。でも、今までのイメージで思い浮かべるようなアイドルではないからね?」

「……そうですね。何だか、そんな感じがしてきましたよ。――ところで、肝心の劇場をどこにするかっていうのは、決めなくても良いんですか? ちょうど良い物件とか、結構探すのに苦労すると思うんですけど」

「ああ、それは大丈夫。もう決めたから」

「――えっ?」

 

 あっさりとそう言ってのけた杏に、菜々はぽかんと口を開けていた。

 

「……菜々さん、明日暇? 何ならその物件を見に行こうか?」

「はいはい! 行きます行きます!」

 

 興奮した様子で即答して詰め寄る菜々に、杏は若干引き気味になりながら笑みを浮かべた。



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第3話 『準備』

 杏と菜々がやって来たのは、アニメや漫画などに代表されるサブカルチャーが一堂に会する街だった。他の場所ではまず見られないような絵柄の看板だったり、他の場所では間違いなく警察の指導が入るであろう格好をした人々だったり、他の場所ではいくら探しても見つからないような商品だったりと、そこはまさに“混沌”と呼ぶに相応しい場所である。

 そしてその中には、アイドルに関する店も数多く並んでいた。アイドルのCDやDVD、さらにはライブの物販限定のお宝グッズを取り扱う中古屋なども並んでいるが、その中でも一番賑わっているのは、本物のアイドルを生で観ることのできる芸能事務所主宰の“劇場”だろう。

 346プロの“奇跡の10人”による芸能界席巻と共に、このような劇場も一気に増えていった。彼女達がテレビやラジオや大きなステージで華やかに売れていくことで、かえってそれに反発する勢力が活発化していった結果だろう。そしてそんな劇場専門に活動するアイドル達のことを、ステージがよく地下に作られていることと、テレビで活躍するアイドルの“陰”に隠れていることから“地下アイドル”と称されるようになった。

 さて、そんな地下アイドルが生み出される遠因となっている杏は、たとえ引退から5年以上経ってもその影響力は計り知れない。特にアイドルに詳しいこのような場所で彼女の存在がばれるのは、絶対に避けるべき事態である。

 

「……何だか、竹馬に乗って歩いてる気分だよ」

「頑張ってください、あん……ううんっ!」

 

 いつも以上にしっかりした変装にシークレットブーツを装備した杏に、菜々が普段のように“杏ちゃん”と言いそうになって咄嗟に引っ込めた。杏はそれにくすりと笑みを浮かべながら、大勢の人々の間を擦り抜けて歩いていく。今のところ、周りの人間にばれている様子は無い。

 そうして歩くこと10分、

 

「あった。ここだよ」

「ここ……ですか?」

 

 とある建物の前で立ち止まった杏がそれを指さし、菜々がそれを見上げながら戸惑うような表情を見せた。

 それは3階建ての雑居ビルであり、外見はお世辞にも綺麗だとは言えなかった。広さ自体はそこそこあるように見えるが、築年数は相当経っているように思える。

 

「随分と年季の入ったビルですね……」

「築30年以上は確実だって聞いたかな。んじゃ、地下にも行ってみよう」

 

 杏はそう言って正面入口のすぐ脇にある階段を下りていき、菜々が慌ててその後を追う。1段1段下りていくごとにみるみる暗くなっていき、それに従って空気が重くなっていく心地になる。

 やがて階段の先にドアが見えると、杏がポケットから取り出した鍵でそれを開けた。ドアの向こう側に広がっていたのは真っ暗な空間であり、久し振りにドアが開けられたのか途端に埃っぽい空気が2人を襲う。2人は同時に咳き込みながらも、壁沿いに手探りで進んでスイッチを入れた。

 その瞬間、

 

「おおっ! これはまさにライブハウスじゃないですか!」

 

 菜々の目に飛び込んできたのは、立ち見ならば400人くらいは入れそうなスペースに、それよりも一段高くなったステージだった。ステージ部分の天井には鉄骨が張り巡らされており、おそらくそこに照明をセッティングするのだろう。何も無いので殺風景極まりないが、そこに楽器やアンプなどを持ち込めば立派なライブハウスに早変わりである。

 

「それにしても、これだけ揃っているってことは、ここは元々ライブハウスだったんですか?」

「ライブハウスっていうか、ここはまさに地下アイドルが活動していた劇場だったんだよ」

「そうだったんですか! ……でも、今こうなっているってことは、潰れちゃったんですか?」

「まぁねー。あまりお客さんが入らなかったうえに、事務所社長が所属アイドルに枕を強要してたのがばれて、挙げ句の果てに脱税容疑で逮捕されちゃったんだって」

「何ですか、その芸能界の闇を濃縮したような事務所は……」

 

 名前も顔も知らない人物だが、自分の夢を穢されたように感じた菜々は眉を寄せて怒りを顕わにした。

 杏は彼女の反応も当然だとは思ったが、彼女ほど憤りを見せてはいなかった。むしろ杏としては、その社長が脱税をしてくれたおかげで、税金の穴埋めにビルが差し押さえられてオークションに出品され、通常からは考えられないくらいの破格で手に入ったのだから、感謝していると言っても良かった。アイドルに対する枕強要は、絶対に許せないことではあるが。

 彼女がそんなことを考えている内に、一頻り怒った菜々がステージへと視線を向け、嬉しそうに破顔した。

 

「それにしても、こうして目の当たりにすると何だかワクワクしますね! 何かこう、“秘密基地”って感じがしませんか!」

「まぁ、分からなくはないけどね……。それよりも杏は、これから待ち受けてる仕事の数にうんざりしてるよ……」

「仕事、ですか? アイドルのスカウトとかですか?」

「それもあるけど、ライブができるくらいに曲を作らなきゃいけないし、人に見せられるくらいまでにレッスンを重ねなきゃいけないし、色々と機材とか揃えないといけないし、ライブのスタッフも雇わなきゃいけないし……。ああ、それにライブ用の衣装とかも揃えないと……」

「大変そうですね、杏ちゃん」

「いや、菜々さんも他人事じゃないんだからね? レッスンを受けるのは菜々さんだからね? 大丈夫?」

「だ、大丈夫ですよ! レッスンくらい!」

 

 ぎくり、という擬態語でもつきそうな反応でそう答える菜々を眺めながら、杏は深い深い溜息を吐いた。

 

「それにしても、プロデューサーは何年もこんなことをやっていたのか……。そりゃ大変な仕事だとは思ってたけど、まさかここまでとは思わなかったよ」

「でもでも! こんな風に色々な問題に立ち向かっていくのって、何だか楽しいですよね! 1歩1歩夢に近づいている実感もありますし!」

 

 そう言って本当に楽しそうに笑う菜々に、愚痴を零していた杏も自然と笑みを浮かべていた。

 

「でもまぁ、とりあえずそろそろお昼だし、続きは何か食べてから考えよう」

「はいはーい! ナナ、ラーメンが食べたいです!」

「ラーメンかぁ……。そういえば最近カップのしか食べてなかったな……」

 

 当面の問題を頭の隅に追いやってラーメンのことで頭をいっぱいにしながら、杏と菜々はその部屋を後にした。

 

 

 *         *         *

 

 

 346プロ、チーフプロデューサー室。

 

「それでは、今後のスケジュールはこのような感じでお願いします」

「うん、分かった。衣装とか届いたら連絡してくれる? 1回チェックしておきたいから」

「分かりました。そのように手配しておきます」

 

 そこでは武内と凛が部屋中央に置かれたソファーに向かい合わせに座り、仕事の打合せを行っていた。少し前までは彼にプロデュースされる立場だった彼女だが、こうして話している姿は対等の仕事仲間という印象を受ける。

 

「うん、お願い。色々とありがとうね」

「いえ、渋谷さんのお力になれるよう、精一杯頑張らせていただきます。――北条さんも神谷さんも、ライブの成功を期待しています」

「はい、任せてください」

「は、はい! 分かりました!」

 

 そして凛の両隣には、高校生くらいの少女が2人座っていた。ドリルのように毛先をカールさせたツインテールを持ついかにもクールそうな少女――北条加蓮に、ウェーブの掛かったボリュームのある長い髪と太い眉毛が特徴の少女――神谷奈緒だった。武内の言葉に加蓮はにっこりと笑って軽く返し、奈緒は少々言葉を詰まらせながら何とか返した。

 

「そういえば、プロデューサー」

 

 と、そのとき、ふいに凛が口を開いた。

 

「昨日卯月から事務所で杏を見掛けたって聞いたんだけど、何か用事でもあったの?」

「……はい。“宣戦布告”をされました」

「――へぇ」

 

 武内の言葉を聞いた途端、凛は微かに笑みを浮かべてそう呟いた。彼女から滲み出るどこか剣呑とした雰囲気に、隣にいる加蓮と奈緒が表情を強張らせる。

 

「宣戦布告って、どういう意味で?」

「双葉さんが昨日私の所にやって来て、私達と“ライバル関係”になることを伝えてくれました。おそらく彼女は、芸能事務所を立ち上げてアイドルをプロデュースするものと思われます」

「……そっか。もしかしたらアイドルに復帰するかとも思ったけど、そっちの方に行ったわけね。――プロデューサーとしては、杏をまたプロデュースできなくて残念だった?」

「その気持ちも無くはないですが……、それ以上に彼女がプロデューサーとしてどのような仕事をするのか、それを見るのが今から楽しみで仕方がありません」

「あの杏のことだから、王道のアイドルを王道の路線で売り出すとは考えにくいけど……、確かに気になるね。時間ができたら様子でも見に行こうかな?」

「そのときは、ぜひとも私にご報告を」

「分かったよ。――それじゃ」

 

 凛がソファーから立ち上がって、ドアへと歩き出した。それに気づいた加蓮と奈緒が1拍遅れて立ち上がり、慌てて凛の後を追っていく。

 部屋から出てしばらく歩いた後、唐突に奈緒が大きな溜息を吐いた。

 

「奈緒、緊張しすぎ。いい加減に慣れたら?」

「そうは言うけどさ、加蓮。向こうは“奇跡の10人”をプロデュースした超大物だぞ? それに見た目も何だか怖いし……。ていうか、よく加蓮は平気な顔していられるな?」

「何回も顔を合わせてるからね、さすがに慣れたよ。それにあの人、よく見たら可愛いし?」

「うえぇっ! あの人が可愛い? 変な趣味してんなぁ……」

「ふふっ。可愛いかどうかは分からないけど、あの人はああ見えて良い人だから、そんなに怖がらなくても大丈夫だよ」

 

 凛から1歩引いて歩く加蓮と奈緒の会話に凛が混ざると、2人は何やら言いたげな顔で彼女へと視線を向けた。2人は顔を見合わせて互いに視線だけで牽制し合うが、やがて加蓮が意を決したように彼女に話し掛ける。

 

「やっぱり凛さんって、双葉杏と仲が悪かったの?」

「ちょ、加蓮! 訊き方ってものがあるだろ!」

 

 あまりにストレートな質問に、奈緒は慌てて加蓮の口を塞いだ。もう手遅れだというのにそんな反応を見せる彼女の姿に、最初に笑い声をあげたのは凛だった。

 加蓮のその質問は、杏が現役の頃からずっと訊かれ続けてすっかり慣れっこになってしまったものだった。

 “奇跡の10人”の中でも真っ先にブレイクした杏に対し、それから少し遅れてブレイクしたのが凛の所属していたユニット“New Generations”だった。ユニットの顔として注目される存在だった凛は、テレビのスタッフや記者などから杏とライバル関係であるかのように扱われてきた。そんな雰囲気がエスカレートしていった結果、杏と凛の不仲説がまことしやかに語られるようになった。

 

「別に杏とは仲が悪いわけじゃないよ、今でも時々電話もするし、この間も一緒に食事もしたし」

「何だ、良かったぁ。じゃああの噂は、単なるでまかせだったんだな」

「完全に、ってわけじゃないかな。実際私は杏のことをライバル視してたし。でもまぁ、単なる私の一方通行だったけどね」

「双葉杏は、凛さんのことを何とも思ってなかったってこと?」

「私に限らず、杏はそういう感情が一切無いんだよ。孤立してたわけじゃないけど、何だか1歩引いて私達のことを見てたように思うよ。いつも彼女とお喋りをしてたのって、きらりくらいじゃないかな?」

「へぇ、そうなんだ。――凛さん、何だか楽しそうだね」

 

 加蓮の言葉に、凛は自分の口元が笑みを浮かべていたことを自覚した。

 

「うん、そりゃ楽しみだよ。アイドルのときは同じ事務所だったから明確に争うなんてことはなかったし、私がようやく実力をつけてきたときに杏はさっさと引退しちゃったからね。今こうしてユニットのプロデュースを任されるまでになったときに、杏もプロデューサーとして復帰することになったんだよ? 何だか運命的なものを感じるよ」

「……そうか、私達は双葉杏と戦わなきゃいけなくなるかもしれないんだよな」

「正確には“杏が育てたアイドル”と、だけどね。――いったい、どんな子をアイドルにするんだろうね」

 

 不敵な笑みを浮かべる凛に、加蓮はひょうひょうと、奈緒は不安そうな表情を浮かべながら彼女の後をついていった。

 

 

 *         *         *

 

 

「うわぁ! メイド服がこんなにいっぱい! さすが本場ですねぇ!」

「ねぇ菜々さん、いい加減帰らない?」

 

 メイド服専門店という、どの層をターゲットにしているのかよく分からない店ではしゃぐ菜々に、杏がうんざりした表情で声を掛けた。しかし菜々は興奮のあまり彼女の声が聞こえないようで、微妙に違うデザインのメイド服を次々に眺めながら、どんどん店の奥へと進んでいく。

 

「うーん、やっぱりメイド服は良いですねぇ! 何年もあの店で働いていましたから、何だかメイド服じゃないと落ち着かなくなっちゃいましたよ!」

 

 菜々が働いていた店(正確には今も籍は置いているが)のウエイトレスは、メイド服によく似たデザインの制服を着用していた。メイド喫茶などでよく見る“萌え”に特化されたものを、もう少し女の子受けするように作り替えられたものと表現するとイメージしやすいだろうか。

 確かにあの服は、菜々にとても似合っていた。“永遠の17歳”という何とも痛々しいキャラを通す菜々だが、あの服を着ているときは本当に17歳であるかのように見える。

 

「何か失礼なことを考えてませんか! ナナは本当に17歳なんですからね!」

「うえっ! い、いや、失礼なことなんて、そんなの全然考えてないよ!」

 

 慌てる杏に菜々はしばらく疑いの目を向けていたが、すぐに気を取り直すと再びメイド服へと視線を移した。あれも良い、これも可愛い、と様々なメイド服を実に楽しそうに見ている。

 

「菜々さーん! 杏は他の店で時間潰してるから、終わったら携帯に電話ちょうだーい!」

 

 杏が店の中に呼び掛けると、店の奥から微かに菜々の返事が聞こえてきた。それを聞いた杏は、大きな溜息を吐きながらその場を離れていった。

 平日だというのに、街は大勢の人で溢れていた。おそらく彼ら彼女らは、今日会社や学校が休みなのだろう(というか、そうだと信じたい)。それに有名な観光スポットだからか、外国人の姿も大勢見受けられる。

 そしてそんな人集りの中に、厳重な変装とシークレットブーツによって別人に変身した杏が歩いていた。まさか周りにいる通行人も、数年前日本中を席巻したアイドルがここにいるとは夢にも思わないだろう。

 

 ――あ、やっぱり駄目だ……。この人混みは結構辛い……。

 

 面倒臭いという理由でよく家に引き籠もっていた杏にとって、人混みの中を歩くという行為は面倒臭いことの極致だった。そもそも身長がもの凄く低いことも相まって、杏は人混みという環境が大の苦手なのである。しかも客寄せの叫び声や大音量の音楽などがあちこちで流れ、それがますます杏の体調を崩していく。

 そしてとうとう我慢の限界に達した杏は、とりあえず緊急避難ということで最初に目に着いた店に飛び込んでいった。1歩店に踏み入れただけなのに、あれだけ鬱陶しかった人混みは無くなり、耳鳴りがしそうなほどにうるさかった音も心地良いレベルにまで落とされた。

 

「ここ、楽器屋か……」

 

 店に入って初めて中を見渡してみると、そこは様々な楽器や楽譜などが置いてあるオーソドックスな楽器屋だった。ギターとベースが壁に飾られたりスタンドに立て掛けられたり、立派なドラムセットが鎮座していたり、様々な大きさのキーボードがずらりと並べられている光景は、他の場所にもある楽器屋と何ら変わりない。アニメキャラがプリントされた“痛ギター”が飾られていなければ、だが。

 アイドルという音楽に近い職業をやっていたにも拘わらず、杏がこういう店に来たのはこれが初めてだった。基本的に楽曲は武内が専門家に頼むか李衣菜が作ってくれていたし、楽器を演奏するなんて面倒臭いことを彼女が挑戦するわけがなかった。

 なので杏は初めて間近で見るギターやベースなどを、とても興味深く眺めていた。実際に持って感触を確かめてみたりもしたが、何本もの弦を複雑な指使いで押さえなければいけないことの面倒臭さを再認識しただけに終わり、店員が営業トークを仕掛けようとこちらにやって来る前に素早く元の場所に戻した。

 

 と、そのとき、入口の自動ドアが開き、1人の少女が中に入ってきた。

 銀色とも灰色とも取れる不思議な色の髪を無造作に伸ばし、胸に大きくキノコの柄がプリントされたシャツを着ていた。身長は普段の杏よりもほんの少しだけ高く、346プロの廊下で会った輿水幸子と同じくらいである。

 そろそろ楽器を見るのも飽きてきた杏は、何となくその少女を眺めていた。彼女は周りの楽器には目もくれず、まっすぐに奥のカウンターへと歩いていく。そのとき一瞬だけ杏と目が合ったが、彼女はビクッと肩を跳ねさせてすぐに目を逸らしてしまった。

 

「あ、あの……、ギターの修理を頼んでた……、星、です……」

「はいはい、ちょっと待っててね」

 

 今にも消え入りそうな声で店員に声を掛けた彼女に、店員は慣れた動作でカウンターの奥に引っ込み、すぐに1本のギターケースを持って戻ってきた。少女がそのケースを開けると、中に入っていたのはキノコの絵がアクセントとなっている真っ赤なギターだった。楽器に疎い杏でも格好良いと思うギターであり、小柄でオドオドとしている彼女にはどこまでも不釣り合いなものだった。

 

「ギターが可哀想だから、もう壊しちゃ駄目だよ」

「フヒ……、善処する……」

 

 店員の言葉に少女はにたっと不気味な笑みを浮かべると、そのギターケースを大事そうに抱えながらカウンターを後にして店から出ていこうとする。

 そのタイミングを見計らって、杏は少女に話し掛けた。

 

「もしもし、ちょっと良いかな?」

「……フヒ?」

 

 最初は自分に話し掛けられていると気づかずに通り過ぎようとした少女だったが、杏がこちらに近づいているのを見て足を止めた。見た目的には怖がられるような要素の無い杏だが、その少女は彼女を見てビクビクと小刻みに体を震わせて視線をさ迷わせている。

 

 ――ああ、この子“コミュ障”だな。

 

 その様子を見て杏はすぐに察したが、それでも気にせず言葉を続ける。

 

「そのギターって、自分の? よく演奏するの?」

「フヒ……、う、うん……、ギターを弾くの、好きだから……」

「へぇ、そうなんだ。バンドとか組んでるの?」

「バ、バンドなんてそんな……! わ、私と一緒にバンドを組んでくれるトモダチなんて、い、いないし……」

 

 その少女は吐き捨てるように呟くと、寂しそうに顔を俯かせた。杏は彼女の話を聞きながら、上から下までじっくりと彼女の姿を観察する。

 

「あ、あの……、ど、どうしてそんなに見てるんだ……?」

 

 当然ながら、少女はそんな杏に戸惑っていた。元々人に見られるのが苦手らしい彼女からしたら、その戸惑いも普通の人より大きいだろう。

 

「ああ、ごめんごめん。――ところでさ、演奏を聴かせてもらうことってできる?」

「え? え、演奏って……、わ、私のか……?」

「うん、そう。――あ、そういえば名前をまだ訊いてなかったね。何て名前?」

「あ、えっと……、星、輝子(しょうこ)って言います、はい……」

「輝子ちゃんだね、よろしくー。ちょっとだけで良いんだよ、1フレーズだけでもさ」

「演奏してあげたら良いじゃない、輝子ちゃん。うちのアンプを貸そっか?」

 

 杏達の話を聞いていたのか(それほど広い店ではないので聞こえて当たり前なのだが)、店員が笑顔を浮かべてその少女――星輝子に話し掛けてきた。彼の口振りから、どうやら彼女はこの店の常連らしい。

 

「え、えっと……、それじゃ、ちょっとだけ……」

「やったー」

 

 喜ぶ杏の姿に、輝子もにたっと不器用な笑みを浮かべた。バンドも組まずに1人でギターを弾いているらしい彼女だが、心のどこかで誰かに聴かせたかったのかもしれない。

 

 

 

 店に置かれていたアンプに自分のギターを繋ぎ、軽く何度か鳴らしながらチューニングをする輝子の姿に、杏は知らず知らずの内に引き込まれていた。会話をしていたときにはオドオドとしていた彼女だが、こうしてギターを構えているときは真剣な表情を浮かべ、どことなく中性的な雰囲気すら感じる。

 さらに彼女は、普通の人間ならば音叉などの道具を使って音を合わせるのだが、彼女は一切それを使わず、時々音を鳴らしながら摘みをくるくる回している。つまり彼女は耳だけで音を合わせられる、いわゆる“絶対音感”の持ち主であることを意味している。

 

「そ、それじゃ……、始めます……」

 

 ぺこりとお辞儀をする輝子に、杏と店員が拍手をする。彼女はそれに少し照れ臭そうな反応を見せたが、すぐに表情を引き締めてギターを構える。

 そしてピックを持った右腕を下ろした瞬間、店にエレキギター独特の音が鳴り響いた。

 そのまま輝子は演奏を始めた。曲は杏でも知っている有名なギター曲であり、弦を押さえる左手は淀みなく動き、それでいて音を外すことがまったく無い。思わず杏が指でトントンとリズムを取るほどに乗れる演奏であり、しかも当の輝子の表情は演奏をまるで苦にしていないように涼しげだった。

 

 ――予想以上に上手いなぁ、この子。

 

 心の中で感心していた杏だったが、ここから徐々に輝子の様子が変化していった。

 別に演奏をミスしたわけではない。むしろどんどん演奏が本格的になり、本人も乗ってきたのか徐々に彼女の顔に笑みが浮かんでいく。

 しかしその笑顔の種類が、単純に“楽しい”というようなものではなかった。ギターを睨みつけながら、まるで胸の奥に溜まっているものをぶつけるようにギターを掻き鳴らす彼女から漂う危ない雰囲気に、杏も徐々に不安そうな表情になっていく。

 

「ちょ、ちょっと輝子ちゃん、大丈夫……?」

 

 杏が思わず心配になって話し掛けたそのとき、

 

 

「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 

 

 杏は一瞬それが、まるで獰猛な獣が吠えているのかと錯覚した。しかしその声は、確かに目の前にいる彼女から聞こえてきたものだった。

 そして杏が戸惑っていることにも気づかずに、輝子は少女が出しているものとは思えない低い叫び声をあげながら、突然持っていたギターを鳴らしながら床に叩きつけ始めた。ガンガン! と勢いよく床にぶつかるのに合わせて、店内に鳴り響くギターの音がグワングワンと歪んでいく。

 

「ちょっと輝子ちゃん! せっかく直したギターがまた壊れちゃう! ってか、床に傷がつく!」

 

 ここでとうとう店員が輝子の下に駆けつけ、後ろから羽交い締めにしてむりやり演奏を中断した。輝子も最初は暴れていたものの、突如ハッとなったように辺りを見渡して、最初に見掛けたときのオドオドした表情へと戻っていった。

 

「ご、ごめん……。スイッチ入っちゃった……」

「もう、輝子ちゃん。彼女がびっくりしてるよ?」

「う、うん、そうだな……。驚かせちゃって、ごめ――あれ? ど、どうしたんだ?」

 

 顔を俯かせて体をぷるぷる震わせる杏の姿に、輝子はもしかして怒らせてしまったのかと普段以上にオドオドとしていた。

 そして、次の瞬間、

 

「輝子ちゃん、アイドルになろう!」

「フヒッ!」

 

 突然顔を上げてそんなことを言ってきた杏に、輝子は大声で驚いたのとその内容に戸惑ったのとで変な声をあげてしまった。

 

「そんなに光るものがあるのにバンドすら組んでないなんて、あまりにも勿体ないよ! ここはアイドルになって、杏の劇場でめちゃくちゃに暴れ回ってやろうじゃんか!」

「ちょ、ちょっと待って……! な、なんでそこでアイドルになるんだ……! そ、それに私が、ア、アイドルなんてなれるわけないだろ……! 全然可愛くないし……!」

「いやいや、そんなことないって! 暗い顔をしてるから分かりにくいけど、輝子ちゃんって凄く可愛いじゃん! それにギターを演奏してるときの輝子、表情がキリッとしてて凄く格好良かったし! あれだね! “ギャップ萌え”ってやつだ!」

「そ、そんな……! わ、私が可愛いなんて、そ、そんなはずがないだろ……!」

 

 興奮したように捲し立てる杏に、そんな彼女に圧倒されて目をぐるぐる回しながら混乱する輝子の陰で、カウンターで輝子のギターとその後の遣り取りを聞いていた店員が、ふと何かに気づいたようにぶつぶつと呟き始める。

 そして、

 

「え……、“杏”ってもしかして、双葉杏……?」

「あ、やば」

 

 恐る恐るといった感じの店員の問い掛けに、杏は顔を引きつらせてぴたりと言葉を止めた。

 その反応で、店員は確信した。

 

「え、嘘……! 本当にあの双葉杏……? うわ、確かに帽子を取ったらあの髪型っぽいし、よく見たら靴もシークレットブーツじゃん! え、ちょっと、うわ! どうしよう、サイン! いや、写真か! あれ、色紙ってどこにしまってたっけ! ああもう、こういうときに限って!」

 

 店員はパニックになりながら、店の奥へと引っ込んでしまった。常連でありながらおそらく彼のそんな姿を見たことがなかったのであろう輝子は、呆然と口を開けてそれを眺めていた。

 そして店員が姿を消すと、ぎぎぎ、と音が鳴りそうなぎこちない動きで杏へと顔を向けた。

 

「……え? まじ、なのか……?」

「うん、まじだよー」

 

 杏が帽子とサングラスを取ると、その瞬間、輝子はビクッと肩を跳ねて驚いていた。

 

「おぅ……、本物だ……。凄い……」

「てか、輝子ちゃんもよく杏のこと知ってるね? 杏が引退したの、5年も前なんだけど」

「ち、小さい頃によくテレビで観てた……。杏、さんの曲、ギターで弾いてみたり……」

「へぇ、その頃からギターを弾いてたんだ、凄いじゃん」

「そ、そんなことない……! あ、あれ……? じゃあさっき、アイドルになるとか何とか言ってたのは……?」

「ああ、杏ね、アイドルのプロデューサーになることにしたんだ。んで、こうしてアイドルの原石を探してたってわけ」

「そ、そうなのか……。で、でも……、私にアイドルなんて無理だぞ……。こんな性格だし……、人と話すのも苦手だし……」

「大丈夫だって、そんなの可愛いもんだよ。杏なんて、アイドルになる前はニート1歩手前だったんだよ?」

「で、でも、杏さんは可愛いし……、アイドルになれるのも分かる……。でも私は――」

「ああもう、だから輝子ちゃんは可愛いって。2年しかいなかったけど、芸能界で色んな人を見てきた杏が断言するよ。――輝子ちゃんは、可愛い」

「……フヒヒ、な、何だか照れるな……」

 

 輝子はにやにやと笑みを浮かべながら、真っ赤になっていく顔を両手で隠した。

 

「それに輝子ちゃんには、今のパフォーマンスっていう最高の武器があるんだよ。はっきり言って、これはかなりの掘り出し物だよ。もしここで杏の誘いを断ったとしても、輝子ちゃんなら遅かれ早かれまたスカウトの声が掛かると思うよ」

「……そ、そうなのか……?」

「その点杏の劇場だったら、輝子の魅力を最大限に引き出す売り出し方ができるよ。テレビとかの倫理コードに引っ掛かって無難な路線を歩かされるくらいなら、テレビじゃできないようなネタで大暴れしてみようじゃないか」

「……大暴れ」

「そう。普段の生活で、溜まりに溜まった鬱憤とかあるんじゃないの? ライブは気持ちいいよ、自分の気持ちを思いっきりさらけ出して、お客さんがそれに反応してくれたときなんか、他には代えられないほどの快感なんだから!」

 

 もっともらしいことを言っている杏だったが、彼女自身は現役時代にそんな風に思ったことは一度も無かった。今の彼女の言葉は、346プロの合同ライブで凛が出番終了後に言っていたのを憶えていただけである。

 しかしそんな言葉でも、輝子には効果抜群だったようだ。

 

「……わ、私なんかでも、なれるのかな……」

「輝子ちゃんだからこそ、杏は声を掛けたんだよ。――自分がどこまでできるか、試してみない?」

 

 杏の言葉に、輝子は顔を俯かせて考え込んだ。おそらく今の彼女の脳内では、様々なことが目まぐるしく駆け巡っていることだろう。

 やがて、輝子が顔を上げた。その表情は今までの劣等感に溢れたにやけ顔などではない、思わず杏も目を惹くほどに決意を秘めた凛々しい顔つきである。

 

「杏さん、私、アイドルに――」

「あった――――! やっと見つけたよ、色紙! いやぁ、まさか物置を全部ひっくり返すことになるなんてね! というわけで双葉杏さん、お願いだからここにサインを書いてちょ……うだ……い……」

 

 もの凄いテンションで店に戻ってきた店員が杏に詰め掛け、そして何やらシリアスな雰囲気になっていたことを悟ったのか、みるみるテンションが落ちていった。

 

「……あの、もしかして、やっちゃった……?」

「うん、やっちゃったねぇ……。しかも最悪のタイミングで」

「……フヒ」

 

 何とも間の抜けた雰囲気の中、星輝子はアイドルになることを決意した。



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第4話 『才能』

「ねぇねぇ、昨日のテレビ観た?」

「観た! 美嘉ちゃん、凄く格好良かったぁ!」

「莉嘉ちゃんも可愛かったし! やっぱ“ファミリアツイン”は最高だよね!」

 

 場所は、とある中学校。時間は、ホームルームが始まる前の朝。

 とある教室にて、3人の女子生徒が入口を塞ぐように(たむろ)してお喋りしていた。教室に響くほどの大音量だが、教室にいる他の生徒も似たような感じで談笑しているので咎める者はいなかった。

 

「ああもう、美嘉ちゃんも莉嘉ちゃんも可愛すぎ! しかもファッションとか超イケてるしぃ!」

「あれで私達とほとんど同い歳なんだから凄いよねぇ! あれだけ人気もあったら相当稼いでるだろうし、本当に才能って持ってる人は持ってるんだねぇ……」

「本当だよ、アタシなんて全然冴えない生活送ってるっていうのに……」

「そんなことないってぇ! ユリすっごい可愛いんだから、アイドル目指せば良いじゃーん!」

「そうだよぉ! “ファミリアツイン”って346プロって所に所属してるんだっけ? そこのオーディション行ってみれば良いじゃーん! ユリだったら、絶対にすぐトップアイドルになれるよ!」

「何言ってんのよ2人共ー! そんなわけないでしょ、もー!」

 

 2人に褒められて口では否定している様子のユリだったが、その表情はまんざらでもない雰囲気がありありと滲み出ていた。確かに彼女は他の2人よりも顔が整っており、普通の同年代と並べたら人の目を惹くくらいには容姿が優れていると言えるだろう。その容姿も相まって、彼女はクラス女子の中でも中心的な立場にいる。

 だがせっかくのその顔も、何やら気配を感じて後ろを振り返った途端、醜悪に歪められた。

 

「何、星さん? 黙って後ろに立ってるとか、気持ち悪いんだけど」

 

 そこにいたのは、引きつった笑みを浮かべる輝子だった。142センチと小柄な体躯をしているため、彼女が顔を俯かせるとユリからはその表情が完全に見えなくなる。

 

「いや、その……、教室に入りたいんだけど……」

「あぁ? 別にここじゃなくて、前から入れば良いでしょ。そんなことも思いつかないの?」

「フ、フヒ……、ご、ごめん……」

 

 輝子は頭を下げるとすごすごと引き下がり、言われた通りに前のドアから教室へと入る。

 そしてそんな彼女の姿を、3人が蔑んでいることを隠しもしない下品な笑みで眺めていた。

 

「本当、星さんっていっつも暗いわよねぇ」

「“星が輝く子”とか言いながら、全然輝いてねぇじゃんってね」

「アッハッハッハッハ! 完全に名前負けしてんじゃないの!」

「まったく、ユリを見習えとは言わないけどさぁ、もっと性格どうにかならないの? 笑い声とかキモいし」

「ねぇ、知ってる? あいつってキノコが好きらしいわよ? この前図書室でにやにやしながら図鑑眺めてるの見たわ」

「マジで? うわ、引くわぁ」

 

 3人は自分達だけの中で会話をしているのかもしれないが、元々周りを気にせずに大声で話す癖がついているせいで、本人の輝子にもその会話はばっちり聞こえていた。そしてクラスメイトもそれに気づいているだろうに、ちらちらと輝子の方を見遣るだけで3人を止めようとしない。

 

「…………」

 

 そして自分の席に座っている輝子は、そんな会話に対して何の反応も見せず、自分の腕を枕に机に顔を突っ伏していた。普段教室にいるときの彼女の基本体勢であり、どんな会話が聞こえようと彼女はこれでやり過ごしてきた。

 

「……フヒ」

 

 いつものこと、と輝子はホームルーム開始のチャイムが鳴るまでそのままだった。

 

 

 *         *         *

 

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

 腹の底からすべてを吐き出す勢いで声を絞り出し、ピックを持った右手を限界まで高速で往復させる。ピックが引っ掻いた弦から送られる電子信号がアンプへと送り出され、輝子の叫び声に追従する金切り声のような音が部屋全体に響き渡った。普段は単なる“音”でしか認識されない声や音色も、輝子の手に掛かれば空気を振るわせて伝わる振動であることを聞く者にその身で実感させることができる。

 

「いやぁ、やっぱり輝子ちゃんをスカウトしたのは間違いなかったねぇ」

「うう……、確かに輝子ちゃんは凄いですけど、ナナの体にこの音はちょっときついです……」

 

 現在輝子がいるのは、杏が劇場予定地として確保してある雑居ビルの地下室である。そして彼女がここにいるということは、当然ながら杏や菜々もそこにいるということであり、杏は楽しそうに笑いながら拍手を、菜々は苦しそうにしながらも拍手を贈っていた。

 

「フヒヒ……、あ、ありがとう……」

 

 そして拍手を贈られた輝子は、にへら、という擬音が似合いそうな気の抜けた笑顔を浮かべ、照れたように頭を下げた。

 

「それにしても輝子ちゃん、何か今日の演奏はいつもより気合いが入ってるような気がしたんだけど、何かあったの?」

「……べ、別に何も無かったぞ?」

 

 杏の言葉で輝子の脳裏に今朝の学校の出来事が浮かんだが、傍目には“何も起こっていない”ので嘘は言っていない、と輝子は自分に言い訳しながらそう言った。

 

「ふーん、まぁ良いか。――やっぱり輝子ちゃんは普通のアイドルみたいに踊ったりするよりも、そうやってギターを持って歌った方が良いね。曲も輝子ちゃんの好きなメタル路線で行こう」

「フヒ……、い、良いのか……? アイドルがこんな曲で……」

「良いじゃん、個性があって。ていうか、最初からそのつもりでスカウトしたんだから」

「……フヒ」

「ふふ、輝子ちゃん、照れちゃって可愛いですね」

 

 杏の言葉と菜々の追撃により、輝子の顔は真っ赤に染まりきっていた。輝子は顔を俯かせて、にやにやと口角の上がる口元を手で覆い隠している。

 と、そのとき、

 

「――――ん?」

 

 ふいに杏が入口へと顔を向けた。菜々と輝子がその行動に首をかしげるが、すぐに入口から誰かの足音が聞こえてきたため杏と同じように入口を見遣った。リズミカルに外の階段を下りていくその足音は、テンポが速く軽い音ながらも力強さを感じる。

 やがて入口のドアの前に、誰かがやって来た。そのシルエットはとても大きく、軽く見積もっても180台後半は確実に行っているだろう。

 

「……あれ、もしかして……」

 

 そしてそのシルエットに心当たりがあるのか、杏が何かに気づいたように声をあげたが、その声は直後にドアを開けて入ってきた人物に掻き消された。

 

「にょわ――――! 杏ちゃ――――ん! 会いたかったにぃ!」

 

 部屋に入ってきた女性――諸星きらりは、その瞬間杏に向かって一直線に駆け寄り、彼女が反応する前に抱き上げてその身に抱き寄せた。まるで自分の体に取り込もうとするかのような勢いで彼女を抱きしめ、体全体で彼女に対する愛おしさを表現しているようである。

 だが忘れてはならないのは、彼女は190センチに到達するほどに大柄であり、杏は140センチにも満たない超小柄な体だということだ。

 

「え? あ、あの! 杏ちゃんが大変なことに!」

「フヒ……! え、ええと……!」

「んにぃ? ――あぁ、杏ちゃん! ごめんねぇ!」

 

 自分の腕の中で杏がぐったりとしているのを見て、きらりが慌てて彼女を解放した。杏は床にべちゃりと倒れ、「死んだはずのお爺ちゃんが見えた……」と呟きながらゆっくりと立ち上がった。

 

「んで、どうしてきらりがここに来たの? というか、どうしてここが分かったの?」

「杏ちゃんがお仕事始めるって聞いて、きらり居ても立ってもいられなくて、色んな人に聞いて回ってたんだよぉ! そしたらきらりのお店の店員さんが、この辺りで杏ちゃんみたいな人を見掛けたって言ってたから、もしかしたらって思ったんだぁ!」

「あぁ、そういえばここからきらりの店って結構近かったっけ……」

「思わぬところから居場所がばれちゃいましたね」

 

 とはいえこの建物だと確定できる情報ではないし、きらりが来たこの時間に杏がいたという保証は無い。もしかしたら何日も同じ場所を懸命に探していたのかもしれないが、それでもこうして会えた時点でもの凄い巡り合わせだ。

 

「というか、普通に杏に電話で聞けば良かったのに」

「……だってだってぇ、杏ちゃん、忙しいかもしれないでしょ?」

「……別にきらりと電話する時間くらいあるんだから、変に気を回さなくて良いんだよ」

 

 居心地悪そうにそっぽを向いてそう言う杏だったが、その視線の先では菜々と輝子が何か言いたげにニヤニヤと笑みを浮かべていたため、杏は改めて逆方向にそっぽを向く羽目になった。

 

「んでんでぇ、この2人が杏ちゃん所の新しいアイドルかにぃ?」

 

 そしてきらりはそんな杏に何も言わず、まじまじと菜々と輝子を観察し始めた。菜々も輝子も140センチ台と小柄な体格なので、190センチのきらりに迫られた2人は圧倒されて顔を引きつらせていた。もちろん、あの“奇跡の10人”の1人であるきらりと顔を合わせる緊張もある。

 

「は、はい! 安部菜々といいます! よろしくお願い致します!」

「ほ、星輝子……! よ、よろしく、お願いします……」

 

 2人が自己紹介をして頭を下げると、

 

「うっきゃあ! 2人共、すっごく可愛いにぃ!」

「ひぃっ!」

「フヒッ!」

 

 きらりはいきなりそう叫んで、がばりと勢いよく2人を抱きしめた。肉食動物が草食動物を補食するかのごとき素早い動きに、2人は目の前にいたにも拘わらずまったく反応できなかった。そして突然のことに驚いて身を捩らせるも、まるでコンクリートにでも固められたかのようにまったく動かない。

 

「はいはい、きらり。2人が可愛いのは分かるけど、そろそろ離さないと気絶しちゃうよ」

「うぅ……、またやっちゃったにぃ……。2人共、ごめんね?」

「はぁ……はぁ……、い、いえ……、気にしないでください……」

「……フヒ、うん、大丈夫……」

 

 口ではそう言ってる2人だが、体力を消耗させてぐったりとしているのは明らかだった。

 

「ねぇねぇ杏ちゃん、ここが杏ちゃんの事務所?」

「事務所っていうか、ここに劇場を作るんだよ。んで、菜々さん達にライブをしてもらうの」

「うっきゃあ! それ、すっごく面白そう! もしできたら、毎日観に行くよぉ!」

「いや、きらりも自分の仕事とかあるだろうし、それにライブだって土日くらいだからね」

 

 初めて杏の口から聞かされた劇場の仕様に、菜々が納得するように頷いた。

 

「確かに、輝子ちゃんはまだ中学生ですからね。授業のある平日に休むわけにもいきませんし」

「……フヒ、ご、ごめんな、菜々さん……。私のせいで、休日にしかライブができなくて……」

「いえいえ、輝子ちゃんが謝ることじゃありませんよ! 平日に溜め込んだエネルギーを、休日に爆発させれば良いんですから!」

「そうだよ、輝子ちゃん。それに毎日ライブをしたところで、菜々さんじゃ体力が保たないよ」

「な、何を言ってるんですか杏ちゃん! そ、その、が、頑張ればナナだって、ほら……!」

「そこは嘘でも断言するところでしょ……」

 

 あからさまに狼狽える菜々に呆れながら、杏は頭の中で考え込んでいた。

 確かに休日だけライブという日程にしたら、平日に菜々が暇を持て余すことになる。その分をレッスンに当てるという考えもあるが、せっかくの時間をそれだけに費やすというのも勿体ない。

 何か良い考えは無いものか、と杏が考えていると、きらりが満面の笑みを浮かべて、すすす、と杏の傍へと寄ってきた。

 

「んでんで、杏ちゃんはアイドルとしてステージには立たないの?」

「杏が? そんなの嫌に決まってんじゃん。杏の代わりに働いてもらうために、2人をアイドルにするんだよ? 杏がアイドルに戻ったら本末転倒じゃん」

「ちぇー。また杏ちゃんと一緒にお仕事できるって思って、すっごーく嬉しかったのになぁ」

 

 口を尖らせて不満をアピールするきらりに、杏はちらりと彼女を見遣るだけで特に何も言わなかった。

 しかしきらりはそれを気にする様子は無く、

 

「ねぇねぇ、杏ちゃん? いつから劇場はオープンするの?」

「うーん……、当分は先になるかなぁ……。色々と準備しなきゃいけないし」

「準備?」

「うん。ライブのスタッフとか集めなきゃいけないし、衣装も用意しなきゃいけないし……」

「衣装だったら、きらりが作ってあげるよ?」

「きらりの作る服って、可愛いやつが多いでしょ? 菜々さんはともかく、輝子ちゃんはそういう路線じゃないよ?」

「だいじょーぶ! お客さんのリクエストに応えるのが、きらりの役目だにぃ!」

 

 自信満々に胸を叩くきらりの姿に、杏は素直に感心したように頷いていた。

 

「でも一番の問題は、やっぱり曲だよなぁ……」

「曲?」

 

 杏の言葉にきらりだけでなく、菜々や輝子も彼女へと顔を向ける。

 

「やっぱし一番重要なのって、曲でしょ? そりゃ衣装とかライブの演出でお客さんを呼び込むこともできなくはないけど、それだってある程度曲の完成度があって成立するものだし。それにライブをするからには、それなりの時間を保たせるくらいに曲の数を揃える必要があるしね」

「李衣菜ちゃんに作ってもらう?」

「うーん、やっぱりそれが現実的かなぁ……。1回李衣菜に会って打合せしておこうかな……」

「あ、あの……」

 

 そのとき、おずおずと輝子が手を挙げた。3人が一斉に彼女へ顔を向けたため、「フヒィッ!」と驚きの声をあげた。

 

「どうしたの、輝子ちゃん?」

「あ、あの……、その曲って……、じ、自分で作ることはできないのか……?」

「作る……って、まさか輝子ちゃん、自分で曲を作れるの?」

「う、うん……。単なる趣味で、人に聞かせられるものじゃないかもしれないけど……」

 

 自信なさげに、後半につれてどんどん声が小さくなっていくが、それを聞いた3人は一様に驚きの表情を浮かべていた。

 

「うっきゃあ! 輝子ちゃん、凄いにぃ!」

「自分で作れるんだったら、そっちの方が助かるよ。人に頼むより安く済むし」

「フ、フヒ……、そうか……」

「それで、その曲って聞くことはできる?」

「……えっと、自分の部屋にデータがあるから、一旦家に帰らないと……」

「よし、今から輝子ちゃんの家に行こう」

 

 即決だった。

 

「フヒ……! い、今からか……?」

「今からだと、さすがに親御さんの迷惑になりませんか?」

「あ、そ、それなら大丈夫……。今日は2人共、帰りが遅くなるらしいから……」

「おお、それは都合が良い。今からみんなで輝子ちゃんの家に行って、輝子ちゃんの曲をチェックしよう」

「すっごーい! 杏ちゃんがやる気満々だにぃ! アイドルのときにも、こんなにやる気になったことないのに!」

「余計な言葉だよ、きらり。まぁ、否定はできないけど……」

「それじゃよろしくお願いしますね、輝子ちゃん!」

 

 あっという間に輝子の家庭訪問が決まっていく中、

 

「……自分の部屋に人が来るなんて、こ、これがリア充か……!」

 

 1人顔を俯かせて、にやにやと笑みを浮かべていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 輝子の家は、ごく普通の住宅地に建てられたごく普通の家だった。周りの家と外観も大きさも特に変わったところはないし、玄関を潜ってからもその印象は変わらない。

 

「こ、ここが私の部屋だ……」

 

 輝子は2階の一番奥のドアに杏達3人を案内すると、おもむろにズボンのポケットに手を突っ込んで何かを取り出した。それは鍵であり、ドアノブの鍵穴にそれを差し込んで捻ると、がちゃりと音を立てて錠が外れる。

 

「……輝子ちゃん、自分の部屋に鍵を掛けてるんですか?」

「フヒ……、そ、そうだぞ……。部屋の鍵は常に持ってて、絶対に手放さない……」

 

 輝子の言葉に、3人は互いに顔を見合わせて複雑な表情を見せた。しかし輝子がドアを開けて部屋の中へと入っていくので、今は何も言わないことにして彼女の後をついていくことにした。

 そして、

 

「……こ、これは何とも、個性的な部屋ですね……」

 

 一通り部屋を見渡した菜々が、思わず呟いた。

 部屋の大きさ自体はごく普通だが、その中にあるものが何とも異質だった。まず目を惹くのは、壁に立て掛けられている、杏が初めて輝子と会ったときに持っていたエレキギター。机の上にはパソコンがあり、その手前にはキーボードだけではなく、楽器の意味でのキーボードも置かれている。おそらくそれを使って、ギター以外の音色を打ち込むのだろう。

 しかし何といっても特筆すべきは、部屋のあちこちに視線を遣る度に目に入る、様々なキノコグッズだろう。ベッドに置かれたキノコ型のクッションだけでなく、キノコのポスターが壁のあちこちに貼られ、窓際にはガチャガチャの景品らしき小さなキノコのフィギュアが飾られている。

 さらに言うと、そのキノコは椎茸やエリンギのような食用も少しはあるが、その大半はおどろおどろしい見た目をした毒キノコだった。明らかに毒だと分かる赤黒いものや、炎のようにうねうねと空に伸びるもの、さらには思わず目を覆いたくなるほどにグロテスクな見た目をしたものまで多種多様で、部屋の雰囲気を異様なものにするのに一役も二役も買っていた。

 

「……うっきゃあ、輝子ちゃんのお部屋、その……、凄いにぃ……」

 

 普段はパワフルに人を振り回すきらりも、このときばかりはその勢いをまるで失っていた。

 

「あ! で、でもこのキノコのフィギュアは綺麗ですよ! 白くて何だかシュッとしてるし、とても優雅な感じがしますね!」

「フヒ……、さすが菜々さん、お目が高い……」

「おお! 輝子ちゃんでも一押しのキノコなんですね! これって何ですか?」

「それはドクツルタケ……。世界でも中毒死の報告が絶えない代表的な毒キノコだ……。食べると24時間以内に腹痛・嘔吐・激しい下痢を引き起こす……。そして一旦は症状が沈静化して治ったと思わせたところで、24時間から72時間後に、肝臓や腎臓機能障害を引き起こして肝臓をスポンジ状に破壊、内臓をボロボロにして死に至らしめる……。ちょうどキノコ1本分が人間の致死量、しかも遺書を書く時間も与えてくれるという超親切設計の毒キノコだな……」

「ひいぃっ! なんでそんな怖いキノコのフィギュアを飾ってるんですか!」

「へぇ、これがドクツルタケなんだ。名前だけは聞いたことがあるけど、こんな見た目をしてるんだね」

「ちょっ! なんで杏ちゃんは平気な顔してるんですか!」

 

 平然とした表情でそのフィギュアを眺める杏に、すっかり怯えてしまった菜々が声を荒げる。

 

「いや、そりゃ怖い毒キノコかもしれないけど、所詮は作り物でしょ? 別に死ぬわけじゃないんだから、そんなに怖がることないじゃん」

「フヒ……、だったら、本物、見る……?」

「……え? 本物って?」

 

 杏が尋ねると、輝子は意味深な笑みを浮かべながらクローゼットの方へと歩いていく。

 そして彼女がそのドアを開けた瞬間、

 

「ひぃっ!」

「うわっ!」

「うきゃあ!」

 

 3人は一斉に悲鳴をあげた。

 クローゼットの中にぎっしりと詰まっていたのは、様々な種類のキノコだった。鉢に生えたキノコから丸太に生えたキノコまで豊富なラインナップを揃えており、ドアを開けた瞬間に腐った木の匂いやムワッと来るじめじめした空気などが杏達に襲い掛かる。

 そしてそのキノコの中に、先程フィギュアで見掛けたドクツルタケもあった。

 

「フヒ……、これが、ドクツルタケだよ……」

「……ま、まさしくフィギュアそのまんまですね……」

「でもでもぉ、こうして見ると結構綺麗だにぃ……」

「……確かに綺麗だけど、これ、毒キノコなんだよね?」

「洒落じゃ済まないほどの猛毒だ……。間違っても、食べてみようなんて思わない方が良い……」

 

 3人はこのときになってようやく、輝子が自分の部屋に鍵を掛けている意味が分かった。親などが部屋に入ってきて、万が一にもこうした毒キノコが口に入るのを防ぐためだったのである。

 

「フヒ……。で、でも……、一人で集中したいときとかでも、結構鍵を閉めてるけどな……。曲を作ってるときとか……」

「というか、その曲を聴くためにここに来たんだった。危うく忘れるところだったよ」

「うっきゃあ! 輝子ちゃんの曲、すっごい楽しみだにぃ!」

 

 いよいよ輝子の曲が聴けるということで、きらりが興奮したように声をあげた。パソコンを立ち上げて色々準備している輝子を、“わくわく”といった擬態語が今にも聞こえてきそうな様子で眺めている。

 そしてそれを見ていた菜々が、こっそりと杏に近づいて耳打ちする。

 

「あの、杏ちゃん。きらりさんって、輝子ちゃんがどんな曲をやるか知らないままですよね?」

「うん、そうだね。でも何か面白そうだから、このままにしておこう」

「杏ちゃん……」

 

 菜々が呆れ果てたそのとき、輝子の準備が終わった。

 

「フヒ……、準備、できたぞ……」

「おおっ、それじゃさっそく聴かせてー」

「わ、分かった……」

 

 輝子が再生ボタンをクリックする。そして部屋に流れたのは、不穏な雰囲気を漂わせるベース音とバスドラムだった。

 

「……あれ?」

 

 輝子の見た目からもっと可愛らしいポップなものを想像していたきらりは、思っていたのと違うイントロに首をかしげる。

 そして、次の瞬間、

 

『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』

「――ひぃっ!」

 

 空気を切り裂くようにして突如鳴り響いたギターとシャウトに、きらりはビクゥン! と思いっきり体を跳ねさせて驚いていた。それを隣で見ていた杏がしてやったりといった笑顔を浮かべ、さらに隣にいた菜々がそんな杏を見て大きな溜息をついていた。

 やがて前奏が終わり、輝子の歌声が流れてきた。同年代の少女に比べると声が低く、重低音がしっかり効いている伴奏と合わせても浮いた印象は無い。そしてそんな声から放たれるのは、常に誰かと連んで孤独な人間を見下している奴らに対する恨みや妬みや皮肉などが、一切オブラートに包まれることなく、しかしけっして安直な言葉を使うことなく描かれている。好き放題叫んでいるように思わせて、韻のつけ方や言葉遊びなどがしっかりと練られている。

 はっきり言って、素人のレベルを超えていた。しかもこれを作ったのが僅か15歳の少女というのが、彼女の才能の末恐ろしさを感じさせる。

 やがて数分間の曲が終わり、部屋に再び静寂が戻った。

 

「……ど、どうだった?」

 

 曲の再生中ずっと画面を凝視していた輝子が、恐る恐る振り返って感想を求めてきた。

 そしてそんな彼女に対して、真っ先に口を開いたのは、

 

「うっきゃあ! 輝子ちゃん、これすっごいよぉ!」

 

 意外なことに、きらりだった。勢いよく輝子に飛びつき、自分の感情をぶつけるように力強く抱きしめる。

 

「フヒィッ!」

「えっと、きらりさん……。その辺で……」

 

 菜々がきらりの肩を掴んで優しく引っ張ると、きらりは渋々ながらも輝子を解放した。

 

「輝子ちゃん、すっごく良かったよ! 何かこう、体の奥からグワー! って湧き上がってきて、ドッカーン! ってなる感じぃ!」

 

 それでも興奮は収まっていないようで、全身で感情を表現するかのように腕を振り回して感想を口にする。

 

「きらりは歌詞みたいなことを思ったことは無いけど、でもでも、ああいう風に思ってる人がいるっていうのは分かるよぉ? だから輝子ちゃんもこんな風に思うのかなぁって、胸がぎゅーって苦しくなったにぃ! でもそれだけじゃなくて、ドッカーン! って爆発させる感じが、すっごく気持ち良かったにぃ!」

「うんうん、私もその気持ちが分かります! メタルって聴いたことありませんでしたけど、何だかこう興奮してきますね! 熱狂する人がいるのも分かる気がしますよ!」

「フ、フヒ……、ありがとう……。あ、杏さんは、どうだった……?」

 

 輝子が尋ねた後も、杏は演奏が終わったときの気難しい表情で黙り込んだままだった。

 

「……杏さん?」

「杏ちゃん? 何か気になることでも?」

「え? あ、いや、問題とかそういうんじゃないよ? 曲も凄く良かったし、このままライブで披露しても全然問題無いよ。――杏が気になってるのは、むしろ自分に対してっていうか……」

「自分に対して?」

「うーん、何ていうか……。これだけ才能のある輝子ちゃんがこれから先どうなるか、それって杏の手に掛かってるわけでしょ? もちろん輝子ちゃんだけじゃなくて、菜々さんもそうなんだけどね。自分の手に2人の人生が掛かっているんだってことを改めて自覚したら、今になってプレッシャーになってきて……」

「杏ちゃん……」

 

 不安で表情を曇らせる杏という姿は、きらりでさえ見たことが無いものだった。アイドルデビューしてからほとんど下積みを経験することなく売れた杏は、失敗したときの責任というものをほとんど感じることなく過ごしてきたのである。

 そんな彼女の頭を優しく撫でるのは、きらりだった。

 

「杏ちゃん、きらりもね、新しくお店を始めるときは不安だったんだよ?」

 

 きらりはアイドルとして大ブレイクを果たし、一時期は杏ともバラエティ番組で名コンビを発揮するほどであったが、現在は長身を活かしたファッションモデルの仕事だけでなく、自分がデザインした服を販売するアパレルショップの経営も行うようになった。現在は全国に幾つもの店を構えるほどの人気を博し、本社ビルが346プロの敷地内に建てられるほどの力の入れようである。

 

「きらりのお店を作るとき、すっごーくたくさんの人が協力してくれたんだぁ。もしお店が失敗しちゃったら、その人達にもすっごく迷惑が掛かっちゃうでしょ? アイドルのときにも色々な人が協力してくれたけど、お店の経営ってもの凄く責任のあるお仕事だと思うんだぁ」

「…………」

「でも、だからこそ、そのお仕事を一生懸命やらなくちゃいけないと思うんだぁ。きらりも一生懸命頑張って、お店にいーっぱいお客さんが入ってくれたのを見たとき、嬉しくて泣いちゃったんだぁ。杏ちゃんにも、そんな“嬉しい”って気持ちを味わってほしいなぁ」

「……一生懸命頑張る、か。杏が一番嫌いな言葉だね」

 

 その言葉を聞いてきらりが表情を曇らせるが、杏の表情を見てそれはすぐに笑顔へと変わった。

 彼女の表情は、アイドル時代によく浮かべていた得意満面の笑み――いわゆる“ドヤ顔”だった。

 

「でも杏は、自分の劇場を成功させるつもりだよ。杏なりのやり方でね」

「……そうですね! ナナも微力ながら、お手伝いさせていただきますよ!」

「わ、私も! 杏さんの期待に応えられるように頑張る!」

 

 力強く拳を握りしめる菜々と輝子の姿を、きらりはとても嬉しそうに、そしてほんの少しだけ寂しそうな笑顔を浮かべて眺めていた。

 

 

 *         *         *

 

 

「あー、だるっ。塾とか超めんどくさー」

「本当、かったるいよねー」

「ねーねー、この後どっか遊びに行かない? どうせ明日学校休みだし」

 

 すっかり日も暮れて空が真っ黒に染まった頃、ユリとその友人2人が横に並んで歩いていた。狭い歩道でそんなことをしているものだから、周りの通行人が非常に迷惑そうに彼女達を睨みつけているが、3人はそのことにまったく気づいていない。

 

「あーあ、受験とか超怠い! 本当にアイドルになっちゃおっかなー」

「なっちゃえなっちゃえ! ユリだったらまじでトップアイドルになれるって!」

「そうそう! そんなに可愛いんだからさ!」

「えー、まじでー? そんなに言ったら本気に――あん?」

 

 にこにことご機嫌な笑みを浮かべていたユリだったが、何かに気づいたように前へ目を凝らした途端、その表情は不機嫌そうに歪められた。

 

「どうしたの、ユリ?」

「ん」

 

 その表情のまま前を指差すユリに倣って前方を見遣ると、見知った後ろ姿が見えた。

 銀色のような灰色のような長い髪は、紛れもなく輝子のものだった。

 

「……へぇ、学校ではいつもぼっちのくせに」

 

 そして彼女の周りには、3人の人物がいた。背の低い彼女よりもさらに低い女性と、それより少しだけ背の高いポニーテールの女性、そして飛び抜けて背の高い女性だった。

 ユリ達3人は互いに顔を見合わせると、にやぁっと意地の悪い笑みを浮かべた。足音を立てないようにこっそりと歩きながら、輝子の背中へと近づいていく。

 そして、

 

「あっれー? 誰かと思ったら星さんじゃーん? こんな所で何してんの?」

「誰かと一緒なんて珍しいじゃーん! 学校ではいっつもぼっちなくせに!」

「ねーねー、私達にも紹介してよー!」

「フヒッ!」

 

 代表してユリが輝子の背中にタックルする勢いで抱きつくと、輝子は悲鳴をあげて仰け反った。彼女のその反応に、周りにいた3人の女性が不思議そうに後ろを振り返る。

 

「あれぇ? 輝子ちゃんのお友達かにぃ?」

「あ、どうも初めまして-! 私達、星さんのクラスメイ……ト……で……」

 

 一番背の高い女性に挨拶しようとしたユリだったが、その女性の顔をじっと見ている内にその勢いがみるみる萎み、顔を引き攣らせていく。

 

「え……、ま、まさか……、諸星きらり……?」

「え! 嘘! なんでこんな所に!」

「んー? 何、輝子ちゃん? この子達、輝子ちゃんのクラスメイトなの?」

「って、こっちはもしかして双葉杏! え! なんで引退したアイドルがここにいるの!」

「んで、こっちにいるのが……誰?」

「いや、そりゃナナを知らないのは当然ですけど……」

 

 いくら2人がサングラスを掛けているとはいえ、片や身長190センチ、片や140センチ未満という特徴的な体格に加え、手を伸ばせば届く距離まで近づいたらさすがに気づいたようだ。最初は輝子をからかうつもりだった3人も、思わぬ大物の遭遇に完全に萎縮してしまっていた。

 

「んで、輝子ちゃん。友達?」

「フヒ……、ち、違う……。友達って言ったら、怒られる……」

「――ちょ、ちょっとー! 輝子ったらー、何そんな冗談言ってるのよー!」

「そうそう! 私達、学校ではいつも一緒じゃーん!」

「そ、それでさ! なんであん……輝子はこの2人と一緒に歩いてたのよ! ていうか、どういう関係よ!」

 

 途端に不自然な笑みを浮かべて馴れ馴れしく輝子に抱きつくクラスメイトに、輝子は不審を通り越して恐怖を感じて縮こまってしまっていた。

 それを見た杏は「ああ、成程ね……」と何かを察したようで、

 

「そりゃ、輝子ちゃんは杏がアイドルとしてスカウトしたからね。あ、これ、あまり言い触らさないでね」

「は、はぁっ! な、なんでこんな奴がアイドルに……!」

「もちろん、ティンと来たからさ」

 

 杏の言葉に、ユリは納得できないといった感じで輝子を睨みつけていた。卑屈っぽくニタニタと笑う輝子から、アイドルのイメージがまったく湧かないのだろう。

 

「ほら、ユリ! チャンスじゃん!」

「そうだよ! ここで2人にアピールしとけば、アイドルになれるかもしれないよ!」

「そうそう! あいつをスカウトするくらいなんだから、ユリなら余裕だって!」

 

 後ろの友人達に背中を押され、ユリが1歩杏の前へ躍り出た。さすがに昔一世を風靡したアイドルを目の前にしているだけあって、普段の勝ち気な性格もなりを潜めている。

 

「何々、アイドルになりたいの?」

「え、えっと……! どうも、初めまして! ユリって言います! アイドル……には興味があります! よろしくお願いします!」

「うんうん、よろしくー!」

「ふーん……」

 

 ユリの自己紹介にきらりは元気よく挨拶を返し、杏は値踏みするようにじっと見つめている。

 

「この子、すっごく可愛いでしょ! もう学校でも人気なんだから!」

「そうそう! そいつなんかよりも、ずっとアイドルに向いてると思うし!」

 

 その間にも、後ろの友人2人の援護射撃が行われていた。そして引き合いに出された輝子がぴくりと反応し、横で菜々が心配そうに視線を向けている。

 やがて杏はポケットに手を突っ込んで、何かを探すようにがさごそとまさぐった。そして菜々に「手帳と書く物持ってない?」と尋ね、呆れたような表情を浮かべる彼女から紙とペンを貰うと、さらさらと何かを書き殴ってそれをユリに渡した。

 

「346プロって知ってる? 杏が昔所属してた事務所で、きらりが今もいる所なんだけど」

「は、はい! 知ってます!」

「そこに住所を書いておいたから、時間の空いてるときに訪ねてみると良いよ。いつでもオーディションをやってるから、見込みがあれば候補生になれると思う」

「――はい! ありがとうございます!」

 

 ユリは嬉しそうに頭を下げると、後ろにいた2人と一緒にその場を離れていった。だんだんと小さくなっていく彼女達の会話を聞いてみると、「ユリなら絶対受かるって!」とか「あいつより絶対売れるから!」とか「そもそもあいつ、アイドルなんてやれんの?」とか喋っていた。

 

「さてと、さっさとどっかの店に入ろうよ。お腹空いちゃった」

 

 そして杏はそんな彼女達にまるで興味が無いように、くるりと反転して歩き出した。きらり達3人が慌てたように彼女の後を追い掛ける。

 

「フヒ……、杏さん、スカウトしないのか?」

「うん。ティンと来なかったから」

「……あの子、アイドルになれますかね?」

「さぁねー。プロデューサーがどう判断するかだけど……、ちょっと厳しいかもなぁ」

「うにぃ? どうして?」

 

 きらりが首をかしげて尋ねると、杏は意地の悪い笑みを浮かべてこう言った。

 

 

 

「だって杏、もうあの子の顔を憶えてないもん」



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第5話 『仲間』

 平日には制服を着た学生やらスーツを着た会社員やらで真っ黒になる駅も、休日となるとカジュアルなファッションで着飾る若者や家族連れなどでカラフルな色合いになっている。とはいえ、どちらも人が多く行き交うことに変わりはなく、人混みを嫌う杏にとっては息苦しい空間でしかない。早朝に出掛ければもっと空いているのかもしれないが、いくら人混みを避けるためとはいえ早起きするなんて杏にとっては苦行以外の何物でもない。

 

「まぁ、そんなに急ぐ旅でもないし、のんびり電車旅行を楽しもっか」

 

 4人掛けのボックス席、そこの窓際に座る杏がそう話し掛けるが、返事は無かった。杏は不思議そうに首をかしげて、珍しすぎる彼女の遠出に同行しているはずの菜々と輝子を見遣る。

 小柄な彼女達なら新幹線の座席とはいえ充分なスペースがあるにも拘わらず、2人は緊張でガチガチに体を強張らせて縮こまっていた。せっかく買った駅弁や飲み物にも手をつけず、先程から思い詰めた表情でじっと床だけを見つめている。

 

「……もう2人共、いつまでそうしてるつもり? まだまだ目的地までは遠いんだから、今からそうしてたら身が持たないよ」

「わ、分かってはいるんですけどね……。やっぱり真剣にアイドルを目指していた身としては、今から“奇跡の10人”の1人に会うと思うとつい緊張してしまって……」

「フヒ……、しかもただ会うんじゃなくて、その人の“自宅”に押し掛けるっていうのは、ぼ、ぼっちの私にはレベルが高すぎるぜ……」

「大丈夫だって。“押し掛ける”って言ってもちゃんと事前に話は通してるし、それに今から会うのは李衣菜だよ? 本人には悪いけど、正直そこまで緊張するほどかというと……」

 

 本人には絶対に聞かせられない杏の言葉に、菜々はズイッと杏に顔を近づけて、

 

「もう! 杏ちゃんにとってはそうかもしれませんけど、ナナにとって李衣菜ちゃんは憧れの存在なんですからね! ライブのときの李衣菜ちゃんは、それはそれは凄いんですから!」

「わ、私は生で観たことは無いけど、DVDは持ってるぞ……。あ、あんなに可愛いのに、曲が始まると凄く格好良くなるんだな……。思わず夢中になった……」

「おおっ! さすが輝子ちゃん、分かってくれますか! ちなみに輝子ちゃんはどの曲がお気に入りですか! やっぱりナナとしましては――」

 

 にこにこと笑いながら話し続ける菜々に、話し掛けられることに慣れてないからか戸惑いながらも懸命に相槌を打つ輝子の姿を眺めつつ、杏はぼんやりと李衣菜のことを頭に思い浮かべた。

 多田李衣菜は杏と同じ時期に346プロからデビューし、“奇跡の10人”と呼ばれるほどにブレイクしたアイドルである。デビュー当時から音楽方面の才覚が開花しており、自身の楽曲はもちろん他のアイドルの楽曲も手掛けるなど、その活躍振りは他の“奇跡の10人”の中でも一際異彩を放っていた。その可愛らしい見た目とライブのときの格好良さから、男性だけでなく女性にも熱狂的なファンが数多くいる。

 ここまで聞くといかにも天才的なカリスマミュージシャンという印象を受けるが、彼女の評価を一筋縄ではいかなくしているのが、彼女自身の“言動”だった。

 確かに彼女の才能は本物だし、ライブパフォーマンスは目を見張るものがある。しかし普段の言動はそのイメージとはかけ離れた、とても辛辣な言い方をしてしまうと“ポンコツ”だった。

 本人は“自分はいかにも音楽に詳しいです”といった口振りだが、いざ好みの音楽を訊かれるとまったく答えることができない。自分はロックを目指していると常々言ってはいるが、何をもってして“ロック”なのかが非常に曖昧で、巷でロックと評される様々な言動を表面だけなぞらえて真似してみては周囲を困惑させる、といったエピソードが目立つのである。

 その姿はいかにもロックに目覚めたばかりの中学生のような“にわか”っぷりで、一時期は『実はゴーストライターが曲を作っているんじゃないか』といった噂まで流れるほどだった。しかしだからこそ、多田李衣菜は“カリスマミュージシャン”とは一味違う、“才能もあってパフォーマンスも本格的なのに、まったくカリスマに見られない親しみやすいアイドル”としてお茶の間に浸透していった。

 

 ちなみに現在は346プロ内に設立した自主レーベル“リヰナレコーズ”を活動拠点とし、ソロ活動と楽曲提供の傍ら、346プロからデビューした後輩アイドルと一緒にバンド活動も行っている。しかも彼女は現在、そのバンドメンバーと一緒に共同生活をしているのだという。

 そして今回杏達が彼女の家に向かっているのは、早い話が彼女とそのバンドメンバーに自分達の曲を作ってもらうためである。いくら輝子が曲を作れるからといって、菜々の曲まで彼女に作ってもらうわけにはいかない。ウサミン星人にメタルは似合わないのである。

 

 ――それにしても、“あの”李衣菜が共同生活かぁ……。

 

 そんなことを考えてる杏を乗せた新幹線は、空気を切り裂きながら海へと向かっていった。

 

 

 *         *         *

 

 

 李衣菜の家は地元では有名な高級住宅地にあり、海から程近い小高い丘の頂上に建てられている。ただでさえ普通の家よりも広くて大きい家が建ち並ぶそこで、白を基調とした開放的でおしゃれな外観をしている彼女の家は、はっきり言ってそれらのどれよりも広くて大きかった。

 

「おおっ! いかにも“成功者の家”って感じの家ですねぇ! ……ますます緊張してきましたよ」

「はいはい、良いから深呼吸してー」

 

 杏に言われて菜々が律儀に深呼吸をしている間に、輝子が門扉の脇にあるインターホンを押した。彼女達の背丈の何倍も大きい門扉は細い鉄柱で作られており、鉄柱の間から中を覗き込むと、全力で駆け回れるほどに広い芝生の庭を突っ切るように、石畳のアプローチが玄関まで続いていくのが見えた。

 

『はーい、どなた――双葉杏さん達ですね。話は伺っております、中へどうぞ』

 

 インターホンから聞こえてきたのは、女性にしては低くて凛々しい低い声だった。普段テレビやライブなどで耳にする李衣菜の声はもっと高いので、おそらく彼女と一緒に暮らしているというバンドメンバーの誰かだろう。

 そんなことを考えていると、門扉が自動でゆっくりと開いて杏達を出迎えた。菜々と輝子はそのセレブっぷりにますます圧倒され、そして杏は平然とした表情で門を潜った。

 長いアプローチを歩いて玄関へと辿り着いたそのときを見計らったかのように、玄関のドアが開けられた。しかし今回は人の手によるものであり、中から顔を出したのはリーゼントのように前髪を上げた、一昔前のヤンキーのような見た目をした女性だった。

 

「えっと……、ようこそ双葉さん。他のお2人も、遠慮せずに中へどうぞ」

 

 しかしその見た目とは反して、彼女は真面目な口調で杏達を出迎えた。そして菜々や輝子と同じように緊張しているその様子から、こちらが李衣菜に会うことに緊張していたように、向こうも杏を迎え入れることに緊張していたことが分かる。

 

「あ、もしかして木村夏樹ちゃん? いつも曲聴いてるよー」

「え、本当か! ……ですか! ありがとうございます!」

「ははは、そんな無理して敬語とか使わなくて大丈夫だよ。杏、そういうの全然気にしないし」

「……わ、分かった」

 

 その少女――夏樹は未だに緊張が抜けきらないながらも、先程よりはリラックスした様子で頭を下げた。

 

「うわぁ、本物の夏樹ちゃんです! 初めまして、安部菜々です!」

「ほ……星輝子です。よ、よろしく……」

 

 菜々は満面の笑みで、輝子はおどおどしながら、夏樹に向かって手を差し出した。夏樹は「おう、よろしく」と完全に素の言葉遣いでまずは菜々の手を力強く握りしめる。そして隣の輝子の手に触れた途端、夏樹が驚いたように少しだけ目を大きくした。

 

「……輝子、もしかしてギター弾くのか?」

「フヒ……、わ、分かるのか……?」

「ああ。指の皮膚が硬いからな。しかも相当やり込んでるな」

「おお……さすが」

 

 手を握られながら真正面から褒められたせいか、輝子の頬が紅く染まっていた。

 

「なぁ、後でセッションしようぜ。どんな曲が好きなのかも気になるしな」

「おっ、さっそく輝子に目をつけたねぇ? その子は逸材だよー」

「まじか! こりゃますます期待だな!」

「良かったですね、輝子ちゃん」

「フ、フヒ……」

 

 夏樹から期待の目で見られ、杏から褒められ、菜々から優しい言葉を掛けられ、輝子の顔はすっかり紅くなってしまった。普段から無口なのに、さらに顔を俯かせて口を閉ざしてしまう。

 と、そのとき、杏がふと思い出したように夏樹へ顔を向ける。

 

「そういえば、李衣菜は奥にいるの?」

「ああ、今はリビングにいるよ。ちょうど他のメンバーも――」

「いい加減にしろよ! みんながおまえみたいにできるわけじゃねぇんだよ!」

 

 その瞬間、ドア1枚隔てたリビングの向こうから、若い少女の怒号が聞こえてきた。それを聞いた菜々と輝子はビクッ! と体を震わせ、夏樹は呆れたように大きな溜息をついて、そして杏は面白そうににやにやと笑みを浮かべた。

 夏樹がそのドアを開けると、開放的なリビングが目に入った。外観と同じく白を基調としたそのリビングは、広さにして50畳を優に超え、吹き抜けとなった高い天井にはくるくるとファンが回っている。部屋に並べられた家具も白で取り揃えられており、まるでモデルルームのようなオシャレな空間となっている。

 そしてそのリビングの中心に置かれたテーブルとソファーに、3人の少女と1人の女性が集まっていた。とはいえ、今は少し剣呑とした雰囲気となっている。

 その雰囲気を作り出している張本人は、黒く長い髪を持つ胸のかなり大きな少女。その立ち振る舞いや鋭く睨みつけるその目つきから、昔はかなりやんちゃしていたことが伺える。

 そしてそんな少女を心配そうな表情で眺めているのが、長い茶髪に少しだけ小麦色に焼けた肌が特徴の少女(先程の少女に隠れがちだが、この少女も結構胸が大きい)に、左の側頭部のみを刈り上げた長い金髪という奇抜なヘアスタイルをしたいかにもギャルっぽい少女。

 そして、最初の少女に真正面から睨みつけられながらも、不思議そうに首をかしげて飄々としているのが、薄い色素のショートヘアに他の少女と比べても幼い顔立ちをした女性だった。ともすればこの中で一番年下に見られそうな彼女だが、彼女がこの中で一番の年上である。

 この女性こそが、今回杏達が目的としてここに訪れた多田李衣菜である。

 

「やっほー、李衣菜。もしかして取り込み中?」

「あぁ、杏じゃん! 久し振りー!」

 

 杏が声を掛けると、李衣菜はパァッと晴れやかな笑みを浮かべてソファーから立ち上がり、彼女の下へと駆けていった。彼女を睨みつけていた黒髪の少女が「あっ、おい!」と声を荒げるが、杏達の姿に気づくとばつが悪そうに勢いをすぼめていった。

 

「拓海、お客さんの前でみっともないぞ」

「……おう。騒がしくして、すみませんでした」

「ああ、良いって良いって。それに言葉遣いも無理しなくて良いからね」

 

 丁寧に頭を下げる少女・拓海に、杏は手を横に振りながら先程の夏樹と同じ言葉を掛けた。それを聞いた拓海は、明らかにほっとしたように胸を撫で下ろした。

 ちなみに杏の後ろにいる菜々と輝子の2人は、

 

「わぁ! 本物の李衣菜ちゃんに、“ROCKIN' GIRLS 18”のメンバー全員揃ってますよ……! 凄い……、本当に李衣菜ちゃんの自宅に来たんですね……!」

「フヒ……、凄い……、DVDで観た人が目の前にいる……」

 

 完全にそこら辺のファンと一緒の反応をしていた。

 

「あ、そうだ。李衣菜達に紹介しとかないとね。――ここにいるのが、杏がこれから立ち上げる劇場で働くアイドル候補生の、安部菜々に星輝子ね」

「あ、安部菜々といいます! どうぞよろしくお願いします!」

「ど、どうも……! 星輝子です……!」

「あはは! そんなに固くならなくて大丈夫だってー! 多田李衣菜だよ、よろしくね! バンドではギターをやってます! ――んじゃ他のみんなも、1人1人自己紹介よろしくね!」

 

 李衣菜に言われて、他の4人がぞろぞろと動いて横に並んだ。

 

「さっきも自己紹介したけど、改めて。アタシは木村夏樹。だりーと同じく、バンドではギターをやってるぜ!」

 

 次に口を開いたのは、小麦色の肌をもつ少女。

 

「アタシは松永涼。バンドではベースをやってます。よろしく」

 

 そして、先程李衣菜を睨みつけていた黒髪の少女・拓海。

 

「アタシは向井拓海。バンドではドラムをやってる。よろしくな」

 

 そして最後に、奇抜なヘアスタイルをしたギャルっぽい少女。

 

「やほやほー、藤本里奈だよー。バンドではキーボードやってるんで、よろぽよー」

 

 最後の挨拶にはさすがのバンドメンバーも里奈のことを睨みつけていたが、杏はまったく気にしてない様子で「よろぽよー」と返していた。

 この5人が、現在李衣菜が組んでいるバンド“多田李衣菜 vs. ROCKIN' GIRLS 18”である。

 

「んでんで、さっきは何を揉めてたの?」

「え? いや、それはちょっと――」

「そうそう、聞いてよ杏ー。拓海ったら、私がちょっとお願いしただけですぐに怒るんだよー」

「全然“ちょっと”じゃねぇだろ! さっきも言ったけど、りーなはもう少し人のことを考えろ!」

 

 再び喧嘩が勃発しそうな雰囲気になったところで、杏はこの中では冷静に話してくれるであろう夏樹や涼に話を振った。

 

「杏さん達がここに来るちょっと前まで、アタシ達は新しいアルバムの打合せをしてたんだよ」

「新しいアルバムが出るんですか! やった、凄い情報ゲットしちゃいましたよ!」

「菜々さーん、興奮する気持ちは分かるけど、今はちょっと静かにねー」

 

 杏の注意に、菜々は「あっ、すみません!」と慌てたように頭を下げる。

 

「……で、そのアルバムに収録する曲をメンバーそれぞれで作ってて、さっき何曲出来たかみたいな進捗状況とかを話してたんだよ。そこでちょっと問題になって……」

「問題?」

 

 菜々と輝子が首をかしげる中、杏だけは何かを察したような表情を浮かべ、それでも何も言わずに続きを促した。

 

「アタシ達が作った曲をチェックしてただりーが、アタシ達に『もっと曲作りのペースを上げろ』って」

「あぁ……」

 

 それを聞いた杏の反応は“やっぱり”といった感じだった。

 そして李衣菜が、横から口を挟む。

 

「だってみんな、私が曲を作るペースの“1割”くらいなんだよ! こんなペースじゃ間に合わないって!」

「アタシ達が遅いんじゃなくて、りーなのペースが異常なんだよ! そもそもりーなが設定した締切までの時間が短すぎるのが悪いんだろ!」

「そんなことないって! 別に普通だよ! このままじゃ、せっかくのバンドなのに私が作った曲ばかりになっちゃうよ! それじゃ意味が無いんだって!」

「だったら、もっとアタシ達のペースを考えて仕事のスケジュールを組めって言ってんだよ! アタシ達だってしっかり曲を作りたいんだよ!」

「だったら作れば良いじゃない! 拓海達がペースを上げれば、それで済むでしょ! そっちは4人なんだよ! それなのに、なんでたった1人の私よりも曲作りのペースが遅いの!」

「だーかーらー! みんながりーなみたいにできるわけじゃねぇんだよ! いい加減分かれよ! どんだけ一緒に仕事したと思ってんだよ!」

 

 拓海に怒られてなお、李衣菜はなぜ彼女が怒っているのか本気で理解していないような表情をしていた。杏はそれを見て何だか懐かしい気分に浸りながら、このままではさすがにまずいと思ったのか、そっと李衣菜に近づいていく。

 

「李衣菜、このバンドのリーダーは誰?」

「……私」

 

 杏の優しく語り掛けるような声に、李衣菜は少し不満そうに唇を尖らせながら答えた。

 

「リーダーの役目は、チームを引っ張っていくことでしょ? そのためには、自分のことだけじゃなくて、メンバーのことも考えなくちゃいけないの。――李衣菜は、みんなにどうしてほしい?」

「……もっとみんなに、曲を作ってほしい。最低でも、アルバムの半分くらいはみんなの曲を使いたい」

「だったら、みんなが無理なく曲作りができるように考えてスケジュールを組むべきでしょ? 一定期間仕事を全部キャンセルするとか、今までの曲作りのペースから目標までの期間を逆算するとか。李衣菜は或る意味、このバンドのプロデューサー的な立ち位置にいるんだから、みんなの能力を最大限発揮するためにどうすれば良いか考えなきゃ駄目でしょ?」

「……分かってるけど、私は“今”アルバムを作りたいんだよぉ……」

「李衣菜がソロアルバムを作るときはそれで良いけど、チームとして活動するには自分の都合だけ考えちゃ駄目だよ。――それに李衣菜がバンドを結成したのは、自分でも予測がつかない“化学反応”を起こしたかったからでしょ? だったら、その“思い通りにいかない”っていう状況すらも楽しまなきゃ」

「……うん、そうだよね。――みんな、我が儘言ってごめん」

「お、おう。こっちこそ、怒鳴って悪かったな」

「大丈夫だよ、いつものことなんだから」

「そうそう! だりなさんが我が儘言うのなんて、いつものことなんだからー!」

 

 李衣菜が申し訳なさそうに頭を下げて謝ると、拓海は若干恥ずかしそうに、涼は優しい目で見守るように、里奈は明るい笑顔を浮かべてそれを受け入れた。そんな彼女達を杏の隣で眺めていた夏樹は、杏のことを尊敬の眼差しで見つめていた。

 

「……杏さん、やっぱすげーな」

「別に大したことは言ってないよ、外部の人間が言った方が伝わりやすいってだけ。――まぁ、李衣菜は今までソロしかやってないから、ユニットでの活動がどういうものか分からないんだよ」

 

 李衣菜はデビュー前のときから他の同期と衝突が絶えず、他のメンバーが多かれ少なかれユニットを経験している中、李衣菜だけはずっとソロのみで活動してきた。それは彼女が集団行動に向いていない性格だということを武内が見抜いていたからであり、彼女がバンド活動をやりたいと彼に打診したときも、彼は最後まで悩んだのだという。

 とはいえ、李衣菜としてもただ我が儘に振る舞っていたわけではない。彼女も思うところがあったらしく、彼女なりに他のメンバーと仲良くなろうと色々模索していた。その内の1つが“自分は音楽の知識が無く、誰かにフォローしてもらわなければいけない人間である”とアピールをするというものだった。

 実際彼女は音楽そのものにしか興味が無く、それを歌うミュージシャンや音楽の辿ってきた歴史などには一切関心が無かった。なので彼女の演じていたキャラはあながち間違いではなく、結果的にこれが現在の彼女のイメージを作り上げ、そして人気アイドルへと成長する要因となった。そしてこのイメージが浸透するにつれて、李衣菜は次第に同期の輪の中に溶け込んでいったのである。

 だが、彼女の“本質”は何も変わっていない。ふとした瞬間に先程のような“感覚のずれ”が表面化し、その度に周囲の人間とトラブルになってしまう。

 

「でも最近の李衣菜は、ちゃんと線引きが分かってきたのか知らないけど、そんなトラブルはほとんど無かったんだよ? だから夏樹達と時々ああやって喧嘩になるのは、李衣菜自身がみんなに対して心を許しているからじゃないかな、なんて杏は勝手に思ってるんだけど」

 

 さすがにそれは都合の良い解釈かな、と杏はどこか照れ臭そうに笑みを零した。

 夏樹はそんな杏の姿を見て、そして他のメンバーに頭をわしゃわしゃと撫でられている李衣菜の姿を見て、「そう思ってくれてんなら、嬉しいんだけどな」と杏にしか聞こえない音量で呟いた。

 

 

 *         *         *

 

 

 設立から7年が経った346プロでは、これまで数々のユニットがデビューをした。一定の成功を収めたものから、実験的なものにより僅か1ヶ月足らずで解散するようなものまで、様々なユニットが世間を賑わせている。

 しかし、その中で最も成功したユニットは何かと尋ねられたら、全員が迷うことなく“New Generations”と答えるだろう。

 それは346プロ設立時のメンバーであり、後に“奇跡の10人”に数えられるアイドルである島村卯月、渋谷凛、本田未央の3人によって構成されたユニットである。

 その最大の特徴は何といっても多彩なイメージ戦略であり、アイドルとしてまさに完璧だった卯月、クールな性格で近寄りがたいカリスマ性を持つ凛、皆から親しまれる明るい性格の未央という3人のまったく違うイメージを駆使し、楽曲の度にセンターを入れ替えることで、まるで違うユニットであるかのようにがらりとイメージを変える方法を採った。これにより彼女達は、瞬く間にアイドルシーンのトップへと駆け上がっていったのである。

 こういったまるで個性の違うメンバーによるユニットというのは、ともすれば目指している方向性の違いにより空中分解してしまう危険性も孕んでいる。しかし3人はプライベートでも仲の良いユニットとして業界では有名であり、3人はこれからもずっと“New Generations”として活動していくと誰もが思っていた。

 

 しかし結成から何年か経ったある日、突如“New Generations”の活動休止というニュースが日本中を駆け巡った。その衝撃は双葉杏の電撃引退に迫る勢いであり、『実は3人共もの凄く仲が悪かった』だの『1人の男を巡って骨肉の争いが繰り広げられた』だの、何とも身勝手な噂が生まれては消えていった。

 それからというもの、卯月はソロでのアイドル活動、凛はソロ歌手の傍らセルフプロデュースでのユニット活動、そして未央はバラエティ番組を中心としたタレント活動と、それぞれの道を歩んでいくこととなった。そしてこのソロ活動もまた大成功を収め、それにより“New Generations”として3人揃うことは絶望的との見方が主流である。

 だが勘違いしないでほしいのは、仕事で一緒になることが無くなったからといって、3人の仲が悪くなったわけではないということである。3人の友情は今でも、ユニット結成時のまま変わることなく続いている。

 いったいどれだけ仲が良いかというと、

 

「やっほー、凛ちゃん来たよー」

「お邪魔しまーす、しぶりーん!」

「2人共、ようこそ」

 

 どれだけ忙しくても必ず月に1度、メンバーの誰かの家で飲み会をするほどである。

 杏達が李衣菜の家にお邪魔していたその日の夜、卯月と未央が凛の家にやって来た。凛の家は都心にあるタワーマンションの最上階付近であり、黒を基調としたその部屋は生活感がほとんど無いほど綺麗に片づけられていた。それはまるでモデルルームのようであり、本当に女性の部屋なのかと疑ってしまうほどにスタイリッシュだ。

 

「見て、未央ちゃん! いつ見ても綺麗な夜景だね!」

「おぉ! 東京の街を一望ですなぁ! いやぁ、しぶりんはいつもこの部屋を眺めて、『もう日本は私のものだ……』とか浸ってるわけですねぇ! 羨ましいですなぁ!」

「ちょ、そんなわけないでしょ! それに羨ましいなら、未央も同じような部屋に住めば良いじゃない!」

「いやいや、私にこんなオシャレな部屋似合わないって! 私はもっとこう、下町みたいな賑やかな場所が好きかな!」

「2人共、一人暮らしなんて凄いです! 私なんて未だに実家暮らしで、自分の部屋もこんなに綺麗には片づけられなくて……」

「そ、そんなことないよ卯月。この部屋だって、2人が来るから急いで片づけただけで……」

「おやおや! それじゃ普段のしぶりんの部屋がどんな感じか、これは抜き打ち検査をする必要がありますな!」

「ちょっと、未央! ――もう良いよ……、何か簡単なものでも用意するね」

「あ、そうだ! 凛ちゃん、これお土産ね!」

「おっと、忘れるところだった! はい、どうぞ!」

「ありがとう、2人共」

 

 そう言って2人が渡したのは、ここに来るときから手に持っていた紙袋だった。卯月は町のお菓子屋さんで買ったスイーツにスパークリングワイン、未央は商店街で買った魚介系おつまみに日本酒と、これまた個性がよく分かるお土産だった。

 凛はその紙袋を持って一旦キッチンの方へ下がると、3人分のワインと生ハムメロンを持って戻ってきた。

 

「ちょうどメロンと生ハムがあったからこれにしたけど、卯月は好きだったよね?」

「はい! ありがとうございます!」

「あぁ、しまむー良いなぁ! ねぇねぇしぶりん、私にはフライドチキン無いの?」

「いや、そんなの家で作るようなものじゃないし……」

「まぁ確かに、こんなオシャレな部屋でフライドチキンなんて合わないよね!」

「いや、別に部屋のイメージで料理を決めてるわけじゃないんだけど――」

「うーん! 凛ちゃん、これ凄く美味しいです!」

「……本当、卯月ってマイペースだよね」

「そこがしまむーの良いところなんだよね!」

「?」

 

 微笑ましそうに卯月を見つめる凛と未央に、卯月は不思議そうに首をかしげていた。

 それからしばらくの間、3人はお酒を交えながらの近況報告を兼ねた雑談を楽しんだ。近況報告とはいっても、3人共仕事に没頭する(アイドルとしては嬉しい、しかし女性としては少し寂しい)生活を送っているため、話題となるのはもっぱら仕事のことである。

 そして仕事の話題になれば、当然の流れで話題に挙がる人物がいる。

 

「そういえば2人共、杏のことは何か聞いてる?」

「杏ちゃんですか? そういえば、この前事務所で見掛けました! 何か用事があったのかな?」

「えっ、杏ちゃんが事務所に? ということは、まさかのアイドル電撃復帰とか! いやぁ、口では不労生活を満喫してるとか言って、本当は未練たらたらだったんだねぇ!」

「いや、アイドルに戻る気は無いみたいだよ。プロデューサーの話だと、アイドル事務所を立ち上げてプロデューサーになるみたい」

「えぇっ! 杏ちゃんがプロデューサー?」

「でも杏ちゃんって、プロデューサーに向いてると思います。杏ちゃんがアイドルだったときも、私達を1歩離れた所で見てて、的確にアドバイスしてくれたときが何回もあったし」

「あー、そういえば『有能な怠け者は指揮官に向いている』って聞いたことがあるし、杏ちゃんにとってはアイドルよりもプロデューサーの方が天職かもしれないね」

「ってことは、杏ちゃんがプロデュースしたアイドルと一緒に仕事をするかもしれないってことですね! それもそれで楽しみだなぁ!」

 

 卯月が心の底からの笑顔を浮かべてそう言うのを、凛が首を横に振って否定する。

 

「……いや、多分それもあまり無いと思う。この前きらりから聞いた話だけど、都内の繁華街に劇場を立ち上げて、そこでライブをやる“地下アイドル”路線で行くみたい」

「へぇ、地下アイドルかぁ……。――まさか杏ちゃん、“自分が動きたくないから”なんて理由で決めたわけじゃないよね?」

「未央ちゃん! 杏ちゃんだって、色々と考えたうえで決めたことですよ! ……多分」

「あっはっはっ! しまむーだって自信無いんじゃない! ――それにしてもしぶりん、随分と杏ちゃんのことを気にしてるね」

「……うん、まぁね。やっと杏と“戦える”機会が巡ってくるかもしれないんだから」

「凛ちゃん……」

「……まったく、しぶりんは変わってないねぇ」

 

 表情は冷静ながら目の奥に闘志を燃やす凛に、卯月も未央も微笑ましそうな表情を見せる。

 凛はデビューをしたときから、常に何かに挑戦し続けていくことを信条としてきた。そして常に、強敵と戦いたいという願望を胸に抱いてきた。たとえそれが仲間であろうとも、自分が強敵と認めた相手には躊躇うことなくぶつかっていくことを選択する。

 そして凛が最も戦いたいと渇望していた相手こそが、双葉杏だったのだ。どれだけ自分達がアイドルとしてレベルアップをしても、常に彼女がその先を行っている。そして本人はそのことに対する自覚がまったく無く、やっと凛がアイドルとして一人前になった(と本人が思えるようになった)途端に、杏は一欠片の未練も無くあっさりとアイドルを引退してしまったのだ。

 

「……ようやく、杏と戦える機会が巡ってくるかもしれないんだ。だからこそ、杏がどんなプロデュースを目指しているのか、そしてどんな子をアイドルに育てるのか、凄く興味があるんだ。だからこそ、誰か杏のことを何か聞いてないかなって思ったんだけど……」

「きらりんは杏ちゃんに会ったんでしょ? アイドル候補生とか紹介されなかったのかな?」

「紹介されたみたいだけど、どんな子かは教えてくれなかったの。杏が内緒にしておきたいかもしれないから、って」

「うーん、相変わらずきらりんは“気遣いの子”って感じだねぇ」

 

 凛と未央がそんな会話を交わしている間、卯月は真剣な表情で何かを考え込んでいた。

 

「お、しまむー、どうしたの? そんな真剣になって」

「えっと、凛ちゃん。きらりちゃんに話を聞いたとき、きらりちゃんが杏ちゃんに何か協力するとか言ってなかった?」

「協力? ……そういえば、ライブの衣装を用意するって言ってたかな」

「おおっ! きらりんの衣装は業界でも人気だからねぇ! 『おかげで稼がせてもらってます!』って、ちひろさんが嬉しそうに言ってたよ!」

「……ってことは、杏ちゃんは他のみんなにも色々と用意してもらおうとしてるんじゃないでしょうか? 例えば、曲とか」

「そうか! そっち方面から色々と話を聞けば、杏ちゃんの企みも分かるかもしれないって寸法だね! さすがしまむー!」

「えへへ……」

「ということは、とりあえず李衣菜に話を聞いてみれば良いのかな? 杏が現役のときも色々と頼りにしてたみたいだし」

 

 凛はそう言って、おもむろにスマートフォンを取り出した。そしてそこに登録されている李衣菜の番号に電話を掛けてみるが、何回コール音が流れても相手が出る気配が無い。

 20回ほど流れたところで、凛は溜息と共に電話を切った。

 

「あれ? りーなは?」

「出なかった。まぁ、李衣菜がちゃんと電話に出る方が珍しいし……。――夏樹に掛けてみるか」

 

 凛はそう言って、再びスマートフォンをいじり出す。そして電話を掛けると、今度は数回のコール音で相手が出た。

 

「もしもし、夏樹? 突然ごめんね、李衣菜に変わって――」

『り、凛さん! 悪いけど、今ちょっと取り込んでるから! じゃ!』

 

 電話の相手――夏樹はひどく慌てた様子でそう言うと、凛の返事も待たずに電話を切ってしまった。プープー、と気の抜けた電子音が鳴るスマートフォンを耳に当てたまま、凛は困惑の表情を浮かべた。

 

「どうしたの、凛ちゃん?」

「……さぁ」

 

 卯月のその問い掛けは、凛こそが訊きたいことだった。



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第6話 『普通』

 李衣菜達が無事に和解をした後、李衣菜と杏は仕事の打合せのために李衣菜の部屋へ、夏樹達バンドメンバーと輝子はセッションのために地下のスタジオへ。残る菜々は輝子のセッションを眺めていようかと思ったが、せっかくだから皆の夕飯を作ろうと夏樹達の許可を得てキッチンへと入っていく。

 キッチンはアイランド方式で、まるで外国のように1つ1つが大きかった。李衣菜家ではその日ごとに家事の当番が割り振られていて、意外にも外食をする機会は少ないのだという。

 

「うわぁ、さすがキッチンも豪華ですねぇ……。さーてと、今日の夕飯は何にしましょうかねー」

 

 菜々は鼻歌交じりで冷蔵庫のドアを開けて、そして固まった。

 牛乳やヨーグルトなどを除いて、冷蔵庫の中はほとんど空っぽだった。夕飯に使えそうな材料など、見事なまでに何も無い。

 

「うーん、これは材料を買わなくてはいけませんねぇ」

 

 口振りはいかにも面倒臭そうな感じだが、その声はどこか楽しそうだった。メイド服に興味津々だったことから見ても、誰かの世話をするのが好きなのかもしれない。彼女は足取り軽く、リビングと同じく白を基調とした廊下を通って李衣菜の部屋へと向かっていく。

 こんこん、とドアを軽く叩いてそれを開けた。

 

「杏ちゃん、李衣菜ちゃん、夕飯は何に――」

 

 中へ呼び掛けるために部屋に1歩足を踏み入れた菜々は、そこで思わず口を閉ざしてしまった。

 李衣菜の部屋はまるで高級ホテルの一室のように広く、白を基調としたデザインはとても洗練されていた。部屋の奥には大きな窓があり、外から見える景色を窓枠が切り取るそれはまるで絵画のようである。

 そして杏と李衣菜の姿は、その大きな窓の手前にあった。丸いテーブルに向かい合わせで座り、そこに紙を広げて思い思いにメモを取りながら真剣に打合せをする2人の姿は、普段のだらけきった様子や親しみやすく明るい様子からはまるで想像もつかない、見る者が思わず息を呑むほどの緊張感に包まれていた。

 

「あ、菜々さん、どうしたの?」

 

 しかし入口に立ち尽くしていた菜々に杏が声を掛けたときには、まるで幻か何かだったようにその緊張感もフッと消え、いつも見ている力の抜けたゆるゆるの雰囲気へと戻っていた。

 そしてその瞬間、菜々は我に返った。

 

「……い、いえ! 今日の夕飯何が良いかな、と思いまして……」

「うーん……、李衣菜に任せるよ」

「はいはーい! じゃあ私、バーベキューがしたい! 最近全然やってなかったし、こういうときじゃないとできないと思うからさ!」

「うん、良いんじゃない? じゃあ菜々さん、頼めるかな?」

「はい! 任せてください!」

 

 菜々は努めて明るく振る舞って、李衣菜の部屋を後にした。そしてドアを閉めた瞬間、彼女はその笑みを消して表情に陰を落としながら、今度は地下のスタジオへと向かっていく。

 地下の階段に繋がるドアを開けた途端、壁を伝ってバスドラムやベースの重低音、ギターやキーボードの高音、そしてそれらをすべて包み込むシャウトが聞こえてきた。それは菜々が階段を1段1段下りるごとに大きくなり、迫力も増していく。

 そしてその先にあるスタジオのドア(ちょうど目の高さに“リヰナレコーズ”と書いたプレートが貼られている)を開けた瞬間、まるで音が熱を伴って菜々に襲い掛かるかのように、彼女の顔にぶわっと熱気が吹きつけられた。

 拓海の奏でるドラムは、重厚なバスドラムから軽い金属音のハイハットまで、様々な打楽器の音が濃密に放たれていく。そのドラムが作り出すリズムを補強する涼のベースが、忙しなく暴れ狂う指に合わせて臓器を揺さぶるほどの重低音を繰り出す。

 そんな重苦しい音の応酬に、里奈の奏でる耳を劈くほどに高いキーボードが割り込んできた。しかしそれによってベースとドラムのハーモニーが壊れることはなく、むしろこれによって彼女達の“音”が“音楽”へと変貌を遂げた。そして輝子と夏樹によるツインギター、そして輝子のシャウトが合わさり、彼女達の音楽は縦横無尽にスタジオ中を駆け巡っていく。

 自身の目の前で繰り広げられる彼女達の演奏に、菜々は何もかも忘れて見入っていた。自分の体が音に包み込まれて溶け込んでいくような、自分の存在さえ希薄になってしまうような、そんな没入感を味わっていた。

 と、そのとき、彼女達が菜々の存在に気づいて演奏を止めた。ふいに音楽が止み、菜々の意識も現実世界へと戻っていく。

 

「フヒ……、菜々さん、どうかしたか……?」

「え? ――あ、ああ! すみません! 李衣菜ちゃんが『晩ご飯はバーベキューが良い』って言ってたんですけど、皆さんはそれでも良いですか!」

「お! 良いじゃねぇか! 腹一杯肉を食うか!」

 

 “バーベキュー”という単語に真っ先に反応したのは拓海であり、涼と夏樹も鉄板の上で焼ける肉を想像したのか獰猛な笑みを浮かべた。里奈は「えぇっ? お肉太るー」と文句を言いつつも口元の笑みを抑えきれず、輝子は「キ、キノコがあるなら何でも良いぞ……」と控えめながらもしっかりと自己主張する。

 

「分かりました! それじゃナナが、今から材料を買ってきますね!」

 

 そう言ってスタジオを後にしようとする菜々に、涼がベースを置いて「待って」と呼び掛けた。

 

「アタシも一緒に行くよ」

「えぇっ! そんな、大丈夫ですよ!」

「良いって良いって。どうせアタシが今日の食事当番だったんだし、8人分の材料を1人で持って帰るのは結構きついぞ?」

「……ええと、じゃあ、お願いします」

「よし。――んじゃ、行ってくる」

 

 拓海の「8人もいるんだから、大量に肉買ってこいよ!」という呼び掛けを背中に聞きながら、菜々と涼はスタジオを出て階段を昇っていった。

 その途中で再びスタジオで演奏が始まるのが聞こえ、菜々は後ろ髪を引かれる想いで李衣菜の家を後にした。

 

 

 *         *         *

 

 

 李衣菜の家から一番近い場所にあるスーパーは、丘の(ふもと)にある海のすぐ傍に建っていた。一口にスーパーと言ってもそこら辺のものとは訳が違う、生鮮食品から手作りの総菜やデザートに至るまで、生産の段階からこだわり抜いた商品ばかりを集めた、そしてその分他のよりも数段値の張る高級志向のスーパーである。

 そんな高い商品ばかりを取り揃えたスーパーで、特に値札を見ることもなく次々と肉をカートに放り込んでいく涼の姿に、菜々は思わず目を丸くして見入っていた。

 そしてそれを振り払うように、菜々はむりやり話題を探して口を開いた。

 

「そ、それにしても、さっきの演奏は凄かったですね! 思わず聞き惚れちゃいました!」

「そうか? ありがとな。――あの輝子って子、かなりのセンスだな。さっきやった曲も輝子が作ったやつなんだけど、かなりの完成度だったよ。あれで15歳だっていうんだから末恐ろしいね」

「ふふふ、そう言ってもらえると、輝子ちゃんも喜ぶと思います」

「それに、輝子と色々話して分かったんだが……。ありゃ、李衣菜と同じタイプだな」

「……李衣菜さん、と?」

 

 涼の思わぬ言葉に、菜々はなぜか心臓を鷲掴みされるような苦しさを覚えた。

 

「自分に才能があることに気づいていない、みんなが自分と同じようにできると思い込んでるタイプだ。『他の人ができないのは努力が足りないせいだ』っていうのが、昼間みたいな喧嘩をしているときに李衣菜がいつも言ってる台詞なんだよ。さすがに輝子はそこまで露骨には考えてないけど、話を聞いてると似たような節があるな」

「輝子ちゃんが……?」

「ああ。――あいつ、作り始めて3日経っても完成しなかった曲は、容赦無く捨てるらしいぜ? だらだら作ってても良い曲になるとは思えないから、だってさ」

「3日って……! ちょっと短すぎませんか!」

「そう思うだろ? アタシ達もそう思って、あいつにそう言ったんだ。そしたらあいつ、何て言ったと思う?」

 

 菜々が答えずに言うと、涼は呆れたような笑みを浮かべて、

 

「『え? 普通そうじゃないの?』って、本気で戸惑うようにな。――李衣菜とまったく同じだ。あいつも数日経って曲ができなかったら躊躇いなく捨てるし、それをアタシ達に指摘されたときの答えもまったく同じだった」

「…………」

「悲しい話だけど、アタシは“才能”ってものは確実に存在すると思ってる。同じ努力をしても、人によってどこまで到達できるかには明確な差があると思うんだ。――でも、李衣菜は違う。あいつは自分と他人を比べるようなことをしないから、“自分ができて他人にできないこと”が理解できない。だから昼間みたいな喧嘩は、割と日常茶飯事だったりするんだよ。もちろん、輝子は李衣菜ほど自分勝手じゃないから、菜々達と喧嘩するようなことはそうそう無いだろうけどな」

「…………」

 

 涼の話を聞くほどに、菜々の表情が暗くなっていく。涼はそれに気づいているが、あえて尋ねるようなことはせずに買い物を続けていく。

 やがて、菜々が口を開いた。

 

「……ナナ、これからアイドルやっていけるんでしょうか?」

「…………」

「ナナはアイドルになりたくて色んな事務所のオーディションに参加して、それでずーっと落ち続けて、最後の最後に杏ちゃんが声を掛けてくれたんです。――でも杏ちゃんは昔凄いアイドルで、杏ちゃんにスカウトされた輝子ちゃんも凄い才能を持っていて、ナナみたいな普通の人間が、そんな2人と一緒にアイドルをやっても良いんでしょうか?」

「……別に良いんじゃないの? アイドルが売れるかどうかは客が決めることだけど、アイドルをやるかどうかは本人が決めることだろ。アタシらだって、李衣菜に食らいついていくのが精一杯で、そもそも食らいついていけてるのかどうかすら分かんないけど、それでも必死に毎日やってきてんだ」

「りょ、涼ちゃん達も、ナナからしたら凄く魅力的なアイドルです!」

「……ありがとう。菜々にそう言ってもらえると、必死にやってきた甲斐があったって思えるよ」

 

 そう言って笑う涼は、菜々にはどこか辛そうに見えた。そしてそれを見ている菜々は涼以上に辛そうで、苦しそうだった。

 と、そのとき、

 

「あれ? あそこにいるのって……」

 

 涼は売り場の奥に知り合いでも見つけたのか、今まで押していたカートを置いて突然駆け出していった。菜々が慌ててカートを押してその後を追うと、涼の傍には彼女よりも頭1つ分は低い少女の姿があった。

 その少女は金色のショートヘアで、長く伸ばした前髪で右目を隠している。両耳には幾つもピアスがついており、寒いどころか少し汗ばむ陽気であるにも拘わらず両手がすっぽりと隠れるほどに長い袖を持つ服を着ていた。髪に隠れることなく顕わになっている左目にはうっすらと隈があり、お世辞にも健康的とはいえない外見をしている。

 

「よう、小梅! 学校の帰りか?」

「あ……、涼さん……。うん……、夕飯を買いに来た……」

 

 快活に声を掛ける涼に対し、小梅と呼ばれたその少女はぼそぼそと消え入りそうな声で答えた。そんな彼女の様子に、菜々は輝子の姿が重なって見えた。

 

「その子は誰ですか?」

「ああ、この子はアタシの親友でね、ときどきアタシ達の家に来て一緒に映画観てるんだ」

「あ……、は、初めまして……。白坂小梅、です……」

 

 ぺこりと頭を下げる小梅の姿は、同性の菜々ですら庇護欲をそそられる。

 

「ナナは安部菜々っていいます! いやぁ、トップアイドル達の家にお邪魔できるなんて、何て羨ましい……」

「わ、私と涼さんは、涼さんがアイドルになる前からの知り合いなの……」

「成程、そういうことですか」

「小梅は夕飯の買い物か?」

「うん……。私の両親、今日は遅くまで仕事だって……」

「だったら、一緒に飯食うか? アタシら、今日バーベキューなんだ。腹一杯肉食えるぞ?」

「お肉……、あんまり食べられないけど、行く……」

「小梅は小食すぎるんだよ。もっと食わないと大きくなれないぞ?」

 

 にかっと笑みを浮かべて小梅の肩を抱く涼に、小梅はおどおどしながらも弱々しく笑みを浮かべた。現役アイドル(しかも売れっ子)の彼女に迫られて緊張しているというよりも、単純に人自体が苦手なのだろう。

 それにしても、

 

 ――この小梅ちゃんって子、何だか目が離せませんね……。

 

 小さく華奢な体躯は今にも折れてしまいそうで、か細いその声はころころと可愛らしく、時折ふと見せる笑顔は思わず守りたくなってしまうほどに魅力的だった。菜々は先程から何回も、彼女の魅力に引っ張られるように意識を奪われかけてはハッと我に返ることを繰り返している。

 まるで、目に見えない何かに捕らえられているかのように。

 

 

 *         *         *

 

 

 その日の夜、夜闇を塗り潰すほどにネオンが光り輝く都会とは違い、満天の星が余すことなく自己主張をする空の下で、ジュージューと焼ける音と食欲をそそる匂いが立ち籠めている。

 

「おい夏樹、それアタシが狙ってたやつだろ!」

「何言ってんだ、拓海。んなもん、早い者勝ちに決まってるだろ」

「んんー! 美味しいぽよー! お腹が気になるけど、止められんちー!」

「ははは、今日ぐらいはそんなの気にしなくて良いだろ。食ってから考えりゃ良いんだよ」

 

 李衣菜の家の敷地内、全力で駆け回れるほどに広い芝生の庭の中央で、大きな2つの鉄板の1つを占領して18歳4人組が肉を食べながら騒いでいた。勝手知ったる仲間だけあって一切の遠慮が無く、拓海と夏樹は互いに肉を奪い合い、涼が4人分の肉を焼き、里奈が自分の肉を食べながら時々涼の口に肉を運んであげている。

 

「かーっ! やっぱり焼肉にはビールが一番だよね!」

「一番だねって……、李衣菜にお酒の味が分かるの?」

「何言ってんの! 私だってね、もうすっかり立派な大人なんだよ? 何てったって、もう24歳だからね!」

「本当にぃ? 20歳になったばかりの頃、かな子の店で酔いつぶれて入口で思いっきり――」

「ああ、もう! その話は止めてよ!」

 

 李衣菜と杏は皆と離れてリビングの縁側に座り、ちょうど2人の間に山盛りの肉を置いていた。李衣菜はそれをつまみにビールをごくごくと呑み、杏はジュースみたいに甘いチューハイをちびちびと呑んでいる。

 そして、

 

「フヒ……、まさかここでホンシメジを食べられるとは思わなかったぜ……。さすが、良い匂いを出してやがる……」

「ほ、本当だ……。とっても美味しそう……」

「輝子ちゃん、小梅ちゃん、お野菜とかキノコも良いですけど、せっかく高いお肉を買ってくれたんですから、少しはそっちも食べたらどうですか?」

 

 輝子と小梅がジュージューと音を立てて油を撥ねさせる肉の隣で静かに焼けるキノコをじっと見つめ、菜々が世話焼きの母親よろしく彼女達の分の肉まで皿によそっていた。

 コミュ障とコミュ障が顔を合わせたところで、互いに互いを警戒して仲良くならないのが常である。輝子と小梅ももしかしたらそうなるかもしれないという懸念があったが、はっきり言ってそれは杞憂だった。2人は顔を合わせた途端、何のシンパシーを感じたのか、まるで旧知の親友であるかのように親睦を深め、夕食の頃には常に一緒に行動するまでになっていた。

 

「輝子ちゃんは、キノコに詳しいの……?」

「あ、ああ、キノコは好きだぞ……。あ、杏さんに出会うまでは、キノコが唯一の、し、親友だったからな……」

「わ、私も同じ……。涼さんに会うまで……、ずっと“あの子”だけが友達だった……」

「あ、あの子……?」

「う、うん……。いつも私の傍にいて、私を励ましてくれるの……」

 

 そう言って儚げに微笑む小梅を、輝子はじっと見つめていた。まるで意識を失ったかのように。

 そして、ふと我に返った。

 

「……フヒッ! そ、そうか……、大事な人なんだな……。1回、会ってみたいな……」

「大丈夫、輝子ちゃんなら、すぐに会えるよ……。――すぐに」

 

 小梅はそう言って、どこか儚い印象を与える控えめな笑みを浮かべた。

 

 

 

「…………」

 

 そんな小梅と輝子の様子を、杏が縁側で肉とビールを口にしながら眺めていた。

 

「――でさぁ、そのときの凛の反応がおかしくて! ……って、杏、聞いてる?」

「へっ? あ、ごめん。聞いてなかった」

「もう、何に夢中になってたの――って、小梅ちゃんか。じゃあ仕方ないね」

 

 李衣菜は不満そうに口を尖らせながら杏の視線の先を追い、その先に小梅がいることが分かると何やら納得したように頷いていた。

 

「何々? やっぱり双葉Pとしては、小梅ちゃんが気になる感じ?」

「まぁね。あの子って、346プロとかには紹介とかしてるの?」

「ううん、してないよ。前に1回紹介しようとしたときがあったんだけど、小梅ちゃんが『目立つことはしたくないし、怒られる』って言ってたから、プロデューサーにも知らせてない」

「怒られる? 親に、ってこと?」

「いや、ご両親じゃないと思うよ? 前に小梅ちゃんのご両親に会ったことがあるけど、私達と付き合うことに対しても特に何も言わなかったし、仮にアイドルになるとしても反対はしないんじゃないかな? ――まぁ、ご両親の場合、小梅ちゃんが何になろうと気にしないと思うけど」

「放任主義ってこと?」

「そう言うと聞こえは良いけどね……」

 

 含みを持たせて口を閉ざす李衣菜に、杏は何かを察したように眉間に皺を寄せ、これ以上は訊かないことにした。

 

「そうか。それじゃ、小梅ちゃんをスカウトしたとしても問題は無いってことだね」

「お? 小梅ちゃんが杏のお眼鏡に適ったかぁ! 何か知り合いとして鼻が高い気分になるね!」

 

 李衣菜はそう言って、ぐびぐびとビールを呑んだ。杏はそれを見て、明日は確実に二日酔いで大変な目に遭うだろうな、と確実とも言える予測を頭の中で立てていた。

 

「まぁ、小梅ちゃんは可愛いから納得だけどね! 私でも時々小梅ちゃんに見とれちゃうときがあるよ! 何か気がついたら、ずーっと小梅ちゃんを見ていたときがあるって感じで。――ひょっとして私も、小梅ちゃんの魅力に“取り憑かれて”いるのかな?」

「“取り憑かれて”いる、ねぇ……」

 

 その言葉がやけに引っ掛かったのか、杏はそう呟きながら再び小梅の方へ視線を向けた。

 彼女の傍にいる輝子と菜々が揃って小梅をじっと見つめ、鉄板の肉とキノコを焦がしていた。

 そのときの目は小梅自身を見ているようで、その実どこも見ていないかのようにあやふやなものだった。

 

 

 *         *         *

 

 

 賑やかなバーベキューも終わりを迎え、5人くらいがいっぺんに入っても余裕で収まるほどに広いお風呂を全員が堪能した後、部屋のリビングは照明を消されてほとんど真っ暗になっていた。

 とはいえ、皆が早々に寝てしまったわけではなく、むしろ全員がそのリビングに集結していた。

 なぜかというと、

 

『ギャアアアアアアアアアアアアアア!』

「ぎゃああああああああああああああ!」

「アッハッハッハッ! 怖がりすぎだろ、だりー!」

 

 ホラーやスプラッタが大好きだという小梅がわざわざ自宅に1回戻って持ってきたというお勧めの映画を、リビングの大きなテレビで鑑賞していたからである。正体不明の殺人鬼に別荘地で追い回され、全編に渡って血飛沫が舞うというB級臭の漂う映画を、夏樹達4人は時々声をあげて笑いながら、杏と輝子はお菓子を食べながら眺め、小梅は目をきらきらさせながら食い入るように、そして李衣菜と菜々は絶叫ポイントを1つも取りこぼすことなく叫びまくっていた。

 

「べ、別に怖がってなんかないし! いきなりでびっくりしただけだし!」

「そうかそうか。だったら李衣菜、もっとテレビの近くに来いよ。そこだと見にくいだろ?」

「い、いや、別にここでも大丈夫――ああっ! 何か急に新曲のインスピレーションが降りてきたぞー! これは早くスタジオに行って録っておかないと!」

 

 李衣菜はそう言うとソファーから立ち上がり、そそくさとその場を退散しようとする。

 

「拓海」

「おう」

 

 しかし次の瞬間、拓海によって羽交い締めにされてしまったためにそれは叶わなかった。

 

「な、何をするの拓海! 離して! こわ――せっかくのフレーズを忘れちゃうから!」

「李衣菜が今まで思いついたフレーズを忘れたことなんて無かっただろ? 良いじゃねぇか、最後まで楽しもうぜ?」

「いやだあああああぁぁぁ……」

 

 リビングの片隅で騒がしくしている一方で、全体的に赤の占める割合が大きいテレビ画面を楽しそうに観ていた小梅が、自分の隣にいる輝子に寄り添って話し掛ける。

 

「しょ、輝子ちゃん……、ど、どうかな……?」

「フヒ……、こういうの初めて見たけど……、何だか面白いな……。主人公がパニックになってるのとか、殺人鬼が狂ってる感じとか、何だか私がやってる音楽の世界と似ている気がする……」

「輝子ちゃん、音楽やってるの……?」

「フヒ……、メタルを少々な……。小梅ちゃんは、メタルとか、興味あるか……?」

「き、聴いたことないけど……、輝子ちゃんの好きな音楽なら、き、聴いてみたいな……」

「わ、分かった……。ちょっと恥ずかしいけど……、後で私の作った曲を聴かせる……」

「うん、楽しみ……」

 

 辿々しくも会話を交わす様子は、何だかお見合いを連想させるものだった。

 そんな2人に、体を近づけて顔を寄せる者がいた。

 

「小梅ちゃん、ちょっと良いかな?」

「あっ、杏さん……」

「フヒッ……、杏さん、どうした……?」

 

 杏が声を掛けると、小梅(と輝子)が揃って顔を向けてきた。明かりがテレビの光だけという状況もあるが、これだけ接近しても毛穴すら見えない肌のきめ細やかさと白さに思わず杏も息を呑み、そしてすぐに我に返った。

 

「この映画が終わった後で良いから、ちょっと話がしたいんだけど良いかな?」

「は、話……? うん、良いよ……」

「フヒ……、杏さん、もしかして……?」

「お、輝子ちゃんは気づいた感じ? 輝子ちゃんも賛成だよね?」

「う、うん……。小梅ちゃんと一緒なら、わ、私も心強い……」

 

 杏と輝子が話しているのを横で聞いていた小梅は、ピンときていないのか首をかしげていた。

 

「それじゃ、そのときは宜しくね。――ちょっとトイレ行ってこよ」

 

 特に誰かに聞かせるわけでもない杏の独り言は、

 

「ひいぃっ! う、後ろに来てますって! 早く気づいて――ああ、後ろで斧を振り上げてるじゃないですか! 早く気づいて――ひえええええええぇぇぇぇ!」

 

 体をがたがた震わせて悲鳴をあげながらも、その目はしっかりとテレビに固定され、ご丁寧に実況までつけている菜々の叫び声に掻き消された。

 

 

 

 普通の家とは規格外の広さを誇る李衣菜家だが、さすがにトイレまでは広くなく、普通に便器が1つと簡易的な洗面台があるだけの狭いスペースである。

 

「さてと、小梅ちゃんはスカウトに乗ってくれるかなぁ?」

 

 その洗面台で手を洗いながら、杏はそんな独り言を呟いていた。

 小梅のアイドルとしてのポテンシャルは、かなり高い水準にある。少々コミュニケーションに難があるところが欠点だが、それを補って余りあるほどにヴィジュアルが優れているし、自分含め他の皆も言っている「無意識に小梅を見つめているときがある」という現象は、アイドルをやるうえでこれ以上ない武器となるだろう。

 問題は、小梅がスカウトに乗ってくれるかどうかである。しかしそれも、ほとんど心配はいらないように思われる。この数時間の間に急速に仲を深めることとなった輝子の存在が、もしかしたら小梅がアイドルになる決断をする手助けとなるかもしれない。友情を利用するようで少し気が引けるが、こちらも優秀な人材を見逃すわけにはいかない。

 

「さてと、それじゃそろそろ行こっかな」

 

 弾みをつけるように杏はそう呟くと蛇口の栓を締め、タオルで手を拭う。そしてドアノブに手を掛けると、がちゃりと押し下げた。

 がっ。

 

「――ん?」

 

 何かに引っ掛かったように動かないドアに、杏は首をかしげてドアノブに目を遣った。鍵は掛かっていないし、引き戸なので何かに遮られるということも無い。

 

「もしかして壊れた? ――ねぇ、誰かー!」

 

 ドアの向こうに呼び掛けるが、返事は無い。リビングからはそう離れていないはずなので、杏の声が聞こえていないはずはないのだが。

 

「ちょっとー、誰か聞こえないの――」

 

 がしゃああああああん!

 

「――――!」

 

 ドアの向こうから聞こえた、ガラスか何かが割れるような音に、杏は目を丸くして息を呑んだ。明らかにただ事ではない状況に、杏の表情にも焦りが見える。

 

「ねぇ! 誰か! ドアが開かないんだけど! ねぇってば!」

『――ウゴクナ』

「――――!」

 

 すぐ耳元から聞こえてきた少女の声に、杏はすぐさま後ろを振り返った。もちろん彼女の後ろには先程まで自分が使っていた便器しかなく、そこには誰の姿も無いし、誰かが隠れられるようなスペースがあるはずもない。

 

「……随分と手の込んだ冗談だね。あの映画を観ていて臆病になってると思った? だけど残念だね、杏は別に幽霊とか怖くないんだよ。だからこんな悪戯は止めて、杏をここから出してくれないかな?」

 

 口ではいかにも余裕そうな言葉を発しているが、その表情はどこか引き攣っており、こめかみからは冷や汗が一筋流れ落ちていた。

 と、そのとき、

 

『――ウバウナ。ウバウナ』

 

 再び少女の声が聞こえてきた。誰の姿も見えず、しかし耳元で囁かれているようにはっきりと聞こえるその声に、杏は口を引き結んでトイレ中を睨みつけるように見渡す。

 それと同時に、頭の中で先程の声について考えを巡らせる。

 

 ――ウバウナ……。もしかして「奪うな」って言ってる……?

 

 

 

「何々! もう、何が起こってるの!」

 

 一方その頃、杏以外の面々も混乱の極みに達していた。

 リビングと隣接しているキッチンで突然皿が割れたと思いきや、今度は部屋全体がガタガタと揺れ出した。まさか地震かと思った彼女達は、杏のことが気になったものの身の安全が第一と考え、即座にリビングの大きな窓から庭へと飛び出した。

 そして、揺れているのが李衣菜の家だけだということに気がついた。もしも巨大地震だったら庭に出ても立てないほどに不安定なものだが、1歩踏み出した途端まるで先程までの揺れが嘘かのようにびくともせず、周りの家も普段の生活通り静かなものである。

 しかし李衣菜の家へと振り返ると、そこだけ巨大地震に襲われたようにガタガタと家全体が揺れ動いていた。中では皿や窓などが割れる音が響き渡り、杏以外全員外に出ているにも拘わらず照明が点いたり消えたりしている。

 そんな家を眺める彼女達の反応は様々だ。

 

「フ、フヒ……、ポルターガイスト……、初めて見たぞ……」

「おいおい、マジかよ……」

 

 目の前のことが信じられずに呆然とする者、

 

「うわわ、すごーい! ポルガイとか初めてぽよー!」

 

 呑気に笑ってみせる者、

 

「ど、どうしましょう……! 杏ちゃんがまだ中にいるんですけど……!」

 

 中に取り残された杏を心配する者、

 

「うわあああああああああああああ! もおおおおおおおおおおおおおお!」

「ああ、もう! 落ち着け、李衣菜!」

「って、こんなときに電話だと……! ――り、凛さん! 悪いけど、今ちょっと取り込んでるから! じゃ!」

 

 そして恥も外聞も捨てて泣きわめく者と、それを宥める者。

 そんな中、1人だけ特殊な反応を見せる者がいた。

 

「……どうしよう、私のせいで」

 

 ポルターガイストという超常現象ともオカルトとも言える出来事を目の前に、小梅はなぜか沈痛な面持ちで自責の念に駆られていた。



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第7話 『孤独』

 その少女は、ずっと1人だった。

 幼い頃からコミュニケーションが苦手で、“誰かに話し掛ける”という普通の人ならば何でもないように思えることができなかった。子供というのは自分達と少しでも違うところがある者にはとにかく厳しく、自然と周りの人間から省かれるようになった彼女はますます1人となっていった。

 しかしその少女は、ずっと1人ではなかった。

 彼女の傍には、常に“あの子”がいた。周りの人間がどれだけ彼女を冷遇しようとも、その子だけはけっして見捨てることはなかった。少女も、けっして裏切ることのない存在に安心しきり、いつもその子と一緒に遊んでいた。

 しかしそれが、少女の孤独をさらに深めることとなった。

 その子は、少女以外には見えなかった。

 見えない存在に話し掛ける少女の姿は、周りの人間には奇異に映り、ますます少女の周りから人がいなくなった。それまでは少女に同情的だった大人も、少女のそんな姿を見た途端に子供達と同じ目を彼女に向け、離れていった。ついには少女にとって最後の砦であるはずの両親ですら、そんな大人達の仲間入りを果たし、一つ屋根の下で暮らす少女のことを腫れ物のように扱い、仕事を言い訳に家にすらあまり寄りつかなくなった。

 しかしそれでも、少女は寂しいと思うことはなかった。自分の傍には常に“あの子”がいて、けっして自分を裏切ることはない。どれだけ自分の周りから人がいなくなっても、“あの子”さえいてくれたらそれで良かった。

 

 

 

 そんな彼女に、転機が訪れた。

 “あの子”と一緒に夜の散歩に出掛けていたとき、年上の綺麗な少女が話し掛けてきた。小学生の少女が1人で夜出歩いていることを危険に思い、声を掛けずにはいられなかったという。別に何かあっても“あの子”が守ってくれるので心配いらないと思っていた少女だったが、久し振りに人間から心配されたことが素直に嬉しかった。

 それからしばらくは、その女性と一緒に過ごすことが多くなった。共働き(という名目)で少女の両親が家を空けるとき、その年上の少女がお気に入りのホラー映画を持って少女の家を訪れるようになった。自分のすぐ傍に人肌がある心地よさに、少女は以前よりもよく笑うようになった。その頃からか、今まで自分を避けるだけだった周りの人間が、時々意識が抜けたようにこちらを見つめるときが多くなった。

 そんな日々が半年ほど続いたある日、年上の少女がアイドルになることとなった。元々彼女は趣味で楽器をやっており、スタジオを借りて練習していたときにスカウトされたらしい。遠くに行ってしまうことを寂しく思った少女だったが、彼女の幸せを願って応援することを選んだ。その夜はベッドに潜り込んで静かに泣いたが、傍にあの子がいたので乗り越えられた。

 このまま彼女との交流も無くなってしまうと思っていた少女だったが、なんと彼女はユニットのメンバーを連れて戻ってきた。住まいは以前の家とは違う丘の頂上になったが、彼女は依然と同様に少女と交流を持ち、さらにはメンバー達と住む家に少女を招待するようになった。ユニットのメンバーも少女を快く迎え入れてくれ、少女の人間の友人は以前よりも多くなり、少女はますますよく笑うようになった。

 

 

 

 そして少女の笑顔が多くなるのと反比例して、“あの子”と会話する頻度が少なくなっていった。

 

 

 *         *         *

 

 

「さてと……」

 

 トイレの中に閉じ込められた杏は、叫んでもドアを叩いても無駄だと知るやすぐにそれを止め、蓋を閉じた便器に腰掛けて考え込んだ。

 明らかにこれは、誰かが悪戯でやったことではない。というより、人間業ではない。杏は特に幽霊の類を信じているタイプではなかったのだが、目の前で不思議な出来事が起こっているのを無視して頑なに存在を否定するほどこだわっているわけではない。そもそも杏自体に、こだわりというものが無い。

 では仮に幽霊というものが実在するとして、彼(もしくは彼女)の目的は何だろうか。

 

 ――って、このタイミングであの台詞じゃ、1つしかないけどね……。

 

 杏は頭の中でそう結論づけると、1回大きく深呼吸をして、トイレの中を見渡し、口を開けた。

 

「いるんでしょ? 話をしようよ。……名前が分からないから、ユーレイさんって呼ばせてもらうね。それで、ユーレイさんが何を望んでるのか、杏に聞かせてくれないかな?」

 

 自分以外誰の姿も無いトイレに向かって、杏はそう呼び掛けた。返事は無い。

 

「……もし話をする気があるんなら、杏に分かる形で返事をくれないかな?」

 

 それでもめげることなく杏が呼び掛けると、彼女の背後にある唯一の小窓がバンッ! と大きな音をたてた。ガラスが割れるんじゃないかという勢いで叩かれたそれに、杏はビクッ! と肩を跳ね、そして息を呑んで後ろを振り返った。

 小窓には、小さな子供らしき手形がくっきりと浮かび上がっていた。赤黒いそれは、まるで血のようだった。

 

「……もうちょっと穏やかな返事でお願いね」

 

 杏が冷や汗混じりにそう言うと、今度は彼女のすぐ傍にある壁が、ドン、と叩かれた。先程よりは音も小さく、壁なので壊れる心配は無い。意外と素直な性格なのかも、と杏は思った。

 

「よし、それじゃ話をしようか。――ユーレイさんは、小梅ちゃんの背後霊か何か?」

 

 杏の質問に、見えない存在からの返事は無かった。

 

「……イエスなら1回、ノーなら2回壁を叩いて」

 

 その瞬間、ドン、と壁が鳴った。

 

「ユーレイさんは、小梅ちゃんが小さい頃から一緒にいたの?」

 

 ドン。

 

「そっか、じゃあ幼馴染みだ。んで、さっきの『奪うな』っていうのは、小梅ちゃんを自分から奪わないでくれ、ってことかな?」

 

 ドン。

 

「ふむ……。別に小梅ちゃんがアイドルになったからって、杏はユーレイさんに『小梅ちゃんから離れろ』なんて言わないよ?」

 

 ドンドン! と先程よりも強めの音が返ってきた。

 その答えに、杏は考える素振りを見せて、

 

「……ってことは、小梅ちゃんの方から離れていくのを心配しているって感じ?」

 

 やや間を置いて、ドン、と弱々しい音が鳴った。

 

「もし気分を悪くしたらごめんね? もしかして小梅ちゃん、昔は友達がいなかったとか?」

 

 ドン、と肯定の返事が鳴ったことで、杏は得心のいった感じに頷いた。

 

「成程、何となく分かったよ。昔は自分だけが小梅ちゃんの友達だったのに、どんどん人間の友達が増えていったことで、いつか自分のことを見てくれなくなるんじゃないかって思ったんだね?」

 

 ……ドン。

 

「李衣菜達と仲良くしていたときには、こうやって出てきたりしたことあるの?」

 

 ドン、ドン。

 

「ふむ、つまりそれくらいならば我慢できてたってことだね。でも杏のスカウトに乗ってアイドルになったりしたら、不特定多数の人に小梅ちゃんの存在が知られて、今までとは段違いに彼女の世界が広がっちゃう。だからこうして強硬手段に踏み切った、と」

 

 ドン!

 

 一際大きな音に、杏は「ふむ……」と顎に手を当てて考え込んだ。

 とりあえず、ここまでは順調に行っている。こうして杏の質問に素直に答えているところからして、元々人を襲うような悪霊などではなかったのだろう。特別危険が差し迫っているというわけではないことが分かり、杏は徐々に普段通りの平常心を取り戻していった。

 この際だから気になっていたことを訊こう、と杏は口を開いた。

 

「ちょっと話が逸れるんだけど、小梅ちゃんと一緒にいると、時々小梅ちゃんに見とれちゃうときがあるんだよね。まるで何かに“取り憑かれている”みたいに。――それって、いつもそうなの?」

 

 ドン、と音が鳴った。

 

「あれって、ユーレイさんがあの子の傍にいるようになってから起こり始めたの?」

 

 ドン、ドン。

 

「あれ、そうなんだ。ってことは、ユーレイさんの仕業じゃないのか? いや、無意識に引き起こしているって可能性も――」

 

 ドンドン!

 

「ああ、ごめんごめん! そうだよね、小梅ちゃんに友達ができるのを嫌がってるのに、わざわざ小梅ちゃんが注目されるようなことをするわけないもんね」

 

 ということは、我を忘れて小梅に見とれる現象は幽霊による超常現象ではなく、純粋な小梅の魅力によって引き起こされていることになる。だとしたら、彼女はアイドルとして充分すぎるほどに強力な武器を、すでに持っていることになる。

 無名のアイドルにとって一番大変なのは、“いかに自分に対して興味を持ってもらえるか”だ。それを軽々とやってのける彼女は、間違いなくアイドルとなる器を持っている。何としてでも小梅をアイドルにしなくては、と杏は決意を新たにした。

 差し当たっては、彼(または彼女)を説得しなくてはいけない。

 

「それじゃユーレイさん、周りの人達が小梅ちゃんに見とれるようになったのはいつから?」

 

 …………。

 

「ああ、イエスかノーで答えられないと駄目か。……さっきは『奪うな』って喋られたくせに」

 

 ドンッ!

 

「はいはい、ごめんごめん! うーん、それじゃさ、その現象が起こるようになったときに、小梅ちゃんの中で何か大きな変化があった?」

 

 考えを巡らせていたのか、やや間を空けて、ドン、と返事が来た。

 

「それってさ、もしかして人間の友達ができた辺り?」

 

 ドン。

 

「やっぱりね。人間の友達がいない子にとっての“大きな変化”だから、そんな辺りだと思ったよ。――正直に答えてね。ユーレイさんから見て、人間の友達ができる前とできた後、どっちの小梅ちゃんの方が魅力的?」

 

 …………。

 

「前なら1回、後なら2回」

 

 ……ドン、ドン。

 

 返事が少し遅れたのは、おそらく自分の答えが杏の説得を後押しすることに気づいていたからだろう。それでもなお自分の気持ちに正直に答えた辺りに、彼(もしくは彼女)の中でも何かしらの葛藤が垣間見える。

 

「でしょう? ユーレイさんが小梅ちゃんを大事に想うのは分かるけど、だからって小梅ちゃんを狭い世界に閉じ込めちゃ駄目だよ。小梅ちゃんはとても魅力的な女の子なんだから、もっと広い世界に連れてってあげないと」

 

 …………。

 

「心配?」

 

 ドンッ!

 

 その音は間違いなく、今までで一番大きな音だった。壁を叩くだけのシンプルすぎるコミュニケーション手段だが、目に見えない存在の感情までも手に取るように分かる気がして、杏は思わず笑みを漏らしてしまった。

 

「小梅ちゃんだったら、たとえどれだけ人気になろうと、ユーレイさんのことを忘れるなんて有り得ないと思うけどね。あんなにホラーやスプラッタに目を輝かせてるような子だよ? あの子にとってユーレイさんは、孤独を紛らわすための穴埋めなんかじゃなくて、もはや自分の一部みたいなものだと思うよ」

 

 …………。

 

「それとも、小梅ちゃん自身が心配? そっちも大丈夫。杏のプランは常設の劇場だけで活動する地下アイドルだから、テレビとか色んな業界に営業を掛ける必要は無いの。だからユーレイさんが考えてるような“いかがわしいこと”は絶対にさせないよ。――まぁ、杏が現役のときにも、プロデューサーがそういうのを完璧にシャットアウトしてたからね」

 

 …………。

 

「そもそも“枕営業”なんてリターンがリスクに見合ってないし、そういう悪評って業界全体に悪影響を与えるんだよね。業界全体が健全に活性化していることが結果的に自分達の利益に繋がる、っていうのが346プロの社長の考えでね、そういうことは絶対にさせないことにしているんだよ。当然、杏も同じ考え」

 

 …………。

 

「悪質なファンも同業者からの嫌がらせも、杏が現役のときに散々経験してきたからねぇ。その度にプロデューサーがどんな“対応”をしてきたか杏はすぐ傍でずっと見てきたから、もし小梅ちゃん達にそういうのが降り掛かってきたとき、杏ならバッチリ対応できるよ?」

 

 …………。

 

「うーむ、まだ心配って感じだねぇ……。だったらユーレイさんが、小梅ちゃんのことを守ってくれると嬉しいな。杏だって、いつも小梅ちゃんに貼りついてるわけにもいかないし。んで、ついでに他のアイドルも守ってくれると嬉しいんだけど」

 

 ドン。

 

 どうやら小梅を守ることに関して否は無いようだ。

 

「うん、ユーレイさんが守ってくれると心強いよ。それでも杏のせいで小梅ちゃんの身に何かあったら、そのときは杏のこと呪い殺してくれても構わないよ? それくらいの心構えで、小梅ちゃん達のことを預かってるつもりだからね」

 

 軽口を叩くようにとんでもないことを口走る杏だったが、しばらく経っても彼(または彼女)からの返事は無かった。

 しんと静まり返ったトイレの中で、杏は壁から聞こえてくるであろう物音に備えて息を殺す。

 やがて、

 

 ドン。

 

「……許して、くれるんだね?」

 

 どたどたどたどた――!

 

 杏の問い掛けに壁を叩く音は聞こえなかったが、その代わりにドアの向こうから足音が聞こえてきた。聞くだけでも焦っているのが分かる足音が、みるみるこちらに近づいてくる。

 そして勢いよく、ドアが開けられた。

 

「杏ちゃん、無事ですか!」

 

 額を汗でびっしょり濡らした菜々が真っ先に顔を出し、彼女の背中越しに心配そうな表情の輝子が覗き込んできた。李衣菜らバンドメンバーも続々とトイレ前に到着し、杏の姿を見てホッと胸を撫で下ろす。そしてその中には、小梅の姿もあった。

 

「はいはい、杏は無事だよー。それにしてもひどいね、杏がトイレに閉じ込められてるときに、みんなはリビングで仲良く映画鑑賞だなんてさー」

「何言ってるんですか! キッチンの食器が独りでに割れたと思ったら、リビングがいきなり揺れ出して、ナナ達慌てて庭に逃げたんですよ!」

「そうそう! しかもただの地震じゃなくて、私の家だけ揺れてたんだよ! まさかポルターガイストが本当に起こるなんて思わなくて――」

「李衣菜なんか、ガキみたいに泣きべそ掻いてたもんな」

「な、泣いてなんかないし!」

 

 ぎゃーぎゃーと騒ぐ李衣菜達を尻目に、杏は「地震なんて全然来なかったけどな……」と首をかしげていた。

 と、そのとき、皆の後ろに隠れるようにしてこちらを心配そうに見つめる小梅と目が合った。すると彼女はちょこちょこと可愛らしい動きで杏の傍まで駆け寄ると、まるで自分が杏を閉じ込めたような勢いで何度も頭を下げた。

 

「ご、ごめんなさい、杏さん! “あの子”のせいで、こんなことになっちゃって……」

「あー、大丈夫だって。おかげで幽霊と話ができるなんて貴重な体験させてもらったし。――それに、ちゃんとお許しも貰ってきたから、安心して小梅ちゃんをスカウトできるよ」

「……ス、スカウト?」

 

 戸惑うように問い掛ける小梅に、杏はにっこりと笑って頷いた。

 

「映画観てたときに話してたことだけど、今からちょっと時間貰えるかな?」

 

 杏の言葉で皆察したのか、周りの面々は納得したような笑みを浮かべながらその成り行きを見守っていた。

 そして、

 

「……え?」

 

 ただ1人、本人の小梅だけが事情を飲み込めず困惑していた。

 

 

 *         *         *

 

 

 すっかり夜も更け、346プロの本社ビルも人の姿がほとんど無くなった。昼間は日差しが入り込み大勢の人の声で騒がしいここも、夜となるとほとんど電気が消えて暗くなり静まり返っている。

 そんな346プロの廊下を歩く、1人の女性の姿があった。食欲をそそる良い匂いを漂わせる紙袋(“大原ベーカリー346支店”と大きく書かれている)を胸に抱え、かつかつとリズム良く足音を響かせながら歩くその様子はどこか楽しそうだ。というより、今の彼女の表情は明らかにニコニコと嬉しそうだ。

 やがて彼女の視線の先に、薄暗い廊下の中で浮かび上がって見えるほどに光り輝くドアがあった。もちろんドアそのものが光っているわけではなく、部屋から漏れた明かりが廊下を照らしている。つまりそれは部屋の中に誰かがいるということであり、さらに言うとそのドアには“チーフプロデューサー室”と書かれているため、自ずと誰がその中にいるか分かる。

 それを確認した女性は笑みを深め、ドアの前に立ってノックを――

 

「――ねぇ、プロデューサーさぁん?」

 

 部屋の中から少女の声が聞こえ、女性の表情が笑顔から困惑顔へと変化した。しかし一瞬止まった拳を再び動かしてドアを軽くノックすると、部屋の中からの返事も待たずにドアノブを回してドアを開けた。

 突然の音と来客に、椅子に座っている部屋の主が一瞬びくっと肩を跳ね、テーブルに両手をついて身を乗り出していた少女が悠然と振り返る。その少女はセミロングの茶色い髪を緩くふんわりと纏め、あちこちにリボンをあしらった可愛らしい服を身につけている。若干目尻の下がった大きな黒い目が特徴で、じっと見つめているとそれに呑み込まれていきそうである。

 その少女――佐久間まゆは、その女性の姿を見掛けるとにっこりと笑みを深くした。

 

「あらぁ、こんな時間までお疲れ様です、ちひろさん」

 

 薄いブラウンの長い髪を緩く三つ編みにして横に垂らし、明るい緑色の事務服に身を包んだその女性――千川ちひろは、まゆの挨拶に彼女と同じようににっこりと笑って返した。

 

「まゆちゃんも、お疲れ様です。こんな時間までどうしたんですか?」

「いえ、プロデューサーさんの部屋に明かりが点いていたので、飲み物の差し入れをしに来たんですよ」

 

 まゆはそう言って、テーブルに置いていた缶コーヒーに優しい手つきで触れた。

 

「そうですか。私はパンでしたから、ちょうど良かったですね」

 

 そしてちひろも同じように、持っていた紙袋を見せるように軽く挙げた。まゆは今気づいたといった感じでほんの少し目を見開き、そしてにっこりと笑みを浮かべた。それに応えるように、ちひろも口元に笑みを浮かべる。

 そして2人は、そのままじっと互いを見つめて黙り込んだ。互いに動こうともせず、口を開こうともせず、ただ佇んでいるだけという状況に、部屋の主であるはずの武内は居心地悪そうに首の後ろに手を遣って困惑している。

 そして、おずおずといった雰囲気でまゆに話し掛けた。

 

「……佐久間さん、もう遅いのでお帰りになったら如何でしょう?」

 

 その言葉に、まゆは武内へと視線を向け、再びちひろへと視線を戻し、そして再度武内へと視線を向けた。

 

「……ふふ、プロデューサーさん、まゆを心配してくれているんですかぁ? ありがとうございます。――それじゃ、まゆはそろそろ帰りますね」

「はい。タクシーを呼んでおきますので、それに乗って帰ってください。代金はいつものように、領収書を貰って後で渡してくだされば結構です。――コーヒー、ありがとうございました」

「いいえ、そんなお気になさらずに。プロデューサーさんも、あまり遅くまで仕事をなさらないでくださいね」

 

 まゆはそう言って武内に頭を下げて、そしてついでとばかりにちひろを一瞥して頭を下げると、武内にニコニコと手を振りながら部屋を出ていった。

 ちひろはしばらくの間彼女が出ていったドアをじっと眺めていたが、やがて武内へと顔を向けると手に持っていた紙袋を差し出した。

 

「はい、私からも差し入れです。今日も遅くまで働いてるだろうって思いまして」

「ありがとうございます。大原さんの作るパンは冷めても美味しいので、とても助かります」

 

 ほとんど表情の変化に乏しい彼だが、そう言って頭を下げたときの口元は確かに微笑んでいた。

 その反応に安心したように、ちひろはにこりと笑みを浮かべた。

 そして、先程まゆが出ていったドアへと視線を向ける。

 

「まゆちゃんとは、よくこうやって話をするんですか?」

「はい、こうして差し入れをくださったりしてくれます。残業している自分を気遣ってくださるのは有難いのですが、できれば仕事が終わった後はゆっくりと体を休めてほしいのですが……」

「そのこと、まゆちゃんには?」

「前に1回言ったことがあります。彼女もそれを聞き入れてくれたのか、最近は以前ほど頻繁にはいらっしゃらなくなりました」

「……つまり、以前は頻繁に来てたということですね」

「はい、そうですが……。千川さん、何か気に掛かることでも?」

「……そうですね。ちょっと」

 

 武内の問い掛けに、ちひろは苦笑いを浮かべて首を縦に振った。

 佐久間まゆは元々読者モデルをしていたのだが、街を歩いていた武内と“運命的な出会い”をしたらしく、わざわざ読者モデルを辞めて346プロに押し掛けてきたことでアイドルとなった。数ヶ月の候補生を経てデビューしてからはまさに破竹の勢いで売れっ子となり、“奇跡の10人”の次代を担う逸材になるのでは、と大いに期待を寄せられている。

 そんな彼女だが、時々こうして武内に対する看過できない“依存性”が垣間見えるときがある。前に仕事で些細なミスをしたときは、実際には大した影響の無いことだったにも拘わらず「失敗したら褒めてもらえない……」とこの世の終わりのような深刻な表情で呟いていたという。

 

「プロデューサーさんへの想いがそのまま彼女のモチベーションになっているので、一概に否定することはできないんですが……、やはりアイドルとしては少し問題かもしれませんね……」

「……申し訳ありません。私がもっとしっかりしていれば……」

「いいえ、プロデューサーさんが気になさることではありませんよ。まゆちゃんもしっかりと良識を持った子なので、大きな問題に発展することは無いと思いますし……」

「はい。そうならないように、私が全力で佐久間さんをお守りしていきます」

 

 力強くそう宣言した武内に、そういうことを言うからまゆちゃんもますます夢中になっちゃうんですけどね、とちひろは内心苦笑いをした。

 

「ところでプロデューサーさん、パンの差し入れをしておいて何なんですけど、これから一緒に呑みにいきませんか?」

「えっ? しかし仕事が――」

「大丈夫です、明日でもできますから。杏ちゃんの言葉を借りるわけではありませんが、『明日できることは明日やれば良い』んですよ。特にプロデューサーさんの場合は、放っておくと働きづめになっちゃいますから」

「しかし、せっかく千川さんが持ってきてくれた差し入れが――」

「明日の朝に食べれば良いですよ。比較的日持ちするものを選んできましたから、大丈夫ですよ」

 

 その気配りの良さに、まさか最初からそれを狙っていたのでは、と武内は疑いたくなったが、彼女自身は武内を気遣ってしてくれているので、素直にその好意に乗っかることにした。

 

「……分かりました。行きましょう」

 

 そう言って帰り支度を始める武内に、ちひろは嬉しそうな笑みを浮かべて頷いた。

 と、そのとき、テーブルに置いていた武内のスマートフォンがブルブル震えた。

 

「もしかして、大事なメールですか? 私のことは気にしなくて大丈夫ですよ」

「……いえ、どうやら双葉さんのようですね」

「杏ちゃんから?」

 

 思わぬ人物からのメールにちひろが興味を示す中、武内は杏から届いたメールを読んでいく。

 そして、

 

「――――!」

 

 まるで担当アイドルに引退宣言でもされたかのように、大きな衝撃を受けて目を見開いた。

 

「どうしたんですか、プロデューサーさん?」

「――いったいどこで――まさか多田さんの家に――なぜ気づかなかった――なんて失敗を――」

「ちょ、ちょっと! プロデューサーさん、本当にどうしたんですか!」

 

 深刻な表情で何かをぶつぶつ呟く武内に、ちひろが心配した表情で彼へと駆け寄り、彼の持っているスマートフォンを覗き込んだ。

 画面には大きく写真が映っており、李衣菜と彼女のバンドメンバー4人と杏、そして見知らぬ少女が3人映っていた。おそらくこの3人が、杏の事務所で働く新しいアイドルなのだろう。

 それにしても、

 

「……この写真に映ってる、右目を隠した金髪の女の子、随分と目を惹かれますね。確かに見た目凄く可愛いですけど、何だかそれ以上に惹きつけられるっていうか……」

「……その女の子、多田さんの家に出入りしていたらしいです。それで本日、双葉さんがスカウトをしたそうで……」

「へぇ、そうなんですか。――プロデューサーさん、ひょっとして悔しがってますか?」

「……はい、正直、なぜ自分で見つけられなかったのかと後悔しています。多田さんの家には何度も行っているのに、彼女の存在に気づくことができませんでした。もし見掛けたら、絶対にスカウトしていたというのに……」

 

 普段滅多に感情を表にしない武内がここまで悔しそうにしている様子を見て、ちひろは真剣な眼差しで写真に映る金髪の少女を見つめていた。そして彼女の隣で、現役時代にもよく見せていたドヤ顔でピースサインをする杏へと視線を移す。

 

「……これはまた、社長が面白がりそうですね」

 

 そしてぽつりと、ちひろは呟いた。

 

 

 *         *         *

 

 

 次の日、小梅と共に彼女の自宅へ向かった杏は、彼女の両親に娘をアイドルにするために東京へ連れて行くことを許してもらうよう頼み込んだ。2人共最初は杏の姿を見てびっくりしていたが、小梅のことに関してはやけにあっさりと了承した。杏や小梅のことを信じているという口振りではあったが、そのときの両親の表情がどこかホッとしたようなものだったことが、杏達にとって心にしこりの残る原因となった。

 とにかく、こうして正式に小梅がアイドルになることとなった。杏・菜々・輝子の3人は東京に戻るべく李衣菜達と別れると、人の少ない時間帯を狙って駅に向かい、新幹線に乗り込んだ。

 

「いやぁ、李衣菜と仕事の打合せで来ただけだったのに、まさかあんな掘り出し物に出会うなんてねぇ」

 

 ニコニコと機嫌良さそうに笑う杏に対し、菜々と輝子はぐったりした様子で背もたれに寄り掛かっていた。こういうだらだらした格好は杏の専売特許なのに、今はまるで逆の光景になっていた。

 

「まったく、心が安まる暇がありませんでしたよ……。テレビで観ていたアイドルと一緒に生活ってだけでも緊張しっぱなしだっていうのに、そのうえあんな心霊現象に遭遇するなんて……」

「フヒ……、で、でも楽しかった……。今まで誰かの家にお泊まりなんて、無かったから……」

「2人共、結構馴染んでたじゃない。菜々さんは家事を取り仕切ってみんなから感謝されてたし、輝子ちゃんなんてメンバーとセッションしたんでしょ? かなりの逸材だって、みんな褒めてたよ?」

「そ、そんな逸材だなんて……。フヒ……」

「良かったですね、輝子ちゃん! 小梅ちゃんとも仲良くなって、しかも一緒にお仕事もできるんですから! ――そういえば杏ちゃん、小梅ちゃんはいつ頃こちらに来るんですか?」

「色々と転校の手続きとかしなくちゃいけないから、大体1ヶ月くらいは先になるかなぁ。今まで仲良くしてた涼ちゃん達と離れさせちゃうのが心苦しいけど」

「フヒ……、小梅ちゃんがこっちに来たら、小梅ちゃんの家に遊びに行く……」

「そうですね! 寂しいなんて感じさせないくらいに、ナナ達が小梅ちゃんと仲良くなれば良いんですよ!」

 

 互いに顔を見合わせて微笑む菜々と輝子の光景を、杏はボーッと力の抜けた目で見つめていた。

 そして、ふいに窓へと視線を逸らした。きらきらと太陽の光を反射させる海が、窓いっぱいに広がっている。

 

「……ねぇ、2人共」

 

 呟くような杏の呼び掛けに、菜々と輝子が揃って彼女の方を向く。

 

「李衣菜達の生活を見て、どう思った?」

「アイドルのユニットメンバーでの共同生活ってことですか? 何だか素敵ですよね! 修学旅行で友達と旅館に泊まったときのことを思い出します! 懐かしいですねぇ!」

「えっ? 修学旅行が懐かしい?」

「……はっ! いやいや! 別についこの間だったんですけど! ほら! ほんのちょっと前のことでも、つい『懐かしい』って言っちゃうじゃないですか! そういうことですよ! ね!」

「いや、そんなに力説しなくても……。――輝子ちゃんはどうだった?」

「フヒ……、わ、私も、た、楽しそうだなって、思った……。わ、私はずっとぼっちだったから、ああいうの、結構憧れる……。フヒ……」

「そっかそっかー、2人共好意的な意見みたいだね。それじゃさ――

 

 

 ――2人共、杏の家で暮らさない?」

 

 

「えっ?」

「フヒッ?」

 

 2人分の困惑の声を乗せながら、新幹線は東京へと走っていく。



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第8話 『個性』

 柔らかな朝日が差し込むリビングは現在、コトコトと静かにお湯が沸き立つ音と、食欲をそそる良い匂いが部屋中に充満していた。隣接しているキッチンにてその発生源を作り出しているのは、ウサギのワンポイントが可愛らしいピンク色のエプロンを身につけた菜々だった。彼女は鍋の蓋を開けてお玉で中身を掬って小皿に移し、それを口にすると満足そうに微笑んで頷いた。

 と、そのとき、廊下の方でドアの開く音がした。小さくて軽い足音をたててリビングに入ってきたのは、様々なキノコがプリントされたパジャマを着る輝子だった。目覚めたばかりでまだ眠いのか、半開きの目をぐしぐしと擦っている。

 

「お、おはよう、菜々さん……」

「はい、おはようございます、輝子ちゃん。朝ご飯はもうできてますから、まずは顔を洗ってくださいね」

「う、うん、分かった……」

 

 輝子はくるりと踵を返し、危なっかしい足取りで洗面所へと向かっていった。

 

「……さてと、ナナもお姫様を起こさないといけませんね」

 

 呆れたような、困ったような、嬉しそうな、楽しそうな、そんな複雑な表情を浮かべながら菜々はリビングを出た。そのまままっすぐ進むと輝子のいる洗面所やお風呂、さらには玄関へと繋がるが、廊下は右にも続いており、そこにも幾つか部屋がある。

 

「杏ちゃん、朝ですよ、起きてくださーい」

「…………」

 

 一番奥のドアをノックするが、返事は無かった。

 しかし菜々は気にすることなく、そのドアを勢いよく開けた。

 真っ先に視界に飛び込んできたのは、リビングにある物よりも一回り小さなテレビ。そこからはコードが何本も伸び、幾つものテレビゲーム機へと繋がっている。部屋のあちこちに充電器に装填された携帯ゲーム機が転がっており、一番ベッドに近い物は画面を開きっぱなしにして放置されていた。おそらく、それでゲームをしたまま眠ってしまったのだろう。

 そしてその流れで菜々がベッドへと視線を向けると、こんもりと膨らんだ掛け布団から小さくて白い手足が覗いていた。耳を澄ませてみると、すーすーと寝息をたてているのが分かる。

 

「……杏ちゃん、朝ご飯の時間ですから起きてください」

 

 耳元で声を掛けながら体を揺さぶるというコンボで、ようやく膨らんだ掛け布団の中身――杏が目を覚ました。

 

「うーん、あと12時間……」

「夜になっちゃうじゃないですか! はい、早く起きる!」

 

 菜々が掛け布団を引っぺがすと、杏は「ああ、ご無体な……」と嘆きながらそれを追うように腕を伸ばした。しかし体を一向にベッドから離さないために届くはずもなく、彼女の手は虚しく空を切る結果に終わった。

 

「ほら、杏ちゃん。『みんなが揃ってるときは食事は一緒に摂る』ってルールでしょ?」

「うぅ……、昨日ゲームやってて寝るの遅かったんだよ……」

「そんなの杏ちゃんの自業自得でしょ! 早く起きないと、食事抜きにしますよ?」

「……また眠るから、朝食はいらないやぁ」

「今日1日の食事を、抜きですよ?」

「……ひどいよ、菜々さん。横暴だよ」

 

 ぐちぐちと文句を言いながらも、杏はゆっくりとした動きでベッドから起き出した。そんな杏に菜々は満足げに頷き、「食事を作ってる人間が、家庭ではヒエラルキーの頂点なんですよ」と得意満面の笑みで言った。

 菜々に背中を押されながら部屋を出た杏は、そのまま洗面所まで行き顔を洗い、リビングへと向かった。

 

「フヒ……、おはよう、杏さん……」

「うん、輝子ちゃんおはよー……」

「ね、眠そうだね……。また夜中まで、ゲームしてたのか……?」

「うん。レアアイテムを見つけるまで粘ろうと思ってたんだけど、いつの間にか寝落ちしてたよ」

「フヒ……、そ、そうか……」

 

 2人が話している間にも、菜々はてきぱきと動いて3人分の朝食をテーブルに並べていく。艶のあるふっくらとしたご飯に、ナメコ(輝子謹製)と豆腐の入った味噌汁、おかずは焼き鮭に卵焼きにほうれん草のおひたしと、日本食の基本形である一汁三菜を忠実に守った完璧な布陣である。

 

「菜々さんがいるだけで、こうも食生活が劇的に変わるとは……」

「フヒ……、杏さん1人だと、こんな朝食作らなさそうだね……」

「そりゃそうよ。そもそも朝食を作らないからね、基本的に起きるの昼か夕方だし」

「……本当に、杏ちゃんが今までどんな生活を送ってきたのか、気になって仕方がないですよ。――はい、それでは皆さん、頂きます」

「頂きまーす!」

「い、頂きます……」

 

 先程まで眠そうにしていた2人だったが、目の前の料理から漂ってくる良い匂いに胃袋を刺激されて目が覚めたのか、杏は元気よく、輝子は遠慮がちに手を合わせて料理へと手を伸ばした。勢いよく食べ進めていく2人の様子に、菜々は心の底から嬉しそうに笑みを浮かべている。

 

「杏ちゃん、今日はどうするんですか?」

「今日は街をテキトーに歩いてスカウトでもしようかな……。菜々さんと輝子ちゃんと小梅ちゃんの3人でも良いけど、何となくもう1人くらい個性的なのがいた方がバランス良いかなって」

「こ、個性的なのですか……。輝子ちゃんや小梅ちゃんにも負けない個性って、どんな子になるんですかね……」

「いやいや、さも『自分は常識人です』みたいな口振りだけど、ウサミン星人も充分変だからね」

「へ、変って言わないでくださいよ! ナナはウサミン星人なんですから!」

 

 拳を握りしめて力説する菜々に、杏はクスクスと笑いながら味噌汁を啜った。

 そして、唐突に口を開いた。

 

「そうだ、菜々さん。ウサミン星人で思い出したけど、“アレ”はもうできた?」

 

 その瞬間、菜々の表情が強張った。

 

「ええとですね……、もうちょっと待っていただけると……」

「別に構わないけど、早い内に決めた方が良いよ。準備する時間とかもあるんだから」

「はい、そうなんですけど……。どうにも思いつかないと言いますか……」

「あ、あの……。その“アレ”っていうのは、何のこと……?」

 

 2人で会話を続ける菜々と杏に、蚊帳の外だった輝子が問い掛けた。

 

「あれっ、輝子ちゃんには言ってなかったっけ? ――まぁ、強いて名付けるなら“ウサミンヒストリー”?」

「ウ、ウサミンヒストリー? ウサミンの歴史ってことか?」

「そ。菜々さん自身は“ウサミン星人”としてアイドル活動したいけど、普通にアイドルやっててウサミン星人を名乗ってたらただの“電波”でしょ? だからウサミン星人でアイドル活動すること自体に“意味”を持たせたかったんだよ」

「……その答えが、ウサミンヒストリーってことか?」

「そうそう。とはいっても、言ってみれば単なる“設定集”なんだけど――」

「杏ちゃん! “設定”とか言わないでください!」

「……という感じで菜々さんが怒るから、ウサミンヒストリーってことにしてる」

 

 苦笑いの杏と頬を膨らませる菜々に、輝子は「成程……」と納得したように頷いた。

 

「そ、それで……、具体的には何を決めるんだ……?」

「ウサミン星人がどういう生態か、どういう歴史を辿ってきたのか、なんで菜々さんが地球に来たのか、なぜアイドル活動を始めたのか、菜々さんの最終的な“目的”は何か――」

「目的?」

「うん。せっかくだから、菜々さんのアイドル活動自体を1つの“物語”にしようかと思ってね。もちろんそれを知らなくても楽しめるようにはするけど、歌詞の端々にその物語を匂わせるような単語を散りばめて、物語を知ってる人がより楽しめるような感じにしたいと思うんだ」

「おう……、それは楽しそうだな……。ファンの人も一緒に、その物語に参加してる気分になれると良いかも……」

「でしょ? ――まぁ、1つ問題を挙げるとすれば……」

 

 杏はそこで言葉を止め、菜々へと視線を向けた。菜々は気まずそうに彼女から視線を逸らす。

 

「……菜々さんが、なかなかその物語を作れないでいることだよね」

「うぅ……、すみません、こういうのは苦手で……」

「他の人に作ってもらうわけにはいかないのか……?」

「手伝ってもらうっていうのは構わないけど、やっぱりある程度は菜々さん自身に作ってもらいたいんだよね。菜々さんのアイドル活動にずっとついて回るものになるから、本人が納得のいくものにしてほしいし、何より“自主的にやっている”か“誰かにやらされている”かって、案外ファンの人には分かるもんだし」

「ごめんなさい、杏ちゃん……。なるべく早く完成できるようにするので……」

「あぁ、そんな急がなくても大丈夫だよ。突貫工事で作ってつまらなくなったら、そっちの方が困るから」

 

 みるみる落ち込んでいく菜々と、それを慰める杏の姿を眺めながら、

 

「……そっか、大変そうだな」

 

 “生みの苦しみ”というものを味わったことのない輝子は、どこか他人事のような印象を拭えない声色でそう呟いた。

 

 

 *         *         *

 

 

 全体が緩やかな坂になっているその通りは、若い少女達にとってはまさに流行の最先端だった。数多くある個性的なアパレルショップには最新の服が揃っているし、またその店から新たな流行が生まれることも少なくない。他にも女性受けするスイーツ店やプリクラが充実しているゲームセンターなど、とにかく少女達にとって魅力的なものが揃っている。

 なので必然的に通りには少女の姿が溢れかえるようになり、それに追いやられるようにして男性の姿は極端に少なくなっていった。

 しかし完全にいなくなったわけではなく、特に“或る目的を持った男達”が、まるで街灯に誘われる蛾のようにその通りへと集まっていた。

 

「……ったく、全然捕まらねぇ」

 

 スーツをきっちりと着込んだその男もそんな“或る目的を持った男達”の内の1人であり、現在は通り沿いにあるオープンカフェのテーブルに着いてコーヒーを啜っていた。表情には隠し切れていない疲れが滲み出ていて、苛々が声となって表れている彼は、楽しげに通りを歩くカラフルな装いの少女達からは明らかに浮いていた。

 しかし少女達は白い目で彼を見るどころか、何やら期待を込めた目をちらちらと彼に向けていた。おそらく彼女達も、彼が“或る目的を持った男”であることを察したのだろう。

 

 いつまでも回りくどい表現をしても仕方ないので正体を明かすが、彼は“プロデューサー”である。

 “奇跡の10人”の登場以来、空前のアイドル時代に突入した日本の芸能事務所において、いかに有望なアイドルを確保するかが重要となっていた。大手の事務所ならば何もしなくても向こうからオーディションにやって来てくれるが、それほど名の売れていない事務所ではそうもいかない。

 そんなときに用いられるのが、街を歩く少女に直接声を掛ける“スカウト”だ。将来有望そうな少女に直接交渉できるこの手は、以前は専門のスタッフや外部から雇ったスカウトマンに依頼するのが普通だったが、プロデューサーが自らスカウトを行う346プロの成功により、他の事務所もそれに追従するようになった。

 そしてその男もそんな数多くある事務所の1つに所属したプロデューサーであり、まさにスカウトの真っ最中だった。とはいえ彼の様子を見るに、その成果は芳しくないようだ。

 

「ちくしょう……、それもこれも、全部346プロのせいだ……。俺達のためにも、ちょっとは遠慮しろっつーの……」

 

 先程『大手の事務所ならば何もしなくても~』と書いたが、その大手事務所の筆頭である346プロは、現在もスカウトを積極的に行っている。もちろん、現在もプロデューサーが直々に出向くスタイルは変わっていない。

 “奇跡の10人”を排出した事務所から声が掛かったとなれば、その事実だけで他のアイドルとは明確な差が生まれる。なのでアイドル志望の少女の中には、346プロから声が掛かるまで他のスカウトを断るといった行動に出る子も少なくなかった。事実、彼は先程、まさにそんな行動に出ている少女にスカウトを断られたばかりなのである。

 

「くそっ……! さっさと誰か捕まえてこねーと、また上からどやされるんだろうな……」

 

 ぶつぶつと文句を垂れながらも、彼は大通りを歩く少女達を隈無く観察していた。何かあれば即座に外に出られるオープンカフェを選んだことと言い、何だかんだ言って抜け目がない。

 と、そんな彼の目に、或る1人の少女が映り込んだ。その瞬間、あれだけ文句を言っていた彼の口から声が消えた。

 第一印象として、彼女はとにかく黒かった。フリルを多用したドレスのような衣装――一般的にゴシックロリータと呼ばれる服に身を包み、差している日傘も細かい刺繍の施された真っ黒なものを使用していた。長い銀髪をツインテールにするのにも真っ黒なリボンが使われており、若い少女の多いせいか比較的カラフルな景色だったその場所で、そこだけが影に塗り潰されたかのように真っ黒だった。

 しかし何より彼がその少女に目を惹かれたのは、その服装が彼女にとても似合っていたからである。ゴシックロリータ自体は日本生まれであるものの、西洋文化で培われた服装に着想を得たという経緯もあり、典型的なアジア顔である日本人が着てもあまり似合わないというのが正直な感想だった。しかし彼女の場合、日本人にしてははっきりとした目鼻立ちをした文句無しの美貌を兼ね備えていたために、そのような衣装を着てもまったく違和感が無かった。

 

 間違いなく、彼女ならトップアイドルになれる。そう思った彼は、店員に呼び掛けてコーヒー分のお代をテーブルに置くや、カフェを仕切っていた柵を跳び越えて彼女の下へと走っていった。

 こちらに向かって走ってくる男性の存在に気づいた少女は、目を丸くして慌てふためいていた。そのせいで足が動かず、男が辿り着くまでの間に逃げ出すことができなかった。

 

「……き、君! ちょっと良いかな! 僕はこういう者なんだけど!」

 

 久し振りの全力疾走で息が上がっていたが、彼は構わずに懐から名刺を取り出した。必要最低限の情報しか書かれていないシンプルなものだったが、“プロダクション”と“プロデューサー”という単語が伝わるだけで充分だ。

 

「アイドルに興味は無いかな! 君ならば、絶対にアイドルでトップになれる!」

 

 彼の熱の籠もった言葉を聞きながら、彼から差し出された名刺をじっと見つめながら、その少女は口を開いた。

 

 

「我を幻想の世界へ誘おうと言うのか……?」

 

 

「…………、はっ?」

 

 その瞬間、彼は時間が止まったかのような錯覚を感じた。

 

「我をかような幻惑魔法の支配下に置きたくば、(おの)が魔力の全てを尽くして立ち向かわねばならぬと心得よ!」

 

 そして再び彼女の口から飛び出した言葉を聞いて、彼は先程の台詞が聞き間違いでも白昼夢でもないことを思い知った。口元が引き攣っていくのを感じながらも、それでも彼は笑顔を極力維持しながら再び話し掛ける。

 

「え、えっと……。普通の言葉で話してくれるかな……?」

「我に偽りの言霊を紡げと申すか! 恥を知れ、(たわ)けが!」

「……えっと、僕は君と話がしたいんだ。いきなりのことで警戒するのは分かるけど、何事も会話しなければ理解できないと思うんだよね……?」

「姿形を人間に偽れど、我が魂は何物にも変質することはできぬ。さすれば貴様が真に魔王と相対することを望むのならば、祭壇に足を踏み入れる以外によもや方法は無い」

「…………」

 

 見目麗しいゴスロリ少女に声を掛けたら、訳の分からない言葉で返された。

 この事実が、彼にこれ以上踏み込むことを躊躇わせた。しかもよくよく彼女の言葉を聞くと、まさか彼女は自分のことを“魔王”と思い込んでいるのではないだろうか。

 

 ――ちくしょう、まさかの“電波”かよ……。でもここで引いたら、せっかくの逸材が……。

 

 男は1回大きく深呼吸をすると、再び笑顔を貼りつけて彼女へと向き直った。

 

「そ、そっかぁ! 君は魔王なのか、そりゃ凄いなぁ! でもさ、せっかくそんなに可愛らしい顔をしているのに、魔王だなんて勿体なくないかい? ここは1つ、僕の誘いに乗ってアイドルになってみたらどうだろう!」

 

 努めて明るい声で高らかにそう言って、彼は少女へと目を向けた。

 彼女は頬を膨らませて、いかにも不満そうな表情を浮かべていた。元々の可愛らしい顔のせいであまり迫力は無いが、その両目は明らかに彼を睨みつけている。

 

「……貴様の魔力からは、穢れを感じる」

 

 そしてぽつりとそう呟いて、彼女は男の脇を通り過ぎてその場を去ろうとした。

 そんな彼女の背中に向かって、男が呼び掛ける。

 

「――君、友達いないだろう?」

「――――」

 

 ぴたり、と少女の足が止まった。

 

「ああ、その反応を見ると、やっぱり図星のようだね。そりゃそうか、自分を魔王だなんて偽って、常に難しそうな言葉をこねくり回してるような奴、周りにいたら絶対に近づこうだなんて思わない」

 

 1歩1歩ゆっくりと、足を止めたまま動かない少女へと近づいていく。

 

「そして君はそのせいで現実世界はつまらないと結論づけて、ますます空想の世界へと逃げていく。そして現実世界の連中からますます疎まれて、の悪循環だ。君が空想世界の住人でいる限り、君の周りに人が近づくことはない」

 

 少女の真後ろで、男は足を止めた。日傘に隠れて彼女の様子を窺い知ることはできないが、それでも構わずに男は話を続ける。

 

「だが残念ながら、人は結局現実世界で生きていくしかない。そうやって空想世界に浸っている人間には、最後に待っているのは“社会不適合者”という不名誉な称号だけだ。――しかし幸いなことに、君の顔立ちは人より整っている。君がアイドルとなって今の自分から“脱却”することができれば、それだけで君の周りに人が自然と集まってくるようになるさ」

「…………」

 

 男の話を聞いているのか分からないが、少女は何も言わず1歩も動かずじっとその場に立ち続けている。

 すると彼はその隙に少女の正面に回り込み、俯く少女に見えるように手を差し出してきた。

 

「ほら、独りぼっちの今から抜け出すためにも、僕の手を取ってみようじゃ――」

「はいはい。お兄さん、あまりいじめちゃ可哀想だよー」

 

 しかし男の手を取ったのは目の前の少女ではなく、いきなり横から割り込んできた背の低い少女だった。もう少しのところで邪魔された形となった男としては、その顔にありありと苛立ちが浮かんでも仕方ないだろう。

 男は割り込んできた少女へと視線を向け、そして苛立った表情は少しして怪訝な表情へと変わり、そして目を丸くして驚愕の表情へと変わった。

 

「……まさか、双葉杏!」

「へっ……?」

 

 サングラスを掛けた地味な服装をしているが、間違いなく彼女は双葉杏だった。引退してから5年経っても色褪せることなく憶えていた彼女を目の前に、男は思わず名前を呟き、少女は思わず素の声を出していた。

 そんな2人に向かって、杏は顔を上げてにやりと不敵な笑みを浮かべてみせる。

 

「というか、お兄さん。さっきのスカウトは何なの? 相手を不安な気持ちにさせて自分の誘いに乗らないといけない気持ちにさせるって、完全に手口が詐欺師じゃん」

「……き、君には何の関係も無いだろう。これは、僕と彼女の問題なんだからな」

「杏だって、先に声を掛けた人がいたから諦めようかと思ったけどさ、あんな勧誘の仕方をしてたら放っておくわけにはいかないでしょ。あんなやり方でアイドルになったとして、本当にそれでこの子の魅力を充分に引き出せると思ってるの?」

「……な、何を知った風な口を! き、君はすでに引退した人間だろ! 何の責任も無く遊びほうけているような人間が、必死に働いている俺に指図をするな!」

「うーん……、つい最近まで事実だっただけに耳が痛い……。でもまぁ、今はそんなことないんだよ? ええと、確かこういうときのために作ったんだっけ……」

 

 杏はそう言ってポケットをごそごそと探ると、小さな紙切れ2枚をそれぞれ男と少女に渡した。それはどうやら名刺のようで、そこには“双葉杏プロダクション(仮)代表取締役兼プロデューサー・双葉杏”と書かれていた。

 

「いやぁ、菜々さんから『スカウトするんなら、名刺くらい作った方が良いですよ』ってアドバイスされたのが役に立ったよ。やっぱスカウトと言ったら名刺だよねぇ」

「…………」

 

 杏の独り言は、男の耳には届いていなかった。

 言わずと知れた“奇跡の10人”の中でも一番最初に売れ、アイドルとして数々の伝説を築いてきた双葉杏。そんな彼女が芸能界に復帰するだけでも驚きだというのに、新たに芸能事務所を立ち上げてプロデュースを行うというのだ。彼女の現役時には芸能界の仕事をしていなかった彼でさえ、この事実は衝撃的なものだった。

 

「……そ、それで、そんな新事務所のプロデューサーである君は、まさか今僕がスカウトしようとしていたこの子を横からかっ攫う気なのかな?」

「うん、そうなるね」

 

 牽制のつもりで質問をぶつけたつもりだった彼だが、杏の間髪入れない答えに逆に面食らった形となってしまっていた。

 その隙に、杏は少女へと顔を向けた。小さい頃にテレビで観ていたアイドルに至近距離で見られ、びくっ! と少女は肩を震わせた。

 

「名前、教えてくれる?」

 

 にこりと優しい笑みを浮かべてそう尋ねる杏は、体こそ少女より圧倒的に小さいが、間違いなく彼女よりも年上のお姉さんだった。

 

「……神崎、蘭子」

「そうか、蘭子ちゃんね。――杏の事務所に来れば、“魔王”のままアイドルにできるよ」

「はっ?」

「――――!」

 

 杏の思いもよらない発言に、男は素っ頓狂な声をあげ、少女――蘭子は目を見開いた。

 

「もちろん蘭子ちゃんにアイドルになる気があるなら、って前提付きだけどね。もし蘭子ちゃんがアイドルになったとしても、杏の事務所なら蘭子ちゃんが望むままのアイドルにしてあげるし、そのための売り方を一生懸命考えるから」

「――な、何をでたらめな!」

「今杏の事務所にいるアイドル候補生ってね、個性的な子達ばかりなんだよ。永遠の17歳を自称する宇宙人とか、キノコを愛するメタルとか、守護霊に憑かれてるホラー好きとか、そんなのばっかりなんだよ。蘭子ちゃんみたいなキャラなんて、まだマシな方じゃないのかな?」

「……はっ! そんなふざけたキャラで、売れるわけないだろ!」

「どのレベルまで行けば“売れる”って言えるのかは分からないけど、そもそも万人受けを狙う必要は無いんだよ。世の中にはね、そういうニッチな需要の方が好きって人も一定数いるんだから」

 

 杏は男から目を逸らし、呆然とした表情でこちらを見つめる蘭子へと向き直った。

 

「プロデューサーの役目は担当しているアイドルの魅力を最大限引き出すことと、その魅力を活かした売り出し方を全力で考えてサポートすること。まぁこの言葉自体は、杏を担当してたプロデューサーの受け売りだけどね。でもまぁ、杏もそうだと思ってるよ。――だからアイドルが魅力的でいられるなら最大限本人の希望を尊重するべきだし、ましてやプロデューサーのやり方にアイドルをむりやり嵌め込むなんて下策中の下策だよ」

「……わ、私の希望?」

「騙されるな! そいつは都合の良いことを言ってるだけだ! そいつの所に行っても、そんな頭のおかしいキャラで売れるわけがない! 俺の所に来れば、間違いなく君はトップアイドルになれるんだ!」

 

 男の言葉を聞いていた杏が、ぷっ、と吹き出した。

 

「何がおかしい!」

「……あのさ、まだ分かんない? 蘭子ちゃんはね、“トップアイドルになること”になんて興味が無いんだよ。そもそもアイドルになるなんて選択肢自体、今こうして声を掛けられて初めて考え始めたことなんだから。蘭子ちゃんが望んでいるのは、“ありのままの自分でいられるか”なんだよ」

 

 そして杏は改めて蘭子に向き直り、そして今までにない真剣な表情でこう言った。

 

「蘭子ちゃん。魔王を自称しても誰も文句を言わない世界を、一緒に作っていこうじゃないか」

「――――」

 

 その瞬間、蘭子の息を呑む音が聞こえた。

 そしてそれを見た男は、確信してしまった。

 

「――ま、待て蘭子ちゃん! 君は騙されているんだ! 双葉杏の言っていることは、単なる理想論だ! そんなこと、現実的にできるわけがない! せっかく君にはトップアイドルになれる器があるというのに、それをみすみす逃してマイナーなアイドルで妥協する必要なんか無い!」

 

 男の言葉を受けて、蘭子が彼の方を向いた。自分の言葉が届いたのか、と彼は喜色を浮かべるが、彼女の表情が未だに不機嫌なのを見てそれが勘違いであることに気がついた。

 

「……貴様が見ているのは、ただの闇だ」

「はっ?」

「闇に向かって叫んだとて、もはやそこに我はおらぬ。それにも気づかぬ者に、我は姿を現さぬ」

 

 蘭子はそう言って、未だに呆然とした表情を浮かべる男から顔を逸らした。それ以降、彼女が男に目を向けることはなかった。

 そして目の前にいる、自分よりも背の低い年上の元アイドルに手を差し出し、

 

「……お主とならば、幻惑の世界を共に歩むことを許そう。仔細を聞かせるが良い」

「そんなに早く決めて良いの? 一旦家に持ち帰って考えてみたり、親御さんに相談してみたり」

「構わん。過去にも我を召喚せしめんとする有象無象が大勢いたが、いずれも偽りの姿に翻弄され幻想に囚われるのみで、誰も我の前まで辿り着くことはなかった。――お主ならば、我が力を分け与えることも吝かではない」

「おぉ、そっかそっかぁ! いやぁ、ありがとうね! ――それじゃ詳しい話は別の場所に移動してからにしよっか!」

「うむ、承知した!」

「ちょ、ちょっと待て!」

 

 そのままこの場を去りそうな雰囲気になっている2人を、男が慌てて呼び止めようと声を張り上げた。しかし2人が振り返ることはなく、男はみるみる小さくなっていく2人の背中を呆然と見つめることしかできなかった。

 そして2人の姿が消えてからしばらく経った頃、男は手元にあった名刺に目を遣った。“双葉杏プロダクション(仮)代表取締役兼プロデューサー・双葉杏”という文字列が、先程と変わることなくそこに書かれていた。

 

「……憶えてろよ、双葉杏」

 

 ぽつり、と彼が呟いたその声は、街の雑踏に掻き消された。

 

 

 

「いやぁ、それにしても、あの人がいてくれて助かったよ」

 

 男と別れてしばらく歩いていると、ふいに杏がそんなことを独りごちた。それは先程の男に感謝するような内容であり、杏の隣を歩いていた蘭子はそれを聞いて男にひどい言葉を掛けられたのを思い出したのか、不機嫌に頬を膨らませる。

 

「お主は、瘴気(しょうき)を撒き散らす醜悪な輩を歓迎すると言うのか?」

「えーと……、何となく蘭子ちゃんがあの人を悪く思ってるのは分かるよ。でもあの人が蘭子ちゃんに声を掛けたおかげで、結果的に杏と蘭子ちゃんがこうして出会えたんだから、あの人に感謝しても良いって気持ちにならない?」

 

 杏の言葉を聞いて、蘭子はハッとしたように目を丸くした。そして拗ねたように唇を尖らせると、もじもじと体を動かしながら、

 

「……うん」

 

 と、消え入りそうな声で答えた。

 杏は蘭子の反応に笑顔で頷いて、再び前を向いて歩き出した。

 

 ――本当、あの人のおかげだよ。あの人が蘭子ちゃんをあそこまで追い込んでくれたおかげで、かなり楽にスカウトすることができたんだから。

 

 その胸の内に、黒い想いを抱きながら。



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第9話 『物語』

「ここなんだけど、蘭子ちゃんは甘いもの大丈夫?」

「甘美なる蜜は、我が血を昂ぶらせるわ!」

 

 杏が蘭子を連れて案内したのは、彼女をスカウトした場所から少し離れた場所にあるスイーツ店だった。甘い香りが表にまで漂ってくるそこは、その匂いに引っ張られるように集まってきた大勢の少女や若い女性、そしてごく少数のスイーツ好きの男性で賑わっていた。

 

「よし、それじゃ入ろっか」

 

 杏はそう言ったものの店の入口には向かわず、店の横にある小道に入って裏へと回った。彼女の後ろをついて来る蘭子が、首をかしげて怪訝な表情を浮かべる。

 

「店に入るのではないのか?」

「入口から入ったら、お客さんが騒いでパニックになっちゃうからね」

「成程……。伝説の勇者の気苦労は計り知れぬ、というわけだな」

 

 独特の言語で納得する蘭子に苦笑いを浮かべながら、杏はどう見てもスタッフ用の出入口にしか見えないドアを開けて中へと入っていった。両脇に段ボール箱が積み重なる狭い通路を通り抜け、スタッフが忙しなく働く厨房の脇へと差し掛かる。当然ながらこんな場所に入ったことのない蘭子は、おっかなびっくりといった感じにあちこちに目を遣りながら、杏のすぐ後ろに貼りつくようにして歩みを進めていく。

 と、そのとき、調理スタッフらしき若い女性が杏達の姿を見つけ、驚いたような表情を見せて駆け寄ってきた。怒られる、と蘭子が思わず身構えていると、

 

「杏さん、いらっしゃいませ!」

 

 怒るどころか、ニコニコと満面の笑みで杏を歓迎していた。自分の心配が杞憂に終わってホッと息を吐く蘭子を尻目に、杏がその女性に問い掛ける。

 

「奥のVIPルームを使いたいんだけど、空いてるかな?」

 

 すると女性はその部屋のある方をちらりと見遣り、少し困ったように眉を寄せた。

 

「えっとですね、今“社長”がいらっしゃってて……」

「……へぇ」

 

 すると杏は何かを企むようにニヤリと笑みを浮かべ、VIPルームへと早足で歩いていった。蘭子とその女性が慌てて追い掛ける中、杏は部屋のドアをノックもせずにいきなり開けた。

 

「――あ、杏ちゃん! なんでここに!」

 

 部屋の中で幸せそうな表情でパフェを食べていた女性――三村かな子が、驚いたように肩を跳ねて大声をあげた。テーブルの上にはかな子が食べているパフェだけでなく、ケーキやアイスなど店中のスイーツが所狭しと並んでおり、部屋中に甘ったるい匂いが充満していた。

 圧倒されるほどのスイーツの量に、そして突然の“奇跡の10人”登場で目を丸くする蘭子に対し、ある程度この光景を予想しており、かつて彼女と“同僚”だった杏は特に驚く様子も無くかな子の正面に腰を下ろす。

 

「やっほー、かな子。まさか“査察”の真っ最中だとは思わなかったよ」

「さ、査察だなんてそんな……。私はただ、美味しいスイーツを食べに来ただけで……」

「いや、社長が自分の店に来て自分が開発した商品を食べるのは、立派な“査察”だからね」

 

 杏の言葉に、かな子は「そんなつもりは無いんだけどなぁ」と呟きながらパフェを一口食べた。その瞬間、何も言わなくても美味しいことが伝わってくる満面の笑みを浮かべた。

 見た目にはスイーツ好きの可愛らしい女性にしか見えないかな子だが、現在彼女はアイドル活動やグルメリポーターをする傍ら、グループ全体で100店舗を超えるレストランを経営する会社の“代表取締役社長”も勤めている。

 彼女が会社経営を始めるきっかけは、スイーツ好きを公言していた彼女が開発したスイーツを既存のファミレスで販売するというアイドル活動の一環だった。しかしその頃からグルメリポーターとして様々な一流の味を知ったことで舌が肥え、リポーターとしての役割を果たすために猛勉強して知識をつけていた彼女は、溢れるように次々と新作スイーツのアイデアを生み出していった。

 

 それを見て単なる仕事の一環として片づけるには惜しいと思った武内Pの進言により、346プロが出資する子会社という形でスイーツ店をオープンし、かな子を“店長”に位置づけた。結果、このスイーツ店は見事大当たり。現在では都内だけでも10店舗、全国を合わせると60店舗は下らない全国展開を続け、かな子の役職もいつの間にか“代表取締役社長”となっていた。

 しかもこの仕事を通してかな子は飲食店の経営の楽しさに目覚めたのか、スイーツ店以外にも様々な種類の飲食店をオープンさせ、その全てにおいて成功を収めている。和食や洋食、イタリアンや中華、果てはステーキ専門店にビュッフェまでその分野は多岐に渡り、346プロの敷地内にかな子の会社専用のビルまで建つほどに成長していた。

 基本的に店単体の経営は店長に一任されているが、かな子がまったく関わらないというわけではない。今回のように突然店に顔を出しては商品をチェックして、気になることがあればその場で店長に伝えるといったことも行っている。かな子の店すべてにVIPルームがあるのは、芸能人にも気兼ねなく来てもらいたいという想いと共に、かな子がいつでも査察を行えるようにしている、というのはスタッフの間でまことしやかに囁かれている噂である。

 閑話休題。

 

「ところで、杏ちゃんの後ろにいる子って、もしかして杏ちゃんの所の新しいアイドル?」

「そうそう、さっきそこでスカウトしてきたばかりの逸材だよー。――はい蘭子ちゃん、ご挨拶」

「ふえっ! ――しょ、承知した」

 

 一瞬“素”を見せるほどに驚いた蘭子だったが、覚悟を決めてかな子に向き直ると、大きく1回深呼吸をして口を開いた。

 

「我が名は神崎蘭子! この世界に降臨して14年の歳月が経った! 此度は“怠惰の妖精”より召喚され、幻惑の世界を統べるべく同盟を結ぶことと相成った! 以後、友として、そして宿敵として共に世界を歩もうぞ!」

「……う、うん! よろしくね!」

 

 1拍遅れて、かな子が笑顔で返事をした。初見にしてはなかなかの反応だろう。ちなみに杏は蘭子の横でその挨拶を聞いて「もしかして“怠惰の妖精”って杏のこと?」と尋ねていた。

 

「あ、もしかしてこれから大事な話をしようとしてここに来たの? だったら、私は帰った方が良いかな?」

「いやいや、むしろ杏達の方がお邪魔してるんだから、そんな気にしなくて良いよ。――それにかな子には後で“相談”したいことがあるから、できれば残ってほしいんだよね」

「相談? 杏ちゃんが良いって言うなら、私もここで聞いてるけど……」

 

 かな子はそう言うと、今度はパンケーキに手を伸ばして一口食べた。途端に顔を綻ばせる彼女に、杏は苦笑いにも見える暖かい笑顔を浮かべた。

 そして杏は蘭子を自分の隣に座らせると、かな子の見ている前で説明を始めた。

 

「それじゃまずは、杏の事務所について話すか。――杏が今計画してるのは、拠点となる劇場だけで活動する地下アイドル路線ね。テレビで活躍するようなアイドルほどは有名になれないしファンの数も多くないと思うけど、普通のアイドルよりも自由に活動できるから、蘭子ちゃんが望んでいる方向性でも充分大丈夫だと思うよ」

「蘭子ちゃんの路線って、さっき私に挨拶したような感じ?」

「そうそう、ファンタジー系の中二病って感じね。蘭子ちゃんが今着ているようなゴシック系の衣装で、中二感バリバリの曲を歌ったら雰囲気出るんじゃない?」

「うん、そうだね! 蘭子ちゃん、その服も凄く似合ってるし、いっぱいファンができるんじゃないかな!」

「おお……!」

 

 自分の大好きなものばかり集めたステージで高らかに歌い上げる自分を想像したのか、蘭子は目を輝かせて興奮した様子を見せていた。

 

「せっかくだから、蘭子ちゃんの希望も聞いてみるか。蘭子ちゃん、何か『こういう感じのライブがしたい!』ってイメージとかあるかな?」

「わ、我が決めるのか!」

「うん、そうだよ。杏の事務所は、アイドル本人の自主性を尊重する方針だからね」

「そ、そうか。うむ……」

 

 蘭子は顎に手を遣って、眉間に皺を寄せた難しい表情で考え込んだ。アイデアを出そうと知恵を振り絞っているようにも見えるが、その目は先程からちらちらと、自分が持っていた鞄(ゴスロリの服に合うように黒を基調とした装飾が施されている)へと向けられていた。

 そして杏は彼女のそんな態度に気づきながら、あえて問い質すような真似はしなかった。じっと彼女を見つめながら、彼女の方から話を切り出してくれるのを待っている。そしてそんな2人を、かな子は固唾を呑んで見守っている。

 やがて、蘭子が口を開いた。

 

「……我は時々、独りで魔導書の作成に取り組むときがある」

「魔導書? ……それ、今持ってたりする?」

「…………、うむ」

 

 やや時間を掛けて頷いた蘭子は、緊張した面持ちでその鞄から1冊のスケッチブックを取り出した。しばらくそれをじっと見つめていた蘭子だが、やがて頬を紅く染めて黙ってそれを杏に差し出した。

 

「うん、じゃあ見せてもらうよ」

 

 杏はそれを受け取って、自分にしか見えないようにゆっくりとそれを開いた。かな子も本人の気持ちを察して、それを覗き込むような真似をせずに、杏の表情のみを眺めながらテーブルのスイーツを一口食べた。そして蘭子はお湯でも沸かせそうなほどに真っ赤に染まった顔で、じっと杏のことを見つめていた。

 

「……蘭子ちゃん、これって自分で全部考えたの?」

 

 やがて杏が、スケッチブックに目を遣りながら真剣な表情で蘭子に問い掛けた。蘭子はピクリと肩を震わせると、恐る恐るといった感じで口を開く。

 

「う、うむ。細かい箇所に古文書より解読した詠唱を用いたものもあるが、ほぼ我が手によって作成されたと言っても過言ではない」

「成程ね……」

 

 そして杏はスケッチブックをパタリと閉じ、蘭子へと向き直った。

 

 

「うん、採用」

 

 

「ふぇ?」

 

 いきなりの言葉に、蘭子は理解が追いつかず素の声を出してしまった。

 

「良いじゃん、これ! なかなか面白いストーリーだよ! これをライブに取り入れれば、他の3人にも負けない個性的なライブになると思う!」

「こ……これをか?」

 

 そのスケッチブックに描かれていた、まるで悪魔のような羽根の生えた蘭子のイラストに詳細な設定、そしてそれを基にした物語がそのまま形にされることが恥ずかしいのか、蘭子は再び顔を紅く染め上げた。

 

「ストーリーを取り入れるってことは、ミュージカルみたいにするってこと?」

「それも良いんだけど、もっとお客さんが一緒になって参加できるような感じにしたいなぁ……。菜々さんとは別の切り口で、ライブを観てるお客さんも巻き込めるようなやつ……」

 

 杏の言葉はどんどん小さくなり、やがてぶつぶつと独り言を呟きながら思考を巡らせることに没頭し始めた。このような彼女の姿を何度か見たことのあるかな子は、こうなると話し掛けても返事をしないことを分かっているため、蘭子に「せっかくだから食べてって」とテーブルに並べられたスイーツを勧めている。

 

「そ、そうか……。我の生み出した世界が、よもや産声をあげることになろうとは……」

 

 しかし蘭子はそんな余裕も無い戸惑うような表情で、ぽつりとそう呟いた。

 頭の中に広がる空想の世界を、断片的にでも具現化してきたスケッチブック。特に誰かに見せるわけでもなく、自分1人が満足できればそれで良かった。というよりも、現実に存在できないからこそ、紙という狭い場所にでも構わないから目に見える形にできればそれで良かった。

 それが杏という女性に出会ったことで、現実世界に自分の空想世界が具現化するかもしれない。今まで自分が考えたこともない未知の世界が待っているという事実をようやく実感してきた蘭子は、一抹の不安と、そして大きな希望に胸をいっぱいにしていた。

 

「ねぇ、蘭子ちゃん」

 

 と、いつの間にか思考の世界から戻ってきた杏が、蘭子に声を掛けてきた。

 

「如何した、怠惰の妖精よ」

「蘭子ちゃんって、そういう物語を考えるのとか好きなんだよね?」

「その通りだ。新たな世界を創造することは、我の存在理由と同義である」

「そっかそっか。それじゃさ――」

 

 杏はそこで一旦言葉を区切り、にやりと何かを企むような笑みを浮かべて問い掛けた。

 

「――今から、杏の家に来ない?」

 

 

 *         *         *

 

 

 蘭子との打合せを終え、その後のかな子との“相談”を済ませた杏は、蘭子を引き連れて自分の住むマンションへと戻った。

 最初蘭子は杏の家と聞いて、海辺に建つ真っ白で大きい一軒家という、いかにも“成功者の家”といった感じの家をイメージしていたが、実際にはどこにでもあるようなごく普通のマンションだった。確かに最新機器のセキュリティシステムに加えて管理人が入口を監視していることから、セキュリティに関しては他のマンションよりも厳重な造りになっているが、この程度ならば平均よりも少し高い給料で充分住めそうである。

 

「ささ、どうぞどうぞー」

「う、うむ……! 邪魔するぞ……!」

 

 しかし緊張で頭をいっぱいにしていた蘭子にはそんなことを気にする様子も無く、杏に促されるままにマンションの入口を潜ってエレベーターに乗り込んだ。中層階のとある一室、最上階でも角部屋でもないそこが杏の部屋であり、入口には表札すら掲げられていない。

 

「ただいまー」

 

 杏が部屋の奥に呼び掛けながら中へと入っていくと、玄関から伸びる廊下に面したドアの1つが開かれ、中から灰色とも銀色とも形容できる長い髪をもつ少女が顔を出した。

 

「お、お帰り、杏さん……。後ろにいるのって、もしかして……?」

「そ。新しいアイドル候補生だよ」

「――わ、我が名は神崎蘭子! 今日より幻惑の世界を統べるべく、この者と手を組むことと相成った! 同胞よ、共に世界という名の舞台で踊り明かそうぞ!」

「……成程、かなり個性的だな。そして可愛い……。――わ、私は星輝子。よろしく……」

「輝子ちゃんはこう見えてメタルが好きなんだよ。しかも自分で作詞作曲もしてるの」

「何と! お主は自在に音を操るというのか!」

「フヒ……、そ、そこまで大層なものじゃ……」

 

 蘭子と輝子が話している間も、杏は時折部屋の奥をちらちらと覗き込んでいた。こういうときに真っ先に駆けつけそうな彼女の姿は、まだ現れていない。

 

「輝子ちゃん、菜々さんは?」

「フヒ……、リビングで“格闘”してる……。かなり苦しんでるな……」

「怠惰の妖精よ。お主が力を貸して欲しいというのは、その者のことか?」

「うん、そうだよー」

 

 輝子が「えっ? 妖精?」と戸惑っているのを無視して、杏がリビングのドアを開けた。

 普段食事を摂るときに使うテーブルに、精根尽き果てた様子で突っ伏している菜々の姿があった。ノートは何度も書いては消してを繰り返したような跡があり、しかし最終的には1文字も残っていなかった。

 

「……あれ、杏ちゃん? ごめんなさい、帰ってたのに気づかなくて」

 

 杏達に気づいた菜々が笑顔を浮かべて立ち上がるが、その笑顔にも立ち振る舞いにも力が籠もっていない。疲れ切っている彼女の姿に、杏と輝子は苦笑いを浮かべ、蘭子は純粋に心配そうな表情を見せる。

 

「随分苦戦してるみたいだねぇ、菜々さん」

「ええ。小さい頃から空想するのは好きだったんですけど、細かい設定まで考えたことが無くて……。やっぱりナナは、こういうことには向いていないのかもしれません……。――ところで杏ちゃんの後ろにいるのって、もしかして……?」

「そ。杏達の新しい仲間だよー」

「我が名は神崎蘭子! 今日より幻惑の世界を統べるべく、この者と手を組むことと相成った! 同胞よ、共に世界という名の舞台で踊り明かそうぞ!」

「……成程! これはなかなか強烈ですね!」

 

 一瞬遅れた菜々のリアクションに、杏は満足そうに頷いた。

 

「蘭子ちゃんは見ての通り、昔から空想するのが大好きなんだよ。きっと、菜々さんの力になるんじゃないかな?」

「そうなんですか? それは心強いですね! よろしくお願いします!」

「うむ! 我に任せるが良い!」

 

 蘭子は高らかにそう宣言すると、菜々に向き直った。

 

「“月よりの使者”よ! お主が自身の本当の姿を見出せないのは、シナプスの海が途方もない深さであるからではないか?」

「……つまり、どういうことですか!」

「あー……、多分『どこから手をつければ良いか分からないから困ってるんじゃないの?』みたいなことを言いたいんじゃないかな?」

「あー、はいはい! そんな感じです!」

 

 菜々が何回も頷くと、蘭子は顎に手を遣っていかにも考え事をしているかのようなポーズを取った。普通の人がやると滑稽にしか見えないが、蘭子の場合は顔立ちがかなりのレベルで整っているため妙に様になっている。

 

「お主が幻惑の世界を歩もうとする理由は何だ?」

「あっ、今のは何となく分かりますよ。アイドルを目指す理由ですよね? ――テレビで観ていたアイドルが凄く輝いて見えて、何だか元気が湧いてくるんですよ! それで『明日も頑張ろう』って気分になるんです! 菜々もいつかは、そんなアイドルになれたら嬉しいですね!」

 

 やはり長年アイドルに憧れてきただけあってスラスラ出てくるうえ、それを話すときの菜々は生き生きしている。

 

「ならば、その想いを基点にして広げていけば良い」

「基点に、ですか?」

「うむ。我が紡ぐ魔法も、元を辿れば数百もの単語の羅列である。その単語それぞれの意味や構成を熟慮し、想いをその中に込めることで、その魔法は初めて効果が表れて意味を成す。お主にとってその想いは、お主自身を構成する根幹を成すものであるはずだ。その基盤を強固にすることが、これから幻惑の世界を歩むお主にとって何よりの指針となるであろう」

「…………、ふむ」

 

 回りくどい言い方のせいで菜々は理解に手間取ったが、蘭子の言いたいことはよく分かった。全体の設定を一気に決めようとするとどう手をつけて良いのか分からず途方に暮れるが、最も重要なことに的を絞って設定を決めていけば、他の部分に関しても数珠つなぎに定まっていくと主張したいのだろう。多分。

 菜々が頑張って蘭子の言葉を理解しようとしている間にも、蘭子は大袈裟な身振りを交えて“バーンッ!”という擬音が聞こえてきそうな勢いでポーズを取った。右手の親指・人差し指・中指を立てて顔の前に持ってくるそのポーズを見て、杏は「あれは……フレミングの右手の法則!」とリアクションを取っていた。

 菜々はそのポーズの迫力にしばらくの間圧されていたが、やがてハッと我に返ると、

 

「……えっと、そうですね! 蘭子ちゃんが手伝ってくれると百人力です!」

「うむ! では早速取り掛かるぞ! 一刻も早く魔導書の作成に取り掛かることが、世界を統べる最も近道となるのだ!」

「何だかよく分かりませんけど、言いたいことは何となく雰囲気で分かりますよ!」

 

 菜々と蘭子はテンション高く叫びながら、つい数分前に顔を合わせたばかりとは思えないほどに息を合わせて菜々の部屋へと駆け込んでいった。

 

「うんうん、これなら菜々さんの“設定”も早く決まりそうだね」

「フヒ、そうだな……」

 

 事の成り行きを見守っていた杏と輝子が、頷きながらそんな会話を交わした。その様子はさながら、子供の成長を見守る親のそれに酷似していた。

 実際の年齢はともかく。

 

 

 *         *         *

 

 

 その店は味よりも量で勝負しているような大衆食堂で、とにかく安い値段で大量に食べたいという食べ盛りの学生やガテン系の仕事をする男性に人気だった。現在も席を埋める客のほとんどが男性であり、皿いっぱいに盛られたボリュームたっぷりの料理をどんぶり飯で掻き込んでいる。

 そんな店の一番奥まった席に、2人の男性が向かい合わせに座っていた。1人はスーツをきっちりと着込んだ20代後半くらいの男で、何やら思い詰めたような表情をしている。もう1人の40代後半くらいの男は逆に飄々とした表情を浮かべており、くたびれたコートを身に纏い無精髭を蓄えるその風貌は、かなり失礼な表現をするならばまともな職業に就いているとは思えない印象を受ける。

 

「んで、今日はどんな用事であっしを呼びつけたんで? 何かネタになりそうな情報でも掴んだんですかい?」

 

 年上の男がタバコに火を点けながら尋ねると、年下の男は躊躇いがちに口を開いた。

 

「……先輩から聞きました。あなたは金さえ払えば、どんなことでもやってくれるんですよね?」

「“何でも”というわけにはいきませんなぁ。あっしだって捕まりたくないんでね、“直接的な依頼”はお断りですぜ?」

「つまり“間接的な依頼”だったら引き受けてくれるということですね?」

 

 若い男はそう言って、紙切れを1枚彼に差し出した。それは名刺だった。

 

「“双葉杏プロダクション(仮)代表取締役兼プロデューサー・双葉杏”……。これはまさか、あの双葉杏があんたに渡してきたものですかい?」

「はい、そうです」

「もしこれが本当だとするなら、確かにかなりのスクープだ。日本中を熱狂させた……いや、今でも芸能界で大きな影響力を持つ“奇跡の10人”の中でも象徴的な存在だった彼女が芸能事務所を立ち上げるとなれば、あちこちでひっくり返るような大騒ぎになりますぜ。うし、さっそくアポを取って取材を――」

阿久徳(あくとく)さん、惚けないでくださいよ。そんな“まともな”取材、善澤さんにでも任せておけば良いでしょう? 僕が頼みたいのはただ1つ――」

 

 年下の男はそう言うと、テーブルに置いた杏の名刺にダンッと勢いよく指を押しつけた。

 

「どんな手段を取っても良い。――この事務所を潰してください」

「そりゃまた随分と、穏やかじゃないですねぇ。訳を訊かせてもらっても?」

「こいつのせいで、トップアイドルになれるはずだった逸材を横取りされた。しかもこっちがスカウトしている最中にだ! あんなふざけた言葉でそいつを誑かしただけじゃなく、俺に恥を掻かせてくれた! 絶対に許しておけるか……!」

「アイドルなんて、またスカウトすりゃ良いじゃないですかい」

「2週間もずっと歩き回って、声を掛けては断られの繰り返しで、やっと見つけた逸材だったんだぞ! こっちの言う通りにしてりゃすぐにでもトップアイドルになれたものを、あいつはその場の気分で双葉杏を選びやがったんだ! ……苦労もせずに金持ちになって、さっさと引退してニートになった世間知らずの元アイドルに、社会の厳しさってやつを教えてやるんだ」

「……そうですかい。まぁ、あっしとしては、貰えるもんを貰えりゃ文句は無いんですがね。――高くつきますぜ?」

「構いませんよ。あいつに吠え面掻かせられるんならね」

 

 年上の男――阿久徳の言葉に、年下の男はニタァッと気味の悪い笑みを浮かべた。

 阿久徳はそんな彼から視線を逸らし、テーブルに置かれた名刺をじっと見つめていた。

 

 ――それにしても双葉杏たぁ、随分と懐かしい名前が出てきたもんだ。“今度は”何を企んでいるんですかねぇ……。

 

 ぼんやりとそんなことを考えながら、阿久徳は天井を見上げてタバコの煙を吐き出した。

 

 

 *         *         *

 

 

 地球から時空間列車で1時間ほど行った場所に存在するウサミン星。そこの住民であるウサミン星人は、《ニンジン》をエネルギーとして暮らしていた。

 ここでいう《ニンジン》とは、地球で栽培されている野菜のことではない。地球の言葉で表現するならば、“生き甲斐”というのが最も意味的に近いかもしれない。人々が何かに夢中になるときに放出されるエネルギーのようなものが《ニンジン》の正体とされ、ウサミン星人はこれを摂取することで生きている。そして地球が《ニンジン》の一大生産地であることから、ウサミン星人は地球を《メルヘン》と呼び、長らくの間親しみと共に密接な繋がりを持っていた。

 しかしここ数十年、ウサミン星人にとって看過できない“変化”が表れた。《ニンヅン》と呼ばれるエネルギー体が急速に溢れかえり、《ニンジン》の質を劣化させていったのである。

 その名の通り《ニンヅン》は《ニンジン》と非常によく似たエネルギー体であり、何かに夢中になる人間から放出されることも同じである。しかし2つの間には、決定的な違いがあった。

 《ニンヅン》を発散する人間には、“主体性”が存在しないのである。何物かによって偽物の“熱狂”を植え付けられた人間が放つ《ニンヅン》は、自ら夢中になれるものを探す人間の放つ《ニンジン》に悪影響を及ぼす。そしてそれは《ニンジン》を糧として生活するウサミン星人にとっては死活問題であった。

 一刻も早く偽物の熱狂を植え付けられた人間を解放し、本当に自分が夢中になれるものを探してもらう必要があった。しかし《ニンヅン》が蔓延してしまった世界では、《ニンジン》こそが自分達に悪影響を与える害悪なエネルギーとして、《ニンジン》を発散する人間やそれを必要とするウサミン星人を排斥するようになってしまっていた。

 なのでウサミン星人は、自分達の姿を偽装する必要があった。《ニンヅン》が蔓延する世界に飛び込んで、《ニンジン》を発散する人間を内側から増やしていく必要があった。

 そしてウサミン星人の未来を左右する大事な役目を与えられたのが、ウサミン星人の少女“kbyarebnhgujy7”。

 地球では、“安部菜々”というコードネームを与えられている。

 

 

 

「うん、なかなか良いんじゃない?」

「フヒ……、まさかアイドルへの憧れが、最終的にこんな形になるとは……」

「あの、杏ちゃん? 本当にこれ、大丈夫なんですか? ナナ、こういうの分からないんで、何か不安になってきたんですけど」

 

 あれから数時間、菜々の部屋から出てきた2人が差し出したノートには、上記の設定を元にした膨大な“資料”が書かれていた。ウサミン星で使われている独自の言語からウサミン星の成り立ち、そして人間から放出された《ニンジン》をウサミン星人が摂取するまでの過程、さらには《ニンヅン》に侵されたときの症状をレベル別で表示したものまで多岐に渡っている。

 

「我ながら、今回の世界は非常に魅力的なものとなった!」

「フヒ……、蘭子ちゃんがそう言うなら安心だな……。それにまだ時間はあるし、とりあえずこれで進めてみて、違和感があったら変えていけば良いんじゃないか……?」

「……そ、そうですよね。これから考えていけば良いですよね!」

 

 満足げな表情を浮かべてご機嫌な様子の蘭子に、2人に対してそれぞれフォローを入れる輝子、そしてそれを受けてとりあえず結論を先延ばしにすることにした菜々。

 そんな彼女達3人の様子を、杏は真剣な表情で眺めていた。

 

 アイドル活動そのものをロールプレイング化する、自称宇宙人。

 普段はダウナーなコミュ障だがスイッチが入ると豹変する、作詞作曲もできるメタラー。

 中二病世界を作り上げて自身もその一部に成りきる、劇場型の空想少女。

 そしてこの場にはいないが、普通の人間には見えない者が見える、ホラーやスプラッターを拠り所とする孤独な少女。

 

 普通ならば、アイドルにするような逸材ではないだろう。もし彼女達がオーディションに姿を現したとしたら、主催者は苦笑い混じりに不合格の烙印を押すか、むりやり自分の望む方向へ彼女達をねじ曲げに掛かるだろう。

 しかし、杏はけっしてそんなことはしない。彼女が自分の望むスタイルを貫けるよう、そしてそれで最大限の結果を出せるよう、最高の舞台を整えてあげることが仕事だと思っている。そのために自分がすべきことは何か、杏はプロデューサーになることを決めてから、そればかり考えるようになった。

 

 ――杏もすっかり“仕事人間”だなぁ……。

 

 フッと自嘲的な笑みを浮かべた杏だったが、その笑みには爽やかさがあった。

 

「よし、みんな! 菜々さんの方針が固まったのを祝って、今から何か食べに行こう!」

「おおっ、良いですねぇ! 蘭子ちゃんとの作業に夢中になりすぎて、全然夕飯の準備ができてませんしね!」

「フヒ……、何か美味しいキノコ料理が食べたい……」

「蘭子ちゃんは何が食べたい?」

「……えっ! わ、我も良いのか?」

「良いに決まってるじゃないですか! 蘭子ちゃんだって、もうナナ達の仲間なんですから!」

「仲間……。う、うむ! そうであるな! それなら我は――」

 

 プルルルルル――。

 蘭子が自分のリクエストを口にしようとしたその瞬間、蘭子のスマートフォンが着信を知らせる電子音を鳴らした。自分の台詞を遮られたことで、不機嫌そうに頬を膨らませながらそれを取った蘭子だったが、

 

「――――!」

 

 画面を見た瞬間、蘭子は顔を引き攣らせて青ざめた。

 

「どうしたの、蘭子ちゃん?」

「……お母さん」

「えっ……。もしかして、電話してない……とか?」

 

 杏の質問に、蘭子はその引き攣った表情のまま、こくりと小さく頷いた。

 

「と、とりあえず出て!」

「う、うむ! ――あ、もしもし、お母さん? えっと――ひぃ!」

 

 電話口から漏れてくる声だけでも分かるほどの怒鳴り声に、それを耳元で聞いている蘭子だけでなく杏達も思わず体を震わせていた。

 

「う、うん! 連絡しなくてごめんなさい! あ、あのね、お母さん! 私、実はアイドルにスカウトされて――ち、違うよ! 嘘じゃないって!」

 

 先程までの中二ファンタジー全開の口調ではない、まさに彼女の素そのままだった。さすがに家族に対してはあの口調ではないらしく、それどころか素の彼女は少し幼い口調をしているようだ。

 

「ほ、本当だもん! あの双葉杏さんにスカウトされたの! ……分かった! じゃあ今から、杏さんに変わるね!」

 

 蘭子はそう言って、杏にスマートフォンを差し出した。自分が説明しないと埒が明かないことは分かっていた杏は、特に戸惑うこともなくそれを受け取った。

 

「もしもし、お電話変わりました。はい、双葉杏と申します。――いえ、けっして娘さんを騙そうなどという気はまったくありません。はい、本物です。はい、娘さんには街中で出会いまして、アイドルとしての可能性を感じましたのでスカウトさせていただきました――」

 

 そして普段のゆるゆるな雰囲気からは想像もつかないほどにしっかりした応対をする杏に、彼女との付き合いがそれなりにある菜々や輝子が驚きで目を丸くしていた。

 

「はい、はい……。それでは、失礼致します」

 

 その言葉を最後に、杏は電話を切った。そしてスマートフォンを蘭子に返すや否や、すぐさま自分の部屋へと戻っていった。そしてリビングに戻ってきたときには、いつも部屋で着るようなゆるゆるのTシャツではなく、どこに行っても恥ずかしくない余所行きの服装だった。

 

「菜々さんと輝子ちゃんは、2人で夕飯食べちゃってて」

「えっと……、杏ちゃんは?」

「今から蘭子ちゃんの家に行ってくる。――蘭子ちゃん、一緒に行こっか」

「は、はい!」

 

 颯爽と玄関へ歩いていく杏に、蘭子が慌ててついて行った。玄関からドアを開ける音と閉じる音が聞こえ、あっという間に部屋には菜々と輝子の2人だけが残された。

 静寂に包まれる中、菜々と輝子はお互いに顔を見合わせて、

 

「……杏ちゃん、やろうと思えばちゃんとした応対ができるんですね」

「フヒ……。杏さんがあんなにちゃんと喋ってるの、初めて見た……」

 

 間違いなく本人にとって失礼な感想を述べた。



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第10話 『思惑』

 アイドルにとって最も重要なものを1つだけ挙げるとしたら、一体何になるだろうか?

 例えば、ビジュアル。確かにアイドルたる者、普通の人よりも容姿が優れていなければいけないだろう。しかし人の好みなど千差万別であるし、それほど優れているとは言い難い人が残っていたりするので、絶対的な条件とは言えないだろう。

 例えば、歌唱力。確かに歌うことを仕事とするからには、歌唱力が優れている方が有利だろう。しかし音痴なのに人気のアイドルが存在するのもまた事実である以上、これも絶対的とはいえないだろう。

 例えば、ダンス。アイドルといえば歌いながら踊る姿が一般的なので、これも1つの重要な要素と言えるだろう。しかしながら、まったくの棒立ちでありながら観る人を惹きつける力を持つアイドルも存在するので、これまた絶対的な要素たりえない。

 ならばアイドルにとって最も重要なものとは、一体何なのであろうか?

 

「おまえらぁ! もっと腹から声を出せぇ!」

「フヒッ! ぜぇ――ぜぇ――」

「ちょ――ちょっと――洒落に――ならないですよ――これ――」

「…………、だ、大丈夫だから、トレーナーさんを祟ろうとか言わないで……」

「……魔力が腹の底から込み上げてきそうだ」

 

 346プロ内にあるスポーツジムにて、腕を組んで仁王立ちする妙齢の女性の前で、少女4人(若干1名ほど“少女”と呼ぶには疑問が残るが)がまさに死屍累々といった感じで倒れていた。全員体中の水分が抜けるのではという勢いで汗を掻き、全身で酸素を取り込むように大きく体を上下させている。

 菜々が自らの“設定”を固めたあの日から、およそ1ヶ月ほどが経過した。杏の家に小梅が合流し、本格的にアイドルに向けて動き始めた彼女達に待ち受けていたのは、杏によって用意されたこのトレーニングだった。しかも今日は、数あるトレーナーの中でも最高のランクと評される“マスタートレーナー”のライセンスを持つ青木麗というこの女性が監督しているため、トレーニングは熾烈を極めていた。

 

 杏曰く、「体力が無ければどんなアイドルも見られたものじゃなくなる」だそうだ。どれほど実力や才能のあるアイドルだろうと、体力が無ければその実力を全て出し切ることは不可能だ。歌や踊りを交えて数時間ものライブを乗り切るためには、少なくとも一般女子レベルの体力では話にならないのである。だからこそ346プロでは、どこかのアスリートが紛れ込んでもおかしくないほどに充実したスポーツジムが造られているし、ライブを控えたアイドルがここでトレーニングを行う姿もよく見られる。

 ちなみに杏はご存知の通りの性格なので、同期の中でも一番体力が無かった。しかし彼女は“上手い力の抜き方”を見事に身につけており、クオリティを下げないギリギリのラインまで手を抜く、あるいは手を抜くその姿すら演出として昇華させる方法を完璧に心得ていた。しかしそれは杏だからこそできたことであり、普通の人間ならそんなことを必死に憶えるくらいなら素直に体力をつけた方が簡単だ。“楽をするための努力を惜しまない”というのが、双葉杏という人間のポリシーなのである。

 と、そのとき、まさにその双葉杏がジムに顔を出した。菜々達のトレーニングの様子を見に来たのだろう。

 

「やっほー、みんな。生きてる?」

「あ――杏ちゃん――これ――本当に――まずい――ですよ――」

 

 あまりの疲労に声が途切れ途切れになっている菜々に、杏は同情するような、しかし面白がっているのを隠しきれない笑みを浮かべながら眺めていた。

 

「青木さん、どんな感じ?」

「最初の頃よりは大分マシになった。この調子で頑張っていけば、案外早くデビューできるかもしれないな。とはいえ、体力不足であることに変わりは無いがな」

「みんな、青木さんは本当に凄い人なんだからね? アリーナとかドームでライブするようなアイドルじゃないと、本来はレッスンを頼むことすら難しい人なんだから。この機会に、色んなことをしっかりと学んでおくんだよ?」

「そ、それは心得ておる……。しかし、幻惑の世界を歩むのは、これほどまでに過酷な道のりなのだな……」

 

 普段のゴスロリ姿ではない、白いTシャツにジャージのズボンという出で立ちの蘭子が、スポーツドリンクをがぶがぶ飲みながらそう言った。そして、それを見ていた青木に「一気に飲むと体に負担が掛かる。口を湿らせるようにゆっくりと飲むんだ」と軽く注意されていた。

 

「そりゃ、杏もデビューのときは散々レッスンさせられたからねぇ……。あの地獄の日々は忘れられないよ……。杏も何回プロデューサーを恨んだことか……」

「そんなこと言いながら、双葉は何かと理由をつけてはレッスンをさぼっていたじゃないか」

「えぇっ? そうだったっけ?」

 

 惚けたように首をかしげる杏に、麗は呆れたように大きな溜息を吐いた。そんな遣り取りの横で、菜々が口を開くこともせずに床に座り込み、まるで抜け殻のようにじっと床を見つめていた。あれはかなり危険な段階に入っているのではないだろうか。

 

「とりあえず、青木さんに見てもらえるのは今日が最後だから。――それじゃ青木さん、後はよろしくね」

「ああ、分かった。後でそれぞれの今後の特訓内容を纏めておくよ。――よし、おまえ達! 休憩は終わりだ! 次はランニングマシンで走り込みをするぞ!」

 

 それを聞いた4人の悲鳴を後ろに聞きながら、杏はジムを後にした。

 

 

 

 346プロには社屋内にある社員食堂の他に、屋外に軽食やデザートを中心としたカフェテリアが存在する。社員食堂とはまた違った趣のあるそこは、ゆっくり休憩できるスペースとして社員やアイドルにも人気のある店である。たまにだが、デビュー前のレッスン生が勉強のために店員として働いていたりもする。

 遠巻きにこちらを見てざわついているのを感じながら、杏はハニートーストとカフェオレを注文してオープンスペースに腰を下ろした。聞いたところによると、このトーストはカフェに併設されている“大原ベーカリー346支店”にて作られたもので、この店自体も或るレッスン生が作ってきたパンが社内で評判を呼んだことで、社員による強い要望により造られたものらしい。

 そんなハニートーストを頬張りながら、杏は疲れを吐き出すように大きな溜息を吐いた。

 

 ここ1ヶ月、杏にしては考えられないほどにあちこち動き回っていた。菜々達がアイドルとして汗を流している間、杏は裏方として色々と準備を進めていたのである。李衣菜や他のバンドメンバーに作ってもらっている楽曲や、きらりに作ってもらっている衣装やグッズ、さらには他にも色々と進めている案件が幾つもあり、普段の杏を知る者から見たら目を疑うほどの働きっぷりである。

 

 ――でもまぁ、一旦仕組みを作ってそれが軌道に乗れば少しは楽になるかな……?

 

 先程も書いたが、杏は楽をするための努力は欠かさない。そして今は、将来楽をするために努力をする期間なのである。ここで中途半端な仕事をすると後々になってもっと面倒臭いことになるだろうし、何より自分を信じてくれているアイドル達に被害が及ぶ。

 杏は頭の中で様々なプランを構想しながら、何かやり残していることは無いか確認していた。

 だから、後ろからこっそり近づいてくる人影に気づかなかった。

 

「あーんずちゃーん!」

「うひゃあっ!」

 

 後ろから突然抱きしめられた杏は、驚きのあまり変な声をあげてしまった。そしてそのことに頬を紅く染めながら、口を尖らせて後ろを振り返る。

 

「……もう未央、脅かさないでよ」

「はは、ごめんごめん。杏ちゃんの真剣な顔を久し振りに見たから、ついからかいたくなって」

 

 杏に抱きついたその女性――未央は、悪びれる様子も無くそう言って笑うと彼女の正面に腰を下ろした。そしてやって来た店員にシナモンロールとコーヒーを注文し、それがやって来た頃に口を開いた。

 

「それにしても、まさかこうやって杏ちゃんと仕事の打合せをすることになるとはねぇ……。デビューした頃からは考えられないことだよ」

「まぁ、杏もこうやって自分から仕事の話を持ち掛けるなんて思いもしなかったよ」

「ははは、そうかもね。――でも、自分の所の可愛いアイドル候補生のためなら、って感じかな? 確か今、ここでレッスンをしてるんだよね?」

「うん、そう。麗さんにやってもらってるんだ。346プロにいたときのコネをフル活用して、信じられないくらいの破格で見てもらってるよ」

「んで、今まさにこうやってコネを使って私の番組に出演させようとしてるんだね!」

「……確かにその通りだけどさ、そう言われると何か悪いことしてる気分になるよ」

「あはは、大丈夫だって! 枕営業なんかよりもずっと健全なんだから!」

 

 未央はそう言って笑いながら、シナモンロールをぱくりと食べた。デビューから7年経って22歳になった彼女だが、皆を引っ張る明るい性格はその頃から何1つ変わっていない。

 

「んで、どの番組に出演させる? 今の私だったら、朝の帯番組もゴールデンも深夜枠も自由自在だよ!」

「自分で頼んでおいて何だけどさ、そういうのって未央が自由に決められるもんなの?」

「いつもはスタッフさんに任せてるけど、私が希望すれば大体通るよ」

 

 何でも無いかのようにそう言ってのける未央だが、それってかなりの権力だよね、と杏は秘かに思った。とはいえ、今の杏はその権力にあやかろうとしている立場なので何も言わない。

 

「んで、どれに出演する?」

「確か未央、深夜のラジオ番組もやってたよね? それが良いんだけど」

 

 杏が言うその番組は、未央が今のような売れっ子になる前から細々と続けているレギュラー番組であり、彼女が自分でコーナーなどを企画したり、勝手知ったるゲストと気ままにトークしたりと、彼女の最も素な状態が見られるとしてコアなファンに人気の番組である。

 

「あれって多分、私がやってる番組の中でも一番見てる人……っていうか聞いてる人が少ないと思うよ? 別に杏ちゃんの頼みなら喜んで引き受けるから、そんなに遠慮しなくても――」

「別に遠慮してるわけじゃないよ。あまりテレビに出て大々的に宣伝とかしたくないだけ。でもお客さんを呼ぶためには宣伝しなきゃいけないから、未央のラジオ番組がちょうど良い匙加減だと思ったの」

「インターネットで宣伝とかってしないの?」

「もちろん、そっちもやるよ。動画サイトにアルバムの視聴動画を投稿したり、ホームページでも幾つかコンテンツを用意するつもり。でもインターネットって、最初に自分の手で検索しないと情報に辿り着けないじゃん? だからネットの宣伝って、元々それに興味のある人じゃないと見てもらえないんだよ」

 

 いわばインターネットというのは“能動的”なツールであり、自分から調べようと思わなければ情報を得ることはできない。それに対してテレビやラジオというのは、たとえ興味の無い人間でも様々な情報をある程度得ることのできる“受動的”なツールであり、まったく興味の無い人間に訴えかけるという点では、たとえインターネットがどれほど発達しようと無視することのできない重要なツールであるといえる。

 

「もっと多くの人に見てもらえる番組に出た方が、宣伝効果が期待できるんじゃないの?」

「今の時代ってね、色んな番組に出て必死に宣伝をやると逆効果になるんだよ。特に杏達みたいなインディーズ系だと特にね」

「ふーん……、私にはよく分からないや。でも杏ちゃんがそう言うんなら、そうなのかもしれないね! 杏ちゃん、昔からよくこういうことをプロデューサーと話してたし」

「そうだっけ? よく憶えてないや。――そういえば、未央ってまだ武内Pのプロデュースを受けてるの?」

「表向きはね。でも最近はテレビ局の方から仕事を持ち掛けられるのがほとんどだから、あまりそういう実感は無いかなぁ? でもそういう意味では、私も“武内組”の1人ってことになるのか」

「……“武内組”? 何それ?」

 

 聞き慣れない単語が未央の口から飛び出し、杏は思わず尋ねた。

 

「あぁ、そっか。杏ちゃんは知らなくて当然だよね。――ほら、私達の事務所ってどんどん大きくなって、プロデューサーの数も多くなったじゃない?」

「確かにそうだね。あの人なんて“チーフプロデューサー”なんて肩書きまで貰っちゃって」

「今のあの人の仕事って他のプロデューサーの仕事を統括して色々指示を出すことなんだけど、あの人自身が担当アイドルを受け持ってプロデュースすることもあるの。そういった子達のことを事務所のアイドルとかスタッフとかの間で“武内組”って呼んでて、他の事務所の人達からも一目置かれてるんだって」

 

 ちなみに、以前ちひろが武内の部屋にパンの差し入れに行ったときに鉢合わせした佐久間まゆも、その“武内組”の1人である。

 

「ふーん……。それで、そういう子ってやっぱり他と比べても才能とか実力があったりするの?」

「ううん、そういう基準で選んでるわけじゃないよ? 他のプロデューサーが担当してるアイドルで売れっ子なのも普通にいるし。あの人が担当になるアイドルって単純に相性が一番良いからとか、あるいはあの人じゃないと手綱を握れないような問題児だったりするんだよ」

「問題児って……、どんなアイドルだよ……」

「うーん……、事あるごとに仕事を休もうとするようなアイドルとか?」

「デビューライブでお客さんが少ないことにショックを受けて、そのまま引退宣言するようなアイドルとか?」

「ぐはぁ」

 

 からかい混じりの杏の言葉に、未央はダメージを受けたようにテーブルに突っ伏した。

 

「それにしても、あの人も大変だねぇ。せっかく出世したのに、相変わらず忙しいみたいで」

 

 しかし杏がそう言うと、すぐに未央はむくりを体を起こした。

 

「まぁ、あの人自身も楽しそうにしてるからね。見た目には分かりにくいけど。――それに“武内組”のみんなも、結局はあの人のプロデュースを受けて凄く売れてるわけだから、会社としても休ませるわけにはいかない人材だってことでしょ」

「ふーん……。とりあえず杏は、少数精鋭でやらせてもらうとするよ」

 

 杏はおどけた口調でそう言って、ハニートーストを一口食べた。

 それを眺めていた未央が、興味津々といった表情で尋ねる。

 

「んで、そうやって宣伝を考えるようになったってことは、いよいよ始動の目処が立ったってことかな?」

「まぁね。グッズの開発や衣装も順調だし、曲も続々と届いてる。本人達も準備が着々と進んでいるみたいだし、他にも色々企画しているものも大体形になってる」

「おおっ! じゃあついにその全貌が明らかになるときが来たんだね! 最近ウチの事務所でもその話題で持ちきりなんだよ! スタッフもそうだけど、他のアイドル達も凄い興味を持ってるみたいだよ!」

「うーん、そんなに期待されても困っちゃうんだけどねぇ……。別に奇を衒った戦略をするわけじゃないし……。――というか、やっぱり噂になってるんだ?」

「うん、別に私達が言い触らしたわけじゃないんだけどね。でも大丈夫! ちゃんと社長達が箝口令を敷いてくれてるから、そこから外部に情報が漏れるって心配は無いよ! 杏ちゃんも、自分の好きなタイミングで発表したいもんね!」

「タイミングもそうだし、好きな“媒体”で発表したいよねぇ。信頼できない所に好き勝手書かれたら堪らないよ。――未央も、あんまり外で言い触らしたりしないでよ?」

「大丈夫だって! この未央ちゃんを信じなさい!」

 

 未央はそう言って、自分の胸を力強く叩いてみせた。おちゃらけた態度を見せてはいるが、彼女がそんな態度に反してしっかりと物事を考えており、軽薄な行動はけっして取らないことを杏はよく知っている。

 なので杏は、未央のことについて“は”一切心配していなかった。

 

 

 *         *         *

 

 

 すっかり日も落ちて暗くなった頃、杏達5人のグループは346プロの最寄り駅までの通りを歩いていた。全員女性ということを差し引いても背が低い者達で構成されているそのグループは、全員がそれぞれのベクトルで可愛らしいということもあって普段はとても目立つが、346プロ近辺はオフィス街であり帰宅ラッシュを過ぎると途端に人通りが少なくなるため、現在彼女達もあまり人の目を気にせずに歩くことができる。

 

「いやぁ、今日は特に疲れましたねぇ……」

「フヒ……。で、でも、最初の頃よりは疲れを引きずらなくなった、気がする……」

「う、うん……、私も……。最初は歩くのすら大変だったけど……、今はそうでもない……」

「我が体に積み重ねられし修練が、魔力となって表れているという証か!」

 

 菜々達4人は地獄のレッスンを受けた後とあって疲れ果てた様子だが、それに反して気力は充ち満ちているといった雰囲気だった。最初にレッスンを受けた頃など家まで無言で歩き、家に着いた途端に部屋に直行して爆睡だったことを考えると、相当な進歩と言えるだろう。

 そんな4人に向けて、先頭を歩いていた杏が振り返って声を掛ける。

 

「さてと、せっかくだから何か食べてから帰ろうか。みんな、何かリクエストある?」

「え、えっと……、私、お寿司が食べたい、かな……?」

「お寿司ですかぁ! 良いですねぇ!」

「フヒ……、わ、私もそれで良い……」

「“姿を変えられし生命と穀物の円舞曲(ロンド)”か! 我が身を満たすのに相応しい!」

 

 小梅の言葉を皮切りに、皆が賛成の意を示した。若干1名分かりにくい者がいたが、ニコニコと嬉しそうにはしゃいでいるので賛成に違いない。

 

「よーし、杏さん張り切って回らない寿司屋に行っちゃうぞー」

「おおっ! 太っ腹……」

「あの、杏ちゃん……。あんまり高いお店だと、こっちが緊張して食べられないというか……」

「ん? だったら逆に凄い高い店に行ってみる? お寿司って普通に食べると高カロリーだし、アイドルを目指す身としては食べない方が良いんじゃない?」

「ちょ、ちょっと杏ちゃん! それはひどいですよー!」

 

 慌てて杏に詰め寄る菜々の姿に、皆が楽しそうに笑い声をあげた。

 そんな中、皆と同じように笑っていた小梅がふと真顔になると、何かを気にするようにちらちらと視線を明後日の方へと向ける仕草をした。

 

「ん? どうしたの、小梅ちゃん?」

 

 杏がそれに気づいて尋ねると、小梅は少しだけ悩む素振りを見せて、

 

「えっと……、“あの子”がね……、『さっきから私達をつけている人間がいる』って……」

「ひぃっ!」

 

 小梅の言葉に一番反応したのは、蘭子だった。彼女は中二病的ファンタジーは好きだがホラーは苦手なので、それを連想させる“あの子”という言葉に恐怖を感じたのかもしれない。それでも小梅を避けようとはしない辺り、彼女はかなり心優しい性格と言えるだろう。

 一方、彼女以外のメンバーはちゃんと“自分達をつけている人間”に対して反応していた。輝子と菜々が勢いよく後ろを振り返り――

 

「2人共、後ろを振り返らないで」

 

 かけたところで杏にそう言われ、2人はぴたりと動きを止めてぎこちなく正面へと顔を戻した。杏がそのまま歩き出したため、他の4人も黙って彼女の後に続く。

 しかし少し経った頃、杏はポケットから携帯電話を取り出して画面を顔の高さまで持っていった。そしてそのままカメラモードにして、カメラをディスプレイ側へと変更する。

 画面には杏の顔――の向こう側に広がる景色が映し出されていた。オフィスビルから漏れる電灯のみが光源なので全体的に薄暗いが、ビルの柱に隠れている人影は何とか確認することができる。

 

「……狙いは何かな?」

「ま、まさかナナ達を狙った変質者とか?」

「杏達を狙っているのは確かだけど、少なくとも“あっち方面”が目的ってのは無さそうだね。相手は単独みたいだし、いくら女性だけっていってもグループは狙わないよ」

「単身と見せかけ、傍に仲間が潜んでいる可能性は?」

「わざわざそんなことする理由は無さそうだけど……。“あの子”は何か言ってる?」

 

 杏が小梅に視線を向けると、彼女は明後日の方向へと視線を向けて声に出さずに口を小さく動かし、再び杏へと視線を戻した。

 

「あの人だけだって……。他に怪しい人はいないみたい……」

「外見はどんな感じ?」

「…………。小汚いコートを着た、冴えない中年男……?」

 

 随分と辛辣な評価に、菜々達は尾行されているという事実を忘れて同情的な苦笑を浮かべた。

 そんな中、杏だけは小梅の言葉に何か引っ掛かったのか考え込んでいた。

 

「どうかしたんですか、杏ちゃん?」

「……いや、ひょっとしたらその人、杏の知り合いかもしれない」

「知り合い?」

 

 菜々達4人が顔を見合わせて首をかしげる中、しばらく考え込んでいた杏がふと顔を上げて皆の方へと視線を向けた。

 

「みんな、夕飯はお寿司じゃなくても良いかな?」

 

 

 

 杏とつかず離れずの距離を保ったまま後をつけていた、くたびれたコートを身に纏い無精髭を蓄える40代後半の男――阿久徳は、懐に忍ばせたカメラをいつでも取り出せるようにしながら、いつ訪れるか分からないシャッターチャンスを待ち構えていた。

 とはいえ、彼の表情自体はそれほど真剣味のあるものではなかった。相手が小柄な少女(一部女性)5人組だから、というわけではない。彼は職業柄そういった少女達を相手にすることも多く、付け入る隙があれば容赦無く付け入ってきた。道徳的な問題が付き纏う職業ではあるが、彼には彼なりの“矜持”というものがある。

 彼の表情にやる気が感じられないのは、ただ単に彼が狙うシャッターチャンスの訪れる気配がまるで無いからである。にこやかに会話をしながら夜道を歩く光景は、アイドル事務所の社長と所属アイドルというよりは、仲の良い友人と表現した方がまだ適切に見える。

 これではとても、依頼主からの要望である“事務所を潰す”を叶えられるようなネタを見つけられるとは思えない。

 

 と、そのとき、彼女達がとある飲食店の前で立ち止まった。それは彼もよく知っているアイドル“三村かな子”が経営する飲食店の1つであり、良質な洋食を安価で提供する店として専門雑誌でも高い評価を得ている店である。

 おそらく、彼女達は今からそこで食事をするのだろう。

 しかし彼は、その“違和感”に気づいていた。

 

 ――店の“正面”から入る気ですかい?

 

 かな子の店にはすべて“VIPルーム”があり、スタッフ用の裏口から入れば一般の客と顔を合わせることなくそこに行ける。これは一般の客と顔を合わせると無駄な騒ぎを起こしかねない芸能関係者でも気兼ねなく自分の店に来てほしい、というかな子の配慮によって設計されたものである。なので彼女達も同じように、裏口からVIPルームに入るものと思っていた。

 阿久徳が首をかしげていると、杏が他の少女達と別れてその場を離れていった。そして少女達は、普通に正面の入口から店の中へと入っていく。そして杏はぐるりと建物を回って、スタッフ用の出入口と思われるドアに手を掛ける。

 

 そして彼女は、ふと“こちら”に視線を向けて手招きをした。

 

「…………」

 

 そしてドアを開けて中へと入っていった杏の姿をじっと見つめながら、阿久徳はその表情を真剣なものへと変化させていった。自分の身を隠していた電信柱から体を離し、先に中へと入っていった杏の後を追ってそのドアへと歩いていく。

 そしてドアノブに手を掛けて開き、中へと足を踏み入れた阿久徳を出迎えたのは、

 

「いらっしゃいませー。どーぞこちらへー」

「……“奇跡の10人”自らお出迎えたぁ、随分と贅沢ですねぇ」

 

 ニコニコと“営業スマイル”を浮かべた杏に案内されながら、阿久徳はひっそりと隠れるように存在するVIPルームへと入っていった。いくら彼といえどもこの部屋に案内されたのは初めてであり、彼はまじまじと部屋中を見渡している。

 

「……案外、普通の部屋なんですねぇ」

「そりゃそうだよ。それで、何頼む?」

「……もしかして、奢ってくれるんですかい?」

「んなわけないじゃん。自分の分は自分で払いなよ」

「そうですかい」

 

 本気で口にしたわけではないらしく、阿久徳は軽く肩をすくめるだけだった。

 そうして2人がそれぞれメニューを注文し、少しして店員がそれを運んできた。杏が頼んだのはクリームソースの掛かったオムライス、阿久徳が頼んだのは肉汁がジュージューと音をたてるステーキセットである。

 

「んで、狙いは?」

 

 杏が話を切り出したのは、2人が揃って目の前の料理に手をつけ始めたときだった。

 

「随分と直球ですねぇ」

「探るような真似って苦手なんだよね。それで?」

「いやぁ、あの双葉杏がアイドル事務所を立ち上げてプロデュース業に挑むって情報を掴んだもんで。もし本当なら、一般人だけじゃなく芸能界にも大きな衝撃が走るスクープでしょう?」

「うん、“表向き”はそうだろうね」

 

 オムライスを頬張りながら、杏は阿久徳の語った理由に対してそう言い放った。

 

「……表向き、ですかい」

「そ。阿久徳さんがカバーしてる“分野”は、こういったものじゃないでしょ? こういうのって、どっちかと言ったら善澤さんの得意な分野じゃん。その善澤さんがまだ取材をしていないこのタイミングで、阿久徳さんがこうして出てきたことが気になるんだよ」

「別にそこまで不自然なもんでもないでしょう。たまたま善澤の奴よりも情報を掴むのが早かった、というだけの話でしょう?」

「……阿久徳さん、その情報って、どこから貰ったの?」

 

 スッと目を細めて尋ねてきた杏に、阿久徳はその表情を崩すことなく笑みを深くする。

 

「……情報の提供者については、教えることはできませんなぁ」

「ふーん……。まぁ、そりゃそうか。――じゃあ、1つだけ」

 

 杏はスプーンを置くと、阿久徳へと向き直った。口元にはうっすらと笑みを浮かべているが、その目はまったく笑っておらず、まるで針で突き刺すような鋭い視線を放っている。

 

「杏達の邪魔をするんだったら、容赦しないよ?」

「はは、それは怖い。肝に銘じておきますぜ」

 

 そしてそんな視線をまっすぐに向けられているにも拘わらず、阿久徳は眉1つ動かすことなく平然とした表情でそう答えた。

 

「あー、本気にしてないでしょ? 本当に容赦しないんだからね?」

「いえいえ、あっしは本気で聞いてますぜ? でもまぁ、いったいどういう感じに“容赦しない”のか、その辺りは少し気になるところではありますがね」

 

 冗談めかして肩をすくめる阿久徳に、

 

「うん、分かった。それじゃ、軽くだけど」

 

 いかにも真剣な表情で、杏がウォーミングアップでもするかのように手首をぐりぐりと回しながらそう言った。

 

「えっ?」

「といっても、本当に軽くだから。そんなに激しいやつはやらないから安心して。――それじゃ、いくよ」

 

 戸惑う阿久徳をよそに、杏はその手を彼へと向けた。

 そして、

 

 パリンッ。

 

「――――!」

 

 阿久徳の目の前で、彼も杏も一切触れていないグラスが突然割れた。中に入っていた飲み物がテーブルを濡らし、ポタポタと床に雫を落とす。

 

「……今のは、どういう仕掛けですかい?」

「ふふふ、それを教えたら意味が無いでしょー? ……後で弁償しないと」

 

 それだけ言って何事も無かったかのように食事を再開する杏に、阿久徳は先程までは無かった恐れの色を含んだ表情を浮かべて、彼女をじっと見つめていた。

 

 

 

「――ふふっ」

「ん? どうかしましたか、小梅ちゃん?」

「……何でもないよ、菜々さん」

「ああ……! 甘美なる誘惑が、我を激しく揺さぶる……!」

「フヒ……、蘭子ちゃん、デザートを食べたいのか……?」

 

 そしてその頃、一般客と一緒のスペースで食事を摂る菜々達は、そんな会話を交わしていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 様々な紆余曲折はあったものの、物語は劇場のオープン当日へと差し掛かる。



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第11話 『始動』

 いよいよ、双葉杏の事務所“208プロ”の主宰する劇場“アプリコット・ジャム”のこけら落としの日がやって来た。

 インターネットやラジオで宣伝した甲斐もあって、開場前の劇場には多くの客が集まっていた。劇場前の道路が開場待ちの客で埋まるという光景は、いくらその道路が車の擦れ違うのがやっとの広さとはいえ、地下アイドルの劇場のこけら落としとしてはかなり珍しい部類に入るだろう。

 ホームページ上でのデビューアルバムのダウンロード販売は、2週間ほど前から始まっている。そのときには様々な場所で話題となったのだが、どちらかというと“かつて一世を風靡したアイドルがプロデュースするアイドル”という側面が強かった。しかしこうして客が集まっていることからも、劇場のアイドル自身の魅力がしっかりと伝わっていることが分かる。

 静かに、しかし徐々に熱気が高まっている人々の中に、全体的に露出の少ない灰色の服を身に纏い、大きなマスクで顔の下半分を隠している女性がいた。彼女はパッと見では落ち着いているように見えるが、よく見るとそわそわと指を動かしたり視線をさ迷わせたりしている。

 

「……ねぇ、凛さん。もしかして緊張してる?」

 

 するとその女性の隣にいた少女が、周りに聞こえないように小声で話し掛けてきた。凛と呼ばれた女性と同じように大きなマスクをつけ、肩に掛かるほどの長さで毛先を緩くウェーブさせた髪型をしている。

 

「緊張か……。もしかしたら、そうかもしれないね。何だか、自分が初めてライブを迎えるかのような心境だよ」

「もしかして、“New Generations”のライブを思い出したとか?」

 

 そう問い掛けてきたのは、先程の少女と挟むようにして女性の隣に立つ別の少女だった。こちらはマスクこそしていないものの、大きな帽子でボリュームのある長い髪と目元を隠している。

 その少女の質問に、凛は小さく首を横に振った。

 

「ってことはもしかして、“トライアドプリムス”の初ライブ? 私達はデビューライブだったから分かるけど、凛さんも緊張してたんだ」

「へぇ、そうだったんだ……。あたし達から見たら余裕そうに見えたから『やっぱり“奇跡の10人”は違うなぁ……』って思ってたんだけど……」

「ふふっ、私が緊張してる姿を見せて2人を不安にさせちゃいけないと思って。――もちろん、緊張したよ。レッスンとかリハーサルで見てたから出来映えは心配してなかったけど、やっぱりお客さんにどういう風に受け入れられるかは、実際にやってみるまでは分からないからね」

 

 そう話す凛は、マスクの下からでも柔らかな笑みを浮かべていることが分かった。

 

「だとしたら、双葉さんも今頃は緊張とかしてるのかな……?」

「うーん……、私は杏が緊張しているのなんて見たこと無かったなぁ……」

「いやいや、さすがに緊張してるでしょ。自分のならともかく、今日は自分が育ててきたアイドルの初ライブだよ? 私だったら、心臓がドキドキして仕方ないよ」

 

 マスクをつけた少女の言葉に、凛は「それもそうだね」と言って劇場の地下入口辺りに視線を向けた。

 

 

 

「……ん? あれ? 今、何時?」

「公演開始の1時間前です! こんなときに寝るなんて、さすがにどうかと思いますよ!」

 

 楽屋のソファーで目を覚ました杏の質問に答えたのは、今日の出番は3番目だというのに既にステージ衣装に着替えた菜々だった。その声は体に合わせて小刻みに震えており、その表情もガチガチに強張って青ざめている。

 杏が部屋を見渡してみると、同じようにステージ衣装を着ている他の3人も、見てすぐに分かるほどに緊張しきっていた。特に1番手である輝子にいたっては、椅子に座ってじっと床を見つめたまま動かないという、なかなか危なっかしい状態になっている。

 そんな彼女達を見て、杏が口を開いて真っ先に言ったことが、

 

「輝子ちゃんはともかく、他の3人はまだ衣装に着替えなくて良いんじゃないの?」

「いや、何というか、居ても立ってもいられなくなったというか……」

「ステージ衣装を着ちゃうと、リラックスできなくなるよ? みんなあれだけレッスンしたんだから、そんなに緊張しなくても大丈夫だって」

「そ、そうは言うけど……。杏さんも……、初ライブのときは緊張したんじゃないの……?」

「うーん、そうでもないかなぁ……。杏の初ライブは確か、楽屋で私服のまま寝てたら、本番5分前でプロデューサーに起こされた気がする」

「なっ! それって、かなりまずいじゃないですか!」

「さすが、“怠惰の妖精”は戴冠式から王者の風格であったか……」

 

 菜々達が感心してるのか呆れているのか分からない(おそらく後者が大半だろう)感想を述べている間も、輝子は会話に参加しようともせずに床を見つめ続けるのみだった。

 さすがに深刻だと思ったのか、杏はソファーから立ち上がると輝子の傍までやって来た。

 

「輝子ちゃん、大丈夫?」

「……フヒ、大丈夫だ」

 

 どう見ても大丈夫に見えない真っ青な顔で、輝子はそう答えた。

 杏は壁際にあったパイプ椅子を持ってきて輝子の隣に座ると、体がくっつきそうなほどに寄り添って優しく声を掛ける。

 

「本当はあまり、こういうことは言わない方が良いのかもしれないけど……。はっきり言っちゃうと、今からやる輝子ちゃんのライブを観に来てるお客さんって、もう最初から輝子ちゃんのファンなんだよ?」

「……フヒ、そう、なのか……?」

「そうそう。考えてもみなよ。何の興味も無いライブに、わざわざ足を運んでお金払って観に行くような人はいないよ。しかもその内の何割かは確実に事前にアルバムを買って聴いている人達なんだし、そうでなくたって少なくとも輝子ちゃんのことが嫌いな人はいないんだよ」

 

 杏の言葉は輝子に対して掛けられているものだが、菜々達も黙ってその言葉に聞き入っている。

 

「杏達みたいな常設の劇場で活動する地下アイドルにとって一番ハードルが高いのが、“劇場に足を運んでもらうこと”なんだよ。つまり今こうして劇場に来てくれている人達は、もはやそのハードルを乗り越えた人達なの。だから今から輝子ちゃんが出るステージの前にいる人達は、全員輝子ちゃんの味方なんだよ」

「み、味方……」

「そうそう。そもそも、この劇場はみんなにとって“ホーム”なんだよ? いわば“自分の家”なの。自分の家なのに寛げないなんて有り得ないでしょ? だからみんなも、ここでライブをするときはもっとリラックスして良いんだよ。ファンの人達だって、のびのびと自分のやりたいことをやってるみんなを観たくて来てるんだから」

 

 杏の言葉を聞いた4人の表情は、先程と比べても明らかに和らいでいた。1番手の輝子も、表情こそまだ固いものの笑顔を浮かべる余裕が出てきた。

 輝子のその姿に満足そうに頷いた杏は、元いたソファーに戻って、

 

「……というわけで、杏は寛ぐためにもう一眠りするよー」

「ちょっと、杏ちゃん! 起きてくださいよ!」

「うーん……、あと10時間……」

「ナナ達のライブ、終わっちゃうじゃないですか!」

 

 再びソファーに体を沈める杏とそれを引っ張り起こす菜々の遣り取りに、他の3人は呆れたような笑みを浮かべていた。

 先程のような重苦しい緊張感は、どこかへと消え去っていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 ぎゅうぎゅう詰めというほどではないにしろ、フロアは大勢の人で埋め尽くされていた。皆がそわそわとした様子で、かつて一世を風靡したアイドルが作り上げた“成果”を今か今かと待ち構えている。

 ステージへ目を向ける。真ん中のマイクの傍にキノコがプリントされた真っ赤なギター、その両脇にギターとベース、そしてその後ろにドラムセットとキーボードが置かれた、典型的なバンドスタイルの布陣である。この劇場では皆がソロ指向であり、現在ユニットは存在しないので、残りの楽器はバックバンドが演奏するものと思われる。

 ふいにフロアの照明が暗くなった。ライブが始まる合図であり、それを感じ取った観客が途端に声をあげて拍手をする。

 

 そしてフロア全体に流れ出したのは、聴く者の臓器を震わせるような重厚なベース音だった。演者が登場するための出囃子(でばやし)であるそれは、徐々にパーカッション、キーボードと楽器が増えていき、観客の期待をじわじわと上げていく。

 そしてギターの音が響き渡るのと同時、赤いTシャツに黒いズボンで統一された衣装を身に纏うバックバンドのメンバーが登場し、おもむろに楽器を手に取って準備を始める。出囃子に混じって音を鳴らし、最終的なチェックを行う。

 そしてそのメンバーが準備を終えて直立の姿勢になった、次の瞬間、

 

「ウラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

 フロア中を切り裂くような悲鳴をあげながら、この日のトップバッター・星輝子が姿を現した。

 銀色の髪の一部を赤く染め、顔にも大きく星形のペイントを施し、さらにトゲや鎖がアクセサリーとなった革製の衣装を身に纏った、まさに一般人がメタルと聞いて思い浮かべる姿をしたその少女は、舌を出して不敵な笑みを浮かべながら、ステージの真ん中へと躍り出る。

 そして挨拶代わりと言わんばかりに、輝子はギターを掻き鳴らした。バックバンドもそれに合わせて力一杯弦を弾き、スティックを叩きつけ、鍵盤を殴りつける。それに呼応するようにフロアの観客が野太い雄叫びをあげ、建物全体が震えるような錯覚を引き起こす。

 

 そして観客達の期待を込めた視線を一身に受けながら、輝子はMCも自己紹介も挟むことなく、いきなり曲を始めた。“アプリコット・ジャム”の記念すべき1曲目は、輝子が杏達を自宅に招いたときに聴かせたあの曲だ。当時は正式なタイトルは無かったが、アルバムに収録するにあたって『ヒエラルキー』と名付けられた。

 輝子の口から飛び出す剥き出しの怨念が、フロア中の観客を高揚感へと誘った。隙間無く繰り出される金切り声のようなギター、呻くように喚き散らすベース、心臓の鼓動を表すように爆音を鳴り響かせるドラム、そしてそれらを宥めるような、それでいて助長するような高音のキーボードが、一体となって観客に襲い掛かってボルテージを上げていく。

 そうして興奮の内に1曲目を終えた輝子だが、続けざまに2曲目『Hydnellum peckii』へと移っていった。ついてこれる奴だけついてこい、というメッセージが込められていそうなそのライブ構成は、普段MCの多いアイドルのライブに慣れた観客を一瞬戸惑わせ、しかしすぐさま始まった否が応にもテンションの上がる演奏にそれどころではなくなった。

 

 輝子が初めてMCを挟んだのは、3曲目『毒』が終わった後だった。すでに汗をびっしょりと掻いていて、肩を上下させて呼吸を荒げている。これだけ激しい曲を演奏してみせる少女の言葉を聞き漏らすまいと、観客全員が身を乗り出して彼女の言葉を待ち構えている。

 そして、

 

「……あ、どうも。星輝子です」

 

 演奏のときとはまるで違う、マイクを通しているのに今にも消え入りそうな声に、観客が一斉にずっこけた、気がした。

 

「えっと、今日が人前で演奏する初めてのライブです……。みんな、普段の生活で色々ストレスが溜まってると思うけど、ここではどれだけ叫んでも誰にも怒られないから……、みんな思う存分叫びまくって……、楽しんでくれたら、う、嬉しいです……」

 

 演奏のときは観客を威嚇するように睨みつけ、洗練されたテクニックでギターを掻き鳴らす様子は圧倒的な迫力があるのに、素の状態で話す彼女はそのいじらしい仕草に庇護欲をそそられる。輝子のMCに拍手を贈ったり声をあげる観客達は、さっそく彼女のギャップという名の魅力に惹かれているようだ。

 そして輝子が「それじゃ、次の曲……」とMCを締めくくった途端、あれだけオドオドとしていた彼女の表情から不安が消え、その力強いキリッとした視線をギターに向けた。その俯き加減の凛々しい表情は、身長が140センチほどしかないにも拘わらず中性的な格好良さがあった。

 そうしてフロアに流れたのは、ストリングス(弦楽器)が中心となったシンフォニックな伴奏だった。先程までの曲とは違う厳かな前奏に、観客達は失った体力を回復させるかのようにホッと一息吐き、

 

「誰が休んで良いっつった、おらああああああああああああああああああああああ!」

 

 輝子の声と共にステージ上から発せられた4種5つの音色が一瞬で会場を支配し、観客達は瞬時にテンションを上げて再び体を激しく揺さぶっていった。

 こうして4曲目『自虐交響曲』を皮切りに、輝子のライブは最後の最後まで全速力で突っ走るような激しいテンションのまま締め括られた。

 

 

 *         *         *

 

 

 星輝子のライブが終わり、1時間のインターバルを挟んで白坂小梅のライブとなる。この間に観客の入れ替わりが行われるが、3割ほどがそのまま会場の中へとUターンし、2割ほどが劇場の2階部分に常設されたカフェへ、そして4割ほどが1階部分にあるグッズ売り場へと歩みを進めていった。

 先程はバンドセットが組まれていたステージだが、今回はマイクスタンドだけで何も置かれていない。おそらく、打ち込みによる演奏に合わせて歌うものと思われる。

 やがてフロアが暗くなり、1人の少女が姿を現した。出囃子も無く無音のステージに現れた小梅は、普段通りに長い袖で両手を、長い前髪で右目を隠している。しかしその頭には小さなリボンがあしらわれ、薄い水色をした衣装は肩を大きく露出させ、スカートの丈も膝上と短く、先程の輝子と比べたら随分とアイドルらしい姿をしていた。

 そして観客達は、無音のステージにただ姿を現しただけの小梅に見とれていた。輝子のときとは対照的な静寂に、フロアの観客が1人残らず息を呑み、彼女の一挙手一投足を見逃すまいとその視線を彼女に固定させている。

 

「……白坂小梅です。じゃあ、1曲目」

 

 たったそれだけのMCの後、フロアに軽快な音楽が鳴り響いた。打ち込みの音を中心とした可愛らしいその楽曲は、通常のアイドル曲と比べても違和感が無いものだった。打ち込みとはいっても、ライブで使われるスピーカーを通せば空気を震わせるほどの迫力があるため、観客は輝子のときの激しさこそ無いものの体を上下させてリズムに乗っていた。

 そして小梅は音楽に合わせ、ニコニコとアイドルらしい笑顔を浮かべながら歌い始めた。マイクを片手に持ちながらなので大きな手振りこそ無いものの、時折ダンスも交えながら可愛らしく歌うその様子は、間違いなくアイドルそのものだ。

 その後に流れる曲も、良質なJ-POPが続いた。様々なジャンルの音楽を下地にしたバリエーション豊かな楽曲はけっして単調になることがなく、観客を飽きさせないライブ構成となっている。

 

 しかし、確かにその曲は完成度こそ高いものの、そのどれもがテレビに出るようなアイドルが歌ってもおかしくないものばかりだ。先程の輝子はまさに地下アイドルといった攻撃的なものだったが、小梅の曲ならば普通にテレビを目指しても良いように思うだろう。

 小梅自身が作詞を務めたその歌詞を聴かなければ、の話だが。

 

 有名な怪談“番町皿屋敷”を下地に作られた『10枚目の行方』。

 恨みを成就させようとする人の想いを丹念に描いた『丑の刻』。

 独特の論理で殺人をする犯罪者が主人公の『シリアルキラー』。

 恋人が好きなあまり、その人を食べてしまいたいという欲求に駆られる『ハンバーグ』。

 子供を亡くした母親が、別の子供を誘拐して子育てをする『おままごと』。

 

 そのどれもが、背筋が凍るほどのリアリティを内包しており、そして曲によっては耳を覆いたくなるほどにグロテスクな表現がなされている。そしてそんな世界観が、普通のアイドルが歌うような楽曲に乗せて、普通のアイドルが歌っているような可愛らしい笑顔で、観客の耳に届けられるのである。

 1曲目が披露されているときは、さすがに観客にも動揺が見られた。人間の業が生み出す恐怖の世界を、普通のアイドルと同じようにニコニコと心の底から楽しそうに歌い上げる小さな少女の姿は、耳からの情報と目からの情報に多大なギャップをもたらし、人々に混乱を引き起こす。

 しかし3曲目が終わった頃には、観客はそのギャップと混乱の虜となっていた。その心理は咽せるほどに辛いと知りながら激辛カレーを食べ続けるものに似ており、普段の生活では味わうことのないであろう刺激に“取り憑かれていった”のかもしれない。

 

「……改めまして、こんばんは。白坂小梅です」

 

 何曲か披露した後、小梅はMCで改めて自己紹介をした。観客から一斉に拍手が上がり、すっかり彼女の虜となった一部の観客から呼び掛ける声に、小梅は律儀に手を振って応える。

 

「えっと……、わ、私は人前に出るのが苦手だけど……、今日のために歌詞を書いて、一生懸命練習しました……。ぜひ、最後まで楽しんでください……」

 

 少々短いMCだが、小梅はそこで言葉を切った。次の曲が始まる雰囲気になったが、フロアにはなかなか音が流れない。

 にわかに観客がざわめき始めた頃、

 

 ――――バチバチッ! ブチッ!

 

 火花が散るようなスパーク音がフロア中に鳴り響き、観客が一斉に体をびくつかせて驚きの声をあげた。先程とは違うざわめきがフロアを埋め尽くす中、

 

「――くすっ」

 

 大きな袖で口を隠しながら笑う小梅の姿に、観客はこれが“演出”であることを悟った。ホッと胸を撫で下ろし、小さな女の子にしてやられたことに軽く腹を立て、しかし楽しそうに笑う小梅を前に全てを許してしまいたくなる。そんな複雑な想いを抱いたまま、観客は次の小梅の曲へと耳を傾けた。

 

「……何だ、今のは?」

 

 首をかしげる音響監督の疑問を置き去りにして。

 

 

 *         *         *

 

 

 安部菜々のライブまで、あと1分。

 ステージ上は小梅のときと同じく何も無く、マイクスタンドだけが真ん中にぽつんと立っている。このことから、菜々も小梅と同じく打ち込みの音楽に合わせて歌うものと思われる。

 しかし小梅のときと大きく違うのは、ステージの背面に大きなスクリーンがあることだろう。フロアに集まった観客も、それを使ってどのようなパフォーマンスが行われるのか気になっているのか、皆が興味深そうにそれに視線を向けている。

 と、ふいにフロアが暗くなった。観客から歓声があがるが、スクリーンに光が灯ることで歓声が止まる。

 そして次の瞬間、「ブーッ! ブーッ!」とフロア全体にブザー音が鳴り響いた。

 

『エマージェンシー、エマージェンシー』

 

 その声は人間のそれではなく、インターネットからダウンロードできる合成音声ソフトに酷似したものだった。しかしそれは有り得ない。なぜならこの声は、ウサミン星に住まうエージェントから極秘のルートを通じて送信されたメッセージだからである。

 スクリーンには銀河系をイメージしたイラストが映し出され、その中心に近い場所で赤い点がチカチカと点滅している。

 

『ウサミン星より《太陽系ロップポイント》を経由して報告、kbyarebnhgujy7、応答せよ』

「こちらkbyarebnhgujy7、メルヘンネーム“安部菜々”」

 

 ウサミン星からのメッセージに答えたのは、フロアのスピーカーを通したような加工が施された女性の声だった。おそらく地球人の電波傍受を恐れたことによる自衛のためだろう。ちなみに“kbyarebnhgujy7”の部分はあまりに複雑すぎる発音のため、人間には音声を早送りしているようにしか聞こえない。

 

『ウサミン星所有タンクに貯蔵された《ニンジン》が、残量40パーセントを下回った。これは今から155年前に起こった《MPウォーズ》時に記録された35パーセントに匹敵する非常事態である』

「報告、了解。kbyarebnhgujy7からも、ミッションナンバー《SDGSZFVHGVHHG》について報告する。繰り返す、ミッションナンバー《SDGSZFVHGVHHG》について報告する」

『了解、報告に移れ』

「ミッション第4関門“アイドルデビュー”の目処が立った。作戦開始日時は――年――月――日――時である」

 

 ライブが行われている今まさにこの瞬間の日時が告げられると、エージェントが『おおっ、でかした』と嬉しそうに返事をした。まるで機械が読み上げたような棒読みの台詞に、フロアのあちこちから笑い声が漏れる。

 

『kbyarebnhgujy7も知ってる通り、我々は《ニンジン》が無ければ生きていくことができない。しかし《ニンヅン》が蔓延していることにより、近年《メルヘン》からの《ニンジン》供給が大幅に落ち込んでいる』

 

 エージェントの説明に合わせるように、スクリーンにはウサミン星を描写したと思われるイラストが次々と映し出される。しかし記録が少ないためか、そのどれもが曖昧で要領を得ない。

 

『我々は一刻も早く、《メルヘン人》を“偽物の熱狂”から解放し、真に熱狂できるものを見つけるための足掛かりを構築しなければならない』

『そのためには、kbyarebnhgujy7によるアイドル活動が不可欠である。《メルヘン人》の生態観察を目的としたカフェの潜入捜査が予定よりも延び、ミッション開始時間に数年のズレが生じているが些事である』

『kbyarebnhgujy7よ。《メルヘン人》を、一刻も早く“偽物の熱狂”から解き放つのだ』

「了解」

『以上、報告を終了する』

 

 その言葉を最後に、通信は遮断された。それに合わせて、スクリーンの映像も消えてフロアが暗闇で満たされる。

 そして次の瞬間、打ち込み主体のとても明るい曲が流れ始めた。それに合わせてステージの照明も一気に明るくなり、メイド服を模したようなフリフリの衣装を身に纏った安部菜々が、舞台袖から飛び出すようにして現れた。

 

「《メルヘン人》の皆さん、初めまして! ウサミン星からやって参りました永遠の17歳、安部菜々です! 夢と希望を両耳に引っ提げて、ナナ、頑張っていきまーす! はい!」

「ミンミンミン! ミンミンミン! ウーサミンッ!」

「ミンミンミン! ミンミンミン! ウーサミンッ!」

 

 前奏の間に詰め込んだMCと共に、両手を耳の辺りにくっつけて行う“ウサミンコール”が始まった。菜々のアルバムの1曲目にも収録された『メルヘンデビュー!』だけに、予習を済ませた観客によるコールが真っ先に反応し、それはすぐにノリの良いフロア全体に響き渡っていった。

 そこから矢継ぎ早に繰り出される『ロップスポット』や『ニンジン』といった楽曲も、聴くと思わずテンションが上がるような、少しネットに詳しい者ならば“電波ソング”と称するようなものが並ぶ。ちなみに歌詞の端々にはウサミン星で使われる単語が使われているが、意味を知りたいならば事務所のホームページからもアクセスできるツイッターの“ウサミン語解説bot”を参照すると良いだろう。

 

「皆さん、改めましてこんにちは! 安部菜々です! 今日はナナのデビューライブに来てくれて、ありがとうございます!」

 

 そして菜々のライブで特徴的なのが、先程の2人と比べても圧倒的にMCの時間が長いことだろう。観客からの呼び掛けにも全力で答え、「今の映像はウサミン星のエージェントからの通信でですね~」と丁寧に解説を加える辺りは、ファンサービスに全力を注いでいる証と言える。さらには「ちなみに平日は2階のカフェでバイトしているので、皆さん遊びに来てミッションの達成に貢献してくださいねー」と宣伝まで忘れない。

 さらに肝心の楽曲だが、電波ソングと呼ばれるような明るいものばかりではない。ウサミン星人とメルヘン人による切ない恋愛を描いた『ドクトゥン』といったテクノ調バラードや、輝子作曲によるメタルを電子音に置き換えたような激しい曲調が特徴の『ニンヅン』といったハードテクノなど、曲自体の完成度も非常に高い。この辺りは、さすが作曲を担当した多田李衣菜の妙と言えるだろう。

 こうして菜々のライブは、或る意味一番アイドルらしい盛り上がりを見せながら幕を閉じた。

 

 

 *         *         *

 

 

 そして本日最後のライブは、神崎蘭子である。

 菜々がいなくなったステージ上だが、スクリーンは片づけられずにそのままとなっている。そしてそのスクリーンの手前に置かれているのは、金属の突起物が左右に2本ずつ(計4本)とその中央にノートパソコンが取りつけられたキーボード、としか形容できない不思議な楽器だった。

 アルバムでどのような曲をやるのか分かっているものの、その装置とスクリーンを使ってどのようなパフォーマンスをするのか検討もつかない観客達は、時折首をかしげながらその謎の機械を眺めていた。

 やがてライブの時間となり、フロアが暗くなった。菜々のときと同じくスクリーンが明るくなり、そこに映像が映し出される。CGにより制作された荒野のど真ん中で、実写の男(顔が隠されているために特定はできないが、結構大柄な体格をしている)がボロボロの姿で倒れている。

 

『見よ、男が今にも息絶えようとしている』

 

 凛々しい少女のナレーションを皮切りに、その“物語”は始まった。ストリングスを主体とした厳かなBGMが、その物語に彩りを添える。

 

『その男の家は、生まれながらにして貧乏だった。その日の飢えを凌ぐ程度の金を稼ぐのもやっとであり、それさえままならない日も珍しくなかった。長年の心労が祟って両親が次々と死ぬと、彼の貧乏に拍車が掛かった。そしてこの日、男はとうとう己の限界を超えて倒れ伏し、今にも命の灯火を消そうとしている』

 

 映像と音声によって展開されるその物語に、観客達はアイドルのライブ中とは思えない“沈黙”でそれに見入っている。

 

『なんて、無様な姿だろうか。その男は、選択肢さえ間違えなければ“勇者”になれたのに』

 

 その声は男をつけ離すように冷たい、しかしどこか彼を哀れんでいる優しいニュアンスを携えていた。

 

『煌びやかな鎧を身に纏い、燦然と輝く剣を握りしめ、後世で伝説と語られるに相応しい部下を後ろに従え、世界の破滅を画策する魔王を討伐せんと立ち向かう“世界の英雄”になれたのに』

 

 映像には、その“有り得た未来”を表すように次々と映像が切り替わっていく。しかし徐々に靄が掛かったように薄暗くなり、やがて完全に黒に染められた。フロアが暗闇に包まれる。

 

『男は、愚かだった。悲しいほどに、愚かだった』

『労働で稼いだ僅か銅貨1枚を、その日の飢えを満たすだけのパンを買うためではなく、行商団が売っていた“食べられる野草”という本を買うのに使っていれば、飢えを凌ぐことができたのに』

『人生とは、選択肢の連続だ。どうでもいい選択肢から人生を左右する選択肢まで、その種類は様々だ』

『男は、選択を誤ったのである。選択を誤ったが故に、今こうして荒野の真ん中で1人死のうとしている。男は苦悶の表情を浮かべながら、全てを諦めたように目を閉じている』

 

 ここで突如、ナレーションが止まった。BGMも途切れ、フロアが静寂に包まれる。

 

『まったくもって、忌々しい』

『全てを悟ったように生を諦めているこの男が、この上なく忌々しい』

『もしや“我”を脅かす者が現れるかもしれないと心震わせていたというのに、このようなつまらん幕引きでは興醒めを通り越して怒りすら覚える』

 

 そして、再びBGMが鳴り出した。ストリングスに加えてティンパニーなどのリズム隊が加わったことで、厳かな中にも、これから何かが始まるという期待感と高揚感が湧き上がってくる。

 

『そこの者達、我に協力してほしい』

『我と共にあの男に正しい選択肢を提示し、あの男を“伝説の勇者”へと導くのだ』

『そのためには、まず我がこの世界に降臨しなければいけない。お主達の声がその鍵だ』

 

 そして一呼吸の後、ナレーションである少女が呼び掛けた。

 

『――さぁ、我の名を呼ぶが良い!』

 

 その瞬間、スクリーン上にでかでかと“CALL RANKO”の文字が映し出された。最初は戸惑うような反応を見せていた観客も、急かすようなBGMと共に察したのか一斉に“蘭子コール”が沸き起こった。スクリーンにはメーターが表示され、観客の声の大きさに合わせて矢印がどんどん上がっていく。最初は“0”を指していたそれも、観客が必死に叫ぶことで最高値の“10”へ向かっていく。

 そして矢印が“10”に達したその瞬間、舞台袖から蘭子が姿を現した。万感の想いを込めた拍手で迎えられた彼女は、観客にこれといった反応を見せることなく、ステージに置かれた例の謎楽器へとまっすぐ向かっていく。

 

 蘭子がパソコンに何やら打ち込むと、両脇2本ずつの突起物に変化が表れた。2本の突起物を繋ぐように緑色のレーザーが3本ずつ現れ、まるで弦の少ないハープのような出で立ちになる。

 そして蘭子は手を挙げると、そのレーザーを弦に見立てて指で弾くような動作をした。

 すると、まるで本物のハープのように音が鳴った。しかしそれは本物のハープとは程遠い、あらかじめパソコンで打ち込んでおいたような電子音だった。時に単音、時に1フレーズ、時にティンパニーのような打楽器、そして時には蘭子自身によるコーラス、と、蘭子が計6本のレーザーを指で弾く度に、次々と異なる音がフロア中に響き渡る。

 そしてそれに合わせてストリングス編成の伴奏が流れ始め、蘭子の1曲目『出立』が始まった。この物語のテーマソングとも言える楽曲(もちろん蘭子が作詞を担当している)を、時々キーボードを弾き、レーザーを指で弾きながら歌い上げる蘭子の姿に、観客達は先の3人と違ってただ静かに聞き入っている。

 

 そうして、立て続けに3曲を歌い終えた。普通のライブならば、この辺りでMCが入るタイミングだろう。

 しかし蘭子のライブは違う。スクリーンが再び映像を映し出し、ナレーションと共にムービーが始まる。餓死の危機を脱した男が村を飛び出し、いよいよ魔王の城を目指すこととなった。そして最初に立ち寄った村にて、悪魔に支配された2つの村の話を聞く。2つの村はかなり離れており、地理的に片方にしか行くことができない。

 

『皆の者、どちらか一方を選ぶが良い』

 

 そのナレーションと共に、右と左を指す矢印が同時に現れた。その矢印のどちらかが光っているときに、そちらを選択したいと思った観客は声をあげる。そして最終的に声の大きかった方を選択し、物語が進んでいく。蘭子のライブにはこのような“分岐点”がライブ中に幾つかあり、それによって物語の行方だけでなくセットリストさえも変わってしまう。

 そして最大の特徴として、このライブは“マルチエンディング”となっている。観客が選んだ物語のルートによって10通り以上もの結末が用意されており、どのような結末になるかはその日の観客次第ということだ。

 ちなみに記念すべき第1回であるこの日のライブは、勇者となった男が立ち寄った村の事件を解決し、そして報酬を惜しんだ村人によって奇襲に遭い殺されるという、文句無しの“バッドエンド”だった。物語に入り込んでいた観客達は、その結末に本気で悔しがっているようだった。

 物語の世界観を壊さないため、ライブ中は一切MCを挟まない。なのでこの日蘭子がナレーション以外で観客に呼び掛けたのは、全ての曲が終わった後のことだった。

 

「皆の者、我が名は神崎蘭子。この物語の語り部にして黒幕だ」

 

 その言葉に応えるようにして、フロアから一斉に拍手と歓声が沸いた。

 

「本日の演目は、残念ながら我の納得のいく結末ではなかった。しかし諦めてはならぬ。選択肢を見誤らず、正しき道に男を導けば、必ずや男は我の元へと辿り着く。――では、また会おう!」

 

 蘭子はそう言って、ステージを後にした。観客は拍手と歓声をもって、彼女を見送った。

 

 

 こうして、本日全ての演目が終了した。

 

 

 *         *         *

 

 

「お疲れ様、蘭子ちゃん! 凄く良かったよー!」

「お疲れ様です、蘭子ちゃん!」

「フヒ……。す、凄く格好良かった……」

「う、うん……。完璧だった、と思う……」

 

 舞台袖に下がって楽屋へと戻ってきた蘭子を、杏を初めとした事務所のメンバーが出迎えた。出番の早かった輝子と小梅はすでに私服に着替えているが、蘭子の前に出番だった菜々はステージ衣装のままだった。インターバルは1時間あったはずだが、蘭子が気になってそれどころではなかったのだろう。

 一方、ステージ上での凛々しい表情のまま楽屋に戻った蘭子は、

 

「うむ! 初めての経験であったが、我の手に掛かれば造作も……造作も……ふえぇ」

 

 楽屋で皆の顔を見て安心したのか、表情を崩してボロボロと涙を零して泣き始めてしまった。するとそれに釣られたのか菜々も泣き出してしまい、杏・輝子・小梅は慌てたように2人に駆け寄り、背中を擦ったり頭を撫でたりして気持ちを落ち着かせる。

 やがて2人の泣き声が落ち着き、時々鼻を啜る音にまで収まった頃、

 

「さてと、まぁお客さんの反応を見ても分かると思うけど、今回のライブは良かったんじゃないかな? スタッフさんの話だと、カフェやショップの売上も上々みたいだし、初っ端のライブとしては大成功って言っても良いでしょ」

 

 杏のその言葉に、輝子達は互いに顔を見合わせて満足げに笑い合った。

 

「でも、これで終わりじゃないからね。昨日まではこの日のために色々準備をしていたけど、むしろここからが長いアイドル生活の始まりなんだから」

 

 しかし直後の杏の言葉に、4人全員が表情を引き締めて頷いた。

 一生に1度しかない、アイドルデビュー。この日をどれだけの想いで迎え、そしてどれだけの想いで乗り切ったか、その重さは杏にも充分に分かっている。しかしこれは、これから週に2回という頻度でライブを行っていく彼女達にとっては、ほんの“通過点”でしかないのである。

 

「これからライブを重ねていくと、みんなの技術もどんどん上がっていくと思う。だけどそれ以上に、お客さんの目も肥えてくるからね。それに同じ曲ばかりでライブするわけにもいかないから、これからもどんどん曲を増やしていかなきゃいけないし、色々なことにチャレンジしなきゃお客さんはすぐに離れていっちゃうから」

 

 輝子は観客を飽きさせないために新曲を作り続けなければいけないし、それは作詞を担当している他の3人も同じだ。特に蘭子に至ってはライブのストーリーを定期的に一新する必要があるし、菜々は平日にも事務所2階のカフェに出るなど、他の3人が苦手とする“ファンサービス”の分野で活躍してもらわなければならない。

 さらにはネットコンテンツを充実させるためにも、動画配信や有料コンテンツといった様々な企画のアイディアを、彼女達自身にも協力してもらう必要もある。こういった企画は、自分でアイデアを出すことで“やらされている感”を軽減することが大事なのである。

 とはいえ、

 

「とりあえず今日はお疲れ様ということで、このまま打ち上げでもやろっか! もちろん明日もライブがあるから、そんなに羽目は外せないけどねぇ」

「フヒ……。や、やった……!」

「そ、それじゃ、今度こそお寿司……」

「良いですね! この間は何だかんだで行けませんでしたし!」

「魔力を消耗した我が体は、大地の力を欲しておる!」

 

 杏の言葉に、4人は一斉に顔を綻ばせてはしゃいでいた。これからも様々な困難が彼女達を待ち受けているだろうが、“腹が減っては戦はできぬ”ということで、今は何もかも忘れて英気を養うことも重要だろう。杏も「よし! スタッフ全員分、特上寿司だー!」と言いながらスマートフォンを取り出している。

 

 

 数ヶ月前まで仕事もせずにニート生活を送り、自身の生活に空虚感を覚えていた杏は、

 今このとき、自分が才能を見出した“仲間”と共に、心の底からの笑顔を浮かべていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 最後の演目が終わって外に出たときには、街はすっかり夕焼け色に染まっていた。

 本日より営業を開始した劇場“アプリコット・ジャム”付近には、大勢の人で溢れていた。1階のグッズ売り場には長い列ができており、2階のカフェも順番を待つ客が外にまで溢れている。

 そして彼らは皆、それぞれが今回のライブで印象深かったシーンを思い出しては満足げな表情を浮かべていた。その中には初めて会った人々と顔を付き合わせて、蘭子のライブのどこで選択肢を誤ったのかを真剣に話し合っている場面も見られた。

 そんな人々を眺めながら劇場を後にするのは、露出の少ない灰色の服に大きなマスクで顔の下半分を隠している女性、肩に掛かるほどの長さで毛先を緩くウェーブさせた髪型の少女、大きな帽子で長い髪と目元を隠している少女の3人組――すなわち、トライアドプリムスの3人だった。

 

「凛さん、杏さんに声を掛けなくて良いの?」

「うん。杏にはいつでも会えるし、今日くらいはあの子達に譲るべきだしね」

 

 加蓮の問い掛けに、凛は口元に笑みを浮かべて返事をした。

 そしてその隣では、奈緒が未だ興奮冷めやらぬ様子で熱く語っていた。

 

「いやぁ、やっぱ生のライブは凄かったよなぁ! CDで曲は予習してたけど、やっぱライブで聴くんじゃ全然印象が違うよ! 全員方向性が違う感じで良かったし、あたしこの劇場の常連になっちゃうかもなぁ!」

「ふふ、そうだね。さすが杏、よくあれだけの逸材を見つけてきたと思うよ。李衣菜やきらりやかな子が色々手伝ったって聞くけど、星輝子って子は自分で曲を作ってるし、他の3人も自分で作詞をしてるんでしょ?」

「そうそう! それに蘭子ちゃんは、ライブのストーリーも自分で全部考えてるらしいんだよ! いやぁ、やっぱり凄いなぁ! こりゃ、あたし達も負けてらんないな!」

「うん、そうだね。私も“奇跡の10人”だ何だってちやほやされて調子に乗ってたら、あっという間に後輩に追い抜かされちゃうから気をつけないと」

「えぇ? ストイックな凛さんが“調子に乗る”なんて、全然想像つかないけどなぁ」

「…………」

 

 奈緒と凛が楽しそうに喋る中、加蓮だけは真剣な表情を浮かべてじっと黙りこくっていた。

 

「ん? どうしたんだ、加蓮?」

 

 奈緒がそれに気づいて声を掛けるも、

 

「……ううん、何でもないよ」

 

 加蓮はにこりと笑って、そう答えるだけだった。

 

 

 

「いかがでしたか、社長?」

 

 緩く纏めた三つ編みを横に垂らすその女性は、普段は緑色の事務服という特徴的な格好をした千川ちひろだった。今日は街に溶け込むために地味な色合いの服装をしている彼女は、自分の隣にいるその人物へと問い掛ける。

 

「んっ? まぁ、さすが杏って感じだな。あいつのことだからテレビで観るようなのとは全然違うので来るとは思ってたけど、まさかあそこまで吹っ切れるとは思わなかったわ。――あとやっぱ、劇場の“狭さ”が良いよな。劇場の名前の通り、自分の好きなものを詰め込んだ感じがするわ」

「ええ、そうですね。それにアイドルのみんなが、自分の好きなことをやれて生き生きしているように思えました。――それにあの雰囲気、何だか“昔の346プロ”を見ているような気分になったのは、私の気のせいでしょうか?」

「いや、気のせいじゃねぇよ。杏は346プロが今の場所に引っ越す前に引退したからな。あいつにとっての346プロは、今みたいなでっかいビルを持つ大企業じゃなくて、雑居ビルの1フロアを借りて営業してる弱小プロダクションのイメージのままなんだろ。あいつがアイドル達と一緒に暮らしてんのは、そういう雰囲気を無意識に欲してるんじゃねぇの?」

 

 その言葉を聞いたちひろは、本人が聞いたら顔を真っ赤にして否定しそうですね、と思った。

 すると、ちひろから社長と呼ばれたその“若い女性”は、ふいに両腕を挙げて大きく伸びをした。

 

「あー、やっぱライブは良いわ。何か“原点”を思い出した感じだわ。うし、アタシも帰って仕事頑張るか」

「そうですね。頑張りましょう、“桐生社長”」

「おうよ」

 

 長い金髪を揺らしながら堂々と歩く346プロの創設者にして社長である“桐生つかさ”の後ろを、ちひろはまるで忠実な従者かのようにぴったりとついていった。



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番外編1 『月刊アイドルマスター 第○号巻頭インタビュー』

 双葉杏、再始動 ~“原石”と共に歩む第2章~

 

 

 *         *         *

 

 

 双葉杏、芸能界復帰。

 その衝撃的なニュースが世間に流れたのは、あまりにも突然のことだった。

 今から7年前、俗にいう“奇跡の10人”の中心的な存在として瞬く間にスターダムを駆け上がっていき、そしてたった2年の活動を経て突然芸能界を引退した伝説のアイドル。あれから5年、不動産王になっただの死亡説だのといったニュースが散発的に流れるものの、誰1人として彼女が芸能界に復帰するなんて思っていなかった。おそらく彼女の芸能界復帰のニュースは、彼女の現役引退と同じくらいの衝撃を日本中のアイドルファンに与えたことだろう。

 いったい、彼女の中でどのような心境の変化があったのか。

 そして彼女がプロデュースするアイドルとは、如何なる人物なのか。

 双葉杏が主宰する劇場“アプリコット・ジャム”に所属する4人のアイドル、そして双葉杏自身への個別インタビューから、その核心に迫っていく。

(インタビュー/文:善澤)

 

 

 *         *         *

 

 

【安部菜々】

 

 

 ――初めましてということで、自己紹介をお願いします。

 

安部菜々「ウサミン星からやって来た永遠の17歳、安部菜々です! よろしくお願いします!」

 

 ――いやぁ、自己紹介の時点で個性がビシビシ伝わってくるよ(笑)

 

菜々「そうですかね? ナナにとっては普通なんですけど」

 

 ――とりあえず色々訊きたいことはあるんだけど、まずは、そもそも“ウサミン星”って何かな?

 

菜々「ウサミン星はナナの故郷です。ここから電車で1時間の場所にあるんですよ」

 

 ――1時間? 随分と近いんだね(笑)

 

菜々「電車といっても、普段皆さんが利用しているものじゃないですよ? 例えるなら、スリーナインみたいなものですかね? あんなに目立つような外見じゃないですけど」

 

 ――スリーナインなんて、17歳なのによく知ってるね。

 

菜々「え?」

 

 ――え?

 

菜々「あ、いや! 名作ですからね! ウサミン星は、“メルヘン”のカルチャーに精通しているんです!」

 

 ――メルヘン?

 

菜々「あ、すみません。ウサミン星では地球のことを“メルヘン”と呼ぶんです」

 

 ――それはつまり、ウサミン星にとって地球は憧れの存在だってこと?

 

菜々「そうですね。ここでウサミン星人の生態をお話しておくと、ウサミン星は生きていくために“ニンジン”と呼ばれるエネルギーを吸収して生きているんです」

 

 ――その“ニンジン”というのは、あくまでも地球にある野菜のことではないんだよね?

 

菜々「はい。“ニンジン”を地球の言葉で説明するのが難しいんですけど、“人々が何かに熱中しているときに発散しているエネルギー”といった表現が一番近いです。地球のサブカルチャーは他の星に比べても多種多様でレベルが高いですから、地球の人達が生み出す“ニンジン”はかなり良質なものなんです。なのでウサミン星人も、地球の皆さんには陰ながらお世話になっていました」

 

 ――成程、だから君もその流れで、小さい頃から地球のサブカルチャーに触れてきたわけだね。そこでアイドルに憧れるようになって、地球にやって来たという感じかな?

 

菜々「いいえ、アイドルになるために地球にやって来たのは事実ですが、それは必要に迫られたからなんです」

 

 ――それはまた、どうして?

 

菜々「明確な時期は不明ですが、いつの頃からか、地球の人達が生み出す“ニンジン”の質が著しく悪くなっていったことに気づいたんです。そして調べてみたところ、“ニンジン”ととてもよく似た性質の、しかしウサミン星人の体が受け入れることのできないエネルギーが紛れていることが分かったんです。ナナ達はこれを“ニンヅン”と名付けました」

 

 ――“ニンヅン”? (掌を指でなぞる仕草をして)ああ、成程ね。

 

菜々「それが発生した原因を調べてみると、“ニンヅン”を生み出す人々には主体性が無いことが分かったんです」

 

 ――主体性が無い?

 

菜々「はい。スポーツの試合なんて普段全然観ないのに日本代表のときだけ騒ぎたてるとか、ネットの炎上騒ぎに便乗して悪口を書き込むとか、ネットやテレビの宣伝文句に乗せられるままに商品を買ってしまうとか、そういった“偽物の熱狂”に踊らされている人達によって“ニンヅン”は生み出されていくんです」

 

 ――成程ね、恥ずかしながら僕にも思い当たる節があるよ。ひょっとしたら、読者の中にもそういう人がいるんじゃないかな?

 

菜々「“ニンヅン”は“ニンジン”の質を悪くするだけじゃなくて、その人自身も汚染していくんです。“ニンヅン”に汚染されてしまった人々は、本当に自分が熱狂できるものに巡り会えたとしても、植え付けられた“偽物の熱狂”を真実だと思い込んでいるので、それに夢中になることができなくなってしまうんです。そうなってしまうと“ニンジン”の質がもっともっと悪くなってしまって、さらに“ニンヅン”に汚染される人が増えていくっていう悪循環に陥ってしまいます」

 

 ――そうなると、“ニンジン”によって生きているウサミン星人にとっては死活問題だね。それを阻止するために、君がやって来たということだね?

 

菜々「はい。“ニンヅン”に汚染された人々を解放して、本当に夢中になれるものを探せるようにするのがナナの使命です」

 

 ――ところで、ウサミン星は“ニンジン”をエネルギーとしているらしいけど、普通の食べ物は摂らないの?

 

菜々「いいえ、そんなことはありませんよ。絶対に必要というわけではないというだけで、嗜好品としての食べ物はよく食べますよ」

 

 ――君が今まで食べた地球の食べ物の中で、一番好きなものは何?

 

菜々「よく食べるのは、ピーナッツ味噌ですね」

 

 ――ピ、ピーナッツ味噌? 随分と意外だね……。

 

菜々「小さい頃から食べてましたし、お酒のおつまみにもなるのでよく食べます」

 

 ――え? 菜々くん、お酒呑むの?

 

菜々「え?」

 

 ――え?

 

菜々「ああ、いや! お酒にも合うんだよっていうのを、大人が言っているのを聞いたんです!」

 

 ――……そうか。うん、成程。君がアイドルを目指すようになった理由はよく分かったよ。でも君は実際にこうしてアイドルになるまで、結構長い時間が掛かったって聞いたけど?

 

菜々「……はい。アルバイトをしながらアイドルを目指してたんですけど、オーディションに通らない日々が続きました。両親にも『いい加減アイドルなんて目指すのは止めて帰ってこい』なんて言われて……」

 

 ――え? 両親?

 

菜々「あ、違った! 両親じゃなくて、ウサミン星のエージェントです! 言い間違いです!」

 

 ――そ、そうかい……。それで君は、アルバイトをしている内に杏くんと出会ったんだよね? しかも“あの”杏くんがわざわざ外出して君に会うほどに仲良くなって。最初に彼女と会ったときはどんな印象を受けた?

 

菜々「あっ、実は杏ちゃんと出会ったのはアルバイトをしていたときじゃなくて、もっとずっと前だったんです」

 

 ――えっ、そうなの? (横で聞いていた双葉杏が大きなリアクションをするのを見て)あれ? もしかして杏くんも知らなかったこと?

 

菜々「はい、杏ちゃんにも話してなかったんですけど……。杏ちゃんがショッピングモールでデビューライブをしたとき、実はお客さんとして観てたんですよ」

 

 ――へぇ、そうだったんだ! あははっ、杏くん凄い驚いてるね!

 

菜々「ナナが通り掛かったときはまだほとんどお客さんがいなかったから、最前列で観ることができたんです。いやぁ、もう一目惚れですよ! 思わず興奮しちゃって、あのときは我を忘れてはしゃいじゃいましたよ!」

 

双葉杏「あぁ、思い出した! あれ、菜々さんだったんだ! やったら前のめりになってはしゃいでる人がいるなぁ、って思いながら歌ってたから、凄く印象に残ってたよ!」

 

 ――デビューライブを最前列で観てファンになったアイドルが引退して、自分がバイトをしていた店に客として入ってきたわけか。何だかもの凄い運命だね。

 

菜々「いやぁ、あのときは本当に驚きましたねぇ。ナナにとっては、それこそデビューのときからずっと追い掛けていたアイドルでしたから。まぁ、その後にテレビで観ていた以上にぐうたらだったのを知ったときにもかなり驚きましたけど(笑)」

 

 ――あはは、確かにね。でもいくら引退したとはいえ、杏くんはあの“奇跡の10人”のメンバーやそのプロデューサーとも交流のある人物だよ? 杏くんのコネを利用してアイドルデビューしようとは思わなかったの?

 

菜々「そんなの、せっかく杏ちゃんと仲良くなれたのに、その友情を利用しているようで嫌じゃないですか。ナナはあくまでも、1人の友人として杏ちゃんと付き合いたかったんです」

 

 ――じゃぁそれ以外に、杏くんに頼んで実現させてもらったことはある? 例えば“奇跡の10人”のサインを貰ったとか。

 

菜々「全然無いですよ。というか今気づきましたけど、ナナ、杏ちゃんのサインすら貰ったことがありませんね」

 

 ――ええっ! あんなに仲が良いのに?

 

菜々「だからかもしれませんね。もはやナナにとって、杏ちゃんは1人の友人でしたから」

 

 ――そんな友人にスカウトされて、1人の友人から“アイドルと事務所社長”の立場に変わったわけだけど、何か変化とかあった?

 

菜々「特に無いですね。強いて言うなら、杏ちゃん達と一緒に生活するようになって、杏ちゃんのお世話をすることが増えたくらいですかね(笑)」

 

 ――(笑)さて、ここまで君の“過去”について訊かせてもらったけど、ここからは君の“今”について訊いていこうか。つまり、君のアイドル活動についてだね。

 

菜々「はい! 何でも訊いてください!」

 

 ――ん? 何でも?

 

菜々「……お手柔らかにお願いします!」

 

 ――うん、素直で宜しい(笑)菜々くんの曲で面白いのは、歌詞の端々にウサミン星の言語が散りばめられていることだよね。一見すると訳の分からない歌詞のように思えて、でも意味を調べるとちゃんとメッセージが隠されていたり、ウサミン星を取り巻くストーリーを垣間見ることができたり。

 

菜々「はい。ちなみにウサミン星の言葉に関しては、ツイッターのbotで解説していますので、興味のある方はそちらをご覧ください」

 

 ――僕が面白いと思ったのが、まさにそこなんだよね。菜々くんのアイドル活動自体にストーリーが付随されていて、菜々くんのライブを観たり曲を聴いたりすることでそれを追体験できるっていうところ。アイドルのファンって不思議なもので、アイドルの子が成長していくのを一緒に感じたいっていう欲求が、他のジャンルと比べても特に大きいと思うんだよね。いわば、アイドルを通して“ストーリー”を楽しみたいっていう感じ。

 

菜々「あー、確かにナナもアイドルを追い掛けてたときは、そんな印象もあった気がします」

 

 ――だから菜々くんのやり方は少し変則的なように見えて、実はアイドルの売り出し方としては正統派だと思うんだよ。

 

菜々「ありがとうございます! 何だかナナ、よく“色物”として見られているので……」

 

 ――ウサミン星として、普通のことをしているだけなのにね。

 

菜々「そうなんですよ!」

 

 ――僕は好きだよ、菜々くんの曲。曲調も“電波ソング”って呼ばれるようなテクノ調のポップから、アイドルソングにしては硬派な印象のユーロビート調のものまで、付随しているストーリーとかを抜きにして単純に盛り上がれる曲が多いからね。

 

菜々「そうですね。ナナも、メッセージを受け取ってもらうのが一番の目的ではありますけど、まずは曲そのものを楽しんでいただけたらと思います」

 

 ――他にも菜々くんのアイドル活動として特徴的なのは、劇場に併設されているカフェだよね。ライブの無い平日には、菜々くんはカフェで“名誉店長”として働いているんだよね?

 

菜々「はい、そうです。アルバイト時代の経験が活かされてます」

 

 ――他にも君は劇場のホームページで、視聴者からの質問に直接答える生中継のネットラジオをやってたりするよね。他の所属アイドル達がファンとの交流に対して消極的なのに対して、君は随分とファンとの交流に積極的だね。

 

菜々「他のみんなはそういうのが苦手ですからね。だからナナがその役目を引き受けようと思ったんです」

 

 ――劇場のファンも、菜々くんを“交流の窓口”みたいに思っているらしいよ。そういう点では、菜々くんは重要な役目を担っていると言えるね。

 

菜々「そうですね。杏ちゃんからもよく言われているので、頑張りますよ!」

 

 ――はは、何だか楽しそうだね。

 

菜々「そりゃそうですよ! 何てったって、長年の夢が叶ったんですからね! 毎日が楽しくて仕方がないですよ!」

 

 ――あれ? アイドルになったのは、必要に迫られたからなんじゃなかったっけ?

 

菜々「え?」

 

 ――え?

 

 

 *         *         *

 

 

【星輝子】

 

 

 ――それじゃ、自己紹介を宜しくね。

 

星輝子「は、はい……。星輝子(しょうこ)です……」

 

 ――そんなに緊張しないで、普段杏くん達と話してる感覚で大丈夫だからね。

 

輝子「あ、ごめんなさい……。人と話すのは、あんまり慣れてないから……」

 

 ――ライブのMCとかで何となく分かってたけど、やっぱり歌ってるときとは随分雰囲気が違うんだね。

 

輝子「フヒ……。よく言われます……」

 

 ――普通に考えたらアイドルになるような性格じゃないと思うんだけど、どうしてアイドルになったの?

 

輝子「えっと……、ギターを修理に出してて、それを取りに行ったらたまたま杏さんがいて、ギターを弾いてってお願いされたから弾いたら、スカウトされました……」

 

 ――おおっ、何だか運命的だね。杏くんも取材前に言ってたよ。「この子は逸材だ」って。

 

輝子「そ、そんな……。私が逸材だなんてそんな……」

 

 ――聞くところによると、かなり昔から音楽をやってたみたいだけど、大体何歳くらいからやってたの?

 

輝子「えっと……、杏さんがデビューした頃に、杏さんの曲をギターで弾いてた記憶があるから……、8歳の頃にはギターを弾いてたことになるかな……」

 

 ――8歳かぁ、それは早いね。家族がギターを弾いてたとか?

 

輝子「お、お父さんが昔趣味でギターを弾いてて、まだ家にそれがあったから『試しに弾いてみるか?』って渡されて……」

 

 ――ということは、輝子くんにとってギターの先生はお父さんだったってことだね。

 

輝子「は、はい……。3ヶ月くらいしたら、教えてくれなくなったけど……」

 

 ――それはまた、どうして?

 

輝子「わ、分からない……。前に1回お父さんに訊いたら『むしろ俺が教えてほしい』って言われて……」

 

 ――ああ、お父さんのレベルを超えちゃったんだね。

 

輝子「そ、そうなのかな……。冗談だと思ってたけど……」

 

 ――でも最初の頃は、杏くんみたいなアイドルの曲から入っていったんだね。メタル路線を聞くようになったのは、いつの頃から?

 

輝子「えっと……、小学校の5年か6年くらいから、かな……? 私、昔からずっとこんな性格だったから友達もできなくて、いつもみんなに馬鹿にされてて……。でも、こんな性格だから言い返すこともできなくて、ずっと自分の殻に閉じ籠もってたんです……。そんなときに、たまたまお店で聞いたメタルの曲が耳に入って、自分の中に溜まっていたものが吐き出されていく感じがしたんです……。それでCDを何枚かレンタルして聴いてみたら、歌詞も自分のことを歌っているようなものも幾つかあって……」

 

 ――一般の人がメタルと聴いて思い浮かべるのは、ど派手なメイクをして犯罪的な歌詞を叫ぶってイメージだけど、必ずしもそうじゃないからね。

 

輝子「そ、そう……。メタルってもの凄くジャンルが広くて、聞き取れないようなシャウトで叫びまくってるものもあれば、普通に聴きやすいポップなものもあって……。音も重低音がぎっしりの重苦しいものもあれば、クラシックのような荘厳な感じの曲もあって……。そういう何でもありな感じが、何でも受け入れてくれるような懐の大きさみたいなものを感じて、好きになっていったんです……」

 

 ――輝子くんからしたら、ようやく“自分の居場所”を見つけたって感じかな?

 

輝子「そ、そういうこと……」

 

 ――オリジナルの曲を作るようになったのもその頃から?

 

輝子「そ、そうです……。お父さんに誕生日プレゼントでパソコンとキーボードを買ってもらって、フリーの音源をダウンロードして、自分の部屋で1人で作ってました……」

 

 ――それを誰かに聴かせたりとかはしたの?

 

輝子「そ、そんな勇気は無かったです……。作ってるだけで満足だったし、周りでメタルを聴いてる人なんていなかったから、馬鹿にされると思って……」

 

 ――だから誰かに聴かせることもなかったし、バンドを組んだりとかもしなかった、と。

 

輝子「そ、そんな友達はいなかったし、そんな勇気も無かったし……。だから、今こうして自分の曲で盛り上がってくれる人達の前でライブができて、凄く良かった……」

 

 ――確かに、ライブをやっているときの輝子くんは凄く生き生きしているからね。それに普段からは考えられないほどに格好良いし、ファンのみんなもその辺りのギャップを楽しんでるんだと思うよ。もちろん、曲自体が素晴らしいっていうのもあるけど。

 

輝子「そ、そうか……。何だか嬉しい……」

 

 ――輝子くんがメタルを好きになったのは分かったけど、輝子くんはキノコマニアとしても知られているよね。そっちはなんで好きになったの?

 

輝子「薄暗いジメジメした場所でひっそりと生きてるのが、私にそっくりだって思ってシンパシーを感じたんです……。それにキノコによって見た目も全然違うし、同じ種類でさえ環境によってまったく姿を変えるときがあるのを知って、何でもありなんだなって思って……」

 

 ――ああ、そこでもメタルのときに感じた“何でもあり”って言葉が出てくるんだね。成程、メタルもキノコも輝子くんにとっては理想的な“自分の居場所”だったってわけか。

 

輝子「フヒ……。それに、毒キノコの容赦無い感じも好きだな……。内臓をボロボロにしたり、皮膚を(ただ)れさせたり……」

 

 ――そうなんだ……。輝子くんにとって、お気に入りのキノコって何かな?

 

輝子「フヒ……。どれもみんな良いから、一概には選べない……」

 

 ――それじゃ、輝子くんが一番恐ろしいと感じる毒キノコとか。

 

輝子「……それだったら、ドクササコだな。食べてから数日してから発症して、指先とか鼻先とかの体の末端部分に熱した鉄の針を刺されるような痛みが1ヶ月くらいずっと続くんだ……。しかも、強烈な鎮痛剤のモルヒネですら効果が無い……。ドクササコの毒自体に致死性は無いんだが、ずっと続く痛みで眠れずに衰弱死したり、痛みに耐えかねて自殺したり、痛みを和らげるために水につけ続けたせいで体の組織がぶよぶよになって、そこから細菌が入り込んで感染症で死んだり、と死亡例が絶えない……。しかも発症まで時間が掛かるから、ドクササコの仕業だと長年分からなかった……。本当、知れば知るほど恐ろしい奴だよ……」

 

 ――……うん、よし。それじゃ、次の質問に移るね。さっき輝子くんは「友達はいない」って言ってたけど、アイドルになってから何か反響とかはあったのかな?

 

輝子「あ、ありました……。デビュー前に、杏さんが事務所を作ってプロデューサーになるって発表して、ホームページにも私の顔と名前が載ったら、クラスメイトとか学校の人達にいっぱい話し掛けられて……」

 

 ――おおっ! 良かったじゃない! それじゃ、友達もいっぱいできたんじゃない?

 

輝子「……でも、CDが発売されてライブをするようになったら、ほとんどの人が離れていっちゃった……」

 

 ――あぁ……。それはつまり、ライブのイメージをそのまま引っ張っちゃったってことか……。そこから積極的に話し掛ければ、友達ができたかもしれないね。

 

輝子「フヒ……。でも良いんだ……、私はぼっちで売ってるからな……。友達ができちゃったら、キャラが違っちゃうもんな……」

 

 ――そうかな? 杏くんとか同じ所属のアイドルとか、もう友達と言っても良いと思うけど……。あ、でもさっき“ほとんど”って言ったってことは、少しはまだ輝子くんに話し掛けてくれる子がいるんでしょ? その子とは友達にならないの?

 

輝子「……その子、今までずっと自分のこと馬鹿にしてきた子だし……。アイドルになりたいみたいだから……、多分それで私に近づいてると思う……」

 

 ――うーん……。でも純粋に君のファンになったのかもしれないし、思い切って友達になってみたら? 君を利用しているだけだって分かったら、また改めて対応すれば良いし。

 

輝子「フヒ……、分かった……。頑張る……」

 

 ――うん、頑張って。……って、何だか人生相談みたいになっちゃったね(笑)

 

輝子「フヒ……」

 

 ――じゃあここで、君のネット上での活動について触れていこうか。杏くんの劇場ではアイドル本人が作詞にチャレンジしてるけど、作曲まで行っているのは輝子くんだけだよね。そんな輝子くんだからこそ、事務所のホームページで“作曲作業の生中継”をやってるんだと思うんだけど……。輝子くんの性格からしたら、仕事風景とはいえ自分のプライベートを不特定多数に公開するっていうのは勇気のいることじゃないのかな?

 

輝子「も、元々は杏さんに勧められて始めたんです……。私が曲を作っていたときに杏さんがそれを見てて……、そしたら杏さんが『何かずっと見ていられるから、試しにネットで生中継してみたら?』って言って」

 

 ――それで試してみたら、それがウケたと。確かに、何か知らないけど魅入っちゃうんだよね。音は全然流れてないからどんな曲か分からないんだけど、輝子くんがパソコンに向かってキーボードとかギターを弾いている光景って、何か別の作業をしながらチラチラと見るのにちょうど良いんだよね。それに何だか、あまりファンと触れ合わない輝子くんのプライベートを垣間見られる感じがするのも良いのかもしれないね。

 

輝子「あ、杏さんにも同じようなことを言われました……。あと、時々小梅ちゃんとか菜々さんとかが面白がって乱入してくるのも良いって……」

 

 ――そうかもね。動画が無音になっているのが、逆に小梅くんや菜々くんとどんな会話をしているんだろうって妄想を掻き立てるようになってると思うんだ。それも、ファンがその動画を見ている要因の1つかもしれないね。

 

輝子「フヒ……、そうなのか……」

 

 ――さて、そんな風に自分の曲を全部作っている輝子くんだけど、最近は他のみんなにも幾つか楽曲を提供しているよね。メタルのときとはまた雰囲気が違って、輝子くんの新たな魅力が見られるってことで評判が良いらしいね。特に蘭子くんの曲が評判良いとか。

 

輝子「う、うん……。蘭子ちゃんの曲ってストリングス(弦楽器)を中心とした厳かな感じの曲が多いけど、自分も時々弦楽器を使ってるから、意外とできるんじゃないかなって思って……」

 

 ――成程ね。確かにメタルの中には弦楽器やオーケストラが使われるものも多いし、輝子くんにとってはそれほど新しい試みというわけではないのか。菜々くんに曲提供をするときは、普段のギターサウンドを封印したハードテクノに挑戦してるね。それに関してはどうかな?

 

輝子「そ、それも、特に自分の中では意識して変えてるようなものは無い、かな……? 楽器を電子音に変えてるだけって感じ……」

 

 ――それでも聴いてる僕達にとっては、かなり雰囲気が違って面白いよ。本当に、これからが楽しみなアイドルだって思うよ。ところで小梅くんのブログによく君の名前が出てきたり、生中継のときにも小梅くんがよく乱入してるところを見るに、君は小梅くんと特に仲が良いみたいだね。なのに小梅くんには未だに曲提供をしていないみたいだけど、これは何か理由があるのかな?

 

輝子「えっと……(近くで休憩している杏へ視線を向ける)」

 

 ――おっと、ひょっとしてこれは近々何か動きがあるってことかな?

 

輝子「え、えっと……、近い内に発表するので……」

 

 ――分かった。これからの輝子くんに注目ということで、インタビューはここで締め括ろうか。

 

輝子「フヒ……、ありがとうございます……」

 

 

 *         *         *

 

 

【白坂小梅】

 

 

 ――それじゃ、自己紹介を宜しくね。

 

白坂小梅「えっと……、白坂小梅です……、宜しくお願いします……」

 

 ――人と話すのはあんまり得意じゃない感じ?

 

小梅「は、はい……。ごめんなさい……」

 

 ――いやいや、そんな謝らなくても大丈夫だよ。アイドルでもそういう子って、意外といるからね。それじゃ、今から小梅くんがアイドルになった理由を訊きたいと思うんだけど、大丈夫かな?

 

小梅「はい……、大丈夫です……」

 

 ――小梅くんは杏くんにスカウトされる前から、アイドルと面識があったって聞いたんだけど本当なのかな?

 

小梅「はい、本当です……。私の住んでた街に李衣菜さん(※多田李衣菜)とバンドメンバーのみんなが住んでて、よくその家にお邪魔してました……」

 

 ――どういう経緯でそうなったか、って教えてもらえるかな?

 

小梅「えっと……、元々メンバーの1人の涼さん(※松永涼)と知り合いで、よく2人で一緒にホラー映画とか観てたんです……。それで涼さんがアイドルになったときに、一旦は離ればなれになっちゃったんですけど、李衣菜さん達と一緒に戻ってきて住み始めてから、涼さんに紹介されて李衣菜さんの家に行くようになって、そのままみんなとお友達になった、って感じです……」

 

 ――涼くんと小梅くんって、結構歳が離れてるよね。どうやって知り合ったの?

 

小梅「えっと……。私が夜に“あの子”と2人で道を歩いていたときに、涼さんが『1人で夜道を歩くと危ないよ』って声を掛けてくれて……。でも両親が共働きで、どうせ家に帰っても1人でつまらないって話したら、涼さんが『それじゃ話し相手になってやる』って言ってくれて……。いっぱいお話したんです……」

 

 ――ええっと、話の腰を折って申し訳ないんだけど、“あの子”っていうのは誰のことかな?

 

小梅「わ、私が小さいときからのお友達で、いつも私の傍にいてくれてます……」

 

 ――あれっ? でも涼くんが小梅くんに出会ったときって、その子と一緒に道を歩いてたんだよね? なのに涼くんは「1人だと危ないよ」って言ったの?

 

小梅「はい……。“あの子”は、私にしか見えないから……」

 

 ――えっと……。

 (横で聞いている双葉杏へと視線を向けるが、彼女はニヤニヤ笑うだけで何も答えない)

 

 ――……うん、ごめんね変なこと訊いて。そうやって涼くんと話をしている内に意気投合して仲良くなった、ってことで良いのかな?

 

小梅「はい……。涼さんも私と同じくホラーが好きって言ったから、今度お勧めのホラー映画を見せ合いっこしようってなって……。そこからずっと、です……」

 

 ――そっか。それじゃちょうど話題にも挙がってきたし、ここで小梅くんの“趣味”の話に移ろうか。小梅くんは劇場のホームページでブログをやっているけど、そこでよくお勧めのホラーやスプラッタの映画を紹介してるよね。そういうのって、昔から好きだったのかな?

 

小梅「は、はい……。ホラーとかは、小さい頃から好き、でした……。幽霊とか、殺人鬼とかに追い掛け回されて、悲鳴をあげる人を見てると……、何だか楽しい気分になるんです……」

 

 ――そっかぁ、楽しくなるのかぁ。申し訳ないけど、僕はそこまでは踏み込めないかなぁ……。そういうのが好きになったきっかけって、何かあったりする?

 

小梅「きっかけ……は、よく分かりません……。昔から、幽霊は身近だったから……」

 

 ――身近っていうのは、ひょっとして“幽霊が見える”とかそういう……?

 

小梅「そ、そう……」

 

 ――幽霊繋がりでちょっと話が飛ぶけど、ネットでの評判を見てると、小梅くんのライブで時々心霊現象みたいなのが起きてるみたいなんだよね。何か「小梅くんの後ろで人影が見えた」とか「フロアの照明が不自然な点滅を繰り返す」とか。それとブログの写真にも「明らかにおかしい場所に人の姿が見える」とか。

 

小梅「あ……、ごめんなさい……。“あの子”、悪戯好きだから……。

 

 ――“あの子”っていうのは、さっき言ってた友達のことかな……?

 

小梅「はい、そうです……」

 

 ――そっか……。

 (横で聞いている双葉杏へと視線を向けるが、彼女はニヤニヤ笑うだけで何も答えない)

 

 ――えっと……、それじゃ……。そうだ、せっかくだから李衣菜くん達との交流についてもちょっと訊いてみようかな。ごめんね、話があっちこっちに飛んじゃって。

 

小梅「だ、大丈夫です……」

 

 ――小梅くんは李衣菜くん達とプライベートでの付き合いが多いから、テレビとかで観る彼女達とはまた違った姿を見てると思うんだよね。彼女達って、プライベートだとどんな感じ?

 

小梅「涼さんは、テレビとかライブのまま、です……。綺麗で、格好良くて、優しくて……。あと、私が時々驚かせると、面白い反応をしてくれる……」

 

 ――驚かせるって?

 

小梅「涼さんが私の家に来る約束をしてた日の夜に、家の電気全部消して待ってたんです……。そしたら涼さんが恐る恐る入ってきたから、ふふふ……、そっと後ろから近づいて抱きついたら、ふふ……、『うひゃぁっ!』って高い声出してビックリしてた……、ふふふ……」

 

 ――小梅くんは、悪戯が好きなのかな?

 

小梅「うん……。みんなが驚く反応を見るのが、好き……」

 

 ――ははは、小梅くんのアグレッシブな一面を見られたって感じかな? それで、他のメンバーはどんな感じ?

 

小梅「えっと……、夏樹さんはいつも格好良くて、私がリクエストするとすぐにギターを弾いてくれます……。拓海さんも“頼りになるお姉さん”って感じで……。里奈さんも最初は怖かったけど、私の頭を撫でたり抱きついたりしてきて……、すぐに仲良くなりました……」

 

 ――里奈くんが怖かったの? 拓海くんは?

 

小梅「拓海さんはそうでもないけど……、里奈さんは何だか“リア充”みたいで怖かった……」

 

 ――小梅くんみたいな子だと、そういう風に感じるのか。李衣菜くんはどんな感じ?

 

小梅「えっと……、テレビで観ているときのまんまです……。自分の好きなように生活して、音楽作って歌ってギター弾いて……。それで、よく夏樹さんとか拓海さんに怒られてる……」

 

 ――あぁ、何か目に浮かぶよ(笑)それで、そうやって李衣菜くんの家に出入りしていたときに杏くんと出会って、アイドルにスカウトされたってことなのかな?

 

小梅「えっと……、正確には少し違って……。私が夕飯の買い物をしてたときに、菜々さんと一緒に買い物してた涼さんと偶然会って、『バーベキューするから来ないか』って誘われて……。それで行ったら、そこに杏さんがいました……」

 

 ――んで、会ったその日にスカウトされた?

 

小梅「うん、そう……」

 

 ――成程ねぇ、つまり、もしあのときに小梅くんが買い物をしていなかったら、小梅くんが杏くんと出会うことは無かったかもしれないってことだね。そういえば、李衣菜くんの家に出入りしていたときには、346プロの関係者とは会わなかったの?

 

小梅「はい……、1度も会ったことはありません……。私が家に遊びに行ったときに『さっきまで武内(※“奇跡の10人”のプロデューサー)って人が来てたんだよ』っていうのはありました……」

 

 ――へぇ、そうなんだ。いや、この前武内くんと一緒に仕事する機会があってね、そのときにやけに落ち込んでるなって思って尋ねたんだよ。そしたら武内くんが「李衣菜さんの家に出入りしていた逸材に気づかず、ライバル会社に先を越されてしまいました」って言っててさ。だから小梅くんのことは、実は少し前から注目してたんだよ。

 

小梅「そ、そうなんですか……。ありがとうございます……」

 

 ――あはは、そんな大層なものじゃないよ。それで、小梅くんは杏くんのスカウトを受けてアイドルになることを決めたけど、アイドルになるからには今住んでる所を離れて東京に行かなきゃいけないよね? 親とも友達とも離れて住むことに対して、ご両親からは何か反対は無かった?

 

小梅「……別に、反対はされませんでした。あの人達、私のことを怖がってたから……」

 

 ――えっと……、それじゃ、不安とかは無かった? 学校の友達とかと離ればなれになって、誰も知らない場所に1人で行くことになって。

 

小梅「学校には1人も友達はいなかったし……、東京では杏さん達と一緒に住むことは分かってたから、不安はありませんでした……。それよりも、新しい世界に行けるってワクワクの方が大きかったです……」

 

 ――そっかそっか。新しい学校には慣れた?

 

小梅「は、はい……。個性的な人達がいっぱいいて、私のことを怖がらない人もいるから、お友達もいっぱいできました……」

 

 ――おおっ、良かったね! ちなみに、同じ事務所のメンバーとは、どんな感じ?

 

小梅「みんな、凄く良い人……。すぐに仲良くなりました……。特に輝子ちゃんとは、馬が合うっていうか、一緒にいると安心する……」

 

 ――確かに、輝子ちゃんがやってる作曲作業の生中継でも、小梅くんの姿をよく見掛けるよ。それじゃ次は、楽曲の話に移ろうかな? 小梅くんの曲って、自分で歌詞を書いているんだよね?

 

小梅「はい……。全部、自分で考えてます……」

 

 ――小梅くんの書く歌詞って、ホラーとかスプラッタが好きだからか、凄くグロテスクだよね。しかもただグロいってだけじゃなくて、人間の闇だとか業に迫るような恐怖も感じるんだよ。だから歌詞カードを見ると時々背筋が凍るような心地になるんだけど、曲自体はアイドルソングらしいポップで明るい曲調なんだよね。そのギャップに驚いたっていうか、混乱したっていうか……。あれって、誰のアイデアなの?

 

小梅「えっと……、明るい曲にしてくださいって頼んだのは、私です……」

 

 ――あ、そうなんだ。どうして?

 

小梅「最初、李衣菜さんから送られてきたデモテープの曲調は、いかにもホラーって感じの怖い曲だったんですけど……、何だかそれに歌詞を書いてたら『何か普通だな』って思っちゃって……」

 

 ――だから、明るくて可愛い曲にしてくれって?

 

小梅「そ、そう……。ホラーでも、何も無いと見せかけて幽霊を登場させて驚かせるのは、よく使われてるから……」

 

 ――ああ、成程。小梅ちゃんの色々な言動の根底には「みんなを驚かせたい」っていう欲求があるんだね。だからいかにもアイドルっぽい曲に乗せて、アイドルっぽいパフォーマンスをしながら、アイドルでは考えられないような世界観の歌詞を歌って、みんなが驚いたり混乱するのを楽しんでるってことか。

 

小梅「そ、そうなのかな……? ……うん、そうかも」

 

 ――それじゃ最後に、今後の活動予定について、何か告知したいこととかあるかな? 新しいアルバムを制作しているとか。

 

小梅「えっと……、今のところは、その、特には……」

 

 ――ちなみにさっき輝子ちゃんにインタビューしたときには、小梅ちゃんへの楽曲提供の話になったときに、言葉を濁す怪しい反応をしたんだけど。

 

小梅「えぇっ! えっと……、あの……」

 

 ――あっはっはっ、ごめんごめん。どうやらまだ言えないみたいだから、それまでは我慢して待ってるよ。

 

小梅「はい、ありがとうございます……」

 

 

 *         *         *

 

 

【神崎蘭子】

 

 

※記者注

 ファンの皆さんならご存知の通り、神崎蘭子は独特の言語を使うアイドルであるが、読者の混乱を最小限に抑えるために、文章にする際に通常の言葉遣いに変換していることをあらかじめ了承されたい。

 なお翻訳に当たっては、双葉杏並びに所属アイドルの協力があったことを記しておく。

 

 

 ――それでは、自己紹介をどうぞ。

 

蘭子「はい! 神崎蘭子です! よろしくお願いします!」

 

 ――はい、よろしくね。前もって話してあるけど、今回のインタビューは杏くんや他のメンバーに横で待機してもらって、蘭子くんが話したことを同時通訳してもらう形で進行していくので、皆さんよろしくお願いします。

 (双葉杏他メンバーが手を挙げて応える)

 

 ――それじゃ、まずは蘭子くん自身について訊いていこうかな。まずは、蘭子くんがどうしてこの世界に身を投じることになったかについて聞かせてもらえる?

 

蘭子「はい。私が街を歩いていたときに、別の芸能プロダクションのプロデューサーって人からスカウトされたんです。でもその人が何か胡散臭かったんで、お断りしようとしたんです。そしたらその人が、私に凄く嫌なことを言ってきて……。そしたら杏さんがやって来て、私を助けてくれたんです!」

 

 ――そっか。他のみんなに負けない、運命的な出会いだったんだね。

 

蘭子「はい! あのときの杏さん、凄く格好良かったです!」

 

 ――ははは、随分と慕ってるみたいだね。ところでその杏くんから聞いた話だと、始めて会ったときからその格好でその言葉遣いだったみたいだね。僕はあまりそういうのに詳しくないんだけど、“ゴシックロリータ”っていうのかな?

 

蘭子「はい! 今日も着ているんですけど、この“Rosenburg Engel(ローゼンブルク・エンゲル)”っていうブランドが特にお気に入りです! 杏さんと出会った場所にその本店があって、スカウトされたときもちょうどそこへ行こうとしてたんです」

 

 ――へぇ、そうなんだ。でもそういう服って、他のよりも高いよね?

 

蘭子「はい……。だからあんまり買えなくて、お母さんからお小遣いを前借りしたり、お手伝いをしてお小遣いを貰ったりしてました。でも今はアイドルになってお小遣いも増えたから、好きな服をいっぱい買えて嬉しいです!」

 

 ――それは良かった。他にも蘭子くんは天使や悪魔といったファンタジーの世界が好きみたいだけど、何かきっかけがあったの?

 

蘭子「えっと……、特にきっかけみたいなものは無かったんですけど、小さい頃からそういうのが好きで、天使とか悪魔の真似とかして遊んでたらお母さんが褒めてくれたんです。それでお母さんを喜ばせたいと思って色々調べてたら自然とそういう世界にのめり込んでいって、気がついたらそれが好きになってました」

 

 ――今はそのファンタジーチックな世界観もその服装も、アイドル・神崎蘭子を構成する重要な要素になっているわけだけど、普通に生活していく中では周りの目が気になったりとかは無かったのかな?

 

蘭子「……ええと、よくありました。学校は制服だからゴスロリは着ていけないんで、休みの日にその格好で外出したりしてたんです。そしたらクラスメイトの人達に見つかって『変な格好だ』って馬鹿にされました……。他にも私の好きなものを『中二病だ』とか言われたり……」

 

 ――やっぱり、そういうことを言われるのは辛かった?

 

蘭子「自分としては自然と好きになっていったものなのに、それを馬鹿にされたり否定されるのは嫌でした。だからあんまり人と話さなくなって、それを誤魔化すために今みたいな喋り方になって、ますます距離を置かれちゃって……」

 

 ――蘭子くんのゴスロリ姿、僕はとても似合っていて良いと思うけど、やっぱり他の人から見たら変わってるって思われちゃうかもしれないね。

 

蘭子「……そうかもしれません。でも何となく止められなくて、休日になるとこの格好をして街を歩いていたんです。そしたらある日、今まで一度も話したことのないクラスメイトの女の子に見つかって、また馬鹿にされると思って逃げようとしたんです。そしたらその子が私の腕を掴んで『君はとても魅力的だから、何も恥じる必要は無い』って言ってくれて……」

 

 ――初めて君のことを理解してくれる人が現れたんだね?

 

蘭子「はい! その子が『周りの評価なんて気にしなくて良い。君にはそんな周りの評価も根こそぎ変えられるような力を持っている』って言ってくれたおかげで、周りの目を気にしないで、今まで以上に自分の好きなことに向き合うことができるようになったんです。もしその子と出会っていなかったら、もしかしたら私は自分を偽って普通の女の子になろうと思っていたかもしれません」

 

 ――そうして自分のこだわりを貫き通したからこそ、今こうしてアイドルとしてスカウトされたんだからね。蘭子くんのやってきたことは、絶対に無駄なことではなかったと思うよ。その友達の言う通り、今の君はとても魅力的なんだから。

 

蘭子「えへへ……、ありがとうございます!」

 

 ――そんな蘭子くんこだわりのライブだからこそ、他の3人と比べてもかなり特徴的なものになっているね。ライブ自体がストーリー仕立てになっているのもそうだけど、観客自身がルートを選ぶことができて、それによって曲の構成までもが変わって、エンディングも複数用意されているっていうのは、かなり実験的なものなんじゃないかな?

 

蘭子「はい! お客さん達にも参加してもらうにはどうすれば良いか、杏さん達と一緒になって考えました!」

 

 ――それにストーリーだけじゃなくて、ライブ自体にも色々と実験的な仕掛けがあるね。客の声に反応してメーターが上がっていくのもそうだし、蘭子くんが歌いながら演奏している“謎の楽器”もそうだし。

 

蘭子「あれは“レーザーハープ”って言って、レーザーを手で遮ることで、前もって録音していた音とかを鳴らす仕組みなんです」

 

 ――あれを演奏しているときの蘭子くんは、とても格好良いよね。まるでオーケストラを率いる指揮者みたいにレーザーを弾く姿が、曲の壮大さと相まってフロア全体を支配する“ラスボス”のような雰囲気を感じるときがあるんだよ。あの楽器って、どうやって生み出されたの?

 

蘭子「えっと、お客さんの声でルートを決めたり、それに合わせて映像を切り替えたりするシステムを作るために、346プロに所属している“池袋晶葉ちゃん”っていうアイドルに依頼したんです。そのときに何か独創的な楽器を作ろうってなって、幾つかアイデアを出してくれて、一番格好良いって思ったレーザーハープを選びました」

 

 ――あぁ、あれを作ったのってあの子だったんだ。

 

蘭子「知ってるんですか?」

 

 ――僕達記者の中でも、最近よく話題になってる子だよ。とはいっても、アイドルとしてよりも技術スタッフとしての評判だけど(笑)

 

蘭子「晶葉ちゃんって本当に凄くて、みんなのライブの映像を撮るために、コンピューターで制御する自動式のロボットも作っちゃったんです! それに晶葉ちゃんにはよくお世話になっていて、前にライブ当日の朝にシステムの調子が悪くなっちゃったときがあって、晶葉ちゃんに急遽来てもらって本番30分前までずっと修復してくれたりもしたんです! 私のライブに、晶葉ちゃんは欠かせません!」

 

 ――成程、そういう技術スタッフの頑張りがあって、蘭子くんのライブは成立してるんだね。そんな独創的なライブだけど、何と言っても一番の魅力はストーリーだね。CGと実写を合わせた映像も相まって、かなり評判が良いみたいだよ。

 

蘭子「本当ですか! ありがとうございます!」

 

 ――あのストーリーって、蘭子くんが考えてるんだよね?

 

蘭子「はい! 全部自分で考えました!」

 

 ――幾つもルートが分岐するから、その分より多く考えなきゃいけないんだよね。普通に一本道のストーリーを考えるよりも何倍も複雑で難しいんじゃないの?

 

蘭子「確かに大変なときもありますけど、昔からお話を考えるのは好きでしたから、今はとっても楽しいです!」

 

 ――当然ながら、歌詞も全部蘭子くんが書いてるんだよね? ライブ中に聴くとストーリーを構成する要素としてしっかり組み込まれているのに、曲単体で聴くと色々と想像の余地が残る書き方をしているから、この子は達者だなぁって感心してたんだよ。文香くん(※鷺沢文香)も、君の歌詞やライブのストーリーに注目してるみたいだよ。

 

蘭子「鷺沢さんがっ! うわぁ、嬉しいなぁ!」

 

 ――いや、本当に凄いと思うよ。蘭子くんくらいの年齢だと、自分のやりたいことを前面に出しすぎて自己満足に終始することが多いけど、蘭子くんの場合はちゃんとエンターテインメントとして成立してるからね。将来は小説とかを書く気は無いの?

 

蘭子「え、えっと……。それこそ鷺沢さんみたいになれたら嬉しいですけど……、今はライブとか歌詞を考えるので精一杯です……」

 

 ――そっか。そういえば、他のアイドル達もそろそろ次回作に向けて取り掛かってる頃だと思うけど、蘭子くんも次回作の構想はもう考えてあるの?

 

蘭子「はい、もう大まかなストーリーは決まっています。でもライブにするために幾つもルートを考えなきゃいけないし、そのストーリーに合わせた曲も作らなきゃいけません。後はそのストーリーに合わせた映像を作らなきゃいけないし、何か新しい仕掛けをやろうとするとシステムも新しく作らなきゃいけなくなるので、他のみんなよりも出来上がるのに時間が掛かると思います」

 

 ――確かにそうだね。でも蘭子くんのライブは行く度に違うストーリーになるから、ファンのみんなも待ってくれるんじゃないかな? だからゆっくり時間を掛けて、素晴らしいものを作ってもらいたいと思うよ。ところで、新しいストーリーになったら、今までのライブはもう観られなくなるのかな?

 

蘭子「えっと、ライブではもうやる予定は無いですけど、DVDとかブルーレイにして販売しようかって杏さんと話してます。私だけじゃなくて、他のみんなのライブもそうなんですけど」

 

 ――そっか。いやぁ、良かった。新しいのを期待してるファンも多いけど、今までのが観られなくなるんじゃないかって心配してる人も多かったと思うよ。これで安心だね。そういえばさっき「新しい仕掛けをやろうとすると~」って言ってたけど、既に何か考えてたりするの?

 

蘭子「はい! 今のライブではルートを選ぶときしかお客さんが参加できなかったけど、次のライブではもっとお客さんにも参加してもらおうと思ってます! それにいつかは、ライブに来ていない人もライブに参加できるような仕組みを作っていけたら良いと思ってます!」

 

 ――ライブに来ていなくても、か。それは面白そうだね。もしそれが実現したら、ぜひとも参加させてもらうよ。もちろん、劇場にも足を運ぶつもりだけどね。

 

蘭子「ありがとうございます! これからも頑張っていきます!」

 

 ――うん、元気いっぱいだね。やっぱりこういうところは、普通の14歳の女の子って感じだ。ちなみに普段の語りを聞きたいという読者の方がいたら、ぜひとも劇場に足を運ぶことをお勧めします。今日は、どうもありがとうございました。

 

蘭子「闇に呑まれよ!(お疲れ様です!)」

 

 

 *         *         *

 

 

【双葉杏】

 

 

 ――まずは一言、お帰りなさい。

 

杏「はい、ただいま」

 

 ――まさかまたこうしてインタビューできることになるなんて、思ってもみなかったよ。

 

杏「杏もこうして善澤さんのインタビューを受けることになるなんて、思ってもみなかったよ」

 

 ――ということは、引退したときには当然ながら芸能界に復帰する気は無かったと?

 

杏「もちろん。というか、デビューしたときから引退したくて堪らなかったよ」

 

 ――確かに、最初に会ったときからずっと言い続けていたね(笑)最初に僕と会ったときのことは憶えてる?

 

杏「えーっと……、杏がデビューして1ヶ月くらい経ったときだっけ? 新人のアイドルにスポットを当てるって企画でインタビューされた気がする」

 

 ――そうそう。確かにあのときは「この子は売れる」って確信めいた想いがあったけど、まさかあそこまで売れるとは思ってなかったよ。それで、まさか本当に言ってた通りにあっさりと引退するとも思わなかった(笑)

 

杏「逆に杏としては、引退を発表したときにあそこまで騒がれるのが分からなかったよ。普段からあれだけ言い続けてきたのに、いざ引退となったら『えっ! なんで!』みたいな反応されて。『いやいや、最初からそう言ってきたでしょ』みたいな」

 

 ――僕も含めて、みんなが口で言ってるだけだと思ってたからね。引退したのがあまりにも急だったから、結局取材ができなかったんだよね。というわけで、杏くんが今やっている仕事の前に、その辺りについても訊きたいと思うんだけど良いかな?

 

杏「別に良いけど……。特に新事実なんてものは無いよ? 引退するときの会見で話したことが全部なんだから」

 

 ――それはつまり、印税が貯まったからってこと?

 

杏「うん、そう」

 

 ――でも、アイドル活動そのものは楽しかったんじゃないの? 当時僕が見ていた限り、君が“印税のため”なんて義務感で働いていたようには見えなかったけど。

 

杏「確かにそれなりに楽しさは感じてたよ。普通に生活しているよりも珍しい体験ができたのは確かだしね。だけどそれ以上に、どんどん忙しくなっていくのに耐えられなくなったんだよ」

 

 ――あのときの杏くんは、僕から見ても同情するくらいに忙しかったからね。確か引退を発表したときって、ちょうどアジアツアーを終えたときだったよね?

 

杏「うん、そうそう。正直その時期が一番辛かったね。ほとんど事務所にも寄りつかないで、同期のみんなと顔すら合わせてなかったんじゃないかな? 結局それで我慢の限界になっちゃって、さらにそのツアーで凄いギャラが入ったから引退に踏み切ったんだよ」

 

 ――つまり、仕事をセーブしてもらえていたら引退することは無かったと?

 

杏「うーん……、どうだろうね」

 

 ――まぁ、とにかく君は芸能界を引退して、それでも今回こうして復帰することになったじゃない。しかもアイドルとしてではなくアイドルプロデューサーとして、さらに346プロに戻らずに自分で事務所を立ち上げて。ここまで積極的に動くなんて、現役時代の杏くんからは想像もつかないんだけど、何か具体的なきっかけとかあったりするの?

 

杏「うーん……、きっかけと言われてもよく分かんないんだよね。何というか、“ある日ふと思いついた”って感じ」

 

 ――その“思いついた”っていうのは、プロデューサーになりたい願望をってこと?

 

杏「うーん、はっきりとそう思ったっていうよりも、何かもやもやとした気持ちが渦巻いていて、それを解決するための手段としてプロデューサーを選んだって感じかな?」

 

 ――もやもやした気持ち?

 

杏「うん。杏と一緒に346プロからデビューしたアイドルって、確か“奇跡の10人”って呼ばれてるんだっけ?」

 

 ――そうそう。

 

杏「……何か改めて口にすると、この呼び方、すっごく恥ずかしいね」

 

 ――そう? そんなことないと思うけど。

 

杏「そりゃ善澤さんはそうでしょ。何てったって、名付け親なんだから」

 

 ――あははっ、確かにそうだね。でも、僕達からしたら君達の売れ方はまさに“奇跡”なんだよ。無名のプロダクションから同時期にデビューしたアイドルが全員トップアイドルになって、しかもその人気が今も衰えていないんだから。

 

杏「……まぁ良いや。んで、これは杏が引退してからなんだけど、不定期でみんなと一緒に食事会をすることになったんだよ」

 

 ――ああ、その話は取材をしているとよく聞くね。特にきらりくん(※諸星きらり)とかは、嬉しそうにそのときの話をしてくれるよ。

 

杏「ああ、目に浮かぶわ(笑)それで、そのときにも同じように食事会があって、もちろん杏もそれに参加してたんだよ。そのときに、当たり前だけど仕事の話になってね。それを聞きながら『みんな凄いなー』とか思ってたの」

 

 ――そりゃまぁ、第一線で活躍してる人達ばかりだしね。

 

杏「だね。それで食事会も終わって家に帰って、1人でボーッとテレビを観てたの。そしたらそこに、その日の食事会には来てなかった卯月(※島村卯月)が映ってて、歌を歌ってたんだよ。キラキラしたスタジオで『今とっても楽しいです!』みたいな感じで。んで、そのときにふと自分のことを考えたの。『今の生活を、自分は本当に楽しんでいるのかな?』って」

 

 ――心の底から楽しんでいる人を目の当たりにして、ふと疑問が湧き上がってきたんだね。でも君のその生活って、元々は君が現役の頃からずっと願い続けていたものでしょ? 楽しんでいたんじゃないの?

 

杏「そのはずだったんだけどね……。いや、寝て起きて何もしないで寝る、って生活を望んでたのは本当なんだよ? でもいざこうして叶うと、何というか『思ってたほどじゃないな』っていうのが本音だったんだよね。それをたまたま自覚するようになったって感じ」

 

 ――成程ね。でもそれを自覚するまでに5年掛かってるんだよね(笑)

 

杏「うん、掛かりすぎだよってね(笑)」

 

 ――それでまぁ、こうして再び芸能界に復帰することにしたとして、なんでアイドルのプロデューサーを選んだの? もう一度アイドルになる気は無かった?

 

杏「もう二度と、あそこまで働きたくない」

 

 ――あっはっはっ! ニート生活がそれほど楽しくないことは自覚しても、だから「一生懸命働きます!」とはならないんだね。

 

杏「もちろん。杏は基本的に物臭だからね」

 

 ――でも、それでアイドルのプロデューサーを選んだのはどうして?

 

杏「うーん……、まぁ、何となくだよ」

 

 ――おっ? これは話したくない感じかな?

 

杏「別にそういうわけじゃないけど……、何となく気乗りはしないかな?」

 

 ――まぁまぁ、そんなこと言わずにさ。僕と杏くんの仲じゃないの。

 

杏「……まぁ、簡単に言うと、担当だったプロデューサーの影響かな?」

 

 ――担当というと、武内くんだよね?

 

杏「うん、そう。まだ346プロが雑居ビルのフロアを間借りしてた頃って、プロデューサーが10人全員の仕事を見てたんだよ」

 

 ――どんどん売れていくアイドル10人を1人で見なきゃいけないって、かなりの重労働だったろうね。

 

杏「でしょ? 実際にプロデューサーが休んでるところを見たことが無かったからさ、杏もずっと大変だろうなって思ってたんだよ。でもプロデューサーは全然弱音を吐かないし、それに何だか楽しそうに見えたんだよね。もしかしたら、それがずっと頭の中に残ってたのかもしれない」

 

 ――つまり杏くんは、武内くんをそこまで夢中にさせていたものが何か知りたくなった、ということかな?

 

杏「まぁ、そうかもしれないね」

 

 ――それじゃ、ここからはそんな“双葉杏プロデューサー”の仕事ぶりについて聞かせてもらおうか。テレビを中心に活動するアイドルじゃなくて、専用の劇場での公演を中心に活動する地下アイドル路線ということだけど、どうしてこれを選んだの?

 

杏「だってテレビとかだと、営業しなきゃいけないでしょ? そんなの面倒臭いよ」

 

 ――いやいや(笑)地下アイドルこそ、宣伝しなきゃお客さんが来ないでしょ?

 

杏「そこはほら、ファンの人達によるネットでの口コミと、後は各々の活動に任せてるから。杏はアイドル達の自主性を尊重する方針なんだよ」

 

 ――いわば“丸投げ”だよね?

 

杏「うん」

 

 ――そこは素直に認めるんだね(笑)でもまぁ、そのおかげでネットのコンテンツも色々と充実してて面白いし、それにアイドル達も自発的に考えて動いてるから、観ている人も応援したくなるのかもしれないね。

 

杏「でしょ? ちゃんと考えてそうしてるんだから」

 

 ――実際のところ、ネットで興味を持ってもらって、実際に劇場に足を運んでくれるって流れはあるの?

 

杏「うん、結構あるっぽいよ。ホームページでアルバムのダウンロード販売もやってるけど、ネットで興味を持ってくれた人がそれを買って聞いて、実際に劇場に来て常連になってくれるっていうのは割とあるみたい。それとびっくりしたのが、たまたま動画を観た海外の人が買ってくれるんだよ。この前なんて、中東辺りの人がアルバムを大人買いしてたからね」

 

 ――みんなの音楽が、そんな遠くにまで届いてるってことだね。その辺りはやっぱり、ネットが普及している今だからこその現象だね。そういう現象が起こる一番の理由って、何だと思う?

 

杏「一番大きいのは、やっぱりアイドルの個性が強いことだよね」

 

 ――本当に個性強いよね。どこからこんなの見つけてきたんだって感じに(笑)

 

杏「ネットでたまたま見掛けた人に強烈な印象を残せるっていうのは、やっぱり大きな強みだよね。その点からしても、やっぱりテレビとかよりも制約の少ない地下アイドル路線を選んで良かったって思ってる」

 

 ――まぁ、アイドルそれぞれの個性に関しては前述の個別インタビューで分かったとして、他に理由を挙げるとすると?

 

杏「そうだね……。やっぱり、協力してくれてるみんなの力が大きいかな」

 

 ――確かに、ざっと見ただけでもそうそうたるメンバーだよね。楽曲提供に李衣菜くんとそのバンドメンバー(※多田李衣菜 vs. ROCKIN' GIRL 18)でしょ? それにステージ衣装やオリジナルグッズの製作にきらりくん。劇場に併設されているカフェも、かな子くん(※三村かな子)が作ったものだよね。

 

杏「そうそう。このカフェは結構こだわったよ」

 

 ――曲やオリジナルグッズは分かるけど、カフェはどういう意図で作ろうと思ったの?

 

杏「元々かな子の会社で杏の劇場の近くに新しく出店する計画があって、本当は菜々さんがそこの店長になるはずだったんだよ。まぁ、直前で杏がアイドルにスカウトしちゃったから店長にはならなかったんだけど、出店の話自体はずっと残ってて、だったらいっそのこと杏の劇場に作って、そこで菜々さんに“名誉店長”として働いたら面白いかなって思ったの」

 

 ――つまり杏くんの劇場よりも、そっちの話の方が早かったんだね。

 

杏「そうそう。でも、メニューは結構オリジナルの物が多いよ。劇場のアイドルをイメージしたメニューなんだけど、本人達にも幾つかアイデアを出してもらったんだよ」

 

 ――確かに、なかなか面白いメニューが並んでるね。大きな目玉が乗っかってるケーキとか、黒と白のソースが掛かったハンバーグとか、キノコ雑炊や椎茸の網焼きとか。

 

杏「どれが誰をイメージしてるのか、すぐに分かるでしょ? ちなみに菜々さんのメニューでお勧めなのは“茄子と豚肉のピーナッツ味噌炒め”だよ」

 

 ――ピーナッツ味噌って、さっき菜々くんが好物だって言ってたヤツだね。何だかお酒に合いそうなメニューだね。他にカフェでこだわった点ってある?

 

杏「実際にカフェに行くとすぐに気がつくんだけど、カフェの中にモニターを設置してて、録画したライブをそれに流してるんだよ。ライブをやってるときにはそのライブを中継して、食事しながらライブを観ることもできるようになってるよ」

 

 ――僕がカフェの話を聞いて面白いと思ったのが、そこなんだよね。興味はあるけどライブはちょっとハードルが高いって思ってる人も、まずはそこからライブを鑑賞してみるって選択もできるってことだからね。あるいは平日に劇場のカフェに足を運んで映像を観た人が興味を持って、休日に改めてライブを観にやって来るってことも有り得るしね。

 

杏「後は、普段からライブを観てくれている人が、平日にも足を運んでくれる理由を作りたかったってのもあるね。劇場に行くことを習慣にしたかったんだよ」

 

 ――今の劇場の盛況を見る限り、杏くんの狙いはひとまず成功って考えて良いのかな?

 

杏「うん、そうだね。それに劇場と同じ建物にカフェを造ったおかげで、スタッフやアイドル達がライブの合間に温かい料理を食べられるのも凄い評判が良い」

 

 ――それは随分と内向きな評価だね(笑)

 

杏「いやいや、ライブ中の食事って凄く重要なんだからね? 食事1つだけでスタッフや出演者のやる気が全然変わってくるんだから。かな子なんて杏が現役のときに、会場のケータリングがあまりに不味かったせいでプロデューサー(※武内P)に本気でキレたことがあるんだから」

 

 ――あぁ、そんなこともあったね。滅多に怒らないかな子くんがキレたって、一時期僕らの間でも話題になってたよ(笑)それじゃ今のところ、劇場の運営は順調といったところかな?

 

杏「アイドル達にちゃんとお給料を渡せているから、まぁそう言えるかな?」

 

 ――いやぁ、杏くんもすっかり経営者の顔になったねぇ。まさかそんな顔を見られる日が来るなんて、思いもしなかったよ。

 

杏「杏だって、自分が劇場を経営してアイドルをプロデュースするなんて、少し前まで考えもしなかったよ。本当に、人生って何が起こるか分からないね」

 

 ――そんなことを言ったら、君の劇場でアイドルをやっている彼女達だって、自分がアイドルになるなんて考えられなかった子達の集まりじゃない?

 

杏「それもそうだね。彼女達からしても“人生何が起こるか分からない”って思ってるのかな?」

 

 ――多分ね。

 

杏「つまり今回のインタビューを通して分かったことは、“人生何が起こるか分からない”ということだね。いやぁ、実に有意義なインタビューだったよ」

 

 ――あれ? ひょっとして纏めに入ってる?

 

杏「もう喋り疲れた」

 

 ――相変わらずだなぁ(笑)




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《「双葉杏」「346プロ」関連の主なインタビュー記事》

・双葉杏という“現象” ~担当プロデューサーから見た双葉杏の真の姿~
・“新世代”の終わり ~“New Generations”活動休止の真相~
・アイドルから社長へ ~諸星きらりと三村かな子の“覚悟”~
・“vs.”に込められた想い ~孤高の天才・多田李衣菜は、なぜ新人とユニットを組んだのか~
・奇跡の再来、なるか ~“武内組”と呼ばれる超新星~


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番外編2 『とあるプロデューサーの1日』

 午前6時。

 窓に日差しが差し込み、部屋の空気が自然の力で暖まってきた頃に武内は目を覚ました。薄手のパジャマを少々乱したその姿は、普段スーツをきっちりと着こなす彼に慣れた者ほど大きなギャップがあるだろう。まだ少々眠気が残っているようだが、彼はベッドから起き上がって寝室を出た。

 武内の自宅は都心にある高層マンションの一室で、それに相応しい広さと洗練されたデザインをしている。家具も必要最低限しか置かれておらず、よく言えば“モデルルームのように綺麗”で、悪く言えば“つまらない”部屋だった。そもそも独り暮らしにしては広いこの部屋自体、会社から近いという理由だけで数年前に購入したものなので、あまりこだわりが無いのだろう。

 熱いシャワーを浴びて頭をすっきりさせた武内は、髪を乾かしてスーツ姿に着替えると、そのままバッグを持って自宅を出た。彼が家で料理を作るのはもっぱら休日のみで、仕事の日はこうして外で食事を摂ることがほとんどだ。

 

 今日の朝食は346プロまでの道中にある、かな子が経営している会社のチェーン店である洋食店だ。そこでサンドイッチとコーヒーを頼むと、家を出るときにポストから引っ張り出した新聞を読みながらそれを口にする。隅々までチェックはせず、見出しから興味を持ったニュースを流し読みする程度だが、世の中の大まかな動きを把握するならこれでも充分だ。

 これから始まる仕事に備えて英気を養うと、武内は346プロへと向かって歩き出した。周りの通行人も徐々にスーツを着た大人の割合が増えていき、346プロに近づくにつれて通行人の着るスーツが上等になっていく。

 

 そうして到着した346プロは、他のビルと比べても明らかに敷地が広かった。346プロのビル、かな子のチェーンレストランの本社ビル、きらりのファッションブランドの本社ビル、そしてもう1つの建物の計4棟で構成されたそこは、木々が綺麗に整備されていてまるで公園のようである。

 現在の時刻は、午前7時半。一般の会社と比べても出社には早い時間だが、担当アイドルの仕事スケジュールによってはもっと早い時間に出社することも普通の仕事だ、ビルの中にはすでに何人もの社員がいてそれぞれの仕事をしていた。

 

「チーフ、おはようございます!」

「あっ、チーフ! おはようございます!」

「はい、おはようございます。今日も1日、頑張りましょう」

 

 事務仕事をしていた他のプロデューサー(つまり武内の部下)からの挨拶に応えながら、武内は自分の持ち場である“チーフプロデューサー室”へと入っていった。大量の本をしまえる大きな棚が幾つも立ち並び、中央には応接セットとして高級な革の貼られたソファも置かれたその部屋は、1人の人間が働くスペースとしてはかなり広い。

 

「…………」

 

 武内はその部屋をぐるりと見渡してから、広い事務机とセットで置かれたゆったりと大きな椅子に座った。なぜかその表情がほんの少しだけ寂しそうだったが、武内はそれを振り払うようにパソコンを立ち上げて仕事を始めようとした。

 コンコン、と部屋のドアがノックされたのはそのときだった。

 

「おはようございます、プロデューサーさぁん……」

「……おはようございます、佐久間さん」

 

 若干頬を紅く染めながら部屋に入ってきたのは、佐久間まゆだった。

 

「佐久間さん、今日の仕事は午後からだったはずですが……」

「うふふ、プロデューサーさんに会いたくて、早く来ちゃいました」

 

 ニコニコと笑いながらそう言うまゆに、武内は反応に困ったように首の後ろに手を遣った。このような遣り取りは何十回も行われているだろうに、武内は一向に慣れる気配が無かった。そしてまゆもそれを楽しむかのように、口に手を当ててクスクスと笑い声を漏らす。

 そして自分のポーチから、可愛らしいデザインをした弁当箱を取り出した。

 

「プロデューサーさんのために、お弁当を作ってきたんですよ。宜しかったら、食べてくれませんかぁ?」

「……ありがとう、ございます」

「うふふ、今回は少し大きめのお弁当箱にしたんですよ。プロデューサーさんは男の人ですから、まゆと同じ量では物足りないですものね……」

 

 武内が弁当を受け取るのを、まゆはうっとりとした表情で見つめていた。

 

「申し訳ございません、佐久間さん。私のために……」

「そんな、プロデューサーさんは気になさらないでください。これはまゆが好きでやっていることなんですから……ね?」

 

 可愛らしく小首をかしげてそう言うまゆに、武内は何か言いたげに口を開きかけて、それを止めた。何を言おうとしていたのかは分からないが、懸命な判断だったと言えるだろう。

 

「それじゃ、まゆはそろそろ行きますね。お仕事、頑張ってくださいねぇ」

 

 まゆはそう言って頭を下げ、ニコニコと弾むような足取りで部屋を出ていった。武内は渡された弁当箱を複雑な表情でじっと見つめていたが、やがてそれから視線を逸らすと、パソコンに届いているメールのチェックを始めた。

 

 

 *         *         *

 

 

 午前8時半。今日のスケジュールでは、担当アイドルの1人に同行する予定である。チーフプロデューサー室の隣にある談話室にそのアイドルが到着次第、彼女と一緒に現場まで向かうことになっている。

 

「…………」

 

 なのだが、そのアイドルが一向に姿を見せない。まだ時間に余裕があるとはいえ、途中で渋滞に巻き込まれる可能性もある以上、あまり悠長に構えられるほどでもない。

 武内は事務仕事を中断して、部屋の脇にあるドアへと歩いていった。そのドアは隣のアイドル専用談話室と直で繋がっており、よくアイドル達がここから仕事中の武内に会いに来たりする。

 武内がドアを開けて中に入ると、談笑していた3人のアイドルが一斉にこちらを振り向いた。

 

「あら、武内ちゃま。どうかなさったの?」

「あっ、武内せんせぇだ! おはよーございまー!」

「どうしたの、武内……?」

 

 一挙手一投足に清廉さを感じる金髪の少女、活発な笑顔がとても眩しい少女、そして常に眠そうな目つきをしている髪の長い少女が、武内の姿を見てそれぞれ反応を見せた。

 

「お話中すみません、櫻井さん、龍崎さん、佐城さん。塩見さんと現場に向かう予定なのですが、見掛けませんでしたか?」

「見掛けませんでしたが……。電話には出ないんですの?」

 

 金髪の少女――櫻井桃華の問い掛けに、武内は困ったように首の後ろに手を遣った。

 

「はい……。先程から何度も電話を掛けているのですが、ずっと留守電で……」

「まだ家で寝てるのかなー?」

 

 快活な少女――龍崎薫のいかにも子供らしい言葉に、武内は真剣な表情で考え込んだ。

 

「……もしかしたら、そうかもしれませんね」

「……じゃあ、私達と一緒に行く……?」

 

 長髪の少女――佐城雪美の提案に、武内は少し悩む仕草を見せ、そして「おねがいします」と頭を下げた。

 

 

 

 武内が探す(くだん)の少女――塩見周子は、京都からやって来たアイドルだ。彼女のように遠くからやって来たアイドルは、東京に部屋を借りてそこから事務所に通うことになる。しかし大抵のアイドルはデビューしてすぐに売れるわけではなく、部屋を借りるほどの金銭的余裕は無い。

 だからこそ346プロには、同じ敷地内にアイドルが住むための寮が存在している。寮といっても見た目は洒落たデザイナーズマンションのようで、事務所の敷地にありながら植え込みでさらに仕切られている。寮内では細かいルールが定められており、まるで部活の合宿のようなノリでアイドル候補生や新人アイドル達が共同生活を送っている。

 そんな女子の花園なだけあって、武内はここに近づくことに躊躇いがあった。プロデューサーならば共有スペースにまで入ることが許されているのだが、言ってみれば彼が勝手に尻込みしているのである。なので彼がここに入るときは、様々なトラブルに対する予防策として、常に他のアイドルを自分に同行させているのである。

 

「たっだいまー!」

「ただいま……」

「お邪魔致しますわ」

 

 そして今回の監視役である3人の内、雪美(京都出身)と薫(愛媛出身)は現在親元を離れてここに住んでいる。桃華も兵庫の神戸市から来たので本来はここに住むことも有り得たのだが、彼女は近所に別邸を購入してそこから通っている。

 

「あっ、武内さんだ! おはようございます!」

「おはようございます、武内さん!」

 

 入口から入ってすぐの所にある共有リビングには、すでに大勢のアイドルの姿があった。何人かはリビングの大型テレビで映画鑑賞をしており、何人かは共有キッチンで楽しく料理をしている。そして皆が武内の姿を見つけると、笑顔を浮かべてすぐに挨拶をしてきた。

 女子だけの空間に男が入り込んだら普通は大なり小なり嫌な反応を示すものだが、武内に対してはそれがまったく無い。自分達が所属する事務所をここまで大きくした立役者だから、という打算の想いがあると考えることもできるが、少なくともここにいるアイドル達にはそんな考えは無さそうだ。それを見抜けないほど、武内の目は甘くない。

 

「皆さんは今日、塩見さんを見掛けましたか?」

「周子さん? そういえば、今日はまだ見てませんね」

「出掛けた様子は無いですから、多分まだ自分の部屋にいるんじゃないですか?」

「そうですか……。分かりました、部屋に向かってみることにします」

 

 武内が頭を下げてその場を後にすると、桃華達小さなアイドルが彼の周りを取り囲むようにちょこちょことついてきた。特に薫は先程から武内のことを観察するようにじっと見つめており、彼が何かしでかさないか監視する、というミッションを楽しんでいるのかもしれない。

 

「はい、とうちゃーく!」

「とうちゃーく……」

「2人共、あんまりはしゃいでは駄目ですわ。ここはみんなの家なんですから」

 

 エレベーターに乗って少し歩いた先に、ドアのプレートに“塩見周子”と書かれた部屋があった。武内がドアのインターフォンを鳴らすが、中からの反応は無かった。改めてスマートフォンで電話を掛けてみるが、周子が出る様子は無く、部屋からも着信の音が聞こえてこない。とはいえ、マナーモードにしている可能性もあるので、それだけで部屋にいないと判断することはできない。

 

「周子さーん! おっはよー!」

「周子……、武内が呼んでる……」

「周子さん、武内ちゃまが呼んでいますわ。出てきてくださらない?」

 

 一方その間にも、3人のアイドル達が懸命に部屋の中に呼び掛けていた。とはいえ薫はまだしも、雪美と桃華の声量では部屋の中に聞こえるかどうかは疑問だろう。雪美はそもそも喋ること自体が苦手で、桃華は大声を出すのははしたないと考えているのかもしれない。

 と、そのとき、ドアの向こうから微かに足音が近づいてくるのが聞こえた。全員が動きを止めてドアに注目する中、

 

「ふあぁ……、たまのオフなんだからゆっくり寝かせ――あれ、武内さん? なんでこんな所にいるの?」

 

 あくび混じりでドアを開けて顔を出したのは、銀色のショートカットに色素の薄い色白な肌、そして狐を連想させる大きな吊り目が不思議な印象を与える少女だった。しかしその大きな目は現在眠そうに細められ、髪の色と同じ、白とも銀ともとれる薄手のパジャマを着崩しただらしない格好をしている。

 そんな彼女の姿に困ったような表情を浮かべた武内が、首の後ろに手を当てながら、

 

「……あの、塩見さん。今日はこれから私と一緒にテレビ局へ行く予定なのですが、支度は……まだのようですね」

「テレビ局? いやいや、あれって明日でしょ? 今日はオフなんだから、売れっ子シューコちゃんはおねむなのですよー」

「……塩見さん」

 

 武内が呆れ顔で手帳を取り出して今日のページを開き、それを周子の眼前に持ってきた。最初は微笑み混じりでそれを眺めていた周子も、ページを読み進める内にその笑顔が引き攣っていく。

 

「……ごめん、今何時?」

「まだ時間に余裕はありますが、あまりゆっくりもしていられません。急いでください」

「わ、分かった! ごめんっ!」

 

 勢いよく閉められたドアの向こうで、どたどたどた、と先程よりも明らかに大きな足音が鳴り響いていた。その音からも、焦っていることがよく伝わってくる。

 

「まったく、スケジュールを勘違いするなんて……」

「…………」

 

 小学生に溜息混じりで呆れられてしまった周子に、武内は首の後ろに手を遣って黙ることしかできなかった。

 

 

 

 周子と共にテレビ局に入り、彼女の出演するテレビ番組の収録をしばらく眺めていた武内は、スタッフ達に軽く挨拶してからスタジオを後にした。とはいえ彼は休憩に向かったわけではなく、むしろここから怒濤の打合せラッシュが始まるのである。

 通常ならばアイドルを売り込むために営業を掛けるのだが、武内ほどにもなれば向こうの方から番組やイベントに出演してほしいと打診される。現在の武内は新人アイドル数名に加えて“奇跡の10人”のプロデュースも継続して行われているので、彼女達に出演してもらうには武内を通す必要がある。よって業界人の間ではアイドルのスケジュール争奪戦の前に、武内のスケジュール争奪戦が行われるという何とも希有な現象が発生していた。

 この日も総勢6人の番組プロデューサーを交えた打合せが行われ、彼らの中で様々な駆け引きが行われたうえで、武内の担当アイドルのスケジュールを瞬く間に埋めていった。武内はアイドルそれぞれに用意された手帳を幾つもテーブルに広げ、相手の希望とスケジュールの合うアイドルを即座にピックアップして提案していく。

 とはいえ、武内の方もただ相手から提示された仕事を貰うだけではない。相手が世間話のつもりで話した内容から新たな仕事の匂いを嗅ぎ取るや、すぐさまそれに見合ったアイドルを提案して仕事へと繋げていく。

 この場合対象となるアイドルは武内の担当に限らず、346プロにいる全員のアイドルがその対象に含まれている。346プロには様々な技能を持った人材が豊富にいるので、大抵の仕事には対応することができる。しかし武内がそれぞれの仕事に対して的確な人物をピックアップできるのは、彼が所属アイドル全員を余すことなく把握しているからこそだろう。

 そうして打合せも佳境に入ってきた頃、最近になって恒例となった遣り取りが今回も始まった。

 

「ところで武内くん、双葉杏ちゃんとはまだ付き合いがあるのかな?」

「……双葉さん、とですか? はい、それなりには……」

 

 またか、と武内は思ったが、そんなことはおくびにも出さずにそう答えた。

 

「そうか、良かった良かった! 実は杏ちゃんと劇場のアイドル達に番組に出てほしいんだけど、向こうが全然相手にしてくれないんだよね! 君の方から何か言ってくれないかな?」

「……一応話してはみますが、出演を確約できるわけではないことは――」

「はいはい、それは分かってるって! ……それにしても、杏ちゃんは何が不満なんだろうなぁ。ゴールデンのクイズ番組だよ? しかも視聴率20%だよ? これに出れば、今まで以上に注目を集められると思うんだけどなぁ……」

「…………」

 

 自分の担当アイドルならば喜んで受ける仕事を容赦無く蹴る杏に、武内は相手に気づかれないようにクスリと笑みを漏らした。

 こうしてアイドル達の手帳を真っ黒に染め上げた武内は、すぐさまそのページをスマートフォンで撮影して、それを346プロで事務仕事中であろう千川ちひろに送った。彼女が346プロで行う仕事は様々であり、こうして武内が手に入れた仕事を整理してそれぞれの担当プロデューサーに伝えることもその1つである。

 

「はい、それではお願いします」

 

 ちひろに確認の電話をして、それを締め括ったのとほぼ同時、

 

「いやいや、売れっ子プロデューサーは大変だねぇ」

 

 ペットボトルのお茶を飲みながら、周子がニヤニヤと笑みを浮かべて声を掛けてきた。大きな吊り目も相まって、それはまさしく童話などで悪戯を企む狐のようである。

 

「お疲れ様です。どうでしたか?」

「バッチリ。そっちもバッチリ?」

「はい。ちょうど終わったところです」

「そかそか。――ねぇねぇ、お腹すいたーん」

 

 周子はそう言って、武内の腕に絡みついた。武内は体を強張らせて即座に周りに目を遣るが、当然彼女も周囲に誰もいないことを見越したうえでやっている。

 

「……分かりました。事務所に戻る前に、何かを買っていきましょう」

「ん? 買ってくる? どっか寄れば良いじゃん、かな子さんの店なら騒がれないでしょ?」

「いえ、実はすでに昼食は用意してもらっていまして」

 

 武内はそう言って、鞄から弁当箱を取り出した。まるで女子が持つような可愛らしいデザインのそれは、どう考えても武内が自分で選んで用意した物ではない。

 

「あぁ、まゆちゃんかぁ……。じゃあ仕方ないね。どっかのお店で持ち帰りのを買って、どっかの公園で食べよっか。――さてと、何を食べよっかなー」

 

 実に楽しそうにスキップをしながら昼食に考えを巡らせる周子の自由奔放さに、武内は何やら昔を思い出してフッと笑みを浮かべた。

 

 

 *         *         *

 

 

 午後1時半。

 

「チーフ、ありがとうございます! 仕事を取ってきてくれるなんて!」

「申し訳ありません、チーフ! わざわざチーフの手を患わせるなんて!」

「1日も早く独り立ちできるように、全力で頑張ります!」

 

 周子との昼食を終えて事務所に戻ってきた武内は、仕事を取ってきてくれたことへの感謝を口にする部下に軽く手を挙げて応えながら、チーフプロデューサー室の隣にあるアイドル専用談話室へと向かっていった。

 コンコン、とドアをノックしてからそれを開ける。

 

「お疲れ様です、プロデューサーさぁん」

 

 待ち構えていたかのようにすかさず、まゆのゆったりした声が武内を出迎えた。部屋をざっと見渡したところ、まゆ以外のアイドルの姿は無い。

 

「お待たせして申し訳ございません、佐久間さん。それでは現場へ向かいましょう」

「はい、分かりました。――あっ、そうそう」

 

 立ち上がってそのまま部屋の外へ向かおうとしていたまゆだったが、ふいに何かを思い出したかのように足を止めて武内へ向き直った。

 

「プロデューサーさん、お弁当は召し上がりましたか?」

「はい、とても美味しかったです。栄養バランスもしっかりと考えられていて、佐久間さんの真心が伝わってくるようでした」

「うふふ……。まゆの愛情、伝わって良かったです……」

 

 武内の評価を聞いたまゆは、全身から幸せオーラを振りまきながらその笑顔をふにゃりと柔らかくした。

 

「それじゃプロデューサーさん、お弁当箱を渡してくれますか?」

「……あの、佐久間さん。いつも有難く頂いているので、せめて弁当箱ぐらいはこちらで洗おうと思うのですが……」

「プロデューサーさんは、気になさらなくて良いんですよ。空っぽになったお弁当箱を見るのが、お弁当を作った人にとって至福の時なんですから」

「……分かりました、お願いします」

 

 武内が鞄から取り出した弁当箱を渡すと、まゆはそれを少し掲げて実に嬉しそうに破顔した。その姿はまさに、愛する夫にお弁当を作る新妻のようである。もしかしたら、頭の中でそれを妄想しているのかもしれない。

 もしも彼女のファンだったら、いつまでもその顔を眺めていたいと思うに違いない。しかし武内は“ファン第1号”を自負しているが、あくまで“プロデューサー”だ。ずっと彼女の顔を眺めていたばかりに仕事に遅刻してしまったとなれば示しがつかない。

 

「……佐久間さん、そろそろ向かいましょう」

「はい、分かりました」

 

 このまま妄想の世界に浸っているかと思われたまゆだったが、武内が声を掛けた瞬間に何事も無かったかのように彼に返事をしてドアへと歩いていった。

 そんな彼女の後ろ姿を眺めながら、武内は首の後ろに手を遣った。

 

 

 

「いやぁ、さすがまゆちゃんだね! こっちが欲しい絵を、すぐに分かってくれるんだから!」

「うふふ、ありがとうございます」

 

 都内にある広い公園が、今回のまゆの仕事場だ。女子高生向けの雑誌の企画にまゆが起用され、それと連動して街の至る場所に広告が飾られる予定である。今日の仕事はその広告用の写真を撮影し、その後は雑誌に載せるためのインタビューも控えている。

 休日には様々な人々を癒している巨大な噴水も、現在はまゆを魅せるための大道具となっている。照明や反射板を構えたスタッフに囲まれながら、まゆはにっこりと笑みを浮かべた。

 

「いいよ、まゆちゃん! 次はもっと大人っぽい感じにしてみようか!」

「大人っぽい……こうですか?」

「おおっ! さすがだね、まゆちゃん!」

 

 カメラマンの抽象的な要望にも難なく答えるまゆに、カメラマンもすっかりノリノリでカメラのシャッターを切りまくっていた。アイドルになる前は地元で読者モデルをしていたとはいえ、自分の見せ方をしっかりと理解したうえでカメラマンの注文に応えられるのは、純粋に彼女のセンスと勘の良さによるものだろう。

 武内はそんな彼女の様子を見て安心したように頷くと、近くのスタッフに軽く声を掛けて現場を離れた。ちなみに彼が仕事中に現場を離れるのは、まゆや周子のように自分の意見をしっかりとスタッフに主張できるアイドルのみに限られる。

 

 現場を離れたからといって、武内に休憩の時間はやって来ない。すぐさま電話を掛けたのは、346プロに所属するマネージャー達だ。別の現場で仕事をしている武内の担当アイドルについている彼らに進捗状況を確認し、何か問題が起こればその場で解決案を提示するためである。

 3人ほどに電話を掛けて2人は問題無し、残る1人も電話でのアドバイスだけで事なきを得た。もし電話のみでの解決が無理そうならば武内が出張る可能性もあったため、武内はホッと溜息を吐きながら電話を切った。

 すぐさま4人目に電話を掛けようとしたそのとき、武内はふいにその手を止めてポケットにスマートフォンをしまうと、若干早足気味に公園の入口へと向かっていった。

 彼の行く先には、鞄を肩から提げた制服姿の小柄な少女が歩いていた。なぜか袖が異様に長く、彼女の両手を完全に隠してしまっている。

 

「あの、すみません」

「えっ? ――あっ、武内さん……。こんにちは」

 

 その少女――白坂小梅は、後ろから突然声を掛けられて驚いたように振り返り、そして声の主が武内だと知って別の意味での驚きを顕わにした。

 

「すみません。姿を見掛けたもので、つい声を掛けてしまいました。学校から帰るところでしょうか?」

「は、はい……。今から劇場に行くところです……」

「劇場に、ですか? 確か今日はライブが無かったはずですが……」

「えっと……、ちょっと音を出して練習したいなって思って……。輝子ちゃんと、劇場で待ち合わせしてるんです……」

「成程、そういうことですか。頑張ってください。私も近い内に、また皆さんのライブを観に行こうと思いますので」

「はい、待ってます……」

 

 遠慮がちにそう言って笑みを浮かべる小梅に、武内はなぜかハッとしたように目を丸くし、そして若干悔しそうな表情を浮かべた。どちらも普通の人と比べたら些細なもので、彼と今までにも何回か顔を合わせたことのある小梅でも見逃してしまうほどである。

 

「えっと、それじゃ武内さん、また今度……」

「はい。お呼び止めしてしまい、申し訳ありませんでした」

 

 年下の少女相手でも礼儀を忘れない武内の深々としたお辞儀に、小梅はひらひらと長い袖を振ってその場を離れていった。

 ちょこちょこと歩く彼女の後ろ姿を、武内は複雑な表情で見つめている。

 と、そのとき、

 

「プロデューサーさぁん、他の女の子との会話は楽しいですかぁ?」

「――――!」

 

 突然背後から、それもかなりの至近距離で声が聞こえ、武内は思わず肩を跳ねさせた。

 ねっとりと絡みつくような声を振り払って後ろを振り返ると、まゆがニコニコと笑みを浮かべながらじっと彼の顔へと視線を向けた。垂れ目がちな彼女の双眸は、手を伸ばすとそのまま引き摺り込まれそうな深淵を彷彿とさせる、ような気がした。

 

「……佐久間さん、撮影は終わったのでしょうか?」

「はい。さっき終わって、10分後にインタビューです。――さっきの子が、プロデューサーさんがスカウトし損ねたアイドルですか?」

「……はい」

 

 少々迷いを見せるような仕草をした後、武内は小さく首を縦に振った。

 するとまゆは、不機嫌だとアピールするようにぷくりと頬を膨らませて、

 

「悔しい気持ちも分かりますけど、プロデューサーさんは()()()プロデューサーなんですよ? 少しはまゆのことも見てくださいね?」

「……そうですね。申し訳ありませんでした」

 

 武内がそう言って頭を下げると、まゆは「こちらこそ、わがままを言ってごめんなさい」と優しい声で語り掛けた。

 頭を下げていたために、そのときのまゆの表情は武内からは見えなかった。

 

 

 *         *         *

 

 

 午後9時。

 ほとんどの社員が退社して帰路に着いている中、武内のいるチーフプロデューサー室だけは未だに煌々と明かりが灯っていた。

 彼の部屋にはメッセージボックスが置いてあり、本人が不在のときにはそこに彼宛ての書類をしまうことになっている。ちょうど半日ほど留守にしていた武内宛ての書類は15束で、中にはちょっとしたハードカバー本ほどの厚さはあるものもあった。

 しかし武内はそれに対して嫌な顔一つせずに、それを1つずつ丹念にチェックする。その内容は新ユニット結成や長期的なプロジェクトの草案など、アイドル達の今後を左右するような代物ばかりである。どんな理由があろうと、けっしてぞんざいにしてはいけないものだ。

 

「…………」

 

 今まで結成されたユニット、かつて引き受けた仕事、方向性や売り出し方――。その成功例や失敗例を記憶の引き出しから引っ張り出し、時には昔の資料も棚から引っ張り出し、このアイデアで良いのか、あるいは別の案を考え直させるか、場合によっては他の案と融合させた1つのプロジェクトにしてしまうか、といったことを頭の中で延々と繰り返し議論し、結論を出していく。

 かつて346プロを創設したときよりも所属アイドルが格段に増え、武内が最終的な判断を下す仕事量も昔の比ではない。会社も当時からは考えられないほどに大規模となり、346プロによって生活が支えられている人間も数多くいる。とても重い仕事だが、だからこそ武内は今の仕事がとても好きだった。

 

 ――このことを双葉さんに話したら、鼻で笑われるのでしょうか……?

 

 ふと思い出したのは、仕事が大嫌いだと豪語していた、かつての担当アイドルだった。『仕事が好きだなんて、プロデューサーは社畜の鏡だなぁ』と呆れる杏が容易に想像でき、武内は仕事中にも拘わらずプッと吹き出してしまった。

 とはいえ、“今の”杏ならば武内の考えにもある程度は賛同してくれるかもしれない。自分の芸能事務所を立ち上げ、劇場を創設し、何人ものアイドルをプロデュースしている今の彼女ならば。

 今度その辺りも含めて話す機会を設けよう、と武内は近い将来の予定を立てたところで、気を取り直して再び書類に目を通し――

 コンコン。

 

「…………、どうぞ」

 

 ほとんど社員のいない中でドアをノックする音が聞こえ、武内は訝しげに首をかしげながら呼び掛けた。

 すると、

 

「よっ、武内。こんな時間まで仕事なんて熱心だな」

「社長……」

 

 右手を挙げて部屋の中に入ってきたのは、346プロの社長・桐生つかさだった。まだまだ25歳という若さで“クールビューティー”という形容が似合う整った容姿は、所属しているアイドルにも引けを取らないほどだ。

 

「仕事熱心なのは良いけど、あまり根を詰めすぎるとぶっ倒れるぞ」

「……しかしアイドル達を輝かせるためならば、私はどれほどの仕事だろうと――」

「そのアイドルを残業のダシにすんなよ。あんたがぶっ倒れたら仕事に支障が出るし、大騒ぎする連中が大勢いるだろうが。仕事時間のコントロールも、できる大人の嗜みだぜ?」

「……分かりました。それでは、今日のところはこの辺りで」

 

 つかさの真剣な眼差しに観念したのか、武内は口元に笑みを携えながらパソコンのデータを保存して電源を落とした。机に広げていた書類を纏めると、それを引き出しにしまって鍵を掛ける。

 

「そうだ、武内。報告があるんだけど」

 

 そしてそれを見計らったタイミングで、つかさがそう声を掛けた。自分の鞄に手を掛けていた武内が、再び怪訝な表情を浮かべる。

 

「おまえが企画した“例のイベント”、正式に採用されたぜ」

「……本当ですかっ!」

 

 その瞬間、普段あまり感情を表に出すことのない武内が、目を見開いて喜びを顕わにした。彼のことをよく知っているために内心構えていたつかさですら、彼の気迫に一瞬後退りしかけたほどである。

 

「つーことで、今からささやかな祝賀会だ。どうせメシ食ってないんだろ? 付き合えよ」

「……分かりました、お供します。社長とも、色々話しておきたいこともありますので」

「おいおい、もうプライベートの時間だぜ? プライベートくらい、仕事を忘れさせてくれよ」

「申し訳ございません。しかしこういう時間でもない限り、社長と話をする時間もなかなか取れなくなってしまったので」

「……まったくだよ。昔は最低でも週1回は一緒にメシ食ってたのにな」

 

 武内1人が使うには広すぎる部屋を見渡しながら、つかさはぽつりと呟いた。

 その表情には、親しい人間でないと分からないほど微かに、寂しさのような感情が表れていた。

 

「良いぜ、武内。久し振りのサシだ。全部ぶつけてこいよ」

「ありがとうございます」

 

 一足先に部屋を出たつかさの背中を追って歩きながら、武内はドアの脇にあるスイッチに手を掛けた。

 ぱちん、という音と共に、部屋は闇に包まれて何も見えなくなった。



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第12話 『転機』

 眩いばかりの照明に、割れんばかりの歓声。目の前に広がる光景は、ペンライトによって造られた人工の宇宙。

 渋谷凛は、ライブのアンコールを終えたこの瞬間が最も好きだ。数ヶ月の成果を余すことなく出し切り、それを目の前の観客が全て受け止めてくれる。2万人もの人間が収まるほどに広い会場なだけに1人1人声を掛けることはできないが、自分が一度(ひとたび)声をあげれば、興奮した2万の声が一斉に自分に押し寄せてくる。

 日常では絶対に経験できない、“あのとき”にアイドルになる決意をしなければおそらく一生経験することのなかったであろうこの瞬間が、凛は堪らなく好きだった。

 

 ふと隣に視線を遣れば、全てを出し切った顔で放心状態となっている奈緒と加蓮の姿が目に映った。汗をびっしょりと掻いて肩で息を上下させている2人に、凛はフッと笑みを漏らし、そっと手を差し出した。そしてそれに気づいた2人も同じように笑みを漏らし、彼女の手を取ってしっかりと握りしめる。

 繋いだ手を一斉に挙げ、それを下ろすときに頭も下げて観客に礼をする。彼女達のその行動に、観客から一斉に歓声と拍手が沸き起こる。つい先程まで興奮と熱狂と感動に包まれていたアリーナが、最後の輝きを放つように一層の盛り上がりを見せる。

「トライアドプリムスでした! みんな、またね!」

 3人を代表して観客に呼び掛けた凛に、観客は涸れた喉であげる叫び声で返した。

 以上をもって、日本全国を股に掛けたトライアドプリムスのアリーナツアーが幕を閉じた。

 観客動員数は、延べ20万人。

 トライアドプリムス過去最大のツアーは、まさしく大成功と言って良い結果だった。

 

 

 

 ステージに上がるアイドルにとってライブを“戦場”に例えるとしたら、その裏で働くスタッフにとっても間違いなく“戦場”と言える。バックバンド・照明・カメラ・音響・舞台監督・大道具・スタイリストその他数え切れないほどの人間が、本番前から本番中まであちこち駆け回っている。

 

「お疲れ様でしたー!」

「みんな、最高だったよ! お疲れ様!」

「お疲れー! みんな、凄かったぜ!」

 

 楽屋へと早歩きで戻っていく凛達3人に向けて、長い長い戦いから解放されたような笑顔でスタッフが声を掛けてくる。凛達はそれに手を挙げて応えながら、楽屋へと入っていった。

 楽屋までの廊下はスタッフが行き交うため騒がしいが、楽屋周辺はあまりスタッフの姿も無く静寂に包まれている。楽屋に備えつけられているソファーに3人並んで座り込んだ途端、本番中は脳内でアドレナリンがドパドパと分泌されて感じなかった疲労が一気に押し寄せてきた。

 普段は楽屋内でも仲良くお喋りに興じている3人も、このときばかりは黙り込んだまま誰も口を開こうとしない。

 その静寂を最初に破ったのは、奈緒だった。

 

「……なぁ加蓮、明日からどうする?」

 

 346プロでは今回のような長期間のツアーを組む際、どれだけそのアイドルが売れていようと、最後の公演が終わってから1週間はオフになるようにスケジュールが組まれている。かつての“悲劇”を2度と繰り返さないための措置であり、もちろんこの3人にも明日から1週間のオフが用意されている。

 とはいえ、

 

「まぁ仕事が休みになっても、明日は月曜日なんだから普通に学校に行くでしょ」

「いや、放課後だよ。せっかくだし、どっかに遊びに行こうぜ?」

「遊びにねぇ……。正直、ゆっくり体を休めたいんだけど……。っていうか、今回のツアーでかなり学校休んでるから、多分放課後は補習の嵐じゃない?」

「マジかよ……、勘弁してくれ……」

 

 奈緒が嘆きの呟きを漏らしながらソファーに体を沈めたのと同時、コンコン、と楽屋のドアを叩く音がした。

 

「皆さん、お疲れ様です」

「プロデューサー」

 

 ドアの向こうから聞こえるバリトンボイスに真っ先に反応したのは、凛だった。

 

「渋谷さん、ライブ終了直後で申し訳ないのですが、少しお時間宜しいでしょうか?」

「うん、良いよ。――2人共、先にシャワー浴びて着替えてて良いからね」

 

 凛はそう言い残して、楽屋を出ていった。ドアが少し開いた際、肩幅の広い長身のスーツ姿がちらりと見えた。

 

「何の話だろ?」

「次のソロツアーの打合せじゃないか? ほら、半年後に凛さんがやるヤツ」

「あぁ、そっか。確か次のって、全公演で80万人動員する予定なんだっけ? さすが“奇跡の10人”だよね、当たり前のようにドームツアーなんだから。――私達も頑張らないと」

 

 ぽつりと漏らすように呟かれた加蓮の言葉に、奈緒は「そうだなー」と気楽そうに返事をした。

 それとは対照的に、加蓮の表情はどこか思い詰めたようなものだった。

 

 

 *         *         *

 

 

 奈緒と加蓮の通っている学校は、346プロに程近い場所にある小中高一貫の私立女子校である。

 この学校はアイドルの受け入れに積極的で、一般の生徒を対象とした“普通科”とは別に、アイドルなどの芸能人を対象とした“芸能科”が存在する。2つのコースは建物自体が別々となっていて、互いに行き来することはできなくなっている。

 奈緒と加蓮は、もちろん芸能科に通っている。学生の身で既に仕事をしているため、クラスの生徒全員が顔を揃えることはまず無いと言って良い。というより、どれだけ授業を休めるかがステータスとなっている節すらある。

 

「2人共、おはよう!」

「おはよー! 奈緒も加蓮も久し振りだね!」

「おはよ! ツアーの成功、おめでとう!」

 

 奈緒と加蓮が揃って校門(普通科の生徒が通るものとは別)を抜けると、周りの生徒達が次々と2人に挨拶をしてきた。2人は笑顔で手を挙げて挨拶を返しながら、校舎へ向かって歩いていく。

 芸能人が通う学校だからか、ここは普通の学校のような年功序列の力関係ではない。それこそ芸能人としてのランクがそのまま反映されるような雰囲気となっているため、この学校では奈緒も加蓮も最高ランクの立ち位置にある。とはいえ2人共権力を笠に着るような性格ではないため、学校ではフレンドリーに接して友人も多い。

 とはいえ、周りの生徒はそうもいかないようで、

 

「あっ! 奈緒ちゃんと加蓮ちゃんだー!」

 

 2人の後ろから嬉しそうな声をあげて元気いっぱいに駆けてくる少女の姿に、先程まで2人に挨拶していた生徒達は遠慮するようにその勢いを(すぼ)めていった。

 その少女は2人と比べても随分幼いが、長い金髪の一部を後ろで2つに纏め、可愛らしくオシャレなアクセサリーを散りばめ、ばっちりとメイクを決めるその姿は、同年代と比べても明らかに纏っているオーラが違う。

 

「もう、莉嘉! いきなり走ったら危ないでしょ!」

 

 そして彼女を後ろから追い掛ける、奈緒や加蓮と同年代の少女は、ボリュームのあるピンク色の髪を後ろで1つに纏め、先程の少女と同じようにアクセサリー(よく見ると先程の少女とお揃いのものが幾つかある)を散りばめ、そしてばっちりとメイクを決めている。先程の少女にも負けず劣らずのオーラを持つその少女は、先程の少女とどことなく似た雰囲気を持っている。

 それもそのはず、2人は正真正銘の姉妹である。

 姉・城ヶ崎美嘉(高校2年)に、妹・城ヶ崎莉嘉(中学1年)。

 346プロに所属するアイドルである2人は、現在“ファミリアツイン”というユニットで活動している。2人共同世代のカリスマとして圧倒的な人気があり、彼女達が身につけた服やアクセサリーが爆発的に売れる“城売れ”という社会現象を呼ぶほどである。

 

「おはよ、美嘉、莉嘉ちゃん。2人が一緒に登校するなんて珍しいな」

「ま、アタシは午後から仕事だけどね。たまには一緒に登校してあげないと、莉嘉が拗ねて不機嫌になっちゃうからねぇ」

「あー! お姉ちゃんだって、アタシと一緒に登校できて嬉しそうだったじゃーん!」

「ちょっ! それは……まぁ、そうだけど……」

「あはは、2人共相変わらず仲が良いね。こっちが熱くなっちゃうわ」

 

 姉の腕に抱きついて体を擦り寄せる莉嘉に、嬉しいのを隠しきれない緩んだ笑みを浮かべる美嘉に、奈緒と加蓮は微笑ましそうに2人を眺めていた。

 

「2人は今日から1週間オフなんでしょ? 今まで休んでた分、たっぷり補習が待ってるよー」

「うげぇ……。やっぱしそうなるよな……」

「あっ、何か昔の病気が再発したかもー。大事を取って今日は休むかー」

「おい加蓮、そうはいかねぇぞ」

「ホシューって大変だよねぇ。アタシきらーい」

「まぁ、これもアイドルとして贅沢な悩みなんだろうけどねぇ」

 

 将来を期待されている新人アイドル4人の会話を、同じ芸能人であるはずの生徒達が羨ましそうな顔で眺めていた。別に会話に割り込んだところで4人が嫌な顔をするなんて有り得ないのだが、彼女達が勝手に壁を作って遠慮してしまっているのである。

 と、そんな彼女達がふと校門へと視線を遣り、息を呑んだ。

 その雰囲気が伝わったのか、4人も会話を止めて校門へと顔を向ける。

 

「お、4人揃ってるところを見られるなんて、今日はラッキーだね」

 

 その雰囲気を作り出した原因であるその少女は、それとはまるで対照的な飄々とした態度だった。銀色のショートカットに色素の薄い色白な肌、そして狐を連想させる大きな吊り目が不思議な印象を与える少女である。

 

「……あらら、随分と珍しい顔じゃん? ホント、今日はどうしたの?」

「あー! 周子ちゃんだー!」

 

 普段滅多に学校で見掛けることのない少女の姿に、美嘉が不敵な笑みを浮かべて呟き、莉嘉が嬉しそうな表情で叫んだ。

 少女の名は、塩見周子。

 346プロに所属する彼女は、現在同事務所の新人アイドルの中でも一番の注目株だと業界では持ちきりである。

 “奇跡の10人”のプロデューサーとして知られる武内P直々にスカウトされ、1年以上掛かるのが普通と言われるレッスン過程を僅か1ヶ月で修了し、そしてデビュー後は武内Pの下、ソロ活動とユニットそれぞれで大ブレイクを果たすという破竹の勢いだ。そのブレイクぶりから、業界人の間では“奇跡の再来”と持て囃されている。

 しかし当の本人は、そんな評価などお構いなしに飄々と振るまい、良く言えば“気楽”、悪く言えば“脳天気”な言動をしている。そもそも武内Pにスカウトされたときの状況が、学校にも通わずに実家でゴロゴロしていたら親に追い出された、というのが彼女の性格を如実に物語っている。

 

「んで、今日は“保護者”はどうしたの?」

「紗枝ちゃんは、今日は朝からお仕事。あたしも午後から仕事だから本当は休みたかったんだけど、武内さんが『学校にはできるだけ行ってください』って言うからさぁ。まぁ、仕方なくね」

 

 周子はそう言って、にっこりと笑った。大きな吊り目を細めて笑うとますます狐っぽい印象になり、『実は化け狐が人間に変身している』と言われても納得してしまいそうになる。

 

「まぁ、武内さんの言うことも分かるよ。“アイドル”はこれから先も経験できるけど、“学生”は1度きりだもんね。というわけで、シューコさんは学生生活を満喫するですよー。それではー」

 

 おちゃらけた調子でそう言い残し、周子は校舎へと去っていった。最後の台詞は、最近346プロに所属した海外出身のアイドル候補生の真似だろうか。

 

「うーん、相変わらず掴み所が無い子だわ」

「まぁな。でもまぁ、それが周子の魅力ってやつなんだろ」

 

 美嘉と奈緒はその後ろ姿を眺めながら、苦笑混じりにそんな会話を交わしていた。

 そして、

 

「どうした、加蓮? そんな怖い顔して」

「……えっ? ああ、ごめん。何でも無いから、気にしないで」

 

 加蓮は2人の会話に参加することなく、眉間に皺を寄せて周子の背中をじっと見つめていた。奈緒が不審に思って尋ねてみるも、加蓮は誤魔化すような返事で答えをはぐらかす。

 そんな彼女の態度に、奈緒はますます気になった。普段から加蓮は自分の感情を開けっ広げに話すように見せかけて、肝心な部分は巧妙に隠すところがある。奈緒は食い下がってもう1度尋ねようと――

 

「あっ、小梅ちゃんだ!」

 

 したところで、莉嘉がそう叫んでどこかへと走っていった。当然美嘉が真っ先にその後を追い、奈緒の行動を察したのか加蓮が逃げるようにその後を追い、奈緒は諦めるように溜息を吐いてその後を追った。

 

「小梅ちゃーん! おはよー!」

「あ、り、莉嘉ちゃん……。おはよ……」

 

 莉嘉が勢いよく抱きついたのは、学校指定の制服を改造してまで両手を隠す(芸能人を相手にしているせいか、芸能科に限っては制服の改造に対して規制が緩い)小梅だった。李衣菜達の住む街から引っ越してきた小梅だが、新たに通うことになったのがこの学校だったのである。

 そんな小梅の学校での立ち位置だが、はっきり言えば“微妙”だった。他の生徒がテレビなどを中心に活動する芸能事務所に所属しており、その点では地下アイドルとして活動する小梅は一段低く見られている。しかし小梅の所属する事務所の代表は()()双葉杏であり、自身もネットを中心に注目を集めており、そこら辺のアイドルよりもよっぽど稼いでいる事実は彼女達とて到底無視できるものではなく、早い話が態度を決めかねているという状況だった。

 しかしそんな事情は、ここにいる4人にはまったく関係無い。特に莉嘉は学年が一緒ということもあって、小梅が転入してすぐに仲良くなった。そして奈緒も“或る事情”により小梅と仲良くなり、そうなれば美嘉と加蓮が小梅と仲良くなるのは自然な道理である。

 さて、ここで気になるのは奈緒が小梅と仲良くなった“或る事情”とやらだが、別に後々まで隠すような重大なものではない。平たく言うなれば、

 

「あ、そうだ……。奈緒さん、この前はライブに来てくれて、ありがとうございます……」

「えっ? 黙って行ったつもりだったんだけど、もしかしてバレてた?」

「う、うん……。奈緒さん、よく来てくれるから……、すぐに見分けられるようになった……」

「ま、まじか……。何か照れるな……」

 

 奈緒が、小梅達のファンだからである。

 

「小梅ちゃん、昨日もライブだったんでしょ? 週末は欠かさずライブなんて、大変だよねぇ」

「そ、そんなことないです……。ライブ楽しいし、お客さんも楽しんでくれるから……」

「アタシ達もツアーしたりイベントでミニライブやったりするけど、小梅ちゃんほどたくさんはやらないもん! 小梅ちゃんは凄いよ!」

「そ、そうかな……? えへへ……」

 

 最初の頃は他人と壁を作っている印象のあった小梅だが、こうして話していく内に笑顔を見せる頻度が多くなっていった。そしてその度に莉嘉達は、彼女に見とれてハッと我に返るという行為を繰り返していた。小梅の持つ“武器”は、同業者相手にもしっかりと作用しているようだ。

 

「そうだ、小梅ちゃん。今週の土曜日も劇場に行こうかと思うんだけど、チケットってまだ残ってるかな?」

「えっ、でも奈緒さん、ツアーが終わったばかりで疲れが……」

「大丈夫だって。土曜日までには回復してるし、小梅ちゃん達のパフォーマンスを観て元気を出そうって思ってるんだからさ」

「え、えっと……、ありがとうございます……。今週分のチケットはもう無いけど、杏さんに頼めば1人くらいは融通が利くと思う……」

「おぉっ! サンキューな!」

「あららー? 奈緒ったら、芸能人パワーで無理を通しちゃうのー?」

「いやぁ、フェアじゃないってのは分かってるんだけど、自分の好きなものに関してはどうにも我慢ができなくて……」

 

 小梅と仲良く会話を交わし、美嘉のからかいにバツの悪そうな笑みを浮かべる奈緒の姿を、加蓮は何か考えるようにじっと見つめていた。

 そして、ふいに口を開いた。

 

「ねぇ、小梅ちゃん。その日、アタシも行って良いかな?」

 

 加蓮のその頼みに、奈緒は意外そうな表情を彼女に向けた。

 

「珍しいな、加蓮。加蓮の方から、わざわざ人混みに行こうとするなんて」

「……たまには、小梅ちゃん達のライブを観に行こうかと思ってね。大丈夫かな?」

「う、うん……。帰ったら、杏さんに確認してみる……」

「ありがとう、宜しくね」

 

 そう言ってにっこりと笑った加蓮は、小梅の頭を優しく撫でた。小梅は照れ臭そうに頬を紅く染めるも、気持ち良さそうに目を細めている。

 

「…………」

 

 そしてそんな加蓮を、奈緒は納得していないような表情で見つめていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 杏主宰の劇場“アプリコット・ジャム”がスタートして、早数ヶ月。この短期間ですでに、劇場は独自の地位を築き上げていった。

 ホームページ上で展開されるアイドル自身が企画した様々なネットコンテンツは好評で、月ごとのアクセス数は順調に伸びていっている。そこから興味を持った人がアルバム(DL版)を購入し、そこから嵌った人が劇場に足を運んでライブを鑑賞し、アルバム(CD版)やグッズを購入してくれる。

 劇場の来場者数も安定しており、ライブチケットが売り切れる日も珍しくなくなった。劇場に併設されているカフェも順調で、ライブの無い平日にもファンが足を運び、ライブ映像を観ながらの食事を楽しんでくれている。また、興味本位でカフェに訪れた人の中にも、その映像をきっかけにアイドルに興味を持ち、そしてそこからファンになるというケースも多く見受けられている。

 奈緒と加蓮が訪れたその日も、ライブを心待ちにしている人やカフェにやって来た人やグッズを買いに来た人でごった返していた。

 

「おぉっ! 新しいミニアルバムが並んでる! やっぱCDで実際に見ると印象が違うなぁ!」

「ねぇ、それってもうDL版を購入してるんだよね? わざわざCDを買う意味ってあるの?」

「あるよ! こうやって実際に手に取って見ることができるし、保存用にもなるし、何より“自分がこれを買った”っていう実感があるからな! そりゃあDL版は便利だけど、やっぱり実物が無いと満足できない(たち)というか……」

「ふーん……。まぁ、どちらにしろ、それを買うのはライブが終わってからの方が良いでしょ? 荷物を持ったままライブを観るとか辛いし」

「おう、そうだな。ふふーん、帰りの楽しみが増えたぜー」

 

 ニコニコと楽しそうに商品を陳列棚に戻す奈緒に、加蓮は物珍しそうに彼女を見つめる。

 

 ――アイドルになる前は“オタク”だったって聞いたけど、やっぱり本当だったんだ……。

 

 加蓮がそんなことを考えていると、入場の時間がやって来た。奈緒はわくわくしながら、加蓮はどこか緊張した面持ちで、ライブフロアまでの階段を下りていく。

 自分達が先週までライブをしていたようなアリーナとはまるで違う、数百人ほどが入るだけであっという間に満杯になってしまうほどに狭く、手を伸ばせば届きそうなほどにステージまでの距離が近い会場。

 しかしだからこそ、客の熱気がダイレクトに伝わってくる。

 そしてその熱気は、フロア全体の照明が落とされて暗くなったときに最高潮となった。

 

 重低音が響く出囃子に乗って現れる、バックバンドのメンバー。出囃子に取って代わるように演奏を開始し、これから始まる狂乱の時間を予感させるような抑制の効いた音楽に、奈緒を含めた客全員が徐々に高揚感に包まれていく。

 そして満を持して現れたのは、星輝子だった。いつもの衣装とは雰囲気の違う、黒白のメッシュと白地がちょうど左右で分かれた特徴的なジャケットに黒い半ズボン、そして裏面が紫となっている黒の大きなマントを羽織り、左目には蜘蛛の巣のペイントが顔を浸食するように大きく描かれている。

 そしてもう1人――白坂小梅。

 一言で表すなら“黒魔術の魔法使い”という印象である彼女の衣装は、青いバラをあしらった紺の頭巾と暗い赤のマントで身を包み、手にはドクロのついた杖が握られている。そのドクロの部分がマイクになっており、小梅はそれを持ちながらステージの中央へと歩みを進める。

 やがて中央に辿り着いた小梅が、ドクロ型のマイクに口を近づけてぽつりと呟いた。

 

「こんにちは……、“NiGHT ENCOUNTER”です……」

 

 その瞬間、輝子が思いっきり掻き鳴らしたギターを皮切りにライブはスタートした。

 全員がソロ指向の劇場において、初めてのユニットとなる“NiGHT ENCOUNTER”は、輝子の“メタル”と小梅の“ホラー”が合わさった音楽性となっている。元々メタルには悪魔崇拝をテーマにした“ブラックメタル”なるジャンルも存在しており、この2つの親和性は長い歴史の中で証明されている。

 輝子が作った、普段以上に重苦しく、そしてクラシックを連想させる弦楽器やオルガンなどによる壮大な音楽に乗せて、小梅が作った、悪魔や宗教、そしておどろおどろしい神話の世界をテーマにした歌詞が紡がれる。メインボーカルは小梅だが、普段はアイドルらしく歌ってみせる彼女が高音のシャウトにも挑戦し、輝子と一緒に歌うパートも存在する。

 テレビには絶対に乗せられない歌詞を大声で歌い上げ、バックバンドと共に轟音を唸り上げる2人の姿に、観客は我を忘れて熱狂していた。人に聞かれたら白い目で見られるに違いない言葉を喉が枯れるまで叫び、普段ならば絶対に苦情が殺到するほどの爆音で踊り狂う彼らは、普段溜まりに溜まっている鬱憤をステージ上の2人に託し、そして晴らしてもらっているのかもしれない。

 

「ひゃっはああああ! さすが輝子ちゃんと小梅ちゃんだよなぁ! 最高だぜぇ!」

「……うん、本当に凄い」

 

 普段のアイドル活動では絶対に接することのない類の熱気に、奈緒は普段の性格も忘れてはしゃぎまくり、加蓮はそれを噛みしめるようにじっとステージを見つめていた。

 

 

 

『ウサミン星より《太陽系ロップポイント》を経由して報告、kbyarebnhgujy7、応答せよ』

「こちらkbyarebnhgujy7、メルヘンネーム“安部菜々”」

 

 この遣り取りで始まったのは、ウサミン星による《メルヘン》――地球での活動を描いたストーリーとリンクする安倍菜々のライブである。メイド服をモチーフにしたいつもの衣装を着た菜々がステージに現れると、ペンライトといういかにもアイドルのライブらしい物を持った観客達が一斉に声をあげ、手に持ったそれを勢いよく振る。

 

 先週発売されたばかりのミニアルバム『ファーマー』によって描かれるのは、ウサミン星人によって死活問題となっている《ニンヅン》を生成する原因である人物《ファーマー》との初めての直接対決である。地球でのミッションを遂行していた安部菜々が《ファーマー》の1人と出会い、《ニンヅン》の生成を阻止するべく白熱の戦いを繰り広げるというストーリーであり、デビューアルバムと違って緊迫した雰囲気の曲が揃っている。

 今回のライブでは早速そこに収録された曲が披露され、そして観客達は事前にDL版でしっかりと予習していた。表題曲でもある『ファーマー』では高らかに拳を突き上げ、《ニンヅン》による被害状況を描いた『ドノ』では菜々の合図に合わせてコールを揃え、故郷への想いを歌った『サンカ』ではスクリーンに流れるウサミン星の映像と共にしんみりとした空気に浸る。

 もちろん、デビューアルバムの曲も引き続き歌われる。特にトリを飾る『メルヘンデビュー!』はすっかり彼女の代表曲として定着し、曲間でのウサミンコールや途中の合いの手がバッチリ決まっていく。

 

「皆さーん! 本日のライブは、これにて終了です!」

 

 菜々のその言葉にフロアのあちこちから「えー!」と声があがり、菜々は律儀に「えー、じゃありません!」と返していた。客との精神的な距離が近いことも、菜々のライブの魅力的なところだろう。

 

「また会いたいときには、いつでもここに来てください! 菜々はいつもここでライブをしていますし、ライブが無い日には上のカフェで働いていますので! ――それでは、《リシー》!」

 

 ウサミン星で別れの挨拶を意味するその言葉で呼び掛けると、フロア中の観客が一斉に「リシー!」と返していた。その際に菜々も観客も、親指・中指・薬指を1点でくっつけ、人差し指・小指をピンと立てる、日本でいう“狐”を表すポーズを掲げている。

 ノリノリでそのポーズを掲げる奈緒を隣で見遣りながら、加蓮は『何かこっちの方がよっぽど洗脳しているように見えるな』と思ったが、誰かに迷惑を掛けているわけでもないし何より楽しいので、それを指摘する代わりに奈緒と一緒にコールをした。

 

 

 

 他のアイドルは新ユニットや新アルバムへと展開を広げているが、蘭子の場合は新たなアルバムの度にストーリーを作らなければならない。しかもストーリーには幾つもの分岐点と結末が必要であり、それに合わせて新しいムービーを制作しなければならない。つまり蘭子の場合、他のアイドルよりも制作に時間が掛かるのである。

 なので蘭子だけはデビューアルバムのストーリーを続けているのだが、ルートや結末が幾つもあるので観る度に新鮮な発見があり、結果的に蘭子のファンは他のアイドルよりもリピーター率が高くなっている。さらに新曲は幾つか出来ており、それを現在のライブにも組み込んでいるので、ルート選択によっては新曲を聴くことができる。

 よって観客は皆、自分が見たことのないルートを選択しようと必死になっている。事前にフロアに集まった観客達が相談し、その際に水面下での攻防を繰り広げ、そして最終的に本日のライブで選択するルートを決定する。

 しかしながら、素性を隠してライブを観ている奈緒がそれに参加するわけにはいかない。なので奈緒はその相談をいつも傍らで眺めているしかなく、その結果、

 

「デビューライブのときのルートになっちまった……」

「あらら、残念。でもまぁ、せっかくだし観てこうよ。蘭子ちゃんのパフォーマンスも観たいし」

 

 ちなみに一部の観客による“裏切り”で別のルートが選ばれたとしても、他の観客がそれを責めることはないし、むしろそれすら楽しんでいる節がある。しかし素性を隠している奈緒がそれを画策することはできないため、どちらにしても奈緒はどうしようもなかった。

 しかしいざライブが始まれば、奈緒はそんなことを忘れて熱中していった。先程までの観客が声をあげてノリノリになるライブとは違う厳かな雰囲気に、加蓮も自然と物語と曲の世界観に引き込まれていく。

 蘭子のパフォーマンスは、デビューのときから比べて明らかに向上していた。デビューのときには動きの端々に硬さが見られていたが、今はストーリーの語り部としての役目を見事に果たし、リラックスした雰囲気で楽器(のようなもの)を演奏し、朗々と歌い上げている。毎週2回、しかも1人っきりで舞台に立つという経験が、彼女をここまで成長させたのだろう。

 

 そして、ストーリーも終盤に入っていった頃、

 

「……ん?」

 

 曲が始まった途端、奈緒の不思議そうな声と共に、フロアがにわかにざわめいた。行進曲のような迫力あるトランペットから始まるこの曲は、デビューアルバムには収録されていないものだ。

 つまり、

 

「……し、新曲だぁ!」

 

 突然のサプライズによってフロアから大歓声があがり、思わず加蓮の肩がビクンッ! と跳ねた。そこから数分間は先程まで静かに聞いていたのが嘘であるかのように観客がノリノリになり、そして新曲が終わると何事も無かったかのように再びいつものテンションへと戻っていった。

 

「皆の者、神崎蘭子である」

 

 このストーリーの中で最も救いの無いバッドエンドを迎え、改めて袖口から姿を現した蘭子がフロアに呼び掛けた。今日のライブで最初の、そして最後のMCである。

 そしてそこで、嬉しい発表が行われた。

 

「今より30の月が空を駆けた後、新たな物語が紡がれる。教典が白日の下に晒されるのも同じ頃であろう。それまでの間、皆も(おの)が腕を磨き、新たな物語に備えるが良い」

 

 簡単に言うと『1ヶ月後にライブのストーリーが新しくなり、アルバムも発売されるので楽しみにしてください』ということだ。すでに熱心なファンの中には彼女の真意を読み取ることができる者も少なくないので、この発表には大いに湧き上がった。

 

「それでは皆の者! また会おう! さらばだ!」

 

 そう言い残してステージ脇へと消えていく蘭子の姿に、観客は見えなくなった後も拍手を贈り続けた。

 

 

 こうして本日も“アプリコット・ジャム”は、大盛況の内に幕を閉じた。

 

 

 *         *         *

 

 

「お疲れ様です、蘭子ちゃん」

「フヒ……、お、お疲れ……」

「お、お疲れ様……」

 

 楽屋に戻った蘭子を出迎えたのは、すでに私服に着替えている菜々・輝子・小梅の3人だった。蘭子はそれに対して「うむ! 今日も素晴らしき儀式であった!」と答えながら、テーブルに置いてあった一口サイズのチョコレートに手を伸ばす。

 

「いやぁ、蘭子ちゃんの新曲のところ、やっぱり凄い盛り上がってましたね!」

「フヒ……、サプライズは、やっぱり盛り上がる……」

「カフェの方からも、お客さんの驚く声が聞こえてたよ……」

「ふっふっふっ! それでこそ“怠惰の妖精”に打診した甲斐があったというものよ!」

「あ、そうだ……。小梅ちゃん、ライブのときはごめん……。ギター、ミスっちゃって……」

「えっ、そうなの……? 全然分からなかったけど……」

「あー、ひょっとして『優しい悪魔』ですか? ちょっとギターの入りが遅れちゃったところ。特にお客さんが気にしてた様子も無さそうですし、それほど気にすることもないと思いますけど」

「……で、でも、やっぱり気になる……。後で練習しておく……」

「うーん……、さすがのプロ根性ですね……」

 

 デビューのときには緊張のあまり顔を真っ青にしていた彼女達も、この数ヶ月で数十回ステージに立ち続けたことですっかり慣れたのか、緊張は未だにするものの普段とほぼ同じテンションで挑めるようになっていた。ライブ前後の会話もリラックスしたものとなり、自分達でライブを振り返って反省して次に活かす、ということも自然とできるようになった。

 

「はい、杏ちゃーん。もう今日のライブは終わりましたよー。起きてくださーい」

 

 だから杏は安心して、楽屋の隅で居眠りができるのである。デビューライブのときから居眠りしてたじゃないか、というツッコミは禁止である。

 

「うーん……。あれ? もう終わり?」

「はい、そうですよ。……というか、楽屋で寝られると困るんですけど」

「ごめんごめん。ここんところ、ちょっと動き回っててさ。――あ、蘭子ちゃん。新しいアルバムのジャケットできたよ」

「何! 真か!」

 

 まだステージ衣装から着替えてもいない蘭子だったが、杏のその言葉に顔を綻ばせて彼女の下へ駆け寄っていく。興味を惹かれたのか輝子達も近づき、杏から茶封筒を受け取って中に入った紙を取り出す蘭子の背後からそれを覗き込む。

 

「はぁ……! 何という……!」

 

 そしてそこに描かれた、荒廃の世界に佇む蘭子(背中から悪魔のような羽が生えている)のイラストに、蘭子はその顔を一層輝かせて歓喜に震えていた。

 

「今回は漫画調なんですね。どなたが描いたものなんですか?」

「346プロの新人アイドルの中に、漫画の上手い子がいてね。その子に描いてもらったんだよ」

「フヒ……。本当に、346プロには何でもいるな……」

「うん……、346プロのアイドルだけで、何でもできちゃいそう……」

「本当だよねぇ。杏が現役の頃よりも、明らかにアイドルのレベルが上がってるよ」

 

 杏達による“奇跡の10人”芸能界席巻に触発されてか、その時期を境にアイドルブームが巻き起こった。アイドルが活躍するテレビ番組も増え、CDやライブ関連によるアイドル市場も拡大した。そして芸能事務所はこぞってアイドル部門に力を入れ、個性的で実力のあるアイドルが世間を賑わせるようになる。

 特に、ここ1年ほどはさらにその動きが顕著だ。スポーツや芸能といった分野は有能な人材が同年代に集中する傾向があるが、アイドルに関しては今がまさにそれである。“奇跡の10人”を予感させる新人が続々と現れ、デビュー以来芸能界のトップに君臨している“奇跡の10人”の牙城を崩すかもしれない、とまで言われている。

 

「まぁ、そういう点で考えると、そういう新人さんと一緒に仕事する機会っていうのは必要かもしれないねぇ。みんなにとっても良い刺激になると思うし」

「とはいっても、ナナ達はここを拠点とする地下アイドルですよ? 難しいんじゃないですか? テレビのお仕事を受けるっていうのなら、話は変わってきますけど……」

「テ、テレビはちょっときつい……」

「わ、私も……」

 

 “テレビ”という単語が出てきた途端、輝子と小梅が揃って難色を示してきた。

 

「大丈夫だよ、2人共。テレビの仕事は、よっぽどのことじゃない限り受けないから」

「では、“怠惰の妖精”は如何様に考えておるのだ?」

「そこなんだよねぇ……。何かこう、向こうから来てくれるような感じがあればなぁ……」

 

 コンコン。

 楽屋のドアをノックする控えめな音に、5人全員が一斉にドアへと顔を向けた。

 

「あ、あの! 346プロダクションの神谷奈緒と、北条加蓮です! 本日ライブを拝見致しまして、ご挨拶をさせていただきたく伺いました!」

「あ、奈緒さんと加蓮さん……。来てくれたんだ……」

 

 そしてドアの向こうから聞こえてきた声に、小梅が嬉しそうに顔を綻ばせた。杏が「どうぞ遠慮無くー」と呼び掛けると、ガチガチに緊張した様子の奈緒と加蓮が部屋に入ってくる。そして2人はこの中でも顔見知りである小梅の姿を見つけると、縋るように彼女へと駆け寄っていった。

 

「あっ、小梅ちゃーん! ライブ観たぞー!」

「ど、どうだった……?」

「すっごい良かったよー! 小梅ちゃん、普段と違って凄く格好良かったし! 歌詞がグロかったけど! ――あっ、他の皆さんもお疲れ様です! ライブ、凄く良かったです!」

 

 奈緒が菜々達を見渡して頭を下げると、菜々は「そ、そんな! 奈緒ちゃんみたいな凄いアイドルに褒めてもらえるなんて!」と恐縮し、輝子と蘭子は持ち前の人見知りを発動させて軽く頭を下げる程度に留まった。

 

「そういえば、小梅ちゃんは同じ学校に通ってるから知り合いなんだっけ」

「う、うん……。学年は違うけど、お昼は一緒に食べてる……」

「人気アイドルがたくさんいる学校ですか……。ファンの1人として、ぜひとも見てみたいものですね……」

「菜々さんは17歳なんだから、今からでも通えば良いんじゃないの?」

「い、いやですねぇ杏ちゃん! ナナはウサミン星のミッションがあるから、学校に通う暇が無いんですよ!」

「そういえば、輝子ちゃんと蘭子ちゃんは、アタシ達の学校には通わせないんですか?」

「我が偽りの器が通いし学舎(まなびや)には、我を“友”と慕う者がおるのでな!」

「わ、私はすぐにでも転入しようかと思ったけど……。クラスメイトの1人が『行かないでくれ』って泣きついてきてな……」

「えっ、そうなの?」

「う、うん……。ほら、前に杏さんの所に『アイドルになりたい』って言ってきた、ユリちゃんって子……」

「…………、いたっけ、そんな子?」

「えぇ……」

 

 杏達5人に混ざって楽しげに話す奈緒とは対照的に、加蓮はこの部屋に来たときの緊張した表情で、会話にも参加せずに杏のことをじっと見つめていた。

 そして、

 

「……双葉杏さん、お願いしたいことがあります」

 

 思い詰めたような表情で、杏をまっすぐ見据えながらそう言った。その雰囲気から真面目な話であることを悟った杏は、それでも普段の調子を崩すことなく「んー、何?」と軽い調子で尋ねる。

 そして奈緒や菜々達の見守る中、加蓮が口を開いた。

 

 

「私を、杏さんの劇場に所属させていただけませんか?」



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第13話 『覚悟』

 346プロ本社ビルの一室、チーフプロデューサー室。そこは346プロ設立時のメンバーである武内専用の部屋であり、アイドルと打合せを行うときは大抵この部屋が使われる。

 しかし隣のアイドル専用談話室とドア1枚で繋がっている関係もあって、仕事以外でこの部屋を訪れるアイドルは多い。いや、むしろそちらの方が圧倒的に多いと言っても過言ではなく、遊びたい盛りの年少組ともなれば、たとえ打合せ中だろうが何だろうが容赦無く部屋に入ってくる。そして武内自身はアイドルとの壁をできるだけ排除しておきたいと考えているため、特にそれに対して咎めることはしない。

 しかし中には、本当に大事な話のため部屋に入ってほしくないときもある。そういうときはドアに“重要な打合せのため立入りを禁ず”と書かれた張り紙を貼りつけておけば、根は真面目なアイドル達は素直に大人しくしてくれるのである。ドアの傍で聞き耳を立てる程度のことはするかもしれないが。

 そして現在、部屋のドアにはその張り紙が貼られており、

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 部屋の中央に置かれた応接セットでは、先程から誰も口を開かず、重苦しい空気が部屋の隅々にまで充満していた。

 その空気を作り出した元凶である北条加蓮は、口を固く引き結んではいるがその目に力が宿っており、自分の正面にいる2人を睨みつけるように見つめている。そしてその隣では、彼女と同じユニット“トライアドプリムス”のメンバーでもある神谷奈緒が、非常に居心地悪そうに顔を伏せて床に視線を向けている。

 そんな彼女達の正面に座るのが、“トライアドプリムス”のメンバーであると共にユニットのプロデューサーを務めている渋谷凛と、ユニット以外での3人の活動を包括的にプロデュースしている武内だった。2人共真剣な表情を浮かべて、加蓮の意思を確かめるようにじっと見つめている。

 

「……ふぁ」

 

 そしてそんな4人の横で全員を見渡すように座るのが、この中で唯一真剣な表情を見せずにあくびをする双葉杏だった。傍で見たらまるで無関係であるかのような態度だが、今回に関しては彼女も思いっきり当事者である。

 

「……加蓮、本気なんだね?」

 

 この重苦しい空気を打破して最初に口火を切ったのは、凛だった。彼女の確認するような問い掛けに、加蓮はゆっくりと、しかし力強く頷いた。

 

「凛さん、私は本気だよ。今の自分を変えるために、そして自分の実力を伸ばしていくために、私は杏さんの劇場の一員になりたいと思っている。凛さんや武内さん、それに346プロには迷惑を掛けるかもしれないけど、私の我が儘を許してほしいんだ」

 

 加蓮の言葉に、凛は武内へと視線を向け、武内は首の後ろに手を遣った。

 そして尋ねる。

 

「北条さん……。念のためにもう一度お訊きしますが、北条さんに346プロを抜ける意思は無いと考えて宜しいのですよね?」

「えっ? はい、もちろんです。私がこうしてアイドルとしてやっていけるのも、凛さんや346プロの皆さんのおかげです。そんな人達を裏切るような真似はできません」

「……そうですか、安心しました。先程の言葉を聞いていると、まるで346プロを抜けて双葉さんの事務所に移籍するように聞こえたので……」

 

 武内の言葉に、加蓮はきょとんとした表情で首をかしげた。そんな彼女の仕草に、凛は気が抜けたように大きく息を吐いた。

 そしてそれをきっかけに、凛が加蓮へと尋ねる。

 

「加蓮は、現状に不満を感じてるの?」

「ううん、そんなことはないよ。今のお仕事は凄く楽しいし、やり甲斐も感じてる。――でも、それと同時に『これで良いのかな?』って疑問もあるんだ」

「疑問、というのは?」

 

 そう尋ねたのは、武内だった。

 

「私も奈緒も、凛さんがリーダーを務めるユニットのメンバーとしてデビューしました。最近はそれ以外の仕事も増えてきましたけど、それでも“トライアドプリムス”という看板を背負っています。それが何だか、自分のアイドル活動が凛さんによって守られているように思えて……」

「守られている、ね……」

 

 凛の呟きに、加蓮はこくりと頷いた。

 

「この事務所だけでも私達以外に大勢のアイドルがいて、私達とほぼ同じ時期にデビューして売れている人達も沢山いる。その人達は、色々な活動の仕方があるけど、新人だけのユニットとかソロとかで結果を残している人達もたくさんいる。……そんな中で、凛さんみたいな凄いアイドルの傍にいて活動していると、凛さんの栄光にあやかっているだけのような気分になってきて――」

「北条さん、そんなことはありません。北条さんも神谷さんも、確かな実力があるから渋谷さんと一緒のメンバーとして活動できるのです。半端な実力の方に、この役目は務まりません」

「そうだよ。私が新しくユニットをやろうと思ったのだって、2人のレッスンしている様子を見て『この2人となら、何か新しくて面白いことができるかもしれない』って思ったからなんだ。最初からユニットの話があったわけじゃないんだよ」

 

 加蓮の言葉を即座に否定する武内と凛だが、それでも加蓮の表情が晴れることはない。

 

「……ありがとうございます。多分2人は、本気でそう思ってくれているんだと思います。でも、私自身がこのままでは納得できないんです。――この間、杏さんの劇場に出演しているアイドル達を見て確信しました」

 

 加蓮の口から杏の名前が出てきたことで、その場にいる全員が杏へと視線を向けた。しかしそれでも杏が気の抜けた表情を引き締めることはなく、ちらりと加蓮の方を見遣るだけに留めている。

 

「出演している4人全員が、自分でライブを盛り上げる方法を一から考えていて、たった1人で舞台に立ってそれを実行しています。さらには自分達で曲を作ったり、ネット上の企画を自分達で考えたり、お客さんと直に接して反応を見たり……。正直、私のやっていることとはまるで違うと思いました……」

 

 加蓮の話を聞いている内に、納得がいったのか武内が頻りに頷いた。

 

「成程、よく分かりました。つまり北条さんは、彼女達の“自主性”に惹かれたということですね。だからこそ、私達のプロデュースを受けるのではなく自分のアイデアで、ファンの皆さんを盛り上げたくなった、と。――しかしそれならば、わざわざ双葉さんの劇場に所属しなくても、我々346プロでもそのような場を用意することができます。それでは駄目なのでしょうか?」

「……自分でも上手く説明できないですけど、それだけが理由じゃないんです。多分私は彼女達のライブを観て、彼女達とファンとの“距離感”にも惹かれたんだと思います」

「距離感、ですか」

 

 加蓮の気持ちを確認するような武内の問い掛けに、加蓮は力強く頷いた。

 

「この前のアリーナツアーのような凄く大きなライブも、私にとってはとても貴重な経験だし、確実に色々なものが掴めた大きな仕事でした。……でも杏さんの劇場みたいな、マイクを使わなくても声が届くくらいに狭い会場で、ファンの人達と手が触れ合うくらいに近くでライブをするあの光景が、私にはとても羨ましく思えたんです」

「…………」

 

 加蓮の言葉は、凛にも少なからず身に覚えのある感情だった。“New Generations”として、そしてソロアーティストとして華々しい活動を行ってきた凛だが、ライブ会場が大きくなるごとにファンとの距離が物理的に広がっていき、それに伴って精神的な距離感も広がっていくような気分になるときがある。

 しかしその感情は凛に限ったことではなく、特に多田李衣菜はその感情が爆発したのか、200人ほどしか入れないような小さなライブハウスを中心に全国を飛び回り年間300公演をこなす、という激烈なライブ活動を行っていた時期もある。結局はライブを観られるファンが少なくなってしまうという理由で元の活動形態に戻ったが、今でもそのような感情に駆られることがあると愚痴を零しているのを聞いたことがある。

 

「……とても虫の良い頼みだっていう自覚はあります。大手の346プロに所属しながら、杏さんの劇場にも参加させてほしいなんて言うんですから。でも、私の気持ちは本物です。雑用でも何でもやりますから、私を劇場の一員にしてもらえませんか?」

 

 加蓮がそう言って頭を下げると、凛や武内、そして奈緒も一斉に杏へと向き直った。そのときになってようやく、杏は怠そうなその目つきをほんの少しだけ細めて加蓮をじっと見つめる。それを受けて立つかのように、加蓮も杏の目をじっと見つめる。

 そして杏は、ふいに武内へと視線を移し、そして再び加蓮へと戻した。

 

「条件を呑んでくれるんなら、加蓮ちゃんを劇場の一員にしても良いよ」

「……条件?」

 

 不敵な笑みで話を切り出す杏に、加蓮だけでなく傍で聞く凛達も不安げな表情を浮かべる。

 4人分の視線を一身に受けながら、杏は口を開いた。

 

 

「加蓮ちゃん、346プロを辞めてくれる?」

 

 

「――――!」

「ちょっと、杏――」

「もちろん、期間限定でね」

「…………」

 

 思わず立ち上がりかけた凛だったが、杏の次の言葉を聞いた瞬間、凛はばつが悪そうに口を尖らせて座り直した。

 

「……双葉さん、どういうことでしょうか?」

 

 そしてその代わり、というわけではないだろうが、武内が杏へと身を乗り出してそう尋ねた。

 

「単純な話だよ。そんなに杏の劇場を良く思ってくれるんなら、しばらく346プロの仕事を休止して、がっつりと関わってもらった方が良いと思ったからだよ。――それにこっちの方が、“企画”として分かりやすいでしょう?」

「企画?」

 

 杏の口から飛び出したその単語に首をかしげる凛だったが、武内はどうやらピンと来たようだ。

 

「346プロから一時的に移籍して、双葉さんの劇場で“武者修行”ということですか?」

「そう。――凛、確か何ヶ月か先にソロのツアーの予定があったよね?」

「えっ? うん……、半年くらい先に始まって、3ヶ月くらい掛けて回るつもりだけど……」

「よし。じゃあ、それを目処にしよう。凛がソロツアーの準備に入るのと同時に、加蓮ちゃんが一時的に杏の事務所に移籍する。んで、劇場で色々やって自分の実力を高めていって、凛のツアーが終わったタイミングで346プロに復帰。最終的にどれくらい成果があったのか確かめるために、“トライアドプリムス”としてライブをすれば明確な“ゴール”になって分かりやすいんじゃない?」

 

 杏の提案した“企画”に、武内が顎に手を添えて真剣に考え込む。

 

「ふむ……。そうなると、双葉さんの事務所は色々と都合が良いかもしれませんね。双葉さんと私達は事務所は違えど近しい関係ですし、アイドル達を通じて普段から共に仕事をしています。ファンの皆さんも、これを“イベント”としてすんなりと受け入れてくれるかもしれません」

「イベント専用のホームページを作って、そこで活動報告として毎日ブログを更新すれば、よりイベント感を演出できるかも」

「成程、それでしたら――」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 本人そっちのけで互いにアイデアを出し合う杏と武内に、加蓮が慌てた様子で割り込んだ。2人は会話を止めて彼女へと視線を向けると、思い出したように「あっ」と口を開いた。

 

「えっと……、2人共、私が劇場に所属するのに賛成……ってことで良いんでしょうか?」

「はい。私自身としましては、本人の意思を最大限尊重したいと思っております」

「杏も構わないよ。加蓮ちゃんみたいに、テレビで活躍するアイドルと一緒に仕事するのも、あの子達にとって良い経験になるかな、って思ってたところだし。――まぁ、後は凛がオーケーを出すかどうかだけど」

 

 杏がそう言って、先程から真剣な表情で考え込む凛へと視線を向けた。それに釣られるように、加蓮も彼女へと向き直る。

 加蓮が凛をじっと見つめている間、凛は何かを悩んでいるような表情を見せていた。

 そうして1分ほど経った頃、凛がゆっくりと口を開いた。

 

「……うん、分かった。私も興味があるからね。一回り成長した加蓮と一緒にやる“トライアドプリムス”が、どういうものになるのか」

 

 凛のその言葉を聞いて、加蓮の表情が晴れやかなものとなった。もちろん、凛と武内が認めたからといって、即座にこの“企画”が実現するわけではない。他のスタッフや上層部との会議を重ねて、実際にゴーサインを出すかどうかを決定する。つまり、その段階で企画が承認されずに頓挫する可能性もある。

 しかし一先ずは“第一関門突破”だ。加蓮が喜びを顕わにするのも不思議は無い。

 

「これからよろしくお願いします、杏さん!」

「まだ正式に決まったわけじゃないけどね? まぁ、そのときはよろしく」

 

 がばりと立ち上がって勢いよくお辞儀をする加蓮に、苦笑いにも似た笑みを浮かべてそれに応える杏。

 

「…………」

 

 そんな2人を、凛は何かを隠すような複雑な表情で見つめ、

 

「…………」

 

 今までずっと黙って事の成り行きを見守っていた奈緒は、そんな凛を心配そうな表情で見つめていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 レッスンルームのすぐ傍には、ちょっとした休憩スペースがある。ソファーが壁際に並んで設置され、通常よりも安い値段設定になっている自動販売機で飲み物を買うこともできる。

 そして現在そこには、武内や杏を交えた打合せが終わった凛が1人でソファーに座っていた。先程買ったばかりであろう飲み物を片手に、ぼんやりとした目つきで何かを考え込んでいる。

 しかしそれも、こちらに近づいてくる足音に気づいたことで中断された。

 

「どうしたの、奈緒?」

「……凛さん、ちょっと良いか?」

 

 その足音の正体である奈緒に凛が呼び掛けると、彼女は気まずそうに視線を逸らしながらそう尋ねてきた。凛はフッと笑みを浮かべて、自分のすぐ隣をポンポンと叩く。それだけで意図を汲み取った奈緒は、少々遠慮がちにそこへと腰を下ろした。

 そのまま会話を交わさずに1分ほど経ち、最初に口を開いたのは凛の方だった。

 

「いきなりだったから、びっくりしちゃったよ。加蓮があんな風に思っていたこと、奈緒は気づいてたの?」

「えっと……、少し前から変だなとは思ってたけど……、具体的に何を考えてるのかは分からなかったかな……?」

「そっか……。つまり、気づいていなかったのは、私だけってことだね……。これじゃ、2人のプロデューサー失格だね……」

 

 自嘲するような笑みでそう言う凛に、奈緒は苦しそうな表情を浮かべるも、何と声を掛ければ良いのか分からなかった。普段は自分を力強く引っ張ってくれる頼もしい存在である凛も、このときばかりはとても小さく見えた。

 

「杏達と話してるときに、私が言ったことを憶えてる? 私がユニットを組むのを決めたのは、奈緒と加蓮がレッスンしているのを見て、何か新しくて面白いことができるかもしれない、って思ったからだって」

「……うん。凄く、嬉しかった」

「でもそれって今振り返ったら、自分のことしか考えていなかったのかもしれない。そのせいで、まだ自分のカラーも定まっていなかった2人の将来を狭めちゃったのかな……」

「そ、そんなことない!」

 

 凛の言葉に、奈緒は思わず立ち上がってそう叫んでいた。あまりの大声に、凛は目を大きく開けて驚いている。

 

「アタシ達の同期で“奇跡の10人”と一緒に活動している夏樹達はさ、アタシ達とは違って李衣菜さんと“真っ向勝負”を挑んでる感じがするんだ。自分達で曲も書いてるし、4人が主役になっている曲もある。――トライアドプリムスでもアタシ達がセンターになる曲はあるけど、やっぱり心のどこか凛さんに頼りきっている部分があったんだと思う。それは凛さんのせいとかじゃなくて、アタシ達がもっと積極的に意見を言えるようにならないと駄目なことなんだ」

「奈緒……」

 

 胸の前で両手を握りしめながらの奈緒の熱弁に、凛は縋るような表情でそれを見上げていた。

 

「さっきの加蓮の話を聞いて、アタシもようやく分かったんだ。アタシもそろそろ、“トライアドプリムスの神谷奈緒”ってイメージから抜け出さなくちゃいけない、って。――あっ! 別にトライアドプリムスを辞めたいとかそういうんじゃなくて、もっと独り立ちできるようにならないとって意味で! いや、それだと凛さんのプロデュースから離れたいって意味に聞こえるけど、全然そういう意味じゃなくて――」

 

 あたふたと慌てながらどんどんボロボロになっていく奈緒に、凛は可笑しいのを堪えきれないようにプッと吹き出した。それは奈緒がここに来てから初めて見た、凛の心からの笑顔だった。

 そんな彼女の笑顔を見て、奈緒は落ち着きを取り戻したのか、ゆっくりと深呼吸をしてから言葉を続けた。

 

「つまりアタシが何を言いたかったかっていうと……、今回の加蓮の行動は凛さんから離れたいと思ったからとかじゃなくて、むしろ凛さんの力になりたいと思ったから、あえて凛さんから離れていったっていうか、その――」

「大丈夫だよ、奈緒。加蓮の気持ちは、私にもしっかりと伝わってるから」

 

 穏やかな笑みでそう答える凛に、奈緒はホッと胸を撫で下ろして元の場所に座った。

 そんな奈緒を見つめながら、凛が再び口を開いた。

 

「ねぇ、奈緒。お願いがあるんだ」

「ん? 何だ?」

 

 凛の笑顔を見たからか、同じく笑顔になった奈緒が首をかしげる。

 

「……奈緒も加蓮と同じように、杏の劇場に一時的に所属してもらえるかな?」

 

 しかし凛のその一言で、奈緒の笑顔が固まった。

 

「えっと……、なんでだ?」

「今回の“企画”は内容としては面白いけど、346プロがそれにゴーサインを出す可能性は正直五分五分だと思う。本人の考えはともかく、世間では加蓮は順調にトップへの階段を駆け上がってる売れっ子アイドルだから、今のまま売り出しても何の問題も無い。だからこういう企画にそれほど必要性を感じないかもしれない」

「……それで、なんでアタシが一緒に参加することになるんだ?」

「トライアドプリムスのイメージがあるから、奈緒と加蓮はセットで見られることが多い。だから加蓮が1人で移籍するよりは奈緒も一緒に移籍した方が、企画として面白くなると思うんだ。そうなれば、346プロもゴーサインを出す可能性が大きくなると思う」

「そういうもんなのか……」

「それに加蓮にとってはまったく知らない場所ではないとはいえ、たった1人で新しい事務所に所属するっていうのは心細いと思う。奈緒が一緒にいてくれれば、加蓮も心強いんじゃないかな? ――もちろん、奈緒にその気が無いんだったら無理強いはしないけど」

 

 凛がそう言って奈緒の方を見遣ると、彼女の表情には迷いの色が浮かんでいた。

 しかしそれは、凛の頼みを引き受けるかどうかで悩んでいるのではなかった。

 

「……杏さんは、アタシのことを受け入れてくれるのかな?」

「大丈夫。奈緒も充分魅力的なアイドルだし、私が杏を絶対に説得してみせるから」

 

 まっすぐ奈緒を見つめてそう答える凛に、奈緒は照れ臭そうに頬を紅く染めていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 346プロでの打合せを終えた杏は、武内の運転する車に乗って自宅まで送ってもらっている最中だった。助手席の窓から空を見上げれば、すっかり傾いた太陽が空を真っ赤に染め上げている。

 

「ありがとうございます、双葉さん。北条さんの気持ちを汲んでくださって」

「まぁ、加蓮ちゃんみたいなアイドルと仕事をしてみたかったのは事実だからね。こっちもこの企画を通して、もう一回り成長させてもらうとするよ」

「しかし、こちらがお願いしておいて何なんですが、本当によろしいのですか? 双葉さんの劇場と北条さんとでは、アイドルとしての方向性がまるで違うように思えます。北条さんがやって来ることで、劇場の空気が壊れてしまうといったことが起こらないとも限りません」

「今のメンバーだって、最初から方向性を決めて集めたわけじゃないよ。見込みがありそうな子を集めてたら、自然と今の雰囲気になったってだけ。もっと色々なアイドルがいても良いと思うし、もし加蓮ちゃんが来ることで何か問題が起こりそうなら、そのときにまた改めて考えていけば良いんだよ」

 

 窓の景色を眺めながら杏がそう答えるのを、武内は物珍しそうな表情で見つめていた。運転中に視線を逸らすことはできないので、あくまで視界の端に捉えておく程度ではあったが。

 しかしそんな些細な行動でも、すぐ隣にいる杏には筒抜けだった。

 

「……どうしたのさ、プロデューサー」

「いえ……。双葉さんも、すっかりプロデューサー業が板に付いてきたのだと思いまして」

「そりゃあ、今の杏には4人のアイドルの人生が掛かってるからね。もっと多くなるのかもしれないけど、それでもプロデューサーの方がもっと人数が多いでしょ?」

「人数は関係ありません。私も双葉さんも、とても重い責任のある仕事であることに変わりはありません。しかしその分、やり甲斐も達成感もより一層大きいと思っています。――双葉さんは、今の仕事を楽しいと思えていますか?」

 

 武内の質問に、杏はちらりと彼の方へ視線を向けて、

 

「……まぁ、退屈はしていないかな」

 

 ぶっきらぼうに、そう答えた。その顔が少し紅く染まっているように見えるのは、きっと窓から差し込む夕日のせいなのだろう。

 と、そうこうしている内に、杏の自宅であるマンションの近くまでやって来ていた。角を曲がれば正面玄関に差し掛かるといったところで、武内は路地の端に車を停めた。

 

「近い内に、またお会いしましょう。仕事でも、そうでなくても」

「多分、仕事の方が先になるんじゃないかな? 今、蘭子ちゃんのライブを新しくしている最中でね。前作の主役だった勇者をまた出演させることになりそうだから、プロデューサー、そのときは勇者役よろしくね」

 

 杏がそう言うと、武内は露骨に嫌そうな顔をした。

 

「正直、カメラの前で演技するのは、未だに慣れないのですが……」

「演技って言っても台詞は無いんだし、この前みたいにちゃんと顔は映さないようにするから大丈夫だって」

 

 もっとも、ライブで映像を観たファンの中には体つきだけで武内だと特定した者もおり、ネットでは既に勇者役の正体が武内であることはほぼ確定的となっていた。当然武内もそれを知っているからこそ余計尻込みしているのだが、既に勇者役を演じてしまっている以上、ここで配役変更というわけにはいかない。

 

「何事も挑戦だよ、武内くん。――それじゃ、送ってくれてありがとね」

 

 助手席から降りた杏は、いたずらっぽく笑いながらそう言ってひらひらと手を振った。武内が頭を下げるのを確認して、杏はくるりと振り向いて正面の角を曲がっていった。

 物理的にも家賃的にも“中堅”という評価がしっくり来る、しかしセキュリティだけはやたらと厳重なマンションが、杏の視界に飛び込んでくる。おそらく現在は自分の家に居候しているアイドル達が、夕飯の準備をしながら自分の帰りを待っていることだろう。

 それを想像しながら、杏はマンションの正面玄関へと視線を移し、

 

「――ん?」

 

 その玄関の前で1人の少女がぽつんと立っているのが見えた。ぼさぼさの長いミルク色の髪を緩く纏めたその少女は、小学校の中学年くらいに見えるほどに幼い顔つきと体つきをしている。そんな彼女はどこにも焦点の合ってないような目つきで、ぼーっと前を見つめていた。

 杏はその子が気になったものの、誰かと待ち合わせしているのだろうと結論づけ、その子のすぐ脇を通り過ぎていった。エメラルドグリーンの眠そうな瞳がじっとこちらを見つめているが、杏はそれを無視して玄関へと進んでいく。

 最新のセキュリティシステムのパネルに部屋の鍵を当てて、正面玄関のロックが解除される。

 小窓から玄関を覗く警備員に挨拶をしながら、正面のエレベーターへと進んでいく。

 そして、服の裾を後ろから引っ張られる。

 

「……え?」

 

 不審に思った杏が振り返ると、先程擦れ違った少女が、じっとこちらを見つめながら杏の服の裾を掴んでいた。

 

「……えっと、何か用かな?」

「こずえ、あんずといっしょー……」

「……えっと、どこから来たのかな?」

「うーん……」

「誰かと一緒じゃなかったのかな?」

「うーん……」

「…………」

 

 その少女(どうやら名前は“こずえ”というらしい)に何を訊いても要領を得ず、杏はとうとう質問を止めてしまった。こんな状況に出くわしたことのない杏は、どうして良いのか分からずに冷や汗を流している。

 

「……仕方ない。とりあえず、部屋に連れていくか」

 

 このまま放っておくと危ない気がした杏は、入口の警備員に「誰かがこの子を捜してるようだったら連絡するように」と言付けしたうえで、こずえと名乗ったその少女を連れてエレベーターへ向かうのであった。



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第14話 『表裏』

 346プロは毎週金曜日の午後に、プロデューサーや上層部を交えた会議が開かれる。それぞれのプロデューサーが提案したプロジェクトをプレゼンしたり、所属アイドルの売り出し方を議論するのが主な内容であり、いわば346プロのアイドル達の活動を決定づける場となっている。

 346プロを動かす者達が一堂に会する場だけあって、若手の社員はこの会議に出席するだけでも吐き気がするほどの緊張に襲われるという。今回は初参加となるその新入りプロデューサーも、自分がプレゼンするわけでもないのに顔を真っ青にしてガチガチに緊張していた。

 そんな中、新人はふと部屋の一番奥へと視線を向けた。

 部屋の上座に位置する場所に横並びで座る、3人の男女。

 その内の一番廊下側の席に座る、この業界においてはまだまだ若手と称される年齢の男性。しかし彼にとってはその男性こそが、中央に座る30代後半から40代ほどの女性よりも、そしてその彼女よりも年上に見える初老の男性よりも緊張する相手であった。

 その男性――武内は、まさにその新人にとって憧れの存在であった。自分が学生の頃に夢中になった“奇跡の10人”をプロデュースしたことで頭角を表し、数年前まで無名どころか存在すらしていなかった346プロをここまでのし上がらせ、その後も数々のアイドルをヒットさせた時代の寵児である。本屋に行けば彼のプロデュース術から読み解いた経営学の本が並び、ビジネスをテーマとする番組では必ず取り上げられるほどの逸材だ。

 そんな彼に憧れて、新人は346プロへと入社した。数々の企業を傘下に置く美城グループの中でも、346プロは現時点で最も就職の倍率が高いことで知られている。当然過酷な戦いであったが、彼は見事にその座を勝ち取った。そして現在、そんな彼と一緒の部屋で仕事をしている。彼にとって、これ以上の幸せは無かった。

 

 そんな彼の思惑とは無関係に、会議は順調に進行していった。ソロで活躍するアイドルの新ユニットデビュー案、逆にユニットでデビューしたアイドルのソロデビュー案、はたまた合同プロジェクトとして複数のユニットを合体させる案といった、アイドルの活動スタイルに直結する話はもちろん、アイドル自身がプロデュースした商品を美城グループの別企業で販売するといった、グループ企業だからこそできるプロジェクトについても議論が成された。

 そして幾つもの議案が話し合われ、いよいよ本日最後の議案となった。

 

「それでは最後、“北条加蓮と神谷奈緒の武者修行プロジェクト(仮)”について」

 

 司会進行を務める事務スタッフの言葉で、部屋の中の空気により一層緊張感が走った。そんな緊張感の中、平時と変わらぬ表情で武内がその場で立ち上がる。

 

「詳しい内容につきましては、事前にお配りした資料の通りです。北条さんは以前から自身の活動方針に対して疑問があり、自身のアイドル活動が渋谷さんの人気にあやかったものではないか、という疑念がありました。これはファンの一部の間でも囁かれているイメージであり、今回はその疑念を払拭する目的も兼ねて、346プロを一時的に離れて双葉さんの事務所である208プロに移籍し、208プロの主宰する劇場“アプリコット・ジャム”の公演に参加するという内容です」

 

「なぜわざわざ346プロを離れる必要があるのでしょうか? 346プロでそのような場を設けることも可能なのでは?」

「1つは本人が双葉さんの劇場に魅力を感じており、自主的に参加したいと申し出たためです。本人の希望と活動方針が一致したときに最大の効果を発揮することを、私は経験則で知っています。また今回の企画の場合、劇的な環境の変化であるほど効果が高くなると思われます」

 

「2人共、もはや1万人規模の会場を満杯にするほどの売れっ子です。そんな彼女達を数ヶ月にもわたって別の事務所に移籍させるというのは、346プロにとっても大きな損失になるのではないでしょうか?」

「短期的に見れば、その通りです。しかし彼女達はデビュー以来“トライアドプリムス”で活動しており、現在の世間のイメージはそれで固定されています。ここで劇的なイメージの変化を行い、彼女達の活動方針に幅を持たせることができれば、長期的に見てより高い利益を生み出すことができると考えています」

 

「しかし今回移籍することになる事務所の劇場は、数百人規模のとても小さなものです。そのような場所で公演を行うとなると、混乱をきたす可能性もあると思うのですが」

「現在劇場では休日のみの公演となっていますが、所属アイドルが増えていけば将来的には平日にも開催する意向であると、双葉さんから伺っております。既に所属しているアイドル達との兼ね合いもあるのでなかなか難しい問題ではありますが、いかに来場客を分散させるかについても含めて、現在双葉さんと入念に協議を重ねているところです」

 

 次々と繰り出される質問に、武内はスラスラと受け答えしていった。ここで注目すべき点は、彼に質問をしている者達の中には、彼の直属の部下として働く後輩の姿も見られることだ。

 346プロをここまで大きくした武内ではあるが、彼は常々、自分の提案を誰もが反論することなく受け入れるようになることを恐れていた。アイドルプロデュースというのは様々な人間の目で見たうえで判断されるものであり、断じて1人の考えのみで動かすべきではないと考えている。スタッフが自分と事務員的な立場のちひろ、そして社長のつかさしかいなかった頃も、武内は彼女達と、そしてアイドル本人ともよく話し合っていた。

 しかし後輩にとっては、多大な実績を挙げている先輩に意見を述べるというのは躊躇われることであり、特に彼に憧れを抱いて入社した者は尚更である。別の先輩から遠慮無く意見を述べるように言われたその新人は、目の前で繰り広げられる議論に右往左往するのみで口を挟むどころではなかった。

 そうこうしている内に、議論も終盤に差し掛かった。武内の流暢な受け答えもあってか、参加者の中には容認される空気が漂っている。

 

「他に意見のある方は、挙手を願います」

 

 司会進行のその声に、手を挙げる者はいない。

 このまま賛否を募る流れになるか、と誰もが思ったそのとき、

 

「――は、はい!」

 

 新人がプルプルと震えながらの挙手と共に声をあげたことで、部屋中の視線が一気にこちらを向いた。憧れの武内だけでなく、彼の隣に座る上層部の女性もこちらをじっと見つめている。

 

「え、えっと……」

 

 最初は緊張と不安で喉が押し潰されていた彼も、何回も深呼吸した後に改めて口を開いた。

 

「わ、私は、“トライアドプリムス”を、とても魅力的なユニットだと思っています。そ、そこに所属する3人のアイドルも、私はとても大好きです。こ、今回の移籍を経て、その魅力が損なわれることにはならないのでしょうか?」

 

 意見を述べている間、彼は勇気を振り絞ろうと全身の力を込めていたために目を瞑っていた。そして意見を言い切った後、彼は恐る恐る武内へと顔を向けた。

 武内は、口元に笑みを浮かべていた。

 

「もちろん、今までの“トライアドプリムス”を大事にしてくれているファンの皆さんにも配慮していくつもりです。今回の企画は、ファンの皆さんが大事にしてくださっている既存のイメージに加え、彼女達の新しい魅力を提案していくためのものだと考えています。その両立は非常に難しい問題ではありますが、確かな実力のある彼女達ならば乗り越えられると確信していますし、彼女達を手助けしてくださる双葉さんのことも、私は信頼しています。――魅力的だと仰っていただき、誠にありがとうございます」

「……はい!」

 

 全身から抜けていく緊張感と、憧れの存在に礼を言ってもらえたという達成感のせいか、勢いは良いものの実に気の抜けた返事となってしまっていた。

 

 

 

 会議を終えて自分の部屋へと戻った武内は、会議で使用した資料を片づけていた。戸棚や机の引き出しはアイドルごとに明確に分けられており、彼の几帳面な性格を表しているその光景はある意味壮観である。

 資料をしまい終えた武内は、スマートフォンを取り出しながら窓へと目を遣った。窓の外は太陽が落ちてすっかり暗くなっていた。なので武内は通話へと伸ばしかけていた指をメールへと移し、今回の会議の結果を奈緒と加蓮、そして杏の3人にメールで送信した。詳しい打合せは、明日以降に行うことにする。

 さて、それでは別の案件を片づけることにしよう、と武内が思い至ったかは定かではないが、彼は机の上に置いてあったパソコンの電源を入れた。速やかにデスクトップが表示され、武内はファイルの1つを開いて作業を――

 コンコン。

 

「どうぞ」

 

 ドアをノックする音に武内が即座に呼び掛けると、ドアが開いて来客が姿を現した。

 

「すまない、失礼する」

「邪魔するよ、武内くん」

 

 部屋の中へ足を踏み入れた2人の人物に、武内は無意識の内に立ち上がって出迎えた。

 1人は30代後半から40代ほどと推測される女性で、黒い長髪をきつく縛ってハッキリとしたメイクをしている外見から、バリバリのキャリアウーマンという印象を受ける。一方もう1人は彼女よりも年上であろう男性で、その眼鏡の奥から覗かせる目は優しく細められており、女性とは対照的に柔らかい印象を受ける。

 

「美城常務に、今西部長……」

「すまないね、突然押し掛けてしまって」

 

 役職としてはチーフプロデューサーの自分よりも上司である2人の訪問に、彼は恐縮した様子で腰を折って頭を下げ、今西はその穏和な笑みで謝罪を口にしながら応接用ソファーに腰を下ろした。彼と一緒に来た美城もその隣に座り、流れとして武内も2人の正面に座った。

 

「どのようなご用件でしょうか? ……もしや、北条さんと神谷さんの件で何か――」

「いや、それに関しては私から反対意見は無い。無条件で賛成というわけでもないが、懸念事項は会議でも粗方出ていたし、それに対する答えも納得のいくものだった。そもそも何かあれば、会議のときに話している」

「私と美城くんがここに来たのは、まぁ、ちょっとした“世間話”のつもりだと思ってくれて構わないよ」

「は、はぁ……」

 

 2人の言葉に、武内は首の後ろに手を遣りながら答えた。彼がこの仕草をするときは大抵困っているときであり、つまり彼は現在そんな心理状態であった。

 しかし、彼がそう思うのも無理はない。

 346プロが現在の場所に移転するに伴い大幅な人員増強が図られたとき、その大半は新人採用によるものだったが、美城グループの会社から桐生つかさ社長直々に社員をピックアップして引き抜いた者も大勢いた。それこそ、過去の武内のように。

 当然ながら、そのような経緯で346プロに入ってきた者は粒揃いの優秀な人間だ。中にはあまりに優秀すぎてその部署では鼻つまみ者として扱われていた者もいたが、その後も続く346プロの快進撃を見るに、つかさの見る目は間違っていないようである。

 

 その中でもこの2人は、特に優秀な人間だった。

 美城はその名字からも分かる通り、美城グループの現会長の親戚筋の人間だ。しかし彼女がここまでの地位に上り詰めたのは、何もそのコネによるものではない。工業系産業や出版社や銀行、さらには私鉄の経営などでその名を轟かせてきた美城グループが、大人の女性向けコスメ会社やファッションブランドといった業界でも成功できたのは、ひとえに彼女の手腕によるものだ。

 そして今西はそれとは対照的に、元来美城グループが得意としてきた既存産業でその力を発揮してきた。今ではすっかり好々爺の雰囲気が似合う感じになったが、昔はその名を聞いただけで競合会社だけでなく身内すらも震え上がるほどに暴れ回った“豪傑”として語り草となっている。

 どちらも“将来の会長候補”として名前が挙がっているだけに、そんな2人が自分の部屋をこんな時間に訪ねてきたとあっては、武内としては警戒せざるを得なかった。つかさからは『おまえだって、このままのペースで行けば会長だって普通に狙えるからな』と言われているが、だからといって2人に対して物怖じするなというのは無理な相談だ。

 

「さっきの会議を見てても感じたけど、君は後輩に慕われているようだね。実に良いことだ」

「そうですか……。ありがとうございます」

 

 今西の素直な賞賛に、武内は頭を下げて礼を言った。本題を切り出すための“前振り”であることは分かっていても、武内は自分の警戒心が先程より薄れていくのを自覚する。

 それを見越してか、美城が口を開いた。

 

「君は“奇跡の10人”、とりわけ双葉杏に対して絶対の信頼を置いているように思える」

 

 その言葉に武内は一瞬だけ緊張を顕わにするが、すぐさま真剣な顔つきになって2人をまっすぐ見据えた。

 美城は内心それを面白く、しかし表情には一切の変化を出さずに話を続けた。

 

「君達が“奇跡の10人”として芸能界を席巻し始めた頃、我々はあくまで外の人間だった。当時の君達にどのような信頼関係があったかを完璧に理解するのは不可能だし、そもそも我々がそれに口を出すべきではないだろう。――しかし私個人の直感として、どうしてもこれだけは君に伝えておきたかったことを理解してほしい」

「……何でしょうか?」

 

 美城の意味深な前振りに、武内はその目つきをさらに鋭くさせた。普通の人間なら彼の強面(こわもて)も相まって震え上がるところだが、美城は至近距離で彼の顔を見ても顔色一つ変えることはない。そして彼女の隣に座る今西は、口を挟むつもりは無いのか黙ってその様子を見守っている。

 そんな中、美城が口を開いた。

 

 

「――双葉杏は、君が思っているような人間ではない」

 

 

「――――!」

 

 その言葉に、武内の目が見開いた。一瞬だけ拳を固く握りしめて、しかしすぐにそれを解いた。

 

「……なぜ、そう思われるのでしょうか?」

「気を悪くしたのならすまない。彼女と直接関わったことのない人間の意見だ、聞く価値も無いと思ったら軽く聞き流してくれて構わない。――しかし彼女の過去の資料を読んでいると、私の抱く印象と君の話から推測される印象に齟齬がある」

「……彼女だけでなく、全ての人間は一言で言い表せるほど単純なものではありません。違った見方をすれば違った結果になることは、往々にしてあることだと思われます」

「ああ、その通りだ。しかしだからこそ、我々はそれを見越したうえで信用すべきものとそうでないものを振り分ける必要がある。――君は憶えているか? ちょうど双葉杏がアジアツアーを始める頃、当時芸能界で大きな力を持っていた広告代理店の社長が逮捕された事件を」

「……ええ、憶えています」

「そうか、ならば訊こう。――それが発覚する発端に、君達が関わっていたのではないのか?」

「…………」

 

 美城の問い掛けに、武内は彼女から視線を逸らすことなく、何も答えなかった。

 

「勘違いしないでほしい。事件自体は事実であり、彼が逮捕されるのに充分なほどに許されざるものだ。だから仮に君達が関わっていたとしても、それを咎める意図は私には無い。――しかし君はそのとき、彼女の()()()()()()()を垣間見たんじゃないか?」

「…………」

 

 美城からの質問に、またしても無言で答える武内。

 そして、そんな2人を黙って見守る今西。

 部屋中に重苦しい空気が充満してくる頃、美城はふいにその場から立ち上がってドアへと歩いていった。

 

「すまない。責めているつもりは無いんだ。しかし、これだけは心に留めてほしい。――双葉杏の行動理念は、あくまで彼女自身によって形成されたものだ。たとえどれだけ似ていようと、君の理念ではない」

「……重々、理解しているつもりです」

「ならば良い。邪魔したな」

 

 美城はそう言い残すと、ドアを開けて部屋を出ていった。がちゃり、と音がしてドアがしまったタイミングで、今西が「よっこらしょ」と呟きながらゆっくりと立ち上がった。

 

「彼女も、彼女なりに君を心配してああ言っているんだ。責めないでやってくれるかな?」

「責めるだなんて、そんな……」

「僕がここに来たのは、本当は()()()()()()()()()()()()の活動について君に訊きたいことがあったからなんだが、そんな雰囲気ではなくなってしまったようだね。また明日にでも伺うとするよ」

 

 お疲れ様、と言い残して部屋を出ていった今西の背中を、武内は頭を下げて「お疲れ様です」と見送った。

 そうして頭を上げたときの彼の表情は、傍目で見ても真意の読み取れるものではなかった。

 

 

 *         *         *

 

 

「さてと……、これからどうする?」

「…………」

 

 その場に呼び掛けた杏の問い掛けに、答えられる者はいなかった。彼女達の視線は、目の前にいるクリーム色の少女に集中していた。そして当の本人は、状況がよく分かっていないのかきょとんとした表情で首をかしげていた。

 その少女は、数日前に杏がマンションの玄関で拾ってきた(というよりも拾わされた)こずえだった。

 最初は彼女の保護者が迎えに来るまで預かる予定だったのだが、数日が経過してもそのような人物が現れる気配が無かった。それにも関わらずこずえは不安そうな表情を見せることなく、無表情なのかボーッとしているだけなのかよく分からない表情をまるで崩さない。そもそもこの数日間、彼女から感情らしきものが一切見られなかった。

 とりあえず何か情報を得るべく、この数日間こずえ本人に色々と尋ねてみた。しかし、彼女達の誰もがこずえを持て余している様子だった。元々人見知りの激しい輝子・小梅・蘭子はともかく、他の3人よりも世話好きで母性が強い(けっして他意は無い)菜々でさえ同じような状況である。

 しかしそれは、仕方ないといえば仕方ない事情があった。

 

「色々と質問してみて、分かったのは“遊佐こずえ”って名前と11歳って年齢だけというのは、さすがにちょっと困りましたね……」

 

 困ったように眉を寄せてそう言ったのは、先程まで杏達を代表してこずえと会話をしていた菜々だった。その表情には、明らかに疲れが表れている。

 いや、“会話”と表現するのも怪しいかもしれない。なぜなら、菜々がどれだけ一生懸命話し掛けても、こずえは何を訊かれているのかすら分からない様子で首をかしげるばかりなのだから。

 一例を挙げるとすると、

 

「こずえちゃんは、どうやってここまで来たんですか?」

「……んー?」

「誰かと一緒に来たんですか? それとも1人?」

「……わかんなーい」

「パパとママは、今どうしているんですか?」

「……んー?」

「パパとママは、どんな人?」

「……わかんなーい」

「パパとママのこと、好き?」

「…………」

「こずえちゃんは、何て名前の学校に通っているんですか?」

「……んー?」

「こずえちゃんは、普段何をして遊んでいるんですか?」

「……わかんなーい」

「こずえちゃんの趣味って何ですか?」

「……しゅみって、なーに?」

 

 まさに“暖簾に腕押し”状態だ。いや、暖簾の方がまだ手の感触があるだけマシかもしれない。菜々がとうとう助けを求めるように涙を堪えて後ろを振り返るが、輝子達は一斉に逃げるように視線を逸らして応えようとはしなかった。

 

「それにしても、11歳って小学5年生か6年生でしょ? 普通なら、もう少し会話ができそうなものじゃない?」

「フヒ……、こうなってくると、こずえちゃんが本当に11歳かどうかも怪しいな……」

「ね、ねぇ、杏さん……。もしかして、こずえちゃんって……」

「うーん、その可能性は“無きにしもあらず”って感じだね……」

「かような純真無垢に痛みを覚える我は、穢れがあるということなのか……!」

 

 輝子達がひそひそと内緒話をするように顔を寄せて会話をしていると、とうとう降参したように菜々が皆の元へと駆け寄ってきた。

 

「お願いします、杏ちゃん! 菜々ではもう限界です!」

「いや、菜々さん。杏だって、小さな子の相手なんて碌にしたこと無いよ」

「こずえちゃんは、杏ちゃんに懐いてるんでしょ? 杏ちゃん相手だったら、こずえちゃんも心を開いて会話をしてくれるかもしれませんよ?」

 

 菜々の言葉に、杏は渋々ながらもこずえの元へと歩いていく。杏が近づいてくるのを、こずえはその大きなエメラルドグリーンの瞳でじっと見つめていた。

 

「こずえちゃん、最初から杏のことを知ってるみたいだったよね。なんで知ってるの?」

「てれびでみたー」

 

 名前と年齢以外まともな答えを返さなかったこずえが、間髪入れずにそう答えた。輝子達は驚いたように目を見開いたのに対し、菜々は自分よりもこずえが懐く杏に嫉妬しているのか悔しそうな表情を浮かべていた。

 

「テレビで、か。それなら杏のことを知ってても不思議じゃないね。――それじゃ、こずえちゃんはどうしてここに来たのかな?」

「……んー?」

「誰かに連れられて来たの? それとも1人?」

「……わかんなーい」

 

 先程菜々がしたような質問には、杏が問い掛けたとしても同じ反応を示すようだ。

 杏は腕を組んで少し考え込むと、じっとこちらの様子を見つめる輝子達を指差して、

 

「あそこにいる子達は分かる?」

「……わかんなーい」

「あの子は杏の劇場に所属しているアイドルなんだよ。アイドル、分かる?」

「あんずとおなじー?」

「そうそう、アイドルは分かるんだね。好きなアイドルとかいる?」

「あんずー」

「ありがとね。他には?」

「んー……、うづきー」

「卯月かぁ。分かる気がする」

 

 こずえと他愛のない会話を交わしながら、杏は彼女が“答えられる質問”と“答えられない質問”の傾向を振り分けていく。その判断基準が彼女の感情に基づくものなのか、それとも彼女が抱えている“何か”に起因しているものなのか。そこまでは、さすがに杏も判断がつかない。

 

「どうしますか、杏ちゃん?」

 

 他にも幾つか質問をしてこずえがそれに答えたところで、菜々が杏に近寄ってそう問い掛けた。

 

「……とりあえず、警察に相談するしかないでしょ。もしかしたら、行方不明者の中にこずえちゃんがいるかもしれないし」

「こずえ、おまわりさんにいくのー?」

 

 杏が“警察”という単語を口にした途端、こずえが唐突に割り込むように質問してきた。両親については答えられなくても警察は理解できるという知識の偏りに、杏はこずえという少女についてますます疑問を持った。

 

「そうだよ。ここにいたら、お父さんとお母さんに会えないからね。そんなの、嫌でしょ?」

「……こずえ、あんずたちといっしょー」

 

 小首をかしげて上目遣いをするこずえに、後ろにいた菜々から「わぁ……」と喜色に溢れた声があがった。まさか今の仕草が、母性溢れる彼女の琴線に触れてしまったのだろうか。

 

「そう言ってくれるのは嬉しいけどねぇ、こずえのお父さんとお母さんが心配するから、一緒にお巡りさんの所に行こうねぇ」

 

 正確には“お巡りさん”とは一般的に交番勤務の警官を指すのだが、小さい子にその違いを指摘するのは無意味だろう。杏は現役時代に鍛え上げた営業スマイルを浮かべて、床に座り込んでこずえと視線を合わせ、最大限優しい声で話し掛けた。

 

「…………」

 

 そして杏の言葉に、こずえは黙ったまましばらくじっと彼女を見つめていた。まるで宝石のように澄んだ瞳が、心の内を見透かそうとするようにまっすぐ杏を貫いている。

 やがて、菜々達がその様子をじっと見つめる中、

 

「……わかったー」

 

 こずえは杏をじっと見つめながら、静かにそう答えた。

 それを聞いて杏はホッと溜息を吐きながら、その場から立ち上がった。

 

「よし。それじゃ外に出る準備をするから、ちょっと待っててね」

 

 そう言い残して自分の部屋へ向かう杏の背中から、アイドル達の会話が届く。

 

「いやぁ、それにしても、やっぱり杏ちゃんって意外と面倒見が良いですよねぇ」

「フヒ……、私達のことを、色々考えてくれるしな……」

「う、うん……。いざってときも、頼りになる……」

「“怠惰の妖精”の慈悲は、我が魂の核にもしかと届いておる!」

「…………」

 

 杏はそれを、傍目には感情を読み取らせない表情で聞きながら、自分の部屋へと入っていった。



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第15話 『意図』

 加蓮と奈緒が杏の劇場に期間限定で移籍するという話題は、武内の部屋で打合せが行われたその翌日には、346プロのアイドルやスタッフの半数が知るところとなっていた。どうやらあのときドア越しに盗み聞きしていたアイドルがいたらしく、そこから事務所内の関係者に知れ渡っていったらしい。

 とりあえず美城常務の口から箝口令が敷かれているため、今すぐに外部の人間に漏れることは無いだろう。しかし彼らも人間だ、ちょっとしたミスで耳聡い記者の耳にその情報が入るかもしれない。できれば自分達の方から発表した方が良いだろうと、武内は記者発表の準備に追われていた。

 

 そんな346プロ内にある、社員食堂。

 昼時だけあって、千人近くが一度に座れるにも拘わらずほぼ満席だった。様々なジャンルの料理を安価で食べられるのが社食の魅力だが、346プロの場合はかな子の店で実際に出されているメニューを通常よりもかなり安く食べられる。しかも時期によっては、新開発したメニューをモニタリング目的で出したりすることもある。

 なのでここは社員だけでなく、アイドル達の利用も多かった。特に寮に住むアイドルの大半はここを利用しており、下手に外食に行ったり自炊するよりも手軽に豊富なメニューを安く食べられることが大きな要因だろう。

 そんな若い少女達に釣られてというわけではないだろうが、社食の中はとても賑やかだった。午後からの仕事に備えて黙々と英気を養う者もいるが、大多数は気の合う同僚や仲間達とのお喋りに興じている。

 そして普段なら様々な話題が飛び交う社食も、今日ばかりは全員が“奈緒と加蓮の話題”で盛り上がっていた。ここは社員とアイドルしか持つことを許されていないカードが無ければ入れないスペースのため、皆が遠慮無く自分の思うことを喋っていた。

 

「幸子チャンは、奈緒チャンと加蓮チャンの話は聞いたかにゃ?」

「ええ。346プロを一時的に離れて、双葉さんの事務所に行くという話ですよね?」

 

 2人で向かい合いながらハンバーグセットを食べる前川みくと輿水幸子も、そんな彼ら彼女らの内の2人であった。2人はデビュー前の同時期に卯月の付き人をしていたこともあって、プライベートでもよく一緒に行動する仲だった。

 

「なかなか凄い決断ですよね。“トライアドプリムス”なんて、今最も勢いのあるユニットじゃないですか。それを一時的とはいえ休止して、地下アイドルの劇場に移籍するなんて……」

「本人の話じゃ『自分のスキルアップのため』とか『劇場の環境が羨ましい』とか言ってたらしいにゃ。みくからしたら、アリーナツアーとかやれちゃう加蓮チャン達の方が、よっぽど羨ましいと思うにゃあ……」

 

 ハンバーグを頬張りながら呟いたみくの言葉は、紛れもなく幸子にとっても本心だった。今はまだ思うような仕事が回ってこない2人だったが、いつかは卯月みたいな正統派アイドルとして全国ツアーをしたいという願望がある。

 ウンウンと頷いていた幸子だが、そのときふと、誰かから聞いたのかも思い出せないほどに曖昧になっていた記憶を思い出した。

 

「そういえば、みくさんって元々地下アイドルだったんですよね? 地下アイドルの劇場って、どんな感じなんですか?」

「…………」

 

 幸子としてはあくまで会話を繋ぐための軽い質問だったのだが、その途端にみくは口に運びかけていたハンバーグをぴたりと止めて、苦々しい表情を浮かべた。

 

「……ひょっとして、あまり思い出したくない過去ですか? だったら無理に話さなくても――」

「ううん、大丈夫にゃ。今となっては笑い話だし。――みくがいた劇場に所属してた子達は、地下アイドルを“テレビに出るための踏み台”としか考えてなかったにゃ。だからみんな1日でも早く、周りの子達を蹴落としてでも劇場を抜け出そうと必死だったんだにゃ。だから裏では凄くギスギスした空気だったにゃ」

「うわぁ、それはちょっとキツイですね……。ここにいる皆さんもライバルといえばライバルですけど、何となく仲間意識みたいなものはありますからね」

「――でもまぁ、ギスギスした空気も嫌だったけど、一番嫌だったのは“アレ”かにゃあ……」

 

 随分と勿体ぶった言い方だが、バラエティ番組のノリでそうしているのではなく、ただ単に話すことを躊躇っているだけというのは、彼女の苦虫を噛み潰したような表情を見れば明らかだった。

 

「……何か、嫌なことでもあったんですか?」

 

 怖いもの見たさ、ならぬ怖いもの聞きたさで幸子が続きを促すと、みくはその表情のままポツポツと話し始めた。

 

「……その劇場では社長が全部の権力を握ってて、ちょっとでも気を損ねたらライブに出演できなくなっちゃうの。それに社長が気に入った子がセンターに立てたりするから、みんな社長の機嫌を取るのに一生懸命になってて……」

「え、え……! ちょ……! て、てことは……、もしかして……」

「……多分、“枕営業”とかもあったと思うにゃ……」

 

 みくの答えに、幸子は「ひぃ……」と顔を青ざめて体を震わせた。どこか遠い世界の出来事としか考えてなかった“枕営業”といったものが、思っていた以上に身近なところにあったという事実に、幸子は驚きを通り越して恐怖を覚えたのである。

 

「あ、あの、答えたくなかったら別に構わないんですけど――」

 

 幸子が訊き難そうにそう言うと、みくは毅然とした態度で掌を彼女に向けて、

 

「それは大丈夫にゃ。むしろみくはそういう“枕営業なんて当たり前”みたいな空気が嫌だったから劇場を飛び出したんだにゃ。それで『ここで落ちたらアイドルを辞める』って意気込みで346プロのオーディションを受けて、採用してもらったおかげで今ここにいるんだにゃ」

「壮絶な想いを抱きながら、346プロに入ったんですね……。――ところでみくさんは、劇場の人達とはもう完全に縁を切った感じなんですか?」

「そもそも連絡先なんて交換してなかったし、普段もまともな会話は無かったにゃ。劇場自体も、みくが辞めた1ヶ月後くらいに社長が脱税で捕まって無くなっちゃったし。――あっ、でも1人だけ、よく一緒になってレッスンとかしてた子がいたにゃ」

「へぇ、そうなんですか。……ちなみに、その子は――」

「その子も大丈夫。これがまた不思議な子でね、いつも災難に見舞われてるのに、取り返しのつかない1歩手前でいつも踏み留まっているような、運が良いのか悪いのかよく分かんない子だったにゃ。みくと一緒に劇場を飛び出して、一緒に346プロのオーディションを受けようねって約束したのに、当日になって連絡も無しに来なくなっちゃって……。しかも音信不通になっちゃったから、その子ともそれっきりなんだにゃ」

 

 今頃何をしてるのかにゃあ、とみくは遠くを見るような目つきで天井の辺りを見上げ、どこにいるのか分からないその少女へ想いを馳せた。顔も名前も知らない幸子も、その少女の無事を祈らずにはいられなかった。

 

「それにしても、地下アイドルってそんなに過酷なんですねぇ……」

「もちろん、そういう劇場ばかりじゃないけどね。やっぱり今はどの芸能事務所もアイドルに力を入れてるから、地下アイドルの中にも実力のある子はいっぱいいるし。――それに加蓮チャン達が移籍することになる双葉さんの劇場はみくも生で観たことあるけど、あの子達は本当に心の底からアイドルを楽しんでるような感じだったにゃ。もしみくがいた劇場があんな感じだったら、多分346プロに行くことも無かったかもしれないにゃ」

「元地下アイドルのみくさんがそう言うなら、多分本当にそう感じてるんでしょうね。――それにしても、自分の好きなことをやれるっていうのは、やっぱり羨ましいですねぇ……」

 

 幸子はそう言って、大きな溜息を吐いた。

 

「そんなこと言ったって、幸子チャンだって他の子達からしたら充分売れてる方だにゃ。――主にバラエティ番組だけど」

「なっ……! そ、それを言うなら、みくさんだってほとんどの仕事がバラエティ番組じゃないですか! しかも最近は定番の“流れ”みたいなものもできてますし!」

「ちょっ……! それだったら、幸子チャンだって同じでしょ! この前幸子チャンが出演してる番組見たけど、3日連続でバンジージャンプのドッキリを仕掛けられる仕事なんて、アイドルの仕事じゃないにゃ!」

「それならみくさんだって、色々な番組で魚の入ったプールに落とされてるじゃないですか! しかもこの前の番組なんて、芸人さんが頑張ってプールに落ちる前振りをしていたその後ろで、カメラに映るかどうかギリギリのタイミングで落ちてましたよね! さすがにあれはお腹を抱えて大笑いしましたよ!」

 

 肩を上下させて息を荒げるほどに大声で言い争っていた2人だが、言い表せないような虚しさを感じたのか同じタイミングで黙り込んでしまった。そして同じタイミングで、それはそれは深い溜息を吐いた。

 

「“ネコキャラ”をやってるから多少は覚悟してたけど、まさかここまでバラエティ一色になるとはにゃあ……」

「別にバラエティ番組が駄目ってわけじゃないんですけどね……。歌って踊るアイドルに憧れてオーディションを受けたボクとしては、どうにも……」

 

 2人は本気で落ち込んでいる様子だが、容姿が整っている少女が酷い目に遭いながら悲惨な空気にならずに笑いに持って行けるというのは、実はとても高度な技術のいる凄いことなのである。なので2人はバラエティ番組でも重宝され、他のアイドルとは違うベクトルで着実にステップアップしているのだが、2人はそのことに気づいていない。

 

「まったく、プロデューサーさんも見る目が無いですね! こんなにもカワイイボクを、正統派のアイドルとして売り出さないなんて!」

「幸子チャンが可愛いかどうかは置いておくとして――」

「ちょっと! なんで置いておくんですか! 拾ってくださいよ!」

「いやいや、でも正直なところ、顔が整ってるアイドルなんていっぱいいるにゃ。特にみく達の同期だけでも、見た目も実力も相当レベルの高い子達が(しのぎ)を削っているんだにゃ。まずはその子達と戦い抜かないと、歌の活動なんて夢のまた夢だにゃ」

 

 かつての劇場でのギスギスした空気は嫌だったみくだが、同じ事務所のアイドル達をライバル視すること自体に否は無かった。

 そんな彼女だからこその重みのある言葉に、幸子は憂鬱そうに表情を曇らせた。常日頃から自分を可愛いと豪語する幸子だが、人と争うことに対して苦手意識があるようだ。

 

「だからこそ加蓮チャンも奈緒チャンも、みく達からしたら凄く売れているように見えてても、裏では色々と考えていたのかもしれないにゃ」

「……そうですよね。ボク達もプロデューサーさんからの仕事をこなすだけじゃなくて、自分から動かなきゃいけないのかもしれませんね」

 

 社員食堂の片隅で、幸子とみくは互いに顔を見合わせて力強く頷いた。

 

 

 *         *         *

 

 

 そんな風に2人の少女を悩ませる遠因となっている双葉杏は、自宅から程近い警察署を訪れていた。最初はかつてのトップアイドルがやって来たことに驚いていた警察官も、彼女が手を繋いで連れてきたこずえの事情を話すと、すぐさま真面目な顔つきとなって親身に話を聞くようになった。

 その警察官は2人を“生活安全課”へと案内すると、警察のデータベースで行方不明者の捜索を開始した。そこには日本中で行方不明となっている人々のデータが蓄積されている。その膨大なデータに、日本でこれほどまでに行方不明者がいるのか、と杏は目を丸くした。

 しかしそれだけのデータがありながら、結果は芳しくなかった。こずえくらいの少女、さらには“そういう類の疾患”を抱えた行方不明者なら該当する者は何人かいるが、クリーム色の髪にエメラルドグリーンの瞳という特徴的な外見の少女となると、まったくヒットしなくなってしまう。

 とりあえず、こずえは警察で身柄を預かることとなった。もしかしたら、こずえを心配した両親などが捜索届けを提出するかもしれない。とはいえ警察署に寝泊まりするわけではなく、女性警察官が交代で自宅に泊まらせることになるのだという。そして捜索が長期化することになれば、信頼できる児童養護施設に預けられることになる。

 

「それじゃ、よろしくお願いします」

「はい、彼女は我々が責任を持ってお預かり致します」

 

 そのような会話を交わす杏と警察官に、こずえがおもむろに2人を見上げる。

 

「……あんずとは、いっしょにすめないのー?」

 

 上目遣いで首をかしげて尋ねるこずえに、杏は「うぐっ」と後ろ髪を引かれる思いになった。しかしこずえの両親が彼女を探しているのだとしたら、尚更彼女を警察に預けなければいけない。

 

「ごめんね、こずえちゃん。でもこずえちゃんのご両親が探してるかもしれないのに杏と一緒に住んでたら、杏が誘拐犯で捕まっちゃうかもしれないんだよ」

「……あんず、つかまるのー?」

 

 こずえの疑問の目は、杏から警察官へと移った。彼もこずえの純粋な目に「うぐっ」と気まずそうな声をあげ、そして杏の方をちらちらと見遣りながら、

 

「……まぁ、事情を知らない者からしたら、こずえちゃんを誘拐したと受け取られかねないことは否定できない、と言いますか……」

 

 何とも歯切れの悪い言い方だが、紛れもなく彼の本心だろう。

 

「そういうことだから、これもこずえちゃんがパパとママに会えるようにするためなんだよ。分かってくれる?」

「…………」

 

 営業スマイルを貼りつけておねだりするように首を傾ける杏を、こずえは心の奥を見透かすような澄んだ目でじっと見つめ続けた。けっして顔には出さないが、今の杏は内心汗がダラダラ流れていることだろう。

 そして、数分ほどたっぷりと時間を掛けて見つめ続けた後、

 

「……わかったー。こずえ、あんずとわかれるー」

「ホッ――」

 

 こずえの答えに杏だけでなく、傍で遣り取りを眺めていた警察官ですら胸を撫で下ろしていた。

 

「それじゃ、改めてよろしくお願いします。――じゃあね、こずえちゃん」

「うん、ばいばーい」

 

 杏が席を立ってこずえに話し掛けると、こずえは何回か手を振ってすぐに視線を警察官へと向けた。そのまま警察官に手を繋がれて建物の奥へと連れて行かれるまでの間、こずえは1回も杏の方を振り返ることはなかった。

 あれだけごねてた癖に別れるときはあっさりかよ、と杏は思わなくもなかったが、そもそも彼女の手を離したのは自分なんだから身勝手な考えか、と結論づけると、杏はくるりと踵を返して出口へと歩いていった。

 

 

 *         *         *

 

 

 都内にある競馬場には、お世辞にも綺麗とは言えない格好をした人々で溢れかえっていた。客席からは怒号と表現できる叫び声が木霊(こだま)し、床や地面には破り捨てられた馬券が散乱している。もちろんレースそのものを楽しんでいる者も中にはいるだろうが、大半以上の人間が賭け事が目的であることもまた事実だろう。

 しかしそんな中でも、人のあまり通らない廊下の片隅で壁に寄り掛かっているその2人は、他の客と比べてもかなり珍しい部類に入ることは間違いない。なぜなら彼らは馬券も買わずレースも観ず、そもそもレースを目的にやって来たわけではないからである。

 

「阿久徳さん、どういうことですか? 一向にあいつらが消える気配が無いんですけど」

 

 その内の1人である若い男が、もう1人の薄汚れた格好をした年配の男に詰め寄る勢いで尋ねてきた。見た目にも苛々していることは明らかだが、年配の男――阿久徳は、その若い男――某事務所のプロデューサーに呆れた表情を見せる。

 

「もう少し辛抱強く待つことはできないんですかい? あっしだって、何も遊んでたわけじゃないんですがねぇ……」

「だったら、なんであいつらは今ものうのうと活動を続けてるんですか! どうせ疚しいことをしているに決まってるんだから、それをバラせば一発でアウトでしょう!」

「何の根拠があって決めつけてんのかは知りやせんが、あっしの調べてみた限りではそういうことは一切無いですぜ? ネットの反響にも操作した様子は無いですし、劇場でもキナ臭い話は聞きやせん」

「はんっ! そんなわけがないでしょう! 地下アイドルですよ、地下アイドル! 枕営業なんて日常茶飯事ですし、安いギャラで働かせるなんて普通にやってるに決まってますよ! そうじゃなかったら、あいつの劇場があんなに話題になるはずがない!」

 

 若い男の言葉に、阿久徳は深い溜息を吐いた。その表情は先程よりも呆れの色を濃くし、若い男は思わず勢いづいていた口を閉ざす。

 

「枕営業、ね……。劇場のみで活動して、テレビとかには一切出ない彼女達が、いったい誰を相手に何の目的でやるんですかね? ――それにギャラなんて、あっしが真っ先に調べたことですぜ。双葉杏自身が金儲けを目的にしてないからか、他の劇場と比べてもアイドルやスタッフに対する金払いが良いですな。劇場の経営も順調のようですし、所属アイドル達は下手にテレビに出てるアイドルよりも稼いでるんじゃないですかい?」

「……だ、だったら! 捏造でも何でも良いから、あいつらにとって致命的になるような情報をでっち上げれば良いでしょう! 阿久徳さんだったら、それくらい簡単でしょ!」

「勘違いしてるようですから教えますがね……。嘘っぱちの記事で釣られるのなんて、ただ騒ぎたいだけの馬鹿だけなんですぜ? 一時的には盛り上がるかもしれやせんが、そんなの少し経ったらすぐに飽きられちまうのが関の山だ。そういうのは“本物”だからこそ効き目があるんですし、だからこそあっしは一度も“記事の捏造”はしたことないんですぜ?」

「だったら、どうする気ですか? まさかこのまま、前金だけ貰ってお終いにする気じゃないでしょうね?」

 

 鼻息を荒くする若い男に、阿久徳はニヤリと笑みを深くした。

 

「この業界は“信用”が大事です。それはあっしみたいなモンでも変わりやせん。――大丈夫、()()()()()()()()()()ぜ。ですからあんたも、ちょっとは待つことを憶えてくださいよ」

 

 阿久徳の言葉に、若い男は鋭い視線を彼に向けながらもこれ以上は何も言わなかった。

 

 

 *         *         *

 

 

「それじゃこずえちゃん、パパとママが見つけてくれるまで、僕達と一緒に過ごそうね」

 

 子供に警戒心を抱かせない柔らかな笑みを浮かべながら警察官が話し掛けるが、こずえは相変わらずの無表情でじっとこちらを見つめるのみだった。その大きな両目で見つめられると、まるで自分の胸の内を見透かそうとしているような印象を持ってしまうのは、自分に何か疚しい想いがあるからだろうか、とその警察官はそろそろ本気で悩み始めていた。

 と、そのとき、こずえが警察官の袖をクイクイと引っ張ってきた。

 

「ねー、といれー」

「え? あぁ、分かったよ。――うーん、誰か女性で手の空いてる人はいるかな……?」

 

 警察官が困った様子できょろきょろと辺りを見渡していると、

 

「あれ? 先輩、どうかしたんですか?」

 

 1人の女性が彼の傍へと駆け寄ってきた。警察官になれる身長制限ギリギリの高さしかないその女性は、その顔立ちの幼さも相まってまるで子供のようだった。しかし声高に主張してくる胸の膨らみが、彼女が成熟した大人の女性であることを知らせてくる。

 その女性は彼の連れている小さな女の子に気がつくと、

 

「あれ? 先輩、まだ結婚していませんでしたよね? 隠し子?」

「違うよ! この子はさっき届けられた、行方不明らしき子! とりあえずトイレに行きたがってるみたいだから、片桐くんが案内してくれない?」

 

 その女性――片桐早苗にそう頼むと、彼女はにっこりと笑って了承した。

 

「良いですよ。この子の名前は?」

「本人は“遊佐こずえ”と名乗ったらしい」

「よし。こずえちゃん、早苗お姉さんと一緒におトイレに行こうか」

「…………、うん、わかったー」

 

 こずえは早苗の顔を数秒ほどじっと見つめてから、そっと彼女の手に自分のそれを添えた。早苗はそれを力強く握ると、そのまま鼻歌でも歌い出しそうな軽い足取りで女子トイレへと向かっていった。

 そして女子トイレへと到着し、早苗が入口のドアを開けようと手を掛けたそのとき、

 

「さなえー、はずかしー」

「へっ? ……あぁ、あたしが一緒に入ると恥ずかしいってこと? 分かったわよ、ここで待ってるから、終わったら出てきてね」

「うん、わかったー……」

 

 こずえはそう言って入口のドアを開け、中へ入っていった。こずえが手を離しただけでドアは自然と閉じていき、がちゃり、と音をたてて閉まった。

 早苗は入口すぐ脇の壁に寄り掛かり、こずえが出てくるのを待つ。

 そして10分以上経っても、こずえは外に出てこなかった。

 

「……こずえちゃん? まだ終わらないの?」

 

 中に呼び掛けてみても、返事は聞こえてこなかった。ドアに耳を近づけてみるが、中から物音が聞こえてこない。

 

「……こずえちゃん、中に入るわよ?」

 

 一応断りを入れてから、早苗はドアを開けて女子トイレに足を踏み入れた。

 トイレの中は、実に単純な構造をしている。視線を動かさなくても全貌が分かる程度の広さに、個室が4つ左側に並んでいる。右側には洗面台が2台ほど設置されており、正面の壁には顔くらいの高さで窓が備えつけられている。

 そして4つの個室全てのドアが開きっぱなしになっており、全開になっている窓からは勢いよく風が吹き込んでいる。

 

「ちょっ――! 嘘でしょっ!」

 

 それを見た瞬間、早苗は声をあげて目を見開き、その開いた窓へと駆け寄った。身を乗り出す勢いで窓の下を素早く覗き込むが、そこには誰の姿も無い。

 この女子トイレは、地上3階にある。もし窓からこずえが脱走したとすれば、彼女は命綱も無しに3階から飛び下りたことになる。大人でも大怪我を負うことは必至だというのに、あんな小さな女の子がそこから飛び下りたらどうなるか。

 

「――何してんのよ、こずえちゃん!」

 

 早苗は表情を引き攣らせると踵を返し、そのままトイレを飛び出した。開きっぱなしになっている入口のドアからドタドタと喧しい足音が聞こえ、やがてそれはフェードアウトしていった。

 そして足音が完全に聞こえなくなった頃、その入口のドアがゆっくりとした動きで閉じられていった。

 そしてそこから、こずえが姿を現した。

 

「…………」

 

 こずえは自然に閉じられていくドアに滑り込むようにしてトイレを出ると、その無表情な顔を左右に向けた。左手は先程早苗と歩いてきた廊下があり、生活安全課などの警察官が働くスペースへと続く。そして右手にはすぐ階段があり、警察官を始めとした通行人の姿は無い。

 こずえは右へと進み、階段を降りていった。階段を半分ほど降りると踊り場となっており、そこでUターンするように曲がって残りの半分を下りるようになっている。なのでこずえも手摺りに掴まりながら階段を降りていき、くるりとUターンをした。

 

「あら、こずえちゃん」

 

 早苗の姿が、そこにあった。

 

「…………」

 

 階段を下りかけた姿勢のまま静止したこずえが、じっと早苗の顔を見つめる。

 そんな彼女の視線に構わず、早苗は階段を昇って彼女に近づくと、にっこりと笑って手を差し出した。

 

「良かったわ、こずえちゃんが窓から落ちたんじゃなくて。無事で何よりよ。――さぁ、あたしと一緒に戻りましょう?」

「…………、うん、わかったー」

 

 こずえは再び早苗の顔を数秒ほどじっと見つめてから、そっと彼女の手に自分のそれを添えた。早苗はそれを力強く握ると、そのまま鼻歌でも歌い出しそうな軽い足取りで生活安全課へと向かっていった。

 そしてその道中、

 

「発想は良いと思うんだけどねぇ。あのドアって、手を添えていないと自然に閉まるようになってるのよ。だからあたしがトイレに入った時点でドアが閉まらないとおかしいのよ。あるいは、あたしが窓を覗き込んでいる隙にトイレから出ようと思ってたとか?」

「…………」

 

 手を繋がれて引っ張られるように歩くこずえは、その無表情な顔を動かすことなく、早苗の質問にも答えることはなかった。



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第16話 『遭遇』

「こずえちゃん、美味しい?」

「うんー……」

「……そっか、それなら良かったわ」

 

 昼下がりの公園は穏やかな日差しが降り注ぎ、そこを訪れる人々を柔らかく包み込み、ゆったりとした時間が流れていく。大きな噴水がランドマークとなっているそこは、平日の昼間ではあるが、散歩に来た親子連れやスーツ姿のサラリーマンなどでそこそこ賑わっている。都会の忙しない空間の中で、この公園はホッと一息吐けるオアシスとして人気のスポットだった。

 そんな公園の一画で、私服姿の早苗とこずえが並んでベンチに腰掛けていた。こずえはたっぷりのクリームとアイスが包まれたクレープを頬張り、早苗はその横で缶コーヒーに口をつけている。その表情には、大分疲れが溜まっているように見受けられる。

 そんな早苗はこずえの方をちらりと見遣ると、大きな溜息を吐いてぽつりと吐き捨てた。

 

「やっぱりこの子、甘いものしか食べないのね……」

 

 こずえを警察で預かるようになってから、今日で2週間ほど。こずえの世話は、その日非番となっている女性警察官が担当することになった。今日は早苗が非番なので、彼女がこずえを預かっている。

 しかしそのたった2週間で、彼女達はこずえの“異常性”に悩まされることとなっていた。

 

 その1つが、“偏食”だった。先程の早苗の台詞からも分かる通り、彼女はこの2週間、とにかく甘い物しか口にしていなかった。それもケーキやアイスやパフェといった“スイーツ”のみであり、もはや甘い物以外を食べ物と認識していないかのようである。

 そしてもう1つが、“不眠”だった。常に眠そうにボーッとしているところから、彼女はよく眠る体質なのかと思っていたのだが、実際はまるで逆だった。早苗達がいくら彼女を寝かしつけようとしてもまったく眠る気配が無く、彼女達が我慢できずに寝落ちしてしまい、次に目を覚ましたときにこずえは既に起きている、という毎日だった。最近は布団に入ってしばらくすると目を閉じてくれるようになったのだが、本当に寝ているのかどうかは甚だ疑問だ。

 そして早苗達を最も悩ませているのが、“逃亡癖”だった。自宅にいれば鍵を開けて出ていこうとするし、外に出掛けて少し目を離した隙にその場から離れようとする。幸いこずえの運動能力が低いのですぐに捕まえられるのだが、早苗の直感としては、もしこずえが本気で逃げようとしたらすぐに逃げられるのではないか、と思わずにはいられなかった。

 そんなこんなで、こずえを預かった女性警察官は、次の日に出勤するときは疲労困憊となっているのがお約束となっていた。そして次にこずえを預かることとなる者は、その日に起こるであろう出来事に憂鬱な気分にならざるを得ないのである。

 

「こずえちゃん、この後はどうする? 公園を見て回ろっか?」

「うーん……」

 

 もごもごと無表情でクレープを頬張っているこずえに話し掛けるが、彼女は曖昧な返事を返すのみだ。このようにまともな会話が成立しないことも、早苗達を悩ませている要因の1つと言えるだろう。

 

 ――でもまぁ、彼女だって親から離れて見知らぬ場所で暮らしてるわけだし、それを考えればこうなることも当然っちゃ当然か……。

 

 早苗はこずえに同情するような視線を向けると同時に、未だに捜索届けすら出さずにいる彼女の両親に憤りを覚えた。彼女を預かった日から頻繁にデータベースはチェックしているし、彼女の特徴的な外見を見落とすはずがない。

 もしかしたら両親は既にいないのでは、とも思ったが、そしたら彼女が通っている学校の教師だったり、彼女が住んでいたであろう施設の職員などが何もしないのはおかしい。結果早苗の憤りの矛先は、まだ顔も見たことのない不特定多数に向けられることとなった。

 

 ――このまま捜索届けが出なければ、多分彼女は施設に預けられることになる……。でもこの子の場合、それで上手くやっていけるかどうか……。とにかく、できる限りはあたし達で面倒を見てあげなきゃね……。

 

 そして彼女を迎えに来た奴を1発ぶん殴ってやるんだ、と早苗は物騒なことを心の中でひっそりと決意した。拳を握りしめて何度も小さく頷く早苗を、クレープを食べ終わったこずえがじっと見つめている。

 と、そのとき、

 

「きゃあっ! 泥棒!」

 

 昼間の穏やかな空気に包まれていた公園に、突如絹を裂くような悲鳴が響き渡った。

 早苗が咄嗟に声のした方へ目を向けると、若い女性が地面に涙を浮かべて座り込んでいるその正面で、がっしりした体型の若い男性が必死な形相で走ってくるのが見えた。彼の左手には、明らかに男性が持つようなデザインではない小さなバッグが握られている。

 

「こずえちゃん! ちょっとそこで待ってて!」

 

 早苗はそう言い残すや否や、すぐさま立ち上がって駆け出した。160センチにも満たない小さな体躯で、胸の膨らみが無ければ幼い顔立ちも相まって子供に見られること請け合いな彼女だが、そのスピードはちょっとした短距離走選手のようであり、彼女はあっという間に引ったくり犯の正面へと躍り出た。

 一瞬驚いたような表情を浮かべる引ったくり犯だったが、相手が自分よりもかなり小さい女性であることに気づくと、すぐさまニヤリと不敵な笑みを浮かべて彼女に突っ込んでいった。

 しかし、彼は気づくべきだった。

 普通は怖じ気づいて動けない場面で、わざわざ自分を捕まえようとやって来た彼女がどういう人間なのかを。

 

「うらぁっ!」

 

 早苗は自分に向かって繰り出してきた彼の右腕の袖を掴むと、そのまま手前に引き寄せながら彼の懐に自分の体を潜り込ませた。同時に体を回転させて彼と自分の背中を密着させると、向こうが殴り掛かってきたときの勢いを利用して彼の体を持ち上げ、そのまま柔道の“背負い投げ”の要領で彼を投げ飛ばした。

 そして背中を強かに打ちつけられた引ったくり犯が怯んでいる隙に、早苗は袖を掴んでいた手を彼の手首へと移し、そのまま彼の手首を逆方向に極めた。非力な女性でも片手でできる関節技であり、仰向けで四肢を投げ出していた引ったくり犯は、その姿勢と手首の痛みのせいでもはや起き上がれなくなった。

 

「ぐっ、ぐあああああああ!」

「午後1時16分、窃盗の現行犯で逮捕! ――そこのあなた、警察呼んで!」

「は、はい!」

 

 たまたま一番近くにいたサラリーマンに大声で呼び掛けると、彼女の気迫に圧倒されたのかすぐさま携帯電話を取り出した。早苗の足元では引ったくり犯が逃げ出そうともがいているが、彼女が手首を締めると悲鳴と共に動かなくなった。

 

「はい、大人しくしてなさいねー」

 

 早苗は笑顔で引ったくり犯にそう呼び掛けながら、先程まで自分がいたベンチの方へと視線を向けた。

 そこには、誰もいなかった。

 

「――えっ!」

 

 すんでのところで、引ったくり犯の手首は離さずに済んだ。

 

 

 *         *         *

 

 

 昼下がりの公園は穏やかな日差しが降り注ぎ、そこを訪れる人々を柔らかく包み込み、ゆったりとした時間が流れていく。大きな噴水がランドマークとなっているそこは、平日の昼間ではあるが、散歩に来た親子連れやスーツ姿のサラリーマンなどでそこそこ賑わっている。都会の忙しない空間の中で、この公園はホッと一息吐けるオアシスとして人気のスポットだった。

 

「待ってくれ!」

 

 そんな中、その場から逃げるように腕を振って走る女性と、必死に息を荒げながら大声をあげて彼女を追い掛ける若い男は、周りの人々の目を一挙に集めるほどに目立つ光景だった。その行動だけでも充分目立つのに、2人共顔立ちが整っているとなれば、その注目度もさらに高まるというものだ。

 特に女性の方は、周りにいる男性だけでなく女性すらも目を惹かれて息を呑むほどの美貌だった。緩くふんわりとした髪は光の加減で深緑に見せる独特の色をしており、左右で微妙に色の違う瞳は涙に濡れて輝いている。女性にしては背の高いその体躯は全体的にスラリとしなやかで、それでいて女性的な柔らかさも兼ね備えた完璧なプロポーションである。

 最初は逃げる女性を追い掛ける若い男という光景が続いていたが、大きな噴水に差し掛かったところで女性がふいに立ち止まった。男性もそこで足を止め、女性とつかず離れずの距離を保って彼女の次の行動を見守る。

 

「……なんで追い掛けてくるんですか? その気なんてないくせに」

 

 やがて女性は小さく肩を震わせながら、消え入りそうな声で呟いた。

 

「そんな……、僕は本当にあなたのことが――」

「それじゃ、さっきの女の人は誰なんですかっ!」

 

 女性のよく通る声が、少し離れた若い男にまではっきりと届いた。今にも消えてしまいそうなほどに儚い印象だった女性から飛び出した、思わず若い男が息を詰まらせて1歩後ずさるほどの声に、周りでそれを眺めていた観衆を「おおっ……」と唸らせる。

 

「あれは、単なる幼馴染みだよ! 君が思っているような関係じゃない!」

「そんなことないわ! あの子と一緒にいるときのあなたの笑顔……、あんな笑顔、私と一緒にいるときには見たことなかった……!」

「そ、それは……、君の誤解だよ!」

「あの子だって、きっとあなたのことを好きに違いないわ……。だって分かるもの……。私と一緒だから……」

 

 女性の声は、瞳から零れる涙と共に震えていた。

 

「……それでもっ! 僕は君のことが――」

「私はアイドルで、あなたはプロデューサー。私と過ごしているときのあなたは、いつも誰かに見られやしないかってビクビクしてた。私はこれ以上、あなたの重荷にはなりたくない……!」

「……ぼ、僕はっ! 君のことを重荷だなんて一度も――」

「それにっ!」

 

 若い男の台詞を遮った女性の大声に、彼はビクッ! と肩を跳ねて表情を強張らせた。

 

「私は、やっぱりアイドルが好きなの……。そして、アイドルのプロデューサーをやっているあなたのことも好き……。もしあなたの恋人になってそれを失うくらいなら、私は……」

「…………」

 

 若い男は、彼女の言葉を否定することができなかった。何か言おうと口を開きかけては、言葉にならずに口を閉じる、という行為を繰り返している。

 そんな彼を見て、女性はフッと優しい笑みを浮かべると、

 

「……また明日、“プロデューサー”」

 

 女性はそう言って、笑った。見る者を惹きつけて止まない、まさしくアイドルに相応しい笑顔だった。

 そうして踵を返し、その場を去っていく女性の後ろ姿を、若い男は最後の最後まで引き留めることができなかった。

 

 

 

「はい、カーット!」

「チェック入りまーす!」

 

 監督の一声を皮切りにスタッフが一斉に動き出し、先程撮ったシーンのチェックに入った。先程女性を見送った若い男はホッと一息吐いて踵を返すと、撮影用カメラの脇を通り過ぎてスタッフの用意した折り畳み椅子へと腰を下ろした。

 アイドルのプロデューサー役を演じていたその男性は、若手の有望株としてにわかに注目を集めている俳優である。爽やかな笑顔が似合うイケメンである彼は若い女性を中心に人気であり、話題のドラマや映画でもよく顔を見るようになった。

 そんな彼は現在、先程(演技として)自分を振った女性へと視線を向けていた。現在彼女は自分と同じくスタッフから用意された折り畳み椅子に座り、台本で次のシーンをチェックしている。

 

「おっ、どうしたの? 楓ちゃんを見つめちゃって。役に入り込みすぎて、楓ちゃんのことが好きになった?」

「ちょっ……! そういうんじゃないですって!」

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべて声を掛けてきたベテランのスタッフに、若い俳優は慌てふためいた様子でそれを否定した。しかし顔は真っ赤に染まっているため、まだ売れてなかった頃から付き合いのある彼でなくても嘘だということが分かる。

 

「まぁまぁ、思わず惚れるのも無理ないと思うよ? 楓ちゃん、最近ますます磨きが掛かっているからねぇ」

「……俺が学生の頃、ずっと彼女の追っかけしてたんですよ」

「へぇ、そうなんだ。ということは、そのときの憧れの存在と競演してるってことか! 夢があるじゃない!」

「……まぁ、そんな憧れの存在に見事に振られる役ですけどね」

 

 高垣楓。

 7年前に346プロからアイドルデビューした彼女は、当時25歳というアイドルとしては遅い時期でのデビューであった。以前にやっていたモデルの経験と類い希なる歌唱力、そして武内のプロデュースにより、“奇跡の10人”の1人に数えられるほどの大ブレイクを果たした。

 その頃から独特の雰囲気を纏っていた彼女が女優業に進むのも自然なことで、彼女はそこでも隠れた才能を開花させた。最初はアイドルとしての人気から仕事を貰っていた彼女も、日本や海外の様々な賞レースで名前を賑わせるようになると、純粋に女優としての実力で仕事を呼び寄せるようになっていた。そして現在では日本に留まらず、海外の映画にも出演するほどの女優へと成長していた。

 

「それにしても、彼女はデビューのときから全然老けないねぇ。デビューのときから25歳とは思えないくらいに若く見えたけど、自分より一回り下の女の子と一緒にアイドル役を演じて違和感が無いっていうのは、さすがに彼女だけじゃないかと思うね」

「はい、俺もそう思いますよ。一緒に撮影してても、高垣さんに見とれちゃって演技どころじゃないですよ」

「はっはっはっ! 何回もそれが原因でNG出してたもんねぇ! 特番のNG大賞が楽しみだ!」

 

 スタッフのからかいに若い俳優は苦い表情を見せると、それを誤魔化すように楓の方へと視線を向けた。

 現在彼女の隣には目つきの鋭い大柄な男が立っており、2人は何やら話している様子だった。

 

「……高垣さんの近くにいるあの人って、彼女の()()()プロデューサーですよね?」

「ああ、そうだよ。君も追っかけをしてたなら、名前くらいは知ってるだろ?」

「はい、もちろん。彼女だけじゃなく“奇跡の10人”を全員プロデュースして、芸能界の勢力図を大きく塗り替えた“生ける伝説”だって、テレビとかでよく紹介されていました」

 

 芸能界を席巻するアイドル10人をプロデュースした人物となれば、当然注目されないはずがない。アイドルの専門誌では彼自身を幾度となく特集したこともあるし、その道のプロを紹介するテレビ番組でも取り上げられている。そんなこともあり、武内自身もアイドルほどではないにしてもかなり知名度は高い。

 

「“プロデューサー役”の君としては、嫉妬せずにはいられない感じかな?」

「いやいや、そんなんじゃないですよ。むしろ『やっぱ本物には敵わないなぁ』って感じですよ。ああして2人が並んでいる光景なんて、もの凄くしっくり来るじゃないですか」

「うん、そうだね。もし楓ちゃんが結婚するなんてことになったらパニック間違いなしだけど、その相手があのプロデューサーくんだったら、何か納得できちゃう気がするんだよねぇ」

「ええ。俺もよく分からん有象無象なら納得できないですけど、あの人だったら普通に受け入れられる気がしますよ。もちろん、泣きますけどね」

「君自身が楓ちゃんと結婚したいって気は無いの?」

「いやいやいやいや! 無理ですって! そんな畏れ多い!」

 

 彼自身も若い女性からキャーキャー言われる存在だというのに、まるで純情な少年のような反応を見せる彼に、スタッフは笑いながら彼を慰めるように肩を強く叩いた。

 

「それにしても、高垣さんとプロデューサーさんは何を話してるんでしょうね?」

「さぁねぇ。あの2人が話してるときって、俺達も何となく近寄りがたい雰囲気があるからねぇ」

 

 

 

「プロデューサー、何だか焼き鳥が食べたくなりました。今夜は焼き鳥にしましょう」

「……えっと、申し訳ございませんが、私は今日用事がありますので――」

「1人で焼き鳥屋に行け、と言うんですか? そんなの寂しいじゃないですか」

「……それならば、共演者の方々と行けばよろしいのでは?」

「あらあら、焼き()だけに、()()付く島もありませんね。ふふふっ」

「…………」

 

 眉を寄せて手を首の後ろに遣る武内に、楓は手で口を隠して笑みを浮かべた。遠くから見たらとても気品のある優雅な仕草であり、例えば学生の頃から追っかけだった俳優なんかは、それだけで心奪われるに違いないだろう。

 たとえ言っていることが、子供っぽい我が儘とただの親父ギャグだったとしても。

 

「……もしかして私が呼ばれたのは、一緒に呑む相手にするためですか?」

「はい。最近プロデューサーと一緒に呑む機会も減ってしまったので、この辺りで昔みたいに交流を図ろうかと」

「『機会が減った』と仰いますが、確か1ヶ月ほど前にも一緒に呑んだ気がしますが。――それに、明日も朝早くからドラマの撮影が入っています。呑むなとは言いませんが、あまりゆっくりする余裕も無いかと」

「あっ、それなら大丈夫ですよ。この日のために頑張りましたから、撮影は予定よりも早く進んでいます。なので監督から明日1日のお休みは頂いています」

「……そのために、最近特に仕事に力が入っていたのですか……」

 

 反論することもできなくなった武内に、楓はしてやったりと言いたげな笑みを浮かべた。普段は大人の女性としての魅力に溢れた彼女だが、そうして笑うと言動も相まって実に子供っぽい印象を受ける。

 今でこそそんな風に笑う彼女だが、デビュー当時は周りとのコミュニケーションが取れず、感情を表に出すことがほとんど無かった。このことがモデルとしていまいちパッとしなかった要因でもあったのだが、アイドルとしての経験を積み、年下の同期と交流を重ねることで徐々に感情を表に出すようになった。

 そしてその結果、彼女の中身はその見た目からは想像もつかない、非常に子供っぽい性格であることが分かった。しかも非常に酒好きで事あるごとにプロデューサーを呑みに誘おうとするし、そして酔うと非常に酒癖が悪いし、素面(しらふ)のときでも唐突に親父ギャグを言っては皆を困惑させる。

 

「……お店の予約をしてきます」

 

 しかし、たとえどんな中身だったとしても、楓の美貌に掛かればそれすらも魅力的に見えてしまう。結局武内は『担当アイドルのご機嫌を取るのも仕事の内』と心の中で言い訳をしながら、普段から贔屓にしている完全個室の高級居酒屋の予約を取ることにした。

 スマートフォンをポケットから取り出しながら、武内はその場を離れ――

 

「――――ん?」

 

 ようとしたそのとき、彼の足元に1人の少女がいることに気がついた。小学校中学年くらいの身長をした、ぼさぼさの長いミルク色の髪を緩く纏めたその少女は、普通の子供ならば目を合わせただけで泣き出すような顔をした武内のことを、エメラルドグリーンの眠そうな瞳でまっすぐ見つめている。

 

「……この子は?」

「あら、プロデューサー。ひょっとして隠し子ですか?」

「違います」

 

 楓の問い掛けを冷静に否定しながらも、武内は困惑を隠しきれない表情でその子を見下ろしていた。なぜなら今はドラマの撮影中であり、そういう場所では一般人が入り込まないようにスタッフが厳重に見張っている。つまりこの少女は、その包囲網をかいくぐったことになる。

 しかし、それにしても、

 

「何だかこの子、随分と可愛らしいですね。何だか庇護欲をそそられるというか」

「……えぇ、そうですね」

 

 武内が少女を見下ろしていたのは困惑以外にも、彼女の容姿が非常にレベルの高いものであるからだった。日本人離れした容姿もさることながら、見る者を惹きつけて止まない不思議な雰囲気が彼女にはあった。武内はじっと彼女と目を合わせながら、顎に手を当てて何やら考え込んでいた。

 しかしそれも、僅か10秒ほどだった。

 

「すみません! 勝手に中に入らないでください!」

「ごめんなさい! でもあそこにいる女の子、あたしが預かっている子でして!」

「えっ、子供? ――あれっ、いつの間に!」

 

 何やらギャラリーとスタッフが言い争う声が聞こえてそちらに目を遣ると、小さな体に子供のような顔つきをした、しかし胸はやたらと大きい女性が慌てた様子でこちらに駆け寄るのが見えた。その視線は先程の少女に向けられており、その少女も女性を見て「さなえ、はやーい……」と呟いていた。

 

「ごめんなさい、この子が迷惑を掛けたみたいで! ほらこずえちゃん、帰るわよ!」

 

 その女性(どうやら“早苗”というらしい)は武内の前に辿り着いて頭を下げるや否や、すぐさま少女(どうやら“こずえ”というらしい)の手を取ってその場を去ろうとした。こずえも素直に彼女の手を取り、引っ張られるがままとなっている。

 と、そのとき、

 

「少々お待ちいただけますか? あなたが、こちらのお子様の保護者ですか?」

「えっ? ……えっと、そ、そうですけど……?」

 

 ズイッと顔を寄せてきた武内の迫力に戸惑いながらも、早苗はこずえの手を掴んだまま首を縦に振った。

 すると武内はスーツの内ポケットに手を突っ込んだ。一瞬ヤの付く自由業の方々が鉛玉発射装置を取り出すときの光景と見間違えて身構えかけた早苗だったが、それが単なる名刺であることに気づいて構えを解いた。

 

「突然失礼致します。私は346プロダクションでアイドルのプロデューサーをしております、武内と申します」

「えっ? あ、はい、お顔は何度か……」

「いきなりで申し訳ございません。こちらのお子様を、ぜひとも我がプロダクションのアイドルにスカウトさせていただきたいと思いまして」

「…………、えっ?」

 

 条件反射で名刺を受け取った早苗だったが、その言葉を聞いた途端に思わず素っ頓狂な声をあげて、視線を武内とこずえの間で何度も往復させてしまった。

 

「アイドルって……。こずえちゃんが?」

「はい。彼女は見た目の可愛らしさもさることながら、人を惹きつける不思議な魅力をも持っています。この子ならば非常に魅力的なアイドルになれると、一目見たときに直感致しました。我々の言葉で言えば『ティンと来た』といったところでしょうか」

「え、えっと……」

 

 早苗は困惑しながら、こずえへと顔を向けた。彼女は相変わらず感情の読めないぼんやりした目つきで、黙ったままじっと早苗のことを見つめていた。

 まるで彼女がどう出るか、観察しているかのように。

 

「えっと、ですね……。この子は訳あって私が預かっておりまして、今は親元を離れて暮らしているんです……。なので親の許可無しには、そういうことを決められないというか――」

「その方と連絡を取ることは可能でしょうか?」

 

 ただでさえ迫力のある顔つきで、早苗に押し迫るようにグイッと1歩前に躍り出た武内に、早苗は警察官の習性で思わず逮捕術を行使しかけて、寸前のところで踏み留まった。

 

「すみません。簡単に連絡を取れる状態ではないので……」

「分かりました。それでは名刺を渡しますので、連絡がつきましたらご一報くださいますようお願いします。――良い返事を、期待しております」

「……はぁ」

 

 両手を添えて渡されたその名刺には、346プロダクションの電話番号だけでなく、武内自身の携帯番号も記載されていた。もっともそれは仕事用の番号であって、プライベートは別に用意されているに違いない。

 とりあえずこれで、話は一区切りついた。スタッフや出演者が面白そうにこちらを眺めていることもあって、早苗は一刻も早くこの場を離れたかった。なので彼女はこずえの手を握ってすぐさま歩き出し――

 

「あの、すみません」

 

 かけたそのとき、武内が再び声を掛けてきた。思わずイラッと来た早苗だったが、それを大人の余裕で胸の内に隠して武内へと向き直った。

 

「……何でしょうか?」

 

 傍目には完璧に見える笑顔を浮かべた早苗に対し、武内は先程差し出した名刺をもう1枚取り出しながら、

 

「あなたは、アイドルに興味はありませんか?」

 

 

 

「振られちゃいましたね、プロデューサー」

「…………」

 

 その声色から楽しんでいるのが分かる楓の言葉に、武内は口を引き結んだまま首の後ろに手を遣った。

 

 

 *         *         *

 

 

 346プロが毎週金曜日に主要スタッフを集めて会議をするのと同じように、双葉杏が立ち上げた事務所“208プロ”も、現在進めている企画の進捗状況や今後の活動スケジュール、そして新たな企画のアイデアを募る場を毎週月曜日の夜に設けている。

 しかしその光景は、世間一般で“会議”と聞いて思い浮かべるものとはかなり違うだろう。

 

「はい、それじゃ今から、208プロの月曜会議を始めまーす」

 

 気の抜けた杏の声に、周りからパチパチと軽い拍手の音が鳴った。

 会議の参加メンバーは代表の双葉杏に、所属アイドルの安部菜々・星輝子・白坂小梅・神崎蘭子の計5人である。

 しかし会場は杏宅のリビング、しかも普段食事を摂るときに使うテーブルであり、しかも全員がお風呂上がりのパジャマ姿である。発言のときにもいちいち挙手はしないし、発言する彼女達に緊張した様子は一切見られない、実にリラックスした雰囲気で行われる。その光景は会議というよりも、寝る前のちょっとした団欒(だんらん)と表現した方がしっくり来る。

 だがその話している内容に耳を傾ければ、間違いなくそれが“会議”であると納得するだろう。

 

「皆さん、“チェキ”って知ってますか?」

 

 菜々の質問に肯定の表情を浮かべたのは杏だけで、残りの3人は首をかしげていた。

 

「チェキっていうのは元々アナログフィルムを使うコンパクトなカメラのことだったんですけど、地下アイドルやメイドカフェではそれを使って一緒に写真を撮ることを指すんです。特に地下アイドルの劇場では、お金を払ってアイドルとのツーショット写真を撮るサービスがあるんですよ」

「お、お金を払って一緒に写真を撮るのか……」

 

 輝子の困惑した声に、杏が苦笑いを浮かべて菜々の説明を引き継ぐ。

 

「ファンとの距離が近い地下アイドルならでは、だよね。大抵の劇場ではチケットやグッズの売上だけじゃ正直厳しいから、チェキって結構重要な収入源になってるんだよ。劇場によっては、アイドルのステージ出演料がもの凄く安く設定されていて、チェキを歩合にすることで利益を稼いでる所もあるよ」

「み、みんな、大変な想いをして頑張ってるんだね……」

「傍目には華やかな幻想世界にも、魑魅魍魎(ちみもうりょう)跋扈(ばっこ)しているということか……」

 

 ちらりと垣間見たこの業界の薄暗い部分に、小梅は少々オブラートに包んだ感想を述べ、蘭子は遠回しに見えて普通に率直な感想を述べた。

 

「んで、菜々さん。その話を持ち出したってことは、ウチでもチェキをやりたいってこと?」

「えっ! そ、そうなのか……! そ、それって、ファンの人達とツーショット写真を撮るってことだよな……! そ、そんなの無理だぞ……!」

「し、知らない人、怖い……!」

「我が偽りの器には、か、かような試練は荷が重すぎる……!」

 

 杏が菜々に尋ねた途端、208プロのコミュ障メンバーが一斉に慌て始めた。所属アイドル4人の内3人がコミュ障というのは、地下アイドルとはいえ“アイドル”を標榜する劇場として如何なものだろうか。

 

「いえいえ、そういうことじゃないですよ。ただナナ達の劇場で売ってるノベルティグッズって、ナナ達の顔がプリントされたものって無いじゃないですか」

 

 菜々の言う通り、きらりによってデザインされたTシャツやキーホルダーなどは、杏の意向もあって“普段の生活で使っても違和感の無いもの”として作られている。なのでアイドル自身の顔写真は使われておらず、例えば輝子の場合はデフォルメされたキノコがプリントされている、といった感じに“分かる人だけ分かる”ようになっている。だからこそ杏の劇場のノベルティグッズは、他の劇場と比べても女性客がよく購入する傾向にあるのだが。

 

「なのでナナ達のプロマイドか何かを発売すれば、ファンの皆さんも喜んでくれるんじゃないかなって思うんですけど」

「プロマイド、かぁ……」

 

 しかし菜々の提案に対して、杏の表情は渋かった。

 

「あれっ、あんまり良くない感じですか? プロマイドなら種類も多く出せますし、良いグッズになると思ったんですけど」

「それ自体は別に悪くないんだけど……。ほら、アイドルのファンって“コレクター気質”みたいなところがあるでしょ? だからあんまり多く出すと、大金出して全部買おうとしちゃうかもなぁ、って思って」

 

 確かに、初めて劇場に来たと思われるファンの中には、全アイドルの全グッズを制覇しようとして何万円もの大金を払うというケースが割とよく見られている。

 

「そりゃ杏達からしたらそっちの方が儲かって良いんだろうけど、そういうのって“バランス”があると思うんだよね。――それとまぁ、これが一番大きな理由なんだけど……」

 

 杏はそこで一旦言葉を区切ると、菜々の方をちらりと見て、

 

「単純に、面白みに欠ける」

「……むむぅ、やっぱりそこに行き着きますか」

 

 杏の言葉に菜々は反論する様子も無く、むしろ納得した感じで頷いた。

 

「いや、でもカード形式のグッズっていうのは無かったから、それ自体は良いんだよ。でも写真だけだと正直弱いから、何か“付加価値”があると良いんだけど……」

「付加価値、ですか……。――あっ、そうだ! テレフォンカードなんてどうでしょう!」

「……菜々さん、テレフォンカードなんて今時使う?」

「へっ? ……駄目ですね」

 

 杏からの議題に対し、菜々を始めとした全員が一斉に腕を組んで考え込んだ。

 そして最初に顔を上げたのは、小梅だった。

 

「わ、私達の曲を付けるっていうのは……?」

「曲? カードにCDを付けるってことですか?」

 

 そう尋ねる菜々に、小梅が首を横に振った。

 

「アルバムを売るときみたいに、ホームページからダウンロードできるようにするの……。えっと、シリアルナンバー、って言うんだっけ? あれをカードの裏に書いておくの……」

「有料コンテンツをカード形式で販売する、ってことか。うん、なかなか面白いんじゃない?」

「ほ、本当? えへへ……」

 

 上々な反応を見せる杏に、小梅は安心したように表情を和らげた。

 

「曲を付けるとなると、新曲ですか?」

「そこなんだけど……。うーん……、劇場限定で販売するグッズだし、おまけ的な立ち位置にしたいよなぁ……」

 

 再び腕を組んで考え始めた杏に、「な、なぁ……」と自信なさげな声が掛けられた。

 その声の主は、輝子だった。

 

「だ、だったら、自分以外の持ち歌を、自分が普段歌ってる感じのアレンジにカバーするっていうのはどうだ……?」

「ってことは、例えば輝子ちゃんのカードを買うと、他の3人の持ち歌を輝子ちゃん流にアレンジしたバージョンで聴けるってことか……。――うん、面白そうじゃん。輝子ちゃんのファンだから買ったのに、付いてくる曲は輝子ちゃん以外のアイドルの持ち歌ってところが、何か矛盾してて逆に面白い」

「わ、私は普段ホラーっぽくない曲調だから、思いっきりホラーっぽくした方が良いかな……」

「それじゃナナの場合は、普段みたいにピコピコした感じですかね」

「我が奏でる調べは、常に豪華で壮大なるものよ! なれば、たとえ異教の調べであろうとも、我の手に掛かれば同じ道を辿ることは至極当然!」

 

 輝子の提案に杏が賛同したことで、他の3人も楽しそうな表情で想像を膨らませていった。どうやらこのカバー企画に対して、全員が乗り気なようである。

 

「よし、それじゃプロマイドにカバー曲を付けるっていう感じで行こうか。――輝子ちゃん、仕事に余裕はある?」

「だ、大丈夫だ……。曲さえ決めちゃえば、アレンジだけだからそんなに時間は取られない……」

「そっかそっか。じゃあ輝子ちゃんの担当は本人に任せて、後は李衣菜達に――」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 杏の言葉を慌てた声で遮ったのは、菜々だった。

 

「どうしたの、菜々さん?」

 

 杏が尋ねると、菜々は数秒間迷うような表情を見せ、意を決したように口を開いた。

 

「……そのアレンジ、自分でやることってできませんか?」

「自分で?」

「ええ。――実は、いつか自分の曲を自分で作りたいって思ってまして……。そのための練習といいますか……」

「杏としては別に構わないけど、菜々さんって楽器とかやったこと無いよね? 素人だと、曲のアレンジだけでも凄く大変だと思うよ?」

「わ、分かってます! 皆さんに聞かせられるものになるまでに、多分凄く時間が掛かるかもしれません! でもナナは、自分の力で作ってみたいんです!」

 

 菜々が力強く拳を握りしめながらそう言うと、

 

「え、えっと……、杏さん……。じ、実は私も……」

「我も常々、世界の全てを我が手中に収めたいと思っておったところだ!」

 

 小梅と蘭子も、菜々に触発された(あるいは後押しされた)ように口々にそう言った。

 それを受けて、杏も真剣な表情で考える。正直言って、3人に任せていたら完成にどれだけ時間が掛かるか分からない。それにクオリティのことを考えたら、素直にプロに任せた方が確実だ。

 しかし、

 

「……うん、良いんじゃない? 企画としても面白そうだし」

「ほ、本当ですかっ!」

 

 杏の言葉に、菜々達3人は喜びを顕わにした。その様子を眺めていた輝子も嬉しそうに微笑み、菜々達に「何か困ったことがあったら、私に相談してくれ……」と弱々しい声ながらも心強い言葉を掛ける。

 

「よし。それじゃ、とりあえず1ヶ月くらい期間をあげるから、その間にできるところまでやってみてよ。それを見て、また改めて決めるからさ」

 

 杏がそう言うと、菜々達3人は凛々しい顔つきで頷いて応えた。杏はそれを見て、やる気満々なのは良いことだ、と自分のキャラに似合わないことを自覚しながらそう思った。

 

「んじゃ、新しいグッズについてはここまでとして……。――最後に、蘭子ちゃん。新しいライブのストーリーについてだけど」

 

 名前を呼ばれた蘭子は、新しいことに挑戦することにワクワクしているような表情から、不安と緊張が綯い交ぜになったような複雑な表情へと変えて杏に向き直った。

 

「この前渡してくれたストーリーの草案、読ませてもらったよ。――うん、大丈夫。あれで進めようと思う」

「ま、誠か!」

 

 それを聞いた瞬間、蘭子はパァッと晴れやかな笑みを浮かべて立ち上がり、そして次の瞬間にはホッと息を吐いて腰を下ろした。けっして少なくない時間を掛けて作り上げたストーリーがボツにならなくて、ひとまず安心といったところだろう。菜々達も、そんな彼女の頑張りを知っているので「良かったですね」と労いの言葉を掛けていた。

 

「んで、スケジュールを考えると、今すぐにでもムービーを録りたいところなんだけど……。今回のストーリーって、主人公が蘭子ちゃんくらいの歳の女の子だよね? 蘭子ちゃんの中で、この人が良いってイメージはあるの?」

 

 杏がそう尋ねると、蘭子は何やら口をもごもごさせて、あちこちに視線をさ迷わせていた。

 

「どうしたの? ひょっとして、結構な大物だったりする?」

「むっ! そ、そうではない! ……むしろ、この世界の住人ではない」

「この世界の……ってことは、もしかして素人さん?」

 

 杏の問い掛けに、蘭子は頷いて答えた。



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第17話 『変化』

 その女子中学校は“お嬢様学校”として、地元から少し離れた場所でも有名な学校だった。元々は明治の初めに創立された大学が生徒数の拡大に伴って分化したのが始まりであり、その歴史に恥じない格式の高さと教養の深さが自慢であると学校側は豪語している。

 しかし学校側と生徒側で意識の格差があるのはどこも同じで、生徒達が学校の自慢できる点を質問されたとするなら、真っ先に“制服が可愛い”が挙げられるだろう。

 “可愛い”といっても奇を衒ったようなフリフリの飾りを施しているわけではなく、むしろ学校が主張する格式の高さに見合った、首元の赤いリボンがトレードマークのクラシカルな装いであり、まさに“お嬢様学校”と呼ばれるに相応しい上品さを兼ね備えている。

 しかし彼女達も、全てに対して満足しているわけではない。確かに制服は自慢できるくらいに可愛いのだが、校則が厳しいために髪型に制限があり、アクセサリーの類も禁止されている。そのせいでオシャレの幅が極端に狭くなり、だから彼女達は良く表現すれば“上品”、悪く表現すれば“地味”という印象は拭えなかった。

 

 しかし、どのような物事にも必ず“例外”は存在する。

 特に、或る教室の窓際最後方の席に座る生徒とその隣に座る生徒は、その中でも顕著だと言えるだろう。

 1人は光の加減によって銀色にも見える独特の色合いをした長い髪をツインテールのように結び、さらにその毛先を縦方向に巻くという奇抜なヘアスタイルをしていた。しかし整った顔立ちと育ちの良さから来る洗練された所作のおかげか、クラシカルな制服と相まって彼女自体が高級なお人形のような印象を抱かせる。

 そしてもう1人は、毛先を外に跳ねさせた金髪のショートヘアに、もみあげと後ろ髪の辺りから伸びる長いエクステという、こちらもなかなか奇抜なヘアスタイルをしている。その凛々しい顔立ちは中性的でもあり、先程の銀髪の少女と並ぶとそういう“カップル”に見えなくもない。

 現在は、本日全ての授業が終わった放課後。窮屈な想いで過ごす勉強の時間から解放された生徒達の声が、学校のあちこちから溢れかえっている。2人のいる教室もその例に漏れず、仲の良い生徒同士で集まってこれからの予定を話し合ったり、あるいは何の取り留めの無い会話に華を咲かせたり、部活動のために急いで教室を出ていったりしていた。

 

「…………」

 

 しかし銀髪の少女はそんな時間になっても一向に席を立とうとせず、口を引き結んだ緊張の面持ちでじっと机を見つめていた。そしてそんな彼女を、エクステの少女が若干呆れるような表情で眺めていた。エクステの少女が近づいても、銀髪の少女が気づく気配は無い。

 

「……蘭子、もう放課後だよ」

「ふえっ! ――そ、そうか……。すまぬ……」

 

 あからさまに狼狽える銀髪の少女――神崎蘭子の姿に、エクステの少女――二宮飛鳥は苦い表情を浮かべて大きな溜息を吐いた。それだけのことで、蘭子が怯えたようにビクッ! と肩を跳ねさせる。

 

「そんなに怯えないでくれ。謎の罪悪感が生まれそうだ」

「……う、うむ、すまぬ」

「どうしたんだい、蘭子? 今日は何だか様子が変だよ。ボクが声を掛けても上の空だし、授業中も何かに気を取られて“心ここにあらず”といった感じだ」

「…………」

 

 飛鳥に問い掛けに、蘭子は無言で返した。言いにくそうに机を見つめていることが、他のどの返事よりも明確な回答となった。

 

「君が何かを悩んでいるのは、火を見るよりも明らかだ。ならば君の親友を自負しているボクとしては、君の力になりたいと思うのが自然な発想だ。もちろん、君が話したくないと言うのならそれ以上踏み込むことなんてできないけどね」

「…………」

「それとも、君の親友というのはボクの自惚れだったかな?」

「う、自惚れなんかじゃないよ! 私は――」

 

 思わず顔を上げて大声を出した蘭子だが、目の前の飛鳥が笑いを堪えるように口元を押さえて小刻みに震えているのが分かると、蘭子は餌を頬張ったハムスターのように頬を膨らませてそっぽを向いた。

 

「くくく……、ごめんごめん。そこまでムキになって否定してくれるなんて、親友冥利に尽きるというものだ。そんな君だからこそ、ボクは君の力になりたいと素直に思えるんだ」

「…………むぅ」

 

 飛鳥の熱意が通じたのか、蘭子は膨らんでいた頬を萎ませて飛鳥に向き直った。

 そして、ぽつぽつと話し始めた。

 

「……実はね、飛鳥ちゃんにお願いがあるの」

「……お願い、か」

 

 普段の“邪気眼モード”ではない素の口調の蘭子に、飛鳥も自然と真剣な顔つきとなる。

 

「……飛鳥ちゃん、今日時間ある?」

「もちろんだ。付き合うよ」

「うん。じゃあ、もっと静かな場所に行こ」

 

 席を立って教室を出ていく蘭子の背中を眺めながら、飛鳥は彼女の後をついていった。

 

 

 *         *         *

 

 

 346プロ本社ビルと同じ敷地内にあり、その建物と空中廊下で繋がっているそのビルが、諸星きらりが立ち上げたファッションブランドの本社ビルである。

 元々は現346プロの社長である桐生つかさが、346プロを立ち上げる前に経営していた女子高生向けアパレル会社のブランドの1つとして始まったものだ。“奇跡の10人”の1人であるきらり自身がモデルとして広告塔となったこともあり、現在は346プロの子会社、つまり実質的に美城グループの系列会社として独立するほどに成長した。

 しかし勘違いしないでほしい。確かにきらりがモデルを務めることによる話題性もあったが、きらりの会社がここまで大きくなったのは、ひとえに彼女の作る服がオシャレに敏感な若者の琴線に触れたからであり、紛れもなく彼女のファッションデザイナーとしての実力あってのことである。

 そんな彼女がファッションブランドを始めるきっかけは、まだ346プロが雑居ビルの1フロアを間借りしていた頃から、同期のアイドル達のライブ衣装やステージのデザインを手掛けていたからだ。そしてそれは彼女の会社が大きくなってからも止めることはなく、現在でも346プロのアイドル達をトップアイドルへと導くべくライブ衣装などのデザインを続けている。

 

「はい! できてるよぉ!」

 

 衣装のデザインや製作を行う大きなテーブルが中央に置かれた社長室にて、きらりが実に楽しそうな満面の笑みでそう言いながら、1枚の紙を“彼女”に手渡した。

 

「ふーん、どれどれ……」

 

 そしてその紙を、応接セットであるソファーに寝そべる双葉杏が受け取って目を通した。

 その紙には色鉛筆によって衣装のデザインが描かれており、赤いシルクハットに同色のジャケット、そしてその下はタキシードに似た黒いスーツというものだった。それだけ聞くと男性的な衣装に思えるが、ジャケットの裾から覗く青いフリル生地がスカートを思わせ、さらに中に着るシャツの裾が短くなっているため、タキシードのフロントカットからお腹の辺りがちらりと見えるようにデザインされている。

 

「おぉ、さすがきらりだね。写真を見せただけなのに、もう飛鳥ちゃんに合う衣装をデザインしちゃうなんて」

「うっきゃあ! 杏ちゃんに褒められちゃったにぃ!」

 

 出会ったときから変わらぬ特徴的な口調で、そしてその大きな体をフルに使って喜びを顕わにするきらりに、杏の口元にも自然と笑みが浮かんでいた。

 するときらりは、ソファーに寝そべる杏の隣へと腰を下ろした。そこは杏の頭のすぐ傍であり、ソファーが沈み込むのに合わせて杏の体がきらりの方へ移動し、きらりがそれを受け止めるような流れで杏の頭を自身の太股へと乗せた。いわゆる“膝枕”である。

 

「とりあえず蘭子ちゃんの“説得”が上手くいったらここに連れてくるから、そのときは改めて微調整とか採寸とかよろしくねぇ」

 

 きらりにされるがままになっている杏の呑気な声に、

 

「……ねぇ、杏ちゃん」

 

 きらりはどこか暗い表情を浮かべて、遠慮がちに口を開いて杏に話し掛けた。

 

「飛鳥ちゃんがライブに出るか、まだ決まってないんだよね?」

「うん、まぁね。でもまぁ、今まさに蘭子ちゃんが説得してることだし、大丈夫でしょ」

 

 杏はそう言いながら、寝そべった姿勢のままきらりに向かって口を開けた。それを見たきらりは、カラフルな包装紙に包まれた飴玉をポケットから取り出して、包装紙を剥がして彼女の口にそっと近づける。そして杏は頭を少しだけ上げて、小鳥が餌をついばむようにその飴玉を口に入れてコロコロと舐め始めた。

 

「あんまー。やっぱ飴は最高だねー。家で舐めてると、菜々さんが『飴ばかり舐めてるとご飯が食べられなくなっちゃいますよ』ってうるさいんだよねぇ。杏のお母さんかって――」

「杏ちゃん」

 

 その見た目や言動に反して非常に人を気遣うきらりが、杏の言葉を遮って話し掛けてきた。杏はそれを咎めることなく、口を閉ざしてきらりの顔をじっと見つめる。

 

「……杏ちゃんは蘭子ちゃんのこと、すっごく信頼してるんだね」

「まぁね。蘭子ちゃんに限らず、事務所の4人は元々実力はあったからね。杏がわざわざ手を貸さなくても、あの4人は色々と考えて動いてくれるから、こっちとしては凄い楽だよ」

 

 実に楽しそうに話しながら飴を舐める杏を、きらりは微笑みを携えながら見下ろしていた。

 その笑顔が不自然なものだと気づけるのは、おそらく杏だけだろう。

 

 

 *         *         *

 

 

 蘭子が飛鳥を連れて案内したのは、彼女達の通う学校から電車で数駅離れた場所にあるスイーツ店だった。甘い香りが表にまで漂ってくるそこは、その匂いに引っ張られるように集まってきた大勢の少女や若い女性、そしてごく少数のスイーツ好きの男性で賑わっていた。

 しかし2人は正面の入口からは入らず、店の横にある小道に入って裏へと回った。蘭子の後ろをついて歩く飛鳥が怪訝な表情を浮かべるが、すぐに納得いったように、そしてこの場を楽しむように笑みを浮かべた。

 どう見てもスタッフ用の出入口にしか見えないドアを開けて、2人は中へと入っていった。両脇に段ボール箱が積み重なる狭い通路を通り抜け、スタッフが忙しなく働く厨房の脇へと差し掛かる。当然ながらこんな場所に入ったことのない飛鳥は、物珍しそうにあちこちに目を遣りながら、蘭子のすぐ後ろに貼りつくようにして歩みを進めていく。

 

 と、そのとき、調理スタッフらしき若い女性が蘭子達の姿を見つけ、驚いたような表情を見せて駆け寄ってきた。ニコニコと満面の笑みで2人を歓迎するその女性に、飛鳥は蘭子の後ろで静かにホッと息を吐いた。

 そうして2人が案内されたのは、スタッフ用の通路からさらに奥まった場所にひっそりと備えつけられたVIPルームだった。広めのボックス席を切り取ったようなその部屋で、蘭子と飛鳥は互いに向かい合うように腰を下ろした。

 

「成程、これが芸能人御用達の“VIPルーム”というヤツか。蘭子もこういう部屋を使うようになったとは、自分のことではないのに何やら感慨深いものを感じるよ」

「……好きなの頼んで良いよ。付き合ってくれたお礼に、私が出すから」

「別に君の頼みならば、いつでも喜んで付き合うんだけどね」

 

 深刻な表情でテーブルの辺りをじっと見つめる蘭子に対し、飛鳥はあくまで微笑を崩さない。どことなく演技臭いその仕草は彼女が普段から行っているものであり、それによって彼女は“本当の感情”をその演技の裏に隠している節がある。

 夕食の時間としてもおかしくない時間帯なので、結局蘭子はオーガニックフルーツのジュース、そして飛鳥はブラックコーヒーを注文した。店員がそれを運んできて、儀礼的な動きで2人が同時に口をつける。

 

「……っ」

 

 飛鳥がほんの少しだけ顔をしかめ、静かにコーヒーカップを置いた。

 それに倣うように、蘭子もジュースの入ったコップをテーブルに置いた。

 

「……飛鳥ちゃんに、お願いがあるんだ」

 

 その瞬間、ぴくり、と飛鳥の肩が跳ねる。腕を組んで改めて座り直し、蘭子の方へと向き直る。その一連の動作はひどくゆっくりで、それはまるで自分の心が落ち着くまでの時間を稼いでいるかのようだった。

 しかしその時間は、蘭子にとっても有難いものだった。

 

「実は今、新しいアルバムを作ってて、もう歌もストーリーも完成しているの」

「何と、それは朗報だね。完成したらぜひとも聴かせてもらうし、ライブにも足を運ばせてもらうとしよう」

 

 飛鳥の言葉に蘭子はホッとするような笑顔を見せ、しかしすぐにその表情を引き締めた。

 

「うん、ありがとう……。それでね、飛鳥ちゃんに頼みがあるんだけど……」

 蘭子はそこで一旦言葉を区切り、何回か大きく深呼吸をして胸の鼓動を落ち着かせた。

 そしてその大きく澄んだ目をまっすぐ飛鳥へ向けて、

 

 

「そのライブで、飛鳥ちゃんに出演してほしいの」

 

 

「……出演というのは、ライブで流すムービーに出るということかな?」

 

 飛鳥の問い掛けに、蘭子は首を横に振った。

 

「今回のライブでも映像は使うけど、飛鳥ちゃんの演じるキャラは実際にステージに立つの。歌ったり踊ったりはしないけど、音楽に合わせて台詞を言ったり演技をしてほしいんだ」

「…………、そうか」

 

 飛鳥の返事に蘭子は大きく頷き、ジュースのストローに口をつけた。果汁独特の酸味と自然な甘みが口の中いっぱいに広がり、乾いていた口内に染み渡っていく。

 そして彼女がコップを置いたタイミングで、飛鳥が彼女へと質問する。

 

「なんでボクなんだい? ボクには演技の経験なんて皆無だし、プロの俳優を招いた方が確実にクオリティも高くなるだろうし、見栄えも良くなるに違いない」

「……実はね、今度のストーリーの主役は、飛鳥ちゃんをイメージして作ったの」

「ボクを?」

 

 飛鳥の問い掛けに、蘭子は力強く頷いた。

 

「主人公の女の子は、小さい頃は空想とか好きで物語を作るのが趣味だったんだけど、次第にそういうことをしなくなっていったの。だけどある日、突然目の前に現れた魔法使い――あ、これが私なんだけどね、その魔法使いに連れて行かれた世界が、その子が昔作った絵本の世界だったの。そこで色々なことを経験しながら現実世界へ戻ろうと奮闘する、って話なんだけど」

「成程、とても興味深い物語だ。なぜボクがその主人公のモデルとなったのかはこの際置いておくとして、なぜボクはムービーではなくステージに立っての出演なんだい? ムービーの方が撮り直しも利くし、失敗も無いだろう?」

 

 飛鳥の質問はもっともであり、だからこそ蘭子が事前に予測していたものである。

 

「前回のライブはムービーを使ってストーリーを進めて、ステージには私1人しかいなかったでしょ? だから今回は私以外の人をステージに立たせて、ムービー以外にストーリーを語る役目の人が欲しかったの」

「成程。前回のライブとの明確な差別化を図った、ということだね」

 

 納得したように腕を組んで頻りに頷いた飛鳥の言葉に、蘭子がパァッと晴れやかな笑顔を浮かべて「そうそう!」と大声で叫んだ。少し話しただけで真意を汲み取ってくれる聡明さが、蘭子が彼女に好意を持っている理由の1つである。

 

「……でも正直、全然知らない人と一緒にステージに立つのは不安なんだ。だから飛鳥ちゃんがステージに立ってくれると、私としても心強いかなって思って」

 

 蘭子はそう言うと口を閉ざし、じっと飛鳥を見つめた。そんな彼女の視線から逃げるように、飛鳥はテーブルのコーヒーに視線を落とし、おもむろにそれを取って口をつけた。ほんの少し顔をしかめ、静かにカップを置いた。

 

「……訊いても良いかな? なんでそこまでボクにこだわるんだ? 知らない人が不安なら、他のアイドル達にその役目を担ってもらうのも1つの方法だ。――それに蘭子も立派なプロだ。個人的な感情のみでズブの素人であるボクを起用しようと思うような性格でないと、短くない期間君と付き合ってきたボクの推測なのだが」

「…………」

 

 飛鳥にとっては当然の質問なのだが、蘭子は答えにくそうにジュースのストローに口をつけた。しかし飛鳥は彼女を急かすことなく、彼女が口を開くのを黙って待っている。

 やがて、蘭子が口を開いた。

 

「……飛鳥ちゃんは、私にとって“恩人”なの」

「……恩人とは、これまた随分と大きな評価を頂いたものだね」

 

 フフッと笑ってみせる飛鳥だが、その“演技”の端々に喜びが垣間見えている。

 

「最初に飛鳥ちゃんが私に話し掛けてくれたときのこと、憶えてる?」

「……あぁ、憶えてるよ」

「私が自分の服装でクラスのみんなに馬鹿にされてたとき、飛鳥ちゃんだけはそれを褒めてくれたでしょ? 私、飛鳥ちゃんのあの言葉があったから、あの服を止めたりしなかったんだ。だから私が今こうして、自分の好きなようにアイドルをやれるようになったのも、飛鳥ちゃんがいたからなんだよ」

「ボクがいなくても、蘭子は自分の望む形で生きていくことができたと思うよ。君は元々、それだけ強い意志を持っているんだから。――それに“恩人”というのなら、それはボクにとっても同じことだ。君がいてくれるからこそ、ボクはエクステをつけて学校に行くことができる。ボクは1人ではこの程度のささやかな抵抗すらできない、とても矮小な人間なんだよ」

 

 飛鳥の言葉は本心からのものだったのだが、蘭子は静かに首を横に振った。

 

「……私はいつも怖いんだ。自分のやっていることが、本当に正しいことなのか。そんなとき、私はいつも飛鳥ちゃんの言葉を思い出すの。飛鳥ちゃんが認めてくれるから、私は安心して自分の好きなことをやれるの。――だからかな、飛鳥ちゃんにいつも近くにいてほしいって思うようになったのは」

 

 蘭子はそう言って、にっこりと微笑んだ。

 

「――――」

 

 杏にスカウトされる前から何回か声を掛けられたことのある彼女の微笑みは、飛鳥の平静を揺さぶるのに充分すぎるほどの力があった。

 

「……えっと、しかしやっぱり、ボクはプロに頼んだ方が良いと――」

 

 飛鳥が何か言おうと蘭子へ視線を向けたそのとき、彼女の目に飛び込んできたのは、今まで以上に真剣な表情でこちらを見つめる蘭子の姿だった。ただでさえ整った容姿の蘭子がそんなことをすれば、同性の飛鳥が息を呑んで言葉を失ってしまうのも無理はない。

 そしてその表情で、蘭子は次の言葉を口にした。

 

「――私は、飛鳥ちゃんと一緒にステージに立ちたいの」

「…………そう、か」

 

 蘭子の視線に堪えきれなくなったのか、飛鳥はフイと顔を逸らして絞り出すような声でそれだけ答えた。普段からクールな言動を心掛けている彼女は今、耳まで真っ赤に染まっている。

 それでもじっと飛鳥を見つめ続ける蘭子に、飛鳥は観念したと言いたげに軽く首を横に振った。

 

「……分かったよ。まさか蘭子の意思がここまで強いとは思っていなかったよ。思わず――いや、何でもない」

 

 何やら口を滑らせかけた飛鳥だったが、そこで言葉を区切って蘭子に向き直ると、

 

「――良いだろう、蘭子。せっかくの“親友”の頼みだ。正直不安な気持ちの方が大きいが、ここは親友の胸を借りることにしよう」

「――うむ! よくぞ言った! それでこそ“同志”よ!」

 

 クールな微笑みを携える飛鳥に、大袈裟な決めポーズを取る蘭子。

 2人の耳は、未だに真っ赤に染まったままだった。

 

 

 *         *         *

 

 

「うん、分かった。それじゃ細かい日程はまた改めて決めるから、今日は2人でご飯食べに行ってきなよ。うん、後で領収書渡してくれれば良いから。大丈夫だって、そんなに遠慮しなくて。“接待交際費”ってヤツだよ。はいはい、じゃあねー」

 

 きらりの会社の社長室で、応接セットのソファーできらりの太股を枕に寝そべっている杏が、その姿勢のまま蘭子との会話を終え、ポケットにスマートフォンをしまった。

 

「上手くいったの?」

「うん。今度は飛鳥ちゃんと一緒に来るから、都合つけてくれる?」

 

 杏の言葉にきらりは「分かったにぃ」と答えながら、胸ポケットから可愛らしいデコが施された手帳を取り出した。

 

「えっと……、今度の月曜の午後が空いてるにぃ」

「んじゃ、飛鳥ちゃんの学校が終わったらここに来るから、そのときはよろしくね」

「うん、分かったにぃ! 杏ちゃん達のために、最高の衣装を作るからねぇ!」

 

 両手の拳をグッと握りしめて、きらりは力強くそう宣言した。

 それを若干苦笑いで眺めていた杏は、「よっこらしょ」と呟きながらきらりの太股から頭を離して起き上がると、

 

「それじゃ、杏もそろそろ帰るね」

「杏ちゃん、もう帰っちゃうの? せっかくだから、一緒にご飯食べよ?」

「悪いけど、菜々さんがもう夕飯作っちゃってるから。事前に外で食べてくるって言わないと、菜々さん怒るんだよねぇ」

「……そっか、それじゃ仕方ないにぃ」

「一緒の食事はまたの機会ということで。それじゃあね、きらり」

 

 ひらひらと手を振って社長室を後にする杏に、きらりは「またね、杏ちゃん!」とその長い腕を懸命にブンブンと振って返事をした。そんなきらりに杏はクスリと笑みを漏らしながら、社長室のドアを閉じていった。

 ドアが完全に閉まり、杏の姿が見えなくなった。

 しばらくは杏を見送ったままの笑顔だったきらりだが、数十秒経った頃にはその笑顔も消え、代わりに眉をハの字にした寂しそうな表情が浮かんでいた。

 

「そっか……、そうだよね……。杏ちゃんも、今はアイドル事務所の社長だもんね……」

 

 きらりはぽつりと呟くと、社長室の一番奥に置かれた光沢のある大きな事務机へと向かい、大きな体のきらりでも余裕のある椅子(背もたれ+肘当て付き)へと腰を下ろした。衣装のデザインや製作を行う大きなテーブルが中央に鎮座し、先程まで杏がいた応接セットが入口に近い場所に置かれている。壁際には海外の雑誌やら古今東西の服飾を纏めた書物など、デザインに関連する資料がびっしりと詰まった大きな棚が並んでいる。

 誰が見ても“立派な社長室”と称されるその部屋が、今の彼女の活動拠点だ。今でもテレビに出てタレント活動することは多いし、モデルとして華々しく活躍することもあるが、今の彼女は“アパレル会社の社長”であり“デザイナー”だ。この部屋でデザインに頭を悩ませたり、様々な人達と打合せすることが必然的に多くなる。

 

「きらりも杏ちゃんも、他のみんなも……、“昔のまま”なんて有り得ないんだにぃ……」

 

 普段とはまるで違う、今にも消え入りそうなその声に答える者は、この場にはいなかった。

 

 

 *         *         *

 

 

「…………」

 

 とあるマンションの一室。

 その部屋の主である、子供のように小さな体に大人らしい大きな胸をしたその女性――片桐早苗は、無言のままリビングの座卓に体を突っ伏したまま動かなかくなっていた。顔の見えないその姿からでも、彼女の全身から疲れ切っているオーラが(ほとばし)っている。

 そして彼女のすぐ傍では、クリーム色の髪にエメラルド色の瞳をした少女――遊佐こずえが、焦点の定まっていない目つきで黙々とシュークリームを頬張っていた。そんな彼女の目の前には、同じシュークリームが山のように積み上がっている。

 

「……駄目だ、もう限界。さすがにこのままじゃまずい」

 

 机に突っ伏したまま、早苗が呻くように呟いた。むくりと起き上がった彼女の目元には、くっきりと隈が刻まれている。

 そしてその疲れ切った目を、こずえへと向けた。視線を向けられてもなお、こずえはその目を何も無い虚空へと向けたままシュークリームを食べ続けている。

 

「……普通なら施設に預けるところだけど、この子が施設で上手くやっていけるのかしら……?」

 

 甘いもの以外は一切口にしようとせず、まともに眠っているところを見たことがなく、そしてときどき脱走を試みる。常にどこを見ているのか分からない目つきに、まともにコミュニケーションを取ることもできない。

 そんな彼女が相手では、いかに警察から信用されている児童養護施設といえども厳しいかもしれない。それに同じ施設に預けられた子供とトラブルになる可能性も大いにある。

 

「ねぇ、こずえちゃん」

 

 視線を向けられてもなお、こずえはその目を何も無い虚空へと向けたままシュークリームを食べ続けている。

 

「こずえちゃんは、今の生活の方が良い? それとも、こずえちゃんと同じくらいのお友達と一緒に暮らしたい? ……それとも、他にこずえちゃんの希望とかあるかしら?」

 

 しかし早苗がそう尋ねた瞬間、こずえはシュークリームを頬張る口と手を止めて、視線だけを早苗の方へと向けた。

 そしてぽつりと、意識を集中させないと聞き取れないくらいのボリュームで呟いた。

 

「こずえ、あんずといっしょー……」

 

 それだけ答えると、こずえは再びシュークリームを食べる作業に戻った。

 

「…………、分かったわ」

 

 早苗はそう答えると、ポケットから携帯電話を取り出してボタンを押し始めた。

 そしてそれを、こずえはシュークリームを頬張りながら眺めていた。



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第18話 『集結』

「……いよいよ、本日ですね」

 

 武内の真剣な表情と言葉に、奈緒と加蓮も同じように真剣な表情で頷いた。

 彼ら3人がいるのは、346プロのアイドル専用談話室。普段はアイドル達が和気藹々とお喋りを交わす楽しい空間なのだが、今この瞬間はどこか独特の緊張感が漂う息苦しい空間と化していた。

 それもそのはず、今日が奈緒と加蓮が杏の事務所に移籍する日なのである。

 1週間ほど前に記者会見で杏の事務所に一時的に移籍することが発表されてから、あちこちで大きな反響が巻き起こった。それは“奇跡の10人”である渋谷凛がプロデュースするユニットのメンバーが、同じく“奇跡の10人”である双葉杏の事務所に移籍する、という構図が様々な人々の想像を掻き立てるのだろう。

 

「何かみんなごめんな、こんなに集まってもらっちゃって」

「良いって良いって★ アタシ達は仲間なんだから、こういうときに集まるのは当然っしょ!」

 

 そして2人が一時的とはいえ346プロを離れるということもあって、2人の見送りのために現在数人のアイドルが集まっていた。数人というと事務所の規模的に少々寂しい気もするが、身内からしたらその顔触れを知っただけで並の人物なら圧倒されるに違いない。

 なぜなら彼女達は全員、武内がプロデュースしている、いわば“武内組”の面々だからである。

 

 先程奈緒に返事をしたのは、高校生のカリスマアイドルとして人気の城ヶ崎美嘉。

 そして彼女の妹であり、ユニット“ファミリアツイン”を結成している城ヶ崎莉嘉。

 2人と同じく読者モデル出身であり、独特の雰囲気で人気を獲得している佐久間まゆ。

 さらには、ソロでもユニットでも快進撃を続ける大型新人である塩見周子。

 そして、

 

「にゃっはっはー! 2人共緊張してるねぇ! 別に346プロに戻ってこれない訳じゃないんだから、もっとリラックスリラックス!」

「いや、そんな気楽なもんじゃないって。――志希」

 

 ソファの背もたれに体を投げ出した、本人の言葉通り非常にリラックスした雰囲気の少女・一ノ瀬志希に、奈緒も加蓮も苦笑いを浮かべていた。しかしそんな彼女のおかげもあって、2人は先程よりも若干表情が和らいでいる。

 一ノ瀬志希は今年で18歳になるが、海外で飛び級をしてすでに大学過程まで修了しているので高校には通っていない。幼少期に“ギフテッド”(生まれつき学習能力が異常に高く、自分流の方法で特定分野の知識を吸収していく人々)と診断され、本人も化学分野――特に“匂い”に関することに強い関心を持っている。

 しかし海外での勉強をつまらなく感じて日本に帰国したとき、武内にスカウトされてアイドル活動を開始した。そしてそこでも天才ぶりを発揮して、他の“武内組”にも引けを取らない大ブレイクを果たしている。

 

 ちなみにアイドルを始めてからも化学に対する興味は消えておらず、自宅を改造して専用のラボを造り、日夜怪しい薬品を作り続けている。ちなみにその資金には、彼女が“趣味”で作った香水を美城グループのコスメ部門で販売することで得たパテント料が使われている。

 そんな彼女も含めた4人+奈緒と加蓮が、この部屋にいる“武内組”のメンバーである。本当はもう1人メンバーがいるのだが、彼女は現在346プロのスタッフと大事な打合せをしているためここにはいない。

 

「頑張ってね、奈緒ちゃん、加蓮ちゃん! ライブが決まったら、絶対に観に行くからね☆」

「うん、ありがとう莉嘉ちゃん」

「色々大変だとは思うけど、まぁ2人なら大丈夫でしょ★」

「おう! せっかくだし、346プロじゃできないことをやってみるよ」

「あははっ、気合い充分だね。こりゃアタシ達も負けてられないなぁ」

「そういやさ、まゆはモデル時代の事務所を辞めてここに来たんだよね。事務所を移籍した先輩として、何かアドバイスとか貰える?」

「そうですねぇ……。まゆはほとんど勢いで辞めましたから、迷いとかそういうのもありませんでしたし……」

「事務所の人に何か言われなかったの?」

「一応引き留めてはくれましたけど、雰囲気で分かってたのかほとんど何も言いませんでしたね」

 

 移籍したからといって会えなくなる訳ではないが、顔を合わせる機会は減ってしまうに違いない。だからなのか、彼女達は“喋り溜め”でもするかのように楽しくお喋りをしていた。そして武内はそんな彼女達を邪魔しないように、少し離れた場所でそれを眺めている。

 そんな中、同じようにそれを眺めていた周子が、ふいに口を開いた。

 

「それにしても346プロを離れて地下アイドルの劇場に行くって、凄い決断だよねぇ。あたしは別に346プロでもやりたいことやってるし、なかなかそんな決断できないと思うわ」

「あたしも周子ちゃんも、結構好き勝手にやらせてもらってるしねぇ」

「いや、別に私達は346プロに不満がある訳じゃないんだよ? ただ私が杏さんの劇場に行くのは、このまま凛さんやプロデューサーに甘えてるだけじゃまずいなって思って、環境を変えて色々挑戦してみようとしただけで――」

「うんうん、ちゃんと分かっとるよー。記者会見のときにもちゃんと話したもんねぇ」

「でもさぁ、それを額面通りに受け取らない人も一定数いると思うよ? 『凛さんやプロデューサーに不満があるから、これを期に杏さんの劇場に鞍替えしようとしてる』なんて無駄に推理……ってか飛躍? しちゃってる人もいるからねぇ」

 

 志希の言葉に加蓮はうんざりしたような表情を見せるも、特に反論する様子は無かった。そのような層が一定数いることは加蓮自身も重々承知していたし、そもそも先日の記者会見でもそのような考えを前提とした意地悪な質問をしてくる記者がいたほどである。

 

「我々もそのような反応については想定内でした。しかし今回の移籍はあくまで期間限定でのイベントであることを強調したおかげか、想定よりも混乱が少なかったように思えます」

「プロデューサーさん、ここ数日は特に頑張っていらっしゃいましたもんね」

「Pくんすごーい! さっすがー!」

 

 莉嘉が満面の笑みで武内の腕に抱きつくが、武内は困ったようにもう片方の手を首の後ろに遣るだけで、特にこれといった反応は無かった。

 しかし彼女を無理に引き剥がそうとはせず、莉嘉に抱きつかれたまま奈緒と加蓮に向き直った。その真面目な表情に、2人の背筋も自然にピンとまっすぐになる。

 

「たとえお2人が346プロを離れようと、お2人が私達の“仲間”であることは変わりません。――お2人が安心してご自身のアイドル活動に尽力できるよう、私も双葉さんと同様に、最大限の努力でもってお2人を守っていきます」

「っ……!」

 

 まっすぐ2人を見つめて断言した武内に、奈緒と加蓮は頬を紅く染めて息を呑んだ。それを見ていた志希はニヤニヤと目を細め、周子も同じように含んだような笑みを浮かべてヒューッと口笛を鳴らした。莉嘉は目をキラキラさせて武内を見上げ、美嘉は言われた本人よりも顔を真っ赤にして、まゆは笑顔を浮かべたまま微動だにしない。

 

「…………?」

 

 ただ1人武内だけが、周りの反応の意味が分からずに首をかしげていた。

 

 

 

「あら、凛はん。お見送りには行かないんどすか?」

「……紗枝か。ちゃんと見送るつもりだよ。今は同期の子達と喋ってるだろうから、邪魔しちゃ悪いかなって思って」

「別に凛はんのこと、誰も邪魔ぁ思わんやないどすか?」

 

 アイドル専用談話室と同じフロアにある、自動販売機の置かれた休憩スペースのソファーに腰を下ろす凛。

 そんな彼女に話し掛けたのは、“武内組”のメンバーでもある小早川紗枝だった。艶のある黒髪ときっちりと着付けのなされた着物が、彼女の雰囲気を柔らかなものにしている。

 

「紗枝は? 見送りに行かないの?」

「うちはさっきまで、すたっふはんと打合せしてたんどす。それで打合せも終わったさかい、ちょっと顔出そぉ思ったんどす」

 

 口ではそう言っている紗枝だったが、彼女は喋りながら凛の隣へと腰を下ろしていた。凛も最初は訝しげだったが、それを指摘することは無かった。

 

「……凛はん、心配なんどすか?」

「…………」

 

 紗枝に問い掛けられても最初は答えなかった凛だが、紗枝がじっと見つめてくるので最後は観念したように首を縦に振った。

 

「奈緒と加蓮が向こうで上手くやれるのか、っていう心配もあるんだけど……。それ以上に、私の方で何かできたことは無かったのか、って考えることの方が大きいかな……」

 

 ぽつぽつと話し始める凛に、紗枝は口を挟まずに無言で耳を傾けている。

 

「特に今回の話が決まってから、それをよく考えるようになって……。“後悔”っていうのも少し違うんだけど、杏に迷惑を掛けずに何とかできたんじゃないか、とか思っちゃって……」

 

 凛としても、なぜ自分が紗枝に心の内を吐露しているのか分からなかった。このような相談なら武内とするのが普通であるし、同じアイドルの意見が欲しいにしても彼女のような新人ではなく、それこそ“奇跡の10人”といった同期の方が自然だろう。

 

「――ごめん。自分でもこれが何なのか、よく分かんないんだ……」

「せやなぁ……。凛はんはもしかしたら、寂しいんかもしれまへんね」

「寂しい?」

 

 紗枝の言葉に、凛は意外そうな表情を彼女に向けた。そして紗枝はその顔を見て袖口で口元を隠してクスクスと笑い、凛はムッと不機嫌そうに口を尖らせる。

 

「ふふっ、堪忍しておくれやす。凛はんを馬鹿にした訳やあらしまへんえ? 何や凛はん、えらいかいらしい思うて」

「……それで、寂しいってどういうこと?」

 

 ばつが悪そうに視線を逸らして話題を変える(というより元に戻す)凛に、紗枝は一瞬笑みを噛み殺すように口元を歪ませて、それから口を開いた。

 

「せやなぁ、一言で言うたら“親元を離れる子供を見送る親”ちゅうところですやろうか。凛はんからしたら、加蓮はんや奈緒はんが成長するんは嬉しいやけど、自分がおらんでも何とかなるんは嫌やぁ、てな具合やろか?」

「……何だか、随分と自分勝手な考えじゃない?」

「もちろん、これはうちが勝手に凛はんの気持ちを想像しただけのことやさかい、あまり気にせんといておくれやす」

 

 そう言って再び袖口を口元で隠してクスクスと笑う紗枝に、凛も最初は納得しがたい表情を浮かべていたが、やがて床に視線を落として小さく溜息を吐いた。

 

「でも紗枝に言われて、もしかしたらそうかもって思えてきたよ。加蓮と奈緒と対等に接したいとか思ってたのに、いつの間にか2人のことを下に見てたのかな……」

「……上だの下だのとは違うんやけど、やっぱり“アイドルとプロデューサー”ちゅうんは、どうしても“対等の関係”って難しゅうなると思うんどす。人に何かを助言するいうんは、たとえ本人がどないな心構えでいようとも、“教える(もん)と教えられる(もん)”に分かれてしまうさかい」

「……そういうもの、なのかなぁ」

 

 凛は大きな溜息と共に、自分の体をソファーの背もたれに投げ出した。ぼふん、という音と共にソファーが彼女の体を包み込んでほんの少し沈み、それに釣られて紗枝の体も少しだけ凛の方へと傾いた。

 そしてそれを合図とするように、紗枝はソファーから立ち上がった。

 

「せっかくやし、何か飲みましょうか。凛はん、何がよろしい?」

「えっと、それじゃブラックコーヒー……って、ごめん。お金払うよ」

「気にせんといてください。凛はんは座ってて」

 

 やんわりとした笑顔で凛を再びソファーに座らせると、紗枝はすぐ傍にある自動販売機でブラックコーヒーと緑茶を購入した。

 

「はい、どうぞ」

「……ありがとう、紗枝」

 

 紗枝からコーヒーを受け取った凛は、それを開けて一口飲んだ。子供の頃は飲めたものではなかった苦味が喉を通り抜け、彼女はホッと一息吐いた。

 それによって、頭の中に渦巻いていた感情がある程度リセットされたのか、

 

「それにしても、紗枝の方が私よりもよっぽどプロデューサーっぽいね。――やっぱり、()()()()()からそういうのって学んでるの?」

 

 突然そんなことを尋ねてきた凛に、紗枝は不思議そうに首をかしげた。

 

「何ですの凛はん、急にそないなこと言うて? うちはただ、武内はんがうちらのために汗水流して働いとる姿を見て、こういうことやないかなぁ思うただけどす」

「知ってるんだよ、紗枝。あんまり自分から表に出ようとしない紗枝だけど、その裏でどれだけ頭を巡らせてみんなのことを考えて、そしてそれを実行しているか。――紗枝がさっきまで出てたスタッフとの打合せも、そのことについて話してたんでしょ?」

「…………」

 

 口を閉ざしたまま何も言わない紗枝だが、凛は気にせず話し続ける。

 

「この前、周子が自慢げに話してるのを聞いたよ。『自分がソロでもユニットでも成功できたのは、紗枝ちゃんが色々とアドバイスしてくれたからだ』って。『紗枝ちゃんは自分にとって、もう1人のプロデューサーなんだ』とも言ってたかな」

 

 凛はそこで口を閉ざすと、紗枝の方へと視線を向けた。

 クスクス、と紗枝は袖口で口元を隠して静かに笑った。

 

「周子はんも、冗談が得意やなぁ。むしろ周子はんのおかげで、うちは売れっ子アイドルの真似事をさせてもろてるんどすえ? ほんま、周子はんと“羽衣小町”を組めて良かったわぁ」

「…………」

 

 いかにも楽しそうにそう話す紗枝を、凛は真剣な表情でじっと見つめていた。まるで、彼女の心の内を見通そうとするかのように。

 そんな凛の視線から逃れるように、紗枝は廊下の方へと視線を向け、

 

「凛はん、2人が来ましたえ」

「えっ?」

 

 紗枝の言葉に釣られて凛が同じ方へ顔を向けると、武内の後ろに隠れるようにしてこちらへと歩いてくる加蓮と奈緒の姿が見えた。ちなみに2人共隠れようなどとは思っておらず、単純に前を歩く武内が大柄なだけである。

 

「凛はん、挨拶せんでええんどすか?」

「えっ? でも紗枝だって……」

「うちのことは気にせんでええどす。2人も喜びますえ?」

「……うん」

 

 凛が彼女達の方へ駆けていくのを、紗枝は朗らかな笑みを浮かべて見送った。

 そして彼女の意識が完全に向こうへと移ったことを確認し、紗枝は着物の袖口をスッと口元へと持っていった。

 そのままの姿勢で、ぽつりと呟く。

 

「――まぁ凛はんの場合、2人が移籍するんが“双葉杏はんの事務所”ちゅうんが、一番の理由やと思うけど」

 

 

 *         *         *

 

 

「やっべぇ、すげえ緊張してきた……」

「私もだわ……。心臓がバクバクして倒れそう……」

「えっ、加蓮倒れそうなのか! どうしよう、救急車――」

「ちょっと奈緒! そういう意味じゃないって!」

 

 後部座席に座る奈緒と加蓮をバックミラー越しに見遣りながら、武内は346プロの公用車を走らせる。

 車が走っているのは、都内にあるごく一般的な住宅街。都心からほどよく離れたそこはベッドタウンとして発展してきた街であり、鉄道や地下鉄が幾つも通っているので交通の便も良い。ちなみにその鉄道の中には、346プロの母体である美城グループが運営するものも含まれている。

 そしてその住宅街にあるマンションが、彼らの目的地だった。それは“高層マンション”と言うには少し高さの足りない、物理的な意味でも家賃的な意味でも“中堅どころ”という評価がぴったりな場所だった。

 普通に考えれば、新人とはいえアリーナを満席にするほどの人気アイドル、そして希代の名プロデューサーが揃って押し掛けるような場所ではないだろう。

 かつて一世を風靡した伝説のアイドルが住んでいなければ。

 

「……プロデューサー、双葉杏さんってどんなアイドルだったんですか?」

「双葉さん、ですか?」

「アタシ達が知ってるのは、テレビとかで観たアイドル像だけですし。プロデューサーから見た双葉杏ってどんなだったのかなぁ、って思って」

 

 奈緒の言葉に、武内は少しの間思いを巡らせるように視線をほんの少しだけ逸らし、

 

「……性格やスタンスは、お2人がテレビなどで観ていたアイドル像そのままです。常にアイドルを辞めたいと公言し、レッスンも仕事も極力さぼろうとしていましたし、引き受けた仕事も最小限の労力で乗り切ろうとしていました」

「あはは……、何だか光景が目に浮かびますね……」

「やっぱりあれってキャラじゃなかったんだ……」

 

 苦笑いを浮かべる2人をバックミラーで見て、武内も僅かながらに口角を上げた。

 しかしすぐに、その口元が引き締められる。

 

「それと同時に、非常に聡明な方でした。常に1歩退いた視点で自分や仲間達を見て、現時点で最も効果的な仕事を取捨選択して見事に実行していました。他の皆さんの悩みにも的確にアドバイスして、彼女達が飛躍するのに一役買っていました」

「すげぇ……。まさに完璧じゃねぇか……」

「その頃からもうプロデューサーとしての視点を持っていた、ってことなんだね……」

 

 先程まで苦笑いだった2人の表情が、途端に尊敬へと変わっていった。コロコロと変わる2人の豊かな表情は、顔を合わせることの多い武内ですら飽きることがない。

 

「だからこそ、私は安心してお2人を預けることができるのです。双葉さんはあまり言葉や態度で表したがらないですが、お2人にも真摯に向き合ってくれることは間違いないでしょう」

「……プロデューサー、杏さんのことを信頼してるんですね」

「そんな凄い人と一緒に働くのかぁ。……やっべ、さっきより緊張してきた」

 

 そうこうしている内に、杏達の住むマンションが見えてきた。敷地内の駐車場に車を停めて、正面玄関へと歩いていく。最新式のセキュリティシステムが鎮座するその玄関は、部屋番号を打ち込んでチャイムを押すことでその部屋に音が鳴り、部屋の人物が許可して初めてドアが開かれる。

 武内がチャイムを押した10秒ほど後、スピーカーの向こうから声が聞こえてきた。

 

『はい、もしも――うえぇっ!』

 

 女性らしきその声が、突然素っ頓狂な声をあげた。おそらくチャイムから少し離れた場所に設置されたカメラから、来客の姿を確認したためだろう。

 

「346プロから参りました武内です。北条と神谷の付き添いで伺いました」

『は、はい! お話は双葉から伺ってます! どうぞ!』

 

 その声と共に、正面玄関のドアが自動で開かれた。背筋をピシッと立てて歩く武内の後ろを、奈緒と加蓮がおっかなびっくりついていく。

 エレベーターに乗って中層階まで上がり、表札すら掲げていない部屋の前まで歩いていく。

 そしてドアの横にあるチャイムを押した。

 

「……えっと、いらっしゃいませ。……ど、どうぞ」

 

 近づいてくる足音の後にドアを開けて顔を出したのは、菜々だった。彼女はガチガチに表情を強張らせて、武内達を中へと招き入れる。その姿は奈緒と加蓮よりも明らかに緊張しており、図らずも2人は彼女の姿を見て幾分か気持ちを落ち着かせることとなった。

 外見に違わず部屋の内装もごく普通のものであり、広いリビングを中心に部屋が幾つもある典型的なファミリータイプである。キノコ型のクッションや掌サイズのゾンビのフィギュアなど、部屋の端々に住人達の趣味が垣間見える。

 

「おぉ……、ここが208プロのみんなが住んでる部屋か……」

 

 目をキラキラ輝かせて部屋を見渡している奈緒は、完全に1人のアイドルファンと化していた。そんな無邪気な彼女の姿に、加蓮と武内がクスリと笑みを漏らす。

 と、そんな風に部屋と奈緒を観察している内に、自分の部屋に引き籠もっていた菜々以外のアイドル達が続々とリビングに集まってきた。皆がリビングのドアを開けて武内の姿を見掛けるや、ビクッ! と肩を跳ねて驚きの表情を見せ、彼と一定の距離を保ちながら恐る恐る菜々の傍へと歩み寄っていく。

 

「改めまして、346プロで渋谷と共に北条と神谷のプロデューサーを務めております武内と申します。この度は我々の勝手な申し出に対しご協力いただき、誠にありがとうございます」

 

 腰を折ってその大柄な体を大きく動かしてお辞儀をする武内に、輝子達は圧倒されるように1歩後退り、菜々は慌てた様子で両手と首を左右に振った。

 

「いえいえ、こちらこそ! 奈緒ちゃんや加蓮ちゃんみたいな人気アイドルと一緒に仕事する機会を頂きまして、本当にありがとうございます! これを期に色々勉強させていただきますので!」

「勉強させていただくのは、我々も同じです。独自の路線でアイドル活動を行う皆様との仕事は、必ずや2人にとっても良い刺激となるでしょう」

「え、えっと、恐縮です! ――み、みんなも挨拶して!」

 

 菜々に促された輝子・小梅・蘭子は一斉に姿勢を正し、

 

「えっと、星輝子です……。よろしくお願いします……」

「白坂小梅です……。よろしくお願いします……」

「我が名は……えっと、神崎蘭子です……。……よろしくお願いします」

「あっ! えっと……、神谷奈緒です! よろしくお願いします!」

「北条加蓮です。その……、よろしくお願いします」

 

 初めて顔を合わせた訳でもないだろうに、5人は非常に辿々しく自己紹介を交わして頭を下げた。とりあえずこれで互いの面通しも終了し、後は杏に奈緒と加蓮を預けて用事は終了となる。

 

「……ところで、双葉さんはどうしたのでしょうか? 事前の話では、ここにいて立ち会うことになっていたのですが……」

「あ、えっとですね……。双葉は今、ちょっと緊急に入った用事の方へ行ってまして……。申し訳ありません、このような大事なときに……」

「いえ、そんなお気になさらず……。ちなみに、その緊急の用事というのは――」

「ただいまー! あっ、やっぱりもう来てたか」

 

 武内が菜々に尋ねようとしたそのとき、玄関から聞き慣れた声が聞こえてきた。足音がリビングに近づいてくるのが聞こえるが、その足音が杏1人にしては多いように感じる。

 そしてリビングのドアが開かれ、杏と()()()()が姿を現すと、

 

「――――!」

「うわっ! どうしたんですか、プロデューサー!」

 

 突然目を見開いて思わず杏に駆け寄りそうになった武内に、奈緒達だけでなく杏も驚きの表情を浮かべた。困惑の視線を一身に受ける武内は、気恥ずかしそうに首の後ろに手を遣る。

 ただ1人平静を保っていたのは、杏の腕にしがみついて寄り掛かる、ミルク色の髪とエメラルドグリーンの大きな瞳を持つ、ぼんやりとした表情の少女――遊佐こずえだけだった。

 そんなこずえをじっと見つめていた奈緒が、恐る恐る杏に問い掛ける。

 

「……えっと、杏さんの隠し子ですか?」

「違うよ。13歳で生んだ子とか、とんだスキャンダルだよ。――まぁ色々と説明は省くけど、訳あってこの子を預かることになったんだよ。んで、プロデューサーはなんでこずえちゃんのことを知ってるの? もしかして昔からの知り合い?」

「いえ、私は前に一度お見掛けしたことがありまして……。そのときにスカウトしたのですが、一緒にいた女性の方に断られてしまいました……」

「ああ、成程ね。――ちなみに、その女性には?」

「はい、同じようにスカウトを。同じように断られましたが」

 

 武内の答えに、杏は『やっぱりな』とでも言いたげな苦笑いを浮かべた。たったそれだけの遣り取りでも、2人の間に奈緒や加蓮とはまた違った関係性が垣間見える。

 

「ところで双葉さん、彼女のことで――」

「はいはい、気持ちは分かるけど先に“こっち”を片づけよう。もう挨拶は終わった感じ?」

 

 杏の問い掛けに武内は一瞬口を開きかけてからそれを閉じ、短く「はい」と頷いて答えた。それを受けて杏が奈緒と加蓮へと体を向けると、2人は姿勢を正して彼女に向き直る。

 

「んで、2人は杏の事務所に所属してる間、この部屋に住むってことで良いの?」

「はい。せっかくだし、みんなと一緒の生活とか楽しそうだと思って」

「ナナ達も大歓迎ですよ! みんなと一緒の方が良いですもんね!」

「フヒ……。でも部屋って空いてたっけ……?」

「わ、私達の部屋以外は、きらりさんから貰った衣装をしまう部屋しかないよ……」

「むっ。それでは“無弁なる天使”の部屋も……」

 

 部屋にいる者が一斉に杏へと視線を向けると、彼女は『分かってるって』と言わんばかりに頷いてみせ、

 

「とりあえず、こずえちゃんは杏の部屋に寝かせるから良いとして……。申し訳ないんだけど、2人は隣の部屋に寝泊まりしてくれるかな? 食事とか会議のときにはこっちに来てもらう感じで」

「それは別に構わないんですけど……。まさか私達のために部屋を借りてくれたんですか?」

「双葉さん、そうなんですか? それでしたらその費用は我々の方で持ちますので――」

「ああ、大丈夫大丈夫。そんな大した額じゃないよ。大家さんとは実家の繋がりで顔見知りだから、この部屋だってかなり格安なんだよね」

 

 初めて知った事実に、以前からここに住んでいた菜々達ですら驚きで目を丸くしていた。杏の返事に武内は「そういうことでしたら……」と少々遠慮がちにその場を退いた。

 

「んじゃ、改めて2人共ようこそ。346プロと色々違って大変だと思うけど、まぁ気楽に行こう」

「はいっ! よろしくお願いします!」

「よろしくお願いします」

 

 “頑張る”といった言葉が出てこない辺りは杏らしいが、それを聞いた2人は“気楽”を微塵も感じられない勢いで深々と頭を下げた。

 真面目だなぁ、と杏が苦笑いを浮かべた。

 

「…………」

 

 そしてそんな杏の腕にしがみつきながら、こずえが2人をじっと見つめていた。

 

 

 

「あの、双葉さん」

「ああ、プロデューサー。何、こずえちゃんの話?」

「えっと、それもあるのですが。もう1つお話が……」

「んん?」



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番外編3 『今井加奈に見る、新人アイドルへの道』

 346プロのアイドルになる方法は、大きく分けて2つある。

 1つは“スカウト”だ。346プロではプロデューサー自身がスカウトも担当し、それによって所属入りしたアイドルについてはそのプロデューサーに担当権が優先される。なのでプロデューサーは様々な仕事の合間に街へ繰り出しては、将来のトップアイドルがいないか探し回るのである。

 しかしもちろん、全てのアイドルがスカウトによって346プロ入りするわけではない。むしろ割合としてはずっと少ないだろう。

 大半のアイドルは、もう1つの方法である“オーディション”によって選ばれる。346プロでは常にオーディションの間口が開かれており、まずは履歴書を送って書類審査を受け、それに合格した者が実際に事務所に足を運んで面接を受ける。それに受かると、晴れて“アイドル候補生”として346プロ入りとなる。

 

「うぅ、緊張する……」

 

 この日面接を受けることになっている少女――今井加奈は、オーディション会場である部屋の前に並べられた椅子に座り、今にも心臓が飛び出そうなくらいに鼓動をバクバク響かせていた。

 アイドルになることを夢見ていた彼女は、書類面接に通ったという知らせを受けて、この日のために高知から母親と共に上京した。ちなみに本人以外はオーディションに立ち会うことができないので、現在は346プロの敷地内にあるカフェで待機している。

 名前を呼ばれるまでやることが無い加奈は、ちらちらと左右に視線を振った。

 加奈の両脇には自分と同じように椅子に座って出番を待つ少女が、総勢10人ほどずらりと並んでいた。その全員がまるで既にアイドルになったかのように着飾っており、そして加奈の目には全員が魅力的に見えていた。

 

 ――うぅ、みんな凄い可愛い……。これじゃわたしなんて、絶対に受からないよ……。

 

 高知の同級生からは「加奈ちゃんくらい可愛い子なら絶対に受かるよ!」と言われて送り出された彼女だが、今の彼女は人生で初めて味わうオーディションの独特な雰囲気にあてられ、すっかり萎縮してしまっていた。

 と、そのとき、

 

「あっ、あった!」

 

 廊下の向こうからホッと胸を撫で下ろすような声が聞こえ、加奈や他の少女達が一斉にそちらへ顔を向けた。

 先程の声と同じように安心したような顔つきでこちらへ駆けてくるのは、栗色の長い髪を後ろで縛る少女だった。右手に大きめのバッグを握りしめた彼女は、ちょうど空いていた加奈の左隣の椅子に腰を下ろした。

 そして座った瞬間、加奈へと体ごと向けて、

 

「会場が見つからなくて、ずっと迷ってたんだぁ。ねぇ、あたし椎名法子っていうんだけど、もうあたしの名前呼ばれちゃったかな?」

「へっ? ……え、えっと、多分大丈夫だと思う……」

 

 いきなり喋り掛けられて驚いた加奈だが、法子と名乗った少女の天真爛漫な笑みを見て落ち着いたのか、今まで呼ばれた名前を頭の中で振り返りながらそう答えた。

 

「そっかぁ、良かったぁ。何か走り回ってたら、疲れちゃった」

 

 法子はそう言うと、おもむろにバッグを開けてがさごそと中をまさぐり始めた。

 そうして取り出したのは、ドーナツの絵が大きくプリントされた紙製の箱だった。その箱を開けると、カラフルな色合いが目にも鮮やかなドーナツが、隙間無くびっしりと敷き詰められていた。

 突然の出来事に目を丸くする加奈を横目に、法子はドーナツを1つ手に取ると、大きく口を開けてそれを頬張った。途端、顔全体で美味しさを表現するかのように満面の笑みを浮かべた。そんな見ただけで幸せだと分かる彼女の笑顔に、加奈は思わず目を奪われていた。

 すると法子が、そんな加奈の視線に気づき、

 

「あっ! ひょっとして、ドーナツ欲しい?」

「えっ? えっと、わたしは――」

「まぁまぁ、ドーナツどうぞ!」

 

 法子がそう言って差し出したのは、ピンク色のチョコレートがコーティングされたドーナツだった。甘い匂いが加奈の鼻をくすぐり、それに誘われるように加奈はそれを受け取った。

 

「えっと……、ありがとう、法子ちゃん!」

「うん、どういたしまして! えっと……」

「あっ! わたしは今井加奈っていうの!」

「加奈ちゃんだね! よろしく――」

「ちょっと、あんた達!」

 

 2人で喋っていたそのとき、ふいに加奈の背後から鋭い声が飛んできた。2人は同時に肩をビクンッ! と跳ねさせて、同時にそちらへと恐る恐る顔を向けた。

 華やかな服を身に纏い、薄く化粧をしている整った顔立ちの少女が、眉間に皺を寄せた鋭い目つきで2人を睨みつけていた。そしてそんな表情をしていたのは彼女だけでなく、2人以外の少女全員が同じような顔で2人を睨みつけていた。

 

「私は本気でアイドルになりたいと思ってるの! あんた達みたいに“遊び感覚”でオーディションを受けに来た奴は、はっきり言って邪魔なのよ! それ以上騒がしくするんだったら、さっさと帰りなさい!」

「……ご、ごめんなさい」

 

 加奈と法子が同時に頭を下げると、少女は「ふんっ!」と前へと向き直った。

 

「ごめんね、加奈ちゃん。あたしが騒がしくしちゃったから……」

「ううん、そんなことないよ。ドーナツ、ありがとうね」

 

 すっかりしょげてしまった法子に加奈は首を横に振って答えると、そのドーナツを一口食べた。甘いチョコレートと柔らかい生地が口の中いっぱいに広がり、落ち込みかけていた加奈の心をふわりと浮き上がらせる。やがて1つを食べきり、加奈はホッと小さく息を漏らす。

 

「今井加奈さん、どうぞお入りください」

「――は、はいっ!」

 

 そしてその直後、会場から顔を出したスタッフに名前を呼ばれた。加奈の心は一瞬の内に跳ね上がり、最初の頃のように心臓をバクバクと響かせる。

 

「加奈ちゃん、大丈夫だよ」

 

 しかし法子のその一言で、加奈の心は幾分か落ち着きを取り戻した。そして法子の顔を見たことで、加奈の口の中に先程食べたドーナツの甘みの記憶が蘇る。

 

「頑張ってくるね、法子ちゃん」

「うん、ファイトだよ!」

 

 両手をグッと握りしめる法子に加奈は大きく頷いて、会場のドアを強くノックした。

 

 

 

 加奈の実家にオーディションの合格通知が届いたのは、それから1週間後のことだった。

 

 

 *         *         *

 

 

 オーディションやスカウトを経て346プロに入ったからといって、すぐにアイドルとしてデビューできるわけではない。彼女達は“アイドル候補生”となり、専属のトレーナーによる厳しいレッスンを受けることになる。ちなみにその際に費用は一切掛からず、地方から上京してきた場合は敷地内の寮に住むこともできる。

 レッスン内容は多岐に渡り、アイドルにとって重要なヴォーカルレッスンやダンスレッスン、そして演技力や表現力を磨くために候補生同士で演技をするレッスンも含まれている。

 

「ワンツー、ワンツー! もっとリズムに乗って!」

 

 現在行われているのは、ダンスレッスン。前面に大きな鏡の張られた大きな部屋で、トレーナーである若い女性が先頭に立って踊ってみせ、彼女の後ろでアイドル候補生達が必死にその動きに食らいつこうと体を動かしている。346プロ所属のアイドルが歌う軽快な音楽に合わせ、ダンスシューズがキュッキュッと床を擦る音が鳴り響く。

 しかしいくら部屋が広いとはいえ、この場で踊る候補生の数は50人にも上る。当然それぞれが好き勝手な場所で踊るわけにもいかないので、現在の彼女達は綺麗に整列して互いに距離を取っている。その光景はさながら、よく訓練された軍隊のようである。

 だが、きちんと整列すれば部屋のどこで踊っても良い、というわけではない。

 ダンスレッスンを受けるからには、当然ながら鏡で自分やトレーナーの動きを確認できた方が効率的だ。レッスンは縦に6列に並んで行われるので、鏡がよく見える1列目を巡って激しい争奪戦が起こることが予想される。

 しかし実際にはそんなことはなく、毎回レッスンは滞りなく開始している。

 

 理由は、至って単純。

 1列目に立てるのは、トレーナーによって()()()()()候補生のみだからだ。

 これは1列目に限った話ではなく、それぞれの候補生がどの列に並んでレッスンを受けるかはあらかじめ決められている。候補生になったばかりの新入りは最後方の6列目でレッスンを受け、トレーナーによって認められた者のみが前の列に行くことを許される。

 つまり候補生となった時点で、“レッスンでの自分の立ち位置”という明確な指標によって、既に競争が始まっているということを意味している。

 

「はぁ――はぁ――」

 

 そして今井加奈も、そんな競争に身を投じる少女達の1人となっていた。オーディションに合格して346プロの一員となり、寮から学校に通いながらレッスンの毎日を送っていた彼女は、半年ほど掛けてようやく3列目にまで来ることができた。

 やがて音楽が終わり、ダンスも最後のポーズを決めて終了となった。全員がそのポーズを維持したまま、大きく肩を上下させて息を荒げている。最初は1曲踊りきるのも苦労していた加奈だが、今では最後のポーズでふらつかない程度には体力がついている。

 

「はい、それじゃ10分ほど休憩にします」

 

 トレーナーのその言葉に、部屋のあちこちからホッと息を吐くようなリアクションが返ってきた。加奈もそこまで露骨ではないが、強張っていた全身を脱力させてリラックスする。

 そんなときだった。

 

「塩見さん。次のレッスンからは、1つ前の列で踊ってください」

「はい」

 

 先程のレッスンにて加奈の隣で踊っていた、大きな吊り目と銀色に見える薄い色素の髪が特徴の少女――塩見周子は、トレーナーの言葉にもこれといった反応を見せずに簡潔な返事をした。むしろ2人の遣り取りを横で見ていた加奈の方が大きな反応だった。

 トレーナーが部屋を去り、候補生達は壁際に寄せていた自分の荷物へと歩いていく。加奈も同じように自分の荷物へと走り寄り、タオルで汗を拭いながらスポーツドリンクを取り出した。

 

「加奈ちゃん、お疲れー」

 

 すると加奈の下へ、1人の少女が駆け寄ってきた。長い髪を後ろで縛る彼女のトレーニングウェアにはドーナツがでかでかと描かれており、そして右手には実際に食べかけのドーナツが、左手にはそのドーナツが元々入っていたであろう紙製の箱が握られている。

 椎名法子だった。彼女もあのときのオーディションに合格し、加奈と一緒に厳しいレッスンを受けている。そして彼女も加奈と同じく、現在3列目にまで進んでいる。

 

「加奈ちゃんも、一緒にドーナツ食べる?」

「……えっと、レッスン中はいいかな?」

 

 法子の申し出を加奈が苦笑いでやんわりと断ると、法子は「そっかー」と言いながら右手のドーナツを頬張り、左手の箱から2つ目のドーナツを取り出した。相変わらずマイペースな彼女に、加奈はむしろ感心するようにその様子をじっと眺めている。

 

「それにしても、凄いよねぇ」

 

 そしてドーナツを頬張りながら法子がふいに口にした言葉に、加奈は何のことか分からずに首をかしげた。

 

「周子ちゃんのことだよ。まだここに来てから、3週間くらいしか経ってないよね? なのにもう2列目だなんて、本当に凄いよねぇ」

 

 半年掛けて3列目にまで進んだ2人のペースは、他の候補生と比べても割と早い方である。それを示すように、現在3列目で踊る候補生の中では2人が最も候補生歴が短い。

 しかし塩見周子は、そんな2人が半年掛けて歩んできた道のりを、たった3週間で追い越していった。

 

「周子ちゃん、ここに来る前にダンスとかしてたのかな?」

「ダンスしてたかどうかは知らないけど、この前ちょっと話したとき、実家が和菓子屋さんだっていうのは聞いたよ」

「和菓子屋さん! 良いなぁ、毎日和菓子が食べられるなんて!」

「だよねぇ。あたしの家もドーナツ屋さんだったら、毎日ドーナツ食べ放題だね! ――なんかドーナツ食べたくなってきたかも」

 

 法子がそう言って自分のバッグを漁り始める横で、加奈は周子へと視線を向けた。彼女は誰とも話さずに壁に寄り掛かってスポーツドリンクを口にしており、その立ち振る舞いは特に気取った様子はない飄々としたものだが、加奈は目を奪われたようにじっと彼女を見つめていた。

 こういう人がトップアイドルになるんだろうなぁ、と加奈は何となく思った。

 

 

 

 それから1週間。

 この日も加奈はいつものように、法子と一緒にレッスンルームへと足を踏み入れた。そしてぐるりと部屋を見渡して、普段なら真っ先に目に留まる少女の姿が無いことに気がついた。

 

「あれっ? 周子ちゃんは?」

「本当だ。今日は休みなのかな?」

「でも、寮で見たときは元気そうだったよ?」

 

 2人で揃って首をかしげていると、近くにいた候補生の1人が彼女達へ近づいていく。その少女はダンスレッスンで4列目に並んでいる子であり、今の彼女はその顔にありありと不満の感情を表している。

 

「塩見さんなら、もうここには来ないよ」

「えっ、なんで! もしかして、辞めちゃったの?」

「それだったら、どんなに良かったか……。――“待機組”に昇格したのよ」

 

 忌々しそうに吐き捨てる彼女に対し、加奈と法子は素直に驚いた。

 彼女の話す“待機組”という名称は、346プロが正式にそう名付けたものではない。しかし他の候補生よりも上級のライセンスを持つトレーナーのレッスンを受けるようになったり、先輩アイドルのバックダンサーとしてステージに上がるようになるなど、他の候補生よりも明らかに待遇が変わるため区別されている。

 この状態になって初めて、彼女達にデビューのチャンスが訪れるのである。

 

「周子ちゃん、すごーい! まだここに来てから1ヶ月くらいしか経ってないよ!」

 

 まるで自分のことのように喜ぶ加奈に対し、その少女は苛々したように顔を歪めて、

 

「トレーナーさんの話だと、今までで最短記録だってさ。――ふんっ、アタシなんて1年もレッスンしてるっていうのに……」

 

 そしてその少女はブツブツと愚痴を零しながら、その場を離れていった。

 加奈は周子の後に続こうと、より一層レッスンを頑張ることを心の中で誓った。

 そして法子は自分のバッグからドーナツを取り出し、それをモグモグと食べていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 それから更に数ヶ月経過し、加奈と法子は揃って“待機組”へと昇格した。

 その間にも、様々な出来事があった。

 まずは、一緒にレッスンしていた(といっても1ヶ月程度だが)周子がアイドルデビューした。しかも彼女の担当プロデューサーは“奇跡の10人”をプロデュースした武内Pであり、周子は彼の下でソロアイドルとして、そして小早川紗枝とのユニット“羽衣小町”として瞬く間にヒットし、一躍“超大型新人”として注目を集めている。加奈は彼女の活躍をテレビで観る度に、彼女に負けないくらいに頑張ろう、と決意していた。

 そして、周子が“待機組”に昇格したときに愚痴を零していたあの少女は、加奈達が“待機組”に昇格する少し前に姿を消した。疑問に思っていた加奈に、他の候補生が『学業に専念する』との理由で辞めたことを教えてくれた。そしてこの理由は、なかなか昇格できない候補生が事務所を去るときの常套句だ、ということも教えてくれた。

 

 とにかくこれで、加奈と法子にもデビューのチャンスがやって来た。2人は互いに励まし合いながら、今までよりもさらに厳しいレッスンをこなしていった。そしてアイドルとしての経験を積むために、先輩アイドルのバックダンサーとしてステージに上がったり、スタッフの一員としてライブを手伝ったりした。

 そんな経験の中で、特に印象に残ったライブが2つある。

 

 

 

 1つ目は、2人が初めて“バックダンサー”として駆り出されたライブ。

 そのライブの主役である少女と出会ったのは、本番3日前のリハーサルだった。しかし主役であるはずの彼女は白衣を身に纏って歌リハそっちのけで機械をいじくり、大道具のスタッフに次々と指示を出していた。

 

「あぁっ! 君達が今回のバックダンサーだね!」

 

 加奈と法子が戸惑っていると、彼女のプロデューサーと思われる若い男性がやって来た。「よろしくお願いします!」と勢いよく頭を下げる2人に、彼は「あんまり緊張しないで気楽にねー」と爽やかな笑みと共にそう言った。

 

「ほらっ、晶葉! バックダンサーの子が来たぞ!」

 

 3人が挨拶をしている間中もずっと機械をいじっていたその少女に彼が呼び掛けると、その少女はやっと顔をこちらへ向けた。小さな体にツインテールという幼い外見ながら、眼鏡の向こうから覗くその目つきは鋭く力強い。

 その少女――池袋晶葉は、2人に向き直って腕を組んで胸を張った。

 

「うむっ、よく来たな2人共! 私が池袋晶葉、天才少女だ!」

 

 何とも自信過剰な自己紹介だが、加奈も法子もそれが誇張ではないことをよく知っていた。

 彼女は紛れもないアイドルであるが、それ以上に“舞台演出”としての仕事の方が多かった。そもそも彼女は候補生のときから異端児であり、“待機組”でないにも拘わらず先輩アイドルのライブに駆り出され、持ち前の機械技術の高さを活かして近未来的なライブ演出に一役買っていた。

 そして彼女はその働きぶりによって注目を集めるようになり、様々な過程をすっ飛ばしてデビューの座を勝ち取ったのである。ちなみに神崎蘭子がライブのときに使用するレーザーハープや様々なシステムは、彼女の手によって作られたものだ。

 

「それじゃ助手、例の物を」

 

 晶葉がプロデューサーにそう言うと、彼はキビキビとした動きで一旦その場を離れ、すぐに段ボール箱を両手で抱えて戻ってきた。2人揃って中を覗き込むと、そこには丸くて小さな部品が幾つも取りつけられたタイツのような服が入っていた。

 

「よし。それじゃさっそくそれを着て、テストしてみよう」

「えっと……。これがわたし達の衣装ですか?」

 

 加奈が疑問を声に出し、法子が首をかしげる。

 晶葉は2人のそんな反応を見て、小さく溜息を吐いてプロデューサーを睨みつけた。

 

「……助手よ、2人に今回のライブについて話していないのか?」

「えっ? あぁ、話してなかったかも。ごめん、今から話すよ」

「……いや、いい。私の口から説明しよう。――ついてきてくれ」

 

 加奈達が晶葉の後をついていくと、ステージの端に白い布で覆い隠されている何かがあった。

 晶葉が布を取り払うと、2頭身から3頭身をしたロボットが2体姿を現した。ロボットの頭部はブラウン管テレビにウサギの耳を取りつけたようなフォルムをしており、テレビ画面の部分にはいかにも子供が描きそうなデザインをしたウサギの顔が映っている。ちなみにウサギをモチーフにしているが、2本足で立っている。

 

「わぁっ、可愛い!」

「そうだろう! 私の自慢の作品、“ウサちゃんロボ”だ! 今回のライブでは、この子達にバックダンサーを務めてもらう!」

 

 加奈のリアクションに気分を良くしたのか、晶葉は自信たっぷりに胸を張ってそう言った。

 

「ってことは、あたし達はこの子達と一緒に踊るの?」

「いや、違う。ステージに上がるのはこの子達だけだ。今回のライブでは、ステージ上には私以外の人間はいないからな」

「えっ? でもあたし達、バックダンサーとして呼ばれてて――」

「助手からどんな風に聞かされているのか知らないが、2人にはステージに上がらずに舞台袖で踊ってもらうことになるな」

 

 晶葉がそう言うと、加奈と法子は見るからに落ち込んでいった。バックダンサーを務めることが決まったと事務所のスタッフに聞かされたとき、不安も大きかったがそれ以上にステージに上がることが楽しみで仕方がなかった。なのに実際は舞台袖で誰にも見られることなく踊るだけという内容に、2人は残念に思う気持ちを抑えることができなかった。

 そしてそれに気づいた晶葉は、ハァッと大きな溜息を吐いて、

 

「確かに君達はステージに上がれない。――だが、君達の動きをトレースしたこの子達が、ステージ上でスポットライトを浴びて踊るんだ。数千人の観客の眼前でな」

 

 晶葉が腕を伸ばすのを目で追った加奈達の視界に、先程紹介されたウサギのロボットが映った。

 

「いかに天才と呼ばれる私といえど、機械で生命を作り出すことは不可能だ。しかし君達がこの衣装を着て踊ることで、このロボットに君達という“生命”が吹き込まれる。――たとえ観客の誰もが君達のことを認識していなくとも、君達はこのライブにおいて非常に重要な役目を担っていることを忘れるな」

 

 鋭い目をまっすぐ向けて話す晶葉に、最初は落ち込んでいた2人の目に徐々に活力が戻ってきた。いや、来たとき以上に張り切っているかもしれない。

 

「分かったよ、晶葉ちゃん! わたし達、一生懸命頑張る!」

 

 2人にとっての初ライブは、観客の誰にも観られることは無かったが、間違いなく彼女達の中で思い出に残るものとなった。

 

 

 

 そして2つ目は、ユニット“イエローリリー”としての初仕事となるライブだった。

 しばらくは加奈と法子の2人でライブの手伝いをこなしていたが、ある日2人に担当のプロデューサーがついた。そのプロデューサーは他にも3人のアイドル候補生を担当しており、彼女達とユニットを結成してデビューすることが決まった。

 その3人のアイドルとは、小柄な体格ながら空手で黒帯の実力を持つ中野有香、フルートが得意でお嬢様然とした水本ゆかり、そして旅行が趣味で20歳と最年長の間中美里である。最初は仲良くなれるか不安だった加奈だったが、数時間ほどもすればすっかり打ち解けていた。

 そしてそんな5人がユニットとしての経験を積むために、バックダンサーとして挑んだライブというのが、塩見周子のソロライブだった。

 1ヶ月間だけとはいえ過去に一緒にレッスンを受けたアイドルが、自分達がデビューもしていない間に1万人規模のアリーナでライブを開催できるほどにまでに売れていた。チケットは既に完売しており、全国の映画館でのライブビューイングの売上も好調らしい。

 

「10分くらいしたら君達にも入ってもらうから、準備してて」

「はい! よろしくお願いします!」

 

 スタッフの言葉に、加奈達は緊張した様子で一斉に頭を下げた。そして頭を上げると、ぐるりと首を回してステージ上を見渡した。

 今回のライブのテーマは“和”であり、神社や鳥居や狐の石像などがセットとして組まれている。イメージとしては周子の出身地である京都の伏見稲荷神社で、周子自身の衣装も狐の耳や尻尾などがあしらわれた和装となっている。とはいえ、今はリハーサルなのでラフな私服姿なのだが。

 そんな巨大なセットの中を3桁に上る人数のスタッフが忙しなく動き回る光景に、加奈達5人はただただ圧倒されていた。後ろを振り返ると視界いっぱいに広がる客席やフロアが目に映り、数日後にはここが人で埋まること、そしてその人数を前に自分達が踊ることを想像して気が遠くなる心地になる。

 バックダンサーの自分達でもこの緊張だというのに、主役である周子が感じるプレッシャーはどれほどのものだろうか。

 

「あっ、もしかしてバックダンサーの子達? 今回のライブ、よろしくねぇ」

 

 と、そんなことを考えていたら、周子が5人の姿を見掛けて歩み寄ってきた。Tシャツ姿で肩にタオルを掛けて額には汗が滲んでいるという格好なのに、どことなくアイドルとしてのオーラを身に纏っているように感じるのは、5人が彼女を色眼鏡で見ているからだろうか。

 有香・ゆかり・美里の3人は、初めて会う大型新人アイドルに緊張している様子だったが、

 

「あの、周子ちゃん! えっと、わたし、少しの間だけ一緒にレッスンしていたんだけど……、憶えてる……?」

「うん、加奈ちゃんに法子ちゃんでしょ? ちゃーんと憶えとるよー」

「良かった、憶えててくれて! あっ、ドーナツどうぞ!」

「おお、ありがとねぇ」

 

 加奈と法子が周子と仲良く話しているのを見て、他の3人も次第に緊張を(ほぐ)していき、加奈達と同じように会話に混じっていった。

 

「それにしても凄いよねぇ、周子ちゃん。こんな広い会場でソロライブするんでしょ? お客さんの数も凄いだろうし、緊張しない?」

 

 しばらく他愛もないお喋りを楽しんだところで、法子がふいにそんなことを尋ねてきた。

 しかし周子はそれを聞いて、緊張を浮かべるどころかニカッと楽しそうに笑って、

 

「別に緊張はしないかなぁ。今はとにかく楽しみで仕方ないって感じだしね!」

「おぉ! さすが“超大型新人”!」

「ちょっ、止めてぇなその呼び方ー。照れるやろ?」

 

 周子の返事に、他の4人は素直に感心した様子だったが、

 

「……ねぇ、周子ちゃん」

 

 加奈だけは、周子に尋ねずにはいられなかった。

 

「んー? 加奈ちゃん、どうしたの?」

「周子ちゃんはさ……、怖くないの? 1人でステージに上がるんだよ?」

 

 まるで自分のことのように辛い表情を浮かべる加奈に、それでも周子はその楽しそうな笑顔を崩すことはない。

 

「1人じゃないよー。加奈ちゃん達だってステージに上がるじゃん」

「わ、わたし達はバックダンサーだもん! 主役は周子ちゃん1人でしょ? こんな広い会場を埋めちゃうくらいに大勢のお客さんが、周子ちゃん1人を観に来てるんだよ? 怖くないの?」

 

 加奈の言葉に、周子はフフッと笑みを漏らした。

 

「確かにお客さんから見たら私1人かもしれないけど、私は1人じゃないからね」

「へっ?」

「だってほら、周りを見てみてよ」

 

 周子に促され、加奈達は周りへと目を遣った。

 巨大なセットを建設し、見栄えの良いように微調整する美術スタッフ。周子を魅力的に見せるために奮闘する衣装スタッフ。ステージ上の世界観を視覚的に表現するのに欠かせない照明スタッフ。その瞬間の輝きを映像に収めようと工夫を凝らす撮影スタッフ。ライブの根幹を成す音楽を、最も良い状態で客に届けるために試行錯誤する音響スタッフ。

 

「今ここにいるスタッフ以外にも、今回のライブを宣伝してくれる広報スタッフとか、そんなスタッフ達がスムーズに仕事できるように色々調整する舞台監督とか、他にも色んな人達がこのライブのために仕事してるんだ。――そんな人達と一緒にいるんだから、何も不安に思うことなんて無いでしょ?」

「――――!」

 

 ニカッと笑ってそう言い放つ周子に、加奈はドキリと心臓が高鳴った。傍で聞いていた他の4人も、周子の話に真剣な表情で聞き入っている。

 すると、

 

「あないなこと言うてもらえるなんて、プロデューサーはんも嬉しいんやないどすか?」

「はい、とても光栄なことです。小早川さんも、そうでしょう?」

「――――!」

 

 そんな彼女達の背後から突然聞こえてきた声に、加奈達は驚きの表情で後ろを振り返り、そしてそこにいた声の正体にその驚きをさらに大きくした。

 そこにいたのは、“奇跡の10人”のプロデューサーとして知られ、現在は周子の担当プロデューサーでもある武内P。

 そして周子のユニット“羽衣小町”のメンバーであり、プライベートでも親交の深い小早川紗枝だった。

 

「おっ、2人も来てくれたんだね。お仕事は終わったの?」

「周子はんのハレやさかい、頑張って終わらせてきたんどすえ?」

「塩見さん、リハーサルは順調に進んでいますか?」

「うん、順調だよ。あっ、でも2人に相談したいことがあったんだ。今から大丈夫かな?」

「分かりました、伺いましょう」

「何でも相談しておくれやす」

「良かった。――すいません、スタッフさーん! バックダンサーとの歌合わせを、ちょっと遅らせてもらっても良いですかー!」

 

 周子が周りのスタッフに呼び掛けると、周りから一斉に肯定の返事が来た。体育会系の男性スタッフが多いためにその返事も野太くて大きく、加奈達が思わずビクッ! と肩を跳ねさせるほどの迫力がある。

 

「ごめんね、みんな。せっかく来てくれたのに待たせちゃって」

「ぜ、全然そんなことないよ! プロデューサーさんとの打合せ、頑張ってね!」

 

 拳を握りしめる加奈に周子は微笑ましそうにクスリと笑い、武内と紗枝と共に舞台袖へと移動していった。そしてそこで何やら真剣に話し込む3人の様子を、加奈も同じように真剣な表情でじっと見つめていた。

 

「さすが周子さんですね。あれが“プロ意識”というものでしょうか」

「そうだねー。私の方が年上なのに、何だか教えられた気分だよ」

「あたしもあんなアイドルになれるよう、頑張っていきます! 押忍(おす)!」

「うんうん! ――それにしても時間が空いたね。ドーナツ食べよ」

 

 そんな会話を交わす4人へと視線を移し、加奈はニッコリと笑みを浮かべた。

 

 

 *         *         *

 

 

 そうして様々な経験を積んでいった加奈達5人。

 そしてついに、この日がやって来た。

 

「――えっ? わたし達が、デビュー……?」

 

 自身のプロデューサーの口から語られたその言葉に、加奈達は呆然とした表情を浮かべ、そして徐々に笑顔になり、そして目に涙を浮かべて感情を爆発させた。普段なら人目を気にして出せないような大声を出し、それでも収まらない感情を全員でハグし合うことで発散させる。

 

「良かったな、みんな! 俺もこの5人でアイドル活動ができて嬉しいぞ!」

 

 喜びを全身で表す5人を前に感極まったのか、担当プロデューサーも目に涙を浮かべて笑っていた。まだまだ“新米”という肩書きが取れない彼にとって、いや、おそらくどんなベテランのプロデューサーでさえ、担当アイドルのデビューというのはそれだけ感慨深いものなのである。

 

「だがおまえ達、これはあくまで“スタートライン”だ! ここから先も色々と辛いことがあるかもしれない! だがおまえ達なら、きっとそれを乗り越えて素晴らしいアイドルになってくれると信じている!」

「はいっ、プロデューサー! わたし達、誰もが知ってるような有名なアイドルになれるように、精一杯頑張ります!」

 

 加奈の力強い宣言を筆頭に、他の4人も次々と力の籠もった言葉を口にしていった。それは担当プロデューサーに聞かせるためでもあり、自分に言い聞かせるためでもある。

 そして5人+担当プロデューサーは、デビューに向けた打合せを行うため、小さな会議室まで移動することにした。その間も、5人はデビュー後の将来について想いを馳せる。

 

「わたし達、どんなアイドルになるんだろうね!」

「たくさんテレビに出て、素敵なライブをやって、お客さんがいーっぱい来てくれて!」

「私達を見て、1人でも多くの人が元気になってくれたら嬉しいですね」

 

 まさに希望に溢れた表情で、和気藹々とそんなことを話している彼女達の耳に、

 

「いい加減にしてくださいよ、プロデューサー!」

 

 少女の怒号にも似た叫び声が聞こえ、5人とプロデューサーは一斉にそちらへと顔を向けた。

 そこにいたのは5人もよく知っている、最近テレビで頭角を表してきた新人アイドル・輿水幸子と前川みくの2人だった。彼女達はいかにも不機嫌だと主張するような膨れっ面をしながら、大人の男性(おそらく彼女達のプロデューサーだろう)に詰め寄っている。

 

「ボク、この前も言いましたよね! 『もっと歌やダンスの仕事を増やしてください』って!」

「別にバラエティ番組が悪いって訳じゃないにゃ! でも最近ずっとバラエティ番組の仕事ばっかりだにゃ! このままじゃみく達、完全にバラエティ専門のバラドルになっちゃうにゃ!」

「それだけならまだしも、最近体張った仕事ばかりですよね! スカイダイビングとか、猛獣に追い掛けられるとか、虫を食べさせられるとか!」

「みくなんか、1週間に1度くらいのペースにプールに落とされてる気がするにゃ! しかもご丁寧にお魚泳がせてるし! 生臭いの止めてって言ってるのに!」

 

 2人の怒濤の文句に、彼女達のプロデューサーは真剣な表情でウンウンと頷いていた。

 

「2人の言いたいことはよく分かる。しかし向こうは2人にバラエティの仕事を求めているし、こちらも今こうして勢いがある内に2人の顔をお茶の間に浸透させたい狙いがある。確かに自分達の思い描く仕事とは違うかもしれないが、それでも2人は間違いなく売れっ子アイドルなんだよ」

「そんなこと言ったって、ボクは歌って踊れる正統派アイドルに憧れてたんですよ! それこそ卯月さんみたいに!」

「卯月さんの付き人に選ばれたときは、卯月さんみたいな正統派アイドルになれると思って喜んだにゃ! 小日向美穂チャンとか五十嵐響子チャンとか、卯月さんの付き人だった子ってみんなその路線だし!」

「なのになんでボク達だけ、こんな体張った感じのスタイルなんですか! これじゃ、せっかくのカワイイ美貌が台無しですよ!」

「そうにゃ! みくだって、こんな水に突き落とされるだけの仕事なんて――」

「そんなことない!」

「――――!」

 

 彼の突然の大声に、幸子やみくだけでなく、遠巻きに聞いていた加奈達5人も思わず驚きで体を跳ねさせた。

 

「良いか、幸子? おまえがバラエティ番組に呼ばれるのは、一生懸命何かをやろうとする幸子がとても魅力的だからだ。必死に汗を流して何かに取り組む幸子の姿は、ステージに立つアイドルよりもずっと可愛くて輝いているぞ」

「ふえっ! そ、そんな――」

「それに、みく。おまえは『水に突き落とされるだけの~』と言っていたが、おまえが番組に呼ばれるのはそれだけが理由じゃない。おまえは自分の番組での立ち位置を把握したうえで、番組全体の空気を敏感に察知して動くことのできる力を持っている。おまえのその気配りが、スタッフや視聴者に伝わっているんだ」

「ちょ、ちょっと――」

「身内の贔屓目だとかそんなの関係無しに、俺はおまえ達2人が346プロの中で一番魅力的なアイドルだと思っている。――それこそ、島村卯月よりもだ」

「…………!」

 

 担当プロデューサーの言葉に、幸子もみくも顔を真っ赤にして口をパクパクさせていた。何か言おうとしているのだが、それが声にならないために何を言いたいのか分からない。

 やがて何回も深呼吸をして気を落ち着かせたことで、ようやく彼女達の想いは声になった。

 

「……ま、まぁ、プロデューサーさんがそこまで言うなら、仕方ないですね」

「みくももう少し、バラエティのお仕事頑張ってみるにゃ。ほんの少しだけどね!」

 

 2人の言葉に、プロデューサーは満面の笑みを浮かべて「ありがとう!」と礼を言った。そしてその後に「それじゃこれから番組の打合せだ!」と言いながら、2人を連れて廊下の向こうへと消えていった。

 そんな3人の背中を眺めながら、5人+担当プロデューサーは思った。

 

 ――幸子ちゃんとみくちゃん、あの人にまんまと言いくるめられてる……。

 

 

 

 346プロからデビューした5人組ユニット“イエローリリー”。

 彼女達がこれからどんなアイドル人生を歩んでいくのか、それは本人達さえも知らない。



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番外編4 『“天才”に立ち向かう“秀才”の話』

 地元では有名な高級住宅地である、海から程近い小高い丘の頂上に建てられた、白を基調とした開放的でおしゃれな外観をした家。ただでさえ普通よりも広くて大きい家が建ち並ぶ周囲と比べても、その家は他のどれよりも広くて大きい。おそらくそれを見た誰もが“成功者の家”だと評価し、そして実際にそこに住んでいる者の名を聞けばそれが正しかったと確信するに違いない。

 そんな、多田李衣菜と彼女のバンドメンバーが住んでいるその家の地下には、音楽スタジオが丸々1つ入っている。346プロの関連会社である“美城ミュージックグループ”内に設立された李衣菜の自主レーベル“リヰナレコーズ”の本拠地であり、彼女達がライブの練習やセッション、そして新曲のレコーディングやそれに関する打合せをするときに使われる。

 

「…………」

「…………」

 

 現在スタジオにいるのは、多田李衣菜と向井拓海の2人だけ。李衣菜はスタジオのプレーヤーに繋いだヘッドフォンから流れる音楽を聴き、拓海は彼女の正面に座ってその様子をじっと見守っている。

 時間にして数分ほど、しかし拓海にとっては何よりも長い時間を過ごした後に、李衣菜がゆっくりとした動きでヘッドフォンを外した。彼女が音楽を聴き終わったことを示すサインである。

 

「……どうだったよ? アタシ的には、結構上手くいった方だと思うんだけど」

 

 拓海が口元の笑みを抑えきれずに問い掛けるが、李衣菜はなかなか口を開こうとしない。

 いい加減じれったくなった拓海が、ムッとした表情で再び話し掛けようとしたそのとき、

 

「ねぇ、拓海」

「おう」

「これさ、サビを最初に作って、それから少し時間を置いて他の部分を作ったでしょ?」

「…………、おう」

 

 驚きの表情を見せたのは最初の数秒、その後は悔しそうに視線を逸らしながら拓海は答えた。

 

「サビは良いと思うよ。でも他の部分が地味っていうか、何かパッとしない。唐突にサビで盛り上がるから、前半の地味な部分がより際立つっていうか、サビが浮いて聞こえる。間奏の部分も大サビに入るためにただ流してる感じになってるし、その大サビも単純な転調でつまらない」

「…………」

 

 李衣菜が喋れば喋るほど、拓海の目が明らかに鋭くなっていく。もしここに事情を知らない者がいれば、間違いなく彼女に喧嘩を売っていると思うに違いない表情にまでなっている。まぁ、事情を知っている者でも同じ結果になるかもしれないが。

 

「……李衣菜、はっきり言ってくれ」

「え? うん、分かった。――ボツ」

 

 

 

「んだよ、李衣菜の野郎! あそこまではっきり言う必要ねぇだろ! ちょっとは言いにくそうにしろよ!」

 

 階段を昇って広いリビングへと戻ってきた拓海は、ドアを開けるなり大声で怒鳴り散らしながら、ソファーにどっかりと勢いよく座った。ぼすん、と彼女の体重でソファーが沈み、そしてすぐに反発して元へと戻る。

 そんな彼女を出迎えたのは、同じくソファーに座っていた木村夏樹と松永涼だった。

 

「どうせ拓海が『はっきり言ってくれ』とか何とか言ったんだろ? だったらはっきり言うに決まってんだろ」

「あいつ、変なところで馬鹿正直だからな」

「うっせぇ! おまえらはOK貰ったから余裕だよな!」

 

 威圧感たっぷりに叫んでみせる拓海だったが、夏樹も涼も彼女のリアクションに笑うだけで怖がる様子を見せない。

 

「おいおい、アタシ達だって何回もボツ食らってんだよ。拓海よりも早く曲を仕上げてただけだ。とにかくちょっと直しては持ち込み、の繰り返しだよ」

「そうそう。それに1曲作ったからって終わりじゃないだろ。少なくとも1人3曲は作らなきゃ、李衣菜がまた怒っちまうぞ」

 

 涼の口から李衣菜の名前が出た途端、拓海はその不機嫌な顔をますます歪めた。

 

「――ったく! ちょっとひとっ走りして頭冷やしてくる!」

 

 拓海は勢いよく立ち上がると、乱暴に床をどたどた踏み鳴らしながらリビングのドアへと向かっていく。

 しかしドアのノブを掴もうとしたそのとき、ドアが勢いよく開かれたために拓海の手は虚しく空を切った。

 

「あれっ、たくみん? どうしたの、そんな怖い顔して」

 

 ドアを開けてリビングに入ってきたのは、里奈だった。

 

「――何でもねぇよ!」

 

 そして拓海は彼女の横を擦り抜けてリビングを出ていった。驚きで目を丸くして彼女を見送る里奈に、夏樹と涼が苦笑いを浮かべる。

 

「ねぇねぇ2人共、たくみんはどうしたの?」

「だりーからボツ食らって、少し荒れてるんだよ」

「まぁ、いつもみたいにバイク走らせたら気分も収まるだろうよ」

 

 3人がそんな会話を交わしている間にも、外からけたたましいエンジン音が鳴り響くのが聞こえ、そして徐々にその音が小さくなっていった。

 

「さてと、アタシ達もそろそろ新しい曲を作らないとな」

「そうだな。今作ってるやつも形になってきたし、ここら辺で1回だりーに持ち込んでみるか」

 

 2人は特に心配した様子も無く、傍に置いていた自分用のギターを構えながらそう言った。そしてそのまま、おもむろにギターを鳴らし始める。

 しかし里奈は、拓海が出ていったドアをじっと見つめると、

 

「……アタシも行く!」

 

 そう言い残して、勢いよくリビングを出ていった。先程よりも控えめなエンジン音が外から聞こえ、そして徐々にその音が小さくなっていったのは、それから1分もしない内だった。

 

「……拓海がどこに行ったのか、アイツ分かってるのか?」

「まぁ、どうせ“いつもの場所”だろ」

 

 夏樹と涼はそれだけ喋ると、再びギターを鳴らし始めた。

 

 

 *         *         *

 

 

「……ちくしょう」

 

 自慢のバイクを走らせて拓海が向かったのは、彼女達の家から程近い場所にある海辺だった。今はまだ泳ぐような季節ではなく、そもそも岩が点在しており海水浴に適した場所ではないため、ここには彼女以外に人の姿は無かった。

 だからこそ拓海は、今日みたいなことがある度にここを訪れていた。大きな岩を背もたれにして浜辺に座り込んだ彼女は、際限なく行ったり来たりしている波打ち際や、ごくたまに横断する船以外には何も無い水平線を、何も考えずに無心でじっと見つめている。

 その間、拓海の背後では車の行き交う音が絶えず聞こえていた。防波堤の向こう側に道路が通っているからだが、背もたれにしている大きな岩が目線を遮っているため、道路から拓海の姿が見えることはない。

 なので拓海は誰にも邪魔されることなく、ただじっと海を見つめていた。

 しかし、10分ほど海を見つめていると、

 

「――――ん?」

 

 背後を通っていたエンジン音の1つが、拓海のちょうど真後ろ辺りでふいに止まったのに気がついた。この辺りは交差点も信号機も無く、明確な目的が無い限り止まるような場所ではない。

 何となく気になった拓海が、大きな岩から身を乗り出して後ろを振り返ると、

 

「あっ、たくみん発見! はろはろー!」

「…………」

 

 腕をめいいっぱい伸ばしてブンブンと腕を振る里奈に、拓海は何とも形容しがたい苦い表情を浮かべた。そんな彼女を気にする様子も無く、里奈は小走りで近づいて彼女の隣へと腰を下ろした。

 

「……何しに来たんだよ、里奈」

「たくみんが心配だから来たの。一緒に海見よー」

 

 一切の邪気を感じられない眩しい笑顔を浮かべる里奈に、拓海は複雑な表情をしながらも彼女を追いやることはせず、「勝手にしろ」と小さく呟いてその場に腰を下ろした。

 海から吹きつけてくる風を全身で浴びるように、里奈は大きく腕と背筋を伸ばした。

 

「うーん、風が気持ちいいぽよー! そういえばこの海で泳いだことなかったね! 夏になったら一緒に泳ごうよ!」

「何言ってんだよ。アタシらはアイドルだぞ? こんな人目に付くような場所で泳ぐなんて、そんなの武内さんが許すはずねぇだろ」

「あぁ、そっかぁ……。残念ぽよぉ……」

 

 残念なのを表すように口を尖らせる里奈だったが、すぐに嬉しそうに破顔した。

 

「でもでも、アタシ達もすっかり有名になったよね! ちょっと前まで地元でフツーの女子高生だったのに、何だか不思議な感じだね!」

「…………」

 

 反応を求めるように拓海の方へ身を乗り出す里奈だったが、彼女は何やら苦い表情になるのみで返事をしなかった。しかし里奈はそれを咎めることなく再び海へと顔を向けて、波が行ったり来たりするのを眺め始めた。

 やがて、拓海が口を開いた。

 

「……なぁ、やっぱりアタシ、この仕事向いてねぇよ」

「えー? そんなことないよー」

 

 ニコニコ笑って拓海の言葉を即座に否定する里奈に、拓海はギロリと彼女を睨みつけた。並の人間だったらそれだけで竦み上がるほどの迫力だが、長い付き合いになる彼女にはまるで通じない。

 拓海は大きな溜息を吐くと、再び海へと視線を向けた。

 

「……里奈、こんな所で油を売ってて良いのか? もう曲は作ったのかよ?」

「まだ歌詞は書いてないけど、とりあえずだりなさんには出してみたよ? オッケーだって」

「……もしかして、一発か?」

「うん」

 

 何てことないかのように頷く里奈に、拓海はその表情をますます苦いものにした。

 

「やっぱおまえ、すげぇな。アタシなんて、さっきアイツにボツを突き付けられたばっかだよ」

「えぇ? そんなことないってー。今回はたまたまだし、ボツって言われるのなんてしょっちゅうだよ?」

「“しょっちゅう”ってことは、それだけアイツに曲を提出してる回数が多いってことだろ? こっちは1曲作るだけでもかなり疲れんだよ。――おまえ達とは違ってな」

「…………」

 

 ぼんやりとした目つきで水平線を眺める拓海を、里奈は盗み見るようにチラリと見遣った。

 その表情には、申し訳なさのような感情が滲み出ていた。

 

「……ねぇ、たくみん。やっぱり、迷惑だったのかな?」

「あぁ? 何がだよ」

「アタシが勝手に、たくみんの分の履歴書も一緒に送っちゃったこと」

「…………」

 

 拓海は返事をしなかったが、それでも里奈は話し続ける。

 

「……アタシさ、馬鹿だから昔から何もできなくて、全然自分に自信とか無かったんだぁ。そんな自分を変えたいって思って、でもやっぱり1人じゃ怖いからって、たくみんを勝手に346プロのオーディションに巻き込んじゃって……」

「…………」

「たくみんは優しいからアタシに付き合ってくれたけど……、やっぱり嫌だった?」

 

 怯えるような表情で顔を俯かせ、それでもその視線だけは拓海に向けて里奈は尋ねた。上目遣いなことも相まって、大型犬が耳と尻尾を垂らしてご主人に許しを乞うているように見える。

 拓海はそんな里奈をチラリと見遣ると、一際大きな溜息を吐いた。それに反応してピクッと里奈の体が跳ねるが、それを押さえつけるように拓海の手が彼女の頭に置かれ、乱暴な手つきでガシガシと撫でた。

 里奈の髪がボサボサになった辺りで、拓海は撫でる手を止めた。

 

「……嫌なのを我慢してオーディションに参加するほど、アタシはお人好しじゃねぇよ」

「……成程。つまりたくみんは、アイドルになるのにノリノリだったと」

「ちげぇよ! おまえとならアイドルになっても――あぁもう! せっかく人が真面目に答えてやったってのに!」

 

 顔を真っ赤にして怒鳴り散らす拓海の姿は、普段から見慣れているものだった。そのことに里奈は、にへら、とだらしない笑顔を見せ、拓海はその姿にみるみる勢いを窄めていく。

 そして、ぽつぽつと話し出した。

 

「……っていうか、里奈は別に『昔から何もできなくて』なんてことは無いじゃねぇか。ピアノだって弾けたし、その頃から曲だって作ってただろ」

「ピアノはずっと小さい頃に習ったことあるってだけで、たくみんがギターを弾き始めるまでは触ってもいなかったよ? 作曲だって単なるお遊びだったし。――アタシからしたら、だりなさんとバンドやるようになって初めてドラムと作曲を始めたたくみんの方がずっと凄いと思うよ」

「仕方ねぇだろ。いきなりバンドに入れさせられたと思ったら、ドラムやれだの作曲やれだの言われてよ」

 

 拓海の言葉で昔のことを思い出したのか、里奈が楽しそうに笑い声を漏らした。

 

「最初にだりなさんと会ったときはビックリしたよねー。初めてのレッスン頑張ろー、って思ってたら、だりなさんがいきなり来て、しかもアタシ達のことを連れてっちゃうんだよ?」

「普通に考えなくても、自分勝手で強引すぎるよな。バンドを組むことすら初耳なのに、初ライブまでほとんど時間が無いって言うしな」

「あのときのたくみん、初めてアタシと会ったときと同じくらいトガってたよねー! だりなさんと毎日喧嘩してたし!」

「今も喧嘩するけどな。今日みたいな曲作りでもそうだし、ドラムのことも色々言ってくるし」

「でもたくみん、何だかんだ言ってだりなさんの言うこと参考にしてるよね」

 

 里奈の言葉に、拓海は恥ずかしそうに口を閉ざした。

 

「……どんな無茶振りだって内容自体は納得できるし、アイツは自分ができもしないことを人に押しつけるような奴じゃないからな。だからこそタチが悪いんだけど。――でも別に、全部を参考にしてる訳じゃないぜ? 『ここは譲れない』って思ったら絶対にやらないし」

 

 拓海がそう言って里奈の方をチラリと見遣ると、彼女はニマニマと意味ありげな含み笑いを浮かべていた。

 

「……言いたいことがあるなら、はっきり言えよ」

「ううん、別に何でもないぽよー。ただ、だからだりなさんはたくみんに遠慮が無いんだろうな、って思っただけ」

「はぁ? どういう意味だよ」

 

 拓海が若干苛立たしげに問い掛けるが、里奈はそれに答えることなくスクッと立ち上がった。服についた汚れを軽く手で払うと、拓海へと向き直って手を差し伸べた。

 

「帰ろう、たくみん? みんなが待ってるよ」

「……あいつらが、そんなタマかよ」

 

 拓海はそう言いながら里奈の手を取り、立ち上がった。

 

 

 *         *         *

 

 

「そういえば、夏樹ってどういう経緯で李衣菜のサポートに入ったんだ?」

 

 リビングのソファーでギターを弾いていた涼は、隣で同じようにギターを弾いていた夏樹にふいに尋ねた。

 

「どうしたんだよ涼、いきなり」

「いや、そういや聞いたこと無かったなって思って。夏樹ってこのバンドに入る前は、李衣菜のソロライブでサポートやってたんだろ? そもそもどうやって李衣菜と出会ったんだ?」

 

 夏樹は首をかしげて「話したこと無かったっけ?」と呟くと、少しの間考える素振りを見せて口を開いた。

 

「アタシは元々、高校の軽音楽部でバンドをやってたんだよ。アタシはギターとボーカルで、一応オリジナルの歌も作ってたんだ。――それである日、学校の近くにある喫茶店でアタシ達がライブをやることになったんだよ」

「喫茶店でライブ?」

「喫茶店って言っても“ロック喫茶”とか呼ばれるようなヤツで、時々テーブルとかを移動してバンドを招いたりするんだよ。そんなだから50人くらいしか入れないような小さなフロアだし、客と出演者が同じ入口を使うから、ライブをするときは客を掻き分けてステージに行かなきゃいけないんだ」

 

 夏樹の話を聞きながら、面白そうな喫茶店だな、と涼はぼんやりと考えた。

 

「んで、そのときのライブも客を掻き分けながらステージまで上がって、一通りライブをやって、また客を掻き分けて出ていこうとしたんだ。そしたら『すっごい良かったよ! 最高だった!』ってやたらボディタッチしてくる馴れ馴れしい客がいてな。それ自体は嬉しかったし、こっちもテンション上がってたから、礼を言おうと思ってそっちに顔を向けたんだよ。――そしたら、そいつがだりーだったんだ」

「マジかよ! それは凄いな!」

「なっ? 普通に考えても有り得ないだろ? 天下のトップアイドルが、たかが高校生バンドの学園祭レベルのライブを見に来てたんだぜ? しかもその後にアタシの所にまでやって来て、『自分のライブでギターを弾いてほしい』って誘ってきたんだ」

「おぉっ、何だかドラマチックじゃんか!」

「正直バンドの活動も楽しかったから迷ったんだけど、当時のメンバーが後押ししてくれてな。だからアタシはだりーの誘いを受けて、サポートメンバーとしてツアーを回るようになったんだ」

「へぇ、成程なぁ……。ってか、そう考えると夏樹が一番の先輩になるってことか」

 

 涼のからかい混じりの言葉に、夏樹は「おいおい、ほとんど変わらねぇだろ」と苦い顔をした。

 

「そういう涼は、確か最初は武内さんにスカウトされたんだっけか」

「そうそう。アタシも夏樹と同じで、高校の軽音楽部でバンドを組んでたんだよ。担当はボーカルで、一応リーダーだったんだ。んで、部活のOGがやってるライブハウスで()らせてもらってたときに、たまたまそれを観てた武内さんにスカウトされたんだ」

「へぇ、アイドルのプロデューサーって、そういう場所にも行ってるんだな」

「時間が空いてて近くでそういうイベントがあるときは、積極的に顔を出してるって言ってたな。――んで、ボーカルに惹かれてスカウトしたってこともあって、武内さんもソロのボーカリストとして売り出す予定だったんだ」

 

 涼はそこまで話したところで、ふいにプッと笑みを漏らした。

 

「だけどある日、李衣菜が突然アタシらの所にやって来てな、自分のライブにアタシを使わせてくれって言い出したんだよ」

「えっ? だってボーカリストとして346プロに入ったんだろ? 何か楽器はやってたのか?」

「一応ギターは少しだけ。でも人前で聴かせられるレベルだとは思ってなかったし、しかも持たされたのはベースだったからな。なんで呼ばれたのか全然分かんないから、前に李衣菜に訊いてみたんだわ」

「だりーは何て?」

「『ティンと来たから!』だってさ。訳分かんないだろ?」

 

 そう言って笑う涼の表情は、例えるならば“手の掛かる子供について話すときの親”といった感じだった。そしてそれを聞いているときの夏樹の表情は、例えるならば“他の親の話を聞いて自分の子供を思い浮かべるときの親”といった感じだった。

 と、そのとき、

 

「ふいーっ! ちょっと休憩ぃ!」

 

 地下室の階段を勢いよく駆け上がり、そのままリビングに飛び込んできた李衣菜は、その勢いのままキッチンへと入っていった。

 冷蔵庫のドアを開け閉めする音の後に再び姿を現した彼女の右手には、水滴が表面に付くほどにキンキンに冷えた缶ビールが握られている。

 

「おいおい、昼間っからビールか?」

「良いじゃーん、さっきまでユニット用の曲を作ってたんだよ。“仕事の後の一杯”って、何だかロックじゃない?」

「どんな理屈だよ。むしろ大人に憧れる子供じゃねぇか」

 

 夏樹のツッコミも無視して、李衣菜はカシュッと小気味良い音をたてて缶ビールを開けると、それに口を付けた。一瞬だけ顔をしかめるも、勢いよくそれを飲み干していく。美味しいと感じないなら呑むなよ、と2人は思ったが、どうせ言っても無駄なので口にはしなかった。

 

「っていうか、何だよ“ユニット用の曲”って? アタシらの曲じゃないってことか?」

「うん。面白そうな子を見つけちゃってさぁ、プロデューサーと今西さんに話を通して、その子とユニットを組んでミニアルバムを出してもらうことになったんだよ。曲は私が作って、向こうにそれをアレンジしてもらうの」

「おいおい、今ですらバンドとソロを両方やりながら、他のアイドルに曲を提供してるんだろ? アルバム出すってことはライブもやるんだろうし、大丈夫なのかよ?」

「へーきへーき」

 

 何てことないようにそう言ってのけ、李衣菜は空になった缶をゴミ箱に捨てた。おそらく本当に、彼女にとっては何てことないのだろう。

 そんな彼女を眺めていた夏樹は、尋ねずにはいられなかった。

 

「なぁ、だりー。なんでだりーはバンドを組もうと思ったんだ?」

「えぇ? どうしたの、いきなり?」

「いや、だってアイドルとしてめちゃくちゃ成功してたじゃねぇか。ドームツアー回ればチケットも完売だし、他のアイドルに提供した曲も評判良かったし。全部1人でできるのに、なんでわざわざバンド組んだのか疑問に思って」

 

 自分のことを尋ねられているにも拘わらず、李衣菜は腕を組んで真剣に考え込んだ。

 

「そんなこと言われてもなぁ……。“バンドをやりたくなったから”じゃ駄目?」

「駄目ってことはないけど……。というか、李衣菜ってアイドルになるまでにバンド組んだこと無いのか?」

「ううん、あるよ」

「へぇ、そうだったんだ。そいつらとプロ目指そうとは思わなかったのか?」

 

 涼の問い掛けに、李衣菜はあからさまに嫌そうな表情を浮かべ、

 

「それは絶対にヤダ」

 

 むしろ気持ち良いくらいに断言した。

 

「……そこまで言い切るほどかよ。そんなに嫌な思い出なのか?」

「うん。プロデューサーにスカウトされるまでは、中学とか高校でバンドを組んだりしてたんだけど、どのバンドも全然楽しくなかったよ」

「あれか? よくある“音楽性の違い”ってヤツ」

 

 夏樹の問い掛けに、李衣菜は首を横に振った。

 

「最初にバンドを組んだのは、確か中学校に入ってすぐだったかな? 先輩達が組んでたバンドに入れてもらって、そこでギターをやることになったの。私が一番上手かったから」

「おおっ、すげぇじゃん」

「そんなことないよ。だってその人達、全然楽器弾けないもん」

 

 きっぱりと言い切った李衣菜に、夏樹と涼は何も言えなかった。

 

「全然練習しないから、私が作った曲も全然弾けなくて。私がそれに文句を言ったら『もっと簡単に弾ける曲を作れ』って逆ギレされてさ。今思い出しただけでもイライラするよ」

 

 口を尖らせて不満をアピールする李衣菜だったが、彼女とそれなりに付き合いのある2人は素直に彼女に同情することができなかった。彼女の作る曲は今の自分達でさえ難しいと感じることがあり、彼女は『自分が弾けるんだから相手も頑張れば弾けるだろう』と本気で考えてることを知っているからである。

 

「結局その先輩達は単なる遊びでバンドやってたから、すぐにそのバンドから抜けて、別のバンドに入ったんだよ。コピーバンドだったんだけど演奏は上手かったから、今度は大丈夫だろうって思って」

「……でも、駄目だったと」

「うん。私が曲のアイデアを求めても、全員が『李衣菜の好きにやったら良い』とか『自分達は李衣菜に従うから』とかそればっかり。1人で作ってるのと変わらないし、何だかその人達が“舞台装置”にしか見えなくなったから、結局それもすぐに辞めちゃった」

 

 李衣菜の話を聞いていた2人には、そのときの光景がありありと思い浮かんだ。

 

「んで、だったら自分達で曲を作ってるバンドに入れてもらおうって思って、その学校で一番人気だったバンドに入れてもらったんだよ。元々そのバンドが持ってた“色”みたいなのもあったから、それに合わせるようにして曲も作ってさ」

 

 李衣菜はさらりと言ってのけたが、自分が得意とする路線とは違う曲を作るというのは、なかなか難しいものである。2人も他のアイドルに曲を提供したりするのだが、普段の自分達とは畑違いの曲を作るというのは結構骨の折れる作業だ。

 

「最初は割と上手くいってたと思うんだけど、今まで中心だった子がだんだん曲を作らなくなっていって……。んで、ある日『自信を無くした』って言ってバンドを抜けちゃったんだよね」

「あぁ……」

 

 顔も見たことのない“元”バンドマンの気持ちが、2人には痛いほど分かった。李衣菜と付き合いのある人物でその子の気持ちが理解できないのは、おそらく李衣菜本人だけだろう。

 

「それ以外にも何回かバンドを組んだけど、結局はそのどれかの繰り返しでさぁ……。いい加減バンドは諦めようかなって思ってたときにプロデューサーにスカウトされて、それに乗っかったって感じかなぁ……」

「ふーん、成程ねぇ……。――それじゃさ、なんでアタシ達とバンドを組もうと思ったんだよ?」

 

 涼の問い掛けに、李衣菜はしばらく考え込む素振りを見せて、

 

「……ティンと来たから?」

「武内さんも時々それ言ってるけど、それで全部許されると思うなよ」

「だって仕方ないじゃん! そうとしか説明できないだから!」

 

 頬を膨らませてそう言う李衣菜に、夏樹は「分かった分かった」とそれ以上の追及を諦めた。

 その代わり、“最も訊きたかったこと”について尋ねることにした。

 

「分かった分かった。――それで、アタシ達とのバンドはどうなんだよ?」

「楽しいよ、凄く」

「――――!」

 

 間髪入れない即答に、夏樹も涼も思わず体をピクンッと跳ねさせた。

 

「私が何か言っても頭ごなしに否定しないし、だけど言いなりって訳じゃないし、みんなからも曲だけじゃなくて色々アイデアを出してくれるし。時々意見がぶつかって喧嘩しちゃうときもあるけど、それも含めて全部“楽しい”って感じかな!」

 

 そう言ってニカッと笑う李衣菜に、2人は「そうか……」と返事を濁して視線を逸らした。2人共顔に手を遣っているのは、紅くなっている頬を彼女に見られたくないからだろうか。

 何とも言い難い空気が部屋に流れかけたが、外から聞こえてきたバイクの音がそれを掻き消してくれた。

 

「おっ、拓海が帰ってきたみたいだな」

「里奈の原付が聞こえないってことは……、また置いてかれたか」

 

 夏樹と涼は苦笑いを浮かべ、李衣菜はキッチンに戻って2杯目を手に取った。今度はビールではなく、ジュースのように甘いチューハイだった。

 リビングのドアを開けて入ってきた拓海は、キッチンから顔を出した李衣菜を見て一瞬動揺を見せた。

 

「よっ、拓海。頭は冷えたか?」

「……おう。――李衣菜」

 

 拓海に呼び掛けられ、李衣菜はチューハイを口に付けながら視線を彼女に向けた。

 しばらくの間モゴモゴと口籠もっていた拓海だが、意を決したように李衣菜へと向き直り、

 

「……今日の夜、空いてるか?」

「夜? 大丈夫だよ」

「……さっき出した曲、夜までに直すから」

 

 拓海はそれだけ言い残すと、足早にリビングを出ていった。

 夏樹と涼は顔を見合わせてクスリと笑い、李衣菜はチューハイを呑みながら拓海が出ていったドアをじっと見つめていた。

 

 

 

「うーん、全体的に纏まりは良くなったけど、何か平凡な感じになっちゃったね。これだったら前の方が良かったかもなぁ。――ボツで」

「何なんだよ! どうすりゃ良いのか分かんねぇよ!」

 

 李衣菜の部屋から聞こえてきた怒号に、夏樹と涼は苦笑いを浮かべ、里奈は楽しそうにクスクスと笑った。



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番外編5 『個性的なアイドルと、個性的なプロデューサー』

 346プロでは数ヶ月に1度、定期的に新人アイドルが集う合同ライブを開催している。

 大多数のアイドルにとって、このイベントが最初に訪れるブレイクのチャンスだ。ここで他のアイドルに差をつけて注目を集められれば、他のメディアから声が掛かるようになるし、単独ライブでも客が集まるようになる。だからこそ、このライブではそんな彼女達の初々しい、そして絶対に夢を掴み取ってやろうという強い意志の籠もったパフォーマンスが観られる。

 さらに、このライブ自体には“新人であること”以外にテーマというものが存在しない。よって他のイベントよりも個性の振り幅が大きく、バラードが得意なアイドルの直後に激しいダンスが得意なアイドルが登場する、ということもザラである。

 よってこのイベントは、数多く存在するアイドルファンの中でも特に熱心な人々がこぞって押し掛ける。皆がアイドル業界に新たな風を吹き込む新たな才能の存在に興味津々だ。

 そんなライブイベントの裏側で現在、静かに事件が始まっていた。

 

 

 *         *         *

 

 

「お疲れ様でしたー!」

「お疲れ様です、皆さん!」

「お疲れ! いやぁ、楽しかったわ!」

 

 たった今ライブを終えた少女達がステージを降りて、舞台袖にいたスタッフ達に挨拶を掛けていく。自分達の力を出し切ったという充足感からか、汗を滲ませる彼女達は皆一様に晴れやかな笑顔を浮かべている。

 帽子の付いた青いマーチングバンド風のステージ衣装に身を包んでいるのは、4人組のユニット“ブルーナポレオン”の面々だ。黒いミドルヘアに赤縁眼鏡が特徴の上条春菜、メンバー最年少の11歳ながら落ち着いた雰囲気の佐々木千枝、その豊満な胸と悪戯っぽい目つきが印象深い松本沙理奈。

 そして、そんな彼女達より遅れてステージを降りたのが、

 

「……お、お疲れっス」

 

 顔を真っ青にして膝をガタガタと震わせた、今にもその場に崩れ落ちてしまいそうに疲労困憊となっている少女・荒木比奈だった。元々柔らかい癖っ毛を持つ彼女の髪は、すっかりセットが崩れてボサボサになっている。

 そんな彼女の姿に沙理奈は呆れたように溜息を吐き、春菜は乾いた笑い声をあげ、千枝は心配した様子でスポーツドリンクを比奈に差し出した。

 

「大丈夫ですか、比奈さん?」

「あ、ありがとうっス、千枝ちゃん……」

 

 これでも彼女は立派に20歳の大人なのだが、小学生に世話をされている彼女はお世辞にもそうは見えなかった。デビュー前のレッスン時から散々見てきた光景とはいえ、リーダーである沙理奈としては再び溜息を吐いても仕方ないだろう。

 

「トレーナーさんに散々『体力付けろ』って言われてたでしょ。これに懲りたら、少しはトレーニングに力を入れなさいね」

「ほ、ほら、アタシってインドア派でスし、体を動かす担当は沙理奈さんに任せるってことで――」

「確かに比奈ちゃんは“漫画家”とか“デザイナー”って肩書きがあるけど、それはアイドルとしての実力を付けてこそ意味があるものでしょ。じゃなかったら、アイドルをやっている意味が無いんだから」

 

 比奈はアイドルデビュー前から漫画を描いている同人作家であり、その世界ではちょっとした有名人(“荒木比奈”名義ではないが)だった。そしてその技能を活かして、CDジャケットやグッズのデザインなどの仕事も請け負っていた。“ブルーナポレオン”の関連グッズも大半が彼女の手によるもので、ユニットを美術面から支える屋台骨である。

 しかし沙理奈の言う通り、だからといってアイドルの仕事を疎かにして良い理由にはならない。今でこそ様々な分野で活躍している“奇跡の10人”も、スタート地点であるアイドル活動で結果を残したからこそ今の地位を築けているのだから。

 

「おう、みんな。お疲れ」

 

 と、そのとき、彼女達4人の担当プロデューサーである男がやって来た。30代半ばであるその男は元々他の芸能事務所にいたベテランであり、そこで人間関係のトラブルを起こして346プロに鞍替えしたという経緯を持つ。

 

「比奈に関しては沙理奈が大体言ってくれたから、俺から言うことは何も無いな。でもまぁ、今回のライブでは特に失敗があったって訳でもないし、次から気をつけてくれれば問題ないさ」

「……分かったっス。みんなも、迷惑掛けてすまないっス」

「大丈夫ですよ、比奈さん。アタシ達がしっかりフォローしますから!」

「そうですよ! みんなで頑張りましょう!」

 

 春菜と千枝の励ましに、比奈はふにゃりと柔らかい笑みを浮かべた。普段から気怠い雰囲気を醸し出す彼女がよく浮かべるそれに、沙理奈もフッと笑みを漏らした。

 

「んじゃ、千枝。そろそろ“向こう”と合流してくれ。出番はまだ先だけど、最後の確認くらいは必要だろう」

「あっ、そうでした! 行ってきます!」

 

 千枝はそう言って頭を下げると、その場から走り去っていった。つい先程までパフォーマンスをしていたというのに、その足取りは未だ力強い。

 

「子供の体力って、本当に無尽蔵っスね……。ユニットの掛け持ちなんて、今のアタシには絶対無理っスよ……」

「私もさすがに“ブルーナポレオン”で精一杯だわ……。千枝ちゃんが次に出るのって、確か“リトルスマイルズ”でしたっけ?」

「そうそう。高畑さんが担当してる横山千佳ちゃんと、()西()()()が担当してる赤城みりあちゃんとのユニットだな」

「それ以外にも“L.J.B.G”(リトル・ジャズ・バンド・ガールズ)にも参加してるんですよね? しかもそのユニット、凄く練習量が多いって聞くし……。年少組って、そういうユニットの掛け持ち多くないですか?」

「小さな子は色んなことをすぐに吸収するし、それをこなすだけのバイタリティがあるからな。――まぁ、おまえ達は最後のトークコーナーまで出番が無いんだ。ゆっくり体を休めながら、他の奴らのパフォーマンスを楽しんでな」

 

 俺はちょっと仕事があるから、と言い残して、プロデューサーの男はヒラヒラと手を振ってその場を離れていった。

 

「とりあえず、楽屋に戻ろっか。確かそこのテレビからでもステージって観られたわよね」

 

 沙理奈の言葉に春菜と比奈が揃って頷き、未だ慌ただしい舞台袖から楽屋へ続く廊下へと歩いて行った。

 

 

 しかし結局、彼女達がトークコーナーの時間まで楽屋に戻ることは叶わなかった。

 

 

 *         *         *

 

 

「おや、君達は“ブルーナポレオン”だね。お疲れ様」

 

 廊下を少し歩いた先で、沙理奈達は思わぬ人物と遭遇した。ロマンスグレーの髪に、眼鏡の奥から優しく細められた目を覗かせるその男は、新人アイドルである彼女達ですらよく知っている顔だった。

 

「お、お疲れ様です! 今西部長!」

「あはは、そんなに畏まらなくて良いよ。それに今日の僕はあくまでも、“アイドルのプロデューサー”としての立場でここに来てるんだからね」

 

 そう言って笑い声をあげる今西だったが、だからといって彼女達も「はいそうですか」と態度を崩す気持ちにはなれなかった。

 346プロの花形であるアイドル部門の部長である今西、そして常務取締役である美城の2人は、プロデューサー達を統括する立場でありながら、彼らと同じようにプロデューサー業を行っている。現場の空気を知るという目的があってのことだが、元々優秀である2人だけあって、担当アイドルは揃って売れっ子への道を着々と歩んでいる。

 そして今西が現在担当しているのは、計3人。先程の会話にも出てきた赤城みりあ、今回のイベントでもトリを務める緒方智絵里、そして――

 

「本番が終わって疲れているところ悪いけど、森久保くんを知らないかな?」

「乃々ちゃんですか? 見てないですけど……、もしかして()()逃げ出したんですか?」

 

 沙理奈の問い掛けに、今西は苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。

 今西が担当しているアイドルの1人・森久保乃々は、人と目を合わせることもできない引っ込み思案で、自分に自信が無くて、アイドルとしてデビューしてからも「アイドルを辞めたい」と公言する、レッスン生の頃からの“問題児”である。

 そんな彼女の最も問題な行動が、こうして今回のように度々起こす“逃亡癖”だった。

 

「森久保くんを見掛けたら、僕に連絡してくれるかな?」

「アタシ達も探しましょうか?」

「いやいや、君達は体を休めなさい。彼女は僕達で探すから」

 

 僕“達”ということは、他にも彼女を探してる人がいるのだろう。それはそうだ。彼女の出番はまだであり、このままではライブに穴を空けてしまう。いくら所属事務所主宰のライブとはいえ、プロとしてはかなりマズイ事態には違いない。

 今西が「それじゃ」と短く言い残して去った後も、沙理奈達は楽屋へ戻ろうとしなかった。

 3人が顔を見合わせて、小さく頷いた。

 

 

 *         *         *

 

 

「乃々ちゃん? そういえば見てないなぁ」

 

 3人が最初に訪れたのは、“ブルーナポレオン”の1つ前に出演した“イエローリリー”の楽屋だった。先程質問に答えたのは、ユニットのメンバーの1人である今井加奈である。

 現在彼女達は、楽屋にあるテーブルを埋め尽くすように紙製の箱を並べていた。その1つ1つにはドーナツがぎっしりと詰められており、ざっと見渡しただけでも100個近くはあるかもしれない。それによって部屋中が甘ったるい匂いに包まれ、最初3人が部屋に入ってきたときは思わず顔をしかめたほどである。

 

「せっかく来たんだし、みんなもドーナツ食べてってよ!」

 

 そんな光景を生み出した元凶である椎名法子は、自身もドーナツを頬張りながら3人に向けてドーナツを差し出してきた。

 

「あ、ありがとう、法子ちゃん……。疲れてるから、甘い物が美味しいわ」

「ありがとうございます。お礼にこの眼鏡をあげましょう」

「あぁ、確かに美味しいっスね。もの凄い勢いで、口の中の水分持っていかれるっスけど」

 

 そして3人は律儀にそれを受け取り、モグモグとドーナツを頬張っていた。そして春菜はなぜか、どこからか取り出した眼鏡(度は入っていない伊達である)を法子に渡していた。よく分からない物々交換の成立である。

 

「それにしても乃々ちゃん、またいなくなっちゃったんだね……」

「そうっスね……。セットリストを見る限り、そろそろ準備しなきゃマズイ時間なんスけど……」

 

 ドーナツを頬張りながらも、3人の表情は心配の色に染まっている。それが伝染するかのように、“イエローリリー”の5人も姿の見えない同僚を心配する表情になっていく。

 そしてその表情に、決意の色が浮かんだ。

 

「よし! わたし達も一緒に探そう!」

 

 加奈の宣言に、他の4人も力強く頷いて応えた。

 

「えぇっ! いや、悪いよ! みんなだって疲れてるでしょう?」

 

 沙理奈が慌てた様子で止めようとするが、それでも加奈達の決意が揺らぐことはない。

 

「だってこのままじゃ、乃々ちゃんがステージに立てなくなっちゃうでしょ? せっかく今日のために練習したのに、そんなの嫌だもん!」

「そうですね。もしかしたら、一時の気の迷いかもしれませんし」

「何か心配なことがあるんだったら、あたし達がそれを取り除いてあげないと!」

「私達のことなら心配しなくても大丈夫よ。この後の出番はトークコーナーだけだもの。みんなもそうだから、こうして乃々ちゃんを捜しに動こうと思ったんでしょ?」

 

 思いやりに溢れた彼女達の言葉に、沙理奈達はこれ以上止めることはできなかった。止める方が失礼だと思ったからである。

 

「……えっと、じゃあ、よろしくね」

「うん!」

 

 沙理奈のお願いに、加奈が代表して返事をした。

 

 

 *         *         *

 

 

「乃々さんですか……。残念ですけど、私は見てないですね」

 

 3人が訪れたのは、12歳でありながらソロとして活動する、艶のある長い黒髪が特徴の橘ありすだった。ステージ衣装に身を包んだ彼女は、本番前ということもあって曲の歌詞やライブ全体の流れなどをチェックしている真っ最中である。

 

「そっか……。ごめんね、ありすちゃん。本番前に話し掛けちゃって」

「橘です。別に構いませんよ、私は気にしていないので」

「ありがとう、ありすちゃん。本番、頑張ってね」

「橘です。私は探すのを手伝えませんが、早く見つかると良いですね」

「乃々ちゃんはアタシ達で見つけるっスから、ありすちゃんは気にしないで良いっスよ」

「橘です――って、なんで皆さんして私を名前で呼ぶんですか! 最初に会ったときから『名字で呼んでください』って言ってますよね!」

 

 3回目ともなればさすがに我慢の限界だったのか、ありすが歌詞カードをテーブルに置いて声を荒げた。とはいえ、140センチを僅かに超えている程度の彼女ではいまいち迫力に欠け、3人は怖がるどころかほんわかとした笑みを浮かべている。

 

「だってありすちゃん、自分の名前をユニットに付けてるから、もう気にしていないのかと思って……」

 

 ありすが日本人っぽくない自分の名前をコンプレックスに思っていることは3人共知っているが、現在の彼女はソロユニット“ALICE IN WONDERLAND”名義で活動している。ライブの世界観もそれに合わせ、物語性に富んだ歌詞やライブ演出となっている。

 なので3人がそう思うのも無理はなく、現にそれを指摘されたありすは、答えに窮するかのように口を引き結んで苦い表情となっていた。

 

「……これは文香さんが名付けてくれたから、そのユニット名で活動しているだけです」

「つまりありすちゃんは、嫌々その名前で我慢していると?」

「なっ……! 誰もそんなこと言ってないじゃないですか!」

 

 顔を真っ赤にして否定するありすの姿に、彼女達はますますその表情を綻ばせた。真面目な性格をしている彼女は、こうしてからかうと全力で反応してくれるので、悪戯好きなアイドル達にとって格好の餌食となっている。

 しかしこれ以上からかうのは、本番を迎える彼女の精神衛生的によろしくないだろう。

 

「ごめんね、からかっちゃって」

「あり……橘ちゃんがあまりに可愛いから、ついからかいたくなっちゃって」

「ほら、好きな女の子に意地悪する男子小学生的なノリってやつっスよ」

 

 3人が頭を下げて謝ると、ありすは不機嫌そうに口を尖らせながらも、

 

「……まぁ、許してあげますよ。私は大人なので」

 

 プイッと3人から目を逸らして、再び歌詞カードをチェックする作業に戻った。

 あぁ可愛いなぁ、と3人は思ったが、再び怒られるのは嫌なので黙っていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 このように、様々なアイドル達が乃々の捜索に当たっていた頃、

 

「出囃子と一緒にステージに挙がって、そのまま『memories』と『любовь(lyubov')』を続けて歌う。それが終わったら最初のMCね。ここまでは大丈夫?」

все в порядке(vse v poryadke)、大丈夫、です」

 

 体がぴったりとくっつきそうなほどの至近距離で舞台袖の隅に座り、本番前の最後の打合せをしているのは、長い亜麻色の髪を後ろで縛った、品のある立ち振る舞いでありながらどことなく色気のようなものを漂わせる少女・新田美波と、透き通った白い肌に銀色の髪が目を惹く、東欧系の顔立ちをした少女・アナスタシアだった。

 この2人は現在“LOVE LAIKA”というユニットを結成しており、そのクールで大人びた見た目と幻想的で儚げな世界観から人気急上昇中となっている。2人はその見た目を活かして歌手活動だけでなく、美城グループの化粧品会社のイメージキャラクターとしても活動している。

 

「……アーニャちゃん、緊張してる?」

「……да(da)、はい、とても緊張しています」

 

 少し迷ってアナスタシアが口にした言葉通り、今の彼女は表情が強張っており、その手も小刻みに震えていた。

 そんな彼女の手に、美波の手がそっと添えられた。震えを抑え込むように、ギュッとその手に力が籠もる。元々ほとんど距離の無かった2人の間が完全に埋まり、美波の体の熱がアナスタシアへと伝わってくる。

 

「大丈夫だよ、アーニャちゃん。今までずっと練習してきたもの、きっと上手くいくわ」

「……Это право(Eto pravo)、そうですね。それに、ミナミもいます」

 

 するとアナスタシアの表情から余計な力が消え、美波に応えるようにその手をギュッと握りかえした。体が触れ合うほどの距離で2人は見つめ合い、ニコリと穏やかな笑顔を浮かべている。

 

「……2人共、準備は整っているか?」

 

 そんな彼女達に声を掛けたのは、ハッキリとしたメイクに長い黒髪を後ろできつく縛った、30代後半から40代前半の女性・美城常務だった。そして彼女の隣には、光の加減で青色に見えるボブカットに、悪戯好きのネコを思わせる目つきをした大人の女性の雰囲気を漂わせる少女・速水奏の姿もある。

 

доброе утро(dobroye utro)、おはようございます、プロデューサー、カナデ」

「来てくれたのね、奏ちゃん」

「もちろん。同じプロデューサーの下で活動する者同士、あなた達の晴れ姿を見ておきたいもの」

 

 そう答えた奏と“LOVE LAIKA”の2人が、現在美城が担当するアイドルである。

 奏は現在ソロで活動しているが、2人と同じように化粧品会社のイメージキャラクターを務めている。特に彼女は最初に撮影した口紅のポスターの印象が非常に強く、未だに“速水奏=キス”のイメージが色濃く残っているほどである。

 このように美城の担当するアイドル3人は、全員が化粧品会社のポスターの仕事をしている。これはプロデューサーである美城が元々その会社を立ち上げたからであり、いわば彼女の持つコネによるものだ。しかしそれでしっかりと結果を残しているのは、間違いなくアイドル自身の力によるものだろう。

 

「別にこれが初めての舞台って訳じゃないし、普段通りやれば自ずと結果はついてくるわ」

「速水の言う通りだな。全力を出してくるんだ、君達の実力は私が保障する」

「――はいっ!」

 

 美城と奏の激励に、美波とアナスタシアは力強く返事をした。その表情には、つい先程までの不安はどこにも無かった。

 

「それにしても、やけにスタッフ達が慌ただしいな……。何かトラブルがあったのか?」

 

 ふいに周りを見渡してそう言った美城は、一番近くにいた若いスタッフを捕まえて事情を尋ねた。

 すると、スタッフはこう答えた。

 

「それが……、乃々ちゃんがどこかに逃げちゃったみたいで……」

「何だと――?」

 

 

 *         *         *

 

 

「今西さん、森久保乃々がいなくなったそうですね」

 

 乃々の担当プロデューサーである今西の下へと駆けつけた美城は、開口一番にそう切り出した。その迫力に、彼の傍にいた赤城みりあと緒方智絵里の2人が、ビクッ! と肩を跳ねさせた。そしてそれは、みりあの後ろにいた佐々木千枝と横山千佳の2人も同じだった。

 

「やぁ、美城くん。来ていたんだね」

 

 しかし今西はそれにもまったく動揺を見せず、いつもの穏和な笑顔のまま美城を迎えた。

 

「彼女の出番は“LOVE LAIKA”の次です。このまま姿を現さないと、ライブに穴を空けることになります」

「あぁ、そうだね。だから今、こうしてみんなに話していたところだよ」

 

 今西はそう言って、みりあ達へと視線を向けた。

 それに合わせるように、みりあが1歩前へと踏み出す。

 

「ジョームさん! 乃々ちゃんのこと、待っててほしいの! みりあ達が、乃々ちゃんよりも先に出るから!」

「つまり本来彼女よりも出番の後だった君達が先に出ることで、彼女が来るまでの時間稼ぎをするということか」

「そういうことだよ。その間に森久保くんは僕達が見つけるから――」

「駄目です」

 

 今西の言葉を遮って、美城は力強く言い放った。

 

「彼女は過去に何度も、今回のように本番前に姿を眩ましています。それだけじゃなく、彼女はレッスンのときにも度々逃亡を図っているようですね。そのような人間を、神聖なステージに立たせる訳にはいきません。あそこは血の滲むような努力を積み重ねてきた人間が立つべき場所です」

「ジョームさん! 乃々ちゃんは凄く頑張ってるよ! レッスンだっていつも逃げようとするけど、ちゃんと全部受けてるし!」

「確かに彼女はデビューできただけあって、実力はそれなりにあるようです。しかし私が問題にしているのは、彼女のアイドル活動に対する“姿勢”です。本人が嫌々やっているのなら、わざわざ続けさせる必要が無いと思うのですが」

「…………」

 

 美城の言葉を、今西は黙って聞いていて口を開こうとしない。みりあ達小学生組は不安そうな表情で、今西と美城の間で視線を行ったり来たりさせている。

 そんな中、動いたのは智絵里だった。

 

「えっと、常務さん……。私には、乃々ちゃんの気持ちが凄く分かります……」

 

 彼女の今にも消え入りそうな辿々しい声に、その場にいる全員の目が彼女へと向く。

 

「……多分乃々ちゃんは私と同じように、自分に自信が持てないんだと思います。もし失敗したらどうしよう、自分を応援してくれてる人の期待を裏切っちゃったらどうしよう、っていつも怖くて仕方ないんです」

「しかし君は、そこから逃げずにいつもステージに立っている。そして君のパフォーマンスで客はいつも盛り上がり、だからこそ今日のライブでも君がトリを任された。彼女と違い、君はアイドルを真正面から向き合っている。それに、本番前・本番中の忙しいスタッフの手を患わせるのは、プロとして疑問を感じざるを得ない。そして君達自身にもその皺寄せが来ている。君達だって、彼女に迷惑を掛けられて憤りを覚えるのでは――」

「めーわくなんかじゃないよ!」

「私達で、乃々さんを助けるんです!」

「そうそう! 乃々ちゃんもみんなも、みーんな大事な“仲間”だもん!」

 

 美城の言葉を必死に否定したのは、みりあを始めとした小学生組だった。彼女達の純粋で真摯な眼差しに、美城は口を閉ざして彼女達をじっと見つめる。

 

「お願いします……。乃々ちゃんを、信じてあげてくれませんか?」

 

 そして智絵里が、胸の前で両手を結んで祈るようなポーズで美城にそう言った。

 美城はしばらくの間考える素振りを見せ、何か言おうと口を開いた、

 そのときだった。

 

 

「乃々ちゃん、見つかったよ!」

 

 

 *         *         *

 

 

 薄い色素を持つセミロングの髪を後ろで幾つもの小さな束に分け、毛先をドリルのようにクルクルと巻くという独特のヘアスタイルをした少女・森久保乃々は、楽屋からステージへと続く廊下の途中にあるソファーに座っていた。

 

「やぁ、乃々くん。やっと見つけたよ」

「あ、えっと……、プロデューサーさん……」

 

 そんな彼女の担当プロデューサーである今西は、普段から浮かべている穏和な笑みを一切崩すことなく、乃々の隣へと腰を下ろした。乃々はそんな彼にビクッ! と肩を跳ねさせ、彼から逃げるように視線を逸らす。

 

「みんなから聞いたよ……。外の非常階段の踊り場で(うずくま)っていたようだね……」

「えっと、その……」

 

 乃々は助けを求めるようにあちこちに視線をさ迷わせたが、2人の周りに人影は無かった。彼女と2人きりで話をしたかった今西によって、人払いが行われているためである。

 

「君はいつも僕に『アイドルを辞めたい』と言っている。そして仕事の時間になると、逃げようとして姿をくらますことが多い」

「…………」

「君にとって“誰かに注目される”というのは、非常に怖いことなのかもしれない。ましてやアイドル活動ともなれば、その視線の数は尋常なものではない。だから君が本番前に逃げ出そうとするのは、或る意味自然な行動なのだろうね」

「……そ、それが分かってるんなら、なんでもりくぼを辞めさせないんですか……?」

 

 辿々しくも、乃々は今西に問い掛けた。

 それだけ分かっていて、なぜ自分にアイドルを続けさせるのか。

 なぜ自分を、見捨てないのか。

 そんな想いが込められた彼女の問い掛けに、今西は尚も穏やかな笑みで答える。

 

「――君が、()()()アイドルの仕事から逃げたりしないからだよ」

「…………えっ?」

 

 今西の言葉を、乃々は理解することができなかった。

 

「何を言ってるのか、全然分からないんですけど……。今日だってライブが嫌だから、もりくぼは逃げたんですけど……」

「それじゃ逆に訊こうか。――君が本気でアイドルの仕事から逃げたいと思ったのなら、どうして敷地の外に行かなかったんだい?」

「…………」

 

 今西の問い掛けに、乃々は答えなかった。

 あるいは、答えられなかった。

 

「君が敷地を出て街に飛び出してしまえば、君を見つけるのは非常に困難になっていた。そうなれば君は誰にも見つかることなく、こうして僕の所へ連れ戻されることも無かった。――なぜ君は、そうしなかったんだね?」

「それ、は……」

 

 まるで喉に何か詰まったかのように、彼女の言葉は途中で引っ掛かって続きが出てこなかった。

 それを代弁するかのように、今西が話を続ける。

 

「君は、確かめていたんだよ。自分がみんなから必要とされていることを。自分が“ここ”に立っても良いということを。――君は自己評価がとても低いから、自分でそれを判断することができない。周りの人間が必死になって自分を探してくれることで、君はそれを確認することができる。安心して、舞台に立つことができる」

「…………」

「まぁ、これは僕の勝手な想像だからね。自分の気持ちを勝手に推測されるほど腹の立つこともないだろう、違っていたのなら遠慮無く指摘してくれて構わないんだよ」

「そんなの、できるはずないんですけど……。プロデューサーさんは、346プロの部長さんな訳ですし……」

「君はそんなこと気にしなくても良いんだよ。346プロに所属しているとはいえ、君は僕達とは違う立場にいるんだから。――それに、君と向き合っているときは、僕は単なる1人のプロデューサーだ」

「…………」

 

 その言葉に、乃々は初めて彼へと視線を向けた。

 彼女の不安に揺れる目が、今西の優しく細められた目と向かい合う。

 

「大丈夫だよ。君は自分が望む望まないに関わらず厳しい競争を勝ち上がり、デビューの座を掴み取った“アイドル”だ。君の実力は、プロデューサーである僕が保障する。――それでも不安だというのなら、僕が傍で君のことを見ていよう」

「…………」

 

 小さく、乃々は頷いた。

 

 

 

 346プロの新人アイドル達が集う合同ライブ。

 そのトリを飾るのは、ソロで活動する森久保乃々だった。秘かに絵本作家に憧れているというだけあって、彼女の紡ぐ世界観はメルヘンチックで、暖かみのあるものだ。庇護欲をそそられるような彼女の言動との相乗効果により、会場は他のアイドル達とも違う独特の雰囲気に包まれている。

 

「良かった、乃々ちゃん。ちゃんとライブやれてるみたいね」

「一時はどうなるかと思ったっスけど、一安心スね」

「うんうん! 乃々ちゃん、輝いてるね! 後は眼鏡があれば完璧だね!」

「ステージに立ってる乃々さん、とっても可愛いです!」

 

 舞台袖で見守るのは“ブルーナポレオン”の面々だけでなく、本日のライブに参加しているアイドル、彼女達の担当プロデューサー、そして手の空いているスタッフ達だった。結構な人数に上るので、舞台袖の人口密度は結構なものとなっている。

 

「……お疲れ様です、今西部長」

「あぁ、美城くんか。君もお疲れ」

 

 そんな人々に紛れて乃々を見守っていた今西の傍に、美城が静かに寄ってきた。今西に声を掛けたものの、今の彼女の視線はステージ上の乃々に固定されている。

 

「……今西さん、随分と変わられましたね」

「どうしたんだい、急に?」

「昔の今西さんならば、彼女のようなタイプは真っ先に切り捨てていたでしょうに」

「はははっ、それは誤解だよ。僕は今まで、部下を切り捨てたことなんて一度も無い」

「確かに、()()()()()切り捨てたことは一度もありませんでしたね。――常に高いハードル設定を課して部下を激しく叱咤し、しかし自分はそれを乗り越えていくあなたに心を折られた者は、皆が自分から辞表を提出していましたから」

「…………」

 

 美城の言葉に、今西は何も答えなかった。

 

「……あなたの目から見て、彼女はそれほどまでに逸材に見えるのですか?」

「あぁ、そうだね」

 

 美城の質問に対し、今西はほとんど間を空けずにそう言い切った。

 

「本気でアイドルを辞めようとは思っていないが、しかし普段の消極的な態度は単なるポーズではない。そもそも彼女がこの業界に来たのも、本人の意思ではなかったらしいしね。にも拘わらず、彼女はアイドルとしてデビューできるほどの実力を持っている」

「その実力をさらに高めるために、アイドルの仕事に対してもっと熱心に取り組むよう“指導”することはしないのですか?」

「あのスタンスこそが、彼女を彼女たらしめている所以だからね。僕も武内くんのように、アイドル1人1人の個性を尊重することにしているのさ。それに――」

 

 ステージ上の乃々を眺めながら、今西は言葉を続ける。

 

「彼女本人としては非常に迷惑だろうが、彼女は追い詰められれば追い詰められるほどに輝くタイプだ。今だって、自分が本番前に逃げたことで順番がトリになってしまい、その重圧と戦いながらステージに立っている。そのおかげで、今の彼女はレッスンのときよりも明らかにクオリティが上がっている。――だから僕は、ギリギリまで彼女を泳がせているんだよ」

「……今西さん、まさか最初から彼女の居場所を――」

 

 美城の言葉を遮るように、今西は彼女へと顔を向けた。普段と変わらぬ人の良さそうな笑みで、彼女のことをじっと見つめている。

 そして彼女が言葉を呑み込んだことを確認して、今西は再び乃々へと顔を戻した。

 そんな彼の背中を見つめながら、美城は確信した。

 この人は“やり方”を学んだだけで根本は何1つ変わっていない、と。

 

 

 

 新人アイドルの合同ライブは、大好評の内に幕を閉じた。



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番外編6 『ネットラジオ・208プロの片隅にて(前編)』

この話は台本形式で書かれています。
そのような作風が苦手な方はご注意ください。

また、あまりに長くなりすぎたために前後編に分けることとなりました。
スペシャルサンクスにつきましては、次話の後書きに記載致します。


奈緒「神谷奈緒と」

 

加蓮「北条加蓮の」

 

『208プロの片隅にて』

 

 

 *         *         *

 

 

奈緒「みんな、こんばんは! 208プロ所属、神谷奈緒です!」

 

加蓮「同じく208プロ所属、北条加蓮です」

 

奈緒「……大丈夫だよな? ちゃんと中継できてるよな?」

 

『大丈夫ですよー』

『ちゃんと流れてますよ』

『奈緒ちゃんの太眉ペロペロ』

 

奈緒「そっか、なら良かった――って、今何か変なコメントあったよな!」

 

加蓮「はいはい、毎回同じ遣り取りしないの。――この番組は“アプリコット・ジャム”の出演を目指す新人アイドル・神谷奈緒と北条加蓮の2人が、新たなアイドル像のヒントを見つけるべく、私達が下宿している部屋、つまり208プロの“もう1つの本拠地”である双葉杏の自宅の隣室にてお送りする、完全生中継のネットラジオ番組です」

 

奈緒「不定期でやってるけど、この番組も今日で5回目か」

 

加蓮「まだ劇場には出られないから、現時点ではこの番組が唯一私達が顔出しできる機会だしね。最初杏さんに『自分達の気が向いたときで良いから』って言われたときは、そんなテキトーで良いのかって思ったけど」

 

奈緒「でも他のみんながやってるネット番組とか観てると、結構本人の気分でやってること多いよな。輝子がやってる“星輝子観察記録”なんて、作曲作業の生中継と銘打っておきながらキノコの世話してるときが割とあるし、小梅とか菜々さんとかが乱入してくるなんてしょっちゅうだし」

 

加蓮「その菜々さんも自分のネットラジオで、自分が最近気になるアイドルの紹介してるからね。しかも余所の事務所とか関係無しに。同じ事務所ならともかく、余所のアイドルの宣伝するとか有り得ないからね」

 

奈緒「でもまぁ、そんな自由な雰囲気が208プロの魅力なんだろうな」

 

加蓮「まぁね。何てったって、代表が()()双葉杏だしね」

 

奈緒「確かに。あの人がトップに立って規律まみれになるなんて、全然想像できない――」

 

杏「何々? 杏の話?」

 

『双葉杏だ! まじかよ!』

『やっべぇ! 本物じゃん!』

『合法ロリキター!』

 

奈緒「ちょっ、杏さん! 急に出てこないで!」

 

加蓮「あの、杏さん……。まだ全然オープニングトークしてないんだけど……。私達が紹介してから出てくる段取りだったじゃない……」

 

杏「何か杏の話になったから、ちょうど良いかなって思って。というか、横で待ってるのが面倒臭くなった」

 

奈緒「いやいや、面倒臭いって――」

 

杏「という訳で、みんな出ておいでー」

 

菜々「こんばんは、皆さん! 安部菜々です!」

 

輝子「フヒ……、こんばんは……。星輝子です……」

 

小梅「こ、こんばんは……。白坂小梅です……」

 

蘭子「神崎蘭子が来たからには、電脳世界に狂乱の嵐が吹き荒れるであろう!」

 

『おぉ! 208プロのアイドル勢揃いじゃん!』

『すげぇ! 画面がわちゃわちゃしてる!』

『画面いっぱいにひしめき合う美少女とか最高やん?』

 

奈緒「あぁもう! 結局みんな出てきちゃうし!」

 

加蓮「こうなったら、さっさと番組進めち