チートな剣とダンジョンへ行こう (雪夜小路)
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本編
第01話「武器屋の片隅」


 私は冒険者である。

 魔法の才はない。家事の才も、商いの才もない。

 剣を使うから剣の才があるのかというと、残念ながら剣の才もない。

 

 それでも冒険者として、今日も一人でダンジョンに行っていた。

 仲間はいない。友達はいるが、最近は話をしていない。

 両親は「そろそろ孫の顔を見たいなぁ」と言外に結婚しろというが、そもそも彼氏なんていない。

 強いて言うなら、剣が恋人だった。

 そう。「だった」だ。

 

 数年来の恋人が先ほど折れてしまった。

 鍛えてもらうお金もない。

 新しい彼氏を買うお金もない。

 折れて不能になった恋人を下取りしてもらえる可能性に賭けて武器屋を訪れた。

 

「おう! メルじゃねぇか。ついに新しい剣を買う気になったのか! ああ、すまんすまん。そんな金はないよな!」

 

 武器屋の親父がそう言ってゲラゲラ笑う。

 

 気にしない。もう言われ慣れている。

 この武器屋には何度も来ている――と言っても見るだけだ。

 いつか一攫千金を手に入れたときのために、新しい恋人候補にしばしば目を通していた。

 

「これを下取りしてもらえないか?」

 

 折れた恋人を親父に見せる。

 ああん? と怪訝な声を出した親父は元恋人を手に取る。

 

「なんだ折っちまったのか」

「折れたんだ」

「折れるまで使うのが悪い。そもそも刃も研いでないだろ。剣が可哀想だ」

「それで、下取りはしてもらえるのか」

 

 親父は顔を歪める。

 

「馬鹿言うな……といいたいところだが、この剣はうちで買ったやつだったな」

「そうだ」

 

 数年前、まだ駆け出しだったころに初めて買った剣だ。

 この店も開店したばかりで、安売りセールをしていたためなんとか買うことができた。

 当時はまだ親父の顔も柔和だったのに、今ではすっかり不機嫌な面が貼り付いてしまっている。

 

「ふん……廃剣置き場にまだ使えそうなやつがある。好きなやつを持っていきな」

「いいのか?」

「どうせ溶かすもんだ。一本くらいなら問題ない。その代わりにこいつは置いてけよ」

 

 親父は折れた恋人を指で叩く。

 

「感謝する」

 

 素直に頭を下げた。

 折れてしまった恋人などに未練はない。

 

 

 

 親父は使えそうなやつがあると話していた。

 しかし、私の目にそんな剣は見えない。

 

 柄がないもの。

 錆びだらけのもの。

 もうすでに折れているもの。

 刃が大きく欠けているもの、

 どうやったのか刀身全体にひびだらけのもの。

 

 廃剣置き場なだけあって、どれも実用性がない。

 

「おい親父。どれも使えなさそうだぞ」

 

 そのため振り返って親父に声をかける。

 

「馬鹿言え! お前の目が節穴なだけだ。その眠そうな目をこすって探せ! 嫌なら折れた剣を持って帰るんだな!」

 

 そう言われては仕方ないので、一本ずつ剣を調べていく。

 

 ある一本を握ったときだ。

 

『へいへぇい、おねえさんよぉ。ちょいとそこのおねえさん。俺の声が聞こえるかね』

 

 なにやらふざけた声をかけられた。

 振り返って見るものの人の姿はない。

 空耳だったかもしれない。

 

『おねえさん。そっちじゃない。こっちだよ。今、あんたさんが握ってるやつだよ』

 

 握る剣を凝視する。

 

 その剣は一言でまとめるとぼろぼろだった。

 刀身は錆びだらけで、ひびも無数に入っている。

 刃も欠けているし、刀身は曲がってすらいる。

 

『おおっと! おねえさん、聞こえてるね。そうだよ、俺だよ。あんたさんの今握ってる、固くて、太くて、長いやつさ』

 

 たしかに男の声が聞こえている。

 声は耳ではなく頭に響いているようだ。

 

「おい親父……剣が喋ったぞ。どういうことだ?」

「なに馬鹿なこと言ってんだ。冗談はお前の財布の中だけにしとけ」

「財布の中も冗談じゃない」

『まあ、そう言いなさんなよ。おねえさん、話は聞いてたよ。ここから一本、ただで持っていけるんだろ。俺にしなよ、役に立つぜぇ?、超立つぜぇ、びんびんだぜぇ。今夜は寝かさ――』

 

 そっと剣を元の位置に返して、手を離した。

 声は聞こえなくなった。

 

 どうやら疲れているらしい。

 そろそろ真剣に結婚を考える時期に来ているのかもしれない。

 気を取り直して他の剣を調べていく。

 

 

 

 他の剣を調べ終わったが、どれも似たり寄ったりだ。

 触りたくなかったが、もう一度だけ例の剣に触れる。

 

『おねえ様。頼むから――』

 

 やっぱり喋った。

 そして、剣から手を離すと声が途切れた。

 どうやら触れている間だけ声が聞こえるようだ。

 もう一度だけ触れてみる。

 

『話を聞いてください。お願いします。溶けて消えたくないのです』

 

 剣の口調もどんどん丁寧かつ切実なものに変わっていく。

 

「ほんとにお前が話しかけているのか」

 

 親父に聞こえないよう小声で剣に問う。

 

『そうです。そうなんです。見た目は剣、だけど心はか弱いチェリーボーイなのですよ』

 

 その後、剣は独りでに話を始めた。

 

 なんでもチキューのニホンとかいう国に住んでいたが、階段からこけて命を落としたらしい。間抜けな奴だ。

 死後に神様に会って、チート(?)転生させてやると言われたらしいが、目が覚めたら人間じゃなく剣であった。

 いろいろ紆余曲折あってこの武器屋の廃剣置き場に流れ着いたのだとか。

 

 剣は涙ながらに語った。実際に涙は見えないが声がかすれていた。

 

 

 

 とてもじゃないが信じられない。

 しかし、剣から声が聞こえるのはたしかだ。

 私はまだ正常のはずだ。

 

「お前の話はよくわからん。それよりもお前の見た目を考えるに使い物になるとは到底思えん」

 

 喋る剣の見た目はひどい。

 元恋人と比べても折れてない部分にしか利点がない。

 これでは使い物にならないだろう。

 

『いや待て早まるんじゃないよ、おねえさん。たしかに見た目はひどいけど、俺はこれでもチート持ちなんだぜ。神棚に供えてもらってもバチは当たらんよ』

「先ほどから言っているチートとはなんだ?」

『おおっと、すまない。俺の元いた国の話さ。チートってのはね。元はずるとか騙しって意味なんだけど、今じゃ意味も広義に扱われてるからね。とても不思議で強大な力があるってことになるかな。わかるかな? わかんねぇか。おねえさん頭わるそうだもんね。まあ、簡単に言えば血を吸えば吸うほど、見た目も回復して強くなる……はず』

「……はず?」

『イカれたロックな神様からの伝聞だよ。なにぶん俺はまだ未経験の童○君でしてね。おねえさんが優しくエスコートしてくれると、うれしいな』

 

 てへっ、と剣は甘えたような声を出す。気持ち悪い。

 

 やっぱり元の位置に戻そう。

 他の剣にすべきだ。

 

『待って。待て待て。待ってください! 俺の見た目が良くなるだけじゃないんです。なんと! なんとですね! いろいろな効果も付いていきます。たしかに今は毒付与しかありません……しかし! これからきっとじわじわ増えていきます。それはおねえさんのがんばりしだい! しかも! しかもですよ! 今日はなんとそれだけじゃないんです! 強くなるのは俺だけじゃない。俺の強化とともに持ち主になる貴方も――頭の硬そうなおねえさんも強くなる! 振れども振れども一向に強くなれない無為でただれた日々とも今日でお別れ。明日から俺とおねえさんの破竹の快進撃が始まりますよ! こうご期待!』

 

 本気で折ってやりたいが、踏みとどまる。

 どうせもう冒険者生活も行き詰まっていたところだ。

 このおしゃべりな剣に賭けてみるのも悪くない。

 

「明日からでは駄目だ。さっそく今日から試させてもらう」

『お、おぉ……使ってくれるんですか、俺の一物を』

「駄目だったら粉々に砕いてから溶かすからな。覚悟しておけよ」

『…………や、やさしくしてね』

 

 笑みが浮かぶ。

 どうやら久しぶりに会話を楽しんでいたらしい。

 

「私はメルだ」

『俺はシュウっていいます。シュウ君ってハスキーな声で呼んでくれると悶えます』

 

 剣は、勝手に名乗り始めた。

 

 

 

 こうしておしゃべりな剣とのダンジョン攻略が幕を開ける。



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第02話「初心者の森」

 エルメルの町から徒歩十分。

 眼前に広がる鬱蒼とした緑――なけなしの森にやってきた。

 通称「初心者の森」だ。

 モンスターはスライムとゴブリンで九割以上を占めている。

 森も整備され迷うことなどほぼない。

 繁茂している草も毒はなく、薬草として扱われるものばかり。

 初めての人間でも死ぬ確率が極めて低い。

 

 自慢じゃないが私はここを極めていると言っていい。

 数年間ここで稼ぎをしてきた。

 通常の道はおろか、獣道までほぼ把握している。

 小銭を稼いでいるゴブリンを背後から襲い金にしてきた。

 スライムも狩りまくって粘液を集めて売り払っていた。

 

『知ってますか、メル姐さん。それ弱い者イジメって言うんですよ』

 

 手に持った剣は相変わらずよく喋る。

 エルメルの町の近辺には他にもダンジョンが二つほどあるが、私には今のところ関係ないものだ。

 

『まあ、俺のチートな一物で姐さんをはぁはぁ言わせて、前の彼氏のことなんか思い出せないようにしてやるよ』

「それよりもお前は自分の身を案じておけ。使えないようなら今夜中にでも折るからな」

『弱い者イヂメ、よくない……』

 

 シュウと名乗る剣は小声で抗議してきた。

 

 

 

 探索を開始して約一時間。私はいまだにモンスターは一体も狩ることができていない。

 

『メル姐さん。えっと、その、なんて言うのかな……』

 

 最初は黙っていたシュウが口を開いた。

 口を開くと言ってもそんな口は見当たらないのだが。

 とりあえず、いったい何が言いたいのかわからない。

 

「要領が掴めん。もっとはっきりと言え」

『姐さん剣士に向いてないよ。はっきり言って才能がない。なんで剣士になったの、馬鹿なの?』

 

 はっきり言いすぎだ。

 才能がないことはわかっているが、ここまではっきり言われるとショックだ。

 しかも、こんなぼろぼろな剣に言われるなんて。

 正直、折ってやりたい。

 

『ゴブリンには攻撃が当たらない。スライムにすら避けられる。剣は振り回せばいいってもんじゃないだよ。振られるほうの気持ち――考えたことある?』

 

 ない。

 そもそも振られる方の気持ちとはなんだ。

 悪いところだけじゃなく、良いところはないのか。

 

『姐さんは足が速いよね。ゴブリンが三体以上出てきたときの逃げ足には、いやまったくほれぼれするよ。韋駄天のメルと呼ばれても不思議じゃないほどさ』

 

 ゴブリンが三体以上出てきたときは手に負えない。逃げるに限る。

 それが悪いというのか。

 

『いやまさか。悪いなんて言ってないでしょ。危機管理能力に長けてるんだよ。できることとできないことをきっちり判断できてる。だから、今まで生き残ってきたんでしょ――例え、一人だけでも。まあ、できることが圧倒的に少ないとも言うね』

 

 シュウはケラケラ笑う。

 この剣は嫌な鋭さがある。なにより口が良くない。

 私のやり方にまで口を出す気じゃないだろうな。

 

『出さないよ。悪くないんじゃないかな。剣士には向いてなくても冒険者には向いてるかもね。そんなことより、もっと探索しよう。スライムでもゴブリンでも、一体でいる姐さんみたいなぼっちな奴を後ろからこっそり近づいて別れの言葉も言わせず串刺しにしてやってよ』

 

 なんだろうか。

 いつもやっていることを声に出して言われると、まるで悪いことをしているみたいだ。

 

 

 

 さらに一時間が経っただろうか。

 

 木陰に耳の長い小男を見つけた。

 ゴブリンだ。見渡してみるが、近くに仲間はいないようだ。

 どうやら小銭を勘定しているようで、こちらには気づいていない。

 

『姐さんチャンスだよ。外さないでね。絶対だよ。絶対に外しちゃ駄目だよ』

 

 ええい、うるさい。

 いちいち言われなくてもわかってる。

 

 ゆっくりと足音をさせないよう、気配もできるだけ消してゴブリンの背後に近寄る。

 もう一歩というころになって、ゴブリンはようやく私の気配を感じたのか慌てて振り返る。

 

 しかし、すでにもう遅い。

 剣は――シュウはすでに突き出されている。

 手に伝わる鈍い手応えが仕留めたことを教えてくれる。

 不思議なことに返り血がまったくといいほど出てこない。

 

 うはぁっとシュウが声をあげた。

 

『ヒャッハー! さいっこう! 最高だよ! 濃縮還元百パーセントなんて目じゃない! ゴブリンブラッドのストレート!』

 

 なにやら興奮している。

 言っていることはよくわからないが、ゴブリンの血を吸っているようだ。

 あまりにもうるさいため、ゴブリンの体から引き抜こうとするが、すごい剣幕で止められた。

 すぐにゴブリンの体はしぼみ、しわしわになる。

 そしてシュウを引き抜くと同時に消えてなくなった。

 

『あぁ、おいしかった! いやぁ、やっぱり人間。きっちり食事を取らないと駄目だね!』

「……お前は人間じゃないだろう」

 

 それよりもだ。

 シュウの刀身にはまったく血が残っていない。

 それどころかひびや錆び、刀身の欠損が目に見えて減っている。

 

「これは、どういうことだ」

『うん? ああ、言ったでしょ。俺はチート持ちなんだよ。血を吸えば吸うほど回復するし、強くもなる。ほら、姐さんもなんか強くなった気がするでしょ?』

 

 そう言われると、手に持つ重みも軽くなった……気がする。

 

『狩れば狩るほど俺だけじゃなくて、足が速いだけで剣の才能は微塵もない憐れなメル姐さんも強くなるよ。さあさあ、次いってみよう!』

 

 日が暮れる頃にはゴブリンをさらに三体、スライムを四体ほど狩った。

 シュウの刀身はすでに新品の剣と遜色がないほどまでになっていた。

 

『俺の姿もようやく人並みになれたよ。メル姐さんありがとね』

 

 人じゃないだろ、と突っ込む気力はとうに失せていた。

 それになにより、礼を言われるのは――悪くない。

 

 斬れば斬るほど、血を吸えば吸うほど強くなるというのも理解した。

 私の剣は正面からでもゴブリンにかするようになり、攻撃も前より見えるようになった……気がする。

 さらにシュウははっきりとわかるほど軽くなり、切れ味も以前の恋人を凌駕している。

 それどころかゴブリンの一体はかすっただけで、動きが鈍くなった。

 シュウは毒状態になったと話していた。

 

 こいつとなら初心者の森を卒業することができるんじゃないだろうか。

 

 

 

 おしゃべりな剣と出会ってから五日が経った。

 私はいつもどおり初心者の森に来ていた。

 

 今日の目的はいつもと違う。

 ゴブリンやスライムを狩るためではない。

 この森のボスモンスターであるギラックマを狩るためだ。

 こいつを楽に狩ることができれば初心者は卒業と言われている。

 六日前の私なら出会った瞬間、脇目もふらずに逃げていた。

 しかし、今なら倒せる。そんな気がしている。

 

 たったの五日で、すでにシュウは私の手になじんでいた。

 こいつの話していた、「斬れば斬るほど強くなる」と言うのは確からしい。

 

 二日目にはゴブリンの動きがなんとなく見えるようになり、三体に囲まれても突破できるようになっていた。

 逃げ回りながらちょこちょこ斬りつけていけば、相手の動きが悪くなるのだ。

 狩りの効率が一気に上がり、それに伴いシュウも強くなっていた。

 

 三日目にはゴブリンの動きが完全に把握できるようになった。

 五体に囲まれたこともあったが、一対一の形にもっていけば簡単に狩ることができる。

 シュウの切れ味も格段に上がり、三回斬りつけることもなくゴブリンは動かなくなった。

 楽しくなってドロップアイテムを集めることよりもモンスターを狩ることがメインになってきていた。

 

 四日目。昨日だ。

 すでにゴブリンは敵でなくなった。

 スライムなどはシュウがかするだけで、消えてしまう。

 

『姐さん。もうゴブリンやスライムを倒しても俺は強くなれないよ』

 

 帰る頃になって、シュウがそう話した。

 モンスターによって手に入るポイントとやらが決まっているようだ。

 ゴブリンやスライムでは次の段階に上がるのは厳しいらしい。

 

 そして、五日目の今日。

 私は初心者の森を卒業することにした。

 

 朝からギラックマを探してみるものの見つからない。

 会いたくないときには会うのに、会いたいときにはなかなか会うことができない。

 そもそも、めったに遭遇しないのが初心者の森と言われるゆえんだ。

 

 昼になっても会うことができない。

 ゴブリンは二桁に届くほど倒したはずだ。

 シュウも欠伸をしてつまらなそうにしている。

 ゴブリンやスライムでは満足できないらしい。

 

『慣れって怖いよね。五日前にはあんなにおいしかったゴブリンジュースが、今じゃ砂っぽさしか感じられないもん。メル姐さんもそうじゃない?』

 

 何が言いたい?

 

『ゴミクズ同然に背中を向けて逃げ戸惑ってたゴブリンが今じゃ敵と感じない。数年間も苦労してた敵がたったの五日でゴミ同然になる。それってどうなの?』

「たしかに――」

 

 そこまで言ったところで、道の先に四足で歩く大きな影が映る。

 もじゃもじゃの毛。いかつい目つき。硬く鋭い爪。

 

 来た――ギラックマだ。

 

 見た目は明らかに獰猛なのだが、実際はとても臆病だ。

 よほどのことがない限りあちらから襲ってくることはない。

 それ故の初心者の森だ。

 

「話はあとだ」

『そだね。それじゃあいこうか、メル姐さん。初心者卒業試験始めだよ』

 

 シュウを構え、ギラックマに疾走する。

 あちらも私を敵と見なしたらしい。

 四足をやめて立ち上がる。

 背丈は人間を大きく超えるものになった。

 さらに大きく叫び威嚇してくる。

 

 その様子に思わずひるみ足が鈍る。

 勝てるのか、私一人でこいつに。

 

『メル姐さん。まだ初心者なんだから初心を忘れちゃ笑いもんだよ。正面から無理に斬り合うことはないさ。お得意のヒットアンドアウェイでいこう』

 

 こんなときでもシュウはおしゃべりはやめない。

 黙っていろ。気が散れば、命にかかわる。

 

『奴は臆病なんでしょ。だから自分を大きく見せて、声を出して相手を怖がらせる。あいつだってメル姐さんが怖いんだよ』

 

 ギラックマは私よりも体格がでかい。

 私をおそれることなどあり得るだろうか。

 

『ギラックマって普通はパーティーを組んで倒すんでしょ。目を血走らせて、たった一人で襲いかかってくる馬鹿女がいれば怖いってもんじゃないよ。まあ、メル姐さんの場合はパーティーを組んでくれる人がいないだけなんだけどね』

 

 ……こいつは私にケンカを売っているのか。

 

 ギラックマの左爪を避ける。

 攻撃はしっかり見えている。体も思ったより動く。

 こいつなりに私の緊張をほぐしてくれたのかもしれない。

 私はこんな状況だというのに笑っているかもしれない。

 

「もし、こいつに勝ったら――」

『いけない姐さん、それは死亡フラグだ』

 

 死亡……なんと言った?

 

『まあ、姐さんがこいつに勝てたなら、俺にはご褒美としてその豊満な胸で俺の一物をぱふぱふしてもらえるとハッピーだね』

 

 こいつには緊張感が足りないな。

 あとでスライムの粘液に突っ込んでかき回してやろう。

 

 ――あとで、か。

 どうやら私は無意識にこのクマに勝てると思っているらしい。

 

 何度か斬りつけたところで、ギラックマの動きが鈍った。

 これはもう見慣れた。

 毒が入ったのだ。

 

『姐さん。たしかに毒で有利だけど、有利だからこそ気を引き締めてね。引き締めすぎてちょっと痛いくらいが気持ちいいんだよ、うへへ』

 

 何を言ってるんだこいつは……。

 だが、シュウの言うとおりだ。

 まだ、倒した訳ではない。

 毒は効いているが、依然として爪の一撃が脅威であることに変わりはない。

 

 

 

 その後、数度斬りつけたところでギラックマは倒れた。

 慎重に近づき、ギラックマの胸当たりにシュウを突き刺した。

 

 ギラックマは徐々にしぼみ、やがて光とともに消えていく。

 

『うひゃぁ。さすがにボスというだけあっておいしいねぇ。マイルドだぜぇ〜』

 

 シュウはなにやら堪能している。

 

「勝った……」

 

 実感がわかない。

 たしかにギラックマは光と消えたが、夢だったんじゃないかと思ってしまう。

 緊張がほどけペタリと座り込んでしまう。

 目の前にはギラックマのドロップアイテムが落ちている。

 これはボスに勝った証だ。確かな証だ。

 初心者の森のボスに勝ててしまった。

 しかも一人で、だ。

 

『メル姐さん――』

 

 いや、一人でじゃない。

 そうだ。こいつと、シュウと一緒だ。

 ともに戦った仲間だ。

 

「シュウ、お前と――」

『もうちょっとだけ足広げてくれない。あと少しで桃源郷にたどり着けるんだ』

 

 シュウは座り込んだ私の股ぐらを覗き込んでいるらしい。

 

 ……なんだろうな。

 勝利の甘美な思いが霧散してしまった。

 シュウを自分の足近くから離す。

 ああぁぁ、と本気で残念がっているようだ。

 

「お前は、他になにか言うことがないのか」

 

 冷たい声が出てしまった気がする。

 

『うーん。じゃあ……プロ初心者のメル姐さん――』

 

 あぁ?

 間違いない。やっぱりこいつは私にケンカを売っている。

 

 

 

『初心者卒業おめでとう』

 

 

 

 あまりにもまっすぐな言葉。

 意表をつかれ理解に時間がかかった。

 そして、顔を背けた。

 

「その、えっと……あ、ありがとう」

 

 おずおずとお礼を述べる。

 

『いやぁ、いつもツンツンしてる人のデレはいいねぇ。ギャップがグッとくるよぉ。ほら、顔見せて。ねえ、今どんな顔してんの。ほーら、メルちゃんの照れ顔、おじさんに見せてごらん。ほらほら』

 

 柄を握ったまま、刀身を地面に叩きつけた。

 それを十数回。

 怒りと照れ隠し、それに感謝が少々といったところだ。

 初め悲鳴を上げていたシュウは、やがて何も言わなくなった。

 

 

 

 ついに、私は初心者の森――なけなしの森を数年かけて制覇した。



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第03話「骨踊るウラキラ洞穴」

 私が入ったとたんギルドは静寂に包まれる。

 それも一瞬ですぐに喧噪を取り戻す。

 気にしない。いつものことだ。

 

 まっすぐ受付に向かう。

 

「『ギラックマの素敵な爪』だ。ウラキラ洞穴の入場許可をくれ」

 

 ギラックマが落としたアイテムを受付に差し出す。

 これを差し出すことでギルドから初級ダンジョン――ウラキラ洞穴への入場許可がギルドから下りる。

 許可証は三人以上のパーティーであれば、リーダーが持っているだけで大丈夫なので一応許可証がなくても洞穴に入れることは入れる。

 しかし、私の場合はパーティーを組んでくれる人間がいない。

 そのため、どうしても自分の力でギラックマを倒して爪を手に入れる必要があった。

 

「確認しました。こちらがウラキラ洞穴の入場許可証になります」

「ありがとう」

 

 事務的に渡された。四角の金属カードを腰の袋に入れる。

 ギルドから出ようとしたところで声をかけられた。

 名前は思い出せないが、顔は覚えている。

 やたらと私に突っかかってくる一人だ。

 

「ようメル。やぁっーと初心者の森を制覇したのか。何年かかってんだ」

 

 周囲から笑いが起きる。

 

「なんだ、あの刃の潰れた剣は捨てちまったのか。お前にはお似合いだったのによ。その新しい剣のおかげでギラックマを倒せたのか」

「そうだ」

 

 それはその通りなので否定しない。

 

「おいおい、その剣はどこで手に入れたんだよ。また仲間を見殺しにして奪ったのか」

 

 握りこんだ拳は、爪が食い込んでいるが痛みは不思議と感じない。

 これ以上、ここにいると剣に手が伸びる。

 男の脇を通り、出口の扉を押す。

 

「洞穴に一人で行っても死ぬだけだ。お前とパーティーを組もうって奴はここにいねぇ。だが、しかしだ――おめぇの頭を床にくっつけて尻を振って頼むんなら、組むことを考えてやってもいいぜ!」

 

 後ろから声がかかる。

 さらにここ一番の大きな歓声が起こる。

 声の圧力から逃げるようにギルドの外に出た。

 

 

 

 家に戻り、すぐ自室にこもる。

 なんとなく、なにも考えはなくシュウを握る。

 

『やあメル姐さん。明日は話題の洞穴に向かうのかな』

「そうだ」

『楽しみだね。どんなモンスターが出るのかな。おいしければいいんだけど』

「……聞かないのか」

『聞いて欲しいの? じゃあ聞くよ。ギラックマを倒したんだから、ご褒美があってもいいと思うんだけど、ぱふぱふはまだかな。ずっと待ってるんだけど』

 

 ……ふざけてる。どこまでもふざけている。

 こいつはわかって言っている。

 

『昔、何があったのかは知らないけどさ。これからの姐さんには関係ないでしょ。過去は過去。もう初心者じゃないんだから、明日のことを考えなきゃ』

 

 シュウは何も聞かない。

 確かに話したところで何も変わらない。

 彼の言うとおり、明日のことを考えるべきだ。

 

「明日は洞穴に向かう」

『いいね。おいしい食事が最近じゃ唯一の楽しみなんだ。この体じゃシコシコできないしさ。目の前に特上のおかずがあるってのに……まったく、生殺しだよ』

「問題がある。私はパーティーが組めない」

『スルーされちゃった。で、それがなにか問題なの?』

 

 大問題だ。

 なけなしの森なら敵もまだ弱いから問題なかった。

 

「ウラキラ洞穴は暗い。灯りを持つ必要がある」

『ああ、なるほどね。片手に松明、片手に剣だときつそうだね』

「それだけじゃない。灯りに誘われて暗闇からモンスターが寄ってくるとも聞いている」

『ああ、前だけじゃなくて後ろからも襲われるのかぁ。ぼっちはつらいねぇ』

 

 こいつは私をけなしたいのか。慰めたいのかどっちなんだ。

 いい加減、我慢ができなくなってきた。

 

「当然、モンスターも強くなっている。最低でも三人以上で潜るところだ」

 

 シュウも問題だと思ったのか黙っている。

 

『それってさ。別に問題ないんじゃないかな。どちらかと言うと、俺にご褒美がないほうが問題だよ』

「お前は、私の話を、聞いていたか?」

 

 怒気が多分に含まれた声を察してシュウは慌てて弁明する。

 

『お、落ち着いてよメル姐さん。深呼吸だ。すぐにヒスる女はうとまれるよ』

 

 ヒスるとはなんだ。

 怒るという意味だろうか。それなら怒らせる方が悪い。

 

『要するにさ。灯りを持つから問題なんでしょ』

「ん。そうなるな」

 

 視界を確保するために灯りが必要で、その灯りがさらに敵をおびき寄せる。

 さらに灯りを持つことで片手がふさがる。

 その通りだ。

 

『じゃあ、持たなきゃ良いじゃない!』

 

 シュウは得意げに叫んだ。

 

 

 

 翌日。

 朝食を食べたあと私はすぐにウラキラ洞穴に向かった。

 あまり人に会いたくない。朝一番ならそこまで人に会うこともない。

 

 私は非常食と薬草、シュウだけを持ってウラキラ洞穴に入る。

 入り口の監視員が不審な顔で私を見てきた。

 

 それもそうだ。

 パーティーを組んでおらず、さらに松明もない。

 魔法使いかといえば、持っているのは杖ではなく剣。

 いぶかしむのも当然と言える。

 

『そろそろやるよ、姐さん。準備はいい。ゴムはいらないよね?』

 

 洞穴に入り光が見えなくなったくらいでシュウが声を出す。

 ゴムが何かはわからないが、いつもの戯れ言だろう。無視しよう。

 私は頷き許諾する。

 

 視界が暗かったが、突如、色彩豊かなものに変わった。

 緑、青、一部に赤や白が混ざっている。

 色の変化が壁や床をしっかりと私に認識させる。

 

『見えてる?』

「ああ、見えている。昨日も試したが、このさあもなんちゃらというのはすごいな」

『サーモグラフィーね。これがあれば暗くても問題ないはずだよ。今日のところは近場を漁ってこの視界に慣れるのがいいよ。色がきつかったら調整するから言ってね。できればねだるように言ってくれると興奮する』

「……はいはい」

 

 昨日の夜。

 シュウの提案でさあもなんちゃらとやらを試すことになった。

 確かに暗い中でも景色を見ることができていた。

 今日は実際に試すことにしたのだが、どうやら成功のようだ。

 

「しかし、これは……ひきょ」

『チートですから』

「でも――」

『メル姐さん。運も実力のうち。メル姐さんが俺というチートを引き当てたのも実力だよ。姐さんはさらなる高みにいくための力が欲しい。俺はおいしい血が欲しい。ついでに、肉体が魅力的な女性の側にいたい。今のところ、互いの欲望は成就されてる。問題はない――でしょ?』

 

 たしかに強くなれるのは嬉しい。

 最高峰のダンジョン――神々の天蓋を攻略してその先を見る、という忘れかけていた私の夢も思い出すことができた。

 だが、あまりにも――。

 あまりにも急速すぎる。

 

 

 

 洞穴内は以前の冒険者があちらこちらに目印を立てているため特に迷うことがない。

 ボスも一番奥にいるため、うっかり遭遇することはない。

『私にはやっぱり剣の才能がないし、仲間もいない』

 問題は時間だが、お腹の減り具合以外で確認できない。

 まあ、非常食も持ってきているため、遅くなっても特に問題はない。

 ないないづくしのダンジョン攻略だ。

 ……おいこら、勝手に変なものを混ぜるな。

 

 洞穴のモンスターは集団で襲ってくると聞いていたが、そんなことはなかった。

 シュウは、モンスターが視覚ではなく灯りの熱を探知しているからだと推測した。

 そのため灯りを持たない私たちには臭いや音、人肌の熱を感知するほどのモンスターしか襲ってこないのではないかということらしい。

 

 実際にスケルトンやアンデッドは、私が近づいてもふらふらと歩いている。

 群れなら怖いが、数体程度をばらばらに相手するなら余裕だ。

 耐久性はゴブリンやスライムとは比べものにならないほど高い。

 しかし、動きは緩慢なため簡単に避けられる。

 それに距離を取るのも楽だし、距離を取るとこちらの位置が把握できていないのか襲ってこない。

 

 気をつけるのはコウモリくらいだが、正面は私が、後ろはシュウが見張っているため、群れで襲われない限り問題にはならない。

 数体程度なら襲って来ても、逃げ回りながら斬ることで対応できている。

 

『スケルトンってさ。血がないからまずいんじゃねって思ってたけど、意外といけるね。やっぱりカルシウムが豊富なのかな』

 

 相変わらず何を言っているのよくわからないが、スケルトンやアンデッドも吸収できるらしい。

 奥に進むうちに斬りつける回数も徐々に少なく済むようになってきていた。

 さらに麻痺付加と毒付加確率上昇を入手したらしい。

 

「その効果の追加というのは、どうやってわかるんだ」

『ああ、これね。頭の中で意識するとポイントと一覧が出てきて、いろいろと選択できるんだ。サーモグラフィーもそれで入手した』

 

 ……いろいろと選べるのか?

 

『うん、そうだよ。今のところ効果追加よりも姐さんの能力プラスを最優先で取ってる。ちなみに今の姐さんは毒と麻痺の耐性が付いてるから。それ以外はまだリストに出てないね。今は能力プラスがなくなったから効果追加を選んだんだ』

「そう、だったのか」

 

 いつもふざけているエロクソ野郎だと思ったが、こいつなりに私のことをちゃんと考えてくれているらしい。

 今まで少し怒りすぎていたのかもしれない。

 

『どうしたの黙っちゃって。あっ、もしかして俺に惚れちゃった。俺の魅力に気づいちゃった。それなら、柄の裏筋をなめなめして欲しいな。きっと気持ちいいと思うんだ』

 

 これがなければなぁ……。

 それに柄の裏筋ってどこなんだ。

 

 

 

 目の前には大きな看板。

 そこにはこう書かれている。

 

『注意!

 この先、ボスモンスター!

 準備を万全にして挑むこと!

 死んだら貴方も仲間入り!』

 

 まさか一日目でたどり着くとは……。

 確かにかなり進んでいるとは思っていた。

 それに敵が多く配置されてきているとも感じていた。

 

 しかし、こちらがそれ以上に強くなってしまっていた。

 特に毒付与の確率上昇が大きい。

 二回斬れば一回は相手が毒になる。

 さらに麻痺も付くことが有り、モンスターは動けずして毒による死を待つことになる。

 

「どうしようか?」

 

 割と真剣に困っている。だから声に出した。

 コンディションは悪くない。むしろ好調だ。

 いくらか攻撃を食らったが、怪我はなく痛みもない。

 ここ数日で私自身も耐久力が増した気がする。

 

 しかし、ボスモンスターともなればそこらの雑魚とは一線を画するだろう。

 現状で入ってもいいものだろうか。

 あくまで参考のために相棒(仮)に話を振った。

 

『姐さんの体調はいいと思う。それと、さっき教えてくれたボスの情報は正しいんでしょ?』

「……ああ」

 

 町でここのボスモンスターの話は聞いている。

 

 ボスはスケルトンクイーン。

 スケルトンを大きくした存在らしい。

 さらにボスの周囲には多くのスケルトンがいて、集団で襲ってくるらしい。

 

 数による攻撃。

 私の戦闘スタイルでは苦手なタイプだ。

 

『ここでのポイント入手も難しくなってきたから、これ以上の強化はほとんどできないね。あと数十体で能力プラスが選択できそうだからそれを取るくらいかな』

「わかった。それが入手できたらボスに挑む」

 

 脇道に逸れてスケルトンやアンデッドを狩りまくった。

 シュウによると能力プラスは使用されたようだが実感はまるでない。

 本当に使ったのだろうか。

 

『姐さんは才能がないからわかんないかもね。もしかして不感症じゃないの? あっ、そんなピリピリしないでよ――まあ、どうしても心配ならさ』

 

 シュウの提案を受けて、近くに落ちていた松明を拾っておく。

 おそらくこれは、ここで命を落とした冒険者のものだろう。

 

 

 

 ボスフロアの空気は冷たく淀んでいる。

 広い部屋には無数の骨が地面に散らばる。

 

『犬が大喜びしそうなところだね、ワンワン。ボスはどこだろう。死んじゃったのかな……って、スケルトンだからもう死んでるか。HAHAHA』

 

 シュウの気持ち悪い笑い声が頭に響く。ついつい舌をうつ。

 最近は舌打ちの回数も如実に増え、キレのある音が出るようになっていた。

 

 しかし、シュウの言うとおり、部屋を見渡してみるもののボスの姿はない。

 注意して部屋の中心へと歩む。

 中心にたどり着くと、かたかたと音が聞こえた。

 骨のこすれる音だ。それが徐々に大きくなっていく。

 部屋中に散らばっていた骨が徐々に目前へと集まってゆき高く高く積もる。

 そうして、一体のやたら大きいスケルトンができあがった。

 

『おお、すごいや。ほんとにボスって感じだね。でも、せっかくクイーンなのに骨だけだなんてがっかりだ。肉付きの重要性を再認識するよ』

「黙っていろ、空気が台無しだ」

 

 相手がスケルトンなのに骨抜きになっちゃうね。

 そんなシュウの声を私は聞かなかったことにした。

 

 スケルトンクイーンの背丈は私の倍近い。

 空っぽな眼孔にはなにやら鈍い光。

 近づいてくる動きを見るに、他のスケルトンと同じく速くはないようだ。

 

 クイーンが片手を上げる。

 呻き声とともに地面から大量のスケルトン湧き、私を囲む。

 

『姐さん。予想通り囲まれたよ』

 

 わかっている。ここまではシュウの予想通り。

 重要なのはここからだ。

 

 大量に出現したスケルトンは私を無視して部屋の入り口に歩き始める、

 

 どうやら作戦は成功らしい。

 囲まれる可能性があったことは予想していた。

 そのためここに入ってすぐ一つだけ細工をした。

 

 入り口近くの壁際に火をともした松明を挿しておいたのだ。

 スケルトンはおそらく目が見えない。

 きっと、より大きな熱量を持った松明へと向かう。

 シュウの作戦は的中した。

 

 クイーンとの間には数体のスケルトンがいるだけ、彼らを斬り倒しクイーンと一対一のサシにもちこむ。

 これなら私に有利な戦いができる。

 

 そして、クイーンとのタイマンが始ま……らなかった。

 

 クイーンの周囲をぐるりと旋回し、後ろに回り込む。

 当然、こちらを振り返ると考えていた。

 だが、クイーンは私を無視して入り口へと歩いて行く。

 

 おや?

 

『クイーンさんもお目々がよろしくないみたいだね。もしくは見えているけど、熱量の大きなものから優先して攻撃するのかな』

 

 返事はしない。音で反応されてはたまらない。

 

 とりあえず後ろから全力の一太刀をお見舞いする。

 さあ、ここからが本番……にならなかった。

 斬りつけたクイーンは動きを止め地面に崩れた。

 

「これって、もしかして?」

 

 これには私も声を出さざるを得ない。

 

『うん。麻痺してるよ。耐性がないんだね。ボスなのに……いや、もしかすると――』

 

 シュウは何か言いたそうだったが、珍しく途中で口をつぐんだ。

 

 あとは一方的だ。

 相手からの攻撃はない。

 数回斬りつけたところで今度は毒が入り、骨がカタカタと震え始めた。

 

『これじゃあ、どっちがボスなんだかわかんないね』

 

 さらに数回斬りつけたところでクイーンは悲鳴を上げて消え去った。

 悲鳴もあげたくなるだろう。同情してしまう。

 

 クイーンのいた場所にドロップアイテムが残る。

 手に取ると、出口の扉がバタンと開いた。

 

『くうぅ〜、メル姐さん! 本当につらく苦しい戦いだったねぇ!』

 

 クイーンを吸い取って満足しているシュウの声に、反応する気力など残っていなかった。

 

 

 

 こうしてウラキラ洞穴の攻略はたった一日で終了してしまった。



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第04話「シルマ神殿にて犬と戯る」

 ギルドは凍り付いた。

 もちろん実際に凍ったわけではない。

 耳ざとく私の声を聞いたものが、話を広げあまりの内容に固まっているだけだ。

 

 それはそうだろう。

 もしも私があちら側にいれば、同じように固まる。

 

 ウラキラ洞穴を一日で制覇した。

 ベテランのパーティーなら別におかしくはない。

 しょせんは初級ダンジョン。

 

 しかしだ。

 昨日、初心者の森をようやく制覇した初心者新卒がソロで制覇した。

 しかも、たったの一日で。

 

 信じられるはずがない。

 ところが、現に私はドロップアイテムある「麗しきスケルトンクイーンの鎖骨」を提出し、その代わりにシルマ神殿の入場許可を受け取った。

 ギルドによる公認だ。噂は事実へと裏打ちされる。

 

 いろいろと突っ込まれると面倒だ。

 いつものようにさっさと立ち去ろう。

 

「おい。メル! どんな汚い手を使いやがった?」

 

 昨日も私に突っかかって来た奴だ。

 汚い手と言われると返す言葉もない。

 無視して通り過ぎようとしたが、肩を掴まれた。

 

「ちょっと待てよ。昨日ようやく初心者の森を制覇したおめぇが、今日はウラキラ洞穴を制覇? そんなことありえねぇだろうが! 言えよ。誰を殺したんだ?」

 

 最後の言葉に我慢できず、男の腕を掴んだ。

 捻ってやろうとは思った。

 

 ――だが、まさか腕が逆に曲がるとは想像してなかった。

 鈍い音が響き、再びギルドの中は静寂に包まれた。

 ついで男の汚い叫び声があがった。

 本当に自分がやったのかと驚き手を見つめる。

 それもすぐに落ち着き。転げ回る男を見て薄い笑みが出る。

 

 ――いい気味だ。

 

 すぐに男の仲間が駆け寄ってくる。

 ギルド内で剣を抜くのは御法度だ。

 ただ、ある程度の殴り合いは大目に見られている。

 これは乱闘になるな、と覚悟を決めた。

 数日前の私ならともかく、今ならなんとかなる。そんな気がした。

 

 乱闘にはならなかった。

 男の仲間は私に怒りではなく、恐怖の目を向けた。

 ギルドを見渡すが、誰もが私を彼と同じ目で見つめている。

 目を逸らすものさえいた。

 

 もしも私があちら側にいれば――目を逸らすかもしれない。

 その視線を背中に浴びて、何も言うことなくギルドの扉を押した。

 

 

 

 家に戻り、昨日と同様、やっぱり自室にこもる。

 シュウはなんと言うだろうか。

 剣の柄をそっと握る。

 笑い声が頭の中に響いた。

 

『いやぁ〜、さすが姐さんだね! 腕を折るとは思わなかったよ!』

「私は……私は、折る気など毛頭なかった」

 

 そう。私には奴の腕を折る気など微塵もなかったのだ。

 

「あんなに力が出るとは思ってなかったんだ!」

『そうかもね。メル姐さんの能力は以前とは比べものにならないほど向上してるからね。デコピンすれば大抵の人間は意識が人工衛星とランデブーするレベルだよ』

 

 なんだかよくわからないが、私は想像以上に強くなっているらしい。

 たしかに足の速さや剣を振り抜く力が上がっているとは感じていた。

 まさか、あれほどとは考えていない。

 それにだ。

 

「私はあんなことをするつもりはなかったんだ!」

『へぇ、本当に? じゃあ、男が床を転がり回ったとき。なんの感情も抱かなかった?』

「それは――」

 

 言葉に詰まる。

 

『あのむさくさくて汗臭い、目も当てられないおっさんが気色悪い声を出して床に転げ回ったとき姐さんはごめんなさいとでも心の中で思ったの?』

 

 思って、ない。

 そんなことを思わなかったはずだ。

 むしろ私は――、

 

『「いい気味だ」って感情を抱いたんじゃないかなぁ、違う?』

 

 その通りだ。

 まさにその通りに思ったはずだ。

 今までさんざん私を馬鹿にしてきたあいつの転がる姿を見て、気分がよくなった。

 それでも……

 

「それでも私はあそこまで――」

『姐さん。どうして言い訳をするんだい。俺は姐さんを責めてなんかないよ。むしろ、ちょうどよかったと考えてる』

 

 ちょうどいい……?

 こいつはいったい何を言っている。

 今までもよくわからないことを口走っていたが、今の台詞はこれまでの比ではないくらいに理解できない。

 

『いいじゃないか腕の一本や二本。人体には二百近くの骨がある。それが一本折れただけ。たいして重要でもない腕の骨。まして治らない訳でもない』

 

 違う。違うんだ。

 そういうことを言っているんじゃない。

 

『わかってる。そういうことじゃないって言いたいんでしょ。自分ではそうしたいとは思ってもいなかったのに、想像よりも遙かにひどいことになっちゃって姐さんはそれを悔いてる。自責の念ってやつだね』

 

 口に出されると、なにか別のものになった気がしないでもないが、きっとそうなのだろう。

 

『力を付けすぎたね。思い出せるかな。ギルドの人たちが向けた目を。尊敬でも、怒りでも、哀しみでもない。純粋な恐怖の目。自分には理解できないものを見ようとする目』

 

 目を閉じてもありありと浮かび上がる。

 今までのあざけりとはまったく異質の感情が私に向いていた。

 

『姐さんには二つの道がある。一つはこのまま止まることなく突き進む修羅の道。もう一つは来た道を引き返して、無能な人間として生きる道。停滞はないよ。それは死だからね』

 

 修羅の道はわかる。このまま上を目指し夢を追う道だ。

 もう一つの道は――、

 

「引き返すなら、お前はどうなる?」

『簡単だよ。誰か他の冒険者にでもあげてくれればいい。捨てるのは勘弁してください。あと、誰かにあげるなら、なるべく年上でむちむちの女性がいいな。わっふるわっふる』

 

 相変わらずふざけた調子でシュウは語る。

 

「本当にいいのか?」

『そりゃあ、いやだよ。メル姐さんは俺を拾ってくれた恩人だしね。一緒にあちこち回るのも楽しそうだ。それになにより体つきが最高だ、そそられちゃう。……でも、責任を感じてるんだ。俺の欲望につきあわせて、急激に強くしちゃったからね。強大な力は見えないところにも作用するからさ。いつかはこうなるって思ってた。それが早い内でよかった。今回はあのむさくさい男の骨一本で済んだけど、次はどうなるかわからないからね』

 

 さきほど話していたちょうどいいとはそういうことか。

 

「突き進むと……また私はあの目に晒されるのか」

『いや、そうとは限らないよ。ある程度までは恐怖だろうね。でも、その限度を超えてさらに突き進むと目すら向けられなくなる。大勢にいて、ただ一人。誰の目にも止まらない。止まれない。そう。孤高――』

 

 言い換えると、ぼっちだね。あれ……今と変わんないぞ。

 

「一晩考えたい」

 

 これは逃げではない。

 明日の朝には答を出す。

 

 シュウはただ『お休み』と言い残した。

 

 

 

 朝になって私はシュウを握る。

 

『おはよう、姐さん。答は出たかな?』

「ああ、行くぞ」

『どこに行くの、ラブホ?』

「ラブほ? シルマ神殿だ」

『孤高なぼっちになるの?』

 

 どうやらシュウは私がぼっちの道を選んだと思っているようだ。

 それは違う。

 

「引き返せば私は無能なぼっちだ。だが、突き進むならぼっちではない――お前は私と一緒に来るんだろう。二人ぼっちだ」

『メル姐さん……それはセンスがない。ナンセンスだ』

 

 おい。なんでこういうときだけ真面目になるんだ、貴様は。

 

『だけどまあ、俺は姐さんの剣だからね。死ぬまでお供させて頂きやすよ姐御。ついでに初めても俺にください』

 

 剣の腹をベッドの角にぶつけてやった。

 

 

 

 エルメルの町。

 町の周辺に現時点で存在する三つのダンジョン。

 なけなしの森、ウラキラ洞穴。

 そして最後の一つ――シルマ神殿。

 

 遙か昔は宗教的な施設として機能していたらしい。

 やがて宗派が衰退し、神殿だけが取り残された。

 そこにはモンスターが住み着き、ダンジョンとなってしまった。

 

 ウラキラ洞穴と同じく光の射さない暗い廊下。

 いまだに発見され続けている無数の隠し通路。

 侵入者を止めるためのトラップ。

 

 当然、モンスターも強く厄介なものとなる。

 

 鎧を着込んだリビングデッド。

 魔法を使うかつての教徒の幻影。

 群れをなす人食い犬。

 

 危険度はウラキラ洞穴の比ではない。

 初級者だけのパーティーで太刀打ちできる水準を超える。

 

 

 

 そんなシルマ神殿を灯りも持たず、たった一人で突き進む冒険者。

 

 ――私だ。

 

 灯りの問題はウラキラ洞穴と同様にさあもなんちゃらで解決している。

 トラップについては、シュウが事前に気づき注意をしてくる。

 どうやらどこにどんなトラップがあるのかは見ればわかるものらしい。

 隠し通路も手跡や足跡から判断し、罠の少ない道を進む。

 

 そうなると残る問題はモンスターだ。

 リビングデッドは硬いが、動きが遅く数も少ないためさほど問題ではない。

 警戒していた魔法は、シュウの魔法散乱とやらでほぼ無効化した。

 麻痺の付与確率上昇も得たことで、この二匹は問題なくなった。

 

 唯一にして最大の問題は犬だ。

 やつらは複数で囲ってから襲いかかる。

 視界だけではなく、音や臭いでも追ってくる。

 私が得意とするヒットアンドアウェイも奴らは足が速いためやりづらい。

 さらに牙には毒があるときた。

 シルマ神殿における死亡理由のトップが犬である理由がよくわかる。

 

 私も四苦八苦した。

 何度か挟み撃ちをされ、腕と足を噛まれた。

 幸い、私は毒に耐性があるらしく、体調は変化なし。

 噛まれた傷もすでに治った。シュウの吸収効果で私も回復するらしい。

 回復とはいっても正面から斬り合えるほどではない。

 

 なんとか撃退したものの、血の臭いと遠吠えからさらに仲間が寄ってくる。

 隠し通路や罠を利用し、なんとか乗り越えてきていた。

 

 中級者向けともなるとやはりソロでは厳しい。

 

 

 

 ――そう思っていた時期が私にもありました。

 

『メル姐さん。新しいスキルを選択したから』

 

 流れはシュウのこの発言から変わった。

 私がどんなものか説明を求めたが、奴はすぐにわかると口にするだけであった。

 

 その後、またもや犬に囲まれた。

 一匹や二匹ではない。数十匹の犬が私を囲む。

 どうする。

 どうすればいい。

 逃げるにも全方位を囲まれ、退路は断たれている。

 

『うーん、獣姦ものはちょっと好みじゃないんだよね。……いや、でも俺がケダモノになれるならありかもしれない。悩みどころだ』

 

 シュウは余裕そうだ。

 どうしてこいつはこの状況で落ち着いていられる。

 おいっ、なにか策はないのか?!

 

『あるよ。そうカリカリしなさんな』

 

 あるのか?

 

『どこでもいいから一方向に向かって斬りかかってみてよ』

 

 後ろから襲われたらどうする。

 

『細かいこと気にしてると太るよ。個人的に、姐さんはもうちょっと肉がついてもいいと思うんだよね』

 

 いろいろ言いたいこと、やってやりたいことはある。

 ひとまず現状を打破すべきだ。

 シュウの言うとおり、私は犬たちの一点に向かって斬りかかった。

 

 異常にはすぐ気づいた。

 斬りかかった周囲の犬がばたばたと倒れていく。

 

『姐さん。うしろの奴も斬っちゃって』

 

 考える暇もなく振り向かされる。

 すぐ後ろには犬が倒れている。

 

 襲いかかってくる犬はわずか二匹だけだった。

 その二匹も片方を斬ると、もう片方は斬らずして倒れてしまった。

 

『さあ、倒れてる奴を片付けようか』

 

 待て待て待て待て。

 これはどういうことだ。

 私が斬ったのはせいぜい五匹程度だ。

 周囲には先ほどまで私を包囲していた犬っころどもが倒れ込みぴくぴくしている。

 

『さっき取ったスキルは「伝染」ってやつなんだ』

「伝染――」

 

 病気が移るやつのことか。

 

『そうそう。メル姐さん伝染って言葉知ってたんだ! 驚きだよぉ。……あっ、やめて。俺、体硬いから、そっちには曲がらない!』

 

 片足で剣の端を踏み、もう片方の足で剣の中ほどにゆっくり体重を載せていく。

 

『とにかく、ある一体に毒やら麻痺やらのバッドステータスがついたとき、その周囲にいるモンスターにも同じ症状を付与するんだ。周囲の詳しい範囲がわからなかったけど、思ったよりも広いみたいだね』

 

 私が斬りかかった反対方向にいる犬も倒れている。

 距離にして十歩以上はあるだろう

 

『さすがチートだね!』

 

 もう何も言わない。

 私がすることは、倒れている犬どもにシュウを突き刺していくだけの簡単なお仕事だけだ。

 

 

 

 そこからは敵なしだ。

 モンスターが数体出てきても、一体を斬りつければ他の敵も片付く。

 さらに恐怖付与とやらも得たらしく、斬りつけたモンスターが私に背を向け逃げ出すこともあった。

 

『とうとうモンスターからも避けられるようになっちゃったね。真のぼっち冒険者メルの誕生である。なお、剣の才能はない模様』

 

 うるさいな。本当にうるさい。

 お前が黙るスキルはないのか。

 

 ……ないらしい。

 

 とりあえずサクサク進める。

 一太刀入れると毒、麻痺、恐怖のどれかはつく。周囲にも伝染する。

 あとはトラップと遠距離からの魔法に気をつけてさえいればいい。

 

 そうして目の前には大きな扉。

 特に注意書きはされていないが、雰囲気でわかる。

 

『ボス部屋だろうね』

 

 私も頷く。

 またしても一日足らずでボスに来てしまった。

 ウラキラ洞穴よりは苦労しただろう。

 それにしても早い。早すぎる。

 

「早すぎないだろうか」

『早くたって仕方ないだろ! 初めてだったし、気持ちよすぎて我慢できグフッ』

 

 壁に叩き付けてやると静かになった。

 なんだ。こうすれば黙るのか。

 今度からこうしよう。

 

『ボスはミノタウロスだっけ』

「ああ。上半身が牛で下半身が人間。斧を持って襲いかかってくると聞く」

 

 その強さは噂に聞いている。

 斧の一撃で体が真っ二つになった。

 体当たりで壁がめり込んだ。

 力が強いという話は多い。

 前衛で数人がかく乱して、後ろから魔法で攻撃が定石らしい。

 さすがは中級者向けのダンジョンのボスといった話だ。

 

『メル姐さんは魔法が使えないし、ソロだから定石通りに戦えない。逃げ足を重視して防御もさほど高くない。でもさ――』

 

 当たらなければどうということはない。

 

 その言葉に押され、ボス部屋の扉をくぐった。

 

 

 

 ボス部屋の床はなにやら円形に大きな魔方陣が刻まれている。

 魔方陣の外縁にフードを被った人が数人。

 中心に向けて手を伸ばし、ぶつぶつと呪文らしきものを呟く。

 その中心には男が一人。

 

 呪文は力強く放たれた一言を最後に終わる。

 外縁に立っていた人たちは消えていなくなる。

 一方で、中心に立っていた男が叫び始めた。

 男の服は破れ体が肥大化していく。

 上半身からは毛が生え始め、顔も人の形ではなくなる。

 

 叫び声が止まると、人外の瞳がこちらを捉えた。

 男だった存在は床に置いてあった斧を手に取る。

 その斧の大きさたるや。

 人の胴よりも遙かに大きい。

 あれの一撃は受けるわけにはいかない。

 

「でかいな……」

『ああ、なんだよあの大きさは……あれじゃマグナムどころか榴弾だ。俺も男として自信を失っちまうよ』

「お前は何を言ってるんだ」

『何って、ナニだけど』

「えっ?」

『えっ?』

 

 ……真面目に会話をしようとした私が馬鹿だった。

 

 ミノタウロスは足音を大きく響かせ私に近寄ってくる。

 あちらの初手は横からのなぎ払い。

 防ぐことは難しいと考え、伏せることでその一撃を躱す。

 そこまで速くはない。これなら大丈夫だ。

 

『上から来るよ』

 

 その言葉を聞いて、上を見ると振り上げた斧が落ちてきた。

 身を転がしてその一撃を避ける。

 

 斧が床に突き刺さったのか、抜くのに時間がかかっている。

 これを好機として近寄り、太刀を入れる。

 三度目の斬撃でミノタウロスが状態を変化させた。

 動きが鈍くなる。毒が入った。

 その後も応酬の中で何度か切り刻む。

 ミノタウロスはしばしば膝をつくが、すぐに起き上がる。

 

『状態異常は効くみたいだけど、快復がめちゃくちゃ速いね。まあ、有効は有効だから動きが鈍っている間に斬りつけていけばいいかな』

 

 シュウの言うとおり、動きが止まっている間にミノタウロスを切り刻んでいく。

 一人でも十分に戦えている。十分どころか私の方がはるかに有利な状況だ。

 

 ときどき斧を振り回してくるので、それに注意しつつ斬っていくとミノタウロスは一際大きな叫び声をあげた。

 断末魔だろう。

 剣線を下げ、ほっと息を吐く。

 

『横に飛んでっ! 速くっ!』

 

 シュウは珍しく焦った声を出す。

 その声に驚きながらも、足を右へと動かす。

 

 次の瞬間、体のすぐ横を風が駆け抜けていった。

 左手にだらりと下げていたシュウに何かがかすり、そのまま手から離れた。

 ミノタウロスが突進をしてきたと気づいたのは、シュウが床に転がる音を聞いたあとだ。

 

 後ろから壁にぶつかる音と瓦礫が崩れる音が聞こえてくる。

 すぐさま振り向くと、ミノタウロスも私へと振り向いた。

 目と目が合う。

 ミノタウロスの目はまだ死んでいない。

 体はぼろぼろだが、まだ戦う意志を宿している。

 一方の私は目立った怪我はないが、戦う意志が消えていた。

 勝ったと思っていた。

 

 視界が暗くなる。

 ああそうだ。

 今の私はシュウを持っていない。

 さあもなんちゃらの効果がなくなったのだ。

 色鮮やかだった視界は黒に染まる。

 それでも巨体が私に近づいてきているのはわかった。

 シュウの位置もなぜだかわかる。

 だが、それは手が届く距離ではない。

 なによりもミノタウロスのすぐ側だ。

 近づくことなどできない。

 

 巨体はすでに私の前にある。

 ミノタウロスの荒い息が吹きかかってきている。

 私は動かないし、動けない。

 逃げろと頭の中で命令しているものの、足が地面にくっついているようだ。

 

「あぁ、あっ……」

 

 ミノタウロスは斧を振りかぶる。

 鈍い光がそうしていることを伝える。

 

「ひっ!」

 

 私の悲鳴に意味はない。

 斧は殺意を持って振り下ろされた。

 音と衝撃が私を包んだ。

 

 

 

 私のすぐ隣。

 斧の磨かれた刀身が、私の姿を映している。

 それも一瞬で斧に映る私は光とともに消えていった。

 ミノタウロスも光とともに消えていく。

 そこには小さな光が残る。

 

 理解が追いつかない。

 私はもう死んでいるのだろうか。

 床にへたり込み、茫然としていた。

 

 どれくらい経ったかわからないが、ようやく自分が助かったことを自覚した。

 体をゆっくりと起こす。

 ドロップアイテムの小さな光を無視してシュウを拾う。

 

『体当たりで弾かれたときに毒が入ってなかったら――死んでたのは、姐さんだったよ』

「すまない」

『謝って欲しいんじゃない。チートでナイスガイな俺がいるとはいえ、姐さんはソロ――ぼっちなんだ。相手が確実に死ぬまでは油断しちゃ駄目だめだよ』

「すまない……」

『でも、無事で良かったよ。一人でここに残されるのは寂しいからね。とりあえず結果オーライさ。ダンジョンクリアおめでとう』

「…………すまない」

 

 私はシュウを固く握って、刀身に額を付ける。

 刀身は冷たく、しかしどこか温かい。

 シュウも困ったように小さく笑うだけで、それ以上は何も言わなかった。

 

 

 

 エルメルの町、周辺ダンジョンの三つ目――シルマ神殿の制覇は、私にとって苦いものとなった。



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第05話「成長止まぬゼバルダ大木 前半」

 大声で歌う馬鹿を黙らせたい。

 

『メル姐さん。もっと楽しんでいこう! ヘイ、GUNG-HO!』

 

 家を出てから三週間。

 こいつはずっとこんなだ。

 

 エルメルの町付近に現時点であるダンジョンを全て制覇した私は、北にある上級ダンジョン――ゼバルダの大木に向けて出発した。

 乗り合い馬車なら一週間足らずだが、私を知っている冒険者と一週間近くも一緒にいるなんて堪えられそうになかったので徒歩で行くことにした。

 私は馬にも乗ることができないし、そもそも馬を買う金がない。

 

『さっすがメル姐さん。ぼっちの鑑だ! そこにしびれ、いたいいたいっ! 木に叩き付けないでっ! やめてください折れてしまいます』

 

 最初は料理やら寝場所などいろいろ戸惑っていたが、さすがに三週間も経てば慣れてきた。

 そして、ようやく目標らしき風景が目に映る。

 一言で言えば木だ。

 とても大きい木。馬鹿でかい木。本当に木か?

 

『あのー木、何の木?』

「ゼバルダの大木だ。忘れたのか」

 

 珍しくシュウがまともに尋ねてきたので返答する。

 前に説明したことをこいつが忘れるのは珍しい。

 シュウは「気になる気になる」と連呼している。よくわからない奴だ。

 

 さらに半日すると、木は見えなくなった。

 近寄りすぎて、それが木だとわからない。それくらい大きい。

 根の付近にいるが、根の一本一本がそこらの木よりもはるかに太くたくましい。

 

『太くてたくましいだなんて……もう、姐さんってば。ほんと破廉恥なんだからぁ』

 

 無視だ。無視無視。

 

 巨大なゼバルダ大木。

 これでもまだ成長過程にあるというのだから驚かされる。

 

 ちなみに今いるのはゼバルダの町。

 ダンジョンの側にできた町の典型例だ。

 長居するつもりなどない。

 さっさと情報収集にいく。

 

 

 

 ギルドでお金を払って、ダンジョンの情報を得てきた。

 さらに追加料金を出して、モンスターとボス情報も得た。他言は厳禁だそうだ。

『話す相手がいない私には、まるで関係ないのない警告といえる。いやみか?』

 

 ダンジョンの入り口は初級者向け、中級者向け、上級者向けの三つ。

 高度が上がるほどダンジョンのランクは高くなる。

 初級者の入り口から上っていけばやがて中級にたどり着き、中級者の入り口を上っていけば上級にたどり着く仕組みらしい。

 もちろん、それぞれの段階でボスが待ち受けている。

 

 本来は初級者向けから始める必要がある。

 しかし、すでに中級ダンジョンであるシルマ神殿をクリアしている私は上級者入り口から始めることができる。

 

 さっそく上級者向けの入り口へ進もうとしたが、シュウに強く止められた。

 今日は休み、ダンジョン攻略は明日からにするべきとも言う。

 さらに、まず中級者向けで様子を掴んでおくべきと勧める。

 旅の疲れもあるし、モンスターの傾向も見ておいたほうがいい。そういう理由だ。

 

 シュウにしては至極まっとうな提案である。

 シルラ神殿での反省もあったため、今回は奴の建言に従うことにした。

 

 

 

 明くる日。

 私は中級者向けの入り口からダンジョンに潜った。

 もちろん一人でだ。

 入り口の監視員に「本当に一人で入るのか」と三度も確認された。

 

『いやはやぁ~。メル姐さんの口からぼっち宣言が聞けるとはね!』

 

 抑えきれていない笑い声が頭に響く。

 監視員があまりにもしつこいため、しまいには私が叫んでしまった。

 

『「一緒に潜る仲間がいないのだ。察してくれ!」だってお! ちょ、やめ、蹴らんといて』

 

 中級のダンジョンはずっとこんな調子で進んでいる。

 要するにさほど問題はない。

 

 トラップはなく。視界も良好。

 道は複雑そうだが、地図を買っているため迷う心配はない――と思っていたが地図の見方がわからなかった。

 今ではシュウが地図を覚えて道を教えてくれている。

 

『ねぇねぇ姐さん、ねぇ姐さん。地図の読み方もわからないってどういうことなの。メル姐さんは剣士じゃなくても、かろうじて冒険者の端くれにひっかかると思ってたんだけど違ったの?』

 

 そういったものは苦手だ。

 おのおのが得意分野を担当すべきだろう。

 

『メル姐さんの……得意、分野?』

 

 シュウはなにやら真剣に悩んでいる。

 私にだって得意分野はあるぞ。

 例えば…………ほら、いろいろとあるだろう。

 仕方ないな。お前に言わせてやる。

 言ってみろ。

 

 待てども待てどもシュウは黙して語らず。

 時間ばかりがいたずらに過ぎていった。

 

 さて、中級でのモンスターについてだが――。

 ヤモリや蜂、ムカデと虫を大きくしたものが主となっている。

 出てくる数は多いが、まったく問題にならない。

 ほぼ一振りで倒せるし、状態異常の伝染でサクサク倒れていく。

 相手の攻撃は毒や麻痺をこちらに与えるものらしいが、私には耐性がある。

 そもそもモンスターの攻撃にほとんど当たらない。

 中距離以上になると攻撃手段が乏しいため、魔法を使う敵がいないというのはありがたい。

 

 注意すべきは蜘蛛の糸だ。

 見えづらい上に、動きを大幅に制限される。

 その上、ひっかかるとそれを探知した蜘蛛が寄ってくる。

 数自体はそれほど多くないのが救いだ。

 そもそも蜘蛛は上級にしか出てこなかったが、最近になって中級にも出没するようになったらしい。困ったものである。

 

『同じ中級でもシルラ神殿のほうがきついね。ポイントもあっちのほうが良いよ』

 

 その意見には賛成だ。

 遠距離からの魔法や犬の群れによる攻撃と比べると、こちらのモンスターの攻撃は単調すぎる。

 本来は状態異常がきついのだろうが、耐性がある私にはさして問題にならない。

 

『中距離以上の敵に対する攻撃手段は今後の課題だね。上に逃げられると状態異常の伝染でしか対処できないのがきつい』

 

 その通りだが、剣士としてソロで挑む以上しかたないだろう。

 それかチートとやらでどうにかならないのか。

 

『一応ね。チートの選択一覧に魔法はあるんだよ』

 

 なに、魔法を使えるようになるのか。

 どうして選択しない?

 

『ポイントがめっちゃくちゃ高いんだ。今までメル姐さんの能力プラスに注ぎ込んだポイントを、全部ひっくるめてようやく一つ選択できるってとこだね。元のメル姐さんがいかに弱いかがよくわかるでしょ』

 

 ……それを言われると反論できないな。

 

『ついでだから、もう一つ言っておくよ。力や耐久力、それに動体視力が上がってるけど技量はそこまで上がってないからね』

 

 どういうことだ。

 私は強くなっているだろう。

 現に敵の攻撃はほとんどくらっていないし、相手も一撃で倒せるようになってきた。

 

『はぁ~、最初にも言ったけどさ。メル姐さんには才能がない。驚くほどない。今も目と力に頼って闇雲に振ってるだけ。モンスターが一撃で倒せるのは俺の吸収力が格段に上昇してるからってのが最大の理由。レベルを上げて物理で殴れば、の良い例だよ』

 

 確かにお前の力が大きいことは認める。

 それでも私だって出会った頃よりは良くなっているだろう。

 

『確かにね。最初よりは千倍マシだよ。元がゼロコンマゼロゼロゼロいくつだったから、ようやく平凡に並べたってところかな。でも、ほぼ同じ力を持った剣士と戦ったら確実に負けるよ。瞬殺だよ。まあ、今のメル姐さんと同じ力を持った人間なんてほとんどいないだろうがね』

 

 以前から不思議だったが、どうして才能の有無がお前にわかる。

 お前は元の世界では剣士をしていたのか?

 

『まさか! 俺はただの派遣労働者。しかも違法な日雇い派遣。職種もお掃除を専門にしてたね。汚れを処理して世の人が安心して暮らせる環境を作るのが俺のお仕事でしたよ』

 

 言い方を変えるとただの小間使いだろう。

 そんな奴に私の技量云々を言われたくない。

 

 ……それにしても今日はえらくまともだな。

 いつも以上に気持ちが悪いぞ。

 

『メル姐さん、気づいてないでしょ。後ろをずっとつけてるやつがいるよ。それにすら気づかないから、姐さんには才能がないって言ってるの。おわかり?』

 

 ちょうど曲がり角を過ぎたところで、シュウがそう言った。

 足を止める。

 

「なに?」

『ダンジョンに入ってからほぼずっとだよ。すぐ来るだろうから、ここで静かに待っててごらん。いちおう俺を構えておいてね』

 

 シュウの言葉を全面的に信じる訳ではない。

 しかし、気になることはたしかだ。

 足を止めシュウを構え、息をひそめて立ち尽くす。

 わずかな物音が聞こえ、

 

「うわっ、うわわわわっ!」

 

 愉快な叫び声とともに人影が虚空から現れた。

 私だって驚きだ。ほんとにいるとは思わなかった。

 しかも、姿がいきなり出てきた。

 

「ごっ、ごめんなさい。悪気はないんです。だから命だけは!」

『あっ! この耳ってもしかして、エルフってやつ!?』

 

 シュウの声が弾んでいる。

 奴の言うとおり少女の耳は長く、尖っている。

 顔も色白で線が細い。

 ハーフか純血かはわからないが、エルフの血が混ざっていることに違いはない。

 見た目では十代半ばだが、エルフとなるとそれも当てにならない。

 彼らは我々よりもはるかに長生きだ。

 

 そんなエルフの少女は目に涙を溜めて謝る。

 たしかにシュウ――剣先は追跡者の喉もとに添えられている。

 

「どうして私を追っていた。盗賊か?」

 

 できるだけ声を低くして問いかける。

 冒険者を後ろから刺して、お金を奪う人間もこの世には存在する。

 

 自分で問いかけておいてなんだが、この少女は盗賊ではないだろう。

 少女の手に持つ武器は杖。

 体格もやせぎすで、ローブを頭から被っている。

 おそらく魔法使い。

 

「ち、違います違います。私は魔法使いのアイラといいます。盗賊なんかじゃありません」

『メル姐さんもさ。せっせと汗水流して小銭を稼いでたゴブリンを後ろから串刺しにして自分のものにしてたじゃん。あれは盗賊って言わないの? それにさ。「盗賊か」って尋ねて、「はい盗賊です」っていう奴がいるの? ばっかだなぁ』

「うるさいぞ。黙っていろ」

「ひぃっ。ごめんなさい」

 

 そうか、シュウの声は聞こえていないのか。

 ええい、話が進展しない。

 しばらく奴は無視しよう。

 

「盗賊じゃないならお前はどうして私のあとを追っていた。ずっと後ろをついてきていただろう」

「姿は消していたと思っていたんですが……。さすがソロで潜るかたは違いますね!」

 

 少女の瞳がなにやらきらきらと私を見上げてくる。

 いや、姿は私にもまったく見えなかった。

 シュウはどうやって気づいたんだ。

 

『遠回しに「貴方はプロのぼっちですね!」って嘲笑してるぜ、このアマ。シメ上げて身ぐるみ剥いじゃおうよ』

 

 いっちいちうるさいな。

 お前は女の裸が見たいだけだろう。

 

『なぜばれたし』

「……それで、どうして後ろをついてきていた?」

「す、すみません。実はつい先日にパーティーから閉め出されまして。ギルドでも他のパーティーに入れてもらえなくて」

「魔法使いなら引く手は多いだろう」

 

 魔法は遠距離から攻撃でき、威力も高いものが多い。

 パーティーに一人は欲しい存在だ。

 しかし、魔法使いの絶対数は少ない。

 そのため需要がないということはあり得ない。

『剣をまともに振れない無能な剣士とは違うのだ』

 仲間に入れてもらえないとは考えづらい。

 

 ……あとで覚えていろよ。

 

「いやぁ~、その、いろいろと事情がありまして」

 

 事情、か。

 私にもいろいろと事情があった。

 自身を鑑みて、彼女の事情については聞かないことにした。

 

「けっきょく、どうして私の後を?」

「入ってきたパーティーをこっそり追いかけて、ピンチになったところを私の魔法で助ければ仲間に入れてもらえると考えまして。そうしたら、ちょうどソロで挑もうとする間抜けな剣士が来たではありませんか。そこでピンチになるところを待っていたのですが……」

「想像以上に強かった、と?」

「はい。お強いですね。強すぎますよ。私は悪くありません」

 

 アイラと名乗る少女は開き直り始めた。

 

『この子、胸はなさそうだけどユーモアがありそうだよ』

 

 ユーモアなんていらない。

 

「どうしたものかな?」

 

 ことさらに声に出す。

 口やかましい相棒(暫定)の意見を聞いてやらんこともない。

 

「いっしょに行きましょう! こう見えて私……すごいんですよ」

 

 アイラは自分に言われたと勘違いしたのか、必死にアピールしてくる。

 どうしてウインクするんだ。

 

『ほう。では、まず邪魔なローブを脱いで――』

「それでは魔法をみせてもらおうか。なにができる?」

 

 シュウの声を遮って、アイラに尋ねる。

 

「基本である火・水・土・風の四元素。複合である雷・氷。高度である光だって使うことができます。ちなみにさっき使っていたのは光と風の混合魔法で私のオリジナル――アイラオリジナルです。姿と音、さらに臭いさえ消すんです。強くしすぎると肉体も消えちゃいますけどね」

 

 アイラはふふんと鼻を鳴らす。

 最後のは自慢じゃないだろ。

 

『よくわからないけど、なんだかすごそうだね』

 

 すごいなんてものじゃない。

 基本の四元素が全て使えるだけで、どのパーティーからも誘われる。

 それに複合や高度まで使えるなら中級者なんてレベルではない。

 その話が本当なら多少の問題があってもパーティーに誘われる。

 

 つまり、アイラの話は嘘か、それを上回るほどの問題がある。

 

『あるいは本当にただの盗賊か、だね』

 

 当然ながら信じられん。

 

「とりあえず一つ見せてもらおうか」

「ええ、一発すごいのをやって差し上げましょう」

『えっ! 一発やらせてくれるの! しかもすごいのを!?』

 

 空耳だ。

 ここには私とアイラしかいない。

 

 背後を振り返る。

 奥に見える壁の上に蜘蛛がいた。

 焦がれるほどの熱い視線を私たちに送ってきている。

 

「あの奥の壁。あそこだ。蜘蛛がいるだろう。あれを仕留めて見せろ。そうだな、氷の魔法を使ってくれ」

「いいでしょう。詠唱中はよろしくお願いしますよ」

 

 頷いておく。

 よろしくというのは守れということ。

 魔法使いは詠唱中無防備になる。

 前衛に立ち敵の注意を逸らすのが剣士の役割だ。

 

 私の剣が喉もとから外れると、アイラは杖を構える。

 

〈現世にある熱は常に移ろい変わりゆく――〉

 

 彼女の口からゆっくりとした言葉が紡がれていく。

 

『おお、なんか本格的だね』

 

 シュウの声が楽しげだ。

 私も魔法を間近で見るのは久しぶり。

 実を言うと少々楽しみである。

 

〈全て大気に存在する水は今にもその形態を異にする――〉

 

 

 

〈――然して、熱の具象である火は……〉

 

 一分が過ぎただろうか。

 アイラはまだ詠唱を続けている。

 

『詠唱って、こんなに長いものなの?』

 

 かぶりを振る。

 以前に見たときはここまで長くなかった。

 複合魔術は時間がかかるのかもしれない。

 

 ……さらに二分。

 

〈――万物悉く氷結せよ!〉

 

 ようやく唱え終わったらしい。

 途中からシュウを蹴って時間を潰していた。

 

 青白い、指先程度の微かな光がアイラの杖の先から出てくる。

 

『えっ! えぇぇぇ! あれだけ唱えて出てくるのそれっぽっち!? 俺のジュニアだってもうちょっとたくさんどぴゅどぴゅって出せるよ!』

 

 前半部分には私も共感せざるを得ない。

 あんなにも時間をかけて、出てくるのが小さな光ひとつでは話にならない。

 

「見てください」

『白くて細い女の子らしい指だね』

 

 はいはい、そうだね。

 それ、遠回しに私の指が女らしくないと言っていないか。

 

『いやだなぁ~、曲解しすぎだよぅ』

 

 それと見るのは指じゃなくて光な。

 いい加減にしておけよ。

 

 淡く今にも光は蜘蛛の方へほわわんと飛んでいき。

 蜘蛛を外して壁にぶつかった。

 

 パリンッ!

 

 小さな光は大きな音をたてて割れた。

 

「凍っちゃえ!」

 

 アイラの叫びを合図に漂着点である壁の一部が白くなり、その白はすさまじい速さで壁を塗りつぶしていく。

 壁にくっついていた蜘蛛も白に潰され、粉々になって消えていく。

 

「おおっ!」

『いやぁぁ! らめぇぇぇ! 白くて濃いのが視界を覆ってくぅぅぅぅ!』

 

 私は歓喜の声をあげる。シュウのは知らん。

 アイラは目を細めて、どやぁっと私を見てくる。

 

 たしかにすごい、が、奥から白い景色が床と壁を伝ってこちらに迫ってくる。

 

『姐さん。逃げ……』

 

 アイラを置いて、迫り来る白に背を向ける。

 そのまま元来た道を颯爽と駆け抜けた。

 

 私は今、風になっているのではないだろうか。

 

 振り返ると曲がり角を超えてまで白銀は迫ってきたが、ようやく勢いを止めた。

 

 アイラの姿はない。

 彼女は、私が逃げる直前に後ろを振り向いて悲鳴を上げていた。

『それが私の聞いた――彼女の、最期の声だった』

 

 殺してやるな。

 引き返すぞ。

 

『メル姐さんは才能がまったくないって言ったけど、一つあったのを忘れてた。その逃げ足は冗談抜きで素晴らしいよ』

 

 シュウの声は今日聞いた中で一番マジメなものだった。

 

 

 

 氷の彫刻。

 アイラの現状だ。

 上から下まで真っ白に凍り付き、呼吸も止まっていた。

 シュウの言うとおりに処置していくと、なんとか息を取り戻した。

 

『復ッ活ッ! アイラ復活ッッ!』

 

 シュウが叫んでいたが、私だって叫びたい。

 知り合ってすぐに死なれては寝覚めが悪いからな。

 

「し、死ぬふぁと、思ひますた……」

 

 アイラは横になったまま呟く。

 

 シュウの話じゃお前。

 仮死状態とかいうやつだったらしいぞ。

 人間なら死んでたとも話していた。

 

『この子がなんでパーティーに誘われないか、よくわかったね』

 

 あまりにも長すぎる詠唱。

 自分自身を巻き込むほどの馬鹿威力。

 魔法の欠点が浮き彫りになっている。

 

 そりゃいらないだろう。

 せめて――、

 

「詠唱を短縮することはできないのか」

「できます――できますが、それは邪道です! 魔法の本質は元来導き出される結果ではなく、その過程である詠唱にあるのです。詠唱が正確ならば詠唱に準ずる結果が出るのは至極当然の道理。詠唱の短縮は確かに戦闘で有利ですが、それは魔法への――ひいては魔法を作り上げてきた故人たち。さらには世界への冒涜です! 実践派の奴らはそれをまるでわかっていない。むやみやたらに速さばかりを売りにして――」

 

 アイラは上体をむくりと起こし、数分に及び口を動かし続けた。

 私が切り上げなければ、さらに続いていたに違いない。

 

『ピンチになったパーティーを助けて~、とか話してたけど詠唱が長すぎて助ける前に死んじゃうよね。魔法を放てたとしてもこの子がトドメさしちゃうよ。まあ、どっちにしろこの子じゃパーティは組めないね。ただの置物になっちゃう』

 

 結論は出た。

 

「残念だが今回は縁がなかったということで――」

 

 アイラに背を向けて歩き始める。

 時間を無駄に消費してしまった。

 今日中に中級をクリアして、上級の様子も見ておきたい。

 さっさと進もう。

 

「待って! 待ってください!」

 

 後ろからカサカサカサと蠢く音。

 モンスターかと思い、慌ててシュウを向ける。

 そのシュウもやすやすとかいくぐり、ローブから伸ばされた手が私の胴に回る。

 

「見しゅてないで! ここの上級をクリアして、アイテムを持って帰らにゃいとお家に入れてもらえないんでしゅぅ!」

 

 アイラは泣き顔を私のお腹にこすりつけてくる。

 

『すごい動きだったね……。この子、姐さんよりもよっぽど才能があるよ。それにしても、くそっ! うらやましい。俺もメル姐さんの腹筋にほっぺたすりすりしたい!』

 

 ああもう、うっとうしい。

 きっとそのうち奇特な奴らがパーティーに入れてくれるはず。

 それにだ。

 

「どうしても上を目指すなら詠唱短縮をすればいい。できないわけではないんだろう」

「だめです! それは私のポリスィーに反します!」

 

 ぽりしぃってなんだ?

 シュウが二人に増えた気分だ。

 しかも、こっちは肉体的に干渉してくるからもっとタチが悪い。

 

「私このままじゃ上級どころか中級で死んじゃいます。お家に帰りたいですぅ」

 

 アイラはさめざめと涙を流し始めた。

 早く事情を聞いてくださいよと、ちらちら涙目で訴えてきている。

 

『あざとい。実にあざとい。だが、それがいい』

 

 事情、聞かないといけないのか……。置いていきたいんだが。

 とりあえず、このまま胴に巻き付かれているとやっかいだ。

 

「いったいなにがあったんだー」

『すっごいぼうよみだねー』

 

 言われなくてもわかっている。

 どうしてこんな茶番を演じなければならない。

 

「よくぞ聞いてくれました!」

 

 アイラは語り出した。

 語るに語った。

 あまりにも長いため途中からシュウを踏んで遊んでいた。

 

『要するにさ。書庫に引きこもって本ばっかり読んでる碌でなしの甲斐性なしだから、親御さんに追い出されたってことだよね』

 

 そういうことらしい。

 

「三十年ぽっち引きこもってたからって追い出すことないでしょうに」

 

 三十年ものの引きこもり……。

 さすがエルフと言うべきか。

 ちなみに御年百五十二歳らしい。桁が一つ違う。

 

『三十年あれば俺の世界でも魔法を使える人が出てくるからね。むこうでは魔法少女に憧れるのに、こっちでは魔法少女が呆れられるんだ。……少女って歳でもないか。こっちでもそのへんは同じなんだねぇ。なんだかなぁ』

 

 シュウもしみじみと回想にふけている。

 

 さて、どうしたものか。

 意見を求めてシュウを見る。

 

『こういうときだけ意見をねだるのって、卑怯だと思うわ。これだから女って……』

 

 気色悪いこと言ってないで、さっさとチートやらでなんとかしろ。

 卑怯はお前の得意分野だろう。

 

『チートな手段があるっちゃあるよ』

 

 ほぅらみろ。やっぱりあるじゃないか。

 早く言え。

 

『いやね、チートの選択一覧にさ。スキル一部共有とパーティー専用スキルがあるんだ。ずっと前からあったっちゃあったんだけど、姐さんロンリーウルフ――失礼、ただの涙ぐましいぼっちだったからね。俺もそのあたりをきちんと察して話をしなかったんだよ。その中に問題を解決しうるスキルがある』

 

 なんで言い直した。

 しかも言い直した方がよっぽど失礼なんだが。

 

 まぁ、いい。

 そうか。なんとかなりそうか。

 それなら――、

 

「一緒に行ってみるか?」

 

 アイラは目をぱちぱちさせている。

 聞こえてなかっただろうか。

 

「ついて来るかと聞いたんだ」

 

 アイラは口をぱくぱくさせ、目を輝かせる。

 

「はい! 一生ついていきます!」

 

 やめろ。上級まででいい。

 それと腹に頬をこすりつけるな。

 

『さすが姐さん。あっという間に雌豚一匹を飼い慣らしちゃったね! それにしても逃げ足が取り柄のぼっちと魔法オタなヒッキーの組み合わせとは、ぷぷっ』

 

 こうして、私は数年ぶりにパーティーを組むことに……ならなかった。

 

 パーティーは組めなかった。

 私がパーティーリングを持っていなかったためだ。

 

 パーティーの結成にはギルドから提供される指輪が必要となる。

 この私がまさかパーティーを組むなど、ここ数年想定すらしていなかったためリングをどこに置いたか全く記憶にない。

 机の引き出しの中だろうか。

 いや、引き出しには思い出の品しか入れていないな。

 

『机の引き出しってさ。……空っぽだった、よね』

 

 馬鹿言え。

 そんなわけないだろうが。

 くそ……おかしいな。はっきり思い出せないぞ。

 

 まあいい。まあいいさ。

 仮に百歩譲って机の引き出しが空だとしてもだ。

 それでも目を瞑れば楽しい思い出がありありと浮かんでくる。

 

 …………あれ?

 なぜだ。おかしいぞ。どうして真っ暗なんだ!

 

 知らず知らず頬を生暖かいものがこぼれていく。

 

 私には、思い出が。楽しい思い出が――、

 

『もういい! もういいんだ! もういいんだよ、メル姐さん。つらい過去を無理に振り返ろうとする必要なんてない。大切なのは未来。もっと先を見ていこう。ほら、ゆっくりでいいから目を開けて。そこに、姐さんと一緒に行きたいっていう頭のネジがイカれちまったファンキーな奴がいるよ。可哀想な人って目でどうしようもないほど馬鹿な姐さんを見てるけどね』

 

 踏みつけてやった。

 なぜだか喜んでいる。本気で気持ち悪い。

 

 リングはギルドでお金を払えば再発行してもらえるらしい。

 

 このまま進めばボスで共闘ができない。

 片方が扉の前に取り残されてしまう。

 しょうがないので引き返すことにした。

 

 

 

 ギルドでパーティーリングを発行してもらい、中級者向け入り口の前に再度やって来た。

 ここでもギルドに入ると嘲りに包まれたため、すぐ離れることにした。

 私は慣れているため問題なかったが、アイラは私に謝り続けた。

 嘲りの対象が私ではなくアイラだったからだ。

 

「大丈夫だ、嘲りなど問題ない。すぐに声すらかけられなくなるからな」

 

 アイラは首を傾げていた。

 どうやらまだわかっていないらしい。

 

 嘲りは恐怖に変わり、ついには存在を許容できなくなる。

 私もシルマ神殿をクリアした後にギルドを訪れると、誰も目を向けてこなかった。

 それどころか、私が外に出るまで終始、みな無言だ。

 彼女もきっとすぐに思い知ることになるだろう。

 

 リングを指に嵌め、アイラの嵌めているリングと合わせる。

 リングは小さく煌めき、パーティー登録がされた。

 

『なんか地味だね。ああっ、姐さん。このスキル一覧すごいよぉ! さすが神様からの贈り物! パーティー用のスキルが大量に選択できるようになってるぅ!』

「なんですか、今の声……」

 

 えっ、と口から漏らしてアイラを見ると、彼女は不安そうな顔で私を見る。

 

「聞こえて、いるのか?」

『もしかしてアイラちゃんにも俺の声が聞こえちゃってるぅ? 興奮してきたね。俺だよ、俺、俺。わかるでしょ。姐さんが手に持ってるたくましい一物。それが俺だよ。ワイルドだろぉ』

 

 シュウを足で黙らせる。

 さてどこから説明したものか。

 そもそも説明してもよいのだろうか。

 

 

 

「すごいです! 剣の中に人の意志を収めるなんて。それに神の存在! やはりこの世界には創造主がいたんですね! 世界の真理にたどり着けそうです!」

 

 これまでの経緯を束ねて簡単に説明したところ、アイラは思ったよりもすんなり受け入れた。

 テンションが異常に高い。暴走している。

 

「一人でぶつぶつしゃべったり。いきなり泣き出したり。剣を壁に叩き付けたり踏んだりして。やることなすこと気持ち悪くて危ない人だと思ってたんですけど、こういう事情があったんですかぁ!」

 

 おい待てよ、引きこもり。それは初耳だぞ。

 私はそんな風に見られていたのか。

 

『いやぁ、アイラたんは話が早くて助かるなぁ。どっかの逃げ足馬鹿も見習って欲しいくらいだよぉ。ほぅら触ってごらん、コスってごらん……おっと、やさしくねぇ。僕ちゃんも真理にたどり着いちゃうぞぉ』

 

 この馬鹿も暴走している。

 先ほどから私をそっちのけでシュウとアイラは会話をしている。

 

「さっさとダンジョンに潜るぞ馬鹿ども」

 

 ここは中級者向け入り口の前。

 先ほどから冒険者たちの視線が痛い。ひりひりする。

 普段は目を向けられないから、肌が視線に弱いのだ。

 

 

 

 改めてチートとやらの力を思い知った。

 

 私ほどではないが、チートの効果がアイラにも一部共有されているらしい。

 毒や麻痺の耐性といったものが彼女にもついたそうだ。

 

 魔法使い用の効果も供与された。

 

 一つは、

『高速詠唱であるっ!』

 私にはまったく関係ない効果だが、アイラの詠唱が爆発的に加速した。

 もはや何を言っているのか聞き取れない。

 

 もう一つが、

『なるほど詠唱一時中断とはこういうものか』

 詠唱を途中で止め、続きから詠めば発動できるようになった。

 なんだかすごいことらしい。

 アイラは理論的にあり得ないんですと興奮し、詠唱理論の基礎の基礎とやらから話を始めた。

 無論、私は理解する気などないため右から左に聞き流す。

 

 そして、極めつけがパーティー用のスキル――同士討ち無効。

 アイラの攻撃魔法が私に効かなくなった。

 どんな強い攻撃魔法をぶっぱなされても私には効果がない。

 本人にも効かないおまけつきらしい。

 

「フヒヒヒヒッ! 我が世の春が、キター! 時代が私に追いついたぁ!」

 

 ハァ……。

 ため息が抑えられない。

 うるさくてキモイのがまた一人増えてしまった。

 

 重要なのはパーティーを組んだ結果どうなったかだ。

 中級ダンジョン道中は元から問題がない。

 

 ――ボス戦。

 そう、ボス戦でパーティーの効果は顕著だった。

 ボスはギルドで聞いていたとおり、大きなヤモリ。

 私一人でもさほど問題はなかっただろう。時間をかければ倒せた。

 

 今、ボスのヤモリは光に消えドロップアイテムが残る。

 

 一撃……。

 

 一撃だった。

 部屋に入ってすぐにアイラは呪文を唱え始め、ボスが上から落ちてくる前には呪文を完成させていた。

 

〈――有象無象よ! 一片も余すことなく灰燼に帰せ!〉

 

 ボスの出現とともにそう告げた。

 前に見た景色と同様に杖の先端から小さな赤い光が出てきた。

 

「燃え上がれ!」

 

 光はボスのヤモリにぴとりとくっつくと、急激に赤く膨らんだ。

 熱球のはずだが同士討ち無効のためか熱さはない。

 見た目が暑苦しい。それくらいだ。

 

 赤い光が収まると、ヤモリの胴体が球形に抉られていた。

 まさに跡形もない。

 残った頭と尻尾も光とともに消えていき、ドロップアイテムだけがぽつりと転がっている。

 

『俺も燃え尽きたいな。ねぇ、メル姐さん。今夜は一緒にハッスルしようよ!』

「私の魔法で全てを破壊し尽くして、とっととお家に帰るのデス!」

 

 ボスとはいったいなんだったのか。

 

 

 

 こうして私たちは上級へ歩を進めることと相成った。



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第06話「成長止まぬゼバルダ大木 後半」

 蜘蛛、蜘蛛、蜘蛛。

 見渡す限りに蠢く大量の蜘蛛。

 牙を鳴らし、毛深い足を忙しく動かす蜘蛛。

 勢いよく糸を吐き、動きを鈍らせてくる蜘蛛。

 

 そんな蜘蛛たちがアイラの魔法で一掃された。

 

「フハハ。見てください。蜘蛛どもがゴミのようです!」

『溜まってたものが出尽くしてスッキリ! もう空っぽで何も出ないよぉ。アイラたん、また今度もよろしくね』

 

 一人と一振りの叫びが響き渡る。

 頭痛に効く薬をあとで煎じてもらおう。

 

 

 

 ゼバルダの大木。

 中級ダンジョンのなんだかヤモリなボスを一撃で屠った私たち。

 その勢いは止まることを知らず、一気に上級へと踏み込んだ。

 

 されど今日はもういい時間だ。軽く見るだけ。

 本格的な攻略は明日から。

 今までも軽く見るだけのつもりでボスまで行ってしまったことが二回あった。

 しかし、今回は本当に見るだけにとどめる。

 

 ――はずだった。

 まあ、なんとなくそうなるんじゃないかとは思っていた。

 意味はなく必要もない言い訳になるが、ソロなら見るだけになったはずだ。

 

 ダンジョンの傾向は下の中級とさして変わらない。

 敵の種類が変わっただけだ。

 中級で要注意だった蜘蛛が上級ではメインとなり、その数が圧倒的に増えた。

 数、耐久力、糸による拘束とかなり面倒だ。

 私は耐性があるため気にならないが、糸と牙に毒と麻痺も兼ね備えている。

 

 攻撃も糸が絡んだところを見計らってしてくる上に、一体ではまず襲いかかってこない。

 緻密に私たちを取り囲み、自分たちの狩り場に誘い込んでから仕掛けてくる。

 蜘蛛は私が思っているよりも賢い生き物だったようだ。

 

『まじめな話。メル姐さんよりも蜘蛛の方がずっと賢、い、ヒィ、ヒャァー!』

 

 蜘蛛の糸で刀身をぐるぐる巻いてやると、シュウは金切り声をあげて喜んでくれた。

 そんなに喜んでくれると私も嬉しい。

 もっとしてやろう。

 

 話を戻そう。

 蜘蛛たちはその賢さが仇となった。

 私たちを取り囲んだところで、アイラの一時停止していた魔法が炸裂した。

 先のボス戦で見せてもらった炎の魔法が私たちを中心にして放たれた。

 

『二千エックス年。世界は魔法の炎に包まれた! 蜘蛛の糸は溶け、糸を吐き出した蜘蛛どもは蒸発し、あらゆる生命体は殲滅されたかに見えた。しかし、ぼっちとヒッキーは死滅していなかった!』

 

 そんな私たちに力を与えたチートが全部悪い。

 

『――などと供述しており、彼女たちの責任能力を疑問視する声も上がっています。なお、厚○労○省はこのような現状を重く見て。ヒッキーに対しては、先日から行われている家庭からの追放を中心とした――ブートアウト型の支援をより強化していくと本日の会見で発表しました。一方、ぼっちに対しては未だ対応が検討すらなされておらず。本人の自発的な意志が欠けていると言うにとどめています。この問題について専門家の意見を伺うため、本日はぼっちの第一人者であり自称冒険者のメルさんにお越し頂いています。さっそくですが、メルさん。この問題をいったいどのようにお考えでしょうか?』

 

 ――クソ喰らえだ。

 

 蜘蛛たちはもはや糸一本さえ残っていない。

 シュウとアイラは喜び、はしゃいでいる。

 

 さすがエルフというべきか魔力容量が人間とは比べものにならないほど大きいらしい。

 人間なら一日に一発が限度な魔法も惜しむことなく撃っている。

 しかも一晩寝れば回復するというすぐれものだ。

 

 スキルも増えた。

 恐怖と盲目、それにサイレントの耐性が加わったらしい。

 サイレント耐性――私にはあまり関係ないが、魔法使いのアイラがいるのなら詠唱を封じられるサイレントへの耐性がつくことは重要だろう。

 まあ、耐性がついたところでこのダンジョンでサイレントを使う敵はいないのだが。

 さらに盲目付与、恐怖付与確率上昇も得たそうだ。

 得たスキルはそのくらいだ。

 特殊なスキルはポイントが足りないらしい。

 敵の種類も中級と変わらないし、魔法の支援により私が斬る回数も減った。

 ポイントの入手が少なくても仕方ない。

 

 ちなみにパーティーメンバーが撃退した分のポイントも加算されるようだ。

 それでも直接斬った方がポイントの上昇量はずっと大きいとシュウは話す。

 なにより味が堪能できないと文句を言っている。

 

 

 

 さて、恒例のパターンになってしまったが目の前にはボス部屋だ。

 ボス情報もギルドで購入済み。

 体調も問題ない。

 対策もチートと魔法があればなんとでもなる。

 

「さあさあ、行きましょう! サクッと倒してお家に帰りませう!」

 

 アイラは私の返事も待たず、ボス部屋に入ってしまった。

 

「よし行くぞ」

 

 ちょっと待ってみたが、シュウから返事がない。

 そういえば上級に入ってからシュウはあまり話をしていない。

 

 どうかしたのか。もしかして蜘蛛が嫌いなのか。

 蜘蛛の糸で普通にわめいていたよな。

 

『このダンジョンだけどさ。ちょっと簡単すぎない?』

 

 おや、こいつのほうがダンジョンの難易に疑問に持つとは珍しい。

 それよりも蜘蛛が嫌いなことは否定しないんだな。覚えておこう。

 

 ダンジョンが簡単?

 いいことじゃないか。

 それだけ私たちが強くなったということだ。

 私一人ならもっときつかった。

 パーティーを組めばこんなものだろう。

 

『本当にそれだけかなぁ』

 

 それはチートとやらがあるからだろう。

 チートでアイラも魔法の欠点が消え去っている。

 

『それは……そうなんだけどね』

 

 煮え切らないな。

 思うところがあるなら言ってみろ。

 

『このダンジョンは中級がいいところだよ。敵の強さも、入手できるポイントも中級。ちなみにさっきクリアした中級ダンジョンのポイントに至っては初級並だ』

 

 確かに敵も中級とさほど変わらない。

 それでもギルドはここを上級と定めている。

 だから、このダンジョンは上級だ。

 

『それは形式的な話だよ。ギルドの格付けは間違ってると思うね。もしくは――』

「メルさぁーん! まだですか。早く来てくださいよ」

 

 扉の奥からアイラの声が響いてくる。

 これ以上、待たせる訳にもいかない。

 話の続きはまた後にしよう。

 

『……うん。そうだね。じゃあ、メル姐さん。張り切って行ってみよう!』

 

 じゃっかん後ろ髪を引かれつつもボス部屋をくぐった。

 

 

 

 部屋中に張られた蜘蛛の巣と蜘蛛が一匹。

 道中の蜘蛛よりも一際大きなものだ。

 

 だが、ボスはこの蜘蛛ではない。

 蜘蛛の腹に一刀の鎌が突き刺さっている。

 鎌が引き抜かれると蜘蛛は淡い光を残して消え去った。

 

 蜘蛛の姿が消えたことで鎌の持ち主があらわとなる。

 

 逆三角形の頭に大きな真っ黒な目が一対。

 体を支える六本の足。そのうちの前脚の二本は鎌状になっている。

 その鋭さは蜘蛛を貫いていたことからもどれほどのものかわかるだろう。

 さらにその背には長細く曲線状の翅を携える。

 全身は燃えるような赤を帯びている。

 

 ――クモキリカマキリ。

 こいつがこのゼバルダ大木の上級におけるボスとなる。

 

「焼き払います!」

 

 アイラが叫ぶ。

 焼き払う対象はボスではなく、蜘蛛の糸。

 初めにいた蜘蛛はボスの鎌で死ぬが、糸は残り続ける。

 ボスのクモキリカマキリは蜘蛛の糸がくっつかない。

 そのうえ、前脚に備わった鎌は蜘蛛の糸をやすやすと切断する。

 ゆえにここの蜘蛛の天敵となる。

 一方で私たちは当然、糸にくっつき動きを制限される。

 私一人では非常に不利な戦いになることと予想していた。

 

 しかしだ。

 パーティーを組んだことで、今回は定石通りの戦法が使える。

 まずは蜘蛛の糸を焼き払う。

 戦場を広げると同時に、動きの制限を取り払う。

 

 詠唱中のアイラへの攻撃を逸らすためカマキリにシュウを構え近寄る。

 蜘蛛の糸を腕と足に絡ませながらも、振り下ろされるカマキリの鎌をシュウで防ぐ。

 

『ちょっ! マジ痛いからっ! なんで正面から受けるの! 受け流すとか……ごめん。そんな技量なかったね』

 

 シュウの叫び声が頭に響き、しまいには謝られた。

 こちらはシュウ一本だが、相手は左右に二本。

 なんとかやれてはいるが防戦一方だ。

 ええい、チートで増えることはできないのか。

 

『ほう。増えて欲しい、と。そういうプレイがお望みですか?』

 

 やっぱりいい。

 これ以上うるさくなられたらたまらん。

 

「――燃えちゃえ!」

 

 アイラの詠唱が終わり、部屋中に熱球がまかれた。

 蜘蛛の巣が溶けて消える。

 カマキリは炎に耐性があるようで、炎の中でも平然としている。

 

「次の詠唱いきますよ!」

『一番良いのを頼む!』

 

 アイラは今度こそカマキリへの攻撃魔法を唱えていく。

 弱点と言われているのは氷。

 以前に見せてもらったことのある氷魔法だ。

 次こそは彼女自身ではなく、ボスを凍り漬けにしてやって欲しい。

 

『姐さん、跳ぶみたいよ』

 

 クモキリカマキリ。

 その背につく翅は飾りではない。

 飛び回ることはできないが、飛び跳ね着地点を調整することができると聞く。

 

 そして、クモキリカマキリ最大の弱点は着地だ。

 体が大きいことと足を四本しか使わないことから着地に大きな隙が生じる。

 さらにだ――、

 

『今っ!』

 

 飛び跳ねる瞬間もわずかに隙がある。

 シュウの合図を聞いて剣を薙ぐ。

 大きな手応えはないが、確かに当たった。

 

『だいぶ遅いけど、姐さんにしては及第点だよ』

 

 どんなに遅かろうが、結果的に当たればよかろうなのだ。

 カマキリは私とアイラのほぼ中間地点に着地した。

 魔法使いのアイラを狙って跳んだのだろうが、足を斬られたことで跳躍が足りなくなったのだろう。

 さらに足に傷を負ったため、着地も乱れ体勢が大きく崩れている。

 

『早く後ろから斬るか刺すかしてっ! 姐さんの体が……遺伝子が覚えてるでしょ!』

 

 わざわざ言われなくてもわかっている。

 この距離は、初心者の森で私が慣れ親しんだものだ。

 相手の背後を狙って、確実に当ててみせる。

 

 後ろから、まず一刺し。

 カマキリに状態異常が入り、動きが鈍る。

 シュウを引き抜いてさらに一太刀。

 すぐに快復してしまうが、快復するころにはまた次の状態異常が入る。

 カマキリは飛び跳ねて逃げようとしているものの、足の負傷と状態異常でうまく力がはいらないため、ただの屈伸運動になっている。

 シュウを振るい、カマキリの足を斬り落とす。

 

「――凍れ!」

 

 詠唱が終わり、アイラの魔法が発動する。

 小さな光がカマキリの足下に漂着した。

 前回見たときと同様に着地点から氷結が広がっていく。

 カマキリは動けず逃げることなどできない。

 私は逃げなくても影響がない。チートのおかげだ。

 目の前のカマキリだけが白く硬く凍り付く。

 そんな氷像にシュウを突き立てる。

 

『う〜ん。シャーベットとは洒落込んでるねぇ』

 

 シュウのしみじみとした声。

 どうやらご満悦のようだ。

 そういえばこいつが直接ボスを食べるのは久しぶりだな。

 

 カマキリは砕け散り、ドロップアイテムの小さな光が二つほど残る。

 

「やりました。やりましたよっ! メルさんっ!」

 

 走り寄ってきたアイラが私にしがみつく。

 

『ねえ、俺は! 俺も間に挟んでよ! 一緒に勝利の快感を分かち合おうよっ!』

 

 アイラはすぐに私から離れ、ドロップアイテムに手を伸ばす。

 現金なものだ。わかりやすくていい。

 

「これでお家に帰って世界の真理を探求できます!」

 

 どうやら帰っても、またひきこもるつもりらしい。

 それも彼女の自由。私が口を出すことではない。

 

 私も余った方のドロップアイテムに手を伸ばす。

 クモキリカマキリの円らな複眼――ギルドから聞いていた通りのものだ。

 

 よし。これで一つ目。

 あと二つ上級ダンジョンを制覇すれば、超上級ダンジョンの入場許可が手に入る。

 次は西に広がるフランデナ草原が順当だろう。

 

『メル姐さん。それは間違ってると思うよ』

 

 なに。どういうことだ。

 次はフランデナ草原に行くつもりだぞ。

 それが一番手っ取り早い。

 

『ぶっぶ〜。違うね。手っ取り早さを優先するなら、次はフランデナ草原じゃないよ。さてさて、メル姐さん。さっきの話――ダンジョンが簡単すぎるって話の続きだけどさ。鳥頭のメル姐さんはまだ覚えてるかな?』

 

 うん……?

 

 …………あっ、ああ、そんな話もしたな。

 覚えているとも。

 そんなすぐに忘れる訳がないだろう。

 

 だが、とりあえずだ。ここを出てからにしないか。

 お前はボスを食べて満足かもしれないが、私はお腹が空いている。

 食べてからでも遅くないだろう。

 それからゆっくり話し合おう。

 

『遅くないっちゃ、遅くないんだけど二度手間だからね。ここで話して見せたほうがいい。ほら、アイラたんも一緒にお話ししよう。とって食べたりしないからこっちにおいで』

 

 見るとアイラは私たちの話などまったく聞いていない。

 

「うへへ。昼まで寝て、ご飯を食べて、本を読んで、また食べて――あれ?」

 

 陽気な彼女は手に持ったアイテムをジッと見つめると言葉を切った。

 穴があくほどアイテムを凝視している。

 

 うん? どうかしたのか?

 

「メルさんのドロップアイテムが『しゃきしゃきしたゼバルダの葉っぱ』ですか?」

 

 何を言っているんだ。

 パーティーなんだからドロップアイテムは同じ……だよな?

 数年以上もパーティーを組んでないからはっきりと言い切る自信がない。

 

 とにかく私のドロップは「クモキリカマキリの円らな複眼」だ。

 アイラは信じられないらしく、私の手元を覗き込んできた。

 

「えっ? なんで? どうして?」

 

 なにか問題があるのか。

 これで家に帰れるじゃないか。

 

「いやいやいや、おかしいです。ゼバルダのクリアアイテムは『しゃきしゃきしたゼバルダの葉っぱ』と昔から決まっています」

 

 そんなの知らないぞ。

 昔というのは何十年前の話だ。

 

 なんと六十年前でした。

 私の両親もまだ生まれていない。

 どうやら親御さんに指定されたアイテムがそのおいしそうな葉っぱらしい。

 

『お家に帰ることのできない可哀想なアイラたん。優しいおじちゃんが道を示してあげよう。上を見てごらん』

 

 シュウの言葉を受けてアイラは上を見つめる。

 

 私もつられて見上げる。

 もちろんそこに空はない。

 あるのは木目の走る天井。

 そして、先の戦闘で燃え尽きていない蜘蛛の巣。

 

 ……いや、違う。

 色がよく似ているが、あれは蜘蛛の巣ではない。

 

 ――繭だ。

 ややくすんだ白っぽい繭が天井にくっついている。

 

『やっぱりここは実質的に中級だよ』

「そんな、うそ――」

 

 信じられないとアイラが手で口元を覆い隠す。

 

『うわっ……メル姐さんの才能、なさすぎ……? ってのは置いといて。悲しきかな、中級に成り下がっちゃったんだね』

 

 アイラはいきなり詠唱を始める。

 杖から生じた赤き光は繭にたどり着き、繭を抉り……取らなかった。

 繭は依然としてそこに有り続ける。

 ただし、もぞもぞと動き始めた。

 

 ゆっくりと繭が破られ一匹の――蝶が出てくる。

 

『メル姐さん。明確には区別できないけどさ。繭やら触角。それに羽の感じから見るにあれは蝶じゃなくて蛾だよ。たしかに姐さんのお花畑なおつむには蝶々の方が似合ってるけどね』

 

 うっるさいなぁ。

 どっちも鱗粉まき散らして飛ぶんだから同じだろう。

 それに区別できないなら蝶で良いだろう。

 蝶だ。蝶なんだ。

 

『ハハッ、そうだね。蝶なんだろうね、パタパタ』

 

 殴りたい。

 真剣に殴る・蹴るなどの暴行を加えたい。

 今この状況じゃなかったら全力で床に叩き付けていた。

 

 蝶は少しずつ少しずつもったいぶるように羽を広げていく。

 やがて虹色の羽が完全に広がると天井を離れた。

 頼りなく出口のそばに飛んで行き、壁へと消えて失せる。

 蝶の消えた壁はよくわからない紋様が浮かび上がり、すぐさま扉に変わる。

 

「ゼバルダが、成長してる……」

 

 アイラが茫然と呟く。

 

『さあ、問題児の諸君。ゼバルダ大木――上級ダンジョンを、始めようか!』

 

 前人未踏の上級ダンジョン。

 その制覇がアイラに課された使命だった。

 

 

 

 なに、私は違うのかって?

 

 ここは実質的に中級だとしても、形式的――公式的には上級ダンジョン。

 ギルドに「クモキリカマキリの円らな複眼」を提出すれば許可証が一つもらえる。

 私は超上級ダンジョンの入場許可が得られればそれでいい。

 非公式な上級ダンジョンまで攻略する必要はない。

 明日にはフランデナ草原に向けて出発しよう。

 

『そんなんだからメル姐さんは――』

 

 いつまでたってもぼっちなんだよ……。

 

 シュウの声には普段の呆れも、侮蔑も、おちゃらけもない。

 ただ、寂しげだった。

 

 

 

 形式的な上級をクリアした私たちはいったん町に戻った。

 ギルドに「クモキリカマキリの円らな複眼」を提出し、超上級の許可その一を手に入れた。

 そこから一悶着だ。

 

 明日にはフランデナ草原に出発すると話すと、アイラは私に泣き付いた。

 歯ごたえの良さそうなゼバルダの葉っぱを手に入れないと彼女は家に帰れない。

 ボスであるヤモリやカマキリを倒せたのはチートがあってこそだ。

 ないなら上級どころか中級も厳しいだろう。

 それでも私には関係ない。

 私は私の道を突き進むのみ。

 

 がんばれアイラ。応援してるぞ。

 ほら、しっかり。アイラならできるよ。

 

 ――そう思っていたが、シュウはアイラの味方をした。

 

 シュウは私が上級ダンジョンに行くメリットを説いた。

 

 上級のポイントを得れば、移動速度を上げるスキルが選択できる。

 ここ、ゼバルダの町からフランデナ草原まで徒歩で約一ヶ月。

 具体的な数字はまだはっきりと言えないが、間違いなく移動日数が大幅に削減される。

 上級ダンジョンの攻略に二日や三日かけたとしても、結果的にフランデナ草原への到着が早くなる。

 

 それだけではない。

 新たに誕生した上級ダンジョンの情報をギルドに報告する。

 私では信憑性が低いがこちらには力強い味方がいる。

 アイラだ。

 引きこもりな魔法オタクでもアイラはエルフ。しかも純血だ。

 彼女の口添えもあれば真偽はすぐにわかる。

 

 さらに真の上級をクリアして、ダンジョンやボスの情報をギルドに流せば私の求める超上級ダンジョンへの入場許可証をもう一つもらえる可能性もある。

 冒険者に強い影響を持つギルドにコネを作っておくのも大切だ。

 

 こう話す。

 

 文句の付け所がない。

 移動時間の短縮だけでも、私にとって十分すぎるメリット。

 そのうえ上級許可証がもらえる可能性もあるという。

 よし――、

 

「明日は朝から潜るぞ」

 

 この決定にアイラは号泣して頬ずりしてきた。

 

『キマシタワー! でも、なんでだろう。まったくときめかない。初めての感覚だ』

 

 やめろ。ほんとに汚い。

 顔中べとべとだ。

 

 

 

 明朝。まだ日が昇ったばかりのころ。

 さっそくギルドに向かった。

 話をすると、ギルドの支配人自ら出てきて話をすることになった。

 アイラとシュウが話をつける。

 私は何を言っていいのかわからないので、ひたすらシュウの代弁に徹する。

 

 話し合いはうまくまとまった……ようだ。

 上級ダンジョンで得た情報を全てギルドに提供することを条件として、お金と馬、さらに欲して止まない超上級の許可証も発行してもらえることになった。

 もちろんボスを倒してドロップアイテムを持ち帰ることが必要だ。

 

 そうして支配人に揉み手をされて私たちはダンジョンに入った。

 入り口はまだ作られていないため、上級者向けの入り口から昨日と同じ道をたどる。

 ボスのカマキリは昨日と同じパーティーで挑んだためか、まだ復活していない。

 面倒だったからちょうどいい。

 出口の横にできた扉を押す。

 緩やかな登り道。敵はいない。

 しばらく登るといよいよ開けた場にたどり着いた。

 

 

 

 赤、黄、緑、青、紫と色とりどりの羽をした蝶が飛んでいる。

 羽を広げた大きさもせいぜい私の体の幅と同じ。

 通常の蝶よりは確かに大きいが、中級までのモンスターよりはずっと小さい。

 見た目から判断する限りではとても強いと思えない。

 空中には蝶から出た鱗粉が舞っている。

 光が散乱し、きらきらと幻想的だ。

 

『幻想的! 幻想的って、くふふっ! も〜、緊張してるからってさ。メルねーさん、無理に乙女みたいなこと言って笑わそうとしなくてもいいんだよ』

 

 なんか文句あんのか。

 本気で言ったぞコラ。

 

 中級で黙っていたシュウも、上級についてからしゃべるようになった。

 やっぱりこいつ蜘蛛が苦手だな。

 この町を出る前に蜘蛛の巣を回収しておこう。

 

 モンスターは蝶だけかと思ったが、どうやら違うらしい。

 カマキリと遭遇した。

 曲がり角を過ぎたところで見つけた。

 あまりにも唐突に出くわしたので驚いた。

 カマキリも両足の鎌を上げて私たちに驚きのポーズを見せる。

 大きさは中級のボスよりは小さい。私よりも少し大きいくらいだ。

 前人未踏のダンジョンであるなら、このカマキリは人間に会うことが初めてとなる。

 どうやらモンスターも人間に驚くものらしい。

 挨拶代わりにそのまま斬りつけた。

 一方的に倒すことができた。

 

『なんかメル姐さんのほうがモンスターに近いんですけど。あっ、このカマキリなかなかおいしい』

 

 今のところトラップはない。

 カマキリはそこそこ硬いが、状態異常が通るのでなんとでもなる。

 蝶は大量に飛んでいるが、本当にひらひら飛んでいるだけ。

 たまにぶつかってくるが、アイラにすらダメージがない。

 この蝶はモンスターではないのだろうか。

 

 アイラが魔法を使ってようやく宙に浮く鱗粉の効果がわかった。

 この鱗粉は魔法を散乱する。

 シュウで魔法を弾いたときと同じだ。

 アイラの炎魔法は散乱してあっという間に消えていった。

 風魔法だけは散乱しないが、耐性をもっているのか蝶はひらひらと風に流されるだけだ。

 ただし、風魔法は鱗粉を吹き飛ばせる。

 鱗粉がない状態なら魔法も効果を発揮した。

 氷が弱点のようだが、そもそも宙に飛んでいる敵に氷魔法は効果が薄い。

 弱点と合わせて、トントンといったところだ。

 やっぱり炎が安定だ。

 光魔法は効果がないものの、光に蝶が寄ってくる。

 

『やっぱり蝶じゃなくて蛾じゃないかな。光に保留走性があるみたいだし。いや、蝶にも走光性はあるのか』

 

 なにかよくわからないことを言っている。

 ほっとこう。静かに話すのはいいことだ。

 

 

 

 それにしても恐ろしく簡単だ。

 中級よりも簡単になっている。

 注意するのはカマキリだけ。しかも弱い。

 本当にここは上級なのか。

 ここも中級なんじゃないか。

 

『いや、さっきのカマキリにしても、そこらかしこを飛んでる蝶にしてもポイントは中級にいた蜘蛛の比じゃないよ。蝶一匹だけで蜘蛛二十体ぶんのポイントは手に入ってる』

 

 そ、そんなにポイントが多いのか。

 これ一匹が。

 シュウでつついてみようとするがひらりと避けられた。

 

『ここが上級な理由はなんとなくわかるよ。うん、ギルドから情報を集めてくれって頼まれてるからね。試してみようか。メル姐さん、アイラたん。いったんパーティーを解除してみて。ごめんねアイラたん。ちょっとだけだから、先っぽだけだから』

 

 よくわからないが情報収集なら仕方ない。

 私のリングとアイラのリングを合わせて、パーティーを解消した。

 アイラはケロリとしている。問題はないようだ。

 

 そのまま歩いていると後ろからいきなり肩を掴まれ揺さぶられた。

 アイラが必死の形相で口を動かし、喉を指さす。

 お、おう、どうした。

 伝えたいことがあるなら、はっきり声に出して言ってくれ。

 いったい何をやっとるんだこいつは。

 

『サイレントだよ。喋れないんだ。鱗粉に状態異常を発生させる効果があるみたいだね』

 

 そうなのか。

 サイレントはこうなるのか。

 たしかに魔法使いにはきつい状態異常だな。

 詠唱ができない。

 

 アイラの様子が変わる。

 顔が引きつり泣き出しそうになり、足を後退させる。

 口を大きく開き、声なき悲鳴を上げると振り向いて駆けだした。

 

『姐さんが怖かったから逃げたんじゃないよ。恐怖の状態異常なんだ。あっ――』

 

 わかってるよとつっこもうとしたが、背を向けて走るアイラがふらつき始めた。

 ああ、あれは私もよく知っている。

 

『毒だね。それにたぶん盲目も入ってるよ。顔をあちこちに向けて戸惑ってるでしょ。人間にかかると見ててつらいものがあるね』

 

 そうだな。

 耐性があることのありがたさを実感した。

 

『わかってくれればいいんだよ』

 

 アイラはついに倒れた。

 体がびくんびくんと痙攣を起こしている。

 

『ありゃりゃぁ〜、麻痺もかぁ。うひゃあ、状態異常が五つ。恐ろしいね』

 

 なるほど。

 ようやくここが上級な理由がわかった。

 空中全体に舞う鱗粉が状態異常を発生させる。

 風魔法を使って防げるものの、効果が切れると魔法使いはサイレントで使い物にならない。

 

『口を布で覆えばいいかもしれないけど、盲目は目に来るから防げない。さらにあのカマキリは物理耐性がついてる。俺の吸収でダメージが通ってるけどほとんど斬れてない。普通の剣なら効果がめちゃくちゃ薄いよ。うす○たの0.02ミリ並だ』

 

 物理でも攻めづらい上に魔法も拡散される。

 さらに状態異常が次々と発生。

 これが上級か。

 たしかにこれと比べれば、火魔法でどうにかなる蜘蛛が可愛く見える。

 

『それと、前からそうなんじゃないかと思ってたけど、やっと確信を得たよ。俺には耐性無視がついてる』

 

 なんだそれは?

 

『お馬鹿なメル姐さん。ここのカマキリはこの状態異常豊かな鱗粉の中でも普通に動き回ってるよね』

 

 そうだな。

 状態異常に耐性があるんだろう。

 あれ?

 でも――、

 

『そう。俺で斬りつけたら状態異常を起こしたでしょ。おそらく俺は相手の耐性を無視して攻撃ができる。物理に耐性があっても吸収でダメージが通るし。状態異常に耐性があっても、ボスだろうが関係なく付与する。快復はするみたいだけどね』

 

 ふぅん。

 さすがチートだな。

 

『おっ、だいぶ慣れてきてるね。……ところでメル姐さん』

 

 なんだ?

 私でもここが上級な理由はわかったし、お前の耐性無視も理解したぞ。

 

『いや、そうじゃなくてさ』

 

 まだなにかあるのか。

 

『アイラたんをパーティーに入れてあげて――死んじゃう』

 

 アイラはすでに痙攣が止まっているものの、ぐったりとして動かない。

 目も半開きになって、わずかに開かれた口から唾液が垂れる。

 毒で光に消えていく直前のモンスターがちょうどこんなだ。

 

 彼女はなんとか一命を取り留めた。

 状態異常はなくなったものの、体力をかなり奪われたのか虫の息だ。

 シュウによれば、やっぱり人間なら死んでいたらしい。

 さすがエルフ。頑丈だ。

 

「お、めぇ、……ら、ひ……、でぇ。に、んげ……、んじゃ…………ねぇで、す」

 

 なにやら恨みのこもった目をどこか遠くへ向けている。

 そして、よくわからない言葉を残し――目蓋を閉じた。

 

 もう大丈夫だ、休んでいろ。

 お前の意志は私たちが引き継ぐ。

 

『クソォォォ! よくも俺のアイラたんをォォ! 許さん! 絶対に許さんぞ、虫けらども! 俺のチートで皆殺しにしてくれる!』

 

 私もシュウと同じ気持ちだ。

 アイラの仇を取るべく、シュウを固く握った。

 

 

 

 皆殺しにはできなかった。

 シュウを振れども振れども蝶に当たらなかった。

 かすりさえしない。

 振るとひらりと避けられ目の前で羽をあおいでくる。

 

『虫にさえ馬鹿にされるメル姐さんはいったい何なんだろう……。ああ、ぼっちか』

 

 なぜだ。なぜ剣が当たらない。

 

『技量が恐ろしいほどにないからだよ。虫以下ってことさ』

 

 縦に振る。横に避けられる。

 横に振る。縦に避けられる。

 斜めに振ってみる。やっぱり斜めに避けられる。

 いっそもう突いてみる。頭に留まられる。

 

「なに遊んでるんですか?」

 

 アイラが目覚めた。

 まだ顔色は悪い。

 

 よかった生きていたか。さすが純血のエルフだな。

 それと遊んでなどいない。剣が当たらないのだ。

 

 アイラは座ったまま杖を突き出す。

 杖は彼女の前を飛んでいた蝶に見事命中し、蝶は地に落ちる。

 威力はないため、消えはしなかった。

 私がトドメをさす。

 

 すごいな!

 どうやったんだ?

 

 一発で命中していた。

 なにかコツがあるに違いない。

 

「こうやって」

 

 杖を引く、

 

「こうです」

 

 引いた腕を軽く伸ばす。

 それだけでまた蝶が一匹、地に落ちた。

 トドメは私がいただく。

 

『ハイエナ姐さん誕生の瞬間である』

 

 そこ、うるさいよ。

 

 だからね。

 その当てるのをどうやるのか聞いているんだ。

 

 アイラは首をひねる。

 

「だから、こうやってこうですよ」

 

 また一匹。

 トドメは私。

 

 理屈派なんだろ。

 お得意の屁理屈で説明してくれ。

 

「『理論』派です! 理屈じゃありませんし、もちろん屁理屈でもありません!」

『姐さん。アイラたんの言うとおりだよ。理屈じゃないんだ。姐さんに才能がなくて、アイラたんにあるってだけの単純で非情な話なんだ』

 

 それでは……それでは私に、この蝶は倒せないと言うのか。

 アイラの仇を取ることができないのか。

 

「なに言って――」

『いや、そんなことないさ! 俺と一緒に剣の才能を鍛えよう! 剣士は無理でも、伊達冒険者を名乗れるくらいにはなろう!』

 

 冒険者だよね、私。

 あと、なんかそれ駄目そうなんだけど。

 

『大丈夫、オーライオーライ。さて二つのコースがあるよ。罵りコースと励ましコース。どっちにする』

 

 どっちのほうがいいんだ?

 どっちもいやなんだが。

 

『罵りコースのほうが確実に力がつくね』

 

 じゃあ、そっちで頼む。

 

『わかったよ。じゃあいくね。ちんたらするなァ! このウジ虫め! さっさと――』

 

 やっぱりもう一つのほうにしてくれ。

 

『やれやれ。どちらにするか悩んでいる時間が一番もったいないね』

 

 そもそも特訓を今やる必要があるのか?

 蝶に剣が当たらないだけだ。

 

『ほっといたらできるようになるんですか? ならないでしょ』

 

 それは……そうだがな。

 

『じゃあ、いつやるか? 今でしょ!』

 

 なんかこいつノリノリだな。

 いらいらしてきたぞ。

 

『さて、まず敵を知ること』

 

 お……おお、まともだ。

 お前もそんな風にまともなことが言えるんだな!

 それと敵を知るのは普段からやっているつもりだ。

 

『姐さんと俺じゃものの見方が違う。一体の敵を別の見方で捉えるんだ』

 

 私はあの蝶をただふわふわ飛んでいる蝶だとしか思えない。

 なぜ攻撃が躱されるのかもわからない。

 お前はあの蝶をどうやって捉えている?

 

『よし。じゃあ、正確に見ていこう。必ずその動きは、見切れるようになってくる』

 

 動きは最初から見えているぞ。

 

『よく見て。今の動きじゃなくて、このあとどう動くかを予測して。頭の中で見えていないといけないんです。こういうのはけっきょく』

 

 わかった。

 だが、うまく予測ができない。

 どうすればいい?

 

『相手の動きをどう読んでいくか。それは物事の根幹にある仕組みをどれだけ理解するかということ。……これは姐さんにいっても仕方ないや。とりあえず、振ってみようぜ! 悩んでばかりで、振らないやつが多すぎる! 過去の戦績なんて関係ない! 自分の限界に挑戦して、それを乗り越えるんだ!』

 

 なぜだろう。

 よくわからないが当たるんじゃないかいう気がしてきた。

 自分でもできるんじゃないかと思えてきた!

 

 蝶の動きを読み、動きを予測してシュウを振る。

 

 ――避けられた。

 

『失敗するのはいいことなんだよ! 失敗するのはいいことだ! 人間、失敗しなかったら進歩がない。できることばっかりやってたって意味ないでしょ! 先に言ったことを意識してさ。どんどんやってみよう!』

 

 そ、そうだな。

 一回失敗したくらいで諦めちゃだめだな。

 何度も失敗してコツをつかんでいくものだよな!

 

『そうだよ! もう頭には知識がある。あとは訓練と引っ張り出す練習。それに速さの問題! 血も筋肉もポイントになるくらい、徹底的に振ろうぜ!』

 

 ああ!

 私はできる!

 やってみせるぞ!

 

 言われたとおり相手をよく見て、予測してから振ってみる。

 これを何十と繰り返した。

 

 かすった。

 ついにかすった!

 見たか! かすったぞ!

 

『ちゃんと見てたよ! 「やってやった!」って達成感があるでしょ! その達成感の積み重ね! 達成感をひたすら積み重ねていくと言うことが戦績を上げる唯一の道なんだ! でも、俺たちの目標はかすることじゃなくて、仕留めること! さあ、もっともっと振ってみよう!』

 

 かするのが楽しくなって、言われたとおり振っていく。

 十回に一度くらいはかするようになった。

 

 

 

 しかし――その先は一向に進歩しなかった。

 剣がまともに当たることなど一度もなかった。

 

『ごめん。やっぱり俺じゃ才能のないメル姐さんに剣を教えることは無理だ。そもそもさっき言った台詞も、勉強の宣伝に使われてた謳い文句を変えただけだからなぁ』

 

 おい、ちょっと待て!

 その言葉に感動した私の純情な思いを返せ!

 第一なんでその言葉で剣がまともに振れるようになると思ったんだ?

 どうして私の才能が伸びると思ったんだ?

 おかしいだろう?

 ねえ、私は間違ってるかな?

 間違ってる?!

 

『お、落ち着いて。姐さんは正しい。俺が間違ってた。おそらくどころか間違いなく天才ではない姐さんも、努力の天才であってほしかったんだ』

 

 なに、いい話みたいにまとめてるんだ。

 今から中級に降りて蜘蛛の中に置いて帰るぞ。

 どうせ口だけでやれっこないとか思ってるんじゃないだろうな。

 そうだというのなら私の本気を貴様に見せてやる!

 

『ご、ごめんよ。ごめんなさい。俺が本当に徹頭徹尾、完膚無きまでに間違ってた。姐さんのありもしない才能を伸ばそうってのが、そもそもおかしな話だった。基礎のステータスが怖いってことを俺は今日、何度も思い知らされた。でも、気づいたよ。俺はチートなんだ。こんなもん、使えば誰だってできるようになる! 世の中で常識だって思われてることを常に破壊してかかる! それこそがチート! メル姐さんの才能が目も当てられないくらいにささやかなほどしかないなら、相手の能力をメル姐さんよりも低く、より惨めにしてやればよかったんだ!』

 

 私の才能がないことはもうよくわかった。

 わかりたくないほどわかったよ!

 

 それで、具体的にどうするんだ。

 なにかいいスキルがあるのか。

 そこまで言うってことは、あるんだろうな!

 

『ある。あります! すごい特殊スキルがあるんです! ちょっと前に出たんだけど、ポイントがすっごい高かったんだ。今なら状態異常付与と伝染を全部選択解除すれば取れる! ちょっと待ってね。……はい、選択したよ! さあ、メル姐さん。あの虫けらどもの中に足を踏み入れて思う存分に斬りまくってくれ!』

 

 いや、でも状態異常付与と伝染もつけてないならきついぞ。

 そもそも相手にかすらないなら意味がないだろう。

 

『大丈夫だ、問題ない。新しいスキルの効果。そして、チートの意味。メル姐さんに絶対わからせますから! ほんとに、呆れるほどにわかるほどわからせますから!』

 

 蝶は体当たりくらいしかしてこないから、こちらが負傷することはまずない。

 それにシュウがこれだけチートだと推してるんだから大丈夫だろう。

 こいつは私をけなして精神を攻撃することは日常茶飯事だが、身体に危険が迫ることだけは決してしない。

 それさえしなければあとは何をしてもいいと思っているんじゃないか。

 

 よくわからない信頼を胸に秘め、蝶の群れへと足を入れる。

 

 すぐにわかった。

 シュウの言うとおり呆れるほどよくわかった。

 具体的な効果はわからないが、チートだとわかった。

 

 近づくと蝶が地面に落ちていった。

 地面で羽をぱたぱた動かしてもがいている。

 

『落ちた奴はサクサクっと刺し殺しちゃって』

 

 とてつもないチートだとよく理解した。

 しかし、これは――

 

「いったいどうなっているんだ?」

 

 地面に落ちた蝶を次々にシュウで消しつつ尋ねた。

 

『一定範囲にいるモンスターの能力を半減。さらに特殊能力を強制解除。この蝶の場合は特殊能力「飛行」を持ってるからそれを解除してる。つまり、飛べない。飛べない蝶はただのポイントだよ。こことても重要』

 

 それにしてもだ。

 これはあんまりではないかね。

 強すぎるだろう。

 

『そうでもないよ。効果はチートだけど、範囲が狭い。せいぜい五歩ってとこだ。それでも近接戦なら、これで敵なしじゃないかな。まぁ、パーティーには効力がないから、完全にソロ――失敬、ぼっち仕様だよ。とりあえず状態異常付与は取り直したいから、サクサク片付けちゃおう』

 

 だから、なんでわざわざ悪く言い換えるの。

 それに失敬って。そもそもお前が私に敬ったこと、一度でもあったか。

 

『ない』

 

 即答かつ断言しやがった。

 そうだと思ってたよ。

 コンチキショウ!

 

 周囲にいた蝶を全て片付けた。

 カマキリものこのこ近づいてきたので、斬り刻んでやった。

 状態異常付与と伝染は無事に取り戻すことができた。

 さらにお釣りもきたらしい。

 

 

 

 アイラの元に戻る。

 見てくれ蝶を全て倒した。

 仇をとってきたぞ。

 

「すごいですね! 蝶がバタバタ落ちていってましたよ! いったいどんな技なんですか?!」

『メル姐さんの体臭で相手の力を削いでるんだ!』

 

 なにいい加減なこと言ってるんだ。

 そんなわけないだろうが。

 

「あは、あはは……そう、だったんですか」

 

 私が臭うわけ…………あれ?

 

 アイラは無理に笑おうとしているのか顔が引きつっていた。

 すぐに彼女はシュウの冗談だと気づいたのか。

 ごまかすような渋い笑い顔になった。

 

『おおっと、自身が発する臭いにあまりにも無頓着で無自覚なメル姐さん。これには思わずアイラも苦笑い』

 

 えっ、どういうこと。

 もしかして、ほんとに臭うの?

 

「わ、私はメルさんのちょっぴり鼻の奥にツンとくるフレーバーな香りが嫌いじゃありませんよ!」

 

 それ臭うって言ってるよね!

 否定してくれてないよね!

 

『――と、ここでネタばらし。メル姐さんにはつらいお知らせ。さっきのスキル。蝶を次々に地へと誘った近距離用デバフの超優秀スキル。その名はなんと――激臭!』

 

 ……はは、冗談だろ?

 

 シュウは沈黙を貫く。

 アイラも目を伏せ、顔を背ける。

 ふらふらと飛んできた蝶は落ちていく。

 遠くには私たちの様子を観察しているカマキリが一匹。

 私はただ立ち尽くす。

 

 よ、よし!

 こうしよう!

 怒らないから正直に言ってみろ。

 絶対に怒らない! 約束する!

 それで、さっきのスキルはなんだって?

 名称と意味、効果を偽ることなく話しなさい。

 これはお願いじゃないぞ、命令。

 

『……まずはメル姐さんを落ち着かせることが第一だと考えました。しかし、どうやら真剣な命令みたいですので、俺も嘘偽りなく真摯に伝えていきたいと思います。どうぞお気を強くお持ちになり、くれぐれもご自愛下さい』

 

 喉がごくりと鳴った。

 

 アイラもはらはらとこちらを伺う。

 蝶が地面でぱたぱたとのたうち回る。

 カマキリはどこかに消えて姿が見えない。

 まつげには宙を舞う鱗粉が薄く積もっていく。

 シュウの見えない口が深く深く息を吸い始めた。

 

『スキル名は「激臭」。「非常に刺激的なにおい」を意味します。効果は、スキル一覧に書かれてる説明文をそのまま読み上げると――「使い手の甚だしい臭気によって一定距離に存在するモンスターの能力を半減。さらに特殊能力を解除させる。嗅覚を持たないモンスターでも有効に作用する優れもの。これで今日から貴方も激くさプンプン丸!」――だそうです』

 

 目の前が、真っ暗になった。

 

 

 

 それからあとのことを私はよく覚えていない。

 ダンジョンをおぼつかない足取りで彷徨っていたと思う。

 そして、目についたモンスターを片っ端から殺していった。

 

「なんだかすごいですね。さっきから魔法をまったく使ってません」

『メル姐さんは不快……間違えた。深い哀しみを背負ったんだ。ともかく姐さん一人で十分だから、アイラたんはギルドに提出する簡易な地図をまとめておいて』

 

 そんなやりとりも聞いた気がする。

 

 そうしてついに残す道も一本となり、奥には大きな木の扉。

 扉の前には無数の蝶が飛んでいる。

 ひらりひらりと目障りだ。

 すべて消し去ってくれる!

 

『くさっ! この人におうよっ!』

 

 臭の叫びとともに蝶がばたばた落ちていく。

 私は落ちてきた蝶に無心でトドメを刺す。

 

 敵の姿が視界から完全になくなり、ようやく私は正気に戻ることができた。

 なにやら言いようもない哀しみに取り付かれていた気がする。

 

「フフフ。ついにたどり着きましたね! ここのボスの命を生け贄にィ! 私は自由を手に入れルゥ!」

 

 引きこもりも絶好調だ。

 

 さて、上級のボスとはいったいなんだろうか。

 上級だから今までにない強さが予想される。

 いったい、どんな姿なのか想像もつかない。

 

『えっ? ボスが何かはなんとなくわかるでしょ』

 

 何を言っている。

 このダンジョンが前人未踏である以上、誰もここのボスを知らない。

 チート以外に対処のしようがないがないだろう。

 

『いやいや確かに前人未踏だけどさ。他でもない俺たちならボスを予想できるよ』

「……ああ、なるほど。私にもボスの正体が予想つきました。たしかにそうですね」

 

 どうやらアイラもわかったらしい。

 私にもわかるように話して欲しい。理論派なんだろう。

 

『じゃあ、それで正解と考えて対策を考えようか』

「そうですね。おそらく合ってると思います。まずは――」

 

 完全に私は置いてけぼりだ。

 こいつらは私をなんだと思ってるんだ。

 

 その後、シュウからボス予想を聞いて納得した。

 確かにそうだ。私も見た記憶がない。

 

 それなら、ここのボスは――。

 

 

 

 ボス部屋中央。

 ボスモンスターは私に踏まれて力なくもがいている。

 一切の容赦なくシュウを突き刺す。

 

『先っぽだけなんて意地悪しないでぇ! もっとぉぉ、もっと奥まで入れてぇ!』

 

 気持ち悪い声をあげているが、仕方ない。

 私はシュウをさらに奥へと刺し込む。

 

『き、きたぁぁーーー! 奥きたぁぁ! 硬いのが、ザクザクってあたってるぅぅ!』

 

 ボスは予想したもので当たっていた。

 私に踏まれている、虹色の羽をした蝶は聞き取れない悲鳴を上げている。

 ボスよりもシュウの声の方がうるさい。

 

 上級ダンジョンには、色とりどりの羽をもった蝶がいた。

 しかし、私たちを上級に導いた蝶。

 虹色の羽をした蝶だけはどこにもいなかった。

 そして案の定、ボス部屋には虹色の蝶が待ち構えていた。

 

『かき回してぇ! じゅぼじゅぼしてぇぇ! めちゃくちゃにしてぇぇぇ!』

 

 鱗粉が満たすボス部屋。

 その高空を虹色蝶は飛び回っていた。

 攻撃手段は至って単純。

 高空から鱗粉を落としてくるだけだ。

 この鱗粉は空に浮いているものと違い、付着したものを溶かす。

 アイラのローブも少し溶けて、シュウが興奮していた。

 

『もっとガンガン突いてっ! 頭まっしろになっちゃう! なにも考えられなくなってるぅぅ!』

 

 ボスは高空にいるため私の剣もスキルも届かない。

 アイラを脇に抱えて走り回り、鱗粉を避ける。

 その間に彼女は詠唱する。

 

 まず、風魔法を使って魔法を散乱させる鱗粉を吹き飛ばした。

 そのあとすぐ、光魔法で私のすぐ後ろに光源を生成。

 ボスもここの雑魚と同じ特徴があった。

 光に寄ってくるのだ。正確には違うらしいがよくわからない。

 とにかく、ボスは高空から曲線軌道を描きつつ私の方に飛んできた。

 

 あとは単純だ。

 ボスにも私の憤まんやるかたないチートスキルが効果を発揮し、地に落ちた。

 すぐには近づかず、アイラの氷魔法で鱗粉を飛ばす羽を氷漬けにする。

 

 そして現在に至る。

 

『なんかきちゃう! すごいのがぎぢゃうよぉぉぉ!』

 

 こいつは本当にうるさいな。

 アイラですらひいている。

 彼女の目はまるでこの世の最底辺を見つめているようだ。

 私まで同じ目で見るのはやめてくれないか。

 

 もう抜こう。斬ればいい。

 

『え……あ、あぁ、なんでぇ。どうして抜いちゃうの? もうちょっとだったのに。どうしてぇ?』

 

 うるさいからだよ馬鹿野郎!

 なんでそんな気持ち悪い叫び声あげるんだ!

 普通にしろよ!

 

『気持ち悪い?! たしかに俺の叫びは未熟だよ! でも、さっきの叫びは俺の世界じゃ、みさ○ら語っていう一つの言語として確立してるんだ! 文化の否定をしないでくれ! まあ、たしかに調子に乗りすぎたよ。もうやらないからさ。ボスにトドメをさしちゃってくれる。あと少しだよ』

 

 急に素に戻られるとそれはそれで気持ち悪い。

 

 とりあえず、シュウの言うとおりトドメを刺そう。

 柄を両手で握り、最後の一撃をボスの頭に突き立てた。

 

『あひぃぃぃ! そんなっ! 一気になんてぇぇぇ! 壊れちゃう、壊れぢゃうからぁ! ら、らめぇぇ! イッ! イッグゥゥゥゥ! あぁぁァァーー!』

 

 ボスは光に消えた。

 ついでにこの馬鹿もチートだけ残して消えて欲しい。

 なにがもうやらないだよ!

 一瞬で破りやがった!

 

『ふぅ、おいしかった。上級のボスともなると格別だね』

 

 さきほどまでの騒ぎが嘘のように落ち着いている。

 もうついていけない。

 

『賢者状態ってやつだよ』

 

 よくわからん……。

 残ったドロップアイテムを拾う。

 

「きた! ついにきました! フヒャヒャ! 今度こそ――あれ?」

 

 アイラがドロップアイテムを見つめて、首を傾げる。

 前に見たパターンだ。

 

 おいやめろよ。まだ上があるんじゃないだろうな。

 私もドロップアイテムを見てみる。

 

 ――コリコリしたゼバルダの青き果実。

 

 聞いてたやつとは違うな。

 

『アイラたんが昨日話してたとおりだよ。ゼバルダが成長してるんだ。だからアイテムも葉っぱじゃなくて実になった。まだまだ未熟なようだけどね』

 

 よし、なにはともあれ上級クリアだ。

 町に戻ってギルドへ行こう。

 

「メルさん!」

 

 出口へと歩いていくと、後ろからアイラに声をかけられた。

 振り向くとアイラは右手を私に伸ばしている。

 なんだこの手は?

 お前にやるものなどなにもないぞ。

 

『メル姐さん……。握手を求められてるんだよ。一緒に戦い抜いた仲間として、互いを信頼し合った証を確かめようとしてるんだ。……うん、ごめんね』

 

 そういうことか。

 あと、なんで最後に謝った。

 いや言わなくていい。

 わかりたくないけどわかったから。

 

 アイラの右手を握り返す。

 細く小さな、柔らかい手。魔法使いの手だ。

 

「ほんとにメルさんがいなかったら、私クリアどころか死んじゃってました。本当にありがとうございます」

『あれ……俺は?』

 

 アイラの目頭に溜まっていた涙がこぼれ落ちる。

 

 私もお前の魔法に助けられた。

 カマキリも、蝶も。お前の魔法がなければ、苦しいものになっていただろう。

 

『いや。ねぇ、俺は? 俺も褒め称えてよ。一緒に戦った仲間じゃないか!』

 

 アイラの手は小さく細いが、それでもしっかりとした温かさを感じる。

 彼女の顔も熱を帯びてほんのり紅くなっている。

 いかんな私まで熱を帯びてきたぞ。

 この温もりが仲間というものなのか?

 

『ねぇ、メル姐さん。机の引き出しが空っぽで、目を閉じても楽しい思い出ひとつさえ浮かばないメル姐さん』

 

 なんなんだよ。お前は。

 いいところなんだから黙ってろ。

 空気を読むスキルもつけろよ。

 

『まあ、そう言わずに聞いてよ。メル姐さんはすぐまたぼっちに戻るだろうけどさ。いま感じてる思いを忘れないでね。目の前にいるアイラたんの声や顔。握った手の温かさ。一緒に戦い抜いた記憶。そして、勝ち得たこの瞬間をよくよく心に焼き付けておいて。いつかふと目を閉じたとき、楽しかった思い出として思い返せるようにして……。それが――チートな俺の、小さな願いだよ』

 

 ……くそう、不意打ちだ。

 私もちょっぴり涙ぐむ。

 本当にこの駄剣は卑怯極まりない。

 いきなりまじめなことを言う奴があるか。

 

 しばらくの間。アイラと手を固く握り合った。

 そして、お互いが何も言うことなく手を離し、出口へと歩き出す。

 

 

 

 両手に確かな温もりを感じつつ、ゼバルダ大木の攻略は終了した。



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第07話「フランデナ草原の夜明け」

 六日。

 たったの六日だ。

 ゼバルダからフランデナ草原の移動に要した日数である。

 一般に徒歩で一ヶ月かかると言われていることを考えれば、大幅な短縮と言える。

 乗り合い馬車の八日よりもなお二日早い。

 さらに馬を使わずこの日数だ。

 スキル――歩幅拡張により一歩で約五歩ぶんの距離が移動できるようになった。

 最初は流れる景色の速さに戸惑っていたものの、今では歩くどころか走っても問題ない。

 やはりチートの力はすさまじい。

 

 ちなみにギルドから頂戴した馬は、出発一日目にして逃げられた。

 町を出てから五分も経っていなかったはずだ。

 まだ、後ろにはゼバルダの町が大きく見えていた。

 背中から振り落とされ、馬はそのまま町と反対側に消え去った。

 にんまりとした笑顔を私に見せてくれていたのに、気性は荒かったのだ。

 ど素人の私では振り落とされても仕方ないだろう。

 むしろ三分近くも乗れたことに誇りを持つべきではないだろうか。

 

『なんて慎ましい埃なんだ……。いやぁ〜、でもその後でさ。同じ馬が向こうから人を乗せてやってきたときは、ほんと笑ったよね! 腹筋がどうにかなっちゃうんじゃないかと思ったよ!』

 

 お前の腹筋ってどこなんだよ。

 あと、「ほこり」が私の言うものと違うような……ん?

 おいおい待て待て。

 そんな愉快な話。私の記憶にないぞ。

 その話は本当に本当なのか。

 本当ならどうして教えてくれなかった。

 

 なに?

 どうせまた逃げられる?

 それなら別の人にちゃんと乗ってもらった方がお互い幸せ?

 ……そうかもしれない。

 

 認めざるを得なかった。

 

 

 

 フランデナ草原はフィールド型ダンジョンと位置づけられている。

 ウラキラ洞穴、ゼバルダ大木のようなラビリンス型ダンジョンとは違う。

 私が入ったことがあるフィールド型は初心者の森だけだ。

 

 フィールド型はダンジョンの内側と外側を分ける明確な境界が存在しない。

 そのためモンスターもごくごく稀にダンジョンの外側へ出てくる。

 町がモンスターに襲撃されたという話を耳にしたこともある。

 そして、フィールド型のなによりも最大の特徴はボス部屋がないことだ。

 ボスの居やすい領域は存在するが、必ずそこにいるわけではない。

 いきなり遭遇することもあり得るし、いつまでたっても会えないことだってある。

 さらにボスが一体だけとは限らない。

 私も初心者の森でボスであるギラックマに挟まれたときは死ぬかと思った。

 

『ギラックマの方がメル姐さんに驚いて逃げだしそう』

 

 なんで知ってるんだよ。その通りだよ。

 驚いて悲鳴を上げたら、ギラックマも驚いて逃げていったよ。

 

 ……さて、ここフランデナ草原はふざけているほど広い。

 ぐるりと回るだけでも二ヶ月はかかると言われている。

 

『この途方もない広さを目にするとさ。才能の大小なんて取るに足らない問題だと気づかされるね』

 

 なんか引っかかる言い方だな。

 だが、たしかに広い。

 私もこの広さの前にするといちいち戯れ言を気にするのがばかばかしく思える。

 

 そんな広大なフランデナ草原のボスモンスターはカルマレオ。

 あまりにも有名だ。私でも知っていた。

 ギルドから情報を購入したことでより詳しく知ることができた。

 

 カルマレオには雄と雌がいて、雄のみが上級のボスとして扱われている。

 雄は雌よりもはるかに強いものの、個体数が恐ろしく少ない。

 現在、ギルドで確認されている雄はなんと一体だけ。

 しかも五年以上討伐された記録がない。

 滅多に出会えないし、出会っても強すぎて勝てない。

 強さだけなら超上級のボスと比べても遜色がないと言われている。

 雑魚は中級、よくても上級なのにボスだけが突出している。

 名実共にフランデナ草原の支配者となる。

 この一体を倒さないと他の個体も再出現しないのではないかいう、まことしやかな噂もある。

 

 そんな強すぎるカルマレオに挑む人間は後を絶たない。

 ドロップアイテムである「あっと驚くカルマレオの鬣」に、天井知らずの値段がつけられているためだ。

 このアイテムをギルドに提出すれば上級達成と認められる。

 超上級ダンジョンの入場許可証に加えてささやかな謝礼ももらえると聞いた。

 しかしながら、ギルドに提出するよりも売り払って武器・防具やアイテムを整えたほうがずっと効率がいいため、ギルドに提出した人間は過去に居ない。

 

 上級達成の証がこのボスの討伐ではあまりにも厳しくなる。

 そこでギルドはボス討伐の他に二つの上級達成の証を認めている。

 一つが、数多くの病気を治癒するとされる「なんだか治り草」の提出。

 もう一つが、ギルドの運営する上級モンスター討伐隊に一年間の従事。

 

 この二つだ。

 治り草は草原のどこかにあるが、フィールド全域にたった数本しか生えないらしい。

 そんなものをいちいち探してはいられない。

 もう一つの条件は時間がかかりすぎて話にならない。

 すなわち、私の目標はカルマレオの雄を討伐することになる。

 ――のだが、

 

『会えないねぇ。もう絶滅してんじゃないの?』

 

 フランデナ草原に来て、すでに三日目。

 いまだカルマレオの雄に会えていない。

 ギルドで購入した情報を頼りに、その周辺を走り回るが見つからない。

 体が大きいためすぐに見つかると思っていたが、なかなかうまくいかないものだ。

 雌には何度か遭遇したものの、戦闘にならなかった。

 カルマレオはこちらから攻撃をしない限り、人間を襲わない。

 王者の余裕というやつだろう。

 そもそも人間なんて食べなくても、そこらかしこに良質な餌が転がっている。

 

『他のダンジョンに行った方が早いんじゃないかな。南の方にも上級ダンジョンがあるんでしょ』

 

 走り回るのも飽きてきた。

 シュウの提案が現実味を帯び始めたそんなときだ。

 

 進行方向になにやらモンスターの群れがいた。

 あれはたしかマフィアンハイエナとかいう奴だ。

 輪になって中心へと歩を進めている。

 よく見るとその中心に小さなモンスターが見える。

 狩りをしているようだ。

 ちょうどいい――。

『群れて獲物を追い詰める二流のハイエナどもに、超一流のハイエナがどういうものか教えてくれよう』

 

 やかましいわ。

 とにかく、ちょうどいい気分転換にはなる。

 狩りつくしてくれる。

 

『ハイエナ姐さん。素敵です』

 

 あまり褒めるな。照れるだろう。

 

 

 

 ハイエナどもはあっという間に消え去った。

 狩ることは考えていても狩られることは考えてなかったらしい。

 フランデナ草原の雑魚モンスターは私の敵にならない。

 ゼバルダ大木上級で蝶を根こそぎ倒してポイントを荒稼ぎした私は、上級の域を突破してしまったようだ。

 

 あとはハイエナどもに狩られるはずだったモンスターだけ。

 草をかき分け中心に向かう。

 そこにいたのは小さな子犬だった。

 驚いた顔をして円らな瞳で私を見上げている。

 

『あらかわいい。食べちゃいたいわ、じゅるり』

 

 食べたくはないが、かわいいという部分には大賛成だ。

 いったいなんなんだ、この守ってあげたくなるかわいさは!

 ぎゃうぅぅと小さく唸っているが、余計にかわいさを増している。

 

 あぁ、いけない。いけないな。

 これを狩るなどとんでもない。

 未来へと守り継がねばならないかわいさだ。

 この子犬を持って帰ってもいいだろうか。

 

『メル姐さん。母性本能をくすぐられてるところ悪いんだけどさ』

 

 ほんとに悪い。

 静かにしていろ。

 今は誰にも邪魔をされたくない。

 お前のぱっぱらぱーな声で私の安らかな心が台無しになる。

 見えない口を閉じて呼吸も止めていてくれ。

 

 ほら見てみろ。

 この子犬ときたら、きらきらした瞳で私をみている。

 きゃわいいじゃないかぁ〜。

 

『うわキモ……主に顔がキモイ、次いで声がキモイ、おまけに動きもキモイ。それで姐さん。こいつさ、犬じゃないよ。どちらかというと猫かな。しかも、下についてるから雄だね』

 

 なに、そうなのか。

 なんだなんだ。子犬じゃなくて子猫ちゃんだったかぁ。

 まあ、犬だろうが猫だろうがどちらでもいい。

 性別だって関係ない。

 このかわいさは絶対的なものだ。

 

 そういえば、このモンスターは初めて見るな。

 なんてモンスターだろう。

 

『なに言ってんのさ、キモ姐さん。三日間、血眼で探してきたじゃない。フランデナ草原のボスモンスターにして、その全域を統べる獣王――カルマレオだよ』

 

 …………えっ?

 いや。いやいやいや、お前こそなにを言ってるんだ。

 カルマレオは猫じゃなくてライオンなんだろ。

 大きさも人間よりずっとずっと大きいと聞いている。

 

『ライオンは哺乳綱ネコ目ネコ科ヒョウ属に分類されてるから猫の親戚だよ。それに雄と雌がいるってことは子供だってできるでしょ。こいつはまだ幼獣だね。それにさ! 俺だって体さえあれば、今ごろメル姐さんのお腹に新しい生命……やめて! 埋めないで!』

 

 そうなのか。

 こいつはカルマレオの子供なのか。

 

『やったね、姐さん。フランデナ草原クリアだ。サクッと刺しちゃってよ』

 

 シュウの言葉が理解できない。

 このかわいさの象徴に下劣なシュウを突き立てる。

 そんなこと……。

 

『まさかだけど。かわいいから刺せないなんて言わないよね。こいつはただのモンスターだよ。割り切ろう』

 

 シュウを子猫に向ける。

 子猫は体をびくりと震わせ、瞳を潤ませながら私を見てくる。

 鳴き声も小さく弱々しいものに変化している。

 

 シュウが震え始めた。

 違う。震えているのは私の手。

 追い詰めているはずの私が追い詰められている。

 

 お、おいシュウ。

 なにか良い方法はないのか。

 卑怯でチートな方法はお前の得意分野だろう。

 

『やれやれだよ。こいつを殺さないで済む理由が欲しいってことだね』

 

 そうだ。

 そうなるな。

 私にこの子は殺せない。

 貴様を向けるだけで、心が押しつぶされそうになる。

 

『ほんっと甘ちゃんだねぇ。血糖値が心配だよ。まあいいか。カルマレオのドロップアイテムは「あっと驚くカルマレオの鬣」って聞いてる。つまり、カルマレオにはそれはそれはご立派な鬣があるんだろうさ。でも見てわかるように、こいつはまだ鬣が生えてない』

 

 そうだな。

 さらっさらの表面だ。

 そこが素晴らしい。

 さ、触っても大丈夫だろうか。

 

『……鬣が生えてないなら、こいつを現時点で倒しても別のドロップアイテムになるかもしれない。それはそれで何が出るのか興味はあるけどね。だけど、ギルドからの上級認定はあくまでご立派な鬣。それなら、鬣を落とさない可能性のあるこいつを殺す必要性は薄くなる』

 

 おお。そのとおりだ。

 生え揃ってもいない鬣を落とすなんて考えられない。

 この子が鬣を落とすわけがない。

 殺す意味なんてない。

 私、殺さない。

 イイネ!

 

『…………それにこの子がここにいる理由。もしも群れから離れたなら、この近くにその親――カルマレオの雄がいるのかもしれない』

 

 なるほど。

 本来のボスが見つかる、と。

 大きなものなら問題ない。

 かわいさを失っているなら躊躇なく殺れる。

 

 それでいこう。

 なんとも素晴らしい提案ではないか。

 よくそんな言い訳がぽんぽんと出てくるものだ。

 さすがチートだな。

 見直したぞ。

 

『チート関係ないから! それとね。やっぱり失敗すると思うよ』

 

 大丈夫だ。

 ボスとは油断せず戦ってみせる。

 チートなお前がいるなら負ける気がしない。

 

『そう言われると悪い気はしないね。今の俺とメル姐さんなら勝つことはできると思うよ。勝つことはね。でも……いや、やっぱいいや。直にわかるさ。じゃあ、迷子の保護者を探そうか』

 

 私は力強く頷き、周囲の探索に向かった。

 

 子猫は私の後ろをてこてこ歩いてついて来る。

 シュウが言うには能力半減を受けない絶妙な距離を保っているらしい。

 スキルを外してみたものの、やはり触れるほど近くには来てくれなかった。

 でも、ちょっとだけ触ることができたので満足である。

 触ったら目を見開いて驚かれた。

 人間の手が初めてだったからだろう。

 

 あちこち歩き回り、夕方になってようやく群れに出くわせた。

 残念なことに雄は見当たらない。

 子猫は何度も私を振り返りながら、群れへと歩いて行く。

 群れの中の一頭にすりすりとじゃれ合う。母親なのだろう。

 母親も子猫をぺろぺろなめている。

 その後も子猫は私をちらちら振り返りながら立ち去った。

 

 私は姿が見えなくなるまでぼんやりと見送った。

 もっと一緒にいたかった。

 アイラとの別れの比ではない。

 今日は枕を濡らさずには寝られないだろう。

 

 

 

 翌日。

 ギルドは前日以上に盛り上がっていた。

 端でこっそり様子を伺うに、どうやら町の近くでカルマレオの雄が発見されたらしい。

 さらに、ちょうど遠くの町から討伐隊もやってきていた。

 過去に何度かカルマレオに挑んだことのある有名なパーティーらしい。

 彼らが今日はカルマレオの討伐に向かうとあって騒ぎになっていたようだ。

 

『メル姐さん。あの討伐隊は見た感じなかなかの手練れだ。チャンスだよ』

 

 たしかにあの集団は強そうな雰囲気がある。

 よくわからないが剣や鎧もピカピカして高そうだ。

 私も仲間に入れてもらうべきだろうか。

 

『なに馬鹿を言ってるのさ。メル姐さんは鬣のギルド提出が目的だけど、彼らは鬣の売却が目的なんだよ。ぼっちの姐さんとは相容れない存在だ』

 

 ……わからないな。

 それではいったい何がチャンスなんだ。

 あと、無理にぼっちつけなくていいから。

 

『彼らは狩りのプロだよ。獲物に対する嗅覚がメル姐さんの比じゃない。すぐにカルマレオを見つけてくれるはず。つまりね。俺たちは彼らの後ろをただ追いかけて行くだけでカルマレオにたどり着けるのさ』

 

 おお。なるほど。

 でも、追いかけるということは私たちは後ろだろう。

 奴らが先にカルマレオを倒してしまったらどうするんだ。

 

『その可能性は極めて低い。何度も挑んでるってことは退き際も知ってるはずだよ。それに、手練れならまずはボスの変化を知るために軽い戦闘を数回おこなって様子を見るんじゃないかな。そのあとで本格的に仕掛けると考えられる。俺たちは彼らの前哨戦のあとを叩けばいい。彼らが本物の実力者なら今日中にクリアだ』

 

 やはりこいつは卑怯者だ。

 性根が腐りきっている。

 もうどうしようもないな。

 

 それでも、討伐は早い者勝ち。

 戦闘中に横入りしてトドメだけ頂く訳でもない。

 別に問題はなかろう。

 よし。その作戦でいこう!

 

『良い返事だ、メル特務! それではオペレーション「ロンリーハイエナ」を現時刻より開始する!』

 

 こうして本日は討伐隊の追跡をすることになった。

 

 

 

 シュウの言うとおりに討伐隊を追いかけていく。

 尾行はなかなか本格的だ。

 

 まず、「なんちゃってステルス」とか言うスキルで姿を消した。

 実際には姿が消えている訳ではなく。

 可視光線をねじ曲げて、外部から見えづらくしているだけらしい。

 問題点として私からも彼らが見えづらい。

 また、凝視せずになるべくぼやかして見るようにとも教えられた。

 視線が感じ取られてしまうらしい。

 それは私にもわかる。視線で肌がひりひりするからな。

 そのためステルスの問題点がこちらからの視線を強くしないという点で、よい方向に働いているとシュウは話す。

 さらにだ。

 常に彼らの風下側に位置するよう回り込んでいる。

 ここまでする必要があるのかと疑問を呈したら怒られた。

 

『精鋭部隊員なら臭いだけで敵を察知するんだよ!』

 

 どうやらそんなものらしい。

 シュウの国の精鋭部隊は恐ろしい人物がいるようだ。

 

 無駄に本格的な甲斐もあって、順調に追跡できている。

 そして、昼過ぎ。

 ついに念願のカルマレオを見つけた。

 

 体長は聞いていたとおりだ。

 大人が十人ほど手を伸ばしたくらいの大きさ。

 やや黒ずんだ黄色の体。

 首を覆う暑苦しいほどの鬣。

 その眼光は今まで見てきた敵の中でも一番の鋭さを持つ。

 

 あの子猫も成長するとこうなるのか……。

 こんなかわいくない獣に成長してしまうのか。

 時の流れの残酷さを思い知った。

 だが、ありがたい。

 これなら容赦なく殺れる。

 

 

 

 カルマレオと討伐パーティーの戦闘が始まった。

 

『強いね。ボスも彼らも』

 

 ボスはその大きな体躯に見合わぬほどの速さでパーティーを翻弄する。

 パーティーもうまく役割を分担させており、攻撃を加えている。

 それでもボスにはダメージが通っていない。

 

『物理耐性に加えて魔法耐性もあるみたいだ。俺たちには関係ないけどね』

 

 そうだな。

 今のところカルマレオの動きもくっきり見えている。

 これに加えて状態異常と能力半減が入るなら十分戦えるだろう。

 

 おっ。

 リーダーをしていた剣士の一撃がカルマレオに入った。

 一瞬、姿勢が崩れたもののすぐにカルマレオは立ち上がる。

 

『すごい治癒能力だね。あっという間に傷がふさがったよ。まあ、特殊能力だろうから無効化されるけどね』

 

 その通りだ。

 あの治癒能力は恐ろしいが、スキルで無効化されるなら考慮に入れる必要はない。

 ……おや、負ける要素が見つからないぞ。

 

 パーティーが退いていく。

 どうやら本当に様子見だったらしい。

 カルマレオもそれがわかっているのか特に追いかけることもしない。

 パーティーはついに視界から消え去った。

 

 さて――、

 

『じゃあ、いこうかハイエナ姐さん。孤高の獣王とやらに、真のぼっちがどういうものか見せつけてやろうぜ』

 

 いちいちうるさいが、許してやろう。

 私もようやく探索やら追跡といった小難しいことから解放されて気分が良い。

 

 カルマレオへと疾走し、躍り出る。

 どうやらあの子猫の親で間違いない。

 目を見開き、口も開いて驚いている。

 その顔が昨日見た子猫のものとそっくりだ。

 果たして、いきなり飛び出たことに驚いたのか。

 それとも人間がたった一人で挑むことに驚いているのか。

 ふふ、あるいは私の強さに気づいて驚いているかもしれないな。

 

『あのさぁ、メル姐さん。言わないでおこうと思ってたんだけど、いいかげん調子に乗ってきてウザイからもう言うね。昨日の子猫やこのボスは確かに驚いたような顔をしてるけど、実際には驚いている訳じゃないんだ。フレーメン反応っていう生理現象なんだよ』

 

 うん、どういうことだ。

 驚いているわけじゃないのか。

 

『うん。姐さんが飯をたらほど食べたらゲップをして、俺が朝にテントを張るのと同じ生理現象。感情とはほっとんど関係ない』

 

 よくわからないが、そんなものだったのか。

 それで、そのふれぇめん反応っていうのはどういうときに起こるんだ?

 

『臭いだよ。異性の尿やくっさい刺激臭を嗅いだときに生じるんだ。ちなみにゼバルダでもらった馬が笑った表情をしてたのもこの反応。要するにメル姐さんが臭かったからなんだ。おっと、安心して。馬に逃げられたのは臭かったからじゃなくて、乗馬の才能がなかっただけだから。それと怒りは俺じゃなくて目の前にいるボスにぶつけてね』

 

 カルマレオはまだ驚いた表情で私を見ている。

 

 ふっ……ふふふふっ。

 そうか。そうなのか。そうだったのか。

 貴様も私が臭いと言うんだな。

 この私が臭うと! フレーバーだと!

 

 よろしい。ならば抹殺だ。

 この屈辱を受けた私にただの抹殺ではもはや足りない。

 お前の体に全状態異常を叩き込んで、有無を言わせず嬲り殺しにしてやる。

 

 征くぞ! シュウ!

 

『レンジャー!』

 

 こうしてカルマレオとの戦いが始まった。

 

 

 

 幕引きはいつもあっけない。

 苦戦にすらならなかった。

 近距離戦を挑んだ時点で、このカルマレオに勝ち目はなかったのだ。

 逃げればなんとかなったのかもしれないが、王者のプライドがそれを許さないのだろう。

 すでに獣王は消滅寸前。

 立ち上がることもできず、私を力なく見つめている。

 

『さあ、メル姐さん。トドメをよろしくお願いしますよ』

 

 シュウの言うとおり、あとは突き立てるだけ。

 獣王に一歩近づき、シュウを振り上げたまさにその瞬間――、

 

 私と獣王の間に小さな影が割り込んできた。

 

 驚いてシュウを止める。

 その影は昨日の子猫だった。

 小さく唸り私を威嚇してくる。

 なんというかわいさ。

 

 どいてもらおうと手で払おうとしたが、その前にカルマレオによって払われた。

 子猫は大きく宙を飛んで離れた場所に転がる。

 私に殺されないようカルマレオが最後の力を振り絞ったのだろうか。

 そんなことをしなくても私は子猫を殺す気はない。

 

『違うよ。その考えは完全に間違ってる。正解の欠片もない』

 

 どういうことだ。

 今のは息子を守る行為だろう。

 

『それは違う。メル姐さんは例えチートな俺を使ったといっても、正面からカルマレオと戦って勝った――勝者だ。一方のカルマレオはあえなく敗れた敗北者。自然の掟に従うと勝者は敗者に絶対の生殺与奪権を持つ。この間に余計な不純物が存在してはならない。この掟に逆らうのは人間とハイエナだけ。姐さんは逆らっても大丈夫だよ』

 

 それはもちろん私が人間って意味で言ってるんだよね。

 

『えっ……ああ、うん。で、話を戻すと。そこに転がるこわっぱはその絶対的な自然の掟を破った。だから、カルマレオは自然の王者として愚かな真似をした馬鹿をなぎ払った。それは自然に生きるもののすることではないからね。ましてや自分の息子――王の血を引くものならなおさらだ。だからさ。さっきの行動は息子をかばったんじゃなくて息子を叱りつけたものなんだよ。わかってくれたかな、ハイエナ姐さん』

 

 シュウが私の誤解を説明している間にも子猫はゆっくりと立ち上がり、私の方へふらつきながら向かってきている。

 その驚いた顔はなんとかやめられないか。

 いろいろ台無しなんだが……。

 

『生理現象だから無理だろうね。で、トドメは?』

 

 子猫は再び私とカルマレオの間に立ちはだかる。

 目蓋を重そうにしつつも私を睨んでいる。

 カルマレオは前脚を上げたが、力尽きたのかそのまま下ろしてしまった。

 早く殺せと、これ以上の雪辱を与えてくれるなとその目が語りかけている。

 

「……なあ。シュウ――」

『俺は失敗するって言ったよね。メル姐さんは勝つことができても、トドメは刺せないんじゃないかって思ってた。だから、俺はどんな結果になってもなにもいう気はないよ。それにさっきも言ったとおり姐さんには殺さないっていう権利もあるんだからね』

 

 そうか。

 私が悪かった。

 私は甘い。甘すぎた。

 お前の言うとおり甘ちゃんだ。

 

『そうだね。甘すぎて反吐が出るよ。でも、その甘ったるさ――嫌いじゃない』

 

 けっきょく私にはトドメが刺せなかった。

 距離を開けてカルマレオが治癒するのを見届けて、背を向けて立ち去った。

 後ろからカルマレオが吠えていたが、私には何をいっているのかわからない。

 トドメを刺さなかった私を蔑んでいるのかもしれない。

 間違いなく、礼を言っていることはないだろう。

 別になにを言われたってかまわない。

 私はもう勝者として選んだのだから。

 

 

 

 町の宿に帰ってさっさと眠る。

 明日は朝に町を出て南の上級ダンジョンに向かう。

 無駄な時間を過ごしてしまった。

 

 夢を見ることもなくぐっすり眠っていると、なにやらドンドンと物音が聞こえた。

 無視しようかと思ったが、さらに大きなものになる。

 

 ええい! うるさいぞシュウ!

 

「夜分に済みません! たいへんなんです。目を覚ましてください!」

 

 どうやらシュウではなかったらしい。

 よく考えたらシュウに物音はたてられない。

 窓を見るにまだ暗い。

 今は何時頃だろうか。

 

 とりあえず、シュウを手にして扉を開ける。

 宿の主人と、誰だ……?

 

「私はここのギルド事務員です。ここに上級の冒険者がいると聞いて伺いました。さっそくなんですが、モンスターの大群がこの町に向かってきています。手を貸して頂きたい。すでに他の冒険者の方にも門に向かってもらっています」

 

 寝ぼけていたため事情を把握するのに時間がかかった。

 

『さっきから地響きがすごいよ。よくこの中で熟睡できるもんだ。新しい才能の発見だね』

 

 シュウの声でようやく気づいた。

 なんだか景色が揺れている気がしたが、寝ぼけているためではなかったらしい。

 

「それで、パーティーの方はどちらにおいででしょうか?」

 

 ギルド職員はまじめな顔で聞いてくる。

 

『ぼっちでごめんね。職員さん』

 

 突っ込む気力もまだ出てこない。

 ソロだ、と小さくぼやいて門に向かう。

 

 

 

 どうやら時刻は夜明け前。

 東の空にわずかな赤みが射している。

 冷えた空気が心地よい。

 

 門には多くの冒険者が集結していた。

 昨日、追跡したパーティーの姿もある。

 これだけ冒険者がいるのになんと静かなものか。

 地響きもいつの間にか止んで音がしない。

 静かすぎて不気味だ。静寂が耳に痛い。

 こういうときこそ何かしゃべれよ。

 

 門から外を伺うと、多くの影が映っていた。

 数十では足りない。数百はいるだろう。

 大小様々なモンスターが扇状の列を作っている。

 その先頭。私たちに一番近いところに見覚えのある影が二つ。

 鬣のある大きな影。それに寄り添うかわいらしい影。

 ――カルマレオだ。

 

『お礼参りかと思ったけど、ちょっと雰囲気が違うね』

 

 カルマレオも私を目ざとく見つけ、低い声で吠える。

 

『どうやら姐さんをご指名みたいだよ』

 

 えぇぇぇっ。

 今までも嫌なことは多々あったが、これほど嫌なことは初めてだ。

 ここで出て行けば衆目に晒される。

 視線で焼き消えてしまうのではないだろうか。

 

 子猫ちゃんも小さく吠えて私を呼び始める。

 ふむ、これは行かざるを得ないな。

 

 冒険者の列から一人はみ出す。

 まあ、はみ出すのは私の得意技でもある。

 

 カルマレオへと一歩。また一歩と近づく。

 シュウが言ったように戦う気はないらしい。

 子猫が私に近づいてくる。

 もっと近くにおいでぇ。

 

 ほんとに来てくれた!

 口になにやら光を咥えている。

 アイテムだろうか。

 

『やるってさ。勘違いしちゃいけないよ、キモ姐さん。これはお礼じゃない。貸し借りの精算だ』

 

 シュウはよくわからないことを言っている。

 私は手を差し出してその光を受け取る。

 そのまま頭を撫でようとしたが、避けられた。

 

 ……とりあえずアイテムを顔に近づけて確認してみる。

 

 ――なんだか治り草。

 

『ヒュゥー! 気が利いてるじゃないか!』

 

 たしかに嬉しいがそれ以上にうれしいことがある。

 子猫が私の足に頭を、額を、鼻をこすりつけてきた。

 お、おおぉぉ。ついに、ついに触ってくれた。

 それでも顔はやっぱり驚きの表情なんだね……。

 

 子猫はカルマレオの元に戻り、親子ともに吠える。

 それに合わせて周囲のモンスターも声をあげる。

 その声は合唱となって私を包む。

 

 合唱が終わるとカルマレオと子猫は背を向けて駆け抜けていく。

 子猫はもう振り向かない。王に振り向くことなどないのだ。

 彼らは扇の中心を貫き、さらに扇は形を留めて王たちに従う。

 昇り始めた日が彼らを白く照らす。

 

 

 

 夜明けとともにフランデナ草原の攻略は終わりを迎えた



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第08話「ナギム廃坑を越えて一人」

 ガンムルグの町。

 フランデナ草原の南に位置するその町は、職人の町として有名である。

 東に位置するガンムルグ山により鉱物・水・木と多大な恩恵を受けている。

 手先の器用なドワーフが多く暮らし、様々な武器・防具・装飾品を製作している。

 

 町から東に向かい、ガンムルグ山を越えると私の故郷であるエルメルの町にたどり着く。

 山道は急峻なうえ標高もある。山越えは至難を極める。

 昔は坑道が掘られており、そこをたどれば越えることもできていた。

 しかし、坑道がダンジョンとなり廃坑となってしまった。

 この廃坑は上級ダンジョン――ナギム廃坑と呼ばれている。

 ナギム廃坑の誕生と同時に、エルメルの町へと続く比較的安全な道は閉ざされた。

 

 当初の計画としてはゼバルダ大木、フランデナ草原、ナギム廃坑を回って家に帰る予定であった。

 ところがだ。

 ゼバルダ大木で上級ダンジョン制覇の証を二つ手に入れてしまった。

 さらにフランデナ草原でも無事にダンジョン制覇の証を手に入れた。

 三つの上級をクリアしたことになり、超上級ダンジョンへの入場が可能だ。

 そうなると廃坑を通る必要もない。

 このまま南に進み超上級ダンジョンへ行こう。

 

 ――そう考えていたが、シュウは帰った方がいいと言い始めた。

 たまには両親に顔を見せてやれと口やかましい。

 帰れ帰れ、あまりにもうるさい。

 そのため仕方なく。

 本当に仕方なくいったん帰省することにした。

 

『そうだよね。俺がうるさいからだよね。そう言えばさ。宿で出されたイモのスープ。メル姐さんのお母さん――つまり、俺のお義母さんが作ってたスープに良く似てた気がするんだけど。まさか、ママの味が恋しくなったなんてことはないよね。ふるさとは遠くにあって思うもの、だよ』

 

 ……お前。

 ほんとにちょっと鋭すぎないか。

 斬れば斬るほど鋭くなるなんて聞いてないぞ。

 あと私の母は、お前のお義母さんでは断じてない。

 

 

 

 ガンムルグの町は今日で四日目。

 場所はガルム武具店。

 新しい靴を受け取りに来ている。

 

 靴が傷んできていたため、到着一日目でこの店に製作の依頼を出した。

 せっかくのガンムルグの町。

 何か作ってもらってもいいだろう。

 そう思って目についた近くの店に入った。

 モンスターのドロップアイテムを売ってお金も貯まっている。

 

 あとで聞いた話になるのだが……。

 このガルム武具店はガンムルグの町でも一、二を争う武具店だったらしい。

 口元を厚く覆う髭が特徴的なドワーフ――ガルムが店主をしている。

 ガルムは貴族の装飾品から一流冒険者の武具までなんでも作る。

 製作依頼料は当然べらぼうに高い。

 そのうえ、気に入らない仕事は受けないというこだわりもあるようだ。

 どうしてそんな人物が私の依頼を受けたか。

 答は簡単にして単純。

 シュウだ。

 

 まるで私の話を聞いていなかったガルムは、シュウをチラ見すると視線を縫い付けられたように動かなくなった。

 その後、シュウを渡してやるとぽつりぽつりと口を開いた。

 シュウが喋ってもガルムに驚きは皆無。

 

 持ち主の技量のなさ、今まで攻略してきたダンジョンをシュウが語り始め。

 どんどん話は逸れていきガルムの溺愛する一人息子やら、女性の胸のサイズについてと談義していた。

 この一見気難しそうなドワーフは人間の女が大好きなド変態だった。

 特に背が低く胸の小さな女の子に心が惹かれると話す。

 実際に幼児体型の人間女性を娶っているらしい。

 図体のでかい女は好みじゃないそうだ。

 わるうございましたね、大きくて。

 

 とにもかくにもだ。

 随分と楽しそうであった。

 無愛想だった顔も、話が終わる頃にはもじゃもじゃした髭の間から口が見えるくらいの笑顔を見せていた。

 シュウとは女性の好みこそ違えど、とても気があったらしい。

 つまり、私とは気が合わないということになる。

 私の靴は良い時を過ごせたお礼に、おまけとして格安で作ってもらえることとなった。

 理由はなんであれ作ってもらえれば良いのだ。

 

 

 早速、受け取った靴を履いてみるとサイズはぴったし。

 足と靴が一体化しているような素晴らしい履き心地だ。

 履いているうちに慣れてくるとガルムは話すが、さらに良くなるとは恐ろしい。

 靴の側面に変な模様が刻まれている。

 これはガルム印というもので、ガルムが手ずから作ったものには必ず印されているそうだ。

 

 ガルムに「また来いよ」と声をかけられて店をあとにした。

 念のため言っておく。

 声をかけられたのはシュウであって私ではない。

 あの変態ドワーフは私がシュウのおまけだと考えている節がある。

 

 

 

 ナギム廃坑入り口に到着した。

 昨日、一昨日と近くの中級ダンジョンで暇を潰していた。

 ダンジョンの傾向は似ていると聞く。

 こちらもどうにかなるだろう。

 

「あの。すみません」

 

 小さな声が聞こえた。

 ちらりと振り返る。

 そこには黒髪で彫りの深い少女が立っていた。美少女だ。

 こう言うとまるで私が少女じゃないようだが、私だって立派な少女である。

 乙女と言い換えてもらっても構わない。

 

『果たしてそうだろうか?』

 

 なにその問題提起。

 はっきり否定されるよりも傷つくんだけど。

 別に少女でいいでしょ。

 文句言わない。

 

「あのぅ」

 

 少女がおずおずと声を出す。

 おい。誰か知らんが声をかけられてるぞ。

 私は正面をむき直す。

 

 あれ?

 誰も居ない。

 

 ……えっ、ひょっとして私に声をかけているのか。

 

「はい。貴方です」

 

 ギルドと宿の人間以外が私に声をかけてきたのはいつ以来だろう。

 たしか…………。

 

 まったく思い出せない。

 これは感動ものだ。

 今日のことはしかと日記に書き記しておこう。

 

『日記なんてつけてないし、そもそも持ってないでしょ。記憶を捏造しちゃダメ』

 

 馬鹿がっ。

 今日からつけるんだよ。

 まあ、声をかけられたと言ってもせいぜい道を尋ねられるくらいだろうがな。

 

 それで何の用だ。

 あいにくこの辺りの地理には詳しくないぞ。

 

「いえ、道を聞きたかった訳ではありません。昨日、中級ダンジョンをソロでクリアされてましたよね。ナギム廃坑に挑まれるなら、僕とパーティーを組んでもらえませんか」

『おぃおぃ、オイオイオイオイ。どういうことだ! 何が起こっている! 俺はこんな真っ昼間から夢でも見てるってのか?!』

 

 落ち着けシュー。

 なにやら夢ではないようですぞ。

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

 少女が心配そうな顔で見上げてくる。

 

 大丈夫なわけがあるか!

 大問題だよ!

 おいシュウ。シュウ君。

 私はどうするべきだ。

 いったいどうすればいい。

 シュウよ……私を導いてくれ!

 

『いや。よく考えたら、別におかしなことじゃないよね。メル姐さんが中級をソロでクリアしてたことを知ってたからさ。実力者だって認めてるんだよ。それに彼の武器を見てみて。ガルムの武器だ』

 

 シュウの言葉を受け、目線を少女の武器に移す。

 少女の右手には華奢な腕に似合わないほど大きく無骨なクロスボウが垂れている。

 腕よりもクロスボウの方が長いし大きい。

 その台座には私の靴と同じガルム印が刻まれている。

 私の印よりもふるめかしく擦れているようだ。

 相当に使い込まれているように思える。

 

『この子。相当な実力者じゃないかな。……ああ、そうか。もしかして――』

 

 なるほど。そういうことか。

 私を実力者として認めているというだけの話か。

 シュウのこともある。

 あまりパーティーは組みたくない。

 

 そもそもパーティーを組む理由がない。

 上級なら一人でも問題なく進めているからな。

 お前、いやすまん、えーと……。

 

「ユリィです。僕も中級をソロでクリアしたんですが、上級はさすがにソロでは厳しくて誰か組んでもらえないかと」

 

 ユリィか。私はメルだ。

 別に私でなくても他にいくらでもいるだろう。

 ギルドでも募集していたのを目にした記憶がある。

 

「いえ……。実は問題がありましてパーティーは組みづらいのです」

 

 まぁた、問題持ちか。

 今度はいったいなんなんだ。

 私には問題のある人間しか集まってこないのか。

 

 で、その問題は?

 

「パーティーを組むと当たらなくなるんです」

 

 言っている意味がよくわからない。

 もうちょっとわかりやすく言えないか。

 

『パーティーを組むと矢が当たらなくなるって言ってるんだと思うよ。いるんだよね。一人だとやたら強いのにさ。チームを組むと異様に動きが悪くなるやつ』

 

 ソロでは矢が当たるのに、パーティーを組むと矢が当たらなくなるのか?

 

「そうなんです」

 

 それで、どうして私なら組んでも大丈夫だと思ったのかな?

 理由によっては怒るぞ。

 

「昨日、中級でメルさんの強さをとくと拝見しました。予測ですが上級どころか超上級の力を持たれているのではないですか。それなら僕がいても、さほど邪魔にならないんじゃないかと思ったんです」

 

 そういえば、ダンジョンで何人かに出会った気がする。

 見られていたのか。

 

『こっちの力をちゃんと測ってるね。それに解決法も考えてる。えらいえらい』

 

 よくわからんが、お前のチートでどうにかなりそうか。

 

『直接は無理かな。同士討ち無効で後ろから撃たれるのは防げる。でも、パーティーを組んでうまく動けないってのは心の問題が大きいからね。チートでどうにかできるもんじゃないよ』

 

 そんなものか。

 じゃあ、パーティーを組む理由もないな。

 

『そう早まらないで。チートじゃ直接どうこうはできないよ。でも、間接的ならどうにかできるかも。この子もわかってるみたいだね』

 

 もっとわかりやすく言え。

 お前や引きこもりエルフは小難しい言葉を並べるから困る。

 

『パーティー内で自分の役割を果たせるか・果たせているかってのが本人のプレッシャーになるんだ。ユリィも言ってるように姐さんは上級のレベルじゃない。一人で十分すぎる。それならユリィに要求される役割は少なくなる。心の負担が小さくなるわけだよ。たいして役割を果たさなくても一応パーティーだからね。これで上級をクリアできるならユリィも自信がついて、今後は多少まともに動けるかもしれない』

 

 つまりどういうことだ?

 

『えぇ、これでもわかんないの。頭ん中、腐ってんじゃない。まとめるとね。姐さんにはパーティーを組むメリットがほとんどない。ただし、デメリットも俺の存在を知られること以外にはない。一方のユリィは上級もクリアできる上に、今後の活動に関わる問題へ何らかの対処ができるかもしれないってメリットがある。デメリットはぶつぶつ喋るほんのり臭う馬鹿女とダンジョンに潜らなきゃならんってこと』

 

 おっと足が滑った!

 

『謂われのない暴力が俺を襲うっ! ま、最終的に決めるのはメル姐さんだからね。それと、この子なら俺の存在を知られても問題ないと思うよ』

 

 おや。

 そう言えば今日はえらくまともだな。

 気持ち悪い発言も極めて少ない。

 もしかして病気か? 

 移すなよ、ばっちぃ。

 

『俺はばい菌じゃないし、バイでもないよ! 基本的に胸の大きな女性にしか興味ないですし……ねぇ』

 

 まぁた、なんかよくわからんことを言い始めたよ。

 なにが「ねぇ」なんだか。

 

 シュウが問題ないと言う。

 それなら大丈夫なのだろう。

 私はユリィとパーティーを組むことにした。

 

『メル姐さんがまともにパーティーを組む。俺うれしいよぉ。涙がとどまるところを知らない……。閉じた世界が広がるね』

 

 一言多いぞ。

 それに涙どころか目すらないだろ。

 

 

 

 私の頭を怒声が駆ける。

 

『馬鹿野郎! もっと仲間の配置を考えろ。その位置から狙えるのか!』

「すみません兄貴!」

 

 シュウとユリィはノリノリだ。

 

 

 パーティーを組んだ後、シュウはもちろん喋った。

 ユリィはシュウに少しばかり驚きはしたもののあっさり納得してしまった。

 

「真に良い武器は語りかけてくるものです。父もよくそう話してくれていました」

 

 いや、そんなことないだろ。

 お前の父親の頭が心配だ。

 

「僕も今みたいになよなよしたままじゃなくて、父やシュウさんのような一角の男になりたいです」

 

 ……何か言い出したぞ。

 別に女のままでいいじゃないか。

 たしかに女の冒険者はなめられないために男らしく振る舞うものもいる。

 それでも実力には関係ない。

 それと、シュウのどこが一角の男なのか教えてくれ。

 

『バッカ姐さん。俺はどっからどう見ても男らしいでしょ。見てよこの硬くいきり立った一物。黒光りするツヤのあるボデー。危うげに尖った先端。男の中の男じゃないか』

 

 うん。

 ただの剣だ。

 どこからどう見ても剣。

 剣以外の何ものでもないな。

 

『なんて愚かなメル姐さん……。ユリィ。君は見所がある! よしまかせろ。俺が貴様を立派な男にしてやる! 俺のことは兄貴と呼ぶんだ!』

「わかりました、シュウの兄貴!」

 

 なんで私が間違ってるみたいな流れになっているのか。

 とにかく、こうしてよくわからない兄妹関係ができあがった。

 私は完全に置いてけぼりである。

 もう慣れてきたし、関わりあいたくもないので好きにやらせておこう。

 

 なんだかんだ言ってシュウの指導はまともだ。

 むしろ、まともすぎて怖い。

 パーティーの基本から始まり、位置取り、心構えなど説いている。

 聞くところによると、元の世界でおんらいんげぇむとやらから学んでいたらしい。

 清掃員と聞いていたが、こいつもこいつで幾多の戦いをくぐり抜けて来たのだろう。

 

 ナギム廃坑の敵は変わったものが多い。

 土魔法を唱えるツブテコウモリ。

 いきなり足下から現れるドーモグラ。

 岩に擬態して襲ってくるナントゴーレム。

 

 広いとは言えない道幅に次々と押し寄せるモンスター。

 ソロならそこそこ面倒なダンジョンだ。

 

 今のところ苦戦はない。

 パーティー用のスキルに加えて、射手専用スキルも選択しているらしい。

 

 射手専用スキルその一「敵感知」。

 スキル共有により私にも効果が発揮された。

 とても……。いや、とてつもなく優秀なスキルだ。

 モンスターがどこにいるのかわかる。

 視界に変な円が出てきて、その横に数字が出ている。

 モンスターとその距離らしい。

 近づけば弱点と耐性属性も教えてくれる嬉しい機能付き。

 なんと望遠もできるそうだ。

 後ろから近づいてきても矢印が出てきて教えてくれる。

 さらに自分を標的にしているモンスターなら遠くでも反応する。

 かゆいところに手が届くスキルと言える。

 

『今度から右手に小さめのクロスボウを取り付けた方がいいかもしれないね。使わなくてもこのスキルが選択できるならそれだけで価値があるよ』

 

 善処しよう。

 これは便利だ。

 

 

 射手専用スキルその二「方向転換」。

 一度だけ矢がモンスターに向かって軌道を変える。

 動き続ける敵以外ならこれでほぼ必中だ。

 

『これなら才能のないメル姐さんでも当てられる。クロスボウ装備しよう』

 

 前向きに検討しておこう。

 確かにこれなら私でも使えそうである。

 

 ユリィは敵に矢が当たらない問題を解決するため、このスキルは外している。

 チートではなく自身の実力で敵に矢を当てられるようにならなければ、根本的な解決にならない。

 

 

 射手専用スキルその三「必殺」。

 その名の通りのスキルだった。

 

『説明しよう! 矢に当たれば敵は死ぬ! メル姐さん。エルメルの町に着いたら、即刻クロスボウを買いに行こう。「方向転換」と「必殺」の組み合わせはやばい。これこそチートだよ!』

 

 うむ。

 もはや迷うことはない。

 なんとも恐ろしいスキルだろうか。

 ボスに効果はないらしいが、それでも雑魚が一撃で屠れるなら十二分だ。

 

 ――とは言ってもユリィの矢は当たらないからあまり効果を発揮していない。

 遭遇即消滅は図体の馬鹿でかいゴーレムくらいだ。

 それでも敵感知のおかげで遠距離からの魔法と下や横から飛び出してくるモグラは対処できている。

 

 そんなユリィは、シュウの珍しくまともな指導の甲斐もあってだろうか――。

 矢が徐々に当たるようになっていた。

 ダンジョンに入った頃は敵の近くを通り過ぎるだけだった矢。

 それが今では二発に一発は敵を貫いている。

 

『メル姐さんと違ってさ。ユリィには元から才能があるんだ。あとはちょっと背中を押してあげるだけだよ』

 

 ちょっぴり良い話の中でも私を貶すことを忘れない。

 なんというクソ野郎。

 これが男の中の男と言うのだから笑わせる。

 

 ちなみに私にもスキルが増えた。

 催眠耐性。

 どんな敵が催眠を使うのかわからないが、有るに越したことはないだろう。

 さらに鈍化付与も手に入れた。

 ときどき斬りつけた相手の動きが鈍くなる。

 こちらも有るに越したことはない。

 特殊スキルは手に入らなかった。

 

 

 

 さて――。

 恒例になってしまったが、目の前にはボス部屋の扉。

 木ではなく岩でできているため重そうだ。

 

「ボスですね。もしボスを倒したら……、僕はこのクロスボウに恥じない立派な男になれるんでしょうか」

『阿呆がッ! なに甘ったれたこと言ってんだ! なれるか〜、じゃねぇだろ! なって見せろよ! ここのボスを、そのクロスボウでぶっ殺して立派な男だって証明して見せろ!』

「すっ、すみませんでした」

『男が簡単に頭を下げるな! 謝るな! 行動で示せっ!』

「はいっ!」

 

 盛り上がっているな。

 そっとしておこう。

 

 ユリィはクロスボウをとても大切にしている。

 先に父がどうのこうのと言っていた。

 彼女のクロスボウは父親の形見なのかも知れない。

 ガルムのクロスボウを持つほどだ。

 さぞかし高名な射手だったのだろう。

 

 ユリィは立派にパーティーの役割を果たしている。

 ボス戦もその調子で頼む。

 お前の矢を当てにしているぞ。

 

「は、はいっ! ありがとうございます、姐御。やってみせます!」

 

 姐御はやめてほしい。

 本人もやる気だから大目に見るか。

 

 

 

 ボス部屋にはやや大きめのゴーレムが九体。

 それぞれ色違いで、形も微妙に違う。

 横一直線に並びおのおのが変なポーズを取っている。

 

 私たちを確認すると中心にいた赤いゴーレムが何か叫ぶ。

 周囲のゴーレムもそれに倣って声をあげ、中心のゴーレムへと集まっていく。

 なにやら複雑に組み合わさり変形し、大きな巨人が誕生した。

 

 大きさは今まで出会ったモンスターと桁違いだ。

 足一本、腕一本がそれぞれ一体のゴーレム並みだ。

 顔はリーダーの色だが顔が皆同じだったため区別がつかない。

 両手には馬鹿でかい棍棒。

 よく見ると一番端に立っていたゴーレムが形を変えただけだ。

 このゴーレムの寄せ集めがナギム廃坑のボスモンスターである。

 名は超岩石体ゴレムオンというらしい。

 

 特徴はその硬さ。

 ゴーレムからできていることもあり、物理的な攻撃は関節と目以外に効果がない。

 魔法も水と氷属性しか効果がないと聞いている。

 ただ残念なことに体があまりにも大きく重いため動きが極めて遅い。

 遅いと言うよりも基本的に動かない。

 動くのは棍棒を持っている腕だけだ。

 それでもゴーレム一体分の重量を持った棍棒が振り下ろされ、振り回される。

 脅威の破壊力と言えるだろう。

 

 定石通りの攻略法ではまず部位をそれぞれ破壊していく。

 火魔法で一気に熱し、水で冷やすことにより防御力を弱められるそうだ。

 だが、私たちは魔法が使えないため定石通りの戦法は使えない。

 

 ――ではどうするか。

 

 答は単純。

 近づくだけだ。

 私の名前を呼んではいけない例のあのスキルにより特殊効果は強制解除される。

 ボスだろうが関係ない。問答無用だ。

 

 ゴレムオンの特殊効果は「合体」。

 私が近づくとこのボスはいったいどうなるか――。

 おわかり頂けるだろうか?

 

『これはむごい……』

「すごいです。姐御!」

 

 ボス部屋に転がる色彩豊かな八つの岩。

 そして、赤いゴーレムが一体ぽつり。

 

 ゴレムオンの合体は強制解除され、それぞれのゴーレムに分離された。

 しかも合体する際に変形したゴーレムは元に戻らなかった。

 中心以外のゴーレムはただのパーツとなってしまい、動くことすらできない。

 さらにパーツにはボス属性も失われている。

 ユリィの「必殺」を帯びた矢で一撃死。ただの的だ。

 

 広いボス部屋に私たちと赤いゴーレムだけが取り残された。

 こいつにだけはボス属性がついているらしく、一撃で死ななかった。

 赤いゴーレムは上を向き、叫びを上げる。

 悲しみ咽び、まるで泣いているようだ。

 

『うん……。お前はいま泣いていい』

 

 赤ゴーレムは涙を拭うように腕で顔を擦ると私たちに襲いかかってきた。

 仲間の仇を討つためだろう。泣かせる話だ。

 

 赤ゴーレムのパンチをシュウで受ける。

 一体だけでもそこそこに強い。

 

『ユリィ! メル姐さんがこいつを引き付ける。お前はこいつの目を狙い撃て!』

 

 シュウが叫ぶ。

 正面から攻撃を受けたにも関わらず、珍しく文句を言わない。

 

「で、でも。僕の矢じゃ当てられるか……」

『自分の腕を信じろ! そして、俺を。メル姐さんを。そのクロスボウを。なによりも今まで戦い抜いてきたお前自身を信じるんだ!』

 

 そうだ。

 こんな私でも戦えているんだ。

 

「ユリィなら当てられる!」

「あ、兄貴……。姐御……。僕、やってみせます」

 

 赤ゴーレムのパンチを受けつつも、隙を見て斬りかかる。

 状態異常が入り、一瞬だけ動きが止まる。

 

 その瞬間――。

 

 ボスの右目に一本の矢が突き刺さった。

 

「やった。やりました! 当たりまし――」

『まだだ! 相手が消滅するまで油断するな!』

 

 赤ゴーレムはのけぞったものの、まだ消えていない。

 片目に映る暗い瞳は戦意を宿している。

 

『もう一発だ、ユリィ! 見せてみろ。お前の力を!』

 

 赤ゴーレムの攻撃はさらに苛烈を増した。

 ユリィへとその巨体を向けた。

 私はその進路に立ちふさがって、動きを抑える。

 体当たりをシュウで受けるが、体重差はいかんともしがたく足裏が地面を擦る。

 それでもなんとか押しとどめた。

 

「撃ちます!」

 

 ユリィの合図とともに後ろから小さな風切り音。

 それが私の耳横を通り、赤ゴーレムの左目に突き刺さる。

 赤ゴーレムは今度こそ断末魔を上げた。

 

 ボスの体は徐々に光へと消えていく。

 それでも最期まで倒れることはなかった。

 両目に矢が突き刺さったまま静かに、静かに消えていった。

 

 

 

 ボスの消滅により道は開かれた。

 

「姐御、兄貴! 本当にお世話になりました!」

 

 ユリィがそう切り出す。

 

 ああ、そうか。

 ボスを倒したからここでお別れか。

 帰り道は一人で大丈夫か。

 

「まださほどリポップしていないでしょうから急げば問題ありません」

 

 気をつけて帰れよ。

 

『絶対に気を抜くなよ。冒険者にとって最大の敵はモンスターではなく、自らの油断と慢心だ。決して大丈夫だなんて思ってはいけない』

「はい! 家に帰るまで決して油断しません!」

 

 良い返事だ。

 ユリィならソロでも帰れるだろう。

 

『お父さんによろしく伝えといて。また会いに行くってさ』

「わかりました! 伝えておきます!」

 

 …………えっ? あれっ?

 ユリィの父親は死んでるんじゃ。

 そのクロスボウは亡き父の形見じゃなかったのか。

 

『なに言ってるの、ダメ姐さん。ごめんね。ユリィ。うちのは図体ばっかり大きくて』

「いえ。気にしていません」

 

 彼女は困ったようにはにかむ。

 

 えっ、わからない。

 本当にどういうことだ。

 また会いに行くって、何の話をしている。

 もしかして宿屋の親父のことか。

 

『ここまで馬鹿だと憐憫の情さえ芽生えるよ。なんで俺が話したこともない宿屋の親父に会いにいくのさ』

「姐御。僕の父は姐御の靴を。そして、僕のクロスボウを作ってくれた人物。ガルム武具店の店主――ガルムです」

 

 えっ……。えっ! えぇっ!?

 そんな馬鹿な。

 ユリィはドワーフじゃないぞ、あっ!

 

『思い出した? ガルムは人間の女性と結婚してるんだ。ユリィはお母さんの血を濃く受け継いでるみたいね』

 

 いや……。

 いやいやいや。

 それでもおかしいだろ。

 ガルムは息子が一人しかいないって。

 

『メル姐さん。さすがにそれは失礼だ。ユリィは正真正銘の男だよ』

「姐御……。僕、男の子です」

 

 そ、そんな馬鹿な!

 シュウ。お前はいつから気づいていた?!

 

『姐さんこそ、いったいいつからユリィを女だと錯覚していたのさ。最初からか……。確かに見た目が女の子っぽいからね。それでも俺は割と初めからユリィを男って気づいてたよ。股間のセンサーが反応しなかったからさ。あと「ボク」じゃなくて「僕」だし。それに、ダンジョンに入る前にはガルムの息子だともわかってた。だからマジメに指導したんだ。ユリィも気づいてたよね』

「はい。姐御が父の作っていた靴を履いていましたから。父の話に出ていた最近出会ったおもしろい人物だと気づきました。それが姐御ではなく兄貴のほうだとはパーティーを組むまでわかりませんでした。僕、まだまだ未熟です」

 

 たしかにシュウはユリィに対して一度も卑猥な言葉をかけていなかった気がする。

 もしかしてユリィが男だから言ってなかったのか。

 女になら言うってのもどうなんだ。

 変態だからいいのか。

 

 それにしてもだ。

 男と言われても、なお男には見えない。

 本当に男なのか。

 

「触って、みますか?」

 

 ユリィが体の前でもじもじと指をからませている。

 

 ……いや。

 すまなかった。

 私が悪かったです。

 本当に今回は私が悪かった。

 弁解の余地すら与えられないほどだ。

 

「いえ。姐御は悪くありません。僕が男らしくないのがいけないんです」

『ユリィ。君はまったく悪くない。悪いのは全てこの逃げ足だけが取り柄の馬鹿女だ』

 

 今回は反論のしようもない。

 できることがあれば言ってくれ。

 できる限りのことはしよう。

 

『じゃあ、俺を男に――』

 

 テメェは黙ってろ。

 

「では姐御。頼みがあります」

 

 なんなりと言ってくれ。

 

「いつかまた、僕とパーティーを組んでください」

 

 おや、そんなことでいいのか。

 それは私の方から頼みたいほどだ。

 

「はい。今度は間違えようもないほど、男らしくなってきます!」

『ユリィ……。なんて良い子なんだ。姐さんと組ませるのがもったいないくらいだよ』

 

 わかった。

 約束しよう。

 いつか、またパーティーを組もう。

 

「ありがとうございます。それではまた会う日まで――」

 

 ユリィは手を差し出す。

 私もその手を握りかえす。

 ついでパーティーリングを合わせてパーティーを解消する。

 

『また世界を縮めてしまったァ〜』

 

 いちいちうるさい奴だな。

 

 ユリィはボス部屋の入り口に歩き出し、私は反対側の出口に向かう。

 その後もダンジョンを歩き続けた。

 

 ゴーレムと正面から戦うことで初めてパーティーを解消したんだと実感する。

 一緒に戦ってくれる仲間がいるというのはいいものだな。

 そんなことを思ったはずだ。

 

 二日かけてダンジョンを抜けると、鮮やかな緑が広がっていた。

 明るい光に思わず目を眩ませる。

 

『よう、ジョニー。俺たちも凱旋と洒落込もうぜ』

 

 ジョニーって誰だよ。

 

 まあいいか。

 あとは山道をわずかに下り、東へと道なりに進めばエルメルの町。

 

 久しぶりの帰省だ。

 私にとって安らぎの場所。

 母の料理が静かに香り、父の燻らせた煙草の煙が天井を漂う。

 二人はなんと声をかけてくれるだろうか。

 私の帰りを喜んでくれるだろうか。

 

 ああ、そうなんだ。

 私は早く家に帰りたいんだ。

 

『遠きみやこに帰らばや、だね』

 

 気がつくと足早になっていた。

 身で切る風もいつもより軽く感じる。

 

 

 

 こうして私の上級ダンジョン巡りは締め括られた。



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第09話「主をなくしたディオダディ古城」

 一ヶ月半ぶりにエルメルの町に帰ってきた。

 五十日足らずだというのにずいぶんと久しぶりに思える。

 

 家の前にただよう懐かしい臭い。

 ジャガイモのスープだな。

 私の大好物だ。

 

 ノックするか迷ったままの丸めた手でドアを押して敷居をまたぐ。

 

「ただいま……」

 

 声を出すとテーブルに座る人物がこちらを見返してくる。

 

「まあ……まあまあ、メルちゃん! おかえりなさい」

「おお! よく帰って来た! おかえり。メル」

 

 母と父が顔をほころばせ出迎えてくれる。

 

「お帰りなさいメルさん! ほら、いつまでもそんなところに立ってないで座って座って!」

 

 金髪のエルフも満面の笑みで迎えてくれる。

 

 おい待てよ。

 なんでお前がいる。

 

 テーブルには父と母の他にもう一人。

 ゼバルダで別れた引きこもり系魔法使い――アイラがいた。

 彼女は我が物顔でスープをすすっている。

 

『わぁ、アイラたんだ~。おにいたんと再会のちゅっちゅしようよぅ』

 

 久々の帰省は波乱の幕開けとなった。

 

 

 

 部屋には私とアイラ、おまけにシュウが集う。

 椅子に私。ベッドにアイラ。床にシュウがそれぞれ位置する。

 

「どうしてここにいるのか。それを一から説明しなければなりませんね」

 

 引きこもってばかりいたから、また追い出されたんだろ。

 

「それだけではありません」

 

 なんともはや。

 それだけではない、と。

 お前はいったい何をやらかしたんだ。

 

「何もしなかったんです」

 

 ……もう、帰ってもらっていいか。

 

「そう言わないで聞いてください。あれは、メルさんを見送って五分後のことです――」

 

 彼女はことの顛末を本当に一から話し始めた。

 もちろん私は長話が嫌いなので華麗に聞き流す。

 あとでシュウがまとめてくれたものを聞こう。

 

『つまり、里の長老をしてるお爺ちゃんに超上級ダンジョンをクリアしてくるよう頼まれたんだね』

 

 そういうことらしい。

 どうしてこのエルフは一言で終わることを長々と話すのだ。

 百年も生きていると時間に対する感覚が緩くなっているのだろうか。

 

 うん……?

 長老がお爺ちゃん?

 

『メル姐さん。ちゃんと話を聞こうよ。前にも話してたじゃない。アイラたんはエルフの里の跡継ぎ。穀潰しのぼんぼんだよ』

 

 そんな話は聞いた記憶がないぞ。

 

『ゼバルダ大木で、家を追い出された経緯を話してたときに言ってたよ。メル姐さんは俺を踏んでた気がする』

 

 じゃあ、お前を踏んでたんだろう。

 話を聞ける訳がない。

 

「なんという理屈。とにかくですね。南にある超上級ダンジョン――ディオダディ古城のボスを倒してきてくれと頼まれました。長老のお願いは、里では至上命令です。私一人では絶対無理なので、こうやってメルさんのご自宅に伺い帰ってくるのを待っていたんです」

 

 アイラがエルメルの町に来たのはちょうど二日前らしい。

 私が帰らなかったらどうするつもりだったんだろう。

 

 まあいい。

 ディオダディ城には私も行く予定だった。

 アイラならついてこられても問題ない。

 チートを使えば、たいへん優秀な魔法使いだ。

 

 しかし疑問がある。

 果たしてアイラは超上級の入場許可を持っているのか。

 私は上級を三つクリアして、入場許可証を手に入れている。

 彼女はゼバルダ大木で、私と一緒に二つまで手に入れていることは確実だ。

 だが、あと一つはどうなんだ。

 

「問題ありません。超上級の入場許可証はすでに手に入れています。エルフの里の近くにも上級ダンジョン――セルメイ大聖林がありますからね」

 

 なんとそうだったのか。

 エルフの里は人間の立ち入り禁制だからな。

 ダンジョンがあるなんて初めて知った。

 

『ねぇ、アイラたん。上級ダンジョンはあるんだろうけどさ。クリアしてないでしょ』

 

 シュウの言葉にアイラが苦笑する。

 

 どういうことだ。

 お前らはどうにも私の上を飛び越えて会話をする。

 もう少し私にも理解できるように話をしてくれ。

 

『チートなしのアイラたんが上級ダンジョンをクリアできるとは思えない。それくらいは頭の残念なメル姐さんでも思うでしょ』

 

 そうだな。

 私もそう思った。

 でも、パーティーを組めばなんとかなるんじゃないか。

 

『そうね。なんとかなるって言えるなら、わざわざクリアする意味もない。エルフの里は人間の立ち入りが御法度。ってことはギルド職員もエルフでしょ。そして、長老の言葉は絶対。それならさ――』

「エルフの里に不正はありません」

 

 十分すぎるほどよくわかった。

 なんにせよ。超上級に入れるなら何も問題ない。

 

 

 

 次の日。

 アイラは南に向けて旅立った。

 専用の馬車で移動しているらしい。

 良いご身分だ。

 

『俺はぼっちとヒッキーの神髄を味わったよ。出発地点に二人とも居て、目的地も同じ。それなのに現地集合ってどういうことなの……。一緒に行けばいいじゃん。馬車に乗せてくれるって言ってくれてたんだからさ』

 

 私は走った方が速いし早いと主張したものの、アイラが動くのを嫌がった。

 そのためお互いが自身の利益を追求し現地集合で落ち着いた。

 

『「自身の利益を追求」とかカッコよく言っちゃってるけどさ。協調性がないってだけでしょ』

 

 うるさいなぁ。

 誰も不幸になってないんだからいいだろ。

 それに私はやりたいことがあったからちょうどいい。

 

 現在、私はエルメルの町付近にある中級ダンジョン――シルマ神殿にいる。

 一ヶ月半前に挑戦したときは、苦くもクリアした。

 ボスのミノタウロスにはとてもじゃないが勝ったとは言えない。

 そのため、戻ってきたときは今度こそ真っ向から叩きつぶすと決めていた。

 

 あのときとは私の能力プラスもシュウの吸収力も比べものにならないほど上がっている。

 耐性も毒・麻痺・恐怖・盲目・サイレント・催眠と六つに増えているし。

 付与も毒・麻痺・恐怖・鈍化と四つになった。

 盲目・サイレント・催眠は耐性にしかないが、鈍化は付与にしかないらしい。

 モンスターからの鈍化攻撃は蜘蛛の巣など、直接しかけるもののため耐性が存在しないのではないかとシュウは話していた。

 

 耐性と付与に加えて特殊スキルを三つ選択している。

 そう言えば、魔法の散乱と状態異常の伝染はここで選択したんだったな。

 もう一つの特殊スキルは名前こそ気に入らないが、効果は恐ろしいほどに強力だ。

 

 右手にはクロスボウも装備して射手用のスキルも選択している。

 ちなみに憧れていた魔法も選択してみたものの、詠唱が覚えられないことと私の魔力容量が小さすぎることを理由に選択解除されてしまった。

 

 

 シルマ神殿を歩いているが、なぜだか攻撃されない。

 教徒の幻影が魔法をときどき撃ってくるくらいだ。

 リビングデッドは出会い頭に逃げていくし、苦戦した犬どもはそもそも近づいてこない。

 

『やっぱり臭いが原因なのかなぁ』

 

 ……なぜだろうか。

 心理的ダメージが前回よりも大きいぞ。

 

 そんなこんなで、あっさりとボスまでたどり着いた。

 

 前回と同じ演出。

 その後、半人半牛の怪物が巨大な斧を手に襲いかかってくる。

 横薙ぎに振るわれた斧も前回より遙かに遅く見える。

 能力プラスによる動体視力上昇と相手の能力半減により、もはや当たるほうが難しい。

 間合いを詰めて一太刀。

 状態異常が入ったのかミノタウロスが片膝をつく。

 容赦なく、さらに斬撃を加える。

 

『おめぇのターンねぇからぁ!』

 

 シュウの言うとおり一方的だ。

 前回は倒す直前に油断したが、今回は一切の油断はしない。

 万全を期し、容赦なく、全身全霊を持って対峙する。

 

 そして、ミノタウロスは渾身の一突きにより光に消えた。

 

『びゃあ゛ぁ゛゛ぁうまひぃ゛ぃぃ゛ぃ゛。勝利の味だぁ゛ぁ』

 

 ミノタウロスは格下のボス。

 実際はさほどおいしくないだろう。

 それでもシュウは「おいしい」と言ってくれた。

 あと今のさ。どうやって発音してるの。

 同じ声が出せるような気がまるでしないんだけど。

 

『プロのみが出せる熟練の声ってやつだよ。トーシローじゃ無理無駄無謀』

 

 さよですか。

 

 前回は拾うのが躊躇われたドロップアイテムも今日は堂々と手に取る。

 ――ミノタウロスの健康的なハラミ。

 

『バンバンバンバン、ヴァン○ンカン! ウェイ!』

 

 今夜は、焼き肉だ!

 

 

 

 翌々日になって私もエルメルの街を発った。

 途中でアイラに合流し、一緒に歌を口ずさみつつレマンの町に到着。

 さらに馬車を町に置いて徒歩で二日かけてディオダディ古城入りした。

 

 超上級ダンジョン――ディオダディ古城。

 冒険者からは「帰れずの迷宮城」と呼ばれている。

 ダンジョンとしては数百年近くの歴史がある由緒正しいものだ。

 名前こそラビリンス型ダンジョンではあるものの、実のところはフィールド型ダンジョンである。

 ぶ厚い雲に覆われたその地域は鬱蒼とした森が広がる。

 この森もダンジョンに含まれており、内外の明確な境界が存在しない。

 モンスターやボスが外に出てきているのも確認されている。

 つい一週間ほど前にもレマンの町から家畜が消えたらしい。

 

 暗き森の中にぽつりと建てられた城。

 それがディオダディ城。

 かつては名の有る領主が住んでいたようだが打ち捨てられ、人外のものが住み着いてしまった。

 

『やっぱりどこの世界にも吸血鬼っているんだね! わっふるわっふる!』

 

 そう、吸血鬼。

 あるいはヴァンパイア。

 夜の王と称される存在がディオダディ古城のボスに指定されている。

 吸血鬼の見た目が妙齢の麗しき女性と知り、馬鹿が興奮し始めた。

 

 ディオダディ古城はダンジョン指定されているが、正確にはダンジョンではない。

 ボス認定されている吸血鬼も実際のところボスではない。

 そもそも吸血鬼がモンスターですらない。

 人間やエルフ、ドワーフと同じで一つの種族らしい。

 人に多大な悪影響を与えるため、モンスター扱いされてしまったそうだ。

 あまりの強さも相まって半モンスター化してしまった。

 そのせいなのかはわからないが吸血鬼を倒すとアイテムを落とす。

 

 なんにせよだ。

 アイテムを持って帰れば超上級のクリアの証がもらえる。

 超上級クリアの証を二つ集めると極限ダンジョン――神々の天蓋へ入ることができる。

 さっさと倒してしまおう。

 

 出てくるモンスターは吸血鬼の眷属とかいうものだ。

 吸血鬼が血を吸った獣は吸血鬼自らの手足として使えるらしい。

 さらにその手足になった眷属が他の眷属を作り出していき、どんどん増えていく。

 アイラがそう話していた。

 

 コウモリ、鳥、犬、猫といった動物に始まり。

 スケルトンやアンデッドといった不死属も出てきている。

 一体一体の動きも吸血鬼の力を得てただの雑魚ではない。

 これらのモンスターが群れとなって波状攻撃を仕掛けてくる。

 前衛が私たちの足を止め、後衛が魔法を撃つ。やっかいだ。

 

 アイラの魔法は効果が薄い。

 光魔法は有効だが、それ以外で仕留めると敵が消えずに復活するというおまけ付きだ。

 シュウの攻撃は相変わらず効果がある。

 伝染により状態異常が移るため、魔法に気をつけておけばいい。

 右腕に取り付けたクロスボウも数が多くてはあまり意味をなさない。

 シュウもクロスボウは使わないほうがいいと言う。

 せっかくの「方向転換」と「必殺」の組み合わせも、使わなければ持ち腐れだ。

 

 やっかいなのはモンスターにとどまらない。

 罠も今までのダンジョンとは桁違いに多い。

 さらに道も複雑になっている。

 城内に入ってからは部屋に閉じ込められ、モンスターに囲まれることもあった。

 トラップはシュウが事前に気づいて回避できている。

 

『ねえ、メル姐さん。気づい……てるわけないか。アイラたんは気づいた?』

「何にです?」

 

 城内をうろつき、上に上にと進んでいるとシュウがおもむろに話を始めた。

 

『このダンジョン。ちょっと変わってないかな』

「私はゼバルダくらいしか潜ったことがありませんからね。あそこと比べると敵や罠の配置が嫌らしいです」

 

 それは私も感じた。

 今までのどのダンジョンよりも進みづらい。

 

『イヤらしい! うーむ、甘美な響きだ。もっかい。アイラたん。もう一回だけ言ってもらって良いかなぁ』

「やぁん、シュウさんったらぁ。イヤらしぃですぅ~」

『ブヒいぃぃぃィィィィイイ!』

 

 いい加減にしろよ。

 シュウを本気で蹴りつけてから、アイラの頭を叩く。

 こいつらはもうちょっとまともな会話ができないのか。

 

 それで何が変わってるんだ?

 

『……話はアイラたんが起きてからかな。ひとまず支えてあげて』

 

 うん?

 斜め後ろに立っていたアイラをなにげなく向くと、ふらっと倒れかかってきた。

 慌てて受け止める。

 

 なんだっ!

 モンスターの攻撃か!

 

『いや、メル姐さんのツッコミで気を失ったんだ。脳震盪だろうね。もっと優しく、花を愛でるように注意深く小突かないと死んじゃうよ。人間なら死んでたかも』

 

 なんと……。

 かなり弱く叩いたつもりだったが、そんなに強くなっていたのか。

 いやはや。エルフが丈夫でよかった。

 とりあえず、起きるまで待つか。

 

 

 

 アイラが眠っている間、モンスターどもがここぞとばかりに襲いかかってきた。

 片腕でアイラを抱えているため戦いづらい。

 狭い通路だったため敵の攻撃も狭まり助かっている。

 近距離は特殊スキルがあるため問題ないが、遠距離からの魔法がやっかいだ。

 どうにかならないのか!

 

『なるよ! 新しい特殊スキルを選択したから。どんどん敵に突っ込んじゃって』

 

 おお!

 ついに特殊スキルが来たか!

 

 シュウの言葉を信じて敵の一団に突き進む。

 具体的な効果はやっぱりわからない。

 しかし、スキルが発動していることはわかった。

 

 前衛を蹴散らして、後衛のアンデッドに近寄る。

 私が近づいたのにもかかわらず、なにやらぶつぶつと詠唱を続けている。

 これまでも詠唱中の敵に近寄ったことはあったが、その場合の敵は詠唱を止めて逃げるか戦うかをしていた。

 目の前のアンデッドは私が近づいてもなお詠唱を続けている。

 

『詠唱が終わる前に斬っちゃって』

 

 シュウの言葉で我に返り、トドメを刺していく。

 やられる瞬間まで、アンデッドは詠唱を止めなかった。

 

 さて、これは一体どういうスキルなんだ。

 

『相手の詠唱時間を四倍に延長。加えて詠唱中断を禁止。さらに発動魔法の効果を弱化。つまり、魔法を使う敵に対してめちゃくちゃ有利になれる』

 

 相変わらず素晴らしい効果だな。

 これで魔法への脅威が減ったわけだ。

 

 それで、スキル名は?

 

『……詠唱妨害』

 

 嘘、だな。

 シュウは物事をズバッと言う。

 そのクソ野郎がわずかにためらった。

 スキル名は「詠唱妨害」ではないはずだ。

 

 それで、本当のスキル名は?

 

『メル姐さん。大切なのは名前じゃない。効果だよ。だから――』

 

 もう一度しか聞かないぞ。

 スキル名はなんだ?

 

『……音痴ステージⅡだそうです』

 

 ほう、そうか。

 私は音痴ですか。

 ステージツーというのはどういう意味だ?

 

『音痴の度合いだろうね。俺の認識だと、ステージⅠはちょっと下手で楽しさのあるもの。本人も音痴だと気づいてる。ステージⅡは本人に自覚なし。ド下手。ノイズィー。やかましい』

 

 そうかそうか。

 私の歌はうるさいですか。

 ごめんね。道中で一緒に歌ったりして。

 

『お、落ち着いてメル姐さん。ステージⅡはまだいいよ。上にはステージⅢってのがあるんだ。歌うと周囲の人間が倒れるレベル。ウェポン――えっと、兵器って呼ばれるやつだね』

 

 それさ。

 ひょっとして励ましてるの?

 

『いやね。俺はメル姐さんの歌好きだよ。ほら、道中でアイラたんとも一緒に歌ったじゃない。きっとアイラたんも楽しかったはずだよ』

 

 私の歌が好き?

 うるさい歌が好きなのか。

 

『どんな歌だって大声で歌えばうるさくなるよ。それに歌は魂でしょ。うまい下手なんて後付けの飾りです。神様にはそれがわからんのですよ。うまいだけで楽しさのない歌にいったい何の価値がありましょう』

 

 歌はうまい下手ではない、か。

 魂ねぇ。

 

『……そう。そうだよ。それに俺を転生させたロックな神様も歌ってたけどさ。あいつの歌もなかなかだったよ!』

 

 神も歌うのか。

 やっぱりうまいものなのか。

 

『いやいや。なんだか叫んでるだけで、なぁんにも伝わってこないんだよね! 本人はノリノリみたいなんだけどさ。メル姐さんよりもひどい。近くにいるのが苦痛なレベル!』

 

 神でも下手なのか。

 それなら私の歌はいいほうかもしれないな。

 

『姐さんの歌は一緒にいて楽しいよ! 姐さんがステージⅡなら、あの音痴な神様の歌はステージⅢなんじゃないかなぁ~! それとも神の歌だから人間には理解できなかったのかなぁ!』

 

 シュウはやたら大きな声で喋っている。

 まるで誰かに聞かせているようだ。

 

『メル姐さんのは楽しい歌だと思うけど、これを音痴としちゃってもいいのかなぁ! そうしたら神様はいったい何になっちゃうんだろう! 熱いハートを叩きつけるのが歌だと思うんだけどなぁ! っと…………お、おおぉ! すげぇ! でっすよねぇ!』

 

 叫びだしたと思ったら、今度は感嘆の声をあげ始めた。

 

 お前。

 ほんとにちょっと大丈夫か。

 さっき強く蹴りすぎたのが今ごろになって頭にきちゃったのか。

 

『メル姐さん。さっきのスキルは間違いだったみたいだ』

 

 ……どういうことだ。

 

『いやぁ~、不幸な手違いがあったんだよ。神様が名前と効果を間違えてたっぽい。修正されたスキル名は「歌は魂のシャウト!」。シャウトってのは叫びね。それで、効果はさっき説明した「相手の詠唱延長・詠唱中断禁止・魔法効果の弱化」に加えて、「魔法効果倍増と魂発散」がついちゃった。メル姐さんの歌を聴っけぇぇえ!』

 

 どこから突っ込むべきだ。

 ……あまりいろいろと言わない方がいいか。

 取り消されてもいやだし。

 

 とりあえず魂発散ってなんだ。

 想像できないんだが。

 

『吸収力増加とのけぞり付与だってさ。攻撃した周囲の敵ものけぞるらしいよ。ゾクゾク美ィ!』

 

 よくわからないけど、強くなったらしい。

 ロック(?)な神様ありがとう!

 

 

 

 アイラを片腕に抱えて進む。

 意匠をこらした大きな扉。ボス部屋だろうな。

 水を飲んで休憩していると、ようやくアイラは目を覚ました。

 

「なんだか頭が痛いです」

『すぐよくなるさ。それまでいい子にしてお話でもしよう』

 

 すでにボス部屋の前なんだが、このダンジョンはいったい何が変なんだ?

 

『進みづらかったのはメル姐さんも感じたよね』

 

 ああ。

 アイラも言ったように嫌な位置に罠や敵が配置してあったな。

 

『そうだね。でも、殺気はなかったよ。生きてここに誘導するよう仕掛けてあった。それになんだか俺たちの反応を見て遊んでるようだったね。あと、ずっと見られてた。コウモリかなにかを使ってるのかな。ここに来てからは視線がなくなったね』

 

 誘導されていたのか。

 どうしてそんなことをする。

 それにここに来て視線を感じないというのはどういうことだ。

 

『二つ目の問いに対する答は、この扉の先に見ていた張本人がいるから。一つ目の問いは、なんだろうね……一緒に遊んで欲しかったのかな。まぁ、本人に聞いてみればいいんじゃない』

「そうですね。それじゃあボス戦の作戦会議といきましょう」

 

 そうだな。

 なんにせよ、ボスを倒せばそれでいいのだ。

 小難しいことはあとで考えよう。

 

 

 

 作戦がまとまったところで扉を押す。

 

 ボス部屋は奥に長細いようだ。

 赤絨毯が扉から奥へと伸びている。

 絨毯を挟むように燭台が列をなし、手前から徐々に火が灯っていき部屋を照らす。

 

 部屋の奥には大きな椅子があった。

 そして椅子にかける人影が一つ。

 顔は薄暗くてよく見えない。

 

【ようこそ、妾の城へ。ここまでたどり着いた客人は数年ぶりじゃ。歓迎しよう】

 

 若々しい女性の声だ。

 どうやってるのかは知らないが、シュウと同じように頭に直接響いてくる。

 その人影に右腕を向ける。

 

『もうちょい右。もう少し上だね。もうちょい……はい、ストップ。発射』

 

 シュウの声で腕の位置を調整し、クロスボウから矢を射出。

 ディオダディ古城に着いてから、このクロスボウを使うのは初めてだ。

 方向転換で矢は当たってくれるが、できるだけスキルを使わずに当てたいのでシュウが位置を調整してくれている。

 

 放たれた矢は、きれいな弧を描いて椅子に座った人影の眉間へと突き刺さる。

 スコン、といい音がした。

 

【ふふ、吸血鬼たる妾がこのような矢で……ほえっ! あれえっ!】

 

 矢が刺さってもおしゃべりを続けていたが、驚愕の声とともに吸血鬼は光に消えていった。

 眉間に刺さった矢が床に落ちる。

 絨毯が敷かれているため音はしない。

 椅子の上にはドロップアイテムの光だけがきらりと残った。

 

 勝った……。

 

「倒しちゃいましたね」

『まさに一進一退の攻防だったねぇ』

 

 吸血鬼は正確にはボスじゃない。

 ボス属性は備わっていないという推測は見事に的中した。

 その結果、「必殺」により一撃死。

 

 吸血鬼戦は私たちの無血勝利で終わった。

 

 

 

 さて。思い出して頂きたい。

 冒険者がこのダンジョンをなんと呼ぶか。

 

 ――帰れずの迷宮城だ。

 

 どうしてここがこの名で呼ばれているか。

 モンスターや罠が多いからではない。

 ボスが単に強いからでもない。

 

 吸血鬼の復活速度が尋常でないことに起因している。

 倒された吸血鬼が何度でも復活し、冒険者が日の当たるところに出るまで追ってくる。

 さらにこの城のトラップは帰り道がよりつらくなるように仕掛けられているらしい。

 

 そう。

 このディオダディ古城はボスを倒してからが本番なのだ。

 

 ドロップアイテムを拾ってボス部屋を出ようとすると、後ろから物音が聞こえた。

 

【ふっ、ふふ。妾が一撃で倒されたのは、いったい何十年ぶりじゃったかな】

 

 振り返るとすでにそこには人影が現れていた。

 燭台の火も全て灯り、はっきりとその姿が露わになっている。

 

 背は高くない。

 アイラよりもなお低い。

 見た目だけなら十歳くらいに思える。

 髪は踵につくほど伸びており、真っ白だ。

 口元から見せる異様に尖った歯だけが容姿から浮き、似つかない。

 

【うぬらの血で妾の髪を赤く染めさせてもらおうか】

 

 吸血鬼は堂々とこちらへ歩み寄る。

 

『はぁ、ロリガキ……しかもペチャパイ。確かに妙齢で麗しくはある。でも、まったくもってそそられん。メル姐さん。もう撃っちゃってよ』

 

 なんだかシュウは落ち込んでいる。

 

 吸血鬼が復活することは知っていたので、すでにクロスボウに矢を用意している。

 矢は腕から放たれ、小気味よい風切り音を立て吸血鬼に向かう。

 

【遅いわっ!】

 

 吸血鬼は長い髪をたなびかせ矢を優雅に避ける、が――、

 

【なっ! がぁっ! ば、馬鹿な!】

 

 スキル「方向転換」で反転するように曲がった矢を背中に食らった。

 そして、またもや光に消えていく。

 ドロップアイテムは出てこない。

 一度しか落とさないようだ

 せこいな……。

 

 

 ボス部屋から出て、シュウの指示で罠を回避しながら進む。

 城の入り口まで戻った。

 広いフロントの正面扉の前。

 小さな少女が大きな扉の前に鎮座している。

 

【なんじゃ。なんなんじゃうぬらは。妾を一撃で倒し、罠にもまるでかからん。そんなもの、ここ百年はおらんかったぞ!】

 

 なんだか顔をほころばせ楽しそうに話している。

 とりあえずクロスボウを向けて発射。

 

【ふん!】

 

 吸血鬼は矢をつかみへし折った。

 自身の体を確認し消えていかないことをぺたぺた触って確認している。

 確認が終わるとなにやら得意げな顔で私たちを見てくる。

 ちょっとかわいい。

 

【どうだっ! 見たかっ! これが――】

「消えてください!」

 

 アイラが詠唱一時停止で保留していた光魔法を発動させる。

 目の前に現れた一点の光源。

 そこから吸血鬼へと光が照射される。

 

【うわ、まぶしっ】

 

 私と同じ感想を残して、吸血鬼は扉とともに蒸発した。

 

 よかった。

 扉を開ける手間が省けた。

 

 

 帰り道の森。

 開けたところで大量のモンスターに囲まれた。

 

【や、やるのう! こ、ここ、こんなにあっさりと三度もやられたのは数百年ぶりじゃ!】

 

 吸血鬼の声に焦りが現れ始めた。

 しつこいなぁ。

 

【うぬらに敬意を表し、妾の最強闇魔法で消し去ってくれよう!】

 

 モンスターの外から声をかけているらしく、吸血鬼の姿は見えない。

 

〈しいぃんえぇんにあぁるぅうわぁれらぁがおぉうよぉ――〉

 

 なんだかとてもゆっくり詠唱している。

 

『さっき手に入れたスキルで詠唱時間が四倍だからね。詠唱は四分の一倍速で詠まれるんじゃないかな』

 

 詠唱の声に焦りがありありと出ている。

 詠唱中断禁止で無理矢理詠唱をさせられているようだ。

 なかなかひどいスキルだな。

 

 ひとまず私たちを囲んだモンスターをアイラの魔法とシュウで処理する。

 

〈こおぉんげえぇんたあぁるやぁみのすぅみくわぁに――〉

 

 雑魚を全て片付ける。

 私たちから離れたところに白髪の少女が立っていた。

 顔を引きつらせて私たちを見ている。

 それでも詠唱を続けている。

 否。続けさせられている。

 いま楽にしてやるからな。

 

 近づくのも面倒だったためクロスボウを撃った。

 

『エ゛ェェイ゛ィメン゛ッッ!』

 

 矢は一度だけ曲がり、吸血鬼の左胸をストッと射貫く。

 少女は光へと消える最期の瞬間まで詠唱を続けていた。

 

 

 ちょうど森を抜けたときだ。

 あとは歩いて帰るだけ。

 そんなことを思っていた。

 

【待てい……待つのじゃ。何なんじゃ。いったい何なんじゃ! うぬらは! このような屈辱。千年はなかったぞ!】

 

 声が聞こえた。

 しかも、お怒りのようだ。

 声は頭に響いてくるので確かとは言えないが、なんとなく背後だと思った。

 案の定、後ろから白髪の少女がこちらをじとりと見ていた。

 顔が最初よりも痩せている気がする。

 なんだかお疲れですね。

 

 クロスボウを撃とうと思ったが、矢がないことに気付いた。

 

「消え去れ!」

 

 アイラが光魔法を発動させるが、吸血鬼のほうが速い。

 背中に生えた翼で空を駆る。

 光源を大きく回り込むよう旋回し、光の照射を回避する。

 

【フハハ! 最後に立っていたものこそが勝、うぇ!? ぐぁげっぇぎょぶぇぉじょう゛ぁ――】

 

 空から近づいて来たところで特殊能力解除が発動。

 背中に生えた翼がなくなり、あえなく墜落。

 勢いのまま地面をみじめに五回転。

 

 私の横をごろごろと通り抜けて転がっていく。

 なにが起こったのかわかっていないのか、頭をふらふらさせている。

 

 ちなみに吸血鬼は私の目の前。

 倒れたままのうつぶせで背中に手を回している。

 先ほどまで生えていた黒っぽい翼を確認しているのだろう。

 

 そのままシュウで吸血鬼の手ごと背中を突き刺す。

 地面に串刺しだ。

 

『No、ロリータ。Yes、タッチ』

【ぐぎゃああ! 痛いィ! いたひぃよぉぉォォ! なんでェェ翼がァァ! 変身ができないぃのぉじゃぁぁ!】

 

 吸血鬼は泣き叫び、必死にもがいている。

 片手を封じられ、もう片方の手でシュウを抜こうと必死だ。

 串刺しにされても口が動くあたり、さすが吸血鬼と言ったところだろう。

 見ていて痛々しいので抜いてやりたいのはやまやまだが、残念ながらそれはできない。

 

『まあ、落ち着けよ。ロリババア。俺のぶっといのが刺さってるからって、泣きわめくんじゃない。いい年だろ』

【なんじゃ! なんなんじゃ、この声は!】

『俺、俺。お前のペチャパイを貫通してる卑猥な一物だよ。見えるかな? それが俺』

 

 吸血少女が顔を上げて私に確認を求めてくる。

 私はうなずき、いつの間にか隣に立っていたアイラも頷く。

 

【け、剣が喋ったぁぁぁーー!】

 

 なんだろうな。

 シュウに対して今までで一番常識的な反応を示したのが吸血鬼ってどうなんだ。

 普通はこれくらい驚くものじゃないのか。

 

 エルフはちょっと不安がってたのに、すぐ順応しておしゃべりを楽しむし。

 ドワーフは驚かず猥談に花を咲かせるし。

 ハーフなドワーフはちょっと驚いたものの、尊敬し始める。

 どいつもこいつも驚きが足りないと思っていた。

 

 これだよ。

 これなんだよ。私の欲しかった反応は。

 こいつが吸血鬼じゃなかったら、握手を求めているだろう。

 

 

 シュウをいったん抜いて、吸血少女を仰向けにする。

 その後、アイラの土魔法で吸血少女の手足と胴体を止める。

 シュウも肌にかする程度で刺して、会話ができるようにした。

 私が近くにいれば、能力半減と特殊能力解除で逃げられることはない。

 さらに土魔法で硬く固めてからこのまま立ち去ることにした。

 

【妾は何度でもよみがえる。ぬしらをどこまでも追い続け、八つ裂きにしてやるからな!】

 

 シュウを抜いたところでようやく意識が落ち着いたのか恨み言を口にし始めた。

 

『ほんとによみがえるかなぁ~』

【ど、どういうことじゃ?】

 

 吸血少女はなにやらシュウをやたら怖がっている。

 千年以上も生きてきてお喋りをする武器を見たことがないらしい。

 

 まあ、それもそうか。

 少女にとってシュウは未知の存在だ。

 怖がるのも無理はない。

 

『お嬢ちゃんがよみがえるのはたぶん特殊能力だよ。わかってくれてると思うけど、俺は特殊能力を解除する。今んところ、矢と魔法で特殊能力解除の範囲外で死んでたからよかったけど、この距離で死んだらよみがえれるかなぁ? 試してみよっか』

「そういえばそうですね。消滅すれば別のドロップアイテムが手に入るかもしれませんし、レマンの町も襲われることはなくなるでしょう。良いことづくしです」

 

 シュウの提案にアイラは乗り気だ。

 別のアイテムが手に入るならそれも悪くないな。

 

【い、いやじゃ。きえ、消えたくない。妾は……まだ消えとうない】

 

 吸血少女は涙目になっている。

 どうやらシュウの言葉を信じているらしい。

 

 実際に背中の翼は消され、変身とやらもできなかったそうだし。

 一撃死、方向転換、詠唱延長、詠唱中断禁止、一時停止からの光魔法、そしてお喋りな剣。

 どれも今まで目にしたことがないだろう。

 消滅するという推論もあながち外れていないと考えられる。

 吸血少女が自身が消えると信じるのも無理はない。

 そして、実際に消滅するんじゃないだろうか。

 

「大丈夫です。たとえあなたがここで消滅しても、第二・第三の吸血鬼が現れますよ」

【それ妾じゃないよね! 今ここにいる妾はどこに行くのじゃ?!】

 

 アイラは大げさに首を振る。

 

「わかりません。ですから、一緒に実験しましょう! 大丈夫。私は長生きですからね。消滅しても、来世があれば会えるかもしれませんよ」

 

 吸血鬼が泣き叫び始めた。

 必死にもがくものの、もはや逃れることあたわず。

 

【鬼いぃぃぃ! 悪魔あぁぁ! 化け物ぉぉ! この人でなしっ!】

 

 罵詈雑言を口走り始めた。

 いよいよ消滅の時間が近づいて来たな。

 

『おいおい、がきんちょ。人でなしとかなに言ってんのさ。よく見てみ。ここにいるのは聡明な言葉を発する剣、ヒッキー魔法オタエルフ、愚かな甘ちゃんぼっち。どこに人がいるって言うんだ?』

【う、うぬぅ……】

 

 いやいや待てよ。

 待て待てよ。待ちなさいよ。

 ねぇ、人間はちゃんとここにいるよ。

 愚かな甘ちゃんぼっちは遺憾なことに人間でしょ。

 

 おいコラ吸血少女。

 お前もなに「うぬぅ」とか認めちゃってるの。

 ちゃんとその長生きした頭で判断しようよ。

 私、うっかりお前を消しちゃうよ。

 

「では、せめて痛みがないように一瞬の死で見送りましょう。シュウさん、高速詠唱の解除をお願いします」

 

〈天にある光は、すべて大地を照らし、平等に降り注ぐ――〉

 

 アイラが詠唱を始める。

 高速詠唱を外して、わざわざゆっくりと唱えている。

 まるで別れの言葉だな。

 

【ぃやじゃ……。いやじゃいやじゃ! 死にとうない! 消えとうない!】

〈神々の作り出した糸は重なり合い、やがて一本の柱と化す――〉

 

 吸血少女の目尻から次々に涙が溢れては頬を伝って落ちていく。

 

【妾が何をしたって言うのじゃ! 普通に生きて、普通に暮らし、普通に遊びたかっただけなのに! それを認めず、あんな城においやったのはうぬらではないか!】

〈地に生きるものたちよ。忘れるなかれ。柱にこめられし神々の想いを――〉

 

 アイラは淡々と詠唱をしていく。

 吸血鬼はただごめんなさいごめんなさいと何かに謝り続けている。

 

 何分か経ってようやく詠唱が完成したらしい。

 杖の先から出た光が空へと向かう。

 すぐに光は小さく見えなくなった。

 

 最初の変化は雲だ。

 厚く覆っていた雲が渦巻き、その中心から空が見えた。

 しかし、空は青くない。

 真っ白だ。

 天の全てが光に包まれている。

 

「光になれ――」

 

 雲の合間から見える光がよりいっそう強まった。

 

【なあ、そこな人間……。来世があるなら、妾と一緒に、遊んでくれるか?】

 

 すでに生を諦めたのか。

 静かに問いを投げかけてきた。

 

 ――私の答は「いいえ」だ。

 

 吸血鬼に同情してしまうなんてな。

 やっぱり私は馬鹿で甘ちゃんなんだろう。

 

 地に刺さっていたシュウを抜く。

 

「シュウゥゥゥッッ!」

『超! エキサイティン!』

 

 吸血少女から逃げるように駆ける。

 能力解除さえなければ、吸血少女は復活できる。

 能力の有効半径から逃れるように駆け抜けた。

 背中に膨大な光が当たり、私の影が進路方向の光を切り裂いている。

 

 振り返り地上にできた光の柱をみつめる。

 そこにはただ光があるだけで他のものは確認できない。

 私は間に合ったのだろうか……。

 

 

 

 十日後。

 私はエルメルの町に戻ってきた。

 ディオダディ古城の主が城に帰ることはなかった。

 冒険者からの呼称の通り、主が帰らずの迷宮城となってしまった。

 主を失ったディオダディ城は長きダンジョンの歴史に幕を下ろすこととなった。

 

 アイラもお使いを済ませて、満足そうにエルフの里に帰っていった。

 早く引きこもりに戻りたかったのだろう。

 

 次は東の超上級ダンジョンに行くことになる。

 

『メル姐さん。そろそろいいんじゃない』

 

 おっと……本当だ。

 もういい時間だな。

 

 もういいか!

 

 外に向かって声を張る。

 暇そうだからと近所のガキどもの相手をさせられている。

 俗に言う「かくれんぼ」というやつだ。

 

 まーだだよ。

 もういいよ。

 と次々に声があがる。

 その中に一つだけ異質な声がある。

 

【まーだだぞ!】

 

 直に頭へ響いてくる声。

 人間の寿命は吸血鬼と比べればはるかに短い。

 吸血鬼の来世など何百年後になるかわからない。

 私は愚かだ。吸血鬼の来世を待てるほどできた人間じゃない。

 ――だから、今世でできるだけ遊んでやることにした。

 

 シュウは私が吸血少女を助けると予測していた。

 私が走り出す前には特殊能力解除のスキルを外していたらしい。

 まったくもって食えない奴だ。

 

 

 

 吸血鬼の居候が増えたことをもってディオダディ古城の攻略は終了となった。



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第10話「アラクタル迷宮とその周辺 前編」

 迷宮都市アラクト。

 みんな大好き冒険者ギルド発祥の地として有名だ。

 都市ができたのは二千年くらい前だったじゃないだろうか。

 

『約千二百年前ってアイラたんが言ってたよ』

 

 ……二はあってるんだから二千でも千二百でもどっちでも似たようなもんだろ。

 そんな他愛ないことをぐだぐだ言いつつ長い歴史を持つ都へと私は足を踏み入れた。

 

 エルメルの町から東に二十日と数日。

 チートを使ってこの日数だ。馬車なら一ヶ月はかかるだろう。

 村越え、川越え、丘越えてとうとう来てしまった冒険者の聖地。

 

 都市というだけあって大きさも今までに訪れた町の比ではない。

 明日から三年に一度の闘技大会が開かれるとあって人の数もすさまじい。

 こんな大量の人ごみにいたら立ちくらみしそうだ。実際に少し酔ってきた。

 裕福なお坊ちゃんやお嬢様を対象にした教育施設もあるらしく、同じような服を着た子供が目につく。

 奴隷の売られている通りもある。

 

『学園に奴隷に闘技大会! う~ん、イベントが目白押しだね。まあ、メル姐さんには関係ないだろうけど』

 

 その通り。

 私にはまるで関係がない。

 

 学園には接点がまるでない。

 奴隷を買うほどのお金もない。

 そもそも奴隷は必要としていない。

 必要ないものはあっても邪魔なだけだ。

 闘技大会はそもそもエントリーすらしない。

 視線を自ら浴びに行くなんてまっぴらだ。

 人々が闘技大会に集まっている間が絶好のチャンス。

 がら空きのダンジョンに潜ってさっさとクリアしてしまおう。

 

 

 

 ファナ――そう名付けられた吸血少女は家に置いてきた。

 置いてきたというよりも、「近所の子供たちと遊ぶのが忙しい」と言ってついてこなかった。

 

『吸血鬼ですら友達ができるっていうのになぁ。ったく、世知辛い世の中だぜぇ』

 

 町に連れて帰ったのはいいものの、まともな生活ができるか心配だった。

 そんな心配は杞憂に終わった。

 

 パーティーリングを嵌めることで、モンスター専用スキルが選択できたらしい。

 「種族弱点無効化」により日光浴を楽しみ。

 「遠隔操作」によって私から離れてもスキルを継続するため、彼女は白昼堂々と町を闊歩している。

 ご飯も普通に食べることができていた。

 生活における力加減も上手だ。

 

 困ったことに私を「あるじ」と呼び始めた。

 呼び方や話し方は敬っているようだが、なんだろうか……。

 むしろ馬鹿にされている気がする。

 

『おっ、鋭い。メル姐さんが顔を逸らしてるときに、クセェって鼻つまんでたよ』

 

 そんな情報は知りたくなかったよ。

 あのガキャ、帰ったらしばいてやる。

 

 念のために言っておくが、ファナと私は仲が悪い訳ではない。

 近すぎず遠すぎずという心地よい位置を保っている。

 ただ次に帰ったとき、どうなるかはわからない。

 

 私には慇懃無礼な一方で、ファナはシュウを神の使いと崇めている。

 朝と夜には、涙を流しながら感謝の言葉を述べる姿も見ることができる。

 膝をつき顔を伏せて、両手を胸の前に捧げての完全な隷従姿勢。

 未知との遭遇は吸血鬼に畏怖を生じさせ、恐怖を通り越して信仰に押し上げてしまった。

 確かにシュウは神の使いで間違いないのだろうが釈然としない。

 

 話を戻そう。

 生活が心配だったファナだが、至って普通の生活を送っている。

 家事を手伝い両親からも可愛がられているし。

 子供の遊び相手や長生きして得た知識を人に振る舞うことでご近所からの信頼も勝ち得た。

 さらに様々なクエストやはぐれモンスター掃討に参加するなどギルド、ひいては町での地位を築き始めている。

 私よりもエルメルの町に溶け込んでしまった。

 いったい私は二十年近くも何をやっていたんだろうか。

 

 そう。あれはファナと一緒に町のギルドへ行ったときだ。

 観衆がファナを見てぱあぁと顔を明るくし、遅れて入った私を見て顔色を沈ませた。

 その中には、うっかり私が腕を折ってしまったむさ苦しい男がいた。

 目が合ったので「あのときは済まなかったな」という含みをもたせた笑みを見せると、男は椅子から転げ落ちて奇声を発しながら謝ってきた。

 居たたまれなくなりファナだけ残して、ギルドをそっと退出。

 その後、背中にぶつかってきた楽しげな喧噪の圧力をいまだに忘れることができない。

 

『……メル姐さん。その話はもうやめよう。ほら、今日は旅の疲れもあるからね。おいしいご飯を食べて、軽くお酒でも飲んでさ。胸やらふとももに俺を挟んで、暖かいベッドで一緒に休もうよ』

 

 そうだな。

 なんだか落ち込んできた。

 ダンジョンは明日からにしよう……。

 それと、お前の寝場所は床に決定したからな。

 

 

 

 とりあえず宿を取る。

 どこもかしこも一杯一杯だった。

 五件目にしてようやく部屋を確保できた。

 冒険者ギルドとの連携経営をしているところだ。

 超上級冒険者特権を使ってのごり押しだが、有るものは使うべきだろう。

 最上階の二部屋ぶち抜いた広々とした部屋。

 金銭的には余裕があるため問題ないが、広すぎて落ち着かない。

 

 宿の前にある酒場で夕飯を取ることにした。

 カウンター席に座り、駆け回る女給に食事と酒を注文。

 周囲が盛り上がっている中、一人黙々と出てきた料理を貪る。

 

 食事を済ませ酒をちびちび飲んでいると隣の席に男が座る。

 がたいの良い男は酒とつまみを注文すると、一人ぶつぶつと話し始める。

 気持ち悪い奴に座られたなぁと思いつつ周囲を見るも、他に空いている席はない。

 

「――なんだが……。聞いてるか?」

 

 男が首をぐるりと私へ回し問いかける。

 くすんだ赤毛と顔のそばかすが印象的な男だった。

 

 ……あれ?

 もしかして独り言じゃなくて私に話していたのか。

 どうやらずっと私と喋っているつもりだったようだ。

 

 でか男はエイクと名乗った。

 この町で冒険者をしているらしい。

 馬鹿でかい図体に似合わずかなりのおしゃべりだ。

 私が適当に相づちを打っているだけで、ぺちゃくちゃ喋ってくれる。

 

『大丈夫。こいつはメル姐さんに害をもたらさない』

 

 初めはエイクに警戒していたシュウも、今では無害認定を下している。

 それもそうだろう。

 

「いやぁ、ビスは本当にかわゆい奴でなぁ。家に帰ると『おにぃちゃん』って駆け寄ってくるんだよぉ。その笑顔といったらもう! 日の光に陰りを覚えるほどまばゆいものでなぁ! 今は学園の初等部に通っているんだが、他の奴らと同じ制服を着てるはずなのに……なぜだろう。ビスだけ輝いている。わかるか? ビスは天使なんだよ! 明日の闘技大会もおめかしして応援にきてくれるって言ってるんだ。おめかしなんてしなくても十分かわいいのに、あれ以上かわいくなったらもう駄目だろ~!」

 

 お前がもう駄目駄目だよ。

 

 ビスというのはエイクの妹だそうだ。

 彼はずっと妹の素晴らしさについて口を動かしている。

 最初は闘技大会の話題だったはずだが、酒が入ると妹語りになった。

 ひたすら彼が妹をどう見て、どう思って、どう扱っているのかをべらべら喋っている。

 

 つまるところだ。

 このエイクという男は筋金入りのシスコンだった。

 ロリコンの次はシスコンですか。嫌になってくるな。

 

 てきとーに相づちを打っていたのがよくなかった。

 エイクが酒を次々に注文して、話はさらに盛り上がりを見せる。

 彼が盛り上がれば盛り上がるほど、私は盛り下がっていく。

 シュウもうんざりして、さきほどから閉口している。

 こういうときは喋ってもいいんだよ。

 

 ――そして、シスコンは潰れた。

 カウンターに突っ伏していびきをかいている。

 無精髭の似合うマスターがやってきて同情された。

 こんなシスコンでも冒険者としてはたいへんに優秀だそうだ。

 超上級パーティーの一流剣士で、闘技大会での剣士部門と総合部門の優勝候補にも上がっている。

 ただ、酒が入ると本性が目覚め暴走を始めて勝手に自爆する。ごらんのありさまだよ。

 明日の闘技大会は大丈夫なのだろうかと心配したが、朝には完全復活するとマスターは話していた。

 

 もう夜も遅い。これ以上は明日に差し支える

 宿に帰ろうとして勘定を払おうとするとマスターに止められた。

 話を聞いてくれた人間にはエイクが払うという暗黙の了解があるらしい。

 妄想ダダ漏れの話を長々と聞いてくれたぶんの報酬ということだ。

 そういう大切なことは先に言えよ、このシスコン。

 それならもっと高い酒を注文したのに。

 

 

 

 翌日早朝。

 私はギルドに赴いた。

 人は少ない。冒険者も職員も闘技大会のほうに回されているのだろう。

 ありがたいことだ。

 窓口からダンジョンの情報を購入してダンジョンへ向かった。

 

 アラクタル迷宮。

 迷宮都市アラクトの地下にある大迷宮だ。

 正確にはアラクタル迷宮の上に都市アラクトが築かれた。

 名前の通りラビリンス型ダンジョン。

 下へ下へと潜る構造となっている。

 

 全百階層。

 一から十階層が初級。

 十一から三十階層が中級。

 三十一から六十階層が上級。

 六十一から百階層が超上級だ。

 

 各クラスの最深部にボスがいるのは当然だが、五階層ごとに中ボスもいる。

 ダンジョンは五階層ごとに挑戦者の達成状況を記憶する。

 五の倍数の階層で脱出できる。

 すなわち、中ボスやボスの扉の前で抜けられるらしい。

 途中で抜けても五の倍数に一を加えた階層から始めることができる。

 

 超上級をクリアしたパーティーはギルドに殿堂入りされるらしい。

 最後に超上級が制覇されたのは百年以上も昔のことだ。

 そのときのパーティーは伝説の扱いとなっている。

 ……ソロでクリアするとどうなるんだろう。

 

 このダンジョンの面倒なところ。

 それは、初めての人間は一階層から挑まなければならないことにある。

 ゼバルダ大木のように各階級用の入り口は存在しない。

 どんなに強くても初級から。

 ただし例外が二つ。

 

 一つ目。

 四人以上のパーティーを組む。

 三人が経験者で一人が未経験者なら途中から挑める。

 しかし、この時期にダンジョンへ潜ってくれる物好きな超上級者などいない。

 そんな強者は闘技大会に出張ってるだろう。

 

 もう一つの手段は奴隷。

 奴隷は物扱いされるようで、四人以上でパーティーを組まなくても連れて行くことができる。

 連れて行くと言うだけあって、持ち主のダンジョン経験に依存する。

 超上級者の奴隷を買っても、私が超上級から挑めることはない。

 

 もし途中から挑めるとしても奴隷を買えるほどのお金は持っていない。

 仮に買えるほどのお金があったとしてもやっぱり買わないだろう。

 

『そうだよね。買っちゃうと一緒に潜ってくれる仲間がいないって認めちゃうことになるもんね』

 

 そんなことないよ。

 私にだって潜ってくれる仲間はいる。

 ……ここにいないというだけだ。

 

 見えない鼻で笑われた。

 ほんと、いちいち癇に障る奴だな。

 

 

 面倒なのはそれだけではない。

 内部の構造が不定期に変わるのだ。

 そのため、マップが販売されていない。

 どんな種類の罠があるのか。

 各階層でどんな敵やボスが出てくるか。

 できる限りの情報をギルドで購入してきた。

 なんとか今日中に上級はクリアしたい。

 

 逆に良いところは安全性がそこそこ高いところだろう。

 初級と中級では即死しないかぎり、ダンジョンから排出される。

 武器と防具はダンジョンに飲み込まれるが、生きて帰れるならまだチャンスがあると言える。

 

 さらにだ。

 冒険者から飲み込んだ武具やアクセサリーがアイテムとして設置される。

 このアイテムはダンジョンを通したことで特殊な効果が加わり、元のものより強くなるらしい。

 いわゆる魔装具と呼ばれ、非常に高価なものとして取引される。

 

 安全性が高いとは言っても、今の私が初級や中級で倒れるとは考えづらい。

 状態異常には耐性があるし、モンスターは一刀のもとに両断。

 落ちている魔装具もチートほど良い物ではないだろう。

 かさばるし、よほどいいものでない限り放置の方向だ。

 

 とりあえず、初心に戻り一から攻略していく。

 

 まず、初級。

 ゆっくり進んでいたがまるで問題ない。

 ときどき行き止まりにぶつかりながらも下へ下へと順調に進んでいった。

 罠の数も初級のためか少ない。

 中ボスとボスも近づいて一振りで終了した。

 

 次に中級。

 初級に同じ、としか言いようがない。

 同じような構造で飽きてきた。

 罠が多少多くなっているようだが、注意していけば問題ない。

 魔装具も見つけたが、鎧はあまりにも重いので置いてきた。

 雑魚モンスターはもちろんのこと、中ボスやボスも一撃だ。

 

『このダンジョンつまんないね』

 

 シュウもなんだか退屈そうだ。

 初級や中級なんだから仕方がないだろう。

 

『難易度のことじゃないよ。このダンジョンはさ。ほんとにただのダンジョンなんだ』

 

 何となく言わんとしていることはわかる。

 このダンジョンはなんだろうな。

 おもしろくない。

 

『そうなんだよね。特徴がない。今までのダンジョンはそれぞれ個性があった。ダンジョン固有の地形に、敵や罠。侵入者への対策が意図して組まれてた。ダンジョンの意志とでもしようか。でも、このダンジョンにはそれがない。ただ機械的に罠やら敵が置かれているだけ。まるで……』

 

 シュウはそこまで言うと考え込むように黙り込んだ。

 つまらないダンジョンではあるものの、クリアすれば超上級だ。

 さっさとクリアしてしまおう。

 

 ようやく上級。

 このフロアから危険になってくる……と思っていたがそうでもない。

 敵は二回斬れば倒れる。三回斬る必要のある敵は存在しない。

 罠に引っかかることもあったが、耐性がついているためか問題ない。

 ワープの罠にもかかったが、目の前に階段があったのでかえって助かった。

 途中でちょっと早めの昼ご飯を食べて、どんどん潜っていく。

 

 問題は上級を十階層潜ったところの四十階層で生じた。

 中ボス部屋の前で冒険者らしきパーティーと遭遇。初めての遭遇者だ。

 

 男が三人と女の子一人。

 このまま中ボスに挑むか、入り口に帰るかを相談しているのだろうか。

 迷っているなら先に中ボスに挑んでもいいだろうか。

 

 男たち三人はギロリと私を睨み付け、女の子はおびえた目で私を見てくる。

 女の子はダンジョンに潜るとは思えないほどの軽装備だ。

 ダンジョンよりもこじゃれた喫茶店行くべきだろう。

 なんだろうか。うさんくさいパーティーだな。

 

 まあ、彼らが何者だろうがかまわない。

 私には関係『あるよ。メル姐さんにも関係ある』。

 

 ……あのさ。

 前から言いたかったんだけど、思考に割り込んでくるのはやめてくれないか。

 

『俺とメル姐さんは心まで繋がってるんだね。早く体もコネクトしたいな、主に下半身!』

 

 足が勝手に動く。

 靴がシュウに当たり、グァギィと小気味よい音が響く。

 

『アウチっ』

 

 冗談はこれくらいにしておこう。

 それで奴らと私に何の関係あるんだ。

 覚えてないんだが、どこかで会ったことがあったか。

 昨日の酒場にいたかな。

 

『男は知らない。みんな似たような顔だね。モブその一からその三とでもしようか。でも、女の子は知ってる。たぶん姐さんも知ってるはずだよ』

 

 言われて女の子のほうを見てみるもののまるで記憶にない。

 小柄で赤みがかった巻き髪がチャーミングな女の子だ。

 顔も特に印象がない。ちょっぴりそばかすが目立っている。

 

 うぅん……?

 たしかにどこかで会ったような気がしないでもない。

 

『会ったことはないね。でも、名前はさんざん聞いたよ』

 

 会ったことはないのか。

 それでも名前は知ってる?

 

『シスコンが話してたじゃん。妹さん――ビスだよ。話してた特徴とそこそこ一致するね』

 

 ああ、そうか。

 赤髪にそばかす。

 目のあたりもそっくり。

 たしかにエイクの妹と言われれば納得だ。

 でも、天使は大げさだな。

 

 ……さて、これどういうことだ。

 さすがの私でもきな臭い事情を感じ取れる。

 シスコンのエイクは闘技大会に参加して、妹が応援に来ると話していた。

 そのめかし込んだ妹がどうしてここにいる。

 

『本人に事情を聞けばいいんじゃない』

 

 そうだな。

 おい、シュウ。何か案をだせ。

 

『そうだね――』

 

 

 

 怪しい四人組に近づき、男達を無視して女の子に「久しぶりだな、ビス」と話しかける。

 

「た、たすけ……」

 

 目を潤ませて、女の子はかすれた声を出す。

 どうやらビスで間違いないようだ。

 

 周りの男達も剣を抜き始める。

 上級ダンジョンにいるから、彼らは上級者であることは間違いないだろう。

 悲しきかな、上級者ではもはや私をどうにかすることはできない。

 

 チートスキルは人間にも効力がある。

 私に害意を向けてきた人間に対してはモンスターと同様に効果を発揮する。

 以前、道すがら盗賊団に襲われたとき、スキルが発動したから間違いない。

 能力プラスだけで十分に対応できるのにスキルまで発動する。

 能力半減が人間に対して発動するとどうなるか――。

 

 答は倒れる。

 あまりの臭いで倒れるわけではない。

 シュウは、人間の力は一般人と冒険者で大きく違うわけではないと言う。

 もちろん闘えば冒険者の方がずっと強いが、それは技量や経験の違いに大きく起因する。

 人間に能力半減がかかると、感じる負荷は倍以上になるらしい。

 まともに闘うことはおろか歩き回ることすらできない。

 

 その結果として男三人が地べたを這いずる。

 とりあえずほっとこう。どうにでもできる。

 おびえるビスをなだめて話を聞くものの、町を歩いてる途中で誘拐されたとしか話さない。

 

 どうやら男たちに直接聞かなければいけないようだ。

 全員に話を聞いてみるものの誰も答えようとしない。やれやれだ。

 

 ビスを細心の注意を払って気絶させる。

 ここから先は精神上よろしくないだろうからな。

 

 男たちから剣を奪う。

 ついでに口の悪い一人からパーティーリングも取り上げる。

 そいつの首根っこをつかんで、中ボスの部屋に投入。

 扉は独りでに閉まり、しばらくすると開いた。

 

『中に誰もいませんよ』

 

 中ボス部屋には誰も残っていない。

 男の装備もダンジョンに飲み込まれてしまった。

 

 残った男二人の顔面は蒼白だ。

 事情を話した方は解放してやると言うと、彼らの口は先を競うように動き始めた。

 

 彼らのリーダであるシーマとかいう奴を闘技大会の剣士部門で勝たせるためらしい。

 妹を誘拐してエイクに敗退させるつもりのようだ。

 午前中の予選はシーマと当たらないため勝ち抜かせ。

 午後に行われる本選の一回戦で敗退する旨の手紙を送ったと話す。

 他に仲間はいないらしい。

 

 シュウも嘘を言っているように見えないと話す。

 

 よし。

 じゃあ、問題ない。

 どちらもよく喋ってくれたからな。

 二人仲良く中ボスの部屋に解放してやった。

 男たちの悲鳴とは裏腹に、扉は慈悲なく閉まる。

 

『さよなら。名もなきモブ達』

 

 先ほどより時間はかかったものの扉が開いた。

 もちろん中には誰もいない。

 

『じゃあ、中ボスをさっさと倒してさ。いったん地上に帰ろっか』

 

 そうだな。

 気絶しているビスの指に男から奪ったパーティーリングを嵌めてパーティ登録をする。

 ビスを腕に担いだまま、中ボスの部屋に入る。

 

 中ボスは大きな蟹だった。

 いや。実を言うと私は蟹を見たことがない。

 シュウが蟹だと言うから蟹で間違いないんだろう。

 

 硬そうな殻に、左右で大きさの違う爪。はさみというらしい。

 体のわりに小さなまん丸の目が二つ。

 長細い足で器用に横歩きしている。

 

 一体だけなので入り口にビスを置いて蟹に向かって特攻する。

 近づいたところではさみを突き出してくるものの遅すぎる。

 軽く避けて腕を斬りつける。

 本来であれば物理攻撃は効きづらいのだろうが、シュウなら問題ない。

 

 何度か斬りつけるとご自慢のはさみは地面を転がった。

 もう片方のはさみも斬って落とす。

 攻撃手段をなくして横歩きするだけの蟹を何度か斬りつけてやると消滅した。

 

 ビスを拾って彼女のパーティーリングを取って捨てる。

 入り口と反対側に出現した二つある扉の右側に入る。

 左の扉は先に進むものだ。

 

 扉の先はだだっ広いダンジョンの入り口広場だった。

 無数の扉が設置されていたのはこのためだったのか。

 

『ほへぇ~。よくできてるね』

 

 シュウは感心している。

 同感だ。どういう仕組みなんだろうか。

 

 闘技場へ走っていると背中におぶったビスが目を覚ました。

 男たちはもういなくなって、今は闘技場に向かっていると話すと喜んでいた。

 子供はこれくらい無邪気なほうがいい。

 勘のいいガキは嫌いだ。

 

 いるんだよ。

 「お姉ちゃん冒険者なの」って話しかけて来て、私の周りに誰もいないことを見てなんか察して気まずそうに黙って立ち去るガキ。

 なんなのあれは。

 言いたいことがあるならはっきり言えよ。

 いっちょまえに察しやがってよぉ。

 

『メル姐さん。落ち着いて。ほら闘技場も見えてきたからさ』

 

 いかんいかん。少し興奮してしまった。

 

 

 

 闘技場ではまさに剣士部門本選の第一回戦が行われていた。

 今日は第一回戦だけで、二回戦から準決勝までが明日行われる。

 決勝戦は三日目となかなかの長期戦だ。

 

 観客席から見下ろすと、ちょうど赤髪のシスコンが剣を握っていた。

 おや、まともに戦っているぞ。

 

『いや。あんまり力を出してないね。うまく負けようとしてるよ』

 

 そうなのか。

 まったくそんなふうに見えない。

 このまま勝ってしまってもおかしくないぞ。

 

「おにいちゃん!」

 

 背中からビスが叫ぶ。

 

 不思議なものだ。

 その声は決して大きなものとは言えない。

 周囲の観客の声援に比べれば霞むくらいに小さいだろう。

 それでもシスコンはたしかにこちらを見た。

 私もあちらからビスがしっかり見えるように肩車してやる。

 背は高い方だから、あちらからもしっかり見えるだろう。

 

「あたしはもう大丈夫だから! やっつけてぇ!」

 

 シスコンは静かに頷いた。

 本当に聞こえたのだろうか。

 

『読唇術かな。唇を見てた気がする。どっちにしろ伝わると思うね。今のビスの顔を見れば一目瞭然だよ』

 

 私には見えないが、いい顔をしているんだろう。

 

 そこからは怒濤の反撃だった。

 シュウは『今の受け流しすごいなぁ』とあちらこちらで感心している。

 私は才能がないため地味な戦いだったとしか言えない。

 何合か斬り結んだあと、片方が崩れる。

 見下ろすように立っていたのは赤毛の剣士だ。

 観客達も拍手喝采してたたえる。

 

 そんな中、私は観客席から飛び降りてビスを肩から下ろす。

 

「兄のところに行ってやれ」

 

 そう言って、ビスの小さな背中を押してやる。

 彼女は私にコクリと頷くとシスコンにとてとて走っていく。

 

 このあとどうなるかなんてわかりきっている。

 わかりきっているものなど見る必要もないだろう。

 

 闘技場の出口にこっそり向かう。

 観衆の目がビスに向いている今がチャンスだ。

 そもそもここは血を幾度となく拭ってきたものたちの立つ舞台。

 私のようなチートに頼り切りの甘ちゃんが立っていいところではない。

 例外が許されるのはせいぜい家族くらいのものだ。

 

 出口通路を歩いていると怒濤の歓声が背中を押す。

 兄妹の抱擁シーンでもやっているのだろう。

 

 私にはもう一つやらなければいけないことがある。

 

 誘拐犯のリーダーであるシーマの始末だ。

 近くを歩いていた大会関係者に話しかける。

 どうやらシーマは本選どころか予選で負けたようだ。

 

『誘拐するならさぁ。せめて予選くらい勝ち抜けよ……』

 

 さすがのシュウも呆れ声。

 ステルスで姿を消して、医務室に向かう。

 シーマは気を失いベッドに寝かされていた。

 シュウで彼の腕を小さく斬って、各種状態異常をプレゼント。

 

 用事も終わったのでさっさと闘技場を後にする。

 さらば闘技場。もう来ることもないだろうな。

 

 

 

 アラクタル迷宮に戻り、さくっと上級をクリア。

 これで迷宮都市アラクトの一日目は終わ――らなかった。

 

 

 

 ダンジョンから持ち帰った魔装具を売り払い、財布が肥えて満足していた。

 三つほど売っただけで、三ヶ月は豪遊できる金額になってしまった。

 魔装具だけならいくつか見つけたが、軽めで高そうなものをシュウに選ばせたらこれだ。

 もうこの都を本拠地にしてもいいんじゃないだろうか。

 帰ってもつらいだけだしさ。

 

 一つだけ売らずに残した小さめのブレスレットをつける。

 シュウによると、能力プラスの効果がついているそうだ。

 これなら軽くてさほど邪魔にもならず、強化の恩恵を受けられる。

 キラキラとまん丸に光る模様が気に入っていた。

 

 宿への帰り道。

 シュウが見たい見たいとうるさいので奴隷市場を通ることにした。

 今日はいろいろと役にたったからな。これくらいの要望は聞いてやってもいい。

 

 他の町にも奴隷市場はあるが、ここまでの規模ではない。

 筋肉ムキムキのマッチョマンや筋骨流麗の女性ファイター、鱗が素敵なリザードマンといった亜人まで様々な奴隷が展示されている。

 

『あの子いいね。顔がいいし、なにより胸が大きい! うひゃあ、すごい! ブラッシュアップされた肉体。いやぁ~。実際に見ると熱気が違うねぇ!』

 

 熱気の部分には同意せざるをえない。

 ほぼ全裸になった人たちが並べられ、肌の熱を感じる。

 

 鼻の下を伸ばすもの。

 じっくり値定めしているもの。

 商人と値段交渉をしているもの。

 ――と様々な人がいる。

 

 

 そんな中を歩いていると、だ。

 

「ウサ! ウササ、ウサキュウサ! キュー、ウサキュー!」

 

 いやね。

 実際には違うんだろうけど、文字にするとこんな声が聞こえた。

 横を見ると、縦に長い耳をした亜人がいた。兎人だな。

 性別は見た感じ雌だろう。胸とかあるし。

 

『すっごい耳が長いね。しかも折りたためるんだ。一昔前の携帯みたい。それよりさ。雌兎って響きはなんだかエロスを感じるんだけど、どうだろう?』

 

 なに言ってんだか。

 それよりもこの兎人だ。

 すごい剣幕で詰め寄ってくる。

 繋がれた鎖を引きちぎってしまいそうな勢いがある。

 

「なぁに、やってんだ!」

 

 豚人だ。

 違う。そんな種族なかった。

 いや、あるのかもしれないが知らない。

 彼は豚人ではなくただの太った人間……のはずだ。

 おそらく店主と思われるまん丸の人間が鞭で兎人を打つ。

 

「ウサァッ!」

 

 たぶん叫び声を上げて兎人が倒れる。

 

「ウササ。ウササキュ、ウサウサ?」

『日本語でおk』

 

 兎人はまた話を始める。

 最後のは語尾の調子から疑問だとわかった。

 疑問系がわかったところで何の解決にもならない。

 

 ――で、こいつは何を言ってるんだ?

 

「すみませんね、お客さん。あっしも言葉がわかんないんですよ。最近、入ったばっかりのやつでして、まだ躾がなってないんです。どうか平にご容赦を」

 

 どうやら店主にも言葉はわからないようだ。

 おい、チート。出番だぞ。

 

『はいはーい。ちょっと待ってね。オッケーよん。なんか話してみて』

 

 もういいのか。

 特に変化はないように思えるが。

 

「貴方はそのブレスレットをどこで手に入れましたか? 私にその情報を教えてください!」

 

 おっ、おおっ!

 すごいな。兎人の言っていることがわかる。

 口の動きと聞こえる音は全然違う。

 

『しかも直訳だね、これ。なんだか気持ち悪いぞ』

 

 確かに違和感を覚えるものの、意志が伝わるなら別に構わない。

 良しとしよう。

 

 この兎人はブレスレットを知っているようだ。

 元の持ち主と縁があるものかもしれない。

 まあ、縁があるといってダンジョンで手に入れた以上は私のものだがな。

 

「貴方が嵌めているブレスレット。私たちはそれを『月光の腕輪』と呼んでいます。私たちの一族――玲兎に代々受け継がれていたものです!」

 

 片耳がピンと伸び、もう片方の耳が半分に折れる。

 

 ふぅん、そうなのか。

 そんな貴重品がどうして上級ダンジョンに落ちていたんだ。

 

「玲兎は戦に敗れ、多大な賠償金を要求されました。賠償金を払うため、一攫千金を目論み一族の勇敢なる男達がダンジョンに潜ったのです。その腕輪は彼らがお守りに装備していたのです。しかし、誰一人として村に戻ってきません。私は賠償金を賄うため売られてしまいました」

 

 両耳がパタンと折りたたまれる。

 耳が気になって話に集中できないだが。

 なんだかちょっぴり悲しい話だった気がする。

 

 そうかそうか。お前も大変だな。

 がんばれよ。じゃあな。

 

「お待ちください! その腕輪を私に譲って頂けませんか? それがあればきっと一族を再建できます! 私は貴方になんでもしますから!」

『なんでもだって! 今なんでもするって言ったよね! なんでもだよ! なんでも! ほっほーい!』

 

 うるせぇな。黙ってろよ。

 

 第一だ。

 私は奴隷を必要としていない。

 それに、なんでもするというが奴隷のお前に一体何ができるというんだ。

 

「うさぁ……私を買って頂ければ、貴方の身の回りの世話ができます」

 

 ちょっと元気がなくなったのか両耳が力なくしおれる。

 

『身の回りの世話よりも下の世話――』

「ダンジョンに潜れるか?」

 

 なにやら買ってもらえそうな雰囲気を察したのか、両耳がピィンと天を衝く。

 いかんなぁ。耳が可愛くて仕方がない。

 

「私は玲兎の女です。戦う覚悟はできています」

 

 唇を固く結び、耳をもふりと前傾させる。

 やる気は耳からしかと伝わった。

 

「おい、豚……じゃなかった。店主、この耳はいくらだ?」

 

 魔装具三つの売却で得たお金は、夜を待たずしてなくなった。

 

 

 

 兎人の女はディーク・クックル・クニ・クルスというらしい。

 長いし、「く」が多いのでクーとした。

 本人は不満そうだが納得してもらうほかない。

 

 ひとまず軽めの鎧と、武器に使う鞭を買い与える。

 ついでに月のブレスレットとやらも与えた。

 能力プラスがついているので、少しは強くなるだろう。

 

 ギルドでパーティーリングを買うことも忘れない。

 クーは喋るシュウにすぐさま対応してみせた。

 顔や声に驚きはないものの、耳がびくびく震えている。

 たいへん素直な反応を見せてくれたので、私としては大満足である。

 

 宿に戻る前に、超上級へ潜ってみることにした。

 もう遅いので五階層だけだ。

 一人でも大丈夫そうだから、二人なら余裕だろう。

 

 結論から言おう。

 余裕なんてものじゃなかった。

 パーティ用スキルに加えて奴隷用スキルが選択できるようになった。

 シュウは奴隷用スキルについて詳しく説明しなかった。

 モンスター用と同じく遠隔操作があり離れても問題ない。

 それに力の底上げができる。

 ――と話す。

 

 それだけではない。

 鞭使い専用スキルが選択できたらしい。

 

 

 一つ目は「エスエム」とかいうものだ。

 鞭で打ったモンスターを催眠状態にする。

 催眠状態になったモンスターは仲間を襲う。

 

『神様はよくわかってるなぁ』

 

 なにやら感心している。

 何がよくわかってるのかは、わからない方がよさそうだ。

 

 

 二つ目は「ソニックブーム」。

 鞭の先端から生じる空気の圧縮波を全方位に飛ばす。

 名前から効果までまったくもって意味不明だ。

 要するに、離れた敵にも攻撃できるということらしい。

 それだけ教えてくれればいいのに……。

 

『俺の世界でもソニックブームは隙が少ない伝統の技だよ』

 

 シュウの世界にもソニックブームとやらの使い手がいるそうだ。

 しかも、その人物は宙返りしながらの蹴りも恐ろしく強い。

 彼の完成された戦術により幾人もの挑戦者が敗れてきたと話す。

 なんにせよ、効果が強ければそれでいい。

 

 敵が見えるくらいの位置で鞭を打つとソニックブームで攻撃が当たり、さらに催眠状態になる。

 超上級のモンスターとはまともな戦闘にならない。

 催眠状態のモンスターに襲われている敵を斬りつけるだけの簡単な作業だ。

 そいつが消えれば、催眠状態の敵も抵抗なしで切り捨てることができる。

 

 クーは私の前を歩く。

 奴隷は主人の前を歩き、危険を担う役割があるらしい。

 そんな話は初耳だ。

 罠は怖いが、シュウの目で大抵の罠は事前に発見できている。

 たまに踏んでも状態異常なので効果はない。

 大量のモンスター召喚というのもあった。

 クーが鞭を一発打てばモンスター同士で大乱闘が始まり、あっという間に片付いてしまった。

 

 中ボスも問題なく倒して行けている。

 むしろ中ボスのフロアはありがたい。

 基本的にまっすぐな通路と中ボスだけだ。

 

 そんなこんなで五階層だけの予定だったが、十階層も進んでしまった。

 一人でも大丈夫そうだが、二人なら盤石な攻略ができるな。

 魔装具もいくつか見つけることができた。

 残り三十階層を残して一日目の攻略を終了とした。

 

 余談だが超上級で得た魔装具を二つ売却するとクーの買値の倍額が返ってきた。財布に入りきらない。

 シュウも驚いていた。

 付加効果はそこそこ程度のものだったらしい。

 超上級者の装備だから元々高価なものだったのかもねと話していた。

 

 

 

 一日目の攻略は終了したと言った。

 されど一日がまだ終わったわけではない。

 

 いったん宿に帰ると、食事を取るためにまた外に出るのが億劫になった。

 帰りに食べれば良かったと気づいたのは部屋に入ってからだ。

 そこでクーに食事と飲み物を買ってくるようにいいつけた。

 お金を取り出すのも面倒なので財布をそのまま渡す。

 クーは行ってきますと元気よく声を出して部屋から出ていった。

 私もその背中を黙って見送った。

 

 そして、私はベッドでうたた寝。

 ふとトイレに行きたくなって目が覚める。

 いまだにクーは帰ってきていない。

 

『逃げられたかな……』

 

 シュウがぼそりと呟く。

 

 まあ待て。

 落ち着けよ、シュウ。

 まだ慌てる時間じゃないぞ。

 逃げられたと決めつけるのは早計だ。

 事件に巻き込まれているのかもしれないだろ。

 

 フロントに降りると、主人が紙片を渡してきた。

 連れの兎人。クーから預かったらしい。

 手紙にはたどたどしい文字で――、

 

「ごめんなさい」

 

 たった一言。こう綴られていた。

 全てを理解してしまった。

 

『いやはやぁ! さすが兎人。まさに脱兎の如くだ! メル姐さんのお株が奪われちゃったねぇ! まさか半日を待たずして逃げられるなんて! ほんと、メル姐さんといると退屈しないで済むよ~! 悔しいでしょうねぇ~』

 

 シュウの笑いは止まらない。

 私もつられて笑ってしまう。

 

「アハハハハハハハハハハ!」

『グフフフフフフフフフ!』

「ふははははははははは」

『げらげらげらげら!』

「あは、ははは……」

『メル姐さん……』

 

 くそぅ……。

 景色が潤んできた。

 

 どうしよっか。

 どうすればいいんだろう。

 おいシュウ……なんか案はあるか。

 

『そんなに落ち込まないでよ、メル姐さん。まじめな意見を出すと、衛兵に話すのがいいんじゃない。「買ったばかりの奴隷に財布を持ち逃げされました」って、正直に話せば町の出入り口をチェックしてもらえるんじゃないかな。契約書もあるからさ。どうにでもなるよ』

 

 それすごく恥ずかしいんだが。

 シュウよ、貴様はこれ以上……。

 これ以上、私に辛い思いをしろと言うのか!

 

 ……もっと楽に捕まえる方法はないか。

 ほら、お前の得意なチート技でなんとかできるだろぅ。

 

『そんな萎びた声ださないでよ。女かと思っちゃうじゃん』

 

 私、女だから。

 なんで自然に貶すのかな。

 お前。いつも胸がどうのとか言ってるだろ!

 あまり私を怒らせない方がいい。

 

『よしよし、元気がでてきたね。それじゃあ、いつも通りチートな方法でいきますか』

 

 あるんならさ。最初からそう言えよ。

 なんでもったいぶるの。

 

『そんなことよりメル姐さん。一つ聞きたいんだけどいいかな? メル姐さんはクーを連れ帰って一体全体どうしたいの?』

 

 シュウは私の了承を得る前にさっさと続きを話し始める。

 ねぇ、どうして途中で確認取ったの。

 確かに了承はするだろうけどさ。

 いちおう返事を待とうよ。

 

『メンゴメンゴ。それでメル姐さんは、奴隷の分際で勝手に逃げたってクーを殴りつけたいの? 別にお金を持ち逃げされたことに腹を立ててるわけでもないよね。クーがいればダンジョン攻略は楽になるだろうけどさ。逃げた相手と一緒に昨日の今日で仲良く組んで潜れるかな。さてさて、メル姐さんはいったいクーを持ち帰ったところでどうするつもりなんだろう』

 

 何が言いたいんだ?

 

『いやいや、言いたいことは言ったよ。すでに問いは投げられた。メル姐さんはクーを連れ戻してどうするのかなってだけの単純な疑問。まあ、連れ戻してから考えることもできるだろうけど、けっきょく行き着く問題だからね。それで気になる回答は?』

 

 クーを連れ戻してどうするか。

 私は――。

 

 

 

 迷宮都市アラクトの門。

 通常、夜の交通は止められている。

 しかし、現在は闘技大会中とあって通行規制がたいへん緩い。

 

『ゆるゆるのがばがばだね』

 

 確かにそうなんだけど、お前が言うと卑猥に聞こえる。

 そんな警備がざるな門の外側で私はぼんやり星空を見ている。

 

『来たよ、メル姐さん』

 

 どうやら待っていた人物が来たようだ。

 その人物はローブを纏い、傍らに馬も連れている。

 そんな怪しい人物に後ろからこっそりと近づく。

 

『おっと、お嬢さん。こんな夜更けに一人でお出かけとは感心しませんな』

 

 ローブがびくりと震える。

 特に頭が大きく揺れた。

 耳が動いたのだろう。

 

「振り返るな」

 

 振り返ろうとしたところに、シュウを首筋に当て動きを止める。

 

『クーちゃんさ。夜ご飯を買ってきてとは言われただろうけど、さすがのメル姐さんでも馬一頭は食べられないかな』

 

 頭にかかったローブを取ると、縦に長い耳が出てきた。

 耳は目に見えるほどびくびくと震えている。

 カチカチと歯の鳴る音も聞こえる。

 

 命令を無視して、馬を買っての逃亡。

 さっくり切り捨てられてもおかしくない状況だ。

 怖がるのも無理はあるまい。

 

 奴隷用スキル「掌握」。

 これによりクーの情報を入手した。

 奴隷の情報があらかたわかるスキルらしい。

 心の中で思っていることですら把握できるという。

 さらに主人である私の命令に絶対遵守するようにもなる。

 

 先ほどシュウがスキルを選択して情報を読みとった。

 正しくはシュウが読み取って、私に伝えた。

 スキルはすでに外している。

 シュウはこのスキルが好きじゃないらしい。

 

『首輪をかけられるってのはさ。あんまり気持ちいいもんじゃないんだよね。あっ、もちろん首輪ってのは比喩だよ。プレイの一貫なら物理的にかけられても問題ないから心配なく』

 

 そんな注釈いらないよ。

 せっかく良さそうな話になりそうだったのに……。

 

 そんなことは置いといてだ。

 

「お前はあの腕輪を集落に持ち帰るんだってな」

 

 聞き方は確認であるものの、すでに心から読みとった確定情報だ。

 まあ、心を読まなくてもどうして逃げたのかは想像できていた。

 

「わ、私には村を再建する義務があります」

 

 震えた声でクーは話す。

 

 奴隷は主人に従う義務があるぞ。

 お前はそれを破ったが、そこはどうなるんだ。

 

「う、うさぁ……。でも、私は一族のためこの腕輪を村に持ち帰らなければいけません」

 

 奴隷のものは主人である私のもの。

 その腕輪は私のもの、今はお前に預けているだけ。

 私のお金で買ったなら、隣にいる馬も当然にして私のものになる。

 

 耳がどんどんふにゃふにゃぁとしぼんでいく。

 このまま眺めているのもいいな。

 

 主人の命令に逆らうような奴隷なんてあってはならない。

 そんな不出来な奴隷なんてごめんこうむる。

 これを持って消えてしまえ。

 

 私は一枚のぶ厚い紙を肩越しにクーに差し出す。

 クーは恐る恐る手に取った。

 

「こ、これは……!」

 

 クーに渡したのは奴隷契約書と言われるものだ。

 難しい言葉で事細かに奴隷契約の内容が書かれている。

 このたかだか一枚の紙が私と彼女の主従関係を公に認めている。

 

 その紙とパーティーリングがあれば、スキルの恩恵を受けられる。

 少しは安全な旅路になるだろう。

 集落に帰ってから燃やすなりなんなりしろ。

 それと財布は預けておく、いつか返しに来い。

 金がないならまたダンジョンに潜って魔装具でも探そう。

 もちろん奴隷としてじゃなく、仲間としてパーティーを組んでな。

 

「え……、なんで? どうしてですか?」

 

 真剣に困惑しているようだ。

 耳が右にふらふら、左にぐらぐらと落ち着かない。

 殺される理由はあっても、解放される理由はないからだろう。

 

 言ったはずだ。

 私に奴隷は必要ない。

 前に立ち、身代わりとなる存在など不要。

 必要なのは隣に立って一緒に戦ってくれるもの。

 あるいは背中合わせになり私の背後を守るものだ。

 

 ――だからな。

 お前は振り返らずにさっさと帰れ。

 私も今日は疲れた。眠いからそろそろ宿に帰る。

 そうすれば背中合わせで私にとって必要な存在になる。

 

 クーの首筋からシュウを離し、私は彼女に背を向ける。

 

「じゃあな」

 

 背中越しでの小さな声。

 それでも彼女の大きな耳なら聞き取れるだろう。

 もう言うこともないのでアラクトの町に向けて歩き出す。

 

 シュウは私に問うた。

 クーを連れ戻して如何せんと。

 久々に頭を使って考えたが、答は出なかった。

 どうやっても連れ戻したあとで良い関係にならない。

 

 単純に主人と奴隷。

 そう割り切るのは賢い人間なら簡単なんだろう。

 それでも頭の足りない私にとって割り算はなかなか難しい。

 特に割り切れない問題なんてお手上げだ。

 

 それなら連れ戻さなければ?

 連れ戻すという前提にするから難しくなる。

 割り切れないなら、割り切る必要のない関係にすればいいではないか!

 自分が天才なんじゃないかと思ってしまったね。

 

『それはただの逃げだよ――』

 

 ほんと馬鹿だなぁ、とシュウは笑っていた。

 しかし、その笑い声はどうにも馬鹿にしたものに聞こえなかった。

 

「その……えっと…………ありがとうございます。必ず財布は返しにきます。お金は、ちょっときついので一緒にパーティーを組んで潜ってください。そのとき私は、貴方の隣に立って戦います。だから……だから今は――行ってきます!」

 

 大きな声。少し震えた声が少し遠くから聞こえた。

 背中を向いて喋っているからだろうな。

 

「行ってこい。気をつけてな」

『ここで別れてもぉ……シュウとクゥちゃんゎ……ズッ友だょ』

 

 彼女も歩き出したのか。

 地を踏みしめる音が聞こえた。

 

 有るべきものは有るべきところへ。

 いるべき人もいるべきところへ――

『ぼっちはやっぱりぼっちへ』

 ――収まり、迷宮都市アラクトの一日目が終了した。

 

 

 

 ……おいコラ。

 締めのセリフが台無しじゃねぇか。



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第11話「アラクタル迷宮とその周辺 後編」

 目が覚めて、朝食を軽く済ませ、いざダンジョンへ。

 ――と勢いよく宿から出たところで壁にぶつかった。

 出鼻をくじかれてしまった。

 

 壁を見上げるとそこには厳つい顔がついていた。

 顔にはそばかすが目立っている。

 その壁は人間の男であった。

 彼の名はエイクと言う。

 重度のシスコンだ。

 

 シスコンの背後には妹のビスがくっついている。

 昨日とは違って、学校の制服を着ている。

 体格と顔のつくりはまったく違うが、赤い髪とそばかすが兄妹であることを感じさせる。

 

 シスコンは挨拶よりも先に昨日のお礼を述べる。

 彼の大切な妹――ビスを成り行きで私が助けた件だ。

 そのビスもシスコンの背中から出てきてお礼を言ってくる。

 気にするなとおざなりに言い返し、ダンジョンへ向かおうとすると止められた。

 

「頼みがある」

 

 シスコンはそう切り出した。

 

 ビスを学校まで送り届け。

 しかもその後で闘技場まで送って欲しいと話す。

 

 本当はシスコン自身が送り届けたいようだが、彼はこの後すぐ闘技場へ行かなければならないらしい。

 こんなシスコンでも闘技大会では優勝候補なのだ。

 今も周囲から視線を集めている。

 

 パーティーの人間に頼めばいいと言ってみた。

 こいつは超上級パーティーの一員だ。

 仲間に頼むのが筋だろう。

 

 どうやらダメみたいだ。

 彼の仲間も昨日の予選に勝ち抜き、今は闘技場へ向かっているらしい。

 さすが超上級パーティーと言ったところだろうか。

 

 最初から闘技場に連れていけばいいのではと提案してみた。

 ビスは生物係とやらでどうしても学校に行く必要があるそうだ。

 そんなの断れよ……。

 

 正直に言って、私は行きたくない。

 さっさとダンジョンに行ってクリアしたい。

 

『まあまあ、メル姐さん。そう言わずにさ。学校に行ってみようよ。新しい発見があるかもよ』

 

 シュウはビスの送迎に賛成している。大賛成だ。

 どうせこいつのことだから制服を着た女が見たいだけだろうな。

 

『わたくしは後学のため、この世界の教育機関についてより詳しく正しい知識を蓄えておきたいと思っておるのです。決してそのようなやましい思いはないとここに宣誓させて頂きます』

 

 嘘しかない宣誓をされてもなぁ。

 なんにせよめんどくさい。

 

「そう面倒な顔をせんでくれ。今度改めてお礼をする。そこの店で一番高い酒でも振る舞おう。一緒に飲もうではないか!」

 

 おいやめろ。

 それはお礼と言わないぞ。

 誰が好き好んでシスコンの妹話を聞かにゃならんのだ。

 それに私が付いたところで妹が安全になるとは限らないだろ。

 

「お姉さんなら、安心できる」

 

 今まで黙っていたビスが口を開く。

 彼女はうるうるとした目でこちらを見てくる。

 ただ見てくるだけだ。何も言わずにただジッとすがるように見てくる。

 この罪悪感はなんだ。別に断ることは悪いことではないはずだ。

 

 ……けっきょく断ることはできなかった。

 

『よっしゃぁあ! さあさあ、皆さんお待ちかねっ! 学園編! はっじまるよぅ~!』

 

 始まらなかった。

 学園に入れなかった。

 大切なことなのでもう一度。

 

 ――学園には入れなかった。

 

 入り口とその周囲は厳重に管理され、部外者は立ち入り禁止。

 当然、部外者である私が入ることはできない。

 校舎どころか敷地にすら入れない。

 

 門の前に立っていた警備兵に入り口脇の詰め所へ案内された。

 ビスはそんなに時間はかからないと言って校舎へと走っていった。

 

 休みのためだろうか。

 兵士の数は少ない。

 少ないと言うよりも二人しかいない。

 一人は入り口に立っているため、詰め所には一人だけだ。

 

 顔には深いしわが走り、髪も白髪が多く混ざっている。

 老人一歩手前の男だった。

 彼は柔らかな表情でお茶をだしてくれる。

 

「自分も昔は冒険者をやっていたんだが、膝に矢を受けてしまってなぁ。学園に勤めている友人の推薦もあって警備員になったんだ」

 

 彼は膝をさすりながら語る。

 どうやらエイクとも知り合いらしく。奴は自分が育てたと話す。

 

『学校という閉じられた空間にこそ事件は……』

 

 シュウは先ほどからぶつぶつ何か言っている。

 学校に入れなかったのが、よほどショックだったと見える。

 ここまで落ち込んでいるのは初めてかもしれない。

 今日は良い日になりそうだ。

 

 警備兵の祖父は百年近く前にアラクタル迷宮の超上級をクリアしたパーティーの一員らしい。

 ギルドでは情報が不確かということで超上級のボスモンスターについて聞くことができなかった。

 ちょうどいいので何かボスについて聞いていないか尋ねてみようと思ったが、尋ねる前に男の方からぺちゃくちゃ話し出した。

 

 当時、最高峰の強さを持つパーティーが四組。

 計二十三人の冒険者たちが超上級ダンジョンをクリアするために集まった。

 彼らは一人も欠けることなく百階層にたどり着いた。

 

 彼らは激戦を制しボスに勝った。

 だが、町へと帰ってきたのはわずか三人。

 しかも、そのうち二人は半身不随と精神崩壊。

 残る一人が警備兵の祖父らしいが、彼も冒険者を辞めた。

 ギルドにボスの説明を求められたが、断固として拒否。

 拒否というよりも思い出せなかったようだ。

 ボスの記憶を消すことで自らを守った。

 

 残る二人も意味がわからないことを話していたという。

 正しいと考えられる情報は以下の三つ。

 外見はかなり小さい。

 人間の言葉を喋る。

 気持ち悪い。

 

 聞いてはみたが、これだけではよくわからない。

 とりあえずとても強いということだろう。

 今までにない苦戦が予測される。

 

 その後も警備兵はいろいろと喋っていた。

 学校のことやらギルド、ダンジョンのことなどだ。

 聞いていたはずだが、特に意識をしていなかったためよく覚えていない。

 覚えているのはギルドの創始者と学校の創設者、迷宮都市アラクトの初代代表は同一人物ということくらいだ。

 学校の制服もその当時から変わっていないようだ。

 千年近くも前にそんな多才な人物がいるんだと驚いた。

 そうこうしているうちにビスが戻ってきた。

 

 ビスと一緒に闘技場へ向かう。

 シスコンは彼女のために護衛を雇うことを考えているらしい。

 以前から護衛を雇うという話はあったが、ビスが大丈夫だと断ってきていた。

 今回の事件を期にビスも護衛をつけることに賛成したようだ。

 ただ、なるべく女性で話しやすい人がいい。

 そんな人物に心当たりがないかと聞かれた。

 

「ない」

 

 即答した。

 ビスはまじめに考えていないと思ったかもしれない。

 それは違う。本当にないのだ。

 

 護衛の力量以前に、女性で話しやすいという人物に心当たりがそもそもない。

 アイラはヒッキーでエルフ、ファナは高慢な吸血鬼。

 ユリィは性格も良く話しやすいが男だ。

 私の交友関係は問題だらけということをどうかわかって頂きたい。

 

 そこで会話が止まってしまった。

 

『ねぇ、メンヘラ姐さん。ビスちゃんにダンジョンや学園のことを聞いてくれないかな。特に創始者の情報が知りたい』

 

 今まで何も口を出さなかったシュウがついに口を開いた。

 創始者については、さっき警備員のおっさんに聞いただろ。

 ところでメンヘラってなんだ?

 ……やっぱいい。どうせろくでもないことだろうからな。

 

 ビスに尋ねてみると、すぐに答が返ってきた。

 学校で教わったようだ。

 

 約千二百年前に迷宮都市アラクトはその原型が築かれた。

 当初は名前が違ったようだが、現在でははっきりと記録が残っていない。

 初代代表は学校と冒険者ギルドを設立。

 アラクタル迷宮の初制覇も初代代表だそうだ。

 さらにビスの着ている制服も初代代表が考案したらしい。

 初代代表は人形作りが趣味だったようで、彼の作った人形は今なお根強い人気を誇っている。

 彼の自信作には番号が刻まれ、未だに発見されていない傑作である至高の第一号が迷宮都市アラクトのどこかに隠されていると噂される。

 

 聞けば聞くほど恐ろしい人物だが最期はあっけない。

 アラクタル迷宮に行ったきり帰ってこなかったようだ。

 第一号もそのときに持って行って壊れたという説もある。

 まあ、私にはまるで関係のないことだ。

 

 末恐ろしい初代代表の名前は初めて聞くものだった。

 すごい人だからどこかで聞いたことがあるかもしれないと思ったが、そんなことはなかった。

 大昔の人間だから仕方ないだろう。

 

『なるほどね』

 

 シュウも一人で納得していた。

 

 

 

 ビスを無事に闘技場に送り届け、ようやくアラクタル迷宮に来ることができた。

 彼女には明日の送迎もさらりと頼まれた。

 エイクが決勝戦に進んだらという条件で受けておいた。

 

 攻略のペースは二人で潜っていた昨日より落ちている。

 それでも今日中にクリアはできそうだ。

 

『ところでメル姐さん。ビスの話――初代代表の話ね。どう思った?』

 

 九十五階層で犬っぽい中ボスを倒したところでシュウがいきなり問いかけてきた。

 

 初代代表か。

 すごい人物だと思ったぞ。

 ギルド、学園、都市の設立。

 さらにはダンジョンの攻略。

 一人でそんなにできるなんて信じられない。

 それこそチートじゃないか。

 そう冗談めかす。

 

『ご名答。初代代表――ソージ・イーダは俺と同じ転生者だよ』

 

 冗談のつもりが大正解を踏み抜いてしまった。

 えっ……ほんとに?

 

『俺のいた国だとイイダソウジだね。どんな漢字なのかな。ビスの着てた制服も俺の国のセーラー服を元にしてる。このダンジョンもイイダソウジが最初に攻略したというより、そもそも彼が作ったんだよ。チート持ちなのは確定かな』

 

 さらりと恐ろしいことを口にした。

 いやぁ……さすがにダンジョンを作るっていうのは無理なんじゃないか。

 

『できるよ。俺たちの世界じゃ、似たようなことはやれたからさ。そういった方向性のチートだったならできるね』

 

 いや、それでも彼が作ったという訳じゃないだろ。

 何を根拠にこのダンジョンが彼によって作られたと言えるんだ。

 

『このダンジョンの中ボス。さっきの角張った犬や車輪の付いたアヒル、蟹、カバはね。すべて俺の世界にあるおもちゃを模してるんだ。ダンジョンの構造や中ボス、それにボスを見て、もしかしたらと思ってたけど確信した。このダンジョンはイイダソウジによって作られたものだよ。そして、超上級のボスはおそらく――』

 

 超上級のボスをシュウは予測した。

 警備員から聞いた小型で喋る気持ち悪いおもちゃ。

 この条件に当てはまるものがシュウの世界にはあったらしい。

 

 

 

 そして、ついに第百階層。

 まっすぐ伸びる通路を進み扉を開ける。

 部屋に入ると扉は大きな音を立てて閉まった。

 壁に溶けるように扉はその形を消した。

 

 広すぎる空間には私一人だけ。

 ボスの姿は見当たらない。

 

『上だね』

 

 フロアの中心付近に来たところでシュウが呟く。

 見上げると一本のひもが天井から垂れている。

 そのひもの先に青っぽい何かがぶら下がる。

 

[オロシテ! オロシテ!]

 

 その物体はくぐもった声で叫ぶ。

 話に聞いていた通り見た目は小さい。

 両手を広げたくらいの大きさだろうか。

 青っぽい毛に覆われ、頭にはやや大きめの耳が付いている。

 まん丸の目に、小さなくちばし。

 小さな足も付いているが手は見当たらない。

 

『やっぱりね。ここのボスはファー○ーだよ』

 

 ひもに縛られた毛むくじゃらの獣はふぁー○ーと言うものらしい。

 しかし、あれは本当に人形なのか。

 獣にしか見えないぞ。

 しかも、助けを求めてるし。

 まったく強そうに見えないんだが。

 

[オロシテ! オロシ――]

 

 獣を縛っていたひもがほどけた。

 

『離れて!』

 

 えっ……、

 

[ウオオオオオオ!]

 

 獣は大きさに似合わない太い悲鳴を上げて落下してくる。

 シュウの声を受けて、足を退く。

 

 獣が地面にぶつかると、その小さな体がばらばらに砕け散った。

 落下の衝撃で飛んだ目玉が私の顔の横を通る。

 同時に獣の落下地点から赤い球体が生じた。

 

 これには見覚えがある。

 アイラの火魔法と同じだ。

 赤い球体は猛烈な速さで膨張。

 私は火の球から背を向けて逃げる。

 床には飛び散った目玉が落ちていた。

 目玉が私の方を見つめている。そんな気がした。

 

 目玉を巻き込むように球体は広がり、膨張をようやく止める。

 ――というかボスは砕け散ったんだが、これは私の勝ちでいいんだろうか。

 

『何いってんの。本番はここからだよ』

 

 火の玉が収束していく。

 飛び散った目玉や部品は消え去っていた。

 燃え尽きてしまったのだろうか。

 

 ――否。

 収束した地点に一つの影が残る。

 その小さな影は獣の形をし、砕け散った様子を微塵にも感じさせない。

 

[ダ・ノウラー!]

 

 獣は先ほどと同じようにくぐもった声で叫ぶ。

 大きめの耳が羽のようにぴこりと動く。

 そうすると獣の体が浮かび、

 

[ナデナデシテー!]

 

 地面付近を滑空し襲いかかってきた。

 私の側までくると、小さな足を動かす。

 

『受けちゃダメ! 避けて!』

 

 あまりにもみみっちい攻撃だったため、シュウで受け止めそのまま斬りつけようと思っていたが止められた。

 転ぶようにして体勢を崩す。

 どうして受けちゃダメなのか、と聞くまでもなかった。

 獣の足から風が生じ、避けきれなかった私の髪を切り裂いた。

 後ろを軽く振り向くと、壁には切り裂かれたような亀裂が走っている。

 

『風魔法だね。無詠唱だからかな。特殊スキルの効果が発揮してないよ』

 

 スキルの影響で最近はモンスターの魔法を見ていなかった。

 久々に見た魔法は今までのモンスターの比ではない。

 詠唱時間四倍どころか弱化も効果がないようだ。

 

[モットー、モットー!]

 

 どこから出ているのかわからない不気味な笑い声をあげたあと、再び飛びかかってくる。

 その足から生じる風魔法を避けて、横っ腹にシュウを浴びせる。

 

[モルスァ!]

 

 今の一撃はきれいに入った。

 獣もよくわからない言葉を発し、ものすごい勢いで飛んでいった。

 

『でたー! メル姐さん唯一にして最強の必殺技! 一にして全。全にして一! 基礎の基礎すら見当たらない腕力の極致。もはや技と呼ぶのも憚られる滅殺奥義! 「振り回し」だぁ!』

 

 形はともかく強ければいいのだ。

 事実、獣の勢いは止まることを知らない。

 壁にぶつかり、めり込んでようやく止まる。

 獣はぴくりとも動かない。

 

 ……やったか?

 

[ファー、ブルスコ……ファー……ブルスコ、ファー。ダ・エイロウ・ウータイ!]

 

 意味不明な語句をぼそぼそ言うと、閉じていた目をカッと見開き叫ぶ。

 なんとなく危険だと感じて、横に飛んだ。

 

 この判断は正解だったと言わざるを得ない。

 見開いた獣の両目から光の線が出てきて、獣の足下から私のいた場所を走る。

 光線が通った床は溶けて、二本の黒線が残る。

 

『目がビームってか』

 

 シュウは楽しげに笑っているが、私にはまるで笑えない。

 

 その後も不可解な攻撃を躱しつつ斬っていくと獣の様子が変わってきた。

 具体的には見た目がぼろぼろになり、言っていることもさらによくわからなくなってきた。

 

[アハヒャ、モト、アヒァヒァ]

 

 こんな具合だ。

 今も口から溶解液をまき散らしながら跳躍してくる。

 

[ウヲォォォォオ……ウヲォオオ……ウヲオォ!]

 

 さらに斬り付けていくと、言葉ですらなくなった。

 その場でぴょこぴょこ跳ぶと、フロアが大きく揺れた。

 揺れが収まると床に亀裂が入り、ついには床が抜ける。

 

 フロアの下にはさらにフロアが広がっていた。

 先ほどのフロアよりもなお広い。

 上のフロアから崩れた床が落ちてくる。

 崩れてきた瓦礫をなんとか避ける。

 気づけば獣を見失ってしまった。

 

[フヒャフヒャヒャ!]

 

 瓦礫の下から不気味な笑い声が響いてくる。

 どこから出てくるかと警戒していると、フロアの中心の瓦礫がガラガラと崩れる。

 そこから一体の獣が出てくる。

 目は片方失い。

 くちばしも欠け。

 毛もぼろぼろ抜け落ち。

 頭の一部からは火花が出ている。

 

[モット、モットモットモット、ナデナデナデナデナデ、フヒヒヒヒ、フギャフギャウィーウィー、ナナナナナ~!]

 

 いよいよ意味不明の言葉を羅列する。

 

[アハアハハハヒャハヤ……カ・ウェイロウ…………]

 

 徐々に静まっていき、くちばしを閉じ、眠るように目を瞑る。

 

[――発火ドゥルドゥー]

 

 そして、一言ぼそり。

 

『来たよ! 逃げて、メル姐さん! 全力で!』

 

 シュウから聞いていた通りだった。

 ふぁー○ーというおもちゃには有名な最終奥義がある。

 その名も「発火ドゥルドゥー」。

 自らの体を犠牲とした一撃必殺技らしい。

 

 獣の頭付近が白く光り出した。

 見たのはそこまでだ。

 背を向けて全力で走る。

 

 その後はよくわからない。

 瓦礫の中をとにかくがむしゃらに走り抜けた。

 石クズを踏み砕き、砂埃を巻き上げ駆け抜けた。

 

 背にしてもなお目映い光。

 アイラの光魔法を思い起こさせる。

 壁まで走り抜けて振り返ると、そこには何も残ってなかった。

 獣を中心として一定距離内の瓦礫がすべて消え去っていた。

 

 獣のいた場所に小さな光が現れる。

 ドロップアイテムだ。

 さらにアイテムの近くに出口の扉が出現した。

 背にした壁にも入り口の扉が浮かび上がる。

 

『勝ったね……』

 

 ああ。

 久々の強敵だった。

 命の危険を感じたのはゼバルダ大木以来だ。

 

 

 

 ドロップアイテム――「正体不明の小型動力」を拾って、出口の扉に歩を進める。

 

『どこ行くの、メル姐さん。そっちは出口だよ』

 

 おっと……うん?

 なにを言ってるんだ。

 一瞬、私が変なことをしていると思ってしまった。

 都市に帰るんだから出口でいいだろ。

 頭がおかしくなったのか。

 

『はぁ、思い出してみてよ。このダンジョンの制作者――イイダソウジはここで死んだことになってるよね』

 

 そうだったな。

 そいつはこのダンジョンから帰ってこなかった。

 ボスに勝てなかったんじゃないのか。

 

『制作者が自分の作ったダンジョンに遅れを取ると思う? ましてや彼もチート持ちなんだよ』

 

 そう言われれば、そうかもしれないな。

 意味不明な攻撃は多かったが、あれは不意打ちのようなものだ。

 知っていれば、そこそこ対処はできるだろう。

 

 しかし、出口以外にどこへ行けと言うんだ。

 入り口の扉しか残っていないぞ。

 

『メル姐さん。ボス戦の途中で床が崩れたことを忘れたの? ここは地下百階じゃない。百一階層だよ。じゃあ、壁にある入り口の扉はどこにつながってるんだろう』

 

 どこなんだ?

 

『わからないから行ってみようよ、って話なんだけど……』

 

 そういうことか。

 最初からそう言えばいいのに。

 どうしてわざわざまどろっこしく言うんだ。

 

 たしかにここは地下百階の下になる。

 そこにできた扉はどこに繋がるのか気になるところだ。

 

 踵を返して、入り口の扉に近づく。

 力をこめると扉はゆっくりと開いていく。

 中はボス部屋よりも薄暗いのか、開けた部屋に光が差し込まれる。

 

「いらっしゃいませ」

 

 柔らかく、されどよく通る声に出迎えられた。

 

 光の先には一人の女性が立っていた。

 女中が着るようなひらひらした服を纏う。

 やや青みがかった黒色の髪を見せつけるようにお辞儀をしている。

 どう考えても場違いだ。

 

「マスターがお待ちです。どうぞこちらへ」

 

 それだけ言うと、背を向けてゆるりと歩き始める。

 先の見えないほど長い通路を彼女はよどみなく歩いて行く。

 暗く硬い通路に二つの足音がこだまする。

 

 歩いていくと広間に出た。

 広間といっても物置同然だ。

 そこに置かれている物はどれも見覚えがある。

 全てこのダンジョンにいた中ボスやボスたちだ。

 警戒するが、どの個体も身動き一つしない。

 

 広間を突っ切り、またしても長細い廊下にたどり着いた。

 

『うえぇ……』

 

 シュウのうめき声に合わせて足が止まってしまった。

 通路の両脇には棚が道の奥まで伸びている。

 

 下から上まで五段の棚。

 ふぁー○ーとかいう獣が棚には並んでいた。

 道の手前から奥まで余すところなくびっしりと置かれている。

 しかも、左右両方の棚にだ。

 整理されているのか、棚には番号が振られている。

 

 そんな通路を女性は悠然と歩を進める。

 私は躊躇いつつも倣ってついていく。

 足を踏み入れると両脇に所狭しと並べられた獣が目を見開き、気だるそうな目で私を見つめてくる。

 くちばしもパクパク開くが彼らは何も喋らない。

 

 道の奥にたどり着くと扉が一つ。

 なんてことはない普通の扉だ。

 意匠をこらした模様もついていない。

 宿の扉よりも簡素なものだった。

 

 女性は扉を開けて、脇に逸れる。

 入れということだろう。

 ままよっ、と足を踏み入れる。

 

 扉の先は部屋だった。

 工夫のない言葉だが部屋としかいいようがない。

 宿の部屋よりも若干広い。

 部屋には誰もいない。

 

 部屋の脇にはベッドが一つ。

 その逆側にはやや大きめの机。

 よくわからない部品が転がっているところを見るに作業机だろうか。

 中心には背の低いテーブル。

 テーブルを挟むようにソファーが二つ置かれている。

 

 左右の壁にも扉がある。

 

「マスター。お客様をご案内しました」

 

 返事はない。

 

「かしこまりました。ただいま飲み物をお持ちしますので、ソファーにかけてお待ちください」

 

 女性は右の扉に姿を消す。

 ソファーは二つあるが、迷いなく右側に腰掛ける。

 見た目は安っぽいが、物は上質だ。

 ふわりと私を支えてくれる。

 

 すぐに女性は質素なカップを二つ、盆に載せて戻ってきた。

 一つのカップをテーブルの上、私の近くに置く。

 もう一つはシュウのものではない。

 私の対面に音もなく置かれた。

 

 部屋には誰もいないと言ったが、正確にはもう一人いた。

 正しく過去形だ。

 対面のソファーには白くばらばらになった人の痕跡が残っている。

 一般的には骸骨と呼ばれる物だ。千年物だろう。

 

『ちょっと白くてはっきりしないけど、たぶんイイダソウジさん』

 

 言われなくてもわかっている。

 さすがにこの状況でこいつは誰だというほど馬鹿じゃない。

 

「マスター。お話しをどうぞ」

 

 女性は骨となったイイダソウジに話しかける。

 もちろん返事はない。ただの骸骨だ。

 動き出すんじゃないかと肝を冷やしたが、骨は動かないし語らない。

 

「かしこまりました。お持ちします」

 

 女性は何が聞こえたのか頷き、再び右の扉へ消える。

 あっという間に戻ってきて、テーブルの中央に四角い箱を置く。

 

[あ、あー。聞こえてる? 聞こえてるのかな。ようこそ僕の部屋へ]

 

 聞き慣れない男の声がした。

 耳を澄ませると、四角い箱から音が出ていることに気付いた。

 

[これが再生されることを嬉しく思うよ]

 

 どういうことだ。

 どこからか私たちの様子を見ているのか。

 

『違うよ。イイダソウジが声を保存してるんだ。生きてるうちに声を残しておいて、ここにたどり着いた人に聞かせるようにプログラムしてる』

 

 よくわからないが、この声はイイダソウジのものということか。

 

『そうなるね。この部屋にたどり着いた人へのメッセージだよ』

 

 四角い箱は引き続き話を続ける。

 

[これが再生されるってことは、ここにたどり着いたのは君、あるいは君たちが初めてということだ。いったいどれくらいの年月が経ったんだろうか。十年もしくは二十年。さすがに百年は経ってないだろうね。僕のダンジョンは楽しんでもらえたかな]

 

 残念ながら千年以上経ってます。

 それとまったく楽しくなかったです。

 

[せっかくここまで来てくれたんだ。僕は君たちにプレゼントをしたいと思う]

 

 おお。

 それは嬉しいな。

 

[でも、タダでプレゼントするのは好きじゃない。そこで君たちにクイズを出そう。なぁにちょっと調べればわかる簡単な問題さ。僕が君にプレゼントする『モノ』と『置いてある場所』、それに『名前』を当てて欲しい。当てれば、それは君たちのものだ。大切に扱って欲しい。僕の最高傑作だからね。永遠に保たれる美だよ。『名前』についてはこのダンジョンの名称がヒントになるかもしれない。解答時間は君たちがこの部屋を出るまでとしよう。解答は何度でも受け付けるよ]

 

 イイダソウジはそう笑って、言葉を切った。

 

 ふぅむ、さっぱりわからん。

 シュウ。お前ならわかるんじゃないのか。

 

『なんとなくわかる……けど、千二百年前なら見知ってる人もいたから簡単なんだろうさ。でも、この世界のこの時代でわかるやつなんていないよ。俺でなきゃ見逃しちゃうね』

 

 どういうことだ。

 

『一つずつ考えていこうか。まずプレゼントするモノは簡単だよね。最高傑作って言ってるくらいだから、さすがにメル姐さんでもわかるでしょ』

 

 ああ、なくなった人形の第一号か。

 たしかに簡単だな。

 

 次は場所。

 人形だとしたらさっきの通路の中か。

 詳しく見てなかったが、どこかにいたんだろう。

 番号も振られていたから、そのどれかということだろうか。

 あの小さな獣がプレゼントだとしても欲しくないぞ。

 

『いや、違う。あれは引っかけ……引っかけにもなってないか。場所も極めて簡単だよ』

 

 そうなのか。

 あの人形のどれかがプレゼントじゃないのか。

 

『違う違う。たしかにあれはあれですごいけど、最高傑作を見ちゃうとあんなのはおもちゃもいいところだよ』

 

 そうなのか……って、なんでお前が最高傑作を知ってるんだ。

 

『ほんとに気付いてないの? お茶入れてくれたでしょ』

 

 えっ?

 ハッとして横を見る。

 女中みたいな服を着た女性が首を傾げて見返してくる。

 

「おかわりをお持ちしましょうか?」

 

 おい、嘘だろ。

 人間にしか見えないぞ。

 

『人形だよ。歩いてたときにうなじを見てなかったの? うなじのちょい下に「No.001」って番号が刻まれてたよ』

 

 そんなとこ見ねぇよ。

 じゃあ、この女中は千年以上もこの部屋にいたのか?

 

 

『そうなるね。マスターに仕えてたんでしょ。通路にも部屋にも埃一つ見えなかったからさ。ずっと掃除でもしてたんじゃないかな。イイダソウジさんもまさか千年以上訪問者がいないとは思ってなかったみたいだね』

 

 そうみたいだな。

 さっきも「さすがに百年は経ってない」とか言ってたからな。

 

 モノはこの女中で、場所もすぐ隣だとわかった。

 そうなるとあとは名前か。

 

『名前がよくわからないんだよね。ビスの話を覚えてる? アラクトって設立当初は別の名前だったって話だよ』

 

 …………そんなこと話したっけ?

 

『したよ。たぶん、元はアラクトじゃなくてフラクト。都市の設立がダンジョンの後だとするなら、このダンジョンの本当の名前はアラクタルじゃなくて「フラクタル」』

 

 ふらくたるというのはどういうものなんだ。

 

『メル姐さんにわかりやすく説明することは俺の能力を超えてるから無理。でも、フラクタルで間違いないと思う。このダンジョンの似たような構造。それにソウジと相似』

 

 よくわからないが、それなら女中の名前は何になるんだ。

 

『イイダソウジは人形が好きなんだろう。ピュグマリオニズムだよ。さっきも永遠の美がどうのこうのと言ってたし。ってことはおそらくいつまでも続くものが好きだったんじゃないかと思うんだよね。このダンジョンも百階層という有限の中に数多の配置を持たせることでいつまでも楽しめるようにしてる。……俺はあんまり楽しめなかったし、好きにもなれないけど』

 

 そうだな。

 実際に千年も廃れていないわけだ。

 学校も、ギルドも、もちろん都市も今なお残っている。

 このダンジョンについては私もあまり好きになれない。

 

『有限の中に無限を含ませる。そうなると、彼女の名前もそれに因んでると思う。俺に続いて言ってみて。永遠、エタニティ、無限、インフィニティ、永久(とわ)。いや、ダンジョンの名前はフラクタルでフランス語だったことを考えると……』

 

 私もシュウに続いて復唱していく。

 

 ――アンフィニ。

 

 こう言ったところで女中がいきなり動き出した。

 またしても部屋に入り、四角い箱を持ってきてテーブルの上に置く。

 

[正解だ。彼女の名前はアンフィニ。町のみんなには呼びづらいって不評だったけどね。僕は気に入ってるんだ。君たちも彼女をアンフィニと呼んであげて欲しい。ダンジョンに連れて行っても問題ないよ。ファー○ーもどきなら単体で倒せるくらいにはチューンしているからね]

『チューンってレベルじゃねぇぞ』

 

 さすがチートは格が違った。

 アンフィニと呼ばれた彼女はぺこりと私に頭を下げる。

 人形と言われても、まるで人形には見えない。

 

[アンフィニ。マスターとして最後の命令を下す。新しいマスターに従え]

「イエス。マイマスター」

 

 アンフィニは間を置かずに返答する。

 

[それと、ずっと一緒にいてやれなくて済まない。お前には世話になりっぱなしだった。最後の最後まで駄目なマスターであっとことを許して欲しい。……もし新しいマスターに虐められたら、いつでもここへ帰っておいで。僕はきっと寝ているだろうから、いつもみたいに起こしてくれると嬉しい]

「……イエス。ソウジ」

 

 いやいや起こせって……。

 まさか、チートでよみがえったりしないよな。

 

 

 

 女中が一人増えたところでアラクタル迷宮の攻略は終了した。

 

 

 

 ここからあとは蛇足になる。

 

 超上級で手に入れたドロップアイテムを手に冒険者ギルドへ来ていた。

 闘技大会の影響で、まだまだギルドの中はスカスカ。

 暇そうにしている受付に向かう。

 

「どうされましたか!」

 

 よほど暇だったのか、受付嬢はウキウキと対応してくれる。

 

「『正体不明の小型動力』だ。超上級のクリア証をくれ。それと超上級のクリア証が二つになるから極限ダンジョンへの入場許可も頼む」

 

 ドロップアイテムである「正体不明の小型動力」と、ディオダディ古城をクリアしたときにもらった「超上級クリア認定証」を提出する。

 これでいよいよ極限ダンジョン――神々の天蓋に挑むことができる。

 

 受付嬢はアイテムを見つめて固まっている。

 この反応は最近よく見かけるため慣れてきていた。

 ディオダディ古城をクリアして、ギルドにファナを連れてきたときはもっとすごかったからな。

 

『あれはおもしろかったよね~。受付のお姉さんがファナに「飴ちゃんあげるね」とか言ったところで、ファナが翼広げてお姉さん泡吹いて気絶しちゃったもんね』

 

 周囲の冒険者が一斉にギルドから飛び出て、壊れた扉の修理代を請求された。

 その後で支配人も出てきて話し合いになった。

 上座に私とアイラ、ファナが座り、支配人が安っぽい椅子に腰掛けての一方的かつ平和的な話し合いだった。

 

 受付の机を指でコツンと叩いて受付嬢の意識を戻す。

 

「これ……本物ですか?」

 

 この質問も無理はあるまい。

 ここ百年は倒されてなかったそうだからな。

 見たことがなくてもしょうがないだろう。

 名前だけは知っているというやつだ。

 どうでもいいことだが、このアイテムを魔術ギルドに持って行くと名誉会員の席がもらえるらしい。

 

 なんにせよ、そのアイテムはさっき倒したばかりのほやほやだ。

 さっさと極限ダンジョンの入場許可証をくれ。

 

「しょ、しょう少々おまちくださひ!」

 

 受付嬢は慌てて席を立って、奥へと消えていく。

 舌を噛んだのか口元を手で押さえていた。

 

 これはあれだな。めんどくさい流れだ。

 ぶっちゃけギルドに提出するのが一番面倒だ。

 いろいろとよくわからない対応をしないといけないし。

 

『その面倒ごとを全部まとめて俺に放り投げてる人間が何言ってんのさ』

 

 そうなんだがな。

 お前の言葉を伝えるだけというのも案外だるいのだ。

 

 ちなみにアンフィニは私のすぐ後ろに控えている。

 ダンジョンを出てから何も言わず影のように付き従う。ちょっとこわい。

 

 その後は思ったよりも円滑に進んだ。

 闘技場に行ってる総支配人に代わり、支配人代理を名乗るエイク並みに図体のでかいやつが出てきた。

 そいつといくつか話したのち、極限ダンジョンの入場許可を受けとりそそくさとギルドを立ち去った。

 

 

 

 明日には神々の天蓋に出発する。

 冒険の必需品はそのあたりで買っていけばいい。

 

 町での噂を聞くにどうやらエイクは決勝戦にまで勝ち進んだらしい。

 明日もビスを送迎することが決定してしまった。

 よく考えたら明日になれば他のメンバーも暇になるだろう。

 わざわざ私が送る必要はないのではないだろうか。

 

『気に入られたんでしょ。メル姐さんは小さな子に好かれやすいよね。ファナやらビスやら、近所の子にも慕われてたし』

 

 子供の頃から頭が進歩してなくて悪かったね。

 

『なんでそんなに卑屈なの……。メル姐さんの数少ない長所だと思うよ。俺は子供に嫌われてたし。俺も子供は苦手だったからね。近づいただけで防犯ブザー鳴らされたときはほんと焦ったよ』

 

 よくわからんが、珍しく褒めていたようだ。

 とりあえず、明日はビスを送り届けたらさっさと旅立とう。

 

 そうなると残る問題は一つ。

 アンフィニだ。この女中をどうするか。

 強いと聞いているから旅に連れていってもいい。

 しかし、どこまでもついてこられると正直言ってうっとうしい。

 

 二人以上の団体行動は苦手なんだ。

 ファナを町に連れて行くときも歩調がそろわなかった。

 それに歴史的な貴重品とあっては下手に連れ回すのも気が引ける。

 うぅむ。

 おい、『一つ案があるよ』。

 

 はえぇよ。まだ名前を呼んですらないぞ。

 まあいい。案というのを聞こう。

 

『それはね――』

 

 

 

 翌日の朝。

 昨日と同じようにシスコンとビスが宿を訪ねてきた。

 

「アンフィニと申します」

 

 アンフィニが二人にお辞儀する。

 シュウの提案は単純。

 アンフィニをビスの護衛につければいいということだ。

 

 女性(型)で(人形にしては)話しやすい。

 ビスの提示していた条件に合致する。

 

 強さについては申し分ない。

 間違いなくエイクより強いはずだ。

 最強の護衛ではないだろうか。

 私からの信用もあると言って薦めた。

 

 詰まるところアンフィニはビスの護衛になった。

 アンフィニもマスターの命令には従うだけですとしか言わない。

 ビスは恐る恐る話しかけて、アンフィニも淡々と返答している。

 少し不安は残るが、時間をかけて仲良くなればいい。

 彼女たちには時間が有り余っているのだから。

 

 

 

 こうしてビスとアンフィニの背中を見届けて迷宮都市アラクトでの日程を終えた。



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最終話「神々の天蓋」

 神々の天蓋。

 超上級を上回る極限ダンジョン。

 制覇したものは冒険者ギルドの記録に存在しない。

 ギルド誕生以前。すなわち、千二百年前に遡っても制覇したという確かな記録はない。

 

 神々の天蓋は南にそびえる大山脈――レミジニア山系に存在すること自体はよく知られている。

 ダンジョンには雑魚モンスターがおらずボスだけが存在する。

 近年でも神々の天蓋にたどり着いたパーティは数組いる。

 ボスに続く扉だけがあるというのは本当らしい。

 

 たどり着くだけなら上級パーティーでもできるようだが、やはり扉を開けて戻ってきた者はいない。

 実はボスなど存在せず、その先にある世界に達したのではないかという噂もある。

 地に住まうものたちと天に住むものたちの境目。

 それが神々の天蓋だ。

 

 私も小さい頃から恋い焦がれていた。

 ボスがいるというならどんなものなのか。

 扉の先は噂のようにどこかへ通じているのか。

 力がなく半ば諦めかけていた夢だが、シュウに会ってその夢は再燃した。

 

 そして現在、私はその夢の前に立っている。

 

 アラクトからひたすら南へ南へと約六十日。

 関所に到達した。眼前にはすでにレミジニア山系が大きく見えている。

 極限ダンジョンへの入場許可証を見せ、衛兵に見送られさらに南へ。

 山道を登ったり下ったりして十日が過ぎた。

 ついにたどり着いた神々の天蓋。

 

『なんか……いかにもって感じだね』

 

 シュウの言うようにダンジョンとしての格式が外見に現れている。

 

 石造りの門が山の斜面を切り取るように屹立する。

 山道で襲いかかってきたモンスターも門の周囲には近づかない。

 周囲は雲に覆われ曇っているにもかかわらず、門の部分にだけ日の光が注ぐ。

 ここだけ世界から切り離されてしまっているようだ。

 

 門の入り口には様々な模様の入った旗や記章が置かれている。

 ここまでたどり着いた冒険者たちの証だろう。

 柱にまで名前を刻み込んでいる奴もいる。

 知っているものはなかった。

 

 門をくぐって、切り開かれた山の内部に歩を進める。

 通路も不思議な光に包まれ隅々まで見渡せる。

 床や壁、天井もくぼみ一つない。

 

 長い長い通路を抜けると開けた場所に出た。

 左右の壁にはよくわからない複雑な壁画が刻まれている。

 それがずっと奥にまで連なっている。

 その奥には扉があった。

 扉は入り口から見えるほど大きい。

 開けることができるのか疑問を抱くほどだ。

 

 扉に近づいてみると、扉の表面にもなにやら複雑な模様が刻まれている。

 模様がなにを示すのかよくわからないが、きっと意味のあるものなのだろう。

 

 私のほうは準備ができた。

 おい、シュウ。お前は大丈夫か。

 

『なに言ってんの、メル姐さん。俺はいつでも準備万端さ。ズプッと奥まで挿入できる』

 

 ちゃんと馬鹿を言ってるから大丈夫だな。

 よし、いくぞ!

 

 両の手のひらをぺたり扉につける。

 手の触れているところから白い光が模様をなぞるように走る。

 その光景に見とれながらも、力をこめてゆっくりと扉を押していく。

 

 ……あれ?

 

 扉が開かない。

 いくら力を入れてみても扉は微動だにしない。

 全力で押してみるが、扉はぴかぴか光るだけだ。

 

『二人以上で押さないと駄目とか?』

 

 嘘だろ。

 なんだよ、その対ソロ仕様。

 私はここまで来て、帰らなければならないのか。

 

「ずびばじぇーん!」

 

 どうしようかと扉の前で悶々としていると後ろから元気な声が聞こえた。

 驚き振り返ると男……いや女か。

 どっちだろう。どっちでもいいか。

 中性的な人物が通路の入り口からこちらにふらふらと走ってきていた。

 警戒はするが、その人物はぼろっちい服をまとっているだけで武具などはいっさい見当たらない。

 見た目だけなら私と同じ年頃だ。

 しかし、灰色の髪の合間から二本の角が生えているところを見るに亜人だろう。

 そうなると年齢も外面から判断はできない。

 

「いやぁ~。すびばぜんへぇ、おばたせしまひたぁ~」

 

 あ、ああ。

 なにがなんなのかよくわからない。

 てきとーに相づちを打っておく。

 

 その人物は顔を赤く染め、怪しい呂律で話しかけてくる。

 目もとろんとしていてはっきりしていない。

 口からは……うわ、酒くさっ。

 

「うへへぇ、ちょぉとシミリアへお酒を飲みに行ってたんですよ。へっへっへぇ~」

 

 そう言って、慣れ慣れしく肩を組んでくる。

 そのうえ、ぷはぁっと酒臭い息を吹きかけてきやがった。

 

 シミリアは聞いたことがある。

 遠く北にある雪国だ。強い酒で有名だったはず。

 

「おや、おやおやぁ。もしかしてお一人ですかぁ」

 

 普段ならイラッとするところだが、べろんべろんなためだろうか。

 離れて欲しいとしか思わなかった。

 

「はひゃ、はひゃひゃ。こいつはたまげたなぁ~。一人で来る人間なんて数千年はいなかったぞぉ。うへっ、へへぇ」

 

 は、はぁ、そうなのか。

 まともに相手にするのが馬鹿らしくなってきた。

 なんというか……うん、数千年?

 お前はいったい何者だ。

 

「あれぇ。もしかして、もしかするとこのわっちをご存じないっ?! なんともはやっ! って、よく考えたらわっちを倒してくれた人間なんて一万年はいなかったなぁ! ふひひぃ!」

 

 気持ち悪い声で笑い始めた。

 ヒッキー、ロリコン、シスコンの次はアル中か。

 

「よっしゃ。わかった、わかりました! わっちも本気出しちゃいます! 酔い覚ましに顔洗って、お水をちょろっと飲むからね! そのへんを軽くお散歩してから扉を開けてチョウダイ! うひゃあ、頭痛い。吐きそうだぁ! なぁんてな! うひょひょ」

 

 にたぁと下卑た笑みを浮かべると、アル中は扉に手を触れる。

 触れるというよりも、沈むというほうがより正確だった。

 ずぶりと扉に手が沈むと、全身も続いて沈み姿を消した。

 

『なかなか個性的なボスだね』

 

 やっぱりそうなのか。

 信じたくないが、あれがボスなのか。

 酒場にいるアル中にしか見えなかったんだが。

 とりあえず、言われたように軽く歩き回ってくるか。

 

『ノンノン。すぐ突入しよう。相手が本気を出せる状態まで、こっちが待つ必要なんてないっしょ。今なら相手が酩酊状態。有利に戦えるよ』

 

 ……それもそうだな。

 さすが卑怯者の考えることは違う。

 アル中の言葉を真に受けて待つこともない。

 突撃してしまおう。

 

 そう意気込み扉を再び押してみる。

 扉は今度こそちゃんと開いてくれた。

 見た目の大きさから想像できないほど軽く動く。

 

 

 

 扉の先は荒野だった。

 家も木も川もなにもない。

 荒れ果てた地面が広がっているだけ。

 屋内ですらなかった。

 振り返ると荒野にぽつりと立った扉が閉まり、光となって消えていく。

 荒野に私一人が取り残された。

 

 なにもない荒野といったが、実は灰色っぽい丘がある。

 しかも、その丘はもぞもぞと動いている。

 よくよく見ていくと丘でもなかった。

 

 丘はつっかえながらもぐるりと回る。

 ぐらぐらと丘が動くだけで地面が揺れる。

 やがて丘の端からなにやら巨大な双眸が出てきた。

 黄金の瞳孔は縦に割れて、値踏みするように私を見つめる。

 大きすぎてよくわからなかったが、きちんと見ると手と足、さらには翼までついている。

 

『ドラゴンかぁ……。この世界にはいないんじゃないかと思ったけど、やっぱりいるんだね。しかもラスボスですか。某シリーズの初代を思い出すよ』

 

 なんというか言葉が出ない。

 まさかここまでのものが出てくるとは想像していなかった。

 

 ドラゴンというのも子供向けの物語だけの存在だと考えていた。

 トカゲの大きいものくらいだと考えていたがとんでもない。

 この大きさはちょっと洒落にならない。

 ほんとに倒せるの、これ。

 

『一万年くらい前に倒した人はいたみたいだからなんとかなるよ。ほら、俺チートですしおすし。とりあえず攻撃してみよう』

 

 それもそうだな。

 ひとまず斬ってみるか。

 ドラゴンに近づいたところで足、もしくは腕を出され動きを制された。

 こちらに向いていた口が大きく開き、咆哮――をすることなく、おえぇぇと吐いた。

 

『これはだいぶ悪酔いしてますねぇ』

 

 どうやらそのようだ。

 頭はふらふら、瞳も定まらない。

 口からはねばっとした液体がこぼれ落ちている。

 気にしないでさっさと斬りつけよう。

 

 まずは私に突き出されていた腕(あるいは足)を斬りつける。

 斬ったという手応えはない。肌の表面をなぞっただけに思える。

 

『いや。たしかにめちゃくちゃ硬いけど、ちゃんと吸収はできてる。斬りつけただけでポイントが馬鹿みたいに入ってるよ』

 

 手応えは薄いが、きちんとダメージは通っているようだ。

 何度か斬りつけて状態異常も入ったことを確認できた。

 口からの吐瀉が先ほどよりも多くなった。

 

『ドラゴンというよりもゲロゴンだね。今のところ順調だけど、相手の攻撃には注意してね。重量が桁違いだから食らうと危ないよ』

 

 うむ。一撃でも食らうとやばそうだ。

 ドラゴンの胴体に近寄り、さらに斬り刻んでいく。

 抵抗はされるものの、酔って体調が悪いためかキレがない。

 軽く避けることのできる攻撃がぽつぽつ飛んでくるだけで、あとはひたすら吐いている。

 

 どれくらい斬りつけただろうか。

 とうに数十は斬りつけている。百に達しているかもしれない。

 それでもドラゴンの様子にさほど変化はない。ずっと吐いている。

 最初から弱っていると言えばそうなのだが、本当に攻撃が入っているのか。

 

『入ってる。めちゃくちゃ入ってるはずなんだけど、体が大きいからなのかな。特殊能力無効がうまく入ってない。攻撃の最中でも回復してると思う』

 

 じゃあ、どうすればいい。

 このままだとジリ貧になるぞ。

 

『メル姐さんがジリ貧って言葉を知ってたことに驚きだよ……。でも、その通り。そうなると頭か心臓にでも直接突き刺すのが一番かなぁ。心臓は刃が届きそうにないから頭だね』

 

 心底驚かれた。

 私だってジリ貧くらいは知っている。

 初心者時代に武器屋の親父から言われ続けてきたからな。

 

「メル。お前このままじゃ冒険者どころか人間としてジリ貧だぞ!」

 

 豪快に笑われたものだ。

 この話はもうやめよう。

 

 言われたとおりに頭を狙ってみるか。

 ちょうど地面に近づいてゲロゲロ吐いているからちょうどいい。

 胴体をよじ登り、背中、首と伝って頭に移動する。

 揺れているものの、踏ん張ればなんとか大丈夫そうだ。

 

 シュウを両手で逆手に持ち、脳天めがけて勢いよく突き刺す。

 頭の皮を突き破りシュウはゲロゴンの頭に突き刺さった。

 

 突き刺さった瞬間。

 ゲロゴンは咆哮した。

 空気は揺れ、頭に乗っていた私にも振動が伝わる。

 どうやら効果があったようだ。

 

『やばい。怒らせた。逆鱗は顎の下じゃなかったのか……。メル姐さん、後ろ!』

 

 顔だけ振り返るとそこには壁が迫っていた。

 壁に追突され、私は宙を舞う。

 シュウを手放さなかったことが不思議なくらいだ。

 どうやら追突してきたのは壁ではなく、腕あるいは足。

 能力プラスで耐久力も上がっているためか、痛みはそれほどでもない。

 

 飛んでいる最中でゲロゴンの縦長に割れた瞳と目が合った。

 瞳の中は炎のごとく揺らめいている。

 怒りの感情が読み取れた。

 

 地面にごろごろと転がり、正面を見るとゲロゴンが私を睨む。

 残念なことに酔いも覚めてしまったようだ。

 喉の奥から低い唸り声が聞こえてくる。

 ゲロゴンが私に向けて口を開く。

 

 喉の奥から赤いモノが見え、反射的に体を横に転がした。

 私の元いた場所を真っ赤な激流が通り過ぎた。

 赤い波は猛烈な熱を放ち、直接触れていないのにもかかわらず痛みを感じさせる。

 炎の波は地面を半円にえぐり取り、荒野を突き進んでいった。

 

『食らったら死んじゃうね。骨すら残らないよ。これ確信』

 

 ゲロゴンは外したことを確認すると、さらに炎の波を撃ってくる。

 炎を何度か撃つと今度は飛び上がり私に爪を振り落としてきた。

 

 なんとか避けることができたからいいものの、こちらも食らったら死ぬ。

 間違いなくシュウで防ぐこともできない。

 爪の振り落とされた地面は抉られるというレベルではなかった。

 地は長く割れ、底の見通せない溝を作ってしまっている。

 

 攻撃の動作はわかりやすいため避けることはできる。

 しかし、その一撃一撃があまりにも危険だ。

 腕を振るうだけでも必殺になる。

 

 おい、シュウ!

 得意のチートでなんとかならないのか。

 

『もうちょっとがんばって! 準備に時間がかかる!』

 

 とりあえず策はあるらしい。

 シュウも状況のまずさをわかっているのか。

 冗談抜きで返答してきた。

 

 その後も苛烈極まる攻撃を躱していたものの、砕けた地面に足を引っかけてしまった。

 バランスを失って地面に転がる。溝に落ちないようにするのが精一杯だった。

 隙としてはほんのわずかだった。されどゲロゴンはその隙を見逃さない。

 私に向けられた口からは赤の波が見えている。

 

 ――回避は間に合わない。

 

 そう悟ったときには既に、炎の奔流が眼前に迫っていた。

 

「シュウ!」

 

 思わず叫んでしまった。

 

『もうメル姐さんったら。炎の中で愛を叫ぶなんて熱烈なんだからぁ。僕ちゃん、照れちゃうぞ』

 

 必死の叫びへの返答はいつも通りふざけたものだ。

 返答にもあるように、私は炎の中にいる。

 熱さはまるで感じない。

 音も聞こえてこない。

 まさか、もう――

 

『死んでないからご安心を。でも、生きているとも言えないかもね』

 

 ゲロゴンは目を見張っている。

 炎の中でも生きている私に驚いているようだ。

 チートに慣れている私だって驚いているんだから当然だろう。

 

 ゲロゴンは地を蹴って飛び上がり、私に爪を振り下ろす。

 これはまずい。避け――

 

『避けなくていいよ』

 

 えっ、どういうことだ。

 聞き返すうちにゲロゴンの大きな爪は私の小さな頭へ振り落とされる。

 周囲には波状の衝撃が駆け抜けるが、私には一切の衝撃がない。

 ゲロゴンの爪は私の頭に触れたところで止まっている。

 触れたところと言っても、触られている感覚はない。

 

 ゲロゴンは足をどけると、さらに目を見張る。

 私が平然と立っていることに驚いているのだろう。

 うん。たぶん私も同じ顔をしているはずだ。

 

 ゲロゴンは足を横から振り払う。

 言わずもがな。結果は先ほどと変わらない。

 周囲に砂埃は舞うが、足は私に触れたところで止まる。

 私には足が触れたという感覚さえない。

 ゲロゴンの顔に困惑が浮かぶ。

 

 さて、シュウ。

 そろそろこのチートの説明を求めてもいいだろうか。

 

『なぜなにチートの解説がはじまるよ~。まず、このチートはね。一番最初――メル姐さんが初めて俺をにぎにぎしてくれたときからあったんだ』

 

 最初は毒付与だけじゃなかったのか。

 

『選択できるのが毒付与だけだったんだよ。選択欄には一番最初から存在してた。ポイントがあり得ないほど高いのと選択条件が能力プラス以外のスキルを全て外すってことだからね。そんなんだから説明もしなかったし、そもそも使えなかった』

 

 そうだったのか。

 それでこれはいったいどういう効果なんだ。

 今もゲロゴンの振り下ろした爪が私の肩で止まっているんだが。

 

『俺の世界でいうところの無敵状態だね。この世界だとなんて言うんだろう。ダメージが通らなくなるとでも言えばいいのかな』

 

 そうみたいだな。

 ゲロゴンが岩を投げ飛ばしてくるが私に触れた瞬間、勢いが止まって地面に落ちている。

 足に落ちても衝撃どころか重みすら感じない。

 

『いやー、これこそチートだよね。でも、攻撃どころか風すら感じないでしょ』

 

 ああ、周囲に砂埃が立っても風すら感じない。

 さきほどから周りの音はおろか自分の声すら聞こえない。

 聞こえるのは頭に響くシュウの声だけだ。

 ゲロゴンの口から漂う酒の臭いもなくなった。

 右側の視界もなくなり、地面に立っている感覚すら消えている。

 視線だけがここにあって、生身は現実から消えてしまったんじゃないかと錯覚する。

 

『さすがと言うべきか、ちゃんと自覚できるんだね。これこそ逃げ足だけが取り柄のメル姐さんに許された特殊スキル。人間関係から逃げるだけに止まらず、世界まで置き去りにしてしまうほどの驚異的な逃避。その名もまさしく――現実逃避』

 

 ゲロゴンも攻撃が無意味だと悟ったのか。

 ぼんやりとした目つきで私を見ている。

 

『別の見方をすれば、現実から逃げるんじゃなくて現実に逃げるとも考えられる。メル姐さんの意識こそが現実で、その他全てのものを非現実とみなす。これによりメル姐さんへの干渉をなくす。俺だけがメル姐さんと外の世界を繋いでるんだよ。視界の右がなくなってるのも、左手に持った俺が見ている世界をメル姐さんの視界に当てはめてるだけだからだろうね』

 

 お前の話はよくわからん。

 一言でまとめろ。

 

『攻撃なんて気にしないで俺でゲロゴンをぶった斬れば万事オーケー』

 

 最初からそういえばいいんだ。

 

 ゲロゴンへと足を進める。

 足裏にも体にも重みがない。

 歩いているという気がしない。

 動き出した私にゲロゴンは後退する。

 炎を吐き出してきたが、かまわずに進んでいく。

 近づいた私に大きく口を開き牙で噛みついてきたが、牙は私に当たって止まる。

 

 私はそのまま口から鼻、目、頭へとよじ登る。

 振り落とそうと必死に腕を振るが私には当たらない。

 体を揺らしているが、なんとか持ちこたえる。

 

 再びシュウをゲロゴンの頭に突き刺す。

 ゲロゴンは大きく身もだえる。

 おそらく声を上げているのだろうが、私には聞こえない。

 翼を広げて空を飛ぶものの、突き刺したシュウを握る私が落ちることはない。

 

 先に地面に落ちたのはゲロゴンのほうだった。

 体を地面にこすらせて不時着し、徐々に勢いが収まる。

 最期に腕を私の方へと伸ばしたが、届くことなく光へと消えていく。

 

 ゲロゴンの頭から落ちたが衝撃はない。

 ただ視点が変わっただけだ。

 勝ったという実感もない。

 

『もうこのスキル外すね。おもしろくないでしょ』

 

 ああ、と言ってみたものの本当に声が出ているのか心配になった。

 

 きちんと聞こえていたようで音、臭い、視界、触感と一気に感覚が私に戻ってきた。

 襲いかかる感覚に刺激すら覚えるほどだ。

 意味もない言葉を発して音を聞き。

 足踏みをしてここに立っていることの実感を取り戻す。

 

 勝ったという実感はないものの、勝ちは勝ちだ。

 ゲロゴンの落としたドロップアイテムを手に取る。

 

 ――灰かぶり竜の頼りない肝臓。

 

 ……なにこれ?

 今まで手に入れたボスのドロップアイテムの中でも名前が一番しょぼい。

 牙とか爪やら翼みたいな竜らしいものじゃないの?

 心臓でいいだろ。なんで肝臓なの?

 しかも頼りないって……。

 どういうことよ?

 

『落ち着いてメル姐さん。ほら深呼吸、深呼吸』

 

 落ち着くために息を吸う。

 

『吸ってー、もっと大きく吸ってー、鼻からもどんどん吸い込んでー。はい、吸ってー』

 

 そろそろ吐いていい?

 十分、落ち着いたからさ。

 

『名前で判断しちゃ駄目だよ。すごい効果があるかもしれないでしょ』

 

 そ、そうだな。

 それにアイテムよりも大切なことがある。

 

 扉だ。

 入り口の扉に加えて、もう一つ巨大な扉が現れた。

 この先にこそ、私の求めていたものがある。

 深く息を吸って扉に力を入れる。

 やはり扉は見た目よりも軽く開いていく。

 

 扉の先は先ほどと同じような遺跡であった。

 入り口の扉を開いてしまったんじゃないかと不安になったが、よく見ると細部が異なる。

 こちらは奥に通路が見当たらない。

 そのまま開けた空間から目映い光が差し込んでいる。

 

 その光に向かって足を運ぶ。

 ゆっくりと踏みしめるように歩いていたが、気付けば駆け足になっていた。

 早く、一刻も早く、光の先に何があるのかを知りたかった。

 

 私はついに神々の天蓋を超え、その先にある光を見た。

 どこまでも青く続く高い空。

 すぐ下を滔々と流れる川の水。

 どうやら小高い丘の上のようだ。

 

 ここは天より高く、空より低い場所。

 天の先には広大な世界が広がっていた。

 

「新世界の感想は?」

 

 後ろから声をかけられた。

 振り返るといつの間にかアル中が立っていた。

 なんでここにいるんだ。

 

「酔い覚ましに顔を洗って水を飲むって言ったろ」

 

 そう言って川を指さす。

 ああ、そう言えばそんなこと言ってたな。

 ボス部屋の荒野には水なんてなさそうだったし。

 

「しかし、わっちが人間なぞに負けるとは……貴様、本当に人間か? 道理の通じぬ奇妙な技を使いおる。倒されるなんてこっちの挑戦者を含めても一万二千年ぶりだぞ」

『八千年過ぎたらもっと恋しくなりそうだね』

 

 シュウは相変わらず何を言ってるのかわからない。

 そういえば、しゃべり方がまともになってるな。

 

「倒されたから全回復の状態で復活した。元はこんなしゃべり方だ」

 

 本当だろうか。

 酔っていたときの方がいきいきとしていた気がする。

 

「どちらでもいいだろう。わっちは水を飲みに行く。門を通ればあちら側には戻れるし、わっちのドロップアイテムを使えば貴様を迎えに行くことになる。面倒だから使うなよ」

 

 あの頼りなさげな肝臓はそんなことができるのか。

 それより、なんで一人称がわっちなんだ。

 

「うるさいな。わっちは今、機嫌が悪いのだ」

 

 フンと鼻を鳴らし飛び上がる。

 背中から翼が生え、体も竜の大きさに戻る。

 そのまま大きな影を地面に落としつつ川へと飛んでいった。

 川でばしゃばしゃと水浴びしている。

 ちょっとなごんだ。

 

『それでメル姐さんはどうするの。念願の「神々の天蓋」はクリアしちゃったけどさ。おうちに帰って惰眠でも貪る?』

 

 なに馬鹿を言っている。

 目の前に名も知らぬ土地が広がっているんだぞ。

 ここまで来て「じゃあ、帰るか」など言えるわけがないだろう。

 道なき道を突き進み、ダンジョンがあれば片っ端から攻略していくに決まっている。

 

『おぉ~! おかしいなぁ! なんかいま一瞬だけメル姐さんが冒険者に見えたよっ!』

 

 私、冒険者ですから。

 今さら言われるとは思わなかったよ。

 しかも、一瞬だけしか見えなかったのか。

 

 そんなことよりもだ。

 さっさと行くぞ、シュウ!

 私の足が早く進みたいと疼いているんだ!

 

『よっしゃ。それじゃあ、駆け抜けよう! メル姐さん! 俺たちの冒険は始まったばかりだぜ!』

 

 その通りだ。

 神々の天蓋の攻略は終了した。

 私の夢は叶ったが、冒険が終わったわけじゃない。

 むしろ、ここからが始まりと言っても過言ではないだろう。

 見ず知らずの土地をこれといった目的もなく突き進んでいくのだ。

 

『そこだけ聞くとさ。ただの迷惑な人だよね』

 

 うるさいぞ。

 まったく締まらないな。

 まあ、このほうが私たちらしいか。

 

 さて……そろそろ行くか。

 気負いすることなく一歩踏み出す。

 

 

 

 こうしていつも通りのふざけた調子で新たな冒険の幕が開かれた。



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蛇足
蛇足01話「魔王軍 vs 人間一匹」


 神々の天蓋にてドラゴンが一人の人間に敗れた。

 ことの始まりはその翌日となる。

 

 

 

 セルモンドは行軍中であった。

 魔王の命を受け、町を襲撃しに行く途中だ。

 四天王の一柱である剛拳のセルモンドが直々に人間を狩りに出向く。

 増えすぎたゴミどもに自身の無力さをわきまえさせる必要がある。

 

 前方に影ありと手下から伝言がきた。

 セルモンド自身も確認する。すぐに見つけた。

 荒涼とした原っぱを人間が歩いている。

 周囲に人影は見当たらない。

 

 人間は弱い。

 屈強な我ら魔族とは異なり、あまりにも弱く脆い。

 個々で敵わず集団となり武器を、魔法を、知恵を使い対抗してくる。

 対抗と言っても、その力はたかが知れている。脆弱にすぎる。

 ときどき潰して身の程をわきまえさせることが肝要だ。

 

 セルモンドの視線の先には、ひ弱な人間が一匹。

 人間もセルモンドたちに気付いたようで、ぼんやりとこちらを見ている。

 

「セルモンド様。食らってしまっても?」

 

 問われたセルモンドは考える。

 通常なら確認も取らずに食らっている。

 どうして手下が彼に確認を取ったかと言えば、場所が場所だからだ。

 

 ここよりすぐ北東には「灰竜の聖域」がある。

 竜の住まう丘より川に沿って下ったところにある小さな集落。

 そこでは人間どもが酒造を行っている。

 造られた酒はすべて竜への貢ぎ物だ。

 

 もし、この人間が聖域の者ならば手を出せない。

 過去に魔族が集落を襲って酒造が滞り、竜を激怒させた。

 魔王様が秘蔵の酒を送ることでなんとか怒りを収めたのだが……。

 四天王の二人が消滅、城も半壊という大惨事。

 これ以降、聖域に手を出すことはおろか近づくことすらも勅命によって禁止された。

 

 聖域の人間が外に出てくることはあれど、この辺りには滅多に来ない。

 それに聖域の人間であれば、竜の紋章をぱっと見てわかる位置につけている。

 

 荒野の先にいる人間にセルモンドは目を移す。

 人間の形状に詳しくないが、おそらく雌であろう。

 外見を見ても特に甲冑の類いは着込んでいない。

 あの様子では一撃の下に死に絶えると見える。

 右側の腰には小さな剣をぶら下げ。

 左側にはこれまたちっぽけなクロスボウがついている。

 今までに見てきた戦える種類の人間には見えない。

 どちらかと言えば、愉快な悲鳴を上げて逃げ回る人間に近い。

 聖域を示す紋章も見て取れない。

 それならば――、

 

「食らえ」

 

 生かしておく理由はない。

 そう判断して手下どもに食事を許可する。

 

 彼らはそれぞれ競い合うように人間へと向かっていった。

 あるものは無数の足を蠢かせ、あるものは巨体で地を揺らしていく。

 セルモンドも余興を見物するため、人間に歩を進める。

 

 手下どもが向かうとほぼ同時。

 人間は腰にぶら下げていた剣を抜いた。

 どうやらあの人間は我が手下たちと戦うつもりのようだ。

 手下と言えど、四天王セルモンドの選ぶ力量のある魔族である。

 あの人間は小さな剣でいったいどうするつもりなのか。

 

 いよいよ先頭集団が人間に襲いかかった。

 セルモンドの位置からはすでに人間の姿が手下に隠れ見えなくなった。

 

 次の瞬間には人間の姿が微塵も残らず消え、手下が戻ってくる。

 ――彼の予測は外れた。

 

 消えたのは人間ではなく、セルモンドの手下たち。

 倒れるのでも引き裂かれたわけでもない。

 光となっていなくなった。

 

 光の粒子の合間から人間の立ち姿が映る。

 剣を振ったのか位置が体の横に移動していた。

 

 セルモンドはその光景に思わず足を止める。

 一方で勢いづいている手下たちは止まることはない。

 光に包まれている人間へと一直線に向かっていく。

 

 そして、彼らも光と消えた。

 あまりにも一瞬の出来事だった。

 先頭の一人が倒れるだけではなく、後続のものたちも倒れていく。

 人間は倒れたものたちに次々と容赦なく剣を突き刺す。

 すぐに手下達は光と消えていった。

 

 セルモンドは呆然と彼らを見送った。

 夢を見ているのではないかと目をこする。

 再び目を開くとやはり手下たちの姿はどこにもない。

 地を引きずった跡がセルモンドの周辺から伸びている。

 その先には人間が一匹。

 

 どうしてもただの人間にしか見えない。

 人間は部下の進行により草が抉られ剥き出しになった地面を歩く。

 焦れるほどの歩調でセルモンドに向かってくる。

 

 セルモンドは足を後退させた。

 無意識だ。彼の無意識がこいつは危ないと訴えている。

 

 だが、彼にはその事実が受け入れられなかった。

 

 目の前にいるのは人間。

 様々な手段を用いて抵抗をしているが、しょせんは魔族の糧となる存在。

 そんな矮小極まる生物に対して魔王軍四天王である剛拳のセルモンドが恐怖を抱いている。

 

 そんなこと――あってはならない!

 

 セルモンドは人間へと大きく足を踏み出し、全力で拳を振り下ろす。

 人間に近づくと彼は力が抜けるような感覚に襲われた。

 それでも振り下ろされた拳は地に深々と沈み込む。

 すでに人間の姿はない。

 拳の下だ。

 

「そうだな……。上級くらいか」

 

 低くかすれた音がセルモンドの後ろから響く。

 彼は人間の言葉を解さないため何を言っているのかはわからない。

 

 振り向こうとしたところで彼は目眩に襲われた。

 痛みのあと、全身の力が抜けていく。

 膝を落とすこともできなかった。

 足が光へと消えていっていた。

 すぐに視界も暗転する。

 

 オレ様が、死……。

 

 セルモンドの思考は最期までもたなかった。

 魔王軍四天王が一柱――剛拳のセルモンドは消滅した。

 

 

 

 魔王城の一室は重い空気に満たされていた。

 

「セルモンドがやられた?」

 

 凶報を受けた魔王は吐き出すように呟く。

 たったそれだけの動作で室内の空気はいっそう重く冷たくなる。

 

「はっ、我が部下の報告によりますと一匹の人間により滅ぼされた、と」

 

 鋭いくちばしを持ち、今は翼を畳んだ鷹のような魔族が答える。

 彼こそが四天王の一柱――裂空のカルロである。

 カルロは続ける。

 

「されど魔王様。セルモンドは四天王といえど我らの中でも若輩にして最弱」

「人間に負けるナド、魔族の面汚しダ」

 

 体がどろどろと溶けては落ちるスライム状の魔族もカルロに続く。

 性別はないが、どちらかと言えば心が女なスライム――不浄のフグイラである。

 彼女の口から出た瘴気に魔王とカルロは顔を歪める。

 

「エドに続いて、セルモンドまでやられるとは……」

 

 つい先日も聖女とやらに曇天のエドがやられたばかりだ。

 意趣返しとしてセルモンドを送ったが返り討ちにされてしまった。

 しかも、その人間は魔王城に向けて歩を進めているという。

 噂の聖女ではないようだが、警戒するに越したことはない。

 

「情報を集める必要がある。見てこいカルロ」

 

 ハッ! とカルロは快活に返答する。

 彼は部屋を出る寸前に翼を止め、魔王を振り返る。

 

「ところで魔王様。見てこいと仰りますが、殺してしまっても構わないのでしょう?」

 

 魔王は口端をつり上げ嗤う。

 

「無論だ。魔族のなんたるかを人間に刻み込んでこい」

 

 この言を聞くや否やカルロは部屋から飛び出した。

 

 

 

 城より飛び出したカルロは部下を連れ、セルモンドが行軍していた道をたどる。

 はるか上空より道なりにたどっていくと、人間の姿が見えた。

 たった一匹。周囲をよく見ていくが伏兵はない。

 周囲の部下も確認できないようだ。

 

「あれ、ではないよな……?」

 

 カルロは困惑する。

 声にも出てしまっていた。

 

 人間は道なりにとぼとぼ歩いている。

 じっくり見てみるが武器は片手剣とクロスボウのみ。

 どうやってもあれではセルモンドを討ち取ることなどできない。

 

 ――とは言っても、ここは魔族の領域だ。

 ここにいるということと、人間の来た方向は東。

 これらの情報からセルモンドはやはりこの人間にやられたと導かれる。

 

 人間もカルロらに気付き、眠そうな目をさらに細めて見上げる。

 口もうっすらと開かれ間抜けな顔だ。

 なんにせよ排除する必要がある。

 

「右翼部隊。かかれ」

 

 カルロは自身の右を飛ぶ部下に号令をかける。

 部下たちは人間に向かい急降下を始める。

 

 人間も徐に剣を抜く。

 焦りはまるで見て取れない。

 

 部下たちは人間まであとわずかというところで地面に落ちた。

 

「なにがおこっている……」

 

 カルロの質問に答えられるものはいない。

 地に落ちた部下たちは順々に剣を突き立てられる。

 血は一滴も出てこず、淡い光の粒子となって消えていく。

 

「近づいてはならん。このまま様子を見る」

 

 人間は地に落ちた部下たちをすべて片付けるとこちらを見上げてくる。

 じっと見てくるだけで何か仕掛けてくる様子はない。

 ぶつぶつと独り言を漏らしている。

 魔力の流れに乱れ無し。

 詠唱ではないな。

 

「全部隊。我に続いて詠唱を始めよ」

 

 地対空の攻撃手段がないのなら、空より魔法で一方的に攻めるのが良い。

 カルロはそう判断し詠唱を始める、が、

 

〈くわぁあぜのぉぬぁぐわぁれぇうわぁ――〉

 

 詠唱がおかしい。

 早く詠もうとするが、口がついていかない。

 詠唱を止めようとしたものの、止めることもできない。

 次の言葉が勝手に口から出てくる。

 

 なんだ! なんなんだこれは!?

 

 周りを確認するとどうやら我だけではないようだ。

 部下たちも慌てふためいている。

 

 ふと人間を見ると剣を顔の前に立てていた。

 刀身が赤く染まり始める。

 

 なにかわからないが、あれはまずい。

 避けろと声を出したいが、詠唱のせいで叶わない。

 このままではいけないと飛ぶ軌道を変える。

 

 ――まさにその瞬間。

 

 カルロのいた場所。

 すなわち、部下たちが未だ密集している場所を赤い帯が通過した。

 赤い帯はそのまま雲に穴を開け、上空に飛んでいく。

 帯の通過した地点に部下は残っていない。

 

 赤い帯が炎だと気付いたのは、熱波で翼が焼かれてからだった。

 翼をなくした我は為す術なく地面に引っ張られる。

 そうしてカルロは地面に激突した。

 

 落ちた衝撃では死ぬこともできない。

 朦朧とした意識の中で足音が聞こえてきた。

 視界もぐにゃりと歪み、はっきりと見えないが人間だろう。

 

「……うむ、まったくだ。さすがゲロゴンを倒して手に入ったスキルというだけあるな」

 

 また独り言だ。

 げろごん? すきる?

 人間の言葉はわかるが聞いたことがない。

 それとも耳がいかれてしまっているのだろうか。

 息もうまくできなくなっている。頭が割れるほどの痛み。

 おかしい。焼かれたはずなのに翼が寒い。凍ってしまいそうだ。

 痛い。体が痛い。ぶつけた頭が痛い。焼きただれた翼が痛い。

 こんなにも痛いのに口は痛いとも言わず詠唱を続ける。

 

「そうだな……。楽にしてやろう」

 

 人間はそう言って剣をカルロの頭に突き刺した。

 彼はすぐさま光となって消えていく。

 

 四天王の一柱――裂空のカルロは痛みから解放された。

 

 

 

「全滅……?」

 

 魔王は報告が信じられず聞き返す。

 配下も今一度報告を繰り返して伝える。

 

「タダの人間ではナイ」

 

 フグイラは焦らない。

 人間がアレマメイズに向かっていると聞いた。

 アレマメイズは彼女の本拠地。あそこなら彼女は魔王とも互角以上に戦える。

 それならば人間はもう死んだも同然。

 誰も疑うことはない。

 

「行ってクル」

 

 魔王の返事を待つこともなくフグイラは部屋を出た。

 

 

 

 フグイラはアレマメイズにて待ち構える。

 

 彼女は部下も配下も持たない。

 昔はいたが彼女の毒にやられて死に絶えた。

 

 セルモンドやカルロは部下の数で自慢しているが、それは自身が弱いと認めているにすぎない。

 自身の無力さを数でごまかしているだけ。数の宣伝は、すなわち弱さの宣伝。

 そんな体たらくだから、人間ごときにあっさりとやられてしまったのだ。

 魔王も然り。あの男がやられる日も遠くないと彼女は考えている。

 

 魔王本人も年を取ったと話していた。

 力もだいぶ衰え、人間に反逆を許している。

 後進魔族の育成を怠ったのがまずかったと言える。

 今の若手は血の気ばかりが多く。実力がまるで伴っていない。

 魔王の後釜を探しているようだが、そんな奴は見つからないだろう。

 どいつもこいつも部下の数を誇るだけだ。

 

 別に部下の多さをうらやんでいる訳ではない。

 部下や仲間と楽しそうに話してる連中が妬ましい訳もなく。

 人間の町を襲うまでの道中、話し相手がいなくて寂しいと感じるはずもなく。

 ましてや触った相手を悉く溶かす自身の力を忌まわしいと思ったことなんて一度足りたもありはしない。

 いやほんとに。

 

「羨まシクなんか……ナイ」

 

 …………実を言うとちょっと羨ましい。

 ほんとにちょっとだけ。

 

 せめてまともに話せる相手がいればなぁ、と思ったこともあったがもう諦めた。

 魔王の下なら見つかると思ったが、気付けば四天王の一柱になっていた。

 今や魔王さえも彼女の毒に顔を顰め、会話も二言、三言で終わる。

 いっそ彼女が魔王を引き継いでやろうかと考えたこともある。

 しかし、配下はどうせ毒で死んでいく。むなしいだけだ。

 

 そんな思考を三周ほどしていると件の人間がやってきた。

 報告にあったとおり、たった一匹。

 ぶつぶつ独り言を愚痴ている。

 気持ち悪い奴だ。

 

 さっさと殺してしまおう。

 人間にはなんの期待もできない。

 過去にも強いと言われていた人間はいた。

 

 あれは三百年くらい前だっただろうか。

 勇者などと呼ばれ、魔法使いに格闘家、あと一匹はなんだっだかな……。

 とにかく、人間がたった四匹で魔王城へと邁進していた。

 現在同様、当時の四天王もフグイラ以外やられた。

 満を持して彼女が出向いた。

 

 楽しみで仕方なかった。

 勇者と呼ばれるくらいだ。

 フグイラの毒など効かず、倒してくれる。

 見た目は愛嬌のあるスライムだ。これはいける!

 うまく倒れたところで起き上がって見つめれば、きっと仲間にしてくれる!

 

 いざというときのため人間の姿に変形する練習もした。

 人間の言葉は解せないが、物覚えはいい方だ。

 すぐに意思疎通できるようになるだろう。

 

 ――そんな淡い期待をしていた。

 

 結果は無情。期待は溶けて消えた。

 魔法使いは瘴気にやられ詠唱もできない。

 格闘家とあと一人もフグイラに攻撃し、毒で溶けた。

 勇者の持っていた剣は毒に耐えたが、持ち主が溶けてなくなった。

 持ち主を失った剣だけが今も地面に突き刺さったままだ。

 悟った。人間では彼女の毒に耐えられない。

 今や魔族ですら耐えられない。

 聖女とやらも同じだろう。

 

 さて、そろそろ殺してしまおう。

 フグイラは人間の正面から堂々と近づく。

 人間も気づいたのか足を止めてフグイラを見つめる。

 

 アレマメイズは瘴気に満ちている。

 フグイラが長年住み着いたせいで瘴気はより濃厚になった。

 一段と濃密になった瘴気がフグイラを強化するという循環を形成する。

 さらに迷路状の構造になっており、来訪者を確実に毒で蝕み殺す。

 昔はいくらか魔族が住み着いていたが、今はフグイラ一人だ。

 

 この瘴気の中でも人間は平然としている。

 さすが四天王を二人倒しただけのことはある。

 なにかの加護か装備により耐性をつけているのであろう。

 ただ、この瘴気はフグイラにとっては毒と言うのも憚られるものだ。

 彼女自身の毒に比べれば、こんなもの外の空気と変わりはない。

 むしろ、こちらの方が落ち着くというもの。

 

 人間は剣を抜き、フグイラに近づいてくる。

 フグイラは自身の一部を分離させ人間に飛ばす。

 

 これで終わりだ。

 粘液がかかれば即死。

 体はすぐに溶けて消える。

 

 飛ばした粘液は軽く避けられた。

 しかし、問題はない。

 気化した毒ガスが死に至らしめる。

 ――はずだった。

 

「ホウ!」

 

 フグイラは感嘆の声をもらした。

 人間は死んでいない。まだ歩いている。

 顔も変わりはない。おそらく大丈夫なのだろう。

 かなり強い耐性をもっているようだ。

 殺すのが惜しくなってきた。

 

 人間は近づいてきて剣を振るう。

 フグイラは避けない。物理的な攻撃は効かない。

 それを彼女自身が一番理解しているため、その後の現象が理解できなかった。

 

 熱い。斬られた部分が異常に熱い。

 体から力も抜けていく。

 彼女は思い出した。

 これは痛みだ。

 

 痛みなどここ五百年はなかった。

 しかも物理的な攻撃で痛みを感じたのは初めてだ。

 なんだあの剣は……。なにか属性的な加護を受けているのか。

 これはまずいと思ったのもつかの間。

 人間が彼女の体に触れた。

 

 あ、終わった……。

 

 溶けて死ぬ。あっけない終わり、と思った瞬間。

 人間は剣を彼女に突きだしてきた。

 驚きのあまり体がとろける。

 おかげで回避できた。

 

「い、生きテルっ!?」

 

 驚きという言葉ではなまぬるい。

 人間は先ほどと何も変わった様子はない。

 毒で溶けるどころか死んですらいない。平然と斬りかかってくる。

 

 フグイラの中で喜びと恐怖が同時にふくれ上がっている。

 自身に触っても大丈夫なものを見つけた喜び。

 自らの命の危険及び未知の生命体への恐怖。

 

 外見は人間だが、こんなものが人間であるはずがない。

 さらに先ほどからうまく力が入らず、頭がもうろうとしている。

 彼女は自身が毒に冒されるなどなかったため、これが毒だとはわからなかった。

 

 フグイラの混乱は極まった。

 なんにせよ、このままではまずい。

 せっかく自身の毒を受け付けないものを見つけたのに消える訳にはいかない。

 すでに敵意はない。敵意なんてあるわけがない。

 死にたくない。その一心で攻撃を躱す。

 

 一か八かの賭だった。

 フグイラは体を変形させた。

 かねてから練習しておいた人間の形状だ。

 彼女の姿を見て未知の生命体は初めて表情を変えた。

 人間の顔の造詣には深くないため、彼女はその顔がどういった感情なのか理解できない。

 ただ、攻撃の手を止めたことから敵意がないことはわかってもらえたようだ。

 なぜか剣を蹴りつけたが、これはいったいどういう感情表現なのだろうか。

 フグイラは自身の外見が美女の裸体になっていることを知らなかった。

 

「とにかくだ。敵対反応は消えたし放っておくか。しょせんスライムだし」

 

 生命体は何か喋るがフグイラには理解できない。

 剣を背に回して見えないようにして、生命体もフグイラへの攻撃を収めてくれた。

 

「しかし、困ったな。似たような場所を行ったり来たりだ。得意のチートでどうにかならんのか」

 

 謎の生命体はまた独り言を始めた。

 やはりフグイラには何を言っているのかはわからない。

 こんなに近くにいるのに会話すらままならないことが悔しい。

 

「おお、それはいいな」

 

 生命体がなにか呟くとフグイラに近づいてくる。

 そうして魔王城をビシッと指さした。

 案内しろということらしい。

 

 アレマメイズではほぼどこからでも魔王城が見える。

 見えているのは瘴気に歪められた幻影で、追えば追うほど道に迷う。

 目標は見えているのにいつまでも辿り着くことはできない。

 近づけば近づくほど、実際は遠ざかっている。

 どうやらこの生命体も迷っていたようだ。

 

 この生命体を魔王城に連れて行けば、フグイラは裏切り者。

 だが、この生命体が魔王を倒せば問題ない。

 今の魔王では絶対コレに勝てない。

 全盛期の頃でも勝てないだろう。

 恐怖の度合いがまるで違う。

 そうだ。コレこそが――。

 

 フグイラは生命体に手を伸ばす。

 人間の親睦の証は手を握り合うことだったはず。

 目の前の生命体は決して人間などではないが、姿を模しているなら同じ文化にいたのかもしれない。

 今一度、彼女に触れられるか確認しておきたい。

 

 生命体は警戒しつつもフグイラの手を握る。

 手が重なり合うも人間は溶けることなく平然としている。

 相手の触感を楽しむなんていつ以来だろうか。

 

 もう迷わない。

 フグイラは生命体の手を牽いて魔王城に向かう。

 

 ついに念願の接触を果たせた。

 できることなら話もしてみたい。

 動きで意志を伝えるのはあまりにも味気ない。

 せっかく触ることができたのに、相手の名前もわからないのは寂しい。

 

 フグイラは人族の言葉を覚えると固く胸に誓いアレマメイズを抜けた。

 

 

 

 アレマメイズが突破された。

 この報告に今度こそ魔王は耳を疑った。

 

 あり得ない。

 アレマメイズの突破。すなわちフグイラの敗北だ。

 瘴気のたちこめるあの場所でフグイラが負けることなど考えられない。

 魔王ですら苦戦……いや、今の彼に勝つことは難しいだろう。

 人間がそれを打ち破った。

 

 ……本当に人間か?

 人間に擬態した魔族ではないのか。

 魔族ならどれだけ喜ばしいことだろうか。

 新たな魔王誕生を諸手を挙げて祝っているところだ。

 しかし、人間なら魔王として、魔族の王として戦い抜かねばなるまい。

 

 城内は騒然としている。

 人間は堂々と正面入り口から入ったらしい。

 騒音は一時最高潮を迎え、徐々に静まっていく。

 

 そして、ついに魔王の間の扉が開かれた。

 

 どう見ても人間一匹。

 左手に安っぽい剣を持っているだけの人間。

 かつて戦った人間の豪傑らしき気配は感じられない。

 ちょっと臭うが魔族特有の臭いではない。

 人間臭さがにじみ出ている。

 

 見た目こそぬぼーとしているが、この部屋までたどり着いたことは事実。

 まずは切り結んでみるかと、歩を進める。

 このとき魔王はまばたきをした。

 敵を前にしてのまばたき。

 油断に他ならない。

 

 まばたきは瞬きと書くだけあって、目を閉じたのは一瞬だった。

 魔王の目蓋が上がると、人間はすでに魔王の眼前に立ち剣を振りかぶっていた。

 彼の尖った耳には人間が踏み込んだ床の音が遅れて聞こえてきている。

 さすが魔王と言うべきか、反射的に槍で脳天への一撃を防ぐ。

 槍から腕に伝わる重みは人間のなせる重みを超えていた。

 魔王が両手で防いでいるのに対し、人間は片手である。

 

 それだけではない。

 さきほどまで感じなかった圧力を魔王は感じていた。

 自身の命が目の前に人間に掌握されている感覚。

 体がうまく動かない。全身が竦んでいる。

 

 槍から軋む音が響くと同時に魔王は槍を手放し、人間から距離を取る。

 英断と言えよう。あとコンマ一秒でも遅ければ槍は折れ、魔王の体は一刀のもとに切り崩されていた。

 

 彼の手放した槍はシ・グラムと呼ばれている。

 魔王の祖であるシグが南の黒竜を討伐したときに背骨から作った竜槍だ。

 シ・グラムこそが魔王の証であり、魔王の力の象徴である。

 その象徴をこの人間は魔王から手放させた。

 あろうことか折る寸前まで追い詰めた。

 

 人間ではない。

 魔王は距離を開け、己の誤解を正す。

 見た目は明らかに人間だが、その実は魔人だ。

 

 魔人――魔族と人間の間にできた忌み子。

 数千年に一度誕生するかどうかと言われている存在である。

 魔族と人間の相反する力が奇跡的に混ざりあうことで異常な力を持つ。

 魔王の祖であるシグも魔人であったという説があるくらいだ。

 この尋常でない力は魔人でしか説明できない。

 

 目の前の存在が魔人と言えど半分は人間。

 純粋な魔族である魔王が力で負け、追い詰められた。

 

 慢心だ。

 魔王という地位に酔い。

 力の象徴である竜槍にもたれかかっていた。

 地位に、武具に頼っていたのでは人間と変わらない。

 魔族の本質である純然たる力を魔王本人が忘れていた。

 王がこの体たらくでは、魔族も衰退するはずだ。

 

 それならばだ。

 見せつけてやらねばなるまい。

 魔人という半人半魔という中途半端な存在に――。

 

 魔族の圧倒的かつ最純な力を!

 

 全身に力をこめる。

 かつて魔王の地位にまで駆け上がったときの力を引き出す。

 今一度、この身に魔力をほとばしらせる。

 魔王を示すのは服や装飾品ではない。

 もはや着飾るものなど不要。

 力あるのみだ。

 より硬く、太く、長く。

 すべてを蹂躙する力をこの身に宿す。

 

 皮膚は膨張し、内側の筋肉も密度を増していく。

 内側から生成する魔力は、外側にまでにじみ出ている。

 最近は縮んできていた二本の角も、天を貫く如くより伸びてきた。

 

 間違いない。

 今こそが魔王の全盛期。

 彼はかつての限界を超え、これからの魔王に遷移しつつある。

 

 まだだ!

 まだ力は湧いてくる!

 今までどこにあったのかわからない力が己が内より湧き出てくる!

 

「ウォォォオオオオオオ!」

 

 雄叫びが部屋を、城を、大地を揺るがす。

 もう少しだ。もう少しで魔王としての力は完成する!

 

「グゥオオ――」

「長いっ!」

 

 最後の仕上げと言わんばかりに声をあげたところで、魔人に斬りかかられた。

 避けることはできそうにない。

 

 一撃はくれてやる。

 現在の皮膚に剣の攻撃など無意味。

 剣を弾き返して、全力の一撃をちっぽけな身に叩き込む。

 

 魔人の剣撃に対し、魔王の皮膚にはかすり傷が一つ。

 見た目から読み取れるダメージはないといっても過言ではない。

 

 しかし、魔王は膝をついた。

 その精悍な肉体は悲鳴を上げた。

 痛みも痒みと言っていいものであった。

 

 問題は魔力だ。

 外にまで滲んでいた魔力が消えた。

 消えたというのは正確ではない。

 吸い取られたというべきだ。

 全身に駆動していた魔力どころか源泉から全て吸い取られた。

 安っぽい剣はただの硬い剣ではなかったか。

 魔力を吸収するとは魔族の天敵だ。

 

 魔人は膝をついた魔王に容赦なく追撃を加える。

 魔力を失った王に抗う術はない。

 

 魔族を凌駕する絶対的な力に、道具に頼る人間の脆弱性を認める力。

 二つの力の融合とは、げに恐ろしきものか。

 なるほど。これは、勝てぬな……。

 名前を聞いて…………。

 

 魔王は敗北を悟り、目蓋を下ろして長い眠りに――つかなかった。

 

 目が覚めた。

 慣れ親しんだ魔王自身の部屋が目に映る。

 己は確かに死んだはず。魔人に倒されたはずだ。

 体を見ても傷は一つ残らず消え去っている。

 斬られた傷も、刺された穴もない。

 夢を見ていたのかと部屋を見る。

 竜槍が床に転がり、その先には床の窪んだ跡がある。

 夢ではないようだ。

 

 振り返ると奥の扉が開き、最上階への緩やかな螺旋状通路が見えている。

 魔王は竜槍を拾い上げ、未だ夢見心地で通路を上っていく。

 この通路の先が死の世界なのだろうか、そんな思いを抱きながら。

 

 最上階には人間が立っていた。

 人間ではない、魔人だ。

 

「これはどういうことだ?」

 

 魔人は振り返り剣を構えたが、すぐに下ろす。

 

「さすがボスとあって、リポップが早いな」

 

 魔王は言葉がわからない。

 人間の言葉だとはわかるが、何を言っているのか理解できない。

 

「お、そうなのか。……もういいのか」

 

 魔人はぶつぶつ話す。

 最後の言葉は理解できた。

 もういいのかと、言ったはずだ。

 

「通じているか?」

 

 魔人は魔族の言葉を喋る。

 いや、よく見ると口が別の動きをしている。

 どうやら魔法で意志を通じさせているようだ。

 似たようなことをした人間を見たことがあった。

 

「通じている」

 

 魔王は一言、こう返す。

 どうして死んだはずの己が生き返っているのか聞きたい。

 だが、今はそれ以上に気になっていることがある。

 

「魔人よ。貴様は何者だ?」

 

 まずは魔人の名前と正体を知る。

 

「魔人? 私はメル。冒険者をやっている」

 

 メル。

 名前は平凡。

 威圧感もなければ威厳もない。

 

 その上、冒険者と名乗った。

 魔族の領域に入り込む危険を顧みない馬鹿な人間の総称だ。

 それはあくまで弱い人間の呼ばれ方である。

 冒険者より侵略者の方が正しい。

 

「いったい何の目的で我が城までやってきた?」

 

 城に来た目的。

 討伐で来ていたと思っていたが、どうも違っている。

 己はなんらかの高位な魔法で復活させられた。

 討伐が目的なら復活させることはない。

 

 なによりも竜槍が床に転がっていた。

 あれこそが魔王討伐の証。

 魔王の証でもある。

 それ故、魔王に成り代わるつもりもないということだ。

 

 そうだというならこの魔人は何をしにきた?

 

「言っただろ。私は冒険者。西に前人未踏の地があると聞いたんでな。踏破しに来た。ダンジョンもあるとはお誂え向きだ」

 

 人間の表情に詳しくない魔王でもわかるほどの得意げな顔で魔人メルは語った。

 どうやら侵略者でもない、観光者が正確であった。

 ダンジョンが何なのか魔王にはわからない。

 なぜ剣を蹴っているのかも理解できない。

 意味のわからないことだらけだ。

 

 魔人は己が欲求のためだけに魔王軍を壊滅させた。

 この力の行使こそ魔族のあるべき姿であろう。

 冒険者も侵略者も魔人には似つかない。

 観光者もふさわしいとは言えまい。

 

 魔人が呼ばれるべき名称を魔王は知っている。

 

 そして、決断した。

 魔王として最後の責務だ。

 手に持った竜槍を魔人に差し出す。

 魔人はぼんやりと眺めたのち竜槍を掴んだ。

 

 

 

 こうして新たな魔王が誕生し、魔族の繁栄は約束された。



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蛇足02話「ビッグメェール、ティーターイム!」

 神々の天蓋を越えて、私は元の世界に戻った。

 

 そう。元の「世界」だ。

 シュウが言うには、どうやら神々の天蓋を境にして北と南では法則の異なる別世界になっているらしい。

 実際、神々の天蓋を越えた南の世界にはダンジョンと呼べるものがなかった。

 

 あちらの世界ではモンスターも魔族と呼ばれている。

 ダンジョンという縛りを受けず人間と同様に外を歩き回っている。

 人もいたが、世界の大半は魔族に支配されているようだ。

 

 さらに南の世界では、魔族は死ねば野ざらしだ。

 北の世界――こちら側のようにリポップして生き返ることはない。

 他の魔族の餌となる、腐り果てる、あるいは人間に利用されるかとなる。

 

 ただし、あちら側で異世界人となる私は別の法則が働いた。

 私の手にかかって死んだものは光に消え、こちらと同様に時間経過でリポップする。

 チートの力はあちら側でも効果を発揮し、魔族もこちらのモンスターと同じように倒せてしまう。

 私にとって、あちら側の世界はダンジョンがないだけに過ぎないものだった。

 外でもモンスターが多いんだなぁくらいとしか感じなかったのだ。

 もっと言うと世界そのものがダンジョンのようなものだろうか。

 そのため世界の法則の違いに気づくのが遅れた。

 

 遅れすぎて――手遅れになっていた。

 

 まず、神々の天蓋のすぐ近くにあった集落で西に前人未踏の領域があると聞いた。

 それなら行ってみるしかないなと意気込み、西に進路をとった。

 世界が違うとか、法則が違うとかそんなこと知らないままに。

 探索は問題なかった。モンスターもせいぜい中級程度。

 たまに上級ボスくらいのものもいた。

 

 しかし、ゲロゴンを倒して一段と力を増した私とシュウの前に上級ボスクラスではなんともない。

 ゲロゴン撃破の特殊技も手に入れ、止まるところを知らなかった。

 西へ西へと多くのモンスターをなぎ払いつつ進んだ。

 その結果――、

 

『ねー、魔王さま。仕事ほっぽり出してきていいの?』

 

 そうなのだ。

 魔王になってしまっていた。

 

 西の果てにダンジョンを見つけ、階段を上っていきボスを撃破。

 強さは超上級ボスくらいだっただろうか。

 吸血鬼のファナといい勝負だ。

 ドロップアイテム「魔王のイカした尻尾」を手に入れて、最上階から外の景色に目を移した。

 

 高いところからの景色は好きだ。

 世界の広さを目から感じることができる。

 今まで歩いてきた道を見たいなぁ、と浮かれていた。

 縁の近くまで歩み寄り、怖いもの見たさで下を見て思考が停止した。

 

 そこにはダンジョンを取り囲むように一面モンスターが覆い尽くしていた。

 どうやら帰りは大変になりそうだと考えていたが、なんてことはない。

 彼らは魔王の、ひいては魔族の危機に馳せ参じたものたちだった。

 同時に、新たな魔王を賛辞するものたちとなった。

 

 背後から声をかけられ振り向くとボスが来ていた。

 ボス撃破により手に入れたスキル「魔族語翻訳」で自己紹介。

 槍を差し出してきたので考えなしに受け取ったら、魔王にされてしまった。

 巧妙な罠であった。まさか槍を取るだけで魔王になるとは……。

 

 元魔王から話を聞いて世界の法則の違いをなんとなく感じた。

 その後、シュウが法則の違いをわかりやすく簡潔に説明してくれた。

 

 ちなみにシュウは途中から気づいていたらしい。

 おもしろそうだったから黙ってたと悪気ない様子で話す。

 私が魔王になっても『安定した職に就けて良かった』――しみじみとこう語る。

 

 全ては手遅れだったのだ。

 

 まあ、魔王でも別にいいか。

 そんなふうに思っていたが甘かった。

 

 片言で話すスライムに懐かれる。

 四六時中よくわからん魔族につきまとわれる。

 配下を名乗る魔族に人間を滅ぼしましょうと進言される。

 出かけようとするものなら、前後左右上下を完全に包囲してついて来る。

 ――などなど、あまりにも面倒なのでこちら側に逃げてきた。

 

 一部の魔族はついてこようとしてきていたが、神々の天蓋まで入ってこなかった。

 正確には神々の天蓋近くにある集落の手前で足を止めた。

 片言で話すスライムだけ天蓋の中までは追ってきた。

 それでも扉の中にまでは入ってこれなかった。

 よくわからないが助かったと言えよう。

 

 あちら側のほとぼりが冷めるまではこちら側で時間を潰すことにした。

 神々の天蓋を制覇したと言っても、まだまだ未踏領域やクリアが確認されていないダンジョンはある。

 それを攻略してからまた南側に行こうという訳だ。

 その頃には落ち着いているだろう。

 

 

 

 神々の天蓋から北東へ。

 フルールの町に来ている。

 近くには上級ダンジョン指定のプティ廃都がある。

 ここを攻略して、さらに東へ進む。

 

 海を見に行くのだ。

 大海に臨み、噂に聞く超上級ダンジョンを攻略しに行く。

 

 町の冒険者ギルドを訪ねると、すぐさま奥に通された。

 ギルド長のおっさんが厳つい顔に似合わない笑みを貼り付けていた。

 これは間違いない。非常にめんどうな話だ。

 今から出て行ってもいいだろうか。

 

 ギルド長は揉み手をしながら、世間話を始める。

 長話は嫌いなのでさっさと用件を話すように言う。

 

「極限クラス冒険者であるメル殿の腕を見込みまして、是非とも受けていただきたい依頼があるのです」

 

 是非をひたすらに強調して彼は話を持ちかけた。

 

 依頼か……。

 久しぶりに聞いたな。

 初心者の頃はよくやっていた。

 森の薬草やらスライムの粘液をせこせこ集めていた。

 報酬が二束三文で誰もやりたがらないため、私の専売特許と化していた。

 

『俺も人の嫌がることにせっせと取り組んでたよ』

 

 それさ。

 私のと意味が違うんじゃないか。

 今も私の嫌がることには積極的だよね。

 

 まあいい。

 シュウと会ってからは、依頼を受けていない。

 いや……、個人的な依頼ならアラクトでシスコンから受けたか。

 ダンジョン攻略に専念しているし、稼ぎもドロップアイテムの売却で手に入る。

 依頼を受ける必要性がなくなってしまっていた。

 話だけでも聞いてみるか。

 

「一昨日のことです。メーヌ伯爵夫人から当ギルドへ依頼が来ました。ご存じでしょうが、メーヌ伯はここら一帯を治める御方でございます」

 

 そうなのか。

 まったく知らなかった。

 よく考えたら私は国王の名前も覚えていない。

 そもそも、この国の名前を知らない。

 

『大人の事情だね。大丈夫。メル姐さんは人と町、それにダンジョンの名前を覚えておけば問題ないよ』

 

 それもそうだな。

 国に関係することなんてないだろうし。

 

「伯爵夫人からのご依頼とあれば当ギルドとしても無碍にはできません。相応の実力を抱する冒険者を見繕う必要があります。例年では夫人がフルールに避暑へお越しになるのはもう少し遅い――」

「依頼内容は?」

 

 長くなりそうだったので話を切る。

 さっさと依頼内容だけ話せばいいものを。

 どうして伯爵夫人の話を聞かにゃならんのだ。

 

「依頼内容については伯爵夫人自らが話される、と」

 

 なんだ、依頼内容がわからないのか。

 それは面倒だな。別の人間を当たってくれ。

 

「いえ、お待ちください。依頼内容はわかっているのです」

 

 はぁ?

 ご本人様が直接お話しするんじゃないのか。

 

「いえ。伯爵夫人は例年、当ギルドに依頼なされるのです。依頼内容は毎年同じ。今回も例に漏れることはないでしょう」

 

 ふぅん。

 そうなのか。

 それで依頼内容はなんなんだ?

 

「それは――」

 

 ギルド長の口にした話を聞いて、私は首を傾げる。

 依頼内容は私の都合にちょうどいいものだ。

 失敗しても違約金の支払いはなく、罰せられることもない。

 

 シュウも特に反対意見はださなかった。

 それなら別に受けてもいいかと依頼を承諾した。

 

 

 

 場所はメーヌ伯爵別荘に移る。

 私は一室に案内され、椅子の横に立つ。

 椅子が汚れるから座るなということで立っている。

 小さなテーブルを挟んで、メーヌ伯爵夫人が椅子に腰掛ける。

 

 五十歳くらいだろうか。

 栗色の髪には白線が混じっている。

 目は細く、私を値踏みするように睨む。

 

「五日以内にプティ廃都からおもしろいものを持ってきなさい」

 

 彼女は前置き一切なしに依頼内容を口にした。

 この簡潔さは好ましい。

 

 ――プティ廃都からおもしろいものを持ってくる。

 聞いていたとおりの内容だった。

 

 一口におもしろいものと言われても、はっきりとしない。

 

「おもしろいものとは、貴方が『冒険者としておもしろい』と思ったものです」

 

 それは要するになんでもいいということではないだろうか。

 仮におもしろいものがなかったら、どうすればいいのか。

 

「おもしろいものがなかったなら、ボスのドロップアイテムでも持ってきなさい」

 

 夫人は語るべくは語ったと黙りこむ。

 彼女はテーブルに置かれたベルを手にとってカランと鳴らす。

 

「お茶の時間です」

 

 私に向かってそう一言。

 

『――だってさ』

 

 はぁ……。

 お茶の時間ですか。

 私はどうすればいいんだ。

 椅子に座って飲めばいいのか。

 

『そんな訳ないじゃん。「もう用は済んだから早くダンジョンに行け」ってことだよ』

 

 そういうことなの?

 

「お茶の時間です」

 

 夫人は繰り返す。

 先ほどよりも言い方がきつい。

 細い目がさらに細まり私を睨め付ける。

 

『「お前の臭いでお茶の香りが損なわれる。服装も汚らしく目障りだ。早く目の前から消え去れよ、この浮浪者が!」だってさ。失礼だな。メル姐さんは魔王って職に就いてるのに!』

 

 怒るところはそこじゃない。

 それと魔王じゃなくて冒険者ね。

 だいぶ話を盛ってるな。後で殴ってやろう。

 そう思って夫人を見ると、純白のハンカチで鼻を押さえている。

 私の服をチラチラとゴミでも見るような目で見てくる。

 ついには、見てられないと顔を背けてしまった。

 

 ……もしかして、ほんとにそう言ってたのか。

 

『嘘は言ってないよ。できるだけ正確に解釈したつもり』

 

 あの短い言葉のどこをどう解釈すればそうなるんだ。

 なにか翻訳スキルを選択しているのだろうか。

 とりあえずシュウは後で蹴ろう。

 

 

 

 部屋から出て、女中に従いロビーに戻る。

 

 別荘というのが信じられないほどこの屋敷は広い。

 ロビーにもそこらかしこに絵がかかっている。

 ぱっと見、風景画が圧倒的に多い。

 

 一枚の絵を前にして私の足が止まった。

 

 はて……?

 この山はどこかで見たことがあるな。

 

『さすがの鳥頭。レミジニア山系だよ。神々の天蓋があったところ』

 

 ああ、そうだそうだ。

 こんな形をしていたな。

 

『反対側の壁にはゼバルダ大木の絵があるね』

 

 振り向くと大きな木の描かれた絵が壁にかかっていた。

 

「奥様から許可は得ています。どうぞゆっくりとご覧になってください。くれぐれも触らないようお願いします」

 

 先導していた女中が背後から静かに告げる。

 せっかくなので見ていくことにした。

 

 ロビーの片隅にある少し突き出している場所。

 他のところよりも薄暗く、光が射さないところに一枚の絵があった。

 

 風景画ではない。

 四人の人物が描かれている。

 しわの一本まで気持ち悪いほど細かく描写されている。

 中心に女性が椅子に座り、彼女を挟むように男性が二人立つ。

 残る一人は女性が抱きかかえている赤ん坊だ。

 

 女性はメーヌ伯爵夫人だろう。

 絵の中の彼女は今よりもずっと若いが、細い目は変わっていない。

 右に立つ立派な髭をした壮年の男性はメーヌ伯爵だろう。髪はもう薄いな。

 それでは女性の左に立つ青年は、と見てみると目が夫人によく似て細い。

 夫人の肩に手を乗せて、顔からは活発さを示す笑みを浮かべている。

 伯爵夫妻の息子で違いなさそうだ。

 

『へぇ、息子さんは冒険者だったんだねぇ』

 

 えっ、冒険者?

 どうしてわか――

 

「はい、ご察しの通りです。アルエ様は冒険者でした」

 

 うおっ。

 

 背後からいきなり声をかけられて慌てて振り返る。

 女中が当然のように立っていた。

 いつからいたんだろう。

 

『最初からいたよ。彼女がここに立ってて、その前をメル姐さんが通り過ぎたんだ』

 

 本当にそうだったか?

 あまりにも影が薄く背景と勘違いしたのかもしれない。

 

「奥様にあっては目に入れても痛くないご子息でした。プティ廃都からアルエ様が戻られず、今年で十年になります」

 

 そうか。

 死んだのか。

 

「おそらくは――」

 

 女中は顔を伏せる。

 失礼と言って顔を逸らし、目もとをハンカチで拭う。

 

「パーティーの方々も戻ってこられませんでした」

 

 気まずくなって私も黙る。

 黙っているとふと考えが浮かんだ。

 

 ひょっとして伯爵夫人が冒険者をプティ廃都に向かわせるのは――、

 

「いえ、違います。遺品は徹底的に探されました。仲間のものと見られる装備が一部見つかりましたが、アルエ様のものはありませんでした。十年も昔のことです。奥様も遺品が見つかるとは考えておられないでしょう」

 

 仲間の装備があったということは殺されたということだ。

 そのあとで装備ごと食べられてしまったのだろう。

 

 そうするとだ。

 伯爵夫人はいったい何を求めているのだろうか。

 

『わかんない? 伯爵夫妻のお坊ちゃんが、言っちゃ悪いけど冒険者なんてやってるんだよ。あのおばさんも止めたはずだよ。「冒険者なんて危ないからやめなさい!」ってね』

 

 それはそうだな。

 自分で言うのもなんだが、安全とは言えない。

 チートを使っていても死にかけたことが何度かあった。

 まともに挑むなら簡単に死ねるだろう。

 

『可愛くて仕方ない息子さんはそれでも冒険者をやめなかった。そして、命を落とした。おばさんはあのダンジョンには息子さんが求めていた何かがあるはず、有って欲しいと願ってる。その「何か」を探してるんだろうね。言ってたでしょ。「冒険者としておもしろいもの」を持ってこい、ってさ』

 

 ほっほー、なるほど。

 なんだかおもしろくなってきたな。

 私の冒険者としてのセンスが試されているわけか。

 

『絶望的だね……』

 

 うっせーよ。

 それじゃあ、ギルドを経由してダンジョンへ行ってみるか。

 

 ギルドからプティ廃都の情報を購入。

 依頼の関係もあってか、格安で情報を売ってくれた。

 地図も数ヶ月前に更新したばかりの出来たてほやほやだ。

 どうせなら無料にしてくれと思ったが、規定上タダは駄目らしい。

 

 用意も終え、町を出てプティ廃都へ赴く。

 

 ……はて、何か聞くのを忘れているような。

 まあ、忘れるようなことだ。どうでもいいことだろう。

 

 

 

 プティ廃都は地下にある。

 フィールド型ダンジョンに分類される。

 地上には入り口だけがぽつんとあって、周囲は荒涼とした野原だ。

 入り口からなだらかに下る坂を歩んでいくとやがて開けた空間に辿り着く。

 地下と言ってもアラクタル迷宮のように地下深くへ伸びてはいない。

 

 半球状の一階層だけ。

 ただし、その一階層が果てしなく広い。

 天井は高く、ダンジョンの側壁も彼方に見える。

 地面はでこぼこになっており、建物の残骸が散らばっている。

 かつて、ここには小人族が暮らしていたという話だ。

 建物の残骸も小さなものが多い。

 

 元々はここまで広くなかったようだ。

 小人族がモンスターから逃げるため、地下へ横へと広げた結果らしい。

 建物を作ってはモンスターに侵略されて逃げ出してを繰り返した。

 小人族はついに絶滅したか立ち去って、プティ廃都が残った。

 

 歴史なんてどうでもいいことだ。

 さっさとおもしろいものを見つけて、ボスを倒すとしよう。

 

 出てくる敵は問題にならない。

 上級ダンジョンの敵は一撃でさようならだ。

 飛んでいる敵や地面から出てくるような面倒な敵はいない。

 図体がでかく、硬そうなモンスターが集団で襲いかかってくる。

 状態異常も持っているようだが、私にはあまり関係ない。

 そのため非常にサクサクと進むことができている。

 

 気がついたらボスも倒していた。

 ちょっと頑丈だなぁ、と思って倒したらドロップアイテムがボスのものだった。

 たしかにフィールド型ダンジョンだから、どこで出くわしてもおかしくない。

 ボスの個体数が多いというのも、このダンジョンの特徴として聞いている。

 それでも、もうちょっと歯ごたえがあってもよいのではないだろうか。

 

『メル姐さんの人間離れが深刻だ。もう魔王として生きるしか……』

 

 以前は積極的に選択していた能力プラス。

 しかし、今はポイントに余裕があっても選択していない。

 これ以上強くすると最低限の日常生活もままならなくなるそうだ。

 

 現時点で日常生活に問題が出ている。

 軽くノックしたつもりでドアに穴を作る。

 シュウを大木に叩き付けると、大木のほうが折れる。

 靴を洗おうと川に突っ込んだら、そのまま水面を走ることもできた。

 

 それはそうとして、シュウはやたら私を魔王にしたがる。

 町にモンスターをけしかけて、卑猥なことをさせたいらしい。

 

『違う! これは魔王としての宿命! カルマなんだよ! オークや触手がうにょうにょした魔族で町を蹂躙! 男は労働力にして、老人はベッドでおとなしく寝てもらう。子供は、そうだな、飯でも食わせて原っぱで走らせとけばいいや。大切なのは女。オークであんなことや触手でこんなことを、スライムもいいなぁ……ふへっ、むふふふふ』

 

 やっぱりこいつは根っこのところで最低だな。

 

『いやん、こいつの根元だなんて。メル姐さんはマニアックだなぁ。それに言い方が甘い。「お前って本当に最低の屑だな」でよろしく。ああっ、蔑む目がまた辛抱たまらんっ!』

 

 いかん、手遅れか。

 ここまでくると叩いてもムダだ。

 なぜか喜んで、さらに気持ち悪くなってくる。

 無視に限る。

 

 こんな調子で一日目の探索は終了した。

 おもしろいものは見つからなかった。

 

 

 二日目。

 一通りプティ宮殿を回った。

 特におもしろいものは発見できていない。

 

 そもそもだ。

 このダンジョンはすでに完全制覇済み。

 敵もギルドからもらったもの情報と同じ。

 敵の落とすドロップアイテムもまた然りである。

 

 冒険者もちらほらいるが入り口周辺だけ。

 わざわざ危険を冒してまで奥に行く必要はない。

 モンスターは入り口で狩れる上に、奥にアイテムがあるわけでもなし。

 ボスに遭遇しても、外まで走れば逃げ切れる。

 日光が苦手らしく、追いかけてこない。

 

 私も似たような景色ばかりで飽きていた。

 もう、ボスのアイテム持って行って依頼を終了させようか。

 

『待って。完全制覇されてるってわけでもなさそうだよ』

 

 あぁ、どういうことだ。

 横から行進してきた歩く土人形を蹴散らしつつ聞き返す。

 

『ギルドからもらった地図と差異がある』

 

 そりゃあ、細かいところは違うだろ。

 モンスターがあっちこっちで動き回ってるんだから。

 

『いやいや、細かいところだけじゃないんだ。側面が大きく拡大してる。思い出してよ。地図は数ヶ月前に更新されたばっかりなんだよ。冒険者も入り口付近にしかいない。それなら、ここまで広がるのは少し異常じゃないかな』

 

 ふむ、そうかもしれないな。

 シュウはクソ野郎で違いないが、頭は私よりもはるかに良い。

 この賢いゲスが何か違和感を覚えるときは往々にして何かがある。

 ――と、信じて歩き回ったが二日目は何も見つけられなかった。

 

 

 三日目も同じだ。

 よくわからないが、ドロップアイテムを回収しないように頼まれた。

 

 一日かけてダンジョンをひたすら歩き回った。

 私が通った道しるべの如く、ドロップアイテムの光が線となっている。

 上から見てみるとおもしろそうである。

 

 

 そして四日目。

 またもやダンジョンを歩き回る。

 昨日と同じルートをたどっていく。

 いくらか消えているものの、未だ残るドロップアイテムがチカチカ光る。

 ちょうど背後から襲いかかってきたモンスターどもを倒し、光がさらに増えた。

 

『やっぱりだ』

 

 何がやっぱりなんだ?

 私にもわかるよう簡潔で簡素に頼む。

 

『何かいる』

 

 簡素すぎる。

 もうちょっと丁寧に順序だてて言え。

 

『注文が多いね。山猫にでもなったの? 次は体に塩を揉み込めばいいのかな。ちょっと手が届かないから、メル山猫さんの手で優しく揉み込んで欲しいな』

 

 なに言ってるんだ、お前は?

 

『話を戻すとね。ドロップアイテムの光が減ってるんだ』

 

 そりゃ、消えるのもあるだろ。

 昨日のことなんだから、時間経過で消えたんだろうよ。

 

『そうかな? ここのはきれいに残ってるのに、向こう側のはほとんど消えてる。時間で考えると、最初に消えるならこっち側でしょ』

 

 言われて道の先を見てみると、ドロップアイテムの光が二つ三つだ。

 一方で、私が立っている場所にはアイテムがまだばらばら散らばっている。

 昨日と同じ道順を辿っているから、消えるならこちら側のものが先になるはず。

 

 ふーむ。

 あちら側で出てきたモンスターが少なかったんじゃないのか。

 

『いやいや。ここのモンスターは集団で襲ってくるから、もっとアイテムは落ちてるはずだよ。それに昨日はあそこで倒したモンスターのほうが多かった。あんだけしか残ってないのはおかしい』

 

 なるほどな。

 それでなにがわかるんだ?

 

『えぇ……、ここまで言えばわかるでしょ。アイテムを持ち去った何者かがいるんだよ』

 

 他の冒険者の可能性……はないか。

 だいたい入り口にたむろしてるからな。

 ここまで来てる奴は他に見ていない。

 

 じゃあ、やっぱり何かいるのか。

 何がいるんだ?

 

『わからないから、もうちょっと探索してみよう。他にもアイテムがなくなってる場所を見ていけば何かあるかもしれない』

 

 うむ。

 おもしろくなってきたな。

 つまらない探索も目的ができれば、楽しくなるものだ。

 

 

 

 足早に一周して、他にもアイテムが消えている場所を見ていった。

 

『メル姐さん。わかってきたね』

 

 おっ、そうか。

 なにがわかったんだ。

 

『……おかしいな。いっしょに見て回ってるはずなのに、どうしてわかんないんだろう』

 

 ほら、私は歩き回るので忙しいからな。

 いろいろと考えるのはお前に任せた。

 お前の頭を信用してるんだ。

 

『ものは言いようだね。ま、いいか。気づいた点は三つ。一つ目、アイテムが消えてるのは壁際が多いってこと』

 

 そうだったかな。

 最初は壁際だった気もするけど、次からは覚えてない。

 

『二つ目はアイテムが消えてる付近に敵はいない。言い換えれば、アイテムが残ってるところは敵がいた』

 

 ……そういえばそうだな。

 最初のところでも襲われた気がする。

 

『三つ目、一つ目の延長になるね。壁際には崩落した跡があって、どこも地図には載ってない場所だった』

 

 これはまったくわからない。

 壁なんていちいち見てないし、地図はそもそも覚えてない。

 

 その三点から何がわかるんだ?

 

『それを今から確かめよう』

 

 そう言って、シュウは計画を話した。

 

 

 

 壁際で静かに腰を落ち着ける。

 スキル「ステルス」で姿を消して、ぼんやり待つ。

 

 ここはアイテムが消えていた地点の一箇所である。

 近くの敵を殲滅し、地面にはアイテムをばらまいておいた。

 時間がたてば、きっと何かが起こるはずということで静かに待つ。

 あまりにも退屈すぎて、目蓋が重くなる。

 

『来た、来たよ! 起きて、ねぼすけ姐さん!』

 

 ハッと目を開けると壁の一部がガラガラと音をたてて崩れた。

 そこには膝下程度の穴があり、何かが顔を出して左右を警戒する。

 すぐに後ろを向いて、一言二言で言葉を告げる。

 どうやら知らない言葉だ。

 

『オッケー。小人語の翻訳スキルを選択した。たぶん、これでいけるはず』

 

 小人。

 シュウはそう言った。

 おそらくそれは正しい。

 いやはや、ほんとにいたんだな。

 まだ絶滅してなかったのか。

 小人と言うよりも、妖せ――

 

『スタァァァップ!』

 

 なんだよ、うるさいな。

 

『いいメル姐さん。あれは小人。「妖精」でもないし、「さん」を付けること許されない。オーケー?』

 

 いや、でも、

 

『オーケー?!』

 

 わかった。

 わかったよ。あれは小人だ。

 

 見た目はかなり小さい。

 腕の手首から肘までの長さくらいの大きさだ。

 それぞれが三角帽子をぴょこぴょこ揺らしてドロップアイテムを回収している。

 

「たいりょーだー」

「いっぱいだー」

「しあわせー」

 

 ほんわかとした顔でアイテムを次々と穴へ持ち帰っていく。

 

『ヘイ、メル姐さん。なにぼんやり見てるの。一匹捕まえて。くれぐれも力加減に注意してね。たぶん、力入れたら頭がクシャって潰れるからね』

 

 お、おう。

 ちょっと自信がないものの、頷いて立ち上がる。

 一匹遠くまで歩いている奴を狙って近づく。

 後ろの襟首をつまんで持ち上げる。

 おそろしく軽かった。

 

「ふわっ、ふわわっ。とんでます」

 

 持ち上げた小人は暢気な声を出す。

 同時にシュウはステルスを解除したのか私の姿がはっきり映るようになった。

 

「うわぁ!」

「でたぞぉ!」

「てっしゅー!」

 

 小人たちは一斉にどよめき穴へと逃げていく。

 アイテムをその場で放棄し一目散だ。

 途中で転ぶ奴もいた。

 

「たすけてー!」

 

 つかんだ小人は必死に仲間に叫ぶ。

 ズボンの股からは液体が漏れ出ている。

 ここまで怖がられると私もショックを隠せない。

 

「あいつはどうする」

「ぎせいになったのだ」

「とーといひとみごくうだ」

 

 なんだか穴の近くで話し合いが聞こえた。

 なかなか薄情なやつらだな。

 

「ぼく、たべられます?」

 

 つかんだ小人は泣き始める。

 食べねぇよ。

 

「じゃあ、しおづけです? おやや? ことばがわかります?」

 

 しおづけ……塩漬けか?

 

 言葉は理解しているぞ。

 お前らは私をなんだと思ってるんだ。

 

『大きさの違いを考えて、彼らから見たメル姐さんは、メル姐さんから見たボスモンスターだよ』

 

 それもそうか。

 悪かったな。食べはしない。

 ちょっと話を聞かせてもらおうかと思ってるだけだ。

 

「ほんとです?」

 

 目をうるうるさせてくる。

 なかなか可愛いな。

 

 ほんとだ。

 アイテムをまいたのも、モンスターを倒したのもそのためだ。

 

「もしかしてかみさまでしたか?」

 

 今のところ人間だ。

 それよりも話を聞かせてもらえないか?

 

「ぼくひとりではきめれませぬ。さくせんかいぎをしょもうします」

 

 下ろせと言うことだろう。

 地面にゆっくり下ろしてやると、穴からこっそり伺う仲間の元に走っていった。

 

 ひそひそと話し始める。

 しばらくすると先ほどの小人が歩いて来る。

 

「おはなしききます。そのまえにあいてむをあつめてもよいです?」

 

 先ほど回収途中だったアイテムがまだそこかしこに散らばっている。

 了承すると、他の小人たちがとことこ出てきて拾っていく。

 

「それでおはなしとは?」

 

 おもしろいものがないか?

 

 単調直入に聞く。

 たぶん伝わるだろう。

 シュウは『えっ?』と困惑していたが、気にしない。

 

「おもしろいものとはおたからです?」

 

 そうだな。

 なにかお金になりそうなものだ。

 価値がありそうなやつだな。

 

「にんげんさんがおとしたものならいくつかあります」

 

 そんな訳で私は小人の巣に入らせてもらった。

 

 

 壁の向こうには小さな村が広がっていた。

 

 入り口は狭かったが、中はなかなか広々としている。

 高さは低いが、中腰でなんとか移動できる。

 奥には冒険者の装備らしきものが置いてあった。

 過去に死に絶えた冒険者から回収したもののようだ。

 

「きにいったものをもちかえってよいです。そのかわりあいてむもらいますが。よろしいです?」

 

 よろしいです。

 よろしいですとも。

 

 小人にすればドロップアイテムのほうが大切らしい。

 なんでもドロップアイテムから穴を掘る道具が作れるようだ。

 特にボスのドロップアイテムは滅多に手に入らないから、たいへん貴重なのですと話す。

 ボスのドロップアイテムくらい欲しいだけくれてやろう。

 私にとってはこっちの方がはるかに価値あるものだ。

 これだけあれば値打ち品が一つはあるだろう。

 

 おい、シュウ。

 おもしろいものを探すぞ。

 

『はぁ……』

 

 シュウはため息一つ。

 なんだかテンションが低いな。

 

 ほら見ろ。

 この剣なんて良いんじゃないか。

 変わった紋章もついてるぞ。

 

『王家の紋章だね。前にアイラたんが教えてくれたから、たぶんそうだよ』

 

 なんと、それではこの剣は王族にちなんだものか。

 おい、他になにかいいものはありそうか?

 お前の目はなかなかの審美眼だろう。

 そう言って、私はシュウを掲げる。

 

『…………おっ、これはすごい』

 

 しばらく黙っていたシュウが声を出した。

 どうやらいいものを見つけたな。

 どれだ?

 

『メル姐さんの右膝近くにあるやつ』

 

 私が目を落とすとそこには盾が転がっていた。

 なにやら頭にうじゃうじゃ蛇を乗せた女性が描かれている。

 気持ち悪い盾だな。これはすごいのか。

 

『たぶんすごすぎると思うけど、それじゃない。左隣のやつ』

 

 違ったのか。

 盾の隣に目を移すと靴があった。

 

 これも変わった靴だ。

 靴の側面から白い翼が生えている。

 なんだこりゃ、何がどうなったらこんな靴を作るんだか。

 これがすごいのか?

 

『すごいってもんじゃないよ。でも、それでもない。よく見て。盾と靴の間に落ちてるでしょ』

 

 んー?

 ……えっ! 

 もしかして、これか?

 

 私はサッと指でつかむ。

 

『そう、それ。数の制限は特にないけど、どうしても一つって言われたらそれを持って帰るかな』

 

 いや、おいおい待てよ。

 だって、これはお前。

 つまらない――、

 

『そうだよ。俺にもメル姐さんにとってもつまらないものだよ。ときにメル姐さん。俺からも一つ聞きたい。メル姐さんにとっておもしろいものって過去の冒険者が落とした装備品だったの?』

 

 珍しくしっかりとした質問だった。

 

 そりゃお前。おもしろいだろ。

 王家の剣とかそんなもの見ることができるものじゃないぞ。

 

『それはそうだろうがね。自称冒険者のメル姐さんがこのダンジョンに来て一番おもしろいと思ったものは王族の剣? 見たら石化しそうな盾? それとも空が飛べそうな靴? どれなの?』

 

 いや、それは……そうか。

 そうだったな。

 

 私が冒険者としておもしろいと思ったものは――。

 

 

 

 五日目。

 依頼の最終日だ。

 

 昨日の時点で用意はできていた。

 持って行っても良かったが、シュウに水を浴びて服を新調しろと言われた。

 口調や仕草は仕方ないとしても、臭いと服装くらいきちんとしろとのことだ。

 服を急ぎで仕立てさせるのにどうしても一日かかるということで今日になった。

 

 伯爵の別荘を訪ねる。

 夫人の部屋へ行く前にロビーの絵画を見せてもらう。

 ロビーの隅。目立たないように飾ってある伯爵家の家族絵だ。

 

 なるほどな。

 たしかにそうだ。

 シュウに聞き忘れていたことも思い出した。

 そして今、その答を得た。

 

 いざ、夫人の元へ。

 

 例によって私は椅子に座らせてもらえない。

 まあ、そんなことはどうでもいい。

 どうせすぐに出て行く。

 

「それじゃあ、おもしろいものを見せなさい」

 

 夫人は細い目で私を見つめる。

 

「おもしろいものは見つけた――が、持ってこれなかった」

 

 私は用意した答を返す。

 夫人はぽかんと私を眺める。

 

 私が一番おもしろかったもの。

 それは剣でも、盾でも、靴でもない。

 ダンジョンの作り主である小人族の存在だ。

 

 夫人の元へ一緒に行ってくれないかと頼んではみた。

 残念ながら、彼らは外に出てはいけない決まりになっているらしい。

 粘ってみたものの、やはりどうしてもダメだった。

 そのため、彼らの話だけすることにした。

 

「彼らは壁の中に集落を――」

「もういいわ」

 

 話をしようとしたが、夫人は一言で止めた。

 そして、

 

「お茶の時間です」

 

 彼女はかつてない冷たさを込め、言い切った。

 今回はシュウの解説を待つまでもない。

 

 消え失せろ、という意志が私でもはっきり見て取れる。

 消えろと言われればここにいる必要もない。

 さっさと出て、東に向かおう。

 

 しかし、その前に一つやることがある。

 

「おもしろいものは持ってこれなかった。その代わり、つまらないものを持ってきた」

 

 私の言葉に夫人は眉を顰める。

 頬がぴくぴく痙攣し始めた。

 テーブルを指で叩く。

 

「冒険者はつまらないものをわざわざ持ってくるの?」

 

 まったくだ。

 つまらないものをわざわざつまらないと言って渡すのはふざけている。

 

 だが、これは私からではなくシュウからの贈呈品だ。

 奴の国では物を送るとき「つまらないものですが」と言うらしい。

 

 謙遜の美学だと話していた。

 実際につまらないわけではなく、

「貴方のような目の肥えた人にはありふれたものですが」

 という相手を上に、自分を下に持ってきた表現のようだ。

 どっちにしろよくわからない。

 

 ポケットから手探りで目的の物を取り出し、テーブルを滑らせる。

 ちょうど伯爵夫人の手前で止まった。

 宿で練習した甲斐があった。

 

 あまりの不作法に夫人はさらに目じりをつり上げる。

 私はどこ吹く風と意識を窓の外に逸らす。

 今日はたいへん良い天気です。

 

『おもしろいものを持ってこいと言われたのに、つまらないものを持ってきて「つまらないものです」と言って渡す人間がいてもいい。冒険とはそういうものだ』

 

 冒険の意味が違うよね。

 それだと私がただの馬鹿になるんじゃないか?

 

 …………おい、なんか言えよ。

 

「指輪?」

 

 答えたのは夫人。

 そう。渡したのは指輪。

 ちょっぴり装飾過多な指輪だ。

 冒険者なら大半がつけている指輪。

 俗にパーティーリングと呼ばれるものである。

 

 冒険者ギルドにしか作れない特殊な方法で作られている。

 おそらくチート持ちのイイダソウジが残した技術の結晶だろう。

 形や大きさはいろいろとあるが、独特の紋様が刻まれそこそこ高価だ。

 

 絵に描かれた夫人の息子を見て、シュウは冒険者と言った。

 どうして冒険者だと気づいたのか尋ねるのを忘れていた。

 

 その疑問の答がこのパーティーリングだ。

 絵に描かれていた指輪と夫人がいま指で転がしている指輪は同じものだ。

 

 説明なんて不要。

 それがいったい誰のものか?

 そんなこと伯爵夫人には一目瞭然。

 それでも、彼女は信じられないと疑う。

 指輪を顔に近づけ目を閉じるほどに細める。

 シュウが冗談めかして夫人の行動を予想していた。

 まさにその通りになっている。

 

 パーティーリングの内側には所有者の名前が刻まれることがある。

 安い物には名前など刻まないが、見た目を派手にして高くするとサービスで名前も彫ってくれる。

 もちろん私のパーティーリングには名前は入っていない。

 

 一方で夫人が見つめる指輪には名前が刻まれていた。

 刻まれているのは夫人の息子――アルエ氏のフルネームだ。

 

「ど、どこで……?」

 

 夫人は喉から絞り出すように問いかけてくる。

 

「プティ廃都。壁の中だ。残っていたのはそれだけだった。小人たちが拾っていてくれた」

 

 アルエ青年は小人の存在に気づいていたらしい。

 ときどき小人にドロップアイテムを渡していたようだ。

 いろいろと興味深い話は聞けたが、わざわざ話すようなことではない。

 私が小人集落を全て訪れ、遺品を探してみたなんてことも話す必要がないことだ。

 

 それに私はさっさと立ち去らなければいけないだろう。

 

「……お茶の、時間です」

 

 夫人は震える手でベルを手に取り、カランカランと鳴らす。

 

 わかってるよ。

 わかってるって。

 私はお邪魔なんですよね。

 言われなくてもすぐに出て行くよ。

 

 夫人に背を向け、扉に向かう。

 

『全然わかってないじゃん』

 

 うん?

 何がだ?

 

『今のは「いつまでもぼーっと突っ立ってないで、早く椅子に座りなさい」だよ』

 

 えっ……そうなの?

 

 答はシュウから得るまでもなかった。

 出ようとしていた扉から女中が音もなく入ってくる。

 盆の上にはポットが一つに、カップとソーサーが二つずつ。

 

 振り返ると夫人が私を見つめていた。

 相変わらずの細い目がなんとなく優しく見えた。

 

「お茶の時間です」

『「おもしろい話があるんでしょう。早く聞かせなさい」だってよ。話してあげれば。小人族のことやら、息子さんのこと――メル姐さんが冒険者としておもしろかったことをさ。今度は、ちゃんと聞いてくれるんじゃないかな』

 

 夫人からは先ほどまでの動揺が消え、凛としている。

 女中は椅子を引き、早く座れと言外に急かす。

 窓を抜ける風は心地よく頬を撫でる。

 シュウの鼻歌は得意げだ。

 上手くて腹が立つ。

 

 さあ――、

 

「お茶にしましょう」

 

 夫人の言葉は解釈をする必要もない。

 そのままの意味だ。

 

 

 

 こうしてプティ廃都の攻略は終了し、お茶会が始まった。



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蛇足03話「見よ! 東方は青く澄んでいる!」

 時は夕暮れ。

 とある集落の家の一室である。

 隅に置かれたベッドに男が一人横たわる。

 彼は胸を大きく上下させ、全身から汗を噴き出す。

 貴方はそんな彼の様子を難しい表情でじっと見つめている。

 

「どうでしょうか?」

 

 隣に立っていた男の夫人が貴方に問いかける。

 

 教えてやらないのか?

 この男――フェニルがどうなるのか貴方にはわかっているはずだ。

 

 ……そうか。

 沈黙で語るのか。

 それも一つの手段だろう。

 言葉にするにはあまりにも残酷すぎる。

 

「そんな――」

 

 フェニル夫人は目に涙を溜め、貴方に一歩近寄る。

 貴方は気圧され逃げるように目を伏せる。

 

「この人、朝は元気一杯だったんですよ! この子のために栄養のつくものをって! それがどうして! どうして……」

 

 夫人はお腹に手を当てる。

 目を伏せているなら、貴方にも見えているはずだ。

 彼女のお腹の膨らみが――新たな命はこの世界に産声を上げようとしている。

 だが――、

 

「私にはどうすることもできません」

 

 新たな命の父となる男の灯火はすでに消えかかっている。

 荒い息がいつ途絶えてしまってもおかしくはない。

 彼は明日を迎えることができるだろうか。

 貴方はどう思う?

 

「おそらく夜まで保たないでしょう」

 

 やはりそうなのか……。

 いま生きているのが不思議なくらいだ。

 ベッドの周りには男の出血を止めるために使った布切れが散らばる。

 無論、男の体は傷だらけ。目立つ外傷も一や二では足りない。

 それどころか毒までもらってきている。

 寂れた村だ。薬などない。

 死は目前だ。

 

「申し訳ありません」

 

 貴方が謝ることではない。

 むしろよくやったと賞賛されて然るべきだ。

 東の林でフェニルがモンスターに襲われ、運び込まれたのが昼過ぎ。

 薬もなく治癒術士もいないこの状況で、今の今まで男が生きているのはひとえに貴方の処置のおかげであろう。

 

 夫人もそれは理解している。

 それでも、彼女は夫の死を認められそうにない。

 

「どうにか……どうにかなりませんか。このままじゃ、この子には父親が――」

 

 夫人はそこまで言うと、口を噤む。

 

 きっと彼女は思い出したんだ。

 貴方にも妻がいないということを――。

 十年前。一人娘のシアを産み、そのまま息を引き取った。

 

 シアは貴方の家で留守番している。

 この部屋の光景はまだ幼いあの子に見せるものではない。

 

 気まずい沈黙が流れる中、部屋の外が慌ただしい。

 

「スーさん、いるかい?」

 

 沈黙を破るように男が入ってきた。

 彼は部屋の惨状に顔を歪めたものの、すぐに用件を話す。

 

 スーさんは貴方の愛称だ。

 住人全員――貴方の娘でさえもこちらで呼ぶ。

 そもそも、この呼び名を付けた張本人は死んでしまった。

 しかも彼女は途中から呼び方を変えた。

 どうでもいいことだ。

 

「人が来た。一人だ。西の入り口で待たせている。冒険者と語っているが、どうにも怪しい……。スーさんにも見てもらいたい」

 

 貴方が魔法使いとして冒険者をやっていたことはよく知られている。

 この村で亡き妻に出会い冒険者をやめ、そのまま居着いた。

 得意の水と地の魔法を使い、農作業を手伝っている。

 今では村の住人からの信頼も厚い。

 

「すまないが、今ここを離れるわけには……いや、すぐに行こう」

 

 夫人が心配そうな目で貴方を見つめている。

 一人でここに置いていかないでくれ、とその目は語る。

 察しの良い貴方のことだ。気づいているだろう。

 

 しかし、貴方は途中で意見を変えた。

 死にかけた男とその妻を残していくと言う。

 貴方は決して薄情者ではないはずだ。

 理由があるんだろう。

 なぜだ?

 

「本当に冒険者なら何か薬を持っているかもしれません。すぐ戻ります」

 

 夫人もおろおろと貴方を見つめ、震えるように小さく頷く。

 その様子を見て、貴方は部屋から飛び出した。

 

 

 

 西の入り口に男が二人と女が一人立っていた。

 男達の方は村の住人だ。もちろん貴方も知っている。

 そうすると、どうやら冒険者を語っているのは女の方らしい。

 

 女性にしては背が高く、ぼけーとした顔。

 ベルトには鞘にすら納まっていない剣が垂れる。

 服の質は良さそうであるが、鎧といったものはない。

 手を加えていないのがはっきりとわかるぼさぼさの髪。

 はっきり言って冒険者には見えない。

 盗っ人のほうがしっくりくる。

 

 男達が貴方に気づき名前を呼ぶ。

 貴方はおざなりに返答し、すぐさま女と対峙する。

 

「失礼しました。確かに冒険者の方ですね」

 

 貴方はいきなり断言する。

 女も面食らっていたようだが、ぼんやりとしたあと「そうだ」と一言返す。

 

「スーさんよぉ。俺にゃあ、どう見ても冒険者に見えねぇぞ」

 

 彼に同意見だ。

 どう見ても怪しい。

 きちんと説明してくれ。

 

「時間が惜しいので手短に言います。彼女は冒険者で間違いありません」

 

 貴方は男二人に体を向ける。

 

「まず彼女の指。嵌めているのはパーティーリングです。これだけでも冒険者と言えます。それに冒険者ギルド特製の道具袋。ガルム印の靴。かなりの実力者でしょう。見た目は確かに怪しいですが、冒険者ならこの程度はおかしくありません」

 

 勢いよく言葉を並べ、男二人に言い聞かせる。

 女は実力者と言われたのが嬉しいのか、不気味な笑みを浮かべている。

 

「ただ――冒険者ということはわかりましたが、この村にいったい何のご用でしょうか?」

 

 貴方は冒険者をまっすぐに見て問う。

 この村に訪問者が来ることは久しぶりだ。

 冒険者ギルドもなければ、名産品もありはしない。

 強いて上げるならリンゴが採れ、甘くておいしいくらいだろう。

 

 そんな村にどんな用があるのか?

 この冒険者の真意を知る必要がある。

 

「ただの通りすがりだ。フルールの町でお茶好きの夫人から依頼を受けてな。ミゼスにいる旦那さんに手紙を渡してくれ、と」

 

 そう言うと、彼女は腰の袋から封緘された状袋を見せる。

 

「――もう日も暮れるから、できれば泊めてもらいたい。ダメなら別に構わない。迂回して進むだけだ。ミゼスもすぐ側なんだろ」

 

 ミゼスはこの村のすぐ東にある都だ。

 この一帯を治めるメーヌ伯爵がいるところになる。

 しかし、そうだとするとおかしい。

 

「どうして南道を? 北道の方が安全では?」

 

 この村を通るルートは南道である。

 道も悪く、はぐれモンスターもよく出てくる。

 特にフルールからこの村までの道は劣悪極まりない。

 安全を考えるなら、北道の方を通った方がはるかにいい。

 

「どちらの道にもダンジョンはない。それなら短い方が早くて良いに決まってる」

 

 冒険者は真顔で断言した。

 迷いや冗談は一切含まれていない。

 貴方と男二人も唖然と冒険者を見つめる。

 

 確かに南道は北道よりも短い。

 それは無理矢理に道を直線に作ったからだ。

 常識を知っていれば、危険を考慮に入れて北道を行く。

 つまり、この女には常識がない。

 リスクを計算できない。

 

 ――この女は馬鹿だ。

 

 おそらく男達も貴方もそう思ったはずだ。

 ただ、馬鹿であるが故に嘘はついていないとわかる。

 この女冒険者なら村に入れても大丈夫じゃないだろうか。

 それに、今の貴方にはしなければいけないことがあるだろう?

 

「村に宿はありません。私の家に泊まってください。その代わりといいますか……。現在、村には瀕死の住人がいます。薬を持っていれば分けていただけませんでしょうか」

 

 さっそく薬の交渉に入る。

 あまりにも単調直入だが、彼女は気を悪くしていない。

 どうしようか、と冒険者は小さく呟き腰の付近を見ている。

 わずかな逡巡のあと彼女は口を開いた。

 

「あまり薬は持っていない。有るものでよければ分けよう。ひとまず、その住人のところへ案内してもらえるか」

 

 そうして貴方は彼女とともにフェニルの家へと引き返した。

 額には大粒の汗が浮かび零れようとしている。

 急げ! 日はまだ沈んでいない。

 

 

 

 メルと名乗った冒険者は、部屋に着くや否やベッドの横に歩み寄る。

 横で話す貴方の説明を聞きながら、ぶつくさ独り言を呟く。

 夫人は心配そうに貴方たちを見つめている。

 

「外傷は現状でどうしようもない。まず毒をどうにかしたほうがいいらしい」

「……なにか毒を直す薬はありますか?」

 

 彼女はなぜか伝聞調で語る。

 貴方は疑問を覚えつつも薬の有無を尋ねた。

 

「いや、要らないから持ってない。パーティーリングを持っているか?」

 

 意味がわからない。

 解毒の話をしていたはずだ。

 どうしてパーティーリングの話になる?

 首を傾げる貴方に、彼女はさらに言葉を重ねる。

 

「持っているかと聞いたんだ。どうなんだ?」

 

 貴方は首を横に振る。

 昔は持っていたが、売ってしまったな。

 あのときのお金はシアの薬代に消えたはずだ。

 

「そうか……、そうだな。仕方ない。やりたくないんだが……」

 

 メルはぼそぼそ独りごち、剣を抜いた。

 貴方と夫人は驚き距離を取る。

 

「な、何をするんですか?」

「魔法だ」

 

 さらりとメルは言った。

 

〈生体を蝕む――〉

 

 貴方は目を瞠った。

 剣が淡い白光を帯びている。

 目を閉じれば魔力の流れを感じるだろう。

 

 ただし、詠唱速度は非常に遅い。

 復唱でもしているかのように一節ごと間が開く。

 

「大丈夫なんでしょうか?」

 

 隣からよくわかっていないであろう夫人が貴方に問いかける。

 貴方は大丈夫だと夫人に頷いてみせる。

 

〈汚れた血をすすぎ 大丈夫なんで……あっ」

 

 剣から光が失われ、詠唱が途切れた。

 

「あれっ? えっ? これ最初からになるの? 一時停止は?」

 

 メルは何かぶつくさと呟き、面倒そうな顔を作る。

 その後、彼女は貴方と夫人を向き直り、「静かに」と言い含めた。

 

「まったく、これだから魔法は……」

〈生体を蝕む――〉

 

 メルは不機嫌そうに呟くと、再び詠唱を始める。

 夫人が貴方に心配そうな目を向けるものの、先ほどのように貴方が大丈夫だと頷くことはなかった。

 

〈――浄化せよ〉

 

 ようやく魔法が唱え終わったようだ。

 詠唱中に男が死ぬんじゃないかと貴方は気が気ではなかった。

 

 剣から出た白い光は男を包みこみ、やがて消え去った。

 男の荒い息は徐々に落ち着いていく。

 貴方と夫人はその様子を見て長く息を吐き出す。

 メルも「おお〜」となにやら感心している。よくわからない。

 

「……おっとそうだったな」

 

 彼女は思い出したように、腰に下げていた袋をごそごそと漁る。

 青い液体が入った小さな瓶を取り出し、貴方たちを振り返る。

 

「外傷を治す魔法は魔力がないから使えない。今できることとして、この体力回復なんとか薬……そうそう、増進薬でどうにか死なないように保つ」

 

 言うべきことは言ったと、メルは瓶の栓を取り外し男の口にゆっくりと流し込む。

 

「今できることはこれだけだ。予断は許されない。明日にでも治癒術士を呼んで治してもらえ」

 

 貴方と夫人は状況に追いついていない。

 夫人は助かる見込みができたことに安堵し腰が砕けている。

 

 貴方は別の意味で驚いているんだろう。

 メルが杖ではなく、剣で魔法を使ったこと。

 さらに貴方は知っているはずだ。

 彼女が男に飲ませたあの青い液体。

 あれ一本で数ヶ月は豪遊できる値がつくことを――。

 

 なんにせよ、夜になったが男の命はまだ消えていない。

 今はそれを喜ぶことにしないか?

 

 

 

 貴方はメルと自宅に帰ることとなった。

 できる限り綺麗な布で男の外傷を圧迫し、なにか起きればすぐ呼びに来るよう夫人に言っておいた。

 

「おかえりなさい!」

 

 家に入ると、娘が出迎えてくれた。

 料理の臭いも漂う。どうやら作ってくれていたようだ。

 母親がいなくても子供はしっかり育つ。

 

 

 貴方はメルを紹介し食事を取る。

 メルもスープとパンをもそもそ口にしている。

 食後のデザートとしてリンゴを食べる。

 貴方とメルは青、娘は赤のリンゴだ。

 

「お母さんにそっくりだな。お母さんも赤のリンゴが大好きだった」

 

 貴方は無意識に口にする。

 リンゴを食べるといつも決まって口に出る。

 隣にメルがいたことを思い出し、恥ずかしさを覚えているようだが問題ない。

 彼女は食べることに夢中で貴方の話など聞いていない。

 

「赤いほうが絶対おいしい! リンゴは赤に限るよ!」

 

 娘はきっぱりと断言し、貴方は微笑む。

 

「その台詞もお母さんそっくりだ」

「えへへ。お母さんも喜んでくれるかな?」

「もちろんさ。お母さんは、いつでもシアを見守ってくれているよ」

 

 そんな訳ないだろう。

 いい加減なことを言うものじゃない。

 

 

 

 食事が終わると、貴方はメルに明日の予定について切り出した。

 娘には部屋へ戻ってもらい、テーブルには貴方とメルが向き合っている。

 彼女は剣を机の上に置いている。彼女は気にしないでくれと言っていたが、どうにも貴方は落ち着かない。

 

「メルさんは明日、ミゼスに発つんですよね」

「そうだ」

 

 メルは一言で返す。

 無愛想ではないがとっつきづらい。

 そんなことにはお構いなく貴方は続ける。

 

「朝一番に出ませんか。私も連れて行ってください。ミゼスで治癒術士を探さなければなりません」

「かまわない」

 

 先と同じように彼女は一言で返すと、あくびをする。

 

「それはよかった。東の林はダンジョンになりかけているので、一人では危険ですから」

「ダンジョンに?」

 

 ダンジョンと聞いてメルは目をぱちりと開いた。

 先ほどまでのやる気のなさが嘘のようだ。

 

「この村とミゼスの距離は半日もありません。目と鼻の先ですが、途中には林が広がっています――」

 

 貴方は話を始める。

 

 林には以前よりはぐれモンスターが出ていた。

 最近になって彼らが活性化し始めた。

 どうやら林がダンジョンになり始めたとミゼスの知り合いは話す。

 林を伐採し、ミゼスとこの村を繋ぐ道を作る話も出ていたが、ダンジョン化に伴いうやむやになった。

 

 ミゼスの周辺にダンジョンはない。

 近くにダンジョンができるならモンスターのドロップから安定した収益が入る見込みがある。

 メーヌ伯もそれを見越して道路建設の話をなかったことにした。

 

 困るのは村の住人だ。

 林で狩っていた動物もモンスター化すれば容易には倒せなくなる。

 さらに数人いれば通ることができていた林もダンジョンになれば通行が難しい。

 現実に今日も死人が出るところだった。

 彼もまだ助かったとは言えない。

 

「このままでは村は孤立してしまう」

 

 話が盛り上がっているところすまないが、もうやめておけ。

 それ以上は意味がない。

 

「孤立するだけならまだしも……」

 

 気づいたか?

 彼女は貴方の話を聞いていない。

 俯き目を閉じている。要するに寝ているんだ。

 机の上に置かれた剣だけが、行儀良く貴方の話を聞いている。

 

 空回りして、勢いを抜かれた貴方は外に出た。

 外の空気はひんやりとして気持ちが良い。

 心にも冷風が吹き抜けるようだろう。

 だが、そんな思いは続かない。

 

「スーさん!」

 

 フェニル夫人が声を荒げ、貴方の方へと走ってくる。

 貴方は気持ちを切り替え、夫人に近寄る。

 

「あの人がまた!」

 

 どうやらぶり返したようだ。

 夫人は冷静さを失い、何を言っているのかわからない。

 貴方は直接、見に行くことにした。

 

「メルさんを……」

 

 やめておけ。

 朝から歩いてきたと話していた。

 起こしてやるな。きっと死ぬほど疲れてる。

 それに明日の朝は、ミゼスに向かう必要がある。

 もちろん、それまで男が生きていればの話になるが。

 

 彼女はすでに彼女の役割を果たした。

 今できることはない。

 

「――行きましょう」

 

 冷たい風が貴方を吹き抜ける。

 どうやら眠れない夜になりそうだ。

 

 

 

 どれくらいの時間が過ぎただろうか。

 夜の部屋には男の荒い息が響く。

 できることは少ない。

 男の汗を拭い。

 そして、

 

「フェニル! しっかりして、死んじゃダメよ。この子のためにも!」

 

 意識を止めるため、声をかけ続けることくらいだ。

 近くの住人も来て、交代交代で声をかけ続けている。

 貴方が男の汗を拭き、ぬるくなった水を換えに部屋を出るとメルが壁に背を預けて立っていた。

 

「気づきませんでした。いつからそこに?」

「今さっきだ」

 

 相変わらずメルの言葉は少ない。

 メルは「今さっき」と言ったが、半時は立っていたぞ。

 といっても、その半分は立ったまま寝ていたがな。

 扉の隙間から貴方たちの様子を窺っていた。

 

「仲が、いいらしいな。」

「……ええ。村に来たとき年齢も近いことがあってよくして頂きました」

 

 村に来た当初はよそ者とあって、貴方は冷たい目で見られていた。

 その中でもフェニルは気軽に、気さくに話してくれた。

 貴方が今ここにいられるのも彼の存在が大きい。

 本当に感謝している。

 

「そうか」

「そうです。死なせたくはありません。フェニルは、私の娘が生まれたときには一緒に喜んでくれました。妻が亡くなったときも一緒に悲しんでくれました。次は彼の子供の誕生を一緒に喜びたいんです。そのために私は私にできることをするだけです」

「できることを、か。そうだな」

 

 メルはそう言うと、貴方に小瓶を渡す。

 青い液体が入っている。

 

「やる」

「……ありがとうございます」

 

 感謝の言葉はたくさんある。だが、重ねると安くなる。

 貴方はたった一言に凝縮させ彼女にお礼を述べる。

 彼女はどういたしまして、と背を向ける。

 そして、そのまま扉に手をかけた。

 

「メルさん。私は家に帰ることが難しそうです。眠るなら私のベッドを使ってください。それと……私はここを離れられないかもしれません。明日の朝は一緒に行けないことも考えられます」

「だろうな」

 

 貴方は逡巡する。

 続きを言うべきかどうか迷っている。

 

 ――ミゼスに一人で行って、治癒術士を連れてきてもらえませんか?

 

 たったこれだけのことだ。

 言うだけ言ってみればみればいい。

 

 魔法もかけてもらい、さらには薬ももらった。

 これ以上、お願いをすることはできない。

 そう思っているのか?

 

 依頼するにも払えるものなどない。

 理性が邪魔をしているのか?

 

「……あの、メルさん――」

 

 もう遅い。

 彼女は出て行ってしまった。

 貴方はなまじ頭が回るため、かえって判断を鈍らせる。

 

 

 

 貴方は家に一度戻った。

 汗と血を拭いていた布がなくなったためだ。

 またすぐにフェニル宅へ戻るつもりでいる。

 

 家に入ってすぐ君はシアを見つけた。

 テーブルに顔をうつ伏せ、眠っている。

 

「こら、ベッドで寝なさい」

 

 君はシアの肩を揺する。

 抱えてベッドまで連れて行きたかったが、体力が持ちそうになかった。

 

「うぅん」

 

 言葉になっていない言葉を漏らすシアを寝室に送る。

 寝室にはベッドが二つ。

 一つは貴方のもので、もう一つは娘のものだ。

 ベッドは両方とも空だった。

 

「あれ? メルさんは?」

「お願いしたの。助けてって。お礼は五個で。そしたら道を作ってくるって、そのまま外に……」

 

 特に答は期待していなかった。

 それでも返答はむにゃむにゃとシアがしてくれる。

 貴方は何かに気づいたように家を飛び出す。

 

 東の門へ辿り着くと番をしていた男が声をかける。

 

「どうした?」

「メルさん。いや、剣を持った女が通らなかったか?!」

「来た」

「通したのか?」

「止めた。でも、大丈夫だと。それと――」

「馬鹿がッ!」

 

 君は膝をつき、地面を拳で叩く。

 もちろん門番を責めているわけではない。

 彼はよくやっている。

 口数こそ少ないが、夜の警備もまじめに引き受けている。

 

「どうして朝まで待てない! 夜に林を抜けるなんて……!」

 

 月は出ているが、林の中では木や葉によって明かりは差し込まない。

 さらに人間と違い、モンスターは夜目が利く。

 

 確かにいま抜けることができれば、明日の夕方には帰ってこられるかもしれない。

 しかし、あまりにも分の悪い賭けだ。

 数人ならまだしも、ソロの剣士。

 無駄死にが関の山だろう。

 

「どうし――」

 

 君の言葉は途中で切れた。

 東の空が突然、赤く光ったからだ。

 

「今の……」

 

 確認をするように門番を見ると同時に爆音が体を揺らす。

 地面も音に対応して揺れる。村の住人もなにごとかと外に出てくる。

 

「いったい、何が?」

「『うるさくなるかもしれないが、気にしないでくれ』――あの女はそう言った」

「メルさんが?」

 

 門番は何も言わず、ただ頷くだけ。

 東の空は赤く燃えている。

 

 

 

 爆音と揺れはその後も断続的に続いた。

 全ての住人にできる限りの説明をし、貴方はまたフェニルの元に戻った。

 夫人は疲れ、部屋の片隅で眠りについた。

 貴方がそうするように言ったのだ。

 

 このままではお腹の赤ちゃんにも影響が出かねない。

 そのため貴方は一人で夜通し、フェニルに声をかけ汗を拭き続けた。

 

 フェニルの容態も山と谷を繰り返している。

 なんとか朝を迎えることができたのは喜ばしい。

 でも、気づいているだろう。体力回復増進の効果は切れかけている。

 メルが一本余分に置いていった薬も使ってしまった。

 もう打つ手はない。男は昼まで保たない。

 貴方は本当によくやった。

 

 ――だから、泣くな。

 無力さを嘆くことは後でもできる。

 

 貴方は言っていただろう。私にできることを、と。

 全力を振り絞って男に声をかけ続けるんだ。

 男の命が燃え尽きるそのときまで。

 

 

 

 日は高く昇り、影も徐々に短くなってきていた。

 同時に男の山と谷の周期も短くなっている。

 貴方も夫人も感じ始めているはずだ。

 言葉にする必要はない。

 

 そんな折、フェニルの目がうっすら開いた。

 昨日から今日にかけて初めてのことだ。

 薄く開いた目蓋から瞳が見えている。

 

「フェニル! 私よ。わかるでしょ。死んじゃだめ! 子供の名前もまだ決めてないのよ! 一緒に決めようって言ってたでしょ!」

 

 夫人が彼の手を力一杯に握りしめる。

 彼の瞳はゆっくりと動き、夫人で止まる。

 苦しげな口元がすこし和らいだように見えた。

 一瞬のことだが、永遠のように長く感じた。

 

 蝋燭の火は消える寸前に強く燃え上がる。

 

 つまり、そういうことだ。

 瞬間は通り過ぎ、男の目蓋は閉じた。

 夫人が掴むその手も力なく垂れる。

 

「フェニル! フェニルッ!」

「おい、フェニル! 目を覚ませ!」

 

 夫人は必死に声をかける。

 貴方も声をがむしゃらに声をかけ続ける。

 

 もう声をかけることに意味はない。

 彼はまだ死んでいないが、声は届かない。

 貴方たちは本当によくやったんだ。

 決して無駄ではなかった。

 

 

 

 ――だから、ほら。

 

 扉が勢いよく開けられ、男が二人入ってくる。

 彼らの後ろにはメルの姿がちらりと見えたが、部屋には入ってこなかった。

 

 男たちが手に持つのは魔法使いの持つ杖。

 そして、服にはメーヌ伯に所属することを示す紋章。

 

「まだ生きていますね! 脇に寄って声をかけ続けてください! 詠唱を始めます!」

 

 男達はベッドの男を見つめると、すぐに杖を構える。

 

〈五体を巡る赤き潮――〉

〈体脈に宿すは炎――〉

 

 二人は別々の魔法を詠み始める。

 詠唱は淀みなく、あっという間に完了する。

 

 貴方は気づいているはずだ。

 彼らが男の命を繋げるために詠唱の短縮を行っていることに。

 片方は外傷を治癒する魔法。もう片方は体力の回復をするものだな。

 男の炎が再び燃え始めたことを契機に、詠唱の短縮をなくしてゆっくり唱えていく。

 

 貴方と夫人はその様子を横目に、フェニルへ声をかけ続けた。

 何度目かの詠唱が終わった後、彼の手が動き始める。

 目蓋もゆっくりと開き、夫人をジッと見つめる。

 

「ただ、いま……」

 

 口がゆっくりと開き、フェニルは夫人に帰還を報告した。

 夫人も彼の頭に抱きつき「おかえりおかえり」と何度も繰り返す。

 いつの間にか後ろで控えていた住人達も歓喜の声をあげ、外に伝播していく。

 

 

 

 フェニルの容態が安定し、彼も夫人も眠ってしまった。

 治癒術士も今では交代で一人ずつ詠唱を行っている。

 貴方は手の空いている方に声をかける。

 

「このたびは本当にありがとうございました」

「いえ、自分の仕事を果たしただけですので、どうか気になさらないでください」

 

 お礼もいいが、気になっていることがあるだろう。

 聞いてみたらどうだ?

 

「失礼ですが、伯爵様お抱えの治癒術士の方……ですよね。そんな方々がどうしてここに?」

 

 彼らの紋章はメーヌ伯が持つ精鋭部隊に所属することを意味している。

 そのような人間がこんな村くんだりにわざわざ人助けをしに来ることなど考えられない。

 

「メル様が今朝早く、主様の元に奥様からの手紙を持ってこられました。手紙を読んだ主様は脅迫……いえ、感激され褒美は何がよいかと尋ねたところ。『腕の良い治癒術士を見繕え』とのことで、我々がこちらまで伺うことになったのです」

 

 信じられるか?

 確かに彼女は手紙を運ぶと言っていたが、まさか伯爵様直々に渡すなんて。

 しかも、メーヌ伯がただの運び屋に褒美まで与えるなんて。

 到底、信じられるものではない。

 それにまだ疑問はある。

 

「な、なるほど。ここへはどうやって?」

 

 それだ。

 あまりにも到着が早すぎる。

 村からミゼスまで半日はかかる。

 往復で半日というのは、計算が合わない。

 それに朝早くにメルがミゼスに到着したということがまずおかしい。

 

「馬で来ました。未だに信じられません。馬より速く走る人間がいるなんて……」

 

 彼はなにやら見てはいけないものを見てしまったようだ。

 貴方は後半を聞かなかったことにした。

 

「林を馬で? どうやって?」

 

 当然の疑問だ。

 木が乱立する林を馬で駆け抜けることなどできない。

 いや、できるかもしれないが難しいだろう。

 

「林の一部が消滅しました」

「……えっ?」

「昨夜の轟音はご存じでしょう。どうやってかは知りませんし、知りたくもありませんがミゼスからこの村までほぼ一直線に大地が抉られていました。その道を馬で駆け抜けたのです」

 

 こいつは何か薬をやっているんじゃないか?

 見ろ。彼の瞳は焦点が合っていない。

 貴方もそう思ったはずだ。

 

「閉じた西門で部隊を構えていたのですが、たった一人に突破されました。門に至っては一足で飛び越えて。見ていなければ信じられないと思います。見ていても信じたくありませんでしたから……。しかし、全て事実です。アレは――断じて人間などではない」

 

 治癒術士は奥歯をカチカチと鳴らし始める。

 目が遠くを見つめ、顔が引きつっている。

 もうそれ以上は聞いてやるな。

 それが優しさってものだ。

 

 

 

 男の容態を見届けて貴方は家を出た。

 メルが村を出てから何をやらかしたのかはよくわからない。

 ただ、彼女がフェニルを、夫人を、村を、そして――貴方を救ったことは確かだ。

 礼を言うべきだろう。

 

 外にも自宅にもメルの姿はない。

 東門で門番とシアがたたずんでいた。

 二人とも手に赤いリンゴを握っている。

 

「メルさんを知らないか?」

 

 貴方が声をかけると二人は東の道を見つめる。

 その先に誰かの後ろ姿が小さく映る。

 

「まさか……」

 

 シアは頷く。

 門番もそれに続く。

 

「おじちゃんが助かったことを知ったら、『もう用はない』って行っちゃった」

 

 なんとせっかちな女だ!

 せめてお礼の言葉くらい聞いていくものだろう。

 

 …………いや、そうか。

 

「これスーさんとおばさんにって!」

 

 娘は地面に置いていた平包みから、リンゴを二つ出して貴方に渡す。

 

「これは?」

「おじちゃんを助けてくれたから、約束のお礼を渡したの! ほーしゅーって言うんでしょ! でも、多すぎるから一つでいいって!」

 

 貴方は赤のリンゴを眺め、それから東へと目を移す。

 今なら走ればお礼は言えるぞ。

 どうするんだ?

 

「……一緒に、メルさんを見送ろう」

 

 そうだな。それがいい。

 彼女がしたことへの礼は返せるものではない。

 言葉にするには多すぎて、物にするには重すぎる。

 彼女もそれに察して何も言わずに去ったのだ……たぶん。

 

 果たして彼女は馬鹿なのか察しがいいのか、どちらなのだろうか?

 どちらにせよ、ここは静かに見送るのが正解だろう。

 彼女は黙って進むことを選んだのだ。

 貴方が口を挟むことはない。

 

 見ろ! 彼女の行く道を!

 空は雲一つなく、蒼く澄んでいる!

 彼女は手に持った赤いリンゴを空に投げて遊ぶ。

 蒼い空には真っ赤なリンゴが良く映える。

 ああ、やはりというべきか――

 

 

 

 リンゴは赤に限る。



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蛇足04話「海の水着は全て夢」

 やってきました大陸東端の都――ネクタリス。

 

 透き通る薄青い水。

 日の光を反射する白い砂浜。

 天日塩がまぶられた、取れたての海の幸。

『豊乳を水着の中で惜しげもなく揺らすお姉様方』

 そして、なによりも超上級ダンジョンのインブリウム水路。

 ……などなど、聞いていただけでも心躍る出来事が盛りだくさんだ。

 

 ――しかし、現実は非情である。

 

 現在、私が立っているのは静かの海に臨む海岸。

 名前の通り普段は穏やかな海が水平線を見せてくれるそうだ。

 

 だが、目の前の海はどう見ても大荒れだ。

 海は大きな波を遠方から砂浜まで運んできている。

 波は白く泡立ち、とても透き通る薄青色には見えない。

 砂浜も空のどんよりした天気を映しているのかどちらかと言えば灰色だ。

 遠く右方に見える岸には、海に出られず陸に固定された船がずらりと並ぶ。

 

『どういうことだ? 水着は? 胸は? お姉さん達は?』

 

 私も少し残念だが、シュウはそれ以上のショックを受けている。

 この悔しがりようを見られただけでも私は大満足である。

 ダンジョンさえ行けるなら他は割とどうでもいい。

 いやぁー、実に残念だったねぇ、シュウ君。

 

『そ、そんな馬鹿な。今回はメル姐さんの水着回でしょ。こんなの! こんなの……絶対おかしいよ』

 

 この落ち込みよう!

 駄目だ。まだ笑うな。こらえるんだ。し、しかし、これは…………。

 

 このあと滅茶苦茶失笑した。

 

 

 

 海も見たし、ギルドへ向かうことにした。

 ダンジョンの情報を得たのち、ダンジョンへ向かう。

 ネクタリス近辺には中級と超上級の二つのダンジョンがある。

 超上級はあとの楽しみにとっておき、まずは中級へ挑むと決めた。

 

 ギルドの中は人が溢れている。

 これは面倒だ。待ち時間が長いだろう。

 と、思いきやそんなことはなく、すんなり受付にたどり着けた。

 

 とりあえず、受付で中級と超上級の情報だけ購入して話を聞く。

 どうやら中級はとても長いだけで、特に注意するべき点はないらしい。

 逆に、超上級は道中がものすごく短く、モンスターも確認されていないと話す。

 ただし、超上級は道中とボス部屋が完全に水没しているらしい。

 

 記憶担当がふてくされて話を聞かないが、これくらいの情報量なら私でも覚えることができる。

 

 

 

 中級ダンジョンへ向かう道中、小高い丘を通ったときだ。

 遠目でも見えてはいたが、頂上に身長の倍程度ある石像が立っていた。

 石像は太い金属製の柵に囲まれ立ち入りが制限されている。

 

 蛇? 

 いや違うか。

 長細い胴体と鱗で蛇だと思ったが、なにやら手と足が生えている。

 蛇に手や足はない。石像の頭には小さな角がついている。

 手から伸びる三本の爪がどす黒い玉を掴む。

 

 なんだこれ?

 

「海龍様だ」

 

 石像の後ろだろうか、誰かいたようだ。

 私の心を読んだような解答が柵の内側から返ってきた。

 

『心を読んだっておおげさな……。普通に口に出てたよ』

 

 えっ、ほんと?

 

 海岸を離れてから初めて記憶担当が喋った。

 どうやら機嫌が戻ってきたらしい。

 

 シュウと話しているうちに石像の影から人が出てくる。

 やや細身だが、その堂々とした立ち姿に力強い印象を感じる男だ。

 私の方をちらりと見るとそのまま石像の前に立ち、黒い玉を見つめる。

 

 海龍様?

 

「そう。海龍様の加護のおかげでネクタリスは安定を保っている。モンスターの襲撃が過去にないのも海龍様のおかげだ」

 

 ふーん、これが龍なのか。

 私の知っているドラゴンとはかなり違うな。

 翼もないし、胴体も蛇みたいに細い。それに牙も小さい。

 そういえば、その手に持ってる黒い玉はなんなんだ?

 

「青水晶だ。これを介して海龍様の力を引き出している」

 

 青水晶?

 黒にしか見えないんだが。

 そういえばネクタリスの安定とか言ってたが、海が荒れてるのはどうしてなんだ?

 時期が悪かったのか。

 

 男は何も答えない。

 またもや私の方をちらりと見ただけである。

 

「一人で『殻』に挑むのか」

 

 私の質問を無視して、逆に質問をしてきた。

 ……殻ってなんのこと?

 

『中級ダンジョンのことだよ。ギルドの受付嬢が話してたじゃん。地元の人はそう呼ぶってさ』

 

 そんなこと言ってたっけ?

 ダンジョンそのものに関係ないことだからな。

 覚えるメリットが感じられなかったから聞き流したんだろう。

 

『Oh、クレイジーサイコメル……。ちなみに超上級ダンジョンは「珠」ね』

 

 そうだったっけ。

 ひとまず質問には返しておこう。

 そうだよソロで挑むんだよ。殻をクリアしたら珠にも挑む、もちろんソロでな!

 なんか文句あるか?!

 

『ぼっちを指摘されたからって、そんな僻まなくても』

 

 うるさいな。僻んでなんかない。

 

「準備は万全か? 殻は道が長く、奥に行くほど寒くなる。防寒対策を十分にしておけ。火の魔法が使えるやつと組むべきだ。」

 

 あ、ああ。

 まさかマジメに心配されると思わず、たじろいでしまった。

 心配してくれるのはありがたいが問題ない。

 ギルドで情報を得て準備は万全だ。

 

「それと、最近はモンスターが凶暴になっているとの報告もある。無理そうだと思ったら引き返せ! 命あってこそだ!」

 

 そうなのか。凶暴になっているというのは聞いていなかった。

 引き返すことなどないと思うが、最後の言葉には賛成だ。

 命あってこそのダンジョン攻略だ。

 

『さすが初心者の森で一人こそこそと生き延びてきた奴の台詞は重みがあるなー!』

 

 うっせぇ。

 そろそろ行くぞ。

 

 こうして中級ダンジョンの攻略を開始した。

 

 

 

 なぜ中級ダンジョンが殻と呼ばれているかわかった。

 奥のボスが殻にこもっていたからだ。ちなみにドロップアイテムも殻だった。

 中級程度なので苦戦もすることなくあっさり倒すことができた。

 途中の敵もまるで問題にならない。

 

 ただ、問題が一つ。

 道中が非常にめんどくさい。

 ボス部屋に到達するまで丸二日かかった。

 ここまで長いダンジョンはナギム廃坑以来だろうか。

 ナギム廃坑は行きと帰りで違う道だが、ここは同じ道のりだ。

 おもしろさもあったものじゃない。

 やれやれだ。

 

 時間がかかるのは実際に距離が長いということが一つ。

 それに潮の満ち引きで通れる場所が変わるということも大きい。

 いちおうチートで水の中でも呼吸ができるようになったが、非常に進みづらい。

 モンスターも水の中では動きが速くなるし、逆にこちらは遅くなる。

 目もよく見えなくなるし、耳も聞こえない。喋るのも難しい。

 さらに泳ぐのは好きじゃないので水中を歩いている。

 

 それでも普通に挑めば往復で七日はかかる、と言われているところを三・四日でクリアできそうなので良しするべきだろう。

 そんなことを考え、水の中を歩いていたときだ。

 

『……おかしいな』

 

 なにがだ?

 

『水の中で無理に喋らなくていいよ。ごぼごぼ言ってよく聞き取れないから』

 

 喋ってる自覚はなかったんだがな。

 口の中がしょっぱい。

 

『いま歩いてるこの道だけどさ』

 

 うん、と頷いてみせる。

 

『行きは海水がなかったんだよね』

 

 そうだっただろうか。

 どこも似たような道で記憶にない。

 水の中はどこも道がうねうねしてるからな。

 気のせいじゃないか、と首をひねる。

 

『いやいや、そんなことはないよ。ほら、そこの下り坂の壁面を見て。フジツボ、えっとちっこい丸いやつね。それが途中からくっついてるでしょ』

 

 言われて壁を見下ろす。

 普通の岩だった壁が、ある高さから下になると小さな丸が壁を覆うようになっていた。

 ほんとだ。よく見ると、つぶつぶがたくさんで気持ち悪いな。

 で、これがなんなんだ?

 

『フジツボってさ。海水があるところに生息するんだ。つまり普段はその高さくらいまでしか海水がないんだよね』

 

 へぇー、そうなのか。というかこれ生きてるの?

 でも、よくよく見てみると上の壁にもちょこちょこいるぞ。

 潮の満ち引きもあるから、今はちょうど潮が満ちているんじゃないか。

 

 そんな感じで特に意識することなくダンジョンを逆行していった。

 途中でシュウが何度か海水面の位置を話したが、あまり意識しなかった。

 たしかに行きよりも帰りのほうが水中を歩いていた気がするな、と感じた程度だ。

 潮の満ち引きなんて日によって差があるものだと思っていたが、最後のあたり、すなわち、ダンジョンの入り口でようやく異変に気づいた。

 

 

”満潮時

 ここまで↓”

 

 そう矢印とともに書かれた看板が立てられていた。

 満潮時でも水面が最高ここまでしかこないという目安だろう。

 

 ――その看板が完全に水没していた。

 それどころか洞穴の入り口天井まで完全に水没している。

 

『あのさ。潮の満ち引きって日によって大きく変化する訳じゃないんだ。たしかに海上の気圧や風力で変わるだろうけど、ここまでくると異常としか言いようがないよ』

 

 まあ、元々この中級ダンジョンは町よりも低い位置にある。

 異常と大げさに言ってもダンジョンの中だけで町のほうにまで影響はないだろう。

 ギルドに異常を報告してさっさと超上級ダンジョンに向かおう。

 

 

 

 甘かったと言わざるを得ない。

 ギルドの扉は完全に閉ざされていた。

 ギルドだけではない。他の民家や商店も同様だ。

 見える範囲に人が存在しない。

 

『こいつはたまげたなぁ〜』

 

 いやいや、そんな暢気に言ってる場合じゃないだろう。

 

 海水が完全に町を侵食していた。

 水面は今や私の胸の高さにまできている。

 ときどき腰の辺りを魚が泳いで行くのも見える。

 

『活きの良い魚が艶めかしい肢体を駆け巡る! わっふるわっふる!』

 

 冗談につきあってる場合じゃない。

 住人はいったいどこに消えたのだろうか。

 辺りを見渡すと青い光が目に入った。

 

『石像のあった丘の方だね』

 

 うむ。

 行ってみるとしよう。

 

 

 丘の側には小舟が二隻浮かんでいた。

 さらに水龍の石像の側には見覚えのある人物が立っている。

 もう一人知らない人物が背を向けて石像の前でなにやら詠唱している。

 私が近寄るとあちらもこちらに気づき、目を見開き走って詰め寄ってきた。

 

「どうしてこんなところにいる!」

 

 いきなり怒鳴られた。

 いや、そう言われてもダンジョンから戻ったら町が水浸しになってたんだが。

 

「ダンジョン? 馬鹿な……、殻は二日前には水没していたと報告が入っている。自分も確認した」

 

 やっぱりそうなのか。

 入り口も完全に水没していたからな。

 行きよりも帰りに時間を使ってしまった。

 

「……なんにせよ、無事で良かった。避難するぞ。来い! ロー、自分はいったん本部に戻る。お前はそのまま詠唱を続けろ! 何かあったら、すぐに報告だ!」

「了解しました!」

 

 勢いで船に乗せられ、町の中を進んでいく。

 

「いったい何が起こっているんだ?」

 

 少し落ち着いたところで疑問を口にする。

 

「海龍様の持つ青水晶を覚えているか?」

 

 青水晶……、ああ青水晶なのに黒いやつのことか。

 

「そうだ。今でこそ黒だが、数年前までは青どころか無色透明な水晶だった」

 

 へぇ、あれがか。

 信じられんな。

 

「だろうな。数年前から徐々に黒が滲み始めた。ここ数ヶ月は顕著だ。そして、黒に染まるとともに、静かの海も静寂を失い始めた」

 

 ほぉん、海の荒れがたかが水晶に引き起こせるものなのか。

 

「起こせる。過去の文献からも読み取れている。こうなることはわかりきっていたのだから、早めの対策を、とギルドと領主に提案していたのに……。おっと、すまない。ついつい愚痴が漏れてしまった。忘れてくれ」

 

 大丈夫だ。気にしていない。

 私もよく愚痴を漏らすからな。

 

『そうだよね。メル姐さん愚痴ばっかだよね、ほんとやんなっちゃう』

 

 大半はお前に対する愚痴だぞ。

 わかってんのかオイ。

 

 

 話しているうちに町を抜け、高台に船を着けた。

 高台と言ってもそこまで高いわけではない。

 すぐ上の方から声が聞こえてくる。

 どうやら避難者がすぐそばにいるようだ。

 

「局長!」

 

 坂の上から一人の男が走ってくる。

 

「どうした?!」

 

 隣のおっさんが返事をする。

 局長がなんなのか知らないがお偉いさんだったようだ。

 

「ゼリム子爵が避難所の件で話があるとお呼びです」

 

 子爵……。

 なんかすごいのが出てきたな。

 

「放っておけ。どうせ割り当てられた避難所が狭いと言うだけだ。今は全住人を入れることが最優先だ。どうしても嫌なら穴でも掘って潜っていろと伝えておけ」

「いや、それは……」

 

 私でもさすがにそこまでは言えない。

 

『だよね。メル姐さんは口も態度も臭いも悪いけど、割と小心者だしね』

 

 臭いは関係ないでしょ。そろそろ怒るよ?

 

「アルとイオは帰ってきているか?」

「アルは先ほど帰ってきました。セルス村の受け入れ体勢を確認できたようです」

「よし、カイ! アルにさっそく第一地区の住人をセルスに移していくよう伝えろ。それとイオが帰ってきたら、そのまま第三地区の住民を移すように言っておけ。護衛は手はず通り第一・二地区が騎士団。第三・四地区を冒険者だ!」

「はい!」

 

 カイと呼ばれた男は元気よく返事をして背を向けたが、すぐにこちらにむき直す。

 

「ギーグ局長。自分は今からアルに局長の指示を伝えてきますので、局長はどうか子爵のところを伺ってみてください」

 

 ギーグは顰めっ面で頷き、わかったから早く行けと手を払った。

 カイが逃げるように走り去るとギーグはこちらをむき直す。

 

「避難所を割り振りたいが、場所も人手も足りん! 悪いが少しつきあってくれ! すぐ済む!」

 

 お、おう。

 考える前に思わず頷いてしまった。

 

『勢いの力ってすごいね。やっぱりぐだぐだうじうじやるよりも、一気に押し倒した方がいいのかな』

 

 何の話?

 続きを話しても良いけど、私に聞く気はないぞ。

 

 

 仕方ないのでギーグについていき、掘っ建て小屋に来た。

 私は中に入れてもらえず小屋の外で待っている。

 

 外でも聞こえるほどの声で子爵とギーグが言い争う。

「狭い」「早く別の場所に移せ」「問題を解決しろ」と子爵が吠え。

「狭いなら外に出ろ」「別の場所は全て一杯だ。得意の土魔法で穴でも掘って入ってろ」「現在、できる限りの対処は行っている。より確実な対処は三ヶ月前に説明した。その期を逃したのだから、現対処法では効果も薄い。我々にできる最良の選択は逃げることだ」とギーグが言い返していく。

 

『すごいね。局長って呼ばれてたけど、子爵にまったく物怖じしてない。それどころか、勢いで子爵をねじ伏せてる』

 

 うむ。

 子爵の言葉は徐々に勢いを失い、ギーグの勢いは増していっている。

 伝言では子爵本人もいないから好きなことを言えると思っていた。

 まさか本人を前にしても同じことを言うとは……。

 

 ついに言い争いは終わった。

 責任、地位、領地云々といよいよ子爵はギーグに泣きつき始めた。

 

「頼むギーグ。なんとかしてくれ……」

「言われずとも全力は尽くしている。それが自分の仕事だからな。閣下もご自身の責務を果たすべきでしょう。椅子に座って泣いていて問題が解決できますか?」

 

 そこまで言うと足音がこっちに近づいてくる。

 どうやら言うべきことは言ったということらしい。

 扉に耳を近づけていた私は慌てて扉から離れる。

 

 扉から目を離し、来た道を目でたどると一人の男が走ってきた。

 あれはたしか…………誰だっけ。

 

『水龍の石像の前で詠唱をしてた人。ローって呼ばれてた』

 

 ふむ、それだそれだ。

 顔には明らかな焦りを貼り付け、まっすぐこちらに向かってくる。

 脇に避けて道を譲ると、私を見ることもなく小屋の扉を勢いよく開けた。

 ちょうど小屋から出ようとしていたギーグと鉢合わせる形になった。

 すこし驚きながらもローは言葉を繰り出す。

 

「局長! 青水晶にヒビが入りました!」

 

 ギーグは目を見開き、後ろで椅子に座っていた小太りの男は奇声を発する。

 

『不謹慎なんだけどさ。おもしろくなってきたね』

 

 たしかにそうだ。

 いちおう当事者なんだがな。

 一歩離れた位置にいるためだろうか、それほど緊張感はない。

 次から次へと起こる出来事に退屈しないですむ。

 

「ギーグ! ヒビが入るとどうなるのだ! いったい何が起こるというのだ?!」

 

 小太り子爵は顔を歪めて尋ねる。

 

「以前に説明したでしょう」

 

 子爵とは対照的にギーグは静かにぴしゃり。

 私もどうなるのか気になる。

 ギーグは説明する気がないようで、目を瞑り思案しているように見える。

 

 仕方ないのでローを見る。

 子爵やお供の人の視線も集まり、ローは観念して口を開いた。

 

「過去の文献には、青水晶にヒビが入った事例が二件確認されています」

 

 なんだ。

 二回もあるのか。

 初めてって訳じゃないんだな。

 

「一件は青水晶を即座に入れ替え『鎮水の儀』を催したところ、しだいに潮は引き、波は静まり、海は平穏を取り戻した、と」

 

 おお、なんだ。

 よかったじゃないか。

 青水晶を入れ替えれば、万事解決だ。

 

 私の言葉に対して返答はない。

 誰もが静かに黙り込み、目を伏せる。

 シュウだけが楽しそうにクスクスと笑う。

 なんだ? なぜ黙る? 変なこと言ったか?

 

「青水晶に、予備は――ない」

 

 訪れたしばしの沈黙をギーグが破る。

 

『ですよね〜』

 

 もう一件の事例は――、とローが話し始める。

 

「ヒビを放置し、青水晶が割れています」

 

 おお、今回はそちらになるわけか。

 そっちの場合はどうなったんだ。

 

「水晶が割れたのち、地は獣のごとく唸り、大地を揺るがす。一時の間に潮は町より完全に引き、砂浜からも水が消失した、と」

 

 なんだ町から潮が引いたならいいんじゃないか。

 水が消えた方がまずいってことなのか?

 ほっとけば、そのうち戻るだろ。

 今もあるんだしさ。

 

『いや、うん、確かに水が戻ることは戻るんだけど……。地震の後に潮が引いたってことはね。ちょっと洒落にならないかも』

 

 先ほどまでむかつくほど楽しそうに笑っていたシュウからおふざけ成分が消えた。

 これは相当まずい状況であることを意味する。

 どう、なるんだ?

 

「一刻ののち、遙か遠方より青き壁が押し寄せり。壁は高き水であった。水は悉くを海に帰した、と」

 

 要するにどういうことだ。

 

『津波だね。海見たときに大きな波が出てたでしょ。あれのさらにでかいやつが町を壊したってこと』

 

 でも、水の波でしょ。

 そこまですごいことになるの?

 昔の人がおおげさに書いただけじゃないか?

 

『津波をなめすぎ。普段の波は水面だけみたいなもんだけどね。津波は水面から水底の全体が大きな波になるんだ。あの程度の町並みじゃ全部押し流されて、引き波で海に引きずられちゃうよ。残るのはせいぜい基礎部分とそれにひっかかったガレキだけ』

 

 どうやら本当に冗談じゃないらしい。

 町が壊れたらギルドはどうなるんだろうか?

 せっかく来たのに超上級ダンジョンに挑めなくなるのか?

 

『メル姐さんの言動が屑すぎて、頭がフットーしそうだよぉ!』

 

 そうだな。

 ダンジョンどころじゃないか。

 

 いや、待てよ。

 水晶が割れて町が流されたなら、さっき見た水晶はいつ手に入れたんだ。

 そもそもこの町はどうして今あるんだ?

 

「その後は文献が紛失しています。数百年も以前のことですからね。おそらくは、波が引いたあとに再度入手して嵌めたと考えられます。町の復興も鎮水の後に行われたのでしょう。ゼロから今の町並みに戻すのとしたら、果たして数年で足りるかどうか」

 

 ローの説明が終わると同時に、地面の底から低く唸る音が聞こえてきた。

 音を追いかけるように地面が小さく揺れ、すぐに大きな振動に変わる。

 ギーグが「伏せろ!」、「柱に掴まれ!」と吠えているうちに揺れは収まった。

 

「青水晶が割れたか!?」

 

 ギーグが声を荒げると、子爵も「あぁ、あぁ!」とうめき始める。

 

「もう終わりだぁ! 私の領地が、屋敷が。どうして、どうして今こんなことに……」

 

 子爵がうわごとのように呟き、ばたりと倒れる。

 口からよだれを垂らし、体を震わせ、うずくまっていた。

 周囲の者が慌てて駆けより声をかけている。

 ただし、ギーグとローは別だ。

 あと私もか。

 

『だめだ、こいつ。もうどうしようもない』

 

 シュウが私の心を代弁してくれた。

 

「うるさい邪魔者は消えた! 行くぞ、ロー!」

 

 すでにギーグは走りながら、追従するローに指示を出す。

 

「ここも高度が低く安全とは限らない! 予定よりも早いが全住人の輸送を行うぞ! 騎士団には子爵の代わりに自分が指揮を執ると伝えろ。お前はさっそくアルとともに第一・第二地区の輸送に移れ! 街道沿いのルートはすでに波が高いと報告にあるから駄目だ。丘を登るルートに切り替えろ。道幅は狭いが、こちらなら海から距離も高さも取れる!」

「わかりました! ギルドの方はどうしますか?!」

 

 道の分かれ目で立ち止まりローが問いを投げかける。

 

「支配人のところには自分が行く! 第三・第四地区住人の輸送護衛に冒険者を今すぐつけさせる! カイにいつでも出発できるよう準備させておけ!」

「了解です!」

 

 そうして彼らは道で二手に分かれた。

 私も冒険者なのでギーグについていく。

 

 

 前回同様、私は小屋の前でギーグとギルド支配人の話し合いを盗み聞きしている。

 

「支配人! 冒険者たちの護衛が予定数より大幅に少ない。これはどういうことだ?!」

 

 そうなのだ。

 この小屋に向かう途中でカイとかいう局員が報告に来た。

 第三・第四地区住人の輸送護衛に当たる冒険者の数が少なかった、と。

 しかも、護衛に当たる冒険者の多くが初級・中級と実力に問題がある者ばかりである。

 

「いや。それがですな、ギーグ局長。我々も要請通りに依頼を発注しました。ところが、依頼料がどうにも少なく、上級・中級者の方々には依頼を拒否されまして」

「地震があっただろ?! 地面に足が着いていたか? 緊急事態だ! どうにかしてでも冒険者動かすのがギルドの仕事だろう!」

 

 ギーグは扉越しでも耳が痛くなるほど吠えている。

 よく考えるとこの男は出会ってから静かに喋っている記憶があまりない。

 

「そうは言われましてもね。依頼を受けるか受けないかの最終的な判断は冒険者の方たちの自由意志ですから。彼らを動かすにはどうしても先立つものが必要となります」

 

 これは支配人の言うとおりだ。

 受けたくない依頼は受けない、冒険者の鉄則とも言える。

 逆に安くても依頼を受けるときは受けるのだ。

 

『やりたいことだけやってる、迷惑者の自由集団だもんね』

 

 たしかにそういうのが多いよ。多いけどさ。

 もうちょっと良い言い方はなかったの。

 

 依頼の受注が自由とは言っても、ギルドは圧力をかけることはできる。

 受けないとギルドからの信用が下がり、依頼を回されなくなったり変な噂が流れることもある『――と、経験者は語る』。

 

 いやいや、私はそんなにひどくなかったよ。

 薬草を集めるなら彼女において他はいないってことでさ。

 薬草集めや粘液回収の依頼をたくさん回してもらってたからね。

 

「冒険者を集められる金額を提示したのはそちらだ。我々はその金額をすでに支払った。契約は成立している! 数をそろえられないというのなら、ギルド側の落ち度だ!」

「依頼料は状況によっても変わりますので。局長のおっしゃるよう、緊急事態ですからね。変動もやむなしかと」

 

 ギーグの怒声にもひるむことなく支配人は静かに対応していく。

 

「……よくわかった。護衛の人員は必須だからな」

 

 深く息を吐き出すようにギーグが声を流す。

 

「さすがは危機管理局の長。わかって頂けたようでなによりです。それで、残りの人員を集めるための見積り金額ですが――」

「二年前と十ヶ月前のことだが! 青水晶を確保するため、冒険者へ依頼を出すようにギルドへ要請した! 覚えているか?!」

 

 支配人の話を遮り、ギーグが再び声を張らせる。

 

「え、ええ。覚えていますよ。超上級パーティーを二度呼びましたね。どちらも要望には添うことができず、当ギルドとしても――」

「事後になるが、当局でも彼らについて調べさせてもらった」

「えっ?」

「我々が要請したのは経験豊富で実力のある超上級パーティーだ! そうだったな?!」

『流れが変わったな……』

 

 うむ、なんだかな。

 支配人がうろたえ始めたぞ。

 

「最近、実施した当局の調べではどちらのパーティーも超上級に成り立てで、実力も上級クリアがせいぜいとなっていたが、これはどういうことだ?!」

「確かに彼らは成り立てですが、実力は――」

「さらにだ! 調査によると、こちらの先払いした金額の半分も彼らは受け取っていないと出たが、これはなんだ?!」

「そ、それは――」

「とあるギルド職員によると、要請した当時、ギルド本部へ大きな金の流れがあったそうだ! 支配人、それでお前も本部から高い評価を受けたと聞いている!」

 

 怒声が止まり、静寂が舞い降りた。

 次にどちらが何を喋るのか気になり、扉に耳をピタリとつける。

 

「ど、どうやらギーグ局長は大きな誤解をなされているようです。我々ギルドは常に正当な職務を全うすることを心がけています。おそらく調査に間違いが――」

「そうだな! 間違いがあるかもしれない。すでに当局では先の案件を書類にまとめた! この書類は自分の声一つで王国側とギルド本部に即時送られる! 間違いがあるかどうかはそちらの判断に委ねよう!」

「お、お待ちくだ――」

「それより支配人! 既に述べたように、今は緊急事態だ! 書類の一つや二つは有耶無耶になって消えるかもしれない! だがしかし! 我々が責任を持って行うべきは重役の首を切るための書類保護ではない! 輸送する住人を護衛するための人員確保だ! ……それで、『正当な職務を全うする』ギルドとしては、残りの人員確保にいくら必要だと見積もっているんだ?」

 

 最後の最後になってギーグは声を深く沈め問いかける。

 

 ギルド側は全力を尽くして冒険者の確保を「無料で」行うことになった。

 

『完全勝利した危機管理局GC』

 

 ギーグはすぐに小屋を出て、第三・第四地区の住人がいるところに走り始めた。

 追いかけよう。きっとおもしろいことが起こるはずだ。

 

『ちょっと待った。メル姐さん、おっさんを追う前に買っておいて欲しいものがあるんだけど』

 

 なに言ってんだ。

 今は店が水に沈んでやってないぞ。

 それにこの状況で何が必要だって言うんだ。

 

『大丈夫。そのへんにいるギルド職員を捕まえれば買えるものだから』

 

 ふぅん。

 それでなにが必要なんだ。

 

『ギルドから買うものなんて決まってんじゃん。パーティーリングだよ』

 

 お前さ。

 今の状況をちゃんと理解してる?

 

『もっちのろんろん。予想通りなら必要になるよん』

 

 どんな予想だよ。

 あと、その言い方むかつくからやめろ。

 

『すぐわかるよ。おそらくね』

 

 そう言って、シュウは怪しく笑った。

 気持ち悪い奴だ。

 

 その後、手持ちぶさたな職員を捕まえ、なんとかリングを購入した。

 ギルド職員に不審な顔をされたが、金の力は偉大だ。

 渋々ながらも売ってくれた。

 

 

 

 ギーグを探して避難所へ赴く。

 どこだろうかと歩いていると怒声が聞こえてきた。

 すぐに場所がわかるから助かるな。

 

 小屋の前でギーグと……誰だっけ。

 

『ローだね。二回目だよ、そろそろ覚えてあげて。でも、あれ、おかしいな? なんでここにいるんだろう』

 

 さあな。私が知るよしもない。

 とりあえず近寄って、何があったのか尋ねてみる。

 

「どうして君がここにいる?! 冒険者は全て護衛に回ったと聞いているぞ!」

 

 ……あれ?

 そういえばそうだな。

 護衛の話をもちかけられなかったぞ。

 

『たぶん護衛の依頼が出たときにダンジョン潜ってたから数にカウントされてなかったんだと思うよ。ギルドからもカウントされないって、もう冒険者じゃないよね。そんなことより魔王しようぜ!』

 

 うっさい。

 私は冒険者だ。冒険者なんだ!

 それより私のことは置いといて。いったい何があったんだ?

 

「……まあ、いい。丘のルートで崩落があった。地震の影響だろう。幸い落ちたのは馬と荷車だけで人間はいない。しかし、一部の住人がこちらに戻り海岸沿いのルートを行くことになった」

 

 あれま。それは大変だ。

 第三・第四地区の人間は出発したばかりだろ。

 そちらに合流させればいいんじゃないか。

 

「だめだ。間に合わない可能性が高い。見てみろ」

 

 ギーグが指さす方向は高台を下った道の先だ。

 小さく行進する人々が見える。

 住人とそれを囲むのは冒険者たちだろうか。

 彼らが歩いているすぐ近くには海岸線が見える。

 すでに波は引き始め砂浜が広い。

 

『前例通りの沈降による引き波だね。隆起からの押し波だとあの人たちもやばかったからラッキーだ』

 

 よくわからんが、何かがよかったようだ。

 行進する人々はもうじき海岸線を抜けようとしている。

 

「あの海岸線を抜ければ丘に登ることになる。だが、戻ってきて向かわせるには時間がかかりすぎる。それに戻ってくる住人は病人、あるいは怪我人だ。予定よりも多くの時間が必要になるだろう」

 

 じゃあ、しょうがない。

 ここで待つしかないだろう。

 そもそもお前らはどうするつもりだったんだ。

 

「我々は最後に彼らを――第三・第四地区の住人たちを追いかけるつもりだった。無論、今は戻ってくる住人を待つが、このままではここに取り残される可能性が高い」

 

 考え込むように頭をゆっくり回しながらギーグは語る。

 

 そもそも、この高台でもそこそこの高さはある。

 より安全を考えて輸送させてるようだが、ここで十分じゃないか。

 

「いや、ここでは低すぎる。ここはあくまで一時的な避難場所で、緊急として作られたものだ。過去の津波ではこの高台も波に飲まれたと書かれている。本当はもっと高い位置に作りたかったんだが、局だけの予算ではここに建てるのが精一杯だった!」

 

 ……あれ、なんかほんとにやばいそうだぞ。

 今更だけど私も逃げた方がいいんじゃないかな。

 

「そうだ。君は早く逃げろ! 第三・第四地区の避難民を追いかけて護衛に当たってくれ! 依頼料はあとで払う。我々は戻ってくる住人を今から迎えにいき、なるべく多くの人間を避難させる。馬を一つやる」

 

 必要ない。

 足には自信がある。

 よし。それじゃあ、その依頼を受け――、

 

『ほんとにいいの? 依頼を受けちゃって』

 

 なにがだ?

 私なら今からでも余裕で追いつけるぞ。

 野生の動物はおろか、野良モンスターが出ても払いのけることができる。

 

『そりゃそうだ。でも、報酬は受け取れないだろうね』

 

 なぜだ?

 

『なぜって、間に合わないからだよ』

 

 何に……?

 

『そりゃ津波だよ。ギーグ局長たちが病人やら怪我人たちを迎えに行って、ここに戻ってきて、さらに海岸線を抜ける時間を考えてみて。もうすでに潮は引き始めてるんだよ。ギーグたちは波に飲まれて帰ってこない。メル姐さんに報酬を払う人間はいなくなる』

 

 たしかにそうだけどな。

 間に合わないと決まったわけじゃないだろ。

 

『そうかもね。でも、ギーグ局長も間に合わないって感じてるはずだよ』

 

 そんなことないだろ。

 最後まで諦めそうにないぞ。

 

『諦めないだろうねー。でもさ。馬をやるって言ったんだよ。メル姐さんに馬をやるくらいなら住人の避難に一頭でも多く使った方がいい。それに「貸す」じゃなくて「あげる」だ。返してもらうことはできそうにないって無意識で感じ始めてるんだよ』

 

 そんなの言葉の綾だろ。

 じゃあ、お前は依頼を受けないほうが良いと言うのか。

 

『そうだね。護衛に行くのなら、後残りがないように依頼は受けない方がいいんじゃないかな』

 

 だがな。

 依頼を受けなくても後残りがありそうだぞ。

 どっちにしろ後残りがあるなら、もうどっちでもいいんじゃないか。

 

『落ち着いてよ、メル姐さん。ほら俺に続いて呼吸して。ひっひっふー、ひっひっふー』

 

 その呼吸だと、なんか落ち着かないんだが。

 

『せやね。で、どうして護衛に行くことが前提なの?』

 

 いや、だって逃げる他に選択肢があるのか。

 そうか。私も避難民の輸送に当たればいいのか。

 そのほうが良さそうだな。

 

『違う。それじゃ護衛に当たるのとたいして変わらない。もっと根本的な解決法があるでしょ』

 

 うん?

 そんな選択肢が本当にあるのか?

 

『ある。単純明快――津波を止めるんだよ』

 

 …………できるのか?

 今回ばかりはチートなお前でも無理かと思ったんだが。

 

『いや、今回はそこまでのチートがなくてもいけるかもしれないんだよ』

 

 ほう、話を聞こうか。

 簡潔に頼むぞ。時間がない。

 すでにかなり無駄にしてしまった。

 

『任せ給へ。まず――』

 

 

 

 ――なるほど。

 たしかにそうだな。

 

『ただし、いざとなったらメル姐さんだけ助ける方向にスキルを変更するからね。そこはご了承を』

 

 それは仕方ないだろう。

 私はまだ死にたくないからな。

 さて。行くか、クソ野郎。

 

『おう。行こうぜ、魔王様』

 

 うむ。

 それと私は魔王じゃない。

 

 

 馬に跨がり、今まさに出発しようとしているギーグを呼び止める。

 

 先ほどの依頼なんだがな。

 やはり受けられない。

 

「……そうか。なんにせよ無事に逃げるならいい! 死ぬなよ!」

 

 悪いが今回に限り逃げることもしない。

 

 ギーグの顔が怪訝そうに私を見下ろす。

 そりゃそうだ。何を言っているのかわかってないだろう。

 それではだめだ。これから私はさらにひどいことを言うのだから。

 

「私は、今から超上級ダンジョンに挑戦する!」

 

 ギーグの表情はおもしろいくらいに変化する。

 最初はあっけに取られ、次に軽く笑い、最後に――

 

「バカか、お前は! 何を考えてるんだ!」

 

 ぶちぎれた。

 

 当然の反応だが、まぁ落ち着け。

 今から救助に行っても住人はおろか、お前たちも助からんだろう。

 

 彼の顔はぴくぴく痙攣しているが、話は聞いてくれている。

 それならと遠慮なく続けさせて頂く。

 

 超上級ダンジョン――インブリウム水路なんだが。

 お前たちが「珠」と呼ぶのはボスモンスターのドロップアイテムが例の水龍の青水晶だからで間違いないか?

 

 ギーグは小さく複数回頷く。

 どうやらシュウの予想は間違いなかったらしい。

 

「たしかにそうだが、あそこは超上級ダンジョンだぞ」

 

 その通りだ。

 言ってなかったが、私は極限クラスの冒険者だ。

 そもそもネクタリスにはインブリウム水路の攻略を目的に訪れた。

 信じられないかもしれないが、これまでにもディオダディ古城、アラクタル迷宮、それに神々の天蓋を攻略している。

 

 ――と、言いつつ首にかけていた冒険者証を見せる。

 手にとったギーグは目をぱちぱちさせながら冒険者証を確認する。

 

「たしかに、そうなのかもしれないが、珠は事情が違う」

 

 そうか?

 ダンジョンの道程は極めて短いと聞いているぞ。

 

「そういうことじゃない。あそこは完全に水ぼ……いや、そうか…………そうか! しかし、行けるのか?!」

 

 どうやら、ギーグも気付いたようだ。

 インブリウム水路は普段なら完全に水没しているらしい。

 普段なら、だ。今は津波前でどういう事情かは知らないが潮が引いている。

 今なら水もないただの道になっている可能性がある。しかも、モンスターもほぼいないと聞く。

 さらにだ。シュウは、水がないならボスも楽に倒せるかもしれないと言っている。

 

 そうなると残る問題は一つ。

 えっとなんていったっけ。

 

『鎮水の儀』

 

 そうそれだ。

 鎮水の儀をする、とか話していたがそれは時間がかかるのか

 

「いや、そちらはすぐに済む」

 

 そうか。

 それならいけそうだな。

 

 で、どうする?

 どっちにしろ私はインブリウム水路に向かう。

 ボスのドロップアイテムには、特にこだわりがない。

 ダンジョンまでの道案内をしてくれる人間がいたら、案内代にくれてやるつもりなんだがな。

 

「……そうか。それなら自分が案内しよう。それと自分もボスに挑ませて頂く! これは譲れない! 危機管理局局長として責務だ!」

 

 これもシュウの予想通りだ。

 正直に言うと足手まといだから来ないで欲しい。

 それでも、絶対についてこようとすると奴は話していた。

 どうやら完全にクソ野郎の手のひらの上らしい。

 むかつくが仕方ない。

 

 挑むなら、これをつけておけ。

 

 そう言ってパーティーリングを放り投げる。

 ギーグは上手くキャッチすると、さっそく指に嵌めた。

 シュウは『おっさんと話すことなんかなにもないんで、しばらく黙っとく』と言っていた。

 ギーグと距離が開くか、どうしてもやばくなったら話をするらしい。

 いつもこれくらい静かならいいんだがな。

 

「局員諸君! 聞いての通りだ! 自分は今から珠に挑む。諸君は予定通り住人を迎えに行って欲しい! それとロー、お前はここで待機だ! 珠から戻ったら魔法で合図を送る。確認できたら海龍様へと向かえ、津波が迫りもうだめだと思ったら逃げろ! それでは各員行動に移れ!」

 

 了解! と声が重なりあうと各人が動き出した。

 

「自分たちも行くぞ!」

 

 ギーグが馬を走らせ、私はそれについていく。

 久々にパーティーを組んでのダンジョン攻略が始まった。

 

 

 

 高台を下り、町を抜け、石像のある丘を横切り、そのまま砂浜に突入する。

 どこにダンジョンがあるのかと思っていたが、砂浜のど真ん中に穴が空いていた。

 中級ダンジョンも町の近くだったが、超上級ダンジョンに至っては町の中と言っても差し支えないほどすぐ近くにあった。

 

「あそこだ!」

 

 水がないのをいいことにギーグは馬に乗ったままダンジョンに突入する。

 私は入り口で止まり、その背をみつめる。

 砂浜に穴が空いてると言ったように、天井も砂だ。

 どうして天井が崩れてこないのかが不思議で仕方がない。

 それにモンスターがいないと聞いているものの、もしもいたらどうするつもりなんだろうか。

 仮にモンスターがいれば、突っ込むなんて危険きわまりない。

 

『メル姐さんがまともなこと言ってる……不吉だ。おっさんもそれだけ必死なんだよ。ところで、まさに最後の点なんだけどさ。どうしてモンスターがいないんだろう?』

 

 ギーグが離れたのを良いことに、シュウがしゃべり始めた。

 

 そういえばそうだな。

 モンスターのいないダンジョンなんて神々の天蓋しか記憶にない。

 

「おい! 何をやってる! 先に進むぞ!」

 

 ギーグが道の先から呼びかけてくる。

 モンスターのことはひとまず置いておき、追いかけることにした。

 

 短いとは聞いていたが、本当に短い。

 まだ水が少し残る道を下りながら進むと、大きな扉が見えた。

 

「よし! 突入するぞ!」

 

 いつの間にか馬から下りていたギーグは、私の返事を待つことなく扉を開けて入っていった。

 

 おいおい! ちょっとは落ち着けよ!

 作戦会議もなにも無しでつっこむとか馬鹿じゃないのか。

 しかも、奴は短剣しか武器を持っていない。

 防具すら戦闘を意識したものではない。

 ボスの一撃で死ぬぞ。

 

 慌てて扉をくぐる。

 目に映り込んできたのは、広い部屋に力なく横たわる巨体。

 そして、その巨体に乗りかかり小さな短剣を振り下ろすギーグだった。

 

 な、何が、起こっているんだ……。

 まさか、もう倒したとでもいうのか。

 

 そもそもこのボスは何だ。

 体は長細いが魚には見えない。

 どちらかと言えば蛇だが、口は長細く棒のようだ。

 

『タツノオトシゴ。こう見えてもいちおう魚の仲間だよ。普段は水中で体を直立させるんだけど、水がないから倒れてるんだ。しかもガス交換もできなくて弱ってるみたいだね』

 

 シュウがぼそぼそと教えてくれる。

 水龍の石像に似ているが、もしかしてこれか?

 

『うーん……。でも、手とか足がないよね』

 

 そう言えばそうだ。

 水龍の石像は手と足があって、水晶も掴んでたからな。

 作成者が大げさに作ったのかもしれない。

 

「なにぼさっと見てる! 鱗が硬くて刃が通らん! 早く手伝え!」

 

 ギーグはボスがなんだろうが、構うことはないようだ。

 

『人間死ぬ気になれば怖いものなんてないって良い例だね。そうそう、筒みたいな口元には絶対近寄らないで。タツノオトシゴは見た目よりもずっと獰猛な捕食者だから吸い込まれちゃうよ』

 

 ありがたい忠告をギーグにも伝え、膨らんだ腹部からザクザク斬っていった。

 途中でボスが体を跳ねさせギーグが飛ばされたりもしたが、特に怪我もすることなく倒すことができた。

 

 光とともに残るドロップアイテムは二つ。

 青き水面映す龍の子の瞳――を私とギーグがそれぞれ拾い上げ、勝利の歓声も上げぬままダンジョンを抜けた。

 

 

 

 ダンジョンを出るや否や、ギーグは短い詠唱を行い、火の玉を上級に打ち上げる。

 火の玉は空で小さく破裂し、音を鳴らす。

 

「海龍様のもとへ急ぐぞ!」

 

 ああ、と私も返事をする。

 さすがの私も急がねばなるまい。

 海には、すでに小さく青い壁が見えている。

 

 

 石像の足下には割れた水晶玉の破片が散らばる。

 黒々とした水晶玉とギーグが石像の手に嵌めようしている透明な水晶玉が同じものとは思えない。

 ちょうど手に水晶玉が嵌まると馬がやってきた。

 

「局長! もう戻られないかと逃げるところでした!」

 

 たしか、えっと、そう、ローだ。

 ローが焦りと笑みを貼り付け、ギーグに近寄る。

 

「そんな挨拶はいらん! もう波は見えているんだ! 鎮水の儀を行うぞ! 詠唱の準備だ!」

 

 はい! と大きな声で返事をし、ローは杖を持って石像の前に立つ。

 

〈我ら小さき人の子は、ただ海の平穏なるを願うもの――〉

 

 詠唱を始め、私とギーグが見守る。

 石像は海の方を向き、ローは石像と対面している。

 そのためローは海が見えていない。

 逆に、私とギーグには海が見えている。

 小さく見えていた白い壁も、今では青く大きく押し寄せる。

 ローを急かすこともできず、ギーグは落ち着かず顔をローと海を何度も往復させる。

 

〈――碧き龍の猛き姿。其の力の一端をどうか我らに〉

 

 ローが目を瞑り詠唱を終えた。

 目を開きギーグに合図をするものの、何も起こる様子はない。

 波はさらに高くなり、水の音も聞こえるようになってきている。

 勢いの収まる様子は見て取れない。

 

「どうして何もおこらない!」

「わかりません! 詠唱は確かに完了しました!」

 

 ギーグが吠え、ローも言い返す。

 

『メル姐さん。逃げる準備して』

 

 そうか……、駄目なのか。

 作戦担当も無理だと判断したようだ。

 私たちにできることは十分にやり遂げた。

 せめて、ここにいる二人くらいは抱えて逃げるとしよう。

 

「なぜだ! 何が足りない!」

 

 ギーグは石像に向かって叫び、次いで波迫る海に向く。

 そして、高台を見つめる。

 そこにはちょうど戻ってきた住人達が小さく見えていた。

 

「だめだ! まだ避難は完了していない! 彼らを死なせるわけにはいかない! どうしたらいい! 自分はいったい何をすればいいんだ!」

 

 叫びは悲痛なものに変わっていく。

 

『あ……、メル姐さん』

 

 んぁ?

 ああ。やっぱり、そろそろ逃げないとやばいよな。

 

『いや、そうじゃないんだけどね』

 

 なにが言いたいんだ。

 

『うーん、人事は尽くしたってところかな』

 

 はぁ。

 そうですか……。

 

「海龍様! この町は! ネクタリスは人間が築き上げた努力の結晶なんだ! 貴方様から見れば、ちっぽけなものなのかもしれない! それでも自分は、自分たちは全力をかけてこの町に当たってきた!」

 

 そう言ってギーグは膝を折った。

 ローもその斜め後ろで膝をつける。

 私は二人の間に入り脇に抱える用意を始める。

 もう限界だ。逃げるなら今しかない。

 

「住人と、住人たちが安心して帰れる場所を守りたい! 欲深いと思われるかもしれない! ――それでも、どうか! どうか、お力添えを! お願いします、海龍様!」

 

 もう諦めろと言うこともできず、無言でギーグとローを抱えこもうと腕を伸ばす。

 

『必要ないって。下ばっかりじゃなくて、上も見てみなよ』

 

 何を言って――。

 

 視線を上に向けると目が合った。

 ぎょろりとした円い瞳が私を見下ろしている。

 

 へ……?

 

《純なる願い。しかと聞き入れた》

 

 頭に声が響いた。

 シュウのイライラさせる声ではない。

 もっと落ち着き、渋みのある重い声だった。

 

 石像の瞳が私たちの方から上方に動く。

 水晶を持つ手が灰色から緑色に変わり、体も滑らかに動き始めた。

 細長い体を伸ばすとそのままふわりと浮き上がり、スルスルと雲の上へ飛んで行ってしまった。

 

『ありゃ、行っちゃったね』

 

 呆気にとられて空を見上げていたが、シュウの声で我に返る。

 

 あ、ああ。

 これはいったいどういうことだ?

 

『おそらくだけど……。ここは神々の天蓋と同じ種類のダンジョンなんだよ』

 

 えっ?

 ここダンジョンなの?

 

『うん。ネクタリスそのものが極限級のダンジョンで、超上級ダンジョンがおまけ。だからモンスターも出てこないし、近寄ってこない』

 

 じゃあ、さっきの石像ってもしかして。

 

『ボスだろうね。南のゲロゴン並の強さだと思うよ』

 

 そこまで言うと、上空の雲が渦巻き始めた。

 渦の中心がぽっかりあき、そこからなにやら大きな影が現れる。

 ぎょろりとした縦に開いた瞳孔。

 ピンと左右に伸びる髭。

 丸みを帯びた角。

 

 そんな顔が雲から降りてくる。

 顔の次は緑の鱗に覆われた胴体が雲から際限なく続く。

 胴体にはなにやら細い手がつき、三本の爪が大きな珠を掴んでいる。

 ようやく尻尾が出てくると雲はその穴を閉じた。

 

『なんかゲロゴンよりも風格があるね』

 

 そうだな。

 こっちのほうがずっと強そうだ。

 顔もキリッてしてるし、酒も飲んでない。

 

 緑龍は空でうねうね動いたのち、砂浜に胴体を横たわらせる。

 その太い体で私たちから津波は見えなくなってしまった。

 頭だけが持ち上がり海の方を見つめ、口を開けた。

 

 そして、口から極太の水流がまっすぐに吐き出された。

 何かにぶつかる音ともに緑龍の体を超えて水しぶきの飛ぶのが見える。

 緑龍がそのまま頭を左右に振ると、水しぶきも左から右へと高く上がっていった。

 口を閉じ水流が止まると、しばらくして波の音とともに緑龍の体がこちらへと押された。

 このサイクルを三度ほど繰り返すと緑龍の胴体がズルズルと砂浜を削り、空に浮かび上がっていく。

 胴体がなくなったところから波が砂浜に押し寄せ、その勢いは町の手前ぎりぎりで止まり、また海へと戻っていく。

 

 見届けると、緑龍はその姿を雲へと消した。

 しばらくして、小さなサイズに戻った緑龍が私たちの近くへ降りてくる。

 私たちは誰も何も言うことなく、緑龍の言葉を待つ。

 

《忘れるなかれ、人の子よ。己が責務に徹する、その心の有りようを――》

 

 それだけ言うと、緑龍はただの灰色の石像に戻ってしまった。

 

 

 

 二日が経ち、町には人が戻り始めていた。

 ギーグは今も復興の先頭に立ち、指揮を執っていた。

 先ほども局員・騎士・冒険者を連れて、町の中を走り回っていたのが見えた。

 ……というか、あのおっさんはいつ寝てるんだろうか。

 

『それは俺も思った。夜でも外から声が聞こえてくるからね』

 

 いちおう私も復興の手伝いをしている。

 もちろんただ働きはしない。ギルドから正式な依頼を受けたのだ。

 ほら。私。冒険者ですから!

 

『はいはい。そうだといいね』

 

 なにその言い方。

 ちゃんと冒険者してるよ。

 

「おい、そこ! 休憩は終わりだ! 南第三地区で流木が大量に流れついていると報告があった! 行ってみてくれ!」

 

 ギーグが私を指さし次の命令を与えてくる。

 

『だそうですよ。土方姐さん』

 

 そのようだな。

 椅子から立ち上がり、伸びをする。

 

 依頼期限は今日までだ。

 さすがに流木の撤去作業は飽きてきた。

 明日になったら、次のダンジョンへ向かうとしよう。

 この町はギーグがいれば、あとはだいたい問題ないだろう。

 

 

 

 こうして土木作業に汗を流しネクタリスでの攻略を終えた。

 

 

 

『……えっ? あれ? 水着は?』

 

 そんなものはない。



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蛇足05話「神は見ているか?」

 海を見たので、次は雪を見よう――ということで北に向かった。

 

 まずはセルニアの都を目指す。

 問題はネクタリスからセルニアへの道程にある。

 

『道程であって童貞ではない。ちなみに俺は二代目プロ童帝である』

 

 黙ってろ。

 そんな補足はいらん。

 そもそも初代は誰よ? 

 あとプロを付ける意味もわからん。

 あれか? 知識だけ豊富で実践がゼロのへたれってことか?

 

『う、うるしゃい……』

 

 さて、ネクタリスからセルニアへは三つの道がある。

 単純に西・中央・東としよう。

 分岐がある場合、通常はダンジョンがあるかどうかで決める。

 今回は全てのルートにダンジョンがあった。これは困った。

 

「一つのルートに入ってダンジョンを攻略したら、隣のルートにゲロゴンのスキルで無理矢理割り込もう」

 

 そう提案してみたものの、『生態系の破壊はよくない』とシュウに止められた。

 面倒ではあるが一度セルニアに行き、別のルートでネクタリスに戻り、さらに残った一つのルートでまたセルニアに行くことにした。

 シュウを空に軽く放り投げて地面に落とす。

 東のほうに剣先が向いたので東ルートから行くことになった。

 次の戻りが中央ルート、最後の行きが西ルートだ。

 

 

 

 ――とまあ、そんな訳で一週間ほどして、ハナツメの町にたどり着いた。

 ここには中級ダンジョン――フクシア岩窟があるそうだ。

 すでに時刻は夕方なので今日は情報だけ集めて明日挑むことにする。

 

 経験で語らせて頂くと、中級ダンジョンが一番おもしろくない。

 初心者と初級はほのぼのとしており、短いものも多い。

 上級以上になるとダンジョン固有の特徴が強く出てきておもしろみが増す。

 中級が最も中途半端だ。

 ただただ長かったり、モンスターが硬かったり・飛んでたり・魔法使ってきたり、あと罠が多い。

 初級ダンジョンにちょっと毛が生えた程度。

 上級からはダンジョンが侵入者を本気で殺しに来ている印象がある。

 

 私にとって微妙な中級なのだが、ダンジョンで稼ぐ人間によると一番安定して稼げるらしい。

 ドロップの売値もそこそこで、モンスターもそこそこの強さ、罠も覚えれば回避がたやすいし、攻略人数もあまり多くない。

 初級ほど攻略者に溢れておらず、上級ほどの危機も少ない。

 そう言われればそうなのかもしれない。

 

 ちなみにここのフクシア岩窟はモンスターが硬いようだ。

 ギルド内でたたずむ冒険者一行を見ていても棍や槌、魔法用の杖を持っているものが多い。

 

 受付嬢からダンジョンの説明を受けた後、そのままお金を下ろすことにした。

 冒険者ギルドはお金のお預かりサービスをやっている。

 ダンジョンに持って行くのが怖い人は預けるのだ。

 もしもダンジョン攻略中及び依頼中に死亡が確認されたときは、指定した人間にお金が支払われる。

 手数料でいくらかギルドに抜かれるらしいが、割と使う人間が多いらしい。

 冒険者ギルドなら引き出しがどこでも利用可能なのはありがたい。

 

 私も超上級になったくらいから使い始めた。

 基本的に全財産は自分の手で持っておきたいのだが、アイテムの売値が財布の許容量を超えたため預けるようになった。

 お預けの他にもいろいろな機能があるようだが、複雑なので私は使っていない。

 私は使っていないが、シュウがいろいろと使っている。

 シュウの台詞を私が代弁し、いろいろと手続きを行っていた。

 

『ネクタリスでの謝礼金が振り込まれてるはずだよね』

 

 おお、そう言えばそうだな。

 

 ネクタリスを津波から守ったということで子爵様から謝礼をもらえるという話になった。

 ダンジョン攻略のおまけだったので別にいらなかったのだが、もらえるものはもらっておこうということで頂いておいた。

 具体的な金額は任せると言っておいたが、どれくらい入ったのか気になる。

 受付嬢に残高を聞いてみた。

 彼女は口で答えず、わざわざ紙片に書いて差し出してきた。

 口でさらっと答えてくれればいいのにめんどくさい。

 

「えっ……」

 

 思わず声が漏れた。

 私が知っている残高は数字が六個だったはず。

 片手に一を足したのだ、とか思っていたから間違いない。

 それが今はいくつだ?

 一、二、……、八、九。きゅ、九!

 しかも一番左の数字も九。

 もう少しで十桁に届かんとしている。

 

『なんだ、町一つ守ったのにこんなもんか。ケチだな、あの子爵』

 

 え、えっ?

 いやいや待て待て待て!

 待ってください、お頼み申す!

 これはおかしい! おかしいよ。

 これ本当に私の預金?

 額が大きすぎて数え方もわからないんだけど。

 

「はい。極限級冒険者メル様の残高でございます」

 

 受付嬢はやや戸惑いながらも答える。

 自分で言うと極限クラスって格好いいけど、人に言われると恥ずかしいな。

 そんなことを思った。

 

 それよりどういうことだ。

 あの子爵はこんなにくれたのか。

 

『違う違う。左から三つ目の数字が一になってて、そこより右の数字は以前よりちょっと増えただけでしょ。つまり、あの子爵は百万しかくれてない』

 

 十分すぎるじゃないか……って違う!

 じゃあ左の金額はなんなんだ!

 どうなってんのこれ!

 

『えぇ、今までギルドでいろいろ手続きしたじゃん。あれの結果だよ』

 

 いや、え、そうなの、というかなにしたらこうなるの?

 やっぱりチート使ってんの?

 

『いやあんまり。簡単に言うとね。国が手放した土地を転がしたり、物の転売、将来性のある人に投資したりしてた。せっかくあちこちを移動してるからね。実際に見たり聞いたりできる利をいかそうと思いまして』

 

 よくわからんけど、そんなことでこうなるの?

 

『ハハッ、まだまだぁ〜。これからもっともっと増えるよー。この口座を増やすことと女性の体をじっくり観察することが、今の俺の数少ない生き甲斐ですよ』

 

 後半の生き甲斐はともかく、この金額はすごい。

 すごすぎる。すごすぎて、逆にすごさがわからない。

 すごいぞシュウ。むしろ、なんか気持ち悪くなってきた。

 気持ち悪いな、シュウ。

 

『どいひー』

 

 これだけあるといったい何が買えるんだ。

 そこらの商人よりもお金持ちなんじゃないだろうか。

 立派な家を建てて、何人で何年暮らせば使い切れるんだろうか。

 

『そこらの商人なんて話にならないよ。かなりの貴族か豪商でも呼ばないと。家ならそうだね。土地ごと買って、宮殿を建てて、庭を整えて、例のプールを設置して、数十人で暮らしても、十年は余裕じゃないかな。もちろん物価の変動やら税金徴収があるから、そうは限らないだろうけどね』

 

 なんてことだ!

 私はいつの間にか超大金持ちになってしまっていたというのか。

 それで、お前はいったいこの大金で何を買うつもりなんだ?

 

『さっきも言ったじゃん……。増やすのが楽しいんだよね。まあ、使うんならやっぱハーレム作りたい。ハーレム――其れまさしく男の夢よ』

 

 シュウは誇らしげに語る。聞かなきゃ良かった。

 まあ、お金はたくさんあっても困るものじゃない。

 それに本人も楽しそうだから夢くらい見させてやろう。

 

 

 

 お金も必要な分を下ろし、夜飯を食べるため受付を離れる。

 ギルドには併設された飯屋兼酒屋があるため、そこで食べることにする。

 これまた経験で言うとギルドに併設された飯屋はうまいし安い。

 実際にダンジョン、あるいは依頼から帰ってきた冒険者が集っている。

 一人でいるとちょっと浮くが、そこはいまさらなので気にしない。

 

『あらら? 変わったお客さんだ』

 

 四人がけの席に一人で腰掛け、酒を飲んでいるとシュウが口を開いた。

 周囲もなにやら騒がしくなり、私も入り口に目を移す。

 そこには淡紅色の髪をふわふわ揺らす女性と大勢の子供たちが立っていた。

 女性がギルドの受付と飯屋の酒場に行き、二言三言で話をすると入り口を見返し頷く。

 同時に子供たちがぞろぞろと歩き出し、飯屋の奥に設置されたちょっと高めにの壇上とそのすぐ前に並ぶ。

 

「この場をお借りして、育成館の児童による演舞を披露させて頂きます。どうか皆さま、彼らにささやかなお恵みを」

 

 女性が頭を下げると壇上の子供たちも倣って下げる。

 なに? なになに?

 なにが始まるの?

 

『育成館ってのが孤児院、今だと児童養護施設か。どっちでもいいや。その施設のガキたちなんだろうね。彼らが踊りか歌か、何かを披露するのでお金を恵んでくださいってこと』

 

 なるほど。

 そういった施設は何度か見てきた。

 しかし、ギルドにまで来たのを見るのは初めてだ。

 

 周囲の冒険者たちも都合をわかっているのか指笛を鳴らして場を盛り上げている。

 私は壇から席も離れていることと、ノリについていけないこともあってぼんやり見るにとどめる。

 

「ありがとうございます。それでは始めさせて頂きます」

 

 女性が子供たちに合図を送ると、前列の中央にいた子供が足を動かす。

 少年の足の動きに合わせ、小気味よい音が鳴り始める。

 徐々に他の子達も踊り始め、場が盛り上がる。

 ほー、これはなかなか……。

 

『わぁ……、タップダンスだ。靴のつま先と踵にコインをつけてる』

 

 言われて靴を見ると、確かにつま先と踵の裏にコインが貼り付けられていた。

 上半身をあまり動かさず、下半身を滑るように動かしていく。

 けっこう簡単そうだな。

『――って思うじゃん。すっごい難しいんだよ。年齢を考えると十分すぎる。すごいなぁ、どんだけ練習したんだろう。でも、この曲はどっかで……』

 

 そうなのか。

 シュウは感嘆の声を漏らす。

 こいつが良い意味で驚くのは、けっこう珍しかったりする。

 周囲の酔っぱらいたちも一緒に騒ぎ始め、音はよく聞き取れない。

 それでも、様子を見るに一生懸命踊っていることは見て取れる。

 

「ここ、良いですか?」

 

 子供を引率していた女性がいつの間にか近寄り、私の前の席を指さす。

 

『座って良いかって聞いてるんだよ』

 

 わかってるよ。

 さすがの私でもそれくらいはわかる。

 軽く頷いて見せると、女性は静かに腰を下ろした。

 

『メル姐さん、やばい』

 

 どうした?

 何がやばいんだ?

 

『この子、すごい淫乱力だ! 淫乱力が五十三万を超えただと……。クッ、スカウターの故障か!?』

 

 まぁた始まったよ。

 まともに取り合わなきゃよかった。

 

『なに言ってんの! よく見て! いかにもなピンク髪、おっとりとした垂れ目、油断を誘う泣きぼくろ、感情を誤魔化すアルカイックスマイル。それに服で隠してるけど、かなりの巨乳とみた。これが淫乱じゃなくて何だって言うの!』

 

 まず声を荒げる理由がわからん。

 次に、なんで淫乱なのかがさっぱりわからん。

 

 目の前の女性は「何か?」と首を傾げている。

 聞こえていないとはいえ、あまりにも失礼な物言いだったのでマスターにコップを頼み酒を勧める。

 いや、子供の引率者に酒はまずいだろうか。

 

「ふふっ、ご心配なく。あらあら、ずいぶんと良い物を飲んでますね」

 

 女性は口元で軽く笑って、コップに酒を注ぐ。

 お金も下ろしたので、店で一番高い酒を注文していた。

 高いのも安いのも味はたいして変わらないと思うが、高い方がなんとなく気分がいい。

 

 彼女は水のように酒を飲んでいく。

 あまりにも良い飲みっぷりだったため、私もついもう一本注文してしまった。

 黒のゆったりとした服を着ていたため、けっこうな歳だと思っていたがよくよく見ると意外に若い。

 意外どころか相当若い。私と同じくらいではなかろうか。

 

『酒を飲むとはなんという淫乱! しかもザル! くぅ、まったくもってけしからん!』

 

 嬉しそうに叫んでるところ悪いんだけどさ。

 どこがそんなに淫乱なの?

 

『まず、ピンクは淫乱。ここまではいいよね』

 

 よくねえよ!

 なんだよ、それ?!

 

『はぁ? なに言ってんの?! ピンクが淫乱なのは宇宙の摂理でしょ!』

 

 まるで私が間違っているかのような物言いだ。

 

 ピンクって髪の色のことだろ。

 なんで髪がピンクってだけで淫乱になるんだ?

 

『ピンクの髪してる奴は淫乱なんだよ! 例外は――ない!』

 

 こいつ……、言い切ったぞ。

 第一なんでピンクなんだ。他の色でもいいだろ。

 たとえば、赤とかさ。

 

『赤は一直線って相場が決まってる。思い始めるとどこまでも真っ直ぐなんだ。アラクタルのシスコンを忘れたの?』

 

 そう言えばそうだった。

 あの変態は妹一直線だった気がする。

 じゃあ、青は?

 

『青は素直クール。静かだけど想いは深い。同じくアラクタルのアンフィニ、人形がいたでしょ。静かでマスター一筋だったよね』

 

 お、おお。なんと。

 たしかにそのとおりだ。

 地下で千年近くも主に仕えていたな。

 でも、あれ人形じゃん。

 ……黄色は?

 

『黄色はムードメーカー。ちょっとバカで空気を読まないけど、ここぞというときにちゃっかり活躍。エルフのアイラたんだね、覚えてる?』

 

 …………いた気がする。

 家を追い出されてたのにはしゃいでた金髪がいた。

 ちなみに緑とかは?

 

『危険。警戒ヲ厳ニセヨ』

 

 なんか、明らかに他のと違ってない?

 

『いやいや妥当だよ。緑は本当に危険。いきなり監禁してくるし、交差点の信号待ちで背中押してきたりする。とにかく行動が読めない。いったいいくらの人間が緑にトラウマを植え付けられたか。俺も緑と接するときは細心の注意を持って当たると決めてる』

 

 こいつが細心の注意ってのは相当なことだ。

 緑はそんなに恐ろしいのか。

 で、ピンクは?

 

『淫乱』

 

 あ、そう。

 もうそれでいいんじゃないかな。

 なんか当たらずといえども遠からずではないかと思えてきた。

 

『ほら見てよ! 頬を薄く染めてイヤラシい。ほんとけしからん。しかも、腕組みしてバストアップさせてきてる。これは淫乱待ったなしですわ!』

 

 ゴクリと唾を飲む音が聞こえた。

 今のどうやったの?

 ……いまさらか。

 鼻歌も上手いからな。

 唾を飲むくらいやってくるだろう。

 

 まあ、いいんじゃないか。

 お前がそう思うんならそうなんだろう。

 

 

 舞台に目を移すと踊りは控えめになり、歌がメインになっていた。

 しかし、酔っ払いと一緒に歌っているのは教育上よろしくないんじゃなかろうか。

 

「そうなんですよね」

 

 おろ、口に出てたか。

 ひたすら飲んでいた女性が話し始める。

 

「本当はこんなことやらせるべきではないんです」

 

 気がつけばもう一本空けている。

 恐ろしいペースだ。大丈夫なんだろうか。

 心配はしつつもおもしろそうなのでさらにもう一本注文する。

 

「コキュ。酔わないからって飲み過ぎんなよ」

 

 マスターが酒瓶を持ってくるついでに女性を叱る。

 どうやら目の前の彼女はコキュというらしい。

 変わった名前だ。

 

『ほら、もう名前からして淫乱じゃん!』

 

 こいつもなに言ってんだか。

 どうしても彼女を淫乱に仕立て上げたいようだ。

 

「一年前は助成金が出ていたんですが、領主様が変わったのを機に減額されまして」

 

 いきなり語り出した。

 彼女はなみなみ注がれた酒を一気に呷る。

 語り出すのはよくあるパターンなので話半分に聞こう。

 途中からはシュウに任せておけば万事問題ない。

 

「もともと運営はギリギリでしたので、ほとほと困っていたんです」

 

 そりゃまあそうだよな。

 借金がどんどん増えていくだろう。

 

「いよいよ首も回らなくなってきたそんなある日、夢の中で神が舞い降りたんです」

 

 ん? 

 なんか変な方向になってないか。

 あんた、えっと、コキュの夢の中に神が出てきた?

 

「ええ、そして、神は言われました。ここで朽ちる運命ではないと……」

『タイトルデモまで戻されそうだ』

「『では、いったいどうすれば?』と私は尋ねました」

 

 ほうほう。

 ちょっと頭がおかしいけどおもしろい。

 それで神はなんと?

 

「たった一言――踊るのだと」

『なるほど』

 

 え、えぇぇー!

 今のどこに納得する要素があったよ。

 

「神の踊りを真似て子供たちとやってみたところ、大きな反響を頂き今ではこのようになんとか生計を立てつつあります」

 

 たしかにすごい!

 すごいとは思うよ!

 でも、目の前にお金を入れる缶を置かれてそんなこと言われても釈然としない。

 しかも、にこにこ笑って缶を徐々に私のほうに近づけてくるし。

 

『とか言って、どうせ入れるんでしょ。メル姐さん、押しに弱いからなぁ』

 

 そこまで言われると入れたくなくなる。

 

「彼らの健やかな成長のために――」

 

 あんたが飲んだ酒代を子供にやればよかった。

 

「ふふっ、お酒は神への供物です。勘定には入りません。曲はまだ続きます。もう一本頼まれても大丈夫ですよ」

 

 それはあんたが飲みたいだけだろ。

 ――と言ってやりたい気持ちを酒とともに飲み込み、パンパンになった財布から適当に硬貨を掴み、そのまま缶に入れた。

 ジャラジャラと景気のいい音が響く。

 

「あらあらまあまあ、豪勢ですね。貴方にも神の導きがあらんことを」

 

 神の導きとやらはもう間に合ってる。

 そう言って、シュウをコキュの前に掲げる。

 チートだけでいいのに、変な人格も付いてきてしまったんだがな。

 

『てへぺろ』

 

 くたばれ。

 まったくやってられんな。

 おい、マスター。同じのをもう一本追加だ。

 

 結局、コキュが一人でほぼ全て飲んだ。

 それでも歩調を一切乱さずに子供を引率して帰っていった。

 

『なんという淫乱力』

 

 それはもういい。

 

『どうでもいいけど、淫乱シスターの指見た?』

 

 淫乱シスターって……。

 見てないけど、どうせ淫乱な指をしてたとか言うんだろ。

 

『パーティリングつけてたよ』

 

 なんだマジメな話か。

 それは気付かなかったな。

 

『あと、あの修道服みたいな上下続きでスリットが入ってたエロい服だけどさ』

 

 はいはい、どうせ太ももが魅力的って言いたいんでしょ。

 

『そうそうギリギリ見えないところがまた淫乱なんだよね。で、それもそうなんだけどさ。鎖かなんかを内側に縫い込んでた。ありゃ戦闘服も兼ねてるよ。相当重いはず、足音が異常だったもん』

 

 つまり、どういうことだ?

 

『神のみぞ知るってところかな』

 

 訳わからん。

 

 こうしてハナツメの町での一日目が終了した。

 

 

 

 翌日、中級ダンジョン――フクシア岩窟にやってきた。

 特別な準備は何もしていない。

 一通り回っても半日あれば終わるだろう。

 

 硬いだけでは意味がない。

 ゴーレムも鎧を着込んだスケルトンも一撃だ。

 ドロップアイテムを回収してサクサク進んでいく。

 少し進んだところで他の冒険者とモンスターの戦闘音が聞こえた。

 あまり会いたくないが、道順で通る必要があるため仕方なく進んでいく。

 

『あっ、淫乱シスターだ』

 

 通路の奥を伺うとシュウの言うとおりコキュがいた。

 昨日と同じ服で、頭には同じく黒色のゆったりとした頭巾を被っている。

 

『首元からちらりとはみ出すピンクの髪がまたそそりますなぁ』

 

 はいはい。

 コキュはまだこちらに気付く様子はなく、側にいたスケルトンを潰している。

 潰していると言ったが、文字通り潰している。

 先っぽにトゲトゲのついた棍棒でモンスターを叩きつけている。

 よく見かける武器だが名前が出てこない。

 

『モーニングスターだね。しかもなんかデカい。デカくて太いうえにいぼいぼとか淫乱すぎでしょ。歩く十八禁として閲覧制限されちゃうよ』

 

 それだ。モーニングスターだ。後半は知ったことじゃない。

 しかし、「てやぁ」とか「えいっ」といったかけ声と、モンスターの頭部の潰れ方がミスマッチだ。

 しかも相手が動けなくなるまで徹底的に潰している。

 

『撲殺シスターだね。ぴぴるぴぴるぴー、とか唱えそうで怖い』

 

 よくわからないけど怖いことには同意だ。

 表情一つ変えずに滅多打ちしてるぞ。

 いちおう挨拶だけして先に進むか。

 

 おう、昨日ぶりだな。

 

「あらまあ、メルさん」

 

 じゃあ私は奥に進むんで、お先に失礼。

 

「お待ちください」

 

 いや、でもほら私がいると邪魔になりそうだからさ。

 

「実は昨日。夢に神が再降臨されたのです」

 

 そりゃ、あんだけ飲めば神も見る。

 あまり無茶をするなよ。

 

「神は言われました。我が使いをダンジョンへ送る。共に往くのだ――と」

 

 とても嘘っぽいんだが。

 

「私が嘘をつくわけないではないですか」

 

 さも、当然の顔で言う。

 本当に真顔なので判別に困る。

 

 おい、シュウ。

 なんとかならないか。

 この女とはなぜかパーティーを組みたくない。

 お前と似た気持ち悪さを感じる。

 

『失礼だな。……まあ、諦めなよ。俺じゃ無理だ。淫乱ヴィッチは童貞の天敵なんだ。二代目プロ童帝である俺も例外ではない。食べられちゃうからね。むしろ食べられたい! パーティーを組むことを強いられているんだ!』

 

 ため息を一つ。

 まあ、どうせ半日程度の我慢だ。

 とりあえず一緒に回るだけなら問題ないか。

 

 そんなこんなでパーティーを組んで進むことになった。

 

 

 中盤を越えたあたりだろうか。

 

『シスターはなんでそんなに力が強いの』

「生まれつきなんですよ」

 

 コキュはシュウと会話をしている。

 シュウが話しだしても、「あらあら、こんにちは」と普通に対応していた。

 私はこの世界の普通に問いを投げたい。剣が喋ればもっと驚くものじゃないのか。

 

「両親も気味が悪かったんでしょう。施設の前に私を置いて行ってしまいました」

 

 そういうことさらりと話すのやめてくれない。反応に困るんだけど。

 

「いえいえ。物心つく前なので顔どころか声すら覚えていません。私の最初の記憶はすでに施設の皆と遊んでいるところから始まります。育成館にはよくよくお世話になったので、私も同じ境遇の子たちをしっぽり育てていきたいと思いまして」

『……しっぽり?』

 

 ……しっぽり?

 シュウと被ってしまった。

 

「ふふ、しっかりの間違いでした」

 

 コキュは口元に軽い笑みを携えて訂正する。

 

『ね! メル姐さん、ね!?』

 

 淫乱でしょ! と言いたいんだろう。

 だが、それくらいの言い間違いはいくらでもある。

 事前にピンクは淫乱だという刷り込みがあるからそう見えるだけだろう。

 

「けっこう慣れているようだが、ダンジョンにはよく潜るのか?」

 

 露骨に話を逸らす。

 前の話題を続けるとなにやら危ない方向に行く気がした。

 

「はい。五年ほど前からたびたび夢に神が降りるようになり、『ダンジョンへ行きなさい』と諭されまして。この武器も初めて潜ったときに拾った物です』

 

 怖くなかったのか?

 

「初めてのときはやはり怖くて、びくんびくんしていましたが――」

『びくんびくん?』

「何度かやっているうちに慣れてきて、しばらくしてからは楽に行けるようになりましたね」

『犯っている? イケる?』

 

 いちいちうるさいぞ。

 黙って聞いてろよ。

 

「ここまで潜ったのは久しぶりです。ここ数ヶ月はモンスターも多く、活動がお盛んなので、安全を考慮し入り口付近で行うことが多いのです」

『なんで盛んの前に「お」をつけるの? それに安全とか入り口付近でするとか淫乱すぎでしょ』

 

 私にはそんな風に聞こえなかったぞ。

 お前の頭が淫乱だと思い込んでるからそう聞こえるだけだ。

 

 でも、やっぱり神ってのはただの偶然じゃないか?

 

「いえいえ。その後も再び神が降臨し、お告げどおり、たまたま通りかかった行商人からこの服を安価で購入できました。硬くてたくましくてとっても具合がいいですよ」

『なんで「たまたま」を強調する上に、「たくましくて」やら「具合」とかつけるんですかねぇ』

 

 こいつ、もう駄目なんじゃないかなぁ……。

 

 

 

 ――とまあ、こんな他愛もない話をしているうちに中級をクリアしてしまった。

 二本足で立っていた豚みたいなボスも一撃で消え去った。

 攻略に当たって特に語ることは何もない。

 しょせんは中級だ。

 シュウがコキュの発言にいちいち突っかかっていたこと以外に問題はない。

 

 今はギルドに来ている。

 コキュも一緒だ。アイテムを売却すると話していた。

 彼女がダンジョンに潜るのはやはり施設の運営費を稼ぐためらしい。

 昔から時間に余裕があるときはダンジョンに潜ってドロップアイテムを取ってくるようだ。

 子供の成長を見守ることが彼女にとっての生き甲斐という。

 

『若いのにちゃんとしてるなぁ……。でも、ちゃんとしすぎてるきらいもあるかな。どっかのだれかさんも一欠片くらいは見習って欲しいよ。養ってもらった親を見向きもせず、口にするのは昨日も今日も「ダンジョン! ダンジョン!」。言動は日々おかしくなってくるし、成長もまるでない。こりゃキチ○イですわ』

 

 お前に言われたくない!

 お前にだけは言われたくない!

 ダンジョン攻略は私にとっての生き甲斐なんだよ!

 

『淫乱シスターの生き甲斐は子供のためでしょ。メル姐さんもせめて人のために動けるようならないものなんですかねぇ……。たとえば、俺とかさぁ』

 

 なんで私が他人のために動かにゃならんのじゃ。

 ましてやお前のためとかあり得ない!

 私は私のやりたいことをやりたいようにやって生きていくのだ!

 

『ここまでクズいと一周回って、崇高に見えてくるから不思議だ。安心したよ』

 

 なぜだか安心されてしまった。

 そんなやりとりをしているうちにコキュが戻ってきた。

 

「お待たせました。それでは参りましょうか」

 

 ボス撃破を記念してコキュが夕飯をごちそうしてくれることになった。

 ギルドに併設された飯屋ではなく、施設での食事になるそうだ。

 飲み物くらいは、と私は昨日の酒を買えるだけ買っておく。

 

「ふふふ、おいしそう……」

 

 彼女は私の持った酒瓶を見て唇を軽くなめる。

 

『獲物を前にして舌舐めずり、一流のヴィッチだな。クソ、ここにきて淫乱力がさらに上昇か! メル姐さん、やはりこの女は危険だ! ここは俺に任せて、先に行け!』

 

 華麗に無視してギルドを出た。

 

 

 なんというかぼろぼろだった。

 目の前には風に吹かれて飛ばされそうな家屋が一軒。

 軒先には「育成館」と大きく書かれた看板が杭に打ち付けられている。

 看板を支える片方の釘が取れ、斜めに傾いてしまっているがそのままにしてある。

 

『歴史を感じるね』

 

 周囲の家屋が石造りに対して、一軒だけ木の板を組み立てただけ。

 大きさこそあれど、それが逆に不安定さを増していた。

 

「土地だけはあるんですよ」

 

 確かに土地は広い。

 先ほど述べた石造りの家屋もかなり遠くに見える。

 荒れた前庭には痩せた作物がごろごろとなっている。

 

「さあ、どうぞ。大丈夫、見た目よりはしっかりとできていますので」

 

 コキュにならい私も育成館の門をくぐる。

 近くで見るといっそうぼろい。

 壁には穴を塞いだのか薄板があちらこちらに貼り付けられている。

 

「私の歩いたところをたどってくださいね。踏み外すと床が抜けます」

 

 さっき、しっかりできてるって言わなかったっけ?

 私の言葉に聞く耳を持たず彼女はジグザグに廊下を歩いて行く。

 やはり床も板で補強されていた。歩くたびに板が軋み、時の流れを教えてくる。

 

「私は料理の準備に入りますので、ここでお待ちください」

 

 とある幅広の一室で椅子を勧められた。

 三本の足に木の板が打ち付けられているだけのものだ。

 もちろん背はないし、座っても大丈夫なのか心配になってくる。

 

 他にも複数の椅子や大きな机がある。

 ここで子供たちが集まって食事を取るのだろう。

 

『じゃりどもがこっち見てやがるな』

 

 うん?

 横を見れば扉の影から数人の子供が覗かせている。

 昨日の夜に踊っていた子供もいるな。

 一人がおずおずと入ってくると、他の子供たちも続々と入ってくる。

 

「お姉ちゃん、冒険者だよね」

「ああ、そうだ」

 

 返事をしているうちに、他の子供も近寄りシュウをつついて遊んでいる。

 喋ればべたべた触られることがわかっているので、シュウは黙り込んでいる。

 

 遠慮せずにもっと触って良いぞ。

 指を斬らないようにな。

 

 男の子たちは喜び、容赦なくシュウをべたべた触っていく。

 奴の声なき悲鳴が聞こえてくるようで心地よい。

 

 私の武勇伝を聞かせているうちに料理が運ばれてきた。

 予想はしていたが質素な物だ。

 それでも子供たちはがっつき器までかじりそうな勢いだ。

 

 食べてからも子供たちは未だ元気に溢れ騒ぎ続ける。

 コキュと落ち着いて話ができるようになったのはかなり遅くなってからだった。

 

「今日はお疲れ様でした」

 

 そう言って、コップにお酒を注いで私に渡す。

 彼女は黒の戦闘服を脱ぎ、薄手の生地のものに着替えている。

 どうやらこちらの方が普段着らしい。

 

『俺の目に狂いはなかった。やはり巨乳! それに谷間を見せつけるファッション! 俺の想いもパッション! そして、股間はセンセーショォン!』

 

 ノリノリだから放っとこう。

 触っちゃいけない。

 

 私はたいして疲れていない。

 お前の方が子供に付きっきりで大変だっただろう。

 あと、そっちのコップが私のよりずっと大きい気がするんだが。

 なんか取っ手もついててコップと言うよりもジョッキに近いし……。

 

「いえいえ。同じサイズのコップがありませんでしたので、小ぶりで綺麗な方をお渡ししたのですよ」

 

 さよですか。

 

 しかし、子供の数に対して人手が少ないんじゃないだろうか。

 夜なので少ないのかもしれないが、大人は数人ほどしか見えなかった。

 それに建物も手狭に思える。

 実際にいま私たちがいる食堂には子供たちが入りきらず、隣の部屋を使って二カ所に分けて食べていた。

 聞けば一部屋に八人と、かなり詰め込んでいるらしい。

 

「助成金がなくなって人を雇えなくなり、今ではこの園の出身者しか残っていません。それに領主様が変わったことでお金の流れや施策も変わり、不況になり当施設に子供を預ける親も増えました」

 

 預けると優しい言い方をしたが、要するに置いていったんだろう。

 

「うちでは奴隷商に売ることはしまいと決めているので、どうにもやり繰りが厳しくなります」

 

 そうか。

 たいへんそうだな。

 おいシュウ。なんとかできんのか。

 お得意のチートがあるだろう。

 

『一番手っ取り早いのは、領主の首をすげ替えること。ここらの領主ってセルニアにいるアヴァール公でしょ』

「よくご存じですね」

 

 よく知ってるな。

 どこで覚えたんだ?

 

『一年前にオネット公が外患罪で処刑されて後釜におさまった人だね。汚い奴だって、ケチなゼリム子爵がぼやいてた。そのときメル姐さんも一緒にいたはずなんですがねー』

「今でも信じられません。オネット公爵があんなことをされるなんて……。この施設まで直々に足を運び、私たちを激励してくださったというのに」

 

 なんだかいい人だったようだ。

 それでアヴァールとかいうのが、どうにかなればいいわけか。

 子だ、伯だ、公だのと似たようなのが出てきすぎなんだ。

 一つにまとめてくれればいいのにまったく。

 

 それで、どうにかできんのか?

 公爵とか偉そうな名称がついてても、首を落とせば死ぬんだろ。

 

『魔王らしくなってきたのは嬉しいけど、あんまり無茶言わないでね。公爵まで来ると王族関係者みたいなもんよ。俺たちみたいな一般人が入る領域じゃない。地位争いやらでどろっどろの関係ですよ』

 

 王族かぁ……ちょっときつそうだな。

 じゃあ、他になんか案はないの?

 

『不景気ってことはお金の流れがないってことなんだよね。なんか大きなプロジェクトでもすればいいんじゃないの』

「どういうことでしょうか?」

 

 そうだそうだ。

 もうちょっとわかりやすく言えよ。

 気が利かない奴だな。

 

『温厚と賞賛を受けるシュウさんもちょっとむかついてきましたよ。昨日、ダンスやって小銭稼いでたでしょ。あれのもっと大きいやつをやれってこと。ギルドや飯屋のスケールじゃなくて、もっと町全体の産業に関わるくらいのやつ』

 

 うん。

「はい」

 

『いや、「うん」とか「はい」じゃないんだけど……』

 

 わけわからん。

 具体的に何をすればいいのかを言えよ。

 私がそんな話を聞いてわかるわけないだろ!

 

『逆ギレしないでよ……。具体的ねぇ。あんまないなー』

 

 考えろ。

 お前ならできる。

 知恵を搾れ。絞りカスになってもかまわん。

 

『乳は搾りたいけど、搾られるのはなぁ』

 

 冗談言ってる暇があれば考える!

 

『はい! うーん……。なんかでっかい建物を作るとか?』

 

 作るとどうなるんだ?

 

『作る過程で大きなお金が動くからね。お金が回るようになる。お金が回れば、みんな笑顔やでぇ〜』

 

 うざ。

 でも、そんなもんか。

 それでいったい何を作るんだ。

 

『まあ、なんでもいいんじゃない。ダンスを見せるための公演会場でもいいし、新しい児童養護施設の建設でもなんだって好きにすればいいと思うよ』

 

 じゃあ、それでいこう。

 ここも古くなってるし、新しい施設でも建てればいいんじゃないか。

 

「それは素晴らしいです。公演会場ですか。踊る側も見る側も楽しむための場というのはいいですね。セルニアから劇団を呼んで上演してもらうのもいいと思います」

 

 私たちの意見はまとまった。

 コキュも楽しそうに話をしている。

 

『まあ、妄想はタダだから楽しいよね』

 

 なんか嫌な言い方だな。

 

『えっ? 本気でおっきな建物作ってみんな笑顔でハッピーなんて夢物語ができると思ってたの?』

 

 シュウは笑い出す。

 あまりにも楽しそうに笑うのでむかついてきた。

 

『そこまで大規模だと初期投資が半端ないよ。どこが出すのさ? 助成金すら減らしちゃう地方がまさか出してくれる訳ないよね。地元の人は自分たちが生きるのに必死でそんな夢幻に投資するお金なんてない。第一、作ったとしても初期投資が回収できる見込みすらない。そんな幻想に投資するバカなんていないよ』

 

 そう言って、シュウはまたゲラゲラ笑い始めた。

 コキュも何となくわかっていたのか寂しげに微笑む。

 やっぱり問題はお金がないということに回帰する。

 どこかに莫大なお金でも落ちてないだろうか。

 商人、貴族、超大金持ち…………あっ。

 

「どうしましたか?」

 

 閃いた。

 なぁ、シュウ。

 莫大なお金がいるんだよな?

 

『そだよぉ〜。最低でも数千万。いや、億は必要だろうねぇ。でも、そんな大金――あ……』

 

 どうやらシュウも気付いたようだ。

 今回はたいへん珍しく、というよりも初めて私が先に気付いたんじゃないだろうか。

 

「金はある!」

『まさっ、ちょ、ぉまっ!』

 

 コキュはあらあらと頬を赤く染めている。

 よくわからないが、たぶん興奮しているんだろう。

 シュウもはっきりと焦っている。

 賢い奴だ。私が何を言うのかわかっているんだろう。

 

「そして、そんな幻想に投資するバカも知っている!」

「まあまあ、そんなお知り合いが! いったい誰なんでしょうか?!」

『ちょ、バカ! アー、クソ! 大バカ!』

 

 さすがだなぁ、シュウ。よくわかってるじゃないか。

 さぁ、コキュにもわかるよう言ってやろう。

 

「――私だ!」

 

 あらぁ、とコキュは小さく感嘆の声を上げた。

 

 

 

「メルさんはそんな大金を持っているんですか?」

 

 うむ。

 

『うむ、じゃないよ! ちょっと! なにいってんのさ、メル姐さん! あれは俺の金!』

 

 なに言ってんだ?

 お前のものは私のもので、私のものは私のもの。

 もちろん私の口座にある金は私の金だ。

 以上、証明終了。

 

『Q.E.D.……じゃなくて! あれは俺が貯めてるの! 増やすのが俺の生き甲斐なの!』

 

 これからどんどん増えるって言ってただろ。

 また、増やせばいいじゃないか。

 もう一回増やせるぞ!

 

『あ、あぁ……!』

 

 それにお前の悔しがる様子を見るのは、私の生き甲斐でもある!

 

『クソォ……、クソォ!』

 

 うーむ。

 素晴らしい負の香りだぁ。

 

「シュウさんの貯めていたお金を、メルさんが私たちに投資するということでしょうか?」

 

 ここにきてようやくコキュが口を開く。

 事情がわかっていないと意味がわからないだろう。

 

「その通りだ」

『その通りだ、じゃねぇよ! 本気で怒るよ! もう怒ってるよ! ムカ着火ファイヤーだよ! メル姐さんと口聞かないよ!』

 

 なんか本当に怒ってるのかわからなくなってきた。

 口聞かないのは静かでありがたいな。

 

『あぁぁぁァァア! もう! とにかくさ! この前、子爵からもらったお金でも上げればいいでしょ! なんで俺のお金をあんな鼻水垂らしたクソガキ共にやらにゃならんのじゃ! テメェらの食い扶持くらい、テメェらで踊って稼げばいいんだよ!』

 

 ――突如、ビシィッと何かが砕けた音が聞こえた。

 

「今、なんと?」

 

 コキュの持っていたコップもといジョッキの取っ手が消えていた。

 彼女の顔は今までと変わらずスマイルだったが、穏やかな雰囲気はもはやない。

 ただならぬ圧力をもってシュウを見下ろす。

 

「……クソガキ共、とおっしゃいましたか?」

 

 ここにいたはずの彼女はどこか遠くへ行ってしまった。

 私の知らない一人の恐怖が動けぬシュウを追い詰める。

 

『いや、それは言葉の綾――』

「テメェの食い扶持はテメェで稼げ? ふふっ、踊りたくても踊れない子もいます。体が弱い子も当然います。度重なる虐待で人目に出るだけで謝り続ける子だって。歌うどころか声すらうまく出せない子もいるんですよ」

 

 さらに鋭い音が響き渡る。

 机の上にあったコキュのグラスが真っ二つに割れた。

 私のコップにも亀裂が入り、隙間から酒が漏れ出てくる。

 彼女が手を乗せている机は、ミシミシィと悲鳴を上げている。

 

『あの、俺はそういった事情を知らないだけでして。決して彼らをおとしめ――』

「踊っている子達も朝早くからずっと練習しています。どうして彼らがあんなにもがんばれるか知っていますか? 「僕たちは、ほら、元気だからさ。みんなの分までがんばりたいんだ」と言ってくれているんです。そんな彼らの想いを何も知らず、身動き一つできない貴方が『テメェの食い扶持はテメェで稼げ』――ですか?」

 

 なぜか部屋全体が揺れ始めている。

 ここがダンジョンなら出口へ全力で逃げているところだ。

 とりあえず怒りの対象はシュウなので成り行きを見守ることにする。

 

『ご、ごめんなさい! 俺が間違ってまひた! どうか……どうか許してくだしゃい!』

 

 涙声だった。

 マジ泣きしてやがる。

 最初に出会ったときでも涙声だけだったシュウが――。

 あらゆるピンチでも余裕の面持ち、せいぜい軽く焦る程度のシュウが――。

 

 ――負けた。

 

 シュウ、ここに完全敗北を喫する。

 号外にして町中にばらまきたい気分だ。

 ざまぁ。

 

「謝るだけですか?」

 

 だが、コキュの怒りはまだ収まらない!

 

 シュウは死線を越えてしまったのだ。

 謝って済むなら、この世は万事うまくいっている。

 うまくいかないのは謝っても済まない問題があることの裏打ちとなる。

 謝罪の言葉を紡ぐだけなら、無能な役人だってできる。

 大切なのは、相手にどうやってそれを示すかだ!

 さあ――どうする。どうするんだ、シュウ!

 

『こ、子供たちの健やかな成長のために投資を――』

「寄付、ですよね」

『い、いや、その。だってあのお金は……』

「あのお金は?」

 

 見苦しいぞ、シュウ。

 お前も言っていただろう。

 どうせ投資をしても返ってこない、と。

 お前は聡い。わかっているな。

 

『寄付、させて、頂き、ます』

 

 嗚咽の混じる声でシュウは決断した。

 お前は男だ。みっともない男だ。

 

「よろしい。して――おいくらほど?」

 

 まだだ。まだ、コキュの追撃は止まらない!

 

『じゃあ、残高の一割――』

「一割ィ!?」

『違います! 間違えました! 二割でした!』

 

 どうやらシュウは混乱している。

 具体的な金額を言えばよかったのに。

 計算はできないが一割でもたぶん億だろう。

 

「果たして二割で私の心が収まるかどうか……」

『に、二割五分。どうか、どうかお許しをシスター』

「貴方を許す、許さないの問題ではありません。それに私は口ばかりの謝罪なんて望んではいないのです。欲しいのは常に、子供たちへの正しい理解です。おわかりでしょうか?」

『…………四割で』

 

 シュウは完全に諦めムードだ。

 ようやくコキュも怒りを静め、元の彼女に戻ってきた。

 

「多額の恵与ありがとうございます。子供たちの壮健な長育のため、育成館一同、深謝の意をゆめ忘れることなく、施設の運用及び活用に当てさせて頂きます」

 

 彼女は流れるように謝意を諳んじ、瓶のまま酒をあおった。

 

 

 

 コキュの怒りはすでに落ち着き、私と酒を飲みながら談笑をしている。

 シュウは机の下でめそめそと泣き、ときどき嗚咽が聞こえてくる。

 

『俺の生き甲斐がぁ……』

 

 また聞こえてきた。

 やれやれいつまでしょぼくれてるんだか。

 もう一つの生き甲斐でもしてろよ。

 ほーら、目の前に女の子がいるぞ。

 じっくり観察しろ。

 

『ひぃっ』

 

 シュウを机の上に乗せると、みっともない悲鳴をこぼす。

 どうやらコキュがまだ怖いらしい。

 

「ふふふぅ〜、食べちゃいますよ〜」

 

 コキュが冗談交じりにおどす。

 さすがに彼女も酔ってきているようだ。

 机の上には空になった酒瓶が何本も屹立している。

 

『俺の心はぼろぼろだよ。これは胸に挟んでぱふぱふしてもらわないと癒えないな』

 

 なんだ冗談をいう元気が残っているじゃないか。

 

「いいですよ。して差し上げましょうか?」

『わぁいいの。うれしいなぁ〜』

 

 冗談にのるとつけ上がるからやめてくれ。

 

「でも、タダではできませんね〜」

『ぱふぱふしてくれるなら、おじちゃん寄付金五割までアップしちゃうぞ〜』

「ふふっ、いいでしょう。約束ですよ」

 

 彼女はそう言って、シュウに手をかける。

 

『おろ』

 

 片方の手で服の胸元を引っ張る。

 そして、できた隙間にそのままシュウをすっぽり入れた。

 

『ふぁっ! へっ! えっ! みゃ! ふぃ!』

 

 胸の谷間で挟み込むと、シュウから手を離し、胸を両手で揺らす。

 

「ぱふぱふですよ〜」

『※◎〃☆? ■@&!』

 

 さすがの私も絶句した。

 シュウはもはや何を言ってるのか聞き取れない。

 そもそも私にはぱふぱふの意味すらわかっていなかった。

 私はまだ、子供だったのだ――。

 

「はい、おしまいです。じゃあ、五割お願いしますね〜」

 

 再度、机の上に置かれたシュウは完全にかたまっている。

 おい大丈夫か? 生きてるか? 呼吸してるか? してないか。

 

『夢を、見ていました……。なにやら柔らかく温かい夢でした。πはぶるんと揺れたよ』

 

 いや、夢じゃない。それ現実だったよ。

 そりゃ揺れるよ。大きいんだもん。

 

 コキュは新しく持ってきていたジョッキに酒を注いでいく。

 彼女にとって先ほどのことはさほどたいしたことでもないようだ。

 

「親離れできていない子もいます。これくらいはなんともありませんよ」

 

 さすがシスターは格が違った。

 思わず感服してしまう。

 

『おねショタとかうらやましすぎんだろ。訴訟ものだよ!』

 

 シュウはようやく現実に戻ってきたようだ。

 よくわからんことをきちんと話している。

 

『あの、シスターコキュ……』

 

 シュウがおずおずと名前を口にする。

 コキュは何でしょうかと首をわずかに傾ける。

 

『えっと、あの、そのですね……』

 

 はっきりとしない口調でもじもじしている。

 気持ち悪いな。

 

「うふふっ、もう一度ですか?」

『はっ、はいっ』

「あらあら、まあまあ。おませさんですねぇ。私は安くないですよ」

『六、いや、七割でもいいのでお願いしますっ』

 

 あまりにも必死すぎて私はひいた。

 しかし、コキュは落ち着いたものだ。

 わかりました、と言うと先ほどと同様にシュウを手に持つ。

 

『ふぁ』

 

 小さい悲鳴を上げ、同じように谷間に挟まれる。

 

『ふわわっ、やーらかい。やーらかいよぉ。あったかいなりぃ』

 

 今度はきちんとクソみたいな感情をさらけだしている。

 だが、楽しいときというものあっという間に過ぎていく。

 

「はい、おしまい」

『あっ……』

 

 コキュは容赦なく終了を告げ、シュウは名残惜しそうな声を残す。

 彼女はシュウを谷間から抜き取る直前で手を止めた。

 

「満足でしたか?」

 

 さながら耳元で囁くように、彼女はシュウに息を吹きかける。

 

『ふゃぁ、あのシスター。も、もう一度だけぱふぱふをば……』

「ぱふぱふだけでいいんですかぁ」

 

 彼女は挑発的に頬をシュウにつける。

 

『えっ、あのそれってどうい――ふぁ!』

 

 ねばっこい糸をひいた妖艶な舌がシュウを這う。

 

「それ以上、試してみたくないですか?」

『そ、そそそれ、それ以上……。た、試してみたいですぅ!』

「そうですかぁ。ふふっ、九割五分になりますけど大丈夫です?」

『はひぃ、自分は、だ、だい、大丈夫でありますっ!』

「まぁまぁまぁ……。良い返事です」

 

 ――それでは。

 そう言って彼女はシュウを再び下ろしていく。

 そのまま胸を通過させ、さらに降下。

 

『えっ、えっ』

 

 ついに服の裾を越える。

 片手でボトムを引っ張り、その中へシュウを入れていく。

 シュウはもはや何も言わない。

 いったい奴が何を見て、何を思っているのか。

 それは私に知るよしもない。

 知りたくもない。

 

「えいっ」

 

 かけ声とともにコキュは股を閉じた。

 

『――!』

 

 声なき絶叫がこだまする。

 今このときをもって二代目プロ童帝は事切れた。

 

 初めてシュウとの関係を外側から見ることができたように思える。

 剣と喋り戯れる人間が外からどう見られるのかということだ。

 相当危ない人種だった。以後、気をつけよう。

 ありがとうシスターコキュ。

 

 

 

 翌日になって、シュウはようやく言葉が話せるようになった。

 ギルドでコキュの口座にお金を振り込む手続きが終わったところである。

 

「はい。たしかに入金を確認しました。このまま営造の指定依頼を出そうと思います」

『うん。それがいいよ。僕も子供たちにはよりよい環境でのびのびと育って欲しいと思っていたからね。先ほど教えた建築業者がお勧めだ。誠実で仕事も速く、懇切丁寧。ネクタリスに特殊電報を送っておいたから、二十日もすれば来てくれると思う。施設については彼に一任して間違いないよ』

 

 シュウは昨日とまるで異なる意見を展開している。

 一人称は俺から僕に変わり、口調も穏やかだ。

 これはこれで気持ち悪い。

 

『それじゃあ、シスターコキュ。困ったらいつでもご連絡を』

「あらあら、ありがとうございます。メルさんも、また遊びに来てください」

 

 おう、またな。

 

 こんな感じの軽いノリでそのままハナツメの町を発った。

 

『さあ、行こうかメル姐さん』

 

 口調が爽やかですこぶる気持ち悪いが、すぐ元に戻るだろう。

 

 

 今回、私はこの町で一つの摂理を学んだ。

 シュウの言っていたあの言葉はきっと正しい。

 そう、すなわち――

 

 

 

 ピンクは淫乱。



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蛇足06話「復讐するは彼にあり」

 公都セルニアに到着して三日が経った。

 未だ目的の上級ダンジョン――ウェルミス監獄に挑戦できずいる。

 

 ウェルミス監獄が冒険者ギルドの管轄にないためだ。

 一年前ほどに管理がギルドからセルニアに移ったらしい。

 そのため、セルニア公都の関係者以外立ち入り禁止である。

 

 監獄という名のとおり罪人を押し込めておく場として使われていると聞く。

 ぼろ衣と錆びた剣、灯りに食料少々を持たされての投獄らしい。

 入り口も閉じるため、実質は死刑と変わりない。

 

 管理権限がギルドにないダンジョンというのはかなり珍しい。

 そんな訳でかどうかは知らないが、冒険者の間でもたびたび噂が聞こえてくる。

 ネクタリスでも、土木作業に勤しんでいると近くにいた奴らがぺちゃくちゃ話しているのを聞いた。

 だいたい一人でいるから、他人の会話がよく耳に入るのだ。

 話を聞いた瞬間、私は強い想いに駆られた。

 絶対に挑まなくてはならない――と。

 

『なんか自虐が聞こえた気がした……』

 

 思い立ったら即行動。

 シュウに聞けば、『子爵に推薦状をしたためてもらえ』と話す。

 ぼんやりお茶を飲んでいたところに押し入って、速やかに一筆書いて頂いた。

 念のため、ネクタリスのギルド支配人の推薦状も手に入れている。

 セルニアの冒険者ギルドの支配人からも推薦状をもらった。

 一昨日、セルニア側に書状諸々を提出した。

 

 

 

 二日ほどセルニアの都をぶらついていた。

 先ほどようやく宿に迎えが来て、ものものしい建物に連れて行かれた。

 その一室に案内され、お偉いさんの前に立っている。

 

「極限冒険者メル。ウェルミス監獄の入場を許可する」

 

 整った髭を弄りながら初老の男は告げた。

 どうやら許可はあっさり下りたようだ。

 

「明日の朝、鐘二つ頃に宿の前で待て。こちらの用意した馬車で送ることになる」

 

 明日か。

 今からでもよかったんだが、さすがに無理か。

 

「諸注意をあげる。まず第一点。携行は武具一式。それに袋一つとその内容品まで許可する」

 

 おっと、思ったよりも譲歩してもらえている。

 最悪、剣一本の持ち込みしか不可かと思っていたがかなり緩い。

 

 やはり塩の効果だろうか……。

 セルニア側にはネクタリスで手に入れた塩も贈っておいた。

 アヴァール公爵が食通で、ネクタリスの天日塩を好んでいると噂で聞いたためだ。

 近頃は海が荒れていたせいか、塩は金を払っても手に入りづらくなっており良い献上品になる。

 推薦状だけじゃ甘いかもと、シュウの助言を受けて手に入れておいた。

 

 塩を手に入れるのは大変だった。

 本当に数が少なく、どこへ行っても売ってない。

 馬鹿はソルトアウトだか言って笑っていたが、なにがおもしろいのかよくわからない。

 もう諦めようかと思ったとき。たまたま声をかけてきた商人に、「塩があるか」と尋ねたところ持っていたため売ってもらった。

 ちなみに全部はもったいないので半分は手元に残している。

 味付けに便利なのだ。

 

「二点目。監獄への入場を確認次第、入り口を閉鎖する。正確には後戻りを禁ずる」

 

 これは仕方ない。

 いちおう監獄だ。囚人が出たらいかんだろうしな。

 入り口を塞がれても、ボスを倒して出口から抜ければ良いだけの話だ。

 

「三点目。監獄内で囚人との不用意な接触を禁ずる」

 

 生きていればの話だが、と男は付け加えた。

 

「最後に監獄内での怪我や死亡の責任は全て極限級冒険者メルにあるとする。よろしいか?」

 

 ダンジョンに入る以上、怪我や死なんて覚悟の上。

 緊張感のないダンジョン攻略ほどつまらないものはない。

 命の危険はなくとも、常に何かを発見しようと周囲に気を張る必要がある。

 

 ――故に、私はこう答えるしかない。

 

「当たり前だ」

 

 こうしてウェルミス監獄の挑戦が確定した。

 

『気を張るのは主に俺なんですが、そこんところどうなんでしょう?』

 

 私も十分すぎるほど気を張ってるよ。

 お前が私よりほんのちょっと先に気付くだけだよ。

 

『まぁ、いいだろう。そういうことにしておいてやろうか』

 

 何様だぁ、こいつはよぉ……。

 あとで臭そうなおっさんに刀身を擦りつけてやる。

 

 

 

 建物から出たところで、馬車からおりる豚親父を見つけた。

 額からにじみ出る汗、豪奢な服でも隠しきれないお腹、荒ぶる呼吸。

 よく脂がのっている。渡りに船とはまさにこのことだ。

 さっそくべったりとくっつけてやる。

 

『待った! やめてっ! マジ○チ! あまりにも非人道的な行いだ! こんなことが許されて良いものなのか!?』

 

 今さら命乞いをしても遅い。

 すでに私の足はあの豚に向かっている。

 それにお前は人じゃあないから全然問題ない。

 

『いやぁ! ちょっ! ――左に飛んでっ!』

 

 必死な叫び声が、真剣なものに変わった。

 必死と真剣で似たような響きだが、わずかに異なる。

 シュウ自身の危機ではなく、私に危険が迫ったときの声であった。

 左に飛べということは右に何かがあるということだ。

 ついつい右にちらりと目を移す。

 

 ――人が立っていた。

 しかも、そいつは手に鈍く光る得物を振り上げている。

 

 とっさに動けず、振り下ろされた得物をシュウで受け止める。

 人間相手とあって、さほど重みはない。

 軽く弾くことができた。

 

『おお、ナイスパリィ。さすがの生存本能だ。まあ、これくらいなら当たっても大丈夫だったね』

 

 たしかに今の私なら、人間の攻撃程度では軽傷で済むだろう。

 それでもやはり刃物を見れば危険を感じてしまうものだ。

 

『問題はこのあとだよね……』

 

 相手の人間――無精髭をたずさえた男は素早く距離を取った。

 豚男の前に立ちふさがり、斧を構える。

 

「なにごとだ!」

「くせ者だ!」

『臭い!』

 

 周囲から多くの兵士が集まってくる。

 どさくさにまぎれてなに言ってんだ、テメェは。

 

「閣下をお守りしろ!」

 

 やばい、やばいぞ……!

 なんかお偉いさんだったみたいだ。

 ど、どどど、どうしよっか?

 皆殺しにするべきか?

 

『まだだ、まだ魔王になる時間じゃない。最悪、逃げりゃいいんだからさ。とりあえず片膝着いて、顔も伏せて。そんでもって俺に続いて復唱、できるだけ大きな声でね』

 

 お、おう。

 言われたとおり膝を着き、顔を伏せる。

 

『閣下! この度はウェルミス監獄の入場許可! まことにありがとうございます!』

 

 シュウの台詞を大声で復唱する。

 大きな声で言ったためか、周囲の兵士もひるみ足が止まる。

 

『是非とも御礼申し上げたいと思っていたところ――まさに閣下を視界に捉え、逸る気持ちを抑えることもできず足が動いてしまいました』

 

 またしても復唱。

 

「お? お、おお……。まさか、お主、例の冒険者か? たしかメルとかいう」

 

 わずかな間のあとに下卑た声が漏れる。

 一瞬、シュウかと思ってしまった。

 

『ハッ! メルでございます! 閣下に名を覚えてもらえているとは光栄の至り!』

 

 こんな大声でしゃべり続けたのは初めてかもしれない。

 喉が痛くなってきた。

 

「おぉ! おおぉ! お主の持ってきた天日塩は良かった! 久方ぶりに舌を鳴らすことができたぞ!」

 

 大絶賛である。

 どうやらあの塩を送っておいて正解だったようだ。

 

『おお! それは私にとっても重畳。……実はまだ幾らか手持ちがあります。この度の騒ぎの贖いとして納めて頂けないでしょうか?」

 

 提案に対する返答はすぐだった。

 

「なに?! まだ塩があると言うのか! よいぞ! 出すが良い!」

『ほら、メル姐さん。塩出して。これは復唱しないでよ』

 

 開きかけた口を閉じ、手を腰の巾着に伸ばして、中から塩の入った小袋を取り出す。

 わずかな重みを手のひらにのせ、そのまま豚男に差し出した。

 すぐに、近くの人間が小袋を取り、豚男に運ぶ。

 

「おお! なんと……まだこんなにも! 素晴らしいぞ!」

 

 鼻息も荒くして豚男は歓喜の声を上げる。

 もったいないとは思いつつも、これで事態が解決できるなら安いものだ。

 

「何をしている?!」

 

 突如、豚男は怒鳴り散らす。

 な、なに? またなんかやってしまったか!?

 

「彼女は余の――アヴァールの客人なのだぞ! 貴様らはいつまで切っ先を向けているのだ!」

 

 周囲の兵士が慌てて武器を引いていくのが横目に見えた。

 アヴァール、さすがの私も覚えている。

 この地方を治める公爵だ。

 

「メルと言ったな。楽にするがいい。其方は余の客人だ」

 

 わぁ、客人だってよ。

 豚男に客人扱いされても嬉しくない。

 でも、公爵だからいいのか……。

 

「おい、ブロー! 余の声が聞こえなかったのか! いつまでそれを構えておるのだ!」

 

 兵士たちの中で斧をまだ構えている男がいた。

 無表情な彼はブローというらしい。

 一番最初に私を襲った奴だ。

 

『その言い方だと、メル姐さんが無実みたいに聞こえる。ブローさんかわいそう。とんだとばっちりだ』

 

 細けぇことはいいんだよ。

 でも、ブローがかわいそうなのは同意する。

 

 彼は何も言わず、ゆっくりと斧を下ろす。

 下ろした後も何も言わず、公爵の方を見ることすらしなかった。

 

「なんだその態度は! この殺人鬼め! そんなに人が殺したかったのか貴様は!」

 

 殺人鬼?

 

「こいつは処刑隊の長でな。人殺しが趣味なのだ。腕だけは――」

「閣下! これはいったいどうされましたか?!」

 

 建物の入り口から口ひげを蓄えた男が走ってくる。

 先ほど、私にウェルミス監獄の入場許可を告げたお偉いさんだった。

 

「トライゾン! 今になって出てくるとはどういうことだ!」

 

 豚が頬に付けた脂肪を揺らして激怒する。

 口ひげを生やしたトライゾンなる人物は落ち着いている。

 

「まさか閣下がここに来られるとは思ってもみませんでしたので……」

「言い訳はいい! ブローも貴様も有能だからこそ、今でも使ってやっているのだ! わかっているのか?!」

 

 今でもってどういうこと……でしょうか?

 

「こやつらは一年前にオネットを裏切ったのだ!」

 

 オネットも聞いた名だ。

 一年前まで公爵をしていたという。

 なんか悪いことをして、処刑されたとか。

 裏切ったということはこの二人はそのオネットに仕えていたということだろう。

 

「オネット亡き後も貴様らを使っているのは、余の寛大な処置だということを忘れるな! おぉ! 貴様らの顔を見たら、気分が悪くなった。余は帰るぞ!」

 

 豚男はそう言うと馬車に乗り込み、そのまま行ってしまった。

 

『置いて行かれる客人ってどうなのよ』

 

 ブローも馬車が消え去ると、何も言わずに歩き去った。

 

「よくわかりませんが、申し訳ありません」

 

 トライゾンと呼ばれていた髭男が軽く頭を下げる。

 そりゃよくわからないだろう。

 

 いや、気にしないでくれ。

 こっちも面倒ごとが去ってくれてよかった。

 

「そうですか」

 

 そうなんです。

 こんな感じで私は宿に戻ることにした。

 

 

 

 宿への帰り道、人通りの少ない道を歩いていたところ呼び止められた。

 振り返るとそこには無愛想な仮面をつけた男が一人。

 服もぶかぶかのものを着ている。

 男と判断したのは声が太かったからだ。

 

「メル殿。どうか依頼を受けて頂きたい」

 

 またか……。

 実はセルニアについてからすでに何回か依頼が来ている。

 これで何度目だろうか。

 

『五回目だね』

 

 そうだ。

 あんたらもしつこいな。

 五回も訪ねてくるなんて。

 

「いえ。これで四度目です」

 

 おいコラ。

 四回目じゃねぇか。

 なに平然と嘘いってんだ。

 

『はて……?』

「それで依頼なのですが――」

 

 ウェルミス監獄である人物が生きていれば、助け出して頂きたい――か?

 

「そのとおりです」

 

 仮面の男は首を縦に振り肯定する。

 さすがの私でも同じ内容を四度も聞かされ覚えてしまった。

 しかも、最初の依頼は「ある人物いるので連れ出して欲しい」と生きていることが確定だったのに対し、次は「生きていれば」。

 さらにその次は「きっと生きている」、「おそらく生きている」と徐々に自信がなくなってきている。

 

『やっぱ五回じゃん……』

 

 昨日まではそもそもウェルミス監獄に入れるかどうかもわからないので断っていた。

 今は入れることがわかったが、依頼を受けるのは問題がある。

 監獄内での不用意な接触は避けるよう言われている。

 

『おお……、覚えてたんだ。ほんとダンジョンに関しては記憶力が人並みになるね!』

 

 まあな。

 そんな訳で依頼を受けることはできない。

 

「いえ、お待ちください。その件なら大丈夫です」

『まあ、そうだろうね』

 

 ん? そうなのか?

 

「ええ。そもそもセルニア側は監獄内を把握している訳ではありません。メル殿が誰かと接触しても外部からはわかりません。それに出口に警備を配置していませんから、誰かと出たとしてもやはりセルニア側が確認することはできないのです」

 

 ふぅん、そうなのか。

 ダンジョンの出口側には人がいないのか。

 

「メル殿。上級ダンジョンのボスは、剣だけで倒せるほど甘いものでしょうか?」

 

 それもそうか。倒せるはずがない。

 パーティーリングもないならソロで挑むことになる。

 ボスが何かは知らないが、ぼろい剣だけで勝つことできないだろう。

 たとえ卑怯な手段でも使わない限りは……。

 

「左様でございます。パーティーリングも三つほど用意しております。どうか依頼を受けてもらえないでしょうか?」

 

 うーん……。

 どうしようかな。

 シュウを小突いてみる。

 

『監獄に入るに当たっての諸注意にさ。攻略したあと、どうしろって言われてないよね』

 

 制覇したあと?

 いきなり何を言い出すんだ、こいつは。

 

『おかしくない? いちおう監獄だよ。出てくる可能性のある囚人がどうのとか、制覇した場合のドロップアイテムについての取り扱いが話に出てこなかった』

 

 そういやそうだったな。

 で、それが何だというんだ?

 

『クリアできると思われてないんだよ』

 

 ほう、私では攻略できないと思われている訳か。

 

『もう少し言うなら――』

「仰るとおりです。セルニア側はメル殿ではクリアできないと思っています。しかし、メル殿は極限級冒険者。十二分に攻略は可能だと考えております」

 

 いやぁ、それほどでは……。

 

『こら。すぐおだてに乗らない』

 

 いいじゃん別に。

 素直に受け取ることが大切。

 

 いいだろう。受けよう。

 どうせクリアできると思われてないなら、他の人間が二、三人出てきたとしても変わらん。

 

『いや、変わるでしょう』

「おお! ありがとうございます! それで報酬なのですが、まずは前金で……」

 

 お金はやめてくれ。

 もう馬鹿みたいにあるんだ。

 おもしろい物や情報とかはないか?

 

「……あります。それも、とびきりのものが―」

 

 仮面男はわずかに逡巡したあと、確固とした自信を漂わせながら口にする。

 

 ほう。

 聞こうか。

 

「来月終わりにアヴァール公爵の生誕祭がセルニアの町全体を挙げて行われます。ご存じでしょうか?」

 

 ああ、なんか派手にやるらしいな。

 それがどうかしたのか。

 

「おっと、その前にメル殿はそれに参加されますか?」

 

 いや、どうだろう。

 普段ならさっさと町を出るが、今回はいったんネクタリスに戻ってまた来るし。

 

『大丈夫じゃないかな。ちょうどネクタリスに戻って、こっちに帰ってくる頃だよ』

 

 そうか。

 こいつが言うならそうなんだろう。

 参加するかもしれないが、人が多いなら離れて見るかな。

 

「よろしい。実によろしい。大変おもしろい見世物があります。その特等席をご用意できるでしょう」

 

 よくわからんが、なんだかおもしろそうだな。

 

「ただし、全ては目的の人物が生きていればですが……」

 

 そうそう。

 それだ。ある人物って誰なんだ?

 ずっともったいつけたように「依頼を受けてくださったときに話します」だ。

 もう話してくれてもいいだろう。

 

「……連れ出して頂きたい人物は――」

 

 男は声を一段と落とし、私にぎりぎり聞こえる声でその名を告げた。

 口にした名を聞いた私は首を捻らざるを得なかった。

 

 

 

 翌日、時間通り馬車が宿へ迎えに来た。

 

 御者の他に兵士が二人ついている。

 片方は昨日、とんだとばっちりを受けたブローだった。

 ぼさぼさの髪に加え、無精髭、無愛想、無言の三点を揃えている。

 

 もう片方の兵士が指示を発する。

 指示と言ってもかなり砕けた調子だ。

 罪人ではなくいちおう客人として扱われているらしい。

 

 彼らは処刑隊とかいう部隊に属しているようだ。

 ぶっそうな名前だが要するに罪人の管理を担う集団だと話す。

 管理も、捕まえるところから最終的に刑を執行するところまで幅広く受け持つらしい。

 アヴァール公爵子飼いの騎士団もあるが、名と見た目ばかりであまり機能していないそうだ。

 以前より人員も減少し、騎士団は碌に仕事をしないので人手が足りないと言う。

 

 

 

 そんなこんなと話を聞いているうちに馬車が減速した。

 どうやらそろそろ到着するみたいだ。

 

 柵を数回ほど抜け、いよいよ馬車は止まった。

 

「着きました。降りてください」

 

 言われたとおり馬車を降りる。

 

 目の前には洞穴があった。

 入り口に立っていた二人の兵士が道を開ける。

 なにか仰々しい鉄柵でも付けているのかと思ったがよく見る洞穴だ。

 外の明るさとは打って変わって中は薄暗く奥が見通せない。

 普通に中から出られそうな雰囲気だがどうなんだろう。

 

 兵士の一人が片手に灯り、もう片方に剣を持って先導する。

 間に私を置き、後ろにはブローも片手に灯り、もう片方に斧を構え続く。

 今のところモンスターは一体も出てきていない。

 奥に行くほど地面は湿り、足が少し埋まる。

 

 入り口から差し込む光も見えなくなったところで行き止まりにたどり着いた。

 行き止まりだと思ったがよく見ると足下に大きな穴が空いている。

 

「ここから降りてもらいます。本来は武器と灯り、数日分の食料だけ与えて蹴り落とすのですが、今回は途中までこれで降りてもらいます」

 

 兵士はそう言って腰を屈め、道ばたにあった縄ばしごを手に取る。

 

 めんどくさいな。

 蹴り落とすってことはそんなに高くないんだろう。

 飛び降りようかな。

 

「構いませんよ。想像通り高低差はさほどありません。下も泥になっているため、よほど打ち所が悪くない限り怪我もしないでしょう」

 

 ……高さがないなら這い上がってくる奴がいるんじゃないのか?

 

「いえ、不可能です。お気づきでしょうが、地面も壁もぬめりがあり大変滑りやすくなっています。さらに、この縦穴は内側に反っているため這い上がることはできません」

 

 なるほどな。

 しんどそうだ。

 でも、不可能ってほどじゃないだろ。

 

「現地点では滅多に確認されませんが、すぐ下にはモンスターも出現します。入り口付近ではさほど数はいませんが、それでも上級モンスターです。壁を這って襲いかかって来ますので、やはり不可能かと」

 

 ぬめる壁を這い上がるため両手は塞がり、そこを上級モンスターが襲う。

 たしかによじ登っての脱出は無理そうだ。

 

「引き返しても問題ありませんよ。通常は落とすところまでが仕事ですが、今回は送り届けるところまでですので」

 

 そうか。

 お仕事ご苦労さん。

 そこまで言われると引き返せないな。

 

「……そうですか。幸運をお祈りします」

 

 兵士は私に灯りを差し出す。

 おう、と灯りを受け取り横を見るとブローもこちらを見ている。

 もちろん無言だ。

 こちらをじっと見ているが、何も言わないため何もわからない。

 彼なりに心配してくれているのだろうか。

 

『だいたいあってる。「大丈夫だ。問題ない」とでも言っとけばいい』

 

 大丈夫だ。問題ない。

『――メルはキメ顔でそう言った』

 

 シュウの言うとおり発言してみる。

 ブローは何も言わず、背を向けて入り口に引き返していった。

 何だったのだろうか。はっきり言ってくれればいいのに。

 

「外でしばらく待ちます。やっぱりやめる場合はお戻りください」

 

 説明役の兵士もそれだけ残し、慌ててブローを追いかける。

 すぐに私だけが取り残された。

 

 待ってくれているようだが無用な気遣いだ。

 優しすぎて嘔吐が出る。

 

「行くぞ、クソ野郎」

『おうよ、クサ女郎』

 

 シュウを思い切り蹴飛ばし、私は縦穴に飛び込んだ。

 

 

 

 着地に失敗した。

 

『……なんで飛び込んだの? 普通に足から落ちればよかったでしょ?』

 

 返す言葉もない。

 体を横にしたまま、泥に落ちた。

 松明は泥に埋もれて明かりを失った。

 顔と手についた泥を払い、視界を確保する。

 すでにシュウがチートを選択しているようで視界は良好だ。

 

 今回ばかりは私も恥ずかしい。

 シュウも呆れかえって、もはや何も言ってこない。

 黙られるとかえって自分の馬鹿さ加減が浮き彫りになって悲しくなる。

 

 

 気を取り直してウェルミス監獄だ。

 昨年まではギルドの管轄だったため、情報を売ってもらっておいた。

 ミミズの抜け道と呼ばれていたこともあり、構造は非常に単純。

 なんと入り口から出口までほぼ一本道である。

 そのため迷うことはない。

 

 小さな脇道もあるにはあるようだが、すぐ行き止まりに達する。

 大きな道を突き進んでいけば、ボスにたどり着ける。

 ただしモンスターに出会うと逃げることも難しい。

 前後で挟まれて死ぬケースが多かったようだ。

 

 罠も少ないため、注意すべきはやはりモンスターに集約される。

 出てくるモンスターの種類はほぼ全て虫となっている。

 ミミズ、蛭、、蛆、ダンゴムシの大きなものだ

 それぞれでさらに細かく種類が分かれているそうだ。

 奥に進めば進むほど数も増え、リポップの間隔も短くなる。

 その上、一部の虫たちが蠅や虻といった成虫になり空中から襲ってくるらしい。

 

 ――と、いろいろ述べたがほとんど問題はない。

 基本的に個体はそれぞれ非常に弱く、一撃で仕留められる。

 数は多いが、状態異常の伝染で簡単に倒れていく。

 こちらは状態異常も効かないから怖くない。

 さらに罠もないから楽に進める。

 

 泥で足をとられ歩きづらいのと、天井から落ちてくる敵に注意するのみだ。

 

 

 

 泥を足でかき分け、敵をシュウでかき消していく。順調、順調。

 そこそこ長いようだがこのペースなら夕方までにクリアできるのではなかろうか。

 

『依頼、覚えてる?』

 

 シュウが話しかけてくる。

 進行作業も飽きてきたので、ちょうどよかった。

 

 覚えてるぞ。

 人がいれば一緒に出てくれって話だろ。

 でも、こんなところで生きていくことなんてできっこないだろ。

 モンスターもうじゃうじゃいるし、足下も泥だらけ、食料も明かりもない。

 

『でも、生きてるみたいよ。すごいね、人体』

 

 なに?

 

『右前方の横道。見ればわかるけど、こっちを伺ってる』

 

 言葉に従い目を向けると、横穴から人の頭が出ていた。

 誰だ?

 

「そちらこそ何者だ?」

 

 どうやら聞こえていたらしく、あちらも聞き返してきた。

 しかたない。こちらから答えよう。

 

 メルだ。

 

「……誰だ?」

『もうちょっとさぁ。ちゃんと名乗りなよ。ほら、ご自慢の「極限級冒険者だ」ってドヤ顔で』

 

 冒険者をやっている。

 ウェルミス監獄を攻略しに来た。

 要請を出して特別に入れてもらったんだ。

 

 なんか恥ずかしくなり、普通に名乗ることにした。

 ついでに目的も言っておく。

 

「馬鹿な。自ら落とされたというのか」

『物わかりが良いね。ほんと馬鹿なんだよ。公爵には突っ走るし、穴には飛び込む。ほうとうイエーじゃないんだから……』

 

 よくわからんけど、うっせ。

 で、そっちは誰だ?

 

「生き残りだ。中には――」

 

 オネット元公爵もいるのか?

 

「…………そうだ」

 

 横穴を振り返り、そこにいる誰かを伺った後、こちらの質問に肯定を示した。

 

 うわぁ、ほんとに生きてたのか。

 

 しつこい依頼人が助けて欲しいと挙げた名は「オネット」だ。

 オネットは一年前までセルニアとその周辺を治めていた公爵様である。

 がいかん罪? とかいうので、ここに収容されていたらしい。実質は死刑だろう。

 

 まぁ、生きているなら仕方ない。

 オネットをダンジョンから出してくれと依頼を受けている。

 

「……こちらに来い。閣下が話を聞くと仰っている」

 

 はあ、そうですか。

 

 そんな訳で話を聞くことになった。

 

 

 

 男に従い横道に入り、さらに石を削った横穴を奥へと進む。

 

 開けた場所に出た。

 開けたと言っても、中腰がやっとなほどの高さだ。

 そこには五人ほど座っていた。案内の男も含めて六人か。

 中心には小さな灯りが点り、それぞれの顔をうっすらと照らし出している。

 誰も彼もぼろぼろな服を身に纏い、顔も手足も明らかに泥まみれで区別がつかない。

 

「お連れしました」

 

 案内の男が告げると一番奥にいた人物が頷く。

 きっとこいつがオネットなのだろう。

 

「メル殿でしたか。ようこそ地獄へ」

 

 元公爵は言葉と裏腹に良く通る声で私を歓迎してくれた。

 泥まみれだがかなり若い。まだ三十路を越えてないんじゃないだろうか。

 

 

 この横穴にはモンスターも入ってこず、安全に過ごすことができるようだ。

 ダンジョンには往々にして安全なスポットというものがある。

 どうやらここがその場所に当たるらしい。

 

 ここを利用して約一年間過ごしてきたようだ。

 過去の冒険者の遺品を利用しモンスターを倒し、ドロップアイテムで飲食を行う。

 剣だけではなく、杖や斧まで揃っている。

 少なくとも火がついているから、火属性魔法を使える奴がいるな。

 

 そんなことはどうでもいいから早く出ようと提案したが、彼らは話を続ける。

 公爵は黙って話の成り行きを見ている。

 

「一番多いときには二十人を越えていました。そして、奥へと進み脱出を試みたのです」

『駄目だろうね』

 

 そりゃここにいるってことはそうなんだろう。

 

『いや、そうじゃなくて――』

「道が途中でふさがっていました」

 

 シュウは『やっぱりかぁー』と暢気に言っている。

 

「自然に崩れた訳ではなく、魔法で崩されたと考えられます」

 

 脱出できないように誰かが道を閉じたってことか?

 

「はい、その通りです」

『まぁ、そう考えることもできるね……。どっちにしろセルニア側がクリアできないって前提で話してたのは、これを知ってたからでしょ』

 

 途中が行き止まりで、入り口からも戻れないならクリア不可能か。

 

 その後も崩れた土砂をどけようとやってきたようだが、駄目だったらしい。

 作業中モンスターに襲われ、土砂がさらに崩れ人が埋まり数はいよいよ二桁を切った。

 加えて、ある時期からモンスターが凶暴化して、人数はさらに減ってとうとう六人になったようだ。

 

『六人かぁ……。こんなもんなのかな』

 

 そうか?

 私は一人もいないと思っていたから多いくらいだ。

 

『思い出して。依頼人からパーティーリングもらったでしょ』

 

 うむ。

 ちゃんと持ってきてるぞ。

 

『いや、そうじゃなくてね。もらった数だよ。三つだったでしょ。公爵で一つ。あと二つ分必要があるって依頼人は考えてたってこと』

 

 ……うん、つまり?

 

『公爵を助けるため、手練れを二人はここに送り込んでるってこと』

 

 おぉ、なるへそ。

 でも公爵以外に五人いるぞ。

 誰か知らんが三人はたまたま生き残った人物ってことか。

 たしかに生き残った五人はみな精悍で、一般人には見えないからな。

 

『そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない』

 

 はっきりしない奴だ。

 それで、この後どうするんだ?

 まず道を塞ぐ土砂をどうにかしなければならないだろう。

 その後はボスだ。全員で挑むにはパーティーリングが三つ足りない。

 

「パーティーリングは大丈夫です。いくつか落ちていましたので、それを利用しましょう。ボス戦も問題ですが、ひとまずは……」

 

 土砂だな。

 おい、卑怯者。

 出番だぞ。素敵な案を出すんだ。

 

『右手前のおっさんが杖持ってるから魔法使えるでしょ』

 

 聞いてみたところ火と風属性しか使えないようだ。

 そりゃ、そうだ。

 別の属性が使えるならとっくに使ってるだろう。

 

『大丈夫。こっちでポイント振って都合の良い魔法を使えるようにしとくから、土砂は彼にどうにかしてもらう。他の人は彼のお守り』

 

 そうなのか。

 聞いた感じ土砂の量が多そうだけど大丈夫だろうか。

 

『彼の魔力次第だね。無理そうなら、ゲロゴンブレスを使う。こっちは危険すぎるからできれば使わない』

 

 ゲロゴンのスキルは外で使う分にはたいへん便利だが、狭いところでは危険すぎる。

 加減がいっさいできないからな。

 よし、じゃあそれでいこう。

 

 さっそくパーティー登録する。

 シュウを紹介すると一様に驚いて見せた。

 そうだよな。普通は驚くよな。よかったよかった。

 口外無用と念を押しておいた。

 オネット元公爵もなんか我が名にかけて口外しないと誓うだの言ってたから大丈夫だろう。

 

 出現した剣士専用スキル、斧使い専用スキル、魔法使い専用スキルを選択。

 状態異常が効かないことや各専用スキルの説明を行った。

 ところでなんで私には剣士専用スキルがないの?

 

『えっ、剣士の才能がないからに決まってるじゃん』

 

 馬鹿言うなよ、とあっけらかんと答えられた。

 

『逃げ足の無敵スキルがあるからいいじゃない!』

 

 なぐさめているつもりだろうか。

 ……そんなわけないか。

 馬鹿にしてるな。

 私にはなんの専用スキルもないからな。

 

『いやいや、あるじゃん。毒とか麻痺は盗人専用スキルでしょ』

 

 えっ! なにそれ!?

 

『あれ? 言わなかったっけ。状態異常付与関連は全部そうだよ。耐性は違うけど』

 

 そうだったの?

 私、盗人だったの?

 

『そりゃゴブリンから金を奪ってたんだもん』

 

 たしかにね。

 たしかにそうだけどさ――、

 

『待った。落ち込まないで。これでよかったと思うよ。剣士とか斧のスキルはソロに向いてない。射手と盗人スキルがベスト』

 

 そうなの?

 

『そうそう。複数体に囲まれたときに盗人スキルは非常に強い。わかるでしょ?』

 

 ……たしかにそうだ。

 各種状態異常の重複付与とそれを周囲にばらまく「伝染」。

 このスキルに何度も命を助けられた。

 

『ソロで挑む冒険者として「盗人」は最良のスキルだったんだよ!』

 

 なんと!

 冒険者べくして冒険者だったわけだな!

 

『そうだ!』

 

 おおっ!

 さすが私だな。

 そうか、そうだよな。

 ダンジョン大好きだからな!

 

『あー、めんどくせ……』

 

 なんか言った?

 

『いや、なにも』

 

 とまあ、こうして七人という大所帯でダンジョンを進むことになった!

 

『これがゲームだったら今ごろ右上に金色のトロフィーが出てるよ。「”三人以上でダンジョン攻略!”の実績を解除しました」ってさ』

 

 馬鹿にされている気がするが、うきうきなので気にしない。

 以前から大所帯でのダンジョン攻略に憧れていたのだ。

 各人が自分の役割を持って奥へと進んでいく。

 前衛が敵を抑え、後衛は詠唱や掩護射撃。

 互いに情報を飛ばし、集団でありながら一つの個として動く。

 

 夢見たパーティー攻略が! 

 まさに今ここからっ!! 

 始まるんだぁっ!!!

 

 

 

『わかってたけど、始まらないよね……』

 

 始まらなかった。

 パーティーは六人と一人に分かれた。

 なんだろう……、すごい……、これまでにない孤独感を覚える。

 七人パーティーでありながらのソロ攻略。

 どうしてこうなった。

 

『差がありすぎるんだ』

 

 他の六人はすでに役割をもって動いている。

 公爵と魔法使いを守るように前後左右を剣士と斧使いが固める。

 この隙のない陣形よ。無論、私の入り込む余地はない。

 気付けば他六人から離れ、進路方向のモンスターを狩っていた。

 完全に露払い役である。

 

『これも役目と言えば役目だよね』

 

 私の望んだパーティー攻略じゃない……。

 でも、他の六人は極めて安全に進むことができている。

 現に目の前には第一目的の行き止まりがあった。

 

 魔法使いと公爵を土砂の側におき、扇状に彼らを固める。

 もちろん私は一人だけ浮いて、周囲のモンスターを遊撃していく。

 

 いくらか通してしまった敵もいるが、魔法使いへと達するまでに護衛役が倒してくれた。

 問題の土砂もやや上方に人が通れるほどの穴が空いている。

 なにあれ?

 

『土砂を崩れないように固めてから、中の石を崩してもらってる』

 

 不思議な光景だ。

 土砂中腹にアーチ状の通路が出来始めている。

 

『人が通れればいいからね。それも七人だけだから、必要最小限で済ませてる』

 

 しばらくして、ついに穴が開通した。

 

 私が一番槍として向こうのモンスターを倒すことになった。

 倒したと叫ぶと他の六人もすぐにこちらへと走ってくる。

 通行後は予定通り、モンスターの流入を防ぐため穴を塞いだ。

 そうだよ。私のしたかったパーティ攻略はこういうのなんだよ。

 

 私が一人満足していると、周囲の六人は第一関門を抜けた喜びを互いに分かち合っていた。

 別に喜ぶのは構わない。

 だが、今もモンスターを遊撃している人間がいることを忘れないで頂きたい。

 

『やっぱりか』

 

 なにがだ?

 私がソロってことか?

 ケンカ売ってるのか貴様は?

 

『違う。んなことわかりきってたでしょ。周囲を見て。モンスターの数が増えてる。それに成虫も出てきた』

 

 奥に目を移すと確かにモンスターの数が増えていた。

 さらに、ぶんぶんと音を立てて飛んでいるモンスターもいる。

 

 たしかにやっかいだけど、そこまで問題ないんじゃないか。

 近づいてくれば某スキルで落ちるだろうし、数が増えても個々は弱い。

 それよりも「わかりきってた」ってどういうことか説明してくれないかな?

 

『うーん、全部まとめると「あなたは何もわかってない!」かな』

 

 はぁ?

 

『さっさと行こう。元気なうちに攻略してしまいましょう』

 

 後ろの六人もシュウに続いたため、私は反論できなかった。

 これだから数の暴力は嫌いなんだ。

 

 

 

 上級ダンジョンというだけはある。

 モンスターの数がすごい。リポップの早さも尋常じゃない。

 それでも後ろの六人全員無事にここまでたどり着いた。

 

 目の前には大きな扉。ボス部屋だ。

 途中で休むこともできず一気にここまで駆け抜けた。

 さすがに疲れたのか、私を除く全員が息を切らしている。

 私も息を切らしていないだけで疲れはある。

 目立つほどではないというだけだ。

 

 さて、休憩がてらに作戦会議としよう。

 雑魚敵は簡単に蹴散らすことができたがボスは難しい。

 

『ギルドから聞いた情報だとボスはグランドワーム。名前通り大きなミミズ。こういうシンプルに大きいボスが多人数戦だと一番やっかいだね』

 

 そうだな。

 こっちには六人もいる。

 あくまで雑魚モンスターには戦えるというだけ。

 ボス戦では陣形を保つことも難しいだろう。

 元公爵を守るともなればなおさらだ。

 一度崩れれば脆い。

 

『策はある』

 

 やはり難問を切り開くのはこいつだった。

 

「シュウ殿。ご意見を聞かせてもらえないだろうか」

 

 オネットが口を開く。

 この元公爵はあまりパッとしない。

 なんだろう物腰はやわらかいが、偉そうな雰囲気があまりない。

 嫌いじゃないが、公爵として大丈夫なんだろうか?

 余計なお世話だろうが……。

 

『ミミズには目がない。でも、光を感じる視細胞が体表についてる。それに触覚があるから振動を感じてる』

 

 うん。

 だからなに?

 

『通常は光があれば暗い方に移動するけど、ボスの場合はおそらく光を消そうと襲ってくるはず。それに振動を察して震源に襲いかかると思う。おっと、皆さん気付いてきたね』

 

 話がよくわからないんだけど……。

 あと、なんで皆がこっちを見てくるのかもわからない。

 

『要するにね。メル姐さんが灯り持って一人で派手に暴れて、他の人は隅っこで何もせずジッとしてればいいってこと。おそらく、これが一番確実』

 

 ……そう。

 いやね、実は私もうすうす気付いてた。

 気付かないふりをしてきたんだ。

 だって、むなしいじゃない。

 七人でパーティー組むのにソロと同じって。

 

「メル殿……」

 

 いや、いい。

 同情はいらない。

 もう、いいんだよ。

 私も認めよう、現実を。

 

 だが、せめて……。

 せめて、これだけはやらせて欲しい。

 

「みんな! ボス戦がんばろう!」

 

 私は手のひらを前に出す。

 周囲も空気を読んで、手のひらを私に合わせてくる。

 六人が手を重ね合い、最後にオネット公爵が手を重ねる。

 

「エイ! エイ! オー!」

 

 全員の声が重なる。

 今、パーティーは一つとなった!

 もう、何も怖くない!

 

『なんか涙出てきた』

 

 あまりの一体感に思わずシュウも落涙。

 ただし涙は見えない。

 

 私たちは一丸となってボス部屋の扉をくぐった。

 

 

 

 ボス部屋に入った私たちは一人と六人に分かれた。

 

 六人は固まって部屋の隅でぽつん。

 一人(私)は雄叫びを上げ、丸い頭を地面から出していたボスに特攻。

 ボスは体を揺らして地面に潜り込もうとしていた。

 

『メル姐さん。最高にハイな手段を考えた!』

 

 よしやってやる!

 今ならひどい手段でも聞いてやる。

 言ってみろ!

 

『おし! 潜ろうとしてるボスの頭に飛び込んで! 得意でしょ!』

 

 任せとけ!

 ボスに私のダイブを見せてやんよ!

 

 そのままボスの消えた穴に頭から突っ込む。

 飛び込んだすぐ下にボスがいた。

 何か、頭が花弁状に開いているが大丈夫なんだろうか。

 

『ナイスタイミング! 俺を構えて、もうわかるでしょ!』

 

 わかってしまった。

 下向きにやるなら問題ないだろう。

 派手にやれ!

 

『よっしゃやるぞ! ゲロゴォォオヲヲン――』

 

 ――ブレェェェエエスッ!

 

 シュウが赤く染まり、すぐ前方から赤い閃光がほとばしる。

 炎はボスの開いていた口(?)にそのまま突き刺さり、止まることなく流れていく。

 

 やがて赤い光が消え、下には大きな空洞。

 私は途中で壁にシュウを突き立て落ちないようにしている。

 

 壁からよじ登ると出口の扉が出現していた。

 入り口にいたメンバーも嬉々として私に駆け寄る。

 今度こそ皆で喜びを分かち合った。

 

『大・勝・利! 最高のパーティー戦だったね!』

 

 ああ、素晴らしいパーティー戦だった!

 各々が役割を把握し、見事にその役割を果たした。

 この勝利は私だけのものではない。

 パーティー全員の勝利だ!

 

 こうして感動に包まれウェルミス監獄の攻略を終了した。

 

 

 

 謎の感動も醒めたころ、心に残ったものは――虚しさだけであった。

 

 

 

 出口の扉を潜り、緩やかな上り坂となっている洞穴を進む。

 時刻は夕方だろう。黄昏どきの紅い光が洞穴の闇を切り裂いていた。

 六人はそれぞれが詠嘆の声を抑えることもなく、光へと足を動かしていく。

 

『待った。外に誰かいる』

 

 シュウの声で我を取り戻した彼らは公爵を背後に移す。

 

『メル姐さんが行くべきだろうね。それが自然だし、対応もできる』

 

 はいはい。

 もう慣れたよ、このパターンは。

 

 光へと歩み、まばゆさに目を逸らし、光になれてくるとそこには無表情の仮面を被った人間が立っていた。

 ああ、こいつか。

 

『そうだね。他に気配は感じない』

「ご機嫌よう、メル殿。……お一人でしょうか?」

 

 仮面で表情は見えないが、落胆していることが声の調子からわかる。

 こいつはずっとここで待っていたのだろうか。

 そうか、お前も一人か。

 で、どうしよう?

 

『別に話してもいいんじゃない。危害を加えるつもりなら一人でこないでしょ。武器も持ってなさそうだしね』

 

 そっか。

 じゃあいいな。

 

 オネットは生きていたぞ。

 

「おお! それは良かった! 後ろにおられるのでしょうか?」

 

 声を弾ませて仮面男は尋ねてくる。

 私も洞穴に足を戻し、元公爵らに事情を説明する。

 

「まみえよう」

 

 元公爵の一言で会うことが決まった。

 私が先導して洞穴から出る。

 仮面の男はすでに片膝をつき顔を伏せている。

 

「貴殿がメル殿に『余を助け出せ』と依頼を出したそうだな」

 

 ハッ、と小気味よい返事を仮面男は返す。

 

「そうかしこまることはない。貴殿は余の恩人だ」

 

 再びハッと返事を返し、仮面男は顔を上げる。

 仮面に気付き公も首を傾げる。

 

「仮面を取ってみよ」

 

 男が仮面に手をかけ外す。

 

 なんと!

 

 彼は……誰だ?

 知らない男だった。

 声はおっさんみたいに太かったが、そこそこ若そうだ。

 

「知らぬ顔だな。貴殿は何者だ?」

 

 どうやら公爵も知らないようだ。

 他の五名は、と見てみるが誰も知らない様子だ。

 あれ、二人はこいつが送り込んだはずだから知ってるんじゃないのか。

 

『ありゃりゃ、おかしいな。……いや、そうでもないか』

「マントゥールとお呼びください。閣下。間もなく日も暮れます。ひとまずこちらで用意した隠れ家にお越しください。閣下の今の姿は見るに堪えません。話はそれからでもよいかと。皆さまもどうかお越しください」

 

 そうか。

 私はどうしよう。

 オネット元侯爵がどうなろうがどうでもいい。

 宿に帰ろうかな。

 

『そうだねぇ。だいたい事情もわかったから、飽きてきちゃった』

 

 意見はまとまった。

 じゃあ、私は帰るんで。

 

「メル殿にも来て頂きたいのですが、無理強いはできませんね。報酬の話ですが、またセルニアに来られるのでしょう?」

 

 ああ。

 ネクタリスに戻ってからまた来る。

 ダンジョンを回ってくるんだ。

 来月の誕生日祭だっけ?

 その頃には戻る。

 

「わかりました。こちらからまた接触させて頂きます」

 

 あ、そう。

 じゃあ、よろしく。

 別に来なくてもいいよ、面倒だし。

 

「いえいえ。是非とも参加して頂きたいのでお呼びします。それでは途中までご一緒に参りましょうか」

 

 そう言って彼は恭しく、オネットらを先導していく。

 

「マントゥール殿。貴殿に一つ尋ねたいのだが……」

「ハッ、なんなりと」

「レスペ……いや、余の家族は……、どうなった?」

 

 オネットは聞きづらそうに尋ね、マントゥールも答えに詰まる。

 

「申し上げづらいですが……」

「よい。聞かせてくれ」

「アヴァールの手を逃れ北方へ逃げる際、処刑隊に捕まり全員その場で殺されました。すでに遺骸も、遺品すら残っておりません」

「そう、か……」

 

 オネットは何度も「そうか」と繰り返し、頬に一筋の涙をこぼす。

 

「許さんぞ……。アヴァール、許してなるものか。絶対に――」

 

 歩みを止めることなく、元公爵は復讐の誓いをここに立てた。

 

 私はあまり興味がないので、道の分岐路でそのまま彼らと分かれた。

 

 

 

 宿に帰り、一晩明かした。

 さあ、次のダンジョンへ行こうと部屋を出たところで紙片が宙を舞う。

 なんだこりゃ?

 手にとって裏返してみると、

 

“オネットの家族はネクタリスにいる”

 

 ――とだけ書かれている。

 

『だろうねぇ』

 

 どゆことよ?

 シュウはわかったようだが、私にはさっぱりわからない。

 昨日、仮面の男が死んだって話してたじゃん。

 あれは嘘だったのか。

 

『いや、嘘じゃない。あれが彼にとっての真実。来月になればわかるよ。ここで言えることはただ一つだね。復讐するは彼にあり、さ』

 

 彼? オネットだろ?

 ……どうやら詳しく説明してくれる気はないらしい。

 あとでわかるなら別にいいや。

 

 さあ、次のダンジョンへ行こう!

 

 

 

 

 

 一月後、予定通り私はセルニアに戻ってきた。

 なかなかに濃い一ヶ月だった。

 緑のお化けを見たり、素敵な仮面を手に入れた。

 ネクタリスでもギーグと会い、いろいろ確認をしてもらった。

 もちろんダンジョン攻略も忘れていない。

 

 アヴァール公爵の生誕祭を明日に控え、町には人が溢れている。

 人が溢れているもののどこか張り詰めている空気を感じる。

 ところどころに立っている兵士が目を光らせるからだろうか。

 自身に反抗したものを殺していったアヴァール公には、未だ根強い抵抗があるようだ。

 前回会った仮面男もおそらくそのあたりだろう。

 

 町をぶらぶら歩いているとまたもや尾行している人物が出てきた。

 前回と同様に人通りの少ない道に入る。

 すぐに見覚えのある顔が現れた。

 なんて言ったか……、

 

『マントゥール』

 

 そうそう、それだ。

 久しぶりだな。

 今日は仮面を付けてないのか?

 

「メル殿もお元気そうでなによりです。仮面は明日のためにとっておきます」

 

 そうか。

 実は私も仮面を手に入れたんだ。

 なかなかイカしてるぞ。

 

「……そうでしたか。それは準備した甲斐がありませんでしたね」

 

 ん?

 どういうことだ?

 

「単刀直入に申し上げます。メル殿、明日の生誕祭。オネット公の護衛をお頼みしたい」

 

 え、え……。もうちょっと詳しく説明してくれないか?

 そもそも前回の報酬も受け取ってないんだけど。

 

「申し訳ありません。人数不足でして。公の安全を考慮すると、メル殿が確実だと公も仰いますので。どうかお受けください」

 

 いや、それ説明になってないよ。

 ちゃんと一から詳しく説明してくれ。

 

「実は――」

 

 マンなんちゃらはようやく説明をしてくれた。

 なんだかおもしろそうだったし、シュウのお墨付きも出たので受けることにした。

 

 

 

 翌日、アヴァール公爵の生誕祭が盛大に始まった。

 楽曲の演奏や華々しい見世物と様々な催しが次から次へと行われていく。

 

 そして、ついに公が最大の目玉イベント称する公自らのパレードだ。

 なんだか豪華絢爛な神輿みたいなのに腰掛けている。

 道は大きく開かれ、そこを進んでいく。

 両側には兵士たちが人並みを抑えている。

 

 現在、公爵らの行進は止まっている。

 この場にいるほぼ全員が混乱をきたしていることが明白だ

 ……というのも彼らの進行方向に数名の闖入者が現れたからである。

 全員が独特な仮面とマントにくるみ、その正体を覆い隠す。

 

 ――私とオネット、それにパーティーリングを付けた数人である。

 

 スキル「ステルス」で姿を隠し、行進が近づいて来てスキルを解除。

 何も知らない人たちから見たら、本当に突然現れたように見えるはずだ。

 

「何者だ!」、「あいつらはなんだ!」、「どこから現れた!」

 

 ……などなど様々な怒号が飛び交う。

 公の後ろから兵士たちが私たちの方へ走ってくる。

 だが、私たちに槍を突き立てることもできず地面に転がる。

 残念なことに某スキルが発動したため、敵意を向けた彼らは力が半減され立てなくなったようだ。

 もちろん周囲から見れば何が起こっているのかはわからない。

 アヴァール公は捕らえろと叫ぶが無能な騎士団は動けない。

 

 騎士団に代わり処刑隊が動き出す。

 公の後ろに影の如く付き従っていたブロー隊長自らが飛び出し、中心に立っていたオネットへと向かう。

 すぐに私はブローとオネットの間に立つ。

 

 ブローは近づくが、足を崩さない。

 なんだこいつ。前回もだが、能力半減効いてないのか。

 

『発動条件を満たしてないんだよ。あれは敵意持った相手のみに有効だからね』

 

 つまり、こいつは私に敵意はないっていうのか。

 思いっきり、斧を振ってきたんだが。

 敵意じゃなく殺意なら大丈夫ってことなのか?

 

『それはちょっとひねくれすぎ。なるべく派手に倒しちゃって、殺さないでね』

 

 おう。了解だ。

 横からなぎ払われる斧を手で掴み、そのままシュウで峰打ちを食らわせる。

 崩れた額を掴み、そのまま公の側にぶん投げた。

 やりすぎたか……?

 

『いや、いいパフォーマンスになった』

 

 隊長が赤子のように扱われる様子を目にして他の隊員は動けなくなった。

 無論、隊員だけでなく他の兵士・騎士同様だ。

 事の成り行きを見守る方向に移った。

 

「お久しぶりですね」

 

 オネットが一歩前に出て久闊を叙する。

 

「な、なにものだ。余が誰かわかっているのか」

 

 アヴァールは声を震わせ誰何する。

 彼を守る兵士らはもういない。

 今やただの肥満体だった。

 

「もちろんわかっていますよ。アヴァール公爵、……いえ、叔父上とお呼びした方がよろしいでしょうか?」

 

 そう言って、オネットは仮面を外した。

 

「き、貴様は!? なぜだ?! オネット! なぜ貴様がここにいるっ!」

 

 アヴァールは目尻が引き裂かれるほどに目を見開く。

「本物?」、「あのお顔は間違いない」、「でも、処刑されたはずじゃ」……、観衆にも動揺が走る。

 

「光も届かぬ地獄で身を震わせていました。しかし、民の声に導かれ帰って参りました」

 

 オネットは笑みを浮かべる。

 

「こんな謀反を起こすためにか? 貴様はそうやってまた罪を重ねるのか」

「私の罪? まったく、ご冗談がお好きだ。伯父上の罪でしょう?」

「な、何を言って――」

「一年前、私に事実無根の罪状を押し付け、地位を奪った」

「事実無根!? 事実として貴様は王国を売った売国奴ではないか!」

「売国奴? 真の売国奴はその事実を私に転嫁した」

 

 観衆は皆無言。

 誰もが一年前の真実を見いだそうとしている。

 

「そう。伯父上――真の罪人は貴方でしょう?」

 

 全ての視線はアヴァールに向けられる。

 彼は口をぱくぱくと開閉させ、言葉を繰り出そうとしているがうまくできていない。

 

「……証拠があるのか?!」

 

 ようやく出てきた言葉がこれだ。

 

『だめだ。その台詞は言っちゃいけなかった』

 

 次いで視線はオネットへ。

 その視線は何かを期待しているようだ。

 オネットは期待に応えるように口端をつり上げる。

 

「証拠なら――ある!」

 

 叫び。オネットはマントへと手を入れる。

 勢いよく取り出した手には一枚の紙とその包み。

 

「見ろ! これは帝国の高官へと向けられた書状だ!」

 

 手紙を開き、観衆に見せつける。

 

「ここにはアヴァール公爵のサインに加え、落款もある! さらに内容は王都を陥れるための密約! もちろん、この他にも多数の証拠をご用意しております」

 

 その真偽やいかにと、アヴァールを見ると顔面蒼白。

 言わずとも書簡が本物であることは明らかである。

 

「なぜだ……。なぜ、それを貴様が…………。あっ!」

 

 公爵は椅子から立ち上がり、辺りを見渡す。

 視線は一点で止まり、視線の先には髭を生やしたおっさん。

 名前が出てこない、誰だっけ?

 

「トライゾン! 貴様、裏切ったなぁ! 余を裏切ったなぁああああ!」

 

 そうだ。トライゾンだ。

 わざわざ教えてくれてありがとう。

 怨嗟の声を浴びたトライゾンは打って変わって静かな表情だ。

 

「はて? 自分はオネット様を裏切ったことなど一度もありませんが」

「トライゾォォォン!」

 

 喉からではなく、体全体を使った叫びだった。

 あれなら脂肪もよく燃焼するんではないだろうか。

 

「処刑隊諸君! 諸兄らが処すべくは誰だ! このオネットか?!」

「否! 売国奴アヴァールです!」

 

 処刑隊の隊員は声を揃える。

 ただし、一人は地面に転がっている。

 ほんとこいつはとばっちりだな。

 処刑隊の持っていた得物の刃先は全てアヴァールに矛先を変える。

 

「次いで騎士諸君! 諸兄らが仕えるべき主は誰だ? 売国の徒か?!」

「否! オネット様であります!」

 

 騎士たちはあっさりと手のひらを返す。

 オネット公の道を槍を掲げ示す。

 

「最後になったが、セルニアに生きる全ての民たちよ! 身勝手な願いだとは思う。私は、自分の身すら守れぬ若輩だ。それでも……私は諸君らと共にセルニアで生きていきたいと願っている。どうか今一度、私にセルニアを任せてもらえないだろうか?」

 

 わずかな沈黙のあと、誰かが手を打ち「オネット公」と叫ぶ。

 それを火種として、拍手と歓声が一気に全体に広がる。

 

 すでにアヴァールは椅子から下ろされ、押さえつけられている。

 そのままオネット公の行進が町を練り歩いた。

 

 

 

 その後、大きな屋敷に入りオネット公は椅子に座る。

 

「うまくいって良かった。皆のおかげだ」

 

 私や他の護衛たちを労う。

 

「失礼します」

 

 初老の男性が扉を開けて入ってくる。

 アヴァールを裏切った髭の男だ。

 

「……トライゾン」

 

 彼は膝をつき、顔を伏せる。

 

「閣下。この度は申し訳ありませんでした」

「よいのだトライゾン。貴殿が余を裏切ったようにみせていたということは、すでにマントゥールから聞き及んでいる」

 

 私の隣に立っていた元仮面男も頷いてみせる。

 これはシュウが教えてくれていた範疇なので別に驚くこともない。

 

「こうするしか余を助けられないと悟った上での行動だろう。身を切る思いだったと良くわかっているつもりだ。貴殿を責めることなどできんよ」

「しかし、閣下。レスぺ様やフェエリテ様、それにジョワ様が殺されるのを防げなかったのは自分の落ち度でございます」

 

 トライゾンは粛々と述べていく。

 責任をかみしめているようだった。

 

「それも余がしっかりとしていれば防げたことだ。全ては余の落ち度で、全ての罪はアヴァールに償わせる。貴殿の気にすることではない」

 

 あれ?

 どういうことだ?

 

『へい、メル姐さん。そろそろ教えてやりなよ』

 

 お、おう……。

 口を挟んで悪いんだが、さっきの三人は生きてるぞ。

 

「なに?」

 

 この場にいる全員が私に目を向ける。

 私自身もどういうことなのかよくわからない。

 

 オネットの家族は生きていた。

 名前は忘れたが、皆、ネクタリスでひっそりと暮らしていた。

 ギーグに住民名簿を参照してもらって、一年ほど前に引っ越して来た人物を当たってみた。

 実際に話を聞いて、彼らがオネット公爵の親類であることも確認済みだ。

 

「そんな馬鹿な……。たしかに処刑隊から報告を受けた」

 

 死体の顔を見たのか?

 

「いや。首は落とされていたが、身につけている装飾品や体格はたしかにレスぺ様たちのものだった」

 

 どうしても信じられないようなので、私は公の家族から授かった手紙を渡す。

 最近は運び屋みたいなことばっかりしてる気がするな。

 

 果たしてネクタリスにいたオネットの家族なる人たちは本物だったのか?

 

 手紙を読むオネット公はただ咽び泣いていた。

 それが紛れもない答だろう。

 

 

 

 

 

 二週間後、私はまたしてもセルニアにいた。

 もちろんずっとセルニアで過ごしていたわけではない。

 西の方にあるダンジョンへ行ってみたのだ。

 特筆すべきことはない。

 

 今日はまたしても催しがある。

 それを見ようと広場には多くの人が集まっていた。

 私も招かれた。招かれたと言うよりもオネット公周辺の護衛だ。

 またしても特等席に釣られてお守りをすることになった。

 

 現在、オネット公はきらびやかなドレスに身を包みスピーチをしている。

 観衆は盛り上がっているが、私には眠いだけだ。

 ようやく長話が終わり、彼女は壇を降りて最前列の席に戻る。

 彼女の隣にはレスぺとかいう旦那さんが座り、その横には二人の子供が続く。

 

 いよいよ本日の主役が登場した。

 後ろ手に縛られ、ぼろっちい服を身に纏う豚男――アヴァールだ。

 二週間前よりもやせている。それでも体はまだまだ太い。

 観衆も彼の姿を見て様々な声をあげる。

 

 彼は轡を噛まされ、顔には布袋が被せられる。

 壇上の中心に置かれた、背の低い木枠に首を固定された。

 観衆の方に彼の頭が向いている。

 もうおわかりだろう。

 今日は彼の命日。

 

 催しは――公開処刑である。

 

 私は壇上の正面に取り付けられた階段横に立っている。

 確かに特等席には違いないが、できれば座って見たかった。

 

 そして、もう一人の主役も現れた。

 手には斧を持ち、ゆっくりと階段に近づく。

 今度は誰も声を上げない。静かに彼の動き見守る。

 もちろん彼も何を言わない……と思ったが口が動いた。

 なんか言っただろうか?

 よくわからないままブローは階段を上がっていく。

 

『「感謝する」ってさ』

 

 感謝?

 何に感謝するんだ。

 私は奴にとばっちりしか与えていないんだが……。

 

『いやいや、彼にこそ感謝されるべきだよ』

 

 わけわかめ。

 詳しく説明してくれ。

 

『やれやれ、仕方ないなぁ。シュウ大先生が解説してさしあげませう』

 

 シュウはそう言ってため息を一つ。

 あぁ、うぜ。

 

『まずですね。ブロー君はアヴァール公への復讐を企てました』

 

 はあ、そうなんですか。

 

『同僚や仲間、罪のない人たちを殺さなければならなかった恨みでしょうか。あるいはもっと前に恨みでもあったのかもしれません。とにかく理由はよくわかりません。ですが、その思いは誰よりも強かったのでしょう。オネットやトライゾンの比ではありません』

 

 理由もわかってないのにどうしてそんなことが言えるんだ。

 

『わかります。彼は初めからメル姐さんに目を付けていました。派手に暴れてますからね、無理もありません』

 

 そうなの?

 まあ、けっこう暴れてることは確かだな。

 

『彼はオネット公爵が監獄内で確実に生きていると知っています。これは単純。生き残っていた公爵以外の五人は全員彼の子飼いだからです。ときどき入り口の穴を通じて情報を交信していました』

 

 えっ、そうだったのか……まあたしかにあいつら強かったからな。

 交信ってあれか、縄ばしごを使ってたのか?

 

『そう。それに罪人のはずなのに、不気味なほど忠誠心もあった。武器やパーティーリングがあんなぽろぽろ落ちてるのもおかしい。トライゾンの送った部下はとっくに死んだんだろうね』

 

 まあ、誰も仮面男を知らなかったってことはそうなんだろう。

 

『あと、道が途中で崩してあったよね』

 

 うむ。

 あんなことしたら進めないだろう。

 

『その通り。あそこはちょうど敵が強くなる分岐点。下手に突っ込んで死なれないようにわざと道を崩してた』

 

 でも、あれは私以外じゃ無理だったんじゃ。

 

『そうだね。あれはやりすぎかな。まあ、いざとなれば縄ばしごで救えばいいだけですから。あと、ゲロゴンブレスの存在も知ってたと思う』

 

 それもそう……なのか?

 

『彼は誰よりも先にメル姐さんに接触してきた。あとの四回はトライゾンだけど、最初の一回だけは彼本人』

 

 ほっほー、なるほど。

 生きているのを知っていたから、あとの四回みたいに「生きていれば」なんて曖昧な表現を使わなかったと。

 

『お、大正解。別に依頼を受けてもらわなくてもよかったんだ。誰かがいると知らせるだけで、救うとわかってたから』

 

 いや、それは……そうかもしれないが確実じゃないだろ。

 一回目の接触の時点では監獄に入れるかわからなかったし。

 

『そこは初めに言ったとおり。彼は初めからメル姐さんに目を付けてた。初めっていうのはネクタリスにいる段階から。あるいはもっと前からだね。超上級をクリアして、町を助けるお人好し。さらにダンジョンキチ○イ。メル姐さんの近くでダンジョンの話をさせて、アヴァール公爵の嗜好を口にする。そして、商人になりすまし塩を買わせる』

 

 まさか……。

 本当にそこまでしていたのか。

 

『しただろうね。あと、公爵の家族を殺したと思わせて、ネクタリスにこっそり移したのも彼です。もちろん部下を置いて警護させてます。部下達が先のことをやったんでしょう。そりゃセルニアの処刑隊も人手が足りなくなりますわ』

 

 それなんだが、奴はどうして公爵の家族を助けていたんだ。

 

『簡単。もしも自分に罪が向けられた場合、公爵の家族を差し出して許してもらうため』

 

 でも待った。

 そもそも私はあいつに殺されかけたぞ。

 

『メル姐さんのスキルが効かなかったのは、敵意も殺意も彼にはなかったからだね。化け物じみた力を知ってたから、あんなので殺せるなんて思ってなかった。最初に襲ったのは、適当に捕らえてそのまま監獄に送ればいいからだね。二回目はかなり手を抜いて、わざと倒されるようにしてた。隊長である自分が派手にやられれば周囲も力の差を知って黙る。こっちもそれを演じてみせた』

 

 すげぇ……。

 素直に驚いた。

 だが、どうしてそこまでやるんだ?

 

『ん~。ああ……ほら、見てみなよ。良い笑顔だ。俺のいた世界じゃ「オリジナル笑顔」って呼ばれるんだよね』

 

 視線を壇の上に移す。

 

 どうしてそこまでやるのか?

 答はブローの顔を見れば一目瞭然だった。

 彼の腕を振り上げられ、いつでも振り下ろせる状態になっている。

 観衆からは上げられた腕で見えないかも知れないが、彼の顔はたしかに笑っていた。

 今までの無表情が嘘だと思えるくらい――嬉しげで、楽しげで、気持ち悪いほどの笑顔だった。

 

 全ては今この瞬間のため。

 自らの手でアヴァールの首を落とすためで間違いない。

 それもただ落とすのではなく、衆目が集まる場で実行するためだ。

 

『復讐するは――』

「彼にあり」

 

 私も口を揃える。同時に、

 

 

 

 彼の腕は振り下ろされた。



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蛇足6.33話「我が輩アルボルさん。今、うぬの後ろにおるぞ」

 今回は時系列で見ると、
 前話「復讐するは彼にあり」の途中に挟まる閑話です。
 セルニア発―ネクタリス着の間になります。



 セルニアを発って、ネクタリスへ戻る。

 途中にあるパンタシア野原に寄っていた。

 

 パンタシア野原は初心者向けダンジョンである。

 今さら初心者向けダンジョンに遅れは取るはずはない。

 ギルドでダンジョンの位置だけ教えてもらい、さっそく現地へ向かう。

 

 目の前には緑の原っぱ。

 膝下くらいの草が風にそろそろ揺れる。

 ぽつりぽつりと白い綿雲がゆっくり流れていく。

 白い雲のさらに上には青い空に黄色い太陽。

 青空は私の好きな景色だ。

 

『俺もあおいそら好きだよ』

 

 うむ。そうか。

 絶好のダンジョン攻略日和だ。

 

 初心者向けとあって出現するモンスターの数は少ない。

 ニワトリとリスだけだ。もちろん通常のものよりも一回りサイズが大きい。

 それでも、あちらから攻撃をしてくることもない。

 蹴るだけであっさりと光に消えていく。

 

『のどかだね〜』

 

 そうだな〜。

 シュウの言うとおり、とてものどか。

 ここまで危機感皆無のダンジョンは初めてである。

 原っぱの斜面で横になって寝ている冒険者の姿も見えるくらいだ。

 

 昼になってお腹も減り、草むらに腰掛けてご飯を食べた。

 一人でもそもそ食べているとニワトリがちょこちょこやってきた。

 物欲しそうに見てくるので、代わりのものを上げると喜んで食べ始めた。

 ちなみに差し出したのはドロップアイテム。共食いである。

 そのうちリスもやってきて、一緒に食べ始める。

 こうして和気あいあいの昼食になった。

 いやはや、なんとものどかだ。

 

 昼ご飯も食べた。

 モンスターもそこそこ狩った。

 満足したので、帰ろっかとしたときのことである。

 シュウがぽつりとこぼした。

 

『ボスは?』

 

 ……あれ?

 そう言われればそうだ。

 ボスの姿をまだ確認していない。

 さすがにリスやニワトリはボスではないだろう。

 見逃していたな。探してみよう。

 

 …………いない。

 探しても探しても見つからない。

 ヘビや兎、小鳥は確認したが、モンスターではない。

 どういうことだ。やはりニワトリかリスのどちらかがボスなのだろうか。

 

『どっちも違うはず。ポイントがボス補正を受けてない』

 

 ボス補正が何かよくわからんが、違うようだ。

 こういうのはお前の得意分野だろ。

 

『うーん。なんとなく魔力を感じるんだよね』

 

 魔力ってあれだろ。

 魔法を使うときに必要なやつだろ。

 

『そうそう。敵を斬ったり、魔法をかき消すときに吸収するやつ』

 

 それで魔力があるとどうなんだ。

 

『原っぱ全体に弱っちい魔力があるってことしかわからぬ』

 

 うーむ。使えん奴よのう。

 誰かに聞こうにも、気付いたら原っぱに一人。

 寝ていた冒険者もいつの間にか帰ってしまっていた。

 

『ギルドに戻って話を聞いてみたら?』

 

 そうするか。

 

 いったん戻ることになった。

 

 

 

 所は変わって、ギルドの受付である。

 

「パンタシア野原にボスモンスターはいません」

 

 どうやら本当にボスがいないらしい。

 受付嬢は原っぱについての情報を語り始めた。

 

 パンタシア野原は数百年以上も昔から存在する。

 ここにギルドができる前からずっとあそこにあったようだ。

 ボスの不在は当時から言及されていたが、やはり今日まで確認されていない。

 安定してドロップを手に入れることのできるダンジョンとして重宝されている。

 ボスもおらず、敵も極めて弱く、襲ってこないため安全・安心という不動の初心者向けダンジョンであった。

 

「……ただし――」

 

 話も終わり頃になって、受付嬢は呟く。

 

「数ヶ月前から異常が報告されています」

 

 ほう。

 

 続きを聞いたところ、最近はモンスターの数が増えたらしい。

 ときどき群れて反撃をしてくることもあると報告されているそうだ。

 

『ニワトリの集団反撃とか怖すぎる』

 

 そうだろうか?

 さほど強くないし問題ないだろ。

 

「なによりの異常は……夜に――」

 

 ここで受付嬢は溜める。

 さっさと言えよ。じれったい。

 

「出るんです」

 

 何が?

 

「出るって言ったら、お化けしかないでしょう」

 

 はぁ、お化けってことはないだろ。

 モンスターじゃないのか。

 

「お化けです」

 

 彼女はきっぱりと断言する。

 数ヶ月前に冒険者から報告を受け、彼女が直接確認に行かされたようだ。

 なんでも夜になると原っぱ中に緑の光が浮かび上がり、ぶつぶつ囁いてくるらしい。

 それだけにとどまらず、一部の光が追いかけてくることもあったと話す。

 触れてもするりとすり抜け、こちらの攻撃は剣も魔法も当たらない。

 当初は珍しがって冒険者が集ったようだが、けっきょく何もわからなかった。

 今では誰も興味を持たなくなっている。

 実害が出た訳ではないため、ギルドも夜間のダンジョン攻略に注意を促すことしかしていない。

 

 シュウが魔力を感じると言っていたのは、そのためだろうか。

 夜を待って、実際に自分の目で確認することにした。

 

 

 

 またしても原っぱに戻ってきた。

 日はとうに沈み、まんまるの月が草原を照らす。

 草原近辺を照らしているのは満月の明かりだけではなかった。

 話に聞いていたとおり、ぼんやりとした緑の光が草むら全体を覆っている。

 

『なんかすごいね』

 

 ああ……、そうだな。

 話には聞いていたが、目の当たりにすると気圧される。

 ほんとに一面が緑だ。しかも一階建て家屋並の高さがある。

 月の明かりと謎の緑光が空中で夜の支配権を競い合っていた。

 

 緑光の中に入ってみるが、何も感じない。

 手で触ることもできず、息を吹きかけても効果なし。

 シュウで払うと明かりが少し乱れるが、すぐ元に戻った。

 

『感じてた魔力はこれだね』

 

 そうか。

 それでこの緑光はなんなんだ?

 

『昼は見えなかったから、夜になったから出たのか……あるいは、魔力が月の明かりに反応して光ってるのか』

 

 魔力があることは私にもわかった。

 知りたいのはなぜ魔力が漂ってるのかということだ。

 

『それも不思議だけど、音が出てるのもよくわからんね』

 

 シュウの言うように光からは何か音が聞こえてくる。

 雑音に聞こえるが、受付嬢の話すように光が何か囁いているように聞こえなくもない。

 

『ちょいちょい、後ろ見て』

 

 言われたとおりに振り返る。

 特に変わった景色はない。

 見慣れてきた緑光がぼんやりあるだけだ。

 

 これがなんだ?

 

『首そのままで歩いてみて』

 

 足を交互に前へ出す。

 

 あっ。

 気付いた。

 ぼんやりとしていた光の中で、微妙に緑の光が濃かった部分が付いてきた。

 確認のため、足を反転させ、後ろ歩きをしてみる。

 すると、遅れて緑光が私に近づく。

 

『受付のねーちゃんが話してたやつだね』

 

 うむ。

 追いかけてくる光とはこのことだろう。

 シュウで斬ってみるが、やはりすぐ元に戻る。

 原っぱを出るまで、ずっと私に付いてきた。

 なんか不気味だな。このまま帰ろうか。

 

『待った。聞こえない?』

 

 ん、何がだ? と尋ねる前に私も気付いた。

 ふよふよ浮いている光から音が聞こえる。

 これはまさか……、

 

『うん。光が音を出してる。何か、話してるのかも』

 

 なんということだ。

 この光は生きているのか。

 

『生きてるかはわからないけど、伝えたいことがあるんじゃないかな』

 

 伝えたいことがあるって言われてもな。

 私にはどうしようもないぞ。

 お前の出番だろ。

 

『ふむ。ちょっと待ってね。翻訳スキルを調べてみる』

 

 おう。

 

 ……………………まだ?

 どれくらい経ったのだろうか。

 しばらくぼんやりしていたが、何も起こらない。

 

『いろいろやってるけど当てはまんない。……もう全部でいっか、えい。おっけーよん』

 

 もういいか?

 

「ぬ?」

 

 おっさんみたいな声が返ってきた。

 いちおう聞き取れたことになるだろう。

 

『そりゃ、これで駄目ならお手上げだったよ』

「ぬぬぬっ!」

 

 なんか「ぬ」としか言ってないけど、大丈夫なのか。

 ちゃんと話せるの、これ。

 

「ぬん。話せるぞ!」

 

 話せるらしい。

 それは良かった。

 それじゃあ、さっそく質問。

 お前はいったい何なんだ?

 

「思い出せぬ」

 

 うん?

 

「気付けばこのように訳のわからぬ姿になってしまっていた」

 

 そいつは困ったものだな。

 で、名前はなんというんだ?

 

「思い出せぬ」

 

 えぇ……。

 じゃあ、ここは何なんだ?

 

「思い出せぬ」

 

 なんか緑色に光ってますけど。

 

「わからぬ」

 

 どうすんだよこれ。

 知らぬ存ぜぬわかりませぬで手の打ちようがないぞ。

 

『思い出せることがないか聞いてみたら』

 

 思い出せることはないのか?

 

「我が輩、夢をみていた。とても懐かしい夢であった」

 

 そうだったのか。

 どんな夢だったんだ?

 

「思い出せぬ。だが――」

 

 お得意の定型句のあとに、逆接を持ってきた。

 

「忘れて良いものでなかった」

 

 はぁ、つまり?

 

『思い出すのを手伝えってことでしょう』

 

 であるか。

 こうして夜の思い出探索が始まった。

 

 

 

 話を聞いていても埒が明かないので、歩き回ることにした。

 

「……ちゃむとあそう゛ぃ」

「きょふ……ゆうはむ」

「……すゎん。こんほ……」

 

 先ほどまで雑音だったものが聞き取れる。

 聞き取れると言っても、まだ雑音だらけで意味がよくわからない。

 

『まあ、人がいることはわかったじゃん』

 

 それもそうだな。

 緑光が音とともに移動するところを見るに、人を模しているようだ。

 しかも、あちらこちらに人がいることになる。

 

「ぬぅ。そうであった。我が輩、多くの人を見ていた気がするぞ」

 

 付いてきていた緑光が絞り出すように呟く。

 どうやらわずかに思い出してきているようだ。

 

『緑光が人だとするなら、村か町だよね。たくさんいるし』

 

 昔、ここにあった町ってことか?

 

「町とはなんだ?」

 

 緑光が尋ねてくる。

 

 そこからなのか。

 町って……町は町だろう。

 人がたくさんいて暮らすとこ。

 物を売る店があったり、食べ物を作ったりしてるとこもある。

 

「うぬぅ。我が輩は町にいたのか」

 

 そうなんじゃないか。

 たくさん人を見てたんだろ。

 お前自身ここのどこかに住んでいたんじゃないか。

 

「ぬぬっ! ……思い出したぞ。ぬぅ、確かに我が輩は町におった。たくさんのものに囲まれとったぞ!」

 

 どうやら、町に住んでいたことは確定らしい。

 ちゃっかり友達たくさんいましたアピールまでしてきやがる。

 

『むかつくのはわかるけど、俺を蹴るのはやめてくれませんかねぇ』

 

 緑光はぶるぶる震え始める。

 

「そうじゃ。我が輩はこの町を夢見ていた――」

 

 緑光がそう告げた瞬間、光がいっそう強く輝いた。

 

 目の前だけではない。

 野原全体が淡く煌めいている。

 ところどころで光に驚き慌てるニワトリの姿が見える。

 喋る緑光を起点として、ぼんやりとしていた光が徐々に輪郭を形づくる。

 

「多くの人が暮らし、動物が走り回り、花びらが飛んでいた」

 

 光が人を、道を、家を、動物を、花びらを形成していく。

 

「皆はこう呼んでおったな――ペタルム、と」

 

 ついに光の町ができあがった。

 

 

 

 野原に町ができてしまった。

 町と言っても全て緑光の濃淡であり、先ほどと同様に触ることはできない。

 相変わらず人が何を喋っているのかも、はっきりと聞き取ることはかなわない。

 

 どうなってんだ、こりゃ?

 

「我が輩の見た夢であるぞ」

 

 夢がなんで光になって出てくるんだよ。

 

「知らぬ」

 

 あっそう。

 周りはちゃんと形になってるのに、どうしてお前は変わらないんだ。

 いや、ちょっと丸くなったか。

 

「わからぬ」

 

 いかんな。

 駄目だ、こいつは。

 おい、チート。

 

『思うに――この緑玉が町のことを思い出したから、町の輪郭もはっきりしたんじゃないかな』

 

 じゃあ、なんでこの緑玉は丸いままなんだ。

 

『そりゃあ、まだ自分が何者かわかってないからでしょ』

 

 ふーむ。

 おい、緑玉。

 まだ自分のことが思い出せんのか。

 

「然り」

 

 なんでそんな偉そうなんだよ。

 

『町を見て回れば思い出すんじゃない』

 

 仕方ない。

 見て回るか。

 

 

 

 町並みを歩いて行く。

 いつの時代か知らんが、なかなか綺麗な町である。

 町の中にはひらりひらりと花びらが舞っていた。

 見て回るのは楽しいが、特に何もわからない。

 町の中心にある広場で足を止める。

 足下には花びらが積もっているが、実際は草むらなので奇妙な感じだ。

 

「何かわかったか?」

 

 それ、私の台詞。

 お前もちゃんと探せよ。

 お前の姿があるかもしれないだろ。

 

「うぬは馬鹿よのう」

 

 緑玉は軽く笑って答える。

 

「この景色は我が輩が見た夢であるぞ。観測者である我が輩はおるまいて」

『せやな』

 

 シュウも同意する。

 おい、お前もこいつが誰か考えろ。

 

『それはもうわかってる』

 

 え、わかってるの?

 教えてよ。

 

『やだぴょん。それより、どうしてこの景色を夢に見たのかが気になるかな』

 

 緑玉がこの景色を夢見た理由ねぇ。

 

『もうちょっと言うと、ここで何があったのか』

 

 何が、ねぇ……。

 思いだせんのか。

 どうなんだ?

 

 緑玉は何も答えない。

 ふよふよと宙に浮いている。

 

『思い出したくないんだろうね。だから、この楽しげで穏やかな景色をずっと夢に見てる』

 

 つらい出来事があったのかもしれない。

 無理に思い出させることもないか。

 

『それも一つの方法だね。……でも、たぶん彼がこのダンジョンのボスだよ』

 

 撤回。やっぱり思い出させよう。

 どうすればいい?

 

『夢の終点なんていつも同じだよ。突き付けてやるしかないんだ――現実を』

 

 どうやって?

 

『俺のいた世界にね。こんなときよく使われる定例句があるんだ』

 

 なんでそんな定例句があるんだ。

 前から思ってたけど、お前の世界おかしいよ。

 

『魔法や竜が存在する世界と比べたらカワイイもんだよ。俺の世界じゃ喋ってもせいぜい戦艦だし。戦艦ってのは船の事ね』

 

 ……船が喋るの?

 それも相当おかしいだろ。

 よく考えたらお前が一番おかしいもんな。

 

『さて、それじゃあ続けて言ってみよう』

 

 本題に戻り、シュウの言った内容を復唱する。

 

 おい緑玉――

 

「なんぞ?」

 

 ――ペタルムは消えたんだ。

 

「っ! 否っ! ペタルムは今ここに――」

 

 ――いくら呼んでも戻っては来ない。

 

「これからもずっとこの時間が――」

 

 ――もう、夢見た時間は終わって、

 

「我が輩は、まだ夢を――」

 

 ――お前も、現実と向き合う時なんだ。

 

「ぬ……、ぬおぉぉぉぉおおおお!」

 

 効果は抜群だ。

 緑玉はぶるぶる震えて叫び散らす。

 なかなかシュールな光景だな。

 

『来るよ』

 

 何が、と聞く前に緑玉が点滅し始めた。

 またしても周囲の光が強まる。

 緑玉を中心として波状に景色が塗り替えられていく。

 

 町が緑色の炎に包まれていた。

 燃えているのは建物だけではない。

 倒れた人に火が付き、宙を漂っていた花びらも炎とともに舞い上がる。

 阿鼻叫喚とした町並みに鎧を纏った兵士たちがなだれ込み、生きている人間を串刺しにしていく。

 

「おお……、燃えていく。我が輩を見上げる人たちが、遊び回る動物たちが――」

 

 緑玉の形は安定しない。

 あちらこちらに動き回り、嘆きをあげていく。

 

『ようやく自分の正体に気付いてきたようだね』

 

 ああ、それそれ。

 けっきょく、こいつの正体はなんなんだ。

 

『上』

 

 たった一言。

 ここは広場の中心地。

 上を見たところで何もない。

 そう思っていた。

 

 しかし、空は燃えていた。

 空一面を緑色の炎が覆っている。

 

「共に育った仲間たち、我が輩から生まれた子供たち、そして――」

 

 近すぎてよくわからず、広場の中心から離れてみる。

 ようやく私にも緑玉の正体がわかった。

 

「我が輩自身が燃えていく」

 

 緑玉が広場の中心でひときわ大きく瞬いた。

 

 光が収まると、一本の大木が現れる。

 太い幹の上には燃えている枝葉が広がっていた。

 

「あの日、あの夜、あの瞬間――」

 

 大木はまたしても瞬く。

 

「全ては赤に包まれた」

 

 緑色の景色は一変した。

 大木を中心にすさまじい速度で緑が赤に塗り替えられていく。

 

『メル姐さん』

 

 ……ああ、そうだな。

 これ以上、悪夢を見せる必要もないだろう。

 赤々と燃える大木に近づき、シュウを構える。

 今ならちゃんと刺せる気がした。

 根拠はない。

 

 シュウを大木に突き立てる。

 確かに手応えがあった。シュウは沈み込む。

 

「ぬ、ぬおぉ……」

 

 大木は唸りを発する。

 野原に広がった町並みが徐々に消えていく。

 武器を構えた兵士たち、燃えている家や人々、舞い散る花びらも光を失う。

 

「うぬぅ! 我が輩の夢がぁ! 消えるというのかぁ?!」

 

 周囲をよく見ろ。

 ここにはもう何もない。

 いい加減、現実を受け入れるんだ。

 嫌なことは多いが、現実も悪いものじゃない。

 じゃあな、木のお化け。もう夢を見ることもないだろう。

 

『あまり綺麗な言葉を使うなよ。臭く見えるぞ』

 

 うるせぇよ。

 

「我が輩……、また花を――」

 

 大木の言葉は最後まで聞き取れなない。

 野原には月とアイテム結晶の光だけが残った。

 

 

 

 翌日、予定通り私はネクタリスに向かうことにした。

 

 今は、パンタシア野原に寄り道している。

 シュウによると原っぱを覆っていた魔力はかなり減少したらしい。

 ダンジョンごと消えてしまうのではと話していたが、ニワトリとリスはまだ元気に駆け回っている。

 昨日まではボスが見えないだけで、一応いたことになる。しかし、私が消してしまった。

 そのうちダンジョンが消える可能性もあるとシュウが話すので対策を検討した。

 

 ペタルムの広場の中心――今ではただの草むらに私は腰を屈める。

 シュウで地面を削り、そこそこの深さまで掘り起こした。

 昨夜、手に入れたドロップアイテム『夢から覚めたアルボルの苗木』を掘った穴に入れ、土を戻す。

 あの大木はアルボルという名前だったらしい。まぁどうでもいい。

 まだまだ小さいが、そのうち大きくなるだろう。

 

 なんとなく空を見上げる。

 今日もまた青空がどこまでも広がっている。

 昨夜、見上げた幹や枝、花びらはどこにも見えはしない。

 いつの日か満開の花を咲かせた大木が、また空を覆う姿を想像する。

 

 ……あれ?

 首も痛くなってきたので視線を下ろした。

 そこにある苗木の大きさに疑問を抱く。なんか大きくなってないか。

 ちょっと目を離した間に枝が伸びて、葉っぱも増えているような……。

 

『なってる。異常な速度で生長してる。魔力を吸ってるのかな』

 

 なんとまあ。

 たいしたものだ。

 

 さて、行くとするか。

 やることもやったので苗木に背を向ける。

 

 ……ん?

 

 気配を感じて振り返る。

 もちろん誰も目に映ることはない。ただ――、

 

 

 

 苗木についた葉が風に揺られているだけであった。



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蛇足6.67話「仮面 の 名前」

 今回は時系列で見ると、
 前々話「復讐するは彼にあり」の途中に挟まる閑話です。
(前話「我が輩アルボルさん。今、うぬの後ろにおるぞ」セルニア発―ネクタリス着―)
 ネクタリス発―セルニア着の間になります。


 壁に並べられた仮面を見ていく。

 四面にびっしり掛けられた仮面を見ていると、むしろ私が見られている感覚に襲われる。

 何も言わず、何も映さない空洞の目で淡々と私を見定めているようだ。

 

「どうですかな?」

 

 陰気くさい部屋で陰気くさい声が私に尋ねる。

 

『そんでもって、メル姐さんは汗臭い、と。良いオチだ』

 

 イカ臭い剣がなんかほざいているが無視。

 周囲を見回していくが、「これだっ!」というものがない。

 

 おい、ファッキンソード。

 なんかいいのあるか?

 

『どれも一級品だね。……でも、この世界にあるはずのない仮面がある』

 

 どういうことだ?

 

『右の壁。さらに、その一番上の段』

 

 首を回して言われたほうを見る。

 

『銀色で、上向きの棘が額についてるやつ』

 

 あれか。

 右端の一番上に仮面と言うよりも、兜に近いものがある。

 あれがなんなの?

 

『あれは――』

「ほう、『真っ赤な帚星』が目に留まりましたか?」

『名前がちょっと違うけど……、間違いなく俺の世界の仮面だよ、あれ』

 

 ほーん、そうなんだー。

 

『しかも同じ段の仮面は全部そうだね』

 

 胡散臭い店主――仮面師ヌガドは先の仮面について解説を加える。

 虚無、白面、怪盗加圧加熱食品、裏切り者、武士道などなど見た目も様々だ。

 この仮面三号と仮面四号はどこが仮面なのかわからない。

 四号については眼鏡にしか見えないし、三号はそもそもなんなんだ。

 これらは数百年前に現れた伝説の仮面師カトゥーによって作られたものらしい。

 彼の仮面をつけた人たちが世界の舞台に立って活躍したようだ。

 

『活躍? 暗躍の間違いじゃ……』

 

 まあ、私にとってはどちらでもいい。

 とっとと気にいったものを選ぶことにする。

 

 ちょうど目に付いた位置にあったそこそこのものを指さす。

 

「これをもらおうか」

 

 ふむ、と言ってヌガドは私の指さした仮面を手に取る。

 

「気に入られましたかな?」

 

 気に入ったから、買うって言ってんだよ。

 さすがにそこまでは言えず、「ああ」と頷く。

 

『違う』

 

 なにが?

 唐突に違うと言われても何がなんだか。

 

『メル姐さんに聞いてない』

 

 ん?

 

 疑問の返答はヌガドからだった。

 残念ですが、と前置きをして述べていく。

 

「メル様は選ばれませんでした。当店には、メル様にお売りする仮面はございません」

 

 ――お引き取りを。

 ヌガドが言うと、彼が手に持った仮面が笑ったように小さく震えたように見えた。

 

 こうして私は仮面を手に入れることなく店から出ることになった。

 

 

 

 さて、私は再度ネクタリスを発ち西ルートからセルニアへと向かっている。

 ネクタリスではオネット元公爵の家族から手紙を授かった。

 アヴァール公爵の生誕祭には間に合う見通しだ。

 

 現在はマスケという町にいる。

 到着したのは今日の昼過ぎ、近くにあるダンジョンの情報は手に入れた。

 明日、本格的に攻略をしに行く予定である。

 攻略といっても初級ダンジョン。

 そこまで気負うこともない。

 

 日暮れにはまだ時間があるため、観光することになった。

 マスケは仮面が有名な町のようだ。

 あちらこちらで仮面の出店が見られる。

 一番良い店をギルドから紹介してもらった。

 せっかくなので一枚良い物を買おうと思った訳だ。

 

 結果は買うどころか手に取ることすらできなかった。

 なぜ購入できないのか尋ねた私にヌガドは言った。

 

「人が仮面を選ぶのではありません。仮面が被り手を選ぶのです」

 

 つまり私は仮面に選ばれなかったようだ。

 仮面が人を選ぶとか、ちょっとなに言ってるのかわからない。

 ぺらぺら喋るむかつく剣と同じくらい意味不明だ。

 もうその辺で気に入った奴を買おう。

 

『それがいいよ。あの部屋にあった仮面を被るには、メル姐さんじゃ器が小さすぎる』

 

 ひどい言われようだ。

 ふん。どうせ私は才能がありませんよ。

 仮面を被るのにも才能がいるってどんだけだよ……。

 別にどうだっていいだろ。仮面なんて被るだけなんだから。

 

『……もしもね。あの仮面を売ってくれると言ってても俺が止めてた。あの人はちゃんと選別してるんだよ』

 

 なんで止めるんだ。

 金銭的に問題ないだろ。

 

『言ったでしょ。メル姐さんじゃ器が小さすぎる。仮面に被られるよ。おとなしくその辺のやつにしなせぇ』

 

 仮面に被られるとか、訳わからん。

 そこらの仮面とあの店にある仮面で、いったい何が違うって言うんだ。

 

『逆に聞こうか。そこらで売られてるお面とあそこにあった仮面。何が決定的に違ってると思う?』

 

 きれいさ?

 あそこにあったのは埃っぽかった。

 そこらの出店で売られてるやつのほうがよっぽど綺麗に見える。

 

『それは室内か室外かの問題かな。あの部屋は採光もあまり良くなかったし』

 

 じゃあ、上手に彫れてるかどうか。

 

『その辺の出店にも彫りが上手いのはいくつもある。むしろこっちのほうが上手いのすらある』

 

 そうなのか。

 じゃあ、あそこで買う必要もないか。

 出店でもよい仮面はあるってことだそうだし。

 

『出店にも、上手に彫られてるお面はたくさんあるよ。だけど、今のところ一級品はない。どれもせいぜい二級品止まり』

 

 あぁ?

 上手に彫れてるかどうかが仮面の価値じゃないのか。

 結局のところ、仮面って見た目で判断される物だろ。

 

『なぁんにもわかってない……。あの部屋で何も感じなかった? ひょっとしてマグロなの? もうちょっとここらのお面をよく見てみることだね』

 

 そう言ってため息一つ。

 どうやら教えてくれる気はないらしい。

 とりあえず黙っていてくれるのはありがたい。

 今日の夜飯をどこにするか考えるついでに、仮面も見てみることにしよう。

 

 

 

 そして翌日である。

 昨日は実によく眠れた。

 体調は素晴らしい。今ならダンジョンごと消してしまえる気がする。

 

 ちなみに仮面はまだ買っていない。

 あまり気に入ったものがなかったし、興味も薄れていったためだ。

 記念程度のものだからわざわざ買わなくてもいいかという結論に達しつつある。

 

 とぼとぼ歩いてダンジョンの前に来た。

 

「なんとかお願いします!」

 

 浅黒い肌をしたやさ男が、ごつい男たちの一人にすがりついている。

 ごつい男どもは剣やらメイスやらプレートから明らかに同業者だとすぐにわかる。

 

『でも、あっちはメル姐さんを同業者とすぐにはわかってくれない……』

 

 うっさい。

 

 同業の男たちはやさ男を振り払ってさっさとダンジョンに入ってしまった。

 やさ男だけがダンジョンの前に一人ぽつん。

 関わりあわないのが賢明だ。

 

「どうしたんだ?」

 

 ……なぜだろうか。

 賢明だと思いつつも話しかけてしまった。

 

『一人寂しくぼっちでいたところを自分と重ねてしまったじゃないかと分析する』

 

 素敵な分析ありがとう!

 できれば黙っていて欲しかったよ!

 

「それでどうしたんだ?」

 

 気を取り直してもう一度声をかける。

 

「……冒険者の方ですか?」

 

 冒険者にミエマセンカネッ?!

 

 逆にきつく聞き返してしまった。

 シュウは噴き出して笑い転げている。

 

「しっ、失礼しました! さっそくなんですがお願いがあります」

 

 やさ男は必死に頭を下げる。

 言葉を差し込む隙も与えず、お願いとやらを口にする。

 

「僕をダンジョンに連れていってください!」

 

 あまりにも唐突だ。

 どうしてダンジョンに行きたいんだ。

 そこの理由を聞かせてくれないか、簡潔にな。

 

「仮面です!」

 

 ……?

 意味がわからないという私の表情を読み取ったようでやさ男は言葉を接ぐ。

 

「仮面のためです!」

 

 …………?

 ごめん、簡潔じゃなくていいからさ。

 もうちょっとわかりやすく話してくれ。

 

「仮面を造るためです!」

 

 チェンジ。

 駄剣、あとは任せた。

 

 そんな訳で私を介してシュウがゆっくり聞き取っていった。

 

 

 どうやらやさ男はギレというそうだ。

 なんとあの胡散臭い仮面師ヌガドの弟子らしい。

 

 彼の造った仮面を見せてもらったが、素人目でも非常によく彫られていた。

 

『見た目だけは立派だね。お面としてはいいんじゃない』

 

 言いたいこと言ってるな、こいつ。

 だが、師匠のヌガドにもシュウと同じことを言われたとギレは話す。

 

「見てくれは良いが、お前の仮面には足りていないものがある」

 

 こう言われたようだ。

 

 ほう。

 その足りていないものが昨日シュウの聞いてきた質問の答だろうか。

 それで何が足りていないんだ?

 

「魂です」

 

 ちょっと何言ってるのかよくわかんないなー。

 

『うん。それだね』

 

 シュウは師匠の言に同意している。

 魂ってなによ?

 

『ちゅるちゅるっと喉ごしを楽しむやつ。あっ、冗談だから引かないで』

 

 ときどき冗談を言ってるように思えなく感じることがあるが、まさに今そう感じた。

 ほんとに冗談だっただろうか。

 

『冗談だよー。でさ、あの部屋にいたとき、仮面に見られてる気がしなかった?』

 

 ……したな。

 

『外を歩き回ったとき、同じ感覚はあった?』

 

 ……いや、なかった。

 でも、あの部屋は狭いし、仮面の数も多かったからじゃないのか。

 

『違う。あの部屋にあった仮面は全て魂、あるいは霊や命と呼べるものがあった。ずっとメル姐さんを見定めてた。例え、一枚だけになったとしても見られてる感覚はあるはず。というよりも、あれだけの数に見られてたら常人は気が狂うはず。やっぱりマグロか……』

 

 なんかよくわからんけど、魂とやらが大切のようだ。

 で、魂はどうやって仮面に入れるの?

 

「僕には経験が足りないそうです。もっと獣を、植物を、人を、その本質を――魂を見つめろ、と先生は仰いました」

 

 さっぱりわからん。

 本質ってなによ。魂って目に見えるものなの。

 おい、やっぱりチートな目だと見えるのか?

 

『見えるわけないじゃん。草生えるわ〜』

 

 シュウは片腹痛しと笑っている。実にむかつく。

 

『でも、感じ取ることはできる。見ることはできなくても、観ることはできるね』

 

 だめだ。私の理解を超えた。

 もういいや。私にはどうでもいいし。

 

 それでどうする?

 ダンジョンに行きたいなら、連れて行くぞ。

 

「いいんですか?!」

 

 まあ、初級だからな。上級以上なら嫌だが。

 罠も少ないと聞くし、突っ走ったりされない限りは余裕だろう。

 おとなしくしてもらえれば問題ない。

 

「大丈夫です。無茶はしません」

 

 さて、それじゃあ報酬の話だな。

 

「実は、お金はほとんどないんです。最近はモンスターも強くなったらしくて、冒険者の方々も余裕がないそうでして……。雇うこともできません」

 

 ギレは申し訳なさそうに呟く。

 

 いや、お金はたくさんあるからいらない。

 そうだ。お前が造ったやつで良い仮面はないか?

 

「申し訳ありません。師匠から良しと言われたものでないと他人に仮面を渡すことはできないんです」

 

 面倒なことだ。

 まあ、報酬はあとでいいか。

 最悪なくていいし。早くダンジョンに行きたいからな。

 

 

 

 そんな訳で初級ダンジョンを攻略し始めた。

 足手まといが一人いるため進行速度は極めて遅い。

 ギレは時折立ち止まってモンスターを見つめている。

 魂とやらを見ようとしている。

 

『あかん。駄目だ。心に余裕がない。これじゃ何も観えない』

「どうすればいいんでしょうか?」

 

 ギレはシュウに教えを請う。

 パーティーを組んで、ギレは喋る剣にとても驚いていた。

 私も久しぶりに通常の反応を見て安心できた。

 

『もっと楽しめばいい』

「楽しむ、ですか?」

『そう。どうせ魂なんて目を擦っても見えないから。もっとダンジョンを感じるべき』

「感じるとはどうやってでしょうか?」

『あ゛ー』

 

 ギレは矢継ぎ早に問いをぶつける。

 シュウはときどきイラついて変な声をあげる。

 元々、男と話したがらないエロ剣である。

 どうやら今回も喋るのに嫌気がさしたようだ。と、思っていたが、

 

『楽しむ、か。方向を間違ったな。修正しよう……。あそこに棒きれが落ちてるでしょ。あれを持ってその辺のモンスターに斬りかかってみ』

 

 シュウは返事をした。

 ただし内容が滅茶苦茶だった。

 おい待て、何をやらせる気だ?

 

『聞いてたでしょ。こいつにも戦わせてやって。大丈夫だって。共有スキルでそこそこ強化されてるから一撃じゃ死なない。まあ、男が一人死んだところで俺は一向にかまわんがね』

 

 本音が出てるぞ。

 とりあえず死ぬにしても報酬を受け取ってからだろう。

 

『それもそうだね。やばそうなら俺が合図するからメル姐さんが止めれば良い。このままじゃ物見遊山にもならない』

 

 というわけだ。

 がんばれ。

 

「え……。冗談、です、よね」

 

 本気だ。

 はよ行け。

 

 ギレは私が本気なことに気づいたのか覚悟を決めた。

 頼りない足取りで時々こちらを振り返りつつ、落ちていた棒きれを拾う。

 これまたちょうどいいところで犬型モンスターが道角から出てきた。

 

 ギレは私を振り返りどうしようと無言で尋ねるが、私は顎をしゃくり「行け」と伝える。

 彼の足は竦み、動ける様子ではない。

 

『ダンジョンでは足を止めた奴から死んでいくのだ』

 

 たまには良いことを言うなと感心していると、モンスターが私たちに気づいた。

 犬ころはより近くにいたギレへと一直線に駆ける。

 ギレは腰を抜かし、地面に尻餅をつく。

 

『もうちょい引き付けて……今』

 

 おし。私も踏み込み、ギレの前へと走る。

 すでに口を開け、彼に噛みつこうとしていたモンスターにシュウで斬り付けた。

 初級の弱さもあって、一瞬でモンスターは光に消えアイテムが残る。

 

『どうだった?』

 

 シュウが尋ねるものの、ギレは呆けて返事をしない。

 仕方なく、私も尋ねる。

 

「目があって、逃げたくて、でも目を背けることもできなくて、動けなくて、自分が、とても小さくなって……」

 

 彼はぽつりぽつりと漏らしていった。

 言っていることは昔の自分も感じていたからよくわかる。

 自身の非力さを認めてくれるほどの強さを持つ場所。

 それがダンジョンだ。

 

『よしよし。恐怖に触れたね。でも、まだ触れただけで観てない。さて、もう一回行ってみようか。次はちゃんと叩いてみよう』

 

 ギレの表情に深い影が落ちる。

 こいつ、ほんと男には容赦ないな。

 

 

 

 その後、ギレは何度もモンスターと交戦した。

 正確には交戦させられたと言うべきだろう。

 服は土まみれ、顔や手も擦り傷が増えた。

 幸い、肉体に重傷は負っていない。

 

「なんとなく……、わかりました」

『そっか。観ることができたのかな?』

「観えたのかはわかりません。でも、今なら掘り起こすことができそうです」

『掘り起こす、ね……。それなら彫れるかもね』

「はい。ありがとうございました」

 

 まったくわからんが、どういたしまして。

 

 彼の中で何かが目覚めた。

 目覚めたと言うよりも、外見を見る限り何かを抜かれたというほうが近い。

 幽鬼のごとくぼんやりと私についてくる。精神が重傷かもしれない。

 本当に大丈夫なんだろうか。

 

 ボスを倒しても、ギレの様子は変わらなかった。

 ダンジョンから出て町へ戻り、彼はふらりふらふらと町並みに姿を消した。

 とてもじゃないが報酬をよこせと言える状態ではなかった。

 

 

 

 一夜明け、宿を出てセルニアへ発とうとしたところで来客があった。

 胡散くさくて陰気くさい男が宿のフロントに来ていた。

 ヌガドである。

 

「冒険者ギルドの方から宿を聞きました。是非とも仮面を受け取って頂きたい」

 

 それだけ言って、脇に抱えていた布たばをほどいていく。

 

 布の中から一枚の仮面が出てきた。

 

『ほぉ』

 

 シュウはしみじみとした感嘆の声を漏らす。

 私も声を漏らすほどではないが、よくできていると思った。

 彫りは決して丁寧とは言えない。

 出店やヌガドの店に置いてあった仮面と比べると私でもわかるほどに雑な彫りと塗りだ。

 だが、ぼんやりとした表情に何か不気味さ、あるいは畏怖を感じた。

 モンスターを題材にしたものだろうか。

 

『それギャグで言ってんの?』

 

 どういうことだ。

 

『これ、ギレが彫ったやつだよ』

 

 えっ、これギレが彫ったの?

 

「然様です。昨日、ぼろぼろな様子で帰ってきたと思ったら、何も言わぬまま夜通しでこれを彫りました」

 

 夜通しでか。

 道理で荒いわけだ。

 

「奴は、それを完成させてすぐに倒れました。今は眠っています。代わりに私が届けに来ました」

 

 おっと。

 師匠自らとは、わざわざすまんな。

 

「いいんです。メル様には感謝しています。弟子の面倒を見てもらったようで」

 

 いや、ダンジョンに連れて行っただけだ。

 それで、この仮面は本当にもらっていいのか?

 

「もちろんです。これは貴方にこそふさわしい。奴もそのために彫ったのでしょう」

 

 うむ。

 報酬ということで遠慮なくもらっておこう。

 

 こうして素敵な仮面を手に入れ、マスケの町を発った。

 

 

 

 道中、もらった仮面をぼんやり見つめる。

 良い仮面なのだろうが、なんとなく疑問が残る。

 残った疑問がなんなのかもわからないので落ち着かない。

 

『ヌガドは言ってたよね――』

 

 いつもどおりシュウがいきなり話を切り出す。

 

『ギレはダンジョンから帰ってきて、「何も言わない」まま徹夜でその仮面を造ったって』

 

 ああ、そうだったな。

 

『造り終わってすぐ寝ちゃった、とも言ったね』

 

 そうだった気がするな。

 ちょっと自信ないけど……。

 

『じゃあヌガドは、どうしてメル姐さんがギレを連れてダンジョンに行ったことを知ってたんでしょう?』

 

 はて?

 そう言えばそうだな。

 ギレに会ったのは昨日の朝。

 ダンジョンに連れて行ったのも成り行きだ。

 帰ってから話をしていないなら、私とダンジョンに潜ったとはわからないはず。

 

 ……他の人から聞いたんじゃないの? 

 ギルドの人に聞いたって言ってたよね。

 

『泊まってる宿を聞いたって言ってたよ。メル姐さんとダンジョンに潜ったってことはすでに知ってたんだ』

 

 ふーん、そうなのかー。

 で、なんで知ってたんだ?

 

『その仮面の名前はなんでしょう?』

 

 おいおい、さっきの質問の答は?

 話を変えないでくれ。

 

『話は変わってない。詰まるところ、答はその仮面の名前にある』

 

 ちょっと考えようかと思ったが面倒そうだったのでやめた。

 たぶん昨日のダンジョンにいた犬のモンスターかそのへんだろう。

 いや、猿みたいなボスモンスターかもしれない。

 記念と言うことで前線に蹴り出したらたいそう怖がっていた。

 あの恐怖をこの仮面という形で表したのかもしれない。きっとそうだ。

 うむうむ、よく見るとこのとぼけた顔があのボスに似てる気がしないでもない。

 果たしてあのボスはなんて名前だっただろうか?

 

 まあいいや。

 結論も出たし先に進むぞ。

 止まると落ち着かなくなるからな。

 

『やっぱマグロか。急がなくても生誕祭には間に合うでしょ。その仮面はさっそく使うと思うよ。よかったねマグロ姐さん』

 

 相変わらずよくわからんことをわかったように言っている。

 

 

 

 結局、仮面の名前はわからずじまいだった。



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蛇足07話「クリスマスプレゼントだよ!」

 シミリアに向かって北上中、薄雪郷ニクスに辿り着いた。

 名前どおり雪がうっすら積もり、白に覆われている。

 雪が朝の日差しを反射し、斜面がきらめく。

 

 ……はて?

 閑静な里だと噂で聞いていたが、ずいぶんと人が多い。

 道の途中で多く見かけた馬車はどうやらここが目的地だったようだ。

 

『カップル多すぎ、爆発しろ』

 

 なんで爆発? まあ、いいや。

 とにかくシュウの言うとおり、男女ペアが非常に多い。

 

『メル姐さん! 俺たちも』ない。それはない。

 

 先を言われる前にさっさと否定しておく。

 

『お早い否定なことで』

 

 それにしてもこの人だかりはなんだ。お祭りだろうか。

 近くで荷物を持っていたおばさんを捕まえて聞いてみた。

 

「クリスマスだよ! クリスマス! なに、あんた!? ニクスのクリスマスを知らないの? ニクスと言えばクリスマス! みんなの常識でしょ!?」

 

 うるさく騒いだおばさんは忙しそうに走り去っていった。

 みんなの常識って……、少なくとも私にはそんな常識はないんだが。

 

『そりゃ「みんな」の常識だもん。メル姐さん、ぼっちだからね。みんなの中に入ってたらおかしいでしょ』

 

 怒ろうと思ったが、怒れば必死に否定しているようでみじめだ。

 だが、黙っているのも認めたみたいでみじめなのでやっぱり怒ろうと思っていると、シュウが先にキレた。

 

『誰だ!? こっちの世界にまでクリスマスなんてファッキンイベを持ち込んだサック野郎は!』

 

 なにやら声を荒げている。

 お前、このお祭りについて知ってるの?

 

『知ってるも何も、クリスマスは俺たちの世界のイベントだよ』

 

 ふーん、そうなんだ。

 お前みたいなやつがこっちの世界にまで広げたのか。

 それで、クリスマスって名前はわかったんだが何をする祭りなの?

 

『俺みたいな奴はこんなイベント広げない。……元は、とある宗教の教主様の降誕祭。家族でひっそり祈りを捧げる日』

 

 家族で? 見た感じ家族で祝うというよりもカップルが多いぞ。

 しかもひっそり祈るどころか、めちゃくちゃ賑わってるし。

 

『元はね。元はそうだったんだ。残念ながら俺のいた国では恋人達がイチャイチャする聖夜ならぬ性夜だったんだ……。なんでこんな糞イベを持ち込んだんだよ』

 

 あっ、そう。

 じゃあ、私には関係ないな。

 ダンジョンもあるし、まずはギルドだ。

 

 

 

 そんな訳でギルドにやってきた。

 みんなクリスマスとやらに夢中でスカスカだと思っていたが、なかなか賑わっている。

 

「今日はイヴですからね」

 

 赤のとんがり帽子と服を身につけた受付嬢は苛立たしげに言った。

 イヴだから? どういうことだ?

 

「エルプティオ氷窟はクリスマスの七日前からクリスマス仕様に変わります」

 

 クリスマス仕様?

 

「はい。明日からは通常仕様に戻りますが、今日の夜――クリスマスイヴに、クリスマス仕様に変化したモンスターが氷窟から出てきて郷を襲うんです」

 

 そんなことって、あるのか?

 

『ふんっ、冒険者はリア充共の壁役か。俺は壁ドンの方に参加したいね』

 

 シュウはご機嫌ななめだ。

 ……ああ、この冒険者達は防衛のためか。

 

「そのとおりです。防衛戦に参加してくださいますか? ドロップアイテムも特殊ですからね。高値で買い取らせていただきますよ」

 

 なるほど、納得した。

 それなら冒険者も集まるだろう。

 

 ところでダンジョンには入れるの?

 

「入れます。敵の種類とドロップアイテムが変わるため、一時的に難易度が中級から上級に変わります。そのため上級以上の入場許可証が必要になりますが、お持ちでしょうか?」

 

 それは全く問題ないから大丈夫だ。

 明日からは元に戻るんだよな?

 

「はい。先ほど申しましたように明日から通常仕様に戻ります」

 

 くぅー!

 これはまさかっ!

 今日と明日でダンジョンに行けば、一つのダンジョンで二度おいしいってことか?!

 

「……はい。そう、なります、ね」

『メル姐さん、早く行こう、ねっ。お願いだからさ。羞、恥ずかしいよ……』

 

 よっしゃ! ダンジョンだ!

 

 

 

 通常のエルプティオ氷窟は中級である。

 だが、先に聞いたようにクリスマス期間中は上級になる。

 ダンジョンの地形は変わらないが、モンスターが強くなるようだ。

 

 追撃で恐れられるキリングリスビー。

 集団で突撃をしてくるアカッパナトナカイ。

 ちょこまこと動き、氷魔法を連発するオマエラコオリス。

 ここまではさほど問題ないと聞く。元がそこまで強くないそうだ。

 問題はボスモンスターのリアジュウバクサンタ。

 

 こいつが相当にやっかいなようだ。

 この時期だけボス部屋から出てきて、モンスターを操る。

 侵入者の前には、なかなか姿を見せずこそこそとこちらを狩りに来る。

 爆弾をあちらこちらに仕掛けこちらが罠にかかれば、不気味な笑い声だけが響くらしい。

 今年のリアジュウバクサンタは特に手強く、多くの挑戦者が爆散された。

 爆散といってもパーティーが男あるいは女だけなら、火傷と擦り傷程度で済ませて帰らせるようだ。優しい。

 ただし、男女混合パーティーだと一片の容赦なく殺しに来る。

 

『わかる。とてもよくわかる。仲良くなれそう』

 

 シュウはボスの気持ちがわかるらしい。

 冗談半分で聞いていたが、途中からこの言葉を実感した。

 

『ストップ。そこの床、爆弾埋まってる』

『ここは回り道で行こう。カップルを分断させるのに、俺ならここで仕掛ける』

『今、姿を見せたのは罠。道の先にワイヤーがかかってるし、その先にもトラップ』

『声は聞こえたけど、この先は行き止まり、二人仲良く殺すなら絶好のスポット。引き返すべき』

 

 ……などなど、と指示をしてくる。

 途中で疑わしくなって、無視して突っ込んでみたら言うとおりの罠があった。

 

 シュウの指示で罠は避けているが、ボスも然る者。

 追っても追っても、うまく逃げられる。

 追い詰めたと思ったら爆弾が詰め込まれたダミーというのもあった。

 聞いていたとおり、一人なので爆発はたいしたことなかった。

 

『手強いな。ほんとにソロで倒せるようになってるのこれ』

 

 うむ。全く手応えがない。

 最初は姿を見せてきたが、今では姿すら見せてこない。

 

『モンスターを最初に狩りまくったのは失敗だったかな』

 

 そうだな。

 追い詰めることができたのは、ボスがモンスターを利用してきたときだけだ。

 モンスターを蹴散らしてボスに直行したが、不自然な抜け道から逃げられてしまった。

 

『戦い自体を避けられると厳しいね』

 

 戦えば勝てるだろうが、逃げ隠れに徹されると難しい。

 

『しかも他の冒険者もいないし』

 

 それもあるな。

 他に冒険者がいれば、数で追い詰めることもできるだろう。

 しかし、今夜の襲撃に備えてか、ダンジョンにいるのは私だけである。

 

 おい、こういうときこそ頭の使いどころだぞ。

 なんか良い手段を考えろ。

 

『手段はあるよ』

 

 なんだ。あるのか。

 ほら言え。すぐ言え。さっさと言え。

 

『まあまあ。落ち着いて。そろそろ昼だし、一回戻ろう。ご飯食べろ!』

 

 そう言えば、もう良い時間だな。

 朝から何も食べてないし。あと、なんで命令口調?

 ……でも、ボスを倒してからでもいいんじゃないか。

 

『ボスを倒すには用意がいる。それを郷で手に入れたいけど……うーん』

 

 倒すための用意、か。

 それを手に入れるのが難しいと?

 

『いやぁ、うぅん。難しいんだろうね。でも、うまくひっかければなんとかなるかも』

 

 はっきりしないな。

 何が必要なんだ?

 

『囮』

 

 返ってきたのはたった一言であった。

 

 

 

 シュウの言う「囮」とは、男のパーティーメンバーのことだった。

 私が一人で挑むからボスはこちらを殺す気もなく、うろちょろ逃げ回っている。

 そこで男女ペアを作り、ボスが殺しに来たところを返り討ちにしようという寸法だ。

 

『お話しできるの?』

 

 ダンジョンから戻り、郷を歩いていると話しかけてきた。

 他の人をパーティーに誘えるかということだろう。

 

 いやぁ、今は難しいんじゃないか?

 みんな今夜の防衛戦に備えてるだろうしさ。

 

『普段ならできるとでも?』

 

 できるよぉ。

 ちょっと話しかけて、パーティー組むだけだろぉ。余裕余裕。

 

『ほぉん。じゃあ、ささっとギルド行って、ちょちょいと話しかけてみてよ』

 

 ……ご飯食べてからにしよう。

 それと、もうちょっと考えてみるべきだ。

 一人でもなんとかする方法があるかもしれないぞ。

 

『今のところないよ。ちなみになんて話しかけるの?』

 

 そりゃお前、「ダンジョン行こうぜ」って誘えばいいだろ。

 

『ソロの冒険者はあんまりいなさそうだったけど、五人くらいのグループに話しかけに行ける?』

 

 …………できる。

 

『断られ続けても、話しかけ続けられる?』

 

 ………………でき、ない。

 

『うん。俺もできないに一兆ジンバブエドル賭ける』

 

 ピヨピヨうるせぇな!

 じゃあ、どうすりゃいいんだよ!

 

『まあ、逆ギレしないで右後ろを見たまえ』

 

 振り向いてみると家の前で男女一組が話をしていた。

 

「俺、今からボス倒して来るよ!」

 

 意気揚揚と宣言したのは男の方だ。

 少年だった。見たところ十代後半といったところか。

 

「危ないから他の人と一緒に行くのよ」

 

 おっとりした声でなだめたのは少年よりも年上そうな女性。

 姉弟かと思ったが顔、髪型から判別するに違ってそうだ。

 

「わかってるって。じゃあね!」

 

 そう言って少年は走り出し、私を横切って駆けていった。

 女性は手を振っていたが、ゆっくりと家の中に入ってしまった。

 

 で、あれがなんなの?

 

『えぇ、流れでわかんでしょ。さっきの少年を追いかけていってパーティーを組めば良いんだよ』

 

 おお。なーるほそ。

 でも、他の人と一緒に組むって言ってたぞ。

 

『どうせ夜になったらモンスター狩るんだから、今からダンジョンに行く馬鹿なんてメル姐さんと極々一部しかいないよ』

 

 うむ。馬鹿で良かった。

 明日もダンジョンに行ける。

 きっとあいつも馬鹿なんだな。

 

『そうだね。ボスのドロップが目当てなんでしょ』

 

 あぁ、なんか宝石だったよな。

 それも曰く付きで相当高かったはず。

 

『曰く付きって……、それもそうか。「半永久の煌めきジュエリー(Xmas ver.)それはサンタからがんばる貴方へのプレゼント。好きな人にプレゼントすれば、二人は半永久の輝きに」って、もうギャグでしょ。なんだよ「半永久の輝きに」って……LED照明も真っ青になるレベルだよ』

 

 それな。

 受付嬢がうっとりした表情で語ってたな。

 私も聞いてて笑った。

 

『で、その馬鹿げた宝石を少年は手に入れたいんだろうね、手に入るの今日までだし』

 

 ああ、売ればめちゃくちゃ高いもんな。

 今年は全然手に入らなくて、値段が高騰してるっていうし。

 今夜の防衛戦が最後のチャンスだから、みんな狙っているんだろう。

 

『う゛ゎぁか、違うよ。好きな人にプレゼントするためだよ』

 

 今のばーかって発音めっちゃむかつくんだけど。

 第一なんで好きな人にプレゼントするってわかるんだよ。

 

『さっきの会話見ててわかんなかったの? 少年君めっちゃ女の方に恋い焦がれてたじゃん。おねえちゃんに受け取ってもらうんだぁ、ってさ』

 

 ……うっそぉ。

 普通の会話にしか見えなかったぞ。

 お前の変態脳がなんでもかんでもそういうふうに見せてるんじゃないか。

 

『フッ、それより早く追いかけよう』

 

 あからさまに鼻で笑われた。

 むかつくが確かに今は追いかけるべきだ。

 

 

 

 ギルドに到着すると、少年がパーティーの仲間達と話しているところだった。

 どうやらダンジョンに行こうと誘っているようだが、仲間達は乗り気じゃない。

 夜まで待てば、チャンスはある。今行く必要はない、と逆に説得されている。

 やっぱり説得はうまくいかず、他の人たちに話しかけ始めた。

 次から次へと他のパーティーに話しかけている。

 

『メル姐さんにあれはできないだろうねぇ』

 

 うむ。

 何度断られても、罵られてもめげずに他の人に話しかけ続けている。

 あれはちょっと私には真似できない。私なら一人でダンジョンに突っ込んでる。

 

『一人で行かないところをみるに、個人では上級の入場許可がないんだろうね』

 

 そのようだな。

 それより、私はいつになったら話しかけられるんだろう?

 今も目の前を通り過ぎて他のパーティーに話しかけに行ったし。

 

『メル姐さん、見た目だけで判断すると上級以上には見えないし、中級にも見えないもんね』

 

 悔しいが、それは否定できないな……。

 こちらから話しかけてもいいんだが、ここまでスルーされてこちらから話しかけるのも敗北感がある。

 

『やっすい敗北感』

 

 なんか良い方法ない?

 

『はぁ……、受付嬢のところに午前中稼いだアイテムを持ってけばいい。ボスのドロップアイテムの有無について聞かれるだろうから、ちょっと声を大きめに午後には取れるって言えばいい』

 

 またもやあからさまな溜め息をして、それでもちゃんと教えてくれた。

 

 さっそく実行に移る。

 受付に行って、ドロップアイテムを袋からどばばっーと出す。

 その後、受付嬢は予想通りの質問をしてきて、私は聞いていた通りに返答する。

 受付嬢はボスのドロップがないのをやたら気にしていた。

 

 さてどうなるか、と振り返るとそいつはいた。

 

「パーティーを組んでください!」

 

 なんという耳の早さ、行動の速さか……。

 思わず「あ、ああ」と頷いてしまったほどである。

 

 なんにせよだ。

 これでボスを倒すための囮を手に入れることができた。

 

 

 

 ダンジョンに入る前に、ギルドに併設された飯屋に寄る。

 だいたいにおいて、ギルドにくっついてる飯屋やら酒屋はうまい。

 それに地元の人間がいないこともあるため、一人でいて疎外感があまりないのもグッド。

 

「お姉さん、極限級なんですか! すっげぇ!」

 

 少年は叫ぶ。

 ほんとやめてくれませんかね。

 ほら、視線が集まってきて痛いんで。

 

「ここはシチーがおいしいんですよ!」

 

 死地ー?

 

『違う。シチー、キャベツメインの野菜スープ』

 

 ああ、そう。

 じゃあ、それで。

 

「サール! いつもの二つ!」

 

 少年はグレルというそうだ。

 黒混じりの赤い短髪がいかにも活発そうな印象を出している。

 

 ほっといても一人で話を続けてくれているからこっちは楽だ。

 どうやらここは知り合いが働いている店らしい。

 

「――なんですよ。メルさんは俺に何か質問はありますか?」

 

 特にない。

 

「またまたぁ。何でもいいんですよ」

 

 ほんとにない……あっ。

 

「おっ、何でしょう?」

 

 さっきシュウと話したことが気になる。

 ボスのドロップアイテムをどうするんだ?

 

「えっ、いや、それは」

 

 顔が真っ赤になった。

 困惑しているような、照れているようなにやけた顔だ。

 マジかよ、シュウの見立て通りなのか。

 

『ふふん、何を隠そう恋愛マスターシュウとは私のことだよ』

 

 はいはい。

 

「いや、実は――」

「ネージュさんにあげるんだよね!」

 

 横から元気な声が割り込んできた。

 両手に湯気のたつ皿を持ち、こちらもまた元気そうな笑みを見せている。

 いかにも田舎の活発そうな女の子といった具合だ。

 グレルと同じくらいの年だろうか。

 

「サール! 俺の台詞を取るなよな!」

「はいはい、早く食べないと冷めるよ!」

 

 軽く流して皿を私とグレルの前に置いていく。

 

「メルさん、こいつは幼なじみのサールです! うるさくてすみません!」

「なに言ってんの! あんたのほうがうるさいじゃない!」

 

 どっちも賑やかだ。

 賑やかというよりも……眩しい。

 

「それでボスのアイテムなんですけど、ネージュっていう近所のお姉ちゃんにプレゼントするんです。お姉ちゃんはすごく優しくて穏やかで俺のあこがれなんです!」

 

 やっぱりあの女の方か。

 そういうことがはっきり言えるのがすごい。

 眩しすぎる。もしかして、これが若さってやつなのか。

 

『俺だっていつもメル姐さんにアピールしてるじゃん!』

 

 お前のアピールは爽やかさも眩しさも感じられない。

 泥臭いダンジョンのヘドロみたいにねばっこくてしつこい。

 

『いつかそれが良くなってくるのさ』

 

 絶対に来ない。

 

「ネージュさんみたいなきれいな大人の女性があんたなんか相手にするわけないでしょ!」

「そんなことないさっ! ジュエリーを渡せばきっと見直してくれるさ! それにお前だって早く相手を探せよ!」

「うるさいわよ! 私にはちゃんと相手がいるの! 今夜もその人と会う予定なんだから!」

「嘘付け! サール流の強がりだ! お前みたいなうるさい女、好きになる奴なんていない!」

「っ! 嘘じゃないわよ!」

「そっか良かったな!」

「ええ、良かったわよ! 今度紹介してあげる!」

「はいはい! 俺も紹介してやるよ!」

「どうせ無理だろうけど、せいぜいがんばって!」

「なんだと!」

「なによ!」

 

 ゴホンッと咳き込んで二人の会話を止める。

 これ以上聞いていると気が触れてしまいそうだ。

 

『もう触れてるじゃん。しぇしぇしぇのしぇでしょ。なに言ってんのさ』

 

 うるさい。

 

 二人も周囲の視線と厨房から覗くオーナーらしき人物の圧力に気づいたようで、

 

「すみませんでした」

 

 と、仲良く